ノマルは二部だが愛がある (rairaibou(風))
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300 何かあったら逃げましょう

キャラクター紹介

ノマル(オリジナルキャラ)
 ラーノノタウン(オリジナル町)ジムリーダー、主にノーマルタイプのエキスパート。
 現在はマイナーリーグで初心者への普及を中心に活動しているが、かつて一度だけメジャーリーグで好成績を残したことがある
 アラサー

ミスミ(オリジナルキャラ)
 ラーノノジムただ一人のジムトレーナー、白黒に染め上げた髪型が特徴で見た目通りネズのファン


 本日は、雲ひとつ無い、文句のつけようのないほどの晴天であった。

 上空を旋回しながらうららか草原を見下ろすヨルノズクは凪を感じていた。しばらくは雲が流れてくることもなく、落ち着いた一日になるだろう。

 キャンプをするには最適な日だった。少なくとも天候の観点からは、初心者が苦労することはないだろう。

 ヨルノズクは少し羽ばたきを弱め、この星の重力に少し身を任せ始めた。

 仲間たちがキャンプを張る近辺には、脅威となるようなポケモンがいないことを充分に確かめた。わざわざキバ湖の瞳付近に出向くようなことさえなければ、強力な野生という観点からも初心者が苦労することはないだろう。

 乱雑に張られた色とりどりのテントが段々と近づいてくるのを確認しながら、彼はまた自慢の毛並みが子供たちの無遠慮で温かい手のひらでもみくちゃにされることを予測し、それに複雑な気分となった。

 

 

 

 

 

 

「お疲れ、どうだった?」

 

 パトロールから帰ってきたヨルノズクに、その小さな女が問うた。それに彼が何も返さず羽を繕っているのを確認し、彼女はパトロールの結果異常がなかった事にひとまず安心する。

 

 そして、彼女はすでに作業を終わらせていた要領の良い子供に向けて言う。

 

「はーい! ヨルさんが帰ってきたから撫でてもいいですよ!」

 

 その声を待ち望んでいたように、子供たちはわっと一斉にヨルノズクとの距離を詰め、やはり無遠慮で温かい手のひらで彼を撫で始める。

 

 ヨルさんはそれにやはり複雑な気分であった。温かい手に撫でられることは好きだが、ものには限度というものがあるし、まだ勝手のわからぬ子供たちは時折とんでもないところを撫で回したりもする。決して嫌ではないが良くもない、逃げるか逃げないかの瀬戸際と言ったところだ。

 まだ彼を撫でることに参加できていない子供たちは、それを羨ましく思いながら彼らなりに頑張ってテント張りの作業を続けていた。

 

「お前ら焦るなよ! 時間はたっぷりあるんだからな!」

 

 少し要領の悪い、もしくはテントを張るという作業を一度もしたことのなかった子供たちに熱心に手ほどきしていた青年が声を張った。

 

「ここで五分手をかけることで、一晩の安心が手に入るんだ!」

 

 子供には分かりづらいような理屈であったが、それでも子供たちはそれに「はい!」と元気よく返事した。黒髪の一部をメッシュで白に染めているその青年を子供たちは最初は怖がっていたが、一時間もしてしまえば彼が悪い人間でないことを本能的な部分で理解してしまう。子供の直感というものは大人の理解には及ばない。

 

 やがて、一人、もう一人と、テントを張り終えた子供たちが青年と女に確認を求め、やがてヨルさんの元に駆けていった。

 

 

 

 

 

 

 

「改めて、挨拶させていただきます」

 

 ヨルさんがもう気の毒なくらいもみくちゃにされた後、女と青年は子供たちを並んで座らせた。二十数人ほどの子供達の前で、その小さな女が頭を下げる。

 

「私はノマル、ラーノノタウンのジムリーダーで、ノーマルタイプを主に育成しています」

 

 空気を読んだ子供達の拍手に微笑んでから、ノマルは傍らの青年を指した。

 

「彼はミスミ、ラーノノジムのジムトレーナーです」

 

 よろしく、と頭を下げたミスミにも拍手が起こる。

 

「皆さんの中でラーノノジムに来たことがあるという人はいますか?」

 

 自らがびしっと手を上げて回答を促したノマルに対し、子供達の反応は渋く、誰も挙手しなかった。突然の質問に戸惑ったことを差し引いても、該当者はいないということだろう。

 

 遅れてやはりビシッと手を上げたミスミに子供達が笑ったのが不幸中の幸いだったが、ノマルはそれに気づかない。

 

「あー、そうか、まあ、仕方ないですね」

 

 ミスミの愛あるボケに気づかぬまま呟いたノマルが続ける。悲しいことではあるが、納得のできないことでもない、子供たちにとって、マイナーリーグというのはそういうものなのだ。

 

「それでは、質問を変えましょう」

 

 エヘンエヘンと咳払いをしてから続ける。

 

「この中で、ポケモントレーナーになりたい人!」

 

 その質問には誰も萎縮することはなかった。子供たちは皆足を抱えていた腕の片方をこれ以上無いくらいにまっすぐピーンと天に突き刺す。

 

 当然だ、だからこそ彼らは両親や家族にねだってこの『教室』に応募したのだから。

 

 ノマルはその光景にウンウンと頷いて「手をおろしてください」と言って続ける。

 

「みんながトレーナーになりたい気持ち、私にはすっごくわかります。それではこの中でジムチャレンジをしたいと思っている人はどのくらいいますか?」

 

 その質問も感度抜群だった。やはりズビシと手が挙がる。

 

「そうですね、皆さんがジムチャレンジをやりたいと思う気持ちもわかります。もしかしたら、私と戦うこともあるかも知れませんね」

 

 手を降ろさせてから続ける。

 

「トレーナーになること、ジムチャレンジをする事、そのどちらにも、ポケモン達の世界に足を踏み入れることがあります。そのためには、一人でキャンプを張って野宿することも考えなければなりませんし、時には野生のポケモンと出会うこともあるでしょう。かつてのチャンピオンであるダンデも、新チャンピオンもそのようにしてきました」

 

 ダンデと新しいチャンピオンの名に、子供たちは目を輝かせた。

 

「しかし、それはとっても危険です。野生のポケモンたちはあなた達を引っ掻いたり、体当りしてきてしまうこともあります」

 

 ガサガサと、ミスミはテントの中から巨大な布袋を取り出した。パンパンに張ったそれに何が入っているのか子供たちはすでに知っているようで、彼らは一様に落ち着かぬ様子となってチラチラとそれを見やる。

 

「そのような野生のポケモンたちからあなた達を時には守り、時には一緒に逃げたりするパートナーと、皆さんは今日出会うことになります」

 

 布袋の中に手を突っ込んだミスミが取り出したのはモンスターボールだった。

 彼がそれをノマルのそばに放り投げると、長い耳とふわふわとしたしっぽを持つポケモンが現れた。しんかポケモンのイーブイである。

 イーブイは太陽に光に少しまぶしげに目を細めた後に、今度は初めて目の前に広がる広大な自然と、踏みしめている土に驚き、そして喜んで跳ね上がった。

 子供たちはそれに歓声を上げて釘付けとなる。間近でポケモンを見たことがないわけではない、むしろもっと強力なポケモンを、もっと間近に見たことのある子供もいるだろう。

 だが、彼らにとってそのイーブイは特別であった。なぜならばそれは、彼らが初めて手にするポケモンであるのだから。

 しばらく大自然の空気を堪能し、そしてノマルの足元にすり寄ったイーブイを腰をかがめて撫でてから、ノマルは両手をひらひらと動かして子供たちを静かにさせてから言う。

 

「この子達はまだまだ子供で、トレーナーを知らず、バトルも知りません。あなた達と同じですね。そして、今日からあなた達のパートナーして、一緒に生きていくポケモンでもあります。この子達と、あなた達との出会いに立ち会うことができるのは、非常に光栄なことです」

 

 ミスミはもう一度ボールを掲げてイーブイをそれに戻した。

 

「よーし、それじゃあ名前順に並べよ~」

 

 その言葉を待っていたかのように、子供たちは一斉にわっと立ち上がってそれに群がった。だがそれでも最低限のルールは守るらしく、なんとか列のようなものを作ろうと努力はしている。それでも、それが正しく運用できているとはお世辞にも言えない。

 ミスミはそれに声を荒げることはなかった。初めてのポケモンを手にする時は、自分だって冷静な子供ではなかったのだ。

 彼は自らのボールを放り投げ、手持ちであるタチフサグマを繰り出した。ミスミの前髪と同じく白と黒が混じり合った体毛を持つそのポケモンは、舌を出し両手を広げて子供たちを一列に並べようと努力する。

 同じくノマルに繰り出されたかんじょうポケモンのイエッサンも同じく列を作るように促していた。

 

 

 

 

 

 

 

 ラーノノジムリーダー、ノマルはマイナーリーガーだ。もう長いことメジャーリーグには上がってはいない。

 だが、だからといってジムリーダーとして失格なのかと言われれば、決してそんなこともない。

 彼女らマイナーリーガーはトレーナー活動の普及という役割を担っている。

 メジャージムリーダーがトレーナーを育成する役職であるとするならば、彼女の仕事はその一段階前、ただの人がトレーナーとなるその一歩を補助することだ。

 事実、彼女の『初心者トレーナー教室』の人気は高い。本当の意味で基礎の基礎から教えることで有名だし、野宿や施設の使い方まで手取り足取り教えてくれると保護者からは信頼されている。

 子供たちはそのような事情など知りもしないが、それでも初めてのポケモンとして可愛らしくて人によく懐くイーブイをくれるという特典は大きなものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 自由時間、初めてのポケモンをもらった子供たちがそれぞれポケモンを繰り出して戯れている。初めてのポケモンを少しでもかっこよく、もしくは可愛く着飾らせようと事前に作ったり買っておいたりした首輪やストラップ等のそれぞれの絆を示すマークがすでにつけられているから、せっかく出会ったパートナーを取り違えるというような事故は起こらないだろう。

 

「いいか、突然撫でたりはするなよ」

 

 ミスミはタチフサグマを見本にしながらポケモンとのふれあいをレクチャーしている。タチフサグマとイーブイじゃあ勝手が違うだろうというのは大人の意見であって、子供たちはそれをすんなりと受け入れていた。

 ノマルはまだ作っていなかった自分たち用のテントを張っていた、慣れたもので、すでにその作業も終わろうとしている。

 すると、一人の少年がイーブイを抱えて近づいてきた。

 慣れた抱え方だった。皮で首がしまることもないし、ずり落ちる不安にポケモンが戸惑うこともない。

 

「どうしたの?」

 

 頬の泥を拭ったつもりが、軍手にへばりついていた泥を更に塗りたくる結果になりながらノマルが問うた。

 少年はイーブイを少し持ち上げながら答える。

 

「この子の『特性』はなんですか?」

 

 その質問に、ノマルは少し沈黙を作った。

 知らぬわけではない、だが、少なくともこの『初心者トレーナー教室』ではそこまでの事に踏み込むつもりはなかったからだ。

 だが、だからといってそれを無視するわけにもいかないので、答える。

 

「『にげあし』よ」

 

 ふうん、と、その少年は頷いた。

 

「『てきおうりょく』じゃないんですね」

「くわしいのね、感心感心」

 

 イーブイには特性が二つある。『にげあし』と『てきおうりょく』だ。

 

「ジムリーダーのポケモンだから『てきおうりょく』だと思ってた」

 

 少年の指摘は、ポケモンというものに詳しくなければ浮かばないものだった。

 イーブイのもう一つの特性『てきおうりょく』は『にげあし』と比べて戦闘の面で有利なものだ。戦闘のエキスパートであるジムリーダーの息のかかったポケモンであるのならば、戦闘に有利であっても不思議ではない。

 

「家族の誰かがトレーナーなの?」

「兄さんがトレーナーです。でも、あんまり強くない」

「どうしてそう思うの?」

「下手だもん、バトルが」

「難しいのよバトルは」

「そうかな、僕はそうは思わないけど」

 

 生意気にも見える少年だった。だが、事実彼にはバタバタとした兄の戦いぶりが下手くそにしか見えないのだ。

 

「『てきおうりょく』じゃないから、そのイーブイは嫌い?」

 

 その言葉に、少年はイーブイを抱え直して首を横に振る。

 

「好きです。『おくびょう』だから。特性は進化で変わります」

「じゃあ良いじゃない。いっぱい可愛がってあげてね」

 

 ニッコリと笑うノマルに、少年はそれ以上何も返さず、同年代の子供達の中に戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 陽の光が赤みを帯びながら傾いてきた。長くなり始める影に注目すること無く、子供たちは鍋に向かって真剣な眼差しだ。

 その傍らではイーブイ達がしっかりと座って待っていたり、コロコロと転がって構われることを誘っていたりそれぞれだ。

 子供達の前には大きな鍋があった。その中身はコトコトと煮込まれたカレーであり、子供たちはそれを焦がさぬように、それでいて鍋からこぼすという大失態を侵さぬように気をつけながらかき混ぜる。

 中は昼間に自分たちが取った木の実が入っている。食べることのできる木の実がなっている木の特徴を教えてくれたノマル曰く、ヨクバリスの分まで取らぬようにと、必要以上に木を揺らさないことがコツなのだそうだ。

 イーブイは一人に一匹準備したが、鍋とテントは数人に一つだ。子供たちはそれぞれの意見をなんとか一つの鍋に収める。数人の人間の意見もまとめられぬようでは、六匹のポケモンなど従えられるわけがない。もっとも、多少険悪な雰囲気になろうともイーブイ達を眺めればそんな気は薄れてしまうだろうが。

 

「珍しい木の実や高価な食材を使わなくても充分に美味しいカレーを作ることはできます。ポケモンたちが喜ぶ姿を想像しながら、真心を込めてつくりましょう」

 

 ノマルは一つ一つのグループを回りながらアドバイスを与えている、だが、大体のグループがうまくやっていることを見届けると一つのグループにほとんどつきっきりとなった。そのグループは少しできない子達が集まっているようで、どうも進みが遅く、カレーが焦げ付き始めているようだった。

 

「なあ」

 

 カレーを焦げ付かせたグループの真向かいは、テントもカレーも木の実も上手にこなしたグループだった。そのうちの一人、いかにも悪ガキと言った風を全身で表現しているような少年が、つまらなさそうにカレーを混ぜている少年に問うた。

 

「ノマルさんがメジャーリーガーだったなんて信じられるか?」

 

「ほんとだよ」と、カレー鍋を覗き込んでいた短髪の少年が勝手に答える。

 

「ノマルさんはかつてメジャージムリーダーとして活動していたんだ」

 

 矢継ぎ早な早口で続ける。

 

「ノーマルタイプのジムがメジャーに上がることは珍しかったんだけど、ノマルはダイマックスのタイミングに縛られない戦い方で勝ち抜いて、一時期はファイナルトーナメント決勝まで行ったんだ。あまりの強さに『鬼教官』と呼ばれたほど、だけどファイナルトーナメントの決勝でダンデに負けたんだよ」

 

 まるでどこかのウェブページをそのまま暗唱しているかのようにスラスラと言ったが、この初心者教室は携帯端末の持ち込みが禁止であるためにそれを確かめようがない。

 

 その知識量に悪ガキが目を丸くしていると、今度はカレーをかき混ぜていた少年が答える。

 

「もう十年も前の話じゃん。もう一線級じゃないよ」

「確かに、十年あれば戦略の変化もある、事実ノマルはその後めぼしい成績は上げていない」

 

 やはりコピーペーストを続ける短髪に、少年はため息を付いて続ける。

 

「本人に聞いたんだけど、僕たちのイーブイの特性は『にげあし』なんだって」

「『にげあし』?」

 

 悪ガキは首をひねった。彼はこの少し前に行われていた子供たち同士のじゃれ合いのようなバトルごっこでは随分と威勢がよかったが、対戦についての知識はあまりないようだった。

 それにやはりマシーンのように答えたのは、短髪の少年だ。

 

「野生のポケモンとの戦闘の場合、必ず逃げられる」

「なんだ、バトルかんけーねーじゃん。大丈夫なのかよ」

「大丈夫だよ、進化すれば特性は変わるし、特性を変えることのできるアイテムだってある」

「『とくせいカプセル』2種類の特性を持つポケモンに使うと、今とは違う特性に変えられるカプセル」

「でも、あまり冴えた特性じゃないよ。ジムリーダーなんだから、もっと強いポケモンをくれるのかと思ってた」

「なんだい、お前強くないのか」

 

 悪ガキは足元で眠っていたイーブイを抱えあげて問う、しかし遊び疲れて眠たいイーブイは、それに小さなあくびを返しただけだった。

 

「でも大丈夫だよな! お前が強くなくても俺がしっかりしてれば良いんだ!」

 

 なんとも子供らしい提案にイーブイは何も返さなかったが、少年はそれを気づかれぬように鼻で笑った。

 例え彼らと同年代であったとしても、兄がトレーナーである少年はポケモンの強さというものがトレーナーにはどれほど重要なのかということをよく知っている。

 出来上がったカレーはそつのない味がしたが、真心が込められていなかったのかそれなりの味しかしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 カレーをたらふく食し、手持ちのイーブイ達の口周りをしっかりと拭いてあげた子供たちは、燃え上がるキャンプファイヤーを中心に円になって座っていた。

 

「皆さん、キャンプ体験楽しんでいただけましたか!?」

 

 炎を背に声を張り上げるノマルに、子供たちは大きな声でそれを肯定する。

 その傍らでは、ミスミは大きな袋を抱えていた。子供たちはその中身に予測はつかないが、やはり少しそれが気になってソワソワしている。

 

「楽しんでいただけたなら私も嬉しいです」

 

 両手を組んで微笑むノマルの言葉は本心なのだろう。

 

「最後に、少しだけ私の話を聞いてください」

 

 彼女は子供たちが静まり返ったのを確認してから続ける。

 

「多分、皆さんはこの後ポケモントレーナーとして活動するでしょう。この教室に参加した殆どの子供たちがトレーナーとなるのを、私は知っています」

 

 それは自然な流れだろう、ワイルドエリアでの野宿、カレーの作り方、そして相棒となるポケモンを与える教室に、その目的以外を持っている子供が参加するとは思えない。

 

「皆さんの中には、バトルがとても強くて、野生のポケモンたちとバトルをするようになったり、ジムバトルをするようになったり、もしかしたらファイナルトーナメントに出場するようなこともあるかも知れません」

 

 子供たちはその言葉に目を輝かせる。それにあげられたすべての例が、彼らには魅力的だった。

 ですが、と、ノマルは少しだけ目を細めて続ける。

 

「あなた達のほとんど、いえ、多分全員が、トレーナーとして生きる中で必ず、思わず見上げてしまうような大きな壁にぶつかってしまいます。私はいろんなトレーナーを見てきました、その中で、一度も大きな壁にぶつからなかったトレーナーは二人だけです。一人はダンデ、そして、そのダンデにとっての大きな壁であったのが、新たなチャンピオンであり、私の知る二人目です」

 

 子供たちが少しだけ熱気を下げたことを確認してから続ける。

 

「その壁がいつ訪れるかはわかりません。ジムリーダーが相手かもしれない、チャンピオンが相手かもしれない、そして、野生のポケモンが相手であるかも知れません」

 

 一拍おいて続ける。

 

「もし、どうしても勝てないと思ったときは、逃げてください。逃げることは恥ではありません、ましてや、役に立たないこともありません。勝負の最中に背中を向けたって良いんです、そんなことよりも大切なことが絶対にあります」

 

 ノマルはミスミと目を合わせた。彼は一つ頷いてから袋の中からそれを取り出す。

 それは、透明なビニールに包まれたポケモンのぬいぐるみであった。ようせいポケモンのピッピがかたどられたそれは、毛並みのふわふわさで言えばイーブイには遠く及ばないし、大して可愛くもない。

 

「これは『ピッピにんぎょう』……野生のポケモン相手に投げることで気をそらせば、確実に逃げることができます」

 

 ミスミは子供たちに近づいて、その『ピッピにんぎょう』を一つづつ手渡す。

 そのビニールに貼り付けられた『ガラル遺族協会寄贈』のシールの意味がわかる子供は、いなかった。

 

「もしものときは、それを気兼ねなく躊躇なく思いっきりぶん投げてください。とにかく、だめだと思ったら逃げる、それだけを私と約束してください」

 

 少年のもとにも、そのピッピ人形が回ってきた。

 可愛らしさのかけらも無ければ、これっぽっちも惜しくはないといったチープさに、うまくできているなと感心する。

 兄がトレーナーであるその少年は、その道具をどう使えば良いのかを知っている。 

 だが、同時に、それを使うことなど無いだろうと漠然と思っていた。

 根拠など無い、ただただ漠然とした自信だった。きっと自分は、ダンデや新しいチャンピオン側の人間だろうと、彼は若々しく視野の狭い理想を描いていた。

 

 

 

 

 

 

「おい」

 

 慣れぬテントに寝袋、ようやく眠りにつこうとしていた少年は、耳元で囁かれる悪ガキの声で再び目が覚めることになった。

 

「なんだよ」と、少年は寝ぼけている風を装いながら少し不機嫌に言った。悪ガキは少年を随分気に入っていたようだったが、少年は少し悪ガキに食傷気味だった。

 

「ポケモン捕まえに行こうぜ」

 

 しかし、悪ガキのあまりにも突飛な提案に彼は寝ぼけの演技も忘れて「なんだって?」と返す。

 

「ポケモンを手に入れたんだから、捕まえることもできるだろ」

 

 悪ガキの手には、幾つかのモンスターボールが握られていた。

 呆れた、と、少年は悪ガキの性根にある意味で感動を覚えた。まだポケモンのこともいまいち分かっていないのに、そういう欲求と行動力はすごい。

 

「『モンスタボール』野生のポケモンに投げて捕まえるためのボールでカプセル式になっている」

 

 わかったわかった、と、悪ガキは短髪を制した。彼は短髪に食傷気味なようだ。

 

「ついてくるなら一個やるよ」

 

 少年はそれに少しだけ考えた。そして頷く。そのモンスターボールは、少なくともピッピ人形よりかはトレーナーにふさわしく思えた。

 

「オーケー、行こう」

「そうじゃなくちゃな」

「だけど、表は見張られてるだろう?」

 

 少年の指摘通り、テントの外ではノマルとミスミが焚き火を囲みながらテントを見張っている。うららか草原はワイルドエリアの端っこだ。子供たちが勝手な行動をしないように一箇所を封鎖すれば監視は完了だ。

 

「任せとけ」と、悪ガキが胸を叩く。

 

「俺に考えがある」

 

 あまりにも自信満々なその様子に、こいつとは友達にならないほうが良いだろうなと少年は思った。

 

 

 

 

 

 

「『愛してーるのエールをあげーる』」

 

 鼻歌交じりにお玉を握るミスミはごきげんだった。

 ノマルとミスミは、焚き火を囲みながら晩御飯のカレーができるのを心待ちにしていた。夕食のときに作っていたカレーは出来が悪くカレーを焦がしてしまったグループにそのままそっくり譲渡していた。

 その時だ、一つのテントから這い出てきた子供が一人、彼らのもとに駆けてきた。

 

「大変なんです!」

 

 焚き火の上でカレーをかき混ぜていたミスミに、子供が言った。

 

「おー、どしたー」

 

 カレー鍋から目を離さないままミスミが答えた。

 

「虫ポケモンがテントの中に入ってきたんです!」

「なんですって!?」と、それにいち早く反応したのはノマルだった。

「どんなポケモンだったかわかる?」

「いや、暗かったから……でも今は逃げてった。別のテントに入っているかも」

「大変!」

 

 ノマルは組み立ての椅子から跳ねるように立ち上がった。対するミスミはまだカレーをかき混ぜながら訝しむ視線を子供に送っている。

 

「急いでテントのチェックをしないと! ミスミくん! カレーはひとまず置いといて!」

「弱火にしておきますよ」

 

 ミスミは火ばさみで薪をかき回して火の威力を落とした。ノマルは暗くなった分ランタンの明かりを強める。

 

「あなたはテントに戻って待機しててね!」

「わかった」

 

 子供は頷いてテントに駆けていく。

 

「行きましょう!」と、ミスミを引き連れてテントを回り始めようとするノマルの声を、彼は確かに聞いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 その脱出劇は、信じられないほどにうまく行った。

 弱くなった焚き火はあたりをより暗くしていたし、二手に分かれたノマルとミスミも、自分たちのテントを確認するのは大分後になるだろう。

 まさかこんな『初心者教室』に、夜中にワイルドエリアを闊歩してポケモンを捕まえようとする馬鹿げたバイタリティを持つ子供がいるとは思わないだろうと彼らは思う。

 

「な? 簡単だったろ?」

 

 暗闇の中でニカっと笑っているであろう悪ガキに、少年は「そうだね」とそれを肯定しながらも、その表情は渋い。彼はその悪ガキをあまり信用していなかったし、何より、そんなことよりも、手に入るかも知れない二匹目のポケモンに意識が行っていたのだ。

 少年は将来的にイーブイをサンダースにしたかった。そうするのならば、地面タイプをケアすることのできるみずタイプのポケモンが欲しい、贅沢を言うのならば草タイプをケアすることのできるほのおタイプや飛行タイプのポケモンの手持ちに加えたかったが、まず必要なのは水タイプだろう。

 彼らはうららか草原を抜け、キバ湖の東へと入っている。小さな湖であるキバ湖は、少年の将来設計と照らし合わせても都合のいい場所だった。

 

「おい」と、懐中電灯を片手にした悪ガキが水辺を指差して言った。

 

「ポケモンだ」

 

 彼が電灯で照らした先にいるのは、丸々としたきのみのようなポケモンだった。光に驚いているのか、それは照らす子供たちをしっかりと見据えながらも動けないでいる。

 

「アマカジだ」と、少年が言う。

 

 それにつられて短髪も言った。

 

「『 襲われた ときに 流す 汗は 甘くて 美味しい。 その 香りが さらに 敵を 増やしてしまうのだ』」

 

「わかったよ」とやはり悪ガキは鬱陶しそうにつぶやいた後に、モンスターボールを放り投げてイーブイを繰り出した。

 

 現れたイーブイは一瞬空の暗さに驚いた後に、照らされているアマカジに気づくと前足で少しぬかるんでいる地面を踏みしめた。持ち主に似て随分と好戦的なようだ。

 

「『たいあたり』!」

 

 前足を少し滑らせながら突進したイーブイは、アマカジにあっさりとそれをかわされて湖に顔を突っ込んだ。

 

「何やってんだよ!」と悪ガキは怒るが、初めての実戦が夜で水辺であればそれは仕方のないことだとも言える。だが子供たちは都合よくそういうことだけはわからないのだ。

 

 イーブイから目を離すわけにいかぬ悪ガキに代わり、少年が自身の懐中電灯を振ると、アマカジはイーブイの攻撃をかわしながらもまだじっと彼らの様子をうかがっている。

 

「クソッ!」と悪ガキは焦り、そのままモンスターボールを放り投げた。

 

 だが、弱らせてもいないポケモンにそれが当たるはずもなく、アマカジはそれをかわした後に草むらの中に逃げ込んだ。少年と短髪がどれだけ懐中電灯を振っても、その姿は確認できなかった。

 

「なんだよお」と、悪ガキはわかりやすく落胆しながら水辺に近づいた。湖に突っ込んでびしょびしょな彼のイーブイは申し訳無さそうに彼の足元にすり寄ったが、流石の悪ガキもそのすべての責任がイーブイにあると思っているわけではないようで「ごめんな」と言いながら相棒の頭をなでる。

 

「ボールどこ行った?」

「多分あのへんだと思う」

「もう一回使えるかな」

 

 少年と短髪も同じく水辺に近づきながら懐中電灯を振ってボールを探す。

 

「あった」

 

 短髪の懐中電灯がそれを見つけたようだった。

 だが、照らされるそれを目にした三人は一様に首をひねった。どうもそのモンスターボールは水に浮いているわけでも沈んでいるわけでもなく、まるで宙に浮いているようだったのだ。

 そしてそのボールを掴んでいる部分も彼らのライトに照らされた時、少年は叫んだ。

 

「キングラーだ!」

 

 そのボールはハサミに挟まれている、ライトでそのハサミを照らしてみれば、それは彼ら子供では考えられないくらいに巨大だった。

 そのボールを挟んだはさみポケモン、キングラーは少年の声に驚くこと無く、ゆっくりと水面から顔を出した。

 

「うわあ!」と叫んだ悪ガキは、イーブイを抱えてキングラーと距離を取る。

 

「キングラー、はさみポケモン」と短髪が続ける。

 

「大きいほうの ハサミの パワーは 1万馬力。 しかし 重すぎるため ねらいを つけることが 苦手だ」

 

 メキメキ、と、何かが悲鳴を上げている。

 三人が三人共キングラーを照らせば、その巨大なハサミに挟まれたモンスタボールが軋んでいた。

 そして、夜の闇の中に、それが砕かれる音が響く。

 キングラーは三人を正面に捉えた。彼にしてみればまだその子供たちが敵か味方かわからぬ。攻撃する必要性はないが、かと言ってみすみすと背中を見せる必要もないだろう。

 子供たちは混乱していた。無理もない、昼間イーブイ達と戯れていた彼らが、普段キバ湖の瞳を住処にする超高レベルのキングラーを相手に何かができるわけではない。

 混乱した彼らは、最悪の選択を取る。

 

「うわああ!」

 

 悪ガキが、モンスターボールをキングラーに向かって放り投げたのだ。

 愚かなことに、子供たちはそれを良い作戦だと思った。

 だが、大自然がそのようなすがるような願望に忖度することはない。

 キングラーは山なりに投げられたそのボールをやはり巨大なハサミで受け止めると、今度はそれが軋む猶予すら許さずにバリンと破壊する。

 キングラーはそれによって彼らを敵とみなした。器用に前に少し歩いて彼らとの距離を詰める。

 

「イーブイ!」

 

 少年はキングラーが戦う態勢に入ったことを察知してイーブイを繰り出した。

 だが、イーブイは目の前のキングラーの巨大さにすでに気圧されている。無理もない、それは少年も同じなのだから。

 しかし、その状況においてもまだその少年は気を張っている方だった、他の二人などはすでに腰を抜かし戦力にならない。少なくとも、彼は他の二人に比べれば戦うということの才能はある方なのだろう。それ故に自分自身で選択肢を狭めていることに、彼はまだ気づいてはいないのだが。

 ワイルドエリアで奇跡は起きない。ゆうゆうと闊歩しているのは強いものであるし、弱きものは、その前に立たぬことで命を保証されている。

 その摂理を無視した時、どうなるのか。

 キングラーがハサミを振り上げた。

 

 その時である。

 

 遙か上空から音もなく滑空してきたヨルノズクが、二本の足を使ってキングラーに攻撃した。

 全く予測していなかった攻撃に、キングラーは不意を打たれた。しかもこれまでとは違う、自分にダメージを与えてくるほどの実力を持つポケモンだ。

 彼はすぐさま敵として認識する相手をヨルノズクに定めた。他の小さい三匹はどうでもいい、いつでも倒せるし、そいつらの攻撃では倒されない。

 まだ飛び上がっていないヨルノズクに向かって『グラブハンマー』を振り下ろす。しかし、それは『リフレクター』と『サイコキネシス』で軌道を捻じ曲げられて地面を誤爆した。

 その振動に、子供たちは内臓が揺れ動くのを感じる。

 そして、自らの前に人が立つのを確認した。

 

「私の後ろに!」

 

 小さな女性、ノマルは、両手を広げ子供たちを守るようにしながら仁王立ちとなる。

 その手には何かが握られていたが、それを確認できるほど子供たちは冷静でない。

 ヨルノズクは彼女の前に陣取る。子供たちはようやく、そのポケモンが昼間自分たちと遊んでくれたヨルさんであることに気づいた。

 自体は一刻を争う、ノマルはそれを理解している。

 彼女は握られていたそれを、小さな体を思いっきり使ってぶん投げた。

 自らの後方に飛んだそれにキングラーは気を取られる。

 ポケモンのようだった。だが、ヨルノズクに比べれば小型のポケモンだ。

 挟まれるとまずい、だが、その小さなポケモンならば一撃で倒せる。

 彼が巨体を器用に揺らしながら振り返ろうとした時、ノマルが叫んだ。

 

「逃げましょう!」

 

 彼女はイーブイを繰り出す。そして、そのイーブイは一目散にキングラーに背を向けて走り出した。

 

「イーブイを追いなさい! 逃げ方を知っています!」

 

 その言葉に我に返った子供たちが一斉に立ち上がるのと同時に、彼らのイーブイもキングラーに背を向けて逃げ始める。

 ノマルの言葉通り、彼らはイーブイの後を追った。

 特性が『にげあし』のイーブイ達は、彼らに適切な逃走経路を提示する。彼らはそれを追えばいい。

 そして、彼らが逃げたことを確認すると、ヨルノズクとノマルもその場を後にした。百戦錬磨の彼女らは、野生のキングラーから逃げるなど造作もない。

 放り投げられたそれが、ポケモンによく似せられたなにかであり、全く脅威ではないことを理解したキングラーが慌てて脅威であるヨルノズクに向かい合おうと振り返ったその時、そこには何もなかった。

 

 

 

 

 

 

 子供達三人は、焚き火の前に転がされた丸太に腰掛けうつむいていた。

 当然、その前にはノマルとミスミがいる。ノマルは怒っているわけではないが笑っているわけでもない、ミスミはカレーをかき混ぜているのでその表情はわからないが、代わりに仁王立ちとなって子供たちを見下ろすタチフサグマは凄まじい剣幕であった。

 

「全部お見通しなんだよ」

 

 背中越しに、ミスミの声だ。声を震わせないように努力している彼の説教はもうちょっとだけ続く。

 

「お前らガキの考えることなんて全部お見通しだ。リーダーは騙されるかも知れないが、リーダーは馬鹿じゃない、夜目の聴くヨルさんを偵察で飛ばしてたんだよ、ずっとな」

 

 子供たちは更にうなだれた。

 ミスミは更に何かを告げようとしたが。「もうやめときなさい」と、ノマルがそれを遮った。

 

「しかしリーダー、こういう手合いにはしっかりと言っとかないと、多少泣こうが喚こうがそれなりのことはしてる」

 

「私はあなたにそうした?」

 

 その言葉はミスミには効果が抜群だったようだ。彼は小さく唸ってからカレーをかき混ぜることに集中する。

 だが、お説教がそれで終わりではないことは彼らにも分かっている。ジムトレーナーのお説教が終われば、次はジムリーダーのお説教だろう。

 ノマルは一つため息を付いてから言う。

 

「あなた達はルールを破り、私達に嘘を付きました。その点においては、ミスミが散々怒りました」

 

 ですが、と続ける。

 

「私はあなた達の冒険心を責めません。たしかにあなた達は自らの身の丈に合わないことをしました。ですが、それはいずれ、あなた達がトレーナーとして生きるのならば、必要になる『勇気』です」

 

 子供たちはその言葉に驚いた。それこそが、最も責められることだと思っていたのだ。

 

「一つだけ聞きます」

 

 ノマルは少年の前に立って続ける。

 

「あの時、勝てると思っていたのですか?」

 

 あの時、というのはキングラーと対峙したときだろう。彼がイーブイを繰り出していたのを、ノマルは知っている。

 

「いえ」と、少年は小さく答えた。

 

 そうですか、と頷いて続ける。

 

「この教室で私が一番伝えたかったことを、あなた達は分かっていなかったようですね」

 

 うつむいた子供たちも、カレーに集中しているミスミも確認できなかったが、ノマルは一瞬悲しそうな表情を見せた。

 

「ですが、もう分かったでしょう。どうしても勝てない相手というものはいつか現れますし、そんなものが相手だったときには逃げるしか無いのです。冒険も『勇気』ですが、逃げることもまた『勇気』なのですよ」

 

 さあ、と、彼女は一つ手を叩く。

 

「お説教はこのくらいにして、もう寝ることにしましょう。テントに戻って、明日はみんなできのみのサンドイッチをつくってから帰りますよ」

 

 子供達は素直に従った。他の子供達よりも疲れている、きっとぐっすり眠れるだろう。

 

 

 

 

 

「どうして倒さなかったんです?」

 

 テントに戻った子供たちが眠ったであろう時間に、ミスミはまだカレーをかき混ぜながらノマルに問うた。

 

「倒せたでしょう? リーダーなら」

 

 それが、キングラーと対峙したときのことを言っていることはノマルにもわかる。彼女は情報の共有として、そのことをミスミに話していた。

 ノマルは枝に刺したマシュマロを焚き火に近づけながら「わからない?」とそれに返す。よりトロければいいのにと火元に近づけられたそれは、すでに焦げ付き始めているが、彼女はずっとそれに気づかない。

 

「あそこで私がキングラーを倒しちゃったら、彼らは逃げることの重要性がわからないままこの教室を終えてしまうでしょ? 脅威を戦いで制すことができることばかりを学んで」

「きっとあいつらリーダーのことを舐めてますよ、どこかでリーダーが逃げたことを話して炎上するかも」

「話せばいいじゃない、ジムリーダーでも逃げることがあるなんて知られるならいくら炎上したっていい」

 

 あのねえ、と、ミスミが何かを続けようとした時、彼は一瞬カレーをかき混ぜる手を止めた。

 ノマルもそれに気づいたようで、マシュマロを刺した枝を火元から離す。「もう、こげちゃった」と、いかにもそのトラブルが原因であるように言うが、もともと焦げていたことをミスミは指摘しなかった。

 

 向こう側から、ポケモンが近づいてくる。

 複数の足が地面を蹴るように動き、その巨大なハサミを誇示するようにそのポケモンは影を大きくする。

 それがキングラーであり、恐らく彼女が対峙したポケモンであろうことは明らかだ。

 キバ湖を縄張りとするポケモンである彼は、侵入者を、そして敵を許すことが出来ず、その後を追ってここまできたのだ。

 

「手伝いましょうか?」

 

 お玉を鍋の端にかけながらミスミが言う。皿を持って並んでいたタチフサグマも、流石にそれを地面において臨戦態勢を取った。

 

「カレーに集中しなさい」

 

 ノマルがボールからヨルさんを繰り出しながら言った。

 

「それと、水タイプのポケモンを瀕死にすること無く追い返す術を見せますから、この教室終了後に感想文を提出しなさい」

 

 突然の提案だったが、「はいはい」とミスミはそれを受け入れた。マイナーとはいえ一つのタイプのエキスパートを極めたジムリーダーだ、そのくらいは出来てくれないと困る。後、感想文は三行くらいでもいいのでそこまで辛くない。

 

「勉強させてもらいますよ『鬼教官』サマ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シュートタウン駅前広場。

 都会に似合わぬキャンプルックの子供たちを従えたノマルとミスミは、子供たちを迎えに来た保護者達にも挨拶を済ませ、ラーノノタウンに戻ろうとシュート駅に向かおうとしていた。

 その時である。イーブイを胸に抱いた少年が、彼らに声をかけてきた。あのときの少年だった。

 

「すみません、どうしても言いたいことがあって」

 

 彼はイーブイを抱え直して言う。

 

「あの夜、ノマルさんがキングラーと戦うのを見てました」

 

 ノマルはそれにおどろき、ミスミは少しムッとした。

 ミスミの雰囲気を感じたのだろう、少年は頭を下げる。

 

「ごめんなさい! あの後、どうしてももう一度謝りたくなって、それで……」

「君だけ? 他の子は見なかったの?」

 

 うんうん、と、少年は頷いた。

 

「びっくりしました……その、それで……」

 

 少年は次の言葉を紡ぎそこねているようだった。だが、イーブイが何かを急かすように胸元で暴れたので、それに慌てるように続ける。

 

「あの! 今度ラーノノジムにお邪魔してもいいですか? ポケモンのこと、もっとたくさん知りたいです」

 

 その言葉に、ノマルはニッコリと笑って答える。

 

「ええ、いつでもいらっしゃい。ポケモンのこと、たくさん勉強しましょうね」




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304 彼女はアナログ人間

キバナ(原作キャラクター)
 ガラルの英雄であるダンデの最大にして最高のライバルにして、最難関ナックルジムのジムリーダー。色黒長身のイケメン
 SNSを使いこなすインフルエンサーだが、その素晴らしすぎる経歴とフットワークの軽さからアンチも多い


 ラーノノタウンは、シュートシティから電車で二時間。そらとぶタクシーを使えばもっと早いが、シュートシティを中心とするガラル地方において、抜群の立地であるとは言えないだろう。

 だが、かと言ってスパイクタウンのように痩せた町かと言われれば決してそうではない。むしろ街の中心を流れるニューマス川の水運を利用した交易により、古くから商業的に力のある街だった。

 その証拠が、バウタウンのものと並んでガラルで最も古いとされている野外市場であった。昨今では再開発により縮小傾向であるが、それでも歴史ある風情を保っている事に違いはない。

 

「おう、ノマルちゃん」

「おはようございます!」

 

「あら、ノマルちゃんじゃない」

「はい、おはようございます! 少しきのみを見てもいいですか?」

 

「ノマルさん、この間言っていたお香、手に入りましたよ」

「あ、ありがとうございます! 料金は払うのでジムに送っておいてください」

 

 ラーノノジムリーダーであるノマルは、市場の店主たちと挨拶を交わしながら、目的の場所へと向かっていた。最も、彼女が逐一それらの挨拶にバカ丁寧に返答するものだから、なかなか目的地にたどり着かず、時間もいたずらに消費しているのだが。

 ノマルはラーノノの出身ではない。彼女はガラルの中心であるシュートの生まれ育ちであり、生まれ持ってこの街の精神性を持っているわけではなかった。それでもこうして街の人間に受け入れられているのは、十年に及ぶ彼女のジムリーダーとしての貢献度と、この街のいい意味でおおらかでよそ者に優しい風土のおかげだろう。

 着任して十年になるが、彼女はこのラーノノタウンを心から愛している。彼女はこの野外市場が好きであるし、ニューマス川も好きだ、自然公園も好きだし、大学も、庭園も、聖堂も好きだった。

 

 

 

 

 

 彼女が目的地にたどり着いたのは、思っていたよりも時間を使ったあとだった。

 

「プレミアムミルクティーを一つ」

 

 それは、移動式のキッチンカーだった。

 新しい一面を見せようと努力している野外市場の新しい波の一つ、軽食とやたら甘いドリンクを提供してくれるそこは、距離の近さを売りにしているはずのキッチンカーであるはずなのに、正面にメニューをベタベタに貼り付けた幕が下りており、いつも見えるのは店主の手だけだった。だが、むしろそういうところが若者には受けているようで、なんだかんだで商いは出来ているらしい。

 

「ゆっくりでいいんで」

 

 小さな彼女の視線と正面にある店主の手が、その言葉に人差し指を立てた。

 それは、その店が他よりもほんの少しだけ繁盛している理由の一つだった。

 プレミアムミルクティーは割高だ。例えば違う店に行けば、同じ値段でたっぷりの炭水化物をそれに入れてもらえることだろう、なんならこの店にもっと安い値段の『スーパープレミアムミルクティー』がある。だが、当然ながらこのメニューには特典がある。「ゆっくりでいいんで」とは、その特典を得るための合言葉だ。

 

「今日、ジムリーダー達の集まりなんですよ」

 

 不意の話だったが、店主は動揺しなかった。

 プレミアムミルクティーの特典は、店主による今日の占いだった。気になることを呟けば、それに対する返答をカップに書いてくれる。抽象的なことばかりではあるが、それがやたら当たるのだと評判だった。

 

「新任の子もいるんで、仲良くなれるかどうか不安で」

 

 店主は即断即決だ。彼はカップカバーにサラサラとペンを走らせると、それをカップに装着してからノマルの前に差し出した。

 

「どうも」

 

 紙幣を手渡して、振られる店主の手に挨拶を返してから、彼女はカップを確認する。

 そこには『大事なものに限って忘れてしまうもの』と、やたら達筆に書かれている。

 彼女はそれに首をひねった。自分の相談とは全く違うような気もするのだ。

 駅に向かって歩みを進め始めながら、彼女は手持ちの手提げバックの中身を確認する。

 

「切符はあるでしょ? メモ帳もあるし、財布も、万歩計もあるし……」

 

 まあ、気休めの占いだ、当たらずとも当たらなくとも結構。と、彼女が思おうとした時「あ、そうだ」と、それに気づいた。

 

「電話しないと」

 

 先程購入したお香は、ジムに送るようにしてもらっている。

 事務方に連絡して受け取ってもらわなければ。

 彼女はミルクティーを持ち替えてバッグの中に手を突っ込んだ。

 ところが、である。

 

「あれ、あれれ」

 

 家を出る前にあれほどきっちりと整理したバッグの中身をぐちゃぐちゃにしながら探っても、目当てのものが見つからない。

 そのときになって、彼女は占いの言葉を再び思い出す。

 

「もしかして、電話忘れた!?」

 

 待て待て慌てることはない、電話をなくしたときには誰かに電話をしてもらえばいいのだ、と、ミスミに電話をつなごうとしてやっぱり電話がないことに気づいた彼女は少し小走りになる。走るとせっかく買ったミルクティーがこぼれてしまうからだ。

 

「よりにもよって今日忘れちゃうなんて!」

 

 彼女は強い女である。そんじょそこらのスマホがなけりゃその日一日の行動すらままならぬ小娘と一緒にしてはいけない。

 彼女は電話がなくてもその日一日を過ごすことはできるし、公衆電話の使い方もわかるし、勘で街を歩くことを恐怖などと思わない。財布には現金、暇つぶしには文庫本、最強の布陣だ、電話など無くともなんの問題はない。

 だが、今日この日に限ってはそうは行かないのだ。

 彼女は小走りで家へと向かう。

 予定していた電車には乗れそうにない。

 ラーノノからシュートシティは電車で二時間。予定されている時間に間に合うかどうかは微妙だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 シュートシティ、ポケモン協会本部。

 メジャーマイナーを問わずに集められたジムリーダー達は、外部講師による『SNS講習』を受講していた。

 近年、SNSの発展と普及により、ジムリーダーとファンの距離というものはこれまでに比べれば急速に近づいた。

 もちろんそれはファンとの距離が近く有りたいジムリーダー自身やある程度の常識というものがあるファンの間ではより良質な交流を生むことになったが、ファンが全て常識的であるはずなど無い。例えば有名人のプライベートを自分のものにしたがったり、一人でも多くの有名人を引きずり下ろしたいような人間だって当然存在する。SNSは彼らにとっては良質な餌場であり、そのサービスがスタートした当初とは随分と様相が変わりつつあった。

 まあ要するに、その講習の内容の要点というものは「炎上するなよ」ということと「あまりプライベートを晒すなよ」ということだった。

 

「おーい、キバナくん」

 

 その声に、色黒の大男は振り向く、大男と言ってもおとぎ話などに出てくるようなものではなく、シャープでスリムな今風の若者であった。

 彼はナックルジムのジムリーダーにしてメジャーリーガーであるキバナだった。ジムリーダーの中でもトップの実力を持ち、ドラゴンタイプの育成を得意としている。他の地方であればチャンピオンになれると噂されることもあるが、大抵そのような噂を持つ人間というのはどの地方にもいるものだ。

 そして、今回このような『SNS講習』が開かれる原因を作ったジムリーダの一人でもあった。

 

 講義終了後、ノマルは逃げるように外の空気を吸いに行ったキバナの後を追っていた。あまりにも違う体格差を気にすることはなかったが、見上げるようにしなければ目を合わせることも出来ないので首が心配だった。

 キバナはあまりにも違う体格差を気にすること無くノマルを覗き込みながら「ノマルさーん」とそれに返す。

 

「オレサマ、頑張ったよなぁ?」

「まあ、たしかに、あなたにしては真面目に講義を受けてたと思うわ」

 

 二時間近い講義であったが、ノマルの言う通りキバナは至極真面目にそれを受けていた。

 当然、キバナにとっては苦痛の時間だった。恐らく彼はSNSに関して外部講師の女史よりも詳しいであろうし、何より突き刺すようにキバナに放たれる『SNSの失敗例』としての皮肉がうっとおしい。

 いつもの彼ならば、それとない理由をつけながらその場を後にしたりなどしたかも知れない、だが、今日の彼にはそれが出来ない理由があった。

 

「だって隣がノマルさんとメロンさんなんだぜ? おとなしくならない人間がいるなら見てーよ」

 

 まだ年齢の若いキバナは、ノマルの全盛期にダイレクトの世代であった。彼の昔の記憶にはノマルがメジャーリーグに昇格したときの『鬼教官』としてのあまりにも激しい試合が残っているし、何ならジムチャレンジの際に対戦もしている。

 もちろん今ではメジャーリーガーとマイナーリーガーという関係であるが、それでも記憶の中に残った少しばかりの畏怖というものはそう簡単に消えるものではなく、未だに彼はノマルを「怒らせたくない人」にカテゴライズしている。

 そんなノマルと、現在進行系で連敗中で圧倒的な母属性を持つメロンに挟まれては、さすがのドラゴンストームもシュンとせざるを得ない、協会の誰が考えた席順かわからないが、キバナの性格を考えた素晴らしい竜殺しっぷりだと言えよう。

 

「大体さあ、おかしーじゃん」

 

 キバナはぐああと伸びをした。その強大な体に、会議室の椅子と机はあまりにも小さすぎた。最も、ノマルには丁度よいどころか少し大きいなと思うくらいだったのだが。

 

「俺が炎上してるのだって別に俺が悪いわけじゃねーし」

 

 その弁明はある意味で正しい部分があって、別に彼がユーザーを煽るような投稿をすることは基本的にはない。

 ところが、対戦成績に関わらず明るくナルシズムにSNSに投稿する彼を面白く思わない層というのもいるのだ、最も、彼が絶対的なチャンピオンであったダンデに対してライバル心をむき出しにするという立ち位置が無ければもっと違った話だったのかも知れないが。

 

「まあ、仕方ないわね」と、ノマルはよくわからないが首を振った。ノマルは少し前に流行った会員制のブログサービス以外にインターネットとの関わりを知らない。ダンデが炎上しているというのも彼女自身がそれを確認したわけでもなく、周りからの評判で知った。

 

「今ジムリーダーで炎上してるのなんて君とあの子しかいないんだし」

 

 ああ、そうだ。と、彼女はポケットからスマートフォンを取り出しながら問う。

 

「ちょっと、写真について聞きたいんだけど、大丈夫?」

「んー、いーよ」

「あのね、写真がうまく撮れないのよ」

 

 彼女は慣れない手付きでスマホ画面をペタペタと触った。

 そんな様子を見てキバナが問う。

 

「ロトム入れてねーの?」

 

 ロトム入りスマホは最近のトレンドだ、情報機器であるスマホはロトムにとっても居心地の悪いものではないらしいし、意志を持ったスマホというのは何かと便利だ、スマホにはモーターが取り付けられていないので対戦には使えないが、むしろそれがポケモンを知らぬユーザーにもそれが広く受け入れられている一つの要因である。

 ジムリーダーの中でも一二を争うほどにスマホに精通しているキバナもそんなロトムスマホユーザーの一人だ。彼は機能面でスマホに悩むことはないが、何より地面に落として画面が割れる心配をしなくていいという一点でも、そのテクノロジーにカネを払う理由になるというものだ。

 故に、ポケモントレーナーでありながらスマホにロトムを入れていないノマルが不思議だった。

 

「なんか、怖くて」と、彼女は少し恥ずかしげに微笑みながら作業を続ける。

 

 何が怖いものかね、と、キバナは口にこそ出さないがそう思った。今やスマホロトムなんて、そこらへんの老婆でも、否、そこらへんの老婆だからこそ入れているのだと言うのに。

 全盛期のあんたのほうがよっぽど怖かったっつーの。

 

「これこれ」

 

 ようやく画面に映し出されたそれを、彼女はキバナに向ける。

 彼がこれでもかと言うほどに背を丸めてそれを覗き込むと、画面の端にはノマル、そしてその向こう側にはそれぞれが思うようにイーブイを抱えて映る子供たちだった。

 

「この間のワイルドエリアでの初心者教室なんだけどね」と、彼女はそれを思い出すように笑ったが、すぐさま眉を困らせる。

 

「あなた達がよくやる『自撮り』ってやつをやってみたんだけど、これ一回で決めるの難しくない? 何かコツでもあるの」

 

 その言葉の意味をキバナは全く理解が出来なかった。コツも何も、自撮りなんて一発でできるだろう。

 しかし確かに、ノマルが見せているその写真は、お世辞にも出来が良いとは言えなかった。ピントは後ろの子供の方にばかりあっているし、ノマルは画面から見切れ、かわいそうにジムトレーナーのミスミなどは右手の一部分しか写っていないという状況だ。

 例えばそれが彩度であったりとか、もっと複雑なピントについての質問ならばキバナも知っている限りのものを答えたかも知れないが、そもそもの質問の意味がわからないのでどうしようもない。

 

「コツも何も」

 

 キバナは「ヘイ、ロトム」とスマートフォンを呼び出し、それを手に取る。たとえスマホにロトムが入っていなくても、自撮りくらいは簡単にできるはずだ。

 

「こうやりゃいいだけじゃん」

 

 そのまま彼はもう気の毒なぐらい膝と腰を曲げて、なんとかノマルと顔を近づける努力をしながらパシャリと写真をとった、その位置取りには人一倍苦労したかも知れないが、その行為自体に難しいところなど見受けられない。

 だが、ノマルは目を丸くして問うた。

 

「えー! やっぱり最新の携帯はすごいわね」

 

 キバナはますます意味がわからない。一体今の行動のどこに最新の要素があったのか。

 そして、ノマルの次の言葉に彼は戦慄した。

 

「内側にカメラが付いてるなんて考えたわねえ、たしかにこの携帯なら自撮りしやすそうね。買い換えようかな」

「は?」

 

 彼は思わずノマルの持つスマートフォンを半ば奪うように手にとった。

 まさかこのご時世にインカメがないスマートフォンなんて。

 しかし、そのスマホのインカメにはしっかりとインカメがついている。

 ということは。

 

「え、ノマルさんインカメしらねーの?」

「インカメって何よ」

「これだよ、これ」

 

 信じられないくらい長い指でカメラアプリを操作すると、まあ当然ではあるがインカメの機能が立ち上がる。

 ノマルはそれにたいへん驚いた。

 

「え、すごい! この携帯でもできるんだそれ!?」

「いや……出来ないスマホあんのかな?」

 

 すごいすごいと腕を伸ばしながら初めてのインカメ体験を続けるノマルに、キバナは人間に一番最初に火の存在を教えた神はこんな気持だったのだろうかと思った。

 

「よかったー、これで自撮りができる! 一枚取ろ!」

 

 必死に腕を伸ばすノマルに、キバナは仕方なくもう一度体を丸めて、その画角に入った。

 そして彼は何となく問う。

 

「自撮りしてどーすんの?」

 

 そして彼女は何となく答える。

 

「ポケスタグラムにのせようと思って」

「はぁ!?」

 

 なんの気なしに放たれたその言葉に、キバナは今日一番の反応を見せた。

 ポケスタグラムとは今流行りのSNSの一つであり、文字よりも写真や動画を中心としたものである。

 

「ポケスタやってんの!?」

「いや、そろそろ始めようと思って」

 

 彼女は微笑んで続ける。

 

「ジムのこととか、勉強に来た子供達の成長とか、ラーノノの魅力とかをみんなに知ってもらえればいいなって」

 

 志は立派だ。

 しかし、それはあまりにも危険。

 何しろノマルは、つい先程までインカメの存在すら知らず、なんの疑いもなくインスタントカメラでするようなものを『自撮り』と表現していたのだがから。

 パッチールに地雷原を歩かせるようなものだ。

 

「いや、やめといたほうが」

「大丈夫よ、キバナくんと違って私はちゃんと講義聞いてたもん。アレでしょ? プライベートな投稿は一日ずらしたほうがいいのよね?」

 

 得意げにそういうノマルにキバナは頭を抱えた。

 

「いや、あの講習はどっちかと言うと上級者向けと言うか……ノマルさんはそれ以前の問題と言うか……とりあえず、アカウントはつくりました?」

「アカウント? なにそれ?」

「ほら、そういうところですよ」

 

 ううん、とキバナは考え込む。

 ノマルとの付き合いは長い、恐らく彼女はそれにどっぷり浸ることはないだろうし、いわゆるひとつの「出過ぎたマネ」もSNSでは行わないだろう。

 まあ、ポケスタグラムなら、と彼は考えた。利用者の多いポケッターであれば第三者の悪意による問題が起こらないでもないだろうが、利用者が少なく写真と動画が中心のポケスタグラムならば、たしかにアナログ人間のノマルでもなんとかなるかも知れない。

 

「じゃあ今度ラーノノに行くときに時間つくりますから、そのときに色々教えますよ」

「あ、ホント? それなら良かった」

 

 能天気にニコニコと笑うノマルに、これはかなり骨の折れる作業になりそうだとキバナは思ったが、まあ俺も色々教えてもらったしな、と、仕方なく思うのだった。

 

 ちなみにきちんとノマルに許可をとってからポケスタグラムにアップした彼女との自撮りは『久しぶりにラーノノジムのノマルさんと』とこれ以上無いくらい丁寧に彼女の説明がなされていたが、それでもその投稿への返信は『誰?』『これキバナほとんどしゃがんでね?』『親戚の子?』『キバナくんまた私以外の女の人と会ってる……』などのものであり、いいねの数もいつもの彼の投稿に比べれば控えめであった。




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305 彼女の好きなもの

 早朝、ラーノノジムの事務所にて、ノマルは万年筆を動かしていた。

 手慣れた報告だ、初心者教室の成功、そして、寄贈されたピッピ人形への感謝。また、ラーノノタウンに存在するボルド自然公園内での事故が今月はなかったことを記入する。

 後は封筒にこれも手慣れた住所を記入し、『ガラル遺族協会本部 御中』と書いて封をすれば完成、といったその時。だった。

 不意な爆音が、ジムリーダー室に鳴り響いた。

 鳴り響く重低音に内臓を揺らされるような感覚を覚えながら、ノマルは「もう!」と立ち上がった。

 その爆音について、おおよその目星はついている。

 

 

 

 

 

 暗闇の中、その一点にのみ集中するスポットライトを浴びながら、その男達は汗を流していた。

 

『愛してぇぇぇぇぇぇるのぉぉぉぉぉぉぉ!』

 

 真ん中の男はスタンドマイクを振り回しながら、叫ぶように歌っている。その度に染め分けられた黒と白の髪が揺れ、その声は広い広い空間を反響し、独特の音色となっていた。

 ドラムはこれでもかというほどにスティクを振り回し、エレキギターはアンプを揺らす。たった一人おとなしく見えるベースの少女も、低音をマイペースに自己主張させている。

 さながら四人の自己中心人間の楽器を声帯を使った大喧嘩のように見えなくもないが、驚くことに、彼らはある一つの思想を共有していた。

 

『エールをぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!』

 

 クリエイターと観客を分ける柵の向こう側では、色とりどりのペンライトが振られていた。

 はっきり言って数は少ない、だが、それが彼らの熱意を下げる理由になどなりはしない。

 

『あげぇぇぇぇぇぇぇるぅぅぅぅぅぅ!!!!!!!!!』

 

 灼熱の時だ、いつまでも終わりそうにない。

 しかしその時、機械音と共に暗闇に終焉が訪れた、照明が彼らとその舞台を照らし、現れたのは少し寂れたジムチャレンジ場と、整備された人工的な草むら、その真ん中に、間抜けなほどに簡易的なステージらしき段差に乗る彼ら。

 さらに天窓のカーテンも機械によって開かれ、まだ少し朝日の残る日光が降り注ぐ。

 

『ちょっとちょっと、雰囲気が台無しですよ』

 

 日光の眩しさに目を細めながら、ラーノノジムトレーナーであるミスミは恨めしげに言った。それをマイクが拾って、やはりジムチャレンジ場内に響く。

 

「時間を考えなさい!」

 

 小走りにステージとの距離を詰めるノマルは、半ば呆れるように言った。

 

「私のポケモンまで巻き込んで!」

 

 見れば、ミスミ達の前には何匹かのポケモンがいた。

 一体はミスミの手持ちであるタチフサグマだ、両手と口に器用にペンライトを咥え、それを振り回していたようだ。

 そして、さらにノマルの手持ちが二匹。

 

「とりあえずエレさんは明かりを落としなさい!」

 

 そのうちの一匹、エレさんことエレザードはまるで戦闘時のように自慢の襟巻きを広げてミスミ達に明かりを照りつけていた。スポットライトの変わりである。照りつけるそれの眩しさと温度に慣れるのは、実は結構馬鹿にできない練習でもある。

 ノマルの指示に、エレさんは少しシュンとしながら襟巻きを畳んだ、久しぶりの明かりの出番に少し浮かれていたことは確かだし、はしゃぎすぎていたことも理解していた。

 

「チラっちも!」

 

 もう一匹、チラっちことチラチーノも同じくノマルの手持ちだった。

 しかし彼女はそれに悪びれることもなく、少しむくれながらノマルを煽るように高速でペンライトを振ってみせた。

 

『別に問題ないでしょ、今日もここを使う予定はないんだし』

 

 やはり彼女に抵抗するようにマイクを通して発言するミスミに、ノマルはついに簡易ステージに乗り上がり、思いの外安定の悪いそこに「おっとっと」とバランスを崩して、直ぐ側にいたベースの少女に手を引かれながら答える。

 

「練習なら他所でやりなさい!」

 

 状況的に理解できるだろうが、ミスミはバンドを組んでいる。

 その名も『ノーマルエールパワーズ』スパイクタウンのミュージシャンであるネズの徹底的なオマージュバンドだ。

 当然ながらバンド活動というものには練習であったりとかリハーサルであったりというものが必要不可欠であって、このジムチャレンジ場というものは、広さ、反響、防音性という観点から演奏にはぴったりであった。

 尤も、ジムリーダーであるノマルがそれに良い顔をするはずがなく、ミスミもそういうところが分かっているのでひっそりと実行したわけであるが、それでも演奏の熱量に妥協をすることは出来ないというのが『あくタイプの天才』ネズへの憧れから集結した『ノーマルエールパワーズ』の選択であったのだ。

 

『こんな時間に開いてるスタジオなんてあるわけ無いでしょうよ』

 

 調子乗りのドラムが、ミスミの反論にタカタンシャーンとドラムを叩いた。

 

「こんな時間にこんな音を鳴らしては近隣の方々に迷惑がかかります!」

『ここジムチャレンジ場ですよ? 防音バッチリでしょうよ』

「それでも万が一ということがあります!」

『大丈夫ですよ、何度かやってますけどクレーム来たことないです』

「何度かやってる!?」

 

 知らぬ情報に、ノマルは頭を抱えた。

 

『俺らも馬鹿じゃないですからね、事前に音漏れがあるかどうかはチェックしてますよ』

 

 彼はドラムの男を指差して続ける。

 

『こいつの実家このジムの裏ですけど全然大丈夫だって話でしたよ。ほら、いつもラムのみおすそ分けしてくれるところの』

 

 タカタンシャーン。

 

「あ、その節はいつもありがとうございます」

 

 意外な人間関係にノマルは一度彼に頭を下げてから、うーんと悩み込んだ。

 別にミスミの趣味自体に文句があるわけでもない、たしかにあの爆音には驚いたが、近隣の住民に被害がないのならば、特にそれを厳しく咎める必要はないのかも知れない。

 

「わかりました」と、ノマルは顔を上げて言った。

 

「ですが、練習にかまけて今日の講義に遅れることは許しませんよ」

『それは大丈夫ですよ、だからこんなに早くから練習してるんですし』

「それならよろしい」

 

 そう言って彼女は体勢を崩さないように努力しながらミスミに近づく。

 

「そのかわり、これを……これを……」

 

 彼女はミスミのマイクスタンドとマイクを握りしめてそれを取ろうとしているらしいが、その機構を知らぬのが原因かそれとも生まれついての不器用が原因か、なかなかそれが出来ないでいる。

 見かねたミスミが変わりにマイクを取って手渡すと、彼女は「ありがとう」と一つ礼を言ってから続ける。

 

「そのかわり、これは預かっておきます!」

「えぇ! そんなご無体な!」

 

 タカタンシャーン。

 こればっかりはノマルの知的戦略の勝利であった。

 マイクを奪ってしまえばミスミの声が張り上げられることもなく、そして相対的にエレキギターのアンプも音を小さくされるだろう。

 ノマルはベースの少女の手を借りながら簡易ステージを降りる。

 

「あなた達は好きにしなさい」

 

 ポケモンたちに向けられたその言葉に、エレさんは歓喜の声をあげ再び襟巻きを開き、チラっちもペンライトを振ってそれに応えた。

 

「ありがとうございます!」と、ミスミはノマルの背に叫ぶ。マイクは奪われたが、練習場まで奪われたわけではない。

 

「ついでに照明を落としてもらえると嬉しいんだけどなぁ」という小さなつぶやきは、幸運なことにノマルの耳には入らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラーノノタウン中心部、ラーノノユニバーシティは大講義室。

 数百人に対応できるその教室にて、ナックルジムリーダー、キバナはその数百人の視線を一身に受けている。

 しかし、それでも堂々と教鞭を振るう彼は、今日はいつもと違ってスーツ姿であり、やんちゃな風貌でしか彼を知らぬ人間は、スーツに映えるやたらに長い足を彼の新たな魅力として映しているだろう。

 だが、大講義室に所狭しと並ぶ聴衆たちは、彼のそのような風貌にはあまり興味を示してはいなかった。仕方のないことだ、彼らは抽選を勝ち残ってこの講義を受ける権利を得た人々である、キバナそのものよりも、その講義の内容に興味がある。

 

「御存知の通り、ドラゴンつかいという集団についての伝承は、ガラル地方だけではなくカロス地方にも存在します」

 

 熱烈な視線を物ともせず、彼は講義資料を映し出す端末を操作しながらその内容を語っていた。

 別段声を張り上げているわけではない、だがそれでもこの大講義室全てに響く声を出せるというのは、さすがポケモンに指示を伝えるプロのトレーナーと言ったところだろうか。

 

「しかし、同じようなドラゴンつかいの伝承は、ガラルから遠く離れたジョウト地方、イッシュ地方にも存在します。彼らの多くがドラゴンポケモンをパートナーとしていることは、我々と同じだと考えることができるでしょう」

 

 ラーノノユニバーシティはガラル地方の中で最も格と歴史のある学府の一つである。流石にナックルユニバーシティには一歩遅れているというのが客観的な評価ではあろうが、それでも、ナックルユニバーシティ主席卒業者であり、同学府の客員教授を務めるキバナの講義を真面目に受ける程度の生徒の質はあった。

 

「しかし、ジョウト地方に存在するドラゴンつかいの伝承とガラル・カロス・イッシュのそれらとの違いは『ドラゴンタイプ以外のポケモンを龍としているかどうか』というところが最も大きいでしょう。例えばカントー・ジョウトリーグのプロトレーナーであるワタル氏は、ドラゴンつかいとしてリザードンやギャラドスなどのポケモンもパートナーとしています」

 

 一年に一度招待されるキバナの公開講義はかなりの人気だ、成績上位の生徒しか聴くことは出来ないし、一般人も厳しい抽選のもとに選ばれる。

 その最前列で、ノマルはぴしっと背筋を伸ばしながらそれを聞いていた。関係者として毎年その講義を受けることができる、彼女がラーノノジムリーダーである利点の一つだった。

 

「彼らは携帯獣学的なカテゴリではなく、より人間にとって脅威であったポケモン、現象を『龍』という概念で捉えています。それはジョウト・カントーがフェアリーの研究において一歩遅れた要因の一つでもありますが、同時に、ドラゴンつかいという概念が古典携帯獣学より以前から存在しており、彼らが世界で最も古い『トレーナー』という概念の一つであっただろうという仮説にも繋がります」

 

 講義が一区切りとなり、キバナが水差しを傾けたのを確認しながら、大きくなったもんだなあとノマルは思った。

 もちろんそれは類まれなる彼の体格のこともあるだろうが、それよりも、教壇での堂々とした立ち回りが、彼を初めて目にしたときに比べれば考えられないようなものだった。尤も、彼女がキバナと初めてあったのは今から十年も前、彼がジムチャレンジに挑戦しているほんの子供であったときなのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

「とりあえず基本的なことはこれに書いておきましたから」

 

 ラーノノユニバーシティ来客室。講義を終えてネクタイを緩めたキバナは、手にした分厚い冊子をノマルに差し出した。

 ノマルにSNSの基本を教える事を覚えていたキバナは、SNSを始めたいというノマルの意思を尊重しつつも、SNSの再講習が開かれぬように細心の注意をはらいながらそれを制作した。

『インカメの存在も知らぬ人間にポケスタグラムを使いこなせること』を最終目標にキバナが編纂したその冊子は、後に高齢者のSNSの入門本として爆裂的な支持を得ることになるのだが、それはまた別の話。

 うーん、とノマルはそれらをめくりながら唸った。勉強が苦手なわけではない、だが、一つ残念だったのは。

 

「じゃあ子供達の写真は投稿しない方が良いのね」

「ええまあ、今肖像権とかめんどくさいですし。あ、オレサマは肖像権フリーなんでいくらでも撮っていいですよ」

 

 その返答にノマルはがっくりと肩を落とす。早速第一の目的が失われたわけだ。

 

「とにかく注意するべきなのは、著作権と肖像権に気を配ること。プライベートを公にしすぎないこと、政治とスポーツの話題は避けることが大事ですね。まあスポーツは地元チームの応援くらいなら大丈夫だと思うんだけどなー」

「なんか色々決まりがあるのね、もうちょっと自由な場所だと思ってたんだけど」

「自由なんですよ、だからいろいろなやつがでてくるし、そいつらから身を守らなければならない」

「ふーん、ワイルドエリアみたいなものなのね」

 

 その例えを彼女から切り出したことに、キバナは少しホッとした。その端的な例えは当然聡明な彼の脳裏にも浮かんではいたが、それを彼女相手に切り出す事ができないでいたのだ。

 

「まあ、そんな感じです。ノマルさん個人は、まあ、強い人なので何言われても大丈夫だと思うんですけど、ラーノノジムの代表としてSNSをするなら、ラーノノタウンそのものの評価にもつながってきますからね」

 

 一拍置いて続ける。

 

「フォロワーを増やしたいなら宣伝しても良いんですけど、ノマルさんの場合はあまり爆発的にフォロワー増やすよりも少しずつやっていきながら感覚掴んだほうが良いと思うんでもう少し後のほうが良いですね」

 

 なるほど、と彼女は頷く。

 

「初期画面行きました?」

「まって、今説明読んでるから」

 

 ノマルの手に昨今のスマートフォンは大きすぎるようで、彼女はそれを両手で操作している。

 講義の後完全フリーにしていてよかったなとキバナは鼻を鳴らした。これじゃいつまでかかるかわからない。

 彼が一つ伸びをして、更に大きなあくびをかまいたその瞬間だった。

 

「あ」

 

 カシャーとスマホの初期音そのまんまのシャッター音が響いたかと思うと「これでよし」というノマルの声。

 

「これを投稿すればいいのよね?」

 

 キバナは賢い男である。彼はダンデと戦うときのように集中力を発揮し、その状況で彼女が何をし、そして何をしようとしているのかはすぐに理解した。

 

「ちょっと」と、彼はノマルの腕を掴んだ。

 

 一応大の男に手を掴まれるという状況であるのだが、ノマルは一切それに恐れること無く「なにか問題でも?」といいたげに首を傾げた。

 

「何アップしようとしてんすか」

「え? だって『最初の一枚を』投稿してみましょうって言われたから」

「なんでそれが俺なんですか」

「え? だってキバナくんは肖像権フリー……」

「いやそうですけど、格好いいのだけですから、あんな気の抜けきったヌメラみたいなのありえないんで」

 

 キバナはノマルからスマホを取り上げるとすぐさまその投稿の消去に走る。幸いにもそれは投稿される前であり、彼はその投稿を下書きも残らず消去した。

 彼はそれをノマルに返しながら言う。

 

「ポケスタグラムは写真の質が大事なんで、あまり思いつきで投稿するのはよくないです。後は投稿する数は絞ったほうが本当に見せたいものを見せることが出来ます。それに、一番最初の投稿が俺ってのもちょっと」

 

 彼はネクタイを締め直し、ソファーに投げかけられていたジャケットに袖を通しながら続けた。

 

「ひとまず撮り方は俺が教えるんで、ノマルさんが撮りたいものを撮りに行きましょうよ。最初の投稿から考えていきましょう」

「ほんとに!? ありがとう!」

 

 ノマルにとってその提案は渡りに船だったようで、ぴょんと跳ね上がるように立ち上がりながら言った。

 

 

 

 

 

 

 

「ここが噂の占い付きキッチンカーか~」

 

 野外市場の中心部、少し開けた開放式の休憩所のような場所にあるそこに、ノマルとキバナはたどり着いていた。

 それまでの間にいわゆる『映える』スポットがなかったわけではない。ラーノノユニバーシティに大聖堂、町を流れるニューマス川にかかるアーチの石橋、野外市場の人々、キバナの監修のもとに『映える』ように撮影されたそれらはポケスタグラムユーザーにも受け入れられるものであったが、ノマルはまだそのどれを最初に投稿すべきかということに悩んでいた。この町を愛する彼女にとって、それらは順序付けることができるものではなかったのだ。

 

「プレミアムミルクティーを一つ」

 

 ノマルはトレーに紙幣を置きながらそれを注文する。いつまでも決まらぬ投稿すべき写真について、彼女は藁にもすがる思いであった。

 

「SNSに投稿する写真に悩んでいるんですよね」と、ノマルは独り言のように言う。

 

「どれもいい写真なんですけど、どれもいい写真だから悩んでしまうというか」

 

 彼女がそう言い終わってから、店主はそれを作り始める。

 

「それだけ?」と、キバナは両手を上げて訝しみながら問うた。

 

 キバナの両腕には幾多もの紙袋をぶら下げられていた。

 彼がハメを外して爆買いをしたわけではない、彼がノマルの客人であると知っている人間や、もしくは彼がノマルの善き人であるのではないかと勘違いした人間たちが、それぞれのできる範囲の『お土産』を彼に持たせていたのだ。

 

「結構当たるのよ」と、ノマルは何故か自分が誇らしげに言った。

 

「講習会の日もこの占いのおかげで電話を忘れたことに気づいたの」

「いやそれは……講習会の日にスマホを忘れること自体がちょっと……」

 

 キバナがもうちょっとノマルに苦言を呈そうとしたタイミングで、プレミアムミルクティーがノマルの前に置かれた。

 

「どれどれ」と、彼女は手を伸ばしてそれを確認する。

 

「『近くの人間を頼れ』ですって」

 

 彼女は首をひねって続ける。

 

「これってキバナくんのことかしら」

「まあ、状況的には」

 

 ふうん、とキバナは鼻を鳴らしてから、二、三度頷いてから言った。

 

「じゃあ俺もプレミアムミルクティーを一つ」

 

 キバナも占いに興味が湧いたようだ。

 そして、独り言を待つ店主に彼が続ける。

 

「そうだなあ、じゃあ今後の身の振り方でも教えてもらおうかな」

 

 その質問に、ノマルは目線を上げてキバナの表情を見た。彼女はそれに、自虐的な意味を感じたのだ。

 そして、その感覚は正しい。

 かつて絶対的なチャンピオンであったダンデが新たなチャンピオンに敗れて以来、彼は自分自身の立ち位置というものに関して少しばかり考えることが多くなった。あるいはSNS講習が開かれる原因となった炎上騒ぎも、そのような精神状態が関連していたのかも知れない。

 絶対的なチャンピオンを追うライバルであるという立場であったのに、そのライバルが一方的にドロップ・アウトしてしまった。この十年間の積み重ねというものが、あるいは無駄なものだったのかも知れないと、心の隅で思ってしまってもおかしくはないだろう。

 あるいは、それをこうやって冗談のように言えるだけでも、彼の中では何かが整理でき始めているのかも知れない。と、彼女は思った。

 

 しかし、両手しか見えぬ店主は、最強のジムリーダーであるキバナの存在意義を問うような質問にも元気よくサムズアップで答え、手慣れた手付きで準備を始める。

 

「キバナくん」と、ノマルは彼に声をかける。今更になって、このようなことに付き合わせてしまった罪悪感というものが生まれてしまっていた。きっと彼も大変な時期だろうに。

 

 だが、キバナは彼女がその先を続けるよりも先に「大丈夫ですよ」と笑顔で返した。

 

「もうガキじゃないんで」

 

 店主は手慣れた手付きを維持したままサラサラとカップにペンを走らせ、それをキバナの前においた。

 

「どうも」と、彼は紙幣をトレーに置いてからそれを手に取って書かれている文字を読む。

 

「『めぐり合わせを恨むな、努力を恨むな』だってさ」

 

 彼はそれをノマルに見せながらいたずらっぽく笑った。言葉にこそしなかったが、それっぽいことを言うこの占いに対する少しばかりの皮肉的な意味合いがあった。

 

 

 

 

 

 

 広場に備え付けてあるベンチでそれらを楽しみ。伸びる足の長さからキバナを知覚した女子のファンたちの声援にだいたい答え終わった後、彼らに声をかけるものがあった。

 

「あれ、リーダーにキバナさん」

 

 よく知った声にノマルが視線を返すと、ラーノノジムトレーナーであるミスミが彼らに歩み寄ってきた。練習の時のメイクは落とされ、白黒の混じったヘアスタイルのみがネズを連想させる。

 

「おー、ニセネズ」

 

 キバナは長い手を伸ばしてそれに答える。もちろん『ニセネズ』というのはその小生意気なジムトレーナーに対して皮肉と愛着を込めたあだ名であったが、今の所彼がそれに怒ることはなく、むしろ喜んでいるフシすらあった。

 その証拠にミスミはそれに全く憤ること無くむしろ微笑みすら浮かべて「なんかあったんですか?」と彼らに問うた。

 

「ちょっとね、SNSに投稿する写真に悩んでて」

 

 何気ないその返答に、ミスミは「ええっ!」と驚いた。

 

「SNS始めるんですか!? 無謀ですよリーダー一人じゃ電話帳も開けないじゃないですか!」

「え? じゃあノマルさんどうやって電話かけてんの?」

「失礼ね、電話番号は全部手帳に書いているから大丈夫です」

 

 呆れた返答に、キバナは目の前にお婆ちゃんがいると思った、思っただけで良かった。

 そして、ひとしきり驚いた後にミスミはノマルとキバナの両方を見比べながら「ああ、なるほど」と頷く。

 

「だからキバナさんがいるわけですか」

「ま、そういう事。俺もノマルさん一人でポケスタできるとは思わねーし」

「あ、ポケスタなんですか」

 

 ミスミはポケットからロトムフォンを取り出しながら続ける。

 

「フォローするんでアカウント教えて下さいよ」

 

 その言葉に、ノマルとキバナはほとんど同時に跳ね上げるように背筋を伸ばした。

 

「ポケスタやってんの!?」

 

 その驚きようにミスミは逆に首をひねる。

 

「そりゃまあ、一応バンドの宣伝とか、友達と話したりとかするためにやってますよ」

「え、アカウントどれだよ俺知らねーぞ」

「これですよ」

 

 ぐいと目の前に差し出されたロトムフォンの画面を確認してキバナが頭を抱える。

 

「俺の個人ファッション垢よりもフォロワー多いじゃねえか」

「そりゃまあ、一応ネズさんのコピバンやってるんで」

 

 ミスミのアカウントのフォロワー数は、流石にキバナやナックルジムの公式のものに比べれば少なかったが、それでもかなりの人数だった。しかもキバナがちらりと確認した感じでは、炎上している感じではない。

 アカウントだのフォロワーだのと先ほど覚えたばかりの言葉をスラスラと使われることに少しショックを受けていたノマルに、ミスミが続ける。

 

「フォロワー欲しかったら宣伝しますけど、リーダーの場合あまり爆発的にフォロワー増やすよりも少しずつやっていきながら感覚掴んだほうが良いと思うんでもう少し後にしますね」

 

 一拍置いて続ける。

 

「とにかく注意するべきなのは、著作権と肖像権に気を配ることと、プライベートを公にしすぎないこと、政治とスポーツの話題は避けることが大事ですね。まあスポーツは地元チームの応援くらいなら大丈夫だと思いますけどね」

 

 言った覚えのある的確なアドバイスに、キバナは全身の力抜けていくのを感じた。ズルズルとベンチの背もたれに預ける体重が増えていく。

 

「オレサマの頑張り……」

 

 キバナがもう少し恨み節を続けようとした時、彼は先程の占いを思い出した。

 

『めぐり合わせを恨むな、努力を恨むな』

 

「あの店すげー」

 

 一人感心するキバナをよそに、ミスミは更にノマルに問う。

 

「ところで、なんで投稿する写真に悩んでるんですか?」

「やっぱり一番最初だから好きなものを投稿したいなって」

「ああ、なるほど、わかります。俺も一番最初は好きな写真あげましたもん」

「ちなみに何なんだ?」

「ネズさんとのツーショです」

「お前ほんとブレねえな」

 

 ミスミは「ちょっといいですか?」とノマルのスマホを手に取る。

 そして撮られた写真を確認してから言う。

 

「良く撮れてるじゃないですか」

「そりゃあ、オレサマが監修してるからな」

「私もよく撮れてるとは思うの、でも、どれを最初にするかとなると……」

 

 あーなるほど、と、ミスミはそれにうなづく。

 

「リーダーのこの町好きですもんね」

 

 溶けかかっているキバナの横にミスミも座り込み、彼らはしばらく考え込んだ。

 

「この町のことで」

「ノマルさんが納得する」

「私の一番かあ」

 

 やがて、ノマルが「そうだ!」と立ち上がったのはそれから少しして、夕刻を伝える聖堂の鐘が鳴った頃だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

『ここはラーノノタウン、来る者拒まぬ透明な町』

 

 ラーノノタウンの入り口にあるその看板は、ラーノノの住人殆どすべてが知っているものであったが、それ故に、住人の殆どがその前に立ち止まるようなことはないものだった。従って、ノマル、キバナ、ミスミの三人がその前に立ち止まっている光景は珍しい。

 

「なるほどな」と、キバナはそれを眺めて頷く。それを見るのはジムチャレンジの時以来だ。

 

「たしかに、ノマルさんが一番好きなものとくればこれだわ」

「まあ、とりあえずこれで良いんじゃないですか?」

 

 聖堂、自然、野外市場、それらすべてを含めてのラーノノタウンだ。その象徴であるこの看板を最初に投稿すれば、彼女のアカウントの方向性も固まるというものだろう。

 

「じゃあ撮るね」

「俺も撮っちゃおっと」

「俺も久しぶりに」

 

 三人が三人ともレンズを構えそれを写真に収める。まるで初めての海外旅行で何でも写真に収めようとするカントー人のようだった。

 

「これで、皆にラーノノのことを知ってもらえると良いんだけど」

 

 何気なくそうつぶやいたノマルに、キバナは小さく頷く。

 彼女がこの町と、そしてガラルのトレーナーたちを愛していることは彼もよく知っている。

 ある意味で、彼女は理想的な教育者であった。

 

「じゃあ、俺はそろそろ失礼しますわ」

 

 キバナはボールからフライゴンを繰り出す。目立つ長身にブランドのスーツ、両手には幾つもの紙袋とくれば、とてもではないが公共交通機関での帰宅はできそうになかった。

 

「後はマニュアル見ながら頑張ってみてください。何かあれば相談に乗りますけど、大体ニセネズが知ってると思います」

「キバナくんありがとう! また今度ラーノノのチョコレート送るからね!」

 

 チョコレートはラーノノタウンの名産品の一つだ、そして、彼女が知り合い達に配る交易品でもある。

 そして、キバナもそれが嫌いではない。

 

「ラーノノチョコレートもらえるなら来てよかったですよ!」

 

 彼は何処からか取り出したフライゴンとおそろいのようなゴーグルを付けて空に飛び立つ。

 段々と小さくなっていくフライゴンとキバナに、ノマルはいつまでも手を振っていた。

 

「俺も帰りますね」と、ミスミも言う。

 

「代わりに投稿しましょうか?」

「いいよ、あとは家に帰ってからやる」

 

 ミスミはそれを悪く思うことはなかった。後は文章を考えて投稿するだけだ、ノマルは文章には強いし、そこは問題ないだろう。

 

「じゃあまたジムで」と、彼は手を振った。

 

 

 

 

 

 

『はじめまして、ラーノノジムリーダーのノマルです!今日からポケスタグラムでラーノノタウンのことやジムの活動についてつぶやいていこうと思います!記念すべき一枚目は、私の一番好きなものを撮ってみました!』

 

 最初の投稿としてはまあまあ悪くないその文章とともに投稿されている写真に、ポケスタグラム界隈は騒然とした。 

 そのなんでも無いような文章とともに投稿されていたのは、ソファーに身を預け、伸びをしながら犬歯を見せつけるようにあくびをしているナックルジムリーダー、キバナの姿であった。しかもネクタイを緩めたスーツ姿というおまけ付き。

 当然それはノマルの意図するところではない、彼女は『何故か選択する写真を間違えて』それを投稿したのだ。もはや天文学的な機械音痴である。

 だが、それを受け取る側がそのような珍現象を考慮に入れるはずもなく。見る人間からすれば『匂わせ』どころが『激臭』であるその写真には、サラリと考えられるだけでもあらゆる要素があった。ノマルが独り身であるというところもこれまた最悪な偶然であった。

 

『一番好きなものがキバナ?』

『こないだの自撮りの子じゃん』

『キバナ油断しすぎだろwww』

『ラーノノのジムリーダーは基本ポンコツだから……』

『キバナ(ヌメラの姿)』

『匂わせが酷すぎる』

『もはや匂わせですら無い』

『これはアローラナッシー』

『キバナ年増趣味なん?』

『いやキバナはメロンとノマルを怖い人だって言ってたから違うだろ』

『キバナくんまた私以外の女の人と会ってる……』

『ちょっと!!!ノマルさん写真間違えてますよ!すぐに消してください!!!』

『リーダーwwwwwwwww』

 

 当然キバナとミスミはノマルに連絡を取ろうとしたのだが、キバナの講義中に失礼があっては悪いとマナーモードに切り替えたつもりでサイレントモードに切り替え、そしてそれを解除することを忘れていた彼女がそれに気づくことはなく、彼女は一人だけこの大掛かりなミッションをやり遂げたのだという満足感から、普段よりも早く床についていた。

 結果、この騒動は被害者であるキバナの朝方に至るまでの釈明ライブ配信にて沈静化したが、彼女のアカウントは一時期トレンドに乗るほどの勢いを見せ、誰もが想像していなかったほどのスタートダッシュを切るのであった。

 

 そして、翌日ようやく事の重大さを理解した彼女が、必死にマニュアルを読み込んで得たリプライの知識でキバナに送った文章がこれだ。

 

『キバナくんごめん!写真間違えちゃった!あの時消しとけばよかったね!迷惑かけてごめんチョコレートいっぱい送るね』

 

 次のSNS講習まで、そう時間はかからなそうだった。




感想、批評、お気軽にどうぞ、質問等も出来る限り答えようと思っています。
ここまで読んでいただけたらぜひとも評価の方をよろしくおねがいします!!!


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310 彼の知る彼女

ダンデ(原作キャラクター)
 元チャンピオンにして現ポケモンリーグ委員長、ガラルの英雄と評価されているが、致命的な方向音痴だったりもする。
 ノマルの実力を過大に評価している


 週末、ある昼下がりのラーノノタウン。ラーノノ駅。

 朝夕に比べれば人の少なくなったそこで、ラーノノジムトレーナー、ミスミは人を待っていた。

 

「遅えだろうよ……」

 

 彼の機嫌は良くはなかった、スマホで時間を確認しながら苛立ちげにそう呟き、右足はリズムを刻んでいる。待ち受け画面にはアーティストであるネズのブロマイド、その胸にぶら下げられている時計が指し示す時刻は、待ち合わせの時間を十分程過ぎていた。

 もちろん、たかが十分待ち合わせに遅れただけでそこまで露骨に不機嫌をあらわにするというのはあまりにも短慮だろう。そして、普段のミスミはそのような少年ではない。

 その態度はつまり、彼にとってその人物が、たかが十分程待ち合わせに遅れてしまった程度でも不快になってしまうような人物であるということの証明だった。

 

 それからさらに十分ほど経っても、ミスミの待ち合わせ相手は現れなかった。電車の到着時間が必ずしも彼らの待ち合わせ時間とイコールではないであろうことを差し引いても、少なくともその相手が順調であることはもうありえないだろう。

 

「ありえねえよ……」

 

 彼は苛立ちを隠さない、子供の使いではないのだ、相手はそれなりの立場であるし、自らも歴史と伝統あるラーノノジムからの使いとしてそこに立っているはずである。大物であるとか、性分であるとかで片付く理屈ではない、ルールを押し付ける側の人間が最低限のルールすらも守れないなどあっていいだろうか、いやない。

 苛立ちながらも、ミスミはどうすれば良いのかと考えた。それが常識で考えられることであろうがなんだろうが、待ち合わせの相手がここに来ず、自分と相手は連絡先を交換していないことは確かなのだ。

 

「とりあえずリーダーに連絡するかあ」

 

 彼は再びスマホを取り出し、ネズのブロマイドを撫でる。

 現れたアプリ一覧から、滅多に使うことのない『電話』コマンドを選択しようとしたその時、傍で切符を買おうとしていた二人の女子学生のやたらに甲高い会話が彼の耳に入った。

 

「まだいるかな!?」

「まだいるっぽいよ!!!」

 

 彼女らはスマホを片手に会話を続ける。

 

「今皆にサインしてるんだって!」

「マジ!? 私も欲しい!」

「今なんて書くんだろうね。もうチャンピオンじゃないわけだし」

 

 若くはつらつな彼女らの会話は、それ以上ミスミの耳には入らなかった。

 なぜならば彼は、すぐさまにアプリ一覧からSNSを選択し、素早い片手フリック入力でワード検索をする作業に没頭したからだ。

 

『ダンデ』

 

 そう検索をかければ、たちまちのうちにいくつものつぶやきが検索画面に現れた、ダンデといえばかつてのガラルリーグの絶対的チャンピオンにして現ポケモンリーグ委員長でもある、当然だ。

 広告や対戦結果のまとめのような拡散されているものをうっとおしく思いながら、彼はそれを最新順にソートし直す。

 またたく間にいくつも現れたつぶやきを眺め、ミスミは彼が何故か隣町に降り立っている事を知る。発達しすぎたSNS社会、著名人にプライベートは無いようだった。

 

「あんの馬鹿野郎!」

 

 周りに迷惑をかけぬように、それでも怒りを隠さぬように呟き、彼は駆け足で駅構内を飛び出した。

 

「出て来い!」

 

 宙に放り投げられたボールから、ゆうもうポケモンのウォーグルが繰り出された。彼は晴天を堪能するようにぐるりと旋回してから、ミスミのもとに降り立つ。彼はタチフサグマと並ぶミスミの二枚看板の内の一匹だった。

 

「隣町まで、大至急だ」

 

 何処からか取り出したハーネスを手早く取り付けながら、彼は大声で不満をぶちまけたい感情を抑え込んだ。

 待ち合わせ相手のダンデが、自由で奔放で、それでいてそれが許されるほどに強いことを当然彼も知っている。

 だが、彼がまだそれを受け入れきれていないということもまた、事実だった。

 

 

 

 

 

 

 同日、ラーノノジム。

 その日は、ラーノノジムリーダー、ノマルによる親子講習が開かれていた。

 尤も、一日を費やすような大規模なものではない。初心者講習でイーブイを得た子供たちとその家族が気になることがあれば気楽に通えるようなものだ。

 

「はい! それでは今日はこのくらいにしておきましょう!」

 

 昼に差し掛かる少し前、ノマルはジムチャレンジ場にて練習に励む数人の子供たちにそう声をかけた。

 子供たちは元気よくそれに返事し、パートナーであることに慣れ始めていたイーブイを抱えあげるなりボールに戻すなりした。

 彼らの相手をしていたノマルのパートナー達、イエッサンやエレザード、チラーミィ達はそれぞれが使っていた柔らかいバランスボールを用具室に戻す。それを見た子供たちはそれを手伝うようにノマルのポケモンたちに歩み寄っていった。

 練習、といってもそれはポケモンたちとの手合わせではなかった。ノマルのポケモンたちはそれらのバランスボールを子供たちに放り投げ、イーブイと子供たちはそれをかわすというもの。ノマルが子供たちに与えたイーブイは相手の技を『みきる』ことに長けているのが特徴だった。

 

「とにかく、進化についてはもう少し時間を置いて考えてみてください」

 

 子供たちが自発的に片付けの手伝いを初めたことにご機嫌になりながら、参加した子供の両親に言った。

 

「確かにイーブイはいくつもの進化の可能性があるポケモンです。ですが、まだポケモンそのものにも慣れていない状態でノーマルタイプ以外のポケモンを触らせることはおすすめしません」

 

 彼らはノマルに対し「イーブイを何に進化させるべきか?」と質問していた。

 子供がポケモンを持つことに多少の理解のあったその両親は、彼らなりに得た知識でイーブイが多属性に進化する可能性のあるポケモンであること知ったのだろう、あるいは無責任なメディアが書いた『早めに進化させたほうが得』というような記事を真に受けたのかも知れない。

 

「確かに早いうちから将来性を考えるほうが良いという考え方もあります。ですがそれはある程度トレーナーとして生きるレールのある子どもに限った話であり、本当の意味での初心者はまずはノーマルタイプのポケモンで『生き物をパートナーにすること』ということの難しさを感じてからのほうが良いと私は思います」

 

 ノーマルタイプのポケモンの強みの一つは『共に生きていきやすいこと』にある。

 例えばこおりタイプやほのおタイプのポケモンには環境管理が必ずついてくる問題だ、もちろん今は技術の革新が進みある程度簡単になっているとはいえ、ポケモンバトルを志すのならば避けては通れない道だ、初めてポケモンを持つ子供にその重荷を背負わせるのは時期尚早だろう。

 みずタイプやじめんタイプのポケモンにも環境的な問題は避けて通れない、比較的付き合い方が簡単だと言われているくさタイプやむしタイプのポケモンですら、剪定や毒針に対する対処の問題がでてくる。

 それらに比べ、ノーマルタイプのポケモンは人間の生活環境を大きく変えることがない、当然鋭い爪やキバに注意を払わなければならないのは確かだが、それでも突然火を吹いたりするわけではない。特にイーブイなどは共に生きやすい種族だろう。

 両親はその言葉にある程度納得したようだった。

 

「もちろんイーブイがお子さんになつくことでエーフィやブラッキーに進化したときには祝福してあげてください。それはお子さんがイーブイに認められたことの証明なんですから。その時はご一報ください、育て方のマニュアルをお送りいたします」

 

 幸いなことに、ノマルはすでにいくつもの家庭にそのマニュアルを送っていた。

 

「ポケモンと共に生きることとポケモンバトルをすることは同じではありませんし、お子さんがトレーナーとして生きることも本人が決めることです。最近は色んな情報が錯綜していますが、いつでもご相談には乗らせていただきますので、お気軽にご連絡ください」

 

 そう言って笑顔を見せるノマルに、その両親はホッとしたようだった。

 

 

 

 

 

 

「先生」

 

 終わりの挨拶後、大体の子供たちが両親とともにジムを後にした後、一人でその教室に参加していた少年が、イーブイを胸に抱えてノマルに声をかけた。

 ワイルドエリアでの初心者講習にてノマルに助けられたその少年は、やはりポケモンの扱いには慣れているらしく、抱えられたイーブイは満足げだった。

 その少年はノマルに続けて問う。

 

「攻撃は、いつ教えてもらえますか?」

 

 それは、その少年らしい質問だった。

 トレーナーである兄を持ちながら、その兄を「センスがない」と断言することができるその少年は、たとえそれが年齢からくる威勢のいいものであることを差し引いても、優れた才能の持ち主であるように思えた。事実、その少年はバランスボールを躱す訓練を難なくこなしていた。その次の段階として『攻撃』を求めることは不自然ではないだろう。

 

「基礎をしっかりと覚えてからですよ」と、ノマルは微笑んで答える。

 

「相手を『攻撃』することには大きな責任とリスクが伴います。たとえ君が『かわす』訓練に苦労をしなかったとしても、だからといって攻撃をしていい理由にはならない。隠れる訓練と逃げる訓練をこなして、攻撃はそれから」

 

 それは少年の望む答えではなかった、しかし、彼はうつむきながらもそれを受け入れた。ワイルドエリアでの一件以来、彼はノマルをつまらないジムリーダーとは思っていなかった。

 その少年がモチベーションを失わぬように彼女が言葉をかけようとしたその時、ジムの扉が開く音と「リーダー」と彼女を呼ぶ声。

 

「連れてきましたよ」

 

 少年は少し嫌な思い出のあるその声に顔を向け、そして、心臓が跳ね上がるのでないかと言うほどに驚いた。

 ラーノノジムトレーナーであるミスミの後ろに立っていたのは、かつてのガラルリーグチャンピオンにして現ガラルリーグ委員長、ガラルを代表する英雄の一人である男、ダンデだった。

 

「遅れてしまって申し訳ありません」

 

 ペコリとダンデはノマルに頭を下げる。事情を知らぬ少年は更にそれに驚いたが、それ自体は別に不思議なことではない。待ち合わせの時間を守れなかった社会人としては当然の行動だ。尤も、ダンデという男はそのような社会的な縛りを一方的に放棄できる立場ではあろうが。

 

「こちらこそ、直接あなたを迎えることが出来なかった失礼をお許しください」

 

 そう返したノマルは、苦虫を噛み潰したような表情で突っ立っているミスミに視線を向けると、少年の肩を持って言う。

 

「あなたは彼を家に送ってあげなさい」

 

「えっ」と、二人は殆ど同時に声を上げた。

 

 少年からすれば嬉しい提案だ。煩わしい電車待ちを経験せずにすむし、空を飛ぶタクシーよりも高く速いと噂されるミスミのウォーグルに乗れるのだから。

 驚いたのはミスミだ。

 

「しかしリーダー」

 

 彼は横目でダンデをちらりとみやってそれに異を唱えようとした。

 だが、ノマルは微笑んだままにそれを遮る。

 

「もう若いわけでもなし、何も心配することはありません」

 

 ぐいと少年の背を押して続ける。

 

「お客様に失礼は許しませんよ」

 

 ミスミの目を見て放たれたその言葉は、その含む意味をミスミとダンデに気づかせるに十分だった。

 しばらく沈黙した後に、ミスミは一つ唸ってから答える。

 

「わかりました。そら、帰るぞ」

 

 彼は一つダンデを睨んでから彼らに背を向け、少年を連れてジムを後にした。

 

 

 

 

 

 

「随分と嫌われているようだ」

 

 ミスミがジムを後にしてすぐ、ダンデは軽く笑いながらそう呟いた。

 確かにダンデは抜けているところがあるかも知れないが、鈍感なわけではない。ミスミが自らに向けている攻めるような視線に気づかぬはずがない。

 だが、それを特別に不快に思っているわけではなかった。元々ガラルリーグのトップとしてそのような感情を向けられることは少なくは無かったし、何より、今回に関して降りるべき駅を一つ間違えたという明確な落ち度もある。

 

「申し訳ありません」と、ノマルは頭を下げる。

 

「私情を挟むなといつも強く言っているのですが……」

「いやいや、大丈夫。今回はこちらに否がある。駅を一つ間違えたんです」

 

 あははと少し笑った後に続ける。

 

「久しぶりに会いましたが、いいトレーナーになっていますね。リザードンも楽しそうでした」

 

 隣町からラーノノタウンまで、彼らはお互いに手持ちのひこうポケモンに乗って移動していた。電車でまた騒ぎを起こすよりかはそのほうがいいだろうというミスミの判断だ。

 先導という役割がありながら、ミスミとウォーグルは遠慮すること無く彼らのできる最高速度で飛んだ、もちろんそれは好かぬ相手へのあてつけの意味もあっただろうが、同時にダンデとリザードンの能力に対する信頼もあった。

 そして、ダンデ達もそれに遅れること無くついていった。だが、先を行くウォーグルを追う久しぶりの感覚にリザードンが喜んでいることをダンデは感じ取っていたのだ。

 同時にそれは、彼自身も。

 

「厳しくしつけてます。ミスミくんはいずれ立場のあるトレーナーとなるでしょうから、恥ずかしくないように」

 

 はにかみながらもはっきりと言い切る彼女に、ダンデはほっと胸をなでおろした。

 

「おかわり無いようで、安心しました」

「そうかな? 随分と変わったつもりだったのだけど」

 

 一拍置いて彼女が続ける。

 

「ダンデくんは随分と変わったね。大人になった」

「そりゃあ……あなたの知っている俺はもう十年も前です」

「そうね、いつもそれを忘れそうになる」

 

 もちろん、彼らの再会は十年越しではない。むしろかつてのチャンピオンとジムリーダーという関係上、毎年顔を合わせている。

 だが彼女がそう思うのも仕方ないことだ、彼女にとってダンデという存在が最も強く記憶に残るのは、その十年前の姿なのだから。

 

「仕事の話は部屋でしましょう」

 

 そう言って背を向けたノマルに、ダンデはついていった。

 大事な話があった。

 

 

 

 

 

 ラーノノジム、談話室。

 彼らは机を挟んでソファーに腰を掛けていた。鍛え上げられた肉体がソファーに沈みこんでいるダンデとは対象的に、ノマルはちょこんとそれに腰掛けている。

 ジムリーダーとガラルリーグ委員長としての面談は、特に問題が起こること無く終了しようとしていた。

 当然だ、ラーノノジムはメジャーでこそ無いが、トレーナーの育成と普及に関しては実績がある伝統あるノーマルジムであり、それはノマルがジムリーダーを引き継いでからこの十年間も変わらない。

 幾多もの少年少女をポケモントレーナーというものに憧れさせたのはダンデであろうが、その彼らに手ほどきを施したのはノマルを始めとするジムリーダーの面々だ。カリスマとジムリーダーは決してその片一方だけが利益を享受するだけの関係ではなかった。

 

「キャンプ講習の備品に関しては、リーグから補助金を出すことも考えています」

 

 ラーノノタウンの特産であるハーブティに口をつけながらダンデがそう言った。

 ラーノノジムが主導しているワイルドエリアでの初心者講習は、業界内でも評判が高い。資金を増やし、規模を大きくすることは協会内でも出てきている意見だった。

 しかし、ノマルは首を横に振ってそれを拒否する。

 

「結構です、キャンプ講習の予算に関しては有志からの寄付とガラル遺族協会からの出資で十分に賄われています。それに、これ以上規模を大きくすると、私の目の届かない子ども達が生まれてしまう。お恥ずかしい話ですが、先日も私の不手際から子供たちを危険にさらしていましました。今の規模でもギリギリなんです」

 

 先日の不手際というものが何なのかダンデの耳には届いていなかったが、その言葉を疑うこと無くそれに返す。

 

「人員を増やす事は考えていますか? ノマルさんが希望すれば俺が信用できるリーグ職員を派遣することもできると思いますよ」

「いえ結構、私は私の目の届く範囲でやりたいと考えています」

 

 それに、と続ける。

 

「リーグ職員は『逃げる』事を教えないでしょう?」

 

 含みのある発言だった。

 

「あなたの方針に従うように言うことはできる」

「でも、本心ではない」

 

 これ以上は討論になってしまうことを感じ取ったダンデは「考えておいてください」と、その話題を切った。別に絶対に必要な内容ではない、初心者講習は協会が主導で別のものを開くことだってできる。

 それに、彼が今日どうしても通したい話は別にあった。

 

「委員長としての話は以上です」

 

 彼はまだ熱の残っているハーブティーを飲み干してから言った。

 

「これからは俺個人の話をしたい」

「どうぞ」

「俺は、ノマルさんにバトルタワーに参加してほしいと思っている」

 

 ノマルはその単語にカップを持つ手を止めた。

 バトルタワー。

 それはダンデが支配人を務めるバトル施設。

 ポケモンのレベルをフラットにする特殊な技術を用い、ポケモンの強さよりもコンビネーションや戦術を重視するその施設は、ガラルのトレーナーたちのレベルを底上げしたいというダンデの理念の城であった。

 ダンデがオーナーであるのだから、彼からのその単語が出てくることは不思議ではないだろう。

 だが。

 

「スカウトする相手を間違っているわね」

 

 ノマルはガラルリーグ二部中位、オーナーが直接ヘッドハンティングをするような成績でも無ければ実力でもない。それは彼女が最もよく理解しているだろう。

 だが同時に、彼女はダンデが自らをスカウトする理由がわからないでもない。

 

「ダンデくんも私と同じ」と、彼女は続ける。

 

「あなたの知っている私は、もう十年も前なのよ」

「ですが、十年前、たしかにあなたは俺の前に立っていた。あなたの力で」

「そうね、そして、あれが私の全盛期だった」

「あの熱意を、あの技術を、もう一度ガラルのトレーナーたちに伝えて欲しい」

 

 ノマルは一つため息を付いてから続ける。

 

「私はジムリーダー。ダンデくんがポケモンリーグ委員長として命令すれば、バトルタワーにも顔を出しましょう」

 

 それが彼の望みではないことを知りながら、そう言えばこれ以上の会話が生まれないことを知りながら。ノマルはそう言った。

 そしてその思い通り、ダンデはそれ以上ノマルの説得は試みなかった。

 ただ一つ。

 

「あなたの技術が埋もれるのは惜しい」とだけ呟く。

 

「その言葉だけで、私は満足ですよ」

 

 ノマルは微笑んでそう言った。

 十年前、彼女は全盛期だった。それは否定しない。

 十年前、彼女はダンデの前に立った。それも否定しない。

 そこには才能を超えた知識も技術も熱意もあった。それも否定しない。

 だが、それはもう戻っては来ないだろう。十年前の全盛期から力は落ちる一方だ。

 そして、まだ記憶の片隅に残っているかも知れないそれらの技術を、今更伝えようとも思わない。

 そうならぬようにと、彼女は戦ったのだから。




感想、批評、お気軽にどうぞ、質問等も出来る限り答えようと思っています。
ここまで読んでいただけたらぜひとも評価の方をよろしくおねがいします!!!

次から少しずつ過去編をやっていくと思います


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過去編 新人ジムリーダーノマル 30 昇格

ノマル(オリジナルキャラクター)
 過去編では二十前の少女。ジムリーダー就任二年目ながらこれまでのセオリーを打ち砕くあらゆる場面でのダイマックス戦術とポケモンに対する圧倒的な知識で弱小ラーノノジムでありながらメジャーに昇格した実力者。
 メディアでの露出や主義の主張などが少なく彼女の目的を知る人物は少ない。

カブ(原作キャラクター)
 エンジンジムリーダーにして炎タイプのエキスパート、原作ではマイナー落ち経験があると明記されている

マツム(オリジナルキャラクター)
 ノマルをサポートする淑女


 観客達というものは、決して阿呆ではない。

 彼らはポケモンリーグというものがおとぎ話のような世界ではないことを理解しているし、勝負の世界というものが流動的で、一時代を作ったトレーナーと言えどいつかは敗北することも理解している、そして、それを楽しみにすらしている一面もあるだろう。誰かの敗北は誰かの勝利であり、時代の敗北というものは、また新たな時代の幕開けと同義なのだから。

 だが、それほどの彼らを持ってしても、今このとき、シュートシティはシュートスタジアムの光景を素直に受け止めることが出来ている者は、決して多くない。

 あるいは『チャンピオン決定戦』よりも人生がかかっていると言われている『入れ替え戦』での出来事であった。

 

 

 

 

 ポケモンリーグが主催する最大の興行『ジムチャレンジ』多くのアマチュアトレーナーがジムをめぐり、すべてのジムリーダーに認められたトレーナーはジムリーダーを含む『チャンピオン決定トーナメント』に駒を進める権利を得る。惜しくもこの年はチャンピオンの交代は起こらなかったが、明確な実力を持つジムリーダーと、無名だが実力のあるアマチュアが同じチャンスを得ることのできるその興行は、参加する人間にとって、参加しない人間にとっても熱く盛り上がる事のできるシステムだった。

 

 そして、その後にもう一つ重要な興行がある。

 

『ジムチャレンジ』に参加することのできるジムリーダーの数は八名だ。しかし、ガラルに存在するジムリーダーの数は、ポケモンのタイプと同じく十八名、つまりどうあがいても十人程の『補欠』が出てくる。

 彼らは『推薦状』の発行権限こそ持つものの、『ジムチャレンジ』に参加することは出来ず、当然ジムをめぐることも出来ない、優れた実力を持つトレーナーでありながら、アマチュア以下のチャンスしか無いと言うのが彼らの境遇であった。

 その十人、いわゆる『マイナーリーガー』は、決してその全てがその地位に甘んじているわけではない、あるいは『名誉』のために、あるいは『スポンサー』のために、またあるものは『地元への恩』のために、それぞれの思いを胸に込めながら、メジャーへとのし上がろうとしている。

 当然、ガラルリーグが彼らを冷遇するわけはない、メジャージム機構の腐敗を防ぐために、年に一度メジャーとマイナーのリーダーを入れ替える『入れ替え戦』が行われる。

 単純な話だ、メジャージムの中で戦績の芳しくなかった二名と、逆にマイナージムの中で目覚ましい活躍をした二名がそれぞれ戦い、勝利したほうが翌年のメジャージムリーダーとなる。ただ、それだけ。

 だが、その勝敗の意味するところは大きい、メジャーからマイナーに落ちるジムリーダーは明確に『力不足』であるということになるし、逆にマイナーからメジャーに昇格するジムリーダーは『注目株』となる。トレーナーを支援する『スポンサー』というシステムが存在する以上、この格付けは無視することが出来ないだろう。

『ジムチャレンジ』が『人生の華やかさを表現する興行』であるならば、『入れ替え戦』は『人生の苦味を表現する興行』であった。

 

 

 

 

 エンジンジムリーダー、カブがぼうっと虚空を眺めるようなその光景は、観客たちにとって衝撃の大きいものだった。

 確かに、ここ数年のカブは精彩を欠いていた。数年前のチャンピオン決定戦でアスチルに惨敗して以来、カブは本来の戦い方を見失い、手段を選ばぬということを手段として戦いに望んでいるようだった。何も知らぬ観客たちですら、彼の戦い方からそう思ったのだ、同業者たちはよりその思いを強めているだろう。

 だから、カブが負けるという光景自体が信じられないわけでは無かった。元より、現チャンピオンのアスチル以外のトレーナーは、勝敗のアヤから逃げることなど出来ないのだ。

 だが、観客たちはまだそれを受け入れきれていなかった。

 カブというトレーナーは、エンジンシティ出身でもなければ、ガラル地方にルーツを持つトレーナーでもなかった。ガラル地方から遥か東の果て、ホウエン地方出身であった彼は、ほのおタイプを極めるために単身ガラルに渡り、慣れぬ土地に交わりながら、歴史ある名門ジムであるエンジンジムリーダーとなったのだ。ガラルのトレーナーたちがカブに寄せる尊敬を込めた好意は大きかった。

 

 対して、その対面に立つ少女を、観客達の殆どは知らない。まだSNSは愚か、インターネットというものが一般的にはほとんど認知されていないような時代だった。

 十九歳という年齢は、若き天才ジムリーダーと呼ぶには遅すぎる。そして、ティーンエイジャーのようにしか見えないその小さな体格には風格というものがない、さらに、突き刺すように対戦相手を睨みつける鋭い視線も、その風貌に不釣り合いであった。

 もっと言えば、ラーノノジムが、ノーマルタイプがこのような『表舞台』に現れることなど何年ぶりだろうか。若いファンはそれを知らず、古いファンも記憶を探らなければならないだろう。

 ノーマルタイプのエキスパート、ラーノノジムリーダー、ノマル。彼女は彗星のごとくこの世界に現れた。

 わずかの情報源から彼らが知ることは、彼女がまだジムリーダーになって一年ほどだということ、わずか一社、大銀行シュートバンクがスポンサーであること、そして、べらぼうに強いということだけだった。

 

 

 

 

 黒いリボンでまとめられたポニーテールを揺らしながら、ノマルはヨルノズクをボールに戻した。

 それにようやく我を取り戻したのか、カブも対戦場に倒れるマルヤクデをボールにもどす。だが、何処かその動きはぎこちなく、心ここにあらずと言った風。全力で戦い、負ければ膝をついて全力で悔しがるかつての全盛期の姿とは程遠い。

 彼はフラフラとおぼつかない足取りで対戦場中央に向かう、ガラル地方には珍しい彼の黒い髪は、汗でじっとりと濡れている。

 同じく対戦場中央に向かったノマルは、カブとは対象的に涼し気な表情のままに右手を差し出す。

 

「ありがとうございました」

「あ、ああ、ありがとう」

 

 交わされた握手、カブのそれは力ない。

 その二人の対象的な様子は、観客達もよく理解できていた。

 カブに覇気はない、まるでこの世の終わりのような、二度と立ち上がることの出来ないような悲壮感がある、ホウエン地方人らしい黒の髪は、明日にでも白髪になってしまいそうだ。

 方や、ノマルの涼し気な表情は、すでにこの先を見据えているように見える。

 

「これからが大変だろうけど、頑張って、困ったことがあればいつでも相談にのるよ」

 

 無理矢理に笑顔を作りながらそう助言をするカブ、彼をよく知るファンがその表情を間近で見れば、あまりの痛々しさに心を痛めただろう。すでに若くはない、悔しさというものを全力で表現することは無粋だと思っているのだろう。

 幸いなことに、ノマルは彼のファンではなかった。

 

「気にかけていただきありがとうございます。ジムチャレンジについては何も心配なさらないでください。私は私のやり方でやってみようと思います」

 

 否定ではなく、肯定でもなかった。受け入れもせず、跳ね除けるわけでもない。

 にこやかに笑う少女に、カブはそれ以上何も言うことが出来なかった。

 

 

 

 

 

 ガラルのマスコミにとって、新たなメジャージムリーダーであるノマルはあまり面白くない存在だった。

 彼女には、例えばジムチャレンジに置いてどれほどの成績を残したか、というわかりやすい実績があるわけではなく、それでいて破天荒なキャラクターがあるわけではない、十九歳の少女にしては落ち着き払った態度でマスコミの質問をかわすその姿は、とてもではないかこれから人気になると言った風ではなかった。良く言えばストイック、悪く言えば馬鹿真面目、降格したカブもそのようなトレーナーであったが、それならばまだ積み重ねのあるキャラクターであった彼のほうが愛らしさというものがあっただろう。生真面目さは積み上げて好意を得るもの、すぐには効いてこない。

 誰も知らぬその背景、ガラルの歴史に久しいノーマルタイプのメジャージムリーダー、それらの珍しい要素がないわけではなかったが、それらに関しても、彼女は面白い返答は返してこなかった。

 マスコミの波が引いていくは早かった。昇格の喜びよりも、降格の悲劇のほうがより華やかな記事になるだろう。

 

 

 

 

 くだらない質問をうまくいなしたことを自覚しながら、ノマルは廊下を歩く。

 記者に気に入られることが強さにつながるのだというのならば喜んでそうしただろう、だが、残念ながらチャンピオンというものは記者投票によって決まるものではない。人気で勝敗が決まるのならば、今日自分はカブに勝てなかったはずだ。

 脚光を浴びるためにジムリーダーになったわけではない、必要なのは実績だ。

 黒いリボンにまとめられたポニーテールを揺らしながら、彼女は個人の控室の扉を開いた。

 すると、個人の控室から聞こえるはずのない挨拶があった。

 

「ごきげんよう」

 

 彼女を待ち受けていたのは、一人の淑女であった。汗の似合わぬであろうお召し物を身にまとい、似合わぬスポーツベンチに腰掛けている。

 その淑女に、ノマルは驚かなかった。

 

「マツムさん」

 

 むしろノマルはそう彼女の名を呼んで、おそらくこのスタジアムに入って初めての笑顔を見せる。マツムと呼ばれたその淑女がノマルと知った仲であり、ノマルが心を許していることは明白だった。

 彼女はマツムの直ぐ側に腰掛け、彼女の言葉を待つ。

 

「昇格、おめでとうございます」

 

 マツムがノマルに微笑みかける。彼女もまた、ノマルに心を許していることは明白。

 

「カブと言えば、私でも知っている有名なトレーナーです。対戦が決まったときから私は心配していました」

「仕方のないことだと思います、私以外、彼の勝利を疑っていなかったでしょう」

「私も信じていましたよ?」

 

 フフ、と、マツムはいたずらっぽく笑った。

 

「私はバトルのことはわかりませんが。この試合、私には終止あなたがリードしているように見えました」

 

 その意見はマツムだけのものではなかったし、カブの狂信者のようなファン以外の殆どが思っていたことだろう。彼女はノーマルタイプの強みの一つである器用な戦略で戦局をリードし、試合中盤の突然のダイマックスにより試合を決定づけた。終盤に回されがちなダイマックス戦略の新たな使い方として研究が進むだろう。

 ノマルは賞賛の言葉に一瞬頬を緩めたが、すぐにそれを引き締めて答える。

 

「うまくいかなければならない試合でした。私はこの一年が勝負の年、カブさんはどう見ても本調子ではなかった。もし彼が土壇場で全盛期の力を出すことがあれば……」

 

 そう言って、ノマルはハッとしたように顔を上げる。そしてニ、三度頭を振った後に続ける。

 

「いえ、たとえカブさんが全盛期の力を出そうと、私は勝たなければなりませんでした。『全盛期のカブ』に勝てないようでは、私達の悲願には届かない」

 

 ノマルはマツムの手を握り、その強い視線で彼女の目を見つめながら更に続ける。

 

「すべて、マツムさんのサポートのおかげです」

 

 マツムはその言葉を否定はしなかった。

 しかし、やはり彼女も優しい微笑みを崩さずに答える。

 

「いいえ、種のない鉢に水をやっても花は咲きません、ノマルさん、あなたの努力あってのものなのですよ」

 

 しばらく、お互いは頭の中をめぐる感情の余韻に浸っていた。

 単純な喜びだけではない、壮大な決意と、それに伴う責任がそこにはある。

 やがて、決意するようにもう一つギュッとマツムの手を握ってから、ノマルが言った。

 

「この一年が勝負です、この一年は私の全盛期になるでしょう。裏を返せば、この一年を逃せば、きっとチャンピオンには、なれない」

 

 あまりにも悲観的な予測であったが、マツムはそれを否定しなかった、否、本当は何度もそれを否定しようとしてきた、だが、勤勉と努力によって実力を得たノマルは、自身の能力についても悲しいほどに理解している。

 スタートも遅く、才能にも乏しい、それがノマルというトレーナーの彼女自身の評価だった。

 

「この一年に、私はすべてをかけます。そして、必ずワイルドエリアを封鎖してみせます」

 

 その言葉に、マツムが頷きながらも一瞬だけ複雑そうな表情を見せたが、ノマルはそれに気づかなかった。




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過去編 新人ジムリーダーノマル 32 初日の前日

ミスミ(オリジナルキャラクター)
 10歳にも満たない年齢でジムトレーナーになる権利を得たラーノノの天才児。本来はシュートシティのトレーナーズスクールに入学予定であったが、ノマルの戦いに惚れ込み地元のジムトレーナーとなる

フッツ(オリジナルキャラクター)
 先代のラーノノジムリーダーで現ラーノノジムトレーナー、70代の人畜無害な好人物
 後継者に悩んでいたがマツムの紹介でノマルに立場を譲ってから彼女をサポートするために事務方としてジムに残った
 彼がジムリーダーであった頃の方針は『自由に楽しく』


 いいニュースはない、かと言って悪いニュースもない。翌日から始まるガラル最大の祭りの前日としては、これ以上無いほどにふさわしい朝だ。

 ラーノノジムリーダーノマルはすでに身支度を終え、温かい白湯を片手に朝の情報番組に目を通している。髪と肌は整えられ、服装も一人の責任ある社会人としてかけらほどの不備もない。

 親の手を離れトレーナーという世界に飛び込む時、彼女の両親はそれに反対はしなかったが、たった二つだけ彼女に約束させた。

 一つ、品格を捨てないこと。

 一つ、恋人ができたら必ず報告すること。

 前者は今時珍しいほどに「トレーナー」というものに偏見のある両親らしいものだった、今の時代、両親が思っているほどはトレーナーは粗暴であることが誇らしいと思われているわけではないし、彼女もその約束を破らないでいる。

 後者に関しては、まあ、守っていもいなければ破ってもいないというところだろう。遅くトレーナーになった彼女にとってそのような『脇道』に目を向ける暇はなかった。

 情報番組は、明日から始まるジムチャレンジについての情報で忙しそうだった。無理もない、すでに国民的な興行になりつつあるそれの、一足早い情報というものをガラルの視聴者が求めている。

 

『それでは、今季メジャーに昇格したジムリーダーを確認しましょう!』

 

 緊張感のない女子アナウンサーがそう言うと、画面が切り替わってノマルの姿が映し出された。

 

『エンジンジムリーダー、カブに勝利して昇格を果たしたノマルは、ラーノノジムリーダーに就任して二年目という経歴、長くマイナーリーグにあったラーノノジムをたった一年で昇格に導いたトレーナーです!』

 

 険しい表情でカブと対面する自分自身の姿について、少し気恥ずかしいと思うような段階はとうの昔に通り過ぎていた。

 昇格以降、自分の姿がメディアに現れることは何度もあったし、カメラやボイスレコーダーを用いたインタビューを受けたこともあった。わざとプライベートなことを聞いてみたり、少し挑発的な物言いをするインタビュアーがいないわけではなかったが、それで醜態を晒すようなことはなかった。根本的に、彼女の本質的な部分に気づいているマスメディアはまだない。

 

『ノーマルタイプのエキスパートである彼女の切り札はヨルノズク! 昇格戦では中盤に思い切りの良いダイマックスを披露し、一気に有利に立ちました!』

 

 画面が切り替わり、スタジオに戻った。

 現れたあごひげの男はニヤニヤと自分だけが満足している笑みを浮かべ、ポケモンバトルの評論家だと紹介される。司会のアナウンサーにノマルについて問われた男は、一つ鼻息を鳴らしてから答えた。

 

『え~、ノマルちゃんはですね、ガラルリーグの歴史の中で本当に久しぶりに登場したノーマルタイプのジムリーダーなんですね。ノーマルタイプのポケモンというのはむしタイプのポケモンと同じかそれよりも扱いやすいんですが、反面、バトルの相性においては不利が多いことで知られています。対戦の際には格闘タイプを選択肢に入れておけば有利に試合を進められるでしょう』

 

 そこまで聞いて、彼女はチャンネルを切り替えた。会ったこともない男に『ノマルちゃん』と呼ばれることが不快であったし、何より無責任な対戦論に呆れたのだ。何が格闘タイプが選択肢だ、ヨルノズクが切り札であることはついさっき流れた情報だというのに。

 対戦相性を読み上げるだけで仕事になるのだから楽なものだ、もし多少対戦というものを知っているのならば岩タイプをすすめるだろう。最も、ヨルノズクが切り札であるという報道自体が間違いなのだが。

 ザッピングを繰り返し、彼女は最も硬い局の情報番組にチャンネルを合わせた。

 しかし、そこも他のチャンネルと同じく明日のジムチャレンジの話題であった、仕方がない、ここ最近はあまりにも平和すぎた。

 神妙な表情を崩さない初老のアナウンサーが言う。

 

『各地で盛り上がりを見せるジムチャレンジ、しかしその一方で、バトルによる事故などが起きているという事実から目を背けるわけには行きません』

 

 カメラが切り替わり、一人の淑女がそこに映し出された、ノマルの知った顔であったが、今更それには驚かない。

 

『本日はジムチャレンジ中に息子を事故で亡くした経験を持つ『ガラル遺族協会』会長のマツムさんにお越しいただき、ジムチャレンジとトレーナーのあり方についてお伺いしようと思っています』

 

 よろしくおねがいします、と品よく頭を下げたマツムの髪が、黒いリボンで束ねられていることを確認しながら、ノマルはリモコンを手にとってテレビの電源を落とした。

 もちろん、マツムのことが嫌いなわけではない、ノマルは彼女のすべてを尊敬している。

 テレビの電源を落とした理由は二つあった、一つは家を出る時間が迫っていたこと、そして、もう一つは、その番組において、マツムの存在が一つの『反対意見』として消化されることが容易に予測できるからだ。

 マツムがどれだけその番組で『ガラル遺族協会』の立場から意見を言おうと、それが人の心を動かすことはないだろう。彼女の意見はジムチャレンジという大きな興行に対する『面倒くさい対立意見』として扱われるだけに過ぎない。出演者は神妙な顔をしてそれに頷くかもしれないが、決してそれを肯定しないだろう。誰もはじめからマツムの意見を受け入れようとなどしていない。

 聡明なマツムもそれは理解している。だが、それでも彼女は、たった一人でもそれを受け入れてくれる希望を持ってそれらの取材を受けている。

 その虚しさが、ノマルには耐えられない。

 

「よいしょ」

 

 白湯を飲み干してから、ノマルは立ち上がった。

 マツムのやり方が間違っているとは思わない、一人、一人とその悲しみを共有できる人間が増えれば、何かがわかるかもしれない。

 だが、それにはあまりにも時間がかかりすぎる。

 必要なのは、啓蒙ではない。

 必要なのは、力だ、立場だ、権力だ。

 理屈が優れていることは、全てを支配してからわかってもらえばいい。

 

 

 

 

 川と通商の町であるラーノノは、かつてより商業の盛んな町だ。バウタウンに負けずとも劣らない野外市場はその象徴だ。

 そして、ノマルの下宿先から仕事場であるラーノノジムに向かうには、その野外市場を通り過ぎる必要があった。何もおかしなことではない、野外市場はラーノノ住民の生活の基盤だ、町の中心にそれが作られたのではなく、それを中心に町が出来上がっていったのだ。

 にぎやかな、野外市場を行くノマルに声をかけるものはまだ少ない。

 もちろん、彼女がその野外市場にとって都合の悪い存在であるとか、嫌われているとかそういうことではない。ラーノノタウンはノマルのメジャー昇格によって非常に大きな経済的恩恵を受けるだろう。そして、元々多くの移住民で作られた町であるラーノノはよそ者に対して寛容である。

 だが、それがノマルをすぐに受け入れることの理由にはならない。メジャーでこそ無いが長く地域密着とポケモンとの生活の普及に努めていた先代のジムリーダーと今の彼女とのスタンスの違いは、やはり戸惑いの原因となっていた。

 それでも、ノマルを受け入れようとする人間はいる。

 

「よう、ノマルちゃん」

「あら、ごきげんよう」

 

 野外市場を行くノマルに、一人の店主がそう声をかけた。物怖じしないタイプだ。

 同じ「ノマルちゃん」であったが、彼女は店主に対して不快に思うことはない。その店主はノマルがラーノノに赴任してからの付き合いであったし、何より店主は今この瞬間ノマルと顔を合わせている。

 

「オレンのみが入ってるんだが、買ってくかい?」

「オレンのみ、ですか。それなら、三つほどいただきます」

「はいよ、それじゃあひとつオマケしておくからね」

 

 ヒョイヒョイと紙袋にそれを詰めながら、店主がさらに問う。

 

「何か他に欲しい物があったら遠慮なく言ってくれよ、仕入れておくから」

「ありがとうございます。また何かあったらお願いしますね」

 

 本当は、オボンのみやラムのみが欲しかった。

 だが、ノマルはそれを口には出さなかった。

 

「そうかい」と、店主は頷きながら言った。商人と客と、二種類の人間と付き合いながら生業を続けてきた男は、果たして彼女の言葉を額面通りに受け取っただろうか。

 

 

 

 

 

 

「リーダー! おめでとーございまーす!!!」

 

 ラーノノジム、ジムリーダー室に扉を開けたノマルを待ち受けていたのは、パーティクラッカーの紙テープと、小さなホールケーキだった。

 

「対戦場にいないと思ったら……フッツさんまで一緒になって」

 

 頭からかぶった紙テープを引きちぎりながら、ノマルはため息まじりに言った。驚きと多少の不服から少し目を伏せ口角を引き締めていたが、その表情に反比例するように、クラッカーを持った二人は笑顔になっている。

 先回りして彼女を待ち構えていた不届き者は二人。子供と老人だ。

 一人はミスミ、十歳弱でジムトレーナーとなったラーノノ期待の天才児。

 もう一人の老人はフッツ、同じくラーノノのジムトレーナー兼事務員。そして、前任のジムリーダーであった。

 

「ミスミくんの発案ですよ」と、フッツは未だにニコニコしているミスミの頭を撫でながら言う。

 

「ノマルさんに喜んでほしかったんですよね?」

「うん!」

「ケーキは僕が選びました。嫌いじゃないでしょう?」

 

 そう言われてから、ノマルは机の上に置かれたケーキを眺める、確かに小さいが溢れんばかりに果実がのせられ、バタークリームが強烈に甘そうなそのケーキは、ノマルの好みであった。

 否定も肯定もせず、少し時間が経ってから、彼女は「すみません」と続ける。

 

「ちょっと驚いてしまいました。ミスミ君もフッツさんもありがとう、とても嬉しいですよ」

 

 彼女は彼らに微笑みかけた。

 

「ミスミくんには助けられてばかりですね」

 

 さらにノマルは膝を折ってミスミと目線を合わせた。くしゃくしゃと彼のの柔らかな黒髪を撫でる。

 

「ジムトレーナーだもん!」と、やはりニコニコと笑うミスミに、ようやくノマルは緊張から開放された。

 

 今、ラーノノジムにジムトレーナーは二人しかいない。ジムリーダーの交代に伴い、その殆どが辞めたからだ。

 別に不思議なことではない、前任のフッツ時代にいた十人弱のジムトレーナーはフッツの放任的で自由な方針に感銘を受けていたわけであるし、不意にジムリーダーが二十歳にもならない実力主義の少女という真逆の方向に行ってしまえばそりゃ辞めるだろう。そこに関してはかつてのジムトレーナー達もノマルも納得の上であり、しこりはない。

 むしろ、一直線にチャンピオンになりたいと考えるノマルにとって、他者の育成にかまっている暇はない。彼女は去るものを追わず、そして新しい地盤づくりを放棄していた。

 だが、たった一人だけ、ノマルを慕うジムトレーナーが現れた。ミスミである。

 ラーノノきっての優等生として有名だった彼は、本来ならシュートシティのトレーナーズスクールに入る予定であったらしい。当然だ、それはこれ以上のないエリートコースであるし、最初その話を聞いた時、ノマルですらそうするべきだと思った。

 だが、彼はラーノノジムで学ぶことを選び、子供の自主性を尊重する両親はそれを許した。

 理由は簡単だ「リーダーが強いから!」彼女はそれを拒めず、もう一年の付き合いになる。

 

「ケーキ食べよ!」

 

 無邪気に輝いた目でケーキに向かうミスミを、ノマルが咎める。

 

「駄目です、ケーキは三時にしましょう」

「えー」

「えーじゃありません。朝ごはんは食べてきたんでしょう?」

「うん」

「今食べたら昼ごはんが食べられなくなってしまいますよ。お弁当はなんですか?」

「サンドイッチ!」

「良いですね。サンドイッチを美味しく食べるためにも、ケーキは冷蔵庫にしまっておきましょう。さっきオレンのみも頂きました。ポケモンたちと一緒に食べましょうね」

 

 それなら、とフッツが手を挙げる。

 

「僕が冷蔵庫に入れておくよ」

 

 慎重にケーキを箱に収めながら、彼が続ける。

 

「それよりも、今日はポケモンリーグの人が来ることは知っているよね?」

「もちろん」と、ノマルが答える。

 

 明日から始まるジムめぐり、ノマルが行うジムチャレンジの最終確認を行うためにポケモンリーグ協会の職員がジムを訪れることは一月ほど前から知らされていた。

 

「書類はここにあるからね」と、フッツは殆ど使われていない机の引き出しを開けた。

 

「あまり前例のないチャレンジ内容だけど、僕は問題ないと思うし、君の考えもわかるよ。自信を持って望むと良い」

「ええ、ありがとうございます」

 

 ノマルにとって、前任のジムリーダーが非常勤のジムトレーナーとして残ってくれたことは幸いだった。強さはともかく経験と知性のある彼が事務作業をかってでてくれるおかげで、彼女はよりバトルに集中することが出来ている。

 

「ねーねーリーダー」と、ミスミが彼女の手を引いた。

 

「リーグの人が来るまでバトルしようよ」

 

 強いから、という理由でジムトレーナーになることを選んだ彼らしく、ミスミはノマルとバトルをすることが好きだった。

 

「ええ、良いですよ」と、ノマルもそれを受け入れる。実際、リーグ職員が来るまでの時間が自分たちに残された最後の自由時間であることは間違いない。

 

「じゃあ『アレ』を持ってきましょうね」

「うん!」

 

 ミスミはパタパタと棚に向かうと、そこにおいてあったピッピにんぎょうを手にとった。あまり大きなサイズではないのだが、まだまだ子供であるミスミがそれを抱えると随分と大きく見えた。




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過去編 新人ジムリーダーノマル 33 戦いの始まり ①

ローズ(原作キャラクター)
 ガラルリーグ委員長にしてダイマックスエネルギーをガラルのバトルに組み込んだ革命者
 人と話し込んでしまう悪癖があり本人も自覚しているがまだいい秘書に巡り会えていない
 アスチルの使いづらさに少し困っている

アスチル(オリジナルキャラクター)
 過去編での現ガラルリーグチャンピオン、かつてのエスパージムのジムリーダーだった。
 エスパージムの一族の例にもれずサイキッカーであり、人間の未来が突発的に視えてしまう能力と相手の心を読む能力に長けている、その能力のおかげかどうかはわからないがチャンピオン就任後はエキシビションも含めて無敗だが、無用な戦いを嫌う

メロン(原作キャラクター)
 メジャーリーガーであり、氷タイプのエキスパート。かなり長い年数ジムチャレンジを担当しており、ジムチャレンジに参加した殆どのトレーナーを覚えている。
 原作では子持ち人妻だったが、過去編でもやっぱり子持ち人妻

ポプラ(原作キャラクター)
 アラベスクジムリーダーにしてフェアリータイプのエキスパート。過去編では78歳
 実力いまだ衰えず、チャンピオンアスチルと肉薄した戦いを展開することのできる数少ないトレーナー


 エンジンシティ、エンジンスタジアム。

 そこを主戦場とするカブはマイナーリーグに降格してしまったが、それでもそこがガラルにとっては歴史と伝統あるスタジアムであるという事実は変わらない。

 ガラルポケモンリーグにとって最大の祭典の開会式を生で見ようと、当時は世界的に見ても最大のスタジアムであったはずのエンジンスタジアムは、立ち見が発生するほどの満員の観客で埋め尽くされていた。まだ彼らの注目を一点に集め、共通する話題があるはずではないのに、彼らそれぞれの期待の雑談が、信じられないうねりとなって対戦場に響いている。

 一人の男が、対戦場の中央に向かっていった。その男は見るからに高そうなスーツを身にまとい、特徴的に整えられた口ひげが目を引く。それに気づいた観客達からの歓声を、彼は余裕を持って受け止めている。

 

 ガラルポケモンリーグ協会の委員長、ローズはまだ就任して日が浅いが、一人の炭鉱夫から世界でも屈指の大企業を作り上げた才能とバイタリティをポケモンリーグの舞台でも遺憾なく発揮し、ガラルリーグに成功とダイマックス戦術をもたらした。

 彼がガラルのカリスマであることに異論のある人間はほとんど存在しないだろう。たまに逆張りで彼を否定する人間もいるかも知れないが、彼らとて、ローズがこの世界に持つ影響力を否定することは出来ない。

 

 やがて、対戦場中央にたどり着いた彼は、ぐるりと観客席を見渡して自身の存在を知らしめた後に、大きく手を広げて言った。

 胸元に付けられたピンマイクが、その声をスタジアム中に、世界中に届ける。

 だが、本当はそんなモノ必要ないのではないかと考える人間もいるだろう。ローズという人間が持つ勢い、それはそう思わせるに十分なものだった。

 

『レディースアンドジェントルメン! わたくし、リーグ委員長のローズと言います!』

 

 今更その自己紹介が必要な人間などほとんどいないだろう。

 

『お集まりの皆様も、テレビで御覧の皆様も、本当におまたせしましたね!』

 

 大きな手振りで、全世界に向けてジェスチャーを行う。

 

『いよいよ! ガラル地方の祭典、ジムチャレンジのはじまりです!』

 

 その号令に、観客達は大きく湧いた。その興奮を共有するために集まったのだ。それがマナーというものなのだろう。

 

『八人のジムリーダーに認められ! 八個のジムバッジを集めたすごいポケモントレーナーだけが、最強のチャンピオンが待つチャンピオンカップに進めます!』

 

 そのルールも、今更解説するほどのものではない。だが、その説明によって、チャンピオンカップというものが、その先に待つチャンピオンというものの存在を神格化される。

 一息ついて、ローズは少し頭に手をやってから続ける。ここまでは毎年変わりのない挨拶であったが、ここからはまだどうするべきかというセオリーが決まっておらず、毎年少しずつマイナーチェンジをおこなっている。

 

『それでは! チャンピオンカップの先に待つチャンピオンを皆様に紹介しましょう!』

 

 その言葉を合図に、花火とスモークが片方のゲートから焚かれ、一人の青年が不服そうな表情を隠そうともせずに現れた。

 陶器のように白い肌に、スラリと長い手足を強調するようなスキニーパンツ。癖のある明るめのパープルの髪が、スモークを撹拌させる風に揺れていた。

 紹介が真実であるならば、ポケモンリーグチャンピオンであるはずの彼は、その肩書が冗談のように思えるほどに端麗な青年だった。

 だがどうだろう、観客達が彼に向ける歓声というものは、その肩書や容姿を考えるとあまりにも小さい。

 観客に女性が少ないわけではない、むしろワイルドな男性ジムリーダーや、希望に満ち溢れる少年少女トレーナーに心奪われる女性は多い、同じように男性がバトルに心を奪われていることを考えても、観客の性別比は半々と言っていいだろう。

 歓声を煽るようにローズが手を広げて彼を紹介する。

 

『彼こそが『サイキック一族最強』ガラルの未来を見通すことのできる男、チャンピオン、アスチルです!』

 

 ローズの横についたアスチルは、やはり不満げな表情のまま目線を下げている。そして、握手するように差し出されたローズの右手を気だるそうに握った。

 

 

 

 

 

 

 エンジンスタジアム、もう片方のゲート。

 他のジムリーダーたちと共に並んでいるノマルは、すでに退場したアスチルと同じように不満げな表情だった。

 多少の緊張はあった、周りのジムリーダー達はテレビやメディアでよく見る顔であったし、彼らがあまりにも緊張していないものだから、反対にピリついている。

 だが、不満の大きな要因はまるでアイドルのように扱われる事にもあった。

 拒否できるものならば、拒否してしまいたかった。

 だが「どうせなら」とそれをすすめるフッツと「僕も観客席から見てます!」と目を輝かせていたミスミの期待を裏切ることが出来なかったのだ。

 

『それでは! ジムリーダーの皆さん、姿をお見せください!』

 

 拡声器を通したローズの声を合図に、ジムリーダー達の列が動く。

 新参者らしく一番端に彼女は並んだ。

 一歩スタジアムに姿を見せれば、地鳴りのような歓声と、照りつけるようないくつもの強いライトが浴びせられる。

 それに対するジムリーダー達の反応は様々だ。

 手を振ってそれに答えるもの、そんなモノ関係ないとばかりにまっすぐに前を見つめるもの、列のスピードから遅れることを恐れずにマイペースに進むもの。

 ノマルは早足に列を先導するように歩いていた。緊張がないわけではなかった。しかしそれ以上に、観客が自分たちに向けている期待が、羨望が、肯定が、これまでの彼女の人生からはあまりにもかけ離れすぎていて、心が落ち着かなかった。

 出てよかったかもしれない。

 フッツのアドバイスが有効であったことを彼女は感じ始めていた。この熱気は、狂気は、入れ替え戦のそれを遥かに超えている。将来を見据えるならば、慣れておいたほうがいい。

 ポニーテールをまとめる黒いリボンに、果たしてどれだけの人数が気づいているだろうか。一瞬、そう考えた。

 

 拡声器から、ローズのものではない女性の声が響く。

 

『まずはファンタステックシアター、フェアリー使いのポプラ!』

 

 女性アナウンサーによる、各ジムリーダーの紹介が行われる。どのような順番で紹介を行うのが最も優れているのか、これもまだセオリーが決まっていない。

 

『ジ・アイス、氷タイプの使い手メロン!』

 

 その後も次々とジムリーダーの紹介が行われた。やがて、紹介が行われるよりも先に規定の位置にたどり着いたノマルの紹介が行われる。

 

『ノーマル・ビューティ、ノーマルタイプの申し子、ノマル!』

 

 ノーマルビューティ! と、ノマルは自らの二つ名を頭の中で復唱した。

 なんともへんちくりんな名前だ。そもそもそれが褒め言葉であるのかどうかすらわからない。

 だがまあ、代わりに自分がなにかいい二つ名を思いつけるのかと言えばそうではないし、まあ、仕方がないだろうな、と、彼女は照りつける照明に目を細めながらため息をつく。

 

『彼らこそが、ガラル地方の誇るジムリーダーたちです!』

 

 一列に並んだ自分たちに歓声を向ける観客達、そして、それを満足気に眺めるローズをちらりとみやりながら、ノマルは思った。

 これだけの、否、テレビを通せばこの数倍の人数を、今から自分達は敵に回すのだ。

 

 

 

 

 

 

 開会式も無事に終了し、それぞれのジムリーダーが着替えやシャワーを終えて大部屋控室に戻ってきていた。

 予定のあるものなどは挨拶のためにそこに訪れていたし、予定のないものは顔なじみと雑談に花を咲かせている。

 戦う者の集団とは思えないような朗らかな空間だった。

 ノマルは、やはり少しばかり気持ちをピリつかせながら、扉のない開け放しのそこに足を踏み入れた。

 本来ならば、そこには寄らないつもりだった。だが、開会式前に持ち込んでいた手帳をそこに忘れていたことに、今になって気がついたのだ。

 

「失礼します」

 

 一瞬、彼女に視線が注目したが、ジムリーダー達はすぐに雑談に戻った。冷たくしようとしているわけではないが、成人の中年が多いこの世代のジムリーダーたちにとって、二十歳前のノマルには声をかけづらかった。

 だが、ノマルもそれになにか思うわけではない、むしろ余計な詮索が入らないことにホッとすらしていた。

 自分が腰掛けていたロングベンチに目を向け、その周りを探す、

 しかし、間違いなく持ち込んでいたはずの手帳はそこにはなかった。

 

「あれ、あれ?」

 

 周りを見渡しながら、ノマルは段々と焦り始めていた。アレだけ散々探しても無かったのだ、それがここにもないとなれば、もう心当たりがない。特別貴重なものであるわけではないが、記入されている個人情報を考えれば、ほうぼうに迷惑をかけてしまうかもしれない。

 少しめんどくさい展開が脳裏に浮かんだ瞬間だった。

 

「あんたが探してるの、これかい?」

 

 少し低い女性の声が、ノマルを呼んだ。

 その方を見れば、先程自分と同じくジムリーダーとして紹介されていた女性。キルクスタウンのジムリーダー、メロンだった。白いセーターに身を包み、同じくジムリーダーのポプラと雑談中だったようだ。

 ひらひらと振られる右手には、イーブイがプリントされた可愛らしい手帳。見覚えしか無い、ノマルの手帳だった。

 

「……そうです」

 

 少しばかり沈黙をもってから、ノマルはそう答えた。まだメロンのその行動の真意を掴みきれていなかったのだ。

 一歩、二歩と警戒しながら近づくノマルにメロンは手帳を差し出す。どうやらそれを渡すことに交換条件は必要ないようだった。

 

「ありがとうございました」

「かまやしないよ。まあ、見た目であんたのだってわかってたからさ。あたしが管理しとかないとオジサン共が何するかわかったもんじゃない」

 

 ジロリと、他のジムリーダー達に目線を変えたメロンに、中年のジムリーダー達は「メロンちゃんはきついなあ」と笑い混じりに答えた。それがどこまで本気のやり取りなのかノマルにはわからなかったが、少なくとも自分に比べれば、メロンは他のジムリーダー達と良好な関係を築いているように見えた。

 

「今更だろうけど、あたしゃキルクスのメロンだよ」

「……ラーノノのノマルです」

 

 差し出された手を握り、ノマルはポプラの前にもそれを差し出す。

 

「よろしくおねがいします」

「ああ、よろしく」

 

 ポプラはそう言って何も続けず、会話の主導権は再びメロンに握られた。

 

「あんたの試合見させてもらったよ、基本に忠実で判断の思い切りが良い試合だった。あんたみたいな子がジムリーダーになってくれるなら安心だ、あたしの子供達にも教えてほしいもんだね、世辞じゃないよ」

「ありがとうございます」

「それから、あんたジムチャレンジの経験ないだろう?」

 

 その言葉に、ノマルは再び緊張を感じた。

 

「どうして知ってるんです?」

「どうしてって、あたしが知らないからさ」

 

 返答に、ノマルは一応納得する。

 単純だが明快な理屈であった。二十代の頃からメジャージムリーダーであったメロンは、それ以降マイナー落ちを経験していない。ジムリーダーがジムチャレンジ挑戦者を把握するというシステム上、ノマルのように若い世代のジムチャレンジ挑戦者は必ず彼女の目を通る。例えば自分が戦ったトレーナーしか覚えていないようなジムリーダーならば違ったかもしれないが、ノマルがジムチャレンジに参加したことがないと断言することのできるということは、メロンが優れた教育者であることの証明だろう。

 

「……トレーナーになったのが遅かったので」

「別に責めてるわけじゃないさ、あたしゃあんたの実力をかってる」

 

 メロンは笑って続ける。

 

「ジムチャレンジについて、これからわからないことも色々出てくるだろうと思うけど。わからないことがあったら何でも聞きな、これ、あたしの電話番号だよ」

 

 手渡されたメモを受け取り手帳に挟んでから「ありがとうございました」と、ノマルは頭を下げ、その会話を終わらせようとした。

 これ以上、探られるような質問をされたくなかった。彼女らとは、いずれ戦うことになる。

 だが、そのような空気を感じたのだろう。黒いリボンでまとめられたポニーテールがくるりと振られるよりも先に「あのね」と、メロンが少し眉を傾けて言う。

 

「確かにあたし達は見ようによっちゃあ敵同士かもしれないけどさ、同時に仕事仲間でもあり友人でもあるんだ。なにか困ったことがあったら、あたしゃ必ず聞いてあげるから、何でも相談するんだよ」

 

 その言葉が、単純に彼女の優しさからくるものなのか、それとも狭い社会の中で生きるために協調性を強要するものなのか、ノマルは考えないようにした。

 ただ「失礼します」と言ってから、彼女はそこを後にしようとする。

 

「待ちな」と、それが引き止められる。その声はポプラのものだった。

 

「一つ言わせておくれ」と、彼女は続ける。

 

「応援してるよ、世界を変えるのは難しいかもしれないが、動かなきゃ、世界は変わらないんだからね」

 

 ノマルはそれを純粋な応援だと受け取っただろうか。

 否、ノマルは激励のように聞こえるその言葉を喜べなかった。

『魔術師』に見透かされ、憐れまれているように感じたのだ。

 

「ありがとう、ございます」

 

 彼女は礼を区切って言うことしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

「いいピンクだね」

 

 ノマルが控室を後にした後、跳ねるポニーテールを思い出しながらポプラが呟いた。

 

「すこし、思いつめてるように見えましたけど」

 

 メロンはそれを否定はせずともその意見に対して疑問を投げかける。ポプラの意見を真っ向から否定することなどない。相手は六十年近くジムリーダーの職につく教育者としての大先輩であるし、女性としても一周りも二周りも大きい尊敬できる人物であったし、何よりメロンを含めジムリーダー達はポプラのいう『ピンク』という言葉の概念をまだ掴めないでいる。

 

「それも含めてピンクというものさ。いいじゃないか、真っすぐで、それでいてよく悩んでる」

 

 はあ、とため息を付いて続ける。

 

「フッツにゃもったいないよ」

「引き抜いちゃいますか?」

 

 笑いとともに出てきたメロンのその返答は受け取りようによっては物騒であったが、彼女らの中にそのような感覚はなかった。メロンはフッツがポプラにとって可愛い後輩であったことを知っているし、ポプラが『引き抜き』のような行為をするようなことのない人格者であることも知っている。

 

「いや、辞めとくよ。あの子はあたしの手には負えないだろうからね」

 

 彼女はそのまま杖を手に取ると、メロンに軽く挨拶をしてから控室を後にする。

 

「じゃあ、あたしはお先するよ。坊や達、新人いじめるんじゃないよ」

 

 最年長のその言葉に、中年のジムリーダー達は苦笑した。自分たちを坊やと言う彼女に、一体誰が逆らえようか。




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過去編 新人ジムリーダーノマル 33 戦いの始まり ②

 エンジンスタジアム、チャンピオン控室。

 その部屋がチャンピオン専用に控室として作られたわけではない。元々は数ある控室の一つだった。

 だが、長きにわたるガラルリーグの歴史から、行き来に他の控室の人間と顔を合わせる確率が少ないことや、大部屋控室とは真反対の方向にあることから、その部屋がチャンピオンの控室にふさわしいという風潮が出来上がった。他のジムリーダーと顔を合わせることが苦ではなくとも、チャンピオンと顔を合わせるのは落ち着かないと言うジムリーダーは多い。

 

「アスチル君、今日のようなことがあるとリーグとしては非常に困る」

 

 ガラルポケモンリーグ委員長、ローズは、ロングベンチに座って俯くアスチルの正面に立って苦言を呈していた。

 

「そりゃあ既存のファンたちは君のキャラクターというものを認知しているかもしれないけれど、テレビをザッピングした新規層が目を留めることもあるんだ。君の行動はポケモンリーグ全体の品格に関わるんだよ?」

 

 ローズが咎めているのは、開会式でのアスチルのふてくされたような態度だろう。確かに既存のファンならばそのような彼の行動を「まあ、彼はそういう人だから」と済ませるかもしれないが、何も知らない人間が見れば失礼な若者だと写ってしまうかもしれない。

 ローズの苦言は、ポケモンリーグを興行として発展させたい彼の思想からすれば至極まっとうな意見だった。

 アスチルは大きく、わかり易いほどのため息を吐いてから表情を上げ、ローズを視界に収めてから答える。

 だが、それはとてもローズの意見に答えているとは思えないものだった。

 

「ローズ委員長、私はあなたに「私の正面に立つな」と言ったはずです。いつになったらその約束を守ってもらえるんです? あなたは私とのマインド・ゲームを有利に進めたいと考えているのかもしれないが、この助言はあなたのためでもある」

 

 更に彼は額に手を当てて答える。

 

「私はあなたの未来を見たくはないのです」

「未来が見える……ですか」

 

 呆れるように言うローズに、チャンピオンはペースを崩さない。

 現チャンピオンにして元エスパージムリーダー、アスチル。

 彼はガラルに代々伝わるサイキッカー一族の出身であり、超能力『人に対する未来視』における前代未聞、不世出の天才であった。

 

「本来私はこの開会式に出るつもりはなかった。エキシビションマッチの取り消しを条件に参加はしたが、愛想を振りまくほどのサービス精神はありませんよ」

「……そのエキシビションだって、随分と苦労してカントーからトッププロを派遣してもらえるように頼んでいたんだよ?」

「私はそんな物を頼んだ覚えはない、どうせ私が勝つのだから」

「なぜそう言えるのかね?」

「私の負ける未来が『まだ』視えないからですよ。私の見る未来は変わらない、それは私が最もよく知っている」

 

 あまりにも大胆な宣言を、アスチルは何でも無いことのように言った。

 彼は続ける。

 

「これ以上、私は人の未来を視たくない。人の未来が『視えてしまう』ことの苦しみなんて、あなたは一生理解できないでしょう」

 

 不世出の天才であるアスチルのサイキッカーとしてのただ唯一の弱点、それは研ぎ澄まされすぎた『未来視』を彼自身がコントロールできないところにある。つまり彼は未来を見ることができるが、未来を見ないことが出来ない。視界に入ったもののある程度の未来というものが、強制的に視えてしまうのである。

 

「それなら、今君には何が視えているのかな?」

 

 堂々と彼の視界に入りながら、ローズが問う。アスチルと同じく大胆な発言だった。

 だが、彼はそれに首を振る。

 

「何を言ったとて、あなたはそれを信用しない。そんなものは私の『テレパシー』を使わなくともわかる。強いて言うならば、私に時間を取りすぎないことです」

 

「もう一つ付け加えるならば」と、彼は続ける。

 

「あなたのような凡人が、視えもしない未来を憂いるのはオススメしませんよ」

 

 その言葉に、ローズは一つ大きく息を吸い、吐いた。

 それが比喩であるのか、それとも自身の奥底に眠る壮大な不安をくすぐるものであるのか、その判断がつかなかった。

 

 ローズの反応を合図に「それに」と、彼は更に続ける。

 

「私に未来が視えようと視えなかろうと、エキシビジョンを拒否することはできる。なぜならば、私はチャンピオンなのだから」

 

 そうだ、それこそは揺るがせようのない事実。

 アスチルの超能力が本物であろうがブラフであろうが、とにかく彼がガラルリーグのチャンピオンであるという事実は揺るがしようがない。

 そして、チャンピオンというものはある程度融通のきく、端的に言えばいくらでもワガママを言っていい立場であるのだ。それは彼らが尊敬されているからとか、権力があるとかそういう一部分だけの問題ではない、そういう面を含め、彼らには道理を引っ込めさせるだけの力というものがある。

 たしかに彼はエキシビジョンを拒否した。だが、ガラルリーグ、そのトップクラスのトレーナーたちの人間性から考えれば、むしろアスチルというトレーナーはおとなしいとすら言っていい人間だった。私生活に問題を抱えず、考え方に悪意がない。ローズですらそれは認める。

 

 恐怖を押し殺し、再びため息を付いたローズが二、三言続けようとした時、控室の扉がノックされた。

 不意なそれに扉の方に目を向けたローズと対照的に、アスチルは「どうぞ」と、なんでもないことのように答える。

 

「失礼します」と、扉の向こうから現れたのは、ラーノノジムリーダーのノマルだった。

 

「ノマルさん……?」

「だから言ったでしょう? あなたは時間の管理が下手だ」

 

 そう指摘するアスチルに、ローズはようやく腕にはめられた金ベルトの腕時計を見やり「しまった」と頭をかく。

 ローズとノマルはその日、ある事項について確認を行う予定だった。そして、その時間はとうに過ぎている。

 アスチルの指摘通り、ローズはチャンピオンへの説教に夢中になりすぎ、ノマルとの待ち合わせの時間を失念していたのである。

 いつまでも現れぬローズにノマルがしびれを切らし、彼を探した結果ここに行き着いたことは、聡明なローズはすぐに理解できる。

 

「いやぁ、ノマルさん申し訳ない」

 

 伏し目がちに頭を下げた。時間管理の雑さは彼の明確な弱点だ、秘書の募集も行っているのだが、なかなかいいめぐり合わせがない。

 ノマルはローズに近づきながらそれに答える。

 

「いえ、私は確認ができればそれでいいので」

「そうだね、それじゃあ場所を変えようか」

「混み合う話なら、ここですればいい」

 

 不意なアスチルの提案に、二人は揃って彼に目を向けた。

 だが彼はそれを意に介さずに続ける。

 

「今、このスタジアム内はマスコミで溢れている。あなた方が二人きりになれる場所などありはしない。手間と時間をかければ隣町で見つかるかもしれないが、議題の内容とその結論からして、今ここで話したほうがいい。なに、私がいるが気にしなくてもいい、委員長が私の前に立ったときから、議題の内容は理解している」

 

 ノマルはキッ、とアスチルを睨みつけた。当然、彼女は彼の強さや能力というものを、信じるか信じないかはともかくとして、理解している。能力が本当かどうかはともかくとして、チャンピオン就任以来負け無しの化け物。

 

「すまない、今彼は機嫌が悪くてね」

「いえ、私は委員長さえ良ければここで確認を行ってもいいと考えています」

 

 ノマルはアスチルを睨みつけたまま、ローズの返答を待つことなく続ける。

 

「チャンピオンによるワイルドエリアの封鎖を、ポケモンリーグは許可していただけるのですか?」

 

 それもまた、大胆な発言だった。なぜならば彼女は、アスチルと言うチャンピオンを目の前にして、その座を奪うことを明言、宣戦布告をしたのだから。

 ローズは二人の扱いづらい若者に眉を傾けながらそれに答える。

 

「ああ、ファンの感情をコントロールすることまではリーグでは出来ないが、物理的な封鎖に関しては、私達リーグが行うことができる。もしチャンピオンがそれを望めばね」

「ありがとうございます、ひとまず安心しました」

 

 アスチルを見やるローズに、彼は笑って返した。

 

「今更そんなことを言われたくらいで怒りはしませんよ。口に出すわけではないが、ジムリーダーにしろチャレンジャーにしろ、この『興行』に参加するトレーナーはすべて、彼女のようなことを考えている。もう慣れた」

 

 彼は珍しく自らノマルに視線を動かしてから続ける。

 

「それを叶えることのできるものは『まだ』現れないですがね」

 

 その言葉が、彼が『未来』を視て言ったことなのか、それとも自らの実力に絶対的な自信を持って言ったものなのかは、彼にしかわからない。

 自らの存在を軽んじられたことによる怒りと、そこしれぬアスチルの発言の不気味さから、ノマルは「失礼します」と、ローズにのみ頭を下げて控室を後にする。

 

「期待しているよ」と、その背中にアスチルの言葉が投げかけられた。




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314 彼女のアドバイス ①

ルリナ(原作キャラクター)
 メジャージムバウジムリーダーにしてモデル。褐色のモデル体型でみずタイプのエキスパート。
 同じくジムリーダーのヤローを強烈にライバル視しているが、周りは温かい目で見守っている。

ヤロー(原作キャラクター)
 メジャージムターフジムリーダーで草タイプのエキスパート。背は低いが全身に筋肉の鎧をまとった優しい男
 ルリナからライバル視されていることは知っているが『最大のライバルは自分』と大人の対応をしている


『今日のワイルドエリアは雲ひとつない晴天ですね! 今日はラーノノジムのメンバーでワイルドエリアの清掃ボランティア! 今日は強力な助っ人も参加していただけます! 皆さんもゴミを見つけたら拾ってみましょう!』

 

 月末の早朝、ポケスタグラムに放り投げられたその投稿には、キバ湖をバックに、白黒メッシュの髪型の青年、ラーノノジムトレーナーのミスミが火ばさみを片手に野生のホルビーと戯れている写真が添付されている。

 インディー業界では少し名のしれた彼のもう一つの顔がたまに出るということで『ノーマルエールパワーズ』の熱心なファンにもフォローされているラーノノジムのアカウントは、出だしこそキバナ絡みで炎上したものの、その後くべられる薪がなかったことや、ジムリーダーノマルの毒にも薬にもならない投稿にすでに落ち着きを取り戻し、本来彼女が望んでいたような規模にまとまりつつあった。

 だが、まだイマイチSNSというものに慣れぬノマルは、やはり少しずれた感性でそれを利用している。例えばミスミの管理する『ノーマルエールパワーズ』アカウントの投稿に対して『ミスミ君、明日イーブイ達の下見に行くからポケじゃらし持ってきてね』と思いっきり業務連絡をしてしまう程度に。

 

 

 

 

 

 その写真が投稿されてわずか数分後、早朝のワイルドエリアでは清掃のボランディアのために集まった四人が顔を合わせている。普通、有名人が公共の場で何かをするときにはSNSに何日かずらして投稿するのが常識というものなのだが、残念ながらノマルにはそのような常識は通用しないようだった。

 

「改めて! 本日はよろしくおねがいします!」

 

 ノマルはふわふわした髪の毛を揺らしながらその二人に頭を下げた。それと同じく横のミスミも「よろしくおねがいします」と頭を下げる。本当は若者らしく「おねしゃあす」とか「しゃーす」とか言ってもいいのだが、それをするにはノマルは恐ろしすぎる。

 

「いえ、こちらこそよろしくおねがいします」

「よろしくおねがいします」

 

 同じく強力な助っ人の二人も頭を下げる。

 その片方はルリナ、バウジムリーダーとして活躍するメジャージムリーダーであり、モデルとしても活動している。最も、どちらが兼業であるのかわからないほどにどちらでも成功を収めているのだが。

 普段は水着やモデルの衣装などでスラリと長い手足を惜しむこと無く晒す彼女も、流石に屋外の清掃ということもあって、長靴に作業着、顔をすっぽり覆うサンバイザー付きの頭巾と、清掃の本気の姿を見せている。

 

 もう片方はヤロー、同じくメジャーであるターフタウンジムリーダーであり、普段は農園で働いている。やることは大して変わらないのだろう、彼は普段と変わらず農園での作業着を着用していた。農作業で鍛え上げられたパツパツの筋肉などを見ると、ミスミは男として少し悔しい気持ちになってしまう。

 

 この二人は、ノマルと比べればジムリーダーとして破格のポジションに居る存在であった。ノマルがついうっかり先程の投稿に名前を出してしまえば、もしかしたらややこしいファンなどが二人に会うためにワイルドエリアに突撃してしまっていたかもしれない。ノマルのSNSにおけるいい意味での目立つ意識の薄さが二人には幸いだった。

 

 頭を上げ「えー」と、一つ声を出してからノマルが言う。

 

「二人共いつも参加してくれてありがとーねー」

「いえいえ」

「ワイルドエリアの環境維持もトレーナーの立派な仕事ですからねえ」

 

 ワイルドエリアの清掃活動をおこなっている団体や企業は数多く年に数回大々的に行われることもあるが、ノマルのそれは月に一度少数精鋭のメンバーで行われる。ワイルドエリアを闊歩して良い実力者というものを、ノマルが自らスカウトするのだ。特にノマルは厳しく参加者を選ぶ、例えばジムトレーナーのミスミは彼女に言わせればギリギリの最低ラインだそうだ。

 

「それでは今日の予定を発表します。本日の拠点となるテントはすでに私とミスミがセッティングしました」

「どうも」

 

 ペコリとミスミが小さく頭を下げる。もう何度もノマルには付き合っている。テントだろうがタープだろうがお手のものだ。

 

「今日はこのままお昼までペアで清掃活動を行います」

 

 それを合図に、ミスミが二人に火ばさみと背負いかご、大きなビニール袋を手渡し、二人もそれを素直に受け取った。ビニール袋と背負いかご役割被ってない? という疑問は二人共発さない。

 

「その後は私の研究カレーをお昼ごはんに食べてから解散です」

「楽しみじゃあ、うちの子達はノマルさんのカレーが大好きじゃからなあ」

 

 目を細めるヤローに照れたのはノマルだけで、ミスミとルリナはその言葉に疑問は持たなかった。

 

 ノマルの研究カレーとは、その名の通りノマルが研究しているカレーである。

 ガラル地方伝統のカレーが、組み合わせる食材と具材となる木の実、そして調理の腕によってポケモンの体力や状態異常を回復させる効果があることは有名であり、特に最高級の美味しさとされる『リザードン級』を極めるために幾多ものトレーナーや料理人が切磋琢磨しているが、ノマルが目指すのはそこではない。

 彼女が目指すのは『ダイオウドウ級』、最上級からは一段階落ちるが、体力の回復や状態異常の回復はさせることができる。

 ノマルは最小の効率、最小のコストで『ダイオウドウ級』を作ることのできるレシピを常に模索している。というのも『リザードン級』はある程度食材や木の実のコストがかかり、実戦的ではないと考えているのだ。

 ワイルドエリアでのキャンプはポケモンセンターに駆け込むことと同義だ、一刻を争う状態であるのならば、食材にこだわる暇はないだろう。どのようなトレーナーでも手の届く安心を彼女は探る。

 そして、他の料理はてんで駄目だが、この研究カレーだけはやたら美味いというのが評判だった。

 

「それでは早速ペアを決めて清掃に向かいましょう! 途中『獲物』があったら遠慮なく回収してくださいね!」

 

 

 

 

 

 

「なんかほんと、うちのリーダーがすみません」

 

 ミロカロ湖北。わたわたと野生を楽しむように彼らを先導するイーブイの後をゆっくりと追いながら、ミスミは隣のヤローにそう言った。はしゃぐイーブイを優しく見守る彼の目に、それを切り出すのは今だと思ったのだ。

 

「なんのことです?」

 

 ヤローは首を捻った。ミスミの気遣いを彼はピンときていない。

 

 それにミスミが首をひねるより先に、先を行くイーブイが高く嬉しげな声を上げながら草むらの中に飛び込んだ。彼は二、三度ぴょんぴょんと飛び跳ねながら草を踏み鳴らして音を鳴らし、自身がそこにいることをパートナーのミスミにアピールする。すでに鳴き声には甘えがまじり、褒められることを期待している。

 

「お~よしよし、よくやったなあ」

 

 ミスミは一旦話題を切ってその方向に向かった。そして、腰をかがめて期待にムンムンのイーブイの頭をなでてやってから、彼の『獲物』であったそれを火ばさみで取り上げる。

 

「お、結構形残ってるな」

 

 それは、すでに誰かが使った後であろうピッピ人形だった。

 すでに元の可愛らしい姿は殆ど残っておらず、食いちぎられたであろう頭部からは綿がはみ出し、朝露を吸ったのだろう、火ばさみにかかる重みはずしりと重い。ポケモンのマーキングによる臭いがないのがまだマシだった。

 

「そのへんに欠片あります?」

 

 慣れた手付きでピッピ人形だったものをひょいと背負いかごに放りながら、ミスミはヤローに問う。

 

「いやあ、見当たりませんねえ」

 

 ヤローは火ばさみでガサガサと周りの草むらを漁ったが、ピッピ人形の欠片は見当たらない。

 代わりに火ばさみで空き缶をひろった彼は、それを手持ちのビニール袋の方に入れた。

 

「そっちは?」

 

 問うミスミに、イーブイも同じく草むらを漁ったが、やがてわかりやすく落ち込んだ声で鳴きながらミスミの足元にすり寄った。彼は意外と仕事に対する意識が高いようだった。

 

「まあ、協会の人達に任せとけばなんとかなるでしょう。次、次」

 

 協会、とは『ガラル遺族協会』のことだ。

 ピッピにんぎょうの有効性はかなり高い。放り投げることで必ずと言っていいほど野生のポケモンから逃げることができる。

 だが、その値段は意外と高い。故に、他のアイテムと比べて優先度が低いのが現状だ。

 ガラル遺族協会はその状況を打破するためにピッピにんぎょうのリサイクルをボランティアとして行っている。ボロボロの状態から有志の手によって修繕されたそれが野生のポケモン相手に効果を発揮するのはノマルがすでに実証済みであり、効果は信頼されている。そして、それらはノマルのような初心者を相手にするトレーナーやイベントなどに寄贈されるのだ。

 

 しばらくゴミやピッピにんぎょうを探した後に「いやね」と、ミスミが再び切り出す。

 

「ヤローさんとルリナさんをバッティングさせるのはまずいって言ったんですよ、一応」

 

 それにヤローは一瞬キョトンとした後に「ああ、なるほど」と笑った。

 ヤローとルリナの関係性は、少しややこしい。

 彼女がヤローをライバルとして強烈に意識していることは雑誌のインタビューやリーグカードなどを通してすでに周知の事実だ。年齢が近く、タイプ相性による勝敗がヤロー側に傾きつつあるのは事実だが、それにしてもと思うファンも居る。

 片やヤローはライバルを『自分自身』だと当たり障りのない回答をしており、ルリナ側の挑発には乗らない状況となっている。

 もちろん、ルリナのライバル意識が一種の『プロレス』であろうことはミスミも理解しているところではあるが、かと言って仲良くボランティアに参加させても良いものかと思うところもあった。

 

「僕は気にしとらんですよ」

「まあ、それなら良いんですけどね」

「ノマルさんはなんて?」

「仲良さそうだから良いじゃん、の一点張りでしたね」

「ははあ、あの人らしい」

 

 ヤローはそういうほかなかった。彼もルリナも、ノマルがメジャージムリーダーであった世代であるし、新任のジムリーダーであった頃にはジム運営についての手ほどきもされている長い付き合いだ。

 

「どうなんです? 実際のところ」

 

 ヤローが険悪な雰囲気ではないことに安心したのか、ミスミはそこに切り込んだ。

 彼は頬を一つ掻いてから答える。

 

「ルリナさんは、昔から真っ直ぐで感情をごまかさないところがありますから。むしろ、ライバルだと思ってもらえて嬉しいと思っとりますよ。僕のことが憎いとか、そういうことではないと思うてます」

 

 へえー、と、ミスミは頷いた。どうやらヤローもルリナのそれが『プロレス』であることは理解しているようだ。

 

「それなら、どうして乗ってあげないんです? ヤローさんがそのフリを透かしちゃうとルリナさん宙ぶらりんじゃないですか」

 

 ミスミの疑問に、ヤローは「んー」と、少し考えてから答える。

 

「だって、それを受けてしまったら、ぼくがルリナさんを意識してることが冗談みたいになってしまうじゃあないですか」

 

 その返答に、ミスミはしばらく沈黙した。興味を持って踏み込んだそれが、思いの外深く踏み込んでしまっていたことに気づき、気まずくなった。

 ヤローも、うっかりそう言ってから顔を赤くし、自分たちの他に誰もいないかとキョロキョロと周りを見回した。幸いなことに周りにはミスミ以外誰もおらず、仕事の意識が高いイーブイが「はよ次行こうや」と、足元に擦り寄り急かすばかりだ。

 

「忘れてください、変なことをいってしまったようじゃ」

「いや、俺の方こそ申し訳ない。いらないことを聞きすぎました」

 

 もうしばらく沈黙し合った後、赤くなった顔をごまかすようにタオルで拭ったヤローがつぶやく。

 

「本当は、ノマルさんにこういうのを相談したいんですが」

「ええっ!?」

 

 彼の言葉に、ミスミはこれまでのムードを吹き飛ばすほど大声で驚いた。どのくらい大声かと言うと、それに驚いて飛び上がってしまった仕事熱心なイーブイが「こいつやる気あるんか?」と不機嫌フェイスを晒すほどに。

 

「いや、辞めたほうが良いっすよそれは」

「やっぱりプライベートなことすぎるかなあ」

「いや、そうじゃないくて」

 

 ミスミは息を整えてから続ける。

 

「あの人本当にそういう事わからない人なんで、ほんと、なんというか、その、ほんとにそういうの無理な人なんで」

「そんなにですかい?」

「そんなにです。長年一緒にいる俺がその空気すら感じたことないんでそれは間違いないです」

 

 更に彼は続ける。

 

「そういうことをノマルさんに聞くくらいなら、多分そこらへんで花占いしたほうが良いと思います。ほんと、ノマルさんにそういう相談するのは判断ミスも良いところなんで、相当切羽詰まってるときにやることなんで」

 

 

 

 

 

 

「ノマルさん、実は相談したいことがあるんですけど……」

 

 ワイルドエリア、こもれびばやし。

 カチカチと緊張を和らげるように火ばさみを鳴らしながら、ルリナがノマルに近づいて小さな声でそう言った。恥ずかしいことなのか褐色の肌を少し赤くしている。全く同じ頃に『相当切羽詰まってる人』と認定されていることなど欠片も知らない。

 対するノマルはようやく見つけたボロボロのピッピ人形を拾い上げていた。かつては自身もピッピにんぎょうの修繕ボランティアをやろうとしていたこともあったが、そこで学んだことは適材適所という言葉の重みだけだ。傍らのイーブイはあまり仕事熱心な方ではないのか、あくび混じりにそのピッピ人形をつまらなさげに眺めている。

 

「ん~? どうしたの?」

 

 それに集中していたのだろう。ノマルは少し気の抜けた返答を返した。

 しかし、ルリナがそれにむっと思うことはない、ヤローと同じくノマルとはジムチャレンジの頃からの付き合いだ。子供扱いなんてものではない、ノマルから見ればまだまだ自分は子供なのだ。だからこそこうして、切羽詰まって相談している。

 

「あの……ヤローくんのことなんですけど」

「ヤローくんの?」

 

 ノマルは一度獲物を探す手を止めた。傍らのイーブイもそれは満更でもない様子で、すでに足を折って一眠りの体勢だ。

 

「はい、あの、ノマルさんはわかってると思ってるんですけど、どうやったらヤローくんに意識してもらえるかなって」

 

 それを聞いて「ははーんなるほど」と、ノマルはほくそ笑んだ。ルリナとヤローの微妙な関係性についてはすでにジムトレーナーのミスミから確認済みだ。

 彼女はそのアドバイスに極力答えてあげようとしていたし、極力協力しようとした。それが姉貴分としての役割だろう。

 

「うんうんわかるよ。ルリナちゃんとヤローくんは昔から仲良かったけど、そういうこともあるよね! 私にできることなら何でも協力するから、頑張ってね!」

 

 頼もしく胸を張る小さな姉貴分に、ルリナはホッとし、ノマルに相談してよかったと思った。

 だいたい分かるように、ルリナは姉貴分としてノマルの能力をかなり過信しているところがある。仕方のないことだ、彼女の心に残るノマルは、あまりにも強い女すぎる。

 

 ノマルが話を詰めようともう少し踏み込もうとしたときだった。

 

 不意に天を貫くような光の柱がワイルドエリアから突き抜け、その後に、地響きとポケモンの巨大な鳴き声。

 

「ダイマックス!」と、ノマルが光の方向を見上げながら叫んだ。同じくルリナもそれを見る、足元のイーブイなどは不意に跳ね起きてノマルの影に隠れる。

 

 それは、紫色の強い光であった。ワイルドエリアの中にあるポケモンの巣から、強力なポケモンが現れたときに生まれる強烈なエネルギーの塊だ。

 距離は遠くはない、ワイルドエリアに点在するポケモンに詳しいノマルならば、それがドコにあるのかもわかるだろう。

 

「行きましょう!」と、気づけば背負いかごも火ばさみも投げ捨てたノマルが、すでにイーブイをボールに戻してそれに向かおうとしていた。先程までの温和な雰囲気がまるで嘘であるように、その足取りには迷いがない。

 手におえるトレーナーたちならば良いのだが、と、僅かな希望が無いわけではなかったが。だが、あの規模のポケモンを扱えるだろうか。

 

「はい!」と、ルリナもそれの後についていく。ワイルドエリアでの身の振り方に関しては、ノマルのほうが一日の長がありそうであった。




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314 彼女のアドバイス ②

 ポケモンの巣から現れたそのキョダイなポケモンを前にして、その名もなき少年トレーナーは腰を抜かしていた。

 目的があるわけではなかった。

 ただただ、度胸試しの一環として、自分は何があっても大丈夫なのだろうという根拠のない自信があった。自らが恵まれた立場に居続けたものだから気づけなかった、野生というものは、自らの手の中に収まるものではないのかもしれないということを、彼はようやく理解できるかもしれないという段階に来ていた。

 そして、もう遅いのかもしれないということも理解しかけている。自らの前にいるポケモンはなんとか虚勢を張ってはいるが、頼れそうにはない。

 諦めが早いのは、潔いからだろうか、否、そうではないだろう。彼の人生の中にこの様にどうしようもないほどのピンチがこれまで無かったから、どうすれば良いのかがわからないだけだ。

 そのポケモンが自らを視界に収めたことを認めたくなくて、ギュッと目を閉じようとしたときだった。

 

 はるか上空から、そのポケモンに攻撃するものがあった。

 そして、自らとキョダイなポケモンの間に割って入る小さな影。

 そして、声。

 

「準備はありますか!?」

 

 柔らかく、少女のように高い声だった。

 上空から攻撃したポケモンが、その影の前に降り立つ。ふくろうポケモンのヨルノズクであった。

 少年は、それに答えることが出来ない。理由は二つある、一つは、準備なんて無いから、そしてもう一つは、そう言ってしまえば怒られると思ったから。

 だが、その小さな影、ふわふわの髪をした女は、その沈黙を怒ることもなければ、その答えを求めることもしなかった。

 代わりに、彼女は少年の傍にモンスターボールを投げる。

 現れたのは、毛を逆立てて耳をピンと伸ばしたイーブイだった。

 

「逃げなさい!」と、その女は言う。

 

「そのイーブイが、逃げ方を知っています!」

 

 その言葉に、彼はようやく抜けた腰を上げることが出来た。もしかしたら助かるかもしれないという希望と、その女の不思議と安心がある声が彼を立ち上がらせる。

 イーブイはそれを確認してからキョダイなポケモンに背を向けてその場から逃げ出す。『にげあし』の良いポケモンだ、逃げ方を知っている。

 それを追おうと少年が体を捻った時、その女の横に立つトレーナーが視界に入った。

 彼はそのトレーナーを知っている。彼女はメジャージムリーダーのルリナだった。

 だが結局、彼は自らを助けてくれたその女が誰なのかはわからなかった。

 

 

 

 

 そのキョダイなポケモンから目線を切らぬように気を張りながら、ノマルは少年がイーブイを追って逃げたことに一先ず安心した。そのキョダイなポケモンもすでに逃げた小物には興味なく、自らを攻撃してきたヨルノズクとノマルに興味が移っているようだ。

 

「このポケモンは……」

 

 ノマルのそばでボールを構えながらルリナが緊張の面持ちでつぶやく。

 キョダイな果実に一体化したようなそのポケモンは、りんごはねポケモンのアップリューだ。それも特殊で強力なダイマックスであるキョダイマックスの姿である。

 

「私が指揮を取ります!」と、ノマルが叫ぶ。

 

 みずタイプのエキスパートであるルリナにとって、草タイプのドラゴンであるアップリューとの相性は最悪だ。状況からして、さらに年長者でありこういう状況の経験豊富さから言って、ノマルが指揮を取ることに問題はないだろう。

 

「はい!」とそれを受け入れながら、ルリナはボールを放り投げてカジリガメを繰り出した。相性は最悪、だが仕方がない。

 

「『リフレクター』!」

 

 ノマルの指示と共に、まずはヨルノズクが念動力で『壁』を作り出す。

 アップリューの必殺技である『Gのちから』を意識した対策技だったが、カジリガメの相性の悪さをそれで補えるかどうかはノマルも自信がない。

 ポケモンの巣からダイマックスしたポケモンはとにかくタフな上に、ダメージが通りにくい特殊なバリアを展開する、そのため単純な一個体のパワーよりも、いかにこちらの手数を切らさないかが重要となる。故に、相性が最悪であったとしても数を維持したい。

 

「来ます! 備えて!」

 

 ノマルはアップリューの動きを予測し叫ぶ。そして、その警告が正しいものであることを証明するかのように、アップリューが攻撃態勢をとった。体の周りの空気が歪んだように揺れ、竜巻のように形を作る。

 狙いはヨルノズク、まだ彼はルリナとカジリガメを視界の端に捉えるだけでそれを脅威だとは思っていない。

 巨大な竜巻がヨルノズクに向かって放たれた。それが纏う音は高い。空気を切るような速度を得た竜巻がヨルノズクを襲い、抜けた羽毛を巻き上げ天に吹き上げる。

 ヨルノズクは宙を舞ったが、すぐさまバランスを取り戻して地面に着地した。彼も負けず劣らずタフであるが、その前に貼っていた『リフレクター』が効果を発揮していた。

 

「『こおりのキバ』!!!」

 

 技の打ち終わりのスキをルリナは逃さない。

 すぐさまにアップリューの懐に潜り込んだカジリガメは、その尾っぽに思い切り齧りついた。

 ただの『かみつく』ではない。水ポケモンのサブウェポンとして代表的な凍てつく攻撃だ。

 アップリューはその攻撃に地響きのような悲鳴を上げて尾を振り回す。草タイプとドラゴンタイプである彼にとって、『こおり』タイプの攻撃は効果が抜群どころの騒ぎではない。

 だが、カジリガメも一度くらいついたら離さない顎の力が自慢のポケモンである。振り回されながらもその顎を離すことはなく、むしろ自身の重みを加えてダメージを与え続ける。

 しびれを切らしたアップリューは、それを地面に叩きつけることで問題の解決を図ろうとした。尾を高く振り上げ、痛みの箇所を再確認してから振り下ろす。

 

「戻って!!!」

 

 しかし、そこはルリナも実力者である。彼は相手の意図をすぐさま理解してパートナーに指示を出す。

 カジリガメもさすがはジムリーダーのパートナーだ。彼もまた彼女の意図を理解して、てこでも外れないであろう顎の力を緩めて地面に着地し、彼女のもとに戻る。

 叩きつけることが空振りに終わったアップリューは憤りながらルリナ達に視線を向けようとした。

 だから彼は一瞬気づくのが遅れた。もうひとりのトレーナーであるノマルがすでにヨルノズクをボールに戻し、巨大化させたボールを放り投げようとしていることに。

 

「よいしょっと!」

 

 重たそうに両手を使って下手から放り投げられたそれから、アップリューと同じく巨大化したヨルノズクが繰り出される。そして彼は相手を威圧するように巨大化した羽を広げ、地を這うほどに低くなった鳴き声を上げた。

 それもまたノマルの作戦の一部であった。こちら側のほうがより脅威であるように相手に見せかけ、ルリナ達から気をそらしたい。

 だが、そのアップリューも強力な個体であったのだろう。彼は目先のキョダイな相手よりも、先程凍てつく攻撃をしてきたルリナとカジリガメのコンビのほうが厄介であることを本能的に理解していた。

 目を彼女らに向けたまま、アップリューは動き始める。

 

「『ダイジェット』!」

 

 まずいと判断したノマルが指示を出し、ヨルノズクが翼を振って螺旋のように鋭く相手を切りつける風を送ったが、特殊なバリアによって威力を半減されたその攻撃ではアップリューの気を削ぎきれない。

 

「来ます!」と、ノマルが叫んだ。

 

 おそらくは草タイプの攻撃が来るだろう。と、ルリナとカジリガメは身構える。

 防御壁である『リフレクター』があったとしても、果たして耐えられるだろうか。

 アップリューが攻撃を放とうとしたその時だった。

 

「『ぼうふう』!」

 

 不意に、彼らの視界の外から、強烈な『ぼうふう』が吹き荒れ、攻撃態勢に入らんとしていたアップリューを攻撃する。

 そして、彼女にとって馴染みの声が、少し焦ったトーンと粗い息づかいと共に聞こえた。

 

「遅れてすみません!」

 

 救世主、ヤローは、ダーテングを引き連れてルリナの横に並ぶ。

 突然増えた敵にアップリューが考えを整理するよりも先に、その次の矢が飛んでくる。

 

「『ブレイブバード』!!!」

 

 ヨルノズクが作り出した『ダイジェット』の風と、ダーテングが作り出した『ぼうふう』の勢いを十分に活用しながらウォーグルがアップリューに突っ込む。

 それは特殊なバリアによって弾かれたが、アップリューの気を削ぐには十分だった。

 

「加勢します!」

 

 翻ったウォーグルを傍らに従えながら、同じくミスミが隊列に並ぶ。

 数が増えようと関係ない、と言わんばかりに低く威圧するアップリューに、ヤローが叫ぶ。

 

「ぼくが指揮を取ります!!!」

 

 ルリナはそれに驚いた。彼の大声を聞いたのは久しぶりだったから。

 ノマルはそれに頷く。

 

「わかりました! よろしくおねがいします!」

 

 メジャージムリーダー二人に、マイナーではあるがジムリーダーとジムトレーナー。

 彼はまだ気づいてはいないが、アップリューの形勢はだいぶ悪くなり始めていた。

 

 

 

 

 

 

「はい! それでは今日は皆さんお疲れさまでした!!!」

 

 ワイルドエリアは昼下がり。晴天のもとにカレー鍋から立ち上る香りがその周辺に漂っている。

 すでにカレー皿を手渡されたルリナとヤローは、傍らのカジリガメやダーテングと共にそれを堪能している。

 一仕事を終えたイーブイやヨルノズク、ウォーグルも一緒だ。

 

「ノマルさんのカレーはあいかわらず美味しいですなあ」

「えへへ、うれしいなあ」

 

 今日ノマルが作ったカレーは彼女の予定通り『ダイオウドウ級』、最高峰である『リザードン級』と比べてしまえば見劣りするだろう。だが、彼女の研究カレーには家庭で食べるような温かみがあった。ヤローの言葉はお世辞ではないだろう。

 思い通りのカレーが出来たのかノマルは上機嫌だった。非常にコストパフォーマンスのいい組み合わせを見つけたのかもしれない。

 

「愛して~るの~エールを~あげ~る~」と鼻歌を歌いながら、ミスミはお玉を片手にカレーを皿に装い続けている。

 

 客人はヤローとルリナだけではない。カレーの匂いに釣られる少し警戒心の弱いポケモンたちに対しても、ノマルは惜しむこと無くその研究カレーを振る舞うだろう。今日のレシピに対してどのようなタイプのポケモンたちがどのような反応を示すのか、彼女にとっては貴重なデータだ。

 さらに。

 

「あなたも災難だったよねえ」

 

 ノマルは傍らでカレーを貪るアップリューにそう言った。当然巨大化はしていない、彼らのよく知るアップリューの大きさだ。

 ダイマックスした彼を沈めた後、ノマルはアップリューを捕まえてこのキャンプに招待していた。

 何も仲間にしようというわけではない、戦いによって消耗したであろう彼を少しでも癒やしたかったし、決して人間というものが安息を侵略するだけの存在でないことを知ってほしかった。

 そもそも彼は悪意を持って人間を攻撃したわけではないのだ。静かに暮らしていたところに強烈なエネルギーを流し込まれて戸惑っただけに過ぎない。

 アップリューがカレーにご満悦なことが、ノマルにとっては幸いだった。

 

「ところで」とノマルがヤロー達に視線を向ける。

 

「今日のヤローくんかっこよかったね!」

 

 想像していなかったのだろう。その言葉に、ヤローは一瞬ハッとしたように体を緊張させてから顔を赤くした。ちなみに、その横ではルリナも同じ様に顔を赤らめながら小さくコクコクと頷いているがノマルはそれに気づかない。

 

「い、いやあそんな……」

「びっくりしちゃったなあ、結果、ヤローくんに任せて正解だったし」

「あれはその……相手がアップリューだったからつい思わず……」

 

 あの時、ヤローが集団バトルの指揮を取ろうとした判断は何一つ間違ってはいない。

 彼の言う通り、相手は草タイプのアップリューであったし、それは草タイプのエキスパートであるヤローの専門領域であった。

 だが、あの時あの瞬間、すでにダイマックスをしている年上のノマルがいる状況で、後から来た年下の彼が、自らが指揮をとったほうが良いと判断しそれを実行した胆力というものを、彼女は褒めているのだ。

 

「ルリナちゃんもタイプ不利だったのに堂々としてたし、二人共もう立派なジムリーダーだね!」

 

 その言葉に、ルリナとヤローはやはり顔を赤らめたまま小さく頭を下げた。

 立派も何も、二人はすでにメジャーのジムリーダーである。だが、自分達が本当に子供であった頃から付き合いのあるノマルにそう言われることが、彼女らは嬉しく、照れくさくもあった。

 

「あ、そうだ!」と、ノマルはそのままの流れのままに続ける。

 

「今日からヤローくんのライバルはルリナちゃんってことね!」

 

 ワイルドエリアの時が一瞬止まったような気がした。

 本当に何の気無しに、恐らくは百パーセントの善意で、そして、駆け引きの欠片もなければ文面上の意味しか持たれていないその言葉を聞いて、まずヤローは目を見開いて言葉を失い、ルリナは茹だったのかと思うほどに赤くした顔で何かを取り繕う言葉を探した。

 やがてお互いはなぜか顔を見合わせ、すぐにそれを反らす。

 厄介なことに、二人共ノマルの言葉から文面上以上の何かを感じ取っていた。そして、それは勘違いだ。

 

「これからもお互いに意識して仲良く頑張っていってね!」と、とどめを刺すような追加を放ちながら、ノマルはニコニコとカレーとポケモンたちに目を落とし、今日はいい日だなあとすでにその日のまとめのモードに入っている。

 

 唯一それを第三者目線で眺めることの出来ていたミスミだけが「あー、リーダーこれはアレだな、やっちまったやつだな」と、その二人を眺めながら推理しており、後で二人に花弁の数が数えやすい花でもあげようと思ったのだった。

 

 

 

 

 

 

『今日のワイルドエリア清掃は終了です! 途中トラブルも有りましたが強力な助っ人二人のおかげで問題なく終えることが出来ました! 友人でもありライバルでもあるだけあって素晴らしいコンビネーションでしたよ! 皆さんもワイルドエリアや草むらなどでピッピにんぎょうを見つけたら破れたりしていてもお近くのバックパッカーさんに預けてくださいね! ボランティアの皆様の手によって修繕されて初心者のトレーナに寄贈されます!!!』

 

 同日夕方、ポケスタグラムに放られたその投稿には、真ん中にノマルを据えてそれぞれが少し赤い顔と微妙な距離感で写るルリナとヤローの姿があった。

 

「ほら、二人共もっと寄って寄って!」と、恐ろしいなまでに無邪気で鈍感な善意によって本来ならば密着したツーショットになる予定だったその写真は、ノマルの事をよく知るミスミの「ノマルさんが真ん中に入ればいいんじゃないですか?」という素晴らしすぎるフォローによってなんとか最も恥ずかしい状況は逃れている。

 

 顔が赤いのは野外清掃の後だからとごまかせるだろうが、写真からでもわかる微妙な二人の『かたさ』は、果たして敏感なポケスタグラマーにどの様にうつっただろうか。

 

 ちなみにキバナはその投稿を速攻で『いいね』していたという。




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319 彼女は助手 ①

ビート(原作キャラクター)
 現アラベスクジムリーダー、フェアリータイプのエキスパートであるが、エスパータイプの扱いにも長ける。
 ジムチャレンジには当時委員長であったローズの推薦で参加したが、ラテラルタウンの壁画レプリカを破壊したことで失格となる、その後ポプラに見いだされて猛特訓のもとにジムリーダーに就任する

ポプラ(原作キャラクター)
 元アラベスクジムリーダー、今はビートに立場を譲り隠居状態だが、今でも毎日ジムに顔を出しているようだ
 意地悪なクイズを出すことで有名


「プレミアムミルクティーを一つくださいな」

 

 早朝、ラーノノタウンは野外市場。

 そこに溶け込んでいる移動式のキッチンカーにて、ラーノノジムリーダー、ノマルはその『占い』を注文していた。

 市場の朝は早い、温かいサンドイッチやちょっとした軽食を提供するその店は、行列ができるほどでは無いが、あまり客が途切れることはない程度には繁盛している。

 

「ゆっくりでいいんで」

 

 その言葉に店主は親指を立ててミルクティーを作り始める。

 

「今日、アラベスクタウンに行くんですけど。何かあるかなって」

 

 そう相談したら、後は待つのみ。首から下げたスマートフォンを両手で操作しながら、ノマルはSNSをチェックしている。最近のお気に入りはイーブイの写真を投稿しているアカウントだった。

 やがてサインペンがボール紙を撫でる心地よい音が響き、ノマルの前にそのカップが置かれる。

 

「ありがとうございます」と、彼女がそれを手に取る。

 

 カップカバーには『かつての自分に会うでしょう』と書かれていた。

 

 

 

 

 

 

 アラベスクタウンは不思議な町だ。

 巨木を中心とした森と一体になった町の構造の歴史は古く、古い施設の一部はすでに成長した木に半分取り込まれている。だが、住民の誰もがそれを目に入れたくもないほどうっとうしいとは思っていないだろう。その生活スタイルに嫌気のさした人間はすでに何百年ほど前にこの町を後にした。町が人を選んだのではなく、人が町を選び、生きているのがアラベスクタウンの特徴であった。

 

 町中には蛍光色に光るきのこが至るところに群生し、素人目には何であるかさっぱりわからない巨大な結晶も色とりどりの光を放っている。ノマルはそれらの配置に気を取られ、同じ目線を共有していたチョンチーとぶつかりそうになった。

 

「おっとっと、ごめんね~」

 

 別に構わんよ~、とでも言うように尾びれを揺らすチョンチーに手を振りながら、ノマルはその光景にひどく驚きはしなかった。

 本来ならば水中にいるはずのチョンチーが、なぜかこの町では宙を闊歩する。常識に縛られていれば縛られているほどに首を傾げざるを得ない状況であるのに、この町ではそれが常識であるから誰も気に留めない。この巨木に関連するダイマックスエネルギーの一部が作用しているのではないかという説がないわけではないが、ダイマックスエネルギーの第一人者であるマグノリア女史ですら、常識外の世界の常識を理論化させることには苦労しているようだった。

 

「え~っと、こっちでいいのよね……?」

 

 紙の地図を片手に、ノマルは一先ずポケモンセンターを右手に見やる。

 ひどい方向音痴なわけではないが、来るたびに配置や光の色が変わるこの町を自由に闊歩するのは難しい。

 最近はスマートフォンを少し弄るだけで位置情報を利用した道案内サービスが利用できるというのに、『なんか怖いから』と理由でスマホの位置情報サービスを切断している彼女がその利便性に気づくことはない。

 しかし、その角を曲がれば、さすがのノマルでもアラベスクスタジアムを眼下に捉えることだろう。

 

 

 

 

 

 

「……は?」

 

 アラベスクジム、ジムリーダー控室。

 アラベスクジム新任ジムリーダーであるビートは、仕事前に現れたノマルに思わずそう漏らした。

 

「やっほー、ビートくん久しぶり~」

「は? はい? あの……」

 

 なんでもないことのように挨拶をするノマルに、彼は思わず同室にて紅茶を楽しんでいたポプラに助けを求める視線を飛ばした。当然だ、この状況にたじろがず、涼しい顔をしているということは、仕掛け人はポプラ以外にはありえない。さすがエリートらしく頭の切れる男だった。

 

「あたしが呼んだよ」

 

 カップを置き直し、カップケーキにフォークを入れながらポプラが答えた。

 

「あんたの初仕事の助手をやってもらおうと思ってね」

「ちょっとポプラさん! 聞いてないですよ!?」

「言ってないからね。言ったら断ってたろ?」

「当たり前じゃないですか!!!」

 

 決して照れからではない、戸惑いと少しばかりの怒りに白い肌を真っ赤にゆだらせながらビートが叫んだ。

 だいたい想像できる通り、ビートはノマルのことが苦手であった。

 決してそれは、ノマルが妙齢の女性だからであるわけではない。

 ある事件によるジムチャレンジを失格になった彼が当時アラベスクジムリーダーであったポプラにスカウトされ猛烈な座学と特訓により将来のチャンピオンと肉薄する戦いを展開するほどのアラベスクジムリーダーとなったエピソードは今更説明する必要がないほどに有名であるが、実はその座学にノマルが外部講師として一枚噛んでいることはあまり有名ではない。

 

「それでは問題です!」と、ノマルは得意げに人差し指を立てて問う。そのスキにポプラはカップケーキを口元に運んだ。

 

「『すなあらし』『サイコフィールド』下で対戦相手はイワパレス、警戒すべき戦略とその対処法は?」

 

 ビートからすれば、突然のその問題に答える義理なんて欠片もないだろう。相手は不意に現れているし、その説明もない。

 だが、条件反射というものは恐ろしいもので、彼はすぐさまに背筋を伸ばしてそれに答える。答えを知っているのに答えないということが納得できない性分でもあったし、何より、それを答えなかったときの手取り足取りの指導がうっとうしくてたまらないのだ。

 

「脅威となるのはイワパレスの特性『がんじょう』による『からをやぶる』戦略、その対処法は『からをやぶる』後のイワパレスの素早さを上回る素早さのポケモンで先手を取ることか、状態異常もしくは『あられ』状態によるスリップダメージを狙うこと、『でんこうせっか』などの技は『サイコフィールド』の特性から無効化されるために不利……です」

 

 その素晴らしい解答に「すご~い!!!」と手をたたきながらノマルがぴょんぴょんと跳ねるようにビートに近づいてその頭を撫でる。

 

「ちょっと難しい問題を出したんだけど、完璧な正解だったね! 勉強は続けているようで感心感心!」

「当然です! 僕はエリートですからね!」

 

 誇らしげにそう言いながらも、彼は頭を撫でる手をなんとか引き剥がそうと両手を振った。だが、それでも諦めずに髪の毛をクシャクシャにすることを目論むその可愛がり方が、クールでありたい彼にとっては苦手な部分であった。

 もうしばらく髪の毛を巡る攻防を繰り広げた後に「そうじゃなくて!」と、ビートがバックステップでノマルと距離を取りながら続ける。

 

「助手なんて必要ありません! 今日はただの初心者教室ですよ!?」

「まあまあそう言わず、もう来ちゃったし」

「そうだよ、レディの気遣いを無駄にしちゃあ駄目だよ」

 

 ポプラは隣の椅子を引いてノマルにそれを促した。

 

「おじゃまします」と、彼女は一礼してからそれに腰掛ける。

 

「大した歓迎も出来ずに申し訳ないね」

「いえいえ、ポプラさんの焼き菓子私大好きです」

「嬉しいこと言ってくれるね。あの子もそのくらい素直になってくれればね」

「まあビートくんにとっても突然のことですし、素直じゃない子ですしね」

「あなた達ね……」

 

 本人が目の前にいるのにも関わらず無茶苦茶言う年上の女性二人にビートは恐れと呆れを抱いた。

 

「まあとにかく」と、ポプラが焼き菓子をノマルに勧めながら言う。

 

「何でも初めてってのは緊張するもんさ、ノマルはこういう活動に慣れてるし、横に並べておいて損じゃないよ」

「まかせてね! 庶務雑務何でもやるよ! 当然ビートくんの指導には口出ししないから安心してね!」

「あたしとしてはがんがん口出ししてもらって構わないんだけどね」

 

 彼女らの会話からもわかるように、今日はアラベスクジムリーダー、ビートによるフェアリータイプの初心者教室の日であった。リーグやトーナメントで輝かしい成績を残す彼ではあるが、初心者教室は初めてだ。

 基本的にメジャーリーガーは忙しく、普及活動を行える日程は限られているが、少なくとも普及に全力を尽くさなければならないことはすべてのジムリーダーに共通させなければならない概念である。最も、実力も普及も伴わないジムリーダーがいなかったわけではないが。

 ポプラがビートの補助としてノマルを呼び出したことはセオリーとしては全く間違ってはいないし、ノマルも快くそれを承諾した。尤も、彼女らはビートがこのことを知れば確実に何らかの反抗をしてくるだろうことも想定して彼に何も伝えなかったし、その考えは概ね正しいのだが。

 

 しばらく腑に落ちない表情を見せ続けていたビートも、やがてひとつため息をついてから、テーブルの上においてあったバインダーを手にとってパラパラとめくり、そして諦めた。

 そもそも彼のような若い新任のジムリーダーが、ポプラとノマルという経験ある女性ジムリーダーを出し抜こうというのが、土台無理な話なのだ。

 

「わかりました、ノマルさんには助手として僕のサポートをしていただきます」

「わかった。ありがとね! 私も今日は勉強させてもらうよ!」

「……それじゃあ、講義の内容についてミーティングを行いたいのでよろしいですか?」

「ああ、それならここでやっていきな」

 

 ノマルとは逆側の椅子を引き、ポプラがそれを促す。

 すでにビートにそれに逆らう気力はなかった。

 

 

 

 

 

 

「皆さん、おはようございます」

 

 アラベスクスタジアム。その中心でビートは子供達を相手に彼ができる限りの大声で言った。

 パラパラと元気よくそれに返す子供達に一先ず満足してから、彼はバインダーにクリップしてあるプリントをめくる。

 

「今日はアラベスクジム主催の初心者教室に来て頂きありがとうございます。僕はジムリーダーのビート、彼女は今日助手を務めていただくラーノノジムリーダーのノマルです」

 

 それぞれが頭を下げる。ノマルは「よろしくおねがいします!」と大きな声ではっきりと伝え、それにつられてビートも「よろしくおねがいします」と早口に言った。

 ビートは少し高飛車なところがある性格だったが、流石にアラベスクジムリーダーとして子供たちの前に立つときにはそれを我慢できるエリートであるようだ。

 

 さて、と一旦区切ってからビートが続ける。

 

「それでは皆さん。自分のパートナー達をくり出して僕に見せてください」

 

 その言葉に、子供たちは一斉に立ち上がってそれぞれの持つボールからポケモンをくり出した。ポケモンがボールから現れる小気味の良いリズムが流れ、その後にはフェアリータイプのポケモンたち特有の高く柔らかい鳴き声がいくつも聞こえる。

 そのすべてのポケモンが進化前であった。ビートは一先ずそれにホッとする。子供たちの手に負えないようなポケモンはとりあえずいないようだった。

 

 

 

 

 

「良いですか皆さん」

 

 正しいポケモンの触り方、傷薬の使い方、ポケモンとの連携を可能にするためにトレーナーが取るべき位置取り、初歩的なことをおおよそ教えた後に、ビートはバインダーに目を通しながら少し離れたところにあるサンドバッグを指差して続ける。

 

「攻撃というものは、ポケモンバトルにおいて最も基本的な技術であり、同時にポケモンバトルにおいて最も深く、最善の無い技術でもあります」

 

 ビートの攻撃評に、ノマルはウンウンと頷いた。子供たちには少し難しいかもしれないが、間違ったことは言っていない。

 ノマルはこれまでのビートの先生っぷりを「悪くはない」と思っていた。決して口には出さないが、彼女はもう少し独りよがりな先生っぷりになるかもしれないと危惧していたのだ。

 もちろん、ビートが優れたトレーナーであることは今更再認識するほどのことではない、外部講師として教えていたときから、彼は事バトルにおいては飲み込みの早い生徒だった。自分で自分のことをエリートと称するだけのことはある。

 だが、優れたトレーナーすべてが、優れた先生であるとは限らない。特にビートのようなエリート、若くして感覚でポケモンやバトルを掴んでいる天才型は、持ち得ぬ人間に教える際に『わからないことがわからない』という状況に陥りかねないのだが、彼はそこのところをよく理解しているようだった。

 初心者に攻撃を教えることは方針は違うが、そこは言わぬ約束だったし、答えの出る議論ではない。

 

「今日皆さんに経験していただくのは最も原始的な『こうげき』です」

 

 そう言って、ビートはモンスターボールを投げる。

 現れたのは、いっかくポケモンのポニータだった。現れた彼は子供たちのポケモンたちのようにソワソワすることはなく、軽いステップで地面を捉え、サンドバッグを見据えている。

 

「『たいあたり』」

 

 ビートがそう指示を出すや否や、ポニータはすぐさまに地面を蹴った。あっという間にサンドバッグとの距離がつまり、そして、体全身をぶつけるように『たいあたり』した。

 サンドバッグは重量感を表現するように低い音を立てながら地面を転がった。

 

「このように」と、ビートは戻ってきたポニータをボールに戻し、新たにブリムオンをくり出してから続ける。

 

「技術とポケモンとのコンビネーションがあればただの『たいあたり』でも十分な威力を持つことが出来ます」

 

 ふわり、と、ブリムオンの『ねんりき』がサンドバックを元の状態に戻す。

 ビートはバインダーに目を通しながら続ける。

 

「『こうげき』は難しい技術ですが、ポケモントレーナーになるのであれば避けては通れないものです。今日は一先ずその感覚だけでも掴んで帰ってください」

 

 ちょっと子供相手だと硬い言葉遣いになっているかなとノマルは思ったが、緊張からか少し顔を赤くしているビートにそれ以上を要求はしなかった。




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319 彼女は助手 ②

 それが事件と言えるほどの規模かどうかはともかくとして、それまでそれなりに順調に進んでいたはずの初心者教室に少しばかりのアクセントが生まれたのは『こうげき』訓練の最中であった。

 

「一体どうしたんです? あなた達のペアならばもっと質の高い『こうげき』ができるはずですよ」

 

 順番待ちをしている子供とポケモンたちから少し離れ、ビートはある一人の子供と向き合っていた。

 その男の子は『こうげき』訓練に入るまではとても優秀でおとなしい子供だった。手持ちのプリンも見るからに才能あふれる雰囲気を持っていたし、男の子の指示をすんなりと理解することができる賢さも持ち得ている。

 故にビートは『こうげき』訓練になった途端にいきなり息が合わなくなったそのペアを不可思議に思ったのだ。

 彼は子供たちの列をノマルとブリムオンに任せ、その原因を探ろうとしていた。

 しかし、子供の返答は要領を得ない。

 

「ごめんなさい……」

 

 彼は先程からそのような言葉を繰り返すのみである。

 

「いえ、僕は君を責めているわけではありません。何か気になることがあるのなら言ってみなさい、僕が答えられることなら答えてあげますよ」

 

 ビートはできる限りの笑顔を浮かべてそういったつもりであったが。それでも子供の表情は曇ったままだ。

 その子のパートナーであるプリンはその状況の理解が出来ないらしく、オロオロとビートと子供を交互に見比べている。

 しばらく沈黙があった後に、ビートは彼なりに優しく語りかける。

 

「黙っていても何もわかりませんよ」

 

 その言葉に悪意があったわけではないだろう。

 むしろビートは、アラベスクジムリーダーとして、この初心者教室の責任者として、一人でも多くの子供に何かを掴んで帰ってもらおうとしているのだ。それはエリートであることの責任感でもあっただろうし、才能ある彼らをなんとか導きたいという指導者としての自覚もあったのかもしれない。

 だが、結果としてはその言葉が引き金だった。

 

「ごめんなさい……」

 

 男の子はやはり一言そう言ってうつむいた後に、今度は息を殺すようにしゃくりあげながら涙をこぼし始めたのだ。

 無理もないことだ、まだほんの子供である彼にとって、黙ることは彼なりの謝罪であり、償いであったのだ。それすらも否定され、彼はどうして良いのかわからなくなった。涙を流すことが正解だと思っているわけではない、むしろそれは間違いだとわかっている。だが、何もできなくなったいま、彼にできる感情表現はそれしかなかったのだ。

 パートナーの涙に、プリンはやはり動揺し、やがて、その原因であるビートを責めるような視線を投げかけた。

 

「ちょっと……」

 

 それに混乱したのはビートも同じだ。彼が泣いたことを責めてはいけないことはわかっている。だが、どうしても最初にでてくる感情は、泣く彼を責めるものだった。

 自分より幼い子供の涙に対する耐性というものがビートには無かった。物心ついた頃から、大人を見上げてばかりだったから。

 どうにかせねばと彼は思った。今この状況が間違いであることはわかっている。

 だが、どうしようも出来ない。男の子を慰めなければならないという優しさはある、だが、そのためにどうすれば良いのかというノウハウがない。

 やがて、彼は助手の存在を思い出した。子供相手の初心者教室によく慣れた助手だ。

 だが、彼女を呼ぶことが本当に良いことであるのか、それはアラベスクジムリーダーとしての責任を放棄することではないのか、人に頼って良いのか、その行為によって、前任のジムリーダーポプラの顔に泥を塗ることになりはしないのか。

 少しだけ彼は考えた、そして、両手を顔に当てて無理にその涙を引っ込めてしまおうとしている男の子を見て、彼はすぐにノマルのもとにかけていった。

 

 

 

「よしよし、どうしたの?」

 

 ビートからのヘルプを受け付けたノマルは、すぐさまにその男の子のもとに歩み寄り、しゃがみこんで彼と目線を合わせるように努めた。だが、もともとビートより身長の低い彼女がしゃがみこんでしまったものだから、その男の子を下から覗き込むようになっていた。

 彼女の後ろに立つビートは、己の不甲斐なさに顔を真赤にしながらそれを眺めている。

『こうげき』訓練の列に並ぶ子供たちは、なにかのっぴきならない状況が起きている空気を敏感に察知しているのか、自分たちを見守るのがブリムオンと新たに繰り出されたサーナイトだけになっても隊列を崩すことはなかった。

 

 それを抑え込もうとしても感情の高ぶりを抑えられない男の子は、やはり「ごめんなさい」と彼女に漏らすだけだ。

 

「いいよいいよ」

 

 そう言って、彼女は男の子の頭を胸に抱いた。背中を擦りながら「ビート先生も私も怒ってないからね」と語りかける。

 男の子が泣くことに疲れるまで待ちながら、彼女は空いた手でそばにいたプリンを撫でる。

 ふにふにとやわらい体を揉まれながら、プリンは一旦彼女への警戒を解いたようだった。

 しばらく、ノマルは男の子の嗚咽を胸に受け続けた。

 

 

 

 

 数分ほど涙を流した後に、男の子は泣き止んだ。

 ノマルは彼の顔をハンカチで拭いてあげた後に問う。

 

「どうして泣いちゃったの? 怖かった? 悲しかった? 悔しかった?」

「……わからない」

「そうかあ、わからないから泣いちゃったんだね」

 

 ノマルはそれを不思議に思わなかった、その男の子位の年齢ならば、自分の感情がわからないことだってあるだろう。

 

「それじゃあ、泣く前はどんな気持ちだった?」

 

 その質問には答えられるようだった。

 

「……イヤだった」

 

 その返答に、ビートは少し驚く。

 

「嫌だったんだね。何が嫌だったの?」

 

 男の子は少し考え込んでから答える。

 

「……攻撃するの、イヤだった」

「そうかあ、攻撃するのが嫌だったんだね。どうしてかわかるかな?」

「……あのね、プーちゃん僕のいう事聞かなくなるの。僕、プーちゃんに嫌われたくない」

 

 プーちゃん、とはパートナーのプリンのことだろう。

 

「でもプーちゃんとは触るときとかキズぐすりの時とかはすごく仲良しだったよね」

「うん、でもね『こうげき』になると僕のいう事聞かなくなるんだ、もういいって言ってもやめないの。いつもそうなんだ」

 

 ビートは、自分が抱いていた違和感の正体がそれであることに気づいた。そして、おそらくノマルがいなければ、これに気づくことは出来なかっただろうと思う。

 

「そうかあ」といいながら、ノマルはそばにいるプリンことプーちゃんに目をやる。

 心配そうに男の子を見上げるそのプリンが、彼に懐いていないとは思えない。

 それから考えられることは。

 

「プーちゃんはね」と、ノマルが男の子を見上げながら続ける。

 

「プーちゃんは『こうげき』になると張り切っちゃって君に褒められようとしちゃうんだね」

「僕に?」

「うん、たしかに君の言うことを聞かなくなるかもしれないけど、それはプーちゃんが君のことを嫌いなんじゃなくて、君を守ろうとしたり、君に褒められようとしてるんだよ」

「……そうなの?」

「そうだよ。だって、君は嫌いな人と一緒に寝たり、体をなでてもらったりしたい?」

「ううん」

「そうでしょ? プーちゃんも同じだよ。プーちゃんは君のことが好きだし、君もプーちゃんのことが好きなんだよね?」

「うん、僕プーちゃん好き」

 

 ぎゅっ、と、男の子はプリンを抱きかかえた。プリンもそれに答えて彼の胸に顔を埋める。

 ノマルの言うことに間違いはなさそうだった。

 

「でも」と、ノマルは男の子とプリンが抱擁を終えたのを確認してから言う。

 

「いくら褒められたいからって、プーちゃんが君の言うことを聞かなくなるのは良くないよね?」

「うん」

「だからね、今度からはプーちゃんが『こうげき』の時に勝手なことをしたりしないように、君の考えていることをもっとわかってもらえるように、一緒に訓練しないといけないね?」

「うん」

「だから、ビート先生にお願いしようか?」

「うん」

 

 男の子は、プリンを抱えたまま一歩前に出てビートに頭を下げる。自らを泣かせた相手だという事は一旦置いているようだ。

 

「ビート先生、僕に『こうげき』を教えて下さい」

 

 少しだけ沈黙を挟んでから「ええ、わかりました」と、ビートは赤い顔のまま笑って答える。

 今日全てを教えることは出来ないかもしれないが、残された時間、彼らは全力を尽くすだろう。

 

 

 

 

 

 

「マイナーに落ちるわけにはいかないようですね」

 

 初心者教室が終了し、ビートとノマルは子供たちを見送った。

 子どもたちのほぼ全てはそれに満足していたようで、彼らは皆笑顔でビートとノマルに手を振ってそこを後にしていた。当然、その中にはあの男の子とプーちゃんもいた。

 だが、ビートは少し皮肉げに笑いながらそう言ったのだ。

 

「エリートである僕には、この役割は向いていないようです」

 

「どうして?」と、ノマルは振り返りながらそう問うた。

 

「どうしてって……見ていたでしょう? 僕はあの子を泣かせてしまった」

「泣くわよ、子どもは」

「でも、僕はその後の対処ができませんでしたし、そもそも、あの子が泣いた理由もわからなかった」

「最初からできることじゃないよ」

 

 一泊置いてからノマルが続ける。

 

「あの年頃のペアにはよくあることなのよ、トレーナーの認識とポケモンの認識が一致しないことはね……ビートくんには無かった?」

「ええ。正直、今でも彼の言うことがあまり理解できていません」

「そうか、でも、そんなものよ」

 

 彼女は微笑んで続ける。

 

「私なんて、あの子くらいの頃ポケモンに触ったことすら無かったもの」

 

 その言葉には説得力があった。

 更に彼女は続ける。

 

「自信なくなった?」

 

 ビートはそれに頷く。

 

「ええ、元々あまりなかったんですがね」

「いいのよ、それで、ビートくんはそれでいい」

 

 ノマルは頷いて続ける。

 

「ビートくん頑張ってるもの」

「頑張ってる?」

「うん。だってそうでしょ? 今日ビートくんはあんなに資料を用意してプログラムを組んだんだから」

 

 ノマルが言っているのは、彼が小脇に抱えるバインダーのことだろう。

 

「それに、ビートくんと私があの子につきっきりになった時に、ブリムオンとサーナイトが『こうげき』訓練を仕切れたのも、あなたが今日のリハーサルをしっかりとやって、ポケモンたちと考えを共有していたからでしょう?」

 

 ビートはその褒め言葉に反応を返さなかった。代わりにまた顔を赤くさせる。

 

「あと、あの子のことが自分にはわからないと思ったら、すぐに私に頼ってくれたよね。私、あれすごく良いと思った。きっと、初めてあったときのビートくんなら出来なかったと思う」

「あれは……彼の手持ちのプリンがノーマルタイプを複合していたからですよ」

「いいよ、そういうことでも」

 

 ビートの照れ隠しを、ノマルは受け入れて続ける。

 

「ビートくんは初心者じゃないかもしれないけど、今日は子供たちのためにいっぱい考えてた。すぐにいい先生にはなれないかもしれないけど、頑張ることを積み重ねていけば、きっといい先生になれると思う。今日はよく頑張ったね」

 

 ノマルは少し手を伸ばして彼の頭をガシガシとなでた。ビートはそれに反抗しない。

 

「それじゃあ、片付け始めようか」

 

 まだまだ元気なノマルを、ビートは少しの間じっと眺めていた。

 

 

 

 

 

 

「いい先生になると思いますよ」

 

 アラベスクジム、ジムリーダー室。

 助手は先に上がってください、と、ビートに言われ、彼女は一足先にシャワーと着替えを終えてポプラの茶会にお呼ばれしていた。

 本来ならば、助手がリーダーより先に上がることなどありえないと彼女は考えるのだが、今日に限っては、彼が一人になることができる時間を尊重しようとした。

 きっと彼は今、よく考えているのだろう。

 

「そうかい、そりゃあよかった」

 

 カップを傾けながら、ポプラが嬉しげに言った。その表情を、ビートくんにも見せてあげればいいのにとノマルは思う。

 

「あの子は少しひねくれたところがあるから、どうなるかと思っていたんだよ」

「流石に子供相手にそんな事はありませんでしたよ、それに、彼なりに子供たちを理解しようと頑張っていました。あれなら、この後のアラベスクジムも立派にやっていけるはずです」

「そうかい」

 

 くるくると紅茶にミルクが渦を作るのを楽しんでいるノマルに、ポプラが言う。

 

「あの子と、あんたを引き合わせて正解だった」

 

 その言葉にノマルが表情を上げて自身と目を合わせたのを確認してから続ける。

 

「似てるところがあると思ったんだよ、あの子と、あんたは」

 

 ふふっ、と、ノマルはそれに微笑む。

 だが、角砂糖を二つほど紅茶に放り込んでから、彼女はそれを否定した。

 

「ポプラさん、それは違いますよ」

 

 スプーンでそれをかき回しながら続ける。

 

「『あの事件』の時、彼はまだティーンエイジャー。特殊な出自で、ほとんどローズ委員長の手駒だった」

 

『あの事件』とは、ビートがラテラルタウンの壁画を破壊したセンセーショナルな事件のことを指しているのだろう。

 

 複雑な話になるが、ビートはかつてのポケモンリーグ委員長ローズの推薦でジムチャレンジを行っていた際に『ねがいぼし』と呼ばれる鉱石を集めていた。彼はその使命感から歴史を軽視し、ラテラルタウンの壁画を破壊し『ねがいぼし』を採集しようとした。

 幸いなことに、壁画はレプリカであったし、壊した先にはガラル全土を揺るがす歴史的資料があったから良かったものの、当然それは批判にさらされるような行為だ。ちなみに余談ではあるが、彼はこの功績により『トレーナーとしてよりも考古学者としての実績のほうがまだ上』とも言われている。

 ポプラは、彼のそのような過去と、ノマルの過去とを照らし合わしたのだろう。そして、いまのノマルが優れたトレーナーであり教育者であることを前提として、ビートの未来に期待している。

 だが、だからこそノマルはそれを否定したかった。それを認めることはつまり。

 

「私は、かつての私が間違っていたとは思っていませんし、あの時、私は自分の意志であそこに立っていました」

 

 そう。

 ノマルとビートの、最も大きな差はそこだったと彼女は思っている。

 ローズ委員長に認められようと、半ば意味などわからず『ねがいぼし』をかき集め、「あの頃はどうかしていた」と過去の過ちを認めることができるのがビートであるのならば、自分はその逆だと彼女は思っている。

 

「今でも、私の根本には『あの思想』があります。ただ、私は負け、今ではそれを押し通す力もない」

 

 その明確な否定にも、ポプラは動揺しなかった。

 ただケーキを切り分け「そうかい」と、つぶやいた。

 

「似ている、と思ったんだがねえ」

 

 再びそれに微笑みながら、ノマルはカップを傾ける。砂糖が少なかったか、もう少し甘いほうが好みだった。

 

「……導いてくれる人がいた。という点においては似ているかもしれませんね」

 

 その言葉に、やはり「そうかい」と、ポプラは目細める。

 

「フッツに、よろしく言っといてくれ」

「ええ、わかりました」

 

 その後、この部屋にビートが飛び込んでくるまで、彼女らは言葉をかわさなかった。




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322 彼女の訪問者

 ラーノノタウン、その象徴的な建築物といえば、町の中央にそびえ立つラーノノ大聖堂だろう。

 それは尖塔の高さ、そしてそのものが持つ歴史の古さ共にガラル地方の中でトップクラスであり、野外市場と共にラーノノタウンの歴史を象徴するものであった。しかし石造りのそれが未だに町にとけ込み残っているのは、ラーノノがガラルの近代化から一歩遅れたことの証明でもあるだろう。だが、それを疎ましく思う住民はいない。

 

「いや~、君がいてくれて助かったよ」

 

 その大聖堂内に存在する礼拝堂、ガラル地方で最も古いとされるステンドグラスを見上げながら、ガラル地方携帯獣学の若手博士であるソニアは、傍に立つミスミの肩を叩いていた。

 ミスミはそれに満更でもなさそうだったが、少し苦い顔をしながらそれに答える。

 

「どうしてアポ取らないんですか? そういうところばっかりダンデに影響されちゃ駄目ですよ」

「面目ない、ふと今朝これが浮かんだものだから……」

 

 携帯獣学者でありながら、ガラルの歴史研究家でもあるソニアは、かつて『ブラックナイト』と呼ばれた大災厄の際に、ある強力な力を持ったポケモンが人間に力を貸していたという説を唱えている。新たに発掘された歴史的資料を根拠としていたそれは意外と説得力のあるものであり、出版した本はベストセラーとなっていた。

 

 彼女がラーノノ大聖堂のステンドグラスに伝説のポケモンに対する新たなヒントが有るのではないかと彼女が気づいたのは、その日の朝のことであった。思いついたら即実行が大事だということを最も付き合いの古い友人、ダンデから学んでいた彼女は、すぐさまに荷物を整えラーノノに飛んだのである。

 ところが、タイミングの悪いことにその日は礼拝堂が閉められている日であり部外者の彼女は入れないという。

 しかし、インスピレーションを無駄にしたくない彼女は、それが迷惑であることを知りながらノマルに連絡をとった。ノマルはかつてジムチャレンジで戦った仲であったし、それ以前から祖母であるマグノリア博士の客人としての付き合いがあり、親戚の姉のような存在であったのだ。

 

「今日ノマルさんなんなの?」

「わからないですけど、今日はずっと前から休みだったんですよ」

 

 タイミングが悪いことは重なるもので、その日ノマルはオフを取っていた。そして、彼女の代わりに派遣されたのがジムトレーナーのミスミであった。

 ラーノノ大聖堂に併設されている学校の卒業生であり、かつて聖歌隊の一員であったミスミは、礼拝堂の管理者と顔なじみであり、そして信頼もされていた。

 

「いやほんと、君がいてくれてよかった~。おかげでまた新しい発見ができそうだし、ありがとね~」

 

 ソニアは今度は撫でるように手を伸ばしてミスミの頭を撫でる。ノマルと付き合いが長いということは、ミスミとも付き合いが長い。彼女がその様に少し柔らかい態度を取ることは自然であったし、ミスミがそれに少しうっとうしそうな様子を見せるのも自然だろう。

 

「話を聞いても、俺には何も変わらないように見えるんですけどねえ」

 

 彼はステンドグラスを見上げてそうつぶやく。

 今ではほとんどありえないことだが、言葉のわからぬ人間が過半数を締めていた時代に、彼らに『教え』を伝えるために利用されたのがステンドグラスだ。材質こそ違えど、その目的はターフの巨大な地上絵やナックルシティのタペストリーと変わらないだろう。

 ラーノノのステンドグラスには、二匹のポケモンと二人の人間が並んでいるデザインが有った。ミスミ達はそれを『共に暮らしていくパートナーの大切さ』を説いているものだとこれまで疑ったことがなかったが、ソニアに言わせればそれはあの『ブラックナイト』からガラルを救った英雄かもしれないというのだ。

 

「デザインというのはそういうものだからね」と、ソニアは背伸びをする。

 

「今度時間をとってここの書物を確認できるように頼んでみようかな」

 

 可能性はあった。後はこの地に伝わる伝説の中に自らの仮説を証明するものがないかどうかを確かめる。

 

「手伝ったら論文の共同著者にしてくれます?」

「生意気言うな坊や」

 

 グリグリと頭を小突いてから続ける。

 

「まあでも今日は助かったからご飯でも奢ってあげるよ……まあ……それなりに……空気を読んでは欲しいけど……肉は、ムリ……」

 

 財布の状況を思い出しているのか、その語尾から段々と頼もしさというものが消えていく。

 しめしめ、とミスミはほくそ笑んだ。最近駅前に気になるパスタ屋が出来ていたのだ。流石にパスタ屋が若手博士の財布に大ダメージを与えることはないだろう。

 う~ん、といかにも悩んでからそれを答えるような演技をしようとした時、彼のポケットからネズの歌声が鳴り響いた。神聖な礼拝堂にお世辞にも神聖ではないと言える歌が響いていたが、ミスミにとってはその曲こそ神聖なものなので何も問題がない。

 ソニアに一礼してからその音の主であるスマートフォンを手に取る。

 

「はい、もしもし」

 

 向こう側から聞こえてきたのは彼が組んでいるバンド『ノーマルエールパワーズ』のドラムからであった。

 焦っているのだろうか、向こう側から聞こえる声は震え、やたらに息が切れているような気がする。

 だがミスミは特にそれを気にしなかった、一のことをまるで十のことのように伝える、ドラムの男はそういう男であった。

 

「うん、うん……うん……は?……はああああああ!!!!!????」

 

 突然放たれたその大声に、ソニアは驚き、実はずっと彼女の足元でうたた寝をしていたワンパチは「ヌワン!?」と跳ね起きた。

 

 

 

 

 

 

 野外市場、その日、そこはいつものざわめきとは別にざわついていた。

 ノマルが歩いていたからだ。

 いや、それだけでは言葉が足りないだろう。ノマルがそこを歩くのは日常だ。今更それに驚くことも動揺することもない。

 ただ、その横にミスミ以外の男がいるとなれば話は別だった。それもただの男ではない、彼はとびきりの美丈夫であった。

 肌は白く、整った顔立ちにあるパッチリとした瞳は青く美しい、まだまだ若そうな彼を美人と称さないのは、彼の身につけているスーツと靴が、見る人間が見れば感心してしまうようなブランドのものであるからであった。

 

「ここの占いは本当によく当たるんですよ」

 

 スラリと背の高い、ブロンドを纏めたその男を引き連れながら、ノマルは馴染みのキッチンカーに立ち寄る。

 

「プレミアムミルクティーをくださいな」

 

 仕切りの向こう側から手だけが見えている店主は、彼女らの登場に一瞬だけ手を止めた後にサムズアップをしてそれを作り始める。

 

「ゆっくりでいいですからね」

「それで占えるものなんですか?」

 

 男は不思議そうに、それでいて興味深そうにその手を覗き込みながらノマルに問うた。流暢なガラル語であったが、若干の不自然な訛りがあるようにも聞こえる。

 

「ええ、後はそうですね……私達の将来について教えて下さいな」

「またそんな……」

 

 ノマルの言葉に男は少し表情を崩しながら微笑みを浮かべる。

 それが見えているのか見えていないのか、店主は少し強めの筆圧でサインペンを踊らせると、カバー付きのカップをノマルの前に差し出す。

 カップカバーには『未来は明るい』と書かれていた。

 

 

 

 

 

 

「……あれ誰?」

 

 野外市場、馴染みの木の実屋の客に扮しながら、ミスミとソニアはキッチンカーを訪れるノマルと男を遠目に観察していた。

 

「いや、知らねえ」

 

 いかにもそのラムの実に興味がありますという風に物色しながら、ミスミはソニアの問いに首を振る。

 

「坊主が見たことねえってことはよ、全くの部外者ってことかい?」

 

 木の実屋の店主も彼らの目的というものをすぐさまに理解し、いかにもそれを勧める店主であるように努めながら問うた。ノマルが子どもでない男を連れていることに驚きおののいているのは、ミスミやソニアだけではない。

 

「ジムの関係者じゃねえだろうし……リーダーの親戚にもあの手の男はいないはず……」

「じゃあ彼氏じゃないの?」

 

 ソニアの純粋にして何気ない意見に、ミスミは大きく首を振った。

 

「いやいやいや、ありえねえ。よりにもよってあの人に彼氏だなんて」

「いやいやいや、ノマルさんもいい大人なんだからさ、彼氏の一人や二人くらいいてもおかしくないって」

「ノマルちゃんに彼氏? そりゃ考えられないよ」

 

 店主もその意見には否定的であった。周りの店の人間もそれに同意だったようで、ウンウンと頷く声がいくつも重なって聞こえる。

 だが、ちょうど他の客の勘定を終えた店主の妻はソニアに同意する。

 

「ちょっとあんたらそりゃノマルちゃんに失礼だよ」

「そうは言ってもよお、そんな昨日今日でノマルちゃんに彼氏ができたなんて考えられねえよ」

「あの人夜の九時には眠くなる人なんですよ? ありえないでしょ」

「ばかねえ、そのほうが都合がいいってこともあるでしょうに」

 

 年配の女性特有の反応しづらいシモネタにミスミが苦笑いを返していると、不意に店主が「隠れな!」と、彼らを店の奥にある棚の隅に追いやった。

 カップを片手に、ノマルとその男がこちらの方に移動してきたのが見えたのだ。それも、機嫌良さげに手を振っている。

 

「よう」と、店主は二人が隠れたのを確認しながら手を振ってノマルに挨拶する。

 

「こんにちわ!」

 

 ノマルと男はその店に近づく。

 

「いい男を連れてるじゃないか」と、店主の妻が遠慮すること無く言った。

 

「そうでしょ!」

 

 ノマルはそれに機嫌が良さげであったが、男の方は「お上手ですね」と、それに微笑むのみだ。

 その表情があまりにも柔らかいものだから、店主の妻は思わずドキリとした。けして彼女は浮ついた女ではない、だが、その男の顔のあまりの出来の良さに圧倒されていた。

 

「いいラムが入ってるよ、オレンも少しある」

 

 店主はその様子に少しだけ機嫌悪そうにしながらも、ノマルのお気に入り商品であるそれを勧める。

 

「本当ですか!」

 

 ノマルはそれらを手にとった。

 男もそれに釣られるようにラムのみを手に取る。

 

「それならラムとオレンを十個ずつください」

「はいよ」

 

 未だにポーッとしている妻を小突きながら、店主はそれらを袋に詰めた。

 その間に、男がラムのみを掲げるように眺めながらつぶやく。いつの間にかその目は真剣になっていた。

 

「私もラムを一つ頂きたい」

「はいよ」

「失礼ですが、ここで一切れいただいてもよろしいですか?」

 

 店主はその提案に少し驚いたがすぐさまに「ああ、いいよ」と答えた。別にそれを断る義理はない。

 

「ありがとうございます。ナイフを借りても?」

「はいこれ」

 

 間髪入れずに店主の妻から差し出されたそれに「ありがとうございます」と笑みを返しながら。男はそれで器用にラムのみの皮を剥く。

 ラムのみといえばそれを口にするのに手こずるポケモンがいるほどに硬いことで有名であるのだが、男は器用にそれをバラバラにした。

 そして、本来ならばポケモンが口にすることが多いその実を、何のてらいもなく口にした。

 二、三度粗食し、果実からあふれる汁を飲み込んでから彼は言った。

 

「これは……素晴らしいラムですね。手頃な大きさで栄養状態も良い」

 

 驚く店主に反応すること無く、男は剥いたはずの皮を口にして続ける。

 

「うん、ラムの実なのに皮が柔らかい……これ、どこのものです?」

「カロスのもんだよ」

「そうですか、失礼ですが、農園の名前をお伺いしても」

 

 店主はその男の行動に戸惑うが「ああ、いいよ」と、それをチラシの裏に書いて手渡す。

 

「ありがとうございます……よろしければ、ここにあるポケモン用のきのみを一つずつ、産地と一緒にいただきたいのですがよろしいですか?」

 

 ニコリと笑う男に、店主の妻はすでに納品情報を眺め、メモにとっている。

 

「あんた、詳しいのかい?」

「いえ……そんなわけでは」

「彼はいくつも農園を持っているんですよ!」

 

 それを否定しようとした男に、ノマルがかぶせる。

 へえ、と感心した店主に、男は苦笑いして頬をかく。

 

「別に大したことはないんですが……職業病みたいなものです」

 

 

 

 

 

「ノマルちゃん、幸せになってほしいねえ……」

 

 ノマルと男が大きな袋を抱えて店に背を向けたことを確認してから、ミスミとソニアは店の奥からひょっこりと顔を出した。

 すでに手を組んでポーっと二人の行末を願う店主の妻を一先ず置いておいて「いやいやいや」と、ミスミがつぶやく。

 

「そんなわけねえ、そんなにうまくいくわけがねえ」

 

 ミスミは未だにそれを疑っているようだ。仕方がない、今まで彼が付き合ってきたノマルという人間に対して、あの男は次元が違いすぎる。

 そもそもノマルに男の影を感じたことがこれまで一度もなかったのだ、それが不意に、しかもあのような男であることに戸惑いしかない。

 

「家柄的にはありえるんじゃねえか? ノマルちゃん結構良いところの出だろ?」

「そりゃまあそうですけど……」

「良いじゃないかい、家柄の結婚だとしても本人が楽しそうならさ」

「いやー……」

 

 ミスミは頭を抱えた。店主と店主の妻はすでに男の肩を持っている。男に仕入れたきのみをべた褒めされたことがよっぽど嬉しかったのだろう。

 

「信じられねえ……そんな空気は欠片も感じなかったのに」

「子供だねえ、それが大人の女ってもんなのさ」

 

 店主の妻の言葉に、ミスミは絶句する。すでに頭は混乱し、彼らしい聡明な考え方は出来なくなっている。

 

「……急にインターネットに触れたからか?」

 

 更に考え込もうとするミスミにソニアが「あのさー」とオレンのみをかじるワンパチを抱えながら更に話をややこしくする。

 

「多分だけど、君が考えているようなこと起きてないと思うよ」

 

 ミスミはその言葉に顔を上げる、なぜかはわからないが彼女は自信ありげであった。

 

「なんでそう思うんです」

「だってさあ」

 

 

 

 

 ラーノノタウン、ラーノノジム、対戦場。

 本来ならば『スタジアム』と称して良いはずのその施設が町の人間に『対戦場』と称されるのは、そう呼ぶにはあまりにも古めかしい設備に対しての愛着であった。

 

「カントーのものに比べたら大したものじゃないでしょう?」

 

 照明に照らされたそのど真ん中に二人で向かいながら、ノマルは恥ずかしげに言った。

 男はそれに微笑んで返す。

 

「いえいえ、カントーやジョウトにも老朽化したスタジアムなんていくらでもありますよ。それに、新しいだけの施設よりもずっと良い、歴史や愛着が見えてね」

 

 男はぐるりとそれを見回して続ける。

 

「何も不自由はしないでしょう」

 

 二人は対戦場の中心で向き合う。

 そして、男がもうニ、三言続けようとした時に、その大声は響き渡った。

 

「ちょっと待ったぁ!!!!!!!!!!!」

 

 その声の方向を二人が見ると、一人の男、ミスミが猛ダッシュで近づいてきている。

 さらに、上空から滑空してきたウォーグルがノマルと男の間に割ってはいり、大きな羽を広げてノマルをかばった。

 

「このクソ野郎が!!!」

 

「ミスミくん!?」と驚くノマルの声を無視して続ける。

 

「ノマルさんをたぶらかすだけならまだしも……お前、お前」

 

 彼は声を震わせ、男の左手を指差して続ける。

 

「お嫁さんのいる身でそんな事するたあ、いい度胸じゃねえか!!!」

 

 男は自身の左手を見る、その薬指には銀色に輝く指輪。まあ、普通に考えれば結婚指輪だろう。

 

「ちょっとちょっと! それ絶対勘違いだって!!!」

 

 ミスミの後を追うように、ソニアがワンパチと共にかけてきた。

 

「ノマルさんごめんなさい! 説得しようとしたんだけど駄目だった」

 

 ノマルは未だに意味がわからずウォーグルの羽を掴みながらオロオロとしている。

 

 ソニアが男の結婚指輪に気づいたのは博士らしい聡明さ、というよりも、普通に考えたらそこを見るだろ、というのが彼女の主張であった。最も、ミスミと木の実屋店主夫妻はそれには気づかなかったらしいが。

 結婚しているのだからノマルとそういう関係になりたいわけじゃないだろう。とソニアは伝えたかったのだが、すでに全てに懐疑的になっていたミスミはそうは受け取らなかった。

 妻子のある男がノマルをたぶらかそうとしている。狭く深くしか物事を考えられなくなったミスミが出した結論はそれであった。

 そうなれば、まあ、怒るのは当然だろう。

 

「彼は?」

 

 男は特に驚いたり怯えたりすることもなくノマルに問うた。

 

「ごめんなさい! うちのジムトレーナーです!!!」

 

 ノマルはウォーグル越しにそう答える。

 ふうん、と男が考えるよりも先に、ミスミは新たにボールを放り投げてタチフサグマを繰り出した。

 タチフサグマもまた厄介なことにひどく興奮している。

 

「だからやめなって! 絶対そういうんじゃないって!!!」

 

 ソニアの忠告を無視してミスミが叫ぶ。

 

「さあ俺と戦え! 化けの皮はいでやる!」

 

 男はそれぞれの登場人物をみやりながら、そして、非常に客観的な自身の評価を踏まえて考えた。

 彼は聡明であった。すぐさまにその答えをひねり出して「あー、なるほど」と苦笑い。

 

「ああ、いいよ」

 

 凄むミスミに、男はあっさりと答えた。

 彼はジャケットの内ポケットから素早くモンスターボールを放り投げ、ポケモンを繰り出す。

 現れたのはペルシアン、スマートでしなやかそうな東の個体だった。

 今度はミスミが驚く番であった。

 彼の想像する女をたぶらかすやつというのは、その大体が軟弱で度胸がないというイメージであったのだ。

 だがこの男はどうだ、まるでこのような状況に慣れ親しんでいるかのように、なんの動揺もなければためらいもなくポケモンをくり出した。しかも現れたペルシアンは、まっすぐにタチフサグマとミスミとをみやりながら男の指示を待っている。

 手練だ。

 

「こちらから行くよ!」

 

 男がそう言うやいなや、ペルシアンが地面を蹴ってタチフサグマに襲いかかる。

 だが、ミスミもそれにはうろたえない。

 

「『ブロッキング』!」

 

 タチフサグマは腕を交差させガードを固める。相手がそれに触れてきたらその攻撃を跳ねとばし、相手にスキを作る技術だ。相手はペルシアンである『ねこだまし』を警戒した選択だ。

 彼の腕にペルシアンの前足がかかる、すぐさまにそれを跳ねのけたが。

 その先にあったのはペルシアンのもう片方の前足であった。

 

「『フェイント』」

 

 最初の攻撃はおとり、その次の攻撃こそが本命であった。

 首元に前足で攻撃されたタチフサグマはぐらりと揺れた。その攻撃で戦闘不能になるほど弱卒ではない。だが、その攻撃は想定していたよりも重い。

 それはペルシアンの特性が『テクニシャン』であることも関係していたかもしれないが、何より、そのレベルが高いのだ。

 次の攻撃を考えながら、何者だ、と、ミスミはその男の実力に驚いている。

 だが、その男との対戦において、その考えは不純物であった。

 

 

 

 

 

 

「ほんっっっっっっっっっっっっっっとうに!!!!! 申し訳ありませんでした!!!!!!!!!!」

 

 場所を変えずラーノノジム対戦場のど真ん中。

 ノマルは両手でミスミとソニアの頭を力いっぱいに押さえつけながら、自身も信じられないくらい深々と頭を下げていた、もはやお辞儀ではない、折りたたみだ。

 

「なんで私まで……」

 

 ソニアからすれば完全にとばっちりであった。そもそも彼女に落ち度はないはずであるのに。しかしノマルのあまりの剣幕にその意見を言えないでいる。

 代わりに未だに不満たらたらなのはミスミであった。納得行っていない上にタチフサグマもやられている。

 

「いや~っはっはっは、構いません構いません。私も久しぶりに楽しかった」

 

 男は随分とご機嫌にニコニコと笑いながら手を振っていた。

 

「いや~、ああいう戦いは久しぶりでした。もう一線からは引きましたが、やっぱりバトルは良いものですねえ」

 

 まあまあ頭を上げてください、と、男は三人に言ってから続ける。

 

「ジムトレーナーの実力も申し分ない。そして、ジムリーダーであるあなたも街の皆様から慕われ、愛されている。私と歩くと何事かと関心が集まるくらいにね」

 

 その言葉にノマルはキョトンとした。どうやら男は、ラーノノの住民たちの反応を敏感に感じ取っているようだった。

 

「あの~」と、ソニアが恐る恐る手を挙げる。

 

「結局、あなたは、誰?」

「人に名前を聞くときには、まずは自分から!」

 

 ノマルにそう怒られ、ビクリと背筋を伸ばしながら「私はソニアです!」と彼女が答える。

 

「あなたも!」

「……ミスミです」

 

 ふてくされているミスミを気にせず、男はソニアに目線を向けて問う。

 

「ソニア、ソニアと言うと、君はソニア博士かい?」

「え、ええ、そうですけど」

「やはりそうか!」

 

 男は一歩二歩と彼女との距離を詰めてその手を取る。

 

「ソニア博士、いつか機会があれば会いたいと思っていたんです! あなたが編纂したあの本、ガラル地方の伝説をわかりやすく纏めながらポケモンと人間の関係にも言及があり、非常に興味深かった! 私、友人にも何冊か配らせて頂きましたよ!」

 

 ブンブンと振られる両手に「あ、ありがとうございます……」とソニアは動揺のままに答えた。

 

「それで、結局誰なんだよ」

「ミスミくん!」

 

 やはりぶーたれながらそう言ったミスミをノマルは叱るが、男はそれにも怒ること無く答える。

 

「ああ失礼、私はこういうものです」

 

 彼は懐から取り出したケースから名刺を取り出し、二人に丁寧に手渡す。

 ミスミらはそこに書かれている幾多もの経歴にクラクラとしたが、最も目を引いたのは。

 

「カントー・ジョウトポケモンリーグ協会理事……クシノ?」

 

 カントー? と、ミスミとソニアは首をひねった。

 もちろん、その地域については知っている、はるか東にある、伝統あるポケモンリーグを有する地方である。そういえば、男の言葉からほんのり感じられる訛りは、東の方の訛りのような気もする。

 だが、その男の白い肌に青い瞳、セットされたブロンドは、彼らの思うカントーとはあまりにもかけ離れていた。

 それに、それとこのラーノノタウンが全く結びつかないのだ。

 

「クシノさんは数年前までカントー・ジョウトリーグで活躍されていたプロトレーナーです! 今では引退され後進の育成に努めています!」

「活躍と言っても、この地方で言うメジャーリーグには上がれませんでしたがね」

 

 その言葉にようやくミスミはクシノの強さに合点が行った。それでも悔しいものは悔しいが。

 

「あの、なんでその人がガラルに?」

「そうだ、その説明がすっかり遅れていたね」

 

 クシノは姿勢を正して続ける。

 

「実は、私の弟子を一人研修生としてラーノノジムに派遣したいと考えていたんだ」

「そういうことです!」

 

 クシノよりも大声でノマルがそう叫んだ。

 

「今日クシノさんとはその話し合いのために会っていたんです。大事なお客様ですよ!!! それを……それを!」

「まあまあ、仕方ありませんよ。状況が状況でしたしね、それに、私の心は変わりません」

 

 彼は一歩ノマルに踏み込んで深々と頭を下げる。

 

「ノマルさん。ぜひとも、私の弟子に、ジムについて、教育についてのご教授をお願いしたい」

 

 その言葉を受け、ノマルは一度ミスミに睨みつけるような視線を飛ばした、彼がバツが悪そうに視線を外すと、それを承諾と受け取ったのだろう、それに答える。

 

「喜んでお受けします。数あるジムの中からラーノノジムを選んで頂き、非常に光栄に思っております。あなたのお弟子さんだけではなく、我々も学ぶものの多い機会となるでしょう」

 

 それを受けて、クシノはニッコリと大きく笑った。

 

「いやー、よかったよかった。私の妻も喜ぶでしょう」

 

 ありがとう、ありがとう、と、彼はソニア、ノマル、ミスミの三人と無理やり握手を交わして続ける。

 

「細かな調整はまた後日書類をお送りします。いかがでしょう? この後お時間あればみんなで食事でも? ごちそうしますよ」

 

 ソニアとワンパチはその提案にピクリと反応したが、ノマルは微動だにせずそれに答える。

 

「いえ、私はこの後この子達と話すことがあるので、またの機会に」

 

 クシノに見せる表情は朗らかだったが、ソニアとミスミに見せるその後姿には、肌にビリビリと感じるような恐ろしい威圧があった。

 ソニアは殺されると思った。幼馴染のダンデを呼ぶかどうか、本気で考えている。

 ミスミもそれに恐怖はしていたが、ここに来てようやく頭が冷えてきたのか、流石にこれは自分が悪いとも思い始めていた。何よりノマルは礼儀に厳しい。

 

「あー、あまり強くは言わないであげてくださいね。あなたを思ってのことだったんですから」

 

 やはりノマルはその言葉に首をひねった。自分自身がどのような扱いを受けていたのか、彼女はこれから知ることになる。

 アポをちゃんと取ればよかった、と、ソニアは思い出したように後悔していた。




感想、批評、お気軽にどうぞ、質問等も出来る限り答えようと思っています。
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過去編 新人ジムリーダーノマル 36 ジムチャレンジ開幕 ①

①~③までの三本立てです。今日中に三本投稿します


 ラーノノタウン、ラーノノスタジアム。

 中年と言うほどではないが、青年というほどでもないといったその男は、ジムチャレンジのユニフォームがあまりにも少年的なデザインであることを少し不満に思いながら、ジム挑戦の手続きを終えようとしていた。

 

 妙な光景ではあるが、彼の周りには何人かカメラを手にした記者が待ち構えており、受付を担当した前ジムリーダーのフッツと彼とを画角に収めた写真を撮影している。

 その男はジムチャレンジマニアの中では少し名のしれた男であった。実力的にチャンピオンには程遠いであろうが、どういうわけかジムチャレンジに対する熱意は人一倍あり、すでに複数回ジムチャレンジに挑戦しているリピーターだ。当然、子供や一度目のチャレンジャーにありがちな戸惑いや緊張とは最も遠いところにおり、更に彼本人が『チャンピオンになる』という最も大きな目的を放棄していることから、かなり気楽な立場であった。

 故に、彼のジムチャレンジ消化のスピードは早い。尤も、ジムチャレンジというのは期間内にどれだけクリアできるかというものであるので、それが早かったからどうかというものではないのだが。

 

 ラーノノジムは、ノマルをリーダーとする体制となってからは初めてのジムチャレンジ参加であった。当然、その内容には前例というものがない。

 つまり、彼はラーノノジムに挑戦するチャレンジャー一号であり、ラーノノジムのジムミッションに飛び込むこの世でたった一人の人物であったのだ。

 ここまでわかれば、ジムチャレンジに関心の高いこのガラル地方で、彼の挑戦が注目される理由もわかるというものだろう。

 

 

 

 

 ミッションフィールドをひと目見た男は、何だ、所詮は新人ジムリーダーの考えるものらしく、まとまってはいるがつまらないものだなあと思った。

 

 まばらに敷き詰められた草むらを模した人工芝に、バラバラに配置された二人のトレーナー。一人はほんの子供、もう一人は先程受付を担当した前任ジムリーダーのフッツだった。

 大方、草むらで野生のポケモンを相手しながら、時折ジムトレーナーを相手にするつまらないミッションなのだろうと男は考えた。

 

「それでは、ラーノノジム、ジムミッションについて説明させていただきます!」

 

 スタート地点に陣取っている公認の審判員が、つまらなさそうに鼻を鳴らした男をたしなめるように咳払いしてから続ける。

 

「このジムミッション中、チャレンジャーがポケモンを繰り出すことは禁止となっています」

 

「は?」と、男はついそう漏らしてしまった。

 

「禁止って、じゃあどうやって戦うんです?」

「このジムミッションでは、ポケモンバトルも禁止となっております」

「は?」

 

 首をひねる男に、審判員が続ける。

 

「つまりこのミッションは! バトルを避けながら目的地まで進むことが目的となっています!」

 

 そう言われ、男は再びフィールドをぐるりと見回した。

 なるほど確かに、草むらにはところどころに空きがあり、うまく進めば草むらに足を突っ込まなくとも良いような構造になっているようにも見える。

 だが、その前提を聞いてしまえば。

 

「めんどくさいミッションだ」

 

 このミッションの印象が百八十度変わった。

 理論的には、クリアそのものは簡単かもしれない。

 草むらを避け、道がなくなったら引き返して新たな道を探す。途中二人いるトレーナーの視線をうまくかいくぐることにさえ気をつければ、時間をかければクリアできるだろう。

 だが、自分たちトレーナーとは、そのような根気のある作業を求められたことなど殆どなかった。自分たちトレーナーにとって、草むらを避けるという選択肢は、それこそワイルドエリアの最も奥地でしか使わないものだろう。

 ただひたすらにめんどくさく、爪痕を残したい新人トレーナーの、行き過ぎた考えだろうかと少し思った。

 はたしてこのミッションで、何を得ることができるというのだ。

 

 

 

 

 どうしてもこらえきれなくなり、ポケモンに出会わないことを祈りながら入った草むらからイーブイが飛び出してきたことが二回、目ざといミスミという子供のジムトレーナーに見つかること一回。男はようやく我慢に我慢を繰り返しながら、そのミッションのゴール地点へと向かうことができた。

 肉体的には大したことがないが、精神的にはかなりの疲労感があった。そこにはポケモンを持っている自分がどうして草むらに入ってはいけないのだという憤りも多少はあったし、ポケモンの目、人の目を考えなければならない緊張もあった。

 

 ミッションのクリアを称えるアナウンスと、こころなしか量の少ないスモークが吹き出されたのちに、ある声が男にかけられる。

 

「ミッション突破おめでとうございます!」

 

 見れば子供らしくピッピにんぎょうを胸に抱えたジムトレーナー、ミスミが男に向かって駆けてきた。

 

「クリアの記念に、これをどうぞ!」

 

 ミスミは抱えていたピッピにんぎょうを少しも惜しむ様子もなく男に差し出した。

 

 驚いた男は「ああ、ありがとう」とつぶやきながらそれを受け取る。

 そこでようやく自分がこのミッションをクリアしたのだという実感が浮かび、これはしめたものだ、と、ピッピにんぎょうの柔らかさを腕に感じながら思った。

 新品のピッピ人形だ。店などで買おうと思ったらモンスターボール五つ分ほどの値段になるだろう。クリア記念の粗品としては悪くない、気が効いている。

 

「どうだったかな?」

 

 ミスミの後から腰をさすりながらゆっくりと歩いてきたフッツが、笑顔を見せながら男に問うた。彼はその男がジムチャレンジのリピーターであることを知っていた。

 男もまた、フッツのその質問が、自分がこれまで経験してきたジムミッションとこのミッションとを比較してのものだということを理解していた。リピーターという立場上、そのようなことを問われることは多かったのだ。

 

「初めてのパターンでした。みんな戸惑うと思いますよ」

 

 少しため息交じりにそう答える。彼はフッツがどのような考えを持ったジムリーダーであるのかは詳しくは知らなかったが、このような前例にないミッションが少なくとも彼の発案ではないだろうことになんとなく確信を持っていた。

 

「そうだね」と、フッツはやはり笑って答える。

 

「でも、たまには戦わないのもいいだろう」

「まあ、そうですが……」

 

 渋い顔を崩さぬ男に、フッツは更に続ける。

 

「そのピッピ人形は、ジムリーダーとの戦いにも持っていきなさい」




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過去編 新人ジムリーダーノマル 36 ジムチャレンジ開幕 ②

 わけがわからない。

 

 小さいが小さいなりに満員となったラーノノスタジアム対戦場をピッピにんぎょう片手に歩きながら、男はやはり戸惑っていた。

 基本的に、ジムミッションではジムのスタッフの意見は聞かなければならないし、それに逆らうようなことがあれば最悪の場合失格となることもある。

 だが、基本的に彼はこれまでスタッフに理不尽なことを言われたことはなかったし、人間として、トレーナーとしての倫理に伴った行動さえしていれば問題がなかった。たまにされる注意に関しても、それを変だと思ったことはない。

 

 だが、ピッピにんぎょうを抱えたままジムリーダーとの対戦を行えとは何事か。さっぱり意味がわからない。

 

 対戦場の中央には、すでにジムリーダーであるノマルが待ち構えていた。黒いリボンにまとめられたポニーテールは全く揺れること無く、直立不動で相手を待ち構えている。当然、ピッピにんぎょうなどは抱えていない。

 観客に気圧されていないその様子を、男は特に不思議には思わなかった。新人のジムリーダーかもしれないが、ガラルのすべてが注目したと言っても過言ではないカブの降格戦の相手をきっちりと務めた彼女を、彼は見くびってはいない。

 

「ラーノノジムへようこそ、私がジムリーダーのノマルです」と、ノマルは男が真正面に立ったことを確認してから告げる。そこに笑顔はなく、小さな体から目いっぱいに男と目線を合わせている。

 

 何人ものジムリーダーとジムチャレンジとして手を合わせてきた男は、その目線の異質さにすぐに気づいた。

 なんて怖い目なんだ。

 ジムリーダーというものは、チャレンジャーよりも遥かに強いものだ。ジムチャレンジの中で、彼らはその強さからくる慈愛を持って、チャレンジャーに胸を貸す。ジムチャレンジというものはそういうものだ。

 だが、この少女の目はどうだ。まるで自分自身を敵であるかのように突き刺すような目だ。

 男はピッピにんぎょうを抱える腕に力が入ったことに気づいていた。

 それを知ってか知らずか、ノマルは不意に目をぎゅっとつむって、今度は笑顔のようなものを作りながら続ける。

 

「私との対戦では、特殊なルールで戦ってもらいます。もちろん、すでにリーグには許可をとっている公式なものです」

 

 男はそれに頷いた。特殊なルールでのジム戦は前例がないわけではない、例えばアラベスクジムのポプラなどはバトル中にクイズを出してくるが、それを咎める存在など無い。

 男の無言を了承だとしてノマルが続ける。

 

「私とのバトルでは、二つのバッジ取得条件を設定しています。一つは、私に勝利すること」

 

 そして、と続ける。

 

「もう一つは、そのピッピ人形を投げることです」

 

 ノマルの目線が男の腕が抱えるものに向けられる。

 

「え?」と、男は思わずつぶやいた。

 

「投げる? これを?」

「はい、そのとおりです」

「しかし、これは野生のポケモンから逃げる道具のはずで……」

「特殊なルールです、あまり気になさらず」

 

 男は戸惑った。まるで想定していないことだった。

 

「どのような状況でもいいんですか?」

「はい、どのような状況でもピッピにんぎょうを投げればバッジを贈呈します」

「例えば、僕のポケモンがほとんど瀕死の一匹だけで、あなたの陣営には無傷のダイマックスしたポケモンがいたとしても?」

「はい、大丈夫です」

「例えば、僕のポケモンが猛毒状態で、数秒後に瀕死になるような状況でも?」

「はい、大丈夫です」

「なら、今投げても?」

 

 あまりにも信じられなくて、つい口からそのような皮肉めいた軽口が飛び出してしまった。男はしまったと表情を歪める。

 だが、ノマルはそれにも頷いて答えた。

 

「問題ありません。賢明な判断だと、私はその意志を尊重します」

 

 捉えようによっては、それは挑発めいた悪意のあるユーモアに聞こえただろう。だがその返答には、真っ直ぐに目線を合わせるノマルの表情からは、悪意やユーモアなどはないように思えた。

 

 投げられるものか。

 ぐるりと満員の観客席を見回しながら、男はピッピにんぎょうを抱える腕に力を加えた。

 それを投げることは、敗北を認めることだ。

 トレーナーとして、対戦相手に背を向けることは恥ずかしいことだと学んできた。それこそがトレーナーとして生きる者が持つ数少ない倫理の一つだ。

 これだけの衆人環境の中で、そんな事をしている自分を想像できない。

 

「記録はどうなるんです?」

 

 結論を先延ばししたいように、男は不意に浮かんだ質問をノマルに投げかけた。

 その問いに、ノマルは少し目を伏せて答える。

 

「申し訳ありませんが、記録の上では私の勝利となります。しかし、バッジの贈呈には問題がありません」

 

 別に不思議な解答ではなかった。そりゃそうだろうな、と男は頷く。

 

「他の質問はありますか?」

「いえ、ありません」

 

 問いたいことはまだまだあった。だが、その全てに納得の行く解答があるわけでもないだろう。

 その特殊なルールについて、男は「とにかく勝てばいいのだ」と理解した。

 

「それでは、対戦を行いたいと思います」

 

 一つ頭を下げてから、ノマルは男に背を向けて距離を取る。背番号の『60』番と、黒いリボンにまとめられたポニーテールが揺れるのが印象的だった。

 

 

 

 

「動くべきは今! 戦いにセオリーなどありません!!!」

 

 それは突然であった。

 

 男のポケモンを一体戦闘不能にしたタイミングで、ノマルはフィールドのイエッサンをボールに戻した。

 それが何を意味するのか、観客たちは感覚では理解していたが、それを受け入れるよりも先に、彼女が正解を提示する。

 

 巨大化したモンスタボールを、彼女は無言で後方に放り投げる。

 現れるのはダイマックスしたイエッサン、規定の高さギリギリであったラーノノスタジアムからはみ出しそうになった彼女は、対戦相手の男を見下ろす。

 

 宣言通り、セオリーにない行動だ。

 ダイマックスはラストを任せることのできるエースにこそ必要な戦術であるというのがガラルでのセオリーであった。

 それをこの、試合で言えば中盤に切るというのは、例えば彼女がジムリーダーという立場になく、それを裁くのが頭でっかちな批評家であれば、即座に否定され、ともすれば彼女のトレーナー歴や性別、生まれなどの人格を否定される可能性すらあるような行動であった。

 しかもそのダイマックスしたポケモンもセオリーにない。

 彼女の出世試合であるカブとの入れ替え戦において、彼女がダイマックスさせたのはヨルノズクだった。それを見ていたものは彼女のエースが彼であることを疑っていなかったし、そのような紹介の仕方をしたテレビ番組もあった。

 

 男は入れ替え戦で彼女が試合中盤にダイマックスをしたことを研究して知っていた。故にそれ自体に驚くことはなかったが、ダイマックスされたポケモンがイエッサンであったことは予想の範囲外であった。

 だが、大丈夫だ、と、男は頷く。

 ノーマルタイプへの対策はしている。岩タイプと格闘タイプは他のポケモンよりも集中的に鍛えているし、もしものときのために鋼タイプのポケモンもパーティに組み込んでいる。

 

 だが、イエッサンというポケモンがほのお、エスパー、くさタイプの技を操ることのできる『アンチアンチノーマル』戦術を扱えることを、彼はまだ知らなかった。

 

 

 

 

 ラーノノジムを後にした男に、数人の記者がインタビューを試みていた。

 珍しくない光景だ、新人ジムリーダーのミッションを初めて経験したトレーナーに、その程度の注目を受ける権利はある。

 例えばそれがまだ年端も行かぬ少年少女トレーナーであれば記者たちも遠慮をしたかもしれないが、それが顔なじみの成人であればその遠慮も薄れる。

 

「ミッションは難しいです。ポケモンのレベルやバトルの能力は問われませんが、それよりも根気が必要です……いえ、頭脳は必要ありません、ミッション自体は根気があれば子供でもクリアできるでしょう」

 

 それらのインタビュに―答えながら、男はやはりどこか腑に落ちないような感覚を覚えていた。

 

 彼の腕にピッピにんぎょうはなく、その代わりにジムバッジがある。それはつまり、ジム戦において勝利したのはノマルであったことを意味する。

 屈辱的な体験でなかったと言えば嘘になるだろう。あれだけの衆人環境の中、明らかに不利な状況から、ほとんど負けを認めるようにピッピにんぎょうを投げることに抵抗はあった。

 だが、男はそれを投げた。

 戦いの途中で相手に背を向けること、それはトレーナーの倫理観に反した行為ではあろうが、男にとって、それはジムバッジ取得という目的を反故にしてまで守るべき倫理ではなかった。あるいはすでに成熟していた彼の打算的な考えというものがそれを可能にしていたのかもしれない、数回ジムチャレンジに挑戦するにあたり、彼は少し考え方に、よく言えば柔軟なところがあった。

 観客たちも、それを受け入れていた。明らかに彼は負ける寸前であったし、その特殊なルールについてはすでに説明されていた。気の難しい観客はブーイングを送ったかもしれないが、それはかき消されていただろう。

 

「あなたの判断を、私は誇らしく思います」

 

 バッジを手渡されるときに投げかけられたその言葉が、強く印象に残っていた。

 挑戦者に負けを認めさせる、考えようによっては非常にサディスティックな選択をさせたにもかかわらず、彼女はその選択を心から受け入れ、祝福しているようだった。

 

「不思議なジムでした」と、男は記者の質問に答える。

 

「なんというか……勝たなくてもいいと言うのは……これまでの人生で初めての経験だったかもしれません」




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過去編 新人ジムリーダーノマル 36 ジムチャレンジ開幕 ③.

ポプラ(原作キャラクター)
 アラベスクジムリーダーにしてフェアリータイプのエキスパート。過去編では78歳
 終盤のジムを任されているのでこのときはまだ暇

フッツ(オリジナルキャラクター)
 先代のラーノノジムリーダーで現ラーノノジムトレーナー、70代の人畜無害な好人物
 事務仕事とジムトレーナーとして実はリーダーであった頃よりも忙しい


「邪魔するよ」

 

 夜、リーグに規定されたジムチャレンジ時間外に、アラベスクジムリーダー、ポプラはラーノノジムに現れた。

 時間外になってしまえば、一般人がジムを訪れる理由など無い、すでにロビーに一般人はおらず、受付でフッツが軽作業をしているだけだった。

 

「やあ、どうも」と、フッツは手を上げてポプラに挨拶した。

 

 フッツの方が年下であり、トレーナーとしての実力もポプラのほうが一枚上手であったが、年齢や戦いの格のみで人間関係の序列が決まってしまうような若い付き合いではない。

 

「まだ仕事中かい?」

「いえ、もう終わりましたよ」

 

 フッツはそう言って受付を離れると、自動ドアの電源を切ってからカーテンを下ろす。これでもう誰かがジムに気をかけることはないし、間違って入ってくることもないだろう。このラーノノで一日中明るいのはポケモンセンターくらいだ。

 

「心配で見に来たんだよ」と、ポプラは傍にあった椅子に座って言った。

 

「あんたが事務仕事ができるかどうかね」

 

 ははは、と、フッツはそれに笑いを返しながら机を挟んでポプラの対面に腰を下ろした。

 どこから持ち出してきたのかその両手にはグラスと酒瓶が持たれており、ポプラの意見を聞くこともなくそれをテーブルに並べる。

 

「不良だね、ジムに酒瓶持ち込むとは」

「仕事はとっくに終わってますよ。嫌いじゃないでしょう?」

「……まあね」

 

 よく飲むのは紅茶だが、アルコールが嫌いなわけでもない。それに、ポプラは年下の男に紅茶のマナーを期待していなかった。

 

「ジムリーダーはどうしたんだい?」

「ノマルならリーダー室にいると思いますよ、今日のフィードバックを行っているはずです」

「仕事熱心だね」

 

 その日、ノマルは初めて挑戦してきた男を含めて二人の挑戦者を相手にしていた。まだまだ少ない、もっと多くの挑戦者を相手にする日もあるだろう。

 

「呼びますか?」

 

 まさか今更ポプラが後輩のジムリーダーに挨拶をさせろなどと言うはずもないことを理解しながら、フッツはいたずらっぽく笑いながら問うた。随分と年を取り、このように世界観の主導権を握らせることのできる話し相手は随分減った。

 

「いや、いいさ。あたしは新入りをイビる趣味はないよ」

 

 グラスを傾けながらポプラが答えた。あたしという部分に力を込めることから分かる通り、二十を前にしてジムリーダーになった小娘が世の中からどのような扱いを受ける可能性があるのかということは彼女はよく知っているし、そうならないように色んな所に釘を打ち込みはした。

 

「そりゃ良かった。リーダーは酒に厳しい」

 

 酒を口に含むようにしながらフッツが笑う。若い頃から健啖家ではあったが、相変わらずそうだった。

 その様子を皮切りにポプラが切り出す。

 

「その様子だと、どこか体を壊したってわけじゃなさそうだね」

「まあ、どこかが痛いってことはないですね」

「あたしはてっきり、あんたは体が動かなくなるまでこの仕事をやり続けると思ってたよ」

 

 その言葉に、フッツは小さくグラスを傾け、それをわざとらしく音を立てるようにテーブルに置いた。

 

「らしくないですよ。聞きたいことがあるならズバッと聞けばいい、それがピンクってもんでしょう?」

 

 はあ、と、ポプラはため息を付いた。付き合いが古く気の許せる相手であることに不満はなかったが、フッツには『魔術師』の魔法は通用しないようだ。

 

「どうしてジムリーダーを引退したんだい? あんたはあたしと違ってこの仕事が好きだったろう?」

 

 その質問は、フッツが後任にジムリーダーを譲ったと聞いてから、ポプラがずっと疑問に思いながらも、それでいてそれを問うことができないでいた質問だった。

 彼女の知る限り、フッツという男はメジャーリーグに昇格することのできる実力こそ無かったが、トレーナーの技術を、否、それよりも根底に存在するトレーナーとして生きる楽しさのようなものを他人に伝道することのできる、ある意味ではその役職において最高の資質を持った男であった。

 

 その質問を想定していたのだろう。フッツは特に戸惑うこと無く答える。

 

「好きだったし、今でも好きですよ……だからこそ、老眼鏡を片手にしながらの受付業務だって何の苦でもない。ポケモンを知らぬ……恐れてすらいた子供たちが、人生のパートナーを見つけることができる瞬間に立ち会うことは、何事にも代えがたい幸福だと今でも思っています」

「ならどうして、老眼鏡が幸福を曇らせるわけじゃないだろう?」

 

 その言葉に、フッツは少し目を伏せて、酒の入ったグラスを指で弄ぶ。ポプラのその指摘があながち間違いではなく、フッツもその指摘を否定し切ることができないことの証明だろう。

 やがて、その意見が受け入れられないかもしれないという不安を小さな声で表現しながらフッツが言う。

 

「……教育者として、彼女を受け入れなければならないと感じたんですよ」

「ノマルのことかい?」

「ええ、そうですよ」

「今日の試合、見させてもらったよ……ありゃ強い。調子が悪かったとはいえ、カブが手も足も出ない訳だ」

 

 一戦だけならば、噛み合わせとかめぐり合わせとかで一気に勝負がつくこともあるだろう。あるいはノマルとカブの一戦だって、ノマルが極端に運が良かったとか、カブの運が極端に悪かったとか、そういうことが作用していることだって十分にある。

 ポプラはカブへの贔屓目からそう言っているわけではない、運や偶然、運命を否定するのは戦いにおいて必要な能力ではあるが、どれだけそれを排除しようとしても、最終的にそれらの要素で決着がついてしまうこともあるということは、大ベテランであるポプラこそが理解できる領域であった。

 その上で、今日のノマルの試合を見れば、彼女の実力というものが、運や偶然ではなく、マイナーリーグだから通用したとか、落ち目のカブだから勝てたとか、そういう領域ではないということがよく理解できたのだ。

 

「あんたが仕込んだのかい?」

 

 ポプラの知る中で、フッツという男は勝負の厳しさを表現できる男ではないが、バトルの理屈を理解はしている男だった。少なくともマイナーリーガーである彼がその気になれば、若い頭脳にそれを詰め込むことはできるだろう。

 だが、彼は「まさか」と、首を横に振った。

 

「初めて手を合わせたときから、彼女に修正すべきところなんてありませんでしたよ。知識も、実力も、彼女は僕のはるか上」

「じゃあ、あんたは教育者として何を教えたんだい?」

「まだ何も教えちゃいませんよ……僕は彼女に機会を与えているだけ」

「機会?」

「ええ、彼女はチャンピオンになることを求めている、そのためにジムリーダーの立場を求めることは自然ですよ。ジムチャレンジという手もあるが、彼女はそれよりもこっちのほうが近道だと思っているらしい」

 

 彼女が他のジムリーダーに比べて『チャンピオン』というものに執着していることは、ポプラも風の噂で知っているし、そこにはチャンピオンの権利を用いた目的があることもなんとなくは理解している。

 だが「わからないね」と、ポプラは一度だけ天井を見つめてから続ける。

 

「あたしが言うのも何だが『チャンピオンになりたい』という目的のためにジムリーダーという立場を求めるのは不純だよ。そんなに簡単な立場じゃないことはあんたが一番良くわかってるはずじゃないか。それを、大好きな仕事をやめてまで受け入れる理由がどこにある?」

 

 フッツはそれに押し黙った。ポプラの言葉はその全てが正しい。チャンピオンになりたいというエゴを満たすために、教育者としての側面を持ち合わせるジムリーダーになることは、よくない立場の使いかたの一例だ。尤も、チャンピオンという立場ですら、教育者としての側面を持たなければならないというのに。

 

「なんかあんのかい?」

 

 押し黙るということは、その言葉に反論がないということだ。

 フッツは馬鹿ではない、彼は理知的に行動するタイプの男であるし、人生を左右するようなその決断を、思いつきでやるような男でもない、だからこそ、ポプラは彼を買っているのだ。

 故に、ポプラは不穏なものを感じていた、フッツは理知的だが同時に優しい男でもある。なにか弱みを握られているとか、そういう黒い部分があるのではないかと、彼女はほんの少し疑っている。

 

 しばらくしてから、フッツは口を開く。

 

「ガラルは、彼女と向き合わなければならないんですよ」

 

 ガラル、というのは、ポプラが想定していない主語の大きさだった。

 

「ガラルが?」

「ええ、ガラルリーグだけじゃない、このガラル地方すべてが、彼女と向き合う義務があるし、彼女にはガラルと向き合う権利がある。そう思ったんですよ」

 

 スケールの大きすぎる話だ、彼女にしては珍しく、ポプラは混乱した。

 

「あの子は何者なんだい?」

 

 フッツはグラスを握り、一気にそれを傾けてから答える。

 

「このガラルの『愛と後悔の象徴』ですよ」




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過去編 新人ジムリーダーノマル 39 種①

アスチル(オリジナルキャラクター)
 過去編での現ガラルリーグチャンピオン
 視界に入るもの未来と心を見ることのできるサイキッカーで、エスパージムを運営する一族不世出の天才
 人と話すのが嫌いなわけではない

ダンデ(原作キャラクター)
 後のガラルリーグの絶対王者だが、このときはまだハロンタウンのどろんこ少年。すでに才能の片鱗は見せつつあるが、それに気づいている人間は少ない。
 幼馴染のソニアとリザードを振り回しながらジム巡りをしているが、生まれついての奔放さからスピードは遅め。

ソニア(原作キャラクター)
 ダイマックス研究の第一人者であるマグノリア博士の孫娘であり、ダンデの世話をする幼馴染
 ダンデとはくっついたり離れたりしながらジム巡りを行っており、道に迷うことがないのでダンデより少し攻略スピードが早い。
 本人も分析力と貯蔵する記憶に強みのある優れたトレーナーであるが、ノマルとのジム戦ではすぐにピッピにんぎょうを投げた。


 その男、ガラルリーグチャンピオンであるアスチルは、久しぶりにブラウン管の前に姿を現していた。

 今季のジムチャレンジをまとめているある特番、その番組に彼が『現チャンピオン』として登場することになんの不思議もないだろう。

 しかも、それは生放送であった、アスチルは自身の言動を編集されることを非常に嫌っていることで有名だったし、彼がテレビ局にそれを強要することができる立場であることにもなんの疑問もない。彼はチャンピオンであり、誰も彼を従えさせることなどできない強さがある。

 

「ローズ委員長による新体制を、チャンピオンはどのようにお考えですか?」

 

 司会者であるその男は、年齢的には高齢であるにも関わらず、それに似合わぬエネルギッシュさを隠すことのない肌ツヤであった。それは彼が満たされぬ飢えを常に抱えた男であることの証明でもあるだろう。

 

 どこかのホテルの一室だろうか、画面に映る部屋は質素であったが、かといって貧相というわけでもない。絢爛であることがだけが格の表現ではないことを知る場所だ。

 

 アスチルはそれに少し微笑みを返しながら答える。彼には珍しいことではあったが、機嫌がいいのだろう。

 

「ローズの運営に現段階で問題はないですよ。彼はジムチャレンジのエンタメ化を進めているが、それも悪くないと私は想う。尤も、私がそれに協力する義理はないですがね」

「ローズ氏の急速な改革にはリーグの私物化だと批判もありますが……?」

 

 司会者の男は狡猾であった。有名人の和やかな一面を引き出すことと、愚かな面を引き出すこと、そのどちらがより自分の利益になるかを彼は経験から知っている。

 この生放送は、彼にとっては餌場も同然だった。

 

「それになんの問題があるんです? ローズはリーグを改革することができる立場にあるし、それが彼の役職だ。それが気に入らないなら彼からその立場を奪えばいい」

 

 それに、と、アスチルは続ける。

 

「彼にとって最も厄介な存在は私だろうが、ローズはすでに種を蒔いている」

「種……というと?」

「それを知らないのはあなた達の努力不足だ。ローズがリーグを自由にしたいこと、そのためには私の存在が面白くないこと、そこから『彼が私の立場を追うための布石』を打つことは簡単に考えられる。未来など視えなくともね」

 

 未来が視える。時折アスチルがそうほのめかすことは有名であった。そして、司会者はそうやってすべてを分かっているかのように煙にまくアスチルという若造が個人的に気に食わないと思っていた。

 

「その未来が視えているのなら、どうしてそうして落ち着いていられるんです?」

 

 口調こそ穏やかだったが、その言葉のイントネーションにアスチルに対する挑発的な含みがあることは、その場にいる全員が、そして、それをリアルタイムに眺めている視聴者たちにも理解することができた。

 ベテランの、その業界でも力のある人間だからこそできる挑発であった。

 だが、アスチルはそれを意に介さない。

 

「能力が強すぎてね、私の視える未来を変えることはできないんですよ。例えばあなたに『スキャンダルに気をつけろ』と言っても、それは未来を変える金言ではなく、ただの遅い忠告でしか無い。私達はこの世界に身を任せているだけで、私はそれをあなた達より僅か先に眺めることができるだけ」

 

 アスチルの言葉の意味をガラルが理解することになるのはそのインタビューの一月後、その大物司会者があるスキャンダルによってその力を失うという報道を知ってからだ。

 当然、それはアスチルがそのスキャンダルが公になることを知っていた、とか、その大物司会者ならばその程度のスキャンダルはあるだろうと容易に想像していたからだ、とか、もっと乱暴な考え方をすれば、そのようなスキャンダルをアスチルが作り出し、彼をハメたのだという考え方だってできただろう。

 だが、そのどれにしろ、アスチルというトレーナーが、凡庸な人間では太刀打ちできない『力』を持っていることに変わりはなかった。

 

 彼はそのインタビューをこう締めくくる。

 

「ローズの種も、ジムリーダー達の希望も否定はしないが、私が負ける日は当分来ないでしょう」

 

 

 

 

 

 その少年の快進撃は、ジムチャレンジに対して並々ならぬ興味を持つ、いわゆるマニアや業界人の間でしか話題にはなっていなかった。

 それは、彼の故郷がガラル地方のハズレもハズレであるハロンタウンであることが大きく影響していた。故郷が田舎であることから彼はこれまでその実力を都市部で発揮することがなかった。故にリーグ関係者すら彼の実力というもの知らなかったのだ。

 また、その情報の少なさから彼がハロンタウンでどのようなトレーナーであったのか、どうしてポケモントレーナーになったのかというバックボーンすら全く知られていない。そして、実力の割にゆっくりとしたジム巡りのスピードは、田舎者ゆえの移動の不慣れさであるとされていたのである。

 

 まだ推薦状のシステムにまで人々の興味が向いていなかった時代だ、少数を除いてその片田舎の少年をジムチャレンジに推薦したのはガラルリーグ委員長のローズであることはまだ知らなかったし。そして、その少年が将来的にガラルリーグを背負って立つ無敵のチャンピオンになることも、当然知らなかった。

 

 少年の名前はダンデ、この年のジムチャレンジが彼を中心に回ることになるとは、このときは本人もまだ思ってはいなかった。

 

 

 

 

 ラーノノタウン、ラーノノ大聖堂。

 ラーノノタウンの中でも随一の歴史を誇るその大聖堂は、当然、来るものを拒まず、来訪者の選別などあるはずもない。

 だが、不意に現れたその少年は、どう考えても大聖堂には不釣り合いであった。

 ラーノノ大聖堂はその敷地内に小中学校を構える、だが、その少年をそこの学生だと思うものはただ一人もいないだろう。

 雑に被ったキャップ、にじむ擦り傷が見える膝小僧、服と髪は乾いた泥にまみれ、それでいて爛々と輝く瞳は大きく、長いまつげは瞳を保護するというその役割を誇らしげに全うしている。

 彼の傍らに立つかえんポケモンのリザードは、しきりにTPOを踏まえた小さな声でキュウキュウと鳴き声をあげながら、その少年のシャツの裾を引っ張っている。リザードは荒々しい性格で知られるが、彼のリザードは慎重か臆病なようだった。

 

「しまった」と、その少年は周りの人間が物珍しそうに自分を見ていることを知ってか知らずかそうつぶやく。その見た目と、その声だけならば、併設された学校の聖歌隊にいてもおかしくないのだがなあと思われていた。

 

「どうやら、迷ったみたいだぜ」

 

 どう考えても、そのラーノノ大聖堂は少年の目的地ではなかったし、そもそも、目的の場所で少年と待ち合わせをしていたはずの少女がいないのだ。

 

「早くしないと、ソニアに怒られちまう」

 

 口ではそう言うが、体はなぜか大聖堂奥へ奥へと進む。彼は理性より探究心のほうがまさる体質のようだ。

 シャツを引っ張りながらそれを止めようとするリザードも、彼の探究心を止めることなどできなかった。

 

 

 

 

 

「すっげぇ……」

 

 ラーノノ大聖堂が誇るステンドグラスを見上げながら、その少年はつぶやいた。

 彼は教養のある方ではなかったが、その分感性に優れているところがあった。すごいものを見てすごいと思う、それだけあれば人間として十分だ。

 

 だが、やはりそこは彼の目的の場所ではない。ついに彼が裾の力に観念して踵を返そうとしたときだった。

 

「どうかしましたか?」

 

 女の声に、少年は引き止められた。

 少年がその方に向くと、そこには自分より少し大きい程度の背丈しかない、彼から見れば年上の女性がいた。

 彼女は少年とリザードとを交互に眺め、少年をしっかりと見据えながら続ける。

 

「ここはジムチャレンジをするトレーナーが来るところではありませんよ」

 

 少年は、彼女が自身をジムチャレンジ中だと見抜いたことに少し驚いたようだったが、よく考えれば見え見えだ。

 

「ごめんなさい、その、迷っちゃって」

「この町で迷うのは珍しいですね」

「見たことのないものが一杯で」

「そうですか、どこから来たんですか?」

「ハロンタウンから」

「ハロン……それは随分と遠くから」

 

 彼女は少年に右手を差し出して続ける。

 

「私はラーノノジムリーダー、ノマルです」

「わっ! ジムリーダー!?」

 

 少年はそれに随分と驚いたようだった。大きな目をさらに大きくさせている。

 珍しい子だな、とノマルは思った。新人だが、カブを倒したことで顔は売ったほうだ。

 

「お名前は?」

「ダンデです。ハロンタウンのダンデ」

 

 右手をギュッと握ったダンデに、ノマルは表情を引きつらせながらもなんとか笑顔を保とうとする。

 ダンデ、とは、確か委員長のローズが推薦状を書いたトレーナーのはずだ。

 そのダンデは、ジムリーダーに会えた興奮で、その表情の引きつりには気づいていない。

 

「よろしく、いいポケモンを連れていますね」

 

 ノマルはリザードに目を向ける、その言葉に嘘偽りはない。見るからに引き締まっている、今この状況においても周りを気にする臆病さを持っている。

 おそらくこの子がエースだろうなと、ノマルはそこまで当たりをつけた。

 

「ああ、俺の相棒だぜ!」

 

 相棒を褒められてテンションが上ったのか、ダンデはついうっかり敬語を忘れ、その事実にも気づいていないようだ。

 悪い子ではなさそうだな、とノマルは思った。少なくとも含むところのある男であるローズ委員長が推薦したとは思えない。

 リザードの目線に手のひらを写すようにしながら彼女はリザードに語りかける。

 

「そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。ラーノノは来るものを拒みません」

 

 少し目線を泳がせてから警戒を解いたリザードの顎を撫でる。

 

「この子と、バッジをいくつ集めましたか?」

 

 その言葉に、ダンデが誇らしげにバッジの数を宣言し、ノマルはそれに頷く。

 

「それなら、次はラーノノジムですね」

「はい! だから友達とジムで待ち合わせしてたんですけど」

「なるほど」

 

 そう言ったノマルにダンデが問う。

 

「ところで、どうしてノマルさんはここにいたんです?」

 

 ノマルはその問いに一瞬言葉をつまらせたが、すぐに答えた。

 

「……祈りを捧げていたのですよ」

 

 彼女は空気を変えるように「もう用事は終わりました、一緒にラーノノジムに行きましょう」と、ダンデの手を引いて一緒に歩こうとしたが、ダンデは慌ててその手を引っ込める。

 

「あら、ごめんなさい」

 

 少し顔を赤くしたダンデにノマルが苦笑した。

 

 

 

 

「もう、ダンデくんったら!」

 

 ラーノノジム前、我先にと突き進んでいたダンデに頬を膨らませながらそういったその少女とワンパチを、ノマルはよく知っていた。

 

「ソニアちゃん……?」

 

 驚くノマルに、ソニアは一つ頭を下げる。

 

「ソニア、ジムリーダーと知り合いなのか!?」

「ダンデは会ったことなかったっけ? ノマルさんはおばあさまによく話を聞きに来ていたのよ」

 

 彼女の言葉通りだった。

 その少女、ソニアはブラッシータウンに研究所を置くマグノリアという博士の孫娘であった。聡明なマグノリア女史はポケモンのダイマックスにおける研究の第一人者として知られ、ノマルは時折彼女に直接意見を問うために研究所に顔を出していた。故に、ノマルがソニアと顔なじみであることに不自然はない。

 さらに。

 

「それに、私はもうラーノノジムをクリアしたんだから!」

 

 それを言うソニアは誇らしげだった。

 事実、数日前に彼女はラーノノジムにチャレンジをし、ジムバッジを手に入れていた。

 顔なじみだからといってノマルが彼女に手を抜くことはなかったが、ソニアはマグノリア譲りの聡明さで冷静に戦局を理解し、どうあがいても駄目だと判断できる状況でピッピにんぎょうを投げ、条件をクリアしたのだ。

 

「そうなのか!?」と、驚くダンデにノマルが答える。

 

「はい、非常に優秀な挑戦者でしたよ」

 

 それは贔屓目なしの意見であったし、ソニアとダンデもその言葉をそのまま受け取り、片方は照れ、片方はすげー、と感嘆した。

 

「二人はお友達ですか?」

「はい、幼馴染です」

「子供の頃から一緒なんだよな!」

 

 それぞれ頷く二人をノマルは可愛らしいなと思った、子供の頃から、というが、ノマルから見れば彼女らは未だにまだまだ子供であった。

 だが、ソニアの機嫌が良かったのはそこまでだったようで、今度は眉をひそめ、唇を尖らせながらダンデに言う。

 

「今日も急にいなくなるからびっくりしたんだよ! ラーノノ駅からラーノノジムまでってほとんど一本道なのに、どうしてダンデくんは道に迷うんだろうね」

「俺もよくわからないんだぜ!」

「ラーノノ駅から迷って大聖堂に?」

 

 ノマルは首を捻った。ソニアの言う通り、ラーノノ駅からジムまでは大通り一本だ。迷いようがない。

 

「いつもそうなんですよ!」と、ソニアは味方を増やしたいように言う。

 

「ダンデくんったらいつもいつも道に迷うんです! 私がいないとどこにもいけない」

「まあ、いつもソニアには助けられているな!」

「友達がいなければ道に迷うようではいけませんね」

 

「大丈夫だぜ!」とダンデがいって続ける。

 

「俺とリザードが一緒なら何があっても大丈夫だ!」

 

 その言葉に、ソニアは「そりゃそうだけど……」と同調しようとした。彼女はダンデが相当に強いトレーナーであることを最もよく知っている人間の一人であったし、事実、彼は道に迷ったとしてもトレーナーとしての強さでこれまで事なきを得てきたのだ。

 

 だが「それはいけません!」と、ノマルが少し強い口調でそういったものだから、彼女はビクリと背筋を震わせるだけでその言葉を出すことができなかった。

 ソニアと同じくダンデもノマルの突然の叱責に体を固まらせていた。つい先程までは、声を荒げる事など無い優しい人だと思っていたのに。

 その口調が強かったことに、叫んでから気づいたのだろう。ノマルは一旦自身を落ち着かせる努力をし、二人をたしなめるように続ける。

 

「何事も強さで解決しようとする考えには感心しません。その考えを持ったまま『その考えが通用しないモノ』に出会ってしまえばとんでもないことになってしまいます」

 

 彼女はダンデに背を向け、ラーノノジムの自動ドアを開かせながら続ける。

 

「そのような考え方では、このジムをクリアすることはできませんよ」




後編は同日夜投稿します

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過去編 新人ジムリーダーノマル 39 種②.

「はっはっは、元気のいい子だねえ」

 

 ラーノノジム、ミッション会場。

 真っ赤な顔でミッションフィールドを駆け巡るその少年、ダンデを眺めながら、フッツは久しぶりに声を上げて笑っていた。

 

「退屈だよお」

 

 生あくびを噛み殺しながらその傍らに立つミスミは、抱えていたピッピ人形を二度三度抱きしめながらあまりにもつまらなさそうに言う。

 二人は、少し変則的なこのミッションが、誰でも簡単にクリアできるものだとは思っていない。だが、それを差し引いたとしても、ダンデの右往左往っぷりは彼らがこれまで見てきたどのチャレンジャーよりも凄まじい。三歩歩けば、自分が振り返ったことを忘れてしまったのだろうかという動きをすることさえある。

 

「無理じゃないかな?」

「こら、そういう事を言っちゃ駄目だよ」

 

 ダンデが二人のいる場所に来るまでは、まだ随分と掛かりそうだった。

 

 

 

 

 ラーノノジム、対戦場。

 それなりの人数の観客を前にしても、挑戦者、ダンデはそれを気にしていない。

 それは、彼がジムミッションで精神と体力を使い果たしたからではない。むしろ彼は、あれだけジムミッションで駆け回り、彼なりに頭も使ったというのに、その表情を見るに全く疲れてはいないようだった。

 大きな瞳は照明の反射と希望にキラキラと光り、その瞳で真っ直ぐにノマルの目を見ている。ピッピにんぎょうを抱えているその姿は、その瞳の強さがなければ可愛らしい少年だと思わせただろう。

 

「さっきは、ごめんなさい!」

 

 そう言って彼は頭を下げた。とりあえず謝っておこうというのが、ノマルと別れた後ソニアと二人で決めたことだった。

 急に謝られたものだから、ノマルは少し戸惑った。

 

「あなた、私がどうして怒ったのかわかっていますか?」

「わからない……道に迷ったから?」

「……そういうことにしておきましょう。私もカッとなってしまいました、申し訳ありません」

 

 ノマルもそう頭を下げ、とりあえず二人の間にわだかまりがなくなったらしいということをお互いがなんとなく感じてからノマルが切り出す。

 

「少し、休みますか? 随分とミッションに手間取っていたようでしたが」

「いや、いらないぜ!」

 

 興奮からか、やはり敬語を忘れながらダンデが続ける。

 

「俺は早く戦いたい!」

 

 はあ、と、ノマルはため息を付いた。わかっていないようだ。

 

「それならば、このジム戦のルールを説明します」

「ソニアから聞いてるぜ!」

 

 誇らしげにそういうダンデ、別にそれはルール違反でもなんでも無い。

 だが、彼は抱えていたピッピ人形を脇に放り投げた。

 

「俺はこれは使わない!」

 

 その行動に、観客たちはわずかに湧いた。自ら退路を断つその行為は、その少年の見てくれの良さもあって好意的に受け入れられている。その挑発的な行為もあって、ノマルもまた情熱的なバトルを見せてくれるはずだ。

 だが、ノマルは彼らの想定外の行動を取る。

 彼女は少し歩いてそのピッピ人形を拾い上げると、それについていた汚れを払ってから、それをダンデの前に差し出したのだ。

 

「これは、持っておきなさい」

 

 それは、ダンデにとっても想定外の行動だっただろう。彼は少しばかり目を泳がせた後に「どうしてだ?」と問う。

 ノマルは間髪入れずにそれに答える。

 

「あなたがこのピッピ人形を持つのは、このバトルにおけるあなたに保証された権利です」

「でも、俺はこれを使いたくない! ノマルさんと正々堂々と戦いたい!」

「これを持っていても、私と正々堂々と戦うことはできます。正々堂々と戦い、負けそうになればピッピにんぎょうを投げればいいのです。私はそれを否定しません、観客たちもそれを否定しません……この私が、それを否定はさせません」

「でも……」

「ね、持っておきなさい。今は使いたくなくても、試合の中で使いたくなるかもしれません。そして、それは悪いことではないのです」

 

 更に彼女は続ける。

 

「私に持たされたと言えばいいのです、あなたは勇敢にこれを捨て去ろうとした。だけど、私がそれを許さなかった。それで良いのです」

 

 ダンデはそれにしばらく考えた。

 そして、彼はそのピッピ人形を受取る。ノマルは一旦ホッとする。

 だが、ダンデはそれを自らの足元にそっとおいた。

 明確な、拒否だった、観客たちはそれに湧く。

 

「やっぱり、俺はこれを使わない」

 

 更に彼は続ける。

 

「俺は、ノマルさんと戦いたい。逃げ道を用意したくない」

 

 ノマルを見上げるその目線は、美しかった。

 その美しさを曇らせる言葉はないだろう。

 ノマルはそれを諦めた。

 

「それならば、この試合でバッジを得ることは諦めることです」

 

 彼女は背を向けて、ダンデと距離を取る。

 想定はしていた。

 彼のような人間がいること、そのような人間がトレーナーとなること、ジムチャレンジを行うこと、自らの目の前に現れること。

 観客は、すでにダンデを支持しているだろう。

 ローズ委員長が彼を推薦した理由が今ならわかる。ダンデは無鉄砲であり、そして、それは勇敢であるという概念に親しい。

 無鉄砲さとニアイコールの勇敢さが、人々の心を掴む。

 そして、人々の賞賛は、無鉄砲であることを疑わさせず、強要する。

 想定した。

 そのようなトレーナーが目の前に現れることを想定していた。

 そうなればいいとすら思っていた。

 そういうトレーナーを徹底的に潰すのが、自らの使命なのだから。

 

 ノマルはダンデをにらみつけるように振り返りながら続ける。

 ダンデは、その視線に、これまで誰にも向けられたことのない、どう表現すれば良いのかわからないその視線に背筋を凍らせ、そして、その凍った背筋を溶かすほどの情熱が、自らの心を高ぶらせる。

 

「そのような考えがある限り、私は絶対にあなたにバッジを与えません!」

 

 ジムリーダーの、ノマルが、勝負を、仕掛けてきた!

 

 

 

 

 

 

「『ダイホロウ!』」

 

 ダイマックス状態となったイエッサンの攻撃だ、ゴーストタイプのその攻撃は、ノーマルとエスパーの複合タイプであるイエッサンが得意としているものではないが、決してその威力が低いわけではない。

 事実、ダンデが繰り出したポケモン、ヒトツキはその技によって戦闘不能になったようだった。無理もないだろう、鋼、ゴーストタイプである彼にとって、ゴーストタイプの攻撃は効果が抜群だ。

 ダンデがヒトツキをボールに戻すのと同時に、ノマルのイエッサンもそれまでの巨大な姿から、もとの大きさへと姿を変貌させる。ダイマックスは強力なシステムだが、その分時間制限がある。

 だが、ノマルはそのダイマックスによって十分な利を得ただろう、イエッサンはダンデのポケモンを二体以上戦闘不能にしている。

 

 ダンデの残りは一体、ノマルの残りはイエッサンを含めて三体、だが、観客たちはまだその勝負がわからないと考えているものが多い。

 なぜならば、ダンデはまだダイマックスを残している。

 

「頼んだぜ!」

 

 工夫も気取りもない言葉を投げかけられながら繰り出されたリザードは、大聖堂で見せていた姿がまるで嘘であるように、高らかな雄叫びを上げながら現れた。

 それに感慨を覚えるほど、ノマルは勝負にぬるくはない。だが、それはダンデも同じ。

 イエッサンが動くよりも先に、ダンデがリザードをボールに戻す。一見すれば不可解なその行動に、ガラル民は今更疑問を覚えない。

 巨大化したモンスターボールを、ダンデは体幹をブレさせること無く後方にオーバースローで放り投げる。

 現れたのはダイマックスしたリザードであった。低く地面を揺らすような雄叫びが対戦場に響き渡る。

 

「『リフレクター』!」

「ダイバーン!!!」

 

 巨大化したリザードが息を吸い込むより先に、イエッサンが一瞬素早く『リフレクター』を作り出す。

 それを押しつぶすように吐き出された凄まじい獄炎がイエッサンに襲いかかる。

 スタジアムは、ダイマックスされたポケモンの技の影響が観客を負傷させないように設計されている。

 だが、それでも観客たちはそのダイマックス技の威力や熱を感じ、そして、それを望んでいるからこそ、こうやって足を運んでいる。

 

 炎が晴れれば、そこには戦闘不能となったイエッサンの姿があった。仕方のないことだ、蓄積したダメージもあるだろうし、貼った『リフレクター』は物理攻撃を半減はさせるが、リザードが得意なのは特殊攻撃、おそらくその『ダイバーン』も特殊技を軸としたものだろう。

 観客たちは、その『リフレクター』に違和感を覚えた。どう考えても、壁を貼るならば特殊攻撃に強い『ひかりのかべ』を貼るべきだろう。

 さらに、観客たちと対戦場を強い日差しが照らし始めている。リザードの『ダイバーン』があたりを乾燥させ、状況を変化させたのだ。

 こうなるとますます炎ポケモンであるリザードに有利な展開となる。このように、自分の技によって自分の有利な状況を作ることができることが、ガラルにおけるダイマックス温存戦術の骨子となっている。

 ここから大逆転もあり得る、と、観客たちは期待した。

 

 だが、観客たちの期待を知ってか知らずか、ノマルは至極冷静にイエッサンをボールに戻す。

 そして、興奮を隠しもしないダンデの視線から逃げること無く、それに睨み返しながら言った。

 

「勇敢であることだけが人生ではないことを教えてあげましょう!」

 

 放り投げられたボールから繰り出されたのはヨルノズク。

 強いポケモンではない。観客たちは直感的にそう感じた。

 だが、そう感じることすら、バトルでは不純なタイムラグなのだ。

 

「『ダイバーン』!!!」

 

 再び灼熱。状況によっては、これで試合が決まることもあり得る。

 だが、ヨルノズクはその攻撃では倒れない。

 当然だ。

 ヨルノズクは特殊防御力に強みのあるポケモンであり、たとえダイマックスであろうと、最終進化も遂げていないポケモンの特殊技で倒れることはない。

 最も、反面ヨルノズクは防御力に弱みのあるポケモンではあったが、それは『リフレクター』によってカバーされている。

 

 この子、強い。

 

 ノマルは、この一連の攻防によって、ダンデの実力を理解した。

 この特殊ダイバーンによる攻撃は、単なる馬鹿の一つ覚えではない。ダンデがポケモンの特性をある程度理解し立ち回りができることはそれまでの戦いで理解している。

 この状況、浅い知識だけで考えれば物理攻撃を選択してもおかしくはない、『リフレクター』を込みで考えたとしても、ヨルノズクは物理防御の弱いポケモンであるからだ。

 それでも迷いなく特殊攻撃を選択できたのは、ダンデの知識と状況の判断力、そして何よりこのような状況で妄信的に自分を信じることのできる精神の強さがあるからだろう。

 自信を持つだけのことはあるようだ。

 

 だが、強ければバトルに勝てるのかと言えばそれは大間違いだ。

 

「『そらをとぶ』!」

 

 炎を振り払ったヨルノズクはその翼を広げて空を掴む。

 

 その行動を見て観客たちは戸惑うようにざわめいた。

 ヨルノズクは物理攻撃が強いポケモンではない、故に物理的な攻撃である『そらをとぶ』は理にかなわないように見える。

 だが、ダンデは「しまった!」と言わんばかりに表情を歪ませている。彼はすでにノマルの目的を理解していた。

 

「『ダイウォール』!!!」

 

 巨大リザードが炎で同じく巨大な壁を作り出し、ヨルノズクの攻撃を防ぐ。

 時間の限られたダイマックス状態において『そらをとぶ』というさして強くもない技を防御するという行為は、あまりにも無駄だ。

 だが、それは仕方ない。

『そらをとぶ』をしている鳥ポケモンに攻撃を当てるのは至難の業であり、それはダイマックス中のポケモンであっても同じだ。例えばこの状態でリザードが『ダイバーン』を繰り出していれば、その攻撃は空を切り、僅かかもしれないがヨルノズクの攻撃がリザードにダメージを与えていただろう。

 ノマルは『そらをとぶ』という攻撃によって、実質的にリザードの時間を奪ったのだ。

 その証拠に『ダイウォール』を打ち終えたリザードはその巨大な体を元の体に戻しつつある。

 

「くそっ!」と、ダンデはヨルノズクから目を切らずにつぶやいた。少なくともこの状況において、戦略的に優れていたのはノマルの方であっただろう。

 

 だが、冷静に『ダイウォール』の指示を出したダンデも優れた感性を持っている。並のただただ突っ込んでくるだけのトレーナーであれば、すぐさまに『ダイバーン』の指示を出し、状況をよりひどくしていただろう。

 

「『かえんほうしゃ』!」

 

 ダンデは反省を後に託して指示を出し、リザードもまた自身が最も力を発揮できる状況を削らされた焦りを一旦は忘れながら攻撃を放つ。

 まだ圧倒的に不利なわけではない。リザードの体力は満タンであるし、十分ではないかもしれないがヨルノズクの体力は削れている。

 この攻撃でヨルノズクを戦闘不能にすることができればあるいは。

 

『かえんほうしゃ』はヨルノズクを的確に捉える。だが、ヨルノズクがそれで戦闘不能になることはない。先程もらった『ダイバーン』に比べればなんてことのない攻撃だ。

 

 ダンデとリザードはその次の攻撃に備える。

 だが、その攻撃は来なかった。

 

「『はねやすめ』」

 

 ノマルの指示は、ヨルノズクの体力を回復させるものであった。ヨルノズクもその指示に戸惑うこと無くそれを完遂する。

 観客達はその選択に息を呑む。

 冷静、そして冷酷な判断であった。

 ヨルノズク自体の特殊耐久力、そして『リフレクター』、さらに潤沢な体力となると、もうリザードがヨルノズクを倒すのは難しく思える。

 さらに言えば、もう一匹ポケモンが控えているノマルの戦力は盤石だ。

 

 使いなさい、それを。

 

 ノマルは、ダンデの足元にあるピッピにんぎょうをちらりと見やった。その視線に、ダンデは気づいただろうか。

 

 もう無理です、この布陣、どれだけあなたに才能があろうと突破することはできません。

 使いなさい、投げなさい、逃げなさい。それで良い、それで良いのです。

 それこそが、正しい道なのです。

 

 だが、ダンデはその選択肢に一瞥もくれなかった。

 

「『かえんほうしゃ』!!!」

 

 リザードもその選択は頭に無いようだ。

 彼は自らの視界すべてを炎で覆い尽くすほどのそれを解き放つ。

 

「そうですか」と、ノマルは眉をひそめてつぶやいた。

 

 ダンデという人間が考えを曲げられないのならば。

 彼の前に立ちふさがる、絶対に突き破れぬ壁になることが、自分の役割なのだ。

 

 ヨルノズクがその『かえんほうしゃ』につっこみ、羽ばたきで炎をかき分ける。

 リザードの視界が不意に開け、ヨルノズクが現れた。

 

「『ハイパーボイス』」

 

 衝撃。

 

 

 

 

「ありがとうございました!」

 

 泣くでもなく、怒るでもなく、恐れるでもなく。

 妬むでもなく、憤るわけでもなく、諦めるでもなく。

 ダンデは、その美しい笑顔に汗を光らせながら、ノマルに右手を差し出した。

 その徹底的な敗北に、彼は暗い感情は持っていないようだ。

 この子ならばそうだろうな、と、ノマルはその右手と握手をしながら言う。

 

「残念ですが、私に敗北したのでバッジを与えることはできません」

「わかってます! それよりも、やっぱりノマルさんはすごいトレーナーです!」

 

 彼は興奮していた。

 ノマルの手持ちはノーマルタイプ、お世辞にも強力なポケモンが揃っているとは言えないだろう、そもそも、彼女のポケモン達はジム専用にある程度実力を発揮できない状態にあるはずなのだ。

 それを、

 

「そこまでわかっているのなら、どうしてピッピにんぎょうを投げなかったんです?」

 

 その問いに、ダンデは間髪入れずに答えた。

 

「だって、投げたらバトルが終わっちまうぜ!?」

 

 屈託のない表情だった。その倫理に欠片の疑問も持っていない表情だった。

 その表情に、言葉に、やはりノマルは決意を固める。

 

「ジムチャレンジの期間中は、いつでもこのジムに挑戦できます」

 

 彼女はダンデに背を向け、対戦場を後にしながら続けた。

 

「ですが、私は手を緩めません。あなたが考えを変えない限り、あなたにバッジは与えませんよ」

 

 ノマルも、観客も、ダンデ本人もまだ知らない。

 この敗北は、ダンデのキャリアにおける、数少ない公式戦の敗北の一つだった。




感想、批評、お気軽にどうぞ、質問等も出来る限り答えようと思っています。
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過去編 新人ジムリーダーノマル 42 似かよう①

ローズ(原作キャラクター)
 ガラルポケモンリーグ委員長、最大の催しであるジムチャレンジの成功を祈っている。
 改革派であるが、旧派閥の老人たちからのウケが悪いわけでは無くうまくやっている。

アスチル(オリジナルキャラクター)
 過去編でのガラルリーグチャンピオン。未来視と心を読む能力に長けたサイキッカー。
 一応彼なりに正義感はあり、悪人ではない、一応


 ジムチャレンジは、そろそろ序盤戦を抜けようかというところで、気の早いエリートやジムチャレンジのリピーターなどはすでに中位のジムを抜けようとしていた。

 その中で、ラーノノジムリーダー、ノマルの成績は異常であった。

 バッジの贈呈は問題なく行われている、理不尽な設定で挑戦者の詰まりが起こるわけではない、むしろバッジの贈呈率は高いくらいだ。

 だが、未だに彼女に対する『勝利者』は存在していない。つまり、彼女がバッジを与えたチャレンジャーは、その全てが『投げた』トレーナーである。

 ジムチャレンジャーに対するノマルの勝利数は驚異的な数値を記録しつつあり、それははるか数十年前、ポケモンバトルの概念すらも曖昧であったかもしれない時代の、そのあまりにも非現実的で破天荒な記録を更新する勢いであるのだと、過去を遡るのが得意なタイプのオタクたちが密かに話題にしていた。

 

 だが、だからといって、ノマルがそのまま全てに勝利したままシーズンを終えると考えているファンは一人もいない。

 ジムチャレンジをクリアした速度と、後世に名を残すような結果を出すこととの相関性はあまり高くない。優れたトレーナーは使える時間を目いっぱいに使って自身の弱点や性分などと向き合うものだし、いち早くジムをクリアしたいというせっかちさは、必ずしも優れたトレーナーの資質とは言えないだろう。

 そして、ジムチャレンジというものは後半になればなるほど情報が共有されてジムリーダーが不利になる。

 ただただトレーナーたちがジムリーダーに勝利することが条件であったジムチャレンジにおいて、ノマルのシステムには批判が多かったが『誰がノマルに勝利するのか』という付加価値のつく面白いエンターテイメントだと感じているファンも少なからずいた。

 

 

 

 

「あまり、複雑なことを言っているつもりはないのだがね」

 

 シュートシティ、ガラルポケモンリーグ協会、会長室。

 放漫な新会長であるローズの性格から普段はあまり使われないはずであったそこに、ラーノノジムリーダー、ノマルは呼び出されていた。彼女はその小さな背筋を堂々とピンと伸ばし直立不動だ。

 いかにも高そうな机を挟んで対面には、ローズが組んだ指で額を支えるようにわかりやすく悩んでいる。

 ローズは未だに秘書を採用しかねているのだろう。その場には二人以外存在しなかったが、ローズがなにかに頭を悩ませているのは目に見えて明らかだ。

 

「しかし、委員長のおっしゃることは私に手を抜けということです」

「手を抜けと言っているわけじゃないよ、せめてある程度戦略を固定して流動性をだね……」

「ですから、それこそが手を抜くことだと言っているのです」

 

 見ての通り、議論は平行線だ。

 ノマルをこの部屋に呼び出したのはローズであるし、彼女に進言をしているのもローズだ。

 ローズは、ジムリーダーノマルの戦略があまりにも多彩であり、勝利者がまだいないことをやんわりと指摘し、その修正を願っている。

 だが、ノマルはそれを受け入れない。

 はあ、とこれみよがしにため息を付いてからローズが言う。

 

「君は勘違いをしている。ジムチャレンジの主役はチャレンジャーたちであって、ジムリーダーではない」

「お言葉ですが、私は目立つために戦っているわけではありません。私はスタジアムにカメラが無くても、観客が一人もおらずとも、同じように戦い、同じような結果になるように心がけているつもりです」

「しかしね、ジムリーダーには教育者としてチャレンジャーを成長させる義務があるんだよ? 『再戦するたびに戦略が変わっている』のではチャレンジャーの成長につながらない」

「委員長や他のジムリーダーの方々がどのようにお考えかは知りませんが。私は組み上げられたシステムを暗記して勝利することがチャレンジャーの成長につながるとは考えておりません」

「君にとっての成長とは『ピッピにんぎょうを投げること』だということだね?」

 

 その問いに、ノマルは強く頷いて「はい」と答える。

 

「私はピッピにんぎょうを投げることこそがチャレンジャーの成長につながるのだと信じています」

 

 はあ、と、ローズはもう一度息を吐く。

 

「埒が明かないね。君がルールを犯して無い分、余計に」

 

 ローズの言う通り、ノマルは少なくともジム戦においてはリーグが規定するポケモンレベル制限を忠実に守っているし、例えば『さいみんじゅつ』の連打のような悪質と規定されている戦法をとっているわけでもない。『監視役』の役割が存在するリーグ公認の審判員すらそこは問題にしていない。

 しばらく黙り込んでから、ローズが切り出す。

 

「いいかい? はっきりというが、君はガラルリーグに所属するジムリーダーであり、私はガラルリーグ委員長。立場的には君の直属の上司にあたり、ガラルリーグの殆どの権利は私に集約されている……そして、今のラーノノジムのジムミッションは一部からは非常に評判が悪い」

 

 ローズの指摘はごもっともだった。

『ピッピにんぎょうを投げる』それは対戦において逃げることと同じだ。勝負の最中に背中を見せることはトレーナー倫理に反すると考える人間は当然いるだろうし、ある意味でそれを強要させているようなノマルのやり方は『悪趣味』と捉えることもできるだろう。尤も、ノマルを批判する人間のどれだけが、本当にチャレンジャーのことを考えているかはわからないが。

 

 ローズがその気になればノマルに何かを強要することができる。

 ノマルは、それに抗う言葉を放とうと覚悟を決めていた。ノマルはノマルなりに主張できる利はある。

 だが、ローズは彼女の思うものとは違う言葉を続けた。

 

「私はその気になれば君に命令することのできる立場だが、その権利を今は行使するつもりはない……私の進言を受け入れる気がないのなら、もう少し、君の思うようにやってみなさい」

 

 それは、まさかの受容だった。

 

「いいんですか?」と、彼女は緊張感を持ったまま思わず問う。

 

「ああ、構わないよ」とローズが続ける。

 

「勘違いしてほしくないんだけど、私はできるだけ君の感性を尊重したいと思っているし。教育者として、君は類稀なる人材だと信じているよ……君の過去を知ってからはね」

 

 その言葉に、ノマルは一瞬目を見開いた。だが、すぐさま自身を落ち着かせて元の凛とした表情に戻る。

 

「わざわざお調べになったので?」

「調べた、というほど大層なものじゃない……いや、過去を探ったのだから大層なことだね」

 

 一度、背もたれに体重を預けてからさらに続ける。

 

「批判者達はまだ君の過去には行き着いていないし、私がそうはさせないつもりだ。大人のつまらないやっかみがジムチャレンジに水を指すことなんてあってはならないからね」

「……それは、同情からですか?」

 

 意味のない質問だった。たとえそれが権力者であるローズの気まぐれであったとしても、それを頭のいい彼が自ら公言することはないだろう。

 

「まさか」と、ローズはある意味当然の答えを放つ。

 

「言っただろう。私は教育者として君を類稀なる人材だと信じている。そりゃあ君がある程度戦略を固定してくれればそれ以上のことはないけれど、君がそうしたくない以上、それを強要はできないよ」

 

 彼は椅子から立ち上がり、ノマルに右手を差し出す。

 

「その代わり、君に忖度はしない。同情しているわけじゃないからね」

「……ありがとうございます」

 

 ノマルは彼の右手を握り頭を下げた。

 一気に緊張が溶けたような気がした。気を張ってはいたが、委員長のローズとの衝突があまり良いことではないことは理解している。

 

「失礼しました」

 

 彼女がローズに背を向けて少し歩き、会長室の扉に手をかけようとしたその時だった。

 その扉が、彼女がノブを握っていないにもかかわらずひとりでに開いた。

 その向こう側には、陶器のような白い肌に、長い手足を強調するようなスキニーパンツ、視線を上げれば、癖のある明るいパープルの髪が揺れる。

 

「やあ」

 

 それは、ガラルリーグチャンピオン、アスチルだった。

 

「まさか先客がいるとは思わなかったよ。私の未来視も、流石に見えないものまでは見えないようだ」

 

 視線が合っている。

 その表情は微笑みであるが、特徴的な薄いブルーの瞳は、覗き込むようにノマルを写している。

 

「……私は失礼するところでした」

「そうかい、そりゃあ都合がいいね」

「失礼します」

 

 礼儀的に頭を下げてから、ノマルはいつもよりゆっくりとしたペースでアスチルの前を横切ろうとする。

 

 なにか言いたいことがあるのならば言えばいい。

 

 だが、アスチルは彼女に道を譲るだけで何も言いはしなかった。

 

 

 

 

「君が私を尋ねるとは珍しい」

 

 ノマルが去った会長室、アスチルは机を挟んでローズを対面に捉えていた。

 

「なに、いくつか聞きたいことがあったんでね」

「ほう、未来と人の心を見ることのできる君がかい?」

「今あなたの心を読んだところで、私の知りたい答えを持っているわけではない。だからあなたに問う」

 

 アスチルは一歩ローズに踏み込んで問う。

 

「君が、ダンデ少年を選んだ理由を知りたい」

 

 その言葉に、ローズの脳裏にはいくつもの言葉が、無意識のうちに箇条書きとなって現れた。そして、自らを探ろうとするアスチルの意図を予想する言葉も同じく箇条書きされ、それらの言葉を覆い隠すように、強い意志による『読まれてなるものか』という意識が芽生えている。

 

「結構」と、アスチルは頷く。

 

「返答は必要ない。目的は達成された」

 

 背を向けようとするアスチルに、ローズが問う。

 

「待ち給え、私にその質問をした意図は何かね?」

 

 アスチルはローズに背を向けたまま答える。

 

「あの少年の試合を見てね……ヒトツキを見たときにピンときたんだ。あれはあなたの息がかかったポケモンだろう?」

 

 ローズはその言葉に驚いた。それは紛れもない真実だったからだ。

 

「君はそこまで視えるのか?」

「まさか、多少ポケモンを知っていれば、あのヒトツキが『垢抜けている』ことはひと目だろう。特にトレーナーやリザードと比べればね……後はダンデ少年を推薦したのがあなただと知れば、そのくらいの『仮説』を立てることはできる」

 

 その意見に、ローズは押し黙るより無かった。アスチルの言葉が正しいのならば、彼がその特異な能力だけでチャンピオンという立場を手に入れたわけではないことがよく理解できる。

 

「疑っているね」と、アスチルは鼻で笑う。

 

「私に言わせれば、私以外のトレーナーは観察力というものが不足している……あるいはそれが、誰も私に勝つことのできない理由の一つかもしれないな」

 

 ああそうだ、と、彼は体を返してローズを視界に捉えながら問う。

 

「件のダンデ少年は、随分とラーノノジムで苦戦しているらしいが……今、彼女が会長室から出てきたことと、関係はあるのかな?」

 

 彼の言う通り、ダンデはラーノノジム最初の敗北から、未だに再挑戦を行っていない。その間にも何人ものチャレンジャーが『投げて』ジムバッジを手に入れている。

 

「何を馬鹿な!」

 

 ローズはその問いにデスクを叩くようにしながら立ち上がって激昂した。

 当然だ、その質問はローズのリーグ委員長としての資質を問うものであり、ひいては彼やダンデに対する侮辱と取ることもできた。

 めったに怒った姿を見せない男の激昂であったし、その気になればこのガラルという地方を自由に操ることのできる力を持つ男の激昂でもあった。

 だが、アスチルはそれに動揺することはない。彼もまた、ローズがガラルを操ろうがどうでもいいと考えることのできる力を持つ男であった。

 

「素晴らしい」と、アスチルは目を細める。

 

「マスタード氏をめぐる八百長騒動以来、どうも背広組の人格を疑っているところがあってね……だが、安心した。リーグ委員長によるえこひいきがあったとなれば、チャンピオンとしては見逃せないだろう?」

 

 心配することはない、と続ける。

 

「あなたが懸念しているようなことは起こらない。ダンデ少年がラーノノジムでチャレンジをリタイアすることはなく、彼は今季の台風の目となる……あなたの発掘力は大したものだ、いずれ、私を打ち倒す『斥候』を手に入れることができるかもしれませんね」

 

 ローズとの会話の興味を失ったようにそう言い放って会長室を後にするアスチルに、ローズもまた、それ以上何も問わなかった。




後編は同日夜投稿します

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過去編 新人ジムリーダーノマル 42 似かよう②.

ダンデ(原作キャラクター)
 後のガラルリーグチャンピオンだが、過去編ではまだジムチャレンジの途中。
 ノマルに負けたことでよりバトルを楽しく感じ始めている。

マツム(オリジナルキャラクター)
 ジムチャレンジ中の息子を亡くした過去を持つ『ガラル遺族協会』会長。社会的にノマルのサポートを続ける。
 その気になればローズと戦うこともできるそうだ。


 ラーノノタウン、町を流れるムスム川が湖となっているボルド自然公園は、ワイルドエリアほどではないが野生のポケモンが闊歩するほど野生の残る場所であり、ラーノノタウンがいまいち近代化に乗り切れていない原因とも要因と呼ばれている場所であった。

 野生のポケモンが闊歩するということは、当然トレーナーたちが彼らと出会うこともあるということだ。近年まであまり野生のポケモンと戦うことの需要はこの町にはなく、もっぱら観光が主であった。ラーノノジムがメジャージムに昇格しても、ノマルの方針から初挑戦でジムバッジを取得するチャレンジャーがほとんどであり、あまりトレーナーの修行場としての機能は果たしていない。

 

 だが、ここ数日、ボルド自然公園は随分と騒がしかった。

 

 その少年、ダンデは、ラーノノジムを攻略するその日まで、ボルド自然公園で自身を鍛えることに決めていた。ラーノノジムリーダーであるノマルの柔軟な戦略感は、この自然公園で培われたものだろうというのがダンデの理屈であり、そうなれば、この地を修業の場所とすることに彼の中でなんの不思議もなかった。

 もちろん、彼の幼馴染であるソニアが言ったように「それってあんまり関係ないんじゃないの?」という言葉も一理ある理屈であろうし、そもそもノマルの生まれはシュートシティであるし、彼女はあまりボルド自然公園に足を踏み入れたことがないというのが真実というものなのだが、大抵こういうものは行動するための動機づけが最も重要であり、ダンデが成功者となれば破天荒なエピソードとなり、ダンデが失敗者となれば、失敗者が失敗者となるべくしてなったエピソードになるだけである。

 

 ボルド自然公園に存在するポケモンたちのレベルは、ワイルドエリア序盤よりは強く、ワイルドエリア終盤よりかは弱いと言った程度、中盤のジムであるラーノノジムを目安にするのならば、丁度いいレベルだった。

 

 

 

 

 ラーノノ大聖堂に付属する学校の生徒たちで構成される聖歌隊の歌声は、不意に聖堂に現れた泥だらけのダンデを拒絶することなどない。

 

「まいったぜ」と、キャップのつばをいじりながらダンデがつぶやいた。

 

「また迷っちまった」

 

 ボルド自然公園で練習をしていたらいつの間にかラーノノ大聖堂に迷い込んだ。

 それは、ラーノノの住民からしたらありえないようなことであるのだが、現にこうして彼は迷い込んでしまっているのだからしょうがない。

 特に、修行のためだとソニアと一旦別行動になってからダンデのそれは顕著であった。疲れたリザードがモンスターボールに入っているからなおさらである。

 

「まあ、いいか」

 

 ダンデはキャップを被り直した。

 すでに日は遅い、ホテルに帰るには十分な時間だろう。このようなトラブルがなければ休まない、ダンデはそういう少年であったし、そういう青年になるだろう。

 

 それに、聖歌隊の歌を聞くのは久しぶりの、否、もしかしたら初めての経験かもしれなかった。ダンデの興味はすでにそこにある。

 耳は抜群にいいほうだ、彼はそこに立ったまま耳を澄まし、その歌の意味を感じ取ろうとした。

 

「あれ?」

 

 しかし、彼は首をかしげる。

 ダンデは歌を知らない方ではない。だが、その歌はダンデの記憶に無い、否、もしかすればかすか遠くにあったかもしれないが、その意味はわからない、そのような歌だった。

 ダンデがもっとよくそれを聞こうとしたとき、彼を呼ぶ声があった。

 

「僕ちゃん、こちらへいらっしゃいな」

 

 優しい声であった。そして、その声に「僕ちゃん」と呼ばれることのなんとくすぐったいことだろう。

 見れば、一人の婦人が長いすに座ってダンデに手招きをしていた。

 田舎育ちのダンデでも彼女がただの中年女性ではないことを理解できた、彼女の身なりは非常に良かったし、それをひけらかすような装いでもない、身につけるものがたまたま良いものであるという風な品の良さを感じた。

 

「僕ちゃん、お名前は?」

 

 促されるままに彼女の横に座ったダンデに婦人が問うた。

 

「ダンデです」と、彼はすぐに答える。知らぬ人間に名前を言ってはいけないと母親やソニアに散々聞かされていたのだが、その身なりの良い婦人が悪い人間だとは思えなかったし、何より、今後「僕ちゃん」と呼ばれ続けることを考えれば安いリスクだろうと思ったのだ。

 ついでに、ダンデはおずおずとキャップを脱いでそのままの跡がついた髪の毛を晒した。室内では帽子を脱ぐというマナーを彼が忠実に守るタイプではなかったが、何よりその婦人の雰囲気が彼にそうさせたのだ。

 

「そう、ダンデちゃんはジムチャレンジ中なの?」

 

 ダンデの服装を見れば、彼がジムチャレンジの最中であることは容易に理解できるだろう。

 

「はい」

「どこから来たのかしら?」

「ハロンタウンです」

「あら、ずいぶん遠くから来たのね」

 

 彼女は自分の胸に手を当てて続ける。

 

「私はマツム、シュートシティから来たのよ」

「シュートから? どうして?」

「人と待ち合わせをしてるの」

 

 へえ、とダンデが相槌を打ち、彼女に質問する。

 

「この歌、なんて歌なんですか? 聞いたことがあるような無いような」

 

 その問いに、マツムは一瞬沈黙を作ってから答える。

 

「これは安息を願う歌よ。ダンデちゃんはきっと聞いたことがないでしょうね」

 

 マツムの言う通り、安息を願う歌と言われてダンデにはピンとこない。

 

「ジムチャレンジは楽しい?」

 

 話題を変えるようにマツムが問うた。

 

「楽しいぜ!」

 

 ついつい敬語を忘れる。そして彼は聖堂にふさわしくない大声を出してしまったことに気づいて少し顔を赤くした。

 

「ここにいるということは、次はラーノノジムに挑戦するのかしら?」

「いや、ノマルさんには負けちまったからここで修行しているんだ」

「ノマルに負けた? ピッピにんぎょうを投げればバッジはくれるんじゃありませんでしたか?」

「らしいけど、俺は投げたくない」

「どうして?」

「だって、投げたらノマルさんに勝てないじゃん」

 

 ダンデの言葉に、マツムは小さく笑った。

 

「だけど、ノマルは強いでしょう?」

 

 それに、ダンデはぱっと表情を明るくさせる。

 

「強かった。あんなところでダイマックスを使うなんて全然予想してなかったし、最後のヨルノズクも強かった……ハロンにはあんなトレーナーはいなかった」

「それでも、ノマルに勝つつもりなんですか?」

「勝つぜ、絶対に勝つ」

 

 そうですか、と、マツムは微笑んだ。

 

「応援してますよ。ですが、あまり無理はしすぎないように」

 

 更に続ける。

 

「あなたにもしものことがあれば、必ず悲しむ人がいるのですから」

 

 気がつけば、聖歌隊の練習は終わったようで、指揮役の年配の老人が楽譜を片付けるのと同時に、歌っていた子供たちもバタバタと騒がしくなる。

 

「マツムさん」と、静かに聖堂に入ってきたノマルが彼女らに声をかけたのはその時だった。

 

「ジムリーダー!?」

 

 声に振り返ったダンデはノマルに驚き、マツムは微笑んで彼女を迎えた。

 ノマルはダンデにさして驚くこと無く問う、ここで会うのは二度目だ。

 

「ダンデくん、一体ここで何をしていたのですか?」

「道に迷ってしまったようですよ。ボルド自然公園から」

 

 マツムが代わりに答え、ノマルはため息をつく。

 

「ボルド自然公園からここに迷いますか普通」

 

 呆れるノマルにダンデは気まずそうにしたが、マツムが「聖歌隊の歌に誘われたのでしょう。練習とは言え、今日も素晴らしかったですよ」とフォローした。

 

「ワイルドエリアに比べれば平穏とは言え、ボルド自然公園にいる野生のポケモンたちも危険ではないわけではありません。暗くなってから……今から入るようなことはないように」

 

 わかりました、と、ダンデは少し小さな声で答える。

 

「じゃあ俺、ホテルに戻ります」

「待ちなさい」

 

 ノマルはダンデを引き止めボールを投げた。繰り出されたのはイエッサン。

 

「また迷ってはいけません。ホテルまでは私のポケモンが送ってあげましょう」

「この子、俺と戦ったときのポケモンですか!?」

 

 深々と礼をするイエッサンにダンデは目を輝かせる。

 

「ええそうですよ。ダイマックスした子です」

「すげえ!」

 

 ダンデはイエッサンの頭を撫で回す。

 

「暗くなります。早く送ってあげなさい」

 

 イエッサンがダンデの手を引く。

 ダンデは慌ててマツムの方を向く。

 

「マツムさん、ありがとうございました!」

「いえいえ、私も楽しかったですよ」

 

 マツムと手を振りあった後に、ダンデはノマルの方を向いて言った。

 

「ノマルさん! 俺、絶対に勝ちますから!」

 

 

 

 

「ローズはなんと言っていましたか?」

 

 聖歌隊のいなくなった聖堂、声を響かせないように小さく、マツムがノマルに問うた。

 

「もう少し、自由にやっていいと言っていました」

 

 ノマルも同じく小声でそれに答える。

 別に誰かに見られて困る組み合わせではない『ガラル遺族協会会長』と『ラーノノジムリーダー』が会話をしてはいけない決まりなど無いし、それを縛る倫理も存在しない。

 だが、やはりその二つの勢力は、世間的に見れば水と油のように思えるだろう。

 

「ローズもただのワガママな成金ではないということでしょうね。私達の関係にも気づいているでしょうに」

 

 マツムの口調は優しいままであったが、そこにはローズに対する強烈な嫌悪があるように思えた。

 その話題はそこで終了したのか、二人の間に少し沈黙が流れた後に、マツムがふふっと笑う。

 

「元気な子でしたね」

「ダンデくんですか?」

 

 マツムとダンデがどのような会話をしたのかノマルは知らないが、話の流れからして、その子がダンデのことを指していることは容易に想像できる。

 はあ、とため息をついてノマルが続ける。

 

「元気過ぎます」

「苦労しそう?」

「私は全力を尽くします……ですが、ジムチャレンジ中のジムリーダーには手持ちレベルの制限があり、どうしても限界はあります」

「ジムリーダーのあなたでは止められないと?」

「おそらく……あの子は天賦の才能があるでしょう」

 

 ノマルはダンデとの試合を思い出しながら続ける。

 

「手持ちとのコンビ―ネーションは当然として。判断力、決断力。そのどちらもズバ抜けているから行動によどみがなく、理論か感性かはわかりませんがその行動も間違いは犯さない……私が勝利したのは試合途中のダイマックスという彼の理屈の外の行動をできたからでしょう」

 

 ノマルはダンデとの試合に勝利できたことをそのように分析していた。ダンデの才能はこれまで戦ってきたどのチャレンジャーよりも抜きん出ており、ポケモンバトルというものが年齢による経験値というものだけのものではないことを物語っている。

 

「なるほど」と、マツムは頷く。

 

「わたくし、思わず彼を応援してしまいました。あの子によく似ている子でしたから」

 

 マツムのその言葉に、ノマルは少しうつむくように沈黙した。

 それは、ノマルの中にもあった感情であった。

 だが、マツムの前で、少なくとも彼女よりも先にそれを言うわけには行かなかったのだ。

 

「……だからこそ、です」と、ノマルが呟く。

 

「だからこそ、彼にピッピにんぎょうを投げさせることが必要なのです」

「わかっていますよ……何か困ったことがあればいつでも相談してくださいね。ローズと戦うのならば、私にはその準備もあります」

 

 ノマルがそれに何かを返そうとしたその時だった。彼女らの背後からパタパタと上履きが跳ねる足音が近づいてきた。

 

「リーダー!」

 

 見れば、ラーノノ大聖堂に付属する学校の制服に身を包んだミスミが、同学年であろう女の子の手を引いて駆けてきていた。

 ミスミは聖歌隊の一員であり、つい先程まで聖堂で歌の練習を行っていた。撤収する寸前にノマルが聖堂に入ってきたのが見えたから、急いで着替えてきたのだろう。

 

「聖堂を走ってはいけませんよ」と優しく注意するノマルに「ごめんなさい」と頭を下げ。マツムにも「こんにちわ!」と満面の笑みで言ったミスミは、女の子の手を引いて言う。

 

「あのねリーダー! この子にポケモン見せてあげて!」

 

 女の子は少し怯えながらノマルを見上げ、ペコリと頭を下げた。

 

「聖歌隊の子ですか?」

「うん! この子歌うまいんだよ」

「私も聞いていましたよ、高音がキレイでしたよね」

 

 マツムがそう褒めると、女の子は少し顔を赤くした。

 

「いいですよ」と、ノマルは腰のボールに手をやりながら答える。

 

「特別です、ミスミくんのガールフレンドですものね」

 

 今度はミスミのほうが顔を真赤にしてその手を離したが、すぐに女の子の手は埋まるようになる。

 現れたポケモン、スカーフポケモンのチラチーノは、突然の使命であるにも関わらずに変わらぬ毛並みの美しさを女の子に披露した。

 

「かわいい!」

 

 先程までの緊張はどこに言ったのだろうか、女の子はフリーになった両手でチラチーノの体毛を撫で回す。チラチーノもまんざらではないのか彼女の好きにさせていた。

 

「良かったですね」と、ノマルはミスミ、女の子、チラチーノそれぞれに言った。

 

 だが、ミスミの欲求はそれだけでは無いようで、彼は顔を赤らめたまま少しもじもじしてノマルに言う。

 

「あのねリーダー、この子、自分のポケモンが欲しいらしいんだけど……リーダーなら良いポケモンを知っているでしょう?」

 

 ははあ、と、ノマルとマツムは微笑ましく思った。

 女の子の前で得意げにノマルのことを喋っていたミスミの姿が目に浮かぶ。

 

「考えておきましょう」と、ノマルはミスミの頭をなでながら言った。

 

「今は忙しいですから、ジムチャレンジが終わったらね」

 

 二人は目を輝かせた。




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マシュマロ


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324 一人三役

マリィ(原作キャラクター)
 ネズの妹で現スパイクタウンジムリーダー
 兄と違いダイマックス戦法も使いこなす。
 ノマルとは顔なじみだったが、ジムリーダーとして対戦するのは初めてらしい

ネズ(原作キャラクター)
 マリィの兄で全スパイクタウンジムリーダー。
 ジムリーダーの立場を妹に譲り生活に余裕が出るかと思ったらその分仕事を詰められてしまった。
 かつてジムミッションではノマル相手に『ノンダイマックス戦法』で勝利した。

ノマル(オリジナルキャラクター)
 ラーノノジムリーダーとして記念日のエキシビジョンに挑む。
 実は二年前に勝ち取ったマスタード一年分を未だに使い切っていない。

ミスミ(オリジナルキャラクター)
 ラーノノジムトレーナーにしてエール団団員でもある。その自己矛盾に苦しむ段階はとうの昔に過ぎている
 この日の前日は寝られなかった


「あのね、あたし、少し怖いと」

 

 ある日、スパイクタウンジムリーダーであるマリィは、彼女にしては珍しくそう漏らした。

 もちろんそれは彼女を応援するエール団の前ではなかったし、彼らのたむろ場であるスパイクタウンのジムでもない。だからこそ、そう漏らすことができたのだろう。

 

「どうしましたかマリィ」

 

 ソファに腰掛けていた痩せた男が、書き込んでいた譜面から彼女に目線を変えながら言った。彼はネズ、前スパイクジムリーダーにして、マリィの兄でもあった。だから彼らが同じ家に住んでいることも、部屋を共有していることも何の不思議はない。

 実の兄であるネズからしても、マリィがそう漏らすことは珍しいことだった。確かにもっともっと子供の頃には引っ込み思案で泣き虫ではあった、だがそれは遠い昔の記憶、たった一人でジムチャレンジを達成するまでになったマリィの口からその様な弱音が出たということに、ネズは驚きと焦りを表すまいと努力していた。

 

「メールが来た」

 

 彼女はソファーの開けられたスペースに腰掛けた。

 

「依頼ですか?」

「そう」

 

 彼女はジムリーダーだ、仕事の依頼なんてゴマンとあるだろう。そして、兄の知る限りマリィはどんな依頼でもこなしていた。まさかそんな彼女が依頼に対してナーバスになるとは。

 まさか、と、ネズは妹の顔を覗き込むように身を乗り出す。

 

「いかがわしい内容ではありやがりませんか!?」

 

 駄目だ駄目だ! と、ネズは強く頭を振った。今は一つにまとめられた長髪が体に巻き付くように中途半端に舞う。

 ありえない、ありえてはならない! 確かにジムリーダーという立場であればある程度容姿を綺羅びやかに見せるような仕事が来ることもあるかもしれない。キバナやルリナのように、あのカブさんですら髭剃りのプロモーションを撮っているのだ。

 だが、マリィはまだティーンだ。ネズは自分が性に対して病的な潔癖ではないという自覚はあるが、まだ早すぎる。

 

 突然声を強めた兄にぽかんとするマリィを尻目に「ダンデはなにをやってやがるんですか……」と、ネズは頭を抱えた。

 

 ジムリーダーへの依頼だ、当然それはポケモンリーグ協会を通しているはず。

 彼の知る限り現ポケモンリーグ委員長のダンデは倫理観が崩壊しているタイプではない、崩壊しているのは方向感覚だけだ。

 だのにどうしてこんなことになる。バトルタワーオーナーとの兼業があまりにも激務過ぎてそこまで手が回らないのか。

 いやまて、そもそもその依頼は本当に協会を通しているのか? もしかすれば『闇営業』の誘いなのかも。

 そこから更に深めて考えていこうとしていたネズの思考を、妹の楽しげな笑い声がかき消した。

 

「違う違う、そげなとやなかばい」

 

 絞り出すように否定の言葉を紡いだが、それもまた大笑いにかき消される。

 次にぽかんとしたのは兄の方だった。

 

「ああ、笑った……ありがと、少し楽になった」

 

 目尻を指で拭いながらマリィが続ける。

 

「そんな依頼じゃなか、エキシビジョンの依頼よ」

 

 その言葉に、ネズは一旦ホッとし、そして、再び不安を感じた。

 

「マリィがエキシビジョンを怖がるなんて珍しいですね」

「怖いわけじゃなか! 少し怖いだけ」

 

 パッと、ネズは妹が少し恐れている対戦相手を当てようと想像してみた。

 だが、その答えはすぐには出てこない。

 ジムリーダー相手に行われるエキシビジョンの相手なんてその大抵が人格者である、唯一オニオンというゴーストタイプの少年ジムリーダーがホラー的な意味合いで恐ろしいと認識されているが、自分たちはあくタイプのエキスパート、今更ゴーストを恐れはしないだろう。

 

「誰なんです?」と、ネズは白旗を上げた。

 

「ノマルさん」

 

 マリィは少し体を縮こまらせながらそう答える。

 

「ああ」と、ネズは納得した。

 

 マイナージム、ラーノノジムリーダーノマル。

 一般的な認知であれば、とても恐怖を覚えるような相手ではないだろう。かつてはメジャーリーガーであったかもしれないが、すでにその記録は遠くにあり、マイナーリーガーである歴史のほうがすでに長い人物である。メジャーリーガーであるマリィがたった少しであろうと恐怖を覚えていい相手ではない。

 だが、ネズにはその理由がよく分かる。

 

 ジムリーダーノマルの全盛期、それはマリィがまだほんの子供の頃であり、ネズがジムチャレンジに挑戦していた時期である。

 その頃のノマルは、確かに恐怖を覚えるに値するトレーナーであった。

 だが、ネズを含めその世代のジムリーダー達はノマルへの恐怖心はさほど無いだろう。なぜならば、彼らはノマルに対して、その実力で自由を勝ち取ったのだから。

 だが、マリィらの世代は違う。

 彼女らは対戦を通してのノマルに恐怖を覚えることはしただろうが、それに打ち勝つタイミングが存在しなかった。故にあの頃の恐怖が未だに心の奥底に存在していてもおかしな話ではない。

 

「大丈夫ですよ」と、ネズはマリィの肩を抱きながら続ける。

 

「優しい人です」

「アニキは怖くなかったと?」

「怖かったですよ、少しなんてものじゃない」

 

 ネズは嘘をつかない。

 あの時、ノマルはたしかに恐ろしかった。

 だが、それから歳を重ねて思うこともある。

 

「ですが、優しいからこそ、怖かったのです」

 

 

 

 

 

 

『ラーノノタウン、本日は記念日で学校もお仕事もお休みです! 子供たちも市場の皆さんもこの日を心待ちにしていました! 私も日の出ている内はラーノノタウンの一住人として楽しんで、その後エキシビションに望みたいと思います!!! 試合の観戦はケーブルテレビかこちらのサイトから!!!→https://www〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇mypage.〇〇〇〇〇〇〇』

 

 

 

 

 

 ラーノノタウン、世界的には何の意味もないただの平日に、ガラルでただそこだけは、人々の期待と、わずかばかりの興奮に満ち溢れている。

 ガラルの中でラーノノだけにある特別な記念日だ。ラーノノの人々はその日を休日だとして疑っていないし、ラーノノに出店しているフランチャイズですら、その日はラーノノの人々に敬意を払い、その日を休日として扱っている。

 最も、何割かのラーノノ住民は、その日がなぜ休日となっているのか深くは知らないだろう。遥か昔に何かがあった事は知っているだろうが、それが本当なのか、それとも嘘であるのかもわからないし興味がない。ローカルなケーブルテレビでは毎年その理由を長時間かけて放送しているが、その後のイベントに比べれば視聴率は芳しくないかもしれない。

 だが、それでもなおラーノノの住民たちがこの日を休日として扱うことが、その歴史と文化の重みというものを物語っているだろう。

 

 

 

 

「プレミアムミルクティーを一つ」

 

 祭りの雰囲気に賑わいを見せる野外市場の中でも、その移動式のキッチンカーはいつもどおり幕を下ろし、相変わらず店主の手だけが見えるが、その爪が少しだけ明るい色とカラーリングで揃えられているところから、店主も少しだけ浮かれているのだろうということがわかる。

 

「ゆっくりでいいんで、今日の運勢をお願いします」と、占いを依頼し、ラーノノジムリーダー、ノマルは賑わう野外市場をぐるりと見回す。

 

 ノマルはこの日が好きだ。

 ラーノノの人々が、ラーノノの人々として楽しむこの日が好きだ。

 そして、自分がこの日の締めを任されるということも、光栄だ。

 

 彼女が思っているよりも長く物思いにふけっていたのだろうか、たったそれだけを考えただけであったのに、すでにプレミアムミルクティーはカウンターに置かれている。

 

「どれどれ」と、彼女はそれを手にとった。

 

『まるで鏡を見ているようでしょう』

 

 店主が浮かれていることが原因なのか、普段よりも抽象的で私的な要素が強いその言葉にノマルは首をひねり「ミラーマッチってこと?」とだけつぶやいたが、店主はすでに次の注文の準備に入っており、その言葉に何かを返すことはなかった。

 

 

 

 

 カリスマの弱点とはなにか、それは、自らがカリスマとなる前を知る人間と合うことだという。

 かの有名な救世主も、自らの生まれ故郷では少し気まずかったとか。

 特にカリスマの前を知る人物、例えば母親のような存在と、自らの狂信者とに挟まれてしまったカリスマは大変だろう。カリスマであることと、息子であることとは、本来両立しない概念だ。

 

 

 

 ラーノノタウン、ラーノノスタジアム。関係者控室。

 本来ならばあまり人が入ることのないその部屋は、その日は珍しく人でごった返し、そして、その人々の身なりも特徴的であった。

 

「エール団ナンバー十四! ラーノノ支部長ミスミ! ふつつかながら本日、マリィ応援隊の隊長を務めさせていただきます!!!」

 

 そう叫んで猛烈に頭を下げるミスミに、彼の後ろに並んでいた数十人のエール団も同時に頭を下げる。

 当然、その先には、エール団の実質的な団長と読んでもいいであろう立場の男、ネズがいた。

 いつものミスミならば、すぐさまにジャケットにサインを求めるだろう。だが、今の彼には立場というものがあるし、何より、その立場を全うすることが出来ることは、あるいはライヴ後のジャケットを投げかけられることよりも価値のあることかもしれない。

 

「はいはい、よろしくおねがいしますよ」

 

 ロングベンチに腰掛けるネズは、手をひらひらと鬱陶しそうに振りながらそう答えた。

 エール団は、スパイクジムリーダーとその関係者を応援するファナティックな集団である。彼らは特徴的なユニフォームに身を包み、顔もペイントで統一させている。

 彼らの自主的な『応援』はいつしか集団的な統率を見せるようになり、いつからかこのように、試合前にその試合の応援責任者がネズに挨拶をするのが慣習となっていた、もちろんネズはそれを望んでいるわけではない。

 しかし、冷静に見れば妙な光景である。

 本日の応援責任者であるミスミの後ろに並ぶエール団の面々は、その個人個人はミスミよりも年齢や社会的立場が上である人間も珍しくない。それに、その中にはこの様な序列的な慣習を普段は嫌っているものもいるかも知れない。

 だが、それらを疑うことを放棄させる力が、その奉仕を喜びだと感じさせることの出来る格というものが、スパイクジムとネズにはあるのだろう。

 

「はい、よろしくおねがいします!」

 

 そして、ネズの横に立っていたラーノノジムリーダー、ノマルもその小さい体躯を折り曲げるように頭を深く下げた。

 

「いや、なんであんたがこっちにいるんですか」と、ネズは呆れたように呟く。なぜならば、今日はスパイクジムリーダーマリィと、ラーノノタウンジムリーダーノマルとのエキシビションマッチだからだ。

 

 その日、ラーノノタウンの記念日の締めとして行われるのは、地元のジムリーダーであるノマルと、招待された選手とのエキシビションマッチだ。これもまた古くからの慣習であり、先代や先々代のラーノノジムリーダーも例外なくおこなってきた。

 地元の企業がスポンサーとなっており、勝者にはラーノノのチョコレートとマスタードが一年分送られることになっている。

 地元の英雄であるラーノノジムリーダーの対戦ではあるが、勝率に関しては五分五分といったところ、大切な記念日の終わりがそのようなことになったとしてもあまり不満を持つ住民がいないことが、ラーノノタウンという町のおおらかさや生真面目さを現しているのかもしれない。

 

 マリィは対戦者控室で集中力を高めているだろうに、その相手であるノマルがこうものんきに『スパイク陣営』に足を踏み入れている。ネズはそれがよくわからない。

 

「いやあ」と、ノマルはニコリと笑う。

 

「久しぶりにネズくんの顔見ておこうかなと思って」

 

 ネズくん、とまるで弟や親戚の子供のようにノマルが接するものだから、ミスミを除くエール団の面々はざわめいた。

 彼らにとってネズはカリスマだ。全ての人間から尊敬の目で見られるべきだし、決して上から押さえつけられるようなことがあってはならない。そうではないからこそ、ネズは『あくタイプのカリスマ』なのだ。

 

「エール団! 全員退室!」

 

 事が大きくなりそうな予感を感じ、ミスミは一言そう叫んだ。

 応援隊長の言うことは応援隊にとってはネズの次に絶対である。エール団達は一言だけそれに返事をしてぞろぞろと退室、観客席の持ち場を目指す。

 

 関係者控室に残ったのは、ネズ、ノマル、ミスミの三人だけとなった。

 

「ネズさん、どうか気を悪くなさらないでください。リーダーに悪意はありません」

「それはわかってますけど」

「久しぶりだね~、中々会ってくれないから心配してたんだよ」

 

 ノマルは腰掛けているネズの頭をなでる。ネズが妹以外に頭を撫でられるなどあってはならない。カリスマは大変だ。

 だが、ミスミはそれに驚くこともなければ失望することもない、もちろんそれは彼がノマルという人間をよく知っていることもあるだろうが、何より大きいのは、ネズのファナティックな信者の一人である彼もまた、カリスマとなる前のネズを知っていることだ。

 

「対戦受けてくれてありがとね~。マリィちゃん人気だから受けてもらえないかと思ってたよ」

 

 ネズの妹であり、ダイマックス戦法を扱う初めてのスパイクジムリーダーであるマリィは、ファナティックな集団を抜きにしても人気のジムリーダーであった。たとえエキシビションであったとしても、小さな町の記念日、それも対戦相手がマイナージムリーダーとなれば、それを受けてもらえないことも十分に考えられた。

 

「あんたに頼まれて断れってのが酷な話ですよ」

 

 ネズは更に呆れたように言って続ける。

 

「マリィにとっても悪い機会じゃねえですしね。負けるとは到底思ってませんが、一度はあんたみたいなのと戦っておいたほうがいい」

 

 その言葉に、ミスミは首にかけていたマリィが描かれた応援タオルを広げて言う。

 

「ネズさん! お任せください! 俺たちのエールが必ずマリィを勝利に導きます!」

「私だって負ける気はありませんよ、この日のために対策はバッチリです」

「もちろんです! 俺とリーダーで練りに練ったマリィ対策見せつけてやりましょう!」

「お前の情緒どうなってやがるんですか?」

 

 コロコロと態度を変えるミスミにネズはため息をつくが、ミスミはむしろ胸を張ってそれに答える。

 

「応援しているのはマリィ、信じているのはリーダーです!」

「じゃあマリィは信じていないんですか?」

「いえ! マリィも信じています!」

 

 何のためらいもなくそう言い切るミスミに、ネズはそれ以上疑問を呈するのを辞めた。

 

 

 

 

 ラーノノスタジアム。老朽化が進んでいることを無理やり歴史を感じると言いかえることも出来るであろうそこでは、健闘むなしくノマルが劣勢となっていた。

 だが、それは決して意外であるとか、波乱だというわけではないだろう。むしろ、マイナーリーガーとメジャーリーガーだという立場の違いを考えれば、ノマルが割と健闘しているとすら言える状況だった。

 ネット配信からその対戦を眺める『アームチェアジムリーダー』の面々は、この余興にふさわしくないマリィの立ち回りを不思議に思っていた。

 普通、この様な主役のハッキリとしたエキシビションマッチでは、強いほうが多少の手心を加えるのが余裕ある遊び心だというものだ。

 だが、この試合においてマリィは未だにそんな様子を見せることはなく、淡々と彼女のペースを崩すこと無くノマルを相手していたのだ。当然、ダイマックス戦法も温存しながら。

 

 

 

 

 

 

「彼を打ち下すことができたなら、無事『卒業』を認めましょう!!!」

 

 最後の一体となったヨルノズクをボールに戻しながら、ノマルは対面の少女に向かって叫んだ。

 その少女が、あのネズがあとを継がせるほどの実力と才能に満ち溢れたトレーナーであることを、当然ノマルは知っているし、それを疑ってもいない。

 だがそれでも『卒業』という言葉が思わず飛び出してしまったのは、ノマル自身の過去から続くクセであるのだろうか。

 

「よいしょっ!」

 

 相変わらず重そうに、両手を使って下から巨大化したモンスターボールを投げれば、そこから現れるのはダイマックスしたヨルノズク。

 彼はマリィとズルズキンを見下ろしながら、彼女たちに立ちふさがるように羽を広げ、咆哮でスタジアムを軋ませる。

 

 この試合は、まだわからない。

 マリィはそう感じ、すでにズルズキンを捨て石にする覚悟を決めていた。

 重要なパートナーであるモルペコは、ノマルの徹底した対策と執拗な狙い撃ちによって倒れている。

 故に、ノマルのヨルノズクを止める安易な戦略は、今この状況では存在しない。

 そして、ノマルは『ダイジェット』でヨルノズクの素早さを引き上げてくるだろう。そうなれば、戦略に長け耐久に強みのあるヨルノズクが更に厄介な存在となる。

 残るポケモンの数の優位などひっくり返りかねない。

 なぜならば、と、マリィはヨルノズクの攻撃によって戦闘不能となったズルズキンをボールに戻し、それを強く握りしめて思う。

 この試合、自分はダイマックスを使わないのだから。

 

 

 

 

 

「よく頑張りました」

 

 ラーノノスタジアム、対戦者控室。

 必要以上に大きく作られたチョコレートとマスタード一年分贈呈のパネルを抱えて戻ってきたマリィを、ネズはそう言って出迎えた。

 だが、その言葉とは不釣り合いに、パネルを抱えるマリィはクールに目線を下げている。たしかに彼女のクールな視線はエール団のみならず一般的なガラル住民をも虜にすることもあるが、彼女がそれを兄であるネズに向ける必要などあるだろうか。

 兄を前にしても、彼女は少し不機嫌だった。少しばかりの涙を堪えるほどに。

 だが、兄を前にしてもその涙を溢れさせることがなかったのは、彼女のスパイクっ子魂の最後の抵抗であった。

 

「勝てんかった」

 

 それは、勝者が一年分のチョコレートとマスタードをもらえる大会において、その贈呈券を抱えるものが言う台詞ではない。彼女がその試合の勝者であることは、その中継を見ていた何万という人間が保証するだろう。

 だが、兄にはその言葉の意味がわかる。

 

「片意地張る必要なんてねーですよ」

 

 彼はマリィの頭を一つなでてから続ける。

 

「俺があの人と戦った時はジムチャレンジ、エキシビションとは勝手が違う」

 

 その言葉にも、マリィは未だに笑顔を見せない。

 

 彼女は、勝ちたかった。

 かつて、子供心ながらに強烈に残っている記憶のように。兄のように、ノマルを相手に『ノンダイマックス戦法』で勝利したかったのだ。

 だが、ノマルとヨルノズクの突破力に対し、マリィは最後の最後で、自らのパートナーの一人であるオーロンゲをダイマックスさせた。

 彼女はそれが悔しくてたまらない。

 ネズの言うことがまっとうであることはわかっている。兄がノマル相手に勝利したのはジムチャレンジ中の手加減されたパーティ相手であり、今日の結果と一概に比べることの出来ることではない。

 だが、自らの記憶と、決意と、思想というのは理ではないのだ。

 

 押し黙るマリィに、ネズが問う。

 

「どうしてダイマックスしたんですか?」

 

 それは、ネズの知るマリィという人間からすれば不思議なことであった。

 彼の知る限り、妹は強く、心の強い女だった。冷静で、決意は固い。

 そんな彼女が『ノンダイマックス戦法でノマルに勝利する』という決意を諦めた理由を確認したかった。それが、自らの想像と合致しているのならば、それはむしろ喜ばしいことだった。

 

 マリィは、やはりその質問から少しばかりの沈黙を作ってから答える。

 

「あたしだけの戦いじゃないから……意地張って負けたら、町の皆に申し訳がたたんと」

 

 そうだ。

 彼女はスパイクジムリーダーとして戦った。彼女には背負うものがあるし、彼女を信じ背負われているものもいる。

 ノマルという恐怖を目の前にしながらも、彼女は最後の最後までそれを忘れはしなかった。

 

「それでいいんですよ」

 

 ネズはマリィに微笑むを向けて続ける。

 

「それを忘れなければ良い、我々が戦う理由を忘れさえしなければね。なに、リベンジの機会はいくらでもあります。それに、もう怖くはないでしょう?」

 

 妹をからかうようなその口調に、マリィは緊張を解いて「もう!」と頬を膨らませた。

 

 

 

 

 

「本日は対戦ありがとうございました!」

 

 ラーノノスタジアム対戦者控室。

 やはり当然のような顔をしてマリィの控室に飛び込んできたノマルは、ニコニコと笑いながら彼女とその兄であるネズに頭を下げた。

 

「本日もエールを送らせていただきありがとうございました! 試合終盤のダイマックスからの攻防、お見事でした!」

 

 同じく入ってきたミスミは、ノマルよりも鋭角に頭を下げ、その後頭を振り上げてからノマルに言う。

 

「リーダーもお疲れさまでした。ヨルノズクのダイマックスまで作戦通りでしたが、力負けしてしまいましたね。勝てた試合でした、リサーチ不足で申し訳ない」

「だからお前の情緒どうなってやがるんですか?」

 

 とんでもないスパイもいたものだ。

 ネズの呆れに動揺することもなく、ミスミはマリィの方を向いて続ける。

 

「それでは、エール団にねぎらいの言葉をお願いします」

「ん、わかった」

 

 マリィはそのある意味図々しいような願いに素直に頷き、ミスミと共に控室を後にする。圧倒的な手際でスタジアムの清掃を行っているエール団の今日一日は、彼女からのねぎらいで報われるだろう。

 

 

 

 

 

 

「お兄ちゃんも大変だね」

 

 ノマルとネズのみとなった室内。

 ジムリーダーと元ジムリーダーという立場であるお互いは、しばらくはジムの機構がどうだとか、新しい委員長が提案したシステムがどうだとかいう話をしていたが、ふと備え付けのモニターに映ったマリィのハイライトシーンを眺めるネズに、ノマルがふいに言った。

 

 ネズはそれに沈黙を返し、肯定も否定もしなかった。

 

「大丈夫? 疲れてない? ネズくんはがんばりやさんだから心配だな」

 

 ネズはそれに不快感のない親しみのある舌打ちを返した。

 子供をあやすような物言いだったが、二人だけの空間、それを否定できない。何より、ノマルはネズ少年を知っている。

 だが、それはネズも同じであった。

 

「その言葉、そっくりそのままあんたに返しますよ」

 

 その言葉に舌打ちを返すという発想は、ノマルにはなかった。

 

 

 

『今年もこの日を皆さんと終えることが出来てよかったです! 対戦相手のマリィちゃんと応援に来ていたネズくんと一枚写真を取りました! また機会があったら対戦よろしくね!』




 作品中出てきた『アームチェアジムリーダー』という用語は、アメリカの俗語である『アームチェアクォーターバック』(自分ではプレーできないのに,知ったかぶりに解説を加えるテレビ中継スポーツの愛好者)をもじりました。

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328 殴られ屋

 ラーノノジムには変化が少ない。

 十年ほど前よりマイナーぐらしが変わっていないのも理由の一つではあるが、ジムリーダーであるノマルが、自分本位の革新よりもラーノノの町とともにあるべきだと考えているのも大きいだろう。

 だが、その日はそんなラーノノジムの数少ない変化の日であった。

 

「ミスミ君!」

 

 ジムチャレンジスペースにて備品の点検を行っていたミスミのもとに、ラーノノジムリーダーノマルが訪れた。

 彼女はどう考えても巨大なボードを抱えており、身長と同じく短い腕をいっぱいに使いながら「よいしょ」と、それを裏返した。

 

「今日これを駅に持っていこうと思うんだけどどう思う?」

「なんですかそれ?」

 

 点検表に自らの名前をサインしたミスミは、視線を彼女が抱えるボードまで落とした。

 そして、彼は言葉を失う。

 彼女が体全体で抱えていたそのボードには、非常にポップなガラル語で『ウェルカム☆ラーノノ♡』という歓迎のムードをこれでもかと言うほどに貼り付けたような言葉がいくつも並んでいたのだ。

 しかもご丁寧なことに、その文章最初には『スロワくん』と名前まで書いてあったのだ。

 

「あのねえ」と、ミスミはようやく言葉をはき、その言葉のトーンを不思議がるノマルに呆れる。

 

 今日は、カントーからの研修生がラーノノに到着する日であった。

 ミスミにとっては顔面オクタンもののこっ恥ずかしい思い出であるクシノの訪問から話はトントンと進んだようで、彼の弟子の一人がラーノノジムに派遣されることになった。元リーグトレーナーであるらしいクシノという男は、どうも即断即決の男らしい。

 研修生の名前はスロワ、ミスミはカントー地方に詳しいわけではないが、東の名前にしては珍しい名前の彼は、自分よりも少し年下らしい。

 ノマルやミスミにとっても、その話は負担が増えるだけの話ではなかった。

 

 マイナージムであるラーノノジムにとって、スロワは久しぶりの研修生であった。そして、ノマルがジムリーダーとなってからは初めての経験である。彼女らにとってその経験は悪いことではないだろう。

 故に、ミスミは遠慮なくノマルに続けた。

 

「友達が遊びに来るわけじゃないんですから。そういうのは違うでしょうよ」

 

 その苦言に対し、ノマルは「なるほど」と頷き、大きく体を使ってボードを回転させて自らが作った文面を眺める。

 

「確かに、ミスミくんの言うことにも一理あるね」

 

 沈黙をもってしてその意見を肯定したミスミに、ノマルが続ける。

 

「流石にハートマークは恥ずかしいよね、ちょっと直してくる」

 

 一瞬検品表に目を落としていたミスミは、ノマルのその言葉に対して「いや、そういうことじゃなくて」と慌てて訂正しようとした。

 だが、彼が顔を上げたその時、彼女はすでに彼に背を向けて離れつつあった、何故だかわからないが、こういうときだけは彼女は素早い。

 今日は忙しくなりそうだなあと、彼は思った。

 

 

 

 

『前日お伝えしたとおり、今日はカントーからの研修生を受け入れる関係で午後からジムは休業となります。私にとっては初めての研修生、私やジムトレーナーも研修生くんに負けないほどに緊張しています! なにか一つでも学んで帰ってくれるといいなあ』

 

 

 

 

 ラーノノタウン、ラーノノ駅。

 降り立つ人々がそれぞれ時計を気にしながら昼食のことを考え始めるその時間に、その少年は降り立った。

 ラーノノの人々は、彼を特別に変わっているとは思わなかった。

 それは、彼の容姿がガラルの人々と対して変わらない、むしろ垢抜けたものであったということもあっただろうし、彼が持っている荷物が小さめのボディバッグ一つだけということもあっただろう。とにかく、誰もが、彼がカントーからの訪問者であり、ラーノノについては右も左も分からないわからない少年だとは思わないだろう。

 

「まいった」

 

 少年はその容姿に似合わぬ安っぽいプラスチック製のデジタル腕時計を眺めて続ける。

 

「予定よりも早くついだっけ」

 

 ガラル語であったが、そこには隠しきれぬ訛りがあった。

 

「どこかで時間をつぶすすかなさそうだな」

 

 そう呟いて駅を後にしようとした彼は、一瞬だけちらりと周りを確認し、そして、それに気づいた。

 一人の女の子が、券売機の前でぼうっと立ち尽くしていたのだ。彼女は目に涙をため、今にもそれをこぼしそうになっている。

 不幸なことに、彼女を気にかける大人がその時にはいなかった。

 ラーノノは冷たい町ではない、大人や駅員はすぐに彼女に声をかけるだろうし、彼女がなにか問題を抱えているのならばそれに協力するのだろう。

 だが、その少年も冷たい男ではなく、そして、生まれ持った周りを見る能力が、大人たちよりも先に彼女を見つけたのだ。

 

「どうかすた?」

 

 自分よりも随分と背の低いその女の子を怖がらせぬように、少年はゆっくりと彼女に近づき、膝を折って目線を合わせる。

 彼女はその少年を少し警戒しながらもそれに答える。

 

「……お金、落としちゃった……」

「ながに使うお金?」

「シュートシティに行くお金……」

 

 その会話で、少年は大体の事情を察した。

 つまり、彼女は電車賃を紛失したのだ。

 

「シュートシティか」

 

 シュートシティからラーノノタウンまでは今来た道だ、ガラルに疎くともその運賃はわかる。

 

「まいったなあ」

 

 運の悪いことに、金銭的な援助は少年にはできそうになかった。ガラルに来て初日であったし、何より現金をほとんど持ち歩かないのがその少年の性分であったのだ。

 

 しかし、彼はしばらく考えた後に「わがった、俺がなんとがすよ」と立ち上がる。

 

「づいて来な」

 

 力強くそういう彼に、女の子はなんとなく安心感を覚えた。

 

 

 

 

 ラーノノ駅から降り立つ人々は、小さな体格の女性と、ネズのファンであること丸出しの白黒の髪色を持つ少年が、露骨なまでに誰かを歓迎しているその様子に一瞬ぎょっとしたが、その歓迎ボードに書かれている名前が自分ではないことに気づくとどこかホッとしながらそれぞれの目的地へと向かっていた。

 そうして人がまばらになった改札前にて、体の殆どを覆い隠さんとしている歓迎ボードを抱えたノマルが首を傾げた。

 

「見逃したのかな?」

「いや、それだけはありえないでしょうよ」

 

 ハートマークがしっかりと修正された歓迎ボードを抱えていたミスミは、ノマルのその言葉を信じられないといった風に首を振りながら言った。このボードを見逃すなどありえないだろう。

 恥ずかしくて名乗り出られなかったんじゃないですか、という言葉をなんとか飲み込んで彼が続ける。

 

「一本遅れてるんじゃないですか?」

 

 相手は初めてガラルに来る少年だ、時間通り来ることができなかったとしても、礼儀を欠いているわけではないだろう。

 

「それなら、次の電車までは待ってみようか」

「次の電車にもいなかったらどうします?」

「一旦ジムに戻って、クシノさんに連絡かな」

「まあそうなりますよね。まだジムには来ていないようですし」

 

 ジムリーダーとただ一人のジムトレーナーが外しているが、今のラーノノジムは無人ではなく、警備員が一人待っており、もし来客があればノマルに連絡が行くようになっていた。そこからの連絡がないということは、まだ研修生はジムにはたどり着いていないということだ。

 やれやれ、と、ミスミがボードを地面に下ろしたその時、ワッという歓声が彼等のもとに届いた。

 二人が察するに、ラーノノ駅前広場に人が集まっているようだ。

 

「やっぱり駅前広場でなにかやってるみたいですね」

 

 全く知らなかったわけではない。

 彼女らが駅についたその時から、駅前広場には少し人だかりができていた。

 だが、人を出迎えるという役割があった彼女らはそれを気に留めなかったのだ。ラーノノ駅前広場にはちょっとしたスペースが有り、移動販売やパフォーマーが人を集めることはよくあることだった。

 

「気になるなら見てきてもいいよ」と、ノマルはボードに少し体重を預けながら言った。

 

「良いんですか?」

「次の電車が来るまで少しあるし、戻ってきてくれるなら全然大丈夫だよ」

 

 ジムトレーナーとしてしっかりしているとはいえ、ミスミはまだ十七歳、人だかりにはまだ多少の興味があることをノマルは知っていた。

 そして、ミスミもまた、そのようなノマルの気遣いを理解している。

 

「それじゃあ、お言葉に甘えて」と、彼は持っていたボードをノマルに立て掛けた。

 

「すぐに戻ってきますんで」

 

 

 

 

 

 

 駅前広場で行われていた催しは、ラーノノの人々にとって目新しいものだった。

 主催者である少年はガラル地方ではそこまで珍しくない碧い目をしていた。だが、彼が繰り出しているポケモンは、ガラルには生息していない珍しいものだ。

 

「パッチールか」

 

 人混みをかき分けてそのポケモンを確認したミスミは、へえ、と感心しながら言った。

『ぶちパンダポケモン、パッチール。そのおぼつかない足取りは、まるで踊っているように見える』

 ミスミはパッチールのそのような生態を写真と文字でしか見たことがなかった。仕方のないことだ、パッチールというポケモンは、たとえノーマルタイプのジムトレーナーであったとしても、ガラルのトレーナーが優先的に生態を確認するようなポケモンではない。

 だが、初めて実物を目の前にした彼は、図鑑のそのような記載が何一つ間違っていなかったのだなと一人納得する。

 前に歩こうとしているのか、横に歩きたいのか、はたまたその場にじっとしていたいのか。ふらふらと場を歩き回るそのポケモンが、果たして何をしたいのか、ミスミにはわからない。

 そして、それは対戦相手とそのパートナーも同じだろう。

 

「『ひっかく』!」

 

 対戦相手の青年がそうチョロネコに指示をする。

 素早い、というわけではないが、チョロネコはその指示を聞いてからしなやかにパッチールに飛びかかり、その鋭い爪をパッチールに向かって振り下ろす。

 ミスミと同じタイミングでそのバトルを見始めた人々は、その攻撃が当たることをほとんど確信していた。少なくとも素人の彼等はチョロネコは狂いなく攻撃しており、対するパッチールはボケーッと無防備にフラフラしているようにしか見えなかったのだ。

 だが、この催しをすでに何度か見ている観客たちとミスミは、その後の結末を容易に理解できていた。

 

 スカッと、チョロネコの攻撃が空を切る。

 

 フラフラとしていたパッチールは気まぐれにふらっとおぼつかない足取りで、その攻撃をすんでのところでかわしたのだ。

 力いっぱいに攻撃していたチョロネコはその反動で地面を転がった。はたから見れば随分と可愛らしい光景であったが、彼女がついさっきまで爪をむき出しにしていたことを忘れてはならない。

 決まった、と、ミスミは思った。

 無防備すぎるチョロネコに対し、パッチールはふらついているとはいえ十分な体勢だ、そこから攻撃を打ち込むことなどわけないだろう。

 だが、パッチールは攻撃を出さない。

 ミスミはそれを意外に思った、その避け方一つ見ても、彼とそのトレーナーが優秀であることはわかる、そんな彼等がこの機を逃すとは思えない。

 だが、観客たちはそうは思っていないようだった。

 あるものは歓声を、あるものはため息を付き、それを受け入れいている。

 チョロネコのトレーナーすら「ああ、くそっ」とそれに危機感を覚えることなく、緊張感なく顔を洗うチョロネコに次の指示を出した。

 

「なんだ?」と首をかしげるミスミにそばにいた男が言う。

 

「向こうは攻撃してこないんだよ」

 

 その言葉にさらに首をかしげるミスミに続ける。

 

「『殴られ屋』だからさ」

 

「『殴られ屋』」と、ミスミはそれを復唱した。

 

 その名前の響きから、大体どのような催しであるのかは理解し、瞬間的にトレーナーとしての倫理観が燃えたぎりそうになったが、チョロネコが再び攻撃を空振らせたのを確認して疑問に思う。

 

「殴られてないじゃん」

「そりゃそうだろう、自分のポケモンを無防備に殴らせて金を得たらそりゃあレンジャー沙汰だ」

 

 男は少年を指差して続ける。

 

「賞金制なんだよ、あのポケモンに一度でも触れることができれば、賞金一万円なんだと」「ただってわけじゃないんでしょう?」

「ああ、一回百円。結構稼いだんじゃないのかな」

 

 はあ、と、ミスミはため息をつく。

 あまり、健全な催しというわけではなさそうだった。

 

「そろそろ限界じゃないがな?」

 

 チョロネコを指差して少年が言った。すでにいくつもの攻撃を空振らせ、チョロネコの息は明らかに上がっている。得てして攻撃というものは、当てるよりも空振りしたときのほうが体力を消耗するものだ。

 青年もそれに異論はないのだろう、二、三度小さく頷いてからチョロネコをボールに戻した。

 

「さあ、次は誰がな?」

 

 少年はぐるりと観衆を見渡した。

 だが、その誘いに手を挙げる者はない。

 そのようなやる気のあるトレーナーはすでに避けられ尽くしていたし、これまでの流れを見て新たに踏み込もうという人間もいない、酔狂なリピーターを期待するには、日がまだ高すぎた。

 

「まいっだなあ……ちょびっと足りねえ」

 

 自らの催しがすでに目新しさを失っていることを少年は敏感に察知し、足元の空き缶を覗き込んでつぶやく。

 

「二回目の挑戦なら安くしとくよ、どうかどうがな?」

 

 突然の半額セールにも、反応は芳しくない。

 

「出てみてはどうかね?」

 

 ミスミの背に少し力を加えながら、男が言った。

 

「ジムトレーナーならば、思うところもあるのでは?」

 

 ミスミはその男のことを知らないが、その男はミスミがラーノノジムトレーナーであることを知っているようだった。

 だが、それは珍しいことではない。

 揺れる白黒の長髪に気づいた観衆は、やんややんやとミスミを押し出すようにうごめいた。

 見ない顔に良いように避けられ続けたフラストレーションというものは、確かに存在していたのだろう、その雪辱を無責任に託す対象として、地元出身のラーノノジムトレーナーはうってつけだった。

 

「ああ、よがっだよ」

 

 押し出されたミスミを確認し、すでに彼がそれを断ることのできない雰囲気ができあがっていることを敏感に察知した少年は、微笑みながら頷いた。

 近くで聞けば、強烈な訛りのあるガラル語であった。

 ミスミは腕時計を確認する。

 もうすぐ電車の時間だ。それに遅れることでノマルが猛烈に怒るということはなさそうだが、あの巨大なボード二枚をノマル一人に任せることは心配だ。

 それに。

 

「やってもいいが、条件がある」

 

 おそらく年下であろう少年に、ミスミは続ける。

 

「俺が最後だ、これ以上、ここでこの商売をするのはやめてくれ」

 

 ポケモンを繰り出しての『殴られ屋』

 どちらかと言うと、ノマルが怒り、悲しむのはこちらのほうだろう。

 ミスミのそのような考えをすべて理解しているわけではないだろうが、少年は少なくともミスミが自らの商売に不満を持っていることをすんなりと理解し、ニヤリと笑って答える。

 

「ええよ、んだげども、それなりの金は払ってもらう」

 

 彼は空き缶を片手にズカズカとミスミに近づき、腰のボールと彼の表情を見やって続けた。

 

「あんにゃ只者じゃなさそうだし、千円だな」

「吹っかけるな」

「早急さ金がいるのさ、現金がな」

 

 その言葉をミスミは意外に思った。どうも事情がありそうだ。

 

「入用なら貸すぜ」

「人に貸すは作りだぐね……それに、男は勝負で稼がにゃならん」

「そうかい、出店する場所を間違えたな」

 

 目の前で揺らされる空き缶に、ミスミは財布から取り出した紙幣を放り込んだ。

 

 

 

 

 

 

「来ないなあ」

 

 降り立った乗客たちがやはりその巨大なボードにぎょっとしながら通り過ぎていった駅のホームで、ノマルはポツリ呟いた。

 その言葉が、現れぬ研修生に向けられているのか、それとも帰ってこないジムトレーナーに向けられているのか、はたまたそのどちらにも向けられているのかは彼女にしかわからないが、少なくとも怒り狂っているわけではないようだった。

 

「よいしょ」と、巨大な二枚のボードを胸に抱え、ノマルはひとまずジムに戻ることにした。

 

 研修生は若者だ、誘導がなくともジムに訪れることはできるだろう、自分と違って。

 だがその前に。

 

「まだやってるかな?」

 

 職務に忠実なジムトレーナーが職務を忘れるほどに夢中になる催しがなんなのか彼女は単純に興味があったし、まだ盛り上がっているようだったら、ぜひともSNSにアップしたいと考えていた。

 

 

 

 

 

 

「『メガトンキック』!」

 

 タチフサグマの右足から放たれるミドルキックは、やはりパッチールがすんでのところでかわす。

 だが、空振りした右足が地面を踏みしめたのを確認した少年は、この催しを始めて初めて声を張り上げた。

 

「次だ!」

 

 観衆がその言葉の意味を理解したのは一寸先。

 踏みしめた右足を軸に、タチフサグマが背を向けるように回転、ムチのようにしならせた左足がパッチールを狙う。

 予想しづらい連携であった、この二段目の蹴りこそがミスミの指示した『メガトンキック』である。

 ただの大振りな蹴りではない、精度と威力の釣り合いを考え、一人と一匹で技のポテンシャルを引き出すのが優れたトレーナーであり、ガラル各ジムのジムトレーナー達はそれを名乗る資格があるだろう。

 そして、そうやって研ぎ澄まされた高威力の技を、いかにも大振りで大味な攻撃であるように見切ることもまた優れたトレーナーとポケモンの能力と言えるだろう。

 少年からの声かけに反応して、パッチールは背を反らして『メガトンキック』をかわした。

 

「あんにゃムキになりすぎだや」

 

 少年はからかうように微笑んでそう言い、パッチールは取り繕うようにフラフラとおぼつかない歩みを見せるが、ミスミはそれに気づいている。

 その少年とパッチールの戦いにおいて、その背を反らせるかわし方は初めて見せたものだった。間違いない、その少年は優れたトレーナーだ、ただパートナーのパッチールが攻撃をかわすことに長けているわけではない、それは彼等が研ぎ澄ませた技術であった。

 そして、その動きはかわすことをゴールとしているわけではない。

 かわした次には、次の試みが見える。

 時間をかけて彼等を見抜こうとしたかいがあった。

 左足を振り抜いたタチフサグマが見せている動きがその証拠。

 

「『こんらん』か」

「流石あんにゃ、あんた強いわ」

 

 タチフサグマの足取りはおぼつかなく、体重のかけ方が不規則だ。

 たった一回の回転でそうなったわけではなく、そして、パッチールもただただ逃げているだけなわけでもないということ。

 その特殊な足取りから放たれる『フラフラダンス』は、相手のポケモンを混乱させる。

 これまでの対戦相手はすべてそのような技術に翻弄され、そして、あまりにも自然なそれらの技に気づくこともなかったのだ。

 

「動くなよ」と、ミスミはタチフサグマに指示した。

 

 観衆たちは、それを上手い戦略だと感じた。

 ここで下手に動けば、闇雲に体力を消費するだけになるかもしれない。

 ルール上、パッチールはタチフサグマを攻撃することができない、それならば、このまま時間を稼ぐほうが良さそうだ。

 だが、少年はそれに戸惑わない。

 

「ほんじゃ、こっちが動ぐわ」

 

 少年の言葉に合わせて、パッチールがそのおぼつかない歩みを早める。

 やがてそれがステップとなり『かげぶんしん』を作り出そうとしたときだった。

 突然、タチフサグマが地面を蹴ったのだ。

 

「『のしかかり』」

 

『かげぶんしん』が完成するよりも先に、タチフサグマがパッチールに飛び込む。

 それは、パッチールを捉えてるように見えた。

 だが、混乱状態により勢い余って地面に激突していたのはタチフサグマの方であった。

 

「油断できねな」

 

 それでも微笑む少年の頬を、冷や汗が伝っていた。

 混乱状態を恐れて固まる相手に好き放題するという戦略を完全に読まれていたのだ。

 確かにタチフサグマが混乱していたからこそ、パッチールはすんでのところでそれをかわすことができた。だが『かげぶんしん』は失敗に終わっている。

 タチフサグマはリスクを負った。悪い目を引いたが、良い目を引いていれば攻撃を当てていただろう。

 そういう駆け引きができるトレーナーなのだ、相手は。

 

「千円は安すぎだ」と、少年は漏らし、そして、気づいた。

 

 混乱のとけたタチフサグマが、パッチールに向かって『ちょうはつ』している。

 それの意味するところを、彼はすぐさまに理解した。

 

「どうするんだ?」と、ミスミが笑って問う。

「攻撃できねえんだろ?」

 

 そうだ、自分とパッチールは『殴られ屋』相手を攻撃することなど考えてはいない。

 そんな自分たちを『ちょうはつ』してきたトレーナーは少ない、それこそ、それで生活をしているプロくらいだ。

 だってそれは、この遊びの構造そのものをひっくり返すことだから。

 

「あんにゃが仕掛げでぎだんだがらな。俺はもうじらん」

 

 タチフサグマが踏み込む。

『かげぶんしん』にも『まもる』にも『フラフラダンス』にも頼れない。

 足か、手か、それとも頭か。

 横か、上か、下か、それとも、正面からか。

 

「下だ!」

 

 少年の見切り通り、下から振り上げるようにタチフサグマの右腕が襲いかかる。

 習得した技術は早々裏切らない、パッチールはやはりすんでのところで爪ををかわした。

 だが、少年はすぐさまそれを確認する。ここまで厄介な相手だ、ただただ『ひっかく』だけとは考えられない。

 そして、地面をえぐる爪痕を確認。今のは攻撃ではない『つめとぎ』だ。

 

「勝った!」と、少年は思わず叫んだ。

 

 足元をおぼつかせながら大きく攻撃をかわしたパッチールは、そのまま大きな足取りを崩さない。

 それは相手を油断させるための擬態でもある、相手に攻撃を絞らせない防御技術でもある、相手を混乱させる搦手でもある。

 だがその本質、そのおぼつかない大きな足取りは、そのまま攻撃の予備動作。大きな動きは、大きな力となる。

 トレーナーと二人で手に入れたこの技術『パッチール拳』の真髄は攻撃にある。

 力をそのままに、パッチールは仕上げと言わんばかりにぐるりと一回転して拳を振り上げる。

 

「『きあいパンチ』!!!」

 

 卑怯などと言われるものか。

 こういう戦いにしたのは向こうなのだ。

 全身全霊を込めた拳が、タチフサグマを襲う。

 だが、彼は腕をクロスさせてそれに対応した。

 

「『ブロッキング』」

 

 驚いたのは、少年とパッチール、そして、タチフサグマであった。

 地面は踏みしめている、腕もクロスさせている。

 自分の『ブロッキング』は、かつて巨大なドサイドン相手に成功させたこともある。

 ならば、この体がきしむ衝撃は何なのか。

 この小さな体から、ドサイドンの攻撃にも匹敵するそれを生み出したというのか。

 踏みしめる足に力を込め、タチフサグマはクロスさせていた腕をタイミングよく広げる。目の前には、拳を弾かれ無防備な状態となったパッチール。

 タチフサグマは、彼を称えるようにポンポンと、その胸を二度叩いた。

 

 

 

 

「終わりだ、終わり」

 

 パッチールをボールに戻した少年は、その場にどかりと座り込み、不貞腐れたように言った。

 その様子を見て、観衆はそれぞれ散っていく。そのうちの何人かは、ミスミに声をかけてそれを称賛した。

 やがて駅前広場が普段どおりの賑わいを見せ始めた頃に、少年がミスミに言う。

 

「金はねえ、殴ってぐれ」

「はあ?」

 

 無茶苦茶なことを言い始めた少年に、ミスミは思わず素っ頓狂な声を上げた。

 さらにミスミの混乱を追い打ちするように、話がややこしくなる。

 

「ミスミくん!」

 

 ジムリーダーのお出ましだ。

 彼は慌てて時計を確認する、すでに約束の時間は大きく過ぎている。そのバトルに夢中になりすぎていたのだ。

 

「すみませんでした!」と、彼はノマルに頭を下げる。時間を守るのは社会人の基本だろう。

 

「いや、それは良いんだけど」と、ノマルは寛大。

 

 その時だ、ノマルが抱えている巨大なボードに気づいた少年が「あ」と、先程のミスミと同じく素っ頓狂な声を上げる。

 

「もしかして、ラーノノジムのノマルさんだが?」

 

 突然名前を呼ばれ、今度はノマルが「え?」と素っ頓狂な声を上げつつ、それでも状況の理解は早かった。

 

「もしかして、スロワくん?」

「んだ」

 

 突然の状況に少し頭の中が白くなったノマルは、とりあえず右手を差し出した。

 

「ラ、ラーノノジムリーダーのノマルです。ラーノノにようこそ」

 

 スロワもとりあえず立ち上がってその手を取り頭を下げる。

 

「カントーから来だスロワです。これからよろすくおねがいじます。ちょっとすまね、これがら野暮用済ましぇっからちょっとまってでください」

 

 そして彼は再び座り込む。

 

「さあ殴ってぐれ! 気の済むまで」

「いや待て待て待て」

 

 ミスミは目を白黒させてスロワとノマルを交互に見やる。ことの運びによってはこれまでの人生史上最も大きな雷を落とされる可能性すらあった。

 

「わかりました、説明を、説明をさせてくださいリーダー」

 

 彼は話した。

『殴られ屋』の話、バトルの話、急に金がないと言い始めた話。

 ノマルは抜けているがバカではない。大体の構造を理解しながらも首をひねるところはひねった。

 

「ちょっとまって、そもそも何故スロワくんが『殴られ屋』なんてやる必要が?」

 

 いやそうなんですよ、と、ミスミがその疑問に同調しようとした時、スロワが「あ!」と一つ言ってから空き缶を握りしめて立ち上がった。

 

「ずまね、もう一つ用があるんだ」

 

 彼は振り返って小走りになる。

 

「まずはそっぢを解決さぜてくれ、殴るのはその後で」

「いや、だから殴らねえって」

 

 

 

 

 ポケモンセンターのカフェでテレビを眺めながらホットミルクを飲んでいたその少女は、息を切らしながら入ってきたスロワを見えると「おにいちゃん!」ぱっと表情を明るくさせた。

 

「おうおう、ちゃんと待ってたが?」

「うん!」

 

 ミスミは全く話の内容が読めない。研修に妹を連れてくるなど聞いたことがないし、そもそもどういう関係なのかもわからない。

 

「あれ? ベリィちゃん?」

 

 遅れてセンターに入ってきたノマルは、彼女の顔を見るなりそう言った。

 

「あ、ノマルさん!」

 

 少女もノマルに喜んで駆け寄る。

 

「リーダー、誰ですその子?」

「覚えてない? ちょっと前に初心者教室に参加した子の妹さんだよ」

 

 あー、とミスミはそれに相槌を打とうとしたがやはり首をひねった。覚えている自信があるのは参加者までだ、その家族の顔まではわからない。

 

「こんなところでどうしたの?」

「あのね、切符を落としちゃったんだけど、お兄ちゃんが助けてくれたの!」

 

 それを聞き、ミスミはああ、なるほど、と状況を理解した。

 

「警察に行けば貸してくれただろうに」

「ポリは信用でぎん」

「どういう感覚だよ」

 

 スロワは持っていた空き缶を傾けて小銭と一枚の紙幣をジャラジャラと手のひらに広げた。

 

「これだけあればシュートシティまでは十分だ」

「ありがとうお兄ちゃん!」

「それじゃあ駅に行ごうか。殴られるのはその後だ」

「いや、殴らねえって」

 

 

 

 

 三人は、シュートシティに向かう列車が視界から消えるまで手を振り続けた。

 出産準備のためにシュートシティの病院に入院している母親のお見舞いに行くという彼女は、スロワに何度も礼を言い、ミスミには彼をあまり強く殴らないようにと懇願してから列車に乗った。

 

「さあ、好きに殴ってぐれ」

 

 どかりとその場に座り込みそうになったスロワの腕を掴み「だから、殴らねえって」とやはりミスミが言った。

 

「賞金ならチャラでいいよ、すんごい健全な目的の集金だったわけだし」

「いや、ほだなわげには行がねえ、あんにゃは俺達に攻撃当でだんだ、賞金は貰ってもらう。だけど今は手持ちがねえ、殴ってもらうしがない」

「いや待て待て、良いって、俺もジムトレーナーだから毎日顔合わせることになるし、あるときに払ってくれればいいから」

 

 その言葉に、スロワは一瞬キョトンし、そしてすべてに納得したように頷く。

 

「なるほど、んだがらあんにゃあだなに強いっけのが、合点行った」

 

 彼はノマルとミスミを交互にみやって頭を下げる。

 

「カントーがら来だスロワです、まだまだ未熟者ではありますが、これがらよろすくおねがいします」

 

 彼が頭を上げたのを確認してから、今度はノマルが巨大なボードを脇においてから頭を下げる。

 

「スロワくんはじめまして、私がラーノノジムリーダー、ノマルです。短い間ですが一つでも多く学んでいただければと思っています」

「ラーノノジムトレーナーのミスミです。図らずも君とパッチールの強さはよくわかったから、それらも踏まえて一緒に頑張っていきましょう」

 

 

 

 

 

『色々有りましたがカントーからの研修生、スロワくんとは無事に合流することができました! 色々と文化の違いで悩むこともあるかもしれませんが、そこはしっかりとサポートしていきます! 東の訛りが強いですがガラル語を理解できるのでラーノノの皆さんももし町で見かけたらぜひとも声をかけてあげてください!!!』




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332 いざ牧場へ

 ラーノノジム、久しぶりの朝練のためにギターを担いで扉をくぐったミスミは、普段は我が物顔で準備を進めているメンバーたちが、入口付近に固まってたむろしている光景に気がついた。

 

「なんだなんだ」

 

 彼がそうつぶやきながらそれに割って入ると、ベースの少女がミッションフィールドのど真ん中を指差した。

 そこには、何の変哲もない小型のテントが鎮座している。

 

 アレはジムの関係か、と問うメンバーに「いや、そんな話は聞いてねえけど」とミスミは答えた。ただ唯一のジムトレーナーである彼がそれを知らぬというのだから、おそらくそれは、ラーノノジムが目的を持って行っていることではないだろう。

 

「ちょっと待っててな」

 

 彼はベルトに装着されたボールを二、三度叩き、タチフサグマを繰り出した。

 自分が知らないということは、そのテントは部外者のものである可能性もある、尤も、ノマルが連絡事項をすっぽかしたことも考えられなくはないが。

 

「誰かいますか?」

 

 テントを指で叩き、一応礼儀を保ったまま呼びかける。

 すると中から「ああ、ちょっと待っでな」と、最近よく聞く声が帰ってきた。

 

「あんにゃ、時間にはまだ早くねが?」

 

 現れた少年、カントーからのジムトレーナー研修生であるスロワは、手のひらで頬を擦りながらミスミと目を合わせる。

 

「何やってんのお前?」

 

 呆れたようにミスミがため息交じりに問うた。出会ってまだ日は浅いが、年齢が近いこともあって、すでに彼らは砕けた関係となっている。

 

「何って、寝でだ」

「なんでこんなところで寝てんのかって話だよ、寝相が悪いだけで客室からここまで移動はしねえだろう、ご丁寧にテントまで貼ってよ」

 

 ラーノノジムが実習生についてあまりにも冷たいわけではない。

 むしろノマルはスロワに対してジム内の客室を開放しているし、客室にはシャワー、トイレ、インターネット環境も完備されている。その話を聞いたときにミスミが「羨ましい」と思わず呟いてしまったほどだ。

 

「ああ」と、スロワはそれに小さく頷いた。

 

「ベッドが柔らがすぎだんだ。どうにもおちづかなぐて」

「何だそりゃ」

「昔がら、土の上のほうがよぐ眠れる」

「何だそりゃ」

「ごればっがりは仕方ない、クシェだ」

「クセかあ」

 

 ミスミは髪をかいて呟く、その後ろではタチフサグマも首を傾げながら頭をかいていた。

 

「まあ、それは良いとして、これからちょっとバンドの練習でここ使いたから、少しでいいからテントを移動してくれないか?」

「ああ、そりゃがまわねよ、寝るのはどこでもできる……ベッド以外は」

 

 彼はそのまま身軽にひょいとテントから飛び出ると、同じくテントの中に居たパッチールとともにテントを持ち上げる。あまりにも軽々と持ち上げられたそれは、その中にたいしてものが入っていないことを物語っている。

 

「本当に物持たないよなお前」

「ポケモンと身一つあればいいす」

 

 メンバーに一つ目配せをした後に、ミスミもスロワの対角線に移動してテントを運ぶのを手伝う。察しのいいタチフサグマもそれを手伝い、ちょうど四隅を持ち上げることができている。それだけの力が必要かと言われればそんなことはないだろうが。

 

「そこまで徹底するなら、なんでテントがいるんだ?」

「あー、クシェ」

 

 スロワは一つ二つ頷いて続ける。

 

「天井は傍にあったほうが落ちづく」

「サンドじゃねえんだからさあ」

「いや、俺はサンドに近えど思う」

「なんだそりゃ」

 

 ミッションフィールドの随分と隅の方にテントを移動させ、腰をかがめたタチフサグマがパッチールとハイタッチする様子を眺めながらミスミが続ける。

 

「今日は遠出の予定だけど、わかってるな?」

「もぢろん、いまがら楽しみだ」

「楽しみねえ」

 

 

 

 

『今日はミスミ君、スロワ君と一緒に〇〇牧場さんにお邪魔しています!もこもこのウールーさん達と、それを追うパルスワンさん達、この光景を見るとこの季節が来たんだと実感できますね! #ラーノノジム#〇〇牧場#ウールー#パルスワン#ワンパチ#遠くに見えるのがミスミ君#スロワくんも頑張ってます』

 

 

 ブラッシータウンとハロンタウンの少し外れに存在するその土地に、ノマルらの目的地はあった。

 見渡す限りの草原であった。

 はるか遠くにはちみつ色の家々が小さくあり、吹き下ろす風は草原を波打たせている。

 ワンパチとパルスワンが波をかき分けるようにウールー達を追い、ウールー達はどこかのんびりと鳴き声を上げながら波に乗っている。

 牧歌的なその光景は、ウールー達とパルスワン達の関係がうまく構築されていることを表しているだろう。追う彼らは自らが管理者と守護者であることを理解しているし、追われる彼女らも疑うことなく身を任せている。

 それなりに理解のある人間がそれを見れば、この牧場の質の高さというものを容易に理解できるだろう。

 

「変わらず、素晴らしい光景ですね」

 

 ラーノノジムリーダー、ノマルは、キラキラとした笑顔でそれを眺めながらそうつぶやいた。彼女はパルスワン達とウールーの関係を理解できている。

 

「ありがとうございます」

 

 彼女の隣に立っていた初老の男は、愛おしげに彼女に微笑みながらそう返した。

 その傍らにいる初老の女性も、声にこそ出さないが、男と同じく慈愛の視線をノマルに向けていた。

 

「話には聞いてたげど、こうやって見るのは初めでだ」

 

 スロワは手で光を遮るようにして目を凝らしていた。彼はウールー達だけではなく、だだっ広い牧場全体を眺めているようだった。

 

「はぐれは居たか?」

 

 スロワの意図を理解したミスミが問うた。

 

「いや、いねえ。すげえな、これだげの群れなのに、誰もはぐれてねえ」

「ここはレベルが高いんだ。あのパルスワンはこの業界のチャンピオンになったこともある」

「強いのが?」

「いや、そういうことじゃねえんだよ」

 

 ミスミはノマルと男に視線を投げかける。

 その理論に関しては、自らよりもジムリーダーか本職に任せたほうが良いのだろうと判断したのだ。

 

「この仕事に必要なのは強さではなくてね」と、初老の男がスロワに続ける。

 

「必要なのはウールー達から信頼を得ることなんだ」

「信頼?」

「ああ、追わせて逃がすのではなく、道へと誘導する。それこそが、この仕事のもっとも重要な役割だ」

 

 男はパルスワンに手を振りながら続ける。

 

「強さで群れを束ねてしまえば、あるいはそれに慣れてしまえば、その群れはどこかで破綻する。私はそのような駆け出しを何人も見てきた」

「なるほどなあ」

 

 スロワは目を細めてそれに返す。

 

「先生と同じようなごとを言う」

 

 先生、という単語を聞き、ミスミはあのキザな優男の顔を思い浮かべて少し苦い顔をする。

 

「まあ、リーグトレーナーでもそれは同じだろうな」

「んだ、先生はあんまり強くなかったし、勘も悪かったけど、そういうところはじっがりしてた」

「こら、お世話になってる人にそういうんじゃありませんよ」

 

 最もそれも、スロワとクシノの信頼あっての軽口だったのだろう、故にノマルはそれを軽く咎めるだけに終わり、初老の夫婦に頭を下げる。

 

「貴重な体験をありがとうございました」

「いえいえ、せっかくガラルに来たんですから、この光景は見て置かなければ損というものですよ」

「本当に、ありがとうございまじた」

 

 同じく頭を下げたスロワの訛りを気にしながらも、男はそれに触れることなくノマルに告げる。

 

「それでは、そろそろ本題に。今年も元気な子が揃っていますよ」

 

 

 

『〇〇牧場さんの子ども達に遊んでもらっています!この子達すべてが良いパートナーに巡り会えることを祈っています! #ラーノノジム#〇〇牧場#イーブイ#子イーブイ#初心者教室#ミスミ君は子供キラー#ミスミ君のTシャツはおろしたて#群がられているのはスロワ君のパッチール』

 

 その牧場のはずれ、どこまでも続くような草原をあえて小さく区切ったそこに、彼女らは居た。

 

「おー、元気元気」

 

 まだ生まれて間もないのだろう、小さな体格を持つイーブイ達は、突然の見知らぬ人間に対してもその殆どが恐れを覚えることなく、彼らに群がった。

 ジーンズに爪を立ててそれをよじ登り、ネズのツアーライブTシャツにぶら下がるようにひっつくイーブイを左手で引き剥がしながら、右手では器用にポケじゃらしを操って、無防備に腹を見せているイーブイの柔らかな体毛をくすぐっている。

 

「イーブイの育成もやっどるんだなあ」

 

 スロワも同じくポケじゃらしを揺らめかせているが、どうにもミスミのそれとは技術に差があるらしく、イーブイ達の反応はイマイチだ。

 だが、彼が繰り出しているパッチールはその揺れるような動きそのものがイーブイの好奇心を刺激するらしく、どんどんと群がられている。

 

「だめだ、反応が悪い」

「漠然とやりすぎなんだよ、意外と賢いからなこの子ら」

 

 ミスミはそう言うと、スロワのポケじゃらしを叩いていたイーブイの目先にポケじゃらしを向ける。

 イーブイは小刻みに揺れるそれに頭を小さく振るように視線を揺らし、一つ腰を低く体勢を取ると、小さく跳ねてそれを踏みつけるように捕まえんとする。

 だが、ポケじゃらしが彼女の前足と地面に挟み込まれるより先に、ミスミはさっとそれをかわした。

 狩りに失敗したイーブイは、ムキになったように目を吊り上げ、二度三度とそれを追うが、やはりミスミは器用にそれをかわし、彼女の頭上を飛び越えるように動かせば、それを追うようにイーブイが後ろ足で立ち上がり、まだまだ高い重心を支えきらずに、後ろ向きに倒れた。

 あとは無防備になった腹をポケじゃらしにくすぐられ、その感覚に悶えるのみだ。

 

「あんにゃ、うまいもんだなあ」

「慣れだよ、小さくてもこの子らは立派なポケモンで、それぞれにも個性がある」

 

 ミスミはポケットから白色のリボンを取り出すと、未だに腹を見せるそのイーブイを抱え、器用にそれを尻尾の根元に結んだ。

 

「ざっきから気になってたけど、ぞれは?」

「目印だ。遊びに来たわけじゃないからな」

 

 彼がそのイーブイを地面に下ろすと、彼女はすぐさまに他の楽しみを見つけてイーブイの群れに混じっていく。

 見れば、その群れのイーブイたちにはそれぞれ白と黒、二種類のリボンをしっぽに巻いている。

 

「調子はどうですか?」

 

 彼らの視界の外からノマルの声が聞こえた。

 その方に視線を向ければ、両脇にそれぞれイーブイを抱えた彼女が満面の笑みで近づいてくる。

 その後ろには我先にとイーブイ達が列をなしていた。

 

「ぼちぼちですよ」と、ミスミは返す。

 

「流石に、今年もイーブイ達の質が良いです」

「ですね、私も驚いてしまいました」

 

 ノマルが腰をかがめて抱えていたイーブイたちを群れに返すと、今度は列をなしていたイーブイ達が彼女のポニーテールめがけて背中に飛び乗った。

「きゃっ」と、小さな声を上げて尻餅をついた彼女は、そのまま肩越しに頬を舐めるイーブイを優しく右手で抱えると、もう片方の手でポケットからリボンを取り出す。

 

「全く、元気いっぱいですね」

 

 その白いリボンをしっぽに巻き付けようとするが、激しく手足を振るイーブイに、うまく結ぶことができない。

 

「リーダー、手伝いますよ」

 

 見かねたミスミがさっとそのイーブイをノマルから受け取ると、慣れた手付きでパッとしっぽにリボンを結ぶ。

 

「大丈夫でずが?」

 

 スロワはノマルに手を差し出し、それを引っ張って彼女を起こした。

 

「うん、ありがとう」

「いえいえ、怪我は無いが?」

「ええ、この子達も無事で良かった」

 

 なんか、こういうところが師匠と似てるよなあ、と、ミスミはスロワとクシノの顔を交互に思い浮かべながら思った。

 

「ずまり、元気のいい奴に白いリボンを巻いてるワゲだな?」

「まあ、端的に言えばそうだな」

「この牧場からは、初心者の子ども達のパートナーとなるイーブイを提供して頂いているんですよ」

「はあ、なるほど」

 

 スロワはミスミから白リボンのイーブイを受け取ると、その表情をじっと眺める。

 

「なるほどたしがに、良い面構えだ」

 

 彼はイーブイを群れに返す。

 

「子供にはもっだいないんじゃないのか?」

 

 ノマルとミスミは、スロワの観察眼に感心しながらも、それに首を振る。

 

「そりゃまあ、白リボンは子供に渡すポケモンじゃないからな」

「え?」

「子供に渡すのは黒の方だ」

「黒?」

 

 スロワは群れを見返す。そして、それを不思議に思った。

 黒いリボンが結ばれているイーブイ達も、たしかに何匹か存在する。

 だが、それらは群れの中でもあまり主体的に動いているとは言えない個体達であった。

 群れの中でイニシアチブを持っているのは白リボンの個体であり、おそらくバトルに向いているのも、彼らの方であろう。

 

「黒は大人しすぎないが?」

「確かに白リボンの子たちに比べれば大人しいかもしれないですが、それこそが、子どもたちにとっては一番いいんです」

「どうして?」

「勇敢であれば、恐らく敵に向かってしまうでしょう。子どもたちに必要なのは『にげあし』です」

 

 その説明に、スロワは一拍おいてから「なるほど」と頷いた。彼は馬鹿ではない、ノマルの意図を理解している。

 

「ぞれなら、白いリボンは何の意味が?」

 

 その質問にノマルが答えるより先に「それはね」と、スロワにかかる声があった。

 彼が振り向くと、そこには初老の夫婦が居た。それぞれが服を着替えており、妻の方は白い花の束を抱えている。

 

「白いリボンの子たちは、ブリーダーに引き取られるんだ」

「ブリーダー?」

「ああ、よりバトルに特化した育て屋たちだ。カントーにもあるだろう?」

 

 その説明で、スロワはようやく納得したようであった。

 

「カントーにもあるな」

「そうだろう、カントーは得意先の一つだ。恐らくこの子達の何割かも、カントーに行くだろう」

「やはり、カントーはそのようなシステムが主流なのですか?」

 

 ノマルのその問いは、カントーからの来訪者であるスロワに向けてのものだろう。

 彼は「ああ」と頷いてそれに答える。

 

「カントーはかなり多い」

 

 一拍おいて続ける。

 

「先生やその友達みたいに、自分で自分のポケモンを育ててるプロはもうだいぶ少ない」

「カントーは、トレーナーの分業化が早くから行われていましたからね」

「じがたのないことだと先生は言っている、実際、ガントーのトレーナーがここまで足を伸ばしてイーブイを厳選するのは難しいだろうから」

 

「悪いことだとは思っていませんよ」と、男が返す。

 

「事実、それによる収入は、この牧場を経営する上で無視できない規模になっている。未だに衰えの見えぬ成長産業です、ウチももう少しこの方向で規模を拡大しても良いかもしれないと思っています。ありがたい話ですよ」

 

 男は足元に群がるイーブイの頭を撫で、それを群れに返す。

 

「それでは、行きましょうか」

 

 ええ、と、ノマルとミスミはそれに頷く。

 スロワだけがその言葉の意味を理解できず、だが、どこかに行くのならばと、イーブイの群れに飲み込まれそうになっているパッチールを助けるために腰をかがめた。

 

 

 

 

 それは、スロワの知るカントーのものとは全く違い、そして、彼の知るふるさとのそれによく似ていた。

 明るく、そして暖かげな場所であった。

 それらは草木で彩られ、美しく整備されている。管理が行き届いているのだろう。

 そして、地面に立てられているそれと、地面に埋め込まれている石板には、スロワの知らぬ名前が彫られている。

 そこは霊園であった。

 

「ちょうど、僕ちゃんぐらいの年齢のときだったのよ」

 

 夫婦の妻は、手にしていた白の花束を石板の上にそっと置き、潤んだ瞳でスロワを見ながら言った。

 

「友人を、野生のポケモンから守ったのだと聞いている」

 

 男はじっと石板を見つめ「実際のところはどうだったのか分からないが」と続けた。

 

「大分昔の話なのよ、生きていれば、きっとあなた達のお父さんくらいの年齢だったかも」

 

 ついに堪えきれなくなったそれを、手にしたハンカチで押さえながら、妻が零す。

 ノマルとミスミは、じっと目をつむり、その魂の安息を願っていた。

 

「おかしいと思うだろう」と、男がスロワに言った。

 

「最愛の一人息子を失いながら、それでもポケモンで生計を立てている」

 

 それは、スロワに対する男の配慮であった。

 もし仮にそう思っていたとしても、それを口にだすことは躊躇われる。ラーノノジムの実習生に対する、あまりにも優しい配慮であった。

 

「おがしいとは思いません。生ぎるということは、綺麗事だけじゃ片付がん」

 

 スロワはノマルとミスミを見やった。

 彼らは首を横は振らず、促すような視線を投げる。

 故にスロワは、男に問うた。

 

「ポケモンは、何を連れていたんです?」

「エーフィさ、ウチの牧場でとびきりに勇猛で、どんな環境にも耐える『てきおうりょく』を持ったパートナーだった。あるいは、だからこそ息子は、勇敢に戦ったのかもしれない」

 

 妻が目頭をハンカチで押さえているであろうことを背中で感じながら、男は続ける。

 

「子供達がポケモンを手に冒険に出ることを否定はしたくない。私の中で最も新しい息子の記憶は、幸せそうに、希望と期待に胸を膨らませ、私達に手を振る姿だ」

 

 一つ俯き、一拍おいて顔を上げて続ける。

 

「幸せだったろうと、思う。だからこそ、私達はノマルさんに協力を惜しまない。あるいは息子の時代に、ノマルさんのような人が居てくれれば、息子は『逃げた』かも知れない」

 

 その言葉に、ノマルはうなずくことも、謙遜することもなかった。

 ただただ、彼女は、ミスミは、そしてスロワも、ラーノノジムの存在する意味の一つを強く感じたのだった。




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