戦術人形の髪をさわりたい (あーふぁ)
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M14の髪をさわりたい

 段々と冬の寒さを感じるようになってきた日の午前。

 グリフィン支配下の街を拠点に、地上7階地下2階のビルで指揮官をしている俺は強く思った。

 仕事をナパーム弾で燃やし尽くしたい、と。

 前線勤務とは違い、後方で街の治安維持や周辺地域の警備、物資輸送の護衛やらの仕事はいい。

 

 だが、なんで民間軍事会社のグリフィンの人だからという理由で地元警察や市長から面倒な仕事が回ってくるんだ。

 それら面倒なのは反戦団体、環境保護団体、人権保護団体といった市民団体相手の苦情を聞く仕事だ。

 やつらは一方的に要求と怒りのみを突きつけてきて、こちらの言い分を聞こうともしない。

 

 何が平和団体だ。何が市民の総意だ。

 銃を使わないだけで、言葉の暴力をぶつけてくる荒くれ者だ。

 俺が我慢して低姿勢で話を聞かないと帰ってくれはしない。それがちょくちょくあるから、胃が痛くてたまらない。それと同時に仕事をしたあとは体を鍛える気力もなくなっているのも悩みだ。

 幸いにも、こっちに面倒ごとを回してきた奴らは、俺らに便宜や融通を何かとやってくれるから損だけではないのだが。

 

 35歳のおっさんの俺だが、このまま後方勤務を続けていると、ストレスで肌荒れや抜け毛がひどくなってくるんじゃないかと心配だ。

 グリフィン社の制服である赤いベレー帽と同じく赤いジャケット。黒いズボンを脱ぎ捨てたいところだ。

 

 でも、それはできない。

 荒れ果てた世界で、安定している会社に勤められるのは幸運であり、人間の部下と人形たちを捨てたくはないからだ。

 責任感はあるものの、ストレス発散といったら酒を飲むのがせいぜいだ。その酒も合成した安いのばかりで、本物の酒は高いし、手に入りづらい。

 ……ウィスキーのジャックダニエルでも飲めたら、一気にストレスなんて忘れてしまえそうだ。

 

 ひどく大きなため息をつき、仕事をしていた司令室から指揮官の俺と戦術人形たちと共同の休憩室へと移動する。

 5階にある休憩室は2Kほどの広さで、キッチンも料理が少しはできるほどに器具などが揃えられている。部屋は南向きで対物ライフルにも耐えられる防弾の窓は大きくて良い。

 部屋の中は3人掛けのソファーやテーブルなどが複数あり、テレビやラジオ、ゲームもできるリラックス空間になっている。

 誰もいない今は俺だけの独占であり、心を休めようとしてコーヒーを飲もうと思うも体がすぐに休みを求めているため、ソファーへと仰向けに倒れ込む。

 その時に着けていたベレー帽は床へと落ちてしまうが気にせずに、ぼぅっと白い天井を見上げる。

 眠気もなく、ただただ見上げる静かな時間。

 

 それを何分か、たぶん10分ほど過ぎた頃だろうか。

 休憩室の扉を開けて誰かが入ってきた。

 コツコツと足音が俺に近づき、顔を覗き込んできたのは戦術人形のM14だ。

 白く女子高生のような幼さと大人っぽさが同居している美しい顔立ちをしていて、淡く輝くような金色の目がまばたきもせずに、『なんで寝ているの?』とでも思っている不思議そうな表情をして俺と目を合わせてくる。

 栗色で途中から赤色のグラデーションになって黒色のリボンで結わえているツインテールの髪は腰まで届くほどの長さで、俺の顔へと毛先が顔にあたってくすぐったい。

 

 その髪の毛を腕で払いのけてから起き上がると、ぼんやりとした顔で微笑みを向けてくるM14を見る。

 白いワイシャツの上に茶色のブレザー、紺色の短いスカート、白いニーソックスに茶色のローファーを身に着けている。

 疲れとちょっとだけやってきている眠気が、頭の働きを遅くし、きちんと認識するまでは時間がかかった。

 

「お疲れですか、指揮官」

「ああ。いつものように疲れている。お前は……射撃訓練が終わったのか」

 

 部屋の壁に掛けてあるアナログの時計をちらりと見たあと、そう声をかけると「はい!」と元気よく声を出す。

 こんなにも元気だと若さっていいなと思ってしまうが、彼女は人形だ。

 美少女の外見ではあるが、機械の体を持ってバッテリーで動いているんだから、すべてが人と同じなわけではない。

 ……どうにも頭がぼぅっとしている。ここ連日は苦情が続いたために疲れがひどく溜まっているのかもしれない。

 

「あたしはコーヒーを飲みに来たんですけど、指揮官のも一緒に淹れますか? インスタントですけど」

「ありがとう」

「指揮官のためなら当然のことです!」

 

 そんな嬉しいことを言っては、床に落ちていたベレー帽を俺へと手渡すとキッチンへと気分良く歩いていくM14の後ろ姿を見送る。

 見送ったのだが、その時にゆらゆらと揺れるツインテールが物凄く気になってしまった。

 6秒という短い時間で見れた、さらさらと歩くたびに揺れる髪。

 今はコーヒーの準備をしているから、歩く程ではないにしろ揺れ続けている。

 髪から目を離せず、ツインテールの動きだけを長時間見られるほどに強く集中してしまう。

 

「……さわりたいな」

 

 ベレー帽をかぶりながらも視線は髪だけを見つめつづけていると、無意識に小さな声が出てしまった。

 髪をさわりたいという欲望が。

 その声は俺だけが聞こえ、ただの独り言で終わるはずだったが人形の性能を持ってすれば聞き取ることは簡単らしい。

 M14はヤカンをガスコンロに置いてから俺へと振り向いた。

 

「何をさわりたいんですか?」

 

 首を傾げ、きょとんとした目で見てくるのを見て心が痛む。

 そんなまっすぐな目で見られると、俺の心がひどく汚れているようで苦しい。

 

「いや、お前の髪が綺麗だなと思ってだな。さわりたいと思って……いや、忘れてくれ」

「さわってもいいですよ。人同士で起きる問題は気にする必要はありません。それと指揮官とあたしは上司と部下の関係じゃないですからね。戦術人形であるM14は道具であり、使われる存在です。

 指揮官と人形は主従関係ですから、よっぽど嫌なことでなければ従いますよ?」

 

「そういうふうに命令を拒否できないことをプログラムされているのはわかる。わかるが、あまり嫌がることはしたくない。俺は嫌われたくないんだ」

「あっ! すみません、言葉が悪かったですね! 別に嫌がっているわけじゃないんです。指揮官がふれてくれるのなら嬉しいですよ!! 

 

 M14は驚きの言葉と共に急いでガスの火を止めると、慌てて俺のところにやってきて、すぐ隣へと座ってくる。

 悲しげな目と、不安な表情。

 

 それは俺に誤解されたくない、嫌われたくないという感情だと思う。普通の人工知能とは違い、人間と同じように感情を持ち、考えることができるメンタルモデルというのがある。

 だから、これはM14の素直な気持ちだ。メンタルモデルがあるなら、こういう機械的に見て無駄なことをできる。

 いや、言い方が悪かった。別にただのプログラムとして見ているわけじゃない。出会ったときはそう思うこともあったが、4か月も一緒にいれば人間同然と思う。

 むしろ人間より信頼できるかもしれないほどに。

 

「わかっている。ありがとう、素直に言ってくれて」

「よかったです。嫌われなくて。……それで、さわりますか?」

「ああ、さわらせてくれ」

「はい。お気に召すままにさわってくださいね?」

 

 明るく笑みを浮かべたM14は目をつむり、俺の方へと少し頭を差し出した。

 俺は自分の欲が表に出せることと、ずっと気になっていたM14の髪をさわれるとあって興奮している。

 見た感じ、人間とは変わりがなさそうな髪の揺れ具合だった。では感触も同じぐらいだろうかと期待する。

 

 そして、頭へと手を伸ばすと、ふれるかふれないかぐらいの接触で、柔らかな栗色のなめらかな感触を感じ取れた。

 その髪の一本一本が俺にとっては宝石と同価値に思え、優しく撫でていくたびに髪の素晴らしさに気づいていく。

 人と違って枝毛がなく、感触は人間のよりもいい。

 

「この髪は人工毛か?」

「はい。アクリル系、ポリエステル、ポリアミドの成分でできていますよ。それがどうかしました?」

「いや、いい手触りだなと思ったんだ」

「人形によって髪の成分はそれぞれ違うので、あたしの髪を気に入っていただけたのなら、とっても嬉しいです!」

 

 目をつむりながら、恥ずかしそうに、でもすごく嬉しそうに笑みを浮かべていると、こっちまで嬉しい気分になる。

 その笑顔に心が癒されながらも、髪を撫でる俺の手は止まらない。

 元は民生用の人形であるためか、髪ひとつとってもこだわっている部分があるのがわかる。

 しかし、他の人形もM14と同じように手触りが良く、それぞれ髪質が違うと聞くと全員分をさわりたくてたまらない。

 

「人形だけに囲まれて生きていきたいな」

 

 ため息をつきながら言ってM14の髪から手を離すと、彼女は静かに目を開けた。

 見た目は人間そっくりで、どの人形も綺麗だ。

 言葉のやりとりに対する反応や仕草も人間にしか見えない。

 人間と違う部分と言えば、中身が機械というだけだ。

 

 だというのに多くの人間、特に人権団体はロボットである人形が職を奪った、人間を支配するつもりだ、偽物の生物は悪であるという。

 核や崩壊液で荒廃した世界で、人形がいないと生きていくのは難しいと素直に認識すればいいものを。ストレス発散のためにやっているだけとしか思えない。

 そもそも偽物と言う奴らに、人間とはどういうものかと問いただしたい。

 

「人間の定義とはなんだろうな」

「定義ですか? 人間の遺伝子を持つから、人間じゃあないんです?」

 

 ただの愚痴がもれただけなのに、首を傾げて不思議そうに答えるM14がかわいくてたまらない。首の傾きに応じて、さらさらと流れるような髪なんて惚れてしまう。

 ……それに注目してばかりはダメだ。人として、指揮官として疑問には答えてあげないと。

 

「遺伝子で決めるなら、人の先祖は猿だから猿まで人間になってしまわないか? それに人形が使っている生体パーツに人間の遺伝子を混ぜれば人間になるということになるが」

 

 その言葉を聞いたM14は少し驚いた様子で片手を口にあてると、視線を下に向けて考え事を始めた。

 何かの答えが出るまで、俺自身も人間を定義する物とは何かを考え始める。

 そうして行く中で、自分の考えではないが、どこかで聞いたことを思い出す。

 

「俺の考えではないが、人間は考える動物だとか、道具を作る動物という考えがあったな」

「でもそれだと機能を停止した、人間で言うと脳死状態で動けなくなったのは人間じゃないということですか?」

「そうなってしまうな。だから、こういう考えを持つのは人間を全体としてでなく、一個人としての狭い範囲でしか見ていないというのがわかる」

「じゃあ、指揮官はどういう考えをお持ちなんです?」

 

 そう言われてもすぐに答えは出ない。

 俺が難しい顔をして悩み始めると、M14は「コーヒーを淹れてきます」と言ってツインテールを揺らしながらお湯を沸かしに行く。

 コーヒーを淹れる用意をするM14の後ろ姿を見ながら考え事を続けていく。……休むために休憩室へ来たというのに酷使するという矛盾は気にしないことにする。

 M14とか他の人形たちとこういう穏やかな時間があるだけで俺は幸せなんだが。

 

 一緒にコーヒーを飲む時間を過ごし、なんでもない話をしては遊びに行く。それとある程度の文明的な生活、テレビだとか車に乗るとかがあればいい。

 そういう欲望まみれの生活を実現したいな、と思ったところで人間の定義という答えが自分の中で出ていく。

 M14から目を離し、壁しかない正面へと体を戻して考えを始めていく。

 ぼぅっと時間を過ごしていると、M14がマグカップふたつを持って俺の隣へと座ってくる。

 湯気が立つ、コーヒーの良い匂いがするマグカップを受け取って一口。

 

「うまいな。出会った頃は色がついただけの薄いコーヒーしか淹れられなかったのとは大違いだ」

「そんな恥ずかしいことを思い出さないでください。あの時から反省して、指揮官のために豆やメーカーごとに違ってもおいしくなれるように努力したんですよ」

 

 頬をふくらませ、怒っているぞアピールをしてくるM14をかわいいなと思いながら謝る。

 

「それでさっきの答えは出たんですか?」

「ああ。社会や文明を生み出せたからこそ人間ということになるんじゃないかと思ったんだ」

「言われると、他の動物たちにはできていませんね」

 

 指揮官すごい、ときらきらした目で見つめてくるM14に苦笑しながらお互い静かにコーヒーを飲んでいく。

 さんざん頭を使ったあとのコーヒーは心を落ち着かせてくれる。味も俺好みの苦さで、感謝の限りだ。

 戦闘もでき、うまいコーヒーも淹れられるM14はいい女だなと思ったところで、俺の思考は髪へと戻る。

 お互いにコーヒーを飲み干したところで、俺は今日まで思っていたことを言って楽になる。

 

「俺は女性の髪が好きなんだ。特にM14のは大好きだ」

「どんなところがいいんです?」

「歩くたびに揺れるツインテールには目が奪われてしまう。栗色と赤色のグラデーションの髪は見ていて飽きないし、風で髪がさらさらとなびくのを見たときはときめくほどだ。

 

 そんな髪を持つM14が笑みを浮かべれば、精神が落ち着く」

 思うがままに感想を言って褒めると、M14は落ち着きなく視線を動かし、恥ずかしそうな雰囲気だ。

 それが10秒ほど続き、俺と目が会うと、視線を少しずらして小さな声を出す。

 

さわりたい時に言ってくれれば、さわっていいですよ?

 

 耳元でささやくように言ってくれた言葉とその意味に、俺の背筋は快感で震えてしまう。

 M14が俺からゆっくりと離れ、照れた笑顔を浮かべる。

 それを見た俺は深呼吸して精神を落ち着け、感謝の言葉を言った。

 

「ありがとう。そう言ってくれると、なんだってやれそうな気になるよ」

 

 また髪をさわらせてくれる。そんな約束があれば、俺は頑張って仕事を続けられる。

 疲れたときはM14のところに逃げればいいんだという場所を得られたから。



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M14の髪をさわりたい2

 ヘリで自分の居場所へと戻っている中、俺はさっきまでの仕事のことを思い出す。

 普段は自分の担当地域から離れない俺だが、今日は前線にいる指揮官のひとりから呼び出され、グリフィン社の赤い制服をきちっと着こなして相手の基地へ行っていた。

 はじめは歓迎されたが、すぐに話の内容は変わった。

 補給の相談から罵倒にだ。なんでも俺が後方にいるのが気にくわないらしい。

 戦果をあげてないのに指揮官という立場にいるのが恥ずかしくないのか、安全なところでしか仕事ができない無能、歳を取っているだけの老害、前線への敬意と物資の融通が足りないんじゃないかと。

 

 まとめると、会社に秘密で物資をよこせということだ。

 大きくないとはいえ、後方の都市部で仕事をしている俺のことを、私財を貯めていると決めつけて脅迫された。

 物資が足りないと、鉄血の人形や難民を抑えきれないという言葉付きで。

 

 ……まったくもって面倒だった。少しはこっそりと私財を増やしているが、それは緊急時のためで俺本人としては会社からの給料だけでつつましく生きている。

 それに都市部の偉い人たちから渡された物資の多くは本社へと送っているのは調べれば分かるはずだ。

 だというのに、強気だったのは知らないところでの派閥争いが激化していると理解してしまう。

 いや、単に派閥関係なく俺へ恨みがあるだけということもあるが。

 まったく人間は面倒だ。真面目に仕事をしているというのに面倒だけが増え、幸せな気分になる時間さえもないと思えてくる。

 

 何度も繰り返したため息は、護衛として着いてきてもらった青色を基調とした服を着て、純白の光を浴びているみたいに白い髪が美しいマカロフに嫌な顔を向けられる。

 落ち込んだ気分のまま、俺が配属されている基地のビル屋上へとヘリは着陸し、先に降りるマカロフ。

 人間のパイロットへと軽く手をあげて感謝をしたあと、俺はヘリの巻き上げる風に髪をなびかせて待っているマカロフの後に続く。その時に赤いベレー帽をポケットへしまってから自分の黒髪が目に入らないよう、押えながらヘリを降りた。

 

 そうして建物の中へ入ったあと、マカロフは銃の整備をしてくると言って途中で別れ、俺は疲れた精神を安らげるために休憩室に向かって歩いていく。

 階段を降りていき、廊下を歩いて休憩室がある場所へ近づいていくと、ちょうど部屋の中からリラックスした雰囲気のM14が扉を開けて出てきた。

 

「おかえりなさい、指揮官!」

「ただいま、M14」

 

 にこやかに笑みを浮かべて迎えてくれるM14に俺も笑みを浮かび返すが、疲れたためにぎこちない笑みを浮かべてしまう。

 そんな俺の笑みに気づくとM14は俺の前まで近づいてくると、心配した様子で顔を見上げてくる。

 

「お疲れですか?」

「少しな。別に戦闘をしたわけでなく、話し合いをして精神が疲れただけだ」

 

 普段なら軽く話をするか、髪を見つめるぐらいはするのだが疲れのあまりにそれらをする元気もない。

 早く休むためにM14の横を通り過ぎたときに、俺は足を止めてしまった。

 それは今までの疲れを忘れるほどに力強い急停止だ。

 

 その原因は匂いだ。

 昨日会ったときは髪から匂いなんてしなかった。でも今は匂いがする。

 人間が使うような、シャンプーのフローラルな匂いが。

 いや、シャンプーの匂いでなく、淡い髪の香りと言ったほうが正しいだろうか。

 その香りは甘く、かといって甘すぎるものではない。普段から元気に動くM14によく似合う香りだ。

 

「この匂いはシャンプーを使ったのか?」

「はい! 指揮官があたしの髪を気に入ってくれたので、手入れしようかなと思ってシャンプーを使い始めたんです!」

 

 明るく答えてくれる声に、俺は感激してしまう。

 そう、俺のためだけにシャンプーを使ってくれただなんて。きっと時間をかけて考えたに違いない。

 民生用の人形は普及してから、人形用のシャンプーの種類はあるものの、人間用のより少し高い。

 俺の指揮下にいる戦術人形たちには少ないけれど、給料は渡してある。

 その少ない給料の中でシャンプーを買ってくれたのは感激する。しないはずがない。

 

 戦術人形でシャンプーを使う個体がいるのはM14が初めてだ。前線、本部の人形ですらシャンプーを使っているのはいない。

 もしいたら、まっさきに俺が気づいているから正しいはずだ。

 しかし、それにしてもだ。

 シャンプーは実にいい。人工毛が前に見たときよりも輝いて見える。

 揺れ動く髪はよりなめらかに動き、まるで川の流れのように自然に動いている。

 さわりたい。すごくさわりたいが、人通りがある廊下で、仕事中の相手に無理強いするのはよくないと心の中で泣きながら我慢をする。

 

「あの、指揮官?」

「ん、あぁ……いや、なんでもない。これからは市内の見回りだったな?」

「そうですけど、えっと、その、……行く前にあたしの髪、さわります?」

「さわる」

 

 恥ずかしそうに目を伏せつつ、最後のほうでは上目遣いで聞いてきたM14の魅力的な提案に俺は即答した。

 前にさわった時とどう違うか大変興味があり、好奇心を抑えたままなのは精神衛生上、非常によくない。

 人間、我慢を続けるとストレスで胃が痛くなって大変だから俺の行動は当然のことおだ。

 俺はM14に後ろを向いてもらうと「さわるぞ」と声をかけてツインテールの上部に右手を軽くあてて下へと下げる。

 

 それは絹のようなサラサラとした気持ちいいものだった。

 上から下へ。そのさわる動作を何度も繰り返していくうちに、嫌な気持ちは忘れて平穏な心へ戻っていく。

 そうしたあとは手の平でツインテールの先端を持ち上げるようにし、髪の毛が水のように手から流れ落ちていくのは感動する。

 M14の髪は、こんなにも俺の心を揺れ動かすものかと驚くばかりだ。

 

「よければ、なんですけど。仕事先で嫌なことがあったんですか?」

「少しな。今日会った前線の指揮官が、俺より優秀だと言ってきたんだ」

「どんな内容です?」

「まとめると、年若い僕のほうが功績が上で結婚をして幸せだ。お前は35にもなって独身。出世欲もなく、これといった趣味もないようじゃないか。君、幸せはいらないのかい? と言われたな」

 

 M14が俺へと振り返り聞いてきたことについて今日の出来事を思い出し、嫌な気分になりながらも髪をさわることで中和しつつ伝えていく。

 今日あった男の話を思い出していると、幸せとはどういうものかと疑問を覚える。

 人より偉いと思いたいのは幸せなのだろうか。

 出世欲と言うやる気、自分の興味あることをやる趣味。それらは絶対的に必要か?

 

 特に結婚だ。興味がなければ、どんなに年齢を重ねてもいいじゃないのかと思う。

 それらをしないと幸せになれないのだろうか。

 幸せとはどういうものかが俺にはわからないが。

 髪をさわる手を止めて幸せについて考え始めると、M14が俺へと体を向けてきて、正面から見つめあう態勢となった。

 

「……すまない。つまらんことを言ったな」

「いいえ。いいえ、そんなことはありません!」

 

 愚痴を言ったことに後悔し謝るも、M14は力強い声で俺の言葉を否定し、俺の両手を掴むと胸元に引き寄せて握ってくる。

 

「幸せは無理に作り出すものではないと思います。幸せとは人それぞれ違うものですし、指揮官には指揮官だけの幸せがあるはずです」

「焦っても良いことはないということか」

「そうです! それに嫌なことがあった時は忘れればいいんです。AK47さんと朝までお酒を飲む、銃を撃ちまくる。そうして嫌なことは忘れませんと」

 

 ストレス解消の方法を聞き、そういうのは今の場所で仕事を始めてから全然やったことがないと気づく。

 本部にいた頃は、ヘリアントスさんやM16と酒を飲んで愚痴を言い合ってすっきりしていたというのに。

 今となってはコーヒーを飲むぐらいか。

 

 ……いや、あった。今までの人生で最高のストレス解消方法が。

 そう、女性の髪をさわって心ゆくまで楽しむということを。問題としては女性の髪をさわるのは失礼にあたることが多く、さわるのを許してくれるのは今のところM14しかいないのが問題ではあるが。

 

「言ってくれなかったら、そういうストレス解消法に気づけなかった。M14の場合は嫌なことを忘れたいときはどうするんだ?

「人と違い、人形であるあたしは自分の意思で忘れる、記憶データを消去することはできないので覚えたままです。消すときはそれが必要じゃなくなったときだけ」

 

 握っていた俺の手を離し、M14は困ったような寂しげな表情を浮かべる。

 その表情を見て、俺は気づいた。

 俺のような人間は時間の経過で悪い記憶は段々と忘れることができる。

 

 でも戦術人形である彼女たちは戦友の死やテロリストに殺された人間を覚えたままだ。消すこともあるが、その時の戦闘データを蓄積していけば役に立つため、I.O.P社でメンテナンスした時も消されることはない。

 その苦しみが戦いに必要となるならば、覚えていかなければならない。

 そう考えると、忘れることができる人間はすごい生き物じゃないかと思えてしまう。

 

 忘れることができない。それは機械の体を持つ戦術人形共通の物。

 だが、それは幸せなことを覚え続けることができるのではとも思う。

 

「M14が考える幸せとはなんだ? 俺じゃなくお前の幸せだぞ?」

 

 暗い顔をしていたM14に問いかけると、口元に手をあて天井を見ながら考え始め、すぐに終わったのか俺へと向き直る。

 

「あたしが幸せと思うことは、体の故障がなくバッテリーや予備パーツに困らなくて、指揮官である、あなたのそばにいることですね」

 

 恥ずかしがりもせず、まっすぐに言ってくる言葉。人間と違う幸せの基準になんだか寂しく思えてしまう。彼女たちには味覚や嗅覚があるのに、それを味わうことは幸せにはならないのかと考えて。

 人間はおいしい物を食べれば幸せを感じることが多い。だが、人形たちは自分が問題なく稼働できることを最優先している。

 その考え方は人形として間違ってはいないが寂しくなる。これは人形だからこその固定された思考なのだろうか。

 そして最後あたりの言葉で俺は恥ずかしくなってしまう。

 なんだ、俺といたいって。 

 

「それが幸せということは理解できるが、俺のそばにいることが幸せになるのか?」

 

 少し恥ずかしくなったが深呼吸して落ち着いてから疑問に思ったことを聞くと、M14の体は硬直して機能停止したかと間違えそうなほどに止まっている。

 ……今の一瞬でフリーズするほどCPUを使う行動はしてないんだが。それにメンタルモデルがある個体は走っているプログラムを停止して処理落ちなどを避けるようできているはず。

 

「M14?」

「あ、はい。えっと返事ですけど、信頼できる人と一緒なら損傷する心配がありませんし、プログラムのバグやバッテリー切れで動作停止しても指揮官なら置いていかないという、信頼している意味でそばにいたいんですよ!?」

 

 声をかけてから手をバタバタと動かしながら大きめな声で早口の説明に圧倒されるが、信頼の意味での幸せなら納得だ。

 でもそういったM14は落ち着かない様子が続いているのがわからないが。

 何か別な意味があるのかと、M14の目をじっと見つめると向こうも静かになって同じく見つめ返してくる。

 ……見つめあっていると、なんだか恥ずかしさが来る。M14の目をうるんできているし。思春期でもないんだし、なんだか緊張してしまう。

 

 そうしてお互いに動けないでいると、コツコツと廊下に響く足音が聞こえる。

 その音の方向から聞こえたのはブーツの足音。さっきまで一緒にいたマカロフの姿が見える。

 マカロフは俺とM14に冷たい目を向けて、『こんな廊下で何いちゃついているの?』というような目を向けながら休憩室へ無言で入っていった。

 休憩室のドアが閉じる音でM14は慌てて俺から離れると「格闘訓練に行ってきます!と言って廊下を早足で歩いて去っていった。

 ひとり残された俺は動けない状況から解放されたことに安心し、同時に寂しいという感情が出てくる。

 なんで寂しくなる要素はないのに、と自分の感情を不思議がりながら俺は本来の目的であった休憩のために休憩室へと入っていく。

 

 部屋ではマカロフから、嫌がらせをしたのかと不審な目つきと共に聞かれたので、髪をさわったことや相談に乗ってもらっただけだということで不審な目つきは終わった。

 代わりに好奇心たっぷりな表情を浮かべ、どんなことをしたのかを聞いてきたが。

 説明をしてマカロフと一緒にコーヒーを飲んでゆっくりした時間を過ごしているうちに、今日の嫌なことは自然と忘れていた。

 戦術人形は戦闘目的で作られたものだが、M14やマカロフを見ていると精神が楽になる。

 人形たちが美人やかわいい子たちなのもあるが、なによりも人間でないという意識があるから人間相手とは違う気持ちになれるからなのだろう。



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マカロフの髪をさわりたい

 戦闘があった。

 それはパトロール任務で、主力の人形がいないときだった。

 警察から鉄血工造の人形が立てこもっているから、解決してくれと要請があり、支部にいたライフルのM14、サブマシンガンの64式にハンドガンのマカロフと、それぞれのダミー人形を連れていった。

 仕事は相手を無力化して成功したものの、マカロフの左腕が破損してしまった。

 別に敵が強かったとか、人形たちがミスをしたわけではない。

 相手が人間だったからだ。人間相手には正当防衛以外で射撃はできず、意図的に殺すことはできないという制約があるために。

 警察の情報は間違いがあり、正しくは人間ふたりと鉄血工造製の人形っぽくペイントした民生用人形一体。

 このミスで警察に苦情を言い、貸しひとつと修復費用を得た。

 

 今は損傷したマカロフを連れ、修復施設で修理している。

 修復施設は支部のビルに隣接してある別なビルに存在する。

 そのワンフロアをひとつ使っているものの、設備はそれほど充実していなくて同時に2体までの修復しかできない。また、暇な時には民生用の人形や家電製品を修理するサービスをして稼ぐということも。

 設備が少ない修復施設。その水平になっている修理台の上には、肩から先の左腕がなくて上半身を裸にさせられてスカートとタイツを身に着けているだけのマカロフが乗せられている。

 その台の前に立っている俺は、その姿を痛々しく思ってしまう。

 それは12歳から15歳ぐらいの幼い外見と低い身長のせいなのと、指揮官になる前から知り合っているために仲が良い。

 

 いや、戦術人形のマカロフは道具であり、愛着というべきだろうか。

 マカロフの髪は膝あたりまであり、真っ白で夜の雪を連想するほどに美しい。その美しい髪は台の上から、床へとこぼれ落ちてしまっている。

 起きていれば、目は宝石のルビーのように惹きこまれるほどの透き通った赤色だ。

 そのマカロフを見ながら、メンタルモデルが損傷しなくてよかったと強く安心している。

 じっと視線を動かさずに動かないでいるマカロフを見ていると、整備士の人間が俺に声をかけてから新しい腕を付けていく。

 その腕は金属フレームがむき出しであり、腕をマカロフ本体に着け終わったあとは通電チェックをしている。

 次に起動して動作チェックをするというときに、俺は整備士を呼び止めてから自分の赤いジャケットを脱いでマカロフの上半身にそっと丁寧にかけていく。

 人形的には意味あるものではなく、こうしていないと俺の心情的に起きたマカロフと正面から向き合えないからだ。

 人間と同じような体を持っている人形の裸、その小さい胸を見ながら会話をし続ける精神力が俺にはない。

 

 俺が服をかけ終えるとマカロフは起動されて目を開ける。そして台へと倒れたままに俺と目を合わせてから、隣にいる整備士を見る。

 整備士に動作テストをするよう言われたマカロフは、機械としかいいようのない腕を動かして動作に問題がないことを証明した。

 あとは腕にカバーを付けるだけだが、整備士はせっかくだから他のメンテナンスをしてもいいかと聞いてくる。

 それはマカロフが復帰するのに時間がさらにかかるものだが、後の予定は特にないため了承をした。マカロフがそばに戻ってくるのが後になるのを寂しく思ってしまいながら。

 整備士が部品を取りに俺とマカロフから離れていったあと、マカロフは俺に目を合わせると悲しげな表情をする。

 

「迷惑をかけてごめんね」

 

 と、申し訳なさそうにか細い声をつけて。

 謝る必要なんてないと言おうと思ったが、それはただの感情を乗せただけの言葉では納得してくれないだろう。

 だから、謝らなくてもいい理由をつけるために、今回の件で得したことをすぐに考え、言っていく。

 

「マカロフは悪くない。警察が情報を誤ったのが悪いし、今回の件でこっちはいくつか得をした。お前の修復費用だって警察持ちだぞ?」

 

 小さく笑みを作り上げると、マカロフも同じように小さく微笑んでくれた。

 そうしてマカロフに謝罪は必要ないと言ったあと、俺は褒めた。

 手足を撃って無力化したから人間を殺さなくて立派だ、犯人を逃さなかったのは偉いということを。

 整備士が戻ってくる寸前まで褒めることを続け、マカロフは微笑んだ表情まま黙って聞いてくれた。

 さらなる整備のために整備士がマカロフにコネクタを取り付けて電源を落とす直前、マカロフは自身にかけられている赤いジャケットを優しい手つきでさわり、優しい声をかけてきた

 

「ありがとね、指揮官」

 

 その言葉と共に電源を落とされて動かなくなったマカロフを見続けてしまう。

 同時に沸き上がった気持ちはマカロフを愛しく思った。

 恋愛感情ではなく、例えるなら……妹や子供に向ける家族愛のようなものだろうか。

 マカロフが怪我、いや破損したと聞いた時には悲しさと心配する気持ちが出たものだ。

 

 戦術人形は機械であり、俺が仕事をしていくための道具。そう頭では理解しているものの、感情では人間に近いものを持ってしまっている。

 そのうちに人間と同じように思ってしまったら、彼女たちが損傷するたびに精神的ストレスが増えて病んでしまいそうだ。

 そう考えると、戦術人形と結婚している指揮官はどういう考えなのか、少しばかり気になってしまう。

 俺は整備され始めたマカロフに背を向けて修復施設を出ていくが、出ていく直前に一度振り返ってマカロフの姿を見つめてしまう。愛しい気持ちを持って。

 

 

 ◇

 

 

 落ち込んでしまった精神を癒すために、修復施設から休憩室へ行くと、そこにはM14と64式がふたり並んでソファーに座って1冊の本を一緒に読んでいた。

 ふたりは部屋に入った俺へと軽く挨拶をすると、読書に戻る。近づいてみると、それはファッション雑誌だ。

 最近まで人形たちが読むものと言えば、銃や家電製品のカタログに詩集や哲学書といった堅苦しいものばかりだった。

 

 だが、今は違う。俺が人形たちの髪をさわったことが理由なのか、美容に目覚めたらしい。

 ふたりで楽しそうに雑誌を見ている姿を眺めていると、M14が「あたしがコーヒーを淹れますよ?」と言ってくれたものの、楽しい時間を邪魔するのは気が引けたので自分でコーヒーを淹れていく。

 ドリップ式なら誰でも簡単だろうと思いきや、お湯を入れすぎて薄くなってしまったのは悲しい。

 薄味なコーヒーを飲みつつ、ふたりに話しかけられたので立ちながら話を始める。

 

 それから30分ほど時間が経った頃だろうか。

 休憩室の扉が開けられ、そちらを見るときちんと体が治ったマカロフの姿があった。

 マカロフは濃い青色の大きいロシア帽をかぶっていて、服は帽子と同じく濃い青色の服を着ていた。

 整備し終わって、すぐに来たらしく髪はぼさぼさだ。

 そんなマカロフの両手でお腹の前に抱えて持っているのは俺が着ていた赤色のジャケットだ。

 何も言葉を言わずに俺の真正面へやってくると押し付けるようにジャケットを渡してくる。

 渡された俺はじっと見つめてくるマカロフに見られながら着ていく。

 

「体の調子はいいか?」

 

 普段の明るい様子とは違い、何も喋らなくて静かすぎることが心配だ。

 マカロフは俺の言葉を聞いたあとにM14と64式のふたりを見つめる。

 釣られて俺もふたりの方を見るが、そのふたりはお互いに顔を見合わせると素早く立ち上がってはM14が突然「簡易検査に行ってきます!」と言い、64式は喋り続けようとするM14の口を片手でふさぎながら笑顔を見せつつM14の手を引っ張って休憩室から静かに出ていった。

 

「気を遣ってもらっちゃったわね」

「あれは何か勘違いしてないか、なぁ」

「どうかしらね。私がいつもと違う様子で指揮官に重要な話をするとは思っているだろうけど」

 

 マカロフは明るく言うと、俺の手を引っ張りソファーへと座らせてくる。

 そして俺の閉じた足を開くと、その隙間に座っては俺の胸元へと背中を預けてくる。

 見た目は少女なのだが、機械の体を持つ人形は……結構重い。成人男性ひとり分くらいの重さだろうか

 そんな心の声が聞こえたのか、マカロフは俺の右足をぺしぺしと手で軽く叩いてくる。

 胸にマカロフの重さを感じながらも、すぐ目の前にあるマカロフの髪が気になる。

 マカロフに了承を得てから、大きな帽子を横に置くと目の前には白い髪の毛でいっぱいだ。

 

 だが、ぼさぼさなのが気になる。気になって仕方がない。

 普段なら気に入った髪を見れば、さわりたくてたまらない。それが普段のマカロフならば。

 今はさわりたいというよりも、綺麗にしたい。

 そう、髪をブラシでとかすということを!

 

「なぁ、マカロフ」

「なぁに?

「お前の髪にブラシを使いたいんだが、取って来てくれないか? あそこの一番上にあるんだ」

 

 やわらかい声を出しながら顔を俺へと向けて見上げる表情をかわいいなと思いつつ、おとといにM14用に買ったブラシが入っている木製のチェストを指差す。

 その指差した方向を見たマカロフはゆっくりとした動作で立ち上がると、とてとてと小さな歩幅で歩いていき、俺が指差した最上段の引き出しを開けるとブラシを取って戻ってくる。

 

 差し出されたブラシを受け取ると、マカロフはさっきと同じようにソファーへと座って、俺の背中へと体重を預けてきた。

 まだ未使用のブラシの状態を確認し、さっそくやるかと思ったところでマカロフに声をかけられた。

 

「それ、誰のために買ったの?」

 

 俺を見るわけでもなく、さっきのようなやわらかい声でもない。

 ただ感情がこもらない無機質な声だ。

 そんな声を聞いた途端、マカロフは女の子だということを思い出す。いや、女の子だとは思っていたけれど妹か娘みたいだから何を言っても怒らないと考えていた。

 でもそれは違っていた。彼女の心はひとりの女の子であるという認識が足りなかった。そもそも俺は女の子の扱いが上手ではないため、言葉には気をつけないといけないのに。

 

「あー……M14だ。だが、これは1度も使ったことがないんだ。このブラシを使うのはお前が初めてだ」

「私がはじめて?」

「そうだ。お前が俺のはじめてだ」

「私がはじめてなのね。……そっかぁ、私がはじめてなんだ」

 

 緊張しながらも、言い訳はすぐにばれると思って素直に言うとマカロフはなぜか気分よさそうな声になって足をぱたぱたと動かしては嬉しがっている。もし俺のほうを見てくれてたら、とてもいい笑顔なのだろう。

 ……別に褒めたわけでもないのに、いったい何が嬉しいんだろうか。

 はじめてブラシを使うということは、使い方がよくないということなんだが。髪をとかすのに、なんではじめてがいいんだろうか。

 そんな疑問を覚えつつも、変に言葉を言うとマカロフの機嫌が悪くなりそうなので黙っておくことにした。

 マカロフに渡されたクシは豚の毛を100%使った天然毛の高級品なブラシ。毛がある部分は5列あり、そこらで売っている混ぜ物のブラシとは違う。女性の髪に関する道具には詳しくない俺でもいいものを買ったという自信がある。

 そうは思うものの、今まで女性のためのブラシというの買ったことがないためにヘリアントスさんにきちんと相談してからだが。

 

 その時のヘリアントスさんは俺がこういうものに興味を持ったのに喜び、ブラシを誰かにあげるということを聞いて複雑な表情をしていたのがわからない。

 幼い頃からの付き合いだというのに。今はちょっとした理由で敬称をつけて心理的距離を取ってはいるものの、まだ仲良しな間柄だ。

 人間と人形の女心は同じなようで、わからないことが多くて実に大変だ。メンタルモデルは疑似人格なのだが、部分的には非常に人間と同じなのだと考えてしまう。

 色々と考えてはしまうが、まずは髪だ。そう、マカロフの髪をこのヘアブラシで俺が好き勝手できる時間が来たんだ!

 ブラシを力強く握りしめ、でもそれはよくないと気づき、力を抜いて持つとマカロフの髪に通していく。

 髪質がやわらかく、何度もブラシで髪をとかしていくたびに美しい髪へと変わっていく。

 こうしていると、昔のことを思い出してしまう。

 

 あの時はまだ俺が事務屋本部にいる頃で、マカロフは亡くなった指揮官と一緒に運ばれてきた。あの時の破損はひどく、頭部や腹部の損壊、両手左足の欠損の状態だった。

 普段のように壊れかけた人形の状態を書類に書いたあと、修復施設や部品の手配、メンタルモデルをリセットする手配をしようとしていた。

 でもそれはなくなった。発音するのも危ない状態なのに『指揮官を守れなくてごめん』と小さな声でつぶやいた声に、俺の感情はどうしようもできないほどに揺らされた。

 

 その感情はいとおしいというものだった。

 戦術人形は指揮官を守ることは当然だけれども、それでも稼働していることすら驚くほどの状態なのに指揮官へ謝るほどの真面目で忠誠心が高く、頑張り屋な子。

 1度そう認識してしまうと、この子を助けたいと思った。

 俺は自然と自分の子にするとマカロフの目を見ながら、周囲へと力強く言葉を出した。それは強く止められたし、そもそも人形を所持できるのは指揮官や一部整備士ぐらいなだけだった。

 

 だから俺は指揮官になるための勉強と訓練を受け、マカロフが初期化をされないためだけに指揮官となった。

 そうして指揮官になって初めての人形はマカロフであり、マカロフも俺が指揮官の資格を得るまでは誰のにもならずに訓練や調整をし続けて待ってくれた。

 マカロフ自身もプログラムに従っての指揮官を探すこともなく。

 だからプログラムではなく、自分の意思で待っていたのを知り、俺のところへと配属になった時は感激のあまりに涙を流したくらいだ。

 

 そんな出会いと再会を思い出していると、ふとマカロフが俺へと静かに振り向いてくるのでブラシを動かす手を止める。

 

「指揮官は私のことをどう思っているのかしら」

「なんだ、突然」

「答えて欲しいの。そうすれば、私の疑問もなくなると思うから」

「お前のことをか。……俺は独身だが、もし娘がいたらマカロフみたいなんだろうかと思っているな。人形のお前からすれば変だと思うだろうが」

 

 苦笑する俺にマカロフは「そんなことない」と言ってくれる。

 変わっているねということを言われると思っていただけに。その返しは驚きだ。

 言葉の続きを持っていると、マカロフは立ち上がって俺へと向き直る。

 さっきまでは俺が少し見下ろす立場だったけれど、今はマカロフが俺を見下ろしている。

 

「指揮官の感情はただしいと思うわ。だって、私のプログラムはあなたを父親と定義付けしているから。初めて出会ったとき、指揮官は私を『俺の子にする』と言った。だから私はあなたを父親として定義付けをした。だから、指揮官が私を娘のように思うのは何の問題もないわ。

 あなたは私を娘として求め、私はあなたを父として思う。あなたと再会するまで父親とはどういうものかはデーターベースで探して学習した。わかりづらい部分は人にも聞いた。

 それに求められたからだけじゃなく、私を初期化せずに助けてくれたから恩返ししたいという気持ちもあるの。

 人形だって記憶や自分自身がなくなるのは悲しいものだから」

 

 まっすぐに見つめられ、力強くはっきりとした言葉で語りかけてくるマカロフ。

 その言葉ひとつひとつに驚き、感謝し、悲しくなる。

 マカロフが俺に合わせて行動してくれたのは嬉しくなるものの、それは本来のマカロフではないんじゃないかと。

 将来的に自分の指揮官になるだろうからと、変えてくれたのは素直に喜べるものだろうか?

 俺が喜びと悲しみが入り混じった感情でいると、マカロフは床へと膝をつき俺を揺れる瞳で見上げてくる。

 

「あなたのためなら、なんだってしてあげる。寂しいときも辛いときも死ぬときもずっと一緒にいてあげるわ」

「それじゃあ、髪をさわらせてもらおうか」

「……それだけ?」

「俺が親でお前が娘なら、娘には幸せでいてもらいたいもんだ。とは言っても、娘を戦場に出す親はひどいだろうが」

「別にひどくないわ。だって私は人形だもの。それに、それがあなたの望みならなんだってしてあげるって言ったでしょ?」

 

 マカロフは俺の頬に手をあてて軽く撫でると、前を向いて髪をさわらせてくれる態勢になった。

 俺はブラシをソファーの上に置き、マカロフの髪を頭のてっぺんからはしっこまでさわっていく。

 やわからい髪質を持つマカロフの髪は、なんだかマシュマロをぎゅっと握ったときの感触に少し近い。

 しっとりとしていて、純白の白ということもある。

 ブラシをとおしたことにより、もこもことした髪はロングストレートに近くなっているから、それを上から下まで繰り返しさわる動作は気持ちいいの感情が俺の頭をいっぱいにしている。

 M14の髪はは手からこぼれ落ちるほどの、さらさらの髪質だった。

 でもマカロフは違う。この髪は手に吸い付くようなしっとり感があっていい。

 

「マカロフの髪は気持ちいいな」

「それだけ?」

「しっとりして、撫でていると気分がやすらぐ」

「そう思ってくれるなら嬉しいわ」

 

 上機嫌な声で手足を軽くパタパタと動かす姿は小動物ぽくてかわいらしい。 

 あぁ、こんな姿を見れば見るほど愛情が強くなってしまう。だからこそ、彼女を人形と強く意識し続けないといけない。

 親と娘の関係というのをお互い認識したけれど、それは偽物だ。人と戦術人形は役割が違うから。

 

 それでも俺は続けられるうちは、こういう関係を続けていきたい。

 いとおしい気持ちで髪を撫でると、マカロフは突然立ち上がっては俺の後ろに回り込むとソファー越しに抱き着く姿勢になった。

 ほっぺたとほっぺたがくっつく距離でマカロフのテンションが高い声が聞こえる。

 

「ねぇ、近いうちにどこか遊びに行きましょうよ」

「それはいいな。ふたりでか?」

「そう、ふたりきりで!」

「わかった。約束だ」

 

 マカロフが差し出してきた小指に俺の小指をからめ、そう約束する。

 なんだかデートの約束みたいだと思ったが、よくよく思わなくても単なる親子のスキンシップだ。

 あとはスキンシップに行くとき、貸しをつけた警察に重点警備をしてもらえれば安心だ。

 俺とマカロフは遊びの約束をしたあとは何も言わず、お互いに休憩室を出ていく。

 今なら最高効率で事務仕事ができるに違いないと思いながら。




ドルフロ本編の話が重くて辛い。


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UMP45の髪をさわりたい

 先日約束した、警察に護衛されてのマカロフとふたりきりのおでかけが終わった夕方の今。

 マカロフとウィンドウショッピングをしていたときに、帳簿外の骨董品や酒類はどうなったのがか気になり、ビルへと帰ってきた今は8階にある事務室へと向かっている。

 ひとつ上は屋上で、8階は事務室と倉庫しかないため、人や人形たちは誰もいなく静かだ。

 廊下を歩く足音がよく響いて聞こえるほどに。

 

 さっきまでマカロフと一緒だったためか、ひとりでいるのは寂しく思いつつ事務室の前にたどりつき、電子ロックにパスコードを打ち込んで扉を開ける。

 まぶしいオレンジ色の光が差し込む事務室は休憩室よりも狭く、広さは正方形のワンルームだ。

 部屋にはスチールの本棚に書類を挟んだファイルが左右にある。中央には事務机と椅子、デスクトップパソコンがひとつずつ。

 そんな部屋だが、俺は入ることに恐怖している。

 

 なぜなら、その机の上に戦術人形が一体座っていたからだ。

 夕日を背中にし、目をつむった姿。動く様子はなく、スリープモードなのだろう。

 その人形の名前はUMP45。

 腰に届くほどの長く暗い茶色の髪を持ち、左側をサイドテールにして黒と黄色の髪留めを付けている。

 服はリボンを付けた学生風の白いワイシャツ。その上には前を開いた黒色のパーカーを着ている。

 スカートは黒のミニスカで同じ色のタイツ。そして黒のブーツを履いている。

 17歳ぐらいの顔立ちで、左目には縦に1本傷がある。今は見えないが、目の色は明るい金色だ。

 そんな見た目はかわいらしい戦術人形のUMP45とはグリフィンの本部にいたときに知り合い、仲良くなってしまった。

 

 この人形は本部では常に笑顔で明るく、人当りがいいと社内でも人気がある子だ。でも、誰も彼女の指揮官を知らないし、どういう仕事をやっているかわからない。ただ、特殊な戦術人形かなというぐらいだ。

 本部にいた頃は、嘘の笑顔を張り付けて挨拶してきた彼女にそっけない態度を取り、それでもまとわりついてきたために嫌いだと強く言ったことがある。

 

 その時からだ。俺が彼女に気に入られてしまったのは。

 彼女と会うときはそう多くなかったが、会ったときは積極的に話しかけてきて、無視しつづけても俺の近くにいた。

 M16と話をしている時には強引に俺の体をお姫様抱っこしては誘拐していくし、部屋に盗聴器を仕掛けていたことも。

 ふたりきりになったときは押し倒してきて、性的な意味で誘惑をしてくるのが辛かったものだ。向こうから誘っているならいいかとも思うが、受け入れたら何をされるか、何を要求されるかがわからなくて怖かった。

 時々、気が向いたときには誰かが複数いる場所で話をするのは、彼女の話題選びが上手なのもあって楽しかったが。

 

 まとめると、被害はないものの俺に執着をしている詳細不明の戦術人形ということになる。

 俺と彼女以外、誰もいないということに恐怖すると共に、なぜこの部屋に入ることができたのだろうと疑問に思う。

 電子ロックの暗証番号を知っているのは、仕事の手伝いをしてもらっているLWMMGとマカロフといった落ち着いた子ぐらいしか知らないというのに。

 

 そもそも俺に来客があるとの知らせはなく、どこからか不法に侵入してきたのだろう。

 こっそり来て会いに来るほどの理由はまったくわからないが。

 とりあえずは静かに部屋を出てから対処を考えよう。

 そう思って静かに1歩後退すると、突然UMP45の目が勢いよく開いて口が動いた。

 

「入ってこないと、壊すわよ?」

 

 無表情ながらも怒りの感情を乗せた言葉に俺は従うほかはなく、扉を閉めるとUMP45の前へと恐る恐る歩いていく。

 そうしてたどりつくと、やわらかな微笑みを向けてくれる。

 

「前に本部で会ってから、5か月ぶりか?」

「6か月2日と1時間4分47秒ぶりよ。ひさしぶりに会えて嬉しい? 私の愛しい人」

「嬉しくないし、愛しい人でもない。お前とふたりきりで会うたびに、俺はなにかしら襲われるんだが?」

「ごめんね、つい嬉しくなっちゃって」

 

 はずかしそうに頬を赤くして顔をそむけた瞬間、俺は助けを呼ぶために大声をあげようと口を開く。

 だが、声は出せなかった。

 なぜなら、そうした瞬間に素早くUMP45が俺の体を押し倒して馬乗りになり、いつの間にか右手に握っていたナイフを首の動脈に突きつけていたから。

 

「そんなに私とふたりきりは嫌なの? 私はあなたと一緒にいたいだけなのに。ずっとずっとあなたと一緒にいたいのを我慢して仕事をしてたんだよ?」

「こんなふうに脅迫してくるから嫌いなんだ」

「ふたりだけの時間を過ごしたいというだけよ?」

 

 UMP45は左手で俺の体を抑えつつ、鼻と鼻がさわりそうになるほどの距離で俺の目を覗き込んでくる。

 首筋に感じるナイフの冷たさもあり、恐怖で息が荒く、早くなってしまう。

 

「私を嫌いだなんて言っているけど、前は一緒に楽しく話をしたことがあるじゃない」

「それは他に人がいる場所だからだ。そういうところならお前との話は楽しいんだが。だから今、お前とは何も話をしたくない」

 

 そう言った途端、動脈とは違う場所の首筋に鋭い痛みが走る。

 UMP45が俺の首筋から離したナイフを見ると、そこには少しだけ血がついていた。

 通常、戦術人形というのは何の抵抗もしていない人間を傷つけることはできない。なのに、それができるというのはやはり特殊な人形なんだと確信する。

 

「私は話したいの。……もういっそのこと、両足を切り取って連れ帰ろうかな。そうすれば大好きなあなたと一緒にいれるし、いなくなる心配もないし」

「足を切られたら、お前が好きな俺ではなくなってしまうぞ。人間は身体欠損で精神が大きく変わるんだ」

「そこまで考えてなかった。そっか、人間は繊細なものなのよね。連れ帰るときはロープで拘束してからにするね」

「なんで俺がそんなに好きなんだ?」

「前にも言ったけど、偽の笑顔で演技している私を嫌ってくれたから。あなたなら本当の私を見てくれるんじゃないかって。事実として、今までこういうことが何度もあったのに私を嫌わないでしょ?」

「嫌っているさ。鉄血の人形並みに」

「そうかな? 時々私と楽しく話をしてくれるあなたを、私はそうは思わないけど」

 

 不思議そうな表情で首をかしげたUMP45はナイフをしまうと、パーカーの内側からバンソウコウを取り出して俺の傷口へと貼ってくれる。

 貼ったあとは優しく俺の首筋を何度か撫でて、俺からどいて立ち上がっていく。

 そうして立ち上がってやわらかなほほ笑みをUMP45から手を差し出され、それを握って立つか5秒ほど悩んでから手を取って立ち上がる。

 こんな傷つけられているけど、UMP45のことは単純には嫌いになれない。

 嫌いな部分は多いけれど、時々見せる優しさと仮面をかぶっていない素の笑顔が好きだからだ。特に長いサイドポニーの髪が揺れるところなんかが。

 

「それで今日は何の用で来たんだ?」

「ここを私たちの拠点として使わせてくれないかなって。全員で4体の戦術人形よ。その分の弾薬や装備、宿舎を用意してくれると嬉しいんだけど」

「嫌と言っても強引に来るだろう?」

「うん、もちろん」

「……あとでリストをくれ。準備しておく」

 

 どうしても断れないということを知り、ため息をついて了承する俺。

 でもそのおかげで初めて知った彼女の情報。今まではよくわからなかったけど、なんらかの特殊な任務をする部隊らしい。

 だから今まで何度か調べてもよくわからなかったのかと納得する。

 そして、この会話をしている今まで握られていた手を振りほどくと、UMP45は素早く髪留めを外してロングヘアになると、パーカーのポケットから物を取り出した。

 それはヘアブラシだ。高級感がある木製のヘアブラシ。

 

「これはなんだ?」

「オーク材でできた、木製ウッドピンブラシ! 民生用人形の振りして、あなたがいないあいだに情報集めてたんだけど最近になって人形たちの髪が好きだって聞いたから」

 

 別に物の名称を聞いたわけじゃない。なんで俺へとブラシを出してくるんだ。このブラシの木製ピンは1本1本の先端はなめらかな曲面になっていて、使うと気持ちのいい感触が来るに違いない。

 そもそも、これは頭皮マッサージを目的としているが効果はわかっているのだろうか。

 いや、髪をとかす目的にしても静電気が発生しない素材だからいいのか……?

 と、渡されたブラシをまじまじと見ていると、UMP45はさっきまで座っていた事務机の上へと戻り、笑顔を浮かべて俺を待っている。

 あと情報収集で髪好きがわかったからって俺がお前の髪をすくことなど―――と無視する決意を固めたものの、UMP45の明るい笑顔を見て、仕方ないなと苦笑する。

 それに明るい笑顔を見ていると優しくなりたくなる。

 

 普段のUMP45は偽物の笑顔だ。

 でも、だからこそなのか、ふたりの時には多くの表情を見せてくれる。とても生き生きしている表情を。

 そんな彼女に抱く、嫌いだけど好きという感情。

 首筋に貼られたバンソウコウを軽くさわり、UMP45は手間がかかる奴だと苦笑いし、彼女の元へと歩いていく。

 そうして彼女の後ろに来たときに「さわるぞ」と言ってブラシで髪をとかし始める。

 腰まで届く、長くて暗い茶色のロングヘア。

 その髪を持ちながら、頭のてっぺんから髪先までブラシを通していく。

 UMP45の髪は柔らかく、癖っ毛がある髪質だ。

 夕日の光にあたってもキューティクルはそれほど目立たず、色合い的に長く見ていても目が疲れない。

 UMP45の外見で最も好きなのは髪で、黙っていれば見た目だけは俺好みの戦術人形なのに。

 

「あ、なんか今、えっちな視線を感じた。ねぇ、恋人同士ですること全部しない?」

「なんでそうなる。お前ら戦術人形を信頼することはあるが、恋愛感情なんて持たない」

「それって恋愛したことがないからじゃ?」

「1度だけ恋人がいたぞ。あの時は俺が15歳の時だったな。面白くないって相手に言われて4日で別れたが。相手を愛していなかった俺も悪かったんだろうな」

 

 あれは今から20年前で、相手は小さい頃からずっと一緒にいた13歳のヘリアントスさんだった。当時はヘリアンと親しく呼ぶほどに仲はよかったが、今では自然とそう呼ぶことはなくなった。

 彼女の方から恋人になろうと言われ、断る理由がない俺は恋愛的に好きでもないまま付き合った。

 そのためか、デートを2度しただけでつまらないと言われ、振られてしまったが。

 懐かしいなぁと思い出していると、硬直していたUMP45が勢いよく振り返り、俺は慌てて髪をとかしていた手をUMP45から慌てて話す。

 その振り返ったUMP45はかなり驚いた様子で俺を見つめてくる。

 

「誰に聞いても、どのデータにもそんな話はなかった」

「初めて言ったからな。……そうか、この話をしたのはお前が初めてになってしまうのか」

 

 こういう過去の恋愛経験は親しい相手に言いたかった。

 別に辛い思い出というわけではないのだが、自分の過去を知って欲しいと思う相手は選びたい。まぁUMP45のことだから誰かに言いふらしたりはしないだろう。

 私たちだけの秘密ね、とか思っていそうだ。

 

「ねぇ」

「なんだ」

「愛ってなんだろうね」

 

 そんな答えを物凄く難しい問いを出したUMP45は少し沈んだ声で前へと向き、俺が持つヘアブラシはまた髪をとかし始める。

 そうしながら愛について考えるも、そもそも恋愛感情を持ったことがない俺に答えが出せるわけもなく。

 かといって世間一般論を出したところでは怒るだろうし。

 髪をとかしながら5分以上長考して出した俺の答えはこうだ。

 

「好きな人と一緒にいたいという想いが深くなったら愛になるんじゃないか?」

「それが愛なら、私はあなたとどんな時でも一緒にいたいわ。こんなふうにあなたを想う私に愛はあるかしら?」

「俺はお前を嫌っているんだが」

「でも心の底からではないでしょ? もしそうだったら、私が怖いといってもこんな優しい手つきで髪をとかしてくれないもの」

 

 髪をとかす手は止まり、俺がUMP45を嫌いな理由は実はたいしたことではないのではと思ってしまう。

 本部で会う機会が多かったときは、さっきのように時々ナイフで切られ、盗聴や盗撮をされ、他の女や戦術人形と話していると怒られ、ベッドへと押し倒されたりするだけだ。

 怖くはある。怖くはあるが、殴られることや銃で撃たれることがないから、少し暴力的なだけなのではと思ってしまいそうだ。

 そもそも、人間に危害を加えやすいプログラムは大きな問題ではあるが。

 

「私にとって思う愛とは、いつも変わらないからこそ本当の愛だと思うの。嫌われても好かれても変わらない好意こそ愛だってね。これは人間でも戦術人形でも同じことだと思うの」

「あぁ、それは……そうかもしれない」

「そうよね。あと私の想いはプログラムによる定義付けじゃなく、メンタルモデルに寄るものよ? だから私はあなたに対して愛を持っている。あなたが欲しいの。表面だけの私でなく、隠された私を見てくれるあなたを」

 

 早口で、でも小声で少し恥ずかしそうに言ったUMP45は言い終えると振り返って俺の頭を両手で押さえ、そっと静かにおでこをくっつけてくる。

 夕陽に照らされた金色の目は強く輝いていて、その光の強さはまるで恋愛の情熱を感じさせてくるような。

 

「いつか、あなたを振り向かせてみせる」

「それなら薬や監禁をしない方向で頼む」

 

 ドキドキと心臓が強く動き、緊張とUMP45の美しさに興奮してしまう心を抑え、冷静に言葉を返す。

 ……これは驚いただけで、見惚れたというわけじゃない。夕陽の効果もあって、とても美しく見えて驚いただけだ。

 それだけのことだ。

 深呼吸して心を落ち着けると、UMP45の頭を掴み、前を向かせて髪をとかすのを続ける。

 もう少し静かなら、いい友達付き合いができるのにと思いつつ。




戦術人形はヤンデレ適性が高い子が多いと思う。


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G36の髪をさわりたい

 11月最後の雪がぱらぱらと静かに降っている今日、都市外部を早朝からG36率いるパトロール隊は大きな戦果をあげた。

 それは鉄血の人形に追われ、この地区へと逃げていた戦術人形をG36の主導により味方を救出して敵を壊滅させたからだ。

 外出した俺に報告が入ってからは急いで司令室にて指揮を取ったが、俺が外から戻って指揮するまでの自律戦闘をしていた7分間は見事なものだった。

 そんな活躍をしたG36を褒め、褒美は何が欲しいと聞いたことから、今の少し変わった状況になっている。

 

 そのきっかけとなった要望は『髪を洗って欲しい』というものだった。

 褒美としては少し、いや結構変わっているけど俺はそれを叶えることにした。

 濃い色の夕陽が窓から入り込む時間に人形専用の浴場がある、両手を横に伸ばしたマカロフ3人分の広さがある脱衣室の洗面台で。

 その洗面台に向かい、G36は普段から着ている黒と白を基調とした落ち着いた色合いのメイド服を着て膝立ちで立っている。

 G36の身長は155㎝であり、膝立ちになって洗面台へと頭を下げるとちょうどいい高さになってくれるのはいい。

 洗面台に向かって頭を下げているG36の頭はメイド服に付き物のヘッドドレスを外し、普段はセミロングと三つ編みにしている髪型だ。

 

 でも、今は黄金のライ麦畑のように淡く輝く金色と背中の部分から髪の先端まで銀灰色をしている美しい三つ編みの髪をほどき、膝まである長さとなったロングヘアを床にたらしている。

 俺はそんなG36の斜め後ろに立ち、グリフィン社支給の赤いジャケットを脱いで髪を洗っている。

 でもそれは一般的に使用されるシャンプーではなく、スプレー缶タイプである炭酸シャンプーのスプレーを頭に吹きかけて。

 なぜ炭酸シャンプーなのかというと、元々はマカロフの髪を洗おうと思って用意したものだ。

 

 炭酸シャンプーは名前のとおり、スプレー缶から出てくる泡はぱちぱちという音がし、炭酸特有の刺激的な感覚をくれる。

 これは人間用だが、炭酸シャンプーの効能は髪表面の汚れや毛穴に詰まった効能は人形にも効果がある。

 他には頭皮臭の改善や血の流れを良くする、綺麗になった毛穴を引き締めるというのもあるが、こればかりは血が流れていない人形には効果がない。

 

「炭酸シャンプーはどうだ?」

「はい、とても新鮮な刺激です。普通のシャンプーとは結構違いますね」

 

 炭酸シャンプーのことを聞くとそんな感想が返って来たから人と人形の違いがわかってしまう。

 人なら気持ちいい、気持ち悪い、くすぐったいなんていう言葉が来るものだけど、数値のデータでしか感じ取れない人形だとこういうものかと理解させられてしまう。

 人形は単なる道具ではないが、人でもない。人と道具の中間点にいる存在。

 見た目が人だから、彼女らは機械の体だと思っていても人と同じように扱ってしまうことがある。それ自体は悪くはないが、人形に親しみを持ちすぎると近い将来は人形の誰かと結婚してしまいそうだ。

 

 今の時点でマカロフという戦術人形の娘もいて、違和感も悪い気持ちもなく生活できているから、そうなったらそうなったでいいかと気楽に考えることにした。

 気持ちがひと段落ついたところで、炭酸スプレーをかけ終えると持っていたスプレー缶を洗面台の脇へと置く。

 次は手による頭皮マッサージだ。G36にやる前はM14の頭で練習したから、下手じゃない手つきでできるはずだ。

 こっちは炭酸シャンプーをかけた時と違い、『気持ちいいです』と言ってもらえたからG36から悪くない感想をもらえるに違いない。

 むしろ、そうでないと褒美にはならないからな。

 

「頭のマッサージをするぞ」

「お願いします、ご主人様」

 

 次にやることを伝え、俺はG36の金髪の中へと手を入れる。

 炭酸シャンプーの泡でしめっている髪に手がふれ、そのままさわり続けたいというしっとりとした感触に誘惑される。

 

 が、今の俺はそういう気持ちを強引に理性で振り切り、G36の頭を指で押していく。

 そうしてマッサージを始めると、なんだかいい香りがする。

 炭酸シャンプーの香りとは違い、これはなんと言えばいいか……。M14が使っているシャンプーとも違う香りで、シャンプーのように強いものではない。

 この香りを言葉にするなら……わからない。知っているけど知らないという言葉しか浮かんでこない。

 

「気になる香りがお前からしてくるんだが、これは何の香料だ?」

「20代ドイツ人女性の体臭アンプルを使いました。M14が指揮官は香りが好きだということを聞きましたので。……お嫌いでしたか?」

「いや、好きな香りだ」

「それはよかったです」

 

 嬉しそうな声を聞いた俺はマッサージの手を止め、G36の20歳ぐらいの大人っぽい顔を覗き込むように見つめてしまう。

 その表情は目をつむったままだが、小さく笑みを浮かべている。

 俺のために香りについて調べ、買ってくれたのは嬉しい。

 指揮官をやっていてよかったと心から強く思う。

 

 嬉しくなりながら手の動きを再開し、少ししてからシャワーノズルを引っ張ってお湯でG36の髪についた炭酸シャンプーの残りを洗い落としていく。髪の毛を痛めないよう、丁寧に手で髪をかきわけながら。

 そうしたあとはバスタオルを頭にかぶせて髪の水分をある程度落としたあとはタオルで髪をはさむようにして押える。そのあとは顔や目元にタオルをあてて髪以外の水分を取ることも忘れずに。

 

「よし、もう顔をあげていいぞ」

「お手数をおかけしました」

「なに、お前が頑張った褒美だ。喜んでくれたなら嬉しいが」

「はい、それはとても」

 

 洗面台から顔をあげ、洗面台の鏡越しにG36の爽やかな青空のような青色をした目とみつめあう。

 G36の言葉に笑みを浮かべると、同じように笑みを返してくれた。

 はじめは褒美が『髪を洗って欲しい』と言われたときはうまくできるか心配だったが、どうにかできたようで一安心だ。だが、髪を洗うという行為はかわかすことも含めてだと思いなおす。

 

 タオルを置いた俺は、ドライヤーを手に取ると強い風量で熱風を当てる。その時に髪や頭皮が痛まないよう、ドライヤーを左右に振りながら。

 髪が渇ききったら冷風を1分ほどあてる。人の髪なら、これで髪の毛のキューティクルが閉じてすべすべの手触りになる。

 

 ずっと昔、ヘリアントスさんと恋人として別れたあとでも強くねだられて髪を洗ってあげた経験が今になって活躍し、心のすみっこでヘリアントスさんのおかげだと感謝しておく。

 最も、このやり方が人形の髪の毛にも良いかはわからないが。

 まぁ、ひとまずこれで終了だ。髪をぬらしたのは部分的なため、そう時間はかからずに終わった。もし、膝までのある長さの髪をかわかすんだったら、40分はかかるに違いない。

 

「終わったぞ」

「ありがとうございます。……これが幸せというものでしょうか」

 

 G36は立ち上がると俺へと振りむいて感謝の言葉を言ったあとに、自身の髪を愛おしそうに撫でながら髪を見つめている。

 そんな仕草が色っぽく、心がときめきそうになってしまう。

 

「幸せとはもっと大きいものだ。人の場合だと家を買えた、子供を産んだとか。目標を達成して、自分の人生に満足するというのが幸せなんじゃないか?」

「どれも人形である私ではできないものですね」

「あぁ、いや……そうだったな、すまない。他に例えが思い浮かばなかったんだ」

 

 人形は人権がなく道具扱いであるため、家や土地の登記はできない。また機械では子供を作ることもできない。

 そして人に従って行動する物だ。自律して行動できるとはいえ、人形自身ができる範囲を決して超えることはない。

 人ならできなくても、できるように環境や自分自身を変えていくことができる。

 

「例として何も出せなかった俺が言うのもなんだが、やっぱり俺はそういうのが幸せとは思わない」

「ではご主人様が考える、人形である私の幸せを教えてくれませんか?」

 

 首を傾げ、不思議そうに見つめてくるG36に「髪を結んでおけ」と指示してから髪を洗った道具を片付け始める。

 G36は俺の言葉に従い、ロングヘアのままだった金髪を手で三つ編みへと結っていく。

 道具の片づけという時間稼ぎをしつつ、俺は考える。人形の幸せというものを。

 

 以前、M14は自身が思う幸せは『体の故障がなくバッテリーや予備パーツに困らなくて、指揮官である、あなたのそばにいることですね』と恥ずかしいことを恥ずかしげもなく言っていた。

 それは人形であるM14が思ったことだ。でも今にして考えれば、人形であるからこそ幸せの幅が狭いのではないかと思う。

 人形は人間と違い、与えられるものの中で最善を考える。決めた以上の幸せを欲しがるなんてことはしないと。

 道具を片付け終わっても俺はG36が三つ編みを結っていくのを見ながら考え続ける。

 

 ……俺からすれば、人形たちの髪をさわることや近くで綺麗な髪を見るのが幸せになる。

 だが機械の体を持つ人形からすれば、見る、聞くと言ったものはデータを書き込むだけで簡単にできる。

 だとすれば、データの上書きや追加だけでは感じ取れないことが幸せになるかもしれない。

 

「うまく言葉にできないかもしれないが、データ化できないことが幸せなんじゃないかと思ったんだ。他の人形へと幸せの体験の共有をしても、それは記録だけで幸せまでは共有できない。

 ならば、自分だけの記憶で自分だけが幸せになれる。そんな体験が幸せなんじゃないか」

「……そういう考えもありますね。試しとしてひとつ実行してみますが、よろしいですか?」

「あぁ、いいぞ」

 

 そう言ってから俺のすぐ目の前へとやってきたG36は俺の頭の後ろへと両手を回し、そして自身の胸の中へと引っ張っていく。

 突然の予想できないことに抵抗するも、強く力を入れたG36には抵抗しきれずに俺の頭は胸の感触をあじわってしまう。

 本物とは違う偽物の胸。だけれども、それは本物に近く、マシュマロのような弾力性を持った柔らかさだった。

 はじめは離れようとしていた俺だが、次第に力を失って身を預けるようになってしまう。

 

 それというのも胸の感触にプラスして、G36が頭を優しく撫でてきたからだ。

 その手つきは壊れ物を扱うかのように慎重にさわってきて、撫でていくほど優しく、癒される撫で方になっていった。

 

「これはいいものですね。これほどに私の心が満足するだなんて」

 

 普段は硬さと鋭さがあるG36の声が甘く聞こえる。「いい子、いい子」と耳の近くでそんな声を聞かされるとなんだかダメになってしまいそうだ。いや、ダメになる。

 

「……これがやりたかったことか?」

「はい。いつも頑張るご主人様のために何かしてあげたいと思っていたんです。戦術人形になる前の私はメイドでしたから」

 

 配属時、G36の説明資料には民生人形でメイド出身と書いてあったのを思い出した。

 年配の女主人の元で家事や料理をしていたと。

 つまりは元々やっていた仕事に影響され、俺に対して尽くしたいという気持ちが出てきたかもしれない。

 そんなことをぼぅっとしてきた頭で頑張って考えた。

 

「お前は俺のために何かをしたいということでいいのか?」

「いいえ。何かをしたいのではなく奉仕したいのです。掃除や料理に添い寝。それとご主人様の娘であるマカロフにも」

「マカロフにもか。それはなんと言うか……あー……」

「なんですか?」

 

 考えをまとめるため、G36の撫でる手を止めて胸から顔を離し、2歩ほど離れて距離をあける。

 

「まるで妻みたいだな」

「……妻、妻ですか。あぁ、それこそが私の望んでいた役割かもしれません。今からご主人様を、あなたのことを私の夫と定義付けさせていただきます」

「待て。それはまずい。そんなことをしてみろ。俺はお前におぼれてしまう。そういう情けない姿を見たくないだろう?」

「私の影響を受け、私におぼれてくれるのなら、それほど幸せなことはありません」

 

 と、今まで見たなかで天使の微笑みとも言うべきで、柔らかく明るく優しい笑みを向けてくれた。

 その笑みに見とれてしまうも、人としてダメになってしまうという恐怖から妻扱いはしないことを強く決める。

 ひとまずG36を妻として俺が認識するかは保留にしよう。

 

「この件は時間を置いて考える。お前が求める幸せを否定はしないが、妻というのはよくない。ひとまずは俺に料理を作るというので妥協してくれないか」

「ご主人様がそういうのであれば、そういたしましょう。ですけど、それならお願いしたいことがあります」

「聞くだけ聞こうか」

 

 俺の返事を聞き、不満な顔をするG36にため息をつき、変な要望は聞きたくないと牽制をしておく。

 G36は俺から1歩後ろに下がると、両手でスカートの端を持つと片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を深く曲げ、背筋は伸ばしたまま頭を下げた。

 それはカーテシーと呼ばれる動作で、G36の上品で高貴さを強く感じる。

 

「私の個体名はCentaureissi(セントレーシー)です。この名前を時々でいいですので、呼んでいただければ私はとても嬉しく思います」

「わかった。気が向いたときに呼ばせてもらおう…………セントレーシー」

 

 流ちょうなドイツ語の発音で名前を教えてくれるG36。

 その名前を呼ぶのは普段の銃系統の名前とは違い、なんだか恥ずかしい。

 けれど恥ずかしがりながらも彼女の個体名を呼ぶと、顔をあげたセントレーシーは太陽のように明るくまぶしい笑顔になった。

 資料には書いてなかったG36の個体名。その名前を教えてくれたことは信頼を得られたようで嬉しい。

 

 信頼というよりも妻と言ったからには愛になるのだろうか?

 そのことを聞こうかとも思ったが、嬉しそうにしている彼女と恋愛感情について話すと機嫌を悪くするだろう。

 今度、何かの機会に俺へと恋愛感情があるか聞くことにしよう。

 別にこの感情が恋愛でなくても、俺を信頼してくれることには変わりがないのだから。




G36=妻(仮)
マカロフ=娘(正式)
UMP45=恋人(45の片想い)

???「みんな、これからは家族だ!」


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M16の髪をさわりたい

 

 11月最後の日から俺を夫と定義付けしたG36のお世話をされ始めてから10日が経つ。

 そのあいだ、俺は実に健康的に過ごした。いや、過ごしてしまった。

 元メイド経験があるためか、俺の身だしなみを整えてくるし、寝る前には子守歌を歌おうとし、本来の仕事に余裕があるときは食事を作ってくる。それも俺だけの分じゃなく、マカロフの分まで。

 俺とマカロフを"家族"として扱い、俺と同じように丁寧な対応をしてもらっているマカロフはとても満足そうにしている。

 

 ……このままだとジャンクフードが食べられなくなってしまう。マカロフを味方につけたG36は、もはや敵なしだ。

 10日で健康になった俺は普段からやる気が出るようになったため、このままでいいのか悪いのか複雑な気持ちで仕事をしている。

 

 午前11時現在、窓から差し込む太陽のまぶしい日差しとエアコンの煖房でよく暖まっている事務室に1人こもって椅子に座り、机に向かってはパソコンでデータ確認をしている。

 自分でマグカップに淹れたコーヒーを飲みつつ、コーヒーのいい匂いが広がる部屋で静かに仕事をするのは集中できていい。

 今やっているのは、先日UMP45に頼まれた弾薬や装備の管理状況の確認だ。

 昨日になって、ようやく渡されたリストの物が全部集まった。

 特に手間取ったのはG11という銃のケースレス弾だ。流通も少なく、値段も高いために苦労したものだ。

 UMP45に頼まれるまま集めたものの、彼女の仕事がなんなのかはわからない。ただ、弾薬や装備から見ると彼女が少人数の、弾薬の種類から見て4人の部隊に所属しているのは推測できるんだが。

 マカロフよりも長い、2年ほどの付き合いだが分かってないのが多いなと改めて理解する。

 ヘリアントスさんがUMP45に対して慎重かつ対等な扱いをしているから、なんらかの特殊な部隊だと思うのだが。装備試験や人に紛れての諜報活動などを。

 

 必要なこと以外は調べないほうがいいか。彼女は人へ危害を与えないリミッターがないから、深い事情を知ってしまったら知人とはいえ殺されてしまいそうだ。

 と、先日ナイフを首に突きつけられたことを思い出して背筋が寒くなる。

 そう思っていたとき、不意にドアがノックされて驚きのあまりにビクリと体が大きく震えた。

 タイミング的にUMP45が来たのかと焦ったものの、その軽いノック音は4回で聞き慣れている。

 

 パソコンを通して部屋の電子錠を開けると、扉を開けて入ったのは親友である戦術人形のM16だった。

 20歳はじめ頃の若さで美しい顔立ち。右目を黒い眼帯で覆っているM16はまぶしく思えるほどの明るい笑みを俺へと向けてくれている。

 そんな彼女の髪は、腰まである輝くような黒色の髪を三つ編みにして、その前髪の右側にある一房の髪は鮮やかな黄色で染められている。

 黄色のワイシャツを着て黒ネクタイを結んでいる。そのワイシャツの上には前開きにした黒いパーカーを雑に羽織っているのが、なんだかおしゃれだ。

 スカートは太ももまでの黒のミニスカだ。脚にはニーハイとニーパッド、靴はブーツと黒で統一されている。

 

「よぉ! 元気だったか?」

「あぁ、元気にされてるよ」

 

 2か月ぶりにあったM16は片手をあげてテンション高く挨拶してくるが、俺はそれにため息をついて返事をしてしまう。

 俺の返事に不思議そうな顔をしながら、机越しにすぐ目の前までやってくると腕を組む。

 じっと俺の顔を見つめたあと、上から下まで服を見てくる。

 

「肌のツヤもよく、服も綺麗なのになんで不機嫌なんだ? お前の世話をするもの好きなのはマカロフぐらいだろう?」

「マカロフじゃなく、別の人形だ。奉仕しなきゃ落ち着かない性格らしい」

 

 G36が俺のために色々と頑張ってくれるのは嬉しく思うため、はっきりと断ることができない。本人も俺の世話をしてくれるのは楽しいと言っているし。ただ、風呂場で背中を流してこようとするのは止めた。

 裸を見られると指揮官としての威厳がなくなってしまうと同時に、そこまで受けいれてしまうと人形たちに依存してしまいそうだったからだ。

 複雑な気持ちになり、その気分転換をするためにM16へと来た目的を聞く。

 

「今日来たのはなんだ? 酒なら帰りに渡そう」

「それはありがたいね。でも目的はそれだけじゃなく査察をしてこいってヘリアンさんに言われて」

「ヘリアントスさんが?」

 

 何か問題でも起こしたかと記憶を探っていると、M16は俺の背後へやってくるとおぶさるようにして、腕を回して肩へと頭を乗せてくる。

 この肩にかかる重さがなんだか安心し、本部にいたときもこういう姿勢が多かったなと懐かしむも以前とは違う感覚があった。背中にあたる胸の感触が成長したとかそういうのではない。

 匂いがするのだ。この匂いは体臭アンプルではなく、髪だ。

 それも女性向けのシャンプーではなく、爽やかな柑橘系だから男性向けのを使っているのかもしれない。

 

「いい匂いがするな」

「だろう? 今じゃ本部では人形たちが髪に匂いを付けるのが流行でな。その流行元はUMP45なんだが、なんでそうなったか知っているか?」

「UMP45なら2週間前に来たが、どうもうちの人形たちの影響を受けたと言っていた」

「へぇ、あいつはお前のところでシャンプーを使うことを学んだのか」

 

 俺のところから学んだということに対して少し感心したふうに言いながら、M16は俺がパソコン上に表示されているデータを指差して違うのを求める。

 元から出ていた保管庫の弾薬量から、次は宿舎の整備や人形の装備品。

 M16が見せろと言ってくるのはUMP45関連のものばかりだ。すぐそばにいい匂いを感じられるのは素敵なことだが、知らないうちに悪いことでもしたのかと緊張する。

 知らない間に派閥抗争にでも巻き込まれたのだろうか。UMP45のことはあまり知らないことが多く、今回のことだってどこの部隊かもわからない。

 緊張した気持ちを落ち着かせるため、俺はM16へと話しかける。

 

「本部では体臭アンプルはあまり人気じゃないのか?」

「体臭? 人間の体から出る匂いの奴か?」

「そうだ。俺のところではG36がきっかけで使う人形が増えてきているんだ」

「お前の人形たちはずいぶん変わっているなぁ。私はとても驚いているよ」

 

 あきれて言うM16は俺から離れていき、俺は椅子を回して体をM16へと向ける。

 M16は自身の匂いを嗅いでは、じっと俺を見つめてくる。

 真顔で見つめられると反応に困る。

 

「あー……それで査察は終わりか?」

「ん、あぁ。帰りにそのデータを渡してくれ。なに、悪いことに使うわけじゃない。404の動きを把握しておきたいだけだ」

「404?」

「404小隊のことだが知らなかったか。特殊部隊でUMP45が隊長だ。ここまでなら無理なく教えれるが、もっと知りたいか?」

 

 初めて聞く単語に眉をひそめると、M16はそのことについて教えてくれると言った。

 だが、その目はこれ以上聞くなと警告するような鋭い目つきだ。

 情報を知るのは大事だが、知りすぎることもよくない。その警告に素直に従うことにした。

 

「いや、いらない。それだけわかるなら安心だ。これ以上聞くと俺に悪いことが起きたり、原因でUMP45が悪い状況になったら夢見が悪い」

「そうか。それでだが、お前はどういう体臭が好きなんだ?」

「……なに?」

 

 話の唐突な話題転換に着いていけず、どういう意図なのかわからない。

 いや、仕事の私はもう終わりという合図か。

 

「私も今度使ってみようかと思ってな。それなら親友のお前が好きな匂いがいいだろう?」

 

 俺が納得した気配を感じたのか、気持ちのいい爽やかな笑みを浮かべてそんなことを言ってくる。

 別に俺が匂いフェチというわけではないが、そう言ってくれるのは嬉しく思う。

 前から俺のために色々としてくれた。指揮官を目指す、と言ったときには銃の撃ち方や野外訓練にも付き合ってくれたのは感謝している。

 その恩を返すには、指揮官になった今だと贈られた酒を渡すぐらいだ。 

 

「よし、倉庫に貯まっている酒をあげよう」

「よっしゃ! さすが指揮官だ! で、どういう匂いがお前の好みなんだ?」

 

 嬉しそうにバンバンと肩を叩いてくる力強さに耐えつつ、俺はM16を眺める。

 この見た目で似合うのはアメリカ人の匂いだろうか。その匂いをM14がつけていたから、すぐに想像できる。

 その体臭と今の髪の匂いも悪くはない。だが待って欲しい。意外性を持ってベトナム人というのもありかもしれない。

 理由としてはM16という銃の史実的にベトナムでよく使われた銃だからだ。

 でもそれは銃のことで人形であるM16とは別だ。

 純度の高い黒髪を見ていると、日本かとも思う。

 以前、本部にいたときに友人から日本人の髪はいいものだぞと言われたし、日系の人間を見たときは美しい黒髪に心を奪われたものだ。その時と同じぐらいにM16は綺麗だ。

 

「好みというか、M16に似合うのは日本人かなと思う」

「日本人? 私がか?」

「M16の黒髪は本当に綺麗なんだ。それで黒髪と言えば、日本人が一番だと聞いたから」

「ほぅ。なるほど、なるほど。お前さんは私が綺麗だと」

「黒髪がな」

「なら、次会うときにはそうしておこう」

 

 嬉しそうな笑みを浮かべたM16は俺から離れると、机を回って机越しで目の前へと立つ。

 そしてスカートのポケットから1枚の小さな紙のメモを置く。

 その紙にはヘリアントスさんの字でメッセージが書いてあり、最近の戦線やグリフィン社での勢力争いに関することが書いてあった。だが一番大事なのはそれじゃない。

 それらの文章を飛ばして、最後あたりに書いてあるのは『いい酒を送ってくれ』というものだった。

 これは祝い酒をくれというのだろうか

 

「なぁ、ヘリアントスさんは恋人ができたか?」

「いいや。つい2日前も合コンに失敗した。今年もクリスマスは独り身だなぁ」

 

 やれやれと言った様子で肩をすくめるM16。

 酒をくれというのはヤケ酒の意味だったか。

 しかし、いまだ恋人ができていないのか。あの人は仕事熱心なところと料理や掃除ができないのを隠しつつ、獲物を狙う肉食獣的な目を抑えれば恋人はできると思うのだが。

 恋人ができたとしても、維持できるかが非常に怪しいところだが。

 

「ヘリアントスさんにクリスマスプレゼントと言って酒の他に宝石の原石でも送るとしよう」

「それよりもお前さんが付き合えばいいのに。幼馴染だからお互いにいいところも悪いところも知っているんだろう?」

「以前付き合ったことはある。だが、俺との恋人関係は面白くないと言われて4日で終わったんだ」

「12歳の頃に恋人がいたと言ったときには嘘だと思っていたけど、お前がそうだったのか!」

 

 目を少し見開き、からかおうとしたのか口を開くもすぐに閉じてしまった。

 

「……なんで別れたかを聞いても?」

「単に俺が恋愛感情を持っていなかったというだけだ」

「幼馴染でも恋愛がうまくいかないとは。人間とは複雑なもんだ。単純に子作りしたいか、したくないかで恋人を作ればいいのにねぇ」

 

 その合理的というか、人形らしい思考にそういう考えもありだなと納得をする。人は恋愛感情があっても理性という意識が他のことを考え、この人と付き合ったらどういう損得があるかを考える。

 好きだけでいかない恋愛というのは実に面倒だ。

 椅子の背もたれに深く背中を預け、ため息をついては天井を見上げる。

 

「人の理性がもう少し減ってくれれば、今頃は人間の人口が減るということもなかったのにな」

「だが理性が弱まれば、俺は人形たちを性的な意味で襲ってしまっているぞ? 愛がない関係なんてのは嫌だろ」

「私は構わないけど?」

 

 唐突に驚く言葉を聞かされ、飛び起きるようにM16の顔をまじまじと見る。

 その表情はからかうわけでもなく、嘘を言うようには見えない。

 M16のなにげなく言った言葉に、少しだけドキドキしてしまう。それを深呼吸を一度して心を落ち着かせる。

 真実に聞こえたが、きっと嘘に違いないと思う。

 

「嘘はやめてくれ。いまだ独り身の俺には心臓に悪い」

 

 そう言った途端、M16は机へと片膝をついて上に上がると、片手を俺の首へと回して近寄せてくる。

 M16の淡いピンク色をした唇が俺の唇とくっつき、お互いに目を開いているためにM16の綺麗な顔がすぐ目の前まで迫っている。

 こんな距離に近づいたのは初めてで、近くで見るほど美人だなと思う。

 そう現実逃避している間にもM16からのキスは続き、窒息して倒れる寸前にまで離れてくれずキスは続いた。

 M16が俺から顔を離すも、以前としてすぐ目の前から離れてくれない。俺は酸素を求めて荒い呼吸をしつづけ、呼吸をすること以外は何も考えられない。

 

「どうだった、私のファーストキスは」

 

 楽しげに笑みを浮かべ、俺が呼吸で苦しんでいるというのに涼しい顔をしている。

 なにがファーストキスだ。こっちだって初めてだったんだぞ。なのにムードも何もなくキスとは。1発殴ってやらんと気がすまん。

 

「苦しいだけで気持ちよくは――――」

「もう1度だ」

 

 俺が不満を言い終えるより早く、キスをしてくる。

 それはさっきと違い、口の中へと舌が入り込んでくるキスだ。

 人間とは違う人形であるM16の舌は俺の唾液を求めるように口の中いっぱいに舌を動かしてくる。

 人形の口の中は、唾液や高い温度はなく吐息もない。

 だからか、その情熱さを感じるキスは俺が持っているものを全部奪うかのように感じた。

 気持ちのいい不快感。その感覚がある。

 舌同士でキスを続けるほどに俺の唾液量が増え、くちゅくちゅといった音が静かな事務室に響く。

 

 さっきと同じように呼吸が苦しくなって離れようとするも、M16に押さえられて離れることができない。

 だから俺はM16が求めるままに濃密なキスを続けるしかない。

 それが1分か、または5分か。

 とても長く感じたキスはM16が顔を離すことで終わった。

 その時には俺の唾液でお互いの口に糸ができ、切れる。

 少し離れて見えたM16の表情は初めてみたもので、頬が少し赤くなり、人間で言うなら発情したと言えるような。

 

「今度は気持ちよかったかい?」

「ああ、気持ちよかった。よかったが、俺に恋愛感情を持っていたのか、お前は」

「いいや? セックスしてもいいという私の気持ちを嘘だというからキスで証明したんだ。やっても人と違って子供ができるわけでもないし、セックスなんてのは暇つぶしをするにはいいだろう?」

「お前がよくても俺が嫌だ。それをする関係になってみろ。人形に対してそういう気持ちを持ってしまったら、愛しくて戦場に出せなくなる。それに俺はお前との今の親友関係が好きなんだ」

「この関係は私も好きだ。私とやるかは別にして、人間は愛する人がいて幸せなんだろう? 人は幸せを求める生き物だとヘリアントスさんが言っていたよ」

「幸せは求めるが、その幸せは人それぞれだ」

 

 そう言ったあと、口元の唾液を腕でふいてから深呼吸を2度し、心を落ち着けたあとにM16の三つ編みになった髪へ向けてゆっくりと手を伸ばしていく。M16は俺の手がどこへ行くかを見ながらも止めることはしてこなかったため、髪をさわることに成功した。

 この黒髪は美しいが、手に取ると単純にその言葉だけでは言い表すことができない。

 黒の色は、夜の闇のように深く純粋な黒色を持っている。太陽の光に当てると鮮やかに光を反射し、きらきらと輝くのはまるで宝石のようだ。

 

「私の髪はどうだ?」

「実にいい」

「それはなによりだ。よし、酒をもらう対価としてもっとさわっていいぞ」

 

 M16は机から降りて1歩後ろへと下がり、俺の手が髪から離れていくと三つ編みにしていた髪をほどいていく。

 滅多に見ることがないロングヘア姿だ。

 今まで三つ編みにしていたため、結っていた髪の癖があってウェーブがかっているが、いつもの男っぽい雰囲気がなくなって美女にしか見えなくなってしまう。

 いや、それが悪いことではないが新鮮すぎて美女だなんていう感覚がある。

 ロングヘアになったM16は俺の表情を見て満足そうな笑みを浮かべると、背中を向けて1歩近づいてくる。

 すぐ目の前にやってきた髪に、俺は壊れ物を扱うかのように慎重にさわっていく。

 髪の先端から始まり、手の届くところまで。

 それを時間を忘れてさわっていく。

 今、この時がとても幸せな時間だと感じながら。



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戦術人形の髪をながめたい

 M16と会った日の2日後、ぱらぱらと雪が降ってきた朝の9時ちょうどにUMP45は人形たち3体を連れてやってきた。M16から聞かされた話では404小隊という名前の部隊だ。

 が、特殊部隊ゆえに部隊名を明かせない代わりに『G&K社戦術人形第4広報小隊』という部隊名でやってきた。

 司令室でM14を副官として会ったときは、今まで陽気で明るいUMP45がとても静かに真面目だったときは驚き、いかにも仕事ができる女みたいだと感心した。

 

 そう思ったのもその時だけで、時間があれば俺に会いに来ては抱き着き、耳元で愛を語り、控えめな胸を押し付けてきたりする。

 そんな恋愛アピールと共に「私たちのことは内緒にしてね」と耳を甘噛みされながらお願いされた。そのお願いだけは強く守ることを決めた。わざわざ隠されたのを暴いて自分から自殺する趣味でもないから。

 でも、この身体的接触は言いつけてやる。マカロフやM14、セントレーシーがそばにいればUMP45なんて怖くないからな!

 親しい人形に助けを求めた結果、危ない時には人形たちが俺とUMP45の間に入って人形同士で険悪な空気になるものの、とても助かっている。

 でも俺に構ってばかりでなく、UMP45率いる小隊は連日どこかへと行っては帰ってくる。

 

 そのせいかはわからないが、仲の良い警官から犯人が見つからない殺人事件が複数起きたという愚痴の電話やパトロールの人形たちからは鉄血製ロボットの残骸が出て不気味だと相談を受けた。

 きっとそれらはUMP45たちがやったんだよなぁと確信しつつも、知らない振りをして必要なときには俺が問題の処理をした。

 そんな忙しい12日を送り、あっというまに12月24日のクリスマスイブの日になるが、だからといって、特別なことをやるわけでもない。

 今だって朝飯を食べてから、すぐに休憩室でテレビを鑑賞するほどだ。

 ソファに座り、開いた足の間にはマカロフが座って俺の胸へともたれ掛かり、M14は拳ふたつぶんの距離を取って隣に座っている。

 休憩室にいる9体の人形たちもそれぞれ椅子やソファに座り、または立ってテレビを見ている。

 

 テレビの内容はクリスマスに関する特集だ。

 そういう番組をぼぅっと見つつ、女性らしい香りで満ちている部屋はなんだか自分がいてはいけない空間だと感じてしまう。

 以前は人形たちには匂いがなかった。でも髪の香りや体臭を気にするようになり、段々と多くの人形たちが匂いを気にするようになった。まるで人間がいるような気がして。

 そして今は匂いを付けた多くの人形たちと部屋で一緒になるのは初めてだ。

 そのうち指揮官は男臭いから嫌です、と言われたら人形不信になって指揮官という仕事を辞めてしまいそうだ。

 そう思うとため息が出て、自然とマカロフのお腹に手を回し、少しだけ力を入れて抱きしめてしまう。

 

「どうしたの、指揮官?」

「これからも人形たちとうまくやっていけるかが不安になってな」

 

 頭を動かし、不思議そうに俺を見上げてくるマカロフ。

 そのいつもと同じの声を聞くとなんだか安心し、小さく笑みが浮かんでくる。

 マカロフは赤い瞳でじっと5秒ほど見つめてテレビへと向くが、すぐにまた俺を見てくる。

 

「ね、明日は忙しくなる予定が入ってる?」

「いや、特には。いつも通りの日だな」

「それじゃあ、明日のクリスマスは何かやらない? お父さんもたまには楽しまなきゃ!」

 

 時々俺のことを"お父さん"とマカロフは呼ぶが、そういう時は大抵の場合、俺を心配するか甘えるときだ。今だって、きっと俺がストレスを溜めて疲れていると考えたんだろう。

 この時期はどうしたって忙しくなるから疲れる。

 だから、こういう心遣いはすごく嬉しい。俺自身のためというより、マカロフが提案してくれた明日のクリスマスは何かやってもいいかもしれない。

 それもこのビルにいる人と42体いる人形の全員で。そうなると仕事はどうするかという問題だが、そこは警察に貸りを作ればなんとかなる。

 ひとまず電話をして聞いてみるか、と思って考え事をやめると、テレビの音がいつのかにか消えていた。

 あたりを見回すと、マカロフとM14を含めて11体の人形たちの視線が俺へと集まり、声もなく驚いてしまう。ちょっとしたホラー要素を感じたほどに。

 

 静かなプレッシャーを感じつつ、制服のポケットから携帯電話を取り出して警察へ。用件は急だけど会えないかというアポイメントを取ろうとしたのだが、受付から署長へと回されて、むしろ向こうから会おうと予定を押し付けてくる。

 いったい何を考えているかとも考えつつ、次に電話するのは市庁舎だ。

 そこも同じようにすぐ市長と会う予定ができた。できてしまった。

 続けてこういうことがあると、これは俺の普段のおこないのおかげだろうと納得する。いつも電話やメールだけで終わらせてしまうから、直接話したいのだろう。

 ……電話をするだけの短い時間で、いかに自分が人と会おうとしないかを自覚し、反省する。

 そのことはひとまず置いて、今は俺を見つめてくる人形たちに言わないといけない。

 

「明日はクリスマスパーティをしようか」

 

 そういうと人形たちはそれぞれ目を合わせたあとに喜びの声をあげ、中には両腕を天井へ振り上げて喜ぶ子も。

 そんな喜ぶ姿を見て、時々は息抜きでイベントをやったほうがいいなと気づく。

 彼女たちの体は機械だが、メンタルモデルは人間に近い。

 いつもは大切に扱う道具のように状態が悪くないか、不自由していないか程度の意識しかなかった。また、何か足りないものがないかとの会話もあまりすることはない。

 

 つまりはコミュニケーションが足りていないということだ。

 人形について資料では知りながらも実際の彼女たちは多種多様だ。指揮官という職になってから、まだ日が浅いことを痛感してしまう。

 でも気づいたからこそ変えていく必要がある。人は話をすることでお互いをわかりあえるように、人形たちとも同じぐらいに。

 

 反省をしたあとは、また電話をかける。今度は俺の部下となっている人たちにだ。

 整備士や事務員の人に電話をかけていき、明日のパーティをするために、貴重品倉庫に眠っている貴金属や骨董品を売って現金化して来いという命令を。

 その命令に続けて言うのは人形たちを連れていくようにと。理由は人形たちが人とのやりとりを見て多くの学習をさせる。

 実際には人形たちの好きなことをさせたいというだけなのだが。

 電話を終えたあと、喜び終わった人形たちがまた俺を見ていた。でもそれはさきほどとは違い、楽しそうな笑みを浮かべて。

 そんなわかりやすく、とてもかわいい彼女たちへ向けて俺は苦笑いを浮かべながら言う。

 

「突然の仕事ですまないが、予定がなければ整備士や事務員の人と一緒に店で物を売ってきてくれないか? 明日のパーティのために現金を作らないとな」

 

 言い終えた途端、隣にいたM14が俺をちらりと見てから我先にと部屋から勢いよくダッシュで出て行き、それに他の人形たちが続いていく。

 マカロフをのぞいて。

 マカロフは俺を見上げ、不安そうな表情をしていた。

 それは父親を心配する子供だった。きっと罪悪感があるんだろう。私のせいで大変なことになったって。でも俺はそれが嬉しい。こうやって心配されることが。

 もちろん、人形たちが喜んでくれることもだ。

 俺は心配無用とばかりにマカロフのかぶっている帽子ごと頭をぐりぐりと撫でると、マカロフの体を押し上げて立たせる。

 

「みんなと行ってくるといい」

「でも、これから仕事でしょ? 手伝うわ」

「今回のは人と会うだけだから大丈夫だ。護衛は手の空いている奴にでも頼むさ。だから、一緒に行ってくるといい」

 

 マカロフは不安そうに俺を見ながら出口を歩いていき、部屋を出るときに立ち止まって俺を見つめてくる。

 

「高く売りつけてくるわ」

「店の人と仲悪くならない程度にな」

 

 俺は笑顔を向けてマカロフを見送るが、マカロフは部屋を出ようとして、廊下側のほうにある何かに驚いたらしく一瞬だけ立ち止まる。ちょっとして俺と廊下の何かを何度か見たあとに扉を閉めて姿が見えなくなった。

 静かになった部屋で俺はソファへと深く背中を預け天井を見上げる。

 マカロフにはああ言ったものの、これからの交渉は面倒だ。急にお願いをするのに、どれくらいの借りを作るのかと思うとため息が少し出てしまう。

 

 だが、それも人形たちの喜ぶ姿のためだ。今回は事前に気づけなかったが、次からは今日のように楽しめる何かをやればいいと気づけたんだから良しとしよう。

 雪が積もっている外に出ていくのは面倒だな、と思っているとドアが開く音がし、誰かが入ってきた。

 誰かを確認する気力はまだなく、放っておいていると誰かが隣へと座ってきた。

 髪の匂いからM14だと気づく。

 

「指揮官は優しいんですね」

「何を言っているんだ。俺の仕事はお前たち人形が頑張ってくれないといけないんだ。これくらいはどうってことない」

「はい、知っています」

 

 くすくすと温かみがある声で優しく笑われると、なんだか恥ずかしく思う。

 ただ俺は普段から殺し合いをしている人形、彼女たちに楽しい時間を過ごしてもらいたいだけだ。

 これは仕事上必要なことで、喜ぶ顔が見たかったなんてことは少ししかない。

 

「俺はこれから仕事だが、お前はどうする?」

「指揮官のそばにいてもいいです?」

「好きにしてくれ」

 

 俺の命令に従ったふりをして戻ってくるM14の反抗的な態度に大きなため息をつき、けれども命令でもないのに俺を気にしてくれるM14は将来いい女になりそうだなんて感想を持つ。

 そして部屋を出て仕事を始めた俺は偉い人たちに会っていき、急な明日の予定変更のお願いを聞き入れてもらった。

 代わりとして市長からは3日ほど護衛を人形にして欲しい。警察からは人形たちとの合同訓練や一般市民とのイベントに出てくれとのことだった。

 この街を支配下に置いているグリフィン社と仲がいいというのをアピールしたいことはわかるが、ただ美少女たちとふれあいたいと思うのは俺の心が汚れているからだろう。

 

 

 

 夜遅くまで仕事の話し合いや雑談と戦況の確認、スケジュールの調整をし終えて、すぐに携帯電話で明日はビルの警備以外全員休みだと伝えてから自室があるビルに帰ってきた頃にはすっかりとくたびれていた。

 午前1時ともなると眠気が強くなってきて、歩くのもふらふらで途中M14に体を支えてもらいながら自室へと戻ることができた。

 戻ってからの記憶はあまりなく、意識がはっきりとしたときは翌日だった。

 カーテン越しに窓から入る光は明るく、ベッドに入ったまま腕を伸ばしてカーテンを開ける。

 よく晴れた青い空。まぶしい光に目を細めながら冷たい空気を感じつつ起き上がると、ぼんやりとした脳で寝間着に着替えていることに気づく。

 壁にかけてある時計は午前9時ということを教えてくれる。

 昨日は自室にどうやって帰ってきて着替えをしたかは覚えていない。けれど部屋に強く残るM14の香りが、その謎を教えてくれた。

 洗面台で顔を冷たい水ですっきりしたあとは寝間着から新しい下着とグリフィンの赤い制服に着替えて部屋を出る。

 すると、扉を開けた正面にはG36ことセントレーシーが両手をメイド服の前に重ねながら前にまっすぐに立ち、目を開けて待っていた。ここ3週間はこうして待ってくれているが、いまだに慣れない。

 

「おはよう、セントレーシー。遅くなってすまない」

「おはようございます、ご主人さま。今日は急ぎの用事がないため、遅く起きても大丈夫です。現在、パーティ準備は順調に進んでいます。それとM16さんが休憩室にて指揮官を待っています」

「M16が?」

「はい。用件はクリスマスプレゼントを渡しにきたとのことでした。朝食はいかがなさいますか?」

 

 メイドでありながら、自主的に秘書としても仕事をするようになったセントレーシー。

 始めた頃はそこまでやらなくていいと言ったものの『ご主人様に尽くすのが私の楽しみであり生きがいです。それをどうか奪わないでください』と頭を下げて言うものだから許してしまった。

 それからはこうやって毎朝仕事に関することを報告してくれる。

 しかし、M16がプレゼントとは。あいつがクリスマスに合わせてプレゼントを送ってきたことは今までになく、今回はヘリアントスさんか知人から頼まれて持ってきたのだろう。

 

「食事は食堂で……いや休憩室で取ろう。あいつなら文句は言わないからな」

 

 食事をしながら会話というのはしないが、場所を移動する時間節約のためなら理解してくれる。そもそも見た目どおりにずぼらというか、男っぽくガサツなあいつだ。逆に食べながら話をしろと言っても驚きはしない。

 セントレーシーがすぐに持っていくと言ったのを聞いてから俺は休憩室へと歩いていく。

 途中、人や人形が慌ただしくもパーティの準備を楽しそうにやっている姿を見ると、こういう企画をしてよかったと思う。これからも余裕があるときに、こういうのをやるのはいいかもな。

 みんなの行動に満足しつつ休憩室へと着いて部屋へと入る。

 暖かい部屋の中にはM16が一人だけいて、足元には四角いバッグが置いてある。M16はソファに座りながら楽しそうにテレビを見ていたが俺が入ってくるのに気付くとテレビを消して、こちらを見る。

 軽く片手を挙げて挨拶すると、M16も同じように挨拶をしてくれる。そのM16の隣へ座ると、以前来たときよりも豊かな匂い。体臭と髪の香りがいい具合に混ざり、前にも増して魅力的に見えてしまう。

 

「なんだ、こっちをじっと見て」

「いや、いい匂いだなと」

「私はお前好みの匂いになっているかい?」

「ああ、とても」

「それは安心した。親友のためにやったんだ。これで嫌がられたらショックを受けるとこだったよ」

 

 大きく安心したように息をついたM16は「よかったよかった」と言いながら笑みを浮かべている。

 近頃、俺の近くの人形たちは段々と人間に近づいてきて、時々人間の女性と何も変わらないじゃないかと思えてしまう。

 髪や匂いの次は化粧や私服に興味を持つのだろうか。

 指揮官というよりも個人として、人形たちがどういったふうになっていくかが楽しみだ。

 

「それで今日の用事は?」

「ほら、頼まれたクリスマスプレゼントを渡しに来たんだ」

 

 そう言って足元のカバンから出した書類を受け取った俺は、その内容を見ていく。

 その書類はグリフィン社の装備や資源を追加で受け取れる書類で、ヘリアントスという署名が入っている。

 この前のお酒をプレゼントしたお返しだろうか。しかし実用的な物を好むヘリアントスさんらしく、実に彼女らしいクリスマスプレゼントだと小さな笑みが浮かんできてしまう。

 昔から実用的というか、効率や費用対効果を気にして生きてきた彼女らしい。

 ヘリアントスさんは変わらないなと思っていると、ドアをノックする音と共にセントレーシーが両手にトレーを持って入ってくる。そのトレーの上にはサンドウィッチがふたつ乗っていた。

 

「ご主人様、お食事を持って参りました」

「ありがとう。今日は俺の好物か」

「はい、昨夜はお疲れかと思いましたので甘い物を作らせていただきました」

 

 セントレーシーから受け取ったそのサンドウィッチはフルーツサンドウィッチだ。パンの耳を切り落とし、2枚のパンの間に生クリームと缶詰のフルーツが入っている。

 ひとつを受け取ると、喜んで口に入れる。口の中身はほどよい甘さは、朝に最適だ。

 うまさを感じつつ、ソファ越しに後ろに立っているセントレーシーに対して右手を軽くあげて感謝を示していると、隣にいたM16は変なものを見たと声をあげて嫌がる顔をしている。

 パンをケーキみたくするのはパンをバカにしていないか、と言われたこともあるし、単にまずそうだと強く思われたこともある。

 

「M16はこういうのを食べたことがあるか?」

「そういうのはケーキだけで―――おっと、そうはさせないよ?」

 

 一口食べてみれば感想はわかるだろうと、喋っているあいだに俺はM16の口へと突っ込もうとするも力強く手を掴まれて止められた。

 俺が力を入れて押し込もうとするも、どうしても人形の力が強いために食べさせることはできなかった。

 結局1人で食べることになり、朝食が終わったあとはM16を今日のパーティに誘い、ついでに手伝ってこいと部屋から送り出した。

 パーティだと知って乗り気で行ったM16を送りだしたあとは、俺とセントレーシーだけになった部屋。

 静かになった部屋で、俺は昨日に話し合ったお願いは順調かの確認と、感謝の言葉を言うために携帯電話を取って連絡を始めた。

 それが終わったあとは、俺のそばにいたがるセントレーシーをマカロフへと預けて各所を見てまわる。

 人と人形が一緒に食事を作る食堂、ホールで飾り付けを楽しんでいる人形たち。

 それにせっかくだからと人がいなくなった場所を見回って、ここで多くの人が働いていることを改めて実感したと共に俺がしっかりしてこそ皆がいい仕事ができるのだということを確認した。

 

 

 

 夕方の6時になると、準備は終わってホールはパーティ会場へと変わっていた。

 2階すべてがホールとなっているから、中々に広く感じる。

 ライトで明るくなっているホールには、ところどころにクリスマスリースが壁にかけられている。他にも壁にはモミや雪の結晶の形をしているのが飾られているし、たくさんの星型のシールも張られている。

 壁以外では大人の身長ぐらいのクリスマスツリーがひとつ。あとは多くのテーブルとイスだ。

 テーブルには色とりどりのクリスマスらしいフライドチキンやポテトにピザ、あとは寿司までもが。それと料理が置かれてあるテーブルとは別に、ホールの隅っこのテーブルには酒がたくさん置かれている。

 人と人形たちが一緒に働いている光景を見ると、人と人形が同じ場所で同じ仕事をしているのを見るのは感慨深い。普段から市民団体の抗議や訴えを聞いているから余計に。

 ホールをぶらぶら歩いていると、近寄ってきたマカロフにもうすぐ始まると言われ、手を引っ張って連れて行かれたのはマイクスタンドがある場所だ。

 そこで俺は突然開会のあいさつを振られて悩むも、簡単にみんなへの感謝の言葉を言うだけにしてパーティは始まった。

 和気あいあいとみんながパーティを楽しむなか、俺は今日パーティを作ってくれた人や人形たちに感謝の言葉を言ったあとは壁際でひとり静かにワイングラスを持って立っていた。

 仲良く話している光景を眺めるだけでも中々に楽しいし、昨日から喋り続けたせいか、楽しく話をする精神力が足りていない。

 

 そうやって、ぼぅっとしているとUMP45がひとり無表情で俺のほうに早足で近づいてくる。

 何か怒らせることをしたかと考え、あまりUMP45に構っていなかったせいかと気づき、少しの恐怖を覚える。

 だが、ここは多くの人や人形がいる場所だ。以前のようにナイフで襲い掛かってくるはずはない。……ないと信じたい。

 UMP45は俺の前へと近づいてきても勢いは止まらず、俺は気迫に押されるようにして後ろへ下がってしまい、背中が壁にぶつかる。

 俺に密着するほど近づいてきたUMP45は俺の胸へ鼻を近づけたあと、物凄く嫌そうな顔をしてから俺のワイングラスを持つ右手を片手で強く握ってくる。

 痛みを感じて振り払おうとするもできず、その状態のまま俺の左手を掴み、他の人に見えないような位置に持ってくると勢いよく指を噛んできた。

 

「ぐっ……!」

 

 痛みで表情が歪み、とっさに声を抑えるも漏れ出てしまう。

 UMP45の歯が人差し指に当たり、その歯が皮膚を破って血を出してくる。血が出ると、それを舐めたあとにUMP45は掴んでいた手と指を舐めていた口を離し、懐から出したバンソウコウを丁寧に巻いてくれた。

 そして俺の血が付いた口を袖でふくと、にこりとかわいらしい笑みを浮かべてくる。

 

「こんばんは。クリスマスパーティは楽しめていますか?」

「お前が来るまでは楽しかった」

 

 UMP45の行動に怒りを覚え、荒い声で返事をするも気にする様子はない。

 

「そんなこと言わず、私に構ってくださいよ。知らないあいだにいろんな女の匂いを付けちゃって。だから今みたいに私の物だっていう印をつけちゃいますよ?」

「話すだけならいいが、お前は俺を押し倒し、ナイフを突きつけて血を出し、今は噛んできた。そういう奴と一緒にいたくはないな」

「話をするだけだと私を忘れるでしょ? 人は痛みや恐怖を感じた時に強い記憶となるって聞いたから」

「嫌いになるぞ」

「でも、こんなことをしても嫌いにならないから好き。私を許してくれる、あなたが大好きよ」

 

 そう言って俺の体に腕を回すと「うにゃぁ」と甘える声を出しては顔を胸へとうずめてくる。

 かわいい姿を見ると嫌いにはなりきれない。それに俺好みの綺麗な顔をしているということもあった。

 本部にいた頃は血を出してくることは滅多になかったが、俺が指揮官となってから増えてきた。普段会えないから、俺への愛情が強くなっているのはわかるが。

 これ以上過激になる前になんとかしたい。……今度、ヘリアントスさんに会ったときに相談しないとな。

 ため息をつくと共に、手に持っていたグラスを傾けてワインを一気に飲み干す。

 

 UMP45に抱き着かれたままホールを見渡すと、20m先で俺たちを見つめてくる3体の人形に気づく。

 こちらを見て、にんまりとした笑顔を浮かべる茶髪ツインテール。ひどく冷めた目で見てくる青髪ロングヘア。眠そうな雰囲気を出している銀髪のぼさぼさロングヘア。

 その3体はUMP45が連れてきた小隊の一員だ。こっちに来てくれ、と右手でハンドサインを出そうとしたらUMP45に手をすばやく抑えられた。

 そうして動けないでいると、3体はそれぞれテーブルに行って料理を食べ始めていく。

 しばらくの間、時間にすると3分か5分ほど抱きしめられたままでいると、満足した笑みを浮かべるUMP45が胸から顔を離してくれた。

 

 

「ね、一緒に夜空を見に行こうよ」

「お前とふたりきりは嫌だ」

「人数増やすから。それならいいでしょう?」

「……ここの屋上でなら」

 

 俺を逃がすつもりがないUMP45に妥協するとUMP45は後ろの方を向いた。

 わずかの時間のあと、さっき俺を見ていた3体がこっちを見たて、1体は嬉しそうに笑みを浮かべた。あとの2体はめんどくさそうな表情で。

 その3体はホールの端に置いてある使ってない椅子を全部で5つ持ってホールの外へと出ていった。

 言葉もなく動いたのは、人形同士で通信できるツェナーネットワークを使って指示をしたのだろう。

 

「私たちも行こっか?」

「このままだと俺は寒い。部屋でコートを着たいんだが」

「あ、そっか。ごめんね、あなたのことを大切に思っているけど、そんなことにも気づけなくて……」

「なに、次から気をつければいいだけだ」

 

 俺から体を2歩ほど離れたUMP45は目をそらして落ち込むが、そんな彼女を見て俺は雑に頭を撫でてなんでもないことのように言う。

 いつも強気で自信たっぷりな姿ばかり見るから、こういう弱気になるのを見ると、つい優しくしたくなる。

 ……UMP45と接するとき、俺の中で嫌いと好きという感情が手のひらを返すようにくるくると変わってしまう。こういうのをなんと言うんだったか。魔性の女ではないだろうし。

 いったい何と表現すればいいか考えてしまっていると、左手からワイングラスがなくなっていてUMP45が近くのテーブルへと置いてきた。そして右腕はUMP45に抱きかかえられてホールの外へと歩いていく。

 行き先は俺の自室だ。UMP45は入りたがっていたが、そこは強く止める。

 1度部屋の中に入るのを許すと、今後自由に入ってくるに違いないから。最もUMP45がやる気になれば、電子鍵でもアナログな鍵でもすぐに開錠されるだろうが。

 

 コートと手袋を身に着け、暖かい恰好になった俺はUMP45と一緒にビルの屋上へと行く。

 屋上に行くと、空には雲ひとつなく、満月に近い欠けた月がやわらかな月明かりで照らしてくれていた。

 月で照らされている屋上は積もっていた雪が片付けられており、ライトが付けられて足元が明るくなっている。そよ風が吹き、冷たい風を刺すように痛い。

 そんな屋上には、ホールにいた全人形と人数分の椅子が置かれていた。

 

 …………なんでこうなっているんだろうか。

 こんな大勢で行く予定だったかと不思議に思い、腕に抱き着いているUMP45を見ると彼女は物凄く不満な表情だ。

 これを見るに、誰かが来ようといったか俺たちの動きに釣られて来たのだろう。

 人形たちはそれぞれ集まって話をしているが、その中のひとつのグループからマカロフが俺たちに気づいて向かってくるとUMP45は俺から離れて怒り顔で足早に屋上の端にいる404小隊のところへと行った。

 あとでちょっとだけ優しくしようと考えたあと、俺の前へとやってきたマカロフに軽く手をあげて挨拶をする。

 

「いい夜空だな」

「ええ、とても月が綺麗ね」

 

 マカロフに言われて空を見上げて月を見ると、その綺麗さは心を落ち着かせてくる。

 空を見上げることは生活しているうえでそうはなく、夜空を意味もなく見上げるなんてことは特にだ。

 こうして美しい月を見るのは、心が浄化されそうな気にもなる。

 月を見続けていると、袖を引かれてマカロフの顔を見る。

 それは俺が相手をしなかったためか、ちょっとだけ不満そうに。

 

「すまない。月があまりにも綺麗で」

「それなら許すけど、この指はどうしたの?」

 

 袖を引いていたマカロフの手は俺が怪我した部分のバンソウコウの上をとても優しく撫でてくれる。

 その傷を見て、何かに気づいたのか手の動きを止め、殺気が出ていそうなほどの怒った顔を向けてきた。

 

「誰にやられたの」

 

 低音で小さな、けれど耳へはっきりと届いた声。マカロフの赤い瞳は、今すぐにでもそいつを殺してこようという雰囲気すら感じる。

 ここで正直にUMP45にやられたと言えばマカロフはすぐに銃で撃つか、ダミーを連れてきてから銃撃戦でもしそうだ。

 俺の返事で、この穏やかな屋上の雰囲気が変わり、それどころか404小隊と撃ち合う可能性があるために全身に冷や汗と緊張感が一気にやってくる。

 なんとか嘘を、いや嘘を言ったところでばれる。よく一緒にいるようになってから、マカロフは俺のことについて詳しくなってしまった。

 

「あー……猫に噛まれたんだ」

「猫? このビルに? ホールに来た時は傷がなかったじゃない」

 

 とても気まぐれでUMP45は猫みたいだから例えでそう言ったが、寂しがりやだからウサギのほうがよかったかもしれない。マカロフなら犬だ。それもハスキーみたいな強い犬だ。

 頭の中で動物は癒されるよな、と現実逃避したくなるが、今はそれどころじゃない。

 俺を見上げるマカロフが段々と戦闘モードに近づいている気がする。放っておくと武装したダミーを連れて、人形を一体ずつ尋問しそうだ。いや、する。

 だからごまかせ。平穏のためになんとしてでもごまかせ!

 こういうときはどうすればいい。俺には正しい対処がわからない。

 わからない場合は、誰かを参考にして問題の解決を目指す。

 こういうとき参考にするならM16だ。男前でいつも自分に自信のあるあいつなら、こういう場面はどう対処する……?

 

「ねぇ、お父さんを傷付けたのは誰? どの人形? 人でも構わないわ。今の私なら―――」

 

 物騒なことを言い始めたマカロフの体へ両腕を回して、力いっぱいにぎゅうっと抱きしめた。

 そうしたうえで耳元に口を近づける。

 

「そんなことよりも俺はマカロフと一緒にいたいんだ。せっかくのクリスマスなんだから、嫌なことは忘れて過ごそうじゃないか」

「え、でも、でも私はお父さんの敵を……」

「大丈夫だ、マカロフ。ここに敵はいないし、いたとしても悪い奴なら俺が殺しているさ。この傷は友情を確かめるちょっとしたじゃれあいなんだ。賢いマカロフならわかるだろう?」

 

 マカロフが段々と静かになっていき、これでとどめだとばかりにマカロフの髪をかきあげ、おでこへと軽くふれるだけのキスをする。

 キスをしたあとは抱きしめていた腕から力を抜いて離れると、マカロフはぽーっとした赤い表情でうるんだ目で俺を見上げてくる。

 

「椅子に座って一緒に空を見ようじゃないか」

「……うん」

 

 歩き始めた俺の後ろをマカロフはおとなしくついてくる。

 ……助かった。我ながら恥ずかしく、キスをしたときなんか心臓がばくばくと鼓動がうるさかった。だが、その苦労もあって落ち着いたマカロフは普段よりもかわいいマカロフになってくれた。

 M16を参考にしておいてなんだが、あいつはこういうことをやって何がしたいんだ。本部にいた時は人間、人形を構わずくどいていた。男も女も。

 恋愛をしたいというよりも相手の反応を見て楽しんでいたのかと思う。今度M16の友達に聞いてみよう。本人に聞いたなら、どういう悪ふざけがくるかわかったもんじゃない。

 ふたつある椅子の片方に座り、もうひとつはマカロフが嬉しそうに座って一緒に夜空の月を見る。

 それでも俺は気になってM16のことを考え続ける。あの人たらしのことを。単に暇つぶしかもしれない。

 その時に唇同士でした苦しくも情熱的なキスの感触を思い出し、恥ずかしくなりながら口元を手で押さえる。

 

「お父さん、大丈夫?」

「ああ、人付き合いで驚いたことを思い出してしまっただけだ」

 

 マカロフが俺の体にふれ、気遣ってくれる。俺はその手をさわり、安心させる声を出したあと、月を見上げる。

 M16のことは忘れ、今は月を心静かにしよう。

 そう思った途端、屋上の明かりが全部消されてざわめきが。だが、それは停電ではなく意図的に消したと人形たちの声が聞こえた。

 暗闇に目が慣れていくにつれ、夜空には月以外にも月の明かりで見えづらかった星が見えるようになってくる。

 8階建てビルの屋上、そこは周囲の音もあまり聞こえず、とても静かな夜空を楽しめる。

 しばらくのあいだ、人形たちは静かに月を見ていたが、俺から少し離れて空を見ていたグループのひとりが歌い始めた。

 

「Freude, schöner Götterfunken,Tochter aus Elysium Wir betreten feuertrunken. Himmlische, dein Heiligtum」

(喜びよ! 美しき神々の火花と楽園からの乙女。私たちはその炎に酔いしれて足を踏み入れる。 天のあなたの聖域へ)

 

 その透き通る歌声の主はセントレーシーだ。

 まわりにいる人形の話声を聞くと、お願いされて歌い始めたみたいだ。

 その曲はCDで何度か聞いたことのあるベートヴェンの…………なんだったか。

 

「あれはなんという曲だったか」

「ベートーヴェンの交響曲第9番、第4楽章ね」

「マカロフは知っているのか?」

 

 音楽に興味を持っていたことに知らず、小さな驚きと共に隣にいるマカロフを見る。

 マカロフは俺の知らないことを知っていたのが嬉しいらしく、どこか自慢げだ。

 

「あれはね、昨日売りにいった店で聞いたのよ。そのお店で音楽がかかっていて、日本人の店主が言うには日本人の間では第九と呼ばれて親しまれている曲をセントレーシーがとても気に入ったらしいわ」

 

 セントレーシーは俺と深く関わるようになるまでは音楽なんて何の興味も示していなかった。

 でも近頃は俺のために子守歌を勉強するようになったから興味を持ち始めたのかもしれない。

 それにしてもベートーヴェンか。クラシックはよくわからないが、音楽が好きだというのなら休憩室にプレーヤーとCDを何か買うのもいいかもしれない。

 俺は遠くからセントレーシーを見ていると、彼女はまわりの人形たちからすごいと言われ褒められまくっている。

 褒められ、照れている姿は新鮮で暖かく見守っていると、どうやら一緒に歌おうと言っているみたいだ。

 

「あ、私にも来たわ」

「何がだ?」

「さっき言っていた音楽のデータよ。セントレーシーが人形たちにツェナーネットワークで送っているわ」

 

 その音楽データを受け取った人形たちのほとんどがセントレーシーのまわりへと集まり、座っているセントレーシーを中心に人形たちの輪ができあがっている。

 人形たちが自主的に歌を歌おうとするのは初めてみた。

 俺が知っている人形たちは知っていること、できることしかしない。だというのに、知らないことを知って積極的にやろうとする姿は新鮮だ。

 そう感心していると、隣にいるマカロフが俺とセントレーシーを見比べてそわそわしている。

 

「歌ってきていいぞ」

「でも、お父さんをひとりにしておけないわ」

「人形たちが多くいるここなら安全だ。それと、ちょっとくらいならマカロフがいなくても寂しさを我慢できるさ。それにこんな機会はそうあるものじゃない。みんなと歌ってくるといい」

 

 そう言うとマカロフはやっとのことで椅子から立ち上がり、小走りでセントレーシーのところへと言った。

 少しして聞こえてくる人形たちの歌声。

 その中にはマカロフの歌声も聞こえてくる。でもまだ練習をするらしく、何度か合わせるといった調整作業をしている。

 そんな微笑ましい光景を眺めていると、セントレーシーを中心とした輪の中にはいなかったM14がやってきて、さっきまでマカロフがいたところに座ってくる。

 

「お前は歌わなくていいのか?」

「あたしは歌うよりも見るほうがいいんです。指揮官は歌わないですか? 教えますよ?」

「いや、遠慮しておく。それよりも見ろ。あいつらが歌い始めるぞ」

 

 M14から視線を外し、セントレーシーを中心に人形たちが。そこにはマカロフやM16がいた。

 少し離れたところにはUMP45をはじめとした404小隊の人形たちも口ずさんでいるのが見える。

 屋上に響き渡る合唱。その歌声と月明かりで輝く彼女たちの髪をながめる。

 

「指揮官は今年1年どういう年でした?」

「今年か? 今年は……」

 

 指揮官になって5か月。とても忙しいともいえず、ほどほどに忙しかった。思っていたよりも市民団体や他指揮官と接しての疲労が非常に多かったのをよく覚えている。あとは市長や警察とも。

 でもM14のおかげで助かったともいえる。それは俺の癒しの元となる、人形たちの髪をさわるきっかけを得たから。

 

 それにM14と親友みたいな関係は心落ち着く。もし人間だったら昔からの幼馴染と言えるぐらいの気安さと仲の良さだと思う。

 この黒髪ツインテールと笑顔が素敵な彼女は。

 

「お前たちと出逢えてよかったよ」

「なんですか、それぇ。褒めても戦果しか出ませんよ?」

 

 くすくすと笑い、本気に取ってくれないM14。

 あぁ、本当に出会えてよかった。でもこの気持ちは言葉では伝えきれないかもしれない。

 感謝だけでなく、戦術人形たちが人形らしくなくなかったから。

 これがもう少し面白みもなく、真面目なだけだったら俺の精神は疲れ、UMP45に迫られた時には体を許し、今頃は結婚式でもあげてしまってそうだ。

 人形たちはとても興味深いものだ。

 俺はベートーヴェンの歌を歌い終わり、クリスマスソングを歌い始めて自由に生きている人形たちを見てそんなことを想う。

 

「人形は誰のでもなく、人形自身の人形である」

「誰の言葉です?」

「昔、小説でこんな感じの言葉を見た覚えがあってな。ふと思い出したんだ。こんなにも楽しそうにして、命令以外で自主的に動いている人形たちを見ていると」

 

 みんなで歌っている人形を見ると、とても仲良さそうで俺は見ているだけで幸せな気分になる。

 家族みたいな仲の良さで、暖かい光景を見ると嬉しくなる。

 

「指揮官があなただからこそ、今があるんです」

「俺はいい指揮官だろうか?」

「はい。それはこのM14が保証します」

 

 俺へと優しい、まるで子供を褒めるかのようなやわらかい笑みで俺を見てくれる。

 こんな暖かい気持ちになれる今を、人形たちの穏やかで楽しんでいる光景を来年も見たい。

 ここにいる全員がひとりも欠けず、みんなでいれるようにと。

 そんなことを、風で穏やかに揺れる人形たちの髪を見て思った。




最終話。


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