ナザリック、避けて挑まぬボウケンシャー (ペドリアン・アルシェスキー)
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プロローグ
プロローグ1 夜空に輝く星は墜ち、流星と共に絶望が舞い降りる


雲一つ、淀み一つない澄み切った夜空。

星々も月もその光を十全に地表へと届け、既に夜更けを越えているというのに出歩くには困らないほど明るい。

 

「お坊ちゃま。いくら夜空が好きだと言われましても、あまり長時間窓を開け放たれてはいけませんよ」

「えー、こんなにいい夜なんだよ。もう少しだけ夜空を見たいのに~」

 

そんな夜の中、バハルス帝国に生まれ落ちた人間種の幼き貴族であるエルシオン・アルク・リイル・アガルタは物心ついた時からの趣味である天体観測――いや、ただ夜空を見ることに夢中になっていた。

 

『ちょっと……せっかくレディが来ているのにずっと夜空に夢中なのって、紳士としてどうなのよ、それ!』

 

同い年の幼馴染である少女が遊びに来た時にもそうやって夜空に夢中になって怒られた時は嫌われたくないとばかりに平謝りしたが、何故か雲のない空気の澄んだ夜空はこんなにもエルシオンの心を捉えて離さない。

星々は瞬き、月と共にそれぞれの速度でゆっくりと動き続ける。

ただそれだけのことが少年の心を揺さぶる。

それは汚染され尽くし、穢れきった夜空を知ってのことか、誰にも知る由はない。

 

「エルシオンお坊ちゃま、いくら帝都から離れた田舎と申されましても不逞の輩は居ります。それに明日はお友達が遊びに来られるのではありませんでしたか?」

 

しかし、いくら田舎貴族の邸宅とはいえ、跡取りである一人息子が窓を開け放した状態で眠る事が許されるほどにはバハルス帝国の治安は、いや、この世界の治安は良くはない。

寝具を整えたメイドは、エルシオンに言い聞かせる為のとっておきを持ち出した。

 

「そうだった! 夜更かしして明日居眠りなんかしたら、またアルシェに怒られちゃうよ!」

 

幼馴染が怒った時のことを思い浮かべて、先ほどまでの様子を放り投げて床に就こうとするエルシオン。

彼にとって幼馴染であるアルシェの怒りを買うこと、そして嫌われることは何よりも避けたい事らしい。

夜空を見上げていた窓から振り返って、部屋の中へと視線を向けようとする。

そんなエルシオンの視界の端に流星が一つ流れ落ちるのが見えた。

 

「……え?」

 

そして流れ落ちきった瞬間、エルシオンの意識に知識が流れ込んできたのだ。

本来誰も知るはずのなかった未来の知識が。

 

 

 

――それは絶望の未来であった――

 

自分たちが住まうこの世界に異世界より来訪する、圧倒的な強さを持つ人を人とも思わぬ恐ろしき異形種たち。

 

 

「あ……」

 

 

――そして、異界のモノに蹂躙されていく世界――

 

王都は悪魔の襲撃を受け、多くの命が失われ、または人体実験の贄として拐かされる。

そして戦争の末に王国は滅び、黄金と謳われた美姫は悪魔へと変貌する。

 

聖王国も悪魔の襲撃を受け、表向きは存続こそすれど悪魔の謀略によって事実上破滅する。

 

帝国こそ悪魔の直接的な被害は受けてはいないが、徐々に侵され破滅へと進んでいく。

 

 

「あぁ……」

 

 

――そして何より、少年にとって大好きな人が――

 

 

「嘘だ……うそだ、うそだっ!」

 

 

――エルシオンが一番大好きな少女、アルシェが――

 

 

「そんなの嘘だーっ!!」

 

 

――アルシェ・イーブ・リイル・フルトが、異界のモノの根拠地にて殺される――

 

本人こそ苦痛なき死を与えられたが、頭も、腕も、皮膚も死後穢され続け、安らかな眠りすら与えられない。

 

そして、彼女の声すら異界のモノたちに奪われ続ける。

 

自身の知る世界が壊れ、アルシェが冒涜され続ける、そんな未来をエルシオンは見た。

 

 

 

「どうされたのです、お坊ちゃま! エルシオンお坊ちゃま!!」

「あ、あああmvろhbf43;hいpchybり;うえぱcvhsーっ!!!!」

 

そしてそのような残酷な未来は、貴族とは言えただの幼き少年でしかないエルシオンが到底耐えられるようなものではなかった。

 

エルシオンは未来に絶望し、そして発狂した。

それで、世界は何一つ変わることなく未来を迎える――筈であった。



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プロローグ2 決意、そして幼年期の終わり

「え? エルシオン、昨晩から寝込んでいるんですか?」

 

翌日、今まで何回もそうしたように、馬車に乗ってアガルタ家を訪れたアルシェ・イーブ・リイル・フルトは訪れた理由である幼馴染が臥せっていることを聞いた。

 

「ええ、昨晩いつものように夜空を見ていたのですが、突然錯乱してそれからずっと臥せっているのです、食事もとらず一睡もされていないようなのですが……」

「もー、私が来るって分ってる筈なのにー」

 

それならもっと早く聞きたかった、予定を変更する事も出来たから、と不満を漏らすアルシェ。

 

「すいません、アルシェさま」

「いいわ。どうせいつもの天体観測に羽目を外して疲れちゃっただけに違いないもの、そんなの私がお見舞いしたら直ぐに治っちゃうわ」

 

そういいながら、アルシェはエルシオンの私室に入る。

見ると部屋は大きく乱れた様子はない。

エルシオンの姿は見えないが、ベッドの中央が大きく盛り上がっているところを見れば分かる。

エルシオンはベッドの中で丸まってでもいるのだろう。

 

「エルシオン! 私が来たわよ!!」

 

声をかけるアルシェだったが、エルシオンが反応する様子はない。

解読不能な言葉を呟きながら、エルシオンは動こうとしない。

 

「もう、起きているのなら布団に潜り込んでないでよ! 私と遊ぶ約束だったでしょう?」

 

そう言うと、アルシェはエルシオンが潜り込んだベッドから布団を奪い取る。

一瞬、正気を取り戻すエルシオンの視界にアルシェの姿が映る。

 

「……あるしぇ?」

 

そこには昨晩流星が見せたのとは違う、バラバラにされていない彼女がいた。

 

「アルシェ?」

 

殺されていない彼女、殺されていないアルシェ。

流星の記憶で見た未来の年頃のものではなく、自分のよく知るアルシェ。

貴族の地位を奪われた未来において、俯きがちになった時とは異なる――よく怒り、よく笑う自分の大好きなアルシェ。

 

「アルシェ……」

「そうよ。風邪をひいてないのなら、約束した通りに来たんだから遊びましょうよ」

 

不機嫌そうな表情を隠そうともしない彼女は、当然未来に起こることを知らない。

 

「アルシェ!!」

「ちょっと、エルシオン? いきなりどうしたの?」

 

生きている、彼女はまだ生きている。

その感情のままエルシオンは身分も立ち振る舞いも忘れ、目の前のアルシェに抱き着いた。

 

「アルシェ! アルシェぇ……」

「ちょっと、エルシオン? いきなり抱き着かないでよ!」

 

その体温が、彼が見た未来の記憶がまだ現実でないことを教えてくれる。

鼻をくすぐる香水の香りが、彼女が貴族でいることを教えてくれる。

抱きしめる彼女の身体は、未来で殺された時のように痩せぎすと言われるほど痩身でもない。

 

「や、くすぐったいったら!」

「うぁ、アルシェー!」

 

もし、貴族であるままに過ごしていたのであれば、未来にて生まれたアルシェの双子の妹のように、いや、妹たち以上にアルシェは美しく育っていくに違いない。

 

「――っ!」

 

と、そこまで考えて彼は気づいた。

自分の知った未来においても、アルシェは異界のモノの傘下に入る可能性があったと。

未来が確定したものであるといえるものではなかったことに。

 

「エルシオン?」

 

ならば、どうして自分たちの未来が確定したものなのだと言えるのだろうか。

例えばアルシェがワーカーとなった時に傍に自分がワーカーとしている事も出来た筈だし、ワーカーとならないように保護することだって出来た筈だ。

何よりアルシェたちが貴族のままでいられるように出来た可能性もあるはずなのだ。

ならば――

 

「――エルシオンったら!」

「あいた!」

 

アルシェを抱きしめたまま未来のことを考え始めたエルシオン。

本能的に今の自分が見られていないと感じた幼いアルシェは、不機嫌さも露わにエルシオンの脳天に拳を振り下ろした。

 

反射的にアルシェの胸元に抱き着いていたエルシオンが布団に崩れ落ちる形でアルシェから離れる。

エルシオンが改めて視線をアルシェに向けると来ていた服が多少崩れていた、そしてアルシェの頬は紅潮している。

でも、それはエルシオンに抱き着かれた恥ずかしさの為と言うより、エルシオンへの怒りが勝っているように見えた。

 

とりあえずエルシオンが未来のために何よりも先にやるべきことは、むくれている目の前の少女の機嫌を取ることらしい。

 

 

 

エルシオンが正気を取り戻してから、アルシェに謝り続けることしばし。

ようやく機嫌を直したアルシェだったが、今日は既にだいぶ日が傾いていた。

いつものようにアガルタ邸で夕食を取り、数日を過ごしてから帰るつもりのアルシェだったが、エルシオンは急に臥せって調子を取り戻したばかりである。

流石にそれは宜しくないだろうと判断したフルト家のメイドの忠告を聞き入れ、次の約束を決めた上で帰っていった。

 

自室で一人、寝間着から平服に着替えなおすエルシオン。

だが、その思考は未来のことがその過半を占めていた。

 

けれども、彼には何一つとして力がない。

騎士たちのように、武人コキュートスのように力強く剣を取り扱うことはできない。

帝国が誇るフール―ダ、いや未来のアルシェのようにさえ魔法を使うこともできない。

皇帝や黄金姫のような智謀も政治力もない。

 

あるとするならば、自分の夜空の星好きが高じて学んだ僅かな天体学と占星術。

そしてお人好しな父が敷いた善政と、父に似て領民に慕われやすかった自分の性格程度。

 

とてもではないが、自身の力こそが必要となる未来の絶望に対して何も抗することはできない。

 

「これじゃ何もできない……何も守れない」

 

いかに自分が浅く生きてきたかを思い知らされる。

自分の幼さは、もう情けにも慰めにもならない。

正確な期間こそ分からないが、これからアルシェが殺されるまで残された期間は20、いや15年を超えることはないだろう。

 

「何かないの! なんでもいいから!」

 

そう思いエルシオンは部屋の書物を全てひっくり返すが、そこには父の跡を継いで立派な領主になるために学びかけていた学問書などしかない。

治水、税、領内の治安の向上など、彼はまじめに学んでいたのだろう。

分かりやすく帳面に学問書の内容を記述しなおしていたところを見ると、学問の才は悪くはないのだろうが、それが魔法の才能につながるとは限らない。

勿論、剣の才能にも。

 

「ダメなんだ、これから必要なのは守るための、守り抜くための力なんだ!」

 

そんなエルシオンの意思に答えるかのように、彼の視界の端に見慣れた部屋の光景とは異なる文字が浮かび上がる。

 

「これは……」

 

それはこの世界には本来存在しない、異なる世界で英語、そして日本語と呼ばれた文字。

視界に重なる形で浮かび上がったその文字は、こう書かれていた。

 

『CUSTOM……あなたのキャラメイクを行うことができます』――と。

 

そして、何故かエルシオンはその文字を読み取ることが出来た。

震える手で指をその文字に差し伸ばし、そこに意識を合わせると視界に浮かび上がった文字は表示を変えていく。

 

 

エルシオン・アルク・リイル・アガルタ レベル0

クラス

(Ⅰ)なし*5

(Ⅱ)なし*5

(Ⅲ)ゾディアック、なし*5

(Ⅳ)なし*5

(Ⅴ)シャーマン 二つ名【天譴を下す巫子】*2、なし*3

(Ⅹ)なし*5

※ 多くのクラスが未設定です。クラスを設定してください。

※ 全てのSPが未使用です。冒険に赴く前にSPを使用しスキルを取得してください。

残SP 310

 

 

そこに書かれた天譴を下す巫子と言うフレーズで、エルシオンは知る筈のない知識が思い浮かんでくる。

 

「これって、世界樹の迷宮の……」

 

知らない筈の言葉を我知らず一人呟くエルシオン。

これこそが彼等の希望となるのであった。



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プロローグ3 キャラメイク-レベル0 其は武技『幻影剣』

エルシオン・アルク・リイル・アガルタ レベル0

クラス

(Ⅰ)なし*5

(Ⅱ)なし*5

(Ⅲ)ゾディアック、なし*5

(Ⅳ)なし*5

(Ⅴ)シャーマン 二つ名【天譴を下す巫子】*2、なし*3

(Ⅹ)なし*5

※ 多くのクラスが未設定です。クラスを設定してください。

※ 全てのSPが未使用です。冒険に赴く前にSPを使用しスキルを取得してください。

残SP 310

 

エルシオンは、『CUSTOM』に意識を合わせることで浮かび上がった自身のステータスを表す表示に再度意識をやる。

大半がクラスなしとなっているのは分かる。

自分はまだ幼いし、そもそも冒険者として必要な知識のほとんどを取得していない。

だから、クラス設定自体がされていないのだろう。

 

けれども、だとすると既に取得されているクラスはなんなのだろうか。

そう思ってエルシオンは(Ⅲ)に記載されたクラス-ゾディアックに意識を集中する。

 

「これって……」

 

 

ゾディアック(変更不可)

 スキル 星体観測1(変更不可)

 

 

そうすると、ゾディアック-占星術師としての最低レベルの基本的な知識、すなわち天文学などの知識が自身の意識の根底に入り込んで展開されてくることを感じた。

そして、スキルとして設定されている星体観測1。

恐らくは、自分の星々への、天文への強い興味が自分のベースとなるクラスとしてゾディアックを選ばせたのだろう。

だが、疑問が一つ解消したエルシオンの顔は浮かないままだ。

 

「ゾディアックって、確か後衛から魔法で戦闘する職だったよね」

 

それは、あまり良くないことだ。

自分の得た記憶のまま未来が推移するのであれば、アルシェが未来の進路として選ぶのは魔術職の筈。

あの記憶において自分はアルシェの傍にいなかった。

自分が居る事で未来がどのように推移するかはわからないが、もしワーカーとなった時に後衛職二人と言うのはパーティとしてバランスがあまり良くはない。

 

『私は大きくなったら帝国魔法学院に行って魔術師になるつもりだけど、エルシオンはどうするの?』

『僕は夜空が好きだから、帝国魔法学院に行ったら天文学をメインに学ぶつもりだよ』

『しょうがないわね、ならエルシオンが危なくなったら私が魔法で守ってあげるわ』

 

以前にアルシェとそんな話をしていたことが思い出される。

自分のしようとすることはその言葉に反することだが、アルシェを守ることを誰かに任せる事なんてできない。

微かな罪悪感を振り払って確認作業を続ける。

 

「シャーマンも、確か後衛職だった筈」

 

今度はエルシオンは(Ⅴ)に記載されたクラス-シャーマン 二つ名【天譴を下す巫子】に意識を集中する。

 

 

シャーマン(変更不可) 二つ名【天譴を下す巫子】(変更不可)

 スキル 前世の記憶10(変更不可)

 

 

ゾディアックの時と同じ様に、エルシオンの中へとシャーマンとしての最低レベルの基本的な知識が流れ込んでくる。

スキルとして設定されている前世の記憶は、シャーマンの両方ともに取得済みである。

いや、恐らくはこのスキルを取得するがためにこのクラスが選ばれたのだろう。

これで自信が取得しているスキルは判明した、すべて後方支援系のスキルであった。

 

「戦闘用のスキルは一つもないのかー」

 

けれども、その点についてエルシオンが嘆く必要はない。

自身には未使用の膨大なスキルポイント-SPが設定されているからだ。

 

「どのクラスと、どのスキルを選ぶべきなんだろう?」

 

顎に手を当ててしばし、考え込むエルシオン。

けれども、答えはそこまで考えなくても出ていた。

自分がなりたいもの、それは一つしかありえなかった。

 

「僕がなりたいもの、僕が選ぶべきクラス……それは『ヒーロー』」

 

自分は全世界を救う英雄になるとか、大仰な事ができる人間だなんて思ってはいない。

ただ一人の未来を変えられればそれで良い。

 

「アルシェの、アルシェの為のヒーローに僕はなりたいんだ!」

 

それだけでいいのだ。

そう言いながら、エルシオンは自身のなしと表示されているクラスの一つに『ヒーロー』を設定した。

それだけで自身に力が漲ってくる、剣や盾の基本的な扱い方も理解できるようになった。

また、『フォースゲージ』と呼ばれる自身の特殊な力を解放すること発動する『ブレイブハート』と言う自身の力を上昇させる能力が、『ミラクルエッジ』と呼ばれる剣を用いて敵全体を攻撃するいわば必殺技もまた身についた。

 

「すごい、こんなに力が……」

 

慌てて自分の詳細なパラメータに目をやるエルシオン。

そこには先程までの完全な後衛向きだったエルシオンのパラメータはない。

前衛から後衛まで何処でも担当できるよう、全てが高い水準でそろえられたパラメータがあった。

どうやら、自分のパラメータは設定できるクラスから良いとこ取りをしたものが反映されるらしい。

庭に置かれた大人用の長剣を手に取って軽く振ってみるが、昔に好奇心にまかせて振った時のように剣に身体が持っていかれてバランスを崩すようなことはない。

それなりに様になった剣の振り方として剣を振り切ることができた。

 

「ヨシ!」

「ヨシじゃないですよ、エルシオン様! 幼い身で剣を振られたりしては危ないです」

 

考え込んだり、いきなりヒーローになりたいと大声で言ったことで門番をしていた衛兵の注目を浴びてしまっいたらしい。

衛兵がエルシオンの持った剣を取り上げた。

 

「ちょっと待って、今いい感じに剣を振り切ることができたんだ。まだ試したいことがあるんだから!」

「ダメです。少なくとも刃のついた剣を振るのは、剣術ごっこには危険すぎます」

「ごっこじゃないもん!」

 

そう言って衛兵から剣を取り返そうとするエルシオンだったが、身長が違いすぎる。

ぴょんぴょんと小刻みにジャンプをして剣を取り返そうとする様は愛らしい少年のものであったが、渡して万が一エルシオンが怪我でもしたら、衛兵である自分はクビになる。

とてもではないが、承服できるものではなかった。

 

「剣術ごっこをしたいのでしたら、木剣か刃の落とした練習用の剣を使ってください」

「……分かった。刃を落とした剣とか、木剣は何処?」

 

内心納得できてないエルシオンであったが、ここで更に駄々をこねても剣を取り返すことはできなさそうだ。

諦めて木剣か刃の落とした剣を振るうことにした。

 

「少々お待ちください、取ってきますから」

 

衛兵が詰所から自身の練習用の木剣を取ってエルシオンに渡す。

 

「あと、剣を振るのでしたら自分たちの目の届く範囲で行ってくださいね」

 

 

 

時間はかかってしまったが、剣の修練という名目でスキルの実践をする準備はできた。

エルシオンは自身のスキルツリーを開き、何を習得するか考える。

 

「『ヒーロー』のクラスとしての最大特徴、それはスキル『残影』による自身の残像を出すことで攻撃手数などの増加……」

 

ならば、迷う必要はない筈。

エルシオンはスキル『残影』に最大値となる10SPを注ぎ込んだ。

これは肉体的/精神的消耗と引き換えに発動する魔法のようなアクティブスキルではなく、常時発動するタイプのパッシブスキルであるから問題はない筈。

続いて、残影の習得により取得ができるようになったスキル『ミラージュソード』に1SPを用いる。

これでエルシオンは『ミラージュソード』を使用できるようなった筈である。

 

「よし……」

 

『ミラージュソード』

それは敵一体に遠隔から届く斬属性の残像の刃を放つスキルである。

威力は魔法のように位階などによって定まるものではない、あくまで本体の能力・攻撃力に比例した斬撃となる。

 

「行くぞ! 『ミラージュソード』!!」

 

叫びながら、エルシオンは知識にある型通りに剣を振りぬいた。

剣が空を切ると同時に残像の刃が剣から放たれ、遠くにある剣用の標的を切り裂く。

エルシオンが振るったのは木剣だったが、その切れ味は実剣と比較しても劣ることはない。

 

「な!?」

 

エルシオンの剣術ごっこを暇つぶしに見ようと思っていた衛兵から驚きの声が上がる。

だが、彼らの驚きはそれでは終わらなかった。

 

『行くぞ! 『ミラージュソード』!!』

 

スキル『残影』によりミラージュソードを使用したエルシオンの残像が生じ、再度ミラージュソードを発動したのだ。

残像が生み出した刃は、切り裂かれた標的ではなく隣にあった剣用の標的を切り裂く。

 

「これは武技なのか?」

「こんな幼い子が武技を……」

「エルシオン!? 武技を習得したのか?」

 

残像が役目を終えたとばかりに消えていく中、屋敷からその様子を見ていた父親のアルバートが飛び出て来る。

エルシオンは一瞬、どう説明するか迷うが、やがて覚悟を決めた瞳で言い放った。

 

「……うん。ボクの武技『幻影剣(ミラージュソード)』と、その残像だよ」

 

 

 

それから一月と経たない内に、アガルタ領内には領主の息子の噂が広まっていった。

 

『天文かぶれの領主の長子は、実は剣の天才だった』

『剣では届かないはずの間合いから武技で斬撃を飛ばし、標的を切り裂いた』

 

無論、エルシオンが武技を習得したと知った(と勘違いした)父親であるアルバートが、事あるごとに話の種として用いたからである。

その話はフルト家にまで伝わり、アルシェに知られた結果――

 

「エルシオンが剣? あのウソつき! 天文学をメインに学ぶって言ってたじゃない!」

 

と怒らせて、アガルタ家に再度走らせるようになったのは言うまでもない。



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プロローグ終 たとえ未来が分かれても

エルシオンがクラスとスキルを習得し始めてから、一月の時間が経とうとしていた。

その間、エルシオンはクラス習得時に身に着けた基礎的な動き方より更に盾や剣を自在に扱うための『盾マスタリー』や『剣マスタリー』や『剣士の心得』、自らの腕力などの基礎能力を跳ね上げるための『STR(腕力)/VIT(体力)/AGI(素早さ)/TEC(技術)/LUC(幸運)/ATC(攻撃力)ブースト』を習得していた。

最初こそ、効果を確認しながらのゆっくりと時間をかけた上げ方だったが、今では必要と判断したものについては迷うことなくSPを注ぎ込んでいる。

ちなみに腕力をブーストしても、エルシオンは筋骨隆々とした男になったりはしていない。

見た目は愛らしい少年のまま、その力のみが変化している。

 

「エルシオン様、日に日に剣の冴えが増しておりますね、これはもうすぐ我々衛兵では勝てなくなりそうですな」

 

けれども、エルシオンは実戦経験をまだ一切積んでいない。

ゆえにエルシオンのレベルはまだ0のままである。

 

「ありがとう、でもボクはまだまだだよ。ボクはもっと強くなりたいんだ。誰より……誰よりも強く」

 

基礎能力のブーストや技術のマスタリーにより、一般兵とは言えども今の彼より遥か上のレベルの衛兵に対して有利に立ち回ることができているが、生命力や精神力の根本的な少なさが災いして長期戦では不利となるだろう。

そして、さらに上位に存在する冒険者や神人、そして自分が抗わねばならないNPCやプレイヤーたちと比べれば足元にたどり着くことすらできていない。

 

それを早急に埋めるための方法はただ一つ、実戦の数だ。

 

大小を問わず数多くの命を奪い、その命の輝きを以て自らをより強くするしかない。

だが、地方の領主とはいえただ一人の幼き跡取り息子が、そう簡単に戦いの場に立てるようなことがあるだろうか?

勿論それはあり得ない。

 

「エルシオンは武王よりも強くなりたいのか? だがエルシオン、我ら貴族に必要な事は領民に正しく優しく接し、導くこと。それが一番大事なのだと忘れてはいかんぞ」

「……はい、お父さん」

 

今はそうかもしれない。

けれど、あと20年を超えずしてその状況は変わってしまうのだと、力こそが全てを司る世界になってしまうのだとエルシオンは叫びたい。

だが、今幼い自分がそんなことを言ったところで待っているのは狂人扱いだ。

幽閉され外界とのやり取りを停止されたらアルシェと会えなくなる、アルシェの死に干渉できなくなる。

それでは意味がないのだ。

二律背反に悩まされながら、エルシオンは僅かに唇を噛みつつ父の言葉に頷く。

 

(ふむ、エルシオンは納得してはいないようだな……何らかの形で実戦経験をさせねばいかんか。とは言え、長男を積極的に戦いの場に出すような貴族の知り合いは居ないから、騎士に伝手を求めるしかないかのう)

 

けれども実戦に出たがっている、そんなエルシオンは親にはお見通しである。

無論、一度実戦を経験すれば怖気づいてくれるだろうという親なりの思惑もあるが、子供の要望をかなえるためにどう動いたものか考えようとしていた。

 

「アガルタ候、助勢をお願いします! 我がフルト家の馬車が夜盗達に襲わているのです! このままではお嬢様が!!」

 

候邸に駆け込んできた家宰の叫び声が聞こえるまでは。

 

 

 

「えぇと……流石に早まったかしら」

 

エルシオンの噂を聞いて、怒りで馬車でアガルタ候邸に向かっていたアルシェ。

だが、夕暮れが辺りを覆い始めた時になって、アガルタ候邸に着く頃には流石に夜半を過ぎてしまっているだろうことに気が付いた。

寝ているエルシオンを相手に怒ってみても全く意味はないではないか。

 

それに、街道とはいえまだ帝国の治安は完全ではないことを思い出した。

アガルタ候邸までの道程は半分を過ぎてはいるが、まだ半ば。

このまま候邸に向かうべきか、引き返すべきかアルシェは考え始める。

 

「アルシェお嬢様、引き返しませんか? 幼いとはいえ淑女たるものが、連絡もなしに友人の家に押しかけるのは褒められたものではありませんぞ」

 

家宰に窘められ、アルシェは頷いた。

 

「貴方の言うとおりね、ごめんなさい」

「分かりました、ではそのように」

 

家宰は馬車を出て指示を出そうとする。

そして、気が付いた。

辺りの往来が街道としては非常に静かであることに。

 

「これは……いかん! 急ぐのだ!!」

 

気づかぬ内に夜盗の襲う条件を揃えてしまったと気が付いた家宰だったが、時はすでに遅かった。

夜盗の放つ矢が常に雇っていた護衛の一人を射抜いた。

 

 

それからどれほどの時が流れただろう。

 

アルシェは徐々に迫ってくる夜盗達の声を聴き馬車の中で恐怖に身を震わせていた。

夜盗は、以前からこの道を用いてアガルタ候邸を行き来しているフルト家の馬車を標的としていたらしい。

一人娘である自分の身柄を抑えて、両親に身代金を要求するつもりなのだろうか。

 

でも、本当にそれだけで済むのだろうか。

 

自身はまだ貴族たる幼き身ゆえに、男女の交わりについて詳しく教えられてはいない。

けれども、同い年の貴族であるエルシオンと仲良くしていることを両親に咎められず、むしろ良きことと見做されていることから考えればなんとはなしにもその意図は伝わる。

 

そして、この襲撃で親の意図も、アガルタ家の未来も、自身の想いも全てが壊れることも。

 

「どうしよう……」

 

どうすれば、この状況を打破できるのだろうか。

考えても答えは思い浮かばない。

護衛として常に雇っていた冒険者は全員戦闘不能になったらしく、戦いの音は聞こえない。

以前、エルシオンに魔術学園に通い魔術師になるとは言った。

けれども、今の自分は位階魔法など何も使えないただの無力な貴族の娘でしかなくて、

 

「お止めください! ここにはフルト家の幼い娘しかおりません!!」

 

連れてきたメイドの制止の声も夜盗には届かない。

 

「そうか、ならその分あんたが楽しませてくれよ」

 

夜盗が言い終わると同時に、絹を引き裂くような音と、メイドの叫び声が上がる。

次は自分になるのだろうかと身を震わせるアルシェ。

 

やがて、遠くから戦いの音が再び聞こえ始めるが、戦力の全てを援軍に振り向けた夜盗の方が一枚上手のようだ。

戦いの音はやがて遠ざかっていく。

そんな中、アルシェにとって一番傍にいてほしい少年の声が大きく響き渡る。

 

 

夜盗達の会話はアルシェを救出しようとしたアガルタ候やエルシオンにも聞こえていた。

彼らはアルシェが乗っている馬車に分かった上で襲撃を仕掛けたのだ。

アルシェを攫おうとしている、アルシェを弄ぼうとしている。

それでエルシオンの怒りは頂点に達した。

少年は後先を考えることを全て捨て、怒りのまま猛き戦いの歌を唄う。

 

「『フォースブレイク』!」

 

天に掲げた剣にエルシオンは自らのすべての力を注ぎ込む。

これは必殺技、一度解き放てば再使用までに多大な時間を要する言わば禁じ手。

だが、ここで使わなくていつ使うというのだ。

情報が漏れることを恐れることで、彼女が傷つくくらいなら――

 

「『ミラクルエッジ』!!」

 

叫び声と共に、エルシオンは剣を振り下ろす。

 

それは、世界樹の迷宮において敵全体を攻撃するスキルの中でも最強の一つ。

エルシオンの叫びに呼応し、無限と言っても過言ではない数の残像がエルシオンの身体から生み出される。

 

「なんだ、これは!?」

 

そしてその一つ一つが、命を、意識を持ったかのように個々に行動し始める。

夜盗達がエルシオンの残像を攻撃しようとするが、無限に生み出される残像は一人や二人、否、十や百とて消えたところで、その総数が減りはしない。

いや、むしろその一撃によって空いた隙を狙って別の残像が切りつける。

 

「ぐあっ、ちょっと待――ぎゃっ!」

「やめ――ぎぇーっ!!」

 

そして全ての残像によって連携された攻撃によって、アルシェ・イーブ・リイル・フルトを襲おうとした夜盗たちは、アガルタ候の引き連れた数少ない衛兵を圧倒していた夜盗たちを含め全員、一人残らず膾のように切り刻まれた。

 

夜盗達全員の息の根が止まったことを確認して、エルシオンの残像が消えていく。

剣を振り下ろしたエルシオンのみを残して。

 

「エルシオン、お前……」

 

息子の成し遂げた非常識な光景を見て呆然とするアガルタ候である父親。

そんな父親に苦笑するエルシオン。

 

「父さん……もう一度言うよ。ボクはもっと強くなりたいんだ、誰より……誰よりも強く、父さんやみんなを、何よりもアルシェを守るために」

「エルシオン……」

夜盗達が全滅したとわかり、アルシェが恐る恐る馬車から外に出てくる。

アルシェが無事で、無傷であることが分かり、満面の笑みを浮かべるエルシオン。

 

「ボクは学問を学ぶことも、領主であることも要らない……今みたいにアルシェが無事であれば、それだけでいいんだ」

 

自分の未来は、彼女が生きられるならば捧げると、全て捧げると決めたのだから。



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第1章 帝都での日々
第1章 1話 父親として


フルト候の馬車が、アルシェ・イーブ・リイル・フルトが襲撃された時に息子であるエルシオンの切り札、『ミラクルエッジ』を目の当たりにしたアガルタ候アルバートは数日悩んだ末、とある晩にエルシオンを改めて書斎に呼んでいた。

 

「父さん、何の用でしょうか?」

 

言われるまま、キョトンとした表情で椅子に腰かけるエルシオン。

それは年齢通りの愛らしい少年の仕草であったが、アルバートは忘れていなかった。

この子は、この齢にして今アルバートが召し抱えているどの衛兵よりも強いのだ、と。

 

「分かっているのだろう、エルシオン。お前の将来についてだよ」

 

だから、アルバートは父親としてエルシオンの道を改めて定めなければならなかった。

幸い、エルシオンは幼馴染のアルシェ・イーブ・リイル・フルトに過度に懐いているとはいえ良き性格の少年として育った。

残念なことに魔法の素養はないようだが、帝国魔法学院は魔法だけのための学校ではない。

他の貴族たちと同様に進学して貴族の朋友を作り、アルバートと同じく優秀な領主として育て上げることは今からでも十分に可能だろう。

 

「父さん! それは、ボクの実戦を許してくれるということなのですか!?」

「待ちなさい、エルシオン。お前の強さは分かったが、それでもやはりお前の年齢でむやみに実戦に出ることを許すわけにはいかないのだ」

 

他の貴族への建前もあるし、なにより万が一でも一生モノの傷が付いたらどうするのかね。

そう優しく問いかけるアルバートに、エルシオンは返す言葉を失い押し黙る。

けれども、その眼は不満をありありと浮かべていた。

 

(この子は物事をよく分かっている、強くなるために実戦が最も有効なのは確かだ)

 

それでも、出奔などの強硬な手段に訴えないのは、父親や衛兵を気遣ってのこと。

そしてなにより出奔し貴族としての地位を失えば、アルシェ・イーブ・リイル・フルトに会えなくなるからであろう。

 

「けれども、父さん。夜盗達との――」

「ああ、分かっている。有能な領主としてあるには、強さが皆無でいいとは言えない」

 

守るべき民を守るためには、時には力で物事を押し通すことも必要となるだろう。

アルバートはそれを政治力に求めてきた、だがエルシオンにとって力を得る最も早き道は剣の道なのだ。

ならば父親としてアルバートがするべきことは、エルシオンを小さかった時の己と同じように扱うことではない。

自身が成し遂げきれなかった政治の道にて大成させることでもない。

エルシオンの才能を最も伸ばす道に導くことなのだろう。

 

「なあ、エルシオン。来月から父さんはまた帝都アーウィンタールで暮らすことになるが、今度はエルシオンも候邸ではなく帝都で暮らすかね?」

「え……でも、そうしたら……ア――」

「実戦からさらに離れてしまうかもしれないと思ったかい? だが、帝都には衛兵以外だとほとんど実戦経験のない者しかいない候邸より、腕の立つ冒険者や騎士、剣闘士が大勢いる。剣の修業をするにはここよりもはるかに環境はいいぞ」

 

実戦ではなくアルシェと言いだしそうになった息子の様子に苦笑しながら、アルバートはエルシオンをゆっくり諭す。

 

「……そう、だね。ねぇ父さん、剣の修業をするために帝国四騎士と剣を交える事ってできるかな?」

「おいおい、陛下の四騎士と剣を交えるだって? それは流石に無理が過ぎるってものだよ。お前の剣名が鳴り響けば、あるいはできるかもしれないが、そうなれば陛下の騎士と――」

「?」

 

ならざるを得なくなる。

そう言いかけて、アルバートは言葉を慌てて飲み込む。

もし陛下の覚え宜しく騎士として大成するのであれば、それならそれでいいではないか。

貴族としての地位を捨てるわけではないのだ、将軍などの軍へと進む道もあるだろう。

 

そう考えながらアルバートは友人であり二人の仲をとりもったフルト夫妻へと、次に帝都に赴く際にはエルシオンを連れていく旨を伝える手紙の内容を吟味し始める。

 

 

 

そして、その手紙を受け取ったフルト夫妻は自領の邸宅にて娘であるアルシェを呼びつけるのであった。

 

「お父様、お母様、お呼びになりましたか?」

「ああ、アルシェ。アルバートのやつから手紙が来てな、次に帝都に行くときにはエルシオンを連れていくらしい。エルシオンの才能を伸ばすために剣の修練などをさせるそうだ」

「え……エルシオンは帝都に行ってしまうの!?」

 

幼馴染が離れて行ってしまう、そう思ったアルシェは思わず声を荒げる。

そんなアルシェの様子にフルト夫妻は苦笑しながら顔を見合わせた。

勿論、アルシェとエルシオンの二人の出会いや親交は、お互いの家の勢力を伸長させるためと考えた両家の企てによってなされたものである。

正式に婚約の取り交わしこそしていないが、フルト夫妻はエルシオンとアルシェを結婚させるつもりでいる。

 

「ダメよ、アルシェ。淑女たるものが声をそんなに荒げてはいけませんよ」

「そうだぞ、アルシェ。エルシオンの剣の才能は本物らしいし、あの愛らしい容貌だからな、これから今後女性が近づいてもきてもおかしくない」

「そんなのダメ! エルシオンは他の女の子と仲良くしたらダメなの!!」

 

幼い少女らしくワガママを口に出すアルシェ。

だが、それはフルト夫妻にとっても同じことであった。

夜盗から娘の政治的価値を守ってくれた親友の息子、夜盗を屠ったその才能が本物なら将来は更なる栄達を望めるものであろう。

そんな金の成るであろう若木を他のモノに掻っ攫われる訳にはいかないのだ。

 

「アルシェはそう思うのかしら? だけど、エルシオンがどの女の子を選ぶかはエルシオン次第ですよ」

 

今となっては両家の思惑を越えて二人は仲睦まじきものとなってしまった、恐らく今更他の者を宛がおうとしてもアルシェは納得はしないだろう。

 

「分かってる、そんなの分かってるもの。だけど、エルシオンが他の女の子と、わたしより仲良くするって考えただけで……悲しくて、胸の奥が痛くて……」

「そうか、アルシェはそんなにエルシオンのことが好きなんだな」

「え? いえ、だって……そのあの、ちが――」

 

両親に好きと聞かれて、反射的に恥じらいでアルシェは頬を紅潮させて反論しようとする。

でも、声が出ない。

 

「あらあら、エルシオンのこと嫌いだったのかしら?」

「それは違うもん!」

 

嫌いだなんて、間違っても言いたくない。

何故なら、アルシェ・イーブ・リイル・フルトの好きな男性は一人しかいないのだ。

 

「なら好きでいいのよね?」

「……うん、私は……が好き」

 

けれどもその名前を改めて口にしようとすると、アルシェは急に恥ずかしくなってきた。

今まで何回も読んできた名前であるのに、唇が、舌が急に重くなってうまく動かない。

 

「あら、聞こえなかったわ。アルシェは誰が好きなのかしら?」

「―っ!」

 

母親に更に問い詰められ、顔を真っ赤にして俯き押し黙るアルシェ。

 

「おいおい、アルシェをいじめすぎではないかね?」

「ダメですよ、あなた。これからアルシェはエルシオンに近づく悪い虫を処理しなければならないのですから」

 

そう。

幸い、現在エルシオンは娘であるアルシェに少なくない好意を抱いている。

ならば、アルシェにはアルシェ・イーブ・リイル・フルトとして、このままエルシオンと仲良く接し、エルシオンに近づく悪い虫たちを遠ざけ、正妻の座についてもらわなければフルト夫妻としては困るのだ。

 

「ですから。アルシェも来月からは帝都の公邸にて生活していただきます、いいですね?」

「!!……分かった」

 

エルシオンと離れずにまだ生活できる。

喜びに一瞬顔をほころばせる自身の様子に気づき隠そうとするアルシェであったが、その様子は向かい合ったフルト夫妻にはお見通しだった。

 

そして一月後、帝都アーウィンタールでの二人の生活が始まる。



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第1章 2話 夜明けの少年少女たち

ここ昨今、帝都アーウィンタールの朝には幼い少年の声がよく響き渡るようになった。

それは、帝都に引越しを行い新たな生活を始めたエルシオンの朝の身体鍛錬の声だ。

 

「よ、いしょ――っと」

 

軽やかな声を弾ませながら、自身の邸宅の庭で柔軟運動を行うエルシオン。

その衣服は貴族が常に身に纏うような荘厳なものではない。

無論、冒険者やワーカーが装備するような鎧などを身に着けているわけでもない。

シャツやタンクトップ、そして、半袖のスラックスなどの軽装をエルシオンは着ている。

仕立てられた衣服の生地の良さから、裕福な家の者であることは一目でわかるだろうが、流石に今の彼を見て貴族であると看破するものはそうそう居ないだろう。

 

「んっ、ん――っと」

 

身体の中心から手足、そして指先へと身体の歪みを押し出すように柔軟運動を行うエルシオン。

アガルタ邸の衛兵たちと行っていたときは教えられた衛兵流の柔軟運動を行っていたが、やはり科学的な裏付けのない運動にはどこか雑さが残る。

世界樹の迷宮の背景にある科学的な知識に従って再構築された柔軟運動は、螺旋運動などの多くの動きが取り入れられ、より効率的なものへとなっていた。

 

「おはようエルシオン、今日も鍛錬を行うの?」

「おはようアルシェ、柔軟運動を今やってたところ。アルシェもやるつもりなんでしょ?」

「そうね、朝から身体を動かすと調子がいいから。エルシオンがやってるのを教えて」

 

そうしているうちに、隣の邸宅に住むアルシェが直接アガルタ家とフルト家を行き来出来るように取り付けられた門を通り訪ねてきた。

最初からエルシオンの運動に混ざるつもりだったのだろう、アルシェの衣服もエルシオンのものと同じような軽装だ、半袖の衣服から伸びた白い手足は少年であるエルシオンには少し眩しい。

けれども、それを表に出さないようにしてエルシオンはアルシェと共に柔軟運動を続ける。

 

「どうしたの、エルシオン?」

「なんでもないよ」

 

アルシェの問いにいけしゃあしゃあと答えるが、時折覗くアルシェの胸元やうなじ、おへそ等に向けないように意識しても視線が向いてしまうのはご愛敬といったところ。

お互いの手を借りた柔軟運動を行うときにはその手の温かさに、すべすべしたアルシェの肌の感触に意識を取られるのはオトコノコとしてしょうがないことなのだろう。

 

「よし、柔軟運動おーわりっと。次は――」

「ランニングをするのよね? 私はエルシオンに付いていけないからここを走ってるわ」

 

流石に走るとなると、両者の身体能力の差が大きく響く。

以前エルシオンと一緒に走ろうとしてとてもではないが無理だと思い知ったアルシェは軽く汗を拭きとると、アガルタ邸の庭を走り始めた。

 

「分かった、30分くらいしたら戻ってくるから」

「いってらっしゃい、エルシオン」

 

エルシオンはアルシェの声に送られながらアガルタ邸の外へと出る。

アルシェはそのやり取りに夫婦のような感覚を覚えてくにゃっとなるが、それには気づかないエルシオン。

 

「ほっ、ほっ――もういいかな?」

 

両家の衛兵の目が届くところまでは身体能力をセーブしていたエルシオンだったが、その視線が途切れたことを確認すると、一気に駆け出す。

そして邸宅から遠く離れたアーウィンタールと外部を分かつ防壁付近まで近づき、その上へと駆け上がった。

 

「お、また来たなボウズ」

「おじさん、おはよー」

 

そこには当然外部から侵略者がないことを確認するための衛兵がいたが、数度顔を合わせて顔見知りの仲になったためか、お互い気安く声を掛け合う。

 

「今日も剣を使って鍛錬するんだろう? また剣を貸してやるよ、その代わり――」

「了解、これでいい?」

 

そう言ってエルシオンは懐から少しばかりの金子を取り出す。

そう、アーウィンタールに引越ししてからも木剣ばかりで、一向に実剣を渡す素振りを見せない周囲の人たちにやきもきしたエルシオンは、両家の息のかかっていない衛兵から剣を借りることを思いついたのだ。

 

「毎度あり、分かってるだろうが……」

「うん、おじさんの目の届く範囲内で剣を振ればいいんだよね?」

 

運がよかったのか、最初に声をかけた衛兵から剣を借りることに成功したエルシオン。

あんまり多くの人に知られるのは避けた方がいいかなと思い、以降はずっとこの衛兵から剣を借りている。

まずは借りた剣を正眼に構え、息を一度吸って、そして吐き出す。

感覚を剣の間合いへと集中させる。

 

「すぅ――やっ!」

 

エルシオンは裂帛の気合を込めて、高速の突きを繰り出す。

衛兵の目には、剣が一瞬消えたのではないかと思えるほどの高速の突き。

瞬きするかしないかの間に剣は突き終わっており、数歩離れた間合いが一瞬で詰まっていた。

 

「相変わらずすげえな、ボウズ。今の突きは何回突いたんだ?」

「4回、4段突きだよ」

「マジか、2回しか見えなかったぞ。すさまじいな、ボウズは」

 

衛兵の軽口にこたえながら、エルシオンは剣の基本的な型を次々と行っていく。

何故ならエルシオンには時間がないのだ。

両家の衛兵にも、アルシェにも自分はランニングをしているだけだと思わせているのだ。

その時間は30分。

邸宅から城壁まで行き来する時間も含めれば、エルシオンが実剣による鍛錬を行える時間は25分もない。

 

あの日、数十人の野党を屠った経験により自身のレベルは一気に5にまで上昇している。

そして更に各基礎能力値にSPによってボーナスを与えられた自身の今のステータスはレベルの差は逆転しレベル10~15程度の強さである一般的な騎士や衛兵を超越している。

SPを使い切った今なら、あるいは、現在の帝国四騎士にも届くかもしれない。

 

「せいっ!」

 

だが、それでは足りないのだ。

エルシオンはこの数か月の間にSPを振って習得した『弐の太刀』『払い二刀』によって扱えるようになった剣技――二刀流を扱うため、長剣を片手で握り、短剣を片手に持つ。

 

「おいおい、おとぎ話の勇者に憧れて二刀流か? やめておけボウズ。二刀よりも先ずは一刀を極めるべきだぞ」

「まあ、分かっているんだけど……そうも言ってられないんだ!」

 

世界樹の迷宮において剣スキルは基本的に剣を装備していないと使うことはできない。

短剣スキルは短剣を装備していないと使うことができない。

 

だから武器を2つ持つ二刀流は、それだけでも相手に2倍の択を迫れる。

どの武器を使うのか、どのスキルを使うのか迷わせることができる。

それは一瞬の判断が生死を分ける戦いにおいてメリットとなる、だからエルシオンはこの世界の常識を捨て二刀流に走ることを決めた。

異端となる二刀の戦士として戦う為、常日頃から二刀流の鍛錬を行うことに決めたのだ。

 

「やあっ、シッ――せいやっ!」

「ボウズ――」

 

一瞬のうちに剣による連斬を行い、更に剣の勢いを殺さぬよう――かつ姿勢を崩さぬように短剣による刺突を身体を翻して行うエルシオン。

『剣マスタリー』『短剣マスタリー』『弐の太刀』『払い二刀』は既に最大値までSPを振っている。

『剣士の心得』以上の境地には至っていないため、それは英雄の領域の剣技ではないが、英雄の領域に至らぬ身としては限界に近い剣技を振るう。

 

 

時間は瞬く間に過ぎていく。

アーウィンタールに刻限を告げる鐘の音が鳴り響いた。

 

「もう時間か……帰らないと。ありがとうおじさん」

 

そう言いながら、エルシオンは借り受けた剣についた掌の汗をタオルで拭うと、衛兵へと返す。

 

「気にするな、ボウズ。こっちもいいものを見せてもらったし、小金も稼げる。win-winってやつだ」

「おじさん、それ少し違うんじゃない? じゃあ、また数日後!」

 

衛兵はそれを気にした素振りもない、渡された剣を腰へと付け直す。

けれども、エルシオンはあまり軽口を叩く時間はないので、返事もそぞろに階段を駆け下りていった。

だからいつもの衛兵の姿形が魔法の効果時間切れにより薄れ、別人物のモノとなっていくことに気が付かなかった。

 

「こちらは『疾風』ウォレスです。衛兵から報告のあった剣を貸してほしいと頼んできた少年の確認は取れました、アガルタ家のご令息です。アガルタ家の長子が剣の天才というのは真実ですね、自分が見切れないほどの連続突きを放っていましたからね」

 

それは現在の帝国四騎士の一人、『疾風』のごとく速き剣撃を特徴とする騎士ウォレス。

エルシオンは帝国の最高峰の騎士が見切れないほどの刺突を披露してしまったのだ。

 

「――ええ、必要とあれば『疾風』ウォレスの名において次代の四騎士として推薦しても構いませんが……今は少々幼すぎますね。末恐ろしいことですが、彼は多分もっと伸びますよ」

 

 

 

 

 

「どう思う、フールーダ」

「ふむ、エルシオンという少年が剣の才能に溢れているということは分かりましたが、ウォレスにかけた隠形魔法に気づかなかった辺りを見ると魔法の才能はなさそうですな。であれば、どのように扱うかは任せますぞ、皇帝陛下」

「そうだな――よし、息子と……ジルクニフと引き会わせることにしようか、ジルの傍に仕える者がそろそろ必要だと思ったのだ、それが幼くして四騎士に匹敵するものだというのなら申し分ないだろう」



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第1章 3話 皇太子ジルクニフ

「幼い二刀の剣士?」

 

そう言って、ジルクニフは書類から目を上げると、ここ最近掌握した騎士団の帝国四騎士とフールーダから皇帝からの言伝を受けていた。

バハルス帝国の若き皇太子ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。

齢はまだ10を数えたばかりであるが、既に父親である皇帝にいくつもの政策提言を行っている。

恐らくは父親を超えたさらに優秀な皇帝となり、帝国を更なる繁栄の道へと誘うだろうと目されている程である。

 

「ええ、素晴らしい剣の才能を持っていた少年でした。どうです? 近衛につくものの候補として会われませんか?」

 

そんなジルクニフであるが、現在その近衛につく者は居ない。

掌握した騎士団から交代で護衛をつけさせているのだ。

 

「要らぬ要らぬ。剣の才能が素晴らしいと言っても、俺より幼いのだろう? それでは近衛騎士は務まらぬであろうし、そんな子供を囲っては男色に走ったと思われるではないか。俺は嫌だぞ、男色皇太子などと揶揄されるのは」

「才能だけではありませんぞ、ジル。『疾風』ウォレスが見切れなかったと、次代の四騎士に今すぐ推す程の逸材ですじゃ」

 

子供の面倒はごめんだ、そう言わんばかりの気だるげな雰囲気を纏っていたジルクニフだったが、剛健質実で鳴る四騎士の一人がそこまで入れ込むのであれば話は別だ。

兄弟に先んじられ取り込まれてしまえば、何か事が起きたときに障害となりかねない。

ジルクニフは即断して、自身の予定を思い出す。

 

「分かった、であれば会う予定を作ろう。30分~1時間程の予定を作るとして……そうだな、次週の木曜日はどうだ?」

「少々お待ちください、確認します。ええと、その日はフールーダ様の講義による魔術学習の時間となっておりますがよろしいでしょうか?」

 

念のために傍についている秘書官に自信の予定を訪ねる。

秘書官は帳面を開いて主君の来週の予定を確認した、学習時間であればむしろ自由時間。

そう考えて、フールーダへと視線を向けるジルクニフ。

 

「儂は構いませんぞ、ジル」

 

フールーダもジルクニフの意図を悟ったのかすぐに頷いた。

ならば善は急げだ。

 

「よし、アガルタ候に通達を出してくれ。次週、昨今剣腕で鳴らす長子を連れ帝城に向かうように、と」

 

 

 

勿論、その通達を受けたアガルタ邸では蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった事は言うまでもない。

 

「エルシオン、お前何をしたんだ!?」

「ボク何もしてないって! アーウィンタールで剣の修業に明け暮れていただけだよ!」

「うーむ、しかしジルクニフ殿下に召し出されるなど……まずい、まずいぞ、エルシオン。お前、皇太子殿下に会う時のマナーを、礼儀作法をきちんと覚えているか?」

「…………」

「特訓だ……エルシオン。流石に皇太子殿下に粗相をしてはならぬ、召し出されるまでの一週間での詰込みとなるが、礼儀作法の特訓をするぞ!!」

「えー! 剣の鍛錬は?」

「決まっているだろう、後回しだ! 次週にアガルタ家の命運が決まるかもしれぬのだ、流石に後回しだ!!」

「そんなー!」

 

そんなやり取りがあったとかなかったとか。

 

 

 

そして一週間後、エルシオンは父親と共に皇太子ジルクニフの面前に召し出されていた。

 

「アガルタ候でございます。皇太子殿下、此度は我が子をお呼びいただきありがとうございます、いかなる趣にてお呼びに――」

「世辞はよい、アガルタ候。今回の召出しであるが、帝都にて剣の鍛錬を行うアガルタ候子を四騎士が見て才能に溢れた者と評した故にな、我が目にも留めたいと思っただけのことよ」

「……そう、でしたか。エルシオン」

 

アガルタ候はエルシオンが召し出された理由に納得し、悪いことではないのかと安心する。

 

「あ、ひゃい! アガルタ候の長子エルシオンです!!」

 

だが、皇太子と初めて会うエルシオンは理由が分かってもガチガチに固くなっている。

未来の知識にて、目の前の皇太子が「鮮血帝」と呼ばれていた事が災いしてか、怒らせたら自分の首が飛ぶのではないかと考えすぎているのだ。

そんなガチガチに緊張しているエルシオンの様子を見て、ジルクニフは舎弟ができたような気持になった。

まあ、無理もない話である。

社交界に出ておらず社交について訓練されていない子供が、いきなり完璧なマナーをして見せる方が怪しい。

 

「ふっ、アガルタ候よ、おぬしの長子はだいぶ緊張しているようだな。大丈夫だぞエルシオン、俺は何もお前を取って食ったりするわけではない」

「い、いえ、それは、分かって、いるのですが……」

 

カチカチに固まりながらも礼儀を失せぬように、言葉を紡ぐエルシオンの姿はジルクニフにとって好ましいものである。

しかし、時間は有限である。

 

「ふむ、ここでただ話しても埒が明かぬな……分かった、剣の修練場へ向かうぞ!」

 

そして、場所を謁見の間から騎士用の剣の修練場へと移すのであった。

 

 

騎士の修練場には四騎士などの名だたる騎士が揃っていた、全員訓練用の剣を持っているところを見ると、最初からエルシオンと剣を交えるつもりだったらしい。

 

「さて、ここからが本番だ。エルシオン、お前が型通りに剣を振るうのを見てもいいが、俺はどうせならお前の戦いでの強さを見たい。騎士たちと剣の練習試合をしてくれ」

 

ジルクニフがそういうと、ジルクニフと同年代の騎士見習いがエルシオンと向かい合う。

 

「最初は騎士見習いからだ。負けたらそこで終わり。勝ち続けるにつれて今回の召し出しに応じてくれた褒美を豪華にしてもいいぞ。なんなら騎士用の実剣を与えて騎士として受勲しても構わない」

「え!?」

「お待ちください、ジルクニフ様」

 

ジルクニフの提案に驚きの声を上げるエルシオン達。

だが、ジルクニフは止まらない。

 

「一度受勲されれば、幼くても騎士だ。親であるアガルタ候も気にせず、実剣での訓練により時間を割ける、より強くなれるぞ。どうだ、やってみるか?」

「はい!」

 

エルシオンも実剣を与えられると聞いて俄然乗り気になってきた。

こうなるとアガルタ候はもう何も口を挟めない。

エルシオンがとんでもないことをしでかさないことを願うのみだ。

 

最初はジルクニフと同年代の騎士見習いとの一戦。

 

「ジルクニフ様に何故目をかけられているかはわからないが、こちらもそう負けて――」

「『音速剣(ソニックレイド)』!!」

 

だったが、これから何戦もするのであればあまり一戦に時間をかけてはいられない。

エルシオンは、最速で発動するスキル『ソニックレイド』で瞬時に相手の間合いに飛び込んでの刺突で相手の剣を弾き飛ばす。

 

「な?」

 

自身の持つ剣を弾き飛ばされて初めて、エルシオンの刺突に気が付いた騎士見習い。

既にエルシオンは身を翻し、次の戦いに向けて集中力を養っている。

審判役の騎士にも見えなかったのだろう、その役目を『疾風』ウォレスに委ねていた。

 

 

そして、エルシオンの連勝が始まった。

 

 

盾で守りを固める騎士に対しては、

 

「『谺流し』!!」

 

『谺流し』による二刀流からの連続攻撃で相手の構成を完封して勝利し、両手剣を持った騎士には、

 

「『雷切』!!」

 

雷を伴った斬撃により相手を感電させ行動不能にして勝利。

様々な武器で武装する騎士を基礎能力の高さと、アクティブスキルにより連勝していく。

ウォレスが見立てた通り、一般の騎士ではとてもではないが勝ち目があるとはジルクニフには思えなかった。

 

「――よい! エルシオン、見事な剣技だったぞ。数々の武技も習得しているとはな」

 

一瞬、帝国四騎士を相手として宛がうことを考えたジルクニフだったが、エルシオンはまだ騎士ではない候子の身に過ぎない。褒美を与えるとは言ったが、四騎士までもし敗れればせっかく取り込んだ騎士団の名に傷がつく、それは政治的に良くない。

エルシオンを騎士として叙勲し、身の内に取り込んでからでも四騎士との戦いは遅くはないだろう。

 

「ありがとうございます、ジルクニフ殿下」

「さて、宣言した通り褒美を与えねばならないな。これだけ連勝したのだ、多少高望みをしても聞いてやろう。エルシオンよ、褒美として何が欲しい?」

 

そう考え、楽しそうにジルクニフはエルシオンに声をかける。

何も考えずに実剣をと答えようとするエルシオンだったが、その瞬間とある考えが頭を過った。

 

――ここで、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスにアガルタ家とフルト家の家の安泰を確約してもらえば、アルシェがワーカーになることはない。

ワーカーにならなければ、当然ナザリック大墳墓に行くこともない。

つまり、アルシェの命の安寧をここで確定させられるのではないか――と。



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第1章 4話 運命の分岐点

ジルクニフから褒美の受領について尋ねられたエルシオンは考えをまとめると、頭を垂れて申し出た。

 

「ジルクニフ殿下。ボクは……今回の剣闘の褒美としてフルト家の安泰をお願いしたいと思います」

 

そこでアルシェを死から遠ざけるための方策を思いついたエルシオンは、何より大切なアルシェを守るために迷わなかった。

これでフルト家が没落することがなくなれば、アルシェがワーカーになることはなく、そしてナザリックへ赴くこともなくなるため、結果死の未来は回避できる。

フルト家が没落しないことで未来には少なくない影響が出るはずだが、未来がどのように変わろうとしても構いはしない。

アルシェを守ること、それこそがエルシオンにとって最も優先するべきことなのだから。

 

「は? フルト家? 自家の、アガルタ家の安泰ではないのか?」

 

けれども、自家よりも他家の安泰を申し出たエルシオンの行動は謀略、算段を主とするジルクニフにとって不可解きわまるものだった。

めったに見せることのない呆然とした表情を浮かべる。

 

「はい、アガルタ家の安泰はのぞみ――ムギュ」

「ジルクニフ殿下! 息子が失礼いたしました!!」

 

その申し出は父親であるアガルタ候にとっても当然理解できないものであったらしい。

フルト家は確かに縁大きい家であるが、自家よりも優先されるとなると話は別だ。

父親として、これ以上不用意な発言をされてアガルタ家が取り潰されてはたまったものではないと、エルシオンの口を閉じさせようとする。

 

「よい。アガルタ侯よ、エルシオンにそのまま続けさせよ」

「……わかりました」

 

だが、ジルクニフにそう言われてはエルシオンの口を閉じさせるわけにはいかない。

諦めてアガルタ候はエルシオンの傍から一歩離れ、エルシオンが自由に発言できるようにする。

 

「では改めて聞こう、エルシオンよ。何故自家よりもフルト家を優先するのだ?」

「フルト家にはアルシェがいるからです」

 

エルシオンはジルクニフの問いに間髪入れずに答えた。

けれども、貴族の子供の名前だけを答えられて分かるほどには、ジルクニフの人材録に余裕はなかった。

 

「アルシェ? 誰だそれは――」

「陛下、アガルタ候と懇意なフルト家のご令嬢ですよ」

 

エルシオンの周辺の人間関係を理解していた秘書官がジルクニフへと耳打ちする。

 

「ああ、なるほど。エルシオンはその娘に懸想しているのか、幼い顔をして好色だな。だがエルシオンよ、そこまでして女に貢いでも女が振り向いてくれるとは限らないぞ」

「? 陛下、ボクはアルシェに貢ぎたいわけではありません。ただ、アルシェに生きていて欲しいのです」

 

ジルクニフの言葉にエルシオンは返答する。

そう、エルシオンにとってフルト家の安泰は供物でも何でもない。

ただアルシェの命の安寧を得るために必要な手段だから願い出たのだ。

 

「!? エルシオン、お前何処まで感づいて……」

 

けれども、ジルクニフにとってエルシオンのその言葉は衝撃であった。

自らが権力のすべてを握るまで秘中の秘としようとしていた、帝国の中央集権化について気づかれたと感じたのだ。

 

「殿下の意向に、為したいことに逆らうつもりはありません。ただ、一家だけお目こぼしをいただきたいのです」

「……ならばエルシオンよ、改めて問おう。そこまで感づいているのならば、何故自家の安泰を願わない? 自家が安泰であれば、没落した家から娘を奪うことも好き放題にしてしまうことも自由だぞ」

 

政治の世界はそこまで悪辣なのだぞ、と匂わせながらささやくジルクニフ。

だが、エルシオンは悪魔のささやきにも迷わなかった。

 

「ボクは剣士です。だから、自分の未来は自身の剣にて真っ向から切り開き勝ち取ってみせます、栄達も色恋沙汰も。ゆえにその点の心配は不要でございます」

 

そう、一気に言い切った。

一瞬呆気にとられるジルクニフだったが、

 

「ふっ――あははははは! そうか! 自分の未来は自分で勝ち取ると言うか!!」

 

口を開けて大きく笑い出した。

 

「いいぞ、エルシオン! その覚悟、幼いながらも見事だ! その覚悟を示す機会を与えよう!!」

「と申されますと――」

「麦の収穫までもうすぐ。あと二月を待たずして、父上は王国との間に恒例の小競り合いを行う予定だ。エルシオン、騎士見習いとしてお前にその戦争への帯同を許す、戦争にて手柄を上げ自らの栄達への足掛かりとするがいい!」

「殿下! 息子はまだ幼き少年、戦争には早うございます!」

 

幼い息子が戦争に駆り出される。

そのことに慌てふためいたアガルタ侯は慌てて口を挟もうとする。

だが――

 

「これだけの覚悟を示した男に年の大小はもう関係ない。それに小競り合いで死ぬならそこまでの男だったというだけのことだ、貴族としてではなく帝国の騎士として栄達を掴み取るというのならこの程度の試練は見事越えてもらわなければな!」

 

エルシオンを気に入ったらしいジルクニフには届かない。

 

 

こうして、エルシオンは数か月後に控えた戦争に向けて騎士見習いとして騎士団に入隊することが決まったのだが――エルシオンは一つ大事なことを忘れていた。

 

「もう、エルシオンのバカ! バカ! ばかーっ!! なんで、陛下の前でそういうこと言うの! 帝都のお友達もみんな笑ってるのよ、信じらんない!!」

「いたっ! ごめん、アルシェ! だって!」

 

ジルクニフの前でそこまで言いきったということは、公に、そう帝国中にエルシオンがアルシェ・イーブ・リイル・フルトのことを好きだと告白したようなものなのだ。

ぶっちゃけ公的な記録にもそう残された。

つまり帝国のある限り未来永劫、エルシオンがアルシェのことを好きだと叫んだことは残される。

家の安泰が約束されて上機嫌な父親からそう聞かされて、同年代の女の子の友人からそう揶揄われて、恥ずかしさが有頂天になったアルシェは翌朝のこのこと朝の鍛錬に出てきたエルシオンをぽかぽかと殴り続ける。

 

「だっても、誤解も6階もないわよーっ! もう私、お友達とのお茶会に行けないじゃない! 旦那様を放っていいのかなんて言われたのよ! 次からもそう言われるわ! そんなの恥ずかしくて耐えられないーっ!!」

「いや、でも!」

「でも? なによ!!」

 

まだ口答えしようとするエルシオンをキッとにらみつけるアルシェ。

でも、珍しいことにそんな子供っぽく怒るアルシェを、かわいいなぁと思ってしまうエルシオンはアルシェ中毒なのだろう。

 

「でも、アルシェに幸せでいてほしいんだ。それは本当の本当だよ、アルシェ」

 

未来でアルシェが死んでしまうからだとは、さすがに言えないエルシオン。

だが、今の自分の根底がアルシェに生きて、幸せでいてほしいというのは変わらない。

自分は、それだけの為に絶望の底からよみがえった、生きて明日を変えると誓った。

自分はそのためだけの存在なのだから。

 

「――っ!」

 

エルシオンに真摯な目で覗き込まれて、そう言われて顔を真っ赤にして押し黙るアルシェ。

 

「アルシェには――笑っていて欲しいんだ」

 

そう言いながら、エルシオンはぽかぽかと殴りつけていたアルシェの手をつかむ。

 

「え?」

 

その手はアルシェが思うよりもはるかに力強くて、振り払うことができない。

にじり寄ってくるエルシオン。

アルシェにはその唇が舌なめずりしているように見えた。

もちろん実際はそんなことはしていない、もしかしてこのまま唇を奪われるのではないかとアルシェは思うが、怖さと期待で体を動かすことができない。

 

「エルシオン――」

 

やがてその眼を閉じるアルシェ、唇が少し突き出しているようにも見える。

やっぱり貴族だけあってその辺りは若干おませさんである。

 

「……?」

 

でも、しばらくたっても唇に何の感触もない。

不思議に思ったアルシェが薄目を開けると――

 

「何ボーっと突っ立てるの、アルシェ?」

 

いつものようにエルシオンは朝の柔軟運動を始めようとしていた。

アルシェがキスをせがんだとは思いもしなかったらしい、幼いしね。

 

「アルシェ?」

「エルシオンのバカ! 鈍感! ばかーっ!!」

 

アルシェは恥ずかしくなって2週間引きこもった。



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第1章 5話 騎士見習いエルシオンの1日 前編

「7……8……9999!」

 

騎士見習いに任じられて、人目から隠す必要のなくなったエルシオンの鍛錬量は一気に増量した。

良く晴れた今朝もアルシェが見ている前で、迷いなく一心不乱に剣を振るっている。

時は朝の刻限を過ぎたあたり。

日差しが差し込んで熱くなったのだろうか、汗で薄く白いチェニックが透けて、肌色が見えているがエルシオンは気にした様子もない。

 

「10000!! いくぞ、『五輪の剣』!!」

 

最後の一撃として、もう片手に取った剣を改めて構えると、エルシオンは虚空に両手に持った剣で新たに習得したスキル『五輪の剣』による連撃を放つ。

アルシェから見てみれば、それをやったら数を数えた意味がなくなるんじゃないかなぁと思ったりもしたが、そこは言わぬが花。

 

「お疲れ様、エルシオン」

 

剣を振り切って息を尽きているエルシオンに、持っていたタオルを渡す。

フルト家のタオルからは柔らかな花の香りが微かに漂ってくる。

これはアルシェの衣服と同じ香りである、もっと言えばアルシェ・イーブ・リイル・フルトの身体からも同じ香りがしている、恐らく意図的に同じ香料を用いたのだろう。

上昇した基礎能力によりそんなことにも気づいてしまいドギマギするエルシオン。

くそう、フルト夫妻め、謀ったな。

エルシオンは思わず愚痴りたくなる。

 

「どうしたの?」

「ううん、なんでもない」

 

小首を傾げている辺り、どうやらアルシェの方は未だ気づいてないらしい。

気づかれたら「変態」とか言われそうなので、エルシオンは黙ったままにすることにした。

照れ隠しだろうとはいっても、好きな子に貶されるのは嫌だからしょうがない。

そんなとりとめもないことを考えながら汗を拭うエルシオン、だが彼は知らない。

 

「んっ、エルシオンの匂いがこんなに――って、ダメよ、わたし! これじゃ変態みたいじゃない!」

 

エルシオンが騎士見習いとなる事で、日中の間エルシオンと会えなくなったアルシェは、エルシオンの汗をぬぐったタオルを後で匂いを嗅ぐなどして使ったりしていることを。

なお、それはみたいじゃなくて本当にまごうことなき変態の所業である。

 

 

朝の鍛錬を終えた後、エルシオンは自宅の厨房に寄ってから騎士見習いたちの詰め所に向かった。

理由は王国と戦端が開かれるまでの短期間のみの叙任とはいえ、騎士見習いとして同期との仲も深めるべきと正騎士たちがジルクニフに言ったためである。

確かにそれには一理があった、日本における旧海軍においても「俺とお前は同じ釜の飯を食った仲」という言葉があるように、軍組織というものにおいて同期間の横のつながりとは軽んじるものができないものがあった。

その言葉に頷いたジルクニフは泊まり込みの指示こそ出さなかったが、自宅から騎士たちの詰め所に赴き、他の騎士見習いと同様に仕事を行うよう指示したのだ。

 

「おはようございます!」

「お、エルシオン。おはよ」

「エルシオンは朝から元気だな、おはよー。で、今日の差し入れはなんなんだ?」

 

元気よく朝の挨拶を行うエルシオンに、食事の準備をしていた騎士見習いたちが自分の作業を行いながらエルシオンに答える。

どうやら、エルシオンは朝食からの参加となる代わりに、自宅から一品差し入れをすることを選んだらしい、抜け目のない子である。

 

「はい、シェフに冷めても美味しいものということでボーディア牛のローストビーフを一塊作ってもらいました。付け合わせのポテトとソースもありますので皆さんで切り分けてお食べください」

「なんと、ボーディア牛のローストビーフが食べられるのか! これは朝からテンション上がるわ~」

 

最初こそ、ジルクニフの肝いりで入隊した天才少年剣士に悪感情を抱くこともあった騎士見習いたちであったが、毎朝差し入れられる美味な一品にすっかりそれは解消してしまったらしい、今ではすっかりエルシオンを騎士団の一員として迎え入れている。

ある意味ちゃっかりしている者たちだ、ジルクニフの実力主義が薫陶したということなのだろうか。

 

「おいおい、ローストビーフはまずは正騎士である俺たちが優先だからな」

「えー。先輩、俺たちの分もちゃんと残しておいてくださいよ」

「大丈夫ですよ、ローストビーフは大きいですから。じゃあボクはローストビーフをスライスしておきますね」

 

そうこうしているうちに、朝の鍛錬を終えた正騎士たちが食堂に戻ってきた。

やがて朝食が始まるが、薄くスライスされたローストビーフは肉汁を用いたソースとの相性も抜群だったらしい、今日の差し入れはいつになく好評だったようだ。

 

 

朝食を終えた後、エルシオンは同期の騎士見習いと馬の世話を行う。

水飲み場の水をきれいなものに取り換え、牧草も新しいものに取り換えていく。

馬小屋は馬のにおいでいっぱいであり、エルシオンも最初こそ匂いになれない様子だったが、それは裕福な家に生まれた騎士見習いがだれしも通る道。

作業を忌避することなく、先輩の騎士見習いのアドバイスに従って率先して作業を行っていく、剣の修業の時とは異なる汗が流れ落ちるがそれもまた修行の一つと思って行う。

 

「ふう」

「――」

 

しかし朝の時とは違いエルシオンの幼い中世的な容姿に、衣服に肌が透けた様子は女性との関わりが薄い騎士見習いには刺激が強かったらしい。

ボーっとエルシオンに視線を向ける一人の騎士見習い。

 

「おい、エルシオンがあんなに働いているんだぞ。俺たちも先輩として手を抜いたらダメだろう?」

「す、すいませんでした!」

 

まさか、一瞬とはいえエルシオンによからぬ事を考えたとは言えず、騎士見習いは慌てて作業に戻っていく。

 

 

その後、乗馬の訓練や座学、社交や礼儀作法の学習と並行して騎士見習いとしての仕事を行いながら正騎士となるための勉強を行っていくエルシオン達。

そうして午前の作業を行い、昼食をとった後にエルシオンが一番待ち望んでいた時間――そう、剣の修練の時間が訪れるのであった。



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第1章 6話 騎士見習いエルシオンの1日 後編

「よし、今日の座学はこれまでとする、みんな剣の修練の準備をしなさい」

 

刻限の鐘が帝都に鳴り響く。

先輩の教師役の騎士が黒板に文字を書く手を止め振り返り騎士見習いたちにそう告げると、にわかに教練用の室内が話声で沸き立った。

無理もない話である。

ここにいる者たちはすべて剣の腕に覚えがあり、剣にて身を立てることを望んだ者たちだ。

身体能力に覚えがあるものなのだから、当然頭を動かすよりも身体を動かす方が好きだ。1

もし、その頭脳を持って身を立てることを望むのであれば、騎士ではなく文官となることを望むだろう。

 

「おい、エルシオン。今日は俺の修練に付き合えよ」

「あ、ずるいぞ、ラフィ。エルシオン、今日はどうするんだ?」

「え……いや、ボクは先輩騎士に修練をつけてもらおうと思っていたのだけれど」

 

最近剣の修練の時間までの話題の中心となっているのは、エルシオンである。

騎士見習いたちはこぞって同期の騎士見習いではなく、先輩騎士よりもエルシオンとペアを組もうとしている、何があったのだろうか。

 

「そんなこと言ったって、エルシオンとまっとうに剣を交えられるのはもう四騎士か、四騎士に準ずる人だけじゃないか。先輩も『教えることはいい経験になる』って言ってたしいいだろう?」

 

つまりはこういうことである。

エルシオンはスキル『剣士の心得』や、『剣マスタリー』を最高レベルで取得済みではあるが、そのことによってエルシオンは世界樹の迷宮における剣の扱い方、剣技を自身の身体の動かし方のみならず体系づいた知識としても取得しているのである。

それは、個々の力量に大きく左右される体系としては発展段階であるこの世界の武術と比べてブレが小さく、人間種であれば習得すれば誰でも使用可能なものとなっている。

その知識に基づいてアドバイスを行えば、アドバイスを受けた側は誰もが短期間で強くなったと思ってしまうのも仕方がない。

 

「こらこら、エルシオンはまだ同じ騎士見習いなんだぞ。みんな、エルシオンにも修練の時間を上げなきゃダメじゃないか」

 

とは言え、皇太子ジルクニフの肝いりで入隊したエルシオンである。

同期の騎士見習いの修練に付き合って時間を取られ、戦争までに自身の強化が出来ませんでしたという事になったら、エルシオン自身にとっても騎士団としても笑い話にならない。

そんな事情を読み取っていた正式叙勲間近の騎士見習いがみんなにくぎを刺した。

 

「それもそうか。エルシオン、また今度な」

 

騎士見習いたちもそこまで執着したわけではないらしい。

その声がきっかけとなってエルシオンに群がっていた騎士見習いたちは、個々の剣の修練の準備を終え修練場へと向かっていく。

 

「はぁ……ありがとうございます、先輩」

 

ホッと一息つくエルシオン。

エルシオンとて剣技中心のクラスを選択し基礎能力と剣技に潤沢なSPを極振りしたからこそ、今の自身があるのだと理解している。

ベースとなるエルシオンのレベル自体は一般騎士以下、まだまだ発展途上の身なのだ。

教える側になるよりも、今は少しでも多くの経験を得てレベルアップに勤しみたいと言うのが正直なところである。

 

 

エルシオンがそんな先輩となる騎士見習いと話しながら修練場に入った時、既に多くの剣戟の音が聞こえていた。

まだ剣の修練の時間までには若干の余裕があるが、それまでサボろうとする者などここにはいない。

家の事情などで嫌々騎士になろうとするものは入団の試験の際に弾かれるように、ジルクニフが騎士団を掌握する際に規約を改定したのだ。

その熱気に当てられてエルシオンも早く剣を振りたいとうずうずして来るが、相手としてあてにしていた先輩の騎士見習いはちゃっかり自身の修練相手を見つけたらしい、気が付いたら自分はぼっちとなっている。

 

「あちゃー、今日はみんな相手ありなのか。しょうがないや、誰か手空きになるまで――」

「お、エルシオン手空きか? ちょうどいい、自分の修練相手になってくれ」

 

一人で剣を振ろうと思ったエルシオンだったが、目ざとく手空きとなっているエルシオンを見つけた者が居たらしい。

エルシオンとしても願ったり叶ったりなので、剣の相手をしてもらおうと声が聞こえる方に顔を向けると――そこには帝国四騎士、『疾風』のウォレスが居た。

 

「ウォレス様? 四騎士が騎士見習いの修練に混ざってもよろしいのですか?」

 

エルシオンが騎士見習いとして入団してから、今まで四騎士が姿を見せることはなかった。

そのため気が緩んでいた騎士、騎士見習いだったが一気に場の空気が引き締まる。

流石に騎士見習いとして、四騎士相手に敬語を使わないわけにはいかないので敬語を用いるエルシオンだったが、

 

「ここは表向きの場ではないからね、過度な敬語は要らないよエルシオン。やっと仕事が一段落して剣を交えることができる、その剣見切らせてもらうぞ。剣を取ってくれ」

 

どうやら四騎士側としては早く剣を交えたくて仕方がなかったらしい。

騎士としてのフル装備ですらないところを見ると、戦争に向けて加速する業務を何とかこなして時間を空けたようだ。

その程度のことは騎士として正式に叙勲されていないエルシオンでも流石にわかる。

 

「分かりました! ボクの剣で満足して貰えるかわかりませんが、全力を尽くします!」

 

なら、自身に出来ることは出し惜しみなしの全力で相手を務める事のみ。

そう考えてエルシオンはウォレスと相対すると剣を構えた。

 

「いい返事だエルシオン!」

 

ウォレスのその言葉を合図として、両者が動き始める。

まだウォレスの剣技を直接見たことがないエルシオンは正眼に剣を構え、見に徹する。

その為先手を取ったのはウォレスだ。

 

「行くぞ! 『二段疾風突き』!!」

 

『疾風』の名を冠することとなった由来でもある自身の武技を発動させる。

ウォレスとしては、以前魔法による隠形をかけられエルシオンの剣を見たときに、武技の発動なしに四段突きを行ったエルシオンを見ている。

だから、この突きは対処されると読んで放ったものだ。

 

「ウォレス様!? それはいくら何でも!!」

 

けれども、周囲の騎士からすればウォレスが大人げなくエルシオンを弄ぼうとしているようにしか見えなかった。

それはいくらなんでも不味いと諫めようとする騎士たち。

 

「……見えた!」

 

しかし、エルシオンの目はウォレスの『二段疾風突き』を見切った。

自身の首に迫る一段目を躱し、更に迫る二段目に合わせ剣を払いはじき返す。

剣を弾かれ体勢がわずかに崩れたウォレスだったが、エルシオンは罠である可能性を感じ追撃はしなかった。

両者の位置はほぼ開始時の場所へと戻った。

 

「おい、嘘だろ……いくら剣技が優れているとはいっても、ウォレス様の二段突きまで見切れるのかよ……」

「ウォレス様の剣は初手必殺。それを躱すなんて四騎士にも匹敵するんじゃないか……」

 

エルシオンがウォレスの二段突きを躱したことで修練場はどよめきに包まれた。

そんな中、今度はエルシオンが動き始める。

 

「来るか、どう来るエルシオン!」

 

ウォレスは最初城壁で見切れなかった剣技、4段突きが来ると思い目を凝らすが、エルシオンの剣はそんなウォレスの予想に反し動かず正眼のまま迫ってくる。

 

「ちっ!」

「行きます!」

 

待ちきれず振り下ろした剣を逆袈裟に迎撃するエルシオンに弾かれ体勢が崩れるウォレス。

だがエルシオンの剣は勢いを利用して上段に構えると、そのまま返す刀で袈裟に切り降ろされる。

 

「袈裟切り!!」

 

しかし、ウォレスとて四騎士の一人。

必殺の武技を見切られ、一瞬で負けましたでは済まないのだ。

自身の意地をかけて、武技を連続発動させる。

 

『能力向上』

『要塞』

 

「舐めるなぁ!」

 

崩れかけた体勢のままではあるが、剣を引き戻しエルシオンの斬撃を防ぐウォレス。

だがエルシオンの体勢は崩れてはいない、攻める好機と判断したエルシオンは止まらない。

剣を無双の構えへと移行すると、エルシオンは自身のスキルを発動させた。

 

「『其は日輪が照らしだす、汝が陥穽』!」

 

それは敵の急所を見極め、そして急所を崩す鋭い一撃を放つスキル。

 

「いくぞ! 『明星』!!」

「ちぃっ!! 重い!!」

 

武技を用いて受けようとするウォレスだったが、日中であるが故に日光のごとく鋭き『明星』の一撃は重く、武技『能力向上』『要塞』をもってしても受けきることはできなかった。

剣がぶつかる甲高い音と共にウォレスの剣が宙に舞う。

 

「ボクの勝ちですね、ウォレスさん」

「そうだな、俺の――負けだ」

 

ウォレスの剣が修練場に落ちると共に、修練場に騎士見習いたちの歓声が上がった。

 

「スゲー、エルシオン! ウォレス様に勝ちやがった!!」

「マジかよ! エルシオン、どうやったんだ! 教えてくれよ!!」

 

一息ついて剣を納めたエルシオンに同期の騎士見習いたちが駆け寄る。

この狂騒は剣の修練の時間が終わるまで止まることはなかった。

エルシオンが自身が行った具体的な剣の見切り方などを説明し始めたというのもあるが、仕事を片付けた四騎士が次々とエルシオンへと挑み、そしてエルシオン相手に黒星をつけていったからである。

 

 

こうやってエルシオンは自身の強化のみならず、所属する騎士団の剣腕や技量の向上にも貢献していく。

これが直近に迫る戦争にどのように影響するかはまだ誰にも分からない。

 

変わらないことはただ一つ、

 

「おかえりなさい、エルシオン!」

 

騎士団で慣れぬ教導を行い、クタクタになって戻ったエルシオンを出迎えたアルシェ。

その笑顔を守ることができた、死の未来を変えることができたということである。



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第2章 戦乱 吹き荒ぶ熱風の果て
第2章 1話 黄金の春


バハルス帝国は豊かな四季に恵まれた地ではないが、それでも冬が終わると春の日が帝都の人々を外へと導き始める。

日差しは暖かく、帝都の街の喧騒は更に活気づいている、そんな時期。

エルシオンはアガルタ侯領内に広がる大きな麦畑の一つに、騎士団の休みを取得して向かっていた。

アガルタ家が用意した馬車に乗り街道を行くこと1日、そろそろ畑には到着するだろう。

 

「ねぇ、エルシオン? なんで戦争が近いこんな時期に畑を訪れるの?」

 

エルシオンが行くのであればとアルシェもエルシオンに帯同して付いてきたが、その意図までは確認してなかったらしい。

エルシオンだから現地に他の女の子が居るとかそういうことは全く心配してなかったが、戦争も間近である。

 

「戦争が近いのでしょう? もっと剣の鍛錬に時間を費やした方がいいんじゃない?」

 

アルシェはそう向かい合って座るエルシオンを窘めようとするが、エルシオンのスキルから導かれた知識は現状のまま行くと、いざ戦争となる時期にオーバーワークとなると教えていた。

 

「ううん、ボクは毎日剣を振ってるし、戦争の前だからこそ一回過度な鍛錬からは離れた方が良いかなと思ったんだ。正騎士の人にも話をして了解を得ているよ」

「そうなんだ、でもそれなら帝都でのんびりしていても良かったんじゃない? 畑を見るために遠出をして大丈夫なの?」

 

そうしたら、エルシオンと帝都でのんびり一緒に過ごせたのに。

言外にそういうニュアンスを込めて、アルシェはジトーっと半目で見据える。

 

「そうだね……だけど、一回、きちんと確認しておこうかなって思ったんだ」

「何を?」

 

更に問いかけるアルシェだったが、エルシオンが言葉を紡ぎだそうとする前に馬車が止まった。

エルシオンが扉を開けると、そこには日の光を受け黄金色にすら見える――麦畑が一面に広がっていた。

自身が得た知識では、ユグドラシルのあった地球ではもう見ることの叶わない光景。

そして、世界樹の迷宮の地球においては再び見ることが可能となった光景。

麦の穂がそよかぜを受けてゆらゆらと揺れる光景は、穢れきった未来の地球を知識として知るが故にエルシオンの哀愁を誘う。

 

「わぁ、収穫前の麦畑ってこんなに黄金色なのね、きれい……」

 

だが、この世界に貴族として生まれ落ちたアルシェには、そこまでの感慨をもたらさなかったらしい。

ただ純粋に一面に広がる黄金に見惚れて、アルシェは息を一つ吐く。

そんな二人にこれから畑作業を――収穫をする予定だった人々が近づいてきた。

 

「よく来たね、エルシオン。父さんたちには予め説明済だよ」

 

よく見るとそのひとりは帯剣している。

そう、エルシオンは正騎士の叙勲を受けたアガルタ領出身の先輩騎士に頼み込んだのだ。

 

「ワガママを聞いてくださってありがとうございます、先輩」

「良いよ、幼いとは言っても領主の息子が収穫作業を手伝ってくれるなんて、良いことには違いないからね。幸い晴れてくれたし、今日は収穫日和さ」

「え? エルシオン、収穫作業に参加するつもりだったの?」

 

先輩騎士とエルシオンの話を聞いて、アルシェが疑問を顔に浮かべる。

どうやらアルシェにはまだ説明してなかったらしい。

 

「そうだよ。ボクは今日農家の人に交じって、収穫作業に加わろうと思うんだ」

「ちょ、ちょっと待って。わたし、そんな作業をするとは思わなかったから作業に使える服をもってきていないわ」

「大丈夫だよ。アルシェの採寸についてはもうフルト家の家宰に聞いているんだ、アルシェ用の作業着は一応用意してるよ。もし嫌なら休憩所を用意してもらったから紅茶を飲んでもらっていれば――」

 

続けようとするエルシオンだったが、

 

「エルシオン……そこまで用意してもらっているのに嫌だなんてワガママみたいで言えないじゃない。いいわ、せっかくだしわたしもエルシオンと一緒に収穫作業をするわよ」

 

そう言ってアルシェはアガルタ家の執事からアルシェ用に仕立てられた作業着を受け取る。

しかし、当然畑の周辺にアルシェが着替えるようなスペースはない。

周囲を見渡すと、アルシェはエルシオンの近くに駆け寄ってささやいた。

 

「エルシオン……わたし馬車で着替えるけど、着替えを誰にも見られないようにしてね。エルシオン以外の人に裸を見られるのなんて嫌なんだから」

「ちょっと、アルシェ!?」

 

エルシオン以外の人が嫌だと言うのなら、エルシオン本人ならどうなるのか。

アルシェの爆弾発言に驚いたエルシオンだったが、アルシェは場所の中へと身を翻していった。

 

 

 

そうして、着替えた二人は農家の麦の収穫作業に参加する。

だが勿論この世界は、ユグドラシルのあった地球や、更に未来の地球である世界樹の迷宮の舞台とは違っていた。

中世の地球そのままの世界であり、食物の品種改良などはそこまで行われていないのが現状である、風などによって容易に飛び散る麦穂もあり農家は非常に手間のかかる作業を行って収穫を行っていたのだ。

農民たちは時々立ち上がって身体を伸ばしたり腰を動かしたりしながら作業を行っている。

大人と違い中腰になる必要がないエルシオンたちはそこまで負担がないが、それでも大変な作業である。

周囲の人たちが休憩し始めたのを見ると、エルシオン達も休憩を始めた。

 

「これは、本当に大変な作業ね……。でもエルシオン、今日ここで収穫してる麦ってどうやって食べるの? 私たちの食事に麦って直接出たことないわよね?」

「えーと。アルシェ、パンとか焼き菓子とかあるよね。あれに麦が使われているんだよ」

「? でも、あれに使われているのは粉じゃなかったかしら……もしかして!?」

「そう、今収穫してる麦穂から麦の実だけを脱穀して、さらにそれから麦皮のふすまを取り除いて、中身だけを石臼で細かく引いて粉にしたもの。それが僕達が食べているパンや焼き菓子の原料である小麦粉なんだ」

 

エルシオンは麦穂から少し麦の実を少し取ると、アルシェに見せる。

 

「こんな小さな麦の実を、さらに細かく粉になるまで引くの……」

「へえ、エルシオンは結構農業にも詳しいんだね。そうですアルシェ様、アルシェ様が食べているパンや焼き菓子はこの小さな実から作られたものなんです」

 

帯剣を許されているとはいえ、実家に戻った以上両親たちが収穫作業をしているのただ見ていられるほど傲慢になれない先輩騎士は、剣を一度外して収穫作業を手伝っていたが、休憩と共にエルシオン達の話に加わってきた。

 

「わたし、毎日食べているものがこんなに手間にかかるものだとは思わなかったわ……時には残したりもしてた、農民の人はこんなに懸命に働いて作ってくれているのに……」

「アルシェ様、もしそう思ったのでしたら、食事を残すことなく美味しく食べてくだされ。納めた物が無駄なく美味しく食べてもらえること、それが農民にとっては一番の褒美ですじゃ」

 

休憩中の農民の妻もエルシオン達の会話に加わってきた。

収穫作業の大変さを知ってから自身を顧みて申し訳なく思い、半ば涙目となっているアルシェに慰めようと声をかけている。

 

「ええ、約束するわ。アルシェ・イーブ・リイル・フルトの名に懸けて、もう食べ物を粗末には扱わないと」

「おや、アルシェ様はアガルタ家のご令嬢ではなかったのですか、それは失礼しました」

 

どうやら農民はアルシェのことをエルシオンの姉妹と勘違いしていたらしい。

 

「大丈夫だよ、母さん。アルシェ様は今はフルト家のご令嬢だけど、未来のアガルタ家夫人になる予定な女の子だから」

「ちょっと先輩? 何吹き込んでるんですか!?」

 

自分の母親にしれっととんでもないことを吹き込む先輩騎士に、思わずツッコミを挟むエルシオンだったが時はすでに遅かった。

 

「ほう、ほう! 未来のアガルタ家夫人ですか、なるほどエルシオン様もお目が高いですなぁ。このように優しく可愛らしい女の子を早くから射止めるとは!!」

「え、いや……あの……」

「農民のことを考えて収穫作業を手伝ってくださるエルシオン様に、アルシェ様。これはアガルタ家の未来は明るいですなぁ、ありがたやありがたや」

 

二人を拝み始めた農民まで現れだした。

 

 

そのような休憩を挟みながら行った収穫作業は夕暮れ前には概ねの終わりを迎えた。

これから、脱穀などの作業が農民にはまだあるのだが、最初から最後まで付き合うほどにはエルシオンにはさすがに時間がない。

アガルタ領の邸宅に二人は戻って湯浴みなどを行ったが、一日収穫作業をしたことで疲れたアルシェは客間ですぅすぅと早くから寝息を立てている。

今日は流石に以前のようにエルシオンの部屋で夜のお話しをすることはないだろう。

 

「アルシェが死ななくて済んだこれからの世界において……ボクがこれからも剣を振る理由、見つけたよ」

 

そんな夜に久しぶりに窓から夜空を見上げるエルシオンは、やがてひとり呟いた。

 

「ボクは、ボクの周りの世界を――無辜な人々が幸せに暮らす世界を守っていきたいんだ」



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第2章 2話 正しき怒りの名の下に

自領の収穫作業を終えた後、エルシオンは帝都にて再び騎士見習いとして剣の鍛錬と、そして戦争の準備に励み始めた。

王国へと侵攻する戦争を何故行うのか、騎士見習いたちはそこまで深く考えてはいなかったが、戦争に先立って帝都外れに存在する麻薬の更生施設の見学へと連れられた騎士見習いは現実を、一部民の惨状を目にした。

王国からは既に多種多様な麻薬が帝国内に流入し、多くの者が麻薬によって人生を狂わされ始めていたのだ。

 

麻薬に溺れ、金のために子供たちを売り払った者。

人の区別さえつかなくなり、子供に手をかけた者。

妻を、子供を、娼婦とさせてまで麻薬を欲した者。

 

重症者に対しては近づくことすら許されなかったため、麻薬の後遺症から脱しつつある軽症患者からの話を聞いただけであったが、それは騎士見習いたちに王国への反感を持たせるには十分すぎる現実であった。

ましてや王国は貴族などの裕福層まで麻薬に侵され、果ては王子に至るまで麻薬を出自とする金に手を染めている。

王都に限らず、王国は麻薬を資金源とした組織に実体経済を半ば乗っ取られつつあり、有効的な手を打たずに沈黙しているのが実情なのだ。

 

「――先輩。王国は、こんな……こんな鬼畜にも劣る所業を本当に許しているのですか?」

 

一人の騎士見習いが、麻薬への怒りに言葉を震わせながら案内をする正騎士に問いかける。

 

「ああ。皇帝陛下と皇太子殿下は麻薬撲滅のため、国を超えた協力体制の構築を内々に申し出たのだけれども、断られたんだ。『王国では麻薬の栽培など許してはいない』、『何の故あって帝国は王国の国としての名誉を穢すのか』ってね」

「そんな……このような犠牲者が帝国でも出ているというのに……」

 

もはや面子を気にしている状態ではないのは明らかだ。

けれども、王国は現実から目を背け権威を着飾ることを優先した。

 

「だから国の長期的指針として帝国は王国を打ち倒すつもりでいる。麻薬による汚染から帝国を、帝国民を守るためにね」

「当然です、こんなこと許されていい筈がない……」

 

そう応える騎士見習いたちの目には、ただ自らの立身出世の為だけでなく、帝国を、帝国民を守る為に自分たちが戦うのだと、正義の怒りに満ちていた。

 

「王国は腐り果てているんですね……」

 

その点はエルシオンも同様であった。

自分が守ると誓った無辜の民、彼らにこのような明日をもたらしてはいけないのだ。

未来からの知識の一端として王国に麻薬組織がはびこっているのは知っていた、けれどもエルシオンは麻薬というものの現実を知らなかった。

このような哀れな被害者を生み出し、中毒者と変え、食い物にする組織。

そしてその出自を知った上で麻薬による金に手を出し、享楽にふける者たち、なんとおぞましいことか。

少年ゆえの純粋さが、王国を唾棄すべきものとして、滅ぼすべき存在として認識させる。

王国の兵に刃を向ける事への抵抗を失わせていく。

 

「そうだ、だから戦争には勝たなければならないんだ、みんな分かったな?」

「「「はい!」」」

 

騎士見習いたちの声から迷いは消え、決意に満ちている。

以後、戦争への準備を精力的に騎士見習いたちは励んでいった。

 

 

そして数週間後、帝国軍は王国との戦争の準備を終えた。

戦場は王国領江・ランテルの程近くを予定している。

王都よりは若干帝都アーウェンタールに近い場所となるが、それ故に地の利は帝国にある。

勝つ気を漲らせ、帝国軍は出立した。

 

「エルシオン、大丈夫ですよね? 怪我とかしないですよね?」

 

エルシオンはもう居ないと分かっていながら、アルシェはアガルタ邸を何度も訪れてはアガルタ家の家宰を相手に心配を口に出す。

戦いの数週間前から、エルシオンの雰囲気は少し怖いものとなっていたからだ。

それは、エルシオンが麻薬の現状を知った故のことなのだが、流石にアルシェに麻薬の惨状を知らせることをエルシオンは躊躇い、口にすることはなかった。

しかし、それ故にエルシオンのことを余計に心配するアルシェ。

 

友人との集いにおいてもエルシオンへの心配を事あるごとに口にする、そんなアルシェに、貴族の令嬢である友人の一人がお茶会の解散の間際に囁いた。

 

「ねぇ、アルシェ。最近取り寄せた心配事がなくなる良いお薬があるのだけれど……秘密にしてくれるのなら一度使ってみない?」

「え?」

 

翌日、毎日のように行っていたアガルタ邸への訪問をアルシェは取りやめる事となる。

囁きが人の皮をかぶった悪魔の罠であるとは、今のアルシェには知る由もなかった。

 

「フルト家の令嬢が蜘蛛の巣にかかりました、薬を使い始めたようです。程なくして、我らの手に落ちるでしょう」

「はは、エルシオンは剣の才能に溢れた神童とは聞いていたが、その想い人までは天才ではなかったようだな、あとは……」

「ええ、我らの思うがままでございます」

 

帝都を蝕み始めた闇が人知れず動き始めていたのだ。



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