愉悦部VS文芸部 (睦月スバル)
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原作開始前
転生トラックは実在する。だって僕やられたもの
字数少ないし、色々酷いけど殴らないで……。
僕は全知全能になりたかった。
そう思うようになったきっかけというものはない。けれど、いつの間にやらそう思うようになっていた。
そして今、僕は僕の望んだ全知全能に手を掛けている。何たる棚ぼた。しかし大いなる快挙。
だから僕は溢れんばかりの喝采を込め、こう叫ぶのだ。
いあ! いあ!
♪ ♪ ♪
僕は縣幸太郎。前世の記憶を持つ一般転生マンだ。
僕の最後ってやつは案外呆気なく普通に事故死。転生トラックはリアルだった。
そんな訳で死んでしまった僕なのだけれどなんの因果か現代日本で二度目の生を手にしてしまった。お陰様で毎日が退屈極まりない。
そう、退屈。退屈だ。
子供の頃に経験できる事柄は大凡既知。これがどうして面白いと思えるのか。
まぁ、下手にハードモードになるよりかはマシなのだろうけども。
そんなこんな腐りながら生きる事数年。僕は小学生となり――親の都合で転校を余儀なくされた。
親は友達と離れて寂しくならないかと心配していたが、残念ながら僕に友人などいる訳もなく、綺麗さっぱり後腐れなく転校を完了した。
さて、そんな訳で今日が記念すべき初登校だ。しかし今更緊張したりはしない。
同じようなリノリウムの床、同じような背景。どれも既知だ。寧ろこれでどうして緊張出来るというのか。寧ろ退屈で欠伸が出る。
「今日はクラスに新しいお友達が来ます」
ドアの向こうで先生がそう言ったのが聞こえた。
新しいお友達。頭がお花畑みたいで滑稽な言い回しだ。誰でも友達になれるのなら虐めなんて起こらないだろうに。
先生の「入って来て」の声で教室に入ると先生の指示で黒板に名前を書いて自己紹介する。
「僕は縣幸太郎です。趣味は読書です。御指導ご鞭撻の程、よろしくお願いします」
「ごしどーごべんたつ?」と首を傾げるクラスメイト達を眺める。反応からして同じ転生者はいなさそうだ。転生者がいるからどうこうという訳ではないが、いないと分かると少し物悲しい。まぁそこまで期待してはいなかったのだけれども。
「な、中々個性的なご挨拶でしたね。さ、さあ皆んな拍手〜〜!!」
転校してからの初手で「私、精霊ですの」発言したデアラの推しキャラもいたけれど結局は何やかんや馴染んでたしこの位はセーフだろう。
そんな事を考えつつ何の気無しにロッカーの上にある背面黒板に目を向けて、それを見つけた。
今日の日直の欄。そこに井上心葉と朝倉美羽の名前があったのだ。
「……あはっ」
思わず笑ってしまった。
その二人の名前が既知であったからだ。
井上心葉に朝倉美羽。それは『〝文学少女〟』シリーズに出てくるキャラクターの名前だった。
『〝文学少女〟』シリーズは井上心葉を主人公とした恋愛ミステリーラノベだ。そして転生前の僕の愛読書でもあり、僕の性癖が歪んだ元凶でもある。
何で歪んだのかとかその辺は追々話すとしてそれよりも今はあの二人だ。
朝倉美羽は中学の時に自殺未遂を仕出かすし、井上心葉はそれを見て精神を病んだりする事を僕は知っている。
控え目に言って……最ッ高ではないか!!
僕の知っているキャラクターの絶望フェイスが目の前で見られる可能性が生まれたのだ。
いや、それだけではない。僕はこの物語の全貌を既に知っている。故にその結末を最低最悪の物語に書き換える事だって出来るかもしれない。
眼前に広がるかもしれない未知に久しぶりに心が躍るのを自覚する。
さて、改めて自己紹介をしよう。
僕の名前は縣幸太郎。生まれてこの方愉悦部に所属しているナチュラルボーンド畜生だ。
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コミュは取る。必ずだ
『〝文学少女〟』の世界に於いてやってはいけない事が幾つかある。その一つは文学小説の構図の完成させる事だ。
これをされるとまず僕の目論見は天野遠子に砕かれる。しかし天野遠子は万能なんかじゃない。神に臨めど神にはなれないのだ。
なら、カウンターは幾つでも想像出来る。
だから、なってみようと思う。埒外の介入者に、無貌の神に。
♪ ♪ ♪
さてさてこれからどうするかについて話そう。僕はこの世界の原作キャラを誰にも気取られずに不幸に突き落としてやろうと思う。
初っ端からド畜生だが、ちょっと待って欲しい。
原作三巻の芥川君の独白パート。
あれに、何と書いてあった?
正解は『彼の脆くて傷付きやすそうな部分が、俺の苛立ちを激しくかきたてて、いっそ思い切り傷つけてやりたくなる』だ。因みに彼とは井上君の事だ。
僕は苛立っている訳ではないから動機は全く異なるが後は大体同じだ。脆いものは壊したくなる性分なのだ。
原作キャラでこれなのだし、僕も許されて然るべきだろう?
まぁ、同意は求めてないけれども。
で、先当たっては井上心葉の友人関係になり、朝倉美羽の協力者になろうと思う。
これにはキチンと理由がある。先ず、井上君。これに関しては原作主人公だからだ。積極的に関わらないと僕の本懐が果たせない為必ず友人関係を構築しなければならない。
そして朝倉美羽。こちらのヤンデレちゃんは中学になると学校の屋上で飛び降りて自殺未遂して井上君の表情を曇らせる特大級の爆弾になってくれるからだ。加えて付け入る隙が多いのもプラスポイント。関係を構築しない理由が無い。
「おはよう、えっと井上君?」
「あ、縣くん。おはよう!」
翌日一人で本を読む井上君に挨拶すると、元気な返事が返ってくる。
うん、表情曇ってない。原作で中々描かれていない無邪気な井上君はこれはこれでアリだ。が、曇った顔が最高なのでこれからは存分に曇って欲しい。
ニコニコとした営業スマイルを使いながら授業の話や前の学校の話をしていく。話している感じは好感触。
ただ聞きたい事もあるので適当に井上君にも話を向ける。
「それで朝倉さんがね。面白いお話を聞かせてくれるんだ」
朝倉。その名前を聞いて来たかと意識を集中させる。確か、割と早い段階で朝倉さん呼びから美羽呼びに変わっていたはずだ。となるとまだ知り合って間もない頃か。好都合だ。打てる手が更に広がる。
「そっか、面白いんだ」
「そうだよ! 朝倉さんのお話はすっごく面白いんだ」
今のうちに井上君に宮沢賢治に関する知識をインストールしてやろうかなんて考えが鎌首をもたげる。
毎日井上君にストーリーテリングを繰り返すヤンデレちゃんなのだが、途中でネタ切れを起こして宮沢賢治の盗作を仕出かしたりガチの窃盗やったりするのだ。
だから予めインストールしてやれば盗作が露見してヤンデレちゃんの絶望顔は見れるが……それをしない方が井上君が曇るので無しだ。井上君の表情が曇りまくる原作ルートに突入しない可能性が生まれるのは不味い。
「縣君も一緒にお話し聞く?」
「僕は遠慮しておくよ」
ここでうっかり「聞く」なんて答えたら早々にヤンデレちゃんの排斥対象になってしまう。
切り札を作る手立てはあるが目を付けられるのは単純に困る。
何にせよ今は雌伏のときだ。
「取り敢えず、これから宜しくね。井上君」
ああ、やはり未知を夢想するのは、楽しい。
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あれはガバではない。挑発だ
僕は『〝文学少女〟』が大好きだった。お店で着けて貰った紙のブックカバーが擦り切れる程読み返したし、『神に臨む作家』での心葉の各巻のサブタイトル回収は泣けた。
そして僕もそういう風に生きれたらと、そう思った。
けれどそうはならなかった。なれなかった。
僕は成長して、沢山失敗した。心ない言葉を浴びせられた。そしてその度、『〝文学少女〟』を心の支えにして来た。
そしてある事に気付き、絶望した。
天野遠子は救えないのだ。物語の構図と言う枠に囚われない些細な仄暗闇しか持たない人間は。
人並み外れた不幸と、文学作品の構図。それが無ければ天野遠子の想像は意味を無くす。
そして僕には『〝文学少女〟』のキャラのように特筆して悪いエピソードは無い。
絶望だ。
一日を辛うじてやり過ごすのが精一杯な程辛い。正直、誰でも良いから助けて欲しくはあった。けど、誰も居ない。だから物語に逃げた。けれど物語も僕を助けない。
誰も僕を救わない。
ああ、生きづらい。
だから、君たちも生きづらくなってはくれないだろうか?
♪ ♪ ♪
井上君と仲良くなるRTAは無事タイマーストップ。そのタイムは一ヶ月と五日。思ったよりも時間はかかったが出会って五秒でバトル、いや出会って五秒で即挨拶からのハイタッチする仲になった。僕のせいで井上君のキャラ崩壊が酷い。まぁ今の井上君は純粋だから仕方がないか。
そしてもう一つ大きな変化が生まれた。
「えっと、朝倉さん。さっきからこっち見てるけど。何か用かな?」
「……別に」
ヤンデレちゃんに目を付けられた。井上君との仲が良いのが気に食わないらしい。お陰で雑談してると寄越される視線がエグい。
だがこの一ヶ月、僕がただ井上君コミュのレベルを上げていた、なんて事はない。
僕は既にヤンデレちゃん用の切り札を既に作ってある。ちょっかいは出されるだろうがムーブは現状維持で構わないだろう。
とは言え、少し欲求不満だ。ここら辺で少し愉悦を感じたい。なので、
「ああ、そうそう。最近宮沢賢治の本を読み始めたんだ。面白いんだよねこれが」
そこで、普段はツンとしました表情ばかりしている彼女の顔が目に見えて青褪めた。
薄々察してはいたが既に盗作を始めていたらしい。うーん。
ン気も゛ぢィィィッ!!
内心の猜疑と不安感がありありと見て取れる。実にグレイトな表情だ。
原作に於いてもアーモンド型の目やら何やらと美しい容姿の描写がされていただけあって曇った表情が最高に映える。
荒くなりそうな鼻息を抑えつつ、「君も読んでみなよ」と言うとそのまま逃走。
悪戯にヘイトを稼いでしまったが、僕の切り札の前にはどうしようもあるまい。
この物語は、僕がコントロールしてやる。
♪ ♪ ♪
時は少しばかり進み授業後。僕は井上君の家に上がり込んでいた。……ヤンデレちゃんを伴って。勿論言い出しっぺは井上君。でなきゃこんな状況にはなってない。
「あら、心葉のお友達? いらっしゃい。ゆっくりしていってね」
そして井上母から聞こえるセーラーマーキュリーのボイス。
思うのだが原作キャラって軒並みボイスあるのだし声優目指して良い気がする。
まぁ、とんでもなくメタい話なのだけども。
そんな訳で井上君の部屋。綺麗に整頓されたそこには普通の小学生らしい品々に加えて鳥籠が一つ置いてあった。そして当然ながらインザバード。白い鳥が入っている。
「井上君、この子の名前は?」
「チュチュって言うんだ。お利口な良い子だよ。触ってみる?」
僕は頷くとチュチュを自分の手の上に置いてもらう。うん、鳥だ。あと見かけによらず足が結構鋭い。
「結構、足ガッチリ掴んでくるね」
とは言え、このチュチュなのだが……時期は不明だがヤンデレちゃんに殺される。その際井上君の表情がとんでもなく曇る上、若干死のショックからヤンデレちゃんに少し依存するので是非是非死んで貰いたい。
僕の不穏な空気を察知してかチュチュは羽ばたくと井上君の頭に着地する。するとヤンデレちゃんがあからさまにチッと舌打ちした。
幸い井上君はチュチュが頭に乗ってこそばゆいのかそれに気付いた様子は無い。
この分ならチュチュは確殺と見て良い筈だ。あばよクソバード。君の主人の悲しみは僕の養分にさせて貰う。
さてと、チュチュの死亡フラグが立ったところで小学校でのイベントは他に何があったか。銀河鉄道の夜のお絵描きイベは……チュチュを鳥籠に入れたら何か始まってた。ナウかよ。
後は学校の金魚死亡イベと井上君の妹の井上舞花に石鹸を口に突っ込もうとする事件があるくらいか。後者は介入の必要性が無いのでヤンデレちゃん任せで良いだろう。
問題は現在進行形の銀河鉄道の夜イベだ。ぶっちゃけると介入するかしないか非常に迷う。
介入しなければの話だが、完成した絵は後の『慟哭の巡礼者』編で重要なアイテムの一つになる。普通に考えれば介入しないのが安パイだ。
しかしどうしても気になってしまう。此処で僕が介入したら、どんなバタフライエフェクトが起きるのか。
「僕にも一箇所だけ描かせてくれないかな」
「うん、良いよ! 何を描くの?」
「ちょっと列車にロゴでも付けようと思ってね」
井上君からサインペンを受け取ると列車の顔部分に歪めた五芒星を描き、中心に燃える眼を描く。
これは未来への挑戦状であり、犯行予告だ。
ああ、未だ見ぬ正ヒロイン天野遠子。
貴女は僕に勝てますか?
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メスガキは強迫するもの。異論は認めない
天野遠子へのカウンターの方法は主に二つある。先ずは構図すら存在しない、読み解くことの出来ない仄暗闇。そして、もう一つは一片の救いの物語の構図の完成してしまった場合だ。想像の余地もない位のバッドエンド。これならば文学少女でも太刀打ちは出来まい。
だから僕は探した。そんな物語を。
そして見つけた。外なる神が一切を嘲弄する滅びの物語を。
♪ ♪ ♪
あれから順当にチュチュがご逝去なされて。で、学校で飼ってた金魚も死んで、舞花の口に石鹸事件が起きた。
そして。
「ごめん縣君。今日はちょっと予定があるから……」
「そっか。まぁ予定があるなら仕方ないか。時間空いたらいつか遊ぼう」
「本当にゴメン」と謝る井上君を見ながら思う。遂に来たかと。
ヤンデレちゃんこと朝倉美羽は渾名に違わずヤンデレである。家庭事情がかなり複雑な彼女は承認欲求がとても高く、その承認欲求故に人を縛り付け他者を排斥する傾向がある。
原作でもヤンデレちゃんは井上君の隣を確保すべく積極的に活動していた。因みに井上の日程予約は彼女の常套手段だったりする。
結果的に井上君とコミュが取りにくくはなったが、申し訳なさそうな井上君の顔を見ていると気分が晴れやかになって来るので、いいぞ、もっとやれ。
となると今度はヤンデレちゃんのコミュを進めるべきか。幸い強は……お話しの切り札は沢山あるのだから。原作知識の齎す恩恵を舐めて貰っては困る。
授業後、僕はヤンデレちゃんを人気の無い教室に呼び出した。そもそも呼び出せない可能性も勿論あったのだが、元より僕に直接井上君の悪評を吹き込む心算だったのかあっさりと応じてくれた。
さて、それではショーダウンと行こう。
「それで、何で私を呼び出したの」
「僕さ、最近写真撮影に凝ってるんだ」
何の脈絡もなしに僕がそう言うとヤンデレちゃんは「はぁ?」と露骨に顔を顰めた。
「特にファンシーショップとかドラッグストア辺りの写真を撮るのが好きでね」
そこでヤンデレちゃんがピクリと反応した。非常に反応が分かりやすくてありがたい。お陰でクリティカルヒットしてるのが丸分かりだ。
「それでね。いやぁ、本当に偶々なんだけども撮れちゃったんだよね。……君が窃盗をしでかした決定的な瞬間を、さ」
僕は胸ポケットから十数枚の写真の束を取り出して見せる。それはどれもヤンデレちゃんが窃盗をしている時の写真だった。
原作でもヤンデレちゃんは物語が思い浮かばなくなると窃盗をするのだけれど、物語が浮かばないからって、窃盗しちゃあ、ダメだよねぇ?
因みにこの写真をどうやって撮ったかと言うと、気合いと根性と若干の仕込みだ。単純に一人でフラつく彼女をストーキングして撮った。
ただ、窃盗の可能性を高める為に井上君に『朝倉さんって面白い物語を考えれて凄い』と言った内容を大量に吹き込んで井上君の期待値を上げるように仕向けた。
期待を向けられたヤンデレちゃんにとっては多大な負担になる訳だ。
で、まんまと窃盗して。その場を僕に発見されたと。
「ど、どこでこの写真を」
「だから言ったよね。ドラッグストアとかファンシーショップだよ」
ヤンデレちゃんの顔が目に見えて青ざめる。
やはり美少女の絶望フェイスは中々に趣深い。ただ流石に原作開始前。何というかメスガキチックな仕上がりになっている。
と、そんな事を考えているとヤンデレちゃんが僕の写真を強引にひったくった。
「馬鹿だねぇ。写真のデータは手元にあるからまた何枚でも刷れるのに」
「じゃあ早くそのデータをよこしなさいよ!」
美少女の凄みという奴は存外に恐ろしい。しかし。しかし、だ。今のヤンデレちゃんは実質メスガキ。
ならば、分からせねばなるまい?
「状況を分かってるのかな。君が指図出来る立場じゃないんだよ? それに態々ここに呼び出した意図を全く理解してないみたいだ。あーあ。バラすつもりは無かったけど警察を始めとして井上君辺りに流しちゃおっかなぁ。僕のお話し聞いてくれないならそれも仕方ないかぁ」
「……話を聞けば良いの」
若干涙目なヤンデレちゃん。良いな。
とは言え弄りすぎて心象をこれ以上悪くするのは悪手だ。ヤンデレちゃんの強かさとクレバーな態度に免じて頷いてやる事にする。
「と言っても僕としても大切な友達が一人消えるのも心苦しいし、そこで本当にちょっとしたお願いを聞いて欲しいんだよね」
「……何よ」
「井上君とまた遊んだり喋ったり出来るようにして欲しい。ただそれだけさ。ああ、勿論君と井上君の仲は承知してるし応援もしてるけどさ。それでも友達が離れていくのは少し寂しいからね」
ヤンデレちゃんはきょとんとして、次いで林檎の様にボッと頬を赤らめた。
因みに、このムーブは割と最初の頃から決めていた。
先ず大前提としてこれから起きる事件に介入するには井上君と関わる必要がある。となると高校進学までどうにかコミュを継続しなければならない。そこでヤンデレちゃんの分断工作が邪魔になるから取り下げて貰う必要がある。
故にコミュ持ちをお願いした訳だ。
そして、後に付け加えたセリフだがこれも意図してのものだ。
例えば、だ。弱みを握られ、自分の心理を理解されている相手が何か口を挟んできたら、どうするだろうか。
答えは従属だ。悟り手は最強。
ついでに言うと、僕は『慟哭の巡礼者』に於いて彼女の復讐計画のアドバイザーポジに加わろうと思っている。となると此処で全部分かっている風を装うのは実に都合が良い訳だ。
「そう。分かったわ」
さて、ヤンデレちゃん。安心しているところ悪いけど、数年後の君は僕の傀儡になって貰うからね?
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世の中には二種類の人種がいる。モブか、それ以外かだ
――目もなく声もなく、心もない怪物の塊ニャルラトホテプ。
僕がそれを知ったのは中学生の頃。やはりというか、『“文学少女”』がキッカケだ。
度々話に出す『慟哭の巡礼者』の冒頭部分でクトゥルフの話が取り上げられたのに興味を持ったのがそもそもの始まりだ。僕はクトゥルフの呼び声に始まりラヴクラフトを始めとしてダーレス辺りの作品を読み漁った。そして、魅せられた。邪神界のトリックスター、ニャルラトホテプに。その恐怖に。その冒涜と涜神に。
結局冒頭部分のクトゥルフ関連の話は井上君の夢オチで終わってしまうのだけど。
さて、天野遠子はホラーが苦手。そして作品としての『ニャルラトホテプ』には救いが大凡存在しない。
これしかない。
僕はこれを目指すべきなのだ。
故に閑静な夜に叫ぼう。絶叫を響かせるのだ。
ああ、にゃる・しゅたん! にゃる・がしゃんな! にゃる・しゅたん! にゃる・がしゃんな!
♪ ♪ ♪
僕は布団から這い出すと身体をゆっくりと起こす。時刻は朝の五時半。少し早めの時間帯だ。さてさて僕が少し早い時間に起きた理由。それは髪の毛をセットする為だ。どうでも良い話だが僕の寝癖という奴はかなり厄介で朝に丁寧に梳かさないと基本的に直らない。
洗面所で櫛を片手に己の髪の毛と格闘する。
「にしても、最近糸目が悪化して来たなぁ」
鏡に写るのはほぼ一本線になった目の僕。転校前は普通だったのだがこっちに来て以来段々と細くなってきて、今ではBLEACHに出てきた某十三キロの人みたくなってる。
はっきり言って腹に一物抱えてそう感が半端じゃない。
「いっそ髪型そっちに寄せてみるのもアリかな?」
そこまで考えて、止める。
本日は小学校の卒業式なのだ。そこまで冒険する必要はあるまい。それに、やるにしても中学デビューからでも構わないだろう。
「よしと、こんなものかな」
烏の羽根みたいな髪を梳くのをやめて改めて自分を眺めてみる。中々良い仕上がりだ。
これから色々と派手に動く事を考えて体力作りの為にサッカー部に入ったお陰か少し男らしさが出てきた様な気がする。まぁ、全体的にひょろりとした感じだけども。
そんなこんなしている間に時刻は六時。両親が起床し始める時間になった。
「さて、小学生最後の朝ご飯は何だろうなぁ」
僕はそんな事を考えながらリビングへと向かった。
♪ ♪ ♪
漬け物と味噌汁と卵かけご飯を食べて支度を終えた僕は登校班の集合場所に余裕を持って到着した。
そんな僕の元に、
「おはよ」
「ん? ああ、黒部ちゃんかおはよう」
黒部ちゃんが挨拶して来た。
黒部ちゃんこと黒部子猫は女子バスケ部の主将を務めていたクラスメイトだ。名前の示す通り、猫目と黒のショートカットが可愛らしい女の子。しかし、可愛いらしいが騙されてはいけない。彼女はモブだ。
まぁ登場人物の都合上モブ以外を探す方が難しい世界だから仕方ないのだが。
しかし何とも妙な事になった者だと思う。
彼女と知り合うきっかけは集団下校の時だった。家の方向が同じだから一緒に帰宅していたのだが、低学年の子が道路の真ん中ではしゃぎ始めたのだ。
で、それを諌めようとした黒部ちゃんが危うく車に轢かれそうになったところを僕が助け、それが予想以上に彼女の琴線に触れてしまったらしく、こうしてちょくちょく話すようになった訳だ。
うん、典型的な少女漫画の書き出しみたいだ。
あ、因みに弁明しておくと。僕は誰彼構わず不幸になって欲しい訳では無い。寧ろモブ男君やモブ子ちゃんは出来れば普通の暮らしを甘受して欲しいとすら思っている。
だって、モブ男君やモブ子ちゃんはかつての僕と同じく文学少女、天野遠子によって救われない側の人間なのだから。
天野遠子はご都合主義の権化みたいなものだ。例えるならアークファイブのスマイルワールドみたいな。
彼女が関わると大抵良い方向に話が向く。少なくとも最悪は起こらない。
穿った見方かもしれないが、この世界は彼女と関わった人物のみが救われる世界なのだ。
だから、彼女と関わらない大半の人間は救って貰えない。自力で助かる為にもがく必要がある訳だ。それを更に貶める程、僕は外道じゃない。
僕はド畜生なだけで、外道ではないのだ。
……脱線した。
まぁ兎に角、事故りかけた一件以来僕と彼女は友人関係になったという事だ。
「今日で小学校も卒業なの、寂しい?」
「いや、僕はそこまでかな。どうせみんな繰り上がりみたいなものだし」
「……そ」
彼女も似たような感じなのか対応が何というか塩気味だ。彼女自身の表情も豊かな方では無いし半ばデフォルトではあるのだけれど。
「取り敢えず。お互いに、卒業おめでとう、だね」
「ま、そうだねぇ」
あ、そうだ。今回の井上君の卒アルなのだが、僕とヤンデレちゃんの活躍によって寄せ書きの欄がとても悲しいことになっている。先生と僕とヤンデレちゃんと流れでサインしたあんまり関わりの無い男子が数名のみ。余白の白さがとても眩しかった。
因みに僕は普通に寄せ書きのページが殆ど埋まった。流石にサッカー部に所属してると方々に友人が増える増える。
自分の白い卒アルと比べて落ち込む井上君は素直に良かった。
「……縣君、楽しそうだけど。何を考えてたの?」
「愉しい事を少し、ね」
さてこれからは中学生。
ヤンデレちゃんが自殺未遂をやらかすまで、あと一年強だ。
愉悦の日は近い。
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挑む事は良い事だ。さっきそう決めた
全てが上手く行っている。いっそ笑えてくる程に。
これまでの五、六年生の頃、僕はヤンデレちゃんの井上君包囲に加担しながら、少しずつ井上君を洗脳していった。手法はシンプルにヤンデレちゃんヨイショ。要するに窃盗を誘発させたのと全く同じ手口だ。
さて、何故今更そんな事をしたのか説明しよう。ズバリ、ヤンデレちゃんと井上君の精神を追い詰める為だ。
ヤンデレちゃんは窃盗の時に説明済みだから省くとして、どうして井上君の精神を追い詰める事に繋がるのかを説明していこう。
前提としてヤンデレちゃんは自殺未遂を必ずやらかす。となると、関係が近ければ近いほど心の傷は深くなって表情が良くなる訳だ。つまりそう言う事。
原作でも未遂した後の井上君はボロボロになった描写があるが、更にボロボロになって貰う。ただ自殺されたら台無しなので井上君が不登校になったら毎日毎日井上君の家に顔を出す予定だ。そこで僕は悲劇のヒーローを気取ってこう言うのだ。
「お願いだから僕の最後の親友まで死なせないでくれ」ってね。
僕は井上君の性格を熟知している。これなら自殺しようとしても踏み止まってくれる筈だ。
曇り顔と自殺のストッパーの両取りの出来る強欲な一手。
ああ、早くやりたい。愉悦を感じたい。
PS.
最近、猫が見ている気がする。
何なんだあれは?
まぁ良い。彼女も所詮はモブだ。僕の計画は悟られまい。僕の物語を読み解けるのは文学少女ただ一人だけなのだから。
♪ ♪ ♪
僕の中学生活は正に薔薇色……とまでは行かないにしろそれなりに明るいものとなっていた。春休みの内にイメチェンして完全に一◯スタイルに変えたのだがこれが結構良い感じにハマって今やクラスのややカッコいい男子枠になれた。
サッカー部の方は相変わらずパッとしないがそれでもある程度のコミュは築けているし、現状に暗雲は無い。
で、人生も二度目ともあれば中学程度の勉強は余裕だ。ただ高校の勉強となるとやや心許ない感じはするので予習……いや、この場合は復習だろうか? まぁ、取り敢えず勉強しておく。
さてそれで肝心のお二人だが。実に良い塩梅だ。ヤンデレちゃんはストレスからか井上君無しの時は露骨に目付きが悪くなってるし、井上君はずっとヤンデレちゃんばかり見ていて地に足が着いていない。そんなところがヤンデレちゃんを追い詰めているのだが、自覚はナシ。
素晴らしい。完璧だ。
ただ、少しの不満を言うのであれば。
黒部ちゃんがずっと僕の事を見ている。
猫のような目で、ただひたすらにじぃっと。
初めは勘違いかと思った。だが、それにしては此方を見る回数がヤケに多く感じられる。これは不味い傾向だ。
何が不味いって、身動きが取りずらい事……では無くこの世界があの『〝文学少女〟』の世界だからだ。
『〝文学少女〟』で起こる事件は大体恋愛が絡む。
もし黒部ちゃんが僕に対して恋愛感情を抱いていた場合一手のミスで何かとんでもない事件に繋がる可能性がある。正直ヤンデレちゃんの恫喝や井上君の洗脳以上に難易度が高い。
一応原作は開始前。けれどここでミスれば後々に暗雲が立ち込める事は想像に難くない。
しかし彼女はモブだ。彼女にもそのお約束が果たして適応されるのであろうか。
思案する。彼女に対する応対の方法を。
確かにこれは未知との遭遇だ。しかしこれに関してはリスクが余りにも大きい。応対をミスれば即詰みからの事件化も有り得る。
「……あはっ」
気付けば僕は笑っていた。理性は悩んだ様だが身体は既に解を出していた。
僕は賭けに出よう。ずっとパペットマスターを演じるのもそれはそれで退屈だ。それに何より知りたいのだ。この世界に無数に存在するモブの在り方って奴を。
だから、僕は敢えてこれに挑もう。
二人を精神的に追い詰めながら始まる恋愛頭脳戦。
その響きは中々に耽美に感じられた。
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分からせ。或いは理解にも似たナニか
そして、次回愉悦第一弾になるかも。
僕は黒部ちゃんと話す様になった。そうしてみると彼女自身の性質自体が猫に近い事がわかって来た。
先ず、彼女はとんでもない奔放者なのだ。
興味を持つとそちらに行き、興味を失うとすぐさま次に。興味の対象がそもそも無いとその場で寝始める。その様はまるで野良猫だ。
その生態を知って僕は少し悩んだ。
彼女が僕に向けている感情は果たして本当に恋慕なのか。
彼女の性質がこうである以上僕の勘違いと言う線が否めない。世界観が世界観なだけに空回りしている可能性も十分にある。
だが、恋愛にうつつを抜かしてばかりではいられない。
そろそろ来るのだ。
薫風社の新人小説大賞の時期が。
さて大賞がどうしたと思われるだろうがこれがかなり重要なイベントになる。と言うのもヤンデレちゃんが自殺未遂をやらかす直接的な原因がこれだからだ。
ヤンデレちゃんは作家志望で、これに作品を応募しようとするのだが、作品が思い浮かばず挫折。結果、白紙の原稿用紙を提出するのだ。
……募集をテキストファイルにしろや薫風社。
で、井上君も同じ大賞に井上ミウの名前で応募して賞を受賞。一代ムーブメントが巻き起こる。が、ペンネームのせいでヤンデレちゃんがその作品の作者と勘違いされてヘラる。まぁ、いつもヘラヘラ物語を聞いてただけの犬っころが大賞を受賞して挙句クラスメイトから勘違いされれば病むのは仕方あるまい。
そんなこんなありつつ、自殺未遂。
さてお分かり頂けただろうか。
人畜無害な顔をしておいて井上君はとんでもない戦犯なのだ。
井上君が居なければストーリーテリングでストレスを溜める事はなく、窃盗は起きない可能性が高い。
井上君が居なければ、朝倉美羽は自殺しようとしない可能性が高い。
彼女の家庭事情がゴミカスだから確定とは言えないが、大体の遠因は井上君だ。信じられるだろうか。それでも井上君は主人公なのだ。
だから僕は井上君が……心の底から大嫌いだ。
とは言え地盤は既に整っている。今更派手に動く必要は無い。あとは、崩落の時を待つのみだ。
♪ ♪ ♪
季節は冬、原稿用紙と向かい合う朝倉美羽は酷く憔悴していた。
アーモンドの瞳の下には黒々としたクマが刻まれ、髪にはいつもの艶が失われており、彼女の私生活の破綻を如実に物語っている。
しかし憔悴具合に反して原稿用紙は白紙のままで文字らしい文字は一文字たりとも書かれてはいなかった。
否、書けないのだ。一文字たりとも、思い浮かばない。
以前はアイデアを思い付く為に窃盗を犯していた。それをすると不思議と頭がすぅと冷えて、なのに身体はドキドキと動悸がして、そして何者かに勝利した感覚と共に自然と物語が湧いて来た。
けれど、あの日……井上心葉に付き纏う邪魔虫……縣幸太郎にその場面の写真を撮られてから、何も思い浮かばなくなった。寧ろ頭と心が真っ黒に染まって、果ての無い泥沼に引き摺り込まれるような心地がした。
この大賞で、もう一度書くことが出来れば変われると思った。物語の方からやって来てくれるようになると思っていた。けれど、一文字も書けない。
彼女の座る椅子と、彼女の向かう机は最早彼女にとっての拷問道具と成り果てた。
書かなければ。書かなければ、書かなければ。
しかし、どうすれば良いと言うのか。
締め切りの日は近い。仮に書けたとしても応募要項の十数万字には全然届かないだろう。
そう、届かない。この時点で既に分かり切ってしまう。
「はぁ、はぁ、はぁ」
書けない。そう思うと息が荒くなり、嘔吐感が込み上げて来る。
急いでトイレに駆け込むと、便器に酸っぱい液体を吐き散らかす。酸にやられた喉が冬の空気に触れて殊更に痛む。
「書かないと、いけないのに」
妄念にも似た思いを抱きながら彼女は井上心葉の事を考える。
今頃彼は何をしているだろうか。文章を、書いているのだろうか。それとも家族と笑い合っているのだろうか。
日中、だらしの無い笑顔を向ける彼の事だ。きっと書けている筈だ。
そう思うと腹の底から怒りと嫉妬が湧いて来た。
「大丈夫よ。どうせ、落ちる。そうに決まってるわ。……中学生が、大賞を取るなんて夢のまた夢よ」
彼女は失意と絶望の中、筆を折る選択をした。どうせ、二人とも落ちるのだからと。
彼女は予め用意していた茶封筒に白紙の原稿用紙を詰める。能面のような無表情で。その顔はきっと、絶望にも似ていた。
「コノハは騙せる。大丈夫」
井上の前でははしゃいでいればよい。きっと鈍感な彼は気付かない。きっと、騙されてくれるはず。
そう思うと少しだけ肩の荷が下りたような気分になる。
「……二人とも落選して話は終わり。それで、良いのよ」
しかし彼女の想定は甘かった。甘すぎた。それはもう、致命的なまでに。
故にこの結果は必然だったのかもしれない。
二年のある日、彼女は真の絶望を知る事となる。
「コノハには、きっと、わからないだろうね」
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愉悦しようぜ。お達ターゲットな
絶望の時来れり。
ああ、遂にこの時がきた。愉悦を感じることが出来る時が。
『青空に似ている』著、井上ミウ。
それは苦悩も困難もなく、ただ淡い水彩画で描かれた様な澄んだ恋の物語だった。それは井上君の心情をそのまま投影したかのように。
ただ、僕は知っている。井上君が見ているのはあくまでも上部、上澄みなのだと。
人間誰しも清濁を併せ持っている。それは常識。けれど馬鹿な彼は朝倉美羽の上部しか見ていない。裏を知ろうとしない。いや、彼女の裏に絶望と苦悩があるとすら思いもしていない。
井上君は、朝倉美羽を神聖視しているのだ。まぁ僕がそう仕向けたのだけれど。でも原作でもそうだった。彼は朝倉美羽を知ろうとしない。
だから、揺り返しが来る。当然の帰結では無いか。
ああ、愚かな井上君。君の愚かさは人を殺す。
君の無遠慮は朝倉美羽を底知れぬ絶望に突き落とす。君はそれを理解すべきだ。
♪ ♪ ♪
井上心葉は何処かソワソワとした心持ちでその風景を眺めていた。
と言うのも井上ミウの名前の書かれた広告がそこかしこに貼ってあるのだから。
井上ミウのペンネームで発表した作品、『青空に似ている』は空前の大ヒットとなった。文庫本は売れに売れ、メディアミックスも既になされておりドラマも好評を博している。
しかしその原因は。
「……謎の中学生美少女作家」
これである。
話題性重視の後付け設定がバズりにバズり井上ミウが広く認知され、話題性から本が売れた、と言うのが事の真相である。勿論きっちりと規定の字数を書く気力と「てにをは」を間違えない国語力等、中学生にしては破格の才を有していたのもまた事実ではあるのだが。それにしろ謎の中学生美少女作家の名前の話題性の力が強かった。
お陰で朝倉美羽は一時期勘違いされて少しピリピリしているようだった。
しかし、それも今日までだ。
今日こそ、井上心葉は朝倉美羽に告白するつもりでいた。
自分が、井上ミウなのだと。
今まで色々な段取りがあったりと何かに理由をつけて延期していたのだがそれはもう終わりだ。
この告白は朝倉美羽にとって何よりも残酷な事だと井上心葉は理解していた。何故なら作家になりたかったのは心葉ではなく美羽だったのだから。
「……怒るかな、美羽」
この告白をしたら、彼女は怒るだろうか。そう思うと腹を括った筈なのに身体が芯から震える。
あとほんの少しの勇気が心葉には必要だった。そう、その小さな背中を押す何者かの存在が。
「縣君に一度相談してみようかな」
♪ ♪ ♪
二時間目が終わり長い休み時間。井上心葉はクラスメイトにして数少ない友人である縣幸太郎の席に来ていた。
「井上君、どうしたんだ?」
「少し例の件でね」
縣幸太郎は家族を除けば自身が井上ミウである事を知っている唯一の人物だ。と言うのも、応募前の赤入れは彼が行っていたのだ。
文法的なミスは殆ど見つからなかったものの文章の順番を入れ替えたりとガッツリ制作に関わっていたりする。
そんな訳で縣幸太郎は心葉の裏事情を丸っと網羅している訳だ。
「例の件って言うと、遂にバラすんだ」
その声にコクリと頷く。
「あれかな。いざ言おうと思ったけど怒られるんじゃ無いかって気が気でならない感じかな?」
「凄いね、縣君は。何でもお見通しみたいだ」
そう言うと縣は「まぁね」と自慢げに糸目を更に細めた。
「ま、一つ言える事があるとするなら。……ヤン、ゲフン。朝倉さんは怒らないと思うよ。彼女が君の前で怒りを露わにした事が一度でもあったかな?」
「そう、だね。うん、そうかも。ありがとうね縣君。少し気分も落ち着いたよ」
そう言うと心葉は歩き出した。
朝倉美羽の元に。
♪ ♪ ♪
嘘は言っていない。そう、嘘は決して。
彼女は怒らない。けれどそれがイコール健全なまま変わらないって訳では無い。寧ろその真逆だ。
彼女は起こらないが、その内心は怒りよりももっと悍ましい感情に支配されるようになる。
そして、それこそが自殺未遂の引き金となる。
ああ、ヤンデレちゃんがちゃあんと自殺しようと思ってくれるように駄目押しをしておこうか。
放課後、僕は目がガンギマリつつあるヤンデレちゃんを呼び止めた。
「……何?」
何と言うか、棘を最早隠そうともしない辺り相当追い詰められているようだ。この分なら勝手に自殺してくれそうだが愉悦部としては口撃しないではいられない。
「井上君に例の話を聞いたみたいだね。ねぇ、どんな気分なのかな。今、どんな気持ち?」
「……本当に最悪。コノハの件もそうだけどあなたに遭遇するなんて。……もう私に話しかけてこないで」
「釣れないなぁ……折角色々と助言しようと思ってたのに。このままだと君、捨てられるよ? 他ならぬ井上君に」
「何ですって?」
あ、釣れた。
煽り耐性が低くて助かる。
「だから、君が毎日挨拶してるのは新進気鋭の売れっ子作家。対して君は何だ。盗作して、窃盗して、挙句大賞に落選した敗北者だ。釣り合うと思っているの? だとしたら君の頭は彼以上にお目出度いね。いや、そもそも盗作しないと書けない君が応募用原稿を書き上げれるか疑問だねぇ。君、もしかして白紙の原稿用紙でも出したのかな?」
そこまで言うと学生カバンが振るわれた。
しかし相手は所詮非力な文科系女子の逆切れ。曲がりなりにもずっと運動部に所属してきた僕が当たる筈も無い。
「待ってって。だぁかぁらぁ、僕は助言をあげたいだけなんだってば。可哀そうな君の為にさ」
「……」
そう言いつつ懐から写真をチラリと覗かせると彼女は静止した。どうやら状況を理解するだけの冷静は持ち合わせていたらしい。
「まず言いたいことは、これまでのやり方では井上君を縛り付けられないって事。……あれでも井上君は君の妨害無しだったらモテてるし。それに売れっ子作家という追加特典まで出来た。優良物件だ。君と違ってね。そ、こ、でだよ。もっとガッチリ。これまで以上に深く心を繋ぎとめる必要があると思わないかい?」
「……どうするのよ」
「例えば……井上君の心をズタズタに引き裂いて忘れられなくする、とか。ああ、これは冗談。ほんの冗談。……とにかく何らかの方法で君の存在をこれ以上なく鮮烈に彼の心に刻み込んでやるんだ。君の持ちうる全て――命まで使ってさ」
「……」
「僕の助言はこれだけ。君がどうするかは君の自由だ」
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来る。きっと来る
ああ、失敗した!!
黒猫が見ていた!!
何故肝心な時にこそ都合良く見ているっ!!
答えろ、ランドルフ・カーターっ!!
♪ ♪ ♪
日に日にヤンデレちゃんは衰弱していった。けれどその目だけは一瞬異様な威圧感を孕むようになっていく一途なのは興味深い。
僕は夏の日差しを避けつつ優雅にスポドリで優勝しながらそんな事を思う。
「……そろそろ決めに来るかな」
決め、とは勿論ヤンデレちゃんの自殺未遂の事だ。
原作では植え込みがどうこうとかで生きていたのだが、果たして僕の介入によってどんなバタフライエフェクトが起こるのだろうか。とても気になる。あれだ。私気になります! って奴だ。
もしかしたら、本当に死んでしまうかもだが、まぁそれはそれとして愉しもうと思っている。
死のうが死ぬまいが過程の苦悩を愉しむ度量こそが愉悦部には必要なのだ。
さて井上君頻りに携帯の画面を見てはソワソワしている。
背後から近付いて画面に映る内容を覗き見ると、そこには予想通り屋上で待つ旨が記されていた。……にしても『青空に似ている』を意識しているせいか文面が厨二臭い。『青空に一番近いところで待ってる』って何なんだと言う話だ。原作を知らなければ首を傾げたに違いない。
ただそれを前知識無しで瞬時に解すあたり井上君はやはりヤンデレちゃんガチ勢だと思う。
ま、飛び降りるんですけどね?
放課後、僕はトイレに向かうフリをしながら井上君の後をつけた。ヤンデレちゃんの窃盗写真を撮る為に磨いた気配消去能力のお陰もあってか井上君を含めて周囲の人間には全くバレてはいないようだ。
僕は井上君が屋上に上がるのを確認すると手前の階段を陣取る。
井上君はヤンデレちゃんが飛び降りたらとても良い感じの声で絶叫してくれるからそれを目印にひょっこりと顔を出そうと思っている。で、井上君の泣き顔で優勝と。
ああ、因みに井上君ボイスは終わセラの優ちゃんやFate/Zeroの子供切嗣、遊戯王ゼアルのアストラルとかあの花のじんたんエトセトラ……。兎に角良い声している。だから、と言うわけでも無いのだが絶叫ボイスが非常に楽しみだったりする。
……脱線した。
さて、渾身の「美羽っっ!!」まで暫し待つか。
〜三分経過〜
「あれ、結構早めに落ちた印象あったけどこんなに時間掛かったっけ?」
〜五分経過〜
「おかしい。井上君が粘ってるのか? それともヤンデレちゃんが投身自殺以外の事をしようとしてるのか?」
僕は少しだけドアの隙間から顔を出す。
するとそこには必死にヤンデレちゃんを引き止めようとしている井上君の姿があった。
「ありゃ、もしかして全力で引き止める井上君に絆されちゃったかな?」
とは言えヤンデレちゃんは既に柵を超えている。原作では柵を超えていないしここで一波乱あるやも知れない。
そんな事を考えていると井上君がヤンデレちゃんに手を伸ばした。そしてそれに呼応する様にヤンデレちゃんも手を伸ばし……寸前で停止した。まるで良く無いモノを見てしまったかのように。
「これ、愉悦無しルートなのでは……あ?」
いや、方向的にヤンデレちゃんが見てるのは間違いなく僕だ。
何見とんねん。僕なんて見てないで井上君を見るべきだろう。
そんな感じで少しの怒りを込めた視線を向けると片手を井上君に向けていたヤンデレちゃんは動揺故かバランスを崩して、そのまま落下した。何というか、あっさりとした落ち方だった。
……これ、僕が悪いのだろうか?
「美羽っっ!!」
原作とは違い後一歩の所を助けられなかった井上君の絶叫が青空の元に響き渡る。
何だか特大の失敗をやらかした気がしたのだがそれはさておき。絶叫と絶望は満足いくものだった。
なので、大きく息を吸い込むと内心で高らかに喝采する。
この戦い、我々の勝利だ!!
ヤンデレちゃんは無事に投身し、原作以上にヤンデレちゃんを崇拝していた井上君はヤンデレちゃんを助ける事が出来ず原作以上の絶望。素晴らしい結果だ。
まぁ投身のドラマ性が無くなってしまったのは悲しいがそれは致し方無しだ。それよりも井上君の顔だ。愉悦みが深い。それでマイナス分は相殺。結果的には充分プラスだ。
素晴らしい結果に詩の一つでも吟じて……。
「縣君?」
吟じて、みたい気分だ?
声の方を向くと、そこには学生鞄を持った黒部ちゃんが立っていた。
不味い。歓喜で打ち震えていたはずの脳に冷や水がぶっ掛けられる。
この状況はあれにも似ている。例えるなら、そう。人狼が人を殺している場面を村人にバッチリと見られてしまった。そんな感じ。
では、現状に於いて僕の取るべき行動とは、何だ?
「黒部ちゃん! 大変なんだ! さっき朝倉さんがそこから落ちたんだ! 早く先生を呼ばないとっ!!」
パッションだ。
僕の熱演と混乱で正常な思考を奪ってやる。
「……分かった。早く職員室行かなきゃ、ね」
乏しい表情のせいで騙せたか騙せてないかの判別が難しい。
黒部ちゃんはやはり厄介だ。井上&ヤンデレちゃんサイドに集中していたのが仇になったか。
ともあれ言い逃れの手段なんて幾らでもある。幸いあの場の井上君は僕に気付いてはいなかった。騙せる、筈だ。
僕は黒部ちゃんと共に職員室に駆け込みヤンデレちゃんが投身した事を説明した。先生たちもこれには気が動転したのか追求はナシ。僕達はそのまま帰路に着いた。
「……縣君、縣君はどうしてあそこにいたの?」
途中、黒部ちゃんにそんな事を聞かれた。
「……井上君の様子がおかしかったんだ。頻りに携帯を気にしていたし。それで画面を少し覗き見したら、『屋上』って書いてあって。それで、トイレ行ったりしてたら井上君の姿が無くて。帰ったと思ったんだけど、屋上が少し気掛かりでね」
「……そ。……朝倉さん、生きてると良いね」
全く、愉悦を仕掛ける側も楽じゃない。
人狼ゲームが得意じゃなかったら既に詰みだ。
「ところで縣君」
「何かな?」
「縣君は朝倉さんの事、好き?」
「へ?」
意図のわからない質問に思わず素っ頓狂な声が漏れる。
「いや、いやいや。それは無いよ。たしかに仲の良い女友達だけど朝倉さんは井上君と付き合ってるしね。親友の彼女を好きになる趣味は無いよ」
そう返すと黒部ちゃんは一言「安心した」と呟いた。
「それは、どうして?」
「だって朝倉さん、縣君にだけ対応がまるっきり違ったから。素の自分を曝け出してるみたいや感じで。だって、平時なら大人しいのにあの時は縣君を鞄で殴ろうとしてたし」
愉悦回と見せかけたガバ回でございました。
如何だったでしょうか?
さてさてアンケート更新しております。
主人公を井上君に変更すると原作の謎解き+縣君の愉悦工作の考察が始まります。ミステリ始まるってマ?
多分章の最後に縣君サイドのネタバラシが入るかと。
変更ナシ。初手から原作の謎解き要素ネタバレ。謎解きなど知った事か。黒部ちゃんに苛々しつつ愉悦しようと頑張る。
両方やって♡→実質の死刑宣告。作者は死ぬ。
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人物&人間関係についてのまとめ
登場人物紹介
・縣幸太郎
今作の主人公にして生粋のド畜生転生者。原作知識を悪用して原作キャラを絶望させようと毎日せっせこ暗躍に勤しむ。
見た目はBLEACHの十三キロの人に似ており、とんでもない糸目。睨むと結構怖い。
基本高スペックではあるものの文学少女特有の人間関係のガバに翻弄されている。
ニャルラトホテプになりたいっぽい。
・井上心葉
原作主人公にして諸悪の根源であり縣の愉悦対象の筆頭。原作でも朝倉美羽に対して相当アレだったのだが、縣の介入によって恋心どころか信仰心に進化したヤベー奴。
原作では「コノハには、きっと、わからないだろうね」と言って投身されてしまったが、今回では必死の説得(狂)によって一時的に引き止める事に成功した。
縣君の地道な洗脳によってヤンデレ心酔タイプのヤンデレに進化した被害者(?)。恋は盲目ってレベルじゃない。
・朝倉美羽(ヤンデレちゃん)
ヤンデレの民にして井上心葉ガチ勢。或いは井上専用の生きるデモンズ・チェーン。
承認欲求と依存心の塊であり井上君がいないも破綻する哀れな生命体。窃盗の常習犯でもあり、その現場を縣に押さえられたせいで原作以上にヘラった。
投身の際、心葉の強烈かつ歪な信仰心(狂)によって承認欲求が満たされかけ「死ななくても良いのでは?」となるも、ドアの隙間からこちらをじっと睨み付ける縣を目視してしまい動揺(SANチェック失敗)。結果バランスを崩して転落してしまう。
おいたわしや……。
尚原作では生存し、芥川(三巻のメインキャラ)を引っ掻いたりしており、その際芥川は「猫にやられた」という旨の会話で井上君を誤魔化したりしている。あと、琴吹(負けヒロイン)にビンタされた場面では「性悪猫」と呼ばれた。
やはり猫。
・黒部子猫
今作のオリジナルキャラ。
名前の通り猫っぽい見た目をしている。
縣とは事故を起こしそうになって以来親しくなった。
性格はとんでもないレベルの気紛れ屋であり、あっちにフラフラこっちにフラフラがデフォルト。縣に対して恋愛感情は持っているのやら持っていないのやら判別がつかない。
ただ、縣がヤンデレちゃんに対してOHANASHIする過程で鞄で殴られかけた事を目撃している他、いつからかは判明していないものの屋上付近の階段で縣を目撃している。
ナズェミテルンディス!!
取り敢えず猫。
・天野遠子
原作ヒロインにして物語を食べるガチの妖怪のようなもの。何故紙を食べるのかと突っ込んではならない。縣からは一方的に敵視されている。尚現時点では本人未登場の模様。
原作では想像や妄想を用いて様々な人間関係の拗れから来る問題を解決して来た凄い人。
天野遠子あるところにファンブル無し。小さなポカはあっても肝心な時は絶対に外さないご都合主義の塊である事から縣からはスマイルワールドと揶揄されている。
出会ってもないのに酷い風評被害。
余談ではあるが、原作では三つ編みが猫の尻尾に喩えられている。
また猫かぁ……(諦め)。作中の猫がそろそろ飽和しそう。
・ランドルフ・カーター
ラヴクラフトの作品に登場する架空のキャラクター。夢幻郷カダスでニャルラトホテプと対決した上で出し抜いたりするヤベー奴。
猫好きであり、猫の軍勢でもって神話生物と戦う場面がある。兎に角ヤベー奴。
猫に救われ、猫で戦う男。
猫です。よろしくお願いします。
・ニャルラトホテプ
ラヴクラフトの作品に登場する邪神。また、ラヴクラフトの作品のタイトル。
外から来たるメッセンジャーであり破滅を見るのが趣味の愉悦部の鏡みたいな邪神。大抵イケメンな描写をされるトリックスターでもある。
いあ! いあ!
現時点の人間関係
・縣幸太郎
井上君←愉悦対象。絶望して♡
ヤンデレちゃん←愉悦対象。後々傀儡にしてやるぜ。
黒部ちゃん←悩みの種。居ると困るものの愉悦の対象外の為対応に困る。
天野遠子←負かす。絶対にだ。
・井上心葉
縣君←親友。出会って五秒でハイタッチ。
美羽←女神。或いは物語の翼で無窮の空を飛び回る天使。これ以上素晴らしいものある? 無いよね? あって良い筈ないよね? だよね?
黒部さん←親友の友達(?)。ずっと縣君を見てるような……。
・朝倉美羽
縣幸太郎←嫌い。犯罪バラされたりしないか気が気でならない。ただ、どうしてか邪魔はしてこないし、助言もくれる変な奴。と言うか糸目怖い。
コノハ←犬。誰にも渡さない。渡すものか。刺す。
黒部子猫←誰?
・黒部子猫
縣君←???
井上君←???
朝倉さん←???
何と現時点で女性陣は漏れなく猫()
たまげたなぁ。
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ばっどえんど⭐︎えぴそーど0
これも愉悦に入るのか……?
いやらしい声が蘇る。
「貴方は特に大学の文芸のサークル活動に力を入れてたらしいけれど、何か役職はありましたか? あ、ありませんか。成る程……」
いやらしい声が蘇る。
「君は社会舐めてるのか? 確かに君は順当に大学を卒業出来るだろうけどそれがどうしたの。良いか? 卒業するのは当たり前。問題はその過程で幾つ社会に役立つスキルを会得できたかだ。その点君は全くと言って良い程不適だ。試しに名刺の渡し方の作法を諳んじてご覧よ。さぁ、早く。どうしたのかねそんなに震えて。さぁ、言え!! だから君は駄目なのだ」
いやらしい声が蘇る。
「いやー、内定取っては蹴ってを繰り返すの超楽しい。君もやってみなって。凄く良い気分になるから。へ? 内定がそもそも取れない? 何だそれ。ふーん」
いやらしい声が蘇る。
「就職活動をもっと頑張りなさいよ!! ××さんところの◯◯君ももう内定決まってるのよ!?」
いやらしい声が蘇る。
「君は面白みの無い人間だ」
いやらしい声が蘇る。
「君ってさ、平凡だよね。もっとさ、ホラ凄い特技とか無いの? 何だ、無いのか。面白く無いな」
いやらしい声が蘇る。
「確かに個性は認めるよ。認めるけど。ぶっちゃけ個性で生きていけると思っているの?」
いやらしい声が蘇る。
「想像力豊か? 業務中に他ごと考えられるなんてデメリットでしかないのが分からない?」
♪ ♪ ♪
とあるアパートの一室でスーツ姿のその男は今日も泣いていた。
「もう、嫌だ。生きたくない……」
男の片手には、ストロング飲料。もう片手には市販の風邪薬。男はストロングの缶を煽ると、その口にガバガバと市販の風邪薬を放り込んだ。勿論、用法用量など守っていない薬物の乱用……オーバードーズだ。
男はオーバードーズの常習犯だった。
ハゲ散らかした頭は副作用故か、それともストレス故か定かではないが、それでも一目見れば分かる。
この男は、どうしようもなく破綻していた。
元々はこんな風では無かった。
小中と普通に暮らし、無難な進学校に進学。そして文芸部で文学作品に親しみ、時には自分でも小説を書いたりしながら普通の大学に進学した。何もかも順調、とは言えないが概ね平凡で幸福な人生だった。
それから男は作家を志す。大学生の内に大賞を取るのだとアルバイトは最低限にして文筆に集中した。しかし結果は芳しく無くいずれも残念な結果となった。
暗雲が立ち込めたのはきっとその頃からだろう。
就職を見据える頃、自分は何を頑張って来たのかと問われ、それに答える。
「小説を書いたのだ」と。
問うた人は笑った。「馬鹿か、アルバイトか資格か、スポーツの大会と答えろよ」と。
男は「小説の大賞だって大会と似たようなものだろう」と反論する。
「じゃあ、会社で小説書いて。どうすんの?」
そこで、自分が唯一研ぎ澄ませた刃が、何の役にも立たないゴミカスなのだと理解した。
男は筆を折ると、それをゴミ箱に放り投げた。
それからは取り憑かれたようにバイトに精を出した。だが、遅かった。
周りの人間は二歩も三歩も前に進んでいたのだ。
結果、男は就職活動で惨敗を喫した。
その頃の男の口癖はこうだ「ご都合主義なんてクソ喰らえだ。そんな物は存在しない」。
男は八つ当たりのようにご都合主義の権化を……ライトノベルを古本屋に売り、その金でストロング飲料を買った。
そして、一月も経つ頃には沢山あった筈のライトノベルは一つのタイトルを残すのみとなった。
文学少女。それは男がこの世で一番好きなライトノベルのシリーズだった。
文学作品を知るきっかけであり、物書きを志望した原因。
鬱屈した感情もこれを読めば治るかも知れないと男はそれをまた読んだ。
「……は?」
第一声は、困惑だった。
読んだのは第一巻、『死にたがりの道化』。前に読んだ時は皆生きていてよかった、だった。だが今の感想はまるで違った。
どうして、死にたがりを死なせてあげないのか。
生きることは辛く苦しい。なのに、何故死なせてあげないのか。死なせてあげるのが仏心なのではないのか。
「違うだろ……。それじゃ駄目だろ……」
続く二巻は、良かった。
だが、三巻は駄目だ。芥川も更級も罰を、死をそれぞれ望んでいる筈なのに何故死なせてあげない。どうして無理矢理生かす。ご都合主義的な妄言で改心までさせて。
ここで大人たちが喧伝する、無責任な言を思い出した。
「辛くても笑え。前を向け」
人々はそれを賛美するが、男にとってそれは詭弁にしか聞こえていない。
辛くしている元凶が、なんと白々しい。
結局、そうなのだ。
聞き心地の良い言葉のみを賛美する。誰もが。そして、物語の中でさえも。
もうこりごりだった。精神論なんかはもうとっくの昔に聞き飽きていた。
現実のそれから逃げたくて物語を開いたというのに何処までもその妄信を見せつけられるのは、地獄だ。
「ああ、駄目だ。結局これもご都合主義だ。現実じゃ、ない。現実はこうならない! 現実はもっと辛い!! 現実はもっと厳しい!! 誰も助けてくれないっ!! このキャラクター達は現実を何も分かっちゃいないっ!!」
男は古本屋に行くと、激情のままに全巻を売り払い、風邪薬とストロング飲料を買った。
……以来男は廃人同然となった。
文学という最後の友を自ら手放しだ男は惰性でその日をやり過ごすようになった。そう、やり過ごすだ。生きてなどいない。
ただでさえ細かった身体は更に痩せ細り、生気は消え果て、生きる屍となった。それでも毎日罵詈雑言を子守唄にしながら混濁する意識のまま生存した。
だが、オーバードーズを繰り返す男の元に碌な明日はやって来よう筈もない。男を誰も救わない。男を誰も愛さない。
酔いとオーバードーズの齎すふわふわとした心地のまま夜道に繰り出せば、男はトラックに轢かれ、そのまま短い一生を、終えた。
アル中ヤク中自殺志願者だけど心中してない上、出版してないから太宰治以下、つまりギリギリ人間失格にはなってない!
ヨシ!
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至福と雌伏。それは似ているようでかなり遠い
嫌な夢見だった。
エアコンが付いているにも関わらずパジャマにはビッシリと汗が付いており動悸が酷い。
「……本当、嫌な朝だなぁ」
殺す潰すと宣いながらも僕の神経は存外に細かったらしい。
寝室の窓から外を眺める。天気は生憎の曇天だ。僕の心情を照らし出したかのようでもある。
昨日の投身のせいで学校には警察が来ており本日は臨時休みだ。ただ休みとは言え気が休まる事は無い。僕には考えなければならない事が山ほどあるのだから。
先ず、僕の行動を見られたかもしれない黒部ちゃんの対処。
そして、ヤンデレちゃんの傀儡化と井上君の自殺回避だ。
だがまぁ、どれもこれもそう急ぐ事はないだろう。黒部ちゃんが見ていた一件については幾らでも言い訳は効くし、自殺回避については井上君宅に定期的に手作りお菓子を持ちながら一声掛ければ良し。一番難しいのはヤンデレちゃんだが、こちらに関しては中学三年生と高校一年生の合計二年の猶予が与えられている。投身の関連を疑われる今のタイミングで動く必要性は感じられない。
「となると、次の目標は受験か」
これからはまたまた雌伏の日々が始まる。そう思うと、なんだか少しだけ気分が塞ぐのは何故なのだろうか。
「……そう言えばそろそろオープンスクールの時期も近いか」
なら、少し行って見てくるのも良いかもしれない。僕の最大の敵となるであろう天野遠子の元に。
♪ ♪ ♪
時が流れるのは存外に早いもので夏休みに入り、高校のオープンスクールが始まる時期となった。
そして僕は第一志望の高校であり原作の舞台でもある聖条学園へと足を運んでいた。……何故か、黒部ちゃんを伴って。
事の起こりは黒部ちゃんについポロリと志望校を漏らしてしまった事からだった。原作に黒部子猫なんてキャラクターは登場しないからと油断していたのだが、どうやら黒部ちゃんの志望校も聖条学園と判明してしまったのだ。
それからあれよあれよと言う間にオープンスクールが話題に上がり、ご一緒する日程まで組まれてしまった訳だ。
しかし……。
「黒部ちゃん? 何か距離が近くない?」
「ん? 普通だけど」
隣に立って理解した。黒部ちゃん、パーソナルスペースがとても狭いのだ。いや、僕のパーソナルがだだっ広いのかもしれないが。それにしたって距離が近すぎる。
これではまるで中学生カップルがオープンスクールにかこつけてデートしているようではないか。
と言うかそう見られても仕方の無い距離感になっている。
とは言え、人のパーソナルスペースと言うなら何も言い返せない。
こんな所を天野遠子に見られたらあらぬ妄想をされるに違いない。後々文芸部に入る身としてはそれは極力……。
「僕って運が悪いのかな……」
避けたかったのだが運悪く文芸部のビラを配る天野遠子に遭遇してしまった。
「そこの貴方達、文芸に興味は無いかしら?」
澄んだ声が耳に響き、猫の尻尾のような三つ編みがぴょこんと跳ねる。
抜かった。確か原作の一巻でもビラ配りの描写はあった。それは偏に文芸部の人手不足であったから。となれば未来の新入生が来るかもしれないという場面に彼女が動かない訳がない。彼女のアクティブさを完全に失念していた。
元々一度対面するくらいなら良いだろうと思っていたのだが、黒部ちゃんが無限に邪魔過ぎる。投身の一件を話すとは思わないが、将来的なラスボスと現時点の目の上のたんこぶが一堂に会すると思うと、正直病みそうになる。
「……文芸部。ん、ちょっと気になるかも」
「あ゛っ」
しかし僕の思案をあざ笑うかのように先んじて黒部ちゃんが逃げ道を潰してきた。
「まぁ! それじゃあ一緒に部室に向かいましょう!!」
「……行こ?」
そして僕は、黒部ちゃんと天野遠子によってドナドナされたのだった。
♪ ♪ ♪
やって来たのは本の塚の連なる文芸部の部室。実際に来てみると古い紙独特の甘いような匂いがする。
「ここが文芸部の部室よ。沢山の本があってまるでスイーツのバイキングみたいで素敵でしょう!」
「は、はぁ」
彼女は文を食べちゃうほど愛している文学少女だ。だから彼女にとってその表現は適切なのだろうがやはりコイツ普通の人間じゃない感が強い。
「ここは、何をする部活……?」と黒部ちゃん。
「ここでは実際に物語を書いたり、本を読んだりする部活よ。そうだ、折角だし貴方たちも何か文章を書いてみたらどうかしら!」
「文章って言っても何を書けば良いんですか!?」
「あら、そんなに気負う事は無いのよ? 文章は自然に書くのが一番なのだし。今貴方たちの感じているありのままを書いてみるのが良いんじゃないかしら」
……あ、この先輩完全におやつ狙いだ。
先ず、天野遠子という妖怪は大の恋愛好きだ。そういった物語は食べると文字通り甘酸っぱい味がするのだとか。まぁそれはさてお勝手に恋愛相談ポストを設置する程度にはそういった話に飢えている。
で、僕は現在黒部ちゃんをごくごく近くに置いている訳で。
……まず間違いなくカップルと勘違いされている。
時間を巻き戻したい衝動に駆られるがそんなことが出来る筈も無く僕は無力にも椅子に座ると筆記用具を手に持つ。
しかし天野遠子よ。
貴女は甘ったるいラブストーリーをご所望なのだろうが、相手はこの僕だ。
生前はワナビーとして生きた人間の力を舐めて貰っては困る。
僕はペンを走らせた。
僕の書くのはペルソナ4の足立さんサイドの話……からペルソナ要素をそっくり全摘出したような物語。
ヤンデレちゃんの盗作を指摘した人間がやるような行動ではない?
いいや違う。これはオマージュだ。ギリギリだがグレーゾーンに収まっている。完全パクリとは違うのだ。完全パクリとは。
そんなこんな経過する事五十分。久しぶりに物語を書いたからか熱が入ってしまった。
「……ふぅ。……ん?」
原稿用紙から顔を上げると黒部ちゃんと天野遠子が何やらびっくりした表情でこちらを見ていた。
「……凄い集中力だった。あんなに真剣な縣君初めて見た」
「そうね。書く量も多いし君は文芸部に向いてるんじゃないかしら」
「そ、そうですかね」
「そうよ」と言うと彼女は原稿用紙を手に取り読み始めた。
「さてと、書くもの書いてたら時間過ぎちゃったし。そろそろ行こうか黒部ちゃん」
「先輩の総評とか聞かなくて良いの?」
「まぁそれ聞いてちゃオーケストラ部の演奏に乗り遅れちゃうし、ね」
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失敗は起こるべくして起こる。ソースは僕
……それと縣君達をそろそろ高校入学させたいな。
天野遠子は通常の食事の代わりに紙に書かれた文章を食べる少女だった。
普通の食事では味蕾を刺激される事が無い代わりに文章にこそ味を感じる事から原作小説では妖怪と揶揄されていた。それに対して本人が「文学少女だ」と声高に否定するまでが一括りな節もある。
それはさておき、天野遠子は縣と黒部の居なくなった部室で二人の書いた文章をじっくりと読み込んでいた。
黒部の書いた文章は思ったこと、感じた事を素直に書いたものだった。
やはりと言うか縣の事を心底気に入っているらしく淡い恋心の影が見え隠れしている。いや、寧ろ見え、見え、隠れ、位はっきりと見て取れる。ただ、縣の方は素っ気なかったり、ずっと苦しそうな顔をしていて見ていられない時もあると言った旨が書かれており少しビターな風味がする。
「やっぱりこれよ! シロップ漬けにしたさくらんぼ! それにちょっぴりビターなチョコ! まるでそう、喫茶店に出て来るパフェみたいでとっても美味しい〜〜っ!」
思春期特有の甘酸っぱさとほろ苦さの混在するレポートは正に彼女の思惑通りのものだった。おやつを書いてもらうにはピッタリの人選だったと考え表情を弛緩させる。
「残るは縣君の文章ね。一時間近くも掛かっていたし。これは文学少女として期待が膨らむわ!」
ただ一点気がかりなのは彼が文を書いている時の表情だった。
真剣。……いや、鬼気迫っていた。
何が彼を駆り立てていたのかは分からないが何か恐ろしいまでの情熱……凄みのような物が感じられたのだ。
「と、兎に角読んでみましょう」
彼女は気合いを入れると文字列に視点を落とす。
彼が書いていたのは物語だった。タイトルは『The World is Full of Shit』。直訳すると、『世の中クソだな』。そのタイトルに思わず姿勢が固まる。
しかし此処で退いては文学少女の名折れと自分を鼓舞しながら読み始める。
その内容はアダチという刑事の男がある日突然莫大な権力を手にして犯罪に手を染める。そんな話だった。
「アダチさんはお友達に恵まれなかったのね。……ずっと一人で頑張っても報われなくて、ずっと他人が羨ましくて」
アダチは何処にでも居るような普通な人物だった。しかし報われない世に絶望し、権力を手にした瞬間世界に復讐するかのように悪事を起こし始めた。
そのアダチという男の報われなさと悲哀に胸がきゅっと締め付けられる。
特に前半孫に似ているからと「トオルちゃん」と呼んで世話を焼いてくれていた老婆が居るのだが、本物の孫が帰省してくるとアダチの事を「トオルちゃん」では無くただの「刑事さん」と呼び始めた場面は余りにも悲し過ぎた。
それに対して全然悲しく無い風に振る舞うアダチの心情を考えると、思わず涙が出そうになる。
そして最後の場面。
アダチは今まで犯した罪を暴かれた。それは、アダチとはまるで正反対な、友人に恵まれ、数多の才を持ったそんな青年に。
アダチはその青年に対して嘲るように言い放つのだ。
「お友達はどうしたの? 君らの探偵ごっこ最後まで見せてよ。あれすんごいウケんだよねぇ」
「みんな一緒に来ればいいじゃない。力を合わせて悪い奴を倒しにさぁ」
「友情・努力・勝利。君らそういうの大好きでしょう」
「のこのこやってきて説得しようとか考えてる君みたいのが一番腹立たしいよ」
「気持ち悪いんだよ。キミ」
「君はそうやって頼るんだよねぇ絆の力ってやつに!」
「努力とか愛とか希望、それに絆」
「アッハッハ! まるで道徳の教科書みたいだねぇ!」
「薄っぺらいんだよ。じゃあ教えてほしいんだけどさ。絆ってなに?」
「分かってないなぁ。だから君はダメなんだよ」
「信じるなんて言葉はね、人を押しつぶす呪いと同じさぁ」
「他人の心の中なんて分かりっこないでしょう」
「君が信じてるのは、この人はこうあってほしいっていう自分勝手な理想に過ぎないんだよ」
青年が善を説けばアダチは悪を吐き散らし、青年が愛を唱えればアダチは憎を宣う。それはさながら対極、陰と陽だった。
「でもよかったねぇ。君の仲間はきっと君を裏切ることはないよ」
「君らは相手の醜い部分、ダメな部分を見た上で、それでもいいんだよって寛容に受け入れたフリして笑ってる」
「気持ち悪い。他人の醜い部分なんて好きになれるわけねえだろ! バーーカ!」
「傷つきたくないから相手を傷つけないように健気に頑張ってる」
「そういうのをなんて言うか知ってる? 傷のなめ合い!」
「それが君たちの言う絆ってやつの正体さぁ!」
そしてその果てに……アダチは敗北する。
物語はそこで終わっていた。悪者が倒されて正義が勝利するありがちなハッピーエンド。しかし、アダチに一切の救いは与えられない。
彼は牢の中、ただ一人世を憎み続ける。
「渋くて、悲しいけど凄く上手……」
縣の物語は完成されていた。
基本となる「てにをは」は勿論、読点句読点のタイミング。それら全てが中学生とは思えない程巧みに用いられていた。しかし、それが才からでは無く彼自身の努力によるものなのだと天野遠子は察する。
これほど才を憎む文を書き綴る少年が、己の才覚ただそれのみでこの作品を書き上げたとは到底思えなかったのだ。
「それに、この文体……少し井上ミウに似てるわね」
物語の描き方も心象も全くの別物。そのはずなのに彼の作品の何処かが井上ミウに似ているような気がした。いや、寧ろ井上ミウの文体が縣の文体に近いのかもしれない。
「縣君は一体どんな気持ちでこの物語を書き上げたのかしら」
極端な糸目以外は、極々平凡な中学生のように見えた。しかし、その中身は文学少女たる天野遠子の想像をもってしても、見抜く事は出来なかった。彼は一体どんな人物なのだろうか。
ただ一つ分かった事がある。
読み終えた原稿用紙の最初のページに戻り、再びタイトルに視線を落とす。
『The World is Full of Shit』。……『世の中クソだな』。
彼はきっとこの世界を、何よりも憎悪している。
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黒猫は救済の方法を知らない。
さてさて、あっという間に二年生が終わり中学三年生。部活はとうに引退して時期は受験シーズンとなっていた。
この頃になると目が死んでる井上君が登校するようになってきた。ただ、その死に具合が予想以上で見ていてなんだか不安になる。
何せ、元々線が太い方では無かったけれど今は輪を掛けて細くなっているのだ。それこそ一瞬女の子と見まごうレベルで線が細い。きっと食べ物が喉を通らない期間があったのだろう。
これで、よく高校受験をしようと思いいたれたものだと思う。まぁ、僕がめちゃくちゃサポートしたのだけれど。
ただ、井上君が聖条を目指す理由がこうなるとは思いもしなんだ。
「僕は、縣君に置いていかれたく無いんだ……。ミウは遠くに行っちゃったけど、君の近くにいたいから」
「なら、遅れた分の勉強を頑張らないとね」
……原作に於いて、井上君の志望動機は一切語られていなかったと記憶している。
そこのところを少し不思議に思っていたのだが、その動機部分に僕がは入り込む形となったようだ。どうあっても井上心葉は聖条学園に入学すると言った部分に世界の強制力的な物を感じてしまう。
とは言え既に幾つものバタフライエフェクトを確認出来ているので僕の目指す終着点へと辿り着く事は恐らく不可能では無いと思われる。
因みに井上君の勉強は僕が教えている。受験用の勉強はもう足りているし、高校二年の内容もボチボチ網羅しつつあるから適役って訳だ。
それに井上君がもし受験に失敗したら何もかもがめちゃくちゃになるので、熱も入ろうというものだ。
「……ところで、黒部さん。ずっとこっちを見てるね」
「まぁ、いつもの事だよ」
諦めを込めながらそう答える。
いつからかは正確には分からないが、黒部ちゃんが僕をずっと監視するようになったのだ。
悪事を仕出かさないか見張っているみたいでどうにも居心地悪い。
出来得る事ならば早いところおさらばしたい。
とは言え、彼女の進学先は聖条学園ではなく女子バスケの強い別の女子校に進学校するらしいのでそれまでの辛抱と考えれば短いものだ。
……僕の高校生編に、彼女の存在ははっきり言って邪魔だ。
下校のチャイムが鳴った。
そして僕は普通に下駄箱に向かうと、そこには今朝には無かった筈の一通の手紙が入っていた。
「何だろ、これ」
不幸の手紙にしてはあまりにも綺麗だし、恋文にしては素っ気なさすぎる……気がする。貰った事がないから分からないが。
僕はその場で足を止めると手紙を即座に開封する。
「何だって……『お話しがあるので放課後に一階の空き教室に来て欲しい』。差し出し人は……黒部子猫」
件の、黒部ちゃんからのお手紙だった。
一瞬恋文かと思った自分が恥ずかしくなる。
だってそうだろう?
黒部子猫は、今や人間監視カメラなのだから。
しかし、一体何が露見した?
二年生後半から今にかけて大きな動きはしていないし気取られる筈が無いのに。それに気取られたとするならタイミングがおかしい。
僕はそんな事を考えながら指定された場所に向かうと。
「……来てくれて、嬉しい」
彼女が居た。
これで彼女の名前を騙るドッキリっていう線は消えたが、はてさてどんな話が来るのやら。
「それで、話って何かな?」
「……縣君、ずっと苦しそうな顔してた」
「ほぇ?」
言うに事欠いて、僕が苦しそうだって?
僕は筋金入りの愉悦民にして生粋のド畜生なのだからその指摘は余りにも的外れだ。馬鹿馬鹿しい。
「縣君はずっと苦しそうで見ていられなかった」
とは言え、義心を抱いていないと言うのは僥倖。僕の演技も相当上手くハマってくれているらしい。
「まぁ、そうだね。……朝倉さんの一件もあるし、苦しく無いと言えば嘘になるかな」
そうして俯くと意識的に悲しみの表情を作り上げる。
「違う」
しかし、それを彼女は一刀のもとに斬り伏せる。
「……違う?」
「縣君は楽しい時も、はしゃいでる時も、ずっと心が苦しんでる」
「……はっ」
僕は鼻で笑う。心? 苦しむような心が愉悦民にあると思ったのか。だとしたらその目は節穴だ。
僕は原作キャラを絶望に叩き込むまで止まらないと決めている。その過程を愉しみこそすれ、苦しいなどと思う事は、無い。
「私は、縣君が心配。だから、その……力になりたい。私は縣君が何で苦しんでるのか、分からない。けど、助けになりたい」
そこで、何故か頭がカッと熱くなった。
自負でも何故ここで熱くなったのかは分からない。けれど僕は苛立ちのまま口走らずにはいられなかった。
「……勝手に他人の心情を捏造してんじゃねぇよクソ餓鬼」
黒部ちゃんの顔が驚愕に見開かれた。その顔は……何処か悲しそうでそれが僕の原因不明な怒りに油をドクドクと注ぐ。
「助けるって、何だ。意味分からねぇよ。僕は他人の助けなんて求めてない」
「でも……っ!! だったら縣君は何を怖がっているのっ!?」
怖がっている?
は? 言っている意味が分からない。
遥か先の展開を知り、既に一部の物語の改竄に成功した、この神にも等しい僕が、一体何を怖がると言うのだろうか。
「捏造するなよ。お前の意見を、偽善を僕に押し付けるんじゃねぇ。……本当に、気持ち悪い」
嫌悪感を隠しもせずにそう吐き捨てる。
糸目を更に細め、威圧する。
けれども、黒部ちゃんが竦む事は無かった。
「強い言葉を使っても、痛いのは縣君の方でしょ!! 幸太郎の馬鹿ぁ!!」
それどころか、そう言い返してみせた。
僕はすかさず逃げるように踵を返して茜に染まる教室を出た。
いや、ように、では無い。僕は逃げたのだ。
あの場に止まれば最後、致命的に敗北してしまいそうな、そんな気がして。
「……心底苛つくなぁ」
ただ、黒部ちゃんは最後泣いていた。心底悲しそうに。
ウケる。そうウケる……。
……。
愉悦民にとっては女の子の泣き顔はサイドディッシュ。その筈なのに、どうしてか、胸が塞いだ。
そして、僕は卒業するまで彼女と話す事は無くなった。
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兎と神とビタービタースイート(上)
聖条学園。文学少女の主な舞台となる高校だ。オーケストラ部が代々強豪である以外は割と普通な共学の高校だ。
普通であれば素晴らしい青春が送れるであろう高校。しかしそれは大きな間違い。
この高校、矢鱈と病んでる奴やぶっ飛んでいる人間が多いのだ。そのせいでとんでもないスパンで自殺未遂やら人死が起きたりする。
さて、そしてぶっ飛んでいる人間と言えば、目の前に座る獅子の如き女性、姫倉麻貴がその筆頭だろう。
「それで、部員が三人しかいないお宅達は一体どんな演奏を見せてくれるのかしら」
原作突入まで一年を切った僕は、ヘラクレスもびっくり仰天な無理難題に挑むことを強いられていた。
♪ ♪ ♪
僕と井上君は晴れて中学を卒業し揃って聖条学園への進学に成功した。
合否の発表の日なんか、二人揃って合格した事を知るや否や井上母や井上父にめちゃくちゃ感謝された。ありがとうやら君のおかげやら何やら。
ま、絶望への片道切符を掴ませただけなのだが。
そんな訳で井上一家とズブズブしつつ井上君の様子を逐一ヤンデレちゃんにリーク。「悔しいでしょうねぇ」と煽りながら日々が過ぎ去った。
あ、因みにヤンデレちゃんの投身は複雑骨折で済んだ。とは言えやはり自身で動く事は現状かなり絶望的で外の情報、取り分け井上君に関しては僕からしか状況を受け取れないようになっている。故に婉曲も改竄もし放題。うーん、実にエクセレント。
そして井上君が文芸部に加入するタイミングで僕も便乗して入部した。
地味に面白かったのが、僕が文章を食べる事を知らない体で部室に居るものだから井上君と天野遠子が所々で誤魔化すのに躍起になっているのだ。まぁ、毎度稚拙な誤魔化しに乗せられてあげるのだが中々に笑える。何せ僕は全部知っているのだし。
とまぁ、ここまでは順調だった。
そう、だっただ。
文化祭の日が迫ったある日、天野遠子がこんな事を言い出したのだ。
「さぁ、心葉くん、縣くん。文化祭でバンド演奏するわよ!」
「「は?」」
あれほど綺麗に「は?」が重なった事が今まであっただろうか。いや、無い。
「無茶ですよ遠子先輩。大体、先輩は五線譜とか読めるんですか!」
「あら、大丈夫よ心葉くん。私を誰だと思っているの。私はありとあらゆる物語を読んで来た文学少女よ。五線譜くらい簡単に読んでみせるわ」
「読めても演奏出来なければ意味ないんだよなぁ……」
僕と井上君は揃って頭を抱える。
本来なら、文芸部の一年次の出し物はクロスワードパズルの筈なのだ。それがどうしてこうなったのかサッパリ理由が分からない。
「だって、麻貴が『お宅は新入部員が二人で寂しそうね。文化祭も大した出し物も出来ないでしょう』って煽ってきたんですもの! だから、対抗して『私たちは少数精鋭だからバンドを組んで演奏する位朝飯前よ』って言っちゃって」
「馬鹿なんですか……。先輩、今から麻貴先輩に謝りに行きましょう。それで前言を撤回するんです」
いやいやと駄々を捏ねる天野遠子を引っ張る井上君。はた目から見るととてもいちゃついているように見える。
「……これはヤンデレちゃんにリークしておこうかな」
さて、無理ゲーの始まりだ。
♪ ♪ ♪
姫倉麻貴。原作開始時点で三年生、つまり現在二年生。姫倉財閥が云々でこの学園の理事長の娘で云々。
要するにこの学園に於ける特権階級の者だ。
原作一巻から登場し、天野遠子に情報を渡したり色々やったりしたりと活躍の場面は多い。
そして、作中屈指の鋼メンタルの持ち主であり、一定時期が来ないと絶望させることが出来ない唯一の人物でもある。まぁ今はそこらへんは置いておいて。
「それで、どうかしたのかしら。もしかしてさっきの言葉を撤回しに来たのかしら」
「だ、誰が撤回なんてするものですか」
「ちょ、ちょっと先輩。話をややこしくしないでください。縣君も先輩を止めて」
やんややんや。
「ただ残念な事にお宅たちの為に良かれと思ってステージを押さえちゃってるのよね」
……出たよ、伝家の宝刀の強権。理事長の娘というネームバリューが強過ぎる。いや、そもそも彼女自身がとんでもなく強いのだけれども。
「あ、ありがとう麻貴……」
これには天下の文学少女も表情が引き攣る。
「それで、部員が三人しかいないお宅達は一体どんな演奏を見せてくれるのかしら」
ニコっと笑うのだが、僕にはそれがどうにも肉食獣の笑みにしか見えなかった。
♪ ♪ ♪
そして部室。
「……それで、どうするんですか。文化祭までもう残り時間なんてありませんよ! それに縣君も先輩を止めるの手伝ってよ!」
「あ! 先輩に向かってその言い草酷ぉぉぉい!」
カオスである。だが、うん。文学少女のノリって平時は大体こんな風だった気がする。
とまぁ、一人で夫婦漫才を聞き流しつつ爆弾を投下する事にする。
「まぁ、僕一人ならどうにかなるんだけどね」
「へ?」
「いや、だからギターだったら僕出来るよ。こう見えて僕、こういうのは得意なんでね」
実は、愉悦全く関係ないのだが、一年のうちにやってみたい事があったのだ。
それは文化祭イベントの名シーンを体感する事。
前世の僕は大変な夢想家で尚且つオタクだった。
だから、常々思っていたのだ。二回目の高校生活があるのなら、Funny Bunnyとか、God knows...とかBitter Bitter Sweetを歌ってみたいと。
そんな訳で今世ではギターを練習してみた。陰キャみたいな趣味をしていると他人から笑われる(前世の実体験)のでギターは趣味と実益を兼ねていたりする。
「最初は有志の枠で出るつもりだったんだけどね」
「縣君、そんな趣味があったんだ……」
「素晴らしいわ! それじゃああと一人集めればバンド完成ね!」
「……、待って下さい。バンドって四人必要なんでしたっけ?」
「ええ、最低人数は四人よ。これは良い機会だからもう一人文芸部に入部させちゃいましょう!」
「あ、外部ではありますけど、僕に心当たりはありますよ」
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兎と神とビタービタースイート(下)
さて、メンバーに心当たりがあると言ったが、これがぶっちゃけると我らが天野遠子と縁深いキャラだったりする。
「と言うわけで」
放課後、井上君と先輩を連れてスタジオに突入すると案の定その人物は女の子を口説いている真っ最中だった。
「僕の知人の」
と、そこまで言ったところで急に先輩が「ああっ!!」と大きな声を出した。しかしそれも仕方あるまい。
「げぇ、遠子姉ぇ!?」
彼の名前は櫻井流人こと、孕ませ堕胎強要ちんちん丸。略してちんちん。何と天野遠子の実の弟にして愉悦対象である。
あだ名が酷い? だが事実だから仕方ない。
近い未来コイツはあの姫倉を孕ませた挙句、妊娠が発覚するなり「そいつ絶対俺の生まれ変わりだから産むな!」と意味不明⭐︎な供述をしたりするのだから。
あ、因みに外見については、背は高め、肩幅がっちり髪型服装カジュアルって塩梅。いかにもモテそうとは原作二巻の井上君の言だ。
そんな訳で彼は一見すればただの行動力あるタイプのチャラ男に見えるのだがそれは世を忍ぶ仮の姿。実際は幼い頃に良かれと思ってコーヒーにそうとは知らず毒を盛ったり、自分が転生者だと信じて疑わないガチの狂人であり、真性のマゾヒストだ。ここまで来ると属性モリモリ森鴎外と言いたくもなる。
勿論名前が違っているのもちゃんと激重背景があるのだがそこは割愛。
で、何でそんな人物と知り合いになったかと言うと……まぁ、端的に言ってガバの産物だ。ギター弾けたら良いなぁと思って通ってたら何か居て、で、制服から学校がバレてそこからは芋蔓式。
ギターの練習に付き合って貰ったり、転生談義をしたりとまぁそこそこな仲を築くに至る。ま、愉悦するんだけどね。
「縣サン、どうして遠子姉がここにいるんすか!?」
「いや、ホラ。ちょっと力を貸して欲しくってね」
カクカクしかじかマルマルうまうま。
「って、時間全然無いじゃないっすか!? 無理っすよ流石に。縣サンならまだしもそっちの心葉さん……は兎も角うちの遠子姉が演奏が出来るわけないっす」
それに対して遠子先輩は頬を膨らませながら「酷ぉぉぉい!!」とぷんすこ怒り出した。
「私は古今東西の物語を読み尽くす文学少女よ。村上春樹のノルウェーの森だってつい最近読んだばかりだもの!!」
「ノルウェーの森って音楽小説ですらないじゃないですか!?」
「あら、心葉君知らなかったのかしら。ノルウェーの森はビートルズの曲から着想を得た作品なのよ。だから音楽との関連性はあるわ!」
「殆ど屁理屈じゃないですか!?」
井上君の絶叫じみたツッコミが響き渡る。そこで大きな声を出し過ぎたのを自覚してか井上君はコホンと咳払いをした。
「取り敢えず、遠子先輩は保留するとして。縣君はギターでえっと……」
「流人で良いっすよ、心葉さん」
「流人君は……?」
「俺は基本ドラムっすね。と言っても縣サンとは違って嗜む程度ですけど」
「縣君って、ギター上手かったんだね。知らなかった」
「まぁね」
まぁ、うん。何だ……練習が思いの外楽しかったからのめり込んでしまった結果だ。仕方ないだろう。このストレスフルなコンクリートジャングルで生き残るには愉悦とは別に吐口が要るのだ。
ここまで通い詰めたのはヤンデレちゃんの病院に行く途中にあったからでもあるのだが。
「にしても……これが例の心葉さん」
あ、やっべ。
ちんちん君が井上君をしげしげと観察し始めた。井上君は値踏みするような視線にちょっと引いている。
そう言えばちんちん君は遠子先輩と井上君の過激派カプ中だった。今変に手出しされると……まぁ、身から出た錆か。原作に突入したら改めてその辺りは考えよう。
「にしても期間短いから今から楽器の習得は望めないし、二人の担当はDJ、タンバリン、ボーカル辺りが妥当そうだね」
「DJってあの? あのDJ?」
「そう、そのDJ。とは言っても着ぐるみ着てセットの前で盛り上げてればそれで大丈夫だからそんなに心配は」
「着ぐるみ!?」
れっきとしたハロハピ式DJスタイルなのだが井上君にはウケなかったらしい。
にしてもバンドリ、久しぶりにやりたくなって来た。あれは楽しかった。やっているうちは就職失敗の現実を見ずに済んだし。
「じゃあ、遠子姉がDJで心葉さんがメインボーカルで良いんじゃないすか?」
「だね。その上で曲を何にするかだけれど……」
すかさずレスポンスして井上君の発言権を奪ってやる。これで逃げられまい。さて、問題はここの選曲だ。Ying Yangとか出来たら面白いだろうがそれは流石に無理なので。
「Bitter Bitter Sweetとかどうだろ?」
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Bitter Bitter Not Sweet
井上君はきっと当日現れない。
唐突に何を言っているのかと言う話だが、まぁ聞いて欲しい。
原作小説では今年の文化祭はクロスワードパズルという事になっている。だが、バタフライエフェクトと言うべきかは分からないが今年はバンドになっている。さて、ここで原作三巻の内容を踏まえつつ上記の考えに至った理由を解説しよう。
まず、第三巻についてだが、まぁ文化祭の話だ。琴吹さんと色々とあったり大宮……じゃなくてAKTGWと喧嘩したり。AKTGWがメンヘラにへばりつかれた挙句病んで自殺しようとしたりするがそれは瑣末な話だとして。
重要なのは井上君が遠子先輩の説得ナシだった場合サボっていた可能性が高い点だ。
これに関してはAKTGWこと芥川君が苦しんでいるのが見ていられないというのがあるのだがつまり理由があれば井上君サボるんじゃね? と僕は考えた。
だから、ここでちょっと選曲で仕掛けさせて貰った。『Bitter Bitter Sweet』……デュエットで、尚且つラブソングだよな?
つまりこう言う事だ。井上君がサボればライブは破綻して、サボらなくても恋愛の古傷を抉れる。両親には予め撮影・録音をお願いしてあるから後でそれをヤンデレちゃんに送り付けるのも良い。
いやぁ撮影録音が合法的に出来る文化祭……端的に言って最高かよ。
とまぁ、そんなこんなで迎えた文化祭の当日。
井上君の姿は……。
無い、ヨシ!!
「心葉君……家まで迎えに行かないと」
「遠子姉何言ってるんすか!? リハまでもう時間ないっすよ」
「そもそも僕の方には井上君のご両親から体調不良って連絡あったから迎えも何も無いと思いますけどね」
そう言うと遠子先輩は目に見えてしょんぼりとした。うんその表情良いよ。もっとやって欲しい。
「今回の曲ってデュエットの曲っすよね。どうするんす? はっきり言ってオレだとキーが合わないから無理っすよ。で、遠子姉は論外だから代役を立てるしか」
尚、ここまで僕の想定内。だからちゃぁんと解決策も用意してある。
それはズバリ遠子先輩を売って姫倉先輩に助力を――
「ん、縣君。久しぶり」
ピシリと、聞き覚えのある声に身体が強張る。
何で、何でここに居る?
「あなたは……もしかしてオープンスクールの日に縣君と一緒に居た黒部ちゃん?」
――なぁ、黒部子猫!!
「はい。縣君がバンドやるって聞いて、その学校サボって来ました」
しかも学校サボってまで来るなんて!!
考え得る限り最悪の面子だ……。天野遠子は勿論のこと、嘘や欺瞞に関しては人一倍敏感なちんちんも居るし、子猫ちゃんは言わずもがな僕の天敵だ。この場、敵しかいない。
しかも今ので確実にちんちんが関心を持ってしまっただろうから繕おうとすればする程ドツボにハマる可能性も出て来た。
厄日か、今日は!!
「それで、酷く動揺してたようだけど……どうかした?」
「それがバンドのメンバーの心葉さんが休んでライブが出来なくなったんすよ。代役を探そうにも今からじゃ時間もない有り様で」
「……曲目はBitter Bitter Sweet?」
あ゛っ。
思わずそんな声が漏れそうになった。しかしそれも仕方ないだろう。
その昔イヤホンの片側を貸してもらってお勧めだと言う曲を幾つか聴いた事があった。その大半はベッタベタのラブソングが多かったのだが、その中にあったのだ。…… Bitter Bitter Sweetが、しかも丁寧にブックマークまでして。
「欠けがボーカルなら、出来る……と思う」
「本当!?」
あ、あああああああっ!? 巫山戯るな!! 巫山戯るな!!
「じゃあこの際っす。それで行きましょう。縣サンもそれで良いっすよね。……縣サン?」
「そう、だね。うん。そうしよう」
結局、僕はそう言うより他に選択肢は無かった。
♪ ♪ ♪
結局、ライブはそこそこの成功で幕を閉じた。ギターを掻き鳴らしながら歌っていた時は心底楽しかったが、今思い返せばとことん苦々しい一幕だった。
「縣君、今日はゴメン」
「うん? 何が?」
「縣君、本当はずっと怒ってたから。だからゴメン」
「そんな事は……」
「それと、ありがとう」
「ありがとうって?」
「曲の事、覚えていてくれて」
違う。僕は曲の事なんて子猫ちゃんが来るまで完全に忘れていた。この選曲も愉悦したいが為で他意は全く無い。
「……僕は忘れてたよ」
「けど、思い出した」
「……」
ああ、本当に調子狂う。これだから嫌なんだ。僕を通して何かを見透かして来そうで。
「文芸部、入ったんだ。……うん、何だかしっくり来た。縣君、本を読むの好きそうだし」
子猫ちゃんの発言の一つ一つが一々癪に触る。
本が好き? まさか、とんでもない。
本は人に夢を抱かせるだけ抱かせるが、夢とは往々にして覚めるものに過ぎない。夢破れた男が立ち直る方法を本は示してくれない。
だから、僕は本なんて大嫌いだ。
「子猫ちゃん。勘違いしてるようだから言っておくよ」
ただ、心の底から一番嫌いだと、そう思うのは、
「僕は本も、そして君も、どっちも心底大嫌いだ」
他ならぬ、僕自身だ。
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つまるところ“はめフラ”って事
邪な神を崇拝する者の末路は往々にして碌なものではない。これは物語の類型的にはごくごくありふれた話だ。
やろうとした事を主人公に阻止される。或いは正義の味方に倒される。或いは信仰していた邪神に利用し尽くされて破滅するかもしれない。
ならば人の身でありながら神になろうとした者はどうか。
これも大概碌な事にはならない。
だから僕はきっとそう遠くない未来、破滅するだろう。
でもそれで良い。それだから良い。
天野遠子は僕を救えない。井上君じゃあ僕を助けられない。そして僕が破滅した後に残るその絶望を、喪失こそを僕は求めている。
これから始まる苦境苦難。君達はその真相を暴けない。例え救えたのだとしても“何か”を必ず取りこぼすだろう。
けれど、覚悟しろ。最後の秘された爆弾こそ最も注意をしなければならないものなのだから。
♪ ♪ ♪
休日、課題をこなした僕は机から一冊のノートを取り出した。
それはかの有名なジ●ポニカ学習帳。年齢相応でない見た目のノートだけれどもそれはさておき。
ただ幼稚に見えるのは外面だけ、中身は未来の出来事がびっしり細い字で書き込んである。その様は一種の魔導書のようにも見えるので僕はこれをネクロノミコンと呼んでいる。
「取り敢えず、現在の関係性と予想される変化を書き込もうか」
現在、僕の介入により既に話は既定路線を外れている。
先ず、僕が文芸部に居ることで天野遠子は部室で文章を食べなくなった。ここから想定出来る変化は色々あるだろうが、大筋に関わるかは微妙なところだ。
ただ、味のレポートもとい感想の発表は翌日にはしっかりとしているから家で食べているのだろう。
因みに僕は基本的にライトな所謂な●う系小説を毎回のように書いていたりする。三題噺をする度に『〜〜で無双する』等々書いているからかしきりに「縣君は他の作風を試してみた方が良いと思うの」とか言われた。
何でも展開が一辺倒な上に地の文が長過ぎるらしい。味は『豚骨ラーメンにカカオを大量に入れたような感じ』なのだとか。
……全く、腹立たしい事この上無い。
「……元の文体とストーリーで評価されていたらこうはならないよ」
評価されなかったから戦場を移して、少しでも読まれるようにと迎合して、その果てに作風を否定される。
好きなんだろう? 量産型みたいな展開と、何処かで見たような数打ちの文章が。これがお前達が望んだものだろう? だったら何故否定する。
ああ、本当に気持ち悪い。
創作活動なんてやはりクソだ。
「っと、論旨がブレた。軌道修正軌道修正……」
あと、大きな変化と言えばやはり井上君だろう。
文化祭の内容がクロスワードからライブに変わった事によって井上君がサボった。つまり三巻の文化祭もサボる可能性が出てきた。
これは良い兆候だ。井上君がサボれば芥川は救えない。芥川を救えないから文化祭は失敗に終わる。そして苦い失敗は周囲の人間の心を陰らせる。まぁ、取らぬ狸の皮算用。ここはしっかりと詰めて行こう。
ただ、後の変化は少し不安だ。
先ず井上君とちんちん君の邂逅が早まった。井上君がサボってくれたからちんちん君の心象は悪くなっていそうではあるがそれだけにちんちん君が何を仕出かすか分からない。
妙な行動力があるし、しかも馬鹿なようで滅茶苦茶聡い。
気取られれば最後、計画が破綻しかねない。
「一先ずはこんなところかな」
まだ書き込みのないページまで捲るとペンを手に取る。
そして綴るのは僕のこれからの方針だ。
・一巻、竹田千愛を自殺させる。
・二巻、基本不干渉のスタンスを取る。場合によっては雨宮蛍の復讐を手助けしても良い。
・三巻、芥川一詩とメンヘラ女を両方とも廃人にする。
・四巻、疑惑を疑惑のまま迷宮入りさせる。
・五巻、全部終わらせる。場合によっては最後の切り札を切っても良い。
・六巻以降、先は無い。よって思考する必要性を感じない。
尚これはあくまで目標であり、五巻の目標さえ達すれば一切を僕の勝利と見做す。
「さて……楽しいゲームをしようか」
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