蒼海のRequiem外伝 ~北天の流星~ (ファルクラム)
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人物設定

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〇 ドイツ軍

 

エアル・アレイザー

24歳

人間、男

 

備考

ドイツ帝国海軍中佐。巡洋戦艦「シャルンホルスト」艦長。軍人らしくないくらい穏やかで温和な性格。ぱっと見、かなり頼りない。下に弟と妹がいる。

 

 

 

 

 

オスカー・バニッシュ

24歳

人間 男

 

備考

ドイツ海軍中佐。巡洋戦艦「グナイゼナウ」艦長。エアルとは士官候補生時代からの友人。冷静沈着で堅実な性格。

 

 

 

 

 

 

シャルンホルスト

14歳(外見)

艦娘

 

備考

ドイツ海軍、巡洋戦艦「シャルンホルスト」の艦娘。シャルンホルスト級巡洋戦艦の1番艦。愛称は「シャル」。性格はアグレッシブで、やや子供っぽい。じっとしているより、体を動かして痛いタイプ。一人称は「ボク」。

 

 

 

 

 

グナイゼナウ

14歳(外見)

艦娘

 

備考

ドイツ海軍、シャルンホルスト級巡洋戦艦の2番艦。愛称は「ゼナ」。委員長気質で、真面目な性格。

 

 

 

 

 

シャルンホルスト級巡洋戦艦

 

基準排水量:3万1000トン

全長:235メートル

全幅:30メートル

最高速度:31ノット

 

武装

54.5口径28センチ砲3連装3基9門

55口径15センチ砲連装4基 + 同単装4基12門

65口径10.5センチ砲連装7基14門

3.7センチ連装機関砲8基

2センチ連装機関砲10基

 

同型艦「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」

 

備考

ドイツ海軍がヴェルサイユ条約破棄後、建造した初の本格戦艦。当初、ドイッチュラント級装甲艦を強化した艦になる予定だったが、フランス海軍が建造したダンケルク級戦艦に対抗するため、大幅に設計が強化された。主砲は当初、新型の38センチ砲を搭載する予定だったが開発が間に合わず、ドイッチュラント級の主砲を、砲身を伸ばした形で採用。その為、純粋な砲撃力は低い物となったが、ドイツ艦らしい堅牢な装甲と高い機動性を有し、列強各国の戦艦とも充分に渡り合えると評価されている。

 

 

 

 

 

ウォルフ・アレイザー

52歳

人間 男

 

備考

ドイツ海軍中将。エアル達の父親。総統直属武装親衛隊海軍部隊の指揮官。第1次大戦時、巡洋戦艦「デアフリンガー」艦長として参戦する。忠実かつ謹厳実直な性格で、ヒトラーからも信頼されている。

 

 

 

 

 

クロウ・アレイザー

19歳

人間 男

 

備考

ドイツ空軍(ルフトバッフェ)所属するエアルの弟。戦闘機乗りとしてポーランド戦から参戦。明るく子供っぽい性格をしている。

 

 

 

 

 

サイア・アレイザー

19歳

人間 女

 

備考

民間人。エアル、クロウの妹。クロウとは双子。面倒見のいい、明るい性格。技術屋。

 

 

 

 

 

グラーフ・ツェッペリン

外見、その他原作準拠

 

備考

航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」の艦娘。冷静沈着だが、どこかとっつきやすい印象のある少女。

 

 

 

 

 

グスタフ・レーベンス

25歳

人間 男

 

備考

ドイツ空軍大尉。航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」の収益に伴い、航空隊長兼爆撃機隊隊長として出向してきた。

 

 

 

 

 

 

デアフリンガー

18歳(外見)

艦娘

 

備考

故人。ドイツ帝国海軍 巡洋戦艦「デアフリンガー」の艦娘。第1次世界大戦時、ドイツ海軍の主力巡洋戦艦として活躍する。愛称は「テア」。ウォルフの妻で、エアル達の母親。落ち着いた印象の少女。スカパフロー軍港内で自沈、他界する。

 

 

 

 

 

シュレスビッヒ・ホルシュタイン

25歳(外見)

艦娘

 

備考

ドイツ海軍が第1次世界大戦前に竣工させた、ドイッチュラント級戦艦の5番艦。厳しくも優しい性格であり、多くの艦娘たちからも慕われている。とりわけ、自分に懐いているテアの事は、本当の娘のようにかわいがっていた。

 

 

 

 

 

アドルフ・ヒトラー

外見その他、史実準拠。

 

ドイツ第3帝国総統。元はオーストリア出身で画家志望の青年だったが、夢破れたのちはドイツ陸軍へ入隊。最前線で活躍する。戦後、ナチスに入党すると持って生まれたカリスマ性を発揮して頭角を現し、やがてはドイツ国家元首に就任。数々の政策を成功に導いたカリスマ的指導者。

 

 

 

 

 

ラインハルト・マルシャル

45歳

人間 男

 

備考

ドイツ海軍大将。第1戦闘群司令官である、エアル達の上官。柔軟な発想と大胆な行動力を持つ。史実におけるヴィルヘルム・マルシャル。

 

 

 

 

 

カーク・デーニッツ

59歳

人間 男

 

備考

ドイツ海軍潜水艦隊司令官。Uボート艦隊を主力とするドイツ海軍において、その事実上の最高指揮官。潜水艦乗りらしい柔軟な発想と戦術眼を併せ持つ。史実におけるカール・デーニッツ。尚、ご本人は、こんなセクハラ親父ではない(多分)

 

 

 

 

 

リンター・リュッチェンス

44歳

人間 男

 

備考

開戦時はドイツ海軍第2艦隊司令官を務める。手堅い戦術を好む反面、融通が利かない。史実におけるギュンター・リュッチェンス。

 

 

 

 

 

エヴァンス・レーダー

63歳

人間 男

 

備考

ドイツ海軍最高司令官。第1次世界大戦の経験者で、事実上の決戦とも言われたシェトランド沖海戦にも参加。その際に片目を失明する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〇 イギリス軍

 

 

リオン・ライフォード

25歳

人間 男

 

備考

イギリス海軍中佐。軽巡洋艦「ベルファスト」艦長。イギリス王室第8王子。口数が少なく寡黙な性格。母親は庶民出。

 

 

 

 

 

ベルファスト

13歳

艦娘

 

備考

軽巡洋艦「ベルファスト」の艦娘。勝ち気で、喧嘩っ早く、どこか子供っぽい性格をしている。

 

 

 

 

 

ディラン・ケンブリッジ

34歳

人間 男

 

備考

イギリス海軍大佐。戦艦「ラミリーズ」艦長。イギリス王室第2王子。傲慢で自己中心的な性格。

 

 

 

 

 

アンドリウス

34歳

人間 男

 

備考

イギリス王室第3王子。R部隊指揮官。好戦的で粗暴な性格。

 

 

 

 

 

コルドリウス

33歳

人間 男

 

備考

イギリス王室第4王子。R部隊参謀長。アンドリウスとは母親の同じ兄弟。兄に似ず冷静沈着な性格。

 

 

 

 

 

エドモンド

32歳

人間 男

 

備考

イギリス王室第5王子。重巡洋艦「コーンウォール」艦長。

 

 

 

 

 

エディアン

32歳

人間 男

 

備考

イギリス王室第6王子。R部隊駆逐隊司令官。エドモンドの双子の弟。

 

 

 

 

フレデリック

60歳

人間 男

 

備考

現イギリス国王。元軍人。

 

 

 

 

 

ウェリントン・チャーチル

64歳

人間 男

 

備考

大英帝国首相。タカ派の急先鋒で、対ナチス・ドイツ戦略路線を敷き、全国民を指導する。史実におけるウィンストン・チャーチル。

 

 

 

 

 

 

アルヴァン・グラムセル

56歳

人間 男

 

備考

イギリス海軍中佐。ディランの忠実な副官。

 

 

 

 

クレイズ・フォーブス

54歳

人間 男

 

備考

イギリス本国艦隊司令長官。史実におけるチャールズ・フォーブス。

 

 

 

 

 

ジャン・トーヴィ

52歳

人間、男

 

備考

イギリス海軍大将。史実におけるジョン・トーヴィ。

 

 



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第1話「史上最大の海戦」

 

 

 

 

 

 

 

 

 波濤を切り裂いて、巨大な艨艟の群れが征く。

 

 一つの国家が、その威信にかけて築き上げた大艦隊。

 

 その圧倒的な光景は、見る者を震わせて止まない。

 

 マストに雄々しくはためくのは、翼を広げた鷲に鉄十字の紋章が描かれた軍艦旗。

 

 ドイツ帝国大海艦隊所属艦を表す旗だ。

 

 今この海域に、ドイツ大海艦隊のほぼ全戦力が集結していた。

 

 その中の1隻に、巡洋戦艦「デアフリンガー」の姿もあった。

 

 デアフリンガー級巡洋戦艦の1番艦であり、ドイツの巡洋戦艦としては最新鋭に当たる。

 

 常備排水量2万6600トン、主砲は45口径30・5センチ砲連装4基8門。速力は、この時期に活躍した戦艦としては破格の27ノット発揮可能。

 

 巡洋戦艦らしく、細い船体が優美な外見を齎していた。

 

 鋭い艦首は、荒い北海の海面を切り裂き、真っすぐに前へと進み続けていた。

 

 その艦橋に立つ、ウォルフ・アレイザー中佐は、手にした双眼鏡を胸に下げながら、真っすぐに前方を見据えている。

 

 荒天により海面は波立ち、艦橋も上下に揺れる中、しかしウォルフは小動すらせず、直立不動を保つ。

 

 そこへ、通信室から報告が上がる。

 

「偵察艦より入電ッ 『敵艦隊発見。艦隊よりの方位2-1-0!! 速力、約16ノット』!!」

「来たか」

 

 報告を聞き、低い声で呟く。

 

 いよいよだ。

 

 口元には、自然と笑みが浮かべられる。

 

 感じる震えは、恐怖からくるものではない。

 

 これから始まる、史上最大の戦い。

 

 その大いなる決戦を前に、興奮を隠しきれずにいた。

 

 そこでふと、

 

 ウォルフは自身の傍らを振り返る。

 

 そこに佇む少女。

 

 年の頃は、10代後半程だろうか?

 

 灰色と黒を基調とした海軍の士官服に、ミニスカートを穿いている。

 

 すらりと長い手足に、スレンダーな体つき。

 

 整った顔立ちは、双眸が僅かに吊り上がっている。

 

 長い金髪をストレートに流した美しい少女だ。

 

「緊張しているかテア?」

 

 テアと呼ばれた少女。

 

 この艦の、化身たる少女に対し、ウォルフは優しく声をかける。

 

 対して、

 

 少女は無言のまま振り返ると、首を横に振った。

 

「さっきまでは、少し。けど、今はもう、大丈夫」

 

 言ってから、少女はウォルフに笑いかける。

 

「あなたが一緒にいてくれる。だから、何も怖くはない」

 

 そう言われて、ウォルフは少し照れたように、テアから視線を外した。

 

 その時だった。

 

「旗艦『リュッツォウ』より入電ッ!! 『全艦、戦闘配置、最大戦速即時待機』!!」

 

 いよいよ、敵艦隊が間近へと迫っているのだ。

 

「準備は良いな?」

「ええ、勿論」

 

 ウォルフの言葉に、テアもまた頷きを返す。

 

「勝って帰りましょう。あの子の為にも」

 

 

 

 

 

 1914年。

 

 かねてから緊張状態が続いていた、ドイツ、オーストリア、オスマンを主軸とする中央軍事同盟と、イギリス、フランスを中心とした協商国との対立は、サラエボで起きたオーストリア大公暗殺事件、所謂「サラエボ事件」を機に、一気に両陣営の軍事衝突へと発展した。

 

 世に言う「第1次世界大戦」である。

 

 侵攻するドイツ軍に対し、フランス軍を中心とした連合運は塹壕戦等、徹底した防衛戦略で対抗する。

 

 攻め寄せる同盟軍を撃退し続ける連合軍。

 

 一方のドイツ軍も、連合軍の戦略に習い塹壕戦を展開。

 

 戦いは、当初から一進一退の、泥沼の様相を呈し始める。

 

 そんな中、膠着状態を打開すべく、ドイツ帝国海軍は大規模な軍事行動を起こした。

 

 当時、北海周辺の制海権はイギリス海軍が掌握していた。

 

 世界第1位の戦力を誇るイギリス海軍が相手では、ドイツ海軍と言えど、正面からの激突は分が悪い。

 

 一方のイギリス海軍も、高性能艦を多数有するドイツ海軍の事を警戒していた。

 

 その結果、双方ともに積極的な攻勢を控えて主力艦隊を温存しつつ、ドイツ海軍は潜水艦や軽快な中・小型艦艇を用いた通商破壊戦を展開、イギリス海軍は商船を守るために海上護衛部隊を強化。

 

 両軍は小競り合いを繰り返す事になった。

 

 しかし、そんな中で、陸の戦況が膠着状態となってしまった。

 

 ドイツ軍としては、早急にイギリス海軍を撃滅し、新たなる補給線を海上に確保する必要が生じた。

 

 1916年5月30日早朝。

 

 ドイツ海軍は、ほぼ全艦隊が港を出撃。進路をイギリス本土へと向けた。

 

 目的は、イギリス海軍主力艦隊の捕捉、撃滅。

 

 これに対し、イギリス海軍も偵察情報から一早くドイツ海軍の動きを察知。主力全艦隊を迎撃に向かわせる。

 

 両艦隊は翌31日の正午、デンマークのユトランド半島沖にて激突した。

 

 ドイツ海軍は、戦艦22隻、巡洋戦艦5隻、軽巡洋艦11隻、水雷艇61隻、合計99隻

 

 イギリス海軍は、戦艦28隻、巡洋戦艦9隻、装甲巡洋艦8隻、軽巡洋艦26隻、駆逐艦78隻、機雷敷設艦1隻、水上機母艦1隻。合計151隻。

 

 両軍合わせて250隻の大艦隊。

 

 これほどの大規模な艦隊が、かくも狭い海域で激突するのは、後にも先にもこれ1回のみ。

 

 今、ここに、

 

 史上最大の海戦、「ユトランド沖海戦」が幕を上げた。

 

 

 

 

 

 戦いはまず、両軍の高速艦隊が先行する形で激突した。

 

 ドイツ海軍総司令長官シェアは、隻数的に自軍の不利を認識していた。

 

 その為、一計を案じる。

 

 すなわち、高速艦隊で敵に一当てし、しかる後、味方の主力艦隊が展開する海面に敵高速艦隊を誘致。各個撃破、包囲殲滅する作戦だった。

 

 巡洋戦艦「デアフリンガー」は、ドイツ艦隊次席指揮官ヒッパー提督率いる偵察艦隊の2番艦に位置し、全主砲を接近してくるイギリス艦隊へと向ける。

 

 一方、イギリス艦隊もビーティ提督率いる巡洋戦艦部隊を先鋒にして迫りくる。

 

 両艦隊共に、主力である巡洋戦艦は単縦陣を敷き突撃する。

 

 互いに北上する形となり、ドイツ艦隊が東側、イギリス艦隊が西側に陣取って同航戦の構えを見せる。

 

「旗艦、発砲まだかッ!?」

「まだ、確認されません!!」

 

 ウォルフの問いかけに、見張り員が双眼鏡を覗きながら答える。

 

 艦隊は司令官が座乗する旗艦が発砲しない限り、他の後続艦が射撃する事はできない。

 

 ヒッパー提督が座乗ずる巡洋戦艦「リュッツォウ」は、未だに発砲せず、主砲は沈黙を守っていた。

 

 その間にも、距離は急速に迫っていく。

 

 ウォルフが、テアが、「デアフリンガー」に乗る全ての乗組員が緊張した面持ちで時間が過ぎて行く。

 

 じりじりとした緊張感が、身を焦がしていくような感覚。

 

 時間の流れが、ひどく遅く感じる。

 

 やがて、両者の距離が、1万8000まで迫った瞬間、

 

 遠雷のような音が、海面を圧して鳴り響いた。

 

「旗艦、発砲を確認!!」

 

 見張り員からの声が響く。

 

 待ちに待った瞬間が訪れる。

 

 ウォルフとテア。

 

 共に、視線を交わす。

 

 次の瞬間、

 

「撃ち方始め!!」

 

 鋭い声と共に、振るわれる右腕。

 

 命令を受けた砲術長が、引き金を引いた。

 

 鳴り響く轟音。

 

 「デアフリンガー」を巡洋戦艦たらしめる象徴とも言うべき主砲、30・5センチ砲8門が、一斉に火を噴いた。

 

 更に、後続する3隻の巡洋戦艦「ザイドリッツ」「モルトケ」「フォン・デル・タン」も砲撃を開始した。

 

 やや遅れて、イギリス艦隊も砲撃を開始した。

 

 両者、互いに砲弾の応酬が交わされ、海面を攪拌するように、水柱が立ち上る。

 

 しかし、ドイツ艦隊もイギリス艦隊も、共に有効弾がなかなか得られない。

 

 ドイツ艦隊からすれば、ここで相手を殲滅する事が目的ではなく、あくまで主力艦隊の射程圏内に敵を引き込むことが目的である。それ故、高速で機動しながら撃っている為、なかなか砲弾が命中しないのだ。

 

 それは、ウォルフが指揮する「デアフリンガー」も同様だった。

 

「意外に当たらない物だな」

「実戦となるとなかなか、ね」

 

 嘆息交じりのウォルフの言葉に、テアも苦笑を返す。

 

 訓練は十分に積んでいるが、実戦では不確定要素が増える事になる。

 

 砲弾を撃って、すぐに当たると言う訳にはいかなかった。

 

 その時だった。

 

「旗艦より信号!!」

 

 見張り員の報告を受け、ウォルフとテアは、すぐに双眼鏡を目に当てる。

 

 見れば確かに、「リュッツォウ」のマストに、新たな信号旗が上がっているのが見えた。

 

 同時に、「リュッツォウ」自身も、砲撃を行いながら右に回頭していくのが見える。

 

 ヒッパー提督は、イギリス艦隊を引き付ける事に成功したと判断し、作戦開始を決断したのだ。

 

 その様子を受け、ウォルフは命じた。

 

「面舵一杯ッ 旗艦に続行せよ!!」

「了解ッ 面舵一杯!!」

 

 ウォルフの命令を受け、舵輪が回される。

 

 暫く直進したのち、艦首を右に振る「デアフリンガー」。

 

 左舷側に見えていたイギリス艦隊が、徐々に艦尾側へと移動していく。

 

 更に、後続する艦隊も、「デアフリンガー」に倣って、右へと回頭する。

 

「イギリス艦隊の様子はどうだッ!?」

 

 これで、相手がこちらの動きに乗ってくれば、作戦は成功なのだが。

 

 緊張が続く中、

 

「敵艦隊回頭!! 我が艦隊を追撃する模様!!」

 

 その報告に、

 

 期せずして「デアフリンガー」の艦橋に、歓声が上がる。

 

 イギリス艦隊は乗ってきた。こちらの誘いに応じ、追撃戦を仕掛けてきたのだ。

 

「勝ったな」

「ええ。私達の、勝ちです」

 

 ウォルフの言葉に、テアも頷きを返す。

 

 やがて、両艦隊共に180度回頭を終え、先程までは北に進んでいた艦隊が、今度は南に進みながら、再び同航戦で砲撃を再開する。

 

 その頃になると、流石に両軍とも、命中弾が増え始めていた。

 

 まず、ドイツ艦隊旗艦「リュッツォウ」が、イギリス艦隊旗艦である巡洋戦艦「ライオン」に命中弾多数を浴びせ大破させる。

 

 黒煙を引きながら、隊列から脱落していく「ライオン」。

 

 撃沈には追い込めなかったものの、旗艦が脱落した事で、イギリス艦隊の指揮に乱れが生じた。

 

 直ちに、2番艦「クイーン・メリー」の艦長が、艦隊の指揮を引き継ぐ。

 

 だが、

 

 その「クイーン・メリー」を狙っていたのは、

 

 ドイツ艦隊の2番艦に位置する「デアフリンガー」だった。

 

 既に、数度の砲撃で弾着修正は済んでいる。

 

 次は当たる。

 

 その想いが、ウォルフとテアとの間で繋がる。

 

「撃てッ!!」

 

 撃ち放たれる、8発の30・5センチ砲弾。

 

 山なりの弾道を描いて飛翔する砲弾。

 

 そのうちの2発が、

 

 「クイーン・メリー」の甲板装甲を貫通。

 

 更に中甲板も突き破り、第2砲塔の弾薬庫へと飛び込むと、そこで炸裂したのだ。

 

 静寂の一瞬、

 

 次の瞬間、

 

 巨大な火柱が、「クイーン・メリー」の甲板を突き破って立ち上り、そのまま巡洋戦艦特有の細い艦体を前後に引き裂いた。

 

 無惨な姿は、すぐに立ち込める黒煙によって覆いつくされ見えなくなる。

 

 だが、

 

 疑う余地はない。

 

 「デアフリンガー」の砲撃によって「クイーン・メリー」が轟沈したのだ。

 

 湧き上がる歓声。

 

 ライバルであるイギリス海軍の、それも主力である巡洋戦艦の撃沈。

 

 誰もが、嬉しくないはずがなかった。

 

 そんな中、

 

「ウォルフッ!!」

「やったな、テア!!」

 

 ウォルフとテアがそっと、互いの手を絡ませた。

 

 旗艦の脱落に続き、2番艦の轟沈により、イギリス艦隊の混乱は頂点に達しつつあった。

 

 更に、

 

 イギリス艦隊の後方で、爆炎が躍った。

 

「敵5番艦、轟沈!!」

 

 ドイツ巡洋戦艦「フォン・デル・タン」の砲撃を受けたイギリス巡洋戦艦「インディファティカブル」が、先の「クイーン・メリー」同様に、弾薬庫を撃ち抜かれて爆沈したのだ。

 

 「インディファティカブル」は基準排水量1万8000トン、「クイーン・メリー」に至っては2万6000トンにまで達する。

 

 そのような巨艦が、相手も戦艦とは言え、ただの一撃で轟沈する様は、悲劇としか言いようがなかった。

 

 理由はある。

 

 実はこの時期の世界各国の海軍においては、巡洋戦艦の装甲、特に水平防御(甲板部分)の装甲は、あまり重視されていなかった。

 

 この傾向は特にイギリス海軍に根強く、「速力は防御力の代わりになる」と言う思想が信じられていたのだ。

 

 これは、あながち根拠の薄い話ではなく、これまでの戦いにおいては砲戦距離は近距離で行われるため、放たれた砲弾は概ね低軌道を描て飛翔し、垂直装甲(舷側部分)に命中する事になる。その為、垂直装甲さえしっかりとしていれば、水平装甲は可能な限り薄く作られる事が多かったのだ。

 

 しかし技術は時に急速に進歩する事がある。

 

 主砲の仰角が引き上げられる事で射程が伸び、更に遠距離でも安定した砲戦が可能な射撃指揮装置も開発された事で、以前よりも砲弾の飛距離が伸びた。それと同時に、砲弾は山なりに飛翔して、敵艦の甲板(水平装甲)に当たる事も多くなったのだ。

 

 これにより、ドイツ巡戦の砲弾は脆弱なイギリス巡戦の水平装甲を、いともあっさりと貫通してしまったのだ。

 

 対して、イギリス艦隊も果敢に反撃を行い、ドイツ巡戦へ命中弾を叩き込む。

 

 しかし、ドイツ海軍はこれまでの戦訓を鑑み、主力巡洋戦艦の防御力を向上させる工事を施していた。

 

 その為ドイツ艦隊の各巡戦は、多数の命中弾を喰らいながらも、全艦が戦闘航行可能な状態を保持していた。

 

 「デアフリンガー」もまた、敵艦からの命中弾を受けたが、主砲、機関ともに健在だった。

 

「テア、大丈夫か?」

「え、ええ。このくらいなら、まだ・・・・・・」

 

 問いかけるウォルフに、テアは気丈に答える。

 

 艦の化身たる彼女には、艦体が受けたダメージがそのままフィードバックする事になる。

 

 いかに艦体が健在とは言え、彼女自身が苦しくないはずがなかった。

 

 それでも尚、テアは怯む事無く艦橋へ立ち続けた。

 

「目標ッ!!」

 

 その間にウォルフが、主砲に新たな目標を指示する。

 

 巡洋戦艦部隊が壊乱状態にあるイギリス艦隊は、足の速い装甲巡洋艦部隊で距離を詰め、火力を補おうと試みていた。

 

 そのうちの1隻に、「デアフリンガー」の照準が向けられる。

 

「撃てェ!!」

 

 ウォルフの命令と共に、撃ち放たれる主砲。

 

 砲弾は、不用意に接近してきた装甲巡洋艦「ディフェンス」の薄い舷側をあっさりと突き破り、艦内に踊り込む。

 

 再び、先程の「クイーン・メリー」同様の光景が現出する。

 

 「デアフリンガー」の砲弾が弾薬庫を撃ち抜き、これを爆砕したのだ。

 

 爆炎を上げて、海上に停止する「ディフェンス」。

 

 戦況は、明らかにドイツ艦隊有利に進みつつあった。

 

 イギリス艦隊は巡洋戦艦2隻をはじめ、既に複数の艦が沈没している。

 

 対して、ドイツ艦隊は損傷を負った艦こそいるが、未だに沈没艦は無い。

 

 このままなら勝てる。

 

 ドイツ海軍の誰もが、そう思い始めていた。

 

 そして、

 

 更なる朗報が舞い込む。

 

「本艦の方位280度に艦隊確認ッ 味方です!!」

 

 歓喜に包まれた声が響き渡る。

 

 見れば確かに。

 

 マストに雄々しく鉄十字をはためかせ、多数の艦隊が向かってくるのが見える。

 

 先頭を進むのは、ドイツ艦隊総旗艦「フリードリッヒ・デア・グロッセ」。

 

 シェア提督率いる、ドイツ艦隊本隊が戦場に到着したのだ。

 

 高速艦隊を利用し、味方の主力艦隊の下へ敵を引き付けると言うドイツ艦隊の作戦が、成功した瞬間だった。

 

「やったな」

「ええ。これで、私達の勝ちです」

 

 ウォルフの言葉に、テアもボロボロになりながら頷く。

 

 これで勝った。

 

 後は、イギリスの高速艦隊を全戦力で包囲殲滅。その後に現れるであろう、イギリス主力艦隊を火力で圧倒すれば、この戦いはドイツ海軍の勝利となる。

 

 誰もが、そう思っていた。

 

 まさか、

 

 その勝利に影が差す事になろうとは、誰も思ってはいなかった。

 

 突如、

 

 多数の砲弾が、ドイツ巡洋戦艦部隊を取り囲むように降り注いだ。

 

 激震に揺れる艦体。

 

「何事だッ!?」

 

 どうにか倒れまいとして、窓枠に掴まりながら叫ぶウォルフ。

 

 他の艦橋要員や、テアたちはその場に転倒しているのが見えた。

 

 その時、

 

「方位13度に、新たなる艦影ありッ 敵艦隊です!!」

 

 それは、悪夢のような報告だった。

 

 見れば確かに、ホワイトエンサインをマストに掲げた艦隊が、真っすぐにこちらへ向かってくるのが見える。

 

 ジェリコー提督率いるイギリス艦隊の本隊だった。

 

 まったくの偶然だが、両軍の総指揮官であるシェアとジェリコーは、同様の作戦を立てていた。

 

 シェアがヒッパーの巡洋戦艦部隊を使用して味方艦隊の射程圏内に引き込もうとしたのと同様、ジェリコーもまた、ビーティの艦隊を使って、ドイツ艦隊を包囲殲滅する作戦を考えていた。

 

 そして、その作戦は先に包囲網を完成させたドイツ艦隊に勝利をもたらすかに思われた。

 

 しかし、ジェリコーの方が、シェアよりも1枚上手だった。

 

 ジェリコーはビーティ艦隊がヒッパー艦隊に誘導されている事を悟ると、すぐさま会敵予想地点を変更。直卒の主力艦隊を、ドイツ艦隊の正面に誘導したのだ。

 

 ドイツ艦隊は敵を誘い込んだつもりでいて、その実、最も避けたい正面決戦に引きずり出されてしまったのだ。

 

 正面決戦ともなれば、兵力差がものを言う。

 

 イギリス艦隊は、多くの艦が脱落したとは言え、未だ数において、ドイツ海軍を圧倒している。

 

 正面決戦で、ドイツ艦隊の勝機は薄い。

 

 だが、

 

「上等だ」

 

 「デアフリンガー」の艦橋に立ちながら、ウォルフは低い声で呟く。

 

 元より、出撃した時点で死は覚悟している。

 

 ここで倒れようとも、祖国に勝利をもたらす事が出来れば本望。何より、ドイツ海軍軍人として、敵に背を向ける事など、矜持が許さない。

 

 それに、

 

 傍らのテアを見やる。

 

 彼女が共にいてくれる。ならば、どのような結果になろうとも後悔は無かった

 

 テアもまた、同じ思いなのだろう。

 

 こちらを見て、微笑みを返してくる。

 

 やがて、再開される砲戦。

 

 しかし、ドイツ巡戦部隊には最早、先程までの力は残されていなかった。

 

 数時間にわたる砲戦で艦は傷つき、兵達も疲労困憊と化している。そこに来て、勢いを盛り返したイギリス艦隊の砲火が集中されたのだ。

 

 高い防御力が功を奏し、撃沈されたのは旧式戦艦1隻のみ。

 

 しかし、主力巡洋戦艦も、次々と戦闘力を失う結果となった。

 

 そのような地獄とも言える状況の中でさえ、「デアフリンガー」は獅子奮迅の戦いぶりを見せ、巡洋戦艦「インヴィンシヴル」と装甲巡洋艦「ウォリアー」を撃沈した。

 

 だが、ドイツ巡洋戦艦部隊の奮戦も、そこまでだった。

 

 やがて砲火を集中された各艦は、夜半までに全艦が戦闘力を喪失するに至った。

 

 しかし、それでも3隻の主力巡洋戦艦を撃沈。その他多くの艦艇が損傷したイギリス巡洋戦艦部隊も、既に戦闘力をほぼ喪失していると言っても良いだろう。

 

 このまま夜の帳に紛れて双方、一旦後退する。

 

 そして、明日の払暁と同時に、主力戦艦部隊同士が砲戦を交わす事になる。

 

 誰もが、そう信じて疑わなかった。

 

 だが、

 

 

 

 

 

「撤退、だと・・・・・・・・・・・・」

 

 旗艦「フリードリッヒ・デア・グロッセ」から発せられた通信文を受け取り、ウォルフは愕然とした。

 

 ドイツ艦隊司令官のシェア提督は、主力艦同士の正面からの激突では、自分たちの勝ち目は薄いと判断し、撤退を決断したのだ。

 

 これからだ、と思っていた。

 

 ここで刺し違えてでもイギリス主力艦隊を撃滅できれば、北海における制海権の確保と言う戦略目標は達成される。そうなれば、陸戦で苦戦している味方に、新たな補給路を提供する事も出来ると言うのに。

 

 しかし、シェアの考えは違った。

 

 ここで主力艦隊の全てを失えば、イギリスに対して圧力をかける事は難しくなる。そうなれば、仮に補給線を確保できたとしても維持は難しいだろう。

 

 ここで全滅したら意味はない。ある程度の主力艦隊を維持してこそ、敵の脅威足り得る事が出来る。それが、シェアの考えだった。

 

 撤退するなら、イギリス艦隊の追撃が鈍る夜陰に紛れるしかなかった。

 

 その時だった。

 

 傍らで、何かが倒れる音がして振り返る。

 

 そこで、

 

 ウォルフは、血の気が引く思いだった。

 

「テアッ!!」

 

 ここまでの負傷と疲労が重なり、緊張の糸が途切れたのだろう。テアが艦橋の床に倒れ伏していた。

 

 駆け寄って、少女を抱き起すウォルフ。

 

「すぐに、軍医を!!」

「ハッ!!」

 

 ウォルフの指示を受け、駆け出す兵士。

 

 その間にも「デアフリンガー」は、そしてドイツ海軍の全艦隊は回頭し、進路を東へと向けて行のだった。

 

 

 

 

 

 ユトランド沖海戦の結果は、英独双方にとって不本意な結果となった。

 

 イギリス海軍は巡洋戦艦3隻をはじめ、14隻の艦艇を喪失。

 

 対するドイツ海軍は、帰路に航行不能となり自沈処分となった巡洋戦艦「リュッツォウ」を含め、11隻を喪失した。

 

 表面的な被害は、主力巡洋戦艦を3隻も沈められたイギリス海軍の方が大きいように見える。

 

 しかしドイツ海軍は「イギリス海軍撃滅による北海補給線の確保」に失敗した時点で、作戦は失敗した事になる。

 

 その為、客観的な見方をすれば「戦略的にはイギリス海軍の勝利、戦術的にはドイツ海軍の勝利」と言うのが一般的であり。

 

 しかし、双方ともに敵艦隊の殲滅に失敗した事で、以後もお互いの艦隊を警戒せざるを得ない両軍は、その後、積極的な作戦行動を行う事が出来ず、世界に冠たる海軍を持ちながら、第1次世界大戦と言う大舞台において、何ら戦局に寄与できないまま、時間だけが無為に過ぎ去っていくのだった。

 

 そして・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 心地よい、風が吹く。

 

 吹き抜ける風が、寂寥感に包まれた心を、少しずつ撫でて癒そうとしているかのようだ。

 

 自身の艦橋のトップに立ち、少女は周囲を見回した。

 

 翠が広がる丘陵地帯に、そのすそ野から広がる青い水面。

 

 波の白さがコントラストを創り出し、陽光に反射して光り輝いている。

 

「・・・・・・敵国の港でも、美しい光景に変わりないんですね」

 

 テアは静かな感動と共に、声で呟く。

 

 彼女が今いる場所は、イギリス北部スカパ・フロー。

 

 イギリス海軍の本拠地がある場所である。

 

 第1次世界大戦は、中央同盟側の敗北で幕を閉じた。

 

 ドイツ軍は勇戦した物の、東西から挟撃される形で押し込まれ、ついには戦線崩壊を起こし、全軍が潰走する結果となった。

 

 1918年11月11日。

 

 フランス、コンピエーニュの森にて、ドイツ軍と連合軍との間で停戦協定が結ばれる。これにより、第1次世界大戦は事実上、終結した。

 

 だが、

 

 悲劇はある意味、その瞬間から始まったと言っても過言ではなかった。

 

 敗れたドイツには、連合国から厳しい条件が突き付けられた。

 

 賠償金の支払い。領土の割譲。ドイツは莫大な負債を背負わされた上に、国外の領土に加えて国内の領土すら奪われた。

 

 協商各国は、ドイツをはじめとした旧中央同盟各国を、よってたかって食い物にしたのだ。

 

 そして軍備の縮小。保有兵器は大幅に制限されたドイツ軍に、かつての威容はどこにも見られなくなった。

 

 それは海軍についても同様である。

 

 ユトランド沖海戦以後、ドイツ海軍は全艦が揃って出撃する事は無かった為、多くの主力艦艇は生き残っていた。巡洋戦艦「デアフリンガー」も、その内の1隻である。

 

 連合軍は、こうして生き残った主力艦の引き渡しを要求。結果、ドイツ海軍には旧式艦を含む、小規模な艦隊しか残らなかった。

 

 そして、引き渡された「デアフリンガー」以下の主力艦隊は、このスカパフローに抑留されていた。

 

 このままだと、ドイツ艦隊の命運は、連合各国に引き渡されて編入されるか、あるいは観艦式のパレードで引き回されるか、あるいは見せしめにドイツ国民の前で自沈させられるか、いずれにしても屈辱的な結末が待っている事は疑いなかった。

 

 だからこそ、決断した。

 

 今日、ここで、自分たちの運命を終わらせる、と。

 

「テア」

 

 背後から、艦長が声をかける。

 

 彼は、あのユトランド諸島沖で共に戦ったウォルフ・アレイザーではない。その後に赴任した後任の艦長だった。

 

「本当に、良いんだな?」

「みんなで、決めた事ですから」

 

 問いかける艦長に、テアは柔らかく微笑みながら答える。

 

 既に、彼女の中で覚悟はできていた。

 

 その時だった。

 

 突如、遠雷のような音が響き渡り、同時に何かが崩れ落ちるような音が聞こえて来た。

 

「バイエルン、自沈開始した模様!!」

「ケーニヒ、沈みます!!」

「ザイドリッツ、傾斜しています!!」

「フォン・デル・タン、沈降はじめました!!」

 

 次々ともたらされる、悲鳴じみた報告。

 

 ドイツ海軍が世界に誇った戦艦群が、次々と沈んでいく。

 

 運命の瞬間が、来た事をテアは悟る。

 

 更に、

 

「フリードリヒが!!」

 

 悲痛な叫びが響く。

 

 見れば、ユトランド沖海戦でシェア提督が座乗した、栄光あるドイツ海軍総旗艦「フリードリヒ・デア・グロッセ」が、大傾斜を起こして海面下に引きずり込まれようとしていた。

 

 テアは、艦長へと振り返る。

 

「さあ、皆さんも行ってください。ここにいては危険です」

 

 テアの言葉に、艦長は悲痛な表情で俯く。

 

 しかし、やがて、どうしようもない事であると悟ると、顔を上げ、テアに対して敬礼すると、踵を返して去って行った。

 

 1人、「デアフリンガー」の艦橋に立つテア。

 

 自分自身でもある艦体を愛おし気に撫でながら想いを馳せる。

 

 最後になって、思い浮かべられるのは、祖国ドイツに残してきた子供達、そして愛する夫の事だった。

 

 ポケットの中にある紙を取り出す。

 

 それは、家族で撮った、たった1枚の写真。

 

 椅子に座った自分と、その傍らに立つ夫。2人の間には3歳になったばかりの長男が立ち、次男は夫が、長女は自分が抱いている。

 

「エアル・・・・・・クロウ・・・・・・サイア・・・・・・・・・・・・」

 

 呟きと共に、零れる涙。

 

「ごめんね、みんな・・・・・・・・・・・・」

 

 腹の奥底で感じる、微かな動き。

 

 何かが体の中に入ってくる感触と共に、体の力が急速に失われていくのが判る。

 

 立っている事が出来ず、艦橋の床に座り込む。

 

 壁に背中を預けた。

 

 同時に、手から写真が零れ落ちる。

 

「ウォルフ・・・・・・子供たちの事・・・・・・お願い・・・・・・・・・・・・」

 

 最後にそう呟くと、

 

 テアは、そっと瞼を降ろした。

 

 

 

 

 

 その日、ウォルフは海軍総本部での勤務についていた。

 

 戦争には負けたが、軍組織としてのドイツ軍は残された。

 

 その新生ドイツ海軍に、ウォルフは留まっていた。

 

 生き残った自分達は、またこの国を守って行かなくてはならない。

 

 ともかく、やる事は山積している。

 

 海外領土からの撤兵、沿岸の防衛、敷設された機雷の除去。

 

 敗北を嘆いている暇などない。

 

 この国をより良く、そしてより強くするための戦いが待っているのだ。

 

 そしていつか、

 

 いつの日か、「彼女」がこの国に帰ってきた時、子供達と共に笑顔で迎えられるように。

 

 その日まで、ウォルフは戦い続けようと思っていた。

 

 だが、

 

 その想いは、けたたましい靴音と共に、崩れ落ちる事となる。

 

「ウォルフ、いるかッ!?」

「シュレス、どうした? うるさいぞ、静かにしろ」

 

 入って来た女性は、自分と妻の共通の友人に当たる人物だった。

 

 常に泰然とし佇まいでいる事の多い彼女が、その時はウォルフが見た事も無いほどに取り乱した様子を見せていた。

 

 訝るウォルフに、シュレスは足早に駆け寄る。

 

「良いかウォルフ、落ち着いて聞いてくれ。今、司令部の方に上がってきた情報だ」

 

 押し殺した声で話すシュレス。

 

 いったい何事が起こったのか?

 

 だが、

 

 聞いた瞬間、

 

 ウォルフは、

 

 呆然と立ち尽くした。

 

「ウォルフッ」

 

 崩れ落ちそうになる青年を、シュレスが支える。

 

 そんな彼女に縋りつくように、ウォルフは見上げた。

 

「テアは・・・・・・テアは、どうした?」

 

 問いかけは、譫言のように、口の中で響く。

 

 脳裏に浮かぶのは、愛する妻の姿。

 

 どうか間違いであってくれ。

 

 どうか、無事でいてくれ。

 

 祈るような思い。

 

 だが、

 

 悲痛な表情と共に、シュレスは首を横に振った。

 

 その瞬間、

 

 ウォルフの「世界」は崩壊した。

 

 まるで、深い奈落の底に落ちて行くように、視界が急速に暗転して行くのが判る。。

 

「ウォルフッ!! おいッ しっかりしろ、ウォルフ!!」

 

 シュレスが必死に呼びかけるが、その声すら、今のウォルフは聞き取る事が出来なかった。

 

 そのまま、

 

 意識は闇の底へと引き摺り込まれていくのだった。

 

 

 

 

 

 この日、ヴェルサイユ条約の下、イギリスに抑留されていたドイツ艦艇はスカパフロー港内において一斉に自沈。

 

 主力戦艦を含む、74隻中、実に52隻が沈没。

 

 ここに、栄光あるドイツ大海艦隊は壊滅したのだった。

 

 

 

 

 

第1話「史上最大の海戦」      終わり

 




さて、

書き始めては見た物の、果たしてどこまで書けるか(汗

個人的に太平洋戦線や、旧日本軍、アメリカ軍の事は多少知っているつもりですが、ドイツ軍やイギリス軍の事となると、あまり知らない上に、資料も手に入りにくいので。

判らない部分は、完全創作で書いたりしています。

それでも、どうにか書けるレベルまで達したので、どうにか最後まで頑張りたいと思っています。


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第2話「鉄十字の少女」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エアル

 

 

 

 

 

 エアル

 

 

 

 

 

 エアル

 

 

 

 

 

 クロウとサイアの事、お願いね。

 

 

 

 

 

 あなたは、お兄ちゃんなんだから。

 

 

 

 

 

 ・・・・・との、約束よ。

 

 

 

 

 

 お願いね、エアル。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 心地よい揺れが、背中に感じる。

 

 覚醒する意識の中、どんな夢を見ていたのか思い出そうとする。

 

 とても心地よい、

 

 懐かしさを感じる夢。

 

 しかし夢は所詮、一瞬の幻。

 

 覚めた時には、泡沫(うたかた)の如く消え去っている物でしかなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・寝てた、のか」

 

 背中に感じる、一定の揺れと車輪がレールをこする音。

 

 そこで、自分が汽車に乗って移動中である事を思い出す。

 

 大きく欠伸をして、体を伸ばす。

 

 と、

 

 周囲からクスクス、と控えめに笑う声が聞こえてくる。

 

 見れば、周りにいる何人かが、こちらを見て笑っている。

 

 赤面する。

 

 ちょっと、恥ずかしい姿を見られてしまった。

 

 まあ、とは言え、

 

 無理からぬことではある。

 

 何しろ、任地から辞令を受けて、ベルリンにある海軍総司令部へ出頭。

 

 そこで新たなる着任命令書を受け取ると、身の回りの物を整える間もなく、慌ただしく汽車の人になったのだから。

 

 おかげで、家族に会う事すらできなかった。

 

 折角、任地から戻ったのだ。ほんの少しでも良いから会いたかったのだが。

 

「まあ、とは言え実際のところ、それも難しかったかも、だけどね」

 

 人知れず呟きながら苦笑する。

 

 何しろ、弟は空軍のパイロットとして国境線付近の任地にいる。

 

 妹はと言えばエンジニア関係の仕事をしており、これまた職場から離れられる状態ではないのだとか。

 

 時間を作ろうにも、お互いに多忙の身。なかなか会う時間は作れなかった。

 

 それでも、2人とは時々、手紙のやり取りをしている。離れていても、お互いの事は多少わかるし、何より兄妹3人、目には見えない繋がりのような物は、しっかりと感じ取る事が出来ていた。

 

「それに、父さんは・・・・・・・・・・・・」

 

 そこまで考えた時だった。

 

 徐々に、汽車のスピードが緩まるのを感じる。

 

 どうやら、目的地に着いたらしい。

 

 減速した汽車は、徐々にスピードを落とし、やがて軽い衝撃と共に停止する。

 

 同時に、乗客たちが入り口に向かって歩き出す。

 

 その波に乗って、汽車の外へと出る。

 

 ここが新しい職場となる場所だ。

 

「さて、頑張ろう」

 

 エアル・アレイザー、ドイツ帝国海軍中佐は、気合いと共にそう呟いた。

 

 

 

 

 

 運命の1939年。

 

 やがて来る激動の時代など、遠くの幻でしかなく、世界は取りあえず安寧の内にあった。

 

 誰もが、いずれ訪れる地獄を知らぬまま、日々を過ごしていた。

 

 もっとも、火種その物は全く無かったとは言いきれないだろう。

 

 特にスペインでは、長く続いた内戦が終結した。

 

 戦いはマニュエル・アサーニャ首相率いる共和国軍と、フランシス・フランコ率いる反乱軍との間で行われる事となった。

 

 これは同時に、ファシズム対反ファシズムと言う対立図式を描いている事から、この戦いは、一般に、第二次世界大戦の前哨戦とも言われている。

 

 ただし、そこに諸外国の思惑が、複雑に絡み合う事となった。

 

 ファシズムを掲げるフランシス・フランコ側には、イタリア王国、大日本帝国、そしてドイツ第3帝国と言った主要な大国が支援に回ったのに対し、共和国側には、ソビエト連邦やメキシコなど、一部の国が支援したのみだった。

 

 イギリス、アメリカ、フランスと言った列強各国は、ファシズム国家との対立を恐れ、日和見と言う名の中立を宣言した。

 

 当然の帰結として、戦いは反乱軍側の有利に推移する事となった。

 

 大国の支援を受けたフランコ率いる反乱軍は快進撃を続け、ついには首都マドリードを制圧。戦いは反乱軍側の勝利に終わった。

 

 この戦いでスペインにおける共和政は崩壊。代わって、フランコを中心としたファシズム政権が発足する事となった。

 

 政権を奪取したフランコは、速やかな粛清を実行。生き残って逃げ遅れた共和国首脳陣を処刑して行く事となった。

 

 一方、

 

 この戦いに多くの部隊を義勇軍と言う形で派遣したドイツ国防軍は、多くの貴重な実戦経験を得る事となった。

 

 これが後々、ドイツが大きく躍進する力となっていく。

 

 更に極東へ目を向ければ、大日本帝国と、ソビエト・モンゴル連合軍によるハルハ河戦争、所謂「ノモンハン事件」が勃発していた。

 

 モンゴルと満州帝国の国境紛争に端を発した、この武力衝突は当初、機械化率の高い連合軍側が日本軍を圧倒していた。

 

 しかし戦いの後半になると、白兵戦においては当時、世界最強とも言われた日本陸軍が戦線を押し返す展開を見せた。

 

 最終的に、損害の多さにたまりかねた日本側が、連合軍に停戦を申し入れた事によって戦いは終結する事になる。

 

 先に日本が音を上げた事により、この戦いは長らく、連合軍側の勝利だと思われてきた。

 

 しかし戦後、かなりの時間が経ってから開示された資料によれば、実は連合軍側の損害は、日本軍側の損害を遥かに上回っており、軍は壊滅寸前だった事が明らかになった。

 

 連合軍は自軍の損害をひた隠しにしたまま交渉に及び、実質的な勝利を物にしたのだ。

 

 その為、ノモンハン事件は近年、「戦略的には連合軍が勝利、戦術的には日本軍が勝利」「日本が勝った戦いを自分で捨てた」などと言われる事になる。

 

 このように、大小、いくつかの火種があったのは確かだが、幸か不幸か、すぐに大火になる事も無く、少なくとも世界規模で見れば、緩やかな時の流れにあった。

 

 やがて来る、凄惨な地獄を知らないままに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地図を見る。

 

 前に進む。

 

 暫く進んで立ち止まる。

 

 周囲を見る。

 

 目印になる物は、ない。

 

 また地図を見る。

 

 前に進む。

 

 暫く進んで立ち止まる。

 

 2秒ほど考えて、顔を上げる。

 

「うん、迷ったね。これは」

 

 肩を竦めながら、エアルは呟いた。

 

 あっけらかんとした口調。

 

 一応、本人的には焦ってもいるのだが、傍から見ればそうは見えない。

 

 困った時、焦っても仕方がない。焦ればそれだけドツボに嵌る。それよりも冷静になり、状況を整理する事が重要だった。

 

 周囲を見回す。

 

 誰かいれば、目的地までの道のりを聞けるのだが。

 

 しかし道を聞こうにも、生憎と言うべきか、周囲に人影はいない。

 

 早くも手詰まりになりつつあるのを感じる。

 

「やれやれ、着任初日から難儀だね、これは」

 

 苦笑しながら、踵を返す。

 

 仕方がないから、来た道を戻るとしよう。

 

 記憶が少し曖昧だが、駅まで戻れば人に聞く事も出来るだろう。

 

 そう思って、踵を返した時だった。

 

「おにーさん、もしかしてお困りだったりする?」

 

 不意に、路地裏から声を掛けられ、エアルは足を止めて振り返る。

 

 視線を向けた先、

 

 路地からひょっこり顔を出すように、こちら覗き込む人物がいた。

 

 女の子だ。

 

 年齢は15か、16くらい。

 

 肩より少し下くらいで切りそろえた明るい色の髪に、猫の髪留め。前髪の下からは、大きな瞳が、物珍しそうな視線をこちらへと向けている。

 

 シャツに短パン履きの上から、裾の長いジャケットを着こんでいる。

 

 小柄な身体つきをしており、短パンから伸びる足もほっそりとしていた。

 

 女の子には違いないのだが、どこか少年めいた印象がある。

 

「君は、地元の子?」

「地元・・・・・て言って良いのかな?」

 

 問いかけるエアルに対し、少女の答えはイマイチ要領を得ない返答である。

 

「けど、この辺くわしいのは確かだよ」

「あ、そうなんだ」

 

 これは幸いだと思った。

 

 地獄に神、

 

 ではないが、助けになるのは確かだろう。

 

「実は来たばっかりで道に迷っちゃってさ。本当は港に行きたいんだけど・・・・・・」

「港に? それなら完全に反対方向だよ。何でこんな所にいるの?」

「え、嘘? 地図通りに来たはずなんだけど・・・・・・」

「ふうん、ちょっと見せて」

 

 そう言うと、少女はエアルの手元にある地図を、横から覗き込む。

 

 睨むこと暫し。

 

 ややあって、

 

 少女は微妙な表情で、顔を上げた。

 

「おにーさん・・・・・・これ、隣町の地図だけど?」

「え? あれッ!?」

 

 慌てて地図を見直すエアル。

 

 よくよく見れば確かに、表記が隣町の物になっている。

 

 道順ばかり気にしていたから全く気付かなかった。

 

「しまった。出発の時バタバタしちゃったから気付かなかったよ」

 

 これはもう、笑い話でしかない。

 

 肩を竦めるエアル。

 

 そんな青年の様子に、少女もつられて笑いだす。

 

「もう、ドジだなあ、おにーさんは」

 

 ひどい言われようだが、こうなると否定も出来ない。

 

 少女の言う通り、言われるまで気付かないなど、間抜けも良いところだろう。

 

「しょうがないなあ。じゃあ、ボクが港まで案内してあげるよ」

「ほんと? 助かるよ」

 

 やはり、地獄に神だったか。

 

 エアルは言われるがままに、少女に着いて行く事にした。

 

 

 

 

 

 詳しい、と言うのはウソではなかったようだ。

 

 少女はいくつかの路地を曲がると、すぐに人通りが多い道へと出てしまった。

 

 軽快な足取りの少女。

 

 振り返ると、エアルの方を真っすぐに見る。

 

「今更だけどさ」

 

 少女はちょっと不思議そうな顔で、エアルに尋ねて来た。

 

「おにーさんはボクの事、怪しいとか思わなかったの?」

「うん? 怪しいって、どういう事? 何が?」

 

 怪訝な顔つきをするエアル。

 

 対して少女は、やれやれとばかりに息を吐きながら告げた。

 

「だから、急に目の前に現れて道案内してあげる、何ていうんだよ。普通変だと思うでしょ? おにーさんはボクが泥棒とかスリとか、そういう感じの連中の仲間で、おにーさんを嵌めようとしてるかも、とかは考えなかったのかって話」

 

 言われてみれば確かに、そういう可能性はあった訳だ。

 

 治安は良さそうな街ではあるが、どんな街でも大なり小なり暗部と言う物は存在している。

 

 その暗闇に引き込まれれば、戻ってこれなくなることもあり得る。

 

 もし少女が言う通りのような存在だったとすれば、エアルは身ぐるみはがされるか、最悪、命を奪われていた可能性すらあった。

 

 しかし、

 

「でも、違うんでしょ?」

「へ?」

 

 笑顔交じりのエアルに、少女はポカンとした。

 

 そんな少女に続ける。

 

「違うんなら、それで問題は無いよ」

 

 実際の話、エアルは少女の事を1ミリも疑っていなかった。

 

 今日、初めて会ったばかりの少女に、こんな風に思っている事自体、エアルにとっても不思議なのだが、少女の事は信用できる。嘘は言っていない。

 

 そんな風に思ったのだ。

 

 だが、

 

 それに対して帰って来た少女の反応は、明らかな「呆れ」だった。

 

「おにーさんさあ、周りから『お人よし』とか『すぐ騙されそう』とか言われたりしてない?」

「よくわかったね」

 

 なんでわかったんだろう?

 

 そのせいでよく、弟や妹から怒られたりしているのだが。

 

 首を傾げるエアルに、少女は更に続ける。

 

「そんなんで良いの? おにーさんは海軍の軍人さんでしょ」

「まあ、ね」

「階級は・・・・・・中佐、か。よくそこまで出世できたね」

「あはは。それもよく言われる」

 

 まあ、事実なのだから、苦笑するしかない。

 

 そうしているうちに、人の流れが変わり始めたのを感じる。

 

 同時に、微かな潮の匂いが漂い始めて来た。

 

 どうやら、目的地は近いらしい。

 

「ほら、おにーさん。ここまで来れば、港はもうすぐだよ」

 

 言いながら、振り返る少女。

 

 だが、

 

「て、あれ?」

 

 振り返った先に、青年の姿はない。

 

 一体どこ行った?

 

 まさか、またはぐれたのか?

 

 そう思い、慌てて周囲を見回す。

 

 と、

 

「はい、これ」

 

 少女の鼻っ面に、何かが差し出される。

 

 ひんやりとした空気と、甘い香り。

 

 視線を辿れば、エアルが少女に向けてアイスを差し出してきていた。

 

「これ、アイス?」

「うん。そこの露店で売っててね。ここまで案内してくれたお礼」

 

 そう言って、アイスを差し出すエアル。

 

 いったい、いつの間に買ったのか。

 

「ボクに?」

「そう」

 

 ニコニコと笑うエアル。

 

 対して、

 

 少女は少し不満そうに、青年を見上げる。

 

「おにーさん、ボクの事、子ども扱いしている?」

「いや、そんなつもりはないんだけど・・・・・・」

 

 困惑するエアル。

 

 自分は純粋に、お礼のつもりで渡したのだが。

 

 少女にとっては、お気に召さなかっただろうか?

 

 だが、

 

「ウソウソ。ありがとう、おにーさん」

 

 差し出されたアイスを受け取ると、少女は一口舐める。

 

「ん~ 美味しいッ」

 

 ひんやりとした甘さを堪能すると、踵を返す少女。

 

「じゃあね、おにーさん。もう迷っちゃだめだよ!!」

「うん、ここまでありがとう」

 

 手を振るエアル。

 

 少女の姿は、すぐに雑踏に紛れて見えなくなっていった。

 

 その姿を見送ると、エアルも港のゲートへ向き直る。

 

「さて、じゃあ、俺も行こうかな」

 

 荷物を手に歩き出すエアル。

 

 だがふと、

 

 思い出したように立ち止まり、少女がいなくなった方向を振り返る。

 

 当然ながら、既にそこには少女の姿はない。

 

「・・・・・・そう言えば、名前、聞きそびれたな」

 

 いったい、あの少女が何だったのか、判らずじまいだった。

 

 突然現れて、ここまで案内してくれた少女の正体は、結局なぞのまま。

 

「まあ、良いか」

 

 同じ町にいるなら、いずれはまた会える日も来るかもしれない。その時にでも、改めて名前を聞けばいい。

 

 そう思いエアルは、再びゲートに向かって歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キール軍港はヴィルヘルムスハーフェン軍港と並んで、ドイツ海軍最大の軍港の1つである。

 

 位置的には北海とバルト海を結ぶ航路の中間地点と言う、非常に重要な位置にある。

 

 北にはデンマークがあり、海路からキールに攻め込むには、スケガラック海峡、カデガット海峡を通過するしかない。

 

 内海に面している事から考えても防御力が高く、艦隊の泊地としては理想的であると言えた。

 

 首都ベルリンからも近い事から、連絡性にも優れている。正にドイツ海軍の最重要拠点である。

 

 故に、海軍最大級の戦力が駐屯している。

 

 海に目を転じれば、多くの艦艇が遊弋しているのが見える。

 

 海の狼とでも称すべき、俊敏さを見せる駆逐艦。

 

 スマートな外見を持つ巡洋艦。

 

 その身に無限の可能性を秘める神秘の船、潜水艦。

 

 そのどれもが、ドイツ海軍の健在ぶりをアピールしていた。

 

 

 

 

 

 司令部に立ち寄り、着任の挨拶を終えたエアルは、そのまま自分の艦が係留されている桟橋へと向かった。

 

 エアルにとって幸いだったのは、艦隊司令官であるラインハルト・マルシャル大将とは以前、同じ職場で働いていた経験があり、気心が知れている事だった。

 

 上司に恵まれている事は有難い。

 

 軍隊と言う閉鎖性の高い職場なら猶更だった。

 

 エアルが艦長を務める事になる艦は、港の最奥部にある桟橋に係留されていた。

 

 美しい艦である。

 

 細い船体に、甲板は中部から艦首に向かってうねり上げるように隆起している。

 

 アトランティック・バウの艦首が、鋭い外見を齎している。

 

 見る者が見れば、東洋のサムライソード、「日本刀」を連想するのではないだろうか?

 

 艦中央部に纏まっている構造物は重厚で、ドイツらしい質実剛健さを表している。

 

 更に前部に2基、後部に1基、背負い式に配置された砲塔が、優美な外見を完成させている。

 

 世界中を探しても、これほど美しい船は、そうは無いだろう。

 

 舷梯を上がり、甲板へと出る。

 

 そこで、少佐の階級章を付けた男性が、海軍式の敬礼で出迎える。

 

「お待ちしておりましたアレイザー中佐。本艦の副長を務めます、ヴァルター・リード少佐です」

 

 対して、エアルも指先を揃えて答礼を返す。

 

「エアル・アレイザーです。よろしくお願いします」

 

 簡潔な着任の挨拶。

 

 長々と口上たれるのは、エアルの趣味ではない。必要な事を簡潔に述べた方が、相手にはむしろ伝わる事も多いと思っていた。

 

 エアルが腕を降ろすと、ヴァルターも敬礼を解く。

 

 話を聞けば、ヴァルターはこの艦の完成当初から勤務しており、大概の事は知り尽くしているとの事。

 

 今後、エアルが務めていく上で、ひじょうに頼りになる存在だった。

 

「それから・・・・・・」

 

 ヴァルターが先を続けようとした時だった。

 

 パタパタと、軽快に甲板を蹴る音が聞こえてくる。

 

「ああ、もう。制服のスカートって、何でこんなに短いのさッ」

 

 着ている服に苛立ちを募らせて駆けてく存在。

 

 灰色の軍服に身を包み、自分で言っている通り、短いスカートを穿いた少女。

 

「彼女が?」

「ええ、そうです」

 

 問いかけるエアルに、ヴァルターが頷く。

 

 少女は駆け寄る。

 

 そして、

 

 顔を上げた。

 

「「・・・・・・・・・・・・あ」」

 

 声を上げたのは、エアルと少女、同時だった。

 

 驚く2人。

 

 無理もない。

 

 なぜなら、

 

 少女はつい先刻まで一緒に降り、この港まで案内してくれた、あの少女だったのだから。

 

「君は・・・・・・・・・・・・」

「お、おにーさんッ!?」

 

 素っ頓狂な声を上げる少女。

 

 エアルも又、驚いて目を見開いている。

 

 1人、ヴァルターだけは、何が起こったのかわからないまま、怪訝な顔つきをしている。

 

 3者の内、

 

 最も早く、次の行動を起こしたのはエアルだった。

 

 踵を揃え、指先を伸ばすと手を額に当てる。

 

 ドイツ海軍式の敬礼を、少女に向ける。

 

「ドイツ帝国海軍中佐エアル・アレイザー。本日付で本艦の艦長に着任した。よろしくね」

「う、うん。よろし、く?」

 

 意表を突かれたように、戸惑いながらも返事をする少女。

 

 そして、

 

「ドイツ海軍第1戦闘群旗艦、巡洋戦艦、シャルンホルスト・・・・・・です」

 

 

 

 

 

第2話「鉄十字の少女」      終わり

 



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第3話「月下美人」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 背筋を伸ばし、律動的に歩くその姿は、鋼の如き精神を体現しているかのよう。

 

 細く鋭い眼差しは、触れただけで切れそうな印象がある。

 

 その人物を見た者は皆、思わず自らを正したくなるだろう。

 

 ただ、そこにいるだけで空気が張り詰めるかのようだ。

 

 歩く道すがら敬礼をしてくる相手にも、丁寧に目礼を返す姿は、正に「謹厳」と言う言葉がよく似合う。

 

 ウォルフ・アレイザー中将は、廊下を真っすぐに歩きながら目指す部屋へと向かう。

 

 御年52歳になる。

 

 かつて巡洋戦艦「デアフリンガー」の艦長として第1次世界大戦を戦い抜いた男は、今や海軍内に置いても重鎮、と言っても良い立場へと出世していた。

 

 そのウォルフは今、通常のドイツ海軍の軍服とは、少し型の違う漆黒の軍服に身を固めていた。

 

 やがて、目指す部屋の前へと立つ。

 

 立番の兵士に出頭の旨を伝えると、兵士は部屋の中へ。

 

 ややあって、入室を許される。

 

 1歩、部屋の中に入ると同時に踵を揃え背筋を伸ばす。

 

 右手の指先を揃え、斜めに向かって突き上げる。

 

 張り詰める空気。

 

「ハイル・ヒトラーッ!!」

 

 この国における、最上位の敬礼。

 

 それはたった1人、唯一無二の最高権力者へと送られる敬意の証。

 

 対して、

 

 部屋の主。

 

 否、

 

 この国における、最も大きな権限を持つ人物は、無言のまま執務席から立ち上がる。

 

 ゆっくりとした足取り。

 

 ウォルフの前まで歩み寄る。

 

 震えがくる。

 

 23年前、英巡戦から砲弾を受けた時ですら平然としていた自分が、目の前の人物を前に震えが止まらない。

 

 目の前の人物は、決して強面の偉丈夫と言う訳ではない。

 

 街の中にいれば、誰もが見向きもせずに通り過ぎるような、外見は何の変哲もない小男だ。

 

 しかし、

 

 小柄な体躯に鋭い眼差し、髪はきちんとセットされ、口に蓄えた僅かな口ひげ。

 

 その総身より発せられる雰囲気は、他の者と明らかに一線を画している。

 

 これは恐怖か?

 

 あるいは焦慮か?

 

「よく来た、アレイザー中将。待っていたぞ」

 

 否、

 

 「歓喜」だ。

 

「ハッ 総統閣下ッ」

 

 アドルフ・ヒトラー。

 

 彼こそが、このドイツ帝国における最高権力者。

 

 唯一無二、「総統(フューラー)」の座に就く人物である。

 

 

 

 

 

 第1次世界大戦における敗北以降、ドイツは塗炭の苦しみの中にあった。

 

 協商側各国は、同盟軍の主力を成したドイツに対し、それが自分達の当然の権利であると言わんばかりに、過酷な条件を突きつけた。

 

 海外領土の割譲、軍備の縮小、そして払いきれるはずもない、莫大な賠償金。

 

 ヴェルサイユ条約は比喩でも何でも無く、中央同盟諸国に対する、協商側の私的制裁(リンチ)に他ならなかった。

 

 しかし、負けた側は一切の反論は許されない。ただ、勝者の言いなりになるしかない。

 

 感情でも論理でもない。

 

 ただ「事実」がそこにあるだけだった。

 

 戦時負債、戦傷者一時金や遺族年金に加えて莫大な賠償金。

 

 当然の如くドイツ経済はごく短期間で破たんを見る事になる。

 

 街には失業者が溢れ、あらゆるインフラが滞った。

 

 仰ぐ天は暗く閉ざされ、ただ只管、苦しみの中に沈められた日々のみが積み重ねられていく。

 

 ドイツと言う国その物が、このまま世界情勢の波に飲まれ、沈んでいくかに思われた。

 

 だが、そのような状況に、転機が訪れる。

 

 貧困に喘ぐドイツに、彗星のごとく現れた男が、全てを覆した。

 

 その人物こそが、アドルフ・ヒトラー。

 

 オーストリア出身で、元陸軍伍長だったこの男は、ファシズムを掲げるナチス党の党首として政界に進出、やがてドイツ帝国の首相へと就任すると、次々と革新的な政策を成功させて行く事となる。

 

 ベルリンオリンピックの誘致成功、国土全てを繋ぐ高速道路(アウトバーン)の建設、工業地帯の拡大。

 

 これらの政策により、ヒトラーは就任僅か数年で、失業者ゼロと言う偉業を成し遂げたのだ。

 

 やがてヒトラーは、政府首班である「首相」、そして国家元首である「大統領」としての権限を集約させた「総統(ヒューラー)」と言う新たな役職を名乗り、完全に独裁体制を築き上げる事に成功した。

 

 アドルフ・ヒトラーとは正に、一代の英雄と呼ぶに相応しい存在だった。

 

 国内経済は好転した。

 

 ならば、次にやるべき事は何か?

 

 決まっている。第1次世界大戦によって奪われた、旧領の回復だった。

 

 だが、それは流石に一朝一夕にはいかない。奪われた領土は既に、他の国の領土として運営されている。ただ返せと言ったところで鼻で笑われる事は目に見えていた。

 

 だからこそ、まずは力を取り戻す必要がある。

 

 隣国は愚か、列強各国ですら容易には口出しを許さない、かつての帝国軍をも上回る強大な力を。

 

 ヒトラーは宣言した。

 

 ヴェルサイユ条約の破棄する、と。

 

 これは即ち、ドイツがいよいよ、戦力増強に乗り出す事を意味していた。

 

 再軍備を宣言したヒトラーは、国防軍の拡張計画を実行。その中に、海軍の再建計画「Z計画」も含まれていた。

 

 当然の如く、欧州各国は反対の意を表明する。

 

 かつての宿敵が復活するなど言語道断だと。

 

 しかしヒトラーは、持ち前のカリスマ性と外交手腕を発揮して周辺諸国の追及を回避。ついには条約破棄に成功する。

 

 枷を外されたドイツ軍は、既に復興が完了していた工業力を如何無く発揮し、瞬く間にかつての軍事力を取り戻していくのだった。

 

 

 

 

 

 ウォルフが差し出した書類に、丹念に目を通していくヒトラー。

 

 その間、ウォルフは直立不動のまま立ち続けている。

 

 どれくらい、そうしていただろう。

 

 ややあって、ヒトラーが顔を上げた。

 

「アレイザー中将」

「ハッ 総統閣下」

 

 声を掛けられ、居住まいを正すウォルフ。

 

 対してヒトラーは椅子から立ち上がると、窓の外へと目を向けた。

 

 明るい日差しに包まれた、温かい風景。

 

 総統官邸の前を行き交う人々の明るい表情。

 

 少し前までのドイツでは、決して見られなかった光景だ。

 

 その全てが、ヒトラーの偉業によって手に入った物である。

 

「間もなく、戦いが始まるであろう」

「・・・・・・はい」

 

 ヒトラーの言葉に、ウォルフは躊躇いがちに頷きを返す。

 

 戦い。

 

 すなわち、また戦争が起こると言う事だ。

 

 振り返るヒトラー。

 

「勘違いするな。余とて、無駄な争いは好まぬ。穏便に済むのであれば、それが良いと思っている」

 

 後年の人々は誤解するであろうが、この時期のヒトラーは決して戦争を望んでいたわけではない。

 

 確かに領土拡張や軍備増強等、強引な政策を強行していたのは確かであるが、それがイコール戦争を望んでいたと考えるのは、聊か短絡に過ぎるだろう。

 

 ヒトラーの膨張政策は、あくまで自国の安寧と防衛、そして旧領回復のみを目指している。

 

 その為の手段として、武力を保持しているに過ぎなかった。

 

 それは彼が、最後まで周辺諸国との間に、粘り強く交渉を進めていた事からも明らかだった。

 

「だが、戦うべき時に躊躇う事は愚者の所業だ。それは理解していよう」

「無論です」

 

 その為の国力増強。

 

 その為の戦力増強。

 

 あくまで敵対国がドイツの主張を認めないと言うなら、一戦交える事も辞さない。

 

 戦力とは、最後の切り札である。これはつまり、これを切ってしまったらもう後がない事を意味している。

 

 故にこそ、カードは最後の最後まで温存しておく物なのだ。

 

 だが最後の切り札(ジョーカー)を、切るべき時に切り損なえば、悔いは千載に残す事になる。

 

「恐らく、ポーランドが有力でしょう。かの国は、再三に渡る我が国の要求にも応じる様子がありません」

「うむ。余の考えも同じだ」

 

 ポーランド共和国はヴェルサイユ条約により、かつてドイツ領だった「ダンツィヒ回廊」と呼ばれる地域を割譲している。

 

 この回廊をポーランドに押さえられているせいで、ドイツは自由都市ダンツィヒを含む地域と領土が寸断される形となっている。

 

 回廊の奪還はドイツにとって悲願である。

 

 ヒトラーは再三にわたって返還要求をしているが、ポーランドからの回答は芳しい物ではなかった。

 

 最近になり、ポーランド側が戦力の増強を始めていると言う情報が入ってきている。

 

 両国の緊張は、既に限界を超えている。

 

 恐らく開戦は避けられないだろう。

 

 正直、ポーランド1国を相手にするなら何の問題も無い。彼の国の戦力はたかが知れている。正面から戦えば、まず負ける事は無いだろう。

 

 問題は、そのポーランドの背後にいる列強各国だった。

 

 イギリスとフランス。

 

 第1次大戦で戦った宿敵。

 

 もしポーランドにドイツが攻め込めば、英仏が黙ってはいないだろう。間髪入れずに宣戦布告してくるであろう事は目に見えている。

 

 仮にこれらの国を相手にするとなれば、たとえ今のドイツでも厳しいと言わざるを得ない。

 

 そして、もう1つ。

 

 ソビエト連邦の存在がある。

 

 ユーラシア大陸の過半を領土とするソビエトは、ドイツと不倶戴天の敵である。

 

 ドイツの外交情勢に対し、ソ連は今のところ沈黙を保っている。

 

 しかしだからこそ、その不気味さは各国の中でも際立っているとさえ言えた。

 

 ポーランドと開戦すれば、それらの強大な列強各国との戦いが避けられないであろう事は必定だった。

 

「君の作戦案だが・・・・・・」

 

 ヒトラーは、ウォルフが持参した書類を指し示して言った。

 

「実に良くできている。海軍の作戦案としては上出来と言えよう」

「ありがとうございます」

 

 ウォルフが持参したのは、開戦した場合、海軍が取るべき行動。その作戦が記されていた。

 

 ウォルフが自身のスタッフと共に作成した物だが、海軍本来の作戦とは離れた物だが、そのせいもあるのだろう。ヒトラーの眼鏡に叶ったようだ。

 

「この作戦案を、以後は『アレイザー・プラン』と呼称し、正式に進行する事を許可する」

「ハッ ありがとうございます」

 

 敬礼するウォルフ。

 

 その姿を見て、ヒトラーは満足そうに頷くのだった。

 

 

 

 

 

 総統執務室を後にし、廊下を歩くウォルフ。

 

 幾人かの職員とすれ違いながらも、その歩みは止まらない。

 

 瞳の中には、何か得体のしれない物が、燃え盛っているようにも思えた。

 

 否、

 

 これはウォルフの心を焼き尽くすほどに燃え上がる、歓喜に他ならなかった。

 

 ようやくだ。

 

 ようやく、ここまで来たのだ。

 

 胸の内に燃え盛る炎。

 

 そこに存在しているのは、英仏をはじめとした旧協商諸国に対する怨念と言っても良かった。

 

 かつて、ウォルフの最愛の妻を奪ったイギリス。そして、それに加担したフランスをはじめとした諸国。

 

 許さない。

 

 絶対に許さない。

 

 今でも覚えている。

 

 手錠を嵌められ、連行されていく妻。

 

 最後に振り返った時、それでも気丈に微笑んでいた妻。

 

 そんな彼女を、下卑た目で見つめるイギリス軍の士官。

 

 そして、何もできずに見送る事しかできなかった自分。

 

 抑留先のスカパフロー軍港で、ドイツ艦隊が一斉自沈したと聞いた時は、世界が崩れたと思うほどに驚いた。

 

 そして、自沈した艦の中に、妻の名前があった事で、自分の中で何かが切れてしまった。

 

 彼女達は、辱めを受けるよりも誇り高い死を選んだのだ。

 

 あの日からだ。

 

 ウォルフが、全てを捨てて邁進するようになったのは。

 

 対価は、いずれ支払わせる。

 

 必ず、奴らを地獄に叩き落す。

 

 その為に自分は、20年待ったのだ。

 

 アドルフ・ヒトラーと言う稀代の天才を総統に戴き、ドイツは生まれ変わった。

 

 再び帝政時代のような強国へとのし上がったのだ。

 

 ヒトラーは開戦には消極的だが、ウォルフはそうではなかった。

 

 イギリスとフランス。この2国を叩き潰す事。

 

 それだけが、ウォルフの生きている証だった。

 

 ポケットから、1枚の写真を取り出す。

 

 それは、家族全員で撮った、最初で最後の1枚。

 

 自分と妻。

 

 2人の真ん中に緊張した顔の長男が立ち、自分の腕には次男が、椅子に座った妻の腕には長女が抱かれている。

 

 ウォルフがまだ幸せだった頃の、最後の写真だった。

 

「もうすぐだ・・・・・・」

 

 写真の妻の顔を見ながら、ウォルフは呟く。

 

「もうすぐだぞ、テア・・・・・・もうすぐ、君の仇を取ってやるからな」

 

 身に宿したくらい炎が燃え上がる。

 

 ウォルフ・アレイザー武装親衛隊(S S)海軍師団司令官。

 

 彼を突き動かすのは、亡き妻への想いと、英仏への怨み。ただそれのみだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アラートが鳴り響く。

 

 待機所のベッドから跳ね起きると同時に駆けだす。

 

 その間に要した時間は、僅か30秒足らず。

 

 待機所は滑走路に面している。

 

 駐機された機体へと駆け寄ると、整備兵に挨拶をしてコックピットに乗り込む。

 

 既にプロペラは回り暖気は済んでいる。機体はすぐにでも飛び立てる。

 

 ゴーサインと共に、機体をスタートさせる。

 

 心地よい加速。

 

 操縦桿を引くと、浮遊感と共に大空へと舞い上がる。

 

 クロウ・アレイザー少尉は、機体をターンさせながら通信機の回線を開く。

 

「アレイザーより指揮所、これより離陸する!! 目標の指示を!!」

《了解。目標は高度・・・・・・・・・・・・》

 

 管制の指示に従い、機体を誘導させる。

 

 領空侵犯の補足。

 

 隣国との緊張下にあるドイツでは、珍しい話ではなかった。

 

 加速する機体。

 

 大気を切り裂き雲を突き抜け、機体は指示された高度へと到達する。

 

 周囲360度。

 

 グルリと視線を巡らせる。

 

 2回目、

 

 もう1度見回した時だった。

 

「いたッ」

 

 自分の機体のやや下方に、ゆっくりと飛翔する機体がある事に気付く。

 

 ポーランド軍の輸送機だ。

 

 緊張状態にある隣国の機体。

 

 時折、こうして国境侵犯を繰り返してくる。

 

 ドイツが手出しできないと知っていて、挑発しているのだ。

 

 領空侵犯機とは言え、れっきとしたポーランド軍の機体。あれを撃ち落とせば事実上、ドイツは「宣戦布告無しに隣国の機体を撃墜した卑劣な国家」と認定される事になる。

 

 そうなれば、他の列強各国も敵に回す事になる。

 

 ドイツ1国で全ての列強を相手にする事は不可能。そうなれば再び敗亡の道を辿る事になる。

 

 その為、ドイツはポーランドに手出しできない。

 

 それが判っているが故の挑発だった。

 

 だが、

 

「そんなの、あんたには関係無いよなッ!!」

 

 鋭く言い放つと、一気に期待を急降下させる。

 

 メッサーシュミットBf109は、ドイツ空軍(ルフトバッフェ)の主力戦闘機である。

 

 直線速度に優れ、侵攻した敵機に対し素早く対応できる事が特徴である。

 

 クロウが乗っているのは最新型のC型であり、7・92ミリ機関砲を4丁装備したタイプである。

 

 一気に敵機との距離を詰めると、速度を緩めずに一降下する。

 

 殆ど、衝突するかしないかと言うギリギリの位置。

 

 輸送機のパイロットが肝を潰したであろう事は疑いない。

 

 更にクロウは機体を反転させると、輸送機の背後へと回る。

 

 一旦、背後を取った後、僅かにスピードを上げて前へと出る。

 

 輸送機と並走し、コックピットが見える位置まで機体を進ませる。

 

 親指を立てて背後を差す。

 

 「戻れ」の合図だ。

 

 まだ高性能無線機などと言う物がない時代、これが警告のやり方となる。

 

 これで相手が反応を見せなければ、今度は警告射撃を行う。勿論、当てるのはご法度だが。

 

 警告して、国境の外へと追い返す。

 

 これが現状、できる事の全てだった。

 

 これで相手が無視すれば事実上、手出しはできない。

 

 どれくらい、そうしていただろうか?

 

 暫く直進していた輸送機だが、やがて機体を傾けて旋回を始める。

 

 どうやら退いてくれるらしい。

 

 こちらが緊張しているのと同様、彼等も極度の緊張を強いられていたのだ。

 

 何しろ、緊張状態にある隣国の戦闘機に張り付かれていたのだ。

 

 たとえ撃たれないと判っていても安心できるものではない。

 

 やがて輸送機は、雲の中に隠れて姿が見えなくなる。

 

「こちらアレイザー、帰投する」

 

 そう告げると、クロウも機体を反転させるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シャルンホルスト級巡洋戦艦1番艦「シャルンホルスト」

 

 それが、この艦の名前である。

 

 シャルンホルスト級巡洋戦艦は、第1次世界大戦後、ドイツの軍備を制限した所謂「ヴェルサイユ体制」破棄を宣言した後、ドイツ国防海軍が初めて建造した本格的な戦艦である。現在、1番艦「シャルンホルスト」、2番艦「グナイゼナウ」2隻が就役している。

 

 名前の由来となったのは、ナポレオン戦争時代、プロイセン軍を率いたゲルハルト・フォン・シャルンホルスト将軍から。

 

 当時、ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍がヨーロッパ全土を席巻していた。

 

 その波はプロイセンをも飲み込み、留まるところを知らなかったのだ。

 

 シャルンホルスト将軍は、そのような情勢下の中で軍を纏め上げ、ナポレオン軍に対抗し続けた名将として知られている。

 

 因みに2番艦の「グナイゼナウ」の方は、シャルンホルスト将軍の無二の親友で、将軍の死後、その遺志を継いでプロイセン軍を率いた、アウグスト・フォン・グナイゼナウ参謀長から来ている。

 

 ヴェルサイユ条約破棄後、ドイツ帝国海軍は、水上艦隊の主力として、巡洋艦並みの船体に、戦艦並みの火力を搭載したドイッチェラント級装甲艦を3隻、建造、保有しており、これらの艦は、その性能から「ポケット戦艦」と言う愛称で呼ばれていた。

 

 元々、このシャルンホルスト級巡洋戦艦も、ドイッチュラント級に続く「D級装甲艦」として建造される予定だった。

 

 しかし、ライバルであるフランス海軍が建造した、ダンケルク級戦艦の存在が、シャルンホルスト級の運命を変える事となった。

 

 54口径33センチ砲4連装2基8門を備え、最高速度31ノットを発揮可能なこのフランス新戦艦の存在は、ドイツのみならずヨーロッパ各国に衝撃を与えた。

 

 攻防走のバランスが取れたダンケルク級戦艦に、真っ向から対抗できる戦艦を保有した国は、ヨーロッパには存在しなかったのだ。

 

 中でも、仮想敵であるドイツの衝撃は大きかった。

 

 全ての性能で劣るドイッチュラント級装甲艦では、ダンケルク級に対抗は不可能なばかりではなく、続く新造予定の艦もまた、歯が立たない事が明白となったのだ。

 

 事は急を要する。

 

 もし、フランスと戦争になった場合、ドイツ海軍はフランス海軍相手に、何の対抗策も持たない事になる。

 

 手は早急に打たれた。

 

 直ちに計画中にあった全艦艇の設計は白紙に戻され、新たな戦艦の建造が始まった。

 

 その第1号が、シャルンホルスト級巡洋戦艦と言う訳だ。

 

 基準排水量3万1800トン、全長235メートル、全幅30メートル。縦横比7・3:1と言う細い船体は、最高速度31ノットで航行可能となっている。これは、ほぼ巡洋艦と同等の速力であり、

 

 肝心の主砲は、ドイッチュラント級にも搭載されている物を、更に砲身を伸ばした54・5口径28センチ砲を3連装3基9門装備している。

 

 列強各国の主力戦艦が36センチ~40センチの大口径砲を搭載している事を考えれば、聊か見劣りする感は否めない。

 

 しかし砲口径を小さくした事で、装填速度は毎分3・5発と速く、ほぼ巡洋艦並みの砲撃が可能となっている他、長砲身砲の採用により4万メートル近い射程距離を持つに至っている。

 

 何より、高速、重装甲により、並の艦相手なら十分な戦闘力を発揮できると言われていた。

 

 

 

 

 

 巡洋戦艦の艦長と言えば、当然の如く多忙を極める。

 

 軍艦とは、それ自体が一個のコミュニティであると同時に、軍隊で言えば最小単位の「部隊」でもある。

 

 部下の統率、各部署の調整、艦の癖の把握。

 

 特にいざ戦闘になった際、乗組員を手足の如く動かす為には、入念な訓練が必要となる。

 

 着任から3か月近くが経ち、エアルは日々、「シャルンホルスト」の性能を発揮できるよう、訓練を繰り返していた。

 

 以前、水雷艇の艇長を務めた事もあるが、今回は乗組員の数の桁が違う。

 

 把握するだけでも一苦労である。

 

 しかも、

 

 基本的に男社会の軍隊においては、「見た目」も一つのステータスとなる。

 

 要するに、ヒョロヒョロの優男よりも、ムキムキのマッチョマンの方が船乗りからは好かれる傾向があるのだ。

 

 その点で行けば、エアルは完全に落第である。

 

 まず背が低い。身長は170を少し上回る程度であり、相応に体つきも痩せている。

 

 かなり頼りがいの無い印象なのは確かだった。

 

 その為、着任当初はあからさまにエアルを侮蔑する乗組員も少なくなかった。

 

 しかし、それも訓練が始まるまでの事だった。

 

 訓練開始と同時に、エアルは徹底した実戦訓練を乗組員たちに施した。

 

 昼夜を問わず配置訓練を行い、外洋に出ての航海訓練、砲撃訓練等々、思いつく限り、ありとあらゆる訓練を施したのだ。

 

 勿論、訓練の際には自らが真っ先に艦橋に立ち、指揮統率を行う。

 

 「勇将の下に弱卒無し」の言葉通り、まず指揮官が実際に実践して見せる事で、兵士たちの士気を鼓舞できるのだ。

 

 こうして自らが率先して行った猛訓練の結果、巡洋戦艦「シャルンホルスト」は急速に戦力化する事に成功していた。

 

 

 

 

 

 戦艦の艦長ともなれば、艦が停泊している平時でも多忙を極める。

 

 訓練の報告書や決裁書類だけでも、机が埋まるレベルだ。

 

 「シャルンホルスト」はドイツ海軍の最新鋭巡洋戦艦だ。それだけに問題点も多い。

 

 それらの問題点を丁寧に洗い出して解決。自分の手に負えないと判断した時は、専門職や上級司令部に報告して対応を願う。

 

 そうした地道な作業の1つ1つが、「シャルンホルスト」の戦力化に繋がるのだ。

 

 書類と格闘する事数時間。

 

 気が付けば、艦長室の窓から見える景色は、真っ暗になっていた。

 

「わ、もうこんな時間か」

 

 気が付けば、とっくに消灯時間を過ぎている。

 

 時間を把握すると同時に、感じたのは急激な空腹感だった。

 

 そう言えば、今日は朝食に軽い物を食べたきり、他には飲まず食わずだったのを思い出す。

 

 いい加減、何か腹に入れない事には、艦が戦力化する前に、艦長の自分が栄養失調で「撃沈」などと言う事にもなりかねない。

 

「食堂・・・・・・は、もうやってないよな。でも、行けば何かあるかも」

 

 そう思い、席を立ち部屋を出る。

 

 昼間は多くの兵士がせわしなく行き交う艦内も、夜間になれば人の気配はない。

 

 暗がりの中、薄暗いライトだけを頼りに食堂へと向かう。

 

 しばらく歩くと、食堂へと続く廊下に出る。

 

 だが、

 

「あれ?」

 

 食堂から明かりが漏れてきているのが見える。

 

 それに、何やらひそひそと話す声まで聞こえて来ていた。

 

「誰か、いるのかな?」

 

 訝りながら、中を覗き込む。

 

 果たして、

 

 食堂にいたのは、困り顔をした少女だった。

 

「うう、やっぱり、何も残ってない、か・・・・・・そりゃそうだよね。こんな時間だし」

 

 途方に暮れたような声。

 

 席に座って項垂れる少女を見て、エアルは声を掛けた。

 

「シャルンホルスト?」

「わわッ!? ごめんなさいッ 摘まみ食いなんてしてません!!」

 

 跳ね起きた巡戦少女は、慌てふためいた様子でこちらを見る。

 

 どうにも、良からぬことを企んでいた様子である。

 

「て、何だ、おにーさんか・・・・・・」

 

 だが、相手がよく知った人物であると判ると、安堵したように胸をなでおろした。

 

 そんな少女の反応に訝りつつ、エアルは食堂の扉を閉めると少女に歩み寄った。

 

「どうしたの、こんな時間に?」

「それはこっちのセリフ。おにーさんだって、こんな時間まで起きてるじゃん」

 

 確かに。

 

 人の事は言えないと苦笑する。

 

「ちょっと仕事が立て込んでね。晩御飯を食べ損ねたんだけど、何か残ってないかと思ってさ」

「あー・・・・・・ボクも似たような感じかな」

 

 苦笑するシャルンホルスト。

 

 まあ、艦長と艦娘が深夜の食堂で鉢合わせする理由など、他にあるとも思えないのだが。

 

「でも無駄足だったね。作り置きは何も無いみたいだよ」

 

 シャルンホルストの言葉は、予想通りの物だった。

 

 こんな時間に、賄の残りがあるはずも無く。

 

 暗がりの中、空腹を抱えた艦長と艦娘が、間抜け面を突き合わせるしかなかった。

 

「仕込みの奴は、流石に手を出すわけにはいかないし」

「あれは、明日の朝食用だからね」

 

 嘆息する。

 

 結局、諦めるしかないのか。

 

 ・・・・・・・・・・・・いや。

 

「ねえ、シャルンホルスト。よかったら、俺が何か作ろうか?」

「え、お兄さんが?」

 

 キョトンとする巡戦少女。

 

 意外そうな面持ちのシャルンホルストに、エアルは厨房を見ながら続ける。

 

「仕込みの品は食べられないけど、食材を少し分けてもらうくらいは構わないんじゃないかな」

「え、でも、やっぱりまずいんじゃ・・・・・・」

 

 勝手に使ってしまったら、あとで怒られないだろうか?

 

 懸念するシャルンホルスト。

 

 だが、

 

「大丈夫」

 

 エアルは笑顔で請け負う。

 

「だって、この艦では俺が1番偉いんだから。他の人に文句は言わせないよ」

 

 それはそれは、

 

 素晴らしいほどに説得力のある言葉だった。

 

 

 

 

 

 結局、食材庫から若干の食材を失敬し、それを厨房で調理する。

 

 エアルは手際よく作業を進めると、ものの15~6分ほどで、2人分の食事を用意してしまった。

 

 時間が時間だし、あまり凝ったものは作れなかったが、ライスをベースにした雑炊のような物を2品作る。

 

 それをテーブルに並べると、2人は掻きこむように食べ始める。

 

 空腹も相まって、あっという間に皿の中が消費されていく。

 

「美味しい、美味しいよ、お兄さん!!」

「そう、良かった。ゆっくり食べてね」

 

 苦笑しながら、エアルは自分も食べる手を進める。

 

 急いで作った割りに、出来は悪くなかった。

 

「意外だね。おにーさん、料理上手なんだ」

「うちは、母親が早くに死んじゃったからね。まだ小さかった弟と妹の面倒を、俺が見てたんだ。その関係だよ」

 

 エアルの言葉を聞き、シャルンホルストは食べる手を止める。

 

「あ・・・・・・何か、ごめん。変な事聞いちゃった」

「別に、良いよ。母さんが死んだのは、俺がまだ小さかった頃の話だし」

 

 苦笑するエアル。

 

 実際、母の記憶はほとんど残っていない。今ではうっすらと断片のように、思い出す事が出来るのみだった。

 

 実際、不況の最中に、幼い弟と妹を育てるのは並大抵の苦労ではなかった。

 

 父は家庭の事にはほとんど無関心だったし、周りに頼れる大人もいなかった。

 

 必然、エアルが弟と妹の面倒を見るしかなかったのだ。

 

 幸いだったのは、無関心な父も、生活費だけは毎月しっかりと払ってくれていた事。弟と妹がグレる事無く、しっかりと育ってくれた事だった。

 

 やがてエアルも、軍の幼年学校に入学し、僅かながら給金を得られるようになる頃には、ようやく家計も安定してくれた。

 

 おかげでエアルも訓練と研究に打ち込む事で、順調に出世する事が出来た訳である。

 

「そっか、おにーさん、頑張ったんだね。偉いよ」

「ハハ」

 

 少し、顔を赤くするエアル。

 

 見た目的にも年齢的にも、年下の少女に褒められると、何となく気恥ずかしい想いがするのだった。

 

 

 

 

 

 エアルが作った簡単な料理を食べ終え、2人で食器を片付けると、その足で気分転換に甲板に出た。

 

 途中、当直の兵士と挨拶を交わし、いくつかのラッタルを上がると、中央甲板に出る。ちょうど、右舷側にある1番副砲の前だった。

 

「ん~ 夜風が気持ちいいね」

「ちょっと、強い気もするけど」

 

 大きく体を伸ばすシャルンホルスト。

 

 そのスカートが、風にふわりと浮き上がる。

 

 中から白い布地が見えて、思わず顔を逸らすエアル。

 

「ねえ、おにーさん」

「な、何、シャルンホルスト」

 

 不意に、声をかけて来た少女に、引きつる声を抑えながら返事をするエアル。

 

 故意ではないのだが、パンツが見えてしまったのが、バレてしまったのかと一瞬警戒したが、どうやら違うらしい。

 

 巡戦少女は、微笑みを向けながら言った。

 

「ボクの事『シャル』で良いよ。ほら、僕の名前、長いし、呼びにくいでしょ。友達は、みんなそう呼ぶからさ」

「え? いや、でも・・・・・・」

 

 友達に呼ばれているあだ名なら、自分が呼ぶのはおかしいのでは?

 

 そもそも自分達は、友達でも何でも・・・・・・

 

 そう言おうとしたエアルを、シャルンホルストは制する。

 

「だって、ボクとおにーさん、もう友達でしょ」

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 そう言って笑うシャルンホルスト。

 

 窓から差し込む月の光の中、

 

 少女の笑顔は、一際に輝いて見えるのだった。

 

「よろしくね、おにーさん」

「う、うん」

 

 差し出された巡戦少女の手を、握り返す青年艦長。

 

 見た目相応に、華奢で柔らかい感触が伝わってくる。

 

 その柔らかさに、エアルは心臓が微かに高鳴る。

 

 やがて戦争が始まる。

 

 自分も、この娘も、否応なくその波の飲み込まれる事になるだろう。

 

 ならば、

 

 この娘と共にあり、この娘を守り、この娘と戦う事こそが、自分の使命。

 

 微笑みを向けるエアル。

 

 釣られて、シャルンホルストも笑顔を浮かべる。

 

「よろしくね、シャル」

「うん」

 

 戦い抜く。

 

 きっと、この娘と。

 

 その事を、改めて心に誓うのだった。

 

 

 

 

 

第3話「月下美人」      終わり

 




WOWSとかだと、シャルンホルストの愛称は「シャルン」が多いですけど、うちでは「シャル」で。

某難聴系主人公がいる学園ハーレムラノベに出てくるヒロインズの1人とキャラが被ってるなーとは思いました(因みに、あの娘が一番好きだった)が、暫く考えて、気にしない事にしました(爆


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第4話「運命の抜錨」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゆっくりと海岸線に近づく戦艦は、余りと言えば余りにも古臭い外見をしていた。

 

 寸詰まりの短い船体に、船首部分は衝角(ラム)の名残として、水線下部分が鋭くとがっている。中央に直立煙突が2本あり、艦橋は長く聳え立っている。

 

 艦の前部と後部には1基ずつ、連装砲等が備え付けられている。

 

 ドイツ戦艦「シュレスビッヒ・ホルシュタイン」

 

 旧ドイッチュラント級戦艦の5番艦として、第1次世界大戦よりも前に竣工した戦艦である。

 

 あのユトランド沖海戦にも参加した、歴戦の軍艦である。

 

 日本海軍の「三笠」と同世代の艦、と言えば判り易いかもしれない。

 

 控えめに言っても、現役で活躍できる艦ではない。

 

 とっくの昔にスクラップとして解体処分されてもおかしくはないレベルだ。

 

 しかし、見た目や性能などと言う、上辺の事実だけでは、この艦の価値を測る事はできない。

 

 確かにドイツ海軍では最古参の戦艦ではあるが、スカパフローにおける一斉自沈によって主力戦艦を一挙に失い、更にヴェルサイユ条約によって戦間期に戦艦の新造を禁じられたドイツ海軍にとって、「シュレスビッヒ・ホルシュタイン」は保有を許された数少ない貴重な「主力艦」であると同時に、全ドイツ海軍の象徴とも言うべき存在だった。

 

 正に、第1次世界大戦後、屈辱に耐え偲んできたドイツ海軍軍人にとって唯一の心の支えでもあったのだ。

 

「我が祖国も、皮肉を効かせるのが好きだな」

 

 その艦橋に立つ艦娘たる女性は、長い髪の下で口元に笑みを浮かべながら呟く。

 

 長い髪が美しく、それでいて、懐に刃を忍ばせているかのような剣呑さを持つ女性。

 

 世の中の塗炭を、嘗め尽くしたかのような、重々しい凄みを感じる。

 

 彼女こそが、シュレスビッヒ・ホルシュタイン。

 

 この戦艦の艦娘であり、ドイツ海軍の艦娘の中では長老格の存在である。

 

 そのシュレスビッヒが今、自嘲とも苦笑とも取れる笑みを口元に浮かべ、海岸線に聳え立つ要塞陣地を見据えていた。

 

「先の大戦を生き残り、ロートルであるが故に連合軍からも嘲笑され、ゴミ屑の如く捨て置かれたほどの、この老いぼれに、また新たな大戦の口火を切れ、とは」

「だからこそ、意味があるだろう」

 

 答えたのは、ウォルフ・アレイザーだった。

 

 漆黒の軍服に身を包んだ提督は今、双眼鏡を手に、近付いてくる海岸線を睨み据えている。

 

 ウォルフは今回、作戦指揮官として、この「シュレスビッヒ・ホルシュタイン」に将旗を掲げている。

 

 武装親衛隊海軍部隊の司令官であり、ヒトラー総統の懐刀とも呼ばれるウォルフは本来、ヒトラーに対し海軍的視点から助言するのが仕事であり、前線に出てくる事はない。

 

 しかし、

 

 今回の任務だけは自らの手でやり遂げるべく、自ら指揮官に就任するよう、総統へ直々にに願い出たのだ。

 

 元々、巡洋戦艦の艦長として、彼のシェトランド沖海戦にも参加したウォルフ。老いたとは言え、砲撃戦の指揮は手慣れたものだった。

 

「英仏の奴らに、自分たちの増上慢の報いを受けさせる。それも、奴らの傲慢故に生き残った我々が、だ。これ以上の意味が他にあるか?」

「確かにな。そういう事ならば、私こそ、この仕事に相応しい」

 

 シュレスビッヒの瞳に、怪しい笑みが浮かぶ。

 

 水晶のような切れ長な瞳に移るのは、黒き焔。

 

 全てのドイツ海軍軍人が持つ、恨みを凝縮したような炎。

 

 シュレスビッヒは、主力艦引き渡しの候補からも外されたが故に、スカパフローでのドイツ艦隊一斉自沈を経験する事も無く、今日まで生きながらえる事が出来た。

 

 話だけを聞けば幸運に思えるかもしれない。

 

 しかし、シュレスビッヒ自身は、この25年間、片時たりとも自分が幸運だった、などと思った事は無い。

 

 今でも思い出すのは、接収の為にやってきた連合軍将校の顔。

 

 旧式艦の自分には侮蔑の顔を向ける一方、自分より若い艦娘たちには、まるで娼館の娘を品定めするような、おぞましい視線を投げかけていたのを今でも覚えている。

 

 そうして、彼女達は連れて行かれ、最後は辱めを受ける前に、誇り高い死を選んだ。

 

 年老いた、自分だけがおめおめと生き残ってしまった。

 

 助けられなかった。

 

 守ってやりたかった。

 

 ただただ、生き残ってしまった後悔だけが彼女の胸を支配していた。

 

 そして、

 

 自沈した艦の中には、ウォルフの妻であったデアフリンガー(テア)も含まれている。

 

 元々面倒見の良い性格をしていたシュレスビッヒは、多くの艦娘たちから慕われていた。

 

 テアもそうした艦娘の1人であり、とりわけ彼女はシュレスビッヒを、本当の母か姉のように思っていた。

 

 だからこそ、彼女も沈んだと聞いた時、シュレスビッヒもまた、己が半身を引き裂かれたような思いだった。

 

 艦娘でなければいっそ、自分も彼女達の後を追って死にたいと思ったほどだ。

 

 実際、実弾演習用の標的艦の候補に名乗り出ようと思った事もあったほどだ。

 

 だが、彼女は死ぬわけにはいかなかった。

 

 全ては、いつか必ず来るであろう、英仏の奴らに復讐する為に。

 

 その想いは、ウォルフも又共有している。

 

 愛する妻を奪った英仏に対する怒りは誰よりも強い。

 

 ウォルフも、シュレスビッヒも、ただそれだけの為に、20年間、生き恥を晒し続けて来たのだから。

 

 シュレスビッヒは、口元に笑みを刻む。

 

 自分達のエゴの為に締結したヴェルサイユ条約。そのヴェルサイユ条約ですら見向きもされず、おめおめと生き残った自分。

 

 その自分が、英仏相手の新たなる戦争の火ぶたを切る。

 

 ドイツ一国を悪者にして、欺瞞に満ちた正義と平和を貪った奴らに対し、その増上慢に相応しい、強烈な一発をお見舞いしてやる。

 

 これほど痛快な事は無かった。

 

 ウォルフの言葉に頷きながらシュレスビッヒは、自身の前甲板で旋回する第1砲塔を見据える。

 

 その砲門が向かう先には、ポーランド共和国軍が築いた要塞陣地が存在してた。

 

 ドイツが「ポーランド回廊」の返還(割譲)をしつこく迫った事を受け、ポーランド側は防衛力強化と、回廊の所有権主張の為に建設したのだ。

 

 あの要塞を粉砕すれば、ポーランド側に対してドイツの主張をこの上なく叩きつけてやる事が出来る。

 

 40口径28センチ砲は、シャルンホルスト級巡洋戦艦やドイッチュラント級装甲艦と比較して、砲身こそ短い物の1発当たりの威力は同等と見て良い。

 

 戦艦の主砲としては小ぶりだが、陸上砲に比べればはるかに大型である。

 

 強固な要塞であろうと、この砲ならば粉砕できるはずだった。

 

 やがて、旋回を終えた主砲が、彼方の要塞陣地に照準を合わせる。

 

「では、やるとしよう」

「ああ」

 

 短い頷きと共に、ウォルフは右手を大きく振り上げた。

 

 その視線の先には、ポーランドの大地。

 

 そして、

 

 亡き妻、テアの仇である連合国がある。

 

「待たせたな、テア。始めるぞ」

 

 静かな宣誓と共に、

 

 ウォルフは振り上げた右手を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 多数の戦車がキャタピラ音を響かせて多数の戦車が国境線を越えて行く。

 

 頑丈その物の車体に、大型の砲塔を据え付けた姿は、新時代における鉄の悍馬を思わせる。

 

 装甲に鉄十字を刻んだ戦車たち。

 

 Ⅲ号、Ⅳ号と呼ばれる戦車たちは、この時期、ようやく量産が始まったばかりの、次期主力戦車たちである。

 

 Ⅲ号戦車は37ミリ主砲と厚い装甲、時速40キロで走行可能な機動性を備え、設計段階から対戦車戦闘を視野に入れて作られた大型戦車である。

 

 Ⅳ号戦車の方は、Ⅲ号戦車よりも車体が大きく機動性でこそ若干劣るものの、75ミリの主砲と、更に分厚い装甲を備えた、この時期としては世界最強戦車と言っても過言ではない存在である。

 

 更に、Ⅰ号、Ⅱ号と言った軽戦車多数を含む、ドイツ機甲師団が一斉にポーランド領内へと雪崩れ込んでいく様は、勇壮、の一言に尽きた。

 

 更にまだ明けきらぬ暗夜の空にもまた、鉄の翼を司る騎士たちが舞い上がって行った。

 

 

 

 

 

 出撃命令を受けて、パイロットたちは走り出す。

 

 いよいよ実戦だ。

 

 これまでのような訓練や、国境侵犯機に対する緊急出動(スクランブル)とも違う。

 

 皆、表情に精悍な光が宿っている。

 

 誰もが、これから始まる戦いに闘志を漲らせているのだ。

 

 この日の為に、準備を重ねてきたのだ。怖気づく者など、1人としてありはしない。

 

 いずれ劣らぬ「ドイツ帝国空軍(ルフトバッフェ)」の精鋭たちである。

 

 クロウ・アレイザーもまた、命令を受けると同時に、愛機へと駆け寄る。

 

 機体は既に暖気を済ませ、プロペラは勢いよく回転していた。

 

「アレイザー少尉ッ 準備は万端ですッ いつでも行けます!!」

「ありがとうッ!!」

 

 整備兵に礼を述べ、コックピットに潜り込む。

 

 キャノピーを締めて車輪止めを外すと、発進準備は完了した。

 

 慣れ親しんだ操縦桿を握る。

 

 大丈夫。

 

 この機体で空にある限り、自分は絶対に負けない。

 

 想いを強く、発進の時を待つ。

 

 やがて、離陸の合図と共に、機体はまだ明けやらぬ空へと舞い上がった。

 

 今回のクロウ達の任務は、進撃する陸軍の支援。その為に、迎撃に舞い上がって来るであろう、ポーランド空軍を撃破する事が目的だった。

 

 スロットルを開くと、力強い音が響いてくる。

 

 メッサーシュミットBf109

 

 ドイツ空軍が主力として採用している大型戦闘機であり、戦前からのクロウの愛機だ。

 

 今、クロウが乗っているのは、開戦を見据えて開発された、最新バージョンの「E型」。大戦初期、ルフトバッフェの主力を担う事になる名機である。

 

 やがて、徐々に白み始める空。

 

 視界が白く輝く幻想的な光景。

 

 その中で、

 

 空に無数の黒い点が浮かび上がる。

 

「来たな」

 

 間違いない。迎撃に現れた、ポーランド空軍の戦闘機部隊である。

 

 クロウは口元に笑みを浮かべて、機体のスロットルを一気に上げる。

 

 唸りを上げるエンジン。

 

 たちまち、メッサーシュミットは、その最大の武器とも言える加速力を活かしてスピードを上げる。

 

 ポーランド空軍もドイツ空軍の存在に気付いたのだろう。速度を上げて、こちらへ向かってくるのが見えた。

 

 だが、

 

「遅いよ」

 

 軽快な調子で告げると、一気にメッサーシュミットを加速させるクロウ。

 

 すれ違い様に1連射。

 

 放たれた弾丸が、ポーランド戦闘機を正面から粉砕する。

 

 蒼空に上がる炎を見ながら、機体を離脱させるクロウ。

 

 見れば、味方も交戦を開始、蒼天に入り乱れながら砲火を交わしている。

 

 しかし、落ちて行く機体はどれもポーランド軍の物ばかり。

 

 戦況は、ドイツ空軍の圧倒的優勢だった。

 

「さてと・・・・・・・・・・・・」

 

 敵の攻撃を回避しながら、クロウは更なる獲物を見定める。

 

「兄貴たちも、そろそろ動き出している頃かな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1939年9月1日。

 

 この日遂に、運命の扉は開かれた。

 

 ドイツ第3帝国は、かねてより緊張状態にあったポーランド第2共和国に対し宣戦布告。

 

 この後、6年に渡り世界を焼き尽くす地獄の戦い。

 

 世に言う「第2次世界大戦」の火ぶたは、切って落とされた。

 

 国境線に集結したドイツ陸軍は、宣戦布告と同時に侵攻を開始。圧倒的な物量と火力、更には精強な空軍の攻撃に支援され、ポーランドの地を席巻した。

 

 対して、ポーランド軍もまた、侵攻してきたドイツ軍を迎え撃つべく、果敢な反撃に打って出た。

 

 ポーランド軍の主力は、自他ともに世界最強を謳われる騎兵部隊である。

 

 彼等は当初、騎馬の機動力を存分に活かし遊撃戦を展開すれば、ドイツ軍に対し十分対抗は可能と考えていた。

 

 それは自分達と祖国に対する、絶対の自信と誇り。

 

 自分達は世界最強の存在。

 

 自分達がいればドイツ軍如き、張子の虎に過ぎない。必ずや、祖国を守り抜き、偉大なる勝利をもたらす事が出来るはずだ。

 

 卑劣な侵略者には正義の鉄槌を。

 

 ポーランド軍将兵の誰もが、そう考えて疑わなかった。

 

 だが、ポーランド側の思惑は、当初から崩れる事になる。

 

 最強、と言っても、それは頭に「騎兵としては」と言う枕詞が着く。

 

 近代的な戦車群を主力とする機甲部隊。更には当時ヨーロッパ最強とも言われたドイツ空軍(ルフトバッフェ)の前に、前時代的な騎兵部隊など、風の前の塵に同じだった。

 

 圧倒的な鋼鉄と火力を前に、蹂躙されていくポーランドの地。

 

 突撃した騎馬部隊は、強力な装甲と火力を有するドイツ戦車に歯が立たず蹴散らされる。

 

 ポーランド軍の防衛ラインは、瞬く間に崩壊していく。

 

 将兵は、ただ戦場に屍を晒す事しかできなかった。

 

 ドイツ軍の戦略は、とにかく「速さ」を重視した物だった。

 

 通常、敵軍を撃破し、陣地を奪った後は、その陣地を自軍の物として整備して使う「橋頭保化」が行われる。そうして完成した橋頭保を拠点として物資を蓄積、更なる奥地への侵攻を目指す事になる。

 

 当然、ポーランド軍も、ドイツ軍がそのような戦略で来ると考え、ドイツ軍の動きが停滞している隙に後方に残存戦力を結集、体勢を立て直そうと考えていた。

 

 だが、ドイツ軍に従来の常識は通用しなかった。

 

 ドイツ軍は火力と機動力に物を言わせてポーランド軍の陣地を粉砕すると、足を止める事無く更なる奥地へと突き進んだのだ。

 

 後の「電撃戦」のはしりとも言われるこのドイツ軍の行動は「神速」と言っても過言ではなく、ポーランド軍に、態勢を立て直す暇は無かった。

 

 防衛ラインは、次々とドイツ機甲師団によって突き破られる。

 

 更に、空からはドイツ空軍(ルフトバッフェ)の精鋭たちが、爆弾を雨あられと降らせる。

 

 特にユンカースJu87スツーカと呼ばれる急降下爆撃機のもたらす恐怖は群を抜いていた。

 

 大戦全般を通じて、ドイツ空軍の主力爆撃機となるこのスツーカの恐ろしさは、その性能もさることながら、急降下時に威嚇の為に鳴らすサイレンにもあった。

 

 「ジェリコの喇叭」と言う異名で恐れられたこのサイレンを聞くたびに、ポーランド軍の兵士は震え上がった。

 

 ドイツ軍の強さは、強力な打撃力を誇る陸軍もさる事ながら、精強を誇る空軍の支援も大きかった。

 

 こうしたドイツ軍の機動戦術を前に、ポーランド軍主力は2週間を待たずに壊滅状態に陥った。

 

 そして、

 

 開戦と同時に、海軍もまた行動を開始していた。

 

 まず宣戦布告と同時に、旧式戦艦「シュレスビッヒ・ホルシュタイン」が、自由都市ダンツィヒ近郊にあるポーランド軍要塞陣地へ艦砲射撃を仕掛け、これを粉砕したのを皮切りに、全軍が一斉に動き出した。

 

 自慢のUボート艦隊は、大西洋や北海の広い範囲に分散展開し、付近を航行する敵性船舶に対し、手当たり次第に攻撃を開始する。

 

 第1次世界大戦時、イギリスを震え上がらせた「無制限潜水艦戦」の再来である。

 

 この事態に、イギリス海軍、フランス海軍は完全に出遅れた形だった。

 

 当時、未だに対潜水艦戦術は確立されていたとは言い難く、輸送船も単独航行している物が殆どだった。

 

 その為、深海で待ち伏せ、サメの如く襲い掛かるUボートにとって、輸送船は格好の獲物であった。

 

 船舶の被害は急激に膨れ上がる。

 

 まさに、ドイツ軍の動きを阻める者はおらず、破竹の勢いでポーランドの地を蹂躙し続ける。

 

 それに対し、ポーランド軍は成す術もなく、ただただ一敗地に塗れた。

 

 それでも、ポーランド軍は諦めず、抵抗を続ける。

 

 残存兵力は東南部のルーマニア橋頭保に集結。再編成し、ドイツ軍に対し最後の抵抗を試みようとした。

 

 残された兵力の全て結集して、最後の決戦を挑むべく眦を上げるポーランド軍将兵。

 

 そうだ、自分達は諦めない。

 

 自分達はまだ戦える。

 

 自分達が諦めれば、誰が祖国を、友を、愛する人を守ると言うのか?

 

 戦うんだ。

 

 たとえ、最後の1人になっても。

 

 だが、開戦から半月後の9月17日。ポーランドを更なる絶望に叩き込む事態が発生した。

 

 突如、東側から破られる国境線。

 

 再び砲火とキャタピラに蹂躙される国土。

 

 それまで想定すらしなかった戦場の出現に、ポーランド軍は大混乱に陥った。

 

 不可侵条約を結んでいた東の大国、ソビエト連邦が突如として条約を破棄、ポーランドに対して侵攻を開始したのだ。

 

 ドイツは密かに水面下でソ連と手を結び、不可侵条約を締結していたのだ。そして示し合わせるように、東西からポーランドを攻めたのだ。

 

 これには世界中が驚愕した。

 

 ファシズムを掲げるドイツと、共産主義を掲げるソ連は、共に犬猿の仲である。

 

 特に、両国の元首であるヒトラー総統とヨーゼフ・スターリン書記長は、不倶戴天の敵と言っても過言ではなかった。

 

 ヒトラーはソ連国民の大半を占めるスラブ系民族を「全人類の敵」「いずれ滅ぼさねばならない存在」と公言してはばからなかったし、スターリンも又、当然の如くヒトラーを憎悪していた。

 

 そのドイツとソ連とが手を結ぶなど、誰が予想しえただろうか?

 

 ドイツ軍の電撃的な侵攻と、ソ連の突然の裏切りにより、ポーランドの命運は決した。

 

 その後もか細い抵抗をつづけたポーランド軍だったが、9月27日には首都ワルシャワが陥落。組織的抵抗は事実上終了となった。

 

 そして開戦から1か月を過ぎた、10月6日。

 

 ポーランドはドイツ、ソ連両国に対し全面降伏した。

 

 旧ポーランド領は東西に分断され、西側をドイツ、東側をソ連に、それぞれ分割統治される事になった。

 

 凱歌を上げるドイツ軍。

 

 だが、

 

 言うまでも無く、これで終わりではない。

 

 ポーランドとの開戦から2日後の9月3日、英仏が、ドイツに対して宣戦を布告。

 

 世界は確実に、地獄への道を転がり落ちようとしていた。

 

 そして、

 

 開戦に先立つ形でドイツ本国を出港した艦隊もまた、大西洋における作戦行動を開始してた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 対ポーランド開戦から24時間が経過した9月2日のキール軍港。

 

 港に集結した各艦の煙突からは、濛々と煙が立ち上っているのが見えていた。

 

 既に機関には火が入っている。

 

 全艦、いつでも出撃できる体勢は整っていた。

 

 そして、

 

 それは巡洋戦艦「シャルンホルスト」においても、同様だった。

 

 艦橋後部の直立煙突からは煤煙が吐き出され、既に機関の暖気が完了している事を意味している。

 

 艦内では今も兵士たちが走り回り、出港に向けた最終チェックが行われている。

 

 そんな中、エアルは艦橋に立ち、各部署から上がってくる報告に耳を傾けていた。

 

 傍らの艦娘専用席には、既に軍服に着替えたシャルンホルストが、ちょこんと腰かけている。

 

 普段は元気に話しかけてくる少女が、今は椅子に座ったまま、真っすぐに前を見詰めている。

 

 緊張をしているのかな。

 

 エアルはそう思いながら、海軍総司令部からの命令書を頭の中で反芻する。

 

 それは開戦前日の8月31日深夜に届けられた暗号命令書。

 

『第1戦闘群は24時間以内に出港。大西洋上に進出し、敵性船舶に対する通商破壊戦を実施せよ』

 

 第1戦闘群とは、巡洋戦艦「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」によって形成された、現状、ドイツ海軍最強の部隊である。

 

 その最強部隊を初手から出撃させる辺り、海軍総司令部の意気込みの高さを伺える。

 

 通商破壊戦。

 

 すなわち、敵の輸送船を標的にした攻撃作戦を実施する、と言う事である。

 

 ドイツ海軍は第1次世界大戦でも、Uボートだけではなく、水上艦も大々的に用いて通商破壊戦を実施している。その為、今回もその戦訓に倣った海上ゲリラ作戦を展開するつもりなのだ。

 

 やがて、副長のヴァルター・リード少佐が艦橋に上がってくるのが見えた。

 

「艦長、シャル。出撃準備完了です。巡洋戦艦『シャルンホルスト』。いつでも出港できます」

「判りました。ありがとうございます」

 

 頷くエアル。

 

 時は来た。

 

 ついに、巡洋戦艦「シャルンホルスト」は、訓練以外の目的で動き出す。

 

 振り返り、シャルンホルストを見やるエアル。

 

「行こうか、シャル」

「うん」

 

 声を掛ける青年艦長に、笑みを見せながら頷く巡戦少女。

 

 やはり緊張はぬぐえないのか、その笑顔もぎこちない。

 

 エアルはまっすぐ前を向き直る。

 

「抜錨ッ 出航用意!!」

 

 エアルの命令は直ちに伝達され、艦内の喧騒が増す。

 

 碇が巻き上げられ、機関音が高まる。

 

 頷き合う、エアルとシャルンホルスト。

 

「両舷前進微速!!」

 

 ゆっくりと、

 

 滑るように、

 

 基準排水量3万1000トン、全長235・4メートル、全幅30メートル。

 

 細く、優美な外見の巡洋戦艦が前へと進む。

 

 その行く手にある物は勝利か、栄光か、あるいは・・・・・・

 

 先を見通せない霧の中を進むように、巡洋戦艦「シャルンホルスト」は動き出した。

 

 

 

 

 

第4話「運命の抜錨」      終わり

 



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第5話「大海原の騎士道」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 機関が唸りを上げ、船のスピードは増す。

 

 向かい風が強く吹き付け、鋭い艦首が切り裂く海面が、白い飛沫となって後方へと流れて行く。

 

 まるで、海上を飛翔しているような感覚さえある。

 

 基準排水量3万1000トンの巨体が、波濤を割って突撃する。

 

「機関最大。全速前進!!」

「了解、機関最大、全速前進!!」

 

 エアル・アレイザー中佐の命令は、ヴァルター・リード副長によって復唱され、機関室へと伝達される。

 

 同時に足元で、低い唸りを上げるのを感じる。

 

 艦の心臓でもあるエンジン、ワグナー高圧缶が莫大な出力を絞り出し、巡洋戦艦「シャルンホルスト」を加速させるのが判った。

 

 3万トンを超える巡洋戦艦が海上を航行する様は、巨大な海の怪物が動いているようにさえ見える。

 

 舳先の向かう先には、哀れにも逃げ惑う獲物。今も数秒後の運命から逃れるべく、必死に機関出力を振り絞っている。

 

 だが、もう遅い。

 

 その姿は既に、こちらの射程内に捉えていた。

 

 目標となる輸送船は3隻。恐らく、船団を組んで行動していたのだろう。

 

 既に向こうも「シャルンホルスト」の姿を見つけ、退避行動に移っている。

 

「左砲戦用意ッ 主砲アントン、及びブルーノ、全門榴弾(HE)装填!! 目標、左舷20度、敵輸送船!!」

 

 ドイツでは主砲塔を、艦首側から順にアントン(A)ブルーノ(B)ツェーザル(C)ドーラ(D

)

と呼称する。

 

 これがイギリス海軍は、艦首側からA、B、艦上構造物を挟んで艦尾側が、前からX、Yとなる。

 

 「シャルンホルスト」の前部甲板に備え付けられた、A、B砲塔が旋回、各3門の砲身に仰角が付けられる。

 

 視線の先に見える輸送船。かなりの大型船だが、それだけにスピードは速いとは言えない。

 

 そもそも、積載量を重視する輸送船は、それほど高速を発揮する事が出来ない。

 

 高速を発揮しようとすれば、それだけ高出力のエンジンを搭載しなければならないのだが、高出力エンジンは当然ながらその規模も大型となり、船内のスペースを圧迫し、積載量の減少を招く事になる。

 

 必然、輸送船は積載量を稼ぐために、ある程度、機関出力は妥協しなくてはならなくなる。

 

 現に、全速力で追撃する「シャルンホルスト」との距離は、みるみる内に詰まっていく。

 

 既に前甲板に備え付けた、54.5口径28センチ砲は旋回を終え、6門の砲門を指向し終えている。

 

 後はエアルの命令を待つばかりとなっていた。

 

 チラッと、背後に目をやるエアル。

 

 視界の先の、椅子に腰かけた少女。

 

 シャルンホルストは今、可憐な眼差しを閉じ、身動きせずに座り込んでいる。

 

 時折、胸が上下に膨らんで呼吸を示すのみで、巡戦少女が動く気配はない。

 

 普段は元気溌剌で、少年めいた印象のある少女が、今はただ、己の役割を全うしていた。

 

 艦娘の存在は、艦その物であると言って良い。

 

 艦娘のコンディションひとつで、その艦はスペックを越えた戦闘力を発揮する場合もあれば、逆に本来の実力を発揮できないまま沈んでしまう事もあり得るのだ。

 

 今のシャルンホルストは万全である。

 

 ならば、

 

 エアルにできる事は、彼女を信じて指揮に専念する事だった。

 

 前方に、視線を向けなおすエアル。

 

 視線は、標的たる輸送船を捉えた。

 

 次の瞬間、

 

「目標補足ッ 本艦の軸線上に捉えました!!」

 

 艦橋トップにある射撃指揮所からの報告に、エアルは眦を上げる。

 

 同時に、右腕を頭上に高々と振り上げた。

 

「撃ち方始めッ!!」

 

 号令一下、

 

 青年の腕が鋭く振り下ろされる。

 

 同時に、

 

 巡洋戦艦「シャルンホルスト」の前部甲板で、衝撃がはじけ飛んだ。

 

 放たれる焔。

 

 砲煙が一瞬、視界を塞ぐ。

 

 射出される、重量315キロの砲弾。

 

 列強海軍が保有する戦艦の中では、決して強力と言う訳ではない。むしろ「最弱」と言っても過言ではない。

 

 しかし、脆弱な輸送船を狩るには、充分な威力を誇っていた。

 

 やがて、着弾のタイミングが訪れる。

 

 立ち上る水柱。

 

 数は6本。

 

 残念ながら、命中弾は無い。

 

 しかし、これは織り込み済み。初弾から砲撃が命中する事などあり得ない。

 

 本来は、交互撃ち方を選択し、徐々に照準精度を上げ、命中に近づける物である。

 

 だが今回、エアルは敢えてセオリーを無視し、初手から全門斉射に踏み切った。

 

 これは、発射弾数を増やして、逆に命中精度を上げようと言う狙いがあるからである。

 

 その為、エアルは敢えて、敵輸送船の至近距離まで近付いてから射撃を開始している。

 

 高速の巡洋戦艦だからこそ、できる戦術だった。

 

「照準は、悪くないな」

 

 弾着状況を確認したエアルが、満足に呟く。

 

 はずれはしたが、「シャルンホルスト」の放った初弾6発は、輸送船のすぐ至近に落下している。これなら、すぐに命中弾を得られるだろう。

 

 やがて、

 

「主砲、アントン、ブルーノ、次発装填良し!!」

「照準、修正完了!!」

 

 報告が環境へと上げられる。

 

 エアルの双眸が鋭く光った。

 

「撃てッ!!」

 

 号令一下、放たれる28センチ砲弾。

 

 そのうちの1発が、

 

 逃げる輸送船の薄い舷側を貫通。船内に飛び込んで炸裂する。

 

 次の瞬間、内部から炎を上げ、輸送船は燃え上がった。

 

 海上に停止する輸送船。同時に、機関出力も衰え、みるみる内に速力が低下していく。

 

 炎は既に船全体に広がり、傾斜も始まっている。あの輸送船が長くは保たないであろう事は明白だった。

 

「よし、目標変更、本艦正面の船を狙って!!」

 

 エアルの指示に従い、再び旋回するA、B砲塔。

 

 「シャルンホルスト」のスピードは31ノット、対して輸送船のスピードは20ノットも出ていない。

 

 既に距離は詰まっている。これなら、少ない修正で命中弾を得られる確証があった。

 

 程なく、予感は的中する。

 

 「シャルンホルスト」は2隻目への砲撃開始から、4分ほどで命中弾を与え、撃沈確実の大損害を与える。

 

 エアルが残る3隻目への目標変更を指示しようとした時だった。

 

「敵船より発光信号!!」

 

 見張り員からの報告を聞き、命令を一時中断して振り返る。

 

「読んでください」

「はいッ 《我、降伏ス。願ワクバ寛大ナル処置ヲ望ム》!!」

 

 逃げ切る事も抵抗も不可能と判断した敵輸送船は、生き残る為の最後の手段に出た。

 

 即ち、降伏して、こちらの慈悲に縋ったのだ。

 

 エアルは頷く。

 

 相手に逃走の意思が無いのなら、こちらとしても無駄な殺戮をする気はなかった。

 

 だがそれでも、最低限の警戒は怠る訳にはいかない。

 

「敵船に返信。《停船せよ。然らざらば砲撃を続行す》」

 

 今度は副長のヴァルターに向き直る。

 

「砲撃一時停止。ただし、いつでも再開できるよう、照準そのまま」

「はッ」

 

 命令を受け、ヴァルターは各部署へと指示を飛ばす。

 

 非情に聞こえるかもしれないが、降伏と見せかけて逃亡する可能性は大いにある。

 

 これは戦う上で必要な措置だった。

 

 やがて「シャルンホルスト」も、速力を落とし、敵船にゆっくりと近付いていく。

 

 同時に、背後でフッと息を抜く音が聞こえて、エアルは振り返る。

 

 見れば、艦の制御に集中していたシャルンホルストが、目を開けて深呼吸をしている所だった。

 

 と、

 

「アハ」

 

 エアルが見ている気づいたシャルンホルストが、安堵したように笑みを見せる。

 

 その仕草が可笑しくて、エアルもクスッと笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 開戦と同時にキール軍港を出港した巡洋戦艦「シャルンホルスト」、及び「グナイゼナウ」から成るドイツ海軍第1戦闘群は、高速を利して一路北海へと出ると、フェロー諸島沖、シェトランド諸島沖を通過、アイスランド南方を抜けると、警戒の薄いイギリス海軍の目を潜り抜け、大西洋に進出する事に成功した。

 

 そこで両艦は二手に分かれ、通商破壊戦を展開する。

 

 「シャルンホルスト」は主に南大西洋で、「グナイゼナウ」は北大西洋において、目標となる輸送船を探しては、これを捕捉、片っ端から撃沈、拿捕していった。

 

 高速、重防御に加えて、充分な火力を備えた2隻の巡洋戦艦に洋上で遭遇すれば、無防備に近い輸送船にとっては脅威でしかない。

 

 襲われた輸送船は逃げる事も抵抗する事も出来ず、次々と撃ち沈められていった。

 

 勿論、作戦に参加したのは、この2隻だけではない。

 

 第1戦闘群を追うようにして大西洋上に進出したUボート艦隊もまた、同時に通商破壊戦を開始。英仏の通商路に対し、多大な打撃を与えていた。

 

 快進撃を続ける陸軍に加えて、神出鬼没な戦いぶりで連合軍を苦しめる海軍。

 

 ドイツ軍の作戦は、正に順風満帆であると言えた。

 

 

 

 

 

 当然の事ではあるが、

 

 戦勝に凱歌を上げる者があれば、

 

 一敗地に塗れて頭を抱える者もいるのは、戦いの常である。

 

 イギリス北部オークニー諸島。

 

 多くの島が複雑に入り組み、複雑な海流が組まれる海域。

 

 その最奥部は天然の要害と化し、敵対勢力の侵入を頑なに拒み続けている。

 

 イギリス本国艦隊最大の根拠地、スカパフロー軍港が、そこにあった。

 

 巨大な艦橋と砲塔を持つ戦艦。

 

 平たい甲板を持つ、洋上の航空基地である航空母艦。

 

 多数の巡洋艦と駆逐艦。

 

 ここにいる戦力だけでも、ドイツ海軍全体の3倍近い兵力を誇っている。

 

 まさにイギリス海軍(ロイヤル・ネイビー)の栄光を体現していると言えよう。

 

 そのスカパフロー軍港の一角に停泊した戦艦。

 

 イギリス戦艦の特徴である、城塞のような箱型艦橋を持ち、巨大な3連装砲塔3基を前部甲板に雛段上に集中配備した、特異なシルエットを持つ艦。

 

 ネルソン級戦艦2番艦「ロドネー」。

 

 イギリス海軍が世界に誇る、ビッグ7の1隻である。

 

 ビッグ7とは、ワシントン条約の締結により、各国が主力戦艦の新規建造を自粛した期間、所謂「海軍の休日(ネイバル・ホリデイ)」において、世界に7隻しか存在しない、40センチ砲を搭載した戦艦を差して付けられた呼称である。

 

 即ち、

 

 日本海軍の長門型戦艦、「長門」「陸奥」

 

 アメリカ海軍のコロラド級戦艦「コロラド」「メリーランド」「ウェストバージニア」

 

 そしてイギリス海軍のネルソン級戦艦「ネルソン」「ロドネー」である。

 

 このうち、ネルソン級戦艦は45口径40センチ砲を3連装3基9門、前部甲板に集中配備している特異なシルエットを持つ。

 

 長門型、コロラド級が同じく45口径40センチ砲を連装4基8門しか搭載していない事からも、攻撃力においては世界最強とも言われてきた。

 

 ネルソン級戦艦は、その存在故に国民からも親しまれており、交代で本国艦隊の旗艦も務めて来た。

 

 しかし、1番艦の「ネルソン」は、開戦初期にUボートの雷撃を受け、損傷してしまった。

 

 幸いにして沈没は免れ、損傷は軽微だったものの、ドッグ入りを余儀なくされている。

 

 その為、現在は「ロドネー」が本国艦隊の旗艦を務めていた。

 

 その「ロドネー」の会議室では今、深夜にもかかわらず、本国艦隊の上層部が顔を合わせて、陰気な雰囲気を作り出していた。

 

 イギリス本国艦隊と言えば、文字通り海洋帝国イギリスの本土を守る最重要部隊。当然、配属される兵士達も、イギリス海軍の中から精鋭中の精鋭が集められる。

 

 そんな彼らが今、険しい顔を突き合わせていた。

 

「由々しき事態だ」

 

 議長役の男は、掠れた声で一同に告げる。

 

 イギリス本国艦隊司令官クレイズ・フォーブス大将の言葉に、一同はある者は唸り声を上げ、ある者は嘆息する。

 

 議題は、開戦以来、ドイツ海軍が仕掛けてきている通商破壊戦についてだ。

 

 フォーブスが示した書類には、ここ1か月の船舶被害を集計した物だ。

 

 明らかに、日を追う毎に上昇してきているのが判る。

 

「展開を終えたUボートが猛威を振るっているな。対して、わが軍は完全に出遅れた形だ」

 

 答えたのは、艦娘のロドネーである。

 

 長く美しい金髪を後頭部で束ね、凛と鋭い眼差しは女騎士を連想させる。

 

 しかし、そんな彼女も、今は憔悴したような表情を見せていた。

 

 通商破壊戦の恐ろしさを、イギリス程知り尽くしている国は無いだろう。

 

 第1次世界大戦時、ドイツ海軍が仕掛けた無制限潜水艦戦で敗亡の瀬戸際まで追い込まれた事もあるイギリスにとって、まさに最悪の状況と言っても過言ではない。

 

 実際被害数字だけではない。

 

 通商破壊戦の恐ろしさは、そのまま国家の経済破綻にもつながりかねないところだった。

 

 当然だが、船は「航路」に沿って運航される。

 

 しかし、その航路上に敵艦が布陣していると判れば、当然ながら別の航路を使わなくてはならなくなる。そうなると当然、物資や人件費が余計にかかる事になる。そればかりか、その敵艦を撃沈するか、あるいは確実に退去した事が確認されるまでは、その航路は使えなくなることを意味している。その為、大抵は出港自体が中止される事になる。

 

 自分達を狙ってくる敵がいる事が分かっている海に、誰も好き好んで出て行きたがるはずもない、と言う事である。

 

 勿論、護衛を増やす事も一つの手段ではあるが、そうなると当然、護衛艦に対する物資や人件費も余計にかかる。更に、護衛を付けたとしても、確実に安全とは言い難い。

 

 この状況が更に続き、イギリスに続く航路上でUボートの跳梁を許し続ければ最悪、輸送船の乗組員がストライキを起こし、イギリスへの航海自体を拒否する可能性すらある。そうなると経済はストップし、あらゆる国家機能が停止する恐れすらある。

 

 このように、通商破壊戦は見た目の被害以上に、目に見えない部分にジワジワと効力を発揮する戦術なのだ。

 

 抜本的解決策はただ一つ。

 

 脅威となる敵艦を、物理的に排除する以外にない。

 

「目下、一番の厄介は、この2隻だ」

「『シャルンホルスト』、それに『グナイゼナウ』だな?」

 

 ロドネーの問いに、フォーブスは頷く。

 

 この2隻は、開戦と同時にドイツ本国を出港。イギリスの哨戒網をまんまと潜り抜け、大西洋に進出してしまったのだ。

 

 イギリス海軍が巡戦2隻の出撃を確認したのは、2隻が既に大西洋に進出した後の事だった。

 

「当初、例のポケット戦艦くらいなら繰り出してくるだろうと思っていたが、まさか主力巡戦を2隻とも投入してくるとはな」

 

 イギリス海軍も、先の大戦の戦訓から、ドイツ軍が通商破壊戦を仕掛けてくる事を読んでいたし、水上艦を作戦に投入してくる事も警戒していた。

 

 しかし、ドイツ海軍の動きがあまりにも迅速だったため、対応が完全に後手に回ってしまったのだ。

 

「既に、対通商破壊戦部隊7チームを編成、大西洋に出撃させています。中には戦艦を含む部隊も参加していますので、彼等がナチの戦艦を捕捉してくれると信じましょう」

 

 参謀長の言葉に、フォーブスは頷きを返す。

 

 実際、ドイツ本国に対する備えもある為、本国艦隊全てを動かすわけにはいかない。それに大艦隊で動いても、単独で動ける敵の方が身軽である為、補足は困難となる。

 

 それよりも、こちらも少数の専門チームを複数作り対応に当たらせるのだ。

 

 相手は単艦で動いている事が判っている。数で包囲して押し包めば勝てる。場合によっては、各部隊が連携する事もできる。

 

 必ずや、不埒なナチスの戦艦を排除してくれるものと信じていた。

 

「諸君」

 

 フォーブスは立ち上がると、一同を見回して言った。

 

「我々は確かに、敵に先制を許した。しかし、勝ちを急いだ側が必ずしも勝利するわけではない事は、あらゆる歴史が証明している。敵の動きをじっくりと見据え、万全の体制を整えれば、必ずや勝利できると確信している。我々は誇り高き、英国海軍(ロイヤルネイビー)の一員である事をもう一度、深く胸に刻み、祖国と、国王陛下の為、怨敵ナチス打倒の為、邁進してほしい」

『ハッ』

 

 フォーブスの言葉にロドネーが、そして参謀長以下幕僚たちが立ち上がり敬礼する。

 

 そうだ。

 

 自分達はヨーロッパ最強のイギリス海軍。

 

 ナチスが亡霊の如く蘇らせたドイツ海軍如き、我らに掛かれば塵にも等しいと言う物。

 

 今は少しくらい暴れた所で、最終的に勝利するのは自分達で間違いないのだから。

 

 その誇りが、全員の胸に改めて刻まれた。

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だしぬけに襲ってきた轟音と衝撃に、全員が思わずその場に倒れ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、何事だッ!?」

 

 床に膝を突いた状態で怒鳴るフォーブス。

 

 振動は尚も、不気味に続いている。

 

 同時に、外が騒がしくなるのを感じた。

 

 ロドネーは艦内電話に駆け寄ると、受話器をひっつかむ。

 

「誰かッ 伝令を会議室によこしてくれ!! 報告を!!」

 

 程なく、息を切らせた兵士が駆けこんでくる。

 

「た、大変です!!」

 

 尋常ならざる慌てぶり。

 

 誰もが固唾をのむ中、発せられた報告は彼等の予想をあまりにも凌駕する物だった。

 

「『ロイヤルオーク』が、沈みます!!」

 

 

 

 

 

 フォーブスやロドネー達が「ロドネー」の甲板に出た時、深夜であるにもかかわらず、そこは昼間の如き明るさになっていた。

 

 原因は、彼等の視界の先にあった。

 

 「ロドネー」から、少し離れた場所に停泊していた戦艦「ロイヤルオーク」が、激しく燃えている。

 

 一体何が起きたのか?

 

 艦首から艦尾まで炎に包まれている。既に傾斜も始まっているらしく、沈没は時間の問題だった。

 

「いったい何があったッ!? 事故か!?」

「判りませんッ 只今、調査中です!!」

 

 怒鳴るフォーブス。

 

 しかし、答えは返らないまま、戦艦「ロイヤルオーク」は、徐々に傾きを増しながら、海底へと引きずり込まれて行った。

 

 

 

 

 

 戦艦「ロイヤルオーク」撃沈。

 

 その原因は、事故ではない。

 

 真相は、彼等の足元の海底にあった。

 

 海面の喧騒をすり抜けるように、黒い影がゆっくりと、這うように外界へ向かっていくのが見える。

 

 意味が分からない人間が見れば、クジラか何かが泳いでいる、とでも思うかもしれない。

 

 しかし、それはクジラではなかった。

 

 言ってしまえば、クジラよりも獰猛な鮫。

 

 それも、鋼鉄の鮫だった。

 

「こっちを追ってくる気配はないみたいよ。このまま行けば脱出できると思うわ」

「よっしゃ、了解。このまま静音を保ったまま、水道へと向かえ」

 

 傍らの少女の報告を聞きながら、ギリアム・プリーン、ドイツ海軍大尉は頷く。

 

 彼が操る、潜水艦U-47こそが、今回の騒動の元凶だった。

 

 目的はイギリス海軍最大の根拠地、スカパフロー軍港の奇襲。

 

 潜水艦隊司令部からスカパフロー軍港襲撃作戦を命令されたプリーンは、夜間に乗じて大胆にも水道を浮上航行で侵入してのけたのだ。

 

 途中、陸上から車のライトで照らされるなどのアクシデントはあったが、流石にスカパフロー内にUボートが侵入しているとは、誰も思わなかったのだろう。

 

 そうしてどうにか射点にたどり着いたプリーンだったが、更なる受難が彼等を襲う。

 

 何と、発射した魚雷が、全て不発だったのだ。

 

 うんざりしつつ、予備として搭載していた新型の磁器反応魚雷を発射管に装填。サイドの攻撃を試みた。

 

 今度は、魚雷は正常に作動した。

 

 「ロイヤルオーク」の艦底部に反応して起爆。衝撃波は海底に乱反射して、炸薬量の10倍近い威力まで跳ね上がり、「ロイヤルオーク」を突き上げたのだ。

 

 戦艦1隻、撃沈確実。

 

 戦果としては申し分なかった。

 

「よくやった。お前のおかげだよシーナ」

 

 プリーンは、傍らの少女に声を掛ける。

 

 長い髪をポニーテールに結った、スレンダーな身体つきの少女。

 

 水着の上から、セーラー服を着こんだ煽情的な姿。

 

 潜水艦U―47の艦娘。愛称は「シーナ」と呼ばれている。

 

「何言ってんの」

 

 プリーンの言葉に、シーナは少し照れたようにそっぽを向く。

 

「みんなのおかげでしょ。あたし1人で、ここまで来れた訳じゃないし」

「ああ。そうだな」

 

 シーナの態度に苦笑するプリーン。

 

 こんな時くらい、素直に喜んでおけばいいのに、とも思う。

 

 まあ、言えば怒るだろうから言わないでおくが。

 

「さあ、あと数時間が勝負だ。何としても無事に帰るぞ」

『おうッ』

 

 プリーンの言葉に、シーナを含む全員が声を上げる。

 

 U-47は、大混乱に陥るイギリス艦隊を他所に、悠々と外海目指して潜行していくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 甲板に出るエアル。

 

 傍らには、状況を見届ける為に一緒に降りて来たシャルンホルストの姿もあった。

 

 「シャルンホルスト」は今、海上に停止し、主砲を拿捕した輸送船に向けている。

 

 その輸送船の周囲には、無数の気泡が浮かんでいるのが見える。

 

 既に艦底のキングストン弁は抜かれ、沈み始めている。

 

 そして、乗員はと言えば、「シャルンホルスト」の傍らに浮かんだ数隻のボートに分乗していた。

 

「水や食料は、不足していませんか?」

 

 尋ねるエアルに、船長は問題ないと答える。

 

 ここは南米ウルグアイにほど近い海域。ここからなら、手漕ぎのボートでも、数日あれば海岸にたどり着けるはずだった。

 

 エアルは降伏した輸送船をその場では撃沈せず、最寄りにある中立国の海岸近くまで連行、そこで退船させた上で自沈させる手法を取っていた。

 

 勿論、抵抗したり、逃走を図ろうとすれば問答無用で撃沈するのだが。

 

 しかし、相手は輸送船とは言え、船1隻を沈めるのに必要な弾薬もタダではない。

 

 何より、無抵抗になった人間を殺すのは、エアルの主義に反した。

 

「甘いと思う?」

「え?」

 

 去っていく輸送船の乗組員を見送りながら、エアルはシャルンホルストに声を掛けた。

 

「本当なら、どんな敵だろうが、問答無用で撃沈しちゃうべきなのかもしれないし、その方が簡単なのは判ってるんだけどね」

「でも、おにーさんはそうしてないね。何で?」

 

 首を傾げて訝るシャルンホルスト。

 

 効率のいい作戦を取らない理由に、どうやら興味がある様子だ。

 

「巡洋艦『エムデン』って知ってる?」

「勿論。本国にいる艦でしょ。確か軽巡?」

 

 エムデン級軽巡洋艦の唯一の構成艦であり、現在は本国沿岸の守備に就いている。

 

 だが、シャルンホルストに対して首を振った。

 

「そっちじゃなくて、先々代の方ね」

 

 現在、本国にいる巡洋艦「エムデン」は、名前を継いだ3代目である。

 

 初代「エムデン」は第1次世界大戦において活躍した船だ。

 

 主にインド洋から東南アジアに掛けて通商破壊戦を任務として活躍した艦なのだが、同艦の艦長は、敵対する敵船は容赦なく撃沈したものの、降伏の意を示した船は、今のエアルと同じように中立国まで連行して、総員退船の後、自沈させると言うやり方をしていた。

 

 現代にも伝わる、ドイツ軍の騎士道を体現した逸話である。

 

 エアルは、この「エムデン」のやり方に倣っているのだ。

 

「良いんじゃないかな」

 

 対して、シャルンホルストは笑顔を向けながら言った。

 

「戦争だからさ、戦うのは当たり前だけど。けど、降伏した人まで殺しちゃ可哀そうだし。ボクは、おにーさんのやり方で良いと思うよ」

「ありがとう、シャル」

 

 笑顔を返すエアル。

 

 2人はそのまま連れ立って、艦橋へと上がっていく。

 

 既に作戦開始から1か月以上。戦果は上々と言って良いほどに上がっている。

 

 順調、と言って良いだろう。

 

 そう、

 

 全てが順調なのだ。

 

 だからこそ、だろう。

 

 自分達に対し、刺客が差し向けられているとは、

 

 この時はまだ、エアルも、そしてシャルンホルストも、知る由も無かった。

 

 

 

 

 

第5話「大海原の騎士道」      終わり

 



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第6話「友へ示す決断」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 狭い室内から聞こえてくる微かにくぐもった声。

 

 よく整理された室内には清潔感があり、内装だけではなく調度品にも気を使っているのが判る。

 

 部屋の中央では、一組の男女が抱擁を交わしていた。

 

 男は抱き寄せた女の、長い栗色の髪を優しく撫で、女は寄り添うように男に身を寄せる。

 

 2人の唇は重ねられ、喘ぎ声は女の口から時々漏れ聞こえていた。

 

 男の手が女の体を愛撫する度、塞がれた女の口からは喘ぎ声が漏れ出す。

 

 どれくらい、そうしていただろう?

 

 お互いの唇と体の感触を存分に味わった後、男は女の身体をそっと話す。

 

「そろそろ、良いか?」

「はい。殿下。お情けを、くださいませ」

 

 問いかける男に、女は蕩けた目で頷きを返す。

 

 娼婦を思わせる女の反応に、男は実際にも内心にも舌なめずりをする。

 

 自分は今から、この女の全てを支配する。自らの欲望のままに貪り食らい、果てるまで自分の精を、女の中へと出し尽くすのだ。

 

 その圧倒的な支配感に、男の中の欲望は留まる所を知らずに上り続ける。

 

 これは自分だけの特権。

 

 高貴な自分だけに許された、最高級の贅沢。

 

 下々の物には決して許されない至高の時間を、これから味わう事が出来るのだ。

 

 女も、自分のような高貴な人間に抱かれて、この上ない幸せだろう。

 

 振り返る2人の先には、ベッドが見える。

 

 既に2人の心と体は最高潮まで高ぶり、快楽を貪れる瞬間を待ちわびている。

 

 男は女の腰を抱き、ベッドへと誘おうとした。

 

 廊下に通じるドアに、ノックの音が鳴ったのはその時だった。

 

《殿下、お休みのところ、申し訳ありません》

 

 相手は、この艦の副長でもある人物。

 

 わざわざ、艦長室まで足を運んだと言う事は、余ほどの事態であると思われたのだが、

 

「・・・・・・何だ? 何の用だッ?」

 

 情事を直前で中断された男は、不機嫌そうに問い返す。

 

 見れば、女の方も、そそくさと胸元を直している。

 

 2人は完全に興を削がれた形だった。

 

 副長の方も長い付き合いであるがゆえに弁えているらしく、無遠慮に踏み込んでくるような真似はせず、ドアの外で報告する。

 

「G部隊司令部から通達が来ました。ドイツ戦艦を発見、直ちに合流せよ、との事です」

「チッ そんなもん、お前等で勝手に判断できんのか?」

「そうは参りません。上級司令部の命令である以上、艦長である殿下の指揮が必要となります故」

 

 融通の利かない副長の返答に再度舌打ちする。

 

 しかし上級司令部に反抗して、己の評価を下げる事態は避けなければならない。

 

「暫くしたら行く。艦橋で待ってろ」

「ハッ」

 

 副長が遠ざかる気配を感じながら、男は女の方を振り返った。

 

「続きはまた、後でな」

「・・・・・・はい、殿下」

 

 女は蠱惑的に笑う。

 

 2人は笑み向けると、互いの高ぶりを慰めるように、もう一度抱擁を交わした。

 

 

 

 

 

 イギリス海軍G部隊は、ドイツ海軍通商破壊戦部隊に対抗する為に編成された7つの特務部隊の一つである。

 

 重巡洋艦「エクゼター」、軽巡洋艦「エイジャックス」「アキリーズ」の3隻編成となっている。

 

 本来なら重巡洋艦「カンバーランド」も編入される予定だったが、同艦は整備が間に合わず、出撃を見合わせている。

 

 旗艦「エイジャックス」の艦橋では、指揮官のハーウッド准将は、真っすぐに前を見据えていた。

 

「『シャルンホルスト』についての新しい情報は?」

「10日前にウルグアイ沖で輸送船3隻を沈めた後、更に南のフォークランド諸島沖の海域で3日前、タンカーが1隻やられています。その後、北上したところまでは確認しています」

 

 ハーウッドに答えたのは、セーラー服を着てベレー帽を頭の上に乗せた少女だ。

 

 艦娘のエイジャックスの答えに頷く。

 

 通商破壊戦を仕掛けてくるドイツ海軍への対応はイギリス海軍にとって急務である。特にシャルンホルスト級巡洋戦艦の存在は、イギリス海軍にとって、目の上の瘤と言っても過言ではないほど、目障りな存在だった。

 

「仮に奴が、まだ同じ海域にいるとしたら、我々もフォークランド沖に行くべきだが」

「流石に、それは無いんじゃないでしょうか?」

 

 ハーウッドの言葉に、エイジャックスは首を傾げながら応じる。

 

 ドイツ軍とて、一か所に留まり続ける事の危険性は理解している筈。

 

 単艦で動いている彼等が、発見から3日経った今も、同じ海域にいる可能性は低かった。

 

 既にフォークランド沖は離れたと考えるのが妥当だった。

 

 ならば、とハーウッドは視点を変えてみる。

 

「奴らが北上した理由は何だと思う?」

 

 妥当に考えれば、次の獲物を探して北上した、と考えるべきだが。

 

「意味、ですか?」

「ああ。奴らの意図によって、行動を変える必要が出てくる」

 

 「シャルンホルスト」は単独で行動している。

 

 単艦行動は他部隊の援護が期待できない反面、神出鬼没な戦い方が可能となる。イギリス海軍が、ドイツ海軍の跳梁を許している最大の原因がそれだった。

 

「奴らが獲物を求めて行動しているとすれば、その行動を予測するのは困難ですね」

 

 英ジャックスが険しい表情を作りながら呟く。

 

 単独行動中のドイツ戦艦を、洋上で捕捉する事は難しい。いかに対通商破壊戦部隊と言えど、その索的能力には限界がある。

 

 だからこそ、先読みして待ち伏せる必要があるのだが。

 

 暫く考えてから、ハーウッドが顔を上げた。

 

「補給、と言う可能性はないか?」

「補給、ですか?」

「ああ。連中も作戦を開始して大分経つ。勿論、定期的に補給は受けているだろうが、そろそろ補給艦との合流時期が近付いているから北上した、と言うのは考えられないか?」

 

 ハーウッドの言葉に、一同は考え込む。

 

 可能性としては、無くはない。

 

 しかし、先に出た襲撃場所を変更する為に移動した可能性も充分に考えられる。

 

 可能性としては五分五分(フィフティ・フィフティ)といったところだろう。

 

「ならば、賭けてみては如何でしょうか?」

 

 発言したのは参謀長だった。

 

「『シャルンホルスト』の目的が補給なのか襲撃なのか、今ある材料で判断する事は難しい。勿論、両方の案に戦力を振り分ける余裕は、我々にはない。だからこそ、どちらか一方の可能性に賭け、敵を待ち伏せするのが得策かと思われます」

「参謀長の意見に、私も賛成です。ここで手をこまねいていても、敵が逃げるだけです」

 

 参謀長の発言を受けて、エイジャックスが頷く。

 

 確かに、判断材料が少ない以上、これ以上考えても仕方がない。

 

 勿論、2つの可能性があるからと言って、戦力を二分するわけにもいかない。

 

 ならば、どうするか?

 

 選択肢は2つ。

 

 1つは、敵が更なる襲撃目標を求めて移動した可能性を考え、他の海域へ移動する。

 

 もう1つは、補給のために北上したと考える。この場合、G部隊は先回りして待ち伏せする事になる。

 

「・・・・・・北だ」

 

 考えた末に、ハーウッドは決断を下した。

 

「敵が補給の為、北上したと判断し、これを待ち伏せする」

 

 どのみち、もし「シャルンホルスト」の目的が襲撃の為の航路変更だったとしたら、広い洋上で捕捉する事は難しい。最悪、空振りになる可能性が高い。

 

 それよりも、そのまま補給の為に北上する方に賭けた方が得策と考えたのだ。これなら、待ち伏せも容易だし、仮に予想が外れても燃料の消費は最低限で済む。

 

「あとは、戦力ですね。向こうは1隻とは言え戦艦。こちらは数が多いですが、巡洋艦しかいません」

「エイジャックスの言う通りですな。他の部隊にも合流を呼びかけますか?」

 

 問いかけるエイジャックスと参謀長。

 

 対して、ハーウッドは自信ありげに笑みを見せた。

 

「なに、それなら問題はない。既に手は打っておいた」

 

 ハーウッドの言葉に、顔を見合わせて首を傾げる、参謀長とエイジャックス。

 

 丁度、その時だった。

 

「方位0-8-5に接近する戦艦ありッ 味方です!!」

「来たか」

 

 報告を聞き、ハーウッドは頷きを返した。

 

 

 

 

 

 戦艦「ラミリーズ」は、R級戦艦(完成全艦の頭文字が「R」である為、この呼称で呼ばれる)の5番艦である。

 

 基準排水量は2万9000トン、全長190・3メートル、全幅27メートル。

 

 竣工は第1次世界大戦と同時期だが、竣工が遅かった為、ユトランド沖海戦には参加していない。

 

 主砲は42口径38・1センチ砲を連装4基8門装備している。

 

 現在、イギリス海軍の中で運用されている戦艦としてはクイーンエリザベス九に次いで古いタイプの戦艦だが、それでも強力な火砲を備えた戦艦であり、ドイツ巡戦を相手にするのに十分な火力を期待されていた。

 

 その艦橋に、艦長たる男が艦娘の女性を従えて入って来た。

 

 長身に、細面。鋭い目つきをした男だ。

 

 胸には中佐の階級章を付けている。

 

 ディラン・ケンブリッジ大佐。

 

 この「ラミリーズ」の艦長である。

 

 ディランの姿を見て、艦橋にいる全員が敬礼を送る。

 

「お待ちしておりました、殿下」

 

 恭しく一礼する初老の男性に対し、ディランはジロリと鋭い視線を投げる。

 

「アルヴァン」

「ハッ」

 

 忠実なる副長は、自らの主の呼びかけに対し、一歩前へと出る。

 

 先に情事の邪魔をした相手ではあるが、幼少より自分の面倒を見てくれた相手である。無碍にはできなかった。

 

「説明しろ。状況はどうなっている?」

「は、先程、G部隊司令部より伝達がありましてございます。それによりますと、『シャルンホルスト』が補給の為に、最終確認地点よりも北上していると判断。我々は、その進路上にて待ち伏せする、との事でした」

 

 報告を聞いて、ディランは面白くなさそうに鼻を鳴らした。

 

「何だ、まだ発見もしていないくせに呼び出したのか、俺達を。ハーウッドも随分と急くではないか」

 

 階級が上の上位指揮官を呼び捨てにし、あまつさえ侮蔑するような発言。

 

 普通の軍隊であれば許されるような事ではない。

 

 しかし、アルヴァンをはじめ、誰もがディランの発言を咎めようとはしない。

 

 要するに、このディランと言う男が、それが許されるだけの立場にある。と言う事である。

 

「この俺をわざわざ呼び出したのだ。勝算はあるのだろうな?」

「ハーウッド提督は、そのように考えているようでございます」

 

 アルヴァンの報告に鼻を鳴らすディラン。

 

 同時に、傍らに控える女性に目を向ける。

 

 艦娘のラミリーズは、発言する事無く、ディラン傍に佇んでいる。

 

 全く。

 

 彼女との情事を邪魔されたのは、ディランにとって、脳が沸騰しそうなほどに頭にくることである。

 

 この上は、何が何でも獲物をしとめない事には気が済む話ではなかった。

 

「薄汚いナチの戦艦が、この俺と同じ海にいた事を後悔させてやる」

 

 そうだ。

 

 自分達が負けるはずがない。

 

 こちらは世界に誇る大英帝国海軍(ロイヤルネイヴィー)。対して相手は、第1次世界大戦に敗れた後、ろくな戦艦を持つ事も許してもらえず、つい最近になってようやく、自分達に泣きついて戦艦の建造を許してもらったような、乞食同然の連中だ。

 

 おまけに奴らの総統は、成り上がり者の元伍長と来た。

 

 そんな奴らに、世界最強である自分達が負けるはずがない。

 

 自分達は勝つ。

 

 勝って本国に凱旋し、あらゆる称賛を受けるのだ。

 

「そうなれば、次期国王の座も近くなると言う物だ」

 

 笑みを含んだディランの言葉は、傍らに控えたアルヴァンとラミリーズにだけ聞こえていた。

 

 ディラン・ケンブリッジ。

 

 彼は戦艦「ラミリーズ」の艦長であると同時に、もう一つの顔を持っている。

 

 ケンブリッジ公爵の名を持つ、立派な公爵であり、現国王の次男。

 

 すなわち、イングランド王国第2王子。

 

 それが、ディランと言う人間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 巡洋戦艦「シャルンホルスト」が通商破壊活動をしていたフォークランド沖を離れ、北上を開始した理由。

 

 それについて、実のところ、ハーウッドの予想は正しかった。

 

 南大西洋における通商破壊戦が一定の戦果を挙げたと判断したエアルは、次の行動に向けて補給を行う為に北上を決定したのだ。

 

 現在、「シャルンホルスト」はアルゼンチン沖を抜け、ウルグアイ沖を航行している。

 

 間もなく、ウルグアイ沖に差し掛かる事になる。

 

 その後、洋上で補給艦と合流予定だった。

 

 予定では僚艦「グナイゼナウ」も、補給のために向かっているとか。となれば、久々に同型艦が揃う事になる。

 

 だが、

 

 その進路に立ち塞がる者の存在について、急報がもたらされたのは、あと数時間でウルグアイ沖に入ると言う時の事だった。

 

 艦長席に座るエアルの元へ、ヴァルターが素早く駆け寄ると、通信室からもたらされた電文を差し出す。

 

 そこに書かれた内容を一読すると、エアルの顔にみるみると険しさが沸き起こるのが見えた。

 

「おにーさん、どうしたの?」

 

 傍らのシャルンホルストが怪訝な面持ちを作る中、エアルは無言のまま電文を差し出す。

 

 一読して、巡戦少女も声を上げた。

 

「《敵艦隊発見、数3、イズレモ巡洋艦ト認ム》・・・・・・」

 

 更に、文面は続く。

 

「《尚、敵艦隊後方ニ、戦艦ト思シキ艦影、続行アリ》。お兄さん、これって・・・・・・」

 

 先行している偵察機からの報告だよ。

 

 エアルは予め、「シャルンホルスト」の進路前方に定期的に偵察機を放ち、進路上の監視を行っていた。

 

 これはターゲットとなる輸送船の発見を容易にすると同時に、こちらに向かってくる敵艦を早期に捕捉しやすくする事を目的としている。

 

 一度に放てる偵察機は1機の為、濃密な索敵網を形成する事はできないが、それでもある程度の偵察効果は望める。

 

 今回はたまたま、警戒が功を奏した形だった。

 

 しかし、それによってもたらされた情報を、自分達が戦艦を含む有力な敵艦隊に捕捉されつつある現実だった。

 

「どうしますか? 一旦、避退するのも手ですが?」

「けど、燃料も残りが怪しくなってきていますよね。迂回して、果たして補給艦と合流が間に合うかどうか・・・・・・」

 

 現在、「シャルンホルスト」は、補給艦との合流を目指しているが、補給を行う際には、厳密なスケジュールに沿って行われる。

 

 補給中は当然、艦は停止しなくてはならない。つまり、無防備な状態になるのだ。

 

 そこを敵に狙われでもしたら、目も当てられない事になりかねない。

 

 故に補給は可能な限り短時間に、手早く行う必要がある。

 

 もし合流できなければ、補給は諦めざるを得ない場合もある。

 

「迂回しないとなると、あとは正面突破以外に、手はありません」

 

 ヴァルターも、緊張の面持ちで告げる。

 

 戦艦を含む敵艦隊に、正面突破を仕掛ける事が、「シャルンホルスト」にとって、如何にリスクが高いか、彼は十分に理解しているのだ。

 

 相手がイギリス戦艦なら、たとえどの艦が出て来たとしても「シャルンホルスト」よりも強力な火砲を備えている。ましてか、こっちは単艦であるのに対し、敵は小規模とは言え艦隊を組んでいる。

 

 はっきり言って、まともな撃ち合いでは不利だった。

 

 本来なら速力を活かして振り切りたい所だが、今はそれもできるかどうか怪しいところである。

 

「おにーさん、どうするの?」

 

 シャルンホルストが不安げな眼差しを向けてくる。

 

 彼女の不安は判る。

 

 「シャルンホルスト」は今まで、無抵抗に近い輸送船を狩る事はしてきたが、明確に攻撃する意思をもって向かってくる敵艦と対峙した事はない。

 

 しかし今回は違う。

 

 今までのように一方的に撃ちまくる。と言う訳にはいかないだろう。

 

 迂回か?

 

 正面突破か?

 

 エアルは決断を迫られる。

 

「おにーさん・・・・・・・・・・・・」

 

 振り返るエアルを、見上げるシャルンホルスト。

 

 視線が、真っすぐに少女を捉える。

 

 青年艦長の脳裏に駆け巡るのは、ここに至るまでの彼女との思い出。

 

 知り合ってから、まだ半年と少し。決して長い付き合いとは言えない。

 

 しかし艦長と艦娘として、ここまで共にやってきた事で、エアルとシャルンホルストとの間には、強い絆が結ばれている。

 

 何より、

 

 彼女はエアルを「友達」と呼んでくれた。

 

 ならば、

 

 友として、

 

 彼女を沈める訳にはいかなかった。

 

「迎え撃ちましょう」

 

 エアルは断を下す。

 

「どのみち、ここを迂回しても敵は追ってきます。それに、追手は、目の前の艦隊だけじゃない筈。迂回して遠回りすれば、また別の部隊と遭遇する可能性もある。万が一、目の前の敵と挟み撃ちにでもされたら事態は最悪になります。それより、正面の敵を確実に撃破して突破しましょう」

 

 エアルの言葉を聞き、

 

「妥当ですな」

 

 ヴァルターは真っ先に賛意を示す。

 

 既にこれまでのエアルの戦いぶりを見て、「シャルンホルスト」乗組員一同、青年艦長に対して疑いを持つ者は1人もいない。

 

 彼が戦うと言えば徹底的に戦うし、彼が逃げると言えば一目散に逃げる。

 

 全てはエアル・アレイザーを中心とした、一個の戦闘集団が出来上がっていた。

 

 そして、

 

 その輪の中に、彼女もいる事は言うまでもないだろう。

 

「おにーさん、やろう」

「うん。お願いね、シャル」

 

 頷き合う2人。

 

 今、ドイツ巡洋戦艦「シャルンホルスト」は、立ち塞がる最初の敵に対し、大きく舵を切った。

 

 

 

 

 

第6話「友へ示す決断」      終わり

 



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第7話「ラプラタ沖の砲声」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『ドイツ巡洋戦艦「シャルンホルスト」北上す』

 

 その報告は、G部隊指揮官のハーウッド准将の元へも、直ちに届けられた。

 

 ハーウッドは既に、自身の率いるG部隊をウルグアイ沖へと展開。「シャルンホルスト」を待ち構える体制を整えていた。

 

 G部隊は現在、ウルグアイに河口がある南米の大河、ラプラタ川の沖合に展開。進路を南に向けている。

 

 北上中の「シャルンホルスト」捕捉の為である。

 

 「エイジャックス」艦橋に立つハーウッドには、勝算があった。

 

 相手は巡洋戦艦1隻。

 

 対してG部隊は戦艦1、重巡洋艦1、軽巡洋艦2。

 

 火力は明らかにイギリス海軍が上。戦いとなれば、確実に勝てるはずだった。

 

 加えて、地の利もG部隊に味方している。

 

 ウルグアイは中立国だが、どちらかと言えばイギリス寄りの政策を行っている。つまり、「シャルンホルスト」はG部隊から逃げる為に、手近な港に避難する、と言う手段も取れないのだ。

 

 ハーウッドは、自身の旗艦「エイジャックス」の右後方を航行する「ラミリーズ」へ目を向ける。

 

 「ラミリーズ」の砲撃力をもってすれば、確実に「シャルンホルスト」に撃ち勝てる筈。

 

 ただ1つ、ハーウッドにとって懸念材料があるとすれば、「ラミリーズ」のスピードだった。

 

 「ラミリーズ」を含むR級戦艦は元々、最高速度が23ノットと言う低速艦だったが、その後、装甲を強化する改装を施された結果、ただでさえ低速だったのが、更に21ノットにまで低下してしまっている。

 

 その為、味方であるイギリス艦隊の中でさえ、R級戦艦を「お荷物」と見る傾向すらあった。

 

 ハーウッドとしても当初は、高速の巡洋戦艦「フッド」か、レナウン巡洋戦艦2隻のうちのどれかを参戦希望ていた。これらの巡洋戦艦は強力で、かつ高い火力を備えている。「シャルンホルスト」の機動性にも追随できるはずだと思ったからだ。

 

 しかし生憎と、どの艦も出払っている為、諦めざるを得なかった。

 

 とは言え、「ラミリーズ」の火力がありがたいのは事実である。

 

 その時だった。

 

 参謀長と話していたエイジャックスが、報告を受けてハーウッドへ振り返る。

 

「提督、本艦進路0度上に、接近する大型の艦影を確認。恐らく、『シャルンホルスト』と思われます!!」

「よしッ」

 

 頷くハーウッド。

 

 敵は罠に掛かった。後は仕留めるだけである。

 

「総員戦闘配置!!」

 

 高らかに命じるハーウッド。

 

 機関の出力が上がり、唸りを上げる。

 

 速力を増し、艦首から水しぶきを上げる「エイジャックス」。

 

 砲塔が旋回し、間もなく現れるであろう敵艦を睨み据える。

 

 その勇ましい様は、正に大英帝国海軍(ロイヤルネイヴィー)を誇るに相応しい、勇壮な光景だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1939年12月13日午後5時。

 

 両軍はついに、激突の時を迎えた。。

 

 味方との合流を目指し、北上するドイツ巡洋戦艦「シャルンホルスト」。

 

 対して、ハーウッド准将率いるイギリス海軍G部隊は、二手に分かれて「シャルンホルスト」を挟み撃ちする構えを見せる。

 

 ハーウッド自身は軽巡洋艦「エイジャックス」「アキリーズ」、重巡洋艦「エクゼター」を率い、高速で「シャルンホルスト」の後方に回り込む一方、低速だが攻防に優れる戦艦「ラミリーズ」は、そのまま真っすぐに南下してドイツ巡戦の頭を抑える。

 

 「シャルンホルスト」がそのまま北上するなら、「ラミリーズ」が進路を抑えている隙に、背後から巡洋艦3隻が急襲。敵艦を包囲する一方、もし「シャルンホルスト」が反転して巡洋艦の方に向かってきたら、ハーウッドの本隊が拘束している間に、「ラミリーズ」が背後から叩き潰す手はずだった。

 

 後の世に「ラプラタ沖海戦」の名称で呼ばれる事になる、独英海軍初の、本格的な激突が、ついに幕を開けた。

 

 

 

 

 

 双眼鏡の先で、真っすぐに向かってくる「シャルンホルスト」を見据え、戦艦「ラミリーズ」艦橋のディランは舌なめずりをした。

 

 視界の中では、ほっそりしたドイツ巡戦のシルエットが捉えられている。

 

「マヌケめ。彼我の力量さも判らず向かってくるか。ヒトラーの海軍は、海での戦い方も知らんらしい」

「全くですな」

「度し難いほどに愚かな奴らです」

「何、所詮は、あのチョビ髭の腰巾着共。我ら、栄光あるイギリス海軍の足元にも及ばぬような連中です」

 

 ディランの取り巻きである幕僚たちが、口々の「シャルンホルスト」に対する侮蔑を露わにする。

 

 口元に笑みを浮かべるディラン。

 

 シャルンホルスト級巡洋戦艦の情報は当然、イギリス海軍も掴んでいる。

 

 その主砲は28センチと小さく、攻撃力は低い。

 

 まともに戦艦の相手など、到底できるはずもない。勿論、この自分が率いる「ラミリーズ」の相手をしようなど、100年早いと言う物。

 

「フッ ヒトラーに少し早いクリスマスプレゼントと行こうじゃないかッ あのチョビ髭伍長自慢の戦艦が沈む様を大いに宣伝してやろうッ 諸君、我々は凱旋英雄として祖国に帰還できるだろうさ」

 

 ディランの言葉を受けて、大いに熱気を上げる「ラミリーズ」艦橋。

 

 「ラミリーズ」は既に、主砲に対艦用の徹甲弾を装填し、砲戦開始の時を待っている。

 

 間もなくだ。

 

 間もなく戦闘が始まり、そして終わる。

 

 あの薄汚いドイツ人どもの巡洋戦艦を撃沈し、自分達は英雄と称えられるのだ。

 

 そして自分は、次期国王の座を確かなものとする。

 

 現在、イギリス王室では、王位継承問題が勃発している。

 

 次期国王に指名されていた第1王子が、重い病に倒れたのだ。

 

 元々、第1王子は体が弱かったのだが、ここに来て重篤になりつつある。

 

 順当にいけば、第2王子であるディランが王位継承権を継ぐ事になる。

 

 しかし現国王には男子だけで9人もの王子が存在している。その中の幾人かが、ディランの王位継承について不穏な考えを示していると言う。

 

 それら反対分子を抑え込むためには、実績が必要になる。それも、誰も文句の付けようがない、絶対的な戦果だ。

 

 イギリス海軍で初めてナチスの巡洋戦艦と交戦し、これを撃沈したとなれば、戦果としてはこの上なく、誰も文句の付けようがない。

 

 自分たちは勝つ。

 

 勝って、英雄として本国へと帰還する。

 

 まさに、王道。

 

 自分以外の誰に、この偉業を成し遂げる事が出来ようか?

 

「頼むぞ、ラミリーズ」

「はい、殿下の御心のままに」

 

 自信満々の主に、ラミリーズもまた、うるんだ瞳で見つめ返す。

 

 一切合切、何も問題はなかった。

 

「敵戦艦接近!!」

 

 見張り員からの報告に、笑みを深める。

 

「さあ、始めよう、諸君ッ!! そして、最高の栄誉を我らの手に!!」

 

 意気揚々として腕を振り上げたディラン。

 

 既に前部甲板のA、B砲塔は旋回を終え、接近してくる「シャルンホルスト」への照準を終えている。

 

 装填されているのは当然、対艦攻撃用の徹甲弾。

 

 重量870キロの砲弾が、必ずや卑怯者のナチス戦艦を撃ち抜いてくれる。

 

 互いに接近する両者。

 

 間も無く、射程内に入る。

 

 次の瞬間、

 

「敵艦、進路変更!!」

「・・・・・・・・・・・・は?」

 

 思わぬ事態に、ディランは間の抜けた声を上げた。

 

 今まさに砲撃を開始しようとしていたところに飛び込んできた報告に、ディランは首を傾げる。

 

 いったい、敵は何をしようとしているのか?

 

 状況を確認すべく、双眼鏡を覗き込むディラン。

 

 そこで、

 

「プッ」

 

 失笑した。

 

 彼の視界の先では、こちらに真っすぐに向かって来ていたドイツ戦艦が、左に大きく舵を切っている様子が見て取れた。

 

 ちょうど、「ラミリーズ」に、右舷側を晒す形となっている。

 

「見ろ、皆の者、あの無様な姿をッ 奴は我々に恐れを成して逃げ出したぞ!!」

 

 ディランの言葉を受けて、幕僚たちはゲラゲラと笑いだす。

 

 確かに。

 

 「シャルンホルスト」は今や、完全に「ラミリーズ」に対して背を向け、遁走する形となっていた。

 

「所詮は、ド三流のドイツ海軍よッ 我らの武威に恐れを成すとはなッ あんな奴等、この俺に掛かれば、この通り、戦わずに尻尾を巻いて逃げるしかない訳だ!!」

「流石でございます殿下ッ!!」

「まさに、殿下の御威光有ればこその勝利です!!」

「薄汚いナチスに、正義の鉄槌が下りましたな!!」

 

 今や「ラミリーズ」の艦橋は、完全に戦勝気分に染まりつつあった。

 

 自分達は勝った。

 

 卑怯で薄汚いナチの巡戦は、自分達を恐れ、尻に帆掛けて無様にも逃げ出した。

 

 今や勝利と栄光は自分達の物だ。

 

 誰もが勝利を謳い上げる。

 

 当然、その中にディランの姿もある。

 

 これで次期王位に大きく近づいた。

 

 自分は全てを手にする日も近いだろう。

 

 だが、

 

 熱狂に包まれる「ラミリーズ」艦橋にあって、ただ1人、副長のアルヴァンだけは喧騒には加わらずにいた。

 

 ディラン達が騒いでいる脇で、冷静に双眼鏡を覗き続ける初老の副長。

 

 だからこそ、だろう。

 

 彼はイギリス艦隊の中で最も早く、「シャルンホルスト」の意図に気付いた。

 

「違います殿下!!」

 

 副長の強い叫びが、ディラン達の喧騒に対し、したたかに水を浴びせた。

 

「奴は逃げているわけではありませんッ!! 奴は・・・・・・」

 

 最後まで言い切る事を、アルヴァンはできなかった。

 

 

 

 

 

 

「取り舵いっぱいッ 進路2-2-0!! 回頭完了と同時に機関最大!!」

 

 エアルの命令を受けて、操舵手が舵輪を左へと大きく回す。

 

 基準排水量3万トンを超える艦体は、舵を切ってもなかなか曲がらず、暫く直進を続ける。

 

 暫くすると艦首は左に振り始め、それと同時に航跡も大きくカーブを描く。

 

 転舵前は北を目指して航行していた「シャルンホルスト」は、今や進路を西南西。つまり、ウルグアイの陸地方向に艦首を向ける。

 

 更に機関出力を最大まで上げ、最高速度の31ノットを発揮する巡洋戦艦。

 

 艦首に切り裂かれた海面が、飛沫となって後方に流れて行く。

 

 同時に、今にも自分達を包囲しようとしていたイギリス艦隊もまた、視界の後方へと移動するのが見えた。

 

 その様子を見て、エアルは帽子の下でニヤリと笑った。

 

「さて、これでひとまず、包囲網は崩れた訳だ」

「アハ、流石おにーさん、やるね」

 

 笑みを浮かべるエアルに、傍らのシャルンホルストも、僅かに笑みを見せて頷きを返す。

 

 ハーウッドは数の優勢を活かして「シャルンホルスト」を包囲する作戦を立てたが、エアルはその作戦を逆用する手を考えた。

 

 北と南は既に押さえられている。

 

 北に行けば、「ラミリーズ」に頭を抑えられている隙に、背後から巡洋艦に追いつかれる。

 

 逆に南に行けば、数が多く快速の巡洋艦に足止めを喰らっている隙に、「ラミリーズ」に背後から襲われかねない。

 

 手をこまねいていては包囲網が完成してしまう。

 

 そこでエアルは、敢えて西に進路を取り、包囲網の解除を試みたのだ。

 

 進路を西南西に取れば、敵艦隊の中で最も厄介な「ラミリーズ」から遠ざかる進路となる。

 

 R級戦艦の速力が遅い事は有名である。「シャルンホルスト」の足なら、余裕で振り切る事が出来る筈。

 

 これで、敵艦隊の包囲体制は崩れた。

 

 更に、エアルの狙いはもう一つある。

 

 全速航行する「シャルンホルスト」。

 

 同時に主砲は左へ旋回。全砲門を、接近するG部隊本隊へと指向する。

 

 現在、「シャルンホルスト」はG部隊本隊前方を、斜めに横切る進路を取っている。

 

 つまり、

 

 巡洋艦3隻に対し、「シャルンホルスト」は前火力を向ける事が可能となっているのだ。

 

 チラッと、傍らのシャルンホルストに目をやる。

 

「シャル、お願い」

「うん、任せて」

 

 巡戦少女は既に、静かに目を閉じて艦の制御に集中している。

 

 自分達が勝てるかどうか。

 

 それは、彼女の存在もまた大きかった。

 

「主砲、左砲戦ッ 目標、敵1番艦!!」

 

 3連装3基9門の54・5口径28.3センチ砲が旋回を終え、G部隊本隊の先頭を走る重巡「エグゼター」へ砲門を向ける。

 

 対して慌てて追いかけてくるイギリス艦隊が見える。

 

 だが、

 

 もう、遅い。

 

「撃ち方始め!!」

 

 エアルの腕が、鋭く振り下ろす。

 

 次の瞬間、

 

 巡洋戦艦「シャルンホルスト」は、その生涯で初めて「敵艦」に向けて主砲を撃ち放った。

 

 

 

 

 

 慌てたのは、戦場の北方に位置している「ラミリーズ」である。

 

 敵は逃げていたわけではない。

 

 それどころか、したたかに反撃する機会を伺っていたのだ。

 

 視界の中で、G部隊本隊に対し砲門を開く「シャルンホルスト」の姿が見える。

 

「なッ 何を考えているのか、あのナチの巡戦はッ!!」

 

 思わず声を上げるディラン。

 

 その間にも「シャルンホルスト」は、「エクゼター」に対し、28.3センチ砲を撃ち放っている。

 

 対して、G部隊本隊も反撃するが、砲弾は「シャルンホルスト」から遠く離れた場所に着弾して、虚しく水柱を上げるばかりだ。

 

 距離が遠すぎる為、巡洋艦の主砲は弾道の安定を欠いているのだ。

 

「こっちも射撃開始だッ 早くしろ!!」

 

 怒鳴りつけるディラン。

 

 しかし、帰って来た答えは、芳しい物ではなかった。

 

「駄目ですッ 主砲の射程距離外ですッ 撃っても届きません!!」

 

 「ラミリーズ」を含むR級戦艦は、完成初期から大規模な改装を受けた事がない為、主砲射程は完成当時の2万1000メートルのままだ。

 

 現在、「シャルンホルスト」は「ラミリーズ」から急速に遠ざかるコースを取っており、主砲射程からは完全に外れてしまっている。

 

 因みにシャルンホルスト級は砲弾が軽く、更に54・5口径と言う長砲身を採用した為、射程距離は4万メートル超と、同盟国である大日本帝国が建造中の新型戦艦(大和型)に匹敵する長射程を誇っている。「ラミリーズ」の倍である。

 

 加えて、「ラミリーズ」の最高速度が21ノットに対し、「シャルンホルスト」の速力は31ノット。その差は10ノットであり、キロメートルに変換すれば18・5キロ差になる。

 

 約20キロ近い速度差を覆す事など、できようはずもない。

 

「おのれ、卑怯なナチの戦艦めッ!!」

 

 血走った目で「シャルンホルスト」を睨みながら、ディランは叫ぶ。

 

 そこには、つい先ほどまで湛えていた余裕は一切見られない。

 

 狼狽を隠そうともしていなかった。

 

「強い敵に正面からあたろうとせずッ 己より弱い者を狙うかッ この卑怯者めがァ!!」

 

 誰にでもなく叫ぶディラン。

 

 自分の思惑通りに動いてくれない「敵艦」に、苛立ちを隠そうともしない。

 

 もっとも、

 

 つい先ごろまで、自分たちよりも「格下」と思っていたドイツ巡戦を、圧倒的な火力で叩き潰そうとしていた事は、彼の中からきれいさっぱり消え失せている様子だった。

 

「とにかく追えよッ グズグズするな!!」

 

 当たり散らすように怒鳴るディラン。

 

 しかし、

 

 高速巡洋戦艦と旧式低速戦艦との間には、絶望的とも言える、埋めようもない速度差が厳然として存在し続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鳴り響く轟音。

 

 各砲塔から放たれた砲弾は3発。

 

 各砲塔1番砲のみの射撃。

 

 交互撃ち方で、素早く弾着を修正するのだ。

 

 やがて、「シャルンホルスト」の放った砲弾は、イギリス艦隊の1番艦「エクゼター」の後方に落下、派手に水柱を突き上げた。

 

 命中は無い。

 

 初めから命中するとは、エアルも思っていない。

 

 弾着修正を、どれだけ素早くできるかがカギだった。

 

「第2射、撃てッ!!」

 

 命令と共に、2番砲が火を噴いた。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 焦りを覚え始めていたのは、イギリス海軍の方だった。

 

 包囲網が完成する前に「シャルンホルスト」に逃げられ、今また一方的な砲撃を受けている。

 

「こちらの主砲はどうしたッ!? まだ当たらないのかッ!?」

「駄目です。距離が遠すぎて、弾道が安定しません!!」

 

 悲鳴交じりに問いかけるハーウッドに、砲術長から悲痛な返事が返る。

 

 「シャルンホルスト」の最高速度は31ノット。

 

 対してイギリス巡洋艦の最高速度は32ノット。

 

 僅かにイギリス側が優速とは言え、その差は殆ど無きに等しい。

 

 加速力の問題もあるので一概には言えないが、一度、逃げに転じた「シャルンホルスト」を補足する事は、イギリス巡洋艦と言えど困難だった。

 

 それでも、先に「シャルンホルスト」が回頭している間に距離を詰めた為、両者の距離は当初よりも詰まっている。

 

 ギリギリ射程距離内から射撃する3隻のイギリス巡洋艦。

 

 しかし最大射程に近い砲撃は弾道が安定せず、「シャルンホルスト」から離れた海面を虚しく叩くのみだった。

 

 水柱だけが虚しく突き上げられる。

 

 対して、射程に余裕がある「シャルンホルスト」は、じっくりと腰を据える形で砲撃を行い、徐々にだが弾着を近付けてきているのが判る。

 

 間もなく、G部隊も射撃開始できるはずだった。

 

 再び盛り上がる海面。

 

 吹き荒れる飛沫。

 

 28.3センチ砲は戦艦としては小型であるが、巡洋艦にとっては、命中すれば致命傷になり得る。

 

 加えて「シャルンホルスト」は装填時間も戦艦としては速く、18秒に一斉射が可能となっている。

 

 まさに「巡洋艦キラー」とでも言うべき戦艦。ハーウッドにとっては最悪の相手だった。

 

 「シャルンホルスト」が放った砲弾が海面に着弾する。

 

 命中弾は無い。

 

 だが、

 

「急げッ 次は当ててくるぞ!!」

 

 ハーウッドの言葉に返事をするように、視界の彼方で「シャルンホルスト」は再び主砲を放った。

 

 

 

 

 

 砲煙と共に、飛翔する「シャルンホルスト」の28センチ砲弾。

 

 目標としたのはG部隊唯一の重巡である「エクセター」。

 

 距離は既に1万8000を切っている。

 

 弾道は低い山を描いて飛翔する。

 

 そして次の瞬間、

 

 砲弾は、全速航行する「エクセター」を、右舷前方から捉えた。

 

 重巡の甲板の上に踊る爆炎。

 

 命中弾は2発。

 

 1発は砲門を「シャルンホルスト」に向けたままの第1砲塔を正面から捉え、これをボール箱のように前後から叩き潰した。

 

 更にもう1発は、艦橋を正面から捉えた。

 

 戦艦としては小口径とは言え、28センチ砲弾が着弾した際の衝撃は半端な物ではない。

 

 「エクセター」は艦長以下、殆どの幹部が吹き飛ばされて戦死。

 

 更に、1番砲塔に命中した1発は、砲塔を大破させたのみならず、装填され発射の時を待っていた20センチ砲弾を誘爆させた。

 

 弾道が低かった事もあり、幸いにして弾薬庫への誘爆は免れたものの砲塔は全損。更に、その衝撃で、第2砲塔にも不具合が生じる。

 

 「エクセター」の前部主砲は、完全に沈黙を余儀なくされていた。

 

「敵巡洋艦爆発ッ 落伍します!!」

 

 歓喜に満ちた見張り員の報告通り、28センチ砲弾の直撃を受けた「エクセター」が、速度を落として隊列から離れて行くのが見える。

 

 撃沈に追い込めたかどうかは微妙なところだが、少なくとも、この戦いにおいて「エクセター」が脅威でなくなったのは確かだった。

 

 その時だった。

 

 「エクセター」が隊列から離れた直後、残り2隻の軽巡洋艦が射撃を開始した。

 

 前部2基、合計で8門の主砲を放つ「エイジャックス」と「アキリーズ」。

 

 だが、ほぼ最大射程に近い軽巡の主砲では、明らかに弾道が安定していない。

 

 放たれる15・2センチ砲弾は、全て「シャルンホルスト」から離れた場所に落下して、虚しく水柱を突き立てる。

 

「目標変更ッ 敵2番艦!!」

 

 対して、エアルは落ち着いた調子で告げる。

 

 命令に従い、旋回し次の目標へ狙いを定める「シャルンホルスト」。

 

 エアルは知らない事だが、それはハーウッドの旗艦「エイジャックス」だった。

 

「砲術長、慌てる必要はないですよ。こっちは戦艦だし。巡洋艦の主砲なら、多少食らったところで持ちこたえられるはず。落ち着いて狙って」

 

 命令を告げながら、傍らの少女に目をやるエアル。

 

 シャルンホルストは静かに目を閉じ、艦の制御に集中している。

 

 現在、この巨大な巡洋戦艦と、そこ乗り組むマルシャル、エアル以下、全乗組員の命運は、この小さな少女の双肩にかかっているのだ。

 

 眦を上げるエアル。

 

 次の瞬間、

 

「撃てェッ!!」

 

 放たれる9発の砲弾。

 

 そのうちの1発が、「エイジャックス」を捉えた。

 

 

 

 

 

 轟音と共に感じる衝撃は、思わず艦橋にいた全員が転倒するほどであった。

 

 艦長や幕僚たち、当のエイジャックス本人すら、艦橋の床に投げ出されていた。

 

 ただ1人、ハーウッドだけは羅針盤に掴まり、辛うじてバランスを保っていた。

 

 「エクセター」を脱落させた「シャルンホルスト」は、驚くべき速さで照準を修正し、初弾で「エイジャックス」に命中弾を与えたのだ。

 

「そ、損害報告!!」

「右舷に命中ッ 高角砲1基損傷!!」

 

 損害は大したことではない。戦艦との砲戦で、高角砲にできる事は少ない。接近すれば主砲と共に砲撃に加える事も出来るが、現在の砲戦距離では、それも不可能だった。しかし、「エイジャックス」が先に命中弾を喰らってしまったのは事実だった。

 

 このままでは押し込まれるのは確実だった。

 

「エイジャックス、まだ、行けるか?」

「も、勿論ですッ」

 

 問いかけるハーウッドに、エイジャックスは苦しそうにしながらも気丈に答える。

 

 艦体が受けたダメージは、そのまま艦娘にフィードバックする。

 

 エイジャックスは今、「エイジャックス」が受けた損害を「痛み」として受けているのだ。

 

 だが、まだ諦めるのは早い。

 

 命中弾を受けたのは確かだが、まだ主砲は全門健在であり、機関も損傷を受けていない。

 

 「シャルンホルスト」の主砲が、戦艦としては小口径な事が功を奏していた。軽巡洋艦「エイジャックス」の戦闘力には、聊かの陰りも無かった。

 

 何より、

 

 自分達は誇りあるロイヤル・ネイヴィーの末裔。ヨーロッパ最強の自分達が、3流海軍のドイツ巡戦如きに敗れるなど、あってはならない事だった。

 

「『ラミリーズ』は何をやっているのですか!? こっちがこんなに苦戦しているのに・・・・・・」

「スピードが遅くて追いつけないんだろッ」

 

 憤るエイジャックスに、ハーウッドは吐き捨てるように告げた。

 

 

 

 

 

 一方その頃、「ラミリーズ」では、

 

「まだ追いつけないのかッ!?」

「は、はいッ それどころか、どんどん引き離されて・・・・・・」

 

 ディランの思惑と裏腹に、完全に戦場で置いてけぼりを喰らった形になってしまっていた。

 

 

 

 

 

 実際、ハーウッドはいら立っている。

 

 2隻の戦艦たち。

 

 予想外の動きで自分達を翻弄し、あまつさえ「エクセター」を脱落させた「シャルンホルスト」。

 

 そして鈍足故に、独活の大木よろしく役に立たない、味方の「ラミリーズ」に。

 

 こっちは戦艦(ラミリーズ)を当てにして戦いを挑んでいるのに、肝心の切り札が、足が遅すぎて未だに戦場に到着できていない有様だった。

 

「せめて・・・・・・せめて『フッド』か、レナウン級がいれば・・・・・・・・・・・・」

 

 知らずのうちに、愚痴が漏れ出る。

 

 高速の巡洋戦艦が戦列に加わってくれていたら、自分達がドイツ巡戦如きに苦戦するはずなど無かったのに。

 

 そうしている内にも、「シャルンホルスト」からの砲弾が飛んで来る。

 

 そのうち1発が、今度は「エイジャックス」の前部甲板に着弾し、周囲一帯を大きく吹き飛ばした。

 

「ぐッ」

 

 強烈な衝撃と共に、「エイジャックス」の艦体が前のめりに沈み込む。

 

 苦悶の表情をするエイジャックス。

 

 甲板上は濛々とした煙に覆われ、視界はほとんど効かなくなる。

 

 艦内では火災も発生しているようだ。

 

 だが、

 

「まだッ!!」

 

 エイジャックスは崩れ落ちそうになりながらも、必死に叫ぶ。

 

「まだ、私はやれます!!」

 

 こんな状況になりながらも、彼女はまだ勝負を捨てていなかった。

 

 まだだ。

 

 まだ、

 

 もう少し、自分達が粘れば「ラミリーズ」が追い付いてくる。そうすれば、砲撃力で「シャルンホルスト」を圧倒できるはず。

 

 そうすれば、この状況を逆転できる。

 

 そう思ってた。

 

 次の瞬間、

 

 終わりは、予期していなかった方向からやってきた。

 

 突如、立ち上る水柱。

 

 狙われたのは「エイジャックス」。

 

 ではなく、彼女の後方を走っていた「アキリーズ」だった。

 

「なッ!?」

「どうしたッ!? どこからの砲撃だ!?」

 

 エイジャックスのみならず、ハーウッドも思わず叫ぶ中、

 

 見張り員からの報告がなされる。

 

「本艦前方より接近する艦影ありッ!! もう1隻のシャルンホルスト級と思われます!!」

「何だとッ!?」

 

 見張り員の絶叫が響き渡る中、ハーウッドはとっさに双眼鏡を、右舷側へと向ける。

 

 果たしてそこには、真っすぐこちらに向かって航行しながら、前部主砲6門を発射するシャルンホルスト級巡洋戦艦の姿があった。

 

 迂闊だった。

 

 輸送船が被った被害状況から言って、敵が大西洋上で2隻以上の艦を通商破壊戦に着かせているであろう事は分析で出ていたが、2隻目がこれほど近くにいたとは。

 

 だが、ハーウッドはすぐに、事態に気付く。

 

「クソッ 奴等、これが狙いだったのかッ」

 

 臍を噛んだのはハーウッドだった。

 

 「シャルンホルスト」はただ逃げていたわけではない。逃げながら味方の巡洋戦艦を呼び寄せ、逆襲するタイミングを測っていたのだ。

 

 その証拠に、見張り員が悲鳴交じりに叫ぶ。

 

「提督ッ 『シャルンホルスト』が!!」

 

 エイジャックスの悲痛な声に、思わず振り返るハーウッド。

 

 見れば、最前まで逃走しながら主砲を放っていた「シャルンホルスト」が、今や完全に砲撃体勢を整え、全主砲を「エイジャックス」に向けているのだ。

 

 今、彼は完全に理解していた。

 

 ハーウッド達は「シャルンホルスト」を罠に掛けたつもりでいた。優勢な戦力で包囲し、火力で圧し潰すはずだった。

 

 だが違った。

 

 本当に罠にかかっていたのは、

 

 哀れな獲物は、

 

 自分達だった、と言う事に。

 

「敵戦艦ッ 主砲発射!!」

 

 見張り員の絶叫。

 

 衝撃波、その十数秒後に襲ってきた。

 

 

 

 

 

 突如、イギリス艦隊を襲った新たなるシャルンホルスト級巡洋戦艦。

 

 言うまでも無くそれは、「シャルンホルスト」と共に通商破壊戦に従事していた、巡洋戦艦「グナイゼナウ」だった。

 

 これが、エアルが戦闘前、マルシャルに具申した、作戦の全貌だった。

 

 エアルは「シャルンホルスト」を西に向けて航行させ、イギリス海軍の包囲網を解除すると同時に、同時に敵艦隊を、「グナイゼナウ」との合流予定地点まで引きずり出したのだ。

 

 ハーウッドは「シャルンホルスト」を罠に嵌めようとしたが、それが逆に罠にはまった形となってしまった。

 

 盛んに砲撃する「グナイゼナウ」。

 

 その艦橋で、艦長のオスカー・バニッシュ中佐が叫ぶ。

 

 長身に切れ長な双眸。細面の顔は、軍人と言うより舞台俳優を連想させる。

 

「砲撃の手を止めるなッ 『シャルンホルスト』から、奴らを引き離すんだ!!」

 

 オスカーの指示が鋭く飛び、「グナイゼナウ」の28.3センチ砲が火を噴く

 

 流石に砲撃を開始したばかりなので、照準はそれほど優れているとは言えない。

 

 とは言え、新たなドイツ艦の出現が、イギリス艦隊に心理的なプレッシャーを与えたのは間違いなかった。

 

 彼方で突き上がる水柱。

 

 その様子を、オスカーの脇に立つ軍服姿の少女が、真っすぐに見据えて、傍らの少女に声を掛けた。

 

「心配か?」

「当然です。『姉』を心配しない『妹』なんていませんよ」

 

 強気な口調で答えた少女。

 

 長い黒髪を後頭部でポニーテールに結い、双眸は細めでやや吊り上がっている。

 

 均整の取れたプロポーションは、いかにも少女的で見る者を魅了する。

 

 彼女こそ、シャルンホルスト級巡洋戦艦「グナイゼナウ」の艦娘。すなわち、シャルンホルストの妹に当たる少女だった。

 

「なに、心配はいらんさ」

 

 グナイゼナウの言葉を聞きながら、オスカーは口元に笑みを浮かべる。

 

「あの艦を指揮しているのはエアル・アレイザーだ。奴の事はよく知っている。見た目は聊か頼りない奴だが、抜け目の無さに欠けては、同期では随一だったからな。必ず、お前の姉を守ってくれるはずだ」

 

 言いながら、前方の「シャルンホルスト」に目を向けるオスカー。

 

 その間にも、「グナイゼナウ」の28.3センチ砲は発砲を続けた。

 

 

 

 

 

 「グナイゼナウ」参戦の様子は、「シャルンホルスト」の艦橋からも確認できていた。

 

 前方から接近し、盛んに主砲を放つ僚艦の姿は、これまで孤独な戦いを強いられてきた「シャルンホルスト」にとって、救世主降臨にも等しい光景だった。

 

「来てくれたんだ、オスカー」

 

 窮地に駆け付けてくれた友に、深い感謝の念を送る。

 

 これが、エアルの立てた作戦の全貌だった。

 

 ドイツ艦隊の動きを察知したイギリス軍は、必ずや数に恃んで包囲戦を仕掛けてくるだろう。

 

 そこで、予め「シャルンホルスト」が囮になって敵を引き付ける一方、その間に密かに接近した「グナイゼナウ」が襲い掛かる。

 

 1隻でイギリス艦隊を相手取るには不安があるが、巡洋戦艦2隻が合流できれば、その火力は無視できない物となる。

 

 イギリス海軍を押し返す事は不可能ではないだりょうと、エアルは考えていた。

 

「ゼナ・・・・・・・・・・・・」

 

 傍らのシャルンホルストが、「グナイゼナウ」の姿を見ながら呟きを漏らす。

 

 その双眸には、嬉しさがあふれ出ているように見える。

 

 その間にも、シャルンホルスト級姉妹は砲撃を続ける。

 

 その圧倒的な火力は、徐々にG部隊を追い詰め始めていた。

 

 そして、

 

 低い放物線を描いて飛翔する砲弾。

 

 その1発が、

 

 イギリス巡洋艦の内の1隻を、真っ向から捉えた。

 

 

 

 

 

 イギリス艦隊の戦力低下。

 

 そして「グナイゼナウ」の合流。

 

 この2つの条件が揃った事で、ドイツ艦隊は完全にイギリス艦隊を圧倒していた。

 

 最高速度の31ノットで西に向かって逃走していた「シャルンホルスト」が再び回頭、今度は進路を南に向け、全砲門をイギリス艦隊へと向ける。

 

 2隻の巡洋戦艦から撃ち出される砲弾は、イギリス巡洋艦の薄い装甲を、容赦なく撃ち抜いていく。

 

 対して、イギリス艦隊の抵抗は、秒毎に弱まっていくのが判った。

 

 「ラミリーズ」の脱落と、「シャルンホルスト」の後退戦術、そして「グナイゼナウ」の合流で、今や状況は逆転している。

 

 そして、

 

 「エイジャックス」の後方を航行していた「アキリーズ」が突如、轟音を上げて炎に包まれる。

 

 何が起きたのかは明白だった。

 

 北から戦線に割って入った「グナイゼナウ」の主砲が、彼女の装甲を貫通。そのまま主砲の弾薬庫に飛び込んで炸裂したのだ。

 

 誘爆した砲弾によって、「アキリーズ」の艦体は引き裂かれ、炎の中に沈んでいく。

 

 轟沈だった。

 

「・・・・・・・・・・・・ここまでだな」

 

 力なく、ハーウッドは呟いた。

 

「エクセター」が脱落し、今また「アキリーズ」が沈んだ。旗艦「エイジャックス」も損傷している。

 

 「ラミリーズ」に至っては、戦場にすら到着していない有様だ。これで、未だに万全に近い巡洋戦艦2隻相手に、勝てるはずも無かった。

 

「提督・・・・・・・・・・・・」

「これ以上の戦闘は不可能だ。退却する」

 

 ここで「シャルンホルスト」を討ち取れなかったのは、イギリス海軍としては痛恨の極みである。

 

 しかし、これ以上戦えば全滅もあり得る。

 

 そう、ハーウッドは判断したのだ。

 

 反転するべく、舵を切る「エイジャックス」。

 

 だが、

 

 その決断は、少し遅かった。

 

 あるいは、タイミングが最悪だった。

 

 舵を切り、回頭を始める「エイジャックス」。

 

 その船腹に、

 

 「シャルンホルスト」が放った、28センチ砲弾が着弾。

 

 砲弾は、薄い装甲を全て貫通し、機関部に達すると、そこで爆発エネルギーを解放する。

 

 ハーウッドとエイジャックス、そして彼女の乗組員たちの意識が、一瞬にして白い閃光に染め上げられ、そして消えて行った。

 

 

 

 

 

 最早、勝敗など語るまでも無かった。

 

 特に28.3センチ砲弾に弾薬庫を撃ち抜かれた「アキリーズ」はひどく、既にその姿は海上にとどめていない。僅かに吐き出される煙が、彼女が存在した証として痕跡を残すのみだ。

 

 旗艦「エイジャックス」はまだ海上に留まっているが、その艦体は著しく傾斜し、全艦が炎に包まれている。沈没は時間の問題だろう。

 

 司令官ハーウッドや、艦娘エイジャックス以下、乗組員の命がどうなったか、考えるまでも無いだろう。

 

 旗艦「エイジャックス」「アキリーズ」撃沈、「エクセター」大破。

 

 紛う事無き、イギリス海軍の大敗だった。

 

 そして、

 

 味方の惨状を、ようやくの思いで戦場に到着した男は、屈辱の混じった目で睨みつけていた。

 

 一言も発する事無く、持てあます怒気を孕んだ目を見せているディラン。

事態は過去形で語られるべきだろう。

 

 戦いは終わり、砲火は鳴りを潜めている。

 

 そして、

 

 本来なら、彼が「沈める」はずだった2隻のドイツ巡戦は視界の彼方に逃げ去ってしまっていた。

 

 ディランの「ラミリーズ」は勝って栄光を手にするどころか、主砲はおろか、機銃弾の1発を撃つ事すら、ついに許されなかったのだ。

 

 勝利どころか、戦いに何ら、関与する事すらできない。言ってしまえば、全くのお荷物で終わったのだ。

 

 卑劣なドイツ戦艦を沈め、英雄となって本国へ帰還する。

 

 その野望は、今や滑稽な夢想と化していた。

 

 呆然と立ち尽くすディラン。

 

 取り巻きの幕僚たちは勿論、ラミリーズですら、どう声を掛ければ良いか分からずにいる。

 

 英雄ではなく、道化と化した男がそこにいた。

 

「殿下」

 

 彼の取り巻き達が恐れを成して声も駆けられずにいる中で1人、アルヴァン副長だけが、淡々とした口調で主に声を掛けた。

 

「遺憾ながら、これ以上、ここに留まる事は無意味かと」

 

 既に倒すべき敵はおらず、ディランは戦う事すらできなかった。

 

 ならば、溺者救助を行い、速やかに海域を離れるべきだった。

 

「どうか、殿下、御裁可を」

「ええいッ 判っている!!」

 

 言い募るアルヴァンに、ディランはいら立ったように声を荒げる。

 

 戦いに全く寄与できなかったことが、彼には最大限の屈辱となっていた。

 

「後は任せるッ アルヴァン、お前の好きなようにしろ!!」

「御意にございます」

 

 恭しく礼をするアルヴァンに、ディランは背を向けると、足音も荒く艦橋を出ていく。

 

 後には、事後処理の為に残ったアルヴァンと、不安げな様子のラミリーズがいるだけだった。

 

 

 

 

 

 夜の帳が下りる中、2隻の巡洋戦艦が、真っすぐに北へ向かって航行していた。

 

 既に戦場となったウルグアイ沖を抜け、ブラジル沖に入っている。

 

 ここまで来れば、恐らくイギリス海軍の追跡は、一旦は振り切ったと見て良いだろう。

 

 もっとも、G部隊以外にも敵の艦隊がいるであろう事は容易に予想できる。油断は禁物だが。

 

「艦隊司令部に報告してください。補給艦との合流ポイントの再設定を。流石に、そろそろ補給しないと、身動きが取れなくなりかねませんから」

「判りました」

 

 エアルの指示を受けて、ヴァルター副長が艦橋を出ていく。

 

 これからエアルの命令を、暗号化して本国の艦隊司令部に送るのだ。

 

 マルシャルなら、こちらの意図を組んで補給艦を再派遣してくれるだろう。持つべき物は、話の分かる上司である。

 

 それにしても、

 

 今回は流石に危なかった。

 

 特にG部隊に包囲された時。

 

 勿論、エアルは自身が立てた作戦に自信はあったが、それでも戦いとはどのように動くか、実際に始まってみないと判らない。今回だった、完成された包囲網に「シャルンホルスト」が囚われ、袋叩きにされていた可能性だってあるのだ。

 

 そうならなかったのは、ひとえに彼女が頑張ってくれたおかげだと思っている。

 

「ありがとう、シャル」

 

 そう言って、傍らの巡戦少女に声を掛けるエアル。

 

 だが、

 

「あれ?」

 

 艦娘専用席に、シャルンホルストの姿は無かった。

 

 いったい、いつの間にいなくなったのか? 気配すらしなかった。

 

「どこ行ったんだろう、トイレかな?」

 

 呟きながら、エアルは誰もいなくなった艦娘席を眺め続けるのだった。

 

 

 

 

 

 一方その頃、

 

 青年艦長が探し求める少女は、

 

 誰もいない廊下で、

 

 背にもたれながら、座り込んでいた。

 

 口からは荒い呼吸が繰り返され、手は胸元に当てられている。

 

 乱れた呼吸。

 

 額からは冷や汗がとめどなく流れ出ている。

 

 顔は青く染まり、目は焦点が合っていない。

 

 明らかに、尋常な様子ではなかった。

 

 暫く、呼吸を繰り返すシャルンホルスト。

 

 やがて、落ち着いて来たのか、大きく深呼吸を繰り返して、呼吸を整えていく。

 

「・・・・・・・・・・・・大丈夫・・・・・・ボクは、ちゃんとやれる」

 

 誰にも聞かれる事のない呟き。

 

 艦内が戦勝で沸き返る中、

 

 少女は己を鼓舞するように、大きく呼吸を繰り返すのだった。

 

 

 

 

 

 

第7話「ラプラタ沖の砲声」      終わり

 



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第8話「フォニー・ウォー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ラプラタ沖海戦」の名で知られる、第2次世界大戦初となる大規模水上戦闘は、ドイツ海軍の勝利に終わった。

 

 当初イギリス海軍は、戦艦1隻、重巡洋艦1隻、軽巡洋艦2隻と言う、圧倒的に有利な体制で戦いを挑んだ。

 

 対してドイツ海軍は、巡洋戦艦1隻のみ(後に増援を受け、最終的には2隻)。

 

 数においては圧倒的にイギリス艦隊が勝り、また彼等は第1次世界大戦以降も研究を重ねてきた結果、名実ともにヨーロッパ最強とも言える海軍を持つに至っていた。

 

 対してドイツ海軍は第1次世界大戦後のヴェルサイユ条約によって主力艦を全て奪われ、その後も長く新規建造を禁止された事情がある事から、海軍国としては完全に三等国扱いになっていた。

 

 そのイギリス海軍と、ドイツ海軍の初となる激突。

 

 誰もが、疑わなかったイギリス海軍の勝利。

 

 しかし、いざ開戦してみると、イギリス海軍はドイツ海軍の機動戦術に翻弄され、次々と戦力を脱落。

 

 最終的に旗艦「エイジャックス」を含む、軽巡洋艦2隻が撃沈、重巡洋艦1隻大破、更には司令官のハーウッド准将も戦死する体たらくだった。

 

 一方、海戦に参加したドイツ海軍の巡洋戦艦2隻は、ほぼ無傷に近い状態で戦場の離脱に成功。

 

 紛う事無きドイツ海軍の大勝利で、海戦は終結した。

 

 イギリス本国が大混乱に陥ったのは、言うまでも無い事だった。

 

 開戦から3か月。ドイツ軍は確かに快進撃を続けている。しかし、それはあくまで陸での話。イギリス軍の強みは海軍にあり、洋上にあれば自分達が負ける道理は無い。

 

 イギリス海軍に所属する将兵、艦娘の誰もが、そう固く信じて疑わなかった。

 

 海戦の報告を聞くまでは。

 

 だからこそ、G部隊が一方的に敗れたと言う報告が飛び込んできた時には、誰もが驚天動地だったのは言うまでもない。

 

 かつては7つの海を支配し、ヨーロッパ最強海軍を自負する自分達が、海戦で敗れるとは。それも、今や落ちぶれて、かつての栄光など見る影も無く落ちぶれてしまったドイツ海軍相手に、だ。

 

 直ちに箝口令が敷かれ、事実が隠ぺいされる一方、G部隊には帰還命令が下される。

 

 いったい、如何なる状況で敗れるに至ったのか。

 

 分析し、解決策を探る必要がある。

 

 転んでも、ただでは起きない。

 

 ドイツ海軍如きが息を上げたところで、栄光ある自分達、イギリス海軍(ロイヤル・ネイヴィー)が敗れる事などありえない。

 

 最後に勝つのは、自分たちなのだから。

 

 そう信じて、イギリス海軍は、ドイツ海軍への敵愾心を募らせていくのだった。

 

 

 

 

 

 居並ぶ将官達を前に、初老の男は堂々たる態度を崩そうとはしなかった。

 

 老いて尚、鋭さを失わない眼光は、イギリス艦隊首脳部たちがいる。

 

 イギリス海軍のトップは第1~第5までいる「海軍卿」と呼ばれる存在が務めている。

 

 それぞれの役割は以下の通りとなる。

 

 第1海軍卿は作戦、及び海軍全部隊の指揮統括。

 

 第2海軍卿は人事。

 

 第3海軍卿は艦艇、装備の調達、及び開発、研究。

 

 第4海軍卿は補給、及び輸送関連の統括。

 

 第5海軍卿は航空機関連全般の統括。

 

 そして、この5人を統括する上位の存在として海軍大臣が存在している。

 

 現在、この場には第1海軍卿であるラドル・パウンド元帥と、彼の幕僚たちが居並んでいる。

 

 そして、

 

 彼等の視線の先では、直立不動の姿勢を取っているアルヴァンと、その傍らでふてぶてしい態度で座っている、ディランの姿があった。

 

「以上が、ラプラタ沖海戦の結果であります」

 

 自身が作成した報告書を読み上げるアルヴァン。

 

 居並ぶ英国海軍の幹部相手に、堂々たる態度を見せている。

 

「すると、グラムセル中佐、君は、ハーウッド中将(戦死後2階級特進)の指揮が不適切であったがために、今回の敗北があった。そう、言いたい訳かね?」

「その通りであります」

 

 尋ねるパウンドに、アルヴァンは間髪入れずに答える。

 

 彼が作成した報告書は、主であるディランを擁護する一方、戦死したハーウッドの指揮を徹底的に批判したものだった。

 

「敵が高速の巡洋戦艦であり、その攻防性能においては、巡洋艦での太刀打ちは困難である事は明白でした。ならばこそ、戦力を集中して敵に当たるべきだったにもかかわらず、中将は戦力をいたずらに分散、敵に各個撃破の好機を与える結果となりました。仮に敵が今回のように各個撃破を狙って来たとしても、敢えて勝ちを急がず、遅滞戦闘で時間を稼ぎ、我らの到着を待つべきでした。にも拘わらず、それを行わず、巡洋艦のみの艦隊で巡洋戦艦に挑んだとなれば、無謀のそしりは免れますまい」

 

 用意したように、報告を読み上げるアルヴァン。

 

 確かに、理屈としては間違ってはいない。

 

 だが、裏を返せば、全責任を死んだハーウッド以下、G部隊司令部に押し付けているに等しかった。

 

 話を聞いて、考え込むパウンド。

 

 ややあって顔を上げると、今度はディランに向き直った。

 

「ケンブリッジ候に尋ねるが、あなたは、今、グラムセル中佐が語った策を、作戦中に考えなかったのですか?」

 

 立場的に上位のパウンドだが、相手は王族である。口調も自然、丁寧になる。

 

 対して、尋ねられたディランは、やれやれとばかりに肩を竦めた。

 

「無論、私とて馬鹿じゃない。それくらいは考えたさ」

「しかし、進言はしなかった。その理由はなぜですかな?」

 

 もし、進言をしていたらこのような無様な敗北にはならなかったのではないか。

 

 尋ねるパウンドに、しかしディランは余裕を持たせるように告げる。

 

「これは異な事を、パウンド卿。いかに私が献策しようとも、上級司令部が判断した以上は無意味な事。私はただ、G部隊司令の指示に従ったまでですよ」

 

 あくまでも悪いのはハーウッドであって、自分達は指示に従っただけ。罪に問われるのは筋違いだ。

 

 その態度を崩そうとしないディランとアルヴァン。

 

 嘆息するパウンド。

 

 死者に罪を擦り付けるやり方は、パウンドにとってはらわたが煮えくり返りそうなほどに怒りを覚えるが、何と言っても相手は現国王の第2王子。次期国王に最も近いと言われている人物であり、この国の最高権力者だ。その証言を無下にはできない。

 

 何より、ハーウッド以下G部隊司令部は「エイジャックス」と共に海の底に沈んでおり、更には「アキリーズ」も沈没。巡洋艦では唯一残った「エクセター」も、艦長以下全主脳部が戦死。艦娘のエクセターは辛うじて生還したが、意識不明の重体であり、復帰のめどはたっていない。

 

 つまり、ディラン達の証言を覆せる人間はいないのだ。

 

「判った。結果については後日、お伝えする事とする。今日は下がられると良い」

「あっそ。じゃあ、帰らせてもらうね」

 

 諦念交じりに告げるパウンドに対し、ディランはやれやれとばかりに肩を竦めると、そのまま敬礼もせずに退室ていく。

 

 アルヴァンだけが、居並ぶ海軍上層部に敬礼すると主の後を追いかけて退室していった。

 

 

 

 

 

「見事だったぞ、アルヴァン」

「ハッ 誠に恐悦至極」

 

 追いついて来た自身の副官を、笑顔で労うディラン。

 

 ラプラタ沖海戦後、本国からの召還に従いスカパフローへ寄港した「ラミリーズ」。

 

 ディラン達を待っていたのは、先程の通り、第1海軍卿ラドル・パウンド元帥以下、海軍上層部の詰問だった。

 

 彼等はラプラタ沖海戦の戦闘詳報を分析し、なぜ敗北したのか、そしてだれが責任を負うべきかを審議する為、生き残った上級職であるディランとアルヴァンを呼び出したのだ。

 

 とは言え、ディラン達も馬鹿ではない。このままでは呼び出された上に、責任を問われる事は明白だった。

 

 そこでディランは、アルヴァンに命じて報告書を作成させたのだ。

 

 内容的には概ね、戦闘の経緯がそのまま書かれている。ただし、ディラン達の行動を擁護する一方、ハーウッド以下G部隊司令部の指揮ぶり、特に判断ミスについては誇張した脚色を行うようにした。

 

 ディランの罪を軽くする一方で、敗戦の責任をハーウッドたちに押し付ける為である。

 

「これで、殿下が責を問われる事はありますまい。彼等とて、王室を敵には回したくないでしょうしな」

 

 イギリスにおいて、王室の権威は絶対である。

 

 それは海軍のトップとて、逆らえる物ではない。

 

 アルヴァンの報告書と、王室の特権があれば、ディランに対して責任を追及する事はできない筈。と言うのが、アルヴァンの狙いだった。

 

「当然だな」

 

 対して、ディランは笑みを浮かべながら、胸を張って見せる。

 

 後ろめたい事など何もない。とでも言いたげな態度だ。

 

「私はこんな所で終わる人間じゃない。つまらない理由で、経歴に泥を塗られるなんてまっぴらだ」

 

そうだ。

 

 いずれ次期国王となる自分が、こんな所でつまずいていい訳がない。

 

 自分は常に高みを目指して歩いているのだから。

 

「それに・・・・・・」

「それに?」

「あの、ドイツ巡戦。あいつだけは、許さない」

 

 苦々し気に告げるディランの脳裏には、ラプラタ沖で対峙した「シャルンホルスト」の姿が、ありありと浮かんでいた。

 

 薄汚いナチスの分際で、生意気にも自分をコケにしてくれた巡洋戦艦。

 

 三流海軍のくせに、この自分を翻弄した忌々しい敵。

 

「必ずだ。いずれ必ず、あいつは私の手で沈めてやる」

 

 ぎらつく眼のディラン。

 

 その視線の先では、地獄の業火の中で沈みゆく「シャルンホルスト」の姿が、ありありと夢想されているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大西洋における通商破壊戦を終えた、「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」から成る第1戦闘群がキール軍港へ帰還したのは、昨年の12月の事だった。

 

 帰路も往路同様、デンマーク海峡を通り、イギリス本土の北を大きく迂回する形での帰還となった。

 

 これに対しイギリス海軍は、大西洋上に展開したUボートや通商破壊戦部隊を警戒するあまり、またしても後手に回る事になった。

 

 彼等は、第1戦闘群のドイツ本土帰還を、全くと言って良いほど察知できなかったのだ。

 

 イギリス海軍の各部隊は、既にいるはずの無い「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」を、散々駆けずり回って探した挙句、完全に無駄足を踏まされる形となった。

 

 裏を返せば、それ程までに彼等は第1戦闘群を警戒していた事になる。

 

 ラプラタ沖海戦でG部隊が撃破された事は、彼等の脳裏に生々しく残っている筈。

 

 その為に、特に2隻の巡洋戦艦を血眼になって探し回った事だろう。

 

 2隻がとっくに、帰路についているとも知らずに。

 

 こうして、イギリス海軍の目をすり抜けて、本国へ帰還を果たした「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」は、ドックに入渠して整備を受けていた。

 

 

 

 

 

 そっと、足音を殺して部屋の中へと入り込む。

 

 首だけを中に入れて覗き込む。

 

 人の気配は無い。

 

 ただ、

 

 ベッドの方から、静かな寝息が聞こえてくるだけだった。

 

「アハ、やっぱり、まだ寝てるね」

 

 胸に浮かんだのは、ちょっとした悪戯心。

 

 この時間なら、部屋の主が寝ているだろうと予想して忍び込んだのだが、どうやら当たりだったらしい。

 

 なら、ちょっとだけ、

 

 寝顔を拝見してやろう。

 

 とか思った次第である。

 

 足音を立てずに、ベッドへと近づく。

 

 そして、

 

 

 

 

 

 夢を見ていた。

 

 それはまだ、自分が学生だった頃の事。

 

 バイトを終えて、疲れた体を引きずるようにして家へと帰る。

 

 案の定、父親は家にはいない。

 

 と言うより、あの人が家に戻って来た事はない。専ら、海軍本部で寝泊まりしている為、顔を合わせる事自体、年に数回、あるか無いかだ。

 

 取り合えず生活費だけは入れてくれるので、食うに困る事はないのだが。

 

 しかしそれでも蓄えは十分とは言えず、こうして学業の合間を見て、バイトに明け暮れる日々だった。

 

 と、

 

「兄ちゃん!!」

「お兄ちゃん!!」

 

 自分が返ってきた気配を察したのだろう。

 

 まだ幼い弟と妹が、部屋から駆け出してくるのが見えた。

 

 笑顔が、自然と浮かぶ。

 

 母がおらずとも、

 

 父が帰らずとも、

 

 生活が苦しくても、

 

 家に帰れば、2人の笑顔を見る事が出来る。

 

 ただそれだけで、本当に幸せだった。

 

 この2人がいてくれるだけで、また明日頑張れる。

 

 この2人がいてくれれば、つらい日々を乗り越えていける。

 

「ただいま、2人とも」

 

 そう言って、駆け寄ってきた2人を抱きしめた。

 

「わわッ!?」

 

 途端に、声を上げる2人。

 

 完全にタイミングが合っていて面白い。

 

「よしよし、寂しい思いさせちゃったね。ごめんね」

 

 そう言いながら、2人を優しくなでる。

 

「あッ ちょ、ちょっと待ってッ」

 

 声を上げる2人。

 

 しかし、そんな2人にかまわず、ぬくもりを確かめるように、腕に力を籠めるのだった。

 

 

 

 

 

「あっ ちょッ んッ ちょ、ちょっと、お、おお、おにーさんッ!? ひんッ!? そ、そこ、はッ んんッ だ、ダメェ~」

「・・・・・・・・・・・・あれ?」

 

 少女の情けない喘ぎ声で、エアルは目を覚ました。

 

 いったい、何がどうなったのか?

 

 自分は確か、バイト明けで帰宅して、

 

 そこへ弟と妹が起きてきて、出迎えてくれたはず。

 

 それで、自分も2人を抱きしめて。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 いや、違う。

 

 ここは実家でもなければ、自分はバイト明けの学生でもない。

 

 ここは自分が指揮する、ドイツ海軍巡洋戦艦「シャルンホルスト」の艦長室。

 

 昨夜、深夜まで書類を作成し、終わった後はベッドに直行してそのまま一気に寝入ってしまったのだ。

 

 と、

 

「あ、あの・・・・・・おにーさん?」

 

 困惑交じりの声に、視線を向けるエアル。

 

 見ればなぜか、

 

 目の前に巡戦少女の姿がある。

 

 否、

 

 正確に言えば、シャルンホルストは、寝ているエアルの腕の中に、抱きかかえられる形になっていた。

 

 艦娘とは言え女の子である。

 

 特有の柔らかい感触が、エアルの腕に伝わってくる。

 

「シャル、何してるの?」

「いや、まあ、色々ありまして・・・・・・・・・・・・ところで、おにーさん」

 

 改まった口調のシャルンホルスト。

 

 その顔は、恥ずかしそうに視線をそらし、頬はほんのり赤くなっている。

 

「手、放してもらえると・・・・・・・・・・・・」

 

 そこで、エアルは自分が未だに少女を抱きかかえたままである事に気付く。

 

 どうやら寝ぼけて弟妹と勘違いし、抱きしめてしまっていたらしい。

 

 それどころか、右手は思いっきり、シャルンホルストのお尻を鷲掴みにしていた。

 

 スカートはあられもなく捲れ、パンツ越しに少女のお尻を揉みしだいている。

 

 白地に黒のネコがバックプリントとして描かれた、可愛らしいパンツ。

 

 お尻は程よく柔らかく、好ましい感触が伝わってくる。

 

 正直、ずっと触っていたい、とか思ってしまうのも無理からぬことだろう。

 

 無論、

 

 それをやったら、割と色々、終わる事になりかねないが。

 

「わわッ ちょッ!?」

 

 状況を理解し、とっさに手を放すエアル。

 

 シャルンホルストもほとんど条件反射的に飛びのく。

 

 背を向けて、乱れた服を戻す少女。

 

 青年も、罰が悪そうに視線を逸らす。

 

「ご、ごめん」

「う、ううん。ボクも、ちょっと油断してたって言うか・・・・・・」

 

 お互い、視線を合わせないようにしながら、ぎこちなく言葉を交わす。

 

 気まずい。

 

 とんでもなく気まずい空気が、朝っぱらから2人の間で垂れ流されるのだった。

 

 

 

 

 

 着替えを終えたエアルは、そのままシャルンホルストを伴って、艦橋へと向かう。

 

 とは言え、

 

 先ほどの一件もあり、2人の間には気まずい空気が流れっぱなしなのだが。

 

 互いにそっぽを向いたまま、並んで歩く、エアルとシャルンホルスト。

 

 艦長と艦娘の奇行に、すれ違う兵士たちは首をかしげていた。

 

 艦橋に入ると、すでに副長のヴァルター少佐がおり、入ってきた2人を怪訝な面持ちで出迎えた。

 

「おや艦長、シャル、おはようございます。お二人で同伴出社とは、これまた」

「「ア、アハハハハハハハハハハハハハ・・・・・・・・・・・・」」

 

 揃って乾いた笑いを浮かべる2人。

 

 ヴァルターの冗談が、あながち冗談じゃなくなりそうだった所が怖い。

 

「そう言えば、2人に来客があり、待たせてありますよ」

「客? こんな朝から?」

「誰だろ?」

 

 顔を合わせて首をかしげる、エアルとシャルンホルスト。

 

 そこへ、涼やかな足音と共に、誰かが艦橋へ入ってくるのが見えた。

 

 振り返る2人。

 

 シャルンホルストの顔に、笑顔が浮かぶのは、ほぼ同時だった。

 

「ゼナッ 来てたのッ」

「久しぶりね、シャル」

 

 互いに手を取り合う少女たち。

 

 入ってきた少女は、長い黒髪をポニーテールにして好調ぶに纏め、やや釣り気味の目をした、真面目そうな印象の少女だった。

 

 そして、

 

 シャルンホルストと、どことなく似ているのは、恐らく気のせいではないのだろう。

 

 

「おにーさんは、ゼナとは初めてだったよね」

「う、うん。どちら様?」

 

 なんとなく察しはついていたが、ここはシャルンホルストに任せてみる。

 

 巡戦少女は、もう1人の少女に向き直っていった。

 

「おにーさん、こっちはゼナね。で、ゼナ、こっちが前に話したおにーさん」

 

 さっぱり分からなかった。

 

「もう、シャルの紹介は雑すぎ」

 

 やれやれとばかりに嘆息すると、少女はエアルに改めて向き直り会釈をする。

 

「初めまして、アレイザー中佐。シャルンホルスト級巡洋戦艦2番艦、『グナイゼナウ』の艦娘です」

「グナイゼナウの、じゃあ、君が」

「はい。姉がいつも、お世話になっています」

 

 つまり、彼女はシャルンホルストの妹と言う事になる。

 

 艦娘同士、血のつながりがあるのかどうかという点についてはいまだに研究中だが、同型艦同士が姉妹として認識されている。

 

「どうしても、一度紹介してくれと言われててな。俺も用事があったから、ついでに連れて来たんだ」

 

 言いながらもう1人、艦橋に足を踏み入れた人物がいる。

 

 長身で端正な顔立ち。

 

 どこか舞台俳優のような整った外見。

 

 胸元には、エアルと同じく、中佐の階級章がある。

 

「よう」

「オスカー、久しぶり」

 

 入ってきた人物の顔を見て、エアルは笑顔を浮かべるのだった。

 

 

 

 

 とりあえず立ち話も何だと言う事で、エアルは2人を連れて応接室の方へと移動した。

 

 シャルンホルスト級巡洋戦艦は、旗艦任務を負う事を想定している為、比較的広い部屋も艦内には存在していた。

 

 「グナイゼナウ」艦長、オスカー・バニッシュ中佐は、エアルと士官学校の同期にあたる。

 

 当時から特に馬が合い、仲の良い友人として、現在でも付き合いがある。

 

「ラプラタ沖では助かったよ。ほんと、良いタイミングで来てくれたね」

 

 あの時、

 

 イギリス艦隊に包囲された「シャルンホルスト」を、オスカー率いる「グナイゼナウ」が間一髪で助けに来てくれた。

 

 あの「グナイゼナウ」の来援で形勢は一気に変わり、戦いはドイツ艦隊の勝利に終わったのだ。

 

「よく言う」

 

 オスカーは淹れてもらったコーヒーを口に運びながら、フッと笑う。

 

 そんな様子も、実に様になる男だった。

 

「予め、俺たちに自分の位置を報せておき、敵艦隊を誘導したのはお前だろう。あれがあったから、俺たちはイギリス軍の側面をつく事が出来たようなものだ」

「それでも、だよ。あれで来てくれなかったら、俺達は危なかったかもしれない」

 

 実際、「シャルンホルスト」単独では、勝てるかどうかは賭けに近かった。

 

 「グナイゼナウ」が来てくれたからこその勝利だったのは間違いない。

 

 視線を巡らせる。

 

 部屋の隅では、シャルンホルストとグナイゼナウが、お菓子を食べながらカードゲームに興じている。

 

 もし「シャルンホルスト」がラプラタ沖で沈んでいたら、あの光景も見る事が出来なかったのだ。

 

「それよりも、だ」

 

 声を改めるオスカー。

 

 どうやら今日、ここに来た理由は、グナイゼナウの付き添いと言うだけではないらしい。

 

「次の作戦について、お前も噂は聞いているか?」

 

 オスカーの言葉に、エアルも眼差しを細める。

 

 現在、戦争は冬に入り、停滞期に入っている。

 

 ドイツ軍と連合軍、双方ともに冬季間は動きたくても動きがとりづらい。その為、互いに牽制するのみで、実際に砲火を交えることは少ない。

 

 交戦状態にあるにもかかわらず、両軍が互いに動かない。不思議な状態。

 

 俗に「まやかし戦争(フォニー・ウォー)」と呼ばれる期間だった。

 

 代わって世界が注目したのは北。ソビエト連邦と隣国フィンランドとの間で行われている戦いだった。

 

 独ソ不可侵条約の締結により、ドイツの脅威がなくなったと判断したヨーゼフ・スターリン書記長は、バルト3国、並びにフィンランドに対し、領地の割譲等を迫る圧力を強めていた。

 

 これに対し、フィンランド側は徹底抗戦の構えを見せた。

 

 両国の交渉は平行線をたどり、ついに決裂。

 

 1939年11月30日。

 

 ソビエト軍はフィンランド側から攻撃を受けた(実際には自作自演であった事が後に判明)事を理由に侵攻を開始。

 

 後の世に冬戦争(第1次ソ芬戦争)と呼ばれる戦いの始まりだった。

 

 ソ連軍が総勢100万の軍勢に、更に大量の戦車と航空機の支援の下に侵攻を開始したのに対し、迎え撃つフィンランド軍の総数は僅か25万。しかも火力に乏しく歩兵が中心となっている。

 

 戦いはソ連軍の圧倒的勝利に終わるかと思われた。

 

 しかしフィンランド軍上層部は的確に指揮指導を行い、練度の高い狙撃兵多数を戦線に配置。更には地形を有効に活用した徹底的なゲリラ戦術でソ連軍に対抗。ソ連軍は思わぬ苦戦を強いられる事になる。

 

 寡兵のフィンランド軍は各戦線においてソ連の大軍を押し返していた。

 

 特に、「白い死神」の異名で呼ばれた天才スナイパーは、たった1人でソ連軍の部隊をいくつも壊滅に追いやり、ソ連兵の恐怖の的となった。

 

 あまりにも多くの将兵が殺された為、「白い死神」には、スターリン直々に賞金首が掛けられたという。

 

 更に12月9日より行われた「スオムッサルミ会戦」においては、5倍の兵力差を跳ね返してフィンランド軍が勝利する。

 

 結局この戦争においてフィンランド軍は終始、ソビエト軍を圧倒したものの、最終的には一連の戦闘で武器弾薬を消費しつくした為、「これ以上の戦闘継続は困難」と判断されソ連側から申し入れられた停戦案に合意し、終結する事になる。

 

 もっとも、その際にソビエト側から突き付けられた停戦条件は過酷な物であり、これに納得できなかったフィンランド側は翌年には継続戦争(第2次ソ芬戦争)を戦う事になる。

 

 形の上では、冬戦争はソ連の勝利と言う事になっている。

 

 しかし明らかに戦力に劣るフィンランド軍相手に苦戦を強いられた事で、大国ソビエトは思わぬ脆さを露呈した形だった。

 

 この冬戦争の影響が後々、ドイツの運命にも大きく関わって来る事になる。

 

 とは言え、今のところドイツには直接は関係の無い争いであり、作戦を終えたエアル達には、文字通り「対岸の火事」でしかなかったのだが。

 

 戦場の幕間に、一時訪れた平穏。

 

 しかし、誰もが知っている。

 

 この平穏が、文字通りのまやかし(フォニー)に過ぎないと言う事を。

 

 いずれ、再び大きな戦いが始まる。

 

 そんな確かな予感を抱きつつも、

 

 ひとまず世界は、平和の裡にあり続けるのだった。

 

 だが、夢がいつかは覚めるように、まやかしもいつかは解ける。

 

 いずれ冬が終われば、ドイツ軍は再び動き出すことになる。

 

「多分、北欧・・・・・・ノルウェーだろうね」

 

 北欧におけるノルウェーの価値は計り知れない。

 

 北海に面しており、更には海岸線は複雑なフィヨルド構造になっている。つまり、艦隊の泊地としては最適なのだ。

 

 ノルウェーを抑える事が出来れば、ドイツ海軍は水上艦にしろ潜水艦にしろ、活動の幅が大きく広がることになる。

 

 さらに地下には戦争遂行に必要な天然資源が豊富に内蔵されている。

 

 ノルウェーはドイツにとって、何としても押さえておきたい重要な地域だった。

 

「それに最近、イギリス側もノルウェーに目をつけているって噂もあるし。早めの押さえるのが理想なんじゃないかな」

「確かにな。だが、そうなると今度こそ、イギリス海軍の主力が出て来ることになるだろうな」

 

 ドイツ海軍が動くとなれば、イギリス海軍も黙ってはいないだろう。

 

 今度は、双方、全力をもってぶつかる戦いになる。

 

 その波に、自分たちは否応なく、飲み込まれていく事になるだろう。

 

 エアルはチラッと、シャルンホルストの方を見やる。

 

 また、彼女を危険に晒す事になる。

 

 それは決して、エアルにとっても歓迎すべきことではない。

 

 彼女に限らず、戦いになれば艦娘たちを否が応でも危険に晒さなくてはならなくなる。

 

 仕方ない事ではあっても、やはりやりきれなかった。

 

 だが、

 

 その一方で、心のどこかで踊り出すような物も感じていた。

 

 また、彼女と一緒に戦う事が出来る。

 

 30ノットで疾駆し、敵艦めがけて主砲を放つ事が出来る。

 

 それを考えるだけでエアルは、自分の中の血が騒ぐような感覚を抑えられなかった。

 

 と、

 

 シャルンホルストがエアルの視線に気づいたのだろう。振り返って笑顔を向けてきた。

 

「おにーさん、おにーさん達も、こっちきてやろうよ」

「オスカーも、ほら」

 

 カードゲームに誘ってくる、シャルンホルスト級の姉妹たち。

 

 エアルとオスカーは顔を見合わせると苦笑する。

 

「良いね、やろうか」

「そう言えば、お前には士官学校時代の貸しがまだ残っていたな。俺が2勝先行しているはずだ。そろそろ返してほしいんだが?」

「う、よく覚えてるね。こっちは完全に忘れてたってのに」

 

 笑いあう一同。

 

 やがて来る、戦いの前、

 

 まやかしの中にあって一時だけ、

 

 ほんのわずかな平和に包まれた風景だった。

 

 

 

 

 

第8話「フォニー・ウォー」      終わり

 



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第9話「霧中の海魔」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界全てを覆う、白の闇。

 

 潮騒の音ですら、その中に飲み込まれて行きそうな雰囲気があった。

 

 その日、北海海面は深い霧に閉ざされていた。

 

 場所は、ノルウェーの沿岸からほど近い場所。スカゲラック海峡をやや西に来た地点だった。

 

 この海域を、複数の艦船が今、航行していた。

 

 各艦のマストに翻るホワイトエンサイン。

 

 イギリス海軍のノルウェー派遣艦隊。その先遣部隊だった。

 

 中でも目立つのは、艦体のやや後方を航行する平たい甲板を持つ艦だろう。この艦は、他の艦よりも少しだけ艦体が大きい。

 

 航空母艦「グローリアス」。

 

 グローリアス級航空母艦の1番艦。

 

 基準排水量1万9200トン、全長239メートル、全幅24メートル、最高速度32ノット。

 

 航空機48機搭載可能。

 

 航空機搭載機数が少ない事を除けば、日本海軍の「飛龍」「蒼龍」に匹敵する中型空母である。

 

 イギリス海軍の空母は伝統的に防御力を重視する傾向がある。その為、搭載機数を減らして防御装甲を強化した形で完成したのだ。

 

 加えて「グローリアス」は元々、第1次世界大戦の頃にフィッシャー提督が提唱したハッシュハッシュ級巡洋艦(浅瀬における艦砲射撃を主目的とした艦。後の「モニター艦」に通じる)として建造された物を、途中で空母に改装した経緯を持つ。その為、通常の空母よりも多少ではあるが防御力が高かった。

 

 因みに同型艦に「カレイジャス」がいたが、こちらは開戦間もない9月17日、哨戒任務中にUボートの雷撃を受け、撃沈されていた。

 

「忌々しい霧だな。これじゃあ、味方との合流も難しいぞ」

 

 艦橋に立つ、艦長のヒューズ中佐が、舌打ち交じりに呟く。

 

 視界は殆ど閉ざされ、周辺の海面を見渡す事が出来ない。

 

 護衛の駆逐艦のシルエットですら霞んでいるほどだった。

 

 まるで、

 

 そう、

 

 今この瞬間、深海から這い出てきた魔物が、自分達を食らい尽くすべく襲い掛かってくるのではないか。

 

 妄想と分かっていながらも、そう思ってしまう。

 

「とにかく、他艦との衝突には十分注意しろ。こんな事で任務失敗になるなど、とんだお笑い種だからな」

「了解しました」

 

 軍服を着た少女が、ヒューズ大佐に敬礼を返す。

 

 彼女がグローリアス。この艦の艦娘である。

 

 先遣隊の任務は、ドイツ軍が侵攻の兆しを見せているノルウェー海域の防衛となる。

 

 いち早くノルウェー沖に展開して制空権、制海権を確保。後から進撃してくる本隊の到着を待って、本格的にノルウェーへ武力進駐する事が目的だった。

 

 イギリスの、ひいては連合軍全体の今後を占う重大な任務である。

 

 それだけに、失敗は許されなかった。

 

 だが、

 

 この時、イギリス海軍の誰もが気付いていなかった。

 

 危機は既に、致命的な距離まで迫っていた事に。

 

 突如、鳴り響く風切り音。

 

 不吉を呼ぶ魔笛の如きその音は、一瞬にして彼等を地獄に叩き落す。

 

「まさかッ!?」

 

 ヒューズが叫んだ瞬間、

 

 白い霧を切り裂いて、灼熱の砲弾が飛来する。

 

 「グローリアス」は、次々と突き上げられる水柱に、一瞬にして包囲された。

 

「砲撃だとッ 馬鹿なッ!?」

 

 驚愕するヒューズ。

 

 誰もが考えていなかった。

 

 自分達が到着するよりも先に、まさかドイツ海軍が既に展開を終えている、などと。

 

 砲撃は、立て続けに「グローリアス」を襲う。

 

 幸いにして命中弾は無い。

 

 しかし、徐々に弾着が近くなってきているのも事実だった。

 

「クソッ 艦載機の発艦を・・・・・・」

「駄目です!!」

 

 命じようとしたヒューズを制したのは、グローリアスが発した声だった。

 

 少女は必死の形相で、グローリアスはヒューズに詰め寄る。

 

「今、この視界の利かない状態で艦載機を飛ばす事はできませんッ 最悪、全機未帰還になってしまいます!!」

「クッ・・・・・・」

 

 唇を噛み締めるヒューズ。

 

 グローリアスの主張は正しい。

 

 こう霧が深くては、発艦できたとしても、上空からは飛行甲板が見えない為、着艦は100%不可能だ。

 

 無理にやろうとすれば事故を起こすのは目に見えている。

 

 加えて、最寄りの海岸にイギリス軍の飛行場は無い。

 

 つまり、発艦した航空機は、海面に不時着する以外に選択肢は無いのだ。

 

「取り舵反転180度ッ 反転と同時に機関最大!! 『アカスタ』『アーデント』に打電、《煙幕を展開せよ》!!」

 

 艦載機を発艦できない以上、空母にできる事はただ一つ。

 

 護衛の駆逐艦に殿を頼み、自身は可能な限りの全速力で避退する事のみ。

 

 回頭を始める「グローリアス」。

 

 しかし、

 

 完全に回り始める前に、破滅は襲い掛かって来た。

 

 突然の衝撃。

 

 同時に、飛行甲板の中央付近に爆炎が躍った。

 

「うぐッ!?」

 

 フィードバックした激痛に、思わずうめき声を漏らすグローリアス。

 

 見れば、飛行甲板中央に大穴が開いている。

 

 これで、艦載機の発進はできない。仮に離脱に成功したとしても、「グローリアス」の反撃は不可能となってしまった。

 

 しかも、それだけではない。

 

 ここぞとばかりに、「グローリアス」には砲撃が浴びせられ、飛行甲板のみならず舷側や砲塔にも命中弾を浴び、破壊されていく。

 

 「グローリアス」を救うべく、護衛に当たっていた2隻の駆逐艦が前へと出る。

 

 だが、

 

 その駆逐艦にも、容赦なく砲撃が浴びせられる。

 

 たちまち水柱に包まれ、小型の艦体は見えなくなってしまう。

 

「『アカスタ』被弾した模様!!」

「『アーデント』に敵弾命中、轟沈しました!!」

 

 見張り員の悲痛な叫び声が、艦橋に響く。

 

 しかし、駆逐艦の献身的な働きのおかげで、「グローリアス」はどうにか、砲撃してくる敵艦に対して遠ざかる方向へ舵を切る事に成功した。

 

 後は全速力で退避するのみ。

 

 飛行甲板が破壊された以上、空母は戦えない。

 

 犠牲になってくれた駆逐艦には申し訳ないが、彼等を捨てて撤退するのもやむを得ない。

 

 しかし、生き延びる事さえできれば、捲土重来のチャンスはある。

 

「艦長、今のうちに!!」

「ああ、機関全速!!」

 

 グローリアスに頷きを返し、ヒューズが命じた。

 

 次の瞬間、

 

 ひときわ大きな風切り音と共に飛来した砲弾が、「グローリアス」の艦橋を背後から撃ち抜き、完膚なきまでに破壊した。

 

 

 

 

 

「敵空母、炎上・・・・・・沈む、ね。おにーさん・・・・・・」

「う、うん、ご苦労・・・・・・様、シャル」

 

 シャルンホルストの言葉を聞きながら、エアル・アレイザーは頷きを返す。

 

 とは言え、2人の顔には勝利の余韻よりも、むしろ戸惑いの方が強く出ていた。

 

 それ程までに、目の前で起きた光景は信じられない物だったのだ。

 

 ちょうどその時、僅かだが霧が晴れ、敵艦の様子をうかがう事が出来るようになった。

 

 視界の彼方には、傾斜しながら炎上する空母の姿が見える。

 

 既に海上に停止し、動く気配はない。後は海面に引き込まれるのを待つだけだった。

 

 護衛の駆逐艦の姿は無い。僅かに、海面に漂う水蒸気が、その存在を名残としてとどめているのみだった。

 

「まさか、戦艦の主砲で空母を撃沈できるとは思わなかった」

「う、うん、ボクもびっくりだよ」

 

 唖然とするエアルとシャルンホルスト。

 

 戦艦の主砲で、空母を撃沈するなど前代未聞である。勿論、空母が戦艦を撃沈する事例はまだ起きていない。そちらも、もし起これば前代未聞となるのだが。

 

 とは言え、今回の事例が特異なのは確かである。このように霧が深い状況でなければ不可能だった事だろう。

 

 「シャルンホルスト」の傍らには、僚艦「グナイゼナウ」の姿もある。彼女達が護衛の駆逐艦を抑えてくれたおかげで「シャルンホルスト」は落ち着いて「グローリアス」への砲撃に専念する事が出来たのだった。

 

「でも・・・・・・」

 

 そこで、エアルは双眸をスッと細める。

 

「これで、敵も俺達がここにいる事を掴んだだろうね。この後は、敵の本隊との戦いになるよ」

 

 言いながら、シャルンホルストの方を見やる。

 

 そう、「グローリアス」を撃沈した以上、敵も黙ってはいない。間もなく、この海域にイギリス海軍の本隊が殺到してくるだろう。

 

「何にしても、ここからだ」

 

 司令官席に腰かけたマルシャルが、呟くように告げる。

 

 舞台は整った。後は幕を上げるだけである。

 

「俺達が戦いのカギになる。よろしくね、シャル」

「うん、任せて」

 

 笑いかけるエアルに対し、シャルンホルストは少し緊張した調子で頷く。

 

 そんな少女の様子を見ながら、エアルは出撃前の事を思い出していた。

 

 

 

 

 

 その日、エアルは珍しい人物から呼び出されて、港の外へと来ていた。

 

 指定されたカフェに入ると、待ち合わせの人物は先に来て、既に席に着いていた。

 

「お待たせ、ゼナ。ごめん、遅くなって」

「いえ、私の方こそ、お忙しいのに、無理言ってすみません」

 

 そう言って頭を下げたのは、私服姿のグナイゼナウだった。

 

 白のブラウスに、ベルトの付いたスカート。髪は下ろしてストレートにしている。

 

 軍服姿と違って、新鮮な印象。

 

 姉のシャルンホルストがアグレッシブなイメージがあるのに対し、グナイゼナウはどこか落ち着いた印象があった。

 

 運ばれてきたコーヒーに口をつけると、エアルは顔を上げてグナイゼナウを見た。

 

「それで、俺に話って?」

 

 グナイゼナウの方から話があると呼び出された時は戸惑ったものだったが、どうにも真剣な話があると感じたエアルは、前置きを省いて切り込んだ。

 

 対して、グナイゼナウの方は、何かをためらうように口をつぐんでいる。

 

「ゼナ?」

「本当は、私がこんな事を言うのはフェアじゃないのかもしれません」

 

 エアルが促す前に、グナイゼナウの方から口を開いた。

 

「でも、あの子・・・・・・シャルにかかわる事だから、艦長であるあなたには、教えておいた方が良いかも、と思って」

「シャルに?」

 

 訝るエアルに、グナイゼナウは話し始めた。

 

 

 

 

 

 炎上しながら沈んでいく「グローリアス」の脇をすり抜ける「シャルンホルスト」。

 

 既に味方の駆逐艦に溺者救助の命令が下っていた。

 

 そんな中、エアルはシャルンホルストの方へ目を向ける。

 

 グナイゼナウに言われた、彼女の事。

 

 正直、エアルの責任は重大であると言える。

 

 笑顔で乗組員と話すシャルンホルスト。

 

「頑張らないと、ね」

 

 エアルは誰に聞かせるでもなく、そっと呟くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1940年4月9日。

 

 ドイツ第3帝国軍は、北欧侵攻を行うべく、雪解けを待って、大規模な軍事行動を起こした。

 

 世に言う「ヴェーゼル演習作戦」の始まりである。

 

 直接的なきっかけとなったのは、2月に起こった「アルトマルク号事件」だった。

 

 この事件は、イギリス軍が、ドイツ船籍のタンカーを強引に臨検し、内部に幽閉されていたイギリス軍捕虜を救出した物だった。

 

 これだけならば、戦時中の敵対両国の単なる軍事衝突として片づけられ、何の問題も起きなかった事だろう。

 

 しかし、問題だったのは、イギリス軍は一連の行動を、中立国であるノルウェーの領海で行った事だった。

 

 言うまでも無く、中立国の領海で軍事行動を行うのは、重大な国際法違反である。

 

 更に時を同じくして、イギリス軍がノルウェー沿岸に機雷を敷設すると同時に、同国領の一部を軍事占領する作戦までもが発覚。

 

 事ここにいたり、ヒトラー総統は英仏両国がノルウェーの主権を守る意思がない事を確信。先んじてノルウェーを占領する作戦にゴーサインを出す。

 

 建前上は「連合軍の侵攻から、友好国であるノルウェー領を守る」と謳っているが、実際には武力占領が狙いである事は明らかだった。

 

 手始めにドイツ軍はデンマークへ侵攻。何と、たった6時間の戦闘で、同国を降伏に追いやる。

 

 足がかりを得たドイツ軍は、投入可能な全兵力をデンマークへ集結。ノルウェー方面への進出機会を伺う。

 

 作戦は、ノルウェーの主要都市、オスロ、ベルゲン、ナルヴィク、トロンヘイム、スタヴァンゲル、クリスチャンサン、エゲルサンに一斉攻撃を仕掛け、ノルウェー軍の指揮系統を一気に破壊する計画となっている。

 

 この作戦にドイツ軍は、総勢12万の兵力を動員している。

 

 その気になれば数100万の兵力を動員可能なドイツ軍からすれば、少数兵力と言えるだろう。これは、やがて英仏との決戦を控え、可能な限り主力軍を温存したいドイツ軍としては、割ける限り最大限の数字だった。

 

 しかし、

 

 ドイツ軍がノルウェーに侵攻するにあたって、どうしても避けては通れない道がある。

 

 それは、必ずや妨害に現れるであろう、イギリス艦隊の存在だった。

 

 世界第2位の兵力を誇り、海上においてはヨーロッパ最強の存在を打破しない限り、ドイツ軍の進路が開ける事は無かった。

 

 

 

 

 

 無数の航跡を引く艦隊は、進路を東にとって航行している。

 

 かつて世界を股にかけ、「太陽の沈まない帝国」とまで称された海上の王者たち。

 

 マストに掲げられたホワイトエンサインこそが彼等、彼女等の誇りであり、また勇気と正義の象徴でもある。

 

 イギリス海軍。

 

 その主力たる本国艦隊の雄姿が、北海海上にあった。

 

 その編成は以下の通りである。

 

 

 

 

 

〇 フォースA

戦艦「ロドネイ」「ウォースパイト」「バーラム」「マレーヤ」「レゾリューション」「ラミリーズ」

軽巡洋艦「リアンダー」「オライオン」「ネプチューン」

駆逐艦12隻

 

〇 フォースB

重巡洋艦「ヨーク」(旗艦)「ロンドン」「デヴォンジャー」

軽巡洋艦「エディンバラ」「マンチェスター」

駆逐艦9隻

 

〇 輸送艦隊

駆逐艦6隻

輸送船22隻

 

 

 

 

 

 本国艦隊に所属する艦艇の内、7割近くが出撃していた計算になる。

 

 全力ではないとはいえ、これでもドイツ海軍の総戦力を大幅に上回っている。

 

 もっとも、この出撃に着いて、イギリス軍内では批判が上がっていた。

 

 ドイツ軍は恐らく今回も、戦力を分散してゲリラ戦を仕掛けてくるだろう。そのような敵を相手に、主力艦隊を繰り出す必要ああるのか? 戦力過剰ではないのか、と。

 

 しかし、それらの反対の声を、本国艦隊司令長官のフォーブスが押し切った。

 

 いかに弱小の敵が相手でも、イギリス海軍が本気で叩き潰す意思がある事を示す必要がある、と言って。

 

 その為、本国防衛と輸送航路護衛に必要な戦力だけを残し、本国艦隊の全戦力を北欧戦線支援に出撃させたのだ。

 

 特に戦艦戦力は圧倒的であり、ビッグ7に所属する「ロドネイ」を頂点に戴き、5隻の戦艦が進む姿は圧巻の一言に尽きた。

 

 しかし、

 

 これだけの戦力を持ちながら、イギリス軍の行く手には、深い暗雲が垂れ込めようとしてた。

 

 

 

 

 

 「ロドネイ」の艦橋の床を踏みしめながら、フォーブス提督は苛立ちを隠せずにいた。

 

 先遣艦隊から連絡が途絶えて、既に丸1日以上経っている。

 

 本来なら既に、制空権確保のための制圧活動に入っている旨、報告があってしかるべき時間である。

 

 しかし先遣艦隊の旗艦である空母「グローリアス」からはおろか、護衛の駆逐艦「アカスタ」「アーデント」も音信不通になっていた。

 

 いったい、何が起きていると言うのか。

 

 そこへ、ロドネイが、立ち尽くすフォーブスに歩み寄ってきた。

 

「提督」

「おお、ロドネイ、どうだった?」

 

 尋ねるフォーブスに、ロドネイは黙って首を横に振った。

 

 どうやらやはり、先遣隊との連絡は取れないままであるらしい。

 

「提督、こうなった以上、もはや先遣隊は何らかのトラブルに巻き込まれたと考えた方が良い」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ロドネイの言葉に、黙り込むフォーブス。

 

 彼にしても、ロドネイの言う事は判っている。

 

 恐らく、先遣隊は既に敵の攻撃を受けて壊滅していると考えるべきだった。

 

 由々しき事態だ、イギリス軍は、未だに敵の姿すら見ていないと言うのに先制を許している。

 

「とにかく急ごう。敵は既にノルウェー近海に到達している可能性がある」

「ああ」

 

 フォーブスの言葉に、ロドネイが頷きを返した。

 

 空母を初戦で失ったのは痛い。

 

 しかしまだ、致命傷ではなかった。

 

 制空権を奪取する事はできなくなったが、もとよりドイツ海軍は固有の航空隊を持たない。

 

 ドイツ空軍は強力だが、洋上での作戦行動に慣れていないし、何より、戦場となる北海海上に航空兵力を展開できる航空基地を、ドイツ軍は持っていない。

 

 つまり、航空戦力については、悪くしてもイギリス軍とドイツ軍は五分、と言う事だ。

 

 その時だった。

 

「提督、先行した偵察機からの報告です、敵艦隊を発見しました!!」

 

 通信参謀の言葉に、「ロドネイ」艦橋は、一気に色めき立った。

 

 やはり、敵がいた。

 

 どうやらドイツ軍は、本気でノルウェーを取りに行くつもりらしい。

 

 電文を受け取ったフォーブス。

 

 しかし、その顔がみるみるうちに驚愕に染まっていくのが、傍らで見ていて判った。

 

「提督、どうした?」

 

 尋ねるロドネイに、電文を渡す。

 

 そこに書かれていた内容は、およそ信じがたい物だった。

 

 

 

 

 

 イギリス艦隊接近の報は、ノルウェー沖に展開するドイツ艦隊の報でもキャッチしていた。

 

 それ故、既に万全の布陣が整えられつつある。

 

 以下が、その編成となる。

 

 

 

 

 

〇 ドイツ海軍第1艦隊

巡洋戦艦「シャルンホルスト」(総旗艦)「グナイゼナウ」

装甲艦「ドイッチュラント」「アドミラル・シェア」

軽巡洋艦「エムデン」「カールスルーエ」

駆逐艦7隻

 

〇 ドイツ海軍第2艦隊

装甲艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」

重巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」(旗艦)「ブリュッヒャー」

軽巡洋艦「ライプツィヒ」「ニュルンベルク」「ケーニヒスベルク」「ケルン」

駆逐艦8隻

 

 

 

 

 

 ドイツ海軍の、ほぼ全戦力がノルウェー沖に集結していた。

 

 出撃に先立ち、ドイツ海軍は編成替えを行っている。

 

 第1艦隊と第2艦隊はその際に編成された部隊である。

 

 指揮は「シャルンホルスト」に座上する、第1艦隊司令官のラインハルト・マルシャル大将が執る事になる。

 

 まさに乾坤一擲。

 

 ドイツ海軍の持てる、全ての力をこの一戦に注ぎ込む。

 

 しかしそれでも、迫りくるイギリス艦隊に比べて劣勢は否めない。

 

 これで負ければ、ドイツ海軍は海の守りを喪失する事になる。

 

 賭け、と言っても過言ではないかもしれない。

 

 しかしだからこそ、やる価値はある。

 

 少なくとも、

 

 この作戦の立案者たる男は、そう信じていた。

 

 

 

 

 

 ベルリンにある総統官邸において、総統アドルフ・ヒトラーをはじめ、ナチス党の幹部たちが、今まさに北の海で行われていようとしている戦いの報告を待ちわびていた。

 

 緊張が室内を支配し、沈黙が空気を張り詰める。

 

 誰もが判っているのだ。

 

 この戦いが、ドイツ全軍の今後を占う重要な戦いである事が。

 

「アレイザー中将」

「ハッ」

 

 ヒトラーは、忠実な親衛隊員に声を掛ける。

 

 名を呼ばれたウォルフは、ヒトラーに歩み寄る。

 

「戦況はどうなっているか?」

「ハッ 既に一部の艦隊が、敵との交戦を開始したとの事。詳細については、未だ上がってきておりません」

 

 前線からの情報が遅れる事は珍しくない。

 

 特に、これからが本番となれば猶更だ。戦果報告などは、全てが終わった後に成されるのが通例である。

 

「気になるかね?」

 

 問いかけるヒトラー。

 

 今回の作戦、ウォルフがヒトラーに提出した「アレイザー・プラン」が元になっている。

 

 その概要とは、戦力の劣るドイツ海軍が、敢えて戦力を集中、決戦海面にイギリス艦隊を引き寄せて叩く。と言う物だった。

 

 ドイツ海軍がイギリス海軍に比べて劣勢である事は、紛れもない事実である。

 

 だからこそ、ドイツ海軍は開戦から今日まで、少数の部隊による通商破壊戦を中心に戦ってきた。

 

 イギリス海軍も、よもやドイツ海軍が戦力を集中させるとは思っていなかった事だろう。

 

 偵察からの報告で、本国艦隊の出撃は確認しているが、その戦力は明らかに揃っているとは言い難かった。

 

 もっともそれでも、ドイツ海軍の戦力を上回っているのだが。

 

「問題ありません」

 

 尋ねるヒトラーに、ウォルフは淡々とした口調で答える。

 

「事は万全を期しています」

「期待しているぞ」

「ハッ」

 

 ヒトラーに対して、敬礼するウォルフ。

 

 その遥か北の海では、今まさにドイツとイギリスの命運をかけた戦いが、始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

第9話「霧中の海魔」      終わり

 



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第10話「群狼」

 

 

 

 

 

 

 

 独英両艦隊が激突したのは、1940年4月11日早朝。

 

 場所は、ノルウェー首都オスロの西方海上であった。

 

 互いに砲戦部隊と高速部隊に分かれ、徐々にその距離を詰めて行く。

 

 ドイツ海軍の戦力は、巡洋戦艦2隻、装甲艦3隻、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦6隻、駆逐艦14隻。

 

 対して、イギリス海軍の戦力は、戦艦6隻、重巡洋艦1隻、軽巡洋艦5隻、駆逐艦21隻。

 

 戦力は、圧倒的にイギリス海軍が有利だった。

 

 しかし、

 

「負ける訳には、いかないからね」

 

 不退転の決意と共に呟く、巡洋戦艦「シャルンホルスト」艦長エアル・アレイザー中佐。

 

 青年の言葉が全てを物語るように、ドイツ海軍の誰もが、この戦いに勝利する以外の事を考えてはいなかった。

 

 北海の荒い海面を、鋭く切り裂いて艦隊は進む。

 

 マストに雄々しく掲げられた鉄十字。

 

 ドイツ艦隊旗艦「シャルンホルスト」の艦橋で、司令官席に座る男は、腕組みをしたまま、前方を眺めていた。

 

 ラインハルト・マルシャル大将は、編成された第1艦隊の司令官であり、本作戦における最高指揮官でもある。

 

 マルシャル自身、自分が率いる艦隊が劣勢である事は理解していた。

 

 相手はヨーロッパ最強のイギリス艦隊。

 

 まともに戦えば敗北は必至。

 

 しかし迫りくるイギリス艦隊を打ち破らなければ、「ヴェーゼル演習作戦」の成功は無い。

 

 マルシャルは手持ちの戦力だけで、イギリス艦隊を撃破する事が求められている。

 

 それも、ただの勝利ではない。

 

 イギリス艦隊が少なくとも、数カ月は大規模な行動を控えるほどの大勝利だ。

 

「艦長、そろそろか?」

「そうですね」

 

 促されて、エアルは腕時計に目をやる。

 

 劣勢のドイツ艦隊は今回、イギリス艦隊と戦うにあたって策を持って当たる事になっている。

 

「偵察機からは報告が来ています。電文は既に転送済み。間も無く、攻撃開始時刻です。それを合図にして、あちらも攻撃を開始する手はずになっています」

 

 そう言うと、エアルは自分の足元を差す。

 

「足の、下?」

 

 シャルンホルストが、怪訝な面持ちで首をかしげる。

 

 対して、エアルはフッと笑う。

 

「今回は海軍が総力を挙げて戦う作戦だからね。参加するのは、俺達だけではないって事だよ」

「?」

 

 意味が分からず首をかしげるシャルンホルスト。

 

 そんな少女の様子に、エアルとマルシャルはともに笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨日まで視界全てを覆っていた霧も晴れ、北海海面は良好な視界の中で朝を迎えようとしていた。

 

 波濤を切り裂いて進む、イギリス艦隊。

 

 主力部隊であるフォースA、フォースBの両艦隊は、会敵を求めて進路を東へと取っている。

 

 風になびくホワイトエンサインが、彼等の誇りを現している。

 

 間もなく、戦いが始まる。

 

 おごり高ぶるヒトラーの海軍を叩き潰し、誰がヨーロッパの王者なのか知らしめるための戦いが。

 

 いくら独裁者が粋がったところで、海の王者には敵わない。

 

 俄作りの艦隊如き、我らの誇りに賭けて叩き潰してやる。

 

 誰もが、そう思っていた。

 

 しかし、

 

 その意気込みは、初手から空回る事となった。

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・なぜ、奴らは来ない?」

 

 戦艦「ラミリーズ」の艦橋で、艦長のディラン・ケンブリッジ大佐は苛立ちを隠さずにいた。

 

 先程から艦橋の床を、行ったり来たりして歩き回っている。

 

 その苛立ちは伝染し、「ラミリーズ」艦橋全体の空気が、泥濘と化したかのように淀んでいた。

 

 無理もない。

 

 ドイツ艦隊発見の報を受け、イギリス艦隊の主力を成すフォースAとフォースBは、夜を徹して会敵予定地点を目指して進撃を続けたのだ。

 

 当初の予定では、既にドイツ海軍との戦闘が開始されている筈。

 

 だと言うのに、会敵予想時刻が過ぎても、ドイツ艦艇はおろか、鉤十字(ハーケンクロイツ)を靡かせたボートの1隻すら見付ける事が出来ないとは。

 

「これは、あれですな。奴等は逃げた、と考えたほうがよろしいのでは?」

 

 幕僚の1人が、名案を思いついたとばかりに、明るい口調で言い放った。

 

 それに続き、他の幕僚たちも追随する。

 

「うむ、あり得ますな」

「確かに。出撃したは良いが、我らが予想外の大艦隊であったために、戦う事無く闘争を選んだのですよ」

「所詮は田舎のドイツ海軍。奴らは少しでも強い相手には逃げる事しかできないのですよ」

 

 口々に、この場に現れない敵に対し、侮蔑の言葉を投げる幕僚たち。

 

 そんな中、ラミリーズとアルヴァンだけは会話に加わらず、ジッと考え込んでいた。

 

 果たして、本当に敵は逃げたのだろうか?

 

 わざわざこちらを欺き、全艦隊を集結させて迎え撃つ体制を整えた程に周到な連中が、こちらの姿を見て、戦わずして逃げた?

 

 ありえない。

 

 そんな事をしても、ドイツ軍には何の得もないはず。

 

 ひどく、嫌な予感がした。

 

 その時だった。

 

「大変ですッ!!」

 

 突如、駆けこんで来たのは「ラミリーズ」の通信長だった。

 

 報告の手順も忘れて、その場で叩きつけるように叫ぶ。

 

「後方の輸送船団に、ドイツ艦隊が襲来ッ 攻撃を受けています!!」

「なッ!?」

 

 その報告に、ディランをはじめ、その場にいた全員が衝撃を覚えたのは言うまでもないことだった。

 

 

 

 

 

 駆逐艦が先行して敵の退路を塞ぎ、巡洋艦と装甲艦から成る本隊が護衛部隊を叩き潰す。

 

 ドイツ海軍は、偵察の為に展開したUボートから報告を受け、イギリス艦隊後方に輸送船を伴った艦隊がいる事を突き止めると、これを襲撃する決断を下した。

 

 輸送船の正体は恐らく、ノルウェーの防衛力強化を図るための増援部隊であると思われた。

 

 この部隊が到着すれば、ドイツ軍の侵攻計画に大幅な支障が出る事になる。何としてもここで沈めておく必要がある。

 

 夜陰に乗じて戦列を離れたドイツ海軍第2艦隊は、イギリス艦隊の進撃路を大きく迂回して後方に回り込み、払暁と同時に襲撃を敢行したのだ。

 

 イギリス海軍はUボートの襲撃は警戒していたが、まさか1個艦隊が丸々突っ込んでくるとは思いもよらなかった。

 

 護衛の駆逐艦は奮戦し、ドイツ海軍の駆逐艦2隻を脱落させることに成功したものの、それが彼等の限界だった。

 

 包囲され、殲滅された護衛駆逐艦。

 

 後に残されたのは、逃げ惑う事も出来ない羊と化した輸送船団だった。

 

「フン、ここまで予定通りだと、逆に拍子抜けしてしまうな」

 

 旗艦「アドミラル・ヒッパー」の艦橋で冷徹に呟いたのは、リンター・リュッチェンス中将だった。

 

 元々、巡洋艦部隊の司令官だったリュッチェンスは、今回の戦いに先立ち、第2艦隊の司令官に就任。事実上、本作戦におけるナンバー2の地位にあった。

 

 第2艦隊は巡洋艦を中心にした部隊であり小回りが利く。

 

 鈍重な輸送船如き、逃がす物ではなかった。

 

 イギリス艦隊はUボートの攻撃を警戒して密集隊形を取り、護衛戦力を集中させていたが、それが完全に仇となった形だった。

 

 まさかドイツ海軍が、1個艦隊丸ごと、船団狩りに投入してくるなどと、誰も想像できなかったのだ。

 

「砲撃開始!! 奴らを蹂躙しろ!!」

 

 リュッチェンスの号令一下、第2艦隊の各艦が砲門を開く。

 

 それに対し、護衛と言う盾を失った輸送船団の運命には、絶望以外の何物も存在しなかった。

 

 砲火を浴びて、次々と炎を上げる輸送船。

 

 北海海面は今や、完全にドイツ艦隊の草刈り場と化していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドイツ艦隊、輸送船団を襲撃。

 

 その報告にパニックに陥ったのは、旗艦「ロドネイ」艦上のイギリス艦隊司令部である。

 

 決戦を企図して進撃してきたのに、敵が現れないばかりか、あろうことか自分達を素通りして、後方の輸送船団を襲っていると言うではないか。

 

 イギリス海軍はレーダーを搭載している艦が多数あるが、ドイツ艦隊はそのレーダー探知範囲をすり抜ける形で後方の輸送船団を狙い撃ちにしたのだ。

 

 まるで自分達を小ばかにするかのように。

 

「おのれ、あの田舎者どもがッ 奴らは艦隊戦の何たるかを知らんのかッ!!」

 

 最早、地団太を踏む勢いのフォーブス。

 

 彼は最早、「自分達の思い通りに動かない敵」に対するいら立ちを、隠そうともしなかった。

 

 しかし、彼の立場として、苛立ちを周囲に撒き散らしてばかりもいられない。

 

 こうしている間にも、輸送船団から悲痛な救援要請が飛んできていた。

 

《我、敵艦隊の攻撃を受く》

《主力艦隊は、直ちに反転されたし》

《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》《救援を乞う》

 

 

 

 彼らの叫びが、事が急を要する事を告げていた。

 

 直ちに、必要な措置が講じられる。

 

「フォースB司令部に連絡ッ 《直ちに反転、輸送船団の救援に向かえ》!!」

「フォースA全艦反転ッ!!」

 

 矢継ぎ早に指示を飛ばすフォーブス。

 

 フォースBは巡洋艦中心の快速部隊。今から反転すれば、あるいは船団が壊滅する前に、ドイツ艦隊を補足する事も不可能ではないかもしれない。

 

 勿論、フォーブス自身も手をこまねいてはいない。

 

 直ちに直卒するフォースAも進路を反転を命じる。

 

 低速の戦艦部隊では間に合わないだろうが、フォースBが敵艦隊を拘束している内に距離を詰める事が出来れば、後は圧倒的な火力を叩きつけるのみ。勝機はイギリス海軍に舞い込む事になる。

 

「クソッ こんなはずではなかったと言うのにッ」

 

 臍を噛むフォーブス。

 

 こんなはずではない。

 

 自分はこんな事をするために、戦場に来たのではない。

 

 そんな想いが、フォーブスの中で反芻される。

 

 思い描いた堂々たる艦隊決戦。

 

 自慢の戦艦群が隊列を組んで巨砲を撃ち放ち、必殺の雷撃が水面下を走る。

 

 弱小のドイツ海軍を圧倒的な力で叩き伏せ、自分はホレイショ・ネルソン提督以来の英雄として称えられる。

 

 そんな未来が、彼の中では思い描かれていた。

 

 だと言うのに、

 

 現実の彼は、ドイツ海軍の姑息な戦術に翻弄され続けていた。

 

 こんなはずではなかった。

 

「・・・・・・見ていろ、ドイツの田舎者ども」

 

 呪詛に近い声を発するフォーブス。

 

 ペテンまがいの行為で調子づいていられるのも今のうちだ。

 

 自分達が戦場に到着したからには、もう好きにはさせない。奴らに、真の艦隊決戦とは如何なる物か、たっぷりと思い知らせてやる。

 

 やがて、反転を追えるフォースAの各艦。

 

 急激な機動を行った際の陣形の乱れを戻そうと、駆逐艦が高速で動き回り、定位置へと戻っていく。

 

 その間、海面が攪拌され、周囲に航跡が重なり合う。

 

 だから、

 

 誰も気付かなかった。

 

 その、直前まで。

 

「左舷、雷跡ッ!! 近い!!」

 

 悲鳴に近い見張り員の声。

 

 蒼褪めるフォーブスたち。

 

 次の瞬間、

 

 旗艦「ロドネイ」の艦腹に水柱が2本、高々と突き上げられた。

 

 

 

 

 

「旗艦被雷ッ!! 速力低下します!!」

「『バーラム』、魚雷命中の模様!!」

 

 「ラミリーズ」の艦橋に、悲痛な報告が飛び込み、ディランは呆然と立ち尽くす。

 

 一瞬にして、絶望に染まるフォースA各艦。

 

 深海から襲い掛かってきた刺客は、イギリス海軍が誇る主力戦艦群に、一斉に牙を剥いた。

 

 ドイツ艦隊ばかりに気が向いていてイギリス艦隊。

 

 そこに来て輸送船団が攻撃を受けた事を知り、狼狽した彼らは慌てて反転しようとした。

 

 狙われたのは、正に反転のタイミングだった。

 

 反転中は、どうしても艦隊の陣形が乱れる。

 

 特に潜水艦にとって脅威となる駆逐艦は、外周を移動しなくてはならないため、フルスピードで自身の持ち場へと移動しようとする。

 

 多くの駆逐艦が海面で動き回る為、水中聴音が利かなくなる。

 

 その為、イギリス海軍はUボートの接近に全く気付かなかったのだ。

 

 一方、ドイツ海軍の作戦は緻密だった。

 

 ドイツ潜水艦隊が得意とする戦法で「群狼戦法(ウルフ・パック)」と言う物がある。

 

 これは1隻の潜水艦が目標を発見すると、通信によって付近にいる味方艦を呼び寄せ、一斉に攻撃を仕掛けるのだ。

 

 狼が遠吠えで仲間を呼び寄せる様に似ている事から、この名が付けられた。

 

 今回、ドイツ艦隊はこの群狼戦法にひと手間を加えて実施した。

 

 水上艦隊から偵察機を放ちイギリス艦隊の位置を把握すると、艦隊から各Uボートに転送。一斉攻撃を指示したのだ。

 

 陣形改変中のイギリス艦隊は、ひとたまりもなかった。

 

 

 

 

 

 一斉発射された魚雷に、翻弄されるイギリス艦隊。

 

 一部の魚雷は迷走の末、「ラミリーズ」に迫って来ていた。

 

「右舷前方、雷跡接近!!」

「何だとぅッ!?」

 

 思わず、叫びながら振りかえるディラン。

 

 その眼には確かに、自分の艦にまっすぐ向かってくる白い航跡を捉えていた。

 

「おのれッ 卑怯者のナチスめがッ!! 真っ向から戦わず、またしてもこんな汚い手を使うかッ!!」

 

 先のラプラタ沖海戦同様、「まともに」戦おうとしないドイツ海軍を罵るディラン。

 

 しかし、呆けてばかりもいられない。こうしている間にも魚雷は接近してきているのだ。

 

「面舵いっぱいッ さっさとかわせェッ 愚図がァ!!」

「は、はいッ」

 

 いら立ちを隠そうともせず、ラミリーズを罵るディラン。

 

 暫くして、右へと回頭を始める「ラミリーズ」。

 

 果たしてかわせるか?

 

 じりじりとした緊張感が続く中、

 

 やがて魚雷は「ラミリーズ」の艦尾をかすめるようにかけ去っていくのだった。

 

「・・・・・・フッ」

 

 回避に成功した様を見て、ディランは引きつった笑いを口元に浮かべる。

 

 その額からは、大粒の脂汗がいくつも流れていた。

 

「フハ・・・・・・フハ、ハハ、ハハハハハハ・・・・・・・・・・・・み、見たか薄汚いナチス共ッ 貴様らが放った卑怯な魚雷など、この俺に当たるはずがなかろうッ!! 我らの正義と勇気、貴様ら如き薄汚い輩にやられるものかよ!!」

「流石です殿下ッ」

「ご立派です、殿下!!」

 

 虚勢で胸を張るディランに、取り巻き達がすかさずよいしょの声を上げる。

 

 だが、

 

 どうにか回避には成功した「ラミリーズ」は、まだ幸運なだった。

 

 

 

 

 

 「ロドネイ」が燃えていた。

 

 イギリス本国艦隊旗艦であり、クレイズ・フォーブス提督の座乗艦。

 

 そしてイギリス海軍が世界に誇る「ビッグ7」の1隻。

 

 その「ロドネイ」が今、炎を上げながら傾斜していた。

 

 その船腹を抉ったのは、放たれた2本の魚雷。

 

 浸水は瞬く間に艦内に広がり、防水区画が冠水する。

 

 とは言え、流石は大戦艦と言ったところだろう。

 

 「ロドネイ」は炎上し傾斜はしているが、それ以上、沈降する様子は見せない。

 

 どうやら応急修理に成功し、沈没は免れた様子だった。

 

 しかし、

 

 イギリスの誇りとも言うべき戦艦が炎を上げながら波間で喘いでいる姿は、大英帝国の斜陽を象徴しているかのようだった。

 

 

 

 

 

 

 一方

 

 海底に潜んでいた刺客にも、今の「ロドネイ」の様子は確認できていた。

 

 それも、1隻ではない。

 

 少なくとも複数の潜水艦が、周辺海域に潜伏し、状況を見守っている。

 

 今回の「ロドネイ」攻撃は、偶然の産物ではない。

 

 ドイツ艦隊が密かに集結させていたUボート艦隊が、一瞬の隙を突いて襲い掛かったのだ。

 

「流石は音に聞こえたビッグ7。魚雷2本程度じゃ沈みそうもないな」

 

 U47の艦橋で、艦長のギリアム・プリーン大尉が、潜望鏡を覗きながら呟いた。

 

 この攻撃に参加したのは、彼の艦を含むUボート8隻。

 

 お世辞にも戦力的に充実しているとは言い難いドイツ海軍にとっては、破格の参加数である。この作戦に参加する為に、大西洋における通商破壊戦を一部キャンセルしたほどだった。

 

「あっちはどう? もう1隻の方」

「どれどれ?」

 

 U47(シーナ)に言われて、ギリアムは潜望鏡を回転させる。

 

 攻撃に参加したUボートの内、命中を得たのはU47(シーナ)のほかにもう1隻。

 

 僚艦が攻撃を命中させた艦を探す。

 

 程なく、ギリアムの視界に光景が飛び込んで来た。

 

「ああ、ありゃ沈むな」

 

 淡々とした口調で告げる鉄牛艦長。

 

 ギリアムがレンズ越しに見ているのは、戦艦「バーラム」だった。こちらは魚雷4本を喰らい、激しく炎上している。

 

 既に傾斜によって甲板の半ばまで海面に浸かっている状態だ。あれでは、あと30分と保たないだろう。

 

 戦艦1隻撃沈、1隻撃破。

 

 勿論U47が1隻で成し得た手柄ではないが、戦果としては申し分なかった。

 

「よし、混乱に乗じて退避するぞ。駆逐艦に殺到してこられたら流石に厄介だしな」

「了解よ」

 

 ギリアムに頷きを返すシーナ。

 

 彼等の言う通り、旗艦に攻撃を受けたイギリス駆逐艦が、血眼になって向かってきている所だった。

 

 しかし、

 

 彼らが不埒な潜水艦を捉える事は、遂になかったのであった。

 

 

 

 

 

第10話「群狼」      終わり

 



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第11話「凱歌は黄昏に上がる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黄昏時が迫る。

 

 沈もうとする太陽が、海面を紅く染める。

 

 幻想的で美しい光景。

 

 その中を、

 

 敗残の艦隊が、足を引きずるようにして航行していた。

 

 祖国の港を出た時、彼等は栄光と名誉に満ち溢れていた。

 

 自分達の前に勇者なく、自分達の後に勇者無し。

 

 自分達が出撃すれば、弱小のドイツ海軍如き、風に吹かれる塵の如く、追い散らされるに決まっている。

 

 自分達は勝つ。

 

 勝って、祖国に凱旋するのだ。

 

 誰もが、そう思っていた。

 

 それがまさか、たった2日で覆される事になるとは。

 

 まず昨日、先行していた空母「グローリアス」と、駆逐艦2隻が、ドイツ巡戦に捕捉され、散々に追い回された挙句に撃沈された。

 

 空母が戦艦に撃沈されるなど前代未聞である。これだけでも、とんだ恥晒しだった。

 

 しかし、まだ逆転はできる。

 

 空母を失ったくらいの失点、ドイツ艦隊を殲滅すれば釣りが来るほどだ。

 

 だが、

 

 「グローリアス」撃沈を皮切りに、イギリス艦隊の運命は狂い始めた。

 

 後方に待機していた輸送船団は明け方、夜陰に乗じて接近していたドイツ海軍の巡洋艦部隊に捕捉され全滅した。

 

 そのドイツ巡洋艦部隊を捕捉すべく反転したフォースBは、結局空振りに終わり、無駄に燃料を消費しただけだった。

 

 極めつけはUボートによるフォースA襲撃である。

 

 Uボート艦隊の群狼攻撃に遭い、戦艦「バーラム」は撃沈。旗艦「ロドネイ」が損傷する体たらく。

 

 全く持って成すところないまま、本国艦隊司令官クレイズ・フォーブス大将は撤退を決断した。

 

 既に輸送船団を失い、そこに満載されていた兵員や物資も海没している。ノルウェー救援は、完全に頓挫してしまっていた。これ以上の戦闘は、どうあっても無駄以下でしかない。

 

 彼らの誇りを示すホワイトエンサインは、今や空しく風になびいてはためくばかりだった。

 

「・・・・・・・・・・・・どうして、こうなった?」

 

 「ロドネイ」の司令官席に力なく座りながら、フォーブスは自問自答するように呟いた。

 

 がっくりと肩を落としたその姿には、颯爽たる海軍士官のイメージは、微塵も感じる事が出来なかった。

 

 自分達は戦力的に、完全に敵を凌駕していた。

 

 否、

 

 艦隊が半壊した今ですら、敵の全戦力を上回っている。

 

 にも拘らず負けた。

 

 フォーブスには完全に、今の状況が理解できなかった。

 

 なぜ、自分達が負けなければならないのか?

 

 なぜ、こんな惨めな事になってしまったのか?

 

 答えの返らない意味のない問いかけが、グルグルとフォーブスの目の前で回っているようだった。

 

「し・・・・・・しっかり、してくれ、提督」

 

 見かねたように声を掛けたのはロドネイだった。

 

 参謀長に支えられて立ち上がった彼女は、苦しそうに喘ぎながらフォーブスを見ている。

 

 艦体のダメージは、そのまま艦娘にフィードバックされる。

 

 魚雷2本を艦腹に喰らったロドネイは今、瀕死に近い重傷を負っている。

 

 それでも尚、彼女は立ち上がって見せた。

 

 全ては、イギリス海軍の栄光を担う誇り。

 

 自分がここで倒れる訳にはいかない。

 

 その想いで、ロドネイは立ち続けていた。

 

「ロドネイ、お前・・・・・・・・・・・・」

 

 顔を上げるフォーブス。

 

 ロドネイの軍服は、右脇腹が血で濡れている。右舷側に魚雷を浴びた為、彼女自身の右脇腹を負傷した形になっていた。

 

「あなたは我々の司令官だ。あなたがそんな腑抜けた状態では、我々は敵と戦う事などできないのだぞ」

「戦うって、お前・・・・・・・・・・・・」

 

 ロドネイの言葉に、フォーブスは呆れたように呟く。

 

「戦うも何も、もう全て終わった事だ。我々は敗れ、今や惨めに本国に引き上げるのみ。我々の役目は終わった」

 

 告げるフォーブスの言葉に力はない。

 

 一気に10以上は歳を重ねたように、提督は項垂れている。

 

 そう、これ以上やっても、何の意味もない。

 

 無論、やろうと思えば、まだ戦う事はできる。

 

 戦力はイギリス艦隊が勝っているのだ。旗艦を変更し、残存の艦隊を纏め、ドイツ艦隊に決戦を挑む事はできる。

 

 戦いようによっては、ドイツ艦隊を撃滅する事も不可能ではないだろう。

 

 しかし、肝心の輸送船団が全滅した以上、これ以上戦っても戦略的には殆ど意味はない。

 

 今回のイギリス軍の目的は、あくまで輸送船に積まれていた物資や兵員をノルウェーに送り、防衛力を強化する事にあった。

 

 しかし輸送船団が全滅した事で、その意義も失われてしまった。

 

 仮に決戦を挑み、それでドイツ艦隊を撃滅できたとしても、そんな物は単なる憂さ晴らし。戦略的敗北は覆しようがなかった。

 

「まだだッ」

「ロドネイッ」

 

 参謀長が咎めるのも構わず、ロドネイは傷身を押してフォーブスに詰め寄る。

 

「まだ我々には、残存する艦隊を本国まで送り届け、そして今回の戦訓を皆に伝える役割がある。これは、他の者にはできない仕事だ!!」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 本国に帰れば、今回の敗戦の責任を問われる事だろう。

 

 特に司令長官のフォーブスは、間違いなく予備役編入は免れまい。あとはお決まりの転落コースだ。

 

 ロドネイは、それを承知したうえで、己の役割を果たせとフォーブスに説いているのだ。

 

 英国海軍(ロイヤル・ネイヴィー)はただでは倒れない。

 

 今回の事を戦訓にして、より強くなって戻って来る。

 

 勿論、そこにフォーブスが関わる事はできないかもしれない。

 

 しかし、この敗戦を伝え、戦訓を齎し、次の戦いへ繋げる事はできる。それは他でもない。艦隊を率いたフォーブス以外にはできない事なのだ。

 

 そしてもたらした戦訓が、いつか必ず怨み連なるドイツ海軍を撃滅すると信じて。

 

「そうか・・・・・・・・・・・・そうだな」

 

 噛んで含むように、フォーブスはゆっくりと頷く。

 

 そうだ。

 

 全ては大英帝国の為。

 

 明日に続く勇者たちの為。

 

 そして、

 

 いつか来る、悪逆非道な独裁者打倒の為。

 

 自分は今ここで、礎とならなくてはならないのだ。

 

「よく言ってくれた、ロドネイ。おかげで目が覚めたよ」

「提督・・・・・・・・・・・・」

「確かに、お前の言う通りだ。全ては、生き残った艦隊と今日の戦訓を持ち帰る為。それが、本国艦隊司令長官としての、最後の仕事になるだろう」

 

 立ち上がるフォーブス。

 

 彼は敗残の将には違いない。

 

 しかしそれでも、雄々しく立ち上がった姿は、一軍を率いるに相応しい堂々たる姿であった。

 

 現在、イギリス艦隊はフォースBが先行して本国への帰途へ着いており、その後方からフォースAが続行している。

 

 ただしフォースAは旗艦「ロドネイ」が雷撃によって損傷し速力が低下した為、二手に分かれている。

 

 戦艦「ウォースパイト」「マレーヤ」「レゾリューション」、重巡洋艦「デヴォンジャー」を中心とした部隊が先行し、戦艦「ロドネイ」「ラミリーズ」は駆逐艦7隻に護衛されて後方に陣取っている。

 

 これらの艦隊を、万難を排して本国へと連れ帰る。

 

 その決意を、フォーブスは改めて胸に刻むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全てが無駄になるとは、思いもよらぬまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本艦寄りの方位280度より接近する艦影!!」 

 

 響き渡る、見張り員の絶叫。

 

「ドイツ艦隊です!!」

 

 その報告に、

 

 フォーブス以下、全員が愕然とする。

 

 まさか?

 

 このタイミングで?

 

 誰もが、戦いは終わったと思っていた。

 

 自分たちの退却に合わせて、ドイツ艦隊も撤退しただろう、と。

 

 だが、

 

「馬鹿なッ!?」

 

 とっさに、双眼鏡を手に窓際へと駆け寄るフォーブス。

 

 向ける視界の先。

 

 優美な外見を持つ巡洋戦艦が2隻、こちらに砲門を向けて向かってくる姿が見えた。

 

 そのマストには、鉄十字の旗が雄々しくはためいていた。

 

「おのれ・・・・・・ナチスがァッ」

 

 双眼鏡を降ろし、憎しみの籠った目で敵艦を睨みつけるフォーブス。

 

 事ここに至り、彼は理解せざるを得なかった。

 

 自分たちが格下だと思っていたドイツ海軍に、徹頭徹尾、引きずり回されていた事を。

 

 全ては、奴らの作戦の内だった事を。

 

 自分達は、ドイツ海軍が張り巡らせた罠の中に飛び込んでしまったのだ。それも、引き返せないほどに深く。

 

「敵戦艦、発砲!!」

 

 同時に、彼方で発射炎が上がるのが見えた。

 

 

 

 

 

 ドイツ海軍第1艦隊旗艦「シャルンホルスト」の艦橋で、司令官であるラインハルト・マルシャル大将は、鋭く腕を振り下ろす。

 

「全巻第1戦闘配備!! 砲雷同時戦用意!!」

「機関全速ッ 僚艦に通達、《我に続け》!!」

 

 マルシャルの指示を受け、「シャルンホルスト」を加速させるエアル。

 

 ワグナー高圧缶が唸りを上げ、基準排水量3万1000トンの巡洋戦艦がスピードを上げる。

 

 後続する「グナイゼナウ」も又、増速して旗艦に続行する。。

 

 更に彼女達だけではない。

 

 同じく第1艦隊を構成する装甲艦「ドイッチュラント」「アドミラル・シェア」もスピードを上げ始めた。

 

 装甲艦2隻はシャルンホルスト級巡洋戦艦よりも射程が短いが、既に彼我の距離は2万を切っている。充分に射程距離内だった。

 

 輸送船団の撃滅後、一旦は南に退避したドイツ艦隊だったが、偵察機からの情報によりイギリス艦隊が撤退を開始した事を知るとこれを追撃。

 

 日没前に、フォーブス率いるフォースAの本隊に追いつく事に成功したのだ。

 

「情報通りだな」

 

 双眼鏡を覗き込みながら、マルシャルが告げる。

 

「敵のネルソン級は、Uボートの雷撃で足を鈍らせている。おかげで追いつく事が出来た」

「それに、あれならまともな照準も出来ないでしょうね」

 

 マルシャルの横で同じく双眼鏡を覗き込みながら、エアルも頷きを返す。

 

 戦艦の照準と言う物は、厳正なバランスの上に成り立っている。故に、ちょっとでも感が傾斜すると、もう正確な照準は困難になるのだ。

 

 現在、「ロドネイ」は浸水によって艦が右舷側に傾斜した状態にある。その為、その自慢の主砲は威力を発揮できない状態にあった。

 

「畳みかけるぞ、艦長」

「ええ。この機会を逃す手はないです」

 

 頷きあう、エアルとマルシャル。

 

 次いで、エアルはシャルンホルストに目を向ける。

 

「シャル、お願い」

「うん、分かった。任せて」

 

 エアルの言葉を受け、席に座ったままスッと目を閉じるシャルンホルスト。

 

 同時に、見張り員から報告が入る。

 

「敵戦艦、R級1隻、接近してきます!!」

 

 どうやら、こちらを阻止する構えのようだ。

 

 イギリス艦隊は機動力が低下した「ロドネイ」が後方で射撃しつつ、「ラミリーズ」、そして駆逐艦7隻でドイツ艦隊の接近を拒むつもりなのだ。

 

「まずは、目先の脅威を排除すべきだな」

「同感です」

 

 イギリス艦隊の中で最も火力が高いのは「ロドネイ」だが、「ロドネイ」は傾斜によって正確な照準が出来なくなっている。

 

 ならば火力では劣っていても状態は万全な「ラミリーズ」の方が脅威と見るべきだった。

 

「取り舵一杯ッ 右砲戦用意!! アントン、ブルーノ、ツェーザル、1番から3番、全門徹甲弾装填!!」

 

 命令を下すエアル。

 

 同時に「シャルンホルスト」が装備する、3連装3基の54.5口径28.3センチ砲が旋回し、接近してくる「ラミリーズ」を睨む。

 

 各砲に装填されているのは、対艦用の徹甲弾である。

 

「目標、敵R級戦艦!!」

 

 シャルンホルストはじっと目を閉じ、艦の制御に集中する。

 

 次の瞬間、

 

「撃ち方始めッ!!」

 

 エアルの命令に従い、「シャルンホルスト」の主砲は、一斉に砲撃を仕掛けた。

 

 

 

 

 

 旗艦発砲と同時に、後続する「グナイゼナウ」にも動きが生じる。

 

 艦橋に立つ、艦長のオスカーが、鋭い視線を「ラミリーズ」へと向け、命令を発した。

 

「砲撃開始ッ!!」

 

 オスカーの命令に従い、一斉に主砲を撃ち放つ「グナイゼナウ」。

 

 放たれた砲弾は各砲塔1発ずつの、計3発。

 

 まずは交互射撃で弾着観測。次いで本射に入る、手堅い方針だ。

 

 ややあって、向かってくる「ラミリーズ」の手前に、3本の水中が立ち上がる。

 

 全弾近弾。

 

 照準はまだ、正確とは言い難い。

 

「次発装填、急げ!!」

 

 命令を発しながら、オスカーは傍らの艦娘席へと目をやる。

 

 目を閉じて、艦の制御に集中しているグナイゼナウ。

 

 その様子を確認しながら、オスカーは更なる攻撃続行を命じるのだった。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 「ラミリーズ」の艦橋では、ディランが向かってくるドイツ艦隊。

 

 とりわけ、先頭を進んでくる2隻のシャルンホルスト級巡洋戦艦を、苦々しい双眸で睨みつけていた。

 

「クソがッ どこまでも卑怯なナチス共めッ 撤退中の艦隊を狙うなどとッ!!」

 

 苛立ちを隠そうともせずに言い放つディラン。

 

 昼間は全く姿を現さず、撤退中の自分達を狙って現れたドイツ艦隊に、怨嗟の叫びをぶつける。

 

 視界の先では、恨み連なるドイツ巡洋戦艦2隻が接近しながら主砲を放つ様子が見える。

 

 その様を、恨みのこもった視線で睨むディラン。

 

「ラプラタ沖の屈辱、今ここで返してやる!!」

 

 ディランは忘れない。

 

 あの、自分を無視して、悠然と去って行った、ドイツ巡洋戦艦の後姿を。

 

 一発の砲弾すら撃てずに負けた屈辱を。

 

「敵艦、主砲の射程に入りました!!」

 

 ラミリーズの歓喜に満ちた声。

 

 ディランも、口元に笑みを浮かべる。

 

「さあ、ショーの始まりだ!! 恐怖に震えろ、薄汚いナチス共!!」

 

 言い放つと同時に、

 

「ラミリーズ」の前部に備え付けられた、連装2基4門の38・1センチ砲が火を噴いた。

 

 放たれる砲弾。

 

 一撃の威力は、シャルンホルスト級巡戦が持つ28センチ砲の比ではない。砲弾重量だけでも3倍近い差がある。

 

 軍艦の砲弾は、砲の口径に比例する。

 

 「ラミリーズ」の主砲ならば、シャルンホルスト級に対し圧倒的に優位に立てるはずだった。

 

 彼方に上がる水柱。

 

 「シャルンホルスト」を狙って放たれた「ラミリーズ」の第1斉射は、目標を捉える事無く海面を叩いただけに終わった。

 

「チッ 照準修正急げ!! さっさとしろ、愚図共!!」」

 

 舌打ち交じりに怒鳴り散らすディラン。

 

 その間にも、2隻のドイツ巡洋戦艦は砲撃を続行する。

 

 イギリス戦艦の周囲に立ち上る水柱。

 

 ドイツ側もまだ命中弾は無い。

 

「ハッ 間抜けがッ どれだけ撃とうが、貴様らの腑抜けた弾などが当たる物かよ!!」

 

 嘲笑するディラン。

 

 だが次の瞬間、

 

 「グナイゼナウ」の放った28.3センチ砲弾が、「ラミリーズ」の艦首甲板に命中し、衝撃が突き抜けた。

 

「クソッ」

 

 舌打ちするディラン。

 

 自信満々に言った矢先に、先生の直撃弾を受ける羽目になった。

 

 勿論28センチ砲の重量は315キロ。その程度なら、1発喰らったくらいでどうこうなる物ではない。

 

 しかし、自分達が先に命中弾を喰らった事には変わりなかった。

 

 さらに艦首部分には装甲が張られていないため、小口径砲弾でも容易に貫通する。

 

 「グナイゼナウ」の砲弾は「ラミリーズ」の艦首甲板を貫通。兵員居住区で炸裂し、乗組員たちの私物や寝床を盛大に吹き飛ばす。

 

 さらに今度は「シャルンホルスト」の砲弾が命中。

 

 こちらは10.2センチ連装高角砲に命中し、これを叩き潰す。

 

 否が応にもいら立ちを募らせるのは、「ラミリーズ」艦橋のディランである。

 

 いまだに命中弾も得ていないのに、自分の艦が傷付けられたのだ。

 

 そもそも「堪える」と言う事を知らない王子様の沸点は、瞬く間に限界を迎える。

 

「こっちもさっさと照準を修正しろッ グズグズするな!!」

 

 当たり散らすように叫ぶディランに応えるべく、更に主砲を発射する「ラミリーズ」。

 

 しかし、強力な38.1センチ砲は山なりの弾道を描き、やはり虚しく海面を叩くのみだった。

 

 

 

 

 

 「グナイゼナウ」に続き旗艦「シャルンホルスト」も命中弾を得た事で、ドイツ艦隊は本格的な射撃を開始している。

 

 18秒に1斉射するシャルンホルスト級巡戦2隻。

 

 彼方を航行する「ラミリーズ」周囲には、無数の水柱が取り囲む。

 

 時折、R級戦艦の艦上に爆炎が上がるのが見える。

 

 重量315キロの砲弾では、戦艦相手には大したダメージにはならない。

 

 事実、複数の命中弾を与えているにも関わらず、「ラミリーズ」の砲撃は衰えた様子がない。

 

 しかしそれでも、高い速射能力の主砲弾を一方的に浴びせる事は、「ラミリーズ」側にとっては、相当な圧力になる。

 

 一斉射当たり、2発~3発の命中弾がある。

 

 如何に攻撃力が低いとはいえ、「ラミリーズ」からすれば堪った物ではない。

 

 それに、全くのノーダメージと言う訳でもない。

 

 1発でも当たれば、艦上にある比較的脆い構造物。対空砲やアンテナ、煙突と言った部分の破壊は十分に可能だ。

 

 複数の煙が上がり、火災が起きている事も確認できている。

 

 このまま追い込む事は、充分に可能だった。

 

 更に1発、

 

 否、

 

 2発、

 

 「シャルンホルスト」が放った砲弾が、「ラミリーズ」の後部甲板に命中し炎を上げる。

 

 続けて「グナイゼナウ」の放った砲弾も命中。「ラミリーズ」の艦上で、何かが吹き飛ばされるのが見えた。

 

 全体として、与えた損害は軽微。「ラミリーズ」は戦闘力を保持している。

 

 だが、ドイツ側の攻撃は、着実にイギリス艦隊を追い詰めていた。

 

 更に、

 

「間もなくだな」

「はい」

 

 時間を確認するエアルとマルシャル。

 

 決着の時は近かった。

 

 

 

 

 

「クソッ なぜだッ なぜ、当たらないッ!?」

 

 もはや苛立ちを隠そうともせず、ディランは「シャルンホルスト」を睨み据える。

 

 先程から彼の「ラミリーズ」は、ドイツ巡戦に一方的に撃たれるままになっている。

 

 1発当たる度に、艦上で何かが破壊される。

 

 爆炎が甲板に吹き上がり、炎が立ち上る。

 

 このままでは遠からず「ラミリーズ」の戦闘力は低下する事になりかねない。

 

「何をしているんだ何をッ!! この腰抜け共がッ!! もっとしっかり狙えよな!!」

 

 所かまわず、周囲に当たり散らすディラン。

 

 こんなはずではなかった。

 

 こんなはずではなかった。

 

 派手さだけはある彼方の水柱と、そこから悠然と姿を現す「シャルンホルスト」を眺めながら、ディラン歯ぎしりをする。

 

 自分達が本気になれば、ドイツ艦隊如き、積み木のように崩れて当たり前。

 

 確かにラプラタ沖では不覚を取ったが、あれは所詮、相手が卑怯な手を使って来たから足元を掬われただけの話。いわば、蚊に刺されたような物。

 

 堂々たる砲撃戦では必ず自分達が勝つ。

 

 自分達は大勝利を収め、英雄として凱旋する。

 

 そして自分は次期国王の座を不動の物とする。

 

 そう信じて疑っていなかった。

 

 だが現実はこの有様。

 

 真っ向からの砲撃戦でありながら、「ラミリーズ」は一方的に押し込まれている。

 

 現実を認められないディランの癇癪は、艦娘にまで及ぶ。

 

「お前もお前だッ 何を暢気にやってんだよッ!!」

「も、申し訳ありませんッ」

「全く使えない奴だなッ お前みたいな奴がいるから、ドイツの田舎者どもに舐められることになるんだよッ!!」

 

 すくみ上り、平身低頭するラミリーズ。

 

 誰もがディランの癇癪に逆らう事が出来ずにいた。

 

 とは言え、ここで彼女の責任を問うのは筋違いも甚だしい。

 

 艦体と艦娘は確かにワンセットで考えられるべき存在であり、互いのコンディションが相手に対して影響を及ぼす事も研究で判っている。

 

 しかし、艦娘1人で艦体を動かす事などできない。艦娘にできる事はせいぜい、乗組員たちが十全に能力を発揮できるよう、艦のコンディションを保ってサポートするくらいだ。

 

 つまり、ここまで一方的に「ラミリーズ」が追い込まれているのは彼女本人の責任ではなく、あくまでディラン以下、乗組員たちの責任だった。

 

 しかしディランには、そんな理屈は通じない。

 

 彼が求めているものはただただ、味方には「YES」を、敵には「敗北」を、そして自分には「栄光と勝利」だった。

 

 主砲を放つ「ラミリーズ」。

 

 しかし結果は同じ。

 

 目標となった「シャルンホルスト」を捉えられず、水柱のみが高々と突き上げられる。

 

「どうなっているんだ、アルヴァン!?」

「間もなくです。殿下」

 

 怒鳴る主に対し、アルヴァンは恭しく答える。

 

「先程の砲撃、弾着は敵艦に対し、かなり近こうございました。となれば、次には夾叉、あるいは直撃が出せる物と思われます」

「そ、そうかッ?」

 

 調子のいい事を聞くと、たちまち機嫌がよくなるディラン。

 

 アルヴァンの言葉通り、「ラミリーズ」が放った砲弾は「シャルンホルスト」を夾叉

 

「ようしっ よしよしよしッ ようしッ 良いぞォ!! ナチの豚どもが、もうお前らの好きにはさせんぞ!!」

 

 喝采を上げるディラン。

 

「良い気になるのもここまでだッ 今こそ正義の鉄槌を喰らうが良い!! 貴様らにできる事は豚の如く家畜小屋の隅で震えている事だけだと知れェ!!」

 

 有頂天になるディラン。

 

 そのまま射撃命令を下そうとした。

 

 その時、

 

「殿下ッ!!」

 

 見張り員の絶叫が水を差す。

 

「『ロドネイ』がッ!!」

 

 

 

 

 

 この時、イギリス本国艦隊旗艦「ロドネイ」は、複数の駆逐艦に囲まれて、今まさに絶体絶命の時を迎えていた。

 

 ドイツ艦隊司令官マルシャルの戦術は巧みだった。

 

 マルシャルは2隻の巡洋戦艦を使って、イギリス艦隊の中で最も脅威となる「ラミリーズ」を引き付ける一方、残る全戦力で駆逐艦の排除を命じたのだ。

 

 その為、5隻いた護衛の駆逐艦は散々に追い散らされ、3隻が撃沈、残り4隻も散り散りに避退するしかなかった。

 

 こうして、完全に無防備になった「ロドネイ」に対し、駆逐艦たちは飢えた狼の如く、一斉に襲い掛かったのだ。

 

「副砲射撃開始ッ 奴らを近付けるな!!」

 

 艦長の命令と共に、「ロドネイ」は連装6基12門ある、50口径15・2センチ砲の内、片舷に思考できる3基6門を旋回、射撃を開始する。

 

 中・小型艦艇に接近を許した場合、戦艦は主砲の旋回が間に合わない為、副砲を使って応戦するのだ。

 

 放たれる砲弾が、ドイツ駆逐隊の周囲に水柱を上げた。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 ドイツ海軍の主力駆逐艦はZ級と呼ばれている。

 

 12・7センチ単装砲5基と、53・3センチ魚雷を備えた強力な駆逐艦である。

 

 その先頭を走る駆逐隊旗艦「ZI:レーベレヒト・マース」では、艦娘の少女が水柱から吹き付ける瀑布を物ともせず、獲物たる第戦艦を見据えていた。

 

 短く切りその得た髪にベレー帽を乗せた、どこか少年めいた印象のある少女である。

 

「無駄だよ」

 

 最後の抵抗とばかりに砲火を閃かせる「ロドネイ」。

 

 しかし、機動力が低下し、傾斜によって正確な照準を妨げられている今の「ロドネイ」には、副砲の射撃すら、満足に目標を捕捉する力は残されていなかった。

 

「やるぞ、レーベ」

「うん」

 

 声をかけて来た司令官に、少女は頷きを返す。

 

 静かな瞳で「ロドネイ」を見据えるレーベと司令官。

 

 その司令官の腕が、高々と掲げられた。

 

 既に後続する駆逐艦も含めて、魚雷発射管の旋回を終えている。

 

 これで詰み(チェックメイト)だ。

 

「発射始めッ!!」

 

 

 

 

 

 海中を槍衾となって突進してくる魚雷群。

 

 その航跡は、「ロドネイ」艦橋からも見る事が出来た。

 

「雷跡接近ッ 近い!!」

 

 見張り員の悲鳴が木霊する。

 

 艦長が面舵一杯を命じ回避を試みるが、既に間に合う距離ではない。

 

「おのれ・・・・・・・・・・・・」

 

 艦橋の窓枠をきつく握りしめながら、フォーブスは悔しさに唇を噛み締めて呟いた。

 

 なぜ、こうなったのか?

 

 どこで間違ったのか?

 

 いったい、何が悪かったのか?

 

 疑問ばかりが、頭の中でグルグルと、無能な犬のように駆けまわる。

 

 だが、その疑問について答えを探る機会は、遂に来なかった。

 

 肩を落とすフォーブス。

 

 ロドネイは天を仰ぐ。

 

 次の瞬間、

 

 足元から轟く衝撃。

 

 「ロドネイ」舷側から、巨大な水柱が立ち上る。

 

 命中魚雷は6本だった。

 

 

 

 

 

 「ロドネイ」轟沈。

 

 その様子は、「ラミリーズ」からも確認できていた。

 

 大英帝国海軍が世界に誇るビッグ7の1隻が、炎と煙に包まれて沈んでいく。

 

 その様子は「ラミリーズ」からも確認できていた。

 

「クソがッ」

 

 誰もが茫然とする中、ディランは口汚く声を上げる。

 

 その苛立ちは、自分に屈辱を与えた敵に、そして「勝手に沈んだ無能な味方」に対して向けられている。

 

 あいつらが悪い。

 

 あいつらが悪い。

 

 勝手に死にやがって。

 

 勝手に沈みやがって。

 

 こうなったのも、全部あいつらのせいだッ

 

 だが、

 

 頭の中で、フォーブス以下、「ロドネイ」と共に沈んでいった本国艦隊司令部に罵りを上げる。

 

 無論、

 

 その思考の中で、彼等を守り切れなかった自分への反省は、一切存在しなかった。

 

 彼の中ではいつだって、負けた時に悪いのは自分以外の誰かに決まっているのだった。

 

「あの、殿下・・・・・・・・・・・・」

 

 恐る恐る声を掛けたのはラミリーズだった。

 

 今、こうしている間にも、「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」から砲撃が続いている。

 

 呆けている暇などありはしないのだ。

 

「これから、どうなさるおつもりです?」

 

 彼女としては、ごく当たり前の質問。

 

 だが、

 

「は?」

 

 その質問に、ディランの目には怒気が奔った。

 

 次の瞬間、握りしめたディランの拳が、容赦なくラミリーズの頬を打ち据えた。

 

「ああッ!?」

 

 哀れな艦娘は、衝撃で床に倒れる。

 

 頬を抑えて艦橋の床に蹲るラミリーズ。

 

 だが、誰もそれを助けようとはしない。

 

 誰もが、ディランの癇癪が自分に向く事を恐れているのだ。

 

 それをいいことに、ディランは己の苛立ちを床に座り込んだラミリーズに叩きつける。

 

「どうすれば良いか、だァッ!? このクズがッ そんな事も分からないのかッ お前みたいなクソ艦娘がいるから負けるんだよ!! それぐらいわかれよなクズが!!」

 

 蹴りを入れながら怒鳴りつけるディランに、ラミリーズはただ俯いて耐えている。

 

 その間にも続く砲撃。

 

 ディランは舌打ちすると、アルヴァンに向き直る。

 

「撤退だッ さっさとしろッ 奴らが距離を詰めてくる前に逃げるんだよッ グズグズするな!!」

 

 喚き散らすディランに、乗組員たちは弾かれたように動き出す。

 

 そんな中、

 

 アルヴァンだけは、嗚咽を漏らすラミリーズに目を向け、嘆息するのだった。

 

 

 

 

 

 背を向けて逃走開始しようとする「ラミリーズ」。

 

 だが、

 

 それを許すほど、ドイツ艦隊の将兵、艦娘は甘くはなかった。

 

「敵戦艦との距離を詰めるッ 近距離戦で一気に叩きますッ!!」

 

 凛とした声で命じるエアル。

 

 振り返れば、マルシャルも大きくうなずいている。

 

 ここで奴を逃がす事はできない。

 

 旧式とは言え戦艦。ここで逃がせば、いずれ災禍は自分たちに襲い掛かってくる事になる。

 

 叩ける時に徹底的に叩かなくてはならない。

 

「取り舵一杯ッ 機関全速!! 主砲、アントン、ブルーノ、射撃続行!!」

 

 前部甲板に備えられたA、B砲塔が撃ち放たれる。

 

 後続する「グナイゼナウ」も射撃を続行。

 

 2隻の巡洋戦艦は、逃走に転じる「ラミリーズ」を追い詰める。

 

 逃げるR級戦艦の甲板には、主砲炸裂の爆炎が、幾重にも折り重なって弾けるのが見えた。

 

 

 

 

 

「左舷後部、機銃座全滅!!」

「後部艦橋、通信途絶!!」

「右舷中央に命中弾ありッ 火災発生!!」

 

 ディランの下に、次々と悲痛な報告がもたらされる。

 

 「ラミリーズ」は今や、2隻のドイツ巡戦になぶられ、まるで一寸刻みにされているかのような状況に陥っていた。

 

 シャルンホルスト級巡洋戦艦の主砲では、「ラミリーズ」の主要装甲を撃ち抜くことはできないが、しかしその分、速射性の高い主砲により、艦上構造物が容赦なく破壊されていく。

 

「何をしているッ さっさと後部砲塔で応戦しろ応戦!!」

「やっていますッ しかしッ」

「口答えしてんじゃねえよッ ああッ!!」

 

 ディランがいら立ちをまき散らしている間にも、後部のX、Y砲塔の4門が「シャルンホルスト」めがけて応戦する。

 

 しかし、次々と飛来する敵の砲弾に視界を塞がれ、なかなか正確な照準が付けられないありさまだった。

 

「気合い入れろっつってんだよッ!!」

 

 報告した兵士を、足蹴にして蹴り飛ばすディラン。

 

「それを何とかするのがお前の仕事だろうがッ このごく潰しがァ!!」

 

 喚きながら、何度も自身の幕僚を足蹴にするディラン。

 

 その間にも「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」の砲撃は、「ラミリーズ」を撃ち続ける。

 

「応戦しろ応戦!! グズグズするな!!」

 

 最早、指示と言うより苛立ちをぶつけているに過ぎないディランの命令。

 

 それでも「ラミリーズ」乗組員たちは反撃のため、主砲に砲弾を装填し、照準を修正、敵艦に砲を向ける。

 

 ラミリーズ自身も、必死になって艦の制御に集中する。

 

 だが次の瞬間、

 

 その全てが、徒労となった。

 

 突如、

 

 「ラミリーズ」全体を襲う強烈な衝撃。

 

「ギャァァァァァァァァァァァァッ!?」

 

 ディランは思わず、艦橋の床に顔面を打ち付けるようにして投げ出される。

 

 否、

 

 ディランだけではない。

 

 彼の幕僚も、そして艦の制御に集中していたラミリーズも、

 

 艦橋だけではない。

 

 「ラミリーズ」の艦内にいた、殆ど全ての人間が、衝撃でその場に投げ出されていた。

 

 艦橋の中でかろうじて立っていられたのはアルヴァンだけだった。

 

 初老の副長は、どうにか平衡感覚を保ちながら、傍らで無様に顔面を床にこすりつけているディランを助け起こす。

 

「殿下、お気を確かに」

「あ? あ? あ?」

 

 助け起こされても呆然として、意味のない言葉を繰り返すディラン。

 

 完全に放心状態になっている。

 

 なぎ倒されている、周りの様子も目に入っていないようだ。

 

「損害報告ッ!?」

 

 代わって声を上げたのはアルヴァンだった。

 

 程なく、報告が上がってくる。

 

「Y砲塔被弾ッ 砲塔全損ッ!!」

「X砲塔旋回不能!!」

「缶室1基、損傷!!」

 

 その報告に、アルヴァンは愕然とする。

 

 缶室とはボイラーの事で、艦を動かすのに必要な出力を上げる役割を持つ。

 

 これでは「ラミリーズ」は後部の砲塔を全て失った上に、速力の低下も免れない事になる。

 

 ボイラーは1基ではないので即座に艦が停止する事はないが、速力の低下は如何ともしがたかった。

 

 いったい何が起きたのか?

 

 実はこの時、「グナイゼナウ」の放った28.3センチ砲弾が、ほぼ正面から「ラミリーズ」のY砲塔を直撃した。

 

 本来なら315キロ程度の砲弾など弾き返せるところだが、距離が詰まったことで砲弾の初速が上がり、装甲を貫通するのに必要十分なエネルギーを得た砲弾が、Y砲塔を破壊したのだ。

 

 その際の衝撃で、砲塔で装填され、発射の時を待っていた2発の38.1センチ砲弾が誘爆。エネルギーを砲塔内部で炸裂させた。

 

 その際の爆圧エネルギーにより、X砲塔のターレットリングが損傷し旋回不能になったほか、エネルギーは艦内に伝播し、缶室を一つ機能不全にしてしまったのだ。

 

 後方への反撃手段に加え、速力の低下も免れない「ラミリーズ」は最早、逃げる事も戦う事も出来ないありさまだった。

 

「た、たた、退艦だァッ」

 

 情けない声が上がる。

 

 誰もが視線を向ける中、

 

 声を上げたのはディランだった。

 

「退艦だ退艦ッ!! こ、こんなところで、この私が死んでいいはずがないッ!!」

 

 震える声でまくしたてるディラン。

 

 その姿には、颯爽たる海軍士官の姿も、王族として堂々たる姿も見いだせない。

 

 腰を抜かした情けない姿があるのみだった。

 

 取り巻きの幕僚が脇から支える中、アルヴァンが声を掛ける。

 

「退艦とは殿下、聊か早すぎるのでは?」

 

 損傷を負ったとは言え、「ラミリーズ」はまだ戦う事が出来る。機関は生きているし、主砲も前部2基が健在だ。

 

 残存戦力と合わせれば、充分に戦えるはず。

 

 だが

 

「う、うるさいッ!!」

 

 忠実な副官の言葉を、ディランは震える声で撥ねつける。

 

「俺は王族なんだよッ 第2王子なんだよッ 次期国王なんだよッ こんなつまらない戦いで死んで良い人間じゃないんだよ!!」

 

 要するに、艦が完全に戦闘力を失ってからでは遅い。逃げれるうちに、自分達だけ逃げてしまおうと言う事らしい。

 

「良いかッ 我々が艦橋を出て、10分後に総員退艦を命じろッ 我々が逃げる時間を稼がせるんだッ いくら乗組員がクズの役立たずでも、それくらいできるだろう!!」

 

 あくまで逃げるのは自分が優先。

 

 乗組員たちには戦闘を続けさせ「艦は健在」である事をドイツ艦隊に印象付けさせるのだ。

 

 その間に自分達は退艦してしまおうという算段である。

 

 幕僚に引きずられるようにして艦橋から去っていくディラン。

 

 と、

 

 そこでふと、幕僚の1人が、艦橋の床にうずくまる女性に気付いて尋ねた。

 

「あの、殿下、ラミリーズは如何しますか?」

「放っておけッ!!」

 

 怒鳴り散らすディラン。

 

「全部そいつのせいだッ!! 全部そいつが悪い!! ド三流のドイツ海軍に負けたのもッ、俺がこんな惨めな事になったのもッ 全部そいつのせいだッ どうせ艦娘なんぞ、船が沈めば助からんッ せいぜい阿呆みたいに、泣きわめきながら海底に沈めば良い!!」

 

 最後に唾を吐き捨てて、幕僚に支えながら出て行くディラン。

 

 1人、

 

 アルヴァンだけは、倒れたラミリーズの傍らに膝を突くと抱き起し、近くにあった羅針盤に寄り掛からせてやる。

 

「すまんな、このような事になってしまって」

「良いんです。私は艦娘ですから。祖国の為に戦えたなら、それで幸せです」

 

 そう言って力なく微笑むラミリーズ。

 

 右手を上げて敬礼す。

 

「どうか御武運を。そしていつの日か侵略者を打ち破り、我がイギリスに偉大なる勝利を」

「約束する」

 

 敬礼を返したアルヴァンは、踵を返してディランの後を追う。

 

 その背中を見送りながら、

 

 ラミリーズはゆっくりと、瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 イギリス艦隊の様子は、「シャルンホルスト」からも伺う事が出来た。

 

 生き残っていた駆逐艦が、海上に停止した「ラミリーズ」の周囲に煙幕を張り、その他の駆逐艦が「ラミリーズ」に近づいていく様子が見える。。

 

 恐らく、艦を放棄し、乗組員を救助するつもりなのだ。

 

 その様子を確認して、エアルは命じた。

 

「砲撃やめッ」

 

 既に勝敗は決した。

 

 沈没する敵艦を砲撃するのは砲弾の無駄だし、何より敵艦とは言え、救助作業中の艦を攻撃するのは船乗りとしてのルールに反する。

 

 戦争とは言えルールはある。それを破る者に、海の神は決して微笑まない。

 

 見ればマルシャルも、エアルに向かって頷きを返しているのが見えた。

 

 程なく主砲の発射が停止する「シャルンホルスト」。それに合わせるように、後続する「グナイゼナウ」も、主砲発射を停止する様子が見えた。

 

 静寂が訪れる、ノルウェー沖。

 

 敗残たるイギリス海軍は去り、勝利したドイツ海軍のみが残される。

 

 そう、

 

 自分達は勝ったのだ。

 

 第1次世界大戦以来、

 

 怨み連なるイギリス艦隊に勝負を挑み、自分達は見事に打ち勝ったのだ。

 

 歓声が、海の上に木霊する。

 

 兵士が叫び、士官が歓喜し、艦娘が落涙する。

 

 誰もが、この時を待ち望んだのだ。

 

 惨めに敗れ去ったあの日から。

 

 勇敢に戦い、そして散って行った多くの将兵、艦娘に、最高の手向けとなった事だろう。

 

 喧騒は、「シャルンホルスト」の艦橋にも伝播する。

 

 そんな中、

 

 戦闘に集中すべく、ジッと目を閉じていたシャルンホルストが目を開いた。

 

 視界の中で、

 

 自分の艦長と、目が合う。

 

 どちらからともなく、笑い合うエアルとシャルンホルスト。

 

「勝ったよ、シャル」

「うん。やったね。お兄さん」

 

 笑い合い、頷きを交わす青年艦長と巡戦少女。

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女はゆっくりと目を閉じ、艦橋の床に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シャルッ!!」

 

 とっさに腕を伸ばすエアル。

 

 巡戦少女の華奢な体は、青年提督の腕の中へすっぽりと納まる。

 

 途端に感じる、軽い感触。

 

 この少女は、こんなにも軽かったのか。

 

 驚くエアル。

 

 まるで雪のような軽さだ。

 

「シャルッ シャル、しっかり!!」

 

 呼びかけるエアル。

 

「おにー・・・・・・さん」

 

 シャルンホルストは小さな声で呟くと、

 

 ゆっくりと、目を閉じた。

 

 

 

 

 

第11話「凱歌は黄昏に上がる」      終わり

 




何気に、原作キャラ(レーベ)初登場だと気づく(苦笑


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第12話「ニュープレイヤー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゆらゆらと、

 

 ゆらゆらと、

 

 心地よい揺れが、体を包み込む。

 

 まるで、揺り籠に揺られているような感覚。

 

 ああ、

 

 何だかずっと、こうしていたい気がする。

 

 文字通りの夢見心地。

 

 ああ、

 

 だが残念。

 

 意識が浮上する。

 

 目が覚めるのが判る。

 

 そして、

 

 視界が開けた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 目を開いたシャルンホルスト。

 

 鉄製の天井と、備え付けられたライトが見える。

 

 目を回せば、自分がいつも使っている小物。傍らには、お気に入りの猫のぬいぐるみも置いてあった。

 

「・・・・・・・・・・・・ボクの、部屋?」

 

 どうやら、自分がベッドに横になっている事は判った。

 

 背中に感じる揺れは、波による物だろう。

 

 微かに、艦が動いているのを感じる。

 

 スピードは、それ程速くない。

 

 それに、スクリューが回っているようにも感じない。

 

 それでいて、漂流しているような不安定さも感じなかった。

 

 ドアの方からノックの音が聞こえたのはその時だった。

 

「はい、どうぞー」

 

 声を掛けると、入って来たのは彼女の艦長だった。

 

「ごめん、起こしちゃった?」

 

 入ってきたエアルは、少し申し訳なさそうに苦笑する。

 

 どうやら、シャルンホルストがまだ寝ていると思っていたようだ。ノックしたのは一応の礼儀ゆえだろう。

 

 対して、シャルンホルストは首を横に振る。

 

「ううん。少し前に起きてた」

 

 微笑むシャルンホルスト。

 

 そんな少女の傍らに立ち、エアルは目を伏せる。

 

「ごめん、シャル」

「え、な、何が?」

 

 突然の謝罪に、戸惑うシャルンホルスト。

 

 一体、エアルは何を言いたいのか。

 

「ゼナから聞いていたんだ。シャルの体の事」

「ああ、そっか・・・・・・ゼナ、言っちゃってたんだ、おにーさんに」

 

 苦笑するシャルンホルスト。

 

 何となく、秘密がバレたみたいで、少女としても極まりが悪い。

 

「別に気にしないで」

「シャル・・・・・・」

「ボクも、おにーさんに話して無かった事だし、お相子だよ」

 

 自分の体の事は、自分が一番よくわかっている。

 

 それをエアルに謝ってもらうのは、シャルンホルストからすれば筋違いも甚だしかった。

 

 答えてから、シャルンホルストは気になっている事を尋ねる。

 

「あのさ、おにーさん。ボク、どうなってるの? 戦いは? 勝ったの? 負けたの?」

「落ち着いて。全部説明するから」

 

 苦笑しながらエアルは手近にあった椅子を引き寄せると、そこへ腰かける。

 

「まず戦いだけど。勿論、勝ったよ。あの後、イギリス艦隊は完全に撤退した。途中まで味方のUボートが追跡して確認したから間違いないよ」

「・・・・・・・・・・・・そっか」

 

 エアルの言葉を聞いて、シャルンホルストはホッとする。

 

 もし、万が一、敵が引き返して来たりしたら、ドイツ海軍は今度こそ敗れていたかもしれない。

 

 それ程までに、際どい勝利だったのだ。

 

「それで今の状況だけど、戦いが終わった直後、シャルが倒れちゃったんだ」

「うん、まあ、それはわかる」

 

 辛うじてだが、そこら辺の事はシャルンホルストも覚えている。

 

 そもそも、こうしてベッドに寝かされている時点で一目瞭然だった。

 

 最後に残った敵の戦艦「ラミリーズ」を撃沈し、戦いが勝利に終わった事で気が緩んだのだろう。

 

 強烈な眩暈と共に、艦橋の床に倒れ込んだところまでは覚えていた。

 

 だが覚えているのもそこまでだ。その後どうなったのだろう?

 

「シャルが倒れるのと前後して機関も止まっちゃってね。艦体の方は、殆ど動けなくなっちゃったの。それで、今は『グナイゼナウ』に曳航してもらって本国に戻る途中だよ」

 

 成程、スピードが出ていないのはその為だったか。

 

 艦娘が艦が受けたダメージをフィードバックするように、艦体の方も艦娘のコンディションに影響を受ける。

 

 今回、シャルンホルストが気を失った事で、艦体の方の「シャルンホルスト」も機関が停止し、最低限の火器使用しかできなくなってしまったのだ。

 

 そのまま放っておいたら、今度はこっちがイギリス海軍の潜水艦に狙われる可能性もある。

 

 早々に戦場を離脱する必要があったドイツ海軍は、航行不能になった「シャルンホルスト」を「グナイゼナウ」に曳かせ、その他の艦が2隻を取り囲む形で航行していた。

 

 納得したように、シャルンホルストは頷く。

 

 いくら同型艦で機関出力に余裕がある「グナイゼナウ」でも、自分とほぼ同じ質量の船を引っ張るのは容易な話ではない。

 

 現在、速力は7ノット。微速で航行している。

 

 念の為、司令官であるマルシャルには旗艦を変更してもらっており、第1艦隊の将旗は装甲艦「アドミラル・シェア」に掲げられていた。

 

 機関出力の落ちた「シャルンホルスト」や、曳航作業中の「グナイゼナウ」では、指揮に専念できないと判断した結果だった。

 

「ごめんね、お兄さん。迷惑かけちゃって」

 

 落ち込むシャルンホルスト。

 

 自分が万全だったら、こんな事にはならなかったのに。

 

 そう言いたがな少女に対し、エアルは苦笑して手を伸ばす。

 

 青年の手が、そっとシャルンホルストの頭を撫でる。

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

「そんな事気にしなくて良いから。今はゆっくり休んで。もう戦いは終わったんだから」

 

 そう言うと、エアルは少女に優しく笑いかけるのだった。

 

 

 

 

 

 潮風が、少女の髪とスカートを揺らす。

 

 憂いを帯びた眼差しは、真っすぐに「自分」の後方を眺めていた。

 

 C砲塔の脇に立ち、グナイゼナウは後方の「シャルンホルスト」を見やる。

 

 現在、「グナイゼナウ」の艦尾と、「シャルンホルスト」の艦首は導索によって連結している。

 

 機関が停止し、動けなくなった「シャルンホルスト」を、「グナイゼナウ」が引っ張っている形だった。

 

「・・・・・・・・・・・・だから、あれほど言ったのに」

 

 出撃前の事を思い出し、嘆息する。

 

 と、

 

 背後から聞こえて来た足音に振り返る。

 

「順調なようだな」

「艦長?」

 

 グナイゼナウの傍らに立ち、共に「シャルンホルスト」の様子を眺めながら、オスカー・バニッシュ中佐は呟いた。

 

「この分なら、予定通りにキールへ着けるだろう」

「そう」

 

 途中で潜水艦に狙われないとも限らないが、そこは祈るしかないだろう。

 

 ふと、オスカーは気になっている事を尋ねてみた。

 

「何かあるのか、彼女は?」

「え?」

「シャルンホルストだ。急に倒れたと聞いたぞ。いくら何でも普通じゃないだろ」

 

 艦娘も人間と同じである。怪我もすれば病気にもなる。

 

 だが、殆ど艦体に損傷らしい損傷も無かったのに、戦闘後いきなり倒れたとなれば穏やかではなかった。

 

 少し躊躇った後、グナイゼナウは口を開いた。

 

「私達が建造された経緯、知っているわよね?」

「ああ」

 

 頷くオスカー。

 

 シャルンホルスト級巡洋戦艦は、当初から今のような形で完成を予定されていたわけではない。

 

 当初は、ドイッチュラント級を強化した装甲艦として完成するはずだった。

 

 しかし途中でフランス海軍が建造したダンケルク級戦艦の存在が知れ渡り急遽、設計を大幅に変更して巡洋戦艦として完成させた、と言う経緯がある。

 

「急にそんな事になったから、竣工当初、シャルはすごい不調が続いたの」

 

 実際、「シャルンホルスト」は、竣工した当初は不具合が連発した。

 

 機関は高速発揮を目指し新型の高圧ワグナー缶を搭載したのだが、これが非常にデリケートな代物で、当初はなかなか出力を安定させる事が出来なかった。調整に調整を重ね、ようやく、今のように全速で航行しても問題がないレベルに到達したのだ。

 

 更に艦首も問題があった。

 

 「シャルンホルスト」は当初、海面に対し真っすぐ垂直な艦首をしていた。これは波の荒い北海での作戦行動を考慮し、凌波性を向上する事を目的とした設計だったのだが、これが却って波の抵抗を生んでしまい、全速航行すれば、艦橋付近にまで飛沫が飛んでくるようになってしまったのだ。それどころか浸水によって艦首に近いA砲塔まで故障する始末。

 

 憂慮したドイツ海軍上層部は、建造中だった「グナイゼナウ」の設計を変更。更に「シャルンホルスト」もドッグに戻して大改装を施し、艦首は現在のように鋭角的なアトランティック・バウに変更されたのである。

 

「私は、比較的早い段階で設計変更されたから、不具合も少なくて済んだんだけど、シャルの場合、建造されてからの不具合発覚だったから、どうしようもない部分も大きくて。それで・・・・・・」

「成程な」

 

 艦体に多くの不具合を抱えて竣工(たんじょう)してしまったシャルンホルストは、その不具合がフィードバックし、艦娘である彼女自身も、ちょっとしたことで体調不良を起こしてしまうようになってしまった。と言う事らしい。

 

「最近は調子良さそうだったから安心していたんだけど、油断したわ」

 

 まさか戦闘直後に倒れるとは思ってもみなかった。

 

「あの子、放っておくとすぐ調子に乗るから。しっかり見てくれる人がいないと心配なのよ。陸の上なら、私が一緒にいられるのだけど」

 

 流石に、戦闘中、常に一緒にいられるわけではない。

 

 今回は運が良かったのだ。

 

「優しいな、お前は」

 

 驚いて振り返るグナイゼナウ。

 

 少女の瞳の中で、微笑むオスカーの姿がある。

 

「べ、別にそんなんじゃ・・・・・・ただ、あの子の事は放っておけないだけよ」

 

 どこか照れくさそうに言い放つグナイゼナウ。

 

 そんな少女の様子に肩を竦めると、オスカーは踵を返した。

 

「程々にして、艦内に戻れよ。お前まで風邪を引いたら、シャルンホルストの事は言ってられなくなるからな」

 

 そう言って立ち去っていくオスカー。

 

 その背中を、グナイゼナウは、唖然とした感じで見つめているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ノルウェー沖海戦は、ドイツ海軍の圧倒的勝利で幕を閉じた。

 

 両軍の最終的な損害は、イギリス海軍が戦艦3隻、空母1隻、駆逐艦9隻、輸送船22隻撃沈だったのに対し、ドイツ海軍は駆逐艦2隻喪失のみ。

 

 さらにイギリス海軍は、本国艦隊司令官クレイズ・フォーブス大将以下、司令部幕僚も旗艦「ロドネイ」諸共全滅すると言う惨劇に見舞われてしまった。

 

 この勝利に沸き立ったドイツ全軍は、改めてノルウェー侵攻作戦「ヴェーゼル演習」の再開を宣言。

 

 都合12万の軍勢を、ノルウェー各都市に送り込み、制圧作戦を開始した。

 

 更に海軍も、引き続き動ける艦艇を再編成して陸軍支援に回る。

 

 無人の野を行くが如く、北海を押し渡るドイツ軍。

 

 これに対し、ノルウェー沖で敗れたイギリス海軍には最早、ドイツ海軍の行動を阻止できるだけの力は残されていなかった。

 

 一方、ノルウェー軍は、当初期待していた連合軍の増援部隊が海の藻屑と消えた事で、強力なドイツ軍相手に、自国の軍勢のみで防衛戦を戦わなくてはならなかった。

 

 しかし戦力差は如何ともしがたく、オスロ、ナルヴィク、トロンハイム、ベルゲン、クリスチャンサン、エザルサンと言った主要都市は次々と陥落。

 

 残存する兵力は山岳部に立てこもり、ゲリラ戦に身を任せる以外、抵抗する手段を失っていったのだった。

 

 

 

 

 

「よくぞやった、アレイザー中将。実に見事だった」

 

 総統執務室に入ったウォルフ・アレイザーが見たのは、もろ手を広げて出迎える、アドルフ・ヒトラー総統の姿だった。

 

 ノルウェー沖海戦から数日後。

 

 戦果報告をする為、総統官邸を訪れたウォルフだったが、ヒトラーはこれまでに見た事がないほどに上機嫌だった。

 

 無理もない。

 

 当初、圧倒的不利な状況から始まった戦いが、終わってみれば味方の大勝利だったのだ。ヒトラーならずとも喜ばずにはいられないところだろう。

 

 そのノルウェー沖海戦勝利の立役者こそ、「アレイザー・プラン」を立案したウォルフに他ならない。

 

 戦争遂行に当たり、ドイツ軍にとってノルウェーの確保は不可欠である。

 

 ノルウェーは豊富な地下資源の宝庫であり、海岸線に多数存在するフィヨルドは、艦隊の泊地として最適だからだ。

 

 しかし、ドイツ軍がノルウェー侵攻を企図すれば、必ずやイギリス海軍が阻止行動に出るだろう。

 

 ノルウェーをドイツに取られれば、北海北部の制海権はドイツ側が握る事となる。イギリスからすれば死活問題だろう。故に、必ずや全力で阻止行動に出るはず。

 

 そこでドイツ海軍は、寡兵の戦力を敢えて一戦に集中させて、来襲するイギリス艦隊を迎え撃つ。

 

 勿論、たとえドイツ海軍水上部隊の全戦力を集中させても、イギリス本国艦隊にすらかなわない。

 

 そこで罠を張る。

 

 決戦海面にUボート艦隊を展開、機を見て雷撃戦を仕掛け、主力艦隊を支援する。

 

 水上艦隊とUボート艦隊の波状攻撃で、イギリス艦隊を包囲殲滅する。

 

 それが「アレイザー・プラン」の骨子だった。

 

 それが完璧なまでに順調に進み、宿敵イギリス海軍を撃退するに至った。

 

 ヒトラーが狂喜するのも無理からぬことだった。

 

「我が友、ウォルフ。本当によくやってくれた」

「ハッ 恐縮です。総統閣下」

 

 手を取るヒトラーに、恐懼するウォルフ。

 

 ノルウェー沖海戦に勝利した結果、ヴェーゼル演習作戦は当初予定していたよりもスムーズに進行している。

 

 これなら、ノルウェーが降伏する日も近いだろう。

 

 ドイツ側からすれば嬉しい誤算になっている。

 

 何しろ、本命はこれからだからだ。

 

 ヒトラーの目は、既に北から離れ、次の目標へと狙いを定めている。

 

 即ち、いよいよ主敵の一角、フランスとの直接対決に乗り出すのだ。

 

 フランス軍は強力である。間違いなく、ポーランドやノルウェーのようにはいかないだろう。

 

 既に主力軍はフランス国境付近へ終結しつつある。

 

「ありがとうございます、閣下」

 

 直立不動のまま、ウォルフはヒトラーに答える。

 

「しかし、私1人の力で成し得た勝利ではありません。私に協力してくれたスタッフ。前線で戦った将兵や艦娘。何より、作戦をお認めくださった総統閣下の御尽力があったればこその勝利だったと確信しております」

「うむ」

 

 ウォルフの答えに、ヒトラーは満足そうに頷く。

 

 皆まで言うな、と言う態度である。

 

「君の言う通りだ、アレイザー中将。余は作戦に参加した指揮官、及び艦娘全員に鉄十字章の授与を検討している」

 

 鉄十字章とは、ドイツ帝国軍が第2次世界大戦中に制定した勲章であり、戦功を上げた軍人に送られる、最高峰の栄誉である。

 

 そこでふと、ヒトラーは思い出したように口を開いた。

 

「指揮官級と言えばアレイザー中将。聞けば、巡洋戦艦『シャルンホルスト』の艦長は、君の長男だと言うじゃないか」

「ハッ・・・・・・」

 

 いきなりエアルの話を出されたウォルフは、とっさに言葉が続かずに詰まらせる。

 

 そんなウォルフに構わず、ヒトラーが続けた。

 

「水臭いではないか。なぜ、そういう話を余にせぬのだ」

「ハッ 不肖の息子の事、閣下のお耳汚しにしかなりませぬ故」

「何の。『シャルンホルスト』の活躍は余も充分に聞き及んでいる。立派ではないか」

 

 そう言ってウォルフの肩を叩くヒトラー。

 

「親子ともども、今後も励むが良い」

「ハッ 光栄です、閣下」

 

 背筋を伸ばして、ナチス式の敬礼するウォルフ。

 

 対して、ヒトラーは満足そうにうなずきを返すのだった。

 

 

 

 

 

 総統執務室を出たウォルフは、廊下を歩きながらヒトラーとのやり取りを思い出していた。

 

 まさか、エアルの事を話題に出されるとは思ってもみなかった。

 

 ウォルフは完全に虚を突かれた形である。

 

 当然の事だが、ウォルフはエアルが「シャルンホルスト」の艦長をしている事は知っていたし、ノルウェー沖海戦に参加した事も知っていた。

 

 だが、その事をヒトラーに言わなかったのは、言い忘れていたからでも、あえて隠していたからでもない。

 

 単純に、どうでもいいと思っていたから記憶にとどめていなかったからだった。

 

 そう、

 

 ウォルフにとって、3人の子供たちの事など、既に眼中には無かった。

 

 否、

 

 全く気に掛けていないと言えば流石にウソになるが、既に3人とも十分に成長し、それぞれの道を歩んでいる。今更、父親の自分が出る幕でもないだろう。

 

 それに、

 

「今更、父親面ができる訳もないしな」

 

 自嘲気味に呟く。

 

 先の大戦が終結して20年。

 

 いや、正確に言えば、スカパフローでドイツ艦隊が自沈して以来、

 

 つまり、妻であるテアを失って以来、

 

 ウォルフの中で、妻の復讐を果たす事が全てであり、それ以外の事は心の底からどうでも良いと感じてしまっていたのだ。

 

 そう、最愛の子供たちの事ですら。

 

 テアを失ってから、自分は復讐の為に生き、そして復讐の為に死ぬと決めていた。

 

 その為なら、息子も、娘も、自分自身ですら切り捨てる覚悟だった。

 

「すまないな、テア」

 

 取り出した写真を見詰めながら、ウォルフは呟く。

 

 既に古ぼけた1枚の写真の中では、妻が変わらず笑顔を浮かべていた。

 

「俺は結局、良い父親にはなれなかったよ」

 

 そう呟くと、ウォルフは足早に廊下を歩いていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勝者たちが凱歌を上げる一方、

 

 敗者には、沈痛なムードが流れていた。

 

 スカパフロー軍港に戻ったイギリス本国艦隊。

 

 出撃時に比べて、明らかに数を減らした艦隊を前に、誰もが落胆を禁じえなかった。

 

 特に衝撃が大きかったのは、ビッグ7の1隻である「ロドネイ」の姿が無かった事だろう。

 

 「ロドネイ」はイギリスが2隻保有している40センチ砲搭載の戦艦であり、最新鋭のキングジョージ5世級戦艦が就役している現在でも、イギリス最強の攻撃力を誇っていた。

 

 これから激しくなる戦いにおいて、必ずや大きな力を発揮してくれるはずだった。

 

 その「ロドネイ」が、フォーブス以下、司令部幕僚と共に北海に失われてしまった。

 

 とは言え、嘆いている暇はない。

 

 こうしている間にもドイツ海軍は大西洋一体で暴れまわり、輸送船の被害は続出しているのだ。

 

 直ちに新たなる人事が発令される。

 

 本国艦隊の新司令官には、ジャン・トーヴィ大将が任命された。

 

 彼は、元は地中海艦隊の司令長官を務めていた。

 

 地中海艦隊はイギリス海軍の中では本国艦隊に次ぐ規模を誇り、特に緊張続くイタリア海軍との駆け引きが常に行われている。

 

 トーヴィはその地中海艦隊を指揮した経験を買われ、フォーブスの後釜として本国艦隊司令長官に任命されたのだ。

 

 着任したトーヴィは直ちに幕僚を招集するとともに、今後の作戦方針について協議を始めた。

 

 激減した戦力を立て直し、ドイツ海軍に対抗する。

 

 勿論、並行して船団の護衛も継続しなくてはならない。

 

 こうしている間にもUボートは飢えた鮫の如く暴れまわっている。航路の安全確保は、最優先事項である。

 

 トーヴィの役割は余りにも多かった。

 

 

 

 

 

 足早に歩くその人物の目は、どこか希望にあふれているように見える。

 

 キラキラとした輝きに似たひらめきから見るに、少年めいた印象があった。

 

 すれ違う兵士に答礼を返すその姿は、堂々たる姿を周囲に見せつける。

 

 そんな青年の後ろから付き従う少女は、どこか楽しげな表情を見せていた。

 

「久しぶりの本国なのに、いきなり出頭しろーだなんて、穏やかじゃないわね。いったい何やらかしたのよ?」

「な訳あるか」

 

 尋ねてきた少女に対し、苦笑交じりに応じる。

 

 別に悪い事をして呼び出されたわけではない。

 

 ・・・・・・・・・・・・筈。

 

 まあ、「お小言」を言う為に、わざわざ自分達を本国に召還したりはしないだろう。

 

 マルタ島の地中海艦隊司令部から、ジブラルタルを経て、本国に到着したのはつい昨日の事。

 

 強行軍と言えば、かなりの強行軍だったのは確かである。

 

 要するに、そこまでしないといけないほど、今の状況は追い詰められていると言う事だった。

 

 ドアをノックして、応答を聞くと、2人そろって中へと入る。

 

「失礼します」

「失礼しまーす」

 

 青年は穏やかに、少女は元気よく扉の中へと足を踏み入れる。

 

 ついぞ数週間前まで、クレイズ・フォーブス大将の執務室だったその部屋には、既に新たなる主の姿があった。

 

「おお、よく来てくれた、2人とも。待っていたぞ」

 

 ジャン・トーヴィ本国艦隊新司令官は、2人の姿を見ると笑顔で出迎える。

 

 細面でやや怜悧な印象のある人物。

 

 どこか堅物めいた印象のある提督が2人を出迎える。

 

 しかし、青年にとってはかつての上官であり、その水際立った指揮振りについて、絶大な信頼を寄せる人物でもある。

 

「はるばる地中海からご苦労だったな、2人とも」

「ほんとほんと。いきなり呼び出すんだもん」

「しかし、本国の危機とあっては、馳せ参じない訳にはいかないでしょう」

 

 2人の返事を聞き、トーヴィは満足そうにうなずく。

 

 青年がトーヴィを信頼しているように、トーヴィもまた、青年たちの期待を寄せていた。

 

 リオン・ライフォード中佐と、彼に付き従う艦娘の少女。

 

 2人の到来により、ヨーロッパにおける海の戦いは、新たなる局面を迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

第12話「ニュープレイヤー」      終わり

 



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第13話「反撃のホワイトエンサイン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 艦娘と言うのは、基本的に人間と変わらない身体構造をしている。

 

 食べるし、寝るし、(聊か夢がないかもしれないが)排泄もする。

 

 そして、無理がたたれば体調が悪くなる事もある。

 

 ただ、人間と違う点は、もう一つの身体である「艦体」がある事だろう。

 

 艦娘と艦体は切っても切り離せない存在である。

 

 艦体が沈む時、それはすなわち、艦娘が命を落とす時。

 

 逆もまた然り、と言うわけである。

 

 ノルウェー沖海戦から数日。

 

 「グナイゼナウ」に曳航されてキール軍港に帰還した「シャルンホルスト」。

 

 艦体の方は既にドックに入れられ、修理に取り掛かっていた。

 

 作業員たちが甲板の上に陣取り、海戦で受けたダメージを補修し、さらにはトラブルを起こした機関周りを点検する。

 

 次の戦いは、そう遠くないだろう。

 

 その前に何としても「シャルンホルスト」を戦線に復帰させる。

 

 皆がその想いを抱き、一丸となって作業に邁進していた。

 

 そして艦娘である少女の方はと言えば、寄港と同時に直ちに軍病院へ搬送され、即日入院、絶対安静を言い渡されていた。

 

 工廠での作業引継ぎを終えたエアルも、すぐにその足で病院へ直行。シャルンホルストを担当する医師に面会を申し入れた。

 

 幸い、話の分かる医師だったらしく、不躾なエアルの訪問にも快く応じてくれた。

 

 他の患者の診察中だった主治医の手が空くのを待つ事、30分ほど。

 

 面会すると、開口一番にシャルンホルストの事を尋ねた。

 

「先生、どうなんですか、彼女の容態は?」

 

 戦闘直後にいきなり倒れたのだ。エアルならずとも心配になるのは当たり前だった。

 

 考えてみれば、戦闘中にもどこか、体調の悪さを我慢していた感があったのが思い出される。

 

 もっと自分が、彼女に気を使ってあげていたら。

 

 否、

 

 出撃前にグナイゼナウに言われていたのだ。彼女の事を気にかけてやってほしい、と。

 

 だというのに自分は、戦闘にかまけてシャルンホルストへの配慮が疎かになっていたことは否めなかった。

 

 そんな後悔が、エアルの中にはある。

 

「体調面については問題ありません」

 

 そんなエアルに、軍医は告げた。

 

「恐らく、戦闘による疲労が蓄積したのでしょう。何日か安静にしていれば体調も戻ると思います。念の為、ビタミン剤を処方しておきます」

「お願いします」

 

 ホッと胸をなでおろすエアル。

 

 何はともあれ、大事無くてよかった。

 

「ただ」

 

 軍医の不穏な物言いに、エアルは再び顔を上げた。

 

「艦娘は、艦体のコンディションに影響を受けます。影響の度合いについては個人差があるのですが、どうもシャルンホルストの場合、艦体、特に機関周りからの影響を受けやすい体質をしているようなのです」

「つまり今後も、今回みたいなことが起こる可能性がある、と?」

 

 尋ねるエアルに、軍医は難しい顔をして頷きを返す。

 

 シャルンホルストは生まれつき、機関に不調を抱えており、これまでも度々、エンジントラブルを起こしている。

 

 その事は、エアルもグナイゼナウから聞いていた。

 

「とにかく、退院後も暫くは安静にするよう、お願いします」

 

 軍医のその言葉を背に、エアルは病院を後にする。

 

 安静に。

 

 確かに、彼女の身体の事を考えれば、それが最善なのだろう。

 

 だが、彼女は少女ではあるが、同時にドイツ海軍の主力である巡洋戦艦でもある。

 

 海軍は彼女抜きにして戦う事など考えられない。

 

 いったい、どうすれば良いのか。

 

 先の見えない問いかけが、エアルの中で渦を巻いているようだった。

 

 

 

 

 

 医師の下を辞したエアルは、その足でシャルンホルストの病室へと向かう。

 

 艦娘と言えば、やはりそれなりの優遇措置が取られるようだ。

 

 シャルンホルストには個室が宛がわれており、部屋の中にはいくつか、彼女の私物も持ち込まれていた。

 

 本と、あとはお気に入りのネコのぬいぐるみ。

 

 そして、

 

 真っ白で清潔感を感じさせる部屋に置かれたベッドの上で、彼女は静かな寝息を立てていた。

 

 可憐な双眸は瞼が閉じられ、長いまつ毛が揺れている。

 

 薄い胸はかすかに上下し、安定した呼吸を繰り返していた。

 

 どうやら医師の言った通り、具合が悪そうな様子はない。寝顔も穏やかなものだった。

 

 と、

 

「ん・・・・・・んみゅ・・・・・・」

 

 人が近づく気配を察したのだろう。

 

 子猫のような声と共に、シャルンホルストの瞼が少し揺らぐと、ゆっくりと開かれる。

 

「・・・・・・・・・・・・あ、おにーさん?」

 

 目を開いて、すぐに飛び込んできた相手に笑いかける少女。

 

「おはよう、シャル。具合はどう?」

「・・・・・・・・・・・・退屈」

「そりゃ・・・・・・ね」

「退屈で死にそう」

「そうなったら世界初だね」

 

 苦笑するエアル。

 

 まったく、この娘は。

 

 自分がぶっ倒れて入院中だと言う事を忘れてはいないだろうか?

 

 まあ、このアグレッシブ少女の事。入院生活が退屈だという気持ちは分からないでもないのだが。

 

「あーもー 遊びに行きたいよ」

「がまんして。先生も、もう2~3日の入院で良いって言ってたし」

「だって、退屈だし、ご飯不味いし、何もないし、お友達もいないし、ご飯不味いし」

 

 何で2回言ったんだろう?

 

 まあ、よほど重要な事なのだろう。

 

 確かに、病院食は消化重視で、味付けは薄味となる。慣れればそれなりに口に合うのだが、食べ始めはかなり不味く感じるものだ。

 

 とは言え、

 

 このままでは病院を飛び出していきかねない勢いだった。

 

「じゃあ、こうしよう」

 

 少女を宥めるように、エアルは笑いながら声を掛けた。

 

「退院したら、シャルが行きたい所に連れてってあげるよ」

「え?」

「好きなもの食べていいし。欲しいもの買ってあげる。どう?」

 

 問いかけるエアル。

 

 対して、

 

「・・・・・・う、うん」

 

 急に、声を詰まらせたようになるシャルンホルスト。

 

 そのままそっぽを向いてしまう。

 

「・・・・・・これって、そういう事? まあ、それ以外に解釈できないんだけど・・・・・・いやいや、けど、おにーさんの事だから、天然って事も・・・・・・」

 

 何やら、1人でぶつぶつとつぶやくシャルンホルスト。

 

 対して、エアルは訝るように首をかしげる。

 

「いやなら、やめようか? 何か他の物で退院祝いでも・・・・・・」

「い、いやいやッ 行きます行きます!! 行かせて頂きます!!」

 

 殆ど掴みかかる勢いの少女に、目を丸くするエアル。

 

 いったい、何だと言うのか?

 

 しかし、シャルンホルストがその気になったのなら、喜ばしい事ではある。

 

「じゃあ、頑張って。ほんの少しの間だから」

「うんッ ・・・・・・おにーさんとデー・・・・・・エヘヘ」

 

 上機嫌に笑うシャルンホルスト。

 

 そんな少女の様子を見て、エアルも自然と笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 因みに、

 

 シャルンホルストの上機嫌ぶりは暫く収まる事を知らず、

 

 あとから見舞いに来たグナイゼナウに、思いっきり不気味がられる事になるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 霧の中を、鉄十字を掲げた艦隊が進んで行く。

 

 装甲艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」、及び重巡洋艦「ブリュッヒャー」を中心とした艦隊は、ノルウェーのナルヴィク港を出港。

 

 ドイツ本国へ帰還すべく、進路を南に取ろうとしていた。

 

 海面は、荒れる事の多い北海にしては珍しく、穏やかな様子を見せている。

 

 既にヴェーゼル演習作戦は、その8割がたが完了している。

 

 ノルウェーの主要都市はドイツ軍の占領下に入り、残存戦力は山岳部に立てこもり、ゲリラ戦を展開しているのみ。

 

 ノルウェー政府が降伏を打診してくるのも時間の問題と思われた。

 

 「グラーフ・シュペー」以下の艦隊は、ナルヴィクへの物資輸送を終えた帰路だった。

 

 ナルヴィク周辺は、ノルウェー軍の抵抗が最も激しい場所である。

 

 その為、ドイツ軍も特に力を入れて掃討戦を行っていた。

 

 やがて艦隊は、2隻の主力艦を中心に対潜隊形に移行する。

 

 護衛についている軽巡洋艦「ケーニヒスベルク」と5隻の駆逐艦が前方に展開、前方の警戒に当たる。

 

「取り舵いっぱい、進路、南へ」

 

 外海に出ると司令官の命令に従い、艦隊は大きく左へ回頭。ドイツ本国へ向かうコースを取る。

 

 霧は相変わらず深く、先を見通す事はほとんどできない。

 

「ちょっと、不気味ですよね」

 

 視界を覆う白色を見詰めながら、艦娘のシュペーは呟く。

 

「何だか、この霧の中から良くない物が出てきそうな気がします」

「怖い事を言うなよ」

 

 シュペーの物言いに、艦長は肩をすくませる。

 

 実際、「見えない」と言う事は、人間に根源的な恐怖を呼び起こす。

 

 この先に、何があるのか?

 

 自分達は、本当にここから出る事が出来るのか?

 

 あるいは、

 

 この霧の中から、恐ろしい怪物が出て来るんじゃないか?

 

 そんな負の想いが、心の底から湧き出てくるかのようだ。

 

 とは言え、航海自体は順調だった。

 

 艦隊はノルウェー沿岸付近を、一路、本国目指して航行している。

 

 ここまで、妨害らしい妨害は全くない。

 

 元より、ノルウェー軍が申し訳程度に保有していた海軍は、作戦開始初期に殲滅し、文字通り全滅させている。

 

 イギリス海軍は言うに及ばず。

 

 先のノルウェー沖海戦で大損害を受け、動きたくても動けない。

 

 自分達の行く手を遮る物は存在しないのだ。

 

 ドイツ艦隊の将兵、艦娘の殆どが、そう信じていた。

 

 だから、だろう。

 

 油断が無かった、とは言い切れない。

 

 まさか、

 

 先のシュペーの危惧が、現実になるとは、誰もが思ってもみなかったのだ。

 

「レーダーに感あり、本艦の進路0―7―0より接近中!!」

 

 この時期、ドイツ海軍は既に艦載レーダーの開発に成功していた。

 

 ゼ―タクトと呼ばれるこのレーダーは、30キロ近い探知能力を誇っており、今回のように視界が効かない北海での作戦行動では、欠かせない存在になっていた。

 

「何だ、我が軍の艦船に、そんな航路を使う予定の艦があったか?」

「いえ、聞いておりません」

 

 訝る司令官に、シュペー艦長は答える。

 

 続いてシュペーに目を向けるが、彼女も首を振るだけだった。

 

 自分達が把握していない艦。

 

 つまり、ドイツ軍の艦船ではない。

 

 と、なれば、必然、

 

「敵です!!」

 

 シュペーが叫んだ瞬間、

 

 悲劇は突如として襲ってきた。

 

 だしぬけに、霧の中で爆炎が躍る。

 

 艦隊の先頭を進んでいた軽巡洋艦「ケーニヒスベルク」が、突如として爆発したのだ。

 

 K級軽巡洋艦の1隻であり、2番砲塔が左舷寄り、3番砲塔が右舷寄りと言う、オフセット配置の特異な外見を持つ軽巡洋艦は、一瞬にして炎に包まれ、海上に停止する。

 

「合戦準備!!」

 

 司令官の立ち直りは早い。

 

 油断していたのは事実だが、事この段になって尚、呆けているような人間はドイツ海軍にはいなかった。

 

 直ちに「グラーフ・シュペー」と「ブリュッヒャー」は右へ旋回しつつ、左舷側へと主砲を向ける。

 

 同時に5隻の駆逐艦は、単縦陣を組んで突撃を開始した。

 

 装甲艦と重巡洋艦で敵の砲撃を引き付ける間に、駆逐艦が雷撃を仕掛ける布陣である。

 

 この霧で視界が遮られている状態なら、必勝の布陣と言って良い。

 

 敵は、こちらの動きを察知する頃には、必殺の雷撃が迫っている事になるだろう。

 

 そう思っていた。

 

 だが、

 

 残念ながら、今日の相手は最悪と言っても過言ではなかった。

 

 突撃する駆逐艦の鼻先に砲弾が落下。巨大な水柱を立てる。

 

 更に、次々と林立する水柱。

 

 たちまち、駆逐艦は翻弄されるように陣形を乱す。

 

「援護しろッ 射撃開始!!」

 

 慌てた司令官が、とっさに命令を下す。

 

 このままでは、駆逐艦が射点にたどり着く前に、散り散りにされてしまう。

 

 そう感じた為、少しでもこちらに砲火を引き付ける目的で、射撃を始めさせたのだ。

 

 「グラーフ・シュペー」の52口径28.3センチ砲6門と、「ブリュッヒャー」の60口径20センチ砲8門が一斉に火を噴く。

 

 「グラーフ・シュペー」を含むドイッチュラント級装甲艦は、シャルンホルスト級巡洋戦艦が装備している28.3センチ砲より砲身が短い主砲を採用している。

 

 必然的に主砲の威力も射程も、ドイッチュラント級はシャルンホルスト級に劣る。

 

 しかし28.3センチ砲は巡洋艦程度を相手にする分には破格の威力を誇っている。

 

 相手次第では、充分に対応できるはずだった。

 

 目標はレーダーが探知した相手。

 

 この時期、

 

 と言うより、第2次世界大戦全般を通じて、レーダー射撃と言う物はそれ程の発達を遂げたとは言い難い。

 

 それはレーダーの先進国であるイギリスやドイツ、アメリカであっても同様である。せいぜいが「やらないよりマシ」と言う程度の代物であり、その照準は光学射撃に比べて大幅に劣る物だった。

 

 とは言え、この霧によって視界の閉ざされた中にあっては、最も有効な照準手段である事は間違いない。

 

 レーダーが、立ち上る水柱を捉え、それを射撃指揮所に伝達。照準の修正を行う。

 

「撃てッ!!」

 

 艦長の号令一下、放たれる6門の28センチ砲。

 

 敵がどれだけいて、どの程度の打撃になるかは分からない。

 

 しかし、こうして主砲を撃つ事によって敵の目を引きつけ、駆逐艦が雷撃するアシストに繋がるのだ。

 

 シュペーは既に艦の制御に集中している。

 

 彼女が全力発揮に尽力してくれているからこそ自分達は戦えるのだった。

 

 だが、

 

 程なく、シュペー達の努力は無駄となる。

 

 戦闘を進む駆逐艦が、炎を上げて吹き飛ばされる。

 

 更にもう1隻、轟音と共に海上に停止するのが見えた。

 

「雷撃戦に切り替えるッ!! 『ブリュッヒャー』に連絡ッ 《我に続け》!!」

 

 事ここに至り、司令官は戦術の変更を余儀なくされた。

 

 先に「ケーニヒスベルク」を敵の先制攻撃で失い、更に駆逐艦も追い散らされた今、通常の砲撃戦での勝ち目は薄い。

 

 ならば接近しての雷撃戦に賭けるしかない。

 

 重巡である「ブリュッヒャー」は片舷8門、旗艦「グラーフ・シュペー」も片舷4門の魚雷発射が可能となっている。

 

 接近し雷撃戦に持ち込む事さえできれば、まだ勝機はあるはず。

 

「取り舵いっぱいッ!! 敵との距離を詰めろ!!」

 

 突き上げられる水柱に耐えながら、艦長の命令に従い、操舵手が舵輪を回す。

 

 暫く直進したのち、艦首を左に振る「グラーフ・シュペー」。

 

 敵艦隊との距離を詰め、魚雷の射点を確保するのだ。

 

 だが、

 

 後続する「ブリュッヒャー」が、回頭すべく艦首を左に振り始めた時だった。

 

 突如、排水量1万8000トンを誇る大型重巡洋艦の艦体に、無数の火花が舞った。

 

 それを契機として、次々と爆炎が「ブリュッヒャー」に襲い掛かる。

 

 中口径砲弾と思われる無数の砲弾が次々と着弾する。

 

 アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦は、艦体の大型化も相まって、戦艦に迫る防御力を獲得している。

 

 中口径砲程度では、装甲を破るほどのダメージを追う事はない。

 

 しかし無数に炸裂する砲弾は、艦上にあるあらゆる物を破壊していく。

 

 高角砲を叩き潰し、機銃を吹き飛ばし、射撃式装置を炎に包む。

 

 マストは叩き折られ、後部艦橋は直撃を受けて倒壊した。

 

 無論、「ブリュッヒャー」も反撃として、20.3センチ砲8門を、レーダーが探知した目標へと放つ。

 

 しかし、精度と、何より手数に差がありすぎる。

 

 「ブリュッヒャー」が一斉射当たり8発の砲弾を撃つのに対し、相手は明らかに10発以上の砲弾を送り込んできている。

 

 加えて、発射速度も相手の方が速い。

 

「『ブリュッヒャー』がッ!!」

 

 艦の制御に集中していたシュペーが、思わず声を上げる。

 

 全艦を炎に包まれた「ブリュッヒャー」は、それでも旗艦に追随すべく、回頭を続けている。

 

 艦体の至る所に直撃を示す穴が開き、そこから炎と煙が噴き出しているのが見える。

 

 甲板上に立ち込める煙で、艦の後部が見えなくなっていた。

 

 更に、そこへ、容赦ない直撃弾が見舞われる。

 

 艦中央に命中した1発は煙突を吹き飛ばし、艦首に命中した砲弾が大穴を穿つ。

 

 直撃を受けた個所は確実に破壊され、「ブリュッヒャー」の戦闘力を奪っていく。

 

「クソッ 反撃しろッ 前部砲塔射撃続行!!」

 

 「ブリュッヒャー」の惨状を見た司令官の命令に従い、「グラーフ・シュペー」の前部3門の主砲が撃ち放たれ、砲弾は霧の中に吸い込まれていく。

 

 固唾をのむ一同。

 

 ややあって、くぐもったような音と共に、彼方で爆炎が躍るのが見えた。

 

 「グラーフ・シュペー」の放った砲弾が、霧の中にいる敵艦に直撃したのだ。

 

「よし良いぞッ 畳みかけろ!!」

 

 歓喜と共に、指示を飛ばす司令官。

 

 しかし次の瞬間、

 

 艦の後方で、一際巨大な爆炎が躍った。

 

「なッ!?」

 

 誰もが唖然とする中、「ブリュッヒャー」が、大きく傾斜しているのが見える。

 

 艦隊は真っ二つに折れ、艦首と艦尾を高々と上げた、ちょうど「V」の形になっている。

 

 魚雷だった。

 

 敵艦の砲撃に対応するのに夢中になっていたドイツ側は、駆逐艦が側面から接近している事に気が付かなかったのだ。

 

 放たれた魚雷の内、2発が「ブリュッヒャー」の艦腹を直撃、それが運悪くC砲塔の弾薬庫を直撃し、内部に収められた砲弾と装薬を一斉に誘爆させたのだ。

 

 いかに防御力を誇る重巡洋艦といえど、自身の艦内から突き破られたのではひとたまりもなかった。

 

 沈降を始める艦体。

 

 「ブリュッヒャー」が、もはや助からないであろう事は明白だった。

 

「馬鹿な・・・・・・・・・・・・」

 

 茫然と呟く司令官。

 

 艦長も、

 

 そしてシュペーも、言葉も無く立ち尽くしている。

 

 その時、

 

 一瞬霧が晴れ、彼方にいる敵艦の姿が見えた。

 

 自分達の艦隊を、ほぼ一方的に蹂躙した敵。

 

 細く華奢な船体に、イギリス戦艦の特徴である箱型の艦橋。巨大な連装砲塔が、前部に2基、後部に2基、備えられている。

 

「あいつはッ!?」

 

 敵の正体がわかった瞬間、

 

 敵艦の主砲が火を噴く。

 

 「グラーフ・シュペー」を捉えた砲弾は、3発だった。

 

 

 

 

 

「敵装甲艦、完全に沈黙しました!!」

「ご苦労様。引き続き、警戒を厳にしてください」

 

 報告を受けた女性は、穏やかな口調で答えながら、まっすぐに眼差しを前方に向ける。

 

 視界の先、

 

 晴れた霧の中から現れた敵艦の姿は、思わず目を背けたくなる程無残なものだった。

 

 艦体はすでに大きく右舷側に傾斜し、甲板まで水が洗い始めている。

 

 最後まで射撃を続けた前部砲塔はつぶれた段ボール箱のように叩き潰され、砲身はあらぬ方向を向いている。

 

 艦橋は完全に吹き飛ばされ、影も形もなくなっていた。

 

 あれが、かつてその重武装ぶりから世界を驚愕させたドイッチュラント級装甲艦の慣れの果てかと思うと、敵艦とは言え哀れに思えてくる。

 

 風に吹かれる長い金髪をかき分けながら、今にも炎の中に沈む敵艦に哀悼を送る。

 

「残敵掃討も完了した。何隻かの敵艦は取り逃がしたが、こちらの損害は無し。パーフェクトゲームと言って差し支えないだろう」

 

 艦長の言葉に、振り返る女性。

 

「よくやった、ウォースパイト」

「ええ、艦長も、お疲れ様」

 

 そういってほほ笑む女性。

 

 クイーン・エリザベス級戦艦2番艦「ウォースパイト」。その艦娘たる女性である。

 

 「ウォースパイト」を含むクイーン・エリザベス級戦艦は、第1次世界大戦時に竣工し、ユトランド沖海戦にも参加している。

 

 基準排水量3万2000トン、全長196.8メートル、全幅27.6メートル、最高速度25ノット。

 

 主武装はR級戦艦と同じ、42口径38.1センチ砲連装4基8門だが、こちらは改装によって射程が延長され2万7000メートルある。

 

 攻防走3拍子揃った性能ぶりから、「初期高速戦艦の雛形」とも言われている。

 

 完成したのはクイーンエリザベス級の方がR級よりも先だが、その高性能ぶりが評価され、イギリス海軍の主力戦艦として位置づけられている。

 

 ネームシップである「クイーンエリザベス」を筆頭に、「ウォースパイト」「バーラム」「マレーヤ」「ヴァリアント」が建造されている。残念ながら「バーラム」はノルウェー沖海戦で沈められてしまったが、健在な4隻が、こうして任務に当たっていた。

 

 今回、「ウォースパイト」を主力としたイギリス艦隊はノルウェー沖に進出、ドイツ艦隊の輸送路攻撃を目的とした作戦を展開、その過程でナルヴィクからドイツ本国へ向かう「グラーフ・シュペー」以下の艦隊に遭遇、これに攻撃を加えたのだ。

 

 結果、霧を利用した奇襲が功を奏し、イギリス艦隊の一方的な勝利に終わった。

 

「それに、あの子たちも頑張ってくれたし」

 

 そう言って、ウォースパイトが視線を向けた先。

 

 そこには自信とともにドイツ艦隊を攻撃し「ブリュッヒャー」撃沈に大きく貢献した新鋭軽巡の姿があった。

 

 彼女が「ブリュッヒャー」を抑えてくれたおかげで、「ウォースパイト」は「グラーフ・シュペー」攻撃に専念できたのだ。

 

 視線を前方に移す、ウォースパイト。

 

 その口が、自然と紡がれる。

 

「バーラム・・・・・・・・・・・・」

 

 名を呼んだのは、彼女の妹。

 

 ウォースパイトの妹であるバーラムは今、ここから程遠からぬ海域に沈んでいる。

 

「この程度で、あなたの仇を撃てたとは思っていない。けど、今はまだ、これでがまんして」

 

 いずれドイツ海軍の艦艇は1隻残らず、海の藻屑にして見せる。

 

 それを果たしてこそ、散っていった妹の鎮魂になる。

 

 ウォースパイトは固い決意を、亡き妹へと誓うのだった。

 

 

 

 

 

 「ウォースパイト」の後方を航行する巡洋艦は、イギリス海軍が建造した最新のクラスで、サウサンプトン級と呼ばれている。

 

 サウサンプトン級軽巡洋艦は、日本海軍が建造した最上型軽巡洋艦(建造当初、最上型は軽巡だった)に対抗して計画、建造されたクラスである。

 

 カテゴリー的には軽巡洋艦に違いないが、その性能は軽巡の枠に収まる物ではなかった。

 

 基準排水量は1万トンを超え、重巡並みの船体を誇っている。

 

 主武装は50口径15.2センチ砲3連装4基12門、53.3センチ魚雷発射管3連装2基6門の重武装を誇る。

 

 主砲口径こそ小さいが、発射速度は毎分8発を誇り、発射弾量は条約型の重巡洋艦を上回るとされている。

 

 船体が大型なので当然、防御力も高い。

 

 まさに重巡洋艦並みの戦闘力を誇っている。

 

 イギリス海軍の巡洋艦は、伝統的に重巡よりも軽巡を重視する傾向がある。

 

 その為、軽巡洋艦でも、高い戦闘力を持たせてあるのだ。

 

 サウサンプトン級は更に細かく3群に分かれて建造されている。

 

 この艦は3群のエディンバラ級に属する2番艦にして、同クラスの末娘に当たる。

 

 軽巡洋艦「ベルファスト」。

 

 それが、この艦の名前だった。

 

 その「ベルファスト」の艦橋で、艦長であるリオン・ライフォードは、完全に敵艦が沈黙した事を確認し、戦闘態勢の解除を命じていた。

 

 彼は旗艦「ウォースパイト」に続行する形で砲撃を開始、エディンバラ級の特徴である速射能力を活かして重巡洋艦「ブリュッヒャー」に完封勝利を収めていた。

 

「ま、ざっとこんなもんよね。あたしたちに掛かればさ」

 

 リオンの傍らに立った少女は、そう言って笑みを浮かべる。

 

 純白の軍服にスカートをはき、短く切った髪の上に制帽を被った少女。

 

 軽巡洋艦「ベルファスト」の艦娘である。

 

 装甲艦1隻、巡洋艦2隻撃沈。

 

 イギリス艦隊に損害無し。

 

 開戦以来、ドイツ艦隊相手に一方的に敗北を重ねてきたイギリス海軍が初めて、ドイツ海軍相手に上げた勝利だった。

 

「ああ、よくやったよ、ベル」

「・・・・・・何か、リオンに真顔でほめられと、背中がかゆくなるんだけど」

「何でだよ?」

 

 失礼な物言いに口をとがらせるリオン。

 

 いったい何が不満だというのか。

 

 と、

 

「何てね、嘘嘘。ありがとう、リオン」

 

 そう言うとベルファストはクルッと回って笑みを見せる。

 

 そんな少女の微笑みに、苦笑するリオン。

 

 やがて旗艦「ウォースパイト」のマストに、反転の信号旗。

 

 元より、今回の作戦は、あくまでドイツ海軍の航路を脅かす事になる。

 

 できればドイツ海軍の橋頭保に突入して、艦砲射撃を仕掛けたいところだが、ノルウェーの拠点は全て、複雑に入り組んだフィヨルドの奥にある。

 

 フィヨルド内部は狭く、さらに曲がりくねって奥も深い為、まるで迷宮のような構造になっている。下手に艦隊を近付ければ、Uボートや魚雷艇と言った、小型艦艇の格好の標的になりかねない。

 

 今回の戦いで、ドイツ海軍に対して十分な打撃を与え得たと判断する。これでしばらく、ドイツ海軍はノルウェー航路を警戒せざるを得ない。作戦目的としては十分だった。

 

「さ、帰るぞ、ベル」

「うん。そうだね」

 

 頷きあう、リオンとベルファスト。

 

 やがて舵輪は回され、大型軽巡洋艦の艦体は、旗艦に続いて大きく旋回するのだった。

 

 

 

 

 

第13話「反撃のホワイトエンサイン」      終わり

 



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第14話「猫の歩みは亀より遅い」

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 日差しが、瞼を優しくくすぐるのを感じる。

 

 かすかに差し込む、陽の光。

 

 ああ、そっか。

 

 もう、朝なんだ。

 

 もう少しだけ、余韻に浸りたいんだけどな。

 

 そんな事を考えながら、瞼を開く。

 

 少しひんやりとした朝の空気。

 

「ふぁ」

 

 可愛らしく、小さな口を開けてあくびをしながら、シャルンホルストは身を起こした。

 

 下着の上から、寝間着代わりのYシャツを羽織っただけのラフな寝間着姿。

 

 以前にちょっと試したところ、意外に快眠だった為、以来、この格好で寝るのが癖になっていた。

 

 グナイゼナウからはみっともないからやめろと言われているのだが、こればかりはなかなかやめる気にはなれない。

 

 それにしても、

 

「うん、やっぱり自分の部屋、最高」

 

 周りを見回しながら言った。

 

 ここは彼女が入院している病室、ではなく、れっきとした巡洋戦艦「シャルンホルスト」の艦内にある艦娘専用ルーム。要するに、彼女の私室である。

 

 先日、ようやく退院の許可が下りて戻ってくる事が出来たシャルンホルスト。

 

 入院生活に死ぬほどの退屈を味わっていた彼女は、ここに戻ってようやく人心地着いた形であった。

 

 もっとも、

 

 退院はしたものの、艦体の方は未だに修理中。

 

 主砲の砲身交換や、損傷を負ったケーブルの交換等は終了しているが、不調を起こしたエンジン回りの整備がまだ残っている。

 

 こちらは入念に行われる予定である。

 

 「シャルンホルスト」が、外洋に出れるようになるには、もうしばらく時間がかかる予定だった。

 

 まあ、それはさておき、

 

「いよいよ今日、なんだよね・・・・・・・・・・・・うん」

 

 予定を思い出し、笑いが止まらなくなるシャルンホルスト。

 

 ドキドキする。

 

 気分が高揚するのを、抑える事が出来なかった。

 

 入院しているときから、今日をずっと楽しみにしていたのだ。

 

 シャルンホルストが入院中、エアルが言っていた事。

 

 退院したら、何かお祝いをしてくれるという。

 

 好きな所に連れてって、ご馳走してくれる。

 

 その約束の日が、今日だった。

 

 エアルとお出かけ。

 

 要するに、

 

 誘った方の思惑はどうあれ、

 

 少女からすれば、これは完全無欠に「デート」、

 

 と言って、差支えは無かった。

 

 そうと分かっていれば、こうしてはいられない。

 

 今日と言う日を最高にするために、入念な準備をしなくては。

 

「えっと、約束は10時だから、今から準備して・・・・・・」

 

 言いながら、

 

 シャルンホルストは何気なく、時計を見やる。

 

 そこで、

 

「・・・・・・・・・・・・へ?」

 

 絶句した。

 

 エアルとの約束の時間は10時。それは間違いない。

 

 今日が楽しみで、何度も確認したのだから。

 

 問題は現時刻。

 

 今は9時20分。

 

 準備、その他諸々の事を考えあわせれば、完全に、

 

「ち、遅刻ッ!?」

 

 慌てて跳ね起きるシャルンホルスト。

 

 次の瞬間、

 

「ヘブッ!?」

 

 勢いあまって、顔面から床にダイブ。

 

 朝っぱらからパンツ丸出しで、鼻の頭を思いっきりぶつける羽目になるシャルンホルスト。

 

 お尻に描かれたネコさんが、呆れたように鳴いた気がした。

 

 

 

 

 

 街行く人の表情は明るい。

 

 オープンテラスのカフェでコーヒーを口に運びながら、エアル・アレイザーは脳裏で呟いた。

 

 今日は久しぶりのオフの日。

 

 と言うよりは、用事があってわざわざ休暇を申請したのだ。

 

 退院したシャルンホルストをお祝いするために。

 

 その為、今日は軍服姿ではなく、ラフな私服姿をしている。

 

 思えば着任から数カ月。

 

 過酷な任務に駆り出しておきながら、これまで一度も彼女を労った事が無かった気がする。

 

 だから今回は良い機会だと思った。

 

 因みに(シャルンホルストには誠に残念な事に)デートのつもりは、エアルには毛ほども無かった。

 

 周囲を見回せば、同様に休日を楽しんでいる様子の人々が目に入る。

 

 親子と思われる人たち。1人でゆっくりと茶を飲む人。そして、カップルと思われる男女。

 

 皆、表情は明るい。

 

 誰もが、ここ最近の景気の良いニュースに胸を躍らせている様子だ。

 

 無理もない。

 

 ここ最近のドイツ国内は、明るい話題にあふれている。

 

 ポーランド占領、ラプラタ沖海戦勝利、デンマーク電撃占領、ノルウェー沖海戦勝利。

 

 ドイツ軍は負け知らず、まさに開戦以来、破竹の快進撃と言えるだろう。

 

 そしてつい先日、ついにノルウェー政府がドイツ政府に対し、降伏を打診してきた。

 

 これに伴い、ドイツ軍はノルウェー全土の占領を宣言。

 

 ヴェーゼル演習作戦は、成功裏に幕を下ろす事が出来た。

 

 ノルウェーを占領できた意図は大きい。

 

 これでドイツ軍は、戦争遂行に必要不可欠な鉱物資源の調達を他国からの輸入に頼る必要がなくなったのだ。

 

 さらに海岸線に点在するフィヨルドには、既にUボート艦隊が進出。通商破壊戦の拠点となっている。近々、水上艦艇の進出も予定されているとか。

 

 これにより、北海北部の制海権は、ドイツ側が掌握するに至った。ドイツ海軍の基本戦略である通商破壊戦の効率は飛躍的に上昇。戦績は鰻登りに上がっていく。

 

 Uボートの乗組員や艦娘たちは、我こそが潜水艦戦のエース也と名乗りを上げる者が続出した。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 エアルはコーヒーをがぶりと飲む。

 

 苦い味と共に、先日聞いた戦況のニュースが思い出された。

 

 ドイツ軍の勝利に、一抹の影を落とす事態が起きた。

 

 ナルヴィク沖を航行中だったドイツ艦隊を、戦艦を含むイギリス艦隊が襲撃。

 

 ドイツ艦隊は勇戦したものの、火力差は如何ともしがたく、ほぼ全滅に近い損害を受けたという。

 

 装甲艦1、重巡洋艦1、軽巡洋艦1、駆逐艦3隻喪失。

 

 対して、敵に与えた損害は皆無に近いとか。

 

 他の国ならいざ知らず、元々、艦艇数の少ないドイツ海軍からすれば、致命的と言っても過言ではない数字だ。

 

 あまりの事態に激怒したヒトラー総統は、海軍総司令官であるエドワルド・レーダー元帥を呼び出し、厳しく詰問したと言う。

 

 今回の件、聊かの油断がなかったとは言い難い、とエアルは考えていた。

 

 ラプラタ沖やノルウェー沖での大勝利で、海軍全体が浮かれ気味になっていた感がある。

 

 いかに戦いで勝ったとはいえ、イギリス海軍はドイツ海軍に対して未だに優勢であり、戦力的にも余裕がある。

 

 正直なところ、ノルウェー沖での敗北など、彼等からすればさしたる痛痒になっていないのではないかとさえ思えた。

 

 劣勢のドイツ海軍が、イギリス海軍に勝ち続け、最終的にこの戦争を勝利に導くにはどうすれば良いか?

 

 ナルヴィク沖海戦の敗北により、エアルはその事を強く考えるようになっていた。

 

 手にしたコーヒーカップをソーサーに戻した時だった。

 

「おにーさーん!!」

 

 聞きなれた声に呼びかけられ、顔を上げるエアル。

 

 その視界の先では、見慣れた少女が店に上がり、手を振っている様子が見て取れた。

 

 手を振り返すと、シャルンホルストが笑顔で駆け寄ってきた。

 

 今日は彼女もオフと言う事で、軍服姿ではなく私服姿をしている。

 

 淡い青色のシャツに、短パン履き。上からフード付きのパーカーを羽織り、頭には大きめの帽子を被っていた。

 

 最近、軍服姿に見慣れた艦がある為、新鮮な感じがした。

 

 の、だが、

 

 時間は既に、10時5分。

 

 約束の時間より少し遅れている。

 

 無論、その程度の事でいちいち咎めるつもりはない。

 

 が、

 

 どうやら慌てて準備して走ってきたらしいシャルンホルストの息は乱れ、服も少しはだけているように見える。

 

 ちょっと、鼻が赤い気がするのはどうしたのだろう?

 

「ごめん、待った?」

「うん、まあ、少しね」

 

 時計を確認しながら答えるエアル。

 

 とは言え、少し早めに到着したので、待ったのは15分少々。

 

 それ程、苦になるような時間ではなかった。

 

 だが、

 

 エアルの答を聞いたシャルンホルストは、不満そうに頬を膨らませる。

 

「な、何?」

 

 いきなり機嫌を下げた少女に、たじろく青年艦長。

 

「おにーさんさ、こういう時って、『いや、今来たとこだよ』って答えるのが、普通なんじゃないの?」

「そ、そう、なのかな?」

 

 いったい、どこで仕入れてきた知識なのやら。

 

 しかし、初手から差し違えた認識だけはあった。

 

 だが、

 

「もう、しょうがないな、おにーさんは」

 

 ニコッと笑うシャルンホルスト。

 

 ふんわりした少女の笑顔に、エアルもつられて笑顔になるのだった。

 

 

 

 

 

 こうして見ると、エアルも男であると言う事が分かる。

 

 青年の隣を歩きながら、シャルンホルストはそんな事を考えていた。

 

 普段見慣れている姿だが、やはり並んで歩くと背の高さの違いが分かる。

 

 シャルンホルストが比較的小柄な体格をしている事もあるのだろうが、並んでエアルの顔を見ようとすると、少し首が痛くなる。

 

 歩幅もそうだ。

 

 エアルと並んで歩こうとすると、どうしても早足になってしまう。

 

 細身のようでいて、軍人としてしっかり鍛えているエアルの事、ただ歩いているだけでも結構な足の速さだ。

 

 正直、病み上がりの身には、少しきつい。

 

 少し息が上がりそうになる。

 

 と、

 

「ほら」

「え?」

 

 声を掛けられて見上げると、エアルが足を止め、シャルンホルストに手を差し伸べていた。

 

「手、繋ごう。そうすれば、少し楽になるんじゃないかな?」

「えっと・・・・・・・・・・・・」

 

 どうやらエアルの方でも、シャルンホルストが辛そうにしている事に気付いていたらしい。

 

 その手のひらを、呆気に取られた様子で見詰めるシャルンホルスト。

 

「えっと・・・・・・・・・・・・」

 

 躊躇いがちに手を伸ばす。

 

 その手を、エアルが半ば強引に取った。

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 声を上げるシャルンホルストに、笑い掛けるエアル。

 

 今度はエアルも、歩幅を合わせて歩いてくれる。

 

 青年を見上げ、手のひらからは彼の温もりを感じる。

 

 そんな様子にシャルンホルストは、少しだけ気恥ずかしそうに顔を背けるのだった。

 

 

 

 

 

 エアルがシャルンホルストを連れてきた店は、待ち合わせ場所にしたカフェから、歩いて5分くらいの場所にあった。

 

 青年艦長が彼女の趣味に合わせたつもりのその店は、落ち着いた装飾のある、感じのいい店だった。

 

 可愛い物が嫌いな女の子は、万国共通的に見て少数派ではないだろうか?

 

 勿論、その論法は艦娘にも当てはまる。

 

 もっとも、単純に「可愛い」と言うカテゴリに括ったとしても、その内部には千差万別の様相を内包している。

 

 はてさて、

 

 では、ドイツ海軍最強の少女はと言えば、

 

「わッ わッ この子可愛いッ あ、あっちの子も!! ああ、けど、あの子もな~」

 

 目をキラキラと輝かせ、夢のような光景に浸っている。

 

 シャルンホルストが見ているショーウィンドウの中には大量のぬいぐるみ。それも、ネコ限定のぬいぐるみばかり、これでもかと並べられていた。

 

 シャルンホルストは猫が好き。

 

 その事は彼女がネコグッズばかり集めている事からも察しがついていた。

 

 その為、エアルは退院祝いとして、彼女に何かネコ関連の物をあげようと思い、このぬいぐるみ専門店へと連れてきたのだ。

 

 着任して半年以上経ち、エアルもだいぶ、街の様子に慣れてきている。この店も、たまたま歩いているときに見つけたのだ。

 

 それにしても、

 

 紅潮した顔でネコのぬいぐるみを見繕っているシャルンホルスト。

 

 そんな彼女の横顔を眺めていると、エアルの方もうれしくなってくるのだった。

 

 

 

 

 

 店員のあいさつを背に、店を出る2人。

 

 シャルンホルストの手には、エアルに勝ってもらったぬいぐるみが大事そうに抱えられていた。

 

「おにーさん、ありがとうッ」

「うん、良いけど、本当にそれで良かったの?」

 

 怪訝そうに尋ねるエアル。

 

 結局、さんざん悩んだ末に、シャルンホルストが選んだのはクロネコのぬいぐるみだった。

 

 大きさは、シャルンホルストと比較すれば一抱えくらいあり、値段もそれなりの物ではあった。

 

 しかし正直、エアルの目からすれば、もっと可愛いのがいくらでもあったように見えたのだが。

 

 しかし、

 

「良いの、これで」

 

 シャルンホルストは言いながら、ぬいぐるみを大事そうにギュッと抱える。

 

 その幸せそうな顔を見ると、エアルも自然と笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 巡洋艦「ベルファスト」艦長リオン・ライフォード海軍中佐は、れっきとしたイギリス王室に所属する、いわゆる王族である。

 

 しかも現国王の八男。つまり、末席とは言え身分は王子様と言うわけだ。

 

 その為、一応、王宮に出入りする権限は持っている。

 

 その日、リオンはイギリス王宮に参内していた。

 

 長らく地中海艦隊に所属し、本国を留守にしてたリオン。

 

 しかし、本国艦隊に配置換えになり、こうして王宮にも足を運ぶことができるようになった為、どうしても会っておきたい人物に、この際だから会っておこうと考え、わざわざ時間を作り、ロンドンまで足を運んだのだ。

 

 王宮に入り、長い廊下を歩いて目的の部屋を目指す。

 

 部屋の前にいる兵士に来訪を告げる。

 

 殆ど待たされる事無く、入室を許可される。

 

 足を踏み入れると、部屋の中の様子が目に飛び込んできた。

 

 華美にならない程度に整えられた室内。

 

 いかにも派手さを嫌う、部屋の主の趣味を現している。

 

 その中央に置かれた大型のベッドの上で上体を起こした人物が、リオンの姿を見て微笑みを浮かべた。

 

「やあ、リオン、久しぶり。来てくれたんだね。うれしいよ」

 

 部屋の主である青年は快く、リオンの来訪を迎え入れる。

 

 対して、リオンも微かに笑みを見せると、ベッドへと歩み寄った。

 

「お久しぶりです、兄上。お加減、良さそうですね」

「うん。おかげさまでね。最近はすごく、調子が良いんだ」

 

 そう言うと、青年は読んでいた本を傍らに置いた。

 

 リオンの兄であるこの人物。

 

 名を、アルフレッド・ウェールズ侯爵と言う。

 

 現国王の長男。

 

 すなわち、この国の次期国王でもある、皇太子の地位にあった。

 

「こっちは寒いだろう。地中海はあったかいらしいからね」

「ええ、まあ。それに、あっちは良いところですよ、飯は美味いですし」

「アハ、それは良いね。私も一度行ってみたいよ」

 

 リオンの話に、笑みを浮かべるアルフレッド。

 

 こうして兄と会話する事はリオンにとっても楽しい事だった。

 

 とある事情から、他の兄弟たちからは疎まれているリオンにとって、王宮の中での見方は、このアルフレッドだけと言って良い。

 

 だからこそ、任務の合間に王宮を訪れては、こうして兄に会いに来る事は、リオンが帰国した際の、半ば自分に課している義務と言って良かった。

 

「けど、やはり祖国は良い。落ち着きます。海外じゃこうはいかない」

 

 実際のところ、海外にいれば居心地のいい場所はたくさんある。

 

 水が合う、と言う事だろうが、港の雰囲気や、その国を取り巻く状況が合致すれば、長居したくなる場所はあるものだ。

 

 しかし、どれだけ居づらくとも、それがたとえ他国との戦争状態であったとしても、祖国に勝る場所はないと言う事だ。

 

「今度は、少しは長くいられるのかな?」

「いえ、兄上・・・・・・・・・・・・」

 

 尋ねるアルフレッドに対し、リオンは言葉を濁す。

 

 正直、今回もあまり長居はできそうにない。

 

 大陸での戦況が、予断を許されない状況にある。上層部は近々、ドイツ軍が新たな軍事行動を起こすだろうと予測していた。

 

 北を制したドイツが、次に向かうとすれば、西以外にあり得ない。

 

 すなわち、連合軍の主力を成すフランスへの侵攻だ。

 

 フランスは海を隔ててイギリスと隣接している。

 

 万が一、フランスが敗れるような事があれば、次はイギリス本土が直接、攻撃に晒される事になる。

 

 その為、既にイギリスも手を打っている。

 

 3個軍団を主力とする大陸派遣軍(B E F)をフランス北部に送り込み、国境の防衛に当たっている。

 

 恐らく本国艦隊にも出撃命令が下る事だろう。既に「ベルファスト」にも待機命令が出されている。

 

 リオン自身、今日この足で、艦へと戻らなければならない。

 

「そうか。忙しいんだもんね。ごめんね、変な事言ってしまって」

「いえ、兄上、勿体ないお言葉です」

 

 そう言って、アルフレッドは力なく笑う。

 

 側近たちに聞いた事だが、この兄には、戦況については詳しく聞かせていないのだと言う。

 

 体の弱い兄が、苦戦している状況を知れば体調を崩しかねない、との配慮だった。

 

 いい事だと思う。

 

 正直、王宮は華やかなりし、とはいかない場所だ。

 

 光があれば影がある、などと使い古された言葉を出すまでもなく、イギリス王室にも暗部は存在している。

 

 陰謀はヘドロのようにこびりつき、美しい白の外壁、その裏側にこびり付いている。

 

 そうした醜い部分を、わざわざ病弱な兄に見せる事はなかった。

 

「残念だよ。リオンが聞かせてくれる他の国の話は、本当に面白いから、楽しみにしていたんだが」

「次に帰ってきた時に、必ずお聞かせしますよ」

 

 正直、「次」があると言う保証はない。

 

 先のナルヴィク沖ではリオン達が勝利したが、次は必ずドイツ海軍も主力を繰り出してくる事だろう。

 

 ノルウェー沖での戦闘詳報は、リオンも読んでいる。

 

 かなり手ごわい相手だ。

 

 「ベルファスト」だって、いつ沈められるか分からない。アルフレッドとは、今生の別れになる可能性だってあるのだ。

 

 だが、

 

「楽しみにしているよ」

 

 アルフレッドは何も言わず、ただそう言って、リオンに微笑むのだった。

 

 

 

 

 

 

 兄に見送られて部屋を出るリオン。

 

 やはり、帰ってきて良かった、と思う。

 

 こうして兄に会えただけで、戦場で受けた心の傷が消えていくようだった。

 

 リオンにとって、それだけ兄、アルフレッドは大きな存在だった。

 

 と、

 

「リオンっ」

 

 呼びかけられて顔を上げると、艦娘の少女が駆け寄ってくるのが見えた。

 

 ベルファストだ。

 

 付き添いと言う形で連れてきたが、流石に兄の部屋にまで同道させる事はできない為、別室で待ってもらっていたのだ。

 

 並んで歩く少女に、歩幅を合わせる。

 

「どうだった、お兄さん?」

「また、少しやせたみたいだ」

 

 兄の病状が日に日に進行してきている事は、リオンの目から見ても明らかだった。

 

 兄は長くない。

 

 素人のリオンの目から見ても、それは判るくらいだった。

 

 だからこそ今、王宮は後継者問題で揉めている。

 

 果たしてアルフレッドはどれくらい保つのか?

 

 そして、その後釜には誰が座るのか?

 

 王宮内は、そんな醜い思惑で溢れているのが現状だ。

 

 一部の心ある人たちがアルフレッドを守ってくれていると思うと心強かった。

 

「そっか、心配だね」

 

 ベルファストが、目を伏せながら言った。

 

 彼女はアルフレッドとは会った事がない。

 

 しかし、それでもこうして、兄の事を心配してくれる。

 

 そういう、少女なのだ。

 

「今度、紹介するよ、兄上の事」

「え? それってどういう・・・・・・」

 

 問い返そうとするベルファスト。

 

 だが、

 

 その言葉は、耳障りな金切り声によって遮られた。

 

「やあやあやあッ 久しぶりに王宮に来て、ずいぶんと泥臭い匂いがすると思ったら、それもそのはず、泥塗れの物乞いがいるから当然の事だったな!!」

 

 振り返るリオンとベルファスト。

 

 その視界の先で、取り巻きを引き連れて歩いてくる男がいるのが目に入る。

 

 その姿を見て、リオンはかすかに目を細め身構える。

 

 ディラン・ケンブリッジだ。

 

 第2王子はリオンの姿を見るや、無遠慮に歩み寄ってくる。

 

 その表情には、明らかな侮蔑が見て取れた。

 

「お久しぶりです、ディラン兄上」

「貴様ッ!!」

 

 激高したのはディランではなく、彼の取り巻きだった。

 

「卑しい庶民出の分際で、ディラン様の名を口にするとはッ 恥を知れ恥を!!」

「ここは貴様が如きクズが来るような場所ではないッ とっとと失せるが良い!!」

 

 たちまち、他の取り巻きからも「そうだ」「そうだ」と追従が上がる。

 

 リオンに対して罵詈雑言を浴びせる、ディランの取り巻き達。

 

 黙して状況を見守っているのは、アルヴァン・グラムセルくらいの物だった。

 

 八男とは言え、仮にも王族に対する言葉ではない。

 

 その理由は、先ほどの言葉の中にあった。

 

 アルフレッドとディランは、現国王の正室から生まれた子供。

 

 正室の女性は既に他界したが、侯爵家出身の、身分が高い女性だった。

 

 そして他の王子たちも、多少の身分差はあれ、皆、貴族出身の女性だった。

 

 そんな中、リオンの母だけは、平民出の身分が低い女性だったのだ。

 

 その為、王族は勿論、彼らの取り巻き達の中には、このように公然とリオンを侮蔑する者は少なくなかった。

 

「まあ、落ち着け皆。ここは王宮だ、そう騒がしくするものではない」

 

 余裕を湛えた様子で告げるディラン。

 

 すると、それまで騒々しくリオンを罵倒していた取り巻き達は、ピタリと声を上げるのをやめる。

 

 そこで改めて、ディランはリオンに向き直った。

 

「なあ、リオン。俺は今度、最新鋭戦艦の艦長に内定したぞ」

「それは・・・・・・おめでとうございます」

 

 ノルウェー沖海戦において、乗艦の「ラミリーズ」を撃沈されたディラン。

 

 本来であるならば、軍法会議にかけられ予備役編入されてもおかしくない。

 

 しかし、それはできなかった。

 

 ディランは今や「ノルウェー沖の英雄」として、国民から絶大な人気を誇っているのだ。

 

 ノルウェー沖海戦から帰還した後、徹底した情報操作と隠ぺいが行われた。

 

 その結果、ディランは「ナチスの卑劣な攻撃によって乗艦を撃沈される災禍に見舞われながらも、不屈の闘志と不退転の意思でもって生還を果たした英雄王子」としてのイメージが定着してしまった。

 

 無論、彼が旗艦「ロドネイ」やフォーブス以下、本国艦隊司令部幕僚を守り切れなかった事や、戦いに際して敵艦1隻すら撃沈できず無様な戦いをした事、取り巻きに抱えられた情けない姿で、誰よりも早く艦から降りた事などは一切、誰にも知らされていない。

 

 全ては王室ぐるみで行われた隠蔽工作の成果だった。

 

 その為、今やイギリス国民の誰もが、ディランの「大活躍」を賞賛し、今後の戦いぶりに期待している状態である。

 

 その様はまるで救世主の如く。

 

 そんなディランの人気に比べたら、ナルヴィク沖のリオン達の勝利など、あって無いような如く扱われていた。

 

「お前もせいぜい頑張るんだなッ はいつくばって地べたでも舐めれば、私の万分の一くらいは人気が出るかもしれんぞッ まあ、泥臭いお前には無理だろうがなッ」

 

 そう言うと、ゲラゲラと下品な笑いを浮かべながらリオンの脇を通り過ぎていく。

 

 取り巻き達もまた、リオンを見てニヤニヤと笑い、ディランに続く。

 

 ただ1人、アルヴァンだけは、立ち止まってリオンに一礼して去って行った。

 

 あとに残されたのは、リオンとベルファストのみ。

 

「ちょっと、リオンッ」

 

 ディランたちの背中を見送りながら、少女が声を上げる。

 

「何で言われっぱなしにしとくのよッ あんな言い方、ぜったいおかしいでしょ!!」

 

 あまりに理不尽な様子に、怒りの声を上げるベルファスト。

 

 だが、

 

「良いんだ」

「良くないよ!! 何だって、あんな・・・・・・」

「良いんだ、ベル」

 

 強い口調で、少女を制するリオン。

 

 自分が嫌われている事は知っているし、今更気にもならない。

 

 何より、英雄なんぞに興味は無い。

 

 要は最終的にナチスを打倒し、イギリスが勝利を掴めればそれで良い。

 

 それが、リオンの偽らざる本音である。

 

 こんなくだらない事に気を使うのは、時間の、無駄以外の何物でもなかった。

 

 最も、彼に付き従う少女の方は、どうもいかないらしく、

 

 ベルファストは不満顔を浮かべてリオンを睨んでいる。

 

 そんな少女の様子に、リオンは苦笑する。

 

「ほら、不貞腐れてないでさっさと行くぞ。そろそろ艦に戻って、準備しないと」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 踵を返して、背を向けるリオン。

 

 その背中を、不満顔で見詰めるベルファスト。

 

「・・・・・・まったく、もうッ」

 

 足音も荒く追いかけると、並んで歩く。

 

 そんな少女の様子に、リオンはクスッと笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 公園のベンチに腰掛け、買ってきたソフトクリームを口に運ぶシャルンホルスト。

 

 時刻は夕暮れ迫る頃

 

 1日、遊び倒した2人は、最後に港近くにある公園に来ていた。

 

 そんな少女の様子を、横に座って眺める。

 

「あむ・・・・・・んむ・・・・・・」

 

 白いクリームを夢中になって口に運ぶ少女の姿に、エアルは自然と口元を綻ばせる。

 

 連れてきて良かった。

 

 正直なところ、病み上がりなシャルンホルストを連れまわす事に、抵抗がなかったわけではない。

 

 しかし、こうやって喜んでくれている姿を見れらただけでも、甲斐はあったとと思えるのだった。

 

 やがて、ソフトクリームを食べ終わったシャルンホルストは、エアルへと向き直る。

 

「あー おいしかった。ご馳走様、おにーさん」

「どういたしまして」

 

 立ち上がり、ゴミ箱へと紙くずを投げ入れる少女。

 

 どうやらもう、すっかり元気になったようだ。

 

 出撃命令がいつ降りるか分からない現状、シャルンホルストの回復は喜ばしい事。これでドイツ海軍は十全に力を発揮できる。

 

 否、

 

 そんな上辺の事ではない。

 

 彼女が元気になってくれた事が、エアルには単純にうれしかった。

 

 だからこそ、だろう。

 

 今日、彼女を誘ったのは。

 

「ねえ、おにーさん」

 

 クルッと振り返るシャルンホルスト。

 

「今日は本当にありがとう。ボク、楽しかったよ」

 

 その顔に、

 

 ニコッと、愛らしい笑顔を浮かべる。

 

 その笑顔に、

 

 思わず、ドキッとするエアル。

 

「あ、う、うん・・・・・・・・・・・・」

 

 夕日に染まる、少女の笑顔。

 

 その可憐さに、思わず声を詰まらせるエアル。

 

「ん? どうかした、おにーさん?」

「い、いや、何でもない、よ」

 

 不思議そうに覗き込んでくるシャルンホルストに、慌てて、目を逸らす青年。

 

 だが、

 

 少女の笑顔を見てから、胸が高鳴るのを抑えられないエアル。

 

 いったい、どうしたというのか?

 

 自分でも戸惑うしかない事態に、エアルはただ、少女の顔を直視できずにいるのだった。

 

 

 

 

 

第14話「猫の歩みは亀より遅い」      終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベッドに入ったまま、目を開く。

 

 買ってもらった、黒猫のぬいぐるみをそっと抱きしめた。

 

 時刻は既に10時を回っている。

 

 とっくに消灯の時間である。

 

 しかしシャルンホルストは、昼間の余韻に浸ったまま、まだ眠れずにいた。

 

 楽しかった。

 

 エアルと初めてのデート。

 

 もしかしたら、エアルにはそんなつもりはなかったのかもしれない。単純に退院したお祝いのつもりだったのかもしれない。

 

 しかし、それでも良かった。

 

 エアルと一緒に買い物して、食事をして、楽しくおしゃべりもした。

 

 ただそれだけで、心が踊ってやまない。

 

 戦争は続く。

 

 次の出撃も近い。

 

 あるいはもしかしたら、自分も沈むかもしれない。

 

 しかし今、こうしてエアルと共にあり、共に歩むことができる。

 

 その事が、少女にはとても幸せに感じる事が出来た。

 

 この感情が何なのか、少女はまだ知らない。

 

 しかし、

 

 エアルの事を考えるだけで、心がふわふわと浮かび上がるような温かさを感じるのだった。

 

「・・・・・・・・・・・・おにーさん」

 

 そっと呟くきながら、

 

 少女は黒猫のぬいぐるみを抱きしめるのだった。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 エアルもまた、眠れぬ夜を過ごしていた。

 

 昼間に見たシャルンホルストの笑顔。

 

 少女らしい、その仕草。

 

 思い出すだけで、胸が高鳴るのを感じる。

 

 いったい、自分はどうしてしまったのか?

 

 手にしたグラスに入った琥珀色の液体に口を付け、グイっと煽る。

 

 喉が焼けるような感触と適度な苦み。

 

 しかし、どんな美味い酒も、エアルの心を満たしてはくれない。

 

「・・・・・・・・・・・・シャル」

 

 自分の胸に芽生えた小さな気持ち。

 

 その気持ちの正体に、エアルはまだ気づいてはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、

 

 激流の如く流れる時代は、そんな青年や少女の想いを、容易く洗い流していく。

 

 ドイツ第3帝国総統官邸。

 

 その会議室に居並ぶ面々は、席に座っている。

 

 今この場には、ドイツ帝国を構成する頭脳とも呼ぶべき人々が揃っていた。

 

 政治、経済を司る閣僚たち。

 

 そして勿論、陸、海、空3軍の首脳部。

 

 その中に、ウォルフ・アレイザーの姿もあった。

 

 緊張が続く中、やがてヒトラーが入室すると、一同は立ち上がって向き直る。

 

 ヒトラーが一堂に向き直る。

 

 同時に、全員が右手の指先を揃え、斜め上へと真っ直ぐ突き上げた。

 

『ハイル・ヒトラー!!』

 

 ナチス式の敬礼が唱和する。

 

 ヒトラーが手を上げると、一同もうでを下ろして着席する。

 

「諸君、いよいよだ。既に準備はできている事と思う。すでに最終的勝利は我がドイツと決まっているが、その勝利を諸君の手で、より確実な物としてもらいたい」

「既に全軍、配置に着いております」

 

 答えたのは、国防軍総司令官のカイテル元帥である。

 

「後は、総統閣下のお下知を頂くだけです」

「うむ」

 

 ヒトラーの言葉に、頷く一同。

 

 皆、一様に士気は高い。

 

 これなら確実に勝利を掴むことができるはず。

 

 確信と共に、ヒトラーは言い放った。

 

「これより我が軍は、フランス共和国に対する侵攻作戦を開始するッ!!」

 



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第15話「黄の場合」

 

 

 

 

 

 

 

 

 号砲が鳴り響き、蹂躙が大地を席巻する。

 

 鋼鉄と爆炎によって彩られた殺戮者の群れが、一斉に西を目指す。

 

 その怒涛の如き進撃は、何者をもってしても防ぎ止める事は不可能だろう。

 

 空には怪鳥が舞い、死の雨を降らせていく。

 

 その圧倒的な「死」を前に、人々はただ恐怖に怯え、逃げ惑う事しかできないでいた。

 

 1940年5月10日。

 

 ドイツ第三帝国総統アドルフ・ヒトラーはついに、満を持してフランス侵攻のゴーサインを出す。

 

 ドイツ帝国軍による対仏侵攻作戦「黄の場合」発令

 

 陸軍各部隊が、一斉に進撃を開始した。

 

 目標は、第1次世界大戦以来の仇敵の一角、フランス共和国。

 

 国境線に集結したドイツ陸軍は、A軍集団、B軍集団、C軍集団の3隊に分かれ、それぞれ、フランス領を目指した。

 

 一方、

 

 フランス軍、及びイギリス大陸派遣軍から成る連合軍は、眦を上げてこれを迎え撃つ。

 

 双方の戦力はドイツ軍335万、連合軍330万と、ほぼ互角。

 

 しかし連合軍、特に主力を成すフランス軍には、ドイツ軍に勝つ絶対の自信があった。

 

 彼等には最大にして最強の切り札が存在しているのだ。

 

 その切り札こそ、仏独国境に建設された大規模要塞線「マジノ線」の存在だった。

 

 フランス陸軍大臣アンドレ・マジノによって提唱され、第1次世界大戦の英雄である陸軍最高顧問フィリップ・ペタンの後押しによって完成したこの巨大要塞線は、全長140キロメートル、総延長340キロメートル、15キロメートル間隔毎に主要要塞が合計108存在している。

 

 第1次世界大戦時、悲惨な塹壕戦を経験したフランス軍は戦後、ドイツ軍との更なる戦争を想定。その際、塹壕戦によって無益に戦力を消耗するのではなく、国境線に長大な要塞線を形成し、侵攻自体を不可能にしてしまおうと言う考えが広まり、実現したのが、このマジノ線だった。

 

 マジノ線は峻厳な山岳地帯と地下構造によって構成され、その装甲は最も厚いところでは350センチのコンクリートで覆われている。

 

 火力も高く、無数と称して過言ではない大小の火砲によって武装されている。当然、砲座は分厚い装甲の内部に収められており、敵の反撃に対して高い防御力を発揮可能。一部の大型砲は引き込み式になっており、要塞内部に格納可能な為、必要時には迫出して砲撃を行い、装填の際には要塞内部に格納する事も出来る。

 

 言うまでも無く、司令部、弾薬庫、発電機室等、重要区画は地下深くに設けられ、経戦能力は高い。

 

 更に戦闘面だけではない。

 

 いざ戦闘になれば、長期間の籠城も予想される。その為、映画館や運動場など兵士たちの娯楽施設や食堂も完備している他、内部には列車まで走っており、兵員の移動や兵站の補充が迅速に行えるようになっている。

 

 古今東西、マジノ線は間違いなく世界最強の要塞と言っても過言ではなかった。

 

 因みに総工費は160億フラン、維持・改修費に140億フラン掛かっている。

 

 戦艦「大和」がだいたい200隻造れる。と言えば、少しは判り易いだろうか?

 

 このマジノ線に、フランス軍は主力の精鋭部隊を配置。ドイツ軍を万全に体勢で待ち構えていた。

 

 フランス軍の士気は高い。

 

 自分達は決して負けない。

 

 なぜなら、このマジノ線があるのだから。

 

 この無敵の超要塞があれば、ドイツ軍如きが何百万人攻めてこようが負ける事はあり得ない。

 

 奴らがマジノ線に攻め寄せてきたところを、要塞の火力と防御力で撃退。

 

 総崩れになったところに主力軍が打って出て、散々に追い散らしてやるのだ。

 

 まさに、完璧な戦略だった。

 

 やがて、マジノ線のすぐ手前まで攻め寄せてくるドイツ軍。

 

 フランス軍将兵の誰もが固唾をのんで見守る中、ドイツ軍は要塞の射程距離ギリギリのところで進軍を停止した。

 

 それを見て、ある者は満足し、ある者は安堵し、またある者は失笑する。

 

 そら見ろ、奴らは恐れを成して足踏みを始めたぞ。やはりマジノ線は無敵だ。

 

 フランス軍将兵の誰もが、勝利を信じて疑わなかった。

 

 だが、

 

 破滅は音も無く、彼等の背後から忍び寄っていた。

 

 フランス侵攻に先立ち、ドイツ軍はフランス北方に位置する、オランダ、ルクセンブルク、ベルギーと言った所謂「低地諸国」と呼ばれる国々を攻略。ここに橋頭保を築いていた。

 

 連合軍も勿論、北部方面からドイツ軍が侵攻してくる事を予想し、イギリス軍を主力とする部隊を国境線付近に配置、迎え撃つ体制を整えていた。

 

 だが一点、連合軍側の戦略には大きな穴があった。

 

 フランスの北側に国境が隣接するベルギー。

 

 このベルギー国境にはマジノ線は存在せず、また部隊も二線級の予備部隊を少数配置していたのみだった。

 

 これには理由があり、まずマジノ線が延長されなかった点については、隣国ベルギーを刺激したくないと言う、フランス政府の政治的配慮があったからである。マジノ線はあくまでドイツ軍に対する備えであり、下手にベルギー国境まで広げて、隣国に警戒心を与えたくないと言うのがフランス政府の思惑だった。

 

 更にもう一つ。

 

 フランスとベルギー国境には、広大な面積を誇る「アルデンヌの森」が存在している。

 

 ここは海抜350メートルから500メートルの高地に存在し、鬱蒼とした森林地帯となっている。中には湿地帯も多数存在し、軍隊の通行は不可能と考えられていた。

 

 その為、連合軍はアルデンヌ方面に戦力を殆ど回さず、防御陣地も、要塞とは名ばかりの、土嚢や鉄条網が若干数存在するだけだった。

 

 誰もがまさかと思う事。

 

 だが、

 

 その「まさか」が起こってしまった。

 

 開戦から3日後の5月13日。

 

 機甲部隊を中心にしたドイツA軍集団が突如、この絶対不可能と言われたアルデンヌの森を突破。

 

 貧弱な防御陣地しか持たない守備部隊を、殆ど一瞬で撃破し、連合軍左翼部隊の背後に回り込んだのである。

 

 A軍集団は絶大な機動性を活かして、英仏海峡方面へと転進、連合軍左翼を構成するイギリス大陸派遣軍の背後から攻撃を加えた。

 

 慌てたのは連合軍である。

 

 全く予期していなかった方向から、まさかの攻撃を受けた事で、完全に大混乱に陥ってしまった。

 

 ただちにパリ方面へ後退しようとする連合軍だったが、パリへの退路は既にA軍集団によって封鎖されている。

 

 更に、低地諸国を席巻したドイツB軍集団が彼等の正面から迫り、A軍集団と連携して包囲体制を構築しようとしていた。

 

 連合軍は、完全に追い詰められた形だった。

 

 一方その頃、マジノ線周辺は不気味なくらいに平和な状態が続いていた。

 

 ドイツ軍の残る1群、マジノ線前面に展開したC軍集団は、遠巻きに要塞を眺めるだけで、一切攻撃を仕掛けてくる素振りは無い。

 

 それに対し、マジノ線に配置されたフランス軍主力は、身動きが取れなかった。

 

 もし今、友軍救援の為にマジノ線から後退すれば、正面のC軍集団がマジノ線に総攻撃を仕掛けることは間違いない。

 

 無敵の要塞が無敵足り得るのは、援護してくれる機動戦力の存在があればこそである。機動戦力の無い要塞など、文字通りの袋のネズミだった。

 

 勿論、フランス軍側からドイツ軍側へ逆侵攻を仕掛ける事も出来ない。そうなれば、折角の要塞の利点を捨てる事になるばかりか、手ぐすね引いて待ち構えているC軍集団から集中攻撃を喰らう事は目に見えていた。

 

 ドイツ軍も馬鹿ではない。

 

 そもそもC軍集団の目的は、マジノ線方面のフランス軍を引き付けて拘束する事にある。

 

 彼等はマジノ線の存在は当然、戦前から知っていた。

 

 そこに無敵の要塞があるからと言って、何も正面から仕掛ける必要など微塵もない。

 

 どのみち要塞は動けないのだから、適当にけん制して身動きできないようにしてしまえば良い。その間に別働した部隊が背後に回り込んでしまえば要塞の意味は無くなるのだから。

 

 退く事も、攻める事も出来ず、フランス軍主力は完全に進退窮まってしまった。

 

 ドイツ軍によるアルデンヌ奇襲。

 

 その作戦構想自体は、第1次世界大戦以前から存在していた。

 

 1905年、当時のドイツ軍参謀総長アルフレート・シュリーフェンによって提唱された作戦案、所謂「シュリーフェン・プラン」が元となっている。

 

 この「シュリーフェン・プラン」では、右翼の戦線を強化し、地図上で反時計回りに進軍して敵の背後を突く事になっていた。

 

 まさに、今回のフランス侵攻と同じ形である。

 

 だが、そのシュリーフェン・プランに、更なる修正を加えた者がいる。

 

 彼は敵が兵力をアルデンヌ近辺に戦力を殆ど配置していない事を見抜き、敢えて、不可能と言われたアルデンヌ突破を作戦案に盛り込んだのだ。

 

 その人物こそ、後にドイツ第三帝国最高の名将と称えられる事になるアルフレート・マンシュタイン将軍だった。

 

 当初、マンシュタインの案は実現不可能と判断され、陸軍内部では誰も見向きもしなかった。

 

 しかし、その独自性と発想の柔軟さに目を付け、採用した人物がいる。

 

 誰あろう、総統アドルフ・ヒトラー自身である。

 

 ヒトラー自身、第1次大戦の折、最前線で塹壕戦を戦った経験のある人物。それだけに消耗戦の悲惨さ、虚しさ、非効率性は心得ている。

 

 それだけに、マンシュタインが立案した作戦の意義を正しく理解していた。

 

 もし成功すれば、少ない戦力でフランス軍の戦線を、極短時間の内に突き崩す事が出来る。

 

 そして、事実としてそうなった。

 

 ドイツ軍の機甲部隊に中央突破された連合軍は壊乱状態に陥り、撤退もままならないまま、徐々に海岸線方向へ追い詰められつつあった。

 

 そして、

 

 フランス軍が絶対の自信を持ち、実に300億フランもの予算を掛けて建造したマジノ線はと言えば、

 

 木偶の坊な巨人の如く、戦線の遥か後方で、その無駄にでかいだけの図体を虚しく晒しているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 5月も下旬に入り、フランスにおける戦況は、ますますドイツ軍有利に傾いていた。

 

 成す術も無く、蹂躙されていくフランスの大地。

 

 頼みの要塞は役に立たず、兵士たちは虚しく戦場に倒れていく。

 

 悲惨なのは、イギリス大陸派遣軍を中心とした連合軍左翼部隊であろう。

 

 南からは戦線を突破して後方に回り込んだドイツA軍集団が、北からは大軍を擁するB軍集団が迫り、包囲網を狭めようとしている。

 

 5月21日。

 

 連合軍はなけなしの戦力を結集。アラスの地においてドイツ軍への反撃を試みる。

 

 ドイツ軍のA軍集団は、急激な進軍によって連合軍の背後に回り込んだわけだが、逆を言えば、そのせいで戦線から孤立している状態にある。

 

 そこを突き、各個撃破しようと言うのである。

 

 1万5000の戦力で、ドイツ軍に奇襲を仕掛けた連合軍。

 

 しかし、その攻撃は見事に頓挫する事になる。

 

 今回、相手があまりにも悪かったと言わざるを得ない。

 

 この時、攻撃を受けたドイツ軍部隊を指揮していたのは、アルフォンス・ロンメル将軍。後に「砂漠の狐」の異名で呼ばれる事になる、ドイツ軍きっての名将である。

 

 攻撃によって損害を受けたロンメルだったが、すぐさま体勢を立て直すと、連合軍に対し果敢に反撃。微弱な抵抗を押し返してしまった。

 

 結果、連合軍の反撃は、ドイツ軍に対し僅かな損害を与えたのみで失敗に終わった。

 

 いよいよもって追い詰められる連合軍。

 

 徐々に、海岸線へと押し込まれていく。

 

 その先の地名には、こう書かれていた。

 

 「ダンケルク」

 

 と。

 

 

 

 

 

 陸軍がフランスの大地で快進撃を続ける頃、ドイツ海軍にもまた出撃の命令が下されていた。

 

 目的は、フランス沿岸部に追い込まれつつある、連合軍主力部隊に対する艦砲射撃。

 

 南からはA軍集団が、北からはB軍集団が、そして海上からは艦隊が取り囲み、完全包囲して連合軍を殲滅する作戦だった。

 

 キール軍港を出港したドイツ艦隊は、ラインハルト・マルシャル大将指揮の下、カテガット海峡、スケガラック海峡を抜け、オランダ北方海域に出た。

 

 このまま進路を南西に取り、フランス沿岸を目指す事になる。

 

 連合軍はダンケルクの海岸に追い詰められつつある、との情報を得ているので、これを捕捉、撃滅するのだ。

 

 よしんば、こちらの動きを察知して、敵が内陸に避退したとしても、既に陸軍が包囲網を敷いているので逃げ場はない。

 

 文字通り、袋のネズミだった。

 

 出撃したドイツ艦隊の編成は、以下の通りである。

 

 

 

 

 

〇ドイツ海軍 第1艦隊

巡洋戦艦「シャルンホルスト」(総旗艦)「グナイゼナウ」

装甲艦「アドミラル・シェア」

重巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」

軽巡洋艦「ニュルンベルク」「ライプツィヒ」

駆逐艦8隻

 

 

 

 

 

 ナルヴィク沖海戦で多数の艦艇を失い、さらに多方面での作戦を展開しなくてはならないドイツ海軍にとって、現状、動かせる艦を総動員しての出撃である。

 

 そんな中で、「シャルンホルスト」の修理が間に合ったのは幸いだった。

 

 イギリス艦隊が阻止行動に出てくる事も予想される関係から、火力が高い艦の参加は望ましいところ。流石に「グナイゼナウ」1隻では心もとないところであった。

 

 徐々にダンケルクへと接近する艦隊。

 

 このまま行けば、陸軍の総攻撃に間に合わせる事が出来る。

 

 誰もが、そう思っていた。

 

 だが、

 

 誰もが予想だにしない事態が、一同に振りかかるのだった。

 

 

 

 

 

「何だ、これッ!?」

 

 手にした電文に目を通したエアルは、思わず声を張り上げる。

 

 艦橋内にいたシャルンホルストやマルシャルが振り返る中、エアルは内容を確認するように、もう一度読み直す。

 

 だが、何度読み直したところで、内容が変わる事は無かった。

 

 険しい顔をするエアルに対し、シャルンホルストが怪訝な面持ちで声を掛ける。

 

「どうしたの、おにーさん? 『お腹を撃たれた刑事』ごっこでもしてるの?」

「いや、そうじゃなくて」

 

 「何じゃそりゃー」と一同が心に思った事をスルーしつつ、エアルから電文の紙を受け取るシャルンホルスト。

 

 そこで、

 

 ふと、エアルとシャルンホルストの目が合う。

 

「「・・・・・・・・・・・・あ」」

 

 共に動きを止めて向かい合う、青年と少女。

 

 思い出すのは、先日の「デート」での事。

 

 あれ以来、エアルとシャルンホルストは、己の内に、自分でも分からない感情を抱え込むようになっていた。

 

 どうしても、相手を意識せずにはいられない。

 

 相手の顔を見るのが、何となく気恥ずかしい。

 

 そんな事を、互いに思っていた。

 

 その為、出撃してからも、事務的なこと以外は、殆ど会話らしい会話もしないまま来てしまった。

 

「シャ、シャル?」

「う、うん、ごめん」

 

 促され、慌てて電文を受け取るシャルンホルスト。

 

 なぜか、お互いに顔が熱くなるのを感じていた。

 

 だが、

 

 渡された電文の内容を読むなり、少女も顔を険しくする。

 

「提督、これ」

「見せてみろ」

 

 シャルンホルストから電文を受け取ると、マルシャルも素早く読み進める。

 

 その顔は、2人同様、すぐに険しい物となった。

 

《だんけるく突入ハ中止トス。第1艦隊ハ、直チニきーるヘ帰投セヨ》

 

 電文には、そう書かれていた。

 

 帰投。

 

 即ち、作戦自体を中止する事を意味している。

 

 今更なぜ? と思う。

 

 既に陸上での包囲網は完成しつつある。ここで艦隊が突入すれば、敵は逃げ場を失う事になる。

 

 後は逃げ場を失った敵を、包囲殲滅するのみ。

 

 まさに完璧な作戦。

 

 なのになぜ? と思う。

 

 なぜ今、作戦を中止する必要があるのか?

 

「敵の偽電の可能性は?」

 

 問いかけるマルシャル。

 

 追い詰められた敵が、時間を稼ぐために偽の電文を打ち、こちらの混乱を狙った可能性はある。

 

 だが、

 

「あり得ません」

 

 エアルは言下に否定した。

 

「発信符牒が友軍の物です。それに、我が軍の暗号を、敵が解読できたとも思えませんし」

 

 ドイツ軍の暗号文は全て「エニグマ暗号機」と呼ばれる、高性能暗号機によって作成されている。

 

 これは第2次大戦当時、世界最高とも言われた暗号機であり、ドイツ軍の快進撃の裏には、このエニグマ暗号機の存在が大きかった。

 

 つまり、この電文は、間違いなく正式な命令である事を現している。

 

「どうするの、提督? おにーさん?」

 

 問いかけるシャルンホルスト。

 

 艦隊の現在、オランダ沖を航行している。明日にはダンケルクへ突入する予定になっているのだが、作戦中止ならば、ここから引き返す必要が出てくる。

 

 暫く考えた後、マルシャルは顔を上げた。

 

「全艦に通達。右一斉回答、進路0―0―0」

 

 それは真北を現す方位だった。

 

「一旦、北に転進して様子を見る事とする」

 

 マルシャルとしては、もしかしたら命令の撤回があるかもしれないと考えていた。

 

 その為、完全に進路を反転させるのではなく、暫く様子を見て、再度の命令に備えようと考えたのだ。

 

 艦を右に振り、進路を北へと向ける「シャルンホルスト」以下、ドイツ艦隊。

 

 進路はやがて完全に北へと向き、陸地から遠ざかっていくのだった。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 総統官邸の執務室において、総統アドルフ・ヒトラーが、受話器の向こうの人物に対し、静かな口調で語り掛けていた。

 

「そうだ。進軍停止だ。そう命じるように。良いな。理由だと? 余が命じた。それ以上の理由が必要とでも言うのか?」

 

 戸惑う相手を、強引にねじ伏せる論法。

 

 相手も、国家最高権力者とあっては、引かざるを得ないところだろう。

 

 傍らでやり取りを聞いているウォルフは、無言のまま直立不動を保っている。

 

 通話の相手は、国防軍最高司令官のカイテル元帥。

 

 ヒトラーはカイテルに対し、陸軍部隊の即時進軍停止と、海軍部隊の反転帰投を命じていた。

 

 やがて、通話を終えたヒトラーは受話器を置く。

 

 視線はウォルフ、

 

 ではなく、自身の目の前に立つ、もう1人の人物へと向けられた。

 

「これで良かったのだな、ゲーリング」

「ハッ ありがとうございます、総統閣下!!」

 

 答えたのは、大柄な軍服姿の男。

 

 空軍最高司令官ヘルムート・ゲーリング国家元帥。

 

 ドイツ空軍(ルフトバッフェ)の最高司令官であり、ヒトラーの側近中の側近。

 

 事実上、ナチス党のナンバー2と目される人物である。

 

 先の大戦時には自ら戦闘機を駆って戦場に立ち、多数の敵機を撃墜したエースパイロットでもある。

 

 ゲーリングは、ナチス式の敬礼をヒトラーに向ける。

 

「言った以上は、期待に応えてもらうぞ。良いな?」

「お任せください。必ずや、憎き連合軍を、ドーバーの荒波に追い落して御覧に入れます。では、ハイル・ヒトラー!!」

 

 耳に響くような大声と共に、退室するゲーリング。

 

 執務室を出ると、すぐに待機していた自身の副官に告げる。

 

「直ちに空軍全部隊に通達しろッ 《稼働全航空機を持って、ダンケルクの連合軍部隊を殲滅せよ》と。急げ!!」

「ハッ」

 

 ナチス式の敬礼をして、踵を返す副官。

 

 その背中を見送りながら、ゲーリングはほくそ笑んだ。

 

 これで良い。

 

 既に連合軍の命運は風前の灯火となっている。ここで我が精鋭の空軍が攻撃を仕掛ければ、奴らは総崩れになる事は必定だった。

 

 ゲーリングはヒトラーに対して言った。

 

 空軍の戦力を持って航空総攻撃を仕掛ければ、ダンケルクに追い詰められた連合軍を、一兵残らず殲滅してご覧に入れます、と。

 

 そう、

 

 陸軍でも、海軍でもない。

 

 自分が率いる空軍が、連合軍の主力部隊を殲滅するのだ。

 

 成功すれば、誰にも並ぶ事の出来ない、大手柄となる事だろう。

 

 そうなれば、最早誰も、自分の地位を脅かす事はできない。

 

 実のところ、ゲーリングがヒトラーに対し、このような提案をしたのは戦略的な展望があったからでも、戦術的な有効性を確信していたからでもない。

 

 早い話、嫉妬だった。

 

 誰に対してか?

 

 それは、海軍と陸軍に対してだった。

 

 この欧州の戦いにおいて、常に主役は陸軍だった。

 

 陸軍は開戦と同時にポーランドに電撃的侵攻を成功させたのを皮切りに、ノルウェー、低地諸国、更にはかつての宿敵である、大国フランスをも打倒しようとしている。

 

 海軍もまた、Uボートを始めとした通商破壊部隊が連合国の補給線を脅かし、更にはラプラタ沖、ノルウェー沖において、ヨーロッパ最強のイギリス海軍相手に勝利を収めている。

 

 空軍だけなのだ。

 

 「空軍単独での勝利」を持たないのは。

 

 勿論、言うまでもない事だが、これまでの戦いで空軍が果たした役割は計り知れない。

 

 ポーランドやノルウェー、更に今回のフランス侵攻における陸軍の電撃的な侵攻作戦の成功には、空軍の援護が大きな役割を果たしたしている。

 

 ドイツ軍の中で、空軍は確かに大きな役割を担っているのは間違いなかった。

 

 むしろ空軍なくして、ドイツ軍の勝利は無かったと言っても過言ではない。

 

 だがそれでも、ゲーリングは不満だった。

 

 自他ともに認めるナチス・ナンバー2である自分が率いる空軍が、陸軍や海軍の後塵に配される事が我慢ならなかった。

 

 そもそも軍隊の性質上、重要度が高いのは、防衛戦力として必要不可欠な陸軍、次いで物資や人員を大量に運搬する航路を守るための海軍となる。空軍は、どうしても、それら2軍の「支援部隊」としての役割の方が大きいのも事実だった。

 

 だが、そんな事はゲーリングには関係無かった。

 

 とにかく、自分の空軍が活躍しない事が我慢ならなかったのだ。

 

「今に見ていろ。真にこのドイツ軍の主役は我が空軍であると言う事を、全世界に知らしめてやる」

 

 大きな声で独り言を言いながら、ゲーリングは大股で歩いていくのだった。

 

 

 

 

 

 一方、総統執務室では、

 

 出ていくゲーリングの後ろ姿を見送った後、ウォルフはヒトラーに向き直った。

 

「よろしかったのですか閣下? あのような御命令をお出しになって?」

 

 ウォルフの目から見ても、あと一息で連合軍の撃破が成る事は明白だった。

 

 陸と海から包囲して殲滅する。

 

 戦略としては、この上ないほどに完璧に見える。

 

 わざわざ包囲網の完成に「待った」を掛けてまで、空軍に花を持たせる必要はないと思うのだが。

 

 尋ねるウォルフに対し、ヒトラーは口髭の下で笑みを浮かべながら言った。

 

「我が友、ウォルフよ、君は確かに海軍の戦略には明るいかもしれぬ。だが、『戦争経済』と言う観点から見れば、まだまだ余に敵わぬな」

 

 そう言うとヒトラーは立ち上がり、壁に掛けられている地図に歩み寄った。

 

 その一点、

 

 ダンケルクの海岸が示された場所に、ドイツ軍の戦力が集中しているのが判る。

 

 更に北海海上には、海軍の第1艦隊を示すピンも刺さっていた。

 

「確かに、陸軍と海軍で包囲殲滅すれば勝利する事も出来よう。しかしその場合、敵の抵抗にあって我が軍にも相応の被害が出る事が予測として出ている。何より、急な進軍で、前線への兵站が滞り始めていると聞く」

 

 ヒトラーの言う事は間違いではない。

 

 フランス侵攻時におけるドイツ軍の作戦行動は、攻勢においても「電撃戦が最も成功した例」として挙げられるほどに鮮やかな勝ち戦だった。

 

 しかし反面、電撃戦と言うのはとかく物資を食う戦術でもある。

 

 何しろ軍は常に前進しているのだから、物資を絶えず前線に送り届ける必要が出てくる。

 

 前線で物資を大量に消費するせいで、兵站があっという間に伸び切ってしまうのだ。

 

 そのせいで既に、ドイツ軍の兵站部門は火の車と言った感じになっている。

 

「さらに言えば、先のアラスの戦いから見ても分かる通り、連合軍にも未だに一定の反撃能力がある事が判明した。いたずらに攻撃を仕掛け、損害を出せば、この後にも差し支える事になろう」

 

 ヒトラーの言う「この後」と言うのが、何を差しているのか、ウォルフには判然としない。

 

 当面の敵であるイギリスを差しているのか?

 

 あるいは、その後ろ盾であるアメリカか?

 

 あるいは、それとも・・・・・・

 

「だが、もし、空軍が連合軍の殲滅に成功すれば、損失も兵站も最小限で済む。だからこそ余は、ゲーリングの提案に乗る事にしたのだ。判るな?」

「ハッ 総統閣下の御慧眼、感服いたしました」

 

 そう言って引き下がるウォルフ。

 

 だが、

 

 内心では、果たしてそううまく行くのかどうか、

 

 疑問を感じずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

第15話「黄の場合」      終わり

 




作中の、マジノ線と大和の予算比較ですが、

適当、

ではないのですが、間違いないか? と言われれば自信はありません(爆

何しろ、当時のフランスフランを、日本円に直接換算する計算式がどうしても見つからないので。

一応、1949年当時の米ドルに換算する形で計算してみました。

まあ、大和の建造費は日本円で1億3000万である事を考えれば、当たらずと言えども遠からずなんじゃないか、と思っています。

世界最大と言っても、大和はまだ「船」のカテゴリから逸脱してませんからね。

それに対して、マジノ線のデカさは異常ですよ(笑

ロマンはあると思いますけどね。どっちも。


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第16話「ダンケルク」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無数の小型船舶が、ひた走っている。

 

 目指す海岸は、もう目と鼻の先にまで迫っている。

 

 小型船を操る乗組員。

 

 その1人1人が、決意に満ちた眼差しを秘めている。

 

 助け出す。

 

 何としても。

 

 今、あの海岸で待っている兵士たちは、自分達にとっての希望だ。

 

 ナチスの暴虐から祖国を守ってくれる勇者たちだ。

 

 彼等を1人でも多く、本国へ連れ帰る。

 

 その決意を漲らせ、全ての船がダンケルクの海岸を目指していた。

 

 

 

 

 

 1940年5月26日

 

 イギリス軍はダンケルク海岸に追い詰められた連合軍主力部隊をイギリス本土へ脱出させるべく、大規模な救出作戦を開始した。

 

 ダイナモ作戦。

 

 世に言う「ダンケルク撤退戦」の始まりである。

 

 だが、事はそう簡単にいく話ではなかった。

 

 本来であるならば、大型船を横付けして一気に大人数を収容してしまいたい所。

 

 しかし、そうはいかない事情があった。

 

 ダンケルクは遠浅の海岸であり、大型船が入泊できる港も存在しない。

 

 そこでイギリス軍は、民間から大量の小型船舶を徴発、その全てを救出作戦に当てた。

 

 イギリス中から、それこそ遊覧船から漁船まで、ありとあらゆる船が集められた。

 

 だが、ダンケルクに集結した連合軍将兵の数は35万。

 

 その全てを救出するまでの間、当然、

 

 ドイツ軍が待ってくれるはずも無かった。

 

 

 

 

 

 鉄十字の描かれた翼を連ね、大規模な航空部隊がダンケルクを目指す。

 

 情報によれば、既に敵の一部は撤退を始めていると言う。

 

 しかし、相手は動きの遅い地上部隊と船舶。

 

 航空機の速力なら、楽に追いつけるはずだった。

 

 進撃するルフトバッフェの中には、クロウの駆るメッサーシュミットもあった。

 

 既に海岸線は眼下に見えている。

 

 このまま南下すれば、連合軍兵士が溢れている、ダンケルクに行きつくはずだった。

 

「さて、敵はどう出るかね・・・・・・」

 

 周囲に視線を巡らせ、警戒を怠らない。

 

 イギリス軍は、万難を排して連合軍の救出を行っていると聞く。ならば当然、イギリス空軍の妨害はあると考えるべきだった。

 

 その時、

 

 眼下に白い砂浜が見え、そこにまるでアリの大軍のようにひしめく、無数の兵士たちが見えた。

 

 間違いない。ここがダンケルクだ。

 

 ただちに高度を落とし、攻撃体制に入る爆撃機隊。

 

 ドルニエDo217が爆弾層を開き、ユンカースJu87スツーカが、ダイブブレーキを開いて急降下に入る。

 

 たちまち、海岸線のあちこちで大規模な爆裂が吹き上がる。

 

 炎が舞い、砂塵が突き上げられる。

 

 圧倒的な火力が、海岸全てを押しつぶさんとしているかのようだ。

 

「よしッ 良いぞ!!」

 

 愛機のコックピットで、クロウは喝采を上げる。

 

 これだけの猛爆撃を受けて、その中にいる人間が無事に済むとは思えない。

 

 このまま、敵兵を殲滅する事も、不可能ではない。

 

 そう思った時だった。

 

 突如、

 

 雲を衝く形で、飛び出してきた機体がある。

 

 驚くほど軽快な動きで爆撃機の背後に回り込むと、両翼に装備した多数の機銃を一連射する。

 

 炎を上げ、海上へと墜落していくドルニエ。

 

 その姿を見た瞬間、

 

 クロウは既に反応していた。

 

「イギリス機かッ!!」

 

 スロットルを開くと、エンジンが唸りを上げる。

 

 メッサーシュミットBf109Eは加速を開始し、今まさにドルニエを撃ち落としたイギリス機の背後へと回り込む。

 

 照準器の中に、敵機を捉える。

 

 見た事のない、スマートな機体だ。

 

 流麗なボディと翼が、却って畏怖に近い念を抱かせる。

 

「喰らえッ!!」

 

 叫ぶと同時に、トリガーを絞ろうとするクロウ。

 

 だが、

 

 機銃を発射する直前、

 

 敵機は鋭いカーブを描き、クロウの照準から外れてしまった。

 

「何ッ!?」

 

 驚くクロウ。

 

 その間にも敵機は、クロウのメッサーシュミットの背後へと回り込んでくる。

 

「させるか、よォ!!」

 

 すかさず、クロウも旋回に入る。

 

 一定の距離を置いた状態で、旋回を繰り返す両者。

 

 互いに背後を取り合う形になる為、犬の喧嘩に例えられ、「ドッグファイト」と呼ばれる事になる戦闘形式。

 

 だが、

 

「クッ 奴の方が、速いってのかッ!?」

 

 旋回を繰り返すクロウの視界の中で、敵機は徐々にメッサーシュミットの背後へと回り込もうとしているのが判る。

 

 このままじゃやられる。

 

「冗談じゃッ ねえッ!!」

 

 叫ぶと同時に、操縦桿を戻すクロウ。

 

 同時にエンジン出力を全開まで上げ、急降下に入る。

 

 クロウのこの動きに、とっさに反応が遅れた敵機を、一気に引き離す。

 

 同時に急激に反転。

 

 トップスピードのまま、敵機の上方へと斬り込む。

 

 そこで、機銃を発射する。

 

 放たれた20ミリ機銃が敵機に命中、火球へと変じさせた。

 

 大きく息を吐くクロウ。

 

 見れば、あちこちで、突如現れた敵機を前に、味方のメッサーシュミットが苦戦を強いられている。

 

 これまでにない、高い機動性を誇る機体を前に、誰もが対応できずにいるのだ。

 

 中にはクロウのように、すぐさま反撃策を思いつき実行する者もいるが、全体としてルフトバッフェ側の苦戦は免れなかった。

 

 突如、ドイツ空軍の前に立ちはだかったイギリス軍の新型機。

 

 それこそが、イギリス空軍(R A F)期待の新型戦闘機。

 

 スーパーマリン・スピットファイア。

 

 大戦全般を通じ、メッサーシュミットのライバル機として、幾度となく砲火を交える事になる機体である。

 

 直線速度と加速力に優れるメッサーシュミットに対し、スピットファイアは機動性と旋回力に優れている。

 

 これがもし、広い空間で自在に戦う事が出来たなら、メッサーシュミットも互角以上に戦う事が出来た事だろう。

 

 しかし今回は海岸上空と言う、比較的狭いエリアで戦う事を強いられている。その為、小回りが利くスピットファイアの方が有利に働いているのだ。

 

 そこでふと、クロウは眼下へと目を転じる。

 

 相変わらずドイツ空軍の爆撃は続き、爆炎は派手に踊っている。

 

 しかし不思議な事に、爆撃の派手さに比べて、敵軍は殆ど混乱していないように見えるのだ。

 

 未だ、大半の兵士たちが健在。

 

 と言うより、殆ど損害らしい損害を与えていないように見える。

 

「どういう事だよッ!?」

 

 機体を旋回させながら、状況を確認する。

 

 相変わらず、爆撃によって、炎があちこちに待っているのが見える。

 

 中には、兵士が吹き飛ぶ様子も見て取れた。

 

 しかし、それは運悪く極至近に爆弾が落下した時の事であり、そこからほんの数十メートル離れた場所に立っている兵士には、殆ど被害らしい被害は出ていない。

 

 観察すること暫し。

 

「・・・・・・・・・・・・そうかッ」

 

 ある事に思い至り、クロウは舌打ちする。

 

 爆撃の効果を減殺している物の正体。

 

 それは、海岸の砂だった。

 

 砂地は柔らかい為、爆弾は地表では炸裂せず、少し地面にめり込んだ状態で信管が作動しているのだ。そのせいで、爆風は砂が殆ど吸収してしまっているのである。

 

 敵兵に損害が殆ど出ていないのは、そのせいだった。

 

 爆撃は相変わらず、大々的に行われている。

 

 しかし、その戦果は微々たるもの。

 

 連合軍は尚も、迫るドイツ軍に対して頑強に抵抗を続けているのだった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 第1艦隊に再反転が命じられたのは、本来の突入予定日から1日遅れの事だった。

 

《先ノ命令ハ解除、第1艦隊ハ再度反転、だんけるく海岸ニ突入、連合軍主力部隊ヲ捕捉撃滅セヨ》

 

 その電文を呼んだ時エアルは、

 

 そしてシャルンホルストとマルシャルも、思わず慨嘆するしかなかった。

 

 朝令暮改と言う言葉があるが、これこそまさにそれだった。

 

 昨日の命令を今日になって撤回するなどと、あまりにも杜撰と言わざるを得ない。

 

 それに、

 

 腹立たしい以上の問題が、他にもあった。

 

「先行したUボートからの偵察で、戦艦複数を含む艦隊がダンケルク沖に展開し撤退支援を行っているようです。容易に突入は難しいかと思われます」

「うむ」

 

 ノルウェー沖で大勝したとは言え、未だにドイツ海軍はイギリス海軍に対して劣勢である事に変わりはない。

 

 戦艦を含む有力な艦隊と戦えば、大損害は免れない。

 

 否、

 

 損害を喰らうだけならば、まだ良い。

 

 一方的に撃たれ、敗北する可能性すらあった。

 

 問題はダンケルク突入が、海軍総司令部からの正式な命令である、と言う事だった。

 

 現場での駆け引き程度なら独断で行う事も許されるが、上級司令部からの命令を違える事は許されない。最悪、命令違反で処罰の対象にもなる。

 

「どうします、提督?」

 

 尋ねるエアル。

 

 シャルンホルストや他の幕僚たちも、固唾をのんでマルシャルに視線を集中させている。

 

 このまま進めば、命令違反にはならないが最悪、こちらの全滅もあり得る。

 

 ややあって、マルシャルは顔を上げると一同を見渡した。

 

「海軍司令部の命令は、既に時期を逸していると判断する。よって、この命令は現場指揮官の判断によって破棄する」

 

 マルシャルの言葉に、一同は当然、戸惑いを隠せなかった。

 

「ちょッ 提督、本当に良いの?」

「ああ。このまま突入しても、こっちの損害を増やすだけだからな」

 

 恐る恐る尋ねるシャルンホルストに、マルシャルは迷う事無く頷きを返す。

 

「でも、怒られない、偉い人とかに?」

「心配するな。俺も一応、『偉い人』だ」

 

 マルシャルのおどけた言葉に、一同は思わず笑みをこぼす。

 

 確かに、マルシャルの階級は大将。「偉い人」には違いなかった。

 

「あの、提督、意見具申、宜しいでしょうか?」

 

 挙手をしたのはエアルだった。

 

「おにーさん?」

 

 シャルンホルストはじめ、幕僚たちが怪訝そうに視線を向ける中、エアルはマルシャルをまっすぐに見据える。

 

 このまま突っ込むのは愚の骨頂。それはエアルにもわかっている。

 

 ただ、ここまで来てノコノコと本国に帰るのも、聊か間抜けな話だ。

 

 ならばせめて、連合軍に一矢なり叩きつけない事には収まらない。

 

 それは、この場にいる全員が共通する思いだった。

 

「聞こうか」

 

 乗り気になったマルシャルも、興味ありげに、エアルに向き直った。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 リオン・ライフォード中佐が指揮する軽巡洋艦「ベルファスト」は、本国艦隊の1隻としてドーヴァー海峡に進出し、撤退する大陸派遣軍の支援を行っていた。

 

 海上に遊弋する「ベルファスト」の脇を、多数の艀が通り過ぎていくのが見えた。

 

 中には手を振ってくる兵士の姿もある。

 

 今回、本国艦隊の任務は重大だった。

 

 撤退する連合軍の支援は勿論だが、もしドイツ地上軍が海岸線に迫った場合、これに艦砲射撃を仕掛ける事になっている。

 

 勿論、襲撃を仕掛けてくる可能性の高い、ドイツ艦隊への備えもある。

 

 その為、指揮は本国艦隊司令官ジャン・トーヴィ大将が、修理完了した旗艦「ネルソン」に座乗して直接執っていた。

 

 戦力としては戦艦4隻、巡洋艦8隻、空母2隻を中心に、30隻以上の艦隊がダンケルク沖に展開し、ドイツ軍の襲来に備えている状態だ。

 

 戦力的にはドイツ海軍を上回っている。正面からの激突なら、まず負ける事は無い。

 

 しかし、絶対的な優勢を持ちながら、ノルウェー沖では一敗地にまみれている事を考えれば油断はできなかった。

 

「リオン、第2陣が出発したわ。第3陣の出発は3時間後。その後、すぐに第4陣も乗り込みを始めるって」

「せわしないな」

「しょうがないよ、こんなだし」

 

 苦笑交じりのベルファストの報告を聞きながら、リオンは嘆息交じりに呟く。

 

 今回、イギリス軍は国内にあるありったけの小型船舶を徴発して脱出作戦に充てている。

 

 小型船なら乗り込みは素早くできるし、何より、海岸近くに多くの船を寄せる事が出来るので、乗り込み自体はスムーズにいっている。

 

 しかし如何せん、脱出させる兵士の数は30万である。小型船1隻に乗せれる人数などたかが知れている。その上、ドーヴァー海峡は波も荒い。無理に多くの人員を載せて転覆でもされたら目も当てられない。

 

 作戦は慎重と大胆を天秤に掛けて行わなくてはならない。

 

 幸いな事に、なぜかドイツ軍が進軍を一時中断したおかげで、ダンケルクの連合軍は防御態勢を整える事が出来た。これで大軍に攻められても暫くは持ちこたえられるだろう。

 

 海上は本国艦隊がしっかりと防御している。

 

 あとは空からの敵を防ぐ事が出来れば、脱出作戦はうまくいく。

 

 その、筈である。

 

 その時だった。

 

「北海監視中の偵察機より入電!! 《我、ドイツ艦隊の艦影を確認ッ 進路を0―7―0に向け航行中》!!」

 

 朗報だった。

 

 進路0―7―0と言えば、ほぼ真東。敵は本国へ帰還するルートを取っていると推察できる。

 

 それは疑いなく、ドイツ艦隊が撤退を開始している事を意味していた。

 

 これで、海上から敵の襲撃を受ける心配はなくなったわけだが、

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・」

「どうしたリオン? 急に黙り込んで?」

 

 一抹の不安を、拭えない。

 

 こちらが防備を固めている事は、ドイツ軍も分かっている。

 

 となれば、無理に攻めようとはせず、退却を選択するはず。

 

 まともな指揮官ならば。

 

 そうなれば、本国艦隊はこの場を動かず、ダンケルク沖を固めていれば良い事になる。

 

 の、だが、

 

「・・・・・・・・・・・・うまく、行き過ぎている」

 

 状況は追い詰められた連合軍が圧倒的に不利。

 

 にも拘らず、あらゆる状況が、イギリス側に都合よく展開されている。

 

 気に入らない。

 

 まったくもって気に入らない。

 

 こういう場合、得てして大きな落とし穴を見落としている事が多いのだ。

 

「海図を出してくれ」

「う、うん。誰か、海図持ってきてあげて」

 

 ベルファストに促され、兵士の1人が海図を運んでくる。

 

 彼女たちに手伝ってもらい、紙を広げると、素早く目を走らせる。

 

 どこだ?

 

 敵が来るとすれば、どこに来る?

 

 ダンケルクから、ドーヴァー海峡を通り、イギリス本国へ。

 

 間も無く、先行した第1陣が、本国にたどり着くはず。

 

 そこで、

 

「まさかッ!?」

 

 リオンは驚愕の声を上げた。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 テムズ川はイギリス首都ロンドンと外海を繋ぐ水路になっており、古くからロンドン市民にとって物流の生命線としての役割も担っていた。

 

 また河口は湾上に大きく広がっている為、ある程度、大型な船舶運行も可能となっている。

 

 このテムズ川があるおかげで、比較的内陸寄りにあるロンドンでも大規模な港湾施設が充実していた。

 

 ダンケルク同様、ここにも多くの船がひしめいていた。

 

 ダイナモ作戦によってダンケルクから撤退してきた船の一部が、早くもこのテムズ川河口付近に到着したのだ。

 

 陸地が見えた瞬間、連合軍兵士たちの間に歓喜が伝播する。

 

 歓声を上げる者、その場で泣き崩れる者。

 

 多くが、生きて戻れた事への喜びを噛み締めずにはいられなかった。

 

 帰って来た。

 

 生きて帰って来た。

 

 地獄のようなダンケルクを戦い抜き、ようやくここまで帰って来たのだ。

 

 戦いに敗けたのは残念だった。

 

 しかし自分達は、まだ生きている。

 

 そして、生きてさえいれば、必ず次がある。

 

 次こそは、悪逆非道なナチスドイツに正義の鉄槌を下してやるのだ。

 

 誰もが希望を秘め、徐々に近づいてくる海岸線を見詰める。

 

 次の瞬間だった。

 

 突如、

 

 巨大な水柱が突き上げられ、複数の船が同時に空中へ舞い上げられる。

 

 更に水柱は立ち上る。

 

 その度に、複数の船が巻き込まれて転覆する。

 

 ダイナモ作戦の性質上、どうしても小型船を動員せざるを得なかった事もあり、不意に襲い来る衝撃と、それに伴う津波には対処のしようがなかった。

 

 その時だった。

 

「敵だッ!!」

「ナチの戦艦だ!!」

 

 彼方を指差した兵士が声を上げる。

 

 一同が視線を向ける中、

 

 マストに鉄十字を掲げた巡洋戦艦が2隻、主砲をこちらに向けながら迫ってくる様子が見えた。

 

 

 

 

 

 速力を上げる「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」。

 

 視界の先では、逃げ惑う無数の小型船舶の姿があった。

 

 慌てて退避に移っている様子が見られるが、その動きはあまりにも遅い。そもそも、馬力の小さい小型船では大したスピードが出るはずもなく、両者の間はみるみる迫っていく。

 

 乗っている敵兵の、引きつった顔まで見えるようだ。

 

 彼等からすれば、突如現れたドイツ巡戦2隻はまさに、深海から現れた恐るべき怪物にも匹敵する事だろう。

 

「敵艦の姿はありますか?」

 

 傍らのヴァルターに尋ねるエアル。

 

 程なくして、報告が返ってくる。

 

「ありませんッ 視界内に敵影無し!!」

 

 ヴァルターの報告を聞き、エアルはほくそ笑む。

 

 作戦は図に当たった。

 

 ダンケルク海岸に突入して、敵地上軍を艦砲射撃にて撃破する事が海軍司令部からの命令だった。

 

 しかし、既にイギリス本国艦隊が手ぐすねひいて待ち構えているところに、その半数以下の艦隊で突入したとしても、勝ち目などあるはずもない。下手をすれば全滅も考えられる。

 

 そこで、エアルは考えた。

 

 要するに、敵の撤退を阻止すれば良いわけだ。

 

 となれば、あえてダンケルクに向かうよりも、撤退船団の向かう先で待ち伏せした方が良い。

 

 連合軍は小型船舶多数を作戦に徴用していると言う情報は、既にドイツ海軍もつかんでいる。小型船舶は小回りが利くが多くの荷物を運ぶ事は出来ない上、航続力も短い。

 

 となれば連合軍は同じ船を何往復もさせなくてはならないはず。

 

 当然、燃料事情も鑑みて、最短コースでイギリス本土へ向かはず。となれば、到着するのはドーヴァー市からテムズ川河口付近になる事だろう。

 

 ならば、その近辺に待機して、敵を待ち伏せるのだ。

 

 まず、敵の目を欺くため、第1艦隊は偽装の撤退航路を取る。

 

 仮にイギリス軍が第1艦隊を発見したとしても、その中にシャルンホルスト級2隻を見極める事は難しい。

 

 恐らく敵は「ドイツ艦隊は全艦が撤退した」と判断する事だろう。

 

 そうして連合軍の目を欺いておいて、「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」の第1戦闘群のみ、艦隊から分離して反転、ひそかにイギリス海岸付近まで接近する。

 

 あえて本隊が撤退したと見せかける事で、敵の目を欺くと同時に、第1戦闘群のみで行動する事によって、機動性を確保する事が目的だった。

 

 果たして、それほど待つ事無く敵の船団が現れた。

 

 しかも敵は、艦隊戦力をドイツ艦隊突入に備えて、ダンケルク海岸に張り付けているらしい。イギリス海岸付近に護衛艦の姿は見当たらない。

 

 とは言え、ドイツ艦隊にもそれほど時間は無い。

 

 ドーヴァー海峡は狭い。時間をかければ、イギリス本国艦隊が反転してくることは間違いなかった。

 

「やるよ、シャル」

「任せて、おにーさん」

 

 頷く、エアルとシャルンホルスト。

 

 そして、

 

「撃ち方始め!!」

 

 エアルの命令と共に、「シャルンホルスト」は、一斉に射撃を開始した。

 

 

 

 

 

第16話「ダンケルク」      終わり

 



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第17話「射貫く視線の先」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 逃げ惑う船舶に、背後から迫り、容赦なく砲火を浴びせる。

 

 直撃を浴びた船は爆発炎上。

 

 「運良く」至近弾になった船も、衝撃でバランスを崩し転覆する。

 

 イギリス沿岸部。

 

 テムズ川河口沖は、連合軍兵士達にとって地獄の釜と化していた。

 

 ドイツ軍迫るダンケルクの海岸から脱出し、ようやく見えてきたイギリスの大地。

 

 助かった。

 

 ここまでくれば大丈夫。

 

 もう安心だ。

 

 そう思っていた兵士が大半だった。

 

 まさかそこへ、

 

 まさにそこへ、

 

 2隻のドイツ巡洋戦艦が突入してくるなどとは、思いも寄らぬ事だっただろう。

 

 イギリス本国艦隊主力は、ダンケルク海岸防備の為、すぐに駆け付けられる状態には無い。

 

 イギリス海軍はまさに、戦力が手薄になる間隙を突かれた形だった。

 

 逃げる船団に突入したドイツ海軍第1戦闘群の「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」は、主砲のみならず、副砲、高角砲、果ては機銃まで総動員して敵船を刈り取っていく。

 

 元々、イギリスが今回の作戦に投入した船は、民間から徴用した小型船が大半となっている。

 

 ならば、主砲よりも、連射の利く副砲、高角砲、機銃の方が効率よく攻撃できる。

 

「手を緩めないで!!」

 

 「シャルンホルスト」を操艦しながら、エアルは鋭く指示を飛ばす。

 

「ここで1隻でも多くの敵を沈める!!」

 

 非情に聞こえるかもしれない。

 

 無防備な、それも取るに足らない小型の艀を、仮にも排水量3万トンの戦艦が撃つなど、見ようによっては卑怯にも見える事だろう。

 

 だが、容赦する気はない。

 

 この小型船が積み込んでいるのは敵兵。

 

 ここで逃がせば、明日、撃たれるのは自分達になる。

 

 否、

 

 自分たちが撃たれるくらいならばまだ良い。

 

 その砲火が家族に、愛する者に向けられた時、自分達はどうする事も出来ない。

 

 ならば、狩り尽くす。

 

 ここで一兵でも多く、敵を叩くのだ。

 

「目標、左舷前方、敵輸送船!! 面舵いっぱい!! 全主砲、左砲戦用意!!」

 

 叫ぶエアル。

 

 小型船だけでなく、当然ながら大型船も作戦に参加していたらしい。

 

 そのうちの1隻が、「シャルンホルスト」の前で、無防備に横腹を晒しているのが見える。

 

 右に旋回する「シャルンホルスト」。

 

 同時にアントン(A)ブルーノ(B)ツェーザル(C)各砲塔が左舷方向に向く。

 

 艦橋頂部の測距儀が目標を補足する。

 

「撃てェッ!!」

 

 エアルの命令と共に、3連装3基9門の54.5口径28.3センチ砲が火を吹く。

 

 ごく至近距離。

 

 照準など必要ない。

 

 まさしく、「撃てば当たる」状態だ。

 

 放たれた砲弾は輸送船の舷側に命中。

 

 紙以下の装甲は一撃で突き破られ、砲弾は輸送船内部で命中。

 

 一瞬にして爆発炎上する。

 

 燃え盛りながら、輸送船はあっという間に波間に引きずり込まれていく。

 

 その炎を横目に見ながら、

 

「目標変更!!」

 

 エアルは更なる命令を飛ばす。

 

 グズグズしている時間は無い。

 

 この際、「速さ」こそ、最大の武器だった。

 

 チラッと、右舷側に目をやるエアル。

 

 僚艦「グナイゼナウ」も、全火砲を総動員して、敵船を攻撃している。

 

 2隻の巡洋戦艦は、圧倒的な怪物と化して連合軍を蹂躙していく。

 

 このまま敵が全滅するまで暴れる事が出来る。

 

 そう思っていた。

 

 だが、

 

 終局は唐突にやってきた。

 

「艦長、これを」

 

 砲戦の指揮を執るエアルの下へ、副長のヴァルター・リード少佐が駆け寄る。

 

 振り返るエアルに、ヴァルターは紙片を渡す。

 

 それは、ダンケルク攻撃中の空軍機からもたらされた報告だった。

 

 一読して、エアルは紙片をマルシャルに渡す。

 

「・・・・・・《だんけるく沖ニ展開中ノいぎりす艦隊ニ動キアリ。戦艦複数ヲ含ム艦隊、貴方ヘ向カウ》、か」

 

 険しい顔で頷くマルシャル。

 

 船団が攻撃を受けていると知れば、主力艦隊が反転してくる。

 

 初めから予想していたことだ。

 

 エアル達も、織り込み済みで作戦を行っている。

 

 問題なのは、

 

「早すぎる・・・・・・・・・・・・」

 

 攻撃開始から、まだ30分も経っていない。

 

 ドーヴァー海峡は狭い。戦闘艦艇の足なら、ダンケルクから1時間と掛からずにテムズ沖に到着できる。

 

 否、

 

 快速艦隊だけで先行すれば、更に早くなる。

 

 もし、敵の主力艦隊に捕捉されれば、単独行動中の第1戦闘群はひとたまりもない。

 

「・・・・・・これまでのようだな」

 

 どこかさばさばした調子でマルシャルは言った。

 

 元々、この作戦事態、エアルの発案から急遽決定、実行された物である。

 

 前提条件として、機動性を確保する事が第一であった為、第1戦闘群のみでの襲撃となったが、敵が主力を繰り出して来た以上、追い付かれる前に退却する事は大前提である。

 

 あくまで優勢の時のみ戦い、不利な場合は退却する。

 

 沈めば元も子もない。浮いていてこそ敵の脅威足りうるのだ。

 

 通商破壊戦の基本である。

 

「退き時も肝心だ」

「・・・・・・そうですね」

 

 諦念と共に、エアルは呟く。

 

 マルシャルの言葉は正しい。

 

 まずは生き残らない事には話にならない。

 

「シャル」

「うん、ボクはおにーさん達の決定に従うよ」

 

 艦の制御に集中しながら、頷くシャルンホルスト。

 

 その言葉を受けて、エアルは決断した。

 

「提督、退くには、まだ早いかと思います。今後の事も考え、もう少し、敵に損害を与えておくのも悪くないかと」

「あまり深追いしすぎれば、退避の時間が無くなるぞ?」

 

 釘を差すマルシャル。

 

 対して、エアルは不敵な笑みを向ける。

 

「大丈夫です。本艦の速力なら、大概の敵は振り切れます。仮に、巡洋艦以下の艦が追撃してきたとしても、蹴散らす事は十分可能です」

 

 危機的状況が迫りつつある中で、大胆不敵ともいえる発言。

 

 しかし、不可能だとはエアルは思っていない。

 

 これまで、ラプラタ沖、ノルウェー沖の両海戦で勝利した経験が自信につながっていた。

 

 無論、油断する気はないが、長く戦ってきた経験が、まだ退く時間ではないと告げていた。

 

「良いだろう」

 

 エアルの意を酌んで、マルシャルは時計を確認して頷く。

 

「30分だ。それだけの時間で攻撃を行い、その後、全速力で離脱する」

「ハッ」

 

 敬礼するエアル。

 

 同時に、シャルンホルスト達へと向き直る。

 

「攻撃続行ッ 30分以内に、可能な限りの敵船舶撃破を行う!!」

 

 エアルの命令を受け、砲撃を再開する「シャルンホルスト」。

 

 イギリス軍にとっての地獄は、尚も続く事となった。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 やられた側が、事件の犯人をそのまま野放しにしておくつもりがあるかと言えば、

 

 無論の事、そんな筈は無かった。

 

 「テムズ沖にドイツ艦隊襲来。被害甚大」

 

 戦艦「ネルソン」に座乗する、ジャン・トーヴィ本国艦隊司令官は、報告を聞いて、仰天する。

 

 自分達は、敵がダンケルク沖に来ると思い、罠を張って待ち構えていた。

 

 しかし

 

 ドイツ艦隊は来なかった。

 

 代わりに、手薄になった本土沿岸地域に来襲し、必死の思いで脱出してきた味方の兵士たちを、片っ端から海に沈めているという。

 

 イギリス海軍は、完全に出し抜かれた形だった。

 

 しかし、

 

「彼等が、間に合ってくれれば良いんだが・・・・・・・・・・・・」

 

 祈るような気持ちで、トーヴィは呟く。

 

 既に、巡洋艦を中心とした艦隊を先行させ、船団救出に向かわせている。

 

 その中には、リオンが指揮する「ベルファスト」もいる。

 

 相手が巡洋戦艦なのでどこまで戦えるかは分からないが、それでも、敵巡戦の攻撃を妨害し、1人でも多くの味方を救出できれば、と思う。

 

 当然、その後から戦艦部隊も続行しているが、低速艦で構成されたイギリスの戦艦部隊では、追い付ける可能性は低いと言わざるを得ない。

 

 頼みはやはり、高速の巡洋艦部隊と言う事になる。

 

 しかし、巡洋艦部隊でも、テムズ沖に達するまでは1時間近い時間がかかる。

 

 それまでにドイツ巡洋戦艦がテムズ沖にとどまっているほど間抜けとも思えない。恐らくイギリス艦隊の来援を知れば退避にかかるだろう。

 

 つまり、彼らの動きを見落とした時点で、この戦いはイギリス側の負けなのだ。

 

 と、

 

「らしくないぞ、提督。もっと堂々とするんだ」

「ネルソン・・・・・・」

「大丈夫だ。何の問題もない」

 

 威風堂々、

 

 などと言う言葉を、見目麗しい女性に使うのは間違いなのかもしれない。

 

 しかし、そう呼びたくなる程、目の前の女性は豪放な印象がある。

 

 艦娘、と言うよりは、はるか昔に運用された私掠船(海賊)の船長のようだ。

 

 流れる金髪にすらりとした手足、質感のあるプロポーションは、まるでモデルのようだ。

 

 しかし、身の内より発せられる雰囲気は、間違いなく武人のそれであった。

 

 戦艦「ネルソン」の艦娘である。

 

 開戦初頭にUボートの雷撃によって損傷を受け、長らく戦線離脱していたが、ようやく修理が完了し、本作戦から復帰を果たしていた。

 

「巡洋艦達も、自分達だけでナチスの戦艦を止める事は難しいことくらい分かっているはずだ。ならば、指揮官は足止めに専念するはず。そうなれば、余達にも追い付ける機会はある」

「それは、そうだが・・・・・・」

 

 言い淀むトーヴィ。

 

 問題は、「ネルソン」以下の戦艦群が到着するまでに、巡洋艦部隊が持ちこたえられるかどうかである。

 

「大丈夫だ。信じろ。その為に、彼女達も出撃させたのだろう?」

 

 ネルソンの言うとおりだ。

 

 テムズ沖に向かっているのは、巡洋艦部隊だけではない。

 

 トーヴィはドイツ巡戦を足止めする為、手持ちのカード全てを投入したのだ。

 

 正に一発勝負の賭けに近い。

 

 これで外したら終わりだ。

 

「心配するな」

 

 トーヴィの肩を叩きながら、ネルソンは低い声で告げる。

 

「余も奴らに妹を沈められた。その下手人を逃がすつもりはない」

 

 ネルソンの妹であるロドネイは、ノルウェー沖海戦でドイツ艦隊に撃沈されている。

 

 大切な妹であり、同じビッグ7の同士とも言うべき存在だったロドネイ。

 

 ロドネイが、実力をろくに発揮する機会も与えられないまま沈められた。

 

 その知らせをドッグ内で聞いた時、ネルソンは人知れず号泣した。

 

 そのせいもあって、ネルソンの中で、ドイツ艦隊に対するこだわりは人一倍強いと言っても良い。

 

 だからこそ、ネルソンが憎しみに囚われているのだろうか。

 

 危惧は尽きない。

 

「ネルソン、熱くなるなよ」

 

 いさめるように声を掛けるトーヴィ。

 

 トーヴィとて、フォーブスやロドネイ以下、本国艦隊の将兵、艦娘を多数沈めたドイツ海軍は憎い。

 

 しかし、憎しみは目を曇らせ、冷静な判断力を奪い去る。

 

 冷静さを失って勝てるほど、戦争は甘いものではないのだ。

 

「心配するな、司令官」

 

 そんなトーヴィに、ネルソンは笑いかける。

 

「無論、ロドネイを沈めた対価は奴らに支払わせる。必ずな。しかし、それは妹の仇だから、と言うだけではない。余が戦うのはあくまで、多くの同胞を守り、祖国に勝利をもたらすためだ。それを忘れるつもりはない」

「そうか、なら良い」

 

 ネルソンの言葉に、頷くトーヴィ。

 

 ネルソンがそう言うなら、自分がこれ以上、とやかく言う事ではない。

 

 自分はただ、彼女と共に全力を尽くして仇敵ドイツ海軍撃滅の為、指揮に専念するだけの事だった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 文字通りの炎の海。

 

 それ以外の表現が無いほどに、テムズ沖は阿鼻叫喚の地獄と化していた。

 

 周囲には船の残骸が浮き沈みし、その周囲には投げ出された兵士たちがもがいている。

 

 船から出た油が海面に広がり、炎は海全体を燃やしている。

 

 そんな中、

 

 2隻のドイツ巡洋戦艦だけが、悠然と浮かんでいた。

 

 周囲に連合軍兵士が溺れ行く様を見ながら進む様子は、まるで地獄で在任を釜茹でにする獄卒のようだ。

 

「撃ち方やめッ」

 

 エアルの命令と共に、射撃をやめる「シャルンホルスト」。

 

 やがて、不吉な号砲鳴り響くテムズ沖に静寂が訪れる。

 

「どれくらい沈めたかな?」

「流石に、数えてないですからね。正確な数までは・・・・・・」

 

 問いかけるマルシャルに、エアルは苦笑しながら答える。

 

 イギリス軍があまりにも多数の小型船舶を動員した為、正確にどれくらいいたのか、把握する事は難しかった。

 

 しかし周囲一帯の敵が全滅する程度は沈めたのだ。これで、敵の兵力はかなり減ったのではないだろうか。

 

 以前の通商破壊戦の折には、余裕があれば敵船の乗組員を助ける行動をしていたエアルも、流石に今回は助けようとは思わない。

 

 ここは敵本土の目と鼻の先。

 

 下手をすれば、すぐに敵が現れてもおかしくはない。悠長に敵兵救助など、やっている暇は無かった。

 

「おにーさん、提督、早く逃げにないとやばいんじゃないの?」

「おっと、そうだな。艦長、反転だ」

「了解です。取り舵一杯!! 進路0―0―0!!」

 

 回頭して針路を北に向ける「シャルンホルスト。

 

 「グナイゼナウ」も又、続行するのが見えた。

 

 だが、

 

 刺客は既に、考えが及ばない場所から接近してきていた。

 

 2隻の巡洋戦艦が針路を北に向け終わり、戦場から離脱を図ろうとした時だった。

 

「左舷後方より敵機接近!! 数、約20!! こちらへ向かってきます!!」

 

 見張り員からの報告に、エアルはハッとした。

 

「なッ!?」

「敵機だって!?」

 

 声を上げるエアル達。

 

 自分達は確かに、敵を警戒していた。

 

 だからこそ、敵艦隊が来援する前に退却しようと決めていた。

 

 だが、

 

 敵が空から来るところまでは、予想外だった。

 

 だが、

 

「対空戦闘用意!!」

 

 エアルは素早く、思考を切り替えて叫ぶ。

 

 敵が空から来た。

 

 それは確かに予想外だった。

 

 しかし、致命的とは言えない。

 

 敵の攻撃が空から来るなら、それを振り切って逃げるまで。

 

 悩む必要も、混乱する必然も存在しない。

 

 ただ艦長として、やるべき事を修正するだけだった。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 戦線の遥か後方。

 

 ドーヴァー海峡の中間付近に、その艦はいた。

 

 平たい甲板を持つ、大型な艦影。

 

 海面から高い舷側が特徴的である。

 

 航空母艦「アークロイヤル」。

 

 基準排水量2万2000トン、エンクローズドバウを持つ、ややずんぐりした外観を持つ航空母艦だ。

 

 艦載機は70機搭載可能であり、その性能の高さゆえに、日本の蒼龍型、アメリカのヨークタウン級と並んで、「世界の3大傑作中型空母」などとも言われている。

 

 その飛行甲板に立ち、女性は攻撃隊が飛び立った北の空を見つめる。

 

 肩口で切りそろえた短い赤髪が特徴の、颯爽とした印象のある女だ。

 

 艦娘のアークロイヤルは、北の空をただ黙して見詰めている。

 

 空母は艦載機を戦場に運ぶまでが仕事。

 

 一度、攻撃隊を放ってしまえば、あとは無事に帰って来る事を祈る以外、する事が無い。

 

「皆、頼んだぞ」

 

 既に攻撃隊の姿が見えなくなった空に向かって、アークロイヤルはそっと呟いた。

 

 

 

 

 

 迫り来るイギリス軍の航空機。

 

 その姿を見た者は、十中の十まで唖然とするのではないだろうか?

 

 そのあまりの「前時代さ」に。

 

 世界は今や単葉、金属製の航空機が主流になっている。

 

 そんなご時世に、

 

 何と複葉布張り、しかも固定脚でコックピットのキャノピーカバーすら無いと来た。

 

 フェアリー・ソードフィッシュ。

 

 イギリス海軍が第1次世界大戦の頃から使い続けている艦上攻撃機である。

 

 見ての通り、

 

 否、

 

 見るまでもなく、かなり古い機体である。

 

 何と言うかもう、「飛んでいる」と言うより「浮かんでいる」と言った方が、印象に合致しそうである。

 

 その姿を見た瞬間、

 

 ドイツ巡戦の乗組員から失笑が上がったのは、無理からぬことなのかもしれない。

 

 おいおい、俺たちはいつの間にタイムスリップしたんだ?

 

 イギリス軍もとうとう、あんな博物館行きの機体しかなくなったのか?

 

 あんな骨董品を出してきて、いったい何がしたいんだ?

 

 だが、

 

「侮るな!!」

 

 叱責を上げたのは、司令官であるマルシャルだった。

 

「相手がいかに古くても、こちらを攻撃できる戦力を持っている以上、脅威である事に変わりはない!!」

 

 確かに、ソードフィッシュは古い機体である。その性能は各国が採用しているいかなる機体よりも性能が低い。

 

 しかしイギリス軍は、利点無くして使い続けている訳ではない。

 

 まず長年にわたって使い続けてきたおかげで、高い信頼性を得ている。

 

 整備も容易で高い稼働率を確保できる。

 

 イギリス軍のパイロットにとっては慣れ親しんだ機体である為、操縦に癖が感じられず扱いやすい。

 

 何より複葉機特有の、飛行時における高い安定性は好評である。

 

 さらに、ただ古いわけではない。

 

 エンジンは新型に換装されているし、さらにイギリス軍は最新の機載レーダーや通信機も搭載し、新時代に対応できる機体に仕上げていた。

 

 マルシャルの言う通り、ソードフィッシュは制空権を持たない第1戦闘群にとって、間違いなく脅威となる機体であった。

 

 マルシャルの一喝が利いたのか、将兵達は慌てて対空配置に着く。

 

 高角砲が砲身を上げ、機銃が上を向く。

 

 その間にソードフィッシュは、2隻の巡洋戦艦に対して有効な射点を得るべく、旋回しながら舷側に回り込もうとしている。

 

「ソードフィッシュ接近ッ 数、約10!! 本艦右舷より急速接近中!!」

「敵機多数、『グナイゼナウ』に向かう!!」

 

 今頃、「グナイゼナウ」においても、対空戦闘の準備が進められている事だろう。

 

 僚艦に目を向けるエアル。

 

 あの艦の艦橋で指揮を執る友人、そして艦娘に思いをはせる。

 

「頼んだよ・・・・・・オスカー、ゼナ」

 

 呟きながら、視線を接近してくるソードフィッシュへ向けなおすエアル。

 

 次の瞬間、

 

「敵機、急速接近!!」

 

 見張り員の報告。

 

 それを聞き、エアルは命令を発した。

 

「対空戦闘、撃ち方始め!!」

 

 次の瞬間、

 

 「シャルンホルスト」の舷側に並んだ高角砲と機銃が、一斉に火を吹いた。

 

 「シャルンホルスト」には、65口径10.5センチ連装高角砲7基、38ミリ機銃連装8基、20ミリ機銃連装5基が搭載されている。

 

 高角砲の内、後部の1基は、左右両舷に撃てるため、片舷斉射は8門と言う事になる。

 

 それが、一斉に発射され、弾幕を形成する。

 

 対して、構わず突っ込んでくるソードフィッシュ。

 

 第一波の数は3機。

 

 複葉機ゆえの低速だが、しかし安定した動きで、「シャルンホルスト」の右舷側へと回り込んでくる。

 

 対して、

 

 エアルの反応も早かった。

 

「面舵いっぱいッ!!」

 

 命令は直ちに復唱され、操舵手が舵輪を回す。

 

 ややあって、右へと回頭を始める「シャルンホルスト」。

 

 既に機関は最高まで引き上げられ、最大戦速の31ノットに達している。

 

 、急激な右回転が加えられ、大きく傾きを見せるドイツ巡戦。

 

 その間にも、射撃を続ける高角砲と機銃。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・当たらないね」

 

 エアルは少し不満そうに呟く。

 

 正直、あんな低速の雷撃機くらい、すぐに撃墜できると思っていた。

 

 しかし蓋を開けてみれば、敵は軽やかな動きで対空砲火をかいくぐりながら「シャルンホルスト」へ迫るタイミングを計っている。

 

「敵機、さらに接近!!」

 

 見張り員の絶叫に、エアルは唇を噛みしめる。

 

 その間にも回頭する「シャルンホルスト」。

 

「敵機、魚雷投下しました!!」

「戻せッ 舵中央!!」

 

 程なく、直進へと戻る「シャルンホルスト」。

 

 魚雷が迫った場合、艦首を敵に向けるのはセオリーである。艦尾を向けた場合、魚雷が艦を追い越すまで直進を強いられることになるし、何より命中した場合、舵やスクリューを破壊されてしまう。

 

 艦首を向ければ、命中してもダメージは最小限で済む上、向かってくる魚雷とすれ違う形になる為、直進は短時間で済む。

 

 果たして、

 

 「ソードフィッシュ」が放った魚雷は、「シャルンホルスト」の両舷をすり抜けるようにして流れて行った。

 

 息付く間、

 

 は無い。

 

「左舷40度、高角30度より敵機接近!!」

 

 見張り員の絶叫に、再びエアルは緊張を走らせた。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 「グナイゼナウ」にも、複数のソードフィッシュが来襲。

 

 一斉に魚雷を放つべく、海面を這うように迫って来ていた。

 

「成程、あの安定性・・・・・・布張りの複葉機と言うのも、なかなか侮れんな」

 

 既に「グナイゼナウ」が備えている両舷の対空砲が稼働を始めている。

 

「オスカー、両舷から来る!!」

「ああ、分かっているさ」

 

 グナイゼナウの声に、冷静にうなずきを返すオスカー。

 

「取り舵一杯ッ 機関最大!!」

 

 オスカーの指示の下、目いっぱい機関出力を上げる「グナイゼナウ」。

 

 そこへ、対空砲火を掻い潜ったソードフィッシュが迫る。

 

 魚雷投下態勢に入る複葉の雷撃機。

 

 対抗するように「グナイゼナウ」は、両舷の対空砲を撃ち上げながら左へ回頭。射点をずらしにかかる。

 

 そのうち、1機のソードフィッシュが、「グナイゼナウ」から放たれた高角砲弾の直撃を浴びて火球へと変じる。

 

 その隙に、回頭を終える「グナイゼナウ」。

 

 放たれた魚雷は、高速で駆け抜ける巡洋戦艦の艦体を捉える事は無い。

 

 ただ空しく、白い航跡のみを引いて海中に没していくだけだった。

 

 

 

 

 

 ドイツ巡洋戦艦2隻は、対空戦闘を行いながらも、進路を徐々に北へと向けつつある。

 

 ソードフィッシュ隊は必死に攻撃を仕掛けてはいるが、2隻の動きを正中するには至っていない。

 

 元々、「アークロイヤル」1隻から発艦したソードフィッシュの数は、それほど多くない。

 

 その事が幸いし、「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」は、一本も魚雷を食らう事無く、健在な姿を海上に留めている。

 

 エアルは迫るソードフィッシュを睨みながら、計算する。

 

 あと1回、

 

 目の前の攻撃を切り抜ける事が出来れば離脱できる。

 

 「シャルンホルスト」の右舷側から、対空砲火を掻い潜りつつ向かってくるソードフィッシュ。

 

 数は2機。

 

 前時代的な複葉機のシルエットが、視界の中で徐々に大きくなる。

 

 既に「シャルンホルスト」は面舵を切り、右への回頭を始めている。

 

 このままいけば回避できる。

 

 そう、思った時だった。

 

「左舷前方ッ 敵機!!」

「何ッ!?」

 

 見張り員からの報告に、思わず声を上げるエアル。

 

 今、正に、「シャルンホルスト」は正面から迫る敵機に対する回避行動を終えようとしているところである。

 

 魚雷が正面から迫っている以上、左右どちらにも舵は切れない。

 

 そこへきて、今度は左からもソードフィッシュが迫ってきている。

 

 数は、またしても2機。

 

 恐らく今まで攻撃に加わらず、こちらが隙を見せるタイミングを計っていたのだ。

 

 そして回避行動に入った「シャルンホルスト」の動きを見極め、攻撃態勢に入ったのだ。

 

 いわば、「シャルンホルスト」は、包囲網の中に追い込まれた形である。

 

 マイクを引っ掴むエアル。

 

「左舷、弾幕ッ 何としても撃ち落として!!」

 

 既に回避は不可能。

 

 後は、対空砲に期待するしかない。

 

 その間に、正面から来た魚雷は回避。

 

 後は、左舷から迫る2機のみ。

 

 10.5センチ高角砲、38ミリ機銃、20ミリ機銃がソードフィッシュの接近を阻止すべく、盛んに砲火を打ち上げる。

 

 その砲火に絡めとられ、1機のソードフィッシュが海面に突っ込んだ。

 

 だが、最後の1機は構わず突っ込んでくる。

 

 間も無く、魚雷が投下される。

 

 タイミング的に、回避は間に合いそうにない。

 

 ダメ、か。

 

 エアルが覚悟を決めて身を強張らせた。

 

 その時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遥か天空から、1機の戦闘機が猛禽の如く舞い降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やらせるか、よッ!!」

 

 メッサーシュミットを操るクロウは、海面近くで急激に機体を引き起こすとソードフィッシュの背後へと回り込む。

 

 突然の奇襲に気付き、退避行動をとろうとするソードフィッシュ。

 

 だが、

 

「逃がすかッ!!」

 

 追いすがるクロウのメッサーシュミット。

 

 照準器の中に複葉機を捉えると、機銃を一連射。

 

 直撃を食らったソードフィッシュは、耐える事が出来ずに炎を上げて海面に突っ込んだ。

 

 同時にクロウは、操縦桿を引いて機体を上昇させる。

 

 安全高度に上昇すると、そのまま「シャルンホルスト」の上空で機体を旋回させた。

 

 眼下に、ドイツ巡洋戦艦の優美な艦影を望む。

 

「あれが、『シャルンホルスト』・・・・・・兄貴の船、か」

 

 感慨と共に、呟きを漏らすクロウ。

 

 海軍がテムズ沖で連合軍を襲撃しているとの情報を得た現地の空軍司令部は、独断でこれを支援する作戦を実行。

 

 クロウも志願して、この任務に当たったのだ。

 

 そこでまさか、「シャルンホルスト」を助ける事になるとは思ってもみなかった。

 

 ふと、艦橋に目を向けると、こちらを見上げる人物がいる事に気が付いた。

 

 

 

 

 

 「シャルンホルスト」艦橋に立つエアル。

 

 その視界にも、自分達を助けてくれたメッサーシュミットが映っていた。

 

 危ないところを助けてくれた機体だ。

 

 あの機体が来るのがあと数秒遅ければ、「シャルンホルスト」は魚雷を食らっていた事だろう。

 

 無論、巡洋戦艦である「シャルンホルスト」は、魚雷1発程度で沈む事は無いが、浸水すれば速力の低下は免れない。そうなれば、猛追してくる敵主力艦隊から逃れる事は不可能になる。

 

 それにしても、

 

 上空を旋回するメッサーシュミットを見て、エアルは呟いた。

 

「・・・・・・・・・・・・クロウ?」

 

 確証があったわけではない。

 

 しかし、何となくだが分かった。

 

 自分を助けてくれたのが、弟である。

 

 パイロットと目が合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ありがとう、助かったよ。

 何、兄貴の為ならこれくらい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その瞬間、アレイザー兄弟はともに笑みを向けあった。

 

 やがて、メッサーシュミットは反転し、東の空へと去っていく。

 

 その後ろ姿を、黙って見つめるエアル。

 

「おにーさん・・・・・・」

 

 空を見上げるエアルに、シャルンホルストが声を掛ける。

 

「今の、攻撃で最後だったみたい。残った敵は、空軍が追い払ってくれたって」

「そう。分かった」

 

 危うい所を、弟が助けに来てくれた。

 

 その事を考えるだけで、エアルは胸が熱くなる想いだった。

 

 と、

 

 エアルはシャルンホルストを見て、何かに気が付く。

 

 頬が赤く紅潮し、息も上がっているように見える。

 

「シャル」

 

 声を掛けながら、手袋を脱ぐと、手のひらをそっと少女の額に沿えた。

 

「あ・・・・・・」

 

 シャルンホルストが何か言う前に、エアルの掌に少女の体温が伝わってくる。

 

「・・・・・・熱があるね」

 

 戦闘直後で、どうやら少し体調を崩したらしい。

 

 このままだと、またノルウェー沖の時みたいに倒れてしまうかもしれない。

 

「おにーさん、ボクは大丈夫だよ。これくらい・・・・・・」

 

 強がろうとするシャルンホルストだが、明らかに足元がおぼついていない。

 

 笑みを浮かべるエアル。

 

「大丈夫だよ」

「お、おにーさん?」

 

 少し強引に、シャルンホルストを席に座らせるエアル。

 

 見上げる少女に笑いかける。

 

「あとは逃げるだけだから。シャルは休んでて」

「あの、艦長・・・・・・言い方、もう少し考えてください」

 

 ヴァルターが控えめにツッコミを入れる。

 

 確かに事実には違いないが、ここは「退避」とか「離脱」とかの言葉を使うのが正解だろう。

 

「大丈夫だから、ね」

「う、うん」

 

 ほんのり顔を赤くして、頷くシャルンホルスト。

 

 まあ、確かに少し調子は悪いが、艦橋にいて艦の制御に専念するくらいは支障ないだろう。

 

 戦場を離れるまでは頑張ろう。

 

 そう思った。

 

 その時だった。

 

「方位1―2―0に、接近する艦影あり!!」

 

 見張り員の絶叫が響く。

 

 とっさに双眼鏡を掴み、艦橋の窓へと駆け寄るエアル。

 

「イギリス艦隊です!!」

 

 報告の通り。

 

 双眼鏡のレンズの先では、ホワイトエンサインを靡かせて迫る、イギリス艦隊の姿があった。

 

 

 

 

 

 イギリス海軍の巡洋艦部隊がテムズ沖に到着した時、既に戦闘は終結していた。

 

 上空には航空機の姿はなく、視界を埋め尽くすのは炎と船の残骸。

 

 そして、

 

 炎の壁の向こう側に、悠然とした姿で戦場を去っていく、2隻の巡洋戦艦の姿があった。

 

 まるで悪魔の如く、味方を食らい尽くしたドイツ巡戦は、リオン達の視界の先で悠然と戦場を離脱しようとしていた。

 

「リオン、すぐに追撃よッ!!」

 

 いきり立った様子でベルファストが告げる。

 

 目の前の惨状に、怒りを隠せない様子の彼女。

 

 無理もない。

 

 抵抗できない味方を一方的に刈られたのだ。怒りが湧かないはずがない。

 

 だが、

 

 リオンは冷静に首を振った。

 

「ダメだ」

「何でよッ!? みんなの仇なのに!?」

 

 勢い込んで詰め寄るベルファスト。

 

 対して、

 

 リオンはまっすぐに指を差して言った。

 

「まずは溺者救助が優先だ。生きている味方を1人でも多く救わないと」

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 言われて、ベルファストはハッとする。

 

 今も目の前では、辛うじて生き残った兵士たちが波間に飲まれてもがいている。

 

 必死の思いでダンケルクを脱出してきたのに、祖国を目の前にして海に沈むなど、無念すぎるだろう。

 

 今、彼等を救えるのは自分達しかいないのだ。

 

 ベルファストもまた、その事に気が付き矛を収める。

 

「ごめん・・・・・・・そうだね」

「良いさ。奴等とは、必ずまた戦う機会がある。その時こそ、徹底的にやろう」

 

 ベルファストの頭をなでて慰めるリオン。

 

 しかし、

 

 その双眸は尚も、去っていくシャルンホルスト級巡洋戦艦を睨み据える。

 

 視界の先を行く、ドイツ巡洋戦艦の優美なシルエット。

 

 その姿を、脳裏へと焼き付けるリオン。

 

 今回はお前たちの勝ちだ。それは認めよう。

 

 だが、いつか必ず、

 

 今日と言う日の代償を支払わせる。

 

 お前たちを2隻とも、海底に送り込む。

 

 そう、心に誓うのだった。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 「シャルンホルスト」艦橋のエアルも又、イギリス巡洋艦を見つめていた。

 

「どうやら、追撃してくるつもりはないみたいです」

「ああ、連中からすれば、海に落ちた兵士を救う方が優先だろうからな」

 

 エアルの報告を聞き、マルシャルも頷きを返す。

 

 航空機で第1戦闘群を足止めし、その艦に巡洋艦が追い付いて拘束、最後に戦艦がトドメを刺す。それが、イギリス艦隊の計画だったのだろう。

 

 しかし、第1段階の航空攻撃が不首尾で終わった時点で、彼らの計画は頓挫してしまったのだ。

 

 恐らく、これ以上の追撃は無いとみて間違いはない。

 

 しかし、

 

 エアルはイギリス艦隊先頭に位置する巡洋艦を睨む。

 

 恐らくサウサンプトン級の最新鋭軽巡と思われる巡洋艦は、尚もこちらに殺気めいた砲塔を向けているのが見えた。

 

 今回は、たまたま襲撃がうまくいった。

 

 しかし、一歩間違えれば捕捉され、砲火を交える事にもなっていただろう。

 

 常に強気に出て来る敵がいる以上、今後も自分達が勝ち続けられ保証は、どこにもない。

 

 明日、沈められるのは自分達かもしれないのだ。

 

 だが、

 

「負ける気は、ないよ」

 

 誰に聞かせるでもなく、エアルはそっと呟くのだった。

 

 

 

 

 

 巡洋戦艦「シャルンホルスト」と、軽巡洋艦「ベルファスト」。

 

 両艦の艦橋に立つ、エアル・アレイザーと、リオン・ライフォード。

 

 互いの顔は勿論、見る事はかなわない。

 

 しかし、

 

 その一瞬、

 

 互いの視線は、確かにぶつかり合った。

 

 エアルとリオン。

 

 この後、幾度となく激突する事になる、両者。

 

 しかしこの時はまだ、砲火を交える事無く、互いに背を向けるのだった。

 

 

 

 

 

第17話「射貫く視線の先」      終わり

 



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第18話「君と繋ぐ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局のところ、

 

 ヘルムート・ゲーリング国家元帥、は総統アドルフ・ヒトラーに対する約束を果たす事はできなかった。

 

 イギリス軍は連合運救出の為、空軍を総動員してダンケルク海岸の上空援護を行った。

 

 少数ながら精鋭を揃えたイギリス空軍の妨害、新型戦闘機スピットファイアの初見参、更には爆弾の威力が大幅に減殺される砂浜と言う地形的不利が重なり、ドイツ空軍の攻撃は思うように戦果が上がらなかったのだ。

 

 空軍がダンケルク海岸を攻めあぐねている戦況を受け、ヒトラーは陸軍に対する進軍停止命令を1日後には解除。再度の進軍を命じたのだった。

 

 しかし、その判断は遅きに失した。

 

 ドイツ軍が進軍を停止した1日の間に、連合軍はダンケルク周囲を強固な要塞陣地に仕立て上げてしまったのだ。

 

 ドイツ軍が遅れて総攻撃を開始した時には既に手遅れ。容易な突破を許さぬほどにまで、防備が固められてしまっていた。

 

 隘路を利用した徹底的な防衛戦闘と、空軍の支援により、ダンケルク一帯は蟻一匹はいいる隙間すらなかった。

 

 ドイツ軍が攻めあぐねている隙に、連合軍は着々と撤退を完了させていった。

 

 爆撃や、海軍の襲撃によって多数の船舶や、そこに乗り込んだ兵員を失いながらも、連合軍は根気よく撤退作業を続けた。

 

 その結果、最終的には30万人前後の兵士がイギリス本土へと撤退する事が完了した。

 

 ドイツ軍に包囲されながらも粘り強く防戦を続け、ついには部隊の大半を撤退させることに成功した事は、「ダンケルクの奇跡」と呼ばれ、後々まで語り継がれる事になる。

 

 また、困難な状況の中でも諦めず、希望を求めて戦う事は「ダンケルク・スピリット」と呼ばれ、連合軍に所属する多くの兵士たちの、心のよりどころとなっていくのだった。

 

 と、

 

 美談を語れば尽きないのだが、

 

 実際には、それ程楽な話でもなかった。

 

 ダンケルクから撤退する事に成功した連合軍だったが、その内実は惨めな物だった。

 

 脱出には小型船舶が使用された関係から、彼等は身一つで逃げなければならなかったのだ。

 

 当然、戦車やトラック、重砲と言った大型装備は完全放棄。中には爆破処理も間に合わず、ドイツ軍に鹵獲された物も少なくはなかった。

 

 又、ドイツ海軍の襲撃により、1万人近い兵士がドーヴァーの荒波に飲まれる結果になったのも事実である。

 

 更に、これからの事を考えると、頭の痛い話はまだある。

 

 上述の通り、連合軍は殆ど着の身着のまま逃げてきたと言っても過言ではない。

 

 当然、彼等を再び戦場に送り出すためには」、充分な休養を取らせたうえで、装備も整えてやらなくてはならない。

 

 30万人分の装備を整え、兵站を確保し、再び戦力化しなければならないのだ。

 

 しかも、ドイツ軍との戦争はまだまだ継続するのだ。その間に前線に送る武器、弾薬も生産しなくてはならない。

 

 彼等が再び前線に戻るまで、いったいどれだけの時間が掛かるか、見当もつかなかった。

 

 一方、

 

 大魚を逃がした形になったドイツ軍。

 

 当然ながら、ヒトラーの機嫌が良かろうはずも無く、静かな怒気を振りまき、周囲の人間を畏怖させた。

 

 大言壮語の末、敵を取り逃がすと言う失態を犯したゲーリングは、ひたすらにヒトラーの機嫌を取るのに躍起になった。

 

 ヒトラー自身、己の計算からゲーリングの提案に安易に乗ってしまったと言う負い目もあるのだろう。彼ばかりを責める訳にも行かず、ただ苛立ちを自分の中で募らせて行くのみだった。

 

 もっとも、

 

 何はともあれ、連合軍を大陸から追い出す事には成功した訳である。とにもかくにも、ドイツ軍の戦略的勝利である事は疑いなかった。

 

 フランス敗北の理由。

 

 それは、単純にして明快。

 

 一言で言えば、マジノ線に対する過度な自信だった。

 

 無敵の要塞を奉じ、ある種の信仰にも近い念を抱き、その強化、維持に国家予算が傾くほどの費用を注ぎ込んだ結果、戦車、航空機、そして艦船と言った、本来必要となる筈の、機動兵器の調達が大幅に遅れてしまった。

 

 また、マジノ線方面に多数の戦力を張り付かせた結果、そちらの兵力が遊兵化してしまったことも大きかった。結局、マジノ線に配備された主力軍は、全く戦局に寄与しないまま終わってしまったのだ。

 

 マジノ線はフランス軍にとって、確かに絶対の切り札だった。

 

 しかし同時に、「唯一」の切り札でもあったのだ。

 

 そのマジノ線が無力化された時、もはや彼等にできる事は何もなかった。

 

 ダンケルクの戦いを終えたドイツ軍は、改めて全軍集結し、フランス首都パリへの進軍を再開した。

 

 対して最早、フランス軍にはドイツ軍を止める力は存在していなかった。

 

 主力軍はマジノ線から動けず、頼みの連合軍も大陸から追い出された。

 

 後は首都周辺にいる少数の部隊を除けば、二線級の部隊ばかり。それらをかき集めても、ドイツ軍の精鋭を止める事は不可能なのは明白だった。

 

 6月10日。

 

 フランス政府は首都機能を南西のボルドーへ移転。パリは無防備都市宣言を出し、ドイツ軍に占拠されるに至る。

 

 しかし、それでもドイツ軍の進撃は止まらない。

 

 このままでは、フランス全土が鉤十字によって蹂躙されるのも時間の問題だった。

 

 こうして、ドイツ軍の侵攻開始から1か月半が過ぎた1940年6月26日。

 

 ついにフランス政府は、ドイツに対し休戦の申し入れを行う。

 

 事実上の、降伏宣言だった。

 

 これを受け、ドイツ全軍は進軍を停止。

 

 協議の末、ドイツ側は、フランス側の休戦を受け入れる事とした。

 

 休戦協定は、コンピエーニュの森にて行われた。

 

 忘れもしない。あの第1次世界大戦における、休戦条約締結が行われた場所である。

 

 ドイツ軍にとっては、敗北の屈辱を飲まされた因縁の地である。

 

 このコンピエーニュが停戦協定の場所に選ばれたのは、正しく意趣返し以外の何物でもなかった。

 

 わざわざ、博物館に飾られていた、当時、休戦協定調印に使われた列車の客車まで運んでこさせる念の入りようだった。

 

 こうして、フランスの戦いは終わった。

 

 フランスはペタン元帥を新たなる首班として、ヴィシー・フランス政府が発足。今後は枢軸側に立って戦う事となった。

 

 一方で、イギリスに逃れたフランス軍は「自由フランス軍」を名乗り、祖国奪還に向けて戦って行く事となった。

 

 かつて、第1次世界大戦の折、5年かけてついには攻め落とす事が出来なかったフランスを、ドイツは今回、1か月強で降伏に追い込んでしまった。

 

 まさに、電撃戦の理想的完成形であり、空前の快挙であった事は間違いない。

 

 だからこそ、だろう。

 

 ほんの僅か。

 

 目に見えない程度に、

 

 歯車が狂い始めている事に、誰もが気付かなかった。

 

 たった1つの判断ミスが、やがて連鎖的に崩壊を引き起こす事は歴史上、多々ある事である。

 

 そんなひずみが起きている事に、ドイツ軍の誰もが、まだ気付いてはいなかった。

 

 さらにもう一つ、懸念すべきことがある。

 

 ドイツはイタリア王国と同盟を結んでおり、フランス侵攻の際、イタリア軍も東側からフランス領へと進行している。

 

 しかし、その時期が、あまりにも宜しくなかった。

 

 事もあろうに、イタリアがフランスに宣戦布告したのが、パリ陥落の4日前。事実上、フランスがドイツに対して降伏するか否か、協議している最中の事だった。

 

 その為、イタリアは世界中から「瀕死の病人に宣戦布告した」などと非難を浴びる事になる。

 

 それだけでも十分恥晒しなのに、更に恥を上塗る事態があった。

 

 当時、フランス軍は当然ながら、対ドイツ戦略を重視し、ドイツ国境付近に戦力を集中させていた。その為、イタリア方面に配備されていたのは、フランス軍でも二線級の部隊だったのだ。

 

 にもかかわらず、侵攻したイタリア軍主力は、この二線級の部隊相手に大苦戦を演じ、とうとう蹴散らされ、押し返されてしまう体たらく。

 

 結局、ドイツ軍によってパリが陥落したからよかったものの、一歩間違えばドイツ軍の戦略をも破壊しかねない失態だった。

 

 気まぐれな独裁者の誤断。

 

 更には不甲斐ない同盟国。

 

 問題は未だ表在化していないが、ドイツと言う巨大な身の内に、確かに内包され、暴発の時を待っているかのようだ。

 

 だが少なくとも、今は何の問題も起きてはおらず、ドイツ人の誰もが、歴史的勝利に酔いしれているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドイツ海軍第1艦隊がキール軍港へ帰りついたのは、まだ休戦協定が結ばれていない、6月初めの事だった。

 

 結局、海軍の攻撃である程度、敵に損害は与えられたものの、撤退自体を阻止するには至らず、ダンケルクの戦いは不十分な結果に終わってしまった。

 

 第1艦隊がテムズ川河口沖に突入し、恐らくは数1000単位で連合軍兵士を海に沈める事には成功したものの、それは結局、敵軍全体から見ればほんの数パーセントにすぎず、当初、ドイツ軍上層部が目論んだ「連合軍の殲滅」とは程遠い戦果でしかなかった。

 

 殆ど、敵を全滅させるほどの損害を与えたにもかかわらず、最終的な戦果が少なくなったことには理由があった。

 

 それは、イギリス軍が撤退に小型船舶を多用したことが原因だった。

 

 そのせいで、10隻や20隻程度沈めたくらいでは、大した戦果にはならなかったのだ。

 

 もし、ヒトラーが進撃停止命令を出さなければ、

 

 当初予定していた通りの、海陸からのダンケルク包囲殲滅が成功していれば、

 

 その結果として、連合軍が回復不能な打撃を蒙っていたら、

 

 あるいは、損害に耐えかねたイギリスも、降伏を申し出てきた可能性は十分にあったのだが。

 

 しかし、時を戻せない以上、事実として受け入れるしかなかった。

 

 何はともあれ、フランスを降したことに変わりはない。

 

 連合軍の最有力である一角を降伏に追い込んだ事で事実上、残る敵はイギリスのみとなった。

 

 そのイギリスさえ倒す事が出来れば、戦いはドイツの勝利に終わるのだ。

 

「これで終わってくれれば良いんだけど」

 

 桟橋への接岸指揮を執りながら、エアルが呟いた言葉を、傍らのシャルンホルストが聞いて振り返った。

 

「おにーさん、どうかした?」

「いや」

 

 言いながら、エアルは首を振る。

 

 大きな戦いの後だから、少し疲れているのかもしれない。そうでなければ、こんな気弱な考えは浮かばなかっただろう。

 

 戦いが終わるならそれで良し。矛を収めるまで。

 

 まだ続くのであれば、ドイツ軍人として責務を全うするまでだった。

 

「それよりシャル、体調は大丈夫? 調子悪いところとかない?

 

 前回のノルウェー沖の時は、戦闘直後に倒れたシャルンホルスト。

 

 今回も又、戦闘後に少し、体調を崩している。

 

 その事を考えれば、油断はできなかった。

 

「うん、もう大丈夫だよ」

「そう・・・・・・なら、良いんだけど」

 

 少し疑うような眼差しを少女に向ける。

 

 恐らく、エアルが着任する以前から調子が悪い時が何度かあったのだろうが、シャルンホルストはそれを隠していた節がある。

 

 どうにも、少女の言葉を鵜呑みにはできなかった。

 

 そんなエアルの様子に、シャルンホルストは苦笑する。

 

「もうッ おにーさん、過保護すぎ。ゼナじゃないんだからさ」

「ゼナ・・・・・・グナイゼナウって、そんなに過保護なの?」

 

 まあ、あの生真面目な性格からは、容易に想像できるのだが。

 

「そりゃ、もう、ひどい時は本気でベッドに縛り付けられた時もあったし」

 

 それは・・・・・・

 

 話を聞いて、エアルは呆れる。

 

 それは何と言うか、グナイゼナウがどうこうよりも、そこまでしなきゃ止まらないシャルンホルストの方が、どうかしていると思える。

 

「それで、どうにかこうにか抜け出して遊びに行ったんだけど、帰ってきたら大目玉でさ。もう、あれは鬼だったね。鬼妹。ほんと怖かったんだから、あの時のゼナ」

 

 

 

 

 

 ~一方その頃~

 

「クシュンッ」

「どうしたゼナ、風邪か?」

「いえ、違うと思う、けど・・・・・・取りあえず、シャルは後でお仕置きね」

「何のこっちゃ?」

 

 

 

 

 

 艦を桟橋に着けると、エアルとシャルンホルストは連れ立つ形で陸へと降り立った。

 

 キールの港は相変わらずの喧騒に包まれており、活気が満ち溢れていた。

 

 否、

 

 いつも通りではない。

 

 これまで見た事も無いほど、人々の発する熱が港全体を覆っているようだった。

 

「ふわッ!?」

 

 質量を伴ったような熱気を前に、思わず声を上げるシャルンホルスト。

 

 隣のエアルも、思わずむせ返るような錯覚に陥ってしまう。

 

「これは、すごいね」

 

 思わず、そんな言葉が出てしまうほどだった。

 

 近くの作業員を捕まえて、問いただしてみる。

 

 いったい、何があったというのか?

 

「知らないんですかい? ついこの間、完成した新鋭戦艦が今、ここに寄港しているんですよ」

 

 成程。

 

 確かに、真新しい艦が来ているとなれば、このお祭り騒ぎも納得がいくと言う物だった。

 

 ドイツ海軍は戦前から、エドワルド・レーダー元帥主導の下、「Z計画」と呼ばれる海軍再建計画を推し進めてきた。

 

 しかし、開戦に伴い、計画の殆どは凍結されてしまっている。

 

 ヨーロッパでの戦いは陸戦が主体となる為、陸上兵器や、それを支援する航空機の開発、量産がメインとなる。海軍にしても、一度に大量生産が可能な潜水艦や駆逐艦、水雷艇が建造の中心となり、戦艦のような大型艦は、優先度的に最後になってしまっている。

 

 そんな中、戦前に起工し、完成間近と言われていた新型戦艦までは建造を認められ、工事が進められていたのだ。

 

 どうやら、その艦が完成したらしい。

 

「元々はハンブルクで造られてたんですがね、最終的な仕上げはゴーテンハーフェンでやるらしいんで、その為の回航らしいですよ」

「どうもありがとう」

 

 説明してくれた作業員に礼を言うエアル。

 

 ゴーテンハーフェンとは、旧ポーランド領にあり、旧名はグディニャ港と言う。西ポーランド併合に伴い、現在はドイツ軍が改名して使用しているのだ。

 

 確かに、ハンブルクは北海に面している事もあり、連合軍からの爆撃に曝される危険がある。

 

 その点、旧ポーランド領のゴーテンハーフェンなら空襲の心配は低いし、何より水深が深い為、大型艦の停泊地としても適している。新型戦艦の最終艤装を行う場所としては最適だった。

 

 それにしても、

 

 ドイツ海軍の軍人として、新型戦艦の戦列加入は、心強い限りだった。

 

 今まではシャルンホルスト級巡洋戦艦の2隻がドイツ海軍最強として、水上砲戦部隊の主力を務めてきたが、やはり巨砲を有するイギリス戦艦を相手にした場合、砲力不足は否めない。

 

 その点で行けば、新型戦艦は完成すれば、イギリスが持つどの戦艦をも圧倒しうる性能を持つとか。

 

 主力は新型戦艦が務め、シャルンホルスト級巡戦はそのサポートに回る。と言うのが理想的な形だった。

 

 と、

 

 思案にふけっていたエアルの手が、急に強く引かれた。

 

「わッ!? ちょっとシャルッ!?」

 

 自分の手を思いっきり引っ張って走るシャルンホルストに、驚いて声を上げるエアル。

 

 対して、シャルンホルストは首だけで振り返って笑顔を見せる。

 

「おにーさんッ 悩んでいるくらいなら会いに行こうよ!!」

「いや、会いにって・・・・・・そもそも、俺は悩んでいたわけじゃッ てか、シャル、足速いって!!」

「ほら、早く早く!!」

 

 抗議するエアルを他所に、シャルンホルストは駆ける足を止めない。

 

 そう言えば、

 

 最近の病弱騒動で忘れがちだったが、この巡戦少女が意外にアグレッシブな行動系少女だったのを思い出す。

 

「ちょッ シャル、だから危ないって、いきなり走ったらッ」

「大丈夫、大丈夫ッ」

 

 言った瞬間、

 

「わわッ!?」

 

 言わんこっちゃない、とでも言うべきか、

 

 段差に躓いて、前のめりに倒れるシャルンホルスト。

 

 そのまま少女は、顔面から地面に突っ込みそうになる。

 

 だが、

 

「おっと」

 

 つんのめる少女の腕を、エアルはとっさに掴んでいた腕を引っ張って助け起こす。

 

 そのままの勢いで、少女の華奢な体は、青年艦長の腕に抱きとめられる形になった。

 

 一瞬、

 

 女の子特有の、甘い香りがエアルの鼻腔をくすぐる。

 

 次いで、少女の柔らかい感触が、抱き留めた腕に伝わってきた。

 

 エアル自身、決して大柄なほうではないが、シャルンホルストの体は青年よりもさらに小さく華奢である為、抱き留めれば、その体はすっぽりと腕の中に納まってしまった。

 

「お、おにーさん?」

 

 シャルンホルストの声に、我に返るエアル。

 

 見れば、少女が戸惑った顔で、こちらを見上げてきていた。

 

 頬がわずかに朱に染まり、目が潤んだように見える。

 

 一方のエアルも、僅かに頬を染めている。

 

 艦娘とは言え、相手は女の子である。

 

 抱き留めた時に感じたふんわりした匂いが、脳を優しく包む。

 

 少女特有の柔らかい体の感触が、掌に伝わってくる。

 

 正直なところ、いつまでもそうしていたいとさえ、思ってしまう。

 

「あ、ご、ごめん」

 

 慌ててシャルンホルストを放すエアル。

 

 シャルンホルストの方も、どこか気まずげに視線を逸らす。

 

「と、とにかく、慌てなくても新型艦は逃げたりしないから、ゆっくり行こう」

「う、うん。そうだね」

 

 頷く、エアルとシャルンホルスト。

 

 しかし、どうにも気まずい空気が、2人の間に流れるのは避けられなかった。

 

 

 

 

 

 本部で見学許可を取り、新造戦艦が係留されている区画へと立ち入る、エアルとシャルンホルスト。

 

 警備兵に挨拶をして中へと入る、すぐにその戦艦が姿を現した。

 

 一目見た瞬間、エアルが感じた言葉は「剛健」だった。

 

 どちらかと言えば細身で、やや華奢な印象があるシャルンホルスト級巡洋戦艦に比べ、全長、横幅、双方において勝っており、明らかに一回りは大きい。

 

 艦橋構造物はシャルンホルスト級に酷似しているが、こちらも大きく、その事も、この艦の巨大さを表しているかのようだった。

 

 主砲は連装砲塔が、前部に2基、後部に2基、計8門装備されている。

 

 正に「鋼鉄の城」と言った印象がある。

 

「うわー・・・・・・」

 

 新型戦艦を見上げたシャルンホルストが、エアルの隣でポカンと口を空けている。

 

「自分」より大きな戦艦を間近で見るのは初めてなのだろう。思わず言葉も出ないようだ。

 

「おっきいねー おっきいねー」

 

 もう、それしか無いらしい。

 

 戦艦「ビスマルク」

 

 ドイツ海軍が威信にかけて建造した最新鋭戦艦であり、ビスマルク級戦艦の1番艦。

 

 帝政時代のドイツ発展に尽力した名宰相「オットー・フォン・ビスマルク」に因んでいる。

 

 その卓抜した政治力と指導力から皇帝から絶大な信頼を寄せられた。

 

 辣腕振りは国民に広く知れ渡り「鉄血宰相」の異名で呼ばれた人物である。

 

 戦艦「ビスマルク」は、鉄血宰相の名に恥じる事無く、威風堂々とした姿を海上に浮かべていた。

 

 基準排水量4万1700トン、全長251メートル、全幅36メートル。

 

 シャルンホルスト級巡洋戦艦より明らかに一回り大きい巨体を誇りながら、最高速度はほぼ変わらない30・8ノット発揮可能。

 

 主砲は47口径38センチ砲連装4基8門。

 

 当然、防御力も相応に強化されている。

 

 これまで世界最大の戦艦は、イギリス海軍の巡洋戦艦「フッド」であった。

 

 しかし「ビスマルク」は、そのフッドをも上回り、名実ともに世界最大の戦艦となっている。

 

 まさに、攻防走の三拍子揃った、ヨーロッパ最強戦艦と呼ぶにふさわしかった。

 

「おや、あなた達は?」

 

 呼びかけに対し、振り返る。

 

 スラリと高い背に、流れるような金髪。

 

 鋭い眼差しは、中世の女騎士を連想させる。

 

 長い手足と均整の取れたプロポーションを軍服で包んでいる。

 

 美しさと精悍さを併せ持つ女性だった。

 

「ああ、ごめん。一応、許可は貰ったんだけど」

 

 言いながら、エアルは女性に対して敬礼する。

 

「ドイツ帝国海軍第1戦闘群旗艦『シャルンホルスト』艦長、エアル・アレイザー中佐。こっちは旗艦艦娘のシャルンホルスト」

「こ、こんにちはー」

 

 慌てた様子で、傍らのシャルンホルストが敬礼する。

 

 普段やり慣れていないせいか、ちょっと手の角度が変だった。

 

 対して、

 

 相手の女性も、背筋を伸ばして敬礼する。

 

「失礼した。ドイツ海軍、戦艦ビスマルクだ。竣工前だから所属はまだ無いが、よろしく頼む」

 

 そう言って、ビスマルクは笑う。

 

「『シャルンホルスト』の活躍は、私も聞き及んでいる。ラプラタ沖やノルウェー沖の英雄に会えて光栄だ」

「英雄って、そんな」

「いやー それ程でも」

 

 揃って顔を赤くしながらそっぽを向く、エアルとシャルンホルスト。

 

 そんな2人の様子に、ビスマルクはクスッと笑うと、シャルンホルストに向き直った。

 

「会えて、本当にうれしく思う。いつか、あなたと一緒に戦えることを楽しみにしているわ」

「あ、う、うん」

 

 差し出されたビスマルクの手を、戸惑い気味に握るシャルンホルスト。

 

 その様子を、エアルは微笑ましそうに眺めているのだった。

 

 

 

 

 

 「ビスマルク」の戦線加入は、間違いなくシーパワーのバランスを揺るがす事になる。

 

 エアルは歩きながら、今後の情勢について思案を巡らせる。

 

 エアルの記憶にある限り、イギリス海軍には「ビスマルク」に単独で勝てる戦艦は存在しない。

 

 今までドイツ海軍は、イギリス海軍主力との正面からの激突は徹底的に避けて来た。

 

 大規模戦闘になったノルウェー沖海戦ですら例外ではない。あの時も、ひたすら策を用いてイギリス艦隊の隊列を分断し、最終的に各個撃破に持ち込んだのだ。

 

 其れはひとえに、イギリス海軍の戦艦に、対抗可能な戦艦がドイツには無かったからに他ならない。

 

 しかし「ビスマルク」がいてくれたら、その心配も無くなる。

 

 自分達は正面から、イギリス艦隊に挑む事も出来るようになるのだ。

 

場合によっては、これからますます戦いは激しくなるだろう。そんな中で、最強戦艦である「ビスマルク」の存在は大きかった。

 

 と、

 

「・・・・・・美人だったよね」

「・・・・・・は?」

 

 突然、ボソッと、傍らを歩くシャルンホルストが呟く。

 

 振り返るエアル。

 

 巡戦少女はと言えば、こちらを振り返る事無く、どこか虚ろな目をしていた。

 

「美人だったよね、ビスマルク」

「あ、うん・・・・・・そうだね」

 

 いきなり何を言い出すのか。

 

 戸惑うエアル。

 

 そこでふと、何かを思い立ったように巡戦少女へ尋ねた。

 

「もしかして、羨ましいの?」

「はあッ!? べ、別に、そんなこと思ってないよ!! ただ、髪があんなに長くて金色で綺麗で、さらさらで、手も足も長くて、背も高くて、顔も格好良くて、オマケに、おっぱいもおっきかったなあ、くらいにしか思ってないんだから!!」

「・・・・・・めちゃくちゃ、羨ましいんだね」

 

 ていうか、最後のコメントには、男としてどう対応すれば良いのか悩む所である。

 

 「そうだね」などと同意しようものなら、目の前の少女が臍を曲げることは間違いない。

 

 さりとて「そんな事無かったよ」などと言おう物なら、即座に嘘をついているとばれてしまう。

 

 全く持って、女性の胸部装甲問題はデリケート過ぎて、男には手出ししづらい側面が大きかった。

 

 代わりにエアルは、笑顔を少女に向けて行った。

 

「シャルだって可愛いよ」

「え?」

 

 突然のエアルの言葉に、思わずシャルンホルストは思わず振り返る。

 

 構わず、エアルは続けた。

 

「確かにビスマルクは美人だったけど、シャルだって十分可愛いんだから。その点は負けてないと思うよ」

「ほ、ほんと、おにーさん?」

「勿論。嘘なんかつかないさ」

 

 褒められて、顔を赤くするシャルンホルスト。

 

 どうやら、悪い気はしていないらしい。

 

「そっかー 可愛いかー ボクが」

 

 顔の形が崩れそうなほどにニヤける少女。

 

 だが、

 

 そこでハッと、我に返る。

 

「ってッ!? それって要するに、ボクがチンチクリンって事だよね!!」

「へ? いや、そんなつもりは・・・・・・・・・・・・」

 

 言われて、エアルは自分の言動を振り返る。

 

 確かにビスマルクの事を語る時は「美人」と称したが、シャルンホルストを誉める時は「可愛い」と言った。

 

 普通、可愛いと言う表現は一部の例外を除いて、目下や年下の人間に対して使う物。

 

 そこから考えれば、確かにシャルンホルストとビスマルクに対する誉め言葉を、無意識のうちに使い分けていたのかもしれない。

 

「もーッ!! おにーさんのバカー!!」

「ちょっ シャル!?」

 

 プンスカと、怒りまくる少女。

 

 そんな姿もまた、「可愛らしい」と思えるのだが、

 

 結局その日、完全にへそを曲げてしまったシャルンホルストを宥めるのに、青年艦長は一苦労するのだった。

 

 

 

 

 

 だが、

 

 そんなエアル達を、予期せぬ事態が襲う事になった。

 

 キールへ帰還してから数日後の事。

 

 その報せを受けた時、エアルも、そしてシャルンホルストも、驚きを隠せなかった。

 

「か、解任ッ!?」

「えッ!? ちょッ!? どういう事なの、提督ッ!?」

 

 血相を変えて、マルシャルに詰め寄る、エアルとシャルンホルスト。

 

 対して、当のマルシャルはと言えば泰然としたままの態度を崩さずにいる。

 

「どうもこうもない。海軍本部からの正式な命令である以上、従わない訳にはいくまい」

 

 淡々とした口調のマルシャル。

 

 表面上は、事実を受け入れているかのようにも見える。

 

 しかし、その内面においては忸怩たるものがあるのだろう。

 

 つい数刻前、「シャルンホルスト」に届けられた命令書。

 

 それは、ラインハルト・マルシャル大将の第1戦闘群司令官解任と、海軍司令部への出頭命令だった。

 

「多分、前回の戦いの事だろう。あれが決定打だったのは間違いない」

 

 前回、ダンケルクの戦いにおいて、マルシャルは命令違反を犯している。

 

 ダンケルク沖に突入を命じた海軍司令部の命令を無視して、敵船団の補足、撃滅に目標を変更している。

 

「だって、あの時は、しょうがなかったじゃん!!」

 

 食って掛かるシャルンホルスト。

 

 確かに、あの時は上級司令部、もっと言えば(これはドイツ国内では口が裂けても言えないが)ヒトラーの判断ミスにより突入時期を逸していた。

 

 あのまま突入していたとしても戦果は上がらなかったばかりか、却ってドイツ艦隊が大損害を喰らって敗走していた可能性すらある。現場判断で目標を変更したマルシャルの好判断だったと言える。

 

 だがそれでも、海軍司令部からすれば、マルシャルの判断は容認できない物であるらしかった。

 

 とは言え、実際の所を言えば、今回のマルシャル解任には、政治的な意図に拠るところが大きかった。

 

 今回、ダンケルクに突入しようとする第1艦隊の行動に「待った」を掛けたのは、空軍のヘルムート・ゲーリング元帥だった。

 

 そのせいで突入時期を逸し、連合軍を取り逃がす結果となった。

 

 だが、事もあろうにゲーリングは、この非を認めようとせず、事もあろうに海軍に責任を押し付けてきたのだ。

 

 曰く「自分たちの攻撃に不備は無かった。しかし、海軍の援護が適切ではなかった為、結果的に敵を取り逃がす事になった。もし、海軍が予定通りダンケルク海岸を封鎖していたら、我が精強無比なる空軍兵士達は必ずや連合軍兵士を一兵残らず殲滅しおおせた事、疑う余地はない。本作戦が失敗に終わったのは全て、海軍の怠慢にこそ責任がある」。

 

 との事だった。

 

 本来であれば、そのような無茶な論理が通る筈もない。

 

 しかし、主張しているのは何といっても、ナチスナンバー2のゲーリングである。

 

 党の内外にいくつものパイプを持つゲーリングは、その政治力をいかんなく発揮して海軍に責任を押し付けてきたのだ。

 

 こうなると、海軍も聊か旗色が悪くなる。下手をすると、上級司令部が責任を問われる事になりかねない。そうなる前に、誰かに責任を取らせなくてはならない。

 

 そのスケープゴートが、マルシャルと言うわけである。

 

 事情はどうあれ、マルシャルが命令違反を犯した事実は間違いない。海軍としても、切り捨てるのに都合が良かった、と言うわけである。

 

「仕方ないさ」

 

 シャルンホルストを宥めつつ、マルシャルは肩を竦める。

 

「事実だけを見れば、私は確かに命令違反を犯している。それについて、誰かが責任を取らなければいけないのなら、それは私であるべきだ」

 

 責任者は責任を取る為にいる。

 

 ドイツ軍は信賞必罰に厳しい組織だ。

 

 無論、いきなり処刑などと言う事態にはならないだろうが、マルシャルが今後、戦局とは直接関係ない部署に左遷させられる事は十分に考えられる事だった。

 

「それとな、艦長」

 

 シャルンホルストから遠ざかるようにして、マルシャルは声を潜めるとエアルに向かって言った。

 

「シャルの事だ」

「シャルが、どうかしました?」

 

 チラッと、少女の方に視線を向ける。

 

 今もプンスカ起こっている彼女を、副長のヴァルターが、苦笑しながら宥めている様子が見て取れた。

 

「彼女の身体の事について、どこまで当てになるか分からないが、司令部に要望を出しておいた」

「あ・・・・・・」

 

 シャルンホルストは体が弱い。

 

 普段、割とアクティブな行動が多いから忘れられがちだが、激しい戦闘が行われた後は、体調を崩す事がある。

 

 それは艦娘としての彼女自身ではなく、艦体としての「彼女」の方に問題があり、医者に見せた所でどうなるものではない。せいぜい、苦痛が緩和し、症状がある程度改善される程度。根本的な解決にはならない。

 

 その事は、マルシャルにも判っている筈である。

 

「どこまでできるかは未知数だが、私の方でも手を打っておいた。そちらは後は君が対応してくれ」

「ありがとうございます」

 

 そう言って、頭を下げるエアル。

 

 マルシャルは頷くと、最後にシャルンホルスト頭を軽く撫で、艦を降りていく。

 

 後には、見送るエアルとシャルンホルストだけが残された。

 

「行っちゃったね、提督」

「うん」

 

 寂寥感と共に、呟きを漏らす。

 

 エアルは思う。

 

 もし、

 

 責任を取らされたのが、マルシャルじゃなく自分だったら?

 

 自分が、この艦を降りる事になったら?

 

 そうなると当然、シャルンホルストとは別れなくてはならなくなる。

 

「それは、イヤだな・・・・・・・・・・・・」

 

 隣の少女に聞こえないよう、口の中でそっと呟く。

 

 シャルンホルストと別れる日が来る。

 

 それを想像するだけで、自分の中に言いようのない不安感が募るのを、エアルは抑えられなかった。

 

 と、

 

 隣のシャルンホルストが、そっと、エアルの手に自分の指を絡めてきた。

 

「シャル?」

「おにーさん・・・・・・おにーさんは、どこにも行かないで」

 

 どこか潤んだ瞳で、見上げてくるシャルンホルスト。

 

 捨てられた迷い子のように、寂しげな瞳を向けてくる。

 

 ああ、そうか。

 

 唐突に、エアルは悟る。

 

 この子も又、自分と同じ気持ちなんだ。

 

 そう思うと、胸の内が温かくなるようだった。

 

「大丈夫。俺はどこにも行かないから、ね」

「・・・・・・・・・・・・うん」

 

 エアルの言葉に対し、

 

 シャルンホルストは安心したように、微笑むのだった。

 

 

 

 

 

第18話「君と繋ぐ」      終わり

 



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第19話「朱に交わらぬ黒」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 死んだ者を悼み、冥福を祈る文化と言う物は、如何なる国、如何なる民族においても、形を変えて存在している。

 

 大切な人が、来世においても幸せであるよう、今生において祈りを捧げ、神に祈ることは、世界共通の物であった。

 

 墓石を前に立つ、3人の男女。

 

 正面に立った少女が代表するように、手にした花束をそっと置いた。

 

 それに合わせて全員が黙祷を捧げる。

 

 これは言わば、儀式だ。

 

 墓の下に、故人の遺体は無い。

 

 その遺体は、遠き異郷の地の水底に沈んだままである。

 

 しかしそれでも、

 

 亡くなった、愛する人への哀悼を捧げる。

 

 その行為は、ただそれだけで神聖であると言えた。

 

 墓石に刻まれた文字。

 

『 ~ テア・アレイザー ~ 』

 

 そこには、そう書かれていた。

 

 エアル・アレイザーとクロウ・アレイザー。

 

 共にドイツ軍に所属する、故人の息子たちは、亡き母への祈りをささげる。

 

 そしてもう1人。

 

 淡い色の髪をショートに切りそろえた少女が2人と並んで祈りをささげる。

 

 やがて、目を開くエアル。

 

「ここのところ、出撃ばかりでどうなるかと思ったけど、どうにか母さんの命日に間に合って良かったよ」

「俺もちょっとやばかったかな、どうにか休暇取れたから良かったけどさ」

 

 肩をすくめるクロウに、笑いかけるエアル。

 

 今日は6月21日。

 

 この日は第1次世界大戦終結の後、スカパフロー軍港に抑留されていたドイツ艦隊が一斉自沈した日である。

 

 つまり、アレイザー兄妹にとっては、母の命日に当たると言う訳だ。

 

 この日に合わせ、エアルとクロウは、それぞれ休暇を申請。それが通り、こうして久しぶりに兄妹が顔を合わせる事が出来ていた。

 

 弟に笑みを見せるエアル。

 

 次いで、視線は少女の方に向けた。

 

「サイアは悪かったね。仕事、忙しかったんじゃない?」

 

 問いかけるエアルに対し、

 

 少女、

 

 サイア・アレイザー。

 

 エアルの妹であり、クロウとは双子の兄妹に当たる。

 

 彼女も今日、2人の兄に合わせて休暇を取っていた。

 

「まあ、ね。けど、あたしは兄さん達と違って、陸上勤務だし」

 

 そう言って、少女は肩をすくめた。

 

 軍の技術開発研究所に勤めるサイア。

 

 この若さで、既にいくつかのプロジェクトを任されている才媛である。

 

 今も、軍の要求仕様を満たす兵器の開発に携わっているという。中には、海軍に納品される兵器もあるのだとか。

 

 海軍のエアル、空軍のクロウ、技術部のサイア。

 

 ジャンルは違えど、アレイザー家の3兄妹は皆、何かに導かれるように、軍に携わる仕事についていた。

 

 生きる世界そのものが違うと言ってもいい3人が、戦時下でこうして顔を合わせる事が出来たのは、正直なところ僥倖に近い物がある。

 

 やはり対フランス戦でドイツ軍が勝利したことが大きい。これで万が一負けでもしたら、墓参りどころではなかっただろう。

 

「でもさ」

 

 サイアが、どこか寂しさを滲ませるような声で言った。

 

「お母さんの事、わたし何にも覚えていなんだよね」

「そりゃ、俺もだって。けど、仕方ないだろ」

 

 呆れ気味に答えたのはクロウである。

 

 そうなのだ。

 

 テアが死んだとき、クロウもサイアも、まだ生後1年ほどしか経っておらず、物心もついていない時期だった。

 

 その後、写真を見てテアの顔は知っているが、母の記憶は2人にはほとんど無かった。

 

 唯一、この中ではエアルだけが、僅かな期間だが、母と過ごした記憶を持っている事になる。

 

 その事が少し、エアルにとっては後ろめたく感じる時もあった。

 

 自分だけが母の事を知っている。

 

 その事が、弟や妹に対し、申し訳ないと思えるのだった。

 

 2人に気付かれないように嘆息しながら、エアルは話題を変えた。

 

「そういえばクロウ、この間は助かったよ」

「はは、やっぱ兄貴には気付かれてたか」

 

 笑みを浮かべるクロウ。

 

 先のテムズ沖海戦の折、クロウの駆るメッサーシュミットが、間一髪のところでエアルの「シャルンホルスト」を救う場面があった。

 

 もし、あの時、クロウの援護が無ければ、エアルは今日、この場に来れなかったかもしれない。

 

「兄貴の為なら、いくらでも体張ってやるって」

「頼りにしてるよ」

 

 言いながら、拳を打ち付ける、エアルとクロウ。

 

 そんな兄たちの様子を、サイアが微笑ましそうに眺めている。

 

「わたしも、今度から、兄さんのところでお世話になることになったから、よろしくね」

「お世話になるのはこっちだよ。それより、サイアは本当に、あれで良かったの?」

 

 心配そうに尋ねるエアル。

 

 妹の今後について、兄として一抹の不安を感じずにはいられないエアル。

 

 しかし、それでもサイアの存在は、彼にとってありがたくもあるのだが。

 

 対して、サイアは微笑を口元に浮かべながら首を振る。

 

「マルシャル大将から話は聞いてるし、それに、兄さんが困ってるなら、力になりたいの」

「サイア・・・・・・」

「それに、わたしの技術が少しでも役に立つなら、それに越したことないし」

 

 妹の言葉に、苦笑するエアル。

 

 先に解任されたマルシャルだったが、今後の事を鑑みていくつか手を打って行ってくれた。

 

 そのうちの一つが、サイアと言う訳だ。

 

 彼女の存在が、どれほどの物か、エアルにとっては未知数である。

 

 しかし、それでも妹が支えてくれるとなれば心強かった。

 

「そういえば・・・・・・・・・・・・」

 

 そこでふと、サイアが思いついたように口を開いた。

 

「今年も来なかったね、お父さん」

「やめろよ」

 

 少しうんざりしたようにクロウが言った。

 

 少年の顔には、あからさまな嫌悪感が浮かべられていた。

 

「あいつの話なんかすんなよ」

「けど・・・・・・」

「どうせあいつは、どうでもいいと思ってるんだろうよ。俺たちの事、母さんの事もさ」

 

 そう言うと、スタスタと先に歩き出すクロウ。

 

 そんな様子を、エアルとサイアは嘆息気味に見つめるのだった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 1940年も間もなく7月に入ろうと言う頃、欧州戦線は再び、一時の静けさを取り戻していた。

 

 フランスを降伏に追い込んだ事で、ドイツ軍は進軍を中止した。

 

 当初の目的を果たした為、これ以上の進軍は必要ない。

 

 それよりも連合軍との戦いで負ったダメージを回復し、次の戦いに備える必要がある。

 

 言わばドイツ軍全体が、休養期間に入ったと言って良いだろう。

 

 代わって戦いの場は、火花の散らない戦場へと移行する。

 

 すなわち、政治と外交による戦いだ。

 

 連合軍の最有力の一角だったフランスが降伏した事で、連合軍の主力を構成する国は事実上、イギリス一国となった。

 

 イギリスのみでドイツの勢いを止めることは不可能。しかも現在、イギリスはダンケルクから着の身着のまま撤退して来た30万の兵士を抱え、それらを食わせる事にも精いっぱいな様子。

 

 イギリスが頼みにしているアメリカも、沈黙を保ったまま参戦する気配を見せない。

 

 つまり、イギリスは今、かなりの窮状に追い込まれている。

 

 ここで、こちらの条件を突き付けて講和を迫れば、応じてくる可能性は高いとヒトラーは判断したのだ。

 

 本音を言えば、ヒトラーもこれ以上の戦争継続は望んではいなかった。

 

 フランスを倒したとはいえ、ドイツ軍の兵站状況はかなり厳しいところまで追い込まれていた。

 

 急激な進軍に、補給線は伸び切り、攻勢の限界を迎えつつあったのだ。

 

 もし、

 

 マジノ線に展開したフランス軍主力がなりふり構わず反転し、ダンケルクの連合軍と共に、A軍集団を挟撃していたら、

 

 あるいは壊滅していたのはドイツ軍の方だったかもしれない。

 

 だからこそ、ここで戦争をやめる必要がある。

 

 これが言わば最後のチャンス。

 

 今ここでやめなければ、戦争は際限なく拡大していきかねない。

 

 ただちにヒトラーの命を受けた全権代表が、中立国経由でイギリスに講和の打診を行う。

 

 ドイツ側の要求はシンプルだった。

 

 戦争開始から今日まで、獲得した領土の領有権認知。そして、第1次大戦によって奪われた領土の返還。

 

 それさえ認めるならば、これ以上の戦闘行動を停止する用意がある。

 

 ドイツ側の意思は、しっかりとイギリス側へと伝わった。後は、その回答を待つのみ。

 

 だが、

 

 当のイギリスはと言えば、ドイツ側の要求に対し、不気味な沈黙を保ち続けるのだった。

 

 

 

 

 

 少女は不機嫌だった。

 

 その理由については諸説ある。

 

 例えば、朝、気持ちよく眠っていたかと思ったら、どこかの艦で早朝に奇襲訓練なんぞ始めた為、その轟音でたたき起こされた事とか。

 

 例えば、今日は朝食に、好物の卵焼きが出なかった事とか。

 

 例えば、遊びに行こうと思ったのに、今日は終日雨の天気予報だった事とか。

 

 だが、それらの事は、少女にとって些細な事にすぎない。

 

 多分。

 

「つまんない・・・・・・・・・・・・」

 

 シャルンホルストは自室のベッドに寝ころびながら、ぽつりとつぶやいた。

 

 今日はオフの日。

 

 本来ならグナイゼナウあたりを誘って遊びに行きたい所なのが、生憎の雨でそれもかなわない。

 

 前回の出撃前、エアルに買ってもらったネコのぬいぐるみをそっと抱きしめる。

 

 分かっている。

 

 自分がなぜ、退屈を感じているかは。

 

 エアルがいない。

 

 エアルは今、休暇を取り故郷へ帰省しているのだ。

 

 何でも、お母さんの、お墓参りだとか。

 

 エアルの母親が、既に他界していた事自体、シャルンホルストは聞いていなかった。

 

 水臭い、と思う。

 

 それくらい、教えてくれても良いだろうに。

 

 だが、

 

 そこでふと、自分とエアルの関係性について考えてしまう。

 

 エアルとシャルンホルスト。

 

 まあ、単純に関係性を考えれば、艦長と艦娘と言う事になる。

 

 もう少し突っ込めば、友達だろうか?

 

 だが、

 

 最近、そんな答えでは満足していない自分がいるのを、シャルンホルストは感じていた。

 

 エアルの事を考えれば、どうしても胸のあたりがざわついてしまう。

 

 その正体が何なのか、巡戦少女はまだ分からない。

 

 自分は、エアルをどうしたいのか?

 

 あるいは、どうなりたいのか?

 

 その問いかけは、暗い迷宮の中を彷徨うように、先を見通す事は出来ない。

 

 嘆息するシャルンホルスト。

 

「こんなんでボク、どうするんだろう?」

 

 軍には定期的な人事異動と言う物がある。

 

 エアルとて、いつまでも「シャルンホルスト」の艦長でいられる訳ではない。いつかは艦を降りる時が来る。

 

 それに、うまくいけば戦争は終わる。そうなれば、エアルのように活躍した艦長は中央への栄転もあるだろう。

 

 そうなれば当然、シャルンホルストとは離れ離れになる事になる。

 

「・・・・・・・・・・・・おにーさん」

 

 呟くシャルンホルスト。

 

 寂しさを紛らわせるように、腕の中のぬいぐるみをギュッと抱きしめた。

 

 ちょうど、その時だった。

 

 ドアがノックされ、シャルンホルストはベッドの上で跳ね起きた。

 

「あ、はい。どうぞ、開いてるよ」

「失礼します」

 

 入ってきたのは、当直士官の1人だった。

 

 何やら緊張した面持ちで、シャルンホルストに敬礼する。

 

「失礼します、シャル。少し良いですか?」

「良いけど、どしたの?」

「実は・・・・・・急な来客がありまして」

「お客さん?」

 

 わざわざ軍艦である「シャルンホルスト」に来たと言う事は、軍関係者なのだろう。

 

 通常であれば、艦長や副長など、立場ある人間が対応する物であるが。

 

 しかしエアルは私用で艦を離れている。

 

「ヴァルターはどうしたの?」

「それが、副長も司令部の方に出向いていて・・・・・・」

 

 つまり今、「シャルンホルスト」は、トップ2人が不在と言う事である。

 

 まあ、軍艦と言う物は序列がしっかりしているから、艦長、副長不在の状況でも、次席の階級の人間が指揮を執ることになるので、大きな問題にはならない。

 

 問題は、今回のように、急な来訪者があった時の事だ。

 

「判った、じゃあ、ボクが出るよ」

「すみません」

「良いって良いって。誰もいないんじゃ、仕方ないよ」

 

 艦娘も又、艦内では上位者の位置づけにある。何しろ、艦その物なのだから。

 

 よってこの場合、シャルンホルストが対応に当たることについて、何の問題も無かった。

 

 

 

 

 

 

 身支度を整え、会議室へと入るシャルンホルスト。

 

 相手は階級が高い人物であると聞いていたので、念入りに身だしなみを整えている。

 

 相手が上級者である以上、ちょっとした見た目も艦の査定に関わる場合があるのだ。

 

「失礼します」

 

 部屋に入ると、踵を揃えて敬礼するシャルンホルスト。

 

 艦娘は、生まれた時からある程度の知識は備わっている。

 

 普段からアグレッシブな言動が多く、エアルやマルシャルにもフランクなシャルンホルストだが、相手がより上級者である以上、失礼にならない程度の礼を尽くす事くらいできる。

 

 視線を向けるシャルンホルスト。

 

 対して、

 

 相手も立ち上がって敬礼する。

 

「うむ。艦長不在の中、急な来艦となり、申し訳ない」

 

 その相手を見た瞬間、

 

「う・・・・・・・・・・・・」

 

 思わずシャルンホルストは圧倒されそうになり、言葉を詰まらせた。

 

 怖い。

 

 いや、別に殺されそうとか、ごつくて怖いとか、そう言うわけではない。

 

 ただ、

 

 目の前の人物が発する雰囲気が、ひたすらに怖いと感じた。

 

 その怜悧とも言える視線で見詰められただけで、魂を鷲掴みにでもされたような感覚に襲われる。

 

 蛇に睨まれたカエル、とは正にこんな感じなのだろう。

 

「あの・・・・・・」

「ああ、すまない」

 

 そんなシャルンホルストの様子を見て、男は居住まいを正した。

 

「申し遅れた。私は・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

 エアルが「シャルンホルスト」に戻ったのは、その日の夜の事だった。

 

 タラップを上がり、当直の兵士に挨拶をすると、その足で艦内へ。

 

 その足は、どこか浮き立つように軽い。

 

 脳裏には、艦娘の少女の姿が映し出されていた。

 

「シャル、まだ起きてるかな? お土産とか買ってきたんだけど」

 

 少し遅い時間の帰艦となってしまった。もしかしたら、巡戦少女はもう、寝ているかもしれない。

 

 それならそれで、明日渡せばいい。

 

 楽しみが少し伸びるだけの事だ。

 

 そう思った時だった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 足を止める。

 

 艦内に入るとすぐに、空気がいつもと違う事に気が付いた。

 

 何と言うか、空気が張り詰めている。

 

 どこか冷気すら漂っているように思えた。

 

 戦艦とは言え、こんな緊張感はあり得ない。

 

 まるで戦闘中のようではないか。

 

 と、

 

「艦長」

 

 エアルの姿を見るなり、駆け寄ってきたのは、副長のヴァルターだった。

 

「副長、どうしたんですか? これはいったい・・・・・・・・・・・・」

「それが・・・・・・・・・・・・」

 

 言葉を濁らせるヴァルター。

 

 そして話を聞いた瞬間、

 

 エアルは自分の荷物を放り出して駆け出した。

 

 それを拾い、慌てて追いかけるヴァルター。

 

 駆け込んだのは、会議室。

 

 その中にいたのは、巡戦少女の姿だ。

 

「シャルっ」

「お、おにーさんッ」

 

 エアルの姿を見るなり、シャルンホルストはホッとしたような表情を作る。

 

 駆け寄る少女を、いたわるように抱き留めるエアル。

 

 次いで、

 

 エアルは対面に座る人物へと視線を移す。

 

 対して、相手もエアルに気付いたのだろう。顔を上げて立ち上がる。

 

「久しぶりだな。1年・・・・・・いや、2年ぶりか?」

「3年ぶりだよ」

 

 相手の言葉を訂正し、続ける。

 

「久しぶり・・・・・・・・・・・・父さん」

 

 告げられて、

 

 ウォルフ・アレイザーは、睨みつけるような視線を、エアルへと向けた。

 

 

 

 

 

第19話「朱に交わらぬ黒」      終わり

 



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第20話「鉄十字に込める想い」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 変わらないな。

 

 差し向かいで座る父を見つめながら、エアルは心の中で呟いた。

 

 ウォルフ・アレイザーSS海軍中将。

 

 エアル、クロウ、サイアの父。

 

 現在はアドルフ・ヒトラー総統に直接仕える、親衛隊に所属している。

 

 あのノルウェー沖海戦において、戦力的に劣るドイツ海軍が、優勢のイギリス海軍に快勝できたのは、父が立案し、ヒトラーに奏上した「アレイザー・プラン」がもとになっていると聞く。

 

 ドイツ軍の中枢、その一部を担っているのは、間違いなくエアルの父だった。

 

 一方で、その怜悧な相貌と、長い軍歴の末に培われた重苦しい雰囲気は、慣れない人間が接すると、押しつぶされそうな息苦しさを感じる。

 

 現に、傍らのシャルンホルストは、可愛そうな程に、完全に委縮してしまっていた。

 

 こうしたところは、昔から全く変わっていなかった。

 

 エアルは父から視線を外し、シャルンホルストに向き直った。

 

「シャル、ここはもう良いよ」

「え?」

 

 いたわるように、エアルは少女に声を掛ける。

 

 萎縮しきったシャルンホルストは、少し怯えた目でエアルに振り返った。

 

 エアルが帰ってくるまで、1人でウォルフの相手をしていたのだ。怯え切るのも無理からぬ話だろう。

 

「あの、おにーさん・・・・・・でも・・・・・・」

「大丈夫だから、ね。今日は部屋に帰って、ゆっくり休んで。明日から、またお願い」

「う、うん」

 

 微笑む掛けるエアルに、シャルンホルストは、少しためらうように振り返ったが、結局は促されるまま部屋を出て行った。

 

 シャルンホルストには悪い事をしてしまった。この父と長時間一緒にいるなど、初対面の人間からすれば拷問に等しい。後で、何か美味しい物でも作って差し入れしてあげよう。

 

 そう思いながら、エアルは父に向き直った。

 

「今日は、どうして来なかったの?」

 

 少し、責めるような口調。

 

 しかし、あまりきつくなりすぎないよう、意識して力を抜きながら、エアルは父に尋ねた。

 

「母さんの命日だったのに」

「優先すべき事が他にある。それだけの事だ」

 

 問いかける息子に、父はそっけなく返す。

 

 あまりにも情が薄いと言わざるを得ない。仮にも、自分の妻の墓参りをすっぽかす、などと。

 

 しかし、エアルも心得た物。父がこう答えるであろう事は予想で来ていたので、それ以上は何も言わない。

 

 代わって、別の話題を口にした。

 

「クロウも、サイアも来てたよ。2人とも、父さんに会いたがっていたのに」

「そうか」

 

 短く頷く、ウォルフ。だが、それ以上は何も言おうとしない。

 

 ウォルフにも分かっているのだ。

 

 エアルがわざと、嘘をついている事を。

 

 子供たち。

 

 特に次男のクロウは、自分の顔など見たくないであろう事は、ウォルフにも察しがついていた。

 

 現にここ数年、クロウとは親子らしい会話は殆どしていないし、たまに顔を合わせれば、向こうの方が避けてくる始末である。

 

 最早、親子と言う名の他人と言う認識が強くなってしまっていた。

 

 とは言え、エアルにしろウォルフにしろ、その事をこれ以上追及する気は互いに無い。

 

 この件に関しては、いくら話し合っても互いに平行線になる事は判っているからだ。

 

 誰に何を言われようが、ウォルフが子供たちを顧みる気が無いからである。その事をある意味、一番理解しているのがエアルだった。

 

 代わって、エアルは話題を変えた。

 

「そう言えば、最近、仕事の方はどう? 父さんは今、親衛隊でしょ。総統閣下は、気難しい人だって聞いてるけど? 父さんは苦労してない?」

「総統閣下には、良くして頂いているさ。閣下の下で働けることは、この上ない名誉だ」

 

 尋ねるエアルに、ウォルフは重い口調で答える。

 

 実際、ウォルフが立案したアレイザー・プランをもとに戦い、海軍はノルウェー沖でイギリス海軍を撃破している。

 

 ヒトラーは指揮系統から外れた作戦案であっても、自身が良案と思えば採用する事もある。その事を考えれば、ウォルフがヒトラーから、いかに信頼されているかがうかがえた。

 

「お前の方も活躍だそうじゃないか。『シャルンホルスト』の活躍は、総統閣下のお耳にも入っているぞ。特にノルウェー沖海戦の後、総統閣下は特にお喜びだった」

 

 言ってから、ウォルフは付け加えるように言った。

 

「父として、私も誇らしく思う」

 

 嘘だな。

 

 聞いたエアルは、瞬時にそう思った。

 

 ウォルフはエアル達の事など何とも思っていない筈。言い換えれば、眼中にすら無いはずだ。

 

 その証拠に、ここ数年、会って話をするどころか、連絡の一つもよこさなかった。

 

 エアルの方は近況報告がてら、何度か手紙を送っていたのだが、その返事すらない有様である。

 

 だからこそ、父の言葉は単なる社交辞令と捉えていた。

 

 今日来たのも、わざわざ息子に会いに来たから、ではない。きっと何か、別の目的があっての事だ。

 

 そんな事を考えていると、ウォルフはカバンの中から小さな箱を取り出してきた。

 

「今日、ここに来たのは、これを総統閣下より預かってきたからだ。本来なら正式な授与式を執り行うところだが、今回は閣下の命により、私が直接、お前に手渡す事になった」

 

 そう言って、箱を開けるウォルフ。

 

 中には、赤、白、黒の帯に付随した鉄十字の徽章が収められていた。

 

 漆黒の十字架が、鋭い輝きを放つ。

 

 目を見開くエアル。

 

「これは、騎士鉄十字章?」

 

 騎士鉄十字章とは、ドイツ軍で制定されている勲章であり、特に功績大とされた者にのみ送られる名誉ある勲章である。

 

 元々はプロイセン王国時代に制定された鉄十字章を、ヒトラー自ら改定した物である。

 

 騎士鉄十字章は、何段階かに分かれており、功績が上がるにつれてより上位の勲章が授与される。

 

 ただ、騎士鉄十字章を授与される事自体が、ドイツ軍人にとって最高の名誉である。

 

 つまり、この騎士鉄十字章を授与される事自体、すなわち最高権力者である、総統アドルフ・ヒトラーに認められたことを意味していた。

 

「お前にだ」

「俺に?」

「ラプラタ沖、ノルウェー沖、テムズ沖。3つの戦いにおいて、最も活躍したのは、間違いなく『シャルンホルスト』だ。その艦長であるお前には、騎士鉄十字章を受ける資格が十分にある。これは、総統閣下もお認めになった」

「総統閣下が、これを・・・・・・・・・・・・」

 

 名誉な事だった。

 

 ドイツ国内において、ヒトラーの覚えがめでたくなる以上に素晴らしい事は無い。

 

 エアルは父の手にある騎士鉄十字章を見ながら呟いた。

 

「・・・・・・俺1人の成果じゃないよ」

 

 ウォルフは何も語らず、ただ息子をじっと見つめている。

 

「今までの勝利は全部、俺1人でできたわけじゃない。マルシャル提督や、リード副長、バニッシュ中佐にグナイゼナウ、勿論、『シャルンホルスト』の全乗組員たち・・・・・・」

 

 皆の顔を思い浮かべながら告げるエアル。

 

「そして何より、シャルンホルスト・・・・・・あの娘の助けがあったから勝てたんだ」

 

 シャルンホルスト。

 

 その名を口にした時だけ、エアルはほんの少し、言葉に力を込めた。

 

 彼女がいたから勝てた。

 

 彼女と共に戦えなければ、あり得ない勝利だった。

 

 今やエアルの中で、シャルンホルストの存在が大きくなりつつあるのは間違いなかった。

 

 そんなエアルの心情をくみ取るかのように、ウォルフは頷いて見せる。

 

「艦娘と絆を深める事は悪い事じゃない。艦娘もまた人である以上、モチベーションの在り方が戦力の増減にも関わるからな」

 

 あくまで戦力として、艦娘を評価する父。

 

 分かってはいた事だが、そんなウォルフに、エアルは不快感を隠せなかった。

 

 だが、エアルが何か言う前に、ウォルフは騎士鉄十字章を差し出す。

 

「なら、猶更、お前はこれを受け取るべきだ」

「どういう事?」

 

 首をかしげるエアル。

 

「今回の騎士鉄十字章はお前だけではなく、『グナイゼナウ』のバニッシュ中佐や、グナイゼナウ本人、そしてもちろん、シャルンホルストも対象になっているからだよ」

 

 4人同時に受勲。

 

 その事に驚きを隠せないエアルに、父はさらに続ける。

 

「それに、お前を鉄十字章に推薦したのは、お前の前の上官だからだよ」

 

 前の上官、と言われてエアルが思い浮かぶのは1人しかいない。

 

 それは、先に海軍上層部の意向により左遷の憂き目にあった、ラインハルト・マルシャル大将だった。

 

 マルシャルが?

 

 驚くエアル。

 

 第1戦闘群司令官を解任され、首都へ送還されたマルシャルが、解任前に推薦してくれていたとは。

 

 これまで多くの戦いを勝ち抜いてきたのは事実。

 

 しかし、それは皆に支えられての事。

 

 故に、勲章を受け取る事にも抵抗はある。

 

 だが、それでも、

 

 多くの人と共に戦い、勝ち抜いた証でもある。

 

「さあ、エアル」

「・・・・・・うん」

 

 言われて、頷くエアル。

 

 延ばされた手は、

 

 父の手にある勲章を、しっかりと握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女は着替える気にもなれず、軍服のジャケットを脱いだだけのラフな格好でベッドの上であおむけになっていた。

 

 淹れておいたお茶を少しだけ飲み、ひと心地ついてもまだ、先ほどの感覚が薄れる事は無かった。

 

 エアルの父親の来訪。

 

 その事実に最も驚いたのは、シャルンホルストだった。

 

 会ってみた印象は正直、ちょっと・・・・・・

 

 いや、かなり似てない。

 

 と言うか、怖かった。いやマジで。

 

 エアルと、ウォルフ

 

 どちらも優男風の風貌と言うイメージでは、似通った部分もある。

 

 しかし、どちらかと言えば天然気味で、どこか軍人らしからぬほんわかした雰囲気のあるエアル。

 

 対するウォルフはと言えば、一言で言えば冷たい印象がある。

 

 冷たく、鋭く、

 

 まるで血の通っていない刃のような印象だ。

 

 子供とかの好かれそうなイメージがあるエアルに対し、ウォルフは刑務所の看守でもやってそうなイメージがあった。

 

 それに、

 

 エアルとウォルフ。

 

 2人の印象がどうにも、シャルンホルストには、どこかぎこちない感じがしたのだ。

 

「そう言えば・・・・・・・・・・・・」

 

 ふと、思い出す。

 

 今までエアルは、シャルンホルストと会話をしていて、弟や妹の事は話した事はある。

 

 クロウとサイア。

 

 この2人の事を話す時、エアルは実に嬉しそうに弾んだ声で話してくれる。おかげでシャルンホルストも、会った事が無いエアルの弟妹達を、まるで古くからの友人のように感じる事が出来るほどだった。

 

 しかし、

 

 エアルが父親の事を話した事は無かった気がする。

 

 そこに一体、何があるのだろうか?

 

「おにーさん・・・・・・お父さんの事、嫌いなのかな?」

 

 エアルとウォルフ。

 

 その2人の間にある物。

 

 それは、シャルンホルストには、推し量る事の出来ないものなのかもしれなかった。

 

 その時だった。

 

 部屋のドアがノックされたのは。

 

「シャル、まだ起きてる?」

「え、お、おにーさんッ!?」

 

 跳ね起きるシャルンホルスト。

 

 ドアが開かれるのは、ほぼ同時だった。

 

「ごめんね、もう寝るところだった?」

「ううん。何か寝付けなくて。どうかしたの?」

 

 首をかしげるシャルンホルスト。

 

 と、クスッと笑う。

 

「もしかして、夜這い?」

「ち、違うよ」

 

 何を言っているのか、このトンチキ巡戦は。

 

 そんなエアルの反応に、シャルンホルストはおかしそうに笑う。

 

「だよね。ボクみたいなちんちくりんじゃ、夜這いする意味ないしね」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 まあ、その意見に関する回答は、避けておくことにする。

 

 代わって、エアルは手にした勲章入りの箱をシャルンホルストに騎士鉄十字章の入った箱を差し出す。

 

 先ほど、父から預かってきたものだった。

 

 因みに、ウォルフは既に艦を去っている。

 

 遅い時間だし、部屋を用意するから泊っていくように勧めたのだが、ウォルフの方でそれを誇示していた。

 

 差し出された騎士鉄十字章を見て、シャルンホルストは目を輝かせた。

 

「わッ きれい。何、これ?」

「騎士鉄十字章だよ。総統閣下から、シャルにって。父さんは、これを渡すために来たんだ」

 

 エアルの手から勲章を受け取るシャルンホルスト。

 

 明りに向かってかざしてみるとキラキラと輝き、巡戦少女はうっとりと目を細めた。

 

「ボク、勲章なんて初めてもらったよ」

「そりゃ、ね。そう頻繁にもらえるもんじゃないし。まあこれでも俺たちは活躍している方だとは思うから、総統閣下としては渡すタイミングを見てたんじゃないかな」

 

 ラプラタ沖ではイギリス海軍G部隊を撃破、ノルウェー沖では戦艦「ラミリーズ」と空母「グローリアス」を撃沈、そして先日のテムズ沖では敵船団を壊滅。

 

 まさに「八面六臂」と言っても過言ではない活躍をしている「シャルンホルスト」。

 

 確かに、とっくに勲章をもらっていても良い立場ではある。

 

「まあ、総統閣下としても都合よかったんじゃない? 父さんが親衛隊やっているから、直接ベルリンまで呼び出す手間が省けてさ」

 

 そう言って、肩をすくめるエアル。

 

 そこでふと、シャルンホルストは、気になっている事をエアルに尋ねてみた。

 

「ねえ、おにーさん。ボクの勘違いだったら、ごめんだけどさ・・・・・・」

「うん、何?」

 

 躊躇うように尋ねるシャルンホルスト。

 

 対して、エアルは先を促す。

 

 ややあって、巡戦少女は口を開いた。

 

「もしかしてだけど、お父さんと、仲悪いの?」

「・・・・・・・・・・・・え?」

 

 一瞬、ギョッとした表情をするエアル。

 

 突然、そんな事を言われて、驚かない筈はない。

 

 否、

 

 それ以前に、

 

 初見でいきなり、シャルンホルストに、その事を言い当てられた事に、エアルは驚いていた。

 

「・・・・・・・・・・・・父さんは、さ」

 

 椅子を引いて座りながら、エアルは語り始める。

 

 別段、話すような事でもないのだが、何となく、目の前の少女に対しては話しておきたい。そんな気分だった。

 

「父さんは、未だに、母さんが死んだ事を受け入れられていないんだと思う」

「おにーさんのお母さんって、あの、写真の?」

 

 以前、艦長室に入った時に、エアルの机の上に飾られている写真を見た事がある。

 

 軍服を着た男性と、同じく軍服姿の女性。

 

 それぞれの腕には赤ん坊が抱かれ、真ん中に3~4歳くらいの男の子が立っていた。

 

 きれいな女の人だな、と思ってみていた覚えがある。

 

 頷くエアル。

 

 次いで、言った。

 

「俺の母さんはね、艦娘だったんだ」

「えッ!?」

 

 今度はシャルンホルストが驚く。

 

 艦娘。

 

 つまり、自分と同じ存在。

 

 と言う事は、つまり。

 

「じゃあ、おにーさんって・・・・・・」

「うん。人間と艦娘のハーフって事になるのかな? まあ、どっちも身体構造的には全く変わらない事は証明されているわけだから、分ける意味なんてないんだけどね」

 

 笑って肩をすくめると、エアルは続けた。

 

「巡洋戦艦『デアフリンガー』。それが、俺の母さん」

 

 巡洋戦艦「デアフリンガー」。

 

 第1次世界大戦時に活躍したデアフリンガー級巡洋戦艦の1番艦。

 

 あのユトランド沖海戦にはヒッパー提督率いる第1偵察艦隊の1隻として出撃。巡洋戦艦2隻を含む多数の艦艇を撃沈し、ドイツ艦隊の戦術的勝利に大きく貢献した。

 

 しかし、ドイツの敗戦が決まり、主力艦艇は全て協商国に引き渡される事が決定した。

 

 そして、

 

 「デアフリンガー」を含むドイツ艦隊は、抑留先のイギリスで、ほぼ全艦が自沈して果てた。

 

「父さんは結局、未だに母さんが死んだ事を受け入れていない。だから、墓参りとかも来た事なんてないんだ」

「そう、なんだ・・・・・・・・・・・・」

「シャルは、俺と父さんの仲が悪いんじゃないかって言っていたけど、それはちょっと違うかな。別に仲は悪くないよ。少なくとも俺は、父さんの事を嫌ってはいない」

 

 ただ、

 

 お互いに、もうどうでもいいと思っているだけ。

 

 特に、ウォルフはエアル達の事など、全くと言って良いほど気にかけていない。

 

 それは子供の頃から変わらなかった。

 

 だからこそ、エアルは必死に勉強して海軍の幼年学校に入学。戦艦の艦長になるまでに昇進したのだ。

 

「そう、だったんだ」

 

 話を聞き終えたシャルンホルストは、目を伏せて声のトーンを落とす。

 

 エアルが歩んできた人生の、壮絶さに、声も出せないでいる。

 

 そんなシャルンホルストの様子を見ながら、エアルはクスッと笑う。

 

「そんな落ち込まないで。俺には弟も妹もいた。別に、1人でここまで来たわけじゃないんだ」

 

 言いながら、遠い目をするエアル。

 

「クロウにサイア、その他にもたくさんの人がいて、俺達を支えてくれた。だから、俺は今こうしていられる。それに・・・・・・」

「それに?」

 

 問いかけるシャルンホルストに、目を向けながら笑いかける。

 

「シャルもいてくれる。一緒に戦ってくれる。でしょ」

「う、うん。それは、まあ、そうだね」

 

 言われて、シャルンホルストは頷きを返す。

 

 実際、シャルンホルストからしても、エアルが艦長として指揮してくれたからこそ、これまで数々の戦いに勝利できたと思っている。

 

 正直、エアルとの相性は、良好と言って差支えは無かった。

 

 と、エアルは思いついたように、騎士鉄十字章を取る。

 

「シャル、ちょっと動かないでね」

「え、ちょ、おにーさん?」

 

 戸惑うシャルンホルスト。

 

 彼女の首に、勲章を下げる。

 

 首元に光る、十字架の輝きが、少女の顔を照らし出す。

 

「うん、思った通り。とっても似合ってるよ」

「あ、ありがとう」

 

 そう言うと、シャルンホルストは顔をほんのり赤くする。

 

 停泊した艦の中。

 

 夜の風が少し寒い中、

 

 エアルとシャルンホルストの間にだけ、ほんの少し暖かい風が吹き抜けるようだった。

 

 

 

 

 

第20話「鉄十字に込める想い」      終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 墓の前に立つと、ウォルフは手にした花を供える。

 

 妻の墓前。

 

 「毎年欠かす事無く」行って居る行為を、今年も又、繰り返す。

 

「テア」

 

 亡き妻に、そっと語り掛けるウォルフ。

 

 その声には、他の人間には決して向ける事にない、優しい響きがあった。

 

「そっちは寒くないか? 苦労していないか? お前が天から見守ってくれているおかげで、俺も、それに子供たちも何とかやっているよ」

 

 語り掛けるウォルフ。

 

 その脳裏には、子供たち1人1人の顔が思い浮かべられる。

 

 エアル、クロウ、サイア。

 

 3人の事を気にかけていない冷酷非情な父親。

 

 その人物像に間違いはなく、事実としてウォルフはそのように振舞っている。

 

 だがしかし、

 

 それでも、

 

 そんなウォルフの、

 

 背後に立つ女性が、呆れ気味に口を開いた。

 

「まったく、素直じゃない男だな」

「何がだ?」

 

 シュレスビッヒは、呆れ気味にいながら嘆息する。

 

 ウォルフの友人であり、テアの姉的存在でもあったシュレスビッヒ。

 

 彼女は毎年の墓参りの際には、必ずウォルフに同道していた。

 

 友人の言葉に、訝りながら振りかえるウォルフ。

 

 対して、シュレスビッヒは肩をすくめて告げる。

 

「子供たちが心配なら、父親のお前がもっと積極的にコミュニケーションを取るべきじゃないのか? エアル当たりなら、受け入れてくれるだろ」

 

 シュレスビッヒの指摘に対し、

 

 しかしウォルフはフッと、自嘲気味に笑って見せた。

 

「今更、だろ」

「なに?」

「今更、俺があの子たちに媚びを撃ったところで、3人とも、俺を受け入れてはくれんさ」

 

 肩をすくめるウォルフ。

 

 対して。シュレスビッヒは尚も言い募る。

 

「そんな事は無い。クロウやサイアは、確かに、お前に思うところはあるだろう。だが、エアルなら・・・・・・あの子なら、お前の事も受け入れてくれるはずだ」

 

 テアが死んでから、シュレスビッヒは折を見て、ウォルフの子供たちの面倒も見ている。

 

 その為シュレスビッヒはエアル達の事を、ある意味、自分の孫のようにも思っているのだった。

 

 だが、

 

 そんなシュレスビッヒの言葉に、ウォルフは首を横に振った。

 

「いや、多分、3人の中で、1番私を嫌っているのはエアルだろう」

「そんな事は・・・・・・」

「あるさ」

 

 シュレスビッヒの言葉を遮るように言ってから、立ち上がるウォルフ。

 

「俺が家庭を顧みなかったせいで、一番苦労したのは、あの子だからな。間違いなく、エアルは俺の事を恨んでいるだろうさ」

 

 世の中には、互いの想いがすれ違う事は往々にしてある。

 

 互いに思いあっていても、その想いが相手に届かない事はある。

 

 エアル、

 

 そしてウォルフ。

 

 父は息子を、

 

 息子は父を、

 

 共に、相手の事を想っている。

 

 しかし、その想いは、決して交わることなく、互いの横をすれ違っていくのだった。

 

「俺は、テアの復讐のために子供たちを捨てた男だ。その俺が今更、あの子たちの人生に関わる事などできない」

「ウォルフ・・・・・・」

「テアも、俺の事を許さないだろう。あいつなら、自分の復讐のために、子供を捨てる俺を恨んでいるはずだ」

 

 だが、

 

 たとえ子供たちに憎まれようとも、

 

 たとえ死んだ妻に恨まれようとも、

 

 自らが課した道を、違える事は出来ない。

 

 ただ、

 

 子供たち3人の幸せを願う。

 

 自分に示せる愛情は、ただそれだけ。

 

 そう心の中で呟きながら、

 

 ウォルフは手を伸ばし、妻の墓石を優しく撫でるのだった。

 



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第21話「鷲の日」

 

 

 

 

 

 

 

 ドイツ帝国総統官邸。

 

 その中にある会議室は今、緊張に張り詰めていた。

 

 会議用テーブルの端。

 

 閣僚一同が視線を向ける先で、ドイツ第3帝国最高権力者である、総統アドルフ・ヒトラーが、手にした書簡を眺めていた。

 

 内容は、先に大英帝国に対して発した、和平案の回答。

 

 ヒトラーとしては、現実的な方向性で和平案を示したつもりだった。

 

 しかし、

 

 居並ぶ一同が緊張した面持ちを向ける中、ヒトラーは無言のまま書簡を睨み続けている。

 

 良い内容ではない。

 

 居並ぶ幕僚と共に、ヒトラーの言葉を待つウォルフにも、その事は感じられていた。

 

 ややあって、顔を上げるヒトラー。

 

「・・・・・・・・・・・・これが、奴らの答、と言う訳か」

 

 怒りを滲ませたヒトラーの声が、会議室の中を締め上げる。

 

 慌てて、傍らに座っていたヘルムート・ゲーリング国家元帥が、ヒトラーから書簡を受け取って一読する。

 

 ドイツからの和平案は「ドイツが第1次大戦で奪われた海外領土の返還」「ドイツが開戦からこれまでに得た占領地の恒常的な領有」のみだった。

 

 戦勝国側の要求としては、現実的である。むしろ、賠償金請求や軍備縮小を要求しないだけ良心的ですらある。

 

 しかし、

 

 書簡を一読したゲーリングは、その大柄な体を身震いさせた。

 

「・・・・・・・・・・・・イギリスは、ドイツ側の要求を認めず。以下の事を要求する。

 

1、 ドイツは開戦から今日までに得た領土を、即時返還する事。

2、 戦災を蒙った各国に対し、ドイツは復興の為の資金提供を行う事。

3、 ドイツは連合国監視の下、軍備の縮小を行う事。縮小の内容については、後日、改めて協議する。

4、 以上の条件を持って、イギリスはドイツと停戦する用意がある。

 

ですと・・・・・・」

 

 絶句。

 

 と言う以外にない。

 

 戦争に負けている側が、勝っている側に対し、「お前らの話を聞く気はない。ただし、こっちの言う事を全部聞くなら停戦に応じてやる」と言っているのだ。

 

 疑う余地もなく、明らかな挑発だった。

 

 イギリスはドイツと手を結ぶ気は無い。攻められる物なら攻めて見ろ。と言っているのだ。

 

 実のところ、フランスが降伏する少し前に、イギリスでは政変が起こっていた。

 

 それまで首相を務めてきたのは、ハト派のチェンバレンで、彼はヒトラーの要求に対し、唯々諾々と従うだけであり、そのせいで現在の苦境を招いた事から、イギリス国民からの支持を失っていたのだ。

 

 代わって首相に就任したのは、第1海軍卿を務めた事もある、ウェリントン・チャーチルだった。

 

 チャーチルはタカ派の急先鋒としても知られ、その政治的手腕はまさしく「老獪」の一言に尽きた。

 

 チャーチルは、ヒトラーが内心ではイギリスと手を打ちたがっている事を和平案の内容から見抜き、あえて強気な姿勢で外交交渉に臨んできたのだ。

 

 また、ドイツは確かに連戦連勝を重ねているが、海軍に関して言えば、未だにイギリスが優勢である。

 

 そして、イギリスに侵攻するためには、是が非でも海を渡る必要がある。

 

 海での戦いなら、まだ十分、イギリスに勝機がある。

 

 チャーチルがそのように考えたとしても不思議は無かった。

 

 ヒトラーの懐柔案は、完全に裏目に出た形である。

 

「諸君!!」

 

 ヒトラーの大音声に、皆が居住まいをただす。

 

 対して、ヒトラーは一拍置き、一同を見回して言った。

 

「今回の回答により、イギリスの意思は明らかとなった。戦争を欲しているのは、むしろ我々ではなく、奴等の方である。奴等は、余が示した和平案を撥ね付けてきた。ならば最早、遠慮は無用である。我が忠実にして精強なる、ドイツ全軍を持って、彼の古いだけが自慢の増上慢極まりない帝国を叩き潰すのみである!!」

 

 言い終えてから、ヒトラーは視線を巡らせる。

 

「ゲーリングッ!!」

「はッ」

 

 呼ばれて、向き直るゲーリング。

 

「空軍各部隊の展開状況はどうかッ!?」

「ハッ 総統閣下ッ 既に稼働全部隊、フランス沿岸基地への展開を終えてありますッ ご命令あり次第、直ちに攻撃開始が可能です」

 

 ゲーリングの言葉に頷き、ヒトラーは頷くと、再度視線を巡らせた。

 

「レーダーッ!!」

「はッ 閣下!!」

 

 次いで、海軍元帥のエドワルド・レーダーを呼んだ。

 

「海軍はどうかッ!?」

「ハッ ご命令通り、水上艦隊、潜水艦隊、双方ともにいつでも出撃可能です」

 

 ドイツ全軍が、対イギリス戦略に向けて動き出そうとしている。

 

 この流れは最早、誰に求める事は出来ない。

 

「よろしいッ」

 

 力強くうなずくヒトラー。

 

「それではこれより、対イギリス侵攻に向けた、全作戦を開始する!!」

『ハイル・ヒトラー!!』

 

 一斉にナチス式の敬礼をする一同。

 

 ウォルフも又、最敬礼でもってヒトラーへの忠誠を明らかにする。

 

 いよいよだ。

 

 いよいよイギリスと、

 

 ウォルフから、最愛の妻を奪った国との直接対決が始まる。

 

 この時を、どれほど待ち望んだ事か。

 

「テア・・・・・・・・・・・・」

 

 そっと、胸ポケットに収めた妻の写真に手を当てる。

 

 その双眸は、自身が倒すべき敵を求め、鋭く輝くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝焼けの空に、轟音が鳴り響く。

 

 多重に聞こえる楽曲は、これから始まる戦いへの昂りを示している。

 

 各々が愛機に乗り込んだパイロット達。

 

 飛び立つ瞬間を、今や遅しと待ちわびる。

 

 やがて、

 

 上る朝日の下に、フラッグが振られる。

 

 合図と共に、ゆっくりと滑走路を走りだす、航空機の群れ。

 

 翼に描かれた鉄十字を誇らしく掲げ、蒼穹へと舞い上がっていく。

 

 彼等の行く先には群青の海、

 

 そして、

 

 目指すべき、敵国の大地が広がっていた。

 

 

 

 

 

 その報告を初めに受けた女性は、上ずった声で振り返りながら叫んだ。

 

「き、き、来ましたッ 司令!!」

 

 紅潮した顔。

 

 緊張のために喉は張り付き、舌が思ったように動かない。

 

 対して、

 

 報告を受けた男は落ち着き払い、静かにうなずきを返す。

 

 その泰然とした様子は、軍服を着ていなければ、神に仕える敬虔な牧師のようにも見える。

 

 しかし胸には大将の階級章と共に、大英帝国空軍(R A F)所属であることを示すウィングマークが見える。

 

「落ち着いて。慌てることに、何一つとして意味はない。報告は正確に」

「は、はいッ」

 

 司令官の声を聞いて、オペレーターは深呼吸を繰り返す。

 

 やがて、落ち着きを取り戻すと、改めて司令官に向き直った。

 

「沿岸部レーダー基地より入電。ドーバー海峡上に航空機の大編隊を確認。海上をまっすぐこちらに向かってきます。恐らくドイツ空軍と思われます」

「ついに来たか」

 

 フランス降伏から1カ月。

 

 こうなる事は、初めから分かっていた。

 

 和平交渉は決裂を迎え、ドイツ軍との直接対決は不可避となった。

 

 早晩、ドイツはイギリス本土へ直接攻撃を仕掛けてくる。

 

 だからこそ、イギリス軍も万全の態勢で迎え撃つ準備を進めていた。

 

「中距離レーダー基地始動。探知始め」

「了解、中距離レーダー基地へ通達します」

 

 オペレーター達は訓練に従い、各基地へ指令を飛ばしていく。

 

 彼女たちは言わば、システムにおける「神経」の役割を果たす事になる。

 

 いかに素早く、情報を必要な部署へと伝達する。それができるか否かが、本システムのカギとなる。その為に、彼女たちの能力が必要不可欠だった。

 

 窓の外を見上げる。

 

 そこに広がる遥かなる蒼穹。

 

 まもなく、あの場所は凄惨な戦場と化すことになる。

 

 幾多の命が失われる事になるだろう。

 

 しかし、退く事は許されない。

 

 全ては祖国を、そして愛する人たちを守る為。

 

「来るなら来い。我々は絶対に侵略者に屈しはしないぞ」

 

 大英帝国空軍大将ケイ・ダウディングは、静かな決意と共に呟いた。

 

 

 

 

 

 ドーバー海峡上空を、編隊を組んで進撃するドイツ空軍。

 

 その中に、クロウの駆るメッサーシュミットBf109Eもいた。

 

「まさか、兄貴よりも先に、イギリスに来る事になるとはね」

 

 操縦桿を握りながら、皮肉気に笑うクロウ。

 

 先にイギリス本土を目にするのはてっきり、海軍に所属している兄かと思っていたのだが。

 

「まあ、うちの大将も、どうやら今回は本気みたいだし。兄貴がこれ以上、何かやる前に、イギリスが音を上げるかもな」

 

 フランス沿岸部の基地を飛び立ったドイツ空軍の攻撃部隊は、ドーバー海峡の上空を通過、間もなくイギリス沿岸部に差し掛かろうとしていた。

 

 この戦いに、ドイツ空軍最高司令官ヘルムート・ゲーリングは第2、第3の2個航空艦隊をフランス沿岸の基地へと配備、総攻撃の態勢を取っていた。

 

 圧倒的な戦力を叩きつけ、一気にドーバー海峡の制空権を奪取しようと言う作戦である。

 

 目を転じれば、メッサーシュミットのほかにも、ドルニエDo217や、ハインケルHe111、ユンカースJu88といった爆撃機。

 

 さらには同じメッサーシュミットのBf110双発戦闘機の姿もある。

 

 まさに大陸を席巻したルフトバッフェの精鋭が一堂に会しているといっても過言ではなかった。

 

 これだけの戦力があれば、イギリス空軍が相手でも負けはしない。

 

 空軍の誰もが、そう思っていた。

 

 一瞬、

 

 視界の彼方で、何かがきらめいた気がした。

 

 次の瞬間、

 

「敵機!!」

 

 クロウは叫びながら、操縦桿を思いっきり倒す。

 

 間一髪。

 

 奇襲をかけてきたスピットファイアの攻撃を紙一重で回避する、クロウのメッサーシュミット。

 

 それを合図にしたかのように、

 

 雲の中から、次々とイギリス空軍機が飛び出してくるのが見えた。

 

 スピットファイアのほかに、若干旧式ながら、スピットファイアの開発前にイギリス空軍主力を担ったホーカー・ハリケーン戦闘機も見える。

 

「クソッ 待ち伏せかよ!!」

 

 スロットルを開くクロウ。

 

 速度を上げたメッサーシュミットは、たちまちスピットファイアの追撃を振り切り、さらには急上昇を仕掛ける。

 

 その急加速に、スピットファイアのパイロットは追随できない。

 

 メッサーシュミットを反転させるクロウ。

 

 そのまま、スピットファイアに狙いを定めて急降下する。

 

「ダンケルクの時は不覚を取ったがよ・・・・・・・・・・・・」

 

 照準器いっぱいに広がる、スピットファイアの機影。

 

「今度は、そうはいかねえぞッ!!」

 

 トリガーを引くクロウ。

 

 メッサーシュミットの両翼から、放たれる弾丸。

 

 狙い違わず、放たれた弾丸はスピットファイアを上面から捉え粉砕する。

 

 火球と化すイギリス戦闘機。

 

「よしッ」

 

 短いガッツポーズと共に、機体を旋回させるクロウ。

 

 彼以外のドイツ空軍機も、邀撃に現れたイギリス戦闘機との交戦に入り、ドーバー上空はたちまち、両軍の翼が入り乱れる死闘の場と化す。

 

 互いに旋回と銃撃を繰り返す両軍の機体。

 

 時々、空中に爆炎が踊り、命が失われる。

 

 クロウはと言えば、その間にハリケーンを1機、スコアに上乗せしていた。

 

 更なる獲物を求めて、視界を巡らせようとした時だった。

 

 突如、

 

 下方から駆け上がるように飛び込んできたスピットファイアが機銃を一連射。

 

 クロウ機の、すぐ脇を飛んでいた味方のメッサーシュミットを火球へと変えた。

 

「速いッ 新手かッ!?」

 

 とっさに、翼を翻して敵機に向かい合うクロウ。

 

 視界の先では、強襲を掛けてきたスピットファイアもまた、反転するのが見えた。

 

 

 

 

 

 クロウのメッサーシュミットと、正面から対峙するスピットファイア。

 

 そのコックピット内で、パイロットは不敵な笑みを浮かべた。

 

「遅いなァ ドイツ人、まるで亀だね亀ッ!!」

 

 愉快に叫びながら機銃を一連射。

 

 更に1機のメッサーシュミットを屠る。

 

 突っかかってきたメッサーシュミットの攻撃を回避。そのまま流れるような動きで背後へと着く。

 

「ほーら、また1機ィ!! 亀相手の戦争なんて楽でいいねッ!!」

 

 イギリス王室第9王子リシャールは、軽くトリガーを押し込む。

 

 1連射される機銃弾。

 

 それだけで、メッサーシュミットは粉砕される。

 

「全く、こんな奴等に負けるなんてさ、海軍もフランス軍も、どんだけ間抜けなのかって感じだよね!! もう、雑魚だよ雑魚、ザーコ!!」

 

 言っている間に、更に1機のメッサーシュミットに照準を向ける。

 

「そらッ もう一丁!! ザーコ!!」

 

 言いながら、トリガーに掛けた指の力を強めようとした。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!?」

 

 放たれる銃撃に対し、とっさに翼を翻すリシャール。

 

 間一髪、駆け抜けていくメッサーシュミット。

 

 その鉄十字の翼を、冷ややかな目で見据える。

 

「あ? 何お前? 雑魚のくせに生意気なんですけどー? そんなに僕に狩られたいんですかー?」

 

 言いながら、翼を翻したリシャール。

 

 その視界の中で、反転するメッサーシュミットが映っていた。

 

 

 

 

 

 一方、攻撃を仕掛けたクロウは、舌打ちしていた。

 

「外したッ!? クソッ!!」

 

 完璧な奇襲に近かったにもかかわらず、目標のスピットファイアはクロウの攻撃を回避してのけたのだ。

 

 そのまま退避に入ろうとするスピットファイアを追撃するクロウ。

 

 機体をロールさせつつ反転。

 

 スピットファイアに向かい合う。

 

 互いに接近する両者。

 

 すれ違う一瞬、機銃を1連射。

 

 だが、

 

 当たらない。

 

 互いの弾丸は相手を捉える事無く、空中に落ちていく。

 

「チッ 何だ、あいつ、変な動きでかわしやがった!?」

 

 ここまで戦ってきたスピットファイアとは、一味違う手ごたえに、クロウは改めて操縦桿を握りなおした。

 

 

 

 

 

 一方

 

「ああもうッ 何で当たんないんだよッ あいつ!! 馬鹿じゃないのかッ!!」

 

 リシャールはコックピットの中で喚き散らしていた。

 

 同時に機体を反転。メッサーシュミットを追撃に入る。

 

 小回りが利くスピットファイアは、たちまちメッサーシュミットの背後へと回り込む。

 

「ハイ終わりー ザーコッ!!」

 

 煽る口調と共に、機銃を一連射するリシャール。

 

 しかし、

 

 弾丸が届く前に、メッサーシュミットはフル加速。一気に射程圏外へと逃れてしまった。

 

「ああッ!! だからッ よけるなって言ってるだろ!!」

 

 コックピット内で地団太を踏むリシャール。

 

 尚も追いかけようとスピードを上げる。

 

 しかし、

 

 追いかけるリシャールに対し、メッサーシュミットは高度を下げながら加速、そのまま離脱に入る。

 

 その様子を見て、せせら笑うリシャール。

 

「ああ、そっかそっかーッ 僕が怖くて逃げるんだな、このチキン野郎ッ ごめんねー、ボクがこんなに強くてさー!!」

 

 コックピットの中で1人、大爆笑するリシャール。

 

「ナチの豚なんかが僕に敵うはずないんですけどー? さっさと帰って、ヒトラーにおっぱいでも飲ませてもらえばいいんじゃないのザーコ!!」

 

 侮蔑と共に、更なる耳障りな笑いをぶち上げるのだった。

 

 

 

 

 一方、

 

 クロウが直面している状況は、リシャールが考えていた事とはまったくもって的が外れていた。

 

 否、

 

 ある意味で、より深刻だったともいえる。

 

「クソッ もうかよッ!?」

 

 舌打ちするクロウ。

 

 燃料ゲージが既に半分を切りつつある。

 

 帰りの分を差し引けば、これ以上の交戦は不可能だった。

 

 目を転じれば、クロウと同じく、燃料を使い果たしたメッサーシュミットが、次々と翼を翻していくのが見える。

 

 メッサーシュミットの航続力の短さが、ここに来て足かせとなっていた。

 

「まだ、護衛の任務が残っているってのにッ」

 

 唇を噛みしめるクロウ。

 

 しかし、燃料事情ばかりはどうする事もできない。

 

 追撃してくるスピットファイアの攻撃を振り切りながら、メッサーシュミットを反転させる。

 

 スロットルを開き、速度を上げて離脱を図るクロウ。

 

 その背後では、尚も激しい戦闘の砲火が、蒼穹を染めて広がっていた。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 1940年7月10日。

 

 かねてより行われていた和平交渉が決裂に至り、ヒトラーはついに、対英総攻撃の命令をドイツ全軍に下した。

 

 これを受け、空軍総司令官ヘルムート・ゲーリングはフランス領カレーの基地に2個航空艦隊2500機の航空機を集結させた。

 

 対してイギリス空軍が邀撃のために用意できた戦闘機は、僅か700機。

 

 イギリス軍の不利は明らかだった。

 

 イギリス政府は、この危急存亡を受け、1人の男に命運を託す事になる。

 

 その男こそ、ケイ・ダウディング空軍大将。

 

 空軍総指揮官に就任したダウディングは、周囲から「爆撃機を量産して先制攻撃をかけるべき」との声が上がる中、それらを徹底無視。全力を挙げて戦闘機を量産する体制を作り上げた。

 

 ダウディングは、物量で劣るイギリス空軍が、ドイツ空軍と同じ戦術を使っても勝てない事が分かっていた。

 

 それよりも、爆撃機よりも安価で、数を揃える事が出来る上、補給の手間も少ない戦闘機ぞ増産し、徹底した防空戦闘で敵の攻撃をしのぎ切るのが得策であると考えたのだ。

 

 ダウディングが構築したシステムは、画期的というよりも最早、「革新的」と言っても過言ではなかった。

 

 まず、ドーバー海峡全域をカバーできる長距離レーダー基地がドイツ軍機の接近を探知すると、司令部へ併設されているオペレータールームへ一報を入れる。

 

 オペレーターからの報告を受けたダウディングの承認を得て、より精度の高い中距離レーダー基地が作動、これによりドイツ軍機の方位、規模、速度、高度をより正確に把握できるようになる。

 

 その報告に基づき、空軍基地へ指令が飛ぶ。

 

 命令を受けた空軍基地から戦闘機隊が発進、迎撃に有利な場所でドイツ空軍を待ち伏せするのだ。

 

 まさに、現代における「早期警戒システム」の先駆けともいえる、鉄壁の防空システムだった。

 

 大軍で一気に攻め寄せるドイツ空軍。

 

 しかし、ダウディングが指揮するイギリス空軍の決死の防衛線を抜くことができず、ベテランのパイロットたちは次々と、むなしく翼を散らしていくのだった。

 

 

 

 

 

 空軍がイギリス本土へ総攻撃を開始したと同時に、キール軍港のドイツ海軍も行動を開始しようとしていた。

 

 港に居並ぶ大小の艦艇。

 

 既にドイツ海軍全部隊が集結し、出撃の時を待っていた。

 

 軍港の最奥部に停泊する「シャルンホルスト」でも動きがあった。

 

 朝から機関が稼働状態にあり、煙突からは煤煙が上がっている。

 

 食料、燃料、弾薬の積み込みは昨夜のうちに終わっている。

 

 命令あり次第、直ちに出港が可能だった。

 

「空軍は苦戦しているんですか?」

「どうやら、イギリス軍の抵抗が予想以上に頑強だったらしく、攻めあぐねている様子です」

 

 ヴァルターの言葉を聞き、エアルは思案する。

 

 恐らくはドーバー海峡上空で戦っているであろう弟、クロウの事を思う。

 

 クロウ自身、既にポーランドやフランスで戦ってきた身。エースの名に連ねている事は知っている。

 

 しかし、今度の敵はイギリス軍。

 

 ポーランドやフランスよりも、強力な空軍を持つ。

 

 無事でいてくれれば良いが。

 

 そんな事を考えていると、傍らに少女が立つのが分かった。

 

「おにーさん、ボクの方は準備万端。いつでもいけるよ」

 

 笑いかけてくるシャルンホルストに、頷きを返すエアル。

 

 同時に、懸念材料も確認しておく。

 

「体調は大丈夫? 具合は悪くない?」

 

 何度も聞いている事だが、どうしても気になってしまう。

 

 少し心配性かな、と思わなくもないが、それでも彼女に対してはこれくらい心配した方が丁度いい。

 

 対して、シャルンホルストもエアルに笑いかける。

 

「うん。大丈夫だよ」

 

 答えながら、

 

 シャルンホルストは、自身のすぐ横に立つ人物に振り返った。

 

「今回はサイアも来てくれるし。全然問題ないよ」

「ねー」

 

 そう言って、少女たちは笑いあう。

 

 そうなのだ。

 

 今回から、エアルの妹であるサイアが、機関技術兵として「シャルンホルスト」に乗り込む事になった。

 

 サイアは技術研究所で高圧缶の研究をしており、「シャルンホルスト」の機関出力を安定させるため、乗り組みを命じられたのだ。

 

 マルシャルが去り際に話していた「手を打った」とは、この事だったのだ。

 

「これでようやく、わたしも兄さんの役に立てるね。シャルの体調管理は任せて」

「頼りにしてるよ、サイア」

 

 そう言って、サイアに抱き着くシャルンホルスト。

 

 じゃれあう少女たちを見ていると、ヴァルターが振り返る。

 

「旗艦より信号。艦長、全艦出港用意、との事」

 

 頷くエアル。

 

 今回の作戦は、今後、展開されるであろうイギリス上陸作戦への布石となる、重要な戦いだ。失敗は許されなかった。

 

「抜錨ッ 出港用意!!」

 

 凛と叫ぶエアル。

 

 その視線の先には、これから始まる新たな戦いへの決意がみなぎっていた。

 

 

 

 

 

第21話「鷲の日」      終わり

 



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第22話「夜会の語らい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、スカパフロー軍港に停泊中の、イギリス本国艦隊旗艦「ネルソン」の会議室には、本国艦隊に所属する主だった提督、艦長、艦娘が呼び出された。

 

 連日のようにドイツ空軍がドーバーを越えて飛来する中、本国艦隊も緊張の毎日が続いていた。

 

 現在、ドイツ空軍は飛行場やレーダー基地、更には戦闘機の製造工場と言った軍事施設を中心に攻撃を仕掛けてきている。

 

 スカパフローは、本土にある海軍最大の拠点である。いつ何時、ドイツ軍が矛先を向けて来るか分からない。

 

 それでなくても本国艦隊は以前、港内に潜入したUボートに、戦艦「ロイヤルオーク」を撃沈される醜態を演じている。

 

 その為、スカパフローは連日のように緊張を強いられていた。

 

 そんな中での旗艦への招集である。

 

 何かあったと考えるのが妥当だった。

 

 居並ぶ面々の顔にも、緊張の色が濃い。

 

 その中に、リオンとベルファストの姿もあった。

 

 皆が緊迫した空気を流す中、

 

 リオンは泰然と腕を組み、目をつぶっている。

 

 恐らく、何か全線で動きがあったのだろう。

 

 それも、本国艦隊が出撃しなければならない何かが。

 

 緊張は、否が応でも高まりを見せる。

 

 が、

 

 そんな緊張とは、おおよそ無関係な軽巡が1人。

 

 沈思するリオンの横では、ベルファストが暇を持て余したように、椅子を二本足しながら口笛を吹いていた。

 

「ねね、リオン。何か、ロンドンに新しいお菓子のお店で来たんだって。今度、行ってみようよ」

「そうか」

 

 声を掛けてくるベルファストに、短く答えるリオン。

 

 無駄話をする気はない。

 

 と言うアピールのつもりだったが、

 

「じゃあ、予定合わせよ。私の次のお休みはっと・・・・・・」

 

 この相棒には通じなかった。

 

 どうやら今度のリオンの休日は、強制的に予定が埋められる運命にあるらしい。

 

 嬉々として手帳を取り出すベルファストを、嘆息交じりに横目で眺める。

 

 だが、

 

 その時に、あまり会いたくない人物の姿が、視界に飛び込み、内心で舌打ちした。

 

 ディランだ。

 

 このほど、竣工した最新鋭戦艦の艦長に就任したというディランも当然、この場に顔を出している。

 

 艦長、艦娘以上の立場の者のみが出席を許される会議だと言うのに、相変わらずアルヴァン以下、取り巻き数人を引き連れて出席しているディラン。

 

 嘆息していると、うっかり目が合ってしまった。

 

 ニヤニヤと笑みを向けてくるディラン。取り巻き達も何が面白いのか、露骨にリオンを指差してゲラゲラと笑う。

 

 これから会議が始まる緊迫した場だと言うのに、ディランの周囲一か所だけ、ずいぶんとお祭り騒ぎになっていた。

 

 対して、リオンは相手にせずにそっぽを向く。

 

「何あれ? 相変わらずむかつくんですけど?」

「取り合うな。時間の無駄だ」

 

 放っておくと兄相手にかみつきそうなベルファストを引き戻す。

 

 実際、会議が始まる場で喧嘩を吹っ掛けられでもしたら堪ったものではなかった。

 

 幸いにしてその時、会議室の扉が開いて、ジャン・トーヴィ大将以下、本国艦隊司令部幕僚が入室してくるのが見えた。

 

 旗艦であるネルソンも、トーヴィのすぐ後ろに従っていた。

 

 司令官が入室すると同時に、全員が椅子から起立。頭を向けて敬礼する。

 

 この時ばかりは、流石のディランたちも同様に敬礼をしていた。

 

 トーヴィの着席と共に、全員が席に着いた。

 

「諸君」

 

 開口一番、トーヴィは重苦しい口調で話し始めた。

 

 間違いなく、何か深刻な話題となるだろう。

 

 リオンがそう予想する中、

 

 次いで放ったトーヴィの言葉が、リオンの予想を全肯定していた。

 

「数時間前。スケガラック海峡監視中の潜水艦から連絡があった。それによると、キール軍港から、ドイツ艦隊主力の出航を確認。海峡通過後、ほぼ全部隊が、進路を北に取っているとの事だ」

 

 トーヴィの言葉に、一同に波紋が広がる。

 

 事態を予想していた者。

 

 予想できていなかった者。

 

 反応はそれぞれ。

 

 しかし、室内の緊張の度合いが、一気に危険域を差したのは言うまでもない。

 

 聞きながら、リオンは己の中で胸が激しく鼓動を打つのを感じた。

 

 ドイツ海軍の全軍が出てきたと言う事は当然、「シャルンホルスト」も出てきているだろう。

 

 テムズ沖で一度だけ対峙した、ドイツ海軍の主力巡洋戦艦。

 

 あの時は、相手が逃げを打ったため、砲火を交える事は無かった。

 

 だから今度こそ、まみえる機会を得られる事を望んでいた。

 

「敵はどう動いたのですか?」

「潜水艦が途中まで追跡したが、見失ったとの事だ。恐らく、ノルウェーのどこかの港に入ったのだろう」

 

 答えたのはネルソンだった。

 

 同時に、壁に掛けられた地図を指し示す。

 

 その地図には、北欧から英本土にかけて、一本のラインが引かれていた。

 

「現在、フィンランドから大量の資源を積んだ船団が、我が国を目指している。恐らく、ドイツ軍の目的は、この船団と思われる」

 

 島国のイギリスは、物資の補充を海上路に頼らざるを得ない。

 

 フィンランドから運ばれる物資も、今のイギリスにとっては喉から手が出るほど欲しい代物だ。

 

 ましてか現在、バトルオブブリテンの真っ最中。たとえ一握りの物資でも、イギリスにとっては命と同じくらい貴重な代物だ。

 

 この船団をドイツ艦隊に攻撃されれば、今後の作戦方針に影響が出るだけでは済まない。最悪、そのまま敗北への一里塚にすらなりかねないだろう。

 

 何としても、守り抜かなくてはならない。

 

「そこで、作戦を伝える」

 

 トーヴィが後を引き継いで言った。

 

「巡洋艦部隊は先行して出撃。北海海上において、敵主力補足、これを攻撃して足止めする一方、主力戦艦群は後発として出撃。先行した巡洋艦部隊と合同し、敵艦隊を包囲、殲滅する」

 

 高速艦を揃えているドイツ海軍に追い付くには、低速の戦艦群を伴っていたのでは手遅れになる可能性がある。そこで、巡洋艦のみで先行して船団を守ろうと言うのだ。

 

 時間との勝負になる。

 

 ドイツ艦隊が船団を補足する前に、巡洋艦部隊が展開できるか?

 

 あるいは巡洋艦部隊が持ちこたえている間に、戦艦部隊が間に合うかどうか。

 

 いずれにせよ、主導権は襲撃してくるドイツ側にある。

 

 イギリス側としては、ドイツ海軍が航路上のどのポイントで仕掛けて来るかを見極めなくてはならない。

 

「可能性としては2つ、考えられます。一つは、ノルウェー近海のロフォーテン諸島沖。忌々しい事に、ノルウェーは完全にドイツ側の支配下あります。ノルウェーにほど近いロフォーテン諸島なら、連中が身を潜め、襲撃するのに適していると考えます」

 

 ロフォーテン諸島はノルウェーの北西、沿岸に近い場所にある島々である。

 

 輸送船団の航路からは少し外れるが、複雑に入り組んだ群島は艦隊を隠すにはうってつけの場所。襲撃ポイントとしては申し分ない。

 

「あと一つは、フェロー諸島沖となる」

 

 フェロー諸島はイギリス本国の北方に位置する群島である。

 

 本土、特に本国艦隊の拠点であるスカパ・フローに近い事もあり、イギリス側からすれば、迎撃が容易だが、同時に航路からも近い為、襲撃がしやすい地点でもある。

 

 ロフォーテン諸島か? それとも、フェロー諸島か?

 

 両方を同時に守る事は出来ない。

 

 イギリス艦隊はどちらか一方に戦力を集中し、ドイツ艦隊を迎撃する必要があった。

 

「一つ、宜しいですかな?」

 

 挙手した人物に、一同の視線が集まる。

 

 手を上げたのはディランだった。

 

「何ですかな、殿下?」

「作戦自体は大変すばらしく、我がイギリス海軍が行うにふさわしい、堂々たるものであると考えます。ただ、一点だけ、不安材料が無いとも言い切れませんなあ」

 

 勿体付けたようなディランの口調に、誰もが首をかしげる。

 

 それは一体何だ?

 

 一同が訝る中、

 

 ディランの視線が、リオンに向けられた。

 

「この中に1人、臆病者がいる、と言う事ですよ」

「臆病者?」

「聞けば、我が愚弟は、先のテムズ沖海戦において、敵戦艦と遭遇しておきながら、一度も砲火を交える事無く、おめおめと逃げ帰ったとか」

 

 ディランの言葉に、一同の視線はリオンに集まる。

 

 確かに、テムズ沖海戦の折、リオンは「シャルンホルスト」と交戦する事は無かった。

 

 事実だけを抜き取れば、ディランのような解釈が出来ない事もない。

 

 しかしあの時は、あくまで溺者救助を優先した結果である。

 

 もし、あの時、リオンが溺者救助を行わず、ドイツ艦隊の追撃を優先していたら、海面に投げ出された陸軍兵士たちが全滅していたであろう事は疑いない。

 

 ディランの言動は、事実の一面を拡大解釈しているに過ぎない。

 

 否、それを理由に、この場でリオンを物笑いの種にしようと言う意図は明白だった。

 

「そんな臆病者に、作戦の大事を任せるなど、私には怖くてとてもとても」

 

 せせら笑うディラン。

 

 アルヴァン以外の取り巻き達も、追従の笑いを見せている。

 

「全く持って、ディラン殿下のおっしゃる通りでございますな」

「いやはや、本当に殿下と同じ、栄えある英国王室の一員なのか大いに疑問があると言う物」

「勇猛果敢なご先祖様に、少しでも申し訳ないと思わないのですかな?」

 

 口々にリオンをこき下ろす、ディランの取り巻き達。

 

 耳障りの言い言葉を聞きながら、ディランはリオンに目を向けた。

 

「どうなのだ、リオン? この場で釈明すべき事があるなら言ってみるが良い」

「あなたねえッ いい加減にしなさいよ!!」

 

 それに対して激高しかけたのは、リオンよりもベルファストの方だった。

 

 居並ぶ将官、艦娘たちの面前でリオンが罵倒された事が我慢ならなかった。

 

 だが、

 

「ベル」

 

 立ち上がりかけたベルファストを、リオンは静かな声で制する。

 

「リオン・・・・・・・・・・・・」

「大丈夫だ。気にするな」

 

 興奮する相棒を落ち着かせると、リオンは兄に向き直った。

 

「兄上、あの場で俺は、最善の行動を取ったと確信している。それ以上に言うべきことはない」

 

 無駄に言い合いを続ける気はなく、ただ必要な事のみを簡潔に言ってのける。

 

 対して、

 

 ディランは大声をあげて笑い出した。

 

 笑い声をあげるディランに合わせて、取り巻き達も笑い出す。

 

 中には這いつくばり、どんどんと床を叩いて笑っている者もいるほどだった。

 

「おいおい、我が弟よ、冗談が過ぎると言う物だぞ、それは。寄りにもよって、敵に背を向け、尻尾を巻いて逃げ帰って来る事が、己の責務だとでも言うのか?」

「責務とは、おのれの役割を全うする事。あの場では敵と戦う事より、味方を救出する方が先決だと考えた」

 

 言い募るリオン。

 

 しかし、ディランの耳には届かない。

 

「私には真似できぬな。敵を目の前にして逃げ帰るなど、そんな恥ずかしい真似は、死んでも出来ないよ」

 

 そう言ってせせら笑うディラン。

 

 ラプラタ沖では「シャルンホルスト」に翻弄されて戦う事すらできず、ノルウェー沖では旗艦「ロドネイ」を守れず、あまつさえ乗艦「ラミリーズ」を撃沈され、自分が真っ先に逃げ出したことなど、きれいさっぱり、都合よくディランの頭から消去されていた。

 

 言い合いは白熱し、更にどちらかが言い募ろうとした。

 

 その時、

 

「両者、そこまでにしていただきたい」

 

 静かな口調で遮ったのはトーヴィだった。

 

「殿下、既に作戦は可決された事。それを、今この場で混ぜ返すのは控えていただきたい」

 

 たしなめる口調のトーヴィに対し、ディランは鼻白んだ様子でそっぽを向く。が、それ以上、何かを言ってくる様子もなかった。

 

「ま、ここは神聖なる作戦会議の場だ。我が愚弟の戯言を、これ以上聞くには堪えないし、ここは提督の顔を立てるとしましょうか」

 

 偉そうに告げるディラン。

 

 そもそも、自分が余計な糾弾をした事が発端だと言う事も、忘れ去られていた。

 

 一方のリオンは何も言わず、トーヴィに軽く会釈をした。

 

 頷きを返すトーヴィは、一同を見回していった。

 

「では、これより作戦を開始する。一同、よろしく頼む」

 

 対して、一同は立ち上がって敬礼をするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イギリス海軍が、ドイツ海軍の行動に神経を尖らせていた頃、

 

 その当のドイツ海軍はと言えば、本国を出港後、進路を北へ向けていた。

 

 ここまでは、イギリス海軍の潜水艦が捕捉したとおりである。

 

 その後、追跡を振り切った艦隊は、ノルウェー領のトロンヘイムへと投錨。輸送船団襲撃に向けて、息をひそめていた。

 

 今回、ドイツ艦隊は船団襲撃の為、稼働可能な全艦艇で第1艦隊を編成し、出撃させている。

 

 その編成は以下の通りだった。

 

 

 

 

 

〇ドイツ海軍第1艦隊

 

・本隊

巡洋戦艦「グナイゼナウ」(旗艦)「シャルンホルスト」

装甲艦「ドイッチュラント」

重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」

 

・第1偵察隊

軽巡洋艦「ニュルンベルク」

駆逐艦2隻

 

第2偵察隊

軽巡洋艦「カールスルーエ」

駆逐艦3隻

 

第3偵察隊

軽巡洋艦「ケルン」

駆逐艦3隻

 

 

 

 

 

 第1艦隊司令部は、装甲艦「アドミラル・シェア」と、重巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」の加入も望んだが、この2隻は大西洋上にて通称破壊任務に就いている為、参加は見合わせざるを得なかった。

 

 又、最新鋭戦艦「ビスマルク」は、艤装の最終工事中であり、作戦参加どころか、戦力化にはまだ半年は掛かる見通しである為、諦めざるを得なかった。

 

 代わり、と言う訳ではないのだが、今回から初参入したのが重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」だった。

 

 アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦の3番艦に当たる彼女だが、性能的には姉である「

ヒッパー」や「ブリュッヒャー」と大きな変更はない。

 

 しいて言うなら、艦首の形状が「ヒッパー」よりも、先にナルヴィク沖で沈んだ「ブリュッヒャー」に近い、鋭角的なアトランティックバウをしている事くらいだろう。

 

 しかし元々、列強各国の重巡洋艦よりも高い性能を持つアドミラル・ヒッパー級である。その加入には大きな期待が寄せられていた。

 

「それにしても、さ」

 

 並んで歩きながら、シャルンホルストがエアルに尋ねる。

 

「何で、今回はこんな風に、艦隊を小分けにしちゃったのかな? みんなで集まって戦った方が強いと思うんだけど」

「目的が艦隊決戦ならね」

 

 苦笑しながら、エアルは答える。

 

「でも、今回は北から航行してくる、敵の輸送船団が狙いだから」

 

 艦隊決戦が目的なら、シャルンホルストの言う通り戦力を集中すべきだろう。

 

 しかし今回の襲撃任務ではまず、敵輸送船団の把握が必要となる。その為、艦隊を複数に分けて偵察を行う事になっていた。

 

 その時だった。

 

「アレイザー? エアル・アレイザーじゃないか!!」

 

 呼びかけられ、振り返るエアルとシャルンホルスト。

 

 視線の先には、手を上げてこちらに歩いてくる、1人の提督の姿があった。

 

 細身で、髪にはやや白いものが混じっている柔和そうな人物。

 

 胸につけている階級章は、大将の物だった。

 

 その姿を見て、エアルは背筋を伸ばして敬礼する。

 

「デーニッツ閣下」

「うむ、久しぶりだな、元気そうで何よりだ。活躍は聞いてるぞ」

 

 そう言うと、エアルの肩を軽く叩く。

 

 カーク・デーニッツ大将。

 

 ドイツ海軍潜水艦隊の司令長官を務める人物である。

 

 ドイツ海軍は水上艦隊と潜水艦隊で、指揮系統が完全に独立している。その一方のトップが、デーニッツと言う訳だ。

 

 水上艦隊が貧弱なドイツ海軍にとって、真の主力はむしろ、熟達したUボートである。

 

 そういう意味で、デーニッツはまさに、ドイツ艦隊主力艦隊のトップと言っても過言ではなかった。

 

 第1次大戦の頃からUボートに乗り活躍した、生粋の潜水艦乗りである。

 

「おにーさん、知り合い?」

「うん。2年くらい前かな、潜水艦隊の主席参謀を務めた事があってね。その時の上官だった人だよ。まあ、1年くらいだったけど」

「全く、あのまま潜水艦隊にいれば、今ごろは複数のボートをお前に任せてたかもしれないってのに」

 

 そう言いながら、やれやれと肩をすくめるデーニッツ。

 

 その視線が傍らのシャルンホルストを見た。

 

「お、アレイザー、この娘は?」

「ああ、ご紹介します。この子は、巡洋戦艦シャルンホルストの艦娘で・・・・・・」

「おうおうおうッ 君がそうかッ!?」

 

 エアルの説明が終わる前に、デーニッツは前に出ると、いきなりシャルンホルストの手を取った。

 

「わわッ!?」

「うんうん。活躍は聞いとるよッ すごいじゃないかッ まさにわが軍のエースだな、君はッ!!」

 

 言いながら、シャルンホルストの頭やら肩やらを、無遠慮に撫でまわし始めた。

 

「ちょッ!? まッ!? ええッ!?」

「いや、初々しいのうッ 可愛くて強くて、最高じゃないか?」

 

 戸惑ったように声を上げるシャルンホルスト。

 

 しかしデーニッツは、無遠慮に鼻息を上げながら、シャルンホルストの体のあちこちを撫でまわしている。

 

 それに対して、シャルンホルストは戸惑う事しかできなかった。

 

 まあ、無理も無かろう。

 

 いきなり見知らぬおじさんが現れたかと思うと、遠慮なしに撫でまわしてくるのだから。驚くなと言う方が、無理な話だ。

 

 そう言えば、こういう人だった。

 

 デーニッツの事を思い出し、エアルは苦笑する。

 

 一言でいえば「女好き」。

 

 れっきとした奥さんも子供もいるのに、可愛い女の子には目が無いと言う。

 

 そして、やたらと触りたがる。

 

 本人的には好意のつもりらしいから始末に負えなかった。

 

 仕方なく、助け舟を出してやる。

 

「あの、提督、その辺で・・・・・・」

「おお、そうだな」

 

 エアルの言葉に、頷くデーニッツ。

 

 そして、

 

「それじゃあ、よろしく頼むよ、シャルちゃん」

 

 言いながら、

 

 デーニッツの手は、シャルンホルストのお尻を撫で上げる。

 

 少女が、思いっきり悲鳴を上げたのは、言うまでもない事だった。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 その機体は、真っ暗闇の中を、ただ1機で飛んでいた。

 

 フラフラと、まるで母親とはぐれた子供のように。

 

 本来なら、共に飛んでいるはずの烈機の姿はない。

 

「クソッ ここは一体どこなんだッ!?」

 

 操縦桿を握ったパイロットは、舌打ちしながらも、緊張を隠せずにいた。

 

 英本土攻撃の為に、フランス沿岸の基地を飛び立った。

 

 しかし航法を誤った彼の機体は、仲間たちからはぐれ、どことも知れない場所を飛行していた。

 

 周囲に灯火はなく、ひらすらに暗闇が広がるのみだった。

 

 月と星は見えている為、大まかな位置はわかる。最悪でも基地に戻ることは不可能ではない。

 

 しかし、ここはイギリス上空。敵地のど真ん中だ。

 

 いつ何時、敵機が暗闇から現れて襲ってくるとも限らない。

 

 操縦桿を握るパイロットは、責任と緊張で押しつぶされそうな想いだった。

 

 早く、

 

 早く、こんなところから立ち去りたい。

 

 基地に帰ってシャワーを浴び、飯を食ってベッドで寝たい。

 

 そんなささやかな思いが、今や最高の贅沢にさえ思えた。

 

 コンパスを再度確認。方角が間違っていない事を確かめる。

 

 大丈夫だ。このまままっすぐに飛べば、直にドーバー海峡に出る。そこまで行けば安全なはずだった。

 

 その時だった。

 

 黒々とした山影を飛び越えた瞬間だった。

 

 突如そこに、

 

 まばゆいばかりの光が溢れていたのだ。

 

 思わず、目が眩むかのような光。

 

 街だ。

 

 それも田舎の村や町ではない。

 

 祖国の首都、ベルリンにも匹敵する大都市だった。

 

 敵国の大都市。

 

 神々しいとさえ思える光の中で、住人たちは平和の中で暮らしている。

 

 外の世界が、戦争をしている事など知らぬげに。

 

 平和という名の惰眠をむさぼる巨大な都市。

 

 それがパイロットには、極上の獲物に見えた。

 

「よし、やるぞ・・・・・・・・・・・・」

 

 静かな口調と共に、スロットルを開くパイロット。

 

 同時に後部デッキに、爆弾倉を開くように指示する。

 

 速度を上げるハインケルHe111爆撃機。

 

 目標は光の中心、

 

 機体を突進させる。

 

 今から自分たちが、この平和な都市を地獄へ叩き込むのだ。

 

 その思いに、暗い愉悦が満たしていくようだった。

 

 自分が攻撃している大都市が、敵国の首都ロンドンである事。

 

 そして、

 

 自分が為している事が、いかに祖国の行く末に影響を及ぼそうとしているか。

 

 彼はこの時、考えようともしなかった。

 

 

 

 

 

 会議は、第1艦隊旗艦「グナイゼナウ」の会議室で行われた。

 

 焦点となるのはやはり、どのタイミングで輸送船団に襲撃を仕掛けるか? それに合わせて、どの地点で待ち伏せするのか、と言う事。

 

 陸上での待ち伏せと違って、海上での待ち伏せは長く一つの所にとどまる事は出来ない。

 

 下手をすると潜水艦に発見されてしまう可能性もあるからだ。

 

 その為、敵の航路、進路、速度を計算して最適なタイミングで接敵するようにしなくてはならない。

 

「現在、フィンランドの港を出港した輸送船団が、北海航路を取ってイギリス本土を目指していることが確認されている」

 

 発言したのはデーニッツだった。

 

 今回、第1艦隊は事前偵察を潜水艦隊に依頼している。その為、デーニッツがこの会議の場に出席をしていた。

 

 とは言え、

 

 デーニッツの姿を見て、シャルンホルストはササッとエアルの影に隠れた。

 

「ボク、あのおじさん嫌い」

「アハハ・・・・・・」

 

 巡戦少女の反応に、乾いた笑いを浮かべるエアル。

 

 どうやら、お尻を触られた事を相当、根に持っているらしい。

 

 そう言えば、エアルが参謀をしていた頃、デーニッツが艦娘にセクハラして訴えられそうになったのを思い出す。

 

 昔から変わらない事は、良い事なのか、悪い事なのか。

 

 あれで指揮官としては超が付くほどに優秀なのだから、世の中判らない。

 

「やはり襲撃に最適なのは、フェロー諸島、あるいはロフォーテン諸島の沖合、だと思われます」

 

 「グナイゼナウ」艦長の、オスカー・バニッシュ中佐が発言する。

 

 彼の傍らでは、旗艦艦娘としてグナイゼナウも控えていた。

 

「このいずれか一方の近海で敵を待ち伏せするのが上策と考えます」

 

 親友の言葉に、エアルも内心で頷く。

 

 どちらも襲撃地点としては悪くない。

 

 しいて言えば、フェロー諸島は敵の本国に近い事もあり、迎撃を受けやすくなる可能性がある。

 

 となれば、ロフォーテン諸島での待ち伏せが最適と思われるのだが。

 

 一同が視線を集めたのは、上座に座る司令官だった。

 

 リンター・リュッチェンス海軍大将は、解任されたラインハルト・マルシャル大将の後任として、第1艦隊及び第1戦闘群司令官に就任した人物である。

 

 ノルウェー沖海戦では第2艦隊司令官として参戦。英輸送船団の捕捉、撃滅に成功し、ドイツ艦隊勝利に大きく貢献した。

 

 手堅い戦術を好む反面、堅物で融通の利く人物ではないと言う前評判がある。

 

「提督、如何でしょう?」

「うむ」

 

 グナイゼナウに促され、頷くリュッチェンス。

 

 一同を見回し、提督は口を開いた。

 

「では、作戦を伝える」

 

 硬質感のある口調に、一同は居住まいを正した。

 

 

 

 

 

4

 

 

 

 

 

 結局、会議は夜まで続けられ、そこで解散となった。

 

 エアルはと言えば、せっかく友人の船に来たと言う事もあり、シャルンホルストを伴ってオスカーを訪ねる事にした。

 

 シャルンホルストとしても久しぶりに妹に会える機会を得てうれしいのだろう。二つ返事でエアルについてきた。

 

「今回の作戦、お前はどう思う?」

「どうって?」

 

 互いに酒の満たされたグラスを傾けながら、尋ねるオスカーにエアルは顔を上げる。

 

 ここは「グナイゼナウ」にある、艦長室。

 

 エアルとオスカーは今、差し向かいで酒を飲みながら語り合っていた。

 

「何か、不安な事でも?」

「ああ、司令官の事なんだが・・・・・・」

 

 司令官のリュッチェンスは着任後、一貫して「グナイゼナウ」に将旗を掲げている。その為、エアルはこうした会議の席でしか顔を合わせる事が無い。

 

 エアルはあの新司令官がどういった人物なのか、よく分からないのだった。

 

「正直、こんな事を言えば上官批判に当たるかもしれんが、俺はあの人の事が良くわからん。日常でも業務連絡以上の会話は殆ど無いし、作戦内容も一方的に通達するだけで、こちらの話を聞いてくることもないからな」

 

 なるほど。

 

 エアルはグラスを傾けながら頷く。

 

 前任のマルシャルは、どちらかと言えば立場を越えて様々な人たちから意見を聞くようにしていたし、必要なら他の艦に赴いて話を聞くこともあった。

 

 当然、オスカーも何度も話し合いに参加し、人となりは互いに把握していた。

 

 どうやらリュッチェンスはマルシャルとは真逆の性格をしているらしい。

 

 勿論、リュッチェンスのやり方が悪いと言う訳ではない。そもそも作戦立案は司令官や参謀など、司令部幕僚の仕事だし、分業と言う点を考えれば、旗艦艦長に意見を求める方が間違っているともいえる。

 

 しかし、リュッチェンスのように極端に堅物すぎると、息が詰まるのも確かだった。

 

「まあ、言っても、作戦はこれからなわけだし」

 

 エアルは親友に笑いかけながら言った。

 

「提督のやり方が良いのか悪いのか、今回の戦いが終わってから判断してもいいんじゃない?」

 

 そう言って「アハハー」と笑うエアルに、オスカーは嘆息する。

 

「他人事だと思って」

「だって他人事だし」

「お前な・・・・・・」

 

 つられるように、オスカーも笑いだす。

 

 能天気なエアルの顔。

 

 その顔を見ていると、どうにも起こる気も失せて来るのだった。

 

「それはそうと、ゼナから聞いているぞ」

 

 話題を変えるように、新たに酒をグラスに注ぎながらオスカーが言った。

 

「お前とシャル、最近、ずいぶんと仲がいいそうじゃないか」

「そりゃ、艦長と艦娘だし、それなりには、ね」

 

 コミュニケーションは大事だ。

 

 その点、エアルとシャルはうまくやれていると思う。

 

 だが、

 

 それだけか?

 

 不意に、自分の中で浮かんだ疑問が、エアルの思考を停止させる。

 

 艦長と、艦娘。

 

 本当にそれだけなのか?

 

 あるいは、

 

 自分はもっと、シャルンホルストと違う関係になりたいのではないのか?

 

 最近よく、そんな風に思う事が多くなった。

 

 分からない。

 

 その疑問は、まだ、エアルの中で答えが見えていない。

 

 否、

 

 簡単に、出していい答えだとは思えなかった。

 

 オスカーも、親友の心を察したのだろう。

 

 それ以上は何も言わず、酒の入ったグラスを傾ける。

 

 その様子を見ながら、エアルは少女の事を思い浮かべた。

 

 

 

 

 

 男達が聊か深刻な顔で語り合っている頃、

 

 少女たちはと言えば、各々、ベッドに座って語り合っていた。

 

 少女たちがいるベッドの上には菓子類やらジュースやらが並べられ、ちょっとした女子会モードである。

 

「おにーさんとの関係?」

 

 お菓子を口に運びながら、シャルンホルストはキョトンとした顔で首をかしげる。

 

 対して、少女に向けられる視線は2対。

 

「そう。結構、噂になってるわよ。シャルとアレイザー中佐が付き合ってるって」

「え、ちょッ 誰がそんな噂をッ!?」

 

 グナイゼナウの言葉に、慌てるシャルンホルスト。

 

 そこに、畳みかけるように、その場にいるもう1人の少女が口を開いた。

 

「私も聞きました。艦隊の中では有名みたいですね」

 

 興味津々、と言った感じに告げたのは、金髪を二つ結びにした、小柄な少女だ。

 

 どこか人懐っこそうな雰囲気があり、少し幼げな印象がある。

 

 少女の名はプリンツ・オイゲン。

 

 新鋭重巡の少女も、このお茶会にお呼ばれし参加していた。

 

「竣工したばかりのオイゲンの耳にも入ってるって事は、相当広まってるって考えていいんじゃない?」

「そ、そんなッ 誤解だよッ ボク達は別に・・・・・・・・・・・・」

 

 言いかけて、

 

 シャルンホルストは言葉を止めた。

 

 別に、何だ?

 

 その先が、続かない。

 

 指先が、知らずに首元へ導かれる。

 

 少女の首を飾る、騎士鉄十字章。

 

 これを付けてもらった時に感じた温もりを思い出す。

 

「シャルさん?」

「う、うん」

 

 問いかけるオイゲン。

 

 しかしそれに対し、シャルンホルストは上の空で返事をするだけだった。

 

 

 

 

 

 自分は、シャルンホルストとどうなりたいのか?

 

 

 

 

 

 自分は、エアルとどうなりたいのか?

 

 

 

 

 

 青年艦長と巡戦少女は、互いに空間を異にしながら、期せずして同じ疑問に突き当たり立ち止まっている。

 

 遠くにいながら、互いを近くに感じる。

 

 しかし、

 

 その想いが既に通じ合っている事には、

 

 エアルも、シャルンホルストも気付いてはいなかった。

 

 

 

 

 

第22話「夜会の語らい」      終わり

 



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第23話「最新鋭戦艦」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 8月23日。

 

 フェロー諸島北方海域。

 

 この日は、朝から深い霧に包まれ、周囲を見渡す事すら困難な有様だった。

 

 そんな中を、輸送船団はゆっくりとした速度で航行していた。

 

 フィンランド領からイギリス本土へ向けて、鉱物資源を運んで来た輸送船団である。

 

 船団は22隻の大型輸送船を4つのグループを4つに分けて運行している。それを複数のコルベット艦が護衛していた。

 

 コルベットとは1000トン程度の小型の船体に、護衛に必要な装備を搭載した艦である。

 

 当然、武双は貧弱だが、小型ゆえに機動力はあり、潜水艦相手なら申し分ない性能を持っている。

 

 船団を4つに分ける事で、襲撃のリスクを回避する事を目的としている。

 

 要するに、1つの船団が襲われて全滅しても、残りの輸送船は逃げおおせる、と言う訳だ。

 

 聊か乱暴ともいえる戦法だが、Uボートが使う群狼戦法に対して有効な対抗手段が見出されていない現状、これが取り得る最良の策だった。

 

 しかし、その行程は、とても順調だったとは言い難い。

 

 ただでさえ、Uボートの襲撃に怯えながらの航行である上、既にドイツ本国からは大規模な水上艦隊も出撃したと言う情報まで入ってきている。

 

 今しも、あの霧の中から、鉤十字をはためかせたドイツ艦が、怪物の如く姿を現すのではないかと、気が気ではなかった。

 

 特にノルウェー沖を航行していた時は、全乗組員が生きた心地がしなかったほどである。

 

 今や北海北部はドイツ海軍に制海権を握られている。

 

 襲撃は、いつ行われてもおかしくはない。

 

 その為、船団は襲撃を避けるべく、なるべく大回りの航路を使い、アイスランド沖を通るルートを使ってイギリス本土を目指した。

 

 その甲斐あって、どうやらドイツ艦隊の目を晦ます事が出来たらしい。

 

 ここに至るまで、船団が襲撃を受ける事は無く、全ての船が順調に航行している。

 

 ここまでくれば大丈夫。

 

 まだ安心はできないが、既に行程の3分の2は過ぎ、イギリス本土は間近となっている。

 

 ここからすぐ南にいけば、本国艦隊の本拠地スカパフロー軍港がある、オークニー諸島もある。

 

 つまり、ここはもうイギリス海軍の庭なのだ。

 

「流石のナチスでも、ここまでは追ってこれないだろうさ」

 

 輸送船の船長は、そう言って笑う。

 

 現在、船団は衝突事故を避けるため、信号灯を点灯して航行している。

 

 本来なら、襲撃を避けるために灯火管制を行うところだが、既に味方が掌握する海域に入っていると言う事もあり、安全よりも効率が重視されていた。

 

「それに、頼もしい連中も来てくれたしな」

「全くです。後は、港に入るだけ。ここまで緊張を強いられましたが、こうなると楽なものです」

 

 副長もつられて笑みを浮かべる。

 

 そう。

 

 既に彼等の中では、任務は達成されたものとして扱われていた。

 

 後は港に入り、荷下ろしを港の作業員に任せたら、自分達は陸に上がって酒場に繰り出すなり、娼館にしけこむなりする楽しみが待っている。

 

 無論、家族がいる者は、愛する人たちに会いに行ける。

 

 その希望を乗せて、船団は進む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地獄に向かって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突如、

 

 白色の霧を突き破り、灼熱した砲弾が船団に落下してきた。

 

 衝撃と共に立ち上る水柱。

 

 海水が瀑布となって、輸送船の甲板を叩く。

 

「左舷前方より、接近する艦影ありッ ドイツ艦です!!」

 

 見張り員の絶叫が、絶望と共に鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 輸送船団を襲撃したのは、ドイツ海軍の第1、第2偵察隊に所属する、軽巡洋艦2隻、駆逐艦7隻から成る艦隊だった。

 

 両隊は本来、別々に行動し輸送船団を捜索する事が任務だったが、偵察隊が船団を発見する前に、先行したUボートから発見の報が入った為、予定を変更。急ぎ合流し、襲撃を敢行したのだ。

 

 軽巡と駆逐艦だけの軽部隊とは言え、護衛がコルベットしかいない船団にとってはUボート以上の脅威となるのは言うまでもない事だろう。

 

 「ニュルンベルク」「カールスルーエ」が砲撃を行い、Z級駆逐艦が雷撃を行うべく突撃する。

 

 2隻の軽巡洋艦は、射程に入ると同時に合計18門の60口径15センチ砲を撃ち放つ。

 

 砲弾は山なりの弾道を描いて飛翔すると、護衛部隊の頭越しに輸送船を狙う。

 

 たちまち、恐慌状態に陥る輸送船団。

 

 一応、襲われた場合は船団を解き、バラバラの方向に逃げる手はずになっている。

 

 しかし輸送船は目いっぱい機関を焚いても10ノットそこそこ。対してドイツ艦隊は高速艦編成である為、全艦が30ノット発揮可能となっている。

 

 とても逃げ切れるものではない。

 

 たちまち、命中弾を受けて炎上する輸送船が続出する。

 

 輸送船は大型である為、軽巡の主砲では一気に沈めると言う訳にはいかない。

 

 しかし、ダメージは着実に積み重ねられつつあった。

 

 一方、

 

 輸送船団の護衛部隊も、手をこまねいているわけではない。

 

 守るべき主を逃がそうとする忠実な騎士たちの如く、コルベット達は輸送船団の前に躍り出て阻止行動に入る。

 

 どうにかして時間を稼げば、船団が逃げ切る余地も出て来る。

 

 たとえ自分達がぜんめつしても、輸送船さえ逃がす事が出来れば自分達の勝ちである。

 

 だが、

 

 そんなコルベット達の健気な努力をあざ笑うかのように、ドイツ艦隊は洗練された動きで距離を詰める。

 

 突撃するZ級駆逐艦の先頭には、「Z1:レーベレヒトマース」の姿もあった。

 

「目標、捕捉したよ」

 

 どこか少年めいた双眸は、健気に小型の砲を振り立てて迫ってくるコルベットを睨む。

 

 護衛部隊が健気にも、輸送船の盾になるべく、ドイツ艦隊めがけて向かってくるのが見える。

 

 貧弱な砲を振り立て、どうにか輸送船団を逃がそうとしているのだ。

 

 彼等は既に、自分が生き残る事を勘定に入れていないのは明白だった。

 

「勇敢だね。こういう事が無ければ、きっとボクは、あなた達を尊敬していたと思う」

 

 低い声で呟くレーベ。

 

「けど、ごめん」

 

 小さく囁かれる鎮魂の謝罪。

 

 敵である以上、手加減はしない。

 

 小さな少女の瞳が、雄弁に語る。

 

 同時に「Z1」が装備する、単装5門の12.7センチ砲が旋回、向かってくるコルベットを睨む。

 

「準備は完了。艦長、いつでもいけるよ」

「よし、行くぞッ 取り舵一杯ッ 右砲撃戦!!」

 

 一斉に回頭するドイツ駆逐隊。

 

 次の瞬間、

 

「撃ち方始め!!」

 

 艦長の号令と共に、主砲を撃ち放つ「Z1」。

 

 同時に、後続する駆逐艦も、一斉に砲撃を開始する。

 

 距離は近い。

 

 放たれた砲弾は、殆ど水平に近い弾道を描いて目標へと向かう。

 

 突き上げられる水柱。

 

 その中で、

 

 1隻のコルベットが、火を吹くのが見えた。

 

 駆逐艦の主砲とは言え、小型のコルベットからすればひとたまりもない事だろう。

 

 たちまち、複数のコルベットが直撃を受ける。

 

 中には搭載している爆雷に砲弾を受け、爆発四散する者もあった。

 

 「Z1」も、1隻のコルベットを補足。

 

 真っ向から主砲を浴びせ、これを撃沈に追い込む。

 

 コルベット達は勇敢だった。

 

 彼等は誰1人として後退することなく、襲ってきたドイツ艦隊に真っ向から挑みかかったのだ。

 

 全ては、輸送船団を守り通すために。

 

 しかし、

 

 運命は、往々にして残酷である。

 

 彼等の献身は、ついに報われる事は無かった。

 

 「Z1」以下の駆逐艦が護衛艦艇を相手取る一方、

 

 2隻の軽巡洋艦、「ケルン」と「ニュルンベルク」は、輸送船団に追いすがり、次々と砲撃を浴びせていく。

 

 砲弾は輸送船の薄い舷側を易々と突き破り、内部で炸裂。炎上させていく。

 

 輸送船は必死になって逃げようとするが、鈍足の輸送船では逃れるすべもなく、降り注ぐ砲弾の前に、次々と餌食になっていった。

 

 砲戦開始からわずか数分。

 

 イギリス側の輸送船団は、壊滅状態に陥りつつあった。

 

 海に浮かんでいる輸送船とコルベットの数は、砲戦開始前に比べて3分の1以下にまで減っている。

 

 他は全て、海面下に没していた。

 

 砲撃で轟沈できれば、まだ幸せだったかもしれない。

 

 中には炎上しながら、尚も航行を続けている船まである。まるで断末魔を挙げながらのたうち回っているようだ。

 

 いずれにせよ、僅かな時間で船団一つを壊滅させたのは大きかった。

 

「旗艦より信号ッ!!」

 

 「レーベレヒトマース」の見張り員が声を上げる。

 

「《我ニ続ケ》!!」

 

 どうやら偵察隊の司令官は、更なる戦果拡大を狙い、もう一つの船団も仕留めるつもりらしい。

 

 当初の予定では、本隊の到着を待って攻撃を仕掛ける手はずだったのだが。

 

 しかし予想外の戦果に気を良くし、そのまま攻撃続行を選択してしまったのだ。

 

 イギリス海軍が、輸送船団を複数に分けて運行している事は、ドイツ艦隊も事前の偵察で把握していた。

 

 この際だから、他の船団も襲って、戦果の拡大を図ろうと言うのである。

 

 だが、

 

 その選択肢がもたらす結果は、すぐに表れる事になる。

 

 深い霧の中、輸送船団がいる海面に向かって侵攻するドイツ艦隊。

 

 間も無く会敵と言う地点まで差し掛かった時だった。

 

 突如、

 

 先頭を行く「カールスルーエ」を、巨大な水柱が取り囲んだ。

 

「なッ!?」

「新手ッ!?」

 

 絶句する、レーベと艦長。

 

 これまで見た事も無いような巨大な水柱が、ドイツ軽巡洋艦特有の華奢な艦体を押し包む。

 

 ややあって、崩れ落ちる瀑布。

 

 「カールスルーエ」は健在。変わらずに、その姿を洋上に留めている。

 

 しかし、

 

 先ほどの衝撃、

 

 そして巨大な水柱。

 

 最悪の創造が、脳裏によぎる。

 

「まさか・・・・・・・・・・・・」

 

 レーベが震える唇で呟く中、

 

 その視界の先で、

 

 巨大な砲塔を備えた影が、霧の中から湧き出るように、姿を現した。

 

 

 

 

 

「クハハハハハハッ 見たかッ 卑怯卑劣なナチの豚共がッ 貴様ら低能極まりない動きなど、こっちは先刻お見通しよ!!」

 

 砲撃によって炎上するドイツ軽巡を見ながら、ディランは高笑いを浮かべる。

 

 哄笑を伴った視線の先では、散を乱すドイツ艦隊の姿がある。

 

 その姿に、ディランの笑いはと回らない。

 

 圧倒的な力を持つ自分を恐れ、泡を食って逃げ回るドイツ艦隊の姿は、無様に尽きる。

 

 この姿を見られただけでも、これまでの溜飲が下がる思いだ。

 

 輸送船団の1つや2つ壊滅し、数百名にも上る死者を出したようだが、そんな事はディランの知った事ではない。こっちの護衛が到着する前に死んでしまうやつが悪いのだから。

 

 そんな些末な事よりも、自分の活躍によって憎たらしいドイツ艦隊が逃げ惑っている姿を見れた事の方が、ディランにとってはよほど重要だった。

 

「見ろッ あの滑稽な様をッ 奴等、我が威光の前に、ただ慌てる事しかできないでいるぞ!!」

「まことにッ!!」

「流石でございます、殿下!!」

 

 ディランに追従する取り巻き達。相変わらず、ディランの言葉を全肯定し持ち上げている。

 

 いつになく、強気な彼等。

 

 それも無理からぬことだった。

 

 原因は、彼らが乗っている艦。

 

 真新しいペンキの匂いも漂わせるその戦艦は、イギリス特有の箱型艦橋を中央に置き、前部に2基、後部に1基の主砲塔を備えている。

 

 ただし、1番砲塔(A)3番砲塔(X)は4連装、2番砲塔(B)は連装と言う変則配置をしている。

 

 これこそが、イギリス海軍が威信をかけて建造した最新鋭戦艦。

 

 キングジョージ5世級戦艦の1番艦「キングジョージ5世」に他ならなかった。

 

 基準排水量3万8000トン、全長227メートル、全幅31メートル、最高速度28ノット。

 

 主砲は45口径36センチ砲4連装2基、連装1基、合計10門装備。この主砲配置は、防御力向上によって生じた重量を軽減する為に採られた措置である。

 

 その性能が、いかに画期的であるか。

 

 現状、イギリス海軍が保有する戦艦はどれも、速力か防御力、どちらかを犠牲にしたアンバランスな設計の物が多い。

 

 そこに来てキングジョージ5世級戦艦は、攻防走の3拍子が揃った、正に理想的な高速戦艦だった。

 

「おいおいディラン」

 

 そのキングジョージ5世の艦橋では、艦娘の女性が肩をすくめて、逃げ惑うドイツ艦隊を見やっていた。

 

「この私の記念すべき初戦果が、あんな小物だと? お前、まさかこの私をたばかったわけではあるまいな?」

 

 既に軽巡洋艦「カールスルーエ」は、彼女の砲撃によって粉砕され、傾斜した状態で海上に停止している。見るまでもなく、沈没は時間の問題だろう。

 

 もう1隻の巡洋艦「ニュルンベルク」は果敢にも主砲を振り上げて反撃してきているが、それがいかに蟷螂之斧かは語るまでもない。

 

 既に目標を変更した「キングジョージ5世」の主砲が、ドイツ軽巡相手に開かれている。

 

 程なく、2隻目の戦果が挙げられる事だろう。

 

 しかし、この新たに大英帝国海軍に加わった艦娘にとって、この状況は不満でしかないらしい。

 

 大物狙いで出てきてみれば、目の前には軽巡と駆逐艦ばかり。

 

 退屈する事、この上なかった。

 

「慌てるなよ、ジョージ」

 

 そんな艦娘をたしなめるように、ディランは笑みを含ませていった。

 

「奴等は撒き餌だ。適当に痛めつけて、後から間抜けな面でやって来る大物を釣る為の、な」

「成程な」

 

 ディランの言葉の意味を察し、ニヤリと笑うジョージ。

 

 まずは目の前の連中を嬲り者にする。

 

 そうすれば、いかに卑怯者のドイツ艦隊と言えど、後ろで偉そうにふんぞり返っているわけにはいかなくなる。必ず、援護の為にノコノコとやって来ることだろう。

 

 そこを、この「キングジョージ5世」が叩き伏せるのだ。

 

「成程な。ならば、せいぜい派手に沈めて、後ろにいる連中を引きずり出してやろうじゃないか」

「おお、良いぞ。その通りだ。連中は馬鹿で卑怯で臆病なクズどもだからな。俺達の手で、正義とは何たるか、教えてやろうじゃないか」

 

 上機嫌に言い放つディラン。

 

 その間にも、前進しながら主砲を撃ち放つ「キングジョージ5世」。

 

 その両舷の海面を、

 

 破壊された輸送船やコルベットの残骸、

 

 そして、勇敢に戦った兵士たちの遺体が流れていく。

 

 それらはやがて、誰にも顧みられることなく、波間へと沈んでいくのだった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

「何でこうなったんだッ」

 

 苛立ちを隠せず、エアルは唇を噛みしめる。

 

 偵察隊の戦闘開始と、予想より早かったイギリス艦隊来襲。

 

 その2つの要素により、戦場は混乱しつつあった。

 

 予定外の攻撃を仕掛けた偵察隊。

 

 そして、予想よりも早く駆け付けたイギリス軍の主力隊。

 

 これらの要素により、ドイツ海軍の予定は狂い始めていた。

 

「まずいね」

 

 電文を受け取ったエアルは、臍を噛む想いで呟いた。

 

 現在、ドイツ海軍第1艦隊本隊は、全速力で戦場となっているフェロー諸島北方海域に向かっている。

 

 しかし、当初の予定では、偵察隊の攻撃は限定的な物に留め、本隊の到着を待って攻撃を仕掛ける手はずだった。

 

 しかし、偵察隊の独断専行で、その前提が崩れてしまった。

 

 恐らく手柄に逸ったか、あるいは予定外に会敵が早まったのか?

 

 いずれにしても現在、ドイツ艦隊は各個撃破の危機にある。

 

 加えて、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 エアルは電文の最後に目をやる。

 

《敵艦隊ハ戦艦1隻ヲ伴ウ。尚、戦艦ハ新型ト認ム》

 

 イギリス海軍の新型戦艦。

 

 その存在は、予想してしかるべきだった。

 

 ドイツ海軍がビスマルク級戦艦を建造したように、イギリス海軍も開戦前から新造戦艦の建造を行っていると言う情報は掴んでいた。

 

 艦名はキングジョージ5世級。

 

 その最新鋭戦艦がついに、海上に姿を現したのだ。

 

「おにーさん、急ごう。早く行かないとみんなが負けちゃう」

 

 言い募るシャルンホルスト。

 

 その瞳に、焦慮の色が浮かぶ。

 

 戦艦と言うのは一種の戦略兵器だ。1隻いるだけで、その海域を支配する事が出来る。

 

 巡洋艦と駆逐艦しかいない偵察隊では、太刀打ちできない事は明白だった。

 

「判っているよ、シャル」

 

 言いながら、笑いかけるエアル。

 

 その脳裏には、既に敵戦艦との対決プランが、練り上げられようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 降り注ぐ、重量800キロの砲弾は、小型鑑定にとってはそれだけで天災に匹敵する。

 

 果敢に挑んだ各艦は、英新鋭戦艦の圧倒的な砲撃力を前に、その数を撃ち減らされつつあった。

 

 既に「カールスルーエ」「ニュルンベルク」の2軽巡は、その姿を海上に留めておらず、7隻いたZ級駆逐艦も、4隻が血祭の祭壇に上がっていた。

 

 そんな絶望的な状況の中にあって、「Z1」は、未だに健在だった。

 

 降り注ぐ多数の砲弾が、駆逐艦の小さな艦体を捉えるべく唸りを上げる。

 

 突き上げられる水柱。

 

 踊る瀑布が、少女の頬を叩く。

 

 しかし、当たらない。

 

 艦長の的確な指揮の下、Z級駆逐艦の長女たる少女は、不屈に戦い続ける。

 

 クルリクルリと、舞い踊る様に海上に円を描く駆逐艦。

 

 吹き上げる水柱が、彼女の舞踏を激しく彩る。

 

「取り舵一杯ッ!!」

「主砲、左砲戦!!」

「目標、敵1番艦!!」

 

 艦長が目まぐるしく指示を飛ばす。

 

 飛来する36センチ砲弾。

 

 吹き上げる水柱が、小柄な駆逐艦を容赦なく叩く。

 

 至近弾だからと言ってバカには出来ない。

 

 そもそも、駆逐艦の装甲など紙以下でしかない。

 

 水中に落ちた砲弾がそこで炸裂し、衝撃が艦体にダメージを与えるのだ。

 

 ダメージが蓄積すれば艦腹の装甲が歪み、それによって発生した水の抵抗から速力が低下する事もある。何より、衝撃によって機関が低下する可能性すらあるのだ。

 

 駆逐艦の最大の武器は、その足にある。

 

 機関が損傷し、速力が低下すれば、駆逐艦に生き残る術はない。

 

 故にこそ、生き残るためにあらゆる手段を尽くす。

 

「右、雷撃戦用意!!」

「右、雷撃戦用意!!」

 

 艦長の命令を、レーベが復唱。

 

 同時に、旋回した「Z1」が、狙いを「キングジョージ5世」に定める。

 

 実際に魚雷を撃たなくてもいい。

 

 「魚雷を撃つ」と言う態勢を取るだけで、相手は危機感を覚え回避行動に入る。

 

 案の定と言うべきか、「キングジョージ5世」は、「Z1」が放った「架空の魚雷」を警戒し、面舵を切って退避行動に入るのが見える。

 

 その瞬間を、艦長は見逃さない。

 

「今だッ 取り舵一杯ッ 現海域を離脱する!!」

 

 駆逐艦と違い、戦艦は転舵に時間がかかる。

 

 旋回中の「キングジョージ5世」が舵を戻し、照準を修正して再び砲撃体制を整えるまでは、もうしばらく間がある筈。

 

 その間に有効射程外に退避できれば、レーベ達の勝ちである。

 

「よしッ 機関全速!!」

 

 指示を飛ばす艦長。

 

 「キングジョージ5世」が態勢を立て直す前に、逃げ切る算段だ。

 

 だが次の瞬間、

 

 突如、予期せぬ方向から飛来した複数の砲弾が、退避に掛かった「Z1」を取り囲むように落下した。

 

 翻弄される、小型の艦体。

 

「本艦より、右舷70度に、新手の敵艦隊!!」

 

 巡洋艦を中心とした、複数の艦隊。

 

 「キングジョージ5世」と合わせて、「Z1」完全に包囲される形になっていた。

 

「・・・・・・・・・・・・ここまで」

 

 レーベが、絶望に滲ませた呟きを漏らした。

 

 

 

 

 

 「キングジョージ5世」の艦橋で、ディランが狂喜の笑いを上げる。

 

 その視線の先では、これまでさんざん、自分たちの砲撃をかわしてくれた小癪な駆逐艦がいる。

 

「良いぞッ これでもう、奴は卑怯にも逃げ回る事は出来ないッ 散々コケにしてくれたが、神はやはり、我々に味方したな!!」

 

 主砲を旋回させ、それでも尚、退避しようと努力を続ける「Z1」を見据える。

 

 その姿に、嘲笑を向ける。

 

「見ろッ あれほど無様な奴らがこの世にいるか!? 我が威容を前に、ナチの豚共は逃げ回る事しかできないでいるぞ!!」

 

 ディランの声に、追従の笑いを上げる取り巻き達。

 

 中には、逃げ回る「Z1」を露骨に指差して笑っているものまでいる。

 

「全く持って見るに堪えん奴等よッ そらッ トドメを刺してやれッ 豚共には過ぎたる慈悲だがな!!」

 

 振り上げられるディランの腕。

 

 その腕が、まっすぐに振り下ろされた。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 多数の水柱が「キングジョージ5世」を取り囲んで吹き上げられた。

 

 

 

 

 

「なッ!? なッ!? なッ!?」

 

 驚いて、腰を抜かしそうになるディランを、とっさにアルヴァンが支える。

 

 一体、何が起きたのか?

 

 程なく、見張り員の絶叫が響いた。

 

「方位1―3―5に新たなる敵艦隊接近!!」

 

 尚も、呆然と報告を聞いているディラン。

 

 その視線の先で、鉄十字を掲げたドイツ艦隊が、真一文字に向かってくるのが見えていた。

 

 

 

 

 

 双眼鏡を下ろすエアル。

 

 既に「シャルンホルスト」の機関は最大まで高められ、基準排水量3万1000トンの巡洋戦艦は、全速力で疾走を始めている。

 

 その視界の先では、英新鋭戦艦の姿が徐々に大きくなっていくのが分かった。

 

「あれが、キングジョージ5世級戦艦か・・・・・・」

 

 イギリス海軍が、ロンドン軍縮条約から逸脱しない形で最新鋭戦艦の建造を行って居る事は、ドイツ海軍も掴んでいた。

 

 それがまさか、この戦いから出て来る事になるとは。

 

「4連装砲塔って、なんかすごいね」

「同じようなのなら、フランス海軍のダンケルク級とかがあるけど、確かにちょっと迫力あるかもね」

 

 4連装砲塔は確かに3連装や連装の砲塔と比べて大きく、威圧感も強い。

 

 たとえるなら、巨大な大剣を振りかざした剣士にも似ている。

 

 しかし、

 

「怖がることはないよ」

 

 シャルンホルストに、優しい口調で声を掛けるエアル。

 

「主砲の口径は向こうが上かもしれない。けど、発射速度はこっちの方が上なはずだからね。うまく戦えば勝機は十分にある」

「だよね」

 

 笑顔で、シャルンホルストが頷く。

 

 そう。

 

 砲撃力こそ劣っているかもしれないが、それが即座に戦力の差になるとは思っていない。

 

 何より、自分達には敵にはない大きな「経験」がある。

 

 これまで、参加した全ての戦いに勝利した自信がある。

 

 その自分達が、新鋭艦だろうが何だろうが、

 

「ポッと出の奴に負ける気はしないね」

「同感だよ」

 

 笑みを浮かべる、エアルとシャルンホルスト。

 

 その時、

 

「旗艦より信号!!」

 

 見張り員の報告に、エアルとシャルンホルストは振り返る。

 

「《各艦、順次射撃開始セヨ》!!」

 

 どうやら「グナイゼナウ」に座乗するリュッチェンスは、自分があれこれ指示を出すよりも、各艦が自由に射撃をした方が有利と考えたらしい。

 

 この場合、大きく隊列を乱しさえしなければ、各艦は自分が狙いやすい目標を狙い撃つ事が出来る。

 

 正直、エアルとしてもその方がありがたい。上からあれこれ指示されて戦うなど、かえって自分達の持ち味をそぐことにもなりかねないと思っていたところである。

 

「目標、敵キングジョージ5世級戦艦!! 左砲戦用意!!」

 

 エアルは眦を上げて指示を飛ばす。

 

 言っても、相手は英軍期待の新鋭戦艦。攻防性能に勝る敵艦を相手に油断はできない。

 

「アントン、ブルーノ、ツェーザル、全門徹甲弾装填!!」

 

 3連装3基の28センチ砲が、獲物を求めて旋回する。

 

 敵は英国最新鋭戦艦。

 

 これまでのような旧式戦艦や巡洋艦とは違う。

 

 紛う事無き強敵である。

 

 次の瞬間

 

「撃ち方始め!!」

 

 エアルの号令と共に、「シャルンホルスト」の主砲が、一斉に唸りを上げた。

 

 

 

 

 

第23話「最新鋭戦艦」      終わり

 




やばい。

「シャルンホルスト」で「キングジョージ5世」に勝つシーンが、いまいち想像できない(汗

北岬沖ではかなり粘ったし、あれ自体、伝説的な戦いではあると思っているけど、「シャルンホルスト」側からすれば「逃げ」一択だったのは確かだしね。

WOWSでは割と勝てるんだが、はてさて、どうした物か(苦笑


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第24話「炎の嵐」

 

 

 

 

 

 

 

 

 砲撃を開始するドイツ艦隊。

 

 シャルンホルスト級巡洋戦艦の28.3センチ砲が火を吹き、イギリス海軍期待の最新鋭戦艦を狙い撃つ。

 

 相手はイギリス海軍期待の最新鋭戦艦。

 

 キングジョージ5世級戦艦1番艦「キングジョージ5世」。

 

 相手にとって不足はない。

 

 第1艦隊本隊は巡洋戦艦2隻、装甲艦1隻、重巡洋艦1隻で構成されている。

 

 司令官のリュッチェンスは、これを更に2手に分け旗艦「グナイゼナウ」と「シャルンホルスト」は「キングジョージ5世」へ射撃を集中。「ドイッチュラント」と「プリンツオイゲン」は、機動性を活かして接近。敵軽快部隊を牽制する。

 

 それがドイツ艦隊の作戦だった。

 

「良いんですか?」

 

 旗艦「グナイゼナウ」の艦橋で、艦娘の少女本人が司令官に尋ねる。

 

 その間にも、彼女の9門の28.3センチ砲は、「キングジョージ5世」めがけて撃ち放たれていた。

 

「輸送船を追わなくても? 今なら、まだ追い付けると思いますけど?」

「必要ない」

 

 対して、少女の発言を、リュッチェンスは言下に否定した。

 

 強気な少女の視線は、まっすぐに上官へと向けられている。

 

 しかし、少女の鋭い視線を受けても、リュッチェンスは動じた様子はない。その視線はグナイゼナウを見ようともせず、ただ前方のみを注視していた。

 

 そんなリュッチェンスの態度に苛立ちを覚え、グナイゼナウは前に出る。

 

「提督ッ」

「ゼナ」

 

 激高しかける相棒を引き留めたのは、彼女の相棒だった。

 

 オスカーは、尚も言い足りない様子のグナイゼナウに頷いて見せると、あとは任せろと言った感じにリュッチェンスに向き直った。

 

「提督、ゼナの言う事も一理あります。『ドイッチュラント』と『オイゲン』には、輸送船団を追わせるべきでは?」

 

 ここで輸送船団を取り逃がせば、バトルオブブリテンで空軍と戦っているイギリスが息を吹き返す可能性がある。

 

 何として、イギリス本土に着かせるわけにはいかないのだが。

 

 しかし、

 

 リュッチェンスは変わらず、表情を動かさない。

 

「何度でも言う。必要ない」

 

 取り付く島もない、とはこの事だ。

 

 誰が何を言おうが、考えを変える気はない。お前たちはこっちの指示に従っていればいい。

 

 そんなリュッチェンスの思惑が透けて見えるようだ。

 

 オスカーとグナイゼナウは、互いに顔を見合わせて嘆息するしかなかった。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 突如現れたドイツ艦隊本隊相手に、「キングジョージ5世」は、完全に出遅れた形だった。

 

 視界の先に見えるのは、因縁深いシャルンホルスト級巡洋戦艦。

 

 その優美な姿を見た瞬間、ディランは一瞬で沸点を突く。

 

 ラプラタ沖では小馬鹿にしたような動きで散々に翻弄し、ノルウェー沖では卑怯な戦術で自分に煮え湯を飲ませた相手。

 

 まさに、薄汚いナチスと言う存在を象徴したような戦艦だった。

 

 勿論、そう思っているのはディランだけであり、彼の歪んだ精神構造が、大きなフィルターとなっているのは間違いないだろう。

 

 しかしディランは、そんな事お構いなしに口汚く「シャルンホルスト」を罵る。

 

「おのれッ 卑怯者のナチ野郎がッ こちらの隙を突くなど、軍人の風上にも置けぬクズ共ッ!!」

 

 艦橋で地団太を踏むディラン。

 

 一方的に罵り声を上げる。

 

 最早一国の王子としてどうかと思う姿だが、ここに彼に逆らえる人間はいない為、その行為について指摘する者も存在しなかった。

 

 つい先刻まで、自分がたった1隻の駆逐艦相手に最新鋭戦艦の巨砲を振りかざし、一方的になぶっていたことなど、記憶の埒外である。

 

 「正義の味方である自分を邪魔する、邪悪なナチス」と言う構図が、勝手にディランの頭の中では出来上がり、「正義の自分達が、悪のナチスを倒す事は、正義以外の何物でもない」と言う思考回路が完成していた。

 

 だからこそ、自分達に奇襲をかけた「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」の「ルール違反」を、激しく詰っていた。

 

 そもそも、戦場にルールなどない。あるとすれば「いかに自分が生き残るか」「いかに相手に勝つか」「いかに味方を守るか」それだけだ。

 

 故に卑怯だの何だの、言う方がそもそもおかしいのだが。

 

 しかし、ディランには、そんなもの知った事ではなかった。

 

 ただ、「弱い物を一方的になぶる快楽(絶対的正義)を邪魔した憎い相手」に、一方的な憎悪を募らせる。

 

 しかも、それがラプラタ沖、ノルウェー沖で自分に煮え湯を飲ませたシャルンホルスト級巡洋戦艦とくれば、タガが外れるのも無理からぬことだった。

 

「目標変更ッ あの目障りなナチの戦艦に、正義の裁きを下してやれ!!」

 

 そうだ。

 

 卑劣な奇襲攻撃に多少は驚いたが、それだけの事。

 

 奴等にできるのは、せいぜい無力な輸送船を狩ったり、こちらの足元を掬う程度。

 

 自分が乗っている最新鋭戦艦「キングジョージ5世」をもってすれば、奴等の卑怯な企みなど、跡形もなく粉砕して見せるぜ。

 

 だが

 

「ダメですッ 砲撃再開まで暫くかかります!!」

「何だとッ!? どういう事だ!?」

 

 報告を聞き、激高するディラン。

 

 一体何事かッ!?

 

 そう思っていると、更なる報告が入る。

 

「砲塔旋回まで、もうしばらくかかる模様です!!」

 

 先ほどまで「Z1」に対して砲撃を行って居た「キングジョージ5世」は、砲塔を右舷側に向けている。

 

 しかし、新手のドイツ艦隊は、「キングジョージ5世」の左舷側から現れた。

 

 つまり、右舷側に向いている主砲を旋回させて左舷側に向け直さない限り、「キングジョージ5世」は砲撃を行えない事になる。

 

「だったらとっととやれよッ 使えない奴等だな!!」

 

 喚きながら、報告した兵士を蹴り飛ばすディラン。

 

 兵士はそのまま地面に倒れ、肩を強くぶつける。

 

「お前らがグズグズしてるから、ナチの豚野郎が調子づいているんだろうがッ これで最新鋭戦艦である、この『キングジョージ5世』が傷ついたりしたら、どう責任取るつもりだよッ!!」

 

 そもそも、ディランが「Z1」に固執しすぎた事が原因なのだが、そんな事はお構いなしに、喚き散らすディラン。

 

 彼にとって、自分に不都合な事実など、知った事ではなかった。

 

「殿下、ひとまず両用砲で反撃されたは如何でしょう? どのみち、主砲発射態勢が整うまでは今暫く間があります。その間、両用砲にて相手の照準を擾乱し時間を稼ぐのです」

 

 冷静に進言するアルヴァン。

 

 今は使えない主砲に拘るよりも、速射の利く両用砲を使うべきだと考えた。

 

 忠実な副官の言には一理あると感じたのだろう。ディランも舌打ちしつつ振り返る。

 

「オラッ 聞いてただろうがッ いつまで寝てやがるッ さっさと行けよ!!」

 

 罵りながら、先ほど蹴り倒した兵士に、再度蹴りを入れる。

 

 兵士は足をもつれさせながらも、どうにか立ち上がって走り出す。

 

 その様子を舌打ち交じりに睨むディラン。

 

「チッ 使えねえ」

 

 吐き捨てるように言った。

 

 その時、

 

 「シャルンホルスト」の主砲が閃光を放つ。

 

 既に照準修正を終えた「シャルンホルスト」。

 

 放たれた28.3センチ砲弾は、

 

 「キングジョージ5世」の甲板を直撃し、爆炎を躍らせた。

 

 

 

 

 

 エアルは双眼鏡を下ろし、自分達が上げた戦果を確認する。

 

 「キングジョージ5世」の甲板では、直撃弾を示す黒煙が上がっているのが見えた。

 

 まずは先制攻撃。

 

 相手が立ち上がり切る前に、命中弾を得たのは大きい。

 

 とは言え、

 

 「それだけ」だった。

 

「・・・・・・・・・・・・聞きしに勝る、か」

 

 舌を巻く思いで、エアルは呟いた。

 

 仮にも戦艦の砲弾を直撃されたにもかかわらず、「キングジョージ5世」は、何事もなかったかのように航行を続けている。

 

 続けて放った砲撃も命中。

 

 更には旗艦「グナイゼナウ」の砲撃も直撃しているのが、それすらはじき返している様子が見えた。

 

 直撃を受けた個所は微かに黒煙を発してはいるが、それすらすぐに消えつつあった。

 

 「シャルンホルスト」達の砲撃など、まるで意に介していなかった。

 

 無論、シャルンホルスト級巡洋戦艦の砲撃力が低い事も理由だろうが、それにしても、ここまでけんもほろろにはじき返されるとは。

 

 同じ戦艦なのに、これほどとは。

 

 視界の中で「キングジョージ5世」が、右舷側に備えた50口径13.3センチ連装両用砲を「グナイゼナウ」めがけて放っている様子が見えた。

 

 どうやら主砲発射態勢が整うまで、両用砲で時間を稼ぐ期のようだ。

 

「強い、ですな」

 

 副長のヴァルターが、呻くように言った。

 

 こちらの攻撃を受けても平然としている「キングジョージ5世」に、戦慄を禁じ得ない様子だ。

 

 明らかに、これまで戦ってきた巡洋艦や旧式戦艦とは違う手ごたえ。

 

 イギリスが威信をかけて建造しただけの事はある。

 

 だが、

 

「やりようは、あるさ」

 

 口元に笑みを浮かべるとエアルは、傍らで艦の制御に集中しているシャルンホルストを見やりながらマイクを手に取る。

 

 呼び出したのは機関室。

 

 そこでは彼の妹が、気難しいワグナー高圧缶の出力を安定させるために奮闘しているところだった。

 

「サイア、エンジンの調子は?」

 

 程なく、返事が来る。

 

《とりあえず良好。全力で回しても、今なら安定させられると思う》

 

 妹の言葉に、頷きを返すと、マイクを置いた。

 

 シャルンホルスト級の武器は、その良好な機動性にある。

 

 敵艦の防御力が硬いなら、自分達の主砲でもダメージを与えられる距離まで詰めるのみだった。

 

 サイアの言葉を聞き、決断を下す。

 

「機関全速、取り舵一杯!!」

 

 命じるエアル。

 

 その視線は、尚も砲撃体勢を整えるべく、主砲を旋回させている「キングジョージ5世」を睨む。

 

「敵戦艦に砲撃を加えつつ、艦尾側に回り込む!!」

 

 エアルの命令は直ちに実行された。

 

 機関が唸りを上げ、速力を上げる「シャルンホルスト」。

 

 同時に、航跡は大きく弧を描き、3万1000トンの細い艦体は左へと旋回する。

 

「戻せッ 舵中央!!」

「主砲、右砲戦用意!!」

 

 矢継ぎ早に飛ばす命令。

 

 同時に、回頭後の照準が修正される。

 

「撃てェッ!!」

 

 鋭い命令。

 

 エアルの命令を受け、主砲を撃ち放つ「シャルンホルスト」。

 

 撃ち放たれた28.3センチ砲弾は、まっすぐに飛翔して「キングジョージ5世」を捉える。

 

 吹き上がる爆炎。

 

 「シャルンホルスト」の主砲弾9発の内、3発が「キングジョージ5世」の後部甲板に着弾し、複数の対空砲を吹き飛ばした。

 

 その頃になって、ようやく態勢を立て直したらしい「キングジョージ5世」が、主砲を「シャルンホルスト」へ向けて来るのが見えた。

 

 4連装2基、連装1基、合計10門と言う変則的な主砲が、ドイツ巡戦を睨む。

 

 来るッ

 

 そう思った次の瞬間、

 

 「キングジョージ5世」が、一斉に主砲を撃ち放った。

 

 唸りを上げて飛来する、重量800キロの砲弾。

 

 砲弾重量からして、シャルンホルスト級の倍以上。

 

 砲弾の重さは、そのまま攻撃力に直結する事を考えれば、それがドイツ巡戦にとっていかに脅威となり得るか、想像に難くないだろう。

 

 着弾。

 

 吹き荒れる、水柱の嵐。

 

 直撃弾はない。

 

 「キングジョージ5世」が放った砲弾は全て、「シャルンホルスト」の左舷側に落下。近弾となって水柱を突き上げるだけに留まる。

 

 しかし、

 

「至近弾で、これかッ!?」

 

 艦橋の窓枠に捕まりながら、エアルは舌打ちする。

 

 たかだか艦のすぐわきに落下しただけの砲弾で、すさまじい衝撃が襲ってくる。

 

 基準排水量で3万トンになる巡洋戦艦が、激震に見舞われたようだ。

 

 艦橋にいた何人かの兵士が、床に転がるのが見えた。

 

 それ程までに「キングジョージ5世」の砲撃は凄まじかったのだ。

 

 緊張が走る「シャルンホルスト」の艦橋。

 

 だが、

 

「恐れるなッ!!」

 

 叫ぶエアル。

 

 その鬼気迫る様子に、ヴァルター達が思わず振り返ったほどだった。

 

「お、おにーさん?」

 

 シャルンホルストも又、思わず目を開けてエアルを見る。

 

 そんな中、

 

 エアルは鋭く双眸を細め、「キングジョージ5世」を睨む。

 

「敵が強力なら、こちらが有利な状況を作り出せばいいだけの事ッ 何も難しい事じゃない!!」

 

 言っている間に、「シャルンホルスト」の主砲が、再装填を完了する。

 

「撃てッ!!」

 

 エアルの命令と共に放たれる砲弾。

 

 54.5口径と言う長砲身砲から放たれた315キロの砲弾9発。

 

 内、3発が「キングジョージ5世」に命中し、甲板上に備えられた機銃数基を吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

「右舷機銃ッ 2基損傷!!」

「後部甲板にて火災発生!!」

「本艦の砲撃、目標に着弾せず!!」

「艦首、非装甲部に貫通弾あり!!」

 

 次々に入ってくる損害報告に、ディランの苛立ちは募り始める。

 

 現在、「キングジョージ5世」は右舷側に「グナイゼナウ」、後方に「シャルンホルスト」を見ながら砲戦を行っている。

 

 言わばシャルンホルスト級2隻から、十字砲火(クロスファイア)を食らわされている状態だ。28.3センチ砲弾の低い威力では、砲塔やバイタルパートと言った重要区画を撃ち抜く事は出来ない。

 

 依然、「キングジョージ5世」は、戦闘、航行に支障がない状態である。

 

 しかし、甲板の対空砲やセンサー類には徐々にダメージが蓄積しつつある。

 

 何より、自分の乗る艦が撃たれっぱなしでいる事に、気の短いディランが耐えられるはずも無く。

 

「こっちの攻撃はどうなっているッ!?」

「ハッ ただいま、照準を修正中です!!」

「さっさと当てろよッ このへたくそ共がッ!!」

 

 報告した士官に罵声を浴びせた、その瞬間、

 

 「シャルンホルスト」が放った砲弾が「キングジョージ5世」の後部に命中。

 

 何かが派手に壊れる音が聞こえてきた。

 

 程なく、報告が上げられた。

 

「後部艦橋に直撃弾ッ 艦橋全損!!」

「クソがァッ!!」

 

 その報告に、ディランは地団太を踏む。

 

 これで「キングジョージ5世」は、後方監視の目を失ったことになる。

 

「クソッ クソッ クソォがァッ なぜ、こうなるッ!? なぜなんだッ!?」

 

 問うたところで答など出るはずも無いと言うのに、意味もない質問を喚き続けるディラン。

 

 そもそも「Z1」1隻に拘らなければ、

 

 もっと早い段階で、態勢を整えるように指示を出していれば、

 

 このような事態は防げたはずなのだが。

 

 全て、ではないにしろ、この無様な苦戦の大部分は間違いなく、ディランの責任だった。

 

 周りの取り巻き達も、流石に声を掛ける事も出来ず、艦橋の隅で固まって押し黙っている事しかできないでいる。

 

 その間にも「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」からの砲撃は続き、「キングジョージ5世」の艦体を破壊し続けている。

 

「だいたい、味方は何をやっているのだッ さっさと来て、本艦を援護するように言え!!」

「そ、それが・・・・・・・・・・・・」

 

 理不尽な癇癪を向けられ、通信担当は委縮した調子で答えた。

 

 

 

 

 

 向かってくる駆逐艦。

 

 30ノット以上の速力を発揮して、海面を切り裂くようにして突き進む。

 

 その眼前に立ちふさがる、細く、大きな艦体。

 

 アトランティックバウの鋭角的な艦首を持ち、重厚ながら均整の取れた艦橋構造物。

 

 連装4基8門の主砲が、騎士の振るう剣の如く勇ましく映る。

 

「目標、敵1番艦!!」

 

 艦長の命令と共に、少女は艦の制御に集中する。

 

 既に連装4基8門の主砲は旋回を終え、向かってくる敵艦を睨んでいる。

 

「撃てッ!!」

 

 命令と同時に、放たれる20.3センチ砲。

 

 砲弾はたちまち水柱を作り出し、駆逐艦の小型な艦体を押し包む。

 

 ドイツ海軍最新鋭重巡洋艦「プリンツオイゲン」。

 

 その戦艦に迫る重装甲と、重巡洋艦特有の高速性能を駆使して、イギリス海軍の中、小型艦艇を翻弄しつつ、主砲を撃ち放つ。

 

 どうにか「プリンツオイゲン」に追いすがり、魚雷を放とうとする駆逐艦。

 

 だが、

 

「捉えましたッ」

 

 凛として言い放つオイゲン。

 

 その幼さの残る可憐な双眸が、自身の標的を真っ向から捉える。

 

 次の瞬間、

 

「撃てッ!!」

 

 艦長の鋭い命令と共に、8門の20.3センチ砲が放たれる。

 

 魚雷発射の為に転舵行動を取っていた駆逐艦は、ひとたまりもない。

 

 直撃を受けた駆逐艦は艦体の奥深くまで砲弾が食い込み、そこで爆発。

 

 機関室を破壊されたのか、一気に速度を低下させる。

 

 あの駆逐艦は、もはや脅威にはならないだろう。

 

 ドイツ海軍期待の重巡洋艦は、その圧倒的な砲撃力でイギリス海軍の小型艦艇が、巡洋戦艦に近づくのを防ぎ続けていた。

 

 

 

 

 

 「キングジョージ5世」は、完全に進退窮まりつつあった。

 

 「グナイゼナウ」「シャルンホルスト」の2巡戦から集中攻撃を受けた事で、艦上の構造物が破壊しつくされ、各所で火災も起きている。

 

 右舷側の高角砲や機銃はあらかた破壊しつくされ、マストも折れている。

 

 2本ある垂直煙突の内、後部の1本が倒壊して甲板に倒れ、煤煙が後部甲板を覆っている。

 

 命中した多数の28.3センチ砲弾によって、甲板の至る所がささくれ立っている。

 

 流石に新鋭戦艦だけあり、主砲や機関は無事ではある。

 

 しかし、「シャルンホルスト」の主砲弾1発を受け、後部X砲塔の砲身が2本、吹き飛ばされていた。

 

 「キングジョージ5世」も、反撃によって「グナイゼナウ」に砲撃を浴びせ、数発の命中弾を得ている。

 

 しかし、ドイツ戦艦は伝統的に重防御を特徴としている。

 

  シャルンホルスト級も又、高い防御性能を誇る装甲を持っている。その為「グナイゼナウ」は、至近距離から放たれた35.6センチ砲弾をはじき返し、僅かに副砲1基と機銃3基が破壊されたのみだった。

 

「クソッ クソッ クソがッ!!」

 

 最早、手の付けようもなく、当たり散らすディラン。

 

 うっかり近づこうものなら、だれかれ構わず殴りつけそうな勢いである。

 

「あのクソナチ共がッ さっさと沈めば良い物をッ どいつもこいつも、俺の邪魔ばかりしやがって!!」

 

 「自分の思い通りに沈まない敵」に苛立ちをぶつけるディラン。

 

 喚くディランに、誰も声を掛けられないでいる。

 

 そんな中、

 

「殿下」

 

 静かに声を掛けたのは、アルヴァンだった。

 

「こうなっては致し方ありません。どうか、撤退のご決断を」

「撤退だとッ!?」

 

 アルヴァンの言葉に、ディランは弾かれたように振り返った。

 

 憎々しげに、忠実な副官を睨みつけるディラン。

 

 他の者なら委縮して、平身低頭するところだろうが、アルヴァンは臆することなく、冷静に主を見続ける。

 

「この俺にッ 尻尾を巻いて逃げろと言うのか!? ナチの豚共に背を向けてッ!?」

「既に大勢は決しつつあります」

 

 「キングジョージ5世」は幸いにして、未だに戦闘力を保っている。

 

 しかしだからこそ、戦闘力が維持できているうちに撤退する必要がある。これ以上の損害が積み重なれば、そもそも撤退自体が難しくなる。

 

「ふざけるなッ!!」

 

 しかしディランは、忠実な副官の意見に怒声を返す。

 

 その腕が、アルヴァンの首元に掴みかかった。

 

「この俺にッ 次期国王である、このディランに、あんな豚共に、またしても負ける屈辱を味わえと言うのかッ!? 貴様、それでも俺の副官かッ!?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 無言のアルヴァン。

 

 互いににらみ合う両者。

 

 どれくらい、そうしていただろう。

 

 ふと、艦橋の誰かが気づく。

 

 いつの間にか砲声が止み、周囲が静かになっている事に。

 

「敵の砲撃が、やんだ?」

 

 誰もが呆然とする中、

 

「方位1―9―0に艦影ありッ 味方です!!」

「何ッ!?」

 

 見張り員の報告に、ディランは思わずアルヴァンを離し、双眼鏡を向けなおす。

 

 そこには、マストに誇らしげにホワイトエンサインを掲げた、イギリス本国艦隊の堂々たる姿があった。

 

 

 

 

 

第24話「炎の嵐」      終わり

 




長くなったの、いったん切ります。
1万4000文字を越えてしまった(笑


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第25話「対決」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「キングジョージ5世」の危機に駆け付けたのは、ジャン・トーヴィ提督率いる、イギリス本国艦隊の本隊だった。

 

 戦艦3隻、巡洋艦6隻、駆逐艦12隻から成る艦隊は、それだけでドイツ第1艦隊の全兵力を上回っている。

 

 が、それはあくまで、全戦力が揃ってこの場に現れていれば、の話だった。

 

 輸送船団が襲撃されている報告を受けたトーヴィは、巡洋艦部隊と一部の駆逐艦のみを先行させる形で戦場に向かわせたのだ。

 

 低速の戦艦部隊では、間に合わないと思っての判断である。

 

 それ故、戦場に到着したのは巡洋艦「エディンバラ」「マンチェスター」「ベルファスト」と駆逐艦4隻のみ。

 

 ドイツ第1艦隊の総数よりは多いが、しかし火力面では聊か心もとない。

 

 トーヴィとしては「キングジョージ5世」が戦力を保持していると期待しての分派だったのだが、

 

 しかし到着してみれば「キングジョージ5世」は判定中破の損害を被り、既に息を上げている状態。

 

 味方が到着したのを、これ幸いにとばかりに、既に逃走に転じているありさま。

 

 「キングジョージ5世」の火力と装甲に期待して来援した分艦隊は、自分達の戦力のみで、砲力に勝るドイツ艦隊に挑まなくてはならなかった。

 

 更に、巡洋艦部隊、駆逐艦部隊が高速で距離を詰める。

 

 その中に、リオンの「ベルファスト」もいた。

 

 艦橋では、艦娘たる少女が、いかにも不機嫌そうな顔で椅子に座っている。

 

「どうした?」

「何か複雑」

 

 怪訝な面持ちで問いかけるリオンに、ベルファストはプクッと頬を膨らませる。

 

 その視線は、戦場から離脱しつつある「キングジョージ5世」に向けられる。

 

 攻防走の性能に優れた、イギリス最強の新鋭戦艦が、格下の巡洋戦艦に打ちのめされ、尻に歩を掛けて逃げていく様は滑稽を通り越して哀愁すら漂っている。

 

「みんなを助ける事には賛成だけどさ。けど、助ける相手が、あのバカ兄貴ってのがね」

 

 確かに、

 

 ディランの存在には、リオンとしても思うところがないわけではない。

 

 しかし現実問題として、ディランの事はともかく、新鋭戦艦である「キングジョージ5世」をここで失う訳にはいかない。

 

 あれはイギリスが威信をかけて開発した新型戦艦であり、ロイヤルネイビーの新たなる象徴となるべき艦なのだから。

 

「良いから仕事だ。お前も艦娘なら、やるべきことをやれ」

「・・・・・・・・・・・・はーい」

 

 不満たらたらな調子で返事をしながら、艦の制御に戻るベルファスト。

 

 その姿に、リオンは嘆息する。

 

 大分、ご機嫌斜めらしい。後で何か、奢ってやる必要があるかもしれなかった。

 

 見張り員が声を上げたのは、その時だった。

 

「本艦、右舷30度より敵戦艦接近!! 『シャルンホルスト』です!!」

 

 弾かれたように、双眼鏡を構えるリオン。

 

 青年艦長の視界の先では、

 

 前部6門の28.3センチ砲を振りかざして迫る、ドイツ巡戦の姿があった。

 

 

 

 

 

 「シャルンホルスト」の艦橋で指揮を執っていたエアルは、新たなるイギリス艦隊出現の報を聞くと同時に、すぐに思考を切り替えた。

 

 目の前の「キングジョージ5世」は、度重なる被弾と火災で既に戦闘力は半減している。脅威度は高くない。

 

 現に「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」が砲撃を中止したのを幸いとばかりに、反転して距離を取りつつある。どうやら、そのまま離脱するつもりらしい。

 

 それよりも、新たに現れたイギリス海軍の本隊が重要だった。

 

 まともにぶつかれば、こちらが負けるのは目に見えている。

 

 とは言え、ただ退いたのでは、追撃されて背後から撃ちまくられる事になりかねない。

 

 圧倒的戦力の敵を前にして、撤退戦を成功させるには、殿の果たす役割が重要となる。

 

 殿の部隊が敵の攻撃を引き付けている隙に、本隊を逃がすのだ。

 

 「グナイゼナウ」には司令官のリュッチェンスが座乗している。「グナイゼナウ」が沈めば、第1艦隊全体が混乱する可能性もある。

 

 その為、何としても守り通す必要がある。

 

 大軍相手に目を引き付け、その間に本隊を逃がすとなれば当然、防御力の高く、機動性にすぐられ浮かんでなくてはならない。

 

 その条件に該当するのは、この場には「シャルンホルスト」しかいなかった。

 

「目標、敵巡洋艦1番艦!!」

 

 次の瞬間、

 

「撃てェ!!」

 

 

 

 

 

 砲戦が開始された。

 

 旗艦「エディンバラ」を先頭に、単縦陣を組んで突撃するイギリス巡洋艦部隊。

 

 同時に、各艦が3連装4基12門搭載する50口径15.2センチ砲が火を吹く。

 

 目標は、立ち塞がるドイツ巡洋戦艦「シャルンホルスト」。

 

 急速に拡大しつつある、優美な艦体を、リオンは「ベルファスト」の艦橋から鋭くにらむ。

 

「ここで会ったが100年目だ」

 

 あのテムズ沖海戦において、リオン達は1歩間に合わず、ドイツ巡戦の船団攻撃を許す結果となってしまい、結果として大陸から逃げてきた多くの兵士が犠牲になってしまった。

 

 その事で、兄ディランからは嘲笑を受けている。

 

 無論、兄の嘲笑など、リオンにとっては何ほどのものではない。

 

 しかし、多くの味方を救えなかった事は、リオンにとっても痛恨の極みだった。

 

 炎に覆い尽くされたテムズ沖の海と、その中でのたうち回る味方の兵士たちの姿は、未だに青年艦長の脳裏に刻み込まれ、トラウマと化していた。

 

 その元凶たる仇敵が今、目の前に再び立ちふさがった事はリオンにとって僥倖だった。

 

「皆の無念、今ここで晴らす」

 

 静かな宣誓と共に、撃ち放たれる、12発の15.2センチ砲弾。

 

 当たらなくても良い。とにかく撃ちまくる事で相手の視界を攪乱。その間に距離を詰めて雷撃戦に持ち込むのだ。

 

 「シャルンホルスト」の艦上に、複数の爆炎が踊る。

 

 「ベルファスト」達の砲撃が命中しているのだ。

 

 しかし、相手が怯んだ様子はない。

 

 軽巡の主砲程度では、巡洋戦艦に大ダメージを与える事は難しい。

 

 うまく艦橋や照準装置を壊してくれればいいが、そんなラッキーショットは、そうそう起こる物ではない。

 

 ともかく、機動力は艦体の軽い巡洋艦が勝っているのだ。敵巡戦の主砲が沈黙している隙に、どうにか距離を詰める事ができれば、充分に勝機はある。

 

 だが、

 

「・・・・・・敵が、沈黙している?」

 

 確かに「シャルンホルスト」は、主砲を撃っていない。

 

 会敵してから数斉射は放ったが、それ以後は完全に沈黙している。

 

 もし、初めにレーダーや測距儀と言った照準装置を破壊できていれば、この上ないほど幸運だったのだが。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 双眼鏡を覗き込むリオン。

 

 その視界の中で、

 

 主砲塔の旋回を終えた「シャルンホルスト」が、

 

 砲門を旗艦「エディンバラ」に、まっすぐに向けていた。

 

「まずいッ!!」

「リ、リオンッ?」

 

 叫ぶリオン。

 

 ベルファストが思わず集中を途切れさせるほどの叫びに、艦橋にいた全員が振り返った」。

 

 しかし、かまって居られない。

 

「旗艦に通報ッ 直ちに回避行動をッ」

 

 リオンが叫んだ瞬間、

 

 

 

 

 

「撃てェッ!!」

 

 「シャルンホルスト」艦橋のエアルが、鋭く叫んだ。

 

 撃ち放たれる9発の28.3センチ砲弾。

 

 エアルは、

 

 「シャルンホルスト」は沈黙していたわけではない。

 

 雷撃を行うために、距離を詰めていたイギリス巡洋艦部隊。

 

 複数で向かってくる機動性が高い艦を相手に、闇雲に主砲を撃っても回避される可能性が高い。

 

 その為、エアルはギリギリまで敵を引き付け、確実に主砲を当てる事が出来るタイミングまで待ったのだ。

 

 ほぼ水平の弾道で放たれた28.3センチ砲弾。

 

 衝撃がイギリス艦隊旗艦「エディンバラ」を襲った。

 

 サウサンプトン級軽巡洋艦の第3シリーズで、「ベルファスト」と同型の艦となる。

 

 基準排水量は1万トンを超え、ほぼ重巡並みの船体を持つこの艦は、軽巡でありながら、性能は重巡にも勝るとの評価を得ていた。当然、防御力も相応に高くなっている。

 

 だが、

 

 如何に協力な艦であろうと、軽巡洋艦が巡洋戦艦の砲撃に耐えられる道理はなかった。

 

 命中弾は2発。

 

 1発は「エディンバラ」の艦首を直撃。装甲を食い破って艦内で炸裂。

 

 もう1発は艦橋に命中。特徴的な箱型の艦橋を叩き潰すと同時に、司令官、艦長以下、艦の首脳陣を叩き潰した。

 

「敵1番艦に命中弾ッ!! 速力、低下します!!」

 

 艦首を破壊されたことで、水圧がかかりそれがブレーキとなったのだろう。

 

 みるみる速度を落とす「エディンバラ」。

 

 その瞬間を見逃さず、エアルは更に命じる。

 

「撃てッ!!」

 

 再び放たれる「シャルンホルスト」の28.3センチ砲。

 

 砲弾は、既にほとんど停止状態にある「エディンバラ」の甲板を直撃。

 

 巡洋艦としては比較的厚めな装甲を突き破り艦内で炸裂。

 

 その一撃で、機械室を吹き飛ばされ、「エディンバラ」は完全に行き足を止めたのだった。

 

 恐らく、長くは保たないだろう。

 

 旗艦撃沈。

 

 その事実に、イギリス艦隊には明らかな動揺が見て取れた。

 

 そして、

 

 エアルが狙ったのは、正にこの一点だった。

 

「今だッ 取り舵一杯ッ 機関全速!! 最大戦速で、現海域を離脱する!!」

 

 左に回頭しつつ、速力を上げて離脱に掛かる「シャルンホルスト」。

 

 旗艦を撃沈できれば、イギリス艦隊の指揮系統は混乱できる。

 

 出ばなさえくじけば、あとは離脱するまでの時間は稼げるはずだ。

 

 このまま一気に離脱する。

 

 そう思った。

 

 その時だった。

 

「右舷120度に敵巡洋艦ッ 追撃してきます!!」

「なにッ!?」

 

 振り返るエアル。

 

 その視線の先では、まっすぐにこちらに向かって主砲を放つ軽巡洋艦があった。

 

 

 

 

 

「そうそう何度も、勝ち逃げさせるかよ」

 

 「ベルファスト」の艦橋から、離脱を図る「シャルンホルスト」を睨み呟くリオン。

 

 前部6門の15.2センチ砲を放ち、ドイツ巡戦に追いすがる。

 

 放たれた砲弾が「シャルンホルスト」の甲板上で炸裂。爆炎を上げる。

 

 しかし、

 

「損害無しッ 敵艦に変化なし!!」

 

 見張り員の報告に、臍を噛むしかない。

 

 所詮は軽巡の主砲。巡洋戦艦にダメージを与える事は難しい。

 

 尚も、かまわず主砲を撃ち放つ「ベルファスト」。

 

 対して、

 

 「シャルンホルスト」も又、こちらに向けて主砲の砲門を向けるのが見えた。

 

 その様子に、

 

「まずいッ!!」

「キャッ リ、リオンッ!?」

 

 リオンはとっさに、ベルファストを椅子から引きずり下ろし、床に伏せさせる。

 

「全員、衝撃に備えろ!!」

 

 リオンの叫びと、衝撃が襲ってきたのは、ほぼ同時だった。

 

 次の瞬間、

 

 「ベルファスト」を激震が襲った。

 

 「シャルンホルスト」が放った28.3センチ砲弾は、「ベルファスト」のA砲塔を直撃したのだ。

 

 砲塔は全損。砲身は全て吹き飛ばされ、砲塔その物も、潰れた段ボールのようになっている。

 

「クソッ!?」

 

 床に伏した状態で、舌打ちするリオン。

 

 小口径砲とは言え、相手はやはり戦艦。軽巡単独で相手をするのは無謀すぎた。

 

「あ、あの・・・・・・リオン? も、もう・・・・・・」

 

 と、そこで、

 

 自分の下から、躊躇いがちな声が聞こえて来る事に気付くリオン。

 

 見れば、

 

 先ほど押し倒したベルファストが、何やら潤んだ顔をして、視線を逸らしていた。

 

 女の子特有の、柔らかい体の感触が腕の中に伝わってきて、リオンは場所柄もわきまえずに、少し体が熱くなるのを感じた。

 

「あ、ああ、すまん」

「う、ううん。私の方こそ、ありがと」

 

 ぎこちなく言いながら、立ち上がるベルファスト。

 

 しかし、顔をしかめながら右腕を抑えている。

 

 やはり、艦体が負ったダメージが、艦娘である彼女にもフィードバックしているのだ。

 

 そんな彼女を見ながら、

 

「・・・・・・・・・・・・」

「え? リオン?」

 

 そっと、椅子に座らせてやるリオン。

 

 そんな青年提督の様子を、ほんのり顔を赤らめながら見つめるベルファスト。

 

「どうやら、これまでのようだな」

「え? ・・・・・・・・・・・・ああ」

 

 リオンが戦闘の事を言っていると察し、頷くベルファスト。

 

 程なく、損害報告が上げられてきた。

 

「敵戦艦の砲撃がA砲塔に命中。砲塔は大破、使用不能です」

「他には?」

「ありません。敵弾の命中は1発のみでしたから、BからYまでの砲塔3基は無事。機関も全力発揮可能です」

 

 無理をすれば、追いすがって戦う事も不可能ではないが、それをするほどリオンは無謀ではなかった。

 

 既に「シャルンホルスト」は射撃を停止している。どうやら、「ベルファスト」の撃沈よりも、自分達の離脱を優先したらしい。

 

 この戦い、イギリス軍の戦略目標は輸送船団が無事、イギリス本土に到達する事にある。

 

 既に船団はフェロー諸島沖を離れつつあり、いかにドイツ艦隊が高速艦でも、今から追いかけて、船団に追い付くことは難しい。

 

 加えて、トーヴィ率いる本隊も、近海に到達しつつある。ドイツ海軍が襲撃を断念して離脱するのは明白だろう。

 

 これ以上、リオン達が無理して戦う理由は何もなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 無言のまま、去り行く「シャルンホルスト」を見つめるリオン。

 

 戦いは、既に終結ムードになっている。

 

 イギリス軍は、軽巡洋艦「エディンバラ」と駆逐艦数隻、更に輸送船とコルベットをいくらか失った。

 

 しかし、新鋭戦艦「キングジョージ5世」は辛うじて離脱。輸送船団も、半分以上は生き残る結果となった。

 

 全体的に見れば、海戦はイギリス側の勝利と言って良い。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・負けたな」

 

 ぼそりとつぶやくリオン。

 

 その声は、傍らのベルファストにだけ聞こえていた。

 

 結局、救援には成功したものの旗艦「エディンバラ」が沈没。「ベルファスト」も損傷を受ける結果となった。

 

 何より宿敵「シャルンホルスト」に、殆ど手傷を負わせる事が出来ずに取り逃がしたことが大きかった。

 

 戦いは、確かにイギリス軍の勝利。

 

 しかし、リオンだけは、それを素直に喜ぶ事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 戦場を離脱する事に成功した「シャルンホルスト」は、先に離脱した「グナイゼナウ」以下の本隊と合流すべく航行していた。

 

 その艦橋では、エアルがいくつかの指示を出すと、シャルンホルストへと向き直った。

 

「お疲れ様、シャル。多分、もう敵は来ないと思うから、楽にしていいよ」

「う、うん。助かるよ」

 

 そう言って笑うシャルンホルスト。

 

 今回、敵の攻撃を受けて艦体が損傷を受けた「シャルンホルスト」。

 

 被害は甲板上の構造物に留まっている為、彼女自身には殆どダメージのフィードバックはない。

 

 しかし元々、体が弱いシャルンホルストにとっては、それだけでもつらいらしい。

 

 今も、少し息が上がっているのが見えた。

 

「でも、残念だったね」

「うん?」

 

 シャルンホルストの言葉に、首をかしげるエアル。

 

 何の事だろうと思っていると、巡戦少女は再び口を開く。

 

「結局、作戦は失敗しちゃったし。輸送船は殆ど逃がしちゃったんでしょ?」

 

 確かに、シャルンホルストの言う通りだ。

 

 今回の作戦目標は、あくまでイギリス本土へ向かう輸送船団の壊滅だった。

 

 結果として一部の船は沈めたものの、大半の船は取り逃がす結果となった。

 

 一方のドイツ艦隊も、敵の反撃にあって「ニュルンベルク」「カールスルーエ」、駆逐艦3隻を喪失している。小勢のドイツ艦隊からすれば、痛すぎる損害と言える。

 

 戦術、戦略双方において、ドイツ海軍の敗北は明らかだった。

 

 だが、

 

「さて、それはどうかな? 俺はそうは思わないんだけど」

「え? おにーさん、それって、どういう事?」

 

 キョトンとするシャルンホルスト。

 

 いったい、エアルは何を言い出すのか。

 

 理解が追い付かないシャルンホルストに、エアルは説明する。

 

「考えてもみなよ、出撃前の事をさ。何で、水上艦隊の作戦会議に、潜水艦隊司令官のデーニッツ提督がいたのか?」

 

 言われて、シャルンホルストも思い出す。

 

 カーク・デーニッツ(セクハラ提督)の事を。

 

「・・・・・・今、本音が透けなかった?」

「うん。気のせい気のせい」

 

 確かに、 海軍全体を統括する最高指揮官はエドワルド・レーダー元帥だが、その下で

水上艦隊と潜水艦隊は、基本的に司令部が独立している。

 

 水上艦隊の作戦会議の場に、司令官とは言え潜水艦隊の人間であるデーニッツがいるのは違和感があった。

 

「多分、今頃は・・・・・・」

 

 含みのあるエアルの言葉。

 

 そんな彼らを乗せて、巡洋戦艦「シャルンホルスト」は、本国への帰還に向け、進路を取るのだった。

 

 

 

 

 

 ウォルフ・アレイザーは総統執務室に入り、ナチス式の敬礼をすると、総統アドルフ・ヒトラーに手にした報告書を手渡す。

 

 それを一読したヒトラーは、口ひげを生やした口を綻ばせた。

 

「そうかッ 成功したかッ」

「はい閣下。先ほど、デーニッツ提督から報告がありました。それによりますと、出撃したUボート全艦の、大西洋進出を確認。以後は予定通り、敵通商路攻撃任務に入る、との事」

 

 ウォルフの報告に、ヒトラーは満足そうに頷く。

 

 これが、今回の作戦の全容だった。

 

 この時期、わざわざ第1艦隊を北海方面に出撃させたのは、イギリス本国艦隊の目を引き付けるための囮としてである。

 

 開戦から1年が経ち、イギリス周辺の監視網も強化されてきている。徐々にではあるがUボートの被害も増え始めていた。

 

 このままでは作戦行動はおろか、通常の哨戒任務すら難しくなってしまう。

 

 憂慮したドイツ海軍上層部は、あえて虎の子の第1艦隊を囮にして、イギリス本国艦隊を引き付ける一方、ひそかに出撃させたUボート各艦を大西洋に進出させ、通称破壊作戦に投入する決断をしたのだ。

 

 結果、作戦は成功。

 

 第1艦隊はイギリス艦隊の反撃によって損害を被った物の、出撃したUボートは全艦、大西洋進出に成功した。

 

 しかも今回、出撃したUボートにはエース級と呼ばれる艦長が指揮する艦も多数含まれている。

 

「見ていたまえ、我が友ウォルフよ。我が忠実なる海の狼たちが、必ずやイギリスを干上がらせてくれることだろう。その時こそ、奴らは我々を敵に回したことを後悔する事になるのだ」

 

 笑みを浮かべるヒトラー。

 

 その脳裏には、イギリスを屈服させる日の事が鮮明に描き出されていた。

 

 

 

 

 

第25話「対決」      終わり

 



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第26話「怒りの矛先」

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 ドイツ第3帝国首都ベルリン。

 

 ドイツの行政の中心であり、栄えある帝国の象徴である都。

 

 総統アドルフ・ヒトラーの座所でもあるこの街を、

 

 この日、衝撃が襲った。

 

 北海海上を迂回する形でドイツ軍の防空網をすり抜けた、イギリス空軍爆撃機部隊が突如、首都上空に侵入。

 

 一斉に爆撃を行ったのだ。

 

 この攻撃は、ドイツ側にとって完全に寝耳に水だった。

 

 前線となっているドーバー海峡上空では尚も、両国の空軍が激しい攻防戦を繰り広げている。

 

 しかしその様相はあくまで、ドイツ軍が攻めて、イギリス軍が守ると言う構図だった。

 

 昨日までは。

 

 だがこの日、ある意味で定型となりつつあった、その構図が崩された。

 

 ベルリンを襲ったイギリス軍爆撃機部隊は、ハンドレページ・ハンプデンとヴィッカース・ウェリントン爆撃機の混成からなる、合計80機ほどの部隊。

 

 数が少数だった事もあり、ベルリンが受けた被害は大きなものではなかった。

 

 しかし、第2次世界大戦がはじまって以来初めて、首都が爆撃を受けた事に、ドイツ人の誰もが衝撃を隠せなかった。

 

 今回のベルリン爆撃に関して、イギリス首相ウェリントン・チャーチルは、先に行われたロンドン爆撃に対する報復であるとした。

 

 曰く「ナチス・ドイツは卑劣にも我が首都ロンドンを爆撃し、多くの無辜の民に多大なる犠牲者を出した。これがいかに非人道的で卑劣で、卑怯極まりない行為であるかは、語るまでもないだろう。よって我々は、卑劣な攻撃に対する正当な反撃に出る。今後、如何なる事態に陥ったとしても、その責任は、悪逆非道なる侵略者、アドルフ・ヒトラーと、彼に率いられた、卑劣極まりないナチス・ドイツ軍に帰せられるべきである。全ての正義は、我がイギリスと、祖国の為に戦う忠実にして勇壮無比たる兵士たちにある」

 

 との事だった。

 

 勿論、ロンドンへの攻撃は、殆ど「誤爆」に近い物であり、無断で攻撃を行った爆撃機はたった1機。当然ながら、ロンドンに被害らしい被害は見られなかった。

 

 ついでに言えば、ヒトラーは命令違反してロンドンを爆撃した爆撃機のクルー全員を逮捕し、軍法会議にて有罪にしている。

 

 しかしチャーチルは、この状況を完全に逆手に取った。

 

 彼は「ロンドンが爆撃された」と言う事実一点を拡大解釈し、それを正当な理由としてベルリン爆撃を敢行したのだ。

 

 先に述べた通り、ベルリンが受けた被害は大した物ではなかった。

 

 しかし、

 

 自分がいる首都が攻撃されたことで、ヒトラーの怒りが頂点に達したのは言うまでもない事だった。

 

 ヒトラーは被害状況の報告を待たず、直ちに空軍総司令官のヘルムート・ゲーリングを総統官邸に召喚した。

 

 

 

 

 

「も、目標変更・・・・・・でありますか?」

「そうだ」

 

 隠しようもない戸惑いと共に尋ねるゲーリングに、ヒトラーは厳かに頷きを返した。

 

 総統執務室に入り、挨拶もそこそこにゲーリングがヒトラーに告げられた内容は、空軍の主攻撃目標変更の通達だった。

 

 現在、空軍はイギリス軍が使用する飛行場やレーダー基地、更に戦闘機が生産されていると思われる工業地帯を目標に攻撃している。

 

 これらはドーバー海峡上空の制空権を確保する意味で、非常に有効な戦術である。事実として、徐々にではあるがイギリス軍の反撃も下火になりつつあった。

 

 現状の空軍の戦略は、順調とまではいかないまでも大きく失敗はしていない。それを今更、どう変更しようと言うのか?

 

 訝るゲーリングに、ヒトラーは告げた。

 

「ロンドンだ。今後はロンドンをはじめとしたイギリス諸都市を主目標とせよ」

 

 告げられるヒトラーの言葉。

 

 傍らに立って聞いていたウォルフも、身じろぎをする。

 

 ある意味、予想できたことだ。

 

 それ程までに、今回のベルリン空襲のショックは大きかったのだろう。

 

「ハッ ロ、ロンドン、でありますか・・・・・・・・・・・・」

 

 巨体を驚愕に揺らすゲーリング。

 

 ヒトラーの言葉が、俄かには信じられない、と言った様子だ。

 

「閣下もご承知の事とは思いますが」

 

 ウォルフが捕捉するように口を開いた。

 

「先日、我がベルリンがイギリス空軍の空襲を受けました。幸いにして被害は僅少でしたが、総統閣下は、今回の事を重く受け止められておられます」

「判っている」

 

 ウォルフの発言に対し、ゲーリングは吐き捨てるように言った。

 

 「貴様には聞いていない。余計な口を挟むな」とでも言いたげな態度だ。

 

 代わって、再びヒトラーが口を開く。

 

「我がドイツは、決して屈辱を甘受したりはしない。首都を攻撃された以上、同等の事をやり返さねば、国としての威信にも関わる」

 

 つまり、こちらが首都ベルリンを攻撃された以上、敵の首都ロンドンをやり返さないと、腹の虫が収まらない。と言う事である。

 

 ヒトラーは頭に血を登らせている。

 

 そう考えざるを得ない命令だった。

 

「し、しかしですな、総統閣下」

 

 珍しい事に、ゲーリングがヒトラーへの反論を試みた。

 

 普段はヒトラーの腰巾着として、阿諛追従するしか能がないゲーリングにしては、明日の天候が気になるレベルで珍しい事であろう。

 

 裏を返せば、それほどまでに、事は重大だった。

 

「軍事的観点から申し上げれば、敵の拠点を叩くのが、その、上策と考えます、が・・・・・・」

 

 あくまで控えめな「進言」と言う形で説得を試みるゲーリング。

 

 ロンドンは敵国の首都だが、ロンドン自体に戦略的な価値は低い。

 

 ロンドンを攻撃したとしても、ドイツ側にとってメリットは殆ど無いのだ。ここは当初の計画通り、軍事拠点に攻撃を集中すべきだった。

 

 だが、

 

「逆らうか、ゲーリング?」

 

 ヒトラーは、ことさら声を低くして告げた。

 

 その一言で、ゲーリングは巨体を恐怖に震わせる。

 

「余の言に逆らう、と言う事で良いのだな?」

「め、滅相もございませんッ!! わたくしの意思は全て、総統閣下の意のままにございます!!」

 

 たちまち、平身低頭するゲーリング。

 

 この国でヒトラーに逆らうと言う事は、失脚を意味している。最悪の場合、粛清も有り得るだろう。

 

 ゲーリングならずとも、進言する側は命がけである。

 

 対して、ゲーリングの返事に満足したように、ヒトラーは頷きを返す。

 

「では、良いな。直ちに前線部隊に、目標変更を指示するのだ」

「承知いたしました。ハイル・ヒトラー!!」

 

 敬礼をして、そそくさと出て行くゲーリング。

 

 その巨体を見やりながら、ウォルフはヒトラーに向き直った。

 

「では閣下。私も、新型艦の視察がありますので、これで」

「うむ・・・・・・ああ、ウォルフ」

 

 敬礼して出て行こうとするウォルフを、ヒトラーが呼び止めた。

 

「本気なのだな。例の件?」

「はい」

 

 躊躇う事無く、頷きを返すウォルフ。

 

 それは数日前、ウォルフ本人がヒトラーに告げた事。

 

 対して、ヒトラーは険しい顔で友を見やる。

 

「余としては、お前には傍らにあって助言をしてほしいと思っているのだがな」

「ありがとうございます」

 

 礼を言い、顔を上げる。

 

 国家の最高権力者に、ここまで言われる事は、ウォルフにとっても栄誉な事である。

 

 しかし、ウォルフは揺らぐ事なく、自らを友とまで呼んでくれる総統閣下を見る。

 

「私も海軍の人間なれば、武を持って閣下のお役に立ちたいと思っております」

 

 そう告げるウォルフの目は、まっすぐにヒトラーを見つめている。

 

 その視線に、ヒトラーは嘆息する。

 

 ウォルフの意志が固く、たとえ自分であっても叛意させる事は難しいのが分かる。

 

「判った、もう、何も言うまい。余としても、優秀な将が前線に1人でもいてくれるのは頼もしい限り。お前ならば、それも申し分ない」

「ハッ 必ずや閣下のお役に立ち、大ドイツに偉大な勝利をもたらす事、お約束いたします」

 

 そう告げると、右手を高く掲げる。

 

「ハイル・ヒトラー!!」

 

 敬礼するウォルフ。

 

 それに対し、ヒトラーも力強く頷きを返すのだった。

 

 

 

 

 

 ヒトラーの部屋を辞したウォルフ。

 

 廊下では、顔見知りの女性が立っているのが見えた。

 

 相手もウォルフが出て来るのを見て歩み寄ってくる。

 

「終わったか?」

「ああ、閣下から御裁可を頂いた。明日にはキールに向かう事になる」

 

 待っていたのは、艦娘のシュレスビッヒ・ホルシュタインだった。

 

 ウォルフが出て来るのを見つけると、鋭い目つきを和ませて笑いかける。

 

 ウォルフが指揮すべき艦は先ごろ、キール軍港で完成したばかりの最新鋭艦である。

 

 既に艦長主導による完熟訓練は始まっており、ウォルフの着任と同時に作戦行動を開始できる見通しだった。

 

「なあ」

 

 シュレスは、少しためらう様にウォルフに尋ねる。

 

「本当にいいのか? 私などが参謀を務めても?」

「言い出したのは俺だ。良いも悪いもあるか」

「しかし、だな・・・・・・・・・・・・」

 

 渋るように言い募るシュレスに対し、ウォルフは嘆息して肩をすくめる。

 

 最新鋭艦の竣工に合わせて、新たなる部隊を新設する事になっており、その司令官にウォルフの就任が決まっている。

 

 と言うか実のところ、ウォルフがヒトラーのコネを最大限に使ってねじ込んだ、と言うのが真相だったりするのだが。

 

 その際ウォルフは、人事面について一つだけ要求を言った。

 

 それが、艦娘のシュレスビッヒ・ホルシュタインを参謀として迎えたいと言う事だった。

 

「過去に艦娘が参謀を務めた例はある。別に、前代未聞と言う訳じゃないだろ」

「それはそうかもしれんが、しかし異例であるのは確かだ」

 

 戸惑いを隠せないでいるシュレス。

 

 確かにウォルフが言っている事は間違いではない。

 

 しかし、未だに艦体が健在な身としては、そちらを放って別の戦場へ行く事への抵抗があるのも確かである。

 

 そんなシュレスに、ウォルフはフッと笑みを刻んで告げる。

 

「判らないか? 誘っているんだよ」

「何がだ?」

「一緒に、テアの仇を取ろうとな」

 

 言われて、シュレスはハッとする。

 

 確かに、

 

 このまま艦体と共にあったとしても、「シュレスビッヒ・ホルシュタイン」が前線に出て行くことはないだろう。

 

 確かに初戦ではポーランド軍の要塞を砲撃して開戦の号砲を上げる役割を担ったが、その後は港に係留されて無為に時を浪費するのみだった。

 

 海軍上層部としても「シュレスビッヒ・ホルシュタイン」の扱いに苦慮しているのだ。

 

 戦艦とは言え、建造は第1次大戦より前。戦えば駆逐艦にすら負ける可能性がある。当然、海軍の基本戦略である通商破壊戦に用いる事も難しい。

 

 海軍の象徴として、今なお多くの将兵、艦娘から慕われ続けている「シュレスビッヒ・ホルシュタイン」。下手な使い方をして沈めたりしたら、それこそ海軍全体の士気にも関わると言う物。

 

 そこに、ウォルフが一つの答を指し示した。

 

 艦としての活躍は見込めないかもしれない。しかし、今のシュレスにはもう一つ武器がある。

 

 長年に渡って軍務に携わり、そこで得た知識や経験から来る確かな戦略、戦術。

 

 それらはドイツ海軍広しと言えど、誰にも負けない自信があった。

 

 だからこそ、ウォルフは自身の参謀にシュレスを望んだのだ。

 

 全ては、テアの仇を取る為に。

 

「テアの仇を取るんだ。俺とお前で」

「ウォルフ、お前・・・・・・・・・・・・」

「頼む。力を貸してくれ」

 

 沈黙するシュレス。

 

 この友が、妻の仇に拘り続けている事は。前々から分かり切っていた事だ。その為に、家族をはじめ、全てを捨て去った事も。

 

 だが、何をすれば良い?

 

 何をどうすれば、テアの仇を取った事になる?

 

 そもそも、テアの死はあくまで「自沈」、人間でいうところの自殺であり、明確に「犯人」がいるとは思えない。

 

 無論、テア達を死に追いやったイギリス海軍は「仇」と言えない事もないのだが。

 

 しかし、どうすれば良い?

 

 イギリス海軍を全滅させればいいのか? それともイギリスと言う国家を滅ぼせば良いか?

 

 ウォルフの「仇討ち」は、底の見えない沼のようなものだった。

 

 しかし、

 

 だからこそ、この男には自分が必要だと、シュレスには思えた。

 

 支える人間として、

 

 ではなく、

 

 共に、地獄に落ちてやる人間として。

 

「・・・・・・・・・・・・分かった」

 

 ややあって、頷くシュレス。

 

「参謀の任、引き受けよう」

「感謝する」

 

 頷き、右手を差し出すウォルフ。

 

 その手を、シュレスはしっかりと握り返すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 獲物は、すぐ目の前を通過していくのが見える。

 

 およそ7000トンクラスの大型貨物船。

 

 船籍は、イギリスの同盟国であるカナダ。

 

 大物だった。

 

 潜望鏡を覗いていた艦長は、思わず舌なめずりをする。

 

 まさか1隻で行動している、と言う事はあるまい。必ず、近くに他の船もいるはずだ。

 

 大西洋方面に進出して、既に1カ月近く。

 

 これまで獲物らしい獲物にありつく事が出来なかったが、ここに来てツキが巡ってきた。

 

「雷撃用意ッ 深度そのまま!!」

 

 艦長の命令に、艦娘の少女も頷く。

 

 回頭し、進路をわずかに変更。

 

 魚雷発射管に注水され、攻撃態勢が整えられる。

 

「1番、2番、発射用意ッ!!」

 

 魚雷発射の命令を下そうとした、

 

 まさにその時、

 

「スクリュー音、急速接近!!」

 

 ソナーを担当している聴音手の悲鳴に近い叫び。

 

 とっさに、潜望鏡から目を離す艦長。

 

 その顔面が、暗がりでも分かるほど蒼白に染まる。

 

「急速潜航ッ!! ベント開け!!」

 

 矢継ぎ早に指示を飛ばす。

 

 既に攻撃どころではない。

 

 獲物を狙う狼でいたはずの自分達が、今や哀れな獲物になり果てていた。

 

 直ちにメインタンクに注水され、深度を下げようとする。

 

 しかし、

 

 遅かった。

 

 衝撃は、潜航を開始すると同時に襲ってきた。

 

 着弾と同時に、激震が艦内を襲う。

 

 飛び交う、怒号と悲鳴。

 

 巻き起こる海水の奔流が、あっという間に艦内を浸していく。

 

 如何なる対処も、もはや意味をなさないのは明白だった。

 

 

 

 

 

「敵潜水艦、撃沈を確認しました」

「おお、ご苦労」

 

 報告を旗艦の艦上で聞き、男は頷きを返した。

 

 大柄で、口ひげを蓄えた男。

 

 着こんだ軍服もだらしなく着崩し、豪快に袖まくりまでしている。

 

 まるで海賊船の船長のような出で立ちをしている。

 

「やれやれ、連中、ゴキブリみたいに這い出してきやがる。まあ、見つければ簡単につぶせるのは良いんだが、こう多くちゃ、鬱陶しい事この上ないな」

「全くですな、兄上」

 

 追従するように、背後に立つ男が頷く。

 

 こちらは逆に、細身で眼鏡をかけた、怜悧な印象がある。

 

「しかし、奴等の主戦力がUボートである事は判っています。そのUボートを壊滅させる事が出来れば、もはや海上における脅威は無きに等しい筈」

「確かに、お前の言う通りだな。Uボートさえ潰せれば、あとはカスばかりだ」

 

 そう言って不敵に笑う男達。

 

 視界の先では、役目を終えた駆逐艦たちが定位置に戻ってくる様子が見えた。

 

「まったく、本国艦隊の連中も不甲斐ない。こんな奴等に何をてこずっているのか」

「そう言うもんじゃないだろ。彼等の尊い犠牲のおかげで、我々はこうして楽に戦えているんだ。感謝くらいしても罰は当たらんさ。ま、死んだ連中も毛の先程度には役に立ったって事さ」

「確かにな。感謝の言葉を吐くくらいはタダだしな」

「そういう事だ」

 

 そう言って笑いあう2人。

 

 その視線の先では、Uボートの痕跡を示す浮遊物が、名残を示すように浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 フェロー諸島沖海戦を終え、ドイツ海軍第1艦隊が帰還したのは9月に入ってからだった。

 

 途中、イギリス艦隊からの追撃を警戒した艦隊は、迂回航路を取ってノルウェーの港へと入り、補給と補修を受けたのちに南下、本国へと帰還した。

 

 幸いにして、イギリス海軍も輸送船団を守り通せたことで満足したのか、あるいは損害に耐えかねて追撃の手を鈍らせざるを得なかったのか。

 

 いずれにしてもドイツ艦隊は以降、妨害を受ける事無く本国へ帰還する事が出来た。

 

 しかし、

 

 戦い自体ば、決して満足のいく物ではなかった。

 

 戦果は軽巡洋艦1隻、駆逐艦4隻、コルベット艦6隻、輸送船4隻を撃沈。その他にも最新鋭戦艦「キングジョージ5世」をはじめ、複数の艦艇に大・中破の損害を与えた。

 

 対してドイツ海軍は軽巡洋艦2隻、駆逐艦3隻を喪失。

 

 損害非だけを見れば、ドイツ海軍の勝利と言えなくもない。

 

 しかし、結果として輸送船団の撃滅はならず、これによりイギリス海軍は自分達の「勝利」を宣言している。

 

 もっとも、ドイツ海軍からすれば、真の目的だった「Uボート艦隊の大西洋進出」が果たせた事で、作戦目的の達成は十分だったのだが。

 

 どちらも戦術的に大きな損害を負いながらも、戦略目的は達成したことになる。

 

 そのような事情から、フェロー諸島沖海戦は、英独双方が「勝者であり敗者でもある」と言う、奇妙な結末を見る形となった。

 

 第1艦隊が出撃している間に、主戦場であるドーバー海峡の戦いは、大きく様変わりを見せていた。

 

 元々、渡洋爆撃により、ドーバー海峡上空の制空権を確保する事が主目的だったバトルオブブリテンは、ドイツが攻めて、イギリスが守ると言う戦いが主となっている。

 

 しかしここで、ドイツ空軍の致命的な弱点が一つ、露呈していた。

 

 ドイツ空軍の主力戦闘機であるメッサーシュミットBf109。

 

 大戦全般を通じてドイツ空軍の主力機の座に君臨し続ける事になるこの機体は、高速と重武装を兼ね備えた、正に理想的な戦闘機であると言える。

 

 しかし、弱点が存在する。

 

 Bf109は、航続力が極端に短いのだ。

 

 これは機体の欠陥と言う訳ではない。

 

 元々、Bf109は来襲した敵機を迎え撃つ要撃戦闘機として開発された。その為、必要なのはいち早く戦場となる高度へ到達するための高速性能であり、航続力は開発段階では重要視されなかったのだ。

 

 今までの戦いは陸上における航空支援や制空権確保がメインであり、自軍の基地とも距離が近かった為、航続力の短さは大した問題にはならなかった。

 

 しかしイギリスに対する攻撃が開始されると、航空部隊はドーバー海峡を越えて侵攻しなくてはならなくなった。

 

 フランス沿岸部の基地から発進したとしても、海峡を越えて英本土上空でBf109が戦闘できる時間は、僅か15分程度でしかなかった。

 

 そこでドイツ軍。特に総司令官のヘルムート・ゲーリングが期待を寄せたのは、メッサーシュミット社が開発したもう1つの機体だった。

 

 Bf110のコードが付けられたこの機体は、双発の大型戦闘機であり、その重武装ぶりから「駆逐機」の愛称で呼ばれていた。

 

 このBf110なら航続力も申し分なく、長距離爆撃機の護衛にはうってつけと思われた。

 

 しかし、こちらは更に問題があった。

 

 Bf110は戦闘機としては鈍重すぎてスピードが遅く、迎撃に上がってきたスピットファイアやハリケーンの良いカモにされてしまったのだ。

 

 双発戦闘機は2基のエンジンから出される高出力を武器に、重武装と高速発揮が可能な機体が多いのだが、Bf110の速力は540キロ。対してスピットファイアは、この当時に活躍した初期型ですら580キロ。しかも、スピットファイアは世界最高クラスの軽快な運動性能を誇っており、これにBf110が追随する事はほぼ不可能に近かった。

 

 果ては同じ戦闘機のBf109が、Bf110を護衛しなくてはならない場面もあった程である。

 

 Bf110は欠陥機。

 

 そう言った烙印を押され、後世まで語り継がれる事になる。

 

 が、実際はそうではない。

 

 確かに機動性に欠けるBf110は、機動戦ではスピットファイアやハリケーンに後れを取ったが、それは中・低高度での戦闘の話。

 

 高高度に占位した状態から一撃離脱戦法に徹した戦い方をした場合、Bf110は絶大な戦闘力を発揮し、イギリス空軍に多大な損害を与える事に成功していた。

 

 また、ドイツ空軍(ルフトバッフェ)のパイロット達も、手を拱いていたわけではない。Bf110の性能を活かすために、様々な戦法が研究された。

 

 その中で特に「防御円陣(デス・サークル)」と呼ばれる戦法は、イギリス空軍のパイロットにとって恐怖の対象ともなった。この戦法は複数のBf110が円を描くように飛行し、イギリス軍機が食いついたら、その後方の機体の前方機銃と、囮となった機体の後部機銃で挟撃すると言う物だった。

 

 要するに、Bf110は決して世に言われているほど欠陥機ではないと言う事だ。

 

 それでも大きな損害を出したのは事実である。

 

 しかし、それは決して機体が悪かったわけでも、ましてパイロットの腕が劣っていたからでもない。

 

 全ては「爆撃機の護衛を優先する」と言うゲーリングはじめ空軍上層部の意向により、得意な高高度戦闘を封じられ、苦手な中・低高度での戦闘を強要された結果、機動性に勝るイギリス戦闘機に捕捉され、多くの機体と優秀なパイロットが犠牲になってしまったのだ。

 

 こうして、大兵力のドイツ軍を、防戦に徹する事で防ぎとめていたイギリス空軍だったが、その状況に変化が生じた。

 

 ヒトラーの命令により、ドイツ空軍が攻撃目標を、軍事施設からロンドン等の大都市に変更したのだ。

 

 これにより、民間人にも多数の死傷者が出る事になる。

 

 だが、

 

 このドイツ軍の目標変更は、イギリス軍に救いを齎していた。

 

 一見すると、ドイツ軍が苦戦しているようにも見えたバトルオブブリテンだったが、実際のところ、イギリス軍の状況はより絶望的だったと言える。

 

 苦戦しているとはいえ、物量面ではドイツ軍がイギリス軍を圧倒しているのは事実である。

 

 いかにケイ・ダウディング大将が指揮を執り、イギリス空軍(R A F)の勇士たちが奮闘しようとも、限いずれは限界が来る。

 

 当初は700機あった戦闘機も連日の戦闘で400機近くにまで撃ち減らされていた。

 

 迎撃の要であるレーダー施設もドイツ軍の攻撃目標となり、機能停止になる物が続出。もちろん修理は行うが、修理した翌日の戦闘で再び破壊されるレーダーまであった。

 

 このまま戦い続ければ、イギリスの防空システムが破壊されるであろう事は目に見えていた。

 

 しかし、そこに来ての、ドイツ軍の目標変更である。

 

 これにより、直接的な損害が減ったイギリス空軍は息を吹き返す事になる。

 

 英本土上空は、尚も混沌とした戦況が続いているのだった。

 

 

 

 

 

 厨房から漂う匂いが、空腹の胃を刺激する。

 

 艦長自らが厨房に立って料理をするという光景は最早、巡洋戦艦「シャルンホルスト」の艦内においては日常の一環として受け入れられていた。

 

「はぁ~」

 

 廊下を歩きながらシャルンホルストは、漂ってくる料理の匂いに幸せそうな顔をしている。

 

 その横では、サイア・アレイザーが笑顔で付き添っている。

 

 先のフェロー諸島沖海戦では機関技術士として、「シャルンホルスト」の不安定なエンジンを安定させ、最後まで好調を保ち続ける事に成功した。いわば、陰の功労者と言っても良いだろう。

 

 帰港してすぐに、シャルンホルストはサイアに伴われて軍病院を受診していた。

 

 と言っても、別に今回は体調不良があったわけではない。

 

 しかしやはり、戦闘航海の後とあっては不安もある為、念のために受診したのだ。

 

 病院に行っている間、艦長であるエアルは艦に残り、2人の為に手料理を作って待ってくれていたのだ。

 

「おにーさんの料理、久しぶり。最近、あんまり食べれてなかったからね」

「そりゃ、作戦中の艦長に頼むわけにもいかないしね」

 

 巡戦少女の隣を歩きながらサイアが苦笑気味に答える。

 

 戦艦の艦長が、作戦中に厨房に立って料理を作っている姿は、流石にどうかと思う。

 

 が、

 

 本人を含め最早、「シャルンホルスト」の全乗組員が、その事を気にしてはいなかった。

 

「ああ、楽しみ。おにーさんの料理なら、一生食べていてもいいくらいだよ」

「いや、一生はちょっと。まあ、気持ちはわかるかな」

「うんうん、そうだよね。おにーさんの料理なら、一生食べてても良いくらいだよ」

 

 笑うシャルンホルストを、サイアは苦笑しながら見つめる。

 

 何だか、食いしん坊な妹みたいだ。

 

 作戦中、共にある事が多かったサイアは、シャルンホルストを見ていてそんな風に感じるようになっていた。

 

 サイアに向かって振り返るシャルンホルスト。

 

「ほらサイア、早く行こうよ」

「はいはい、分かったからちょっと待って」

 

 待ちきれない、とばかりに駆け出そうとするシャルンホルスト。

 

 その陰から、

 

 ぬっと手が伸ばされた。

 

 シャルンホルストのお尻に。

 

「キャァッ!?」

「おっと、いつも元気だねえ、関心関心」

 

 とっさに、お尻をかばいながら振りかえるシャルンホルスト。

 

 そこには、良く見知った(そしてできれば、あまり会いたくない)人物が立っていた。

 

「デーニッツ提督ッ 何でここに!?」

「いや、何、久しぶりにシャルちゃんのお尻を触りたくてな。ついでに艦隊への命令書も発行できたから助かったよ」

「いや逆ッ 『本命』と『ついで』が逆!!」

 

 と言う、シャルンホルストのツッコミも、どこ吹く風のカーク・デーニッツ大将。

 

 置いてけぼりを食らったサイアが、ポカンとしている。

 

「あの、シャル、この人は?」

「ああ、うん」

 

 とっても「いやだな~」と言う体で、デーニッツを指差すシャルンホルスト。

 

潜水艦隊司令官(セクハラ提督)のデーニッツ大将だよ」

「今、本音が透けなかった?」

「気のせい気のせい」

 

 言いながら、ヘラヘラと笑うデーニッツに振り返る。

 

「だいたい、提督はこんなところで何、油売ってるのさ? 忙しいんじゃないの?」

「ああ、それなんだがな・・・・・・・・・・・・」

 

 なぜか言いよどむデーニッツ。

 

「あれ、みんなどうしたの、こんなところで?」

 

 不意に呼びかけられた声に、振り返る一同。

 

 そこには、怪訝な面持ちをしたエアルが立っていた。

 

 

 

 

 

 シャルンホルストとサイア

 

 その2人から離れた場所に座るエアルとデーニッツ。

 

 その表情にはすでに、戦闘時と同等の緊張感が走っていた。

 

「・・・・・・大西洋での作戦が、あまりうまくいっていないみたいですね」

 

 ストレートな質問をぶつけるエアル。

 

 対してデーニッツは、少し目を見張ると、フッと嘆息して口を開いた。

 

「流石に、耳が早いな」

 

 エアルがデーニッツの下で参謀を務めていた頃、特に情報の速さ、正確さを重点に置いた作戦計画の立案を心掛けていた。

 

 潜水艦は足が遅い艦である。それだけの、敵の輸送船の進路上に回り込んで待ち伏せする作戦が最適となる。

 

 それには敵船団や付近を航行している護衛部隊の情報が襲撃成功のカギとなるのだ。

 

 エアルが作ってくれた料理を口に運びつつ、デーニッツは話し始めた。

 

「どうやら、イギリス海軍が戦法を変えたらしい。前回、お前たちの援護で進出に成功した部隊にも被害が出始めている」

 

 先のフェロー諸島沖海戦時、相当数のUボートが大西洋に進出している。

 

 デーニッツとしては、これで一気にイギリス海軍の通商路を破壊する事を目指したのである。

 

 しかし、意に反してUボートの被害は続出しているのが現状だった。

 

「開戦からこっち、連中は俺達の通商破壊戦に苦しめられていますからね。いい加減、警戒もしてきているでしょう」

 

 いかに強力な兵器や戦術でも、使い続ければいずれは対抗策が取られる。

 

 ドイツ海軍のUボート戦術を警戒したイギリス海軍は、その対抗策を取り始めたのだ。

 

「そこで、だ」

 

 デーニッツは目を細め、エアルを見ながら言った。

 

「まだ、正式には決定していないが、またお前たちに出てもらう事になるかもしれん」

「俺達、て事は、水上艦の通商破壊作戦を、もう一度やるってことですか?」

 

 尋ねるエアルに、デーニッツは頷きを返す。

 

「目的は通称破壊だが、それに伴うUボート艦隊の支援も含まれる」

 

 目的がUボート艦隊の支援なら、作戦海域は恐らく、北海周辺ではなく大西洋になるだろう。

 

 既にイギリス艦隊が厳重に警戒している中、果たして水上艦隊が大西洋に進出できる余地があるかどうか。

 

 しかし、

 

 エアルはちらっと、シャルンホルスト達の方を見やる。

 

 食事を終えて、談笑する少女たち。

 

 エアルにとって、かけがえのない仲間たち。

 

 彼女達と共にあれば、どんな困難でも乗り越えていける。

 

 そんな気が、エアルはするのだった。

 

 

 

 

 

第26話「怒りの矛先」      終わり

 



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第27話「汚泥の底にも花は咲く」

 

 

 

 

 

 

 

 

 高速で駆け抜ける機体は、まるで大空を飛翔する嚆矢の如く。

 

 翼に描かれた鉄十字が、誇らしく蒼穹を切り裂く。

 

 猛禽の如き鋭い視線は、雲間から湧き出る黒い点を見逃さない。

 

 無数に生じる点は、やがて大きく形を変え、翼をもつ鋼鉄の鳥となる。

 

「敵機確認ッ これより交戦に入る!!」

 

 無線に吠えるように叫びながら、スロットルを開く。

 

 エンジンが唸りを上げ、メッサーシュミットBf109は、一気に最高速度まで加速した。

 

 他の烈機も同様に、翼を翻して、迎撃に向かってくるイギリス機へ襲い掛かる。

 

 クロウ・アレイザーはこの日、ロンドンを空爆する爆撃機部隊の護衛として、イギリス本土上空へとやって来ていた。

 

 既に、何度目かになるかも分からない程に、連日にわたって続けられている光景。

 

 鮮やかな空にはいくつもの黒煙が上がり、眼下には爆炎が踊る。

 

 世界でも有数の、美しい街並みが、ドイツ軍の爆撃によって破壊されていく。

 

 その光景を螺旋する視界の中で見ながら、

 

 クロウは自身の見定めた獲物に襲い掛かる。

 

 相手は、爆撃隊にとりつこうとしているハリケーン戦闘機。

 

 このままでは爆撃隊に被害が出てしまうだろう。

 

 だが前方への攻撃に夢中になるあまり、後方から迫るクロウのメッサーシュミットには気付いていない。

 

 スロットルを開くクロウ。

 

「やらせるかッ!!」

 

 フル加速で近づくと同時に、翼内の機銃を一連射。

 

 ハリケーンのパイロットは、背後から迫るメッサーシュミットに気付いていたが最早、退避の時間はない。

 

 次の瞬間、

 

 クロウの視界の中で、ハリケーンの機体は爆炎に飲まれた。

 

「次だッ!!」

 

 すぐさま操縦桿を引いて、機体を翻す。

 

 上げた戦果を喜んでいる暇はない。

 

 時間が無いのだ。

 

 メッサーシュミットの航続力を考えれば、あと数分の戦闘が限界だ。

 

 スロットルを開き、次の目標を見定めるクロウ。

 

 向かってくるスピットファイア。

 

 すれ違いざまに、両者は機銃を相手に叩きつけた。

 

 

 

 

 

 ゆっくりと高度落として接地。

 

 同時にスロットルを絞りながら、機体を減速させる。

 

 車輪が地面をこする音を聞きながら、やがてクロウのメッサーシュミットは停止位置で止まった。

 

 プロペラが完全に止まるのを確認して、大きく息を吐いた。

 

 体を包み込むのはひたすらな脱力感。

 

 そして無力感。

 

「・・・・・・・・・・・・やれやれ、だな」

 

 自分達が置かれている状況の空しさが、否応なく少年の心を削り取る

 

 ハッチを開いてコックピットを降りると、機体の格納を整備兵に頼み、クロウの足は宿舎内へと向かった。

 

 何でもいいから休みたい。

 

 今は、それだけが望みだった。

 

 宿舎の休憩所ではすでに、先に戻っていた幾人かの同僚がくつろいでいるところだった。

 

「ようッ」

「ああ、お疲れ」

 

 顔馴染みのパイロットに挨拶を交わしながら、椅子にドカッと腰を下ろすクロウ。

 

 今回の戦いも、クロウ達戦闘機隊にとって満足のいく物とはいかなかった。

 

 クロウ自身は、敵戦闘機2機を撃墜したものの、それは戦局に関わる物ではなかった。

 

 結局今回も、航続力の関係から護衛任務を途中で切り上げざるを得なくなったからだ。

 

 作戦は当然、失敗、とまではいかずとも、全体的に見て満足がいく物とは言い難かった。ドイツ空軍(ルフトバッフェ)の攻撃は、不十分なまま終了となった。

 

 否、結局のところ、空爆による戦果は確認しづらい面がある。

 

 爆弾は確かにロンドンに落ちて爆炎を上げているのだが、それがどれほど相手にダメージを与えたのかは全くの不明である。

 

 イギリス空軍の迎撃は激しく、どれだけ攻撃を仕掛けても、イギリス軍には大した打撃にはなっていないのだ。

 

 次々と湧いてくる敵機。

 

 一向に音を上げる気配のないイギリス。

 

 そして、無意味な攻撃命令をまき散らすだけの上層部。

 

 それら全てが、ドイツ空軍パイロット全員の士気を低下させていた。

 

 カウンターでミルクを注文すると、同じ部隊の同僚が、すぐ傍らにやってきて話しかけてきた。

 

「よ、お疲れ」

「ああ、そっちも」

 

 互いに持っているカップを打ち付け、とりあえずの生還と再会を分ちあう。

 

 とは言え、互いにひどい顔をしている事は見ればわかる。

 

 連日の戦闘で、疲労はピークに達しているのだ。

 

 そんな中、同僚は険しい眼差しで話しかけてきた。

 

「聞いたか? 今度、新戦術の発令があるらしいぞ」

「新戦術?」

 

 何の事だ?

 

 ミルクを口に運びながら、首をかしげるクロウ。

 

 これまでも空軍は、イギリス攻略に向けて様々な戦術を考案し、前線のパイロット達にやらせてきた。

 

 その中には有効なものもあるにはあったが、仲には愚にもつかない指示で多数の犠牲を出した事もあった。

 

 そんな中、同僚は声を潜めて行った。

 

「ああ、何でも今後、戦闘機部隊に空戦を禁じ、爆撃機の護衛に徹しろって事らしいぞ」

「護衛なら、今でもやってるだろ」

 

 何をいまさら、とクロウは思う。

 

 そもそも、連日のように爆撃機護衛の為に出撃しているのだ。そんなものは新戦術でも何でもないと思うのだが。

 

 しかし、同僚は続けた。

 

「そうじゃねえよ。要するに、上の連中は燃料が足らなくなるのは、パイロットが勝手に空戦をやるからだって言ってんだ。だからこれからは、爆撃機の傍から離れず、敵機が来たら、追い払うだけにしろって事らしい」

「はあッ? 何だそりゃ?」

 

 思わず、素っ頓狂な声を上げるクロウ。

 

 それじゃあまるで、戦闘機に爆撃機の盾になれ、と言っているに等しい。

 

 言うまでも無いが、戦闘機の最大の武器は、その軽快な運動性にある。

 

 大空を自由に飛び回る機動戦こそが、戦闘機の真骨頂であり存在意義でもある。

 

 それを禁止してしまえば、戦闘機はただの空飛ぶ的でしかなくなる。

 

 大体、追い払ってどうしろと言うのか? 追い払っただけでは、また敵は来る。確実に敵を撃墜しないと。

 

 それに、戦闘機を爆撃機に盾にすれば当然、戦闘機の損害は劇的に増える事になる。そうして「盾」を失った爆撃機を、今度は誰が守ると言うのか?

 

 こんな事は子供でも分かる単純な理屈だ。

 

 しかし、その子供でも分かる理屈を、今や空軍上層部は誰もわかっていなかった。

 

 クロウは、ヘルムトート・ゲーリングの太った顔を思い出しながら舌打ちした。

 

 阿呆か。

 

 クロウは内心で呟いた。

 

 そもそも、攻撃目標を都市部に集中している、現在の空軍の戦略方針自体が間違いなのは語るまでもないだろう。

 

 都市を攻撃したって、「イギリス軍」には何の痛痒にもならない。当初の方針通り、軍事施設を攻撃しないと。

 

 勿論、軍事施設から、都市部へ攻撃変更がされたのは、ヒトラー総統からの直接命令が会った事を、クロウは知らないのだが。

 

 しかし、上層部が自分達の戦略ミスを認めようとせず、前線のパイロット達に辛苦と犠牲を強いる事で、状況を糊塗しようとしている事だけは確かだった。

 

「・・・・・・・・・・・・冗談じゃねえよ」

 

 そんなバカげた理由で、2階級特進なんぞまっぴらだ。

 

 そんな新戦術を、律儀にやってやる義理はない。無視するに限る。

 

 そう思って、出されたミルクをグイっと飲み干して立ち上がろうとした。

 

 その時、

 

「失礼、あなたが、アレイザー中尉か?」

 

 背後から、声を掛けられ振り返るクロウ。

 

 一体、誰だ?

 

 聞きなれない声に、若干の苛立ちをぶつけるように、相手を見やる。

 

 振り返ったクロウの視界の中には、

 

 1人の少女が立っていた。

 

 淡い金髪をツインテールに纏め、細身ながら、プロポーションを持つ少女。

 

 しかし、

 

「・・・・・・えっと、誰?」

 

 見覚えのない少女だった。

 

 海軍の軍服を着ているところを見ると、どうやら軍人らしいのは判るのだが。

 

 首をかしげるクロウに、少女は思いついたように口を開いた。

 

「失礼、私は・・・・・・・・・・・・」

 

 そう言って、名乗る少女に、思わずクロウは息をのんだ。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 目も眩むような華やかさが飛び込んでくる。

 

 極彩色の色と光で、頭痛を催すようだ。

 

 美しい物は人の心を魅了する、とは言うが。

 

 しかし、過ぎたる美しさは、却って嫌悪感を呼び起こす物だった。

 

 見る者を圧倒する、と言えば多少は荘厳さも加わって良い表現に聞こえるかもしれないが、一皮むけば、どろどろと醜い本性があらわとなる。

 

「ふわあ」

 

 パーティの光景を見たベルファストは、思わず口を開けて感嘆の声を発した。

 

 見回せば政治家や財界、学会、軍関係者、そして王族が軒を連ねる。

 

 そのほとんどが彼女からすれば「雲上」と言っても良い立場の人間たちであり、普段なら顔を合わせる事すら無いだろう。

 

 そのベルファストも、今日はいつもの軍服姿ではなく、貸衣装店で借りたドレス姿である。

 

 今日の為に、わざわざ借りてきたのだ。

 

「あまり、きょろきょろするなよ。田舎者だってバレるぞ」

「余計なお世話ッ て言うか、誰が田舎者よッ!?」

 

 からかうリオンに、食って掛かるベルファスト。

 

 そのリオンも、軍服の正装でこの場に臨んでいた。

 

 ここはイギリスの王宮。

 

 年が明けて1941年1月3日。

 

 この日、各界の代表が呼ばれ、新年の祝賀会が行われていた。

 

 ベルファストはリオンの関係者と言う事もあり、パートナー役として呼ばれたのだ。

 

 先のフェロー諸島沖海戦において、ドイツ巡洋戦艦「シャルンホルスト」と交戦し、負傷したベルファスト。

 

 現在、艦体の方はドッグ入りして修理している最中である。

 

 本来ならもっと早く、修理が完了していてもよさそうなものなのだが、他の艦の修理が優先された為、「ベルファスト」の修理は後回しとなったのだ。

 

 艦娘のベルファストの方は、既に全快し私生活に支障が無いレベルにまで回復していた。

 

 そこで、リオンが今回、新年の祝賀会のパートナー役として、彼女を誘ったと言う訳である。

 

「うう、何か場違いな感が半端ないんだけど?」

「そうか? もっとリラックスしろよ。緊張してると却ってバカみたいだぞ」

「あんたは良いよね、慣れてるから」

 

 食って掛かるベルファスト。

 

 だが、

 

「慣れてる、か」

 

 リオンはと言えば、ベルファストの言葉に対し自嘲気味な笑みを見せる。

 

 怪訝そうに首をかしげるベルファスト。

 

 何か言おうと口を開いた時だった。

 

「おいおいおいおい」

 

 突然、場違いとしか思えないような声が発せられ、周囲の人間が振り返る。

 

 そんな中、

 

 リオンは1人、嘆息気味に肩を落とした。

 

 誰が来たか、などと誰何するまでもなく、声で相手が分かったのだ。

 

「いやはや愚弟よ、こんな所にまで顔を出すとは、図々しいにも程があるんじゃないのか?」

 

 突然、背後から投げつけられた声に、リオンは思わず嘆息する。

 

 正直、振り返る事すら億劫なのだが、この場にあっては無視するわけにもいかない。

 

 仕方なく相手に顔を向けると、第2王子ディランが、相変わらずの取り巻き連中を引き連れて、こちらに歩いてくるところだった。

 

 その堂々たる姿に、会場内の人間が感嘆の声を上げ、女性陣はうっとりと頬を赤らめる。

 

「見ろ、ディラン様だ」

「ああ、いつもながら堂々たるお姿、感服させられるよ」

「聞けば、先の戦いでも大きな戦果を挙げられたとか。やはり、次期国王はあの方で決まりだろう」

「素敵、ディラン様」

 

 それぞれに心地いい声を聴きながら、ディランはリオンの前へと歩み寄った。

 

「貴様、よくもまあ、恥ずかしげもなく、このような高貴な場に顔を出せたものだな。ここは貴様のような下賤な出自の人間が来る場所ではないぞ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 各界の代表が集まる場にあって、リオンを罵るディラン。

 

 しかし、それを咎めようと言う人間は、この場にはいなかった。

 

 既にディランは、大英帝国随一の英雄とまで宣伝されている。

 

 先のフェロー諸島沖海戦において、襲撃してきたドイツ艦隊を撃破。その後に現れたシャルンホルスト級巡洋戦艦との戦いでも、敵の卑劣な戦いに苦戦しながらも味方を守って奮戦、最終的に多くの輸送船を守り通した事で、国内における彼の人気は不動のものとなった。

 

 連日のようにラジオ番組に出演。海軍の宣伝用広告には、必ずと言って良いほどディランの顔写真が出るほどである。

 

 ファンクラブもいくつも作られているとか。

 

 政治家や財界人は将来有望なディランに取り入る事に躍起になり、未婚の婦女子はディランの気を引こうと、最大限に着飾り、競う様に群がってくる。

 

 今やディランはイギリス海軍の、更にはイギリス国民最大の英雄と言っても過言ではなかった。

 

 無論、真実は違う。

 

 そもそも初めの巡洋艦相手の戦闘で勝利できたのは、最新鋭戦艦「キングジョージ5世」の戦闘力をもってすれば当然である。

 

 その後、追い付いてきたシャルンホルスト級巡洋戦艦には立ち上がりを制された事もあり、手も足も出ずに這う這うの体で退却してきた。

 

 もし、リオン達が助けに入らなければ、「キングジョージ5世」は撃沈されていた可能性すらある。

 

 しかし、それらの事実は徹底的に伏せられ、ディランはあくまで「英雄」として凱旋していた。

 

 イギリス王室としても、一度は「英雄」として祭り上げてしまったディランを、今更その座から引きずり下ろすわけにもいかず、隠蔽と事実の誇張に奔走していた。

 

 こうして「英雄」として順風満帆なディラン。

 

 英雄ともてはやされ、次期国王候補筆頭とも言われる高貴なる第2王子と、どこの馬の骨とも知れない、諸子の出であり、大した戦果も挙げていない(と周囲は思っている)第8王子。

 

 周囲の人間がどちらの味方に付くかは、自明の理だった。

 

 ディランは蔑んだ眼を、容赦なくリオンへと向ける。

 

「貴様のような無能な弟を持って、私は実に恥ずかしいよ。同じ海軍に所属しながら、ろくな戦果も上げないとはな。まったくもって、お前は英国王室の恥晒しだよ。この私のように活躍できるよ、せいぜい精進するが良い」

 

 周囲からも「その通りだ」「いや、流石はディラン王子。言う事が違う」「これで大英帝国も安泰だ」などといった声が聞こえてくる。

 

 と、

 

「いい加減にしてよ!!」

 

 声を上げたのは、ベルファストだった。

 

 一同が視線を向ける中、少女はリオンの前へと出る。

 

「毎回毎回ッ リオンがあんたに何したっていうのよッ!?」

 

 眦を釣り上げる少女。

 

 下手をすれば、そのままディランに殴り掛かりそうな勢いである。

 

 だが、

 

 そんな少女の様子を見て、ますますディランたちは笑い声をあげる。

 

「おいおい、愚弟が飼っている野良犬が勝手に吠え始めたぞ」

「いやはや、どうやらしつけもなっていない様子。程度が知れますな」

「まあまあ皆さま、所詮は犬のする事。我々は温かい目で見守ってやろうじゃありませんか」

 

 ディランと取り巻き達がゲラゲラと笑う。

 

 笑いはたちどころに伝播し、周囲をも巻き込んでいく。

 

 その様子を見て、ベルファストは悟った。

 

 「慣れてる」など、とんでもない。

 

 ここが、リオンがいつもいる世界なのだ、と。

 

 周りに味方はおらず、全てを敵に囲まれている。

 

 向けられるのは常に悪意と嘲笑ばかり。

 

 手柄は奪われ、罪は押し付けられる。

 

 きらびやかさで糊塗された、ひたすら醜い世界。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 リオンを見るベルファスト。

 

 当の第8王子は黙して語らず、周囲に反論もしない。

 

 無駄だと分かっているからだ。何を言っても、奴等にとっては、格好のからかいネタでしかないのだから。

 

 周囲、全てを巻き込む笑い声が、最高潮に達した時、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やあみんな、ずいぶんと楽しそうだね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静かな、

 

 それでいて、全ての悪意に満ちた笑い声を圧倒するような、存在感のある声。

 

 その声に、

 

 笑っていた全ての人間が、思わず息をのんで体を強張らせた。

 

 誰しもが視線を向ける中、

 

 第1王子アルフレッドが、小さな女の子に手を引かれながら歩いてくるところだった。

 

「兄上・・・・・・・・・・・・」

 

 思わず、声を発するリオン。

 

 対して、アルフレッドは弟に、柔らかい笑みを向ける。

 

「やあ、リオン、久しぶり。無事に帰って来てくれてうれしいよ」

「は、はい・・・・・・」

 

 居住まいを正して答えるリオン。

 

 リオンだけではない。

 

 その場にいたすべての人間が、まるで清浄な空気に触れたかのように、一気に沈静化していくのが分かった。

 

「こ、ここは少々暑いですな。少し、外で涼んできましょうか」

「そ、そうですな。せっかくですので、飲み物でも持ってこさせましょう」

「失礼いたしました、皆さま。ごきげんよう」

 

 皆、それまでの悪意がうそのように毒気を抜かれ、散り散りにその場を立ち去っていく。

 

 たった一言。

 

 その場に登場しただけで、アルフレッドはリオンへの誹謗中傷を収めてしまった。

 

 それも、誰も傷つかないやり方で。

 

 ただ、その場にいるだけで、場を支配する能力。

 

 ある種のカリスマとも言うべき資質を、リオンは兄に感じていた。

 

 と、

 

 そんな中で、空気を読まずに声を上げる者がいた。

 

 ディランだ。

 

 兄の登場を見た第2王子は、まるで周囲の様子が目に入っていないかのように話しかけてきた。

 

「やあやあ兄上、お加減は如何ですかな? このような場所に出てこられては体に障りますぞ。宜しければ、私が部屋まで・・・・・・・・・・・・」

 

 場違いな程に張り上げられた声は、しかし最後まで言い切る事が出来なかった。

 

 その前に、アルフレッドがディランに向き直ったからだ。

 

 視線を向けた。

 

 ただ、それだけで、ディランは言葉を詰まらせた。

 

 アルフレッドは何も、威圧的に接したわけでもないし、殺気を放っているわけでもない。

 

 ただ振り返り、

 

 口元には柔らかく笑みを浮かべた。

 

 ただ、それだけの事で、ディランはそれ以上、無駄な口を叩く事が出来なくなったのだ。

 

「ディラン、私も君に会えてうれしいよ。しかし、ここは祝賀の場だ。あまり騒いだら、他の人の為にもならないだろう」

「は、いや・・・・・・兄上、それは・・・・・・」

 

 どもるディラン。

 

 叱責されたわけでもないのに、この兄を前にしてはかしこまってしまう。

 

 そんなディランの肩を、アルフレッドは優しく叩く。

 

「もうすぐ、父上の演説が始まるよ。だから、後でゆっくり話そう。土産話を聞かせてくれ」

 

 それだけ言い置くと、少女の手を引いてリオンの方へと歩いてきた。

 

 一礼するリオン。

 

「ありがとうございます、兄上」

「何の事だい?」

 

 とぼけたように首をかしげるアルフレッド。

 

「私はただ、兄弟として挨拶しただけだよ」

 

 その言葉に、リオンは苦笑する。

 

 かなわないな、この人には。

 

 そう思ってしまう。

 

 と、リオンの目が、アルフレッドと手をつなぐ少女に向けられた。

 

「エリス、大きくなりましたね」

「ああ、リオンが最後に、この子に会ったのは、もう1年以上前だからね。エリス、リオン叔父上に、ごあいさつなさい」

 

 エリスは、今年で4歳になるアルフレッドの娘である。

 

体の弱いアルフレッドだが、奥方との間にできた、たった1人の子供が、このエリスだった。

 

 しかし、リオンと目が合ったとたん、エリスはアルフレッドの影へと隠れてしまった。

 

「おやおや」

 

 困ったように声を発するアルフレッド。

 

 対して、リオンは無言。

 

 しかし、小さな女の子に避けられた事に対し、心穏やかなはずも無く。

 

 内心では地味に落ち込んでいた。

 

 と、そこに救世主が現れた。

 

「こらリオンッ あんた、ただでさえ顔怖いんだから、女の子怖がらせちゃダメでしょ!!」

「い、いや、俺は別に」

 

 割って入るベルファスト。

 

 少女はリオンを無視してかがみこむと、エリスに視線を合わせる。

 

「さ、ここは人がいっぱいいて怖いから、あっち行って、お姉ちゃんと一緒に遊ぼ」

 

 ベルファストの言葉に、

 

 エリスは小さく頷くと、手を取って歩き出す。

 

 その様子を、アルフレッドは微笑まし気に眺める。

 

「気を使わせてしまったかな、彼女には」

「いえ・・・・・・・・・・・・」

 

 リオンも苦笑を見せる。

 

 ベルファストのあの気質だ。純粋に、子供の相手をしてあげたかっただけだろう。

 

 とは言え、それについてありがたい事も確かだが。

 

 その時だった。

 

 人々の感嘆の声が響き、視線が壇上へと集中する。

 

 一同が見守る中、悠然と進み出た人物。

 

 ひときわ豪奢な礼服に身を包み、頭には志尊の王冠を頂いている。

 

 齢にして50は越えているはずだが、その鍛え上げられた肉体は巌の如き印象があり、見る者に畏怖を与える。

 

「陛下・・・・・・」

「陛下だ」

「国王陛下・・・・・・」

 

 一歩歩くごとに、周囲の人間がひれ伏すがごとく声を震わせる。

 

 イギリス現国王フレデリック6世。

 

 この国の君主であり、文字通りの最高権力者。

 

 アルフレッドやディラン、リオンの父親に当たる人物でもある。

 

 若いころは軍人として第1次世界大戦に出陣。

 

 あのユトランド沖海戦においても、戦艦を指揮して奮闘した事は、今も英雄譚として語り継がれている。

 

 フレデリックは壇上に立つと、一同を見回していった。

 

「諸君、今日と言う日を無事に迎えられた事を、うれしく思う。新たなる1年。その1日目に、こうして皆が集まる事が出来た事に対する大いなる意味を、余自身が深く噛みしめる思いだ」

 

 重々しい口調で語る国王。

 

 その圧倒的威圧感が、場の空気をも支配していく。

 

「多くの者が命を落とす中、この場に曲がりなりにも立てる者は皆、我が大英帝国を支える勇者であることに疑いはないだろう」

 

 居並ぶ皆が襟を正し、直立不動で聞き入っている。

 

 リオンも、アルフレッドも、

 

 そしてディランですらも、静寂の中に身を置き、父の言葉を聞き入っている。

 

「しかるにッ!!」

 

 声を荒げるフレデリック。

 

 それだけで、室内全体が震えるようだった。

 

「我が心、晴れる事無しッ 大陸ではいまだに、悪逆非道かつ、卑劣極まりない独裁者に率いられたナチス共が幅を利かせ、その矛先は不遜にも今や、我が領土にまで及ぼしている。このドーバーの海を越えた、ほんの我が鼻先に、あの独裁者に率いられた亡者の如き軍勢がいると言うだけで、我がはらわたは引き裂かれるほどに怒りを発している!!」

 

 圧倒的な声量。

 

 殺気すら伴った言葉。

 

 何人かの人間は、立っている事すらできずに座り込みそうになっているほどだった。

 

「我が望みはただ一つッ あの成り上がり者の独裁者と、それに追従する悪の軍勢を滅ぼし尽くし、このヨーロッパの地に、我が大英帝国の威光を知らしめる事のみ!!」

 

 一同を見回して、フレデリックは言い放つ。

 

「各々、その事を心せよ」

 

 言い終えた直後、

 

 誰もが言葉を発する事が出来ず、立ち尽くす。

 

 巨岩を削り出したような、圧倒的な存在感。

 

 厳然たるカリスマが、そこにはあった。

 

 皆が押し黙っている。

 

 その時だった。

 

「素晴らしいッ 素晴らしいですぞ、父上、いやさ、陛下!!」

 

 突然に響く道間声。

 

 皆がギョッとして振り返る、その視線の先には、大股でこちらに向かって歩いてくる巨漢の男がいた。

 

 大柄な体躯、筋肉質な四肢。

 

 ひげ面の顔は、およそこの場には似つかわしくないどう猛さを感じる。

 

 着こんでいる海軍の軍服ですら、どこか場違いにさえ見えてしまう。

 

 何より、全身より発せられる雰囲気。

 

 まるで、たった今、人を殺してきたような、血なまぐささを感じる。

 

 誰もが恐怖の目を向ける中、

 

 フレデリックは、目を輝かせた。

 

「おお、アンドリウス、戻っていたかッ!?」

「つい先日。挨拶が遅れ、申し訳ありません」

 

 そう言って一礼する大柄な男。

 

 第3王子アンドリウス。

 

 この男もまた、リオンの兄の1人である。

 

 アンドリウスだけではない。

 

 彼に付き従うように3人。

 

 双子の第4王子と第5王子、名前はそれぞれエドモンドとエディアン。

 

 第6王子コルドリウス。

 

 この4人は全員、先日まで地中海艦隊に所属し、イタリア軍相手に睨み合いをしていたのだが、新年の祝賀に出席するために帰国していたのだ。

 

「お前ッ アンドリウス!!」

 

 父の前に進み出るアンドリウス王子に、食って掛かるように立ちはだかったのはディランだった。

 

「新年を祝う祝賀に遅参するとは、何たる不始末だッ 恥を知れ、貴様!!」

 

 吠えつくように言い放つディラン。

 

 対して、

 

 アンドリウスはそこで初めて、兄の存在に気付いたように振り返った。

 

「これはこれはディラン兄上、お久しぶりですな。たいそうなご活躍だそうで」

 

 言いながら、口元に笑みを浮かべるアンドリウス。

 

 そこに含まれているのは、明らかな嘲笑。

 

「聞きましたぞ。何でも先日は、完成したばかりの最新鋭戦艦を傷物にしたとか。その前は、自分の艦を沈められたそうですな。その前は、何だったかな?」

「『味方が壊滅する中、自分は1発も撃てずに敵を取り逃がした』ですよ、兄上」

「おお、そうそう」

 

 横から口を挟んだのは、第6王子のコルドリウスだ。

 

 彼はアンドリウスの副官であり、彼が率いる部隊のブレーンでもある。

 

「いやー、我が兄の活躍ぶりには、このアンドリウスも遠い異郷の地において感動が絶えませんでしたぞ」

「貴様ッ」

 

 明らかな挑発に、激高するディラン。

 

 見ればエドモンドとエディアン両王子も、クスクスと笑い声を上げている。

 

 その事が、更にディランの沸点を刺激する。

 

 しかし、第2王子が何か言う前に、割って入った人物がいた。

 

「お前たち、それくらいにしておけ」

 

 重厚な声が、場を圧倒する。

 

 フレデリック王は、息子たちを順に見回しながら言った。

 

「我が息子ならば、見苦しい振る舞いは慎むが良い」

「ハ・・・・・・」

「ハハッ 父上の仰せの通りに」

 

 ディランが何か言う前に、アンドリウスが深々と礼を取る。

 

 一方のディランは、完全に機先を制された形だった。

 

 そんな第3王子の様子に気をよくしたのか、フレデリックは息子の肩を叩く。

 

「さあ、奥へ行こうアンドリウス。たまに帰ってきたのだ。この父に土産話でも聞かせてくれ」

「はい。父上がお望みであるなら」

 

 そう言うとフレデリックは、アンドリウスを伴って奥へと下がっていく。

 

 それに続く、エドモンド、エディアン、コルドリウスの3王子。

 

 すれ違う一瞬、アンドリウスはディランに勝ち誇ったように笑みを向ける。

 

 しかし、ディランは何も言い返す事が出来ない。

 

 ここで言い返せば、かえって自分の醜態を周囲に晒す事になると、流石に分かっているのだ。

 

「クソッ」

 

 故に、ただ去っていく背中に、悪態をつく事しかできなかった。

 

 と、

 

 先を歩くフレデリックが一瞬、並んでたたずむリオンとアルフレッドへと向ける。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 視線が交錯したのは、ほんの一瞬。

 

 次の瞬間には、フレデリックは息子たちにまるで興味が無いかのように、そのまま正面を向いて歩き去っていくのだった。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 宴もお開きとなり、列席者達が帰宅の途に就く。

 

 先ほどまでは色とりどりの喧騒に包まれていた王宮も、陽が落ちたように静けさを取り戻す。

 

 本来なら、リオンとベルファストも宿舎に戻ろうと考えていた。

 

 しかし、アルフレッドに誘われた2人は、宴が終わるとすぐに、第1王子の私室へと招かれていた。

 

 せっかく久しぶりに会ったのだから、もう少し話を聞かせてほしいと頼まれたのだ。

 

 リオンにとしては、少し安堵していた。

 

 華やかでありながら、果てしなく重苦しい式典に肩が凝っていたリオンとしては、尊敬する兄からの誘いはとてもありがたい物があった。

 

 テーブルを囲み、差し向かいでグラスを取る、リオンとアルフレッドの兄弟。

 

 兄が用意した酒に口を付けるリオン。

 

 のど越しに感じる香ばしい味わい。

 

 軽い酩酊が、疲れた心と体を癒してくれる。

 

 それだけで、先ほどまでの地獄がうそのようだった。

 

 と、

 

 リオンは思い出したように、アルフレッドに向き直った。

 

「すみません、兄上。何か、その・・・・・・」

「うん? 何がだい?」

「あれ、です」

 

 リオンが指差したのは、アルフレッドのベッド。

 

 そこには、2人の少女が互いに抱き合うような形で眠りこけていた。

 

 エリスと、そしてベルファストである。

 

 先ほどまで遊んで疲れたのだろう。2人は瞼を閉じ、静かな寝息を立てていた。

 

 エリスは小さな手でベルファストにしがみつき、ベルファストも又、エリスを守るようにしっかりと抱きしめている。

 

 一国の王女を抱いて眠るなど不敬も甚だしいが、アルフレッドは気にした様子はなかった。

 

「不思議な子だね」

「確かに、不思議な子ですね。エリスは。どこか、浮世離れしているような雰囲気があります」

 

 呟くように言ったアルフレッドの言葉に、頷きを返すリオン。

 

 妖精のような、と言う表現がぴったり似合いそうなほど、はかなげな雰囲気のある少女である。

 

 だが、

 

 そんな弟の言葉に、アルフレッドは苦笑しながら首を振る。

 

「違うよ。私が不思議と言ったのは、ベルファストの事さ」

「え、ベルが、ですか? どこが?」

 

 訝るリオン。

 

 正直、普段から腐れ縁みたいに一緒にいる身としては、ただの姦しい娘にしか見えないのだが。

 

 そんな弟の様子に、笑いながら口を開く第1王子。

 

「エリスは人見知りが激しい子でね。特に初対面の人間とは目も合わせようとはしない。だが、彼女には素直に着いていった。それが珍しくてね」

 

 言われて、リオンも納得する。

 

 ベルファストは、少々気が強い所が玉に瑕ではあるが、反面、人と人との垣根をあまり気にしないところがある。

 

 身分とか階級とか、そう言った物を無視して距離を詰めて来るのだ。

 

 それが、エリスの心をつかんだのかもしれなかった。

 

「それが、あいつの良い所ですから」

 

 普段、本人には絶対に言わないような事も、ついつい兄相手には言ってしまう。

 

 そんなリオンの様子がおかしかったのか、アルフレッドはクスッと笑った。

 

「よく、分かってるんだね、彼女の事」

「・・・・・・まあ」

 

 少し、気恥ずかしい気がして目を逸らした。

 

「ねえ、リオン」

 

 そんな弟に、アルフレッドは語り掛ける。

 

 どこか、消え入りそうな、そんなはかなさを感じる兄の声に、リオンはグラスを持つ手を止めて振り返る。

 

「もし、私が死んだら・・・・・・・・・・・・」

「兄上ッ」

 

 冗談でもそんなこと言わないでほしい。

 

 感情もあらわに叫ぶリオン。

 

 だが、アルフレッドは努めて穏やかに、言葉を続ける。

 

「自分の事は自分が良く分かっている。恐らく、私は長くは生きられないだろう」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 兄の言葉に、リオンは無言。

 

 否定する言葉が、とっさに見つからなかったのだ。

 

「もし、私に何かあったその時は、エリスを頼む」

「エリスを?」

「君達なら安心して任せる事が出来る。これは、私の一生の頼みと思って、どうか受けてくれないか?」

 

 そう言って、リオンの肩を叩くアルフレッド。

 

 対して、

 

 リオンは、兄の気持ちを受け止めて頷きを返すのだった。

 

 

 

 

 

第27話「汚泥の底にも花は咲く」      終わり

 



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第28話「掌に伝わる憧憬」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、シャルンホルストは久しぶりに、1人で外出していた。

 

 普段来ている重苦しい軍服を脱ぎ捨て、Tシャツに短パン、上からジャケットを羽織り、頭にはハンチング帽をかぶった、完全にオフモード。

 

 しかし、快活な少女は、その恰好とは裏腹に、見るからに沈んだ調子で街の中を歩いていた。

 

「うう・・・・・・まさか、誰とも予定合わないなんて。せっかくのお休みなのに」

 

 愚痴があふれ出る。

 

 最近ではエアルやサイア、更には妹のグナイゼナウと出かける事が多かったのだが、今日はたまたま、みんなと予定が合わなかったのだ。

 

 それにしても、

 

「う~・・・・・・もー詰まんないッ」

 

 露店で買った串肉を頬張りながら、頬を膨らませるシャルンホルスト。

 

 せっかくの休みだと言うのに、誰とも予定が合わなかったことは、巡戦少女にとって痛恨と言って良かった。

 

 これでは、リフレッシュにもならない。

 

「おにーさんは、新戦術の研究会、サイアは新兵器受け取りにラボに出向、ゼナは・・・・・・何だろ? よくわかんないし」

 

 エアルとサイアは仕方ないだろう。

 

 しかし、妹の顔を思い出と、腹が立ってきた。

 

 シャルンホルストがグナイゼナウを誘った時、

 

『ごめんなさいシャル。私、明日はちょっと用事があって出かけなきゃいけないの。ウフフー』

 

 などと、気色の悪い笑顔まで浮かべていた。

 

 一体、何だと言うのだろう。

 

 妙に浮かれた様子の妹の顔を思い出して、またムカついてきた。

 

 まったく、何をニヤニヤしていたのか。

 

「・・・・・・・・・・・・さて、それはそれとして、どうしようかな?」

 

 正直、1人で街を歩いてもつまらないだけだ。

 

 周りを見回せば、家族連れやらカップルやらが街中にあふれている。

 

 皆、最近のドイツ軍の快進撃に気を良くし、連日のお祭り気分を満喫しているのだ。

 

 何だか、ボッチは自分だけのような気がして、猶更惨めな気分になるシャルンホルスト。

 

 いっそ、どっかの喫茶店にでも入って、食事だけして艦に戻ろうかな。

 

 そんな風に思った時だった。

 

 不意に、路地裏にある店の入り口から、見知った顔の人物が出て来るのを見かけた。

 

「・・・・・・あれ、ゼナ?」

 

 首をかしげる巡戦少女。

 

 見間違えるはずも無い。

 

 それは、用事があると言って、シャルンホルストを袖にしたグナイゼナウだった。

 

 なぜ、ここに?

 

 一瞬、見間違いかと思ったが、流石に妹の顔を見間違えるはずも無かった。

 

 長袖のブラウスに、落ち着いた感じのロングスカート。腕と首には装飾品があり、落ち着いた雰囲気を見せている。

 

 何だか、いつもより大人びた印象があった。

 

「何だ、ゼナもこっちに来てたんじゃん」

 

 気を良くして声を掛けようと振り返るシャルンホルスト。

 

 手を上げ、声を掛ける。

 

 が、

 

「おーい、ゼ・・・・・・・・・・・・」

 

 言いかけて、途中で止めた。

 

 慌てて物陰に隠れる。

 

 間一髪、どうやら見つかる事は無かったようだ。

 

 しかし、

 

「嘘・・・・・・・・・・・・」

 

 そっと、見つからないように顔だけ物陰から出して覗き込む。

 

 視線の先に立つ妹。

 

 しかし、

 

 彼女は1人ではなかった。

 

 グナイゼナウには、連れがいたのだ。

 

「あ、あれって、バニッシュ中佐?」

 

 間違いない。相手は「グナイゼナウ」艦長のオスカー・バニッシュだった。

 

 やはりオフなのだろう。こちらも私服姿である。

 

 疑うべくもない。

 

 グナイゼナウの用事とは、オスカーと出かける事だったのだ。

 

 それにしても、

 

「・・・・・・何かあの2人、仲よさそうだね」

 

 そっと、物陰から2人の様子をうかがう。

 

 別に隠れる必要があるとも思えないのだが、何となく反射的にそうしてしまった。

 

 オスカーはグナイゼナウの髪に着いた埃をとってやると、グナイゼナウも嬉しそうに笑って振り返る。

 

 何だか、幸せそうな2人。

 

 シャルンホルストが見入っている。

 

 その時、

 

 そっと身を寄せ合った2人が、

 

 互いの唇を重ねたではないか。

 

「ッ!? ッ!? ッ!?」

 

 あまりの事態に、声を出す事すら忘れて悲鳴を飲み込むシャルンホルスト。

 

 どれくらい、そうしていた事だろう?

 

 ややあって、互いに唇を離す2人。

 

「こら、大胆すぎるぞ。誰か見ていたらどうするんだ?」

「いいじゃない。誰もいないんだし」

 

 そう言って、嬉しそうに、オスカーの腕に自身の腕を絡めるグナイゼナウ。

 

 そのまま連れだって歩き去る2人。

 

 シャルンホルストはと言えば、あまりの事態に、顔を真っ赤にしたまま口を押え、2人が立ち去った後も暫くの間、物陰にしゃがんで隠れ続けていた。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・ル

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・ル

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・シャル

 

 

 

 

 

「シャル、起きて」

「ハヒッ!?」

 

 隣に座ったエアルの呼びかけで、シャルンホルストは夢の世界から帰還を果たす事に成功していた。

 

「って、あれ? おにーさん?」

「昨夜、夜更かしでもしたの? 会議、もうすぐ始まるよ」

 

 そう言ってクスッ と笑う。

 

 顔を赤くして俯くシャルンホルスト。

 

 寝不足、と言うのは間違いではない。

 

 しかし、その理由と言うのが、

 

「もう、だらしないわね。しっかりしないさいよ」

 

 見れば、グナイゼナウが呆れ気味に姉を睨んできている。

 

 その横では、オスカーが苦笑気味に書類を揃えているのが見える。

 

 2人とも、昨日の事など無かったかのように、いつも通りに振舞っている。

 

 説教垂れる妹を、ジト目で睨むシャルンホルスト。

 

「うう、ゼナたちのせいなのに」

 

 誰にも聞こえないように、そっと呟く。

 

 エアルとグナイゼナウは、そんな挙動不審な巡戦少女に、首をかしげるしかなかった。

 

 理由は昨日、オスカーとグナイゼナウの、あんなところを見てしまった事。

 

 まさか、妹とその艦長さんが恋人同士で、街中でキスまでする間柄になっているとは。

 

 あの2人って、どこまで行ってるのかな?

 

 とか、

 

 あの後、2人はどうしたのかな?

 

 とか考えていると悶々としてしまい目が冴え、気が付けば朝になっていたのだ。

 

 そんな訳でシャルンホルストは、寝不足のまま今日の会議を迎える羽目になっていた。

 

 ここは第1戦闘群旗艦「グナイゼナウ」の会議室。

 

 今日は、次の作戦についての説明が行われる日だった。

 

「大丈夫? 具合悪いんだったら、艦に戻ってても良いよ?」

「ううん、大丈夫・・・・・・ほんと、大丈夫だから?」

 

 気遣ってくれるエアル。

 

 そんな艦長の優しさが、今のシャルンホルストにはありがたくもある反面、少し重たくもあった。

 

 まさかゼナが、バニッシュ中佐と・・・・・・ね。

 

 知らなかった、全然。

 

 無論、人間と艦娘との恋愛はご法度でも何でもないのだが、

 

 それにしても、妹の恋愛事情について全く聞かされていなかったのは、シャルンホルストとしてもショックだった。

 

 それに、

 

 どうしても考えてしまう。

 

 もし、自分だったら、と。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 チラッと、傍らのエアルを見やる。

 

 「その事」を考える時、どうしてもエアルの事を考えてしまう自分がいる。

 

 昨日、あの場所で逢瀬を交わしていたのが、自分とエアルだったら?

 

 と、

 

 エアルがシャルンホルストの視線に気づき、振り返ってきた。

 

「うん、どうかした?」

「い、いいいいいいいいいや、べべべ別に?」

 

 思いっきりどもりながら視線を逸らし、作戦概要に慌てて目をやるシャルンホルスト。

 

 そんなシャルンホルストに、怪訝な面持ちを向けるエアル。

 

 だが、シャルンホルストはそれに対し、視線を合わせる事も出来ない。

 

 何となく、エアルと自分を掛け合わせて考えていたことが気恥ずかしかった。

 

 と、

 

 そこで会議室の扉が開き、リンター・リュッチェンス以下、司令部の幕僚たちが入ってくるのが見えた。

 

 居並ぶ将兵、艦娘達が一斉に起立して敬礼する。

 

 慌てて倣うシャルンホルスト。

 

 リュッチェンスはフェロー諸島沖海戦において、損害を出しながらもイギリス本国艦隊主力を引き付ける任務を全うした事から、引き続き第1艦隊司令官兼第1戦闘群司令官として、任務に当たっていた。

 

 リュッチェンスが着席すると、全員が敬礼を解いて着席する。

 

 一同を見渡すリュッチェンス。

 

「それでは、会議を始める」

 

 司令官の厳かな宣言が、会議室に鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 「ベルリン作戦」と名付けられた今回の作戦。

 

 主目的は大西洋上における通商破壊戦となる。

 

 本国を出港した艦隊が一旦、ノルウェーの港に入る所までは前回と同じとなる。

 

 しかしその後は、アイスランド北方を大きく迂回する形でイギリス海軍の警戒網をすり抜けデンマーク海峡を通過。その後はひたすら南下して大西洋への進出を目指す。

 

 大西洋進出後は、予定通り通商破壊戦を展開するのは、これまでと同様のパターンとなる。

 

「ただし、今回は事情が聊かこれまでとは異なる」

 

 参謀長がさらに説明を続ける。

 

「今回の作戦は、潜水艦隊と連携を取る事が前提となる。一同、その事を十分に理解して行動してもらいたい」

 

 この事を予想していたエアルは、心の中で作戦を思い描く。

 

 潜水艦隊司令官のカーク・デーニッツから、大西洋でUボートの被害が急激に増回している事は、既に聞き及んでいた。

 

 今回のベルリン作戦は、いわばその一環と言えるだろう。

 

 水上艦隊と潜水艦隊は多分に性質が異なる戦術を採用する事になるが、連携自体は十分に可能となる。

 

 特に通商破壊戦の場合、水上艦隊が派手に暴れて敵の目を引き付ける一方、真の主力である潜水艦隊が敵輸送船団の襲撃を敢行する。

 

 これにより敵軍は、水上艦隊を警戒すれば潜水艦隊に襲撃され、潜水艦隊を警戒すれば水上艦隊に襲われるジレンマに陥る事になる。

 

 そうなると、もはや物資輸送どころではない。

 

 通商路は滞り、物資が手に入らなくなったイギリスは干上がる事になる。

 

 まさに通商破壊戦の真骨頂と言える。

 

「そこで、今回の作戦に当たり、新たに部隊を編成する事となった」

 

 参謀長の言葉と共に、開かれた扉から3人の人物が入ってきた。

 

 その姿を見て、

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 声を上げたのは、エアルの隣に座ったシャルンホルストだった。

 

 先頭を歩く、中将の階級を付けた人物。

 

 それは、シャルンホルストも良く見知った人物だったのだ。

 

「おにーさんの・・・・・・お父さん?」

 

 傍らのエアルはと言えば、特に身じろぎする事もなく父と、その後ろを歩くシュレスビッヒ・ホルシュタインを見つめている。

 

 と、

 

 視線に気づいたのか、シュレスはエアルの方を見ると、かすかに頷きを返してくる。

 

 母の友人であり、幼いころから馴染みのあるシュレスの事は、エアルも子供の頃から慕っている。

 

 見知った女性の姿に、青年艦長も笑みを返す。

 

 だが、父であるウォルフ・アレイザー中将は、息子に一切の興味を示す事無く自分の席へと向かう。

 

 更にもう1人。

 

 ウォルフ、シュレスに続いて入室してきた人物は、淡い金髪をツインテールに纏めた細身の少女だ。

 

 3人はそれぞれの席に座ると、リュッチェンスに促されたウォルフが立ち上がった。

 

「この度、第1航空群司令官に就任した、ウォルフ・アレイザー中将だ。長年、実戦を離れていた身ではあるが、皆を率いる司令官として、恥じぬ振る舞いをするつもりだ。よろしく頼む」

「アレイザー中将には、副司令官と言う立場も兼任してもらう事になる」

 

 後を引き継ぐように言ったのはリュッチェンスだった。

 

「万が一、私が作戦上、何らかの形で指揮能力を喪失した際には、アレイザー中将が指揮を継承する事になる。覚えておいてくれ」

 

 副司令官。

 

 つまり事実上ウォルフは、このベルリン作戦における、実戦部隊ナンバー2の立ち位置にいると言う事になる。

 

「質問があります」

 

 挙手したのはオスカーだった。

 

「第1航空群とは、聞きなれない部隊名ですが、それは一体?」

 

 現在、ドイツ海軍水上艦隊は、第1~第3までの戦闘群を形成している。

 

 しかし、そもそも航空群と言う部隊名自体、初耳だった。

 

「もっともな質問だ」

 

 頷いたのはウォルフである。

 

「第1航空群とは、今回の作戦参加に合わせて新設された部隊だ。編成は・・・・・・」

 

 言いながら、ウォルフは控えていた少女を見やった。

 

「ここにいる、航空母艦『グラーフ・ツェッペリン』による、単艦編成となる」

 

 ウォルフの言葉に、会議室全体がざわついたのは言うまでもない。

 

 航空母艦。

 

 空母。

 

 それは、今までのドイツ海軍にはない、新しい軍艦だった。

 

「待ってください」

 

 今度はエアルが発言する。

 

「空母は良いとして、艦載機はどうするんです? 空母は艦載機を搭載しないと意味がない筈じゃ?」

 

 その通りだった。

 

 空母は、それ単体ではただの鋼鉄の箱に過ぎない。搭載する航空機があってこそ、その真価を発揮する艦なのである。

 

 しかし、今まで空母を保有した事が無いドイツ海軍には当然、艦載機を運用するノウハウも、機材も、パイロットすらいない。

 

 しかし、その問題は意外な形で解決を見た。

 

「問題はない。艦載機に関しては、空軍から出向と言う形で搭載する事で話が付いている。既に、艦への乗り組みは完了し、発着艦をはじめ、攻撃、航法等、必要な訓練を始めている」

 

 その言葉に、一同が再びざわつく。

 

 空軍の出向、と言う事が問題だった。

 

 空軍最高司令官のヘルムート・ゲーリングに関しては、はっきり言って良い噂は聞かない。

 

 小心者の見栄っ張り。大言壮語、責任転嫁は当たり前。

 

 前任の第1戦闘群司令官ラインハルト・マルシャルが解任される事になったのも、そもそも間接的にゲーリングが関わっている。

 

 更にゲーリングは独占欲と出世欲の塊であり、噂によれば戦前、「ドイツ全軍を空軍の配下にすべき」などと、常識の埒外としか言いようがない事まで主張した事があるらしい。

 

 そのようなゲーリングが、出向とは言え麾下の部隊を海軍に預ける事を了承するとは、到底思えなかったのだ。

 

「その点に関しては問題ない。諸君が心配するようなことは何もないと約束しておこう」

 

 自信ありげに言うウォルフ。

 

 総統閣下のコネを使ったな。

 

 父の様子を見ながら、エアルはそう推察した。

 

 傍若無人なゲーリングが、唯一絶対に逆らえない存在。それが、総統アドルフ・ヒトラーに他ならない。

 

 ウォルフは特にヒトラーと個人的にも親しく、側近中の側近と言っても過言ではなかった。

 

 そのヒトラーから口添えしてもらう形でゲーリングから、航空部隊を供出させたのだ。

 

 と、

 

 ウォルフに促される形で、一緒にいる少女が立ち上がった。

 

「第1航空群旗艦『グラーフ・ツェッペリン』だ。まだまだ若輩で、多くの事を学ばねばならない身。偉大なる先達に後れを取らぬように精進する。どうか、よろしく頼む」

 

 透き通るようなまっすぐな声。

 

 それでいて決して卑屈にならず、堂々と誇りある名乗りを果たすグラーフ・ツェッペリン。

 

 そのゲルマン騎士の如き堂々たる態度は、居並ぶ海軍士官、艦娘たちから好感を持って迎えられた。

 

 その後は、作戦の詳細に映った。

 

 参加艦艇は3隻。

 

 第1戦闘群の巡洋戦艦「グナイゼナウ」「シャルンホルスト」。

 

 第1航空群は「グラーフ・ツェッペリン」のみの単艦編成となる。

 

 装甲艦「ドイッチュラント」や、先のフェロー諸島沖海戦で、華々しい戦果を挙げてデビュー戦を飾った重巡洋艦「プリンツオイゲン」は、本国やノルウェーの守りとして残す事になっている。

 

 いつにもまして少数精鋭による作戦展開となるが、水上艦による通商破壊戦の場合、大量の船を一気に投入すればいいと言う物ではない。

 

 むしろ、隠密性や補給面を考えた場合、強力な艦を少数投入した方が効果的な場合もある。

 

 こうしてドイツ海軍は、ベルリン作戦に向けて大きく動き出したのだった。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 作戦会議も終わると、既にあたりは真っ暗になっていた。

 

 昼間は喧騒に包まれているキールの港も、夜になれば静寂が支配する。

 

 幾人かの作業員が、徹夜で作業しているのが見えるだけで、ほとんど人影が見えない。

 

 まるで、世界中で、全ての人間が消えてしまったかのようにさえ、錯覚してしまう。

 

 そんな中を、シャルンホルストはエアルの背中を見ながら歩いていた。

 

 オスカー達は艦に泊まって行く事を進めてくれたが、エアルとシャルンホルストはそれを謝辞し、戻る事にしたのだ。

 

 作戦結構まで時間がない。明日は朝から物資の積み込み作業がある。早朝の作業開始に備えて、今日の内に艦に戻ろうと考えたのだ。

 

 エアルの背中を見ながら歩くシャルンホルスト。

 

 静かな空気の中、2人で歩いていると、どうしても考えてしまうのは、先日のオスカーとグナイゼナウの事だった。

 

 仲睦まじい、恋人同士となっていた2人。

 

 いつの間に、あんな関係になったのか?

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 否、

 

 今、気になっているのは、そこじゃない。

 

 妹の事ではなく、自分自身の事。

 

 正直、羨ましい、と思った。

 

 自分もあんな風になれたら。

 

 そして、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 エアルを見やる。

 

 その相手は・・・・・・・・・・・・

 

「シャル?」

「・・・・・・へ?」

 

 突然、呼びかけられて、間抜けな声を発する巡戦少女。

 

 見ればエアルが、怪訝そうな顔つきでシャルンホルストの顔を覗き込んでいた。

 

 その顔のあまりの近さに、思わず上げそうになった声を飲み込むシャルンホルスト。

 

「どうかしたの? さっきから黙り込んじゃって」

「えっと・・・・・・・・・・・・」

 

 とっさに、どういったらいいのか分からず、口ごもる。

 

 自分は、この青年とどうしたいのか?

 

 このまま、艦長と艦娘の関係でいたいのか?

 

 それとも・・・・・・・・・・・・

 

「シャル?」

「あ、ううん」

 

 再度の呼びかけに対して、しかしシャルンホルストは首を横に振った。

 

 まだ、答えは出せない。

 

 自分でも呆れるほど臆病な事だとは思う。

 

 しかし、この先へと足を踏み入れる勇気が、まだシャルンホルストには持てなかった。

 

 と、

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 突然の事で、驚いた声を上げるシャルンホルスト。

 

 その華奢な手を、青年艦長の手が優しく包むように握っていた。

 

「ど、どうしたの、急に?」

「別に。何となく、こうしたかったから」

 

 そう言って笑うエアル。

 

 手のひらから感じる温もり。

 

 その感触が、少女を優しく包み込む。

 

「嫌?」

「・・・・・・嫌じゃ、ない」

 

 問いかけるエアルに、首を振るシャルンホルスト。

 

 そのまま、手をつないだまま歩く2人。

 

 月明かりにもほんのり、赤く染まっている事をエアルに知られなかったのは、あるいは巡戦少女にとって、幸運だったのかもしれなかった。

 

 

 

 

 

第28話「掌に伝わる憧憬」      終わり

 



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第29話「ベルリン作戦」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海に明確な境界線はない。

 

 各国はそれぞれ規定を定め「自国の領海」を主張してはいるが、本来なら、海にそのような線引きが出来る者ではない。

 

 海原は静かに、どこまでも広がっているのだ。

 

 しかし、

 

 空気が変わる。

 

 長く航海していると、そう思う瞬間がある。

 

 風が変わる、とでも言うのだろうか?

 

 そんな時はまるで、別世界にでも来たように錯覚するのだった。

 

 遮る物の無い大海原。

 

 その真ん中を今、

 

 鉄十字を掲げ、3隻の艦隊が南を目指して航行していた。

 

「うん、やっぱこの感覚、久しぶりだねー」

 

 「自分」の防空指揮所の縁に立ちながら、シャルンホルストは吹き抜ける暖かい風を全身に受けて満喫していた。

 

 艦が前進する事によって生じる合成風が、少女の髪を揺らしていく。

 

 確かに。

 

 少女の傍らに立ちながら、エアルも顔に吹き付ける風を感じて、同じ事を思っていた。

 

 昨日に比べて明らかに、空気が変わった瞬間を感じ取る。

 

 そう、

 

 ここはもう北海ではない、大西洋なのだ。

 

 「シャルンホルスト」の前方には、旗艦「グナイゼナウ」の姿が見える。

 

 艦橋から死角になっており、エアル達のいる場所からは見えないが、後方には空母「グラーフ・ツェッペリン」も航行しているはずだった。

 

 大西洋における2度目の通商破壊作戦「ベルリン作戦」を実行すべく、キール軍港を発したドイツ海軍第1戦闘群、並びに第1航空群は、航路偽装の為に一旦、ノルウェーのトロンヘイムへ入港。

 

 補給を受けたのち、進路を西へと向けた。

 

 イギリス軍の警戒網をすり抜けるべく、アイスランドの北方を大きく迂回する形で航行。

 

 デンマーク海峡を突破して大西洋に進出する事に成功したのだ。

 

 目論見は成功。

 

 イギリス海軍もドイツ艦隊の大西洋進出は警戒していたようだが、まさかそんな大迂回路を使うとは思っていなかったのだろう。ドイツ艦隊は大西洋に出るまで、1隻のイギリス所属の船と遭遇する事は無かった。

 

 ここまでは順調だったと言えって良いだろう。

 

「しかし・・・・・・」

 

 エアルは艦橋の縁に掴まりながら、嘆息するようにつぶやいた。

 

「まさか、父さんが前線に復帰するとはね」

 

 正直、驚いた。

 

 あの父が指揮官として再び海に出る事もそうだが、まさか自分達と一緒に艦隊を組んで出撃する事になるとは。

 

「でも、おにーさんのお父さん、昔は艦長だったんでしょ? だったら別に不思議じゃないんじゃない?」

「そうだけど。もう何十年も前の話だよ、それ」

 

 そう。

 

 第1次大戦の折、ウォルフは巡洋戦艦「デアフリンガー」の艦長。

 

 つまり、エアル達の母であるテアを指揮する立場にあった。

 

 しかし、前線に立って戦ったのは、先の大戦時のみ。

 

 戦後も暫くは海上勤務を続けていたが、ここ数年は内勤一本だったはず。事実、今次大戦がはじまった後も、最初にポーランド軍への艦砲射撃を指揮した以外は前線に出ていない筈。

 

 それがここに来て、海上勤務を希望するとは。

 

 それも最新鋭の軍艦を指揮下に置いて、である。

 

 一応の息子と言う立場にある身としては、父の心理について疑念を持たざるを得ない。

 

「いったい、何を考えてるんだろうね。父さんは」

「直接、聞いてみればいいじゃない。今度、補給の時にでも向こうに行ってさ」

「無駄だよ。素直に答えるとも思えない」

 

 嘆息するエアル。

 

 秘密主義的な父の性格をエアルはよく知っている。直接聞いても頑なに口を閉ざすであろう事は目に見えていた。

 

 まあ、何はともあれ、ここであれこれ考えても仕方がない、と言う考えには完全に同意である。

 

 それに、

 

 今は父の事ばかり考えている場合ではない。

 

 ここは大西洋。

 

 言わば既に敵地なのだ。

 

 出撃前、潜水艦隊司令官のカーク・デーニッツからもたらされた情報。

 

 大西洋に、新たなる敵部隊が出現。展開したUボート部隊に被害が出ていると言う。

 

 開戦から1年半が過ぎ、イギリス軍もドイツ軍に対する対処法が確立されつつある可能性がある。

 

 開戦以来、ドイツ軍の通称破壊部隊はイギリスの通商路で暴れまくった。

 

 もし、その新たに出現した部隊が、それらの戦訓を元に編成された部隊だとすれば。

 

「強敵だね」

 

 今回は、一筋縄ではいかないかもしれない。

 

 エアルは、そう思わずにはいられなかった。

 

 と、

 

 先ほどからシャルンホルストが黙っている事に気付き、振り返るエアル。

 

 見れば、巡戦少女はなぜか、ジッとこちらを見つめている。

 

「どうかした、シャル?」

「あ、え、べ、別にッ」

 

 慌てて顔を逸らすシャルンホルスト。

 

 実のところ、少女は今回の作戦に集中できているか、と問われれば、自分でもかなり微妙である事は自覚していた。

 

 理由は、

 

 出撃前に、妹のグナイゼナウと、その艦長であるオスカー・バニッシュ中佐の密会現場を偶然目撃してしまった事。

 

 まさか、妹のあんな姿を見てしまうとは。

 

 それに、

 

 どうしても、2人の姿を重ねてしまうのだ。

 

 自分と、

 

 そしてエアルに。

 

 自分とエアルも、いつかあんな風に・・・・・・・・・・・・

 

『イヤイヤイヤイヤイヤイヤ』

 

 何を考えているが。

 

 自分とエアルは、恋人でも何でもないと言うのに。

 

 それに、今は大事な作戦の最中。

 

 余計な事を考えている暇などない。

 

 しかし、

 

 一度始まってしまった妄想は、止め処無く溢れて来る。

 

 更に、少女の想像力は、さらに「次の次元」にまで達する。

 

 人間と艦娘の婚姻は、ドイツにおいても法的に認められている。

 

 もし、このまま自分とエアルが・・・・・・・・・・・・

 

「シャル?」

「ッッッ!?」

 

 怪訝そうに投げかけられたエアルの声に、慌てて意識を現実に引き戻すシャルンホルスト。

 

 一体、自分は何を考えているのか。大事な作戦中だと言うのに。

 

「シャル、具合悪いんだったら、医務室にでも・・・・・・」

「何でもない、何でもないったら!!」

 

 そう言って、エアルから距離を置こうとする。

 

 エアルの優しさに軽い罪悪感を覚える。

 

 と、

 

 次の瞬間、

 

 タイミング悪く、ひときわ大きな波に揺らされた「シャルンホルスト」の艦体は一瞬持ち上げられ、次いで波のうねりに従い垂直に降下。

 

 基準排水量3万1000トンの華奢な巨体がうねる。

 

 同時に、

 

「キャァッ!?」

 

 バランスを崩したシャルンホルストが、その場でしりもちをついてしまった。

 

「イタタタ・・・・・・」

「シャル、大丈夫ッ!?」

 

 慌てて助け起こそうと、手を伸ばすエアル。

 

 しかし、

 

 そこでふと、動きを止めるエアル。

 

 そんなエアルの様子に、不審そうに顔を上げるシャルンホルスト。

 

「おにーさん、どうかした?」

「えっと・・・・・・シャル、その、ね・・・・・・」

 

 実に言いにくそうに、声をどもらせるエアル。

 

 と、

 

 そこで、シャルンホルストはエアルの視線を辿り、ある事に気付く。

 

 しりもちをついた拍子に、シャルンホルストは両足を大きく広げる形で防空指揮所に座り込んでしまっている。

 

 更にスカートもあられもなくめくれてしまっている。

 

 つまり、

 

 正面に立つエアルには今、シャルンホルストのパンツが丸見えになっているのだ。

 

 白と青のストライプ柄が、何とも健康的で可愛らしいパンツ。エアルの位置からは見えないが、お尻にはネコのバックプリントも入っている。

 

「あ・・・・・・あ・・・・・・」

 

 事態を悟り、みるみる顔を真っ赤にするシャルンホルスト。

 

 次の瞬間、

 

 巡戦少女の悲鳴が、大西洋の大海原に響き渡った。

 

 などと、

 

 一部場違いな空気を保ちながら、ドイツ艦隊は大西洋を南下していくのだった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 イギリス王城ウィンザーは、数あるイギリス王室所有の公邸の一つである。

 

 本来なら、王室とその関係者以外は入る事が出来ない筈のこの場所に今、アルヴァン・グラムセル英海軍中佐はいた。

 

 年齢を感じさせない、律動的な歩調で歩くアルヴァン。

 

 本来なら、一海軍士官に過ぎないアルヴァンが、このような場所に来ることは許されない。

 

 しかしアルヴァンは、場所柄に遠慮する事もなく、まっすぐに歩き続ける。

 

 やがて、目的の場所まで来ると、扉の前に立ってノックをする。

 

「入れ」

「失礼いたします」

 

 入った部屋の中で待っていた人物。

 

 その正体を知れば、大抵の人間は腰を抜かす事だろう。

 

「遅れましたかな?」

「いや、まったくもって時間通りだ。相変わらず、律儀な奴だよ、お前は」

 

 笑いながらアルヴァンを出迎える人物。

 

「待っていたぞ、わが友よ」

 

 現イギリス国王フレデリック3世は、そう言って、長年の友を労った。

 

 フレデリックとアルヴァン。

 

 イギリス国王と一介の海軍士官など、どう見ても接点がありそうには思えない。

 

 しかしその実、この2人の付き合いは長い。

 

 とは言え、多くの者達は、2人の関係についてはほとんど知らない。

 

 ただ、フレデリックが、アルヴァンに対し絶大な信頼を置いているのは間違いない。

 

 だからこそ、息子(ディラン)の御目付け役を、アルヴァンに任せたのだ。

 

 その証拠に、アルヴァンはフレデリックに勧められるまま、特に気負った様子もなくソファーに腰掛けた。

 

 そして、この場には2人以外にもう1人の人物がいた。

 

「お待ちしておりましたぞ、グラムセル中佐」

 

 葉巻を口に咥えた、恰幅のいい男性。

 

 どこか柔和な印象を持ちながら、その瞳の奥底には言い知れぬ怪異を宿したような印象のある男だ。

 

 ウェリントン・チャーチル。

 

 現イギリス首相であり、激化するドイツとの戦いにおいて国民を叱咤し続けている男である。

 

 3人は再会を祝して杯を空けると、早速とばかりに本題に入った。

 

「それでチャーチルよ。戦況はどのような塩梅だ? ドイツ人共を押し留める事は出来そうか?」

「まあ、年内は問題ありますまい」

 

 グラスを傾けながら、チャーチルはフレデリックの質問に答える。

 

「ドーバーの戦況も奴等、初めの内こそ激しく攻め立てきよりましたが、今では当初の勢いはなく、完全に士気が下がっている事は目に見えております」

 

 当初、圧倒的戦力でイギリス上空へと侵攻したドイツ空軍だったが、イギリス空軍の鉄壁ともいえる防空ライン。そして自軍のいくつかの戦略ミスが重なり、無駄に犠牲を積み重ねる結果となった。

 

 バトル・オブ・ブリテン開始から3カ月が経過した現在、ドイツ空軍の攻撃は完全に下火となり、今となっては時折、思い出したようにドーバーを越えて襲来する程度にまで、攻撃の頻度は落ち込んでいた。

 

「奴等は背後により、大きな敵を背負っておりますからな。そうそう、我らにばかり構ってもいられない、と言ったところでしょう」

「ソ連か。確かにな。ヒトラーからすれば、気が気ではあるまい」

 

 チャーチルの言葉に、ニヤリと笑うフレデリック。

 

 ドイツとソ連は、現在でこそ不可侵条約を結び、相互不干渉の立場を取っている。

 

 しかし実際には不倶戴天と言っても良いほどに険悪な間柄である事は周知の事実だ。

 

 ドイツ側からすれば、イギリス相手に戦力を消耗しすぎて、ソ連への対抗が難しくなることを懸念しているはず。

 

 そう考えれば、ドイツ側が厭戦気分に陥る事は目に見えていた。

 

「恐らくは年内。時期的な物を考えれば、半年以内には、ドイツはソ連に宣戦布告する事でしょうよ」

「ヒトラーの節操無しからすれば、充分考えられる事だな。奴なら我々と戦いながらでも、ソ連に勝てると考えるだろう。度し難いほどの愚か者よ」

 

 そう言って、敵国の元首を嘲笑いながら酒を傾ける。

 

 もし、チャーチルの言う通り、ドイツがソ連に開戦すれば、それだけイギリス側の負担は大幅に減る事となる。

 

 つまり。それまでの間、戦線を支え続ければいいと言う事だ。

 

「如何なる犠牲を払ってでも、成し遂げなければならん。我が偉大なる大英帝国が、伍長上がりの卑しい独裁者率いる成り上がり国家に負けるなどあってはならない事だ」

 

 その為なら、前線でどれだけの兵士が犠牲になろうが構わないし、民間人がいくら死のうが知った事ではない。

 

 要は最終的に、イギリスが勝てばそれで良いのだ。

 

「ドーバーの方はそれで良いとして、問題は大西洋の方です」

 

 口を開いたのは、それまで2人の話を黙って聞いていたアルヴァンだった。

 

「つい先日、情報部の方から報告が上がってきました。ドイツ海軍の巡洋戦艦2隻、更には空母と思われる艦が、デンマーク海峡を抜けて大西洋に入ったと」

「情報部の怠慢だな。敵が警戒網を突破するまで、察知できなかったとは。不甲斐ないにも程があるわ」

 

 苛立ち交じりに吐き捨てるフレデリック。

 

 既に進出しているであろう多数のUボートに加え、有力な水上艦隊の出現は、流石に座視できないものがあった。

 

「なに、心配は無用ではないですかな陛下」

 

 少し酔ったように赤い顔をしながら、チャーチルが言った。

 

「既にアンドリウス殿下が部隊を率いて出撃したとか。殿下にお任せすれば、少数のドイツ艦隊如き、鎧袖一触は間違いありますまい」

「確かにな。アンドリウスなら、やってくれよう」

 

 第3王子の名を聞き、顔を綻ばせるフレデリック。

 

 実際、アンドリウスはこれまで、大西洋上において対潜部隊の指揮も取り、多数のUボートを仕留めている。

 

 フレデリック等の信頼が厚いのも頷ける。

 

「アンドリウスは良い。あ奴こそ、我が血を最も強く受け継いだと言って良い。国を率いるならば、あ奴のようなものでなくては。軟弱なアルフレッドや、無能のディランには任せる事は出来んからな」

 

 現在のフレデリックの中では、第1、第2王子を差し置き、第3王子の評価が鰻登りとなっている。

 

 巷間の噂においては、アルフレッド、ディラン両王子を差し置いて、アンドリウスが次期国王の座に就くのではないかと言う噂まで飛び交っている。

 

 そして、

 

 フレデリックの上機嫌ぶりを見るに、その噂は決して誇張ではありえない事をうかがわせた。

 

「全てはアンドリウスに任せておけばいい」

 

 新たに酒を注いだグラスを手に、フレデリックは自信に満ちた声で告げる。

 

「あ奴ならば必ず、ドイツ艦隊を撃滅して凱旋してくれるだろうさ」

 

 そう言うと、グラスの中身を一気に煽った。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 カナダのモントリオールを発した輸送船団は一路、イギリス本国に向けて航行していた。

 

 イギリス領であるカナダは広大な土地を有し、豊富な地下資源も有している。

 

 圧倒的な戦力で攻め寄せるドイツ軍相手に苦戦を強いられるイギリス軍にとって、カナダは貴重な後方補給拠点である。

 

 世界中に植民地を持ち、豊富な資源を保有するイギリスだが、やはり最も頼りとなるのはカナダからの物資である。それ故、連日のように輸送船が本国との間を行き来していた。

 

 勿論、護衛にも厳重な気が配られる。

 

 今回の船団にしてもそうだ。

 

 大型の輸送船10隻を中央に置き、その周囲を多数のコルベットやフリゲートが固めている。

 

 ドイツ海軍の主戦力はUボートであるから、仮に複数の潜水艦が集まって群狼戦術を仕掛けてきたとしても、充分に撃退出来るだろうと期待されていた。

 

 だが、

 

 刺客は、彼等の予想だにしない方向からやってきた。

 

 突如、

 

 空に響き渡る、低い唸り。

 

 複数の重低音が折り重なり、徐々に接近してくる。

 

 誰かが叫んだ。

 

「ナチだッ!!」

 

 見上げて指差す先。

 

 そこには、鉄十字を描いた機体が複数、まっすぐに向かってくる様子が見て取れた。

 

 ユンカースJu87スツーカ

 

 ポーランド電撃侵攻やフランス攻略戦に投入され、連合軍を恐怖のどん底に陥れた機体だ。

 

 護衛のフリゲートやコルベットが、すぐさま対空砲火を放って威嚇する。

 

 しかし、これらの艦は対潜戦闘を想定した艦であって、対空戦闘は完全に想定外である。

 

 対空砲にしても、申し訳程度の機銃が1基、良くでも2~4基程度搭載されているに過ぎない。

 

 言うまでもなくそれらは、気休め以上の物ではない。

 

 想定外と言えば、こんな洋上のど真ん中にドイツ軍機が現れた事自体、彼等には想定外すぎた。

 

 いったいなぜ、こんな海上の真ん中に、ドイツ軍機が出現したのか?

 

 なぜ、自分達を攻撃しているのか?

 

 尽きない疑問に、しかし誰かが答えを出す暇すら与えられない。

 

 やがて、甲高い唸りを上げて急降下を開始するスツーカ。

 

 ポーランドやフランスにおいて連合軍兵士に恐怖を植え付けた「ジェリコの喇叭」が、大西洋上において鳴り響く。。

 

 兵士たちの間でおののきが広がる中、次々と爆弾が投下される。

 

 炎を上げるコルベット。

 

 爆炎を上げるフリゲート。

 

 たちまち、海上は炎の地獄と化す。

 

 やがて、攻撃が終わり、ドイツ軍機は東の空へと去っていく。

 

 海には、破壊された艦艇の残骸と、タンクから漏れ出た油、そしてそれらに引火した炎と、海上に投げ出された乗組員だけが残されていた。

 

 護衛についていたコルベットとフリゲートはほぼ全滅。

 

 不幸中の幸いだったのは、輸送船への被害がほとんど見られなかった事だろう。

 

 わずかに2隻の輸送船が直撃弾を受けたのみ。起こった火災もすぐに沈下され、乗組員にも積載している物資にも被害は出なかった。

 

 どうやらドイツ軍は、戦闘艦艇を全滅させたことで満足し、そのまま退却したらしかった。

 

 ただちに救助作業に入る輸送船団。

 

 海上に取り残された兵士たちにロープを投げ、甲板に引き上げていく。

 

 悲劇は、救出作業の最中に起こった。

 

 突如、沸き起こる巨大な水柱。

 

 誰もが青ざめる中、

 

 波間を蹴って、まっすぐに向かってくる、2隻のシャルンホルスト級巡洋戦艦の姿があった。

 

 ドイツ艦隊の作戦は巧妙だった。

 

 彼等は機動力の高い「グラーフ・ツェッペリン」航空隊があらかじめ先行する形で敵輸送船団にとりつき、護衛部隊を中心に攻撃を仕掛ける。

 

 その間に「グナイゼナウ」「シャルンホルスト」の2隻が「グラーフ・ツェッペリン」よりも先行して輸送船団を目指す。

 

 航空攻撃によって護衛が全滅したところで、巡洋戦艦2隻が突入し、一気に船団を殲滅する。と言うのが作戦の全体像である。

 

 この高度な連携戦術に、イギリス側は全く対応できなかった。

 

「た、退避ィィィィィィ!!」

 

 悲鳴じみた絶叫が響き渡る。

 

 しかし、

 

 30ノットで迫りくる高速巡洋戦艦相手に、鈍足の輸送船が逃げられる道理はなかった。

 

 

 

 

 

 報告を受けた時、イギリス王室第3王子アンドリウスは驚きもしなかった。

 

 渡された電文を淡々とした調子で読み上げると、淡白に頷く。

 

「ほう、輸送船団が全滅か」

 

 襲撃された船団は大規模な物であり、犠牲者もかなりの数に上るのだとか。

 

 しかし、そうした被害数字には目もくれず、アンドリウスの目は、一点に向けられていた。

 

「《敵は巡洋戦艦2隻を含む》か」

 

 ニヤリ、と笑みを浮かべる。

 

「待っていたぞ。それでこそ、わざわざ出て来た甲斐があったと言う物よ」

 

 不敵な笑み。

 

 これまでのような潜水艦狩りには飽きてきたところ。

 

 ここで噂のドイツ巡戦が出てきてくれたのは、正に彼にとって僥倖だった。

 

「面白くなってきたではないか」

 

 言いながら、配下の艦体を見渡すアンドリウス。

 

 戦艦2隻、航空母艦1隻、巡洋艦1隻、駆逐艦9隻から成る大艦隊。

 

 正式名称「R部隊」の名を冠したアンドリウス麾下の艦隊は、自らの獲物を求めて大西洋の波頭を切り裂く驀進を開始していた。

 

 

 

 

 

第29話「ベルリン作戦」      終わり

 



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第30話「海鷲の憂い」

 

 

 

 

 

 

 

 

 銀翼を連ねた機体が、軽やかに甲板へと降りてくる。

 

 現在、航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」は、攻撃を終えて帰還した攻撃隊を収容すべく、風上に向かって全速航行していた。

 

 ドイツ艦特有のスマートな艦体の上に、全通の飛行甲板を備えた姿は、他国の空母と比べて異質に見える反面、どこか精悍な印象すらあった。

 

 「グラーフ・ツェッペリン」は、基準排水量3万3000トン、全長262メートル、全幅31メートル、最高速度は35ノットを誇る。

 

 全長だけ見れば最新鋭戦艦の「ビスマルク」より長い。

 

 肝心の艦載機は50機搭載可能。

 

 大日本帝国やアメリカ合衆国が保有する正規空母と比べれば決して多いとは言えないが、それでもライバルであるイギリス海軍の空母とはほぼ同等の搭載数を誇っている。

 

 更に本艦はドイツ艦特有の重防御に加え、55口径15センチ連装砲4基8門を備え、ある程度ではあるが水上砲戦にも対応可能となっている。

 

 長い航続力と、艦載機の機動性、更には軽巡程度なら対抗可能な水上戦闘力。

 

 まさに、通商破壊戦を主戦法とするドイツ海軍にとっては、理想的な艦艇ともいえる。

 

 現在、「グラーフ・ツェッペリン」には戦闘機としてメッサーシュミットBf109の艦載機型であるT型を12機、更にはユンカースJu87スツーカの、こちらも艦載機改良型を12機、合計24機の機体が搭載されている。

 

 「グラーフ・ツェッペリン」の艦載機総数の半分以下の数字ではあるが、そもそも彼等は空軍からの「出向」と言う形で乗り組んでいる。

 

 貸してくれただけでもありがたいと思うべきだろう。贅沢は言えなかった。

 

「どうやら、全機戻ってきたようだな」

「はい、未帰還機はありません。攻撃は成功です」

 

 着艦したスツーカの数を数えたウォルフに、グラーフ・ツェッペリンが頷きを返す。

 

 今回は小規模な船団に対する攻撃だったので、出撃したスツーカは6機。その全てが帰還していた。

 

 やがて、攻撃隊を指揮した隊長が、報告の為に上がってくる。

 

 がたいの良い、精悍な顔つきの男。

 

 グスタフ・レーベンス空軍大尉。

 

 爆撃機隊の隊長であると同時に、今回「グラーフ・ツェッペリン」に乗り込んだ空軍出向組の総隊長でもある。

 

「報告します」

 

 敬礼するとレーベンスは、よく通る太い声で答礼を返すウォルフに報告する。

 

「我が隊は、航行中の敵輸送船4隻を発見。これに攻撃を加え、内2隻を撃沈確実。もう1隻を撃破いたしました」

「ご苦労です」

 

 短いながらも、丁寧な口調で返すウォルフ。

 

 相手は5つも階級が下、年齢も20以上、ウォルフの方が上なのだから、本来ならへりくだる必要はない。

 

 しかし、ウォルフとレーベンスは海軍と空軍で所属が違う。

 

 海軍である自分が、あまり高圧的に出すぎるのは信頼関係構築の上で望ましくないと考えたのだ。

 

 何しろ、これからまだ、暫くは同じ船の上で共同生活を送る身なのだ。余計な軋轢は避けたかった。

 

 そんなウォルフの意向を、乗組員もパイロット達も汲んでくれているようで、艦内では積極的な交流が為される一方、互いの専門分野には口出ししないと言おう暗黙のルールが出来上がっている。

 

 少なくとも今のところ「グラーフ・ツェッペリン」上で、大きな問題は起きていなかった。

 

「取り逃がした船に関しては、第1戦闘群に報告を入れて対処してもらいます。大尉たちは、自室に戻って休んでいてください」

「ありがとうございます。では」

 

 退出していくレーベンスの背中を見送るウォルフ。

 

 大西洋上で通商破壊戦を開始して10日足らず。既にドイツ海軍は大規模な船団1つと、総規模な船団4つを捕捉、襲撃する事に成功している。

 

 これは、かなりのハイペースであると言えるだろう。

 

 その裏には、やはり「グラーフ・ツェッペリン」の艦載機の存在が大きかった。

 

 多数の航空機を運用できる「グラーフ・ツェッペリン」が索敵と、航空機による先制攻撃を担当。

 

 いち早く敵船団を見つけて攻撃を行い、連携が乱れたところで「グナイゼナウ」と「シャルンホルスト」が突入しトドメを刺す。

 

 これまでにないくらい、効率的な船団襲撃が可能となったドイツ海軍は、急速に戦果を拡大していた。

 

「しかし、流石にそろそろ、警戒が必要だろうな」

 

 そう言ったのはシュレスだった。

 

 出撃前、ウォルフが幕僚にと望んだ彼女。

 

 現在では第1航空群の参謀長と言う立場にある。

 

「イギリス海軍もバカではない、我々を排除しないと、大西洋における輸送路が潰される事は分かっているはずだ。ならば・・・・・・」

「ああ」

 

 頷くウォルフ。

 

 十中八九、既に刺客が差し向けられている、と考えるべきだった。

 

「デーニッツ提督から警告があった、新たなる敵部隊と言うのも気になる。引き続き、情報の精査に気を配ってくれ」

「判った」

 

 

 

 

 

 一方、

 

 パイロットの待機所では、今回出番が無かった戦闘機パイロット達が、思い思いの過ごし方をしている。

 

 本を読んでいる者。ハーモニカを吹いている者。故郷に送る手紙を書いている者。さまざまである。

 

 そんな中で、

 

 クロウ・アレイザー中尉は、寝台に寝そべって静かに目を閉じていた。

 

 別にサボっているわけではない。

 

 出撃の無いパイロットは、特にやる事があるわけでもない。

 

 ならば、次の出撃に備えて、英気を養うのも任務の内である。

 

 特に今回は、航空母艦と言う慣れない任務地であり、何が起こるかは予想が付かない。

 

 体力の温存は必須と言えた。

 

 勿論、完全に寝ているわけではない。

 

 万が一、不意な出撃命令が下った時の為、意識は常に半分、覚醒状態を保っている。これはポーランド戦以降、長きにわたる戦場生活で、クロウが身に着けた技能の一つである。

 

 周囲の喧騒に包まれながら静かに寝入っている事暫し。

 

 自分に向かって近づいてくる音で、クロウは覚醒のレベルを上げた。

 

「失礼、休み中だったか?」

「いや、構わねえよ。何か用?」

 

 目を開けるクロウ。

 

 視界の中に飛び込んできたのは、淡い金髪が特徴的な可憐な少女。

 

 この艦の艦娘であるグラーフ・ツェッペリンだ。

 

 あの日。

 

 ロンドン空襲の護衛任務から帰還したクロウを出迎えたのが彼女、グラーフ・ツェッペリンだった。

 

 来るベルリン作戦に参加する事が決まっていたツェッペリンは、優秀となパイロットを彼女自ら尋ねてスカウトしていた。

 

 こうして、何人か選ばれたパイロットの中に、クロウもいたわけである。

 

 

 

 

 

 連れだって、飛行甲板にであるクロウとツェッペリン。

 

 快足を誇る「グラーフ・ツェッペリン」。

 

 吹き抜ける風が、2人を包み込んでいくのが分かる。

 

 甲板上では帰還したスツーカの収容作業と点検整備が行われている。

 

「気分がいいな、海上と言うのは。北海は少々、波が荒かったが、大西洋はずいぶんと穏やかだ」

「確かに、あれはきつかった」

 

 北海を出るまで、「グラーフ・ツェッペリン」の艦内は、阿鼻叫喚の地獄絵図を示して居た。

 

 乗組員たちはまだ、船に慣れていない者も多く、荒波にもまれて上下する艦内で、船酔いになる乗組員が続発してしまったのだ。

 

 特にひどかったのは空軍から出向してきたパイロット達である。

 

 彼等の多くは、そもそも外洋で船に乗った事が無い者が大半を占めている。これまでの戦場も船酔いとは無縁の陸上支援ばかりだった。

 

 その為、北海を航行する間に、殆どが全滅に近い損害を被ってしまった。

 

 クロウもご多分に漏れず洗礼に見舞われ、大荒れの艦内でのたうち回った口である。

 

 下手をすると、せっかくの最新鋭空母が船酔いで壊滅するところだった。

 

 笑いあう、クロウとツェッペリン。

 

 屈強な軍人が、たかが船酔いでのたうち回っているさまは、恥ずかしくもあり、また最高に笑えるシチュエーションだったのは確かである。

 

 そんな事で笑いあっていると、ふと、ツェッペリンは思い出したようにクロウに尋ねた。

 

「そう言えば、御父上とは話はしたのか?」

 

 その質問に対し、

 

 クロウは先ほどまでの笑いを止め、真顔に戻った。

 

 ツェッペリンは、そんなクロウの反応に気付かずに続ける。

 

「聞けば中尉は、アレイザー提督のご子息だと言うではないか、だが艦に乗っている間、中尉と提督が話しているところを見た事は無いのだが」

「それは、まあ・・・・・・・・・・・・」

 

 言葉を濁すクロウ。

 

 アレイザー家の細かな事情など、他人に話すような事ではない。

 

 どうにか、この話題を切り替えようとする。

 

 だが、

 

「言ってくれれば、機会ぐらい作ったぞ。ここは『私』の中なのだから、それくらいの権限は・・・・・・」

「余計な事すんなッ」

 

 自分でも、少し驚くくらい大きな声が出てしまった。

 

 横でツェッペリンも、驚いているのが分かる。

 

「ちゅ、中尉?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 自分でも、聊か馬鹿らしい事をしている自覚はある。

 

 しかしそれだけ、父の存在はクロウにとってアレルギーに近くなっていると言う事だった。

 

「すまない。何か気に障ったのなら謝罪する」

「・・・・・・・・・・・・別に」

 

 気を遣うツェッペリンに対し、それだけ答える事しかできない。

 

 別にツェッペリンに対して怒っているわけではない。

 

 しかし、父の話題を出されると、どうしても平常ではいられなくなる。

 

「チッ」

 

 舌打ちするクロウ。

 

 自分がいかにガキくさいか、そんな事はクロウ自身が一番よく分かっている。

 

 しかしそれでも、割り切れない物はあるわけで。

 

「中尉・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 呼びかけるツェッペリンに背を向けるクロウ。

 

 そのまま、答える事無く立ち去ろうとする。

 

 その時だった。

 

 突如、「グラーフ・ツェッペリン」艦内に警報が鳴り響く。

 

 それまでの空気が一変、艦上は一気に張り詰める。

 

《パイロット各位は至急、待機所に集合せよ》

 

 参謀長を務めるシュレスの声が響く。

 

《現在、第1戦闘群が敵の空襲を受けつつある。直ちに救援の要有りと認む!!》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 別段、青天の霹靂と言うほどではなかった。

 

 大西洋上を自在に動き回っているとはいえ、行動のアドバンテージはイギリス側の方が強い。故に、いつかはこうなるであろうと、誰もが予想していた事。

 

 航行中の「グナイゼナウ」「シャルンホルスト」に鳴り響く警報。

 

 既に両艦の対空レーダーは、接近する機影を捉えていた。

 

「総員戦闘配置!!」

 

 「シャルンホルスト」艦橋に、エアルの声が響く。

 

「対空戦闘用意!!」

 

 既にシャルンホルストは自身の席に座って艦の制御に集中している。

 

 その艦、兵士達は艦内を走り回り、高角砲には対空用の榴弾が装填、機銃にも弾倉が装着される。

 

 射撃指揮装置も起動され、接近する敵機に対して備える。

 

「まさか、発見されていたなんて」

「予想していた事だよ。敵に空母がいる事もね」

 

 緊張気味に呟くシャルンホルストに対し、エアルは落ち着いた口調で答える。

 

 今回、初めて「グラーフ・ツェッペリン」を実践投入したドイツ海軍と違い、イギリス海軍は戦前から複数の航空母艦を保有し、その運用ノウハウも持っている。

 

 彼等が広い洋上で動き回るドイツ艦隊を補足するために、空母を用いて来るであろう事は、充分に予測できたことだった。

 

 そして、

 

「右舷2時方向より接近する機影あり!!」

 

 レーダー室からの報告を受け、エアルは右舷側の対空監視強化を命じると同時に、自身も手にした双眼鏡を向ける。

 

 そこには、雲の間を抜けるようにして接近してくる、複数の黒い点を見て取る事が出来た。

 

 時間が経つにつれて、そのシルエットもはっきりしてくる。

 

 しかし、

 

「ソードフィッシュじゃ、ないね」

 

 双眼鏡を覗きながら、エアルは呟いた。

 

 イギリス海軍が主力雷撃機として採用しているのは、フェアリー・ソードフィッシュ雷撃機。

 

 前時代的な複葉機でありながら、その高い操縦性と信頼度から、イギリス海軍航空隊のパイロット達から絶大な支持を受けている機体である。

 

 しかし今、第1戦闘群に接近してくる機体は、複葉機には違いないが、ソードフィッシュに比べて機首が長く、よりスマートな外観をしている。

 

「アルバコアですな。ソードフィッシュの後継機として、フェアリー社が開発した機体だとか」

 

 答えたのはヴァルターだった。

 

 彼の言う通り、接近中の機体はフェアリー・アルバコアである。

 

 旧式化著しいソードフィッシュの代替えとして開発された機体であり、布張りのソードフィッシュと違い全金属製でコックピットも密閉式となり、防御力が格段に向上しているのが特徴だった。

 

「敵機、さらに接近!!」

 

 見張り員からの絶叫。

 

 同時に、エアルも双眼鏡を下ろす。

 

「機関最大!!」

 

 こんな時の為に、サイア達には機関の整備を十分に行う様に命じてある。

 

 不意な敵との遭遇にも「シャルンホルスト」のエンジンは万全の状態で答えてくれる。

 

 ワグナー高圧缶が唸りを上げ、基準排水量3万1000トンの巡洋戦艦が加速する。

 

 20機近いアルバコアが、徐々に接近しつつ、上空を旋回し始める。

 

 眼下にドイツ巡戦2隻を見ながら、突入のタイミングを計っているのだ。

 

 次の瞬間、

 

「敵機、突入開始しました!!」

 

 「シャルンホルスト」の左舷側に遷移した3機のアルバコアが、速度を上げて高度を落とし始める。

 

 魚雷を投下すべく、攻撃態勢に入ったのだ。

 

 次の瞬間、

 

「対空戦闘、撃ち方始め!!」

 

 「シャルンホルスト」の対空砲が、一斉に火を吹いた。

 

 

 

 

 

 向かってくる3機のアルバコア。

 

 「シャルンホルスト」の右舷側から、進路を先回りするように、魚雷の投下態勢に入る。

 

 相手は3万1000トンの巡洋戦艦。

 

 戦艦としては機動力が高いかもしれないが、航空機のスピードに勝るものではない。

 

 このまま進路を先読みすれば、魚雷を命中させるのは難しくない筈。

 

 そのままスピードを上げて攻撃態勢に入るアルバコア。

 

 だが、

 

 その眼前に強烈な弾幕の網が投げかけられた。

 

 たちまち、パイロットたちの視界が朱に染まり、閃光によって満たされる。

 

 魚雷投下前に、アルバコア1機が「シャルンホルスト」の対空砲火を受けて撃墜。炎を吹きながら海面へと突っ込む。

 

 残り2機が尚も魚雷投下すべく接近してくる。

 

 しかし、予想外の先制攻撃によってタイミングを乱された2機は、攻撃予定地点に到達する前に魚雷を投下してしまう。

 

 当然、そのような攻撃が命中するはずも無い。

 

「面舵一杯ッ!!」

 

 エアルの命令に従い、最大戦速のまま舵輪が右に回される。

 

 急旋回する「シャルンホルスト」。

 

 投下された魚雷は、白い航跡を引きながら、巡洋戦艦の左舷側を高速で流れていく。

 

 続けて、2機の雷撃機が、今度は左舷側から「シャルンホルスト」へと迫ってくるのが見えた。

 

 既に高度を下げ、魚雷投下態勢に入っている。

 

 今から舵を切り直す余裕はない。

 

「面舵続行!!」

 

 エアルの判断は素早かった。

 

 ここで無理に取り舵に切り直せば、却って直進中に魚雷を艦腹に食らってしまう可能性が高い。

 

 それよりも面舵を切り続け、相手の魚雷射線上から逃れるのだ。

 

 魚雷に対して艦尾を向けるのは悪手だが、ここはセオリーを無視するのも一つの手だ。

 

 案の定、

 

 「シャルンホルスト」が直進すると読んでいた2機のアルバコアは、自分達の進路上から、ドイツ巡戦の姿が消えていく様に愕然とする。

 

 次の瞬間、

 

 飛んできた高角砲弾に、2機のアルバコアは同時に粉砕された。

 

「出撃前の改装が功を奏したね」

 

 撃墜され、炎を噴き上げるアルバコアの様子を見ながら、エアルは満足そうに笑みを浮かべた。

 

 実は今回、ベルリン作戦発動に合わせて、シャルンホルスト級巡洋戦艦2隻は小規模な改装を施して出撃していた。

 

 両舷に設置されていた連装4基、単装4基の55口径15センチ副砲を撤去し、空いたスペースに65口径10.5センチ連装高角砲を増設。対空火力を強化していたのだ。

 

 実際のところ、副砲を使用するのは輸送船狩りの時か、小型艦艇に接近された時だが、それならば別に高角砲で代用可能と判断されたが故の措置だった。

 

 これにより「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」は、高角砲を15基30門備えた、強力な防空巡洋戦艦に変貌していた。

 

 新型機とは言え、速力が最大でも290キロ程度しか出せないアルバコア如き、寄せ付けないだけの火力を持つに至っていた。

 

 見れば「グナイゼナウ」の方にもアルバコアは群がっているが、あちらも被害らしい被害は受けていない様子。

 

 この対空戦闘は、完全にドイツ側がイニシアチブを握っていた。

 

 実のところアルバコアは、欠陥機としての向きが強い。

 

 確かに布張りの複葉機だったソードフィッシュに比べれば、金属製で防御力も高く、速力も上がっている。

 

 しかし、重量が増したことで却って機動性は低下し安定が悪くなった事でパイロット達からは不評の声が上がり、更には速力に関しても、所詮は複葉機であり、単葉の戦闘機に敵う物ではない。

 

 この後、イギリス海軍は早々にアルバコアに見切りをつけ、主力機をソードフィッシュに戻す事になる。

 

 更に、

 

 ここでドイツ側に援軍が到着する。

 

「左舷後方に新たなる機影!! 味方です!!」

 

 見張り員からの歓喜に満ちた声。

 

 その言葉通り、「グラーフ・ツェッペリン」から緊急発艦したメッサーシュミットが、ドイツ艦隊に対し攻撃中のアルバコア雷撃機に襲い掛かっている様子が見て取れた。

 

 

 

 

 クロウは操縦桿を駆り、「シャルンホルスト」上空を駆け抜けると、必死になって逃れようとしているアルバコア雷撃機を補足する。

 

 そもそも、速力が300キロも出ないアルバコアに対し、メッサーシュミットの速力は620キロ。倍以上の速力差がある機体を前に、逃れる術などありはしなかった。

 

「遅いッ!!」

 

 トリガーを引き絞るクロウ。

 

 発射された20ミリ機銃弾が、アルバコアを粉砕する。

 

 こうなると最早、鎧袖一触だった。

 

 飛来したメッサーシュミットが、次々とアルバコアを駆逐していく。

 

 クロウも、最初の1機を撃墜した後は、全くする事が無かったくらいである。

 

 肩の力を抜きながら、「シャルンホルスト」上空を、ゆるく旋回させる。

 

 ふと、思い出すのは、出撃前にしたツェッペリンとの会話。

 

「・・・・・・兄貴なら、こんな時どうすんのかな?」

 

 眼下を航行する「シャルンホルスト」を眺めながら呟く。

 

 やがて、答えを見いだせないまま、クロウは機体を翻して帰路へと着くのだった。

 

 

 

 

 

 英独双方の海鷲たちが去り、海上には静寂が戻る。

 

 後に残ったのは、「グナイゼナウ」「シャルンホルスト」の巡洋戦艦2隻のみ。

 

 第1戦闘群旗艦「グナイゼナウ」の艦橋では、司令官のリンター・リュッチェンスが、去っていく味方のメッサーシュミットを双眼鏡で追いながら、満足そうに頷いた。

 

「どうやら、振り切ったとみてよさそうだな」

「はい。レーダー室からも、新たな敵影の報告は上がってきていません」

 

 尋ねるリュッチェンスに、オスカーが答える。

 

 その傍らに立つグナイゼナウも、問題はない。と言った感じに頷いて見せていた。

 

 双眼鏡を下ろすリュッチェンス。

 

 その口元から、嘆息が漏れる。

 

「しかし、タラントの事を報告で聞いた時は、航空機とはどれほどの物かと思ったが、実際に対峙してみると大した事はないな。君等も以前、空襲を受けたが損害無しで切り抜けたと聞いたが」

「はい。確かに」

「テムズ沖の事ですね」

 

 頷きを返す、オスカーとグナイゼナウ。

 

 確かに、敵機から攻撃を受けたのはこれで2回目だが、「グナイゼナウ」も「シャルンホルスト」も、損害無しで切り抜ける事に成功していた。

 

 因みにリュッチェンスの言った「タラント」とは、昨年11月11日にイギリス海軍が地中海において実施した「ジャッジメント作戦」を差す。

 

 この時、イギリス海軍の最新鋭空母「イラストリアス」を発艦した僅か16機のソードフィッシュ雷撃機が、イタリア海軍最大の拠点となっているタラント軍港を奇襲。

 

 イタリア海軍の最新鋭戦艦「リットリオ」を含む戦艦3隻を大破着底に追い込んだ。

 

 停泊中に奇襲をかけたとは言え、航空機の攻撃で戦艦を撃沈した例は初めてであり、全世界が震撼したのは言うまでもない事である。

 

 しかも、それをやってのけたのが、僅か16機の旧式雷撃機である。

 

 紛れもなく、イギリス海軍の快挙だった。

 

 その影響で、イタリア海軍は未だに積極的な作戦行動が取れないでいる有様だった。

 

 因みに、この作戦をヒントに、後に日本海軍が実行するのが、彼の「真珠湾攻撃」である。

 

 しかし、それはあくまで停泊中に奇襲をかけた場合に限られる。

 

 洋上作戦行動中の戦艦を、航空攻撃のみで撃沈できた例は未だになく、また大半の海軍士官は「不可能」だと見ているのが現状だった。

 

「存外、副砲を下ろして高角砲を増設したのは尚早だったかもしれん。帰国したら元に戻すのも良いかもしれんぞ」

「ハッ」

 

 リュッチェンスの言葉に、頷くオスカー。

 

 そう、

 

 神ならぬ身の彼等。

 

 今回の戦闘結果が、後にどのような結果をもたらすか。

 

 その事を知る者は、未だいるはずも無かった。

 

 

 

 

 

第30話「海鷲の憂い」      終わり

 



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第31話「同じ穴の狢」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 航空隊による攻撃は、敵巡戦の対空砲火と、敵戦闘機の迎撃に遭い失敗。

 

 「グナイゼナウ」「シャルンホルスト」は未だに健在。

 

 報告を聞き、アンドリウスは嘆息気味に頷きを返した。

 

 襲撃を受けて辛くも逃げ延びた輸送船からの通報で、ドイツ艦隊の大まかな位置を掴んだアンドリウスは、指揮下の空母「アークロイヤル」に索敵攻撃を命じたのだ。

 

 索敵攻撃とは、敵がいると思われる方角に向け、なるべく広範囲に攻撃隊を放つやり方である。

 

 敵部隊を発見すれば、無線で味方に呼びかけ部隊を集結。攻撃を仕掛ける事になる。

 

 敵が発見できなければ、空振りになって無為に爆弾や魚雷を捨てる(着艦時の事故等を考えると、使用しなかった爆弾や魚雷は投棄する必要がある)羽目になるリスクのある戦術であるが、今回のように大まかに位置が分かっている時は、速攻性のある戦術である。

 

 果たして、アルバコア雷撃機を主力とした攻撃隊は、ドイツ巡戦2隻の捕捉に成功した。

 

 しかし、予想外の対空砲火に苦戦を強いられ、攻めあぐねているところに、「グラーフ・ツェッペリン」を発した戦闘機隊が増援に駆け付けた事で戦況は逆転。

 

 イギリス側の攻撃隊は、全く戦果を挙げる事が出来ないまま這う這うの体で追い散らされてしまった。

 

「まあ、こんな物か」

 

 さして期待していなかった、とばかりに報告を聞き流すアンドリウス。

 

 航空機の攻撃で、作戦行動中の戦艦が撃沈された例は、未だに一つもない。

 

 今回の攻撃にしたところで、別にアンドリウスは戦果を期待して攻撃を仕掛けたわけではなく、僅かなりとも手傷を負わせられればそれでいいと思っていた。

 

 しかし結果は、ある意味で予想通りだった。

 

「それで、その後のナチス共の動きは?」

「戦闘後、北に進路を取ったところまでは確認しましたが、その後は不明です」

 

 答えたのは、R部隊参謀長を務めるコルドリウスだった。

 

 第6王子の立場であり、アンドリウスとは母を同じにするコルドリウスは、長らく兄と共に戦ってきたこともあり、正に阿吽の如き呼吸を見せている。

 

 勇猛果敢な兄アンドリウスと、冷静沈着なコルドリウスの組み合わせは、正にイギリス王室の中で最高とさえ言われていた。

 

 もう一組。

 

 重巡洋艦「コーンウォール」艦長で第4王子のエドモンドと、駆逐隊を率いる第5王子エディアンも、この場に居合わせていた。

 

 R部隊は現在、アゾレス諸島の西部に停泊し、今後の作戦方針について検討中であった。

 

 部隊は戦艦「クイーンエリザベス」を旗艦とし、戦艦「リヴェンジ」、空母「アークロイヤル」、重巡洋艦「コーンウォール」が中核となっている。

 

 現在、本国艦隊と地中海艦隊を除き、これほどの戦力を有している部隊は他には存在しない。

 

 まさに、大西洋上における最強部隊と言っても過言ではなかった。

 

「それで兄上」

 

 エドモンド王子が逸るように尋ねた。

 

「次はどんな手を打つので?」

 

 早く作戦を聞かせろ。と言わんばかりの態度である。

 

 戦いたくて仕方ない様子だ。

 

 そんな弟の様子に、好まし気な笑みを見せながらアンドリウスは口を開いた。

 

「こいつを見ろ」

 

 そう言ってアンドリウスが弟たちに示したのは、書類の束だった。

 

 書かれていたのはカナダのハリファックスから本土へ向かう大規模な輸送船団の情報。

 

 輸送船だけで17隻。護衛も相応の数に上る。

 

「恐らく、ドイツ艦隊は、この船団を補足するために北上したものと思われる」

 

 コルドリウスが淡々とした調子で告げる。

 

 確かに。

 

 これほどの大規模な船団ならば、ドイツ艦隊からすれば何としても潰しておきたい所だろう。

 

「成程ッ」

 

 エディアン王子が納得したように手を叩く。

 

「奴等は、その船団を叩くためにノコノコ出て来る筈。そこを待ち構えて叩こうって言う訳か」

 

 確かに。

 

 ドイツ艦隊が輸送船団を襲うと分かっていれば、襲撃予想地点に先回りする事も不可能ではない。

 

 だが、

 

「いいや。そいつはちょっと違う」

 

 弟の発言に対し、アンドリウスは首を横に振った。

 

 その口元には、およそ品性と言う物を感じられない程、下卑た笑みが刻まれる。

 

「奴等に、この船団を襲わせるんだよ。敢えて、な」

「なッ!?」

「それは一体ッ!?」

 

 声を上げる、エドモンドとエディアンの兄弟。

 

 敵に狙われる輸送船団を、あえて見捨てる発言をする兄に対し、流石に納得いっていない様子だ。

 

 そんな2人に対し、アンドリウスに変わり、コルドリウスが口を開いた。

 

「2人とも、思い出してほしい。今まで我が軍が優勢の戦力を保ちながら、なぜ、ドイツ海軍如きに後れを取り続けて来たのか? その原因は何か?」

 

 ラプラタ沖、ノルウェー沖、テムズ沖。

 

 これらの戦いでは、イギリス艦隊は明らかに戦力的に優勢を保ちながら、敗北を喫している。

 

 その原因は何か?

 

「問題は、『足』だ。奴等の艦は、戦艦でも30ノット発揮可能な事は確認されている。対してこちらの戦艦は、殆どが25ノット以下でしかない」

 

 イギリス戦艦でシャルンホルスト級巡洋戦艦に「足」で対抗できるのは巡洋戦艦の「フッド」「レナウン」「レパルス」。そしてようやく実戦配備が開始され始めたキングジョージ5世級くらいのもの。クイーンエリザベス級戦艦とR級戦艦は鈍足過ぎて、戦場に到着できない事も珍しくない。

 

 その為、今までのイギリス海軍は足の速い巡洋艦以下の艦隊が先行して敵の足を止め、その間に本隊が敵艦隊を補足する。と言う戦術を取ってきた。

 

 しかし、本隊が到着する前に巡洋艦部隊が撃破。本隊到着と同時にドイツ艦隊が撤退してしまい、イギリス側が一方的に敗れる。と言う事態が多く見られた。

 

「だからこそ、今回は敢えて、奴等に輸送船団を襲わせる。そこで奴等が船団攻撃の為に足を止めたところで、我々が接近し包囲、殲滅すると言う訳だ」

「加えて、奴らは補給面の問題も抱えている」

 

 コルドリウスの説明を、アンドリウスが引き継ぐ。

 

「当然、奴等は定期的に補給船と合流して物資や弾薬を補充しているはずだが、それは毎回と言う言訳にはいかない。必ず間隔がある。輸送船団を襲撃した直後なら、奴等は主砲弾を撃ち尽くしているか、最低でもかなりの量を消費している筈だ。そこで我が部隊が正面から奴等に仕掛ければ、敵はろくな抵抗も出来ずに、我々は一方的に撃ちまくり、なぶり殺しにできると言う訳だ」

 

 輸送船団を殲滅して、意気揚々としているドイツ艦隊の前に、姿を現すR部隊。

 

 しかし弾切れで反撃もままならず逃げ惑い、最後にはR部隊に包囲され、滅多打ちにされて海底に沈められる。

 

 まさに、作戦としては完璧だった。

 

「もし、ドイツ艦隊が輸送船団に食いつかなかった場合は?」

「それは無い」

 

 エディアンの質問に、アンドリウスが首を横に振る。

 

 その顔はある意味、悪魔よりも悪魔的だったと言える。

 

「なぜなら、既に輸送船団の情報は、ナチス共の手に渡るように、俺が指示してリークしたからな。それで、奴らが食いつかない理由はないだろう」

 

 まさに、悪魔の発想としか言いようがない。

 

 アンドリウスは味方である輸送船団を、ドイツ艦隊に売ったのだ。

 

 ただ、己の勝利の為だけに。

 

 古今東西、味方を囮にした作戦は多数あるが、「全滅前提の囮」が使われた例は少ない。

 

 ましてか今回、囮とされるのは軍人でもなければ軍艦でもない。

 

 本来なら、軍によって守られるべき、民間の輸送船団なのだ。

 

 そして、その輸送船団が積載している物資は、本国で日々、ドイツ軍の攻撃に喘ぐ友軍や民間人たちが待ち侘びてやまない貴重な物資である。

 

 だが、その事に疑問をさしはさむ人間は、この場には誰もいない。

 

 誰もが、ドイツ巡洋戦艦を仕留める栄誉を得る事への夢想で、頭がいっぱいになっていた。

 

 哀れ、輸送船団は味方から見捨てられ、犠牲の祭壇に上げられる事が確定したのだ。

 

「成程、それは素晴らしいッ」

 

 エドモンド王子が手を叩く。

 

 満面の笑みを浮かべた顔には、作戦に対する疑問は一欠けらも見出す事が出来ない。

 

 続けて、エディアンも頷く。

 

「確かに、理にかなっていますな。これならば、いかにナチス共が逃げ隠れしようとも、我らが先に包囲網を完成させられる公算が高い。加えて砲弾を使い切っていれば、反撃すらできないと言う事になりますな」

 

 絶賛する王子達。

 

 誰も、「民間の輸送船をおとりに使う事」「輸送船団の全滅を前提にしている事」「本来なら守るべき民間人が、当然のように犠牲になる事」「船団の物資が本国では必要とされている事」について、言及する者はいなかった。

 

 自分達の勝利の為なら、民間人が犠牲になるのは当たり前。むしろ、偉大なる大英帝国の礎となって死ねるのだから感謝するべき。

 

 この場にいる誰もがそう思っていた。

 

「シャルンホルスト級の2隻は、これまで何度もわが軍に煮え湯を飲ませた、言わば仇敵。奴等を撃沈できれば、ディラン兄上を出し抜いて、アンドリウス兄上が、次期国王の座をつかむことは間違いありますまい」

「フンッ 元より、あんな無能者、初めから相手にしておらんわ」

 

 エドモンドの言葉に、アンドリウスは不敵に笑い飛ばして見せる。

 

 散々、失点を重ねながらも、政治的な事情から英雄に祭り上げられ、それを恥入りもせずにひけらかすディランの事を、アンドリウスは心の底から軽蔑しきっていた。

 

 金メッキを塗りたくっただけの偽物。己の物でもない功を自慢する事しかできない阿呆。英王室史上の最低最悪の面汚し。

 

 アンドリウスがディランに対して抱いている罵倒は数知れない。

 

 だが自分は違う。

 

 自分こそが、偉大なる父、フレデリック王の後を継ぎ、次代の輝かしい大英帝国を導くに足る真の勇者なのだ。

 

「さあ、行くぞ皆!!」

 

 大音声を上げるアンドリウス。

 

「ナチス狩りだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 輸送船団側にとって、その襲撃は、完全に寝耳に水の事態だった。

 

 カナダのハリファックスから、イギリス本土を目指して航行していた輸送船団は、大型輸送船6隻、タンカー3隻、中型輸送船8隻を中心に、更に10隻から成る護衛部隊によって構成された大規模な船団だった。

 

 搭載しているのは石油、資材、食料と言った、ドイツ軍の攻撃に苦しめられているイギリス本国からすれば、正に宝の山と言っても過言ではない品々だった。

 

 だからこそ、その輸送には万全を期した。

 

 航路の選定は慎重に行われ、敢えて遠回りして敵の目を晦ませるように行動。護衛は出し得る限りの数を確保した。

 

 更に、ドイツの巡洋戦艦と航空母艦が大西洋に進出していると言う情報を掴んだ船団上層部は、イギリス海軍と連携し護衛を依頼した。

 

 英海軍も船団側の要望に応え、戦艦、空母を含む強力な護衛を派遣してくれた。

 

 更にはドイツ艦隊が南へ移動したと言う貴重な情報が海軍からもたらされるに至り、ついに船団上層部は出港を決断した。

 

 体制は万全だ。

 

 護衛は厳重に周囲を警戒してUボートの襲撃に備え、更には連絡を入れ次第、英海軍のR部隊が直ちに駆け付けられる体制にある。

 

 何も問題はない。

 

 筈だった。

 

 航海は順調に進み、出航から3日目。

 

 海面は穏やかで雲一つなく、このままいけば無事にイギリス本土にたどり着ける。

 

 誰もがそう思った。

 

 その時だった。

 

 突如、天空から鳴り響く甲高い唸り。

 

 「ジェリコの喇叭」を響かせて、スツーカ隊が次々と急降下してくる。

 

「敵だァァァァァァ!!」

 

 響き渡る悲鳴。

 

 投下される爆弾が護衛の艦艇に落とされ、次々と海上に爆炎が踊る。

 

 たちまち、海上は阿鼻叫喚の巷と化す。

 

 更にそれだけではない。

 

 航空攻撃が終了する頃合いを見計らうかのように、船団に向かって突撃してくる2隻のドイツ巡洋戦艦。

 

 接近すると同時に、艦上のあらゆる火砲を振りかざして、船団を次々と沈めていく。

 

 船団を構成する各船からは、R部隊に対して救援を要請する。

 

 悲鳴じみた通信が、電波に乗って飛んでいく。

 

 何度も。

 

 何度も。

 

 何度も。

 

 何度も。

 

 何度も。

 

 何度も。

 

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。

 

 しかし、

 

 彼等の悲痛の叫びに返る答えは無く、

 

 やがて、それらも炎に包まれ、波間へと空しく消えていく。

 

 彼等にとって唯一、幸せだったこと。

 

 それは、

 

 自分達を敵に売ったのが、よもや味方であるはずのイギリス艦隊司令官本人だと言う事を、最後まで知らずに済んだと言う事くらいだろう。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 輸送船団からの悲痛な救援要請は当然、R部隊司令部でも受信していた。

 

 通信室には船団からの悲痛な叫びが木霊し、平文の救援要請が幾度も送られてくる。

 

 だが、

 

 それらを聞いても、アンドリウスは眉一つ動かす事は無かった。

 

 従卒の淹れた紅茶を手に、優雅な様子で船団からの悲鳴を聞いている。

 

「予定通りですな、兄上」

 

 コルドリウスが、船団からの救援要請を聞きながら満足そうに頷く。

 

 彼等の目論見通り、ドイツ艦隊は輸送船団(エサ)に食いついた。

 

 ならば後は、罠の口を閉じるだけだった。

 

「これまで複数回の船団襲撃を行い、そろそろ奴等の弾薬は尽き始めている頃。恐らく、今回の戦闘の後、補給船との合流を図る予定の筈」

「だが、そうはさせん。なぜなら、俺たちが今から、奴等を地獄に叩き落とすからだ」

 

 そう言うと、ニヤリと笑う。

 

「それにしても、あんな見え透いたエサに引っかかるとは、所詮はナチスの田舎海軍と言ったところか」

「それだけ、我々が巧妙だったと言う事です。水上戦闘の基礎も判らんような連中に責任を問うのは酷と言う物でしょう」

 

 互いにドイツ海軍をこき下ろす兄弟。

 

 そうこうしているうちに、救援要請を告げる通信量が減り始める。

 

 どうやら、ドイツ海軍の攻撃によって、船団の数が減り始めたのだ。

 

 その様子を確認しながら、アンドリウスはようやく重い腰を上げた。

 

「よし、では行くとするか」

 

 立ち上がり、軍帽を被り直す。

 

 その廂から見える双眸には、獲物を求める狩人の如きギラ付きがあった。

 

「機関全速ッ!!」

 

 威風堂々と、

 

 アンドリウスは王者の風格すら漂わせる勇壮な姿で命じる。

 

「我が部隊はこれより、卑怯にも友軍の船団を攻撃しているドイツ巡洋戦艦を補足、撃滅すべく行動を開始するッ 罪無き人々を虐殺し、同胞を苦しめる悪逆非道なナチスの暴虐を、これ以上許してはならない!! 恐れるな!! 正義は我らと共にある!!」

 

 その姿は誠に堂々としたものであった。

 

 まさに、誰もが憧れる大英雄。

 

 叙事詩によって記され、未来永劫語り継がれる勇者の如く。

 

 その姿の裏側には、欺瞞と独善しか存在しない事など、誰も疑いはしなかった。

 

 

 

 

 

第31話「同じ穴の狢」      終わり

 



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第32話「鉄槌」

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 1941年2月19日。

 

 この日ついに、ドイツ海軍第1戦闘群と、イギリス海軍R部隊は大西洋ニューファンランド島沖において激突した。

 

 ドイツ艦隊の戦力は巡洋戦艦2隻。

 

 対して、イギリス艦隊の戦力は戦艦2隻、重巡洋艦1隻、駆逐艦5隻。

 

 空母「アークロイヤル」は、駆逐艦2隻を護衛につけて後方に避退させている。これから始まる戦いに、彼女の存在は足手まといでしかないと判断しての事だった。

 

「勝ったな」

 

 不敵な笑みと共に呟くアンドリウス。

 

 燃え盛る炎が広がる海原の先。

 

 味方の輸送船が沈み、同胞たちが地獄の苦しみの中で喘ぐ向こう側に、

 

 悠然と航行する、2隻のドイツ巡洋戦艦の姿。

 

 優美とも言えるそのシルエットは、いっそ戦場においては場違いな印象さえある。

 

「ドイツ人にしては良い趣味をしてやがる。だが、戦争は見てくれでする物じゃない。それを今から教えてやる。地獄へ送るついでになあ」

 

 R部隊は旗艦「クイーンエリザベス」を先頭に、僚艦「リヴェンジ」、重巡洋艦「コーンウォール」が単縦陣を描いて続行。

 

 5隻の駆逐艦は、雷撃態勢に入るべく、速力を上げて先行する。

 

 まさに、理想的な砲雷同時戦の構えだ。

 

「さあ、行くぞッ 奴等の首級を上げ、我が手柄とするのだ!!」

 

 意気揚々と命じるアンドリウス。

 

 その言葉に従うように、早くも駆逐艦部隊が「グナイゼナウ」「シャルンホルスト」に取り付こうとしていた。

 

 

 

 

 

 駆逐艦部隊を指揮するエディアン王子は、配下の駆逐艦部隊を率いて真一文字にドイツ艦隊を目指していた。

 

 目指す先には、ドイツ戦艦の姿。

 

 どこか重厚なシルエットの多いイギリス戦艦に比べて、華奢ながら武装を多数搭載したその姿は、帯剣した少女騎士を連想させる。

 

「待ってろ。そのどてっ腹に、強烈な一撃をお見舞いしてやるからな」

 

 不敵な笑みを浮かべるエディアン。

 

 既に各艦の魚雷発射管には、魚雷の装填が完了している。

 

 後は思いっきり接近して、魚雷を叩きこむだけ。

 

 敵は砲弾を消費しているのだから、反撃出来るはずがない。

 

 ナチス共にできる事は、せいぜい自分達の姿を見て震え上がり、無様に逃げ回るくらいだった。

 

 勿論、逃がすつもりは、エディアンにはない。

 

 この際だから、思いっきり肉薄して雷撃をぶちかましてやろう。

 

 そうすれば、大量の魚雷が奴等を襲うの事になるのだ。

 

「もうすぐだ。もうすぐ・・・・・・・・・・・・」

 

 自分の攻撃で、ドイツの戦艦を撃沈する。

 

 そうなれば、次期国王の座を狙う事も不可能ではなくなるはずだ。

 

 そう、

 

 アンドリウス配下として戦う傍ら、エディアン自身も国王の座を狙っている1人だった。

 

 今回の作戦に参加したのも、全てはその為。

 

 アンドリウスを出し抜き、自分が一番手柄を上げる事が目的だった。

 

「次期国王の相応しいのは、あんな野蛮人の髭ダルマじゃない。この私のような、気品と教養にあふれる自分こそ相応しい」

 

 アンドリウスの弟であり、その配下でありながら、エディアンには兄に対する敬意が一切無かった。

 

 あるのはただ、いかに兄を出し抜いて自分が手柄を上げるか、と言う思考だけだった。

 

 だからこそ、このチャンスを逃さない。

 

 あのドイツ巡戦を撃沈し、自分こそが次期国王になるべき存在であることを知らしめるのだ。

 

 アンドリウス?

 

 奴は国王になった自分の後ろで指でも咥えて見ていればいい。

 

 どのみち、間もなく結果は出るのだから。

 

 その時だった。

 

「敵シャルンホルスト級、主砲旋回!! こちらを照準している模様!!」

「コケ脅しかッ 無様だなナチス野郎!!」

 

 せせら笑うエディアン。

 

 奴等の主砲弾は使い切っている。撃てるはずがない。

 

 そう思った。

 

 次の瞬間、

 

 閃光と共に、エディアンの意識は永遠に消滅した。

 

 

 

 

 

「駆逐隊壊滅ッ エディアン王子戦死!!」

 

 その報告を聞き、アンドリウスは舌打ちした。

 

 視界の先では「グナイゼナウ」と「シャルンホルスト」の砲撃を浴びて、次々と炎上、沈没していく駆逐艦の姿がある。

 

 アンドリウスは、苦々しい表情でその様子を眺めていた。

 

「チッ エディアンの馬鹿が、先走りやがって」

 

 敵はこれまでの襲撃で砲弾を消費しているが、まだゼロになったと決まったわけではない。むしろ、多少は残していると見た方が良い。

 

 それを理解せず、正面から攻撃を仕掛けた結果、手痛い反撃によって駆逐艦部隊は壊滅的な損害を被ってしまった。

 

 エディアンはイギリス王家の中では、今次大戦における最初の犠牲者となったわけだ。

 

 だが、

 

「あの無能野郎。貴重な戦力を無駄にしやがって」

 

 弟の死を嘆くよりも、本格的な戦闘開始前に戦力を減らされたことに憤るアンドリウス。

 

 無論、エディアンが自分を出し抜こうとしていた事など彼は知らないのだが。

 

「どうする兄上? これで駆逐隊はあてにできなくなったが?」

 

 傍らのコルドリウスが訪ねる。

 

 使える戦力が激減した以上、新たなる対応が必要となる。

 

 だが、

 

 ニヤリと笑う。

 

「無論、考えるまでもないッ 駆逐隊がいなくなったところで、火力はこっちが上な事に変わりはないからな。射程に入り次第、攻撃開始だ!!」

 

 こうなってしまえば、駆逐隊がドイツ海軍の砲撃によって壊滅した事も、ある種の幸運だったと言えなくもない。

 

 これで敵は、残り少ない砲弾を更に消費してくれたことになる。

 

 イギリス側の勝利条件は、より強固な形で完成したと言えよう。

 

 アンドリウスの命令に従い、速度を上げてドイツ海軍第1戦闘群に迫るイギリス海軍R部隊本隊。

 

 やがて、距離が2万にまで迫る。

 

 既に両者、主砲の射程距離内。

 

「よし、やるぞッ 我らが栄光の為に!!」

 

 既に各艦の主砲は旋回し、照準、装填も終えている。

 

 笑みを刻むアンドリウス。

 

 そのぎらつく双眸にはすでに、栄光に包まれた自身の姿が映し出された板。

 

「撃ち方始め!!」

 

 号令と同時に、「クイーンエリザベス」の42口径38.1センチ砲が放たれる。

 

 続けて発砲する「リヴェンジ」と「コーンウォール」。

 

 対抗するように、「グナイゼナウ」と「シャルンホルスト」も主砲で応戦を始める。

 

「ハッ コケ脅しかよッ それともやぶれかぶれか? いずれにせよ、自分達の死期を早めるだけだッ!!」

 

 せせら笑うアンドリウス。

 

 派手に撃ちまくっているドイツ巡戦の砲弾は間も無く尽きる。

 

 その時こそ、奴等の最後だ。

 

 互いの放った砲弾が海面を叩き、巨大な水柱を突き上げる。

 

 ドイツ側の砲門数は28.3センチ砲18門。

 

 対するイギリス側は38.1センチ砲16門、20.3センチ砲8門。

 

 火力は圧倒的にイギリス側が上となる。

 

 更に、両者の射程距離は既に2万を切り、充分に有効射程内にある。

 

 1発撃つごとにデータは修正され、弾着は徐々に近づいていく。

 

 このまま押し切れば勝てる。

 

 そして、ついに、

 

「本艦の砲弾、敵1番艦を挟叉!! 次より斉射に移ります!!」

 

 挟叉

 

 すなわち「クイーンエリザベス」の砲撃が、ドイツ艦隊旗艦「グナイゼナウ」を挟み込むように落下したのだ。

 

 これにより「クイーンエリザベス」の照準は、ほぼ正確になった事を意味している。

 

「よし、これで勝ったぞッ 思い知れ、ナチス共!!」

 

 意気揚々と叫ぶアンドリウス。

 

 次の瞬間、

 

「対空レーダーに感ありッ 急速接近中!!」

 

 

 

 

 

 グスタフ・レーベンス大尉率いる「グラーフ・ツェッペリン」航空隊が戦場上空に到着したのは、第1戦闘群とR部隊が砲戦を開始して15分程度が経過したころの事だった。

 

 翼を連ねて飛行する、12機のユンカース・Ju87スツーカ。

 

 その上空では12機のメッサーシュミットBf109が、護衛として飛行している。

 

 まさに「グラーフ・ツェッペリン」航空隊の全力出撃である。

 

 眼下では、砲戦を続ける独英双方の艦隊の姿がある。

 

「よし、良いタイミングだッ 全機、攻撃開始!!」

 

 無線でレーベンスの命令が飛ぶと同時に、スツーカ隊が急降下態勢に入る。

 

 4機ずつの小隊に分かれ、それぞれ「クイーンエリザベス」「リヴェンジ」「コーンウォール」に向かっていく。

 

 この航空攻撃は、完全にR部隊の虚を突く形になった。

 

 ジェリコの喇叭を響かせて急降下するスツーカ隊。

 

 対してR部隊は砲戦に備え、対空砲要員を全員艦内に退避させてしまっていた為、対空砲による反撃が不可能となってしまった。

 

 加えて、ドイツ巡洋戦艦との砲撃戦の最中である為、回避行動を取る事すらできない。

 

 たちまち、甲板上に爆炎が踊る。

 

 スツーカは胴体下に500キロ爆弾1発と、両翼に合計4発の50キロ爆弾を搭載できる。

 

 今回、スツーカ隊はフル装備での出撃だった。

 

 その為、1隻当たり500キロ爆弾4発、50キロ爆弾16発が襲い掛かる計算になる。

 

 まず直撃を食らったのは、戦艦「リヴェンジ」だった。

 

 最も機動力の低いこの戦艦の右舷甲板付近に、スツーカの500キロ爆弾が直撃した。

 

 「リヴェンジ」を含むR級戦艦は、クイーンエリザベス級の後継艦であるにもかかわらず、その性能の低さからこれまでほとんど改装は行われる事が無かった。

 

 多少、防御力を強化する工事は行われたが、そのせいで却って弱点だった機動力が低下し、性能低下の声もあったくらいである。

 

 そこへ、500キロ爆弾が3発と、50キロ爆弾8発が命中。

 

 甲板は一気に火の海と化した。

 

 更に500キロ爆弾の内1発は甲板装甲を突き破って艦内で炸裂。運悪くボイラー1基を直撃し、これを使用不能にしてしまった。

 

 これにより「リヴェンジ」は、見る見るうちに速力を低下させ始めた。

 

 次に直撃を受けたのは、旗艦「クイーンエリザベス」である。

 

 こちらは500キロ爆弾3発と、50キロ爆弾5発が命中。

 

 「リヴェンジ」に比べれば多少、防御力が高い「クイーンエリザベス」は、この直撃に耐えた。

 

 艦内に被害はなく、艦上構造物に被害が出た程度である。

 

 だが、

 

 その内の1発が、厄介な損害をもたらした。

 

 投下された50キロ爆弾の1発が、事もあろうに艦橋頂部を直撃した。

 

 小型の爆弾だった為、アンドリウス以下司令部要員に被害は無かった。

 

 しかし着弾の衝撃によって「クイーンエリザベス」は、主砲射撃に必要な測距儀、前部レーダー、更には射撃指揮を行うのに必要な主砲射撃方位盤も破壊されてしまった。

 

 それだけではなく、砲戦の指揮を執っていた砲術長以下、砲術士官も戦死。

 

 直ちに、後部射撃式所に指揮の引継ぎが命じられる。

 

 しかし、指揮の切り替えが行われるまで、「クイーンエリザベス」は完全に射撃不能となってしまった。

 

 「コーンウォール」は、流石巡洋艦と言うべきか、機動力を如何無く発揮して攻撃を回避。最終的に500キロ爆弾1発と、50キロ爆弾2発の直撃で済んだ。損害として第2砲塔を破壊された物の、戦闘力は維持できていた。

 

 

 

 

 

 イギリス艦隊が航空攻撃によって損害を被り、戦況は一気にドイツ側へと傾く。

 

 その様子を、上空を旋回するメッサーシュミットを駆るクロウの目にも見えていた。

 

 炎上し、海上をのたうち回るイギリス艦隊。

 

 ドイツ艦隊は反転攻勢に転じるべく、砲塔を旋回させている。

 

「やっちまえ、兄貴」

 

 眼下で戦う兄に向け、弟は静かなエールを送るのだった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 反撃の砲火をひらめかせるドイツ艦隊。

 

 「シャルンホルスト」は、爆撃によって速力を低下させた「リヴェンジ」に砲火を集中させる。

 

 距離が詰まり、砲弾の軌道はほぼ水平に近くなる。

 

 自然、増加する命中弾。

 

 更に砲弾の初速も上がり、「シャルンホルスト」の砲撃は、次々と「リヴェンジ」の装甲を突き破り、艦内で炸裂する。

 

 無論、弾薬庫や機関と言った重要区画への直撃は無い。

 

 しかし、非装甲部は次々と突き破られ炎上していく。

 

 直撃する「シャルンホルスト」の28.3センチ砲弾。

 

 両用砲が吹き飛ばされ、機銃が粉砕され、射撃式装置が叩き潰される。

 

 艦内を突き破った砲弾が火災を発生させ、内部から蝕んでいく。

 

 もはやリヴェンジは、完全に反撃どころではなくなった。

 

 それでも容赦なく砲撃を浴びせる「シャルンホルスト」。

 

 やがて「リヴェンジ」は速力を落とし、がっくりとうなだれるようにして海上に停止した。

 

 4基8門の38.1センチ砲はまだ生きている。射撃を続行しようとすれば、できない事もない。

 

 しかし、多数に上る死傷者に加え、艦内の損害が重なり、もはや戦闘どころではなくなってしまった。

 

 加えて艦長以下、艦首脳部も「シャルンホルスト」の砲弾が艦橋に直撃した際に全滅。指揮中枢を失い、大混乱に陥っていた。

 

 もはや「リヴェンジ」が、この戦闘に参加するどころか、本国に戻る事すら不可能であることは、誰の目から見ても明らかだった。

 

 

 

 

 

「馬鹿な・・・・・・・・・・・・」

 

 自分達の置かれた状況に愕然とするしかないアンドリウス。

 

 傍らのコルドリウスも又、あまりな状況に冷静な思考を保てなくなっていた。

 

 否、

 

 それ以前に、アンドリウスはどうしても理解できない事があった。

 

「なぜだ・・・・・・・・・・・・」

 

 砲撃を行う「グナイゼナウ」を見ながら呟く。

 

「なぜ、奴等は主砲を撃てるのだ・・・・・・」

 

 敵はこれまで連戦続きで補給する間も無く、よって砲弾は殆ど撃ち尽くしている。

 

 そこにR部隊が攻撃を仕掛ければ、勝利は容易い筈。

 

 そう思っていた。

 

 しかし現実は、そうはならなかった。

 

 ドイツ巡戦2隻は、惜しげもなくイギリス艦隊に砲撃を浴びせ、損害は徐々に膨らみつつあるのだった。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 「シャルンホルスト」艦上で指揮を執るエアルは、「リヴェンジ」を戦闘不能に陥れたと判断し、砲撃目標を重巡洋艦「コーンウォール」に変更するように命じていた。

 

 本来なら旗艦「クイーンエリザベス」に変更するべきなのだろうが、まずは「コーンウォール」を無力化する事で後顧の憂いを立とうと考えたのだ。

 

「落ち着いて狙って。焦る必要はないよ。砲弾はまだ十分にある(・・・・・・・・・・)んだから!!」

「了解!!」

 

 エアルの指示に、威勢のいい声が返る。

 

 そう、

 

 アンドリウスたちの前提は、そもそもからして的外れだった。

 

 ドイツ艦隊の弾薬庫には、それこそ撃ち切れないほどの主砲弾が搭載されていたのだ。

 

 そもそも今回のベルリン作戦。

 

 主目的はあくまで通商破壊戦だが、潜水艦部隊の援護として、敵対潜部隊(R部隊)の殲滅も盛り込まれている。

 

 長期にわたる作戦が見込まれるため無論、定期的な補給船との合流は予定されていた。

 

 しかし万が一、砲弾が尽きたところで敵艦隊と遭遇した時のことが懸念された。

 

 そこで今回、特に第1戦闘群に徹底された方針として「主砲弾の徹底的な温存」が命令された。

 

 主砲を使うのは、船団を脅す際の牽制時のみ。

 

 実際の攻撃には、増設された高角砲を多用する。実際、輸送船程度なら、10.5センチ砲でも十分な威力を発揮できた。

 

 そのほかにも「グラーフ・ツェッペリン」の艦載機を使った攻撃や、降伏、拿捕した船には必要物資を積みかえた後、工作班を乗り込ませ、船底部に爆薬を仕掛けて自沈させる手法が取られた(以外にもこれが最も効果的だった)。

 

 こうして、主砲弾の温存に成功した「グナイゼナウ」と「シャルンホルスト」の弾薬庫には、R部隊との戦闘に突入した際には、未だに9割以上の主砲弾が手つかずのまま搭載されていた。その為、1回どころか、2~3回程度の海戦なら十分にこなせるだけの備蓄があった。

 

「敵巡洋艦、さらに接近!!」

 

 重巡洋艦「コーンウォール」は、距離を詰めて魚雷を叩きこもうと言うのだろう。

 

 徐々に近づいてきているのが分かる。

 

 だが、それを許す気は無かった。

 

「主砲、照準良し!!」

「装填完了!!」

 

 命令を受け、

 

 エアルは帽子の廂越しに、突っ込んでくる「コーンウォール」を睨み据える。

 

「撃てッ!!」

 

 

 

 

 

 「コーンウォール」艦橋で指揮を執っていたエドモンド王子。

 

 その視界の中で、全砲門を自分に向けた「シャルンホルスト」が映りこむ。

 

「か、回避をッ」

 

 命じたが、

 

 既に遅い。

 

 閃光と共に鼻垂れる砲弾。

 

 まっすぐに飛翔する28.3センチ砲弾。

 

 エドモンド王子が最後に見た光景は、

 

 奇しくも彼の弟が見た光景と、殆ど同じであった。

 

 

 

 

 

 「リヴェンジ」大破航行不能、「コーンウォール」撃沈。

 

 これにより、R部隊で戦闘力を残しているのは「クイーンエリザベス」のみとなってしまった。

 

 その「クイーンエリザベス」にしても、「グナイゼナウ」に加えて「リヴェンジ」「コーンウォール」を撃破した「シャルンホルスト」にも砲門を向けられるにいたり、その運命は旦夕に迫りつつあった。

 

 次々と着弾する砲弾が、「クイーンエリザベス」を破壊していく。

 

 既に事態は戦闘ではなく、ドイツ巡戦による「砲撃演習」と化しつつあった。

 

 その「クイーンエリザベス」の艦橋にあって、アンドリウスは呆然自失と化していた。

 

 ほんの数時間前まで、彼は自分の勝利を信じて疑いなかった。

 

 悪逆非道、卑怯卑劣なナチス・ドイツの艦隊を打ち破り凱旋。そして自分は次期国王の座を不動の物とする。

 

 その未来は、目の前で無残にも打ち砕かれようとしていた。

 

 いったい、なぜこうなったのか?

 

 どこで間違えたのか?

 

 作戦は完璧だった。

 

 自分達に負ける様子など、無かったはずだ。

 

 結局、

 

 アンドリウスは最後まで、ドイツ艦隊がR部隊を警戒して主砲弾の温存に務めていた事に気が至らなかった。

 

「あ、兄上・・・・・・・・・・・・」

 

 最早、かける言葉も見つからず、狼狽するしかない弟のコルドリウス(役立たず)に一瞥すらせず、アンドリウスは自分を破滅に追いやったドイツ巡戦を睨み続ける。

 

 やがて、

 

「・・・・・・・・・・・・良いだろう」

 

 絞り出すような声で、アンドリウスは言った。

 

「この戦いは、お前たちの勝ちだッ だがな、ただで勝ち逃げは許さんぞ!!」

 

 叫ぶように言いながら、艦長を見やる。

 

「機関最大、面舵一杯ッ!! これより本艦は、敵艦に対する接近戦を試みる!!」

 

 自分達が沈むのは仕方がない。

 

 だが、ただでは沈まない。

 

 最低でも1隻、ナチスの戦艦を道連れにしてやる。

 

 誰もが(それこそ弟ですら)、アンドリウスが正気を失ったように思えた。

 

 だが、

 

 アンドリウスは誰よりも冷静さを保っていた。

 

 今この場で、自分達にできる最後の反撃。

 

 それは、命を持って差し違える事のみだった。

 

 右に転舵する「クイーンエリザベス」。

 

 突然の進路変更だった為、ドイツ艦隊からの砲撃が逸れて水柱を上げる。

 

 そのまま、最大戦速の24ノットで驀進を始める。

 

 同時に、前部4門の38.1センチ砲を発射。

 

 「グナイゼナウ」に対し、1発の命中弾を得る。

 

「良いぞッ このまま突撃しろッ ぶつけても構わんッ 何としても奴を沈めるんだ!!」

 

 獅子吼するアンドリウス。

 

 それは最早、艦隊司令官と言うよりも、古代の馬賊か匪賊すら連想させる光景だった。

 

 対抗するように「グナイゼナウ」「シャルンホルスト」からも砲弾が飛んでくる。

 

 次々と命中する28.3センチ砲弾」。

 

 「クイーンエリザベス」の艦体が次々と破壊されていく。

 

 だが、その勢いは留まる事を知らない。

 

「無駄だ無駄無駄ァッ もはや、この俺を止める事は神であっても不可能だ!!」

 

 言いながら、高笑いを上げるアンドリウス。

 

 「グナイゼナウ」との距離が、1万を切り、至近にまで迫る。

 

 そのまま体当たりでもするつもりなのか?

 

 そう思った、

 

 次の瞬間、

 

「右舷ッ 雷跡3!! 近い!! 当たる!!」

 

 見張り員の悲鳴交じりの絶叫。

 

 次の瞬間、

 

 足元から襲ってきた衝撃に、アンドリウスの体は大きく吹き飛ばされた。

 

 馬鹿な?

 

 魚雷?

 

 いつの間にか、Uボートに接近を許していたとでも言うのか?

 

 しかし、その答えはついに得られないまま、

 

 アンドリウスの体は爆炎に飲まれ、意識は漆黒の闇へと落ちて行った。

 

 

 

 

 

 「クイーンエリザベス」の海上停止を確認し、エアルは手にした双眼鏡を静かに下した。

 

 その顔にあるのは会心の笑み、

 

 ではなく、どこか呆れめいた安堵だった。

 

「敵が見境なく突っ込んできてくれる馬鹿で助かったよ。おかげで新兵器が無駄にならずに済んだ」

「えー ボクは結構気に入ってるんだけどな、あれ」

 

 エアルの淡白な感想に対し、シャルンホルストは不満げに頬を膨らませる。

 

 最後に「クイーンエリザベス」を襲った魚雷。

 

 あれはUボートから放たれたものではない。

 

 魚雷を放ったのは「シャルンホルスト」だった。

 

 副砲撤去と高角砲増設の改装に合わせ、両舷の中央甲板に各1基ずつ、3連装魚雷発射管が増設されていた。

 

 戦艦に魚雷発射管など、本来ならミスマッチでしかない。

 

 そもそも魚雷を当てられるほどの近距離で砲戦を行う事は稀だし、何より万が一被弾して魚雷が誘爆でもしようものなら、その損害は計り知れない。

 

 第1次大戦の頃までは、列強各国も戦艦に魚雷を搭載していたが、やがて時代の変遷と共に撤去され、今ではどの国も戦艦に魚雷を搭載している国はない。

 

 しかしシャルンホルスト級巡洋戦艦の砲撃力不足を懸念したドイツ海軍上層部は、敢えて時代を逆行する形を取った。

 

 正直、エアルとしても魚雷の搭載には反対だったのだが、上級司令部からの命令で渋々従ったのだ。

 

 それが、この最終局面で役に立ったのなら、とりあえずはまあ、意味があったと言って良いだろう。

 

 その時、

 

 ひときわ巨大な轟音が起きた。

 

 視線を向ければ、魚雷命中によって弾薬庫に火が入ったらしい「クイーンエリザベス」が、今まさに巨大な爆炎を上げて、木っ端みじんに吹き飛んでいるところだった。

 

 イギリス海軍R部隊は壊滅。

 

 これで、ベルリン作戦における最重要目標だった、対潜部隊の壊滅は達成されたわけだ。

 

 これで、暫くUボート艦隊を妨害する者はいなくなるだろう。

 

「お疲れ様、シャル」

「うん、おにーさんも」

 

 笑いあう2人。

 

 死闘を制した艦長と艦娘は、互いの存在を確かめ合い笑顔を交わす。

 

 やがて、

 

「旗艦より信号ッ 《之ヨリ現海域を離脱スル。我ニ続ケ》!!」

 

 旗艦「グナイゼナウ」からの命令。

 

 それを受けて、エアルは頷く。

 

「取り舵一杯、旗艦に続行せよ!!」

 

 大きく、左に旋回する「シャルンホルスト」。

 

 と、

 

 エアルの手を、温かく、柔らかい手が包み込む。

 

 目を向けると、シャルンホルストが優しい笑顔で笑いながら、エアルの手を握っている。

 

 エアルもまた笑い返すと、

 

 巡戦少女の手を握り返すのだった。

 

 

 

 

 

 

第32話「鉄槌」      終わり

 




シャルンホルスト級巡洋戦艦(ベルリン作戦時)

基準排水量:3万1000トン
全長:235メートル
全幅:30メートル
最高速度:31ノット

武装
54.5口径28センチ砲3連装3基9門
65口径10.5センチ砲連装15基30門
3.7センチ連装機関砲12基24門
2センチ連装機関砲12基24門
53.3センチ3連装魚雷発射管2基6門

同型艦「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」

備考
シャルンホルスト級巡洋戦艦にとって2度目の長期通商破壊戦に備え、対空火力を強化したバージョン。具体的には連装4基、単装4基装備していた15センチ副砲を撤去。空きスペースに65口径10.5センチ高角砲を増設した。これによりシャルンホルスト級巡洋戦艦は近接火力は低下したものの、高角砲は30門(片舷16門)に増加。防空艦としては、ヨーロッパ最強と言っても過言ではない存在となった。また、同時期に魚雷発射管も増設。対大型艦戦闘への備えとしたが、防御力低下の懸念から、雷装搭載には反対の声も大きかった。


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第33話「フランスの港」

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨は、人の心の悲しみを現しているかのようだった。

 

 葬儀への参列者は数万にも及び、亡くなった者達への哀悼を捧げる。

 

 祭壇の上に、並べられた棺の数は4つ。

 

 それぞれ名前には金のプレートで、「アンドリウス」「コルドリウス」「エドモンド」「エディアン」の名が刻まれていた。

 

 「ニューファンランド島沖海戦」の名で知られる事になる、ドイツ海軍第1戦闘群とイギリス海軍R部隊の激突は、イギリス海軍の一方的な敗北で幕を閉じた。

 

 参加艦艇の内、戦艦2隻、重巡洋艦1隻、駆逐艦3隻を喪失。

 

 更に司令官である第3王子アンドリウスを始め、4人の王子がこの戦いで戦死すると言う、取り返しのつかない痛手を蒙ってしまった。

 

 イギリスはとりわけ、王族に対する国民の忠誠心と人気が高い国。

 

 その王族が、一度の戦いで4人も死んだ事に、誰もが悲しみを隠せないでいた。

 

 だからこそ、あいにくの雨にもかかわらず、葬儀には多くの参列者が出席したのだ。

 

 無論、その中には王族は勿論、チャーチルをはじめとした政治家、トーヴィ等軍人の姿もある。

 

 そんな中、1人の男が壇上に立つ。

 

 現イギリス国王フレデリックである。

 

 自分達の頂点に立つ人物の登場に、全ての参列者が居住まいを正す。

 

 マイクを手に取るフレデリック。

 

 しばらくの沈黙ののち、

 

「・・・・・・・・・・・・我が」

 

 ゆっくりと、口を開いた。

 

 誰もが成長して、国王の言葉を待つ。

 

「我が、心の内を知る者が、この中にいるだろうか? 我が身を引き裂くような思いを、理解してくれる者がいるだろうか? たとえ100億の悲しみをぶつけられたとしても、余は耐えて見せよう。100億の苦しみをぶつけられたとしても、その全てを撥ねつけて見せよう。だが、たとえ100億の心をもってしても、決して受け入れる事の出来ない物が確かにある」

 

 いったん言葉を置き、参列者たちを見渡すフレデリック。

 

 皆、一言もしゃべることなく、国王に視線を向け続けている。

 

「我が愛する息子たち、アンドリウス、コルドリウス、エドモンド、エディアン。彼等は皆、勇敢であった。我が子らは、卑怯にもか弱き輸送船を食い物にする、悪逆非道、傲慢極まりないナチス・ドイツから、大切な同胞を守る為、その身を盾にして勇敢に戦い、そして散っていった。余は息子たちを、これ程までに誇りに思った事はない。実によくやってくれた」

 

 すすり泣く声が聞こえてくる。

 

 皆が、アンドリウスたちの死を悲しんでいるのだ。

 

「では、誰が息子たちを殺した?」

 

 務めて、低い声が響く。

 

「誰が、我が愛する子等を死に追いやった?」

 

 発したフレデリックの目には、怒りの感情が浮かんでいた。

 

「それは、海の向こうから攻め寄せた独裁者と、彼奴めに率いられた、卑怯者の賊共に他ならないッ アドルフ・ヒトラーなる成り上がり者は、大戦の引き金を引き、この欧州全土を巻き込む戦火を拡大させ、ポーランドを、ノルウェーを、同胞フランスを飲み込み、ついには不遜にも、我が大英帝国にまで、その魔の手を伸ばしてきたッ あまつさえ、独裁者に率いられし卑怯極まりない戦艦の詐術に陥り、我が息子達と、その多くの同胞が犠牲となったッ これが果たして許せるだろうか!? 否!! 断じて否だ!! 彼の国を、彼の独裁者を、そして悪逆非道な侵略軍を、我らは決して許してはならないッ 奴等を一兵残らず絶滅させ、彼の独裁者を縛り、ドイツと言う国を降伏に追い込んで、初めて息子たちの魂は、天に召される事だろう!! 我が同胞達よ、奮起せよ!! 今こそ、我が大英帝国は一丸となって、独裁者を打ち破る剣とならねばならんッ 既に躊躇の時は過ぎたッ 余が望むことはただ一つッ 我が大英帝国に偉大なる勝利をッ それこそが散っていった者たちにとっての唯一の、そして至高の餞となるのだ!!」

 

 熱狂的な歓声が沸く。

 

 誰もが、国王の演説に酔いしれていた。

 

 そうだ、陛下の言う通りだ。

 

 同胞を守る為、勇敢にも独裁者に立ち向かったアンドリウス王子達。

 

 王子達の仇を、我らの手で取るのだ。

 

 恐れるな、我らには偉大なる国王陛下が付いている。

 

 いかに敵が強大であろうと、正義の心を持つ我ら大英帝国が敗れる事はない。

 

 独裁者に死を!! 侵略者共に死の鉄槌を!! 悪逆なるドイツに破滅を!!

 

 熱狂は覚める事無く、いつまでも轟き続けるのだった。

 

 

 

 

 

 用意された車に乗り込むフレデリック。

 

 シートに腰掛けると、首のネクタイを煩わし気に取り去り、車の床に投げ捨てた。

 

「フンッ まったく無駄な時間を使わされた」

「お疲れ様です。ささ、どうぞ、まずは一杯」

 

 吐き捨てるように告げるフレデリックに対し、先に乗り込んでいたチャーチルがグラスを私、手にしたボトルを傾ける。

 

 満たされた琥珀色の液体を、喉に流し込むと、大きく息を吐き出した。

 

「あの無能のバカ息子どもが、死んでも我が手を煩わせ、時を浪費させるとは。まったくもって、度し難い阿呆どもよ」

 

 名前を思い出すのも煩わしい、とばかりにフレデリックが吐き捨てるのは、先のニューファンランド島沖海戦で戦死した息子たち。

 

 アンドリウス、コルドリウス、エドモンド、エディアンの事である。

 

 見る人が見れば、これ程奇異なものはないだろう。

 

 フレデリックは、息子たち。特にアンドリウスの事を高く買っており、次期国王には第2王子のディランを差し置いて、アンドリウスがなるとまで言われていたくらいである。

 

 しかし葬儀が終わった今、フレデリックは死んだ息子たちの事を口汚く罵る。

 

 そして、

 

 その事を、同乗しているチャーチルもアルヴァンも、不思議とは思っていなかった。

 

「奴等の無能のおかげで、我が国の権威がどれほど落ちた事か。これでまた、あの伍長上がりの小男を付け上がらせる事になると思えば、腸が煮えくり返るわい。唯一の救いは、無能のクズ息子共の顔を二度と見ずに済むと言う事くらいか。フンッ それくらいは評価してやっても良いがな」

 

 これが、フレデリックと言う男の実態だった。

 

 彼は確かに、今回の戦いの結果に憤っていた。

 

 ただしそれは、愛する息子を殺されたからではなければ、有象無象の如き艦隊の将兵、艦娘や、足手まといの輸送船乗組員が殺されたからでもないし、艦隊が壊滅するほどの大損害を被ったからでもない。

 

 フレデリックが憤っている事。

 

 それは、この敗北によって大英帝国の、ひいては自分の権威が失墜する事に憤っていた。

 

 民衆の悲しみや憤りなど知った事ではない。

 

 全ては自分が、

 

 偉大なる大英帝国国王たる、この自分自身の存在こそが至高であり至上であり、唯一無二なのだ。

 

「それで、アンドリウス等がやられたと言うドイツ艦隊は、その後どうなった?」

「は。R部隊壊滅後も1カ月ほど大西洋上で通商破壊戦を続けたのち、フランスのブレスト軍港へ入港したところまでは確認が取れております」

 

 フレデリックの質問に答えたのはアルヴァンである。

 

 フランス降伏後、ヒトラーは大西洋における活動範囲を広げるべく、フランス沿岸部における港湾施設の使用権をフランス政府から譲り受けている。

 

 これによりUボート艦隊は、大西洋上での作戦行動の後はフランスの港で補給、整備が受けられるようになり、活動の幅は大きく広がった。

 

「トーヴィとダウディングに命じろ。ブレストへの空襲を強化するように、とな。この大英帝国をコケにすればどのような事になるのか、ナチス共に知らしめてやれ」

「ハッ」

 

 恭しく頭を下げる、チャーチルとアルヴァン。

 

 その2人を見ながらフレデリックは、己自身の復讐を果たすべく、その標的を見定めるのだった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 ドイツ海軍第1戦闘群、及び第1航空群が全ての作戦行程を終え、フランスのブレスト軍港へ帰港したのは、R部隊との決戦後、1カ月以上過ぎた3月22日の事だった。

 

 主力巡洋戦艦と最新鋭空母を投入しての大規模通商破壊戦は大成功を収め、部隊は約2カ月の間に、実に42隻、約25万トンにも上る船舶を撃沈した。

 

 戦果が多かった理由としては、やはり空母「グラーフ・ツェッペリン」の実戦投入が大きかったと言えよう。

 

 航空機を用いる事で敵の船団をいち早く発見。さらには空と海からの連携攻撃により、効率の良い襲撃作戦の実行。

 

 それらを元にした新戦術の確立により、ドイツ海軍は過去最高と言っても過言ではない大戦果を上げたのだ。

 

 勿論、ニューファンランド島沖海戦においてR部隊を撃破、戦艦2隻を含む多数の艦艇を撃沈した事も大きい。

 

 バトルオブブリテンが完全に戦線膠着している中、正に海軍の活躍はドイツ全軍にとって、新たなる追い風となったことは間違いなかった。

 

 

 

 

 

 第1戦闘群旗艦「グナイゼナウ」では、1人の将官が艦を立ち去ろうとしていた。

 

 トランクケースに私物を収め、律動的な歩調で歩く人物。

 

 リンター・リュッチェンス大将。

 

 ドイツ海軍第1戦闘群司令官であり、フェロー諸島沖海戦、ベルリン作戦においてイギリス海軍相手に互角の戦いを演じた人物。

 

 今やドイツ海軍の「エース」と言っても過言ではない立場にあるリュッチェンスはこの日、本国に召還される形で、艦を降りる事となった。

 

 とは言え、これは所謂、更迭ではない。

 

 フェロー諸島沖海戦と、ベルリン作戦時における戦果を鑑みたドイツ海軍上層部は、新編成された部隊をリュッチェンスに任せる事を決定したのだ。

 

 今回は、その為の栄転人事と言えた。

 

「後の事は、よろしく頼む」

 

 そうリュッチェンスが告げた視線の先では、オスカー・バニッシュと、グナイゼナウの2人が立っていた。

 

「以後、第1戦闘群はアレイザー中将の指揮下に入る事になる。彼の指揮に従ってくれ。できるだけ早く、本国に戻れるように手配はするが、状況が状況だ。いつまでかかるかは予想が出来ん。それまで、警戒は厳に。ここが敵地にほど近い最前線だと言う事を忘れないように」

 

 最後まで、業務連絡めいた事を告げるリュッチェンスに、オスカーとグナイゼナウは最早、苦笑しか出てこない。

 

 これも、あるいは一つの個性なのだろう。

 

 柔軟な発想をする人間が優秀な人間と言われがちだが、組織にはこうしたお堅い頭をした人間も必要なのだ。

 

 と、

 

 そんな事を考えていると、リュッチェンスが付け加えたように言う。

 

「もっとも、私などいない方が、君等にとっては色々とやりやすいかもしれんがな。そう、それこそ『色々と』な」

「「は?」」

 

 意味深めいたリュッチェンスの言葉に、思わず口をポカンと開ける、オスカーとグナイゼナウ。

 

 2人のそんな反応に、してやったりとばかりに笑みを浮かべるリュッチェンス。

 

 最後の最後でやってくれたものである。

 

 2人のおかしな反応に満足したように、踵を返して艦を降りるリュッチェンス。

 

 この後彼は、飛行機に乗ってベルリンに戻る予定である。

 

「・・・・・・・・・・・・行ってしまったな」

「そ、そうね」

 

 去っていくリュッチェンスを2人並んで見送る、オスカーとグナイゼナウ。

 

「ねえ・・・・・・・・・・・・」

 

 リュッチェンスの背中が見えなくなるのを待ってから、グナイゼナウが声を掛けた。

 

「提督、私たちの関係に気付いてた、のかな?」

「あの様子だと、多分な」

 

 乾いた笑いを浮かべるしかないオスカー。

 

 恋人関係にある、オスカーとグナイゼナウ。

 

 その関係については、念のため秘密にしてある。

 

 無論、人間と艦娘は自由恋愛であり、誰と誰が付き合おうが他人に干渉される物ではない。

 

 しかしそれでも、少し気恥ずかしい物があるのも確かである。

 

「うう、失敗した・・・・・・何でバレるかな」

 

 頭を抱えるグナイゼナウ。

 

 因みに彼女の姉にも、既にバレていたりするのだが。

 

 そんなグナイゼナウの様子に苦笑しつつ、オスカーは肩をすくめる。

 

「仕方がない。提督はもう行ってしまったし、他の奴等にはバレていないだろう。俺達が少し距離を置くように心がければ、これ以上は・・・・・・・・・・・・」

 

 そこまで言って、オスカーは言葉を止める。

 

 顔を赤くしたままのグナイゼナウが、オスカーの来ている軍服の袖を、強く握りしめているのだ。

 

「それもやだ」

「どうしろと?」

 

 自分の彼女の我儘に、オスカーは途方に暮れるのだった。

 

 

 

 

 

 ブレストに入港したドイツ艦隊は、直ちに岸壁に横付けされ、総点検が為される事になった。

 

 何しろ2カ月に及ぶ長期航海。しかも、敵の主力艦隊とも戦っているのだ。

 

 艦内の至る所にガタが来ていてもおかしくはない。

 

 そして、その結果、

 

「こうなるわけね」

「ごめんなさい」

 

 苦笑気味のエアルに対し、シャルンホルストはベッドに横たわったまま、申し訳なさそうに謝る。

 

 正直、

 

 何となくこうなるのではないかと思っていた。

 

 ブレストに到着し、艦内の総点検が終わった直後の事だった。

 

 シャルンホルストが倒れたのは。

 

 元々、体の弱い彼女の事。長期航海の後は、こうなる事が予想できていた。

 

 直ちに艦内の医務室に運ばれた彼女だったが、もう少し設備の整った場所に移した方が良いと言う事になり、港に併設された病院へと転院となった。

 

 この病院は既にドイツ軍が接収済みで、医療スタッフも全てドイツ人によって構成されている。万が一にも不測の事態が起きる心配はなかった。

 

「シャルは今回、頑張ってくれたからね」

 

 言いながら、エアルは手を伸ばしてシャルンホルストの頭を優しく撫でる。

 

 少女の髪の、サラサラした感触が、指と指の間を流れていくのが分かる。

 

 シャルンホルストは、少しくすぐったそうに目を細めた。

 

「作戦の方は、どうなってるの?」

「うん、順調だよ。俺達が帰還した後も潜水艦隊は通商破壊を続けてる。おかげで戦況は大分楽になってるって」

 

 最後のは少しばかりエアルの誇張が入っている。

 

 しかし実際、イギリス軍が押し返してきていると言うニュースもないので、当たらずと言えども、と言ったところだろう。

 

「デーニッツ提督が感謝してたよ。今度、シャルのお見舞いに来てくれるって」

「えッ・・・・・・」

 

 限りなく「げッ」と言う発音に近い感じで、シャルンホルストが顔をしかめる。

 

「あの人苦手だよ。いっつも、ボクのお尻触るし」

 

 過去に何度もセクハラを受けた手前、カーク・デーニッツに完全に苦手意識を持っているシャルンホルスト。

 

 と、

 

 そこで少し顔を赤くしながら呟く。

 

「おにーさんにだったら、ちょっとくらい触られても良いのに」

「え? 何て?」

「何でもない何でもない!!」

 

 照れ隠しに言いながら、ゴロンと体ごとそっぽを向く。

 

 そんなシャルンホルストを、怪訝な顔で見詰めるエアル。

 

 少女は頭から布団をかぶったまま、顔を真っ赤にして沈黙するのだった。

 

 

 

 

 

 一つの大作戦が終わり、各々が各々の日常を満喫している。

 

 恋人同士である者達。

 

 まだ、そこへは至っていない者達。

 

 謳歌の仕方はそれぞれだ。

 

 だが、

 

 しかし、

 

 暗雲は既に、彼等の頭上に覆いかぶさるべく、徐々に迫りつつあるのだった。

 

 

 

 

 

第33話「フランスの港」      終わり

 



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第34話「ブレスト強襲」

 

 

 

 

 

 

 

 

 沖合を航行する船は静かに、

 

 しかし確実に、目的地へと近づいていく。

 

 大型の艦影が1隻と、それを護衛する小型の艦影が3隻。

 

 規模としては小さな物。

 

 しかし、与えられた任務は重大だった。

 

「ブレストに逃げ込んだ、ドイツ艦隊の撃滅、か。敵の主力を叩くとなれば、武人の本懐と言うべきところだが、私たちの立場の事を考えれば複雑な所だな」

「まあ、実質的には懲罰人事と言えなくもないしな」

 

 艦娘の少女の言葉に対し、艦長は皮肉気に返す。

 

 赤毛のショートヘアをした女性。

 

 航空母艦「アークロイヤル」の艦娘である女性は、今回の任務について思いを巡らせた。

 

 懲罰人事。

 

 確かに、艦長の言葉は良い得て妙、と言うべきだろう。

 

 空母「アークロイヤル」を中心としたこの小規模艦隊は先頃、ニューファンランド島沖海戦においてドイツ海軍第1戦闘群と交戦し壊滅したR部隊の残党である。

 

 本来であるなら、仲間の死を悼み、その仇を討てる事を至上の喜びとすべきところだろう。

 

 だが、しかし、

 

「アンドリウス王子は、最低の人間だった」

「おい、アーク」

 

 ストレートな物言いをするアークロイヤルを窘めるように睨む艦長。

 

 だが、アークロイヤルは構わずに続ける。

 

 こんな場所で誰が聞いていようが構いやしない、とでも言いたげだ。

 

「守らなければならない無辜の民を、王子は犠牲にした。絶対に許されない事だ」

 

 アンドリウスは無防備な輸送船団を生贄にしてドイツ艦隊をおびき出して消耗させ、相手が疲弊したところを殲滅すると言う身勝手な作戦を立て実行した。

 

 おかげで輸送船団は全滅。本国で物資の到着を待ち望んでいた多くの同胞を苦しめている。

 

 もっとも、ドイツ艦隊の指揮官はアンドリウスなどより数段上手で、消耗したと見せかけて、ノコノコとやってきたR部隊主力を自分達のテリトリーに誘い込み、逆に殲滅して見せた。

 

 アンドリウス自身も、自分自身の身勝手のツケを自分自身の命で支払う事になったのだ。

 

 自業自得と言うほかない。

 

 国民はこの事実を知らない。知る必要すらない。

 

 アンドリウスは味方を守る為、卑怯卑劣なドイツ海軍と勇敢に戦い、そして散っていった。

 

 国民に知らされるプロパガンダは、ただそれだけだった。

 

 不都合な事実を知らされる事はないし、国民もまた、知りたいとも思わないだろう。

 

 アークロイヤルからすれば、アンドリウスの敵討ちなど、片腹痛いにも程があった。

 

「なら、何で今回の作戦参加に同意したんだ」

「やられっぱなし、と言うのも聊か癪だしな」

 

 言いながら、肩を竦めるアークロイヤル。

 

「ドイツ艦隊に勝ち逃げされる事は、大英帝国の軍人として我慢ならん。せめて一矢なりとも報いない事には」

 

 憂さ晴らしである事は判っている。

 

 だがしかし、

 

 それでも大英帝国軍人としての矜持が、このまま終わらせることを許さなかった。

 

 波濤を切って進む「アークロイヤル」。

 

 その進む先に、彼女が倒すべき敵は存在していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 殺風景な病室も、これだけの美少女が集まれば華やかにもなろうと言う物。

 

 シャルンホルストが入院している病院を訪ねたのは、彼女の妹であるグナイゼナウと、艦長であるエアルの妹サイア・アレイザー。

 

 そして先のベルリン作戦を共に戦った新しい仲間、グラーフ・ツェッペリンだった。

 

「はいこれ、お部屋にあったぬいぐるみ。持ってきたよ」

「わあ、ありがとう」

 

 サイアに差し出された、お気に入りのネコのぬいぐるみを抱きしめるシャルンホルスト。

 

 久しぶりの「友達」との再会を堪能する。

 

「ボク、この子がいないと、良く眠れないんだよね。ありがとう、サイア」

「ほんと、シャルはネコ好きよね」

 

 荷物を袋から出しながら、グナイゼナウがやれやれと言った感じに言う。

 

「部屋の中、ネコグッズで溢れてるし、買い物に行けばネコの柄の物ばっかり探すし、街中でネコ見つければ、見境なく追いかけようとするし」

「別にいいじゃん。ボクの勝手でしょ。ゼナは細かいこと言いすぎ」

 

 口をとがらせて妹に抗議するシャルンホルスト。

 

 そんな姉の様子を見ながら、グナイゼナウは嘆息する。

 

「まあ、それもそうなんだけど」

 

 言いながら、荷物の中から白い布を取り出す。

 

「流石に、パンツまでネコさんってのは、妹として恥ずかしいんだけど?」

「キャァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 慌てて妹の手からパンツをひったくるシャルンホルスト。

 

 グナイゼナウが広げたパンツは、白地に、お尻の所に黒猫が描かれた、シャルンホルストのお気に入りの1枚だった。

 

「なな、何で出してんのさッ!?」

「良いでしょ別に。好きなんでしょ」

「だからって、見せなくても良いでしょ!!」

 

 ウガーッ と怒鳴りまくるシャルンホルストに対し、グナイゼナウは肩を竦めて見せる。

 

「まあまあ、シャル。わ、私は良いと思うよ。ネコさんパンツ」

「ネコは孤高の象徴。強さの証ともいうからな。悪い事ではないと思うぞ」

「お願いだから、パンツ(そこ)から離れて」

 

 サイアとツェッペリンからも、微妙なフォローをされ、シャルンホルストは顔を真っ赤にして布団に蹲るのだった。

 

 

 

 

 

 サイアが剥いたリンゴをつまみながら、病室は女子会トークの場と化していた。

 

 ベルリンに新しくできた新しいスイーツ専門店。

 

 公開されたばかりの恋愛映画の内容。

 

 等々、話題にはともかく事欠かない。

 

「あ、そうだ」

 

 そんな中、サイアが思い出したようにシャルンホルストを見て言った。

 

「シャルのエンジンなんだけどさ、もしかしたら今より良くなるかもしれないよ」

「え、ほんと?」

 

 ピョコッと顔を上げるシャルンホルスト。

 

 「シャルンホルスト」の機関であるワグナー高圧缶は竣工以来出力が安定せず度々、故障を起こしている難物である。

 

 機関の不調は艦娘であるシャルンホルスト自身にも及ぼし、こうして体調不良にもつながっているのだ。

 

「何かね、よくわかんないんだけど、フランス人の技師さん達がすごく協力的なの。シャルのエンジン見るなりさ、『ドイツ人は馬鹿なのか? こんなエンジンしか作れないで恥ずかしくないのかッ!?』とか急に怒りだしてさ、それからあれこれ協力してくれるようになったんだ。そのアドバイスとかがすごい的確でさ。前よりも大分、出力が安定するようになってきたよ」

「へー そうなんだ」

 

 フランスは高圧缶に対して高い技術力を持っている。

 

 確かに、彼等の協力を得られれば、「シャルンホルスト」の機関を安定させることも不可能ではないかもしれない。

 

 だが、疑問も残る。

 

「でも、何で協力的なのかな? 言っちゃなんだけど、ボク達って、この間まで敵だったわけじゃん。フランスの人達からは、すごい恨まれてると思うんだけど?」

「まあ」

「確かに」

 

 シャルンホルストの疑問はもっともだった。

 

 恨まれこそすれ、協力してくれるとはとても思えないのだが。

 

 実は、これには、現在のフランスを取り巻く複雑な事情が絡んでいた。

 

 現在、フランス人の中では、かつての同盟国であるイギリスに対する感情が最悪にまで落ち込んでいた。

 

 きっかけは昨年。フランス降伏から、まだほとんど日が経っていない7月3日。

 

 場所は北アフリカ、アルジェリアのメルス・エル・ケビール軍港での事だった。

 

 アルジェリアはフランス領であり、本国が陥落したフランス海軍は、ドイツ軍に艦艇を接収される事を恐れ、主力艦隊を、このメルス・エル・ケビール軍港に退避させたのだ。

 

 このフランス艦隊主力に目を付けた者がいる。

 

 イギリスである。

 

 イギリスは、フランス艦隊がドイツの手に落ちる事をひどく恐れていた。

 

 現在でこそ、ドイツ海軍に対し優勢を保っているイギリス海軍だが、そこへきて万が一、フランス海軍の主力艦隊がドイツ海軍に接収されれば、その戦力差は逆転しかねない。

 

 そこで、フランス海軍がドイツに寝返る前に手を打ってしまおうと考えたのだ。

 

 巡洋戦艦「フッド」を旗艦とするイギリス艦隊は、メルス・エル・ケビール軍港の入り口を封鎖して砲門を向けると同時に、交渉の為の使者をフランス艦隊旗艦「ダンケルク」へと送り込んだ。

 

 イギリス側が提示した条件は以下の通りである。

 

 

 

 

 

1、 イギリス海軍に参加して枢軸側と戦う。

 

2、 イギリスの港に回航して、艦艇を引き渡す。乗組員が無事に帰国できる事は約束する。

 

3、 西インド諸島、もしくはアメリカの港へ向かい、そこで武装解除する。

 

4、 自沈する。

 

5、 この場で一戦交える。

 

 

 

 

 

 言うまでもなく、フランス側からすれば理不尽としか言いようがない内容だった。

 

 そもそも、同盟国とは言え他国の海軍にそのような命令を受けるいわれはない。

 

 その為フランス艦隊側は、以下のように回答した。

 

 

 

 

 

1、 フランス海軍は、ドイツ海軍に協力しない事を約束する。

 

2、 イギリス海軍から攻撃を仕掛けてきた場合、応戦する用意がある。

 

 

 

 

 

 と言う内容を、イギリス側に返答する。

 

 だが当然の如く、イギリス側も承服しなかった。

 

 両者の意見は平行線のまま決着がつかず、

 

 仕方なく、フランス側が、最も無難な「3」で手を打とうと、本国と交渉していた時の事だった。

 

 イギリス空母を発した艦載機が、メルス・エル・ケビール軍港周辺に機雷を撒き始めたのを確認したフランス側は、交渉決裂と判断、戦闘準備を整えるように全艦に命令する。

 

 一方のイギリス海軍も、フランス側の動きを見て先制攻撃を仕掛ける。

 

 結果、

 

 戦力的に優勢であり、更には立ち上がりを制した事も大きく作用し、戦いはイギリス側の圧勝に終わった。

 

 フランス海軍は旗艦「ダンケルク」を含む、戦艦3隻が沈没。

 

 辛うじてダンケルク級2番艦の「ストラスブール」と、大型駆逐艦5隻のみが脱出に成功しただけだった。

 

 以上のような経緯があり、フランス人、特に海軍関係者の中での対英感情は最悪な状態にまでなっていた。

 

 それに対しドイツはと言えば、確かにフランスを破り、現在は半ば傀儡に近い状態になっている。

 

 しかしドイツは、フランスの統治はヴィシー政府に任せているし(ヴィシー政府自体、ドイツの傀儡なのだが)、その政策について大きく干渉はしていない。

 

 加えて駐留するドイツ軍は統制が取れており、フランス市民に対し危害を加えるようなことはしていなかった。無論、細かなトラブルは起きているが、いずれも許容レベルと言って良く、トラブルについても、ドイツ軍人側に非があった場合、軍紀によって厳正に対処されている。

 

 さらに言えば、先の敗戦にしてもドイツに負けたと言うよりは、味方のフランス軍が勝手に自滅した、と考えている国民も少なくない。

 

 その為、フランス人のドイツ人に対する感情は無論、友好的とは言い難い物の、半ば諦念に近い形となっていた。

 

 そのような事から「敵の敵は味方」ではないのかもしれないが、フランス人の中にはイギリス人に対する感情悪化から、ドイツ軍に協力する者も多数存在した。

 

「まあ、何にしても、エンジンが良くなってくれるのはうれしいよ」

 

 ネコのぬいぐるみを抱っこしながら、笑顔を見せるシャルンホルスト。

 

「毎回毎回、出撃の後に体調崩してたら、おにーさんに迷惑ばっかりかけちゃうし・・・・・・・・・・・・」

 

 言いながら、シャルンホルストの脳裏にはエアルの顔が思い浮かべられる。

 

 無論、エアルはシャルンホルストの事を迷惑などとは思わないだろう。

 

 しかし少女としては、こうも毎回ともなれば気にも病むと言う物だった。

 

 そこからは、とりとめのない話に終始した。

 

 女子が4人集まれば、話に花が咲くのは人間も艦娘も変わらない。

 

 そこでふと、

 

 この中では新顔に当たるグラーフ・ツェッペリンが、静かな調子で口を開いた。

 

「正直なところ、私はまだ竣工し(うまれ)たばかりだから、分からない事も多い。特に、他人との距離の測り方は難しいと思っている」

 

 その発言に対し、他の3人は顔を見合わせつつも先を促す。

 

「ツェッペリン、何かあったの?」

「ああ」

 

 サイアが先を促すと、グラーフ・ツェッペリンは少し躊躇うように口を開いた。

 

「作戦中の事だったんだけど、ある人を怒らせてしまったようなんだ」

「怒らせたって、何かしたの?」

 

 問いかけるグナイゼナウに、ツェッペリンは首を横に振る。

 

「判らないんだ。ただ、その人の親御さんの話をしていただけなんだが。急に、彼は気分を悪くしたように去ってしまった。それ以来ずっと、作戦行動中はあまり顔を合わせる機会もなく、謝る事も出来ないまま来てしまった」

「親の話、ねえ」

 

 首をかしげる一同。

 

 親の事を言われて、一体その人物は何を怒っていたのだろう。

 

「どうも、彼は親とはうまくいっていないらしくてな。それで、あまり触れられたくなかったみたいなんだ」

「ああ、なるほどね」

 

 納得したように頷くサイア。

 

 親との確執、と言う意味ならアレイザー家もなかなかの物であろう。

 

 だからこそ、グラーフ・ツェッペリンの気持ちは理解できた。

 

「悪いと思うなら、自分から謝るのも良いんじゃないかな?」

「そう、だろうか?」

「うん。きっと、相手の人も気にしているかもしれないしね」

 

 お互いに一歩踏み出す事。

 

 それさえできれば、案外と人間はうまくやれるものなのかもしれない。

 

 サイアはそう考えていた。

 

「判った。できるかどうかは分からないが、やってみる」

「うん、頑張れ」

 

 そう言ってグラーフ・ツェッペリンを励ますサイア。

 

 しかし、

 

 まさか彼女の言っている相手が、自分の双子の兄の事だとは、思い至ってはいなかった。

 

 警報が鳴り響いたのは、少女たちが次の話題を始めようとした、正にその時だった。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 ベルリン作戦後、それまで第1戦闘群司令官だったリンター・リュッチェンス大将が転任になった事から、編成替えが行われた。

 

 それまで「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」の2隻で編成されていた第1戦闘群に、それまで第1戦闘群を単艦で編成していた航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」が加入。

 

 指揮官は横滑りでウォルフ・アレイザー中将が就任していた。

 

 そのような事情で現在、第1戦闘群の旗艦は「グラーフ・ツェッペリン」となっている。

 

 報告を聞き、自室で書類の整理をしていたウォルフは、参謀長のシュレスを伴って直ちに艦橋へと上がる。

 

「状況を報告せよ」

 

 艦橋に入ると同時に、ウォルフは前置きなしに指示を出す。

 

 事態は既に深刻の一歩手前となりつつある。余計な手間を踏んでいる暇はなかった。

 

 促され、「グラーフ・ツェッペリン」艦長が口を開く。

 

「ドーバー海峡とジブラルタル方面を監視中のUボートから、同時に連絡が入りました。戦艦、空母を含む複数のイギリス艦隊が大西洋上で同時に作戦行動を開始。目的は、このブレストである公算が大との事です」

 

 イギリス海軍は馬鹿ではない。

 

 ベルリン作戦後、第1戦闘群がブレストに逃げ込んだと言う情報は掴んでいるはず。

 

 ブレストはブルターニュ半島の先端付近にあり、イギリス本土とは目と鼻の先だ。

 

 そのような場所に、戦艦、空母を含む有力な艦隊が居座っている事を、彼等が見過ごすとも思えなかった。

 

「直ちに全乗組員と艦娘に非常呼集を掛けろ。緊急事態だ」

「ハッ」

「それから、空軍に応援要請。奴等は空から攻めてくる可能性が高い。迎撃態勢を構築するんだ」

 

 命令を下しながら、艦橋の外から空を睨む。

 

 敵が来るまで、恐らくもう、あまり時間はない筈。

 

 果たして、それまでに迎撃準備を終える事が出来るかどうか。

 

 まさに、時間との勝負だった。

 

 

 

 

 

 一方、その頃病院でも、少女たちはあわただしく動き始めていた。

 

「ごめんね、シャル。行かないと。必要だと思う物は全部持ってきておいたから、あと何か足りなかったら連絡して」

「うん、分かった。ほら、早く行って」

 

 病室を走り去っていくグナイゼナウ、サイア、グラーフ・ツェッペリンの3人を、ベッドの上から見送るシャルンホルスト。

 

 非常呼集。

 

 わざわざ、オフの艦娘まで集めようと言うのだ。事態はただ事ではない事くらい、容易に想像できる。

 

「・・・・・・・・・・・・おにーさん」

 

 呟きを漏らす巡戦少女。

 

 現在、「シャルンホルスト」は動く事が出来ない。

 

 否、正確に言えば最低限のボイラーを回し、砲塔を動かす事くらいはできる。

 

 しかし、軍艦が真の実力を発揮するには、艦娘の存在は不可欠となる。

 

 自分がいなければ、巡洋戦艦「シャルンホルスト」は、文字通り魂の抜けた抜け殻に等しい。

 

 それでも、エアル達は戦うだろう。

 

 皆を、守る為に。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 壁に目をやる、シャルンホルスト。

 

 そこには、ハンガーにかけられた、彼女の軍服がある。

 

「・・・・・・・・・・・・よし」

 

 意を決して、眦を上げるシャルンホルスト。

 

 その手は、迷うことなく軍服を掴む。

 

「待ってて、おにーさん」

 

 そう告げる少女の目には、みなぎる程の決意で満たされていた。

 

 

 

 

 

第34話「ブレスト強襲」      終わり

 



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第35話「たとえ這ってでも」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 普段は羽のように軽い体が、今日は思った以上に、体が重い。

 

 手足がきしむ。

 

 息が上がる。

 

 心臓が、思うように動いてくれない。

 

 まるで関節と言う関節がさび付いてしまったかのようだ。

 

 1歩歩くだけで、体に半端じゃない負荷がかかる。

 

 正直、今すぐにでも座り込んでしまいたいくらいだ。

 

 けど、それは出来なかった。

 

「い、行かないと・・・・・・・・・・・・」

 

 渾身の力を込めて、前に進む。

 

 体を押しつぶす、圧倒的な倦怠感。

 

 足がもつれる。

 

 息が上がる。

 

 見上げる先にある艦橋は、いつも以上に高く感じられる。

 

 だが、上らなくてはならない。

 

「待ってて・・・・・・おにーさん・・・・・・」

 

 しかし、

 

 言葉とは裏腹に、足からは力が抜ける。

 

 そのまま壁に背を預け、ズルズルと座り込む。

 

 もう、これ以上は、行けない。

 

 そう思った時だった。

 

「シャルッ!?」

 

 名前を呼ばれて、シャルンホルストは顔を上げた。

 

 

 

 

 

 1941年4月6日。

 

 イギリス海軍は、大西洋上において大規模な軍事行動を起こした。

 

 目的は、先のベルリン作戦以後、フランス、ブレスト軍港に逃げ込んだ、ドイツ海軍第1戦闘群の捕捉、撃滅。

 

 その為に必要な戦力を、方々からかき集めた。

 

 以下が、その編成となる。

 

 

 

 

 

〇 本国艦隊S部隊

戦艦「キングジョージ5世」「ウォースパイト」

航空母艦「ヴィクトリアス」

軽巡洋艦「ベルファスト」「シェフィールド」「マンチェスター」

駆逐艦14隻

 

〇 R部隊(残存戦力)

航空母艦「アークロイヤル」

駆逐艦2隻

 

〇 H部隊

巡洋戦艦「フッド」

航空母艦「イラストリアス」

軽巡洋艦「アリシューザ」「エメラルド」「エンタープライズ」

駆逐艦8隻。

 

 

 

 

 

 H部隊とは、イタリアとの開戦に伴い新設された部隊で、ジブラルタルを母港とし、主に西地中海を監視する役割を担っている部隊である。

 

 「部隊」と言う名称を与えられてはいるものの、その戦力は1個艦隊に匹敵する。

 

 戦艦2隻、巡洋戦艦1隻、航空母艦3隻、軽巡洋艦6隻、駆逐艦24隻から成る大艦隊。

 

 これが3隊に分かれ、ブレストを包囲するように進軍してきている。

 

 大西洋方面でこの時期、イギリス海軍が投入可能な全戦力がブレスト方面に投入されている事になる。

 

 ブレストの北側にS部隊、西側にR部隊、南にH部隊が展開し、ブレストを完全に包囲する態勢を取っていた。

 

 これほどの大艦隊を、イギリス海軍がこの時期に編成した大きな理由としてはやはり、先のベルリン作戦、そしてニューファンランド島沖海戦の影響が大きかったと言えよう。

 

 イギリス海軍の一部隊が全滅に近い損害を蒙り、更に王族が4人も戦死した事で、イギリスの権威は地に落ちていた。

 

 この事を激怒した国王フレデリックは、海軍首脳部を呼びつけ、その怒りを叩きつけた。

 

 国王の怒りに触れたイギリス海軍は、慌てて使える艦艇を総ざらいして、ブレスト強襲作戦を敢行したわけである。

 

 全体指揮はスカパフロー軍港から、本国艦隊司令官のジャン・トーヴィ大将が執る事になっている。

 

 とは言え、トーヴィ達本国艦隊司令部は、この作戦には反対だった。

 

 理由としては、あまりにも作戦通達から実行までの期間が短すぎて、作戦遂行に必要な情報や準備期間が殆ど無かった事。

 

 本来、これ程の大部隊を動かすなら、相応の準備期間が必要になるが、軍令部は殆ど作戦要綱も纏めないまま、艦隊の出撃を命じてきたのだ。

 

 その為、作戦に参加する3個艦隊は、殆ど連絡すら取らないまま、作戦海域に到達しようとしていた。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 イギリス艦隊接近の報を受けたドイツ海軍第1戦闘群。

 

 司令官のウォルフ・アレイザー中将は決断を迫られていた。

 

 現在、第1戦闘群はブレスト軍港に帰港中である。

 

 当然、重要拠点である港の防空力は高い。その上、近隣の飛行場には空軍部隊が展開しており、既に応援要請を出している。

 

 普通に考えれば、軍港に立てこもって防空戦闘を行うのが得策である。

 

 しかし、

 

「打って出るぞ」

 

 「グラーフ・ツェッペリン」の艦橋に集まった幕僚たちを前にして、ウォルフは迷いなく告げた。

 

 既にイギリス艦隊は迫りつつある。もう間もなく、空からの攻撃が開始される事だろう。

 

 そんな中でのウォルフの言葉に、誰もが耳を疑った。

 

「しかしウォルフ」

 

 参謀長を務めるシュレスが口を開いた。

 

「打って出ると言っても、戦力差は圧倒的すぎる。袋叩きにされるぞ」

 

 現在、第1戦闘群は巡洋戦艦2隻、航空母艦1隻に加え、ブレストに停泊していたZ級駆逐艦8隻を指揮下に収めている。

 

 しかしその内、主力である「シャルンホルスト」は動かす事が出来ない。その為、実働戦力は10隻のみ。イギリス海軍の3分の1以下でしかない。

 

「だが、留まればタラントの二の舞になる。それだけは何としても避けたい」

 

 ウォルフの言葉に、誰もが沈黙する。

 

 イタリア海軍主力が停泊中に、イギリス海軍の艦載機部隊に奇襲され、戦艦3隻を撃沈された事は記憶に新しい。

 

 しかも今回、航空戦力も最低限倍近い数の投入が確認されている。

 

 もし空軍の防空網を突破されれば、港内で身動きが取れない第1戦闘群はひとたまりもない。

 

「それよりも、港外に出て運動の自由を確保したうえで戦う。幸い、本艦は空母だ。自前の艦載機を飛ばす事も出来る。勝算は十分にあるはずだ」

 

 言ってから、傍らのツェッペリンを見やる。

 

「できるな」

「勿論」

 

 躊躇う事無く、瞬時に頷きを返すツェッペリン。

 

 艦娘の彼女からすれば、港に停泊したまま嬲り者にされるよりも、外海に出て反撃した方が良いのだ。

 

 無論、リスクは大きい。

 

 外海に出れば防空は艦毎の対空砲頼みとなるし、空軍の支援も受けにくくなる。

 

 しかし、ウォルフの考えも一利あるのは確かだった。

 

「時間が無い。在泊全艦艇に、直ちに出港準備を命じろ」

「判った」

 

 頷くシュレス。

 

 完全に納得がいったわけではないが、それでもウォルフの考えには一理ある。

 

 逡巡している時間はない。ここは従う以外になかった。

 

 出港準備が始められる中、ウォルフは外線に繋がっている電話を手に取る。

 

 相手が出ると、手早く要件を伝えた。

 

「第1戦闘群司令官のアレイザーだ。ベルリンへ繋いでくれ」

「ウォルフ、何をする気だ?」

 

 首をかしげるシュレス。

 

 対して、ウォルフは振り返って告げる。

 

「うまくいくかはわからん。だが、あらゆる手を打っておく事は悪い事ではないからな」

 

 

 

 

 

 第1戦闘群の各艦が出撃準備を進める一方、

 

 巡洋戦艦「シャルンホルスト」でも、着々と戦闘準備が進められていた。

 

 しかし、

 

「艦長」

 

 ヴァルター・リード副長の険しい表情を見て、エアル・アレイザー大佐は事情を察する。

 

 先のベルリン作戦からの帰還後、これまでの功績を考慮され、昇進を果たしたエアル。

 

 しかし今は、その事を素直に喜ぶ事は出来ない。

 

 残念な事に、エアルの予想は悪い意味で当たっていた。

 

「やっぱり、ダメですか?」

「ええ。ボイラーは大半が使用不能。辛うじて電力確保に必要な分は稼働していますので対空戦闘自体は出来ますが、本隊と行動を共にするのは不可能と考えざるを得ません」

 

 報告を聞いて、エアルも慨嘆する。

 

 現在、「シャルンホルスト」はベルリン作戦の影響により機関が故障。大規模なオーバーホールを必要としている。

 

 その為、ブレスト軍港の大型ドックに入渠している状態だった。

 

 一応、対空戦闘だけなら、入渠状態でも行う事が出来る。

 

 しかし、持ち味の高速性を封じられているのは痛かった。

 

 加えて、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 エアルはチラッと、艦長隻の隣にある椅子を見る。

 

 主不在のその席は、艦娘専用の席だ。

 

 艦娘であるシャルンホルストも、今は不在である。その為、艦の稼働率は更に落ちている状態だ。

 

 しかし最早、背に腹は代えられない。

 

「不幸中の幸いは、ドック内にいれば雷撃を食らう事は無いと言う事くらいか。けど、動けない状態じゃ、嬲り殺しにされかねない」

 

 対空戦闘と空軍の支援に期待するしか、今のエアルにできる事は無かった。

 

 その時だった。

 

「に、兄さん・・・・・・」

 

 不意に、背後から妹の声が聞こえてきた。

 

 サイアは今、機関部の調整で艦内にいるはず。

 

 なぜ、艦橋に上がってきているのか?

 

「サイア、もうすぐ戦闘が始まるのに、何やって・・・・・・・・・・・・」

 

 咎めようとして振り返る。

 

 そこで、

 

 絶句した。

 

 振り返ったエアル。

 

 そこには、妹よりももっとあり得ない人物が立っていたからだ。

 

「シャルッ!?」

 

 エアルの声に、ヴァルター達も驚いて振り返る。

 

 サイアに肩を貸されて艦橋に入ってきたのは、見間違えるはずも無い、今は病院のベッドの上にいるはずの巡戦少女だった。

 

「何か、甲板に座って苦しそうにしてた。病院に戻している暇もなかったから連れてきた」

「そう、分かった、ありがとう」

 

 妹の肩を優しく叩くと、エアルはシャルンホルストに向き直る。

 

 しかし、

 

 その目は、いつになく厳しい物だった。

 

「どうして来たの?」

 

 少しきつい口調で、巡戦少女に問いかける。

 

 シャルンホルストは絶対安静を伝えられている。

 

 にもかかわらず、病院を抜け出して戦場にやって来るとは。

 

 エアルとしては、少女の無謀さを叱らなくてはならなかった。

 

 対して、

 

 シャルンホルストは、少しエアルの様子に気圧されながらも答える。

 

「だって、ボクがいないと、この艦は全力を発揮できないでしょ」

 

 悪びれた様子もなく、笑顔で答えるシャルンホルスト。

 

 艦体は艦娘がいて、初めて全力発揮できる。それは確かにその通りである。

 

 しかし、

 

「何かあったらどうするつもりなのッ!?」

 

 声を荒げるエアル。

 

 流石に、シャルンホルストも肩を震わせる。

 

 自分が来れば喜んでくれる。

 

 とまでは、流石のシャルンホルストも思っていなかった。

 

 しかし、エアルがここまで怒る事も想定していなかったのだ。

 

「お、おにーさん?」

 

 あまりの事に、思わずエアルを見上げるシャルンホルスト。

 

 青年艦長の目は、あふれだす感情を押し留めるかのように、唇を噛みしめ、険しい眼差しで巡戦少女を見ていた。

 

 無論、エアルとてシャルンホルストが来てくれたことはうれしい。

 

 彼女がいてくれれば、少なくとも艦は想定の戦力を発揮できる。襲来する敵にも、充分な迎撃態勢を取れるだろう。

 

 否、そんな事ではない。

 

 単純に、彼女が傍にいてくれる事が、エアルにはうれしい事だった。

 

 だがそれでも、無理をしてこの場に来たシャルンホルストを、エアルは叱らなくてはならなかった。

 

 見かねたように、歩み寄ったのはヴァルター副長だった。

 

「艦長、今はそれくらいで。もう、あまり時間もありませんので」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ヴァルターの言う通りだ。

 

 既に敵はこのブレストに向かってきている。怒ったところで今更、シャルンホルストを病院に戻す時間的余裕もない。

 

「おにーさん・・・・・・」

 

 流石に、自分がしている事の重大さに気付いたのか、少し委縮した調子のシャルンホルスト。

 

 しかし少女は、視線をまっすぐにエアルに向けて告げる。

 

「一緒に、戦いたい。おにーさんの役に立ちたいの」

 

 見上げるシャルンホルスト。

 

 その姿を見て、

 

 エアルは嘆息した。

 

「・・・・・・あとで、お仕置きだからね。覚悟しておいて」

「う・・・・・・・・・・・・」

 

 苦笑しながら告げるエアルに、シャルンホルストは少し首を竦めて笑う。

 

 そのまま、前方に向き直るエアル。

 

「沿岸部レーダー基地より入電ッ 《敵大編隊、ぶれすとニ向ケテ進行中。大型爆撃機多数。警戒サレタシ》」

 

 どうやら敵は艦隊だけでなく、空軍の部隊まで繰り出して来たらしい。

 

 眦を上げるエアル。

 

 状況は絶望的。

 

 しかし、負ける気は全くしなかった。

 

 なぜなら、

 

「・・・・・・」

 

 チラッと、視線を背後の巡戦少女へと向ける。

 

 彼女の前で、無様な戦いは出来なかった。

 

 

 

 

 

 出撃命令が下り、クロウ・アレイザーはパイロットの待機所へと走る。

 

 イギリス軍のブレスト強襲を前に、「グラーフ・ツェッペリン」航空隊にも出撃命令が下っていた。

 

 今回、敵はまず空から来ると予想されている。

 

 ならば、クロウ達戦闘機隊こそが、今回の戦いにおける主役と言える。

 

 と、

 

 待機所へと向かう途中、

 

 クロウは、こちらを待つようにたたずむ少女がいる事に気が付いた。

 

「ツェッペリン・・・・・・・・・・・・」

 

 少女の方も、クロウの姿を見つめると、どこかためらう様にして近づいてくる。

 

 見つめ合う2人、

 

 ややあって、

 

「中尉、この間は・・・・・・」

「この間は、ごめんッ」

 

 ツェッペリンが告げる前に、クロウの方から頭を下げてきた。

 

 ポカンとするツェッペリンをよそに、顔を上げるクロウ。

 

「何かさ、俺もガキくさかったって言うか、親父の事となると、妙にイラついてしまう事があるんだよ。それを、お前にぶつけちまった。ほんと、ごめん」

 

 どうやら、ツェッペリンがもやもやした物を抱えていたのと同様、クロウも又、ずっと気にしていたらしい。

 

 クスッと笑うツェッペリン。

 

「なら、これは『お互い様』だな」

「へ?」

 

 間抜けな声を上げるクロウに、ツェッペリンは笑いかけると、そっと手を差し出す。

 

 握り返すクロウ。

 

「頼むぞ、中尉」

「ああ、任せてくれ」

 

 そう言うと、互いに笑みを交わすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翼を連ねて飛ぶ編隊。

 

 ユニオンジャックを背に飛ぶ彼等は、祖国の仇敵を滅する死の天使と化す。

 

 目標はブレスト軍港に立てこもる、ドイツ艦隊の撃滅。

 

 奴等は先日まで大西洋上で暴れまわり、多数の輸送船と、そこに乗り組む同胞を殺戮した悪魔たちである。

 

 そればかりか、事もあろうにR部隊を壊滅に追いやり、事もあろうにアンドリウス王子達を死に追いやった憎むべき相手だ。

 

 アンドリウス王子は英雄であり、勇者だった。

 

 彼こそが、偉大なるフレデリック王の後を継ぐにふさわしい人物。

 

 彼がいれば、全ての国民が安心して暮らせる世を必ずや作ってくれた事だろう。

 

 無論、

 

 このように考える者達は、アンドリウスが作戦上の都合を理由に輸送船団を囮にして全滅に追いやった事など知る由もなかった。

 

 まさしく「知らぬが花」と言ったところだろう。

 

 しかし、そのような理由があるからこそ、彼等の指揮は高かった。

 

 何としてもドイツ艦隊は撃滅する。

 

 その一念で、ブレストを目指す。

 

 あと少し、

 

 目の前の雲を抜ければ、陸地が見えるはず。その先がブレストだ。

 

 そう思った。

 

 次の瞬間、

 

 突如、

 

 彼等の行く手を遮るように、無数の閃光が撃ち上げられ、一斉にさく裂した。

 

「いかんッ 対空砲火だッ!! 総員、回避行動を・・・・・・」

 

 通信機に向かって命令を発しかけた隊長の声が、途中で途切れる。

 

 その瞬間、彼の駆るアルバコア雷撃機は、眼下からの対空砲をもろに直撃されて火球に変じたのだった。

 

 

 

 

 

 イギリス編隊が混乱を来す様は、海上からも確認する事が出来た。

 

 洋上を航行する、優美な外観の巡洋戦艦。

 

 マストに誇らしく靡く鉄十字の紋章。

 

 巡洋戦艦「グナイゼナウ」の艦橋に立ち、艦長のオスカー・バニッシュ大佐は、手にした双眼鏡を下ろした。

 

 エアル同様に、ベルリン作戦後に昇進を果たしたオスカー。

 

 今回は「相棒」を欠いた状態での出撃となったが、それでもブレストを守る為、彼の手腕には期待が寄せられていた。

 

「まずは先制に成功したな。後は、敵が混乱している間に、どれだけ時間を稼げるかが問題だ」

 

 15基30門の10・5センチ高角砲が火を吹き、更に37ミリ、20ミリの各機銃が続く。

 

 どうやらイギリス軍は、ドイツ艦隊が外海に出てきているとは予想外だったらしい。そのままブレストに直行するつもりだったようだ。

 

 無理もない。まさか圧倒的劣勢の状況下で、敢えて打って出るとは誰も思いはしない事だろう。

 

 もっとも、第1戦闘群が、ブレストへ向かう彼等の通過する真下を航行していたのは、ただの偶然だったのだが。

 

 しかし、おかげで奇襲に成功した。

 

 現在、第1戦闘群は航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」を主力とする部隊を後方に置き、巡洋戦艦「グナイゼナウ」を中心とした部隊が先行する形となっている。

 

 とは言え、これだけの戦力差で艦隊戦を挑めるとは、流石に思っていない。

 

 無理に近づけば、圧倒的な火力差に押し包まれるであろう事は目に見えている。

 

 となれば、可能な限り敵を混乱させ、疲弊させてやるしかなかった。

 

 「グナイゼナウ」の奇襲により、混乱していたイギリス軍。

 

 しかし、彼等もプロの兵士達。

 

 すぐさま混乱から回復すると、攻撃態勢に入る。

 

 何しろ、相手は「グナイゼナウ」。

 

 ドイツ海軍最強の巡洋戦艦であり、「シャルンホルスト」と共に、「英雄」アンドリウス王子を初め、多くの同胞たちを殺した下手人。

 

 言わば、イギリス海軍にとって最大の敵ともいえる。

 

 3機のアルバコア雷撃機が低空まで舞い降り、「グナイゼナウ」の左舷側から接近。魚雷の発射態勢に入る。

 

 横隊を組むアルバコア雷撃機を見据え、オスカーが叫ぶ。

 

「取り舵一杯ッ 左舷、対空火力強化!!」

 

 突撃してくるアルバコアを見据え、指示を飛ばす。

 

 直進を続ける「グナイゼナウ」。

 

 その間に対空砲火が唸りを上げて撃ち出され、接近してきたアルバコア1機を撃墜する。

 

 残り2機が更に接近してきたところで、回頭を始める「グナイゼナウ」。

 

 30ノットで海上を駆けながら、急速に左へと旋回する。

 

 一度回頭を始めてしまえば、後は早かった。

 

 対空砲を撃ち上げながら旋回する「グナイゼナウ」。

 

 太い航跡が弧を描き、対空砲は盛んに空中へと打ち上げられる。

 

 アルバコアはとっさに魚雷を投下するが、既に遅い。

 

 投下された魚雷は、高速の巡洋戦艦を捉える事は出来ず、左舷後方へと流れていく。

 

「戻せッ 舵中央!!」

 

 オスカーの命令に従い、直進へと戻る「グナイゼナウ」。

 

 その艦に、態勢を立て直したほかのイギリス軍部隊も、「グナイゼナウ」上空に群がり始めていた。

 

 

 

 

 

 海面すれすれまで降下した、アルバコア雷撃隊。

 

 目指す先には、ドイツ巡戦の優美な姿がある。

 

 「グナイゼナウ」は第一波の攻撃を回避した直後で、まだ次の回避運動を取れないでいる。

 

 そのタイミングで攻撃を仕掛けるべき、6機のアルバコアが迫る。

 

 横一列に並んで迫る複葉の雷撃機。

 

 魚雷を一斉攻撃すれば、いかに戦艦としては高機動のシャルンホルスト級と言えど、回避は厳しい。

 

 対空砲火で1機のアルバコアが、煽りを受けて海面に突っ込む。

 

 しかし、残り5機のアルバコアが「グナイゼナウ」の右舷から迫った。

 

 雷撃態勢に入るアルバコア。

 

 次の瞬間、

 

 編隊の内、3機が一瞬にして火球へと変じた。

 

 残り2機は、とっさに魚雷を投下して回避行動に入る。

 

 しかし、射点までは遠すぎる。このままでは「グナイゼナウ」に容易に回避されてしまうであろう事は目に見えていた。

 

 そして、

 

 退避に掛かった2機のアルバコアに、鉄十字の翼が背後から迫る。

 

 放たれる閃光が、逃げようとするアルバコアを一瞬で粉砕した。

 

「よっしゃ、どんなもんだッ!!」

 

 コックピットの中でガッツポーズを決めるクロウ。

 

 見れば、鉄十字を翼に描いたメッサーシュミットが、次々とイギリス軍機に襲い掛かっている様子が見えている。

 

 敵機襲来を見越して、ウォルフは「グラーフ・ツェッペリン」航空隊を発艦。

 

 その先遣隊が「グナイゼナウ」上空に到着し、戦闘に加入したのだ。

 

「さて、次だ!!」

 

 翼を翻すクロウ。

 

 眼下では対空砲を撃ち上げて奮闘する「グナイゼナウ」の姿がある。

 

 奮闘するドイツ艦隊。

 

 しかし、次なる脅威は彼等の頭上を飛び越え、遥か北から迫りつつあった。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 フレデリック王の号令に端を発する、今回のイギリス軍によるブレスト大攻勢。

 

 その目的は、大西洋で通商破壊戦を行ったドイツ海軍第1戦闘群の撃破にある。

 

 しかし、

 

 イギリス海軍にしろイギリス空軍にしろ、今回の作戦を必ずしも歓迎している訳ではなかった。

 

 空軍は当然、ドーバー海峡を越えて攻撃を仕掛けてくるドイツ空軍への対応で、常に緊張を強いられている。

 

 一時期に比べて下火になったとは言え、未だに散発的な攻撃は続いている。その対応に忙しい所に来て、今回の出撃命令である。作戦参加部隊の調整だけでも一苦労だった。

 

 海軍も事情は同じである。

 

 現状のイギリス海軍は、R部隊壊滅の影響により、でただでさえ艦艇が足りていない。更に、ニューファンランド島沖海戦以後、ドイツ軍のUボートも活動を活発化させている。それらに対応すべく、船団に護衛を付けなければならないところへ、今回の作戦である。

 

 正直、海軍にしろ空軍にしろ、拒否できるものなら拒否したいと言うのが本音だった。

 

 しかし、それはできない。

 

 国王直々の命令である以上、軍として拒否は許されなかった。

 

 そこで、

 

 海軍は今回の作戦に際し、最も積極的に参加の意思を示した人物に指揮を委ねた。

 

 その人物が今、旗艦艦上において叱咤の声を上げていた。

 

「ええいッ まだるっこしい!! まだ戦果は上がらんのかッ!?」

「そ、それが、敵の防空網が思ったよりも厚く、手間取っている様子で・・・・・・」

 

 側近の言い訳めいた言葉を、ディランはいら立ちを隠そうともしないで舌打ちする。

 

 今回、ディランは本国艦隊から抽出された艦艇によって編成された「S部隊」を編制。その指揮を任されていた。

 

 これまでの数々の「功績」により大佐に昇進したディラン。

 

 その彼が、今回のブレスト攻撃に名乗り出た理由。

 

 それはとりもなおさず、功名心以外の何物でもなかった。

 

 R部隊壊滅。

 

 この事実を、イギリス国内で誰よりも歓迎しているのは、間違いなくディランであろう。

 

 一つ下の弟で、次期国王の最有力なライバルだったアンドリウスが死んでくれたことで、ディランの時期王位継承は、より強固な形になりつつあった。

 

 その拍付けを兼ねての出撃である。

 

 完全に戦争を私物化しているディランだが、だからこそ、ここは攻撃成功を大々的にアピールしておきたい所なのだが。

 

 しかし満を持して行った航空攻撃は不発に終わり、更にドイツ艦隊の一部は、ディランたちがいる海域とは逆の南側に退避していると言う。

 

 ディランは完全に、肩透かしを食らった形だった。

 

「クソッ そんなに俺と戦うのが恐ろしいかッ 逃げる事しか能のない、卑怯者のナチス野郎共がッ」

 

 口汚く罵りながら、いらだたしそうに足踏みをする。

 

 一気に片を付けるべく、空軍と共同で艦載機部隊に全力出撃を命じたものの、ブレスト攻撃は失敗に終わり、ドイツ艦隊攻撃に向かったH部隊、R部隊も芳しい戦果を挙げるには至っていない。

 

 これほどの圧倒的な戦力を有しながら、弱小のドイツ艦隊を撃滅する事すらできないでいる自分。

 

 その状況を作り出しているドイツ軍に対する憎しみが、秒ごとに増していくのが分かる。

 

「おのれッ 許さんぞ、ドイツ人共!!」

 

 ブレストには、空軍が反復攻撃を仕掛ける手はずになっている。

 

 ならば、自分達は南に逃げた敵を叩くべきだった。

 

「この俺から逃げられると思うなよッ ナチの豚が!!」

 

 血走った眼を、上げるディラン。

 

 こうなったらもう、誰にも止められない。

 

 幕僚たちはおろか、取り巻きですら口出しせずに、成り行きを見守っている。

 

「進路1―6―0ッ!! これより我が艦隊は、ドイツ艦隊と決戦に向けて南下するッ!!」

 

 勇壮に声を張り上げるディラン。

 

 しかし、

 

 それがいかに悪手であるか、気付いていないのはディランだけであった。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 同じくS部隊を構成する艦の中に、軽巡洋艦「ベルファスト」の姿もあった。

 

 フェロー諸島沖海戦で「シャルンホルスト」から受けた損傷は回復し、吹き飛ばされたA砲塔も元通りになっている。

 

 本国艦隊に復帰し、新規の乗組員の訓練も仕上がりつつある頃、リオンは本国艦隊司令官のジャン・トーヴィ大将より、S部隊に参加するように命令を受けた。

 

 フレデリック王からの命令とは言え、この時期での全力出撃。

 

 しかも、作戦指揮官はディラン王子とあって、トーヴィも聊か以上に気を揉んでいる様子だった。

 

 政治的な理由で英雄に祭り上げられているディランが、実際の実力的には大した事が無い事を、本国艦隊司令部なら誰でも知っている事。

 

 できれば出撃などしないでほしい。

 

 部隊を率いるなどもってのほか。

 

 「英雄」なら「英雄」らしく、港でふんぞり返ってくれていた方がありがたいくらいだ。

 

 しかし、世間はそうは思っていない。

 

 ディランは英雄であり、戦えば大英帝国に偉大なる勝利をもたらし、困難な状況ですら見方を叱咤して戦い続ける。

 

 そんなイメージが、まるで感染症のように英国全土に蔓延してしまっているのだ。

 

 そして何より始末に負えない事は、

 

 ディラン本人が、その「感染症」に最も重度にかかってしまっている事だった。

 

 自分の実力を忘れ、醜態を忘れ、世間に流布された嘘の活躍を信じて自分を英雄視する。

 

 「英雄」ならば活躍するのは当然であり、「英雄」であるならば、全軍の先頭に立って戦うのは当然と考え、実行しているディラン。

 

 正直、周りからすれば厄介この上なかった。

 

 トーヴィとしては、そんなディランのブレーキ役として、リオンとベルファストを派遣したのだ。

 

 しかし、あの兄が自分の言葉を聞き入れるはずがない事を、誰よりもリオン自身が良く分かっている。

 

 正直、荷が重いと言わざるを得なかった。

 

 そして、

 

 まさに「案の定」な事態が起こっていた。

 

「旗艦より入電。《全艦、左一斉回頭。進路1―6―0》!!」

「うわァ・・・・・・・・・・・・」

 

 見張り員からの報告に、うんざりした声を上げたのはベルファストだった。

 

 やれやれとばかりに視線を巡らして、リオンを見やる。

 

「どうするの? バカ兄貴が、またおかしな事やり始めたわよ」

 

 現在、イギリス軍は北と南からブレストを包囲する態勢を整えている。

 

 このまま狭い海域にドイツ艦隊を押し込め、一気に圧し潰そうと言う作戦だ。

 

 しかし、本国艦隊が南へ移動してしまうと包囲網が崩れてしまう。

 

「旗艦に通信。《命令ノ撤回ヲ求ム。現状維持ガ至当ト認ム》!!」

 

 リオンは通信士に命じる。

 

 無駄だと言う事は判っている。

 

 だが、ここは言わずにはいられなかった。

 

 しかしやはりと言うべきか、「キングジョージ5世」から返信は無く、完全に無視を決め込まれている。

 

 ディランがリオンの言葉など、歯牙にもかけていないであろう事は火を見るよりも明らかだった。

 

「クソッ」

 

 舌打ちするリオン。

 

 あの兄には、作戦を成功させようとする意志も無ければ、味方と連携しようと言う頭すらない。

 

 ただひたすら、自分の功名心しか見えていない。

 

 転舵する「キングジョージ5世」。

 

 他の艦も、追随して続行する。

 

 リオンも嘆息すると、旗艦に続くように命令する以外なかった。

 

 

 

 

 

 ブレスト軍港に鳴り響くサイレン。

 

 その不気味な音が、この港に敵軍が迫っている事を示して居た。

 

 「シャルンホルスト」艦橋に立つエアルの耳にも、その音は聞こえてきていた。

 

「さて・・・・・・どうするかな」

 

 口元に浮かべた苦笑を隠そうともせず、エアルは双眼鏡を下ろす。

 

 現在、「シャルンホルスト」はドックに入渠した状態であり、身動きが取れない。

 

 当然だが、今からドックに注水して出渠作業をする時間もない。

 

 この状態でも対空戦闘は出来るが、シャルンホルスト級巡洋戦艦最大の武器である高速性能は完全に封じられている。事実上、今の「シャルンホルスト」は陸の構造物と同じ状態だった。

 

 一応、艦上部には迷彩を施し、上空からは発見しづらいようにしてあるが、それも焼け石に水でしかない。

 

 発見され、集中攻撃を受けるのは時間の問題だった。

 

 しかし、それでも戦うしかない。

 

 背後に目をやるエアル。

 

 艦娘専用席には、ぐったりとして座るシャルンホルストの姿がある。

 

 サイアに連れてこられた時に比べれば幾分、表情は和らいだようにも見える。

 

 しかし相変わらず顔色は悪く、荒い呼吸を繰り返している。

 

 今すぐにでも休ませてやりたいが、既に敵は指呼の間まで迫っている。

 

 口惜しいが、今は彼女に頼る以外に、生き残る術はない。

 

「敵機、さらに接近!!」

 

 見張り員の報告に、エアルは前を向き直る。

 

 シャルンホルストの事は心配だが、今は彼女ばかりに気にかけている暇はない。

 

 何としても、ここを乗り切らないと。

 

 やがて、イヤでも聞こえてくる重低音の唸り。

 

 視界の中で、巨大な翼が迫ってくる。

 

 角張った胴体に大ぶりな翼。エンジンは2つ装備しプロペラが回転している。

 

 ソードフィッシュやアルバコアとは、明らかに一線を画する巨大な機影。

 

 ヴィッカース・ウェリントン。

 

 全長19.2メートル、全幅25.2メートル、最高速度372キロを誇り、搭載爆弾は最大で2トンにまで達する。

 

 イギリス空軍が正式採用している、双発の重爆撃機である。

 

 更にもう1種類。

 

 こちらは更に巨大な機影だ。

 

 ハンドレページ・ハリファックス。

 

 全長29.5メートル、全幅31.5メートル、最高速度454キロ、爆弾搭載量5.8トン。搭載しているエンジンは両翼に2基ずつの4発。

 

 アメリカ軍が正式採用しているボーイングB17フライングフォートレス重爆撃機に匹敵する巨大爆撃機である。

 

 イギリス空軍は今回のブレスト襲撃に、ウェリントン22機、ハリファックス16機を投入していた。

 

 連日のようにドーバー海峡を越えてドイツ空軍と死闘を繰り広げているイギリス空軍からすれば、割ける限りの最大限の数字である。しかしそれでも、ブレストを火の海にするには十分な戦力だった。

 

 迫る巨大爆撃機。

 

 冷や汗を、一筋流すエアル。

 

 イギリス軍は本気だ。

 

 本気で、自分達を潰しにかかってきている。

 

「今回は、流石に・・・・・・・・・・・・」

 

 言いかけて、

 

 再びシャルンホルストに目をやる。

 

 今度は、目が合った。

 

 苦し気に息を吐きながらも、

 

 しかし、ニコッと笑って見せる少女。

 

 その姿を見て、

 

 青年も頷きを返す。

 

 この少女を前にして、無様は見せられない。

 

 何としても、この場を切り抜けて見せる。

 

「対空戦闘、左30度!!」

 

 鋭く命令を下す。

 

 左舷側に指向可能な、8基16門の10.5センチ高角砲が旋回し天を睨む。

 

 更に37ミリ、20ミリの各機銃も続く。

 

 緊張する一瞬。

 

 イギリス軍の爆撃機隊が爆弾倉を開き、爆撃態勢に入った。

 

 次の瞬間、

 

「右舷前方ッ 接近する機影あり!!」

 

 叫ぶ見張り員の声。

 

 その声が、歓喜に染まる。

 

「味方ですッ 空軍(ルフトバッフェ)が来援しました!!」

 

 見張り員の言う通りだった。

 

 翼を連ねて上空に来援する、鉄十字の翼。

 

 メッサーシュミットBf109の力強いエンジン音が頼もしく響く。

 

 これは、ウォルフの手配だった。

 

 事態が容易ならざる物であると判断したウォルフは、自身の名前で近隣の空軍基地へブレスト上空の救援を要請したのだ。

 

 その援軍が、ギリギリで間に合ったのだ。

 

 直ちに攻撃を開始するドイツ空軍。

 

 既に攻撃態勢に入っていたイギリス空軍は、混乱をきたした。

 

 敵機がいないうちに攻撃をしてしまおうと考えていた彼等は、突然のドイツ空軍出現に、攻撃を中止して退避行動に移ろうとする。

 

 しかし、速力において勝るメッサーシュミットは、逃げようとする爆撃に追いすがる。

 

 イギリス軍の重爆撃機部隊は、命中率を上げるために高度を落としてブレスト上空に侵入しようとしていたが、完全にそれが仇となっていた。

 

 エアル達の目の前で、巨大な機影が次々と炎を上げて空中に散っていく。

 

 それでも、空軍も急場の出撃だった事もあり、全ての敵機進行を阻止するには至らない。

 

 3機のウェリントン爆撃機が、メッサーシュミットの防空網を抜けてドックの方へと迫ってくる。

 

 港内の対空砲も阻止の為、砲火を上げるが、爆撃機はそれらを掻い潜り、ドック内の「シャルンホルスト」に爆弾を叩きこむべく突撃する。

 

「対空戦闘・・・・・・・・・・・・」

 

 右手を軽く、振り上げるエアル。

 

 双発の爆撃機が、目前まで迫った。

 

 既に胴体下部の爆弾倉が開き、攻撃態勢に入っている。

 

 次の瞬間、

 

「撃ち方始めッ!!」

 

 鋭く腕を振り下ろす。

 

 同時に、

 

 「シャルンホルスト」に搭載されている対空砲が、一斉に撃ち上げられた。

 

 たちまち、空が真っ赤に染め上げられる。

 

 たとえ全力を発揮できなくとも、

 

 たとえ身動きが取れなくても、

 

 ドイツ最強の巡洋戦艦は伊達ではない。

 

 まさかドック内から反撃を食らうとは思っていなかった3機のウェリントン爆撃機は、ひとたまりもなく火球へと変じる。

 

 1機、

 

 また1機

 

 最後の1機は、それでも諦めずに「シャルンホルスト」へ爆弾を叩きこむべく迫る。

 

「・・・・・・最後まであきらめず、退かない、か。そういうの、嫌いじゃないよ」

 

 眦を上げるエアル。

 

「けどね」

 

 左舷側の対空砲火が、更に激しさを増してウェリントンを刺し貫く。

 

 空中で爆発、四散するウェリントン。

 

「悪いけど、ここは譲れない」

 

 爆炎に照らし出される横顔は、不敵に輝いていた。

 

 

 

 

 

第35話「たとえ這ってでも」      終わり

 



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第36話「海空の決闘者」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドイツ艦隊への攻撃が激しさを増す一方、ブレスト軍港への攻撃も激化の一途を辿っていた。

 

 視界の先で、悠然と飛行するハリファックス爆撃機の姿。

 

 その様を、エアルは「シャルンホルスト」の艦橋で、双眼鏡越しに眺めていた。

 

「・・・・・・厄介な」

 

 苦々し気に呟く。

 

 実際、苦しい戦いになるであろう事は、予想できていた。

 

 上空に待機していた空軍のメッサーシュミットが迎撃のために高度を上げている様子が見える。

 

 しかし、果たして今度は間に合うかどうか。

 

「艦長?」

「敵機の侵入高度が、明らかに高い」

 

 傍らのヴァルターに、答えるエアル。

 

 第1次攻撃に失敗したイギリス空軍は、低高度からの侵入を諦め、高高度からの攻撃に切り替えていた。

 

 高高度からの攻撃は、命中率が下がる反面、敵機からの迎撃を受けにくいと言う利点がある。

 

 イギリス軍は、多少攻撃の効率を落としても、攻撃成功しやすい方に賭けたのだ。

 

 案の定、慌てて上昇を掛けるドイツ空軍機が迎撃位置に着く前に、イギリス軍の爆撃機隊はブレスト上空へと侵入してくる。

 

「対空戦闘用意!!」

 

 エアルの命令が鋭く響く。

 

 10.5センチ高角砲、37ミリ、20ミリの各機銃が上を向く。

 

 既に第1次攻撃隊からの報告で、「シャルンホルスト」がドックから動けないでいる事は、彼等も掴んでいるのだろう。

 

 来襲した何機かは、まっすぐにドックを目指しているのが分かる。

 

 そこでようやく、メッサーシュミットがイギリス軍の編隊に取り付き空戦に突入する。

 

 航空に白いストレーキを引いて、英爆撃機に襲い掛かるルフトバッフェの勇士たち。

 

 しかし、敵の侵攻に対し味方の反応は鈍い。

 

 迎撃機として優秀な速力を誇るメッサーシュミットと言えど、高高度にまで上がるには相応の時間がかかる。

 

 しかも、高度が上がればエンジン出力は下がり、機動性は失われやすい。

 

 空軍の迎撃も、今度ばかりは期待できないだろう。

 

「こうなると、工員を艦内に収容したのは正解でしたね」

「ええ。下手に下ろせば、却って爆撃に巻き込まれていた可能性もありました」

 

 エアルは戦闘開始前、修理工事に当たっていた技術者や工員を全員、「シャルンホルスト」の艦内に避退させていた。

 

 全員を下ろすだけの時間は無いと判断しての措置である。

 

 案の定と言うべきか、イギリス空軍はブレストに対し徹底した爆撃を行おうとしている。万が一、避退した彼等の上に爆弾が落ちていれば、目も当てられない大惨事になっていた事だろう。

 

 その点、「シャルンホルスト」はドイツが誇る重装甲艦である。その艦内にいれば、ある程度の爆撃には耐えられるはずである。

 

「敵機、更に接近!!」

 

 見張り員の絶叫が響く。

 

 余計な事を考える時間はこれまでだ。

 

 エアルは、背後にいるシャルンホルストを、振り返って見やる。

 

 相変わらず、体調が悪そうな巡戦少女。

 

 しかし、エアルの目を見ると、しっかりと頷きを返してくる。

 

 笑顔で頷きを返すエアル。

 

 互いに無言。

 

 交わす言葉はない。

 

 しかし、お互いの言いたい事は誰よりも理解している。

 

 心配はいらない。

 

 何一つとして、問題はない。

 

 なぜなら、

 

 エアルとシャルンホルスト。

 

 お互いに、同じ場所に立っているのだから。

 

「敵機、さらに接近ッ 本艦の軸線上に乗ります!!」

 

 防空指揮所で双眼鏡を除いている見張り員からの、緊迫した報告。

 

 次の瞬間、

 

「対空戦闘、撃ち方始め!!」

 

 エアルの鋭い命令と共に、高角砲と機銃を一斉に撃ち放つ「シャルンホルスト」。

 

 たとえドッグ内にあって動けなかったとしても、その火力に衰えはない。

 

 艦上全てを赤く染めて、対空砲を放ち続ける。

 

 しかし、

 

「やっぱり、ダメか。殆ど届いてないな」

 

 舌打ちするエアル。

 

 機銃弾による攻撃は、敵の高度が高すぎて銃弾が届かないのだ。

 

 高角砲は届いている。65口径10.5センチ砲弾は、高高度を飛ぶハリファックス爆撃機を阻止すべく、上空に黒煙を咲かせている。

 

 しかしそれも、弾幕と呼ぶにはあまりにも薄い。

 

 高角砲弾だけで、航空から侵入してくるイギリス軍爆撃機を全て阻止する事は不可能。

 

 空軍の戦闘機隊も必死に追いすがっているが、それよりも敵機の侵攻が早い。

 

 空軍も対空砲もあてにはできず。

 

 結果、

 

 敵機は「シャルンホルスト」上空へ、悠々と侵入してきた。

 

 エアル達が

 

 爆弾倉から、黒々とした塊が次々と投下される。

 

 ドックに入渠したままの「シャルンホルスト」に、回避の手段はない。

 

 投下された爆弾は、ドッグ周辺や海面に落下し、大半が無意味に炸裂する。

 

 爆炎や海水は派手に空中を踊る。

 

 しかし、「シャルンホルスト」に命中する爆弾は無かった。

 

 この時代、航空機の攻撃方法は一部の特殊な物を除けば、急降下爆撃、水平爆撃、雷撃の3つに分けられる。

 

 中でも水平爆撃は、他の2つと違って難易度が低く、かつ高い攻撃力を誇る反面、どうしても命中率の低下は免れない。

 

 何しろ、目標上空で爆弾を投下するだけなので、強力な爆弾を使用できる反面、投下した爆弾は風の影響を受けて目標に命中しない事の方が多いのだ。

 

 「シャルンホルスト」の周囲に爆炎が踊り、海面に落下した爆弾は派手に水柱を上げる。

 

 このまま、命中弾なくやり過ごす事が出来るか?

 

 その希望が芽生え始めた。

 

 だが、すぐにそれが、甘い考えである事を思い知る事になる。

 

 次の瞬間、

 

「爆弾、本艦直上ッ 命中コース!!」

 

 見張り員の絶叫。

 

 ハリファックスが投下した爆弾が、偶然にもドック内にいる「シャルンホルスト」の命中コースに飛び込んでしまったのだ。

 

 迫る爆弾。

 

 黒い点が、上空から徐々に近づいてくるのが見える。

 

「総員、衝撃に備えッ!!」

 

 とっさに叫ぶエアル。

 

 更に、

 

 エアルは踵を返すと、艦娘席へと駆け寄る。

 

「え?」

 

 シャルンホルストが驚いて顔を上げる。

 

 だが、その前にエアルは彼女を抱きしめるように覆いかぶさった。

 

 次の瞬間、

 

 複数の衝撃が、同時に襲ってきた。

 

「キャァァァァァァ!?」

 

 着弾の衝撃と痛みで、悲鳴を上げるシャルンホルスト。

 

 エアルはそんな彼女を、しっかりと抱きしめる。

 

 ややあって、顔を上げた。

 

「損害報告!!」

「右舷中央に直撃弾1ッ 高角砲1基、機銃2基損傷!!」

「左舷、艦首付近に直撃弾ッ 装甲貫通ッ 艦首区画に火災発生!!」

 

 思った以上に損害が大きい。

 

 水平爆撃は、ただ目標上空で爆弾を落とすだけなので、他の攻撃法と違って特殊な操縦技術は必要としない。

 

 先に述べた通り、命中率は低いが、その分大型の爆弾でも実施可能な為、直撃を受けた際の損害は馬鹿にならなかった。

 

「損害復旧、及び消火急げ!!」

 

 命じながら、エアルはそっとシャルンホルストを放す。

 

「大丈夫、シャル?」

「う、うん、何とか」

 

 健気に答えるシャルンホルスト。

 

 体調の悪さに加えて、敵の攻撃による痛みのフィードバック。

 

 恐らく今のシャルンホルストは、気を失いそうなほどに苦しい筈。

 

 それでも少女は、エアルに向かって笑顔を向けた。まるで、こんなものは何ともない、と言わんばかりに。

 

 その笑顔に、自身も笑いながら頷きを返すエアル。

 

 今はまだ戦闘中。気を抜いている暇はない。

 

 見れば、空軍のメッサーシュミットが、「シャルンホルスト」に取り付こうとしていたハリファックスを追い立てている様子が見て取れる。

 

 おかげでイギリス軍は「シャルンホルスト」攻撃どころではなくなっているらしい。

 

「今のうちに体勢を立て直すよ」

「うん」

 

 頷きあう、エアルとシャルンホルスト。

 

 上空では、尚も攻撃を続行しようとするイギリス空軍と、阻止せんとするドイツ空軍が至当を続け、眼下では「シャルンホルスト」が盛んに対空砲を撃ち上げていた。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 北で「シャルンホルスト」が危機に陥っている頃、南では「グナイゼナウ」

の死闘が続いていた。

 

 海上で対空砲火を吐き出しながら回避運動を続ける「グナイゼナウ」。

 

 その上空を乱舞するイギリス軍の航空隊は、ドイツ巡戦に対し、未だに有効となる攻撃を行えないでいた。

 

 雷撃機が海面付近まで降下して魚雷を放ち、急降下爆撃機は逆落としに迫って爆弾を投下する。

 

 しかし、当たらない。

 

 イギリス軍機の攻撃は、全て空しく空を切り、「グナイゼナウ」を捉えるに至らなかった。

 

 「グナイゼナウ」の奮戦。

 

 その最たる理由は、艦長のオスカー・バニッシュによる的確な操艦にあった。

 

 オスカーはこれまで培ってきた経験をフルに生かし、圧倒的不利な状況下にあって奮闘を続けていた。

 

 又、イギリス軍が部隊を小出しにして来た事も、オスカー達に幸いしていた。

 

 これまでのところ、一度に襲ってきたイギリス軍機は6~8機程度。多くても10機強である。

 

 その為、攻撃は散発的になり、「グナイゼナウ」は致命傷を避けて戦い続ける事が出来ていた。

 

 もっとも、そのせいで攻撃は五月雨式となり、休むまも与えられずに敵と戦い続けている状態なのだが。

 

 既に数回にわたる空襲を退けた「グナイゼナウ」だが、乗組員たちの疲労は蓄積しつつあった。

 

 そして、

 

 この日何度目かになる、敵機来襲を告げる報告がなされた。

 

「・・・・・・・・・・・・今度は、まずいか」

 

 双眼鏡を下ろしながら、オスカーは苦い表情で呟く。

 

 視界の先に映る敵機は30以上。これまでで最大の数である。

 

 恐らくイギリス軍は、攻撃を的確によけ続ける「グナイゼナウ」に業を煮やし、一気に叩き潰すべく賭けに出たのだ。

 

 折悪しく、今現在、「グナイゼナウ」の上空はがら空きになっている。

 

 第1次攻撃時、「グナイゼナウ」上空を守ってくれた「グラーフ・ツェッペリン」航空隊も、燃料補給のために着艦を余儀なくされている。

 

 つまり今、「グナイゼナウ」は、ほぼ丸腰に近い状態だった。

 

「ゼナ」

 

 背後の椅子に座る少女に声を掛ける。

 

 疲労感の強いグナイゼナウ。

 

 今も俯いて、息を上げているのが分かる。

 

 彼女だけではない。

 

 今日1日で戦闘に参加した乗組員たちは、オスカーも含めて疲労を感じている。

 

 しかし、

 

「だ、大丈夫よ」

 

 グナイゼナウは、健気に笑って見せる。

 

「私は、まだ大丈夫。だからオスカー、遠慮しないでやって」

「・・・・・・・・・・・・分かった」

 

 頷きを返すと、オスカーは前方に目を向ける。

 

 もう、振り返らなかった。

 

 彼女が「大丈夫」と言った以上、大丈夫。それは絶対だ。

 

「よし、やるぞッ」

 

 オスカーの声と共に、

 

 再び対空砲を振り上げる「グナイゼナウ」。

 

 そこへ、イギリス軍機が突っ込んでくる。

 

 ここまで全ての攻撃を空振りに終わらせた憎い相手。

 

 小癪にも、自分達を小馬鹿にし続けるナチの戦艦。

 

 と、イギリス軍の兵士達は思っていた。

 

 最前までは。

 

 しかし今は、

 

 目の前にある強敵に対し、ある種の畏怖すら抱いていた。

 

 殆ど孤立した状態で奮戦を続け、自分達の攻撃を一手に引き受けながら、それでいて未だに致命傷を負った様子もない「グナイゼナウ」。

 

 ナチスの三流海軍、などと侮る事は出来ない。

 

 相手は自分達と同じ、海の騎士。

 

 ならば、最上の敬意をもって当たらねば失礼。

 

 そもそも、本気を出さずして勝てる相手ではない。

 

 イギリス軍は30ノットで航行しながら転舵する「グナイゼナウ」を包囲するように、遠巻きに旋回しながら、徐々に距離を詰めて来る。

 

 対してオスカーは、まだ射撃命令を出さない。

 

 敵は全て対空砲の射程圏外である為、発砲できないのだ。

 

 オスカーも周囲を見渡しながら、射撃開始を告げるタイミングを計る。

 

 次の瞬間、

 

「敵機直上ッ 急降下!!」

 

 見張り員の報告。

 

 上空では、翼を翻した機体が、「グナイゼナウ」めがけて、機首を真っ逆さまにして向かってくるのが見えた。

 

 ブラックバーン・スクア急降下爆撃機。

 

 イギリス海軍が正式採用している急降下爆撃機である。

 

 全長10.8メート、全幅14.07メートル。最高速度363キロ。

 

 搭載爆弾は224キロと、決して攻撃力は高くない。

 

 しかし、唸りを上げて襲い掛かってくる様は、正に恐怖と言える。

 

 対して、

 

 オスカーも動じることなく対応する。

 

「機関全速、取り舵一杯ッ 対空戦闘、撃ち方始め!!」

 

 左に回頭しながら、一斉に対空砲を撃ち上げる「グナイゼナウ」。

 

 上空には砲弾が炸裂する黒煙が、点のように次々と描かれる。

 

 しかし、

 

 イギリス軍のパイロット達も、臆することなく急降下してくる。

 

 左へと旋回する「グナイゼナウ」。

 

 投下された爆弾は、巡洋戦艦の右舷側海面に落下、次々と水柱を突き上げる。

 

 命中弾はない。

 

 しかし、元より、この攻撃は牽制に過ぎない。

 

 「グナイゼナウ」が艦首を振った先。

 

 隊列を組んだソードフィッシュ雷撃機が迫ってくる。

 

 4機が横一列に並び、まっすぐに向かってくる。

 

「取り舵続行!!」

 

 更に艦首を左に振り、回避を試みる「グナイゼナウ」。

 

 その艦に、炸裂した高角砲弾がソードフィッシュ1機を吹き飛ばす。

 

 投下された魚雷。

 

 その白い航跡は、「グナイゼナウ」の右舷側を駆け抜けていった。

 

 攻撃を仕掛けるイギリス軍と、それを悉く回避する「グナイゼナウ」。

 

 このままいけば、切り抜ける事が出来る。

 

 夜まで粘れば、敵の攻撃は止む。

 

 そうなれば、自分たちの勝ちだ。

 

 誰もが、そう思い始めていた。

 

 そう、

 

 オスカーやグナイゼナウでさえも。

 

 だが、今回はイギリス側も必死だった。

 

 ここまで自分達と渡り合ったドイツ巡戦に敬意を表し、せめて一太刀なりとも浴びせんと、最後の攻撃を仕掛ける。

 

 回避行動中の「グナイゼナウ」。その左舷側から迫る3機のアルバコア。

 

 複葉の翼が、「グナイゼナウ」に魚雷を叩きこむべく、対空砲火に耐えながら迫ってくる。

 

「近づかせるなッ 左舷、対空火力強化!!」

「機関全速ッ 取り舵一杯!!」

 

 「グナイゼナウ」左舷の対空砲が唸りを上げ、アルバコアの接近阻止に当たる。

 

 放たれる魚雷。

 

 同時に、機首を上げに掛かったアルバコア1機が、「グナイゼナウ」から放たれた砲弾のあおりを受け、吹き飛ばされて海面に突っ込む。

 

 迫りくる魚雷。

 

 対して左へ旋回して回避する「グナイゼナウ」。

 

 果たして、

 

 魚雷は「グナイゼナウ」の左舷側を駆け抜けていった。

 

「よしッ」

 

 喝さいを上げるオスカー。

 

 グナイゼナウも、ほっとしたように笑みを浮かべる。

 

 タイミング的に見て、今のが最後の攻撃だったはず。これで自分達は生き残った。

 

 そう、思ったのも無理からぬことだった。

 

「ソードフィッシュ2機ッ 右舷前方ッ 突っ込んでくる!!」

 

 再び響く、見張り員の絶叫。

 

 息をのむ、オスカー達。

 

 「グナイゼナウ」はたった今、回頭を終えたばかりである為、すぐに回避運動は出来ない。

 

「右舷ッ 対空ッ 撃ち落とせ!!」

 

 鋭く命じるオスカー。

 

 右舷側の高角砲と機銃が火を吹き、敵機接近阻止に掛かる。

 

 だが、既に遅かった。

 

 投下される魚雷。

 

 白い航跡を不気味に引きながら、海面下を疾走する様は、さながらどう猛な人食い鮫だ。

 

 回避は、不可能。

 

「総員、衝撃に備えッ!!」

 

 叫ぶと同時に、オスカーはグナイゼナウを抱えて蹲る。

 

 次の瞬間、

 

 足元から突き上げるような衝撃が襲ってきた。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 鉄十字を描いた翼が、滑る様に飛行甲板に舞い降り、そして停止位置でピタリと止まる。

 

 彼等もここ数カ月で、ずいぶんとうまくなったものだ。

 

 「グラーフ・ツェッペリン」の艦橋で着艦の様子を見守りながら、ウォルフはそんな風に思った。

 

 海軍の空母に空軍の機体とパイロットを乗せ、空母機動部隊を新設する。

 

 やり方としてはかなり強引な手法である事は間違いないし、実際に多くの不具合も発生した。

 

 しかし、その全てを海空双方の兵士達が協力し合い、乗り越えて来る事が出来たのだ。

 

 今や空軍のパイロット達も、立派な「海の男」と言って良かった。

 

「それで、『グナイゼナウ』の様子は?」

 

 問題は底だった。

 

 イギリス軍の放った最後の攻撃により、魚雷を受けて損傷した「グナイゼナウ」。

 

 損傷個所の応急修理を行うため、一時的に艦を海上に停止させていた。

 

 その艦、「グラーフ・ツェッペリン」の戦闘機隊が上空直掩を行い、イギリス軍の追撃を警戒していたのだ。

 

「先ほど、バニッシュ大佐から連絡が入った。とりあえず応急修理は完了し、21ノットでの航行は可能だそうだ」

 

 シュレスは先ほど、「グナイゼナウ」からの通信でもたらされた情報を伝える。

 

 「グナイゼナウ」は右舷後部に魚雷1本を食らい、艦内に浸水を引き起こしていた。

 

 応急修理と排水を同時に行って、どうにか被害は最小限に食い止めたものの、全速力で航行すればせっかく修理して補強した隔壁が破られかねない。

 

 その為、速力を制限して航行しているのだ。

 

「既に『グナイゼナウ』はブレストへ向けて退避を始めている。一晩乗り切れば、後はどうにかなると思うのだが」

 

 浸水で速力が落ちた「グナイゼナウ」は、イギリス軍にとって格好の獲物である。

 

 夜間に空襲を受ける心配はないが、潜水艦や水上艦の襲撃は十分に考えられる。

 

 いかに、それらの攻撃を切り抜け、「グナイゼナウ」をブレストに逃がすかがカギである。

 

 だが、

 

「問題ないさ」

 

 ウォルフは、シュレスの懸念に対し事もないとでも言いたいほどあっさりと言ってのけた。

 

 訝るシュレス。

 

「どういう事だ?」

「手は打っておいた、と言う事だ。俺の思惑が当たれば、間もなくイギリス軍は、こちらにかまっている場合じゃなくなるだろう」

 

 そう言うと、ウォルフはニヤリと笑うのだった。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 「グナイゼナウ」損傷の情報は、「キングジョージ5世」のS部隊司令部にももたらされ、司令官であるディランを狂喜させていた。

 

 電文を受け取るなり、ディランは文字通りに飛び上がって笑い声を立てる。

 

「見たかッ ナチス共ッ これこそが俺の力だッ これで、こざかしく逃げ回る事も出来なくなっただろう!!」

 

 どうやら彼の中では「グナイゼナウ」への攻撃成功は、自分の手柄と言う事になっているらしい。

 

 因みに、ここに至るまで、ディラン率いるS部隊はさしたる戦果も挙げていない。「グナイゼナウ」損傷にしても、別の部隊の手柄である。

 

 それをさも、自分の手柄のように言うのは、おこがましいにも程があるだろう。

 

 しかし、

 

 生憎、そこのところを言及できる人間は、この場にはいなかった。

 

 だが、そんな事はお構いなしに、ディランは意気揚々と命じる。

 

「さあッ 全速前進ッ 腐りきったナチスの戦艦に、俺自らがトドメを刺してやる!!」

 

 機関の唸りが高まり、速力を増す「キングジョージ5世」。

 

 まるでディランの狂喜が乗り移ったように、前へと進む。

 

 だが、

 

 破滅は突如として、足元から襲い掛かってきた。

 

 突如、突き上げられる衝撃。

 

 同時に、艦腹に巨大な水柱が立ち上る。

 

「お、おォォォォォォォォォォォォッ!?」

 

 ディランの体は一瞬、空中に持ち上げられると、そのまま艦橋の床に思いっきり叩きおつけられた。

 

「閣下ッ」

 

 驚異的なバランス感覚を発揮して転倒を免れたアルヴァンが、ディランを助け起こす。

 

 老中佐に支えられながら、放心した様子であたりを見回すディラン。

 

「い、いったい、何が・・・・・・・・・・・・」

「魚雷です。どうやら、我々は敵Uボートの活動圏内に、知らずに足を踏み入れてしまったようです」

 

 淡々と説明するアルヴァン。

 

 この時、「キングジョージ5世」は右舷中央付近に2本の魚雷が命中。艦は浸水によって大きく傾きつつあった。

 

 さすがは最新鋭戦艦だけあり、すぐに沈む兆候は見られない。

 

 しかし、状況がかなり危険であることは、誰の目にも明らかだった。

 

「おのれッ ナチス共ッ またしてもこの俺をコケにするかッ!!」

 

 怒りをあらわにしながら、周囲を睨みまわす。

 

「見張りは何をやっていたッ!? いや、それよりも役立たずの駆逐艦共はどうしたッ 居眠りでもしていたかッ!?」

 

 周囲構わず当たり散らすディラン。

 

 こうなるともう、手が付けられない。

 

 誰が何と言おうが、本人が満足するまで罵声が止まる事はない事を、皆知っていた。

 

 そもそも、予定にない前進を部隊に命じて、勢力圏内に飛び込むきっかけを作ったのはディランである。

 

 要するに今回、「キングジョージ5世」が雷撃を食らう、そもそもの原因を作ったのはほかならぬディラン本人である。

 

 しかし安定の忘却思考回路が働き、自分のミスについてはきれいさっぱり忘れ去られていた。

 

 彼にとっては、いつだって悪いのは他人であり、ミスするのは他人であり、罪を償うべきは他人なのだ。

 

「クソッ クソッ クソクソクソッ どうして、どいつもこいつも役立たずなんだッ!? どうして、いつも俺の足を引っ張るッ!?」

 

 喚き散らすディランを他所に、応急修理と潜水艦への警戒が行われる。

 

 幸いにして、既に浸水は隔壁によって防ぎ留められていた。

 

 命中箇所が水雷防御帯だった事が功を奏した。これなら、僅かな応急修理で本国まで戻れるだろう。

 

 その時だった。

 

「閣下、これを」

「ああッ!?」

 

 駆け寄ってきた通信士官に、不機嫌そうに振り返るディラン。

 

 通信士官は怯みながらも、持ってきた電文を差し出す。

 

 ひったくるように紙を受け取り、一読するディラン。

 

 だが、

 

「な、何だとォッ!?」

 

 そこに掛かれていた内容に、思わず絶叫した。

 

 

 

 

 

 その頃、

 

 海中に潜む黒々とした影は、英軍の爆雷攻撃を他所に、静かにその場を去ろうとしていた。

 

 艦橋脇に猛牛のイラストが描かれたUボート。

 

 ギリアム・プリーン中佐率いるU―47だ。

 

 かつてスカパ・フローに大胆にも侵入して、戦艦「ロイヤル・オーク」を撃沈したエースUボート乗りは、今回も隙を突く形で、大物に魚雷を叩き込む事に成功していた。

 

 海中に潜み、「キングジョージ5世」に雷撃を敢行した彼等は、戦果を確認する間も無くあわただしく急速潜航。

 

 最大深度まで達すると、イギリス艦隊のソナー圏外まで逃れようとしていた。

 

「うまくいったわね」

 

 水着の上からセーラー服の上だけを羽織った姿のU―47(シーナ)は、ソナー員からの報告を聞きながら笑顔を浮かべた。

 

 彼女達がイギリスS部隊の進路上に展開していたのは偶然だった。

 

 待ち伏せしていると、たまたまイギリス艦隊を発見。十分に引き付けた上で雷撃を敢行したのだった。

 

 結果、S部隊旗艦「キングジョージ5世」が損傷。

 

 「グナイゼナウ」追撃を目指すイギリス艦隊にとって、痛恨ともいえる一太刀を浴びせる事に成功したのだ。

 

「まあもっとも、まさか敵の旗艦に当たるとは思わなかったがな」

「私も。だって、あんな無防備に突っ込んでくるんだもん。いったい何がしたかったのかしら?」

「さあな。指揮官がよほど、自分らの動きに自信があったのかもな」

 

 揃って首をかしげる、ギリアムとシーナ。

 

 まさか敵将が虚栄心に駆られ、艦隊を無防備に前進させた事までは、ギリアム達も考えが及ばなかった。

 

 その時だった。

 

 ヘッドホンを耳に当てていたソナー員が顔を上げ、ギリアムに振り返った。

 

「艦長。どうも、上(英艦隊)の様子が変です」

「変? 変って何だ?」

「はい。どうも、スクリュー音を聞く限り、敵は反転しているように思えます」

 

 報告を聞き、ギリアムは訝る。

 

 ここに来て反転?

 

 まだ戦いは終わっていないのに?

 

 「キングジョージ5世」の雷撃には成功したものの、戦力的には未だにイギリス艦隊が有利。しかも、ドイツ艦隊も「グナイゼナウ」が損傷して行き足を鈍らせている状態だ。

 

 ここで追撃の手を緩める選択肢は、イギリス海軍にはないように思えるのだが。

 

 しかし現実として、イギリス艦隊は反転を始めているのは事実だった。

 

 駆逐艦が速力を上げて艦隊の前方に進出し、新たな潜水艦の襲撃に備える一方、戦艦や巡洋艦が続行する。

 

 いったい、何が起きているのか?

 

 ギリアムとシーナは、首をかしげる以外になかった。

 

 

 

 

 

 その頃、

 

 S部隊に所属する軽巡洋艦「ベルファスト」でも、他の艦に続いて艦を回頭させていた。

 

 きっかけは、先ほど届いた、本国からの電文。

 

 《敵航空部隊多数、ろんどんニ襲来。S部隊ハ直チニ帰投シ、本国ノ防衛ニ当タレ》

 

 それが電文の内容だった。

 

「まさか、この時期に、敵の空軍が仕掛けて来るとはね。完全にやられた」

「どういう事?」

 

 舌打ちするリオンに、ベルファストが首をかしげる。

 

 リオンには読めていた。

 

 これが全て、敵将の策であると。

 

 ここのところ、バトル・オブ・ブリテンは完全に下火になり、時々、思い出したように敵の攻撃隊が少数飛来する程度にまで、頻度が落ち込んでいた。

 

 しかし、このタイミングで仕掛けてきたと言う事は、間違いなくイギリス海軍の目を本土に引き付ける事が目的なのだ。

 

 本国を空にしてまで、ブレストのドイツ艦隊を攻撃する事は出来ない。

 

 本国はそうなれば、必ずやS部隊に帰還を命じる。

 

 作戦参加部隊の中で最強の戦力を誇るS部隊が退却すれば、R部隊とH部隊も各個撃破を恐れて退却せざるを得ない。R部隊にせよH部隊にせよ、単独でブレスト攻撃を続行するには戦力が少なすぎる。

 

 実質、S部隊さえ引かせれば、イギリス海軍は撤退せざるを得ない。

 

 敵将は、そこまで読んでいたのだ。

 

「恐ろしいほどに巧妙な作戦だ。完全にしてやられた」

 

 嘆息するリオン。

 

 だが、最早どうにもならない。

 

 本国を空にするわけにはいかないし、何より、実際問題として本国が攻撃を受けている現状、海軍の主力が防衛をすっぽかして、敵地攻撃を行っている場合ではない。

 

 イギリス本国を目指して反転するS部隊各艦。

 

 損傷した旗艦「キングジョージ5世」をかばう様に撤退していく様子は、どう考えても栄光あるロイヤルネイビーの姿ではない。

 

 敗残の落ち武者を連想させる物があった。

 

 

 

 

 

 一方その頃、

 

 戦場から遥か遠く離れた、ドイツ首都ベルリン。

 

 その総統官邸において、作戦経過を聞いた総統アドルフ・ヒトラーは、報告を聞くと満足そうに頷き受話器を置いた。

 

「これで良いのだな、ウォルフ」

 

 その脳裏に浮かぶのは、今は前線にいる友の顔。

 

 戦闘開始前の事だ。

 

 ウォルフからブレストが襲撃を受けつつある事を告げられたヒトラー。

 

 来襲した敵が、ドイツ海軍に比べてはるかに強大な事。

 

 このままでは、ブレストも第1戦闘群も持ち堪えることが難しい事。

 

 それらをヒトラーに伝えたうえで、ウォルフは自身の策を電話越しにヒトラーに披露した。

 

 敵艦隊は強大だが、統制を取れているようには見えない。恐らくはバラバラの部隊が包囲網を形成し、それぞれの判断で攻撃を仕掛けようとしているのだ。

 

 ならば、その連携を崩す事は、そう難しくない。

 

 まずは第1戦闘群はブレストから出港し、最も敵の包囲網が手薄となっている南側の敵を抑える。

 

 更には潜水艦隊司令部にもう要請し、敵艦隊に奇襲を仕掛ける。

 

 勿論、それだけでは単なる時間稼ぎでしかない。いずれ、じり貧になる事は目に見えている。

 

 そこで、ウォルフが目を付けたのは、フランス沿岸部に展開している空軍部隊だった。

 

 一時的でもいいから敵の目を他に逸らす必要があると告げ、現在ではほとんど行わなくなっていた、空軍によるロンドン直接攻撃を提案してきた。

 

 首都が攻撃を受けたとなれば、イギリス軍もブレスト攻撃どころではなくなるだろう。海軍にしたところで、警戒して本国へ引き上げるはず。

 

 果たして、ウォルフの読み通り、イギリス艦隊は退却を開始。

 

 ドイツ海軍は危うく窮地を脱する事に成功したのだった。

 

「全く・・・・・・」

 

 椅子の背もたれに寄り掛かりながら、独裁者の口から苦笑が漏れる。

 

「必要とあらば、総統である余ですら、口先一つで動かすか。恐ろしい男だな、あいつも」

 

 どこか楽しげに語るヒトラー。

 

 こうして、イギリス海軍が企図したブレスト強襲作戦は、ドイツ軍が勝利する形で幕を閉じるのだった。

 

 

 

 

 

 

第36話「海空の決闘者」      終わり

 



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第37話「けじめはけじめ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドイツ海軍第1戦闘群撃滅を目指して行われた、イギリス軍によるブレスト強襲。

 

 イギリス国王フレデリックの勅命によって決行された作戦は、しかし、ドイツ軍の予想を超えた反撃によって、完全に頓挫する結果となった。

 

 ブレスト攻撃を行った空軍爆撃隊は、ドイツ空軍の迎撃に遭い、ある程度の戦果は挙げたものの、結果として功は不十分なまま攻撃は終了。目標となった巡洋戦艦「シャルンホルスト」に多少の損傷を負わせたものの、行動不能にするには至らなかった。

 

 「グラーフ・ツェッペリン」「グナイゼナウ」撃沈を目指した海軍による攻撃も、「グナイゼナウ」を損傷させたものの、結局は取り逃がす結果となった。

 

 攻撃は失敗。

 

 それどころか、却って最新鋭戦艦である「キングジョージ5世」がUボートの雷撃を食らって損傷、這う這うの体で退却する醜態を見せる始末。

 

 極めつけは、ドイツ空軍による奇襲的なロンドン空襲である。

 

 これには完全に、イギリス軍は虚を突かれる形となった。

 

 ここ最近、バトル・オブ・ブリテンは下火になっていた為、まさかこのタイミングでドイツ空軍が攻勢に出るとは思っていなかったのだ。

 

 イギリス空軍が必死に防戦を行い、来襲したドイツ軍にも損害を与えたものの、突如とした攻勢はイギリス軍、ひいてはイギリス国民に大きなショックを与えたのは確かだった。

 

 これら一連の戦いにより、イギリス軍はブレスト攻撃を断念せざるを得ない状況に追い込まれてしまった。

 

 イギリス軍を押し返した、ドイツ軍の作戦。

 

 全ては、第1戦闘群司令官ウォルフ・アレイザーの策だった。

 

 強大な敵を前にして防戦を行って時間を稼ぐと同時に、他方面から攻勢をかけて相手の後方を脅かす。

 

 本国を突かれたイギリス軍は、本土防衛のために退却せざるを得ない。

 

 古来からある、他方面同時攻撃の応用である。

 

 これにより、戦略の前提が崩れたイギリス軍、特に攻撃の主軸となる筈だったS部隊が退却。

 

 なし崩し的に包囲網を形成していたR部隊、H部隊も撤退。

 

 ここにブレスト沖海戦は一応、ドイツ軍の勝利と言う形で幕を閉じた。

 

 しかし、

 

 勝利したドイツ軍も、無傷とはいかなかった。

 

 イギリス空軍の攻撃によって、「シャルンホルスト」が中破、更に魚雷を食らった「グナイゼナウ」の損害も深刻で、暫くは作戦行動は不可能と判断されるほどの損害だった。

 

 主力となる巡洋戦艦が、2隻とも損傷で戦線離脱。

 

 皮肉にも、第1戦闘群は開戦以来、最大の損害を被った事になる。

 

 しかし、とは言え、

 

 イギリス軍が本国防衛のために戦力を回さねばならず、ドイツ軍が危機を脱したのは事実である。

 

 双方ともに膠着した状況。

 

 それを受け、ドイツ海軍では先手を打つ形で、次の作戦が実行に移されようとしていた。

 

 

 

 

 

 ゴーテンハーフェン軍港の専用桟橋に停泊した、その艦を見た者は皆、誰もが圧倒されるだろう。

 

 これよりも大きな艦を、人類はまだ、見た事はない。

 

 重厚なフォルム。連装4基の巨大な砲塔。舷側には中小型の砲が無数ににらみを利かせている。

 

 艦橋、煙突、後部艦橋は可能な限りコンパクトにまとめられ、周囲には中小口径の砲門が、所狭しと並べられている。

 

 艦橋トップに備えられたアンテナ群は、この艦がただ「強い」だけじゃなく、次世代的な電子兵装を備えた艦である事を示して居る。

 

 まさに無敵の城塞が、海上に出現した如くだった。

 

 ドイツ海軍第2戦闘群旗艦「ビスマルク」

 

 基準排水量4万1000トン。全長250メートル、全幅36メートル、最高速度30.8ノット。

 

 主砲は47口径38センチ砲連装4基8門。

 

 ドイツ軍が生み出した、ヨーロッパ、

 

 否、

 

 世界最大最強の戦艦である。

 

 半年前、キール軍港の桟橋でエアルとシャルンホルストが回航して以来、このゴーテンハーフェン軍港で最終偽装を行い、その後はバルト海で乗組員の訓練にいそしんでいた「ビスマルク」だったが、この程ようやく、海軍に編入される事となった。

 

 そこで、本国防衛の為にベルリン作戦には加わらず待機していた重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」と共に、第2戦闘群を編制したのだ。

 

「素晴らしい。実に素晴らしいな、この艦は」

 

 テーブルに着いた全ての人々を見回しながら、興奮したように告げたのは、ドイツ第三帝国総統、アドルフ・ヒトラーその人だった。

 

 「ビスマルク」の海軍編入に当たり、その祝辞を述べるためにやってきたのだ。

 

 背後には海軍最高司令官のエドワルド・レーダー元帥も控えている。

 

 彼等の前には、第2戦闘群司令官のリンター・リュッチェンス大将、「ビスマルク」艦長のオットー・リンデマン大佐、更には艦娘のビスマルク本人も座っていた。

 

 ベルリン作戦が終了したのち、艦隊をブレストに残して本国に帰還したリュッチェンス。

 

 その後、事例が下りて最新鋭戦艦「ビスマルク」を含む第2戦闘群司令官に就任。同時にドイツ艦隊司令官への就任も行われた。これは事実上、イギリス海軍における本国艦隊司令官に匹敵する地位であり、これにて事実上、リュッチェンスはドイツ海軍実働部隊におけるトップに就いた事を意味している。

 

 フェロー諸島沖海戦、ベルリン作戦におけるリュッチェンスの功績を、海軍、ひいてはヒトラー本人が高く評価したうえでの人事だった。

 

 そんなリュッチェンスを前に、ヒトラーは「ビスマルク」を眺め、上機嫌で言った。

 

「この艦は、正に『鉄の聖堂』だな。何者も侵す事はかなわず、堂々たる姿を海上に浮かべ続ける。この艦が海上に出れば、イギリス海軍如き、鎧袖一触である事は疑いあるまい」

「まさしく、その通りであります、閣下」

 

 追従するレーダー。

 

 海軍総司令官であり、大艦巨砲主義者でもあるレーダーからすれば、ようやく戦力化した最強戦艦の存在に、興奮も押さえきれないと言ったところだろう。

 

 その瞳は、高齢でありながら少年のように輝いているようにも思える。

 

 ある意味、「ビスマルク」の完成を、誰よりも喜んでいるのはレーダーかもしれなかった。

 

「既に、総統閣下に、この船の性能をお見せできる機会は用意してあります」

「それはつまり・・・・・・」

 

 言葉の先を察したように、ヒトラーは目を細めてレーダーを見る。

 

「この艦が出撃する時は近い。そういう事だな、レーダー」

「はい。これを」

 

 差し出された書類。

 

 その表紙には「ライン演習作戦」の表題がある。

 

 それは戦艦「ビスマルク」を主軸とした、大規模通商破壊作戦だった。

 

 度重なるドイツ海軍水上艦艇による襲撃により、多数の艦艇、船舶を失ったイギリス軍は、ここに来て護衛戦力を強化しつつある。

 

 R部隊は殲滅したものの、敵はすぐにでも次の戦力を送り込んでくるだろう。

 

 それ程までに、「世界第2位」の海軍は強大であり、翻ってドイツ海軍がいかに弱体であるかを示して居た。

 

 これまで巡洋戦艦や装甲艦が、単独で襲撃を行い戦果を挙げてきたが、今後は簡単にはいかなくなる可能性もある。

 

 そこで「ビスマルク」の出番と言う訳だ。

 

 通商破壊戦に際し「ビスマルク」が敵の護衛戦力を叩いているうちに、随伴する僚艦が敵船団に突入、殲滅すると言う訳である。

 

 仮に敵が戦艦を護衛につけていたとしても、最強戦艦である「ビスマルク」なら圧倒できるだろう。

 

 布陣としては申し分なかった。

 

「期待しているぞ」

『ハッ』

 

 ヒトラーの言葉に対し、一同は立ち上がって敬礼するのだった。

 

 

 

 

 

 ヒトラーとレーダーが退艦した後、リュッチェンスは艦の首脳陣を集めて、ライン演習作戦における具体的な作戦行動策定に掛かった。

 

 今回は「ビスマルク」と言う最強戦力が加わった事で、これまで以上に大胆な作戦行動が可能となっていた。

 

 とは言え、たとえ「ビスマルク」でも、イギリス海軍から集中攻撃を受ければ無傷とはいかないだろう。

 

 いかに最強戦艦とは言え、好んで敵の真っただ中に突っ込んでいくのは無謀を通り越して阿呆と言う物。

 

 たとえ「ビスマルク」と言えど、慎重な行動を求められるところだった。

 

「基本は、先のベルリン作戦と同様で良いと考えます」

 

 リンデマン艦長が、リュッチェンスを見ながら言った。

 

「我々はゴーテンハーフェン出港後、ノルウェーのベルゲンへ移動。そこで最終補給を受けます。出港後は北海を西進しアイスランド北方を通り、デンマーク海峡を突破して大西洋に進出します」

 

 先の作戦で「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」「グラーフ・ツェッペリン」が通ったコースである。

 

 イギリス海軍の警戒網を大きく迂回する作戦である。

 

 敵はまだ、「ビスマルク」の出撃準備が整ったことを知らない。

 

 イギリス軍の警戒網が完成する前に、大西洋に進出してしまおうと言う訳だ。

 

「問題はない。ノルウェーにおける補給船の手配は?」

「既に完了しております。現地に入り次第、すぐにでも作業を始められる予定です」

 

 リンデマンの答に、リュッチェンスは満足そうに頷きを返した。

 

 いつもの事だが、通商破壊戦は時間との勝負である。

 

 劣勢のドイツ海軍は、イギリス海軍との真っ向勝負はなるべく避けなければならない。

 

 敵の警戒網が完成してしまえば最悪、作戦その物を中止せざるを得ない場合もある。

 

 だからこそ、急ぐ必要があった。

 

「一つ、宜しいか」

 

 挙手したのはビスマルクだった。

 

「今回は、第1戦闘群は参加しないのか?」

「ああ」

 

 尋ねるビスマルクに、リュッチェンスは苦い表情で答える。

 

 彼も元第1戦闘群司令官であり、ベルリン作戦を成功に導いた立役者でもある。思い入れは人一倍ある。

 

 かつて共に戦った仲間たちが参戦してくれれば頼もしい事この上ないのだが。

 

「『シャルンホルスト』も『グナイゼナウ』もドッグ入りを余儀なくされている。作戦参加に間に合わせるのは難しいだろう」

 

 「シャルンホルスト」は機関の故障に加えて、先のブレスト空襲において受けた爆撃の損傷修理もあった。

 

 幸い、修理自体は順調との事だが、完全に修理が完了するのは7月頃の見通しとの事だった。

 

 「グナイゼナウ」も、ブレスト沖海戦で魚雷を受け、水密区画にまで浸水する大損害を被ってしまった。状況はある意味、「シャルンホルスト」より深刻である。

 

 そのような事情の為、現在、第1戦闘群で出撃可能な主力艦は旗艦「グラーフ・ツェッペリン」のみ。

 

 そのような事情である為、第1戦闘群の戦闘参加は見送られる方針だった。

 

「問題はないだろう」

 

 リュッチェンスは事も無げに言い放つ。

 

「第1戦闘群の脱落は確かに痛いが、お前(ビスマルク)の戦闘力なら、あの2隻を上回っている。戦力としては十分、申し分ない筈だ」

「・・・・・・それは、そうだな」

 

 躊躇う様に言葉を濁しながらも、ビスマルクはリュッチェンスの頷きを返す。

 

 しかし、

 

 その脳裏には、かつてキール軍港で一度だけ会った、エアルとシャルンホルストの事が思い浮かべられていた。

 

 今回、彼等と共に戦えるであろうと、期待をしていただけに、当てが外れた事への落胆も大きかった。

 

 しかし、損傷修理とあっては如何ともしがたい。ましてか向こうは、大作戦を終えたばかり。仕方のない事である。

 

 大丈夫。

 

 心の中で、そう言い聞かせる。

 

 また、次の機会がある。

 

 この作戦が終わり、大西洋上で合流できれば、「シャルンホルスト」と共に艦隊を組んで戦う事になるだろう。

 

 その時こそ、共に砲門を並べる事が出来る。

 

 ビスマルクは、そう確信していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 軍港の被害が思ったより少なかったのは幸いだった。

 

 港の中を歩きながら、エアル・アレイザー海軍大佐はそう思った。

 

 イギリス軍の重爆撃機に襲撃された割に、ブレスト軍港の損害は軽微だった。

 

 これについては、ドイツ空軍(ルフトバッフェ)の的確な迎撃と、「シャルンホルスト」を初め、対空砲火の必死の防空戦闘があったればこそである。

 

 とは言え、

 

 チラッと、周囲を見やる。

 

 いくつかの施設は、爆弾の直撃を受けて瓦礫と化しているのが見える。

 

 やはり戦争をしている以上、無傷と言う訳にはいかない。

 

 それに、

 

 エアルはうすら寒い物を感じていた。

 

 フランスは、つい先日までイギリスと共に連合軍を形成していた。

 

 それが降伏し、ヴィシー・フランスとして枢軸側に加わった途端、イギリスは容赦なく攻撃を仕掛けてきた。

 

 たとえ第1戦闘群が逃げ込んだ事を込みと考えても、聊か以上に強引すぎる印象を拭えなかった。

 

 たとえ昨日の味方でも、敵に回れば容赦しない。

 

 イギリスの厳格な姿勢が、垣間見えた気がしたのだ。

 

 そうしているうちに、エアルは病院の前へと到着した。

 

 戦闘の後、シャルンホルストは再びここに収容されていた。今日は、そのお見舞いである。

 

 受付で記帳を済ませ、そのまま勝手知ったる病室へと向かう。

 

 そこはシャルンホルスト1人だけが入院している個室である。

 

 相手が艦娘と言う事もあり、病院側で融通してくれたらしい。

 

「気分はどう? あ、これお土産。あとで食べてね」

「うん、まあ、ボチボチかな。わっ ケーキだ。ありがとう、おにーさん」

 

 ベッドの上のシャルンホルストは、そう言って笑と、受け取ったケーキの箱を脇のテーブルに乗せる。

 

 戦闘の後、疲労と体調不良で今度こそ完全に動けなくなったシャルンホルストは、半ば強引に艦から降ろされ、病院に強制連行されたのだった。

 

 検査の後、当然、そのまま病室へ逆戻り。

 

 今度こそ、絶対に逃げ出せないよう、病院側も目を光らせていた。

 

 そうそう、患者に脱走されていたら、病院側としてもメンツにかかわると言う物だった。

 

 エアルはと言えば、戦闘後も事後処理や修理計画の再検討、更には交渉関係者との折衝に追われた為、シャルンホルストの見舞いに来たのは今日が初めてだった。

 

「艦の修理の方は順調だよ。けど、やっぱり7月くらいまでは掛かるみたいだね」

「そっか、まあ、仕方ないね」

 

 元々、機関に不調を抱えていた「シャルンホルスト」。加えて空襲による損傷も修理しなくてはならない。

 

 修理期間の延長もやむを得ない所だろう。

 

 むしろ、来襲したイギリス空軍の規模から考えれば、艦体が修復不能なほどの大損害を被っていた可能性もある。

 

 ここは運が良かったと言っておくべきだろう。

 

 「グナイゼナウ」もドッグ入りをしているが、艦娘本人は軽傷で済んだ事もあり、1日で退院し、今はもう軍務に復帰していた。

 

「まあ、シャル自身は元気そうだし。良かったよ、本当に」

「あはは、まあね」

 

 そう言って笑うシャルンホルスト。

 

 そんな少女の笑顔を見ながら、

 

「だよねー」

 

 エアルも笑顔で言う。

 

 そして、

 

 

 

 

 

「だって、元気じゃなかったら、叱る事も出来ないしね」

 

 

 

 

 

 

 かなり、物騒な事を言った。

 

「・・・・・・・・・・・・へ?」

 

 背中に寒い物を感じながら、動きを止めるシャルンホルスト。

 

 顔を上げる少女の視線に映る、青年艦長の顔。

 

 笑顔を浮かべるエアル。

 

 しかし、

 

 その目は全く笑っていなかった。

 

「あ、あの。おにーさん? 叱るって?」

「あれ? 覚えてない? 俺が戦闘開始前、シャルに何って言ったか?」

 

 言われて、シャルンホルストは、あの時の事を思い出す。

 

 確か、あの時・・・・・・

 

 サイアの手助けで艦橋にやってきたシャルンホルストに、エアルが言った言葉。

 

 

 

 

 

『後で、お仕置きだからね。覚悟しておいて』

 

 

 

 

 

 顔を強張らせるシャルンホルスト。

 

 確かに、エアルはそんな事を言っていた、気がする。

 

「えっと、冗談、だよね?」

 

 問いかけるシャルンホルストに、

 

 ニッコリと笑いかけるエアル。

 

「あれ? 冗談言っているように聞こえる?」

 

 怖い。

 

 出会ってから初めて、シャルンホルストは目の前の「おにーさん」に恐怖を感じた。

 

 割と本気で、エアルが怒っている事が伝わってくる。

 

「あっと、じゃあ、ボクはこれで・・・・・・」

「入院中の人が何言ってんの?」

 

 逃げようとするシャルンホルストの首根っこを捕まえるエアル。

 

 そして、エアルはベッドに腰掛けると、シャルンホルストの腕を引っ張り、自分の膝の上にうつ伏せにしてしまった。

 

「お、おにーさん、何をッ」

 

 驚くシャルンホルスト。

 

 だが、エアルは構わず、少女のパジャマのズボンに手をかけると、そのまま引き下ろした。

 

 ネコさんパンツに包まれた少女のお尻が、エアルの前に晒される。

 

「お、おにーさんッ!?」

 

 そこで、ようやく事態に気付いて顔を赤くするシャルンホルスト。自分がいかに恥ずかしい格好をさせられているか気が付いたのだ。

 

 だが、

 

「無茶したお仕置き。しっかり反省してね」

「ちょっ 待っ・・・・・・」

 

 少女が言い終わる前にエアルは右手をスッと高く掲げると、シャルンホルストのお尻に平手を振り下ろした。

 

 パァンッ

 

「キャッ!?」

 

 悲鳴を上げるシャルンホルスト。

 

 エアルは、そんなシャルンホルストのお尻を叩き続ける。

 

「お、おにーさん、やめッ ひゃんッ」

 

 悲鳴を上げるシャルンホルストに、エアルは厳しい口調で言う。

 

「全く、あんな無茶して。君にもしもの事があったら、どうするつもりなの?」

「だ、だって・・・・・・」

「『だって』じゃないでしょ」

 

 パシンッ

 

「あうッ でもでもッ ボクがいないと、みんなが戦えないじゃないッ」

「だとしても、それで君が死んじゃったりしたら、元も子もないでしょうがッ」

 

 パァンッ

 

「ひんッ」

 

 ひと際強く、お尻を叩かれる。

 

「おにーさんッ ボク、一応病人なのにッ!!」

「病人は大砲担いで戦場に来たりしないよ」

 

 パシンッ

 

「キャァ!?」

 

 恥ずかしさと、お尻の痛みで、顔を真っ赤にするシャルンホルスト。

 

 目には涙を一杯溜めている。

 

 しかし、エアルも容赦はしなかった。

 

 無茶と無謀は違う。

 

 シャルンホルストがやった事は、艦長としても、エアル個人としても容認は出来なかった。

 

 ここで甘い顔をして、今後もしまた、同じことを繰り返しでもしたら。

 

 今回は助かったから良かったものの、次も助かると言う保証はない。

 

 だからこそ今、しっかりと叱っておかなくてはならなかった。

 

 合計で20回叩かれ、「お尻ペンペン」は終わった。

 

 真っ赤になったお尻をしまう事も出来ず、スンスンと鼻を鳴らしている少女。

 

 そんなシャルンホルストを、エアルは優しく抱きしめる。

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

「もう、無茶はしないで」

 

 優しく、語り掛ける。

 

「君は確かに、俺たちにとって貴重な戦力だ。君がいないと、俺達は困る。けど、だからこそ、無茶をして君にもしもの事があったら、取り返しがつかないじゃないか」

「おにーさん・・・・・・・・・・・・」

「それに」

 

 シャルンホルストを抱く腕に、力を籠めるエアル。

 

 まるで、目の前の少女が、どこかに行ってしまうのを恐れているかのように、しっかりと抱きしめる。

 

「俺は君を失いたくない。これは、ドイツ軍人としてじゃなく、俺個人としての気持ちだ」

「・・・・・・うん、ごめんなさい、おにーさん」

 

 そう言うと、泣きながらシャルンホルストも、エアルの背中に手を回す。

 

 そんな少女を、抱きしめるエアル。

 

 青年の温もりが、シャルンホルストを優しく包み込む。

 

 エアルは自分が憎いから叩いたのではない。

 

 愛おしいから、

 

 愛しているから、

 

 だからこそ、厳しく接したのだ。

 

 おにーさん、ありがとう・・・・・・ごめんなさい

 

 心の中で呟きながら、少女は青年に身をゆだねるように、体を寄せるのだった。

 

 

 

 

 

第37話「けじめはけじめ」      終わり

 



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第38話「ライン演習作戦」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陸地の方からは、工業機械が作動する音が低く聞こえてくる。

 

 先の空襲によって、大きな損害を被ったブレスト軍港。

 

 その復興の為の作業が始まっているのだ。

 

 加えて、ドッグには2隻の巡洋戦艦。

 

 「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」が並んで入渠。損傷修理を行って居る。

 

 イギリス軍がもたらした被害は決して小さな物ではない。

 

 しかし、それでも、人々は前を向いて歩きだしていた。

 

 第1戦闘群旗艦「グラーフ・ツェッペリン」も、既にブレストに帰還し、岸壁に横付けして整備を受けていた。

 

 2隻の巡戦のように損害を受けたわけではないが、このドイツ空母もまた、長きにわたる作戦行動で細かな疲労は蓄積している。

 

 次の作戦がいつになるか分からない以上、整備を怠る事は出来なかった。

 

 シュレスが司令官室に入ると、ウォルフが険しい表情で書類を眺めていた。

 

 入ってきた彼女にも気づかない様子のウォルフに、シュレスは嘆息しながら近づく。

 

「それは、本国からの命令書か?」

「うん? ああ、来ていたのか、シュレス」

 

 盟友の存在に気付き、顔を上げるウォルフ。

 

 どうやら余程、深刻な事態であるらしい。

 

「何があった?」

 

 尋ねるシュレスに、ウォルフは本国からの命令書を手渡す。

 

 一読するシュレス。

 

 ややあって、顔を綻ばせる。

 

「ほう、『ビスマルク』が来るのか」

 

 ドイツ海軍が威信を賭けて建造した最強戦艦。

 

 バルト海での完熟訓練を終えた「ビスマルク」が、ライン演習作戦に参加する為、出撃準備に入ったと言う報せだった。

 

 それと同時に、第1戦闘群にも出撃命令が下っていた。

 

 当初、第1戦闘群の作戦参加は見送られる見通しだったが、中央の方で作戦変更があったらしい。

 

 恐らくは「ビスマルク」出撃でイギリス海軍が混乱している隙に、戦果を挙げようと言う狙いだろう。

 

 しかし、

 

 シュレスは訝りながらウォルフを見た。

 

「これの何が問題なんだ? 『ビスマルク』が来てくれれば、イギリス戦艦のほとんどは相手にならないだろう。より、こちらが有利となる条件が揃うだろう」

「時期が悪い」

 

 ウォルフは切り捨てるように言った。

 

「我々にも作戦参加の要請が来ているが、第1戦闘群は今、動ける状態じゃない」

 

 先のブレスト沖海戦の結果、「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」が損傷してドッグ入りしている現状、第1戦闘群で行動可能なのは、旗艦「グラーフ・ツェッペリン」のみ。

 

 ベルリン作戦時から、引き続き空軍出向の部隊を艦載機として搭載している「グラーフ・ツェッペリン」は、作戦参加に問題はない。

 

 しかし、「ビスマルク」の援護戦力として、不足しているのは語るまでもなかった。

 

 加えて、作戦内容にも問題があるように思える。

 

 海軍本部からの命令は、「ビスマルク」を主力とする第2戦闘群と合流して艦隊を組むのではなく、「グラーフ・ツェッペリン」は第2戦闘群出撃と呼応してブレストを出港し、南大西洋にて通商破壊戦を行え、と言う命令内容だった。

 

 「ビスマルク」の出撃は北大西洋、「グラーフ・ツェッペリン」は南大西洋。

 

 これでは、いざと言うときの連携が取れない。

 

「せめて、7月まで待てば、『シャルンホルスト』と『グナイゼナウ』の修理が完了する。それまで、作戦開始を待つべきだと言うのに」

 

 本国が「ビスマルク」の作戦投入を急ぎたがる理由に、ウォルフは不安を覚えていた。

 

 恐らくイギリスの警戒網が完成してしまう前に出撃を急ぎたいと言う心境なのかもしれないが、急いて事に及んでは、あたら最新鋭戦艦に不測の事態が及ばないとも限らない。

 

「しかし、こうして命令が来た以上、無視するわけにもいかんだろう」

「・・・・・・まあな」

 

 不承不承と頷くウォルフ。

 

 命令は命令として、従わないわけにもいかない。

 

「出撃準備を進めてくれ。今回は本艦のみでの出撃となる。物資と弾薬は十分に積み込むように」

「判った」

 

 退出していくシュレス。

 

 その背中を見送りながら、ウォルフは窓の外を見やる。

 

 自分達にできる事は、「ビスマルク」出撃でイギリス海軍が混乱している隙に、いかに多くの戦果を上げる事ができるか、と言う事のみ。

 

 後はただ、「ビスマルク」の無事な大西洋進出を祈る以外になかった。

 

 

 

 

 

 ライン演習作戦の要綱は当然、作戦に参加予定の各艦長にも配布される。

 

 それは、ドック入りしている「シャルンホルスト」も例外ではない。

 

 もっとも、「シャルンホルスト」の修理完了には、少なくとも2カ月は掛かる見込みである。当然、作戦参加は不可能なのだが。

 

「まあ、『ビスマルク』が来てくれるならありがたいけど」

 

 エアルは書類を机の上に置きながら以前、シャルンホルストと一緒にキール軍港で見た「ビスマルク」の姿を思い浮かべた。

 

 ドイツ最強戦艦の存在感はまさに圧倒的であったのを覚えている。

 

 あの艦が戦線に投入されれば、「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」の不在分を、補って余りあるだろう。

 

 間違いなく、戦局は変わる。

 

 事によれば、バトル・オブ・ブリテンの失敗によって、無期限延期が決定された英本土上陸作戦「アシカ作戦」の遂行も可能となるかもしれない。

 

 それ程までに「ビスマルク」の存在は大きかった。

 

 その時だった。

 

「失礼しまーす」

 

 元気な声と共に入ってきたのはシャルンホルストだった。

 

 先日、ようやく復調して、退院の許可が下りた巡戦少女は軍務に復帰していた。

 

 とは言えドッグ入りしている現状、彼女も出来る事は少ない。今はエアルの秘書のような立場で頑張っていた。

 

「おにーさん、これ修理の見積もりの書類ね。あと、進捗状況の説明。チェックしてサインしてほしいって」

「あ、ああ、うん、ありがと」

 

 明るい調子の彼女の様子に、エアルは少し呆気に取られたように頷きを返す。

 

 元気に振舞うシャルンホルスト。

 

 体調が戻ったのだから当然の事。

 

 なのだが。

 

 しかし、エアルとしては聊か、違和感を感じずにはいられなかった。

 

 この間、お仕置きとして、シャルンホルストのお尻を叩いたエアル。

 

 正直、あんなことをした後である。あれで嫌われた、とは思わないが、避けられていてもおかしくはないと思っていた。

 

 しかし、シャルンホルストは、今までと同じようにエアルに接していた。

 

 年頃の少女の事、あんなふうにお尻を叩かれて、恥ずかしくなかったわけが無いのだが。

 

 と、

 

 そんな風に訝るエアルに、シャルンホルストが振り返った。

 

「あの、さ・・・・・・おにーさん」

「・・・・・・なに?」

 

 緊張しながら、尋ねるエアル。

 

 見上げるとシャルンホルストはエアルの前に立っている。

 

 その顔は、ほんのり赤くしながら、視線は微妙にそっぽを向いている。指は意味もなく絡められていた。

 

 ややあって、口を開くシャルンホルスト。

 

「ボク、気にしてないから」

「え、何が?」

「だから・・・・・・おにーさんが、その、ボクのお尻、叩いた事。ボクは全然気にしてないから」

 

 言いながら、更に顔を赤くするシャルンホルスト。

 

 エアルは呆気に取られて、少女を見つめる。

 

「むしろ・・・・・・その、ちょっと、うれしかったって言うか・・・・・・」

「へ?」

 

 いきなり何を言い出すのか、この娘は。

 

 お尻を叩かれてうれしかった、などと言われるとは。

 

「だから、この間の事・・・・・・おにーさんは、ボクの事が心配だった。だから叱ってくれたんだよね」

「ま、まあ・・・・・・そう、だけど」

「そりゃ、恥ずかしかったけど・・・・・・でも・・・・・・」

 

 赤くなった顔を背ける巡戦少女。

 

「おにーさんが本気で、ボクの事叱ってくれた事、すごくうれしかった。だから・・・・・・」

「だから?」

「ボクが、また何かいけない事したら、その時は、ちゃんと叱ってほしいの」

 

 そう言って、顔を俯かせるシャルンホルスト。

 

 ややあって、エアルの方から口を開く。

 

「それって・・・・・・・・・・・・」

 

 少しためらってから続けた。

 

「また、お尻叩いてほしいって事?」

「違ッ・・・・・・わ、ないのかな・・・・・・うん」

 

 と、

 

 そこで慌てて踵を返すシャルンホルスト。

 

「と、ともかく、そういう事だから、じゃあねッ おにーさん!!」

「あ、ちょっと、シャルッ!?」

 

 制止する間も無く、駆け出していくシャルンホルスト。

 

 後には、呆然としたまま、誰もいなくなった扉を見つめ続けるエアルだけが残される。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 妙な事になった。

 

 正直、あんな風に言われたら、どうすれば良いのか。

 

 あの時、シャルンホルストをお仕置きした事について、エアルは自分が間違った事をしたとは思っていない。

 

 シャルンホルストの力は今後も必要だが、だからと言って無理をしてほしいとも思わない。

 

 そんなシャルンホルストを戒める為だったのだが、

 

「まさか、それがこんな事になるとは・・・・・・・・・・・・」

 

 これまでに経験した事もないパターンである事は間違いない。

 

 あまりな状況に、エアルは頭を抱えながら嘆息するのだった。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 廊下に飛び出したシャルンホルストも、角を曲がったところで立ち止まる。

 

「~~~~~~~~~~~~ッ!?」

 

 同時に、先ほどの自分の行動を顧みて、一気に全身から炎が噴き出しそうなほどの熱さに襲われた。

 

 恥ずかしい

 

 恥ずかしい

 

 寄りにもよって「お尻を叩いてください」などと。

 

 これではまるで・・・・・・・・・・・・

 

「ち、違うよッ ボクは変態さんじゃないよッ!!」

 

 誰もいないのを良い事に、とんでもない事を叫ぶ巡戦少女。

 

 しかし、

 

 先ほどの言動からして、そう思われても仕方のない部分もある。

 

 無論、真意は違う。

 

 シャルンホルストとしては、自分が悪いことをしたら、きちんと叱ってほしい。そう伝えたつもりだった。

 

 叱ると言う事は、決して悪意から出る事ではない。むしろ、相手を愛しているからこそできる事。

 

 「愛情」の反対は「憎しみ」と思われがちだが、そうではない。

 

 「愛情」の反対は「無関心」である。人は、その人の事を本島に機雷なら、そもそも関心を向けようとすらしない。

 

 だからこそ、叱られる、と言う事はエアルがシャルンホルストに一定以上の愛情を抱いている事を意味している。

 

 無論、叱られてばかりじゃ話にならないし、下手をすればそれこそ見捨てられかねないが。

 

 エアルが自分を愛しているからこそ、叱ってくれたのだし、これからもそうして欲しい。

 

 それが、シャルンホルストの偽らざる本音、だったのだが。

 

 しかし、先ほどのセリフだけを抜き出せば、かなり「危ない人」に見られかねなかった。

 

「あーもーッ どうしたら良いのッ!?」

 

 頭を抱えてもだえるシャルンホルスト。

 

 報告書をもって艦長室へ向かおうとしたヴァルター・リード副長が、不審者を見るような目で少女の横を通り抜けていったが、それにすら気付けない程だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1941年5月18日。

 

 旧ポーランド領ゴーテンハーフェン軍港を出港した戦艦「ビスマルク」、及び重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」から成る、ドイツ海軍第2戦闘群は、イギリス軍の偵察網を掻い潜り、ノルウェーのベルゲンに投錨していた。

 

 ここで最終的な補給を行った後、ドイツ艦特有の高速と長い航続力を活かしてイギリス軍の警戒網を突破、大西洋に進出する事になる。

 

 現在、「プリンツ・オイゲン」が補給を受けている。終わり次第、「ビスマルク」への給油が開始される予定だった。

 

 その間、乗組員には出撃前、最後の休暇が与えられていた。

 

 食事をする者、読書をする者、体を動かす者、音楽を演奏する者と、それに聞き入る者、甲板で日光浴をする者。様々である。

 

 そんな中、艦娘のビスマルクは、司令官のリュッチェンスと共に甲板を見て回っていた。

 

 兵士たちの敬礼に対し、答礼を返すリュッチェンス。

 

 その様子を眺めながら、ビスマルクは感心したように言った。

 

「皆、士気は高いようだな」

「当然だろう」

 

 誇らしげに告げるリュッチェンス。

 

 謹厳な提督にしては珍しく、口元に笑みを浮かべているのが見えた。

 

「世界最大最強の戦艦に乗っているんだ。男なら誰だって興奮するさ」

 

 言いながら、敬礼してくる兵士に手を上げて返事をするリュッチェンス。

 

 そんな提督の横顔を見ながら、ビスマルクはクスッと笑った。

 

「何だ?」

「いや・・・・・・」

 

 訝るリュッチェンスに、ビスマルクはクスクスと笑い続ける。

 

「一番、興奮しているのは、実は誰なのか? と考えてな」

 

 世界最大の戦艦。

 

 その指揮を任されて興奮しないわけがない。

 

 照れ隠しなのか、そっぽを向くリュッチェンス。

 

 そんな提督の姿に、ビスマルクはおかしそうに笑うのだった。

 

 と、

 

 そこで目に入ってきたものに、ビスマルクは足を止めた。

 

 それは中型の連装砲塔。

 

 ビスマルクの副砲である、55口径15センチ砲だ。

 

 シャルンホルスト級巡洋戦艦では、連装4基、単装4基の装備だったこの砲を、「ビスマルク」では連装6基に纏めて装備している。

 

 砲門数は同じだが、全てを連装砲に纏めた分、スペースをより多く確保でき、空きスペースにはより多数の装備を搭載する事が出来た。

 

「どうかしたか?」

「いや、確か、この副砲を撤去して、対空砲を増設する案もあったのを思い出してな」

 

 実際、「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」は同様の改装を施し、ベルリン作戦やブレスト沖海戦で戦果を挙げている。

 

「ああ、確かにあったな。だが、反対意見の方が多かったから却下された。航空機よりも駆逐艦の方が脅威は大きいと判断された」

 

 確かに。

 

 この時はまだ、航空機による戦艦の撃沈例はタラント空襲以外に無く、「航空機の攻撃のみで、作戦行動中の戦艦を撃沈する事は不可能」と各国の海軍関係者の大半は考えていた。

 

 航空機の脅威がより大きく認識されるようになるのは、まだ先の話である。

 

 それよりも、「ビスマルク」のような大型艦にとっては、高速で接近してくる駆逐艦の方が脅威は大きいと判断されたのだ。

 

「だが、ブレスト沖海戦では、『グナイゼナウ』が航空機の攻撃を受けて損傷したと聞いたぞ」

「だが、『グナイゼナウ』は沈まなかった。つまりは、そういう事だよ」

 

 撃沈されていない以上、未だに航空機は戦艦に勝てない、と言う事だ。

 

「そんなものか」

 

 納得したように頷くビスマルク。

 

 その時だった。

 

 俄かに、兵士達の様子が騒がしくなった。

 

 皆、緊張した様子で走り回り、中には上を見上げて指差しているものまでいる。

 

「いったい、何があったんだ?」

 

 戸惑うビスマルクを他所に、リュッチェンスは壁際の内線電話に駆け寄ると、受話器をひっつかむ。

 

 すぐに艦橋を呼び出すと、ややあってリンデマン艦長が電話口に出た。

 

《提督。少々、厄介な事になりました》

「何があった?」

《イギリス軍の偵察機に発見されました》

 

 その報告に、リュッチェンスは思わず臍を噛む。

 

 事態は、思った以上に深刻だった。

 

 今回のライン演習作戦は、少なくとも大西洋に出るまでは発見されない事が条件である。

 

 まさか、こんなにも早く敵に見つかってしまうとは。

 

 実は、イギリス軍も「ビスマルク」の動向には目を光らせていたのだ。

 

 ドイツ軍が建造した世界最強の戦艦。それが戦線に出てくれば、イギリス軍の戦艦では対抗できない。

 

 だからこそ、彼等は「ビスマルク」の動きに神経を尖らせた。

 

 そして数日前、第2戦闘群がゴーテンハーフェンから姿を消したとの情報を掴んだ彼等は、躍起になってその行方を追っていたのである。

 

 その偵察網に、「ビスマルク」達は捕捉されたのだ。

 

 拙い事になった。

 

 第2戦闘群の補給作業は、まだ終わっていない。

 

 予定ではこれから「ビスマルク」の補給を行い、明日未明にベルゲンを出港する予定だったのに。

 

 これは、作戦が破綻しかねない失態である。

 

「ビスマルク、今、燃料がどれくらいあるか分かるか?」

「満載の6割、と言ったところだ。長期間の作戦行動には不安がある」

 

 ビスマルクの返答を聞いて、リュッチェンスは頭の中で計算する。

 

 現状の積載燃料では、確かにビスマルクの言う通り、作戦行動に支障が出るのは明白だ。

 

 しかし、偵察機に発見されたことで、イギリス軍の警戒網が強化されるのは明白。

 

 そうなれば、作戦遂行その物が不可能となる。

 

 ライン演習作戦を遂行するためには、どうにかして敵の警戒網が完成する前に大西洋に出なければならない。

 

 その為に必要な行動は・・・・・・

 

「出港を早めるぞ」

 

 リュッチェンスは低い声で告げた。

 

「直ちに全乗組員に招集をかける。今夜半にベルゲンを出る」

「しかし、それでは補給が・・・・・・」

 

 「ビスマルク」の補給は、夜を徹して行われる予定だった。

 

 リュッチェンスの決断は、その予定のキャンセルを意味している。

 

「今ある燃料でも、大西洋には到達できるはずだ。イギリス軍の警戒網を抜けた後、補給船と合流できるように手配する。問題はない」

 

 そう言い置くと、命令を発令すべく、足早に艦橋へと急ぐリュッチェンス。

 

 その背中を、ビスマルクは緊張した面持ちで見詰めるしかなかった。

 

 

 

 

 

第38話「ライン演習作戦」      終わり

 




何か、やっとここまで漕ぎ着けたって感じ。

長ェわ(苦笑


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第39話「マイティ・フッド」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、ウェリントン・チャーチルは、海軍からの報告書を受け取ると、全ての予定をキャンセルして、すぐに王城へと向かった。

 

 事は急を要する。

 

 一刻も早く、王にこの事実を伝えなくては。

 

 英国にとって、まさに危急存亡の秋と言っても過言ではなかった。

 

 王城に入り、国王への緊急の面会を申し入れる。

 

 待たされる事暫し。

 

 ジリジリした苛立ちを募らせる中、ややあって王の私室へと通されると、案内役の兵士を押しのけるようにして、慌ただしく扉の中へと駆け込んだ。

 

 フレデリックも、腹心の急な来訪に、聊か面食らったのだろう。

 

 流石に豪胆をもって知られる国王も、チャーチルが入ってくるのを、首をかしげて眺めている。

 

「火急の用とは、穏やかではないな。如何した、チャーチル?」

「由々しき事態です、陛下。事は我が大英帝国の存亡にも関わります。まずは、こちらを」

 

 挨拶もそこそこに、チャーチルが差し出したのは数枚の写真。

 

 ノルウェーのフィヨルドあたりを写したと思われる、その写真を手に取ると、フレデリックは眉を顰めた。

 

「これは?」

「問題は、真ん中らへんに映っている物です」

 

 チャーチルが指摘した通り、狭いフィヨルドの中央付近に、2隻の軍艦が停泊しているのが見える。

 

 形状からして、ドイツの艦だと言う事は判るが。

 

「ノルウェーを偵察した機体が持ち帰りました。1隻は、ヒッパー級重巡洋艦。恐らくは、ドイツ本国に留まっていた『オイゲン』でしょう」

「ふむ」

 

 チャーチルの言葉を聞きながら、写真をつぶさに眺めるフレデリック。

 

 ややあって顔を上げると、忠実なる首相に視線を合わせる。

 

「口ぶりから察するに、問題はもう1隻の方か」

「はい」

 

 神妙な面持ちで、頷くチャーチル。

 

「ドイツ海軍が建造した最新鋭戦艦『ビスマルク』と思われます。数日前、旧ポーランドのグディニャ(ゴーテンハーフェン)から姿を消したと報告があり、海軍に警戒させていましたが、その警戒網にようやく引っ掛かりましたわい」

 

 やれやれとばかりに嘆息するチャーチル。

 

 危ない所だった。

 

 もし、あのまま見失っていたら、次に「ビスマルク」が姿を現した時、イギリスにどのような損害をもたらすか、分かった物ではなかった。

 

「成程な、こいつがヒトラーの新しい玩具、と言う訳だ」

 

 そう言って、薄く笑うフレデリック。

 

 まったく、彼の独裁者と言う人種は、次から次と、新しい遊び道具を欲しがるものらしい。

 

 度し難い物ではあるが、その存在が実際にイギリスに脅威を与え続けているのだから、事態は深刻である。

 

「海軍へは?」

「既に、警戒を強化するように命じてあります。トーヴィ提督は、稼働全戦力をもって警戒に当たると言っておりました」

 

 それで良い。

 

 情報によれば「ビスマルク」は、攻防走の3拍子揃った強力な高速戦艦。イギリス軍のどの戦艦よりも高い戦闘力を誇っている。少数の戦力では返り討ちに遭うのは目に見えていた。

 

 それにしても、

 

「ビスマルク、か・・・・・・彼女は一体、どんな姿をしているのかね」

 

 言いながら、ニヤニヤと笑うフレデリック。

 

 彼女、とはそのまま額面通りの意味だろう、とチャーチルは思った。

 

 要するに、艦娘のビスマルクの姿を想像して、悦に浸っているのだ。

 

 と、そこでフレデリックは、笑みを浮かべながら顔を上げた。

 

「そうだ、チャーチル。良い事を思い付いたぞ」

「ハッ 良い事、ですかな?」

 

 首を傾げつつも、チャーチルは内心で理解していた。

 

 恐らく、この陛下の考える事だ。なかなかえげつない事だろう。

 

「ヒトラーがせっかく用意してくれた玩具だ。ここはひとつ、盛大な余興を楽しませてもらおうじゃないか」

 

 そう言うとフレデリックは、口の端を釣り上げて笑うのだった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 ノルウェーのベルゲン港を慌ただしく出港した「ビスマルク」「プリンツ・オイゲン」から成るドイツ海軍第2戦闘群は、進路を西に取って航行していた。

 

 とにかく、急ぐ必要があった。

 

 イギリス軍が警戒網を完成させてしまえば、大西洋進出は不可能となり、その時点でライン演習作戦は失敗となる。

 

 第2戦闘群は何としても、イギリス軍の態勢が整う前にデンマーク海峡を突破して大西洋に出る必要があった。

 

 幸い、北海の天候は荒れており、視界は良好とは言い難い。

 

 隠れて航行する側としては、好都合である。

 

 第2戦闘群出港と時を同じくして、南のブレストでは空母「グラーフ・ツェッペリン」が南大西洋に向けて出撃し、早くも通商破壊戦に入っている。

 

 多少のトラブルはあれど、作戦自体は順調に進んでいると言える。

 

 後は「ビスマルク」が無事に北海を抜ける事が出来れば問題は無いのだが。

 

「このままの天候が続いてくれれば良いのだが」

 

 ビスマルクが、艦橋の外から海面を眺めて呟いた。

 

 外は現在、北海特有の荒天に見舞われ、雲は低く垂れこめている。

 

 加えて、波も荒く、4万1000トンの巨体が、前後に激しく揺れていた。

 

「オイゲンは、大丈夫だろうか?」

 

 自身の後方から付き従う、「プリンツ・オイゲン」を気遣う。

 

 北海の波は荒い。

 

 季節によっては、小型艦などは航行を控えなければならない時もある程である。

 

 重巡である「プリンツ・オイゲン」は、「ビスマルク」以上に、波の影響を受けているだろう。

 

「大丈夫だ」

 

 リンデマン艦長が、諭すようにやさしく声を掛ける。

 

「『オイゲン』は早く竣工した分、ベテランの乗組員が多数乗っている。彼等なら、この波でも本艦に遅れずについて来てくれるさ」

「それに今、速力を落とすわけにもいかん。少なくともデンマーク海峡を抜けるまでは、このスピードを維持する必要がある」

 

 リュッチェンスの言葉に、ビスマルクも頷きを返す。

 

 余計な戦闘を避ける意味では、確かにスピードを落とすのは得策ではない。

 

 このまま、何事もなく言ってくれれば。

 

 その想いが、第2戦闘群全員に共有される。

 

 

 

 

 

 だが、

 

 

 

 

 

 ドイツ側の想いを、天が汲み取る事は無かった。

 

 「ビスマルク」より後続する形で航行していた「プリンツ・オイゲン」から、緊急信が舞い込んできたのは5月21日夕刻の事だった。

 

 通信士官は、リンデマン艦長に通信文を渡すと、リンデマンはそれを素早く一読。次いで、前方を注視しているリュッチェンスに手渡した。

 

「『水上れーだーニ感アリ、左舷後方ヨリ接近スル艦影ヲ認ム』だと」

 

 直ちに見張りを強化。

 

 程なく、報告がもたらされる。

 

「左舷120度より接近する艦影2ッ!! ケント級、もしくはロンドン級と思われます!!」

 

 その報告に舌打ちする、リュッチェンス。

 

 恐れていた事態が、ついに起きてしまった。

 

 この時、第2戦闘群に接近してきたのは、ケント級重巡洋艦の「サフォーク」、及びロンドン級重巡洋艦の「ノーフォーク」であった。

 

 ドイツ艦隊出撃の報告を受け、イギリス本国艦隊司令官ジャン・トーヴィ大将は、北海周辺の監視網強化を命じていた。

 

 とは言え、広い北海全てに対し、短時間のうちに索敵網を張り巡らせるのは不可能に近い。

 

 2重巡が第2戦闘群を補足できたのは、全くの僥倖と言って良かった。

 

「見つかったか」

 

 臍を噛む想いで呟くビスマルク。

 

 これで、第2戦闘群は、厳しい選択を迫られる事になった。

 

 すなわち、包囲網突破の可能性に賭けて作戦を続行するか、それとも作戦を中止して引き返すか。

 

 皆がリュッチェンスに注目を向ける。

 

 皆の中止を受けながら、暫しの間沈思するリュッチェンス。

 

 征くのか、引き返すのか。

 

 誰もが固唾をのんで見守る中、

 

「・・・・・・・・・・・・砲撃準備だ、艦長」

 

 その言葉に、その場にいた全員が笑みを浮かべる。

 

 撤退なら、砲撃の必要はない。ただ針路を北に取り直せばいいだけの事。

 

 ここで砲撃すると言う事は、すなわち敵の触接を払い、作戦を続行する事を意味していた。

 

「主砲、左砲戦用意ッ!!」

 

 直ちに、リンデマンが命令を発する。

 

「目標、右舷後方、接近中の敵巡洋艦ッ!!」

「アントン、ブルーノ、ツェーザル、ドーラ!! 1番2番、全門、徹甲弾装填!!」

 

 緩やかに左に旋回しながら、主砲の射角を確保する「ビスマルク」

 

 4基の連装38センチ砲は左舷後方を指向する。

 

 イギリス側も、「ビスマルク」が戦闘態勢に入った事を察知したのだろう。取り舵に転舵して、距離を置こうとしているのが見えた。

 

 ビスマルク本人も、自身の席に座って目を閉じる。

 

 彼女にとって初の実戦。集中し、全ての能力を十全に発揮できるように整える。

 

 照準を完了する「ビスマルク」。

 

 次の瞬間、

 

「撃ち方始め!!」

 

 リンデマンの命令。

 

 同時に、

 

 8門の47口径38センチ砲が一斉に火を吹いた。

 

 飛翔する砲弾。

 

 泡を食ったように、逃げていく、2隻のイギリス重巡。

 

 残念ながら、距離もあった事もあり、「ビスマルク」の砲弾は目標とした「サフォーク」を捉える事は出来なかった。

 

 しかし、効果はあった。

 

 「ビスマルク」の突然の攻撃に恐れをなし、2隻の重巡は距離を取り始めたのだ。

 

 元より、命中を期待しての砲撃ではない。追い払う事が目的である以上、これで十分だった。

 

 退避を始めた「ノーフォーク」「サフォーク」を確認すると、リュッチェンスは満足そうに頷いた。

 

「砲撃やめ。直ちに予定進路に復帰せよ」

「了解、砲撃やめ!!」

 

 命令に従い、「ビスマルク」は砲撃を中止。

 

 同時に進路を元に戻すべく、緩やかに右へと旋回。

 

 後続する「プリンツ・オイゲン」も、旗艦に従う。

 

「念のため、暫くは第2戦闘配備のまま警戒を続行します」

「うむ」

 

 触接された以上、敵が再び現れる事は十分に考えられる。

 

 暫くは油断できなかった。

 

 第2戦闘配備への移行を命令した後、リンデマンはビスマルクに振り返った。

 

「どうだ、初めての実戦は?」

「緊張した・・・・・・・・・・・・」

 

 大きく息を吐きながら答えるビスマルクの顔は、どこか青ざめているようにも見える。

 

 相手は格下の巡洋艦。

 

 本来であるなら最強戦艦である「ビスマルク」の圧勝は間違いない。

 

 しかし、初めての戦いに当たり、緊張しない者などいない。それは艦娘であっても同じ事だった。

 

 そんなビスマルクに、微笑みかけるリンデマン。

 

「その緊張を乗り越えられれば本物だ。次はもっとうまくやれるだろうよ」

 

 これまで色々な感に乗り、多くの艦娘と接してきたリンデマン。

 

 その言葉には、不思議な重みと説得力があった。

 

「次も、頼りにしているぞ」

「ああ、任せてくれ」

 

 笑顔を交わす、リンデマンとビスマルク。

 

 だがこの時、

 

 ビスマルクの身に、深刻な異変が起こっていた。

 

 それについての報告が暫くしてなされた時、リンデマンは険しい表情を作った。

 

「艦長、どうした?」

「少々、まずい事になった」

 

 実は先ほどの主砲発射時の事だった。

 

 38センチ砲8門にによる全門斉射。それによって起こる衝撃の計算が、建造時よりも大きかったのだ。

 

 その為、事もあろうに、「ビスマルク」前部艦橋の頂部に設置された前方警戒用のレーダーが、主砲発射の衝撃で故障してしまったのだ。

 

 この時代、エレクトロニクス分野は未発達である。

 

 それは科学技術的に進歩していると言われている、ドイツ、イギリス、アメリカにおいても例外ではなく、こうしたちょっとした事での、電子機器の故障は珍しくなかった。

 

 とは言え、これで「ビスマルク」は、前方警戒が弱体化してしまった事になる。

 

 デンマーク海峡を抜けるまでは、まだ時間がかかる事を考えれば、これは由々しき事態だった。

 

 事態を受けて、リュッチェンスが動いた。

 

「『プリンツ・オイゲン』に信号。《我、れーだー故障、前方ノ警戒ニ当タレ》」

 

 前部レーダーが使えない以上、「プリンツ・オイゲン」に「目」の役割を果たしてもらう必要があった。

 

 

 

 

 

 命令は直ちに実行された。

 

 速力を上げて「ビスマルク」の前へと出る「プリンツ・オイゲン」。

 

 重巡洋艦の左舷側を、巨大戦艦が後方に移動していくのが見えた。

 

 巡洋艦の艦橋では、艦娘のオイゲンが、その様子を心配そうに眺めている。

 

「大丈夫でしょうか?」

「なに、心配ないさ」

 

 答えたのは、彼女の艦長である。

 

「壊れたのはレーダーだ。確かに痛いが、致命傷じゃない。その分、我々が警戒を厳にすれば問題はないだろう」

「そうですね」

 

 艦長に笑顔を返しながら、尚も「ビスマルク」を見続けるオイゲン。

 

 と、

 

 「ビスマルク」艦橋に立つ、髪の長い女性がこちらに気付き、手を振っているのが見える。

 

 どうやら「安心しろ」と言う意味のようだ。

 

 対して、オイゲンもまた、彼女に対して手を振り返すのだった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 翌22日と23日は、何事もなく過ぎていった。

 

 ドイツ海軍第2戦闘群は、警戒しつつもデンマーク海峡侵入に成功。速力を上げて海峡突破を目指す。

 

 一方のイギリス海軍は、第2戦闘群への触接保持に躍起になっていた。

 

 最初に「ビスマルク」を発見した、「ノーフォーク」「サフォーク」に追尾を命令する一方、有力な水上砲戦部隊を派遣する。

 

 そして24日早朝。

 

 両軍はついに、激突の時を迎えた。

 

 

 

 

 

 「プリンツ・オイゲン」から受けたレーダー観測の報告を受け、「ビスマルク」艦橋は、俄かに緊張感を増していた。

 

 南より接近する艦影が2。第2戦闘群の進路を塞ぐように展開しているとの事。

 

 無論、味方ではありえない。

 

 直ちに第1戦闘配備が発令される中、リュッチェンス、リンデマン、ビスマルクの3人が、そろって双眼鏡を向ける。

 

 水平線の彼方。

 

 微かに見える黒い点が、徐々に大きくなると同時に、徐々にシルエットもはっきりと見えるようになってきた。

 

 1隻は古くからのイギリス艦の特徴である三脚艦橋を有しているのに対し、もう1隻は重厚な箱型の艦橋をしている。

 

「1隻は『フッド』だ。間違いない」

「『フッド』だってッ!?」

 

 驚きの声を上げるビスマルク。

 

 巡洋戦艦「フッド」と言えば、イギリス海軍の象徴的な艦である。

 

 第1次世界大戦後に建造されたこの巡洋戦艦は、その規模から、「ビスマルク」完成までは世界最大の軍艦であり、また、優美な外見はイギリスのみならず、世界中の軍艦ファンを魅了した。

 

 「世界で最も大きく、最も美しい戦艦」と呼ばれ、「マイティ・フッド」と言う愛称で親しまれている。

 

 その人気は、ビッグセブンである「ネルソン」「ロドネイ」を上回る程だった。

 

 とは言え、「フッド」は艦齢20年以上経過した老齢艦である。「ビスマルク」の相手をするには、聊か役者不足である事は否めない。

 

 加えて万が一、喪失した際の精神的ダメージは、R級やクイーンエリザベス級の比ではない。

 

 そのような艦まで迎撃に差し向ける当たり、イギリスの本気が伺えると言う物だった。

 

 敵は第2戦闘群の進路を塞ぐように航行している。

 

 交戦は不可避だった。

 

「総員第1戦闘配備、対水上戦闘用意!!」

 

 叫ぶリュッチェンス。

 

 この期に及んで、戦闘回避は不可能。ならば後は力づくで突破するしかない。

 

 その為の「ビスマルク」だった。

 

「主砲、左砲戦、弾種、徹甲!!」

 

 「ビスマルク」の主砲が左に旋回し、照準が定められる。

 

 ビスマルクと目を合わせるリンデマン。

 

 互いに頷く、艦長と艦娘。

 

「提督」

「うむ」

 

 リンデマンの言葉を受け、リュッチェンスはまっすぐに右手を振り上げる。

 

 静かな双眸が、彼方から迫るイギリス戦艦を睨む。

 

 次の瞬間、

 

「撃ち方始め!!」

 

 勢いよく。右腕が振り下ろされた。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 接近するイギリス艦隊でも、ドイツ艦隊の姿は捉えていた。

 

 ドイツ側が睨んだ通り、迎撃に現れた2隻の内、1隻は巡洋戦艦「フッド」だった。

 

 常備排水量4万2000トン、全長262メートル、全幅28メートル、最高速度29ノット。

 

 主砲は42口径38.1センチ砲、連装4基8門。

 

 先に説明した通り、「ビスマルク」完成までは、世界最大の軍艦であった。

 

 細く優美な船体と、それに対照するように高い三脚艦橋、均等に配置された上部構造物は一個の美を集約しており、その姿から「世界一美しい軍艦」と呼ばれるのも頷ける。

 

 先のブレスト沖海戦ではH部隊の旗艦として参加していたが、その後、英本国へと帰還していた。

 

 本来ならドック入りして整備を受けるところ、今回の「ビスマルク」出撃の報告を受け、駆り出される形で出撃してきた「フッド」。

 

 その「フッド」を指揮するのは、ランス・ホランド中将。

 

 ホランドはトーヴィの命を受け、「ビスマルク」迎撃の為に出撃してきたが、「ノーフォーク」「サフォーク」の情報を受け、「ビスマルク」がデンマーク海峡を通過すると確信し待ち伏せしていたのだ。

 

 果たして、彼の判断は正しかった。

 

 水平線上から姿を現した2隻は、間違いなくドイツ艦である。

 

「さて、先回りする事には成功したが、果たして、奴を止め得るかどうか」

 

 双眼鏡を下ろしながら、緊張した面持ちで呟くホランド。

 

 彼は自分が指揮する艦の事を、よく理解していた。

 

 「フッド」は速力が早く、砲撃力も38.1センチ砲8門と、「ビスマルク」と戦うのに不足はない性能を持っているように思える。

 

 しかし、巡洋戦艦の特徴として防御力が低く、特にユトランド沖海戦で3巡戦爆沈の要因ともなった水平防御の薄さは健在である。何度か改装しようと言う動きはあったのだが、そのたびに見送られ、「フッド」の低防御力は、建造時からそのまま手付かずで残っている。

 

 更に、建造から21年が経過し、老朽化が始まっている事もマイナス要因である。様々な、目に見えない部分にガタが来ている事は否めなかった。

 

「問題ありません」

 

 穏やかな声が、ホランドの思考を遮るように告げられる。

 

 振り返るホランド。

 

 その視線の先には、たおやかな印象で椅子に腰かける1人の女性の姿がある。

 

 彼女こそ、この「フッド」の艦娘である。

 

 戦艦と言うよりも、どこか深窓の令嬢めいた印象があり、いっそ艦橋ではなく、教会あたりでシスターでもやっていそうな雰囲気だった。

 

「フッド・・・・・・」

「相手が誰であろうと、わたくしは勇敢に戦って見せます。どうかご安心を、提督」

 

 そう言って、柔らかく微笑みかける。

 

「なぜなら、わたくしは『マイティ・フッド』。全イギリス国民の希望であり象徴。このわたくしが倒れる時は、イギリスその物が倒れる時に他なりません」

 

 そう告げる彼女の目には、不退転の決意が籠っているのが分かる。

 

 彼女は見た目通りの、ただの少女ではない。

 

 彼女もまた、祖国を、そこに暮らす人々を守る為に戦う勇者なのだ。

 

「しかし、懸念もあります」

 

 一転して、憂いを込めた言葉で告げるフッド。

 

 その視線は、自身の背後へと向けられた。

 

 それで察したように、ホランドも頷く。

 

「彼女の事か?」

「はい」

 

 「フッド」の後方。

 

 彼女に付き従う様にして航行しているのは、「フッド」とは逆に、真新しいペンキの匂いも乾かない新造艦だった。

 

 キングジョージ5世級戦艦、2番艦「プリンス・オブ・ウェールズ」。

 

 彼女は先頃完成したばかりの、まっさらな最新鋭戦艦である。

 

 しかも、乗組員の完熟訓練も終わっていない。そればかりか、主砲に不具合が生じた為、その調整の為に工員まで乗せている。今回は下ろしている暇もなかった為、工員を乗せたまま出撃してきていた。

 

 純粋な戦力として数えるには難があるが、そのような艦まで引っ張り出さなくてはならない程、現状は危機的だった。

 

「わたくしが、彼女の分も戦います」

 

 決意も新たに、フッドが告げる。

 

 「プリンス・オブ・ウェールズ」が戦いに不慣れなら、その分を自分達が補えばいい。

 

 自分達はイギリスの象徴。その為に、ここに来たのだから。

 

 その時、砲撃準備完了の報告がホランドの下へともたらされる。

 

 現在、ドイツ、イギリス両艦隊ともに、進路を西に向けて同航戦の構えを見せている。

 

 報告では、ドイツ艦隊は戦艦、重巡各1隻。

 

 対してイギリス海軍は、戦艦、巡戦各1隻。

 

 火力ではイギリス海軍の方が勝っている。

 

「本艦目標、敵1番艦!! 『プリンス・オブ・ウェールズ』に通達。『目標を2番艦とせよ』!!」

 

 艦隊戦のセオリーとして、旗艦が1番艦を務め、艦隊を先導するのが常である。

 

 旧式だが砲撃力に勝る「フッド」が「ビスマルク」の相手をし、砲口径が小さく、乗組員の練度も低い「プリンス・オブ・ウェールズ」に、格下の「プリンツ・オイゲン」を叩かせる。

 

 それが、ホランドの作戦だった。

 

 互いに向けられる砲門。

 

 両者の視線が交錯した。

 

 次の瞬間、

 

「敵戦艦、発砲を確認!!」

 

 もたらされた報告と同時に、ホランドは目を見開いた。

 

「撃ち方始めッ!!」

 

 次の瞬間、「フッド」の8門の38.1センチ砲が火を吹く。

 

 やや遅れて、「プリンス・オブ・ウェールズ」の36センチ砲も発射された。

 

 空中で交錯する、互いの砲弾。

 

 ややあって、両者ともに着弾する。

 

 突き上げられる水柱。

 

 命中弾は無し。

 

 瀑布は滝のように崩れ落ちながら、「フッド」は、林立する水柱の間を高速で駆け抜ける。

 

 遅れまいとして追随する「プリンス・オブ・ウェールズ」。

 

「第2射、準備完了!!」

 

 報告がなされた時、ドイツ艦隊が先んじて第2射を放つのが見えた。

 

 水平線に浮かぶ閃光。

 

 ほぼ同時に、艦長が射撃を命じる。

 

 だが、

 

 今度も命中弾はない。

 

 「フッド」の放った砲弾は、敵1番艦の周囲に落下、派手に水柱を突き上げた。

 

 距離は未だに2万以上ある。

 

 その為、両者ともに有効な照準データが得られないのだ。

 

 だが、

 

 それから更に、数斉射を繰り返した時だった。

 

 敵の放った砲弾が、「フッド」のすぐ右舷側に落下。

 

 派手に突き上げられた奔流は、そのまま甲板に崩れ落ち、「世界一美しい巡洋戦艦」をずぶ濡れにする。

 

「今のは近かったな。次は当てて来るぞッ 照準修正急げ!!」

 

 「フッド」の砲撃は、未だに敵1番艦に有効弾を得られていない。相手の操艦がよほど巧みなのか。

 

 だが、

 

 今の弾着を見て、険しい表情をしている者がいた。

 

 フッドである。

 

 彼女は先ほどから、自分に向けて放たれた砲撃を観察し、ある種の違和感を感じていた。

 

 何かが違う。

 

 何かがおかしい。

 

 そう、思わざるを得ない。

 

 正体の分からない不気味さ。

 

 その正体が、

 

 次の瞬間、確信に変わった。

 

「違うッ!!」

 

 突然、叫ぶフッド。

 

 ホランドを初め、艦橋にいた一同が驚いて振り返る中、フッドは血相を変えて叫ぶ。

 

「違います、提督!!」

「な、何がだ?」

 

 戸惑うホランドに、フッドは血相を変えて詰め寄る。

 

「敵の1番艦は『ビスマルク』じゃありませんッ あれは『オイゲン』ですッ!!」

「馬鹿なッ そんな筈は・・・・・・・・・・・・」

「間違いありませんッ 1番艦と2番艦とでは、砲弾の水柱の大きさが全く違います。2番艦の砲撃の方が強力ですッ!!」

 

 フッドの指摘は完全に正しかった。

 

 3日前の「ノーフォーク」「サフォーク」との遭遇戦においてレーダーが故障し、前部の警戒が出来なくなっていた「ビスマルク」は、「プリンツ・オイゲン」と位置を入れ替え、そのまま砲戦に突入していた。

 

 つまり、ドイツ第2戦闘群の隊列は、1番艦が「プリンツ・オイゲン」、2番艦が「ビスマルク」だったのだ。

 

 言われて、慌てて双眼鏡を構え直すホランド。

 

 1番艦と2番艦を見比べてみる。

 

 しかし、分からない。

 

 実はドイツの艦艇は、砲撃戦時に相手に誤認させやすいよう、わざと艦橋や砲塔などを、似たようなデザインにしているのだ。

 

 特にビスマルク級戦艦とアドミラル・ヒッパー級重巡洋艦は、砲塔配置まで同じである為、遠目での判別は、ベテランの見張り員でも困難である。

 

 しかしアドミラル・ヒッパー級は、重巡洋艦としては大型だが、それでも大型戦艦に比べると一回り小さい。

 

 そのわずかなサイズ差が、「フッド」の照準を狂わせていたのだ。

 

「本艦目標変更、敵2番艦!! 急げ!!」

 

 ただちに対応すべく、命令を発するホランド。

 

 これは、致命的な失策である。まさか、戦艦と重巡を取り違えていた、などと。

 

 「フッド」が間違えて「プリンツ・オイゲン」を砲撃している間に、当然ながら「ビスマルク」は十分に照準データを蓄積している。

 

 このままでは、「フッド」が先に命中弾を浴びてしまう。

 

「面舵30度ッ!!」

 

 ホランドは決断する。

 

 このままでは負ける可能性がある。

 

 現状を打破する為には、大胆な手段に出る必要があった。

 

「我が艦隊はこれより、ドイツ艦隊に対して接近砲戦を試みる!!」

 

 一刻も早く照準を修正し直すには、距離を詰めるしかない。

 

 そう判断して、転舵を命じるホランド。

 

 まず「フッド」が右に回頭し、続いて「プリンス・オブ・ウェールズ」も後続する。

 

 だが、

 

 このタイミングでの接近は悪手だった。

 

 距離を詰めるべく転舵した事で、後続する「プリンス・オブ・ウェールズ」は、先行する「フッド」の陰に隠れる形になってしまい、一時的に砲撃を中止せざるを得なくなってしまったのだ。

 

 砲撃を続行する「フッド」の後方で、射撃を停止せざるを得なくなる「プリンス・オブ・ウェールズ」。

 

 火力が半減するイギリス艦隊。

 

 その隙を、

 

 ドイツ艦隊は見逃さなかった。

 

 

 

 

 

「気付いたか、だが、遅かったな」

 

 ニヤリと笑うリンデマン。

 

 敵がこちらの入れ替えトリックに気付き、砲戦距離を修正しようとしている事を見抜く。

 

 だが、時すでに遅し。

 

 「ビスマルク」は既に、センチ単位で「フッド」を補足していると言っても過言ではない。多少、進路を変更した程度では、逃れられる物ではなかった。

 

「撃てッ!!」

 

 リンデマンの鋭い号令。

 

 同時に、8門の38センチ砲が一斉に火を吹いた。

 

 

 

 

 

 砲弾が風を切る、独特の鋭い音が接近してくる。

 

 これまでとは、明らかに違う気配。

 

 ホランドは目を見開く。

 

「当たるぞッ 総員、衝撃に備えろ!!」

 

 振り返って叫んだ瞬間、

 

 「フッド」の後部から、衝撃と共に何かが壊れる音が聞こえてきた。

 

 敵弾が命中したのは明らかだった。

 

「損害報告ッ!!」

 

 叫ぶホランド。

 

 だが、

 

「これ・・・・・・は・・・・・・・・・・・・」

 

 自身の脇腹を押さえ、苦しそうにつぶやくフッド。

 

 それに対して何かを尋ねようとした瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全てが、閃光に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第39話「マイティ・フッド」      終わり

 



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第40話「栄光の代償」

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 見開かれる、視界の彼方。

 

 海面を切り裂いて突撃してくるイギリス戦艦。

 

 「世界で最も美しい」と言われた巡洋戦艦「フッド」は、その謳い文句に違わない、優美なシルエットで海上を駆けてくる。

 

 それはさながら、一頭の美しい騎馬の如く。

 

 気品すら感じる姿。

 

 突撃しながら8門の38.1センチ砲を撃ち放つ姿は神々しくすらある。

 

 その美しい巡洋戦艦を、

 

 ビスマルクは真っ向から見据える。

 

 鋭い眼差しが、流麗な戦姿を捉えた。

 

 次の瞬間、

 

「撃てェッ!!」

 

 リンデマン艦長の号令。

 

 撃ち放たれる、「ビスマルク」38センチ砲8門。

 

 ほぼ同時に、「フッド」も8門の38.1センチ砲を放つ。

 

 「フッド」と「ビスマルク」。

 

 イギリスとドイツ。

 

 互いの国を象徴する戦艦同士が、干戈を交える。

 

 合計16発。

 

 1発当たり800キロ。

 

 総重量12.8トンの鋼鉄が、空中で交錯する。

 

 当たるか?

 

 どうだ?

 

 固唾をのんで見守る中、

 

 「フッド」の後部甲板付近に、爆炎が上がるのが見えた。

 

「よし、当たったッ!!」

 

 喝さいを上げる。

 

 命中弾を得た「ビスマルク」。

 

 ここから一気に畳みかける。

 

 そう思った、

 

 次の瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突如、視界の彼方で、巨大な閃光が弾け飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰もが声を上げる間も無く、

 

 次いで、巨大な爆炎が吹き上げられ、文字通りに天を衝く。

 

 「フッド」の艦体は一瞬にして炎と煙に飲み込まれ、何も見えなくなってしまった。

 

 いったい、

 

 何が?

 

 起きた?

 

 リュッチェンスも、

 

 リンデマンも、

 

 ビスマルク本人ですら、

 

 否、

 

 この場にいる、英独双方の、将兵、艦娘、合わせて全員、何が起こったのか理解できたものはいなかった。

 

 ただ、

 

 一瞬にして、「フッド」の姿が消えた。

 

 排水量4万トンを超える大型戦艦が、一瞬にして消滅した。

 

 それだけの事しか分からない。

 

 実はこの時、「ビスマルク」の放った38センチ砲弾の1発が、「フッド」の脆弱な水平装甲を貫通し艦内に突入、勢いそのままに第3(X)砲塔の弾薬庫に飛び込み、そこで炸裂したのだ。

 

 これにより、本来なら「ビスマルク」に叩きつける予定だった数百発の砲弾が一斉に艦内で誘爆を起こした。

 

 数100発の砲弾が一斉にさく裂する衝撃は凄まじく、「フッド」の艦体は一瞬で内部から引き裂かれ轟沈したのだった。

 

「お、驚いた」

「ああ・・・・・・まったくだ」

 

 ビスマルクの呟きに、リンデマンが呆然とした声で応じる。

 

 あまりの事態に、誰もが呆然自失となっていた。

 

 だが、

 

 戦いはまだ、終わっていない。

 

 「フッド」の仇を撃たんと、もう1隻のイギリス戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」が、まっすぐに向かってきているのだ。

 

 勝ち逃げは許さないとばかりに、10門の36センチ砲を振りかざす「プリンス・オブ・ウェールズ」は、照準を「ビスマルク」に向け直す。

 

「目標変更、敵2番艦!!」

 

 リュッチェンスが命じる中、いち早く先行する「プリンツ・オイゲン」が砲撃を再開するのが見えた。

 

 8門の60口径20.3センチ砲を間断なく撃ち放ち、「プリンス・オブ・ウェールズ」の接近を拒みにかかる。

 

 「ビスマルク」もまた、照準を変更。

 

 主砲を旋回させて「プリンス・オブ・ウェールズ」を睨む。

 

 「プリンツ・オイゲン」の放った砲弾が、向かってくる「プリンス・オブ・ウェールズ」に次々と命中し、艦上に火花が飛ぶのが見えた。

 

 だが、「プリンス・オブ・ウェールズ」は構わずに向かってくる。

 

 「オイゲン」の砲弾が甲板上で炸裂しているが、それで痛痒を感じている様子はない。

 

 その主砲の照準は、「オイゲン」など眼中にない、とばかりに、まっすぐに「ビスマルク」へと向けられる。

 

 放たれる、10門の36センチ砲弾。

 

 既に10回以上の斉射を繰り返し、命中弾を得られなかった「プリンス・オブ・ウェールズ」。

 

 しかし、流石に射撃データの解析は完了している。

 

 放たれた砲弾は、低い弾道を描き、

 

 ついに「ビスマルク」を捉えた。

 

 襲い掛かる衝撃。

 

 命中弾は2発。

 

「クッ!?」

 

 激痛に、歯をくいしばって耐えるビスマルク。

 

 艦体のダメージが艦娘である彼女にもフィードバックされる。

 

「艦首に直撃弾ッ 装甲貫通!!」

「艦中央に命中弾あり、カタパルト損傷!!」

 

 もたらされる報告。

 

 問題はない。

 

 損傷は負ったが、戦艦としての「ビスマルク」の性能に、影響を与えるものではない。

 

 艦首はもともと非装甲区画で、重要な設備は存在しない。

 

 カタパルトが損傷した事で、艦載機の運用は出来なくなったが、必要なら「プリンツ・オイゲン」に命じればいいだけの事。

 

「やり返すぞッ!!」

「ああ、もちろんッ このままでは済まさん」

 

 リンデマンの言葉に、奮い立つビスマルク。

 

 流麗な双眸が、対峙する「プリンス・オブ・ウェールズ」を睨みつける。

 

 8門の主砲には、既に次弾の装填が完了。

 

 照準の修正も終えている。

 

「撃てェッ!!」

 

 リンデマンの命令と共に、放たれる38センチ砲。

 

 既に十分に距離を詰めていた「プリンス・オブ・ウェールズ」に、容赦なく襲い掛かる。

 

 命中弾は3発。

 

 1発は右舷舷側に命中、高角砲2基を叩き潰した。

 

 1発は装填待ちをしていたA砲塔の天蓋に命中。砲塔を破壊する事は出来なかったが、衝撃でこれを旋回不能にした。

 

 そして最後の1発は、艦橋を掠めるように命中。艦橋内にいたスタッフを軒並み吹き飛ばした。

 

 一撃で大ダメージを負った「プリンス・オブ・ウェールズ」。

 

 特に深刻なのは、主砲であろう。

 

 キングジョージ5世級戦艦は3基の砲塔の内、A砲塔とX砲塔が4連装、B砲塔が連装と言う変則的な主砲配置をしている。

 

 A砲塔を潰された事で、「プリンス・オブ・ウェールズ」は、一気に火力の40パーセントを削がれた事になる。

 

 勝負あった。

 

 後は奴にとどめを刺すだけ。

 

 ドイツ艦隊の誰もがそう思った。

 

「敵艦回頭ッ 退避に入る模様!!」

 

 見張り員からの報告に、リンデマンとビスマルクは双眼鏡を「プリンス・オブ・ウェールズ」へ向ける。

 

 見れば確かに。

 

 健在な後部X砲塔で応戦しつつも、「プリンス・オブ・ウェールズ」遠ざかるコースを取っているのが分かる。

 

 この時、先の「ビスマルク」の砲撃を受け副長以下上層部の多数が戦死する中、重傷を負いながらも辛うじて生きていた「プリンス・オブ・ウェールズ」艦長が、退避を命じていた。

 

 「フッド」を失い、「プリンス・オブ・ウェールズ」自身も戦力が低下した今、単独で第2戦闘群と戦っても勝ち目は皆無であると判断したのだ。

 

「逃がすなッ 砲撃続行!!」

「了解ッ!!」

 

 ここで奴を沈める。

 

 象徴である「フッド」に加えて、最新鋭戦艦まで失えば、イギリス海軍が一気に士気低下する事も狙える。

 

 ここは何としても、「プリンス・オブ・ウェールズ」を撃沈すべきだ。

 

 リンデマンも、ビスマルクも、その考えで一致していた。

 

 だが、

 

 この部隊の責任者は、リンデマンでもビスマルクでもなかった。

 

「砲撃やめ」

 

 リュッチェンスは、低い声で命じた。

 

 驚いて振り返る中、リュッチェンスは表情を変えずに告げた。

 

「戦闘終了。作戦を続行する」

 

 戦闘終了。

 

 つまりリュッチェンスは、「プリンス・オブ・ウェールズ」の撃沈よりも、ライン演習作戦の続行を優先したのだ。

 

「待ってくれ、提督ッ」

 

 抗議したのはビスマルクだ。

 

「あいつは、あと一息で撃沈できるッ ここで沈めておくべきだ!!」

 

 食い下がる様に告げるビスマルク。

 

 殆ど掴み掛からんばかりの勢いだ。

 

 しかし、リュッチェンスは首を横に振った。

 

「必要ない」

「提督ッ!!」

 

 更に前へ出ようとするビスマルク。

 

 それを制したのは、リンデマンだった。

 

「艦長?」

 

 ビスマルクを下がらせると、今度はリンデマンが前に出た。

 

「提督、奴を今のうちに沈めておかねば、後々の作戦行動に支障が出かねないと考えますが?」

 

 ここで「プリンス・オブ・ウェールズ」を沈めておけば、それが結果的にライン演習作戦の成功にもつながる筈。

 

 逆に取り逃がせば、こちらの作戦を妨害してくるだろう。

 

 リンデマンはそう言いたいのだ。

 

 だが、

 

「必要ない」

 

 リュッチェンスは取り付く島もなかった。

 

「既に奴には十分なダメージを負わせている。暫くは損傷修理の為、出て来る事はないだろう。こちらの作戦を妨害できるとは思えん」

 

 正論を告げるリュッチェンス。

 

「作戦終了だ。ライン演習作戦に復帰する」

 

 決定事項を読み上げるように、リュッチェンスは事務的な口調で言った。

 

 こうなると、最早どうしようもない。

 

 作戦最高責任者である提督が決定した以上、艦長も艦娘も従う以外に無いのだ。

 

 その間にも「プリンス・オブ・ウェールズ」は「ビスマルク」に背を向けて遠ざかっていく。

 

 その姿を、ビスマルクたちは見送る事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ビスマルク」がデンマーク海峡でイギリス艦隊相手に戦闘を行っている頃、

 

 はるか南の海では、呼応する形で出撃した航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」が、早くも通商破壊戦を展開していた。

 

 ブレストを出港して4日。

 

 早くも4隻の輸送船を補足、撃沈する事に成功していた「グラーフ・ツェッペリン」。

 

 その「グラーフ・ツェッペリン」艦上の第1戦闘群司令部に、報告がもたらされたのは、5月25日の昼前の事だった。

 

 午前中に輸送船攻撃を終えた航空隊の収容を終え、次の目標へ向かおうとした時の事だった。

 

 司令官であるウォルフ・アレイザー中将の下へ、通信文が手渡された。

 

 内容を一読すると、ウォルフは険しい表情を作る。

 

 通信文には、デンマーク海峡において、第2戦闘群がイギリス艦隊と遭遇。戦闘に突入した旨が書かれていた。

 

「どうした、ウォルフ?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 シュレスビッヒが尋ねると、ウォルフは無言のまま紙片を渡した。

 

 渡されたシュレスも書かれている内容を読み、思わず眉を顰めた。

 

「『ビスマルク』が、イギリス艦隊に捕捉された、だと・・・・・・」

「どうやら出撃前に、既に発見されていたらしい。だが、上層部と第2戦闘群司令部は作戦を強行したようだ」

 

 言いながら、ウォルフはリンター・リュッチェンスの顔を思い浮かべる。

 

 ベルリン作戦時に、共に戦ったリュッチェンス。

 

 手堅い用兵を好み、上層部からの命令に対して忠実である反面、お世辞にも融通が利く性格ではなかった。

 

 恐らくは上層部の命令に忠実であろうとするあまり、危険を承知で出港したのだろうと考えられた。

 

「その後の続報は?」

「ない。戦闘を開始した、とあるだけだ」

 

 時間的に見て、既に決着はついているはずである。

 

 続報が流れてこないのは、本国がこちらに情報を回してこないだけか、それとも、「ビスマルク」側で無線封止しているからか?

 

 あるいは・・・・・・・・・・・・

 

 最悪の可能性を思い浮かべ首を振る。

 

 余計な事を考えるのは後だ。

 

 今、考えるべきは、今後の方針である。

 

 仮に(現在のところ、その可能性が高いが)「ビスマルク」がイギリス海軍の包囲網を突破した場合、「グラーフ・ツェッペリン」は、どのように行動するのが最善なのか。

 

 シュレス達が見守る中、ウォルフはややあって顔を上げた。

 

「『ビスマルク』が敵に発見された以上、既にライン演習作戦の意義は失われたと判断する。よって、現時刻をもって、第1戦闘群は通称破壊任務を破棄。以後は『ビスマルク』支援の為に北上するものとする」

 

 あくまで「奇襲」が前提だったライン演習作戦。

 

 その前提が崩れた今、「グラーフ・ツェッペリン」のみで通商破壊戦を続ける事の意味は薄い。

 

 それよりも、「ビスマルク」の安全確保の為、支援行動を取るべきと判断したのだ。

 

 命令は直ちに実行される。

 

 「グラーフ・ツェッペリン」は大きく回頭し、進路を北へと向けた。

 

 

 

 

 

 回頭する様子は、艦内にいても感じ取る事が出来た。

 

 哨戒任務を終え、飛行甲板で整備兵達に引継ぎ作業を行っていたクロウも、旋回する艦の様子に気付いていた。

 

「何だ? 北へ向かってる?」

 

 「グラーフ・ツェッペリン」は面舵を切り、艦首を北へと向けようとしている。

 

 先ほどまで左方向に見えていた太陽が、今は後方に移動している。

 

 しかも速力を上げつつあるのが分かった。

 

「海域を離れるのか? けど、何で?」

 

 通商破壊戦では、一つ所に留まらないのはセオリーだが、だからと言って闇雲に動き回れば良いと言う話でもない。ある程度海域に留まって、敵を待ち伏せる事も必要だった。

 

 それを考えれば、「グラーフ・ツェッペリン」の動きは急すぎるように思えるのだった。

 

「どうやら『ビスマルク』が敵に見つかったらしい」

「ツェッペリン?」

 

 背後から声を掛けてきた少女に、クロウは振り返る。

 

 艦娘の少女は、クロウの傍らに立つと進路前方を見据える。

 

「本艦は、『ビスマルク』援護に行くらしい」

「援護って、間に合うのかよ?」

 

 ここは赤道を越えた南大西洋。

 

 「ビスマルク」がいるのは、イギリス近海のデンマーク海峡。

 

 そこまで行くには、高速の「グラーフ・ツェッペリン」でも数日は掛かるだろう。

 

 その間、「ビスマルク」が無事でいられると言う保証はない。

 

「判らん、が、行くしかないだろう。それがアレイザー提督の意向だ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ウォルフの名を聞き、僅かに顔をしかめるクロウ。

 

 この艦に乗って数カ月。

 

 未だに親子の会話をしたことはない。無論、廊下ですれ違えば敬礼はするが、クロウも、ウォルフも、互いに相手を無視しているような状況だった。

 

「とにかく、急いでくれ」

 

 クロウは、ツェッペリンを見ながら言った。

 

「『ビスマルク』を沈めるわけにはいかないからな」

「ああ、分かっている」

 

 頷くツェッペリン。

 

 だが、

 

 どうあっても船足を速める事は出来ない。

 

 ただ時間だけが、ジリジリと過ぎ去っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「グラーフ・ツェッペリン」が、「ビスマルク」支援の為に転進した頃、

 

 当の「ビスマルク」では、深刻な問題が起きていた。

 

 イギリス艦隊との戦闘を終え、巡洋戦艦1隻撃沈、戦艦1隻大破の損害を与えた「ビスマルク」。

 

 紛う事無き大戦果である。

 

 しかし、ドイツ側も無傷と言う訳にはいかなかった。

 

 問題は、「プリンス・オブ・ウェールズ」が最後に放った砲弾によって生じた損傷。

 

 その内の1発、艦首に命中した36センチ砲弾。

 

 これが事もあろうに、「ビスマルク」の前部燃料タンクを直撃してしまったのだ。

 

 幸い、砲弾はタンクの装甲で食い止められ、内壁を破壊しただけで済んだ。その為、引火による燃焼は起きていない。

 

 しかし、艦首喫水付近への命中だったことが災いし、相当量の海水が、タンク内に流れ込んでしまった。

 

 これにより、積載していた燃料の大半は、海水と混ざって使い物にならなくなってしまった。

 

 ここに来て問題になったのは、ノルウェーで燃料補給を行わなかった事である。

 

 そもそも足りなかった燃料が、損傷によって更に足りなくなってしまったのだ。

 

 更に、燃料が海面に流出、「ビスマルク」が航行すると、長い油膜が尾のように後方に浮かび続けている。

 

 これでは「ビスマルク」は、巨大な足跡を残しているようなものである。

 

 艦首部を損傷した事で水圧が増した事も問題だった。そのせいで全速航行すれば内部隔壁が破られる恐れが出て来た。

 

 その為、「ビスマルク」は航行速度を22ノットまで落とさざるを得なくなってしまった。戦闘時でも、最大で26ノットが限界であるとの報告がなされた。

 

「提督、遺憾ながら、これ以上の作戦続行は不可能であると断じざるを得ません」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 リンデマンの言葉に、リュッチェンスは黙したまま沈思する。

 

 損傷に加え、燃料の喪失は致命的だった。

 

 これで「ビスマルク」は、通商破壊戦に必要不可欠な長距離航行能力を喪失してしまった。

 

 これはすなわち、作戦続行が物理的に不可能になった事を意味する。

 

「提督、これ以上は、もう・・・・・・・・・・・・」

 

 促すようなビスマルクの言葉。

 

 その言葉に、

 

 リュッチェンスはついに折れた。

 

「・・・・・・・・・・・・現時点をもって、ライン演習作戦の続行は不可能と判断。本艦はこれより、味方の港へと退避する」

 

 無念と共に、決断を口にするリュッチェンス。

 

 それは、事実上の敗北宣言に等しかった。

 

 

 

 

 

第40話「栄光の代償」      終わり

 



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第41話「友の為に走れ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 巡洋戦艦「フッド」沈没。戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」大破。

 

 ランス・ホランド提督以下、乗員の大半が戦死。

 

 デンマーク海峡海戦の名前で呼ばれる事になる戦いが、イギリス、特に海軍に与えた影響は、計り知れないものがあった。

 

 長らくイギリス海軍の象徴として、国民からも絶大な人気を誇った「フッド」が撃沈される事になろうとは。

 

 直ちに「フッド」の撃沈は全軍に告知される。

 

 同時に国王フレデリックの耳にも入れられた。

 

「そうか、フッドが、な」

 

 報告を聞いたフレデリックは、ポツリと漏らす。

 

 さしもの豪胆な国王も、海軍の象徴たる艦が沈んだとあっては、悲しみに落ちてしまうのだろう。

 

 側近がそう思った。

 

 だが、

 

「それで?」

 

 次の瞬間には、冷たい響きと共に問いかけた。

 

「戦闘結果はどうなった? 先を続けよ」

「ハッ・・・・・・ハッ!!」

 

 慌てて報告書に目を向ける側近。

 

 それによると、「ビスマルク」と交戦した「プリンス・オブ・ウェールズ」は、辛うじて戦場の離脱に成功。現在は「ノーフォーク」「サフォーク」の2重巡と合流し、再度、「ビスマルク」の追跡に当たっているとの事。

 

 そして肝心の「ビスマルク」はと言えば、そのまま南下し、今夜中にはデンマーク海峡を抜けるだろう、との事だった。

 

「成程な」

 

 報告を聞き終えたフレデリックは、頭の中で海図を思い描いた。

 

 既に海軍には、全力で「ビスマルク」を補足するように伝えてある。

 

 本国艦隊の戦力だけでは足りないと判断したフレデリックは、ジブラルタルに拠点を置くH部隊にも出撃を命じていた。

 

 まさに、総力態勢である。

 

「面白くなってきたではないか」

 

 訝る側近に目もくれず、フレデリックはニヤリと笑う。

 

 戦艦「ビスマルク」

 

 ヒトラーが自信をもって送り出した最高の戦艦(おもちゃ)

 

 それがまだ、自分達の手の中にいると思えば、面白くて笑い転げたくなる。

 

 沈んだフッドの事も、彼女に乗り込み共に戦ったホランド以下、「フッド」乗組員の事も、

 

 今のフレデリックには一切、眼中になかった。

 

 彼の頭の中にあるのは、「ビスマルク」を使って、どう遊んでやるか。ただ、それだけだった。

 

「よし、では行くとするか」

「ハッ へ、陛下、どちらに?」

 

 立ち上がって歩き出したフレデリックに、側近は慌てて追随してくる。

 

 だが、フレデリックは彼等にかまう事無く、大股で部屋を出て行く。

 

 慌てて追随する側近。

 

 大柄なフレデリックは歩く速度も速く、側近はついていくのも一苦労だ。

 

「それで、使える戦力は? どれくらいの艦が集結している?」

「ハッ ハッ!!」

 

 慌てて歩きながら、書類のページをめくる側近。

 

 その様子に、フレデリックはいら立ちを見せる。

 

 自身の時間を一寸たりとも無駄にはしたくない国王にとって、「もたつく」事は、それだけで罪だった。

 

「早くせぬかッ!!」

「は、ハイィッ!!」

 

 叱責されて、ようやく目当てのページを開く。

 

「す、既にスカパフローから本国艦隊の主力が出港。『ネルソン』を中心とした艦隊が『ビスマルクを追ってなんかしております。その他、ジブラルタルからはH部隊が出撃。こちらは巡洋戦艦「レパルス」と、空母『アークロイヤル』が中心となっております』

「キングジョージ5世級はいないのか?」

「は、はいッ キングジョージ5世級戦艦は、2番艦『プリンス・オブ・ウェールズ』がご承知の通り、『ビスマルク』と交戦して大破、3番艦「デューク・オブ・ヨーク」は完熟訓練中、1番艦『キングジョージ5世』は、その、大変申し上げにくいのですが・・・・・・」

「フンッ バカ息子の無能なツケが、こんなところで回ってきたか」

 

 言い淀む側近の言葉に、フレデリックは面白くなさそうに鼻を鳴らす。

 

 キングジョージ5世級のネームシップである「キングジョージ5世」は、第2王子ディランの指揮でブレスト沖海戦に参加した際、Uボートの雷撃を受け、現在はドックで修理中である。出撃は当然、間に合わない。

 

「まあ良い。ともかく、数を揃えた事は誉めてやろう。行くぞ」

「はッ」

 

 慌てる側近を引き連れ、フレデリックは大股で歩き去るのだった。

 

 

 

 

 

 ライン演習作戦中止。

 

 その一報は、ブレストでドック入りしている「シャルンホルスト」にももたらされた。

 

 ヴァルターから手渡された電文を読み、エアルは険しい顔を作る。

 

 戦況について、「シャルンホルスト」の通信室が受け取った情報は、第1戦闘群司令部と同じ。デンマーク海峡で有力なイギリス艦隊と交戦状態に入った、と言うところまで。

 

 その後、作戦中止を告げる電文が、エアルの下へと送られてきた。

 

「ライン演習作戦中止、か」

「え、じゃあ、ビスマルクはやられたの?」

 

 問いかける、シャルンホルストの声が、思わず震えるのが分かった。

 

 世界最大最強の戦艦「ビスマルク」がまさかやられるとは、彼女はつゆほども考えていなかった。

 

 大西洋に来れば、きっと一緒に戦う事が出来る。

 

 その事を楽しみにしていたのに。

 

「いや、そこまでは書いていないよ。ただ、作戦は中止する、とあるだけ」

 

 シャルンホルストを安心させるように、通信文の内容を読み上げてやる。

 

 作戦中止と言う事は、裏を返せば、第2戦闘群は未だ健在であり、何らかの方法でイギリス海軍の警戒網を突破、あるいは回避する事に成功したことを意味している。

 

 しかし同時に、作戦を中止せざるを得ない程の損害を被った事をも意味している。

 

 そして、

 

 手負いの「ビスマルク」を逃がすほど、イギリス海軍は甘くないだろう。十中の十、追っ手を差し向けているはず。

 

 万に一つも、楽観はできなかった。

 

 更に拙い事に現在、第2戦闘群は未だにイギリス海軍の勢力圏内にいる。

 

 きわめて危険な状況だ。いかに最強戦艦の「ビスマルク」と言えど、傷付いたところをイギリス全軍から総攻撃を受けて、無事で済むはずも無い。

 

 そして今、大西洋で唯一、作戦行動が可能な「グラーフ・ツェッペリン」は遥か南大西洋にいて、すぐに「ビスマルク」を援護できる状況ではない。

 

 現在、北大西洋にあって、すぐにでも「ビスマルク」を援護できる戦力。

 

 そんな物があるとすれば、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 黙り込むエアル。

 

 それは、自分達しか、いないのではないか?

 

 そう、結論せざるを得ない。

 

 ただし「グナイゼナウ」はだめだ。向こうは、ブレスト沖海戦で魚雷を受け、その破孔が塞がれていない。

 

 だが、本艦ならどうだ?

 

 「シャルンホルスト」の修理箇所は、機関と、艦首甲板の破孔。後は艦内の区画。

 

 実のところ、機関の修理はベルリン作戦の直後から行って居る為、殆ど終わっている。ただ、艦首部の破孔は、まだそのままになっているのと、機関にしたところで、実際に海に浮かべてテストしてみない事には、本当に直ったかどうか分からない。

 

 だが、

 

 しかし、

 

 「グナイゼナウ」のように、喫水線下への損傷が無いなら、動けない事もないのではないか?

 

「おにーさん・・・・・・」

 

 呼ばれて、振り返るエアル。

 

 見れば、シャルンホルストは、今にも泣きそうな目でこちらを見つめてきている。

 

 言いたいけど、言い出せない。

 

「シャル・・・・・・」

 

 彼女気持ちが、エアルには痛いほどわかる。

 

 行動を起こすには、決断がいる。

 

 だが、

 

 今まさに、水平線の先では、友が助けを求め、孤独に戦っている。

 

 その事を思えば、

 

 迷う事など、何一つないのではないか。

 

 ややあって、

 

 エアルは顔を上げた。

 

「副長・・・・・・すぐに、これから俺の言う人達を集めてください」

 

 

 

 

 

 暫くして、ヴァルターに伴われて艦橋に上がってきたのは、エアルの妹のサイア・アレイザー、そして修理の責任者をしているフランス人技師だった。

 

 傍らには、シャルンホルストの姿もある。

 

 2人の技術者を前にして、エアルは単刀直入に切り出した。

 

「率直に言います。本艦をドックから出して出港準備に入りたい。2人には、その協力をしてもらいたいのです」

 

 その言葉に、皆が仰天したのは言うまでもない事だった。

 

 「シャルンホルスト」は、今まさに修理中だ。

 

 作業は半ばまで完了しているが、まだ途中である事に変わりはない。その上、艦内には多くの工事用機材まで運び込まれている。

 

「無理だよ、兄さん!!」

 

 真っ先に声を上げたのはサイアだった。

 

「機関は、まあ、大分調整されて出力が安定するようにはなって来てるけど、それでもテストも無しに、いきなり戦闘なんてできないし、それに艦内の修理だって、まだ先でしょう!!」

 

 ベルリン作戦以後、機関のオーバーホールはフランス人技師たちの協力の下、急ピッチで行ってきた。その為、一応のところ形にはなっている。

 

 しかしサイアの言う通り、試運転もまだの状況である。

 

 まして、艦首には爆撃を食らった際に穴が塞がれずに残っている。

 

 出撃などできる状態ではない。

 

 本来なら。

 

 しかし、

 

「何とか明日、少なくとも明後日までに本艦を出航させたい」

 

 エアルの脳裏に、イギリス周辺の地図が描き出されていた。

 

 作戦続行を断念した「ビスマルク」が、向かうとすればどこか?

 

 普通に考えれば、反転して本国に引き返すだろう。

 

 しかし北海にはイギリス本国艦隊の本拠地であるスカパ・フロー軍港があり、アイスランド周辺を監視している事は間違いない。本国への帰投は、その網の中にわざわざ飛び込んでいくようなものだ。

 

 とすれば、引き返す事はあり得ない。

 

 ならば、「ビスマルク」はどう行動するか?

 

 推察の末、ある結論に達する。

 

 フランス、サン・ナゼール軍港。

 

 ブルターニュ半島の南に位置し、ブレストから見れば南東にある港。

 

 そこにはフランス大西洋岸では唯一、「ビスマルク」も収容可能な大型ドックがある。

 

 一刻も早く損傷を修理したい「ビスマルク」は直進して大西洋に出ると、サン・ナゼールを目指す可能性が高い。何よりサン・ナゼールならブレストとも近い為、周辺には第1戦闘群を初め、多くのドイツ軍が駐留している。「ビスマルク」に対し、充実した支援を行う事が出来る。

 

 以上の事からエアルは、「ビスマルク」が、サン・ナゼールを目指している可能性が高いと判断したのだ。

 

「だからって・・・・・・」

「やりましょう」

 

 尚も言い募ろうとするサイアを制するように言ったのは、フランス人技師だった。

 

 中堅どころで、いかにもベテランと言った風防の技師は、エアルをまっすぐに見据えて言った。

 

「完璧、とは流石にいきませんが、少なくとも上甲板の破孔を目立たない程度に塞ぐだけなら、突貫でやれば1日で終わると思います。もっとも、ただ塞ぐだけですので、空いた穴に紙を張って隠す程度と考えていただきたい」

「結構です。助かります」

 

 そう言って頭を下げるエアル。

 

 自分でも無茶ぶりをしている事は自覚している。だからこそ、それに答てくれた技師には感謝の言葉しかない。

 

 対して、技師は笑って手を振る。

 

「先の空襲の時、アレイザー大佐は、我々の艦内退避をお命じくださった。そのおかげで、我々は全員が生き残る事が出来たのです。港の方に逃げた者には助からなかった者も多数いました。それを考えれば、大佐には感謝しかありません。大佐の頼みとあれば、断るわけにはいきますまいよ」

 

 そう言って笑う技師。

 

 次いで、エアルはサイアの方へ目を向けた。

 

「サイア」

「いや、だって・・・・・・」

 

 兄の視線に、思わず目を逸らすサイア。

 

 ビスマルクを助けに行きたい兄。

 

 サイアとて、兄の想いにはこたえたいと思っている。

 

 しかし、技術者としてのプライドが、どうしても首を縦に振るのを拒んでいた。

 

 と、

 

「サイア、お願い」

 

 すがるような少女の声。

 

 振り返ると、シャルンホルストがまっすぐな瞳でサイアを見つめている。

 

 どこかすがるような少女の目。

 

 ビスマルクを助けたい。

 

 あるいは、その想いが最も強いのは、この中では彼女だったのかもしれない。

 

 そんな少女の視線が、サイアに突き刺さる。

 

 正直、兄1人の頼みなら、サイアも技術屋のプライドとして断った事だろう。

 

 「シャルンホルスト」の機関はデリケートな代物だ。万が一、海の上で機関が停止して漂流でもしたら事だ。

 

 しかし、

 

 この少女にまで頼み込まれると、サイアも強くは言えない。

 

 まだ付き合いとしては短いサイアだが、シャルンホルストとは仲が良く、彼女の事は本当の妹のように可愛がっている。

 

 だからこそ、万全の状態にして海に出してやりたいと思っている。

 

 しかし同時に、彼女の願いをかなえてやりたいとも思っている。

 

 その二律背反の板挟みに加え、皆が視線を集中させる中、

 

「う~~~ あ~~~ もーッ 分かったわよッ ただし、言うまでもなく、あたしも行くからね!! それから、絶対に無茶な戦い方はしない事ッ これが条件!!」

 

 ついに、折れた。

 

「決まりだね」

 

 指を鳴らすエアル。

 

 一礼して去っていくフランス技師と、足音と鼻息を荒くして出て行くサイア。

 

 2人を見送ると、エアルはヴァルターに向き直った。

 

 問題はここからだ。

 

 サイアに言われるまでもなく、修理途中の戦艦をドックから引っ張り出すなど、本来なら正気の沙汰ではない。

 

 しかし今、「ビスマルク」の危機に間に合うのは自分達しかいない以上、行動こそが求められる最善の選択肢だった。

 

「物資の積み込みをお願いします。砲弾と食料、それに燃料。明日1日で、可能な限りの手配をお願いします。それと同時に、ドックの注水作業も並行して進めます」

「了解しました」

 

 敬礼して出て行くヴァルター。

 

 後には、エアルとシャルンホルストだけが残された。

 

「・・・・・・ごめんね、おにーさん」

 

 ややあって、シャルンホルストの方から口を開いた。

 

 見上げるようにエアルを見ながら、どこか申し訳なさそうにしている少女。

 

「また、ボクのせいで無茶させちゃって」

 

 そんなシャルンホルストを、

 

 エアルはそっと手を伸ばし、頭を撫でてやる。

 

「そんな事無いよ」

「おにーさん」

「ビスマルクを助けたいって気持ちは、俺もシャルと一緒だ。だから、必要な事をやろうと思ったんだ。けど・・・・・・・」

「けど?」

「それを決断させてくれたのはシャルだ。だから、ありがとう」

 

 そう言って笑うエアル。

 

 シャルンホルストも、ほんのり顔を赤くして笑顔を返す。

 

「一緒に、ビスマルクを助けよう」

「うん」

 

 頷きあう2人。

 

 こうして、「シャルンホルスト」出港に向け、一同は動き出したのだった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 背後に、巨艦が遠ざかっていくのが見える。

 

 昨日まで共に戦った艦の姿は、しかし出撃前に比べてやつれたようにも見える。

 

 重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」は今、東に向かう旗艦「ビスマルク」から離れ、南に向かうコースを取っていた。

 

 司令官リンター・リュッチェンスの命により、「ビスマルク」とは分離行動を取る事になったのだ。

 

「ビスマルク、本当に大丈夫でしょうか? あんなに損傷しているのに・・・・・・」

 

 艦橋に立ったオイゲンが、徐々に遠ざかっていく「ビスマルク」の姿を眺めながら、ぽつりと呟く。

 

「ビスマルク」は「プリンス・オブ・ウェールズ」からの砲撃によって、いくつかの損傷を負っている。幸い、当たり所が良かったこともあり、対空砲やその他の構造物に若干の損傷を負った程度であるが。

 

 しかし何と言ってもやはり深刻なのは、艦首に受けた「フッド」の38.1センチ砲弾だろう。

 

 艦首に空いた破孔によって速力は低下し、更に燃料の流出は今も続いている。

 

 長く引いた油膜の尾は、上空から見ればこの上ない目印になるのは間違いない。

 

 幸いにして、上空には厚い雲が張られている。

 

 どうにか、サン・ナゼール入港まで、敵に見つからずにやり過ごせれば良いのだが。

 

「命令である以上は仕方がない」

 

 艦長が、諦念を現すように、力なくオイゲンに声を掛けた。

 

「この上は、『ビスマルク』が無事にサン・ナゼールにたどり着けるよう、我々も側面援護に力を入れるとしよう」

「はい」

 

 頷くオイゲンは、もう一度、遠ざかっていく「ビスマルク」に目を向ける。

 

 既にドイツが誇る最新鋭戦艦は、水平線近くで小さくなりつつある。間も無く、その姿は消えて見えなくなることだろう。

 

 しかしオイゲンは、「ビスマルク」の姿が完全に水平線に隠れるまで、見守り続けていた。

 

 後年、リュッチェンス提督がなぜ、「プリンツ・オイゲン」に分派行動を命じたのか、その理由について明らかにされていない。

 

 「プリンツ・オイゲン」だけでもライン演習作戦を続行させようとした。

 

 傷ついた「ビスマルク」から分離する事で、「プリンツ・オイゲン」の安全を確保しようとした。

 

 逆に無傷の「プリンツ・オイゲン」に囮を頼み、その間に「ビスマルク」を味方の勢力圏に逃げ込ませようとした。

 

 諸説囁かれてはいるが、どれも物証に乏しく、推測の域を出ない。

 

 ただ一つ、

 

 言える事があるとすれば、

 

 もしこの時、「プリンツ・オイゲン」を分離しなければ、

 

 この先の展開が、もう少し変わっていたかもしれない、と言う事だった。

 

 

 

 

 

 翌25日。

 

 「プリンツ・オイゲン」と別れた「ビスマルク」は、進路を東にとって、フランスのサン・ナゼール軍港を目指していた。

 

 そこまで行けば、潜水艦隊や空軍部隊の支援を受けられるし、「ビスマルク」を修理可能な大型ドックがある。

 

 何よりほど近いブレストには第1戦闘群が駐留している。

 

 サン・ナゼールまで行けば損傷を修理して燃料を補給。その後は、第1戦闘群と共に、改めて作戦に当たる事も出来る。

 

 だが、その為にはどうしても、イギリス軍の監視を撒く必要がある。

 

 ビスマルクは艦橋の窓から、双眼鏡を「自分」の左舷へと向ける。

 

 水平線上に、うっすらと見える小型のシルエット。

 

 イギリス海軍の巡洋艦「サフォーク」だ。

 

 デンマーク海峡海戦以前の遭遇戦からこっち、「ビスマルク」との触接を保ち続けている。

 

 当初は「ノーフォーク」と「サフォーク」のみの監視だったが、今は更に複数の巡洋艦が加わり、交代で「ビスマルク」を追跡していた。

 

「まだ、いるか?」

「ああ」

 

 リンデマン艦長の問いかけに、ビスマルクは双眼鏡を下ろして頷く。

 

 しつこい、と言えば聞こえは悪いが、彼等も必死だ。

 

 ここで「ビスマルク」を逃せば、イギリス軍にとって大きな脅威になる。それは「フッド」爆沈の悪夢で既に証明されていた。

 

 それに、触接している巡洋艦からしても、いつ「ビスマルク」から撃たれるか分からない恐怖と戦いながらの追跡行である。戦々恐々と言ったところだろう。

 

 そして、

 

 この状況こそ、リンデマンやビスマルク、リュッチェンスが狙った物だった。

 

「よし、仕掛けるぞ、ビスマルク」

「ああ、いつでもいける」

 

 頷きあう、リンデマンとビスマルク。

 

 次いで、リンデマンは司令官席に座るリュッチェンスへと目を向けた。

 

 リュッチェンスは無言。

 

 ただ、黙って頷きを返す。

 

 作戦実行の合図だった。

 

 現在、「ビスマルク」は先に述べた通り、サン・ナゼール入港を目指し、東へ向かって航行している。

 

 その北側、「ビスマルク」から見れば、左舷側に重巡洋艦「サフォーク」が並走している状態だった。

 

 しかし、「サフォーク」はUボートからの雷撃を警戒してジグザグに航行している。

 

 加えて「サフォーク」は「ビスマルク」からの砲撃も警戒しなくてはならない為、レーダー探知範囲のギリギリを航行していた。

 

 そこで、ビスマルク達の作戦はこうである。

 

 「サフォーク」が取り舵(左)に転舵したタイミングで「ビスマルク」は面舵(右)に転舵。敵から遠ざかるコースに入り、レーダー探知範囲から逃れようと言う物だった。

 

「タイミングが重要だ。見張り員、警戒を怠るなッ」

 

 リンデマンからの命令が飛び、防空指揮所で監視に当たっている見張り員たちは、目を凝らして双眼鏡に取り付く。

 

 やがて、

 

「敵艦、取り舵に転舵!!」

 

 報告を聞き、リンデマンはすかさず命じる。

 

「今だ、機関全速ッ 面舵一杯!!」

 

 損傷を受け、出し得るギリギリである26ノットまで速力を上げながら右へと旋回する。

 

 景色が大きく変わる中、そのまま一気にイギリス艦隊から遠ざかっていく。

 

「・・・・・・どうだ?」

 

 やや緊張した面持ちで尋ねるリュッチェンス。

 

 しかし、それにこたえるものは誰もいない。

 

 振り切ったのかどうか、すぐには分からないのだ。

 

 ややあって、

 

「敵艦の姿が見えませんッ 逆探に反応も無し!!」

 

 歓喜に満ちた報告が上げられてきた。

 

 すなわち、作戦成功し、イギリス軍を振り切ったのだ。

 

「成功です」

 

 リンデマンの言葉に、満足そうに頷くリュッチェンス。

 

 ビスマルクもまた、嬉しそうに笑う。

 

 これでイギリス軍の監視は振り切った。「ビスマルク」が逃げ切れる目が出て来たのだ。

 

 デンマーク海峡で「フッド」達と交戦して以後、ようやく少しだけ、希望が見えてきた。

 

 あと少し、

 

 ここを乗り切れば、フランスの港まで一直線だった。

 

 

 

 

 

 一方その頃、

 

 ブレストでは、巡洋戦艦「シャルンホルスト」が、出撃準備を完了させようとしていた。

 

 とは言え、その身はお世辞にも完璧とは程遠い。

 

 不調のワグナー高圧缶は、修理は一通り終えているとはいえ、テスト運転が完璧ではない。

 

 艦首の破孔は、溶接を駆使して突貫工事を行い、どうにか塞いでいるものの、せいぜい「人が乗っても壊れない」程度の物でしかない。砲弾どころか、機銃1発食らっただけでも穴が開く可能性がある。

 

 全てが未完成。

 

 全てが不十分。

 

 しかし、それでも行かねばならなかった。

 

 フランス人技師たちは退艦する際にエアルに言った。

 

「まだ工事は途中ですので、必ず帰ってきてください。帰ってきたら、続きをやりますので」

 

 その言葉の、なんとありがたい事か。

 

「おにーさん」

 

 傍らのシャルンホルストが声を掛けて来る。

 

 既に彼女も軍服に着替え、戦闘態勢を整えていた。

 

「準備完了、いつでもいけるよ」

 

 既にドック内には注水が完了されている。

 

 後は命令を待つのみだった。

 

「判った」

 

 立ち上がるエアル。

 

 その双眸には、迷いは一切見られない。

 

「出港用意ッ ゲート開けッ!!」

 

 鋭く飛ぶ、エアルの命令。

 

 後方のゲートが開かれ、「シャルンホルスト」はタグボートに引かれながら、滑るようにドックから姿を現す。

 

 やがて、完全に港の中へと姿を現す「シャルンホルスト」。

 

 傷つき、病み上がりの身を、海面に浮かべる。

 

 だがそれでも、

 

 3連装3基の54.5口径28.3センチ砲は、鋭い輝きを放ち、自らの友を傷つける敵を撃たんと意気を上げているかのようだ。

 

 微かに揺れる波に身を委ねながら、エアルは眦を上げた。

 

「機関始動ッ 微速前進!!」

 

 3軸のスクリューが回転し、海面が白く泡立つ。

 

 同時に、

 

 巡洋戦艦「シャルンホルスト」は、ゆっくりと前へと進み始めた。

 

 

 

 

 

第41話「友の為に走れ」      終わり

 



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第42話「倒れても屈せず」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 間も無く帳が落ちる。

 

 暗くなり始めた海面を、1隻の戦艦が東に向けて航行していた。

 

 「ビスマルク」である。

 

 ドイツ戦艦特有の重厚さとスマートさを兼ね備えたフォルムが、夕映えの海面に美しく映えている。

 

 僚艦「プリンツ・オイゲン」と別れた「ビスマルク」は、単独でサン・ナゼールへと向かっていた。

 

 防空指揮所に立つビスマルク。

 

 見張りの兵士とあいさつを交わし、視線を前に向ける。

 

 航行に合わせて吹き付ける風が、彼女の長い髪を揺らしていく。

 

 心地よい風に身を委ねながら、視界をは彼方を見続けている。

 

 航海は順調だった。

 

 巡洋艦の触接を振り切った後、「ビスマルク」はイギリス軍の妨害を受ける事無く、東へと進んでいる。

 

 間も無く、ドイツ空軍の防空圏内に入る事が出来る。この分なら、数日中にはサン・ナゼールにたどり着けるだろう。

 

 ビスマルクが前方を見ながら佇んでいると、背後から足音が聞こえてきた。

 

「心配か?」

 

 かけられた声に振り返るビスマルク。

 

 リンデマン艦長は、ビスマルクの傍らに立つと、壁に寄り掛かるようにして立った。

 

「間も無く、味方の援護を受けられる。敵もよもや、こちらの勢力圏にまでは追ってこないだろう」

「それは、ありがたい。流石にちょっと疲れたからな。少しは楽をさせてもらいたいものだ」

 

 そう言って苦笑するビスマルク。

 

 視線を彼方に向けると、ややあって口を開いた。

 

「・・・・・・妹の事を、考えていた」

「妹・・・・・・確か、ティルピッツ、だったか?」

 

 頷くビスマルク。

 

 ビスマルク級戦艦2番艦「ティルピッツ」は、今年の2月に竣工している。

 

 第1次大戦時の海軍長官から名を取ったこの艦は、「ビスマルク」建造に際して判明した諸問題を改善した形で竣工した為、より強力な戦艦に仕上がっている。

 

 ライン演習作戦への参加も検討されたが、流石に竣工直後で乗組員の練度に問題があるとして、今回は見送られた。

 

 とは言え、顔を合わせた事はない。

 

 出撃時の多忙さもあり、ビスマルクはついに、出撃前にティルピッツに会う事が出来なかった。

 

 それが彼女にとって、心残りだった。

 

 しかし、会った事が無いからこそ、想像が自分の中で膨らんでいく。

 

 顔はやはり似ているのだろうか? 性格はどうだろうか? 趣味は? 好きな食べ物は? 男性のタイプは?

 

 次々と湧いてくる興味が、心を躍らせていた。

 

 早く妹に会ってみたい。

 

 そんな思いを募らせていた。

 

「ちょっと、残念だな、と思ってな。せっかく一緒に戦えると思ったのに」

「機会はあるさ、いずれな。その為にも、お前は傷を癒して、次の作戦に備えるんだ」

「ああ」

 

 そう。

 

 機会はある。

 

 自分はヨーロッパ最強戦艦「ビスマルク」。

 

 自分があり続ける限り、海の上でドイツに負けはない。

 

 自分と「ティルピッツ」。2隻が海上に揃い踏みした時こそ、海におけるドイツの勝利が確定するのだ。

 

 そう、

 

 機会は、ある。

 

 そう、

 

 思っていた。

 

 その時までは、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「右70度より、接近する機影あり!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悲鳴に近い、見張り員の絶叫。

 

 緊張が、一気にマックスを突く。

 

 仕掛けて来るのか?

 

 このタイミングで?

 

 臍を噛みたくなるのをこらえ、続報を待つ。

 

 まだ、味方の航空機が援護に来た可能性が残っている。

 

 考えられる最後の希望にすがり、緊張を張り巡らす。

 

 だが、

 

 希望はあえなく、打ち砕かれた。

 

「複葉の雷撃機ッ ソードフィッシュです!! 数15!! 突っ込んでくる!!」

「総員戦闘配置ッ 対空戦闘用意!!」

 

 リンデマンの命令が飛び、艦内を駆け回る。

 

 対空砲要員は直ちに高角砲、機銃に取り付いて空を睨んだ。

 

 リンデマンとビスマルクも、すぐに艦橋へと降りる。

 

 既にリュッチェンスは艦橋に詰めており、2人の到着を待っていた。

 

「2人とも、正念場だぞ」

「ああ、分かっている。ここを乗り切れば、こちらの勝ちだ」

 

 頷きながら、自分の席へと座るビスマルク。

 

 敵が空から来るのは、完全に予想外だった。

 

 実は、先の急転舵戦術で巡洋艦の触接を断った後、「ビスマルク」は一度、イギリス海軍の監視を完全に振り切っていた。

 

 そのまま味方の勢力圏まで逃げ切れれば良かったのだが、イギリス海軍も今回ばかりは執拗だった。

 

 「フッド」を沈めておいて、勝ち逃げは許さない。

 

 是が非でも沈めてやる。

 

 そんな執念すら感じる。

 

 そして「ビスマルク」が発した、僅かな通信を逆探知し、現在位置を特定する事に成功したのだ。

 

 しかし、位置は判ったものの、そこは既にドイツ空軍の行動圏内ギリギリ。Uボートを警戒しながらの追跡では間に合わない。

 

 そこで、H部隊が随伴している空母「アークロイヤル」から艦載機を発艦させ、「ビスマルク」を足止めを試みる事になったのだ。

 

 「ビスマルク」の側からすれば、完全に予想外。

 

 だが、裏を返せば、イギリス海軍に後は無く、ここさえ乗り切れば逃げられると言う事だ。

 

「敵機接近ッ!!」

 

 見張り員の絶叫。

 

 次の瞬間、

 

「対空戦闘、撃ち方始め!!」

 

 腹の底から響くリンデマンの声。

 

 同時に、

 

 「ビスマルク」艦上に備えられた10.5センチ高角砲、及び37ミリ、20ミリの各機銃が一斉に火を吹いた。

 

 艦上を真っ赤に染める程の火線。

 

 迫りくるソードフィッシュの前面に、鉄と炎の壁を築き上げる。

 

 同時に機関は出力を上げる。

 

 損傷によって速力が低下した「ビスマルク」だが、限界ギリギリの26ノットまでスピードを引き上げる。

 

「右舷前方ッ 敵機接近!! 雷撃態勢に入った!!」

「面舵一杯ッ!!」

 

 見張り員の報告を受け、転舵を命じるリンデマン。

 

 「ビスマルク」は右へと旋回しながら、ソードフィッシュの攻撃を回避しにかかる。

 

 構わず、魚雷を投下するソードフィッシュ。

 

 投下した魚雷の重みが消え、複葉雷撃機はふわりと浮き上がる。

 

 海面下を疾走する魚雷。

 

 しかし、予めソードフィッシュの進路を読んでいたリンデマンの的確な操艦により、魚雷は投下された直後には既に、「ビスマルク」から外れるコースに乗っていた。

 

 巨艦のすぐ脇を、白い航跡が駆け抜けていく。

 

 しかし、イギリス軍も諦めない。

 

 残った機体が四方から「ビスマルク」に殺到し始めた。

 

 対する「ビスマルク」も、激しく対空砲火を撃ち上げて対抗する。

 

 左舷から投下される魚雷。

 

 対して、リンデマンが取り舵を指示。

 

 程なく、直進から左に旋回を始めた「ビスマルク」。

 

 魚雷は、彼女の左舷側を駆け抜けていく。

 

 低速のソードフィッシュでは、なかなか「ビスマルク」を有効な射点に捉えられないのだ。

 

 一見すると「ビスマルク」の方が優位にも見える。

 

 が、

 

 実際は「ビスマルク」の側にも、ジレンマはあった。

 

「なかなか落ちんな。あの程度の旧式機が相手だと言うのに」

「ええ、対空砲火は当たりにくい、と言う話は聞いたことがありますが、まさかここまでとは」

 

 リュッチェンスとリンデマンが、苛立ち交じりに呟く。

 

 激しく対空砲を撃ち上げる「ビスマルク」。

 

 しかし、今のところ、対空砲火による撃墜は1機も無かった。

 

 これには理由があり、まず1つは、2人の言う通り、ソードフィッシュのスピードに対して「ビスマルク」の対空砲は旋回が追い付かない事。

 

 主砲射撃式装置は最新型を搭載している「ビスマルク」だが、対空砲の指揮装置は従来の物を搭載しており、これが航空機のスピードに対応しきれていなかった。

 

 対空火力の薄さも、撃墜できない原因だった。

 

 対空戦闘の基本は、複数の艦艇で砲火を投げかけ、濃密な弾幕を形成する事にある。

 

 しかし現在、「ビスマルク」は単独で航行している為、他の艦と連携する事は出来ない。

 

 これでシャルンホルスト級巡洋戦艦のように、副砲を全て下ろして高角砲を増設していたら、少しは話が違ったかもしれないが。

 

 建造段階で対空戦闘を軽視したツケが、ここで回ってきていた。

 

 もう一つの理由として、(先の理由と矛盾するが)、ソードフィッシュのスピードが遅いせいで、対空砲の信管調整が合わない事も原因だった。

 

 対空砲弾には時限信管が取り付けられ、発射から一定の時間で炸裂する事になる。分かりやすく言うと、タイマー付きの爆弾を大砲で撃ち出しているようなものである。

 

 しかしソードフィッシュのスピードがあまりに遅い為、「ビスマルク」側の信管調整した時間には、まだ敵機は炸裂の圏外におり、砲弾は全てソードフィッシュの手前で炸裂していた。

 

 「ビスマルク」の乗組員は、殆どが初めての実戦参加であり、状況を見て信管を調整する作業が難しい事も原因だった。

 

 無論、それでもいくつかの破片は敵機に届いてはいるが、ここでソードフィッシュの特徴である「布張り」の機体が功を奏していた。

 

 機体のほとんどが布でできている為、命中した破片は全て機体にダメージを負わせる事が出来ず突き抜けてしまっているのだ。

 

 余談だが、イギリス海軍航空隊の雷撃機は、最新型のフェアリー・アルバコアが採用されていたが、同機は新型の割に、思ったほど性能が良いとは言えず、その上、下手に金属製にしたせいで安定性と機動性がソードフィッシュよりも低下。パイロット達から大不評を受けた。

 

 その為、今回の作戦で空母「アークロイヤル」は、旧来通りソードフィッシュを搭載して出撃してきた。

 

 この後、アルバコア雷撃機はイギリス海軍航空隊から完全に姿を消す事になる。

 

 イギリス海軍がソードフィッシュの後継機を得るのは1年以上先。単葉金属製のフェアリー・バラクーダの登場を待たなくてはならなかった。

 

 それでも、「ビスマルク」は奮闘を続けた。

 

 傷ついた身で必死に回避行動を続け、対空砲は当たらないまでも、敵機の接近を拒み続ける。

 

 襲来したソードフィッシュが少数だった事も功を奏した。おかげでイギリス軍の攻撃は波状攻撃とはならず、単発攻撃の繰り返しのようになった為、「ビスマルク」の側としても、迎撃しやすかったのだ。

 

 今も、対空砲火を撃ち上げながら左に旋回する「ビスマルク」。

 

 ソードフィッシュの放った魚雷は、「ビスマルク」の左舷側に抜けていく。

 

 既に大半の攻撃を回避する事に成功している。

 

 このまま、逃げ切れるか?

 

 そう、思った時だった。

 

「右舷、雷跡2ッ 急速接近!!」

 

 見張り員の絶叫。

 

 その報告に、リンデマンは思わずうなる。

 

 放たれた魚雷が、命中コースにあるのだ。

 

 「ビスマルク」は現在、取り舵に切って先に放たれた魚雷を回避した直後である。

 

 向かってくる魚雷を回避するためには、面舵に切り直して右に旋回する必要がある。

 

 しかし、今から舵輪を逆に回しても、実際に舵が利き始めるには1分近くかかるだろう。その間に、魚雷は命中してしまう。

 

 その間にも魚雷は迫ってくる。

 

 迷っている暇はない。

 

「取り舵続行!!」

 

 悪手としか言いようが無いが、今は賭けに出るしかない。このまま取り舵回避を続けて、魚雷が逸れるのを祈るしかない。

 

 最悪、魚雷が命中したとしても、1本くらいの命中で「ビスマルク」が沈むはずも無い。

 

 チラッと、傍らのビスマルクに目をやるリンデマン。

 

「頼むぞッ」

 

 祈るような気持ちで、艦の旋回を見守る。

 

 あと少し、

 

 あと少し、

 

「右舷雷跡、近い!!」

 

 見張り員の絶叫。

 

 次の瞬間、

 

 白い航跡が、「ビスマルク」の左舷側を駆け抜けていくのが見えた。

 

「よし、かわしたッ!!」

 

 誰もが喝さいを上げる。

 

 これで最後だ。

 

 イギリス軍の攻撃は、全てしのぎ切った。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 艦尾から、突き上げるような衝撃が襲ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 艦橋にいた、誰もがよろける。

 

 放たれた魚雷は2本。

 

 「ビスマルク」は、うち1本の回避には成功したが、もう1本を食らってしまったのだ。

 

「損害報告ッ!!」

 

 直ちに命令を下すリンデマン。

 

 食らったとは言え1本だ。

 

 先に言った通り、その程度で「ビスマルク」は沈まない。

 

 だが、

 

 床に倒れこんだビスマルク。

 

 その彼女が、自分の左足を抑えていた。

 

「ビスマルク、どうした?」

「いや・・・・・・足が、動かない・・・・・・」

 

 苦痛に歪ませながら呟くビスマルク。

 

 感じる、イヤな予感。

 

 程なく、それが現実となる。

 

「先の魚雷は、艦尾に命中ッ 操舵装置が損傷しました!! 現在、取り舵のまま固定され、動作不能です!!」

 

 それは、全員に絶望を抱かせるには、充分過ぎる内容だった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 夜が明けた。

 

 上り始めた陽光が、巨艦を明るく照らし出す。

 

 ドイツ海軍の期待を一身に背負った最新鋭戦艦「ビスマルク」。

 

 世界最大最強の戦艦であり、ヒトラー総統も絶賛した巨大戦艦。

 

 その「ビスマルク」が今や、自らを制御する事すらできず、波間を漂流する難破船と化していた。

 

 夜間、数度に渡って襲撃を仕掛けてきた敵駆逐艦は、火力に任せてどうにか撃退する事が出来た。

 

 しかし、それらに対応している間に、時間が経過しすぎてしまった。

 

 戦闘の合間を縫い、何とか操舵能力の回復が試みられた。

 

 まず第1に、舵その物を修理できないか試してみたが、これは早々に失敗に終わった。

 

 どう舵輪を動かしても、まるで固定されたように動かない。

 

 ダイバーを潜らせて調査する案も出たが却下された。戦闘中に水中に潜るなど、自殺行為でしかない。

 

 一応、艦船には舵が故障した時のサブシステムとして、「人力操舵」と言う手段がある。これは、舵輪を回して操舵を行う「機力操舵」と違い、文字通り舵を人力で回す方法である。

 

 もっとも、数万トンの巨艦を動かすほどの舵である。力自慢の兵士10人以上の力が必要となるのだが。

 

 しかし、その人力操舵でも、操舵能力は回復しなかった。

 

 後に分かった事だが、この時「ビスマルク」は、魚雷命中時のショックで艦中央のメインスクリューがねじ曲がり、舵本体に引っ掛かってしまっていたのだ。その為、いくら力を加えたとしても、操舵力が回復する事は無かった。

 

 残された最後の手段は、スクリューの回転調整による方向転換だった。

 

 これはスクリューの回転方向を変える事で、船の進路を調整する方法である。例えば右に曲がりたいときは、右のスクリューを止めて左のスクリューを全開にする。左に進みたいときは、左のスクリューを止めて、右のスクリューを全開にする。といった具合に。

 

 望みをかけるように、作業が夜通し行われた。

 

 そして、どうにか「ビスマルク」は明け方近くになり、7ノット程度で直進する事に成功したのである。

 

 潮流の関係から、7ノットでは聊か心もとないが、それでもどうにか逃れる手段を得たのだ。

 

 しかし、

 

 時は既に、遅かったのだった。

 

「左舷、9時方向より艦艇多数!!」

 

 絶望的な見張り員の声。

 

 接近してくる大艦隊。

 

 その全てのマストに、ホワイトエンサインとユニオンジャックが、まるで見せつけるように靡いていた。

 

「状況は圧倒的不利、と言わざるを得ませんな」

「まだ分からん」

 

 肩を落とすリンデマンに対し、リュッチェンスは強気な態度を崩さずに告げる。

 

 とは言え、司令官の態度が空元気以外の何物でもない事は明白だった。

 

 「ビスマルク」を最強足らしめていたのは、あくまで「攻防走」の3拍子が高水準で纏まっていたからにすぎない。

 

 しかし今、その3つの内「走」。速力と機動力が失われ、「ビスマルク」は、低速で這うような速力でしか走れなくなってしまった。

 

 この状態で、イギリスの大艦隊と渡り合い、生き残る事は不可能としか言いようがない。

 

 誰もが絶望感に沈み始める。

 

 その時、

 

「まだだッ」

 

 凛とした叫びが、彼等の目の前に広がろうとする暗雲を切り裂いた。

 

 振り返る、リュッチェンスとリンデマン。

 

 その目には、兵士に支えられながら、どうにかして立ち上がるビスマルクの姿があった。

 

「ビスマルク・・・・・・」

「あきらめるなッ 私たちは誇り高きドイツ海軍。その象徴たる存在だ。我々が諦めてしまったら、いったい誰が、祖国を、仲間を、愛する人たちを守ると言うんだッ!!」

 

 既に動かなくなった足を引きずりながら、ビスマルクは2人に並び立つ。

 

「私はあきらめない。たとえこの身が、この海に沈む事になったとしても、私の放つ砲弾1発が、祖国にいる、愛する者を救う。そう、信じて戦い続けるのみだ」

 

 見開かれる双眸。

 

 その先には、迫りくる敵の大艦隊。

 

 そして、

 

 その先に待つであろう、仲間や妹の姿が思い浮かべられる。

 

 私は退かない。

 

 たとえこの身が砕け散ろうとも、砕けた身で貴様らを押し留めて見せる。

 

 その執念が、ビスマルクを海の上に立たせていた。

 

 その姿に、

 

 リュッチェンスとリンデマンは、顔を見合わせる。

 

 そして、どちらからともなく、笑みを浮かべた。

 

「やるか、艦長」

「ですな、提督」

 

 この娘に、ここまでの啖呵を切らせたのだ。

 

 艦長だの提督だの、大層な肩書を持つ自分達が、早々に諦めてなんとするのか。

 

 2人はそれぞれ、ビスマルクの肩を優しく叩くと、艦橋内へと戻る。

 

 そこで、

 

 思わず絶句した。

 

 何とそこには、司令部幕僚、艦橋要員、その全員が踵を揃えて敬礼していたからだ。

 

「大ドイツ帝国海軍所属、戦艦『ビスマルク』。全艦戦闘準備完了しております。ご命令を!!」

 

 幕僚の言葉に、一瞬、電撃に撃たれたような感覚に襲われる。

 

 ここにいる全員、

 

 否、

 

 この艦に乗り組んだ、全ての乗組員の想いは同じ。

 

 祖国にいる、愛する人を守りたい。

 

 その為ならば、たとえこの海に沈んでも構わない。

 

「全艦、第1戦闘配備ッ 対水上戦闘用意!!」

 

 リュッチェンスの号令と共に、持ち場へと走る。

 

 既にほとんど身動きすらままならない身だが、47口径38センチ砲は8門全門が健在。更に、ドイツ艦の特徴である重防御も生きている。

 

 まだ、戦える。

 

 来るなら来い。

 

 自分達は決して、屈しはしない。

 

 やがて、主砲の旋回を終え、照準が完了する。

 

 頷きあう、リュッチェンス、リンデマン、そしてビスマルク。

 

 次の瞬間、

 

「撃ち方始め!!」

 

 「ビスマルク」の8門の主砲が、一斉に火を吹いた。

 

 

 

 

 

 戦艦「ビスマルク」の捕捉、撃沈。

 

 それは今や、イギリス海軍にとって至上の命題と化していた。

 

 彼の最強戦艦を野放しにすれば、自分達に途轍もない災禍を齎す事は既に証明されている。

 

 故に、万難を排して「ビスマルク」は沈めなくてはならない。

 

 感情面の問題もあった。

 

 長くイギリス海軍の象徴であり、国民からも絶大な人気を誇った「フッド」。

 

 その「フッド」を沈めた奴を、決して逃がしはしない。

 

 怒りに燃えるイギリス海軍の将兵、艦娘は一丸となって「ビスマルク」を追ってきたのだ。

 

 決して生かしてドイツの港へは帰さない。ここで沈んでもらう。

 

 イギリス海軍が、手負いの「ビスマルク」を見逃す理由は、何一つとしてありはしなかった。

 

 そして、もう1つ。

 

 この男は、他の者達とは別の思惑で、戦場へと来ていた。

 

 

 

 

 

 イギリス本国艦隊の旗艦である「ネルソン」。

 

 その艦橋に誂えられた豪奢な椅子に座り、側近が注いだワインを満たしたグラスを傾ける男。

 

 国王フレデリックは、彼方で主砲をこちらに向けて来る「ビスマルク」を見ながら、グラスのワインに口を付ける。

 

「やれやれ、やっと着いたか。そら、さっさと始めろ。こっちはこの余興が見たくて、このような場所まで来たのだからな」

 

 傲慢な言いぐさ。

 

 傍らで聞いていた艦娘のネルソンが、むっとした顔を作る。

 

 その横では、本国艦隊司令官のジャン・トーヴィが、諦め顔で旗艦艦娘を窘めていた。

 

 フレデリックが水偵を使い、本国艦隊に合流したのは昨日の事だった。

 

 何事かと訝るネルソンたちは、とにもかくにも国王陛下の来訪とあっては無碍にもできず出迎える事にした。

 

 しかし、来艦の理由を聞いて、更に仰天した。

 

 何とフレデリックは、ドイツ艦隊との砲撃戦を間近で鑑賞したいから、わざわざやってきたのだと言う。

 

 バカげている。

 

 今は国王が親征し、騎士同士が馬上で剣戟を交わした古代の戦場ではない。一国の王がやって良い振る舞いではなかった。

 

 もし、フレデリックの身に何かあったら、イギリス全軍の指揮系統が混乱を来す事は目に見えている。

 

 にも拘らず、このような軽はずみな行動を取るとは。

 

 しかしフレデリックは、非難がましいネルソン達の視線など気にした風もなく、自分の席を艦橋の用意させ、側近を侍らせて観戦気取りだった。

 

「そら、対応がトロいぞ。奴はもう目の前じゃないか。とっとと始めないか」

 

 ネルソン達にとっては腹立たしい事この上ないが、これが自分達の最高権力者である。

 

 仕方なく、トーヴィと顔を合わせると、彼も嘆息交じりに頷きを返して来た。

 

「砲撃用意!!」

 

 トーヴィの号令と共に、戦闘態勢を整える本国艦隊。

 

 トーヴィ直卒の部隊は、戦艦「ネルソン」、重巡洋艦「ドーセットシャー」、軽巡洋艦「ベルファスト」、そして駆逐艦15隻から成っている。

 

 戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」や、重巡洋艦「ノーフォーク」「サフォーク」も参戦を希望したが、「プリンス・オブ・ウェールズ」はデンマーク海峡海戦での損傷が思いのほか大きく、ほぼ戦闘不能状態。巡洋艦部隊も数日にわたる追跡行で燃料不足になりかけている為、トーヴィの指示で後退していた。

 

 その他、南からは巡洋戦艦「レパルス」を主力としたH部隊も急行してきているが、そちらは時間の関係上、間に合わない物と考えられた。

 

 とは言え、本国艦隊主力はビッグ7の1隻「ネルソン」。いかに「ビスマルク」がドイツ最強戦艦だとしても負けるものではない。

 

 これで「ビスマルク」が万全の状態であるならば、あるいはフットワークで差を付けられて敗北する事もあり得たかもしれない。

 

 しかし今、「ビスマルク」は「アークロイヤル」の攻撃で足を潰されている。

 

 機動力さえ封じてしまえば、40センチ砲9門を装備する「ネルソン」の敵ではない。

 

 その時だった。

 

 水平線上に、複数の閃光が瞬くのが見える。

 

 明らかに、発砲による閃光だ。

 

「敵艦、射撃開始しました!!」

 

 見張り員の報告。

 

 それを聞いて、

 

「そら、撃ってきたぞ。もたもたするな」

 

 背後からヤジを飛ばす国王。

 

 その態度に苛立ちながらも、ネルソンはトーヴィに向き直る。

 

「こっちも準備完了だ。いつでもやれる」

「よし」

 

 頷くトーヴィ。

 

 提督の右手が高々と振り上げられると、そのまままっすぐに振り下ろされた。

 

「撃てェ!!」

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 絶望的な戦いが、始まった。

 

 相手は稼働可能なイギリス海軍、その全戦力。

 

 対して、こちらは「ビスマルク」1隻。しかも舵を破壊されて、まともに身動きすら取れない。

 

 この状態での勝機など、一分すらありはしない。

 

 しかし

 

 ビスマルクは、

 

 リンデマンは、

 

 リュッチェンスは、

 

 そして「ビスマルク」に乗る、全ての将兵は、一歩たりとも退こうとはしない。

 

 自分達は、生きて帰る事は出来ない。

 

 それは良い。

 

 だが、たとえ死しても、お前たちをドイツには行かせない。

 

 その想いが、一丸となり、8門の38センチ砲を撃ち放つ。

 

 轟音と共に、放たれる砲弾。

 

 鋭い飛翔音を引きながら、重量800キロの火矢が飛ぶ。

 

 傷ついて尚、「ビスマルク」の射撃精度は健在だった。

 

 砲撃数回。

 

 先に、有効弾を出したのは「ビスマルク」だった。

 

 放たれた38センチ砲弾は、目標であるイギリス艦隊旗艦「ネルソン」を包み込むように落下、高々と水柱を噴き上げる。

 

 挟叉。

 

 すなわち、現在の「ビスマルク」の照準が、ほぼ正確になった事を意味する。

 

「よしッ 一気に撃ち込め!!」

 

 吠えるリンデマン。

 

 まだやれる。

 

 自分達はまだ戦える。

 

 その想いが、奮い立たせる。

 

 だが、

 

 報復は、速やかに行われた。

 

 「ネルソン」が放った9発の40センチ砲弾。

 

 「ビスマルク」の砲弾を上回る重量1トンの砲弾は、山なりの弾道を描いて迫る。

 

 耳障りな風切り音。

 

「マズイッ!!」

 

 リンデマンが叫んだ瞬間、

 

 衝撃が襲ってきた。

 

 前部甲板に叩き付けられた砲弾。

 

 その圧倒的な威力を前に、基準排水量4万1000トンの巨体は激震に見舞われる。

 

 艦橋にいた者は、リンデマンも、ビスマルクも、リュッチェンスも、例外なく床に叩き付けられた。

 

「な、何がッ!?」

 

 呻きながら、身を起こすリュッチェンス。

 

 リンデマンはビスマルクを助け起こしながら顔を上げる。

 

「損害報告!!」

 

 程なくしてもたらされた報告は、一同をして絶望させるのに十分な内容だった。

 

「前部甲板に直撃弾ッ A砲塔旋回不能!!」

「B砲塔より、報告ッ 射撃不能との事!!」

 

 「ビスマルク」はただの一撃で、前部の主砲2基を同時に破壊されてしまったのだ。

 

 火力の50パーセントを一気に失ってしまった。

 

「まだだッ!!」

 

 叫んだのはビスマルクである。

 

「まだ、後部の主砲がある!!」

 

 ビスマルクの闘志に応えるように、後部C、D砲塔が咆哮する。

 

 しかし、その頃になると、距離を詰めたイギリスの巡洋艦も、「ビスマルク」に対して砲撃を開始していた。

 

 

 

 

 

 巡洋艦「ベルファスト」は、重巡洋艦「ドーセットシャー」に後続しながら、射程に入ると同時に12門の15.2センチ砲を撃ち放った。

 

 発射速度の速い砲撃は、たちまち「ビスマルク」に命中弾を与え、甲板上には無数の炸裂炎が弾けるのが見えた。

 

 軽巡洋艦の主砲では「ビスマルク」の装甲を撃ち抜けないが、艦上構造物にダメージを与える事は出来る。

 

 高角砲、機銃、射撃管制装置。

 

 それらの設備が、「ベルファスト」の砲撃によって破壊されていく。

 

 しかし、

 

 視界の先では、後部4門の主砲のみで「ネルソン」に反撃を試みる「ビスマルク」の姿がある。

 

「あの状態で、まだ撃つか」

 

 唸るように呟く、リオン。

 

 既に「ビスマルク」は、「ネルソン」「ドーセットシャー」「ベルファスト」から集中砲火を受け、全艦火だるまと化しつつある。

 

 艦内もおそらく、死傷者で溢れ始めている事だろう。

 

 そのような地獄の状況で尚、反撃に出て来る敵戦艦に、敬服すら覚える。

 

 しかし、

 

 個人的な念はともかく、今はイギリス軍人としての義務を果たさなくてはならない。

 

「ベル」

「何、リオン?」

 

 相棒に呼びかけると、彼女の肩を叩きながら告げる。

 

 現状「ビスマルク」の砲撃は脅威以外の何物でもない。このままでは、被害が出るのも時間の問題だろう。

 

 そうなる前に、何とかして奴の砲撃を止める必要がある。

 

「『ビスマルク』の前部艦橋付近を狙いたい。できるか?」

「オッケー、やってみる」

 

 笑いながら頷くと、集中すべく目を閉じるベルファスト。

 

 同時にリオンも、目標の変更を砲術長に指示する。

 

「撃てッ!!」

 

 リオンの命令と共に、「ベルファスト」は12門の主砲を撃ち放った。

 

 

 

 

 

 使える砲が4門に減った事で、「ビスマルク」の砲撃は、なかなか「ネルソン」を捉える事が出来ずにいた。

 

 その間にも、イギリス軍の砲撃は次々と突き刺さる。

 

 「ネルソン」の砲撃によって艦首には大穴を開けられ、更には既に射撃不能になっていたA砲塔も吹き飛ばされる。

 

 煙突も直撃を受けて、半ばから吹き飛ばされていた。

 

 「ドーセットシャー」「ベルファスト」の砲撃は、艦上構造物を次々と削り取っていく。

 

 甲板上で発生した火災は艦内にまで延焼が広がり、手が付けられなくなりつつある。

 

 既に消火に必要な人員の確保すら、ままならなくなりつつあった。

 

 しかし、

 

「まだ・・・・・・まだッ!!」

 

 ビスマルクの叫びと共に、4門に減少した38センチ砲が放たれる。

 

 まだ、諦める気はない。

 

 使える砲が1門でもある限り。

 

 その想いが、ビスマルクを突き動かす。

 

 しかし次の瞬間、

 

 やけに甲高い風切り音と共に、艦橋を衝撃が走った。

 

「グハッ!?」

 

 頭部に走る激痛に、思わず長い金髪を押さえて蹲るビスマルク。

 

「しっかりしろッ!!」

 

 リンデマンが助け起こそうとしたが、同時に「ネルソン」の40センチ砲弾が中央甲板に命中。貫通こそ免れたものの、強烈な振動が「ビスマルク」を襲った。

 

 程なく、報告が上げられてきた。

 

「前部射撃指揮所壊滅ッ 砲術長以下、全員戦死!!」

 

 「ベルファスト」が放った砲弾が直撃したのだ。

 

 射撃指揮所を破壊されたと言う事は最早、「ビスマルク」は主砲の統一射撃が不可能になったことを意味している。

 

 残された反撃手段は、砲塔別個別照準による射撃だが、こちらは統一射撃に比べて、著しく命中率が落ちる。

 

「それでも、まだ・・・・・・・・・・・・」

 

 顔を上げるビスマルク。

 

 次の瞬間、

 

 これまでにないほど、強烈な衝撃が襲い掛かり、艦橋にいた全員をなぎ倒した。

 

 

 

 

 

第42話「倒れても屈せず」      終わり

 



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第43話「ラスト・メッセージ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は、絶対にあなたの物にはならない。

 

 

 

 

 

 あなたはこれから、手に入らない物に絶望して生きて行けばいい。

 

 

 

 

 

 さようなら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鳴り響く砲撃音。

 

 その音で、フレデリックは現実に引き戻された。

 

 ここは戦艦「ネルソン」の艦橋。

 

 今は、ドイツ戦艦を追い詰めている最中だと言う事を、唐突に思い出した。

 

「・・・・・・・・・・・・フンッ」

 

 鼻を鳴らすと、グラスの底に残っていたワインを一気に飲み干す。

 

「・・・・・・ドイツの女は、いつになっても強情な奴等ばかりと来た」

 

 誰に聞かせるでもなく、呟きを漏らす。

 

 次いで、指揮を執るトーヴィに向き直った。

 

「まだ終わらんのか? そろそろ飽きて来たぞ」

「もう終わる」

 

 苛立ち紛れに返したのはネルソンだった。

 

「既に『ビスマルク』は死に体だ。決着はついた」

 

 ネルソンの言う通りだった。

 

 視界の彼方では最早。火災と煙に覆われて、姿を見る事さえ敵わなくなった「ビスマルク」の姿があった。

 

 艦体は傾斜し、海上に完全に停止している。

 

 前部のA、B砲塔は完全に破壊され、D砲塔も砲身が吹き飛ばされている。

 

 C砲塔だけは原型をとどめているが、傾斜によって揚弾機が停止したらしく、既に沈黙していた。

 

 煙突は半ば吹き飛ばされ、後部艦橋は喪失、前部艦橋も一部が直撃を浴びて崩壊しているのが見えた。

 

 甲板や舷側には、多数の破孔が穿たれ、命中した砲弾の多さを物語っていた。

 

 ドイツ海軍が期待を込めて建造した最新鋭戦艦「ビスマルク」。

 

 その運命は、旦夕に迫っていた。

 

「とは言え、本艦も砲弾はほぼ撃ち尽くしました。トドメは駆逐艦の魚雷に委ねようと思います」

「・・・・・・好きにしろ」

 

 トーヴィの言葉に、投げやり気味に返すフレデリック。

 

 彼にとって最早、どうでも良い事だった。

 

 

 

 

 

 意識を取り戻したのは、奇跡だったのかもしれない。

 

 全身をさいなむ痛みに耐えながら、ビスマルクはどうにか身を起こした。

 

「・・・・・・・・・・・・グッ」

 

 全身に力を込めて、立ち上がる。

 

 既にほとんど動かなくなった体を、どうにか起き上がらせる。

 

 砲撃音が、止まっている事にはすぐに気が付いた。

 

 敵にしても既に、砲撃を行うまでもない、と言う事だろう。

 

 「自分」が既に、戦闘力を喪失している事は、確認するまでもなく分かった。

 

「・・・・・・・・・・・・提督・・・・・・・・・・・・艦長」

 

 2人の姿は、艦橋に倒れているのがすぐに見えた。

 

 しかし、リュッチェンスもリンデマンも、呼びかけに答える様子はない。

 

 2人の命が、既に失われている事は明白だった。

 

「みんな・・・・・・・・・・・・」

 

 艦橋の床に座り込むビスマルク。

 

 艦橋にいた人間で、生き残っているのはビスマルクだけ。

 

 先に「ネルソン」の砲弾が艦橋付近をかすめ、その衝撃で全員がなぎ倒されたのだ。

 

 ビスマルクも、最早立ち上がる気力もないまま、崩れ落ちるように床に座り込んだ。

 

 その瞳から、一筋の雫が零れ落ちる。

 

 自分が、もっとしっかりしていたら。

 

 もっとちゃんと戦えていたら、

 

 皆が死ぬことは無かったかもしれない。

 

 艦橋の窓から、こちらに舷側を向けて停止する、複数の駆逐艦の姿が見える。

 

 さながら銃殺隊のようにも見えるそれらは、文字通り「ビスマルク」にトドメを刺すべく、魚雷発射態勢に入っているのだ。

 

 涙を湛えた瞳で、己に迫る最後を待つ。

 

 その脳裏に浮かぶのは、まだ見ぬ妹の姿。

 

 ティルピッツ。

 

 会ってみたかった。

 

 一緒に戦いたかった。

 

 しかし、その夢はもう、叶わない。

 

「・・・・・・・・・・・・すまない」

 

 そう呟いて、

 

 目を閉じた。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突如、先頭の駆逐艦が閃光に包まれ、爆炎を噴き上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 更に1隻。

 

 「ビスマルク」に魚雷を放とうとしていた駆逐艦が、爆炎に包まれる。

 

「な、何が・・・・・・・・・・・・」

 

 呆然と呟くビスマルク。

 

 イギリス軍も、突然の事態に、慌てて陣形を変更しようとしているのが見える。

 

 狼狽するイギリス艦隊。

 

 その彼方から駆けて来る、1隻の巡洋戦艦。

 

 そのマストに、誇らしげに掲げられた旗印は鉄十字。

 

 その姿に、思わずビスマルクは目を見開いた。

 

「シャルンホルストッ!?」

 

 

 

 

 

 狩りとは、人を熱中の坩堝に呑み込む程の魅力があるらしい。

 

 「ビスマルク狩り」に夢中になっていたイギリス艦隊は、数において優勢でありながら外周警戒用のピケット艦すら配置していなかった。

 

 おかげで「シャルンホルスト」は、有効射程距離に踏み込むまで敵に察知される事無く、殆ど奇襲に近い形で襲撃に成功していた。

 

 まず、「ビスマルク」に魚雷を放とうとしていた駆逐艦を追い散らす事に成功。

 

 これで、当面の危機は去った。

 

 次は、

 

「駆逐艦はもう良い、戦艦を狙って!!」

 

 エアルは、イギリス艦隊の中心にいる「ネルソン」を睨み据えた。

 

 イギリス艦隊に、他に戦艦はいない。

 

 つまり「ネルソン」さえ倒せば、この場を脱する事も不可能ではない。

 

「取り舵一杯ッ 右砲戦用意!!」

 

 エアルの指示に従い、左へと旋回する「シャルンホルスト」。

 

 9門発射態勢が整うと同時に、艦橋トップの測距儀が「ネルソン」を補足。射撃データをA、B、C各砲塔へと伝達する。

 

「照準良し!!」

「装填完了!!」

 

 報告を受け、エアルは目を見開いた。

 

「撃てェ!!」

 

 同時に、

 

 9門の28.3センチ砲が、一斉に放たれた。

 

 

 

 

 

 飛来する「シャルンホルスト」の砲弾。

 

 着弾と同時に林立する水中が、「ネルソン」を包み込む。

 

 そして、

 

 1発は「ネルソン」の右舷甲板に命中して弾けた。

 

「右舷中央付近に命中弾ッ 副砲損傷!!」

 

 報告を受け、舌打ちするトーヴィ。

 

 副砲の1基くらい、どうと言う事はない。このような局面で、「ネルソン」が敵の小型艦に肉薄を受ける可能性は皆無だろう。

 

 問題は、「シャルンホルスト」が、かなり正確な射撃を行ってきている事だった。

 

 現在、イギリス艦隊は「ビスマルク」包囲の為、陣形が散らばっている状態だ。その為、外側からの攻撃に非常に弱い状態である。

 

 同様に、旗艦「ネルソン」周囲も手薄となっている。

 

 「シャルンホルスト」は、そこを突いてきた形だった。

 

 更にもう一つ、重大な問題がある。

 

「提督」

 

 察したかのように、ネルソンが声を掛けて来た。

 

「ここは後退すべきだ。このままでは、こちらが不利になる」

「同感だ」

 

 頷くトーヴィ。

 

 だが、その判断に納得しない者が、1人いた。

 

「おいおいおいおい」

 

 豪奢な椅子から腰を浮かしながら、声を上げたのは国王フレデリックだった。

 

「シャルンホルスト級など、巡洋艦に毛が生えた程度の攻撃力しかない、通称破壊くらいしか能の無い欠陥戦艦だろうが。そんな物に尻尾を撒けば、ビッグ7の名が泣くぞ」

「そういう問題じゃない」

 

 小馬鹿にしたような口調のフレデリックに、苛立ちを隠そうともせず、ネルソンは撥ねつけるようにして答えた。

 

 対して、フレデリックが何かを言う前に、トーヴィが割り込むようにして答えた。

 

「陛下、本艦は現在、『ビスマルク』への砲撃で、砲弾の9割近くを消耗しています。これ以上は・・・・・・・・・・・・」

「ああ、なるほど、そういう事か」

 

 かつては海軍に所属し、前線でも戦った経験があるフレデリックは、トーヴィが何を言いたいのか瞬時に理解する。

 

 奇妙な話と思うかもしれないが、軍艦と言うのは通常、砲弾を撃ち尽くす事は少ない。激しい砲撃戦を行った後でも、何割かの砲弾は残しておくのが常である。

 

 これは帰投中に万が一、敵の追撃にあった場合の備えである。

 

 勿論、少しでも敵の損害を拡大しておきたい時は、弾薬庫が空になるまで撃ち尽くす時もある。が、現状の「ネルソン」は、そこまでひっ迫もしていなかった。

 

 今の「ネルソン」は派手に「ビスマルク」砲撃を行ったため、弾薬庫は空に近く、ほぼ全力発揮可能な「シャルンホルスト」と撃ち合うだけの余裕はなかった。

 

「いたし方あるまい。好きにしろ」

「ハッ ありがとうございます」

 

 許可も下りた事で、改めて「ネルソン」に後退を指示する。

 

 同時に、トーヴィはもう一手、打っておく事も忘れなかった。

 

「『ベルファスト』と『ドーセットシャー』に『シャルンホルスト』の相手をさせろ」

 

 

 

 

 

 さすがの対応力、と言うべきか、「7つの海を支配する」と言う謳い文句は伊達ではない。

 

 既に「シャルンホルスト」の奇襲から立ち直ったイギリス艦隊は、体勢を立て直して砲門を向けつつある。

 

 一時は「ネルソン」の近辺まで切り込んだ「シャルンホルスト」だが、高速で迫りつつある巡洋艦と駆逐艦を前に、後退を余儀なくされていた。

 

 後退しながらも主砲で反撃する「シャルンホルスト」

 

 しかし、相手は数で攻めてきている。単純な撃ち合いでは不利だった。

 

 しかも、

 

「こっちは、完全じゃないってのにッ」

 

 現在、「シャルンホルスト」は艦首の破孔を応急的に塞いだだけであり、被弾に耐えられるほどの装甲は持っていない。もし、塞いだ破孔部分に1発でも食らおうものなら、たとえ駆逐艦の砲弾でも大ダメージを負いかねなかった。

 

「左舷前方、敵駆逐艦接近!!」

「左舷、高角砲応戦しろ!!」

 

 「シャルンホルスト」が装備する10.5センチ高角砲の内、左舷に指向可能な8基16門が旋回。一斉に火を吹く。

 

 不用意に接近しようとしていた駆逐艦は、弾幕射撃の前にたちまち後退を余儀なくされた。

 

 とは言え、逃げてばかりもいられない。

 

 こちらは「ビスマルク」を守りながら戦わなくてはならない身だ。

 

 万が一、「シャルンホルスト」が後退した隙に、イギリス艦隊が「ビスマルク」に接近したりしたら、元も子もない。

 

 そんな「シャルンホルスト」の苦境を、イギリス側も把握している。

 

 だからこそ、攻撃の手を緩める気はない。

 

 と、

 

「艦長、機関室から呼び出しです」

「悪いんだけど、今は無視して!!」

 

 ヴァルターの報告に対し、エアルは叩きつけるように命じた。

 

 どうせ、機関が限界だからスピードを落とせ、とでも言ってきているのだろう。

 

 悪いが今は戦闘中。速力を落とすなど論外である。

 

 サイア以下、機関部の連中には悪いが、今は出力維持に努めてもらう以外なかった。

 

「右舷70度に敵巡洋艦2!!」

 

 「ドーセットシャー」と「ベルファスト」が、主砲を撃ちながら追いすがってくる。

 

 2隻の巡洋艦で「シャルンホルスト」を拘束し、その間に駆逐艦が「ビスマルク」を叩く気なのだ。

 

 舌打ちするエアル。

 

 巡洋艦の対応くらい、今の「シャルンホルスト」でも、どうとでもない。

 

 しかし、駆逐艦までは手が回らない。

 

 多勢に無勢。

 

 このままじゃ負ける。

 

 せめて、あと1隻。戦える味方が近くにいてくれれば。

 

 誰もが、そう思い始めた時。

 

「左舷、160度に、巡洋艦1!!」

 

 絶叫する見張り員。

 

 その声が、

 

「『プリンツ・オイゲン』です!!」

 

 歓喜に染まった。

 

 

 

 

 

「まさか、こんな事になっているなんて。私たちが、あの時、『ビスマルク』のそばを離れなければ・・・・・・・・・・・・」

 

 8門の20.3センチ砲を撃ち放ちながら突撃する「プリンツ・オイゲン」。

 

 その艦橋にあって少女は、沸き上がる後悔に眩暈すら覚えていた。

 

 視界の先には、炎上して海上に停止した「ビスマルク」。

 

 そして、「ビスマルク」を守る為、傷付いた身で奮闘する「シャルンホルスト」の姿もある。

 

「私たちが一緒にいたら、こんな事には・・・・・・」

「命令だったんだ。仕方ない」

 

 己を責めさいなむオイゲンを、艦長が厳しい口調で窘める。

 

 彼にも後悔はあった。

 

 リュッチェンスから分派行動を命じた時、もっと強く反対意見を言っていれば、このような事にはならなかったのではないか?

 

 そう、思わずにはいられない。

 

 しかし最早、時は戻らない。

 

 であるならば、嘆く前にする事があった。

 

「失点は、己の働きによって取り戻す。それが、軍人と言う物だ」

「はいッ」

 

 艦長の言葉に頷きを返すと、オイゲンは眦を上げる。

 

 助ける。

 

 何としても。その想いを胸に刻み、主砲を撃ち放った。

 

 

 

 

 

 「プリンツ・オイゲン」と言う更なるドイツ軍側の援軍登場により、イギリス艦隊は再び混乱状態に陥りつつあった。

 

 「プリンツ・オイゲン」は主に駆逐艦に狙いを絞って砲撃を行っている。

 

 その為、「シャルンホルスト」を指揮するエアルは、「ドーセットシャー」と「ベルファスト」の相手に専念できるようになっていた。

 

 視界の先で、ドイツ巡戦が主砲を放つのが見えた。

 

 その瞬間、リオンの口が開く。

 

「取り舵一杯ッ!!」

 

 高速航行しながら、左に旋回する「ベルファスト」。

 

 間一髪。

 

 「シャルンホルスト」の砲弾は、「ベルファスト」の後方に着弾して水柱を上げる。

 

 28.3センチ砲弾の重量は312キロ。戦艦としては小型だが、巡洋艦にとっては大きな脅威となる。

 

 リオンの的確な回避運動で、被弾を抑える「ベルファスト」。

 

 しかし、僚艦の方はそうはいかなかった。

 

 立ち上る水柱をかわしながら、向ける視線の先。

 

 彼方で光る閃光。

 

 「シャルンホルスト」が、9門の28.3センチ砲を放ったのだ。

 

 次の瞬間、

 

 「ドーセットシャー」の前部甲板に、爆炎が踊った。

 

「『ドーセットシャー』被弾!!」

 

 悲鳴に近い、見張り員の声。

 

 「ドーセットシャー」には「シャルンホルスト」の砲弾2発が前部甲板に集中して命中していた。その為、2基の主砲塔が電路切断により、射撃不能に陥っていた。

 

 それでも「ドーセットシャー」は、機関は無事らしく、更には艦長以下、指揮系統も生きているらしい。どうにか後部砲塔で応戦しながら、転舵して「シャルンホルスト」から距離を取ろうとしていた。

 

「『ドーセットシャー』の援護に入れ!!」

 

 叫びながら、リオンは「シャルンホルスト」を睨む。

 

 あの艦が現れるまで、イギリス艦隊が優勢だった。後は「ビスマルク」にとどめを刺すだけの段階だったのだ。

 

 しかし、あの艦が来た途端、状況は一変した。

 

 「シャルンホルスト」は、たった1隻で状況をひっくり返してしまったのだ。

 

 更に、イギリス艦隊を追い込む事態が起こる。

 

「対空レーダーに反応ッ 南より接近する航空機多数!!」

 

 それはイギリス軍の機体ではない。

 

 それは南大西洋から休みなしで全速航行で駆け、ようやく戦場に到着した「グラーフ・ツェッペリン」の航空隊だった。

 

 

 

 

 

 来援した「グラーフ・ツェッペリン」航空隊。

 

 その中には、クロウのメッサーシュミットもいた。

 

「何で、兄貴の艦までいるのか意味不明なんだが・・・・・・」

 

 眼下で砲撃を行う「シャルンホルスト」を見ながら、呆れたように呟く。

 

 「シャルンホルスト」は、修理中でドックから出せなかったはずだが。

 

「まあ、良いか」

 

 兄には兄の考えがあっての行動なのだろう。

 

 ならば、自分は自分の仕事をするだけだった。

 

 クロウ達が制空権を維持している間に、爆撃機隊が攻撃を開始する。

 

 翼に鉄十字を描いた機体は、次々と翻って爆弾を投下、駆逐艦部隊に攻撃を仕掛ける。

 

 更には、後方に下がっている「ネルソン」に攻撃を仕掛ける機体もあった。

 

 複数の爆弾を浴び、巨艦が炎を上げているのが見えた。

 

 

 

 

 混乱はピークに達しつつある。

 

 突如、現れたドイツ軍機を前に、イギリス軍の駆逐艦は最早戦闘どころではなく、ただ散を乱して逃げ回る以外に無かった。

 

 中には旗艦「ネルソン」にまで攻撃を仕掛ける機体もいる。

 

 直撃弾を浴びたのか、「ネルソン」から煙が上がているのが見えた。

 

 この戦い、勝者は間違いなくイギリス海軍だ。

 

 戦略目的である「ビスマルク」は、まず間違いなく助からないだろう。これでドイツ海軍は大幅に弱体化する事は間違いない。

 

 しかし、

 

 今まさに、この戦場を支配しているのは、勝者であるイギリス海軍ではなく、敗者であるはずのドイツ海軍だった。

 

「旗艦より信号!!」

 

 見張り員の声。

 

 その内容は、

 

 聞かずとも理解できた。

 

「リオン」

「ああ、分かってる」

 

 ベルファストの言葉に、頷きを返すリオン。

 

「味方の支援を行いつつ後退する」

 

 そう言うと、殿軍に立つよう、命じるのだった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 艦を近付ける。

 

 ただそれだけで、惨状が見て取れた。

 

「ひどい・・・・・・・・・・・・」

 

 シャルンホルストも、絶句したまま口に手を当てている。

 

 誰もが言葉を失っている。

 

 それ程までに「ビスマルク」の状況は絶望的だった。

 

 4基ある主砲は、後部のC砲塔以外叩き潰され、舷側の副砲、対空砲は全滅。

 

 後部艦橋は叩き潰され、煙突は上半分が消失、マストも折れている。

 

 前部艦橋も半分近くが崩壊し、甲板の至る所に大小の破孔が穿たれていた。

 

 浮かぶ幽霊船。

 

 生存者がいるとは思えない様相だった。

 

 その時、

 

「あッ」

 

 シャルンホルストが声を上げた。

 

「おにーさんッ あれ!!」

 

 少女が指示した先。

 

 半ば崩れた前部艦橋の上に、立つ人影があった。

 

 長い金髪を靡かせた、軍服姿の女性。

 

 ビスマルクだ。

 

 無事だった。

 

 ホッとする一同。

 

 と、

 

「あれは・・・・・・・・・・・・」

 

 双眼鏡を覗いていたエアルが、何かに気付いた。

 

 ビスマルクが、両手に何かを持っているのだ。

 

 それが旗だと言う事はすぐにわかる。

 

 手旗信号用の旗だろう。恐らく、戦死した信号手から拝借したのだ。

 

 恐らく何かを伝えようとしているのだ。

 

 「ビスマルク」は既に砲撃で通信アンテナは倒壊しているし、通信室も破壊されている。そもそも、通信用の士官が活きているとも思えない。

 

 それ程までに、酷い惨状だった。

 

 見守る一同に向けて、ビスマルクが旗を振り始めた。

 

「《キュ》《ウ》《エ》《ン》《カ》《ン》《シャ》《ス》。《キ》《カ》《ン》《ノ》《テ》《キ》《カ》《ク》《ナ》《ル》《エ》《ン》《ゴ》《ニ》《ヨ》《リ》、《ワ》《ガ》《ホ》《コ》《リ》《ハ》《マ》《モ》《ラ》《レ》《タ》」

 

 《救援感謝す。貴艦の的確なる援護により、我が誇りは守られた》。

 

 あのままイギリス艦隊に包囲され、嬲り者のように滅多打ちにされたら、「ビスマルク」は、踏みにじられ、全てを失って海底に沈んでいた事だろう。

 

 そう考えれば「シャルンホルスト」の救援は、正にギリギリのタイミングだった。

 

「よし、曳航準備に掛かれ!!」

 

 命じるエアル。

 

 航行不能となった「ビスマルク」を「シャルンホルスト」で曳航してサン・ナゼールに向かうのだ。

 

 そこまで行けば、修理も出来るはず。

 

 そう思って作業を命じようとした。

 

 その時、

 

「艦長!!」

 

 副長のヴァルターが、声を上げて告げる。

 

「ビスマルクが!!」

 

 視線を向ける。

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《ワ》《レ》《ヲ》《シ》《ズ》《メ》《ヨ》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え・・・・・・・・・・・・」

 

 驚くエアル。

 

 更に、ビスマルクは続けた。

 

 《ワ》《レ》《ジ》《チ》《ン》《ヲ》《ノ》《ゾ》《ム》

 

「ダメッ ダメだよッ ビスマルク!!」

 

 聞こえない事は判っている。

 

 それでも、少女は叫ばずにはいられなかった。

 

「自沈なんてダメッ ボクが引っ張って行ってあげるからッ だから一緒に帰ろう!!」

 

 悲痛な叫び。

 

 だが、

 

 現実は非情にも、少女の想いを引き裂く。

 

「艦長、アレイザー軍属が・・・・・・・・・・・・」

 

 振り返ると、息を切らせて立っている妹の姿があった。

 

 どうやら、いくら電話越しに叫んでも兄が聞く耳持たないから、機関室から駆け上がってきたらしい。

 

「兄さんッ これ以上は、ほんとに無理ッ」

 

 艦橋に踏み込むなり、サイアは怒り交じりでエアルに言葉をぶつけた。

 

 その頬は油で真っ黒に染まっている。恐らく戦闘中は、不機嫌なエンジンをギリギリまでなだめすかし、「シャルンホルスト」が全速航行するのをサポートしてくれていたのだ。

 

 しかし、それも限界なのだろう。

 

「これ以上は、技術屋として断固、許可できないッ いい加減スピード落として!!」

 

 だからこうして、直接止めに来たのだ。

 

 対して、

 

 彼女の前に立ったのは、彼女の兄ではなく、艦娘の少女だった。

 

「サイア、お願い」

「シャル・・・・・・」

「もう少しなのッ もう少しで、あの子を助けられるの、だから・・・・・・だから・・・・・・」

 

 すがるように、サイアの手を取るシャルンホルスト。

 

 その手がきつく握りしめられる。

 

 ここまで来た。

 

 もう少しで助けられる。

 

 だから、

 

 どうか・・・・・・・・・・・・

 

 今にも泣きそうな目で、サイアを見るシャルンホルスト。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・ごめん」

「サイアッ!!」

「ごめん、シャル」

 

 顔を逸らすしかなかった。

 

 そんな中、

 

 ビスマルクが再び、信号旗を振った。

 

 《タ》《ノ》《ム》

 

 《ド》《ウ》《カ》

 

 《ホ》《コ》《リ》《ア》《ル》《シ》《ヲ》

 

 その言葉を受け、

 

 エアルは、

 

 帽子を目深にかぶり直した。

 

 そして、

 

 右手を掲げようとした。

 

 だが、

 

「おにーさんッ!!」

 

 その腕に、シャルンホルストが縋り付く。

 

「こんなのダメッ お願いッ お願いだから!!」

 

 叫ぶシャルンホルスト。

 

 そんな少女を、

 

「ッ!!」

 

 エアルはその腕の中に抱きしめた。

 

 感じる、青年の温もり。

 

 小柄な少女は、それだけですっぽりと、青年の腕の中に納まってしまった。

 

「お、おにーさん・・・・・・・・・・・・」

 

 呆然と、呟くシャルンホルスト。

 

 対して、エアルは少女を抱く腕に力を籠める。

 

 少女を拘束して、放さないとするかのように、きつく抱きしめる。

 

「やだ・・・・・こんなの、やだ、お願い、おにーさん・・・・・・・・・・・・」

 

 尚も言い募るシャルンホルスト。

 

 そんな彼女に、エアルは固い口調でそっと語り掛ける。

 

「背負うから」

「・・・・・・・・・・・・え?」

「今日のこの罪は、俺が全部背負うから。だから、君は何も悪くない」

 

 八方塞がり。

 

 状況は、そうとしか言いようがなかった。

 

 「ビスマルク」は自力で航行する事が出来ない為、他の艦が曳航するしかない。

 

 しかし、この場には「シャルンホルスト」と「プリンツ・オイゲン」しかいない。

 

 「シャルンホルスト」は機関が不調で、自力航行がやっとの状態。

 

 「プリンツ・オイゲン」なら状態は万全に近いが、重巡の機関出力で「ビスマルク」を引っ張ろうとすれば、せいぜい3~4ノットが限界だろう。

 

 時間をかけてしまっては、イギリス軍の本国艦隊が引き返してくるかもしれない。

 

 更に、より大きな脅威として、南からはH部隊が迫っている。

 

 「ビスマルク」を曳航しながら、イギリス艦隊の追撃を振り切るのは不可能だった。

 

 「ビスマルク」の損傷具合も問題だった。

 

 あれでは、仮にドックに入渠できたとしても、修理には1年以上掛かるだろう。勿論その間、イギリス軍が手を拱いているとも思えない。最悪、「ビスマルク」はドック内で破壊される可能性もあった。

 

「シャルは何も悪くない。悪いのは、全部俺だ。だから、君は何も気にしなくて良い」

 

 呟くと、

 

 エアルは再び腕を大きく掲げた。

 

「右舷、雷撃戦用意!!」

 

 上ずる声を張り上げて命じる。

 

「目標・・・・・・・・・・・・」

 

 言い淀む。

 

 そして、

 

 自分の中にある物を振り払う様に叫んだ。

 

「目標ッ 『ビスマルク』!!」

「おにーさんッ!!」

 

 シャルンホルストを抱いたまま、

 

 エアルは、

 

 振り上げた右腕を、鋭く振り下ろした。

 

 

 

 

 

 奇妙な事に、自分に向かって放たれた魚雷の航跡は、くっきりと見る事が出来た。

 

 自身に向かって伸びる白い航跡。

 

 あれが間も無く、自分の艦体に突き立てられることになる。

 

 その様子をビスマルクは、ひどく穏やかな気持ちで眺めていた。

 

「ありがとう・・・・・・・・・・・・」

 

 いつか、一度だけ会った事がある「シャルンホルスト」艦長に、礼を述べる。

 

 彼にはつらい決断をさせてしまった。

 

 それに、

 

 シャルンホルスト。

 

 彼女にも、悲しい思いをさせてしまった。

 

 あの2人が、どうか後悔の海に沈まない事を願うばかりである。

 

 その間にも、魚雷は徐々に近づいてくる。

 

 最強戦艦として生まれ、総統閣下を初め多くの人々の期待を背負いながら、それにこたえる事が出来ず、初戦で散る事に対する後悔はある。

 

 だがドイツは、敗亡と絶望の中から再び立ち上がった強い国だ。きっと、自分がいなくても、残った皆が立派に戦い、国を、愛する人々を守ってくれることだろう。

 

「ああ、そうだ。最後にこれだけは・・・・・・・・・・・・」

 

 呟くと、再び信号旗を掲げる。

 

 そしてメッセージを送り終えると同時に、

 

 目の前に、巨大な水柱が立ち上った。

 

 痛みは、感じなかった。

 

 ただ、

 

 ビスマルクは全てを受け入れ、

 

 静かに目を閉じた。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 こうして、

 

 ドイツ海軍が期待をかけて実施した、ライン演習作戦は失敗に終わった。

 

 ドイツ海軍の損害は、戦艦1隻沈没のみ。

 

 しかし、その1隻の喪失が、あまりにも大きかった。

 

 常に劣勢の戦いを強いられているドイツ海軍にとって、「ビスマルク」はまさに希望の星だった。

 

 その希望が失われたのだ。

 

 今後、ますますつらい戦いを強いられるであろう事は、想像に難くなかった。

 

「そうか、『ビスマルク』は沈んだか」

 

 総統官邸で、海戦結果の報告を受けたヒトラー。

 

 その表情は、流石に落胆に満ちていた。

 

 「ビスマルク」はドイツ最強戦艦であり、ヒトラーにとっては海軍力で劣る自分達が、イギリス海軍を圧倒しうる切り札だった。

 

 その切り札が失われたのだ。ヒトラーと言えども、落胆は禁じ得なかった。

 

「レーダー、通商破壊戦の成果はどうなっている? イギリスの補給路は、まだ遮断できぬか?」

「ハッ 遺憾ながら」

 

 ヒトラーの質問に、海軍元帥のエドワルド・レーダーは恐懼して答える。

 

 ドイツ海軍は大西洋各所で通商破壊戦を展開しているが、イギリス軍は複数の輸送航路を使い分ける事で、被害を最小限に押さえるように努めている。

 

 加えて、R部隊壊滅後も、新たなる対潜部隊が多数出現し、Uボートの活動が抑えられつつあるのが現状だった。

 

「ゲーリング、空軍はどうか?」

「ハッ 閣下。我が勇壮無比なるルフトバッフェの精鋭たちは、連日の如く出撃して不倶戴天なるイギリスに正義の鉄槌を振り下ろし続けております。今、暫くご猶予を頂けるなら、必ずや、奴等を屈服させて御覧に入れまする!!」

 

 美辞麗句で盛ってはいるが、要するにイギリス軍の防衛ラインが硬すぎて突破は難しい、と言う事だった。

 

 嘆息するヒトラー。

 

 ドイツが海に囲まれたイギリスを打倒するには、どうしても制海権と制空権の確保は必須となる。

 

 ヒトラーとしては、ドイツ空軍(ルフトバッフェ)イギリス空軍(R A F)を撃破。更に「ビスマルク」を中心とした艦隊が、一時的にでもイギリス周囲の制海権を奪取。その間にありったけの舟艇で陸軍がイギリス本土に上陸。電撃戦でロンドンをはじめとした主要都市を一気に陥落させる。と言う作戦を考えていた。

 

 「アシカ作戦」と名付けられたこの作戦は、バトル・オブ・ブリテンの状況が芳しくない為、一時的に延期していた。

 

 故に、ヒトラーが「ビスマルク」が状況を打開してくれる事を期待していたのだ。

 

 しかし、その「ビスマルク」が失われた。

 

 まさに、最後の希望は失われたのだ。

 

「あい分かった」

 

 ヒトラーは、静かな声で言った。

 

 「ビスマルク」を失い、バトル・オブ・ブリテンの状況も芳しくない以上、早期のイギリス屈服はあきらめざるをえまい。

 

「アシカ作戦を初めとする、イギリスに対する積極的攻勢は無期限延期とする。我々はこれより、新たなる目標に向けて邁進する事にする」

 

 居住まいを正す一同。

 

 その視線の先には、

 

 ドイツの東に広がる、広大な土地を持つ大国が描かれていた。

 

 

 

 

 

 「シャルンホルスト」が「プリンツ・オイゲン」に護衛されてブレストへ帰還したのは、「ビスマルク」沈没から2日後の事だった。

 

 更に5日後、H部隊の追跡を振り切った空母「グラーフ・ツェッペリン」も帰還。

 

 これで、ライン演習作戦に参加した艦艇は、全て帰還した事になる。

 

 ただ1隻を除いて。

 

 「グラーフ・ツェッペリン」の帰還と同時に、エアルは第1戦闘群司令部への出頭を命じられた。

 

 恐らく、無断で修理中の「シャルンホルスト」を出撃させた事への処分が言い渡される事だろう。

 

 既に「シャルンホルスト」はドックへと再入渠し、中断されていた修復作業が再開されている。

 

 そして、

 

 シャルンホルスト自身はと言えば、自分の部屋に引きこもったまま、出てこようとはしなかった。

 

 やはり、ビスマルクを自らの手で葬らなくてはならなかったのがショックだったのだ。

 

 「グラーフ・ツェッペリン」の司令官室に入ると、父であり、第1戦闘群司令官の「ウォルフ・アレイザー中将、そして参謀長の艦娘、シュレスビッヒ・ホルシュタインが待っていた。

 

「無茶をしたものだな」

 

 嘆息交じりの父の言葉。

 

 その声を、エアルは直立不動で聞いている。

 

「言うまでもなく、修理中の艦を、しかも無断で動かすなど、重大な規律違反になる。お前がやった事は、一歩間違えば反逆行為にもとられかねないぞ」

「覚悟の上です」

 

 あの時は、ああするのが最善だったと、エアルは今でも信じている。

 

 あの時、すぐに救援に駆け付けられる艦は「シャルンホルスト」しかいなかったのだ。

 

 結果的に「ビスマルク」を救えなかった事だけが後悔ではあるが。

 

 そんな息子の様子に、嘆息するウォルフ。

 

 やがて、数枚の紙を取り出すと、それを差し出して来た。

 

「それにサインして、明日までに提出しろ。俺からは以上だ」

 

 それだけ言うと、部屋を出て行くウォルフ。

 

 訝りながら、書類に目を通すと、それは「シャルンホルスト」の出撃を命じる、第1戦闘群司令官としての正式な命令書、物資搬入の許可証、ドックの出渠手続きの書類等、どれも「事後承諾」に必要な書類だった。

 

 要するに、「シャルンホルスト」の出撃は、全て第1戦闘群司令官であるウォルフの命令であり、「エアルが独断で出撃した」などと言う事実はこの世に存在しない。と言う事を証明する書類だった。

 

「父に感謝しろよ」

 

 後に残ったシュレスが、どこか笑みを含んだ声で告げた。

 

「シュレスおばさん?」

「あれでも、結構お前の事を心配していたみたいだぞ。どうすれば、お前に累が及ばないようにできるか、とな」

 

 言いながら、シュレスはエアルの肩を叩いた。

 

「うれしかったんだろうさ。自分達は、お世辞にも的確に『ビスマルク』を援護できたとは言えないのに、お前が変わって援護してくれた事が、な」

 

 それだけ言うと、シュレスもまた部屋を出て行くのだった。

 

 1人、残されたエアル。

 

 父が、自分の事をかばってくれた事への、純粋なうれしさはある。

 

 まさか、あの父が。

 

 家族を全く顧みず、軍務と母の復讐に人生を費やして来た父が、このような形で自分をかばってくれるとは。

 

 家族。

 

 そう、あの父ですら、家族の事を僅かなり、思わずにはいられないのだ。

 

 エアルには、ビスマルクが送ってきた、最後のメッセージが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 《イ》《モ》《ウ》《ト》《ヲ》《タ》《ノ》《ム》

 

 

 

 

 

 ビスマルクの妹。

 

 それはすなわち、本国にいる「ティルピッツ」の事を意味している。

 

 最期を迎える時、彼女が最も気にしたのは、彼女の家族の事だった。

 

 ならば、その意志は守らなければならない。

 

 それが、彼女を助ける事が出来なかった、自分達の責任だ。

 

 その想いを、強く心に誓うのだった。

 

 

 

 

 

第43話「ラスト・メッセージ」      終わり

 



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第44話「傲慢なりし赤髭王」

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 怒涛の如き砲撃が、国境線を火焔地獄へと変じる。

 

 慌てふためく敵兵を鋼鉄の悍馬が蹂躙し、精鋭たる兵士達が敵兵士達を次々と打ち倒す。

 

 圧倒的なまでの進軍。

 

 鋼鉄と炎の波を押し留める事は、誰にもできはしなかった。

 

 1941年6月22日。

 

 この日、ドイツ第3帝国総統アドルフ・ヒトラーは突如、独ソ不可侵条約を一方的に破棄。

 

 国境線に集結した陸軍全部隊に対し、一斉攻撃を命じた。

 

 対ソ侵攻作戦発動。

 

 ドイツ軍は雪崩を打って、ソ連領に侵攻を始めた。

 

 後の世に「史上最大の陸戦」と呼ばれる「バルバロッサ作戦」が開始された。

 

 ドイツ軍は部隊を3つに分け、中央軍集団はソ連首都モスクワ攻略を、北方軍集団はバルト海周囲の制海権確保の為、レニングラード攻略を、南方軍集団は兵站確保の為、ウクライナの穀倉地帯制圧を目指した。

 

 ドイツ軍がこの作戦に投入した戦力は、総勢で150個師団300万人。戦車3500両。

 

 この時期、ドイツ軍が投入可能な全戦力がバルバロッサ作戦に参加していると言っても過言ではない。

 

 これは、ヒトラーがいかに、この作戦を重要視しているかが分かる数字だった。

 

 ヒトラーは戦前から、ソ連の人口の大半を占めるスラブ系民族を「不倶戴天の敵」と公言し、いずれは決着を付けなくてはならない相手と言ってはばからなかった。

 

 さらに言えば、広大なソ連領からスラブ民族を追い出し、いずれはゲルマン民族の定住の地とする事を目標にしていた。

 

 ヒトラーからすれば、対ソ開戦は必然の事例であったと言えよう。

 

 対して、ソ連軍の動きは、いっそ奇妙に思えるほどに鈍かった。

 

 ドイツ軍が攻撃を開始した時、それに対応して反撃に転じたソ連軍部隊は皆無だった。

 

 彼等は一切、ドイツ軍の作戦行動を察知できなかったのだ。

 

 おかしな話だがこの時期、ソ連書記長のヨーゼフ・スターリンは、敵であるヒトラーの事を「信頼」しきっていたとしか思えない行動を取っている。

 

 いくら部下がドイツ軍の侵攻について警鐘を鳴らしても聞く耳を持たず、ソ独国境線の防備を強化するべきとの意見にも耳を貸さなかった。

 

 ドイツがソ連に攻撃を仕掛けてくるなどあり得ない。

 

 ドイツとの戦争など、考える必要もない。

 

 ドイツとの信頼関係は完璧だ。

 

 そう言って憚らなかった。

 

 トップがそのような方針である為、当然ながらソ連軍の国境防衛線は、構築すらされる事は無かった。

 

 とある軍司令官などは、観劇の最中に部下からドイツ軍が国境線に集結していると言う報告を齎されたが、「そんな事はあり得ない」と一蹴したうえで、観劇の邪魔だからと部下を追い返してしまった。彼はその後、ドイツ軍に対するスパイ容疑を掛けられて銃殺されている。

 

 その為、ソ連軍はドイツ軍に対する情報収集はおろか、国境守備隊の増強すら行えていない状態だったのだ。

 

 そこへ、ドイツ軍主力が容赦なく叩き付けられたのだ。堪った物ではなかった。

 

 初日の戦闘だけでソ連軍の国境守備隊は壊滅。独ソ国境は、ドイツ側の手に落ちた。

 

 その後、僅か2週間の戦闘で、ソ連軍は65万の将兵と3500機の航空機、大砲12000門と200以上の拠点を失った。

 

 初戦の戦いは、ドイツ軍の圧勝となったのである。

 

 

 

 

 

 なぜ、これ程までに一方的な戦いになったのか。

 

 それはソ連側の初期対応の遅延以外にも、大きな要因があった。

 

 実はこの時期、ソ連軍は内ゲバによって内部崩壊を起こしていると言っても過言ではなかった。

 

 原因は、

 

 彼等のトップたる、書記長ヨーゼフ・スターリンにあった。

 

 独裁者の性格として、猜疑心が強いタイプが稀にいるが、スターリンはその典型的見本だった。

 

 ソ連のトップに立ったスターリンは、自分の地位をわずかでも脅かす存在がいる事に我慢ならなかった。

 

 自分の周囲は1000パーセント、否、1万パーセント安全でないと気が済まなかったのだ。

 

 その為、スターリンは己の政敵となりそうな人物に片っ端から目を付け、その全てを逮捕、粛清していった。

 

 「ボリショイ・テロル」の名で知られるこの大粛清劇はソ連全土に及んだ。

 

 「秩序を保つ為」との名目から密告も奨励され、摘発を受けた人間はその身の白黒も関係なく、裁判無しで処刑される事も珍しくはなかった。

 

 粛清の波は当然、軍部をも飲み込むことになる。

 

 数々の輝かしい功績から「赤軍の至宝」「赤いナポレオン」などと呼ばれた名将トハチェフスキー元帥を初め、多くの将星が言われなき罪で処刑されていった。ただ、スターリン自身の権威を守る為だけに。

 

 大佐以上の階級を持つ人間の内、実に60パーセントが粛清されたと言うから、馬鹿げているとしか言いようがない。

 

 残っているのは一部、スターリンから奇跡的に信任されている者以外は、二線級、三線級の将帥ばかり。

 

 そのような状況である為、バルバロッサ作戦が開始された時、ソ連軍は形ばかりは立派だが、その内実は殆ど形骸化していたのだ。

 

 ヒトラーは開戦に当たり「腐った納屋は、入り口を一蹴りしただけで崩壊するだろう」と言ったが、その表現は、あながち誇張ではなかったと言う訳である。

 

 

 

 

 

 ところで、

 

 快進撃を続けるドイツ軍。

 

 一見すると、バルバロッサ作戦は順調に推移しているようにも見える。

 

 しかし実のところ、そのスケジュールについては、開戦前から既に大きな狂いが生じていた。

 

 そもそも、バルバロッサ作戦は本来、1カ月以上早い5月17日に開始される予定だった。これは、ロシアの厳しい冬が来る前に決着をつけてしまおうと言う思惑があった為である。

 

 しかし、実際の開戦日は6月22日だった。

 

 なぜ、1カ月も遅れたのか。

 

 その事について説明する為には、聊か時を遡らなくてはならない。

 

 1940年9月7日。

 

 時期的にはドーバー海峡を挟み、バトル・オブ・ブリテンが激しく戦われていた頃の事。

 

 ドイツの同盟国たるイタリア王国が突如、英領エジプトへの侵攻を開始した。

 

 イギリスは当時、ドイツ軍に本国を激しく攻められ、植民地の防衛にまで手が回らない状態だった。

 

 その隙に攻め込めば、楽にエジプトを取れるだろう。と言うのがイタリア側の魂胆だった。

 

 イタリア軍はこの戦いに主力軍を投入。その総兵力は23万。

 

 対するイギリス軍は、エジプト軍と合わせても僅か7万。

 

 戦いはイタリア軍の圧倒的勝利に終わるかと思われた。

 

 しかし、自領のリビアからエジプトへ侵攻したイタリア軍は、国境からわずか100キロ進軍したところで停止してしまった。

 

 理由は、イタリア軍は機械化率が低く、広大な砂漠を徒歩での移動が中心だった事。補給が滞った事。装備が貧弱だった事が上げられる。

 

 更に、本来なら北アフリカ戦線に投入されるはずだった戦車1000両を、イタリア首相ベニト・ムッソリーニの命令により、同時期に行われたギリシャ戦線へ勝手に転用される始末。

 

 しかも勝てるならまだしも、そちらの戦線も、優勢なイタリア軍が弱小のギリシャ軍相手に惨敗を喫して撤退を余儀なくされているのだから始末に負えない。

 

 一方のイギリス軍は、数でこそイタリア軍に劣っているものの、装備は最新の重火器や戦車、航空機を投入。補給に関しても、後方拠点である要塞都市トブルクから続々と送られるため、潤沢に備蓄されている状態だった。

 

 イタリアが手を拱いているうちに、イギリス軍は「コンパス作戦」を発動。進軍が停滞しているイタリア軍に対し包囲攻撃を開始した。

 

 この戦いでイタリア軍は1万5000人もの戦死者と10万人以上の捕虜を出して壊滅。呆気なくリビアまで押し返されてしまう。

 

 それどころか、余勢を駆って攻め込んできたイギリス軍に、リビアまで取られそうな勢いだった。

 

 この、イタリアの壊乱振りに憂慮したヒトラーは、仕方なく増援部隊を送り込むことになる。

 

 フランス侵攻作戦で活躍したアルフォンス・ロンメル将軍に3万の兵を預けて「ドイツアフリカ軍団(D  A  K)」を編制。リビアで苦戦するイタリア軍の増援として送り込んだのだ。

 

 リビアに到着したロンメルは、寡兵ながら、あらゆる情報、状況、戦力、地形を駆使して巧みな迂回機動戦術を展開、イギリス軍を翻弄した。

 

 神出鬼没かつ、徹底的な攻撃でイギリス軍に着実に打撃を与えるロンメル。

 

 その様は、まるで狡猾な獣を彷彿させることから、ロンメルは「砂漠の狐」と言う異名で呼ばれ、味方は勿論、敵であるイギリス軍からも賞賛を受けるほどだった。

 

 ロンメルの増援によって、何とか持ち直した北アフリカ戦線。

 

 これを受けヒトラーは、ようやくバルバロッサ作戦の発動準備を命令した。

 

 ヒトラーの命令を受け、まずはルーマニアに侵攻するドイツ軍。

 

 ルーマニアには広大な油田地帯があり、これを制圧する事で、ソ連侵攻時の油を確保しようと考えたのだ。

 

 だがそこで、思いもかけない事態が勃発した。

 

 北アフリカで苦戦中だったはずのイタリア軍が突如、何の前触れもなく隣国ギリシャに本格的な侵攻を開始したのだ。

 

 これにはヒトラーも仰天したほどである。彼もまた、そのような報告は受けていなかったのだ。

 

 なぜ、この時期にイタリアがギリシャに侵攻したのか?

 

 それは、政治的な要因があったからでもなく、戦略的な展望があったからでもない。

 

 理由は、首相ベニト・ムッソリーニの、ヒトラーに対する見栄。要するに「嫉妬」が原因だった。

 

 そもそも「ファシズム」の語源は、元はムッソリーニが率いるファシスト党から来ていた。つまり、かつてヨーロッパ情勢の中心には、間違いなくムッソリーニがいたのだ。

 

 しかし、ヒトラーと、彼に率いられたナチス党、それらを中心としたドイツの躍進によって、イタリアとムッソリーニは完全に脇に追いやられてしまった感がある。

 

 そんな事は許さない。あんなピエロ(ヒトラー)が、自分よりも上に立つなど許さない。目の物を見せてやる。

 

 イタリアは曲がりなりにも大国、列強の一角。対してギリシャは小国に過ぎない。先年はちょっとだけ苦戦したが、こちらが本気を出せば簡単に勝てるだろう、と言う思惑もあった。

 

 と言う訳で、イタリア軍はムッソリーニの命令の下、苦戦中の北アフリカ戦線を明後日の方向に放り出して、主力軍をアルバニアに集結。一気にギリシャ侵攻を開始したわけである。

 

 が、しかし、

 

 が、

 

 しかし、

 

 である。

 

 イタリア軍の侵攻を受けたギリシャ軍は寡兵ながら、特有の複雑な地形を利用したゲリラ戦を用いて果敢に反撃。それに対し、イタリア軍はろくな抵抗も出来ずに、またもや惨敗。アルバニアまで押し返され、逆に攻め込まれてしまう始末。

 

 このままでは本命のバルバロッサ作戦にも支障が出ると判断したヒトラーは、予定を割いてギリシャへドイツ軍の一部を派遣。苦戦しているイタリア軍を支援して、どうにかギリシャ制圧に成功したのだった。

 

 余談となるが、イタリア軍がなぜこれほどまでに弱いのか。

 

 彼等とて、元をたどれば地中海の覇者たるローマ帝国の末裔である。民族的に考えても強くない筈がない。

 

 理由としては、この時期のイタリアが抱えていた国家体制にあった。

 

 この時期、イタリアは「統一国家としてのイタリア」と言う体は成していたが、その内実は国内に多数の勢力がひしめき合い、寄り合い所帯の様相を呈していたのだ。

 

 言ってしまえば、日本における戦国時代のようなものである。

 

 そのような状況である為、いざ外敵との戦いになっても、他の国と違い、一致団結して事に当たろうと言う気概が薄い国だったと言える。

 

 少々長くなったが、バルバロッサ作戦開始が1カ月以上遅れたのは以上のような理由だった。

 

 しかし、

 

 もし、歴史に詳しい人間がいれば、6月22日と言う日付に、不吉な物を覚えた事だろう。

 

 6月22日。

 

 それは1812年、大失敗に終わったナポレオン・ボナパルトのロシア遠征作戦。その作戦開始が発令された日でもある。

 

 その事を知っている人間からすれば、うすら寒い物を感じずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 予定通りに行かなかったのは、作戦その物もである。

 

 当初、ドイツ軍は全戦力を一点に集中投入し、一気にロシアの大地を踏破。ソ連首都モスクワを陥落させると言う、中央突破作戦を計画していた。

 

 これは、厳しいロシアの冬が来る前に敵首都を陥とし決着をつけると言う短期決戦方針を達成するための措置である。

 

 しかし、この作戦は、計画の段階である人物から横やりを入れられることになる。

 

 誰あろう。総統アドルフ・ヒトラー本人である。

 

 ヒトラーは「戦争経済の重視」を説き、バルト海の航路安全確保の為、レニングラードの制圧を、更には肥沃な穀倉地帯を確保し、今後の兵站充実を図る為、ウクライナの制圧を加えるよう、軍部に命じたのだ。

 

 ドイツ軍上層部は反対したが、結局はヒトラーの意見が通る形となり、ドイツ軍は3軍に分かれて進軍する事となった。

 

 とは言え、初戦はドイツ軍の大勝利。

 

 その圧倒的なまでの結果を前に、誰もがヒトラーの先見を称えるのだった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 7月半ばとなり、ドイツ軍は作戦の第2段階を発動する。

 

 夏季総攻撃。

 

 いよいよソ連領の奥地へと侵攻、夏が終わる前に戦争を終わらせる事を目指す。

 

 初戦と変わらず、圧倒的な快進撃を続けるドイツ軍。

 

 対してソ連軍は大粛清による人材不足に加え、初戦の大敗から立ち直る事が出来ず、ろくな防衛ラインの構築すら出来ないありさまだった。

 

 脆弱なソ連軍を、まるで卵の殻のようにひき潰していくドイツ軍。

 

 だが、

 

 この頃から、戦場において奇妙な状況が見られるようになり始めた。

 

 相変わらず、圧倒的な火力でソ連軍を蹂躙するドイツ軍。

 

 しかし、

 

 その進撃速度は、初期に比べて明らかに鈍り始めたのだ。

 

 突撃してくるソ連軍は、相変わらず弱小。それどころか装備すら行き渡っておらず、中には素手で突撃してくる兵士すらいる有様だ。

 

 ドイツ軍からすれば、落ち着いて引き付けたうえで火力を一気に叩きつければ、殲滅も容易ではない。

 

 しかし、

 

 敵の突撃を防ぎ、進路クリア。

 

 指揮官が前進を命令する。

 

 直後に、ソ連軍の第2波が迫ってくる。しかも、第1波と同規模の戦力で。

 

 ドイツ軍は再び足を止め、迎撃を行わざるを得なくなる。

 

 そして第2波を撃破。

 

 前進を命じようとした時には、既に第3波が、その後方からは第4波が迫っている、と言った有様だった。

 

 やがて、銃弾が尽きたドイツ軍は、一時的に後退せざるを得なくなる。

 

 人海戦術。

 

 ソ連軍は、国中の農村から、男と言う男を強制的に引っ張ってくると、補給不足から武器もろくに持たせずに最前線に立たせ、ドイツ軍に向かって無理やり突撃させたのだ。

 

 勿論、そのような状態である為、ソ連軍の士気は恐ろしいほど低く、中には逃亡を企てようとする兵士も少なくはない。

 

 だが、そのように戦線を放棄する者には、背中から容赦なく銃撃が浴びせられた。

 

 ソ連軍は前線部隊の後方に督戦隊を配置し、逃亡する兵士を片っ端から銃殺し前線を維持させたのだ。

 

 これは非道かつ外道のやり口だが、この状況下では同時に最適解の一つでもある。劣勢の軍では、とかく兵士の逃亡が目立つ。そうした逃亡兵が続出すれば軍その物の崩壊にも繋がる。

 

 だからこそ「逃げればこうなる」と言う事を具体的に知らしめるのは非常な有効な手段だった。

 

 ソ連軍がとにかく欲したのは「時間」だった。

 

 現在、後方では粛清を免れた将軍たちを呼び戻して復職させ、軍組織の立て直しが図られている。

 

 態勢を立て直すまでの間、どうにかしてドイツ軍の侵攻を抑える必要があった。

 

 更に、時間を稼ぎ、冬が来れば、寒さに慣れていないドイツ軍はそれだけで進軍を止めざるを得ないのは目に見えていた。

 

 とにかく時間さえ稼げば勝てる。

 

 それがソ連軍将兵の共通認識である。

 

 兵士達も、味方に背中から撃たれるくらいなら、前進して敵兵と戦って死のうと考える者が多かった。

 

 愛する者や祖国を守りたいと言う気持ちは、ドイツ兵もソ連兵も同じだった。

 

 それでも、中央軍集団の進撃はまだ順調だった。

 

 ヨーロッパからモスクワまでの道のりは舗装された道路が多く、中央軍集団は順調に進軍する事が出来たのだ。

 

 しかし、悪路を行かなくてはならない北方軍集団と南方軍集団は、更に進軍が落ちた。

 

 自慢の機甲師団も、悪路に足を取られて進めなくなる有様だった。

 

 そこへ、強力なソ連軍の戦車部隊が砲撃を仕掛け、ドイツ軍の進軍は停滞を余儀なくされた。

 

 ドイツ機甲部隊の戦車と言えば強力と言うイメージがあるかもしれないが、この時期のドイツ軍戦車はⅣ号、Ⅲ号と言った中、小型の戦車が主力となっていた。

 

 より強力なⅤ号パンター、Ⅵ号ティーガーと言った大型戦車が戦線に登場するのは、まだまだ先の話だった。

 

 それでもⅣ号戦車は、まだしも設計に余裕があった為、砲を強力な物に換装するなどの改良が施され、その後もドイツ機甲師団の主力であり続けた。

 

 しかしⅢ号戦車の方はそのような余裕もなく、ここに来て完全に力不足を露呈。この後、急速に戦場から姿を消して行く事になる。

 

 対して、ソ連軍が戦線に投入した中型戦車T―34は、強力な砲火力と装甲を備えている上に、悪路での運用を想定して履帯を幅広く取るなどの設計がされている。劣勢のソ連軍だが、T―34の活躍もあり、しばしばドイツ軍を圧倒した。

 

 これらの状況を受け、ドイツ軍上層部は再度、ヒトラーに上奏する。

 

 この際だから、進撃が遅延している北方と南方の戦線を縮小し、中央軍集団に戦力を集中して一気に突破を図るべきだ、と。

 

 今からでも遅くない。敵の首都さえ落としてしまえば、この戦争はこちらの勝ちだ。いかに地方の敵軍が粘ったとしても意味はないのだから。

 

 諸将がこぞって、中央への戦力集中を具申する。

 

 それら意見を真摯に聞き入るヒトラー。

 

 そして、全ての意見を聞き終えた上で決断を下した。

 

「中央軍集団から、苦戦中の北方軍集団と南方軍集団へ援軍を供出せよ」

 

 諸将が仰天したのは言うまでもないだろう。

 

 北と南を放棄しろと言う皆の意見に対し、ヒトラーは真逆の事を言ったのだ。

 

 これには陸軍上層部全員が反対意見を出し、更には当の援軍を受け取る側である、北方軍集団司令部と南方軍集団司令部からも反対意見が出た程だった。

 

 だが、ヒトラーは諸将の意見を頑として受け入れず、結局援軍は送られる事となった。

 

 その結果、どうなったか?

 

 戦力を引き抜かれた結果、それまで順調に進軍していた中央軍集団まで、進行速度が停滞してしまったのだ。

 

 そのような中、南方軍集団はウクライナ首都キエフへの攻撃を開始する。

 

 ここを陥落させればウクライナ制圧は成ったも同然であり、南方軍集団は戦略目標をほぼ達成。以後は中央軍集団の援護に回る事も期待された。

 

 ソ連軍も、キエフの陥落が重大な事態を招く事は認識している。それ故に主力軍を配置して、籠城戦の構えを見せていた。

 

 ところで、

 

 強固な城砦を攻め落とす際、どのような戦術が有効だろうか?

 

 四方を徹底的に取り囲み、火力に任せて殲滅するか?

 

 敵軍の殲滅や、敵将の捕殺が目的ならそうすべきだろう。

 

 しかし今回、南方軍集団に求められるのは、キエフの速やかな制圧である。

 

 人間心理と言うのは不思議なもので、四方を完全に包囲されると、却って頑強に抵抗しようとするものだ。

 

「逃げられないならば、せめて徹底的に抵抗して一矢報いてやろう」

「どうせ死ぬなら、敵に一泡吹かしてから死んでやろう」

 

 そう考える物である。

 

 あるいはもっと前向きに、「どこかに包囲網のほころびがあり、そこを一点突破すれば、生き延びる道もあるかもしれない」「時間を稼げば味方が援軍に来てくれる可能性もある」と考えるかもしれない。

 

 故に、四方を取り囲めば却って無駄な抵抗を呼び、包囲軍の方が思わぬ損害を被る事も有り得る。

 

 では、どうするか?

 

 一つの手段として、三方向を囲むが、残る一方はわざと包囲網を開けておく、と言う手段がある。

 

 先の話とは逆に、包囲網に穴があれば、守備隊の心理は却って脆くなる。

 

 要するに「ヤバくなったら、あちらから逃げればいい」と思ってしまうのだ。

 

 そしていざ戦闘が始まれば、そこに恐怖心も加わる。

 

 今は包囲網に穴があるが、直にそこも塞がってしまうかもしれない。そうなる前に、脱出した方が良い。

 

 そう考える兵士が次々と戦線を放棄し、結果、守備隊は瓦解してしまうと言う訳だ。

 

 東洋においてもこの戦術は「囲師必闕(いしひっけつ)の策」として伝わっており、日本においては、豊臣秀吉の軍師を務めた竹中半兵衛、黒田官兵衛と言った将帥が用い勝利を収めたと記録に残されている。

 

 ドイツ軍もキエフ攻略に当たり、包囲網を一部解除し、敵軍の退却を誘発しようと考えた。

 

 先を急ぎたい南方軍集団からすれば、敵の野戦部隊殲滅に時間を取られるよりも、一刻も早くウクライナを制圧して中央軍集団に合流したかったのだ。野戦部隊くらい放置しても、後で中央軍集団と合流すればいくらでも殲滅は可能だった。

 

 だが、キエフ攻略を開始しようとした矢先、ベルリンの総統府から南方軍集団に命令が届く。

 

 曰く「キエフの敵を逃してはならん。一兵残らず殲滅せよ」。

 

 南方軍集団は命令の撤回を求めたが聞き入れられず、仕方なく、四方を囲んだうえで総攻撃を開始した。

 

 結果、

 

 南方軍集団は勝利しキエフは陥落。更にはソ連軍最大の野戦部隊も殲滅する事に成功した。

 

 紛う事無き大勝利。

 

 しかし、

 

 南方軍集団はこの戦いで、本来なら温存できるはずだった兵力と物資を大量に消耗、更には貴重な時間も失った事で、中央軍集団との即時の連携は不可能となってしまった。

 

 戦況は相変わらず、ドイツ軍が優勢に進めている。

 

 しかし、

 

 初めから存在した歯車の狂いは、徐々に大きくなり、軋みを上げ始めていた。

 

 更に、北方と南方に援軍を供出した中央軍集団は、ソ連軍の防衛網を予定日までに打ち破る事が出来ず。

 

 ドイツ軍の企図した夏季総攻撃は失敗に終わった。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 1941年も9月。

 

 この頃から、ドイツ軍には明確な焦りが見え始めていた。

 

 当初は夏までにモスクワを陥落させ、ソ連を屈服させる計画で始まったバルバロッサ作戦。

 

 しかし、既に夏は過ぎ去り、秋に入ってしまった。

 

 やがて秋が過ぎれば冬が来る。

 

 かつてナポレオンの大軍をも壊滅に追いやったロシアの冬が、すぐそこまで迫っているのだ。

 

 その前に、何としてもモスクワを落とす必要がある。

 

 ヒトラーは中央軍集団に対し、モスクワ攻略作戦「タイフーン」の発動を命じた。

 

 命令を受け、進撃を開始する中央軍集団。

 

 しかし、

 

 既に作戦開始当初の破竹の勢いは、完全に失われていた。

 

 やはり、北方と南方に援軍を送り、戦力が低下した事は大きかった。

 

 モスクワ攻撃に先立つスモレンスク攻防戦において、中央軍集団は多大な損害を被り、長らく行動不能になっていたほどである。

 

 タイフーン作戦開始時、彼等はまだ、戦力を回復させたとは言い難い状況だった。

 

 更に相次ぐ作戦遅延により、ソ連がモスクワ手前に強固な防衛ラインを形成してしまった事も大きかった。

 

 各戦線で多大な損害を出しながらも、ソ連軍は未だドイツ軍を上回る兵力を保持していたのだ。

 

 ソ連軍はその豊富な兵力を活かして、なりふり構わず徹底的な防衛戦を展開した。

 

 ソ連軍の戦略は初期から一貫していた。

 

 とにかく時間を稼いで、冬が来るのを待つ。

 

 「冬将軍」と呼ばれる程、強烈なロシアの冬が来れば、ドイツ軍を撃退する事が出来るのだ。

 

 一方のドイツ軍も、冬将軍の到来は恐れていた。

 

 だからこそ、ソ連軍の防衛ラインに圧倒的な火力で襲い掛かった。

 

 徐々に、

 

 しかし確実に押し始めるドイツ軍。

 

 このまま行けば、作戦を達成できる。

 

 モスクワさえ落とせば、自分達の勝利となる。

 

 ドイツ軍将兵の誰もが、その想いを胸に戦い続ける。

 

 しかし

 

 その望みは、あまりにも残酷に打ち砕かれた。

 

 1941年11月下旬。

 

 モスクワ近郊でドイツ軍とソ連軍が一進一退の激戦を繰り広げる中、

 

 この年、例年よりも早く雪が降り始めたのだ。

 

 降り始めた雪は折からの強風にあおられて吹雪となり、やがて大豪雪となって襲い掛かってきた。

 

 見る見るうちに気温は下がり、氷点下へ。更に、留まる事無く下がり続ける。

 

 この年の最低気温は、観測史上2番目となるマイナス42度を記録。そのあまりの様相から「紅蓮地獄」とまで称される大寒波だった。

 

 物資も、戦車も、航空機も、装備も、次々と凍っていく。

 

 そして無論、人間も。

 

 夏までにモスクワを陥落させる事を目指していたドイツ軍は、ろくな防寒装備を持っておらず、兵士達はたちまち凍傷に掛かり死んでいく者が続出した。

 

 更に、折からの吹雪で物資輸送も滞りがちになり、最前線はたちまち物資不足に陥った。

 

 対するソ連軍は当然、これあるを予期して防寒装備を充実。物資に関しても、アメリカからの武器貸与に加えて、生産拠点をモスクワ後方に移した事で、潤沢に蓄える事に成功している。

 

 航空機も、野戦飛行場に野ざらしのドイツ軍と違い、しっかりと整備された空港を使用できるソ連空軍は、圧倒的な稼働力でもってルフトバッフェを撃破した。

 

 中央軍集団はそれでも奮闘し、モスクワまであと40キロと言う地点まで迫ったが、そこが限界だった。

 

 事ここに至り、諸将は口を揃えてヒトラーに上奏した。

 

 「バルバロッサ作戦は成功の見込み無し。直ちに撤退するべき」と。

 

 だが、ヒトラーは聞き入れなかった。

 

「全軍、持ち場を死守し、一歩たりとも下がってはならない」

 

 いったい、どうしろと言うのか?

 

 物資は全て凍り付き、補給も無く、兵士達は戦闘ではなく、飢えと寒さでバタバタと死んでいっている。

 

 今や誰の目から見ても、ドイツ軍の戦線維持は不可能。

 

 前線部隊からも、日に何度も撤退の許可を求める通信がもたらされる。

 

 だが、ヒトラーはそれらの通信を無視し、頑として受け入れなかった。

 

 だが、いかにヒトラーが遥か後方のベルリンから叫んだところで、最早どうにもならなかった。

 

 1941年12月中には、中央軍集団と南方軍集団が、

 

 1942年1月には、唯一粘っていた北方軍集団も撤退を開始した。

 

 勿論、これは総統府の命令を待たない、各軍独断による物である。

 

 これに激怒したヒトラー。

 

 ただちに3軍の司令官を更迭すると、自らが全軍の指揮官として直接指揮を執り始めたのだ。

 

 これがいかに、異常な事か、語るまでもないだろう。

 

 ヒトラーは軍事に関しては素人である。

 

 第1次大戦時には軍に所属していたが、それは一兵士として最前線で戦ったのであって、軍を指揮するのに必要な才能があったわけではない。

 

 軍事素人が、最前線に足を運ばず、戦線の実情を見た訳でもなく、ただ安全な後方から好き勝手に口を出すことほど危険な事はない。

 

 だがヒトラーは、己の周りを、自分同様の軍事素人のイエスマンで固め、自らの考えのみを頼りに前線部隊に無理な命令を出し続けた。

 

 結果、

 

 目端の利く指揮官を頂いた部隊は、適当な理由を付けて後退する事に成功したが、ヒトラーの命令を律儀に順守した部隊は、ソ連軍に包囲されて全滅する運命となった。

 

 こうして、バルバロッサ作戦は終結した。

 

 この戦い、ドイツ軍は戦略目標であるソ連打倒ならず敗れ去った。

 

 以後、ヒトラー主導の下、ドイツ国防軍は態勢立て直しに奔走する事になるが、その内実はヒトラーの意志に逆らう事が出来ない、イエスマン集団に成り下がって行くことになる。

 

 一方、勝利したソ連軍だったが、こちらはある意味、ドイツ軍よりも深刻だった。

 

 勝ったとは言え、戦線は終始劣勢であり、損害だけを見れば、ソ連軍はドイツ軍に4倍以上の死傷者を出し、捕虜、戦傷、行方不明者は数十倍にも達する。

 

 開戦前のボリショイテロルと合わせても、態勢を立て直すにはかなりの時間がかかる事は目に見えていた。

 

 だが、

 

 この戦いにおいては、無敵と信じたドイツ軍が喫した初の大敗となる。

 

 それがもたらす意味は、あまりにも大きかった。

 

 

 

 

 

4

 

 

 

 

 

 1941年12月12日。

 

 北の大地で、陸軍が絶望的な戦いを繰り広げている頃。

 

 それよりもはるか西のフランスにおいても戦線が動こうとしていた。

 

 今はドイツ軍が「借用」しているフランス、ブレスト軍港において集結した艦隊。

 

 そのマストには、雄々しく鉄十字が掲げられる。

 

 その旗艦の会議室において、司令官であるウォルフ・アレイザーは、居並ぶ諸将を見渡す。

 

 会議室には参謀長のシュレスビッヒ・ホルシュタインをはじめとした司令部幕僚、更には各艦の艦長や艦娘の姿もある。

 

 無論、ウォルフの息子である、巡洋戦艦「シャルンホルスト」艦長、エアル・アレイザー大佐や、艦娘のシャルンホルストの姿もあった。

 

「諸君」

 

 一同が揃ったのを確認した後、ウォルフが口を開いた。

 

「先日、海軍本部より情報が入った。大規模な艦隊に護衛された敵の輸送船団がポーツマス港を出港しつつあるとの事だ。恐らくは北アフリカ戦線支援の為の物資を満載しているものと思われる」

 

 現在、北アフリカ戦線は、ドイツ・イタリア枢軸軍と、イギリス軍を主力とした連合軍が一進一退の攻防を続けている。

 

 ロンメル将軍の活躍により、枢軸軍が戦線を押し返しつつあるが、それでも予断を許される状況ではなかった。

 

「海軍本部より、第1艦隊の編成命令と、私に対する指揮官の就任命令が届いた」

 

 一同を見回すウォルフ。

 

 その瞳は、かつてないほどに鋭い輝きを放って一同を見る。

 

 そして、言い放った。

 

「あえて言う。この戦いはライン演習作戦の集大成である」

 

 

 

 

 

第44話「傲慢なりし赤髭王」      終わり

 



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第45話「盟友、ついに起つ」

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 北アフリカ戦線の状況は、まさに一進一退の様相を呈していた。

 

 ロンメル将軍率いるドイツ・アフリカ軍団を主力とした枢軸軍は、巧みな戦術を駆使し、砂漠の戦いでイギリス軍を翻弄していた。

 

 一時はイギリス軍の最重要拠点トブルクを包囲するところまで戦線を優位に進めた。

 

 しかし1941年11月、イギリス軍も「クルセイダー作戦」を発動し反撃に出た。

 

 トブルク救援の為、10万の兵力と、戦車700両、航空機600機をもって、枢軸軍に攻撃を仕掛けるイギリス軍。

 

 対して枢軸軍は、兵力では互角だが、戦車と航空機の量はイギリス軍の半分しかなかった。

 

 それでもロンメルは積極的な攻勢を行い、一時は突出してきたイギリス軍を包囲寸前までいったものの、呼応するはずだったイタリア軍が現れずに敗退。

 

 トブルク包囲網を放棄して、後方のエル・アゲイラまで後退し、そこで態勢を立て直す事となる。

 

 一方、トブルク救出に成功したイギリス軍は、余勢を駆って、後退する枢軸軍を追撃する態勢を取る。

 

 守勢に入った枢軸軍と、攻勢をかけるイギリス軍。

 

 しかし枢軸軍も、ドイツ・アフリカ軍団を中心に戦線の立て直しを図っている。

 

 北アフリカ戦線は尚も、予断の許されない状況が続いていた。

 

 そのような状況の中で1941年12月12日。ドイツ海軍は、イギリス本土から大規模な輸送船団が護衛を伴って出港しつつある事を察知した。

 

 輸送船の数だけで30隻以上となる大部隊である。

 

 明らかに北アフリカへの増援と物資を満載していると思われる。

 

 この船団が北アフリカに到着し、現地のイギリス軍が強化されれば、いかに名将ロンメルと言えども抗する事は難しくなる。

 

 事態を憂慮したドイツ海軍は、ブレスト駐留の艦艇を集結させ、第1艦隊を編成。船団攻撃を行うべき出撃させた。

 

 総指揮官は第1戦闘群司令官のウォルフ・アレイザー中将。

 

 以下が、その編成となる。

 

 

 

 

 

〇 ドイツ海軍第1艦隊

巡洋戦艦「シャルンホルスト」(総旗艦)「グナイゼナウ」

航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」

重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」

駆逐艦10隻。

 

 

 

 

 

 巡洋戦艦2隻、航空母艦1隻、重巡洋艦1隻、駆逐艦10隻。

 

 これに、ブレストに駐留していたUボート8隻も、支援戦力として加わる。

 

 現状、ドイツ海軍が出撃させ得る戦力としては最大限の数字と言って良いだろう。

 

 他にも重巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」、装甲艦「ドイッチュラント」「アドミラル・シェア」等がいるが、それらはドイツ本国に帰還してしまっている為、第1艦隊との合流は不可能と判断され、作戦参加は見送られている。

 

 もっとも、

 

 本来ならここにもう1隻、戦艦が加わった筈であることを考えれば、聊かの寂寥感を禁じ得ないが。

 

 しかし、久しぶりとなる大艦隊の出撃に、誰もが高揚感を禁じ得なかった。

 

 今回、ウォルフは自らの将旗を、それまでの「グラーフ・ツェッペリン」ではなく、巡洋戦艦である「シャルンホルスト」へ変更していた。

 

 水上戦闘がメインとなる可能性を考慮しての旗艦変更だった。

 

 ブレストを出航したドイツ海軍第1艦隊は、進路を南西に取って航行している。

 

 ポーツマスを出航したイギリス艦隊が、そのままジブラルタルを目指すとすれば、必ずブルターニュ半島の沖合を通過する。

 

 勿論、もっと大西洋の中央付近を通る航路もあるだろうが、大規模な船団であればあるほど、あまり複雑な航路は取れなくなる。航行距離が長くなれば、様々なトラブルが起こる可能性が高まるからだ。

 

 故にイギリス艦隊は最短ルートを通ってジブラルタルへ向かうはず。と言うのが、ウォルフの読みである。

 

 そこを狙って襲撃を仕掛けるのだ。

 

 ウォルフは艦隊を「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」「プリンツ・オイゲン」を中心とした第1群、「グラーフ・ツェッペリン」を中心とした第2群に分けて航行している。

 

 その第1群の中心に旗艦「シャルンホルスト」がいた。

 

 ライン演習作戦から8カ月。

 

 既に損傷個所の修理は完了している。

 

 被弾して大穴が開いていた艦首部分は完全に塞がれ、新しく装甲が張られている。

 

 不調続きだった機関も、高圧缶に高い技術力を持つフランス人技師が率先して協力してくれた事もあり、過去に見ない程の快調ぶりだった。

 

 ドイツ艦隊の中心となって航行する「シャルンホルスト」。

 

 その防空指揮所に、少女の姿があった。

 

 シャルンホルストは、進路をまっすぐに見据えてたたずんでいる。

 

 吹き付ける海風が、少女の髪とスカートを揺らしていた。

 

 そんな少女の背後から、エアルが近づく。

 

 足音で気付いたのだろう。シャルンホルストは振り返った

 

「まったく・・・・・・」

 

 やれやれと言った感じに、エアルは嘆息しながらシャルンホルストの横に並ぶ。

 

 疲れ切った表情に、潮風が心地よく流れていくのが分かる。

 

「無駄に疲れるね、親が上官で、しかもそれが同じ船に乗っているとなれば」

「アハ、おにーさん、お疲れ様」

 

 苦笑するシャルンホルスト。

 

 ウォルフが旗艦に「シャルンホルスト」を選んだことで、エアルが無駄な気苦労を抱えている事には気付いていた。

 

 無論、ウォルフは艦の運用に対し細かく口出ししてくるタイプではない。どちらかと言えば、大局的な指示を出したのちは、必要以上にしゃべる事の少ない、言わば「下の人間」にとっては、やりやすいタイプの上司であると言えるだろう。

 

 しかし、それでも父親と言うだけで、息子にとっては最大級のプレッシャーとなり得るものなのだ。

 

 たとえるなら、授業参観に親が来るような物だろうか。

 

 ぶっちゃけ、かなり、

 

 いや、マジで、

 

 いるだけでも大迷惑千万極まりなかった。

 

「何で、こっちを旗艦にしたかな。『グナイゼナウ』にすれば良かったのに」

 

 言いながら、「シャルンホルスト」後方を航行している僚艦に思いをはせる。

 

 一応、艦長であり友人でもあるオスカー・バニッシュには相談してみたのだが、

 

 友人からは心温まる声で一言、

 

『がんばれよ』

 

 だった。

 

「あー まあ、ねえ・・・・・・」

 

 エアルの話を聞きながら、シャルンホルストはオスカーと妹の事を考えた。

 

 2人が付き合っている事を、シャルンホルストは知っている。

 

 多分、オスカー達からすれば、第1艦隊司令部に引っ越ししてこられて、自分達のプライベートな時間を削られる事は御免蒙りたいところだろう。

 

 エアルとシャルンホルストからすれば、体よく押し付けられた形である。

 

 そこでふと、シャルンホルストは、気になっていた事を尋ねてみた。

 

「おにーさんは、やっぱり、お父さんの事が嫌いなの?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 それは、以前からシャルンホルストが感じていた事だった。

 

 ウォルフの事が話題に上る度、エアルはいつも苦しそうな表情をしているのを、彼女は知っていた。

 

 家庭を顧みない父。

 

 家族よりも軍務を、もっと言えば母の復讐を優先するウォルフを、エアルは嫌っているのではないか。

 

 ずっと、そんな風に、シャルンホルストは考えていた。

 

 対して、

 

「・・・・・・・・・・・・子供を嫌う親はたくさんいる。その逆もね」

 

 エアルは努めて、平坦な口調で言った。

 

 彼女の思った通り、エアルにとってはお世辞にも、面白い話ではなかった。

 

「そんな事よりさ」

 

 話題を変えるべく振り返った時、エアルは既に、最前まで纏っていた陰鬱な雰囲気を完全に払しょくしていた。

 

 この切り替えの早さは、この青年艦長の魅力だと、巡戦少女は思っていた。

 

「シャルは聞いた、例の話?」

「あの、おにーさん。抽象的すぎて、何の話か分かんないよ」

 

 困り顔で苦笑するシャルンホルスト。

 

 いつになく興奮した調子のエアルに、少し圧倒されていた。

 

 対してエアルは、口元に笑みを浮かべて言った。

 

「太平洋の話だよ」

 

 その言葉で、シャルンホルストはようやく話が頭の中でつながった。

 

 1941年12月8日(現地時間で7日)。

 

 世界中で激震が走った。

 

 ドイツ帝国にとって東の盟邦となる、大日本帝国が、イギリスの同盟国であるアメリカ合衆国に対し宣戦を布告。

 

 空母6隻を主力とする艦隊が、アメリカ太平洋艦隊最大の根拠地、ハワイ・オアフ島、真珠湾に奇襲攻撃を敢行した。

 

 ここに第2次世界大戦の新たなる局面、「太平洋戦争」が勃発した。

 

 この攻撃により、アメリカ海軍は、戦艦5隻、空母1隻を含む多数の艦艇が撃沈、あるいは大破、着底し、事実上壊滅した。

 

 状況的に見れば、イギリス軍が行ったタラント空襲と似ているが、その規模は20倍以上であり、戦果もまた比較にならなかった。

 

 アメリカ太平洋艦隊は、向こう数年はまともに作戦行動がとれないほどの大損害を被っていた。

 

「実はね、シャル。ちょっと面白い話を聞いたんだ」

「面白い話?」

 

 この流れで、何が面白いのだろう、と首をかしげるシャルンホルスト。

 

「実はね、小耳にはさんだんだけど、アメリカの空母『レキシントン』を撃沈したのは、日本の巡洋戦艦だったって話だよ」

「え、それって、ボク達と同じだね」

 

 戦艦で空母を撃沈する。

 

 ノルウェー沖で「シャルンホルスト」も、英空母「グローリアス」を砲撃で撃沈しているが、本来なら簡単にできる事ではない。

 

 それがまさか、日本の巡洋戦艦がやってのけるとは。

 

「それで、おにーさん、その艦の名前とか、分かんないの?」

「うん、確か・・・・・・」

 

 少し考えてから、エアルは手を叩いた。

 

「そう、確か『ヒメカミ』・・・・・・だったかな」

 

 

 

 

 

 一方、

 

 「シャルンホルスト」の司令官公室。

 

 かつて、ラインハルト・マルシャル提督が使用していたその部屋は、今、新たな第1艦隊司令官となったウォルフが使用していた。

 

 その執務机の上には、膨大な量の書類が山積みされている。

 

 Uボートや航空機、果てはイギリスの港に潜入しているスパイからもたらされた、イギリス艦隊の情報が、ウォルフの下へと集められていた。

 

 そんな司令官に、参謀長のシュレスビッヒ・ホルシュタインは、呆れ交じりの言葉を投げる。

 

「お前も趣味が悪いな」

「何がだ?」

 

 書類から顔を上げずに応じるウォルフ。

 

 その間にも、目は書面に書かれた文字を追っている。

 

「何も息子が指揮する艦に将旗を掲げる事もあるまい」

「この艦は、これまでも多くの戦いで危機的状況を乗り越えてきた。それだけ、指揮官と艦娘、乗組員の練度が高い事を意味している。だから選んだ。他意はない」

 

 そっけない言葉のウォルフ。

 

 そんな友の様子に、呆れ気味に肩を竦めるシュレス。

 

 「素直じゃない奴」と言う呟きは意図的に無視して、ウォルフは1枚の書類を取った。

 

「そんな事より、これを見ろ」

 

 ウォルフが差し出した1枚の書類。

 

 その内容に目を通したシュレスは、すぐに笑顔を消してウォルフを見た。

 

「これは・・・・・・・・・・・・」

 

 問題は、敵の護衛戦力。

 

 その一番上に、「NELSON」の名があった。

 

「戦艦『ネルソン』・・・・・・ビッグ7の1隻を出して来たと言うのか」

「それだけ、奴等も余裕がないと言う事だ」

 

 ブレストに第1艦隊が駐留している事は、イギリス海軍も掴んでいただろう。

 

 それに対抗する手段として、戦艦を護衛につけるであろうとは読んでいたが、まさかそれで「ネルソン」を出してくるとは。

 

 最新鋭のキングジョージ5世級戦艦が続々と竣工している現在でも、「ネルソン」はイギリス最強戦艦であり、その攻防性能は侮れない物がある。

 

 対するドイツ海軍は、唯一、対抗可能なはずだった「ビスマルク」を失っている状態である。

 

「どうする、襲撃は取りやめるか?」

 

 相手が「ネルソン」では、シャルンホルスト級巡洋戦艦での対抗は難しい。今回は見送り、次の機会を待つと言うのも、一つの選択肢ではある。

 

 だが、

 

「まさか」

 

 ウォルフは不敵な笑みを浮かべて、シュレスに応じた。

 

 その脳内では、既に対「ネルソン」用のプランが、稼働し始めていた。

 

「俺達は大きなチャンスを与えられたに等しい。ここで『ネルソン』を叩く事が出来れば、以後の戦局に大きな影響を残す事が出来る。うまく行けば、『ビスマルク』を失った穴を、埋め得るのも不可能ではない」

 

 その言葉を聞きシュレスは、ウォルフが退く気がない事を悟る。

 

 ビッグ7の1隻相手に、本気でけんかを売るつもりなのだ。

 

「作戦を練り直すぞ。確実に奴を仕留めるために」

 

 そう言うと、ウォルフは鋭い眼差しを、シュレスに向けるのだった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 ドイツ艦隊が、南下するイギリス艦隊を補足したのは、その翌日の事だった。

 

 先行してポーツマス南方海上に展開していた潜水艦U81が、進路を南にとって航行する多数のイギリス艦を確認。

 

 進路、規模から考えて、間違いなくジブラルタルへ向かう輸送船団と思われた。

 

 U81からの報告を受け、ウォルフは「グラーフ・ツェッペリン」から偵察機を発艦。

 

 持ち帰った偵察写真には、ホワイトエンサインとユニオンジャックを掲げ、南に向かって航行する船団の姿が映っていた。

 

 時間が経つにつれて、イギリス艦隊の陣容も、徐々に明らかとなった。

 

 イギリス海軍もまた、いくつかの集団に分かれて航行している。

 

 その陣容は、

 

 

 

 

 

〇イギリス海軍フォース1(主隊)

戦艦「ネルソン」(総旗艦)

重巡洋艦「ヨーク」

駆逐艦9隻。

 

〇イギリス海軍フォース2(警戒隊)

重巡洋艦「ノーフォーク」(旗艦)

軽巡洋艦「サウサンプトン」「ニューカッスル」

 

〇イギリス海軍フォース3(航空支援部隊)

航空母艦「アークロイヤル」(旗艦)

駆逐艦4隻

 

〇イギリス海軍直接護衛部隊

駆逐艦10隻

コルベット4隻

輸送船32隻

 

 

 

 

 

 

 戦艦1隻、航空母艦1隻、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦19隻。コルベット4隻

 

 指揮は本国艦隊司令官ジャン・トーヴィ大将が直接執る。

 

 総戦力ではドイツ海軍を上回るイギリス艦隊。特にビッグ7の「ネルソン」が戦列に加わっているのは大きいだろう。

 

 とは言え、こちらも戦力的に余裕があるとは言い難い。

 

 相次ぐ敗北によって大型艦の数が不足しているのだ。

 

 今回トーヴィは、ドイツ艦隊出現の可能性を考え、少なくとも戦艦2隻の出撃を希望した。

 

 しかし、本国防衛の観点から許可が下りなかった。

 

 現在、イギリス海軍は深刻な戦艦不足に陥りつつあったのだ。

 

 これまでのドイツ海軍との戦いで「ロドネイ」「クイーン・エリザベス」「マレーヤ」「フッド」「ロイヤル・オーク」「リヴェンジ」「ラミリーズ」を失った。

 

 更にここに来て、つい先日、2隻の戦艦を一挙に失う事となった。

 

 1941年12月8日。

 

 ドイツ帝国にとっての東の盟友、大日本帝国がアメリカ合衆国の真珠湾を攻撃し太平洋戦争が会戦した。

 

 だが、その数日後、更なる激震がイギリスを襲う事になる。

 

 日本の行動を危険視していたイギリス政府は、海軍の反対を押し切る形で、戦艦2隻を中心とした艦隊を東洋艦隊に配備した。

 

 1隻はレナウン級巡洋戦艦の「レパルス」。そしてもう1隻は、「ビスマルク」との戦いの傷も癒え、完全に戦力化した最新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」だった。

 

 日本軍の宣戦布告を受け、彼等の侵略を阻止すべく、2隻のイギリス戦艦は勇躍出撃した。

 

 しかし、「プリンス・オブ・ウェールズ」も「レパルス」も、日本軍の集中攻撃を受け、あえなくマレー沖で撃沈されてしまう。

 

 しかもこのマレー沖海戦において、日本海軍は一切艦隊を繰り出す事無く、基地航空隊による反復攻撃だけでイギリス海軍が誇る最新鋭戦艦を撃沈してしまった。

 

 これまでも、タラント空襲や真珠湾攻撃など戦艦が航空機に撃沈された例はあったが、それらは全て港に停泊中の所に攻撃を受けた、言わば「寝込みを襲われた」に等しい状況であった。

 

 しかし今回、初めて「洋上作戦行動中の戦艦を、航空攻撃のみで撃沈」した事になる。

 

 時代が変わる。

 

 これまで戦艦の巨砲と、水雷戦隊による雷撃こそが海戦の主流と考えられてきた。

 

 しかし、航空機でも戦艦が撃沈可能と分かった。しかも航空機は戦艦よりも安価であり、短時間で纏まった戦力を整える事ができる。加えて、洋上でしか行動できない戦艦と違い、航空機は拠点さえ確保できれば、内陸部にも展開できる。汎用性は比べるべくも無かった。

 

 真珠湾攻撃とマレー沖海戦の結果により、世界中の軍はより一層、航空機の発展と、その戦術の向上に尽力していくことになる。

 

 一方、「世界で初めて航空機に戦艦を撃沈された国」となったイギリス側の恥辱は、計り知れないものがあった。しかも、沈められたのは最新鋭戦艦の「プリンス・オブ・ウェールズ」である。これまで沈められてきた旧式戦艦とは比べ物にならない。

 

 そのような事情もあり、イギリスの戦艦不足は深刻化しつつあるのだった。

 

 今回の「ネルソン」出撃についても、難色を示されたほどである。

 

 だがトーヴィは、ブレストに潜んでいるシャルンホルスト級巡洋戦艦の存在を解き、「ネルソン」の出撃を軍令部から取り付けた。

 

 欲を言えば、もう1隻くらい戦艦が欲しい所であった。そうすれば、数の上ではイギリス海軍とドイツ海軍は互角となり、後は「ネルソン」の火力で圧し切れたのだが。

 

 しかし、流石にそこまでは、軍令部も認めなかった為、やむなくトーヴィは、「ネルソン」に将旗を掲げて出撃したのである。

 

 情報参謀が持ってきた報告の電文を一読すると、トーヴィは表情を顰める。

 

「やはり、出て来たか」

 

 電文は、空母「アークロイヤル」を発した偵察機によってもたらされた情報だった。

 

 ブレストを出航したドイツ艦隊が、まっすぐに船団に向かって接近している、との事だった。

 

「ネルソン、相手は『シャルンホルスト』と『グナイゼナウ』だぞ」

「ああ、分かっている」

 

 トーヴィの言葉に、ネルソンは緊張した面持ちで頷きを返す。

 

 ドイツ海軍のシャルンホルスト級巡洋戦艦2隻は、ネルソンにとって恨み連なる相手である。

 

 忘れもしない、海戦初期のノルウェー沖海戦。

 

 この戦い、ネルソンは直前にUボートの攻撃を受け、その修理の為に出撃できなかった。

 

 代わりに妹のロドネイが出撃したが、ドイツ海軍との戦いに敗れて沈没してしまった。

 

 妹が死んだ事については、軍人である以上は仕方ないと思っている部分はある。

 

 しかし、それで全てが割り切れる訳ではない。

 

 今回の相手は、ノルウェー沖海戦でドイツ海軍の主力を務めた「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」だ。

 

 「シャルンホルスト」とは、先の第2次ブレスト沖海戦(ビスマルク追撃戦)でも戦ったが、あの時、「ネルソン」は弾薬切れで後退せざるを得なかった。

 

 だが、今回は違う。

 

 今回は「ネルソン」も万全の状態で戦いに臨んでいる。

 

 ならば、自分達が負けるはずがなかった。

 

 更に、トーヴィは勝利を確実な物とする為、

 

「警戒隊に連絡し、合流するように伝えろ。『アークロイヤル』には、こちらに対する航空支援を命じろ。船団は避退させる」

 

 戦艦の数では劣るイギリス艦隊だが、警戒隊と合流できれば重巡1隻、軽巡2隻が戦力として加わる事になる。一方のドイツ艦隊の巡洋艦は「プリンツ・オイゲン」1隻である事は判っている。砲戦になれば数で圧倒できるはずだった。

 

 「アークロイヤル」は今回、「グラーフ・ツェッペリン」の存在を警戒したトーヴィの命令により、多数の戦闘機を搭載してきている。

 

 ニューファンランド島沖海戦で、ドイツ海軍が航空機と水上艦の連携でR部隊を壊滅に追いやった戦訓を忘れてはいなかった。

 

 命令は実行され、主隊は「ネルソン」を先頭に「ヨーク」が後続する形で単縦陣が組まれる。

 

 駆逐隊は2隊に分かれ、「ネルソン」の左右につく。万が一、敵のUボートが攻撃を仕掛けて来た時の措置だ。

 

 一方、前方を航行していた警戒隊は、主隊と合流するために反転、主隊との合流を急ぐ。

 

 陣容の完成を急ぐイギリス艦隊。

 

 ドイツ艦隊の接触前に、何としても迎撃態勢を整えるのだ。

 

 その間に、輸送船団は残りの護衛を伴って南へと避退させる。

 

 これで、主隊がドイツ艦隊を防いでいるうちに、船団は距離を稼げるはずだった。

 

 接近するドイツ艦隊。

 

 それを迎撃すべく、イギリス艦隊もまた、急速に態勢を整えつつあった。

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 ドイツ海軍第1艦隊と、イギリス本国艦隊がブルターニュ半島西方海上で激突したのは、翌払暁の事だった。

 

 ドイツ艦隊司令官のウォルフ・アレイザーは、旗艦「シャルンホルスト」を先頭に、「グナイゼナウ」「プリンツ・オイゲン」の順で単縦陣を組み、東から決戦海域に進入。

 

 対するイギリス本国艦隊は、同じく西から侵入する。

 

 警戒隊と合流したトーヴィは、主隊を「ネルソン」単艦で編成し、「ヨーク」は合流した警戒隊に預けた。

 

 「ネルソン」の速力は23ノットと低速である為、一緒に行動しては「ヨーク」の戦力を阻害してしまうと判断しての措置である。

 

 互いに艦首を向けた状態で距離を詰める、両艦隊。

 

 第3次ブレスト沖海戦の名で呼ばれる事になる戦いの始まりだった。

 

「どうする? T字で行くか? こちらの方が速力は早いから、暫くは優位に立てるぞ」

「いや」

 

 シュレスの進言に対し、ウォルフは首を振る。

 

 T字、とはT字戦法の事で 正式には丁字(ていじ)戦法、あるいはトウゴウ・ターンと言う。

 

 日露戦争における日本連合艦隊とロシア・バルチック艦隊が戦った日本海海戦において、当時の日本海軍連合艦隊司令長官、東郷平八郎が行った敵前大回頭。これに成功すると、味方艦隊は全艦隊の全砲門を使用できるのに対し、敵艦隊は先頭艦の前部砲塔しか射撃できなくなる。

 

 図らずもデンマーク海峡海戦において、「ビスマルク」が「フッド」「プリンス・オブ・ウェールズ」に対し、似たような陣形になったのは記憶に新しいだろう。

 

「向こうは『ネルソン』だ、主砲が前部に集中しているから、T字を描いても意味が薄くなる。それよりも、予定通りの作戦で行こう」

 

 砲塔集中配備の利点は、こういうところにも出る。ネルソン級にT字戦法は通用しないのだ。

 

 だからこそ、取るべき作戦は考えてあった。

 

「連絡は?」

「既にしてある。しかし、向こうも事情があるからな。返信は無しだ」

 

 シュレスの報告に、ウォルフは頷く。

 

「構わん。彼等の仕事を信じよう」

 

 そう言うと、前方に向き直る。

 

 穏やかな波浪の彼方から、特徴的なシルエットを持つ英戦艦が近づいてくるのが見える。

 

 独特な英国城砦を思わせる重厚な艦橋は、ビッグ7と言う存在も相まって、見る者を圧倒していた。

 

 その姿を真っ向から見据え、

 

 ウォルフは右手を高く掲げた。

 

「主砲、左砲戦用意ッ 目標、敵戦艦『ネルソン』!!」

 

 前部2基6門の54口径28.3センチ砲を左へと旋回させる「シャルンホルスト」。

 

 後続する「グナイゼナウ」「プリンツ・オイゲン」も、同様に砲撃体制を取りつつある。

 

 やがて、

 

 射程距離に入る。

 

 次の瞬間、

 

「撃ち方始め!!」

 

 鋭く右手を振り下ろした。

 

 

 

 

 

第45話「盟友、ついに起つ」      終わり

 




本編の方のヒロインである、オリジナル巡戦の「姫神」。そのスペックを乗せておきます。

姫神型巡洋戦艦スペック

基準排水量3万1000トン
全長240メートル
全幅30メートル
最高速度35ノット(公試運転時36ノット)

武装
50口径30センチ砲4連装2基8門
60口径15.5センチ砲3連装3基9門(片舷6斉射)
65口径10センチ高角砲連装8基16門
25ミリ機銃3連装機銃8基24丁
同連装6基12丁

同型艦「姫神」「黒姫」

備考
日本海軍が建造した巡洋戦艦。単独での通商破壊戦を主眼としており、新型機関を搭載する事で、高速、長航続力の両立に成功している。主砲の威力は主力戦艦群に比べると大幅に劣るが、そもそも昼間戦闘における戦艦との交戦は想定していない為、これで充分と言う見方が強い。「姫神」「黒姫」の2隻で、第11戦隊を形成している。

艦娘

姫神(ひめかみ)
14歳(外見)
艦娘

備考
巡洋戦艦「姫神」艦娘。戦艦の中では幼い外見をしており、下手をすると駆逐艦に間違われるくらい体は華奢で小さい。髪型は肩口までで切り、後頭部だけ伸ばしてポニーテールにしている。性格は物静か、というよりも寡黙で取っ付きにくく、他人と積極的に関わろうとしない。

黒姫(くろひめ)
14歳(外見)
艦娘

備考
巡洋戦艦「黒姫」の艦娘。姫神の妹。体付きは姉同様、華奢で小柄。髪型は太もも付近まで達する長さの物を、三つ編みにしている。姉とは逆に、好奇心旺盛で積極的な性格。面倒見の良さも兼ね備えており、人付き合いの悪い姫神の事を、いつも心配している。


「ドイッチュラント」は本来なら「リュッツォウ」に改名されているはずですが、本作では「ドイッチュラント」のままで行きます。


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第46話「大洋の決闘者たち」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2つの艦隊が、それぞれ東と西から全速力で接近する。

 

 東側にはドイツ海軍第1艦隊。指揮官は第1戦闘群司令官ウォルフ・アレイザー中将。

 

 西側にはイギリス海軍本国艦隊。指揮は司令官のジャン・トーヴィ大将が直接行う。

 

 ドイツ艦隊の目的は、ジブラルタルを経由して北アフリカ戦線に向かう輸送船団の捕捉、撃滅。

 

 イギリス艦隊の目的は当然、その阻止となる。

 

 互いに持てる主砲にて決着をつけるべく、決戦海面へと急行する。

 

 ドイツ艦隊司令官のウォルフは、巡洋戦艦2隻、重巡洋艦1隻から成る主隊を正面に置き、駆逐艦8隻を主隊の陰に隠す形で追随させている。シャルンホルスト級の速射性が高い主砲で敵を攪乱しつつ、タイミングを見て、駆逐艦を突撃させようとしているのは明白だった。

 

 一方、イギリス艦隊司令官ジャン・トーヴィは、旗艦「ネルソン」を中心にして、重巡洋艦部隊を遊撃できるように独立行動させている。駆逐隊は2隊に分け、艦隊の両サイドを固めている。万が一、Uボートの襲撃があった際の備えだ。

 

 互いに全速力で距離を詰める独英両艦隊。

 

 ドイツ艦隊は主砲を全て左舷に向け、照準を定める。

 

 距離は2万5000まで迫った。

 

 次の瞬間、

 

「撃ち方始め!!」

 

 「シャルンホルスト」艦橋で、エアルが叫んだ。

 

 同時に、A、B、C各砲塔1門ずつ、合計3発の砲弾が発射される。

 

 やや遅れて「グナイゼナウ」が3発。「プリンツ・オイゲン」から4発の砲弾が放たれる。

 

 ややあって、「ネルソン」の周囲に、水柱が次々と立ち上るのが見えた。

 

「命中弾無しッ」

「だろうね」

 

 見張り員からの報告に、エアルは冷静に返す。

 

 瀑布の中から、突き破る様に「ネルソン」が姿を現す。

 

 初弾から命中弾を期待できるとは思ってはいなかった。

 

 それに、

 

「無理をする必要はない」

 

 司令官席に座ったウォルフから、エアルへ指示が飛ぶ。

 

「敵を引き付ける事に専念しろ。今はな」

「了解」

 

 元より、ビッグ7相手に正面戦闘で勝てるとは思っていない。

 

 その間にも、「シャルンホルスト」は主砲を放つ。

 

 対抗するように、水柱の林を抜けた「ネルソン」の前部甲板で、閃光が弾ける。

 

 イギリス艦隊も、射撃を開始したのだ。

 

 暫くして、「シャルンホルスト」周囲に、巨大な水柱が立ち上るのが見えた。

 

 命中弾はない。

 

 至近弾すらない。

 

 まだ、弾着は遠い。

 

 にも拘らず、すさまじい衝撃波が「シャルンホルスト」を襲った。

 

「キャァッ!?」

 

 思わずシャルンホルストが悲鳴を上げるほどの衝撃。

 

 恐るべきは、世界最強の40センチ砲の威力。

 

 戦間期、世界中の海軍の王者を誇った7隻の戦艦。

 

 ビッグ7。

 

 妹の「ロドネイ」をノルウェー沖に失いながらも、その威容はいささかも衰えてはいなかった。

 

 下手をすると、衝撃波だけでこちらを撃沈できそうな、そんな予感さえしてしまう。

 

 しかし、

 

「大丈夫ッ」

 

 エアルは崩れそうになるシャルンホルストの華奢な体を支える。

 

「速度を緩めないでッ こっちが全速で走っている限り、敵の攻撃だってそう簡単には当たらないから」

「う、うんッ」

 

 エアルの言葉に、頷きを返すシャルンホルスト。

 

 可憐な瞳はまっすぐに自分の艦長を見つめる。

 

 その瞳に移る、全幅の信頼。

 

 この人となら戦える。

 

 この人と一緒にいれば負けはしない。

 

 たとえ相手が、世界最強の存在だったとしても。

 

 そう、シャルンホルストは心の中で強く思う。

 

 主砲発射の指示を出しながら、エアルは腕時計を見やる。

 

「・・・・・・予定時間まで、あと15分」

 

 それまで、どうにかして耐える必要があった。

 

 その間にも28.3センチ砲を撃ち放つ、「シャルンホルスト」。

 

 後続する「グナイゼナウ」「プリンツ・オイゲン」も砲撃を行う。

 

 まだ、命中弾はない。

 

 このまま、作戦開始時間まで粘る事が出来るか?

 

 そう思った。

 

 次の瞬間、

 

 独特の風切り音が、急速に迫ってきた。

 

「敵弾接近ッ 近い!!」

 

 絶叫が響いた瞬間、

 

 「シャルンホルスト」を取り囲むように、巨大な水柱が立ち上った。

 

 襲い来る衝撃。

 

 立ち上る、強烈な水流。

 

 これまでにないほど、基準排水量3万トンの巡洋戦艦は揺さぶられる。

 

 その様子に、エアルは思わず舌打ちした。

 

「敵弾、本艦を挟叉しました!!」

 

 悲鳴に近い、見張り員の報告。

 

 自分が徐々に追い込まれつつあると言う状況は、お世辞にも気分が良い物ではなかった。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 イギリス艦隊旗艦「ネルソン」からも、砲弾が「シャルンホルスト」を挟叉するのが見えていた。

 

 優美な外見のドイツ巡戦を、巨大な水柱が包囲する。

 

 命中弾はない。

 

 しかし、砲撃の結果は、トーヴィ達を満足させるのに十分な物だった。

 

「よし、挟叉だッ」

「畳みかけるぞ!!」

 

 笑みを浮かべるネルソンとトーヴィ。

 

 挟叉したと言う事は、現在の「ネルソン」の照準がほぼ正確である事を示している。

 

 一方のドイツ艦隊は、未だに「ネルソン」に対して有効弾を得られていない。

 

 これで、イギリス艦隊が1点リードしたに等しい。

 

「やはり、作戦通りだな」

 

 彼方で「シャルンホルスト」が主砲を撃つ様子を眺めながら、トーヴィは自分の作戦が間違っていなかったことを確信した。

 

 トーヴィ達は、自分達の強みが何なのか、正確に理解していた。

 

 それは、艦隊運用における圧倒的な習熟度。

 

 イギリス海軍は第1次大戦後も、鎬を削る列強各国の中において、海軍力強化に邁進。その中でも常にトップクラスの海軍国であり続けた。

 

 四方を海に囲まれたイギリスにとって、海路の防衛は死活問題に直結する。

 

 故にこそ、艦隊運用のノウハウは蓄積されている。

 

 第1次大戦後、長らくまともな水上艦隊を持たなかったドイツとは、文字通り年季が違うのだ。

 

 今回、トーヴィ達が執った戦法はごくシンプル。

 

 すなわち「徹底した艦隊戦」。

 

 当たり前のことを言う、と思うかもしれないが、これが最もドイツ海軍に有効であると結論付けられた。

 

「下手な小細工は、却って敵に付け入るスキを与える事になりかねん」

 

 トーヴィは自信ありげな口調で言い放つ。

 

「これまでドイツ海軍は、我が軍と戦う時に必ず機動力を重視した作戦で来ている。ならば、こちらはどっしりと構え、迎え撃つのが得策だ」

 

 ラプラタ沖でも、ノルウェー沖でも、テムズ沖でも、ニューファンランド沖でも、全てがそうだった。

 

 イギリス艦。特に戦艦は低速な艦が多い。その為、高速艦揃いのドイツ艦隊に機動力に翻弄され、陣形をボロボロにされた挙句に各個撃破されている。

 

 それらの戦いをつぶさに研究し、トーヴィが導き出した答えがこれだった。

 

 すなわち、「小細工など不要。全てを力でもって正面から叩き潰す」

 

 まさに正攻法。

 

 これぞ王道。

 

 仮にドイツ海軍が機動戦を仕掛けてきたとしても、それには応じる事無くどっしりと構えて対応すれば勝てる。

 

 ヨーロッパ最強海軍として取るべき、最上にして最強の手段であると信じていた。

 

 その時だった。

 

「敵艦隊、面舵転舵ッ 本艦より遠ざかります!!」

 

 見張り員からの報告を聞き、双眼鏡を取る。

 

 確かに、

 

 ドイツ艦隊は「シャルンホルスト」を先頭に、右へと旋回しイギリス艦隊と距離を取る進路となっている。

 

 「ネルソン」が直前に放った砲撃は、転舵を計算に入れていなかった為、目標となった「シャルンホルスト」の左舷海面を叩くにとどまった。

 

 本来なら、ここで追撃を仕掛けて徹底的にドイツ艦隊を叩くところではあるが。

 

 しかし、

 

「追うな。陣形を維持しつつ距離を保て」

 

 トーヴィは冷静に命じる。

 

 敵が逃げるなら、無理に追う必要はない。

 

 どのみち、輸送船団さえ守り切ればイギリス側の勝ちなのだ。

 

 下手に追って陣形を乱し、ドツボにはまるよりは、当初の計画通り陣形を維持する事に専念した方が良いと判断されたのだ。

 

 速力を落とすイギリス艦隊。

 

 その視界の先で、背を向けたドイツ艦隊が急速に遠ざかっていった。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 速力を落とすイギリス艦隊の様子は、ドイツ艦隊旗艦「シャルンホルスト」からも確認できた。

 

 その様子を見て、シャルンホルストが身を乗り出す。

 

「おにーさんッ あれッ 敵の動きが止まったよ!!」

「うん、予定通りだ」

 

 頷きつつも、エアルは少し呆れ気味に嘆息する。

 

 まさか、

 

 まさか、ここまでこっちの思惑通りに進むとは。

 

 チラッと、司令官席に座るウォルフに目を向ける。

 

 父はと言えば、当然だと言わんばかりに泰然としているのに対し、その傍らのシュレスは苦笑して肩を竦めていた。

 

「我々がイギリス艦隊に勝っているのは機動力だけだ。敵もその事は判っているだろうし、敵の指揮官が優秀なら、今までの戦いから、我々が機動戦を仕掛けて来るであろう事は読んでいただろう」

 

 ウォルフは淡々とした口調で語る。

 

 その間にも「ネルソン」からの砲撃が続くが、距離が開いた事で、弾着はかなり遠くなっている。

 

「敵がこちらの動きを読んで対応するなら、こちらは更にその裏をかけばいい。戦術の基本だ」

 

 言いながら、ウォルフはエアルを見やる。

 

「お前も今後、指揮官として大成していくつもりがあるなら、こうした読み合いも学ばねばならんぞ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 父の言葉に、エアルは答えず、視線を「ネルソン」に向ける。

 

 その横顔を、覗き込むシャルンホルスト。

 

「おにーさん?」

 

 心配そうに声を掛ける巡戦少女に、エアルはそっと笑いかける。

 

 女の子に心配をかけてしまうのは、男として聊か情けない。

 

 少し強がりでも、ここは笑って見せるべきところだった。

 

 その時、

 

「ウォルフ、作戦海面に入ったぞ」

「よし」

 

 シュレスの言葉に、ウォルフは立ち上がる。

 

 舞台は整った。

 

 後は一気に仕掛けるのみ。

 

「全軍に通達ッ これより、敵艦隊を殲滅する!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドイツ艦隊が反転した時点で、トーヴィを含むイギリス艦隊首脳陣は自分達の勝利を確信していた。

 

 ドイツ艦隊の機動力は確かに脅威だが、要はそれに応じなければいい。

 

 輸送船団から離れず、どっしりと構えていれば敵は何もできないのだから。

 

 仮に艦隊を迂回して輸送船団を突こうとしても、その行動には時間がかかる。ドイツ艦隊が回り込む前に、イギリス艦隊は余裕で態勢を再構築できる。

 

 詰み(チェックメイト)だ。

 

 誰もが、そう思っていた。

 

 その報告が舞い込むまでは。

 

「対空レーダーに感ッ 数、約10ッ!! まっすぐこちらに向かってきます!!」

「何ッ!?」

 

 その報告に、トーヴィは思わずうなり声を上げた。

 

 敵が空母を伴っているのは分かっていたし、それをどこかのタイミングで使ってくるであろう事は予想していた。

 

 しかし彼はドイツ軍指揮官が、空母を輸送船団攻撃に振り向けて来るだろうと考えていた。

 

 水上艦隊で「ネルソン」以下の主力を引き付け、その間に航空機の機動性を活かして船団を攻撃する。戦術として理にかなっている。

 

 過去にも同様の戦術をドイツ艦隊は取っており、機動性に優れる彼等の常套手段でもあった。

 

 だからこそ、主力艦隊を船団から離れ過ぎない位置に配置し、更に空母「アークロイヤル」は船団の直接護衛に回した。

 

 「アークロイヤル」は今回、対艦用の装備は殆ど持ってきておらず、艦載機も戦闘機と、後はUボートの襲撃に備えて対潜攻撃用のソードフィッシュを少数乗せているのみ。対艦攻撃用の魚雷や爆弾は持ってきていない。

 

 船団護衛が主任務なら、それが最適であると判断してトーヴィが命じた。

 

 だが、

 

 読み違えた。

 

 ここに来て、トーヴィはドイツ艦隊司令官であるウォルフの考えを理解した。

 

 敵の狙いは輸送船団じゃない。

 

 ドイツ艦隊の、

 

 ウォルフの狙いは、

 

主力艦隊(こっち)の殲滅かッ!?」

 

 叫ぶと同時に、

 

 上空に展開したドイツ空軍のスツーカ隊が、攻撃態勢に入る。

 

 グスタフ・レーベンス大尉率いる急降下爆撃隊は、ジェリコの喇叭を響かせながら急降下。

 

 搭載してきた爆弾を、次々と投下する。

 

「対空戦闘!!」

 

 トーヴィが命じるが、立ち上がりを制された事もあり、イギリス艦隊の動きは鈍い。

 

 その間に、スツーカ隊の攻撃が次々と襲ってきた。

 

 彼等の狙いは今回、大型艦ではない。

 

 その周囲に展開している駆逐艦部隊だった。

 

 駆逐艦は小型で俊敏であり、艦砲で捉えるのは難しい。

 

 しかし、航空機ならば話は別だ。

 

 まして、「グラーフ・ツェッペリン」航空隊のパイロット達は、ベルリン作戦や、第1次、第2次ブレスト沖海戦で経験を積んだベテラン部隊である。

 

 陣形維持にこだわり、持ち前の機動力を低下させた駆逐艦を捉えるのは、さほど難しい事ではなかった。

 

 たちまち、海上に爆炎が踊る。

 

 単発機でありながら、爆弾搭載量が比較的多いスツーカの攻撃は、装甲皆無な駆逐艦には脅威となる。

 

 次々と命中弾を浴びて海上に停止する艦が続出する。

 

 勿論、命令を無視して回避行動を取り、どうにか攻撃を回避する事に成功した艦もある。

 

 しかし、それでも半分以上の艦が、スツーカからの命中弾を浴びる結果となってしまった。

 

 最終的にスツーカ隊が攻撃を終えて去った時、イギリス海軍は2隻の駆逐艦が沈没。4隻が損傷し、戦闘不能に陥った。

 

 臍を噛む、トーヴィ。

 

 敵がまさか、主力隊を狙ってくるとは。

 

 これでは「敵の機動戦を封じて、艦隊戦に持ち込み殲滅する」と言う、トーヴィの作戦が完全に裏目に出た形だった。

 

 ここは一旦退き、輸送船団と合流するか?

 

 船団の護衛戦力と糾合できれば、まだ十分に戦う事が出来るはず。

 

 幸い、ドイツ艦隊はイギリス艦隊から遠ざかるコースを取っている。今なら、敵に捕捉される前に、退避できるかもしれなかった。

 

「取り舵反転180度!!」

 

 敵に背を向ける事への屈辱感はある。

 

 しかし、護衛隊と合流できれば、まだ勝機はある。

 

 明日の勝利の為に、今日1歩下がる事は、決して不名誉な事ではない。

 

 だが、

 

 トーヴィは気付いていなかった。

 

 敵将ウォルフの執念深さを。

 

 彼がイギリス艦隊殲滅の為に、周到に今回の作戦をくみ上げて来た事を。

 

 そして、自分達がウォルフによって、この場所に誘導されていた事にも。

 

「左舷、雷跡多数接近!!」

「右舷からも来ます!!」

 

 その報告に、

 

 トーヴィは、青くなると同時に、血が出るほどに歯噛みする。

 

 何が来たのかは、すぐにわかった。

 

 Uボートだ。

 

 自分達が作戦展開する足元に、Uボートが伏せられていたのだ。

 

 敵は、

 

 ウォルフは、初めからこれを狙っていたのだ。

 

 水上艦隊でイギリス軍主力を引き付け、Uボートが展開している海面におびき寄せ、水上艦隊、潜水艦隊、航空部隊で3次元的に包囲して殲滅する。

 

 潜水艦戦術に長けたドイツ海軍だからこそできる見事なまでの連携。

 

 次の瞬間、

 

 左右から放たれた魚雷が、次々とイギリス艦隊を襲った。

 

 こうなると最早、どちらに回避しても魚雷を避ける事は出来ない。

 

 まず、直撃を受けたのは重巡洋艦の「ヨーク」だった。

 

 回避行動を取ろうと転舵したところ、左舷中央付近に魚雷が命中する。

 

 ボイラーを直撃され、艦のスピードがみるみる落ちたところに、更に1本、今度は艦首付近に命中して、そこを丸ごと引きちぎってしまった。

 

 軽巡洋艦の「サウサンプトン」は、艦尾に1発が命中し舵と推進軸を一気に吹き飛ばされ、その場に停止してしまった。

 

 幸い、速力が急激に低下した事で魚雷の射線から外れ、それ以上は直撃を受ける事は無かった。

 

 しかし、舵と推進軸を同時に破壊され、戦場のど真ん中で停止した艦の運命など、もはや語るまでも無い事だった。

 

 旗艦「ネルソン」も右舷に魚雷1発が命中。

 

 ただし、幸いにして艦中央の装甲で防ぎ留め、浸水も最小限にとどまっている。

 

 しかし、

 

「やられたな」

 

 自身の脇腹を抑えながら、ネルソンは険しい表情で呟く。

 

 魚雷ダメージがフィードバックしているのだ。

 

 対して、

 

 そんなネルソンをチラッと見て、トーヴィは肩を落とした。

 

「・・・・・・・・・・・・すまん、ネルソン」

 

 艦隊戦力で劣るドイツ軍が、まともな艦隊戦に応じるはずはないと言う点に関しては、トーヴィの判断は正しかった。

 

 しかし、まさか航空部隊と潜水艦隊の戦力を集中してくるところまでは読めなかった。

 

 最前まで、戦いを優勢に進めていたイギリス艦隊が、今や逆に追い込まれている。

 

 この状況を覆す事は、今や不可能に近い。

 

 既に状況は絶望的と言っても過言ではなかった。

 

 だが、

 

「辛気臭い顔をするなッ」

「うぐッ!?」

 

 いきなり背中を思いっきり叩かれ、思わず吹きそうになるトーヴィ。

 

 顔を上げれば、ネルソンが満面の笑みを浮かべて見つめてきていた。

 

「戦いはこれからじゃないか。我等、ロイヤルネイヴィーは、いついかなる時であっても、戦いを投げ出したりはしない。そうだろう?」

「ネルソン・・・・・・・・・・・・」

 

 そうだ。

 

 その通りだ。

 

 見敵必戦。

 

 不退転。

 

 敵がいかに強大であろうとも、自分達は決して引き下がらない。

 

 倒れる時は、常に前に倒れるのみ。

 

 それが、キャプテン・フランシス・ドレイク以来、イギリス海軍が守る続けてきた誇りでありあり方だ。

 

 その時、

 

「ドイツ艦隊反転ッ こちらに向かってきます!!」

 

 見張り員の絶叫。

 

 意図を探るまでも無い。

 

 敵はこちらにとどめを刺す気なのだ。

 

 スツーカ隊とUボート艦隊の攻撃によって、既にイギリス艦隊の隊列はボロボロ。そこへ、水上砲戦で決するつもりなのだろう。

 

 報告を聞いて、ネルソンは笑みを浮かべる。

 

「さあ、最後の花道を、敵が用意してくれたぞ。行こうじゃないか」

「ああ」

 

 頷くトーヴィ。

 

 眦を上げて、向かってくるドイツ艦隊を睨み据える。

 

「主砲、左砲戦用意ッ!!」

「『ノーフォーク』『ニューカッスル』に打電、《我ニ続ケ》!!」

 

 残された戦力を全て糾合しても、イギリス艦隊はドイツ第1艦隊には及ばない。

 

 この戦いは負ける。

 

 それでもせめて、船団が安全圏に逃げるまでの時間は稼いで見せる。

 

 その想いと共に、艦隊を前へと押し出す。

 

 視界の彼方で、閃光が瞬くのが見えた。

 

 ドイツ艦隊が、砲撃を開始したのだ。

 

 たちまち、イギリス艦隊を多数の水柱が取り囲む。

 

 その瀑布がもたらす飛沫を真っ向から浴びながら、

 

 しかしトーヴィは、怯む事無く命じる。

 

「怯むなッ こちらも撃ち返せ!!」

 

 声も高らかに叫ぶ提督。

 

 その姿は、聊かも恐れる事無く、堂々と立ち続ける。

 

「我等英国海軍の底力、ドイツ海軍に見せつけてやるのだ!!」

 

 

 

 

 

 砲撃を開始するイギリス艦隊。

 

 その発射炎は「シャルンホルスト」艦橋からも確認する事が出来た。

 

「撃ってきたッ」

 

 声を上げるシャルンホルスト。

 

 「ネルソン」が、続けて「ノーフォーク」と「ニューカッスル」も射撃を開始したのが見えた。

 

 生き残った駆逐艦も、隊列を組み直して向かってくるのが見えた。

 

「大したものだね」

 

 双眼鏡を下ろしながら、エアルは呟いた。

 

 既に艦隊は半壊、旗艦「ネルソン」も損傷していると言うのに、退く事無く向かってくる。

 

 それは大英帝国海軍としての誇りか、あるいは、今尚、7つの海を支配する矜持か。

 

 いずれにしても、同じ海軍軍人として尊敬は禁じ得ない。

 

 だからこそ、勝つ。

 

 そのような敵だからこそ、戦って勝つ意義がある。

 

「目標、敵戦艦『ネルソン』ッ 照準完了次第撃て!!」

 

 エアルの命令を受け、

 

 「シャルンホルスト」は9門の28.3センチ砲を撃ち放つ。

 

 後続の「グナイゼナウ」「プリンツ・オイゲン」も砲撃。

 

 視界の先で、水柱に囲まれる「ネルソン」。

 

 否、

 

 複数の爆炎が、独特なシルエットの英戦艦上に立ち上るのが見えた。

 

「敵艦に直撃弾ッ 火災発生の模様!!」

 

 見張り員の歓喜交じりの声。

 

 見れば「ネルソン」の艦中央と艦尾付近から、火災が発生しているのが見えた。

 

「よし、このまま押し切る!!」

 

 エアルの声と共に、「シャルンホルスト」は、再び主砲を撃ち放った。

 

 

 

 

 

 次々に飛来する砲弾が、艦体を破壊していくのが分かる。

 

 重量300キロの砲弾は、1発食らった程度では致命傷にはなりえない。

 

 しかし、何しろ発射速度が速い。

 

 「ネルソン」が1発撃っている間に、「シャルンホルスト」は2発。「ネルソン」が2発撃っている間に「シャルンホルスト」は4発は撃てる。

 

 しかも、相手は2隻。砲撃量は4倍近い。

 

 射撃量が多ければ、それだけ射撃データも修正しやすく、早く命中弾を得られるのも道理である。

 

 対して「ネルソン」の砲撃は、殆ど命中しない。目標とした「シャルンホルスト」から、離れた海面を叩くばかりだった。

 

 先のUボートの雷撃を食らい、浸水によって感が傾斜した結果トリムが狂い、正確な照準が出来なくなってしまったのだ。

 

 現在、トリムの狂いを計算に入れ直して照準を修正している。

 

 しかし、その間にもドイツ艦隊からの砲撃が襲ってくる。

 

「左舷、2番副砲損傷!!」

「後部機銃群、全滅!!」

「後部艦橋、通信途絶!!」

「艦首区画に命中弾ッ 浸水発生!!」

 

 次々ともたらされる悲報。

 

 「ネルソン」全体が炎に包まれ、浸水によってさらに速力が低下し始めている。

 

 更に1発。

 

 強烈な衝撃が襲い掛かる。

 

 「グナイゼナウ」の放った28.3センチ砲弾が、艦橋基部付近を直撃したのだ。

 

 砲弾が軽かったこともあり、装甲が砲弾を弾き返したが、かなりの衝撃が艦橋を襲った。

 

 幕僚達が皆、なぎ倒される。

 

 そんな中で、

 

 トーヴィとネルソンだけは、直立で立ち続けていた。

 

「・・・・・・・・・・・・ここまでだな」

 

 どこかさばさばした口調でネルソンが言った。

 

「速力は、既に10ノットも出ていない。これ以上の交戦は不可能だ」

 

 まだ自慢の40センチ砲9門は健在である。戦おうと思えば、戦えない事はない。

 

 しかし、速力が低下した「ネルソン」は、敵の格好の的である。

 

 それに、「ネルソン」に合わせて動いていいては、後続する「ノーフォーク」と「ニューカッスル」も巻き添えで沈みかねない。

 

 詰み(チェックメイト)

 

 先ほど、敵に対して使った言葉を、今度は自分達に使わざるを得なかった。

 

「・・・・・・・・・・・・そうか」

 

 ネルソンの言葉を聞き、

 

 トーヴィは静かに頷きを返すとマイクを取り、全艦に通信を繋げるように指示を出した。

 

 人事は尽くした。

 

 あらゆる手も打った。

 

 それでも尚、敵に及ばなかったのなら、それは最早諦めるしかないだろう。

 

 後は、自分達の稼いだ時間で、船団が逃げ切ってくれることを祈るのみ。

 

「全艦に通達ッ!!」

 

 張りのある声で、トーヴィは命じる。

 

 その様は、死を目前とした敗将の物ではない。

 

 まさにこれから、大敵を相手に戦いを挑まんとする、堂々とした姿であった。

 

「直ちに現海域を離脱ッ 輸送船団と合流し、以後の任務を全うせよッ」

 

 言い放ってから、最後にもう一言告げる。

 

「殿は、本艦が引き受ける!!」

 

 言い終えてから、マイクを置くトーヴィ。

 

 そして振り返ると、ネルソンと目を合わせた。

 

「さて、行くとするか」

「ああ」

 

 頷きあう2人。

 

 そこへ、ドイツ艦隊からの砲弾が多数、飛来する。

 

 立ち上る水柱。

 

 何発かは甲板に命中し爆炎が踊った。

 

 だが、問題はない。

 

 「ネルソン」をビッグ7足らしめている9門の40センチ砲は健在。

 

 ならばまだまだ、戦う事が出来る。

 

「『ノーフォーク』『ニューカッスル』、離脱します!!」

「駆逐隊、全艦離脱します!!」

 

 その報告に、頷きを返すトーヴィ。

 

 これで良い。

 

 これで、心置きなく戦えると言う物だ。

 

「目標、敵巡洋戦艦『シャルンホルスト』。準備出来次第、撃ち方始め!!」

 

 

 

 

 

 彼方で、「ネルソン」が主砲を撃つのが見えた。

 

 40センチ砲が放つ、巨大な発射炎は、距離が縮まって更に巨大に見える。

 

「まだ、諦めてないのッ!?」

「いや」

 

 驚くシャルンホルストの言葉に、エアルは首を振ると双眼鏡を覗きこむ。

 

 その視界の中で、「ネルソン」以外の艦が離脱していく様子が見て取れた。

 

「自分が囮になって、味方を逃がすつもりだ」

 

 ここまでするか。

 

 自分を犠牲にしても、生き残った味方と輸送船団を守る。

 

 ドイツ艦隊は、この一戦に戦力を集中している。「ネルソン」撃破に時間を取られれば、肝心の輸送船団を逃がしてしまう可能性もあった。

 

 しかし、尚も健在な主砲で抵抗を続ける「ネルソン」の存在は、ドイツ艦隊にとって脅威以外の何物でもない。

 

 つまり、どうあっても立ち塞がる「ネルソン」を撃破しないと、その先には行けないと言う事だ。

 

「・・・・・・・・・・・・良いだろう」

「おにーさん?」

 

 シャルンホルストが怪訝な顔で見詰める中、エアルは不敵な笑みを浮かべて帽子を被り直す。

 

 正直、戦いが始まる前まで、エアルは「ネルソン」を、ただ「ビスマルク」の仇として、憎しみの感情だけを持っていた。

 

 しかし今は違う。

 

 我が身を犠牲にしても味方を助けようとする敵将と敵艦娘の心意気には、大いに感じ入る物があった。

 

「あいつを沈めよう、シャル」

「うん、分かった。任せて、おにーさんッ」

 

 頷きあう2人。

 

 その間にも、ドイツ艦隊の砲撃は「ネルソン」に撃ち込まれる。

 

 その身に爆炎を躍らせる、イギリス最強戦艦。

 

 その身を紅蓮に染め上げながらも、尚も抵抗をやめない。

 

 しかし、

 

 魚雷命中に加えて、ドイツ艦隊からの集中攻撃を受け、照準装置は狂っている。

 

 放つ主砲は、全て明後日の方向に砲弾を飛ばす事しかできない。

 

 対して、ドイツ艦隊は正確な砲撃で、徐々に「ネルソン」を追い詰める。

 

 その様は正に、半年前、イギリス艦隊が「ビスマルク」に対して行った集中射撃の意趣返しに近かった。

 

 やがて、

 

 限界を迎えた「ネルソン」は、最後の全主砲を一斉発射した後、完全に沈黙した。

 

 

 

 

 

 艦橋の床に座り込んだトーヴィ。

 

 その隣には、ネルソンも並んで座っていた。

 

 艦の傾斜に伴い、艦橋もまた傾いていた。

 

 既に主砲は完全に沈黙。各所で上がった火災は、消火が不可能な規模に拡大していた。

 

 総員退艦が命じられた「ネルソン」。

 

 艦橋に残っているのは、2人だけだった。

 

「まあ、よくやった方だと思うぞ、我ながら」

「自分で言うかね」

 

 トーヴィの物言いに、ネルソンは苦笑する。

 

 もっとも、よくやったと思っているのは、彼女も同じなのだが。

 

 ただ、今回は敵将の方が一枚上手だった。それだけの話である。

 

「この戦争は、これからどうなるのかねえ?」

「さあな。ドイツのソ連侵攻は頓挫したが、未だにドイツ軍の戦力は強大だ。それに比べて、連合軍もソ連軍も、未だに反攻作戦を行えるだけの戦力は整っていない。予断は許されん。・・・・・・だがな」

「だが?」

 

 怪訝な面持ちのネルソンに、トーヴィは告げる。

 

「最後に勝つのは、我々だ。そう、心から思っているよ」

「それは・・・・・・そうだな」

 

 後悔があるとすれば、その勝利の瞬間に自分達が立ち会えない事か。

 

 しかし、それも最早、どうでも良い事だった。

 

「まあ、何はともあれ、お疲れさん」

「ああ、そっちも」

 

 笑って拳を打ち付け合う2人。

 

 やがて、

 

 とどめを刺すように、多数の砲弾が「ネルソン」に打ち付けられた。

 

 

 

 

 

 視界の先では、炎を上げて海上に停止したイギリス戦艦が浮かんでいる。

 

 とは言え、それは最早「戦艦」としての体を成しておらず、よく言って「海上に浮かぶ炎の塊」だった。

 

 しかし、それでも尚、海上に姿をとどめる姿は、大英帝国海軍の、そしてビッグ7としての誇りを体現しているかのようだ。

 

 見事。

 

 まったくもって、見事としか言いようがない。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 エアルは自然と襟を正すと、

 

 踵を揃え、燃え盛る英戦艦に向かって敬礼した。

 

「おにーさん・・・・・・・・・・・・」

 

 怪訝な面持ちで見詰めて来たシャルンホルストだが、エアルの意図を察すると、少女も習って敬礼する。

 

 見れば、「シャルンホルスト」、

 

 否、

 

 ドイツ艦隊の全艦において、手隙の乗組員たちが、「ネルソン」に向かって敬礼していた。

 

 散り行く海の勇者に、最上級の敬意を。

 

 それは敵であっても変わりはしなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・行くぞ」

 

 ややあって、口を開いたのはウォルフだった。

 

「俺達にはまだ、やるべきことがある」

「・・・・・・ああ」

 

 頷きを返すエアル。

 

 そう、

 

 戦いは、まだ終わっていない。

 

 最後の仕上げが、待っていた。

 

 

 

 

 

 その後、

 

 イギリス本国艦隊を撃破したドイツ海軍第1艦隊は、当初の予定通り、輸送船団襲撃を決行した。

 

 水上艦艇に加えて、潜水艦隊、更に「グラーフ・ツェッペリン」の航空隊も加えた追撃戦は、約4日に渡って行われ、最終的に軽巡「ニューカッスル」と、輸送船18隻を撃沈する事に成功。

 

 第3次ブレスト沖海戦は、ドイツ海軍の勝利で終わった。

 

 主力艦隊に加えて、多数の輸送船、そして北アフリカ戦線支援の為の物資も大量に失ったイギリス軍。

 

 前線の物資不足に伴い、北アフリカに展開したイギリス軍の攻撃は徐々に勢いを失っていく。

 

 5月に入り、ガザラに展開した枢軸軍に攻撃を仕掛けるイギリス軍。

 

 ここで枢軸軍を撃破し、一気に北アフリカ戦線の勝敗を決してしまおうと言う算段である。

 

 手持ちの物資を大量投入して、攻勢を仕掛けるイギリス軍。

 

 しかし、それは、ドイツ・アフリカ軍団司令官であるロンメルが仕掛けた、巧妙な罠だった。

 

 第1次トブルク攻防戦で敗れたロンメルだったが、部隊をまとめ、敢えて後退する事で、イギリス軍の攻勢を誘発する。

 

 誘い出されたイギリス軍を引き付けるだけ引き付けて、一気に反攻に転じたのだ。

 

 更にロンメルは、狡猾だった。

 

 ガザラ近郊まで攻め込んだイギリス軍が、正面に砂塵を上げながら向かってくる敵の大部隊を発見すると一斉攻撃を開始した。

 

 両軍、一進一退の攻防を続けながらも、徐々にイギリス軍が押し始める。

 

 こうして、間もなく戦線突破に成功するかと思われた時、

 

 突如、イギリス軍の戦線は、横合いから強烈な急襲を食らった。

 

 枢軸軍の真の主力部隊である、ドイツ・アフリカ軍団の総攻撃である。

 

 敵は自分達の正面にいると思い込んでいたイギリス軍は、完全に虚を突かれた。

 

 ロンメルは同盟軍であるイタリア軍にわざと派手に動いて砂塵を起こさせ、イギリス軍の注意を引き付けておいてから、戦線が伸び切ったタイミングで、自身が直卒する主力部隊に総攻撃を命じたのだ。

 

 この予期し得ない奇襲に、イギリス軍の戦線はひとたまりもなく崩壊。

 

 戦線は一気に押し戻された。

 

 這う這うの体で敗走するイギリス軍。

 

 一方、ついにイギリス軍を撃破したロンメルは、余勢を駆って進撃。

 

 そして、6月にはついに、要衝トブルクが陥落。

 

 北アフリカ戦線における、枢軸軍優位は、決定的な物となったのだった。

 

 

 

 

 

第46話「大洋の決闘者たち」      終わり

 



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第47話「本国への道」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界の先で、背を向けた女が軍服を整えている。

 

 先ほどまでの激しい情事を思わせる事無く、毅然とした態度はいささかも崩れる事はない。

 

 立場が上である自分の方が、思わず圧倒されてしまうほどだった。

 

 女は騎士だった。

 

 たとえ負けても、心まで屈する事無く、

 

 今なお、敵である自分と戦い続けているのだ。

 

 その証拠に、服を着ている間も、振り返ることなく、自分とは目を合わせない。

 

 たとえ体を許しても、心まで許す気はない。

 

 むしろ、体などいくら汚されても、心を犯す事は出来ない。

 

 そう言っているかのようだ。

 

 しかし、

 

 男は総身から沸き立つ愉悦に浸っていた。

 

 どう足掻いたところで、女が自分に勝てないのは明白。

 

 それ以前に、勝負はとっくについているのだ。

 

 彼女の祖国が、自分の国に負けると言う形で。

 

 口元に張り付いた笑みを隠そうともせず、彼女に話しかける。

 

 どうだ、お前にその気があるなら、俺の女にしてやるぞ。

 

 勿論、お前だけじゃない。

 

 他の女たちも、悪いようにはしない。全員、この国での暮らしが立つように計らってやる。

 

 悪い話ではない筈だ。

 

 どれだけ格好つけたところで、女は敗残兵の捕虜。

 

 自分は勝者で権力者だ。

 

 粋がったところで、女は自分にはかなわないのだ。

 

 たった今、このベッドの上で自分に抵抗も出来ずに組み敷かれて抱かれ、泣きながら嬌声を上げていたのが何よりの証拠。

 

 この国で、自分に逆らって得をする事など、何一つとしてない。

 

 むしろ、自分に従った方が、あらゆる意味で好都合だろう。

 

 女は国に夫と子供がいるらしいが、そんな事は知った事じゃない。どうせもう、会う事は無いのだから。

 

 自分は、この女に何でもしてやれる。

 

 ほしい物を何でも買い与え、贅沢な暮らしをさせてやれる。

 

 女にとって、これ以上の幸せは無いはずだ。

 

 「次期国王」の自分には、その権限があるのだから。

 

 まあ、もっとも、断るなら、それはそれで一向にかまわない。その時は他の女ともども、目の前の女を奴隷の身分に落とし、一生飼い殺して慰み者にしてやるまで。

 

 どっちにしても、女は自分の物になる。

 

 その運命は変えようがない。

 

 だが、

 

 女は軍服を整えると、ベッドから立ち上がった。

 

 そして振り返る。

 

 その瞳は、哀れみと蔑みがないまぜになった、濁った光を放つ。

 

 そう、

 

 文字通り、ゴミを見る目で自分を見ていた。

 

 「次期国王」の自分を。

 

「私は、絶対にあなたの物にならない」

 

 発せられた声は、聞いた事も無いほど冷ややかだった。

 

「あなたはこれから、手に入らない物に絶望して生きていけばいい」

 

 そう言うと、踵を返す女。

 

 そのまま、足を止めずに入口へと向かう。

 

 制止も聞かず、ただ一言。

 

「さよなら」

 

 そう告げると、女は部屋から出て行った。

 

 鼻で笑う。

 

 何とも強がりな女だ。

 

 まあ良いだろう。ああやって強がっていられるのも今の内だ。

 

 どう足掻いたところで、あの女の運命は自分の掌の中。逃げる事は出来ないのだから。

 

 女が自分に跪き「どうかあなたの女にしてください」と、泣いてすがってくる日を夢想して、愉悦に浸るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スカパ・フロー軍港に抑留されていたドイツ艦隊が一斉に自沈したと言う報告がもたらされたのは、その翌日の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フレデリックは目を覚ました。

 

 全身を覆うような倦怠感。

 

 ひどく、気分が悪い。

 

 理由は、分かっている。

 

 さっきまで見ていた、あの夢が原因だ。

 

 かつて、

 

 フレデリックがまだ、皇太子の身分であった頃の話。

 

 望めば全ての物を手に入れて来た自分が、過去に唯一、手に入れそこなった物。

 

 恐らくは、自分の人生の中で最高ともいえる女が、彼女だった。

 

 敵国の捕虜であり、艦娘だった女を、フレデリックは権力をかさに着て手籠めにした。

 

 国には夫と3人の子供がいると言う。

 

 しかしだからこそ、フレデリックは女に夢中になった。

 

 初めは抵抗した女。

 

 しかし、結局、女は自分に従わざるを得なかった。

 

 女が従わないなら、捕虜にした他の艦娘に相手をさせると脅してやったのだ。

 

 屈辱に歪む女の顔は、今でも忘れられない。

 

 この女は落ちる。

 

 自分の物になる。

 

 そう確信していた。

 

 女が強がって捨て台詞を吐いていったが、そんな物はあっさりと聞き流していた。

 

 せいぜい吠えるだけ吠えていろ。女が泣いてすがってきたら、その時は散々に慰み者にしてやる。

 

 そう、余裕に思っていた。

 

 だが、

 

 女の言葉が強がりではなかった事を知ったのは、その翌日の事だった。

 

 スカパフロー軍港で抑留中のドイツ艦隊が一斉自沈。

 

 その中に、彼女もいた。

 

 フレデリックは女の言葉通り、手に入れたくても、一生手に入らない物を抱えてしまったのだ。

 

 以来、あの出来事は、フレデリックの中でトラウマとなって生き続けていた。

 

 なぜ、このような夢を見るようになったのか。

 

 理由は分かっている。

 

 ドイツ戦艦「ビスマルク」。

 

 あの壮絶な最期がトリガーとなり、フレデリックに過去の記憶を思い起こさせているのだ。

 

「全く・・・・・・ドイツの女は強情だ」

 

 嘆息した時だった。

 

「失礼します、陛下。間も無く、ご起床の時間となります」

「判った、暫し待て」

 

 廊下からの呼び声に対して苛立ち交じりに応えると、寝台から起き上がる。

 

 彼女の事は手に入れる事が出来なかった。

 

 だが、彼女がいた国を手に入れる。

 

 それが叶えば、あるいはこのトラウマも少しは薄れる事になるかもしれない。

 

 その為に、ドイツは潰す。

 

 ありとあらゆる手段を使って。

 

「あの世とやらがあるなら見ているが良い。お前の国が、我が足元で蹂躙されるのを」

 

 記憶の中で佇む女に語り掛ける。

 

「デアフリンガー・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウォルフ・アレイザーは、旗艦「シャルンホルスト」の会議室において、居並ぶ幕僚たちを見ながら情報参謀が読み上げる報告書に耳を傾けていた。

 

 傍らには、参謀長のシュレス。

 

 更には息子であり、旗艦艦長でもあるエアル・アレイザー大佐や、「グナイゼナウ」艦長のオスカー・バニッシュ大佐。その他、各艦の艦長と艦娘たちが集まっていた。の姿もあった。

 

 第1艦隊の上級将校と艦娘たちが集まっている状態だった。

 

 会議の議題は、艦隊の今後の方針について。

 

 その前段階として、現在は状況の説明を行って居るところだった。

 

 入ってくる情報は主に、陸の戦況についての物が多数を占めていた。

 

 陸軍の戦いだから、海軍の自分達には関係ない、などと言う事は無い。

 

 先の第3次ブレスト沖海戦のように、海戦の結果が間接的に陸軍の戦況に影響する事は多々ある。

 

 陸の戦局は、一進一退の様相を見せ始めていた。

 

 バルバロッサ作戦の失敗により、ソ連領からの撤退を余儀なくされたドイツ軍。

 

 これを全面的な潰走と取ったソ連上層部は、赤軍各部隊に追撃命令を下した。

 

 これを機に、ドイツ軍に少しでも打撃を与えておこうと言う思惑である。

 

 逃げるドイツ軍に対し、全面的な攻勢を出るソ連軍。

 

 しかし、彼等の認識は間違っていた。

 

 確かにドイツ軍敗れ、モスクワ近郊から敗走した。

 

 しかし、

 

 敗れはしたが、ドイツ軍は壊滅した訳ではない。それどころか生き残った部隊をまとめ、整然と隊列を組み、陣形を整えていた。

 

 むしろ、ソ連軍が笠に着て追撃してくるのを、彼等は待っていたのである。

 

 猛威を振るった冬将軍も、その圏内から出てしまえば勢力は弱まるのは必然。

 

 補給も到着し、万全の体制を整えたドイツ軍

 

 そこへ、ソ連軍は不用意に攻撃を仕掛けてしまった。

 

 結果、

 

 ドイツ軍が行った圧倒的な火力集中を前に、ソ連軍前線は壊乱状態に陥り、這う這うの体で逃げ帰る羽目になってしまったのだ。

 

 大敗を喫したとは言えドイツ陸軍は今尚、ヨーロッパ最強の存在である。ドイツ軍との戦いで多大な犠牲を出した上、内ゲバ的粛清で内部組織がガタガタなソ連軍に勝てる通りは無かった。

 

 一方、南の戦線は膠着していた。

 

 まだこの時期、イギリス軍のクルセイダー作戦により、北アフリカ戦線での枢軸軍は苦境に立たされていた。

 

 元々、戦力的劣勢は否めない事もあり、勢力を盛り返したイギリス軍相手に、枢軸軍は防戦一方に追い込まれつつある。

 

 ロンメルの機略で、トブルク奪取に成功するのはまだ数カ月先の話である。

 

 だが、イギリス軍も苦しい状況だった。

 

 枢軸軍を押し返す事には成功したものの、補給線は伸び切り、更には先日の第3次ブレスト沖海戦で大規模輸送船団が壊滅。

 

 イギリス軍の最前線は物資不足から、早期の攻勢が取れなくなっていた。

 

 双方とも、決め手に欠く睨み合いが続く中、

 

 奇妙な静穏が、ヨーロッパ一帯を支配していた。

 

「以上です」

 

 情報参謀は説明を終えると、ウォルフに対して一礼して着席した。

 

 陸の戦況は膠着状態。

 

 しかし、海の方はと言えば、変わらず劣勢と言って良い状態だった。

 

 第3次ブレスト沖海戦において、ドイツ海軍第1艦隊に敗れたイギリス本国艦隊は、その後、本土周辺において戦力を集中し守りを固める体制を整えていた。

 

 その戦力は、ドイツ海軍全体の4倍近い戦力にまで膨れ上がっている。

 

 数度にわたる勝利。

 

 それも、「完勝」と言っても過言ではない勝利を重ねて尚、埋まる事のなく、むしろ引き離されてさえ行く戦力差。

 

 それ程までに、ドイツ海軍とイギリス海軍の間には、絶望的な差があった。

 

「世界第2位の名は、伊達ではないと言う事か」

「せめて、Z計画が完遂されていたら・・・・・・」

 

 口々に愚痴めいた言葉が、幕僚たちから漏れ出る。

 

 負けても取り返しがつくイギリス海軍と、常に勝ち続けなければならないドイツ海軍。

 

 まるで泥濘の中でもがいているかのような徒労感に、誰もが疲労を感じ始めていた。

 

「無い物をねだっても仕方がないだろう」

 

 幕僚たちの言葉を遮るようにして、ウォルフは発言した。

 

「元々、我が国の主敵はソ連だ。ならば、予算が陸軍の増強に行くのは自然の事。一方を強化するのに、一方が割を食う。これは仕方のない事だ。我々に求められるのは、今ある戦力を活用する事のみ」

「それに、本国には『ティルピッツ』もいるし、グラーフ・ツェッペリン級空母の2番艦や、最新鋭の巡洋艦も完成している。それらと合流できれば、まだまだ戦えるはずだ」

 

 シュレスが、ウォルフの言葉を引き継ぐようにして言った。

 

 それでも、戦力が足りないのは分かっている。

 

 いくら新型艦を増強したところで、イギリスはその数倍の速さで増強してくるのだ。戦力差は埋められる物ではなかった。

 

 しかも、問題はそれだけではない。

 

「アメリカの存在もあります」

 

 その言葉に、居並ぶ全員が険しい顔を作った。

 

 無尽蔵ともいえるな資源と、強大な工業力アメリカの参戦により、イギリスの兵站は事実上、無限になったと言っても過言ではない。

 

 これから、独英の海上戦力差は、ますます開く一方だろう。

 

 今までは、さまざまな奇策や戦術を駆使して、どうにかイギリス軍に勝利してきたドイツ海軍だったが、今後は、そうはいかない。

 

 このまま行けば、圧倒的な戦力差の前に、押しつぶされるのは目に見えていた。

 

「だからこそ今、我々は生き残らなくてはならない」

 

 ウォルフは一同を見回していった。

 

「先日、ベルリンの海軍本部から、第1艦隊司令部あてに命令書が届いた。それによると、第1艦隊は、イギリス海軍の警戒網を突破して、本国に帰還せよ、とあった」

 

 ウォルフの言葉を聞いた一同の反応は、大きく2種類に分けられた。

 

 一方は、本国に帰れると言う歓喜。

 

 もう一方は、イギリスの警戒網を突破しなくてはならないと言う憂い。

 

 簡単に帰還と言っても、そうそう容易な話でないのは確かだった。

 

「どのみちこれ以上、水上艦が大西洋で戦うには無理が生じ始めている」

 

 シュレスは、苦々しいように言った。

 

 最近になって、イギリス軍の攻撃によって、ドイツ軍の補給艦が何隻か沈められる事態になっていた。

 

 ドイツ海軍が広範囲にわたって通商破壊戦を行えるのは、長大な航続力もさる事ながら、各所にて実戦部隊に物資を届けてくれる補給艦の存在が大きかった。

 

 イギリス軍は、その補給艦を狙い撃ちにしてきているのだ。

 

 明らかに、ドイツ海軍の通商破壊戦部隊を封じ込める狙いが感じられた。

 

「だが、本国に帰れば、我々はまだ戦う事が出来るのだ」

 

 本国へ帰る。

 

 本国に帰れば、少なくとも補給に関しては憂いがなくなる。

 

 それが自分達の生き残る唯一の道であり、祖国を守る為の最善手でもあった。

 

「しかし・・・・・・」

 

 挙手して発言したのはオスカーだった。

 

「実際問題として、本国に戻るとしても、イギリス軍が簡単にそれを許すとは思えません。恐らく、全力で阻止しにかかってくるでしょう」

 

 唯一にして、最大の問題がそれだった。

 

 第1艦隊がいるブレストから、ドイツ本国に帰還する為には、どうしたってイギリス本土の近海を通らなくてはならない。

 

 突破しようとすれば、水上艦隊と航空部隊、潜水艦隊の波状攻撃に晒されるのは目に見えていた。

 

 第1艦隊のみで、イギリス本国艦隊の全戦力を相手取る戦力はない。

 

「現状、全艦揃って本国への帰還を目指すとなれば、通れるルートはひとつ。ドーバー海峡を突破する以外に無い」

 

 シュレスは海図を差しながら言った。

 

 これまでドイツ海軍の水上部隊は、大西洋と北海を行き来する際には必ず警戒の薄い、イギリス本国西側の航路を使っていた。

 

 しかし、ライン演習作戦時の事もある様に、デンマーク海峡を中心とした西側は既に、イギリス軍の重点警戒範囲に入っている。今後、そちら側からの突破は難しいと言わざるを得ない。

 

 加えて、航続力に余裕がある大型艦ならともかく、駆逐艦や水雷艇を伴った状態で、遠回りとなるコースを行く事は難しい。

 

 そうなると、第1艦隊が本国帰還の為に使えるルートは、ドーバー海峡のみと言う事になるが、

 

 言うまでもなく、こちらはもっと難しいだろう。

 

 何しろドーバー海峡は、イギリスの鼻先であり、最峡部のカレー沖は34キロしかない。泳達者な者なら泳いで渡れる程だ。もし、敵がドイツ軍の動きを察知して海峡を封鎖していたら、第1艦隊は一方的に袋叩きにされかねなかった。

 

「ドーバー海峡突破を夜間に設定すればどうでしょう?」

 

 参謀の1人が、挙手をして発言した。

 

「夜間ともなれば、敵はこちらを視認しづらくなります。特に視界が狭い潜水艦からの探知は難しいでしょう。更に航空機も飛ばせません。突破するなら、夜間が最適と思われます」

 

 その言葉に、参謀たちが賛同の意を示す。

 

 確かに、敵が待ち構えているところに、真昼間から突っ込んでいくのは愚の骨頂だろう。

 

 しかし、

 

「待ってください」

 

 挙手をしたのはエアルだった。

 

 参謀たちの意見は判るが、エアルの意見は別にあった。

 

「おにーさん?」

 

 横に座ったシャルンホルストが、怪訝そうに首をかしげる中、エアルは司令官である父、ウォルフをまっすぐに見据える。

 

「どうした、アレイザー大佐。意見があるなら遠慮なく言うが良い」

「はい」

 

 シュレスに促され、エアルは立ち上がる。

 

 普段は「シュレスおばさん」などと気軽に話しかけているエアルだが、今は公的な会議の場。弁えるべき事は、しっかりと弁えている。

 

 エアルは一同を見回してから口を開いた。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 大きなテーブルの上には、贅を尽くした料理の数々が並び、皆のグラスには一般人ではおいそれと味わえないような酒が満たされる。

 

 居並ぶ将官たちを前にして、ディラン・ケンブリッジ准将は、満悦な表情を見せ、手にしたグラスを傾けていた。

 

 先の第3次ブレスト沖海戦において、司令官ジャン・トーヴィ大将以下、司令部スタッフも含めて全滅の憂き目を見たイギリス本国艦隊は、まだ新たなる司令官の選定が終わっておらず、司令部は空白状態となっている。

 

 その為、現在は、本国における最強部隊であるS部隊の指揮官であるディランが実質、本国艦隊司令官代行を務めている状態だった。

 

「さあさあ、皆の者、これは前祝だ。遠慮せずにどんどんやってくれ!!」

 

 ディランに促され、歓声を上げる一同。

 

 既にでき上げっている者も少なくなく、状況は狂乱にはまり込もうとしていた。

 

「諸君、間もなく、ブレストを不当占拠しているナチの艦隊が、本国に帰る為に出撃するだろう。我らの任務は、その捕捉撃滅となる」

 

 グラスを片手に、ディランは上機嫌に演説めいたことを言い始める。

 

「しかしッ 奴等は祖国の地を見る事無く、空しく海の藻屑となる事だろうッ なぜならば、我々がいるからだ!!」

 

 そうだ!!

 

 その通りだ!!

 

 見よ、あの堂々たる様を。

 

 この頼もしさ、やはり殿下こそが、この英国を担うに相応しい。

 

 一同の間から、追従する歓声が上がる。

 

 その反応が、ディランの機嫌をさらに押し上げる。

 

「我々の戦力は、ナチ共に数倍しているッ 奴等は卑怯にも、我らの裏を搔こうとすることだろうッ 薄汚いヒトラーの下僕共が考えそうなことだがッ 正義に使者たる、我々の目をごまかす事などできはしないッ 既に奴等が通るであろう海域には、多数の潜水艦を配置して索敵に当たらせているッ その報告が入り次第、我らは出撃し、薄汚いナチス共を叩き潰すのだ!!」

 

 歓声が、一気にボリュームを増す。

 

 さすがは殿下だ。

 

 これはもう、我らの勝利は疑いあるまい。

 

 まだドイツ艦隊の姿すら見ていないどころか、出撃すらこれからだと言うのにこれである。もうすでにこの場では勝利は確定しているかのような扱いだった。

 

「それで殿下、我らはどのような作戦で、奴等を迎え撃つのですかな?」

「うむ。そんなものは簡単よ」

 

 上機嫌でワインを喉に流し込みながら、ディランは口を開いた。

 

「奴等が本国に帰る為には、ドーバー海峡を通る以外に無い。ならば話は簡単。海峡の監視を強化するとともに、報告があり次第、近海で待機していた我々が出撃し、奴等が海峡を通過する前に封鎖、後は火力に任せて圧し潰せば、我らの勝利は疑いない」

 

 よどみなく、自分の考えを披露するディランに、一同が感嘆の声を上げる。

 

 ディランはその歓声を心地よさげに聞き入りながら続けた。

 

「さらに言えば、卑怯極まりない連中の事だ。恐らくは姑息にも我らの目を欺こうと考えて、夜間の海峡突破を狙ってくるだろう。しかし、奴等がいかに卑怯に振舞おうが、我等にはレーダーと言う絶対の目がある。奴等が海峡に進入すれば、すぐにでも察知は可能と言う訳だ」

 

 得意げに説明するディランに、誰もが称賛の声を惜しみなく浴びせる。

 

 もっとも、ディランが言った程度の事など、多少なり軍事知識があればだれでも思いつく程度の事でしかない。

 

 だが、それでも、皆が皆、揃ってディランに追従する。

 

 今や「飛ぶ鳥を落とす」と言っても過言ではないディランについていけば、自分達の地位も安泰と考えているのだ。

 

 誰もが豪華客船「ディラン号」に乗ろうと、必死にしがみついていた。

 

 得意絶頂のディラン。

 

 場の空気が、際限なく膨張しかけた時、

 

「それで、本当に良いんですか?」

 

 冷水を浴びせるようにかけられた静かな声に、一同は笑いを止めて振り返る。

 

 見れば、

 

 同じS部隊所属と言う事で、今回の席にも呼ばれていたリオン・ライフォード大佐が、鋭い眼差しを一同に向けていた。

 

 リオンは引き続き、軽巡洋艦「ベルファスト」艦長、兼、巡洋戦隊司令官と言う立場で本国艦隊に在籍している。

 

 つまり、今はディランの部下と言う立場にあるわけだ。

 

 対して、

 

 自分達の上がりかけたテンションに水を差されたディランは、生物学上の弟を睨みつけて口を開いた。

 

「何だ、リオン? 言いたいことがあるなら言ってみろ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 促されるも、リオンは口をつぐむ。

 

 これまでの数々の経験から、この兄が自分の意見など聞く耳持たない事は百も承知している。

 

 しかし、それでも言わずにはいられなかった。

 

「固定観念に囚われる事は危険だと考えます」

「貴様ッ」

 

 激高した、ディランの取り巻きが声を上げる。

 

 相手が王族だと言う事すら忘れている様子。

 

 否、

 

 そもそも彼等は、庶民出のリオンを、王族とは見ていなかった。

 

「殿下の考えが間違っていると言うのかッ」

「不敬にも程があるぞッ」

「恥を知れ恥を!!」

 

 途端、口々に罵声を浴びせられる。

 

 だが、

 

 リオンは顔色一つ変えようとはしない。

 

 こんな事は以前からあった事。今更、怯むにも値しない。

 

 そもそも、他人を批判するのにも頭数を揃えなければできないような連中は、端から眼中になかった。

 

 そして、

 

 それは、一応は「兄」であるディランに対しても同様だった。

 

 リオンに罵声を浴びせる取り巻き達の様子に気を良くしたのか、ディランが彼等を制して進み出る。

 

「それで、リオン、貴様はどうするべきだと考えるのだ? 意見があるならサッサと言うが良い」

 

 どうせ無駄だろうが、聞くだけ聞いてやる。

 

 そのうえで、さらし者にしてやるよ。

 

 そんな兄の思惑が透けて見える中、リオンは嘆息交じりに口を開いた。

 

「なら、言わせてもらいます」

 

 その眼は、まっすぐにディランを睨む。

 

「敵がドーバー海峡を昼間に突破する可能性も、考慮に入れて作戦を立てるべきじゃないですか?」

 

 そのリオンの発言を聞いた瞬間、居並ぶ一同は全員がポカンとした顔をする。

 

 誰もが、リオンの言っている言葉の意味を理解できない、と言った感じだ。

 

 次の瞬間、

 

 一斉に大爆笑が沸き起こった。

 

 勿論、その中には躊躇う事無くディランも加わっている。

 

「おいおいおいおいおい、我が愚弟も、とうとう脳みそが腐り始めたか?」

 

 こらえ切れない笑いをそのままに、ディランはリオンを侮辱する言葉を吐き出す。

 

 それに追従して、下品な笑い声をあげる一同。

 

 中には、衆目も気にせず、床に転がる者までいるほどだ。

 

 仮にも王族相手に取る態度ではない。

 

 対してリオンは、自分に向けられた嘲笑を無視して続ける。相手にするだけ、時間の無駄だった。

 

「ドイツ艦隊、特にブレストに駐留している第1艦隊と奴等が呼称している艦隊は、今まで巧妙に我が軍の裏を搔き続けてきました。そんな連中が、我々が警戒している海域にノコノコと無警戒にやってくるはずがありません。必ず、何らかの仕掛けをしてくると考えます」

 

 誠実な発言はしかし、侮蔑と嘲弄によって返される。

 

「いやいやいやいや、リオン殿下の『妄想』も大した物ですな。ここまで来ると芸術レベルですぞ」

「左様。何なら、軍人などやめて、小説家にでもなったらいかがか?」

「いやいや、この程度の三文小説、誰も買いますまい」

「しかり。もっと、現実を見たストーリーでなければ。よろしかったら、わたくしめの知り合いに小説家が幾人かおります故、ご紹介いたしましょうか?」

 

 王族への敬意も、へったくれもあったものではない。

 

 最早、彼等はリオンを、場を盛り上げるピエロ程度にしか思っていなかった。

 

「良いか、リオン。お前はひとつ、勘違いをしている」

 

 尚も止まらない笑いをこらえながら、ディランは嘲る口調で言った。

 

「ナチスは巧妙なんじゃない。臆病で卑怯で薄汚い、そこらのドブネズミのようなものだ。それを海の覇者たる、我が大英帝国海軍が恐れるなど、それこそ世界中に笑いの種をばらまいているようなものだ」

「まことに、殿下のおっしゃる通り!!」

「この堂々たるお姿、まさしく、次代の大英帝国を担うに相応しい!!」

 

 最早、何を言っても無駄だった。

 

 踵を返すリオン。

 

 ここにいるだけ、時間の無駄としか思えなかった。

 

 そんなリオンに、もはや興味を示す事無く、歓談へと戻っていくディランとその取り巻き達。

 

 空騒ぎの如き宴は、その後も深夜まで続くのだった。

 

 

 

 

 

 部屋を出ると、嘆息する。

 

 結局、言うだけ無駄だったか。

 

 肩を竦めるリオン。

 

 まあ、こうなる事は初めから分かっていた事。今更、嘆くに値しない。

 

 と、

 

「まーた、無駄なことしちゃって、まあ。あのバカ兄貴たちに何言っても無駄な事くらい、あんたが一番分かってるでしょうが」

 

 呆れ気味に投げかけられた声に振り返ると、相棒の少女がジト目でこちらを睨んできているのが見えた。

 

「ベル・・・・・・」

「まあ、無駄と分かってても放っておけないって言う、あんたのやり方は嫌いじゃないけどね」

 

 そう告げるベルファストに、リオンも苦笑を返す。

 

 お互いに性格は判っている。

 

 だからこそ、ベルファストはリオンがディランに意見するのを止めなかったし、終わった後、労わる為に、こうして待っていたのだ。

 

「ねえ、これからエリスちゃんに会いに、アルフレッド殿下の部屋に行くんだけど、あんたも一緒に行こうよ」

「お前な、仮にも第1王子の部屋に、気軽に行こうとか言うなよ」

 

 呆れ気味に言うリオン。

 

 しかし、肉親の中では唯一、自分を気にかけてくれている兄には会いたいし、可愛い名の顔も見ておきたい。

 

「ほら、行こう」

 

 そう言って、リオンの手を取るベルファスト。

 

 その姿に笑みを浮かべ、リオンもまた、兄の部屋に向かって歩き出す。

 

 

 

 

 

 南ではドイツ海軍第1艦隊が本国帰還を目指して蠢動を初め、北ではそれを阻止する為、イギリス本国艦隊が動き出す。

 

 それぞれの思惑が重なり合い、うねりとなって流れゆく。

 

 やがて狭隘なドーバー海峡での激突を迎える事になるのだった。

 

 

 

 

 

第47話「本国への道」      終わり

 



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第48話「三つ首の魔犬」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その夜、海は静かだった。

 

 暗闇の中、微かに波のうねりは小さく、揺らぎも無い。

 

 耳に静かに伝わる潮騒だけが、海が奏でる唯一の自己主張だった。

 

 音もなく、

 

 闇に紛れながら、

 

 しかし着々と、準備は完了しつつあった。

 

 「自身」の艦橋に立ち、シャルンホルストは港全体を見回す。

 

 隣の埠頭に停泊している重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」。その先には、妹の「グナイゼナウ」の姿も見えた。

 

 更に、シャルンホルストのいる場所からは見えないが、艦の後方では空母「グラーフ・ツェッペリン」も停泊している。

 

 フランス・ブレスト軍港に駐留している、ドイツ海軍第1艦隊。

 

 その全艦が、既に出港準備を終え、命令を待っていた。

 

 時刻は深夜。

 

 中天の月にも雲がかかり、海は殆ど暗黒に染め上げられていると言って良い。

 

 このような時の出撃は、慎重を期さなくてはならない。下手をすると、熟練の艦長が指揮する艦でも衝突の危険がある。

 

 しかし今回、是が非でも、深夜の出航が求められた。

 

「シャル」

 

 声を掛けられ、振り返るシャルンホルスト。

 

 既に「シャルンホルスト」も出港準備を終え、機関に灯が入っている。後は出港の命令を待つばかりだった。

 

「もうすぐ出港だよ。体調は大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ。ありがとね」

 

 エアルの問いかけに、シャルンホルストは少し苦笑気味に笑いを返す。

 

 最近は調子が良いが、油断はできない。

 

 これから始まる作戦。万が一にも失敗するわけにはいかない。

 

 だからこそ、サイアに頼んで機関のチェックは入念にやってもらったし、シャルンホルスト自身も、事前に病院に行って検査を受けた。

 

「とうとうドイツに帰るんだね、ボク達」

「うん、そうだよ」

 

 本当に、長かった。

 

 エアルとシャルンホルストの胸に、同じ想いが浮かぶ。

 

 ベルリン作戦開始時からだから、もう1年になる。

 

 流石に、多少の郷愁も湧こうと言う物だ。

 

「戻ったら、前に一緒にいた店にまた行こう。シャルが好きな物、色々買ってあげるよ」

「ほんと? 約束だよ、おにーさん」

 

 目を輝かせるシャルンホルスト。

 

 可愛いなあ。

 

 本当にそう思う。

 

 まるで子犬のような可愛らしさは、出会った頃から変わらない。この子の魅力の一つだ。

 

 否、

 

 長くともにあり続けて、エアルの中で彼女に対する愛おしさが大きくなっているのが分かった。

 

 もっと、シャルと一緒にいたい。

 

 もっと、色んな事をしてみたい。

 

 そんな思いが、青年艦長の中で芽生え始めていた。

 

 だからこそ、今は生き残らなければならなかった。

 

「時間です!!」

 

 響く幕僚の声。

 

 同時に、

 

 港の仲が俄かに騒がしくなった。

 

 まず、駆逐艦部隊が先行して出港していく。

 

 港の外を警戒し、潜水艦が潜んでいないか確認するのだ。

 

 次いで、重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」が動き出すのが見えた。

 

 ドイツ巡洋艦特有の、重厚でありながらシャープな印象のシルエットが港口へと向かう。

 

 次は旗艦である「シャルンホルスト」の番だ。

 

「さ、行こうか」

「うん」

 

 頷き合う2人。

 

 エアルは背後を振り返る。

 

「出港します。良いですね」

「ああ」

 

 息子の問いかけに、答える父。

 

 頷くウォルフに対し、エアルは再び前を向いてシャルンホルストと並び立つ。

 

「出港、両舷前進微速!!」

 

 エアルの命令を受け、水面下でスクリューが回転を始める。

 

 ややあって、基準排水量3万1000トンの巡洋戦艦は、滑るように動き出した。

 

 埠頭を離れ、港口へと艦首を向ける「シャルンホルスト」。

 

 港の風景が、徐々に離れていく。

 

 ふと、抗いがたい寂寥感が胸を支配する。

 

 ブレストはフランスの港だ。

 

 しかし、1年もの間、使用していれば、様々な感情が湧いてくる。

 

 しかし、エアルはある種の予感めいたものを感じずにはいられなかった。

 

 もう、この港に戻って来る事はないだろう。

 

 あるいはもしかしたら・・・・・・・・・・・・

 

 不吉な考えが頭の中をよぎった。

 

 その時だった。

 

「おにーさん、あれ見て!!」

「え?」

 

 シャルンホルストに促され、視線を陸へと向けるエアル。

 

 そこにあった光景を見て、思わず唸った。

 

 暗闇の中にあるので、詳しくは見て取れない。

 

 しかし、桟橋付近に多数の人だかりができ、その全ての人々が自分達に向かって手を振っているのが見えた。

 

 彼等はフランス人の技術者や、修理、整備を請け負ってくれた港湾関係者たちだ。

 

 第1艦隊の出港は、彼等に通達していない。万が一、スパイが紛れており、通報でもされたら事だからだ。

 

 しかし、一部の親しかった人たちがひそかに集まって見送りに来てくれたのだ。

 

 もしかしたら、彼等もまた、何か予感めいた物を感じて集まったのかもしれなかった。

 

「みんな・・・・・・・・・・・・」

 

 横で、シャルンホルストが声を上げる。

 

 微かに震えている声音から、少女が涙ぐんでいるのが分かった。

 

 彼等とは、元々敵同士だった。

 

 その関係は決して良好とは言えなかったし、もしかしたら今後、また敵同士になるかもしれない。

 

 しかし、長く共にあって、互いに言葉では言い表せない信頼関係を築いてきたのも事実である。

 

 そして今、第1艦隊出港に当たり、こうして見送ってくれている。

 

 本当に、ありがたい事だった。

 

 手を振り返す、エアルとシャルンホルスト。

 

 やがて、彼等の姿は艦体のシルエットに隠れ、見えなくなっていくのだった。

 

 

 

 

 

 1942年2月11日。

 

 この日、ドイツ海軍第1艦隊は、全艦を率いてブレスト軍港を出港した。

 

 作戦名「ツェルベルス」。

 

 神話に出て来る地獄の門を守る三つ首の魔犬「ケルベロス」より名を取った本作戦の目的は、第1艦隊のドイツ本国への帰還。

 

 闇の中を粛々と進んでいくドイツ第1艦隊。

 

 その戦力は、巡洋戦艦2隻、航空母艦1隻、重巡洋艦1隻、駆逐艦8隻。

 

 星明りの少ない穏やかな海面を、艦隊は静かに進んでいくのだった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 空けて翌日。

 

 その日、イギリス沿岸基地を飛び立ったハリファックス爆撃機1機が、フランス沿岸を目指して飛翔していた。

 

 目的は偵察。

 

 ドイツの目がソ連へと向き、イギリスへの攻撃が下火になったとは言え、未だに予断を許される状況ではない。

 

 日に何度か、偵察機を飛ばしドイツ軍の動向を探る事は重要な任務だった。

 

 とは言え、発見されれば即座に戦闘機の迎撃を受けかねない危険な任務である。

 

 爆撃機のクルーたちは皆、緊張で圧し潰されそうな時間を、狭い機内で過ごしていた。

 

 それでも、各偵察ポイントを回り、任務も後半へと入る。

 

 この後、最重要偵察地点である、ブレスト軍港上空に差し掛かる。

 

 ここにはドイツ海軍の主力艦隊が駐留している。その動向を探るのは、最重要任務だった。

 

 気付かれないように慎重に、機体をブレスト軍港上空へと導く。

 

 やがて雲が切れ、視界が開ける。

 

 港の様子が眼下に広がり、複数の艦船が停泊している様子が見えた。

 

 しかし、

 

「なッ いないッ!?」

 

 ブレスト上空に機体が侵入した時、機長は思わず叫び声をあげた。

 

 数日前に偵察した時には、確かにシャルンホルスト級巡洋戦艦やグラーフ・ツェッペリン級航空母艦の姿があった。

 

 しかし今、港の中を見回しても、大型艦艇の姿は見当たらない。

 

 念の為、隅々まで視線を巡らせるが、それらが停泊している様子は見られない。

 

 訓練に出ている可能性もある。

 

 しかし、もし、そうじゃなかったら?

 

 近々、ドイツ艦隊が大規模な軍事行動を起こす予兆がある事は聞いている。

 

 今回、行方をくらました事が、それに関連している可能性は大いにあった。

 

「機長、直ちに本国に打電をッ」

「いや・・・・・・・・・・・・」

 

 副機長の提案に、機長は首を横に振った。

 

 ドイツ艦隊出港と言う重要な報告、本来なら直ちに本国に報せなくてはならない。

 

 しかし、そうできない事情が彼等にはあった。

 

「ディラン殿下より、直接通達を受けている。偵察を行った際、敵にこちらの動きを察知されないよう、無線は使わず、帰還後に直接、口頭で報告するように、と」

「いや、しかし、それでは、敵を取り逃がすかもしれません!!」

 

 それはディランが指揮するS部隊から昨日、正式に通達された命令だった。

 

 おかげで偵察に出た機体は、いちいち基地まで戻ってから報告すると言う手間を踏まされていた。

 

「報告すべきです!!」

「ダメだ、許可できない」

 

 機長はにべもなく首を振る。

 

 本音を言えば、機長も今すぐに報告すべきと思っている。

 

 敵艦隊が拠点からすべて姿を消すなど、間違いなく重大事だ。報告が遅れれば致命傷にもなりかねない。

 

 ディランの命令が、情報漏洩を警戒しての措置だと言う事は判る。

 

 聊か過剰な措置な気もするのだが。

 

 しかし、それが上級司令部からの直接命令である以上、無視するわけにもいかなかった。

 

「とにかく、急いで基地に戻るぞ。この情報、何としても持ち帰らなくては」

 

 そう言うと機長は、焦る想いを抱きながら操縦桿を倒して機体を旋回させる。

 

 結論から言えば、彼は命令を無視してでもすぐに司令部に報告を入れるべきだった。

 

 しかし、何と言っても相手は王族にして、現在の本国艦隊司令官代行の立場にある。

 

 今のディランに逆らえる者など、イギリス海軍には存在しなかった。

 

 帰還すべく、進路を北へと向けるハリファックス。

 

 結局、ハリファックスのクルーが基地に帰還し、得た情報を上官に直接伝える事が出来たのは、それから2時間後、S部隊司令部のディランに、その報告が上げられたのは、更にその1時間後の事だった。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 深夜にブレストを出航したドイツ海軍第1艦隊は、ブルターニュ半島北側を北東に向かって航行。ドーバー海峡への侵入を試みようとしていた。

 

 既に夜は完全に空け、右舷側の視界にはフランスの大地が映っている。

 

 左舷側に目を凝らせば、イギリスの大地も遠望できる。

 

 今のところ、艦隊周辺に敵が現れる兆候はない。

 

 が、

 

 通信士官がもたらした電文を一読して、エアルは目を細めた。

 

 それは、ブレストに残留した部隊からもたらされた情報。

 

 時刻は1時間ほど前、ブレスト上空をイギリス軍の偵察機と思しき機体が通過した、との事だった。

 

「気付かれた、か」

 

 巡洋戦艦や空母はただでさえ目立つ。いないとなれば、敵もすぐに気づくだろう。

 

 まだ、艦隊はドーバー海峡の入り口に達したばかり。これからが正念場である。

 

 イギリス軍が第1艦隊の動きを察知していれば、海峡出口を艦隊で封鎖してくるか、あるいは潜水艦を配置して奇襲をかけて来るだろう。

 

 しかし、今のところその兆候はない。恐らく、こちらの動きに、敵はまだ気付いていないのだ。

 

 と、

 

「うー・・・・・・」

「うん?」

 

 傍らから聞こえて来た唸り声に振り返ると、シャルンホルストがいつになく険しい表情で前方を凝視していた。

 

「どうしたの、シャル?」

「おにーさん・・・・・・・・・・・・」

 

 声を掛けると、振り返るシャルンホルスト。

 

 その可憐な眉根は寄せられ、明らかに緊張している様子が見て取れた。

 

「ドーバー海峡ってさ、やっぱ敵の真ん前じゃん。そこにこれから行くってなると、やっぱりちょっと、緊張しちゃって」

 

 そんな少女の様子に、クスッと笑うエアル。

 

 まあ、緊張すると言う意味では、気持ちはわかる。

 

 何しろ、これだけの大艦隊が敵の真ん前を横断しようとしているのだ。前代未聞であるのは間違いないし、もしかすると空前にして絶後かもしれない。

 

 少女の緊張も無理からぬところ。

 

 いつ敵が現れるか分からない、と言う緊張感は、戦闘中に感じる緊張とはまた別手の重苦しさがあった。

 

 苦笑するとエアルは、手にした物をシャルンホルストへ差し出した。

 

「はい、これでも食べて、少し落ち着こう」

 

 先ほど、調理場から戦闘配食が配られたのだ。エアルはシャルンホルストの分も確保しておいたのである。

 

 第1艦隊は深夜に出港した為、朝食はこのように、戦闘配置に着いたまま摂る事になったのだ。

 

「シャルも、朝食まだだったでしょ。これから忙しくなるだろうし、今のうちに食べておこう」

「ありがとう」

 

 受け取ったサンドイッチを、口に運ぶシャルンホルスト。

 

 思ったよりも空腹だったのか食はどんどん進んでいく。

 

 しかし、

 

 おかげで少し、落ち着いた気がした。

 

「ありがとうね、おにーさん」

「どういたしまして」

 

 言いながら、エアルは笑顔を見せた。

 

 今のところ、海面は穏やかであり、艦隊は順調に航行している。

 

 出港前に入念に整備した為、「シャルンホルスト」はじめ、機関に不調を訴える艦もいない。

 

 が、

 

「このまま何事もなく、と言う訳にはいかないだろうね」

 

 前方を注視しながら、エアルはぽつりと呟いた。

 

 仮に、こちらの作戦通りに進んでいるのだとしても、ドーバー海峡に進入すれば嫌でも敵に見つかるだろう。

 

 そうなると、多少なりとも戦闘になるのは避けられない。

 

 チラッと、サンドイッチを頬張るシャルンホルストに目をやるエアル。

 

 この子を何としても、本国に連れて帰る。

 

 改めて、その決意を胸に刻むエアル。

 

 間も無く、ドーバー海峡に入る。

 

 波は、徐々に高くなりつつあった。

 

 

 

 

 

 

 それから1時間ほどは、何事もなく過ぎていった。

 

 艦隊は順調に西進を続ける。

 

 このまま何事もなく、海峡最狭部のカレー沖へと侵入できるか?

 

 そう、思った時だった。

 

「右舷30度にスピットファイア1ッ 本艦に先行します!!」

 

 伝声管を通してもたらされた見張り員からの報告に、エアルとシャルンホルストは、とっさに窓へと駆け寄って双眼鏡を覗きこむ。

 

 見れば確かに、

 

 単発の戦闘機が、機首を北に向ける形で第1艦隊と並走しているのが見える。

 

 イギリス軍は、単座の戦闘機でも偵察に用いる事がある。

 

 あのスピットファイアが、偵察機なのは明らかだった。

 

 第1艦隊捜索の為に飛来したのか、それともたまたま定期の巡回航路に重なったのか、それは分からない。

 

 しかし、

 

「見つかったか・・・・・・・・・・・・」

 

 緊張をはらむ、エアルの声。

 

 行程としてはまだ、半分も来ていない。

 

 これだけ目と鼻の先を航行する艦隊を、イギリス軍が見逃すとは思えなかった。

 

 と、

 

 袖をギュッと掴まれるような感覚に、振り返るエアル。

 

 見れば、前方を注視したまま、シャルンホルストがエアルの軍服の袖をつかんでいた。

 

 その手が、小刻みに震えているのが分かる。

 

 先ほどから感じている緊張が、敵に見つかった事でさらに増していた。

 

 もし、

 

 敵がこちらの行動を察知して、海峡出口付近で待ち構えていたりしたら、

 

 第1艦隊はほとんど抵抗も出来ず、敵に袋叩きにされる事だろう。

 

 フッと、笑うエアル。

 

 手を伸ばすと、少女の頭をそっと撫でる。

 

「おにーさん・・・・・・」

「大丈夫。大丈夫だよ、シャル。俺がついてるから」

 

 少女に告げると、エアルは背後の提督席に目を向ける。

 

 ウォルフは提督席で腕を組み、ジッと状況を見据えていた。

 

「提督、これで我が艦隊は、敵に発見されたと判断します」

「うむ」

 

 頷くウォルフ。

 

 元より、交戦無しでツェルベルス作戦を成功できるとは、ウォルフも思っていない。

 

 敵が来るなら一戦交えるまでだった。

 

「全艦、第2戦闘配置。総員、持ち場につけ」

『ハッ!!』

 

 ウォルフの命令を受け、艦内が俄かに慌ただしくなる。

 

 いつ敵が来ても良いように、乗組員は自身の配置へと走り、各砲には砲弾が装填される。

 

 同様の光景が「グナイゼナウ」「プリンツ・オイゲン」や護衛の駆逐艦でも行われている。

 

 特に駆逐艦では、対艦、対空戦闘準備に加えて、潜水艦の接近に備え対潜用の装備も準備される。

 

 航空母艦の「グラーフ・ツェッペリン」では、それに加えて艦載機の発艦準備も進められている。

 

 ジリジリとした緊張感が続く中。

 

 更に1時間が経過した、午前11時頃。

 

 それは姿を現した。

 

「左舷前方より接近する小型艦艇ありッ 魚雷艇です!!」

「え、魚雷艇?」

 

 その予想外すぎる報告に、思わずエアルは間抜けな声を上げて、双眼鏡を見る。

 

 小型の艦艇はなかなか見つけられなかったが、程なく、海面に細い航跡を描いて向かってくる、小さな姿が見て取れた。

 

 MTBと呼ばれる、イギリス海軍が開発した高速魚雷艇だ。

 

 全長35メートル、全幅6メートル、43口径5.7センチ砲1門、20ミリ機関砲3門、45センチ魚雷発射管4門、爆雷投射機2基を備え、速力は33ノット発揮可能。

 

 海峡のような狭い海域では小回りの利く魚雷艇は、大型艦にとって潜水艦並みに脅威となる船である。

 

 しかし、

 

「よぉしッ」

 

 接近してくるMTBの姿に、エアルは小さく喝さいを上げた。

 

 敵は少数の魚雷艇で第1撃を加えて来た。

 

 それはすなわち、こちらの海峡突破を予想しきれず、充分な迎撃態勢を取る事が出来なかった為、慌てて手持ちの戦力を差し向け、第1艦隊を足止めしようと試みているのだ。

 

 つまり、

 

 このまま全速力で駆け抜ければ、本国に逃げ込める可能性は高い。

 

「一気に駆け抜けるぞ、ぬかるなよ、艦長」

「ええ、言われるまでもありません」

 

 背後から発せられた父の言葉に、エアルも力強く返すのだった。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 その日、ディラン・ケンブリッジは、少し遅めの朝食を摂っていた。

 

 昨晩、宴会で深酒し、更にはパーティに出席していた財界人の娘を部屋に連れ込んで情事に耽った事もあり、朝起きてからも暫くは倦怠感を感じ、起き上がる事が億劫だったのだ。

 

 その為、起き出して朝食を始めた時には、既に9時を回っていた。

 

 既に彼の指揮下にあるS部隊各艦は、早朝から補給作業に入っている。

 

 この後、1日かけて補給作業を行い、明日には出港、ドーバー海峡近海で待機してドイツ艦隊を待ち伏せする事になっていた。

 

 朝食のトーストを優雅に食べ終え、モーニンググティーに手を伸ばそうとした。

 

 取り巻きの1人が、駆け込んできたのは、その時だった。

 

「殿下!!」

 

 血相を変えて駆け込んできた取り巻きの姿に、ディランは顔をしかめる。

 

 今日の茶葉は、ディランが自分好みにブレンドさせた最高級の特注品だ。これを飲むのを、どれだけ楽しみにしていた事か。

 

「一大事です殿下ッ 実は」

「後にしろ。今は食事中だ」

 

 そう言って、そっぽを向くディラン。

 

 まったくもって、空気の読めない奴め。

 

 今は何よりも重要なティータイムだと言うのに、見て分からないのか。

 

 目の前の取り巻きをクビにする事を心に決め再度、カップを口に運ぼうとする。

 

「しかし殿下ッ!!」

「後で聞くッ 下がれ!!」

 

 叱責するディラン。

 

 尚も言い募ろうとする取り巻き。

 

 ドイツ艦隊がブレストから姿を消した情報は、すぐにでも司令官であるディランに伝えなくてはならない。

 

 だと言うのに、党のディラン本人がこの体たらくである。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「下がれと言っているだろうがッ とっとと失せろ、愚図!!」

 

 罵声を浴びせるディランに、ついに根負けした取り巻きは、すごすごと退散していく。

 

 その背中を、憎々し気に睨むディラン。

 

 そのまま、冷めて香りも味も落ちた紅茶を、無理やり喉に流し込むのだった。

 

 

 

 

 

 ところで、

 

 なぜ、ドイツ第1艦隊はイギリス海軍の裏を搔いて、昼間の海峡突破を決行したのか。

 

 それは、1日前の作戦会議の場にさかのぼる。

 

 参謀たちの殆どが、夜間海峡突破案に傾きかけている中、エアルは発言許可を得て立ち上がると、第一声で言った。

 

 だが、

 

 エアルが発した一言は、会議室の場に大きな波紋となって広がる事になる。

 

「俺は、ドーバー海峡を昼間に突破する方が良いと考えます」

 

 エアルのその言葉に、大半の幕僚たちが目を剥いた。

 

 いったい、何を言い出すのか?

 

 正気か?

 

 そんな声が聞こえて来るかのようだ。

 

「失礼ながら、アレイザー大佐のご意見には賛同しかねます。敵が待ち構えていると分かっている場所へ昼間に突撃するなど、無謀を通り越して、自殺志願としか思えません」

「そうです。ここは少しでも成功率を上げる為に、敵の目を晦ませられる可能性の高い、夜間突破を目指すべきです」

 

 確かに、幕僚たちの言う通り、この作戦の趣旨は艦隊の全戦力をいかに無傷で、本国へ辿り着かせるかにある。

 

 一見すると夜間突破の方が安全なようにも見えるのも頷ける。

 

 幕僚たちが、口々に反対意見を口にする。

 

 エアルの旗色は、明らかに悪かった。

 

「おにーさん・・・・・・」

 

 傍らのシャルンホルストも、心配そうに見つめて来る。

 

 どうやら彼女も、エアルを応援したいのは山々が、その考えには賛同しかねるようだ。

 

 まあ確かに、普通に考えれば正気を疑いたくもなるだろう。

 

 と、

 

「まあ、待て、みんな」

 

 言い募る幕僚たちを制したのは、参謀長のシュレスだった。

 

「大佐の否定するのは簡単だが、頭から無謀と決めつけてかかってしまえば、見える物も見えなくなる。まずはアレイザー大佐、お前が昼間の海峡突破を押す理由を聞こうじゃないか」

 

 そう言って、エアルを促すシュレス。

 

 エアルはシュレスに一礼すると、立ち上がって海図の前に進み出た。

 

「まず、皆さんが懸念する、イギリス軍による海峡待ち伏せですが、これに関して言えば、昼間でも夜間でもさほど変わらないと考えます。理由としては、敵には優秀な沿岸レーダーがあります。そうなれば、夜間だろうが昼間だろうが、敵は海峡を通過する我が艦隊を容易に察知できるでしょう」

 

 エアルの言葉に、参謀たちの一部は、罰が悪そうに嘆息する。

 

 イギリス軍のレーダーが優秀なのは、バトル・オブ・ブリテンで証明されている。あの時、猛威を振るったのは対空レーダーだったが、当然、沿岸部には海峡見張り用のレーダー基地が設置されているのは間違いない。

 

 今からそれを見つけて叩く、と言うのは現実的とは言えないだろう。

 

 となれば、どうあっても海峡通過中の艦隊は、敵から丸見えと言う事になる。

 

「しかし、それでも昼間の方がリスクが高い事には変わりないのでは?」

 

 尚も、参謀の1人が反論してくる。

 

「レーダーに関しては、アレイザー大佐のおっしゃる通りでしょう。しかし、昼間は、そこに目視による監視も加わります。それに、発見されれば、敵艦のみではなく、航空機による攻撃も懸念されます。海と空から挟撃されれば、ひとたまりもありません」

「確かにその通りです」

 

 参謀の主張を認めつつ、エアルは自分の意見を続ける。

 

 発見されれば、艦隊は空と海から波状攻撃に晒される事になる。

 

 しかし、その反論が来る事は、エアルは想定済みだった。

 

「けど、昼間なら、仮に発見されて攻撃を受けても、こちらもフランス沿岸基地に展開している空軍部隊の援護を受けられます。それに、『グラーフ・ツェッペリン』の航空隊も使用できます。防空戦闘を行いながら突破するのは、十分可能ではないでしょうか?」

 

 一同は考え込む。

 

 一見すると、無謀ともいえるエアルの案。

 

 しかし、

 

 誰もが「一理ある」と思い始めているのは確かだった。

 

「加えて」

 

 エアルはそこで、ダメ押しの一手に出る。

 

「海峡突破を昼間にするなら、逆算でブレストを出港する時間は夜間に設定できます。これはつまり、艦隊の出港時間を敵に悟られにくいことを意味しています。どちらにしても敵にバレるなら、こちらの行動はギリギリまで秘匿した方が、都合は良いかと」

 

 言い終えると、エアルは満足したように着席した。

 

 

 

 

 

 視界の先に、かすかに浮かぶ炎と煙、そして何かの残骸。

 

 それらは、彼等が存在した唯一の痕跡だった。

 

 襲撃してきたMTBは、外周を警戒する駆逐艦による砲撃を受け、魚雷射点に取り付く暇もなく撃退された。

 

 「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」「プリンツ・オイゲン」の3隻は、主砲はおろか機銃の1発も撃つ事は無かった。

 

 散発的な攻撃。

 

 これは、イギリス軍が、第1艦隊の海峡突破に対して、有効な阻止戦力を用意できずにいる事を意味している。

 

 「夜間に出港し、昼間に突破する」と言うエアルの作戦は、ひとまずは順調に推移している証拠だった。

 

 だが、無論、

 

「これで終わりじゃないよ」

「うん、分かってる」

 

 頷くシャルンホルスト。

 

 それに答えるように、低空を飛行して艦隊に向かってくる機影が見えた。

 

 複葉の攻撃機、ソードフィッシュだ。

 

「今度は流石に、何もしないと言うわけにはいかない、な」

 

 言いながら、右手を掲げるエアル。

 

 ソードフィッシュの数は、それほど多くはない。

 

 しかし、彼等は果敢にもドイツ艦隊を足止めすべく向かってくる。

 

 その様子を真っ向から見据えるエアル。

 

 そして、

 

「対空戦闘、撃ち方始め!!」

 

 振り上げた右腕を、鋭く振り下ろした。

 

 

 

 

 

第48話「三つ首の魔犬」      終わり

 



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第49話「懐かしき灯」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これはいったい、どういう事なのだッ!!」

 

 怒声が、司令部全体を震わせる。

 

 殆ど悲鳴に近い怒号を受けた幕僚達は、揃って立ち尽くすしかなかった。

 

 優雅に遅い朝食を終え、余裕を持った出勤。

 

 これぞまさしく、王侯貴族の余裕とプライドを見せつけるかのように司令部にやって来たディラン。

 

 そんなディランに、この日最初の報告を成された後の第一声である。

 

 最早、王侯貴族としての余裕もプライドもあったものではない。

 

 そこらのチンピラじみた形相で、幕僚達に罵声を浴びせていた。

 

「なぜ、ドイツ艦隊が出撃しているッ!? いつ出撃したのだッ!? どうしてもうドーバーにまで達しているッ!? いや、それ以前になぜ、この私にいの一番に報告が上がってこないッ!?」

 

 質問と言うより、子供がチョコレートをねだって駄々を捏ねているに等しい叫び。

 

 そんなディランに、1人の幕僚が恐る恐ると言った体で進み出る。

 

 それは今朝、ディランの下へドイツ艦隊出撃の報告をしに行き一蹴された取り巻きだった。

 

「あの、殿下、それについては先ほど、報告に上がりました。しかし、殿下が、お食事の最中でしたので」

「聞いてないッ」

 

 至極当然の指摘であるのだが、ディランは言下に否定した。

 

 取り巻きの言葉に対し、聞く耳すら持っていない。

 

「し、しかし・・・・・・」

「俺は聞いていないッ 聞いていないと言う事は、お前は報告を怠ったと言う事だッ つまり、お前の職務怠慢以外の何物でもないと言う事に他ならないッ あとで厳重な処罰を下してやるから覚悟しておけ!!」

 

 最早、理屈にすらなっていない、一方的な決めつけによる処断。

 

 否、

 

 そもそも、この男にとっては初めから理屈など関係なく、「自分の言動は正しく、他の奴等は自分に従っていればそれでいい。逆らうやつは全員、馬鹿でクズで悪」と言う事だ。

 

 すごすごと引き下がるしかない取り巻きを侮蔑を込めた瞳で睨むと、ディランは他の幕僚へと目を向ける。

 

 どうやら、最早彼への興味は失せた様子である。

 

「そもそも、偵察機は何をしていたのかッ!? 敵艦隊の出撃を察知したのなら、なぜすぐに報告しなかったッ!? 報告していれば、このような事態は防げたはずだ!!」

 

 どうやら、自分が命令して、通信による報告を禁じた事すら忘れているらしい。

 

 自分に都合の悪い事は一切合切消去できる。

 

 実に都合のいい脳みそである。

 

「たるんでいるッ どいつもこいつもッ 許しがたい怠慢行為だッ 誓って、貴様らを」軍法会議にかけ、俺の名に懸けて最低2階級は降格させてやるからな!!」

 

 身勝手と言うほかない言いぐさ。

 

 あからさまな責任転嫁に、しかし誰も逆らう事が出来ないでいる。

 

 皆、王族であるが故に、ディランの言動を正す事が出来ないのだ。

 

「とにかく、出せるだけの戦力をありったけ出してドーバーに向かわせろッ 我らの出撃ん準備が完了するまで、ナチの艦隊を足止めするんだ!!」

 

 S部隊は現在、ようやく駆逐艦の補給が終わったばかりであり、巡洋艦と戦艦、空母の補給はこれから始まる。その作業は急ピッチでやっても1日は掛かる。

 

 1日あれば、ドイツ艦隊は自分達の制海圏まで逃げ込んでしまうのは明白である。

 

 ディランの命令がいかに常識を無視した、実現不可能なものであるか。

 

 この場にいる、ディラン以外の全員が理解していた。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 ドーバー海峡突破を目指し北上を続けるドイツ第1艦隊。

 

 そして、

 

 それを阻止せんとするイギリス軍との死闘は続いていた。

 

 先制を仕掛けて来た魚雷艇部隊を撃破すると、続いて現れたのはソードフィッシュを中心とした航空部隊だった。

 

 数は6機。

 

 相手は旧式の雷撃機。数も、決して多い数とは言えない。

 

 しかし、たとえ旧式機と言えど、その身に抱いている魚雷の威力は侮れない。

 

 勿論、1発食らったくらいでシャルンホルスト級巡洋戦艦が致命傷を受ける事はないだろうが、浸水による速力の低下は免れない。

 

 何より、ライン演習作戦時、戦艦「ビスマルク」の死命を実質的に制したのは、この旧式雷撃機である事は、ドイツ海軍の誰もが忘れていない事だった。

 

 低空に舞い降りると同時に、魚雷発射態勢に入るソードフィッシュ。

 

 狙われたのは「シャルンホルスト」の後方を航行する「グナイゼナウ」だ。

 

「敵ソードフィッシュ、左舷90度より接近ッ 6機!!」

 

 見張り員の絶叫を、

 

 艦橋に立つオスカー・バニッシュ大佐は静かに聞く。

 

 次の瞬間、

 

「対空戦闘、撃ち方始め!!」

 

 命令と同時に、左舷に指向可能な連装8基16門の65口径10.5センチ砲が放たれる。

 

 間を置いて、20ミリ、30ミリの各機銃群も続き、迫りくるソードフィッシュに対し弾幕を形成する。

 

 現在、第1艦隊は巡洋戦艦2隻と重巡洋艦1隻が単縦陣を組んでフランス沿岸寄りを航行、駆逐艦6隻が、同じく単縦陣を組んで海峡中央寄りの位置を航行している。

 

 空母「グラーフ・ツェッペリン」は駆逐艦2隻と共に、本隊後方から追随している。

 

 外周の駆逐艦からも、接近するソードフィッシュへ向けて対空砲が放たれるのが見えた。

 

 2機が、対空砲火に絡めとられ、投雷前に火を吹いて海面に落下する。

 

 更に1機、エンジン部分に砲弾が直撃したらしく、火の玉と化して吹き飛ぶのが見えた。

 

「『ビスマルク』の時とは違うのよ」

 

 次々と撃墜されていくソードフィッシュを眺めながら、グナイゼナウが呟く。

 

 吹き抜ける爆炎が少女の頬を撫でていく。

 

 沸き立つ破壊と炎ですら、少女を傷つける事能わない。

 

 基準排水量3万1000トンの巡洋戦艦は、その鋭角な艦首で波濤を切り裂き、最高速度の31ノットで海峡中央を駆け抜けている。

 

 ライン演習作戦において、ドイツ海軍の期待を一身に背負いながらも孤独に戦い、最後は味方の手で自沈する事を選んだビスマルク。

 

 ビスマルクはイギリス軍に包囲されて孤独に戦いながらも、しかし最後まで屈する事は無かった。

 

 その「ビスマルク」が沈むきっかけを作ったのが、目の前にいるソードフィッシュどもだ。

 

 無論、「ビスマルク」の舵を破壊したのは、空母「アークロイヤル」の航空部隊であり、目の前の連中ではない。

 

 だが、

 

 それでも、

 

 怒りをぶつける相手としては、この上ないくらいに適当だった。

 

 やがて、「グナイゼナウ」を狙ってきたソードフィッシュは、対空砲火によって全機が撃墜。

 

 辛うじて1機のみ、墜落前に魚雷投下に成功したが、目標となった「グナイゼナウ」を捉える事は無かった。

 

 だが、勝利に喜ぶ暇は、ドイツ艦隊にはない。

 

「敵第2波接近ッ 数、20以上!! 左舷20度、高角30度!!」

 

 イギリス本土の方角から、編隊を組んだ航空隊が、第1艦隊を目指してまっすぐ向かってくるのが見える。

 

 第一波を撃退されたイギリス軍だが、間髪入れずに第2波を送り込んできたのだ。

 

 恐らくは、先の攻撃は先遣隊による牽制、こちらが本隊なのだ。

 

 その証拠に、今度は一筋縄ではいかない数だ。

 

「今度もソードフィッシュ・・・・・・それに・・・・・・おいおい」

「どうしたの?」

 

 苦笑気味に発せられたオスカーの言葉に、グナイゼナウは首をかしげながら自分の双眼鏡を取って覗き込む。

 

 そこで、オスカーが驚いた理由に思い至る。

 

「え? あれって、スクアよね。まだ使ってたんだ」

 

 ブラックバーン・スクア戦闘爆撃機は、大戦開始直後から1940年あたりまで、イギリス軍が主力爆撃機として使用していた機体である。

 

 機動性も悪くない為、戦闘機としての活躍も期待されていたが、そもそもドイツ軍の主力戦闘機であるメッサーシュミットBf109には速力で敵わず、肝心の爆撃機としても200キロ程度の爆弾しか搭載できない為、開戦早々に力不足が露呈。今では完全に、前線から姿を消している機体である。

 

「あんな旧式まで引っ張り出してくるくらいだから、相当慌てているみたいね」

「ああ、それに・・・・・・」

 

 言いながら、オスカーは口元に笑みを浮かべた。

 

「今度は、俺達がわざわざ手を下すまでも無いらしい」

 

 そう言って、向けた双眼鏡の向こうでは、速度を上げて接近してくる新たな航空隊の姿があった。

 

 

 

 

 

 交戦を開始する第1艦隊主力。

 

 その後方から追随する航空母艦でも、慌ただしく動きが生じていた。

 

 ウォルフは航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」を艦隊の後方に配置した。

 

 空母は艦隊の中では目立つ上に、戦艦や巡洋艦に比べて防御力でも機動力でも劣る。航空機から狙われたら集中攻撃を食らいかねなかった。

 

 それゆえに、ウォルフは「グラーフ・ツェッペリン」を後方に配置して、敵の目から晦ませるようにしたのだ。

 

 今のところイギリス軍の注意は、「シャルンホルスト」以下、第1艦隊の本隊に向けられており、「グラーフ・ツェッペリン」は見逃されている形となっている。ウォルフの狙い通りだった。

 

 その為、「グラーフ・ツェッペリン」航空隊は、母艦を気にすることなく、本隊の航空支援に専念する事が出来ていた。

 

 飛行甲板を蹴って、メッサーシュミットBf109が発艦していく。

 

 その中に、クロウの機体もあった。

 

 翼に描かれた鉄十字を鋭く輝かせ、先行する主力隊の援護に駆け付けるべく速力を上げる。

 

 加速して、イギリス軍編隊の後方へと回り込むクロウのメッサーシュミット。

 

 やがて、第1艦隊に攻撃を仕掛けるべく、海上を飛行するイギリス軍編隊を発見する。

 

 猛禽の如き少年の双眸は、己が倒すべき敵を一瞬にして見定める。

 

「ソードフィッシュにスクアね・・・・・・」

 

 操縦桿を操りながら、照準器を睨む。

 

 その中で、徐々に大きくなるソードフィッシュの機影。

 

 正直、スクアの攻撃力は大したことはない。攻撃を食らっても、「シャルンホルスト」や「プリンツ・オイゲン」が大ダメージを食らう事はないだろう。

 

 しかし、ソードフィッシュの魚雷は別だ。

 

 ツェルベルス作戦成功のカギは、スピードにある。イギリス軍が態勢を立て直す前に海峡を突破する必要があるのだ。

 

 もし主力艦が魚雷を食らい、速力が低下したら敵に捕捉される可能性がある。それこそ、ライン演習作戦の時の「ビスマルク」の二の舞である。

 

 だからこそ、ソードフィッシュを優先して攻撃するように指示が出ていた。

 

「そんな骨とう品に、兄貴の艦をやらせるかよ!!」

 

 叫びながら機銃を1連射。

 

 魚雷攻撃を行うべく、まっすぐに飛翔していたソードフィッシュは、ひとたまりもなく吹き飛ばされた。

 

 駆け抜ける、クロウのメッサーシュミット。

 

 眼下では、対空砲を撃ちながら全速力の31ノットで航行する「シャルンホルスト」の姿がある。

 

「俺がいる限り、兄貴はやらせねェ!!」

 

 叫びながら操縦桿を倒すと、次の獲物を求めて翼を巡らせた。

 

 

 

 

 

 イギリス軍の攻撃をかわしながら、北上を続ける第1艦隊。

 

 今のところ、護衛の駆逐艦も含めて被害らしい被害は出ていない。

 

 敵は攻撃を全て、「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」「プリンツ・オイゲン」の3隻に集中してきている為、小型艦には被害が及んでいないのだ。

 

 艦隊は既に、海峡の最峡部を通過。

 

 間も無く、ダンケルク沖に到達する。

 

 あの、ドイツ軍にとって痛恨とも言える追撃失敗から、既に1年半もの歳月が流れている。

 

 それはつまり、1年半もの歳月をかけても尚、ドイツ軍はイギリスを屈服させるには至らなかったと言う事だ。

 

 あまりにも痛かった。あの時、連合軍の殲滅できなかった事が。

 

 あの時、連合軍を取り逃がして居なければ、その後は主力軍の大半を失ったイギリス軍が停戦を申し出てきた可能性は十分にある。

 

 そうしておけば、イギリス・フランスと言う2大国を撃破された連合軍は壊滅。ドイツは以後、ソ連への備えに集中する事も出来たのだ。

 

 そう考えれば、現在のドイツ軍の苦境は全て、1年半前から始まっていたとも言える。

 

 歯車に生じた微かな狂い。

 

 それが徐々に拡大して、ここまで大きな事態にまでなってしまった。

 

 どこかで修正しなければ、やがては取り返しのつかない事になりかねない。

 

 だが、今は取り合えず、目の前の事態に対応する必要がある。

 

「敵機約40、左舷30度、高角40度より急速接近中、ソードフィッシュ、スピットファイア!!」

 

 規模としては、これまでで最大と言える。

 

 しかもスピットファイアを伴ってきたと言う事は、こちらの防空隊を排除して艦隊を攻撃する作戦なのだ。

 

「艦長、正念場だぞ」

「ええ、望むところです」

 

 背後からかけられたウォルフの言葉に、振り向かずに頷くエアル。

 

 その視界の先で、メッサーシュミット隊が艦隊を守るべく速度を上げるのが見えた。

 

 

 

 

 

 ドーバー海峡を北上するドイツ艦隊を眼下に見ながら迫るイギリス空軍部隊。

 

 構成はスピットファイアが16機に、ソードフィッシュが22機。

 

 これまで五月雨式に戦力を小出しにしてきたイギリス軍にとっては、本日最大規模の攻撃となる。

 

 本国艦隊の失態により使える戦力が不足しているイギリス軍にとって、これが出し得る最大限の戦力となる。

 

 そのイギリス軍の戦力の中に、第9王子リシャールの駆るスピットファイアの姿もあった。

 

「ドイツ軍てどこまで馬鹿なんだろうねー? もうほんと、バカバカばーかッ お前らなんかが、この僕に勝てるわけないじゃん? そんな事も分からないなんて、かわいそー!!」

 

 言いながらスピットファイアのスロットルを開く。

 

 向かってくるメッサーシュミット。

 

 だが、

 

「ハイ遅―いッ はい雑魚―ッ はい、終わりー!!」

 

 言いながら機体を宙返りさせ、照準器がメッサーシュミットを捉える。

 

 砕け散る、鉄十字の機体。

 

「はい、僕の勝ち―、僕の勝ちー、雑魚は死ねー」

 

 調子の外れた歌声と共に、翼を翻すリシャールのスピットファイア。

 

 更に、味方のソードフィッシュを攻撃しようとしていたメッサーシュミットを補足し機銃を浴びせる。

 

 炎を上げるメッサーシュミット。

 

「ハイ勝ち―ッ 僕の勝ち―!! ああ、雑魚狩りは楽しいなー!!」

 

 気色の悪い笑い声を上げるリシャール。

 

 得意絶頂で、メッサーシュミットを追いかけまわす。

 

「お? 逃げるの? 逃げるの? 臆病者ッ!! 弱虫!! お前なんか、こーだッ!!」

 

 叫びながら、機銃のトリガーを絞ろうとした。

 

 その時だった、

 

 高空から駆け下りて来た鉄十字の翼が、油断していたリシャールの頭上から襲い掛かった。

 

「ヒィッ!?」

 

 一瞬、

 

 視界に映った機影に悲鳴を上げながら、反射的に操縦桿を倒すリシャール。

 

 間一髪、メッサーシュミットが放った弾丸は、スピットファイアのすぐ脇を駆け抜けていく。

 

「ヒィッ ヒィッ ヒィィィィィィィィィィィィィッ!!」

 

 先ほどまでの余裕はどこへやら。

 

 耳障りな悲鳴と共に、必死の形相で操縦桿を操り、失速しかけた機体を立て直す。

 

 その甲斐あって、リシャールの駆るスピットファイアは、辛うじてメッサーシュミットの奇襲攻撃回避には成功した。

 

 だが、

 

「ああああああああああッ 何なんだよ、お前はさッ 僕の邪魔すんなよ!!」

 

 苛立ちを隠そうともせず、自分に攻撃を仕掛けたメッサーシュミットを追いかけるべく、スロットルを開くリシャール。

 

 速力を上げるスピットファイア。

 

 しかし、機動性ではスピットファイアが勝るが、加速と直線速度ではメッサーシュミットに一日の長がある。

 

 リシャールのスピットファイアが速力を上げ始めた時には、既にメッサーシュミットは距離を離していた。

 

「逃げるなよッ 卑怯者ッ この卑怯者がァァァァァァッ!!」

 

 苦し紛れに機銃を放つが、当然、届かない。

 

 弾丸は空しく、眼下に落下していくだけだ。

 

 そうしているうちに、狙ったメッサーシュミットは乱戦の中に隠れて見失ってしまった。

 

「うゥゥゥ、うゥゥゥ、うゥゥゥ・・・・・・・・・・・・」

 

 その様子を見て、リシャールは暫く歯噛みする。

 

 「自分を邪魔した卑怯者」に逃げられたのが、この末っ子王子には我慢ならなかったのだ。

 

 ややあって、その口元に無理やり笑みを刻む。

 

「ああ、そっかそっか、僕が怖いから逃げたんだッ そーだよねー、君たち弱いもんねッ 超強い僕には絶対に勝てないもんねー!!」

 

 敵が避退した事を都合よく解釈しながら、上機嫌で機体を反転させるリシャール。

 

 相変わらず調子の外れた鼻歌を歌いながら、次の獲物を探しだした。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 メッサーシュミットを駆って戦場空域をいったん離脱したクロウは、先ほどのスピットファイアに思いを馳せていた。

 

 太陽を背にして急降下。

 

 速力を完全に乗せた一撃離脱。

 

 理想的な奇襲攻撃。

 

 まさか、それをかわされるとは。

 

「はあ、運が良いんだか、腕が良いんだか。まあ、別にどっちでも良いんだけどね」

 

 ぼやくように呟きながら、機首を上げてメッサーシュミットを反転させる。

 

 機動性が高いスピットファイア相手に、巴戦を行うのは得策とは言えない。

 

 メッサーシュミット乗りとしては、大出力のエンジンを使って一撃離脱に徹するのがうまいやり方だろう。

 

 案の定、敵機は怒りに任せて追いかけてこようとしているのが見える。

 

 しかし、敵機が反転して攻撃位置に着いた時には、既にクロウの機体ははるか先まで距離を引き離している。

 

「悪いけど、こっちは忙しいんだ。お前と遊んでいる暇はないんだよ」

 

 言いながら、更にスピードを上げるクロウ。

 

 こうなると、メッサーシュミットに追い付ける機体はほとんどいない。

 

 やがて、

 

 案の定と言うべきか、敵機は諦めたのか、反転していくのが見えた。

 

 クロウはと言えば、既に次の獲物を見定めてメッサーシュミットを加速させている。

 

 敵は執拗に、第1艦隊に攻撃を仕掛けてきている。

 

 1機の敵にかまっている暇はなかった。

 

 

 

 

 

 戦いは終盤に差し掛かりつつある。

 

 誰もが、そう思い始めていた。

 

 第1艦隊は敵の攻撃をかわしながら、既にダンケルク沖を通過。順調に北上を続けている。

 

 間も無くだ。

 

 間も無く、敵の攻撃圏を抜ける。

 

 そうすれば、こちらの勝ちだ。

 

 全速力で航行する「シャルンホルスト」。

 

 横隊を組んだ4機のソードフィッシュが、その左舷側から迫る。

 

 攻撃の悉くを、ドイツ軍の迎撃によって阻止されたイギリス軍には、既に攻撃力を保持している機体は少ない。

 

 そこで、残る全戦力を投入して「シャルンホルスト」を叩きに来たのだ。

 

「狙いは悪くない、かな。けど・・・・・・」

 

 向かってくるソードフィッシュを見ながら、エアルは不敵な笑みを刻む。

 

 残る戦力を集中すると言うのは、戦術上有効であるのは確かだ。少なくとも、分散攻撃するよりは良い。

 

 しかし、

 

「残念だけど、君達じゃ無理だよ」

 

 エアルの言葉と同時に、左舷側の対空砲火をフル稼働させる「シャルンホルスト」。

 

 たちまち、ソードフィッシュの進路前面に、無数の炸裂が発生する。

 

 更に外周の駆逐艦や「グナイゼナウ」「プリンツ・オイゲン」も射撃を開始する。

 

 こうなると最早、戦闘ではなく、半ば虐殺にも似た様相を呈する。

 

 艦隊の十字砲火に絡めとられ、射点にたどり着く前に2機のソードフィッシュが撃墜、海面に突っ込む。

 

 更に1機、「シャルンホルスト」が放った対空砲火によって叩き落される。

 

 残るは1機。

 

 しかし、最後のソードフィッシュは、勇敢にも対空砲火の中を突き進んでくる。

 

 仲間の仇ッ

 

 せめて一太刀、浴びせてやるッ

 

 そんなパイロットの声が、聞こえてくるようだ。

 

 対空砲火を掻い潜り、高度を落として魚雷投下態勢に入る複葉の旧式雷撃機。

 

 迫るソードフィッシュ。

 

 「シャルンホルスト」までは、あとわずか。

 

 このまま、魚雷を食らう事になるのか?

 

 誰もが、そう思った。

 

 だが、

 

「あれはッ」

 

 エアルは、ソードフィッシュの背後から迫る影に気付き声を上げる。

 

 同時に振り返って叫んだ。

 

「全火器、砲撃止め!!」

「え、おにーさんッ!?」

 

 驚いて声を上げるシャルンホルスト。

 

 正直、このタイミングで対空砲火を止めるなど、正気の沙汰とは思えない。

 

 だが、

 

「大丈夫、俺を信じて」

 

 やがて、エアルの命令通り、対空砲を停止する「シャルンホルスト」。

 

 最後のソードフィッシュが、速度を上げて突っ込んでくる。

 

 正に魚雷を投下しようとした、

 

 次の瞬間、

 

 突如、背後から殴られるような衝撃と共に、海面へと突っ込んだ。

 

 入れ替わる様に、急上昇を掛けるメッサーシュミット。

 

 その操縦桿を操る、クロウが手を振っているのが見えた。

 

 最後のソードフィッシュの背後から、クロウのメッサーシュミットが迫っているのが見えたエアルは、敢えて対空砲火をやめさせて弟が攻撃するチャンスを作ったのである。

 

 言わばソードフィッシュは、アレイザー兄弟が即席で作り上げた罠の中に、自ら飛び込んだ形だった。

 

 手を振り返すエアル。

 

 傍らのシャルンホルストもまた、一生懸命、上空を舞う翼に向かって手を振っていた。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 こうして、ツェルベルス作戦は終了した。

 

 見事、イギリス軍の警戒網をすり抜けて、本国への帰還を果たした第1艦隊には賞賛が雨あられと降り注いだ。

 

 何と、あのヒトラー総統も直々に賛美を送ったほどであった。

 

 一方、

 

 白昼堂々、自国の正面を敵艦隊に突破されたイギリス軍には批判が殺到。

 

 関係各所は暫くの間、その火消しの為に奔走する事になるのだった。

 

 そして、

 

 

 

 

 

 ゆっくりと近づいてくる光。

 

 それが、良く慣れ親しんだ物だと気づくのに、そう時間は掛からなかった。

 

「帰って来たな」

「うん」

 

 並んで立つシャルンホルストが、エアルの言葉に頷きを返す。

 

 少女の声が、かすかに上ずっているのが分かる。

 

 それ程までに、目の前の光景は感動的ですらあった。

 

 そっと、少女の華奢な体を抱き寄せるエアル。

 

 少女もまた黙したまま、青年にその身を預けた。

 

 1942年2月13日。

 

 ドイツ海軍第1艦隊、ヴィルヘルムスハーフェン軍港へ帰還。

 

 作戦に成功したドイツ海軍。

 

 しかし、それは同時に、新たなる戦いの幕開けをも意味している事は、誰もが予感している事だった。

 

 

 

 

 

第49話「懐かしき灯」      終わり

 



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第50話「柏葉の輝き」

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 スマートな外観の巡洋戦艦が、ゆっくりと桟橋へと近づいてくる。

 

 基準排水量3万1000トンの巨体にしては、滑らかな動きだ。

 

 やがて、定位置まで来るとピタリと制動を掛ける。

 

 その動きは、見事としか言いようがなかった。

 

「総員上陸準備、接岸作業、掛かれ!!」

「了解ッ」

 

 エアルの命令を受けて、ヴァルターが接岸に向けた指示を各部署へと飛ばす。

 

 ツェルベルス作戦を終え、無事にドーバー海峡突破に成功したドイツ第1艦隊は、一旦ノルウェーのベルゲンに寄港して損傷個所を補修した後、再度出港し南下、その後は順調にスケガラック海峡、カデガット海峡を通過して、ドイツ本国への帰還を果たした。

 

 一連の作戦における沈没艦は無し。正に、ドイツ海軍の完全勝利と言って良かった。

 

 この後、各艦艇は工廠へと引き継がれ、整備作業へと入る。

 

 その間、乗組員達にはつかの間の急かが与えられる事になる。

 

 何しろ1年半振りの帰国である。誰もが家族や友人、果ては恋人との再会を心待ちにしている。

 

 一度海へと出れば家族と会う事は出来ず、明日をも知れぬ運命となる身。誰もが、生きている事への感謝を込め、また、明日への運命を願う。

 

 それは軍艦に限らず、船が帰港した港で常に見る事が出来る光景だった。

 

 

 

 

 

 接岸と交渉への引継ぎを終えたエアルは、タラップを伝って桟橋へと降りる。

 

 踏みしめる大地は、久しぶりの祖国。

 

 同じ港の風景であっても、他国とはまた違う感慨が沸くと言う物。特に、今回のように1年以上帰っていなければ猶更である。

 

 帰って来た。

 

 ようやく、その実感が、心の中で深く噛みしめられていた。

 

 そのまま歩き出そうとしてエアルは、ふと足を止めると、見上げるようにして振り返った。

 

 甲板の上では、多くの乗組員が走り回っているのが見える。

 

 巡洋戦艦「シャルンホルスト」。

 

 開戦以来、自分が指揮して数々の栄光を共にした艦。

 

 多くの苦難も、この艦と共にあったからこそ乗り越えて来る事が出来た。

 

 しかし、

 

「・・・・・・今回で最後、かな」

 

 努めて淡々とした口調で呟くエアル。

 

 通常、戦艦の艦長と言う物はせいぜい1~2年程度で交代する物だ。

 

 これは昇進や異動にも関わる事であり、更に言えば、その人物が退く事で、その席を後進の人間に譲る意味合いもある。

 

 エアルは既に3年近く「シャルンホルスト」艦長の座にあり、その間に多くの武功を上げている。

 

 海軍人事局としても、そろそろエアルを他の部署へと異動させ、艦長席を空けたいと思っている頃だろう。

 

 できれば、もっとこの艦に乗っていたい。

 

 この艦と一緒にいれば、まだまだできる事がたくさんあるはず。

 

 そう確信している。

 

 しかし、その願いが叶えられる事はないだろう。

 

 一応、上層部に留任の申請を出す事は出来るが、受理される可能性は低かった。

 

 ふと、よぎるのは一抹の寂寥感。

 

 この艦を降りると言う事は、それはつまり・・・・・・

 

「おにーさんッ!!」

 

 背後から元気よく、とびかかってくる少女。

 

 そのままエアルの左腕に、しがみつくようにして抱き着く。

 

「シャル・・・・・・・・・・・・」

 

 少女の重みを腕に感じ、エアルは微笑む。

 

 当然だが、艦を降りると言う事は、シャルンホルストとも離れ離れになると言う事だ。

 

 この戦時下、一度離れれば、次は会えるかどうかすら分からない。

 

 その事が、エアルの胸に微かな疼きとなっていた。

 

 やがて、この手を離さなくてはならない時が来る。それも、近い将来。

 

 だからこそ、エアルは知らずの内に己で背を押していた。

 

「あのさ、シャル」

「うん、何?」

 

 見上げるシャルンホルスト。

 

 エアルが続けて口を開こうとした。

 

 その時、

 

「おーいッ!!」

 

 不意に、大声で呼びかけられ、エアルは言葉を止める。

 

 振り返ると、どうやら急いで走って来たらしい、シュレスビッヒが肩で息をしながら立っていた。

 

「2人とも、ちょっと待ってくれッ」

 

 怪訝な面持ちで、大先輩たる艦娘参謀長を見つめるエアルとシャルンホルスト。

 

「シュレスおばさん、どうしたんですか?」

 

 既に任務も終わっており、エアルの口調は公的な物からプライベートな物へと切り替わっている。

 

 シュレスは何を慌てているのか?

 

 相手の反応を待っていると、シュレスは切れた息を整える間も無く口を開いた。

 

「2人とも、すまんが一度、艦に戻ってくれ」

「え?」

「何で?」

 

 首をかしげる2人に、シュレスはようやく息を整えていった。

 

「お前たちに、ぜひ会いたいと言う御方が来ている」

 

 

 

 

 

 ともあれ、

 

 そう言われた以上、戻らないわけにはいかない。

 

 エアルとシャルンホルストはシュレスに連れられる形で、たった今降りた「シャルンホルスト」へと戻る。

 

 そのまま会議室へと連れていかれる。

 

 と、

 

 エアルは会議室の前に、直立不動で立っている士官を見て眉を顰める。

 

 彼等が来ているのは海軍の正式軍装ではなく、漆黒の軍服だ。

 

 これを切る事が許されているのは、ドイツ軍の中でも、ほんの一握りだ。

 

 となると、自分達に会いたいと言う人物は・・・・・・・・・・・・

 

 ある予感と共に、室内へと入る。

 

「来たか、2人とも」

 

 中で待っていたのは、父である第1艦隊司令官のウォルフ・アレイザー中将。

 

 そして、

 

「やあ」

 

 父と共に待っていた人物が、入って来たエアルとシャルンホルストを見て、上機嫌で手を上げる。

 

 その姿を見た瞬間、

 

 エアルは思わず強張ると同時に、自分の予感が的中した事を悟った。

 

「ようやく会えたな、アレイザー大佐、それに君はシャルンホルストだな。開戦以来の活躍ぶりには、余も心躍る物があったぞ」

 

 その人物は、思っていたよりも小柄で、あまり体格がいいとは言えないエアルよりもさらに背が低い。

 

 しかし眼光は鋭く、存在感はまるで人ならざる物であるかのようだ。

 

 やはり、

 

 と思った。

 

 部屋の外に立っていたのは親衛隊(SS)の隊員だった。

 

 SSがわざわざ警護に着く人間など、この国には1人しかいない。

 

 ドイツ第3帝国総統アドルフ・ヒトラー。

 

 正真正銘、本人が目の前に立っていた。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 ツェルベルス作戦の成功に沸くドイツ海軍。

 

 これまで数々の勝利を重ねてきたが、痛快さにおいてはこれ程の物は無かった事だろう。

 

 何しろ、イギリス軍の文字通り鼻先を、主力艦隊が白昼堂々素通りしてやったのだから。

 

 紛う事無き大勝利。

 

 ドイツ全軍の士気は大いに盛り上がった。

 

 一方、

 

 ドイツ海軍の動きを読み切れず、自国の庭ともいえるドーバー海峡を突破された挙句、碌な損害を与える事も出来ずに取り逃がしたイギリス軍、特に海軍への批判は国中から上がった。

 

 何しろ、ドーバー海峡は狭い。

 

 もしドイツ海軍が欲を出していれば、沿岸の街が艦砲射撃を受けていた可能性もあったのだ。そうなれば、被害もバカにならない物になっていた事だろう。

 

 批判は当然の反応である。

 

 そして、

 

 その矛先はまんまとドイツ艦隊を取り逃がした、本国艦隊へと向けられた。

 

 中でも、作戦担当であるS部隊への批判は大きな物だった。

 

 指揮官たるディラン・ケンブリッジ准将は王族で、第2王子と言う立場にある。

 

 更に言えば、様々な政治配慮により、今や「国民的英雄」とも言われる人物である。が、流石に今回ばかりは処分を免れないだろう。

 

 誰もが、そう思っていた。

 

 しかし、

 

 

 

 

 

「何よ、これッ!?」

 

 スカパ・フローにある、本国艦隊司令部内において、少女の怒声が響き渡る。

 

 そのせい量はすさまじく、廊下を歩いていた人間が、思わず何事かと足を止めた程だった。

 

「ベル、うるさい」

「呑気にしてる場合じゃないでしょ!!」

 

 リオン・ライフォード大佐は、怒声の主たるベルファストに呆れ気味に声を掛けるが、帰って来たのは更なる怒声だった。

 

 怒りも冷めやらぬベルファストは、手に持った紙をリオンに付きつける。

 

 受け取って一読すると、それが先日、刷新されたばかりの人事について書かれている事はすぐにわかった。

 

 そこにはS部隊の解隊と、それに伴う人事異動が書かれている。

 

 S部隊の解隊は当然の事と思う。

 

 ドイツ海軍の行動を読み違え、まんまと自国の正面を素通りさせた責任は、本国艦隊唯一の実戦部隊だったS部隊にある。

 

 しかし、問題はその後だった。

 

「『ディラン・ケンブリッジ准将を少将に進級の上、第2戦艦戦隊司令官に任ずる』ってどういう事よッ!? 何で作戦失敗の責任者が昇進した挙句、新しい部隊の指揮官になってるわけ!?」

「俺に当たるな」

 

 リオンはややうんざりした調子でベルファストを押しのけながら、書類に目を落とす。

 

 確かに、ベルファストの言ではないが、リオンも今回の人事には納得いっていない。

 

 ドイツ軍はツェルベルス作戦成功を盛んに全世界に宣伝し、自軍の勝利をアピールしている。

 

 イギリス海軍としては面目が丸つぶれ。その責任者の処罰は、たとえ王族であったとしても免れないと思っていたのだが。

 

 その時だった。

 

 廊下の方からゲラゲラと品の無い笑いが聞こえてきたのは。

 

 振り返れば、ディランが相変わらず、取り巻き達を引き連れて部屋の中に入ってくるところだった。

 

「いやいや、やはり持っている者は違うと言う事さ。この次期国王たるこの俺の事は、誰もが認めていると言う事さ」

「いやいや、流石はディラン様でございますッ」

「全くですな!!」

 

 取り巻き達によいしょされて気分が良くなったディラン。

 

 その視線が、リオンへと向ける。

 

「よう、リオンッ 相変わらず頭の悪そうな面をしているじゃないかッ」

 

 と、相変わらず頭の悪そうな煽り文句で迫ってくるディラン。

 

 疲れるだけなので、通り過ぎるまで無視しようと思っていたが、彼より先に少女がかみついた。

 

「何であんたが昇進なのよッ 作戦失敗の責任者だったくせに!!」

 

 眦を釣り上げるベルファスト。

 

 対してディランはにやにやと笑いながら答えた。

 

「これが王族、それも次期国王と言う、言わばサラブレットたる存在の特権と言うやつさ。そこの雑種と訳が違うのさ」

 

 ディランが嘯くと、取り巻き達がはやし立てる。

 

 最早、完全に有頂天だった。

 

「ああ、勿論、責任者は処罰されたぞ。S部隊の幕僚共は、全員が降格の上、植民地やら地方の閑職へ左遷と言う事になったぞ。俺以外はな」

 

 そう言うと、上機嫌で踵を返すディラン。

 

 つまり、自分の罪を、他の幕僚達に全て擦り付けたと言う事だ。

 

 それで、この上機嫌さである。

 

 余程、面の皮が厚いとしか言いようがなかった。

 

「いやはや全く、生まれが違うと、こうも何もかもが違ってくるんだからな。愉快でたまらんよ!!」

 

 そう言うと、取り巻き達を連れて去っていくディラン。

 

 その様子を、最早あきれ顔で見送る以外に、リオンとベルファストは無かった。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 今回の人事について、この男の介入があった事は、知る人ぞ知る事実であった。

 

「ディラン殿下の件、全て陛下の思し召し通りにいたしましたが、本当に宜しかったのですかな?」

「ああ、よくやってくれた」

 

 首相ウェリントン・チャーチルの問いかけに、国王フレデリックは、ワイングラスを煽りながら答えた。

 

 今回、S部隊が解隊されたにも関わらず、ディランが処罰されるどころか、かえって昇進した裏には、フレデリックの介在があった。

 

 全てはフレデリックが指示を出し、責任を全て幕僚に押し付ける一方で、ディランの失態は全て無かった事にしたのである。

 

 とは言え、それがディランの将来を想っての為、と言うのであれば、1寸の同情は無きにしも非ずと言ったところだったのだが。

 

「王室の権威を、こんな下らんことで汚す事は出来んからな」

 

 この男の頭にあるのは、結局のところそれだった。

 

 王室、ひいては自分の権威が失墜する事以外はどうでも良い事だった。

 

「アンドリウス等馬鹿どもが大失態をやらかし、その上でディランまでともなれば、我が権威の失墜はいかばかりか」

 

 国王たる自分の権利さえ守られれば、後はどうなっても構わない。

 

 究極のエゴの塊が、そこにいた。

 

「長男のアルフレッドがいなくなれば、ディランを本気で後継者に考えねばならんからな。今、あ奴に消えられるのは困るのだよ」

 

 そう言うとフレデリックは、年代物のワインを惜しげもなくグラスに注ぎ、一気に煽るのだった。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 緊張するな。

 

 と言う方が無理と言う物だった。

 

 エアルとシャルンホルストの目の前にいる人物。

 

 それは正真正銘、ドイツ国家元首アドルフ・ヒトラーその人なのだから。

 

 その傍らには、父であるウォルフが、忠実な近衛騎士のように直立不動で立っていた。

 

「閣下はお前たちの活躍を知り、直接労いたいと、ご多忙の中、わざわざ足を運んでくださったのだ」

「そ、そう」

 

 呆気に取られているエアルとシャルンホルスト。

 

 対して、ヒトラーは遠慮なく2人に歩み寄ると、満面の笑顔で2人の手を取る。

 

「開戦以来、『シャルンホルスト』の活躍ぶりには目を見張るものがあった。余も報告を聞くたびに心躍らせてもらった。そなたらは正に、海軍のエースと言っても過言ではない」

「そんな・・・・・・恐縮です。閣下」

 

 恐懼した体で答えるエアル。

 

 実際のところ、こんなところでまさかヒトラー本人に出迎えられるとは思っていなかったエアル達にとって、不意打ちにも等しい状況だった。

 

 横を見れば、シャルンホルストも同様な様子で体を強張らせている。

 

 巡戦少女の緊張はエアルも共有するところである。

 

 否、

 

 確かに緊張はしている。

 

 しかしそれは、驚きからではない。

 

 恐怖。

 

 目の前にいる、一見すると何の変哲もない小柄な男。

 

 しかし今や、全世界を巻き込んだ世界大戦の引き金を引いた張本人でもある。

 

 その存在はまるで魔王の如く、ただそこにいるだけで、威圧されてしまいそうだった。

 

 そんな2人の様子を見ながら、ヒトラーは笑顔で語り掛ける。

 

「そなたらの目覚ましい活躍に対して、余がしてやれることは何か考えたのだが、やはりこれ以外は思い浮かばなんだ。どうか2人とも受け取ってほしい」

 

 そう言ってヒトラーは、傍らのウォルフが持っている小箱から、徽章を2つ取り出す。

 

 銀色に光る柏葉の徽章。

 

 それは、騎士鉄十字章に装着される意匠である。

 

 騎士鉄十字章にはいくつかのランクがあるが、この柏葉を装着する事で「柏葉付騎士鉄十字章」となるのだ。

 

 さらに上になると今度は宝剣の徽章がプラスされ「宝剣柏葉付騎士鉄十字章」となる、更にその上は最高位の騎士鉄十字章となる「宝剣柏葉ダイヤモンド付騎士鉄十字章」となり、これは宝剣と柏葉の部分がダイヤモンドとなっている。ここまで来ると、受賞者は未だ数人に限られている。

 

 本来、勲章の授与は直属の上官が行う物だが、ヒトラーがこうして足を運ぶのは珍しい事。

 

 つまり、今までの活躍を、ヒトラー自らが認めた事になる。

 

「2人とも、これからもどうか、ドイツの為に励んでくれ」

「ハッ」

「は、はいっ」

 

 エアルは恐懼して、シャルンホルストは慌てた様子でヒトラーに敬礼する。

 

 そんな2人の胸元には、新たなる輝きを放つ勲章が輝きを放っているのだった。

 

 

 

 

 

 嵐のようだった。

 

 結局、ヒトラーは次の予定があるとかで、早々に親衛隊員を引き連れて艦を去っていった。

 

 ウォルフとシュレスも、ヒトラーを見送ると艦を降りている。

 

 この後、臨時編成の第1艦隊は解隊となる。それに伴い、2人も艦を降りる事になるだろう。

 

 「シャルンホルスト」は元の編成である第1戦闘群に戻る事になる。

 

 しかし、恐らくそこに、2人の姿はないだろう。

 

 ウォルフとシュレスは、今回の功績により、それぞれ別の部署へと栄転になる筈だ。

 

 そして、

 

 それはエアルにも言える事。

 

 自分がこの艦に乗る事は、もう無いかもしれない。

 

 この娘と一緒にいる事は、できないかもしれない。

 

「ねえ、シャル」

「何?」

 

 突き動かされるように、エアルは口を開いた。

 

「ちょっと、俺に付き合ってくれない」

 

 まっすぐな瞳で告げるエアル。

 

 シャルンホルストは、怪訝そうに首をかしげるのだった。

 

 

 

 

 

第50話「柏葉の輝き」      終わり

 




この時期まだ「黄金柏葉」は存在していないので、騎士鉄十字章としての最高位は「宝剣柏葉ダイヤモンド」になります。

鉄十字章としては「大鉄十字章」がさらに上位としてありますが、これはこの時期ゲーリングしかもらってなかったらしいので。

更に上には「大鉄十字星章」がありますが、ここまで来ると、歴史上で2人しか受賞してないそうです。


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第51話「不吉なりし青」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 張り詰めた空気。

 

 ただ、その場にいるだけで、喉を奥から締め付けられるような錯覚に陥る。

 

 慣れない人間がこの場にいれば、すぐにでも席を立ちたくなることだろう。

 

 居並ぶメンツを見れば、それも無理からぬことだろう。

 

 ここに集ったのはエドワルド・レーダー元帥や、カーク・デーニッツ大将と言った、ドイツ海軍の首脳陣、更にはナチス党の幹部たちも集まっている。

 

 無論、アドルフ・ヒトラー総統の姿もある。

 

 そして、

 

 その対面には本日の主役たる、ウォルフ・アレイザー中将が控えていた。

 

 ツェルベルス作戦を指揮し、見事に第1艦隊をドイツ本国に帰還させることに成功したウォルフ。

 

 帰還後、第1艦隊は解隊となり、同時にウォルフも第1艦隊司令官兼第1戦闘群司令官の任を解かれ、現在は親衛隊(S S)所属に戻っている。

 

 ここはベルリンにある総統府。

 

 ではない。

 

 ここは東プロイセン州ラステンブルクの東にある、広大な森林地帯の中に建設された総統大本営。

 

 通称「狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)

 

 バルバロッサ作戦開始以後、ヒトラーはベルリンを離れ、この地で指揮を執っていた。その為、ドイツの行政機能は今や全て、この狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)に集約されていると言っても過言ではない。

 

 何やら秘密基地めいた印象のある、この狼の巣だが、その内実は行政機能や通信施設は勿論、広大な居住棟、多数の娯楽施設もあり最早、小さな街と言っても良い様相である。

 

 移動手段としては鉄道引き込み線と小型の飛行場も存在している。

 

 勿論、防御機能も充実しており、周囲は鉄条網と地雷原に覆われ、常に2000名からなる親衛隊員が常駐し、ヒトラーの守りは万全だった。

 

 そんな一同を見回して、ヒトラーが口を開いた。

 

「皆、先日のツェルベルス作戦はご苦労だった。実に見事な作戦展開に、余も溜飲が下がる思いだった。これで、イギリス海軍の権威は地に落ちた事は明白であり、奴等の士気も下がったであろう。我がドイツの勝利に大きな躍進になった事は間違いない」

 

 ヒトラーの言葉に、一同は居住まいを正す。

 

 国家元首からの賛辞と言う物は、それだけで重みがある物である。ましてヒトラーは、自他ともに認める独裁者である。そのヒトラーの言葉ともなれば、ドイツでは千金にも勝ると言う物だった。

 

「しかるに」

 

 静かに、言葉を切り替えるヒトラー。

 

 今日、この場に海軍の首脳陣を集めたのは、賛辞を贈る為だけではない。

 

 本題はここからだった。

 

「イギリス海軍は未だ強大であり、油断の許されない相手だ。加えて今後は、あの成り上がり者たる新大陸の国家、アメリカの艦隊も相手にしなくてはならない。より一層の、諸君の活躍に期待したいところ」

 

 言い終えると、ヒトラーは対面に座るウォルフを見やる。

 

 視線に対し、頷きを返すウォルフ。

 

 それを受けて、ヒトラーは再度、口を開いた。

 

「この状況に対し、アレイザー中将、君から何か提案があるとの事だが?」

「ハッ」

 

 指名され、立ち上がるウォルフ。

 

 その視線が、レーダー、そしてデーニッツへと向けられる。

 

 これから話す内容について、この2人と、その他数人には既に話してある。

 

 デーニッツは面白そうに笑みを浮かべて頷いたのに対し、レーダーは無言のまま腕を組む。

 

 両者の思惑が、明確にわかる態度だった。

 

 話を持ち掛けた時、デーニッツは興味を示してくれた。

 

 しかし、レーダーはあまり乗り気ではない様子だった。どうやら、ウォルフの意見に今でも完全に賛同しているわけではないらしい。

 

 しかし、それでも明確に反対はしてこなかった当たり、一理ある事は認めてくれているらしい。言うならば「消極的賛成」と言ったところだ。

 

「それでは、ご説明させていただきます。お手元の資料をご覧ください」

 

 既に会議前に、今回の議題についての資料は配ってある。

 

 一同がページをめくるのを確認してから、ウォルフは語り始めた。

 

「これまで我が国は、イギリスを中心とした連合軍と対峙を続けてきましたが、現在はそこにソ連とアメリカも加わった形です。アメリカの持つ豊富な物量は脅威ですが、最も憂慮すべきは、アメリカが送り出した物資が、北海経由でソ連に送られている事です」

 

 ウォルフが示した資料には、アメリカ本土からソ連のムルマンスクへ向かう航路、更には実際に航行している輸送船の写真も添付されている。

 

 そうして運ばれた物資が、対ドイツ戦線に転用されている事は疑いなかった。

 

「先のバルバロッサ作戦において、ソ連軍は恐らく想定を上回る大損害を被り、現在はアメリカの支援の下、回復に努めているものと思われます」

「まあ、奴等の事だ。アメリカからの援助で戦費を浮かせようと言う姑息な魂胆もあるだろうがな」

 

 居並ぶ党幹部からの言葉に、皆が笑いながら追随する。

 

 言い得て妙だろう。

 

 ヨーゼフ・スターリンと言う男は、よく言えば抜け目なく強か、悪く言えば小狡い所がある。アメリカやイギリスからの支援で、軍費を減らそうと言うのは、彼の独裁者の考えそうなことである。

 

 まあ、事実はどうあれ、物資がアメリカからソ連に送られている。重要なのはこの点だった。

 

「これらの物資輸送を遮断しない限り、無尽蔵に送られ続ける事になります。そこで・・・・・・」

 

 次のページを指し示すウォルフ。

 

 そこには、具体的な計画が書かれていた。

 

 添付された地図は、ノルウェーを中心に、北極海一帯をカバーするように描かれている。

 

「アメリカから送られる物資は、その全てがノルウェーの北を通ります。そこを通らない事には、ムルマンスクへは行けませんし、その他の港は使用に制限があるか、あるいは全く使えないかのどちらかです」

 

 ソ連はその地理的条件の関係から、大半の港が冬には凍り付いてしまう。これは帝政ロシア時代から続く、彼の国の弱点と言えよう。

 

 そんな中で、ムルマンスクは北海に面していながら、暖流の影響で冬でも使用可能な数少ない港だった。

 

 つまり、イギリスやアメリカがソ連に援助物資を送ろうとすると、どうしてもムルマンスクを使用せざるを得ず、その為には北海航路を使う必要があると言う事だ。

 

 つまり、ドイツ側からすれば、その航路を読みやすい事を意味している。

 

「重要となるのがノルウェーです」

 

 ノルウェーの地図。

 

 その海岸線には多数のフィヨルドが存在している。

 

 フィヨルドは規模が大きく奥行きがあり、水深も深く、かつ構造も複雑となっている。

 

 要するに天然の要害と言って良い。

 

 大戦初期、ドイツ軍がノルウェーに侵攻したのは、同国の持つ鉱物資源を手に入れる狙いの他に、このフィヨルドを水上艦やUボートの基地として使用する目的もあった為だ。

 

「我が軍は北ノルウェー一帯に大規模な拠点を建設。そこに水上艦隊、潜水艦隊、航空部隊を配置し、北海を航行する敵船団を狙い撃ちにします。そうすれば敵は、必要な物資を運び込む事が出来なくなります」

 

 ノルウェーのフィヨルドを港として整備し、そこに艦隊を配置すれば、敵も簡単にはこれを叩く事が出来なくなる。

 

 仮に攻撃しようとしても、水上艦艇の動きはフィヨルド内では制限される事になるし、たとえばタラントや真珠湾のように航空機による攻撃を試みたとしても、フィヨルドは幅が狭い為、雷撃機が攻撃機動を行うべく直進する事が出来ない。そうなれば、上空からの爆撃以外に攻撃手段がなくなるわけだが、これについてもフィヨルドの狭さが災いし、進入角度が限定されてしまう。立てこもるドイツ側からすれば、迎撃しやすい地形と言う訳だ。

 

 潜水艦も同様。フィヨルドの奥まで侵入するにはリスクが大きすぎる。

 

 敵からすれば、ドイツ艦隊がフィヨルドに立て籠もるだけで、酷く厄介な存在が出来上がると言う訳だ。

 

 勿論、だからと言って放置する事も出来ないだろう。そうなれば、ドイツ艦隊は北海航路を好き勝手に襲撃して暴れまわる事が出来る。

 

「まるで要塞だな」

「その通り、これは北ノルウェー一帯を、我らの要塞とするための計画です。ただし、この要塞は守る為の物ではありません。我らが攻め、戦い、勝利する為の要塞です」

 

 ドイツ軍がノルウェーに進出すれば、敵の輸送船を容易に狙い撃ちできる。

 

 また、敵がノルウェーのドイツ軍を警戒して輸送を制限すれば、それもまた良し。労せずして敵の輸送を遮断できる。

 

 どちらにどう転んでも、ドイツ軍の利益になる事は間違いなかった。

 

「よかろう」

 

 上座で聞いていたヒトラーが大きく頷くのが見えた・

 

「この計画を『アレイザー・プランⅡ』とし、ウォルフを総責任者とする。必ずや、憎むべきスラブ民族に鉄槌を下せ」

「ハッ」

 

 立ち上がり、ナチス式の敬礼をするウォルフ。

 

 新たなる戦場は北の海となる。

 

 こちらの狙いに気付けば、イギリス海軍も必ずや妨害行動に出て来ることだろう。

 

 戦いは正念場になる。

 

 北の海を制する者が、恐らくこの戦いの勝者となるだろう。

 

 その事を、ウォルフは確実に感じ取っていた。

 

 

 

 

 

 会議も終わり、ヒトラーやナチス党幹部たちは次の予定が詰まっている為、海軍本部を後にした。

 

 そんな中、会議室に残ったのはウォルフ、レーダー、デーニッツの海軍幹部3人だった。

 

「概ね、お前の思惑通りと言う訳か」

 

 まったくもって面白くない、と言った感じにレーダーが告げる。

 

 海軍の最高指揮官である自分を差し置いて、ウォルフの案がヒトラーに気に入られた事に、どうやら忸怩たる物があるようだ。

 

 しかし反対はしない当たり、ウォルフの主張に対する正当性は認めているらしい。

 

「今後、我々の主戦場は北海になるだろう。どのみち、大西洋上での通商破壊戦は難しくなっているからな」

 

 そう言うと、デーニッツは苦い表情を作った。

 

 今年に入り、連合軍は徐々に対通商破壊戦対策を確立しつつあった。

 

 大西洋に進出したUボートの被害は少しずつ増加傾向にあり、更に補給に必要な輸送船にも被害が出始めている。

 

 そして、ツェルベルス作戦から約1か月後の1942年3月28日。更にドイツ軍の動きを制限する事態が起きた。

 

 イギリス軍による「チャリオット作戦」が発動。

 

 この作戦の攻撃目標となったのはフランス東岸にある港、サン・ナゼール。ここには大西洋岸で唯一、ビスマルク級戦艦のような大型艦も入渠可能な大型ドックがある。イギリス軍が狙ったのは、この大型ドックだった。

 

 サン・ナゼールを強襲する為に、イギリス軍は旧式駆逐艦「キャンベルタウン」に大量の爆薬を満載してドックへ突っ込ませてゲートを爆破、更には特殊部隊コマンドを突入させて徹底的に破壊させた。

 

 この戦いでサン・ナゼールの大型ドックは完全に破壊され、内部には大量の海水が流入、完全に使用不能となった。

 

 ドックは復旧の目途が全く立たず、完全に修復されるのは大戦終了後の事だった。

 

 そして、

 

 この作戦により、ドイツ海軍最強の戦艦である「ティルピッツ」が大西洋に進出して作戦行動を行う事は不可能となった。

 

 サン・ナゼールのドックが使えない以上、万が一損傷を受けた場合、修復するには本国まで戻る必要が出るからだ。

 

 ドイツ海軍としては、唯一の大型戦艦となってしまった「ティルピッツ」に、そのようなリスクを負わせる事は出来ない。

 

 否が応でもドイツ海軍は、主戦場を北へと移さざるを得なかった。

 

 しかし当然、イギリス軍もこの事態に乗じて来るだろう。

 

 ドイツ海軍が本国周辺に押し込められた事を機に、本国艦隊の増強を行うであろう事は容易に想像できる。

 

 ドイツ海軍は今後、ますます苦しい戦いを強いられる事になる。

 

 下手をすれば、イギリス海軍に一方的に押されて壊滅する可能性すらあった。

 

「その事について、私からもう一つ、提案したいことがあります」

「それは、会議に出した資料とは別に、か?」

「はい、こちらをご覧いただきたく思います」

 

 レーダーの言葉にうなずくと、とウォルフはカバンから資料を2部出して、レーダーとデーニッツに1部ずつ手渡す。

 

 一読するレーダーとデーニッツ。

 

 両提督の顔が、見る見るうちに驚愕へと変わるのは、すぐにわかった。

 

「おいおい・・・・・・こいつは、いくら何でも」

 

 デーニッツが、呆れたように声を上げた。

 

 レーダーもまた、険しい表情で資料を読み進める。

 

 彼もまた、難色を示して居るのは明らかだった。

 

「・・・・・・・・・・・・荒唐無稽」

 

 ややあって、資料を読み終えたレーダーが口を開いた。

 

「と、までは言わんが、この情勢下ではかなり難しいのではないか? 少なくとも暫くの間、海軍の弱体化は免れん」

「どのみち、もうしばらく主力艦隊は動かせません。長期作戦後の整備が必要でしょう。その間に作業を進めれば、年内の完了は十分可能と考えます」

 

 ウォルフの言葉を受け、考え込むレーダー。

 

 ウォルフが示した資料は、海軍の戦力強化案だった。

 

 強大なイギリス海軍に対抗する為に、戦力強化は急務だった。

 

 資料を読み進めるレーダー。

 

 その脳裏には、ある種の葛藤めいた思いが渦巻いていた。

 

 正直なところ、レーダーはウォルフの事を決して信頼しているわけではない。むしろ、同じ海軍軍人でありながら親衛隊に所属し、尚且つ、自分以上にヒトラーの信頼を得ているウォルフの事は疎ましく思ってすらいる。

 

 しかしそれでも、彼が提示した案が、レーダーにとっても魅力的である事は確かだ。

 

 ここが、分かれ道となる。

 

 現状のドイツ海軍は弱小だ。このままではいずれ、イギリス海軍、更にそこに加わったアメリカ海軍の物量の前に叩き潰されるだろう。

 

 しかし今、ウォルフの案に乗れば、

 

 あるいは、その絶望的な状況を覆す事もできるかもしれない。

 

「我々は『ビスマルク』を失いました。しかし、失った物を嘆いても戻っては来ません。ならば後は、残された戦力を徹底的に強化するしかありません」

 

 海軍を代表する2人の提督を前にして、ウォルフはまっすぐに見据えて言い放つ。

 

「これが成功すれば、我々はヨーロッパ最強の戦艦を手に入れる事になります。それも、一挙に3隻も」

 

 息をのむ、レーダーとデーニッツ。

 

 そんな2人を見るウォルフは確信をもって返事を待つ。

 

 吞まない手はない筈。

 

 その双眸には、情熱とも執念とも取れる、ぎらつくような輝きが宿っていた。

 

 

 

 

 

第51話「不吉なりし青」      終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、

 

 総統官邸に戻るべく、車で移動するヒトラー。

 

 史上最大の戦争を遂行する、この小柄な男の頭脳は、こうして1人でいる時もフル回転を続けている。

 

 その脳裏に浮かぶのは、先ほどの会議の事。

 

 ヒトラーにとって忠実な海軍提督であり、同時に数少ない「友」でもあるウォルフが提示したノルウェー進出案。

 

 それは、ヒトラーの思惑とも完全に合致していた。

 

 ソ連打倒。

 

 ヒトラーの悲願を達成するためには、まずはかの国への物資輸送を阻止する必要がある。その為に、北ノルウェーが最適な地である事は、語るまでも無かった。

 

「通商破壊戦による敵輸送阻止。それは良い」

 

 ヒトラーの呟きは、淡々として空気を震わせる。

 

「だがな、ウォルフ、それだけでは足りないのだよ。それだけでは、な」

 

 その場にいない友の顔を思い描きながら囁くヒトラー。

 

 そのシートの隣に置かれた書類。

 

 そこには「Blau」の文字が書かれていた。

 

 



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第52話「因果繰り返す決意」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、リオン・ライフォード英海軍大佐は、艦娘のベルファストを伴い、スカパ・フローにある本国艦隊司令部を訪れていた。

 

 第3次ブレスト沖海戦の敗北により、ジャン・トーヴィ大将以下、司令部要員を根こそぎ失った本国艦隊は、長らく司令部不在のまま仮運用を余儀なくされていた。

 

 しかし今日、ようやく新司令部が発足する事になった。

 

 司令官に選ばれたのは、ボルス・フレイザー大将。

 

 トーヴィ指揮下の本国艦隊では、第2戦艦戦隊の司令官を務めた、生粋の「鉄砲屋」である。

 

 爵位持ちの貴族階級に属する人物だが、その実績は現場叩き上げであり、一般兵士や艦娘達からの人気も高い。

 

 海軍上層部としては、将兵、艦娘問わず人気があるフレイザーを司令官に据える事で、凋落した威信の回復を図りたいのだろう。

 

 とは言え、そこに皮肉めいた物を感じずにはいられなかった。

 

「無理もない、か」

「何が?」

 

 リオンの呟きに、隣のベルファストが訝りながら反応する。

 

 開戦以来、多くの戦いに参加してきたリオンからすれば、現状は決して楽観視できない物である事を理解していた。

 

「ドイツ艦隊は大西洋戦線を放棄して本国に逃げ込んだが、それは裏を返せば、奴等は戦力の集中が完了したと言う事だ。上層部からしたら、急いで態勢を立て直したい所だろう」

 

 対してイギリス海軍は、相変わらず世界中の植民地警備の為に艦隊を分散させており、本国周辺は手薄に近い状態だった。

 

 それらの状況を踏まえて、ドイツ海軍と戦っていかなければならないのだ。未だ戦力優位とは言え、予断は許されなかった。

 

「それで、ご指名になったのが、あの人って訳?」

 

 ベルファストが指差した先には、整った海軍軍装を纏った壮年の男性が入ってくるのが見えた。

 

 皆が一斉に立ち上がり敬礼する。

 

 リオンとベルファストも習って敬礼する中、男は壇上に立って敬礼を返す。

 

 一同を見回した後、男が腕を下ろしたのを見て、皆も敬礼を解いた。

 

「本日付で、本国艦隊司令官に就任した、ボルス・フレイザーだ」

 

 厳かな声で告げられる着任の挨拶。

 

 皆が聞き入る中、フレイザーは続ける。

 

「皆、知っての通り、現在、我々が置かれている状況は決して楽観が許される物ではない。この2年間で多くの艦艇を失った我が海軍は危機的状況にある。対して、ドイツ海軍が受けた損害は、我々に比べてはるかに少ない。昨年の戦いで『ビスマルク』を撃沈する事には成功したが、我が軍もまた、苦しい状況にある。更に言えば、フォーブス。トーヴィ、両司令官を初め、多くの有為な人材を失った事も大きい。我が海軍が戦力を立て直すには、残念ながら、今暫くは掛かると言わざるを得んだろう」

 

 フレイザーの言葉に、誰もが嘆息するしかない。

 

 開戦以来、海軍は弱小だと侮っていたドイツ艦隊相手に苦戦を続けている。

 

 参加した殆どの海戦で負け続けている。

 

 「ビスマルク」を撃沈した事は唯一の功績と言っても過言ではないが、その時ですら、長年、英海軍の象徴であり続けた「フッド」を失っている。

 

 「世界第2位」「7つの海を支配する」「ヨーロッパ最強」。

 

 戦前に謳われたイギリス海軍の栄光は、今や多くの人材と共に深く暗い水底へと沈んでしまっていた。

 

 しかもドイツ海軍は既に、ビスマルク級の2番艦「ティルピッツ」が完成している情報をイギリス軍は掴んでいる。

 

 ビスマルク級戦艦には、最新鋭戦艦のキングジョージ5世級戦艦ですら、1対1ではかなわない事が証明されている。

 

 加えてシャルンホルスト級巡洋戦艦を初めとする歴戦の艦隊が加わる事になる。

 

 ドイツ海軍が、これまで以上の脅威になる事は明白だった。

 

 それらに対する策を講じない限り、今後もイギリス海軍は無様な敗戦を重ねる事になりかねなかった。

 

「その為の対応策として、この者が・・・・・・・・・・・・」

 

 言いながら、視線を巡らせるフレイザー。

 

「この者が・・・・・・・・・・・・」

 

 視線を巡らせる。

 

「この、者・・・・・・・・・・・・」

 

 巡らせる。

 

「・・・・・・・・・・・・えっと」

 

 決まずい沈黙。

 

 フレイザーは耳打ちするように、傍らの参謀へ振り返った。

 

「おい、参謀長はどうした?」

「はあ、そう言えば、先ほどから姿が見えておりませんでした」

 

 ヒソヒソとした囁き声。

 

 おいおい、

 

 大丈夫か、この司令部?

 

 皆が不安に思う中、廊下をバタバタと走る音が聞こえて来た。

 

 扉を開いては言ってきたのは、30台中盤程のやせ型の男。

 

 柔和な顔つきで、よく言えば優しげだが、逆に言えば緊張感を感じない。

 

 とは言え、纏った軍服の胸には少将の階級章がある。どうやら、軍人である事は間違いないらしい。

 

「いやー 申し訳ないです。つい色々と調べ物をしていたら遅くなってしまいました。やはり本国は良いですな。欲しい資料がすぐに手に入る。外地じゃ流石にこうはいかない」

 

 これまた、気の抜けるような事を言う。

 

「おい、挨拶くらいしろ」

「あ、すんません提督」

 

 嘆息気味のフレイザーに促され、男はヘコヘコと頭を下げながら、一同に向き直った。

 

「ああ、どもどもー。この度、えー、本国艦隊? の参謀長になった、クロード・グレイス少将です。まあ、何とかよろしく」

 

 何が「よろしく」なのか。

 

 一同が呆気に取られる。

 

 開いた口が塞がらないとはこのことだ。

 

 ほんとに大丈夫か、この司令部?

 

「ちょっと、何あれ?」

 

 ベルファストもあんぐりと口を開けている。

 

 そんな中、

 

「まさか・・・・・・・・・・・・」

「何よリオン、どうかしたの?」

 

 怪訝な眼差しを向けるベルファストに対し、リオンは驚きの表情を隠せないままクロードに目を向けている。

 

「あ、兄上?」

 

 その言葉に反応したのだろう。

 

 クロードは、リオンに視線を向けると微かに笑みを向けて来た。

 

 

 

 

 

 会議も終わり、各人が各々の持ち場へと戻っていく。

 

 ともかくイギリス海軍が取るべき戦略としては、一言で言えば「現状維持」であった。

 

 ドイツ軍の戦力は、少数とは言え未だ強力であり、下手に仕掛ければ却ってこちらが損害を被る可能性もある。

 

 それよりも今は時間を稼ぎ、戦力の再建を待つのだ。

 

 現在、キングジョージ5世級戦艦の4、5番艦が既に完熟訓練に入っているし、イラストリアス級航空母艦も3隻全てが就役している。

 

 巡洋艦もフィジー級、ダイドー級の強力な艦が次々と就役している。

 

 更にはキングジョージ5世級戦艦や、イラストリアス級航空母艦の拡大発展型、戦時急増の軽空母の建造も急がれている。

 

 戦争前半で多くの戦力を失ったイギリス海軍だが、既に失った分を補い、新たな体制が築かれつつある。

 

 今無理をせずとも、いずれはドイツ海軍を圧倒できるのは間違いなかった。

 

「いやー 驚かせちゃったね」

 

 会議も終わり、艦に戻ろうとするリオンとベルファスト。

 

 それを引き留めたのは、参謀長のクロードだった。

 

 2人に紅茶を振舞いながら、緊張感のない笑いを見せるクロード。

 

 一方で、毒気を抜かれたように座る2人。

 

 ややあって、ベルファストが口を開く。

 

「何か、すごい拍子抜けなんだけど?」

 

 ひそひそと、傍らのリオンに話しかける。

 

「あんたの兄貴だっていうから、もっと、こう・・・・・・威張り腐ってる感じを想像してたんだけど」

「うちの家系を何だと思ってるんだ?」

 

 ベルファストの発言に対し、リオンは呆れ気味に返す。

 

 まあ、ディランと言う「好例」がある以上、ベルファストの感想は無理からぬものがあるのだが。

 

 割と終わっている感がある英国王室。

 

 世も末である。

 

 まあ、実のところ、リオンはこのクロードと言う兄について、それほど詳しく知っているわけではない。

 

 会ったのは宮中での晩さん会に呼ばれた時程度だし、その時ですら、軽く挨拶をする程度の関係だった。

 

「それで、兄上」

 

 リオンはクロードに向き直り尋ねる。

 

 ここに自分達を呼んだ理由。

 

 リオンとベルファスト。

 

 2人だけを呼んだ理由が、何かあると思ったのだ。

 

「ドイツ海軍が集結を完了した今、奴等は遠からず打って出て来るだろう」

 

 自身も紅茶を飲みながら、クロードが語り始める。

 

「けど、さっきの会議でも言った通り、今のイギリス海軍では、彼等への対抗は難しい。艦の数では勝っているけど、戦術面ではドイツ海軍に水をあけられているのが現状だ」

 

 これまでの多くの戦いにおいて、イギリス海軍はドイツ海軍に対して優勢な戦力を持ちながらも、彼等の巧みな戦術の前に敗北を喫してきた。

 

 このまま戦っても、最終的にはイギリス軍が勝つかもしれない。

 

 しかし、その間に多大な犠牲を必要となるであろう事は想像できた。

 

「だからこそ、ドイツ軍の戦術を研究し、それに対抗するための戦術を確立する必要がある。2人には、今までの戦いの経験を活かし、その手助けをしてもらいたいのさ」

「俺達が、ですか?」

 

 言ってから、ベルファストと顔を見合わせるリオン。

 

 クロードがなぜ、このような事を言ってきたのか、俄かには首肯しかねていた。

 

 正直、戦略、戦術を考えるのは司令部参謀や軍令部の専属部署の者が行う物だ。少なくとも前線指揮官のリオン達がやる事ではない。

 

「あたしたちも忙しいんですけど?」

 

 ベルファストが、やや口をとがらせて告げる。

 

 これについては、リオンも同じ意見である。

 

 ただでさえ仕事量は多いのだ。これ以上増やさないでもらいたいものである。

 

 そんな2人に対して、クロードが笑いながら告げる。

 

「処遇の改善については、私からフレイザー提督へ話しておくよ」

 

 言ってから、一転して真剣なまなざしを作る。

 

「我々が、最終的にドイツ海軍を打ち破り、この戦争に勝利する為には従来のやり方ではだめだ。もっと新しく、効果的な戦術が必要になる。その確率の為には、最前線で戦ってきた君たちの意見がどうしても必要なんだ。頼む、どうか協力してほしい」

 

 そう言って、頭を下げるクロード。

 

 慌てたのはリオンである。

 

「そんな、兄上、何を・・・・・・」

「こうしている今も、最前線の輸送路では、輸送船の乗組員がUボートや水上艦の襲撃におびえている。彼等を安心させ、ひいては前線に多くの物資を確実に届けるシステムが、どうしても必要なんだ」

 

 リオンの言葉を遮って、自分の考えを述べるクロード。

 

 「輸送船の乗組員」とクロードは言った。

 

 これまでの兄たちなら、ディランを初め、そんな事は一切言わなかった。大概のところ「ドイツ艦隊を打ち破る為」とか言いそうなところである。

 

 しかしクロードは、輸送船を守る為、と言った。

 

 海軍の役割の最たる物は、輸送船を守り、そして相手の輸送を阻止する事である。

 

 自分達の物資を確実に届け、逆に相手の物資輸送を阻止する事。

 

 当たり前の事だが、そんな事も理解していない海軍軍人は多数存在している。

 

 艦隊決戦を行い、華々しく敵艦を沈めて武功を上げる事こそ本懐。

 

 そのような考えの軍人が多い中、クロードは輸送船の守護を第一方針に掲げた。

 

 それだけでも、これまでの指揮官とは違う事が分かる。

 

 確かに、今後もドイツ艦隊は前線輸送を行う船団を狙い撃ちにしてくるだろう。

 

 となれば、敵の通称破壊部隊から船団を守るシステムの構築は急務となる。

 

「判りました」

 

 頷くリオン。

 

 ベルファストもまた、同じ想いで笑顔を浮かべている。

 

「ぜひ、協力させてください」

「そうか、やってくれるかッ」

 

 笑顔を浮かべて、2人の手を取るクロード。

 

 能天気と言うか、無邪気と言うか、

 

 ある種の純粋さを感じさせる瞳は、とても軍人とは思えない。

 

 しかしどこか憎めない、しいて言うなら愛嬌を思わせる雰囲気を感じさせるのだった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 ウォルフ・アレイザーの多忙さは、日を追う毎に増加している感さえある。

 

 机の上には書類が山脈の如く詰まれ、手は常に紙面の上でペンを持ち踊っている。

 

 執務室には耐えず人が出入りし、決裁が必要な書類を持参してくる。

 

 それらに素早く目を通し、OKならサインをして決済に回し、不備があれば指摘してやり直させる。

 

 ヒトラーから裁可された「アレイザー・プランⅡ」。

 

 その実施に必要な物資の調達、現地への輸送、必要な人員と機材の確保、更には拠点確保後に送り込む兵力の選別。

 

 時間はいくらあっても足りないと言うのに、やるべきことはいくらでもあった。

 

 間も無く、東部方面軍が大規模な作戦を発動すると言う情報は、既にウォルフの下にも入ってきている。

 

 詳細は不明だが、成功すればソ連軍の補給能力を著しく低下させる事が出来るのだとか。

 

 できれば、その作戦に呼応したい所である。

 

 陸軍がソ連国内の補給路を押さえ、海軍が海路の補給線を断つ。

 

 そうなれば、ソ連と言う巨人は動脈硬化を引き起こしたにも等しく、物資の調達もままならなくなるだろう。

 

 とは言え、北ノルウェーの要塞化構想は、まだ動き出したばかり。

 

 夏季攻勢を予定している陸軍のスケジュールに間に合わせる事は難しい。

 

 よって、さしあたりウォルフに求められるのは、陸軍の作戦後に、海上交通路を遮断し、ソ連を完全に干上がらせる事だった。

 

「こちらの書類、全て上がったぞ。あとでチェックを頼む」

 

 そう言って、ウォルフの前に書類の束を置いたのは、先ごろまで第1艦隊参謀長としてウォルフの補佐に当たっていたシュレスビッヒ・ホルシュタインだった。

 

 第1艦隊の解隊に伴い、司令部も解散。

 

 本来ならシュレスも自分の艦体に戻る所である。

 

 しかし、戻ったところで、旧式戦艦の「シュレスビッヒ・ホルシュタイン」に出番はなく、ただ港につながれて無聊を囲う日々があるのみ。

 

 それならいっそ、多忙のウォルフを手伝おうと言って押しかけて来たわけである。

 

 

 

 

 

 作業もひと段落した頃、ウォルフは手を休めてポットからコーヒーを淹れると、カップの一つをシュレスに渡す。

 

「一息入れよう」

「ああ、すまんな」

 

 カップを受け取り、口に運ぶシュレス。

 

 香ばしい香りと味を楽しみつつ、視線をウォルフへと向ける。

 

「しかし、北ノルウェーに艦隊を配置したとして、それで本当にソ連軍の補給線を断てるのか? ノルウェーはただでさえ北極海に面しているから寒波が凄まじいと聞く。部隊の稼働率が低下するのは避けられんと思うが?」

「無論、対策は十分に行う。我が軍は既に、多くの犠牲の上に貴重なデータを得ているしな」

 

 そう言うと、ウォルフもコーヒーを口に運ぶ。

 

 今回、アレイザー・プランⅡ実施に当たって、ウォルフが取得したデータの中には、失敗に終わったバルバロッサ作戦の資料も含まれている。

 

 中盤まで優勢に戦局を進めていた陸軍が敗れたのは、作戦の遅延以外にもロシアの厳しい冬の気候に、ドイツ軍の防寒対策が追い付かなかった事が大きく影響している。

 

 その為、ウォルフは防寒対策の徹底を命じている。

 

 断じて、バルバロッサ作戦の二の舞にはさせないつもりだった。

 

「投入する戦力の中には当然、お前自身も含まれているのだろう?」

「言うまでも無い」

 

 事も無げに、ウォルフは告げる。

 

 仲間を質に送るような計画を立てておいて、自分は後方でぬくぬくとしている。

 

 そんな真似は、ウォルフにはできないし、元よりするつもりも無かった。

 

「そう言えば・・・・・・・・・・・・」

 

 ふと、思い出したようにシュレスは話題を変えた。

 

「あの2人は、そろそろ着いた頃か?」

「ああ、そう言えばそうだな」

 

 時計を見ながら、ウォルフはそっけない感じに頷きを返した。

 

 その脳裏には、2人の人物が思い浮かべられていた。

 

 1人は自身の長男であるエアル。

 

 そしてもう1人は、エアルと行動を共にしているであろう少女、シャルンホルストだった。

 

「お前でも気になるか、あの2人の事が?」

「・・・・・・・・・・・・さあな」

 

 からかい交じりのシュレスの言葉に、ウォルフは嘆息しながら視線を逸らす。

 

 その横顔からは、本当に気にしていないのか、あるいは気にしていないふりをしているのか、伺い知ることは出来ない。

 

 しかし、

 

 エアルとシャルンホルスト。

 

 人間と艦娘が結ばれる事は、珍しくも無い。

 

 ともに戦ううちに、互いを意識し合うようになるのはよくある事なのだが。

 

「・・・・・・因果は巡る、というのかね、これも?」

 

 ウォルフの方を見ながら、そっと呟く。

 

 人間と艦娘。

 

 かつて愛し合い、結ばれた2人を知っているシュレスは、感慨深いものを感じずにはいられないのだった。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 静寂の中に、柔らかく風が吹く。

 

 周囲に物音は無く、人の気配もない。

 

 ただ、風に揺らされた木々の、歯がこすれる音だけが、唯一のBGMだった。

 

 墓の前に立つエアルとシャルンホルスト。

 

 少女は持ってきた花束を、墓石へと備える。

 

 その傍らで、青年艦長が膝を突く。

 

「久しぶり、母さん」

 

 エアルは優しげに言いながら、そっと墓石に手を伸ばす。

 

「最近、忙しくて来れなかったんだ、ごめんね」

 

 『テア・アレイザー』

 

 エアルの母、テアの墓である。

 

 ツェルベルス作戦から数日。

 

 エアルはシャルンホルストを伴って、母の墓へとやってきていた。

 

 時期ではない事もあり、墓地には2人以外の姿はなく、場所の空気も相まって厳かな雰囲気がある。

 

 しばし、この場に眠る者への祈りを捧げる2人。

 

「ねえ、おにーさん」

 

 ややあって、顔を上げたシャルンホルストが尋ねる。

 

「おにーさんのお母さんって、その、沈んじゃったんだよね?」

「そうだよ」

 

 言いづらそうに尋ねるシャルンホルスト。

 

 対して、エアルは微笑みながら頷きを返す。

 

 気を使ってくれる少女の優しさに、自然と笑みがこぼれた。

 

「じゃあ、この下には何も入って無いの?」

「いや、母さんが生前に使っていた持ち物とかが、代わりに埋めてあるんだ」

 

 そう言うと、エアルはそっと墓石に手を置く。

 

「それに、思い出もね」

「思い出?」

「そう、亡くなった人への想いとか、そういう物も、この下には埋められている。俺は、そう思っているんだ」

 

 亡くなった人への想い。

 

 エアルは母、テアの事を想って祈りを捧げる。

 

 ならば、

 

 この戦いで失われた多くの命。

 

 そして、

 

 ビスマルク。

 

 あの子の為に祈る事も、決して悪い事ではない筈。

 

 そう思い、シャルンホルストはもう一度手を合わせ、静かに目を閉じるのだった。

 

 と、

 

「どうやら、一雨来そうだね」

 

 空を見上げていたエアルが呟く。

 

 言われてみれば確かに、空には黒々とした雲が広がり、空気には湿り気が帯びてきている。

 

 もう数分で本降りになる。

 

 長く戦場にいるせいか、そう言う細かい状況の変化が分かるようになっていた。

 

「教会の建物まで行って雨宿りしよう。走れる?」

「うん、大丈夫」

 

 今日、シャルンホルストはそこそこ体調が良い。少し走るくらいなら問題は無かった。

 

「よし、なら行こうッ」

「あッ」

 

 シャルンホルストが何か言う前に、彼女の手を取るエアル。

 

 2人はそのまま、立ち込める黒雲の下を駆け出した。

 

 

 

 

 

 結論から言えば、

 

 残念な事に、雨は2人が教会に飛び込む前に振りだしてしまった。

 

 雨はたちまち土砂降りになり、2人は頭からずぶ濡れになる。

 

「シャル、もうちょっとだから!!」

「う、うんッ!!」

 

 まるで砲戦で至近弾を受けた時のような水量だ。

 

 2人が教会の中に入り、扉を閉めた時には、完全に濡れネズミと化していた。

 

「うわァ もうひどい目に遭っちゃったよ」

「よく拭いてかわかして。風邪をひくといけないから」

 

 協会からタオルを借りたエアルが、シャルンホルストの頭へと掛けてやる。

 

 体の弱いシャルンホルストは、こんな事でも体調を崩しかねなかった。

 

 幸い、教会の方でも2人を快く受け入れ、雨が止むまでいて良いと言ってくれたので、お言葉に甘える事にした。

 

 体と髪を良く拭いて、借りた毛布にくるまると暖炉の前で身を寄せる。

 

 それだけで、身も心も温まるようだった。

 

 牧師が淹れてくれたココアを揃って飲みながら、2人はどちらからともなく身を寄せ合い、静かに燃える炎を並んで見つめる。

 

「ねえ、シャル」

「なに?」

 

 ややあって語り掛けて来たエアルに、振り返るシャルンホルスト。

 

 視線が合い、2人は互いに見つめ合う。

 

 どれくらいそうしていただろう?

 

 シャルンホルストはただ黙って、エアルが語り出すのを待つ。

 

「本当はさ、今、俺の異動話が出ているんだ」

「・・・・・・・・・・・・うん」

 

 それは、シャルンホルストも聞いている。

 

 巡戦の艦長は激務だ。それをエアルは3年近くにわたって務め、その間に多大な戦果を挙げている。

 

 海軍上層部としては、そろそろエアルに新しいポストを宛がいたいと思う頃合いだろう。

 

 エアルが艦を降りる。

 

 その事実にシャルンホルストは、内心では少なからず衝撃を受けている。」

 

 開戦からここまで、共に戦ってくれたエアル。

 

 その存在は単に艦長と艦娘以上に、彼女の心の中で大きくなっていた。

 

 エアルがいなくなる。

 

 自分の前から去ってしまう。

 

 その事実に、言いようのない寂寥感が、少女の心の中で渦巻いていた。

 

 しかし、

 

 それでも送り出さなければならない。

 

 エアルは男であると同時に、ドイツ海軍の軍人である。シャルンホルストの我儘で、引き留めて良い筈がない。

 

「おにーさん、ボクは大丈夫・・・・・・・」

「けど、断る事にした」

 

 言いかけたシャルンホルストを遮るように、エアルはさばさばとした口調で言った。

 

「え?」

 

 驚くシャルンホルスト。

 

 対して、エアルは優しく笑いかける。

 

「何で?」

「これから、厳しい戦いが続く事になると思う。イギリス軍は多分、総力を挙げて俺達を潰しにかかってくるだろうしね。だからこそ、あいつらとの戦い方を知っている人間は前線にいるべきなんだ」

 

 今、海軍では大規模な戦力強化計画が行われている。

 

 父も何やら噛んでいるらしいその計画には、シャルンホルスト級巡洋戦艦の2隻も含まれている。

 

 より強大化するイギリス海軍に対抗する為に、ドイツ海軍も強化を急いでいる段階だった。

 

 だからこそ、自分は前線にいるべきだと、エアルは思っていた。

 

 前線でこそ、自分の能力を活かせると。

 

 だが、

 

「あの、それだけ?」

 

 上目遣いに尋ねるシャルンホルスト。

 

 それだけなのか?

 

 エアルが前線に留まるのは、本当に戦うためだけなのか?

 

 どこか、すがるような瞳。

 

 対して、

 

「・・・・・・・・・・・・君を、1人にしたくなかった」

 

 そっと、

 

 囁くようにエアルは告げる。

 

「君と、一緒にいたい。だからこそ、俺は残る道を選ぶことにしたんだ」

「おにーさん・・・・・・・・・・・・」

 

 潤んだ瞳を、エアルに向けるシャルンホルスト。

 

 見つめ返すエアル。

 

 シャルンホルストは、エアルの事が好き。

 

 それはもう、ずっと前から自覚していた事。

 

 そして、

 

 それはエアルもまた、同じ想いであった。

 

 暖炉の炎が、2人の横顔を明るく照らし出す。

 

 やがて、

 

 2人は目を閉じると、お互いに唇を重ね合わせるのだった。

 

 

 

 

 

第52話「因果繰り返す決意」      終わり

 




今回はめちゃくちゃ苦戦しましたね。

何と、書いた物に納得いかず、4回も書き直す羽目になってしまった(汗


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第53話「魔物の棲む街」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を凝らせば、はるか先に山々の稜線が見える。

 

 まだ消えきらぬ雪が冠となって山頂に頂かれている。

 

 仰ぎ見れば、数羽の鳥が弧を描いて宙を舞っている。

 

 澄んだ空気の中に風は流れ、どこまでも広がっていく。

 

 どこまでも続く、平和な光景。

 

 その平和が、永遠に続くかと思っていた。

 

 そう、

 

 彼等が来るまでは。

 

 突如、大地をえぐるような轟音が鳴り響き、静寂は無残にも破られる。

 

 鋼鉄の悍馬が大地を駆け、告死の怪鳥は空を覆い尽くす。

 

 その全てに、不吉の鉄十字が描かれていた。

 

 ドイツ陸軍東部方面軍による「(ブラウ)作戦」発動。

 

 昨年のバルバロッサ作戦失敗以降、モスクワ周辺の防衛網は強化され、既に容易な突破は不可能となっていた。

 

 そこで、ドイツ陸軍は、敵首都を直接陥落させるのではなく、間接的にソ連軍に大打撃を与える作戦を考案した。

 

 ソ連の遥か南にあるコーカサス地方。

 

 そのコーカサス地方にあるバクー油田は、ソ連軍が必要とする石油の大半を一手に担っている。

 

 バクーで生成された石油は、ボルガ川の水運と、内陸の鉄道を利用してソ連領まで運ばれている。

 

 その2つを押さえる事が出来れば、ソ連軍の燃料事情に大打撃を与える事が出来るだろう。

 

 特にタンカーを利用した水運による輸送量は、空輸や陸上輸送の比ではない。

 

 ボルガ川の中流には、スターリングラードと言う街があり、ここを押さえる事が出来れば、燃料輸送を完全に堰き止める事が出来る。

 

 英米からの海路による輸送だけでは、ソ連全軍に行き渡る程の燃料を確保する事は難しい。何より、海上輸送ならUボートを初めとする海軍によって、容易に遮断する事が出来る。

 

 言わば、ソ連と言う巨人が持つ大動脈を塞ぎ、動脈硬化を起こさせようと言うのが狙いだ。

 

 うまく行けばソ連軍の大幅な弱体化が狙えるはず。

 

 そうなれば、第2次バルバロッサ作戦の発動すら、夢ではなくなるかもしれないのだ。

 

 まさに、完璧ともいえる作戦。

 

 陸軍はこの作戦に、東部軍の主力、第6軍を中心とした部隊に加え、更に同盟国であるイタリア、ハンガリー、ルーマニア、スロバキアの各軍合わせて、総勢130万の大軍を集結させていた。

 

 しかし、

 

 その作戦も、陸軍上層部が思い描いた通りにはいかなかった。

 

 作戦発動前に、総統アドルフ・ヒトラーの横槍が入ったからである。

 

 ヒトラーは、陸軍から上げられてきた作戦案に難色を示し、自身の作戦案をねじ込んできた。

 

 戦争経済の重視を説くヒトラーは、スターリングラードを押さえてソ連軍の燃料輸送を阻止するだけでは足りないとし、バクー油田その物の奪取も命じて来たのだ。

 

 多数の機甲師団を有するドイツ軍にとって、燃料の消費問題は重要課題の一つである。

 

 出撃の度に足りているとは言えない燃料のやりくりに頭を悩ませていた。

 

 しかし、バクー油田を押さえる事が出来れば、以後は燃料事情を気にする必要はなくなる、と言う訳だ。

 

 だが、そのヒトラーの作戦案に、今度は軍部が反対する。

 

 バクーはスターリングラードよりも更に南にあり、当然、移動距離が長くなって補給にも難が生じる。

 

 スターリングラードと、コーカサス地方を同時に攻めるとなれば、部隊を2つに分ける必要がある。

 

 しかし、昨年のバルバロッサ作戦失敗から立ち直っているとは言い難いドイツ軍には、既に他方面作戦を行うだけの力は残されていないのだ。

 

 加えて、コーカサス地方の手前には、4000メートル級の山々が連なるカフカス山脈が横たわっている。当然、その間にはソ連軍が多数の防御陣地を築いているだろうから、突破には多大な時間を要する事になる。

 

 それよりも、まずは全兵力を集中してスターリングラードを取る。しかる後、余勢を駆ってバクーに攻め込んだ方が得策だろう。

 

 スターリングラードさえ陥とせば、ソ連軍は確実に弱体化する。バクーを攻めるのは、それからでも遅くは無いはずだ。

 

 あるいは、スターリングラードさえ陥とせば、バクーを取らずとも戦争は終わるかもしれない。

 

 どう考えても、スターリングラードとバクーを同時に攻めるメリットは薄かった。

 

 しかし、ヒトラーは専門家である軍人たちの意見には一切耳を貸さず、ついには己の案を強引に押し通してしまった。

 

 仕方なく東部方面軍は部隊を二手に分け、A軍集団は南下してコーカサス地方を目指し、B軍集団は東進してスターリングラードを目指した。

 

 しかし、当初の予想通り、A軍集団は強固なソ連軍の防御陣によって進路を阻まれ、思う様に進軍できず苦戦を強いられた。

 

 更にソ連軍は民兵を束ねて組織したパルチザンを多数、ドイツ軍の戦線後方に残置し、攪乱任務に当たらせた為、A軍集団はしばしば、補給にも滞るようになった。

 

 一方のB軍集団はと言えば、こちらは絵に描いたように順調だった。

 

 ソ連軍の抵抗を次々と撃破して快進撃を続けるB軍集団。

 

 この分で行けば、予定通りスターリングラードを攻略する事が出来るだろう。

 

 誰もがそう思った時、

 

 その状況にまさかの水が差される事になった。

 

 間も無くスターリングラードを望める場所まで進出したB軍集団司令部宛に、総統大本営「狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)」から1通の命令書が届いた。

 

 曰く「B軍集団所属の第4機甲軍を、A軍集団への援軍として、直ちに供出せよ」。との事。

 

 これには、B軍集団司令部も難色を示す。

 

 第4機甲軍は、フランス侵攻作戦時にはA軍集団に所属し、あのアルデンヌ突破作戦にも参加した、言わばドイツ軍の中でも精鋭中の精鋭である。

 

 今回の(ブラウ)作戦でも、B軍集団の主力を成している。その第4機甲軍に抜けられては、進軍に多大な影響を及ぼす事は目に見えていた。

 

 思い返せば、昨年のバルバロッサ作戦時、順調に進軍していた中央軍集団から、苦戦中の北方、南方両軍集団へ援軍を送った結果、それまで順調だった中央軍集団まで苦戦するようになり、結果として、作戦が失敗する一要因にもなった。

 

 ヒトラーは昨年と同じ愚行を繰り返そうとしているのだ。

 

 命令の撤回を求めるB軍集団だったが、聞き入れられる事は無かった。

 

 仕方なく、第4機甲軍はB軍集団の戦列から離れ、南へと向かう。

 

 すると、案の定と言うべきか、それまで順調に進軍していたB軍集団の進撃速度は目に見えて落ち始め、ソ連軍相手にしばしば苦戦を強いられるようになった。

 

 しかも、である。

 

 援軍を送って数日。

 

 何と、肝心の第4機甲軍が到着する前に、A軍集団はソ連軍の防御陣地突破に成功してしまったのだ。

 

 つまり、ヒトラーが行った援軍命令は、全くの時間の無駄だったわけだ。

 

 すると、今度はこんな命令が届いた。

 

「先の命令は撤回する。第4機甲軍は速やかにB軍集団に復帰せよ」

 

 朝令暮改。

 

 としか言いようがない。

 

 まるで「ぐずぐずするな、さっさとしろ」とでもいうような命令。

 

 この無駄な援軍命令のせいで、第4機甲軍は約3週間に渡って遊兵化すると言う愚行が行われた。

 

 これにはA、B両軍集団共に不満が収まらず、ついには「狼の巣」へ抗議する事態にまで発展した。

 

 しかし、

 

 それに対しヒトラーは両軍司令官を解任すると、自分に忠実な人間を新たな司令官に据え、そして両軍を統括する最高司令官に自らが就任してしまった。

 

 結局、B軍集団がスターリングラードを攻撃できる体制を整えたのは、予定から3週間以上遅れての事だった。

 

 とは言え、多少の遅延はあったが、これで態勢は整った。

 

 スターリングラードを包囲したB軍集団は、パウルス将軍に率いられたドイツ第6軍を中心に、兵力30万、戦車500両、航空機1,600機。

 

 イタリア、ルーマニア、ハンガリー、スロバキアと言った各同盟軍の部隊も戦列に加わっているが、これらは2線級の部隊であり、後方の補給線確保が任務となり、主攻撃担当はあくまで第6軍だった。

 

 対して、スターリングラードに立て籠もるソ連軍は、チュイコフ将軍指揮の下、兵力は19万。

 

 圧倒的優勢の中、8月23日、ドイツ軍はついに攻撃を開始する。

 

 後の世に「史上最大の市街戦」と呼ばれる事になる、スターリングラード攻防戦の始まりである。

 

 空軍(ルフトバッフェ)の猛爆撃の後、市街地への突入を開始するドイツ軍。

 

 瓦礫と炎に包まれる、スターリングラードの街並み。

 

 この分なら、数日の内にはスターリングラードを陥落できるだろう。

 

 ヒトラーを初め、ドイツ軍の誰もが、そう楽観視していた。

 

 しかし、

 

 この事実が、ドイツ軍将兵を地獄へと引き摺り込む事になるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 市街地への突入するドイツ軍。

 

 しかしその動きは当初の余裕の状況から、すぐに戸惑いに変わり、更に時を置かずに焦慮へと変わった。

 

 抵抗を排除しながら、徐々に街の奥深くへと進んでいくドイツ軍。

 

 やがて、街の中心近くまで来た時だった。

 

 突如、通りを進むドイツ軍めがけて、四方の建物から銃撃を浴びせられた。

 

 銃弾を浴びてバタバタと倒れていくドイツ兵士達。

 

 慌てて反撃するも、その時にはソ連兵は既に逃げ去った後だった。

 

 かと思ったら、今度は後方から銃撃される。

 

 そこで初めてドイツ兵たちは、自分達がとんでもなく戦いにくい場所に立っている事に気が付いた。

 

 ドイツ軍は多数の精鋭機甲師団を有している事からも分かる通り、平地での野戦を最も得意としている。

 

 しかし言うまでもなく、戦車は複雑な市街地で運用するには不向きな兵器である。

 

 加えて、今のスターリングラードはドイツ空軍の爆撃によって瓦礫の山と化している為、戦車が全く使えない状況にあった。

 

 今やドイツ軍兵士達は、不案内な街の中で、不慣れな市街戦を強要されている状態であった。

 

 対して、ソ連軍はこれあるを予期しており、ドイツ軍がヒトラーの気まぐれに翻弄されて手を拱いている隙に、街全体を徹底的に要塞化して待ち構えていたのだ。

 

 今やスターリングラードは、瓦礫の一つ一つが、とんでもなく強固な防御陣地と化していた。

 

 その隅々に至るまでソ連兵が潜み、隙を見つけてドイツ軍にゲリラ的な攻撃を加えて来るのだから堪った物ではない。

 

 ドイツ軍は予期せぬ攻撃の前に、翻弄されるしかなかった。

 

 とある雑居ビルには、ソ連軍が砲撃陣地を築き、通りを攻めてくるドイツ軍を狙い撃ちにしていた。

 

 その陣地を制圧しない限り、ドイツ軍はそれ以上進軍する事は出来ない。

 

 そこで多大な犠牲を払いながら、迫撃砲が据え置かれた1階の砲撃陣地を制圧するドイツ軍。

 

 しかし、そこで終わりかと思いきや、ソ連軍兵士は2階に逃れて抵抗を続ける。

 

 2階を制圧したら、今度は3階へ。

 

 膨大な量の屍を築きながら、どうにかビル全体を制圧するドイツ軍。

 

 しかし生き残ったソ連兵士は、いつの間にか地下下水道に逃れ、尚も抵抗を続けた。

 

 スターリングラードの地下には、蜘蛛の巣のように地下下水道が流れており、それらはドイツ空軍の猛爆撃にも耐え抜いていた。

 

 下水道を、まるでネズミのように素早く駆けながら、ドイツ軍を翻弄するソ連兵たち。

 

 ソ連軍は事前に下水道の構造を調べ上げ、そこを連絡通路として利用していたのだ。

 

 更に猛威を振るったのは、スナイパーの存在だった。

 

 ソ連軍は特に射撃能力の高い兵士を選抜して狙撃部隊を組織。それらを戦線に配置していた。

 

 ソ連軍スナイパーたちは、特に階級の高い将校を狙い撃ちにして、ドイツ軍を恐怖に陥れていた。

 

 ドイツ軍は、こうしたソ連兵が潜んでいそうな場所を、1つ1つ調べ上げ、丹念につぶしていく以外に無かったが、それには途轍もない時間が掛かってしまった。

 

 ある意味、戦死できた兵士は、まだしも幸せだったかもしれない。

 

 万が一、捕虜にでもなってしまえば、その兵士は徹底的に拷問にかけられ、持っている情報をすべて吐き出させられて上で処刑された。

 

 こうして、スターリングラードでは、兵力に勝るドイツ軍と、地の利を得ているソ連軍との間で、泥沼の消耗戦が展開されるのだった。

 

 

 

 

 

 最前線で激しい戦いが繰り広げられる中、戦線の遥か後方、両国の首都においても、熱い戦いが行われていた。

 

 もっとも、その熱さは、最前線のそれとは聊か以上に性質の異なる物だったが。

 

 スターリングラードは、元の名をツァリーツィンと言う。

 

 それが、スターリンの行った工業政策のモデル都市に指定された為、彼の名が冠せられ、現在の名前に変更された経緯がある。スターリンにとっては特別に思い入れのある街だった。

 

 そのような事情がある為、スターリンは街の絶対死守を明示していた。

 

 また、スターリングラード防衛の指揮官には、スターリン率いる共産党の幹部が多数が参加している。

 

 彼等は猜疑心に凝り固まったスターリンの性格をよく熟知している。それ故、「敗北=死」「後退=死」と言う事も十分に理解していた。

 

 だからこそ、死に物狂いになって戦線を維持していた。

 

 一方のヒトラーも、スターリングラードの事情は知っていた為、戦略的事情を置いても、是が非でも陥としたい街だった。

 

 その為、手持ちの戦力をありったけ、手当たり次第に東部戦線に送り込みスターリングラードへと向かわせる。

 

 ここに、史上最大にして最悪とも言える、独裁者同士の意地の張り合いが始まった。

 

 両軍ともに最前線では多くの命が失われる中、後方では独裁者たちがメンツをかけて張り合う。

 

 こうして、スターリングラードと言う街は、多くの命を食らい、呑み下していく。

 

 どこまでも続くかと思われた、凄惨な消耗戦。

 

 しかし、

 

 事態は水面下で、密かに進行していたのだった。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 11月に入った。

 

 スターリングラードでは、尚も両軍が激しい消耗戦を繰り広げていた。

 

 しかしこの頃になると、ドイツ軍の優勢はほぼ確立されつつあった。

 

 ドイツ軍の支配地域は街の80パーセントに達し、ソ連軍の抵抗は徐々に弱まりつつある。

 

 このまま行けば勝てる。

 

 多少、予定はずれ込んだが、年内にスターリングラードを制圧できる。

 

 誰もが、そう思い始めていた。

 

 そのような中、

 

 11月19日。

 

 ドイツ第6軍の後方警備を担当していたルーマニア軍の目の前に突如、総勢100万から成るソ連主力軍が出現。一斉に攻撃を仕掛けて来た。

 

 ソ連軍による「天王星(ウラヌス)作戦」発動。

 

 ソ連軍は、ドイツ軍の目がスターリングラードに釘付けになっている隙に、後方で着々と反撃の準備を整えていたのだ。

 

 主力軍の指揮官は、第2次大戦中におけるソ連軍最高の名将とも謳われたゲオルギー・ジューコフ元帥。

 

 ジューコフに率いられたソ連主力軍は、自分達の行動を徹底的に秘匿。通信はおろか、昼間の行動すら制限し夜間のみに部隊移動を行うと密かに戦線を浸透、ドイツ第6軍の背後へと回り込んだ。

 

 折からの悪天候もあり、ドイツ軍は、このソ連軍の動きを全く察知できなかった。

 

 ある参謀は、100万以上のソ連軍の所在が不明になっている事に気が付き、ヒトラーに上奏したものの、その報告は握りつぶされた上に、彼は閑職に左遷させられてしまった。

 

 こうして、ドイツ軍の後方に回り込んだソ連軍は、一気に攻撃を開始した。

 

 ドイツ軍の後方を守るのは、同盟諸軍の2線級部隊に過ぎない。

 

 まして、主な戦闘はドイツ軍が担当している為、彼等は後方で補給路の守備を行うのみ。

 

 気が完全に緩み切っていたところに、ソ連軍の精鋭部隊が襲い掛かった。

 

 ソ連軍はルーマニア軍を殆ど一瞬(実際、戦闘に要した時間は半日未満)で撃破すると、ドイツ軍の後方遮断を開始する。

 

 ドイツ軍もこれに対応すべく行動を起こすが、既に部隊の大半はスターリングラードの街深くに入り込んでいた為、その動きは苛立たしいほどに鈍かった。

 

 こうして、ソ連軍の攻撃開始から、僅か3日後の11月22日。

 

 ソ連軍はドイツ軍の後方遮断に成功。

 

 ここに、「街を包囲する軍が、逆に包囲される」と言う、史上珍しい状況が現出した。

 

 そして、

 

 この事態を知る者は、これがドイツ軍にとって、いかに危機的状況であるかを悟り戦慄せざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 状況は「狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)」のヒトラーの下へも伝えられ、直ちに救出作戦が検討された。

 

 救出部隊の指揮官に選ばれたのは、アルフレート・マンシュタイン元帥。

 

 あのフランス侵攻作戦を基礎となった「マンシュタイン・プラン」を立案、計画した名将である。

 

 マンシュタインは長らく前線から遠ざかっていたが、バルバロッサ作戦時にはクリミア半島攻略を担当。徹底的な火力投射で、同地にあるソ連軍要塞を粉砕し、南方軍集団勝利に大きく貢献した。(余談だがこの時、ドイツ軍が世界に誇る、80センチ砲搭載の超巨大列車砲「ドーラ」や、54センチ砲搭載自走臼砲「カール」が、数少ない実戦を経験している)。

 

 命令に従いマンシュタインは「ドン軍集団」を編制。直ちに第6軍救出作戦の検討に入った。

 

 作戦名は「冬の嵐(ヴィンター・ゲヴィッター)

 

 これは、ソ連軍包囲網の一点に集中攻撃を仕掛けて戦線に穴を開け、同時進行で第6軍は「雷鳴(ドンナー・シュラーク)作戦」を発動。包囲網の内側から同一方向に攻撃を仕掛ける。

 

 言わばトンネルを掘る要領で、内と外から攻撃を仕掛けて包囲網に穴を開け、そこから物資を送り込むと同時に、第6軍を脱出させると言う物だった。

 

 成功すれば、確実に第6軍を救出する事が出来る。

 

 しかし、この作戦をヒトラーは承知しなかった。

 

 作戦手法そのものは認可したものの、第6軍のスターリングラードからの後退は認めなかったのだ。

 

 その背景には空軍最高司令官のヘルムート・ゲーリングが、「第6軍への物資輸送は、空輸のみで十分可能」と請け負った事が大きかった。

 

 しかし、最早時間が無い。悠長にヒトラーを説得している間にも、スターリングラードの包囲網は着々と強化されているのだ。

 

 マンシュタインは、いざとなれば第6軍を指揮するパウルスが、独断で雷鳴作戦を発動してくれる事を信じ、作戦を開始するしかなかった。

 

 ドン軍集団の集結が完了したマンシュタインは、12月12日より作戦を発動。

 

 包囲網を形成するソ連軍に、後方から襲い掛かった。

 

 対して、包囲網強化にばかり気を取られていたソ連軍は虚を突かれた。

 

 ドン軍集団の猛攻は凄まじく、次々とソ連軍の部隊を撃破、包囲陣地を突破していく。

 

 作戦開始から5日後の17日には、スターリングラードの手前40キロまでドン軍集団は前進。撃ち上げる照明弾がスターリングラードの街中からも確認する事が出来た程だった。

 

 ここだ。

 

 このタイミングで、第6軍が雷鳴(ドンナー・シュラーク)作戦を発動すれば、確実に包囲網を打ち破れる。

 

 誰もが作戦成功を祈る中、

 

 しかし、祈りは天に通じなかった。

 

 第6軍司令官パウルスは、作戦発動を拒否。

 

 説得に来たドン軍集団参謀には、燃料不足により作戦発動は不可能と語った。

 

 もっとも、燃料不足云々は建前で、本音はヒトラーの現地死守命令に逆らい、司令官職を解任される事をパウルスが恐れたから、とも言われている。真相はパウルス本人にしか分からないが。

 

 2日後にはイタリア軍もソ連軍によって撃破された。

 

 こうなると、いかな名将マンシュタインと言えども如何ともしがたい。

 

 グズグズしていては、ドン軍集団もソ連軍によって包囲されかねない。

 

 断腸の思いで撤退を命じるマンシュタイン。

 

 ここに、ドイツ軍最後の希望は潰えた。

 

 

 

 

 

 その後は、ただ只管に悲惨だった。

 

 救出作戦が失敗した事で、ソ連軍はますます包囲網を強化、スターリングラードのドイツ軍を圧迫した。

 

 対して、既に物資も消耗しつくし、救出の望みも絶たれたドイツ軍の抵抗は、急速に低下していった。

 

 ゲーリングが無責任に安請け合いした空輸もほとんど成功せず、1日最低750トン必要な物資は、調子の良い時ですら、その半分も届く事は無かった。

 

 それどころか、投下した物資が風にあおられて敵陣に落ち、まるまる鹵獲される事も珍しくなかった。

 

 その雀の涙のような空輸も、スターリングラード周辺の飛行場がソ連軍に押さえられるにあたり、急速に途絶えて行った。

 

 1943年1月1日。

 

 第6軍の将兵は、わずかに残っていた物資で、ささやかに新年を祝った。

 

 この頃になると、ヒトラー本人も第6軍の運命を絶望視し、有為な人材に関しては優先的にスターリングラードから脱出させるように指示を出していた。

 

 こうした中、1月30日。

 

 狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)から、1通の電報が第6軍司令部に届く。

 

 それは、パウルスをドイツ軍元帥に昇進させる旨が書かれた電文だった。

 

 それと同時に、ベルリン放送は終日に渡って、ワーグナー作曲の葬送曲(レクイエム)を流し続けた。

 

 これが意味するところは即ち、「ドイツ軍始まって以来、敵に降伏した元帥は存在しない。降伏するぐらいなら戦って死ね」と言う事だった。

 

 しかし、

 

 この事態を受け、パウルスはあらゆる意味で「切れた」。

 

 翌日にはソ連軍に対し、降伏を打診。

 

 ソ連軍もパウルスの意向を受け入れ、ここに第6軍全軍が降伏する事となった。

 

 1個軍団がまるまる消滅すると言う、前代未聞の状況が引き起こす事態はあまりに大きく、この後、ドイツ軍は東部戦線の主導権を急速に失って行く事になる。

 

 捕虜となったパウルスはその後、強烈な反ナチス思考へと転換、権限こそ与えられなかったが、ソ連国内で一定水準以上の生活が保障される好待遇をもって迎えられた。

 

 しかし、彼以外の将兵はあまりにも悲惨だった。

 

 降伏し、捕虜となった第6軍将兵は、降りしきる雪の中、捕虜収容所まで徒歩での移動を強要されたのだ。

 

 その際、力尽きて倒れた者は、階級、年齢に問わず、捨て置かれるか、その場でソ連兵によって処刑された。

 

 その後も捕虜収容所での過酷な生活や強制労働により多くの者達が命を落とし、最終的にドイツに帰国できた者は6000人に満たなかったと言う。

 

 

 

 

 

 地図上で見れば、ほんの小さな点に過ぎない街をめぐる戦いで両軍の死傷者は、合計で200万人以上とも言われる。

 

 スターリングラード。

 

 多くの命が、この街に呑み込まれ、

 

 そして、

 

 二度と再び、戻って来る事は無かった。

 

 

 

 

 

第53話「魔物の棲む街」      終わり

 



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第54話「1942年と言う時代」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 転換点。

 

 1942年と言う年を、一言で表すならば、まさにそれだろう。

 

 圧倒的な勢力でヨーロッパからロシア、更には中東、北アフリカと席巻したドイツ軍。

 

 その勢力は拡大を続け、いずれは世界の全てを戦火に覆うかと思われた。

 

 しかし、ソ連の燃料供給遮断を狙ったスターリングラード攻略の失敗。

 

 それも、1個軍団がまるまる消滅するほどの大敗を受け、その勢力は確実に後退を余儀なくされる事になる。

 

 前年のバルバロッサ作戦失敗と合わせると、ドイツ東部方面軍はほぼ半壊に近い損害を受けたと言っても過言ではなかった。

 

 しかし、損害と言う意味ではソ連軍も深刻だった。

 

 彼等はスターリングラードで170万人にも上る死傷者を出し、半ば壊滅に近い状態になっている。

 

 やはり弱体化しているとはいえ、ドイツ軍の猛攻を凌ぐのは並大抵ではなかったのだ。

 

 ソ連軍が残った部隊をまとめて再編成し、攻勢を仕掛けるにはまだしばらく時間が掛かる事になる。

 

 一方、北アフリカの戦況も、大きな動きを見せていた。

 

 アルフォンス・ロンメルの卓抜した指揮により、連合軍の攻勢を押し返し、要塞都市トブルクを陥落させた枢軸軍。

 

 このまま一気に攻勢を仕掛け、イギリス軍最後の要衝であるエル・アライメンを攻め落とすかに思われた。

 

 だが、ここに来て予想外の事が起こり、枢軸軍の動きが大幅に鈍る事になる。

 

 枢軸軍を指揮するロンメルが、急病により戦線離脱を余儀なくされたのだ。

 

 元々、ロンメルが置かれた状況は過酷だった。

 

 熾烈な砂漠の環境に、優勢な敵軍に劣勢な味方、頼りにならない同盟軍、中にはあからさまなサボタージュを働く者までいる。

 

 それら全てを纏め上げ、枢軸軍が戦線をどうにか維持できていたのは全て、ロンメルと言う名将の存在があったからこそである。

 

 そのロンメルが病に倒れ、一時的にドイツ本国に帰還せざるを得なくなった。

 

 当然、ロンメルは出発前に、副将に対し各種の指示を出し、自分が戻るまで守りを固め、決して無理をしないように伝えてから機上の人となった。

 

 だが、しかし、

 

 このロンメルの戦線離脱を、イギリス軍に察知されてしまった。

 

 そして、

 

 この千載一遇のチャンスを、逃すイギリス軍ではなかった。

 

 ロンメルさえいなければ、北アフリカの枢軸軍は烏合の衆に過ぎない。

 

 イギリス軍を指揮するガナード・モントゴメリ将軍は、トブルク攻防戦で敗走した味方を急ピッチで纏め上げると、敢えて攻勢に転じた。

 

 第3次ブレスト沖海戦において大規模輸送船団が壊滅し、一時的に補給不足に陥ったイギリス軍だったが、その後、ツェルベルス作戦によりドイツ第1艦隊が本国へ撤退した事で補給線が限定的ながら復活し、そこから可能な限りの物資や戦力が、イギリス軍の最重要拠点であるエル・アライメンに送り込まれた。

 

 一方の枢軸軍の補給線はマルタ島に展開したイギリス地中海艦隊によって阻まれ、逆に物資不足に陥りつつあった。

 

 頼みとしたイタリア艦隊は、タラント空襲以後、主力艦の損傷を恐れて内海に引きこもっている状態で頼りにならず、また、動きたくても燃料不足で殆ど身動きが取れない状態となっていた。

 

 Uボート艦隊は大西洋や地中海に広く展開し、少なくない数の敵輸送船を沈めたが、主力艦隊の援護が期待できない状況では、所詮は焼け石に水。イギリス軍の通商路を完全に遮断するには至らなかった。

 

 こうして、どうにか態勢を立て直した連合軍は、枢軸軍に対して一斉攻撃を仕掛けた。

 

 この連合軍の突然の攻勢に、ロンメル不在の枢軸軍は浮足立ち、完全に後手に回ってしまった。

 

 ロンメルの指示通り、守りを固めて防戦に徹する枢軸軍だったが、モントゴメリに率いられた連合軍は、徐々に戦線を押し上げて圧力を増していく。

 

 事態を知ったロンメルは、療養もそこそこに戦線へと舞い戻るが、その時にはすでに、手が付けられないまでに戦況は悪化していた。

 

 防衛ライン構成として敷設した地雷原は突破され、前線は連合軍から直接攻撃を受けている状態だった。

 

 連合軍は兵力15万、戦車1200両、航空機1500機をもって攻撃を仕掛けて来た。

 

 対する枢軸軍は、兵力10万、戦車500両、航空機450機でしかない。

 

 事態を把握したロンメルは、一目で戦線維持は困難と判断。

 

 ヒトラーに対してトブルクの放棄と、戦線の後退許可を求めた。

 

 エル・アライメンをめぐる戦いで、枢軸軍は3万もの兵力を失っている。すぐにでも撤退しないと全滅も有り得る。

 

 ここに留まって戦っても勝てないのは明白。

 

 それよりも後方に下がり、残存戦力を纏めた上で守りを固め、敵の息切れを待った方が得策と考えたのだ。

 

 程なくして「狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)」から、回答があった。

 

 「撤退は許可せず。現在地を死守し、不退転の決意で戦うべし」

 

 またしても、である。

 

 バルバロッサ作戦やスターリングラード攻防戦で発揮された(尚、この時点でスターリングラードの戦いは継続中)、ヒトラーの無意味な現地死守命令は、ここでも発揮されたのだ。

 

 しかし、最早どうする事もできない。

 

 ヒトラーがいくら安全な後方から、非現実的な「現地死守」を叫ぼうが、無理な物は無理なのだ。

 

 ヒトラーの指示を待たず、独断で撤退を開始するロンメル。

 

 しかし、事態は更なる急展開を迎える。

 

 1942年11月8日。

 

 連合軍による「トーチ作戦」発動。

 

 突如、ドナルド・アイゼンハワー将軍率いるアメリカ軍が、リビア後方のアルジェリアに上陸。これにより、エジプトの連合軍と合わせて枢軸軍を東西から挟撃する態勢が整えられた。

 

 ロンメルはよく戦い防戦したが、既に彼我の戦力差は10倍以上となり、いかに戦おうが戦線の維持は不可能となっていた。

 

 後退を重ねる枢軸軍。

 

 又、ロンメルは撤退戦でも優れた手腕を見せ、一時は連合軍の追撃を大きく引き離した事もあった。

 

 相変わらず、ヒトラーからは実情を無視した現地死守命令が飛んでくるが、そんな物に聞く耳を持っている暇すら無かった。

 

 ともかく、生き残っている戦力だけでもどうにか死守する。

 

 その想いだけが、ロンメルを支えていた。

 

 しかし、

 

 ここに来てイタリア軍上層部は、ロンメルへの誹謗中傷を始める。

 

 曰く「ロンメルはろくに戦いもせず、敵が来たら逃げ回り、イタリアの植民地を勝手に放棄している」との事。

 

 崩壊寸前だった戦線をロンメルによって救われ、今日までロンメルに戦線を支えてもらい、挙句に散々ロンメルの足を引っ張っておきながら、大した面の皮である。

 

 しかし、

 

 何と、この批判をヒトラーが政治的理由から受け入れてしまった。

 

 ヒトラーはロンメルのアフリカ方面軍司令官解任と、後任の司令官任命を行ってしまったのだ。

 

 ロンメルは抗議と実情報告の為、「狼の巣」へと飛んだが、そのまま戦線復帰は認められず、却ってベルリンでの療養を命じられた。

 

 こうして「砂漠の狐」ロンメルは、苦楽を共にした部下を置いて去る事を強要された。

 

 そして、

 

 ロンメルを失った枢軸軍は、あまりにも脆かった。

 

 東西から一斉に行われた総攻撃の前に、成す術もなく壊滅する枢軸軍。

 

 わずかに生き残った部隊は、地中海を渡ってイタリアに逃れる事が出来たが、大半の部隊は連合軍の物量に飲み込まれ、次々と全滅していった。

 

 こうして、北アフリカ戦線は、枢軸軍の大敗で幕を閉じた。

 

 以後、連合軍は北アフリカを橋頭保とし、イタリア本土への直接攻撃を視野に入れて、戦線を再構築して行く事になる。

 

 対して、ロンメルの支援すらろくに行う事が出来なかったイタリアには、これに対抗する有効な手段など、あるはずもなかった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 欧州戦線が激動を迎える中、太平洋でも大きな動きが見られた。

 

 真珠湾攻撃によってアメリカ太平洋艦隊を撃破し、更にマレー沖海戦の勝利によって、西太平洋の制海権を完全に手中にした日本軍は、勢いを駆ってフィリピン、グァムを攻略、更には東南アジアの資源地帯を占領し、長期自給体制の確立に成功した。

 

 更に2月にはインド洋へと侵攻し、イギリス軍の各拠点を壊滅させると同時に、イギリス東洋艦隊主力にも大打撃を与えた。

 

 勢いに乗る日本海軍は、いよいよアメリカ太平洋艦隊と雌雄を決するべく、中部太平洋侵攻を開始する。

 

 主力空母4隻、更に完成した最新鋭戦艦「大和」を含む、総勢150隻の大艦隊が、ハワイの西、ミッドウェー島攻略を目指し東進する。

 

 しかし、この作戦は、日本海軍の暗号解読に成功したアメリカ軍によって事前に察知され、空母3隻を主力とする艦隊に待ち伏せされていた。

 

 アメリカ海軍に奇襲を受けた日本海軍は、空母3隻を喪失。洋上航空兵力が半減すると同時に、中部太平洋攻勢は完全に頓挫した。

 

 ミッドウェーの敗北によって開戦初期の勢いを失った日本軍は、戦略の転換を余儀なくされる。

 

 それまでの短期決戦思想を捨て、長期戦略に切り替えるべく、進路を南へと向けた。

 

 連合軍の切り崩しを図るべく、米豪遮断作戦を発動。

 

 南洋諸島を占領する事でオーストラリアを孤立に追い込み、間接的に連合軍の弱体化を図ったのだ。

 

 第1次ソロモン開戦において、米輸送船団の撃滅に成功した日本海軍は、最重要拠点であるガダルカナル島を含む、ソロモン諸島全域の制海権確保に成功。

 

 更に、ガダルカナル島再奪取を目指して進撃してきた米艦隊を、第2次ソロモン海戦において撃退し、ソロモン周辺の完全制圧に成功した。

 

 こうして、南太平洋における優位を確立した日本軍は、更に南へと侵攻すべく、戦力を集結させる。

 

 目指すはニューヘブリディーズ諸島のエスピリトゥサント島。

 

 同地を攻略し、更に南への進軍を目指す。

 

 空母8隻、戦艦8隻を主力とする艦隊は、日本海軍最大の拠点であるトラック環礁へ集結、南へと進路を向ける。

 

 しかし、既に日本軍の目的を察知していたアメリカ軍は、南太平洋に強固な防衛ラインを形成して待ち構えていた。

 

 空母3隻、戦艦5隻を中心とした艦隊に加え、1000機近い航空戦力で鉄壁の守りを固めるアメリカ軍。

 

 世にいう「南太平洋海戦」である。

 

 日本海軍は激しい攻撃を仕掛け、アメリカ軍の空母2隻、戦艦4隻を撃沈するも、ついには防衛線を突破する事は叶わず、大損害を受けて後退。米豪遮断作戦は失敗した。

 

 事ここに至り、形勢不利を悟った日本軍は、ソロモン諸島の放棄と全軍の撤退を決断。

 

 追撃してきたアメリカ海軍との間に生起した第3次ソロモン海戦に辛うじて勝利したものの、戦略目標の米豪遮断は成らず、更には占領地を全て捨てざるを得ない状況は、まさしく大敗と言って差し支えなかった。

 

 「スターリングラード攻防戦」「エル・アライメン会戦」「ミッドウェー海戦」「南太平洋海戦」。

 

 これらの戦いは特に、第2次世界大戦における転換点になったと言われる。

 

 それまで優勢だった枢軸軍の攻勢が頓挫し、ついには押し返された戦い。

 

 これだけ重要な戦いが、僅か1年の間に起こったのだ。

 

 1942年と言う年が、いかに重大な年であったか分かると言う物だった。

 

 そして、

 

 その1942年最後となる戦いが、北の海で始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 波濤を切り裂き、艦隊は進撃する。

 

 そのマストには、誇らしげに鉄十字を靡かせて。

 

 重巡洋艦1隻、装甲艦2隻、駆逐艦5隻から成るドイツ海軍第2艦隊は、キール軍港を進発すると、ノルウェーを経由して北を目指した。

 

 指揮官は、ライカー・クメッツ大将。

 

 目指すはノルウェー北部のバレンツ海。

 

 第2艦隊の作戦目的は北海航路を通ってソ連領コラ湾を目指す、輸送船団の攻撃である。

 

 独ソ戦が激化する中、イギリスからソ連領へ向かう輸送船団の頻度も日増しに上がってきている。

 

 海軍としてはこれまで、Uボートによる通商破壊戦をメインに戦ってきたが、今後は水上艦艇も投入した、大規模な作戦を検討中だった。

 

 今回の出撃も、その一環だった。

 

「駆逐艦『エックボルト』より入電。《本艦ヨリ11時方向ニ敵輸送船団ト思シキ艦影ヲ確認。尚、敵ハ巡洋艦複数ヲ含ム》!!」

「やはり、護衛がいたか」

 

 報告を受けたクメッツ提督は、舌打ち交じりに呟きを漏らす。

 

 今回の襲撃作戦、敵は最低限の護衛の身でソ連領を目指すとの事前情報を得た為、ドイツ側は襲撃を決意した、と言う背景があった。

 

 第2艦隊の戦力は、必ずしも万全とは言い難い。

 

 今回は急な出撃であった為、Uボート艦隊の援護も無い。その為、ドイツ側としては、なるべく損害を抑えたい、と言う意図がある。

 

 一応、装甲艦の「ドイッチュラント」と「アドミラル・シェア」が加わっている。巡洋艦相手なら、火力には申し分ないが、それでも数において聊かの心もとなさは感じずにはいられなかった。

 

 一応、支援戦力となる部隊が後方から追随してきてはいるが、その合流を待っていたら輸送船団を取り逃がす恐れがある。

 

 以上の判断から、クメッツは現有戦力のみでの輸送船団襲撃を決断したのである。

 

「敵艦隊更に接近ッ 輸送船団の前面に展開します!!」

 

 自分達を盾にして、その間に輸送船を離脱させる腹だろう。

 

 わが身を犠牲にしても、守るべき物を守り通す。

 

 さすがはイギリス海軍と言うべきか、その姿勢には尊敬の念すら抱く。

 

 だが、

 

 強敵に対する賛辞は別にして、クメッツたちは彼等を突破し、背後にいる敵輸送船団を撃滅する事が求められる。

 

「合戦準備!! 砲雷同時戦用意!!」

 

 大音声が響く。

 

 同時に、

 

 ドイツ艦隊各艦は、一斉に速力を上げて突撃を開始した。

 

 

 

 

 

第54話「1942年と言う時代」      終わり

 




「蒼海のRequiem」本編解説

〇 ミッドウェー海戦
史実では4空母が撃沈された戦いでしたが、「蒼レク」では「蒼龍」が生き残り、以後も活躍しています。

〇 第1次ソロモン海戦
日本海軍が、第8艦隊の支援戦力として第11戦隊(姫神型巡戦2隻と「島風」)を投入した事で、連合軍艦隊と輸送船団双方を撃滅。ソロモン諸島全域の支配に成功する。

〇 第2次ソロモン海戦
米軍がガダルカナル島再奪取の為に艦隊を派遣、日本海軍も迎撃の為に機動部隊をソロモン諸島に派遣する。しかし日本海軍は連携不足、米海軍は情報不足から互いに決定打は奪えず、最終的に戦艦1、空母1を失った米軍が撤退する形で幕を閉じた。

〇 南太平洋海戦
ソロモン諸島を実効支配した日本軍が、本格的に米豪遮断を行うべくニューヘブリディーズ諸島に侵攻したが、米軍はこれを予期して迎撃のための艦隊を展開する。日本海軍は過去最大規模の航空戦力を繰り出すが米軍の迎撃網を突破できず、更に後方拠点のラバウルが急襲を受けた事で戦線維持は困難と判断され、日本艦隊は撤退。米豪遮断作戦は中止となった。

〇 第3次ソロモン海戦
ソロモン諸島早期撤退を決めた日本軍だったが、それよりも早く米軍がソロモン諸島に侵攻して来た。南太平洋海戦の痛手から回復していなかった日本軍は、「大和」を含む残存戦力を集結させて支援艦隊を編成。旧式戦艦4隻を主力とした米海軍と交戦しこれを撃滅。辛うじて撤退に成功した。

※史実では、第2次大戦の転換点とされている戦いは「エル・アライメン「スターリングラード」「ミッドウェー」「第3次ソロモン」なのですが、蒼レク世界では、南太平洋海戦で日本軍の攻勢は事実上とん挫し、その後の第3次ソロモン海戦は、実質、撤退支援の為の戦いなので、「転換点」と言う意味では、南太平洋海戦の方が相応しいと思ったので差し替えました。


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第55話「バレンツ海の鬼神」

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 バレンツ海において、ドイツ海軍第2艦隊がイギリス輸送船団襲撃を敢行しようとしていた頃、

 

 第2艦隊を追うように、ノルウェー沖を北上する艦影があった。

 

 数は2隻。

 

 かなりのスピードで航行しているらしく、白い航跡が長く伸びているのが見える。

 

 細く引き絞った船体の上に、多数の砲門。

 

 マストに靡く鉄十字は、その艦がドイツ海軍所属である事を示して居る。

 

「第2艦隊旗艦『アドミラル・ヒッパー』より入電。《我、敵船団ヲ発見。コレヨリ攻撃ヲ敢行ス》!!」

 

 その報告を受け、司令官席に座る青年は嘆息する。

 

「間に合わなかったか」

 

 海軍本部から命令を受けたのは数日前の事。

 

 そこから慌ただしく補給を受けてキール軍港を発し、その後は可能な限りに全速力でひた走ってきた。

 

 できれば、戦闘開始前に第2艦隊に合流したかったのだが。

 

「大丈夫、まだ間に合うよ」

 

 艦娘席に座った少女が、笑顔を向けながら告げる。

 

「足回りも弄ってもらったから。今までにないくらい調子いいみたい。これなら、遅れは十分取り戻せるはず」

 

 少女の言葉に、苦笑する青年。

 

 何とも、頼もしい限りである。

 

「調子は?」

「全然大丈夫。まだ余裕だよ」

 

 改装が完了し、訓練もそこそこに実戦参加など、正直どうかとも思ったが、少女の様子を見る限り、どうやら杞憂であるらしい。

 

 ならば、これ以上の心配は、それこそ無意味と言う物。

 

「後続する『オイゲン』は?」

「あっちも大丈夫。けど、大分無理して着いてきてるみたい」

 

 無理もない。

 

 元々、アドミラル・ヒッパー級重巡は航続距離に難を抱えている。全速に近い速度で走れば、燃料が心もとなくなる。

 

「無理はするなって伝えて。戦場に間に合ってくれればそれで良いから」

「了解」

 

 この戦い、全てはスピードが勝負。

 

 先行した第2艦隊に、本艦が追い付けるかどうか。

 

 全ては、その一点に掛かっている。

 

「頼むよ」

「うん」

 

 頷きあう2人。

 

 泡さる視線に、信頼以上の者が宿り、互いに微かに頬を赤くする。

 

 祈る思いは波濤を切り裂き、船は北を目指して駆ける足を速めた。

 

 

 

 

 

 バレンツ海を東へと進む輸送船団。

 

 その護衛として、軽巡洋艦3隻、駆逐艦10隻が随行していた。

 

 主力となる軽巡洋艦は「ジャマイカ」「シェフィールド」「バーミンガム」の3隻。

 

 その内、「バーミンガム」と「シェフィールド」は、「ベルファスト」等と同じサウサンプトン級に所属、「ジャマイカ」はフィジー級に当たる。いずれも15.2センチ砲を3連装4基装備し、強力な砲撃力を有している。

 

 護衛部隊を指揮するロブ・シャーブルック少将は、イギリス海軍内部でも慎重かつ冷静な人物として知られていた。

 

 彼は自身で軽巡3隻、駆逐艦6隻を直卒する一方、駆逐艦4隻を船団の護衛として張り付かせた。

 

 これは、ドイツ艦隊が水上艦隊の襲撃に合わせて、Uボートによる攻撃を仕掛けて来た時への備えだった。

 

 と言うのも、さかのぼる事半年前。

 

 1942年6月。

 

 アイスランドを経由して、ソ連のムルマンスクへ向かっていたPQ17輸送船団が、ドイツ艦隊水上部隊の襲撃を受けた。

 

 その際、イギリス海軍とアメリカ海軍が合同で護衛を行い万全の体制を期していた。

 

 しかし、ドイツ水上部隊を警戒している隙を突かれ、Uボートと航空機の襲撃を受けた輸送船団は全滅に近い損害を受けてしまった。

 

 この輸送作戦失敗により、ソ連への輸送作戦は数カ月にわたって延期せざるを得なくなり、その事がもとで、英米はソ連から批判を浴びるまでに至っている。

 

 その後、9月になって再度、大規模なPQ18船団がソ連を目指したが、これもドイツ軍の襲撃を受け、船団の3分の1が犠牲になっている。

 

「今度こそ、失敗は許されない」

 

 軽巡洋艦「シェフィールド」の艦橋で、少女は固い声で呟く。

 

 栗色の、少し癖のある髪をアップに纏め、少し釣り目気味の顔立ちをしている。

 

 凛とした出で立ちの中で、胸元に飾られた赤いバラが、どこか少女らしい可憐さを演出している。

 

 軽巡洋艦「シェフィールド」の艦娘である。

 

「あまり気負いすぎるなシェフィ。過去の失敗は、君のせいじゃないだろ」

「でも、その場に私もいたし、護衛の任務を全うできなかったのは事実だから」

 

 PQ18船団の護衛の時、「シェフィールド」も命令を受け、任務に就いている。

 

 襲い来るドイツ軍機多数を返り討ちにはしたものの、結局は犠牲が出る事は避けられなかったのだ。

 

 全体的に見れば3分の2の輸送船は目的地にたどり着いたのだから、作戦は成功と捉える事も出来る。

 

 しかしそれでも、犠牲は少なく済んだ、とは言えなかった。

 

「今度こそ、成功させてみせる」

 

 静かな決意を呟くシェフィールド。

 

 それに対し、艦長ももう、それ以上は何も言わなかった。

 

 くどくどと言葉を重ねても、この少女のプライドを傷つけるだけ。

 

 ならば自分は、彼女が全力を発揮できるよう指揮に専念するのみだった。

 

 その時、

 

「旗艦より信号、《全艦、戦闘配置、砲雷同時戦用意》!!」

「来た」

 

 短く呟くシェフィールド。

 

 やがて、イギリス艦隊は陣形を整え、速力を上げ始めた。

 

 

 

 

 

 ドイツ第2艦隊を率いるライカー・クメッツ大将は、麾下の艦隊を二手に分けると、襲撃態勢を着々と整えつつあった。

 

 自身は、旗艦「ヒッパー」と駆逐艦3隻を引き連れて本隊を形成。敵の正面から攻撃を仕掛ける。

 

 敵の目が本隊に向いた隙に、装甲艦「ドイッチュラント」「アドミラル・シェア」、駆逐艦2隻で形成された別動隊が敵船団に突入する手はずだった。

 

 既に船団側も、第2艦隊の接近に気付いたのだろう。護衛部隊が分離して、向かってくるのがレーダーで確認できていた。

 

 ここまでは作戦通りだ。

 

 敵には軽巡が3隻いる事は確認できている。

 

 軽巡とは言え、イギリス海軍の軽巡洋艦は、実質的には重巡と同等の規模を誇っている。油断はできなかった。

 

「敵艦隊接近、距離、2万1000!!」

 

 レーダー室からの報告を、無言で聞き入るクメッツ。

 

 既に主砲の射程距離内だが、夜間に2万メートルで主砲を撃っても、まず当たらない。

 

 より、距離を詰める必要がある。

 

「大丈夫よ」

 

 冷静な少女の声が、艦橋内に響く。

 

 重巡「ヒッパー」の艦娘は、冷静な口調でクメッツたちに語り掛ける。

 

「私の装甲なら、敵の巡洋艦の攻撃くらい弾き返せる。もっと、前進して構わないわ」

 

 確かに。

 

 アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦は他国の重巡より大型であり、その分防御力も高くなっている。

 

 たとえ複数の敵が相手でも、充分に勝機はあった。

 

「敵艦隊接近ッ 巡洋艦3ッ 駆逐艦6ッ まっすぐ向かってきます!!」

 

 数が多い。

 

 クメッツたちの間に緊張が走る。

 

 しかし、今更退くわけにはいかなかった。

 

 何としても「ドイッチュラント」達が、船団に取り付くまで時間を稼がなければ。

 

「面舵一杯ッ 左砲戦用意!!」

 

 クメッツの指示を受け、右へと回頭させつつ、1番(A)2番(B)砲塔を左へと旋回させる「ヒッパー」。

 

 旋回する測距儀が、接近してくる敵の1番艦を補足。

 

 側的に従い砲の角度、仰角が決定する。

 

「撃ち方始め!!」

 

 クメッツの号令と共に、放たれる4門の60口径20.3センチ砲。

 

 ほぼ同時に、イギリス艦隊も射撃を開始する。

 

 この時、イギリス艦隊の中核を務めているのは3隻の軽巡は、いずれも15.2センチ砲を3連装4基装備しているのが特徴である。

 

 砲口径は「ヒッパー」の方が大きいが、相手は3隻。しかも、サウサンプトン級もフィジー級も装填速度が速い。

 

 侮れる相手ではなかった。

 

 「ヒッパー」の放った砲弾が、イギリス艦隊旗艦「バーミンガム」の前方に着弾。派手に水柱を上げる。

 

 対抗するように放たれる、「バーミンガム」と「ジャマイカ」の主砲。

 

 互いに初弾からの命中は無く、水柱だけが高らかに突き上げられる。

 

「距離を詰めさせるな!!」

 

 イギリス艦隊の砲弾が上げる水柱を見ながら、クメッツが命じる。

 

「あの数で突っ込まれたら、こちらが潰される。無理はせず、時間を稼ぐことに徹しろ!!」

 

 とにかく、敵の護衛を船団から引き離す事が出来れば、後は別動隊が襲撃できる。そうなれば、ドイツ艦隊の勝ちだ。

 

 命令に従い、面舵を切って距離を取りにかかる「ヒッパー」。

 

 追随する駆逐艦も、砲撃を行いながら転舵する。

 

 「バーミンガム」「ジャマイカ」「シェフィールド」の砲弾が、「ヒッパー」の左舷側に落下。

 

 視界が水柱によって、一時的に阻まれる。

 

 だが、

 

 その間隙の中から、駆逐艦がまっすぐに向かってくるのが見えた。

 

 そこへ、「ヒッパー」の狙いが定められる。

 

「撃てッ!!」

 

 艦長の命令。

 

 ヒッパーもまた、目を見開いて集中する中、8門の20.3センチ砲が放たれる。

 

 その一撃が、

 

 不用意に接近しようとした駆逐艦の艦首を真正面から捉える。

 

 60口径の高初速によって放たれた砲弾は、一瞬にして駆逐艦の艦首を砕き、速力を鈍らせる。

 

 そこへ、3隻の駆逐艦が集中砲火を浴びせ、英駆逐艦にとどめを刺す。

 

 1隻撃沈確実。

 

 幸先のいい展開に、第2艦隊司令部は沸き上がる。

 

「よし、目標変更だッ!!」

 

 意気を上げながら、命令を下すクメッツ。

 

 同時に主砲が旋回し、次の目標を狙う。

 

 しかし、

 

 報復は、すぐに襲ってきた。

 

 突如、

 

 「ヒッパー」の後方で、突如湧き上がる爆発。

 

 クメッツたちが驚く中、報告は直ちに上げられる。

 

「駆逐艦『エックボルト』、轟沈しました!!」

 

 「ヒッパー」の援護として追随していた、駆逐艦「フリードリヒ・エックボルト」が、軽巡洋艦の主砲弾を魚雷発射管に受け、搭載魚雷が一斉に誘爆、轟沈したのだ。

 

 これで1対1。

 

 戦力が劣るドイツ艦隊にとっては、痛い損失となる。

 

「敵砲撃、来ます!!」

 

 見張り員が報告した直後、

 

 イギリス軽巡2隻が放った砲撃が、次々と「ヒッパー」の周囲に落下する。

 

 その内、数発がドイツ重巡を直撃した。

 

 甲高い金属音と共に、「ヒッパー」の甲板に爆炎が踊る。

 

「クッ まだッ これくらいならッ!!」

 

 ヒッパーが苦しそうに顔を歪める。

 

 撃ち返す「ヒッパー」。

 

 しかし、こちらの砲弾は当たらず、目標とした「バーミンガム」の手前に落下する。

 

 その間にも放ってくる英軽巡2隻の砲撃は、確実に「ヒッパー」を直撃していた。

 

「まずいな・・・・・・・・・・・・」

 

 状況を見ながら、クメッツは苦々し気に呟く。

 

 敵の護衛部隊を引き付けるところまでは成功したものの、イギリス艦隊の戦闘力が想定したいたよりも高く、予想外の苦戦を強いられていた。

 

 まだ、別動隊からの襲撃報告は来ていない。

 

 どうやらあちらは、未だに敵船団を補足できずにいるらしい。

 

 このままクメッツの本隊が壊滅すれば、なし崩し的に別動隊も、反転した敵の護衛部隊に捕捉され、包囲殲滅の憂き目を見る事になりかねない。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 退却。

 

 その言葉が、クメッツの脳裏に浮かぶ。

 

 今、襲撃を中止して退却を命令すれば、安全に退却できる可能性は高い。

 

 イギリス艦隊の目的は、あくまで船団の護衛だから、深追いは避けるだろう。

 

 無理に戦闘継続して全滅するよりも、撤退して戦力保持に務めた方が良い。

 

 そう考え、振り返った時だった。

 

「提督ッ これを!!」

 

 情報参謀が、紙片を片手に駆け寄ってきた。

 

 通信室に入ってきた暗号文を、解読したものだ。

 

 その文面を一読して、クメッツは目を見開いた。

 

「宛:第2艦隊司令官   

発:第1戦闘群司令官

 

 本文

 我、間モナク戦闘加入ス。今暫ク健闘アレ」

 

 笑みを刻むクメッツ。

 

「そうかッ 間に合ったか!!」

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 砲煙の向こうで、反転するドイツ艦隊の様子が見て取れる。

 

 鉄十字をマストに靡かせた艦隊は、今まさに自分達に背を向けて距離を置こうとしている。

 

 その様子は、イギリス艦隊旗艦「バーミンガム」からも見て取る事が出来た。

 

 「アドミラル・ヒッパー」は尚も後部2基4門の主砲を撃ち放っているが、徐々に距離を置き始めている為、砲弾は殆どイギリス艦隊に届いていない。

 

 どうやら、本格的に撤退を始めたらしい。

 

 対して、イギリス艦隊は隊列を整え、砲火をドイツ艦隊に放ってはいるものの、進路を変更したり速力を上げたりする様子はない。

 

 「バーミンガム」に座乗するシャールブック少将より、深追いはしないよう、既に命令が届いていた。

 

 シャールブックは冷静だった。

 

 彼は、自分の役割はあくまで船団の護衛であり、敵艦隊の撃滅だけではない事を理解している。

 

 その為、船団から離れるような愚を犯すつもりはなかった。

 

「これで、チェックメイト」

 

 シェフィールドは、口元に微笑を浮かべて呟く。

 

 ドイツ艦隊が二手に分かれているのは、事前の情報収集で掴んでいた。

 

 一方が護衛部隊を引き付けて、もう一方が船団を襲撃するつもりだったのだろうが、その目論見はシェフィールド達の活躍によって阻止された。

 

 囮部隊が撤退を始めた以上、程なく襲撃部隊も撤退するだろう。そうなれば、船団の安全は確保される。

 

 もし、ドイツ艦隊が諦める事無く進撃を続けたのなら、その時は反転したイギリス艦隊が彼等の背後を襲う事になる。

 

 そうなれば少数の襲撃部隊を殲滅する事は容易い。

 

 それに、万が一の時は、北方にあるスピッツベルゲン島にあるイギリス軍拠点に船団を逃げ込ませる手はずになっている。そこは北極海航路を狙うドイツ軍を牽制する為の拠点であると同時に、万が一の時、船団の退避場所としても整備されている。

 

 どっちにどう転んでも、この戦いはイギリス側の勝ちだった。

 

「旗艦より信号、《我ニ続キ反転セヨ》!!」

 

 見張り員の報告に頷きを返す。

 

 これ以上の戦闘は無用。速やかに船団と合流しようと言うのだろう。

 

「取り舵一杯、旗艦に続行せよ!!」

 

 艦長の命令と共に、左へと回頭する「シェフィールド」。

 

 重巡洋艦並みの大型の船体が、大きく傾く。

 

 その時だった。

 

「水上レーダーに感あり!!」

 

 レーダー室から、鋭い声で報告が上げられる。

 

「方位1―6―0より急速に接近する艦影ありッ 速度30ノット以上!!」

 

 再び、緊張が走る。

 

 周囲に味方の艦隊がいない事は確認している。

 

 となれば、接近してくる艦影は敵と言う事になる。

 

「数は?」

「1です」

 

 ただ1隻で向かってくる敵。

 

 奇妙ではあるが、1隻ならどうとでもなる。

 

「面舵一杯、右砲戦用意ッ!! 先ほどと同じだ。ありったけの火力を集中させて追い払う!!」

 

 命令を受けて、3隻の軽巡と5隻の駆逐艦が砲を旋回させる。

 

 その砲門が、接近しつつある新たなる敵を真っ向から捉えた。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 接近するドイツ艦も、着々と戦闘準備を整えつつあった。

 

「面舵一杯、進路0―5―5!!」

「主砲、左砲戦用意!!」

 

 航跡を右に引きながら、長い艦首を旋回させる。

 

 同時に6門の主砲は左へと旋回し、仰角が掛けられる。

 

「アントン、ブルーノ、ツェーザル、1番2番、全門徹甲弾装填!!」

 

 艦橋頂部の測距儀が旋回し、目標への探知を始める。

 

 同時にレーダーも測距を開始、射撃に必要なデータを取得する。

 

「目標、敵1番艦!!」

「測的良し!!」

「装填完了!!」

 

 次々と上げられる報告を聞き、頷く司令官。

 

 チラッと、傍らの少女と視線を合わせる。

 

「いよいよ、だね」

「ああ。生まれ変わった君の力、奴等に見せつけてやろう」

 

 笑みを交わし、頷く2人。

 

 白い手袋に包まれた、青年の腕が、高く掲げられる。

 

 次の瞬間、

 

「撃ち方始めェ!!」

 

 ドイツ海軍、第1戦闘群司令官エアル・アレイザー准将は、右手を鋭く振り下ろした。

 

 同時に、

 

 巡洋戦艦「シャルンホルスト」は、左舷に向けた主砲を一斉に撃ち放った。

 

 洋上を高速で駆け抜けるドイツ巡洋戦艦。

 

 その姿は、以前と比べて大きく様変わりしていた。

 

 まず、目を引くのは、何と言っても主砲だろう。

 

 その砲門数は6門。

 

 以前に比べて減少している。

 

 しかし、

 

 その分、威力は比べ物にならない程、圧倒的に強化されている。

 

 放たれる砲弾。

 

 視界の彼方で突き上げられる水柱。

 

 先頭を進む英艦隊旗艦「バーミンガム」の前方に着弾した砲弾が、激しく海面を拡販する。

 

 一撃で、イギリス艦隊が一気に混乱し始めたのが、この位置からも見えていた。

 

 その突き上げる水柱は、以前とは比べ物にならない程、太く、そして巨大だった。

 

 以前の「シャルンホルスト」は、54口径28.3センチ砲と言う、戦艦としては小型の主砲を3連装3基9門搭載していた。

 

 しかし、

 

 今の「シャルンホルスト」の主砲は連装3基6門。

 

 その主砲は47口径40センチ砲。

 

 砲弾重量は1トンにも達し、威力は28.3センチ砲の3倍以上である。

 

 イギリス海軍では、唯一の40センチ砲搭載艦だったネルソン級2隻は、既にドイツ海軍との戦いで沈没している。

 

 それ故、事実上、今の「シャルンホルスト」はヨーロッパ最強戦艦と言っても過言ではなかった。

 

 放たれた40センチ砲弾は、3斉射目にして目標となった巡洋艦「バーミンガム」を捉える。

 

 重量1トンの砲弾が2発。

 

 英軽巡の艦首と中央付近に命中した。

 

 艦首に命中した砲弾は、威力もそのままに、文字通り艦首を引きちぎった。

 

 中央に命中した一発は、軽巡洋艦にしては厚い装甲をいともあっさりと貫通し艦内で炸裂した。

 

 次の瞬間、

 

 軽巡洋艦「バーミンガム」は内側から膨張するように弾け飛び、吹き上がる爆炎に包まれた。

 

 轟沈。

 

 排水量1万トンを超える大型軽巡が、たった2発の砲弾で完膚なきまでに破壊しつくされてしまった。

 

 シャールブック少将や艦娘はじめ、乗組員全員が艦と運命を共にしたであろう事は、想像するまでも無かった。

 

「目標変更、敵2番艦!!」

 

 「バーミンガム」轟沈の様子に沸く事無く、エアルは素早く次の指示を下す。

 

 だが、「シャルンホルスト」が次の行動を起こす前に、イギリス艦隊が対応した。

 

 流石は音に聞こえた英国海軍(ロイヤル・ネイヴィー)と言うべきか、司令官ごと旗艦を撃沈されたにもかかわらず、イギリス艦隊の戦意は未だ衰えていない。

 

 むしろ、未知の敵が脅威となる前に、ここで仕留めてしまおうと言う気概すら見て取れる。

 

「左舷40度、敵駆逐艦接近!!」

 

 5隻の駆逐艦が、単縦陣を組んでまっすぐに「シャルンホルスト」めがけて突撃してくるのが見えた。

 

 いかな「シャルンホルスト」でも、多数の駆逐艦から魚雷を一斉に撃たれては回避も難しい。

 

 まさに、数に任せて圧し包もうと言うイギリス艦隊の作戦。

 

 単純な力押しでありながら、この場では理にかなっている。

 

 そう、

 

 相手が「シャルンホルスト」と、エアル・アレイザーでなければ。

 

 エアルは慌てなかった。

 

 慌てるべき、何物も彼には存在していなかった。

 

 素早くマイクを取って叫ぶ。

 

「後部艦橋、左舷副砲射撃の指揮を取れ!!」

 

 命令を受けて、後部艦橋の測距儀が旋回、更に頂部のレーダーが稼働して測距を開始する。

 

 同時に、左舷側の副砲が一斉に旋回を開始した。

 

 60口径12.8センチ砲は、新開発された高性能砲で、毎分30発発射可能、最大射程は1万5000メートルにも達する。更には対空射撃にも転用可能な万能兵器である。

 

 「シャルンホルスト」は、この副砲を両舷に5基ずつ、更に後部艦橋とC砲塔の間に1基、合計22門装備。その内、片舷には6基12門指向可能となっている。

 

 つまり、片舷だけで、ほぼ駆逐艦2隻分に匹敵する火力を支援火器として使用できるのだ。

 

 レーダーと光学測距の組み合わせで駆逐艦の動きを察知した「シャルンホルスト」は、一斉に副砲射撃を開始する。

 

 すさまじい弾幕射撃が、駆逐艦の接近を阻む。

 

 たちまち、先頭の駆逐艦が火だるまになって脱落する。

 

 更に2番艦は、魚雷発射管に直撃を受けて誘爆してしまう。

 

「機関最大ッ!!」

 

 速力を上げる「シャルンホルスト」。

 

 フランスで学んだ高圧ボイラー技術とドイツの電気工学が組み合わさって強化された機関は、最大で34ノットを叩き出す。しかも、3万トンを超える巨艦でありながら、その加速は滑らかで速い。

 

 ぐんぐん加速する「シャルンホルスト」。

 

 こうなると、駆逐艦でもなかなか追い付けない。

 

 イギリス海軍は慌てふためいて追いかけているうちに、「シャルンホルスト」から容赦ない副砲射撃が浴びせられ、更に1隻の駆逐艦が脱落する。

 

 勿論、その間にも主砲は仕事をする。

 

 修正した照準の下に、砲を旋回させ、狙いを定める。

 

「撃てェ!!」

 

 エアルの号令と共に放たれる6発の砲弾。

 

 そのうちの1発が、

 

 尚も盛んに射撃を行いながら、「シャルンホルスト」を追ってくる「ジャマイカ」を直撃した。

 

 前部甲板を直撃した1トンの砲弾。

 

 その一撃で、「ジャマイカ」の前部2基の3連装砲塔は粉砕され、使用不能になる。

 

 幸いにして誘爆は免れたようだが、「ジャマイカ」は戦闘力を喪失、そのまま取り舵を切って退避に移った。

 

 

 

 

 

 旗艦「バーミンガム」撃沈、僚艦「ジャマイカ」損傷(判定大破)。更に駆逐艦も3隻撃沈確実。

 

 その様を、シェフィールドは呆然とした眼差しで眺めていた。

 

 その視界の先では、尚もこちらに向けて主砲を放つ「シャルンホルスト」の姿がある。

 

「何なの・・・・・・・・・・・・」

 

 少女は険しい目で、増援として現れた「シャルンホルスト」を睨む。

 

「何なのよ、あいつは一体・・・・・・・・・・・・」

「シェフィ」

 

 背後から、沈痛な表情で声を掛ける艦長。

 

 その手には、1枚の電文が握られていた。

 

「船団を護衛していた駆逐艦からだ。ドイツ海軍の別動隊が船団に突入、輸送船の半数が撃沈。もう半数は、船団を解いて分散、各自でスピッツベルゲン島基地を目指すそうだ」

「そんな・・・・・・・・・・・・」

 

 つい先刻まで、確かにイギリス艦隊が有利に戦況を進めていた。

 

 このまま行けば、ドイツ艦隊を撃退し、輸送船団を守り切れると。

 

 しかし、

 

 「シャルンホルスト」は、たった1隻で戦況をひっくり返してしまった。

 

 確かにイギリス海軍は巡洋艦と駆逐艦のみの編成だったが、しかしそれでも、こうまで一方的な戦いになるとは。

 

 見れば、「シャルンホルスト」の後方から、更に増援としてヒッパー級重巡洋艦が姿を現し砲門を開いているのが見える。わずかな特徴から「プリンツ・オイゲン」である事が分かる。恐らく「シャルンホルスト」に随伴して戦場に到着したのだろう。

 

 砲戦に敗れ、輸送船団も壊滅した。

 

 紛う事無き、イギリス海軍の敗北である。

 

「撤退する。異存はないな」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 逡巡するシェフィールド。

 

 しかし、これ以上の交戦が無意味である事は、シェフィールドも分かっている。

 

 それに、敗れはしたが、任務はまだ終わっていない。

 

 せめて、生き残った輸送船だけでもソ連領へ送り届けなくてはならない。

 

 頷くシェフィールド。

 

 同時に大きく回頭しつつ増速、そのまま戦線から遠ざかるコースへ進路を変更する。

 

 その間、

 

 シェフィールドの目は、彼方のドイツ巡戦を睨み据えていた。

 

 この屈辱は忘れない。

 

 いつか必ず、この報いを受けさせてやる。

 

 少女はその決意と共に、宿敵へ背を向けるのだった。

 

 

 

 

 

第55話「バレンツ海の鬼神」      終わり

 




作品の内容と情勢がホットに合致しすぎている。

正直、諸々鑑みて、この作品の執筆をやめるべきか、あるいは私如きがそこまで気にするのは、却って烏滸がましいか、かなり悩みました。

結果として、批判が来るまでは続けよう、と言う考えに至りました。

ただ、今後情勢次第では、作品の削除も有り得る、と考えています。


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第56話「消せない傷跡」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドイツ艦特有の優美な外観を持つ戦艦は微速で海面を移動、やがて指定された桟橋でピタリと停止する。

 

 その滑らかな動きには一切のよどみなく、艦長含めた乗組員たちが、いかに優秀で熟達しているかを表していた。

 

 やがて、乗組員たちが上陸作業を進める中、艦長の青年が艦娘を伴って桟橋へと降り立った。

 

「急造だって聞いてたけど、意外としっかりしているもんだね」

「何か、聞いた話だと、1個艦隊くらいなら普通に収容できるって話だよ。あ、すごい、お店とかもあるッ おにーさん、後で行ってみようよ!!」

 

 感心したようなエアルの言葉に、シャルンホルストはしゃいだ様子で周囲を見回しながら答える。

 

 2人が立っている場所は、ドイツ国内の港ではない。

 

「ここが、俺達の新しい拠点、か」

 

 エアルは感慨深げに呟く。

 

 北ノルウェー一帯を要塞化して艦隊を進出させ、北海航路を通る船団を狙い撃ちにする。

 

 その構想が、父を中心に進められている事はエアルも聞いていた。

 

 正直、話を聞いた時、規模は大したことないだろうと考えていた。せいぜい、フィヨルドを利用して、簡素な入泊施設があるくらいの、申し訳程度の拠点が作られるだけだろう、と。

 

 しかし、完成した拠点は、エアルの想像を遥かに超えていた。

 

 停泊用の桟橋やブイは多数の上り、補給用倉庫、司令、通信設備に港湾要員の宿舎、敵の襲撃に備えた対空砲陣地も充実している。簡易ドックまで作られており、ある程度の損傷なら、本国に戻らなくても修理可能となっている。

 

 そして、飲食店や映画館、スポーツ施設と言った娯楽施設もある。

 

 ここは北ノルウェーのフィヨルド内に建設された、ドイツ海軍の新たな拠点だった。

 

 周囲を見回せば、殆どドイツ国内にある港と変わらない規模の施設が立ち並んでいるのが分かる。

 

 まるでキール軍港が、そのまま引っ越して来たみたいだ。

 

 何より、港で働いている人々の顔が、生き生きとしているのが印象的だ。

 

 この最北の地にあって、ドイツ軍側の士気は高い。

 

 現在、困難な状況にある戦局を、自分達の手で逆転するのだ、と言う気概に満ち溢れているように思えた。

 

「状況が状況だからね」

 

 声は、2人の背後から聞こえて来た。

 

 振り返れば、良く見知った少女が、笑顔を浮かべて立っている。

 

「東部戦線がけっこう不味いみたいだし、急ピッチで建造にこぎつけたそうよ」

「ゼナ!!」

 

 妹の姿を見て、飛びつくシャルンホルスト。

 

 グナイゼナウの方も、久しぶりに会えた姉の姿に笑顔を見せて抱擁を受け入れる。

 

 姉妹の再会ハグと言う微笑ましい光景に、周囲の兵士達がほっこりしながら見守る。

 

 そんな様子を眺めながら、エアルが声を掛けた。

 

「ゼナがここにいるって事は、第1艦隊はもう到着したの?」

「ええ。2日前に。もう既に、大方の戦力は終結していますよ」

 

 姉の頭をよしよしと撫でてやりながら、グナイゼナウは答える。

 

「そうそう、バレンツ海での報告は、既に私の方にも入って来てますよ。シャルも、よく頑張ったわね」

 

 妹の誉め言葉に、照れて顔を赤くするシャルンホルスト。

 

 バレンツ海海戦の結果、ドイツ軍は援ソ船団の航路に対し大打撃を与える事に成功した。

 

 以後、暫くイギリスをはじめとした連合軍は北海経由の輸送を中止せざるを得ず、その事が東部戦線にも多大な影響を及ぼしている事は間違いなかった。

 

 この大勝利にはヒトラーも大いに喜び、直々に海軍将兵、艦娘達を褒め称えていた程だった。

 

 とは言え、油断は許されない。

 

 未だに東部戦線では陸軍が、数に勝るソ連軍相手に苦戦を続けているし、イギリス軍もこのまま手を拱いているとは思えない。

 

 今この一時、優勢になった状況を利用して、何としてもドイツ軍の優位を確立したい所だった。

 

「大丈夫だよ」

 

 声を上げたのはシャルンホルストだった。

 

 ようやく満足したらしく、妹をハグから解放するとエアルに向き直った。

 

「ボクもゼナも強化されたし。それに他にもたくさん、新しい艦が加わったんだからさ」

 

 そんなシャルンホルストの言葉に、エアルとグナイゼナウは顔を見合わせて苦笑するしかない。

 

 とは言え、シャルンホルストの言葉は間違いではない。

 

 エアル達が大西洋を転戦している間にも、ドイツ海軍はいくらかの新鋭艦を戦力化している。

 

 更に、シャルンホルスト級巡洋戦艦も大幅に強化されている。

 

 その戦闘力については、既にバレンツ海の勝利によって証明されていた。

 

 視線を巡らして見回せば、桟橋に係留された「シャルンホルスト」が停泊しているのが見える。

 

 基本となるシルエットは、あまり大きく変わっていない。

 

 しかし、いくつかの装備が大きく変更されているのが分かる。

 

 特に最大の特徴が、その主砲だろう。

 

 元々、シャルンホルスト級巡洋戦艦は、54口径28.3センチ砲を3連装3基装備していたが、これは口径としては最小であり、世界中のどの戦艦よりも砲口が小さい。

 

 弾が軽いので連射は効くし、巡洋艦以下の艦艇が相手なら十分な威力を発揮できるが、しかし相手が戦艦となればそうもいかず、これまでもしばしば苦戦を強いられる事が多かった。

 

 そこで、ツェルベルス作戦後、シャルンホルスト級巡洋戦艦2隻が本国へ帰還したのを機に大改装の実施が決定した。

 

 そもそも、シャルンホルスト級は建造当初、ビスマルク級と同じ47口径38センチ砲を連装3基6門搭載する予定になっていた。

 

 しかし新型砲の開発が間に合わず、竣工の遅れを懸念した海軍上層部の決定により、ドイッチュラント級装甲艦の主砲の砲身を伸長した物を搭載した経緯がある。

 

 故に、今回の改装では、当初の予定通り38センチ砲に換装されると思われた。

 

 しかし、ここで海軍上層部、特に改装を主導したウォルフ・アレイザーは、ある物に目を付けた。

 

 H級戦艦。

 

 それは、ビスマルク級の次に建造される予定だった大型戦艦であり、主砲は47口径40センチ砲連装4基搭載。完成すれば世界最強の戦艦になると期待された艦であった。

 

 6隻建造を計画して、既にプロジェクトもスタートしていたH級戦艦だったが、しかし、ヒトラーが当初の予定よりも3年も早く開戦したせいで予算と資材が不足し、開発は半ばで凍結してしまった。

 

 しかし、開発は凍結したが、既に一部の装備は完成状態で倉庫に保管されていたのだ。

 

 その中に、主砲の砲身と、砲塔の試作品もあった。

 

 ウォルフは未完成に終わったH級戦艦の代わりに、この新型40センチ砲をシャルンホルスト級に搭載しようと考えたのだ。

 

 幸い、6隻建造予定だった為、主砲の砲身は十分にストックされている。予備の砲身にも事欠かない。

 

 38センチ砲と40センチ砲はシステム的に類似している為、大きな設計変更も必要ない。

 

 こうして、「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」は、これまでの28.3センチ砲から、一気に数ランク上の40センチ砲を搭載した事で、列強の戦艦をも凌駕しうる最強戦艦に生まれ変わったのである。

 

 現在、ヨーロッパにおいて、シャルンホルスト級に単独で対抗可能な戦艦は少ない。ライバルであるイギリス海軍の、キング・ジョージ5世級戦艦とて例外ではなかった。

 

 更に、主砲だけではない。

 

 副砲には新開発された60口径12.7センチ砲を連装11基22門搭載している。バレンツ海海戦において、イギリス軍の駆逐艦部隊を一切寄せ付けずに返り討ちにした事からも、その威力は証明されていた。

 

 その他、機関出力も向上させ、最高速度は35ノットにも達している。ほぼ駆逐艦と同等の機動性を持ったに等しい。

 

 更に補助兵装として、両舷には巨大なパラボラアンテナが2基ずつ、計4基搭載されている。これは、ドイツ軍が正式採用している高性能対空レーダー「ウルツブルク」である。これは敵機の高度、速度、進路を割り出し、対空砲を連動させる事が出来る。

 

 「ビスマルク」沈没の苦い経験の果てに、ドイツ海軍では各艦の対空戦闘力向上が見直されており、こうして鉄壁の防空力を備えるに至っていた。

 

 こうして、完成した「シャルンホルスト」は、

 

 基準排水量3万5000トン、最高速度35ノットで、47口径40センチ砲連装3基6門を有する、ヨーロッパ最強戦艦に変貌を遂げたのだ。

 

 ようやく、ドイツ海軍はイギリス海軍の戦艦と、正面から戦える戦艦を手に入れた訳である。

 

「さて」

 

 グナイゼナウは、2人を見ながら口を開いた。

 

 長話も過ぎた感がある。

 

「みんな既に集まっているわ。会議室の方に来て」

 

 そう言って、先に立って歩き出すグナイゼナウ。

 

 その背中を眺めながら、

 

「行こう、シャル」

「うん」

 

 頷く2人。

 

 そっと手を繋ぎ、基地の中へと歩き出した。

 

 

 

 

 

 ドイツ海軍北ノルウェー基地。

 

 それは、エアルの父、ウォルフ・アレイザーが提唱した「アレイザー・プランⅡ」の下、建設がすすめられた一大拠点である。

 

 ノルウェーの海岸線を覆うように存在する多数のフィヨルドを利用するように建設されたこの拠点は、フィヨルド特有の奥行きが深く複雑な地形も相まって、外部からは非常に攻めにくい構造をしている。

 

 また、水深も深く、幅もある程度広い為、大型艦の泊地としても十分に耐えられる。

 

 正に進出拠点としては、申し分ない条件を揃えていた。

 

 加えて、ドイツ軍の戦略事情から言っても、北ノルウェーは最適の場所だった。

 

 ソ連軍は、戦争に必要な物資を、英米からの輸送に頼っている。

 

 こうして派遣された輸送船団は、北海を経由してソ連のムルマンスク近辺に荷揚げされる。

 

 つまり、必ずノルウェー北を通過する事になるのだ。

 

 この拠点の役割は、そうした援ソ輸送船団を補足、撃滅する艦隊、及び航空部隊の後方支援となるわけだ。

 

 

 

 

 

「我々の置かれた状況は、まだまだ苦しいと言わざるを得ない」

 

 苦い表情で第一声を放ったのは、ハインツ・シュニーヴィント大将。

 

 ライン演習作戦時に「ビスマルク」と共に戦死した、リンター・リュッチェンス大将の後任として、長らく空位となっていたドイツ艦隊司令官に就任した人物である。

 

 彼は北部方面艦隊司令官を兼任しており、事実上、この北ノルウェー基地、及び所属全部隊の総責任者であると言える。

 

「皆も知っての通り、(ブラウ)作戦の破綻によって、ソ連軍への燃料供給遮断は事実上、困難となったと言わざるを得ない。このままでは、東部戦線の崩壊も有り得るだろう」

 

 ウォルフが「アレイザー・プランⅡ」で立てた計画では、海上輸送を北ノルウェー基地所属の部隊が遮断し、南からの燃料輸送はスターリングラードを押さえた陸軍が遮断する事になっていた。

 

 そうなれば、ソ連軍の動きは確実に鈍化する事になる。

 

 そこで一気に反攻に転じれば、ソ連軍の壊滅は目に見えている。

 

 はずだった。

 

 しかし、ドイツ陸軍はスターリングラード攻略に失敗。

 

 ソ連軍の輸送路遮断は成らず、ウォルフの計画は実現が困難となってしまった。

 

 それどころか、第6軍がまるまる降伏してしまったおかげで、東部戦線はその維持すら困難となりつつある。

 

 海軍としては、東部戦線の側面援護の必要性が増したと言えよう。何としても、北海輸送路に打撃を与え、陸軍が態勢を立て直す時間を稼がねばならなかった。

 

「しかし、ここに来て、新たなる問題が発生した」

 

 そう告げると、シュニーヴィントは海図を指し示した。

 

 その指先には、ノルウェーの更に北。

 

 北極海に浮かぶ島。

 

 比較的アイスランド寄りの海域に浮かぶその島は、スピッツベルゲン島と言う。

 

「この島に、イギリス軍が新たな拠点を築いているのが判明した。目的は、言うまでもなく我々への牽制だろう」

 

 シュニーヴィントの言葉に、一同は息をのむ。

 

 イギリス軍の対応は早い。

 

 ドイツ軍が北海航路を狙って通商破壊戦を仕掛けてくると予測し、航路を守る為の拠点を迅速に確保してきたのだ。

 

 ここに艦隊を進出させられたら、ドイツ海軍の作戦行動は大きく制限される事になる。

 

 言わば北ノルウェー基地に対する、イギリス軍が築いた「付城」だった。

 

「そこで、我が軍は、この拠点の破壊、無力化を最優先目標とする。既に敵の基地には、戦艦を含む大規模な艦隊が入港しているのが確認されている。その為、こちらも万全に態勢で挑む事とする」

 

 配られた資料に目を通した一同は、目を見張った。

 

 書かれた参加艦艇数は、ドイツ海軍水上艦隊が持つ、ほぼ全戦力に匹敵する。

 

 中には、竣工したばかりの最新鋭艦も含まれている。

 

 そして特筆すべき存在は、

 

「『ティルピッツ』が、来る」

「あ、ほんとだ」

 

 エアルの言葉に、シャルンホルストも驚いて声を上げた。

 

 ビスマルク級戦艦2番艦「ティルピッツ」。

 

 第3次ブレスト沖海戦で「ビスマルク」を失ったドイツ海軍にとって、「ティルピッツ」は虎の子の最強戦艦である。

 

 シャルンホルスト級巡洋戦艦と同時期に改装作業に入った事もあり、これまで出撃の機会を得られなかったのだが、それが晴れて初陣を迎えると言う訳だ。

 

 その「ティルピッツ」を戦線投入する当たり、今回の作戦におけるドイツ海軍の意気込みがうかがえた。

 

「紹介しよう、入り給え」

 

 シュニーヴィントに促され、入ってきたのは、1人の少女だった。

 

 長い金髪にすらりとした四肢。

 

 その容姿は、かつて会った事がある女性によく似ている。

 

 ただ、キリッとした目元で、どこか女騎士を連想させた姉に比べ、彼女はどこか温和な雰囲気を見せている。

 

「彼女がティルピッツだ。今回の作戦で主力を務めてくれることになる」

「よろしく、お願いします」

 

 そう言って会釈するティルピッツ。

 

 透き通る様な声。

 

 何の警戒もなく、心の内に飛び込んでくるような感覚だ。

 

 皆がホッと息を吐く。

 

 そんな中、

 

 エアルは傍らのシャルンホルストが、深刻な顔で俯いているのを見て、怪訝な顔をする。

 

「シャル?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 問いかけるエアルにも答えず、膝の上で両手の拳をきつく握りしめる少女。

 

 そんなシャルンホルストの様子を、

 

 壇上に立ったティルピッツが、ジッと眺めている事には、誰も気づかなかった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 イギリス海軍本国艦隊根拠地である、スカパ・フロー軍港では、数日前から喧騒が場を支配するようになっていた。

 

 急ピッチで進められる補給と各種点検作業。

 

 艦隊の出撃準備は着々と進められていく。

 

 数日前にもたらされた情報は、彼等を騒然とさせるのに十分な物だった。

 

 それによると、キールやヴィルヘルムスハーフェンに停泊していたドイツ艦隊が出撃、ほぼ全部隊が進路を北に取っているとの事だった。

 

 既に連合軍は、ドイツ軍が北ノルウェーに大規模な軍事拠点を建設し、艦隊の一部を進出させている事を掴んでいる。

 

 中でも昨年の年末に勃発したバレンツ海海戦では、護衛艦隊と輸送船団が壊滅的被害を受けると言う苦い経験をしている。

 

 そんな中で、北へ向かうドイツ艦隊。

 

 その目的がどこにあるのか、考えるまでも無かった。

 

 スピッツベルゲン島基地。

 

 イギリス軍が輸送船団の護衛、及び退避用の拠点として建設した最北の基地。

 

 その無力化を、ドイツ軍は狙っているのだ。

 

 それだけは、何としても阻止しなければならない。

 

 スピッツベルゲン島を失えば、北極海の制海権は北ノルウェーのドイツ海軍に押さえられてしまう。

 

 それ故、ドイツ海軍迎撃の為、スピッツベルゲン島に艦隊を派遣し防備を固める事となった。

 

 その為の戦力として、戦艦2隻、軽巡洋艦4隻、空母1隻、駆逐艦22隻から成る艦隊を組織。

 

 そして、その司令官となる男が今、出撃の挨拶として、国王フレデリックに謁見していた。

 

 

 

 

 

「それでは父上、行ってまいります」

 

 意気揚々とお辞儀をするディラン・ケンブリッジ。

 

 この程、少将への進級を果たした彼は本国艦隊所属として編成されたC部隊の司令官に就任。

 

 今回のスピッツベルゲン島防衛作戦の総責任者に任命されていた。

 

 無論、これまでの彼の、「輝かしい実績」を見れば、その人事は妥当な物であると言える。

 

 表向きは。

 

 そう、ディランの派遣はあくまで「政治的事情」を考慮した結果に過ぎなかった。

 

 何しろ、彼は次期国王候補の最有力者であると同時に、国民が支持する英雄なのだから。最重要拠点の防衛に充てる人材として、これ程の適任者は他にはいるまい。

 

 そう、思っているのは最早、真実を知らない国民と、一部の狂信的なディラン信者に限られていた。

 

 その実態を知る者からすれば、これ程の茶番はないだろう。

 

 何しろ、これまでディランが上げた戦果は、文字通りのゼロであり、かかわった全ての戦いにおいてイギリス海軍は惨めな敗北を経験している。

 

 当然、その責任をディランも取らされてしかるべきなのだが、これまでのところ、国王の息子であると言う一点のみが考慮され、不問にされるどころか、全てにおいて多大な功績を残したとされ、ここまでの昇進を果たしていた。

 

 何より周囲を呆れさせているのが、そうした状況もあって、ディランが己の行動を顧みるどころか、ますます増長している事だった。

 

 近頃など、自分こそがイギリス海軍のトップであると言わんばかりに振る舞い、本国艦隊司令官のボルス・フレイザーも完全に持て余し気味だと言う。

 

「言うまでも無い事だが」

 

 フレデリックは、自信満々な息子に対し、重々しい口調で告げた。

 

「今回の戦いは、非常に重要な位置づけにある。失敗は許されない。分かっているな?」

「勿論ですとも」

 

 傲然と胸を張って、ディランは父の問いかけに応える。

 

 その様子に、居並ぶ者達は呆れ気味に嘆息するしかない。

 

 ここにいる殆どの人間は、ディランの実態について知っているのだ。

 

 いったい、どの口がほざいているのか。

 

 中には露骨に、ディランから視線を逸らす者までいるくらいだった。

 

「この私にお任せあれ。必ずや父上の期待に応え、我が大英帝国の威光を世界中に知らしめて御覧に入れましょうぞ」

 

 そう言うと、意気揚々と踵を返すディラン。

 

 それに追随する副官のアルヴァン・グラムセル大佐は、フレデリックに一礼する。

 

 そんな2人の様子を見送った後、ウェリントン・チャーチル首相はフレデリックに向き直った。

 

「宜しかったのですかな陛下?」

 

 常に豪胆さを見せる英国首相が、この時ばかりは少し呆れ気味に尋ねた。

 

「此度の大事、明らかに殿下の手には余るかと思われますが?」

 

 遠回しに、ディランの無能さに言及するチャーチル。

 

 本来なら不敬罪にも問われかねないところだが、しかしフレデリックは眉一つ動かさない。

 

 この忠実なる共犯者にして同士たる首相の言わんとする事は、フレデリックも十分に理解していた。

 

「分かっている。しかしフレーザーより、本国艦隊主力の出撃準備完了には、今暫くかかるとの報告が来ている。加えて、スターリンからは、補給物資の矢の催促だ。フンッ 彼の薄汚いスラブ人は、戦争すら満足に1人でできないときた」

 

 嘆息気味に告げるフレデリック。

 

 まったく、どいつもこいつも、とでも言いたげな口調である。

 

「そんなわけだ。当面は、あの愚息に戦線を支えさせねばなるまい。その為に、戦力は十分に持たせた。今回ばかりは、毎度のようなヘマはするまいよ」

 

 それに、

 

 ディランは人一倍、見栄を張る事に拘る事をフレデリックはよく知っている。

 

 そんな男が、父親である自分から直々に拝命した任務を疎かにはするまい。

 

「だが、もしまた、失敗したその時は・・・・・・・・・・・・」

 

 その先を告げる事はなく、フレデリックはその無機物のような瞳で冷たい光を放つのだった。

 

 

 

 

 

 エアルがその日の業務を全て終えて自室へ戻ると、部屋の中から人の気配がする事に気が付いた。

 

 誰がいるか、などと考えるまでも無い事だろう。

 

 こんな時間に司令官の部屋を訪ねて、勝手に入っている者など、1人しかいない。

 

「シャル」

 

 扉を開けながら、中にいるであろう人物に声を掛ける。

 

 案の定、と言うべきか、中には恋人である少女の姿があった。

 

 既に入浴は済ませたらしく、ほんのり湯上りの香りが漂ってくる。

 

 下着の上からYシャツを羽織っただけの、ラフな格好をしたシャルンホルスト。

 

 裾から覗く白い素足が、健康的な色香を漂わせている。

 

 だが、

 

 エアルが入ってきて顔を上げるシャルンホルスト。

 

 その顔には、常にはない憂いが秘められているのが分かった。

 

「どうか、したの?」

 

 昼間、様子がおかしかった事を思い出し、声を掛ける。

 

「・・・・・・・・・・・・うん」

 

 対して、シャルンホルストはうつむいたまま首肯する。

 

 訝りながらもエアルは、軍服の上着をハンガーにかけ、帽子を机の上に置くと、シャルンホルストの横に座る。

 

 対して、少女はすぐに甘えるように、エアルの胸に頭を持たせかけて来た。

 

 少女の頭を優しく抱く青年提督。

 

 自分からは何も聞かない。

 

 ただ、シャルンホルストが落ち着いて、話し始めるのを待つ。

 

「・・・・・・・・・・・・似てたね」

 

 暫くして、ようやくシャルンホルストが、躊躇うように口を開いた。

 

「あの娘、ティルピッツさ・・・・・・ビスマルクに、似てたよね」

「・・・・・・そうだね」

 

 エアルもまた、自分の言葉を噛みしめるようにして頷く。

 

 シャルンホルストが考えている事は、エアルも同時に思っていた事だった。

 

 あまりにも、ティルピッツは姉のビスマルクに似すぎていたのだ。

 

 だからこそ、余計に意識してしまう。

 

「ボクは、あの娘のお姉さんを救えなかった。それどころか、最後はボクの魚雷で沈めてしまった・・・・・・」

 

 最後は、「シャルンホルスト」の放った魚雷で、「ビスマルク」を自沈させざるを得なかった。

 

 状況的には仕方がなかったとはいえ、その事実は今日に至るまでシャルンホルストの心に傷を負わせ続けていた。

 

「あれはシャルのせいじゃない」

 

 強い語調で言いながら、エアルはシャルンホルストを抱きしめる。

 

「命じたのは俺だ。シャルはただ、それに従っただけ。すべての責任は、俺にある。そう言ったはずでしょ」

「でもッ でもッ」

 

 見上げるシャルンホルスト。

 

 その眼からは涙がこぼれ、エアルの顔をまっすぐに見つめる。

 

「だって、それでも・・・・・・ボクがもっと強ければ、ビスマルクを助けられたかもしれないのに・・・・・・せめて、あの時不調じゃなかったら・・・・・・」

 

 あの時、「シャルンホルスト」はベルリン作戦と、それに続く第2次ブレスト沖海戦の影響で数々の不具合を起こしていた。

 

 そもそも、あの時の出撃自体が無理に無理を重ねた物だった。

 

 あの場に間に合った事自体、奇跡に等しい。

 

 しかし、

 

 それさえなければ、初めからライン演習作戦に参加し「ビスマルク」を援護できたかもしれない。

 

 そう、思わずにはいられなかった。

 

「シャル」

 

 エアルは少し強めの口調で告げると、シャルンホルストを自分の方へ振り返らせる。

 

「おにーさん・・・・・・」

「どんなに嘆いたって、ビスマルクが戻ってくるわけじゃない。それでも、俺達にできる事があるとすれば、彼女の想いを果たす事だ」

 

 言われて、シャルンホルストはハッとする。

 

 ビスマルクは沈む間際、確かに言った。

 

 妹を頼む、と。

 

 彼女の妹である、ティルピッツを守り戦う。

 

 それが、死んでいったビスマルクに自分達ができる、唯一の事だった。

 

「安心して。君は1人じゃない。俺がいる。俺が、シャルと一緒に最後まで戦うから。だから、1人でそんな風に思いつめないで」

「おにーさん」

 

 吐息が重なる距離で見つめ合う2人。

 

 やがて、どちらからともなく、唇を重ねるのだった。

 

 

 

 

 

 ティルピッツは1人、部屋の中で佇む。

 

 これから始まる、彼女の初陣。

 

 ドイツ最強戦艦として、自らの力を存分に振るい、祖国に勝利をもたらす。

 

 その使命に胸に刻む。

 

 しかし、

 

 少女の脳裏にはもう一つ、どうしても消し難い想いが渦巻いていた。

 

 それは、昼間の会議の事。

 

 そこに列席していた2人の人物を思い出し、スッと目を細める。

 

「あれが・・・・・・シャルンホルスト、そして、エアル・アレイザー准将・・・・・・」

 

 鋭い眼差しには、暗い炎が宿る。

 

 やがて、

 

 その唇より、這いずるような声が響いてきた。

 

「姉さまを、沈めた人たち・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

第56話「消せない傷跡」      終わり

 



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第57話「極北の戦い」

正直、情勢が情勢だけに、今後のシーンが書いていてつらい。(なんかロシアが勝っているみたいで気乗りしない)

このまま続けるか、あるいは用意していたもう一つ(今度は日本が舞台)の作品を書くか迷っています。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スピッツベルゲン島は、ノルウェー領スバールバル諸島にある最大の島である。

 

 ノルウェー本土の更に北に位置し、西にはアイスランドを望む。北極点にも程近く、正に「極北」の名にふさわしい地だった。

 

 イギリス軍が、この地に拠点を築いたのは、独ソ戦が開始された1941年7月の事だった。

 

 元々は島にある炭鉱を防衛する事が目的だったが、やがて援ソ輸送船団が組まれる事が決定した事から、ドイツ軍による通商破壊戦への牽制と、万が一の時の船団待避所としての機能が期待され、港湾設備が強化された。

 

 更に1942年に入り、ドイツ海軍が北ノルウェーに本格的な進出を開始した事を察知したイギリスは、同島の防衛力を強化、多数の兵力を常駐させ牽制した。

 

 艦隊が入港可能な港湾設備に防空戦闘機隊と哨戒航空隊の常駐。多数の防御陣地の対空砲陣地を増設して、徹底的に要塞化。

 

 正に、北海における通商破壊戦を目指すドイツ海軍からすれば、楔ともなり得る厄介な場所に拠点を築かれた形である。

 

 早急に拠点の破壊を行わない限り、援ソ船団の航路遮断を目指すドイツ軍の障害になりかねない。

 

 当然、イギリス海軍からすれば、北海航路安全の為に何としても維持したい拠点となる。

 

 ここに、双方の思惑が合致し、対決への流れは作られた。

 

 英独両海軍がともに主力艦隊を派遣する。

 

 対決の機運は、一気に高まるのだった。

 

 

 

 

 

 最北の島と言うだけあり、スピッツベルゲン島は、夏でも氷点下になる事は珍しくない。

 

 慣れない人間からすれば、そこは「極寒」と称しても良いだろう。

 

 しっかりとコートを着込んでも、寒さは容赦なくしみ込んでくる。

 

「あーッ・・・・・・クソッ クソッ クソッ!! クソがッ!!」

 

 コートの襟をより合わせ、ディラン・ケンブリッジはいらだたし気に舌打ちする。

 

 その鼻からは、だらしなく鼻水が流れ落ちる。

 

 極寒の空気が、容赦なく肌を切り裂いていく。

 

「どうにかならんのか、この寒さはよッ まったく、何だって、この俺が、こんなへき地にまで足を運ばねばならんッ」

「我慢しろ、みっともないぞ」

 

 ディランに対してぞんざいな口調で言い放ったのは、キングジョージ5世だった。

 

 長年、ディランの座乗艦を務めてきた彼女。

 

 今回のスピッツベルゲン島防衛においても、その任に当たっていた。

 

 対して、ディランは面白くなさそうに鼻を鳴らすとそっぽを向く。

 

 その姿を見ながら、ジョージも苛立たし気に視線を逸らすのだった。

 

 正直、艦娘である彼女からすれば、自身が頂く提督については、完全に愛想を尽かしている状態だった。

 

 着任当初こそ、相手は第2王子、それも(表向きは)ナチスドイツ相手に果敢に戦い続ける英雄の下で戦えることを素直に喜び、誇りに思っていた彼女だったが、数度の戦いを経て、その信頼が失望へと変じていた。

 

 度重なる失態と、戦場における重度の判断ミス、そして、それら全てを周りのせいにする責任転嫁、立場を利用した隠蔽工作。

 

 何より、この男の起こした全ての事を周囲が許している現状が、彼女には我慢ならなかった。

 

 この男は英雄の器ではない。

 

 ジョージがディランを軽蔑するのには、十分すぎる理由だった。

 

「閣下」

「ああ? 何だ?」

 

 背後から声を掛けて来たアルヴァンに、ディランが睨み付けるように振り返る。

 

 相変わらず、自分の苛立ちを見境なくぶつけるディラン。

 

 対して、慣れているアルヴァンは、気にせずに手にした電文を読み上げる。

 

「空軍からの情報です。北ノルウェーに集結したドイツ艦隊が出撃、ほぼ全部隊が進路を北に向けている、との事です」

「フンッ 奴等も寒さに耐えられなくなって巣穴から出て来たか。堪え性の無い、情けない奴等だよ」

 

 吐き捨てるように告げるディラン。

 

 先ほどまで、寒さに対して愚痴を吐いていた自分自身の事は、きれいさっぱり忘れ去られていた。

 

 相変わらず、都合のいい脳みそである。

 

 だが、報告を聞いたディランは、意気揚々と声を張り上げた。

 

「よし、俺達も行くぞッ 卑劣極まるナチスの海軍を迎え撃つんだ!!」

 

 その命令に、一同は思わず唖然とした。

 

 当初、イギリス軍の作戦としては、島の近くまでドイツ艦隊をおびき寄せ、駐留戦力と艦隊戦力とで共同する形で迎え撃つことになっていた。

 

 ここで出撃すれば、基地戦力との共同作戦に支援が出かねない。

 

 ディランの発言は、イギリス軍の作戦全体を破綻させかねなかった。

 

「待てッ」

 

 制したのはジョージだった。

 

「ここは作戦通り行くべきだろうッ いったい何を考えているッ」

「同感です閣下。無理に出戦しては、却って敵の思う壺かと」

 

 アルヴァンもまた、ジョージに賛同の意を示す。

 

 報告によればドイツ海軍は、ほぼ主力全部隊を北ノルウェーに集結させている。

 

 ディラン指揮下の部隊も戦艦を含む多数の兵力を揃えているが、北ノルウェーに集結しているドイツ艦隊に比べれば、それでも十分とは言い難い。

 

 見れば、幕僚達も、言葉こそ発しないが2人の意見に同調するようにディランを見ている。

 

 しかし、

 

「うるさいッ うるさいうるさいうるさいッ!!」

 

 大方の予想通り、ディランはその意見を一蹴するように大声を上げる。

 

「とにかく、我が部隊は直ちに出撃ッ 洋上にて敵を迎え撃つ!! それが、司令官である、この俺の決定だッ!!」

 

 文句あるか、とでも言いたげな口調に、最早誰も口を開く事が出来ない。

 

 そんな様子に満足したのか、ディランは口元に薄ら笑いを浮かべて踵を返す。

 

「さあ、さっさと行くぞ、グズグズするなッ!!」

 

 当てつけるように先頭を歩くディラン。

 

 その姿からは最早、道化以上の物を感じる事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 イギリス本国艦隊U部隊は、1943年に入って新編成された部隊であり、指揮官に第2王子ディラン・ケンブリッジ准将を頂いている。

 

 戦力はイギリス最強戦艦であるキング・ジョージ5世級戦艦の「キング・ジョージ5世」「デューク・オブ・ヨーク」、巡洋戦艦「レナウン」を主力とし、更に支援戦力として、航空母艦「アークロイヤル」、軽巡洋艦6隻、駆逐艦15隻が加わる。

 

 本国艦隊主力が再編成中で動けない今、直ちに投入可能な戦力をかき集めて編成された、言わば貴重な機動兵力である。

 

 その貴重な兵力を敢えて投入しなくてはならない程、イギリスの現状はひっ迫しているともいえる。

 

 イギリス海軍は、その戦力を伸長に運用しつつ、来襲するドイツ艦隊を迎撃する必要がある。

 

 だが、

 

 翌朝、

 

 払暁を迎えた港を見た瞬間、スピッツベルゲン島の守備兵たちは仰天した。

 

 自分達が頼みとした艦隊が、1隻残らずいなくなっていたのだから。

 

 いったい、何が起きたのか?

 

 事前の連絡は一切なかった。

 

 まるで艦隊全てが魔法にでもかけられたかのように、一晩で忽然と消え去ってしまったのだ。

 

 いったい、何がどうなっているのか?

 

 あまりの事態に、誰もが呆然とする以外に無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スピッツベルゲン島基地を出航したイギリスU部隊が南下を開始した頃、

 

 北ノルウェーの各拠点をを出航したドイツ海軍、第1、第2両艦隊も洋上で合流、北を目指して航行していた。

 

 その編成は以下のとおりである。

 

 

 

 

 

〇第1艦隊

戦艦「ティルピッツ」(総旗艦)

巡洋戦艦「グナイゼナウ」

装甲艦「ドイッチュラント」「アドミラル・シェア」

軽巡洋艦「ザイドリッツ」「マインツ」「リュッツォー」

駆逐艦11隻

 

〇第2艦隊

巡洋戦艦「シャルンホルスト」

重巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」(旗艦)「プリンツ・オイゲン」

軽巡洋艦「ライプツィヒ」「ケルン」

航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」「ペーター・シュトラッサー」

駆逐艦6隻。

 

 戦艦1隻、巡洋戦艦2隻、航空母艦2隻、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦5隻、駆逐艦17隻。

 

 初戦におけるノルウェー沖海戦以来となる、ドイツ海軍の総力出撃である。

 

 特に、最強戦艦である「ティルピッツ」が戦列に加わった事は大きいだろう。

 

 この戦艦は現在、イギリス海軍の保有するどの戦艦よりも強力であり、正に戦局逆転の切り札と目されていた。

 

 更に、グラーフ・ツェッペリン級航空母艦の2番艦「ペーター・シュトラッサー」が参戦した事で、ドイツ軍の洋上航空戦力は一気に100機近くにまで増加している。

 

 そのほかに、第1艦隊に所属するザイドリッツ級軽巡洋艦3隻は完成したばかりの最新鋭艦でありヒッパー級重巡洋艦の船体に、より軽量の60口径15センチ砲を3連装4基12門装備している。これまでの戦いで消耗した巡洋艦戦力を補いうることを期待されていた。

 

 数々の激戦を生き残ってきた歴戦の戦力に加え、新たに加わった新戦力を交えた新成ドイツ艦隊が北を目指して航行する。

 

 引き寄せられるように南下する、イギリス海軍U部隊。

 

 進撃する、独英両艦隊。

 

 両者が激突したのは、出撃の翌日、

 

 1943年5月13日の事だった。

 

 

 

 

 

 の、だが、

 

 

 

 

 

「なぜ、来ない・・・・・・・・・・・・」

 

 旗艦「デューク・オブ・ヨーク」の艦橋に立ちながら、ディランはいら立ちを吐き出す。

 

 既に会敵予想時間は過ぎていると言うのに、水平線の先に鉄十字を掲げた艦船は1隻も姿を現さないのだ。

 

 彼の手元には、戦艦「デューク・オブ・ヨーク」、巡洋戦艦「レナウン」、航空母艦「アークロイヤル」、軽巡洋艦6隻、駆逐艦11隻がある。

 

 ドイツ艦隊と正面から激突しても、充分に勝てる戦力である。

 

 ディランは戦艦「デューク・オブ・ヨーク」に将旗を掲げ、残る戦艦「キングジョージ5世」と駆逐艦4隻は、副将のアルヴァンに預けて別働させている。

 

 これが、明らかな当てつけ人事だった。

 

 出撃前に横やりを入れられた事を根に持ったディランが、アルヴァンとジョージを遠ざけたのだ。

 

 器の矮小さが知れると言う物だが、そのおかげでディランは上機嫌にここまでこれた。

 

 つい、先刻までは。

 

 時間になっても現れないドイツ艦隊。

 

 まるで、絶世の美女とのデートをすっぽかされたような気分になり、ディランの苛立ちは秒を追う毎に募っていく。

 

「とにかく、索敵急がせろッ 偵察機もありったけ飛ばして敵の位置を探れ!!」

「ハッ はいッ!!」

 

 蹴り飛ばすようなディランの命令に、幕僚達が慌てて駆け出す。

 

 各艦の艦上で待機していた水上機が、ドイツ艦隊を求めて次々と飛び立っていく。

 

 その様子を、苦々しく睨みつけるディラン。

 

 まったく、どいつもこいつも、どいつもこいつもッ

 

 どうして、いつもいつも、俺の邪魔をするのか。

 

 俺はイギリス海軍最高の英雄で、次期国王の座が約束された男だぞ。

 

 全ての敵は俺の前にひれ伏して惨めに屍を晒し、人民は涙を流して俺を称えなければならないと言うのに。

 

 だと言うのに、どいつもこいつも、どいつもこいつも、俺の邪魔ばかりしやがってッ!!

 

 勝手な妄想を膨らませて苛立ちを募らせるディラン。

 

 その時だった。

 

 駆け込んでくる通信参謀。

 

 しかし、もたらされた情報は、ディランが待ち望んだ物ではなかった。

 

「提督、スピッツベルゲン島基地より緊急信です!!」

 

 手にした電文が掲げられる。

 

「敵艦隊がスピッツベルゲン島基地へと来襲ッ 戦艦を含む艦隊で艦砲射撃を仕掛けているとの事です!!」

「な、何だとォッ!?」

 

 驚天動地、としか言いようがない事態。

 

 ディランはただ愕然として、声を上げる事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 実のところ、ドイツ海軍によるスピッツベルゲン島攻撃は、その予定にわずかな狂いが生じていた。

 

 当初、ドイツ海軍は島に駐留するイギリス艦隊を撃破した後、島の施設を艦砲射撃で破壊しようと目論んでいた。

 

 しかし、イギリス艦隊が予想外の出撃で島を離れた事を知ると、作戦の一部を変更した。

 

 高速で小回りの利く第2艦隊が先行する形でイギリス艦隊の警戒網をすり抜けて島へと接近、そこに建設された施設に砲撃を仕掛けたのだ。

 

 第2艦隊は、旗艦「アドミラル・ヒッパー」「プリンツ・オイゲン」「シャルンホルスト」の順番で単縦陣を組むと、全砲門をスピッツベルゲン島基地へ向けて撃ち放った。

 

 20.3センチ砲16門、40センチ砲6門が火を吹くたび、島で容赦ない爆炎が踊る。

 

 砲弾が着弾する度に、イギリス軍の港湾施設は粉砕されていく。

 

 更に内陸では、「グラーフ・ツェッペリン」「ペーター・シュトラッサー」の両空母を発艦したスツーカ隊が攻撃を開始している。

 

 スツーカ隊は、攻撃目標をイギリス軍の飛行場に限定していた。

 

 これは、攻撃目標をいたずらに分散する事を避けるためである。

 

 両空母の航空戦力は決して潤沢とは言えない。多くの目標に分散するよりも、飛行場に攻撃を集中し制空権を奪う事が目的だった。

 

 スツーカの攻撃によってスピッツベルゲン島の航空基地には爆炎が踊る。

 

 滑走路に穴が開き、附帯施設は破壊される。

 

 一朝一夕に直せるものでない事は、火を見るよりも明らかだった。

 

 その様子を、双眼鏡越しに眺めるエアル。

 

 しかし、青年提督の脳裏には疑問符が尽きなかった。

 

「しかし実際のところ、何でイギリス艦隊は島を離れたんだろうね?」

「うん、ボクも気になってた。こっちで一緒に戦った方が、全然有利だったと思うんだけど・・・・・・」

 

 敵将のとった謎の行動に、揃って首を傾げるしかない、エアルとシャルンホルスト。

 

 正直、ドイツ艦隊が迫る中、艦隊のみが島から突出しては成れるのは各個撃破の好機をドイツ艦隊に与えるような物である。これがいかに悪手であるか、考えれば判る事。

 

 何より、ドイツ艦隊はこれまで、様々な戦場で機動力を重視した戦いをしてきた事は敵も判っているはずなのだが。

 

 何らかの意図があって、こちらを待ち構えているのかとも思ったが、そのような気配も無い。

 

 実のところ、ディランの見栄と下らない意地のせいだとは、流石に想いが至らなかった。

 

「まあ、敵がいないなら、こっちにはボーナスステージみたいなもんだし、楽に稼がせてもらうけどさ」

 

 言っている間にも、「ヒッパー」「オイゲン」「シャルンホルスト」は砲撃を続行する。

 

 スピッツベルゲン島の駐留戦力を考えれば本来、独力で第2艦隊を迎撃する事も不可能ではなかった筈。

 

 しかし今、ディランの勝手な行動によって、当初計画されていた作戦自体が崩壊し、スピッツベルゲン島のイギリス軍司令部は混乱の極致にある。

 

 その為、島周囲の索敵すら手薄になっているありさまだった。

 

 そこを、ドイツ艦隊に就かれた形だった。

 

 第2艦隊は混乱するイギリス艦隊の間隙を突く形で島へと接近、艦砲射撃を敢行したのだ。

 

 「ヒッパー」と「オイゲン」が、港に向けて砲撃を行う。

 

 どうやら、少数だが輸送船が停泊していたらしい。

 

 今後の事を考えると、1隻でも多く沈めておくに越したことはない。

 

「どうする? ボク達も目標変更する?」

「いや、輸送船は2隻に任せて、俺達はもう一度、敵の港湾施設を叩いておこう」

 

 輸送船なら重巡の20.3センチ砲で充分である。

 

 それよりも、「シャルンホルスト」の主砲は敵施設に向けるべきと考えたのだ。

 

 圧倒的火力で敵の拠点を叩き潰し、イギリス軍が二度と再び、この島に拠点を築く事が出来ないよう、徹底的に破壊する。

 

 この島さえなければ、ドイツ海軍は北海周辺での通商破壊戦がやりやすくなる。躊躇う理由は無かった。

 

 再び旋回する、6門の40センチ砲。

 

「撃ち方始め!!」

 

 エアルの号令と共に、一斉に火を吹いた。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 ドイツ艦隊、スピッツベルゲン島を襲撃。

 

 その報告に、U部隊は大混乱に陥った。

 

 自分達が悠長に敵を待っている間に、後方の拠点が襲撃されてしまったのだから、その近ラインは当然であろう。

 

 もっとも、

 

 その中で一番混乱していたのは、この男であったことは言うまでもないだろう。

 

「うおォォォォォォォォォォォォああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 帽子を床にたたきつけ、地団太を踏み、自分の髪をかきむしって、手当たり次第に機器を蹴り飛ばす。

 

 醜く癇癪を起したディランが、幼児の如く暴れまくる。

 

 否、

 

 このように書けば、幼児に失礼と言う物だろう。

 

 こうなったディランは、最早ただの喚き散らすだけのうるさいガキでしかない。

 

「ああああああッ なぜだなぜだなぜだ!? なぜ、奴等はいつも、この俺をコケにするッ!? なぜ、俺をいつも無視するッ そんなにこの俺が、次期国王のディラン様が怖いかッ!? 臆病者のナチスの豚共が!!」

 

 別にディランが怖いわけではなく、ドイツ軍は首尾一貫、「敵拠点を破壊する」と言う戦略目標に忠実なだけなのだが。

 

 精神的ガキなディランには、その事が鼻毛の先程も理解できなかった。

 

「クソッ 何でいつもいつもこうなるんだよッ!!」

 

 あんたのせいだ。

 

 とは、その場にいた全員が思ったが、口にはしなかった。

 

 最早誰もが、この「自称次期国王の英雄様」に愛想を尽かしているありさまだった。

 

「ともかく反転だッ グズグズるな!! 戻って奴等を倒すんだよ!!」

 

 みっとみなく喚くディラン。

 

 もはや呆れかえるしかない光景だが、一点だけ共感できる点があるとすれば、敵を逃がすわけにはいかないと言う事。

 

 スピッツベルゲン島基地は、恐らくもう使えない。

 

 北海の制海権は、当面はドイツ海軍に握られる事になるだろう。

 

 しかし、それならそれで、少しでもドイツ艦隊に損害を与えておかない事には話にならなかった。

 

 反転を開始するU部隊各艦。

 

 戦艦、巡洋艦から成る主隊を中心に、駆逐艦部隊が定位置目指して高速で駆けまわる。

 

 指揮官の能力には疑問があっても、彼等の技量が十分に高い事を示す、見事な艦隊行動だ。

 

 反転したU部隊が、短時間で陣形を整える。

 

「閣下、陣形再編、完了しました」

「ならさっさと行けよッ このウスノロ共がッ!! こんな事も言われないと分かんねえのか。ほんと使えねーなッ!!」

 

 この男だけが、醜く喚き続けている。

 

 北上を始めるU部隊。

 

 だが、程なく、悲鳴のような報告が「デューク・オブ・ヨーク」の艦橋にもたらされた。

 

「対水上レーダーに感ッ 方位2―1―0ッ 距離2万!!」

 

 絶望的な絶叫。

 

 島された方角には、鉄十字を靡かせて迫る、ドイツ艦隊主力の姿があった。

 

「何だとッ・・・・・・・・・・・・」

 

 呻くディラン。

 

 正に陣形再編を終えた虚を突かれた形となった。

 

「奴等、スピッツベルゲン島にいるんじゃなかったのか・・・・・・いったい、何がどうなっていやがる・・・・・・・・・・・・」

 

 無意味な質問に、返る答えは当然ない。

 

 次の瞬間、

 

 ドイツ艦隊が、一斉に砲撃を撃ち鳴らした。

 

 

 

 

 

 U部隊後方から迫るドイツ艦隊。

 

 それは説明するまでもなく、ドイツ艦隊主力、第1艦隊である。

 

 戦艦「ティルピッツ」、巡洋戦艦「グナイゼナウ」を中心に、装甲艦2隻、軽巡洋艦3隻、駆逐艦11隻から成る艦隊がU部隊の背後から迫る。

 

 圧巻なのは、何と言ってもこれが初陣となる、戦艦「ティルピッツ」だろう。

 

 その圧倒的火力は、しかし、姉の「ビスマルク」とは明らかに異なる様相を見せていた。

 

 1年近くに渡る大改装を経てベールを脱いだ、その勇志。

 

 主砲は、改装後のシャルンホルスト級巡洋戦艦と同じ、47口径40センチ砲を連装4基8門装備。

 

 機関出力も強化され、最大32ノット発揮可能。

 

 彼女こそ、まさしくヨーロッパ最強戦艦の名に相応しい存在だった。

 

「姉のビスマルクは、最後まで敵に屈する事無く戦い続けた」

 

 帽子の廂から、「自身」の砲撃から逃れようとしている英艦隊を見つめ、ティルピッツは呟く。

 

「なら、私もまた、姉の名に恥じない戦いをして見せる!!」

 

 言い放った瞬間、

 

 「ティルピッツ」の8門の主砲が、一斉に放たれた。

 

 

 

 

 

 第1艦隊に所属するザイドリッツ級軽巡洋艦3隻は、ヒッパー級重巡洋艦をベースにしているだけの事はあり、軽巡洋艦でありながらその攻防性能は重巡洋艦に匹敵する。

 

 イギリス軍のフィジー級やサウサンプトン級を意識した設計となっている。

 

 その巡洋艦部隊の先頭に立つ旗艦「ザイドリッツ」艦橋に立つオスカー・バニッシュ准将。

 

 先のベルリン作戦まで、巡洋戦艦「グナイゼナウ」艦長の職にあった彼は、今回の戦いに先立ち、新設された第2巡洋戦隊の司令官に就任していた。

 

 最新鋭巡洋艦3隻で構成された戦隊の司令官とくれば、栄転である事は間違いないのだが。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 チラッと、「ザイドリッツ」の左舷前方を航行する巡洋戦艦を見やる。

 

 改装され、より強力な主砲を備えるに至った彼女は、今もドイツ艦隊主力として、イギリス艦隊に砲火を浴びせている。

 

「ゼナ・・・・・・・・・・・・」

 

 そっと、少女の名を呟く。

 

 彼女は守る。

 

 自分が、絶対に。

 

 その決意を胸に、眦を上げる。

 

「目標、敵巡洋艦1番艦ッ 準備出来次第、撃ち方始め!!」

 

 やがて、「ザイドリッツ」の持つ、12門の15センチ砲が一斉に火を吹いた。

 

 

 

 

 

 戦いは、立ち上がりからドイツ艦隊が制する形となった。

 

 イギリス艦隊の背後を突く形で砲門を開いたドイツ第1艦隊。

 

 対してイギリスU部隊は、初めの一撃を受けた段階で混乱を来し始めていた。

 

 何より、

 

 この危機的状況化にあって、司令官であるディランが何ら有効な手立てを打てず、貴重な時間を浪費してしまった事が痛かった。

 

「敵戦艦、砲撃来ます!!」

「巡洋艦部隊、敵艦隊と交戦、現在苦戦中の模様!!」

「駆逐艦部隊、突撃指示を求めています!!」

 

 次々と舞い込んでくる情報に、ディランの脳みそは間を置かずに飽和状態となる。

 

「司令官、早く命令を!!」

「司令官!!」

「司令官!!」

 

 詰め寄る幕僚。

 

 その血走った形相を見ながら、ディランは焦りと苛立ちを募らせる。

 

 クソッ

 

 クソッ

 

 クソッ!! クソッ!! クソッ!!

 

 こいつら、俺を誰だと思ってやがる?

 

 この救国の英雄にして、数々の戦いで戦果を挙げたイギリス軍きっての名将、そして次期国王であるこの俺に、こんな生意気な態度を取りやがって。

 

 だいたい、さっきから何だ? この俺様に賢らに意見を求めやがってッ 貴様らが無能だから、こんな事になってるんだろうが。ちょっとは貴様らの足りないおつむを絞って考えやがれ!!

 

 貴様らさえ、ちゃんと俺をフォローしていれば、こんな事態にはならなかったと言うのに。

 

 いや、そもそもナチス共が悪いッ

 

 あいつらが、黙って俺に沈められてれば、こんな事にはならなかった。だと言うのに、いつもいつもいつもいつも、俺の邪魔ばかりしやがって、この、ヒトラーの豚共がッ

 

 心の中で、汚い罵り声を上げる。

 

 自分は悪くない。

 

 自分は何も悪くない。

 

 悪いのは全部、自分以外の奴等であって、自分は何一つ悪くない。

 

 無意味な言い訳だけが、ディランの中で渦巻く。

 

 だが、

 

 次の瞬間、

 

 「デューク・オブ・ヨーク」の後方で、巨大な爆炎が踊るのが見えた。

 

 同時に、後方から付き従っていた巡洋戦艦「レナウン」が、巨大な炎に飲み込まれるのが見えた。

 

「『レナウン』轟沈ッ 轟沈です!!」

 

 泣き叫ぶような、見張りの報告。

 

 その様を、ディランは呆然として聞き入る。

 

 この時、「レナウン」は「ティルピッツ」の放った40センチ砲弾が直撃していた。

 

 命中した砲弾は第2(B)砲塔弾薬庫で炸裂。内部に搭載されていた数100発の38.1センチ砲弾を、一斉に誘爆させたのだ。

 

 まさにデンマーク海峡海戦の再現に等しい。

 

 ティルピッツは、その初陣において姉に匹敵する戦果を挙げたのだ。

 

 U部隊は、ろくに反撃も出来ないまま、最重戦力である巡洋戦艦を戦列から失ってしまった。

 

 それだけではない。

 

 オスカー率いる第2巡洋戦隊の攻撃によって、巡洋艦2隻が炎を噴き上げながら脱落、更に駆逐艦も4隻が既に戦列から失われている。

 

 しかし、何と言ってもやはり痛いのは、「レナウン」の喪失だった。

 

 U部隊司令部の誰もが呆然とする中、「デューク・オブ・ヨーク」が激震に見舞われた。

 

「X砲塔被弾、大破ッ!!」

 

 今度は「グナイゼナウ」からの砲撃だった。

 

 40センチ砲弾の直撃を受けた「デューク・オブ・ヨーク」の後部X砲塔は、天蓋を叩き割られ、4本の砲身は完全に吹き飛ばされていた。

 

 その様子に、

 

 ディランが真っ先に限界を迎えた。

 

「て、てて、てててて撤退だぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 涙目で震えながら叫ぶディラン。

 

 その表情は引きつり、声は完全に裏返っている。

 

「ぐ、ぐ、ぐ、グズグズするなァ!! 早くッ 早くここから離れるんだ!!」

「ま、待ってください、提督!!」

 

 叫んだのはデューク・オブ・ヨークである。

 

 X砲塔を破壊され、フィードバックする痛みに耐えながら、少女は叫ぶ。

 

「私はまだやれますッ だから・・・・・・」

「うるさいんだよッ!!」

 

 言い募るデューク・オブ・ヨークを黙らせるディラン。

 

 その顔は、恐怖と焦りで真っ赤に染まっていた。

 

「そもそも、テメェが弱いから、こんな事になってんだろうがッ ゴミクズの分際で偉そうに、この次期国王である俺に意見してんじゃねえよ!!」

 

 責任転嫁の材料を探す才能だけは、相変わらず超一流のディラン。

 

 この事態が全て、自分の采配によるものだとお言う事は、きれいさっぱり忘れ去られていた。

 

「撤退だッ グズグズするな!!」

 

 そう言って叫ぶ姿には、もはや司令官としての威厳も、次期国王としての風格も、その1ミリグラムすら見出す事は出来なかった。

 

 

 

 

 

4

 

 

 

 

 

 今やスピッツベルゲン島近海の制海権は、完全にドイツ海軍が握りつつあった。

 

 同島のイギリス軍拠点は、艦砲射撃とスツーカ隊の爆撃によって破壊、炎上している。

 

 砲台を初めとする防御陣地は、軒並み破壊され尽くして沈黙している。

 

 港は特に徹底的に破壊され、停泊中の艦船は勿論、桟橋や停泊施設、修理、整備用の機材も徹底的に破壊された。

 

 飛行場は駐機してあった機体もろとも、爆撃により炎上。早期の復旧は不可能と思われた。

 

 炎を上げるスピッツベルゲン島。

 

 燃える島を背にして、ドイツ第2艦隊の各艦は反転、帰投する態勢にあった。

 

 既にイギリス軍は完全に沈黙。これ以上の破壊は、単なる虐殺でしかない。

 

「旗艦より発光信号、《我ニ続イテ海域ヲ離脱セヨ》!!」

 

 クメッツ提督も、既に作戦目的は達成したと感じているのだろう。このまま北ノルウェーへ帰投するコースを取る。

 

 旗艦「ヒッパー」に続いて、「プリンツ・オイゲン」「シャルンホルスト」の順番で回頭する第2艦隊。

 

 護衛の駆逐艦も、それに追随して航跡を引く。

 

 ドイツ艦隊はそのまま、速力を上げて島から離れ始める。

 

 炎を上げるスピッツベルゲン島が、背後に小さくなり始めた。

 

 だが、

 

 戦いは終わった。

 

 そう思っているのは、ドイツ軍の将兵、艦娘の早計だった。

 

 少なくとも、やれらた側は、このまま黙って見過ごすつもりはなかった。

 

「島影より接近する艦影あり!!」

 

 見張り員の絶叫に、思わず顔を上げるエアル。

 

 その視界の先で、

 

 ホワイトエンサインを掲げた戦艦を中心に、小規模な艦隊が飛び出してくるのが見えた。

 

 戦艦1隻、駆逐艦4隻の小艦隊は、今まさに離脱しようとするドイツ艦隊の、横合いを突く形で飛び出して来た。

 

 出現と同時に、前部6門の主砲を放つイギリス戦艦。

 

 一目でキング・ジョージ5世級と分かる、4連装と連装の変則配置砲塔。

 

 その姿を見て、エアルは感心したように呟いた。

 

「成程ね」

 

 傍らのシャルンホルストを見ながら、エアルは呟く。

 

「切れる奴はどこにでもいる。もちろん、イギリス軍にもね」

 

 あの小艦隊の指揮官は恐らく、ドイツ軍の狙いを正確に見定めで待ち構えていたのだ。

 

 そして、ドイツ艦隊が撤収にとりかかったタイミングで攻撃を仕掛けて来た。

 

 侮れる相手ではない。

 

 キング・ジョージ5世級戦艦は、更に主砲を斉射する。

 

 派手に突き上がる水柱。

 

 着弾した36センチ砲が巨大な瀑布を作り出す。

 

 当てる事が目的ではなく、あくまでこちらを牽制する事が目的の砲撃なのだろう。

 

 ドイツ艦隊の目的は達した。これ以上の交戦は無意味でしかない。

 

 しかし、

 

 それでも、このままただ離脱したのでは、多少なり損害を被る事も覚悟する必要があるだろう。

 

 ならば、

 

 味方が離脱するまでの間、誰かが殿に立って時間を稼ぐ必要がある。

 

 そして、それが出来るのは、第2艦隊の中でも最も攻防性能に優れた「シャルンホルスト」しかいなかった。

 

「左砲戦用意ッ 目標、敵キング・ジョージ5世級戦艦!!」

 

 エアルの命令に従い、A、B、Cの3基6門から成る主砲を旋回させる「シャルンホルスト」。

 

 同時に、少女も目を閉じて艦の制御に集中する。

 

「撃ち方始め!!」

 

 鋭く号令を発するエアル。

 

 撃ち放たれる、6門の40センチ砲。

 

 対抗するように、回頭を終えたキング・ジョージ5世級戦艦も、10門の36センチ砲を発射するのが見えた。

 

 交錯する、両者の砲弾。

 

 先に直撃を受けたのは、「シャルンホルスト」の方だった。

 

 キング・ジョージ5世級の放った砲弾が1発、艦中央付近に命中する。

 

「クッ」

 

 微かに苦悶を漏らすシャルンホルスト。

 

 しかし、少女が集中を切らす事はない。

 

「左舷中央に直撃弾、高角砲1、機銃座2、損傷!!」

「了解、損害復旧急げ!!」

 

 報告に対し命令を返しながら、エアルは接近してくるキング・ジョージ5世級戦艦を睨む。

 

 「シャルンホルスト」の砲撃は、まだ敵艦を捉えられない。

 

 立ち上がりを制された形だが、これは仕方のない事だった。

 

 そこへ、報告が舞い込む。

 

「提督、第2射、準備完了です!!」

「よし、撃て!!」

 

 放たれる「シャルンホルスト」の主砲。

 

 同時にエアルは命じる。

 

「機関最大ッ 全速前進!!」

 

 ワグナー機関が唸りを上げ、基準排水量3万4000トンの巡洋戦艦を加速させる。

 

 ほぼ同時に、主砲を放つキング・ジョージ5世級戦艦。

 

 しかし、「シャルンホルスト」の加速を考慮していなかった為、砲弾は巡洋戦艦の後方に着弾して水柱を上げる。

 

 その間にエアルは、反撃の準備を整えた。

 

 加速しながらも「シャルンホルスト」は慎重に照準を修正し、主砲を旋回、砲身の仰角を決定する。

 

 第3射準備完了の報告がもたらされたのは程なくの事だった。

 

 次の瞬間、

 

「撃てッ!!」

 

 エアルの命令と共に、主砲を撃ち放つ「シャルンホルスト」。

 

 その砲弾が、

 

 キング・ジョージ5世級戦艦の前部甲板に着弾、炎を噴き上げると同時に無数の金属片を周辺海面にまき散らせるのが見えた。

 

 

 

 

 轟音と衝撃が、「キング・ジョージ5世」を貫く。

 

 一瞬、視界が焼ける。

 

 顔を上げた時、状況は一変していた。

 

 報告を待つまでも無い。

 

 前部甲板に備えられたA砲塔が、なかば爆砕されるようにしてひしゃげているのが見えた。

 

「A砲塔損傷ッ 射撃不能!!」

 

 今更のように、報告が舞い込んできた。

 

 それを聞きながら、アルヴァン・グラムセルは嘆息した。

 

「どうやら、ここまでか」

「まだ、やれない事も無いが?」

 

 痛みをこらえながら、ジョージが答える。

 

 まだB、Xの両砲塔が健在だ。これがあれば、まだ戦える。

 

 彼女の溢れる闘志は、そう訴えている。

 

 だが、アルヴァンは首を横に振った。

 

「今は無理をするべき時じゃない。何より、スピッツベルゲン島攻撃を許した時点で、この戦いは我々の負けだ」

 

 もう少し早く救援に駆け付けていたら、あるいは島は救えたかもしれない。

 

 しかし、アルヴァン達の到着はドイツ艦隊の攻撃終了後となってしまった。

 

 完全にイギリス側の敗北である。

 

 そこへ、更に「シャルンホルスト」からの砲弾が着弾する。

 

 今度は艦尾付近に命中。装甲に大穴を開け、内部で炸裂した。

 

 幸いにして、艦内には大きな被害にはならなかったが、それでもこれ以上戦えば、無為に屍を晒す事になるのは明らかだった。

 

「撤退する。僚艦にもそう伝えよ」

「・・・・・・分かった」

 

 不承不承と頷くしかないジョージ。

 

 彼女とて、このまま戦っても不利な事は判っていた。

 

 今は生き延びて、捲土重来を帰す事が重要だろう。

 

 

 

 

 

 反転していくイギリス艦隊。

 

 その様子は「シャルンホルスト」からも確認できた。

 

「勝ったな」

 

 確信と共に呟くエアル。

 

 これでスピッツベルゲン島は陥落。イギリス海軍は北海における制海権を失ったに等しい。

 

 逆にドイツ艦隊は、本来の目的である通商破壊戦に専念できることになる。

 

 戦略目標を完全達成。紛う事無く、ドイツ海軍の勝利だった。

 

 傍らの恋人に視線を向けるエアル。

 

 対して、シャルンホルストも同時に振り向くのが見えた。

 

 向かい合う2人。

 

 やがて、

 

 2人は同時に、笑いあうのだった。

 

 

 

 

 

第57話「極北の戦い」      終わり

 




シャルンホルスト級巡洋戦艦(1943年時)

基準排水量:3万4000トン
全長:245メートル
全幅:30メートル
最高速度:35ノット

武装
47口径40センチ砲連装3基6門
60口径12.7センチ砲連装11基22門
3.7センチ連装機関砲6基12門
3.7センチ4連装機関砲7基28門
2センチ連装機関砲12基24門
53.3センチ3連装魚雷発射管2基6門

同型艦「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」

備考
ツェルベルス作戦を経て、ドイツ本国に帰還したシャルンホルスト級巡洋戦艦2隻だったが、今後、更に強大化するイギリス海軍相手に、徐々に力不足が露呈し始めていた。その最大のネックとなったのが、やはり最小口径の主砲であった。28.3センチ砲では今後、イギリス戦艦への対抗が難しいと考えた海軍上層部は、シャルンホルスト級巡洋戦艦の大改装を決定した。まずフランスで得た知識を元に、「シャルンホルスト」最大の欠点だった機関の調整強化が行われた。その結果、35ノットと言う駆逐艦並みの俊足を誇るに至った。更に対空砲はそれまでの65口径10.5センチ砲を全て撤去し、新型の60口径12.7センチ砲を搭載、大幅な火力向上を図ると同時に、接近する小型艦艇への対抗策としても期待された。問題の主砲に関しては当初、計画時に搭載予定だった47口径38センチ砲を搭載する予定だったが、計画が凍結されたH級戦艦の主砲である47口径40センチ砲の砲身と砲塔の試作品が既に完成している事に目が付けられ、急遽予定を変更された。こうして新成したシャルンホルスト級巡洋戦艦は、正にヨーロッパ最強戦艦と呼んで差し支えない戦力を有していた。





戦艦「ティルピッツ」(1943年時)

基準排水量:4万6000トン
全長:251メートル
全幅:36メートル
最高速度:32ノット

武装
47口径40センチ砲連装4基8門
60口径12.7センチ砲連装14基28門
3.7センチ連装機関砲12基24門
3.7センチ4連装機関砲8基32門
2センチ連装機関砲14基28門
53.3センチ3連装魚雷発射管2基6門

同型艦「ティルピッツ」

備考
シャルンホルスト級巡洋戦艦の改装に合わせて、「ティルピッツ」もまた改装するべきと言う声がドイツ海軍内部に高まった。「ビスマルク」無き今、「ティルピッツ」はドイツ海軍にとって最強戦艦であると同時に、象徴的な意味合いも持つ戦艦である。その「ティルピッツ」が最強であり続けるためには、大規模な改装は必須だった。改装に関してはシャルンホルスト級の2隻と同様、主砲を47口径40センチ砲に換装すると同時に機関出力を強化、対空砲も新型に換装された。これにより、名実ともにヨーロッパにおいて、「ティルピッツ」に対抗可能な戦艦は皆無となったと言っても過言ではない。この戦艦を単独で凌駕し得る戦艦があるとすれば、同盟国日本の大和型戦艦か、あるいはその「大和」に対抗する為にアメリカ海軍が建造中の新型戦艦(モンタナ級)だけである、と言われている。





ザイドリッツ級軽巡洋艦

基準排水量:1万6000トン
全長:202メートル
全幅:21メートル
最高速度:33ノット

武装
60口径15センチ砲3連装4基12門
65口径10.5センチ砲連装6基12門
3.7センチ連装機関砲18基36門
2センチ4連装機関砲12基48門
53.3センチ4連装魚雷発射管4基16門

同型艦「ザイドリッツ」「マインツ」「リュッツォー」

備考
相次ぐ激戦によって、巡洋艦戦力が大幅に減じたドイツ海軍は、それを早急に補充する必要性が生じた。そこで、主力重巡洋艦であるヒッパー級をベースに、主砲を口径は小さいが速射性があり、制圧力の高い60口径15センチ砲を3連装4基12門に変更して完成したのが、このザイドリッツ級巡洋艦である。今後、更に激戦が予想されるイギリス海軍との戦いにおいて、その真価が大いに発揮される事が期待されている。


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第58話「最後の砦」

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 待機所の椅子に座り、クロウ・アレイザーは手紙を開く。

 

 差出人はグラーフ・ツェッペリン。先ごろまで、クロウが所属していた空母の艦娘である。

 

 内容は、全く彼女らしく、お堅い挨拶から始まり、ちょっとした近況が書き連ねられている。

 

 しかし、最後に

 

 『あなたたちと共にあれた日は素晴らしい時に満ち溢れていた。再会できる日を心待ちにしている』

 

 との一文に、思わずクスッと笑みを漏らした。

 

 まったくもって、真面目な彼女らしい手紙。

 

 しかし、文字の端端から、懐かしさが込み上げてくるようだ。

 

 クロウは現在、上級司令部からの命令により艦を離れていた。

 

 ここは旧ウクライナ領の国境線付近に建設された野戦飛行場。

 

 この場所に今、ドイツ空軍(ルフトバッフェ)の主力部隊が集結していた。

 

「隊長、中隊全機、出撃準備完了しました!!」

「判った、すぐ行く」

 

 部下からの報告を聞き、クロウはツェッペリンからの手紙を胸のポケットに収めると立ち上がった。

 

 滑走路では既に、整然と並んだ戦闘機隊が翼を連ね、飛び立つ時を待ち焦がれていた。

 

 クロウは自身の愛機へと歩み寄る。

 

 メッサーシュミットBf109G。

 

 メッサーシュミットの最新型であり、機首の7.92ミリ機銃2丁に加えて、プロペラ中心部にスイス、エリコン社製の20ミリモーターカノンを搭載した武装強化型である。

 

 劣勢に陥りつつあるルフトバッフェが、状況を挽回すべく戦線に投入した機体だった。

 

 コックピットに収まり、キャノピーを閉める。

 

 やがて下る、出撃のゴーサイン。

 

「行くぞッ!!」

 

 気合の入った叫びと共に、クロウはメッサーシュミットを加速させた。

 

 

 

 

 

 1943年7月5日。

 

 独ソ両軍は、稼働全兵力をロシア南西部に集結。通算で3度目となる、大規模会戦に突入した。

 

 ドイツ東部方面軍が投入した兵力は、総勢80万、戦車3000両、航空機2000機。

 

 なりふり構わず、持てるだけの戦力を、ありったけかき集めた感じである。

 

 対するソ連軍は、兵力190万、戦車5000両、航空機2700機。

 

 クロウの部隊も、かき集められた一つである。

 

 ツェルベルス作戦の後、「グラーフ・ツェッペリン」航空隊は一度解隊され、クロウ達戦闘機隊も、グスタフ・レーベンス大尉率いるスツーカ隊も、それぞれ元の所属へと戻っていった。

 

 本音を言えば、まだしばらくは「グラーフ・ツェッペリン」で戦って居たかったのだが、そうも言っていられない事情が迫っていた。

 

 言うまでもなく、スターリングラードでの敗北と第6軍の壊滅である。

 

 主力軍を根こそぎ失った東部方面軍は、戦線の構築はおろか、態勢の立て直しすらできないありさまだった。

 

 ドイツ軍が身動き取れずにいる間、ソ連軍は怒涛の進撃を開始した。

 

 後退するドイツ軍を追って、戦線を押し上げるソ連軍。

 

 このまま一気にドイツ軍の戦線崩壊を狙い攻勢を強める。

 

 しかし、勢いに乗るソ連軍の前に、1人の男が立ちはだかった。

 

 知将アルフレート・マンシュタイン元帥である。

 

 スターリングラードにおいて、第6軍救出に失敗したマンシュタインだったが、その後は撤退に成功した部隊を吸収し、麾下の部隊であるドン軍集団を中心とした南方軍集団を新たに編成、反撃の機会を虎視眈々と狙っていた。

 

 当初、ヒトラーは東部戦線を守るマンシュタインに対し、後退禁止と現地死守を命令していた。

 

 頑迷に領土確保に拘る軍事素人のヒトラーは、ドイツ軍が1ミリでも後退する事を我慢できなかったのだ。

 

 しかし、マンシュタインは、そのヒトラーの命令を受け入れるつもりは毛頭なく、戦線の後退と部隊の最編成を進めていた。

 

 再三の後退禁止命令にも背き続けるマンシュタインに、業を煮やしたヒトラーはとうとう自ら最前線に赴きマンシュタインの説得に当たろうとした。

 

 しかし、それでも現地死守を承知しないマンシュタイン。

 

 そうしているうちに、ソ連軍の砲撃が近づいてきた。

 

 こうなると、ヒトラーも悠長にはしていられない。ぐずぐずしていて砲撃に巻き込まれでもしたら元も子もない。

 

 仕方がなく、説得を諦めて本国へ戻るヒトラー。

 

 ここに、東部戦線の全権は、名将マンシュタインに委ねられた。

 

 しかし、いかなマンシュタインと言えども、物量と火力の差は如何ともしがたく、次々と戦線を放棄して後退せざるを得なかった。

 

 2月16日。

 

 ソ連軍は、ドイツ軍が放棄したハリコフを奪還する。

 

 凱歌を上げるソ連軍。

 

 しかし、

 

 マンシュタインは、この瞬間を待っていたのだ。

 

 ポーランドやフランスでの戦いから、ドイツ軍の得意戦術は電撃戦だと思われがちである。

 

 しかし電撃戦は、相手次第の博打的な側面があり、現にバルバロッサ作戦時には懐の深いソ連領と圧倒的な物量差に阻まれて敗退している。

 

 しかし、ドイツ軍にはより高度で確実性の高い戦術が存在していた。

 

 それこそが「後手の一撃(バックハンド・ブロウ)」。

 

 海戦や空戦にはあまりない概念だが、陸戦には「攻勢限界点」と言う物がある。

 

 これは手持ちの物資、弾薬を使用して進出できる場所と距離を現している。

 

 手持ちの物資が尽きれば、部隊はそれ以上進む事が出来なくなる。その場所が、攻勢限界点と言う訳だ。そうなると、軍隊は補給が来るまで身動きが取れなくなる。

 

 そして、

 

 ドイツ軍の将軍たちは、この攻勢限界点を見極める事に、実に長けていた。

 

 ハリコフを攻略して、一息ついたソ連軍。

 

 そこへ、マンシュタイン率いる南方軍集団が一気に襲い掛かった。

 

 たちまち、大混乱に陥るソ連軍。

 

 反撃したくても、砲弾も燃料も尽き掛けている状況では、効果的な反撃などできようはずも無かった。

 

 怒涛の如く進撃するドイツ軍相手に、ソ連軍は成す術も無かった。

 

 瞬く間にソ連軍の戦線は崩壊。

 

 せっかく奪取したハリコフも、僅か1カ月足らずで、ドイツ軍に再び奪われてしまった。

 

 正に絶技とも言うべき、マンシュタインの戦略により、ソ連軍の攻勢は完全に頓挫してしまった。

 

 だが、そこで終わったわけではない。マンシュタインの目は、既に次を見据えていた。

 

 ハリコフをドイツ軍が奪取した事で、ソ連軍の戦線はハリコフの北にある、クルスクを中心に、一部突出した状態となっていた。

 

 「バルジ」と呼ばれるこの状態は、ソ連軍が危機的な状況に置かれている事を示していた。

 

 戦線と言う物は、均一平行に保ってこそ、防御上の真価を発揮する事が出来る。

 

 一部でも突出部が形成されてしまうと、そこを集中攻撃されて、大打撃を蒙ってしまうからだ。

 

 マンシュタインが目を付けたのが、このクルスクを中心とした、ソ連軍の突出部(バルジ)だった。

 

 ここを攻め落とし、ソ連軍の殲滅に成功すれば、劣勢にある東部戦線を盛り返す事も可能になる。

 

 これが、マンシュタインの狙いだった。

 

 既にドイツ軍には後がない。これが恐らく、ドイツ軍がソ連軍に対して先手を取れる、最後のチャンスだった。

 

 準備を始める東部方面軍。

 

 しかし、そこに待ったが掛けられた。

 

 またしても、総統ヒトラーの横槍である。

 

 ヒトラーは、クルスクに集結したソ連軍、特に機甲師団の量がドイツ軍を上回っている事に危機感を覚えていた。

 

 そこで、自軍にも機甲師団を充実させるように命令を下したのだ。

 

 現在、ドイツ軍はⅥ号戦車「ティーガーⅠ」が、既に実戦配備が完了し、戦線にも配置されている。

 

 ティーガーⅠは、全長8.45メートル、全幅3.71メートル、56口径8.8センチ砲を主砲とし、最高速度は40キロ。

 

 機動性に聊か難があるが、重装甲と高い攻撃力を誇り、ドイツ軍機甲師団の新たなる主力として期待されていた。

 

 更に、開発が遅れていたⅤ号戦車「パンター」も、ようやく量産が開始されたところだ。

 

 全長8.86メートル、全幅3.27メートル、最高速度55キロ、70口径7.5センチ砲を装備する。装甲は最圧部で100ミリにも達し、これまでのソ連軍との戦闘で培われた技術を惜しげもなく投入して完成している。

 

 攻防走の3拍子揃った、パンターはまさに現代戦車の先駆けとも言うべき、画期的な存在だった。

 

 この2種類、特にパンターはヒトラーがかねてより期待をかけていた、新型戦車である。

 

 これらの戦車が十分な数揃い、前線に配備されれば、ソ連軍の機甲師団など恐るるに足らないとヒトラーは考えていた。

 

 しかし、このヒトラーの考えに、マンシュタインはじめ、軍部は反対した。

 

 今しかない。

 

 クルスクを攻めるタイミングは今しかないのだ。

 

 今なら、ソ連軍はクルスクを奪取したばかりである事を考えれば、兵力の集結も陣地の構築も不十分だろう。

 

 それに対してドイツ軍は、マンシュタインの活躍でハリコフを奪還し、戦力も勢いも十分にある。現状の戦力でも十分に勝機はある。

 

 今なら確実にクルスクを取れる。それも、パンターが無くても、だ。

 

 しかし、時間が経てば、ソ連軍はクルスクの守りを固めてしまうだろう。そうなれば、いかにパンターやティーガーⅠを揃えたとしても勝てる見込みはない。

 

 また、別の角度から作戦に反対する者もいた。

 

 装甲師団総監を務めるグデーリアン元帥は、ドイツ機甲師団の中心的な人物であり、戦車部隊による電撃戦の創設者でもある。その指揮能力から「疾風」の異名で呼ばれているほどの名将である。

 

 グデーリアンは、パンター戦車が新兵器特有の初期不良を多数抱えている事を指摘し、作戦その物の中止を求めた。

 

 パンターが搭載している変速機(トランス・ミッション)は複雑な構造をしているせいで、故障を頻発する厄介な代物だった。

 

 更に、充分な厚みがある様に思われた装甲も、一部に欠陥があり、その部分に砲弾が直撃すれば、一撃で炎上する恐れがあったのだ。

 

 ヒトラー期待の新型戦車パンターは、しかしこの時点では、兵器としての信頼性に疑問符がある代物だった。

 

 グデーリアンは、それらの懸案事項が解消されるまで、パンターの戦線投入は見合わせるべきだと考えており、また、パンターの実戦配備が間に合わないのなら、作戦その物を中止すべきと主張した。

 

 だが、ヒトラーはそれらの意見を聞き入れなかった。

 

 結局、クルスク奪還作戦はヒトラーの要望通り、機甲師団の充実を待って実施される事となった。

 

 作戦名は「城塞(ツィタデレ)」。

 

 正にドイツを守る最強の砦が出現した事になる。

 

 当初は5月初旬に作戦開始を予定していたが、ヒトラーの横槍によって結局、7月にまでずれ込んでしまった。

 

 しかし、状況は最早、待つことを許されない。

 

 先に述べた通り、ドイツ軍には後が無いのだ。

 

 全ての不安を振り払い、後の世に「史上最大の戦車戦」と呼ばれる事になる、クルスク会戦は開始された。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 蒼空に掛かる白い雲を突き破り、メッサーシュミットが飛翔する。

 

 機種にモーターカノンを搭載した事で、これまで以上に強力な機体となった愛機の手ごたえに、クロウは満足感を覚えていた。

 

 自分はやっぱり、この機体が好きだ。

 

 無論、祖国が開発した機体だと言う事もある。

 

 しかし、それ以前にやはり、操縦桿が手になじむ感触は、他の機体では味わえない興奮を齎してくれる。

 

 この機体ならば戦える。

 

 メッサーシュミットに乗っている限り、相手が誰であろうと負けはしない。

 

 そう思わせてくれる機体だった。

 

 やがて、雲の切れ間から無数の黒い点が見え始めた。

 

 翼を連ねてまっすぐに向かってくる機体。

 

 イリューシン、ヤコブレフ、ラボーチキンと言った、ソ連空軍の誇る戦闘機部隊である。

 

「行くぞッ 攻撃開始!!」

 

 レシーバーに向かって怒鳴ると同時に、クロウはメッサーシュミットの速度を上げた。

 

 突っ込んでくるイリューシンの突撃をかわして機体を急上昇。

 

 反転と同時に、急降下を仕掛ける。

 

 急速に視界の中で大きくなる、イリューシンの機体。

 

 翼に描かれた赤い星が、クロウの目に映った。

 

 次の瞬間、トリガーを引き絞る。

 

 機首に備えられた20ミリモーターカノンが唸り、イリューシンを直撃する。

 

 砕け散るソ連機。

 

 炎を上げて地面に落ちていく機体を見送りながら、クロウはさらに次の目標を探す。

 

 それの戦いは一進一退だった。

 

 数に勝るソ連空軍は、物量でルフトバッフェを圧倒しようとするが、対するドイツ空軍は技量に勝る優位を存分に駆使してソ連軍の防空網を突き破ろうとする。

 

 結果、

 

 独ソ両軍の機体が、無数に火を吹いて地上へと落下していく光景が現出した。

 

 更に、ラボーチキンを1機、イリューシンを1機、撃墜したところで、クロウは一息入れるべく機体を水平飛行に移した。

 

 やはり、良い機体だ。

 

 一部ではモーターカノンを装備した事による機動性の低下を懸念する声もあったが、そもそもメッサーシュミットは、イギリスのスピットファイアのような格闘戦をする為の機体ではなく、高度を上げて一撃離脱戦法を行う為の機体だとクロウは考えている。

 

 それを考えれば、多少の重量増加はこの機体の価値を損なう物ではないと考えていた。

 

 と、

 

 戦場に戻るべく、機体を反転させようとした、その時だった。

 

「あれはッ!?」

 

 一瞬、地上に目を向けたクロウは、驚いて声を上げた。

 

 地上を走る、無数の砂埃。

 

 その中を怒涛の如く疾駆する黒い影。

 

 間違いない。ソ連軍の機甲師団だ。

 

 その向かう先には、ドイツ軍とソ連軍が砲火を交わす前線が存在している。

 

 多数の戦車部隊が、戦線を迂回してドイツ軍の側面に回り込もうとしているのだ。

 

「司令部ッ こちらアレイザーッ!! 敵戦車多数接近中、注意されたし!!」

 

 怒鳴るクロウ。

 

 しかし、今から司令部が、陸軍に事態を通報したとして、果たして対応が間に合うかどうか。

 

 ソ連軍は初めから、ドイツ軍の戦線を引き付けて挟撃する作戦だったのだ。

 

 このままでは、ドイツ軍は前方と側面から挟み撃ちにあって、壊滅しかねなかった。

 

「クソッ 誰か・・・・・・誰か、いないのかッ!?」

 

 あの戦車を止める事が出来る誰か。

 

 その時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《任せろ!!》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鋭く返る、力強い声。

 

 同時に、

 

 1羽の猛禽が、天を舞うのが見えた。

 

 鋭い機首にスマートな機体、大ぶりな翼。

 

 よく見慣れた姿は、ユンカースJu87スツーカだ。

 

 しかし、その両翼には、それまでのスツーカには無かった巨大な大砲が1門ずつ、計2門装備されている。

 

 速度を上げて降下するスツーカ。

 

 同時に、

 

 大砲が火を吹いた。

 

 その一撃で、ドイツ軍を強襲しようとしていたソ連軍の戦車が火を吹いた。

 

 更に、後続のスツーカ隊も攻撃を開始。

 

 ソ連軍戦車部隊は、次々と大口径砲弾を食らい火を吹いていく。

 

 その様子を、信じられない面持ちで見ているクロウ。

 

「そうか・・・・・・あれが新型のスツーカかッ!!」

 

 ユンカースJu87Gスツーカ。

 

 急降下爆撃機として傑作と言っても良い性能を誇り、ドイツ軍の初期の快進撃を支えたスツーカだったが、時間の経過とともに敵、とくにソ連軍の戦車部隊への対抗が難しくなってきた。

 

 そこで、ドイツ空軍上層部は、スツーカの強化に乗り出した。

 

 様々なアイデアが出され、紆余曲折を経て、開発されたのがGタイプだった。

 

 通称「大砲鳥(カノーネン・フォーゲル)」。

 

 爆弾の代わりに、本来なら高射砲として開発された37ミリ砲をガンポッド形式で搭載し、攻撃力を大幅に強化する事に成功した機体だ。

 

 これによりスツーカは、急降下爆撃機から対戦車攻撃機として生まれ変わり、再びドイツ軍の空の守護神として転生した。

 

 ソ連戦車隊に攻撃を仕掛けるスツーカ隊の中で、とりわけ目を引く1機があった。

 

 降下と同時に発砲、敵戦車を撃破すると同時に上昇して離脱、更に流れるような動きで次の攻撃態勢に入る。

 

 荒々しくも鋭い。

 

 無駄な動きは一切せず、ただ狙った獲物は確実に仕留める。

 

 味方でありながら、思わず怖気を振るってしまう。

 

 見る者を惹き付ける機動。

 

 大空のハンターとでも言うべき戦いぶりだ。

 

 その1機のスツーカだけで、既に10両近いT34を撃破している。

 

「おいおいおいッ」

 

 呆れと共に、賛嘆の声を上げるしかないクロウ。

 

「誰だよあいつッ スゲーなッ!!」

 

 そう言っている間に、更に1両のT34が、そのスツーカによって餌食となる。

 

 あんな怪物じみた存在が味方にいるとは。

 

 知らずと震えがくる。

 

《ああ、あれはルーデル大尉の機体ですね》

「ルーデル?」

 

 その名前には、聞き覚えがあった。

 

 ハンス・ルーデル。

 

 「爆撃王」「空の魔王」「ミスター・スツーカ」など、数々の異名を持つ、急降下爆撃隊のエース。

 

 1000回以上の出撃回数を誇り、撃破した戦車、装甲車の数は1000両以上に達すると言う。

 

 ソ連海軍が保有する数少ない戦艦である「ペトロパブロフスク」も、大型爆弾を使用して撃沈に追い込んだことは有名である。

 

 あまりにも大きすぎる戦果。

 

 それ故にソ連書記長ヨーゼフ・スターリンから直々に名指しで「ソ連人民最大の敵」と呼ばれ、賞金首にまでされている程である。

 

 ものの数分で、眼下の地上を走るソ連戦車は1両たりとも存在しなくなってしまった。

 

 やがて、翼内の砲弾を使い切ったらしいルーデルのスツーカが、クロウのメッサーシュミットに近づいてくる。

 

 パイロット席に座る相手が敬礼して来たので、クロウも慌てて敬礼を返す。

 

 パイロットはクロウに笑みを見せると、そのまま翼を翻して去っていく。

 

 その姿を、クロウは感嘆の眼差しで見送るのだった。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 怒涛の如く進撃するドイツ軍。

 

 ソ連軍突出部を食いちぎるべく、南北から攻勢を掛ける。

 

 その圧倒的な攻撃力を前に、ソ連軍の防御陣地は次々と突破されていく。

 

 ドイツ軍は、このクルスクの戦いに先立ち、機甲師団に新たな戦術を確立していた。

 

 「パンツァー・カイル」と呼ばれるこの戦術は、装甲が厚く防御力が高い重戦車を先頭に立て、中戦車が続行して火力支援、機動性の高い小型戦車が両翼を固める形で進軍する。

 

 突撃時の陣形に奥行きと幅を持たせることで、ソ連軍の砲撃の照準を狂わせる意図があった。

 

 このパンツァー・カイルを用いた突撃は効果を発揮し、ソ連軍の防御陣地を次々と踏み砕いていった。

 

 しかし、ソ連軍もまた、一歩も引かぬ構えでドイツ軍を迎え撃っていた。

 

 ドイツ軍がヒトラーの気まぐれに振り回され、2カ月もの時間を浪費しているうちに、ソ連軍はクルスクを中心に、8重にも及ぶ重厚な防御陣地を構築していた。

 

 ソ連軍がドイツ軍に対抗する為に選択した戦術は「野戦築城」。要するに、時間いっぱい使って、クルスク一帯の平原を強固な要塞陣地に作り変えてしまったのだ。

 

 ソ連軍の陣地は、機関砲陣地、迫撃砲陣地、塹壕、地雷原、対空陣地、狙撃陣地、そしてパックフロントから成る、複合的な構成となっていた。

 

 パックフロントとは、対戦車迎撃陣地の事で、地雷原や擬装陣地であらかじめ戦車が進撃できる場所を限定しておき、隘路に敵が来たところで四方から集中砲火を加えるのだ。

 

 重戦車を撃破するほどの火力は見込めないまでも、ドイツ軍の進撃を食い止め、その足を鈍らせる効果は十分だった。

 

 しかしやはり、両軍ともに華々しい活躍を見せたのは、主役たる戦車部隊だろう。

 

 特にドイツ軍の機甲師団は、主力の名に恥じない活躍を示して居た。

 

 ティーガーⅠ戦車の活躍は凄まじく、その重装甲はソ連軍のあらゆる攻撃を防ぎ留め、その上で88ミリ砲は圧倒的な火力でソ連戦車を撃破した。

 

 中にはたった1両のティーガーⅠで50両のソ連戦車部隊に挑み、22両を撃破、自らは車両と共に帰還した猛者もいたくらいである。

 

 後年、ティーガーⅠこそが、ドイツ戦車の代表であったと言う研究者が多数いた事からも、その活躍ぶりがうかがえる。

 

 一方、パンター戦車も目覚ましい活躍によって、多数の敵戦車を撃破した。

 

 しかし、やはり当初グデーリアン元帥が予見した通りパンターは、解消しきれなかった初期トラブルにより故障する車両が相次ぎ、素晴らしい活躍を示しながらも、最前線で擱座し放棄、果ては鹵獲される車輛が多数に上ったのは、皮肉以外の何物でもなかった事だろう。

 

 こうして、独ソ両軍がクルスクをめぐって激しい攻防戦を繰り広げる。

 

 だが、

 

 変化は唐突に訪れる事になる。

 

 1943年7月13日。

 

 

 

 

 

「作戦中止って、どういうことですかッ!?」

 

 食って掛かるクロウ。

 

 相手は戦闘機部隊の指揮官で、クロウの上官に当たる。

 

 本来なら、たてつくような真似は許されない。

 

 しかし、そんな事が関係ないくらい、今のクロウは激高していた。

 

「納得いきませんッ」

「だが、それが命令だ、聞き分けろ中尉」

 

 冷徹ともいえる指揮官の言葉。

 

 しかし、そんな事で納得しうるはずも無く。

 

 尚もにらみつけて来るクロウに根負けしたのか、指揮官はひとつ嘆息すると口を開いた。

 

「南の方で動きがあったらしい。どうやら、連合軍が本格的にイタリア上陸に向けて動き出したようだ」

 

 その指揮官の説明に、クロウはハッとした。

 

 北アフリカの連合軍は、ロンメルなき枢軸軍を撃破した後、部隊の再編成を進めていた。

 

 そしてついに7月10日、連合軍はイタリア南部シチリア島に上陸を開始。本格的にイタリア本土侵攻を視野に入れ始めたのだ。

 

 この状況に危機感を覚えたのはヒトラー総統だった。

 

 ヒトラーは地中海戦線の劣勢により、イタリアが枢軸側から脱落する事を恐れた。

 

 そこで、ツィタデレ作戦に投入予定だった部隊を南イタリア戦線へ転用する事を決定してしまったのだ。

 

 ヒトラー自身、ツィタデレ作戦には当初から、あまり乗り気ではなかった事も大きかった。

 

 これにより、戦線維持に必要な兵力確保が困難となった東部方面軍は、やむなく作戦の中止を決定したのだった。

 

「そんな・・・・・・せっかく、ここまで来たのに・・・・・・」

 

 ドイツ軍は現在、苦戦しつつもソ連軍の防御陣地をあと一歩で食い破れるところまで来ている。

 

 この段階での作戦中止は、あまりにも理不尽としか言いようがなかった。

 

 だが、最早どうにもならない。

 

「戦場はまだある。ここで焦る必要はないさ」

 

 そう言うと、指揮官はクロウの肩を軽く叩いて部屋を出て行く。

 

 しかし、

 

 これで東部戦線に続いて、南からの敵にも対応しなくてはならなくなった。

 

 四方を敵に囲まれ、徐々に追い込まれ始めているドイツ。

 

 海軍の活躍で、辛うじて持ち堪えている西側が最もまともと言えるだろうが、それもいつまで保つか分かったものではなかった。

 

「兄貴、ツェッペリン、死ぬなよ」

 

 クロウは、この場にいない兄と戦友に語り掛けるのだった。

 

 

 

 

 

 こうして、クルスクの戦いは終わった。

 

 ドイツ軍は善戦したものの結局、戦略目標だったソ連軍の殲滅もクルスクの奪還もならず、敗北に終わった。

 

 この戦いでドイツ軍は、36万の兵力を失い、その再建に再び奔走せざるを得なくなる。

 

 一方、勝ったとはいえ、ソ連軍もドイツ軍の倍以上となる85万の兵力を失い、こちらも壊滅に近い損害を被っていた。

 

 しかし、ドイツ軍の得意とする野戦で勝利した事実は大きく、以後、東部戦線の主導権はソ連が掌握して行く事になる。

 

 一方、ドイツ軍にとっては、クルスクでの戦いは先手を取れる最後のチャンスであり、劣勢の東部戦線を巻き返せる最後の機会でもあった。

 

 しかし、そのチャンスも潰えた今、もはや勝機は遥か遠のいたと言っても過言ではない。

 

 ドイツを守る城塞は、ここに崩れ去ったのである。

 

 

 

 

 

第58話「最後の砦」      終わり

 



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第59話「英王室の変」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 重苦しい雰囲気。

 

 そうとしか言いようがない空気が、イギリス本国艦隊司令部の会議室を覆っていた。

 

 居並ぶ将官たちの視線。

 

 その全てが「被告」たる人物へと集中されていた。

 

 ディラン・ケンブリッジ准将は、自身を非難する多数の視線を受けながらも、椅子に座ったままふんぞり返り足まで組んでいる。

 

 この場に自分がいる事が不満で仕方がない。

 

 その態度を崩そうともしなかった。

 

「まったくもって理解に苦しむな」

 

 居並ぶボルス・フレイザー司令官や、クロード・グレイス参謀長を初めとした本国艦隊幕僚の1人1人を睨み付けながら、ディランは毒を含んだ声で言い放った。

 

 居並ぶ将官の中には、リオン・ライフォードとベルファストの姿もあった。

 

 2人も、リオンの兄であるクロードの要望で、この場に同席していた。

 

 一方でディランの態度には、断罪を受ける者の殊勝な態度は一切見られず、むしろ余裕すら感じさせるほどふてぶてしい物があった。

 

 自分に視線を向ける全ての者たちを、冷笑交じりに睨み返す。

 

「貴様らは一体、何の権限があって、このような扱いをしているのだ? 救国の英雄たるこの俺を」

「無論、あなたの責を問う為ですよ、殿下」

 

 フレイザーが、冷静な口調で返す。

 

 ディランがこのような態度をする事は、初めから分かり切っている事。今更、驚きも苛立ちも無い。

 

 ただ、淡々と査問を続けるのみだった。

 

 査問の内容は先ごろ、行われたスピッツベルゲン島沖海戦について。

 

 ドイツ艦隊主力と、ディランが率いた本国艦隊U部隊との激突は、イギリス艦隊の大敗で幕を閉じた。

 

 U部隊は巡洋戦艦「レナウン」はじめ、多くの艦艇を喪失。

 

 新鋭戦艦である「キング・ジョージ5世」や旗艦「デューク・オブ・ヨーク」も損傷して後退せざるを得なくなった。

 

 それだけではない。

 

 スピッツベルゲン島に建設されたイギリス軍拠点は、ドイツ艦隊の艦砲射撃を受けて壊滅状態になった。

 

 スピッツベルゲン島基地は、北ノルウェーに進出したドイツ海軍を牽制すると同時に、襲撃を受けた輸送船団の一時待避所としても機能しており、北海航路を維持する上で、イギリス海軍の最重要拠点と言っても過言ではなかった。

 

 イギリス艦隊を撃破した後、ドイツ艦隊は第1、第2艦隊が合流し、再度、スピッツベルゲン島基地に徹底した艦砲射撃を仕掛けた。

 

 その結果、スピッツベルゲン島基地は、救助と調査に赴いた部隊から「復旧するより放棄した方が早い」と言わしめるほど、徹底的に破壊しつくされたのだ。

 

 由々しき事態だった。

 

 スピッツベルゲン島基地を失ったおかげで、イギリス海軍は北海における制海権を喪失。

 

 これにより、ドイツ軍による通商破壊戦は活発化し、既に北海航路における輸送船の被害は無視できないレベルで上がりつつあった。

 

 そして、

 

 その原因を作ったのは、間違いなく今、被告席に座っているディランだった。

 

 しかし、

 

「責ッ!! 責と来たかッ!!」

 

 フレイザーの言葉に、吹き出すディラン。まるで、サーカスのピエロ芸を見せられたかのような失笑振りである。

 

 自分には何一つとして非はない。そう言いたげな態度だ。

 

「いったい、この俺が何をしたと言うのかッ!? お前達は何の責を問おうと言うのかッ!? 此度の敗戦の責は全て、ナチス共の攻撃で拠点を失った、役立たずのスピッツベルゲン島基地の守備隊、そして、この俺を補佐しきれなかった無能な幕僚共にある。だと言うのに、事の軽重を取り違え、この次期国王にして英雄たる、このディランを、このように罪人の如く扱うなど、万死を通り越して滑稽ですらあるぞ、フレイザー!!」

 

 上官である本国艦隊司令官を呼び捨てにして愚弄する態度は居並ぶ幕僚、艦娘達は怒りを募らせる。

 

 しかし、誰もが激高せずに見守っていられるのは、この場があくまで、本国艦隊司令部主導による正式な査問の場であるからに他ならなかった。

 

 それにしても相変わらず、責任転嫁の弁舌だけは超一流だった。

 

 ディランは傲然と胸を逸らして見せる。

 

 悪いのは、あくまで自分以外。自分には一切の非は無く、責任を取るのは、自分以外の他の誰か。

 

 そんな態度を隠そうともしないでいる。

 

「ですがね」

 

 口を開いたのはクロードだ。

 

「証拠が上がっているのですよ。幕僚や艦娘達の証言、被害の状況、生き残ったスピッツベルゲン島基地守備隊員から聞き取った報告書、U部隊の作戦記録。その全てが、准将の判断ミスによる敗北を裏付けていますね」

「フンッ それが何だと言うのだ?」

 

 薄ら笑いを浮かべたまま、ディランが返した。

 

「無能な守備隊や、役立たずの艦娘が無様に叫んだとて、それが何だと言うのだ? 所詮は無能な馬鹿の戯言。そんな物を鵜吞みにする理由がどこにある? それこそ我がロイヤル・ネイビーにとって、鼎の軽重が問われると言う物だ」

 

 その物言いに、居並ぶ一同が目の前の傲岸不遜な男に対する怒りを覚える。

 

 守備隊はともかく、艦娘の存在は海軍にとって象徴であり、彼女らの存在は誇りでもある。

 

 そんな艦娘を侮辱され、怒りを覚えない海軍士官など、世界中を探しても存在しないだろう。

 

「いい加減にしてください、兄上」

 

 静かな怒りを湛えた声を発したのはリオンだった。

 

 一同の視線が、リオンへと向く。

 

 普段、物静かなリオンだが、今やその表情には明らかな怒りが見て取れる。

 

 ここに来て尚、見苦しい態度を取り続けるディランに、弟して、王族として、一海軍士官として、言うべきことを言わねば収まりが付かなかった。

 

「リオン・・・・・・・・・・・・」

 

 傍らのベルファストが、心配そうに見つめて来る。

 

 そんな彼女を落ち着かせるように頷いてから、リオンは改めてディランに向き直った。

 

「こうして証拠が上がった以上、言い逃れは出来ません。どうか潔く罪を認めていただきたい」

「黙れ、無礼者が!!」

 

 正論を告げる弟の声は届かず、返されたのは空虚な罵声だった。

 

 ディランは顔を屈辱で真っ赤に染め、口からは汚く唾が飛ばしながら怒鳴り散らす。

 

「貴様が如き下賤の輩が、この次期国王たる俺に意見するなど、万死に値するッ 恥を知れ恥を!!」

 

 喚くディラン。

 

 普段から見下している弟に説教された事で、我を忘れるほどの怒りを発している。

 

 しかし、既にこの場にいる全員が、喚き散らすディランを白けた目で見ていた。

 

 誰も、目の前の男に同調する者はいない。皆が皆が、この「自称次期国王様」の相手に疲れを覚え始めているのだ。

 

 正直、こんな男の相手をしなくてはいけない事自体、時間の無駄でしかない。

 

 中には、露骨に欠伸をしている者までいた。

 

「まあ、良いでしょう」

 

 締めくくるように、フレイザーが告げる。

 

「先にも言った通り、証拠は揃っているのです。我々は、これを上層部に提出して判断を仰ぐまでです」

「好きにするが良いさ。吠え面を欠くのは目に見えているがな」

 

 せせら笑うディラン。

 

 誰もが、ディランの失脚を想像する。

 

 当のディラン本人を除いて。

 

 そのディランはと言えば、腹の中で小馬鹿にしたように薄ら笑いを浮かべていた。

 

 何とでも言うが良い低能どもが。

 

 どのみち、この救国の英雄であり、次期国王を裁ける者など、この世に存在しない。

 

 この後に出される結論は「無能な幕僚や艦娘、守備隊達の拙劣な戦いぶりによって、惜しくもイギリス軍の敗北に終わった。しかし、偉大なる英雄ディランの活躍により、イギリス軍は全滅を免れ、憎きドイツ軍に一矢報いると同時に、残存戦力の安全な撤退に成功した」と言う風に纏められる事になるだろうさ。

 

 そしてフレイザーはじめ、目の前の無能な連中は左遷され、ディランは更なる昇進を果たし、栄光を手にする事になる。

 

 そうだな、今度は本国艦隊司令官の席あたりを狙ってみるのもいいかもしれない。

 

 「ディラン・ケンブリッジ本国艦隊司令官」。格としてはいまいちだが、響きとしてはまあまあだろう。

 

 そして自分が指揮する本国艦隊が、薄汚いナチスの海軍を撃破。いずれ、その功績を持って、次期国王に就任する。

 

 自身の脳内で思い描いた完璧な人生プランに、ほくそ笑むディラン。

 

 丁度その時だった。

 

「会議中、失礼いたします」

 

 そう言って入ってきたのは、ディランの副官でもあるアルヴァン・グラムセル大佐だった。

 

 スピッツベルゲン島沖海戦では、ディランに敬遠され、別動隊指揮官に飛ばされながらも奮戦、残念ながらドイツ艦隊の攻撃を阻止するには至らなかったが、一矢報いる事で、その老練な指揮ぶりを見せつけた。

 

 来た来た来た来たァッ。

 

 入って来たアルヴァンの姿を見て、内心で喝さいを上げるディラン。

 

 アルヴァンはディランの父である、現国王フレデリック3世とも通じている。勅命を携えて来た事は間違いないだろう。それ即ち、ディランの栄達が確定した事を意味している。

 

 居並ぶ本国艦隊幕僚や、先ほど愚かにも自分を糾弾した「下賤な血を持つ自称弟」を睨みながら、腹の中で叫ぶ。

 

 どうだ見たか、クソ共が!! これが俺の力だ!! 下等なお前らとは存在からして違うのだよ!!

 

 俺は更なる栄光を手に入れる。お前らはせいぜい、そんな俺を見て悔しがるが良いさ!!

 

「陛下からの、お言葉を伝えます」

 

 アルヴァンはそう言うと、携えた髪を開いて一同の前で目を走らせる。

 

 最早、口元に下品な笑みを隠そうともしないディラン。

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ディラン・ケンブリッジ海軍准将。この者の大英帝国軍における全権限を無効とし、階級も剝奪する事とする。更に、今後、ディラン・ケンブリッジの王族としての全権限を停止、第2王子の地位を剥奪、保有する全ての資産を凍結するものとする」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」

 

 間抜けな声を発すしたのはディラン。

 

 対して、アルヴァンは淡々とした調子で告げた。

 

「以上が、国王、フレデリック3世陛下のお言葉です」

「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや!!」

「尚、追記事項として、ディラン・ケンブリッジが今後一切、大英帝国の王族を名乗ることを禁じ、王宮その他、英国王室に連なる施設に出入りする事も一切を禁ずる。この布告は、発表を行った瞬間より効力を発揮する物とする。以上です」

 

 愕然とするディランを無視して、淡々とした調子で言い終えるアルヴァン。

 

 その襟首に、ディランが掴みかかる。

 

「全て、陛下の思し召しです」

「ふざけるなッ!!」

 

 顔を真っ赤にして怒鳴るディラン。

 

 軍人としての地位、権限をはく奪され、王族としての地位も剥奪、更に試算も凍結された。

 

 つまり、軍人としても王族としても、最早ディランと言う存在が抹消された事を意味している。

 

 間違いなく極刑にも等しい、最上級の罰だった。

 

「嘘だッ!!」

 

 悪鬼の如き形相で怒鳴るディラン。

 

「俺を誰だと思っているッ!? 第2王子にして次期国王、そして英国海軍きっての大英雄であるこのディラン・ケンブリッジに対して、何たる言い草だッ!! そのような偽りを言って、ただで済むと思うなよ!!」

「私は、陛下のご意志を代読したまでです」

「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!! 嘘だァァァァァァッ!! この男は噓を言っている!! 恐れ多くも国王陛下の名を騙り、我が名誉を貶めようとしているぞ!! 衛兵ッ 何をしているッ 早くこの男を拘束しろッ!!」

 

 喚きたてるディラン。

 

 だが、その時だった。

 

「その必要はない」

 

 重苦しい言葉と共に入ってきた人物。

 

 その姿を見て、フレイザーを始め、居並ぶ全員が立ち上がって敬礼する。

 

 アルヴァンもまた、振り返って一礼する中、衛兵を引き連れてゆっくりと足を踏み入れた人物。

 

 それは国王、フレデリック3世に他ならなかった。

 

「ああ、ち、父上ェ!!」

 

 そんなフレデリックの姿に、ディランは情けなく、縋り付くように歩み寄る。

 

「聞いてください父上、この者達は不敬にも我が名誉を貶め、ひいては父上まで貶めようとしている亡国の輩ですッ どうか厳しいお裁きを!!」

 

 言い終えた瞬間、

 

 進み出た衛兵が、手にした銃を交差させて、ディランがフレデリックに近づくのを防いだ。

 

「何だ、これはッ!? どけ、貴様らッ 何の権限があってこのような不敬をするか!?」

 

 喚き散らすディラン。

 

 そんな息子、

 

 否、

 

 「元・息子」に対し、ゴミを見るような目を向ける。

 

「貴様のこれまでの所業、この私が知らぬとでも思っていたか? アルヴァンを通じて、全て我が耳に入っておったわ」

「そ、それは・・・・・・」

 

 動揺するディラン。

 

 振り返ってアルヴァンを睨み付けるが、当のアルヴァンは「元・上司」に対して知らぬげな視線を向け続けている。

 

「先日、ソ連のスターリンから、正式な抗議があった。曰く『先の海戦の結果を踏まえ、大英帝国に置かれては、綱紀粛正に一層励み、以後の物資輸送に支障なきように心がけられたし』だと」

 

 フレデリックが読み上げた内容に、その場にいた全員が怒りと屈辱に震えた。

 

 事もあろうに、スターリンはイギリス海軍に対し「もっとしっかりしろ」と、クレームをつけて来たのだ。

 

「判るかッ 我が屈辱が? この世界に冠たる大英帝国国王が、共産主義の、薄汚い成り上がり者から罵倒されたのだ。その全てが、貴様の責任だ!!」

「い、いや、それは・・・・・・」

 

 弁明しようと口を開くディラン。

 

 しかし、怒り狂ったフレデリックは、ディランから視線を外してアルヴァンを見た。

 

「この薄汚いゴミをとっとと放り出せッ 二度と我が目の触れる場所に入らせるな!!」

「ははッ」

 

 アルヴァンは首を垂れると、すぐさま行動を起こした。

 

 衛兵に命じ、ディランを拘束させる。

 

「待てッ 何をする、放せッ!! 俺を誰だと思っているッ 放せ、クズどもが!! 父上、話を聞いてくださいッ これは何かの陰謀ですッ そうに決まっていますッ 父上ッ!! 父上ェ!!」

「フンッ クズが」

 

 引き立てられていくディラン。

 

 その耳障りな声を聴きながら、フレデリックは吐き捨てるように告げると、次いでフレイザーに向き直った。

 

「フレイザー、これ以上の敗北は聞きたくない。我が大英帝国の名誉にかけて、必ずやナチスの艦隊を殲滅して見せよ」

「はッ」

 

 言って出来れば苦労はしない。

 

 ここまでイギリス海軍が苦戦を重ねてきたのは、何もディランが無能だったからばかりではない。

 

 ドイツ海軍は少数ながら高性能な艦と優秀な指揮官多数を揃えている。質だけなら、イギリス海軍と同等と言って良いだろう。

 

 ドイツ海軍に勝つのは容易な話ではない。

 

 これまでの戦闘結果を読んだフレイザーの結論だった。

 

 しかし、求められれば実行しなくてはいけないのが宮仕えと言う物。どのみち、ドイツ艦隊を殲滅しない事には自分達に勝利はないのもまた事実である。

 

 ならば、

 

 「やる」以外の選択肢は、残されていなかった。

 

「良いな。今後も、我が大英帝国の偉大なる勝利の為、貴様らの身命を捧げると良い。祖国に偉大なる勝利をもたらす為に命を投げ出す事だけが、貴様らの唯一、無上の価値であると心得よ」

 

 そう言うと、直立不動で敬礼する一同を背に、部屋を出て行こうとするフレデリック。

 

 アルヴァンも又、その後に続く。

 

 いや、

 

 並んで立っている、リオンとクロードに一瞬だけ、目を向けた。

 

 ほんのコンマ数秒、

 

 親子の視線が交錯する。

 

 しかし、それは誰も気が付かないような、微かな時間でしかなかった。

 

 緊張して身を強張らせる、リオンとクロード。

 

 対して、フレデリックは冷ややかな眼光を2人に向けると、そのままアルヴァンを引き連れて、部屋を後にした。

 

 途端に、緊張が一気に解ける。

 

 盛大に漏れる溜息。

 

 中には、露骨にその場に崩れ落ちる者までいる。

 

「き、緊張した~」

 

 ベルファストも、その中の1人だった。

 

 椅子に座り込み、息を吐き出す少女。

 

 そんな少女の肩を優しく叩きながら、リオンはクロードに向き直った。

 

「驚きました。まさか、あの父上がディラン兄上を切り捨てるとは。てっきり、今回も兄上をかばって不問にすると思っていたのですが。いったい、どういう心境の変化なのでしょう?」

「いや、あの人は結局のところ、何一つ変わっちゃいないさ」

 

 そう言って、クロードは苦笑する。

 

 フレデリックが今回、ディランの権威剥奪と放逐に至った理由。

 

 それは正道に立ち返ったからでも、息子に愛想を尽かしたわけでもない。

 

 ソ連からの抗議によって自分自身の名誉が傷付けられた。それにより頭に血が上ったフレデリックは、これまでの事実を踏まえ、全責任をディランに押し付けたのだ。

 

 言わば、ディランもフレデリックの被害者と言えよう。

 

 無論、同情する気は微塵も無いが。

 

 自身の名誉と面子。

 

 あの「国王陛下」の頭の中にあるのはそれだけだった。

 

「しかし兄上、父上の言葉はどうあれ、何か手を打たねばならないのは確かなのでは?」

「まあね」

 

 肩を竦めるクロード。

 

 リオンの言う通り、ドイツ海軍が北ノルウェーで睨みを利かせている以上、北海の制海権は彼等に握られている。

 

 ソ連に物資を送り込むには、どうしてもドイツ海軍と敵の北ノルウェー基地、双方を無力化する必要があった。

 

「既に手は打ってある。効果は、そう遠くないうちに表すだろうさ」

 

 そう言うと、クロードは意味ありげに笑って見せるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ディランの王族剥奪と、軍からの放逐。

 

 それらの処置は全て電撃的に行われた。

 

 更に、当然ながらディラン指揮下のU部隊は解隊され、同時に彼の取り巻きだった連中も降格、あるいは地方の閑職へと左遷される憂き目にあった。

 

 残った戦力は本国艦隊直轄として再編成される事となった。

 

 ディラン本人はと言えば、宣言通り、軍人としても王族としても全ての権限を剝奪されて放逐された。

 

 とは言え、これでも一応は英雄と言う立場にある人物である。事実をありのままに公表すれば、王室も海軍も権威を落としかねない。

 

 その為、対外的にはディランは「持病悪化の為予備役に編入、その後、王室保有の別荘地にて加療中」と発表された。

 

 今まで権威を笠に着て好き放題やって来たディラン。軍からも王族からも見放されては行く当てなどあろうはずもない。

 

 最後には使用人からも見放され、見るも哀れな有様となって去って行ったと言う。

 

 とは言え、この処遇を歓迎しない者は、少なくともイギリス海軍にはいなかった。

 

 今まで(少なくとも対外的に)英雄と言う立場にありながら、無能采配の極みだったディランが失脚した事で、英国海軍全体の風通しが良くなり、ひいては海軍全体の戦力向上が期待されていた。

 

 イギリス海軍は変わる。

 

 誰もが、その希望を抱かずにはいられなかった。

 

 そして、現実にそうなりつつあるのは確かである。

 

 ボルス・フレイザー本国艦隊司令官は、U部隊解隊に伴い、浮いた余剰兵力を本国艦隊に再編成すると同時に、艦隊内部にも綱紀粛正を徹底している。

 

 更に、新型の戦艦や空母、巡洋艦、駆逐艦が続々と戦力に組み込まれつつある。

 

 質、量ともに、充実し始めているイギリス海軍。

 

 今はまだ、ライバルであるドイツ艦隊と正面切って戦うだけの戦力は無い。

 

 しかし、その戦力は徐々に、しかし確実に増大しつつあった。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 動きは海を越えた敵国でも起こっていた。

 

 北ノルウェー基地に、その情報がもたらされたのは、クルスクでの戦いが終わり、10月に入っての事だった。

 

 久しぶりに仲の良いメンバーが揃ったところで、エアルはもたらされた情報を披露した。

 

「大西洋の壁? 何それ?」

 

 テーブルの上に乗った焼き菓子を頬張りながら、シャルンホルストがキョトンとした顔で尋ねる。

 

 テーブルを共に囲むのは、彼女の恋人でもあるエアル・アレイザー、そして妹のグナイゼナウに、その彼氏であるオスカー・バニッシュ准将だった。

 

 ここはノルウェー基地内にあるカフェテリア。

 

 長期における艦隊の作戦行動を支える事を目的に建造されたノルウェー基地は、こうした娯楽施設も充実していた。

 

 居並ぶメンバーは、エアルとシャルンホルスト、更にはオスカー・バニッシュ准将と、彼の恋人であるグナイゼナウ、その他に重巡洋艦のプリンツ・オイゲンの姿もあった。

 

 今はオフと言う事もあり、それぞれ軍服姿ではなく、思い思いの私服姿で集っていた。

 

 エアルが切り出した話題は先日、総統府から発令された作戦についてだった。

 

「上層部が以前から計画していた事だよ。連合軍の反抗に備えて、ノルウェーからフランス沿岸にかけて、海岸線を全て塞ぐように長大な要塞を建設するんだって」

「ずいぶん大掛かりですね。ていうか、そんな事できるのですか?」

 

 エアルの説明を聞いて、オイゲンが手元のオレンジジュースを口に運びながら疑問を呈する。

 

 彼女の懸念はもっともだ。

 

 ノルウェーからフランス沿岸までとなると、途方もない距離になる。

 

 完成すれば、開戦前にフランス軍が建設したマジノ線ですら遥かに超える、超巨大要塞線となるだろう。

 

 総工費も、使われる資材、建造にかかる時間、いずれもとんでもない物となるだろう。

 

「上層部はできるって判断しているみたいだね。その為の資材を、本国と占領地からかき集めているみたいだし」

 

 言いながら、エアルはコーヒーに口を付ける。

 

 熱く苦い液体を飲み干しながら、

 

 しかし頭では、上層部の正気を疑いたくなっていた。

 

 現実問題として、ノルウェーからフランスにかけて大掛かりな要塞を、全域に張り巡らせるなど不可能に近い。

 

 話を聞いて、エアルが感じたのは、上層部、ひいてはアドルフ・ヒトラー総統が感じているジレンマだった。

 

 城塞(ツィタデレ)作戦の失敗と、連合軍によるイタリア本土進攻により、ドイツは東と南から押し込まれようとしている。

 

 このうえ、万が一にも大西洋で連合軍の反撃を受ける事にでもなったら、ドイツは三方から敵に囲まれる事になり敗北は決定的となる。

 

 そうなる前に、連合軍の反攻を水際で食い止めるための要塞を建設しようと言うのだ。

 

「正直、あまり賛成はできないな?」

「おにーさんは、無駄だと思ってるの?」

「まあね」

 

 現実問題として、そんな巨大な壁を張り巡らせることなど不可能だし、下手をすると全くの役立たずで終わったマジノ線の二の舞いになりかねない。

 

 そんな事よりも、これまで通り水上艦やUボートの増産を行い、敵を海上で食い止める事を考えるべきだと思うのだが。

 

 どうやらヒトラーを初め、ナチス党の幹部たちは、今現在郵政とは言え、イギリス相手に大きく戦力に水を空けられている海軍に頼るよりも、自分達が頼む陸軍に命運を委ねた方が勝率は高いと判断したらしい。

 

 元々、ドイツは陸軍中心の国。その気持ちは分からないでもない。

 

 海軍士官としては腹立たしい事この上ないが、それが上層部の判断だった。

 

 と、

 

「ごめん、ちょっとボク、お手洗いに行ってくるね」

「ああ。場所は判る?」

「大丈夫。もう覚えたから」

 

 何しろ建設されたばかりの基地である。下手をすれば迷って出て来られなくなる、などと言う事にもなりかねなかった。

 

 トイレの方へと小走りに駆けていくシャルンホルスト。

 

 その背中を見送るエアルに、グナイゼナウはふと、気になった事を尋ねてみた。

 

「ねえ、アレイザー准将。最近、あの子、調子どう?」

「あの子って、シャルの事だよね。別に、普通だと思うけど?」

「そう・・・・・・・・・・・・」

 

 言葉を濁すグナイゼナウに、エアルとオスカーは訝るように視線を向ける。

 

「どうかしたのか?」

「うん・・・・・・シャルさ、何だか、ちょっと落ち込んでいる気がして」

 

 その言葉に、エアルは少し納得する。

 

 確かに、ここのところのシャルンホルストは、少し元気がない。

 

 そして、その原因も、エアルには心当たりがあった。

 

 先のスピッツベルゲン島沖海戦に先だって、初めて顔を合わせたティルピッツ。

 

 彼女の姉であるビスマルクを、他ならぬ自分で沈めなくてはならなかった事への後悔。

 

 その事が、シャルンホルストの心を苛んでいるのだ。

 

 夜ごと、隣で眠るシャルンホルストが、うなされているのを見ているエアルは、彼女の気持ちが痛いほどに分かった。

 

「やっぱり、このままじゃまずい、よね」

 

 そっと呟くエアル。

 

 いつも明るいシャルンホルストが落ち込んでいる様子は、見ていて辛くなってくる。

 

 恋人の悩みを、少しでも軽くしてあげたい。

 

 エアルは心から、そう思うのだった。

 

 

 

 

 

 用を足したシャルンホルストは、手を洗いながら鏡に向かってため息をつく。

 

「ああ、みんなに心配かけちゃったよね・・・・・・・・・・・・」

 

 頭を抱える。

 

 せっかくの休日だと言うのに、どうしても気分が乗らない。

 

 戦っている時はそうでもないのだが、港にいればどうしても、あの娘の事を考えてしまう。

 

 ティルピッツ。

 

 イギリス海軍相手に、たった1隻で勇敢に戦い、最後はシャルンホルストの魚雷で自沈させざるを得なかった少女の妹。

 

 ビスマルクの最後の姿は、今もシャルンホルストの脳裏に鮮明に焼き付けられている。

 

 そんなビスマルクの妹が、自分の目の前に現れた。

 

 シャルンホルストは内心の動揺を隠しきる事が出来なかった。

 

「このままじゃ、絶対だめだよね」

 

 溜息をつく。

 

 しかし、結局のところ、どうすれば良いのか。

 

 その答えを少女は持ち得ていなかった。

 

 と、その時だった。

 

「ちょっと、良いかしら」

「はい?」

 

 呼ばれて振り返るシャルンホルスト。

 

 そこで、

 

 ギョッとした。

 

「話があるんだけど。少し、付き合ってくれる?」

 

 そう言って、シャルンホルストに鋭い眼光を投げつける人物。

 

 それは、たった今まで思い浮かべていた少女、ティルピッツに他ならなかった。

 

 

 

 

 

第59話「英王室の変」      終わり

 



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第60話「無謀なる賭け」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、ドイツ第三帝国総統アドルフ・ヒトラーは、公務の為、久しぶりに狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)を出て、首都ベルリンへと訪れていた。

 

 狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)には、行政に必要なあらゆる機能が集約されているが、それでも首都のベルリンに比べればどうしても見劣りする部分が多い。

 

 その為、ヒトラーは首都と狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)を定期的に行き来し、都度、必要な指示を出していた。

 

 ヒトラーのフットワークは、とかく軽い事でも有名である。

 

 必要とあれば、どこにでも直接足を運ぶのが彼のやり方である。

 

 それは国内にとどまらず、場合によっては最前線に赴く事もある。その為、追随するナチス党幹部や軍の上層部からすれば、着いて行くだけでも命がけの行程となる。

 

 この日は各戦況の状況把握の為、どうしてもベルリンで会議を行う必要性が生じた為、久方ぶりの帰国となった。

 

「それでは東部戦線は、今暫くは安泰なのだな?」

「はい、総統閣下」

 

 質問するヒトラーに答えたのは、国防軍最高司令官のカイテル元帥だった。

 

 カイテルはその肩書の通り、国防軍の総指揮官であり事実上、ドイツ全軍のトップに立つ人物である。

 

 しかし一方で、ここまでの出世を成し遂げたのはヒトラーにおべっか使いをした為であり、「総統閣下の腰巾着」と陰口を叩かれている。

 

 この場にはカイテルの他にもナチス党の幹部たち、更には空軍最高司令官のヘルムート・ゲーリングや海軍最高司令官のエドワルド・レーダーや潜水艦隊司令官のカーク・デーニッツの姿もある。

 

 そして、

 

 ヒトラーが腹心とも頼む、SS海軍中将、ウォルフ・アレイザーも控えていた。

 

 居並ぶ面々の中で、カイテルの報告は続く。

 

城塞(ツィタデレ)作戦以後、クルスク近郊に展開したソ連軍は一時的に攻勢を仕掛けてきましたが、マンシュタイン元帥率いる南方軍集団の防衛戦闘により、辛うじてこれを撃退。現在は、一時的な膠着状態を作り出す事に成功しています」

「マンシュタインか・・・・・・・・・・・・」

 

 その名を口にした時、ヒトラーの顔に微かに苦い物が走った。

 

 アルフレート・マンシュタインの存在は、ヒトラーにとってある意味、敵以上に疎ましい存在だった。

 

 昨年のスターリングラード攻防戦以降、常に最前線に立ち続け、ソ連軍に痛打を浴びせ続けるマンシュタイン。

 

 その的確な戦略眼と戦術は常に敵軍を凌駕し、マンシュタインは味方のみならず、敵からも賞賛されるほどであった。

 

 間違いなく、ドイツ軍最高の名将の1人。

 

 しかしマンシュタインは、度重なるヒトラーからの現地死守命令を無視し、戦線放棄と後退を続けている。

 

 言わばヒトラーが示す大方針に逆らい続けているわけだ。

 

 本来なら即刻、罷免して後方送りにしたいところ。

 

 にも拘らず、そうできないのは、とりもなおさずマンシュタインの存在が、激化する東部戦線を支えているからに他ならなかった。

 

 バルバロッサ作戦、ブラウ作戦、ツィタデレ作戦と、大きな戦いで敗退を重ねたドイツ軍は、今やソ連軍相手に苦境に立たされつつある。

 

 劣勢の東部戦線。その中で唯一、気を吐き続けているのがマンシュタインだった。

 

 ヒトラーにとっては甚だ忌々しい限りだが、東部戦線の維持は今や、マンシュタインの手腕に掛かっていると言っても過言ではない。

 

 現実に戦果を挙げている将軍を更迭すれば、それこそドイツ全軍の士気にも関わると言う物。

 

 だからこそ、ヒトラーは苦虫を噛み潰しながら、マンシュタインの活躍を見守る以外に無かったのだ。

 

 ドイツ軍としては、マンシュタインが持ち堪えている間に東部戦線を立て直したいところだった。

 

 まあ良い。

 

 ヒトラーは努めて、マンシュタインの事を頭から追い出す。

 

 現実問題として、東部戦線を支えるにはマンシュタインの存在が必要不可欠なのは確かなのだ。使えるうちは使ってやる、と考えれば、腹も立たないと言う物。

 

 それに、

 

 いかな名将と言えど、常勝無敗と言う訳にもいくまい。

 

 奴が失敗した、その時には・・・・・・・・・・・・

 

 ヒトラーがそこまで思考した時だった。

 

 不意に、

 

 遠くの方からサイレンが聞こえてくる。

 

 徐々に大きくなる音。

 

「何事だ?」

「判りません。すぐに確認してまいります。おいッ」

 

 傍らのゲーリングが、扉近くの衛兵を呼んだ。

 

 その時、

 

 会議室の扉が開かれ、兵士が足早に駆け込んできた。

 

「会議中に失礼いたしますッ すぐにお逃げください!!」

「控えろッ 総統会議の場だぞ!!」

 

 ドイツ国内最高会議の場に乱入して来た無礼者に、ゲーリングからの叱責が飛ぶ。

 

 が、兵士の形相から考えるまでもなく、由々しき事態が迫っているのは、誰の目にも理解できた。

 

 ナチス・ナンバー2の叱責を上けても、兵士は構わず続ける。

 

「イギリス本土を発した爆撃機が多数、北海上空を通過し、この首都を目指して接近しておりますッ!!」

 

 その言葉に、一同の間に戦慄が走った。

 

 ベルリンが爆撃を受けようとしている。それも、過去に累を見ない規模で。

 

「お逃げくださいッ 早く!!」

 

 兵士の悲痛な叫びが発せられる中、

 

 不気味なサイレンは徐々に大きくなっていった。

 

 

 

 

 

 この日、イギリス本土を発進したイギリス空軍大規模爆撃隊は北海を東進、ドイツ空軍(ルフトバッフェ)の防空網をすり抜け、首都ベルリン上空へ到達。

 

 そこで、一斉に爆弾の雨を降らせた。

 

 アブロ・ランカスター重爆撃機を中心に、約450機の大編隊を組んだイギリス空軍。

 

 対するドイツ空軍の対応、あまりにも鈍かった。

 

 この時点で、ドイツ空軍(ルフトバッフェ)の主力は、苦戦中の東部戦線、並びに南イタリア戦線に投入されており、首都近郊は手薄となっていたのだ。

 

 又、ゲーリングを初めとする空軍上層部は、イギリス空軍が仕掛けて来るなら、フランス沿岸部の拠点に対する攻撃が主となると考えており、ドイツ本土の防空は後回しにされていた事も大きかった。

 

 イギリス空軍は、その間隙を突く形で奇襲を成功させたのだ。

 

 降り注ぐ爆弾の雨。

 

 席巻する爆炎。

 

 炎は風に煽られて、一層燃え広がる。

 

 それは、悪夢の如き光景だった。

 

 これまでも、イギリス軍によるベルリン爆撃は何度かあったが、その際に投入された爆撃機の数はせいぜい100機弱であり、被害はそれほど大きなものではなかった。

 

 しかし今回、イギリス空軍が投入した爆撃機は、その5倍近くに達する。

 

 伝統あるドイツの首都を破壊するには、充分な物量だった。

 

 

 

 

 

 数時間にも及ぶ大規模爆撃を終え、巨鳥の翼は北の空へと去って行く。

 

 その様子を、虚ろ気な瞳で見つめるドイツ人たち。

 

 誰もが絶望にも近い感情を抱きながら、ただ空を仰ぐ。

 

 否、

 

 中で1人、

 

 強烈な感情を持って、飛び去る爆撃機の群れを見送る男がいる。

 

 誰あろう、総統ヒトラーである。

 

 空襲が終わり、総統官邸の屋上へと上がったヒトラー。

 

 まだ空襲が続いているかもしれず、側近が止めるのも聞かずに、ヒトラーは炎の上がる地上へと姿を現す。

 

 その眼下には、破棄しつくされたベルリン。

 

 美しい街並みは、炎と爆風によって破壊され、瓦礫の山と化している。

 

 そして、

 

 視界の彼方では、その下手人たる者たちが、悠々と翼を連ねて去って行くのが見える。

 

 ヒトラーは、その小柄な総身は、あふれ出る怒りによって我を失うほどに震えている。

 

 眼光は鋭く、ただ己の街を破壊しつくした憎むべき者達を睨み据える。

 

 誰もが、ヒトラーの怒りを恐れ、声を掛ける事すら躊躇われていた。

 

 許せなかった。

 

 ベルリンを破壊した事、

 

 偉大なるゲルマン民族を殺した事、

 

 そして何より、

 

 自分がいる街を破壊した事。

 

「ゲーリング!!」

「ハッ ハ、ハハァッ!?」

 

 突然大音声で名を呼ばれ、どもりながら、慌てて前に出るゲーリング。

 

「分かっているなッ このままで済ませるなど、余が断じて許さぬぞッ 必ずや、この屈辱を数百倍にして叩き返し、イギリス人共を地獄へと叩きこむのだ!!」

「ハッ か、必ずやッ ハイル・ヒトラー!!」

 

 慌てて駆け去って行くゲーリング。

 

 すぐに、フランス沿岸部に展開している空軍部隊に、報復の為の爆撃を行う様に命令をしに行ったのだろう。

 

 その太ましい様子を見送りながら、ヒトラーは振り返った。

 

 その視線に、自身が腹心とも頼む、SS中将が映る。

 

「ウォルフッ」

「ハッ 閣下」

 

 前へと出るウォルフ。

 

 向かい合う両者。

 

 ヒトラーが発する、殺気にも似た眼光を受け止め、ウォルフは泰然とした様子を崩さない。

 

「お前にもやってもらう事がある。良いな」

「何なりと」

 

 頷くウォルフ。

 

 だが、

 

 その脳裏では、ヒトラーが何を言い出すのか、ウォルフは見当がついていた。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 

 いったい、何が起きているの?

 

 その問いかけが、シャルンホルストの中でグルグルと駆け巡っていた。

 

 時刻は昼下がり。

 

 場所はノルウェー基地内にあるカフェテリア。

 

 周りには、他の兵士や艦娘の姿もある。

 

 そして、

 

「どうしたの? 飲まないの、それ?」

「えッ あッ いやッ 飲むッ 飲むよッ うんッ!!」

 

 突然、声を掛けられ、思わず座ったまま飛び上がるシャルンホルスト。

 

 慌ててカップを掴むと、中身の紅茶を喉に流し込む。

 

 が、

 

「あ、熱ッ 熱ッ ケホッ ケホッ ケホッ!!」

 

 熱い液体をいきなり喉に流し込んだため、思わずむせてしまう。

 

 涙目で顔を上げるシャルンホルスト。

 

 目の前には、優雅に紅茶を飲む女性が1人。

 

 姉譲りの長い金髪をなびかせ、ただそこに座っているだけで、1個の完成された美を見ているかのようだ。

 

 ティルピッツ。

 

 ドイツ海軍の総旗艦であり、その象徴的存在。

 

 そして、

 

 ライン演習作戦時にイギリス海軍相手に奮闘し、壮絶な最期を迎えたビスマルクの妹でもある。

 

 否、

 

 「ビスマルク」を沈めたのは、ほかならぬ「シャルンホルスト」だった。

 

 如何にあの時、他に選択肢がない状況だったとはいえ、彼女の姉を沈めたのは自分だと言う事を、シャルンホルストは片時として忘れた事はない。

 

 そのビスマルクの妹であるティルピッツが、自分の目の前に現れた。

 

 それは、シャルンホルストにとって最も恐ろしい事であり、同時に決して避けては通れないであろうと覚悟していた事だった。

 

 何を、聞きたいんだろう?

 

 内心でビクビクと怯えながら、シャルンホルストは視線を逸らせずにいる。

 

 ティルピッツにとって、言わば自分は姉の仇。

 

 流石に、いきなり命を寄越せ、などとは言ってこないだろうが、責任を取れなどと言われたら、いったいどうすれば良いのか?

 

 今、シャルンホルストはこれまでにない恐怖に襲われながら、目の前の少女と対峙していた。

 

 一方、

 

 シャルンホルストの前に腰を下ろしたティルピッツは、余裕すら感じさせる仕草で、カップの中の紅茶を口に運ぶ。

 

 その優雅さに一部の隙も無く、姉譲りの美貌も相まって、どこか怜悧な印象がある。

 

 視線すら、冷たい印象がある。

 

 思わず震えあがるシャルンホルスト。

 

 ティルピッツの鋭い眼差しが、巡戦少女を容赦なく睨み据える。

 

「さて・・・・・・・・・・・・」

 

 口を開くティルピッツ。

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『・・・・・・こ、ここから、どうすれば良いんだろう?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その実、内心では焦りまくりだった。

 

『姿見かけたから思わず声かけちゃったけど実際のところ何にも考えてないしいや姉サマの事を聞きたいってのはあるんだけど具体的に何聞けばいいんだろう?やばッ全然考えてなかったんだけど!!(0.1秒) いやほんとどーしよマジでて言うかさっきから彼女えらい怯えてない?うんまあそりゃそうだよねいきなりこんな風に話しかけられれば怖いよねごめんねごめんねそんなつもりなかったのいやそれじゃあどんなつもりだったのかって聞かれてもそれはそれで困るんだけどさいやほんとどーしよーどーしよー誰か助けてー』(0.01秒)

 

 己の心の中でまくしたてるティルピッツ。

 

 要するに、シャルンホルストの姿を見かけて、とっさに話しかけたまではよかったが、その後の展開について、全くのノープランだった為に、完全に詰んでしまっている状態だった。

 

 シャルンホルストとティルピッツ。

 

 互いに恐ろしいまでの緊張感に包まれたまま、ただ時だけが無為に過ぎ去っていく。

 

 睨み合う両者。

 

 先の動いた方が負けるッ

 

 そんな阿呆な緊張感が周囲を覆い尽くす。

 

 しかし、このまま沈黙していても埒が明かない。

 

 座して時を浪費するのは愚か者の所業。

 

 勇気をもって踏み出す者に、必ずや道は開かれるのだ。

 

 意を決して、口を開いた。

 

「「あのッ!!」」

 

 2人同時に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『『被ったァァァァァァァァァァァァ!?』』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 互いに相手の出鼻を挫いてしまう両者。

 

 判定「ドロー」。

 

「あ、あの、どうぞ、お先に」

「い、いや、あなたから」

 

 互いに焦りまくる両者。

 

 このまま不毛な睨み合いが続くのかと思われた、その時。

 

「何してんの、君達?」

 

 救世主は、あらぬ方向から降り立った。

 

 振り返る2人の視線に、呆れ顔のエアル・アレイザーが立っている。

 

「お、おにーさんッ」

 

 恋人の登場に、ホッとするシャルンホルスト。

 

 とりあえず、この窮地を脱する事は出来そうだった。

 

 だが、

 

 エアルの登場は、事態を思わぬ方向へと導いた。

 

「シャル、それにティルピッツも、ちょうどよかった」

「「はい?」」

 

 エアルの言葉に、思わず顔を見合わせる2人の少女。

 

 そんな2人に、エアルは告げた。

 

「司令部に出頭するように通達があった。艦娘と各戦闘群の指揮官は、司令部に集合だってさ」

「司令部? オフなのに?」

 

 首を傾げるシャルンホルスト。

 

 非番の日に出頭とは、正直穏やかな事ではない。

 

「どうやら、本国の方で何かあったらしい。俺達を動かさなきゃいけないくらいの何かが、ね」

 

 そう言うと、エアルはスッと目を細めた。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 エアル達が、司令部の会議室に足を踏み入れると、そこには予想外の人物が待っていた。

 

 エアル達が向ける視線の先。

 

 そこには、既に自分の席に着いた、中将の階級章を付けた人物は、妙齢の美女を傍らに座らせ、ジッと身じろぎせずにいる。

 

 その厳めしい顔つきには、見覚えがありすぎるくらいある。

 

 ウォルフ・アレイザー。

 

 言わずと知れたエアルの父である。

 

 その傍らには、父の副官でもある艦娘、シュレスビッヒ・ホルシュタインの姿もある。

 

 ベルリン作戦以後、ウォルフはSS海軍中将の肩書に戻り、今は総統大本営「狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)」にてヒトラー総統の補佐に当たっている。

 

 その父が今、目の前にいるとは。

 

「あ、あれ、おにーさんのお父さんッ」

「・・・・・・・・・・・・そうみたいだね」

 

 驚くシャルンホルスト。

 

 対照的に、エアルは警戒した眼差しを父へと向ける。

 

 ベルリンでヒトラー総統を補佐する立場にある父が、わざわざ、こんな北の果てのノルウェーまで来たと言う事は、何がしか厄介な事案を抱えてきたのは確実だろう。

 

 果たして、その内容が何なのか。

 

 身構えるエアル達に対し、シュレスは視線を向けると苦笑する。

 

「どうした? そう突っ立っていられると話を始められないぞ。早く座ってくれ」

「・・・・・・・・・・・・分かりました」

 

 ウォルフ達の来訪の理由は気になるが、ここで考えても仕方がないだろう。

 

 シャルンホルストを連れて、自分の席へと腰掛けるエアル。

 

 見れば、ティルピッツもテーブルの向かいにある席に座るのが見えた。

 

 一瞬、シャルンホルストとティルピッツの目が合うと、互いに気まずそうに視線を逸らした。

 

 結局、あの時はゆっくりと話す事が出来なかった。

 

 ビスマルクの事、自分達の想い。

 

 それぞれに伝える事が出来ず、2人の少女はお互いにモヤモヤとした物を抱えてしまっている。

 

 今度、話す機会があったら、その時はちゃんと・・・・・・

 

 そこまで考えた時、会議室の扉が開き、ハインツ・シュニーヴィント大将以下、ドイツ艦隊司令部要員が入ってくるのが見えた。

 

 一斉に起立し、ドイツ海軍式の敬礼でシュニーヴィントらを出迎える一同。

 

 やがて、着席を確認すると、会議が始まった。

 

「去る、9月25日の事だ。イギリス軍の大規模爆撃隊が北海上空から、我が空軍の防空網をすり抜け、ベルリン上空へ進入、ベルリンに大規模な爆撃を行った」

 

 シュニーヴィントの説明に、会議室はざわめきに包まれた。

 

 まさか、この時点で本国が突かれるとは、誰も思っていなかったのだ。

 

 驚愕が広がる。

 

 中には首都爆撃を防げなかった空軍の不甲斐なさをなじる者もいた。

 

「今回の攻撃により、イギリス海軍の更なる攻勢が予想される。場合によっては援ソ船団の強化も予想される。そこで、」

 

 言いながら、シュニーヴィントは傍らのウォルフへと目くばせする。

 

 対して、ウォルフも心得ている、と言った具合に頷くと、シュニーヴィントに代わって立ち上がった。

 

「総統閣下の御命令に従い、我が海軍は先手を打つ事となった。イギリス軍に先んじる形で出撃。奴等を決戦の場に引きずり出し、これを殲滅する」

 

 その発表に、一同からざわつきが起こる。

 

 総統閣下の命令が突然もたらされる事は稀にあるが、今回のは流石に寝耳に水過ぎて、誰もが戸惑いを隠せないのだ。

 

「待ってくださいッ」

 

 立ち上がったのはエアルだった。

 

 青年提督は、眼光も鋭く父を睨み据える。

 

 対して、

 

 ウォルフは泰然とした調子で息子の視線を受け止める。

 

「我々の最重要任務は、このノルウェーにあって通商破壊戦を行い、英米が行う援ソ支援船団の通行を遮断する事にある筈。我々がここを動けば、敵の船団は北海を通って自由に航行できるようになります。そうなれば、東部戦線の苦境が増す事になります」

 

 エアルの発言に、多くの提督、艦娘が同調するように頷く。

 

 ドイツ海軍がイギリス海軍相手に互角に戦えているのは、戦場をノルウェー近海に限定し戦力を集中しているからに他ならない。

 

 こちらから仕掛けるとなれば、その利点を捨てる事になり、必然的にドイツ海軍は不利な戦いを強いられる事になる。

 

 最悪、敗北する事も考えられる。

 

 自分達がここに健在でいるからこそ、イギリスやアメリカは、ソ連への船団輸送を躊躇せざるを得ず、それが巡り巡って、苦戦中の東部戦線支援にも繋がっている。

 

 そのドイツ艦隊がいたずらに決戦を挑み壊滅、あるいはそこまで行かずとも、長期間にわたって行動不能になったりしたら、敵の北海航路が復活し、ひいては東部戦線がより苦境により増す事は目に見えている。

 

 対して、

 

 発言したのはウォルフではなく、シュレスだった。

 

「懸念はもっともだ。だからこそ、潜水艦隊も含めた稼働全戦力を率いて出撃し、イギリス海軍の殲滅を目指す」

 

 北海航路を封鎖する消極策よりも、禍根を一気に断つ積極策。

 

 ドイツ海軍は、と言うより、ヒトラーは賭けに出た事になる。

 

「これは、総統閣下からの直接の御命令だ」

 

 立ち尽くすエアルを、睨みつけるウォルフ。

 

 拒否は許さない。

 

 父の双眸は、強く語っている。

 

 ぶつかり合う、親子の視線。

 

「よもや、違える事は無いだろうな?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 噛みしめるエアル。

 

 伝家の宝刀を抜かれては如何ともしがたい。

 

 こうしてドイツ海軍は、ヒトラーの命令により、望まぬ決戦へ大きく舵を切る事となった

 

 

 

 

 

第60話「無謀なる賭け」      終わり

 



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第61話「些事に過ぎない」

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 長い廊下を、ずいぶんと歩かされた気がする。

 

 リオン・ライフォードは、傍らを歩く相棒たる少女と歩調を合わせながら、先を歩く兄の背中を追いかけていた。

 

「あの、兄上?」

「うん? どうかしたか?」

 

 問いかける弟に、クロード・グレイス海軍少将は、振り返らずに答える。その足を止める事はない。

 

「俺達はいったい、どこに向かっているのですか? この先に一体、何があるのです?」

「そうだよ。朝ごはんしてる最中に、いきなりこんなところ連れてきてさ。説明くらいしてよ」

 

 ベルファストも、口をとがらせて抗議する。

 

 今朝、2人が艦で朝食を食べていると、いきなり本国艦隊司令部への出頭命令が来た。

 

 何事かと顔を見合わせながらも、支度をして司令部に行くと、そのまま待っていたクロードと共に車に乗せられ、連れてこられたのがこの場所と言う訳だ。

 

「ああ、先に言っておく」

 

 クロードは足を止めて、2人へ振り返る。

 

 その表情は、いつになく緊張に満ちていた。

 

「ここから先にあるのは、大英帝国の中でもごく一部の人間しか知らない、最重要国家機密だ。2人とも、そこの事を十分に理解して、この先で見た物は、絶対に外で口外しないように」

「も、もし、言ったらどうなるの?」

 

 こわばった表情で尋ねるベルファスト。

 

 対してクロードは一歩、彼女に近づくと、右手で拳銃の真似をして少女の眉間に近付ける。

 

「命は無い」

「ええッ」

 

 驚くベルファスト。

 

 だが、その傍らでリオンは、ジト目をしたまま嘆息する。

 

「兄上の冗談だ。真に受けるな」

「ははは、まあね」

 

 肩を竦めるクロードに。

 

 対してベルファストは一瞬、キョトンとしたが、すぐに自分がからかわれた事に気付き、ぷくーッと頬を膨らませる。

 

「もうッ 馬鹿にして!!」

「ははは、良い反応だよ、ベル。まあ、命云々は半分冗談だが・・・・・・」

「半分なんだ」

「最重要機密ってのは本当だ。だから、公言は避けてくれよ」

 

 そう言うと、クロードは目の前の扉を開く。

 

 そこは思った以上に広い空間で、多数の通信用機材と、ヘッドホンに耳を当ててメモを取っている兵士たち。更にはそれらを統括するように指示を出している士官の姿も見える。

 

 総勢で100名以上入るだろうか。

 

 かなり大規模な通信施設である事は間違いない。

 

「これは、すごいな」

 

 驚きを隠せない様子で、リオンは呟いた。

 

「本国艦隊司令部の通信施設でも、これほどの規模じゃない筈」

「まあね。ここには国内外のあらゆる情報が集められる。言わば、大英帝国における情報関連の中枢と言っても過言じゃない」

 

 イギリスは古来より、国家戦略に情報戦を重視してきた国である。

 

 だからこそ、歴史的に多くの国難に見舞われながらも、他国に占領される事無く生き残ってきたのだ。

 

「こっちだ。着いて来てくれ」

 

 そう言ってクロードは、部屋の更に奥へと2人を連れていく。

 

 奥の小部屋に入ると、更に数人の兵士達が、一つの機械を囲むようにして作業に取り組んでいるのが見えた。

 

 と、

 

「これは・・・・・・・・・・・・」

 

 中央にある機械を見て、リオンは驚きの声を上げた。

 

 それは開閉式の大形の箱で、手前にはタイプライターのようなキーボードがあり、更にて前にはプラグを差し込むボードがある。奥には光るランプが差し込まれたボードも見えた。

 

 一見すると何の機械かは分かりづらいかもしれない。

 

 しかし、その機械が持つ潜在的価値がいかに計り知れないか、リオンには分かっていた。

 

「リオン、どうしたの?」

 

 キョトンとするベルファスト。

 

 対してリオンは、振り返らずに答える。

 

「写真でしか見た事が無い。実物を見るのは始めてだが・・・・・・」

 

 言いながら、クロードを見た。

 

「エニグマ、ですよね。これ?」

「え? エニグマって、あのエニグマッ!?」

 

 ベルファストも、驚いて声を上げた。

 

 エニグマは、言うまでもなくドイツ軍が使用している高性能暗号機である。

 

 内部に回転する複数のローターが格納されており、キーボードを打つとローターが回転と反転を自動で行い、別の文字へと変換して発信する。

 

 文字を一つ打つ毎にローターは回転する為、同じ文字でも複数回打つと別の文字となる。

 

 ローターは1日ごとに交換される事になっている為、解読は非常に困難となる。

 

 エニグマから発せられた暗号を解読するには、「暗号機本体」「最新のローター」「解除キー」の3つが必須となるのだ。

 

 解読自体は戦前には既にできていたのだが、ドイツ軍は大戦勃発と合わせるように新型の暗号機を開発し戦線に投入した為、連合軍はドイツ軍の暗号を解読できず、対応が後手後手に回ってしまった。

 

 イギリス軍はドイツの気象観測船やUボートからエニグマを鹵獲する事を何度か試み、実際に成功もしていたが、その度にドイツ軍は新しいキーやローターに変更する為、イギリス軍による解読は遅々として進まなかった。

 

 また、複雑なシステムとは裏腹に、エニグマの構造自体はシンプルで扱いやすく、使い方さえ理解すれば素人でも使えるのも特徴だ。

 

 ドイツ軍が大戦初期に、あれほどの快進撃が出来た裏には、このエニグマ暗号機の存在が大きかった。正に、隠れた主力と言っても過言ではないだろう。

 

「今年の初めの事だ。損傷して自沈寸前だったUボートの鹵獲に成功し、同時に最新の暗号機、解除キー、ローターの鹵獲に成功したんだ」

 

 イギリス軍は、この事実をドイツ軍に知られない為、鹵獲の事実を徹底的に秘匿し、解読の為の専門チームを立ち上げた。

 

「それが、彼等『ウルトラ』と言う訳だ」

 

 ウルトラは既に活動を開始しており、いくつかの作戦においてドイツ軍の暗号解読に成功していた。

 

「では、これで我々はドイツ軍に対し優位に立てる訳ですね」

「そううまくいく物ではない。けど・・・・・・」

 

 薄く笑うクロード。

 

「かなり、アドバンテージを取れることは間違いないだろうね」

 

 話を聞きながら、リオンは自身がひどく高揚している事に気が付いた。

 

 これまで、イギリス海軍はドイツ海軍の様々な戦術に翻弄され敗北を重ねて来た。

 

 しかし、エニグマの解読に成功した事で、イギリス海軍が先手を取れるようになったのは間違いない。

 

 これで、勝てる。

 

 少なくとも、これまでのような無様な敗北を繰り返す事はなくなる。

 

 そう確信していた。

 

「あいつにも、勝てるかな」

 

 ぽつりとつぶやくベルファスト。

 

「ベル?」

「今度こそ、あいつに勝てるよね、リオン」

 

 ベルの言う「あいつ」。

 

 それが誰であるか、リオンには分かっていた。

 

 ドイツ巡洋戦艦「シャルンホルスト」。

 

 これまでに何度も、リオン達が戦場で対峙し、敗北を重ねて来た敵。

 

 否、

 

 敵、などと言う単純な言葉で言い表す事が出来ない、因縁の相手。

 

 「シャルンホルスト」を倒す。

 

 それは今や、リオンとベルファストにとって、戦争に勝つ事と同義の至上命題となっていると言っても過言ではなかった。

 

「ああ、必ずな」

 

 力強く頷くリオン。

 

 ベルファストもまた、相棒の言葉に笑みを作って頷きを返すのだった。

 

 その時だった。

 

 急に、周囲が慌ただしくなるのを感じ、顔を上げる。

 

「何があった?」

「さあ、急にどうしたんだろ?」

 

 訝る2人。

 

 そんな中、1人の通信士官が、紙片を片手にクロードへと足早に歩み寄った。

 

「閣下、これを」

 

 紙片を受け取ると、一読するクロード。

 

 その表情が、すぐに険しくなる。

 

「兄上、どうしたのですか?」

 

 怪訝な面持ちで尋ねる弟に、クロードは振り返って笑みを見せる。

 

「朗報だ」

「朗報?」

 

 訳が分からず、顔を見合わせる、リオンとベルファスト。

 

 対して、クロードは弾む声を押さえるようにして言った。

 

「獲物が罠に掛かった」

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 こんな光景、見るのも久しぶりだな。

 

 クロウ・アレイザーは、愛機であるメッサーシュミットBf109Gの操縦桿を握りながら、そんな風に考えていた。

 

 白い雲が浮かぶ大空の只中、眼下には波打つ海面。

 

 そして周囲には、鉄十字を翼に描いた多数の味方機。

 

 その数は、ざっと見ただけでも100機以上。

 

 他方面の戦線と合わせると、総数では500機近い航空機がドーバーを越えて飛んでいる。

 

 雲間を抜けて飛翔する、鉄十字の騎士たち。

 

 その様は、3年前のバトル・オブ・ブリテンを彷彿とさせる。まさに「第2次バトル・オブ・ブリテン」と言った感じだ。

 

 1943年11月10日。

 

 フランス沿岸部の基地に集結したドイツ空軍(ルフトバッフェ)各部隊はこの日、約3年ぶりとなる、イギリス本土に対する大規模空襲を仕掛けた。

 

 この攻撃の為にドイツ空軍は、他戦線に展開中の部隊を縮小、可能な限りの兵力集中を図った。

 

 東部戦線の最前線にて陸軍支援を行っていたクロウの部隊も招集された1つである。

 

 劣勢の東部戦線支援は、ドイツ空軍にとって最重要任務であると言える。

 

 その東部戦線における航空支援を一時的に縮小してでも、イギリス攻撃の為の部隊編成を行った事から考えても、本作戦におけるヒトラーやゲーリングの意気込みが伺える。

 

 ヒトラーからすれば、先のベルリン空襲で余程、頭に血が上っている。イギリスも同じ目に合わせない事には、腹の虫が収まらない、と言ったところだろう。

 

 加えて、ヒトラーには焦りもあった。

 

 去る9月8日。枢軸国を激震させる、大事件が発生した。

 

 何と、枢軸国の1国であり、ドイツにとっては頼るべき盟友でもあったイタリアが、連合国との間に単独で休戦協定を結んだのだ。

 

 北アフリカ戦線で敗れ、地中海の制海権を失い、更に自国の本土にまで攻め込まれる事態に至り、とうとうイタリア国内では連合国との手打ちが考えられるようになった。

 

 既に統領であるベニト・ムッソリーニは、度重なる失態によって求心力を失っており、イタリア政権内部は、反ファシスト派によって統一されていた。

 

 元々、国内での結束が薄い国だったが、そのせいもあり「ムッソリーニ退陣」の運動は瞬く間に全土に広がった。

 

 政権交代。

 

 ムッソリーニ逮捕。

 

 一連の流れは速やかに行われ、発足した新政権は連合国に対し休戦の申し出を行った。

 

 その結果、1943年9月8日、イタリア王国は枢軸国からの脱退を宣言し、連合軍との間で休戦協定を締結した。

 

 事実上の、イタリア降伏。

 

 これは同時に、ドイツが自国南側の防衛線を失った事を意味する。

 

 西部戦線、東部戦線に加え、南部戦線までも圧迫されれば、対独包囲網が完成してしまう。そうなれば、ドイツの敗北は確定してしまうだろう。

 

 憂慮したヒトラーは、直ちに行動を起こした。

 

 約100名から成る特殊部隊を編成すると、「(オーク)作戦」を発動。

 

 イタリア中部グラン・サッソ山荘に幽閉中のムッソリーニを救出すると、彼の身柄をイタリア北部へと移送。そこでドイツ政府全面支援による新政権樹立。更に自国から兵力と兵器を供与し、軍事力の強化も促した。

 

 これによりイタリアは、南部「イタリア王国」と北部「イタリア社会共和国」とで分断。事実上の内戦状態に突入した。

 

 一方、救出されたムッソリーニは、ヒトラーの「好意」に感動し、彼と共に今次大戦を戦い抜く事を改めて誓った。

 

 もっとも、

 

 当然のことながら、ヒトラーからすれば善意から出た行動と言う訳ではない。イタリアの脱落は己の死活問題であり、どうにか影響力を保持したいと考えての行動であり、その為の材料としてムッソリーニが必要だったから助けただけの事。

 

 これによりムッソリーニは、完全にヒトラーの傀儡となった事を意味している。

 

 ヒトラーはとにかく、時間が欲しかった。

 

 東部と南部、双方の戦線を盛り返すための時間が作れるのであれば、使える物は何でも使うつもりだった。

 

 ムッソリーニは言わば、南からドイツに迫る連合軍への防波堤、その材料の一つに過ぎなかった。

 

 とは言え、これで南からの脅威が、今暫く抑えられたのも事実。ドイツ軍としては、今のうちに戦線をどうにか打開したいところ。

 

 今回のイギリス攻撃は、先のベルリン空襲の報復と言う意味合いもあるが、同時に北部で攻勢を予定している海軍の支援、と言う意味合いもある。それも、敵の包囲網が完成する前に、何としてもイギリス軍に大打撃を与え、あわよくば降伏まで追い込む事が出来れば上出来だった。

 

「・・・・・・・・・・・・さて」

 

 クロウは、愛機、メッサーシュミットBf109Gの操縦桿を握り直す。

 

 間も無く、イギリスの海岸線が見えてくる。

 

 イギリスの防空力の高さは3年前に嫌と言うほど味わっている。油断はできない。

 

 仕掛けてくるとすれば、そろそろの筈。

 

 そう、思った時だった。

 

 目の前を飛行していたドルニエDo217爆撃機が突如、爆炎と共に翼を折られて失速するのが見えた。

 

《敵襲ッ!!》

 

 無線から聞こえてきた悲痛な叫びに、クロウは思わず舌打ちする。

 

「やっぱ、待ち伏せてやがったか!!」

 

 叫びながら操縦桿を倒すクロウ。

 

 視界がグルリと巡る。

 

 鉄十字の翼は、蒼空で急激に旋回する。

 

 敵はスーパーマリーン・スピットファイアに、ホーカー・ハリケーン。

 

 3年前と同じ、イギリス空軍の主力戦闘機である。

 

 スロットルを開き、速力を上げるクロウ。

 

 同時に、最初の獲物であるスピットファイアに向けて突撃を開始するメッサーシュミット。

 

 照準器の中で膨らむ敵機の姿。

 

「食らえ!!」

 

 火を吹く、20ミリ・モーターカノン。

 

 火線はまっすぐに飛び出し、スピットファイアを捉える。

 

 砕け散る、英軍機。

 

 空中で吹き上がる火球を背に、クロウは翼を翻す。

 

 周囲では、ドイツ空軍とイギリス空軍の戦闘機が入り乱れて空戦を行っている。

 

 時折、火を吹きながら海面へと落下していく機体もある。

 

 一部のドイツ空軍の戦闘機隊を突破したイギリス軍機が、ドイツ軍の爆撃機隊に迫ろうとしている。

 

「やらせるかよッ!!」

 

 クロウは直ちにメッサーシュミットを加速させると、爆撃機に迫ろうとするハリケーンを追撃する。

 

 更に1機撃墜。

 

 手を振る爆撃機のクルーに笑みを返しながら、次の目標へと移るクロウ。

 

 だが、

 

 同時に焦りが募り始める。

 

 既に戦闘開始から10分以上経過している。

 

 先のバトル・オブ・ブリテン敗北の一因ともなった、Bf109の航続力の短さは、このG型になっても健在である。

 

 新型の増槽が開発され、多少は解消されているが、それでも長時間、敵地上空に留まって戦闘する事は出来ない。

 

 時間が来たら、否が応でも撤収しなくてはならないのだ。

 

 もう一度、時計を確認する。

 

「まだ、もう少し行けるッ」

 

 呟きながら、操縦かんを握り直した。

 

 次の瞬間、

 

 不意に、目の前のハインケル爆撃機が、火球に変じて爆散した。

 

「ッ!?」

 

 舌打ちするクロウ。

 

 その視界の先で、1機のスピットファイアが、挑発するように駆け抜けるのが見えた。

 

 

 

 

 

「はいはァい、正義の味方さーんじょーッ!! ナチの豚野郎共ッ 正義の鉄槌を食らえェ!!」

 

 口元に哄笑を刻みながら、スピットファイアの操縦桿を操る、英国第9王子リシャール。

 

 その鋭い攻撃に、また1機、ドイツ軍の爆撃機が炎に包まれる。

 

「遅い遅いおそーいッ そんなノロマじゃ豚狩りにもならないなァ!!」

 

 機体を旋回させるリシャール。

 

 その照準器が、逃げ惑うハインケルを狙う。

 

 必死に防御砲火を撃ち放つハインケル。

 

 しかし、リシャールは、機体を左右に振って攻撃を回避すると、あっさりと射点に収め、ハインケルを撃墜してしまった。

 

「あー楽ちーッ さいこーッ 生きてるってさいこーッ 僕の為に生きててくれてありがとー豚君たち!! そして死んでくれてありがとー!!」

 

 機体を操りながら、下品な笑いをやめようともしないリシャール。

 

 相変わらずの技量の高さ。

 

 人格の下劣さも合わせて、全く変化が無いのもまた、この男故と言えるだろう。

 

 そう、

 

 リシャールにとって、全てがどうでも良い事だった。

 

 王位継承権も、王室内の内紛も全て。

 

 腹違いの兄、ディランが王位継承権を剥奪された事は、リシャールの耳にも届いていたが、聞いて数秒で忘れた。どうでも良い事だから。

 

 リシャールにも、王位継承に名乗りを上げてほしいとの打診が来ていたが、すぐに断った。どうでも良い事だから。

 

 そんな使者が来た事すら、すぐに忘れた。どうでも良い事だから。

 

 全てがどうでもよかった。

 

 リシャールにとって、戦闘機に乗って戦う事。

 

 否、

 

 戦闘機(おもちゃ)を使って自分が一方的に敵を虐殺(ゲーム)をすること以外、心の底からどうでもよかった。

 

 ただ、敵を虐殺し、自分が気持ちよくなれればそれでいい。

 

 ただ、それだけだった。

 

 そのリシャールが、新たな目標に目を付ける。

 

 眼下に、間抜けな姿をさらして飛んでいるナチの爆撃機。

 

 舌なめずりをする。

 

 あいつを落とせば、もっと気持ちよくなれるのは間違いない。

 

 速度を上げる、リシャールのスピットファイア。

 

「さあ、僕に狩られろ、豚ァァァァァァッ!!」

 

 叫ぶと同時に、トリガーを絞るリシャール。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その体は、背後から放たれた弾丸に撃ち抜かれ、鮮血をまき散らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あッ・・・・・・が?・・・・・・あ?」

 

 言葉にならない言葉を吐き出すリシャール。

 

 その口元から、

 

「ブゴッ」

 

 豚のような無様な声と共に、どす黒い血が迸った。

 

 次いで理解する。

 

 自分の身に、何が起きたのかを。

 

 撃たれた?

 

 どこから?

 

 自分が?

 

 噓でしょ?

 

 そんな意味のない疑問が、次々と浮かんでは消えていく。

 

 と、

 

 その視界がグルリと回り、正面から海面が迫ってくるのが見えた。

 

 見れば、機体のプロペラが止まっている。

 

 動力を失ったスピットファイアは、ドーバー海峡の海面に向かって、まっしぐらに落ちていこうとしているのだ。

 

「ッ!? ッ!? ッ!?」

 

 慌てて、操縦桿を動かすが、当然ながら機体は一切反応を示さない。

 

 それでもガチャガチャと操縦桿を動かす、無意味な行動を繰り返す。

 

 その間にも、徐々に近づく海面。

 

「い、い、いや・・・・・・いや、だ」

 

 鮮血が零れる口から、悲痛な呟きが漏れる。

 

「イヤだァ!! し、死にたくないッ 死にたくないッ こんなッ こんなッ!!」

 

 海面に向かって、まっしぐらに落ちていくスピットファイア。

 

 リシャールは、自分の顔面を血と涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら、みっともなく泣きわめく。

 

「こんなのやだァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 次の瞬間、

 

 リシャールのスピットファイアは、海面にぶつかって木っ端みじんに砕け散った。

 

 その搭乗者ごと。

 

 

 

 

 

「よし、次だッ!!」

 

 操縦桿を引いて、メッサーシュミットを反転させるクロウ。

 

 既に、戦場に留まれる時間は、残りわずかとなっている。

 

 はやる気持ちに拍車をかけて、クロウは次の目標へと向かう。

 

 たった今、自分が撃墜したスピットファイアの事は、もう頭に無かった。

 

 どうでも良い事だから。

 

 

 

 

 

第61話「些事に過ぎない」      終わり

 



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第62話「暗中に灯る希望の温もり」

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 出撃の日が近づくにつれ、北ノルウェー基地の喧騒は日に日に高まりつつある。

 

 それは最早、出撃前の恒例行事とも言えるだろう。

 

 艦隊が出撃する。

 

 それはある種の「祭り」にも似た熱気を齎す物なのだ。

 

 総統命令による、出撃決定。それも全艦上げての出撃ともくれば、出撃準備だけでも戦闘時に匹敵する忙しさとなる。

 

 とは言え今回、その熱気の中にも、はっきりと分かる程の「戸惑い」が含まれている事実について、誰もが目を背ける事は出来ない。

 

 今回の出撃について、多くのドイツ海軍将兵、艦娘にとって承服しがたいものがあった。

 

 これまで、ヒトラーが多くの戦いに強引に口出しし、その結果現場が混乱を来した、と言う事は伝え聞いている。

 

 しかし、そのほとんどが陸軍や空軍に対する物であり、ヒトラーは、これまで海軍の作戦に対して、それ程介入した事はない。その為、ヒトラーが無茶な作戦を提示してくる、などと言う事態が海軍側にとってはどこか現実味の薄い話として受け止められていた。

 

 それが現実となった形である。

 

 ドイツにおいて、ヒトラーの命令は絶対。違える事は許されない。

 

 たとえそれが、どれだけ生産性の低かったとしても。

 

 ノルウェー基地では、各艦の出港準備が急ピッチで進められようとしていた。

 

 燃料、弾薬、食料、その他、必要な物資の積み込み、各部署のチェック。

 

 艦隊全てが、出撃に備えて整えられていく。

 

 そんな中、出撃に備え、思い思いの日々を過ごす者達もいた。

 

 

 

 

 

「ふうん、そんな事があったんだ。ティルピッツがねえ」

「うん、いきなり来られたからびっくりした。正直、おにーさんが来てくれなかったら、どうなってたか」

 

 シャルンホルストは、カフェで妹のグナイゼナウと向かい合いながら、嘆息気味に、先日起きた事を話していた。

 

 突然、自分の目の前に現れたティルピッツ。

 

 ティルピッツが自分の前に現れた事情は間違いなく、姉のビスマルクについてだろう。

 

 糾弾しようと言うのか、あるいは恨み言をぶつけようとしたのか。

 

 あの時は結局、彼女と話す機会を得る事が出来ず、その真意を推し量る事も出来ないのだが。

 

「だいたいさ、ビスマルクが沈んだのはシャルのせいじゃないでしょ。それをどうこう言う方がおかしいじゃない」

「それは、まあ、そうなんだけど・・・・・・」

 

 言葉を濁すシャルンホルスト。

 

 グナイゼナウの言いたい事は判る。

 

 事情を理解できる者なら、シャルンホルストにはビスマルクを救いようが無かった事は十分理解できるだろう。

 

 あの時、「ビスマルク」はイギリス艦隊の集中攻撃で武装の大半を破壊され、舵を失い、機関も停止状態にあった。世界最大の戦艦を曳航する事が出来たのは、あの場では「シャルンホルスト」だけだったが、その「シャルンホルスト」にしても機関の不調で、いつ航行不能になるか分からない。

 

 そのような状況下で、ビスマルクを救い得る可能性はゼロだったと断言できる。

 

 むしろ、誇りある死を選ばせてあげる事が出来ただけマシと言う物。

 

 しかし、相手が沈めた人の身内となれば、話は別になってくる。

 

 ティルピッツが、姉の死に対して思うところがあるのはある意味で当然であり、その当事者であるシャルンホルストを恨んでいたとしても(たとえそれが逆恨みであっても)不思議はない。

 

 俯くシャルンホルスト。

 

 正直、次にティルピッツと会う時、どんな事になるのか想像もできなかった。

 

 そんな姉に対しグナイゼナウは、やれやれと呆れ気味に口を開いた。

 

「堂々としてればいいのよ」

「ゼナ?」

「シャルはビスマルクの為に、やるべき事をやった。その事を、その時その場にいなかったティルピッツにとやかく言われるような事じゃないでしょ。それでも何か言ってくるようだったら・・・・・・」

「だったら?」

 

 首を傾げるシャルンホルストに、グナイゼナウはニコッと笑って見せる。

 

「あたしがガツンと言ってやるわよ。『うちの姉をイジメるな』てさ」

 

 その言葉に、キョトンとするシャルンホルスト。

 

 一方のグナイゼナウは、不敵な笑みでまっすぐに見据えて来る。

 

 ややあって我に返ったシャルンホルストは、思わず吹き出してしまった。

 

「もうッ ボクの方がお姉ちゃんなのにッ」

 

 これじゃ、どっちが姉か分からない。

 

 けど、そうだった。

 

 グナイゼナウは、いつだって自分を気遣ってくれた。

 

 竣工してから(生まれつき)体が弱かったシャルンホルストをフォローし、時には代わりに矢面に立って戦ってくれた事もあった。

 

 シャルンホルストを助け、時には姉を守る為に傷つく事も厭わなかった。

 

 グナイゼナウがいてくれたからこそ、シャルンホルストは今日まで戦ってこられたと言っても良いだろう。

 

 シャルンホルストにとって、グナイゼナウは誰よりも大切な、世界で一番、頼りになる妹だった。

 

「ゼナ」

「うん?」

「ありがとうね」

 

 突然の、シャルンホルストの言葉に、キョトンとするグナイゼナウ。

 

「どうしたのよ、急に?」

「何となく、言いたくてさ」

 

 そう言って笑うシャルンホルスト。

 

 そんな姉の仕草が面白かったのか、グナイゼナウもつられて笑い出す。

 

 出撃前の喧騒の一時、

 

 巡戦姉妹の朗らかな笑いが、ノルウェー基地内に響き渡る。

 

 その時だった。

 

「ゼナッ」

 

 振り返れば、オスカー・バニッシュが手を上げながら歩いてくるのが見えた。

 

 グナイゼナウはこの後、彼と出かける約束をしている。シャルンホルストとは、その間の時間を潰していたのだ。

 

「じゃね、シャル」

「うん、楽しんできて」

 

 駆けていく妹の背中を、笑顔で見送るシャルンホルスト。

 

 グナイゼナウは、オスカーと腕を組むと、そのまま談笑しながら去って行く。

 

「相変わらず、仲良いんだね」

 

 微笑ましく、2人の様子を見守るシャルンホルスト。

 

 本当に、お似合いの2人だと思う。

 

「結婚しないのかな、あの2人」

 

 人間と艦娘が結婚する事は珍しくない。現に、恋人のエアル達兄妹だって人間と艦娘のハーフである。

 

 だから、あの2人もくっつけばいいのに。そうすれば自分も嬉しいし。

 

 そんな事を考えていると、ふと、自分達はどうなのだろう? と思った。

 

 想像してみる。

 

 自分とエアルが結婚する。

 

 どこかの教会で式を上げ、そして一緒に暮らす。

 

 勿論、今は戦時下である。そして自分は艦娘で、エアルは海軍の提督だから、一般人の普通の家庭のようにはいかないかもしれない。

 

 でも、それはとても幸せな事なのではないだろうか。

 

 きっと、楽しい未来が待っている。そんな確信に近い想いがあった。

 

 悪くない。

 

 そう、本当に悪くない考えだと思った。

 

 叶えたい。

 

 自分と、エアルの未来を。

 

 その為には、

 

「負けられない、よね」

 

 次の戦い、何としても勝たなければならない。

 

 負ければ未来は閉ざされ、自分達は奈落の底へと転がり落ちる事になる。

 

 勝って、自分達の未来を勝ち取る。

 

 そう、心に改めて誓うのだった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 本国艦隊旗艦である戦艦「アンソン」は、キング・ジョージ5世級戦艦の4番艦に当たる。

 

 同クラスは、全部で5隻建造されたが、2番艦の「プリンス・オブ・ウェールズ」が、マレー沖海戦で日本海軍の航空攻撃によって撃沈され、現在は4隻が健在である。

 

 その「アンソン」で今、本国艦隊の首脳部、及び、各部隊の司令官、旗艦艦娘達が集まっていた。

 

 議題は、ノルウェー駐留中のドイツ海軍の動きについて。

 

 壇上に立ち、進行役となっている参謀長のクロードが、司令官のボルス・フレイザーの方を見た。

 

「全員揃いましたので、始めさせていただきます」

 

 尋ねる参謀長に、フレイザーは黙して頷きを返した。

 

 参加している面々の中に、リオンとベルファストの姿もあった。

 

 2人とも、巡洋艦部隊の指揮官として、この会議への出席を命じられていた。

 

 一同が視線を送る中、クロードが話し始めた。

 

「先日、情報部から報告がありました。ノルウェーに展開しているドイツ艦隊に動きがあった、と。既に数多くの輸送船が、ドイツ本国からノルウェーへと移動している事が判明、同時に傍受された通信の解析により、大規模な出撃がある事が判りました」

 

 その言葉に、一同はざわつきを見せる。

 

 ドイツ艦隊出撃。

 

 それは一同にとって、寝耳に水に近い物だったからだ。

 

 ドイツ艦隊の基本戦術は通商破壊戦にあり、ノルウェー基地もその為の存在であると認識されていたからだ。

 

 通商破壊戦は、基本的に奇襲がメインとなり、今回のような大規模出撃では、その効果も望みにくい。

 

 つまり、今回のドイツ艦隊の出撃は、これまでの彼等の戦略に矛盾しており、「北ノルウェー基地の戦略性」「奇襲によるアドバンテージの確保」と言う、ドイツ海軍の利点を捨てる事になる。

 

 それなのに、利点を捨ててまで打って出る意味が分からなかった。

 

 無論、これまでドイツ海軍は何度か全力出撃を行った事はあるが、今この時期に行う理由が不明なままだった。

 

 だがそんな中、リオンとベルファストだけは落ち着いた様子を見せている。

 

「クロードの言う通りになったね」

「ああ」

 

 頷きを返すリオン。

 

 先日の事だった。

 

 「ウルトラ」に案内された際、2人はクロードから作戦の説明を受けていた。

 

 既にいくつかの情報分析から、ドイツ帝国総統のアドルフ・ヒトラーと言う人物に対する性格分析がなされていた。

 

 曰く「恐ろしいほどに怜悧冷徹で、論理的思考を有し、巧妙な弁舌をもって大衆を誘導するカリスマ性に長ける。一方で、独裁者特有の猜疑心と独善性があり、更にプライドも一定以上に高い。所謂『我の強い人物』であり、全てが自身の思い通りに進まないと気が済まない」との事。

 

 そのような人物であれば、自分の国の首都が大規模な爆撃を受けて破壊される事に我慢ならない筈。

 

 そう考えたクロードは、空軍にも協力を取り付け、ベルリンに対する大規模な爆撃を実施させた。

 

 因みに、そのベルリン大規模爆撃が行われた日に、たまたまヒトラーが滞在していたのは全くの偶然であり、その事についてはイギリス側も把握していなかった。

 

 効果は抜群であり、ヒトラーは空軍の大部隊をフランス沿岸に集結させる一方、ノルウェーの艦隊も出撃させようとしていた。

 

 まさにクロードが言った通り「獲物が罠に掛かった」のだ。

 

 そして、

 

 この情報が「ウルトラ」から齎されたであろう事には、リオンもベルファストも既に気付いていた。

 

 「噂に違わず、と言ったところ」。イギリスが誇る最重要諜報機関は、期待通りの働きをしていた。

 

「では参謀長。作戦の具体的な説明を」

「はい」

 

 促されて、クロードは一同に視線を向ける」

 

 クロードの言葉に、一同の視線が集まる。

 

「我が艦隊は、北海を南下するドイツ艦隊を迎撃する為に出撃します。その作戦の骨子は『ドイツ艦隊の切り札を一つずつ潰していく』事にあります」

 

 

 

 

 

 艦の外から聞こえてくる、出向に向けた喧騒。

 

 それらを聞き流しながら、エアルは詰まれた書類にサインを記していく。

 

 書類は主に、補給関連に関する物だ。

 

 戦闘に必要な砲弾や魚雷、燃料、乗組員の食料や衣服の積み込みが滞りなく終わりつつあることを表している。

 

 準備は順調。

 

 戦力は可能な限り揃った。

 

 艦隊の士気は高い。

 

 にも拘らず、エアルの胸中には不安が隠せなかった。

 

 ラプラタ沖で孤立無援の中、戦闘を決断した時も、ツェルベルス作戦で白昼の敵前中央突破を進言した時も、エアルは不安など一切感じなかった。

 

 自分達ならやれる。

 

 この「シャルンホルスト」に乗っている限り、決して不可能ではない。

 

 そう信じて実行し、実際にやり遂げた。

 

 しかし今、あの頃とは比較にならない程強力な味方に囲まれていながら、エアルは不安をぬぐい切れずにいた。

 

 今回の作戦、ノルウェーを出航したドイツ艦隊は水上打撃部隊である第1艦隊と、航空支援部隊である第2艦隊とに分かれ、一路西進した後、南へと進路を転換、イギリス本土を目指す航路を取る。

 

 目指すはオークニー諸島。イギリス本国艦隊の本拠地、スカパ・フロー軍港がある場所だ。

 

 その過程で迎撃に現れるであろう、イギリス本国艦隊を誘い出し決戦に持ち込む。

 

 イギリス本国艦隊撃破の後は、オークニー諸島へ突入、スカパ・フローへ艦砲射撃を行った後、離脱するのが一連の流れとなる。

 

 現在、ドイツは西に連合軍、東にソ連軍との戦線を抱えている。

 

 このまま行けば、ドイツは東西から押しつぶされて敗北する事になるだろう。その前に、イギリス海軍の根拠地を叩き、駐留する艦隊を殲滅する事で、連合軍の侵攻を遅らせる事が狙いだった。

 

 この戦いに、投入可能な全戦力を用いる事が決定している。

 

 しかし、

 

 初戦に比べて弱体化したとは言え、イギリス本国艦隊は尚も強大であり、その戦力はドイツ海軍の全戦力を上回っている。

 

 ヒトラーは初戦のノルウェー沖海戦の再現を狙い、戦力を集中させれば勝てる、と考えたのかもしれない。

 

 しかしあの時、ドイツ側は長い時間をかけて綿密に計画を練り、イギリス海軍の行動を研究、更に初戦でイギリス海軍がまだ態勢を整えていないところに、敢えて戦力が少ないドイツ海軍が戦力を集中させ、味方の布陣するテリトリーに引き込んで殲滅する、と言う奇策が功を奏した上での勝利だった。言わば、1回こっきりの隠し玉が図に当たったに等しい。

 

 あれから4年が経ち、イギリス海軍は消耗を重ねつつも、新規戦力を増やしているのに対し、ドイツは陸軍と空軍の増強が優先され、海軍はUボート以外では、「ティルピッツ」やグラーフ・ツェッペリン級航空母艦、ザイドリッツ級軽巡洋艦が戦力に加わったのみ。

 

 イギリス海軍もあれから更に研究を重ね、戦力を整えている事だろう。少なくとも、これまでのような無様な戦いはするまい。

 

 つまりドイツ海軍は、初戦の頃と殆ど変わらない戦力で、初戦の頃よりも遥かの強大になったイギリス海軍と戦わなくてはならないのだ。

 

 簡単に行くとは思えない。

 

 無論、ドイツ海軍軍人として最善を尽くして戦う。

 

 しかし、負けを許されない戦いで、不利な状況を強いられているのは間違いなかった。

 

「・・・・・・そう言えば」

 

 エアルはふと、父の事を思い出した。

 

 実は先日、第2艦隊司令官だったライカー・クメッツ大将が、本国に帰還してしまった。

 

 理由は体調不良。ノルウェーの過酷な環境にあって軍務を続けた事で、体を壊してしまったのだ。

 

 ドイツ海軍は、決戦を前にして実戦部隊のナンバー2を失った事を意味する。

 

 早急な司令官代行が求められる中、白羽の矢が立ったのが、総統閣下の命令を伝える為、ノルウェーを訪れていたウォルフ・アレイザー親衛隊中将だった。

 

 ウォルフはベルリン作戦やツェルベルス作戦時、第1航空群や第1艦隊を率いている。

 

 第3次ブレスト沖海戦では艦隊を指揮しイギリス艦隊撃破、作戦成功に導いている。

 

 正に、うってつけの人材と言う訳だ。

 

「また、父さんと戦う訳か」

 

 エアルが率いる第1戦闘群は、ウォルフ指揮下の第2艦隊に所属している。

 

 つまりエアルにとってはまた、父が直属の上官になったわけだ。

 

 大西洋の戦いで指揮下として戦い、ウォルフの手腕は知っている。その実力に不安はない。

 

 しかし、それでもやはり、蟠りがある父の下で戦うのは、息子としては複雑だった。

 

 その時だった。

 

 ふと、足音が聞こえて振り返ると、そこにはよく見慣れた巡戦少女の姿があった。

 

「・・・・・・父さんは今度の作戦、どう思ってるんだろう」

 

 父はヒトラー総統の側近であり、私的な面では友人でもある。

 

 一方でアレイザー・プランの立案や北ノルウェー基地の建設による北方航路遮断等、数々の作戦に寄与し、切れ者としても通っている。

 

 そのウォルフが、今回の作戦について何も思うところがないとは思えないのだが。

 

 正直、直接問いただしてみたいと思わないでもない。

 

 しかし、蟠りのある父と直接対面する事は、正直なところ躊躇われる。

 

 何より、あの父が息子の質問だからと言って、おいそれと己の心中を話すとも思えなかった。

 

「結局、俺達は従うしかない、と言う訳か」

 

 ドイツにおいて、ヒトラーの命令は絶対である以上、それに従うしかない。

 

 それはたとえ、父であっても同様。聞くだけ時間の無駄だった。

 

 と、

 

「おにーさん」

 

 背後から声を掛けられて振り返ると、そこにはたった今戻って来たらしいシャルンホルストが佇んでいた。

 

「ああ、シャルお帰り」

 

 笑いかけるエアル。

 

 シャルンホルストは軽い足取りで歩み寄ると、そっと、椅子に座るエアルを抱きしめる。

 

 驚くエアル。

 

 しかし、すぐに微笑むと、そっと彼女の髪をなでる。

 

「どうかした?」

「ううん。ちょっと、こうしたかっただけ」

 

 そう言いながら、エアルを抱く腕に少しだけ力を籠めるシャルンホルスト。

 

 シャルンホルストの温もりを腕の中に感じながら、エアルは己の中にある幸福を改めて強く感じる。

 

 恋人同士になってからも、互いに深め合ってきた愛情。

 

 エアルにとって、シャルンホルストの存在こそが、今や自分の中で最も大きな物となっている。

 

 この娘の為なら戦える。

 

 この娘の為なら、いかなる強大な敵であっても恐れはしない。

 

 その想いが、温もりと共に胸の内を満たしていく。

 

 決戦の時は近い。

 

 勝てるという保証も、どこにもない。

 

 だからこそ、

 

 大事な人を守る。

 

 未来を勝ち取るために。

 

 ただ、それだけの為に戦おう。

 

 エアルとシャルンホルスト。

 

 2人の胸の内に、その決意が改めて灯るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 独英、両海軍が決戦に向けて進み始める。

 

 その先にある物は、希望か、或いは、

 

 破滅か・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

第62話「暗中に灯る希望の温もり」      終わり

 



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第63話「深海を狩る者」

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 Z級の駆逐艦が先行する形でフィヨルドを抜ける。

 

 ドイツ海軍が誇る艦隊決戦型駆逐艦であるZ級。

 

 特に現在、主力を形成する23型は、駆逐艦でありながら15センチ単装砲を4基、53センチ魚雷発射管を4連装2基搭載。その戦闘力は軽巡に匹敵する。

 

 兵力不足に常に悩まされているドイツ海軍水上艦隊にとって、正に頼るべき主力艦の1隻と言える。

 

 「Z23」に続いて海峡を通過した「シャルンホルスト」。

 

 細い船体に、武骨な連装砲塔、ドイツ艦特有のコンパクトな艦上構造物がもたらす優美な外観が外洋にその姿を浮かべた。

 

 巡洋戦艦の艦橋に立ち、エアルはまっすぐに前方を見据えている。

 

「提督、海峡を通過しました」

「ご苦労様。艦を所定の位置へ」

「ハッ」

 

 報告を聞きながら、周囲の海上を見回すエアル。

 

 既に、先行する形で出港した艦隊が、陣形を編成すべく、海面を走り回っているのが見える。

 

 後方からは、同じ第1戦闘群に所属する、重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」が後続してくる。

 

 2隻は事前に取り決めがあった場所へと、滑るように海面を進む。

 

 集結した艦隊。

 

 そのマストには、いずれも北の風にあおられて鉄十字が翻っている。

 

 ドイツ海軍水上艦隊。

 

 その主力全艦艇が、北ノルウェー基地を出航、この海域に集結していた。

 

 目的は、イギリス艦隊殲滅による、北海航路の完全封鎖。

 

 その為に、ノルウェー駐留の全艦隊に出撃命令が下っていた。

 

 作戦名は「西部戦線(ウェスト・フロント)」。

 

 その編成は以下の通りである。

 

 

 

 

 

〇 ドイツ海軍第1艦隊

戦艦「ティルピッツ」(総旗艦)

巡洋戦艦「グナイゼナウ」

装甲艦「ドイッチュラント」「アドミラル・シェア」

重巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」

軽巡洋艦「ザイドリッツ」「マインツ」「リュッツォー」「ライプツィヒ」「ケルン」

駆逐艦12隻

 

〇 ドイツ海軍第2艦隊

航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」(旗艦)「ペーター・シュトラッサー」

巡洋戦艦「シャルンホルスト」

重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」

軽巡洋艦「エムデン」

駆逐艦10隻

 

〇 潜水艦隊

Uボート11隻。

 

 

 

 

 

 戦艦1隻、巡洋戦艦2隻、航空母艦2隻、装甲艦2隻、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦6隻、駆逐艦22隻、潜水艦11隻。合計48隻。航空機104機。

 

 正に、ドイツ海軍の総力を挙げた出撃となる。

 

 砲撃力に勝る第1艦隊が、主攻撃を担当し、空母を含む第2艦隊の任務は航空支援と言う事になる。

 

 総指揮は艦隊司令官であるハインツ・シュニーヴィント大将が直接執る事となる。

 

 第2艦隊を率いるウォルフ・アレイザー中将は、ベルリン作戦やツェルベルス作戦の実績を買われ、支援部隊としての任務を期待されている。

 

 当初、「シャルンホルスト」「プリンツ・オイゲン」から成る第1戦闘群も、砲戦部隊である第1艦隊に配属すべき、と言う声が上がったが、作戦の性質を考えれば、第2艦隊の火力が低下する事を懸念する声の方が勝った為、現状の配置が継続される事となった。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 前方を注視しながら、エアルは言い知れぬ不安をぬぐい切れずにいた。

 

 今回の出撃は、ヒトラー総統肝いりでの実施であり、その根底には、先のベルリン空襲がある。

 

 自国の首都に、しかもよりによって自分がいるタイミングで大規模爆撃を受けた事で、ヒトラーは完全に頭に血を上らせ、それが結果的に今回の艦隊出撃に繋がっている。

 

 ヒトラーはドイツ第3帝国の国家元首、総統であり、同時に国防軍の最高司令官でもある。よって、ヒトラーが海軍に作戦命令を下す事は、決して不自然な事ではない。

 

 しかし、とエアルは思う。

 

 あまりにも性急すぎる出撃決定には、疑問と不振がぬぐえない。

 

 そもそもヒトラーは政治家であって軍人ではない。

 

 古来より、政治家が軍事に口を出し、良い結果が出た例は少ない。

 

 現にヒトラーは、これまでも陸軍や空軍の作戦方針に口出しし、その結果として、ドイツ軍は重要な作戦で敗北を重ねて来た。

 

 不安以外存在しない出撃。

 

 しかし、国家元首の命令である以上行かないわけにもいかないのもまた事実である。

 

 そして、出撃した以上、求められるのは「勝利」のみ。

 

 独裁国家の軍人にとって、それが至上にして唯一の使命となる。

 

「おにーさん、準備できたよ」

 

 丁度その時、傍らのシャルンホルストが声を掛けて来た。

 

 「シャルンホルスト」は、旗艦「グラーフ・ツェッペリン」の左舷側に配置され、旗艦を守る位置へと展開完了した。

 

 現在、第2艦隊は、軽巡洋艦3隻が前方に位置して警戒に当たり、その後方に空母2、巡戦1、重巡1が箱型の陣形を組んで後続、その外周を10隻の駆逐艦が固めている。

 

 「シャルンホルスト」の防空火力は、第2艦隊の中でも群を抜いている。万が一、イギリス海軍航空部隊からの空襲があった場合、その火力をもって主力たる2空母を守る算段だった。

 

 今回は、間違いなく死闘になる。

 

 最後まで艦隊の指揮系統を守る為、「シャルンホルスト」の役割は重要となるだろう。

 

「旗艦より信号、《我ニ続ケ》!!」

 

 見張り員の声と同時に、旗艦「グラーフ・ツェッペリン」が動き出すのが見える。

 

 ついに始まった。

 

 もう、後戻りはできない。

 

「微速前進、旗艦に続行。『オイゲン』に通達、《我ニ続ケ》」

 

 静かに命じるエアル。

 

 同時に、

 

 巡洋戦艦「シャルンホルスト」は、基準排水量3万4000トンの艦体をゆっくりと前へと進めるのだった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 ノルウェー基地を出航したドイツ艦隊は、進路を西に取りながら航行。

 

 変針予定地点に達すると、進路を南へと変更した。

 

 目標は、イギリス海軍本国艦隊の本拠地、スカパ・フロー。

 

 敵の最重要拠点に強襲を掛け、在泊艦艇と港湾施設に大打撃を与えると同時に、北海の制海権を不動の物としようと言う作戦である。

 

 勿論、それ以前にイギリス艦隊が迎撃行動に出てきた場合には、これを撃滅する。

 

 うまく行けば北海におけるイギリス海軍戦力は激減し、以後は援ソ船団を繰り出す事も出来なくなる。

 

 そうなれば、前線に大量の兵力を抱えるソ連軍はたちまち物資不足に陥り、戦線維持が困難となるだろう。東部戦線の巻き返しも不可能ではなくなるのは間違いない。

 

 それだけではない。来たる連合軍による大西洋反攻作戦は、必ず海を介した上陸作戦によって行われる。

 

 その事を見越して現在、フランス沿岸部では大規模な要塞線構築が急ピッチで行われている。

 

 だがイギリス艦隊が壊滅すれば、敵の反攻を大幅に遅らせる事が出来る。そう言う意味でも今回の作戦の重要性は高い。正に乾坤一擲の大作戦と言って良いだろう。

 

 主力艦隊に先行する形で、作戦に参加するUボートも、スカパ・フロー近海に向けて出港。イギリス艦隊の動向を探ると同時に、好機があれば攻撃を仕掛ける手はずとなっていた。

 

 そのうちの1隻、U215はスカパ・フローがあるオークニー諸島の東方に位置し、潜望鏡深度にて水平線監視に当たっていた。

 

 潜望鏡を覗きこむ艦長の視界の先で、複数の影がうごめくのが見えた。

 

「・・・・・・間違いない。敵の艦隊だ」

 

 言いながら、傍らの艦娘にも見るように促す。

 

「・・・・・・3・・・・・・4・・・・・・駆逐艦だけでも結構な数ですね。敵の本隊でしょうか?」

「わからん。だが、可能性はたかいと見るべきだろう」

 

 ドイツ艦隊出撃と、ほぼタイミングを合わせるように出撃して来たイギリス本国艦隊主力。

 

 これは、敵もこちらの意図を察知して迎え撃つ体制を整えていると見るべきだろう。

 

「攻撃する。決戦に入る前に、少しでも敵の数を減らすぞ」

「了解です」

 

 艦長の意見に、艦娘も賛成の意を示す。

 

 イギリス本国艦隊が全力で出撃してくれば、いかにドイツ艦隊が全力だったとしても、相当な苦戦が予想される。

 

 決戦に入る前に、少しでも敵戦力を減らしておくに越した事は無かった。

 

「メインタンク注水。静音航行で可能な限り接近、好機を捉えて敵艦への攻撃を試みる」

 

 艦長の命令を受けて、静かに動き始めるU215。

 

 水中でゆっくりと回頭し、艦首を敵艦隊へと向ける。

 

 一切の無駄のない動き。歴戦のUボートの名に恥じない。

 

 だが、

 

 攻撃の為に移動しようと、スクリューを回した瞬間、

 

 破滅は突然にやって来た。

 

「左舷30度にスクリュー音ッ 高速接近、フリゲートです!!」

「急速潜航、ベント開け!!」

 

 焦った声で命じる艦長。

 

 しくじった。前方の敵艦隊に気を取られ、側面から回り込んでくる敵に気が付かなかったとは。

 

 ここは一旦、最大深度まで潜航してやり過ごすしかない。

 

 幸い、フリゲート艦の位置は、U215から離れている。今なら潜航してやり過ごす事は十分可能だ。

 

 それは、ベテランUボート乗りとして、至極当然の判断であり、100パーセントの正解回答であった。

 

 これまでなら。

 

 次の瞬間、

 

 海面一帯が炸裂したような衝撃音が響き渡る。

 

 同時に、

 

 「U215」を多数の衝撃が襲った。

 

「キャァァァァァァ!?」

 

 悲鳴を上げる艦娘の少女。

 

 しかし、誰も彼女を助ける事は出来ない。

 

「外殻損傷、艦首魚雷発射管室浸水!!」

「後部機関室浸水ッ ディーゼル機関停止!!」

「通信室全損ッ 浸水、止まりません!!」

 

 次々と入ってくる悲鳴じみた報告に、呆然とするしかない艦長。

 

 その間にも、艦は徐々に沈降していく。

 

「馬鹿な・・・・・・一体、何が起こったんだ・・・・・・」

 

 その問いに答えは得られないまま、

 

 やがて艦は水圧に耐えかねて圧壊。細かな破片となって、海底へと沈んでいくのだった。

 

 

 

 

 

 彼方で起こる巨大な水柱。

 

 その様子は、「ベルファスト」の艦上からも確認する事が出来た。

 

「お、また1隻撃沈したよ。調子いいね!!」

 

 はしゃいだ声を発するベルファスト。

 

 彼女の視界の先で、対潜専門部隊が海面を駆け回っているのが見える。

 

「新兵器の威力は確かなようだな」

 

 リオンは、双眼鏡を下ろしながら満足そうにつぶやいた。

 

 長年に渡りUボートの被害に苦しめられてきたイギリス海軍。

 

 その歴史は今次大戦のみにとどまらず、先の第1次世界大戦の頃から続いている。

 

 正にイギリス海軍の戦いは、Uボートとの戦いであったと言っても過言ではないだろう。

 

 ドイツ海軍の真の主力と言っても過言ではないUボートの存在は、イギリス海軍にとって脅威以外の何物でもなかった。

 

 そのイギリス海軍が、開発した対潜用新型兵器。

 

 その名は「ヘッジホッグ」。

 

 ハリネズミの意味を持つ、この兵器は、その名に相応しく多数の砲弾を迫撃砲の原理を用いて海面に投射する制圧兵器である。

 

 爆雷と違い、1発当たりの威力は低いものの、多数の砲弾を広範囲にばらまく事で広い海面を一気に制圧する事が出来る事が特徴だ。

 

 威力が低いと言っても、潜水艦はその性質上、どうしても外部装甲を薄く造らざるを得ない。その点を考慮すれば、1発でも当たれば大ダメージを負わせる事が出来る。

 

 更に、爆雷はその特性上、どうしても目標となる潜水艦に接近する必要があるのに対し、このヘッジホッグは迫撃砲形式で砲弾を撃ちだす為、爆雷に比べて射程距離も長い。

 

 その上、コンパクトである為、甲板の狭いスペースに設置できる。つまり、小型の艦でも難なく搭載できるのだ。

 

 同時に新型のソナーの開発にも成功しており、より広範囲を見張れるようになっている。

 

 イギリス海軍は、このヘッジホッグと新型ソナーを搭載した駆逐艦やフリゲート、コルベットによって編成された対潜チームを編成し、今回の戦いから戦線に投入したのだ。

 

 効果は果たして、絶大だった。

 

 対潜部隊は港外を駆け回り、先行して偵察に当たっていたであろうUボートを次々と血祭りにあげていた。

 

「後方より、味方艦隊ッ!!」

 

 見張り員の報告を聞き、リオンとベルファストは振り返る。

 

 そこには、スカパ・フローの水道を抜け、堂々と隊列を組む大艦隊の姿があった。

 

 

 

 

 

〇イギリス海軍 フォース1

戦艦「アンソン」(総旗艦)「ハウ」「キング・ジョージ5世」「デューク・オブ・ヨーク」

軽巡洋艦「フィジー」「ジャマイカ」

駆逐艦8隻

 

〇フォース2

戦艦「ウォースパイト」(旗艦)「ヴァリアント」「レゾリューション」

軽巡洋艦「グロスター」「リバプール」「マンチェスター」

駆逐艦4隻

 

〇フォース3

重巡洋艦「ノーフォーク」「サフォーク」

軽巡洋艦「ベルファスト」(旗艦)「ニューカッスル」「シェフィールド」

 

〇フォース4

航空母艦「イラストリアス」(旗艦)「ヴィクトリアス」「フォーミダブル」

重巡洋艦「ロンドン」

軽巡洋艦「ダイドー」「フェーベ」「ボナヴェンチャー」

駆逐艦6隻

 

〇フォース5

航空母艦「アークロイヤル」(旗艦)「インドミダブル」「ユニコーン」

軽巡洋艦「ナイアッド」「ハーマイオニー」

駆逐艦4隻

 

その他

護衛駆逐艦12隻

フリゲート艦11隻

コルベット艦8隻

 

 

 

 

 

 戦艦7隻、航空母艦6隻、重巡洋艦3隻。軽巡洋艦13隻、駆逐艦22隻、護衛駆逐艦12隻 フリゲート艦11隻、コルベット艦8隻。合計82隻、航空機308機。

 

 まさしく、イギリス海軍の総力を賭けた、堂々たる大艦隊。数だけを見ても、ノルウェーを出航して南下中のドイツ艦隊の倍である。

 

 艦艇だけではない。運用する航空機も300機を数える。日本やアメリカが保有する空母機動部隊には及ばないものの、ドイツ海軍の空母2隻が運用できる航空機の3倍近い数である。

 

 今次大戦において、イギリス海軍がこれほどの規模の艦隊を動かしたのは、初期のノルウェー沖海戦以来であろう。

 

 しかも、ノルウェー沖海戦に時と違い、対潜部隊も徹底的に充実させ、ドイツ海軍Uボート部隊の動きを抑え込みにかかっている。

 

 今度は勝てる。

 

 イギリス海軍の誰もが、そう信じて疑わなかった。

 

 これ程大規模の艦隊を展開できた背景には、やはりイタリアの降伏が大きかった。

 

 ムッソリーニは取り逃がしたものの、イタリア海軍は降伏した新政権側に恭順した為、実質的には無力化されたに等しく、地中海戦線への負担は大きく減じた事になる。

 

 勿論、イタリア海軍自体は健在であり、油断できる状態ではない。降伏したとは言え、彼等がいつ何時、矛を返して向かってくるか分かったものではない。

 

 何より極東では今尚、強大な戦力を誇る日本海軍が幅を利かせている。

 

 そのような状況の中で、本国周辺に主力艦隊を集中させる事には批判の声が多数寄せられた。

 

 本国艦隊ばかりが戦力を独占するのは如何なものか、と。

 

 しかし、そのような声を、本国艦隊司令官ボルス・フレイザーが説得した。

 

 ドイツ艦隊の戦力は未だに脅威であり、これを殲滅しない限り、イギリスの勝利はあり得ない、と。

 

 その結果、この大艦隊の編成に成功した訳である。

 

 唯一の懸念材料があるとすれば、Uボートによる奇襲攻撃だったが、それも新編成された対潜部隊の活躍で抑え込むことに成功している。今のところ、被害は出ていない。

 

 布陣としては完璧と言って良かった。

 

「旗艦より信号ッ 《我ニ続ケ》!!」

 

 見張り員の報告に、頷きを返すリオン。

 

「行くぞ、ベル」

「うん」

 

 動き出す、イギリス最強の艦隊。

 

 ドイツとイギリス。

 

 ヨーロッパの覇権を争い続けた2つの国の艦隊が、今、決戦の火ぶたを切ろうとしていた。

 

 

 

 

 

第63話「深海を狩る者」      終わり

 



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第64話「執念の投槍」

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 カタパルトが打ち出される、乾いた音が響く。

 

 甲板を蹴って飛び立っていく航空機。

 

 翼に染められた鉄十字が、鈍く輝きを放つ。

 

 ドイツ海軍第2艦隊旗艦、航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」。

 

 その艦橋に立ち、ウォルフ・アレイザーは眼下で発進待機中の航空機を見下ろす。

 

 現在、第2艦隊は主力である空母「グラーフ・ツェッペリン」「ペーター・シュトラッサー」が単縦陣を組んで航行。その両脇を第1戦闘群の「シャルンホルスト」「プリンツ・オイゲン」が固めている。

 

 軽巡洋艦「エムデン」が先行する形で航行し、10隻の駆逐艦は対潜警戒を行いつつ外周を固めている。

 

 「エムデン」と言えば、第1次大戦中に通商破壊戦で活躍した初代「エムデン」が有名である。

 

 現在の「エムデン」は3代目に当たる。

 

 基準排水量5300トン、最高速度29ノット、15センチ砲8門、50センチ連装魚雷発射管2基搭載している。

 

 巡洋艦としては力不足だが、戦前には同盟国日本を表敬訪問した事もある、栄誉ある艦である。

 

 空母の護衛なら直接、敵艦と撃ち合う機会も少ないだろうと言う考えから、今回は第2艦隊の一員として作戦に参加していた。

 

 北ノルウェー基地を出航したドイツ艦隊は、二手に分かれて南進を開始。それぞれにスカパ・フロー軍港のあるオークニー諸島を目指す。

 

 同時に、イギリス本国艦隊も複数の部隊を北上させているとの情報が入っている。

 

 目的は間違いなく、ドイツ艦隊の迎撃。

 

 本国艦隊が全力を挙げて迎撃に出て来るとなれば、その戦力はドイツ艦隊の全戦力を確実に上回る事だろう。

 

 ならば、本格的な激突に突入する前に、少しでも敵の戦力を減殺する必要がある。

 

 その為にウォルフが選択したのは、先制攻撃だった。

 

 敵が攻撃を仕掛けてくる前に、第2艦隊の航空攻撃で敵にダメージを与え、その間に有利な状況を作り出すのだ。

 

「第1目標は、空母で良いのか?」

「ああ」

 

 尋ねるシュレスに、ウォルフは頷きを返す。

 

 今回、彼女は引き続き参謀長として、ウォルフと行動を共にしていた。

 

「今後の作戦行動を考えれば、水上艦艇に少しでも多くの打撃を与えた方が得策だと思うんだが?」

「まずは敵の航空戦力を潰して制空権を確保する。その後、水上艦隊と連動して敵を海空から挟撃する」

 

 どのみち、第2艦隊の航空戦力で敵の戦艦を狙っても、せいぜい1隻程度を脱落させるのが関の山だ。それよりも、空母を狙って敵の航空戦力を封じ、以後の戦術的柔軟性を確保する事が、ウォルフの狙いだった。

 

 今回の戦い、ドイツ艦隊にとって、あまりにも不利な要素が多すぎる。

 

 明らかに戦力に勝る敵に対し、正面から挑まざるを得ないドイツ艦隊。

 

 加えて、出撃以来、入ってくる情報の少なさも気になっていた。

 

 普段であれば、先行したUボートから、敵の情報が多く寄せられるのだが、今回はそれが殆ど無い。時折、散発的に敵艦隊に関する情報が入ってくる程度である。

 

 由々しき事態だ。

 

 あるいは敵は、こちらのUボート対策として何らかの手を打ってきた可能性がある。

 

 ドイツ海軍の主力は、あくまでUボートである。そのUボートに天敵が現れ、無力化されたとなれば、以後の作戦にも大きな影響が出るだろう。

 

 そこまで考えて、ウォルフはフッと笑った。

 

 何を馬鹿な。これから決戦と言う時に、以後の心配をしてどうするのか。

 

 Uボート艦隊が当てにならないのなら、それに対応した策を取れば良いだけの事。何も難しい事ではない。

 

 飛行甲板では、戦闘機隊の発艦が完了し、続いて急降下爆撃隊の発艦が始まろうとしていた。

 

 まず、攻撃隊総隊長であるグスタフ・レーベンス少佐の機体がカタパルトから打ち出されようとしている。

 

 ベルリン作戦時、空軍から出向して「グラーフ・ツェッペリン」航空隊の隊長を務めた歴戦のスツーカ乗りは、今回の作戦においても攻撃隊の指揮を執っている。

 

 コックピットに座したレーベンスが、ウォルフに対して敬礼を送ってくる。

 

 対して、ウォルフもまた、この戦友に敬礼する。

 

 やがて、乾いた音と共に、レーベンスのユンカースJu87スツーカは、蒼空へと打ち出された。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 翼を連ねて飛翔する航空隊。

 

 鉄十字の翼が目指す先は南。

 

 イギリス艦隊が展開している海域を、編隊を組んで目指す。

 

 その数は、メッサーシュミットBf109戦闘機16機、ユンカースJu87スツーカ急降下爆撃機36機、合計52機。

 

 直掩に必要な機体を差し引けば、これが攻撃隊に割ける精一杯の数字である。

 

「各機に告ぐ、周囲の警戒を厳にせよ。特に海面付近に注意を払い、敵艦隊の兆候を決して見逃すな」

 

 マイクに向かって命令を下しながら、操縦桿を握り直す。

 

 出撃前にアレイザー中将から命じられた通り、第1目標はあくまで空母。

 

 それも、なるべく多くの空母に爆弾を叩きつけ、飛行甲板を破壊する事で以後の航空機運用に制限を掛ける。

 

 ウォルフにしろレーベンスにしろ、自分達の航空戦力がイギリス軍に比べて劣勢なのは自覚している。

 

 その少ない戦力を最大限有効活用すべく、導き出した答えだ。

 

「何としても完遂して見せる」

 

 決意を呟くレーベンス。

 

 かつて、ベルリン作戦等、大西洋における作戦において「グラーフ・ツェッペリン」に乗り込み、ウォルフの下で戦った経験があるレーベンスは、空軍士官の誰よりも彼の事を尊敬していた。

 

 ウォルフは階級が下で、本来なら命令される立場にある自分達にも敬意を払って接してくれた。

 

 又、その指揮は的確であり、洋上での作戦行動が不慣れな自分達の為に、可能な限り戦いやすい環境作りに腐心してくれた。

 

 海軍と空軍と言う立場を越え、レーベンスはウォルフを尊敬していた。

 

 彼の下でなら戦える。

 

 彼の下でなら、たとえ戦死しても悔いはない。

 

 レーベンスは、本気でそう考えていた。

 

 勿論、任務に手を抜くつもりはない。敵空母は必ず仕留めて見せる。

 

 そう考えながら、操縦かんを握り直した。

 

「そろそろか」

 

 時計を見ながら呟く。

 

 間も無く、会敵予想地点に到達する。

 

 そう思った。

 

 その時だった。

 

《敵機発見!!》

 

 僚機からの悲鳴に近い声。

 

 見れば、

 

 雲間から飛び出すように、複数の機体が、翼を連ねて向かってくるのが見えた。

 

 スーパーマリン・シーファイア。

 

 イギリス空軍の主力戦闘機スピットファイアの艦載機バージョンである。

 

 強敵の出現に舌打ちするレーベンス。

 

 数は30機前後と、ドイツ軍側の攻撃隊に比べれば半数程度だが、こちらは戦闘機が16機のみ。明らかに不利は否めない。

 

 ただちに迎撃すべく、戦闘機隊が速力を上げるのが見える一方で、レーベンスはマイクに向かって叫ぶ。

 

「全機、速度を上げて各自突破を図れッ!!」

 

 元より、急降下爆撃機としては傑作のスツーカだが、速力においてはそれほど秀でている訳ではない。軽快な戦闘機に取り付かれたらひとたまりもない。

 

 ここは味方の戦闘機が防いでくれている間に、防空網を突破するしかなかった。

 

 果敢に挑みかかるメッサーシュミット隊。

 

 たちまち、海上で独英両軍の戦闘機が入り乱れて戦う乱戦が現出する。

 

 今回の戦いに際し、空軍から出向した部隊はいずれも精鋭によって構成されている。彼等の腕前は、イギリス軍のそれに劣る物ではなかった。

 

 何機かのシーファイアが、火を吹いて落ちるのが見えた。

 

 だが、やはり多勢に無勢。メッサーシュミット隊は次々と突破され、シーファイアはスツーカ隊に迫る。

 

 機動性に勝るシーファイアは、いとも簡単にスツーカの背後に回り込むと、容赦なく機銃を浴びせて来る。

 

 こうなると、いかな頑丈なスツーカでもひとたまりもない。次々と、英軍機の餌食になっている。

 

「隊長!!」

「振り返るなッ 1機でも多く、敵艦隊にたどり着く事だけを考えろ!!」

 

 叫ぶレーベンスも必死である。

 

 その間にも、更に1機、シーファイアの攻撃を受けたスツーカが高度を下げて海面に突っ込んでいく。

 

 かと思えば、追いすがって来たメッサーシュミットが、仲間の仇とばかりにモーターカノンを撃ち放ってシーファイアを爆砕する。

 

 レーベンスは瞬きすらせずに、前方を睨み続ける。

 

 もし今、彼のスツーカにシーファイアが取り付けば、もはや逃れる手段はその時点で皆無となる。

 

 それだけに、必死の形相で、操縦桿にしがみつく。

 

 次々と火を吹き、落ちていくスツーカ。

 

 それでも、レーベンスの半ば強引な突破が功を奏したのか、何機かのスツーカはシーファイア隊の防空網を抜ける事に成功した。

 

「・・・・・・何機残った?」

「・・・・・・2・・・・・・3・・・・・・・・・・・・23機です」

 

 報告を聞いて舌打ちする。

 

 10機以上のスツーカが、敵機の迎撃に遭って失われた事になる。いずれも東部戦線の地獄を戦い抜いてきたベテランスツーカ乗り達。その存在はダイヤモンドよりも貴重であり、決して取り返しのつくものではない。

 

 彼ら1人1人の損失が、ドイツと言う軍事国家にとってどれほど大きな損失になった事か。

 

「仇は打つ。必ずな」

 

 殺気を双眸から迸らせ、レーベンスは叫ぶ。

 

 敵空母を潰せば、奴等は帰る家を失う。シーファイアは、元となったスピットファイア同様、航続力の短い機体だ。着艦できないとなれば、海上に不時着水するしかない。そうなれば、撃墜したのと同義だ。

 

 やがて、雲間を抜けたレーベンスたちの視界に、海上で航跡を引きながら航行する艦隊が飛び込んでくる。

 

 マストにホワイトエンサインを靡かせたそれらは、間違いなくイギリス艦隊。

 

 それも、中央に平たい甲板を持った姿が、護衛の艦艇に囲まれて航行しているのが見える。

 

「空母だ」

 

 最重要目標の発見に、舌なめずりする。

 

 あいつらさえやれば、状況は逆転する。

 

「行くぞッ 沈める必要はないッ できるだけ多くの空母に爆弾を叩き付けろ!!」

 

 マイクに向かって命令を飛ばしながら、スツーカを加速させるレーベンス。

 

 だが、

 

「隊長ッ 敵機が!!」

「ッ!?」

 

 航跡の機銃手の声に、後方を確認すれば、数機のシーファイアが追いすがってくるのが見えた。恐らくメッサーシュミット隊を突破した奴等だろう。

 

「かまうなッ 目の前の空母をやる事に集中しろ!!」

 

 ここまで来たら、もう後には引き返せない。是が非でも敵空母に爆弾を叩き付けてから、全速力で逃げる以外、生き延びる道はない。

 

 しかし、その間にも更に、シーファイアに取りつかれたスツーカが犠牲になっていく。

 

 敵艦隊の上空に到達する頃には、更に数を減らしていたスツーカ隊。

 

 しかし、

 

 やがて、シーファイア隊は次々と翼を翻していくのが見えた。

 

 その様子に、レーベンスは冷や汗交じりに笑みを刻む。

 

 間も無くスツーカ隊は、敵艦隊の上空に到達する。そうなれば当然、対空砲火の圏内に入る事になるだろう。

 

 つまりイギリス軍は、同仕打ちを嫌って引かざるを得なかったのだ。

 

 行ける。

 

 敵機さえ振り払ってしまえば、こっちのものだ。

 

 あとは東部戦線で鍛え上げた急降下の腕を見せつけてやるだけだ。

 

 そう思った。

 

 次の瞬間、

 

 下から突き上げるような、猛烈な対空砲火が襲い掛かって来た。

 

「なッ 何だこれは!?」

 

 想像を絶する火力。

 

 視界全てが真っ赤に染まるかのような、猛烈な対空砲火。

 

 艦隊全てが爆発したようにさえ錯覚する。

 

 それらは、東部戦線で相手にしたソ連軍には、決して真似できない濃密な対空砲だった。

 

 放たれる火線に、生き残ったスツーカ隊が絡め捕られ、爆砕されていく。

 

「まだだァ!!」

 

 狙いを空母に定め、急降下を開始するレーベンス。

 

 とにかく1発で良い。

 

 1発当てれば、こちらの勝ちだ。

 

 視界一杯に、敵の空母を捉える。

 

 間も無く、爆弾を投下できる高度になる。

 

 それで終わりだ。

 

 次の瞬間、

 

 レーベンスの視界は真っ赤に染まり、弾け飛んだ。

 

 

 

 

 

「想定通りですね」

 

 クロード・グレイスは、ボルス・フレイザー本国艦隊司令官を振り返りながら告げる。

 

 戦闘の状況は、イギリス本国艦隊総旗艦「アンソン」に、リアルタイムで届けられていた。

 

 先制攻撃を仕掛けて来たドイツ艦隊の航空部隊。

 

 戦力差がある以上、敵はまずこちらの制空権を潰そうと考えるはず。

 

 そう考えたクロードは、フレイザーに進言して空母部隊であるフォース4とフォース5を、わざと目につきやすい艦隊の外廓に配置した。

 

 ようするに、空母部隊を囮にして、敵の航空部隊を誘い出したのだ。

 

 果たして、ドイツ軍はクロードの囮に食いついた。

 

 更にクロードは巧妙だった。

 

 敵の進路上に多数の戦闘機部隊を配置して戦力を減殺させると同時に、空母の護衛に対空防御力に高い艦を優先的に配備したのだ。

 

 両部隊に配備した巡洋艦は、全て新鋭のダイドー級軽巡洋艦に当たる。

 

 50口径13.3センチ砲連装5基10門を主兵装とするこれらの艦は、アメリカ海軍のアトランタ級防空巡洋艦に相当する艦であり、その主な役割は対水上戦闘ではなく、来襲する敵機から空母や戦艦を守る事にある。

 

 ダイドー級各艦は期待通りの活躍を示し、来襲したドイツ軍機を文字通り一掃して見せた。

 

「こちらの損害は?」

「ハッ 空母『イラストリアス』に至近弾1発が落下、機銃座1基が使用不能になった、との事です」

 

 報告を聞き、クロードは満足そうに頷く。

 

 つまり、実質的な損害はゼロ。

 

 彼は見事に、ドイツ軍の目論見を打ち砕いたのだ。

 

「それで参謀長、次はどうする」

「ハッ 敵が保有する空母は情報では『グラーフ・ツェッペリン』『ペーター・シュトラッサー』の2隻のみ。その規模から考えるに、先ほどの攻撃で対艦攻撃力の全てを使い切ったと判断してよろしいかと思います」

 

 敵には、こちらを攻撃する手段がない。

 

 ならば、

 

「今度は、こちらが仕掛ける番です」

 

 そう言うとクロードは、ニヤリと笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 通夜のような空気が、「グラーフ・ツェッペリン」の艦橋に流れている。

 

 誰もが沈黙を守ったまま、甲板によろけるようにして滑り込んでくる機体を眺める事しかできないでいた。

 

「最終的に戻ってきたのは、戦闘機が11機、爆撃機は・・・・・・」

 

 言い淀むグラーフ・ツェッペリン。

 

 対して、ウォルフは僅かに振り返って視線を向ける。

 

「構わん、言いたまえ」

「・・・・・・爆撃機の帰還機は、2機のみとなっています」

 

 答えるツェッペリンの声にも、絶望がにじむ。

 

 合計すると13機。

 

 出撃時には52機いた訳だから、実に8割近い損耗率。

 

 戦慄と言う他無かった。

 

「帰還機の中に、レーベンス少佐の機体は?」

「ない」

 

 首を振ったのはシュレスだった。

 

 悄然とする第2艦隊司令部。

 

 敵空母を先制攻撃で叩き、制空権を確保すると言うウォルフの作戦は、これで完全に頓挫した事になる。

 

 誰もが絶望に沈む艦橋。

 

 だが、

 

「防空戦闘機隊に、出撃待機命令。帰還した機体、及びパイロットの中で、特に再出撃可能な者には優先的に整備と休息を行うように指示しろ」

 

 1人、淡々とした調子で、ウォルフは指示を下す。

 

「ウォルフ?」

「残念ながら作戦は失敗だ。ならば、我々の次の任務は、防空戦闘による主力艦隊の援護にある」

 

 訝るように尋ねるシュレスに、ウォルフは声色を変えずに答えた。

 

 攻撃の失敗。

 

 攻撃隊の壊滅。

 

 レーベンスの戦死。

 

 それら全てを、聞きながら表情すら変えようとしないウォルフに、一同はある種の戦慄を覚える。

 

 悼むことは後でもできる。そんな事より、先にやる事がある。

 

 ウォルフの表情は、そう語っていた。

 

「すぐに手配します!!」

 

 参謀たちが駆け出す中、シュレスが近づいてきた。

 

「ウォルフ、旗艦を変更するか?」

「そうだな・・・・・・・・・・・・」

 

 ウォルフは今回、第2艦隊の任務は航空戦が主体となると考え「グラーフ・ツェッペリン」に将旗を掲げた。

 

 しかし航空隊が壊滅し、以後は戦闘機を中心とした防空戦闘がメインとなる。

 

 そうなれば、ウォルフが直接指揮を執る事は少ない。

 

 むしろ、航空戦の指揮は他の喪に任せ、ウォルフ自身は水上戦闘艦に旗艦を変更し、第1艦隊を直接火力支援するべきかもしれない。

 

 あるいは、自身が航空戦を指揮し、他の者に水上艦隊を率いて第1艦隊の援護に向かわせるか?

 

 そこまで考えて、ウォルフが口を開こうとした時だった。

 

「第1艦隊より緊急信!!」

 

 通信参謀が、悲鳴に近い声を発する。

 

「《敵攻撃隊、我が方に急速接近。至急、救援を乞う》!!」

 

 絶望は、唐突に襲ってきた。

 

 

 

 

 

 第1艦隊全体が、俄かに緊張感を増す。

 

 対空砲が上を向き、砲弾が装填される。

 

 まだ、敵は見えない。

 

 しかし、確実に近づいてきている気配だけは、ひしひしと感じ取る事が出来る。

 

 そんな中、巡洋戦艦「グナイゼナウ」の艦内でも、着々と対空戦闘の準備が進められていた。

 

「最大戦速即時待機、右舷対空砲、射撃準備!!」

 

 艦長の号令と共に速度を上げる「グナイゼナウ」。

 

 グナイゼナウ本人も、右舷側に駆け寄って状況確認をする。

 

 既にレーダーは、接近する機影を捉えている。

 

 間も無く、その姿も見えてくるはずだ。

 

 第1艦隊を構成する各艦も、それぞれ対空砲を上向かせて敵機来襲に備える。

 

 静寂が海上を支配する。

 

 次の瞬間、

 

「バラクーダ20!! 方位270度、高角30度、突っ込んでくる!!」

 

 報告を受け、双眼鏡を向ける「グナイゼナウ」。

 

 見れば確かに、

 

 スマートな単葉の機体が、速力を上げて向かってくるのが見える。

 

 フェアリー・バラクーダ。

 

 アルバコアで大失敗したフェアリー社が、満を持して世に送り出した新型の攻撃機であり、ソードフィッシュの後継機。

 

 それまで複葉機しか保有してなかったイギリス海軍が、ようやく手に入れた金属単葉製の攻撃機である。

 

 その性能は、速力、防御力、搭載量、全てにおいてソードフィッシュ、アルバコアを上回っている。

 

「対空戦闘、撃ち方始め!!」

 

 艦長の号令一下、「グナイゼナウ」は、一斉に左舷側の高角砲を打ち始めた。

 

 11基搭載している60口径12.7センチ砲の内、片舷に指向可能な6基12門が火を吹く。

 

 それを皮切りに、一斉に砲門を開く第1艦隊。

 

 迫るバラクーダ隊の周囲に、次々と砲弾が炸裂する。

 

 圧倒的ともいえる火線。

 

 しかし、バラクーダ隊も臆することなく突っ込んでくる。

 

 横隊を組んで突撃するバラクーダ。

 

 その目標は、

 

「こっちに来る気ねッ!?」

 

 その進路を読み、グナイゼナウは不敵に笑う。

 

 既に機関出力はいっぱいに上げられ、最高速度の34ノットで疾走を始めている。

 

 追いすがるバラクーダ。

 

 しかし、その鼻先に次々と砲弾が炸裂し、征く手を阻みにかかる。

 

 1機のバラクーダが、砲弾炸裂のあおりを受けて海面に落下する。

 

 更に1機、砲弾の直撃を受けたバラクーダが、低空で飛散。その破片が海面へと落下した。

 

 左へ回頭しつつ、高角砲を撃ち上げて敵機の接近を阻み続ける「グナイゼナウ」。

 

 その圧倒的な奮闘に、イギリス軍攻撃隊も攻撃を諦め、迂回せざるを得ない。

 

 だが、逃さないとばかりに、対空砲火は「グナイゼナウ」を中心に展開される。

 

 先の改装の際に搭載されたウルツブルクレーダーは、フランス沿岸部の防空にも用いられている高性能対空レーダーであり、その性能は敵機の速度、高度、進路を正確に割り出す事が出来る。

 

 更に、シャルンホルスト級巡洋戦艦と「ティルピッツ」、更には竣工時からこのレーダーを搭載しているザイドリッツ級軽巡洋艦は、このレーダーと対空砲を連動させる装置を搭載している。つまり、レーダーが捕捉した敵機に対し、砲が自動で旋回して放つ事が出来るのだ。

 

 これにより、今まで以上に高い命中率を確立していた。

 

 「グナイゼナウ」に攻撃を仕掛けて来た敵機は、そのほとんどが撃墜されるか、あるいは攻撃を諦めて避退するしかなかった。

 

「あっちも順調みたいね」

 

 双眼鏡を覗きながら呟くグナイゼナウ。

 

 その視線の先には、同様に対空砲火を振りかざす「ティルピッツ」の姿がある。

 

 「ティルピッツ」の対空火力は、第1艦隊の中で最も高い。それゆえに、イギリス軍も攻めあぐねているのだ。

 

 総旗艦である「ティルピッツ」は何としても守り抜かなくてはならない。

 

 既に第2艦隊の航空攻撃が不首尾に終わった事は報告されている。

 

 この後、ドイツ艦隊が巻き返せる可能性があるとすれば、水上砲撃戦に賭けるしかない。そうなった場合、「ティルピッツ」の存在は不可欠となる。

 

 最強戦艦を、何としても守り抜かなければ。

 

 決意を新たにするグナイゼナウ。

 

 だが、

 

「敵攻撃隊、目標変更した模様!!」

「えッ!?」

 

 思わず振り返るグナイゼナウ。

 

 低空に舞い降りたイギリス軍攻撃隊。

 

 その向かう先には、

 

 第2巡洋戦隊旗艦「ザイドリッツ」の姿が。

 

 その様子を見て、思わず悲鳴に近い声を上げるグナイゼナウ。

 

 ザイドリッツには、

 

 あの巡洋艦には、

 

 彼女の恋人が乗っているのだ。

 

「オスカーッ 逃げて!!」

 

 絶叫するグナイゼナウ。

 

 その視界の中で、

 

 新鋭軽巡洋艦が、無数の水柱に包まれるのが見えた。

 

 

 

 

 

 第1艦隊がイギリス軍攻撃隊の空襲を受けている頃、

 

 その東方海上に展開した第2艦隊に動きがあった。

 

 2隻の空母の飛行甲板を蹴って、メッサーシュミットが緊急発艦する。

 

 火薬式カタパルトによる射出はスムーズに行われ、10機近い戦闘機が西へと進路を取る。

 

 同時に、艦隊の一部が速力を上げて分離するのが見えた。

 

 その中心に「シャルンホルスト」の姿がある。

 

「提督、分艦隊全艦、終結完了しました」

「よし、我々はこれより、第1艦隊支援の為に西進を開始するッ」

 

 幕僚の報告を受け、エアルは頷きを返す。

 

 旗艦「グラーフ・ツェッペリン」より、命令を受けたのは20分前。

 

 その内容は「第1戦闘群、並びに1個駆逐隊を率いて第1艦隊救援に迎え」との事だった。

 

 ウォルフは自身が後方から航空部隊を指揮し、水上戦闘をエアルに一任したのだ。

 

 結局、旗艦変更は行われなかった。

 

 旗艦を変更するとなれば、司令部やその専門の通信要員など、多数の人員を乗せ換える必要があり、必然的に多大な時間が掛かる。

 

 第1艦隊が攻撃を受けている現状で、そのようなタイムロスをしている暇はない。

 

 その代わり、ウォルフは第1戦闘群を中心とした分艦隊の急派を決定したのだ。

 

 エアルとしても、その方がやりやすくてありがたいくらいだった。

 

 これでエアルの下には、巡洋戦艦1隻、重巡洋艦1隻、駆逐艦4隻が指揮下に入る事になる。

 

 小規模だが、小回りが利いて動きやすい。第1艦隊の危急を救うには十分な戦力だった。

 

「機関全速。各艦に通達、《我ニ続ケ》!!」

 

 エアルの号令の下、「シャルンホルスト」は唸りを上げて、速力を上げ始めた。

 

 

 

 

 

第64話「執念の投槍」      終わり

 



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第65話「波濤に鳴りし断末魔」

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 左舷から向かってくるバラクーダ雷撃機の数は4機。横隊を組んで海面すれすれを向かってくる。

 

 その姿を、軽巡洋艦「ザイドリッツ」の艦橋で見据えるオスカー・バニッシュ准将。

 

 最新鋭軽巡洋艦が対空砲火を振り上げる。

 

 ヒッパー級重巡洋艦をベースに、主砲だけを50口径15センチ砲3連装4基に換装した艦体は、基準排水量1万8000トンと、並の巡洋艦を上回る規模を誇る。

 

 それだけに、対空火力も戦艦に迫る物がある。

 

 艦載型ウルツブルク対空レーダーによって統制された射撃は正確性を増し、バラクーダ隊の前方に砲火の壁を築く。

 

 横隊を組んで迫る、死鳥の群れ。その腹には、必殺の魚雷が不気味に光る。

 

「バラクーダ、さらに接近ッ 右舷90度、高角20度、数4!!」

 

 見張り員の絶叫に近い報告。

 

 既に「ザイドリッツ」の右舷側の対空砲は、全て旋回と仰角を完了し命令を待っている。

 

 対して、艦橋に立つオスカーは正面から見据える。

 

 迫る、敵雷撃機。

 

 そのプロペラの回転すら、目で追えると思えるほどの近さ。

 

 次の瞬間、

 

「左舷対空戦闘、撃ち方始め!!」

 

 オスカーの命令と共に、右舷側の対空砲が一斉に撃ち鳴らされた。

 

 激しい砲火が、蒼空めがけて打ち出される。

 

 炎が空を染め上げ、迫るバラクーダに死の壁を作り出す。

 

 だが、イギリス軍パイロットもまた勇敢である。

 

 撃ち上げられる対空砲火をものともせず、横隊を崩さず、低空をまっしぐらに向かってくる。

 

 既に僚艦「マインツ」「リュッツォー」も射撃を開始。新鋭軽巡3隻で強力な対空弾幕を作り上げていた。

 

 激しさを増す、「ザイドリッツ」の対空砲。

 

 距離が詰まれば、高角砲に続いて多数の機銃も加わり、より強力な砲火網を形成する。

 

 バラクーダ隊が、魚雷発射態勢に入った。

 

 突っ込んできたバラクーダ4機の内、1機が正面から12.7センチ弾をまともに食らって爆砕される。

 

 だが、残る3機は構わず突撃すると、魚雷を海面に投下、そのまま「ザイドリッツ」の頭上を飛び去って行く。

 

 海面を疾走する、白い槍衾。

 

 その穂先が「ザイドリッツ」の左舷から迫る。

 

「面舵一杯!!」

 

 叫ぶオスカー。

 

 満載排水量2万トンに迫る大型軽巡が、34ノットの最高速度で左へと旋回する。

 

 魚雷に対して艦首を正対させる「ザイドリッツ」。

 

 これでかわせる。

 

 ほっと息をつくオスカー。

 

 程なく、雷跡は「ザイドリッツ」の両舷を挟み込むようにして通り、まっすぐ後方に駆け抜けていった。

 

「よしッ 次・・・・・・」

 

 命令を口に出しかけるオスカー。

 

 だが、

 

「右舷90度、バラクーダ再度接近!!」

 

 息つく暇もない。

 

 続いて飛び込んできた悪夢のような報告に、思わず、振り返るオスカー。

 

 その視界に、再び横隊を組んで迫るバラクーダの姿がある。

 

「クソッ 右舷対空砲火、全力射撃!! 奴等の近付けるなッ!!」

 

 オスカーの命令を受け、右舷側の対空砲を振りかざす「ザイドリッツ」。

 

 砲火が弾幕となって、接近するバラクーダを阻止しにかかる。

 

 ウルツブルク・レーダーは向かってくる敵機の高度、速度、進路を正確に捕捉し、射撃データを提供してくれている。

 

 そのデータをもとに照準を修正する「ザイドリッツ」。

 

 同時に帰還は唸りを上げ、基準排水量1万8000トンの巨体を加速させる。

 

 撃ち上げられる大型軽巡の火線の中を、果敢に飛び込んでくるバラクーダ。

 

 「ザイドリッツ」の砲火は激しく撃ち上げるが、接近するバラクーダの方が速い。

 

「これは、かわせんかッ!?」

 

 このままでは、真横から魚雷を食らってしまう。

 

 オスカーが舌打ち交じりに叫んだ。

 

 次の瞬間、

 

 「ザイドリッツ」を取り囲むように、巨大な瀑布が吹き上がった。

 

「クッ!?」

 

 オスカーを初め、その場にいた幕僚、艦娘達が思わず視界を塞ぐ。

 

 やがて、全ての海水が狂奔から収まった時、

 

 「ザイドリッツ」は、変わらずに全速航行を続けながら、対空砲火を撃ち上げていた。

 

「・・・・・・な、何があった?」

 

 唖然とするオスカーの下へ、次々と報告が上げられてきた。

 

「機関、異常なしッ!!」

「主砲、魚雷、異常なし。ただし、至近弾の衝撃により、機銃座2基が損傷!! 艦底部に若干の浸水あり!!」

「本艦に直撃弾無しッ 全力発揮可能!!」

 

 次々と上がってくる報告に、オスカーは思わず胸をなでおろした。

 

 浸水は恐らく、至近弾による漏水だろう。問題になるレベルではない。

 

 同時に、先の攻撃で放たれた魚雷が、軽巡の両舷を駆け抜けていく。

 

「負傷者の救助、及び浸水区画の排水急げ!!」

 

 命令しながら、幕僚達に目をやる。

 

「どうやら、今のは雷撃じゃなく、水平爆撃だったようだな」

「ええ、バラクーダの性能は、これまで英軍が主力にしてきたソードフィッシュ、アルバコアの比ではありません」

 

 報告を聞きながら、オスカーは心の中で舌打ちする。

 

 侮れない敵が、またしても増えた。

 

 ただでさえ劣勢のドイツ艦隊にとって、歓迎したくない状況である。

 

 攻撃機であるバラクーダは、魚雷だけではなく各種爆弾も搭載できる万能機である。

 

 雷撃だけでは攻撃がワンパターン化しかねない事を懸念したイギリス海軍は、水平爆撃も織り交ぜる事でドイツ艦隊を攪乱し、圧力を強めようと考えたようだ。

 

「運が良かったな」

 

 胸をなでおろしながら、オスカーは不敵に笑う。

 

 もし2度目の攻撃も雷撃だったら、今頃は艦底部に大穴を開けられて「ザイドリッツ」は沈没を免れなくなっていた事だろう。

 

 まさに紙一重。

 

 集中攻撃に近い攻撃を受けながらも、「ザイドリッツ」の損傷は未だ軽微であり、戦闘継続に問題はない。

 

 しかし、

 

 他の艦も、「ザイドリッツ」同様に、幸運に恵まれていたわけではなかった。

 

 

 

 

 

 対空戦闘を行う、第1艦隊主力。

 

 戦艦2隻の後方から付き従うのは、歴戦の装甲艦である「ドイッチュラント」と「アドミラル・シェア」である。

 

 通商破壊戦専用艦として建造された2隻だが、45口径28センチ砲3連装2基6門を主武装とし、重巡並みの船体に高い火力を搭載した画期的な設計から「ポケット戦艦」の愛称で親しまれてきた。

 

 開戦初期のナルヴィク沖海戦において2番艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」を失った後も、ドイツ海軍通商破壊部隊の主力として輸送船狩りに参加。数多くの敵船を海底に沈めて来た。

 

 中でも「アドミラル・シェア」は、同型艦の中でも特に戦歴に優れており、大戦初期にはインド洋にまで進出して多くの輸送船を沈め、連合軍の補給線を大いに脅かした。

 

 その戦果はシャルンホルスト級2隻をも上回り、まさにドイツ海軍水上艦隊のエースと言っても過言ではないだろう。

 

 今回の戦いでも、戦艦に次ぐ火力を有している為、艦隊戦において戦艦群を補助する役割が期待されていた。

 

 その「アドミラル・シェア」に、バラクーダ雷撃機が襲い掛かる。

 

 その「アドミラル・シェア」が、集中攻撃を受けていた。

 

 海面すれすれまで降下し、魚雷投下態勢に入る3機のバラクーダ。

 

 「アドミラル・シェア」は全速力の28ノットで航行しながら対空砲火を撃ち上げる。

 

 派手に炸裂し、蒼空を黒煙で染め上げる対空砲火。

 

 しかし、見た目の派手さに対して効果は殆ど上がっておらず、バラクーダは構わずに突っ込んでくる。

 

 知っての通り、大陸国家であるドイツは、ヒトラー自身が陸軍出身だった事もあり、陸軍や空軍の強化、増強には積極的だったが、海軍の拡張にはそれほど乗り気ではなかった。

 

 これはヒトラーの方針で対ソ戦を重視した結果でもあるのだが、その煽りを受け、多くの艦が開戦初期から殆ど強化される事無く、今日まで来てしまった。

 

 少ない予算の大半は、主力兵器であるUボートの新造に回され、水上艦隊は割を食う形となってしまった。

 

 途中で大掛かりな改装が施されたシャルンホルスト級2隻は、むしろ幸運だったと言えよう。

 

 ドイッチュラント級も例外ではなく、開戦後は大きな改装を受ける事無く今日まで来ている。

 

 そのツケを今、払わされようとしていた。

 

 貧弱な対空砲火をすり抜け、バラクーダは「アドミラル・シェア」へと迫る。

 

「取り舵一杯!!」

 

 艦長が叫び、操舵手が舵輪を回す。

 

 最高速度の28ノットで航行しながら、左へと回頭する「アドミラル・シェア」。

 

 そこへバラクーダが魚雷を投下して駆け去って行く。

 

 海面を疾走して迫りくる魚雷。

 

 必死に回避運動を続ける「アドミラル・シェア」。

 

 大丈夫、かわし切れる。

 

 そう思った。

 

 次の瞬間、

 

「右舷前方ッ 新たな雷撃機!!」

 

 2機のバラクーダが、雷撃回避の為に回頭中の「アドミラル・シェア」の横腹めがけて突っ込んでくる。

 

 投下される魚雷。

 

 先に回避した魚雷と、新たな2本の魚雷によって、十字砲火される「アドミラル・シェア」。

 

「機関全速!! 直進!!」

 

 回避行動が出来ない以上、魚雷が逸れると信じて直進する以外に無い。

 

 対空砲を撃ちながら、全速力で直進する「アドミラル・シェア」。

 

 その白い航跡が、重巡並みの小柄な艦体に迫る。

 

 かわせるッ

 

 かわせるはずッ

 

 艦長、艦娘はじめ、全乗員が祈るように見守る。

 

 だが次の瞬間、

 

 衝撃と共に、ポケット戦艦の艦腹に巨大な2本の水柱が突き上げられた。

 

 

 

 

 

 《第1艦隊空襲を受く。損害、拡大しつつあり》。

 

 その報告は、救援の為に第2艦隊の隊列を離れて西進する第1戦闘群にも届けられた。

 

「してやられたッ 完全に遅かったかッ」

 

 届けられた電文を見るなり、エアルは悔し気に呟きを漏らした。

 

 現在、巡洋戦艦1、重巡洋艦1、駆逐艦4から成る第1戦闘群は、27ノットの速度で西へ進路を取っている。

 

 しかし、その対応は完全に後手に回った。イギリス軍は、第1戦闘群が合流する前に、第1艦隊に攻撃を仕掛けてきたのだ。

 

 物量差が完全に出ている。

 

 今回、イギリス軍が投入した空母は6隻。航空機の数は300機にも達する。その数はドイツ海軍の3倍に達する航空兵力である。

 

 片手間でドイツ海軍航空隊の攻撃を防ぎつつ、もう片手間で第1艦隊に攻撃を仕掛ける事も不可能ではない。

 

「おにーさんッ」

 

 電文を持ったシャルンホルストが駆け寄ってくる。

 

「Uボートからの電文ッ 微弱だったけど、通信を拾えたって」

「どれ?」

 

 戦闘に先立つ掃討戦で、英対潜部隊により大損害を被ったUボート部隊だったが、辛うじて生き残り海底に息をひそめていた艦が情報を送ってきたのだ。

 

 少女から電文を受け取り、素早く一読するエアル。

 

 しかし、

 

 その内容を読んで、思わず驚愕した。

 

 電文は、先行してイギリス艦隊の動向偵察に当たっていたU81からの物だった。

 

「《我、敵艦隊を視認。位置・・・・・・》」

 

 読み進めるエアル。

 

 そして、電文の末尾には無視できない文面があった。

 

「《尚、敵艦隊の中に、複数の戦艦を認む》か・・・・・・」

 

 敵の主力艦隊が、決戦を求めて北上していると見て良い。

 

 電文を一読すると、エアルは通信参謀へ振り返った。

 

「この通信の発信位置は?」

「は、恐らく、この辺りかと」

 

 そう言って指示された海域を見て、エアルは思わず息をのんだ。

 

 その場所は現在、第1艦隊が戦闘をしている海域の、ちょうど真南に当たる。

 

 つまり、敵主力は第1艦隊を目指して北上している事になる。

 

「急ごう」

 

 周囲を見回して、エアルは告げる。

 

「敵の狙いは、こっちの主力である第1艦隊の捕捉、撃滅だ。下手をすると手遅れになりかねない」

 

 第1艦隊には、「ティルピッツ」「グナイゼナウ」と言う、ヨーロッパ最強戦艦がいる。仮に水上砲戦になったとしても、簡単にやられるとは思えない。

 

 しかし、敵もどれだけの戦艦を繰り出してきているか分からない。

 

 第1艦隊と言えど、敵機の攻撃によって隊列が乱されたところに、敵主力に突っ込んでこられたら敗北は免れないだろう。如何な最強戦艦と言えど、包囲されて袋叩きにされればひとたまりもない。

 

「艦隊速度、30ノットに上げッ!!」

 

 命じるエアル。

 

 とにかく、1分でも、1秒でも早く、第1艦隊救援に行くのだ。

 

 そんな中、シャルンホルストは艦橋前方の窓に歩み寄り、向かう先を見つめる。

 

「ゼナ・・・・・・・・・・・・」

 

 少女の視線の先では、彼女の妹が、今も戦っている。

 

 増速する「シャルンホルスト」。

 

 アトランティックバウの鋭い艦首が波濤を切り裂き、飛沫が空中に舞い上がる。

 

 「オイゲン」と駆逐艦4隻も、旗艦に追随すべく速力を上げる。

 

 しかし、自分自身の速度は少女からすれば、もどかしいほどに遅く感じるのだった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 ドイツ第1艦隊の苦難は、尚も続いていた。

 

 入れ替わり立ち代わり、襲ってくるイギリス軍攻撃隊。

 

 上空援護もないまま、必死に海面を逃げ回り砲火を振り上げるが、徐々に損害は増しつつある。

 

 幸いにして、戦艦2隻の損害は軽微であり、戦闘、航行に支障はない様子である。

 

 旗艦「ティルピッツ」並びに巡洋戦艦「グナイゼナウ」は、高速で走り回りながら対空砲火を撃ち上げている。

 

 しかし、巡洋艦以下の損害は無視できなくなりつつある。

 

 まず、第1次空襲において攻撃を受けた装甲艦「アドミラル・シェア」が、海上に停止して炎上している。

 

 艦体は右舷側に大きく傾斜し、波が甲板を洗っている。沈没は時間の問題だろう。既に艦長が総員退艦を命じているらしく、甲板上に乗組員が殺到している。

 

 イギリス軍は更に攻撃を続け、第2次空襲においては軽巡洋艦「ケルン」に魚雷を受けた。

 

 魚雷を受けた「ケルン」は、一瞬にして大爆発を受けて爆沈した。

 

 第2砲塔と第3砲塔を左右両舷側にそれぞれ寄せたオフセット方式を採用した軽巡洋艦は、射角を広く取れる画期的な設計の巡洋艦は、しかし軽合金を多用した装甲から、防御面に大きな不安を抱えていた。

 

 そこに航空機の魚雷が命中したので、ひとたまりも無かったのだ。

 

 「ケルン」沈没から、時を置かずに狙われたのは、軽巡洋艦の「ライプツィヒ」だった。

 

 K級軽巡洋艦に続く巡洋艦シリーズのネームシップは、海面を高速航行しながら回避運動を行っていたが、一瞬の油断を突かれ、バラクーダが投下した大型爆弾が命中してしまった。

 

 大型爆弾は甲板を突き破って艦内に突入、軽巡洋艦の機関室を直撃した。

 

 一瞬にして動力を奪われ、速力が低下した「ライプツィヒ」。

 

 そこへ更なる集中攻撃を受けた「ライプツィヒ」は、炎上しながら海上に停止。

 

 既に総員退艦命令が下されていた。

 

 装甲艦1、軽巡洋艦2を戦列から失ったドイツ第1艦隊。その他にも、駆逐艦2隻が犠牲になっていた。

 

 イギリス軍の攻撃は、更に執拗に続いている。

 

 狙われているのは、重巡洋艦の「アドミラル・ヒッパー」だった。

 

 ヒッパー級重巡洋艦のネームシップは、流石に歴戦の重巡だけあり、ここまでの戦いを軽微な損傷で切り抜けていた。

 

 更に、向かってきたバラクーダの内、6機を返り討ちにしている。

 

 獅子奮迅の活躍を見せる、歴戦の重巡洋艦。

 

 しかし、「アドミラル・シェア」「ケルン」「ライプツィヒ」を戦列から失い、対空火力の層が薄くなったドイツ艦隊の間隙を突く形でバラクーダが歴戦の重巡に殺到してくる。

 

 低空に舞い降りたバラクーダ4機が、魚雷投下態勢に入る。

 

 対空砲火を撃ち上げながら対抗する「ヒッパー」。

 

 機関出力を振り絞り、32ノットで回避運動に入る。

 

 問題ない。

 

 かわせる。

 

 爆弾だろうが、魚雷だろうが、「ヒッパー」を直撃するなどあり得ない。

 

 誰もがそう信じた。

 

 次の瞬間、

 

 接近したバラクーダの胴体と翼下に、一斉に炎が立ち上った。

 

 同時に、複数の軽い衝撃が連続して「アドミラル・ヒッパー」の艦体を襲った。

 

 たちまち、歴戦重巡の左舷は爆炎に包まれ薙ぎ払われる。

 

 いったい、何が起きたのか?

 

 誰もが呆然とする。

 

 攻撃を終えたバラクーダが駆け去って行った後、「ヒッパー」の左舷側は抉られ、そこに設置されていた対空砲火も全滅に近い損害を受けていた。

 

 「ヒッパー」を襲った攻撃。

 

 それは、ロケット弾による一斉攻撃だった。

 

 複数のロケット弾が左舷側に集中され、対空砲が薙ぎ払われたのだ。

 

 「ヒッパー」が手ごわいと見たイギリス軍は、その火力を減殺する作戦に出たのだ。

 

 対空砲火が弱まる「ヒッパー」。

 

 そこへ、とどめを刺すべくバラクーダが殺到してくる。

 

 炎に包まれながらも、機関出力を振り絞り、残された対空砲火を撃ち上げて抵抗する「ヒッパー」。

 

 しかし、やはりロケット攻撃で、対空火器の半数近くを潰されたのは痛い。

 

 対空砲火の間隙を突いて低空に舞い降りたバラクーダが、重巡に対して爆弾を投下する。

 

 大型爆弾は、無防備となった重巡の前部甲板に吸い込まれるように直撃した。

 

 衝撃と共に踊る爆炎。

 

 それらが収まった時、前部甲板には無残な光景が広がっていた。

 

 B砲塔は天蓋が砕け、2本の方針はそれぞれあらぬ方向を向いている。

 

 どうやらバラクーダが投下した爆弾が、「ヒッパー」のB砲塔を直撃、これを完膚なきまでに破壊したらしい。

 

 更に、衝撃で隣接するA砲塔も旋回不能。実質、火力の50パーセントを一気に失った形である。

 

 艦長が素早く、弾薬庫に注水を命じ、艦の保全に努める。

 

 尚も、か細い抵抗を続ける「ヒッパー」。

 

 しかし無情にも、魚雷を抱いたバラクーダが殺到して来る。

 

 回避するべく転舵する。

 

 が、

 

 間に合わない。

 

 白い航跡が艦腹へ伸びて来る。

 

 衝撃がすさまじい勢いで「アドミラル・ヒッパー」を包み込んだ。

 

 

 

 

 

「そんな・・・・・・みんなが・・・・・・」

 

 空襲が終わり、賛嘆たる状況となった艦隊を見て、グナイゼナウは愕然とした声を上げた。

 

 「アドミラル・シェア」「アドミラル・ヒッパー」「ライプツィヒ」「ケルン」を戦列から失い、艦隊戦力は半減したと言っても過言ではない。

 

 「ティルピッツ」「グナイゼナウ」は健在であり、戦闘可能な状態にあるのは不幸中の幸いだろう。

 

 しかし、

 

 既に第1艦隊が戦える状態ではない事は、火を見るよりも明らかだった。

 

「どうするつもりなの、司令部は?」

 

 「ティルピッツ」へと目をやる。

 

 まだ進撃するのか? それとも、損害の多さを鑑みて、ここで撤退するのか?

 

 その時だった。

 

 上空に、聞きなれたエンジン音を響かせて、一群の翼が駆け抜けていく。

 

 鉄十字を掲げた航空部隊は、第2艦隊を発した直掩部隊である。急を聞いて駆けつけてくれたらしい。

 

 尚も執拗に攻撃しようとするイギリス軍攻撃隊に食い下がり、容赦なく撃墜していく様子が見える。

 

 さすがのイギリス軍も、ここに来てドイツ軍の航空支援が入るとは思っていなかったらしく、虚を突かれて逃げ惑う様子が見えた。

 

 しかし、

 

「遅い・・・・・・遅いよ・・・・・・」

 

 メッサーシュミットがバラクーダを追い散らす光景を見ながら、絞り出すように呟くグナイゼナウ。

 

 既に敵は攻撃を終え、帰投を開始した直後である。今更来られても、遅すぎたのだ。

 

 航空隊とて、急いで駆け付けてくれたのは判っている。

 

 しかし、文句の一つも言わない事には、気持ちが収まらなかった。

 

 戦いが終わってから来られても、何の意味もないと言うのに。

 

 そう、

 

 戦いは終わった。

 

 ドイツ艦隊の誰もが、そう思っていた。

 

 だが、しかし、

 

 そう思っていたのが自分達だけだった事を、彼等は程なく思い知ることになる。

 

「方位1―9―0に接近する艦影ありッ 英艦隊です!!」

 

 絶叫に近い見張り員の声。

 

 その声に、グナイゼナウは我に返る。

 

「そんな・・・・・・ここで、来るなんて・・・・・・・・・・・・」

 

 愕然とする少女の視線の先。

 

 そこには、ホワイトエンサインを誇らしげに掲げた艦隊が、砲門をこちらに向けて向かってくる様子がはっきりと見て取れた。

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・全艦、戦闘態勢を成せ」

 

 静かに命じるオスカー。

 

 先の空襲、彼の戦隊は1隻もかける事無く切り抜ける事に成功した。

 

 あの激しい空襲で、執拗に狙われながらも全艦生き残った事に、戦隊としての優秀さと、オスカーの非凡な指揮ぶりが伺える。

 

 しかし、

 

 ほっと息をつく間もなく、敵主力艦隊のお出ましである。

 

「まったく、息つく暇すらくれんとは、英国人も存外、せっかちらしいな」

 

 皮肉交じりに笑みを浮かべて、迫る敵艦隊を睨む。

 

 何から何まで、敵の思惑通り。

 

 ドイツ軍は完全に、イギリス軍の罠に誘い込まれてしまったのだ。

 

「これと言うのも・・・・・・・・・・・・」

 

 ギリッと、奥歯を噛みしめる。

 

 そもそも今回の作戦は海軍の元々の作戦計画ではなく、総統府からの直接命令だった。

 

 首都爆撃によって怒り心頭と化したヒトラー総統が、海軍に命じて強引に艦隊を出撃させた事が原因である。

 

 要するに、トップが戦略を無視した挙句、無理な正面決戦を強要された事になるわけだ。

 

 そうなると、先のベルリン空襲自体、敵の挑発だった可能性がある。

 

「冗談じゃないッ」

 

 戦場に出もしない。海軍の実情を知ろうともしない、そんなトップに振り回され、ドイツ海軍は壊滅の危機に瀕している。

 

 そんな想いが、オスカーの中で駆け巡った。

 

 こんなバカバカしい現実はない。

 

 しかし、

 

 バカバカしいが、これが現実だった。

 

「こんなところで、死んでたまるかよ」

 

 軍人である以上、戦場で死ぬ事に躊躇いも恐怖もない。それが味方を助けて死ねるなら本望だろう。

 

 しかし、馬鹿な独裁者に踊らされて、馬鹿な死に方をするなどまっぴらだった。

 

 こんなところで死ぬなど、少なくとも自分は御免だ。

 

「必ず、生き延びてやる」

 

 呟きながら、オスカーの視線は、「ティルピッツ」の後方を進む「グナイゼナウ」が見えた。

 

「お前は俺が守る。安心しろ、ゼナ」

 

 自信の恋人に対し、低く呟くオスカー。

 

 ザイドリッツ達が身じろぎする中、青年提督は振り返らずに前方を注視して命じる。

 

「我が戦隊はこれより、第1艦隊主力を援護する!!」

 

 もはや避退する時間はない。下手に退避しようとすれば、追撃によって大損害を食らいかねない。

 

 ここは相手を牽制しつつ、徐々に距離を取るようにして離脱のタイミングを計る以外に手は無かった。

 

 命令を受け、増速する「ザイドリッツ」。その後方から「マインツ」「リュッツォー」も続く。

 

 その時、

 

「敵艦隊接近ッ!!」

 

 緊迫した報告が響く。

 

 もう、後には引き返せない。

 

 敵を打ち破る以外、ドイツ艦隊が生き残る道は無かった。

 

「全艦、左砲戦用意!!」

 

 右腕を振り上げるオスカー。

 

 そして、

 

「撃ち方始め!!」

 

 勢いよく振り下ろした。

 

 

 

 

 

第65話「波濤に鳴りし断末魔」      終わり

 



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第66話「閉じられた罠」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 波濤を割く艦首がわずかに揺れ、飛沫が艦橋にまで吹き付けられる。

 

 全速航行に従い吹き付ける風が、艦その物を消するかのような勢いで、次の瞬間には後方へと流れていく。

 

 視線の先には、鉄十字を掲げたドイツ艦隊が砲門をこちらに向けているのが見える。

 

「どうやら、敵は逃げずに向かってくるようですね」

「うむ」

 

 クロードの言葉に、フレイザーは双眼鏡から目を離しながら答える。

 

 現在、イギリス艦隊主力であるフォース1は、旗艦「アンソン」を先頭に「ハウ」「キング・ジョージ5世」「デューク・オブ・ヨーク」の順で単縦陣を組み、南西方向からドイツ艦隊に接近している。

 

 マレー沖で日本軍に撃沈された「プリンス・オブ・ウェールズ」を除く、全てのキング・ジョージ5世級戦艦を集結させた、正に現状のイギリス海軍における最強の戦艦部隊である。

 

 対してドイツ艦隊も、これを迎え撃つべく「ティルピッツ」「グナイゼナウ」「ドイッチュラント」の順で単縦陣を組んで向かってきている。

 

 隻数ではイギリス艦隊が勝っているが、ドイツ艦隊の戦艦2隻はイギリス艦隊に無い40センチ砲を装備したヨーロッパ最強戦艦である。油断はできなかった。

 

「他部隊の状況は?」

「はい。展開を完了し、決戦海面に向かっているとの事」

 

 これまで多くの戦いで、イギリス艦隊はドイツ艦隊に翻弄され後れを取って来た。

 

 だからこそ今回は入念な準備を重ね、兵力を集中し、圧倒的有利な状況を確立するに至っている。

 

 しかし、それでも尚、油断できる相手ではない事は、誰の目にも明らかだった。

 

 徹底的に叩く必要がある。

 

 禍根を残せば、いずれ対価は自分達の命で支払う事になりかねない。

 

 だからこそここで、2度と彼等が立ち直れない程、完膚なきまでに叩き潰す必要があった。

 

「せめて、新型戦艦が間に合っていたら安心できたのですが」

 

 幕僚の1人が、悔しそうに愚痴をこぼす。

 

 イギリス海軍は既に、ビスマルク級戦艦に対抗可能な新型戦艦を完成させている。

 

 新型の40センチ砲を搭載したその艦は、今まで存在した全てのイギリス戦艦をあらゆる性能で凌駕しており、この局面に存在していれば、必ずやドイツ艦隊を圧倒し得ていただろう。

 

 しかし、それらは未だに完熟訓練の最中であり、実戦に投入できるレベルではない。今回の作戦参加は見合わせざるを得なかったのだ。

 

「無い物ねだりしても始まらん」

 

 フレイザーは窘めるように言った。

 

「我々に与えられた使命は、現有戦力でもって敵を打ち破る事のみ」

「人事は尽くした。後は、全力で挑むだけだ」

 

 クロードも頷きながら告げる。

 

 個艦の性能では、確かにイギリス艦隊はドイツ艦隊に劣っている。

 

 しかし、それを補うために数的優勢を確保し、更に勝率を確かな物とする為の策も張り巡らせた。

 

 勝つ。今度こそ。必ず。

 

 そして、

 

 勝利のカギを握っているのは、クロードの弟たちだ。

 

 彼等は既に、クロードの作戦に従い行動を開始している。

 

 これまでの戦いでは、ドイツ艦隊がその機動性を十分に発揮した結果、イギリス艦隊は敗北を重ねて来た。

 

 だからこそクロードは、ドイツ艦隊の機動力を封じる策に出たのだ。

 

「それと、『あちら』はどうなっている?」

「はい。ぬかりありません。既に各港を出港し、北上を開始したとの事。第2陣、第3陣の出発も予定通り行えると連絡が来ています」

 

 フレイザーの質問の意図を察して答えるクロード。

 

 今回、イギリス艦隊は二段構えで作戦を組んでいる。

 

 ドイツ艦隊との決戦が一段目。

 

 そして、真の目的は2段目の方にこそある。たとえ自分達が決戦に敗れたとしても、もう一方の作戦が成功すれば、この戦いはイギリスの勝ちとなる。

 

 勿論、負ける気は微塵も無いが。

 

 そして今や、作戦はこちらの思惑通りに進行しようとしていた。

 

「敵艦隊更に接近、距離、3万2000!!」

 

 その時、齎された見張り員からの報告に、一同が緊張を孕む。

 

 飛沫の向こうに、まっすぐ接近してくる艦隊の姿が見える。

 

 マストに鉄十字を、誇らしげに翻して迫るのは、間違いなく宿敵たるドイツ艦隊である。

 

「左砲戦用意ッ 目標、敵1番艦『ティルピッツ』!!」

 

 最大の脅威は、何と言ってもドイツ艦隊総旗艦「ティルピッツ」。

 

 改装を受け、かつての「ビスマルク」をも凌駕する戦艦に生まれ変わった「ティルピッツ」は序盤で潰しておきたい存在である。

 

 フレイザーの号令に従い、「アンソン」は4連装、連装各1機6門の主砲を旋回させる。

 

 後続する「ハウ」「キング・ジョージ5世」「デューク・オブ・ヨーク」でも同様の光景が展開されているはずだ。

 

 遠望すれば、ドイツ艦隊も主砲を旋回させているのが見えた。

 

 英独両艦隊は、互いに高速で接近している。

 

 間も無く、3万を切ったところで、砲撃を開始する予定である。

 

 ジリジリとした空気が、「アンソン」の艦橋を満たす。

 

 次の瞬間、

 

「距離、3万!!」

 

 絶叫に近い報告。

 

 次の瞬間、

 

 フレイザーの目が見開かれた。

 

「撃ち方始め!!」

 

 号令一下、

 

 イギリス戦艦4隻が、一斉に砲門を開く。

 

 放たれる砲撃。

 

 A砲塔の2門とB砲塔の1門。

 

 各艦、3門ずつの交互射撃。

 

 ほぼ同時に、水平線の彼方で閃光が迸るのが見えた。

 

「ドイツ艦隊、砲撃開始しました!!」

 

 緊張が走る一瞬。

 

 次の瞬間、

 

 巨大な水柱が、「アンソン」の左舷側に次々と突き立てられた。

 

 立ち上る巨大な瀑布に、誰もが息をのむ。

 

「初弾から寄せて来るかッ!!」

 

 舌打ち交じりに、フレイザーが呟く。

 

 重量1トンの砲弾が落下した際の衝撃は凄まじく、たとえ外れても、その衝撃だけで吹き飛ばされそうになる。

 

 遠望する先では、イギリス艦隊の砲撃も、ドイツ艦隊の周囲に落下しているのが見える。

 

 しかし、その弾着はまばらであり、命中弾は見られない。

 

「『ハウ』、砲撃を受けています!!」

「『キング・ジョージ5世』に、至近弾!!」

 

 次々ともたらされる報告にも悲鳴が混じる。

 

 砲撃を受けた各艦に、舌打ちが響く。

 

 まばらな砲撃となったイギリス艦隊に比べ、ドイツ艦隊は初めから精度の高い砲撃を繰り出して来た。

 

 崩れ落ちる飛沫が、「アンソン」の甲板を叩く中、水平線の先では更なる閃光が閃くのが見えた。

 

「ッ!?」

 

 舌打ちするクロード。

 

 策を用意し、罠を張り巡らし、万全の体制を整えた。ここまでは順調に来ている。

 

 しかし、最後の詰めで失敗すれば、全てがご破算である。

 

 落下するドイツ艦隊の砲撃。

 

 再び幕府に包まれる「アンソン」。

 

「『ハウ』に直撃弾ッ 炎上しています!!」

 

 その報告に、クロードは思わず臍を噛む想いだった。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 イギリス艦隊主力と対峙する、ドイツ海軍第1艦隊も盛んに砲撃を仕掛ける。

 

 旗艦「ティルピッツ」を先頭に、「グナイゼナウ」「ドイッチュラント」が続行。進路を東に向けながら、イギリス艦隊を右舷側に臨んでいる。

 

 ザイドリッツ級軽巡3隻がやや南寄りに展開し、敵の軽快艦艇突撃に備えている。

 

 半ば立ち上がりを制された形だが、状況は決して悪くない。

 

 何より、イギリス艦隊が手を拱いているうちに、先に命中弾を出した事は大きかった。

 

 敵の二番艦「ハウ」が直撃弾を受け、前部甲板から炎を噴き上げているのが見える。

 

 恐らく第1(A)砲塔を直撃し、これを動作不能にしたのだろう。先ほどから、明らかに火力が低下している。

 

 「ハウ」に直撃弾を浴びせたのは「グナイゼナウ」である。

 

 その様子を、旗艦「ザイドリッツ」の艦橋から、オスカーは眺めていた。

 

「流石だな、ゼナ」

 

 40センチ砲の威力はすさまじく、「ハウ」は1発で戦闘力の5割近くをもぎ取られた形である。

 

 更に「ティルピッツ」「ドイッチュラント」も盛んに砲撃を続けている。

 

 「ティルピッツ」の砲撃は、敵旗艦「アンソン」の中央甲板付近に直撃し、そこに設置された両用砲を吹き飛ばした。

 

 「ドイッチュラント」は、28センチ砲装備で、1発当たりの攻撃力は低いが、高い速射性能を発揮し3番艦「キング・ジョージ5世」を砲撃。上部構造物にダメージを与えている。

 

 一方で、イギリス艦隊も反撃してくるが、その砲撃精度はお世辞にも高いとは言えない。

 

 散布界が広すぎて、なかなか目標を捉えられない様子だ。

 

 現在までのところ、「ティルピッツ」が1発、艦中央付近に直撃弾を受け、機銃座1基が損傷しているが、砲弾は装甲によって弾き返され、それ以上のダメージは受けていない。

 

 「グナイゼナウ」「ドイッチュラント」は無傷で砲撃を続行している。

 

 全体としてドイツ艦隊が有利。

 

 このまま損害が蓄積すれば、イギリス艦隊司令官のボルス・フレイザーは撤退を決断せざるを得ないだろう。

 

 そうなれば、戦いはドイツ艦隊の勝利となる。

 

 行ける。

 

 この戦い、勝てるぞ。

 

 そう思い始めた。

 

 その時だった。

 

「方位1―7―0に新たなる敵艦隊!! まっすぐにこちらに向かってきます!!」

「何・・・・・・だとッ!?」

 

 驚愕の報告を前に、とっさに双眼鏡を取るオスカー。

 

 見れば、南東方向から接近してきた戦艦が3隻。第1艦隊の進路を遮るコースでT字を描き、砲門を開こうとしている。

 

 イギリス海軍のフォース2。

 

 旧式戦艦3隻を中心とした部隊は、速力が遅い事からフォース1とは別行動を取り、第1艦隊の進路上に回り込んでいたのだ。

 

 第1艦隊は言わば、フォース1と戦いながら、フォース2が待ち構えている海域に誘い込まれた形である。

 

「拙いぞ、このままじゃッ!!」

 

 状況を確認し、オスカーは舌打ちする。

 

 このままでは第1艦隊は、フォース1とフォース2、合計7隻の戦艦から十字砲火を受ける事になる。

 

 有利に進んでいた状況が、ただの一手で逆転されつつあった。

 

「旗艦、進路変更します!!」

 

 見れば、「ティルピッツ」は砲撃を行いながらも取り舵に転舵。進路を北へと向けつつある。

 

 南と東を押さえられた以上、ドイツ艦隊が取れる進路は北しかない。

 

「取り舵続行ッ 旗艦に続け!!」

 

 転舵する「ティルピッツ」に従い、進路を北へと向けるドイツ艦隊。

 

 その間も、両艦隊は砲撃を続ける。

 

 程なく、追い付いてきたイギリス海軍フォース2も砲撃を開始。都合7隻の戦艦が、第1艦隊めがけて砲弾を放ってくる。

 

 ドイツ艦隊周辺に、多数の水柱が立ち上る。

 

 駆逐艦1隻が至近弾のあおりを受けて、大きく傾くのが見えた。

 

 しかし、命中する砲弾はない。

 

 回頭中の艦に砲弾を命中させるのは容易な事ではない。

 

 無論、それはドイツ艦隊にも言える事である。敵の砲弾が当たらない代わりに、こちらも回頭が完了するまで砲撃する事は出来ない。

 

 しかし、それで良い。まずは離脱して、態勢を立て直すのが先決である。

 

 敵は別動隊の到着で火力倍加し勢いづいている。

 

 まずは相手にせず、敵を振り切った後、機動力を活かした戦法で敵を翻弄しつつ戦うのが得策だろう。

 

 

 

 

 

 北への回頭を始めるドイツ艦隊。

 

 その様子を、イギリス旗艦「アンソン」の艦橋で、クロードが見つめている。

 

 口の端に刻まれる、確かな笑み。

 

 それは、獲物が罠に掛かった事を確信した捕食者のそれだ。

 

「そうだろう。お前達には、もうそれしかない。そこに破滅があると分かっていても、進むしかないわけだ」

 

 彼は既に、確信していた。

 

 自分達の勝利を。

 

 

 

 

 

 回頭を完了し、進路を北へと向けるドイツ第1艦隊。

 

 このまま全速力で、後方のイギリス艦隊を振り切るのみ。

 

 しかし、

 

 進路変更し、北への離脱を開始すると程なくして、更なる状況変化が訪れた。

 

「方位3―3―0より、新たなる敵艦隊!!」

 

 見張り員の絶叫。

 

 見れば確かに、

 

 巡洋艦を中心とした、新たなる艦隊が砲門を開きながら向かってくるのが見える。

 

 その様子を見て、オスカーは今度こそ、イギリス艦隊指揮官の意図を悟って戦慄した。

 

「まずいッ 囲まれたぞ!!」

 

 後方には最初に交戦したフォース1、右舷側には続いて現れたフォース2。

 

 更に北から進路を塞ぐように現れた、新たな敵艦隊。

 

 何と言う周到かつ、徹底した罠。

 

 これで第1艦隊は、3方向から完全に包囲された事になる。

 

 敵の指揮官は、初めからこの状況を作り上げる事を狙っていたのだ。

 

 海上に作り上げた包囲網に、ドイツ艦隊を誘い込み殲滅する事を。

 

 そして、

 

 気付いたところで既に手遅れ。

 

 自分達は今や、罠に掛かった哀れな獲物に過ぎないと言う事を。

 

「敵艦隊、砲撃開始しました!!」

 

 悲鳴その物と言って良い、見張り員の絶叫が、

 

 

 

 

 

 

「目標、敵1番艦「ティルピッツ」ッ 準備出来次第砲撃開始ッ!!」

「雷撃、射点確保次第発射始め!!」

 

 フォース3を率いるリオン・ライフォードは、矢継ぎ早に指示を飛ばす。

 

 フォース3は現在、進路を東に向けつつ、ドイツ艦隊の進路を阻むコースを取っている。

 

 旗艦「ベルファスト」を先頭に、「ノーフォーク」「サフォーク」「ニューカッスル」「シェフィールド」が続行。主砲を旋回させて、北上中のドイツ第1艦隊を狙っていた。

 

 クロードの立案した作戦は順調に推移していた。

 

 事前に対潜部隊を繰り出してUボートを封じ込め、大量の航空機を投入して制空権を確保。その状態で航空攻撃を仕掛けて敵戦力を減殺する。

 

 敵の陣営がガタガタになったところで、水上砲戦に持ち込む。

 

 しかも、ただ正面から当たるのではなく、海上に作り上げた包囲網の中へと誘い込み殲滅する。

 

 その為の、お膳立ては全て整った。

 

 狙うは、ドイツ艦隊旗艦「ティルピッツ」。

 

 敵の旗艦に集中攻撃を加える事で、指揮系統の混乱を狙う。

 

 圧倒的な重厚さで迫るドイツ最強戦艦「ティルピッツ」。

 

 相変わらずその存在は、イギリス海軍にとって地獄の魔王にも似た恐怖を振りまいている。

 

 もし「ティルピッツ」が、目標をフォース3に定め、包囲網突破を図ってきたら、巡洋艦のみで構成されたこちらはひとたまりも無いだろう。

 

 しかし、ここで退く事は許されない。

 

 これは千載一遇の好機だ。

 

 これを逃せば、再びドイツ艦隊は自軍勢力圏に立て籠もり、隙を見て連合軍の輸送航路に攻撃を仕掛けてくるだろう。

 

 そうなれば援ソルートも危うくなるし、本国への物資輸送もできなくなる。

 

 ドイツ艦隊の主力が集結している今、この瞬間に何としても敵の主力を殲滅しておく必要がある。

 

 兄である参謀長クロードの立案した作戦は、これまでのところ完璧に機能している。

 

 ドイツ艦隊主力の戦力を大きく減殺し、包囲する事に成功した。

 

「決着をつけるぞ、今日、ここで」

「ええ、勿論」

 

 頷きあう、リオンとベルファスト。

 

 同時に、「ベルファスト」の主砲が、一斉に火を吹いた。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 イギリス海軍の猛攻撃が開始された。

 

 北を目指して離脱を図るドイツ海軍第1艦隊。

 

 その第1艦隊を、3方向から取り囲む形で包囲したイギリス本国艦隊。

 

 南西方向からはボルス・フレイザー率いる、最新鋭戦艦群であるフォース1。

 

 南東方向からは、旧式戦艦3隻を中心としたフォース2。

 

 そして、北側は高速を利して回り込んだ、リオン・ライフォード率いる巡洋艦部隊フォース3が立ち塞がる。

 

 ドイツ第1艦隊は今や完全に、罠の中に取り込まれた獲物と化していた。

 

「面舵20、主隊の前へと出る!!」

 

 絶望的な状況下にあっても、オスカー・バニッシュ准将は己の役割を見失っていなかった。

 

 オスカー率いる、ザイドリッツ級軽巡洋艦3隻は、主隊の脱出を援護すべく突出する。

 

 高速で北側に展開し、フォース3を目標に定める。

 

「包囲網の中では、北側が最も薄い。狙うならそこだ」

 

 オスカーの判断は正しかった。

 

 イギリス側の作戦を立案、主導した本国艦隊参謀長クロード・グレイス海軍少将は、戦艦部隊でドイツ艦隊を追い立て、その間に高速の巡洋艦部隊を北方に回り込ませて包囲網を完成させるように企図した。

 

 これは、イギリス戦艦のほとんどがドイツ戦艦より大幅に劣速であり、北方に回り込む任務は快速の巡洋艦部隊に託す以外に無かった事に起因している。

 

 それ故、どうしても包囲網の北側は手薄にならざるを得なかったのだ。

 

「目標、敵1番艦、準備出来次第、撃ち方始め!!」

 

 既に状況はひっ迫している。

 

 自身は大まかな命令のみを下し、攻撃開始のタイミングは各艦の砲術長に委ねる。

 

 そうする事によって、オスカー自身は戦隊の指揮にする事が狙いだった。

 

「敵巡洋艦、更に接近します!!」

 

 敵はノーフォーク級重巡洋艦2、タウン級軽巡洋艦3。火力は明らかに、オスカー達が劣っている。

 

 しかし、その全てを倒す必要はない。要するに、主隊が脱出する為に、敵の陣形をかき乱せばいいのだ。

 

 そこまで考えた時、「ザイドリッツ」の主砲12門が、一斉に火を吹いた。

 

 

 

 

 

 「ザイドリッツ」「マインツ」「リュッツォー」が一斉に主砲を放つ様子は、フォース3旗艦「ベルファスト」からも確認する事が出来た。

 

 対抗するように随時、主砲を撃ち放つフォース3各艦。

 

 たちまち、中口径の主砲弾が空中で交錯する。

 

 互いに命中弾はない。

 

 両者の砲弾はただ空しく海面を叩き、見た目だけは派手な水柱を立ち上らせるにとどまる。

 

 そんな中、リオン・ライフォードは、自分達に向かってくるドイツ艦隊を冷静に睨み据える。

 

「やはり、こちらを狙ってくるか」

 

 包囲網に薄い部分があるとすれば、それは自分達フォース3が受け持つ北側しかない。

 

 敵がフォース3に全戦力を叩き付けてきたら、突破を許してしまう事になるだろう。

 

 だが、

 

「クロードの作戦通りね。ここまでくれば、ちょっとあの人も怖くなってくるわ」

「全くだな」

 

 ベルファストのボヤキに、苦笑で返すリオン。

 

 そう、

 

 全ては計算通り。

 

 北側の包囲網が手薄になる事も、そして、敵がそちらから脱出しようとすることも。

 

「敵は俺達だけじゃないぞ、ドイツ人」

 

 挑発するように呟くリオン。

 

 同時に、砲撃音とは異なる音が、連なるようにして接近してくるのを感じていた。

 

「せいぜい、頭上にも気を付けるんだな」

 

 視線の先には、砲火を放つドイツ第1艦隊。

 

 その遥か先で、翼を連ねて接近してくる航空機の群れが映っていた。

 

 

 

 

 

 その存在は、すぐさまドイツ艦隊も察知した。

 

 報告は、直ちにもたらされる。

 

「敵機接近ッ 方位1―7―0!! 高角30度ッ 数20以上!!」

「反復攻撃ッ このタイミングで!?」

 

 報告を聞き、グナイゼナウは舌打ちする。

 

 迫る、イギリス空軍の第2次攻撃隊。

 

 対して、第1艦隊は現在、空からの攻撃には無力に近い。

 

 現在、第1艦隊は優勢なイギリス艦隊に3方向から包囲されている上、砲撃戦の最中である為、対空砲要員を艦内に退避させてしまっている。

 

 つまり、敵機の攻撃に対し、著しく脆弱な状態にあるのだ。

 

 クロード・グレイスと言う男は、実に強かで、かつ冷徹な計算ができる男だった。

 

 彼はこれまでのドイツ艦隊とイギリス艦隊の戦いをつぶさに研究し、今回の作戦に臨んでいた。

 

 その中で彼は、ドイツ艦隊が使った戦術、特に水上戦闘における戦闘経過を片っ端から読み漁り、その中で使える物を調査、厳選し、自軍の戦術として組み込んできた。

 

 中でも、航空機と艦隊を連動し、海空同時に攻撃を仕掛ける戦術は、クロードの興味を大いに引いた。

 

 大戦中期のニューファンランド島沖海戦や第3次ブレスト沖海戦において、ドイツ海軍は航空攻撃と艦隊戦力を組み合わせる事で、戦力的に優勢なイギリス艦隊を撃破して来た。

 

 少数のドイツ海軍があれだけの戦果を挙げる事に成功したのだ。戦力に勝るイギリス艦隊が同じ戦術をやれば、より大規模な戦果を望めるはず。

 

 その真価が試される時が来たのだ。

 

 降下するイギリス軍第2次攻撃隊。

 

 数は僅か36機と、決して多くない。

 

 しかしその全機が、翼下にロケット弾を搭載していた。

 

 目的は敵艦の撃沈ではなく、あくまで水上部隊の支援。ならば、魚雷ではなく、命中率の高いロケット弾の方が有効と判断されたのだ。

 

「敵機、向かってきます!!」

「右舷対空戦闘、準備出来次第撃ち方始め!!」

 

 艦長の悲鳴に近い声が「グナイゼナウ」の艦橋にこだまする。

 

 右舷方向に指向可能な12門の12.7センチ砲を放つ「グナイゼナウ」。

 

 「ティルピッツ」「ドイッチュラント」、更には3隻のザイドリッツ級軽巡洋艦も対空砲を振り上げて、イギリス軍機の接近を阻もうと試みる。

 

 水上砲撃戦の最中である為、各艦ともに使えるのは高角砲のみ。露天装備の機銃は使用できない。

 

 その為、対空火力はかなりまばらな物となっている。

 

 更に、敵艦隊との交戦中で虚を突かれた上に、対空戦闘に不向きな単縦陣を組んでいた事が災いし、ドイツ艦隊は濃密な対空砲火をくみ上げる事が出来ない。

 

 バラクーダは対空砲火の間隙を突き、易々と攻撃圏内に進入してきた。

 

「来るぞッ 衝撃に備えろ!!」

 

 迫る凶鳥の翼。

 

 その下に、鉤爪の如きロケット弾が不気味に光る。

 

 艦長が叫んだ瞬間、

 

 接近してきたバラクーダが、一斉に翼下のロケット弾を発射した。

 

「ッ!?」

 

 息を呑むグナイゼナウ。

 

 焔と共に、噴き上がる白煙が視界全てを塞ぐ。

 

 次の瞬間、

 

 視界全てが炎に包まれ、続いて強烈な衝撃が、連続して襲ってきた。

 

「キャァァァァァァァァァァァァッ!!」

 

 激痛に悲鳴を上げるグナイゼナウ。

 

 同時に「グナイゼナウ」の右舷甲板が、巨大な炎に包まれた。

 

「右舷直撃弾多数ッ 火災発生!!」

「2番、3番高角砲全損ッ 機銃座4基使用不能!!」

「艦内に火災発生中!!」

 

 次々に齎される報告に絶望が増す。

 

 更に、悪い状況は続く。

 

「『ティルピッツ』に直撃弾多数!!」

 

 見れば、旗艦が燃えているのが見える。

 

 先頭を進む旗艦に、複数のバラクーダが群がっているのが見える。

 

 「ティルピッツ」の方でも艦隊戦に忙殺されており、敵機への対応が遅れる。

 

 そこへ、一斉に放たれたロケット弾が殺到した。

 

 たちまち、「ティルピッツ」の右舷側が火焔地獄と化し、高角砲や指揮所、照準装置が軒並み破壊される。

 

 更に攻撃は続く。

 

 バラクーダは、ドイツ側の直掩機がいない事を良い事に好き勝手飛び回り、目いっぱい接近してロケット弾を放ってくる。

 

 それに対して、ドイツ艦隊はほとんど抵抗らしい抵抗が出来ない。

 

 援護の戦闘機は無く、対空砲火も放てず、包囲され、回避運動さえ制限された状況では、ただの「浮かぶ標的」に過ぎない。

 

 イギリス軍攻撃隊が全てのロケット弾を撃ち終え、悠々と去って行った時、海上には炎上するドイツ艦隊の姿がのたうっていた。

 

 沈没した艦はない。

 

 しかし、どの艦も炎に包まれ、更に対空砲やレーダー、照準装置に多大な損害を受け、更に乗組員の死傷者も多数に上っている。

 

 そこへ、

 

 いよいよとどめを刺すべく、イギリス艦隊が3方向から迫ろうとしていた。

 

 

 

 

 

 何もかもが敵の思惑通りに進んでいる。

 

 後方から敵の戦艦部隊に追い立てられ、敵の巡洋艦に頭を押さえられ、逃げ道がない状態。

 

 おまけに先の空襲で損傷し、射撃不能になっている艦まである。

 

 今や、ドイツ第1艦隊の運命は、風前の灯と化していた。

 

 それでも、オスカーは奮戦を続けていた。

 

 配下の軽巡洋艦3隻でもって砲撃を続行。どうにか包囲網を打ち破らんと、敵フォース3への攻撃を行う。

 

 砲撃だけではなく、接近したところで魚雷を発射。

 

 当たらなくても良い。とにかく、包囲網に穴を開ける事さえできれば脱出の目はあるのだ。

 

 だが、フォース3を率いるリオンは、それを許さない。

 

 巧みな艦隊機動で第1艦隊の進路を塞いでくる。

 

 その間に距離を詰めたフォース1、フォース2が砲撃を浴びせて来る。

 

 先の航空攻撃で陣形が乱れた第1艦隊に、容赦なく降り注ぐ砲弾。

 

 「ティルピッツ」「グナイゼナウ」も直撃弾を浴び、甲板上の炎が拡大する。

 

「クッ、痛ァ・・・・・・」

 

 体の激痛に耐えながら、グナイゼナウは顔を上げる。

 

 「グナイゼナウ」は既に、先の航空攻撃によって両舷の高角砲、機銃、及び測距、指揮装置が壊滅。

 

 その時点では、艦内へのダメージは無かった。

 

 しかし、その後、追い付いてきたフォース1から砲撃を浴び、ダメージは艦内に及びつつある。

 

 現在、「ティルピッツ」には「アンソン」「ハウ」が、「グナイゼナウ」には「キング・ジョージ5世」「デューク・オブ・ヨーク」が砲撃を仕掛けてきている。

 

 今のところ、機関や弾薬庫にダメージは無いが、それも長くは保たないだろう。

 

 無論、「ティルピッツ」「グナイゼナウ」も撃ち返す。

 

 先の砲戦でA砲塔を破壊された「ハウ」は、更なる直撃弾を浴び、B砲塔も動作不良となった。その為、現在は後部X砲塔のみで砲撃を続行している。

 

 「グナイゼナウ」が放った40センチ砲弾は、「キング・ジョージ5世」を直撃し、その甲板に大穴を開けた。「キング・ジョージ5世」からは盛んに黒煙が上がり、一時的に砲撃の手が緩んでいる。

 

 絶望的な状況で奮戦するドイツ艦隊各艦。

 

 しかし、

 

 如何な最強戦艦2隻と言えど、3倍上の火力を集中されている状況では、戦力差は完全に圧倒されている。

 

 4隻の戦艦から乱打され、ドイツ戦艦の戦闘力は徐々に奪われていく。

 

「どうにか・・・・・・どうにか、脱出、できれば・・・・・・・・・・・・」

 

 絞り出すように呟くグナイゼナウ。

 

 既に艦隊も彼女も満身創痍。

 

 しかしまだ、主砲も機関も全力発揮可能だ。包囲網さえ破る事が出来れば、まだ生き残れるチャンスはある筈。

 

 だが、

 

「旗艦の動きが鈍っていますッ 砲撃力低下の模様!!」

「えッ!?」

 

 慌てて双眼鏡を取るグナイゼナウ。

 

 黒煙に包まれた「ティルピッツ」。

 

 状況は「グナイゼナウ」同様、酷い物だった。

 

 炎は艦全体を覆い、甲板は瓦礫の山と化している。

 

 それでも砲撃を続けているらしく、時々閃光が走っている。が、

 

「前部砲塔が、動いてない・・・・・・」

 

 愕然と声を出すグナイゼナウ。

 

 この時「ティルピッツ」は、度重なる砲撃で全部、A、B砲塔の電路が切断し、射撃不能になっていた。

 

 残る後部4門の主砲で反撃していたが、火力が低下した事により精度が低下。いよいよ追い込まれつつある。

 

 そして、

 

 次の瞬間、

 

 更に決定的な事が起こった。

 

 不意に、「グナイゼナウ」の後方で、強烈な轟音が鳴り響いた。

 

「えッ!?」

 

 とっさに振り返るグナイゼナウ。

 

 その視界の先では、海上にわだかまるように、巨大な火柱が立ち上っているのが見えた。

 

 そこには先刻まで、「ドイッチュラント」がいたはず。

 

 戦艦2隻が敵フォース1との戦闘に忙殺されている間、その小さな体と主砲で、敵のフォース2と渡り合っていた。

 

 その功労者の姿が、今やどこにも見えなかった。

 

「『ドイッチュラント』爆沈ッ 爆沈です!!」

 

 悲鳴交じりの見張り員の声が艦橋に響く。

 

 この時、「グナイゼナウ」の後方を航行していた装甲艦「ドイッチュラント」は、6門の28センチ砲を振りかざし、フォース2の戦艦3隻をに果敢に挑んでいた。

 

 自身も先の航空攻撃で損傷を負った身でありながら、主力戦艦2隻を守るべく奮戦していた「ドイッチュラント」。

 

 低い火力を補うべく、一時はフォース2旗艦「ウォースパイト」に火災を起こさせるほどの奮戦を見せた「ドイッチュラント」だったが、ついに力尽きた。

 

 装甲艦はポケット戦艦などと呼ばれているが、実質的には重巡程度の装甲しか持たない。

 

 そこへ、反撃として放たれた「ウォースパイト」の38センチ砲弾が直撃。

 

 B砲塔の天蓋を貫いた砲弾は、そのまま弾薬庫に飛び込んで炸裂した。

 

 旧式とは言え、本格戦艦の砲撃にポケット戦艦が耐えられるはずも無い。

 

 「ドイッチュラント」は搭載砲弾が誘爆を起こし、そのまま爆沈を遂げたのだ。

 

 そして、

 

 「ドイッチュラント」の喪失は、実際以上のダメージをドイツ艦隊に与えていた。

 

「ドイッチュラントが・・・・・・・・・」

「そ、そんな・・・・・・・・・・・・」

 

 炎を上げて沈んでいく光景に、艦橋の誰もが膝を突く。

 

 ドイツ海軍の将兵にとって、「ドイッチュラント」は、ある意味で特別な存在だった。

 

 ヒトラーが再軍備を推し進める中で、重巡の艦体に戦艦並みの主砲を搭載する事で世界を驚かせた艦でもある。

 

 その存在に世界は瞠目し、ドイツ海軍の栄光が蘇った瞬間でもあった。

 

 だからこそ、ドイツの国名が冠せられた。

 

 言わば「ドイッチュラント」は海軍復活の象徴ともいえる艦だった。

 

 その「ドイッチュラント」が失われた。

 

 士気が一気に下がる。

 

 尚も激しく、砲撃を繰り返すイギリス艦隊。

 

「ドイッチュラント」を失い、包囲網も狭まりつつある中、士気が低下したドイツ艦隊は、徐々に抵抗する力を失っていく。

 

 もう、だめかもしれない。

 

 誰もが、そう思い始めていた。

 

 炎の中に姿を消す「ドイッチュラント」。

 

 その様はまるで、ドイツの行く末を暗示しているかのようだった。

 

 

 

 

 

第66話「閉じられた罠」      終わり

 



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第67話「砕け散る鉄十字」

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 装甲艦「ドイッチュラント」喪失。

 

 ドイツ海軍にとって、復活の象徴とも言うべき艦を失った事で、士気は目も当てられない程、急速に瓦解しつつあった。

 

 既に残った艦で無傷な物は1隻も無く、第1艦隊の抵抗は先細りしつつある。

 

 一方のイギリス艦隊とは言えば、包囲網をいよいよ強化しドイツ第1艦隊を押しつぶさんと、3方向から圧迫してきている。

 

 戦艦7隻からは絶え間なく砲撃が降り注ぎ、巡洋艦以下の艦艇がそこに加わる。

 

 包囲網の内部はさながら、鉄と火焔と激浪の地獄と化していた。

 

 そんな中でも、ドイツ艦隊は奮闘を見せる。

 

「砲撃の手を緩めるな!! 何としても突破して見せろ!!」

 

 軽巡洋艦「ザイドリッツ」の艦橋で、オスカー・バニッシュが叫ぶ。

 

 彼の戦隊は包囲網を破るべく、引き続きフォース3への砲撃を続けている。

 

 方針は変わっていない。

 

 最も包囲網が薄いフォース3さえ突破できれば、まだ勝機はあるのだ。

 

 「ザイドリッツ」の放つ砲弾が、英重巡洋艦「サフォーク」を直撃する。

 

 艦橋付近に直撃を受けたらしい「サフォーク」は、一時的に砲撃を中断。

 

 その数分後に射撃を再開したものの、照準が合わないらしく、砲弾は全く的外れの方向へと飛んでいく。

 

 その他のドイツ艦も、どうにかして危機的状況を打ち破らんと奮戦を続ける。

 

 だが、

 

 最早、それだけの力がドイツ艦隊に残されていない事は、誰の目にも明らかだった。

 

 先の空襲で「アドミラル・ヒッパー」「アドミラル・シェア」を失い、今また「ドイッチュラント」を失った。

 

 頼みの戦艦2隻も集中攻撃を受け、満身創痍となっている。

 

 特にひどいのは「ティルピッツ」だった。

 

 最強戦艦である彼女は集中砲撃を受け、前部2基の主砲が破壊されている。

 

 後部の2基4門のみで反撃を続けてはいるが、火力低下は如何ともしがたかった。

 

 「グナイゼナウ」も、3基の主砲こそ健在だが、両舷の高角砲や機銃は度重なる攻撃によって削り取られ、全滅に近い状態である。

 

 オスカーの戦隊も、先の「ザイドリッツ」の攻撃によって、辛うじて重巡洋艦「サフォーク」を脱落に追いやる事に成功したものの、既に3隻とも損傷を受けている。

 

 旗艦「ザイドリッツ」は左舷側の対空砲をごっそりと削り取られている。

 

 「マインツ」は、煙突と後部艦橋に直撃を受けて、これを根こそぎ吹き飛ばされている。

 

 「リュッツォー」は、後部2基の主砲を破壊され火力が半減している。

 

 オスカーはどうにか包囲網を食い破らんと、フォース3に集中攻撃を仕掛けたが、フォース3司令官のリオン・ライフォードは、巧みに艦隊を操り、包囲網の維持に努めている。

 

 その為、ドイツ艦隊は包囲網の突破口すら見つける事が出来ずにいた。

 

 その時だった。

 

「『リュッツォー』被雷ッ 速力低下します!!」

 

 見張り員からの報告に、オスカーは舌打ちした。

 

 この時、イギリス海軍駆逐艦が放った魚雷の1発が、「リュッツォー」の艦腹を直撃、艦内に浸水を引き起こしていた。

 

 海軍の期待を背負って建造された新鋭軽巡は、右舷側に大きく傾いたまま速力を落としていく。

 

 そこへ、容赦なく砲撃が浴びせられる。

 

 たちまち、「リュッツォー」の姿は、爆炎と水柱に閉ざされ、見えなくなってしまった。

 

「クソォッ!!」

 

 歯噛みするオスカー。

 

 ここまで喪失無しで奮闘してきた彼の戦隊に、初めて喪失艦が出てしまった。

 

 更に、旗艦「ザイドリッツ」を、巨大な衝撃が襲った。

 

「な、何だッ!?」

 

 艦橋の窓枠に掴まって激浪に耐えながら、同か顔を上げるオスカー。

 

 そこには、こちらに向かって砲門を向ける英戦艦の姿があった。

 

 「ドイッチュラント」を撃沈した事によりフリーハンドとなった3隻の旧式戦艦「ウォースパイト」「ヴァリアント」「レゾリューション」が、砲門を向けて来たのだ。

 

 旧式とは言え、3隻とも42口径38センチ砲を装備し、強大な火力を有している。軽巡洋艦で対抗できる存在ではなかった。

 

 更に旧式戦艦からの砲撃が、「ザイドリッツ」めがけて降り注ぐ。

 

 たちまち、新鋭軽巡の周囲を巨大な水柱が取り囲む。

 

 そのうちの1発が、前部甲板を直撃する。

 

 「ザイドリッツ」全体を、すさまじい衝撃が襲い、艦橋にいた人間をなぎ倒す。

 

「前部甲板に直撃弾ッ アントン、ブルーノ損傷ッ 射撃不能!!」

 

 一撃で「ザイドリッツ」は、火力の50パーセントをもぎ取られた形である。

 

 砲撃は更に続く。

 

 幸い、機関は全力発揮可能である為、高速で回避運動に入る「ザイドリッツ」。

 

 しかし、周囲は水柱によって取り囲まれ、衝撃は容赦なく襲い掛かってくる。

 

 程なく、2度の目の衝撃が「ザイドリッツ」を襲った。

 

 最早、どの感による攻撃なのかすら、把握する事は叶わない。

 

 ただ、その一撃は艦橋近くに直撃し、艦橋内にいた達は再び吹き飛ばされた。

 

 オスカーもまた、大きく吹き飛ばされ、壁に叩き付けられた。

 

 全身に走る痛み。

 

 どうやら頭をぶつけたらしく、意識と視界が朦朧としているのが分かる。

 

 艦橋内では、生き残っていた者達の怒号が飛び交っている。

 

 オスカーは呆然と眺めていた。

 

 なぜ、こんな事になった?

 

 どうして、我々が、このような目に遭わねばならないのか?

 

 そもそも、今回の戦い自体、元はと言えば海軍の作戦計画に無かったもの。

 

 それを総統命令により、無理やり実施となった。

 

 そして、この体たらくである。

 

 元々、清算の欠片もない作戦に投入され、海軍は開戦以来のベテラン将兵、艦娘を多数失い壊滅しつつある。

 

 これはいったいどういう事なのか?

 

 なぜ、こんな事になってしまったのか?

 

 なぜ、こんな事にならなければならなかったのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あいつさえ・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの男さえ、いなければこんな事には・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 固く握りしめる拳。

 

 オスカーの脳裏には、ある男の顔が思い浮かべられる。

 

 それは本来許されざること。

 

 そのような事を考える事自体、ドイツでは万死に値するだろう。

 

 しかし、

 

 それでも、沸き上がる、どす黒い感情を押さえる事が、オスカーにはできなかった。

 

 その時だった、

 

 鳴り響く、巨大な咆哮が、オスカーを現実に引き戻した。

 

 見れば、

 

 損傷を負いながらも、未だに前線を維持している「グナイゼナウ」が、6門の40センチ砲を斉射していた。

 

 目標となった「キング・ジョージ5世」には、2発の砲弾が命中する。

 

 1発は「キング・ジョージ5世」のA砲塔を直撃し、これを旋回不能とし、もう1発は煙突を根こそぎ吹き飛ばした。

 

 割と深刻なのは2発目の方で、破壊された煙突から煙が甲板上に流出し、多数の乗組員が煙に巻かれて倒れていく。

 

 程なく、損害に耐えかねたのか、「キング・ジョージ5世」が取り舵を切って戦列から離れていくのが見えた。

 

 ようやく1隻脱落。

 

 「グナイゼナウ」の艦橋。

 

 そこに立つ1人の少女が、「ザイドリッツ」の方を見て、笑いかけている様子が見えた。

 

「ゼナ・・・・・・・・・・・・」

 

 恋人の名を呼ぶオスカー。

 

 『大丈夫。大丈夫だから』。

 

 少女が、そう言っているように見えた。

 

 そうだ、余計な事を考えるのは後で良い。今はとにかく、この包囲網から脱出しないと。

 

 「キング・ジョージ5世」の脱落により、ようやく包囲網にも綻びが見え始めた。わずかずつではあるが、希望が出始めているのだ。

 

 そこへ、

 

 更に、ドイツ艦隊へ追い風が吹いた。

 

 南東側の包囲網を担当している、イギリス艦隊のフォース2。

 

 そのフォース2の3番艦「レゾリューション」の周囲に突如、巨大な水柱が立ち上った。

 

 同時にイギリス艦隊の動きに乱れが生じ、目に見えて動揺が広がるのが分かった。

 

 対して、オスカーは口元に笑みを刻む。

 

 何が来たのか?

 

 誰が来たのか?

 

 そんな事は、問うまでも無かった。

 

「・・・・・・・・・・・・遅いぞ馬鹿野郎。散々、待たせやがって」

 

 そう告げると、

 

 オスカーはゆっくりと意識を失い、床に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 想像の3倍は最悪だ。

 

 全速航行する「シャルンホルスト」の艦橋にあって、エアルは苦虫を嚙み潰したような気分になる。

 

 戦場となっている海域が目まぐるしく変化した為、第1戦闘群の機動力をもってしても、到着するのに時間が掛かりすぎてしまった。

 

 その間に、第1艦隊は壊滅と言っても良い損害を被ってしまっている。

 

 装甲艦「ドイッチュラント」「アドミラル・シェア」、重巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」、軽巡洋艦「リュッツォー」「ライプツィヒ」「ケルン」喪失。12隻いた駆逐艦も、4隻が失われていた。

 

 「グナイゼナウ」「ティルピッツ」は健在だが、「ティルピッツ」は大破、「グナイゼナウ」も、控えめに見て中破の損害を受けている。

 

 状況判断に要した時間はほんの僅か。決断は素早く下す。

 

「第1戦闘群各艦に通達ッ 我々はこれより、第1艦隊撤退支援の為の行動を開始する!!」

 

 エアルは一瞬見ただけで、既にこの戦況を覆す事は不可能と判断した。

 

 ならば、ここは戦力温存の為にも撤退する以外に選択肢は無かった。

 

「面舵一杯ッ 左砲戦用意!!」

「目標、敵R級戦艦!!」

「アントン、ブルーノ、ツェーザル、1番2番、全門、徹甲弾装填!!」

 

 右に回頭しつつ、主砲塔を左へ旋回させる「シャルンホルスト」。

 

 後続する「プリンツ・オイゲン」も、同様に連装4基8門の20センチ主砲を旋回させる。

 

 エアルの方針も、第1艦隊のそれと同じだ。敵の包囲網に穴を開け、そこから味方を脱出させる。

 

 目標は、手近なところにいるフォース2。旧式戦艦中心の部隊だ。短時間に火力を集中できれば望みはある。

 

「撃てェ!!」

 

 エアルの号令と共に、6門の40センチ砲を撃ち放つ「シャルンホルスト」。

 

 目標は、フォース2最後尾を走る戦艦「レゾリューション」。

 

 対する「レゾリューション」はと言えば、第1艦隊に対する砲撃中に背後から襲われた形である為、砲塔を「シャルンホルスト」がいる方向とは反対側の海域に向けている。

 

 つまり、第1戦闘群は図らずも、敵のフォース2に対する奇襲に成功した形であった。

 

 傍らの椅子に座るシャルンホルストもまた、必死になって艦の制御に集中している。

 

 少女の様子を横目に見ながら、エアルは視線を戻す。

 

 今は彼女を気にかけている様子はない。

 

 シャルンホルストは大丈夫だ。彼女に任せておけば問題は無いだろう。

 

 後は、自分がどれだけ的確に、指揮に専念できるかにかかっている。

 

 後続する「プリンツ・オイゲン」も「レゾリューション」に対し砲門を開く。

 

 「レゾリューション」周囲に、小ぶりな水柱が立ち上る。

 

 「オイゲン」が素早い斉射で「レゾリューション」の照準を攪乱する。

 

 護衛の為に追随して来た駆逐艦4隻は、敵の小型艦の突撃に備え、警戒待機している。彼等の投入タイミングを、エアルは慎重に計っていた。

 

 英艦隊も、慌てて主砲を旋回させている様子が見えるが、その動きよりも早く、「シャルンホルスト」が第3斉射を放った。

 

 放たれた砲弾はまっすぐに飛翔。

 

 そのまま「レゾリューション」に2発が命中した。

 

 1発は旋回中の第3(X)砲塔基部に命中。ここを抉るように爆砕して旋回不能とした。

 

 もう1発は艦首付近に命中し第1(A)砲塔の右舷手前に大穴を開けた。

 

 速力を低下させる「レゾリューション」。

 

 それでも、どうにか反撃しようと主砲を旋回せ、残り6門の主砲を「シャルンホルスト」へ向ける。

 

 だが、「レゾリューション」の主砲が火を吹く前に、第4斉射を放つ「シャルンホルスト」。

 

 その砲撃により、3発の命中弾を受ける「レゾリューション」。

 

 うち1発は辛うじて装甲に阻まれて弾き返したが、残り2発が艦内に突入して炸裂した。

 

 黒煙を上げ、傾斜しながら海上に停止する「レゾリューション」。

 

 どうやらスクリューか舵、あるいはボイラーと言った駆動系に重大な損害をダメージを負ったらしい。

 

 傾斜は少しずつ増しており、「レゾリューション」が、徐々に海面下に引き込まれつつあることを物語っていた。

 

 戦艦1隻撃沈確実。

 

 勝利を確信していたイギリス艦隊は、思わぬ損害に浮足立つ。

 

 そして、

 

 その一瞬の隙を、エアルは見逃さなかった。

 

「今だ、第1艦隊司令部に打電、『直ちに離脱を急がれたし』!!」

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 エアルの指示に従い、ドイツ海軍各艦は一斉に動き出す。

 

 多大な損害を負いながらも、健在だった「ティルピッツ」艦上の第1艦隊司令部は、直ちに全艦に脱出を指示する。

 

 それを受けて、まずは生き残っていた駆逐艦が行動を開始。

 

 第1戦闘群が開いた包囲網の隙間をさらに広げるべく、フォース2めがけて突進し、残っていた魚雷を発射する。

 

 当たらなくても良い。とにかく魚雷を放ち、イギリス艦隊を混乱させることが目的だ。

 

 その狙いは、成功しつつあった。

 

 更にエアルは、ここで切り札を切る。

 

 ここまで待機させておいた駆逐艦部隊に突撃を命じたのだ。

 

 駆逐艦はフォース2に接近すると、魚雷を一斉発射する。

 

 ドイツ駆逐艦が魚雷を放ったことを察知して、回避行動に入るイギリス艦隊フォース2各艦。

 

 しかし、陣形は大いに乱れ、フォース2は砲撃どころではなくなってしまう。

 

 これにより、イギリス艦隊が形成した包囲網の一角は完全に崩れた。

 

 そこへ、雪崩を打って突破を図るドイツ第1艦隊。

 

 無論、イギリス艦隊のフォース1とフォース3も追撃を掛けようと反転してくる。

 

 しかし、そこはエアル率いる第1戦闘群が、牽制の為の砲撃を行い寄せ付けない。

 

 更に、第1艦隊の中で戦闘力を残している「グナイゼナウ」「マインツ」が牽制の砲撃を行い、イギリス艦隊の接近を阻む。

 

 その間に、駆逐艦に護衛される形で総旗艦「ティルピッツ」が、まずは離脱に成功した。

 

 傷ついた巨艦は、それでもどうにか駆逐艦に守られて戦場から離れていく。

 

 更に損傷を負った「ザイドリッツ」も、僚艦「マインツ」の援護を受けながら戦場を離れていく。

 

 戦場から離れていく「ザイドリッツ」の様子を、エアルは「シャルンホルスト」の艦橋から見つめる。

 

 オスカーの安否は判らない。「ザイドリッツ」の艦橋からは、何の反応も無いからだ。

 

 今は、無事である事を祈るしかない。

 

 こうして、粛々と撤退を進めていくドイツ艦隊。

 

 大半の艦艇が脱出に成功し、残ったのはごく僅かとなる。

 

 だが、

 

 悲劇はその瞬間から始まった。

 

 離脱しようとするドイツ艦隊。

 

 それを逃すまいと、1隻の英巡洋艦が追いすがって来たのだ。

 

 

 

 

 

「いつもいつも、良い所で邪魔してくれるわね、あいつ!!」

 

 彼方で砲撃を行う「シャルンホルスト」を睨みながら、ベルファストが叫ぶ。

 

 これまで何度も「シャルンホルスト」は、彼女たちの前に立ちはだかり、重要な場面で邪魔をされてきた。

 

 そして今もまた、絶妙ともいえるタイミングで現れ、殲滅寸前だった第1艦隊を救出しようとしている。

 

 リオンやベルファストにとって、正に仇敵ともいえる存在。

 

 だが、

 

「今度ばかりは、奴の思い通りにはさせん」

 

 少女の傍らに立つリオンも、鋭い眼差しを見せる。

 

 だが、その鋭い視線は「シャルンホルスト」を見ていない。

 

 青年提督の視線。

 

 その先にいる物。

 

「せめて片割れは、頂いて行く!!」

 

 今にも包囲網を抜け、離脱しようとしている「グナイゼナウ」の姿があった。

 

「取り舵一杯、右魚雷戦用意!!」

 

 32ノットで行進しつつ、左へ回頭する「ベルファスト」。

 

 同時に左舷の53センチ魚雷発射管が旋回する。

 

 対して、既に「グナイゼナウ」は、主砲を除く火器の大半を破壊されている為、接近してくる「ベルファスト」を自力で排除する事は不可能に近い。

 

 主砲もまた、追撃を仕掛けてくるフォース1に向けている為、「ベルファスト」に対しては無防備に近い。

 

 更に、生き残っている駆逐艦も「ティルピッツ」を護衛して先に離脱してしまっている為、「グナイゼナウ」周辺は、一時的に手薄となっていた。

 

 リオンとベルファスト達は、その一瞬の間隙を突いたのだ。

 

「発射始め!!」

 

 リオンの号令と共に、左舷側の魚雷を発射する「ベルファスト」。

 

 対して、成す術がない「グナイゼナウ」。

 

 ややあって、

 

 その艦腹に、巨大な水柱が立ち上った。

 

 

 

 

 

「『グナイゼナウ』被雷!! 行き足、止まります!!」

「えッ!?」

 

 報告を聞いた瞬間、シャルンホルストは集中を解いて顔を上げる。

 

 向ける視線の先。

 

 果たしてそこには、

 

 1隻だけ脱出が遅れていた「グナイゼナウ」が、敵中に取り残される形で海上に停止しているのが見えた。

 

 黒煙を上げる巡洋戦艦は、明らかに左舷側に傾斜しているのが分かる。

 

「ゼナッ!!」

 

 思わず、窓枠に駆け寄り叫ぶシャルンホルスト。

 

 エアルもまた、少女の傍らに立って、彼方の「グナイゼナウ」を見据える。

 

 どうにかして、救わなければ。

 

 彼女の、

 

 シャルンホルストの妹を、こんな所で死なせるわけにはいかない。

 

 どうにか、

 

 どうにかして助けないと。

 

 とっさに考えるエアル。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 冷静に判断したからこそ、判る。

 

 状況が絶望的である事を。

 

 敵中に孤立し、機関も停止しつつある「グナイゼナウ」。

 

 周囲に援護できる味方艦もいない。

 

 しかも、一度は崩れかけたイギリス艦隊の包囲網が、再び閉じられつつある。

 

 救えない。

 

 それは、誰の目にも明らかだった。

 

「ッ」

 

 舌打ちする。

 

 それでもッ

 

 それでもだッ

 

 エアルは右腕を振り上げた。

 

 砲撃を開始すべく、振り下ろそうとした。

 

 だが、

 

「ダメッ」

 

 その腕に、しがみついたのは、シャルンホルストだ。

 

「ダメ、おにーさんッ ダメだよ!!」

「シャル!!」

 

 分かっていて尚、グナイゼナウの為に、イギリス艦隊に挑もうとするエアル。

 

 だが、そんなエアルを、シャルンホルストが必死に止める。

 

「もう、ダメだよ!!」

 

 彼女にも、分かっているのだ。

 

 妹を救う事は出来ない、と言う事が。

 

 そして、

 

 グナイゼナウを救おうとすれば、ここで自分達が全滅すると言う事が。

 

 否、

 

 彼女こそ、最もつらい筈なのに。

 

 少女の目から、涙がこぼれる。

 

 奇しくも、あの時と逆になる。

 

 あの、「ビスマルク」救援が絶望的だと悟った時、

 

 彼女を助けてと懇願するシャルンホルストを、エアルは振り払った。

 

 だが今、あの時とは立場が逆になっている。

 

「お願い、おにーさん・・・・・・・・・・・・」

 

 エアルの袖を、シャルンホルストは両手で力いっぱい握りしめる。

 

「ここでみんなが死ぬなんて、それこそゼナは望んでないよ。だから・・・・・・・・・・・・」

「シャル」

 

 俯く少女。

 

 その頬に伝う、涙。

 

 その涙を前に、

 

 エアルは振り上げた手を、下ろす事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 反転し、遠ざかっていく「シャルンホルスト」。

 

 その様子を、自身の艦橋でグナイゼナウは眺めていた。

 

「そうそう、それで良い。それで良いのよ、シャル」

 

 姉が自分の意志を正確にくみ取ってくれたと感じ、グナイゼナウは満足を覚えていた。

 

 そう、

 

 こんなところで、自分達を救うためにだけに味方が全滅する事など許されなかった。

 

 反転したのが、シャルの意志なのか、それともエアルの意志なのか、それは分からない。

 

 肝心なのは、味方が離脱に成功した事。ただ、それだけだった。

 

 自分1人に拘泥して、味方が全滅する事だけは、どうしても許せなかった。

 

 自分はもう、助からない。

 

 だが、戦争はまだ続く。

 

 生き残った皆は、祖国を守る為に戦わなくてはならない。その為には1隻でも、1人でも多く生き残らなくてはならなかった。

 

 特に、

 

 シャルンホルスト、自分の姉さえ生き残れば、まだまだドイツ海軍は負けない。

 

 それはグナイゼナウにとって、確信にも似た思いだった。

 

「シャル・・・・・・元気でね。アレイザー准将とは、仲良くね」

 

 そして、

 

「オスカー、ありがとう」

 

 既にこの場にいない恋人に、そっと呼びかける。

 

 楽しかった。

 

 本当に、楽しかった。

 

 彼を守る為に、自分は戦う事が出来た。

 

 ただそれだけで、自分の存在に価値はあった。そう思えるのだった。

 

「さあ、やろっか」

 

 グナイゼナウの言葉に、艦長以下、幕僚達が頷く。

 

 既に艦は停止、主砲以外の火器は全滅し、味方もいない。

 

 絶望と言う言葉すら、相応しくない。

 

 既に死地に身を置く彼女たちに、恐れるべき何者も存在しなかった。

 

 

 

 

 

 自分達に向けて主砲を向ける「グナイゼナウ」。

 

 その様子を、旗艦「アンソン」の艦橋において、ボルス・フレイザーは眺めていた。

 

 既に勝敗が決した戦い。

 

 それでも向かってくる敵艦の覚悟を感じ取る。

 

「見事だ」

 

 「グナイゼナウ」も、自分が助からない事は判っている。

 

 分かっていて、それでも味方を守る為に、ただ1隻で立ち塞がっているのだ。

 

「我々も、いずれ強大な敵に屈する時が来るかもしれん。その時は、あの艦のように最後まで諦めず、立派にありたいものだな」

 

 そう告げると、

 

 グナイゼナウの覚悟に答えるように、手を振り上げる。

 

 その手が、

 

 鋭く振り下ろされた。

 

 

 

 

 

 自身に向かってくる無数の砲弾。

 

 その様子を眺め、

 

 グナイゼナウは笑みを見せる。

 

「・・・・・・・・・・・・さよなら」

 

 その言葉は、誰に宛てた物だったのか? その答えを知る者は、誰もいない。

 

 次の瞬間、

 

 閃光が、彼女の世界を包み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

第67話「砕け散る鉄十字」      終わり

 



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第68話「再起、それあるのみ」

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

「・・・・・・たった、これだけしか戻ってこれなかったのか」

 

 指定された停泊位置に向かって微速で航行する「シャルンホルスト」の艦橋から、無残になり果てた艦隊の様子を見て、エアル・アレイザーは呟いた。

 

 その声は、努めて平坦に響く。

 

 あえて、そうしないとエアル自身、正気を保てる自信がなかった。

 

 それ程までにひどい光景が、目の前に広がっていた。

 

 キール軍港に帰り着いたドイツ艦隊は、無残な有様になり果てていた。

 

 ある艦は爆炎になぶられ、艦全体が黒焦げ、ある艦は舷側に大穴が開き、又、ある艦は明らかに喫水を深く下げている。

 

 各艦、大なり小なり損傷を負っている。無傷な物は1隻たりとも無かった。

 

 生き残った者達は皆、自分が祖国の姿を見られた奇跡を神に感謝せずにはいられなかった。

 

 主戦場となった海域から「オークニー諸島沖海戦」の名で呼ばれる戦いは、ドイツ海軍の

惨敗で幕を閉じた。

 

 喪失艦艇は巡洋戦艦「グナイゼナウ」、装甲艦「ドイッチュラント」「アドミラル・シェア」、重巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」、軽巡洋艦「ザイドリッツ」「リュッツォー」「ケルン」「ライプツィヒ」、駆逐艦9隻。潜水艦6隻。

 

 その他、戦闘に参加した艦艇で無傷な物は1つとして存在しない。

 

 空母「グラーフ・ツェッペリン」「ペーター・シュトラッサー」は無事だが、艦載機の9割近くを喪失し戦闘力を失っている。

 

 いったんは戦場の離脱に成功したドイツ艦隊だったが、その後、イギリス海軍の執拗な追撃にあった。

 

 イギリス海軍からすれば、正に千載一遇の好機。これを機に、ドイツ艦隊を徹底的に叩いておこうと言う発想は自然の事だった。

 

 特に艦載機による攻撃は執拗で、せっかく戦場を離脱したにもかかわらず、航空攻撃によって失われた艦も多かった。

 

 軽巡洋艦「ザイドリッツ」もその1隻である。

 

 元々、水上砲戦で多大な損害を被っていた身である。そこへ、航空攻撃によってトドメを刺された形だった。

 

 北ノルウェー基地を出撃した際のドイツ艦隊は、戦艦1、巡洋戦艦2、航空母艦2、装甲艦2、重巡洋艦2、軽巡洋艦6、駆逐艦22、潜水艦11、合計48隻だった。

 

 ほぼ5割に達する戦力を、一戦で喪失した事になる。

 

 比喩でも何でもなく、ドイツ主力艦隊は北海にて壊滅の憂き目となったのだ。

 

 元々、イギリス海軍に対し劣勢だったドイツ海軍だが、今回の大敗により決定的となった。

 

 この差は、もはや埋められない。

 

 それは、誰の目にも明らかだった。

 

 そして、

 

 主力艦隊の壊滅は即ち、来たる連合軍の反攻作戦に対し、海上での反撃が不可能になった事を意味している。

 

 ドイツは苦戦中の東部戦線、イタリア戦線に加えて、西の守りも喪失したのだ。

 

 海軍上層部としては、あまりにも頭の痛い話だった。

 

 一部情報では、既に連合軍が大陸反攻作戦の準備を整えつつあり、過去最大規模となる大軍が、イギリス本土に集結しつつあるとか。

 

 それに対抗する為には、敵が海岸に押し寄せたところで、陸軍がフランス沿岸部に建設中の「大西洋の壁」を用いて水際で食い止めている隙に、北ノルウェー基地から発した水上艦隊とUボート艦隊が敵後方に回り込み補給線を切断、敵上陸軍が干上がったところで陸海空3軍が呼応して一気に反攻に転じ、敵を大西洋に追い落とす以外に無かった。

 

 その戦略は、今回の大敗によって完全に破綻した。

 

 壊滅した海軍に、もはやその戦略を実行するだけの力は残されていなかった。

 

 それでも絶望する事は許されない。

 

 艦隊は失われた。

 

 しかし、それでも尚、戦わなくてはならない。

 

 全ては、祖国を、愛する者達を、迫りくる敵の手から守る為。

 

 残された戦力を糾合して、何としても敵の反攻を防がねばならなかった。

 

 やがて「シャルンホルスト」は、指定されたブイで停止すると、エアルは幕僚の方を振り返った。

 

「司令部の方へ行ってきます。後はよろしく」

「了解しましたが、シャルはよろしいので?」

「ええ」

 

 幕僚の言葉に、エアルは躊躇う事無く頷きを返す。

 

 本来なら旗艦艦娘であるシャルンホルストも司令部に出頭しなくてはならないところだが、エアルは彼女を艦に置いて行く事を決めていた。

 

 巡戦少女は、今この場にはいない。

 

 戦場を離脱するまでは頑張っていたのだが、その後は自室に引きこもっていた。

 

 無理もない。

 

 グナイゼナウ。

 

 彼女が共に戦い生きて来た最愛の妹は、もうこの世にいない。

 

 少女は最後まで勇敢に戦い、北海の水底へと消えていった。

 

 グナイゼナウの死が、シャルンホルストの心に大きな傷を残した事は疑うべくもない事。

 

 エアルとしては、恋人である少女を、もう少しそっとしておいてやりたかった。

 

 

 

 

 

 艦を降りたエアルは、ふと足を止めた。

 

 桟橋や埠頭は負傷した兵士で溢れかえり、さながら野戦病院の様相を呈している。

 

 停泊した艦から、次々と負傷兵が下ろされていく。

 

 埠頭を埋め尽くす、負傷兵の数たるや、それだけで目を背けたくなる。

 

 あちこちから発せられる呻き声。

 

 中には手や足を欠損している者も多くいる。

 

 流れ出た血で、さながら地面は河の如く。

 

 まさに地獄絵図だった。

 

 港の医務室は、極短時間のうちに満杯になった事は想像に難くない。

 

 収容しきれない負傷兵達は、担架に乗せられたまま地面に並べられている。

 

 実際の損害以上に、ドイツ海軍が被った損害は大きい。

 

 果たして再編成にどれほどの時間が掛かる事になるのか、想像するだに気が遠くなるようだ。

 

 エアルが足を止めたのは、負傷する兵士の中に、良く知った顔を見つけたからだ。

 

「あれは、オスカー・・・・・・・・・・・・」

 

 親友であるオスカー・バニッシュが、負傷兵たちの流れに逆らうようにして歩いているのが見える。

 

 海戦の際に負傷していたオスカーは、旗艦「ザイドリッツ」沈没の際、幕僚に助けられて駆逐艦に移乗、そのままキールに帰還していた。

 

 遠くを歩くオスカーは、エアルに気付いた様子はない。その足取りは重くふらついている。

 

 まるで何かを探すように、虚ろな目を周囲を見回していた。

 

「オスカー・・・・・・・・・・・・」

 

 恋人であるグナイゼナウを失い、自分1人生き残ってしまったオスカーの心の中を推し量る事はエアルには出来ない。

 

 やがて、オスカーの姿は人の波にもまれ、エアルの視界から消えていくのだった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 この上なく空気が淀んでいる。

 

 直立不動で立つリオン・ライフォード准将は、その重苦しい空気を前に息苦しさを感じていた。

 

 祝賀の場。

 

 それも、自分達の戦勝を祝う場であると言うのに、まるで監獄にでもいるかのような感覚に包まれていた。

 

 目の前にて演説するようにしゃべる男の言葉は、重みも無ければ、心にも脳にも響く事はなく、ただ空しく空気に溶けていくようだった。

 

「よくぞ、祖国の危機を救ってくれた、本国艦隊の勇志諸君。諸君の活躍たるや、彼のホレイショ・ネルソンにも勝る快挙と言えよう」

 

 上機嫌に話すのは、イギリス国王フレデリック3世。

 

 その傍らには、側近であるアルヴァン・グラムセル大佐の姿もあった。

 

「諸君らの勇戦、これに勝る物なし。余も、共に戦ってきた者として、これほどうれしい事は無い」

 

 あんたが何をした?

 

 腹の底でリオンは呟く。

 

 国王は、この戦いで何もしていない。ただ、後方で戦果報告を聞いただけである。

 

 それを、あたかも自分の手柄であるかのように語られるのは、いかにも腹立たしかった。

 

 オークニー諸島沖海戦に勝利し、帰還した本国艦隊。

 

 そのまま幕僚全員が王城へと召喚され、国王陛下に謁見する運びとなった。

 

 フレデリックは、本国艦隊の幕僚、艦娘、指揮官クラス全員に勲章授与を決定した。

 

 その受勲式が行われ、今は国王の演説を聞かされているところである。

 

「正に未来永劫語り継がれる英雄的活躍である。敢えて言おう、諸君の前に勇者は無く、諸君の後に勇者はいない。正に、今世紀最高の壮挙である」

 

 垂れ流される美辞麗句を、リオンは完全に聞き流していた。

 

 国王の口から出ている言葉の99パーセントは意味のない物だ。耳に入れるだけ時間の無駄と言う物。

 

 確かに、戦いはイギリス海軍の勝利。ここまでの大勝は、開戦以来初と言って良い。

 

 仇敵たるドイツ艦隊は壊滅、恐らく2度と再び、同規模の戦力を繰り出す事は出来ないだろう。

 

 しかし、勝ったイギリス艦隊もまた、無傷とはいかなかった。

 

 戦艦は、旧式とは言え「レゾリューション」を喪失、その他にも重巡洋艦1隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦6隻が失われている。

 

 その他、損傷艦も多く、すぐには次の作戦行動がとれない程だった。

 

 幸い、本命の大規模輸送作戦は滞りなく行われており、既に多くの輸送船団が、手薄となった北海航路を使ってソ連領ムルマンスクに入港している。

 

 船団輸送は現在も継続されており、必要な物資が届けられるのに、そう時間はかからない見通しだった。

 

 それらが運んだ物資は既にソ連軍の手に渡っている。

 

 程なく、東部戦線でも大規模な攻勢が始まるだろう。

 

 今回の勝利は、正にヨーロッパ戦線の帰趨を決したと言っても過言ではない。

 

「お褒めにあずかり、恐悦です、陛下」

 

 一同を代表するように、ボルス・フレイザー本国艦隊司令官が恭しく発言する。

 

 今回の戦いにおける最功労者は、間違いなくフレイザーだろう。

 

 あれほど緻密かつ、大胆な包囲殲滅作戦を実行し、艦隊運用まで完璧にこなすなど、並の提督には不可能な事。

 

 艦隊運用に長けたフレイザーだからこそ神業であると言えた。

 

「しかし恐れながら陛下。確かにドイツ海軍の水上艦隊はこの度の戦いで殲滅しました。しかし元より、彼等の主戦力はUボートです。Uボート艦隊が健在な以上、敵は再び仕掛けて来るでしょう。今後は、そちらへの対応が急務であると考えます」

 

 既に対Uボート対策用の兵器や護衛駆逐艦、護衛空母と言った船団護衛に欠かせない艦船は続々と戦線に投入されている。

 

 間も無くドイツ海軍は、Uボートをもってしても戦う事が出来なくなるであろう。

 

 と、

 

「ふん・・・・・・」

 

 そんなフレイザーに対して、フレデリックはやや白けたように嘆息する。

 

 どうやら、面白みのない回答だと思われたらしい。

 

 しかし、事実である以上は仕方がなかった。

 

「まあ、良いだろう。確かにフレイザー、そなたの言う通りだ。奴等は瀕死のケダモノだが、だからこそ、完全に息の根を止めるまでは油断できぬと言う物よ」

「はッ」

「ナチスと言うケダモノは、根絶やしにして初めて安心できると言う事だ。ゆめ、忘れるな」

 

 国王の言葉に、一同が頭を下げる。

 

 そんな事は、今更言われるまでも無い事だった。

 

「皆も、フレイザーを倣い励むがよい。良いな、ナチス海軍の者ども、1人残らず余の前にひれ伏させよ。それがお前達の使命と心得よ」

 

 そう告げると、フレデリックは立ち上がって謁見の間を出て行く。

 

 付き従うアルヴァン。

 

 謁見の儀は、それで終了となった。

 

 

 

 

 

 謁見の間を後にして、荘厳な廊下を歩くフレデリック。

 

 アルヴァンは、数歩下がった位置から付き従う。

 

「なあ、アルヴァン」

「はい、何でしょう、陛下?」

 

 しばらく歩いてから、フレデリックが声を掛けた。

 

「フレイザーだが、奴は聊か思い上がっている。そうは思わんか?」

「御意」

 

 フレデリックの言葉に、アルヴァンは間髪入れずに答える。

 

 主が何を言いたいか、この忠実な男は完全に理解して答える。

 

「確かに。本国艦隊司令官におかれましては、思いもかけぬ大勝利によって、聊か以上に浮かれているように見受けられます。悲しい事ですが人間の性、大きな勝利の後にはどうしても舞い上がってしまい、自分を見失ってしまう物かと」

「やはり、そう思うか?」

 

 完全に言いがかりである。

 

 だが、この場に、

 

 否、

 

 この国に、国王の言葉を否定できる人間はいない。

 

 少なくとも、アルヴァンに否定する気は無かった。

 

「やはり、分不相応な勝利は、人を堕落させる。この際、奴には休養が必要だとは思わんか?」

「全く持って同意でございます陛下、ご慧眼、恐れ入りましてございます」

 

 慇懃に頭を下げるアルヴァン。

 

 その様子に、フレデリックは口の端を釣り上げて笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

「以上が、現在、我々が置かれている状況だ」

 

 説明を終え、カーク・デーニッツは居並ぶ一同を見渡す。

 

 潜水艦隊司令官の職にあったデーニッツだが、オークニー諸島沖海戦における大敗を知ったヒトラーは、それまで海軍総司令官だったエヴァンス・レーダー元帥の罷免を決定。新たにデーニッツをその後任に任命した。

 

 新たに海軍総司令官となったデーニッツだったが、その事を喜ぶ気には微塵もなれなかったのは言うまでもないだろう。

 

 現状の把握に損傷艦の修理、負傷者の収容、戦死者遺族への一時金支給、艦隊の再編成と、今後の作戦方針決定。彼の前に、課題は山積していた。

 

 その為にもまずは、現状を把握する必要がある。

 

 そこで、艦隊帰還の報をベルリンの海軍本部で聞いたデーニッツは、取る者も取り合えず、キール軍港へ駆け付けた訳である。

 

 会議室のテーブルを囲んでいるのは、デーニッツの他に海軍総司令部の幕僚達、更には帰還した第2艦隊司令官のウォルフ・アレイザー以下艦隊司令部幕僚達。

 

 その中には、第1戦闘群司令官としてエアルの姿もあった。

 

 第1艦隊司令部要員の姿はない。

 

 司令官のハインツ・シュニーヴィント以下、第1艦隊司令部は「ティルピッツ」が集中攻撃を受けた際に艦橋に直撃弾を受け、大半が死傷していた。

 

 シュニーヴィント自身も一命はとりとめたものの、意識不明の重体となっている。

 

 撤退戦の指揮は実質、ウォルフが取って艦隊をキール軍港へ連れ帰って来たのだ。

 

「言うまでも無いが状況は、きわめて厳しい。先の敗北により、我が海軍と英海軍との戦力差は決定的となった。最早、この状況を覆す事は不可能だ」

 

 デーニッツの言葉が重くのしかかる。

 

 オークニー諸島沖海戦は、決してドイツ海軍の一方的な敗北と言う訳ではない。

 

 旧式とは言え、戦艦「レゾリューション」の撃沈は確認しているし、中小型の艦艇も何隻か沈めている。生き残った艦も無傷ではない。

 

 しかしそれでも、彼等の持つ艦隊の規模からすれば、許容の範囲内と言って良かった。

 

 ドイツ海軍がイギリス海軍に勝つ、唯一の方法。

 

 それは身も蓋もない言い方だが「負けない」事だった。

 

 自軍の損害を最小限に押さえながら、敵には常に大損害を与え続ける。有力な敵が現れたら交戦を避けて逃げ、とにかく生き残る事を最優先とする。そうする事で初めて、ドイツ海軍はイギリス海軍に脅威であり続ける事ができるはずだった。

 

 しかし、今回の大敗で、その前提が崩れた。

 

 戦力の半数を一気に喪失したドイツ海軍に態勢の立て直しは不可能だ。それどころか、今後はその戦力差は更に広がって行く事だろう。

 

 制海権の喪失は時間の問題だった。

 

「そして、君たちが帰還する間に、状況は更にまずい事になった」

 

 そう言うと、デーニッツは1枚の写真をウォルフに渡して来た。

 

 受け取り、目を通すウォルフ。

 

 そこには、海上を進む多数の船舶が写されている。

 

「閣下、これは?」

「ノルウェー基地から北海偵察を行った偵察機が持ち帰った。どうやらムルマンスクに向かう船団らしい」

 

 写真は複数あり、そこに移っている船もそれぞれに異なっているのが分かる。

 

 つまり、かなり大規模な船団が航行していると言う事だ。

 

「偵察を行ったパイロットによれば、少なくとも数10隻の船団が東に向かったらしい。更にその他にも、同規模の船団が複数、動いている節がある」

 

 数10隻の船団が複数。

 

 それはつまり、かなり大規模な輸送作戦が行われた事になる。

 

 話を聞きながら、エアルは考え込む。

 

 偵察機が見たのは間違いなく、イギリス本国からソ連領へ向かう「援ソ船団」だ。

 

 規模から言って、相当な量がソ連領へ運び込まれた事が推察される。

 

 ドイツ艦隊の脅威がなくなったと判断したイギリス艦隊は、援ソ船団の運行を再開したのだ。

 

 しかし、

 

 エアルはどうしても、気になる事があった。

 

 自分達がイギリス艦隊との決戦に入ると同時に再開された援ソ船団。タイミング的に考えて偶然とは思えない。

 

 つまり、敵は待っていたのだ。ドイツ海軍がノルウェー基地を離れるのを。

 

 ノルウェー基地周辺が手薄となれば、北海航路の安全が確保される事となる。

 

 つまり、北海における船団航行の自由が確保されるタイミングを彼等は待っていたのだ。

 

 そして思惑通りドイツ艦隊が出撃し、北海周辺が手薄になるタイミングで大規模な輸送船団を繰り出し、大量の物資をソ連領に運び入れる事に成功したのだ。

 

 全ては一連の流れだったのだ。

 

 ベルリン空襲で総統閣下を挑発してドイツ軍の総攻撃を誘発。そこへ全艦隊戦力で迎撃しドイツ艦隊を壊滅させると同時に、大規模な船団をソ連領へと送り込む。

 

 完璧、としか言いようがなかった。

 

 ドイツ軍は完全に、イギリス軍の作戦に乗せられてしまった形であった。

 

「我が国の置かれた状況は極めて危険だ。西の連合軍に加えて、東のソ連軍も、年内に大規模な攻勢に出る物と考えられる。ここで食い止めなければ、本当に我々は破滅の道を転がり落ちる事になる」

 

 だから、言わんこっちゃないんだ。

 

 説明を聞きながら、エアルは嘆息した。

 

 今回の出撃、そもそもからしてエアルは反対だったのだ。

 

 北ノルウェー基地の存在と北海制海権確保により、ドイツ艦隊は長期にわたって援ソ船団の運行を阻止する目途が立っていた。

 

 後は制海権を維持しつつ、航路の封鎖を堅実に行い戦い続けて行けば、東部戦線で苦戦中の陸軍支援としては十分な物があった。それこそが、ドイツ側が勝つ事が出来る唯一のシナリオだったはずだ。

 

 それを不急不要な艦隊決戦に打って出て、しかも最も避けるべき総力戦による正面決戦に引きずり込まれて大敗。同時に大規模輸送船団の阻止にも失敗し、艦隊戦力と制海権を同時に喪失してしまった。

 

 これで、完全にドイツ側の目論見は潰えた事になる。

 

「とは言え、愚痴ってばかり言っても始まらん。我々には、残された戦力を有効活用し、戦線を維持する義務がある。諸君にはその事を踏まえ、意見を述べていただきたい」

 

 デーニッツが一同を見回す。

 

 たとえ決戦に敗れようが、過半数の戦力を失おうが、主力艦隊が壊滅しようが、制海権を失おうが、厳然としてドイツ第3帝国は未だに存在し、戦争は継続している。

 

 ならば、祖国を守る為に戦わなくてはならなかった。

 

 それが負けると分かっていても、だ。

 

 とは言え、

 

 残った戦力で、尚も強大なイギリス艦隊に対抗する事は不可能。その事は火を見るよりも明らかだろう。

 

 自分達が取るべき道。

 

 自分達はいかにして戦うべきなのか。

 

 一同が頭を抱える中、

 

 ただ1人、挙手した者がいた。

 

「エアル?」

 

 ウォルフの横に座ったシュレスビッヒ・ホルシュタインが、怪訝な面持ちで見詰めて来る。

 

 対して、エアルは彼女に頷きかけると、デーニッツに向き直った。

 

「アレイザー准将。何か意見があるのか?」

「はい」

 

 一同が視線を集中させる中、エアルはまっすぐに見据えて口を開いた。

 

「水上艦隊による、敵輸送船団の運行阻止を提案します」

 

 エアルの言葉を聞いて、一同がざわついたのは言うまでもないだろう。

 

 主力艦隊の過半を失い、今後の戦線維持をどうしようかと言っている時に、気が触れているとしか思えない提案がなされたのだ。まともな思考の持ち主なら正気を疑うレベルである。

 

 「馬鹿な」「不可能だ」「何を考えているのか」と言った会話が、会議室の中で聞こえてくる。

 

 それを制したのが、

 

「静まれ」

 

 静かな、それでいてよく通る力強い声だった。

 

 ウォルフである。

 

 一同が黙るのを見て、エアルに向き直った。

 

「アレイザー准将。敢えて語るまでもなく、既に我が艦隊には積極的攻勢に出るだけの余力は残っていない」

「判っています」

 

 父の言葉を遮るようにしてエアルは言った。

 

「でも今だからこそ、あえて打って出るべきだと考えます」

 

 半信半疑に首を傾げる一同。

 

 そんな中で、デーニッツが頷く。

 

「言ってみろ」

「はい」

 

 頷くとエアルは、自身の考えを披露した。

 

 まず、敵が援ソ船団を繰り出してくる以上、これを阻止する必要があるのは言うまでもない事だ。

 

 これを放置すれば、東部戦線のソ連軍は際限なく増強される事になる。今でさえ劣勢であるのに、これ以上の増強は破滅への一里塚だった。

 

 しかし、こちらに有利な要素が無いわけではない。

 

 敵はドイツ艦隊が壊滅したと思ったからこそ、船団の運行を再開した。つまり、こちらがすぐに出て来るなどあり得ないと思っている。そこに、隙を突く余地が生じる。

 

 更に敗北したとは言え、制海権がすぐに失われるわけではない。少なくともノルウェー近海の制海権は、もうしばらく維持できるだろう。敵もあえて、危険な海に近付こうとは思わない筈だ。つまり、ノルウェー近海の航路を使えば、作戦海域に艦隊を展開させることは決して難しくはない。

 

「そして、もう一つ。ここで敵の船団を阻止する。少なくとも、その戦力と意志がこちらにある事を知らしめておくことは非常に重要なはずです」

 

 つまり、ここで船団運航を阻止しておかねば、以後、北海は連合軍に好き勝手に運行され、物資を運び込まれてしまう。

 

 しかし、ここで運行阻止に成功すれば、少なくとも敵は以後もこちらの艦隊戦力を警戒して、物資輸送に慎重にならざるを得ない。たとえそれがブラフに過ぎないにしても、少なくとも時間稼ぎくらいにはなる、と言う訳だ。

 

「1つ、大きな問題がある」

 

 エアルを睨みながら、ウォルフは告げる。

 

 父親の厳しい目を見ながら、エアルは真っ向から睨み返す。

 

「大損害を受けた我が艦隊には戦力にも人員にも余裕がない。誰が、その作戦を実行する?」

「俺がやります」

 

 問いかけに対し、エアルは一瞬の躊躇いも無く言ってのけた。

 

 一同のざわつきが強くなる。

 

 だが、エアルは怯まなかった。

 

 問われるまでもない。自分で提案した時から、自分以外の人間に任せる気は無かった。

 

 文句は言わせない。

 

 エアルの凄味ある視線が、そう告げていた。

 

 今ここで退けば、後はズルズルと後退するのみ。

 

 今ここで戦わなければ全てが終わる。

 

 ここが、自分達が積極攻勢に出る事が出来る最後のチャンスだと、エアルは考えていた。

 

 座して待つ緩やかな敗亡か、ここで敢えて賭けに出るか。

 

 分岐点はここにあった。

 

 一同が固唾をのんで見守る中、

 

「危険な任務だぞ」

 

 口を開いたのはウォルフだった。

 

 彼は息子をまっすぐに見据え、重々しく告げる。

 

「使える戦力は少ない。加えて、北海の制海権はほぼ無きに等しい事に加え、援護できる戦力も期待できない」

 

 聞けば聞くほどに、絶望的な状況だ。

 

「それでも行くんだな?」

「はい」

 

 言うまでもない。

 

 エアルの強い眼差しが、そう告げる。

 

 ここで座しても死を待つだけなら、死中に活を求めるべきだった。

 

「戦力は?」

「帰還した艦の中から、比較的損傷軽微な艦を選んで出撃します。これなら、わずかな整備と補給で再出撃が可能です」

「シャルンホルストはどうする?」

 

 シュレスの問いかけに、エアルは一瞬思案した。

 

 通商破壊戦をやるなら、シャルンホルストも連れて行きたいところだ。

 

 しかし彼女は、妹であるグナイゼナウを失ったばかりの身。そんな彼女をすぐさま再出撃させるのは、エアルならずとも気が引ける。

 

 ややあって行った。

 

「今回は置いていきます」

「良いのか?」

「はい。俺自身は『オイゲン』に将旗を移して指揮を執る事にします。通商破壊戦をやるだけなら、『オイゲン』がいれば十分ですから」

 

 エアルの言葉に、一同は納得したように頷く。

 

 確かに、ここで勝って見せなければ、敵にも味方にも侮られかねない。

 

 デーニッツは話題に上げなかったが、オークニー諸島沖海戦の後、激怒したヒトラーは水上艦隊の解体と大型艦廃棄を命じていたのだ。

 

 今後、海軍はUボートのみを戦力として戦う、と言う事だった。

 

 自身が命令した作戦で大敗を喫し、多くの艦艇を失い、何よりドイツの、そして自身の権威を失墜させたことが余程、頭に来たのだろう。

 

 自分の命令も実行できない、無能な海軍は必要ない。と言う事らしい。

 

 自身が強引に作戦実行を強要し、海軍に不利な正面決戦を強行させた事など、奇麗さっぱり忘れ去り、敗北した海軍の責任ばかりを追及する形である。

 

 レーダー元帥罷免も、そうした責任転嫁の一環である。

 

 海軍代表であるデーニッツからすれば腹立たしい限りであるが、相手が国家元首である以上、反論は許されない。

 

 しかし、デーニッツも黙ってばかりもいなかった。

 

 潜水艦隊司令官のデーニッツだが、水上艦隊の価値も認めている。

 

 単一の兵器に頼って勝てるほど戦争は甘くない。全ての戦力を複合して戦わねばならない時に、有力な水上艦隊を解体するなど言語道断だった。

 

 その事を、ヒトラーに直談判したデーニッツは、苦労を重ねた説得の末、どうにか水上艦隊解体を思いとどまらせる事に成功したのだ。

 

 あとは実績。それさえあれば、気まぐれ屋な気質があるヒトラーを完全に叛意させる事が出来る。

 

「良いだろう。お前の賭けに乗ろう」

 

 ざわつく一同。

 

 誰もが驚く中、デーニッツはまっすぐにエアルを見据える。

 

「使える物は全て持って行って構わん。必ずや、敵の輸送船団を阻止しろ」

「必ず」

 

 一礼するエアル。

 

 その時だった。

 

 会議室の扉が開く。

 

 一同が振り返る中、

 

 軍服を着た可憐な巡戦少女が、室内に入ってくるのが見えた。

 

「シャルっ?」

 

 驚いて声を上げるエアル。てっきり、自室で休んでいると思っていた少女が現れた事に、驚きを隠せなかった。

 

 いったい何事なのか?

 

 一同が訝る中、シャルンホルストはエアルの前に進み出た。

 

「ボクも行くよ、おにーさん」

「いや、それは・・・・・・」

 

 ダメだ。

 

 そう言いかけたエアル。

 

 だが、その前にシャルンホルストは口を開いた。

 

「ボクも行く。だって、ボクの力が必要でしょ?」

「今回は休んでるんだ。今のシャルは疲れてるし」

 

 それに、無理はしてほしくない。

 

 そう言い募るエアル。

 

 だが、

 

 シャルンホルストは、そんな青年提督に笑いかける。

 

「ありがとう、おにーさん。けど、ボクは大丈夫」

「シャル・・・・・・・・・・・・」

「それにさ、こんな事で休んでたら、却ってゼナに怒られちゃうよ」

 

 固い決意を示すシャルンホルストに、何も言えなくなるエアル。

 

 彼女は判っている。

 

 自分達がいかに苦しい状況であるか、を。

 

 そして、自分の存在が勝敗のカギになると言う事を。

 

 何より、

 

「おにーさん・・・・・・・・・・・・」

 

 この人は、自分の事を必要としてくれている。

 

 この人の為なら、どんな辛い戦いでも耐えて見せる。

 

 その決意を、少女は胸に秘めていた。

 

 泣くのは後でもできる。

 

 悼むのは後でも、きっとゼナは許してくれる。

 

 それよりも今は、エアルの為に、

 

 愛する人の為に戦いたかった。

 

「連れて行ってやれ」

 

 苦笑交じりに次げたのはシュレスだった。

 

「シュレスおばさん・・・・・・」

「どのみち、戦力は多いに越した事はないんだ。彼女がいてくれた方が、お前も安心だろう」

 

 言われて、エアルはもう一度、少女に向き直る。

 

 視線を交わす、エアルとシャルンホルスト。

 

 互いの視線にこもる、深い信頼、そして愛情。

 

「判った」

 

 頷くエアル。

 

 手は、自然と少女の掌を握る。

 

「一緒に来て。俺には、君が必要だ」

「うん」

 

 涙を滲ませて答える、シャルンホルスト。

 

 結ばれる絆。

 

 ここに、ドイツ海軍の命運をかけた、新たなる戦いが始まった。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 決定した以上、話は流れる水の如く動き出した。

 

 とにかくドイツ海軍にとって、時間も、戦力も使える物は何もかもが限られている。

 

 イギリスを発した船団を叩くなら、早いに越した事は無かった。

 

 そして、

 

 今更言われるまでもなく、ドイツ海軍の戦力ですぐに使える物は限られている。

 

 幸い、エアル麾下の第1戦闘群が損傷軽微で出撃可能なのは僥倖だった。後は、駆逐艦が数隻。

 

 空母2隻は無傷なので、できれば加えたいところだが、艦載機はほぼ全滅に等しい損害を被っている。

 

 2空母に所属していた航空部隊は空軍から出向していた部隊であり、先の戦いに合わせて空軍から借りていたものだ。

 

 それが全滅してしまった以上、空軍はこれ以上の出向を拒否してくることは目に見えていた。

 

 それどころか、空軍最高司令官のヘルムート・ゲーリングはこれ幸いと、海軍を非難してくるであろう。

 

 数々の失態により、落ち目となっているゲーリング。恐らく、自分の失点回復の為ならどんな事でもするだろう。

 

 自身の責任回避の為、海軍に犠牲を強いる行動は過去にも見られた事だ。

 

「我が勇壮無比なる空軍兵士達の命は、北海にて空しく失われた。これら全て、海軍の稚拙なる指揮統率が引き起こした悲劇である」

 

 舞台俳優の如く弁舌を振るう元帥閣下殿の姿が目に浮かぶ。

 

 その事態を避けるためにも、ここで勝つことは必要だった。

 

「シャル、すぐにオイゲン達を集めて出撃に関する段取りを確認するよ」

「判った」

 

 頷きを返すシャルンホルスト。

 

 巡戦少女の表情も、硬く引き締められている。彼女もまた、今回の作戦の重要性を理解しているのだ。

 

 と、その時だった。

 

 廊下の先にたたずむ少女の姿を見て、2人は足を止めた。

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 相手もこちらに気付いたのだろう。声を上げて振り返る。

 

「ティルピッツ・・・・・・・・・・・・」

 

 総旗艦である少女は痛々しい姿だった。全身を包帯で覆い、松葉杖を片手にしている。

 

 先の戦いで敵の集中砲火を受けた「ティルピッツ」。

 

 よく、帰って来れたと思う。

 

 流石は最強戦艦と言うべきか、

 

 否、

 

 ここは、「ビスマルクの妹」としての意地と言うべきだろう。

 

 かつて、強大な敵と戦い散った姉の矜持を、ティルピッツは見事に守り抜いたのだ。

 

 向かい合う、少女たち。

 

「・・・・・・・・・・・・ごめん」

「え?」

 

 先に口を開いたのは、シャルンホルストの方だった。

 

 巡戦少女は視線を逸らし、小さな声で語り掛ける。

 

「今は、ごめん」

「あの・・・・・・」

「帰ってきたら、話すから。だから、今は・・・・・・・・・・・・」

 

 そう言うと、ティルピッツの横を通り抜けるシャルンホルスト。

 

 今は、余計な雑念は忘れて、任務に集中したかった。

 

「行こう、おにーさん」

 

 歩き出すシャルンホルスト。

 

 今は全てが後回し。

 

 戦って勝つ。

 

 今はそれ以外、考える事が出来ない。

 

 そんなシャルンホルストの手を、エアルはそっと握る。

 

 小さな手に伝わる、愛しい人の温もり。

 

 シャルンホルストもまた、しっかりと握り返した。

 

 

 

 

第68話「再起、それあるのみ」      終わり

 



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第69話「海魔の顎」

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 海上を粛々と進む船影の一団。

 

 複数の大型船と、それを取り巻く小型の護衛艦。

 

 マストに掲げたホワイトエンサインが、それらがイギリス籍の艦だと言う事を示して居る。

 

「順調ですね、船長」

「ああ、この分なら、予定通りムルマンスクに着けるだろう」

 

 船団を統括する船長は、航海士の言葉に重々しく頷きを返す。

 

 現場叩き上げ、この道一筋で40年以上勤めて来たベテラン艦長の言葉は、それだけで重みがある。

 

 彼はこれまでも何度か、イギリス本国とソ連領の往復を行っており、その全てに成功している。

 

 第1次世界大戦の頃には既に現役であり、死線を掻い潜った事も1度や2度ではない。

 

 Uボートに襲撃され、辛くも生き残った経験もある。

 

 しかし、それでも生き残って来た。

 

 その信頼と実績、そしてそこから来る安心感は並の物ではない。

 

 彼等はイギリスの港を出航した後、針路を北にとって航行している。

 

 目指すはソ連領ムルマンスク。

 

 いよいよ佳境を迎えつつある東部戦線を支援する為の物資を、船倉に満載していた。

 

 再開した援ソ船団。

 

 しかし、その雰囲気は、以前と比べて明らかに違っていた。

 

 何しろ、航路の安全は殆ど確保されているに等しいからだ。

 

 先のオークニー諸島沖海戦でドイツ海軍主力は壊滅。これにより、船団は殆ど妨害を受ける事無く運航できるようになったのだ。

 

 水上艦による襲撃の可能性は、これでほぼゼロとなったが、Uボートと言う最大の脅威はまだ残っている。

 

 が、それに関しても、ヘッジホッグ、スキッド、最新ソナーと言った新装備を備えた対潜部隊の戦線投入によって解消されつつある。

 

 Uボートの撃沈数は、日に日に上昇傾向にあり、ドイツ海軍の活動はほぼ完全に押さえ込まれていた。

 

 航行する船団が彼等に襲撃を受ける事は殆ど無く、時折、思い出したように襲ってくるUボートも、対潜部隊によって返り討ちにあっている。

 

 航路の安全確保は、同時に陸上における優勢にも貢献している。

 

 現在、連合軍は東部戦線のソ連軍と呼応するべく、大規模な反攻作戦を計画しているという。それが成功すれば、ほぼ戦いの帰趨を決する事が出来ると言う。

 

 終わりが見えて来た。

 

 ナチス・ドイツを打倒し、このヨーロッパに平和な時代がやってくる。

 

 もう、空襲やUボートの襲撃におびえ、兵士が戦場で命を落とす事もなくなる。そんな明るい未来が、もうすぐそこまで来ているのだ。

 

「その為にも、船団の物資、何としてもソ連に届けなくてはない」

「ハイッ」

 

 船長の言葉に、元気よく頷く航海士。

 

 戦争が終わる。

 

 自分達が届ける物資で、戦いを終わらせる事が出来る。

 

 そんな誇らしい思いを胸に、前方に目をやった。

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 巨大な水柱が、征く手を阻むように突き立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何事だッ!?」

 

 緊迫した声で船長が叫ぶ。

 

 さすがはベテランだけあり、突然の事態にも慌てた様子はない。

 

 だが、

 

「右舷30度より接近する艦影あり!!」

 

 続けて入って来た報告に、地獄が口を開けて、自分達を飲み込もうとしている事に気付く。

 

 違う。

 

 そんな筈はない。

 

 奴等は壊滅したはずだ。

 

 奴等が自分達を襲撃するなどあり得ない。

 

 頭の中で何度も叫ぶ。

 

 だが、

 

 現実は否応なく、彼等を地獄へと引きずり戻す。

 

「接近する艦隊はドイツ艦隊ッ!! ドイツ艦隊です!!」

 

 悲鳴と共に届けられる絶望。

 

 接近する艦影。

 

 そのマストに、風を受けた鉄十字が堂々と翻っていた。

 

 

 

 

 

 オークニー諸島沖海戦からわずか1カ月。

 

 ドイツ艦隊の行動は迅速だった。

 

 壊滅した水上艦隊から、即座に行動可能な艦艇を選抜すると、通商破壊戦部隊を再編制し出撃させた。

 

 その背景には、深刻な焦りがある。

 

 東部戦線の劣勢は明らかであり、ソ連が大規模な反攻作戦を計画していると言う情報も入ってきている。

 

 急がねばならなかった。

 

 既にオークニー諸島沖海戦の陰で、多数の輸送船がソ連領へ入港を果たしている。そこに積まれた物資によって、徐々に東部戦線が押し込まれているのだ。

 

 更に、国内の事情もあった。

 

 否、ある意味、東部戦線よりもそちらの方が深刻と言えるだろう。

 

 オークニー諸島沖海戦の敗戦を受けて、総統アドルフ・ヒトラーは水上艦隊の解体と、大型艦の廃棄と言う、短絡的としか言いようがない命令を発していたのだ。

 

 自身の権勢と、戦争経済ばかりしか目に入らないヒトラーの目には、壊滅した水上艦隊など、ただの金食い虫にしか映らなかった。

 

 だからこそ、勝って見せる必要があった。それも可及的速やかに。

 

 巡洋戦艦1隻、重巡洋艦1隻、駆逐艦5隻から成るドイツ海軍第1戦闘群は、密かにキール軍港を出航すると、ノルウェーのベルゲンを経由して北海航路を脅かせる位置に進出する事に成功。そこを基点に、通商破壊戦に入った。

 

 巡洋戦艦「シャルンホルスト」に改めて将旗を掲げたエアル・アレイザー准将は積極的攻勢を展開。

 

 小規模ながら北へと向かう船団を発見、これを攻撃する決断を下した。

 

 

 

 

 

 海上を高速で疾駆する艦影。

 

 そのマストに、誇らしく掲げられた鉄十字。

 

 巡洋戦艦「シャルンホルスト」は、35ノットの高速で荒波を突き破りながら、前部4門の47口径40センチ砲を旋回させる。

 

 その艦橋で、巡戦少女を傍らに従えて、エアル・アレイザー准将は前方の敵船団を睨み据えていた。

 

「主砲、目標、敵護衛艦ッ 『オイゲン』、及び駆逐隊に通達、《突撃を開始せよ》。1隻たりとも逃がすな!!」

 

 けしかけるような号令。

 

 視界の先では、散り散りに逃げようとする輸送船団を守るように、複数の護衛艦が向かってくるのが見えた。

 

 護衛駆逐艦は対潜、対空に重点を置いた装備を持っており、対水上戦闘用の装備は貧弱な艦が多い。

 

 ただし、中には魚雷を装備し、対水上戦闘が可能なクラスも存在している。

 

 彼等は守るべき輸送船の為に立ち向かってきているのだ。

 

 スッと目を細めるエアル。

 

 勇敢な連中だ。

 

 ああいう奴等は敵であっても尊敬すべきだし、決して不快ではない。

 

 しかし、

 

 同時にあまりにも無謀でしかなかった。

 

 水上戦闘能力がある、と言っても、それは申し訳程度のものでしかない。護衛駆逐艦では、100隻束になったとしても、この「シャルンホルスト」には敵わないだろう。

 

 勇気は買うが、容赦する気はなかった。

 

「アントン、ブルーノ、1番、2番、榴弾装填完了!!」

 

 報告を聞き、眦を上げるエアル。

 

「撃ち方始め!!」

 

 エアルの命令と共に、放たれる4発の40センチ砲弾。

 

 その一撃が、

 

 先頭を突き進んできた護衛艦を容赦なく吹き飛ばす。

 

 戦艦の直撃を受けては、装甲の無い護衛艦はひとたまりもない。

 

 たちまち、火柱を上げて轟沈する。

 

 更に距離を詰める「シャルンホルスト」。

 

 一方で、先行する「プリンツ・オイゲン」と駆逐艦4隻は、逃げる船団の退路を塞ぐようにして砲撃を行っている。

 

 船団側も十分に心得ており、一つに固まらず、バラバラの方向に逃げようとする。

 

 たとえ複数の船が沈められても、全滅だけは免れるための措置である。

 

 だが、エアルの方でも、それくらいは先刻承知である。

 

「目標、左舷30度、退避中の輸送船ッ 主砲、アントン、ブルーノ、準備出来次第撃て!!」

 

 既に数回の射撃で、護衛部隊に十分な打撃を与えたと判断したエアルは、「シャルンホルスト」の目標を輸送船へと変更するよう指示を出す。

 

 エアルは傍らで艦の制御に集中しているシャルンホルストを見やる。

 

「手加減はいらないよ」

「勿論だよ」

 

 頷くシャルンホルスト。

 

 やがて、

 

 前部甲板に備えられ2基4門の40センチ砲が、一斉に火を吹いた。

 

 

 

 

 

 輸送船の方でも、パニックに陥っていた。

 

 現れるはずのない、ドイツ水上艦隊。

 

 それが現れたのだ。それも、最悪のタイミングで。

 

 護衛駆逐艦は、果敢に立ち向かっている。が、彼等には申し訳ないが、時間稼ぎにすらなっていない。

 

 ヒッパー級重巡を主力とする快速部隊は側面から回り込んで砲撃を開始、既に複数の輸送船が炎に包まれ、一部は傾斜を強めている。沈没は時間の問題だろう。

 

 更に、後方から迫るシャルンホルスト級巡洋戦艦も、その足を止めずに迫ってきている。

 

 あの高速戦艦が護衛駆逐艦を蹴散らして輸送船に迫るのは時間の問題だ。

 

 だからこそ、船団解除と最寄りの港への退避を命じた。

 

 言い方は悪いが、要するに、一部の味方を犠牲にして、その他大勢を生き残らせる判断だ。こうすれば少なくとも全滅は免れる。

 

「機関を目いっぱい回せッ 1ノットたりとも落とすんじゃないぞ!!」

「了解ッ!!」

 

 船長の命令は迅速に実行される。

 

 彼等もまた、幾多の戦いを潜り抜けて来たベテランの船員たち。その動きによどみは無い。

 

 何としても生き残る。

 

 大丈夫。

 

 我々にはベテランの船長がついている。彼に着いて行けば、必ず生き残れる。

 

 誰もが希望を抱き始めた。

 

 次の瞬間、

 

 一瞬の衝撃と共に、弾ける閃光。

 

 爆炎が彼等を包み込み、業火の中で燃やし尽くした。

 

 「シャルンホルスト」が放った40センチ砲弾が、彼等の船を直撃。

 

 ベテラン船長を含む、全ての乗組員を一瞬にして吹き飛ばしてしまった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 ドイツ艦隊出現。

 

 その報告は、イギリス海軍に再び緊張を走らせた。

 

 誰もがまさか、と思う。

 

 ドイツ艦隊出撃の兆候あり、との情報は、「ウルトラ」から入ってきてはいたが、まさかこれほど早く行動を起こされるとは思ってもみなかったのだ。

 

 と言うのも、オークニー諸島沖海戦で勝ったとはいえ、イギリス海軍の損害もバカには出来ない。

 

 本国艦隊主力は、未だに動ける状況ではないのだ。

 

 ましてか、壊滅したドイツ艦隊委が1カ月もしないうちに再出撃してくるなど、誰が予想しえた事だろうか?

 

「不味い事態です。既に2つの船団が襲われています。被害は輸送船11隻、護衛の艦艇が8隻。」

 

 クロード・グレイス参謀長の言葉に、ボルス・フレイザー本国艦隊司令官は渋面で応じる。

 

 オークニー諸島沖海戦大勝利とドイツ水上艦隊の事実上の壊滅。

 

 その立役者たる2人をもってしても、ドイツ海軍が僅か1カ月で態勢を立て直し、このような大胆な作戦行動に出るとは思ってもみなかったのだ。

 

 居並ぶ幕僚達の顔も暗い。

 

「状況を整理しよう。まずは敵が繰り出して来た戦力だが」

「それは、それ程、多くはないと考えます」

 

 答えたのはクロードだった。

 

「先の戦いから1カ月で、敵が損傷した艦艇を修理できたとは思えません。恐らく損傷軽微だった艦を中心に小規模な艦隊を編成したと思われます」

「しかし、敵の中にはシャルンホルスト級の姿もあったと報告が上がっています。これは恐らく、オークニー諸島沖で取り逃がした『シャルンホルスト』でしょう」

 

 戦艦を投入して来た以上、それなりの規模の艦隊が動いているのではないか?

 

 幕僚の懸念はもっともだった。

 

「恐らく、敵は『シャルンホルスト』を中心に、戦闘部隊を編成したのだろう」

 

 クロードの計算では、ドイツ艦隊の規模は10隻以下と思われた。「シャルンホルスト」の存在は確かに脅威だが、その程度なら対応策はあった。

 

「問題は、迎撃に使える戦力です。現在、艦隊の再編成中ですので、使える戦力は限られています」

 

 勝ったとは言え、イギリス海軍の損害もバカにはならなかった。

 

 加えて、世界中に分散していた戦力をかき集めた弊害も大きかった。

 

 損傷を負った艦は修理に回し、更に損傷軽微な艦も、元の配置へと戻さなければならない。

 

 特にインド洋で日本海軍と対峙している東洋艦隊は深刻であり、戦艦や空母と言った戦力を早急に原隊復帰させるよう、連日のように要求が来ている。

 

 先の海戦で強引に戦力を集めた本国艦隊としては、その要求を無視する事は出来なかった。

 

「どうしますか、提督?」

 

 クロードは、フレイザーに尋ねた。

 

 虚を突かれたのは事実。使える戦力は限られるが、対応は早急に行わなくてはならない。ぐずぐずしていれば被害は拡大するばかりだ。

 

「戦艦の中で使えるのは、キング・ジョージ5世級の『デューク・オブ・ヨーク』のみでしょう。キング・ジョージ5世級の他の艦は修理中で出撃できません。『ウォースパイト』は東洋艦隊へ、『ヴァリアント』はH部隊への配置転換が決まっていますので使えません。新型戦艦の戦力化には、もう2カ月ほどかかる見通しです」

 

 つまり、使える戦艦は「デューク・オブ・ヨーク」のみと言う事。

 

 しかし、キング・ジョージ5世級戦艦1隻では、「シャルンホルスト」相手に返り討ちに遭う可能性があった。

 

「護衛を十分につけましょう」

 

 クロードが発言した。

 

「巡洋艦以下の護衛を十分に付けた上で、敵に当たらせます。そうすれば数で押し切る事も可能な筈」

 

 確かに。

 

 先の戦いで壊滅したドイツ艦隊は、充分な戦力を揃えられたとは思えない。

 

 戦艦の巡洋艦、駆逐艦を連携させれば「シャルンホルスト」を仕留められるかもしれない。

 

 だが、それでもまだ、問題はあった。

 

「補給に時間が掛かるな」

「ええ」

 

 フレイザーの言葉に、クロードは深刻な表情で頷きを返した。

 

 高速の「シャルンホルスト」を捉えるには、それ相応の戦力が必要になる。しかし、それだけの戦力を揃え、艦隊を編成し、補給を行うとなると、かなりの時間が掛かる事になる。

 

 その間に、ドイツ艦隊の跳梁を許す事になってしまう。

 

 どうにか、本国艦隊主力の出撃準備が整うまで、「シャルンホルスト」の動きを封じておかなくてはならない。

 

「私が行こう」

 

 凛とした声で名乗りを上げる女性。

 

 鮮やかな赤い髪をショートカットにした女性が、鋭い眼差しを向けて来る。

 

「アークロイヤル・・・・・・」

「私だけならすぐには出れる。私が敵を押さえておくから、その間に主力の出撃準備を進めてくれ」

 

 確かに、彼女1隻だけなら補給もすぐに終わるだろう。出撃に掛かる時間はそれほどでもない。。

 

 しかし、

 

「艦載機の補充がまだだろう。今出撃するのは危険だ」

「危険は承知」

 

 クロードの言葉に、まっすぐ返す。

 

 先の戦いにおいて、空母部隊はほぼ無傷であり、ドイツ艦隊の航空対決においても圧勝と言って良い戦果を挙げた。

 

 しかし、それでも航空部隊の損耗は避けられず、現在、航空部隊は最編成の最中である。

 

 そんな彼女を出撃させることに、躊躇いを覚えずにはいられなかった。

 

 ここはやはり、本国艦隊主力の出撃準備が整うのを待つべきだ。

 

 そう思って発言しかけた。

 

 その時だった。

 

「会議中、失礼いたします」

 

 慇懃な言葉と共に、室内に足を踏み入れてきた人物。

 

 それは、アルヴァン・グラムセルだった。

 

 かつてディラン・ケンブリッジ「元」第2王子の副官だったこの男は、かつての主の失脚に伴い、その任を解かれ、今は国王フレデリック直属となっている。階級も准将へ昇進を果たしていた。

 

 そのアルヴァンがここに来たという事は何か、国王から直接の指示があると言う事だ。

 

「国王陛下の勅命をお持ちしましたので、代読をさせていただきます」

 

 そう言うと、アルヴァンは装飾の施された巻紙を殊更恭しく掲げて広げる。

 

 一同が注目する中、アルヴァンが、その内容を読み上げる。

 

「ボルス・フレイザー大将以下、本国艦隊司令部一同に告げる。貴官らは、先の戦勝に驕り、仇敵ナチス海軍の跳梁を許している。これはまったくもって許しがたい怠慢である。よって、直ちに稼働全兵力をもって出撃し、敵艦隊を捕捉撃滅する物とする。これは、国王フレデリックの勅命であると心得よ」

 

 全員が注目するなか、淡々とした声が響く。

 

 真摯に聞き入る一同。

 

 しかし、クロードを初め、幕僚の多くが内心で腸の煮えくり返る思いであった。

 

 自分達が動けないでいるのは、先の戦いの影響から回復しきっていないからである。それを怠慢だ、などと一方的に決めつけて来るとは。いかに相手が国王とは言え、腹に据えかねる物がある。

 

 現状を見ない、国王の一方的な物言いに、怒気が司令部内で揺らぐ。

 

 だが、そんな幕僚達を、フレイザーが制する。

 

「承知しました。必ずや敵艦隊を撃滅して御覧に入れます。そう、国王陛下にお伝えください」

 

 そう言って敬礼するフレイザー。

 

 対してアルヴァンは、そんなフレイザーに一瞥すると、そのまま何も告げずに踵を返して出て行く。

 

 途端に、幕僚達から、解放されたように怒声が噴き出した。

 

「何なのだ、あれはッ!?」

「我々が怠慢だとッ ふざけた事を!!」

「大体、グラムセルは何様のつもりなのだッ 司令官に向かってあのようなッ」

 

 抑えきれない怒りが吐き出される。

 

 まるで自分達がサボっているかのような物言いもそうだが、上から目線の口調で代読するアルヴァンにも怒りの矛先は向けられていた。

 

 しかし、

 

「皆、そこまでだ」

 

 口々に吐き出す幕僚達を、フレイザーが制する。

 

「言いたい事は判らんでもないが、現実問題としてドイツ艦隊排除が最重要目的である事に変わりはない」

 

 国王に言われるまでもない。

 

 自分達はやるべきことをやるのみだ。

 

 フレイザーの強い眼差しが、そう語っていた。

 

「しかし閣下、これで戦力を整え、物量で当たる案は使えなくなりましたね」

「うむ」

 

 クロードの言葉に、フレイザーは苦い表情で頷きを返す。

 

 国王の勅命では「直ちに出撃」とあった。

 

 となると、今、使える戦力だけで出撃しなくてはならない。出撃可能な艦のみ、最低限の補給で出撃する必要がある。

 

 振り返る司令官。

 

 その視線の先には、アークロイヤルの鋭い眼差しがある。

 

「すまんが、ここは行ってくれるか」

「ああ、任せておけ」

 

 頷くアークロイヤル。

 

 東部戦線支援の為の物資は、既に十分な量を送り込めている。しかし、ドイツ艦隊を野放しにできないのもまた事実であった。

 

 ここは先程の作戦通り、「アークロイヤル」で敵を足止めし、敵を正面決戦に引きずり込むしかない。

 

 ただし、当初は最大限の戦力を出撃させ、物量で圧し包む作戦だったが、少ない戦力で、作戦を行わなくてはならなくなってしまった。

 

 果たして、激減した戦力で、神出鬼没なドイツ艦隊を補足、撃滅できるか?

 

 一同の胸には不安のみが無限に膨らみ続けていた。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 トロンヘイム北部にある某フィヨルド。

 

 その場所に、「シャルンホルスト」を中心とした、ドイツ海軍第1戦闘群は潜伏していた。

 

 開戦初期に行われたヴェーゼル演習作戦によってノルウェーを占領して以後、特にドイツ軍はフィヨルドを港として活用すべく整備してきた。

 

 ノルウェーのフィヨルドは両面が切り立った崖になっており、更に内部は迷宮のように入り組んでいる為、航空機、水上艦、潜水艦、いずれも侵入は困難となっている。

 

 まさに、通商破壊戦を主目的に行うドイツ軍にとって、格好の拠点と言う訳だ。

 

 2つの輸送船団殲滅に成功した後、エアルは一旦、補給の為にこのフィヨルドに寄港していた。

 

 とは言え、長居するつもりはない。

 

 北ノルウェー基地と違い、このフィヨルドはイギリス軍の攻撃圏内にある。ぐずぐずしていて発見されたら、敵の航空機から攻撃されかねない。

 

 「シャルンホルスト」の防空指揮所に立つエアルは、艦に横付けしたタンカーが燃料を供給する作業風景を眺めながら、今後の事について考えていた。

 

 既にイギリス軍も、第1戦闘群が北海に展開している事は把握しているはず。となれば、これを放っておくことは無いだろう。

 

 近いうちに必ず、刺客を差し向けてくるはず。

 

 問題は、どれくらいの戦力が、どのような手段で来るか、だが。

 

「おにーさん」

 

 声を掛けられて振り返ると、恋人である巡戦少女がタラップを上がってくるのが見えた。

 

 シャルンホルストはエアルの傍らに来ると、1枚の紙を差し出した。

 

「これ、海軍総司令部から」

「見せて」

 

 シャルンホルストから差し出された電文を一読すると、エアルはスッと目を細めた。

 

 電文の送り主は、カーク・デーニッツ海軍総司令官となっている。

 

 デーニッツからの直接の連絡とくれば、重要な案件である事は容易に想像できた。

 

「敵の新たなる輸送船団がポーツマスから出港、か」

 

 読んでから、内容を頭の中で反芻する。

 

 こちらが船団を2つ叩いた後、このタイミングでの新たな輸送船団の出港。

 

 それがただの船団でない事は、容易に想像できる。

 

「ボク達を、待ち伏せしている?」

「多分ね。ノコノコ出て行けば、敵の戦闘部隊に遭遇する事は間違いないよ」

 

 いい加減、敵も痺れを切らす頃だろう。

 

 「シャルンホルスト」を排除、少なくとも無力化しないと、安全に援ソ船団を運行できない事は敵もよく分かっているはずだ。

 

 恐らく十中の十まで、敵の有力な艦隊が出撃してきている。

 

 出れば確実に戦闘になるだろう。

 

 では、どうする?

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 沈思するエアル。

 

 考えるまでも無い。

 

 戦って勝つことが目的ならば、引きこもっている選択肢は初めから無かった。

 

 夜半には補給作業が完了する。明日の払暁前に出撃は可能だった。

 

 傍らの少女に向き直るエアル。

 

 シャルンホルストもまた、エアルに笑顔を向けて来る。

 

 青年提督が何を言いたいか、少女には言われずとも理解できていた。

 

「シャル、出撃準備を」

「うん、分かった」

 

 互いに頷きを返す、エアルとシャルンホルスト。

 

 正念場はここからだ。

 

 ここからの戦いこそが、自分達の今後を占う事になる。

 

 その事を2人は、よく理解していた。

 

 

 

 

 

第69話「海魔の顎」      終わり

 



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第70話「3年目の仇討ち」

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 その日の北海は、朝から深い霧に包まれていた。

 

 昼以降は晴れるとの予報が出ていたが、早朝の現在、ほんの数キロを見通す事すら困難な霧はどこか魔界への入り口を彷彿とさせ、見る者に得体の知れない恐怖を与えて来る。

 

 そんな風に北海全体を霧が覆う中、シェトランド諸島沖を1隻の船が航行していた。

 

 一見すると貨物船にも見えるその船は、しかし実際にはれっきとした軍艦である。

 

 イギリス海軍仮装巡洋艦「ラワルピンディ」。

 

 仮装巡洋艦とは、貨物船に偽装した戦闘艦の事で、武装を甲板上の貨物や舷側装甲に擬し、遠目には輸送船と区別が付かないようにした艦である。

 

 通常時は輸送船に擬態した状態で航行しているが、戦闘時には瞬時に武装を展開して戦闘可能になる。

 

 通常の輸送船や客船を改装して建造される関係から当然、攻撃力、防御力、速力、全てにおいて純粋な戦闘艦に劣る事になる。完全に奇襲専門の艦であり、主な任務は通商破壊戦となる。

 

 大戦初期にはドイツ海軍も多数の仮装巡洋艦を運用していた。北海はもとより北極海、大西洋、最盛期にはインド洋にまで展開し、大きな戦果を挙げている。

 

 その「ラワルピンディ」が今、霧に包まれた北海を航行していた。

 

 その艦橋では、 1人の男が不機嫌な顔を張り付かせて佇んでいる。

 

「クソッ 何で、この俺が、こんなクソみたいな船を使わなきゃならんのだ」

 

 愚痴る男。

 

 低い声で発せられたその言葉が、周囲の者達に聞き咎められなかったのは、幸なのか不幸なのか、果たして。

 

 「少佐」の階級章を付けたその男。

 

 若く、端正な顔立ちは一見すると人を引き付ける物があるようにも見える。だが同時に、どこか傲慢さと卑屈さが感じられる雰囲気を持っていた。

 

 ダリス・ケンウッド英国海軍少佐。

 

 と言うのは、世を忍ぶ仮の姿。

 

 その正体は、自称「次期国王」にして自称「救国の英雄」。

 

 だった男。

 

 ディラン・ケンブリッジだった。

 

 なぜ、ディランがここにいるのか? そしてなぜ他人の姓名を名乗り、なぜ少佐の階級を付けているのか?

 

 度重なる失態により、王室からも海軍からも放逐されたディランは、その後完全に路頭に迷った。

 

 訳ではなかった。

 

 実のところディランには、王室にも大半の側近にも秘密にしている隠し財産が結構な額、存在していた。

 

 周囲の目を掻い潜り、予算をちょろまかしては貯め込んだ隠し財産(へそくり)である。

 

 こうしたところは抜け目がなかった。

 

 とは言え、その「へそくり」は、相応の額であり、一般家庭の人間であるなら数年は働かずとも食い繋げるくらいの蓄えはあった。

 

 そのなけなしの「へそくり」を持ち出したディランは、裏の伝手を使って「ダリス・ケンウッド」と言う架空の身分と、海軍少佐と言う地位、そして「ラワルピンディ」艦長と言う役職を金で買い、まんまと復職する事に成功していた。

 

 ちなみに、「本物のダリス・ケンウッド少佐」は先月、行先も告げずに外出したきり音信不通となり、現在も行方が分かっていない。そしてつい2週間ほど前、テムズ川に身元不明の遺体が浮かんでいるのが発見されたが、その人物についても未だに正体が判っていない。

 

 ともあれ、こうして海軍軍人として密かな復活を果たしたディランは、ドイツ海軍出撃の報を盗み聞きすると、「北海における哨戒ラインの形成」を理由に出撃してきたわけである。

 

 全ては海軍上層部に諮る事ない、独断での出撃だった。

 

「艦長。今のところ順調です。レーダー、ソナー共に接近する艦影は見えません」

 

 そう言うと、ベテランの風貌を持つ女性が敬礼する。

 

 仮装巡洋艦「ラワルピンディ」の艦娘である彼女は、目の前の相手がかつての「救国の英雄」であるとは、つゆとも思っていない。

 

 否、彼女だけではない。

 

 誰も、こんなところに「ディラン・ケンブリッジ」がいるなどとは、思ってもみなかった。

 

 ただ、自分達が祖国を守る為に戦える事を誇りに思っていた。

 

「ああ、そうかい。そのまま続けてろ」

 

 ぞんざいに命令を下しながら、ディランは自分の脳内で計算する。

 

 今回の戦いで、少なくとも1隻のドイツ艦を撃沈する。

 

 そのネタを新聞社と軍の広報部に売りつけ、大いに宣伝させるのだ。

 

《復活の大英雄》

《偉大なる救国の英雄ディラン王子再び!! 華麗なる戦略にて悪逆なるナチスへ正義の鉄槌を下す》

《次期国王確定》

 

 そんな見出しの記事がロンドンに踊る様子が目に浮かぶ。

 

 ほくそ笑むディラン。

 

 晴れて凱旋、自分は救国の英雄として返り咲き、不逞に奪われた栄光と地位を取り戻すのだ。

 

 次期国王の座が誰の物か、今一度、世間に知らしめてやる。

 

 そんな夢想が、勝手に頭の中を走っていく。

 

 しかし、

 

 それがいかに霧の如く儚く消える「霧想」だったか、ディランは程なく思い知らされることになる。

 

「レーダーに感ありッ、3時の方向!! 反応、大!!」

 

 緊張を走らせる「ラワルピンディ」の艦橋。

 

 その時、

 

 一瞬だが強風により霧が晴れ、彼方に浮かぶ相手の存在が見えた。

 

「んなァァァッ!?」

 

 間抜けな悲鳴と共に、思わずディランは目をむいた。

 

 それは、忘れたくても忘れられない相手。

 

 幾度となくディランの前に立ちはだかり、そのたびに煮え湯を飲ませられた、「悪逆非道なるナチスの手先」。

 

「シャ、『シャルンホルスト』、だと!?」

 

 見間違えるはずも無い。

 

 戦艦にしては細い船体に、バランスよくまとまった砲塔と上部構造物。

 

 そして、マストに誇らしく翻った鉄十字。

 

 3基の47口径40センチ連装砲塔は、既に旋回を終えて「ラワルピンディ」を睨んでいる。

 

「艦長!!」

 

 駆け寄ってくるラワルピンディ。

 

 彼女も、相手が何者であるか気づいたのだ。

 

「すぐにこの事を司令部に連絡をッ それと武装を展開するよう命じてくれ!!」

 

 既に、彼女は自分達の運命に見切りをつけていた。

 

 自分達は助からない。ここで死ぬ。

 

 しかし、死ぬ前にイギリス海軍軍人としての使命を果たし、更に敵に一矢報いる事で誇りを示すのだ。

 

 たとえ自分達が死すとも、この事を味方に伝え、明日の勝利を祖国に捧げるのだ。

 

 それが今、自分達にできる唯一の事の筈。

 

 だが、

 

 その命令を下すべきディランは、

 

 まるで思考停止したように、その場から動こうとしなかった。

 

 なぜだ?

 

 なぜ、奴はいつも自分の前に現れる?

 

 なぜ、いつも自分の邪魔をする?

 

 なぜだ?

 

 なぜだ?

 

 そんな意味のない思考が繰り広げられる。

 

「艦長ッ しっかりしてくれ!! 艦長!!」

 

 ラワルピンディの悲痛な叫びが、虚しく響く。

 

 次の瞬間、

 

 「シャルンホルスト」の主砲が、一斉に火を吹いた。

 

 

 

 

 

 彼方に浮かぶ敵船。

 

 否、

 

 「元々は敵船だった炎と鉄くずの塊」は、徐々に沈みゆく様子が見える。

 

 その様を見ながら、

 

 「シャルンホルスト」艦橋に立つエアルとシャルンホルストは、互いに首を傾げた。

 

「何がしたかったの、あの船は?」

「さあ?」

 

 意味不明な敵船の出現に驚きはしたが、慌てるほどではなかった。敵船が避退に移る前に主砲の一斉射で轟沈に追い込んでおいた。

 

 こちらが近付いても、逃げるでも反撃するでもなく、更には味方に通信を送った気配すらない。

 

 哨戒にしては無防備すぎる。

 

 本当に、謎すぎる船だった。

 

 エアルもシャルンホルストも、あまりにも呆気なさすぎる勝利に、たった今撃沈した船が輸送船ではなく仮装巡洋艦だった事すら気付いていなかった。

 

「まあ、いいさ」

 

 そう言って肩を竦めるエアル。

 

 今はノコノコと最前線をうろついていた間抜けな敵船よりも、こちらに向かっているであろう敵本隊の方が重要だった。

 

「スカパ・フローを偵察した空軍機から、大型艦を含む複数の艦隊が出撃している兆候があるそうだよ。間違いなく、そいつらの狙いは、こっちだろうね」

 

 今回、輸送船団出港の報を聞き出撃して来たエアル達だが、その情報を額面通りに受け取る気は無かった。

 

 恐らく輸送船団の出撃は、自分達を釣る為の囮。

 

 不用意に出撃したところで、主力部隊で包囲するつもりなのだろう。

 

 こちらは「シャルンホルスト」がいるとは言え少数の機動部隊でしかない。敵が大規模な艦隊を繰り出して来たら対抗する手段は無かった。

 

「敵は空母を連れてるって話だったよね」

「そうだね。最低1隻、悪くすると、もう1隻くらいは来てる事を想定した方が良いかもしれない」

 

 エアルは敵の立場になって考える。

 

 相手は目障りなドイツ巡戦。

 

 これを確実に撃沈するとなれば、どうするか?

 

 過去の例から言って、まずは空母と航空機で足止めをして、その後、戦艦を含む本隊で包囲、殲滅を狙ってくる筈。

 

 少数のドイツ艦隊相手には、確実性の高い戦術である。

 

 それをやられた場合、第1戦闘群としては撤退以外の選択肢は取れないわけだが。

 

「まあ、それでもやるしかないんだけどね」

「面倒くさいよね」

 

 揃って嘆息する、エアルとシャルンホルスト。

 

 今回の出撃の理由は、ドイツ水上艦隊が未だ健在で、尚も積極的に活動する意志がある事を敵と、そして味方に見せつける事。

 

 つまり、どうあっても退却するわけにはいかない事情があった。

 

「作戦を早めよう」

 

 エアルは緊張を孕んだ声で告げた。

 

「さっきのが予想外の会敵だったのは確かだ。こちらの動きが敵に読まれている可能性もある」

 

 ドイツ艦隊の出撃を察知したイギリス艦隊が早期警戒線を展開、こちらが掛かるのを待っていた。

 

 先程の会敵を、エアルはそう判断したのだ。

 

 まさか、元第2王子が自らの私利私欲の為、軍を出し抜いた挙句に自爆した、などとはつゆとも思わなかった。

 

「『オイゲン』以下、僚艦に通達。《分離行動を開始せよ》」

 

 

 

 

 

 命令を受け、重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」と、護衛の駆逐艦4隻が「シャルンホルスト」から遠ざかっていく。

 

 徐々に姿が小さくなる巡洋戦艦の様子を、自らの艦橋でオイゲンが眺めていた。

 

 その表情には、憂いの色が濃く浮かんでいる。

 

「提督・・・・・・シャルさん・・・・・・」

 

 遠ざかる「シャルンホルスト」に向けて呟きを漏らす。

 

 その胸の内に今も疼くのは後悔。

 

 あの、ライン演習作戦の時、自分が護衛から離れなければ「ビスマルク」は沈まず、彼女が死ぬことも無かった。

 

 その想いがオイゲンの胸には刺さり続けている。

 

 今のこの状況。

 

 これは正にあの時、「ビスマルク」を置いて離脱せざるを得なかった時に似ている。

 

 だからこそ、反対した。

 

 今回の作戦に。

 

 せめて自分1隻くらいは、「シャルンホルスト」の護衛に残してほしい、と。

 

 しかしエアルも、何よりシャルンホルスト自身からも反対された。

 

 この作戦の本来の目的を考えると、「プリンツ・オイゲン」は駆逐艦と行動した方が良いと判断したのだ。

 

 「餌」は無防備なほうが、敵も食いつきやすいだろう。

 

 そう言ってエアルとシャルンホルストは笑っていた。

 

 何より、エアルによって示された今回の作戦目標は、オイゲンにとっても無視できるものではない。

 

 「シャルンホルスト」の護衛と作戦目標の完遂。

 

 それはオイゲンの中で天秤に掛けられる物ではなかった。

 

 だが、エアルとシャルンホルスト、両者から説得され折れるしかなかった。

 

 徐々に小さくなる巡洋戦艦の姿に、不安を感じずにはいられない重巡少女。

 

「お願い、どうか、無事で・・・・・・・・・・・・」

 

 祈るような言葉は、波の音に乗って流れていくのだった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 空けて翌日。

 

 昨日の濃霧とは打って変わり、北海一帯は晴天に支配されていた。

 

 天気は晴朗にして波穏やか。

 

 風も少なく、行きかう船には最適な条件が揃っている。

 

 まさに、

 

 嵐の前の静けさ、と言う表現がよく似合う海だった。

 

 スカパ・フローを出港したイギリス艦隊は、進路を東にとって航行していた。

 

 空母「アークロイヤル」を中心とした艦隊は、空母1隻、駆逐艦2隻から成っていた。

 

 このほかにもう1隊、空母「インドミタブル」を中心とした部隊も展開している。

 

「我々の任務は敵の足止めだ」

 

 艦長の言葉に、アークロイヤルは険しい顔で頷きを返す。

 

「ああ、それが限界だろうな。今の我々では」

 

 その表情には微かな苦渋が滲む。

 

 既に、ノルウェー沿岸のフィヨルドに潜伏中だった「シャルンホルスト」が出撃したと言う情報は艦隊にももたらされている。

 

 規模は小さいが、有力な打撃部隊である。

 

 何より、ポーツマス港を出港した輸送船団が、間もなく北海に差し掛かる。ドイツ艦隊の狙いがその輸送船団で間違いない以上、これは何としても阻止しなくてはならない。

 

 しかし、その為の戦力が圧倒的に足りていなかった。

 

 現在、「アークロイヤル」は万全とは言い難い。

 

 無論、艦自体は先の戦いで損傷を負っていないのだが、肝心の艦載機が揃っていなかった。

 

 今回の戦いで「アークロイヤル」が搭載して来た艦載機はシーファイア12機、バラクーダ攻撃機8機、ソードフィッシュ14機に過ぎない。

 

 戦闘機のシーファイアに対艦攻撃能力は無い為、実質的な戦力は22機の攻撃機のみとなる。

 

 「インドミタブル」も同様で、あちらは総計で20機しか攻撃に使用できない。

 

 合計で42機。

 

 定数の半数以下の数字だが、オークニー諸島沖海戦において、艦載機部隊も少なく無い損害を受け、その再編成の最中に急な出撃命令を受けた為、補充もままならないまま出撃となった。

 

 加えて、再編成によってこれまでの歴戦のパイロット達も、多くは他の空母や後方の教育隊に教官に取られてしまった事も大きい。

 

 現在の「アークロイヤル」航空隊は、隊長クラスこそベテランが残留しているが、新しく配属された新米も混ざっている。攻撃力に不安がある。

 

 本来なら作戦を延期し、充分な補充と錬成を重ねたいところなのだが。

 

「陛下が、短兵急な出撃を指示しなければ、君にこんな苦労をさせる事は無かった。本当に済まない」

「言うな」

 

 詫びる艦長に、アークロイヤルは苦笑を返す。

 

「私とて、今回の出撃には思うところが多い。だが、軍人である以上、命令には従わなくてはならない」

「・・・・・・・・・・・・そうだな」

 

 それがいかに理不尽な命令であっても、軍人ならば逆らう事は許されなかった。

 

 唯一、明るい要素があるとすれば、ボルス・フレイザー本国艦隊司令官が、主力艦隊を率いて、後詰として出撃してくる事だろう。

 

 その時だった。

 

「偵察機からの報告ですッ!!」

 

 通信長が電文を手に駆け寄ってくる。

 

 受け取って一読すると、艦長は電文をアークロイヤルにも渡した。

 

「《敵戦艦1、オスロ沖を西へ向けて航行中進路2―2―0。尚、護衛の艦船は見当たらず》か」

 

 敵戦艦が単独で行動中。

 

 護衛もつけず、戦艦が動いている理由。

 

 これが意味するところは、1つしか考えられない。

 

「奴等、『シャルンホルスト』を囮にして船団を襲う気だ」

 

 アークロイヤルは確信した声で呟く。

 

 これまで、何度もドイツ海軍が取って来た戦術だ。

 

 ドイツ艦隊の目的が輸送船団である以上、他の護衛艦は分離して船団に向かっていると判断すべきだった。

 

「それにしても1隻とはな。我々を舐めているのか? 開戦初期ならいざ知らず・・・・・・」

「あるいは、敵にはもう、あまり余裕はない、か」

 

 開戦初期の、イギリス海軍が未だに態勢の整っていない状況であるなら、戦艦が単独で航行して通商破壊戦をやる余地もあった。

 

 しかし今や、イギリス海軍が制海権を握るに至り、単独の水上艦を運用するのは危険極まりない。

 

「どちらにしてもチャンスだ。攻撃を仕掛けるぞ」

 

 アークロイヤルが意気込んだように告げる。

 

 「シャルンホルスト」さえ沈めてしまえば、後の重巡以下の艦が残ったところでさほどの脅威にはならない。後はフレイザーの本隊を待って殲滅しても良いし、そもそもそうなれば、敵の指揮官は撤退を決断する可能性が高い。

 

 いずれにせよ、ここで攻撃しない手は無かった。

 

 艦長も頷くと口を開いた。

 

「ソードフィッシュを何機か、対潜護衛に残すか?」

「いや、今は1機でも攻撃に振り分けたい。全力で掛かろう」

 

 迷いなく答えるアークロイヤル。

 

 元より、相手はヨーロッパ最強戦艦。片手間で掛かれば返り討ちに遭う事は間違いない。

 

 既に会敵を予想して、艦載機の出撃準備は整えてある。後は命令を待つのみだった。

 

「発艦準備!!」

 

 速力を上げる「アークロイヤル」。

 

 その飛行甲板では、複数の航空機がプロペラを回転させる音が鳴り響く。

 

 同時に「インドミタブル」にも、航空隊出撃の命令が発せられる。

 

 相手は巡洋戦艦1隻。

 

 2隻の空母から同時に攻撃隊を放ち、波状攻撃を仕掛ける。

 

 そうして敵を足止めしたところで、本隊で止めを刺すのだ。

 

 やがて、発艦開始の命令と共に、「アークロイヤル」の航空隊は、甲板を蹴って舞い上がって行った。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 後部艦橋トップに搭載した艦載型ウルツブルクレーダーが、接近する機影を捉えると同時に、艦内には緊張が走った。

 

 レーダー室からの報告を受け、エアルはスッと目を細めた。

 

「ここまでは予定通り、か」

 

 既に近海を航行していたであろう英潜水艦が、「シャルンホルスト」発見の通報を送ったであろう事は報告を受けている。

 

 ここが正念場だ。ここを切り抜けない事には話にならない。

 

 振り返り、シャルンホルストと目を合わせる。

 

 視線に気づき、彼女もまたエアルを見て来た。

 

 互いに笑みを浮かべ、頷きあう。

 

「総員、第1戦闘配備。対空戦闘用意!!」

「機関最大、全速前進!!」

 

 エアルの命令を受け、滑らかな加速で速力を上げる「シャルンホルスト」。

 

 程なく、最大戦速の34ノットに達する。

 

 合成風力でマスト上の鉄十字が靡き、艦首は波濤を鋭く切り裂く。

 

 同時に高角砲、機銃が旋回、仰角を上げて空を睨む。

 

 既にウルツブルクレーダーは、敵編隊の進路と高度を割り出している。後は射程に入り次第、攻撃を開始できるのだが。

 

 ドイツが誇る高性能対空レーダーは、充分に役割をこなしていた。

 

 同時に今回は、もう一手、仕掛ける事にしている。

 

「主砲、左砲戦用意!!」

 

 連装3基6門の47口径40センチ砲が旋回し、天を睨む。

 

 聊か奇異な光景に見えるだろう。

 

 如何な大口径な主砲と言えど、高速で飛び回る航空機には無力に近い。

 

 だが、「シャルンホルスト」に乗る、誰もがその光景に疑問を抱かなかった。

 

 やがて、視界の先で複数の機体が編隊を組んで向かってくるのが見える。

 

 海面を這うように向かってくる機体。

 

 先に線上に到着したのは「インドミタブル」の航空隊である。

 

 数はバラクーダ15機、ソードフィッシュ5機。

 

 それらの機体が、「シャルンホルスト」めがけてまっすぐに向かってくる。

 

「距離、2万!!」

 

 見張り員の報告。

 

 対して、エアルは双眼鏡をじっと覗き込む。

 

 やがて、

 

「1万5000!!」

 

 見張り員の絶叫。

 

 次の瞬間、

 

「撃ち方始め!!」

 

 叩き付けるように命じるエアル。

 

 同時に、

 

 6門の40センチ砲が、一斉に撃ち放たれた。

 

 これには、向かってくる敵パイロットの間に失笑が生まれた。

 

 おいおい、ナチの奴らとうとう、頭までおかしくなったぞ。

 

 航空機に主砲を撃ってどうするつもりなんだ? ただ弾を海面に捨てるだけだろう。

 

 ヒトラーの飼い犬共が、所詮は田舎海軍だよ、奴等は。

 

 失笑がマイクを通して垂れ流される。

 

 だが次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼等の前に、巨大な炎の壁が出現した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「シャルンホルスト」が放った6発の砲弾が空中で炸裂し、内部に搭載されていた無数の焼夷弾子が放出されたのだ。

 

 その一撃で、編隊を組んでいた機体が炎に巻き込まれて海面へと落下していく。

 

 それまで嘲笑していたパイロットにも余裕が消え、恐怖に引きつった表情が浮かぶ。

 

 いったい、何が起こったと言うのか?

 

 一方、

 

 「シャルンホルスト」艦橋のエアルは、余裕の表情で双眼鏡を下ろした。

 

「使えるね、この散弾(バックショット)。日本は良い物を開発してくれたよ」

 

 たった今、「シャルンホルスト」が放った砲弾は、言わば巨大な散弾を空中にばらまき、敵機を一掃する事を目指した砲弾である。

 

 開発したのはドイツではなく、同盟国の日本。

 

 これまで何度か、日本とドイツは潜水艦による行き来を行っており、互いの軍事技術による交流を行っている。

 

 当初、同盟国とは言え、他国が開発した兵器を使う事に難色を示す者が多かったが、しかし日本からもたらされた兵器はユニークな物が多く、そのいくつかが量産配備が決定された。

 

 その中の一つが、日本では「三式弾(タイプ・スリー)」と呼んでいる対地対空用の砲弾だった。

 

 この砲弾は言わば榴弾の強化版であり、空中に無数の焼夷弾子をばらまき、炎で薙ぎ払う事が出来る。それで多数の航空機を一網打尽にできるのだ。

 

 日本では更に、この砲弾に改良を加えた物が正式配備されているという。

 

 効果は今見た通り。

 

 一撃で、イギリス軍攻撃隊は半壊に近い損害を受けている。

 

 だが、残った敵機は散開しつつ果敢に向かってくる。

 

 こうなると、小回りの利かない主砲は役に立たない。

 

 だが、今の一撃で敵の半数近くを一掃できた。役割としては十分すぎるくらいである。

 

「対空戦闘、撃ち方始め!!」

 

 エアルの命令に従い、一斉に高角砲と機銃を撃ち放つ「シャルンホルスト」

 

 魚雷を放つべく、低空に舞い降りようとしていた1機のソードフィッシュが、あおりを食らって海面に突っ込む。

 

 更に、1機のバラクーダが、12.7センチ砲弾の直撃を浴びて火球に変じた。

 

「右舷敵機、魚雷投下態勢に入ります!!」

「面舵一杯!!」

 

 34ノットのスピードで航行していた「シャルンホルスト」は、対空砲を撃ち上げながら右へと旋回。魚雷を回避する態勢に入る。

 

 対して、残ったバラクーダとソードフィッシュが魚雷を海面へと投下する。

 

 しかし、

 

「敵の腕は大したことないね。素人なのかな?」

 

 エアルは嘆息しながら呟いた。

 

 敵機の攻撃位置が、「シャルンホルスト」から、あまりにも遠すぎたのだ。

 

 魚雷は白い航跡を引きながら海面を疾走して向かってくる。

 

 だが、そのいずれもが「シャルンホルスト」から離れた海面に投下されている。

 

 案の定、全速で回避運動を行う「シャルンホルスト」を捉える事は無く、虚しく走り抜けていくのだった。

 

 攻撃は、さほど間を置かずに終了した。

 

 ドイツ側に関して言えば、全くの無傷。完全なパーフェクトゲームと言える。

 

 敵機の数がそもそも少なかった事。

 

 敵の技量が低かった事。

 

 更に「シャルンホルスト」が新兵器の「三式弾(タイプ・スリー)」を使用した事で、一方的なワンサイドゲームになってしまった。

 

 だが、安心するのはまだ早かった。

 

「新たな敵編隊感知ッ 方位、右舷30度、高角60度!!」

 

 レーダー室からの報告を聞き、エアルは更なる交戦の決意を固める。

 

 双眼鏡を覗き込めば、向かってくる編隊が見える。

 

「主砲射撃は、間に合わないな」

 

 高角砲と機銃のみでの戦闘となる。

 

「右舷、対空戦闘ッ 機関最大!!」

 

 速力を上げつつ、右舷側の高角砲、機銃を振り上げる「シャルンホルスト」。

 

 そこへ、敵機は突撃してきた。

 

 

 

 

 

 遅れて到着した「アークロイヤル」航空隊の内、バラクーダ8機、ソードフィッシュ14機。

 

 合計22機の内、魚雷を搭載した機体は15機、残り7機はロケット弾を装備していた。

 

「ロケット弾を搭載した機体は先行し牽制攻撃を仕掛けろッ 雷撃隊は続け!!」

 

 ロケット弾を搭載した機体は速力を上げ、魚雷を搭載した機体は体調気に続いて高度を下げる。

 

 技量未熟であった「インドミタブル」航空隊と違い、「アークロイヤル」航空隊の隊長クラスはまだ、ベテランが多く残っている。

 

 それらのベテランに率いられ、攻撃態勢を整える。

 

 彼等はもとより、あの「ビスマルク」の足を止め、最終的には撃沈に追い込んだ殊勲部隊でもある。

 

 言わば、ドイツ海軍の戦略を根底から覆した部隊でもある。

 

 それだけに、自分達に誇りを持っていた。

 

 先行するロケット弾部隊が攻撃態勢に入った。

 

 次の瞬間、

 

 彼等の前に、巨大な炎の壁が出現した。

 

「な、何だ、これはッ!?」

 

 視界全てを深紅に染められたかのような光景に、驚きの声を上げるパイロット達。

 

 その声ですら、炎に飲み込まれて消えていく。

 

 結局、ロケット弾発射予定地点にたどり着けた機体は、7機中、2機のみ。

 

 他の5機の内、1機が発射前に撃墜され、残り4機は恐怖のあまり、射点の遥か手前で発射して退避に移った。

 

 勇敢にも肉薄してロケット弾を放つ2機のソードフィッシュ。

 

 直後、彼等の勇敢な行動は、彼等の命をも引き摺り込む。

 

 「シャルンホルスト」が放った機銃弾がソードフィッシュを捉え、これを海面に叩き付けたのだ。

 

 だがしかし、彼等の行動は正当には報われなかった。

 

 放たれたロケット弾16発の内、命中したのは4発のみ。

 

 「シャルンホルスト」の被った被害は、僅かに甲板が破壊されたのみ。実質的な戦闘力低下は無かった。

 

「くそッ 攻撃開始だ!!」

 

 ロケット弾攻撃の失敗を見て、攻撃隊長は焦ったように命じる。

 

 ロケット弾攻撃によって「シャルンホルスト」の対空砲を破壊し、減殺した火力の隙間を突く形で雷撃隊を突入させる作戦は完全に破綻してしまった。

 

 低空を這うように進む雷撃隊。

 

 その視界の中で、「シャルンホルスト」の艦体が大きく広がろうとしていた。

 

 

 

 

 

「左舷90度、バラクーダ4機、向かってきます!!」

 

 報告を受けて、エアルは素早く視線を走らせる。

 

 整然と編隊を組んで迫る姿は、ベテランの風格すら感じられる。

 

「機関全速、取り舵一杯!!」

 

 対空砲を撃ち上げながら旋回する「シャルンホルスト」。

 

 バラクーダ隊は一斉に魚雷を投下する。

 

 しかし、34ノットで急旋回する「シャルンホルスト」は、激しく対空砲火を撃ち上げる。

 

 その圧倒的な火力は、イギリス軍の攻撃隊をなかなか寄せ付けない。

 

 実は今回、「シャルンホルスト」は、とある新戦術を実施していた。

 

 日々、発達を続ける航空機の機動性と物量は水上艦にとって脅威となり得る。

 

 現に太平洋戦線では、日本軍が航空攻撃のみで英戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」「レパルス」を撃沈している。ドイツ戦艦「ビスマルク」が航空機によって死命を制された事も忘れてはならないだろう。

 

 それらを考慮したエアルは、対航空機戦闘に関する研究を行っていた。

 

 航空機の脅威は、何と言ってもまず、その機動性にある。

 

 時速数100キロに及ぶ速力に、対空砲の旋回や照準が追い付かないのだ。対空砲が当たりにくいのはその為である。

 

 となれば、その機動性を封じる策を考えなくてはならない。

 

 そこでエアルが考え付いたのが「射撃エリア制限による弾幕射撃」である。

 

 各対空砲の射撃受け持ちエリアを細分化して決定し、そのエリア以外への射撃、旋回、照準を禁止する。

 

 一見すると、却って火力が低下しそうだが、いたずらに対空砲を旋回させれば、却って多数の航空機に肉薄されると旋回が追い付かなくなる。

 

 それよりも、自分の担当エリアのみに射撃するように厳命すれば、旋回は少なくて済む。

 

 どのみち航空機も、魚雷にしろ爆弾しろ、命中率を高めるには目いっぱい目標に接近する必要がある。つまり、形成した弾幕の中に敵が勝手に飛び込んできてくれる事になるのだ。

 

 敵が接近を諦めて遠距離で魚雷、爆弾を投下するならそれもよし。距離が離れれば回避もやりやすくなる。

 

 言わば対空砲火の投網で、接近する敵機を絡め捕るのだ。

 

 作戦は功を奏した。

 

 「シャルンホルスト」を攻撃すべく接近してきたイギリス軍機は、濃密な対空砲火に絡め捕られ、次々と火を吹いていった。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 攻撃を仕掛けるイギリス側の隊長は、悪夢を見るかのような思いだった。

 

 精鋭と信じた自分達が手も足も出せず、たった1隻の巡洋戦艦に次々と返り討ちにされて行っているのだ。

 

 指揮官からすれば、目を覆いたくなる光景だった。

 

「ひ、怯むなァッ 1発当てればこちらの勝ちなのだ!!」

 

 焦りをそのまま言葉に乗せて叫ぶ。

 

 確かに、1発魚雷を撃ちこむ事が出来れば「シャルンホルスト」の動きを鈍らせる事が出来る。そうなれば、後続する本国艦隊主力が捕捉する目も出て来るだろう。

 

 1発、

 

 そう、たった1発で良いのだ。

 

 だが、その1発がいかに遠い存在であるか、

 

 程なく指揮官は、己の身をもって経験する事になる。

 

 しかし、彼がその貴重な経験を活かす事も、後進に伝える事も無かった。

 

 低空に舞い降りる、バラクーダ指揮官機。

 

 次の瞬間、

 

 「シャルンホルスト」が放った高角砲弾がすぐそばで炸裂。

 

 指揮官は言葉を発する事も出来ず、機体はバランスを失って海面へと突っ込んだ。

 

 悉く、攻撃に失敗したイギリス海軍航空隊。

 

 空中にまき散らされた炎と煤が舞う中、

 

 後には、海上にあって、堂々とした姿を見せる「シャルンホルスト」のみが残されたのだった。

 

 

 

 

 

4

 

 

 

 

 

 「アークロイヤル」の艦橋は、混乱の坩堝と化していた。

 

 攻撃失敗、「シャルンホルスト」健在、指揮官戦死、部隊は壊滅状態となり退却中。

 

 悲痛な報告が次々と入ってきている。

 

 通信状況から、戦況が芳しくない事は伝わってきていた。敵が何か新兵器を使い、攻撃隊に甚大な損害を被った、ともあった。

 

「やはり、無理があったか」

 

 アークロイヤルが、苦渋の表情で呟く。

 

 全軍で掛かれば敵巡戦の足止めくらいはできるかと期待したのだが、やはり新兵交じりの部隊では無理があったらしい。

 

「帰還する部隊を収容しよう」

 

 うなだれるアークロイヤルに、艦長がいたわるように声を掛ける。

 

「ともかく、敵艦へ攻撃を仕掛けて引き付ける役割は果たせたんだ。後はフレイザー提督の本隊に任せ、我々は帰投しよう」

「・・・・・・そうだな」

 

 頷くアークロイヤル。

 

 彼女とて分かっているのだ。

 

 これ以上は、どう足掻いても戦いようがないと言う事が。

 

 そもそも、今回の出撃自体が、国王の無茶ぶりから始まった、決して健全とは言い難い作戦内容である。

 

 何もかもが準備不足で始まった作戦は案の定、破綻を見つつある。

 

 これ以上、戦場に留まるのは無意味であり無駄でしかない。帰還して部隊を再編成し、再起の時に備えるのだ。

 

「判った、後退しよう」

 

 アークロイヤルの言葉に、艦長は安堵の笑みを浮かべた。

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「左舷90度に敵艦ッ 急速接近!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 見張り員の悲鳴に近い絶叫。

 

 次の瞬間、

 

 誰もが驚く中、アークロイヤルはとっさに左舷に目を向ける。

 

 果たしてそこには、

 

 鉄十字を風になびかせて、急速に接近してくる艦隊の姿があった。

 

「敵は重巡1、駆逐艦4!! 重巡はヒッパー級!!」

 

 ヒッパー級巡巡洋艦は、オークニー諸島沖で仕留め損ねた「プリンツ・オイゲン」だろう。

 

 彼等はイギリス海軍が「シャルンホルスト」に攻撃を集中している隙に距離を詰めて来たのだ。

 

「まさか、『シャルンホルスト』が単独行動していたのは、この為だったかッ!?」

 

 歯を噛み鳴らすアークロイヤル。

 

 「シャルンホルスト」が単独で航行しているという報告を受けた際、他の軽快艦艇は、全て輸送船団に向かっていると考えた。

 

 だが違った。

 

 彼等は初めから、これを狙っていたのだ。

 

 「シャルンホルスト」は確かに囮だった。

 

 だが、ドイツ側の狙いは、イギリス海軍の目が「シャルンホルスト」に向いている隙に、高速艦隊を先行させ、空母に攻撃を仕掛ける事だったのだ。

 

 イギリス海軍の航空機は、(たとえば日本の航空機と比べると)航続力が非常に短い。その為、攻撃する際は空母自体も戦場となる海域に接近する必要がある。その特性を逆用された形だった。

 

「敵小型艦分離、こちらに向かってきます!!」

「敵重巡、転舵!! 主砲旋回中の模様!!」

 

 次々と絶望的な報告がもたらされる。

 

 対して今、「アークロイヤル」に反撃の手段はない。

 

 攻撃機は全て「シャルンホルスト」攻撃に振り向けた後であり、艦内には対艦攻撃能力の低い戦闘機しか残っていない。

 

 事実上の反撃能力は皆無である。

 

 唯一、できる事と言えば、護衛の駆逐艦がドイツ艦隊を牽制している間に戦線離脱する事のみだった。

 

 しかし、駆逐艦の数も、イギリス側が2に対し、ドイツ側が4。牽制が成功するとは思えない。

 

「敵艦隊、突撃開始しました!!」

 

 見張り員の悲痛な叫びが、絶望を加速させた。

 

 

 

 

 

 ついに、

 

 そう、ついに、この時が来た。

 

 彼方で避退を始める空母を眺めながら、プリンツ・オイゲンは込み上げる物を押さえる事が出来なかった。

 

 思い返すは3年前。

 

 無念の内に沈んだビスマルク。

 

 彼女を守る立場にいながら、全うできなかった事実は、ずっとオイゲンの胸に刺さる棘となり、今も血を流し続けている。

 

 その、ビスマルクの仇が今、目の前にいる。

 

 自分の主砲が、届く所にいる。

 

 空母「アークロイヤル」。

 

 「ビスマルク」の舵を破壊し、彼女が沈む決定的な役割を果たした艦だ。

 

「あなたを沈めても、あの人が帰ってくるわけじゃない」

 

 そんな事は判っている。

 

「あなたを沈めても、私の罪が消える訳じゃない」

 

 そんな事は判っている。

 

「あなたを沈めても、何かが変わるわけじゃない」

 

 そんな事は判っている。

 

 判っている。

 

 全て判っていて、尚、プリンツ・オイゲンは「アークロイヤル」を沈める決意を固めていた。

 

 「アークロイヤル」の護衛についていた2隻の駆逐艦が、主を守る猟犬のようにこちらに向かってくるのが見えた。

 

 しかし、それに対抗するようにドイツ側の駆逐艦が突撃する。

 

 激しく砲火を交わす、両軍の駆逐艦。

 

 そんな中、「プリンツ・オイゲン」は「アークロイヤル」目指して突撃を開始する。

 

 同時に、連装4基8門の20センチ砲が一斉に撃ち放たれた。

 

 

 

 

 

 自身に向けられた閃光。

 

 その様子を、自身の艦橋から眺めるアークロイヤル。

 

 既に敵艦に距離を詰められている。

 

 事この段に至っては、逃げる事も抵抗する事も不可能。

 

「ここまで、か」

 

 静かに目を閉じる。

 

 そこに悔しさはなく、ただ事実を静かに受け入れた静かな思いだけが存在している。

 

 これも全て、因果が巡った結果。

 

 ならば、受け入れるしかない。

 

 それに、

 

 悪くない人生だった。

 

 心の底からそう思える。

 

 イギリス海軍における空母の雛型として生を受け、開戦から今日に至るまで最前線で戦い続けた。

 

 祖国の為に戦い、祖国の為に散る事が出来る。

 

 艦娘として、これ以上の幸せがあろうか。

 

 やがて、襲い来る衝撃。

 

 アークロイヤルは全てを受け入れ、

 

 静かに目を閉じた。

 

 

 

 

 

 「シェトランド諸島沖海戦」と呼ばれる一連の戦いは、ドイツ海軍の勝利で幕を閉じた。

 

 先のオークニー諸島沖海戦における大敗から、僅か1か月後に起こった戦いでの勝利はドイツ全軍を奮い立たせ、同時にその健在を大いに宣伝する事に成功した。

 

 一方のイギリス海軍は、歴戦の空母「アークロイヤル」を失うなど、再び大きな痛手を負う事となった。

 

 凱歌を上げるドイツ海軍。

 

 しかし、

 

 結果的に見て、この勝利は戦局に対して大きな影響を及ぼす事は無かった。

 

 既に多少の艦船を沈めた程度で、独英海軍の戦力差が埋まる事はなく、却ってドイツ海軍の窮状を知らしめる形となった。

 

 連合軍による援ソ船団は、その後も継続され、物資は尽きる事無くソ連領へと運び込まれた。

 

 また、同時にイギリス本土でも着々と反攻準備は整えられつつある。

 

 東西から迫る、破滅の波。

 

 それを押し留める力は最早、ドイツ海軍には存在しなかった。

 

 

 

 

 

第70話「3年目の仇討ち」      終わり

 




ミッドウェー沖で「赤城」が発見され、世間を沸かせましたね。

この調子で「シャルンホルスト」も見つけてくれないもんかな、とも思うのですが、場所的にちょっと難しいかもしれません。

しかし、

私が尊敬する横山信義先生が「赤城」を主役艦にした本を書き始めた直後に「赤城」が発見された事には、とんだ偶然もあったものだと驚いています。


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第71話「夢現の邂逅」

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 齎された戦勝の報告に、喜びの声は聞かれず、代わりに聞かれたのは安堵のため息が殆どだった。

 

 シェトランド諸島沖海戦において、第1戦闘群はイギリス艦隊と交戦。歴戦の英空母「アークロイヤル」を撃沈する事に成功した。

 

 これで一先ず、体裁は取り繕う事が出来た訳だ。

 

 現在、艦隊はイギリス本国艦隊の追撃を振り切り、キールへ向けて帰還する途中だと言う。

 

 ドイツ側の損害は、喪失艦艇に関して言えばゼロ。実質的なパーフェクトゲームと言えた。

 

 勿論、これが単なる問題の先送りに過ぎない事は誰もが判っている。が、今は、そんなささやかな勝利であっても祝いたいと、ここにいる皆が考えていた。

 

 壊滅状態のドイツ艦隊にとって、今はどれだけ小さな勝利でも、貴重な宣伝材料だったのだ。

 

「むしろ、大変なのはこれからだよ」

 

 溜息にも似たカーク・デーニッツの言葉に、ウォルフ・アレイザーは振り返った。

 

 ベルリンの海軍本部に集った幕僚の面々の顔は暗い。

 

 勝利は確かに喜ばしいが、この勝利が戦局に対し殆ど帰依し得ない事は明白だった。

 

 オークニー諸島沖海戦で主力艦隊の過半を失ったドイツ海軍にとって、今更「アークロイヤル」1隻沈めたところで、焼け石に水でしかない。

 

「我々は、海の守りを失った。いずれ始まる連合軍の反攻を、海上で阻止する手段は無くなった訳だ」

 

 途方に暮れたくなる状況。

 

 ただ、途方に暮れてばかりもいられないのが、責任者のつらい所である。

 

「艦隊を再編する必要があります。それも、可及的速やかに」

 

 傍らのシュレスビッヒ・ホルシュタインも、緊張の面持ちで告げる。

 

 間も無く、帰還する第1戦闘群を中心とした艦隊の再編成は急務だろう。

 

 しかし、いかに「ティルピッツ」「シャルンホルスト」や空母2隻が健在とは言え、その戦力はイギリス海軍の1個艦隊にも及ばない。

 

 イギリス海軍は既にイラストリアス級の新鋭航空母艦に加え、多数の護衛空母を戦線に投入、更にビスマルク級戦艦にも対抗可能な最新鋭戦艦を実戦配備しているという。その他、巡洋艦、駆逐艦と言った中小型艦艇、更にはフリゲート、コルベットから成る対潜部隊を充実させ、ドイツ海軍の真の主力であるUボート艦隊を抑え込みにかかっている。

 

 戦力差は隔絶するばかりだった。

 

「アレイザー中将」

 

 デーニッツの呼びかけに、振り返るウォルフ。

 

 この新しき海軍総司令官は、ウォルフをまっすぐに見て言った。

 

「アレイザー中将、例の件、考えてくれたか?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 黙考するウォルフ。

 

 デーニッツは数日前、ウォルフを自身の執務室へ呼び、ある要請を行っている。その答えを求められているのだ。

 

 それはウォルフにとっても決して悪い話ではない。が、同時に多大なリスクを伴う決断でもあった。

 

 ややあって、ウォルフも向き直った。

 

「一点、 条件があります」

「聞こう」

 

 言ってから、ウォルフはシュレスに目を向けた。

 

「この、シュレスビッヒ・ホルシュタインを、私の参謀として、留任できるように取り計らって頂きたい」

「ウォルフ、お前・・・・・・・・・・・・」

 

 驚くシュレスに目を向けず、ウォルフはデーニッツに返事を迫る。

 

 そんな2人を見ながら、デーニッツは頷いた。

 

「承知した。その他全て、思い通りにやってくれて構わない。必要なら私の名前を使ってくれて構わん」

「ありがとうございます」

 

 一礼するウォルフ。

 

 デーニッツがウォルフに依頼した事。

 

 それは、ドイツ艦隊司令官への就任だった。

 

 それは、日本で言えば、連合艦隊司令長官のポストに当たり、事実上、ウォルフが実働部隊のトップに立った事を意味している。

 

 ほくそ笑むウォルフ。

 

 その横顔を、シュレスは厳しい眼差しで眺めていた。

 

 

 

 

 

「どういうつもりだ、ウォルフ?」

 

 会議が終わるとすぐに、部屋から出て行こうとするウォルフを呼び止めてシュレスが尋ねた。

 

 ドイツ艦隊司令官と言えば、海軍将兵の誰もが憧れ敬う、理想の地位である。

 

 しかし今、主力艦隊が壊滅した中、その任を引き受けるのは、いかにも貧乏くじを引いた感が否めない。

 

「何の話だ? ああ、足を止めるな。歩きながら話そう」

 

 そう言うと、歩調をシュレスに合わせるウォルフ。

 

 すれ違う兵士の敬礼を受けながら、2人は海軍総司令部の廊下を歩く。

 

「今更、艦隊司令官なんぞを引き受けるなど、普通に考えれば自殺行為にも等しい」

 

 言いながらシュレスは、ウォルフを睨む。

 

「いったい、この期に及んで何を企んでいる?」

 

 見据えるシュレス。

 

 対してウォルフは眉一つ動かそうとしなかった。

 

「俺が何を考えているかなど、今更、お前に説明するまでも無いだろう」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 黙するシュレス。

 

 ウォルフの望み。

 

 ウォルフの願い。

 

 それは即ち、妻であるテアを死に追いやった、イギリスとイギリス海軍に対する復讐。

 

 それのみを糧にし、その他の全て、愛する子共すらも含めて全てを捨てて生きて来た男にとっては必然の終結と言える訳だが。

 

 それにしても、シュレスには腑に落ちない事があった。

 

「今更、艦隊司令官に就任する事が、お前の目的とどう関係あると言うんだ?」

 

 ドイツ海軍とイギリス海軍の戦力差は絶望的であり、この状況が逆転する事は、もはやあり得ない。そんな事は、語るまでもなく明々白々。

 

 ウォルフの望みは最早、万に一つも潰えたと言えよう。

 

 だが、

 

「良いか、よく聞け」

 

 ウォルフは殊更小声になって告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この戦争、負けるぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前、それッ」

 

 絶句するシュレス。

 

 それは、ドイツにとって、

 

 否、

 

 如何なる国であろうと、戦争状態にある国の軍人ならば、決して口に出してはいけない事。

 

 事もあろうに、「自国が負ける」などと。

 

 ましてかドイツ軍内では、秘密警察ゲシュタポや、親衛隊SSの目がどこにあるか分からない。

 

 その親衛隊中将が、このような不謹慎な発言をするとは。

 

 だが、ウォルフは構わず続けた。

 

「ドイツは四方に敵を抱えすぎた。最早、どうにもならん。後は押しつぶされるのを待つのみだろう」

 

 東部戦線は、クルスク会戦以降、戦線の後退が続いている。マンシュタイン元帥を初め、主だった名将たちが戦線を支えてはいるが劣勢は免れず、撤退してくる味方を収容するので精いっぱいだと言う。

 

 南部のイタリアでも連合軍は攻勢を強めている。先の政変以降、既にムッソリーニに権威は無く、味方を取りまとめる事すらできないでいるのだとか。

 

 唯一、望みがあったのが西部戦線だったが、それも海軍の壊滅により防衛線は破綻した。既に連合軍は反攻作戦の準備を整えつつあるという情報も入ってきている。反攻が始まるのも時間の問題だろう。

 

 元々、ドイツ軍は物量に秀でていたわけではなく、むしろ少数精鋭に重きを置いた編成や戦術を組み立てて来た。電撃戦がその好例だろう。

 

 だが少数精鋭の軍は、攻める際には有利だが、一度守りに入ると兵力が不足し一気に瓦解しやすくなる。要するに、全ての戦線に充分は兵を配置する事が出来なくなるのだ。

 

 しかし、

 

 シュレスはそんな破滅的な事を語るウォルフに、違和感を感じずにはいられなかった。

 

 なぜなら、その事を語るウォルフは、不自然な程に落ち着き払い、淡々としていたからだ。

 

 そこで、ハッとする。

 

 なぜ、目の前の男が、劣勢となった艦隊の司令官など引き受けたのか?

 

 ようやく、その真意に気付いたのだ。

 

「・・・・・・ウォルフ、お前」

「・・・・・・・・・・・・」

「お前にとって、ドイツが負ける事すら些細な事でしかない。と、いう事か」

 

 ウォルフは答えない。

 

 しかし、その沈黙こそが、何より雄弁に肯定していた。

 

「ドイツが負けようが、国が亡ぼうが、テアの復讐を果たせればそれで良い。そういう事なんだな?」

「誤解するな。俺とてドイツ軍人だ。好き好んで祖国が負ける様を見たいとは思わんし、今まで勝つための努力をしてきたさ。ただ、事この段になって至っては、勝利を望むべくもない。そういう事だ」

 

 ドイツは負ける。

 

 最早、その運命からは逃れられない。

 

 ならば、

 

 負ける前に己が目的を果たすのみ。

 

 今やウォルフの思考は、自らの目的であるテアの敵討ちにのみ、焦点が当てられていた。

 

「これは最後のチャンスだ。土壇場だが、俺の手には条件を満たす全てのカードが、図らずも揃ってしまった。なら、やるしかないだろ」

「お前と言う奴は・・・・・・・・・・・・」

 

 絶句するシュレス。

 

 これは、復讐に半生を捧げて来たウォルフが行う、最後の賭け。

 

 ドイツが亡ぶのが先か? あるいは、自分が死ぬのが先か?

 

 ウォルフの眼中にあるのは、ただ、その前に復讐を果たす事のみ。

 

 立ち尽くすシュレス。

 

 ウォルフは、それに気づかず歩き続ける。

 

 去る背中を、シュレスは呆然と見ている事しかできなかった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 篠突く雨の中、葬儀は静かに進行していく。

 

 参列者は、驚くほどに少なかった。

 

 仮にも王太子たる人物の葬儀である。本来であるならば国中を挙げての葬儀となってもおかしくはないと言うのに。

 

 しかし、集まった参列者は、家族と近親者を含めても20人に満たない。

 

 それは既に、故人が求心力を失っていた事を如実に表していた。

 

 イギリス王室第1王子アルフレッド逝去。

 

 それは、シェトランド諸島沖海戦終結の翌日に齎された訃報。

 

 軍務についていたリオンやベルファスト、クロードは全ての予定をキャンセルし葬儀に駆け付けたのだった。

 

「まったく、何なのよこれは。薄情とか、そう言うレベルじゃないわよッ」

 

 参列者の圧倒的な少なさに、憤りを隠そうともしないベルファスト。

 

 目の前の光景が、アルフレッドが周囲からいかに見られていたかを物語っていた。

 

 第1王子でありながら生まれつき病弱で、公務にも携わっていなかったアルフレッド。

 

 周囲の人間、特に利権に目を晦ませている閣僚や官僚と言った連中の前には、アルフレッドは無価値な存在としてしか見えていなかった。

 

 だからこそ、ディランが如き俗物が、あれほどの失態を重ねながらも、「英雄」などともてはやされたのだ。

 

「納得いかないよ、こんなのッ」

 

 尚も言い募るベルファスト。

 

 だが、そんな彼女の肩に、リオンはそっと手を置いた。

 

「言いたい奴には言わせておけばいい」

 

 見上げる相棒の顔が穏やかな事に気付いたベルファストは、ハッと言葉を飲み込む。

 

 兄を失い、リオンが悲しんでいないわけがない。

 

 しかし、そんな様子を微塵も見せずにいるリオンの心中を察したのだ。

 

 そもそも、葬儀の場とは故人を悼む場所。

 

 ならば、アルフレッドを最も愛した人たちだけが集まればそれで良いではないか。

 

「我々はいいさ」

 

 口を開いたのはクロードだった。

 

 普段は軽い調子の兄もまた、今日ばかりは謹厳な調子を崩そうとしなかった。

 

「問題は、彼女だよ」

 

 そう言ってクロードが指示した先には、遺族席に座る小さな少女がいた。

 

「エリスちゃん・・・・・・・・・・・・」

 

 馴染みのある少女の消沈した姿に、ベルファストも憂いの表情を浮かべる。

 

 第1王子であるアルフレッドが死に、その他の王位継承権を持った者も、殆どが戦死した。

 

 ディランは健在な筈だったのだが、数カ月前からどういう訳か行方不明になっているらしい。一説によると、王室としての権限を剥奪された事を嘆き、国外へ去ったのではないか、との事だが真偽は不明だった。

 

 そしてリオンとクロードは、母が庶民出の為、実質的に王位継承権は認められていない。

 

 必然的に第1王子の長女であり、王太孫にあたるエリスが、王位継承第1位となったわけである。

 

「これから、あの子の周りには様々な連中が集まるだろう。それこそ、利権を狙って色々な連中がな」

 

 王家に媚びを売りたい連中は、エリスを決して見逃すような真似はしないだろう。

 

 彼女をダシにしてうまい汁を吸おうと言う連中が、それこそ山のように現れる事は目に見えていた。

 

 それこそ、彼女の人生を食いつぶそうがお構いなしだ。

 

 そして、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 リオンは沈思したまま、彼方を振り仰ぐ。

 

 今は厚い雲に隠れて見えない。

 

 しかし、その視線の先にある荘厳な宮殿。

 

 そこに住まう主こそが、エリスの人生を食い物にしようとする最たる存在かもしれなかった。

 

「兄上、兄上達は大丈夫なのですか?」

 

 尋ねるリオンに、クロードは苦笑気味に返す。

 

 リオンが何を言いたいのか、クロードは判っていた。

 

 実は先日、本国艦隊司令部の解散が正式に通達された。

 

 理由は、先の海戦における敗北と、空母「アークロイヤル」の喪失だった。

 

 「シャルンホルスト」を取り逃がした上、歴戦の空母「アークロイヤル」を失った責任は、指揮を執った本国艦隊にあり、それゆえの懲罰人事だった。

 

 しかも、既に後任の人事まで確定している状況である。

 

「勝手なこと言うよね。そもそも、あの戦いだって司令部は反対したのに、政治的事情とかいう奴のせいで出撃したのにさ」

「仕方がないさ。指揮したのは我々だからね。それに・・・・・・」

「それに」

 

 諦念じみた声で呟くクロードに、リオンとベルファストは訝るように告げる。

 

「ドイツ艦隊主力の掃討は、この前のオークニー諸島沖海戦で完了している。まだ、『ティルピッツ』と『シャルンホルスト』が残っているが、もう、彼等が積極的に作戦行動を行う事は殆ど無いと見て良いだろう」

 

 東洋に「咬兎死して、走狗煮られ」と言う言葉がある。

 

 野に狩るべき兎がいなくなれば、役目が無くなった猟犬は煮て食われる。それと同じで、不要になった軍人は処分されると言う事だ。

 

 ドイツ艦隊が壊滅し著しく弱体化した今、名将も名参謀も必要ない。

 

「そして、手柄はあいつが独り占めって訳」

 

 苦々しく呟くベルファスト。

 

 今頃、最良の果実を味わうべき人間が、厚顔無恥な演説を行っているであろう事を想像し、リオンもまた気分を害する思いだった。

 

 

 

 

 

 その人物の登場は、大半の人間にとって、驚愕と戸惑いによって迎えられた。

 

 壇上に立つ人物は、新品の軍服に身を包み、胸には元帥の階級章と共に、過度な勲章の数々で華美に飾られていた。

 

 男が視線を向けると、一同は敬礼を向ける。

 

 その視線を受けて、男は鷹揚に頷いき口を開いた。

 

「この度、本国艦隊司令官に就任したフレデリックだ」

 

 国王自らの艦隊司令官就任。

 

 法的に問題ないとはいえ、驚愕の行動なのは確かだった。

 

 フレイザー司令部の解体を宣言して間も無く発令された新人事。

 

 王室の威光を全面的に反映されたその人事は、誰もが驚いた。

 

 まさか、新司令官にフレデリック国王が就任し、その幕僚も彼の息がかかった人間で固められるなどと、誰が予想しえただろう?

 

 いかに実際の政務は、首相のウェリントン・チャーチル達が行うとは言え、あまりと言えばあまりな行動だった。

 

「既に悪逆非道なるドイツ艦隊は、我が英王室の威光を受けた、諸君らの活躍により壊滅している。これこそまさに、王室最大の栄誉と言えるだろう。故に、諸君らは来たる反攻作戦時には上陸部隊の支援を行う事が主な仕事となるだろう」

 

 確かにドイツ艦隊は壊滅したが、それはあくまで前司令部と本国艦隊将兵が奮闘した結果であって、フレデリック等は一切、何もしていない。

 

 あたかも自分の手柄であるかのように語るのは、厚顔無恥にもほどがあると言う物。

 

 だが、この国の最高権力者に意見できるものなどいようはずもなく、一同は黙して聞き入っている。

 

 そんなフレデリックの傍らには、参謀長に就任したアルヴァン・グラムセル少将の姿もあった。

 

 その他の幕僚達も、フレデリックの息のかかった腹心で固められている。

 

 国王の親衛隊、とでも言えば聞こえはいいが、要するにイエスマン集団だった。

 

 フレデリックの言う通り、反攻作戦の時は近い。

 

 既に連合軍主力は既に英本土に集結を完了し、必要物資も山の如く積み上げられている。それらを輸送する船舶の手配も完了していた。

 

 唯一の懸念材料だったドイツ艦隊はオークニー諸島沖で壊滅し、既に脅威足り得なくなった。

 

 後は作戦発動のタイミングを待つのみである。

 

 言わば、王手(チェックメイト)を掛けたに等しい状況である。

 

「諸君には、王室と祖国へ義務を果たし、任務に励んでくれることを願う」

 

 最後に告げられた言葉が、空虚な響きとなって霧散していくのを、誰もが感じ取っていた。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 まどろみの中から目を覚ます。

 

 ティルピッツは目を開けると、そこが病室である事に気が付いた。

 

「ああ、そっか・・・・・・・・・・・・」

 

 入院中であった事を思い出し納得する。

 

 外が暗い所を見ると、まだ夜だと言う事が判る。

 

 先のオークニー諸島沖海戦で大破した「ティルピッツ」。艦娘である彼女も重傷を負い、今はこの病院で治療を受けていた。

 

 艦体の方はキールのドックにて修理を受けている。

 

 しかし、集中攻撃を食らった「ティルピッツ」の損傷は激しく、元通りになるまでは相応の時間が掛かる見通しだった。

 

 壊滅したドイツ海軍の中で、「ティルピッツ」の存在はますます大きなものとなる。本来なら、こんなところで寝ている場合ではないのだが。

 

「まだ、無理をするんじゃない」

 

 唐突に、優しい声が掛けられる。

 

「え?」

 

 振り返った先に、人影がある事に気が付いた。

 

 顔はよく見えない。

 

 しかし、灰色の軍服を着込んだ、すらりと背の高い女性である事が判る。

 

 その証拠に、腰まである長く美しい金髪が、否応なく視線を奪っていった。

 

 女性は、ベッドで寝ているティルピッツの脇まで来ると、その頭をそっと撫でる。

 

「まだ時間がある。もう少し、寝ていなさい」

「え、あの・・・・・・」

 

 いったい、誰だろう?

 

 正体不明の人物に、戸惑いを隠せないティルピッツ。

 

 しかし、不思議と恐怖は感じなかった。

 

 それは、掌を通して伝わる感覚が、なぜかとても懐かしい気がしたからかもしれない。

 

 この人が傍にいてくれるだけで、なぜか心が休まり、落ち着きを取り戻していった。

 

「良い子だ」

 

 女性がほほ笑む。

 

 その手が、ティルピッツの髪を優しく撫でた。

 

 心地よさげに目を細めるティルピッツ。

 

「すまない。私は、お前を守ってあげる事が出来なかった」

「え?」

 

 何の事だろう?

 

 訝るティルピッツに、女性は続ける。

 

「けど、お前には素晴らしい友人がいる。彼女たちが、きっと、お前を助けてくれるだろう。だから、安心しなさい」

「友達?」

「ああ、友達だ」

 

 頷く女性。

 

 そっと、ティルピッツの頬に手を当てる。

 

「さあ、もう寝なさい。起きたら少しは、楽になってるから」

「・・・・・・・・・・・・うん」

 

 言われるまま、素直にうなずくティルピッツ。

 

 意識はそのまま、心地よい闇へと落ちって言った。

 

 

 

 

 

 目を覚ます。

 

 開かれた視界は明るく、そこが病室である事はすぐに分かった。

 

 しかし、

 

「あれ・・・・・・えっと・・・・・・」

 

 何だか、夢を見ていた気がする。

 

 とても、

 

 そう、とても優しい夢を。

 

 ずっと、見ていたいと思えるような、そんな夢を見ていた気がする。

 

 だが、どうしても、その内容を思い出せなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 一筋、涙がこぼれる。

 

 悲しいから、ではない。

 

 だが、なぜか、涙が止まらなかった。

 

 と、その時、

 

「あ、起きた?」

 

 静かな声に振り返ると、小柄な少女がベッドの傍らの椅子に座っているのが見えた。

 

「・・・・・・・・・・・・シャルンホルスト、帰って、来たの?」

「うん。今朝、ね」

 

 そう言って、シャルンホルストは微かに微笑む。

 

 作戦を終了し、ヴィルヘルムスハーフェンに帰港した第1戦闘群。

 

 2つの輸送船団を壊滅させ、更に空母「アークロイヤル」を撃沈。

 

 戦いは、ドイツ海軍の勝利で終わった。

 

 オークニー諸島沖海戦で大敗した後の勝利である為、殊更に大きく宣伝されていた。

 

 シャルンホルストは帰港すると、すぐその足で、ティルピッツが入院している病院を訪れたのだ。

 

「でも、どうして?」

「だって、行く前に言ったでしょ。帰ってきたら話そうって」

 

 言いたい事、聞きたい事、それはたくさんある。

 

「それじゃあ・・・・・・何から、話そっか?」

 

 静かな口調のシャルンホルスト。

 

 だが、

 

 その声が、微かに震えている事に、ティルピッツは気付いた。

 

「シャルン・・・・・・・・・・・・」

「君の、お姉さんはね・・・・・・」

 

 ティルピッツが話し始める前に、シャルンホルストが口を開いた。

 

「君のお姉さん・・・・・・ビスマルクは、本当にすごい人だったんだ。あの人が生きていてくれたら、今のドイツはこんなじゃなかったかもしれない。ボク達は、もっともっと、一杯戦えていたかもしれない。それくらい、すごい人だったんだよ」

「シャルンホルスト・・・・・・・・・・・・」

 

 震える少女の言葉を聞きながら、ティルピッツは、シャルンホルストの目から、大粒の涙が零れ落ちるのを見た。

 

 そこで、ハッと気付く。

 

 目の前の少女は、自分と同じなのだ、と。

 

 ティルピッツはビスマルクを、

 

 シャルンホルストはグナイゼナウを、

 

 大切な物を失い、心に大きな傷を負った少女たち。

 

「ッ」

 

 ティルピッツは渾身の力で起き上がると、ベッドから出てシャルンホルストを抱きしめる。

 

 一瞬、驚いたような顔をするシャルンホルスト。

 

 次の瞬間、その顔は歪み、押し寄せる感情の波に抗う事が出来なかった。

 

 声を上げて泣く、2人の少女たち。

 

 そんな様子を廊下の陰から見て、

 

 エアル・アレイザーはそっと、扉を閉めるのだった。

 

 

 

 

 

 戦いは、確かにドイツ海軍の勝利で終わった。

 

 しかし、それが一時的な物でしかない事は、誰の目にも明らかだった。

 

 制海権を喪失したドイツ海軍は以後、連合軍の海上輸送を阻止する手段を失った。

 

 それは即ち、来たる反攻作戦を海上で押し留める手段を失った事を意味している。

 

 破滅の足音は、確実に海を越えて近付こうとしていた。

 

 

 

 

 

第71話「夢現の邂逅」      終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベルリンにある高級ホテル。

 

 その一室に、オスカー・バニッシュはいた。

 

 ベッドに腰掛け、虚ろな目で部屋の中を見つめ続けている。

 

 何も考える事が出来ない。

 

 ただ噛みしめるのは、己の無力さ。

 

 なぜ、守ってやる事が出来なかった?

 

 なぜ、彼女が死ななくてはならなかった?

 

 なぜ?

 

 なぜ?

 

 なぜ?

 

 尽きない疑問だけが、無意味に浮かんでは消えていく。

 

 思い浮かぶのは、グナイゼナウの事ばかり。

 

 彼女の笑顔、

 

 彼女の優しさ、

 

 彼女の温もり、

 

 それだけが、自分のよりどころだった。

 

 それを失った今、自分にできる事と言えば、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ベッドの上に目をやる。

 

 無造作に置かれた拳銃は、ワルサーP38と呼ばれる大型拳銃で、ドイツ軍内でも広く愛用されている銃だ。

 

 虚ろな目のまま、何の気なしに銃を手の取るオスカー。

 

 マガジンに残弾が入っている事を確認してからスライドを引く。

 

 入り口のドアがノックされたのは、正にそのタイミングだった。

 

「・・・・・・誰だ?」

 

 反射的に聞いてしまったのは、習慣のなせる業だったかもしれない。

 

 果たして、ドアの向こうから、ややくぐもってはいるが、明瞭な声が帰って来た。

 

「失礼します。オスカー・バニッシュ准将はおられますでしょうか?」

 

 訝るオスカー。

 

 オスカーは、このホテルに宿をとる事を、他の誰にも話していない。

 

 それなのに来客があった事を不審に思ったのだ。それも、オスカーを名指しで来ている事から考えて、人違いの類ではないと考えられる。

 

 一旦、拳銃を置く。

 

 死ぬ事なら後でもできる。それよりも今は、部屋の外にいる男の事への興味が勝った。

 

 ドアを開けると、いかにも精悍な顔つきの青年が立っていた。

 

 陸軍の軍服に身を包み、驚いた事に左目を眼帯で覆っていた。

 

「夜分に失礼いたします、閣下」

 

 見事な敬礼をする青年。

 

 その眼光が、鋭くオスカーを睨む。

 

「ドイツ帝国の現状を憂い、未来を守る為、どうか閣下の力をお借りしたくまかり越した次第であります」

 

 男の言葉を、聞くともなしに聞き入るオスカー。

 

 今、

 

 ドイツ全土を覆うべく、漆黒のオーケストラが、最終楽章を奏でようとしていた。

 



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第72話「D―DAY」

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 その夜、海はひどく荒れていた。

 

 数日前から続いていた荒天によって波は高い。風は容赦なく吹き荒れ、視界もほとんど効かない状態だった。

 

 飛沫は容赦なく拭き付けられ、見張り兵の顔面を強打し、目を開ける事すら難しい有様と来ている。

 

 見張りの任務に就いたドイツ軍兵士も、穏やかとは程遠い気持ちで職務に当たっていた。

 

 こんな日に見張り任務を申し渡された兵士は悲惨だった。明日は風邪を引いてしまうかもしれない。

 

 やれやれと溜息をつきながら、襟元を合わせ直す。

 

 こんな日に見張りなんてやってられるか。さっさと待機所に戻り、酒でも飲んであったまろう。

 

 サボったって問題は無い。どうせこんな日は、敵だって家で寝てるさ。

 

 甚だ緊張感の欠いた考えではあるが、裏を返せば、彼等の心の中にはまだ、余裕が見られていた。

 

 噂では、近い将来、連合軍の反攻作戦が開始されるらしいとの事だが今のところ、全くと言って良いほどその兆候はない。

 

 毎日、海を眺めても時々、商船が通るくらい。敵の姿なんて影も見えない。

 

 時々、偵察機と思しき航空機が上空を通過するが、何もせずに帰っていくばかりだった。

 

 世は正に平和そのもの。

 

 昨日と同じ今日が来たように、今日と同じ明日が来る。

 

 誰もが、そう思って疑っていなかった。

 

 ひと際、風が強く吹く。

 

 震えながら軍用コートの前を合わせ直し、兵士は回れ右をした。

 

 こんな事やっていたって意味は無い。とっとと待機所に戻ろう。どうせ何も起きやしないさ。

 

 待機所へ戻る足を速めながら、ふと、仲間が言っていた事を思い出した。

 

 何でも、ラジオでおかしな放送があったらしい。秋のヴァイオリンが、どう、とか。いや、ヴァイオリンじゃなくてヴィオロンだったか? フランス語はよくわからん。

 

 いずれ、何が気になったのかさっぱり分からない。妙な事を気にするもんだと思った。

 

 ふと、

 

 何かの気配を察して上を見る。

 

 そこで、

 

 脳天に強い衝撃を覚える。

 

 だが、それが何なのか、兵士は確認する事は出来なかった。

 

 なぜなら、彼の人生は、そこで終焉を迎えてしまったのだから。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 その日、

 

 ついに、奴等は来た。

 

 4年と言う歳月をかけ、

 

 かつて不当に奪われた領土を奪い返すべく、

 

 結成された巨大な軍勢と共に、この大陸へと戻って来たのだ。

 

 1941年6月6日

 

 連合軍による「オーバーロード作戦」発動。

 

 命令を受け、イギリス本土に集結した連合軍は動き出した。

 

 先鋒軍20万、第2波以降の本隊は180万を数える大軍勢が、ヨーロッパ一帯を実効支配するナチス・ドイツと雌雄を決するべく、海を渡り大陸を目指す。

 

 一方のドイツ軍も手を拱いていたわけではない。前々からこれあるを予期して迎撃準備を進めて来た。

 

 上陸作戦を仕掛けてくる連合軍を水際で食い止めるべく、ノルウェーからフランスまでの海岸一帯を覆う巨大な要塞線「大西洋の壁」を建設。更に、可能な限りの兵力と物資を西部方面軍に配置した。

 

 更に総統アドルフ・ヒトラーは、西部方面の防備強化の為、方面軍司令部の他に「監察部」と言う新たなる役職を設けた。その責任者に任命されたのが、かつて「砂漠の狐」の有名を馳せたアルフォンス・ロンメル元帥だった。

 

 アフリカ戦線では奮戦しつつも、ついには敗れ去ったロンメル。

 

 その後は暫く、イタリア戦線を担当していたが、ヒトラーの命令を受け、指揮下の部隊ごと西部方面に転属した。

 

 アフリカ戦線後、一時は対立した関係だったが、ヒトラーはロンメルを見限ってはいなかったのだ。故にこそ、最も重要な戦線を任せる決断をした。

 

 着任したロンメルはヒトラーの期待に応える為、大西洋の壁を完成させるべく精力的に活動を行った。

 

 さらにこの時期、砲火を交える最前線以上に、水面下の戦いも活発化していた。

 

 すなわちスパイ戦、諜報戦である。

 

 ドイツ軍と連合軍は、共に多数のスパイを相手国に潜入させて情報収集に当たった。

 

 特にドイツ軍側からすれば、スパイからの情報は有益だった。

 

 敵がどの程度の数で、どこへ、いつ攻めて来るのか?

 

 苦戦中の東部戦線に加え、南部イタリア戦線にも応援の兵力を送っているドイツ軍にとって、西部戦線全てに十分な兵力を配置する余裕は残されていない。故に、敵がどこから来るのかを見極め、少ない兵力を集中させる必要がある。敵の詳細な情報は喉から手が出るほど欲しい物である。

 

 当初、予想された連合軍の上陸地点は、大きく分けて3か所。ノルウェー西岸、オランダ北部、フランス西部のいずれかと思われた。

 

 その後、更に情報の分析を進めた結果、連合軍がフランス沿岸部を目標としている事を突き止めた。

 

 後は、具体的にどこに来るか、と言う事である。

 

 候補として絞り込まれたのは2か所。パ・ド・カレーとノルマンディーである。

 

 パ・ド・カレーはイギリス本土から直線距離で最も近く、上陸部隊が最も無防備となる、海上にいる時間を減らす事が出来る。更に、大型の船舶が入泊可能な港であり、補給の面でも優れている。

 

 一方のノルマンディーは、広い海岸線があり、大軍の上陸に適している。大部隊を一度に展開できる利点があった。

 

 どちらも可能性としては十分あり得ると考えられており、ドイツ軍はその特定を急いだ。

 

 その結果、導き出された答えはパ・ド・カレーだった。

 

 それは複数のスパイ情報から分析された結果だった。

 

 更に、連合軍がパ・ド・カレー近辺に対する攻撃を強めており、これが上陸作戦への予備攻撃と考えられた為だった。

 

 カレー方面の防備を固めるドイツ軍。

 

 だが、その読みは間違えていた。

 

 連合軍総司令官に就任したドナルド・アイゼンハワー元帥は、攻撃目標をノルマンディーに定めていたのだ。

 

 実はドイツ側が放ったスパイの多くが、既に連合軍側によって買収され寝返っていたのだ。その為、ドイツ軍が得ていた情報は、その大半がでたらめだった。更にカレー周辺に対する攻撃は全て囮であり、ドイツ軍の目を欺く目的で実施されていた。

 

 こうして迎えた運命の日。

 

 イギリスからのラジオ放送で、1つの詩文が流された。

 

 『秋の日の、ヴィオロンの、ためいきの』

 

 これは「秋の日」と言う詩の一節だったが、同時にフランスに潜伏しているレジスタンスに宛てた暗号でもあった。

 

 すなわち、「連合軍の上陸は近い。待機、呼応せよ」と言う意味だ。

 

 ノルマンディーに対する攻撃はまず、空から行われた。

 

 嵐の中、イギリス本土を飛び立った空軍が爆撃を敢行。

 

 更に輸送機からは空挺部隊が投入され、後続する本隊上陸を前に重要拠点の制圧、破壊を行う。

 

 特に、移動時に重要な橋や、上陸時に厄介な存在となる海岸砲台は最重要攻撃目標となった。

 

 連合軍の攻撃は、天候やドイツ軍の抵抗によって予定通りとはいかなかったが、作戦開始前までには、どうにか予定ポイントの制圧、無力化が完了していた。

 

 対して、

 

 ドイツ軍の動きは、いっそ奇妙に感じられるほど鈍かった。

 

 実のところ、ドイツ側の防衛体制は完璧とは程遠い状況だった。

 

 ヒトラーが完成を豪語した「大西洋の壁」だが、必要資材のあまりの膨大さから、完成は不可能と言われていた。

 

 実質的な施工監督であるロンメルも、連合軍侵攻までに大西洋の壁完成には絶望視しており、一部では地雷原の設置で代用しようとしていたが、それに必要な地雷の確保にも苦戦していた程だった。

 

 又、人材面の不足も深刻化しつつあった。

 

 元々、ドイツの主戦場は東部戦線である。その為、精鋭部隊は優先的に東部戦線に回されていた。

 

 西部戦線は一種の保養所的な扱いであり、新兵部隊の訓練や、前線で損害を出した部隊の最編成や傷病兵の休養に使われていた。

 

 その為、指揮官クラスも2線級、3線級の者が多かった。

 

 とある装甲部隊司令官などは、攻撃開始時に任地におらず、パリの愛人宅で情事に耽っていた程だった。この人物については、そもそも師団長の実力はなく、金とコネで出世したようなものである。そのような人物を前線指揮官に据えなければならない程、ドイツ軍の人材不足は深刻だった。

 

 そのような人物が、まともな状況判断などできるはずも無かった。

 

 この連合軍の攻撃を、単なる定期便程度と考えた現地司令部は、ロンメルや、その上級司令官である西部方面軍司令官ルントシュテット元帥に知らせなかったのだ。

 

 その結果、ドイツ軍の防衛体制移行は、大きく出遅れる事となった。

 

 一夜明け、イギリス本土を発した大船団は、ノルマンディー海岸に迫りつつあった。

 

 戦艦8隻を中心とした700隻の大艦隊に護衛された、合計6000隻に上る巨大船団。

 

 その姿を見たノルマンディー防衛の現地部隊指揮官は、狂ったように救援要請を行った。

 

 ともかく、どう考えても自分達だけで防げる量ではない。可及的速やかに増援を送ってほしい、と。

 

 だが、現地部隊の絶望的な叫びは、後方にいるドイツ軍上層部には、いまいち伝わらなかった。

 

 敵の上陸地点がカレーだと思い込んでいる彼等は、ノルマンディーへの攻撃は囮であり、現地部隊が少々、大げさに騒いでいるだけだと思ったのだ。

 

 加えて、初期対応に致命的なミスがあった。

 

 この前日、総統アドルフ・ヒトラーは、明け方の3時までナチス党幹部たちと最近話題の映画の話題等で歓談した後、愛人のエヴァ・ブラウンと寝室に入った。

 

 この時期、ヒトラーは自分専用に、医師に直接調合させた特別な睡眠薬を常用していた。

 

 この薬は飲むとすぐに安眠状態に入り、目覚めると脳内がすっきりとクリアになる、ヒトラーの体調に合わせて作られた物だった。

 

 ただ、効果が非常に強力である為、万が一にも安眠を妨害されると、服用者に多大なストレスを与える事になる。

 

 過去に、止むを得ざる事情で安眠中のヒトラーを起こした事があったが、その際もヒトラーは精神的安定を欠いた状態で周囲に当たり散らし、とんでもない命令を連発する奇行に走った事があった。

 

 その事を知る幹部たちは、ヒトラー就寝中はなるべく寝所に近寄らないようにしていた。

 

 敵軍接近の報告が入ったのは、正にヒトラーが寝入った直後の事であった。

 

 上記の事情があり、「些細な報告」でヒトラーの安眠を妨害し、総統の逆鱗に触れる事を恐れたナチス党幹部たちは、朝になってヒトラーが起きるのを待つことにした。

 

 だが、彼等は間違っていた。

 

 たとえヒトラーを激怒させたとしても、ここは無理にでも起こすべきだったのだ。

 

 なぜならこの時期、ドイツ全軍の指揮命令系統はヒトラーを頂点に一元化されていた。その為、部隊に移動や配置転換にも、ヒトラーの承認が必要だったのだ。

 

 要するにドイツ全軍が、ヒトラーがいなければ、一歩たりとも動く事が出来なかったのだ。

 

 その為、本来ならすぐにでも増援部隊を送らなくてはならない状況であるにもかかわらず、ドイツ軍は数時間にわたって、一切の行動を起こす事が出来なかったのだ。

 

 そして、

 

 その間に、巨大な船団は、粛々とノルマンディーに迫りつつあった。

 

 そんな中ではあるが、僅かではあるが、独自に反撃を試みた部隊もあった。

 

 海軍である。

 

 報告を受けたカーク・デーニッツ元帥は直ちに、現地の海軍部隊に対し迎撃を命じた。

 

 オークニー諸島沖海戦で主力艦隊が壊滅したドイツ艦隊だが、Uボート艦隊や小型軽快艦艇等、まだ行動可能な部隊が少数ながらフランス沿岸に存在した。

 

 直ちに30隻近いUボートがドーバー海峡に出撃する。

 

 しかし、既に確立された連合軍の対潜システムを前に、いかに精鋭とは言えUボート部隊は船団に近付く事さえできず、逆にエース級艦長の艦を含む、複数のUボートを撃沈され、這う這うの体で撤退するしかなかった。

 

 一方、水上艦隊は、駆逐艦3隻、水雷艇4隻が行動可能だった。

 

 ドイツ海軍の水雷艇は、他国における魚雷艇とは異なり、排水量は1200トンあり、武装も最新型のT型は10センチ単装砲4門、53センチ3連装魚雷発射管2基6門を装備した、小型駆逐艦とでも言うべきものだった。

 

 出撃したドイツ艦隊は、上陸を阻止すべく果敢に攻撃を仕掛けた。

 

 対して、圧倒的な火力で迎撃する連合軍。

 

 戦艦を含む大艦隊相手に、僅か7隻の駆逐艦と水雷艇だけで挑んだ彼等の勇気は賞賛に値するだろう。

 

 結果、

 

 ドイツ艦隊は3隻の駆逐艦喪失と引き換えに、連合軍の駆逐艦1隻を撃沈する戦果を挙げた。

 

 彼我の戦力差を鑑みれば、敢闘したと言って良いだろう。

 

 しかし、これは結局、巨大な連合軍からすれば「蚤が像に嚙みついたような物」であり、事実上の損害は、全くのゼロだった。

 

 こうして、全ての生涯を排除した連合軍の大軍は徐々に、ノルマンディー海岸へと迫りつつあった。

 

 

 

 

 

 イギリス艦隊総旗艦艦橋では、その司令官たる人物が司令官席に腰掛けていた。

 

 その表情は、お世辞にも機嫌がいいとは言い難かった。

 

「陛下、間もなく、砲撃予定地点に達します。全て予定通りでございます」

「ああ、そうか」

 

 面白くもなさそうに、フレデリックは返事をする。

 

 そんな殊勲の様子に、参謀長のアルヴァンは表情を変えずに尋ねた。

 

「やはり、不満ですか、この艦は?」

「フンッ 問うまでも無かろうよ」

 

 舌打ち交じりに、フレデリックは答えた。

 

 彼が旗艦として座乗した艦。

 

 それは、ペンキの匂いも真新しい、紛れもない最新鋭戦艦である。

 

 戦艦「ライオン」。

 

 先頃完成し、今回の上陸支援で初陣を迎える事となったライオン級戦艦の1番艦である。

 

 その性能は、キング・ジョージ5世級戦艦の拡大発展版とでも言うべきものだった。

 

 基準排水量3万9000トン、全長234メートル、全幅32メートル、最高速度30ノット。

 

 主砲は50口径40センチ砲を3連装3基9門装備。その他に13センチ連装両用砲8基16門、8連装ポンポン砲6基等、対空火力も充実している。

 

 ドイツ戦艦に苦戦を強いられてきたイギリスが完成させた、正にヨーロッパ最強戦艦である。

 

 今回の作戦に際し、1番艦「ライオン」、2番艦「テメレーア」が作戦に参加している。

 

 その他、オークニー諸島沖海戦の損傷から復帰したキング・ジョージ5世級戦艦の「デューク・オブ・ヨーク」「ハウ」「アンソン」、クイーン・エリザベス級戦艦の「ウォースパイト」も加わっていた。

 

 その中でフレデリックは、最新鋭の「ライオン」に将旗を掲げた訳だが。

 

 本来ならば、これ程の艦に将旗を掲げて喜ばぬはずはない所。

 

 だが、

 

「その最新鋭戦艦も、植民地製と来てはな。喜ぶ気にもなれん」

 

 そう、ライオン級戦艦の建造は、イギリス本土ではなく、同盟国のアメリカで行われた。

 

 連日のようにドイツ軍の爆撃に晒されるイギリス本土では、大型艦の建造は難しい事に加え、更に損傷艦の修理でドックが一杯のイギリスに新規の大型艦建造は不可能に近い。

 

 そこで、技術者をアメリカに送り、アメリカのドックで建造されたのだ。

 

「あんな植民地人共の手を借りねば、戦争も出来んとは」

 

 苛立ちを隠そうともせず、フレデリックは周囲に聞こえる声で呟きを漏らす。

 

 更に、

 

 フレデリックを苛立たせている理由は、もう一つあった。

 

 突如、鳴り響く巨大な轟音。

 

 目を向ければ、

 

 そこには「鋼鉄の怪物」とでも言うべき存在が2匹、悠然と存在していた。

 

 巨大な8門の主砲を放つ戦艦のマストには、ホワイトエンサインではなく、星条旗(スター&ストライブス)が掲げられている。

 

 アメリカ海軍の最新鋭戦艦モンタナ級。その3番艦「メイン」、並びに4番艦「ニューハンプシャー」である。

 

 日本海軍の最新鋭戦艦「大和」に対抗して建造されたこの巨大戦艦は、ライオン級をも大きく上回る、基準排水量は6万5000トン、50口径46センチ砲を連装4基8門が装備されており、ヨーロッパどころか、世界最強の戦艦と言って差支えがない存在だった。

 

 1番艦「モンタナ」と2番艦「オハイオ」は既に、日本軍との決戦を目指し、ハワイに配備されているという。

 

 あの巨獣に比べればライオン級と言えど、そこらの野良猫と変わりない。

 

 イギリス海軍自慢の最新鋭戦艦は、完成した瞬間、既に旧式化していたのだ。

 

「ハッ 植民地人共はいちいちやる事が大げさなんだよ。あんな大層なおもちゃが無ければ、下等な猿との戦争にも勝てんらしい」

 

 かつて自分達の国から逃げ出した連中が作った国。

 

 プライドが無駄に高いイギリス人が、アメリカ人を下に見て「植民地人」と呼ぶことはままある事。フレデリックは、その急先鋒のような存在である。

 

 もっとも、その「植民地人」の手を借りて、ようやく最新鋭戦艦を完成したばかりか、それどころか、その植民地人が、自分達の物より、はるかに巨大で強力な戦艦を造り上げた事が、この男のプライドを大きく傷つけていたのだ。

 

 フレデリックの言動は、言わば、その裏返しである。

 

 とは言え、国王とは言え、個人の感情はこの際関係ない。ようはそれが、ドイツ軍の防御陣地を打ち破れるかどうかが問題だった。

 

 やがて、

 

 配置に着いた「ライオン」は、その巨大な砲を、海岸のドイツ軍陣地へと向けた。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 一夜明け、普段より遅い起床となったヒトラーは、報告を聞いて激怒した。

 

 なぜ、自分を起こさなかったのか?

 

 なぜ、かくも重大な報告を後回しにしたのか?

 

 側近たちに一通り当たり散らしたヒトラー。

 

 同時に、その脳裏では次の一手を模索していた。

 

 連合軍の侵攻は確かに脅威ではある。が、それは同時に、前々から予想していた事。驚きはしても、絶望すべき状況ではない。

 

 むしろこれで、敵は我が懐に飛び込んできてくれた。殲滅のチャンスが生まれた事になる。

 

 ほくそ笑むヒトラーは、直ちに命令を発した。

 

「ノルマンディーへの攻撃は陽動である。敵の主力は必ずカレーにやってくる。カレーの防備を優先せよ」

 

 この命令は忠実に実行され、カレー防衛部隊は強化、増援の為の予備隊もカレー方面へと向けられた。

 

 しかし、

 

 連合軍総司令官のアイゼンハワーは、堅実かつ正統派の戦略家である。

 

 彼は「陽動」などと言うまだるっこしい真似はせず、敵の防衛ラインを正面から打ち崩す作戦を展開していた。

 

 その為、空挺部隊を投入して重要拠点の確保、無力化を行い、大規模な空爆や艦砲射撃によって、上陸に邪魔な砲台や、増援に必要な後方の経路を破壊。更に、先鋒軍20万には最精鋭を配置してドイツ軍の防衛ラインに綻びを作ると、そこから後続する本隊でもって、敵軍の一挙瓦解を狙った。

 

 対するドイツ軍は、その戦略すら定まっていなかった。

 

 と言うのも、ロンメルが水際防御を主張したのに対し、ルントシュテットは内陸の防御陣地に引き込む縦深防御を画策していた。

 

 言わば、上級司令部の意思統一すらされていなかったことになる。

 

 ロンメルは確かに、アフリカの砂漠で勇名を馳せた名将である。

 

 しかし、彼は大規模な艦砲射撃を受けた事が無く、その凄まじさを知らなかった。

 

 彼が頼んだ海岸の要塞線は、悉く連合軍艦隊の戦艦部隊が繰り出した巨砲によって粉砕され、本来の機能を発揮し得ないまま制圧されて行った。

 

 一方のルントシュテットも、実際の艦砲射撃を見た事は無いが、その凄まじさについてはいくつかの情報から得ており警戒していた。

 

 もっともルントシュテットにしても、制空権に関する知識が乏しく、せっかく後方に待機させておいた機甲師団を、航空攻撃によって過半を失う失態を犯してしまう。

 

 前線のドイツ軍は必死に抵抗し、一部の海岸防衛線では、連合軍側の作戦ミスもあって一時は戦線を海側に押し返すほどの抵抗を見せた。

 

 しかし圧倒的な火力と物量差に加えて、ヒトラーや上級司令部の判断ミスが重なり戦線は崩壊。

 

 日暮れまでには、ほぼ全ての海岸防衛線は連合軍の手に落ちた。

 

 ヒトラーがその存在を豪語した「大西洋の壁」は、1日と保たずに崩壊した事になる。

 

 結局、彼は忘れていたのだ。

 

 自分達が、大国フランスをいかに攻略したのか、を。

 

 無敵の要塞とまで言われた「マジノ線」を、どうやって無力化したのか、を。

 

 この手の要塞線は、一か所が破綻すればもう意味がなくなる。

 

 その教訓を忘れ、「奪った領土は、寸土と言えど敵に渡さない」と言う、無意味な領土的野心に取り付かれた結果が、「大西洋の壁」と言う、構想ばかりが肥大化し、ついに完成する事が無かった虚構の要塞である。

 

 その虚構に頼り、ドイツ軍は今次大戦における致命的な敗北を喫する事になった。

 

 これ以後、ドイツ軍は東と南に加え、西にも大きな戦線を抱える事となり、いよいよ、崖っぷちへと追い詰められていくのだった。

 

 

 

 

 

第72話「D―DAY」      終わり

 



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第73話「ワルキューレ」

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 飛行機から降り立つと感じたむせるような暑さに、ウォルフは僅かに顔を顰めた。

 

 夏が近づくににつれて高まる熱気を、否が応でも感じる。

 

 東プロイセン内の森林奥深くに建設された総統大本営「狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)」。

 

 そこは、建設された経緯から、何やら秘密の要塞めいたイメージがあるかもしれない。

 

 しかし、実際に足を運んでみれば、その考えが間違いである事に、すぐに気付くだろう。

 

 総統が執務を行う政府機関は勿論、陸、海、空3軍の司令本部、物資を大量に貯蔵する為の倉庫に食堂施設、喫茶店、映画館やスポーツ競技場等の娯楽施設や、数多くの宿舎も用意されている。

 

 勿論、軍事施設も充実しており、親衛隊が常駐して守りを固め、対空陣地も多数設置されている。更に周囲は鬱蒼とした森林地帯で覆われている上に、地雷原や鉄条網が幾重にも張り巡らされ、地上からの侵攻はほぼ不可能に近い。更に、万が一の時の要人退避用に地下壕も十分な数が建設されていた。

 

 まるで街1つが、森の中にできたかのようだ。

 

 因みに移動に関しては鉄道が引かれ、小型の飛行場も建設されている。必要な物資もそこから搬入されていた。

 

 ウォルフは立場上、この狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)に何度か来た事があるが、来るたびに圧倒される思いだった。

 

 今回、ウォルフは総統主催の会議に出席する為に、ここを訪れていた。

 

 本来なら艦隊司令官にあるような人物が出席するべきではないのだが、総司令官のカーク・デーニッツが西部戦線への対応で多忙なため、代理として出席するように命じられたのだ。

 

 今回は新艦隊編成の為の重要な説明を総統にするのだが、同時にベルリンの海軍本部でも、デーニッツ主催の会議が開催されている。参謀長のシュレスビッヒ・ホルシュタインはそちらの会議で議長代行を務める事になっている為、同行していない。ウォルフ単独での狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)来訪となった。

 

 ボディーチェックと手荷物チェックを終えてゲートを潜ると、すぐにSS隊員の1人が駆け寄って来た。

 

「お待ちしておりました、アレイザー閣下」

 

 持っていた手荷物を受け取ると、SS隊員はウォルフに耳打ちするように告げる。

 

「お急ぎください。既に総統閣下の会議は始まっております」

「・・・・・・何だと?」

 

 訝りながら腕時計を確認するウォルフ。

 

 ウォルフは出発前に時間を確認し、ちゃんと時間に間に合う便を選んだ。

 

 時計の時刻は昼の12時35分を差している。会議開始は13時からの予定だったはずだから、まだ25分も余裕がある筈だが。

 

「実は、午後からイタリアのムッソリーニ閣下が来訪される事が急に決定いたしまして。その対応の為、総統閣下が、会議開始の30分繰り上げを決定されたのです」

「ああ、成程な」

 

 以前に比べて求心力を失ったとは言え、ムッソリーニは未だにヒトラーにとって最重要の同盟者である。そのムッソリーニが来訪するにあたって粗相は出来ない。そう考えたヒトラーが、予定していた会議を早めに行うと決めたのだ。

 

 待機していたジープの後部座席に乗り込むウォルフ。

 

 しかし、発車してすぐに、ウォルフは再度訝った。

 

「おい、方向が違うんじゃないのか?」

 

 狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)には当然、専用の会議室がある。

 

 万が一、敵の奇襲を受ける可能性を考え、地下壕の中に設置された会議室であり、多少の爆撃ならびくともしない構造になっている。

 

 しかし、ジープは会議室のある地下壕とは別の方向に向かっていた。

 

「いえ、合ってます。実は今日の会議は、総統閣下の意向で、会議棟の方で行われておりまして」

 

 説明を聞いて、ウォルフは納得した。

 

 成程、この暑さでは、通気性が悪い地下壕での会議に支障があると判断したのだろう。その為、窓のある会議棟で行う事になったのだ。

 

 確かに防御力には難があるが、警戒していれば、敵機が接近した際に素早く退避も出来るし、狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)内では狙撃も難しい。

 

 総じて問題は無いだろう。

 

 そう、考えた時だった。

 

 前方から来るジープと、ウォルフが乗ったジープがすれ違った。

 

 その一瞬、

 

 ウォルフは相手のジープの、後部座席に座っている人物と目が合った。

 

「・・・・・・・・・・・・あれは」

 

 一瞬だったが、その人物にウォルフは見覚えがあった。

 

 クライス・フォン・シュタウフェンベルク陸軍参謀本部大佐。

 

 直接的に会話した事は無いが、何度か会議の際に顔を合わせている。風貌が強烈だったので覚えていた。

 

 シュタウフェンベルクも、会議に出席する為に来たのだろうか? いや、しかし、それならなぜ、会議の最中に会議室とは反対方向に走っていたのか?

 

 首を傾げながら、シートに座り直す。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 轟音と共に、前方で巨大な爆発が起こった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何事だッ!?」

 

 急停車するジープから、身を乗り出すウォルフ。

 

 立ち上る煙は、明らかに会議棟の方から見えている。

 

 事故か? あるいは、敵の攻撃か?

 

「状況を確認するッ 急げッ!!」

「は、は、はいッ!!」

 

 ウォルフに叩き付けるように命じられ、ジープをスタートさせるSS隊員。

 

 程なく、建物と木々の間を抜け、ジープは会議棟の前まで来る。

 

 だが、そこでウォルフが見た物は、まるで廃墟さながらと化した会議棟の姿だった。

 

 窓ガラスは全て吹き飛び、壁は焼け焦げている。

 

 健在の一部は大きくひしゃげており、爆発の凄まじさを物語っていた。

 

「いったい、何があったッ」

 

 呻くウォルフ。

 

 同時に、その中にいる人物の事を思い出す。

 

「総統閣下ッ!!」

 

 叫ぶと同時に、ウォルフは崩れ落ちそうな会議棟の中へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 飛行場へと向かうジープの中で、クライス・フォン・シュタウフェンベルク大佐は、後方から響く爆発音を聞いてほくそ笑んだ。

 

 状況は、彼の狙い通りに遂行された。

 

 否、全ては、ここから始まるのだ。

 

「これで良い、これでこの国は変わる。変わる事が出来る」

 

 その目に映るのは、純粋な輝き。

 

 真に今を憂う者のみが放つ光。

 

 それ故の狂気。

 

「ベルリンに急ぐぞ」

 

 傍らの副官に語り掛ける。

 

「『ワルキューレ』の鐘を鳴らし、この国を本来あるべき真の姿へと戻すのだ」

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 話は一旦、半日ほど遡る。

 

 1944年7月20日の朝、エアル・アレイザーはベルリンにあるホテルの一室で目を覚ました。

 

 主力艦隊の再建を目指す傍ら、デーニッツの出頭命令に従い、前日から帝都を訪れていたのだ。

 

 オークニー諸島沖海戦で主力艦隊の過半を失ったドイツ艦隊。

 

 既に宿敵であるイギリス艦隊との戦力差は目を覆いたくなるばかりである。

 

 いかに「ティルピッツ」「シャルンホルスト」が健在とは言え、正面からの戦いで勝つ見込みは最早、万に一つとしてありはしなかった。

 

 残された手段は、Uボート艦隊を駆使した潜水艦戦のみだが、これも敵対潜部隊の充実により、被害は急速に拡大しつつある。

 

 これまで培ってきた全ての戦術が否定される中、ドイツ海軍は新たなる戦い方を模索せざるを得なくなっていた。

 

 その為の会議を終えた後、エアルは予め取っておいたホテルにチェックインした。

 

 無論、1人で、

 

 と言う訳ではない。

 

 先刻まで自分が寝ていたベッドで、何やらもぞもぞと動く気配があったかと思うと、毛布が持ち上げられ、中から少女が姿を現した。

 

「エヘヘ、おはよ、おにーさん」

 

 やや寝ぼけ交じりに笑顔を見せるシャルンホルスト。

 

 毛布から身を起こし、ベッドの上にペタンと座り込んだ少女。

 

 一糸纏わぬ、生まれたままの姿は、昨夜の情事を思い起こさせる。

 

 まっさらな白い平原の上に、小さなピンク色の丘が2つ。その下にある白いおなかの真ん中に、おへそが思い出したようにへこんでいる。

 

 昨夜、エアルに何度も愛撫された、少女の柔肌だ。

 

 苦笑するエアル。

 

 とは言え、慎みを失ってほしくは無いわけで。

 

「シャル、前」

「え? あっ キャァ!?」

 

 短い悲鳴と共に、毛布を掻き合わせて裸身を隠すシャルンホルスト。

 

 内心でホッとするエアル。どうやら、羞恥心を無くしてしまったわけではないらしい。

 

「もうッ おにーさんッ」

 

 笑っているエアルに、口をとがらせてむくれるシャルンホルスト。

 

 そんな少女の傍らに腰掛けると、プクッと膨らんだ頬を指先でつつく。

 

「やめて」

 

 少女が不機嫌そうに声を上げるが、エアルはやめない。

 

 何と言うか、圧した分だけ、指先が頬にめり込む様子が面白かった。

 

 やがて根負けしたのか、笑顔を見せるシャルンホルスト。

 

「えいッ」

 

 少女が毛布をはねのけて抱き着いてくるのを、エアルは優しく受け止めた。

 

 

 

 

 

 モーニングの朝食を終え、2人で食後のコーヒーを楽しむ。

 

 エアルはブラックで飲むのが好きだが、シャルンホルストは大量の砂糖とミルクでカップを絨毯爆撃してから口に運んでいた。

 

「シャルは今日どうするの? 何か予定は?」

 

 エアルは今日は、もう一度、海軍本部に行かなくてはならない。

 

 結局、昨日の会議では、今後の作戦方針について決定する事が出来ず、今日、改めて決定に向けて話し合いが行われる事となったのだ。

 

 面倒な話ではあるが、第1戦闘群司令官と言う立場にある以上、やむを得ない事だろう。

 

 もっとも、

 

 エアルとしては、父、ウォルフと2日続けて顔を合わせずに済んだ事だけが、唯一の救いであると言えた。

 

 ウォルフは狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)での総統会議に出席する為、今朝の便でベルリンを経つ事になっている。

 

 一時期に比べて関係は緩和された感があるが、それでも父との間にある蟠りが消えたわけではなかった。

 

「ティルとオイゲンも今日、こっちに来るらしいから。会って、お茶する事になってる」

「すっかり仲良くなったみたいだね」

 

 シャルンホルストが、ティルピッツにずっと感じていた蟠り。

 

 彼女の姉のビスマルクを助ける事が出来なかった事への負い目が、ずっと彼女を縛り続けていた。

 

 だが、それも今やすっかりと無くなり、シャルンホルストとティルピッツは良き友人として、互いを思いあう中となっていた。

 

「おにーさんも来れないの? ティル達も久しぶりに会いたがってたよ」

「うん、会議が早く終われば行けるかも、だけどね」

 

 コーヒーの苦みを感じながら、エアルは肩を竦める。

 

 ただ正直、議題が議題だけに夕方くらいまでは掛かるのではないだろうか、と思っていた。

 

「そうか、残念」

「まあ、しょうがないさ。俺の分も楽しんできてよ」

 

 そう言いながら、エアルはカップを置いてふと、窓の外に目を向ける。

 

 ホテルから見下ろせる大通り。

 

 そこには早朝から出勤等で行きかう人の姿が見える。

 

 そんな中、陸軍の軍服を着た兵士達の姿もいくつか見る事が出来た。

 

 恐らく、国内予備軍の兵士達だろう。

 

 国内予備軍とは、その名の通り前線に出て戦うための軍ではなく、主に国内にあって新兵の訓練、新兵器の試験導入、新規部隊の編成を行う部署である。

 

 現在の司令官は確か、フロム上級大将だったはず。

 

 直接砲火を交えないとはいえ、前線の部隊を支え、予備兵力を整備する、非常に重要な部署であった。

 

 しかし、

 

 エアルはそんな兵士達の様子を見ながら、ある種の違和感に似た感覚を覚えていた。

 

 どうにも、行きかう兵士の数が多いような気がしたのだ。

 

 しかも、その兵士たち全員が、肩に銃を担いで武装している。

 

 たとえ軍人であっても、よほどの事情でもない限り、用も無い時に街中で銃を携行する事は許されない。

 

「何か、あったのかな?」

「どうかしたの、、おにーさん?」

 

 訝るエアルに、シャルンホルストも首を傾げながら近づく。

 

 そんな少女の様子に、エアルは微笑みかける。

 

 まあ、考えすぎだろう。

 

 今は戦時下なのだ。何らかの事情で、銃の携行が命じられたのかもしれないし。

 

 そう考えて、違和感を忘れる事にするエアル。

 

 だが、

 

 エアルはその数時間後、自分の違和感が杞憂ではなかったことを痛感する事になる。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 エアルは海軍本部に到着すると、そのまま会議室のある棟へと向かう。

 

 時計を確認すれば、9時20分。

 

 会議は10時からの予定なので、まだ十分に時間があった。

 

「どうしよう、どこかで休んでから行こうかな?」

 

 一服くらいなら、する余裕がある。

 

 併設のカフェにでも入ろうかと思い、足の向きを変えた時、

 

 向こうから歩いてくる人物が目に入り足を止めた。

 

「ッ!?」

 

 思わず、息をのむ。

 

 気まずい人物、ではない。

 

 だが正直、久しぶりに会うせいで、どう声を掛ければ良いか迷う人物ではあった。

 

「オスカー・・・・・・・・・・・・」

 

 オスカー・バニッシュ少将もまた、エアルの存在に気付くと、ゆっくりとこちらに近付いてきた。

 

「久しぶり、だな」

「ああ、そう、だね」

 

 ぎこちなく応じる。

 

 正直、オスカーの姿を見るのは、あのオークニー諸島沖海戦の直後の、港以来。直接会話するのは、ノルウェー出撃以降、初となる。

 

 つまり、グナイゼナウがいなくなって以来、会話するのはこれが初めてだと言う事だ。

 

 痩せたな。

 

 オスカーを見て、エアルはそう思った。

 

 かつては知性と精悍さを備え、スマートな海軍士官と言うイメージが強かったオスカー。

 

 しかし今、頬はやせこけ、やや背中を丸めたようなしぐさで歩く様からは、かつての精悍なイメージは全く見て取れなかった。

 

 この数カ月で、何十年分も老け込んだような印象さえある。

 

「お前も司令部に来ていたのか?」

「ああ、会議があってさ」

 

 頷きながら、エアルはオスカーが、今は海軍本部の参謀をしている事を思い出した。

 

 オークニー諸島沖海戦の後、栄転と言う形で海軍本部配属となったのだ。

 

 正直、それが良かったのかどうか、エアルには分からない。

 

 グナイゼナウを失い、消沈しているオスカーが、一時的にせよ海から離れる事が、彼にとって癒しとなるのか、あるいは・・・・・・

 

「なあ、少し、話さないか? 会議まで間があるから、暇をつぶそうと思ってたんだけど」

 

 お互いの近況など、少しでも聞けたらと思って提案してみた。

 

 だが、

 

「せっかくだが」

 

 淡々とした口調で、オスカーは答えた。

 

「これからすぐ、人と会う約束がある」

「ああ・・・そっか・・・・・・・・・・・・」

 

 落胆しつつも、エアルはやはり一抹の不安を隠せなかった。

 

 オスカーの声が、あまりにもかすれて聞こえたからだ。

 

 本当に、目の前にいるのは、あのオスカー・バニッシュなのか?

 

 エアルがさらに何か言う前に、オスカーは踵を返した。

 

「あ、おいッ」

「すまんな。この埋め合わせは、いずれ必ずする」

 

 そう言うと、片手を上げて去って行くオスカー。

 

 その背中を、エアルは立ち尽くして見送る事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 待ち合わせのカフェに入ると、目当ての人物はすぐに見つかった。

 

 向こうも、シャルンホルストの姿に気付いて、手を上げるのが見えた。

 

「遅いよ、シャルッ 待ちくたびれたわよッ」

「ごめんごめん」

 

 苦笑しながらテーブルに近付くシャルンホルストを、2人の少女達が出迎えた。

 

 ティルピッツとプリンツ・オイゲン。

 

 今やドイツ海軍にとって、貴重な主力艦となった艦娘3人が一堂に会していた。

 

 3人とも、今日はオフな為、軍服ではなく私服姿である。

 

 シャルンホルストもノースリーブの白シャツに短パン姿と言う、夏らしい動きやすい服装をしていた。

 

「てか、2人とも早かったね」

「昨夜の最終便に乗りましたから、今朝早くにベルリン駅に着きました」

 

 オイゲンの説明に、シャルンホルストも成程、と納得する。

 

 席に座り、やって来たウェイターに紅茶とケーキを注文する。

 

 すると、早速と言わんばかりに、ティルピッツが意味深な笑みを張り付かせて顔を近付けて来た。

 

「で、一足先に来てたシャルちゃんは、どうだったの?」

「ど、どうって?」

「またまた、昨夜は提督に、たくさん可愛がってもらったんでしょ?」

「いや、会っていきなりの話題がそれなの?」

 

 呆れ気味のシャルンホルスト。

 

 エアルとシャルンホルストの仲は、今や公然たる物となっている。

 

 目の前の友人2人も当然、その事は知っている訳で。

 

 会う度に、こうして問い詰められる事が多かった。

 

「あ、あの、私も、興味あります」

「オイゲン、あのね・・・・・・・」

「ほら、と言う訳で、観念してキリキリ白状しなさい」

「いや、白状って・・・・・・」

「人の醜聞は蜜の味。獲物を見つけたら容赦するな。て、姉様も言っていたわ」

「ビスマルクはそんなこと言わない!!」

 

 やいのやいのと騒ぐ少女3人。

 

 ぶっちゃけ、

 

 普通に営業妨害なのだが。

 

 ややあって、嘆息するシャルンホルスト。

 

「まあ・・・・・・うん」

 

 控えめな頷き。

 

 だが、少女たちにはそれで充分だった。

 

「「キャァァァァァァァァァァァァ!!」」

 

 手を取り合って、黄色い悲鳴を上げるティルピッツとオイゲン。

 

 喫茶店内の人が注目する中、シャルンホルストに一気に詰め寄る。

 

「それでそれで、詳しく聞かせないさいよ!!」

「ど、どんな感じだったんですかッ!?」

「提督はあれかな、やっぱりマニアックな感じなのが好きなのかなッ!?」

「いえいえ、きっとアレイザー少将は正統派なんですよ!!」

 

 などと騒ぎ立てる少女たち。

 

 その後、

 

 すっ飛んできた店員に、雷を落とされたのは、お約束である。

 

 

 

 

 

「実際の所さ」

 

 運ばれてきたケーキを頬張りながら、ティルピッツが尋ねた。

 

「シャルは、提督と結婚とかしないの?」

「結婚?」

 

 ミルクティのカップに唇を付けながら、シャルンホルストはキョトンとした顔で聞き返す。

 

「そう。だってさ、艦娘の中には、仲がいい提督とか海兵さんと結婚するっての、珍しくないでしょ」

「まあ、そうだね」

 

 曖昧に相槌を打っておく。

 

「でも、ほら。今は戦争中だし、ね」

「何言ってんの、戦争中だからこそじゃない」

 

 追及をかわそうとするシャルンホルストに、ティルピッツは容赦なく追撃を掛ける。

 

 シャルンホルストとしては、そういう事は落ち着いてから、と言う意味で言ったのだが。ティルピッツは、そんなシャルンホルストの言い訳を逆手に取って来た。

 

 戦時下で、いつ死んでもおかしくない身だからこそ、悔いが残らないようにする。

 

 そう考えて結婚する例は少なくない。

 

「うん、そうなんだけど・・・・・・」

「けど?」

「おにーさんも、今のところ、そんなつもりはなさそうって言うか・・・・・・」

 

 実際、エアルから結婚について、話題を振られた事は無い。

 

 エアルは今、新艦隊立ち上げの為に忙しい身、その為、シャルンホルストの方からも言い出しづらいと言う事もあった。

 

「後悔しないってのは、大事だと思います」

 

 オイゲンが、どこか寂し気な口調で言った。

 

「だって、私たちも、提督たちも、いつまでも生きていられるとは限らないじゃないですか」

 

 ここにいる3人とも、全員が姉妹を全て失っている。

 

 だからこそ、オイゲンの言葉の重みは、誰よりも感じていた。

 

「そう・・・・・・だね」

 

 頷くシャルンホルスト。

 

 エアルとの結婚。

 

 その事について今度、ちょっとで良いから話してみようかな。

 

 そう思って、窓の外に目を向けた。

 

 と、

 

「・・・・・・・・・・・・あれ?」

 

 ふと、見知った人物が通りの向かいを歩いているのが見えて、シャルンホルストは声を上げた。

 

 あれは、

 

「・・・・・・・・・・・・オスカーさん?」

 

 見間違えるはずがない。あれはエアルの親友であり、かつて、亡き妹の恋人だったオスカー・バニッシュだ。

 

 シャルンホルストが訝ったのは、オスカーが1人ではなかった事だ。

 

 複数人の兵士達と連れ立って歩いていた。

 

 しかも、それが全員、武装した陸軍兵だったのだ。

 

「どうしたんですか、シャルさん?」

「ちょっと、ごめん。2人はここにいて」

 

 そう言って立ち上がるシャルンホルスト。

 

 妙な胸騒ぎが、少女の中で膨らみ始めていた。

 

 

 

 

 

4

 

 

 

 

 

 シャルンホルストは足早に駆けながら、オスカー達を追いかける。

 

 肩で息をしながら、オスカーが入った路地へとたどり着く。

 

「まったく・・・・・・もうッ」

 

 上がった息を、深呼吸をして落ち着かせる。

 

 一時期よりはマシになったが、シャルンホルストの病弱体質は変わっていない。医者からは、生身での激しい運動は禁じられているくらいだ。

 

「艦体の『シャルンホルスト(ボク)』は、あんなに足速いのに、何でボク自身はこんななんだろ」

 

 どうにもならない事に愚痴を吐きながら、シャルンホルストは路地裏を進んでいく。

 

 オスカー達が入って行ったのは、路地裏にある、今は廃墟となった雑居ビルだった。

 

「でも、こんなとこで、何してるんだろう?」

 

 首を傾げながら、空いていたドアから中に入る。

 

 入り口付近に、人の気配は無い。

 

 しかし、

 

 奥の方から、微かに話し声が聞こえて来た。

 

 何となく、足音を殺しながら進んでいく。

 

 階上へと上がり、更に廊下を進むと、扉が開き、明りが漏れている部屋を見つけて覗き込む。

 

 果たして、そこへオスカー達はいた。

 

 声を掛けようとした時、中の声が聞こえて来た。

 

「シュタウフェンベルクからの連絡は?」

 

 これは、すぐにオスカーの声だと分かった。

 

 それに対する声は、一緒にいた陸軍兵士だろう。

 

「は、今朝に一度。総統暗殺は、確実に今日、実行するとの事。各部隊には、ワルキューレ発動に備え待機せよとの事です」

「よし。各部隊に通達しておけ。報せが届き次第、俺達も行動を開始する。制圧目標は総統府、親衛隊本部、秘密警察本部、放送局。全ての行動を迅速に行え」

「既に帝都内各所に、同志たちが潜伏し、命令を待っています。連絡があり次第、即座に行動を開始、速やかに政権奪取を行います」

「作戦結構は、本日13時に開催予定の総統会議。そこで爆弾を起動させる」

 

 報告を聞いて、オスカーは頷く。

 

「このワルキューレ作戦の成否に、ドイツの今後の命運がかかっている。そのことを肝に銘じ、各員、任務遂行せよ」

『はッ』

 

 オスカーの命令に、敬礼する兵士達。

 

 一方、物陰から様子を伺っていたシャルンホルストは、思わず口を押え吐く息を止める。

 

 シャルンホルストは、戦闘以外の事で、あまり作戦等に首を突っ込まないようにしている。自分の役割はあくまで艦娘として、艦の性能を十全に引き出す事だと思っているからだ。

 

 そんな事だから、あまり軍事作戦や政治には詳しい方ではない。

 

 しかし、そんなシャルンホルストが聞いても、話の内容は理解できた。

 

 総統暗殺と、それに伴うクーデターによる政権転覆計画。

 

 そんな物にオスカーが関わっている。

 

 その事実に、恐ろしい物を感じていた。

 

「・・・・・・知らせないと、おにーさんに」

 

 一刻も早く、その場を離れようと後ずさる。

 

 その時だった。

 

「あー、こんなとこにいた、シャル」

「ッ!?」

 

 突如、背後から声を掛けられて振り返る。

 

 そこには、少し怒った様子の少女の姿があった。

 

「ティ、ティル、何でここに!?」

「何でも何も、シャルが急にいなくなるから追いかけて来たんでしょうが。まったく、探すのに苦労したわよ」

 

 どうやら、シャルンホルストを心配して、追いかけて来たらしい。

 

 しかし、

 

 タイミングが最悪だった。

 

「誰だッ!?」

 

 部屋の中で、一斉に振り返る。

 

 中で、オスカーと目が合った。

 

「シャルンホルスト、お前ッ」

 

 まずいッ

 

「逃げて、ティル!!」

「え、な、何?」

 

 戸惑ってキョトンとするティルピッツ。

 

 オスカーの動きは、早かった。

 

「捕まえろ、逃がすな!!」

 

 部屋の中から飛び出してくる兵士達。

 

「早く逃げて!!」

 

 叫びながら、ドアに立ちふさがって兵士達を防ごうとするシャルンホルスト。

 

 しかし、元より生身では、非力な少女に過ぎないシャルンホルスト。

 

 たちまち、屈強な兵士達に捕まり、床に押さえつけられる。

 

「シャルッ シャルッ!!」

 

 泣き叫ぶティルピッツ。

 

 しかし、それにこたえる間も無く、頭に何かの布を被せられる。

 

 シャルンホルストの意識は、そこで途絶えた。

 

 

 

 

 

第73話「ワルキューレ」      終わり

 



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第74話「黒いオーケストラ」

 

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 夜半、自身が泊るホテルに、突如訪ねて来た陸軍士官と面会する気になったのは、オスカーにとって、単なる気まぐれに過ぎなかった。

 

 そもそも、これから自殺しようと言うタイミングで訪ねてきた相手だ。本来なら、にべもなく追い返すところ。

 

 しかし、このタイミングで、わざわざ自分を名指しで訪ねてきた相手に、ほんの僅かだが、死への魅力よりも、相手への興味が勝った。

 

 だが、

 

 クライス・フォン・シュタウフェンベルク参謀本部大佐と名乗ったその人物の風貌に、思わず圧倒された。

 

 部屋に入って来たシュタウフェンベルクは、左目を眼帯で覆っていたのだ。

 

 シュタウフェンベルクは優男風で、非常に端正な顔立ちをしている分、眼帯がもたらすインパクトは殊更に強烈だった。

 

「夜分に時間を作っていただき、失礼いたします、閣下」

 

 そう言うと、プロイセン式の敬礼をするシュタウフェンベルク。

 

 対して、オスカーも敬礼を返すと、座るように勧めた。

 

「それで、いったい何の用だ、こんな時間に? 話ならさっさとしてくれ」

 

 若干の苛立ちを滲ませて尋ねるオスカー。

 

 対して、シュタウフェンベルクは、慎重に言葉を選んで口を開いた。

 

「准将にお尋ねします。閣下は、今のこの国を、どのようにお考えですか?」

 

 だが、その聞き方は、却ってオスカーの不快を呼んだ。

 

 こんな時間に(しかも自殺しようとしているタイミングで)訪ねてこられて、そのような迂遠な尋ね方は、却ってマイナスだった。

 

「言っている意味が分からないな。その質問は、どう答えるのが正解だ?」

 

 皮肉を交えたオスカーの言葉に、シュタウフェンベルクは居住まいを正す。

 

 確かに、得体の知れない相手がいきなり訪ねてきて、訳の分からない事を聞けば不快にもなるだろう。

 

「失礼しました。今、この国は重大な危機に瀕しています。それは、閣下にもご理解いただけるかと思います」

 

 言われて、オスカーも改めて向き直る。

 

 ようやく、相手の手札が見えた気がしたのだ。

 

 シュタウフェンベルクの言う通り、ドイツの危機は加速度的に高まっている。東部戦線の苦戦にイタリアの脱落、更に主力艦隊の壊滅で海の守りも失った。

 

 誰もが感じつつも、目を背けている事。

 

 敗亡が少しずつ、足音を立てて近付こうとしていた。

 

「だと言うのに、この国は無駄な事ばかりをしている。総統始め、ナチス党の幹部が特権階級の如き利権を独占している。そればかりか、軍事の素人が好き勝手に軍の作戦に口出しし、それが当然のようにまかり通っている。彼等が余計な事をしなければ、前線で死なずに済んだ兵士がどれほどいた事か」

 

 徐々に、シュタウフェンベルクの声に、熱が帯び始めている。

 

 彼もまた、理不尽な作戦に翻弄されたのかもしれない。

 

「この国は変わらなくてはならない。それも、今すぐにも、です。でなければ、手遅れになる」

 

 聞いていて、オスカーは目の前の男に不穏な空気を感じ始めていた。

 

 要するにシュタウフェンベルクが、ナチス党によって牛耳られているドイツの現状を憂いている事は判った。

 

 こうした輩が、いったい何を考えて行動しているのか、オスカーは直感で感じ取る事が出来た。

 

「それで・・・・・・何が言いたいんだ?」

 

 先を促すオスカー。

 

 ここまで聞いたら、目の前の隻眼の大佐が実際に何を考えているのか、聞いてみたい気もした。

 

「我々と共に、この国を変えませんか?」

 

 シュタウフェンベルクは身を乗り出して、オスカーに迫った。

 

「我々には多くの同士がいます。それは軍のみならず、政界や財界にも存在しています。彼等と共にナチスを打倒し、この国をあるべき姿に戻すのです。そのうえで連合国に講和を申し入れるのです」

 

 それは紛れもない、クーデターへの誘いだった。

 

 シュタウフェンベルクは、

 

 否、彼が与する組織は、ナチスに対して反旗を翻そうとしているのだ。

 

「勿論、講和と言っても簡単には行きません。場合によっては、降伏に近い条件を呑まねばならないかもしれません。しかし、今、動かねば全てが手遅れになります。このままでは、この国は破滅へ向かうでしょう。我々はそれを、何としても止めたいのです」

「・・・・・・・・・・・・具体的には、どうするつもりだ?」

 

 試みに尋ねてみる。

 

 これで具体策も何もない、ただ現状に不満を述べるだけならば、痴者の妄言と変わらない。一顧だにする価値すら無いだろう。

 

 だが、

 

 シュタウフェンベルクはスッと目を細めた。

 

「総統を・・・・・・ヒトラーを、暗殺します」

 

 低い声は異様な程、部屋の中で響いた。

 

 この国において、ヒトラーを呼び捨てにするなど、それだけで死刑判決を受けてもおかしくはない。

 

 まして、そのヒトラーを暗殺するときた。

 

 オスカーは、知らずに息を飲んでいた。

 

「更に、ナチス党幹部と、それに連なる者達を排除。しかる後、我が同志たちでもって、新政権を樹立。連合軍との交渉に当たります」

 

 総統の暗殺、ナチス打倒、新政権樹立からの終戦工作。

 

 確かに、話の筋は通っている。

 

 それは即ち、シュタウフェンベルクたちの組織が、それなりの意志と信念を持った存在であることが伺えた。

 

 だが、

 

 オスカーは、どうしても聞かなければならない事があった。

 

「なぜ、俺に話を持ち掛けた?」

 

 オスカーはシュタウフェンベルクと、一切面識はない。

 

 だと言うのに、このような形で急に訪ねてこられ、それどころかクーデターの話までするとは。

 

 オスカーには理解しがたかった。

 

「今のあなたなら、我々に賛同してくれると思ったからです」

 

 どういう意味だ?

 

 そうオスカーが尋ねる前に、シュタウフェンベルクは口を開いた。

 

「先の戦いで、あなたは大切な人を失った。そのつらさは、我々も理解できます」

 

 言いながら、シュタウフェンベルクの隻眼はベッドの上に向けられた。

 

「死のうと、していたのですね」

「ッ!?」

 

 迂闊だった。

 

 ベッドの上には、自殺に使う予定だったワルサーが置かれていたのだ。

 

 とっさに銃を取り、小物入れの引き出しへと放り込む。

 

 そんなオスカーの背中に向けて、シュタウフェンベルクは続ける。

 

「私も同じなのです。だからこそ、あなたの気持ちがわかる」

「勝手な事を抜かすなッ」

 

 自分の気持ちが、

 

 ゼナを失った自分の悲しみが、誰に理解できるというのだ。

 

 激高して、シュタウフェンベルクに掴みかかるオスカー。

 

 その腕を、右腕で防ぐシュタウフェンベルク。

 

 と、

 

「ッ!?」

 

 手に伝わる硬質な感覚に、オスカーは思わず息をのんだ。

 

「お前、その腕・・・・・・」

「ええ、義手です」

 

 そう言うと、シュタウフェンベルクは袖を少しまくって見せる。

 

 左腕の、手首から先には、プラスチック製の部品が見えた。

 

 左目の他に、右手。

 

 更にオスカーは気付いていないが、左手の薬指と小指も欠損している。

 

「東部戦線か?」

「いえ、北アフリカです。当時は海軍に、随分とお世話になりました」

 

 シュタウフェンベルクは、北アフリカ戦線に参謀として着任した際、敵機の銃撃を受けて重傷を負っている。負傷はその時の物だった。

 

 オスカー自身、アフリカや地中海戦線に参加した事は無いが、大西洋における通商破壊戦で、間接的な援護は行っている。

 

 それもこれも、グナイゼナウと共にあったからこそできたのだが。

 

「私も、大切な友人や部下を多く失いました」

 

 言いながら、シュタウフェンベルクは身を乗り出す。

 

「あなたが自ら死を選びたくなる気持ちは、よくわかります。しかし、このまま死んでも、ただの無駄死にに過ぎません。それよりもどうかその命、我々に預けてはくれませんか? この国を変える為に、力を貸してはくれませんか?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 オスカーは、自分の中で揺らぎが生じるのを感じていた。

 

 死ぬのは簡単だ。今すぐシュタウフェンベルクを追い出し、もう一度、銃口をこめかみに当てればいい。

 

 だが、

 

 本当に、それで良いのか?

 

 自分が死ぬ事については、もはやどうでも良い。

 

 だが、

 

 ゼナが、

 

 彼女が守ろうとしていたこの国が、一部の者達の玩具になって滅びるのを見過ごしても良いのか?

 

 ゼナを死なせた奴等がのさばるままにしておいて良いのか?

 

 シュタウフェンベルクは、もはや何も言わない。全ての決断を、オスカーに委ねている。

 

 天井を仰ぐ。

 

 シュタウフェンベルクは完全に腹を割って話してくれているのが判る。そうでなければ、総統暗殺や、クーデターの話をしたりはしないだろう。

 

 嘘の話をしているとも思えない。彼が、オスカーを陥れて得する事など何もないだろうし。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 まだ、完全に信用できるわけではない。

 

 だが、

 

 オスカーが欲している物を用意してくれている。

 

 そう、感じる事が出来た。

 

 ややあって、オスカーは振り返った。

 

「・・・・・・・・・・・・良いだろう」

「ではッ」

 

 シュタウフェンベルクに、頷きを返すオスカー。

 

 彼等に力を貸す。

 

 否、

 

 捨てる予定だった自分の命を、彼等に預ける。

 

 そう、決断していた。

 

 すまない、ゼナ。

 

 お前の元へ行くのは、もう少しだけ、先になりそうだ。

 

 心の中で、亡き恋人に詫びる。

 

 と、

 

「よろしく、お願いします」

 

 シュタウフェンベルクが差し出した左手。

 

 それを、

 

 オスカーは握り返した。

 

「ようこそ」

 

 それを受けて、シュタウフェンベルクは口元に笑みを浮かべた。

 

「我等『黒いオーケストラ』へ。歓迎しますぞ」

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・んッ」

 

 軽い呻き声と共に、シャルンホルストは目を覚ます。

 

 覚醒しきれない頭で、状況を確認しようとする。

 

「あれ・・・・・・ボク、どうしたんだっけ?」

 

 なぜか、冷たい床の上に寝転がっている。

 

 身を起こそうとして、

 

 できなかった。

 

 おまけに、腕は背中に回されて身動きが出来ず、足も動かせない。

 

「あ、あれッ? 何でッ?」

 

 そこで、思い出した。

 

 陸軍の兵士と歩いていたオスカーを見かけ、それを追って廃墟の雑居ビルに入ったところ、彼等の密談を聞いてしまった。

 

 逃げようとしたところで、ティルピッツが来てしまい、オスカー達に気付かれてしまった。

 

 そこで、

 

 記憶が途切れている。

 

 動く首を巡らせて、周囲を確認する。

 

 そこで、自分と同じように縛られて、転がされている少女に気付いた。

 

「ティルッ ティルッ!!」

 

 シャルンホルストが捕まった後、彼女も囚われの身になってしまっていたのだ。

 

 シャルンホルストの必死の呼びかけにも、ティルピッツが起きる気配は無い。

 

「ティルッ しっかりして、ティル!!」

 

 尚も呼びかけるシャルンホルスト。

 

 しかし次の瞬間、

 

「うるせえなッ 静かにしろ!!」

「ッ!?」

 

 突如、響く罵声に、思わず体を震わせるシャルンホルスト。

 

 苦労しながら振りかえると、鬼のような形相の陸軍兵士が、こちらを睨み付けていた。

 

「貴様らのせいで、こっちの予定は完全に狂わされてんだッ いい加減にしないとぶち殺すぞッ!?」

 

 本当に軍人なのか、疑わしいほど、粗暴な言葉に、シャルンホルストは恐怖に体を震わせる。

 

 兵士がシャルンホルストの顔に向けたライフルの銃口が、恐ろしいほどの圧力を加えて来る。

 

「へへッ 何だ、ビビってんのかよ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 恐怖で身動きが取れないシャルンホルストに、兵士は下卑た笑みを見せる。

 

「丁度良い、作戦前の景気付けだ」

 

 そう言いながら、ズボンのベルトに手をかけはずし始める。

 

 その意味を理解し、シャルンホルストは顔を青くした。

 

 次の瞬間、

 

「何をしている」

「ッ!?」

 

 ひどく冷たい声音が響き、兵士は思わず動きを止める。

 

 その後頭部に突き付けられた銃口。

 

 ワルサーを構えたオスカーが、その銃口を男の後頭部にピタリと着けていた。

 

「か、閣下・・・・・・そのッ・・・・・・」

「海軍士官である俺の前で艦娘を害すると言うなら、お前はこの場で殺されても文句は言えんぞ」

 

 海軍士官にとって、艦娘は象徴的な存在でもある。

 

 それは言わば誇りであり、崇拝の対象とされる場合もある。

 

 オスカーの言葉は、大げさでも何でもない。

 

 この場で引き金を引いたとしても、世界中の海軍士官の全てが彼を肯定するだろう。

 

「や、やだな、冗談、冗談ですよ。まったく、閣下は頭が固いですな~」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 へらへらした態度の兵士に対し、無言のまま撃鉄を起こすオスカー。

 

 その音に、兵士は流石に焦りを覚えた。

 

「す、すいませんッ ちょっとした出来心で、ほ、本当に、あ、あの・・・・・・」

 

 震えた声で謝罪する男。

 

 対して、

 

「・・・・・・・・・・・・2度は無い。行け」

「ヒィィィィィィ!!」

 

 慌てて駆けていく男を、冷めた目で睨み付けるオスカー。

 

 一方、足元のシャルンホルストは、唖然とした顔でオスカーを見上げる。

 

 助けてくれたのはうれしい。

 

 だが、

 

 オスカーがクーデターに加担しているのが、未だに信じられなかった。

 

「オスカーさん、どうして・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 尋ねるシャルンホルストに、無言のまま銃をホルスターに収めると、そのまま踵を返す。

 

「ちょ、ちょっとッ!!」

「お前らに危害を加える気はない。ただ、全て終わるまで大人しくしていてもらう」

 

 部屋を出て行くオスカー。

 

 その背中を、シャルンホルストは、転がされたまま見送る事しかできなかった。

 

 オスカーが出て行ったのを確認すると、シャルンホルストはどうにかして体をねじりながらうつ伏せの態勢となる。

 

 そのまま、芋虫の要領で、同じく転がされているティルピッツへ苦労して近付いた。

 

「ティル、ティル、しっかりして!!」

 

 呼びかける少女。

 

 ややあって、反応があった。

 

「う~ん、もうお腹いっぱいで食べられないよ~」

 

 ガクッ

 

 縛られていなければ、そのままずっこけそうな程、平和なボケ具合だ。

 

「言ってる場合じゃないでしょ、起きてってば!!」

「んがッ?」

 

 何とも緊張感が欠ける事甚だしい。

 

 それでも、どうにか声を掛ける事暫し、ようやくティルピッツは目を開けた。

 

「あれ、シャル? えっと・・・・・・何?」

 

 ティルピッツの様子に、嘆息するしかないシャルンホルスト。

 

 ただ、呆けている場合じゃないのは間違いなかった。

 

 何とかティルピッツに目を覚ましてもらうと、手短に状況を説明する。

 

 自分達が捕まった事。

 

 彼等がクーデターを起こそうとしている事。

 

 その決行が多分、今日だと言う事。

 

 言われて、ティルピッツも表情を険しくする。

 

「ど、どうしよう?」

「とにかく、何とか抜け出して、おにーさん達に報せないと」

 

 不安そうなティルピッツに、シャルンホルストは周囲を見回す。

 

 何か、

 

 何か無いだろうか?

 

 ややあって部屋の端に、何かキラリと光る物が落ちている事に気が付いた。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 会議は、なかなか難航の様相を見せていた。

 

 既に残された戦力の少ないドイツ海軍にとって、取り得る戦略も限られてくる。

 

 その戦略の中で、如何なる手段を取るか、焦点はそこに限られる。

 

 だが、そこでエアルは、驚くべき戦略を聞かされる事となった。

 

「機動部隊構想?」

 

 配られた書類に目を通し、エアルは首を傾げた。

 

 あまり聞きなれない言葉に訝りつつ、資料を読み進める。

 

「知っての通り、我が軍の水上艦隊は現在、壊滅状態であり、その再建には数年はかかる見通しだ。戦時中の再建は絶望的と言って良いだろう」

 

 説明するのは艦隊参謀長のシュレスビッヒ・ホルシュタインだ。

 

 ウォルフが狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)に行っている為、会議の議長代行を務めている。

 

 傍らにはカーク・デーニッツ元帥以下、海軍上層部の人間も居並んでいた。

 

「既に水上艦による勝利は現実的とは言い難い。そこで、今後は2隻の空母『グラーフ・ツェッペリン』と『ペーター・シュトラッサー』を主力とし、戦艦、巡洋艦、駆逐艦をその護衛に当てる事とする。このやり方は既に太平洋では主流であり、同盟国日本も、空母を中心とした艦隊編成で戦果を上げている」

 

 成程、とエアルは心の中で頷く。

 

 確かに、激減した水上艦隊では正面決戦にしろ、通商破壊戦にしろ、実施困難と言わざるを得ない。

 

 その点、空母を中心とした機動部隊構想は、ヨーロッパでは運用実績がない。加えて行動半径が広い航空機なら、敵との距離を取って戦う事が出来る為、少数の部隊でも奇襲効果が望める。やってみる価値は十分にあるかもしれなかった。

 

 しかし、どうしても残る疑問を尋ねずにはいられなかった。

 

「航空機はどうするんです?」

 

 エアルの質問に、視線が殺到するが、構わず続ける。

 

「空母だけあっても、航空機が確保できなければどうにもなりませんよね」

 

 空母など、航空機が無ければ、ただの鉄の箱に過ぎなかった。機動部隊運用するとなれば、どうしてもある程度、まとまった数の航空機とパイロット、使用する弾薬、燃料、整備員、その他、大量の人員や物資が必要となる。

 

 交代要員も含めれば、相当な量となるだろう。その確保をどうするのか、と言う問題があった。

 

 だが、

 

「その点は問題ない」

 

 発言したのはデーニッツだった。

 

 質問を予想していたように、口元に笑みを浮かべている。

 

「既に必要な人員や機材、物資は空軍から借り受ける手はずが整えられている。それも、今回は今までのようにその場限りの貸与ではなく、完全に海軍側の指揮下に入って運用して良い事になっている」

 

 その言葉に、エアルは驚きを隠せなかった。

 

 破格と言ってもいい状況である。

 

 今まで空母で航空機を運用する際は、空軍からの出向と言う形で運用していたが、デーニッツの言葉が本当なら、貸与と言う形は変わらないが、今後は部隊運用も全て、海軍側主導で行えることを意味している。

 

「更に、海軍独自の航空部隊編成も認められた。そうなれば、空軍から借りる必要もなくなる」

 

 画期的、

 

 否、

 

 革新的と言って良い。

 

 これが成功すれば「ドイツ海軍航空隊」が正式に発足される事になる。

 

 今までのように、空軍から部隊を借りて運用していたのでは、どうしても指揮系統に齟齬が生じる。ウォルフはその点、航空部隊に独自の行動権を与える事でうまく運用していたが、これは言わば、苦肉の策に近いやり方であり、どうしても艦隊運用にも支障が出てしまう。

 

 だが海軍が独自の航空部隊を運用できるようになれば、そうした問題も解決でき、指揮系統を一元化出来る。

 

 これは、面白い事になって来た。

 

 エアルは、知らずの内に、口元に笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 血相を変えた兵士が、会議室に駆けこんできたのは、その時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「し、失礼いたします!!」

「何事だッ 今は会議中だぞ!!」

 

 たちまち、シュレスの叱責が飛ぶ。

 

 重要会議中に関係ない人間が入室してくるなど、本来あってはならない事。

 

 しかし、それでも入ってきたところを見ると・・・・・・

 

 何か、良くない事が起きた。

 

 エアルは直感的に、そう思った。

 

 兵士は叱責を受けて恐縮しつつも、シュレスに手にした電文を渡す。

 

 それを一読した瞬間、

 

「なッ!?」

 

 シュレスもまた、絶句した。

 

 彼女は直ちに、無言のままデーニッツに電文を渡す。

 

 それを読んだデーニッツ。

 

 静かに顔を上げると、大きく呼吸をする。

 

 どこか、自分自身を落ち着かせるような態度が、却って周囲に緊張を呼ぶ。

 

 目を開くと、デーニッツは一同を見回して言った。

 

「・・・・・・・・・・・・みんな、冷静に聞いてくれ」

 

 殊更に低いデーニッツの声。

 

 ゴクリ、と生唾を飲み込む音が聞こえたような気がした。

 

 皆が視線を集中させる中、デーニッツは再度、電文を確認して口を開いた。

 

「本日、正午頃、総統大本営狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)の会議棟が、何者かによって爆破され、会議参加者全員が巻き込まれた、との事だ」

 

 衝撃が、走った。

 

 事故、と言う線も一瞬浮かんだが、デーニッツが「爆破」と言う言葉を使った以上、それは無い。

 

 となると、選択肢は限られる。

 

 総統の命を狙ったテロ。

 

 そう考えるのが妥当だった。

 

「総統閣下はご無事ですかッ?」

「判らん。これには詳細は書かれていない」

 

 首を振るデーニッツ。

 

 そこでふと、エアルは思い出したように口を開いた。

 

「父・・・・・・アレイザー大将も確か今日、狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)に行ってるんじゃありませんかッ?」

 

 その事に、一同は戦慄する。

 

 ウォルフが、テロに巻き込まれた可能性も否定できなかった。

 

 一気にざわつきを増す、会議室内。

 

 次の瞬間、

 

「落ち着けェッ!!」

 

 鋭い一喝。

 

 相手はシュレスだった。

 

「今、この場で我々が取り乱せば、海軍全体の足並みが乱れるぞッ まずは冷静になれ!!」

「シュレスの言う通りだ」

 

 デーニッツが後を引き継いで発言する。

 

「まずは被害状況の把握と情報収集に専念しろ。総統閣下やアレイザー大将の安否、それと、これが何者の手による者なのか、連合軍やソ連軍のスパイによる物なのか、あるいは国内不穏分子の手による物なのか調べる必要がある」

 

 言ってから、デーニッツはシュレスに向き直った。

 

「もし、組織ぐるみの犯行だとすれば、この機に乗じて何らかの行動を起こすはず。全部隊の監視、統制を徹底すると同時に、野戦部隊の編成を行い、万が一の時の出動に備えろ」

「ハッ」

 

 一同が動き出す中、エアルもまた自身の部隊を掌握する為に立ち上がった。

 

 その時、

 

「アレイザー少将ッ」

 

 不意な少女の呼びかけに振り返る。

 

 見れば、見慣れた少女が私服姿で、息を切らせながら走ってくるのが見えた。

 

「オイゲン、どうしたの? 確か、シャル達と一緒だったはずじゃ・・・・・・」

「そ、それが・・・・・・・・・・・・」

 

 エアルの下まで来ると、オイゲンは膝に手を当てて息を整えてから顔を上げた。

 

「シャルさんとティルさんがいなくなっちゃったんですッ 2人とも!!」

 

 その言葉に、エアルは己の頭上に、暗い雲が立ち込め始めるのを感じるのだった。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 「黒いオーケストラ」と名乗る反ナチスグループの発足は、第2次世界大戦の開戦前まで遡る。

 

 元々、ヒトラーの行き過ぎた対外政策や、ユダヤ人迫害に対する危機感を覚えた有力者達によって発足した組織である。

 

 その構成員の多くは、いわゆるプロイセン貴族と呼ばれる者達によって構成されていた。

 

 彼等は元々、プロイセン騎士の系譜に連なる者達である。それが故に、ナチスと言う極右政党によって、ドイツがヨーロッパ各国から孤立して行く事を憂いたのだ。

 

 とは言え、組織全体が反ナチス、ヒトラー排除を進めていたわけではない。

 

 特に大戦初期、ドイツ軍が快進撃を続けていた頃には、ヒトラーを支持する人間も、組織内には多数存在していた。

 

 しかしその後、バトル・オブ・ブリテンでの敗北、バルバロッサ作戦失敗、スターリングラード戦敗北、北アフリカ戦線崩壊、ツィタデレ作戦中止、イタリアの枢軸側脱落、オークニー諸島沖における海軍の大敗と連戦連敗を続け、徐々にドイツが追いつめられるにつれ、再びヒトラー排除の機運が高まった。

 

 そうした中、7月20日、ついに作戦は決行される。

 

 作戦名は「ワルキューレ」。

 

 作戦はまず、狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)で行われる総統会議において、出席する国内予備軍参謀長であるクライス・フォン・シュタウフェンベルク大佐が、爆弾を入れたカバンを持ち込み起動、それを総統の近くに設置する。

 

 爆弾の爆薬はドイツ製だが、起爆装置は鹵獲したイギリス製の物を使用している。これは起動すると、スプリングが安全装置を締め付ける。これで起動準備は完了だ。それを内蔵した硫酸が徐々にスプリングを溶かしていく。約10分後、溶けたスプリングが弾け飛び安全装置を解除、爆弾が起爆すると言うシステムだった。

 

 傷病兵は親衛隊によるボディーチェックを免除される慣習があり、シュタウフェンベルクならば、総統のすぐそばまで爆弾を持ち込む事が出来る。

 

 爆弾設置の後、シュタウフェンベルクは適当な理由を付けて退出する。

 

 爆弾の起爆を確認した後、シュタウフェンベルクは飛行機で狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)を脱出する。

 

 同時にベルリンでは国内予備軍を動員し、重要拠点の制圧を行い、もってクーデターを完成させる。

 

 国内予備軍司令官のフロム上級大将は「黒いオーケストラ」のメンバーではないが、心理的にはクーデター派に同調してくれている。事を起こした際には協力してくれるか、少なくとも局外中立の立場で黙認してくれるだろう。

 

 総統暗殺で政権派が混乱している隙に、速やかにクーデターを実行する。

 

 ナチスの支配を排除した後、「黒いオーケストラ」メンバーが政権中枢を担い、連合軍との講和に臨む、と言うのが一連の構想だった。

 

 

 

 

 

 飛行機を降り立ったシュタウフェンベルクの下に、数名の同士が駆け寄ってくる。

 

 彼等は、片腕が使えないシュタウフェンベルクから手荷物を受け取ると尋ねた。

 

「首尾は?」

「上々だ、ヒトラーは死んだ」

 

 シュタウフェンベルクの言葉に、一同から感嘆の声が上がる。

 

 我が事成れり。

 

 これで、この国を変える事が出来る。

 

 明るい未来が見えて来た。

 

 誰もが希望に胸を膨らませていた。

 

「ただちに、政権奪取の為の行動を開始する。我等の手で、この国を救うのだ」

「ハッ」

 

 そう言うと、シュタウフェンベルクは歩き出した。

 

 自分達が目指す、未来に向けて。

 

 

 

 

 

第74話「黒いオーケストラ」      終わり

 



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第75話「脱出劇」

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 後ろ手に縛られた手を、上下に動かし続ける。

 

 縛られている上に、床に転がされている状態では、手首だけを動かす事も困難を極めたが、少女は一心不乱になってやり続ける。

 

「シャル、大丈夫?」

「ん、うん、もう少し・・・・・・」

 

 背中から、ティルピッツの不安そうな声が聞こえてくる。

 

 シャルンホルストとティルピッツは今、背中合わせになって床に転がっている。

 

 シャルンホルストの手には、手のひら大のガラス片が握られている。先ほど、部屋の隅に落ちているのを見つけて拾う事に成功したのだ。

 

 ガラスを拾ったシャルンホルストは、ティルピッツと背中合わせで横になり、後ろ手に彼女の腕を縛るロープを切るべく試みていた。

 

 初めはなかなか腕をうまく動かす事が出来ずに苦戦したが、やがてコツを掴むと、少しずつガラスがロープに食い込んでいくのが判った。

 

「ッ!?」

 

 掌に走る鈍い痛みに、思わずシャルンホルストは顔をしかめた。

 

 ガラスが掌に食い込み、少女の柔らかい掌を傷つけたのだ。

 

「シャル!!」

 

 悲痛な叫びをあげるティルピッツ。

 

 しかし、シャルンホルストは手を止めない。

 

 早く、何としてもクーデターの情報をエアル達に伝えないと。

 

 それに、

 

 まさか、オスカーまでもが、クーデターに加わっているなど。

 

 信じたくは無い。が、実際に他の兵士達と一緒にいるところを目撃し、更にはシャルンホルスト達に捨て台詞まで吐いている。

 

 反体制派への潜入、と言う線も無くは無いが、准将の階級にある人間が、そんな危険な任務を行うとも思えなかった。

 

 事情はどうあれ、ともかくこの状況を脱しない事には。

 

 そう思った時だった。

 

 ガラスを持った手に、より確かな手ごたえが伝わって来た。

 

 この時、シャルンホルストの努力が実り、ティルピッツの腕を縛るロープは半分以上切断され、更に食い込んだガラスによって、切り口が押し広げられたのだ。

 

 更に腕を動かすシャルンホルスト。

 

 やがて、プツッという微かな音と共に、背後で動きがあるのを感じた。

 

「やった」

 

 ティルピッツは自分の腕が自由になった事を確認すると、素早く足のロープを解く。

 

 完全に自由を取り戻すと、シャルンホルストに向き直った。

 

「待っててシャル、今、ほどいてあげる」

「お、おねがい」

 

 ホッと息を吐き、背を向けると、ティルピッツがシャルンホルストの腕のロープを外していく。

 

 それからしばらくして、どうにか自由を取り戻す事が出来た。

 

「シャル、手が・・・・・・」

 

 血まみれになったシャルンホルストの手を見て、心配するティルピッツ。

 

 しかし、事態はそれほど、呑気にしている場合ではなかった。

 

「良いから、早くここ出ようッ」

 

 そう言うと、ティルピッツの手を取り、部屋の入口へと向かう。

 

 部屋の状況から見て、最初にオスカー達を追って入った雑居ビルから動いていない筈。

 

 ならば、ここを出て海軍本部へ向かうのは、そう難しい話ではない。

 

 そう思って、ドアノブを取り、扉を開いた。

 

 周囲を見回し確認する。

 

 どうやら、見張りはいないらしい。

 

 オスカー達も人員に余裕が無いのだろう。逃げる可能性の低い艦娘2人に監視を付ける余裕は無いのだ。

 

 あるいは、非力な女2人、脱走などあり得ないとでも思っているのか。

 

 いずれにしても好都合だった。

 

「大丈夫、行こう」

 

 ティルピッツを促し、部屋を出るシャルンホルスト。

 

 足音を殺して、廊下を進んでいく。

 

 周囲に人の気配は感じない。

 

 もしかすると、オスカー達はもう、どこか別の場所へ行ったんじゃないだろうか?

 

 そんな事を考えながら進んでいく。

 

 やがて、階段に行き当たると、慎重に階下を確認しながら降りていく。

 

 大丈夫、誰もいない。

 

 もうすぐ、ここから出られるだろう。

 

 そう思った。

 

 その時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「女共が逃げたぞ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然、ビル全体に鳴り響く怒声。

 

 同時に、複数の足音が、階上から聞こえてくる。

 

 シャルンホルスト達の脱走に気付いた兵士達が追いかけて来たのだ。

 

「走って!!」

 

 叫びながら、ティルピッツの背中を押す。

 

 ともかく、外へ。

 

 そうすれば、助けも呼べる。

 

 階下へ駆け下り、そのまま転げるように、出口から路地へと駆け出る。

 

 背後から聞こえてくる、複数の荒々しい足音。

 

 少女たちは必死に駆けるが、徐々に足音が大きくなる。

 

 その時、

 

「ううッ」

 

 突然、シャルンホルストは胸を押さえたと思うと、足を止めて蹲る。

 

「シャル!!」

 

 異変に気付き、戻ってくるティルピッツ。

 

 対して、シャルンホルストは、胸を押さえたまま蹲る。

 

「クッ こんな、時に・・・・・・」

「シャル、しっかりッ」

 

 シャルンホルストを抱えようとするティルピッツ。

 

 しかし、背後からの足音はもう、すぐそこまで迫っていた。

 

 その音を聞きながら、シャルンホルストは苦しげな顔を上げた。

 

「ティル、ボクが囮になるから、ティルは逃げて!!」

「何言ってんのシャルッ そんな事できる訳ッ」

「聞いて!!」

 

 言い募ろうとするティルピッツに大声で制し、シャルンホルストは続ける。

 

「このままじゃ、2人とも捕まっちゃうッ どっちか1人だけでも逃げて、この事報せないと!!」

「じゃあ、私が囮になるから、シャルが逃げればいいでしょ!!」

「だめッ うぐッ」

 

 大声を出した事で、シャルンホルストは再び胸の痛みに顔をしかめる。

 

「シャルッ」

「ボクの体力じゃ、どっちみち逃げられない。それよりも、ティルは逃げて、この事をおにーさん達に報せて」

 

 客観的に、シャルンホルストの言っている事は正しい。動けないシャルンホルストが逃げるよりも、まだしもティルピッツの方が、逃げ切れる可能性が高いだろう。

 

 しかし、分かっていても、簡単に割り切れる物ではないのも確かである。

 

 だが、考えている時間は無い。もう、足音はすぐそこまで聞こえていた。

 

「行って」

 

 短く告げて、微笑みを浮かべるシャルンホルスト。

 

 不安がるティルピッツを安心させるように。

 

 その笑みに、ティルピッツは後ろ髪を引かれながら立ち上がる。

 

「必ず・・・・・・必ず、助けに来るから」

「うん、できれば、早めにお願い」

 

 その言葉に背を向け、走り出すティルピッツ。

 

 ともかく、必死になって路地を駆ける。

 

 背後から少女の悲鳴が聞こえて来たところで、目をつぶる。

 

 だが、振り返らない。

 

 ここで戻れば、シャルンホルストの献身が無駄になってしまう。

 

 複雑な路地を抜け、ともかく通りを目指す。

 

 大通りに出てしまえば、奴等も追っては来れない筈。

 

 無我夢中で走り続け、

 

 やがて、

 

 光が見えた。

 

 背後に追っ手の気配は無い。

 

 最後の力を振り絞るようにして走る。

 

 そして、

 

 視界が開けた。

 

 そこにあった光景に、

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 思わず、声を上げた。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 国内予備軍司令部は、シュタウフェンベルク大佐ら、黒いオーケストラのメンバーが多数所属している事もあり、ワルキューレ作戦実行時には、クーデター派の司令部として使用される予定になっていた。

 

 待機場所を出て、司令部へとやって来たオスカーは、そこが蜂の巣を突いた騒ぎになっている事を知り訝った。

 

 兵士達は忙しく走り回り、廊下はごった返している。

 

 あちこちで怒号が飛び交い、近くの会話すら聞こえない程だった。

 

 そんな中で、何人かの将校が、背後から銃口を突き付けられて歩いている様子を見ると、どうやら司令部の制圧には成功したらしいのだが。

 

 オスカーが待機場所を離れ、司令部を訪れたのは、状況の侵攻が予定より遅れている事を懸念したからだ。

 

 作戦発動は、本日の13時。

 

 だと言うのに、15時を過ぎても作戦発動の命令は発せられず、焦れたオスカーは、こうして様子を見に来たわけである。

 

 そうしたら、この騒ぎである。

 

 オスカーならずとも、戸惑うのは無理ない話であった。

 

 足早に、本部になっているオフィスへと足を踏み入れる。

 

 中にはシュタウフェンベルク他、複数の将校が存在し、何やら狂ったように掛かってきている電話に対応しているところだった。

 

 シュタウフェンベルクはと言えば、オスカーが入って来たのを見ると、少し待つようにジェスチャーで告げ、そのまま電話口に怒鳴り続ける。

 

 やがて、会話を終えて受話器を置くと、シュタウフェンベルクはオスカーに向き直った。

 

「ああ准将、待たせてすまない」

「そんな事は良い」

 

 開口一番で謝罪を口にするシュタウフェンベルクに、オスカーは詰め寄った。

 

「なぜ、作戦開始が発動されない? 既に予定時間は大幅超過だ。みんなを待機させておくのにも限界があるぞ」

「・・・・・・・・・・・・実は」

 

 シュタウフェンベルクは、疲れ切った調子で説明した。

 

 狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)において、シュタウフェンベルクは確かにヒトラー暗殺を決行。作戦成功を確信して機上の人となった。

 

 しかし2時間かけ、東プロイセンからベルリンに到着してみると、何と未だにクーデター実行はされておらず、遅まきながら作戦発動を命じているらしかった。

 

 更に、クーデター派のメンバーではないにしろ、実質的には支持者に近い立場にあった、国内予備軍総司令官のフロム上級大将が、土壇場で怖気づき、作戦発動反対に回ると言う日和見的な行動を取った為、彼を拘束し、新たな指揮系統を確立するのに手間取っていたというのだ。

 

「どういう事だ?」

「・・・・・・上層部の連中が、日和見に走ったんだ」

 

 実のところ、ワルキューレ作戦実行のタイミングは、以前から何度かあった。

 

 しかし、肝心かなめとなる、ヒトラー暗殺のタイミングなかなかやってこなかった。

 

 と言うのも、戦況が悪化するにつれ、ヒトラーは引き籠る事が多くなり、人前に出る事自体が少なくなった。その為、暗殺実行のタイミングが極端に減ってしまったのだ。

 

 稀に、人前に出る事があったが、その度に暗殺実行役が尻込みして失敗していた。

 

 シュタウフェンベルクが暗殺実行役に選ばれたのは、彼がヒトラー主催の会議に出席する事が出来る数少ない人材だったからだ。

 

 数カ月前に一度、暗殺実行可能なタイミングがあり、実際にワルキューレ作戦は発動。国内予備軍にも動員が掛けられた。

 

 その際、シュタウフェンベルクは暗殺実行の許可を上層部に求めたが、承認されなかった。

 

 クーデター派上層部の考えとしては、ヒトラー1人を暗殺しても意味はなく、同時にナチス党幹部も殺さなくてはいけないと考えていた。

 

 特に、ナチス・ナンバー2のゲーリングや、親衛隊長官のヒムラーは、絶対に殺さないといけないと考えていた。

 

 結局この時、暗殺は未発、作戦発動は解除された。

 

 国内予備軍が動員された事に関しては、「首都が攻撃を受けた際の特別演習」と言う事でごまかし、どうにかクーデターの意図は隠す事が出来た。

 

 だが、この上層部の煮え切らない態度に、シュタウフェンベルクを初め、少壮の士官たちは不満を募らせた。

 

 同様の暗殺見送りが、その後も何度か起こり、業を煮やしたシュタウフェンベルク達は今回、上層部の許可を待たず、独断での暗殺決行を決め、上層部に追認させたのだ。

 

 だが、上層部は尚も作戦発動に懐疑的であり、その為、シュタウフェンベルク達が戻ってくるまで作戦発動を見送っていたのだ。

 

 それを今になってようやく、作戦を発動した訳である。

 

「大丈夫なのか?」

 

 鋭い目で、オスカーが尋ねる。

 

 事、この段に至った以上、今更引き返す事は出来ない。作戦中止など言語道断だ。

 

 にも拘らず、上層部のあまりにも煮え切らない態度は、オスカーの目から見れば呑気を通り越して愚鈍にすら見えた。

 

「問題ない。総統が死んだ以上、政権派の動きは鈍るだろう。今から作戦を発動しても十分間に合うはずだ」

 

 シュタウフェンベルクは確信のこもった眼で頷いた。

 

 それに対して、オスカーは念を押すように口を開く。

 

「ヒトラーは、死んだんだな?」

「ああ、間違いない」

 

 力強く頷くシュタウフェンベルク。

 

 爆弾は確かに起爆した。

 

 しかも設置場所は、ほぼヒトラーの足元である。あれで生きているはずがなかった。

 

「判った。じゃあ、俺は戻って、改めて作戦発動の指示を待つとする」

 

 そう言って、オスカーは踵を返す。

 

「准将」

 

 呼ばれて振り返るオスカー。

 

 シュタウフェンベルクの隻眼が、まっすぐに見据えて来た。

 

「頼むぞ」

「ああ、任せろ」

 

 それだけ言うと、オスカーは国内軍司令部を後にした。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

「やってくれたなッ このクソガキ!!」

 

 目の前に悪鬼の如き様相を見せる男に、震えが止まらなくなる。

 

 結局、シャルンホルストは捕まり、再び監禁部屋まで連れ戻された。

 

 今度は解けないよう、腕はロープではなく手錠が掛けられている。先ほどのような脱出は不可能だった。

 

 足は拘束されていないが、両手が後ろに回されている中で、逃げる事は不可能だろう。

 

「もう1人の女はどうしたッ!?」

「ハッ 申し訳ありません。見失いましたッ」

「馬鹿野郎ッ 准将が戻ってきたらどう言い訳するつもりだッ!! 探せッ 何としても探して連れて来い!!」

「ハッ」

 

 敬礼していく兵士。

 

 その様子を見て、シャルンホルストは、取り合えずティルピッツが無事らしい事は察した。

 

 よかった、と取り合えずホッとする。

 

 これで、彼女の安全は確保されただろう。

 

 更にもう1つ、オスカーは今、ここにはいないらしい。

 

 後は、ティルピッツが、エアル達にここの場所を教えてくれれば、必ず助けが来るだろう。

 

 だが、

 

「チッ」

 

 舌打ちと共に、目の前の兵士が振り返る。

 

 そこで、シャルンホルストは気が付いた。

 

 目の前の兵士が、先程、自分に迫ってきた男である事に。

 

「まったく、ムカつくガキだぜ。おかげで、俺が責任を問われるじゃねえか」

 

 憎しみのこもった眼で睨み付けて来る兵士。

 

 その瞳に睨まれ、シャルンホルストは震え上がる。

 

 知らずに、後ずさろうとするが、手錠で拘束されている身である為、殆ど身動きが取れない。

 

「責任取ってもらうぜ、ガキ」

 

 そう言うと、男は自分のズボンのベルトに手をかけてカチャカチャと外し始めた。

 

 ズボンを下ろすと、そのままシャルンホルストに迫る。

 

「やだッ やめて!!」

 

 これから何をされるのかを悟り、悲鳴を上げるシャルンホルスト。

 

 しかし男は少女を捕まえると、両膝に手をかけて、無理やり開かせようとする。

 

「やだッ やだァッ!!」

 

 必死に抵抗しようとするシャルンホルスト。

 

 体をよじり、動かせる足でバタバタと空を蹴る。

 

 だが、

 

「抵抗するんじゃねえッ」

「ヒッ!?」

 

 怒鳴る兵士。

 

 同時に、シャルンホルストの頬に、硬く冷たい物が当てられた。

 

 男はナイフを取り出し、突き付けて来たのだ。

 

「テメェ、調子こいてんじゃねえぞ。さっきはあのすました准将がいたから引き下がったがよ、俺は艦娘なんぞ、何とも思っちゃいねえ。あんま騒ぐと、グサッとやっちまうからな」

 

 殆ど、チンピラと変わらない脅し。

 

 しかし、無抵抗な少女には、それだけで十分に効果的だった。

 

 と、

 

 チョロチョロチョロチョロチョロチョロチョロチョロ

 

 聞こえてくる水音。

 

 水音は、シャルンホルストの開いている足の間から聞こえてくる。

 

 少女の股間から流れ出した液体は、そのままシャルンホルストのパンツと短パンを濡らし、お尻の下に水たまりを作る。

 

「あ、や、やだッ 見ないでぇ・・・・・・・・・・・・」

 

 何が起こったのか、理解したシャルンホルストは顔を赤くする。

 

 涙を流しながら、相手の男に懇願する事しかできない。

 

 だが、

 

「うわ、きったねぇ。こいつ、漏らしやがったッ」

 

 恐怖の為に、おもらしをしてしまったシャルンホルストを、嘲る男。

 

 その事が、更にシャルンホルストの羞恥を煽る。

 

「良いか、動くんじゃねえぞ。動いたら、マジで刺すからな」

 

 自分が完全に、シャルンホルストを支配下に置いたと判断した男は、シャルンホルストに手を伸ばす。

 

 短パンを脱がされ、純白のパンツが露わになる。

 

 おもらししたせいで、股間部分が黄色く染まっていた。

 

「いやぁ・・・・・・・・・・・・」

 

 力弱く鳴き声を上げる事しかできないシャルンホルスト。

 

 おもらしした恥ずかしい姿を見られた事。

 

 こんな男に、良いようにされている自分。

 

 そして何より、

 

 エアル以外の男に、こんな事をされている事が、少女には悔しくて、恥ずかしくて、仕方がなかった。

 

 男の下卑た顔が、シャルンホルストに近付く。

 

「・・・・・・・・・・・・助けて、おにーさん」

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突如、銃声が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「がはァッ!?」

 

 同時に、今にもシャルンホルストに掴みかかろうとしていた男は、吹き飛ばされるように床に転がった。

 

 その肩口からは、凄まじい量の出血が見られ、着ている軍服を真っ赤に染める。

 

 何が起こったのか?

 

 泣き腫らした目を開き、シャルンホルストは入口の方を見る。

 

 果たしてそこには、

 

 彼女の最も焦がれる人物が立っていた。

 

「お、おにー、さん?」

「シャルッ!!」

 

 男を排除したエアルは、拳銃を片手にシャルンホルストへと駆け寄る。

 

 床に膝を突くと、そのままシャルンホルストを抱きしめた。

 

「よくがんばったね。もう、大丈夫だよ」

 

 その言葉に、

 

 緊張の糸が切れたシャルンホルストの顔が、クシャッと歪む。

 

 次の瞬間、

 

 少女は声を上げて泣き出す。

 

 泣きじゃくるシャルンホルスト。

 

 そんな少女を、エアルは優しく抱きしめるのだった。

 

 

 

 

 

第75話「脱出劇」      終わり

 



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第76話「復讐するは我にあり」

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 泣きじゃくるシャルンホルストを優しく抱きしめ、頭を撫でてやる。

 

 余程怖かったのだろう。尚も、シャルンホルストは、エアルの胸の中でしゃくりあげている。

 

 ふと、

 

 そこでシャルンホルストは、自分がいかに恥ずかしい格好をしているかに思い至り、顔を赤くする。

 

 パンツ丸見えの上、そのパンツもおもらしのせいで濡れている。しかも、お尻の下には、おもらしによる水たまりが出来ている。

 

 恋人に見せる姿としては、軽く死にたいレベルで恥ずかしかった。

 

「お、おにーさん、今、ボク、その、汚いから・・・・・・」

「そんな事無いよ」

 

 言いながらエアルは、軍服のジャケットを脱ぎ、シャルンホルストの肩にかけてやる。

 

「シャルが汚い事なんて無い」

 

 そう言ってほほ笑むエアル。

 

 その笑顔に、またもシャルンホルストは泣き出してしまった。

 

 ひとしきり泣いて、ようやく落ち着いた頃、泣き腫らした目でシャルンホルストはエアルを見た。

 

「そう言えば、おにーさん。どうしてここが判ったの?」

「ティルピッツが教えてくれたんだ。彼女と途中で合流できてね」

 

 実は狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)における爆破テロの一報を受け、海軍本部では動ける兵士を動員して、野戦部隊の編成を行い、エアルもその指揮を委ねられた。

 

 特に、シャルンホルストとティルピッツが行方不明になったと、プリンツ・オイゲンから聞いたエアルは、彼女たちが何らかの事態に巻き込まれた可能性があると判断し、指揮下の部隊と共に、この区画を重点的に警戒していたのである。

 

 ちょうどそこへ、シャルンホルストのおかげで脱出に成功したティルピッツと合流。シャルンホルストの監禁場所を特定すると、部隊と共に強襲した訳である。

 

「ティルはッ!? ティルは無事なのッ!?」

「大丈夫だよ。今は保護して、オイゲン達と一緒にいる」

 

 その言葉に、シャルンホルストはホッとした。

 

 同時に、ティルピッツのおかげで助かったと知り、言いようのない安堵が芽生えて来た。

 

「ティルに、会いたい。会って、お礼言わないと」

「ここから出たら、すぐに会えるよ」

 

 そう言った時だった。

 

 背後で、這いずるような音がする。

 

 とっさに、シャルンホルストを背にかばいながら振りかえり、銃を構えるエアル。

 

 そこには先程、シャルンホルストを強姦しようとして、エアルに撃たれた男が、床を這いずりながら、どうにか出口に向かって逃げようとした。

 

「イダイ・・・イダイ・・・イダイよォ・・・・・・」

 

 大の男が顔を涙と鼻水でべちょべちょにし、血まみれで床に這いつくばっている。しかも下半身丸出しとくれば、これ程、見苦しい絵面は他に無いだろう。

 

「・・・・・・まだ、生きてたか」

 

 まあ、急所を外しているので、すぐには死にはしないだろう。

 

 シャルンホルストを傷付けようとした相手である。許す気は無いのだが。

 

 とどめを刺そうと、銃を構え直した。

 

 その時、

 

 扉が開き、誰かが入ってくる。

 

 その姿を見て、エアルは思わず呻いた。

 

「オスカー・・・・・・・・・・・・」

 

 ティルピッツから事情は聴いていたのだが、正直、信じられなかった。

 

 しかし今、現実にオスカー・バニッシュが目の前にいる。

 

 その姿が、オスカーがクーデター派に加担している事を、如実に物語っていた。

 

 そんなオスカーの姿を見て、這いずっていた兵士が歓喜と共に縋り付く

 

「准将ッ 准将、よく来てくださいました!! さあ、奴等に正義の鉄槌をお願いします!!」

 

 男は下卑た笑みを浮かべてエアル達を振り返って来た。

 

「ハハハハハハハッ テメェ等、もう終わりだよ!! この俺をコケにした事、後悔しながら死にやがれ!!」

 

 聞くに堪えない罵声を叫びながら、オスカーに向き直った。

 

「さあ、准将!! 早く!!」

 

 対して、オスカーは振り返らない。

 

「2度は無い。そう、言ったはずだな」

「・・・・・・・・・・・・へ?」

 

 呆ける男。

 

 次の瞬間、電光石火でワルサーを抜くと、振り返らずに銃口を向ける。

 

 男は、最後まで何が起こっているのか、理解できなかった。

 

 鳴り響く銃声。

 

 弾丸は男の眉間を貫き、一瞬で絶命させた。

 

「やれやれ」

 

 銃口から煙を吐き出すワルサーを下ろしながら、嘆息するオスカー。

 

「こんなクズを使わなければならん当たり、シュタウフェンベルク達の計画も多寡が知れているな」

 

 ごみを見るような目で死体を見下ろしてから、オスカーは向き直った。

 

 対して、

 

 エアルはシャルンホルストを背にかばいながら、銃口は油断なく向けている。

 

 そんな親友の様子に、オスカーは苦笑した。

 

「おいおい、そんな物騒な物下ろせよ。別に、お前らにはどうもしないさ」

「オスカー・・・・・・」

 

 いつも通りのフランクな口調。

 

 だからこそ、エアルには言いようのない不安が募る。

 

「ただ、少しの間だけ、大人しくしといてもらいたいんだよ。俺達の作戦が終わるまで、な」

「作戦?」

 

 訝るエアルに、オスカーはニヤリと笑った。

 

「そうだ。この国を変える・・・・・・いや、救う為の作戦だ。そして、それは間も無く完了するだろう。それまでどうか、大人しくしていてくれ」

「聞くと思う、そんな話?」

 

 反乱行為を黙認する気はない。

 

 エアルは言葉に強い思いを込めて言い放った。

 

 相手がオスカーだから、親友だからこそ、自身の意志は明確に伝えた。曖昧な態度は、自分にとっても、何よりシャルンホルストにとってもマイナスにしかならないだろう。

 

 対して、オスカーはそんなエアルに、自嘲的な笑みを見せる。

 

「なら、どうする? 俺を撃つか?」

「・・・・・・・・・・・・」

「言っておくが、俺はやめる気はないぞ。俺は俺の意志でもって、この作戦に加わっている。今更、止められんさ」

 

 俺を止めたいなら、殺してでも止めてみろ。

 

 そう言外に告げるオスカーに、エアルは黙する事しかできない。

 

 事実、今こうしている間にも葛藤が続く。

 

 果たして、オスカーが自分に銃を向けた時、自分は引き金を引けるのか? 親友を撃つ事が出来るのか?

 

 そんなエアルの迷いを見透かしたように、オスカーは続けた。

 

「なあ、エアル。お前はドイツが、このまま滅びても良いとでも思っているのか?」

「そんな事、ある筈が・・・・・・」

「いや、ある」

 

 エアルの言葉を、オスカーは遮る。

 

「このまま行けば、この国は何れ滅びるだろう。今、手を打たないとな」

「それは・・・・・・」

「そもそも、この国を誰が、こんな風にした? 戦場で多くの兵士や艦娘が無為に倒れたのは誰のせいだ? 作戦が悉く失敗したのは誰のせいだ? ここまで無様な戦況になったのは誰のせいだ? 主力艦隊が壊滅したのは誰のせいだ?」

 

 天を仰ぐ、オスカー。

 

 そして、

 

「ゼナが死んだのは、誰のせいだ?」

「ッ」

 

 背後で、シャルンホルスト息をのむのを感じる。

 

 構わず、オスカーは続けた。

 

「誰が、ゼナを殺した?」

「オスカー・・・・・・」

「俺か? お前か? それともイギリス軍の奴等か?」

 

 言いながら、オスカーが徐々に熱を帯び始める。

 

「違うだろ。ゼナが死んだのは、あいつが死ななければならなかったのは、全部、ヒトラーと、その側近共が、ろくでもない作戦を強要したからだ!!」

 

 ヒトラーは一代の英雄だ。

 

 彼がいなければ、ドイツは第1次大戦後の苦境にあえぎ、衰退の一途を辿った事だろう。

 

 彼がいたからこそ、ドイツの景気は黒字好転し、軍備増強、失業者ゼロ、領土拡大を実現できた。

 

 しかし、戦争指導と言う面からみて、ヒトラーは素人以下を通り越して害悪以外の何物でもなかった。

 

 その素人以下のヒトラーがいたずらに作戦に口出しした結果が、今のドイツの苦境だった。

 

「だから変える。死んでいったゼナの為にも、この国を変えるんだよ」

「だからって・・・・・・ゼナは、こんな事望んじゃいないよ!!」

 

 堪らず、シャルンホルストが口を開いた。

 

 オスカーがゼナの死を理由にしているなら、これ程の侮辱は無い。

 

 あるいは、ゼナの死を理由に、オスカーがこんな事を始めたのならば、ゼナの姉である自分が止めなければ。そう思った。

 

 対して、

 

「だろうな。あいつは、そんな馬鹿な女じゃない。そんな事は、俺にだってわかっている」

 

 オスカーは、あっさりと肯定して見せた。

 

「だが、あいつの死を無駄にしない為に、俺が出来る事をする。そう決めたんだ」

「それが、クーデターだって言うの? 馬鹿げてる」

 

 吐き捨てるエアル。

 

 対して、オスカーは肩を竦める。

 

「判ってもらおうとは思ってないさ。自分らが正しいとも、な」

 

 言ってから、鋭く目を細めてエアル達を睨む。

 

「だが、もう止められんさ。全ては動き出したんだ」

「どういう事だ?」

 

 訝るエアルに、口の端を釣り上げて笑みを浮かべるオスカー。

 

「ヒトラーは死んだ。後は、混乱に乗じて、残りの幹部を逮捕し、政権交代を実現すれば、作戦は完了だ」

 

 勝ち誇るオスカー。

 

 対して、

 

「総統閣下が・・・・・・・・・・・・そうか」

 

 エアルは、笑みを浮かべるオスカーに嘆息して見せると、ややあって、顔を上げた。

 

「まだ、そっちには報告が行ってないんだね。俺も、ここに来る途中で伝令から聞いたし」

「何?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「総統閣下は生きてるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・何だと?」

 

 エアルの言葉を聞いて、動きを止めるオスカー。

 

 対して、エアルは念を押すように、もう一度告げる。

 

「総統閣下は生きてる。死んでないよ」

「馬鹿な。俺の仲間が、仕掛けた爆弾が爆発するのを確認した。総統が死んだのは間違いない」

 

 嘲るような声で、オスカーは言った。

 

 何も知らないエアルを憐れむような口調のオスカー。

 

 対して、エアルは、殊更に淡々とした口調で告げた。

 

「そう、爆弾は確かに爆発した。けど、閣下は死ななかったんだ」

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 話は、爆発直後の狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)まで巻き戻る。

 

 急な会議時間変更により、遅れて到着したウォルフ・アレイザー。

 

 彼が見た物は、半ば廃墟と化した会議棟の姿だった。

 

 ガラスと言うガラスは吹き飛ばされ、もうもうと煙が立ち込め、視界が全く効かなくなっている。

 

 一部からは、炎も上がっている。

 

 中にいる人間の安否すら、確認できない有様だった。

 

「総統閣下ッ」

 

 中に駆け入ろうとした時だった。

 

「こ、これは何事だッ!?」

 

 狼狽した声に振り返るウォルフ。

 

 その視線の先には、ウォルフ自身も見知った人物が、焦った調子で走ってくるのが見えた。

 

「ゲーリング閣下!!」

 

 空軍総司令官ヘルムート・ゲーリングも、この日、会議に遅れて来た人間の1人だった。

 

 ゲーリングの方でもウォルフの姿に気付き駆け寄って来た。

 

「アレイザー大将ッ これはいったい何事だッ!?」

「判りません。私が来た時にはもう、この有様で・・・・・・」

 

 言っている間に、会議棟の中からちらほらと人影が現れるのが見えた。

 

 自力で歩いて出て来る者もいれば、誰かの肩を借りながら出て来る者もいる。

 

 しかし、最も安否が気遣われる人物の姿は、一向に見えなかった。

 

「ともかく、総統閣下を探しましょう!!」

「う、うむッ」

 

 頷くと、会議棟に踏み入れる、ウォルフとゲーリング。

 

 今でこそ政治家としての活動が多いゲーリングだが、元は第1次大戦の頃、空軍のエースパイロットとして鳴らした生粋の軍人であり、前線で血の匂いを嗅いだ事もある。土壇場では肝が据わっていた。

 

 揃って、中へと踏み入るウォルフ達。

 

 その間にも、会議の出席者らしい者達が出て来る。

 

「おい、閣下は・・・・・・総統閣下はどうされたッ!?」

「わ、分かりません。とにかく、凄まじい爆発で・・・・・・」

 

 出て来る者に尋ねるも、返答は芳しくない。

 

 焦る思いを抱いたまま、中へと進む。

 

「閣下!!」

「総統閣下!! お返事を!!」

 

 叫び声を上げながら、ウォルフとゲーリングは進んでいく。

 

 中はひどい有様だった。

 

 床には建材が瓦礫となって散らばり、壁の一部も吹き飛ばされている。

 

 どうにか会議室の場所を探り当て中へと入るが、部屋の中は立ち込める煙で、殆ど視界が利かない状態だった。

 

 そんな中で、床に何人か倒れており、微かな呻き声も聞こえる。

 

 だが、それらの顔を確認しても、目指す人物に行き当たらない。

 

「総統閣下ッ お返事ください!!」

 

 周囲に向かって叫ぶも、返事は無い。

 

 焦慮に駆られる。

 

 もしや、もう・・・・・・・・・・・・

 

 そう思った。

 

 その時。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・ウォルフ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 微かに聞こえた声に、振り返る。

 

「閣下?」

「ウォルフ・・・・・・ウォルフか? 余は、ここだ」

 

 今度は、はっきりと聞こえた。

 

「総統閣下!!」

 

 駆け寄って、瓦礫に手を駆ける。

 

 巨大な木の板は、恐らく作戦会議の時に使う大テーブルの天板だろう。

 

 ヒトラーの声は、その下から聞こえていた。

 

 駆け付けたゲーリングと力を合わせ、巨大な天板を持ち上げてどかす。

 

 果たして、

 

 その下に、ヒトラーはいた。

 

 しかも、見たところ、殆ど傷らしい傷を負った様子も無い。

 

 と言うよりも、ほぼ無傷に近かった。

 

「おお、閣下、よくぞご無事で!!」

 

 感動のあまり、泣き出しそうになるゲーリング。

 

 だが、再会の感動は後回しにしなくてはならない。

 

「ともかく、閣下を安全な場所へ!!」

「うむッ」

 

 グズグズしていては、ここも崩れるかもしれない。

 

 2人は左右からヒトラーの肩を支えると、瓦礫をかき分けて、崩れ去ろうとする会議棟を急いで脱出するのだった。

 

 

 

 

 

 なぜ、ヒトラーは生きていたのか?

 

 それは、いくつもの偶然が重なった結果だった。

 

 当初、シュタウフェンベルク達の計画では、爆弾を2つ使用する筈だった。

 

 しかし、ベルリンから到着したシュタウフェンベルクは、到着後すぐに、会議が30分早まった事を知った。

 

 当初は控室で待機中、確実に爆弾を起動させる予定だったが、時間が早まった事で、その余裕がなくなってしまった。

 

 そこで、着替えを理由に1室借りて、そこで副官と共に爆弾を起動させる事にした。

 

 だが、

 

 どうにか1個目の爆弾を起動させ、2個目の起動準備に取り掛かろうとした時、アクシデントは起きた。

 

 丁度その時、ベルリンで待機している同志の1人からシュタウフェンベルク宛に電話がかかって来ており、その事を伝えに来た兵士が突然、扉を開いて部屋の中に入って来たのだ。

 

 慌てたシュタウフェンベルクは、起動した爆弾のみをとっさに自分のカバンに放り込み、未起動の爆弾は副官のカバンに入れてしまった。

 

 これがまずかった。

 

 この時、未起動の爆弾も一緒のカバンに入れておけば、一方の爆弾が爆発した時、もう一方の爆弾も誘爆し、その相乗効果によって会議室にいる全員を確殺できただろうと言われている。

 

 ともかく、シュタウフェンベルクは起動済みの爆弾のみを持って会議室へと向かった。

 

 しかしそこで、会議の場所がいつもの地下壕から、地上階の会議棟に変更された事を知った。

 

 まずい状況だった。

 

 密閉された地下なら、爆風が壁に当たって乱反射し、威力の相乗効果を高める事が出来るのだが、窓がある会議棟では、爆風が窓から逃げて威力が減殺されてしまう。

 

 そこでシュタウフェンベルクは、可能な限りヒトラーに近付く事にした。

 

 さりげない動作で、会議室の中を移動する。

 

 シュタウフェンベルクが立ったのは、ヒトラーの2人分隣の場所だった。

 

 足元へ爆弾の入ったカバンをそっと置く。そこは、爆弾が起爆すれば、爆風がヒトラーを直撃する場所だった。

 

 そしてシュタウフェンベルク自身は、電話を掛ける事を理由に会議棟を離れた。

 

 程なく彼方で爆発音がしたのを確認し、シュタウフェンベルク達は機上の人となったのだった。

 

 シュタウフェンベルクが作戦成功を確信しても無理からぬことだろう。

 

 しかし、そうはならなかった。

 

 実は、シュタウフェンベルクが去った後、足元に置かれている爆弾入りのかばんを邪魔に思った幕僚の1人が、テーブルの奥へ押し込んでしまったのだ。

 

 これにより、爆弾とヒトラーの間には、テーブルの頑丈な脚部が入ってしまい、爆風はヒトラーを直撃しなかった。

 

 更に、いざ爆発すると、テーブルが爆風によって跳ね上げられて横倒しになり、ヒトラーの前に頑丈な壁を作ってしまった

 

 以上の事が、どれか1つでも欠けていたら、あるいはヒトラーの暗殺は成っていたかもしれない。

 

 しかし、いずれにせよヒトラーは生き残った。

 

 それは同時に、ワルキューレ作戦が根底から失敗した事を意味していた。

 

 

 

 

 

 ヒトラーを別棟に運び、SS隊員に周囲を警戒させる。

 

 慌てて駆け付けた医者に診断と治療をさせた後、熱いコーヒーを飲む頃には、ようやく落ち着きを取り戻していた。

 

 幸い、ヒトラーは軽傷で、若干の打撲とやけどの他は、鼓膜が少し傷付いただけであり、いずれも自然治癒が見込めるレベルだった。

 

「閣下」

 

 落ち着いたところで、ウォルフは話しかけた。

 

「ご心労のところ恐縮ではありますが、いくつか質問させてください。いったい、何があったのですか?」

「うむ・・・・・・・・・・・・」

 

 尋ねるウォルフに、ヒトラーは手にしたカップを置いて向き直った。

 

「と、言っても、余も判っている事は少ない。会議中に突然、爆発が起こった。知っている事と言えば、それくらいだ」

 

 当事者であるほど、持っている情報は少ない物。

 

 ましてヒトラーは、訳の分からないうちに吹き飛ばされたのだ。事情を知らぬのも、無理からぬ事だった。

 

「逆に聞きたいのだが、これは敵の攻撃か?」

「いえ、それは無いと思います」

 

 ヒトラーの言葉に、ウォルフは即座に否定を返す。

 

 もし、敵の攻撃ならば、被害はもっと大きなものになっていた筈。しかし、会議棟以外、爆破された建物は無い。

 

 事故、と言う線も薄い。何らかの施工ミスで爆発が起こったにしては、あまりにも被害が大きすぎる。

 

 となると、答えは自ずと限られてくる。

 

「恐らく、閣下の御命を狙ったテロ、と見るべきかと」

「・・・・・・・・・・・・何と言う事だ」

 

 嘆息するヒトラー。

 

 ヒトラー自身、自分が命を狙われる可能性は十分に理解しているし、実際、過去に何度か暗殺されかかった事もある。

 

 しかし、これ程危うい状況は初めてだった。

 

「もしや、建設に携わった労働者共の仕業か?」

 

 ゲーリングが思いつきを口にする。

 

 この狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)の建設には、捕虜などの強制労働者を多数、動員している。

 

 殆ど、無賃金で長時間労働させた彼等は当然、ヒトラーの事を恨んでいるだろう。動機はあるわけだが。

 

 しかし、

 

「果たして、そうでしょうか?」

 

 ウォルフは首を傾げる。

 

 労働者たちは厳重に監視されており、爆弾の類を持ち込めたとは思えない。加えて、今日の会議が30分繰り上がり、尚且つ、会議棟で行う事は急遽決まった事だ。事前の準備無しにできるとは思えなかった。

 

 ウォルフは考える。

 

 何かを忘れている気がしたのだ。

 

 今朝、ベルリンを発ってから、爆発現場にたどり着くまでに感じた違和感。

 

 自身の行動を、頭の中で思い出しながら順に追ってみる。

 

 答えは記憶の中にある。

 

 そう感じて、思考を進める。

 

 やがて、

 

 思考が、狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)到着後のあたりまで差し掛かった時、違和感の正体に思い至った。

 

「・・・・・・・・・・・・シュタウフェンベルク大佐」

「何?」

 

 ウォルフはヒトラーに向き直った。

 

「国内予備軍参謀長の、クライス・フォン・シュタウフェンベルク大佐の行動について、何か心当たりはありませんか?」

「シュタウフェンベルクは、余が会議に出席するように命じた」

 

 ウォルフの質問に、ヒトラーは答えた。

 

「西部戦線に投入する新師団編成の報告をさせる為に呼んだのだが、それがどうかしたのか?」

「実は・・・・・・・・・・・・」

 

 ウォルフは経緯を説明した。

 

 会議棟に向かう途中、シュタウフェンベルクが乗った車とすれ違った事。

 

 それが、会議棟とは逆の方向に走っていた事。

 

「時間的に考えて、会議の最中だったはず。それなのに、シュタウフェンベルク大佐が別の方向に向かうのは不自然です」

「いや、しかし、シュタウフェンベルク大佐は傷病兵だぞ。そんな人物が、暗殺などと言う大それた事を実行するだろうか?」

 

 首を傾げるゲーリング。

 

 ヒトラーも、その言葉にうなずいた。

 

「余も、ゲーリングと同意見だ。ウォルフ、そなたの考え違いではないのか?」

「逆に、傷病兵だから、と言う事もあります」

 

 傷病兵なら、狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)に入る際のボディー・チェック、手荷物チェックを免除される。

 

 つまり、シュタウフェンベルクなら、爆弾を持ち込めるという事だ。

 

 しかし、尚も半信半疑のヒトラーとゲーリング。

 

 その時、SS隊員が室内に入室して来た。

 

「お話し中、失礼いたします。実は今回の件で、証言したい事があると言う者が来ております」

 

 ウォルフとゲーリングは顔を見合わせる。

 

 暗殺未遂の直後である。ヒトラーの前に、無警戒に人を入れるのは憚られる。

 

 追い返そうか、と思った。

 

 だが、ウォルフが口を開く前に、ヒトラーが制した。

 

「構わぬ、通せ」

「閣下、宜しいので?」

 

 尋ねるウォルフに、ヒトラーは頷く。

 

「今は少しでも情報が欲しい」

 

 ややあって、入室を許可されたのは、若いSS隊員だった。その手には、何やらカバンを持っている。

 

「実は、騒ぎの少し前、シュタウフェンベルク大佐を私の車に乗せたのです」

 

 そのSS隊員は、狼の巣(ヴォルフス・シャンツェ)内における、移動車両の運転を担当していたという。

 

 今日は、シュタウフェンベルク大佐と、その副官を乗せたのだと言うが。

 

 つまり、この隊員はウォルフが見た車の運転手だった訳だ。

 

「その途中で大佐が、このカバンを森の中に捨てられていたのが気になり、戻る途中に拾ってきました」

「見せろ」

 

 ウォルフはカバンを受け取ると、ロックを外して中を取り出していく。

 

 カバンの中身は、着替え、書類、筆記用具、その他の日用品。

 

 別段、当たり障りのないもののように思える。

 

 しかし、

 

「ッ!?」

 

 最後に出て来た物を見て、思わずウォルフは息をのんだ。

 

 それを両手でしっかり掴むと、慎重な手つきで取り出し机の上に置く。

 

 問題ない事を確認すると、ゆっくりとヒトラーに向き直った。

 

「・・・・・・・・・・・・爆弾です。間違いありません」

「何ッ!?」

 

 思わず、室内に緊張が走る。

 

「大丈夫です。起動はしていないようです」

 

 言ってから、SS隊員へ向き直る。

 

「すぐに処理班を呼べ」

「ハッ」

 

 慌てて出て行くSS隊員を見送ると、ヒトラーに向き直った。

 

「閣下、最早、疑うべくも無いかと」

 

 全ての証拠は揃っている。

 

 犯行は明らかだった。

 

「閣下」

 

 見れば、ゲーリングもヒトラーに視線を向けている。

 

 彼の目から見ても、シュタウフェンベルクの犯行である事は明白だった。

 

 ややあって、ヒトラーは顔を上げた。

 

「あい分かった」

 

 どこか、怒気を押し殺したような、殊更に低い声。

 

 周囲の空気が、一気に下がったような気がした。

 

「直ちにシュタウフェンベルクを逮捕、拘禁、その背後にいる反乱分子共を全て炙り出せ!!」

 

 

 

 

 

第76話「復讐するは我にあり」      終わり

 



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第77話「無音の弔鐘」

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 哄笑が鳴り響く。

 

 狂ったように笑い声をあげるオスカーを、エアルとシャルンホルストは唖然として見つめるしかない。

 

 ヒトラーが生きている。

 

 その事実を突きつけた途端、オスカーは笑い死にせんばかりに笑い声を上げている。

 

「最高だッ!! 最高の喜劇じゃないか、これはッ なあ!!」

「もうやめろ、オスカー!!」

 

 エアルが身を乗り出して叫ぶ。

 

「もう、終わったんだッ 総統閣下は生きてるッ クーデターは成功しないッ もう、何もかも終わったんだッ!!」

「・・・・・・・・・・・・終わった?」

 

 途端に、笑いを止めて静かになるオスカー。

 

「・・・・・・・・・・・・いいや」

 

 次の瞬間、

 

 右手が跳ね上がり、ワルサーの銃口がエアルに向けられた。

 

「まだ、終わらないさ!!」

「ッ!?」

 

 互いに、銃口を向け合うエアルとオスカー。

 

 睨み合う、両者。

 

 シャルンホルストは、エアルの背後で、そんな2人の様子を見守る事しかできない。

 

「もう、よせ」

 

 エアルは言い聞かせるように、努めて静かな声でオスカーに告げる。

 

「今頃、君の仲間の下にはゲシュタポが向かっている。全員が逮捕されるのも時間の問題だ」

「どうかな」

 

 言い募るエアルに、オスカーは強気な態度を崩さずに、銃口を向けて来る。

 

 その口元には、不敵な笑みが浮かぶ。

 

「シュタウフェンベルクがなぜ、海軍の俺を仲間に引き込んだと思う? クーデターの際に、同志を指揮し、海軍全体を制圧する為さ」

 

 シュタウフェンベルク達「黒いオーケストラ」のメンバーは、その殆どが陸軍に所属しており、海軍や空軍の同志は少ない。

 

 だからこそ、海軍に精通する仲間を欲した。

 

 その白羽の矢が立ったのが、オスカーと言う訳である。

 

「海軍内部にも同志は存在している。彼等と共に海軍本部を制圧。そこで命令発行期間を押さえ、海軍全部隊でもってメンバーを救出し、改めてクーデターを実行するまでだ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 演説のように語るオスカー。

 

 対してエアルは無言のまま、険しい表情で見据える。

 

 睨み合う、両者。

 

 ややあって、

 

 オスカーは力が抜けたように、銃を持つ腕を下ろした。

 

「・・・・・・・・・・・・まあ、そんな事をしても無駄な事は判ってるんだがな」

「そうだね」

 

 緊張感が抜けた声。

 

 エアルは、オスカーから戦意が抜けていくのが判った。

 

「それくらい、こっちもお見通しだよ。今頃、デーニッツ提督が直接指揮した野戦部隊が、各重要拠点の制圧に向かってる筈だ」

 

 ベルリンの施設は勿論、キールやヴィルヘルムス・ハーフェン等、主要な港も、既に海軍野戦部隊が押さえている。

 

 クーデター派の逮捕も進んでいる。

 

 幕切れは近かった。

 

「投降して、オスカー」

 

 静かな声で、エアルが告げる。

 

「これ以上、罪を重ねないで。君等にできる事は、もう何もない。後は法廷で自分達の正当性を、改めて主張すれば良いだろ」

 

 頼む。

 

 どうか・・・・・・

 

 祈りを込めるように、銃口を向けながら言い募るエアル。

 

 対して、

 

「できる事は、何もない。か・・・・・・・・・・・・」

 

 力なく呟くオスカー。

 

 次の瞬間、

 

「いいやッ」

 

 顔を上げるオスカー。

 

 その双眸に、確かな殺気が籠る。

 

「まだ、あるッ!!」

 

 言い放つと同時に、

 

 銃を持つ、オスカーの腕が跳ね上がった。

 

 エアルが反応する暇もない。

 

 その銃口は、

 

 まっすぐに、

 

 己の胸に、突き付けられた。

 

「オスカー!!」

 

 止める間も無く、

 

 オスカーは引き金を引いた。

 

 鳴り響く銃声。

 

 鮮血が飛び散る。

 

「キャァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 悲鳴を上げるシャルンホルスト。

 

 その声を聴きながら、

 

 オスカーはゆっくりと、仰向けに崩れ落ちた。

 

「オスカー!!」

 

 慌てて駆け寄るエアル。

 

 鮮血は一気に床に広がり、血溜まりが広がる。

 

 急いで軍服の前を開く。

 

 その間にもあふれ出す血で、床はあっという間に鮮血の沼と化す。

 

 傷口は胸の中央に開いており、尚も血が噴き出している。

 

「オスカーッ しっかりしろッ すぐ、医者を呼ぶから!!」

 

 必死に傷口を押さえながら、エアルが叫ぶ。

 

 ゴフッと言う湿った音と共に、オスカーの口からも鮮血が零れる。

 

 もう、助からない。

 

 それは、誰の目から見ても明らかだ。

 

「もう、良い・・・・・・」

「何言ってんの、オスカーッ!!」

「もう、良いんだ」

 

 その言葉に、エアルは傷口を押さえながら、オスカーの顔を見る。

 

 明らかな致命傷。

 

 こうしている間にも、オスカーの命は、鮮血と共に零れ落ちていく。

 

 にも拘らずその顔は、いっそ奇妙な程、穏やかだった。

 

「・・・・・・・・・・・・オスカー」

「頼むよ・・・・・・このまま、行かせてくれ」

 

 その言葉に、エアルは悟った。

 

 親友が何を思い、このクーデターに参加したのか。

 

「最初から、こうするつもりだったの? クーデターの成功なんてどうでも良くて、最初から?」

 

 問いかけるエアルに対し、オスカーはフッと笑う。

 

 傷口を押さえるエアルの手が、手首まで真っ赤に染まる中、オスカーは最後の力を振り絞るようにして口を開く。

 

「そいつは買いかぶりすぎだ。クーデターが成功して、この国が変われば良いと思ったのは確かだ。だが、どっちに転んでも、最後はこうするつもりだった、と言う意味では、確かにその通りだよ」

 

 元々、オークニー諸島沖海戦から帰還した後、一度は自決を決意したオスカー。

 

 図らずもシュタウフェンベルクに誘われた事で、先延ばしにしてきたが、結果を変えるつもりは無かった。

 

「俺には身内はいない。両親はとっくに他界したからな。そんな俺にとって、ゼナが全てだった。あいつがいない世界には、何の未練も無い」

 

 ゼナさえ生きてくれていれば、こんな事にはならなかった。

 

 ゼナさえ生きていてくれれば、他に何もいらなかった。

 

 オークニー諸島沖海戦で、「グナイゼナウ」が沈んだ時、オスカーの人生もまた終わったのだ。

 

 ふと、

 

 不意に、オスカーの中で全ての音が喪失した。

 

 周囲の音も、

 

 耳元で叫び続けるエアルの声すら聞こえない。

 

 ただ、

 

 誰かが歩いてくる足音だけが、やけにはっきり聞こえた。

 

 やがて、足音は自分のすぐ傍らに来ると立ち止まった。

 

 自分を見下ろすその人物を見た瞬間、思わずオスカーは苦笑した。

 

「何だよ、お前が迎えに来てくれたのか」

『何だ、とは随分と御挨拶ね。あなたが迷子にならないように、迎えに来てあげたってのに』

 

 そう言うと、グナイゼナウはおかしそうに笑った。

 

 同時に、その顔はどこか呆れたように、オスカーを睨む。

 

『まったく。あなた、頭良いのに、随分と馬鹿な事やったわね』

「うるさい、放っておけよ」

 

 そんな事は、自分が一番分かってる。

 

 そう言いたげなオスカーに対し、グナイゼナウは手を差し伸べる。

 

 久方ぶりに握る少女の手は、変わらずに柔らかく、温もりに満ちていた。

 

 少女の手を取り、立ち上がるオスカー。

 

「じゃあ、行くか」

『ええ』

 

 互いに笑顔を浮かべ、頷きあうオスカーとグナイゼナウ。

 

 2人はそのまま踵を返すと、ゆっくりと歩き出した。

 

 

 

 

 

「オスカー・・・・・・・・・・・・」

 

 自分の手の中で、親友の命が失われていくのが判った。

 

 静かに閉じられた瞳。

 

 呼びかけに答える声は、もう無い。

 

 ただ、その顔には満足げな笑みが浮かべられていた。

 

 エアルの士官学校以来の親友であり、大戦初期から共に組んで多くの作戦に従事したオスカー・バニッシュ。

 

 そのオスカーが今、二度と目覚める事のない眠りへとついた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 無言のまま、腕を下ろすエアル。

 

 後には、廃墟に響くシャルンホルストの慟哭だけが、死した者へのレクイエムとなって、鳴り響いていた。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 その後の展開は最早、考えるまでも無い事だろう。

 

 報復は、速やかに行われた。

 

 「黒いオーケストラ」側が、クーデター実行に手間取っている間に、ヒトラーは己の健在を全土に知らしめ、同時にクーデター派の逮捕を命じた。

 

 これで、形勢は完全に逆転。

 

 各地で蜂起の時を待っていたクーデター派のメンバーは、次々と捕縛されて行った。

 

 一部では逃亡したメンバーもいたが、潜伏中の所を発見され、いずれも取り押さえられた。

 

 こうして、殆どのメンバーが逮捕された「黒いオーケストラ」。

 

 彼等を待っていたのは、ゲシュタポによる激しい尋問と拷問だった。

 

 苛烈な拷問によって情報を白状する者、持っている情報を全て話したにもかかわらず、理不尽な拷問を継続される者。

 

 見るも無残な有様だった。

 

 クライス・フォン・シュタウフェンベルク達は、本部にしていた国内予備軍司令部にて逮捕された。

 

 彼を逮捕したのは、かつての上官であり、国内予備軍司令官のフロム上級大将だった。

 

 フロムは「黒いオーケストラ」のメンバーではないが、事件前には彼等の行動に理解を示す動きを見せていた。

 

 その為クーデター派は、実行の際にはフロムが味方になってくれると考えていた。

 

 しかし、いざクーデター実行の段階になって、尻込みしたフロムは協力を拒否。そのままシュタウフェンベルク達に拘束された。

 

 しかし、ヒトラーの健在と、クーデター派逮捕命令が出ると、配下の兵達によって救出され、逆にシュタウフェンベルク達を逮捕した。

 

 フロムは解放されると、意気揚々とシュタウフェンベルク達の前に現れ、憎々し気な視線を向けて来る彼等に対し、即日軍事裁判を行い、死刑を言い渡した。

 

 名ばかりの裁判を終えた後、シュタウフェンベルク達はそのまま施設の中庭に引き出され、1人ずつ銃殺刑に処された。

 

 フロムがクーデター派を支持せず、あえて「黙認」と言う曖昧な態度を取ったのは、初めからクーデター派と総統派、うまく立ち回って双方に取り入ろうとしたからだった。

 

 首尾良くクーデターが成功した暁には、「黙認する事で協力した」とアピール。

 

 逆に失敗した時は「彼等に協力せず、阻止に貢献した」事を主張するつもりだったのだ。

 

 結果は、後者となった。

 

 正にフロムの狙い通りとなったわけだ。

 

 しかし、

 

 うまく立ち回って甘い汁を吸おうとした男の末路は、その行動に相応しい、自業自得な運命だった。

 

 シュタウフェンベルク達を処刑し、得意満面で報告したフロムに待っていたのは、賞賛でも勲章でもなく、彼自身に対する逮捕状だった。

 

 クーデター発生時の優柔不断な態度から、フロムはクーデター派の一員だと思われていたのだ。シュタウフェンベルク達の処刑も、隠蔽の為の口封じと見なされた。

 

 無実を叫んだとしても無駄だった。

 

 なぜなら、彼の無実を証言できる人間は全て、他ならぬフロム自身の手で処刑してしまった後だったからだ。

 

 結局、フロムもまた、銃殺刑に処された。

 

 正に、自業自得、としか言いようがなかった。

 

 その後、

 

 ドイツには粛清の嵐が吹き荒れた。

 

 逮捕された「黒いオーケストラ」幹部の運命は悲惨だった。

 

 彼等は皆、形ばかりの裁判にかけられた後、殆ど全員が処刑台の露と消えた。

 

 しかも、裁判もヒトラーの「クーデターに加担した者達へ、一切の慰めは無用、徹底した屈辱を与えよ。彼等の人としての尊厳を地に落とし、可能な限り死の苦しみを長引かせよ」との命令が最大限反映される形で実行された。

 

 メンバーはまず、軍事名誉法廷に出廷させられ、そこで軍籍を剥奪された。

 

 軍人は己の立場に絶対の誇りを持っている。ヒトラーは彼等の軍服と階級章を剝ぎ取る事で、彼等の誇りを踏みにじったのだ。

 

 その後、民間人の立場で、人民裁判にかけられた。

 

 裁判長のフライスラーは、元は第1次大戦に志願した兵士の1人だったが、そこでロシアの捕虜となった後、うまく立ち回ってソビエト共産党の政治委員をしていた経歴を持つ。

 

 性格はヒステリックで独善的、かつ気分屋で、自身の好悪で裁決を下す事もある他、裁判中に被告を嘲笑、冒涜する下劣な品性の持ち主だった。

 

 そのような人物であった為、ヒトラーやナチス党幹部たちからすら信任の薄い人物だった。中には露骨に「狂人」「裏切者」「薄汚い演者」と称する者もいた程だ。

 

 半面、自身の経歴故に、上層部から信頼されていない事も自覚しており、ナチスとヒトラーへの忠誠心だけは異常に高かった。今回のクーデター事件前にも、反ナチス運動にかかわった者達を高圧的な裁判手法で、相手の尊厳を徹底的に貶め、たとえ相手が無罪であっても無理やり有罪にしてしまう事で有名だった。

 

 ヒトラーに裁判を任されたフライスラーは、餌を与えられた飼い犬のように、嬉々として己の責務に飛びついた。

 

 こうして、フライスラーの手によって、「黒いオーケストラ」メンバーは、全員が有罪判決、次々と処刑されて行った。

 

 その処刑方法も残酷だった。

 

 彼等はまず、衣服を全て剥ぎ取られ、見守るSS隊員たちに嘲笑されながら、全裸で刑場まで歩かされた。

 

 本来、処刑前には神職が神への祈りを捧げるのは、洋の東西を問わず常識なのだが、それも無し。

 

 処刑方法も、細いピアノ線を首にかけ、それを持ち上げる事でゆっくりと締め上げ、できるだけ長く苦しませる手法が取られた。

 

 本来、絞首刑とは、太めのロープを頸部に巻き、頸動脈を的確に押さえ一気に締め上げる事で血流を停止し、対象者の意識を一瞬で消失させた後、心臓を停止させる。

 

 苦しみを長引かせないようにする為の措置だった。

 

 しかし、細いピアノ線でゆっくりと締め上げる事で、対象者は意識を消失する事が出来ず、苦しみが長く持続する事になる。

 

 そんな苦しむメンバーの様子を見て、SS隊員たちはゲラゲラと品の無い笑いを上げていた。

 

 だがそれでも、「黒いオーケストラ」のメンバーは皆、立派だった。

 

 彼等は誰1人取り乱す事無く、粛々と刑の執行を受け入れ、処刑台の露と消えていった。

 

 この程度の屈辱は、彼等の理想と信念に対し、聊かの傷をつける事すらかなわなかったのだ。

 

 惜しむらくは裁判の場にも、処刑に当たったSS隊員の中にも、彼等の高潔な精神を理解できる脳みそを持ち合わせている人物は1人もいなかった事だが、それも彼等には、どうでも良い事だった。

 

 結局、逮捕者はクーデター関係者から、その家族、親類、縁者、使用人にも及び、果ては全く関係なくても、日ごろから反ナチス的な言動をしている人物まで逮捕。その数は数万人にも及び、最終的には1000人近くが処刑された。

 

 そんな中、冤罪も多数発生する事になる。

 

 有名な人物として、ドイツ軍内で英雄と称されたアルフレート・マンシュタインと、アルフォンス・ロンメルの両名だろう。

 

 マンシュタインは比較的、幸運だった。

 

 彼は審議に当たった裁判官が友人だった為、疑われたものの、すぐに無罪放免となった。

 

 実は、マンシュタインは事件前にシュタウフェンベルクから接触があり、その際にクーデター派の指導者へ就任するように要望があったが、これをきっぱりと断っている。

 

 その際に言い放った言葉は「プロイセン軍人は裏切りなどしない」だった。

 

 一方のロンメルは、

 

 ロンメルはその日を、自宅で迎えた。

 

 西部戦線で負傷し、療養の為に一時帰国していたのだ。

 

 朝食を終え、くつろいでいたところに来客を受けた。

 

 相手は国防軍の人事局長と、数名の兵士達だった。

 

 彼等が、ロンメルに対するメッセージを携えて来た。

 

 彼等がロンメルに提示した選択肢は2つ。

 

「即効性の毒薬で自害する。その場合、ロンメル自身の名誉は保たれ、残された家族にも十分な補償を行う」

「人民法廷にて裁きを受ける」

 

 話を聞いたロンメルは、暫し沈思した。

 

 同時に、己の運命が既に避けられない物である事を悟る。

 

 仮に後者を選んだとしても、最終的に運命は変わらない。しかも、その場合、自分が濡れ衣を着せられたうえ、全ての栄誉を剥奪された上で処刑される事になるだろう。

 

 天を仰ぐ。

 

 何より、この決定にヒトラーの意志が介在している。

 

 つまり、ロンメルが最も敬愛した総統が、自分の死を望んでいるのだ。

 

 選択の余地は無かった。

 

 己の運命を受け入れ、毒薬を飲み干すロンメル。

 

 彼の意識が途絶えるまでの間に、その脳裏に浮かんだものは何だったのか?

 

 自身が忠誠を誓った国家と、総統についてか?

 

 遺していく家族への想いか?

 

 それとも、熱狂するように駆け抜けた、灼熱の北アフリカ戦線についてか?

 

 それを知る者は、誰もいなかった。

 

 唯一の救いは、約束が守られた事だった。

 

 ロンメルの死は、戦傷の悪化による物と発表され、故人の栄誉を称える為、大々的な国葬が執り行われた。

 

 更に残された遺族には、手厚い保護が成された。

 

 ただ、

 

 国葬を行った際、棺の中にはロンメルの遺体は無かったと言われている。

 

 と言うのも、あまりにも毒物が強力だったこともあり、遺体が急速に腐敗して悪臭を放つようになったため、仕方なく、空の棺を使ったとも言われていた。

 

 こうして、

 

 多くの悲劇を生み落とし、多数の命を奪いながら、クーデター劇は幕を閉じるのだった。

 

 後年、言われる事は、仮に全てがうまくいったとして、果たして彼等の思惑通りになっただろうか? と言う事。

 

 ヒトラー暗殺に成功し、クーデターも成功し、「黒いオーケストラ」が政権を取り、連合軍の和平交渉に入る事が、果たして出来ただろうか?

 

 残念ながら、多くの有識者がそれを否定している。

 

 事件が起きた時期は、ヒトラーの支持者は未だに多数存在しており、事件後はナチス党本部に見舞いの献金が多数寄せられたほどだ。むしろ、クーデター派を非難する声が多数に上った。

 

 仮にクーデター成功したとしても、多くの反攻者が生まれ、最悪、内戦状態になっていた可能性すらある。

 

 いずれにせよ、時代は彼等ではなく、ヒトラーを選んだ。

 

 事実は、それだけだった。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 担架に乗せられ、廃ビルから搬出されるシャルンホルスト。

 

 その傍らには、エアルが少女の手を握りながら付き添っている。

 

 あの後、後続して来た部隊によってクーデター派は完全に制圧。シャルンホルストも、無事に助け出されたのだ。

 

 シャルンホルストも、駆け付けた軍医によって簡単な診察を受け、外傷は殆ど無い事が確認されている。

 

 しかし、

 

 今回の事件で、シャルンホルストが心に負った傷は、肉体のそれより遥かに深刻だった。

 

 加えて、逃亡中に持病の発作も起こしている。

 

 少女はこの後、軍病院に入院して、医師の診察を受ける事になる。

 

「ごめんね、おにーさん。迷惑かけちゃって」

 

 申し訳なさそうに謝るシャルンホルスト。

 

 対して、エアルは笑って首を横に振る。

 

「何言ってんの。シャルが無事で、本当に良かった」

 

 そう言って、少女の髪を優しく撫でてやる。

 

 その時だった。

 

「シャルッ!!」

「シャルさん!!」

 

 叫び声と共に、友人の少女2人が掛けて来るのが見えた。

 

「ティル・・・・・・オイゲン・・・・・・」

 

 駆け寄るティルピッツとプリンツ・オイゲン。

 

 2人とも顔を真っ赤にして、泣き腫らした目を充血させている。

 

 そんな2人に、笑顔を見せるシャルンホルスト。

 

「よかった、2人とも、無事だったんだね」

「こっちのセリフよ、馬鹿!!」

「そうですよッ こんな無茶して!!」

 

 縋り付いて泣きじゃくる2人。

 

 しかし、それでも、互いに無事な姿を見て、顔には笑顔が浮かぶ。

 

 泣きながら笑う少女たち。

 

 そんな3人の様子を見て、エアルは天を仰ぐ。

 

「・・・・・・・・・・・・オスカー」

 

 亡き友へ、そっと語り掛ける。

 

 だが、

 

 言葉が続かなかった。

 

 愛する者を亡くし、自分を裏切った国家に反旗を翻したオスカー。

 

 最後には自ら命を絶ち、愛する者の下へと旅立った友へ、何と声を掛ければ良いのか分からなかったのだ。

 

 ただ、今は彼等の魂に冥福が訪れん事を。

 

 祈る事。

 

 それだけが、エアルにできる、唯一の事だった。

 

 

 

 

 

第77話「無音の弔鐘」      終わり

 



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第78話「海鷲の鼓動」

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 スロットルを開き、機体を加速させる。

 

 眼下の景色が、急速に後方に流れる中、

 

 しかし、クロウ・アレイザー空軍大尉は、加速する機体に身を任せ、己の獲物を見定める。

 

 眼前に迫る、ポリカルポフ戦闘機。

 

 その上方から高速で接近し、両翼に装備した12.7ミリ機関砲を一連射。

 

 弾丸は機体上部を貫き、爆発、炎上させる。

 

 次、

 

 と、呟く間もなく、既に新手は迫っている。

 

 クロウの駆るメッサーシュミットBf109Fは急激な右旋回を掛けつつ速度を上げる。

 

 後方から迫る敵機。

 

 その両翼の機銃が、閃光を放つのが見えた。

 

 だが、

 

「あ、たるかァッ」

 

 メッサーシュミットの加速の方が速い。

 

 わずかな差で、敵機が放った機銃弾が逸れるのを感じる。

 

「お返しだ!!」

 

 操縦桿を引くクロウ。

 

 メッサーシュミットは急旋回を駆けながら敵機の背後を取り、機関砲を連射。

 

 敵パイロットは、必死に逃れようとするが、既に遅い。

 

 背後から機関砲の直撃を受け、火球へと変じる。

 

 鮮やかな勝利。

 

 しかし、

 

「くそッ まだ、来るのかよッ!!」

 

 舌打ちするクロウ。

 

 その視界の先で、蒼穹を進行してくる爆撃機編隊が映りこむ。

 

 しかも、1つや2つではない。

 

ざっと見えるだけで、10以上の爆撃機編隊が、陣形を組んで向かってきている。その総数は、少なく見積もっても100機以上。

 

 対して、防空に上がっているドイツ空軍戦闘機隊は既に、クロウのメッサーシュミットを含めて10機も残っていない有様だった。

 

 それだけではない。

 

 地上に目を転じれば、多数の戦車部隊が連なるようにして大地を踏み鳴らしている。

 

 大量の車両と、巻き上げられる砂塵、そして放たれる閃光によって地面が見えない。

 

 その様は、まるで津波だ。

 

 鋼鉄の津波が、ドイツ軍を飲み込もうと迫っているのだ。

 

「ッ!!」

 

 呆けている暇は無かった。

 

 機体の速度を上げ、突撃を開始するクロウ。

 

 機体の速度はすぐに600キロを超え、敵の爆撃機部隊へと迫る。

 

 同時に武装を20ミリモーターカノンに切り替える。分厚い装甲を誇る爆撃機に対し、12.7ミリでは威力不足だっだ。

 

 接近と同時にモーターカノンを斉射。

 

 銃弾は爆撃機のコックピット付近に命中し、これを吹き飛ばす。

 

 そのまま、速度に任せて一航過。

 

 反転して、再攻撃を仕掛ける。

 

 爆撃機の方も防御砲火を上げるが、高速で飛び回るクロウのメッサーシュミットを阻止できるものではない。

 

 たちまち、2機目を撃ち落とす。

 

 防御砲火を逃れながら、一旦離脱。再突入の機会を伺う。

 

 全部を落とすには、どう考えても弾丸が足りない。

 

 それでも、やるしかない。

 

 だが、

 

 3機目に取り掛かろうとした時、クロウは背後から迫る影に気が付いた。

 

「チッ!!」

 

 舌打ちするクロウ。

 

 爆撃機への攻撃に気を取られ、背後から迫る戦闘機の存在に気付かなかったのだ。

 

 速度を上げて、振り切ろうとする。

 

 しかし、加速は相手の方が速い。

 

 徐々に迫ってくる機影。

 

 旋回も間に合わない。

 

「振り切れないかッ!!」

 

 衝撃を覚悟した。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 漆黒の閃光が駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クロウの機体に迫っていたソ連空軍機が、爆炎に飲み込まれるのが見えた。

 

 同時に、

 

《危なかったね。これは、貸し1つって事で良いよな》

 

 レシーバーから聞こえてくる、少しおどけたような若い男の声。

 

 間一髪のところで、クロウを救った友軍のメッサーシュミットが、翼を並べて並走する。

 

 その機首に描かれているのは、黒いチューリップ。

 

 メッサーシュミットのコックピットでパイロットが、笑顔で手を振るのが見えた。

 

 まだ年若い、クロウと同年代の青年の顔を見て、思わず苦笑が漏れた。

 

「お前かよ」

 

 自分を救ってくれた相手に、クロウもまた手を振り返す。

 

「ありがとよ、ハルトマン!!」

 

 エーリヒ・ハルトマン空軍大尉。

 

 撃墜数200機以上を誇る、正真正銘の撃墜王である。

 

 撃墜数100機越えのスーパーエースが綺羅星の如く名を連ねるルフトバッフェの中にあってさえ、ひと際に輝きを放つ存在である。

 

 因みに、クロウも既に昨日までで143機の撃墜数を誇り、今日も4機の撃墜を記録している。

 

 しかし、

 

 クロウは地上に、そして上空へと視線を向ける。

 

 いかに、エース達が獅子奮迅の活躍を示し、10機、20機の敵機を撃墜したところで、敵は100機、200機と繰り出してくる。押し留められる物ではなかった。

 

 舌打ちする。

 

 倒しても倒しても、その屍を乗り越えるようにして敵がやってくる。

 

 まるで死人の群れのようだ。

 

 それに対し、押し留めるドイツ軍の数は、あまりにも少なかった。

 

 その時、

 

《ぼさっとすんなッ 次が来るぞ!!》

 

 鋭い叫びと共に、降下する1羽の猛禽。

 

 両翼に巨大な大砲を搭載したユンカースJu87Gスツーカが、眼下の敵戦車に狙いを定める。

 

 撃ち上げられる対空砲火をものともせず、地表付近まで降下して一撃。

 

 大威力を誇る37ミリ砲は、強靭な装甲を誇るソ連戦車を一撃で貫通、破壊してのける。

 

 更にスツーカは、急旋回を掛けて鮮やかにターン。

 

 逃げようとする戦車を捕捉すると、これを破壊してのけた。

 

《相変わらず、凄まじいね》

 

 苦笑を含んだハルトマンの声に、全くの同意だと苦労も嘆息する。

 

 やがて、まるで一仕事終えたとばかりに、スツーカは2人のメッサーシュミットに並走する。

 

《休んでる暇はないぞ、お前ら。弾が切れたんなら、とっとと戻って補充してこい》

「まったく、人使い荒いんだから、少佐は」

 

 ぼやき交じりのクロウのセリフに、ハンス・ルーデル少佐は、ニヤリと笑う。

 

 2000回以上の出撃回数を誇る爆撃機隊のエースは現在、第2地上攻撃航空団司令官の立場にある。

 

 司令官と言えば、後方で指揮を執っているイメージだが、ルーデルにはそれが当たらない。

 

 彼は副官に指揮全般を任せると、自身はスツーカを駆って前線で暴れまわっている。

 

 今や敵からも味方からも注目の的となっているルーデル。

 

 万が一、彼が戦死しようものなら、味方の士気低下は目も当てられない物となる。その事を懸念した上層部は、どうにかして彼を後方勤務に就かせようと躍起になっているらしいが、ルーデル本人が、それを蹴り続けている。

 

 噂では、ヒトラーも直接、彼に後方勤務に回るように命じたらしいが、ルーデルは総統の要請すら拒否したらしい。

 

 そんな傍若無人な態度が許されるのは全て、現実に彼が戦果を挙げ続けているからに他ならない。

 

 世界最強の男と言う存在がいるとすれば、それはハンス・ルーデル以外にあり得なかった。

 

《イワン共はまだまだ来るッ 休んでいる暇はないぞッ》

《少佐はどうするんです?》

《決まってんだろ》

 

 ハルトマンの質問に、ルーデルはニヤリと笑う。

 

《奴等をぶっとばすッ!!》

 

 言い放つと同時に、ルーデルは眼下の獲物に狙いを定めた。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 鋼鉄の津波。

 

 クロウが感じたイメージは、正にその通りとしか言いようがなかった。

 

 1944年6月22日。

 

 この日はついにやって来た。

 

 地を駆る鋼鉄の獣たち。

 

 天空を埋め尽くす怪鳥の群れ。

 

 圧倒的多数を誇る、殺戮者の集団。

 

 それらが一斉に、西に進路を取って動き出した。

 

 ソ連軍による「バグラチオン作戦」発動。

 

 前年のクルスク会戦により、ウクライナ地方は完全にソ連軍によって奪還されるに至った。

 

 これに伴い旧ソ連領の中で、未だにドイツ軍の支配下にあるのはベラルーシのみとなった。

 

 そのベラルーシには東部方面軍主力の中央軍集団が駐留し、ソ連軍を迎え撃つ体制を整えていた。

 

 ベラルーシは国土を森林地帯によっておおわれ、隘路が多数ある。その為、大軍の通行が難しく、防御に適した土地と言えた。

 

 当然、ドイツ軍は隘路の先に重要拠点を多数構築し、ソ連軍の襲来に備えていた。

 

 その総兵力は90万、戦車500両、航空機800機、火砲9000門

 

 連合軍のノルマンディ上陸を許し、西部戦線にも増援を送らざるを得なくなったドイツ軍は、東部戦線から多数の精鋭部隊を引き抜き、西部戦線の防衛に当てていた。

 

 更に、後方のパルチザン対策にも兵力を割かねばならず、中央軍集団の戦力は大きく弱体化していた。

 

 一方、この作戦にソ連軍は、兵力170万、戦車4000両、航空機5500機、火砲2万4000門と言う、圧倒的な戦力を投入していた。

 

 ソ連軍はこの大兵力でもって、南北1000キロに渡る巨大な戦線を構築、3方向からベラルーシへ進軍を開始した。

 

 対するドイツ軍も、ソ連軍の攻勢が近い事は察知していた。

 

 ドイツ軍、特にヒトラーを中心とした総統府は、ソ連軍の主攻勢は南から来ると読んでおり、各拠点に陣地死守を命じる一方、南部方面に増援部隊を差し向けていた。

 

 だが、

 

 その読みは間違えていた。

 

 ソ連軍は初めから、正面からの平押しを企図していたのだ。

 

 発動されるバグラチオン作戦。

 

 その発令日である6月22日は3年前、ドイツ軍がバルバロッサ作戦を発動させた日でもある。その事実に、ソ連軍の強い執念を感じざるを得なかった。

 

 ソ連軍の進撃速度は凄まじく、瞬く間にドイツ軍の前線拠点は激しい攻撃に晒された。

 

 圧倒的な戦力で攻撃を仕掛けてくるソ連軍を前に、中央軍集団司令官のブッシュ元帥は、これが囮の為の予備攻撃ではなく、主攻撃であると判断。

 

 ただちに総統府に対し状況を報告し、一時後退と、前線の再構築を進言した。

 

 このまま戦力が分散した状態で防戦を行っても勝機は無い。それよりも後方に下がって戦力の集中を図るべきと考えたのだ。

 

 だが、それに対するヒトラーの回答は、ブッシュの即時更迭だった。

 

 ブッシュを中央軍集団司令官から解任すると、ヒトラーは自分の息のかかった人物を後任に当て、改めて陣地固守と後退禁止を命じた。

 

 だが、

 

 ブッシュの考えは正しかった。

 

 ソ連軍の戦略目標は、ベラルーシ奪還と同時に、中央軍集団の壊滅を狙っていたのだ。

 

 だが、まだ希望はある。

 

 ドイツ軍にはアルフレート・マンシュタインがいる。

 

 ドイツ軍最強の守護神にして、今代最高の名将。

 

 彼がいれば、いかにソ連軍の大攻勢と言えど、必ずや撃退してくれるはず。

 

 そう、

 

 マンシュタインさえいれば。

 

 だが、

 

 ソ連軍の攻勢が始まった時、ドイツ軍の陣営に、マンシュタインの姿は無かった。

 

 実は、これに先立つカナメツ・ポドリスキーの戦いに際し、彼は総統の後退禁止命令を無視して配下の部隊を後退させた事でヒトラーの怒りを買い、南方軍集団司令官を解任されていたのだ。

 

 もっともこの戦い、マンシュタインはそもそも陣地死守には反対であり、それよりも包囲された第1装甲軍の救出に全力を注ぐべきと考えたのだ。

 

 どのみち拠点を守っても維持する事は難しい。それよりも、有力な機甲部隊である最1装甲軍を救出し、この戦力を再編すればまだまだ十分に戦えるはずだった。

 

 部隊撤退の為に作戦を展開するマンシュタイン。

 

 対してヒトラーは、彼の下へ補給物資を送らないなど、嫌がらせに近い妨害工作を行ってまで、陣地を死守させようとした。

 

 しかし、マンシュタインは少ない物資と戦力をやりくりし、包囲網を一点突破させると、包囲されていた第1装甲軍を救出する事に成功したのだ。

 

 これは正に2年前、スターリングラードにおいて試みて、結局果たせなかった「冬の嵐作戦」の再現であり、あの時のマンシュタインの考えが、全面的に正しかった事の証左に他ならなかった。

 

 マンシュタインは正に、2年の歳月をかけて、あの時の復讐戦(リベンジ)を果たしたに等しい。

 

 しかし、

 

 このマンシュタインの成功を、ヒトラーは気に入らなかった。

 

 自分の命令を無視した上で、大成功するなどもってのほかだった。

 

 カナメツ・ポドリスキー失陥、及び、第1装甲軍が多大な損害を被った事を理由に、マンシュタインを更迭するヒトラー。

 

 ここに、味方のみならず、敵からすら「ドイツ軍最高の名将」と称えられたマンシュタインは去り、彼が戦場に姿を見せる事は2度となかった。

 

 そして、

 

 自らの守護神を、自らの手で追いやったドイツ軍は、完全に烏合の衆と化した。

 

 ブッシュの後任者は、ヒトラーの命令を忠実に実行した。

 

 各拠点に分散配備した兵に対し、陣地死守を命じ、ソ連軍を迎え撃とうとした。

 

 対して、圧倒的な戦力差で押し出してくるソ連軍。

 

 ソ連軍総司令官ゲオルギー・ジューコフ元帥が中央軍集団殲滅の為に採った戦術は「全縦深突破戦術」。

 

 これは、圧倒的多数の戦力で大きく広げた前線を一気に押し出すと同時に、航空部隊の爆撃により重要拠点の破壊、更に空挺部隊による降下作戦で敵後方を遮断。敵の拠点が孤立したところで、圧倒的兵力で飲み込み、圧し潰すと言う戦術だった。

 

 その攻撃速度、そして敵後方に回り込んで重要拠点を破壊、敵前線を包囲すると言う戦術の性質からしばしば、「ソ連版電撃戦」とも呼ばれている。

 

 ドイツ版電撃戦は、前線を押し出すと同時に一部の精鋭部隊が敵戦線を一点突破し後方に展開、重要拠点を破壊して敵の動揺を誘う事で、敵前線部隊を瓦解させる。

 

 少数戦力でもって、短時間で敵戦線崩壊を狙える反面、敵が予想を超える戦力を用意していた場合、押し返される危険性がある。

 

 一方のソ連版は、圧倒的な兵力で広く展開した前線を一気に押し出し、敵の拠点を飲み込み包囲する。

 

 ただし、そもそもこの戦術を行う場合、相手よりも圧倒的多数の戦力を揃える必要がある。

 

 これは、どちらの戦術が優れている、という話ではない。

 

 言ってしまえば、攻撃速度と敵の心理的瓦解を重視するドイツ版電撃戦と、制圧力と包囲殲滅を重視するソ連版縦深突破戦術の違いだった。

 

 ただ一つ言えば、この全縦深突破戦術は、大兵力を誇るソ連軍の戦略に見事に合致しているという事だった。

 

 この戦術は、実はあの、ボリショイ・テロルの粛清劇によって無実の罪を着せられ処刑されたトハチェフスキー元帥が提唱した物だった。

 

 ドイツのスパイ(と思われていた人物)が提唱した説である為、ソ連軍内では長らくタブーに近い扱いを受けていたが、ジューコフは亡き先輩元帥の戦術思想を採用する事を強く推進した。

 

 濡れ衣で処刑された元帥の提唱した戦術が、死後に評価され、祖国を取り戻すために大きな貢献をする事になろうとは、皮肉な成り行きだろう。

 

 だが、ともあれ、この戦術が有効な事は確かだった。

 

 ドイツ軍の戦略ミスもあり、一気に戦線を押し上げるソ連軍。

 

 ドイツ軍の最前線にある拠点は、押し寄せるソ連の大軍によって瞬く間に飲み込まれ、圧し潰される。

 

 やがて、前線にある全ての拠点が、ソ連軍に奪還されるのに、そう時間はかからなかった。

 

 ここで一息つくかと思いきや、ソ連軍はドイツ軍の後退を見越し、即座に行動を移した。

 

 ソ連軍側の作戦は、初めから2段階で構成されており、一気にベラルーシ全土を席巻した。

 

 敗走するドイツ軍を、容赦なく追撃するソ連軍。

 

 対して、ドイツ軍は成す術もなく蹂躙されていく。

 

 遥か後方で、ヒトラーが現地死守と後退禁止を叫び続けるが、そんな事にかまっている余裕はなかった。

 

 結局、

 

 ソ連軍は僅か1カ月で700キロも前進。ベラルーシを完全に奪還する事に成功した。

 

 その後、辛うじて中央軍集団が態勢を立て直した事で、それ以上の侵攻は食い止める事が出来たが、被害は目を覆いたくなるレベルだった。

 

 この戦いでドイツ軍は、28個師団、40万人の兵力を喪失、31人の将官が死亡、東部方面軍主力の中央軍集団は壊滅した。

 

 東部戦線自体も南北に分断されて崩壊、以後は個々の防衛戦に委ねる以外に無かった。

 

 一方のソ連軍も17万の兵力を失ったが、ソ連軍上層部にとってこの数字は最早、許容の範囲内であり、何よりドイツ軍の東部戦線を崩壊させた事は大きかった。

 

 以後、東部戦線の主導権は完全にソ連軍が掌握。

 

 ドイツは、その命運を決したに等しかった。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

「完敗、だな」

 

 ポーランド内にある空軍基地に降り立ち、待機所の椅子に座り込んでから、クロウは大きく息を吐いた。

 

 ソ連軍の怒涛の進撃を前に、拠点を悉く失った中央軍集団は、ベラルーシからの敗走を余儀なくされた。

 

 その後、旧ポーランド領まで後退した中央軍集団は、本国からの増援部隊と合流。どうにか態勢を立て直し、防衛ラインの再構築に成功した。

 

 ソ連軍もベラルーシ奪還、中央軍集団壊滅と言う戦略目標を達成したからには、これ以上の無理は無用と判断したのだろう。追撃を中止、戦線は膠着状態となった。

 

 とは言え、ドイツ軍からすれば正しく「命拾いした」と言ったところである。

 

 もしソ連軍が損害を顧みず、遮二無二追撃戦を展開していたら、ポーランドまで一気に失陥していてもおかしくはなかった。そうなれば、もはやドイツ本国を守る防波堤は何一つとして存在しなくなる。

 

「お疲れ様」

「ああ、悪い」

 

 ハルトマンが差し出した水を一気に飲み干す。

 

 その体からは、ただただ徒労感のみが漏れ出るようだった。

 

「結局、何もできなかったな」

 

 クロウ達空軍は善戦した。

 

 戦闘機部隊は押し寄せる敵機を片っ端から撃ち落とし、爆撃機隊は何100台もの敵車両を破壊した。

 

 だが、それだけだった。

 

 結局のところ支援部隊にすぎない空軍だけでは、敵を押し留める事は不可能。できる事には、おのずと限界がある。

 

「あまり、根詰めないでよ」

 

 クロウの隣に腰を下ろしながら、ハルトマンが慰めの言葉を駆けてくる。

 

 が、

 

 言っておいて、すぐに苦笑を浮かべる。

 

「と、言っても無理か」

「ああ」

 

 頷きながら、クロウはハルトマンの顔を見る。

 

 ハルトマンはその顔立ちにどこか幼さが残り、未だに10代前半の少年と間違われる事もある。生来、無邪気な性格をしている事もあり、やや童顔ながら絵に描いたような二枚目男だ。

 

 まったく、天に二物は与えず、とは誰が言ったのか。

 

 ドイツ軍最高の撃墜王で二枚目で性格は最高。それでいて、故郷には2歳年下の可愛い婚約者がいると言うから羨ましい限りである。

 

 あえて現代風に言えば「リア充爆発しろ」と言ったところである。

 

 しかし、そんなハルトマンでも徒労感は隠せないらしく、グッタリと座り込んでいた。

 

 と、

 

「おい、アレイザー」

 

 呼ばれて振り返ると、戸口にもう1人の化け物が立っていた。

 

「何すか、少佐?」

 

 現れたルーデルに、クロウはややげんなりした調子で尋ねる。

 

 たった今、この基地に着いたところなのだ。再出撃は勘弁してくれ。

 

「少佐、俺、今来たとこなんですから、出撃ならちょっと休んでから」

「阿呆」

 

 クロウの言葉に呆れながら、ルーデルは自身の背後を指差した。

 

「お前に客だよ」

「客?」

 

 訝りながら視線を向ける。いったい、誰が来たと言うのか?

 

 そこで、クロウは息をのんだ。

 

「お前・・・・・・・・・・・・」

 

 やや銀色掛ったブロンドの髪をツインテールに縛り、白い軍服に身を包んだ少女。

 

 今や、懐かしさすら覚える、その姿。

 

「ツェッペリン」

「久しぶりだな、中尉。いや、今は大尉だったな」

 

 相変わらず堅苦しい口調。

 

 それすら、今のクロウには懐かしく感じられるのだった。

 

 

 

 

 

 積もる話もあるだろう、と言う事でルーデルが気を利かせてくれたのか、兵舎の一室を借りる事が出来た。

 

「東部戦線じゃ活躍しているみたいだな。改めて、昇進おめでとう」

「ありがとう。まあ、俺よりすごい奴なんかいくらでもいるから、あんまり自慢にはならないんだけどな」

 

 そう言って苦笑するクロウ。

 

「そっちも、オークニー諸島沖の話は聞いたぞ」

「ああ。あれは、ひどい戦いだった。レーベンス大佐以下、多くの人達が命を落とした」

 

 ドイツ海軍が大敗を喫した戦いの情報は、東部戦線にいても聞こえてきていた。

 

 幸い、「グラーフ・ツェッペリン」や、兄の乗る「シャルンホルスト」は無事だったようだが、「グナイゼナウ」を初め、多くの艦と共に、艦娘、将兵が失われたという。

 

 元々、イギリスに対して海軍力では大きく水を空けられているドイツだが、あの敗北で、海上における勝敗は決定的になったと言われている。

 

「それで、今日はどうしたんだよ? お前が、こんなところまで来るなんて」

 

 わざわざ艦娘が最前線まで来るからには、よほどの事情があるのだろう。

 

 そう言って、先を促すクロウに、ツェッペリンはカバンから書類を出した。

 

「今度、海軍主導で空母機動部隊が編制される事になった。それに伴い、空軍からパイロット、機体、及び人員を移籍する事になった」

「まあ、話くらいは聞いてるよ」

 

 差し出された書類を受け取りながら、クロウは何の気なしに読み進める。

 

 正直、自分には関係ない話だと思っていた。

 

 機動部隊は2隻の空母「グラーフ・ツェッペリン」と「ペーター・シュトラッサー」を中心に編成、戦艦、巡洋艦、駆逐艦、果てはUボートも含めて、その護衛艦として運用される事になる。

 

 これまで、水上艦中心、あるいは潜水艦中心の戦略を立てていたドイツ海軍からすれば、かなり思い切った編成だった。

 

 ツェッペリンは、そんなクロウを見つめながら言った。

 

「大尉、そこで、あなたに、『私』の戦闘機隊隊長を務めていただきたい」

 

 そこで、クロウはツェッペリンが自分の下へ来た理由を理解した。

 

 要するにスカウトだ。

 

 戦闘機隊を任せるにあたって、ツェッペリンは旧知のクロウにそれを依頼しようと思ったのだ。

 

 だが、

 

「せっかくだが・・・・・・」

 

 殊更、低い声でクロウは告げる。

 

「この話、断らせてもらうよ」

 

 今、東部戦線が苦しい状況にあって、自分がここを離れるわけにはいかない。

 

 ツェッペリンには悪いが、他を当たってもらうしかない。

 

 そう言おうとしたクロウだが、それを制するようにツェッペリンが口を開いた。

 

「新編成される、第1航空戦隊の人事欄。それを見ても、あなたは断れるのか?」

「人事欄?」

 

 少し苛立ちを見せながら、もう一度資料を開く。

 

 いったい、これが何だって言うのか?

 

 だが、

 

「えっ!?」

 

 思わず、声を上げた。

 

『第1航空戦隊司令官:エアル・アレイザー少将』

 

「あ、兄貴がッ!?」

 

 離れていても、尊敬する兄の名を見間違えるはずがなかった。

 

 兄の下で戦える。

 

 兄と一緒に、また戦える。

 

 その想いが、感情となってクロウの中を駆け抜ける。

 

 以前、海軍に出向した時も、兄と共に戦ってはいるが、あの時とは違い、今度は完全にエアルの指揮下となるのだ。

 

 クロウにとって、これ程魅力のある職場はない。

 

「けど・・・・・・・・・・・・」

 

 どうしても、躊躇いが残るのは、この東部戦線の事だ。

 

 今この苦しい状況の中で、苦楽を共にした仲間たちを置いて、自分だけが理想の職場に行く。

 

 その罪悪感が、どうしてもあと一歩の決断を躊躇わせた。

 

 その時だった。

 

「行って来いよ」

 

 突然の声に、クロウとツェッペリンが振り返ると、そこには2人の仲間が笑みを浮かべて立っていた。

 

「少佐・・・・・・ハルトマン・・・・・・」

「行きたいんだろ。だったら行けよ」

「そうそう。こっちは俺達で何とかするからさ」

 

 笑顔の仲間たち。

 

 クロウは迷うように、ツェッペリンを見る。

 

 少女は変わらず、冷静な瞳で見上げて来る。

 

 だが、どこかすがるような光が混じっているのを、クロウは見逃さなかった。

 

 消耗激しいドイツ空軍の中にあって、それでも海軍へ移籍しても構わないと考えている者は、それほど多くはない。

 

 もし、クロウに断られたら、戦闘機隊隊長の当ては、彼女には無い。完全にゼロから選定し直さなければならなくなる。

 

 そうなれば、海軍航空隊の編成は大幅に遅れる事になる。

 

 だからこそ、ツェッペリンは縋る思いで、この最前線にやって来たのだ。

 

 友からの誘い。

 

 尊敬する兄と共に戦えると言う高揚感。

 

 仲間たちの後押し。

 

 後は、クロウの決断あるのみ。

 

 ややあって、クロウは顔を上げた。

 

「判った」

「大尉?」

 

 怪訝な面持ちのツェッペリンに、笑いかける。

 

「戦闘機隊隊長の件、引き受けてやるよ」

「ありがとう」

 

 クロウの手を取るツェッペリン。

 

 その顔には、安堵の微笑みが浮かべられている。

 

 そんな2人の様子を、ハルトマンとルーデルは、温かい眼差しで見詰めるのだった。

 

 

 

 

 

第78話「海鷲の鼓動」      終わり

 



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