TS転生シスターは厨二病患者を治せるか (不癒景義)
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1

 ステンドグラスから自然光が降り注ぐ教会。目を閉じ、膝をついて祈りを捧げる。

 

 形だけで全く信仰心というものは含まれていないが、堂に入っているのではないのだろうか。俺美人だしさ。自分で言ってるってどんだけのナルシストなんだって?まあ前世との比較だから許してくれ。

 

 すらっとしたスタイルで、胸はそこそこある感じ。そこに白い肌に銀の髪。ほら悪くないだろう?

 

 粛々と口にするのは、神より授かりし書に記された言葉の数々。なぜならこれが俺の仕事だからだ。生まれてから早十六年、大半の時間を注いだ祈る仕事も慣れたものだ。

 

 ところで、祈りながら口にする言葉を聖句(グラフェー)って言うの、ちょい厨二感があってつい無駄に使いたくなるよな。まあこの世界に厨二病なんてものは存在しないから、共感してくれる人なんてどこにもいないんだけどよ。

 

 

 長ったらしい聖句(グラフェー)の最中は、そんな無駄なことを考えて暇をつぶしている。こんなんでも、周りには真面目に仕事をしているように見えているらしいから、よくわかんねぇ。俺の祈りは神への尊敬で満ちていると言う評判だ。評判だけはな。

 

 祈りが終わると神の祝福が降り注ぐ。穏やかな光が俺の足元から立ち昇り、祈りの対象であった患者へ向かう。

 

 患者は肩に大きな火傷の痕があった。光に包まれた途端正常な皮膚が作られる。最初から火傷が無かったかのような状態になり、光は霧散した。ファンタジーの回復魔法そのものだ。

 

 

 目に見える形の神の力。人類が紡いだ医学の恩恵を受け生きた前世があるからこそ、紛うことなき御業だと、心から信じることができる。信仰心というものがよく分からない俺だが、神の素晴らしさは身に染みるように感じる。なんせ外傷のみならず虫歯や感染症、予防すらこなすなんでもござれなお祈りだ。

 

 普通、信仰心がなければ聖句(グラフェー)の効果は現れない。患者でさえ信仰心の深さによって、回復の効き目が左右されるんだ。唱える側は殊更に深い信仰心が求められる。

 

 なのに俺が使えているのは、こうして前世と比較した上で神の祝福の素晴らしさを信じているからだろう。神サイコー。異世界転生したけど医療は前世よりイージーモードだったとさ。

 

 こうして──しゃくにさわるが()()シスターとして勤めているのは、孤児として修道院で育ったからだ。親については何も知らないが、前世の意識がここまで色濃く残っていることを鑑みると、むしろよかったのかもしれない。両親に祝福されて生まれたかわいい赤ん坊が、男として生きた前世を持っている野郎だったってんなら悪夢でしかないだろう。

 

 

「シスター殿、ありがとうございます」

 

「お大事になさってください。また何かあれば遠慮なく教会へ」

 

 

 患者たちは基本的に、シスターに対して尊敬を持って接してくれる。神に殉ずる者に不義理を働いたならば、神の祝福は得られないからだ。だから仕事は苦ではない。敵はむしろ味方にいるもんなんだよなぁ。患者を押し付けてくる先輩とか、お布施が少ないとネチネチ言って備品を減らす地区長とかさ。

 

 でも同僚のシスターたちと仕事をするのは楽しいし、ガチファンタジー世界だから、平然と存在する魔獣とか世界の厳しさを知ると、シスターは最高!神を信仰するぜぇー!ってな気持ちになる。

 

 

「ジュリア先輩ぃ〜!」

 

「おう、どうしたんだ?」

 

 

 次の患者へ向かおうとした時、後輩の女の子が涙目で俺に駆け寄ってきた。かわいい。

 

 

「私、その、うまくお祈りできるか分からないです……!あの患者さん……ちょっと、怖いです」

 

 

 あの患者さん、と言われても誰かは分からないが、とりあえず辺りを見る。と、周囲の騒つきに気づいた。軽症ではない患者への祈りは、病院のように仕切られた部屋で行われている。なのにここまで騒がれてしまっているのだから、きっと迷惑な患者でもいるに違いない。それが後輩ちゃんの患者なんだろう。

 

 

「あー分かった。俺が担当するわ」

 

「良いんですか!?」

 

「ん、パパッと済ませてくるよ。何号室?」

 

「6号室です!よろしくお願いしますっ」

 

 

 たまーに居るんだよなぁ。悪意はなくとも、シスターを口説いて困らせたりするような奴。俺は前世男って記憶があるからあしらえるんだけど、若いシスターちゃんはそう簡単に流せなかったりする。

 

 

 俺は6号室の仕切りを手で避けて中に入る。するとそこには──

 

 

 右腕には包帯、左目には眼帯。右腕の周囲には魔法陣のような模様。

 

 

「うわきっっっっつ」

 

 

 絵に描いたような厨二病に思わず声が出てしまった。咳をして誤魔化しとこ。

 

 

(厨二病って異世界にもあるんだ……)

 

 

 まずそこに思考が行くわ。うわ腕に封印みたいにしてシルバー巻いてる。満点やないかい。

 

 

「フッ……我が呪われし右腕に怖気づいたか?無理もない。悪魔すらたじろぐ代物だからな」

 

「誰だってたじろぐわ……いや、たじろぐっつーか引くんだけどよ……まずその呪われし左腕?」

 

「右腕だ。そして正確には呪われし右腕(Verfluchter rechter Arm)という」

 

「右腕。右腕ね」

 

「呪われし右腕だ」

 

「呪われし右腕。完璧に覚えたわ。えー、その呪われし右腕よりも先に治療しなきゃいけない箇所があります」

 

「……この俺へ何の治療ができると言うんだ。皆俺を見て逃げ出してしまった」

 

「もしかしてししゅん──14才ぐらいに発症する病を患っていらっしゃる?」

 

 

 患者には丁寧な口調を心がけているが、砕けた言葉がつい口から飛び出てしまう。シスターモードで優しく接したら厨二の痛さに飲まれそうだわ。

 

 

「確かに俺が組織を抜けたのは14の頃だったか。貴様なぜそれを……?さては貴様も組織のものか!」

 

「えっとずっと発病してるのかな?ほとんどは年齢と共に落ち着いていくんだけど、君みたいに引きずる人もいるんだよね」

 

「俺が組織でやったことを引きずってると……?ハッ、貴様に何が分かる!」

 

「あ痛たたたた……うーん、んじゃまあ、とりあえず神の祝福でその目と右腕」

 

「呪われし右腕だ」

 

「の傷を治しましょーか」

 

「治るまいよ、あらゆる治癒者がそのおぞましさに逃げ出した代物だ」

 

 

 厨二患者を無視して聖句(グラフェー)を告げる。すると御業の光が降り注ぐ。しかし輝きはいつもよりずっと弱く、霧散した光が頼りない。

 

 

「嘘だろ、聖句(グラフェー)の効き目が薄いとか」

 

 

 俺は異常な事態に動揺し、患者の前でつい呟いてしまった。

 

 

「患者の信仰心が極度に薄い……のか?」

 

 

 そうだ。俺は致命的な見落としをしていた。そしてこれであらゆる疑問に合点が行く。

 

 まず後輩ちゃんが異様に彼を忌避していたこと。

 包帯を巻いた人間は珍しい。なぜならばこの世界では、基本的な病や病気は一瞬で治る。包帯そのものが滅多に使われない。更に眼帯なんて絶滅危惧種だろう。信仰の厚い後輩ちゃんのような人間なら一生縁がないはずだ。

 

 信仰心が見られないのは悪魔信仰に類するものという可能性もある。まあさっき聖句(グラフェー)が回復として効いた時点でその線はないのだが、外見だけなら十分に説得力を持っている。

 

 厨二病という圧倒的なインパクトを前に、前世の感覚に引っ張られて違和感を持てないでいた。

 

 こいつ外見だけで超危険人物だ!神への信仰が薄く、悪魔信仰に足を踏み入れたかもしれない人物。包帯も眼帯もちょっとカッコつけでつけてる、なんて前世の厨二とは訳が違う。ガチガチのやべー奴だ。渋谷を世紀末コスプレしてバイクを走らせるレベルでやべー。

 

 

「嘘だろ、この世界なら厨二病でも激ヤバじゃん……!」

 

 

 推測に過ぎないが、厨二病のような行動を取る彼は、神への信仰心に揺らぎが生じている。厨二病特有の逆張り的思想が、とんでもない方向に暴走している。ありえないレベルで不信心者ってわけだ。

 ただのネタでしかないような厨二病の奴が異世界だとガチ病気とかマジかよ。

 

「僅かでも聖句(グラフェー)が効くのなら何重にも唱えて……いやでもそれでは患者の肉体への負担が大きいな……うーん、ちょっと先輩とかに相談してみるべきかな」

 

 と、たまたま近くにいた先輩をひっ捕らえて相談してみる。

 

 

「貴方ったら天才だわ!」

 

「へ?」

 

「確かに14くらいの子に効きが薄いのをどうしてだろうって思ったことあるわ!それをちゅーにびょーって定義するなんて!」

 

 

 あれよあれよと連れ去られ、上の人にも説明するように求められる。この教会の代表の前で厨二病を説明するのは少々恥ずかしい。ほら、親にネットスラング説明するみたいな羞恥心があるわ。

 

 

「そうね、貴方は天才だわ。成長の過程において揺らぐ信仰を病気と定義するという発想自体が型破り。普通に患者と接しているだけではできない発想よ。できるならそのちゅーにびょーの治療の研究を進めたいわね。……患者の治療を行うならば貴方は何が最適解だと思う?」

 

 

俺からしてみれば阿呆らしい会話だが、代表の顔は至って真剣だった。

 

 

「それを今まさに相談しようと思ったんです。厨二病を病気と定義するなら……心因性なので、聖句(グラフェー)での治療を主体にするのは難しいと思います。そもそも前例がないので、膨大な聖句(グラフェー)の中から症状に当てはまる聖句(グラフェー)を見つけるのは不可能に近いでしょう」

 

「では精神的な治療……ありがちではあるけれど告解や定期的なミサかしら?」

 

 

 この世界では肉体の治療は容易だが精神は違う。だからこそ教会は告解やミサ、集会を通じて精神的な治療を行う。精神の病気を悪魔が取り憑いていると考えている点は俺からしてみれば前時代的だが、行われている治療は馬鹿にできるものではない。

 

 

 てか、その気になればPTSDの患者にその元凶となる記憶ごとリセットする秘術だってある。その記憶を悪魔が巣食う記憶として捉え、悪魔ごと取り除いた。だから記憶がないんだ。ってな理屈でな。こえぇよ。

 

 

「それもあり得るでしょうが、厨二病の場合は反発が高まる可能性は否定できませんね。そもそも重症でもない限り積極的な治療は必要ないのかもしれません。年齢と共に治るのがほとんどでしょう」

 

 

 流石に神への信仰が薄いから記憶喪失にしましょうなんて事態にはなって欲しくない俺はやんわりと話を逸らした。

 

 

「重症患者への対応を問われる。このこと自体がとても特殊な事例ということでしょうね」

 

「僅かでも聖句(グラフェー)が効いたので、怪我の治療は不可能ではないかと思います。しかしそれでは肝心の厨二病を治さない限り怪我がすぐには治らないということですが……」

 

「肉体への長期的な治療。なるほど難題ね。我々は聖句(グラフェー)で即座に治してしまえるからこそ長期の病は極々少数……」

 

「精神的な治療と肉体的な治療の両方が長期的に求められる、ということになります。なのでより高度な詠唱が可能な教会に──」

 

「きっと神の試練ね!」

 

「へっ?試練……?」

 

「そう!貴方は口調も考えも少し他人とは違っているけど……だからこその発想!これは貴方にしかできないことだと確信したわ!なんとしてもこの難病を研究し、論文を出すのよ!神がこの病を治せとおっしゃっているわ!」

 

「で、でも急に研究対象にされても患者が受け入れるかどうか」

 

「そこは交渉次第よね。大丈夫心配しないで!金に糸目はつけないわ!研究費だってどんと出すわよ!」

 

「うわ、金は嬉しいけど事態がやばい方向に向かってる気がする」

 

「やるのよジュリア!貴方ならできる!いえ、貴方にしかできないことなのだから!」

 

 

 周りの同僚も盛り上がって拍手喝采。俺を除いて、この教会の意志が一つにまとまった瞬間である。

 

 うそぉ。

 

 

 

 

 

「離席して申し訳ないな。改めて。俺はジュリアっていう。どうやら俺が正式に君の担当医になる。粗暴な言動は癖みたいなもんなので流してくれると嬉しい」

 

「……俺はルスラン。ただのルスランだ」

 

 

 さっき化けの皮を剥がしてしまったので開き直って接する。もしこのまま事態が進むなら患者のルスランとは長い付き合いになる。猫を被っても俺が疲れるだけだろう。

 

 

「貴様、組織のものではないのか?てっきり出て行ったのは援軍を呼ぶためだと思って構えていたのだが」

 

「あー、えー、その組織?のものは教会にいたりするのか?」

 

「たしかに組織は悪魔の集い。このような場所は奴らにとっては大の苦手だろうな」

 

「ってことで、とりあえず俺は組織?とは関係ないってことです。はい。俺は純粋にシスターとしてルスランさんの病気を治療するためにここにいます」

 

「だが先程見ただろう?治癒の聖句(グラフェー)は無駄だ」

 

「そうだな。しかしまあ問題は怪我……呪われし右腕とかじゃないんだ」

 

 

 咳払いをして患者に向き合う。一転して真剣な態度を取る俺に患者のルスランもこちらを真剣な顔で見つめ返す。

 

 

「ルスランさん、貴方は厨二病です」

 

 

 





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2

 俺はルスランに病気のせいで神の祝福が受けられないこと。そしてその治療は聖句ですぐにとはいかないことを説明した。

 

 ルスランは、自分が厨二病という奇特な病気であるということよりも、治療という手段を取ることが可能である──そのこと自体に驚いてる、と感じた。

 

 にしても説明していて違和感が拭えねぇ。厨二病をこんなに真剣に解説しなきゃいけなくなるなんて。

 

 

「それでそのちゅーにびょーとやらのために俺は長期に渡って治療が必要だと? そもそも厨二病とはなんだ。聞いたこともないぞ」

 

「あーっと、厨二病ってのはな、こう、さっき言ったように14ぐらいから始まる。それは覚えがあるだろ?」

 

「組織を抜けた年齢だな。そのこととなんの関係があるんだ」

 

「それもルスランさんは邪気眼系でね」

 

「……! この呪われし魔眼の真名を知っているのか!」

 

 

 話進まねぇ。

 

 

「ズバリ言わせてもらおう。その目、ただ眼帯で覆ってるだけで怪我も邪気眼もなんも無いだろ?」

 

 

 瞬間、空気が凍った。

 

 

 だがルスランの顔が徐々に赤くなっていき、最後にはゆでだこのような真っ赤な顔をした。

 

 俺が言い切ったのには理由がある。先程聖句を告げた際、右腕──いや、呪われし右腕に神光が注がれたが、目にはなにも反応がなかった。神光が注がれないということは正常と判断されたというわけだ。

 

 俺が使用した聖句は大雑把に言うと「神にこの者の悪しき諸々を緩和させたまえ」というような簡素なもの。とりあえず唱えておけばオッケーという万能薬みたいな聖句だった。

 

 

 この世界においてほぼ見られない眼帯の奥。たとえこの聖句では力が及ばず治らない怪我であろうが、注がれる神光には関係ない。ならばそもそも聖句の悪しき諸々には入らないのだ。邪気眼ってんなら、もっと神光がバキバキに効かなきゃおかしい。嘘を見抜かれたルスランは、真っ赤な顔から目を泳がせて口をパクパクとしだした。ちょっと哀れに思えてならない。嘘。楽しい。

 

 

「えっと、治るから。ちょっと長引いてるだけだから。そういうこと言っちゃう厨二病も、その右腕の怪我もさ」

 

「呪われし右腕……です……」

 

「呪われし右腕もちゃんと治るからさ」

 

 

 手を取って説得する。ルスランも可哀想だ。俺の前世なら痛い奴で済んだのに、この世界じゃ怪我が治らない呪いに近しいほどの咎を背負う。

 

 

「よ、よろしく……頼みます……」

 

 

 ルスランは驚くほどか細く弱々しい声で言った。

 

 

 げんきだして。

 

 

 

 

 

「それで長期の治療になるんだけれども、ここまで影響を残す厨二病はあんまり前例がないんだ。つまり、こちらとしてはルスランさんを研究対象としていきたいって思惑がある」

 

「もうどうにでもなれ。好きにしてくれ」

 

「もー自棄にならないでくれ。ルスランさんだって怪我治るようになりたいだろ? ……今だってきっと痛んでるだろ、その右腕」

 

 

 ルスランは観念したように深いため息を吐いて、頷いた。呪われし右腕なんて言っていたが、そんな茶化せるような痛みではなさそうなことがその表情からうかがえる。

 

 

「長期の治療……と言ったな。問題があるんだ。俺は組織との戦いの都合上一箇所に止まれない。今日中には旅立たなくてはいけない」

 

 

 組織……は置いておくとして。ここを離れなくてはならないのは嘘でもなさそうな態度だった。

 

 

「ふっふっふ、話は聞いたわよ」

 

 

 凄い勢いでカーテンが開かれて、なんと先程患者のことを相談した、この教会の代表がイキイキとした表情で飛び出してきた。

 

 

「かっ、患者の事情ってもんがあるでしょ!? なに来てんですか!」

 

「交渉が長引くと思って助太刀しようと来た所だったのよ!」

 

「なんでそんな気合入ってんですかぁ!」

 

 

 上司はずっしりとした袋を、ドンと勢いよく置いた。そしてその衝撃で、袋から数枚の金貨が溢れ落ちる。

 

 

「金よ。金さえあればなんとかなるわ」

 

「神の僕の言うことじゃないでしょそれ」

 

 

 金貨には教会の崇める聖人たちが描かれている。正真正銘教会の膝下で流通するタイプの金貨だ。

 

 

「ジュリアちゃん……行け」

 

「ふぇっ!?」

 

「これだけあれば古今東西どこへ行っても機材ごと揃えられるわ。……あとは分かるわね?」

 

「巡礼以外で教会からろくに離れたことのない俺に今から旅に付き合えと……?」

 

「人生何事も経験よ」

 

「そんなんで言いくるめられるわけねぇだろ」

 

「私のへそくりよ。大事に使ってね♡」

 

「それって横領の言い間違いでは?」

 

 

 ぎゃーぎゃーと低レベルな言い争いを披露していると、ルスランがボソッと一言。

 

「こんなことになってすまなかったな。俺にそこまでする価値はない……すぐに去ろう」

 

 

 うっ。

 

 

 その言い分はやめてくれ俺に効く。

 

 ルスランは、俺みたいなちょっと性格がよろしくない人間が、同情するレベルで可哀想な人間な訳で。そんな患者や上司の前では、俺の主張なんてしょうもないわがままみたいなわけで。

 

 

「行きますよ旅! 行きますから!」

 

「ほ、ホントか?」

 

「すぐにでも厨二病治してやっからな!」

 

 

 決意とともに宣言する。するとルスランからはキラキラとした目をされ、上司からはバカ息子の成長を見届けた親のような顔をされた。

 

 なんなんだよこのカオスはよ。

 

 俺は追い出されるように(実際にはめちゃくちゃ応援されているけど、俺の心持ち的に)して教会を出た。

 

 多くもない荷物をトランクに詰め込んで、患者と二人の奇妙な旅が始まってしまった。

 

 

 

 

 

「で、どこに行くんだ?」

 

 

紺色の外套にトランク、腰には革のポシェットという極めて簡素な装備で街を出た。患者のルスランはフード付きの黒い外套で、表情すら窺えない。やっぱり厨二病臭いな。

 

 

「辺境の小さな町に用がある。なるべく組織に悟られないように移動したい。だから急いでいる」

 

「つまり?」

 

「めっちゃ走る」

 

「嘘ぉ」

 

「足が心配か?」

 

「金ならあるし馬車乗ろうぜ」

 

「う……まあ大丈夫か。分かった。そうしよう」

 

 

 幸いにして街道があるうちは乗合馬車が出ている。

 

 ルスランは見るからに怪しまれていたが、俺が身元が確かな教会の人間だと分かると快く乗せてくれた。ちょっと言い淀んでたのはこれか? 

 

 ってことはもしかして旅はずっと馬車に乗らずに? いや、そんなわけないか。そんな苦行をするわけないよな。

 

 

「なあ、なんで辺境の村になんて行くんだ?」

 

 

 ガタガタとうるさい乗合馬車の中でルスランに聞く。

 

 

「それを言うことはできない。君を組織のいざこざに巻き込むわけにはいかないからな」

 

「さいですか。ってか右腕出して。それが俺の仕事だからな」

 

 

 俺は聖句で右腕を治すよう神に祈った。しかし神光は相変わらず頼りなく、治っているような気配がない。

 

 先程の聖句よりもずっと強いもののはずだったが効き目は薄そうだ。思ったより重症だな。

 

 

「外でも聖句の使用許可は出てるし旅の足手纏いにはならない……と思う。少しなら聖句が効くのは分かってるし、ガンガン使ってくから少しの怪我でも言ってくれ」

 

 

 俺は強く言ったつもりだったが、ルスランは遠慮したように小さく頷くだけだった。

 

 

 数時間乗っただけで俺たちは馬車を降りた。

 乗合馬車は街に寄っていくが、先を急ぐので少しの時間も惜しい。ということで目的地を遮る森を突っ切っていくことにした。

 

 

 森は危険だ。地球ですら熊とか猪とかいるって言うのに、異世界はもっと危険な生物で満ちている。魔物なんて標準装備。この地域はドラゴンとか住んでいないだけマシというものだ。けして楽ではない。

 

 とはいえRPGよろしく魔物を近づきにくくする効果を発揮する聖句や聖水はあるので使っていく。まあ強い個体には効かないし結局のところ気休めにしかならないんだが。

 

 

 ルスランは俺が聖句をちまちま唱えて魔物を遠ざけているのを興味深そうに覗きながら進んでいる。

 

 使い慣れた装備。よく手入れされて森を鏡面のように反射する剣。夜に備えて燃えそうな木の枝を拾いつつ、藪を剣で叩き斬って進む。ルスランは相当に旅慣れているようだ。

 

 なのに守りの聖句に対して物珍しげな目を向けるなんてあまりにもチグハグ過ぎる。こいつはどんな生活を送ってきたんだか。

 

 少し日も傾いてきた時間になると、ルスランが足を止めた。

 

 

「今日はここで天幕を張るか」

 

「なんでだ? まだ早い時間だろ」

 

「こんな悪路を行く旅は初めてだろう? 無理をさせた自覚はある。早めに休んだほうがいい」

 

 

 そう言ってルスランは俺の足を見る。

 

 

「特に足を、な」

 

「バレてたか」

 

 足には鈍痛が走っている。そりゃ俺みたいなインドア派が歩き通しだとそうなるわ。でも弱音を吐いて足手纏いになるようでは、治癒者の名折れ。聖句で治しては痛んでの繰り返しで進んでいた。

 

「バレないようにやっていたつもりだったんだけどな。聖句を知っていたのか?」

 

「いや、歩き方で」

 

「すげぇな」

 

 

 軽口を叩きながら野営の準備をする。俺は案の定下手くそだし時間がかかるが、ルスランはテキパキと準備を進めてしまう。俺が女なら惚れてたわ。いや女なんだけど。えーっと何言ってんのか分かんなくなってきた。これ相当疲れがきてんな俺。

 

 ルスランは干し肉を出汁にして鍋を作っていた。そこには俺も食した覚えのある山菜が入っていて、ほんのりと温かな湯気からは優しい香りがする。俺が女なら惚れてたわ。チョロインですわ俺。

 

 

「おー美味そう」

 

「だろう? 旅で疲れた時はこんな簡単な料理でもご馳走だ」

 

 

 煮込まれてほろほろになった干し肉を食べると、ジャーキーとチャーシューを割ったような味がする。美味い。

 

 

 ってか俺めちゃくちゃおんぶに抱っこされてね? 

 

 

 う、うわー辛い。俺他人に迷惑かけるの苦手なタイプなんだよな。考えるのやめよう。とっとと治療して帰ればいい話だ。

 

 俺が頭を抱えていると、ルスランが俺に謝ってきた。

 

 

「……すまなかった。俺のせいで旅になんぞ同行させてしまって」

 

「こっちが謝りたいよ。病気は治せないし、旅は足手纏いだし」

 

「数多くのシスターが俺を見ては蔑むか逃げてきた。ここまで手をかけてくれるのは君ぐらいだ」

 

 

 本心だと伝わるような誠実な声だった。顔を上げてルスランを見ると、焦点のあっていないような目で鍋を見つめていた。俺にはそれが過去を回想しているように見える。

 

 

「な、眼帯取ったら?」

 

 

 なんだか湿っぽい雰囲気になりかけたので、切り替えようとして俺は行儀悪く、スプーンを眼帯に向けながら言った。更に足はガニ股気味。たぶん同僚上司からは怒られる感じだが、居ないので関係なし。

 

 

「そういや君は俺の腕や目を忌避することはなかったな」

 

「まあシスターやってりゃ包帯は見慣れるだろ。眼帯はちょっと珍しいかもしれんけど」

 

 

 言われて眼帯を取ったルスランは、ゆっくりと左目を開く。赤く爛々とした瞳が露わになった。彼の右目は青色で──つまりはオッドアイということ。

 

 

「や、役満……! 天然物の厨二……!」

 

「あまり見ないで欲しい。人の目を引くのが気になって眼帯をつけ出したということもあるんだ」

 

「でも本当のところの理由は?」

 

「か、かっこいいかなって」

 

「おー素直。いい傾向だ」

 

 

 俺が褒めると恥ずかしげに頬を掻いた。

 

 

「眼帯のほうが目立ってたよ。間違いなく」

 

「そうか? 眼帯をしてからは人と目が合う回数が激減したんだが」

 

「悪目立ちっつー方向で目立っちゃってんだよなぁ。目に入ってないんじゃなく目を逸らされてんの」

 

「そう、だったの、か……」

 

「落ち込まない落ち込まない。全部厨二病ってやつのせいなんだ」

 

 

 俺が慰めていると、ルスランは小さな声でありがとうと呟いた。うっ、俺が女なら母性をくすぐられてたわ。危ねぇ危ねぇ。

 

 

 

 雑談をしながら鍋を食べていると日も落ちる。

 

 

 

 俺はトランクを机に蝋燭に火をつけて、患者の情報を記入する。要は簡易のカルテだ。患者のルスランは寝る前に剣を振って鍛錬をしている。急ぐ旅の最中とは思えぬゆったりとした時間の流れだった。

 

 

 しかしそんなのは秒で崩れ去った。

 

 

 ルスランが何かを察知し、蝋燭の火を剣の風圧で消す。俺が驚いて抗議の声を上げようとすると口を手で抑えられた。静かに。ルスランが俺の口を指に当てて示す。

 

 

「地面に伏して目を強く閉じていろ」

 

 

 有無を言わさぬ強い言葉に俺は頷いて言う通りにする。すると瞼の裏からでもわかるほど強い光が起きる。同時に誰のものとも知れぬ唸り声。野盗か何かのものだろうか。とにかくルスランが手慣れていることに驚くばかり。旅の経験があることはなんとなく分かっていたが、あまりにも襲撃への対応がスムーズだ。

 

 

「ッ……覚悟しろ、裏切り者!」

 

「やれるもんならやってみろ!俺のダークスラッシャーの錆にしてやる!」

 

 

 冷たく響く剣戟の音の下で地面に伏している俺。

 

 

「お前たちもしつこいな」

 

「組織は未だにお前を許していないということだ」

 

「ハッ、弱い犬ほどよく吠える。帰ってご主人様に言うんだな。負けてむざむざと帰ってきました、と」

 

 

 

 もしかして。組織、実在してる。うそぉ。

 

 てか、今更だけどさ。外には危険な魔物が跋扈している。だからこそ一般人は神の恩恵に預かって生きている。けれどルスランは聖句が効かない。なのに旅慣れている。

 

 ガチ強者なのでは? 

 

 まてまて。

 どっからが厨二病でどっからがガチ? 

 

 



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3

 戦闘は熾烈さを増していった。暗闇からは度々火花が散る。一人、また一人と刺客がルスランに襲いかかる。しかしルスランはそれを捌ききり、包囲網を難なく破っていく。何も見えないが、敵の倒れる音からそれが分かる。

 

 しかし俺は地面に這いつくばりながら、呑気にも全く関係のないことを考えていた。

 

 どこからどこまでが厨二病でどこからどこまでが真実なのか。俺はこの可能性を考えてなかった。頭から厨二病ということで決めてかかり、ルスランの言うことを流していた。

 

 そして組織という話が真実ならば──俺は結構、とんでもないことに首を突っ込みかけているんじゃないのか? 

 

 

「っ!? 女!?」

 

「ジュリア! 危ない!」

 

 

 戦闘の最中に考えごとをしていたツケがまわってきた。ルスランが何人もの相手に手間取ってる間に敵が俺に気づいた。俺は刺客の姿すら見えない。ただ人型の黒い影が俺を見据えている。

 

 

「か、神よ! 天にまします我らの祖よ! 願わくば我を護りたまえ!」

 

 

 生まれてはじめての戦闘を前に、咄嗟に出たのはなんと稚拙な護りの詠唱。これではすぐに破られてしまうだろう。

 

 そして想像通り、刺客の投げたであろうナイフが難なく俺の結界を破壊した。幸いにも破ったことで勢いが無くなり地面に落ちたが、次はそうはいかない。絶体絶命だ。

 

 ルスランの話がどこからが本当か分からないが、大きな賭けに出るしかない。俺は腹を括って口を開く。

 

 

「御名において悪魔を退けたまえ!」

 

 

 簡単な詠唱は悪魔に向けたもの。ルスランが組織は悪魔の集いと言ったからだ。もし相手がただの人間だったらアウト。俺は即死だ。

 

 

「なっ!」

 

「マジかよ効いてる……!」

 

 

 敵が足を止めた隙にさらに聖句を連ねる。詠唱は日常的に使う言語でも難なく発動するが聖句はそうはいかない。聖句の言語は今の世では文字を読むことが不可能で、発音と大意しか残っていない。しかも少しでも発音が違うと発動しない。だから平静でないと使うことは難しい。

 

 だがこの状況だ。足止めの詠唱を発動した隙に他の刺客に襲われる。ならば倒すのみ。

 

 集中力を高めるためにいつもやっている体勢になる。膝立ちで手を祈りの形にし、目を閉じて聖句を紡ぐ。

 

 天の遣いよ、神の代理よ。悪魔を退けたまえ。主の敵を討ち滅ぼしたまえ。堕落、偽、毒。祖を冒涜する者を滅せよ。

 

 光が辺りを照らし、天使の羽が舞い落ちる。俺は賭けに勝ったことを確信した。

 

 人間に天使の姿なぞみえるはずもないが、悪魔は違うらしい。目の前の刺客は、神光とは別の何かを見て怯えた声を出した。そして神光が舞い降りると共に周りの刺客も散り散りになっていった。

 

 戦いを司る天使を降臨させたのは初めてだったので、圧倒的な光景に息を呑む。

 

 そして証明されてしまった。

 

 厨二病の言動って思ってたけどガチやん。どうしよ。

 

 

「バッ、バカか君は! 本来なら後衛でやるような聖句をこんな場所で! 俺なら間に合ったのに!」

 

 

 大股で近寄ってからポカン、と優しく殴られた。ルスランは息を上げながら本気で怒っている。たしかに俺のしたことは悪手だっただろう。弁明をするならば俺は、こと戦闘に関しては全くの素人で適切な状況判断をする能力を持っていなかった。

 

 しかしそれよりも前に謝らねばならないことがある。

 

 

「本当に──本当にすまなかった」

 

 

 俺は粛々と土下座をした。この世界に土下座の文化があるかは知らないが、少なくともこの地域にはない。しかし精一杯の誠意を伝えようとしたとき、オレの頭にはこれしか浮かばなかった。

 

 

「俺は組織が存在しないと思っていた。ルスランさんの虚言だと勘違いをしていた。そして覚悟を持たず旅に同行し、さっきのような事態を招いた」

 

「いや、俺が信用ならない人物だとは自覚している。そんなことより怪我はないか?」

 

 

 俺の一世一代の土下座はやんわりスルーされた。

 

 

「即死でもしない限りは自分で治せる。大丈夫だ。それよりルスランさんは?」

 

「俺は……大した怪我はない」

 

「それって怪我があるって言ってるようなもんだ。ほら、見せてくれ」

 

 

 外見で分かるのは頬にある切り傷だけ。怪我を見るために外套を脱がしにかかる。

 

 

「なっ何をする!」

 

「怪我を見せてくれないのが悪い」

 

「普通こういうのは男から女にするものでは……いや俺はしないが! しないがだな!」

 

「俺だって好きでやってねーよ。いいから脱げ」

 

「下着はダメだ! その布はズボンじゃなく下着だから! やっ、やめろぉ! 脱ぐから! 脱ぐから!」

 

 

 醜い言い争いの末にルスランは、潔くバサっと服を脱ぐ。少しでも脱ぐのが遅れたら、俺に全裸にさせられるとでも思っているような勢いだ。

 

 現れたのは細身にも関わらず、しっかりと備わる鍛え上げられた筋肉。

 

 そして──おびただしい無数の傷跡。

 

 ルスランはバツの悪い顔をしている。なるほど。今まで治療を渋っていたのはこれを見られたくなかったからか。この世界では傷を即座に治してしまえるから、傷跡なんてほぼほぼ見られない。見るもおぞましい光景という訳だ。

 

 

「こりゃ治すのには骨が折れそうだな。傷跡の治療は傷の治療よりもよっぽど精神力を使う」

 

 

 時間がかかるぞ〜、と茶化しながら言った。なるべくなんてことないように笑って。

 

 

「……治せるのか」

 

「ああ。使うのは稀だがそういう聖句はちゃんとあるぜ。病気のせいで効果があるかは分からないから病気が治ってからって感じだが」

 

「そうか。……そうなのか」

 

 

 ルスランへ聖句を唱える。幸いにも先程の戦闘での大怪我はなく、小さな傷ばかりだった。しかし効き目が薄いので自然と詠唱も伸びる。

 

 長々とした詠唱が終わると黙っていたルスランが口を開く。

 

 

「何から何までありがとう」

 

「そういうのは厨二病を治して、右腕の包帯を取れるようになったら言ってくれ」

 

「ああ。その時は必ず。そしてただの右腕ではなく」

 

「呪われし右腕な。……ところで右腕、本当に呪われてます? 俺、解呪は得意じゃないから専門家を探すところから始まるんだけど」

 

「の、呪われしって付けたら包帯もカッコ良くなるかなって……」

 

「腕の封印のような模様は」

 

「呪われし感を出したくて……」

 

「じゃあ腕に巻いた銀の装飾品は」

 

「装飾品は……なんかキラキラしてるしカッコいいかなって……あと露店の人の押しに負けたと言いますか……」

 

 

 つまり、組織のことは本当だけど厨二病的な言動も本当と。……ややこしいわ! 

 

 

「やめろ! そんな目で俺を見るな!」

 

「安心した〜……こいつ、厨二病だ……! よかった〜良くねぇけど〜! むしろ悪いけど〜良かった〜」

 

 

 厨二病は本当。つまり治療が可能ということ。ホッとすると同時に精神的な疲れも一気にやってくる。大きな欠伸を手で抑え、流れ出た涙を手で擦る。

 

 

「組織のことだが……」

 

「まあいいさ。明日にでも話そう。今は眠いんだ」

 

 

 眠気も限界に来ていた俺はとぼとぼ天幕に乗り込んで倒れ込むようにして寝た。

 

 

「そこは俺の天幕だ……ってすごい、秒で寝てるぞ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 微睡の中のはずだが、俺はどこかに立っていた。

 床は大理石ともコンクリートともつかぬような素材であり、ただ裸足を通じて底冷えするような冷たさを訴えている。

 

 

「ずいぶんと久しぶりだな」

 

 

 俺の目の前には女がいる。冷たい鉄の牢獄に閉じ込められた女が。

 

 降り積もったばかりの雪を思わせる真っ白な肌。銀髪は生まれてから一度も切られたことがないような長さで、地面に届いてからも続いている。肌に沿う純白のドレスはシンプルだが女のためにしつらえたオートクチュールのように似合っている。女はまるで夢幻の存在のようだ。そしてゆっくりと開かれる金色の瞳。

 

 女は檻の中にいるのに傲慢不遜な様子で俺を睨む。

 

 俺を侮蔑するかのような目。まるで俺を蟻か何かとでも思っているようだ。

 

 そんな睨むなよ。

 

 

「あんたが本当の"ジュリア"なんだろ?」

 

 

 俺の外見もジュリアだ。しかしその気になれば前世の姿を取ることが可能だろう。この空間ではそれができるということを俺は自然と理解していた。

 

 ジュリアの肉体でこの場に立っているということは、俺が自分の肉体はジュリアだと肯定しているということ。だって俺は16年もこの身体で生きているんだ。いまさら前世に戻ったって股間についた息子に戸惑うだろう。

 

 目の前の"ジュリア"は俺を肯定も否定もしない。しかしその侮蔑の瞳が物語っている。俺が今ここに立っている。それだけでも万死に値するくらいに憎らしいことなのだと。

 

 

「俺だって代われるもんなら代わってたさ」

 

 

 コレが罪の意識から生まれる幻覚なのか、本当にジュリアの存在を俺が押しのけてしまったのかはわからない。

 

 

「まあ好きに恨んでくれ」

 

 

 俺は幾度となく女に話しかけたが、女はピクリとも顔を動かさなかった。対話は不可能。この16年で学んでいる。

 

 俺と女の外見は髪型以外瓜二つだ。しかし不思議なことに成長の度合いが違う。俺が初めてこの夢を見始めたときから女は成長した姿で現れている。今も若干の開きがある。きっと20辺りの外見なんだろう。

 

 いったい女はなんなのか。その答えは分からない。

 

 俺はいつものように目が覚めるまで女と睨み合った。

 

 

 

 目が覚めるとルスランと目があった。

 

 

「うわっ!?」

 

 

 寝顔を覗かれていたことに驚いた俺は声を上げる。ルスランはというと、興味深げに俺の顔を眺め続けている。

 

 

「俺は貴様の真の姿を知っている。いや、思い出したというべきか」

 

 

 底意地の悪そうな顔で笑う。

 

 

「前世で会ったことがある、と言えば分かるか? 久しぶりだな、ルクトゥンヴェザルサースよ」

 

 

 ルスランは決まった……! と小声で言っている。

 

 

「──いや誰だよそれ!?」

 

「誤魔化しても無駄だ。今もなお過去を忘れたことはない」

 

「俺の前世の名前は修平だ! そのなんちゃらこんちゃらなわけがないだろ!? なんだよその設定!?」

 

「む……人違いか? しかし先ほど感じたその気配は間違いなく……」

 

 

 つかやべぇ。勢いに任せてとんでもないことを口走ってしまった。俺は今更気づいて顔を真っ青にした。

 

 

「……というか、シューヘーとは」

 

「あ、あああ、その」

 

「そうか分かったぞ。俺も君から学んでいるからな」

 

 

 ルスランは深く頷いて、ビシッと俺を指す。

 

 

「貴様こそが厨二病患者であったんだな!」

 

「ああ? んーあー、そう来たかぁ」

 

 俺は右目に手を当てて思い切り厨二病らしいポーズを取る。

 

「そうだとも! 俺も過去は立派な厨二病だった! だから俺が前世日本で生まれ育った修平であるという過去を背負っている! 粗雑な言葉はその後遺症だ!」

 

「やっぱりな! ふはは!」

 

 

 勝った! と右手をあげて決めるルスラン。

 

 

「てかなんで寝てる所に入ってきてるんだよ。夜這いか?」

 

「ちっ、違う! 君は昨夜俺の天幕に入って寝てしまっただろう。荷物はこっちにある。朝に入るのは仕方ないだろう?」

 

「じゃあ俺の天幕で寝たのか」

 

「仕方なしにだな……ああそうだ。君はもう少し片付けというのを学んだほうがいい。トランクから下着やらなんやらがはみ出てたから畳んでおいたぞ」

 

「お母さぁん! ……っじゃない! し、し、下着を触ったのか!?」

 

「最初は小さい布が転がっているからハンカチだと思ったら、下着でな。だから許してくれ」

 

 

 前世はともかくとして、今はかわいい女の子なんだ。だから前世女の子に着て欲しいなぁと思ったような下着を片端から買ってみたりしたわけで。

 

 その中にはちょっと他人には言えないような代物もあったりして。例えば黒のガーターベルトとか。

 

 

「お、俺が自己満足のために揃えた黒やらピンクやら紫のあれやこれを!?」

 

「悪かったからそんな絶望感漂う顔をしないでくれ」

 

「もうダメだ。二度寝する。世界が滅んだら起こしてくれ」

 

 

 俺はブランケットを使って蓑虫みたいになり寝た。

 

 ルスランに叩き起こされたのでまたお母さんと呼んだら君を産んだ覚えはない!とマジになって怒られてしまったので、俺は深く反省した。

 

 



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4

誤字脱字報告ありがとうございました。
また友人の助けもあり文章のおかしなところの一部を修正致しました。


 欠かすことのできない朝の祈りを終えると、声をかけられた。

 

 

「やはり組織のことについて聞きたいか?」

 

 

 ルスランを見上げる。その目は真っ直ぐだ。

 

「いいや、今はいい」

 

「組織に顔を知られた以上命の危機があるやもしれん。知らないまま命を落とす可能性だってあるんだぞ?」

 

 

 そうは言われても、俺はルスランの話のどこからが真実で、どこからが厨二病なのか判断がつかない。きっと聞いても話の全てを信じきれないだろう。

 

 しかしルスランという人間の人となりは、若干ながら掴めてきた。厨二病だが、愚かな行動をするような人間ではない。口から出るのは厨二病に染まった言葉だが、彼自身はいたって真面目な人間だ。

 

 ならば知らなくていい。いたずらに情報を与えられて混乱するより、目の前のルスランという人物を信じよう。俺は治療に専念すれば良い。無駄なことに頭を使うのはやめだ。

 

 

「俺はただのシスターだ。組織やなんかって言われてもなにも理解できない、それよりも患者の治療を第一にしたい」

 

 

 真っ直ぐ見つめ返して答えた。あまりにも真剣なので俺のほうが気後れしてしまう。きっとルスランにとって組織とは人生に大きく関わってくるようなものなのだろう。きっとその全てを明かす覚悟だったに違いない。

 

 

「それよりほら、急がなきゃなんだろ?」

 

「……ああ、そうだな。組織に捕捉されたのは少々まずい。奥の手を使う」

 

 

 そう言うと、ルスランは右腕に巻いた装飾を外し、包帯を取る。隠されていた右腕の傷が明らかになった。突然の奇行を止めようとしたが、ルスランは俺を手で制する。

 

 

「呪われし右腕などと嘯いたが、実際はただの刀傷だ。ただ俺を傷つけた刀には強力な毒が塗ってあってな。こうして包帯を巻いていないと傷口がすぐに開いてしまう。組織が制裁によく使う手だ」

 

 

 露わになった傷は、はっきり言ってグロい。包帯を取った途端に傷が開き、血が滲み出る。たった一筋の傷だが、皮膚を削り深々とその先を覗かせている。だがこれで合点がいった。ルスランは最初、シスターに逃げられたことがあると言いながらそれでも教会に当たっていた。

 

 

「聖句が効かずとも度々教会に寄っていたのはこれのせいなのか。少しでも治療して傷口を塞がなければ出血多量になるだろうな」

 

 

 ルスランは頷いた。そして腕に力を入れて自ら傷口を開くような真似をする。

 

 

「おい! すぐに聖句を……」

 

「止めてくれるな。生贄は血だ。だから奥の手なんだが……」

 

 

 零れ落ちた血がひとりでに魔法陣を描き、にわかに輝き出す。シスターとして育った俺には信じられないような禁術だ。肉体の治療は神からの恩恵。だからこそいたずらに自らの肉体を傷つけるような行為は強く禁止されている。人が神の恩恵に胡座をかいてはいけないからだ。

 

 

「さあ来い、堕ちし天馬よ!」

 

 

 魔力の奔流から突風が起きる。木々が揺れて、土埃が舞い上がる。俺が目を守った一瞬のうちに魔力が膨れ上がり、召喚術が行使される。

 

 

 突風が収まったとき、そこにいたのは異形の馬だった。ユニコーンのような角を持ち、黒々とした体表は鎧のような鋼に近い物質で覆われている。ただの馬とは到底言えないようなプレッシャーを放つ異形。

 

 

 驚きのあまり召喚したルスランに声をかけようとして──

 

 

 彼はぼとぼとと止まらない血を流しっぱなしにしていた。

 

 

「治療治療治療ー!」

 

「クッ……これが禁術の代償……カハッ」

 

 

 俺は大急ぎで聖句を唱えて治療した。ルスラン当人は俺の腕の中でやりきった感を出して倒れている。

 

 ……後ろの馬が困惑したように鼻を鳴らしているのは気のせいだと思う。

 

 

 

 

 ルスランが倒れたのは少しの時間だけ。俺の多大なる精神力と引き換えに起き上がった。

 

 トランクから清潔な包帯を出してルスランに投げて渡す。怪我をした時のために持ってきたが、初めて使うのが自傷だとは思いもよらなかった。

 

 

「巻き方を忘れた」

 

「ああもう、さてはこまめに取り替えてないな? 貸してくれ」

 

 

 というかだ。包帯を巻いてやりながら思ったが、

 

 

「俺の血を使えばよかったんだよ。そうしたらすぐに治せるし」

 

「デカい傷痕があるんだから丁度いいだろう?」

 

「次なんかで必要だったら俺のを使わせるからな」

 

 

 脅すように言ったが、やはり聞き入れている気がしない。その自己犠牲の精神は美徳だが合理的に考えるべきだ。

 

 

「結局治すのは俺なんだからな。だったら精神力の消費が少ないほうが楽だ」

 

「……たしかに、一理あることは認めよう」

 

 

 俺の自傷予告には納得しきっていない。しかし理屈は受け取ってくれたようだ。頷いて合意を取ることができた。

 

 

 

「てか俺馬に乗ったことないんだけど」

 

「フッ……そこらへんの馬と同じにしてくれては困るな。このダーク……ダークレジェンダリーホーンはだな」

 

「今名前考えたろ」

 

 

 馬もそんな名前が不服であるかのように蹄で地面を蹴った。

 

 

「コホン……。まあ名前なぞ人の付けた仮初の記号に過ぎない。本題に入ろう」

 

「変わり身がはえぇな」

 

 

 馬は召喚者であるルスランよりも俺に寄り添ってきた。多分ルスランが変な名前つけるからじゃないかな。

 

 

「人間には見て、触れることすら不可能な天馬。それが闇に染まった姿だ。感じるだろう? 圧倒的な闇の力を」

 

「普通の馬でも乗れないんだから振り落とされる気がする」

 

「俺が手綱を握るから君は乗っているだけで大丈夫だ。二人乗りだが馬車よりも快適な旅を約束しよう」

 

「へぇ、そんなすごいのかポチ」

 

「ポチ!?何だそのかわいらしい響きの名前は」

「なんだよダメか?」

 

「ダメだ。凄まじく駄目だ」

 

「俺そんなにセンスねぇかなぁ」

 

「自覚はあったのか」

 

「ビビッと来たんだけどなぁ」

 

「きっと天からの警告だろうな……」

 

 

 ポチは俺の名付けも気に入らないらしく、身体を震わせてルスランの元に戻っていった。

 

 馬にまでネーミングセンスを否定されるとは甚だ不服である。だがその代わり馬を最初感じていたような恐ろしい存在ではないと思えるようになった。これなら乗るのに抵抗はない。

 

 

 俺は先に乗り込んだルスランに手を引かれて乗馬した。スリットの入った修道服だから、難なく脚を上げてあぶみに引っ掛け乗り込むことができる。ちょっとエロいからって理由で選んでおいてよかった。

 

 後ろに座ろうとしたらルスランが俺に抱きつかれるのを拒絶した。なんだよ、世の男どもは美人に抱きつかれてたら嬉しいだろうに。結局はルスランが俺を抱えるような形での乗馬になった。

 

 こうして密着するとら男女の体格差というものを嫌でも感じる。実は俺とルスランの身長は結構離れている。俺がそう背の高い人間ではないってのもそうだが、単純にルスランがデカイ。俺が前に座っているのに難なく前を見据えているし、見ている限り支障はなさそうだ。

 

 しかし全てにおいて支障がないという訳でもなかった。

 

 ルスランが手綱を持とうとしたとき、バランスの危うい俺を支えようとして俺の脇の下に腕を通す。まるで子供のように扱われるのは不服だが、問題はそこではなかった。

 

 

「ん゛んっ」

 

「あー? 喜べ、美女の胸が当たってるんだからよ」

 

 

 ルスランが腕を伸ばした時、俺の横乳が当たってんのよ。まあまあ、デカいから仕方ない。

 

 

「す、すすすまない」

 

「気にすんなって」

 

 

 ぎこちない動きで手綱を握り、馬が走り出す。あんまり横乳に触れないよう、腕を伸ばそうと前屈みにしているが、それによって身体がより密着する。俺の横乳を堪能しておけばいいのに律儀なやつだ。

 

 

 風のように駆ける馬は獣道を街道のように難なく進んでいった。しかしまるで空気の上に座っているかのように振動がない。馬が肉体そのものを持っていないかのようだ。

 

 

 堕ちるまでは人間には見えず、触ることすらできないと言っていたな。おそらくその言葉に嘘偽りはなかったのだろう。それほど人間の常識の枠から外れていると思わせる。

 

 感じるのは心地よい風だけ。まるでオープンカーに乗っているようだ。

 

 

「──もうすぐ着くぞ」

 

 

 時間はあっという間に過ぎ、小さな町に到着した。町というよりも村に近く、町の周囲には畑が広がっている。

 

 街道に出る森の際で馬から降り、少しだけ歩いて町に入った。馬は役目を果たすと即座に帰っていったのでまた二人旅だ。

 

 

「んで、結局この町での用事は組織に関係することか?」

 

「まあそんなところだ」

 

「俺どっかで暇つぶししてたほうがいいか?」

 

「問題ない。危険なことでもないからな」

 

「じゃあなにをしに?」

 

「襲撃だ」

 

「危険じゃんかよ!」

 

「そうでもない。襲うのは何も知らないただの青年だからな」

 

「へっ変質者……?」

 

 

 距離を取るべく後退りする。しかしルスランが俺に弁解をすることはなかった。街を歩く、ある平凡な青年を見ると目の色を変えてひっそりと後をつけていく。

 

 

「あっ、ちょっ」

 

「間違いなく彼が"鍵"だな」

 

 

 俺を置いてストーカーを始めたやつに、なんて声をかけたらいいのか。信用すると決めてから1日も経っていないのにこうなるとは、思いもしなかった。考え直す必要がありそうだ。事前に危険はないと聞いていたから遠慮なく着いていく。

 

 

 しかしルスランの足が速く、追いつくことができない。身体能力の差もあるが、そもそもの身長差によって歩幅の差も生まれている。俺は小走りでルスランについていくが、ルスランは簡単に距離を離す。

 

 

 ルスランが町の外れで茂みに身を潜めたところでようやく追いついた。追っていた青年は建物の中に入っていく。どうやら青年の家らしい。額の汗を拭い、文句の一つでも言おうとした。

 

 

「ぜぇー……はぁー……お、おまっ」

 

「今から襲ってくる。ここで待っていてくれ」

 

「うへっ!?」

 

「彼には必要なことなんだ」

 

「バカ止まれっ!」

 

 

 スコーンとお笑い芸人のようなツッコミを入れる。そこでルスランがやっとこちらを見た。

 

 

「なにをする、転ぶところだっただろう」

 

「せっ、説明を! 説明を要求する!」

 

「理由を説明するならば話が長くなるぞ」

 

「あっじゃあ結構です……と言いたいんだが! 流石に一般人を襲う理由は教えてほしい。大雑把でもいいからさ」

 

 

 顎に手を当てて考え込む。

 

「理由があって組織は青年を血眼で探している。今はまだバレていないが時間の問題だ。組織はいずれ見つけるだろう。だから襲撃をして警告をするんだ。彼が守りたい者を守れるように。力が必要なのだと。備わっている力を無理矢理にでも覚醒させるんだ」

 

 

 彼は俺の信頼を違えてはいなかった。まずはそこに心から安堵した。しかし、そんな周りくどい手段を取る必要は感じられない。ゲームとかである、敵か味方か分からないタイプのキャラが意味深なこと言って去るの、主人公は大体手遅れになってから気づく奴だから。ちゃんと意図は伝えよう!

 

 

「んんんもどかしいわ! 俺はともかくその青年にはちゃんと一から説明してやれ!」

 

「だってこんな怪しい奴のいう事を聞くか? それも信じられないような妄言だ。ジュリアも組織に襲われなければ嘘と思っただろう」

 

「んんん正論! 賢い! なんも文句つけらんねぇわ肩をお揉みします」

 

 

 さっとルスランの背中にまわり込み、肩を揉み揉みした。固っった。石じゃん。

 

 

「肩凝ってんねぇ」

 

「聖句を唱えた方が早いのでは……?」

 

「無駄遣いはいけないよ」

 

「今まで散々使ってたような気がするんだが」

 

「だれのせいかな?」

 

 

 いわゆるジト目で睨む。自覚があったのか目を逸らされた。

 

 

「襲撃に関しては賛同してくれるということでいいのか?」

 

「まあ……うん」

 

 

 果たして目論見がそう上手くいくのだろうか。この世界の神に祈るばかりだった。

 

 

 



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5

 ルスランは周囲を警戒しながら、剣を手にして襲撃を始めようとする。

 

 民家を襲うため窓ガラスを割ろうとし──

 

 

「窓はダメだ! ガラスなんて高いんだからな! 絶対ブチ破るなよ! 最後の手段にしておけ」

 

「襲撃するんだぞ? 玄関から入ってどうする」

 

 

 俺は小声で叫びながら窓を割ろうとしたルスランを止めた。

 

 

 この世界のガラスは魔法によって作られる。なにも便利な技で一瞬というわけでもない。詳しい作り方は俺も知らないが、ガラス作りに必要な釜は魔法によって点火される。逆に言えば高温を出せる魔術師だったり、高価な魔法釜が必要となるわけだ。

 

 ここまでだったら前世と大差ないだろうが、ここからが違う。錬金術によって精製されたガラスの原材料は透明度が高く、前世と遜色ないレベルのガラスが出来上がる。そして魔法によって熱されたガラスの材料を直接動かして形成するのだ。魔法で手を保護すれば直接触ることだってできる。

 

 祭りの日にはガラス専門の魔法使いが飴細工のようにガラスを様々な形にする様子が見れる。俺がここまでガラスについて知っているのもそれを見たことがあるからだ。

 

 ゆえに、この世界のガラスは魔法使いによって手ずから作られるもの。魔法と日常が密接に関わっている以上魔法使いも無数にいる。一般人にも手が届く範囲の値段だが、それでも安いわけがない。

 

 要は俺の小市民らしいもったいない精神が炸裂したというわけだ。決して前世台風で窓が割れて修理代に泣いたことがあるからじゃない。更には幼少期遊んでたら勢いで教会の窓割って、トラウマレベルで叱られたからでもない。

 

 

「ほら、今家から出てきたの! 多分青年の母親だ! 母親を襲って人質にしてそれっぽく敵対していけ!」

 

「優しいのか悪人の素質があるのか判断がつかない言葉だな……だがその言葉には賛成だ。怒りは力の原動力となる」

 

 

 ルスランが外套についた黒いフードを被り駆け出す。突然のことに頭がついていかない女性は反射的に大声で叫び声を上げる。それを聞きつけた青年がやってきた。目論見通りだ。

 

 ルスランがなにか挑発するような言葉を青年にかけているようだ。茂みの中からでは会話は聞こえないが、なにか2人が話している。そして青年が激昂した。荒げた声がここまで届く。

 

 

「母さんに手を出すな! 卑怯者!」

 

 

 怒った青年は当たり前のように虚空から剣を出現させた。ただの青年でない。

 

 取り出した剣も尋常ではない。白銀よりなお白く輝き、漏れ出た剣の魔力が薄く発光している。

 

 

「コレが欲しいなら俺と戦って奪ってみろ!」

 

 

 おそらくルスランがそれに同意した。薄く笑みを浮かべながら母親を離し、戦闘に入る。悪役が似合うな? 

 

 戦闘は俺のような素人ではなにが起きているのか分からないような、激しい戦いだった。この前の組織との戦いも凄まじかったが、それとはまた質が違う。駆け引きが主体となった一対一の打ち合いだ。剣閃の煌きが線のように空に残る。

 

 ただ、素人目にも分かることがある。青年の実力はルスランの足元にも及ばない。

 

 

 青年は頭に血が上っているから気づいていないようだが、ルスランは防戦に応じるだけで、積極的に仕掛けてはいない。手出しをしても殆どがフェイントで、命をかけた戦いとは全く違う気の抜けたものだ。ルスランのフードすら取れていない。まるでルスランが青年に指導しているみたいだ。いや、事実そうなのだろう。

 

 どこまでいってもスカした顔をして余裕をかますルスランの態度に青年も追い詰められていく。

 

 青年の敗北は明らかだ。焦りと共に粗が見えてくる。青年は武器を扱いきれていない。立派な剣を使いこなすのではなく剣に使われている。おいおい、このままルスランが勝ってしまうんじゃないだろうな。

 

 戦いが熾烈になっていくにつれ、剣を存分に振るう場所を求めて戦いの場が街外れにある林に移っていった。2人の姿が小さくなっていく。このままでは2人を見失う。追うか迷った末、俺は青年の母親にバレないよう気をつけながら走り出した。

 

 

「なんだ……アレ」

 

 

 しかし足が止まる。剣閃の輝きとは明らかに別種の光と共に、青年の動きが目に見えて変わる。

 

 

「あれは神光……?」

 

 

 まさか。神光を纏う剣なんて見たこともない。まるで御伽噺の代物だ。しかし日々その光を拝んでいるからこそ真偽が分かってしまう。アレは紛れもなく天に類する剣だ。

 

 ルスランはまだギアが切り替わっていない。突然上がった青年のスピードに対応が遅れる。

 

 

「……くっ!」

 

 

 青年がボロボロになりながらも一閃、ルスランに傷をつける。肩から胸にかけて裂ける。見たところ斬れたのは服ばかりのかすり傷だが、それでも傷は傷だ。勢いでフードが取れ、顔が現れる。

 

 

「フッ……俺に傷をつけるとはな。今は引こう。青い果実をもぎ取るのは惜しい」

 

 

 それっぽい感じの言葉と共に剣を納める。

 

 

「その剣を狙うのは俺だけではない。だが奪うのは俺だ。せいぜい組織に奪われないよう力をつけておくことだ……」

 

 

 言い残したルスランは、まるで瞬間移動したかのように消えた。実際には青年の死角に向かって走り、そこからとぼとぼと歩きながら俺を探している。

 

 

 一方青年は、戦いが突然終わったことに脳が追いついていないのか、それとももっと別の要因があるのか、放心した様子で座り込んでいる。剣は粒子となって分解され、また虚空に帰っていく。

 

 予定通りに終わったようだ。ほっと一息つき、こちらを探すルスランに手を振る。

 

 

「傷は大丈夫か?」

 

「ああ。斬れたのは皮膚だけだ。治療は必要ない。しかし少々痛めつけ過ぎたな。彼が心配だ」

 

 

 チラリと木陰から青年を覗く。まだ立ち上がる様子はない。身体には至るところに傷があり、すぐ教会に向かう必要があるだろう。あんな風に誰も通らないようなところでぼうっとしていたら、倒れてしまうかもしれない。

 

 

「じゃあ俺が行ってこよう。ただのシスターとして接触すれば何にもバレないだろ」

 

「頼む」

 

 

 気合を入れてやってやろうじゃねぇかよ。俺の演技力を舐めるなよ。こちとら仕事モードで何年もやってきたんだ。同じ教会のシスター皆から、仕事中の振る舞いがいつも出来るのなら出世間違いなしと言われた程の実力だ。褒められているのか貶されているのか分からない言葉だが、とにかく仕事中の俺の振る舞いは、純粋に神に殉じるシスターだ。

 

 

 俺は騒ぎを聞きつけて走ってやってきました、と思わせるべく息を切らして青年に駆け寄る。

 

 

「大丈夫ですか?」

 

「あなたは……?」

 

「私は巡礼途中のシスターです。人の悲鳴と剣がぶつかる音が聞こえて、ただならぬ事態と思いやってきたのですが……なにがあったのですか? 衛兵を呼びましょう」

 

「いやそれは……」

 

 

 青年が反射的に答えようとして、しまったという顔をして口を閉じた。そうだよな。戦いの原因になった自分の剣のことについて知られるのは不味いだろうな。きっと素直な性格なんだろう。嘘をついてただ不審者に襲われたと言えばいいだろうに、その可能性が頭から抜けているようだ。どこから話せばいいのか迷っているのが手に取るように分かる。

 

 

 返答を期待しているというわけでもない。このまま事情に首を突っ込むと事態が拗れそうだ。まるで今青年の傷に気がついたみたいに、まぁ、と目を見開き口元に手を当てる。

 

 

「酷い傷! すぐに治さないと!」

 

「そんな、すみません」

 

「いえいえ、一介のシスターにできることなどこのぐらいですから」

 

 

 俺はそれっぽい雰囲気を出すために美しく言葉を紡ぐことに集中しながら聖句を唱えた。誠意のこもっていない祈りはいつものように天に届き、青年の肉体に刻まれた傷が癒えていく。担当している患者のことを思えばなんと簡単なことか。たった一回で傷の全てが治ってしまう。

 

 

「ありがとうございます」

 

「どうかお大事に。……事情は分かりませんが、何かあれば教会へいらっしゃってくださいな」

 

 

 微笑みながら青年の両手を掴み、親身になっているという演技をする。パッと青年の頬が赤く染まる。よっしゃペースはこっちのもんだな。

 

 

「もっとも私はこの街のシスターではないのですが……神に仕えるものならば、人が苦しんでいるなら手を貸してくれるでしょうから。きっと貴方の手助けになってくれるはずです」

 

 

 さらっと他人にブン投げ発言をするが、青年はそれに気づいていない。こちらを見てぼんやりと頷いている。

 

 

「他に傷ついた人はいるでしょうか」

 

「いや……居ないはずです」

 

「そうですか。よかった」

 

 

 ふふふ、と優しく笑う。よし目的は果たした! 余計なボロを出す前に逃げるのが肝心だ。

 

 

「それでは私は去りましょう。機会があればまた」

 

 

 言った後、フラグじゃんと後悔する。ルスランが青年に絡む限り俺も無関係ではない。やだなぁ、貴方はあの時の! って言われるの。俺も次はルスランを見習って意味深キャラ気取りながら登場すべきだろうか。

 

 

「待ってください、せめて名前を……」

 

 

 聞こえなかったフリをして去る。なるべく早足で。

 

 ルスランの元に戻ると、ポカンと口を開けて突っ立っている。そういや俺がルスランにこの態度で接したことは無かったな。

 

 このまま立ち止まっていたら青年やその母親に捕捉されるかもしれない。服を引っ張って街に戻るよう促す。

 

 

「誰だお前は」

 

「んだよ、仕事中はこんな感じだって」

 

 

 すぐに態度を元に戻すと、ビクッと身体が動いた。失礼すぎるだろ。

 

 

「俺といる時は仕事に入らないのか?」

 

「長時間あの態度を取ってるの疲れるしいいだろ別に。それとも今からでも私としてお相手することをお望みでしょうか?」

 

 

 電話に出てるとき、声のトーンが上がる女性の気持ちになって声を出す。さぞ猫撫で声に聞こえただろう。

 

 気持ち悪いものを見たというような、ひっでぇ顔でドン引きされた。

 

 

「やめろよその顔。傷つくだろ」

 

 

 これでも評判は良いんだけどなぁ。おっかしいなぁ。

 

 

「なるべく俺の前でその態度をするのはやめてくれ……女性不信になる」

 

「はー? まあ俺もこっちが楽だけどそこまで言われるとやりたくなっちゃうわ」

 

「やめろ」

 

「私のことをそこまで嫌うのですか……?」

 

 

 悲しい顔をして伏し目をする。どうだ気持ち悪いだろう。

 

 

「やめてくれ気持ち悪い」

 

「あっ! それを言っちまったな! あーあ!」

 

「だっ……仕方ないだろう!」

 

「言ったが最後、これからちょいちょい出てくるから覚悟しろよ」

 

「そこまで態度が違う方が悪い! 絶対俺は悪くないぞ!」

 

「おうルスランは悪くないぞ」

 

「だろ!? ……ならやるなよ! ぜっったいにやるな!」

 

「そこまで否定されたの生まれて初めてだわ」

 

 

 むしろ貴方は少々ヤンチャなので神に殉じているときは一生その態度でいなさい、と上の人に言われたのに。ルスランのお気に召さないようだ。そこまでしてやる理由もないので、腕を後ろで組んでわかったわかったと返事をする。それが心無いものと感じたのか、ルスランの視線は疑わしげだった。

 

 

「なあ、金ならあるんだ。今日は一等高い宿に泊まろうぜ」

 

 

話題を変えつつ、街を二人で歩く。

 

「言うことが悪人臭いな……。ただのシスターがそんなところに泊まったら変に目立つだろう」

 

「それはそうだ」

 

 

 ただのシスターがそんなことをするのはおかしいと続けて注意をもらう。ぐうの音も出ない。こんなことなら修道服以外の着替えを用意しておけばよかった。でもシスターという身分はいろんな所に通用するし、そもそも脱ぐという選択肢を考えてなかった。くそっスリットの入った修道服がエロいのが悪いんだ。

 

 結局俺らは普通の宿屋で一夜を明かした。

 

 



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6

 組織から逃げながらの旅は一ヶ所に留まることを許さず、次の街へ、次の街へと地図と睨めっこしながら旅を続けることになる。青年と出会ってからあっという間に一週間程が経過していた。

 

 俺ら二人が腰を落ち着けたのは大きな城塞都市だった。

 

 ここにしばらく滞在し、英気を養う予定だ。そしてルスランは武器や防具の整備を。俺は厨二病の研究を進めていく。

 

 今滞在しているような大きな都市では当然検問があり、都市に入る人間には常に騎士が目を光らせている。俺は上司から印章と書簡を頂いている。書簡には地元の教会の司祭が判を押した、身元が確かな教会のお墨付きの人物であるという内容の文章が書かれている。だから俺とルスランは基本的に、教会の権力が届く範囲ならばよっぽどのことがない限り通ることができる。

 

 組織とやらがどれだけの権力を持っているのかは知らないが、検問がある以上いたずらに旅をしているよりも安全ではある。

 

 たった一週間と少しだが今までの旅が旅だったので、俺はほっと一息ついた宿屋で気が抜けたあくびをした。利き腕の右手に握っている羽ペンからぽたりとインクが垂れ、インク壺の中に戻る。俺は患者のカルテだけではなく、教会への連絡を兼ねて筆を取った。定期的な連絡は教会の金を使って研究している以上必要だろうし、そうでなくとも出身の教会は俺の実家同然だ。

 

 机で文字を書いている俺の後ろでルスランがベッドに腰掛けている。健康状態の確認のため散々身体を計測されたルスランは、半裸になりながら俺がこの間教えた正しい包帯の巻き方を実践していた。

 

 

「やっぱりダメだ。助けてくれ」

 

 

 振り返るとミイラのように頭から腕まで包帯をぐるぐる巻にしたルスランが困った顔をしていた。

 

 

「そうはならんでしょ」

 

「目の前の真実を受け入れろ」

 

 

 カッコよさげに声を出してもみっともなさが増しただけで誤魔化せてはいない。ため息を吐いてから絡まった包帯を取る。包帯を巻くよりよっぽどこの作業が面倒だ。

 

 

 ルスランの腕の傷は前と比べると大分良くなった。痛ましい傷は塞がり、新しい肉がこんもりとついている。予想以上の治癒速度だ。

 

 

 ならば厨二病が回復に向かっているのか、というとそうでもないだろう。宿を取るときも俺が仲介に入らないと2回に一回はルスランの前世? の名前で記帳してしまうし、3回に一回はめちゃくちゃ長い長文のよくわからん名前で記帳している。名前に独自の暗号を使うな。

 

 なので聖句が効きやすくなったというより、俺の頻繫な聖句によりルスランが本来持ち合わせている自然治癒力が現れてきたと考えるのが当然の流れだろう。

 

 

 本当は毒の種類を特定し、解毒するという方法を取りたいのだが、ことはそう簡単ではない。この毒の嫌なところは、傷の治癒を阻害する以外の効果がないことだ。明らかに人体に有害ならばそれに応じた聖句があるのだが、この毒の場合だと逆に聖句を見つけづらい。滅多に聖句の使われた記録が残らないので後世に伝えられないのだ。

 

 

 そして一ヶ所に留まれない以上、専用の機材を揃えて何日かかけて毒を抽出するという手段は取れない。毒の分析のため下手にルスランと離れて行動すれば身が危ないのは俺の方である。もっと嫌なのが、俺を人質にしてルスランを誘き出されることだ。俺は人の足手纏いになることが嫌いだ。もしルスランが捕らえられた俺を放っておける淡白な性格だったらあったかもしれないが、組織に狙われた青年へわざわざ回りくどい手法で警告した彼のことだからそうはいかないだろう。

 

 

 毒を含んだ体組織を教会の人間や錬金術師に頼んで特定してもらうという手段もあるが、組織の危険な毒をみだりに手の届かないところへ出してしまうことを危惧し反対されてしまった。

 

 

 

 包帯を巻き終わったタイミングでルスランからありがとうと礼を言われる。この程度のことでいちいち礼を言われると人生全肯定人間になってしまうぞ、ちょい照れる。ルスランは極度の厨二病だが礼儀は知っているし良識がある。これで厨二病じゃなけりゃあモテただろうに。フードで隠れがちではあるが顔だって悪くないんだしさ。

 

 

 

「ルスラン、そこの荷物取ってくれるか? 手紙に封をするのが入ってるんだ」

 

 

 蝋などが入った箱を手渡してもらい、赤い染料の入った蝋を蠟燭で温める。

 

 

「封蝋ってなんかよく理屈は分からんがカッコ良いよな」

 

 

 ルスランがポツリと言った後、あこれ厨二病の言動だから突っ込まれると警戒した顔をする。しかし俺はルスランの意見に賛同した。それも強く頷く。

 

 

「良い……分かる。なんだろうこの良さ。こういうちっちゃなことでもファンタジー世界に生きてるんだなって思うわ」

 

 

 俺は腕を組みながら遠い前世を回想する。

 

 

「封蝋なんて前世でもあったけどさぁ、使う機会なんてないし。無駄にファンタジー感じるのは多分ハ◯ポタのせいだよな。実際やろうと思えば梟の使い魔と契約できる世界だし。こうやって印章使ってみるとさぁー感じるわー」

 

「なんだか言動がブッ飛んでいないか? もしかすると俺よりよっぽど重度のちゅーにびょーなのでは」

 

「うっ……その言葉は刺さりすぎて串刺しになるわ……」

 

 

 俺は弱いところを突かれたことをはぐらかすように、胸に手を当てて大袈裟に苦しげな演技をする。前世からの記憶があるということや、俺が異世界に生きていた人間であるということはこの世界の誰にも証明できないのだ。厨二病と言われれば特大の厨二病と言えるだろう。

 

 それでも俺は前世を含めた“俺”を肯定する。“俺”でなければ敬虔な信徒になれていたかもしれぬジュリアの存在を抹消し、本来ならありとあらゆる生物が向かう死を踏み越えて。一体全体俺って存在はどういうもんなのかは自分でも分からないが、それでも。

 

 だって俺はこれまでの人生でそこまで悪いことした覚えねーもん。それに大それた過去とかもないし。地味ぃーに堅実に与えられてきた生を全うしてきただけだし、これからもそうしてやっていくだけだ。

 

 

 俺の大袈裟な反応が妙に引っかかったのかルスランが眉をひそめた。

 

 

「どうかしたか?」

 

 

 ここで空気を読まず素直に聞いてくるのがさぁー、ルスランって感じだよな。

 

 

「いいや。……それよりほら、厨二病の研究をするから手伝いを頼む。これからするいくつかの質問に素直な気持ちで答えていってくれ」

 

 

 そう言って俺が夜なべをして書き上げた、チェック欄が用意されている紙を取り出す。

 

 厨二病って俺が言ったって明確な基準を炙り出せなければただの仮定の病に過ぎない。これはそのデータを取るための質問だ。

 

 

「神についてどう考えてる?」

 

「神……か。フッ……この愚かな世界を生み出した大罪人だろうな」

 

 

 ニヒルにキメてカッコつけて答えているが、半裸なのも相まってただの変態にしか見えない。

 

 

「じゃあ信仰していない?」

 

「信仰していないわけじゃない。しかし俺のような堕ちた者に神の加護が得られないのは当然だろうな」

 

 

 そう言って瞳の奥に陰りを見せながら寂しげに笑う。その様子は気になるが、質問のリストがある以上次の質問に移ることにした。

 

 

「漆黒の堕天使とかそういう言葉をどう感じる?」

 

「なぜ俺の前世が堕天使だと知っているんだ!? やはり貴様、前世の記憶があるのではないのか!」

 

「えぇー……天丼は勘弁してくれ」

 

 半裸で詰め寄ってくる傷だらけの男の絵面に顔が引き攣る。諸手を挙げて降参のポーズを取り、首を振って何も知らないアピールをすれば不承不承で引いてくれた。

 

 

「なに、漆黒の堕天使なの」

 

「堕天使は翼が闇に染まるゆえに皆漆黒だ」

 

「前世漆黒の堕天使のルスランさん」

 

「うっ……なぜだ、背中がなぜかむず痒い……?」

 

「そりゃ厨二病の自覚症状だから重畳だ」

 

「俺は堕ちた前世を恥じているというのか……? だからちゅーにびょーに罹ってしまったというのか!? それを気づかせるための質問だったというのか! ジュリア!」

 

「あー、うーん? そういう方向性で行くの? 前世のことを恥じないで生きていきましょう? 的な?」

 

「さすがはシスター! 全てわかっていた上で俺に自分で気づかせるよう誘導するとは! 素晴らしい手腕だ!」

 

 

 一転してテンションが上がり、希望に満ちた瞳で俺に感謝を伝えてくるルスラン。

 

 ……これで厨二病が治るわけない、よな? でもまあ当人のコンプレックスが一つ解消に向かっているみたいだし水を差す必要はないか、と乾いた笑いで見守った。

 

 しかしルスランがうるさくて宿の人が文句を言いにやってきたし、半裸のルスランと俺を見てそういう関係だと誤解されて生暖かい視線を送って帰っていきやがる。鬱。シャツを顔面にぶん投げてやったがルスランは普通に投げて渡してくれたと勘違いして受け取ってやがるし。殺意。

 

 

 

 

 

 

 

 上機嫌のルスランを引っ提げて、活気に満ちた都市の商店街を練り歩く。揃えなければならないものは色々とあるが、今日の目的は服だ。青年との戦いでルスランの服は裂けてしまったし、俺もシスターとして組織にバレてしまったから身を隠せるような服が欲しい。

 

 人通りの多い場所に出ると、たまに他人の無意識の視線が刺さるのを嫌でも感じる。それは顔だったり、胸だったり、スリットの入った太腿にだったり。

 

 俺は好きでこんな格好をしているが、それは自分でそういう格好をするのを楽しむためであって、見ず知らずの男に見られたいがためじゃない。俺も元男として気持ちは分かるから、見られるだけならなんにも言わないし好きにさせるがよ。

 

 逆にルスランが俺に興味がなさすぎじゃないか? あれでもそういうことに興味がある年齢だろうに、俺の下着を見ても全く興味を示さないとかどうかと思うよ。

 

 

 ふと買い物をしているルスランを見ると、とんでもないものを買おうとしていた。それは黒い皮で作られたグローブで、指の部分が作られてない。

 

 

「うわあああ指抜きグローブだ!」

 

「ん? このカッコよさげな手袋を知っているのか?」

 

「厨二病が進行するぅ!」

 

 バッと手にしたものを奪って店の陳列棚に戻すと、不満げな顔をされた。

 

 

「ダメだ。さらに言えば黒いコートも禁止だし、用途もないような銀色の装飾品、鎖なども言語道断。袖がないものも不可。あと絶対に白と黒以外の服をチョイスしろ」

 

「白と黒の色をした修道服を着た人間がそれを言うか」

 

「これは仕事着だろ。とにかくダメだったらダメ! ぜぇーったいに禁止だ」

 

「でもカッコいいだろう?」

 

「無難な服を選べ! 大衆のセンスに屈しろ!」

 

 

 ルスランはまくしたてる俺に対し、珍しく全面抗争の構えを見せた。睨み合い、まるで熟練の商人同士のような交渉が始まる。

 

 

「銀細工はわかった」

 

「何が欲しい」

 

「黒のコート」

 

「袖は」

 

「長袖」

 

「丈は」

 

「全身を包む程度」

 

「それなら服は譲れない」

 

「わかった。ジュリアが選んだのを買おう」

 

「よし、黒のコートだけだな」

 

 

 取引成立の合図に握手をして戦いは終わった。ルスランが黒のロングコートを購入し、俺がモブ御用達のような目立たない服をルスランに購入した。これならコートさえ脱げば完全に一般人として人混みに紛れることができる。

 

 ルスランの買い物はすぐに終わったが、俺はそうはいかなかった。

 

 俺の服選びには大変な問題が潜んでいた──

 

「なあ、これ良くないか?」

 

 清純な白のワンピースを試着した俺は、クルリとその場を一回転してみた。そう、なんでも似合うのが困りものなのだ。何を着ても似合うから、何を買えば良いのか分からない。美人に産まれるのも困ったなぁーっ! かーっ! 困った困った! 

 

 

「そんなに服選びに悩むなら、シスター服を隠せる上着を買えば良いだろう」

 

「えーやだー」

 

「じゃあそれでいいから買ってくれ。何時間試着してるんだ」

「対応が適当すぎる」

 

 

 んだよ。美人が次々とオシャレして笑いかけてるんだから、少しは目を奪われちゃってもいいんじゃないの? 試着を手伝ってくれている店員のお姉さんはあれが似合うこれも似合うって出してくれるって言うのによ。

 

 

「じゃあルスランが俺に似合う服を選んでくれよ」

 

「俺が?」

 

「さっきは俺がルスランの服を選んだし、ちょうどいいだろ?」

 

 

 仕方なし、といった様子でルスランが選んだのは紺色の落ち着いたワンピースだった。

 

 

「これでいいだろう。ほら、さっさと行くぞ」

 

「なぜこのセンスの良さを自分の服で発揮できない?」

 

 

 なんて少々悪態をついてみたが、自分に似合ったものだとは思う。俺は色素が薄めのぶん、淡い色合いの服を着てしまうと太って見えてしまう。

 

 紺のワンピースは俺の身体のラインをハッキリと出しているし、胸元にアクセントとしてつけられているレースも上品さを感じさせ、シスターの普段着としての品格を保っていた。

 

 さっさと店を出て行こうとするルスランを追いかけながら、案外しっかり俺を見てたんじゃないのかと胸のつっかえがとれて自然と笑っていた。

 



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7

 木の板を激しく叩く音がして、二度寝をしようとしていた俺は強制的に意識を覚醒させられた。こんな風に訪ねてくるような人物の心当たりは一人しかいない。

 

 寝ぼけ眼を擦り欠伸をしながら扉を開けると、珍しく焦ったような顔をしたルスランが立っていた。肩には白い鳩を止めていて、その鳩はくちばしに手紙を挟んでいた。

 

 

「なんだ、鳩でも飼ったのか」

 

「冗談はよせ」

 

 

 当然、俺はその鳩がなんなのか知っていた。教会だけが契約を許される使い魔であり、俺も先日厨二病に関しての手紙を持たせて放ったばかりだ。鳩はルスランから俺の肩へ渡ってくる。

 

 返事の手紙が来るにしては早すぎる気もするが、大人しく鳩から手紙を受け取ると鳩がクルッポーと鳴いて喜ぶ。

 

 そういやまだ来ないと思って、油断して窓を閉めていたんだったな。おおかた先に起きて窓でも開けたルスランの部屋に鳩が飛び込んだのだろう。

 

 

「ずいぶんと余裕だな」

 

「余裕? なんのことだ?」

 

「その手紙、強い封印がかけられている。君以外では触れることすら叶わないだろう。そして何より差出人だ」

 

「差出人?」

 

 

 言われて手紙を見ると、明らかに紙が上質のものだった。そして封蝋に刻印された模様は、どう考えても生まれ育った教会のものではない。

 

 無駄に豪華なその模様は、教会に所属する人間ならば誰だって知っていて当然のものであり、なおかつそこから手紙が届けられるという事態が飲み込めない俺は、情け無い声を上げた。

 

 

「へっ!? きょ、教皇!? なんで!?」

 

 

 それは全ての聖職者の頂点に立つ人間からの手紙だった。流石に直筆ではなく代筆だろうが、刻印は手ずから押されたものであることは間違いないだろう。

 

 

「心当たりはないのか?」

 

「あっ、あるわけないでひょッ!?」

 

 

 舌を噛んで痛い。涙目になりながら訴えると、ルスランは顎に手を当てて考え込む。

 

 

「ならばおかしいな。教皇といえど、そこらのシスター相手にそこまでの強力な術を手紙にかけるか? よっぽどの機密文書でなければここまではやらんだろう。組織からの罠かもしれんな」

 

「まっまままマジ? じゃあルスランが処分してくれ」

 

「もし本物だったらどうする? 流石に教皇からの手紙を燃やすのはマズいだろう」

 

「神を大罪人って言ってたのに教皇の権力には屈するのかっ」

 

「じゃあ燃やすか? 俺は構わないぞ」

 

「ごめんなさいやめて下さい」

 

「俺が見ていてやるから早く開けろ。俺は朝早くにそいつに起こされるし叩いても君は簡単に起きないしで今寛容じゃない」

 

「はい……開けます……すみません……」

 

 

 薄目にして手紙を持ち、覚悟を決めて一気に開ける。

 

 

「……なにも起きないな」

 

「つまりホンモノってことなのか……うわーすっごい読みたくない」

 

 

 しかし読まないわけにもいかない。肩に止まった鳩に見守られながら手紙を読み始める。うわ、この紙透かし加工がしてあって、朝日で教皇の刻印が浮き出てくる。ますます偽物なわけがないので、半分脅されているような気持ちで読み進めていく。

 

 手紙は長々と書かれているので読むにも時間がかかり、どんな内容なのか気になっているルスランの視線が刺さる。

 

 

「……ふぅーっ、なるほどな」

 

 

 俺が読み終わると手紙は鳩と共に空中に溶けるように消えていってしまった。うわーファンタジーだなぁ。このメッセージは自動的に消滅するって奴の魔法バージョンって感じじゃんか。

 

 

「で、手紙が来た理由を俺が聞いても構わないのか? それとも答えられないか?」

 

「言っても大丈夫だと思う。ってかこれ俺一人だと手に余るわ。ルスランにも無関係じゃない感じだし、良ければ手助けして欲しい」

 

 

 どうやら俺がのんびり過ごしている間にとんでもないことが起きていたらしい、ということが手紙から分かった。

 

 

「まず、この都市にいま教会関係者は俺しか居ない……らしいんだ。他の教会関係者は皆こつぜんと姿を消しているらしい。とにかく気をつけるようにと書かれていた」

 

「なるほど、昨日の襲撃者は俺を追った組織の者かと思ったが君を狙っていたんだな。どうりで脇が甘いわけだ。合点がいった」

 

「昨日? 襲撃者? ちょっ、聞き捨てならないんだが」

 

「ああ。言ってないからな」

 

「待て、待て待て。次々に発覚することが多すぎて頭が追いつかない。とにかくそれについては後で問い詰めるから続きを言うぞ」

「わかった」

 

「で、教会関係者が消されている理由……ここからが話の肝というわけだ」

 

 

 コホン、と咳払いをしてから話を続ける。

 

 

「今代の聖女が見つかった。そして聖女の力を狙った都市の代表が聖女を幽閉している可能性がある」

 

 

 聖女とは、この世で唯一神の言葉を直接聞くことができる存在だ。大抵は天使を通じて天意は示されるが聖女だけは別であり、神の代理人として尊ばれる。それだけでなく聖女は失われた聖句を紡ぐことすら可能であり、現在、過去、未来、のありとあらゆることを知ることすら不可能ではないという、神に寵愛を受けた存在だ。その力を狙う存在がいることも不思議ではない。

 

 

「……なるほど、それは大事だな。しかしそんな手紙がなぜ君の元に届く。そして俺も無関係じゃないとはなんだ?」

 

「俺もよくわからない部分が多いんだ。多分教皇も分かってない。なぜかっていうと、教会は最近発見された先代の聖女の預言を基に動いているからだ」

 

 

 恐らくこのタイミングで意図的に発見されるよう先代の聖女によって仕組まれていた預言は、教会に大混乱を招く結果となった。巧妙に隠された教会関係者の失踪の判明、聖女の登場、そして幽閉。

 

 本来なら教会は即座に聖騎士を動員して聖女の救出に向かうはずであった。

 

 

「ただ、この預言の一節を聞けば分かると思う。『神光を宿す剣を以って囚われし聖女は解放される』……これってルスランが前襲った青年の剣のことだよな」

 

「気づいていたのか」

 

「そりゃシスターやってりゃな」

 

 

 教会はまだ青年のことについて知らないようだ。ルスランがどうやって青年について知り得たかは聞かないが、正に“鍵”を握っていたって訳だ。

 

 

「教皇は俺に聖女を救出しろって言ってるんじゃない。聖女が無事であるかを確認して事態を報告するように求めている。……もっとも出来ればって感じで期待されてはいないみたいだがな」

 

「預言通り彼に助けられるまで見守っていろということか。ハッ、馬鹿らしい。だから神は愚かなのだ」

 

「じゃあ止めるか?」

 

「……いいや、実に不本意ながら教会と俺の方針は同じだ」

 

「じゃあ聖女の無事を確かめにいくってことでいいな?」

 

 

 ルスランは心から嫌そうに頷く。今回ばかりは信仰心のなさを注意することは出来ない。この世界には誰の目にも明らかに神の恩恵があるものの、前世のように神が実在することを信じるのが信仰ではないからだ。実在してしまうからこそ信じることはできない。厨二病などと侮ってはいたが、きっとルスランの信仰心のなさの本質はそこにある。それさえなんとかなれば若干カッコつけた虚言癖のある人間に……それはそれで問題あるわ……。

 

 

「こんな時だが一つ聞いていいか?」

 

「何だよ」

 

「なぜ俺の服を着ている」

 

「あっ」

 

 

 しまった。寝間着から着替えて扉を開けるのを忘れて出てしまった。

 

 この服はルスランが青年に斬られた時に着ていた服で、もう使えないから捨てる予定だったものだ。俺は俺に似合うかわいーい寝間着しか持っていないので、利便性というものを考えていなかった。だからシャツを見た時に寝心地の良さを優先してうっかり着てみたところ、なかなかによく眠れたのでそれからも時々着ていた。

 

 はっっっっずい。寝間着なんて絶対バレないだろうから着ていたのに。男物のシャツはやっぱ楽だなって着てただけで彼シャツ的な格好する俺ってばエロくねって邪さは断じてないのであってあばばばば。

 

 こうなったら開き直ってペースをこちらが握ってしまえば勝ち! 先手必勝! 

 

 

「興奮したか?」

 

 

 胸元を摘み上げてシャツを着ていることをアピールしてみる。男物のシャツは俺には大きくぶかぶかだが、胸元は違う。そして胸元が裂けているから下乳が覗いているし、なかなか叡智なんじゃねぇの? 

 

 

「いいから着替えてくれ」

 

「ちょっ、マジでそんな冷たい声で言わないで」

 

 

 寝起き最低機嫌悪い系男子の脅しに屈した俺は即座に着替えようとシャツに手をかける。

 

 

「ここで着替えるな!」

 

「なんでだよここ俺が借りてる部屋だぞ」

 

「……っ!」

 

 するとルスランは顔を真っ赤にして扉をバンと閉めて出て行ってしまった。これは俺の勝ち、で良いのか? 

 

 しかし昨日襲撃があった件を聞く前に出て行ってしまったってことは結局負けってことじゃないのかと気づいてしまった俺は、ベッドに転がりながら落ち込んだ。

 

 

 

 

 

 どうやら俺はふて寝してしまったらしい。またもや夢の中で“ジュリア”と睨み合っている。冷たい金色の瞳は、俺の戸惑いを含んだ視線を映していた。

 

 このままいつものように目が覚めるまで睨み合いを続けるのだろうと思うと、疲労感がどっと押し寄せてくるが、女はなにも変わらない。いつもと同じ格好をして、いつもと同じように俺を下に見て睨んでくる。

 

 しかし、今日ばかりはいつもと違うことが起きた。

 あれだけ俺が何を言っても口を開かなかったのに、当たり前のように女が口を開いたのだ。

 

 

「もうすぐ終わるわ」

 

 

 透き通った綺麗に響く声だが、その言葉には簡単に言い表すことのできないような憎しみや嘲りが含まれていた。

 

 

「なにが終わるんだ。この夢か? それとも他の何かか?」

 

 

 俺が問いただしても女はなにも言わない。まるで虫ケラをみるようにして俺を否定し続けている。

 

 

「……それはもしかして聖女ってのに関係することか?」

 

「ふふ、ふはは、あははははは!」

 

 

 女の笑い声に呼応するかのように突風が巻き起こる。吹き飛ばされそうになった俺は地面に手を置いてうずくまり、必死に抵抗する。

 

 

「いけないわ。わたくしったらこんな笑いかた。笑いたいのをずっと堪えていたせいね。……ふふふ、アナタのことはとても嫌いですけれども、哀れに踊る様は嫌いではありませんわ」

 

「哀れ? 俺が?」

 

「男の癖に女の真似事をして、必死になって自らを繕い……なんと醜いのでしょう」

 

 

 歌うように紡ぐ言葉は呪いそのものだった。俺のコンプレックスを穿たれ、初めて女の前で顔を歪めてしまう。

 

 女は、当たり前だが、ずっと"ジュリア"であり続けている。しかし俺は違う。ここに初めてやってきた時はまだ子供の時代で、しかし俺の外見は前世の姿だった。それから何年もかけて少しづつ自意識が変化して、数年前にようやくジュリアの姿として確定された。時にジュリアであったり、時に前世であったり、実に不安定な姿であったことは女も知っていることだ。

 

 

「たしかに俺は未だに自分は女だって心から信じ切れてはいないのかもな」

 

 

 姿はジュリアになったが、まだ男だった前世の心のままでいるつもりでいる。男と恋愛なんてごめんだって思っていることからもそれは明らかだ。だから女にとっては精神世界といえるこの場所で、ジュリアの姿でいる、ということは偽りなのかもしれない。

 

 

「俺を恨むといいさ、憎んでいればいいさ! だがどれだけ否定しようが、残念ながら今の"ジュリア"は俺だ! これだけは覆しようのない事実だ!」

 

 

 俺は吠えるように、自分を守るように叫んだ。

 

 

「ふ、ふふ、ふふふふふ、ほぉら、哀れに踊ってるわぁ」

 

 

 女は人差し指と中指を地面に向けて、脚に見立てて踊らせた。女にとってはアレが俺なのだろう。

 

 

「じゃあね、ジュリアちゃん。次会うときは……ふふ、楽しみにしていて。それまで死んじゃやーよ?」

 

 

 突風が強まり、ありえない力で身体が吹き飛ばされる。俺は初めて追い出されるようにして覚醒したのだった。

 



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8

 俺達は手紙にあった情報を元に、聖女と接触すべく計画を立てる。幽閉されているのは、裕福な貴族や商人が住まう城塞都市の中でも、更に名のある貴族が館を建てているような区画にあった。館というよりも城のようないでたちの建物だ。

 

 巡回の騎士も多く、ただの一般人が迷い込めるような場所ではない。本来ならばシスターという立場を利用して潜り込めるはずだが、教会関係者が次々と失踪しているらしいので、いつもの姿で迂闊に動くのは危険だ。

 

 ということで。とりあえず俺は、助けてルスラン先生! って泣きついたわけだ。

 

 

「任せろ」

 

 

 ニヤリと笑いながら自信満々に告げたので、ルスランの実力を信じて頷いた。今思えば、穏便なやり方をルスランが取るはずがなかったのだが。いや、彼なりには穏便なやり方を選んだのかもしれない。

 

 ルスランは俺に宿で待つように言って、小一時間ほど出かけた。いったい何をしでかしてくるのかと思えば、大袋に荷物を入れて帰ってきた。これで袋が唐草模様ならば完璧だったな。

 

 

「なんだその袋、泥棒でもしてきたのか?」

 

「ああ」

 

「マジ?」

 

 

 大袋を広げると、騎士の鎧と使用人の服が入っていた。

 

 

「なるほど、変装ね」

 

「屋敷に入るまではコレでいく」

 

「どこから入手してきたか聞いてもいい?」

 

「騎士の宿舎と使用人の寮に忍び込んだ。だが安心するがいい。バレてない自信がある」

 

「そんな輝いた目で犯罪を自慢しないで……」

 

 

 事態が事態なので、後で教会に手紙を送り、犯罪を犯したことを詫びなければ。そうすれば教会が被害者に手を回してくれるはずだ。

 

 俺ではなくルスランが犯したから今のところ俺自身の罪にはなっていないが、教会の者は罪を犯せば神より授かった力を失ってしまう。それには温情などなく、仕方がない事態だろうが関係ない。

 

 どうしようもない事態になって犯した罪は贖罪として鞭打ちや苦行を行い、神へ詫び、再び力を授けてくれるまで修道院で過ごす。

 

 これ以外にも聖職者は様々な制約を伴う。だからこそ尊敬される仕事でもあるわけだ。

 

 これから行う不法侵入は犯罪ではないのかって? 

 

 殺人や窃盗、強姦など聖書に記された項目でなければ適用されないので大丈夫だったりする。だから教皇からの手紙で様子を見るよう書かれているという訳だ。盗品を着るから犯罪スレスレなのは間違いないがな。

 

 ルスランは騎士の格好、俺は使用人の服──つまりは、いわゆるメイド服を着て、聖女が幽閉されている館に向かった。メイド服にテンションが上がったが、ロマンの分からんルスランは、お前の着方はスカートが短くないか? としか言ってこなかった。生活指導の教師かよ。

 

 

「そうだ、結局襲撃者ってのについて教えてもらってないぞ」

 

 

 俺が蒸し返すと、ルスランはなんてことないように淡々と話した。

 

 

「君が服を着替えている時に見張られていることに気がついた。話しかけると周囲に潜んでいたと思われる数人に襲われ、戦闘に発展したので、倒した」

 

「それだけ?」

 

「ああ。……だが今思うと俺は腑抜けだったな。何者が襲ってきたのか確認すればよかった。やけに素直に逃げ帰ったから見逃したが、あれは情報を抜かれるのを警戒して撤退したんだな」

 

「じゃあ教会関係者を襲ったのが何者かってのはわかんないままか」

 

「いや──あれは間違いなく人を乗っ取った悪魔の気配だった。組織には違いないだろう」

 

「じゃあ聖女を幽閉してるのは悪魔関係? それって大問題じゃないか!」

 

 

 深刻な現状に沈黙が落ちる。預言されているってことは聖女はそうやすやすと死ぬことはないだろう。しかしそれでも放置しておくわけにはいかない。

 

 俺達は気を引き締めて聖女の下に向かった。

 

 

 二人並んで歩いているのはマズイので、ルスランを追うような形で貴族街を歩く。目的地に着くまでに何かあるわけもなく、侵入までは実にスムーズに事が運んだ。

 

 

「館の人間になると皆顔見知りの可能性がある。バレないように進むから、俺についてこい」

 

 

 鎧を脱ぎ、生垣に隠しながら言った。頷くとルスランに手を取られ、導かれながら建物の中に入っていく。鎧の下は黒のコートを基準に俺がコーディネートした服を着ている。この格好、完全に最初登場した時はキャラデザ固まってなくて、再登場する時にようやくキャラデザ固まってるタイプの敵キャラじゃん。

 

 ルスランはセンサーでも搭載しているかのように人を避けながら進んでいた。ルスランが止まると人が横切るし、咄嗟に扉を開けて部屋の中に隠れた時も部屋に人がいたことはなかった。

 

 

「どうしてわかるんだ?」

 

 

 静かな部屋の中、小声で聞くとルスランは耳を指差した。

 

 

「昨日の隣の寝言も聞こえてたぞ。パン〜とか、シチュー〜とか」

 

「俺の寝言そんなわんぱくなの?」

 

「そうだぞ」

 

「寝言は自制がきかないから余計に恥ずかしいな」

 

 

 

 その後もルスランのやけに慣れた手引きの元で館を進み、難なく聖女が幽閉されていると思わしき部屋の前にまでたどり着くことができた。聖女を幽閉している割には警備が手薄な気がしてならない。もしかして、予言に反してこのまま聖女を連れ出せるのではないか、と思ってしまうほどだ。

 

 

 本来ならば、聖女の無事さえ確認できればそれでいいのだ。館の外から窓越しにチラリと見るだけでも十分目的は果たせる。

 

 あまりにあっさりとしているので、俺たちが綱渡りのような危険な状態に置かれていることを忘れてしまいそうだ。

 

 

「俺はここで見張りをしている。ノックを3回したら危険の合図だ。すぐに出てこい」

 

「わかった」

 

 

 意を決して聖女のいる部屋に入ると、館の中でも賓客のための部屋と思われる、豪華絢爛な内装が目に刺さった。

 

 そして部屋の中央には金髪碧眼の、それはもう美しい少女がベッドに横たわっていた。手枷と足枷をつけられていて痛々しい。必死に逃げようとしたのだろうか。擦れて痛々しい傷になっている。

 

 聖女は自らのために祈れない。聖職者は自分の傷を癒せるが、聖女は神の言葉を受け取る存在。神に祈る者であって、祈られる者になってはならない。

 

 それは過去、神の代理として名声を集めた聖女がその力を濫用し、神の如く振る舞った戒めと伝わっている。もっとも、多くのものに知られると不利益なので教会の者くらいしか知りはしない。

 

 

「聖女様……!」

 

 

 俺は咄嗟に聖句を唱え、傷を癒した。神光の眩しさに、聖女が目を開く。

 

 

「……あなたは?」

 

「私は教皇の使いです。聖女様を助けにきました」

 

 

 本当は助けに来たというわけでもないが、この状況で顔を見て帰るだけというのもおかしな話だろう。

 

 しかし聖女は、俺の言葉に迷うことなく首を横に振った。

 

 

「あなた、聖句を使えたということはシスターね。ダメ。私を助けたら死んでしまうわ。前に私を助けに来た人たちはそうなったの」

 

「ではこの街の聖職者が皆消えているのは、聖女様を助けようとして?」

 

「ええ、悪魔は神の僕が嫌いよ。そして私を攫った悪魔はとても強いの。だからダメ。でも安心して。私にはもうすぐ助けが来るっておっしゃっているから」

 

「それは、神光を宿す剣によって?」

 

「知ってらしたの。ええ、そうよ。彼がこの先世界の命運を左右するという神託があったの。迎えに来るのは彼だけど、実際に迎えにいくのは私よ」

 

 

 つらつらと、彼女は歌うように述べた。どこか超常的な雰囲気纏う様は、まだ幼いながらに、聖女というものに相応しい格を備えているのだと感じさせる。

 

 

「でももし……」

 

「そうかもしれないわ。でも、私なりに一生懸命足掻いてみるから大丈夫よ。聖女様を信じて」

 

 

 聖女は歯が見えるくらいにっこりと笑った。見た目通りのか弱い乙女ではないという主張だろう。

 

 

「それでも、そのお手伝いくらいはさせてください。他にお怪我はありませんか?」

 

 

 聖女は意外そうに驚いた後、頷いた。

 

 

「ありがとう。じゃあ恥ずかしいけど、背中の怪我を治してもらえるかしら」

 

「喜んで」

 

 

 聖女が背中をこちらに向けると、血が服に滲んで乾いたような跡があった。いったい幽閉されている間に何があったのだろうか。

 

 俺は背中のボタンを、聖女の背中の傷に触れないよう丁寧に外していった。ひとつ、またひとつと外すたびに怪我が明らかになる。

 

 背中には、獣に爪で傷つけられたような酷い怪我の痕跡が残っていた。聖女はこれを隠し通して過ごすつもりだったのか。仕事柄、怪我に顔色を変えることは良しとしないので平静を装ってはいるものの、内心穏やかではない。

 

 

「さぞ痛かったでしょう」

 

「……でも聖女は弱みを見せちゃいけないって。悪魔につけ込まれる隙を作ってはいけないって、先代が言ってたの」

 

「先代をご存知なのですか」

 

「ある日ね、天使様みたいな人がやってきたと思ったら聖女だったの。そして貴女は次の聖女ですって……もう7、8年も前の話だから、抜けちゃってるところはあるかもしれないけど」

 

「先代は他に何か?」

 

「悪魔が集う組織のこととか……私が無事に成長するように守りの聖句をかけてくれたし、色々。たった一日のことなんだけど、不思議と記憶には強く残ってるの」

 

「大切な思い出なんですね」

 

「……うん」

 

 

 聖女は過去を思い出しながら、年相応の笑顔を見せてくれた。にしても、聖女が存命中に次の聖女が決まっていた、なんて初めて聞く。

 

 なにからなにまで特例尽くしの聖女だ。きっと、それだけ大きな事態が差し迫っているんだろう。なにかは分からないが、青年、ルスラン、そして組織。何もかもが一直線に繋がっている出来事なのだろう。俺は依然として無知で良いのだろうか。こんな小さな子が一生懸命背負っているものを知らんぷりして。

 

 この少女がどれだけの重荷を背負わなければならないのだろうと考えると、傷だらけの背中を治すだけでは足りない気がする。なにかこの俺でもしてやれることがあるならばやっておくべきだ。安っぽい正義感だが、その衝動に従う。

 

 

「聖女様、少々無礼を働きます」

 

 

 断ってから、俺は聖女の身体に後ろから抱きついた。聖女は驚いたが、そのまま俺を受け入れた。右手で頭を撫でながら、左手は聖女様と手を繋ぐ。

 

 

「すみません。聖女様に色々背負わせてしまって」

 

「あなたが謝ることじゃないのよ?」

 

「それでも、です。人々を代表して」

 

「優しいのね。……ありがとう」

 

 

 小時間だが、それでも穏やかな静寂が部屋に満ちる。そこで聖女が鼻を啜る音を聞いた。ああ、敵陣に飛び込んできた甲斐はあるな。離れた後聖女のボタンを留めながら、俺はそう思った。

 

 ノックが3回して、急いで部屋を出る。もちろん聖女に礼は欠かさずに。聖女は、まるで友人が帰る時のように親しげに手を振ってくれた。

 

 ルスランに呼ばれて顔を出すと、緊急事態の割には呑気に立ち止まっていた。

 

 

「妙なんだ。下が騒がしく、人はほとんどそちらに行ってしまっている」

 

「まさか……預言にあった通り青年が聖女を助けに、とか?」

 

「その可能性は十二分にあるな。そして好都合でもある。今ならバレることもなく脱出できそうだ」

 

「でも下は騒がしいんだろ?」

 

「窓から飛び降りて脱出する」

 

「さらっと俺を殺さないでくれ」

 

 

 ルスランは通路の突き当たりにある、立派なガラス窓を指して言った。たしかに人が十分通れる大きさだが、俺はただの一般人ということを忘れないで欲しい。

 

 

「俺が背負えば大丈夫だ」

 

「本当か? 死んでからじゃ遅いんだからな」

 

「この高さから突然落ちるなら俺でも危ないが、魔法で障壁を構築しながら降下するから大丈夫だ」

 

「わかった。信じるからな」

 

 

 話し合いがまとまった時、突然第三者の声がした。

 

 

「我が領域から容易く帰還できると考えているとは痩せた頭よ」

 

 

 目の前から光学迷彩のように忽然と現れたのは、頭部に角を携えた人間。角は悪魔に乗っ取られていることの証だ。乗っ取ったのはよっぽど強い悪魔なのだろう。赤黒い角は鋭く長く伸びている。

 

 目の前の悪魔は、階下の騒ぎを聞きながら笑う。

 

 

「フフ、運命の歯車が動き出すのを感じる。なぁ、ルスラン」

 

「貴様、イヴリスか……!」

 

「かりそめの平和に酔いしれる愚かな傀儡どもが、我らを迎え入れるのも無理はない。耳ばかりが長い女を追って定められし羊どもが舞い込んだと思えば……お前も来ていたとはな」

 

 

 何を言っているかはさっぱりわからないが、ルスランとイヴリスとやらは旧知の仲のようだ。ルスランの殺意がそれを物語っている。

 

 

「部下に再び相見えたことを喜ぼうぞ、ルスラン──いや、アゼル・キブル・アニュス・デイよ」

 

 

 消えた──いや、違う。首に腕をまわされた! イヴリスは一瞬で俺を人質に取り、アゼルなんちゃらこんちゃら──いやルスランを挑発する。

 

 

「なんだ、羊かと思えば傀儡の召使いとは。つまらぬ」

「くっ、ジュリアを離せ!」

 

 

 俺はあっけなく人質に取られるし、ルスランは迂闊に手出しが出せないでいる。絶体絶命というやつだろう。しかし、そんなことより。俺はあることに頭を支配されていた。

 

 

「おっ、おお、おまっ」

 

「塵芥にも劣る愚昧の僕が震えておるわ、ハハハ」

 

「お前のせいか──っ!」

 

 

 俺の渾身の肘鉄がイヴリスの鼻に命中した。

こんな時に攻撃は悪手だと思うよ。でもルスランが今まで苦しんでいたのはしょうもない厨二病のせいで。

 

 そして、元上司と思われるコイツは明らかにノムリッシュみてぇな野郎だ。いったいどれだけの悪影響を及ぼしていたんだと思うと、頭に血が上る。俺の膨れ上がる殺意がそうさせてしまったのだ。肘鉄は油断していた敵にクリーンヒットし、後ろにふらつかせた。これだけならばまだ起死回生程度だった。

 

 しかし、後ろにふらついた敵はガラス張りの窓にぶつかり、ちょーどよく生えた角がパリーンとガラスを割り、勢いよく落下していった。この時のルスランの、目玉が飛び出るほど驚いた顔は一生忘れないだろう。

 




読みにくいと言われたので読点入れたり会話文の間に改行とかしてみました。良くなってるかはわかりません


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9

「なっ、なあ、俺、人殺しちゃった感じか!?」

 

 俺は情けなく裏返った声で叫んだ。悪魔に身体を乗っ取られている人間に対しての保身が認められているとはいえ、まさか肘鉄一発が殺人を招くとは考えていなかったので、動揺せずにはいれなかった。

 

「いや流石に……きっと……組織の幹部が憑依体といえど……うん……どうだろ……?」

 

「ひっ、人殺しか!? 俺!? どうしよう」

 

 前世から数えて俺は暴力とはほど遠い人生を送ってきた。なのにここに来て人殺しになってしまった。どうすればいいのかも分からずに狼狽し、みっともない姿をルスランに晒した。

 

 それがかえって動揺したルスランには良かったのか、先に平静を取り戻した。

 

「気になるなら降りて確かめてみればいいだろう。ほら、来い」

 

 言われた通りにルスランに近づくと、横抱きにされた。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。

 

 ルスランは割れた窓から空中に飛び出し、ふわふわと魔法で空中の速度を低下させながら落下する。何やら複数の術を使いながらの自由落下は高度そうな感じもするが、俺にはその原理がさっぱり理解できない。

 

 

「だ、大丈夫ですか~? 死にましたか~?」

 

「愚昧の僕め……! よもやここまでの策略を張り巡らせていたとは」

 

「良かった~生きてた~」

 

「くっ、邪悪なる意思が巡る限り我々は滅びぬぞ……! カハッ……!」

 

「虫の息だがな。ほら、憑依も維持できなくなったようだぞ」

 

 

 目の前でイヴリスの憑依は解除され、後には死にかけの貴族服を着た男性だけが残った。俺は自分が人殺しになりたくないという利己的な理由から男性に治癒を施す。

 

 

「そうだ、こいつ悪魔崇拝してやがる! 効きがルスランより薄っすいんだが」

 

「格好といいこの屋敷の主人だろうな。悪魔崇拝に浸り、ついにはイヴリスに身体を乗っ取られたと見える。この館がなぜ組織にいいように使われてきたのか理由が見えてきたぞ。しかし妙だな。なぜ聖女はすぐ殺されず幽閉された……?」

 

「人が精神すり減らしてる横で考察しないでくれ! こっちは必死なんだよ! っていうか、素直に考えれば聖女の力の悪用だろ」

 

「たしかに聖女の力は凄まじい。だが、奴等にとっても危険なはずだ。一瞬で祓われてしまう」

 

「じゃあなんで聖女は自力で逃げずに囚われていたんだ?」

 

「……! そうだ! 聖女の幽閉! それこそが悪魔ではなく堕天使の関与の証拠となる! そもそもイヴリスは組織の中でも堕天使を従えてきた! なるほど、見えてきたぞ」

 

「俺は何にも見えてないがな。というかマジに黙っててくれ」

 

「つまり主導は組織の中でも堕天使陣営な訳だ。それもごく最近に活発化している。その上独断でな。ならば最近堕天した奴が預言や青年のことを知ってイヴリスに伝えたのだろう。これは預言を利用した青年を誘き出すための罠!」

 

「……で、肝心の罠って?」

 

「それは……」

 

 

 言いながら、ルスランは目線を死にかけの男性に移す。確かに組織の幹部が急襲するならば、憑依体といえど青年の力量ではひとたまりもないだろう。

 

 

「まさかね……」

 

「まさかな……」

 

 

 きっと青年を陥れる凄まじい罠が仕掛けてあるに違いない。俺の肘鉄が堕天使たちの全ての計画を砕き、預言を成就させたとかいうそんなことはないはずだ。

 

 青年が心配だなぁ。罠がこれから青年を待ち受けているはずだ。館をこっそり上がった俺達では気づかなかったような凄い罠があるはずだ。

 

 そう言えば今更だが、イヴリスが姿を隠していたのはなんだったのだろうか。まさか、青年を襲うべく待機していたとか、そんなことはないだろう。

 

 考えごとをしながらの聖句は慣れているので男性は死にはしなかった。が、生死の境を彷徨いながら意識を取り戻したとき、俺を見て

 

 

「天使様だ……」

 

 

 と言いながら再び気絶したのは少々納得が行かない。悪魔崇拝だったんだろお前。手のひらクルクルで聖句がすんなり効くようになったが、心変わりが早すぎるぞ。ルスランもこれぐらい楽なら良いんだが。

 

 さて、男性を治した後、俺達は館を脱出することにした。

 

 ルスランが心配する罠とやらがあるのか確認したいところだが、騒ぎは大きくなっているようで今を逃せばとても脱出など出来なさそうだからだ。

 

 しかし青年と聖女の預言にもあるため大丈夫だろう。少々身勝手だが、さすがに騎士団が動員されている様を前に呑気にはしていられない。

 

 ルスランは隠していた鎧を着込んで、俺はメイド服をある程度整えて、無事に脱出した。

 

 

「あのイヴリスの奴のこと、元上司って言ってたよな」

 

「イヴリスは組織の上層部であり、堕天使の転生者であった俺直属の上司だった」

 

「なに、四六時中一緒にいたとか?」

 

「四六時中とまでは言わないが、前世を含めてかなりの時間を共にはしたな……。俺の忌まわしき記憶だ」

 

「良かった。忌まわしきとは思ってくれてるんだ。あの喋り方をカッコイイとか言ってたらぶっ飛ばしてたわ」

 

「3、4年前の愚かな俺は、あの喋り方に憧れて真似をしたものだった……」

 

「それ組織内で言葉通じてたん? 連絡に不自由ありすぎるだろ」

 

「実際あったな。だがそれをいかに汲み取り、行動するかが大事なわけだ」

 

「うわ……引くわ。なんだその組織」

 

「天上の主人もまた明確な答えを下さらないお方であった。近かったイヴリスにとっては特にな。それが当たり前のことであったのだろう」

 

「ねえ、予想以上に重い事情にツッコミ入れられないんだけど。神様ってパワハラ上司なわけ?」

 

「ジュリアがそんなことを言っては治癒の力を失ってしまわないか?」

 

「大丈夫大丈夫、不敬なことを考えたのはこれが初めてじゃないけど変化したことはないから」

 

 ルスランは目を見開いた後、どこか遠くを見つめながら悩みだした。

 

「むう、信仰とは一体どのようなものなのであろうな」

 

「さあな。俺の前世じゃ神様が実在するってことが信仰だったんだが、この世界じゃ神様の存在は明らかだ。その上の信仰ってやつは、案外俺もよく分かってないんだわ。ただ、神様の与えるチカラってのは敬うに値するものだと心から信じてる」

 

「しゅーへーという奇妙な名前からも思ったんだが、ジュリアの前世は異世界か」

 

「ああ。そういう前例とかってあるのか?」

 

「さあ、俺は知らんな。……ただ異世界があるのは天使の職務上知っていたから、前例の可能性はあるとは思う。でなければ異世界について知る術もないだろうしな」

 

「ふぅん、そういうもんなのか」

 

「そういうもんだ。堕天してから数十世紀も経っているし、人間に転生してるから情報は定かではないが」

 

「そっか」

 

「淡白だな。もっと前世の異世界のことについて知りたがると思ったんだが」

 

「んー、今の俺はジュリアだしなぁ。ルスランだってそうだろ?」

 

「確かに気持ちは分からなくはない、な」

 

 

 お互いどこかむず痒い気持ちになって話を打ち切った。前世のこととか、きっと厨二病なルスランでなければ他人に一生話すことはなかっただろう。

 

 俺の心の奥底にしまってあることを、こんな風に雑談で消化してしまうことが、自分自身とても意外だった。ルスランも同じ気持ちのようで、顔を合わすことなく前を向いて歩いている。

 

 俺達は宿屋に帰ってくるまで言葉を交わさず、どこか変な空気になりながら帰路についていた。

 

 

 

 

 教皇への手紙なんて初めて出すので書式とか全く分からないんだが、普段の報告書みたいにして大丈夫だろうか。調べられない以上どうしようもないので大人しく書き進める。ああ、G〇〇gleが恋しい。しょうもない、いかがでしたか? タイプの記事が引っかかってそうだが。

 

 ほどほどにルスランのことはぼかしつつ、ただの患者兼協力者として名を残す。見るからに怪しい気もするが、他に手段もない。それに悪意のある嘘は聖職者の制約に引っかかるから、向こうが信じてくれることを期待しよう。

 

 白い鳩を使い魔として呼び、手紙を持たせる。これで俺の任務は完了だ。

 

 手紙がやってきた時はヒヤヒヤしたが、終わってみれば楽な仕事だったじゃないか。これで昇進待った無しだな。

 

 俺は全ての仕事を終わらせた後、晴々とした気持ちで背伸びをした。

 

 

「なあ」

 

 ルスランに呼ばれて振り返る。

 

「前は組織のことについて知る必要がないと言っていたが、今はもう知らなくてはならない段階だろう。イヴリスに顔を知られたのが不味い」

 

「……やっぱり俺、結構ヤバい立ち位置にいる?」

 

「それも一連の騒動の中心に近い、な。教皇が直接手紙を渡してきたというのにまだ普通のシスターでいたつもりか」

 

「うわーっ、やだーっ、教会に帰りたいーっ」

 

「このまま教会に帰っては余計に迷惑がかかるぞ。諦めろ」

 

「なぜこんなことに……? ただ厨二病を治そうとしていただけなのに」

 

「異世界人の記憶を持った普通のシスターなぞ、一連の騒動を抜きにしても異端だろう。ほら、話をするから座れ」

 

「うう……分かったよ……従いますよ……」

 

 とぼとぼとルスランと向かい合うような形で椅子に座る。

 

 修道服ではなくメイド服を着たままなので、足元がスースーしておぼつかない。座ると露わになる太ももが肌寒い。

 

 

「話はそう──今から二十万年、いや四千年前だったか。すまない。前世の記憶は曖昧でな。とにかく、謀反を起こす前のイヴリスは様々な名前で呼ばれていたんだ。だから何て呼べばいいのか。ああ、聖書にはこう書かれていたな。ルシファーと」

 

「──え、マジ?」

 

「そう。ルシファーは神に最も愛され、最も近い存在だった」

 

「あんな野郎が!?」

 

「ああ。ルシファーだけが神に直接会って言葉を交わすことができる権能を有していた。だが、何を思ったのか傲慢のまま神に謀反を起こし、堕天した」

 

「どこからが厨二でどこからがガチなのか、線引きが全くつかねぇ」

 

「そのルシファーの権能は4つに分けられ、4人の天使に与えられた。ミカエルに剣を。ガブリエルに短剣を。ウリエルに弓を。ラファエルに槍を。そして何を隠そう、青年の持つ剣こそミカエルの剣だ」

 

「そんなやべぇもんだったのかと驚けばいいのか、イヴリスの持ち物だったんかよとツッコめばいいのかわかんねぇ」

 

「堕天使が青年を狙う理由は言わずもわがなだろう。青年の剣は堕天使陣営を率いるイヴリスの権能の断片だ。奴としては自分のものを取り返したいだろうな」

 

「取り戻すとマズいのか」

 

「一つ取られた程度では、堕天使陣営の戦力が大幅に増強されるに留まるだろう。──だが4つ揃えば、堕天使が神に触れることを許してしまう。一体どんな風に世界が変質してしまうか。想像すらできない」

 

「じゃあその4つを守り通すのが人類の使命ってわけか?」

 

「どころが、だ。その4つが今、1人の人間が所有していると言ったらどうする?」

 

「へっ!? ……それはつまり、あの青年が全部持ってるってこと?」

 

 

 マジかよ。アニメなら1、2クールかけて出す情報が一気に迫ってきて処理できねぇ。

 

 

「青年はミカエルの転生者だ。ミカエルは天界で騒ぎを起こし、他の3つの権能を奪い人間に変わった。一体何が起きたのかは、その時既に堕天していた俺には分からない。だが何かが起きて、ミカエルはそのような凶行に走ったのだろう。真面目な奴だったからな……」

 

 ルスランにしては珍しく、穏やかで何かを懐かしむような顔をしていた。

 

「幸いなのは、ミカエル自身が権能に鍵をかけていたことだ。今青年はミカエルの剣しか使うことができない。だから組織が本格的に青年に手を出すのは、4つの権能の鍵が全て無くなってからだろう」

 

「その鍵ってのはなんだ?」

 

「精神的なものか、物質的なものか、はたまたその両方か。情報はミカエルしか知り得ないだろう。だからこその鍵だ」

 

「……あれ? 今気づいたんだけどヤバくね? 青年、もしかして天使からも狙われてる?」

 

「……聖女が青年の味方である以上手は出せないだろうが」

 

「つまり預言は天使達への牽制も含むってわけだ」

 

「だろうな。だから現状天使は争いに手を出すことはしないはずだ」

 

「……考えれば考えるほど神の作為を感じる」

 

「人間が神の意思を図ってはならないと教会で教わらなかったか?」

 

「そりゃ、そうだけどよ」

 

 

 溢れる厨二病の波に脳が追いつかないまま、夜がやってきていた。

 

 



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