春庭四方山話 (沖津白波)
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命短し歩けよ男児

 ベルガモットバレーの騎士団長をやっている「私」は騎士団合同会議のためにブロッサムヒルまで遠征に来ていた。
 その初日の夜に、「私」は屋台にて「アンプルゥの神様」と名乗る謎の男と出会うのであった。




※誤字脱字、乱文あり
※解釈違い、設定違い
※ご都合主義、ご都合展開
※登場人物である各団長たちのモデルあり

以上のご注意の上、それらが許せる方はお暇つぶしにでもどうぞ



※※※

 

 

 ミムイス湖畔から流れる川と、山脈ガルデの裾野に挟まれた世界花、ブロッサムヒル。

 スプリングガーデンに由緒正しき国は多数あれど、その中でもブロッサムヒルは別格と言えよう。何せこの世界で初めて「花騎士」と呼ばれる存在が産まれた場所だ。

 それも、世にはびこる悪である害虫と日夜戦い、勇者と共に世界を救わんとする花騎士たちの始祖なのだ。時代が時代なら神聖視、もしくは聖地として崇められてもおかしくはないだろう。

 その象徴たる世界花のお膝元であるブロッサムヒル王城と、その城下街も年間多くの人々が行き来している。国としても城下街としても最も栄えている場所ではあるが、その界隈に夜な夜なある屋台が出没することはあまり知られていない。

 名前を「夜鳴き蕎麦」といい、そこの目玉商品も同じく「夜鳴き蕎麦」という名前らしい。余程味に自信があるのだろう。

 私は花騎士のウキツリボクに教えてもらわなければ、全くと言っていい程その存在を知らなかった。しかし、その味は絶品であるという。

 

 

※※※

 

 

 その日、というか今日から一週間の間、私はブロッサムヒルまで出張することとなった。各国合同の騎士団長会合参加のためとはいえ、ベルガモットバレーからブロッサムヒルまでは遠い。他の国も似たような事情だったのか、初日は軽い挨拶程度で済んだ。遠征組のことを考えてか、その翌日は休み。本格的な会議は明後日からになるそうだ。

 丁度良い機会だったため、私は噂の「夜鳴き蕎麦」とやらを食べてみたくなった。それ故に、用意された宿で待機して夜を過ごすつもりはなかった。

 その日の夕食を軽めに済ませ、早めの風呂も終えた後に、私は夜の街へと繰り出した。

 

「へい。お待ち」

「ありがとうございます」

 

 事前に徘徊ルートを教えてもらったとはいえ屋台は存外すぐに見つかった。

 私とは初対面であるにも関わらず、気さくな店主から温かい蕎麦の入った器を両手で受け取る。器の熱さに耐えつつもそっと机の上に置いて、箸を手にした。

 普段からナイロール眼鏡を愛用しているため、湯気が立つその器の中の蕎麦こそ覗き込めない。しかし、なかなかどうして食欲をそそる匂いである。期待に胸が高鳴るのを感じつつ、私は他に客のいない屋台で一人、店主の前で「夜鳴き蕎麦」を食そうとした。

 

「失礼。隣、良いかな?」

 

 箸で器の中にあるスープに漂う麺そばを挟み、さあいざ、というところで不意に右隣りから声を掛けられた。

 噂の屋台でこそあったが、店主の意向なのか屋台自体の展開はこぢんまりとしている。屋台本体から離れた場所に机や椅子などは並べていない。

 故に、誰もいないことをいいことに屋台の前に並べられた五つの椅子のど真ん中を占拠していた私にとって、その来客は少々予想外であった。

 これから食事をしようとしていたところに声を掛けられたこともあって、少し眉根が寄るのを感じたのも仕方がないだろう。

 一体どこのどいつだ、と内心思いながら声のした方へと顔を向けると一人の穏やかな笑みを浮かべている男性がいた。

 

 

「……えぇ、どうぞ」

 

 男は私よりも少し身長が高いぐらいだろうか。私自身の身長が春庭の成人男性平均よりも少し高いぐらいなので、その医療関係者が羽織るような白衣に身を包んだその男は服装も相まってガタイが良い様に見えた。

 そしてその顔つきは所謂イケメンと呼んでも差し支えないぐらいには整っていた。可能であれば、可及的速やかに私の目につかない所で爆発四散して頂きたい所存である。

 

「ありがとう」

 

 私が男へと返事をすると、彼は笑みを深くして遠慮することなく堂々と私の隣へと腰を下ろした。

 彼に対する私の第一印象は、勇敢なる者の秘められた力を引き出すと言われる霊獣だった。その霊獣が擬人化して白衣を着たらこんな感じになるのではないだろうか、と感じられた。

 というか、髪型と髪色がまさしくその霊獣、攻のアンプルゥにそっくりだったのだ。

 声色はその人懐っこい笑みに反して落ち着いており、聞く者をリラックスさせると同時に妙な説得力というか、悪く言ってしまえば強制力を感じられるものだった。

 白衣に身を包んでいるだけあって、医療関係者。とりわけ医者であるのならば、彼の患者はその声を聞くだけで安心し、身を委ねるであろう。後は生かすも殺すも彼の心のままに、という訳だ。恐ろしい話である。

 

「おやっさん、いつもの」

「あいよー」

 

 私が失礼なことを考えていると、男は気さくに店主へと声を掛け、店主もまた気さくに返した。常連なのだろうか。

 対するこちらは、完全に一人で食べる心持ちだった。故に注文したものを待つ男が隣にいるのも手伝って、一度伸ばした箸がなかなか動かせずにいた。

 き、気まずい。いや、先客は私なのだから気にせず食べてしまえばいいのだろう。だが何というか、先に食べてしまうと彼に申し訳なく思ってしまう。

 

「君、蕎麦が延びてしまうよ。折角ベルガモットバレーから来たというのに、食べないのかい?」

「あぁ、いえ」

 

 情けないことにそんな隣の彼に諭される形で、私は箸を動かし、初めての「夜鳴き蕎麦」を口にする。

 ……美味い。口の中に麺とそれに合わせた麺つゆがいい塩梅で絡まり広がっていく。舌鼓を打つとはこのことか。貧乏舌という訳ではないが、普段から質素な食生活をしている私にとって、この味は正に無類の味と言えた。

 なるほど確かに。この味ならば隠れた名店として噂になるのも納得がいく。夜な夜な出没する場所を変えているせいか、今でこそ客は二人しかいない。だが、仮に王城の傍にでも店を構えれば連日連夜客で賑わうお店となれるだろう。

 しかし、蕎麦ののど越しを堪能する間もなく、私の脳裏にふと疑問符が浮かび上がった。

 私は隣に座るこの男に、自分がベルガモットバレーから来たことを口にしただろうか?

 

「君、ベルガモットバレーから来た騎士団長だろう?」

「……そう、ですが」

「私も行ったことがある。あそこは良いところだね」

 

 初対面で、お互いにまだ何も分かっていないであろう男が、何故か自分のことを知っている。言葉を詰まらせながらも、警戒する私の心情は推して知るべきである。

 しかし、そんな眉根を寄せて「如何にも私は貴方を警戒していますよ」と顔に出ているこちらの態度に、男はまるで気にしていない様子だった。

 不意に、私たちがいる屋台のある道を秋風が通り過ぎた。年中通して春の気候に似た環境であると言われるブロッサムヒルではあるが、流石に秋口の夜ともなればその風も冷たい。

 そんな、まるで私の今の財布の中身のようにうすら寒い風を受けても、男は最初と同じように穏やかで人懐っこい笑みをこちらに見せていた。

 私にとって、今やその笑みがやや不気味に見えてしまうのは無理からぬ話だ。

 

「何を隠そう、私はアンプルゥの神だ」

「……は?」

 

 男に対する私の警戒心は、現時刻を以て1.65倍になった。

 こちらが何者であるかを知っているだけなら、まだ分からなくもない。私の格好は騎士団長に支給される服装であったし、ベルガモットバレー出身というのもこちらでは分からない何かがあったのだろう。

 まさか、自分でも気づかぬうちにベルガモットバレーの訛りが出たとかではないだろうな?

 しかし、私の出身や騎士団長であることを言い当てるならまだしも、よりにもよって自らを神と名乗るとは完全に不審者のそれである。

 こちらの露骨なまでの「何言ってんだ、こいつ」という顔を見てもまだ、男は笑みを崩さない。というか、寧ろ私の反応が意外とすら思っているようにも見えた。

 

「知らないのかい? 私は君のことなら何でも知っている」

 

 何せ神様だからね、と男は肩を竦めてみせる。

 いやいや。仮に神様だったとしても、アンプルゥの神様にこちらの個人情報が筒抜けなんてことはないだろう。よしんば筒抜けだったとしたら怖すぎるのだが。

 

「冗談でしょう?」

「ご両親の名前や、しょっちゅう近所の女の子の乳ばかり見ていたこと。騎士団長養成学校時代のあだ名。養成学校時代の淡い初恋。騎士団長になれた際の記念飲み会でのはしゃぎっぷり」

「なっ!?」

「騎士団長になってからの初めての花騎士はワレモコウで、今回の出張で連れてきた副団長のエキナセアとの出会いは、そこから更に経った半年後」

「うそ……だ」

「そんなエキナセアとの仲はそれこそ良好ではあるものの、恋人という訳ではない。何を今更、彼女に遠慮しているというのかね」

 

 夫婦がするソレは当の昔に済ませているというのにね、と傍にいる店主に配慮したのか、彼は声を潜めてウインクして見せた。私はそんな男の言葉によって、これまでの人生での思い出が脳裏に浮かび上がり、顔が引きつるのを感じた。

 それどころか、副団長であるエキナセアとのアレやコレに至るまでの事情を把握されていることに思わず叫び声を上げたくなってくる。

 が、流石に近所迷惑になるのでそこは騎士団長らしく耐えた。

 

「お、大きなお世話です。貴方には何も関係がない」

 

 何とか虚勢を張って、男へと言い返す。眼鏡がズレ、髪も乱れている様な気もしたが、言葉の通りだ。相手が仮に神だとしても、その神様が私とエキナセアの関係にどう口を挟めようか。

 勝った。と、自分の中で目の前の彼の存在にマウントを取る。私とエキナセアの関係の外にこの問題を放り投げることで精神の安寧を保とうとしたが、当の男はどこか虚空を見つめていた。

 この怪人、こちらの話を聞いていなかったのか?

 

「もうすぐアンプルゥたちとの会合だ。それが私の仕事ではある。だがこのご時世、アンプルゥの神としてやっていくのには、それだけではいささか心許ない」

「はぁ」

「このままではいけない、と私は思った。だからこそ慣れないアレやコレやに手を出しては見たのだよ。けれども根が真面目な私はついつい深入りし、頭を掻きむしることとなった。まるで本末転倒だ」

「すみません。話が全然見えません」

 

 一体全体何の話なのか。というかそもそも、神様の事情など知ったことではない。向こうがこちらの事情に詳しく、思わず口走ってしまったことによる謝罪のつもりだろうか。で、その罪滅ぼしのつもりで事情を話した、と。

 それこそ私にどうしろというのか?

 まさか、神様の仕事を手伝わされるのではなかろうか。いや、というか目の前のこの男が神である前提で話を進めているのが、そもそもの間違いではないだろうか。

 落ち着いて考えて見ると、正直ただの奇人変人の類であると思われるのだが。

 

「つまり、だ。私はアンプルゥの神としてではなく、新しい神様としてもやっていかないといけないという訳だ」

「それは大変ですね」

 

 心底どうでも良い話だった。何が哀しくて目の前の美味しい蕎麦を食すことを中断して、神様の世知辛い実情を聞かねばならんのだ。

 この男の話を真面目に聞くだけ損をする。そう私は判断し、彼の言葉に生返事をしながら目の前の蕎麦と向き合った。少し冷めてしまったやも知れないが、今ならまだ十分に美味しく頂けるだろう。

 

「そして私が選んだ仕事とは……男女の縁を結ぶ仕事だ。『永遠の誓い』とやらもあるし、何よりも皆が幸せになれる。良い仕事だと思うのだが、どうかな?」

 

 二口目であっても美味しい、と完全に男から関心が無くなったところで、隣から何か重いものでも置いたかのような音が響いた。

 独り言だけなら無視できるが、流石にこれは無視する訳もいかない。机の上に置かれたのが万が一にでも殺傷能力のあるものであれば、私は速やかに我が身を守らなければならないからだ。

 本来であれば、騎士団長たるもの護衛の花騎士の一人や二人付けるのが普通である。出張に来ている私の場合は、同行しているエキナセアを連れてくるのが筋と言えるだろう。流石に休日であればそんなことはしなくて良いし、何かあっても自己責任で終わる。

 しかし、いくら今日の業務が終了したとはいえ、一応まだ勤務日である。そのため、ここで何かあったら責任問題になりかねない。

 だが、今夜の散歩がてらの屋台探しはそれこそ此度の出張における、密かな楽しみの一つだったのだ。

 これは言ってしまえば個々人の趣味の領域だ。流石にそんな個人の何某に彼女を付き合わせる訳にはいかなかった。

 今日は上役無しの各国の騎士団長同士の顔合わせで終わったので、それ程疲れていないかもしれない。だが、エキナセアとて休日の前の夜ぐらいゆっくり過ごしたいだろう。

 

「見たまえ」

 

 男の言葉に、私は諦めた面持ちでやや警戒しながら音のしたほうを見ると、そこには何やら赤を基調とした分厚い本が男の目の前のカウンターに置かれていた。

 良く言えば立派な、悪く言えば仰々しいデザインの装丁だった。魔導書、の類ではなさそうだ。取り敢えず、危険は無いと判断できる。

 彼は私がその本に目をやったのを確認すると、男は嬉しそうに口角を釣り上げた。それから、これ見よがしに本をめくって見せる。小難しい内容でも書かれているのかと思いきや、その中身は白紙の中央に何やら人名が書かれている様な簡素なものであった。

 彼はそのまま何ページかめくった後に止まり、その開いたページを私に見えるように見せてきた。

 

「ここに君と君の副団長であるエキナセアの名前がある。そして隣には他の騎士団長とその副団長である花騎士の名前。分かるかい?」

「どういうことですか?」

 

 事前に用意してあったのかは不明だが、確かにそのページには私とそしてエキナセアの名前があった。

 その並びから少し離れたところにはウィンターローズ所属の、私にとっては後輩騎士団長である者の名前。そして、その彼の副団長であるディモルフォセカの名前があった。

 更にはページをまたぐ形で、ブロッサムヒル所属であり、騎士団経営の傍らで養鶏業も営む知り合いの騎士団長の名前も見えた。当然のように、そんな彼の副団長、アブラナの名前が隣に記してある。

 よく見れば、バナナオーシャンに旅行へ行った際にお世話になった団長と、その副団長であるオオオニバスの名前もあるではないか。彼には交通の便も含めて大変お世話になった。今度また会うことがあればお礼をしなければならない。

 同じベルガモットバレーの騎士団長であり、私にとっては上司に当たる人とブルーロータスさんの名前も見受けられた。

 ……ちょっと待て。性癖的な意味でこちらが勝手にシンパシーを感じている、此度の会議で出会って色々と意見交換したカウスリップ団長の名前もあるではないか。

 一体全体、どうなっている?

 いやしかし、私を含めた彼らの名前とその副団長である花騎士たちの名前が並んでいるだけである。男が一体何を言いたいのかが分からないが、これではただの騎士団ごとの名簿のようなものではないだろうか。

 頭に疑問符を付けた私は、そのままの意味のつもりで視線を彼に向けた。そんな私を一瞥した彼はどこか不敵に笑う。

 

「思いのほか阿呆だねぇ」

 

 え、何で今サラッと馬鹿にされたの? というか、馬鹿にされる要素あった?

 まあ確かに、途中から話半分に聞いていたから、察しが悪いのはこちらが原因だ。しかし、騎士団長の名簿以外に一体何があるというのだ。

 ……いや待て。私が二口目の蕎麦を食べる前、彼は一体何を言っていた?

 

「私は縁結びの神として、この中からカップルを誕生させようと思っている」

「……なっ」

「要するに、君たちか彼らかのいずれか一組だ」

 

 含みのある笑い方をする男の言葉に合わせるかのように、再び夜の風が街中を通り過ぎるかのように駆け抜けていく。こちらから見て、彼の背中の後ろには城下に続く街の家々の影が重なっていた。そして、その影を作り出している黄金にも似た輝きを見せる満月が浮かび上がっている。日輪ならぬ、月光を背負うというやつだろうか。

 正に神の如き姿、と言ってしまうとやや過剰表現な気はするが。

 しかし、彼の衝撃的ともいえる言葉を前に、私は不思議とそれを疑おうとは思えなかった。

 分かってはいたものの、我ながら阿呆である。しかし、全ては信じていない。まだ半信半疑で留まっている。

 

「へい。お待たせしました」

「ありがとう。……希望があれば、私のところに来なさい。そのためには、ほら」

 

 呆然と男を見つめる私に対し、彼は運ばれてきた蕎麦入りの器を店主から受け取り、子どものような笑顔で中の蕎麦を見つめる。

 それから私を横目で一瞥し、どこからともかく現れた妖精のようなものをこちらへと寄越した。

 ……いや、この妖精。否、霊獣には見覚えがある。

 春庭を守護すると言われる霊獣の真の姿。限界を極めた者の前のみに現れると言われる伝説の命のアンプルゥ・上だ。

 上とはすなわち上級やら上位やらの略語であり、その名の通り、命のアンプルゥの上位的存在である。かく言う私も、過去に一度しかお目にかかったことがない。

 命のアンプルゥですら滅多に姿を現さないというのに、その上位存在であるアンプルゥを使役するとは……この男、只の怪人ではなかったというのか。

 まさか、本当にアンプルゥの神様だとでも言うのだろうか?

 

「案内はその子がする。君の中で答えが出たのならば、声を掛けなさい」

「は、あ……」

「但し。知っての通り、霊獣は気まぐれだ。私は神様だからこの子たちを待たせることが出来る。しかしながら、長いこと待たせることは出来ない。急かすようで申し訳ないが、明日までに結論を出してくれたまえ」

 

 こちらも忙しい身だからね、と男はこちらが声にならないことを気にせず、受け取った蕎麦を食していく。対して私は、自分の蕎麦に手を付ける事も出来なかった。

 寧ろ、水を掬うような形を取った両手の上でくるくると楽しそうに回るアンプルゥを見て、実は化かされているのではないかとこの状況自体を疑い始めていた。

 そうだ。私はきっと、まだ宿舎を出ていないに違いない。ベルガモットバレーからブロッサムヒルまでの長距離遠征。挨拶だけとはいえ慣れない者たちと会議をしたことで、疲労がたまっていたのだ。

 故にこれは宿の布団で仮眠を取るつもりが熟睡してしまい、こんな夢を見ているのだ。

 私は頬を抓り、太ももを抓った。が、痛みはあるし風景も変わらなかった。

 つまり、今のこの状況は現実に違いない。

 

「命短し歩けよ男児。君も男であるのならば、バシッと決めてみせたまえ」

 

 私が眉間にしわを寄せてあれやこれやと考えていると、男は快活に笑ってこちらの背中を叩いた。その後、「ごちそうさま」と店主に金銭を渡して立ち上がる。

 ……はやっ!? もう蕎麦を食したというのか。正に神如き所業である。

 いや、単に自分が考えすぎていただけで、思いのほか時間が過ぎていただけかもしれないが。

 

「あ、あの」

「私のことは気にしないで結構。それよりも、蕎麦が勿体ないよ」

 

 一体、何が何だか。理解が追い付かない。

 男を呼び止めて詳細を聞こうにも、彼はササっと店主に代金を支払ったかと思ったら「風に舞うふふんふーん」と鼻歌混じりにこの場を後にした。

 蕎麦の料金が後払いである以上、男の後を追う訳にもいかない。私は、男の背中が闇に消えるのを見送るばかりであった。

 

「……」

 

 一人寂しく……否、店主と男から渡された命のアンプルゥはいるのだが。とにかく私は自身が注文した蕎麦と向き合い直し、考えた。

 しかし、いくら男の言葉を整理したところで、考えが上手くまとまらない。

 取り敢えず、もう冷めてしまったかも知れない蕎麦をちゃんと完食した後にじっくり考えようと思う。

 

「それにしても……」

 

 あの怪人、否、アンプルゥの神を名乗った男は確かに言った。

 縁結びの神様として、私とエキナセアか、それ以外の者たちかの縁を結ぶ、と。

 

 

※※※

 

 

 夜鳴き蕎麦は冷めていたとしても十二分に美味しかった。だからこそ、温かいまま食べられなかったのが残念でならない。

 それでも腹は膨れたので、私は店主に挨拶と同時に代金を支払い、一人宿舎へと夜道を歩く。

 

「縁結びの神様、ね」

 

 その道すがら、脳裏に浮かぶのは先ほどの屋台で出会った神を名乗る男の言葉と、男にズバリ言い当てられたこれまでの人生についてだった。

 私は幼少の頃から特に何か秀でた才能がある訳でもなく、成人するまで同じような性癖を持つ男たちとはしゃいでいるばかりであった。

 しかし幸いにも実家は裕福な方であり、末席とはいえ貴族であった。そして、多くの貴族の淑女たちが花騎士の適性を持っていたように、私自身も騎士団長の適性があった。それ故に他の者に知られたら怒る者もいるやも知れぬが、それ程労さずして花騎士の団長となることが出来た。

 民を助け、国を助け、世界を救うという大役の助けになる。そして、それ以上に美人か可愛いか、もしくはその両方の花騎士たちと恋に愛に大忙しになれる。

 双方の理解と養える財力さえあれば、重婚が許される春庭において、騎士団長というのは正にハーレムの主となれる職であろう。

 そう高をくくっていた当時の私は、今から考えてみても手の施しようのない阿呆であった。

 

「……」

 

 騎士団長の仕事自体は、それなりにこなすことが出来た。事務仕事は嫌いではなかったし、戦闘にしても怪我人こそ出してしまっているが、死者は未だにいない。それが私の密かな誇りであるのは言うまでもない。

 だが、それとは別に問題があった。それは、花騎士たちと爽やかに交流するということの難しさである。

 原因は私が幼い頃より女性の乳ばかりを見て、肝心の会話術を磨いてこなかったせいであると思われた。だが、そこを突かれると片腹痛いどころでは済まないので棚に上げておく。

 無論、上げたまま降ろす予定は今のところない。

 とにかく、会話のキャッチボールどころか、わざわざ話題を振ってくれた花騎士の話についていけない。それならまだよかったが、こちらから出す話題の悉くが面白いものではないのも致命的だった。かといって、花騎士同士の会話に混ざる度胸もなかった。

 会話の輪に入るための話術や社交性をどこか他所で身に付ける必要があるように思われたが、それに気づいた時には既に手遅れ気味であった。

 結果、私は私の騎士団であるにも関わらず、浮いた存在になりかけていた。

 こんな私に付き合ってくれるのは、最初に出会った花騎士のワレモコウぐらいであった。

 そんな駄目に駄目を重ねたような私の前に現れたのが、彼女、エキナセアだったのだ。

 

「遅かったじゃないか、団長」

 

 気が付けば私は用意された宿舎の玄関前まで来ており、その扉の横で彼女が腕を組みながら壁に背を預けていた。そのせいか、腰まで伸ばしたやや癖毛気味の綺麗な銀髪は靡いてはいなかった。

 私が気付くと彼女は壁から背を離す。しかし、腕は組んだまま無言でこちらへと向かってくる。その服装は騎士団に所属した際に来ていたものであった。つまり、花騎士として正式な装いであり、いつでも出撃できるという心根の表れでもある。

 しかし、いくら世界花の加護があるとはいえ寒くないのだろうか。

 肩を出し、きめ細やかな腕を露出、見事な二つの北半球どころかその谷間まで拝める格好。それどころか、腹部と太もももバッチリ見えてしまっている。

 服についてはあまり詳しくはない。だがその服装を例えるのならば、黒の社交ドレスの台襟から腹部辺りまで大きく切り取り、胸の部分だけベアトップにしたようなものだろうか。何にしても、私にとって目の保養であり毒であることに変わりはない。

 エキナセアの戦闘スタイル的に身軽の方が良いのだろう。けれどもそのせいか、彼女が少し走るだけで特盛の山二つが揺れるのだ。エキナセア自身は気にしていないようだが、その横に並んでいる大きなお餅は常日頃からそっと支えたいと思っていた。

 どこかに女性の乳を下から支えるだけの仕事がないものか。

 そんな阿呆な考えを脳内に巡らせていると、彼女が私の足で二歩ほど先のところで立ち止まっていた。見ればその美しい眉根を寄せており、静かな憤りを感じられた。

 

「全く。どこか出かける時は私に声を掛けるように、と言わなかったか?」

「あ、あぁ、済まない。全くの私用だったから、迷惑になると思ってね」

 

 容姿端麗、英華発外。その落ち着いていて耳触りの良い声には説得力、この場合はかなりの正論力があった。本人の深い愛を感じられる性格も相まって、彼女のファンクラブまであるとの噂を聞いたのは、エキナセアと出会ってすぐのことだったと思い出す。

 

「迷惑なものか。キミに何かあったら、困るのはキミや私だけじゃない。騎士団全体の問題になる」

 

 深い愛と例えたが、彼女が八方美人という訳ではなく、今のように手厳しいことも言ってくる。しかしながら、それは相手を想っての言葉である。エキナセアは例え叱る時も真摯に接してくれる。なるほど、エキナセアが人から好かれるという訳だ。

 だが、私はとある理由から彼女に少々の苦手意識……というよりは、遠慮してしまうようになっていた。

 

「本当にすまなかった。以後、気を付けるように努めるからどうか許して欲しい」

「……そこまで責めているつもりはない。分かればいい」

 

 色々と駄目な私に対し、色々と世話を焼いてくれたエキナセア。そのおかげか、騎士団内で孤立気味だった私は見事に立場を回復。それどころか、現在では当初の脳内妄想であった花騎士たちと爽やかに交流が出来るまでになっていた。

 当時から今に至るまで、エキナセアには頭が上がらない。であるにも関わらず、彼女は待遇の向上や給与の増額は要求してこなかった。これも貴族の務めだと言い、私に期待しているからこそ協力したのだと言う。

 貴族であることに誇りを持ち、公の場での責任を持ち、それらを美徳として彼女はその道を歩いていた。

 私はそんなエキナセアの期待に応えようと努力し、気高く生きる彼女に恋心を抱いた。

 

『私に、このようなこと……許されるとお思いか?』

 

 そしてあろうことか、彼女を、エキナセアを犯してしまったのだ。

 許されるのか許されないのか、それは分からない。……などと当時は言ってはみたものの、どう考えても許されない行為である。彼女も感じたのだからセーフ、などという世迷言じみた言い訳はしない。れっきとした強姦という犯罪だ。

 エキナセアが訴えていれば、私は今頃牢の中で己を罵倒し、残りの半生を過ごしていたに違いない。

 しかし、彼女はそれをしなかった。それどころか、相も変わらずこうして夜遊びに出かけた私を出迎えてくれる。

 犯罪を起こして自ら鎮火してしまった恋心に、再び火が付いたのは無理からぬ話であろう。だが、それはあまりにも勝手が過ぎやしないか。

 私がエキナセアに恋をするのは回避不能の事象であったとしても、彼女がそれを良しとするかは話が別である。というか、いくら何でも厚かましすぎるだろう。

 こちらの犯罪行為を許し、今までと変わらず接してくれる。それだけでもエキナセアの深い愛が伝わってくるのだ。なのにそこから更に先を求めようというのか。恥を知れ、然るのち死ぬるべきである。

 故に私は、自分を律して彼女と清く正しい付き合いをしていくべきなのだ。

 恋の火花が心の内に弾けていようとも、すぐさま水を掛けて消化する。この想いを伝えたところで、迷惑を被るのは彼女ばかりではないか。

 けれども、縁結びの神様こと、アンプルゥを使役する謎の怪人は確かに言った。

 こんな私とこんな素晴らしい彼女との縁を結ぶのだと。

 そんなことがあってたまるかと思う一方で、万が一にもそれが本当であるのなら、と思う自分がいる。だからこそ、ここは自室に戻って色々と思考を練るべきなのだ。

 真偽のほどは定かではない。ならば、ありとあらゆるケースを想定してから次の一手を決めるべきである。神様に頼ってお願いをしに行ったところ、「やーい、引っかかったー」などと言われる可能性だってある。

 

「んっ、どうした? そんなに私の顔をじっと見つめて」

 

 けれど、けれどもである。

 今宵のエキナセアはとても色っぽく、文字通り釘付けになっていた。

 水を掛けて沈静化したはずの恋心が再び火花を出すような感覚だ。いやまあ、普段から彼女は色っぽいのだが。仕事のある日の朝に執務室で出会った時から、仕事が終わって別れるまでずっとそう思っている。

 問題はその普段よりも更に色っぽいである。以前の犯罪行為が実行されなかったとしても、今ここで起こしてしまいそうになっていた。

 服装こそいつもの格好ではあるものの、ほんのりと化粧でもしているのだろうか。唇当たりなんかは何時にも増して艶っぽく思える。

 加えて良い匂いもする。私が柑橘系の香りが好きというのもあるが、その爽やかな匂いに何だか甘い香りも混じっている気がする。男を誘う匂い、と言われてもイマイチ想像し辛いが、仮にあるのだとしたらこんな匂いなのだろうか。

 そう錯覚するぐらいには、まるで誘惑するかのような匂いがエキナセアの周囲から感じられた。というか、厚手のズボンでバレていないだろうが、その匂いのせいで我が息子ことトムが肥大化と硬質化している。ビッグ・トムの名をほしいままにし、春庭全土を席巻するのも時間の問題と思われた。

 阿呆の冗談はさておく。ともかく、そんなトムのおかげで、私はやや前かがみの姿勢を取ることを強いられている。思案することもあるし、可能であればこの醜態がバレる前に自室に戻りたいのだが。

 

「いや、今日も可愛いなと思って」

 

 故にここで披露すべきは、敢えての誉め言葉。エキナセアに怒られた後だというのに、安易に容姿を褒めるなど逃げの一手に思われても仕方がない。話を濁して、怒りの矛先を逸らそうというばつが悪くなった者が使う常套手段。

 だが、この場はこれでいいのだ。

 嘘は言っていないし、何なら毎日思っている。そして、主を差し置いて勝手に盛り上がる我が息子の不始末を隠すために、この場から逃げたいと思っているのも事実だ。

 彼女の怒りを買ってでも、ここはこうするのが一番であると思われた。

 

「いつも可愛いと思っているけれども、今日は一段と可愛く感じてね」

 

 よし。いいぞ、私。歯に衣着せぬ物言いのミルフィーユ。普段の花騎士たちとの爽やかな交流。その際にたまに出る余計過ぎる一言だが、現状においては最適解だ。

 後はエキナセアには悪いのだが、彼女が怒ってくれさえすれば当座はしのげる。

 

「ぁ、う……」

 

 と、思ったのだけれどもねぇ?

 ちょっと待って頂きたい。ここでそんな耳まで顔を真っ赤にさせて目を逸らし、俯き加減になるのは反則ではなかろうか。こんな展開になるとは思ってもみなかったし、その仕草は見たことがない。

 春庭片思い条例違反である。法廷を開け。弁護士を呼べ。検察は何をしている。

 

「……っ」

 

 可愛い。ものすごく可愛い。可愛いが過ぎる。

 エキナセア強姦事件や、先のアンプルゥ怪人事件が無ければ、即刻エキナセアを抱きしめているところだ。当然、そのまま彼女を部屋へと連れ込みベッドインする。そんな衝動に駆られるぐらい、理性が水を掛けられた角砂糖の如くドロドロに崩れていく。

 脳内に危険を知らせる警報の鐘が鳴り響くのを確かに聞いた。エキナセアを犯した私は今、いわば執行猶予中の身であるも同然だ。既に罪が確定しているというのに、ここで更に罪を重ねるというのか。

 それだけはあってはならぬ。私の将来よりも何よりも、大切な彼女ために。

 

「……あっ、あ~、すまない。ちょっと明日の準備をしなければ」

「ぇ、あ……っ」

 

 気が付けば歯を食いしばり、身を切る思いで彼女の横を通り過ぎた。その際に何かを期待し、それが外れて少し落胆するような声が聞こえた気がした。が、聞こえなかったフリをする。そうでもしないと、もう理性の糸がプツンと切れてしまう。というか、エキナセアが残念がっている、と勝手に私がそう思っているだけで脳内妄想かもしれないのだ。

 というか、そうと決めつけないとトムが下半身から分離してしまう!

 ここで立ち止まったり、振り返ったりしたらもうおしまいだ。そのやんちゃっぷりが私の中では有名となっているトムに、我が身の主導権を握らせたら何をするのか分からない。

 間違いなく、次は「許されるか許されないか、それは分からない」どころの騒ぎではなくなるだろう。

 背中にエキナセアの視線を強く感じる気がしたが、私は立ち止まらず、振り返らずに用意された部屋まで早足で目指すのだった。

 

 

※※※

 

 

「ふう……っくし!」

 

 部屋に戻ってから、即座に洗面所で冷水を頭の上から掛けた。おかげで頭の熱は引いたものの、ベッドの上に行くまで三回ほどくしゃみが出た。

 寝巻に着替え、ベッドの上で胡坐を掻いて腕を組む。そして、「夜鳴き蕎麦」で出会ったアンプルゥの神様とやらとのやり取りを今一度思い出し、考える。

 

「霊獣は……うん、いるね」

 

 一通り彼とのやり取りを振り返ったところで、ふと右に顔を向けるとそこには変わらず命のアンプルゥがいた。ふと思って手を伸ばして触れると、少しだけ涼しい感触が指先から伝わった。どうやら幻覚や幻術の類ではなさそうだ。

 エキナセアと出会った時に彼女が反応しなかったという謎は残るが、その時は姿を消していたのだろう。何しろ霊獣だ、何でもありな部分があっても不思議ではない。

 ならばここまで来たら疑う余地はあまりない、と思われる。

 屋台で出会った彼は、自称した通りアンプルゥの神様なのだろう。そして、未だに信じ切れていないので再三の確認にはなるのだが、彼は「縁結びの神」としても働くという。

 その仕事の手始めとして我々騎士団長たちの中から一組を選ぶとも言っていた。

 

「えーっと」

 

 私とエキナセア以外の組み合わせは誰がいたか、とあの時見せてもらった本に書かれていた名前を思い出す。

 団長たちの名前と副団長の名前を並べると混乱しそうになる。故に、副団長の名前の後に「団長」とまとめることにした。

 その上でまず思い浮かんだのは、ウィンターローズのディモルフォセカ団長だ。

 団長歴としては私よりも浅い彼ではあるが、その実力の程は折り紙付きである。加えて花騎士でもあり、大貴族でもあるサフランに近い身分、所謂上流階級出身だった。

 しかしながら、サフランと同じように彼は別に自分の地位を盾に偉ぶることは無く、品行方正折り目正しい好青年であった。

 常に笑顔を絶やそうとせず、その笑顔にも嫌味が感じられない。周囲の嫌なことから目を背ける訳ではなく、受け止めた上でそれらのマイナス感情を表には出さない。それでいて、明るく振舞える芯の強さを持った人物。

 それが彼と何度か交流した際に感じた私から見た、ディモルフォセカ団長の人物像であった。

 無論、あくまでもそれは私自身が感じた彼の一面である。故にもしかしたら、この評価はまるで見当違いなのかも知れない。

 ただまあ、私が確実に言えることが一つだけある。

 

「うーん」

 

 それは彼が爽やかな好男子であることであった。同性の私が言うのである。彼は間違いなく端正な顔立ちをしている。上級貴族の上に性格が良く、顔も良い。そりゃディモルフォセカや、花騎士のオステオスペルマムからモテる訳だ。

 可能であれば、蜘蛛の糸ともに地獄へ落ちて、神様にエンターテインメントを提供して頂きたいところである。……無論、冗談ではあるが。

 何が言いたいのかというとつまり、だ。別に縁結びの神様に頼らずとも、彼は自然な流れで副団長であるディモルフォセカとくっつくであろう。

 故に縁結びの神様の加護は必要あるまい。

 

「よし、次だ」

 

 縁結び候補を一人減らせたところで、肩の荷が軽くなるのを感じつつ他の組み合わせを思い出す。

 次に思い浮かんだのはブロッサムヒルのアブラナ団長であった。

 何を思ったのか、騎士団業務以外に養鶏業も営む変わり者の団長である。私もそれを知った時は「何故そんなことを?」と、彼に質問したのを覚えている。

 その際は、少し愁いを帯びた表情で「騎士団業務と関りがある仕事だから仕方がない」と言われた気がする。

 何だか聞いて欲しくは無かったかのような答え方に、密かな闇を感じてそれ以上踏み込むのは止めようと思ったものだ。

 絶望の先端を覗いてしまい、それでも尚、折れずに戦い続ける戦士の顔。普段の快活さとは裏腹に、その整った横顔にはどこか危うさがチラついていた。

 それはそれとして。彼が目鼻の整った顔であることは言うまでもない。

 その陰のある愁いを帯びた顔からの連想にはなるが、先日古本市で購入して読んだ異世界から流れ着いたという小説の登場人物を思い出す。

 その小説の主人公のやらかしによって、王様に磔にされて主人公を待つという友。そんな彼が主人公を待って三日目の日暮れが過ぎたところで、入れ替わって欲しいと思ってしまったものだ。

 特に深い理由はない。だが私の心の安寧のために死んでくれ、セリヌンティウス。

 

「……ふむ」

 

 そんなやや隠しきれていない、個人的な感情による殺意の冗談は置いておこう。例え私が常日頃から「ともあれイケメン滅ぶべし」と思っていたとしても、今は関係がない。

 だがまあ、色々と大変であろう彼だからこそ、直截にものを言ってくるアブラナとの相性が良いのだと推測される。というよりも、彼が単にアブラナのような「口は悪いが何だかんだで面倒見の良い幼なじみ」な女性に弱いのもあると思われた。

 つまり、アブラナが彼を好意的に思っているのであれば、彼らが付き合うのは時間の問題と思われる。

 そして、問題の焦点となるアブラナの彼に対する好感度はというと……。彼女自身が素直になれないだけで、傍から見ていたら十二分にその好意を隠しきれていないように思えた。

 というか、合同やら何やらで数回彼らに会っただけの私がそう思うのだ。

 後は何かきっかけさえあれば、刀が鞘に収まるように、二人は付き合うことになるだろう。

 ……何だ。彼らにも縁結びの神様の力なんぞいらないではないか。

 

 

※※※

 

 

「こんなところかな」

 

 その後も、私の上司であるブルーロータス団長や、バナナオーシャンのオオオニバス団長。シンパシーを勝手に感じているカウスリップ団長。同期であり、同じ性癖を持つであろうキンレンカ団長。ロータスレイクの『人形遣い』と名高いコオニタビラコ団長など、名簿には見受けられなかった団長たちと副団長のことも想起した。

 だが、いずれも恋人や夫婦になるのは時間の問題である団長たちばかりであったところで結論が出た。

 当の本人たちからしたら余計なお世話かも知れない。しかし、キンレンカ団長とカウスリップ団長に至っては、早く副団長の好意に気付けと声を大にして言いたい。

 

「……」

 

 ……いや待て。何で私が、それこそ縁結びの神様のような真似事をしているのだろうか。問題はそこではなかったはずだ。

 とにかく、だ。どう足掻いてもこれ以上進展しそうのない関係。それは私とエキナセアだけであり、他の者たちは大丈夫ということが分かった。

 それでいて私が彼女と強く付き合いたいと願ってやまないからこそ、縁結びの神様の加護とやらは私に相応しいのだ。

 決心がついたところで、心変わりをする前にアンプルゥの神様のところまで行こうと思った。

 しかし思考の海から這い上がって我に返って時計を見ると、その針は深夜零時を回っていた。流石の神様もこの時間にはおやすみになられているであろう。下手に起こして加護を貰うどころか天罰を喰らうような真似はしたくはない。

 

「他の団長たちは時間が解決します。どうか私とエキナセアとのご縁を結んで下さい」

 

 当初は変人だの怪人だの言いたい放題だったのに、現状の掌返しっぷりに内心苦笑する。その態度は霊獣相手とはいえ、アンプルゥに対してまで恭しいまでの言葉遣いに現れているのだからもう何も言うまい。

 溺れる者は藁をも掴む、とはどこかで見た言葉ではあるが、正に今の私がそれであった。

 負い目があるが故に、エキナセアとの仲がこれ以上進展出来る気がしない。けれども、そんな彼女を諦めきれない。

 ならば、普段は祈りもしない神にすがるのも致し方ないことであろう。私はそう自分に言い聞かせた。

 願わくは、この想いが通じて、神様のお力が借りられますように……!

 そんな気持ちで私は泥のような眠りにつくのであった。

 

 

 

※※

 

※※※

 

 

 私は自身が阿呆であると、まだ自覚している方であると思っている。

 故に、阿呆なりに悩みに悩んだ後は脇目を振らずに突っ走ると決めていた。

 しかし、その決心が早くも揺らぐ事態が訪れた。

 

「そうか、今日は予定があったのか」

 

 神様にお願いをしようと決めた翌日の朝のことであった。

 宿泊施設の食堂にてお互いに朝食を摂ろう、という話から、私たちは机を挟んで向かい合って座り、互いに食事をすることとなった。

 その際の何気ない会話の中で、今日は休日だということで好きに行動しようではないか、と提案したところにエキナセアから予定を聞かれたのだ。

 これはもしや巷で噂のデートのお誘いというものではないのか?

 と、一瞬だけ舞い上がったが、私はその更に先の関係を望める道にこれから進もうとしているのである。

 苦渋の判断でお断りをしたところ、何だか少し悲しそうな声色で落ち込んだ様子を彼女が見せたのだ。

 

「あ、あぁ、すまない……少し用事が出来てしまってね」

 

 ぐぎぎ、ぎぎっぎっぎぎっ。辛い、辛すぎる。一体どうしてエキナセアのこんな悲しそうな顔を見なければならないのか。

 それもそこも、全ては約束の期限を今日までに設定したあの神様が悪い。いや、神様のせいにしたら縁を結んで貰えなくなるやも知れないので、やっぱり今のは無しで。

 彼女の悲しそうな顔を見ることになるし、何だか胃が痛いし、今飲んでいる食後のコーヒーの味がしないしで散々な朝である。人生の中で下から数えて五番目ぐらいに最悪な朝だ。

 可能であれば、神様との面談などほっぽり出してエキナセアとのお誘いに興じたいところだ。否、興じたいし、遊びたいし、一緒に過ごしたい!

 けれども、けども。一時的な享楽に耽ってはならぬ。今を楽しむか、これから先のことを考えるか、二つに一つである。ならば、胃に穴が開くような思いをしてでも、私は彼女との未来を取りたい。勝利と共に彼女の手を掴みたいのである。

 

「……いや、すまなかった。私ももっと早くから予定を聞いておくべきだった。本当にすまない」

「こちらこそ、急な話で決まったものだからね。期待に応えられず申し訳ない」

 

 机を挟んでお互いに申し訳なさそうに頭を下げ合う。

 何だこれ。どうしてこんな思いをしなければならないのか?

 これではエキナセアとの縁を結ぶどころか、お互いの距離が精神的にも物理的にも遠のくばかりだ。話が違うではないか。

 それともあれか。既に縁結びの神様と邂逅したからこそ、昨日の件や今のように縁を結ぶ運気が向いてきたというのだろうか?

 気持ちはありがたいが、気が早すぎる!

 本当の意味での有難迷惑というものを実感しつつ、私はエキナセアと別れるまでの間、しきりに彼女へ頭を下げることしか出来なかった。

 

 

※※※

 

 

「お、おい。本当にこっちで合っているのか?」

 

 エキナセアと別れた後、私は宙に浮いて先を行く霊獣に導かれるままに歩みを進めていた。

 ブロッサムヒル自体は何度か訪れてはいたものの、大きな都市なだけあってその全容は未だに把握していない。それだけに霊獣の行く先に不安しか覚えなかった。

 単に私が知らない道や区画に行くのならまだしも、現在歩いているところはブロッサムヒル王城。その城内なのだ。

 騎士団長であるが故に、城門や城内自体は許可証込みで通ることは可能ではある。

 だが、いくら騎士団長とは言っても入ってはならぬ場所、というのは流石に存在するのだ。それ故に、自由気ままに我が物顔で飛び回る霊獣の後姿に不安しか覚えない。

 

「……嘘だ、ろ」

 

 そうして、傍から見たら不審者のそれにしか思えないであろう足取りが、とある部屋の前で止まった。扉の前で霊獣はこちらに対してご丁寧にお辞儀をした後に扉をすり抜けて行ったが、私はただ茫然と立ち尽くすばかりである。

 絢爛で重々しい雰囲気すら感じられる扉の先の部屋は、由緒正しいブロッサムヒル騎士団の総本山とも言うべき場所なのだ。確か、ブロッサムヒルでも上層部の者たちが会議に使用する場所だと聞いていた。

 以前の王城案内で簡単に説明を受けた際、その内容を覚えていた自分の記憶力に感謝。けれども、それ故においそれと足を踏み入れる訳にはいかない。

 出来ることなら、今すぐにでも「いやぁ~迷っちゃいました。ははは」などと大きい独り言を呟きながら退散したいところである。だが、それが簡単に出来れば苦労はしない。

 確かに案内してくれた霊獣は、ここで部屋の中に入るように消えた。つまりは、神様が御座します場所はここに違いない。というか、なんて場所を指定するのだ、アンプルゥ神様は。

 仮に自らの力を示すためにここを選んだのだとしたら、大仰が過ぎる。

 いやしかし、本当にどうしたものか。

 

「ん?」

「……」

 

 そうして足を踏み出せずに思案をしていると、不意に扉が開く音が聞こえた。意識をそちらに向けると、半開きになった扉の隙間から何やら白いフードが見えた。いや、その縁に水色のラインが入った、白いフードを被った少女がこちらの様子を伺っている。

 光の加減で空色にも見える雪を思わせる柔らかそうな白髪に、透き通るような碧眼。私を警戒しているのか、表情を読み取らせないように口元こそ袖で隠している。

 何やら美少女の気配を感じるが、それ以上に恰好が怪談の類で聞くような雪女のそれである。

 フードと同じように白を基調とし、ところどころに水色のラインが入った和装。それに加えて、首元の周りには何故かしめ縄のようなものが見える。足元こそ彼女が上半身のみを見せているせいで分からない。だが、仮に幽霊のように足が無かったとしても驚きはしない。

 これはきっと、強すぎる力を持つが故に封印された妖怪か何かであろう。

 そのため、私は彼女と同じかそれ以上に警戒してみせた。

 神様の次は妖怪と来たか。つくづくどうなっているのだ、ブロッサムヒルは。魔境か何かか?

 

「……怪しいですね」

「ハツユキ。お客さんが来ているのだろう? 失礼のないように」

「ひゃい!?」

 

 互いに見つめ合い、彼女がこちらと同じ感想を呟いたところで部屋の奥から声が聞こえてきた。その声には聞き覚えがあったが、それ以上に目の前の少女が明らかに狼狽してみせたのが気になった。跳ねるように姿勢を正す彼女の素顔は良く見ると美少女のそれであった。

 そこで私は極めて合理的に考えた。

 なるほど。神様である以上は妖怪よりも上位の存在であるのは間違いない。そして、理由こそ定かではないが、神様が妖怪を使役していても何ら不思議ではない。神様事情は知らないが、私のような一般的な人間では分からない何かがあるのだろう。

 しかしまあ、妖怪とはいえこんなにも可愛らしい美少女を使役するとは羨ましい限りだ。流石は神様と言ったところか。

 是非ともその恩恵にあやかりたいものである。

 

「失礼。ここにいらっしゃるという神様に会いに来たのですが」

「へ? あ、あぁ~。なぁんだ、貴方がそうでしたか。そうならそうと早く言ってくださいよ、もー」

「ハツユキ」

「はいぃ! 今、扉開けますので。さあどうぞ、どうぞ。中へどうぞ~」

 

 私の言葉に、ハツユキと呼ばれた少女は目を丸くして明らかに安堵して見せた。それでも、奥から聞こえてくるあの時の神様と思わしき声によって姿勢を正す。

 ……ん? いや、気のせいか。ハツユキ、とは何か聞き覚えのある名前だ。最初に聞いた時は単なる妖怪の呼び名かと思ったが、どうにも引っかかる。

 それによくよく考えて見れば妙な話だ。神様と妖怪が何故ブロッサムヒルの王城に居を構えているのか。

 あまり考えたくはないことではあるが、私はひょっとすると何か大きな勘違いをしているのではなかろうか。

 ハツユキの手によって大きく開かれる扉。その入り口側から見ても広いと感じるその部屋の中央には、円卓とも言うべき巨大な丸テーブルが設置してあった。

 

「……あっ!?」

 

 私から見て、円卓の最奥。人の身長を軽く超えるような背もたれのある椅子に腰かけていたのは、紛れもなく昨夜出会った神様であった。だが白衣こそ変わっていないものの、その下の服装は騎士団長のそれであった。

 そして、彼の元へと向かう途中で気付く。その胸元に輝く勲章の数々は私の微かな記憶の中の騎士団長勲章と照合一致する。

 神様もとい、彼はブロッサムヒル騎士団の最高司令官である御方であったのだ。

 私が声を上げたところで彼は不敵な笑みを浮かべて見せた。それから椅子から立ち上がると、こちらに右手を差し出してきた。

 

「ようこそ。我らがブロッサムヒル騎士団作戦本部会議室へ。君の来訪を歓迎しよう」

 

 

※※※

 

 

「ふむ。あいわかった。君とエキナセアとの縁を結ぶことに協力しよう」

「ありがとう、ございます?」

 

 神様、ではなくて司令官との談合はただの恋愛相談で終わりそうな予感がした。

 彼から見て、円卓の左隣の席に座った私は昨日の夜から深夜にかけて悩み抜いた話をすることとなった。そうして出した結論を聞き、彼は満足そうに頷くだけであった。

 というか、本物の神様ではなかった時点で私の期待が大分薄れていたのは言うまでもない。こんなことならば、あの時大人しくエキナセアの誘いに乗っておくべきであった。後悔は積もるばかりである。

 しかしながら、彼の協力は得られそうではあった。腕を組んだまま嬉しそうに大きく頷いた司令官に対し、私は半信半疑ながらも頭を下げて礼を言った。

 名誉あるブロッサムヒル騎士団の最高司令官とは言ったが、実際のところは現場監督に近い身だよ、と彼は笑っていた。

 だが、花騎士であるハツユキソウを始め、彼の指揮下には選りすぐりの花騎士たちが集まっている。ロータスレイクの水上女王である、あのヒツジグサ様ともつながりがあると知ったのは後になってからであった。

 そんな彼の協力が得られるのだ。神の力は無くとも、相当に練られた恋愛術でも教えてくれるのだろう。

 

「では、そうだね。まずはこれを」

「これは、一体?」

 

 頭を上げると彼は私に掌サイズの藍色の箱を渡してきた。箱は何やらフカフカしており、上下に分かれるような切れ目が入っているのが見て取れた。

 司令官の方へと視線を戻しても、彼はただ頷いているだけであったので、私はそっとその箱を開ける。

 中にあったのは宝石付きの指輪であった。

 

「何だか、婚約指輪みたいですね」

 

 仮にも貴族の末席である私ではあったが、あいにく宝石の知識は持ち合わせてはいない。それだけに、透き通った薄い橙色の宝石付きの指輪に対し、月並みな感想しか出てこなかった。

 

「そうだね。それは君に渡しておこう」

「良いのですか? こんな手の込んだ高級品を」

「うむ。だから今日にでもエキナセアをディナーに誘い、良い雰囲気になったのならそれを渡して思いの丈を伝えなさい」

「はぁっ!? ちょ、ちょっと待って下さい!」

 

 いや、本当に待って欲しい。この男は一体全体何を言い出すのか。

 あれだけ神様だの何だの言っておいて、まさかのまさかであった。

 私の反応に対して、彼は不思議そうに眉根を寄せて顎を擦る仕草をした。

 

「このプランでは駄目かな?」

「いや、おかしいではありませんか! これではただの正攻法ですよ!」

「良い雰囲気にならなかったら、渡すのは後日でも良い」

「そういうことを言っているのではありません!」

「駄々をこねなさんな。こうした布石も大事だよ」

「貴方、縁結びの神様を名乗ったでしょう!? 他にもうちょっとやり方があったはずです!」

 

 もっと言いたいことは山ほどあったが、頭の中は酷く混乱しており、上手く言語として口から出すことが出来なかった。

 するとそんな私を見た彼は、ここにきて肩を竦めて少し申し訳なさそうな顔を見せた。

 

「すまない。アンプルゥの神様というのは嘘だ」

「もう既に知っています!」

 

 妙に茶目っ気のある言い方を前に、私はただ勢いよく立ち上がってツッコミを入れることしか出来なかった。

 その後、脱力して崩れるように椅子に座り直したのは言うまでもなかった。

 

「ぐっ、くっ、くぅ~……」

 

 何でこうなってしまったのか。いや、協力してくれたことは素直にありがたいが、思っていたのと違う。

 彼に悪いと思いつつも、私は顔を机の上に伏せて頭を抱えた。

 だが、この人の言う通り、エキナセアを振り向かせたいのであれば正攻法で行くのが一番だろう。私が恋い慕う相手は、誇り高く、真摯で、深い愛を持つ彼女なのだ。

 変な搦め手は逆効果。下手をすれば好感度を上げるどころか下げるというのは、他ならぬエキナセアとの付き合いがある私自身が一番知っている。

 けれども。けれども、だ。

 私にはその正攻法で彼女にアプローチする度胸が無いのだ。それこそ、こうして神頼みをするぐらいには臆病者なのだ。

 エキナセアに負い目があるから、というのも理由の一つではあった。

 だが、それ以外に私の中で上手く説明できない、それこそ形に出来ない不安がある、というのが最大の理由であった。

 その不安が何なのかが分からない。

 故に私は、何時までもエキナセアに好意を伝えられなかったのだ。

 

「命短し歩けよ男児」

「……ぇ」

 

 それは酷く優しい声色であった。

 どこかで聞いたことのある言葉に私が顔を上げると、そこには先ほどまでの笑顔だった男の姿はなかった。こちらを真っすぐに見つめる瞳。真剣な表情。

 それはさながら、難病持ちの患者に向き合う医師の顔つきのようであった。

 

「我々は花騎士たちの力を借り、民を守り、国を守り、そして世界を守る。

 だが、時には勝利ではなく敗北することもある。もしかすると、大怪我をして騎士団を去る花騎士を出す知れないし、死なせてしまうかも知れない。

 しかしそれは、害虫という存在がこの世界に蔓延る以上、花騎士に限らず誰にだって起こり得ることだ。

 もしかしたら花騎士と共に戦場を駆ける我々とて、明日の命は無いのかも知れない」

 

 そうなるのはごめんだがね、と彼は苦笑しながら肩を竦める。

 彼の言葉には説得力があり、その声の良さも相まって、私は気づけば姿勢を正していた。

 

「命が保証されていないからこそ、我々は歩みを止めてはいけない。故に、『命短し歩けよ男児』だ。

 良い結果にしろ悪い結果にしろ。君がエキナセアとの関係を進めたいのであれば、こんなところで立ち止まっている場合ではないだろう。

 それとも君は、“まだ”彼女との関係を進めたくないのかい?」

「っ!?」

 

 彼の言葉に、私は頭からつま先にかけて電流を浴びたかのような衝撃を受けた。

 けれどもそれは、同時に私の中にあった不安の正体がハッキリした瞬間でもあった。

 私は自身が阿呆であると、まだ自覚している方であると思っている。否、思っていた。

 だがまさかここまで阿呆とは思ってもみなかった。

 しかし、阿呆なりに悩みに悩んだ後は脇目を振らずに突っ走る、というのはこれまでもこれからも変えたくはない。

 私は居ても立っても居られずに、勢いよく椅子から立ち上がる。

 

「ありがとうございます。そして、この指輪、使わせて頂きます」

「もういいのかい?」

「はい!」

 

 そして、協力してくれた彼に礼を言い、エキナセアの元へ走って向かうことにした。

 

 

※※※

 

 

「はっ、はっ、はっ!」

 

 城内の廊下を走り、勢いよく城門を駆け抜け、私は城下街にいるであろう彼女を探した。

 別れ際に、エキナセアは親友であるサフランとお昼をすると言っていた。

 時刻は丁度その昼頃であり、人通りも少ない。いくつかランチをやっている高級店を回れば、きっと彼女と会えるだろう。

 

「……」

 

 私は、自分に言い訳をしていた。

 確かに、エキナセアを犯してしまったという負い目はあった。だからこそ、そんな犯罪行為に走る私は彼女に相応しくはない、と勝手に諦めていた。

 本当にエキナセアがそのことを許さないのであれば、私はこうして未だに騎士団長をやれていない。

 けれども私は、それを彼女の「深い愛」によるものだから、と思い込んだのだ。

 私は負い目があるから、エキナセアを諦めようとしていたのではない。

 負い目のある私が告白をすることで、“エキナセアとの今の関係”が崩れてしまうことを恐れていたのだ。

 思いの丈を伝えて、それを彼女が受けてくれれば関係は一歩前に進む。それは喜ばしいことであり、私が今まで何度も頭の中で思い描いてきた妄想でもあった。

 しかし、彼女が受けてくれなかったとしたら?

 真面目なエキナセアのことだ。私のことを想って、私の騎士団から去ってしまうだろう。

 彼女が私の前からいなくなってしまう。

 私はそれが一番怖かったのだ。

 

「……うーん、いない。次!」

 

 けれども、もう迷わない。

 アンプルゥの神様の言葉の通り、我々は明日も分からぬ身の上なのだ。

 仮に迷惑だったとしても、私のこの想いはエキナセアに伝えたい。

 それによって、もし彼女が私の前からいなくなったとしても、悔いはない。

 ……いや、嘘です。めっちゃ引き摺ります。

 しかし、この想いを伝えないままで、自分の気持ちを見てみぬふりをするだけはもうしない!

 

 

※※※

 

 

「い、一体どうしたんだ、団長? そんな汗だくで」

 

 エキナセアを見つけたのは、まさかの八件目の店だった。

 貴族なのだからお高い店にいるのだろう、と勝手に思っていたが、庶民の生活に興味を持つサフランが食事相手なのだ。そこら辺は考慮して店選びをするべきであった。

 全身の穴という穴から汗が噴き出る感覚を気持ち悪く思いながらも、私は丁度食後で談笑していたであろう彼女の元へと歩いていく。

 こちらの様子に酷く驚いていたエキナセアではあったが、同時にどこか嬉しそうに見えたのは気のせいだろうか?

 けれども、まずは落ち着け、私。

 

「こんに、ちは、サフラン。お楽しみの、中、いきなりで失礼」

「こんにちは。お久しぶりね、団長さん。貴方のエキナセアをお借りしているわ」

「こ、こら、サフランっ」

「いや、こちらこそ。今から少しだけエキナセアをお返し頂きたいので」

「あら。まあまあまあ」

 

 エキナセアと向かい合って椅子に座っていた、サフランと言葉を交わす。

 私自身が貴族であるということと、エキナセアの親友ということもあって、彼女とは何度か顔を合わせることがあった。……ついでを言うと、サフランの所属している騎士団の団長とも知り合いなのだが、今は関係のない話だ。

 それ故に、まずは彼女に断りを入れる必要があった。

 親友との会話中にその親友の騎士団長が現れて、思いの丈を伝えるという現場を目撃することになるのだ。

 こちらの言葉に何やら目を輝かせるサフランに軽く一礼し、私は改めて意中のエキナセアと対面した。

 突然のこと過ぎたのか、私の目に映る彼女は未だにこの状況に混乱している様子であった。

 

「エキナセア。急に本当にすまない」

「いや、全くだよ。どうしてこうキミは――」

「君にどうしても伝えたい想いがあって、居ても立っても居られなかった」

「っ……そ、そうか。ならば、話を聞こう」

 

 よし、第一関門は突破した。

 ここでエキナセアが私の突然の来訪に気分を害していたら、それこそここで説教が始まるところであった。そうなってしまうと告白もクソもなくなってしまう。

 問題はこの次だ。

 走ってくる間に、色々と言葉を考えてきたのだ。

 エキナセアと出会ってからこれまでのことを話すと長くなる。そんな長々と昔話をされた後の告白など、一体誰がロマンティックを感じるというのだ。

 故にこれは却下とした。

 しかしだからと言って、「貴方が好きです!」とド直球に伝えるのもアレだ。端的過ぎるし、意味が分からないし、何より私のスタイルではない。

 だからここは、手短に、それでいてスマートに、己の想いを伝えるのだ。

 

「ぁ、えっと、その……です、ね?」

「ぅ、うん……」

 

 成功しようとも失敗しようとも、最初から最後まで私らしさを出し、それでいて紳士的に。そう。脳内でのプランは完璧であった。

 だが、いざそれを実践に移そうとすると上手く言葉が出てこない。

 何やら期待して少し頬を染めているエキナセアの可愛らしさも手伝って、私はそれまで綿密に練ったはずの計画が脳内で音を立てて崩れていくのを感じた。

 いけない。何か、何か言わなければ。

 言え。言うのだ、私!

 ここで言わなければ、ここで伝えなければ以前と同じだ。

 目の前の彼女は私の言葉を待ってくれているのだ。

 ああ、畜生。今日も可愛いな、エキナセアは!

 

「……そのっ! いきなりでほんと、申し訳ないのだけど」

「ぁ、あぁっ」

「今晩、私と一緒に『夜鳴き蕎麦』を食べに行かないか!?」

「はい……はい?」

 

 

 

※※

 

※※※

 

 

 その後、エキナセアと私がどのような関係になったのかは語るに及ばず。

 ただ、あの後に出会った私の同期、とりわけキンレンカ団長やカウスリップ団長からは「孫に囲まれて老衰で死ね!」と罵詈雑言を浴びせられたことから察して頂きたい。

 というか、私からしたら眉目秀麗のお前たちこそ、ガチョウ母さんの童話にあるコマドリになってくれ、と声を大にして言いたい。代わりにミヤマガラスには私がなろう。それでおあいことしようではないか。

 閑話休題。

 とにかく。あのアンプルゥの神様を名乗る妙ちくりん……というと失礼極まりないか。神様を名乗ったブロッサムヒル騎士団の最高司令官によって、私はエキナセアに思いの丈を伝えることが出来た。

 それに関しては感謝の言葉しかない。

 ……しかしながら、いくつか疑問に残るのも確かであった。

 それは何故、彼が私のことを事前に知っており、そして私に声を掛けたか、ということだ。アンプルゥを使役する才能か能力かも相まって、謎は深まるばかりである。

 もしかすると、何か私のあずかり知らぬところで謎の巨大組織が動いたのか?

 という妄想を働かせたものの、あれから当の本人と話し合う機会は訪れず、真実は闇の中となった。まあ一端の地方騎士団長が、最高司令官とサシで話し合うなど、私の上司が聞いたら笑い飛ばすところであろう。

 何にせよ、彼のおかげで今の私があり、私とエキナセアの関係は続いている。

 私は阿呆であると自覚しているが故に、彼の言葉は自戒として何時までも覚えていようと思う。

 

「よし。それじゃあ始めますか。エキナセア」

「あぁ。キミの期待に応えて見せよう」

 

 そして、今日も今日とて。左手の薬指に指輪をしたエキナセアがいる執務室で、私は幸せを噛み締めながら、その言葉を小さく呟くのであった。

 

 

命短し歩けよ男児。

 

 

終わり

 




参考文献

・アニメ「四畳半神話大系」
・小説「夜は短し歩けよ乙女」
・小説「蜘蛛の糸」
・小説「走れメロス」
・童話マザーグースより「誰がコマドリを殺したの」


元ネタとなってくださった団長の皆様方(敬称略・順不同)

・ハツユキソウ及びヒツジグサ団長
・ディモルフォセカ団長
・アブラナ団長
・オオオニバス団長
・ブルーロータス団長
・コオニタビラコ団長
・カウスリップ団長
・キンレンカ団長


ここまでお読み頂き、ありがとうございました。




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夜は短し恋せよ乙女

 ベルガモットバレーの騎士団長をやっている「私」の副団長を務めているエキナセアは悩んでいた。
 自分と彼との関係を。
 そして、自分だけでは解決できないと悟った彼女は、友人であるサフランに相談するのだった。





※「命短し歩けよ男児」の別視点
※登場人物及び団長は上記の物語と同じ
※誤字脱字、乱文あり
※解釈違い、設定違い
※ご都合主義、ご都合展開
※登場人物である各団長たちのモデルあり


以上のご注意の上、それらが許せる方はお暇つぶしにでもどうぞ



 

※※※

 

 

「ようやく会えたな。キミが団長か」

「その通りです。初めまして」

 

 初めて彼と出会った時は、色々と勿体ない男だと思った。

 身長は少し高めとはいえ、中肉中背。眼鏡を掛けていること以外はこれといった特徴も無い。強いて言えば声から優しさと甘さが感じられるぐらいだろうか。前の情報から同じ貴族であることは知っていたが、何というか覇気というか、男気というか。とにかく、騎士団長らしさは感じられなかった。

 庶民的な、と言ってしまうと彼に失礼かもしれない。事前に聞いた話が本当であれば、磨けば光るかもしれない。

 しかし、良く言えば中庸な男。悪く言えば平凡な男。

 それが私の第一印象であった。

 

「ベルガモットバレーの花騎士、エキナセアだ。以後お見知りおきを」

「こちらこそ。よろしくお願いするよ」

 

 初対面の人間相手だと奥手になるのか、私の顔ではなく胸元辺りを見ながら応答するのはよろしくない。しかし決して無礼という訳ではなく、先に握手を求めてきたのは彼の方であった。

 同じ貴族であるが故か、どうにも人柄を品評しようとしがちなのは私の悪い癖だ。だが、最近の貴族は誇りというのを持っていない。果たして彼が、民や国を守る程の誇りがあるのかどうか。

 

「キミが私の信頼足りうる人物であることを切に願おう」

 

 釘を刺すような言い方にはなってしまったが、私は差し出す彼の左手を握り返し、思っていたことをそのまま口に出す。

 こちらの言葉に対し、彼は少し面を喰らったかのような顔をした。しかし、すぐに顔をほころばせるのだった。

 

「はは、お手柔らかに」

 

 反発する訳でもなく、余裕を見せるわけでもない。ただ私の言葉を受け止めて笑う彼を見て、やはり貴族らしくない、と思った。

 これが団長との出会いであった。

 

 

 

※※

 

※※※

 

 

「団長。そんなことでは駄目だぞ」

「……すみません」

 

 私が団長と活動を共にするようになってからしばらくの月日が流れた。けれど、彼に対する第一印象は大きく変わらなかった。というか、本当に色々と惜しい男であった。

 痒いところに手が届かない、という言葉があるが、彼は正にそれであった。

 事務仕事は得意という程ではないが、期限は守るし、内容も問題はない。戦闘時の指揮も、やや花騎士の個性に任せているきらいはあるが、自身が無理無茶なことをすることを除けば、花騎士たちに無理強いをさせることもない。

 だがそれらを抜きにしても、花騎士たちとの対話能力には乏しいと言わざるを得なかった。

 花騎士たちとの適切なコミュニケーションを取れないということは、有事の際に問題になる。仮に今までは大したことがなかったとしても、いずれは惨事を引き起こすであろう。

 彼の対話能力、交流の改善は早急に行わなければならないと思った。

 

「ほら、今も、だ。目を逸らさない。会話中に視線を外すのは相手に失礼だし、やましいことを隠していると疑われても仕方がないぞ」

「ぐぅ、仰る、通りです」

 

 団長は決して、人とコミュニケーションが取れないという訳ではない。ならば異性に弱いのかといえば、そういう訳でも無さそうだった。

 私が来るまで副団長を務めていた花騎士のワレモコウとは普通に話をしていたし、盤上遊戯もしている仲だ。彼女に話を聞くと、今のところ戦績は84戦81勝3引き分けだという。因みに、その戦績はワレモコウのものらしい。彼はどうやら実戦派のようだ。

 そんなワレモコウ以外にも上司である騎士団長と、その副団長であるブルーロータスさんとも会話しているのを見たことがあった。

 また他にも、彼の出張で付いていった先、ウィンターローズの後輩騎士団長や、ブロッサムヒルの養鶏業を兼任する騎士団長。バナナオーシャンの騎士団長や、先輩ではあるがほぼ同期で同国の騎士団長とも談話している姿が見られた。

 これらの情報をまとめるに、団長は単に人付き合いが苦手なのだと判断できた。

 彼自身に質疑応答をしてみると、社交の場に出るのは好きではないという。また、幼少の頃より気の合う同性とはしゃいでいるばかりであった、と述懐していた。

 付き合いが長い相手、同性者、恩を感じている相手などには、彼は普通に話せるのだ。けれども、そうではない相手に対しては自ら壁を作ってしまうのだと推測できる。

 団長が繊細なのか、人見知りが激しいのかは分からない。しかし、彼が一度その壁を作ってしまうと、仮に同じ騎士団内の花騎士であっても会話がぎこちないものとなってしまう。

 別に彼自身が相手を嫌っている訳ではない。寧ろ、どちらかというと相手を気遣い過ぎている、と言ってもいい。壁を作るのも相手に侵入させないためではなく、迂闊に相手の懐に入り込んで自身の醜態を見せないようにするためのように思えた。

 壁が何時取り払われるかは分からない。けれども、少なくとも彼が相手を信頼もしくは自制を解かない限りは、薄くなることはあっても取り払うことはないだろう。

 

「やはりキミには一から教えた方が良さそうだ。いいな?」

「いやでも、それではエキナセアに迷惑が……」

 

 団長の言動の真意に気付こうとするには、それこそ彼の傍で見ていなければ分からない。ワレモコウも、恐らくはそうだったのだろう。

 故に、仕事上での付き合いしかしない騎士団所属の花騎士たちが、彼のことを誤解しても仕方がないだろう。誰だって、相手と自分の間に壁を感じるのに会話を楽しもうとは思わない。その状態で気遣いをされたところで、余計なお世話と感じても致し方ないと言える。

 社交性や話術があればその辺りも解決できただろう。しかしながら、彼にはそれらが全く備わっていなかった。

 

「私のことは気にするな。これぐらいお安い御用だ」

「しかし……」

「二度も同じことを言わせない。それに、これはキミのためだけではない。騎士団全体に関わることなのだぞ? ならば、私が手伝わない訳にはいかないだろう」

「あ、はい」

 

 確かに、彼は貴族らしさがない。けれどもそれは、友人であるサフランのような「らしさ」であるように感じた。だからなのか、私は団長に親近感のようなものを抱いていた。

 それだけに、彼には期待をしていた。

 それは、団長に貴族らしさがないからこそ、既存の貴族たちとは違ったやり方で国を守れるのではないのかという考えがあった。

 

「騎士団を率いるキミの責任は重い。だが私はキミに期待しているぞ」

「……分かった、努力しよう」

 

 そして同時に、貴族らしさがないからこそ、彼に惹かれている部分があったのかも知れなかった。

 

 

※※※

 

 

「団長。今日のキミの指揮は素晴らしかったぞ」

「エキナセアのおかげだよ」

 

 結果として、団長への指導は成功した。

 社交の場へ出ることへの抵抗感こそ見せているものの、それ以外の社交性や話術、花騎士たちとの円滑なコミュニケーション能力は飛躍的に向上した。

 

「そんなことはない。団長がちゃんと他の花騎士たちと交流したからこそ、だ」

 

 基本知識がなかったことも幸いしたのか、真綿が水を吸収するが如く、団長は私の教えを覚え実践してみせた。

 やはり前情報の「花騎士を大事にする精神を持つ者」、という彼の上司評価は間違っていなかった。まだ戦場の花騎士たちを庇う、または自身を危険に晒して作戦を遂行しようとする行為こそ見られるものの、私が期待した通りの男だったと言える。

 私が団長の真摯な態度に好意を抱いているのを自覚するのと同時に、彼自身が褒めて伸びるタイプだと感じた。

 故に私は、彼が成功を収める度に私自身の素直な好意や感想を述べて、団長を褒めた。

 時に執務室で。時に二人だけの作戦終了後の打ち上げ会で。そして、この日は夜の団長の私室で。

 私は私の思っていること、思ったことを正直に彼への賛美として口にした。

 

「いやいや。その、他の花騎士たちと交流できるようになったこと自体が、君のおかげなんだ。本当に、ありがとう」

 

 室内にある簡素なテーブルを挟んで向かい側に座っていた団長は、バツが悪そうに頭を掻く。そして、深々と頭を下げた彼はそのまま椅子から立ち上がり、逃げるように奥のベッドへと腰かけてみせた。

 本人は知ってか知らずか、それは分からない。だがこれは彼の癖だ。

 注意や叱責は甘んじて受ける団長ではあるが、褒められるのには慣れていないらしく、こうして逃げてしまうのだ。

 夜の時間帯だけあって、本人がおもむろに寝る態勢を取ってしまえば、相手もそれ以上踏み込みはしまい。三大欲求の一つである睡眠だ。それを邪魔する者はそういない。それが叱責ではなく賛辞であるのならば、相手も切り上げ時だと思うだろう。

 実際そういう言動で、多くの者たちを煙に巻いたに違いない。実際、私も最初の頃は気付かずに話を中断していた。

 

「……やれやれ。言葉だけでは駄目のようだな」

 

 だが、今日は逃がす訳にはいかない。

 今日の討伐は、彼の戦況分析から状況判断、各花騎士たちへの指示が素早く行われたからこそ、惨事を回避し勝利出来たのだ。直接伝えはしないが、私も少し危ないところがあった。

 言葉で伝わらないのであれば、直接触れて、感じてもらおう。

 

「えっ? ……ぅわわっ!?」

 

 私が席を立ったことで安堵の表情を見せた団長であったが、歩を進めた先が扉ではなく自分の横とは思わなかったようだ。お互いの身体が触れている距離。私は彼の左隣へと腰を下ろした。

 私から見ても少し大胆なことをしている自覚はある。けれども、団長にはそれだけのことをしたということを分かってもらわなければならない。

 驚いて離れようとする彼の手を握り、私はその動きを制した。そして、握った手を両手で包み込み、明らかに混乱している様子の団長を見つめて口を開く。

 

「確かに色々と教えたのは私かもしれない。けれども、それを実戦でこなして見せたのは他でもないキミだ」

「ぁ、う……」

「そして、今。この場で称賛されるべきは団長であり、私の誇りでもあるキミだ」

「ちょっ!? ……ぅ、え、エキナセアっ!?」

「だから、どうか自信を持ってくれ」

 

 両手で包み込んだ彼の手を、私の胸元へと触らせる。心臓の音。その、憎からず思っているせいか、その鼓動はやや速い。

 しかし、鼓動の速さも、私がここにいるのも、彼がこうして立派になったからだ。貴族の誇りにかけて、そんな団長と共に民や国を守ろう。そう思うぐらいに、私は感極まっていた。

 

「……っ」

 

 私の言動に彼は俯く。感動で身体を小刻みに動かしていると思いきや、顔を上げる。その顔は覚悟を決めた男の顔であり、初対面で会った時の頼りなさは一切感じられなかった。

 その顔に見惚れてしまい、私は団長から目が離せなくなった。

 

 

「エキナセアっ、エキナセアぁ!」

「きゃあっ!?」

 

 どうやら感極まったのは私だけでなく、彼も同じだったようだ。

 と、思ったのも一瞬であり、私は彼に押し倒されてしまった。

 ……そしてその勢いのまま、彼に性的な意味で身体を許したのであった。

 

 

 

※※

 

※※※

 

 

「……うん。話をまとめると、彼に愛の告白をさせたい、ということでいいかしら?」

「何を聞いていたんだ、サフラン。彼の気持ちを知りたいだけであって、私は別に愛の告白など……」

 

 秋になり、昼下がりであっても寒さがより一層深まってきた、ウィンターローズ城下街。

 街中でも有名なカフェテリアにて、私と相対する位置の席に座った友人であるサフランは、こちらの答えに対してどこか意味深な笑みを浮かべた。

 彼女との付き合いが長いからこそ分かる。あれはきっと、私が言っていることを訝しんでいる顔だ。

 けれども、親友とも思っている彼女にまさか、「団長と身体を重ねたが、事後、当の本人にそのことを謝り倒された。それ以降、どこかよそよそしいので彼の真意を聞きたい」と正直に説明する訳にもいかなかった。

 後者はともかく、前者に関しては口が裂けてもサフランには言えなかった。

 

「でも、されたいのでしょう?」

「ぅ、まあ、その……団長が、彼が、真剣に想いを伝えてくるのであれば、そういう関係になるのは、やぶさかではない」

「ふぅーん?」

 

 そのため、後半部分をやや脚色して伝えた上での相談だった。けれども、こちらの真意は早々に見抜かれているようであり、私は何も言い返せなかった。

 このまま話を続けると、私がその、彼と、せ、性行為したということすらバレかねない。

 押し黙るこちらを見たサフランは、「まあ、いいわ」と何かを察したのかすぐにいつもの笑みに戻す。こういう時、彼女が友人で本当に良かったと思っている。

 

「けれども意外ね」

「何がだ?」

「貴女のことだもの。自分の気持ちに気付いたのなら、そのまま直接彼に告白するものとばかり」

 

 そして一呼吸置いてから、「それか、彼の気持ちを直接問いただすか」と思い出し笑いをするかのように彼女はクツクツと笑う。

 恐らく、サフランは私と出会った頃のことを思い出しているのだろう。

 貴族の中でも上流に位置する大貴族。王家との繋がりも少なからずある地位にいるといっても過言ではない。そんな息女が貴族らしくなかったのだ。本人と直接会う機会を得られたら、それは問いただして然るべきだと思うのだが。

 けれど私だって、初対面のサフランに貴族の在り方を問いただしたように、直接彼にその気持ちを聞けるのであれば苦労はしない。

 団長がどこかよそよそしいように、私も最近、彼と二人きりでいると落ち着かないのだ。

 だからこそ、こうして話を聞いてもらっている訳だ。

 しかし、サフランの言うことも正しい。以前の私であれば、すぐにでも団長の気持ちを本人に問いただしていたと思う。

 理由は分からない。けれども、今の私にはその勇気がないのだ。

 故に私は、視線を手元のティーカップに落として呟くような声しか出せなかった。

 

「私らしくないのは分かっている。だからこその相談のつもりだったんだ」

「あら? あらあら?」

「……な、なんだサフラン。何故そんな顔をする?」

 

 すると、サフランから本当に意外そうな声が漏れたのを耳にして、私は思わず顔を上げた。その視線の先には目を輝かせながら彼女が笑みを浮かべていた。

 

「本当に、彼のことが好きなのね、エキナセア!」

「ぇ……ぁあ。そう、なるのか。うん、そう、なるな」

 

 勢いよく立ち上がらんばかりに身体ごと顔をこちらに寄せてきたサフランに気圧され、私も身体を反らす。

 けれど、一度団長のことを考えてみると、確かにその通りであった。

 自分でも半信半疑な気持ちではあったが、サフランに指摘されることでようやく確信が持てたような気がする。

 そうだ。私は彼のことが好きなのだ。

 そして、団長が私を抱いたのは好意によるものなのか、そうでないのかが分からないから、彼を問いただすのが怖い。

 だからこそ、彼の口から真意を聞きたいのだろう。

 理由はそれ以外にもありそうではあったが、第一がそれなのだと理解した。

 

「ふふっ」

「むぅ。変なことを言ったつもりはないが……そんなに私が恋をすることがおかしいだろうか?」

 

 私の中の恋心を自覚したところで、サフランの笑い声が聞こえた。タイミングがタイミングなだけに、私が恋をするということを笑われたのかと思い、眉根を寄せてしまう。

 すると、サフランは「とんでもないわ」と首を横に振った。

 

「寧ろ私は嬉しいわ。エキナセアの恋だもの! 友人として協力するわ」

「……そうか。ありがとう」

 

 深く頭を下げてお礼を言う私に、「ちょっと、ちょっと」とサフランが制した。

 

「お礼を言うのは、上手くいった後に、ね?」

「あぁ、それもそうだな。しかし具体的にはどうすればいいんだ?」

 

 以前にもサフランとのお茶会にて、団長が社交的ではないことを話題にしたことがあった。それ故に、彼女がどんな方法で彼から気持ちを聞き出すのか想像つかなかった。

 こちらの疑問に対し、サフランはどこか不敵に笑ってみせる。

 

「任せて。少し前だけど、ブロッサムヒルで行われた晩餐会があったの」

「ふむ?」

「そこで知り合った騎士団長の中に心当たりがある人がいるの。その人とは騎士団を通じて今もやり取りをしているから、彼に相談してみるわ」

 

 

※※※

 

 

「やぁ。こんにちは、サフラン嬢」

「こんにちは。ブロッサムヒル騎士団の最高司令官様」

「最高司令官はよしてくれ。この間も言った通り、その肩書きは見せかけのようなものだよ。様付けもいい。……そうだね、私のことはハチロクとでも呼んでくれると嬉しいかな」

 

 サフランに相談をしてから次の休日のことであった。

 私は彼女の誘いによって、ブロッサムヒル王城内にあるブロッサムヒル騎士団作戦本部会議室。通称、「円卓会議の間」と呼ばれる部屋まで案内された。

 そこで出会った騎士団長は、彼女が言う通りブロッサムヒル騎士団の最高司令官であった。

 彼は騎士団長に支給されるマントではなく、何故か白衣を騎士団長服の上から纏い、にこやかな笑みを見せる。周囲には何故か霊獣を漂わせており、失礼ながら、本人もその霊獣である攻のアンプルゥが人になったかのような印象を受けた。

 後で詳しく話を聞いたり、調べてみたりしたところ、実際の最高司令官は別にいるのだとか。しかし、その最高司令官とは他でもないブロッサムヒルの女王であるため、実質の最高司令官は結局彼なのだという。

 騎士団長に就任してから、驚異的な速度で手柄を集め、尚且つこれまでの任務に大きな失敗はない騎士団。彼自身がサフランと同じで、ブロッサムヒル王家との繋がりもある大貴族であるためか、トントン拍子の出世。気が付けば就任してから僅か三年で最高司令官になったのだという。

 かくいう私も彼の武勇伝はいくつか耳にしており、機会があれば直接話をしたいと思っていた。だがその機会は中々訪れることはなく、今日は私自身の用事で来たため、その話は別の機会に持ち越しとなりそうだった。

 

「じゃあ、ハチロク団長さん」

「うん、いいね。私としてはその呼ばれ方のほうが好きだね。堅苦しくなくていい。何より、君のような美女にそう呼ばれるのが良い」

「うふふ」

「むー」

「ほら、ハツユキも拗ねない、拗ねない」

「別に、拗ねていませんよ。つーん」

 

 そんな彼の左隣には花騎士のハツユキソウが唇を尖らせてそっぽを向いている。サフランと同じウィンターローズの花騎士であるため、ブロッサムヒルへと移籍する前は何度か顔を合わせたことがあるはずなのだが……何やら今日は機嫌を損ねているらしい。

 しかし、問題は彼女ではなかった。

 司令官殿の右隣に立つ、まだ幼いながらも凛とした表情の少女。少し外側に跳ねた優しい色合いの金髪と、その頭上に輝くティアラ。丸く可愛らしい金色の瞳に、同性である私からしても美形と思える顔立ちからは気品と高貴さも感じられる。

 身にまとう服装こそ、貴族のお忍び用を想起させる質素な白と黄を基調としたドレス姿ではあった。だが、少し離れているところからも分かる刺繡の細かさや、装飾品から相当な身分の者だと思われた。

 私の知らない少女。けれども、ブロッサムヒル騎士団の最高司令官ともなる身分の者の傍にいるのだ。彼女も高貴な身分でありながら花騎士であるのには違いなかった。

 そして、私が出会った花騎士の中で類似する雰囲気を持つ女性たちは、皆、王族ばかりである。その中で私が出会ったことのない王族で花騎士ともなると、候補は限られてくる。

 

「うん、まあ。後はサフラン嬢の横にいらっしゃるご令嬢が、今回の相談主でいいのかな?」

「エキナセアです。私的なこととはいえ、相談に乗って頂き感謝します。……失礼ながら、そちらのご令嬢はもしや?」

「あぁ。やはり彼女のことが気になるよね」

「お初にお目にかかります、私はヒツジグサ。本日はよろしくお願いします」

「ロータスレイクの女王陛下でしたか。こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 ロータスレイクの水上都市女王のヒツジグサ。まだ幼いながらも一国の女王として、花騎士として、民を守る少女。

 最近ブロッサムヒルにて、そんな女王である彼女が一つの騎士団に所属した、という噂を聞いたことがある。王族関係の貴族たちを通しての噂ではあったが、ロータスレイク自体は開国してからまだ日が浅い。

 故にロータスレイクの花騎士ならばともかく、女王直々に騎士団所属の身となるのは想像できず、私自身は半信半疑であった。

 しかし、目の前にいる彼女とその隣にいる司令官殿を見るに、その噂は本当だったようだ。

 

「畏まらないで下さい。今日はその、お忍びと言いますか、彼のところへ遊びに来たところ、たまたま居合わせただけですので」

「それは、その、すみません。私事で邪魔をしてしまったようで」

「いいえ。私の方こそ、前から取り付けてあった訪問でしたのに、割り込んでしまって申し訳ありません」

 

 貴い身分であるのは間違いないはずなのだが、気づけば私と彼女はお互いに頭を下げあう形となった。

 まだ女王としては幼いためなのか、それとも民草に優しい性格がそうさせるのか。それは分からないが、少なくとも彼女の雰囲気や印象からすると後者なのだと思える。

 だからこそ、私の個人的なお願いを聞いてくれる司令官殿に同伴しているのだろう。……それだけに、申し訳なく思ってしまう。

 わざわざ一国の女王が自らの所属騎士団とはいえお忍びで、他の国の騎士団長に会いに行くのだ。

 いくら恋愛に疎い私であっても、それだけで彼らの関係性ぐらいは察することが出来る。

 彼女のためにも、早いところこの話を終わらせたいと思った。

 

 

※※※

 

 

「ふむ。では彼の気持ちを知るために、微力ながら私も動かせてもらおう」

「ありがとうございます」

 

 立ち話も悪いということで、相談はお茶会を開くような形で行われた。

 会議の中央にある円卓の場ではなく、扉側に近い部屋の隅で用意された白い丸テーブル。その上に紅茶やお菓子を用意し、テーブルと同じ色の椅子にそれぞれが座り、私が話をする形となった。

 相談自体は私がサフランにしたのとほぼ同じ内容で話した。

 それを聞いたハツユキソウは興味津々で、逆にヒツジグサ女王はどこか恥ずかしそうに聞いていたが、それでも真剣に聞いている様子を見せているように思える。

 そして、司令官殿に関しては、「同性の方が何かと踏み込んで聞けるだろう」と私のお願いを快諾してくれた。

 

「なぁに。各国の騎士団長が集まる、合同会議も近い。彼もその会議に選ばれるのだろう?開催はブロッサムヒルで行われる予定だから、その折にでも接触を図ろう」

「えっへん。どうですぅ? 私の団長さんはすごいのですよ」

 

 頭を下げる私に対し、彼の左隣に座っているハツユキソウが何故か誇らしげに自慢げな表情を見せる。

 

「ハツユキ」

「あっ、はい。すみませんでした」

 

 が、彼の優しいながらもきっぱりとした呼びかけに一瞬で委縮して申し訳なさそうな顔を見せた。しかしながら、どこか嬉しそうにしているのは気のせいだろうか。

 ヒツジグサ女王と司令官殿の関係性は分かったものの、彼女との関係は謎が深まるばかり。傍から見ていると恋人というよりは、しっかり者の兄とお調子者の妹のように見えるのだが。それにしては容姿が似ていない。もしや二人は血の繋がりが薄いか、無いかの兄妹か何かだろうか。

 ……いけない、いけない。また勝手に人の評価や関係性を探ってしまっている。話を戻そう。

 

「では、彼の特徴を――」

「あぁ。それなら大丈夫だよ」

「と、言いますと?」

 

 団長同士での会議であれば、自然に接触が出来るはず。そう思って団長の身体的特徴を伝えようとするも、司令官殿に制される。

 流石に前情報無しで本人を探すなど探偵でも無理な話だ。しかし、彼は名誉あるブロッサムヒル騎士団の最高司令官。もしかすると、他国の騎士団長に詳しいのかも知れない。

 

「何故なら私は、アンプルゥの神だからね」

「は、はぁ……」

 

 だが、我が団長も他国の騎士団長に顔を覚えられるぐらいに成長したのかと思った矢先、返ってきた言葉は小首を傾げるものであった。

 ……彼なりの機知に富んだ小粋な冗談なのだろうか。

 確かに貴族であるのならば、こういった小粋な冗談が社交の場で必要になる時はある。場を和ませる場合や、相手の緊張をほぐしてあげる時、それらは活用されるだろう。

 もしや、司令官殿から見た私はそこまで緊張しているように見えたのだろうか?

 

「ふふっ、団長様。まだそのお遊びをされていたのですね?」

「えー? 駄目かな。私は結構、このネタは気に入っているのだけれども」

「団長さん。知らない人にもつい言っちゃいますからねー」

 

 すると、彼の言葉にヒツジグサ女王が笑みをこぼす。その反応を見た指揮官殿は童心に帰ったかのように嬉しそうな笑みを返し、ハツユキソウもそれに乗っかる形で破顔した。

 

「うふふ」

「……」

「ん、エキナセア?」

 

 彼らのやり取りを傍から見ているだけで、三人はとても良い関係なのだと理解できる。私の隣に座るサフランが屈託のない笑声を上げているのだ。それは間違いないだろう。

 だからこそそんな彼らが羨ましく、こうして邪魔をしてしまっていることが申し訳なく思ってしまう。

 私が団長に対して恋心を自覚した時点で、彼に告白なり、自分のことをどう思っているのか聞けば良かったのに。

 フラれる可能性があったとしても、それはそれで受け止められる覚悟はあるはずなのに。

 彼らのひと時を邪魔してまで、私は一体、何を恐れているのだろうか。

 

「本当にすみません。臆病な、私の恋愛相談のせいで」

 

 貴方たちの時間を使ってしまって、と続く言葉は口から出なかった。

 何が「深い愛」だ。自分のことも、感情もまともに整理出来ないのに。

 この体たらくでは、私自身に与えられたこの花言葉も返上しなければならないではないか。

 

「夜は短し恋せよ乙女」

「……ぇ」

 

 楽しそうに笑い合う彼らの顔を見るのも申し訳ない。顔を俯かせ、ゆっくりと目を閉じた時であった。

 聞きなれない言葉が耳に入ってきたので顔を上げると、そこには司令官殿の優し気な目が私を捉えていた。

 

「異世界から流れてきたという本に書いてあった言葉なのだけどね。うん、そうだ。割とこの言葉は気に入っているんだ」

「どういう、意味でしょうか?」

 

 聞き返す私の言葉に、彼は少し気恥ずかしそうな微笑を浮かべた後、口を開いた。

 

「我々が思っている以上に、時間の経過というものは意識していないと早い。夜なんかは特にね。私も朝が来なければいいのに、と思ったことが何度あったことか。……まあ、それは置いておこう。

 そんな訳で、夜は短いのだよ。ああ、その。ここでいう夜という単語には二つの意味があって……いや、説明しなくても聡明な貴女なら分かるだろうね。

 とにかく、だ。それならば、恋愛をしたほうがいい。その方が、ほら、人生楽しいだろう?

 年齢とかはそれこそ気にする必要はない。男性がいくつになっても、変わるのは玩具の値段だけであるように。女性も、いくつになっても恋をしたらそれは乙女なのだから」

「……」

「私は感銘を受けたよ。だからこそ、それで悩む者の助けになれるのであれば、私は喜んで協力しよう」

 

 笑みを深くして言い切った後、「最後はちょっと格好つけすぎたかな?」と司令官殿は口に手を添えて隣にいるハツユキソウに小声で聞く。

 しかしながら、私は「大丈夫ですよ、格好良いです。団長さん!」と小声で聞いたのを台無しにするような声量で彼女が返したのも気にならなかった。

 夜は短し恋せよ乙女。

 その単語と意味が、私の頭の中でぐるぐると駆け回る。

 そうだ。私は、彼に恋をしているからこそ怖かったのだ。私の方から彼の真意を聞くことが。

 身体を重ねた後に、それを理由にして付き合うなど、お互いに負い目を背負うようなものだ。それが、行為の後に「一方的な行為だった、本当に申し訳ない」と相手が謝罪しながらそう思い込んでいるのなら尚の事。

 ……彼は優しい。それ故に、私からの告白や真意を問いただせば、恋人として付き合うのもやぶさかではない姿勢を見せるだろう。

 しかし、負い目があるままに付き合うなど、それこそ先が見えてしまっている。

 けれど、だからこそ、だ。

 だからこそ、私は彼の方からちゃんと気持ちを伝えて欲しいのだ。

 私のことを何とも思っていないのなら、それでもいい。あの時の行為は、そういうことだった、と自分の中で処理できる。

 だが、彼が私のことを憎からず思っており、好意的にそのことを伝えてくれるのであれば。改めて彼の気持ちに応えよう。その時には団長自身、負い目は無くなっているだろう。そうでなければ、彼は自らの想いを秘して黙する男だ。

 

「団長様。エキナセアさんにはちゃんと伝わったようですよ」

「え? 本当? オッサン臭いとか思われていないかな?」

 

 一度目を閉じ、自分の中で整理した後にゆっくりと目を開く。その様子を見たであろうヒツジグサ女王は、私に向けて微笑を見せた。

 そしてそんな彼女の言葉を聞いた司令官殿は、何故か摘まんでいたハツユキソウの両頬から手を放し、ヒツジグサ女王と私とを交互に視線を向ける。

 改めて見ると、何だか不思議な人だと思った。

 司令官殿の年齢こそ、私の団長とさして変わらないように見える。けれども雰囲気や話し方、そしてその考え方はまるで長い年月を生きた賢者のように思える。

 最初は冗談でアンプルゥの神様を自称していたようにみえたけれども、案外本当にアンプルゥの神様なのかも知れない。

 ……実際、彼の周囲には今もアンプルゥたちが好き好きに漂っている。仮に彼が本当に神様もしくは神に近い存在と契約をし、アンプルゥを操れるようになった、と言われたとしても納得できる。

 それとも単に、彼の声色がそういった考えに至らせる不思議な説得力に満ちたものであるかも知れなかった。

 

「ありがとうございます。おかげで、見えていなかったものが見えたような気がします」

「そうか。いや、なら良かった」

「ですから、私からも今一度お願いします。どうか、彼の真意を彼自身の口から聞きたいので、協力してください」

「うん。任せてほしいな」

 

 私の決意の前に司令官殿は破顔して見せ、改めて頭を下げると彼は優しい声色で応えた。心の底から安心してしまいそうなその声に、気が緩んでしまいそうになる。

 しかし、彼が協力してくれるからと肩の力を抜いてはいけない。寧ろ、ここからが本番なのだ。

 

 

※※※

 

 

「ありがとう、サフラン。おかげで色々と助かった」

「もう、エキナセアったら。まだ上手く行ったかどうかも分からないでしょ? ……でも、どういたしまして」

 

 その後、普通にお茶会をしたところで彼らとは別れることになった。話が上手く行ったら、後日またお祝いのお茶会をしようという約束をヒツジグサ女王とハツユキソウにねだられたものの、上手く行くかどうかはそれこそ分からないので丁重にお断りをした。

 ブロッサムヒルを抜けて、ウィンターローズまで向かう馬車の中、私はサフランに改めて礼を重ねた。

 

「それもそうだが、私の気持ちに気付けたのはやっぱりサフランのおかげだからな」

「ふふっ。上手く行くといいわね」

「そうだな」

 

 馬車自体は貸し切りであるため、私たち以外には誰も乗っていない。ルート開拓と最近の害虫出没報告もあってか、私たちは花騎士としてではなく、貴族としてその馬車を利用していた。

 相談も無事に終わり、少し気が緩んでいたのだろう。対面に座るサフランは、そんな私を見て嬉しそうな微笑みを浮かべた。

 

「……」

「ん? どうした、サフラン」

 

 しかし、肩を竦めてみせる私を見て、彼女は急に笑うのを止め、こちらを見つめた。そして、私が声を掛けにも反応せずに上から下までじっくりと観察されるように見られた。

 

「……駄目ね」

「……何が?」

 

 それから、口元に手を当てて考える仕草をしたかと思うと、急に目つきが鋭くなった。

 その目つきには覚えがあったので何となく嫌な予感がしつつも、私は聞き返す。するとサフランはこちらへと顔を近づけ、真剣な表情で口を開いた。

 

「エキナセア。服装を変えて、化粧をしてみない? あぁ、いえ。貴女の団長さんの場合、香水の方がいいかしら? とにかく、彼から真意を聞くには今のエキナセアでは駄目かも知れないわ」

「……具体的ではあるが、やけに漠然とした提案だな。もっと詳しい説明を求めたいのだが」

 

 あぁ、やはり。

 サフランの目に火が付いたような錯覚を感じた私は、やや諦観気味に思った。

 大貴族であるのに、庶民的な生活を好み、貴族らしからぬ言動のサフラン。そんな彼女でも譲れない、というよりも信念に近いものがある。

 

「彼が貴女に告白もしくは真意を話すにはやっぱりその気にさせる必要があると思うの。

 言葉を選ばずに言うのなら、誘惑ね。その時の周辺環境やシチュエーションも大事かも知れないけれども、やっぱり男の人をその気にさせるには見た目から入るのは重要だと思うわ。

 見た目。つまりはそう、服装のことよ。

 エキナセアは顔もスタイルも抜群なんだから、少し着飾ったり化粧や香水をしたりすれば絶対にもっと綺麗になると思うのよ。

 というよりも、貴女は動きやすさや機能美ばかり意識して、もう少し着飾ることを覚えた方が良いわ」

「い、いや。気持ちは分かるのだが、何もそこまで……」

「そんなことはないわよ。古今東西、服装やその時の服の色、時と場合に合わせた化粧や香水、小物類はとても重要なの。これから男の人に告白されるというのに、相手か自分が着ぐるみ姿のまま告白してきたらどうかしら? 雰囲気が壊れると思わない?

 ……いえ、これはこれでありかも知れないわね。ありがとう、今後の服飾デザインの参考にするわ。

 えっと、何の話をしていたかしら? そうそう、告白時に悪臭を漂わせながら汚い服装の相手がしてきたら嫌でしょう?

 そして、それは相手にとっても同じことが言えると思わないかしら?」

 

 やや早口気味ではあるものの口調は終始穏やか。しかし、反論どころか口を挟む隙すらない。

 王室御用達でもあるファッションブランド、アスファルの娘なだけあって、彼女に服装の話をさせたら右に出るものはまあいないだろう。

 無論、彼女も誰彼構わず、こんな調子でまくしたてるように話をする訳ではない。サフランがこんな調子で話すのは、それだけ私に気を許している証拠でもあるし、信頼している証左でもあった。

 そして、同時にそれだけ自身のブランドやアスファル、服装に関して熱意と自尊心を持っているのだろう。

 ……そうだ。私だって、熱意と自尊心を持たなければ。それこそ彼に失礼ではないだろうか。

 

「……」

「あっ、私ったらつい。ごめんなさい、エキナセア」

「いや」

 

 こちらが考え込んでいるのを見て、サフランは我に返ったように驚き、姿勢を正す。これ幸い、というわけではないが、私も姿勢を正し、目の前の彼女を見据えた。

 

「サフラン。キミの言うことももっともだと思う」

「エキナセア……」

「だからその、お手柔らかに、お願いする」

「えぇ、任せて!」

 

 そして、頭を下げてお願いをすると、サフランは満面の笑みで応えてくれた。

 

 

 

※※

 

※※※

 

 

 サフランに化粧の仕方や香水の適量等を教わってから、数日が経った。

 司令官殿の言う通り、各国の騎士団合同会議が開かれることとなり、私たちはブロッサムヒルへと遠征していた。

 初日は長旅をしていた国の騎士団に考慮され、各国で選ばれた新進気鋭の騎士団の団長たちで交流を深める意味合いも込めて自己紹介や近況報告で終わった。

 

「えっと、ここを、こう。で、後はこの香水を少々……」

 

 その夜。私は夕食を済ませた後、宿泊先の個室へと戻った後に団長を夜の散歩にでも誘うための準備をしていた。どのタイミングになるかは分からないが、司令官殿もこの合同会議中に彼へと接触を図ってくれるだろう。

 けれど、司令官殿に任せっぱなしという訳にもいかない。私は私で団長がその気になるようなアプローチをするために動くべきだ。好機とは良い機会のこと。その機会を座して待つのではなく、自らの手で掴もう。

 

「ふむふむ」

 

 洗面所にて、鏡を見ながらサフランに教わったことを実行していく。

 私も貴族の娘であるため、一通りの一般教養や貴族としての振る舞い、女性としての基本的なことを学んだつもりではある。

 しかしながら、流行に聡いどころか、流行の先駆けとなるブランド力を持つアスファルの娘であるサフランから学ぶことは色々と新鮮味があった。

 化粧の仕方一つ、香水の付け方一つにしても、今では様々な方法や効果があるのだと感銘すら受ける。私が今まで覚えてきたのは本当に基礎の基礎なのだと、思い知らされた。

 長時間何かをするわけではないので化粧は薄め。ほんの少し、いつもとは違うという印象を相手に抱かせるためにする。

 次に香水は、自分が好む香りよりも相手が好むものを首元と両手首に少量。彼の場合は柑橘類の匂いが好きだということを事前に把握していたので、しつこくならない程度のものを使わせてもらった。

 

「うーん。まあ、いいだろう」

 

 服装は、私の我儘でいつも通りにさせてもらった。

 サフランはもう少し綺麗なもので、とは言っていたが、そこはそれ。私たちは今回、遊びに来ているわけではないのだ。貴族としての社交界の場ではない以上、花騎士としての本分は忘れてはいけない。

 それに、このいつもの服装は彼に褒められたものでもあるのだ。急に色気を出されるよりも、自然体の方が団長の好みなのでは、と思っている。……思いたい。

 改めて鏡を見て、おかしなところがないかを確認する。

 とはいっても、少し化粧をしたのが分かるぐらいでいつもと何ら変わりない様にも見える。香水に関しても良い匂いなのは分かるのだが、果たして本当に効果があるのかは分からない。

 けれども、これ以上鏡の前で唸っていても仕方がない。後は覚悟を決めて、彼を夜道の散歩に誘うだけだ。

 

「うん。散歩に誘うだけだ。その中で自然に、それとなく、真意を促せばいい」

 

 鏡に映る、普段から見慣れている顔に向かって、言い聞かせるように呟き、気合を入れる。後は彼の部屋まで行って、誘うだけだ。

 

 

※※※

 

 

「……遅い」

 

 私としたことが失念していたと言わざるを得なかった。

 鏡の前で何度も確認したのは良かった。彼の部屋に行くまでの間、どう誘うかの言葉を練ったのも良かった。

 けれども、そもそも団長が部屋で待機していなかった場合のことまでは想定していなかった。というか、街中とはいえ、他国の夜道を一人で出歩くんじゃあない。心配するじゃないか。

 

「……」

 

 宿泊先の受付人によると「夜風に当たってくる」とのことだったので、私は入れ違いを恐れて玄関先で彼を待つことにした。扉の前で立つのは流石に他の利用客の邪魔をしてしまうため、扉傍の壁に背中を預ける。

 不意に晩秋を思わせる夜風が左から右へと通り抜けた。

 花騎士である私は、世界花の加護によって多少の暑さ寒さには耐性がある。だが、今宵の風は何故だか冷たく感じてしまう。まるで彼に行為の後に謝られた時のような気持ちになる。

 思えばあの時から、団長とはすれ違いばかり起こしている気がする。お互いに仕事と趣味はキッチリと分けるタイプであると思う。そのため、騎士団にて仕事をする際はそれ以前もそれ以後も何ら変わりはなかった。

 だが、あの日から私事に関してはお互い変に意識をして避けていたように感じた。少なくとも、何かあったとしても夜に相手の部屋を一人で訪問することは無くなった。そして、それがだんだん広がっていき、今では仕事上だけの付き合いとなりかけていたと思う。

 私が団長の真意を聞くのを恐れていたように、彼もまた何かを恐れているようには感じた。けれども、そこに気付いたのは私自身が彼に対して恋をしていると自覚した後であり、当時は自分のことで精一杯だった。

 

「んんっ? だっさん、だっさん! 何か悩んでいそうな、もきゅいお姉さんがいるよ。しかもだっさん好みの、おっぱいが大きなお姉さん!」

「そんなに叩かないでくれ、カウスリップ。それにいきなり失礼だよ。そもそも自分は別に……」

 

 果たして彼はどれくらいで戻ってくるのか。私はどれくらい待ちぼうけになるのか、と頭の中で色々と考えているところに、右手側から声が聞こえてきて我に返る。

 驚いて身を起こし、声のする方へと視線を向けると二人の男女が私の傍まで歩いてきていた。向こうは私のことを知っているようであったが、私も彼らには見覚えがあった。

 

「あれ? お姉さんもしかして」

「ん? 君は確か合同会議の時の……」

 

 男性の方は、少し赤みがかった橙色のショートカットと明かりの下で明るく見えるものの濃い褐色の瞳。服装はブロッサムヒルの騎士団長のそれであり、彼はその上から明るい伽羅(きゃら)色のカーディガンと赤いマフラーをしていた。

 顔立ちはかなり整っており、さっぱりとした髪型と相まって清涼感のある青年に見える。背丈は隣の女性よりも少し高いぐらいであり、私の団長とほぼ同じように思えたが、ガタイは彼よりも少し良い様にも思えた。

 対して女性の方は私よりもほんの少し背が高く、明るい薔薇(そうび)色のツインテールに、同じ色の瞳。服装は隣の男性とは逆に、女性騎士団長用の上着の下に明るい伽羅色のカーディガンを着ており、その下は赤色のミニスカート、お洒落なハイソックス、ブーツと続く。

 少し距離があっても分かるぐらいのスタイルの良さに加えて、何よりも自己主張の強い胸がどうしても視界の中に入ってしまう。私はあまり胸の大小を意識したことはないが、そんな私から見ても大きいと思えた。

 そして、彼らがこちらの前まで来て立ち止まった頃に、私は彼らのことを思い出した。

 

「キミたち、いや失礼。貴方たちは確か、会議の談合時に私の団長と同席した、ブロッサムヒル代表の騎士団長と、カウスリップ、だったか? 何故こんな夜の時間に?」

「あったりぃ! そういうお姉さんはベルガモットバレーのエキナセアさんだったね。アタシたちは夜の見回りだよ。合同会議だからって、コキ使ってくれるよねー」

「合同会議だからこそ、だよ。カウスリップ。あの養鶏団長も、今日は見回りに配置されたぐらいだからね。しかし、君の方こそ、宿の入り口でどうしたんだい?」

 

 私の言葉に二人は破顔し、私の様子を伺う。

 お互いの距離を詰めたせいか、カウスリップは会話の後にスンスンと鼻を鳴らし、その後に感づいたような顔をこちらに見せた。

 その後、何だか妙に嬉しそうな顔に変わったので、私は咄嗟に視線を逸らしてしまう。彼女は人の仕草、匂い、そして表情の機微に聡い花騎士だ。直感でそう思った。

 ……恐らく気遣ってくれるだろうが、先に色々と話しておいたほうがいいだろう。そのほうが早く済みそうだ。

 

「あぁ、その。私のところの騎士団長が、夜遊びに出かけてしまって。ここで少し待たせてもらっていた。そうだ、彼をどこかで見なかったか?」

 

 何とか声が上ずらないように平静を装うと、「んっふふ~」と頬を緩ませていたカウスリップは何かを察したのか少し視線を泳がせた後、考え込む仕草をする。どうやら、こちらの意図を組んでくれたようだ。

 対する騎士団長の方も、腕を組んで思案顔をする。そして少しの沈黙の後に、思い出したかのような顔をしてこちらへと視線を向けた。

 

「……あぁ、あの人か。そういえばさっき後姿を見かけたけれども、そのまま追い越してしまったよ。声を掛けようかとも思ったのだけれども」

「何やら色々と考え込んでいたみたいだから、だっさんとアタシはそっとしておくことにしたの」

「自分たちが追い越しても気づかないぐらいに集中していたようだからねぇ。歩き方自体は迷いが窺えたけれども、足取り自体はしっかりしていたから、もうしばらくしたらここに戻ってくると思う」

「そうか。いや、ありがとう」

 

 ございます、と彼らに頭を下げて礼を言う。カウスリップがまだ名残惜しそうにしていたものの、騎士団長の方が「どういたしまして。じゃあ、自分たちはこれで」と話を切り上げてくれた。

 色々と聞きたそうな顔をしていただけに、「だっさんのいけずー。ケチー。おっぱい星人ー」と愚痴をこぼしていたが、「えっ? えっ? 何が?」と聞き返す彼の左横からは離れようとはしなかった。

 二人が並んで歩き去っていく後姿が微笑ましく、また羨ましく思えたのは言うまでもない。

 

「……そうだな」

 

 私も、彼が戻ってきたのならば説教などはせずに温かく迎えよう。その方が、彼も色々と話しやすいだろう。

 そう思い、私は再び宿泊所の入り口横の壁へと背中を預ける。

 戻ってきた彼に、どういった言葉を掛けるべきか考え、選びながら。

 

 

 

※※

 

※※※

 

 

 

 翌日の昼。サフランも此度の合同会議に呼ばれていたということは事前に知っていたため、無理を言ってその日の昼を一緒にしてもらった。

 折角だから、とランチもやっている庶民的な食事処で待ち合わせ、席を確保。注文も取った後で私は、対面に座った彼女から色々と聞かれる前に結論だけを先に述べた。

 

「サフラン。私は、駄目なのかもしれない」

「えぇっ。いきなりどうしたのよ?」

 

 私の言葉にサフランは面を喰らった顔をしながらも訊ねてくる。あまり思い出したくないことではあったものの、今回の件で色々と協力してもらっているだけに、彼女には包み隠さず話すことにした。

 昨晩、戻ってきた団長を温かく出迎えるつもりが、何故か緊張してしまいいつも通りに接してしまったこと。途中でそれが不味いと思ったところに、彼から「可愛い」と言われたこと。そのおかげで、これまで考えていた誘いの言葉や気の利いた言葉が全部吹き飛んでしまい、普通に照れてしまったこと。その間に、団長が先に部屋へと戻ってしまったこと。

 その後は自身も部屋に戻って反省会をし、今一度誘おうと思った翌朝に用事があるとのことで断られてしまったこと。それどころか、逆に気遣われてしまい、今こうしてサフランとお昼を付き合ってもらっていること。

 ……話をすればスッキリするかと思ったが、昨日今日の話であるが故か、話せば話すほど「あそこでああしておけば」という後悔の念に苛まれる。

 

「うーん。でも、話を聞く限りだと彼も気がない訳じゃあなさそうね」

「と、私が思いたいだけで、気づかないうちに話を盛っているのかも」

「あぁ。ほらもう、そんなに落ち込んじゃって。らしくないわよ、エキナセア。それに、まだ焦る必要はないと思うわよ」

「しかし」

「大丈夫よ……あっ、あの料理は私たちが注文したものね! ウェイトレスさん。こっち、こっち!」

 

 こちらの話を真剣に聞いてくれているであろうサフランだったが、それはそれ、これはこれ、であるらしい。

 ふと視線を別のところに向けたかと思うと、そちらに向かって大きく手を振った。

 以前の彼女であれば、気づかなかったか、気づいても何も言わなかっただろう。その変化に不快感は覚えなかったが、意外には思った。

 だが、話の腰を折ってくれて寧ろ助かった。あのままサフランがこちらの話を聞いてくれるのであれば、私は延々と落ち込んでいただろう。

 

「あっ、ごめんなさい。話の途中だったのに」

「いや、いい。それにサフランの言う通りだ。少しの行き違いで落ち込むなんて、私らしくなかった」

「うん、そうね。でも、初めての恋をしたのだもの、貴女だって落ち込むことぐらいあるわよね」

 

 それが少し意外だっただけ、と申し訳なさそうに言いつつ、ウェイトレスが運んできた料理を受け取るサフラン。

 私も同じように料理を受け取り、ウェイトレスへとお礼を言った後に良い機会だと思い、彼女へ質問をすることにした。

 

「意外と思ったのなら、それは私も同じだ」

「どういうことかしら?」

「以前から、キミは貴族にしては自由さや快活さがあるとは思っていたが、今のサフランからはそれ以上にそう感じている」

「あー、なるほどね」

 

 私の言葉に対して、サフランは少しだけバツが悪そうに視線を泳がせる。その後で、周囲を確かめてから頬を染めて視線をこちらへと戻した。

 

「……笑わないでね。それはきっと、私も恋を知ったからだと思うの」

「サフランが? 恋を?」

 

 思いもよらぬ返しの言葉に、私は少し調子の外れたような声を上げてしまった。

 

「意外だったかしら?」

「あぁ、いや……そうか。だから私に協力してくれたのか」

「それもあるけれども、第一は貴女が私の友達だからよ」

「む。ありが、とう?」

「ちょっと。どうして感謝の言葉が疑問形なのかしら?」

「そ、そういう訳では」

 

 少しムッとした表情を見せたサフランに、そんな顔も見たことがなかったと思いながらも慌てて弁明しようとする。

 だが、思わぬ言葉を前に上手い返しが出来ないでいると、彼女はすぐにいつもの笑みをみせた。

 

「ふふっ、冗談よ。料理が冷めちゃうし、食べましょう。お話はその後でも、ね?」

「あ、あぁ。そうだな。そうしよう」

 

 そう言って「いただきます」と料理に手を付けるサフランを見ながら、私はやはり彼女は変わったと思った。そして、そんな恋を知ったサフランから見て、彼に恋をした私は変わって見えただろうか、とも思った。

 それとも、何も変わっていないのだろうか。

 彼女に見せたのは恋に悩み、弱気になった自分だけ。いつもと違う姿という意味では、変わったところを見せただろう。

 けれどもそこで終わってしまったのならば、それこそ応援と協力してくれたサフランに申し訳ない。

 そうだ。一度や二度の失敗で何を落ち込む必要があったのか。まだ彼にフラれた訳でもないというのに。

 

「いただきます」

 

 けれどもまずは、サフランの言う通りに目の前の料理を片付けよう。

 腹が減っては戦が出来ぬ、とはどこかで見た言葉ではあるが、現状は正にその通りだ。

 空腹の時には碌な考えが出てこないし、弱気にもなる。

 そう思い、私はフォークに手を伸ばした。

 

 

※※※

 

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

 その日の夜。

 あの後、食後に店へとなだれ込むように駆けてきた団長に誘われ、私たちは「夜鳴き蕎麦」という屋台でその店名と同じ名の蕎麦を並んで食べることとなった。

 正直、彼が私を探してくれたことは嬉しかったし、こうして食事に誘ってくれたのも久しぶりに思えた。

 

「おやっさん。美味しかったです。また機会があれば来ますので、よろしくお願いします」

「あぁ。なら、ついでだ。ハチロクの旦那にもよろしく伝えておいてくれ」

「ははっ。分かりました」

「まいど。またのお越しを」

 

 割り勘にしようと提案はしたものの、誘った以上は自分が持つ、と彼はその店の店主と会話を弾ませながら会計を済ませた。

 少し離れていたところでそのやり取りを見ていた私は、店主がこちらへと視線を向けたところで軽く頭を下げた。

 

「待たせたね」

「そんなことはないさ。ごちそうさま」

「どういたしまして。それじゃあ、宿に戻りますかね」

「あぁ」

 

 顔を上げると彼は私の前まで来ており、そのまま自然な流れで宿の方へと足を踏み出した。街中を通り過ぎる秋風が、温かい食事の後に火照った体をゆっくりと冷ましていくようだな、と思いながら、私は彼の左隣を歩く。

 ……今の私たちの姿は、他の者から見てどう見えるのだろうか?

 少なくとも、昨日のカウスリップと騎士団長ぐらいの関係には見えるだろうか?

 

「……」

「……」

 

 夜風に当たりながら、私たちはゆっくりとした足取りで進む。会話は無く、お互い無言ではあったが、何かを率先して話そうという気にはならなかった。それだけ、今の雰囲気が心地よく感じられたというのもあったが、個人的に思うところがあったからだった。

 ……正直に言うと、昼間に店内で告白をされるのだと思っていた。

 その時の雰囲気もそうだし、彼の決意に満ちた顔もそう思わせるには十分だったと思う。だからこそ、という訳ではないが、団長に食事へと誘われたことは嬉しくもあり、同時に肩透かしを食らった気分になったのも確かだった。

 いや、彼に食事を誘われたこと自体は嬉しい。そこは間違いない。

 

「……」

 

 うん……焦る必要はない、か。いや全くその通りだ。

 恋を知らず、その道の歩き方をまるで学んでこなかった私がここまでやってこられたのだ。今宵はここまでにしよう。

 今後もこうして、団長と色々誘い誘割れをすれば、いつか彼の真意を聞けるだろう。

 何せ、夜は短いのだから。

 

「ん。どうした、団長?」

 

 司令官殿から教わった言葉を思い出しながら決心すると、隣に彼がいないことに気付く。振り返るとそこには街中にある街灯の下で立ち止まって、どこか迷っている様な顔をしている団長がいた。

 そしてそんな顔を見て、もしかして先ほどの屋台に財布を置き忘れているのでは、と思った。

 それと同時に妙に肩に入れていた力が抜けるのを感じつつ、彼らしいやらかしに顔がほころんでいくのが分かった。

 

「もしかして忘れ物か?」

「いや、そうではないけれども……うん」

 

 仕方のない人だ、と思いつつも、そんな団長が愛おしく感じる。彼の元へ行き、なるべく優しく聞こえるように問いかけると、団長は一度だけ視線を伏せた。

 けれど、その後すぐに頷き、右手を騎士団長服の左側、内ポケットに入れながらも私を見つめてきた。

 何だろう、とその動作を訝しみながらも、彼がそこから小さな箱を取り出したのを確認する。そしてそのまま、私が見える位置まで持ってくると、その藍色の箱を開く。

 中には、宝石の付いた指輪が入っていた。透き通った薄い橙色の、綺麗な宝石。私の好きな色合いだ。

 これは確か、インペリアルトパーズと呼ばれる貴重な宝石ではなかったか?

 そんな貴重な宝石を際立たせるためか、それ以外の指輪の装飾は控えめであり、それ故に美しいと感じた。

 それこそ、心奪われるようなこの指輪を婚約指輪のように渡されたのであれば、女性としてこれ程嬉しく、幸せなものはないだろう。

 ……うん? 婚約指輪、だって?

 

「ぇ、あっ、だんちょ? これ、は?」

「その、こういうやり方は私らしくないのは分かっているのだけれども」

 

 想定外過ぎる箱の中身ではあったが、彼の雰囲気やこの場の空気。それが何を意味するのかぐらいは流石の私も知っていたし、気づいた。

 それ故に、頭の中が真っ白になりつつあるのを感じる。それでも、団長がそうする理由を聞きたくて私は彼の言葉を待った。

 

「エキナセア。結婚を前提に、君と――」

「っ、わああああぁああ!」

「っ!? エキナセア!?」

 

 けれど、けれどもだ。

 彼が照れながらも真剣な眼差しでこちらを見つめて、私が期待していた言葉を言いかけたところで限界が来た。

 気づけば私は団長の手から指輪を箱ごと奪う形で取ってしまい、我に返ると彼の驚く顔が目に入ってきた。

 しかし、いきなりのことで心の準備が全く出来ていなかった私は、顔はおろか全身が熱湯の中に沈んだかのように熱くなっていくのを感じ、それどころではなかった。

 何かを言わなければ。というか、咄嗟の行動とはいえ、指輪を奪ってしまったことをまず謝らなければ。いや、それ以前にまずは指輪を返すところからで……。

 

「……」

「エキナセア、さん?」

 

 頭の中で必死に次の行動を考えようとするも、一向にまとまらない。まるで風邪を引いた時のように頭の中が熱く、また濃霧に覆われたような感覚に陥る。

 何とか思考の渦から這い上がろうとしても、目の前に心配そうな彼の顔が映り、思考が停止する。

 それと同時に、私の中で何か糸のようなものが切れた。

 

「……へ」

「へ?」

「返事は! 明日まで、いや、一週間程待ってくれ!」

「え。それって、つまり」

「では私は先に宿に戻る!」

「ちょ、エキナセア!? いや、エキナセアさん!?」

 

 一方的に条件を言い渡すと、私は彼が呼び止める声も聞かずに宿へと駆けだした。

 走ることによる以外の意味での体の火照りは、通り抜ける風でも冷ますことは出来ないように感じる。

 あぁ。私は今、何て馬鹿な真似をしているのだろうか!

 自身の行動に後悔しながらも、それでも走るのを止めることが出来ない。

 いや、指輪を受け取った時点でそれはもう彼の告白に応えたも同然なのでは、というどこか妙に冷静なもう一人の私の存在すら感じる中、私はただひたすらに宿を目指して走る。

 

「ふっ、ふふふっ」

 

 後ろから彼の声が聞こえなくなり、体で風を切る音すら耳に入らなくなった頃。私は気づかぬうちに笑っていた。

 それは途中までとはいえ、団長から告白された喜びでもあり、同時に予想外過ぎた出来事を前に笑うしかなかったというのもあった。

 そして、彼の前では返事の期限を一週間としてしまったものの、やはり明日までには返事をしようと思った。

 

「あぁ。でも、何てことだ」

 

 しかし、そう決心したところで、私の火照った頭の中に一つの言葉が思い浮かぶ。

 その言葉が今まさに、別の意味を持って我が身に降りかかっていることに眉根が寄るのを感じつつ、私は嘆くのであった。

 恋する乙女にとって、夜は何と短いことか!

 

 

 

※※

 

※※※

 

 

 その後、私が彼とどのような関係になったのかは語るに及ばないだろう。

 ただ、あの後にサフランとお茶会をした時は、彼女から満面の笑みで祝福されたことから察してもらいたい。

 とにかく。蓋を開けてみれば私も彼も、きっかけが無くて一歩が踏み出せなかっただけであり、お互いに右往左往していたことが分かった。

 その結果、今回のような行き違いが発生してしまい、また想定外のことが連続して起こることとなってしまった。

 それに関しては、協力してくれたサフランやハチロクと呼んで欲しいと言った、司令官殿には申し訳なく思う。

 けれども、その後の彼らとはお茶会はおろか話し合う機会には恵まれず、感謝の言葉は手紙で伝えることとなった。返ってきた手紙には私たちの関係を祝福するものであり、嬉しく思うのと同時に身が縮むような思いもした。

 何にせよ、サフランたちのおかげで今の私があり、彼との関係はこうして続いている。

 

「よし。それじゃあ始めますか。エキナセア」

「あぁ。キミの期待に応えて見せよう」

 

 そして、今日も今日とて。左手の薬指に光る宝石の輝きのような心持ちで、私は彼と一緒に過ごしている。

 あの日以来、私が夜を短く感じることは無くなった。

 

 

 成就した恋は、夜の帳すらも取り払う。

 

 

終わり

 




テーマは「右往左往」

そのまま真っすぐに恋路へと走れば最短距離でお付き合いが出来る二人ではあったが、お互いがお互いに変に意識するあまり、すれ違い、遠回りしてしまう、というお話でした。

団長のモデル及び出演を快諾してくださった皆様に感謝を。
また勝手にモデル及び(現状名前だけとはいえ)出演させてしまった皆様には笑ってお許し頂ければ幸いでございます。

ここまでお読み頂き、ありがとうございました。




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鶏口なれど牛後となるなかれ・前編

 騎士学校を卒業し、晴れて花騎士となったアブラナは、ブロッサムヒル最高司令官の勧めでとある騎士団に入団する。
 しかし、騎士団に入団したはずの彼女は初日から何故か養鶏場で働くこととなり……?




※誤字脱字、乱文あり
※解釈違い、設定違い
※ご都合主義、ご都合展開
※やや残酷な描写あり
※登場人物である各団長たちのモデルあり

以上のご注意の上、それらが許せる方はお暇つぶしにでもどうぞ


※※※

 

 

 幼い頃に読んだ絵本の中で、今でも記憶に残っているものがある。

 花騎士になった後から思い返すと少し恥ずかしいのだけれども、私、アブラナはその絵本が大好きで、何度も親にねだっては読み聞かせをしてもらっていた。

 絵本のタイトルは「光の勇者と花騎士」というありきたりなもので、その内容はもっとありきたりだった。

 世界を滅ぼさんとする存在である害虫と、その害虫と戦う太陽の剣を使う勇者と花騎士の物語。花騎士関連の本の中でもありきたりで、子ども向けのありふれた恋愛冒険譚。

 けれども、まだ小さい私は絵本の内容を一字一句暗記し、読まなくとも話せる程になってもそれを読み続けた。

 春庭世界を冒険し、戦う。共に喜び、共に怒る。そして時に笑い、時に泣く。絵本の中の綺麗な花騎士と格好良い勇者は、幼い私から見てもキラキラと輝いており、いつしか憧れの存在へとなっていた。

 その中でも特に心惹かれて止まなかったのが、物語のクライマックスシーン。

 紆余曲折を越えて恋人同士となり、お互いがお互いに大切な存在となった最中に襲う悲劇。花騎士を大切に想うが故に、不意の害虫攻撃から彼女を庇い、負傷した勇者。

 悲しみ嘆く花騎士の呼びかけも空しく、彼女の腕の中で息を引き取る勇者。しかし、彼を想う愛の強さが涙となり、勇者の頬を濡らした時、奇跡は起こった。

 息を吹き返し、微笑みながらそっと花騎士の涙を拭う彼と、喜びのあまりまた泣いてしまう彼女。そしてシーンが変わり、二人は世界花の前で永遠の愛を誓って物語が締めくくられる。

 こうして思い返してみれば、子ども向けとはいえ愛だの奇跡だのを安売りしている気がしなくもない。けれども、大切な何かがあっさりと奪われてしまうこんな世界だからこそ、絵本ぐらいは希望に満ちた世界であって欲しいというのも分かる。

 何にしても、私は今でもこの絵本の内容が好きだし、花騎士になろうと思った遠因である。そしていつかは、この絵本の花騎士のような大恋愛をしてみたい、と思ったこともあった。

 もちろん、それ以外にも花騎士になりたいと思った動機はいくらでもあるけれども、原点はその絵本であると今でも思っている。

 そして、絵本の中の花騎士と勇者。更にはその二人の関係は、私の憧れそのものであった。

 

 

 

※※

 

※※※

 

 

 スプリングガーデンの中でも最大級の都市国家、ブロッサムヒル。

 その世界花のお膝元であるブロッサムヒル王城とその城下町は、ブロッサムヒル自体の気候が穏やかで過ごしやすい。それ故に、最も栄えている地域と言ってしまっても過言ではないと思う。

 大図書館や学問所。闘技場や初代花騎士の名を冠するフォス騎士団学校。交易も盛んであり、各国から様々なものが行き来する市場は毎日賑わっている。そして郊外には田園や果樹園などが広がっていて、それがこの国の豊かさに拍車をかけているのは言うまでもないと思う。

 そんな様々な施設や人々が往来するブロッサムヒルでは、初代花騎士の生誕の地ということもあって、花騎士関連にも力を入れている。

 けれども、そんな由緒正しきブロッサムヒル花騎士団の中にも、少々変わった組織が存在する。

 その一つに、他の騎士団からは「養鶏騎士団」と揶揄されている騎士団が存在した。

 今年の春から騎士学校を卒業し、准騎士ではあるものの晴れて花騎士となった私は、そこで初めてその存在を知ることとなった。

 普段は害虫討伐の出撃をせずに、文字通り鶏の世話をし、鶏卵を回収し、売る。それを騎士団活動の財源にしたり、国の発展のためや街へ寄付していたりするのだとか。

 花騎士を率いている組織とは思えない活動をしている騎士団であるためか、話を聞いた人々はその組織のトップである花騎士団長をこう呼んだ。

 養鶏団長、と。

 それが街や人々への奉仕活動から来る愛称なのか、騎士団であるのに養鶏業をするという嘲笑から来る蔑称なのかは分からない。けれども、その名を聞いた多くの者たちが軽く笑いながら肩をすくめるのだから、恐らくは後者だと思う。

 花騎士の騎士団として戦場には滅多に出ず、やっても城下街の警備。それ以外は鶏を育てることを主な仕事とした騎士団。

 なるほど確かに。言葉で聞くだけや文章だけで見たら、落ちこぼれの集まる騎士団と思われても仕方がないと思う。私だってそう思った。

 そもそも花騎士とは、来たる厄災の象徴、世界を脅かす存在である害虫と戦うための存在だ。民を助け、国を救い、そして世界を守る、いわば希望の象徴と言い切ってしまっても間違いないと言える存在。

 そんな花騎士の騎士団であるにも関わらず、戦うのではなく、鶏の世話をするのが主な任務なのだと言われれば、人々から嘲笑の的になるのは自然な流れであるとすら思える。

 けれども違った。確かに、その養鶏騎士団の主な仕事は養鶏を営むこと。

 ……しかし、それはあくまでも「表向き」の活動であり、真の騎士団活動は別にあった。

 誰からも理解されず、誰からも支持されず、誰からも望まれず、そして誰もやりたがらない。

 そんな仕事であった。

 

 

 

※※

 

※※※

 

 

「そこの椅子に座って。……うん、楽にしてもらっていいよ。私もその方が話をしやすいからね」

「はい」

 

 ブロッサムヒル王城。その城内にある、ブロッサムヒル作戦本部会議室内。

 名誉あるブロッサム騎士団の団長や花騎士たちの中でも、限られた者しか入ることが出来ないとすら噂されている場所に私はいた。

 扉側から見て、時計の十二の位置にある椅子に座った男性の騎士団長を前にし、私は十一の数字を指す位置にある椅子に座る。但し、お互い円卓の中央ではなく、向き合う形となっていた。

 この会議室には騎士学校の授業として一度訪れたきりであり、その時の授業では「いつか私もここに座れるほどの花騎士に」と思ったりもした。

 けれどもまさか、その機会がすぐに訪れるとは思っても見なかった。

 やや緊張で身が引き締まっていくのを感じる中、対面の彼は思案顔から柔らかい笑みに変える。

 

「まずは花騎士の最終試験の合格。それと騎士学校の卒業、おめでとう」

「ありがとうございます」

 

 栄誉あるブロッサムヒル騎士団の最高司令官。通称と自称、ハチロク騎士団長と名乗る成人男性。ブロッサムヒル王家ともつながりがあると言われている大貴族の出身で、一部からは実は王族分家ではないかとすら言われているほどに家柄に箔の付いた身分。

 けれどもその身分は利用せずに実力だけで、就任してから僅か三年でブロッサムヒル騎士団の頂点まで登りつめた騎士団長。

 見た目は……何というか、図鑑で見た霊獣。そう、攻のアンプルゥを想起するような、無造作に跳ねまわったオレンジ色の髪。優しそうなダークブラウンの瞳に穏やかで整った顔立ちをしているだけに、その髪色は一層目立って見える。

 身長は私自身が同期よりもやや小柄な体躯なだけあってか、正確には分からないけれども頭二つ分近くは高いと感じる。何故か騎士団長の制服姿の上から白衣を纏っている理由は分からないけれども、その服の胸元にはこれまでの功績を称える勲章が沢山付いている。

 どれもこれも、騎士団や花騎士関連の図鑑や資料で見たことのあるものばかり。その勲章の多さが、最高司令官を最高司令官たらしめているのは言うまでもないと思った。

 そんな彼に呼び出されたのは、丁度私が騎士学校の卒業式を終えた良く晴れた日の午後のことだった。

 

「さて、では話を始めようか」

 

 花騎士になれた者も、花騎士になれなかった者も。皆が皆、これまでの思い出や思惑、今後のことを考えながら式場を後にする最中、その時の私は意気揚々としていた気がする。

 准騎士とはいえ、無事に花騎士となり、後は故郷でもあるブロッサムヒルの騎士団に入団するばかり。その騎士団で活躍すれば、近い将来立派な花騎士になれるという浮足立った考えの中、ヤグルマギク先生に呼び止められた。

 他の同期たちが卒業記念パーティーでもやろうかという話の中「どうして私を?」と疑問に思いながら、今こうしてここにいる。

 

「よろしくお願いします」

「まずは、そうだね。うーん、何から話そうか」

 

 私は、自分を過大評価するつもりはない。

 騎士学校時代でも、他の子たちよりも実力は上であるつもりではあったけれども、筆記にしろ実技にしろ、私よりも上の子はいた。

 悔しいけれども、どちらかだけが負けているのではなく、その両方で私の上を行く子も中にはいた。もちろん、負けっぱなしは嫌という性分であった私は、彼女たちに勝てるところはきっちりと勝たせてもらったけれども。

 ともかく。私を呼び出した人が最高司令官である彼であると気付いた時、嬉しいという感情よりも疑問が先に浮かんだ。ヤグルマギク先生に声を掛けられた時は早速騎士団からスカウトが来たと思って喜んだ私だったけれども、流石に相手が相手ともなると素直に喜べない。

 総合的には私よりも優秀な子がいた中で、どうしてわざわざ私を呼んだのか?

 

「うーん、うーん……」

 

 けれども、私がそのことについての質問をする前に、目の前の彼の思案顔を何とかしないと、と思った。先ほどといい、今といい、ちょっと悩み過ぎだと思う。

 人を呼び出しておいて、挨拶もそこそこに本題へと入るかと思いきや眉根を寄せられても、こっちとしても困るだけ。

 首までひねり出す姿はまるで、どう話を切り出すべきか迷っているかのように思える。もしくは、何も考えていないか。

 相手が相手なだけにあまり露骨な態度は取りたくはないけれど、こういう優柔不断な態度を取る相手や思わせぶりなことをする人は好きじゃない。

 あまり悩むようならいっそ文句を言いながら席でも立ってやろうかしら、と思ったところで「うん。よし」と彼が覚悟を決めたかのように私に視線を戻した。

 

「私は腹芸や婉曲な言い回しは苦手なんだ」

「同感よ。じゃない、同感です」

「うん。だから単刀直入に言おう」

 

 ようやく話が進むわ、と姿勢を正す。

 一体、私の何が良かったか悪かったかは分からないけれども、最高司令官がわざわざ呼び出すぐらいだもの。少なくとも小事でないことは間違いない。

 ……まさか、花騎士の素質がないから辞めろとかは言わないわよね?

 例えそうだとしても、私は諦めるつもりなんてさらさら無いのだけれども。

 

「君には素質がある」

「……はぁ。花騎士の素質でしたら確かにありますね」

 

 でなければ卒業試験の筆記か実戦。もしくはその両方で不合格だったと思うし。

 ……いやいや。違うわよ。この人、一体何が言いたいのかしら?

 花騎士の素質がありながら、魔法使いもしくは魔女としての素質を持つ人もいるとは授業でも聞いた話だ。

 けれども、私には魔法の心得はあっても才能はない。そして、同期にもそういった素質を持っている人はいなかったと思う。つまりはこの人の勘違いや間違いで私を呼び出したのでなければ、彼の言う「素質」というのは別の意味になる。

 私が眉を顰めたことに気付いたのか、司令官は「あっ、いや、うん。そうだね。そうだけれどもその、えーっと」とまたすぐに威厳という言葉をどこかに落としてきたかのように狼狽えてみせた。婉曲な言い回しは苦手と言いつつ、結果としてそうなってしまっている。そんな姿を前に、私が抱く感情も尊敬から懐疑的なものへと揺れ動いてしまうのも仕方がないと思う。

 しかし目を瞑り、一瞬だけ顔のしわを中央に集めたかと思うと、独り言ちに「うん」と呟き、再び目を開いて私を見つめた。

 その顔には、先程のような威厳の無い笑顔はなかった。

 

「素質があるとは言ったけれども、具体的には“あるかもしれない”が本音かな。実際に素質があるかどうかは、やってみて貰わないと分からないしね」

「それは分かる……分かりますが、何を根拠に素質の有無を仰っているのかが分かりかねます」

「むっ。いやまあ、ごもっともな質問だね」

 

 私の指摘に対し、彼はバツが悪そうに右手で顎を軽く掻いてみせる。しかしながら、真剣な面持ちは崩さず、すぐに私が見えるような位置へと人差し指を立ててみせた。

 ……先ほどまでの狼狽っぷりが演技だとするのならば、この目の前の人物は相当な食わせ物の気がしてくる。

 

「卒業試験の筆記。その最後の項目を覚えているかな?」

「……はい。確か、条件付きでの戦闘における勝利の証明とその説明だったかと」

 

 卒業試験の筆記問題は、これまで習ってきた授業の総合テストと呼べるものだった。

 簡単な計算問題や、書類を提出する際に間違えないようにするための文章作成問題。他国へとつながる道のりやルート。入国における必要なものなどを含めた地理の問題。当然、各国の歴史、特にブロッサムヒルの歴史の問題もあったし、司令官が言ったような、戦闘時の証明問題などもあった。

 彼の言う問題はテストの最終問題であるのも手伝って、証明するのに結構頭を悩ませた記憶がある。

 確か、問題の文章を読み解く力、敵との距離や花騎士の速さなどの計算。更には地理的な意味での戦闘場所、天候などの条件から、紙面上とはいえ花騎士たちを勝利に導くための証明をせよ、という問題。

 これまでの問題の総合的な内容であり、ここを時間内に証明出来なかった、もしくは正しい解答かどうか分からなかった子たちもいたと聞いた。

 だけど、答えにたどり着くまでの式や文章こそ違っても、最終的には花騎士を「害虫に勝利」させるという解は決まっている。

 答えが同じなのに、そこから「素質がある」というのは少し早計ではないかと思う。仮に誰しもが思いつかないような途中式や証明をしたとしても、あくまでもそれは紙面上の話だ。実戦経験のある、もしくは訓練を積んだものであれば、紙面と現実は違うということが分かるはず。もちろん、問題自体は実戦での咄嗟の判断や対応、考え方を見るためのものであるため、これが無駄なことであるとは言わない。

 そもそも、私たち候補生はこの問題にたどり着く前に一度実戦を経験している。その現実を知っているが故に、例え紙面上であるとはいえ無理無茶無謀な証明は出来ないと思う。

 ……だからこそ、私はこの最終問題がいやらしいと思った。妙に苦戦した子や、時間を掛けてしまった子たちがいた原因は、この試験の前に実戦を経験したからに他ならない。

 しかし、証明問題の内容が「優秀」や「優良」と言われればまだ納得は出来るけれども、「素質」と言われるとやはり首を傾げてしまう。

 けれども、私が試験当日のことを何とか思い出しながらの解答に対し、彼は目を閉じて首を二回ゆっくりと横に振ることでそれを否定した。

 

「いいや。その問題の更に後にあっただろう?」

「え? ……ぁ、あぁ。もしかして、備考欄のこと、でしょうか?」

 

 指摘されたことで額にしわが出来るのを感じつつ、少し間をおいて思い出したことを口にした私に、彼は破顔して目を細めた。

 

「その通り。君はあの備考欄に色々と書いてくれただろう?」

「え、えぇ……時間が余ったので」

 

 満額の解答を得た、と言わんばかりの彼の笑顔に反して、私の額にはますます深いしわが出来たように感じた。

 司令官が言う「備考欄」とは最終問題の少し下にあった、短い問いかけと、やけに広めに取られた枠のことであった。

 問いかけは、「備考欄:自分の思ったことを好きに記入しても良い」とあり、その後に続く括弧内には「書いても書かなくても点数が増減することはありません」となっていた。

 国家どころか、世界規模の資格ともいえる花騎士になれるかなれないかの最終筆記試験。書かなくても評価に変わりはないのであれば、普通は書かないと思う。そんなところに時間を費やすぐらいなら、問題の答えに間違いは無いか、計算や式に間違いは無いかを見直すはず。

 少し余裕があって気が回る子であれば、もしかしたら評価に関係ないとはいえ空白は不味いと「特になし」と書くかも知れない。

 けれどもやはり、この筆記試験が自分の今後の人生を左右するともなれば、多くの子たちはこの備考欄を空白のままに解答用紙を提出するのは不思議なことではない。

 

「そう。私が評価したのは、君が書いてくれたその備考欄の内容さ」

 

 しかし、私はその備考欄を埋めた。それも、世界や花騎士についてや、自分の今後の抱負を含めた感想をたっぷりと。

  花騎士という世界規模の資格であるためか、筆記試験の時間は多めに設定されている。それは私からしたら悩ませた筆記の最終問題を解き終わった後、答えを問題と照らし合わせて確認しても尚、時間が余る程に余裕のあるものだった。手持ち無沙汰になったとはいえ、私はもう一度問題と答えを見直す気にはならず、かといって先に解答用紙を提出して退出するということも出来なかった。

 そこで目についたのがその最後の備考欄であり、色んなことを書いた。正直、試験の手応えと終わったことによる解放感によって、どういうことを書いたかまでは先ほどまで忘れていた。けれども、それが原因でこうして呼び出されているとなれば話は別。一字一句思い出したい……のだけれども、思い出してみても特に目新しいことは書いていなかった気がする。

 事の経緯については納得がいった。けれども、備考欄に感想を書いた程度で「素質あり」と思われたという疑問が浮かんだ。

 

「特に差しさわりの無い、一個人から見た世界情勢や花騎士についての感想を書いた気がしますが」

「うん。時間が無かったせいか、考えが弱いところもあったけれども、素晴らしい内容だった」

 

 満足そうに頷く彼の言葉に少しムッとしてしまう。いくら制限時間が短かったとはいえ、考えが弱いと言い切られると良い気分はしない。それにあの程度の考えは誰でも抱いているだろうし、素質云々は関係ない気がする。

 

「そうですか。ですが、あの程度のことなら誰でも書ける文章だから、素質という言葉を使う程ではないと思うけど?」

 

 機嫌を害したこともあり、私は売り言葉に買い言葉のつもりで司令官に食って掛かる。途中で言葉遣いも普段のものに戻ったけれども、私の知ったことじゃない。

 素質という特別感のある言葉で、私を他の国の騎士団に転属させたいのならそれでもいいし、何なら最前線のコダイバナ送りでもいいと思っていた。

 今の反抗的な態度によって花騎士を止めさせられるのは困るけれども、それなら他国に移住でもしてやる。

 そんな思いで彼の言葉を待ったが、当の本人はこちらの言葉に対して寧ろ嬉しそうな笑顔をして見せた。

 

「うん。いいね。相手が誰であれ、自分が納得いかなければ臆せず意見する。備考欄の件も含めて、そういうところが素質あり、と思ったのだよ」

「はぁ」

 

 まるで沼に杭でも打ち込んだかのような手応えの無い反応。それどころか、「いや~、これは嬉しい誤算だ」と喜んでさえいる彼の笑顔に、私は肩の力が抜けていくのを感じた。

 そしてその後、「とにかく、そんな君に入って貰いたい騎士団があるんだ」という、騎士団の入団の誘いもあって、私は自分でも驚くほどにすんなりと彼の言葉を受け入れてしまった。

 後になって思えば、この時の彼の口車に乗って、その騎士団を見学する前に入団書類にサインをしてしまった私の判断は軽率としか言えない。

 それと同時に、満面の笑みでそのサインされた入団書類を受け取った最高司令官は、やはり食わせ者だったとも思えた。

 

 

 

※※

 

※※※

 

 

 騎士学校卒業式終了時には真上にあった太陽が西へと傾き、夕刻を知らせるかのように外でカラスが鳴く。私はその声を耳にしながら額の汗を拭う。後ろを向いて、自分が行ってきた仕事の成果に満足し、そう思ってしまったことに青筋がこめかみに浮かぶかのような怒りを覚える。

 

「……ねぇ。ここって花騎士の騎士団よね?」

「えぇ。そうね」

 

 そして作業の手を一旦止めて、共に仕事をする花騎士の方へと顔を向けて疑問をぶつけた。私に声を掛けられた花騎士、ガンライコウはこちらへと視線を向けることも、作業の手を止めることもなく応える。

 話はそれで終わりとでも言わんばかりの彼女を、私は改めて見る。私と同じ、マゼンタ色の長袖長ズボンの作業着姿。青空を想起させる目の片側を作業着と同じマゼンタ色の髪で隠した、どこか愁いを感じさせる端正な顔立ち。身長は私と変わらないように見え、体の細さに至っては私よりも肉付きがないんじゃないかと思えるほどだった。

 そんな彼女と共に私が今何をしているのかというと、花騎士としての訓練や模擬試合をしているのではなく……何故か鶏小屋のフン掃除であった。

 自分が今していることに対して、頭の奥が痛くなるような現状を再確認した後、私は片側の頬が痙攣するような感覚を我慢して更に質問を重ねる。

 

「じゃあ、私が今やっているのも、騎士団の活動の一環よね?」

「一応、そうなるわね」

「その上で一つ質問があるわ」

「答えられるかは分からないけど、それでもいいのなら」

 

 互いに自己紹介をし、騎士団の団長指示によって騎士団を案内してくれ、一通りの仕事を説明してくれたガンライコウ。そんな花騎士としても騎士団内としても先輩である彼女に対し、私は悪いとは思いつつ、これまで蓄積したフラストレーションを爆発させた。

 

「どぉして花騎士のあたしが! 鶏の世話をしなきゃならないのよ!」

 

 その言葉に小屋の中にいた数羽の鶏が驚くかのように羽をばたつかせ、甲高い鳴き声を上げる。

 私は確かに、花騎士の騎士団への入団書類にサインした。最高司令官に呼び出されたのも、実は騎士団への勧誘と気づいてからは少々浮足立っていたことは否定しない。けれども、そんな心情の中でもちゃんと書類には目を通したはず。

 私は、間違いなく、花騎士として、その騎士団に入団する旨を了解してサインした。

 仮に天地がひっくり変えるような事態が起きていたとしても、養鶏場で働くための契約を結んだつもりは微塵もない。

 それなのに何故、鶏の飼育に関する知識や施設に関する説明を受け、華やかな花騎士の服から芋臭い作業着へと着替え、黙々と作業をしなきゃいけないの。

 

「大きな声を出さないで。鶏たちが怯えるわ」

「あっ、うん。ごめん、なさい」

 

 けれども話を聞いてくれた彼女は、こちらの発散に対して眉根も動かさずに横目で私に注意しながらも作業を続ける。

 彼女の落ち着いた返しと、内心穏やかではなかった感情を発露したこともあって、私は少し冷静さを取り戻せた。

 一度深呼吸……は、鶏の臭いが酷いので止めておくけれども、私は改めてどうしてこうなったかを考える。

 今現在、私がいる場所は、ブロッサムヒルの城下街から少し離れた見晴らしの良い丘が並ぶ畜産地区。畜産の名の通り、この区画では多くの牧場や畜産業、畜産加工所がある。馬、羊、牛、豚、と畜産動物たちがそれぞれの牧場や舎の中で過ごし、私たちの食文化を支えてくれる重要な地区だ。

 当然、害虫対策も他の区画に負けず劣らずの重要視がされており、頻繁に花騎士による巡回や泊まり込みでの警備などが行われる。まあ、それは分かるわ。

 そんな、区画の中でも中央の城下街にこそ近いものの、区分としては端に位置するところにあるのが、私たちが今いる場所、通称養鶏地区である。

 まるで工業地区にあるような工場規模の鶏小屋があったり、逆に本当に養鶏をしているのかと思うような民家の庭に放し飼いになっている鶏たちもいたり、と同じ地区内でもその育成方針はかなり違いがあるように思えた。

 私が今いるところは、二つある比較的大きな鶏小屋と、その傍の雛を安全に隔離、飼育するための小さめの小屋。寝泊りも可能な事務所に、倉庫。更には木の柵で囲われた放牧用の小さな草原がある上に何故か井戸と畑もある。

 他の養鶏施設と比べて規模自体は真ん中ぐらいだろうけれども、それにしては道具も含めて色々なものがあると言えた。施設として利用している面積だけならば大規模な養鶏場と変わらないのかも知れない。

 畑では鶏の好物でもあるトウモロコシを始めとした野菜を四季に合わせて栽培しており、葉の物も育てるのだとか。

 そして私はその二つある鶏小屋のうちの一つを何故か、何故か清掃しているのだ。

 何度でも言ってやるわ。何故か、掃除をする羽目になっているのよ!

 しかも肝心の騎士団長は初めて会った時の挨拶も程々に、私にとって諸悪の根源といえる司令官と事務所で会談中なのだという。

 

「気持ちは分かるけれども、これも私たちの大事な仕事の一つよ。回収した鶏フンは発酵させて高温処理、乾燥させれば畑に撒く肥料になるの」

「ご教授どうも。でもね、訓練とかなら分かるけれども、鶏のフンを集めることが花騎士の仕事とは思いたくはないわ」

「まあ、その通りね」

 

 現状に対する不満をハッキリと言い切る私に対し、ガンライコウも概ね同意する様に頷いてみせる。

 いや、そこは否定しないのね。せめて実はこの仕事は訓練と実利との両得が出来るとか、この仕事は仮初で本命は別にあるとか。

 そういうことであれば、キチンと説明をすれば私だってこんなにも文句を言うつもりはない。けれどもそれらの説明がなく、ただ鶏の世話をするということが何よりの疑問であり、不満。

 やっぱり明日にでも別の騎士団への転属願いを出そうかしら。……いや、初日で退団した花騎士って、それはそれで評価にケチがつく気がするのだけれども。騎士団側に問題があった、とかにならないかしら?

 

「……ん?」

 

 そう思いながらも、一応は仕事であるために作業は続けることにした。地面に落ちているフンの撤去をしながら小屋の奥へと進んでいったところで、座り込んで動かない一羽の雌鶏がいることに気付く。

 他の鶏たちは私たちが小屋に入ると同時に餌をねだるように集まり、来た理由が餌やり出ないと気付くと、すぐにでも離れて行った。後は掃除中に邪魔する時にどいたりどかしたりをすることはあれど、目の前の鶏のように動かないのはいなかった。

 

「ほらアンタも邪魔……何よ」

 

 他の鶏と同じく、目の前で地面を箒で掃いて見せれば離れていくだろうと思ったけれども、その鶏は威嚇するような低い声で唸りながらこちらを警戒するだけであった。

 鶏にもそれぞれ個性があるとは、掃除の前に教えてもらっていた。それだけに私は「生意気な鶏もいたものね」と手にした箒を傍に置いて、実力行使に打って出ようとした。

 

「待って」

 

 しかしガンライコウが制止し、横から私がやろうとしていたことを実践してみせた。左右からそっと両手で包むように鶏を捉え、ゆっくりと持ち上げる。それが嫌なのか、鶏は首を器用に伸ばして彼女の手を何度か突くものの、ガンライコウは手を放すことなくその鶏を色んな角度から眺める。

 

「あぁ、やっぱり……」

 

 それから視線が足に向けられた時、彼女の目から光が失われたかのように見えた。とても悲しそうな呟きと共に鶏を見つめるガンライコウは、同情しているようにも、親近感を抱いているようにも見えた。

 私は何故そんな顔をするのかと、彼女が持ち上げた鶏へと意識を向ける。

 

「ぅわ……」

 

 そして、見てしまったことを少し後悔した。

 その鶏の足は素人の私が見ても、あり得ない方向に曲がっていた。ふと視線を落とせば、先程まで鶏が居座っていた場所には不自然なぐらいに羽毛が散らばっている。

 

「……」

 

 ガンライコウは慈しむ様に、そっと鶏を抱きしめる。それが嫌なのか尚も喉を鳴らして抵抗の意志を見せる鶏。

 彼女の行動に、何だか嫌な予感がした。それも、全身がざわつくようなものだ。

 そしてもっと嫌なことに、そういう時の私の勘は大体当たるのだ。

 

「ね、ねぇ」

「二人とも、お疲れ」

 

 その鶏をどうするつもりなのか、と声を掛けようとしたところで、私の後ろにある鶏小屋の扉が開く音がし、男性の声が聞こえてきた。

 振り向くと、そこにはここの騎士団の団長である、養鶏団長を自虐気味に自称していた彼が笑みを浮かべながら私たちに近づいてきた。

 黄茶色に近い金の髪にショートカット。前髪の中央から鼻の上まで伸ばした赤色のメッシュは彼なりのお洒落なのだろう。それにしては頭頂部にも癖毛のように跳ねた毛も同じく赤色のため、お洒落というよりは養鶏団長という言葉も相まって鶏冠(とさか)に見えてくる。というか、こんな感じの配色をした鶏を実際に見たような気がする。

 どこか陰のある優しげな雰囲気こそあるものの、猛禽類にも似た目つきに加えて顔つきも整っており、一見すると貴族でもやっていそうな雰囲気があった。

 が、そんな彼の服装は私たちと変わらない作業着であり、そのせいでイメージが都会の貴族から地方の農村民に見えてしまう。

 

「団長。丁度いいところに」

「何かあっ……た、ようだな」

 

 笑顔を見せていた彼だったが、声を掛けたガンライコウと彼女の手の中にいる鶏を見て真顔になった。明るい声も一気に低い声へと変わったことから、私の嫌な予感はますます高まってきた。

 

「この子。足を折ったみたい」

「……」

「団長?」

「あぁ、いや。昨日は特に異常は無かったと思ったが」

 

 差し出された鶏を、団長は少し嫌そうな顔で受け取り、それでもその鶏の折れた足を見つめる。その後、確認する様にガンライコウと、横目で私を一瞥した。

 こっちが何か問題を起こしたと思っているのだろうか。疑う気持ちは分からなくもない。けれども、鶏の世話という不慣れな仕事をやらされているということと、そもそも私は花騎士であることから、何か言って来たら言い返すつもりだった。

 

「私たちが確認した時にはこうだったわ。どこかにぶつけたか、何かの拍子で折れたのでしょうね」

「……そうか。分かった」

 

 しかし、ガンライコウの言葉を聞いた彼は、一瞬だけとても悲しそうな顔で両手の中の鶏を見つめる。団長の手の中の鶏は先ほどよりは大人しくしており、私やガンライコウよりも懐いているように思えた。

 治療でもするのだろうか。嫌な予感を前に警戒していたけれども、杞憂に終わりそうだった。考えてみれば、たかが骨折。しばらく歩けなくなるぐらいで、餌も水もある安全な小屋の中なのだし、最初から問題らしい問題では無かったのかも知れない。

 

「ありがとう。後はこっちで処理する」

 

 けれども、次の彼の言葉を聞いた私は、背中に棒が刺さったかのような衝撃を受けた。そして、それが何の衝撃なのかを理解する前に、団長は私たちに背中を向ける。

 それから、本当に小さく「どうしてだよ」と「ごめん」という言葉が聞こえたかと思うと、直後に何かが外れるような音が聞こえてきた。もしかしたら聞き間違えかとも思える程の小さなその音は、それと同時に聞こえてきた鶏の鈍い声でかき消された。

 一瞬の出来事。直前の呟きよりも小さな、でも確かに耳に残る嫌な音。まるで、関節を外したような音と、それに続いた断末魔のような鳴き声。私は全身の毛が逆立つような感覚になった。

 私の位置からは、彼の背中しか見えない。鶏もあの鳴き声以降暴れる様子も分からない。もしかしたら、私の思い違いかも知れない。もしかしたら、私がそう思い込みたいだけかも知れない。

 

「ねぇ、アンタちょっと……」

 

 だからこそ、私は確認せずにはいられなかった。団長の隣まで行き、彼の手の中にいるであろう鶏がどういう状況なのかを。

 

「うっ」

 

 団長の手の中にいた鶏は、死んでいた。

 いや、彼の言葉を借りるのならば処理されたと言うべきだろうか。

 どちらにせよ、私からしたら同じことだった。

 まだ体は痙攣していたものの、その鶏の首から上は折れた足と同じようにあり得ない方向へと曲がっていた。

 その前は体に添えていた彼の手が鶏の首元を掴む様になっていたのも、私の状況整理の手助けとなってしまった。

 

「首を、折ったの? アンタ」

 

 目の前の惨状に声が震えてしまうのも構わず、私は隣の団長を見上げる。彼の顔はとても冷めているようでもあり、とても悲しそうでもあった。

 

「正確には首の頸椎を外した。こっちの方が早く、楽に済む」

 

 それから、余計な苦しみも与えなくていい。そう言って、彼は掴んでいた鶏が完全に動かなくなったのを確認した後、慈しむ様に抱きかかえた。その様子だけを見たら、寝ている鶏を起こさないように抱いているように思えただろう。

 けれども、団長の腕の中にいる鶏はもう二度と目覚めることはない。その鶏を永眠させたのは他でもない彼自身だ。

 改めて目の前にいる鶏の死を確認してしまった瞬間、私は頭の中で何かが切れる音が聞こえた。

 

「アンタ! その子はまだ生きていたでしょ!?」

 

 理解が出来なかった。彼の行動も、その後の言葉も。殺した後に大事そうに抱くその姿も。何もかもが分からなかった。

 気づけば私は大声を上げて、彼に詰め寄っていた。

 

「どうして殺す必要があったのよ! 足は折れていたけれども、死ぬような怪我ではないでしょ!」

 

 自分の口から出る言葉を耳にし、怒りは更に膨らんでいく。そうだ。たかが足が折れただけ。添え木なり包帯で固定させるなりすれば、治る怪我のはず。それなのに、怪我の状態を大して調べもせずに、有無を言わさず殺した。それも処理と言って。

 畜産という以上、鶏に限らず、豚、牛、場合によっては馬も屠畜して食肉にすることは、まだ理解できる。無論、目の前でそれを実行されたら……多分その日の晩は肉を食べられないかも知れないけれども。

 けれども、私はここで掃除を始める前に確かに聞いた。この養鶏場は主に鶏卵を生産する鶏を育てるのだと。卵を産む鶏を育てる事であり、食肉用の鶏を育てる場所ではない。

 ならば、足の骨が折れた程度であれば、鶏をわざわざ処分と称して殺す必要なんてないはずだ。寧ろ、商品的価値の観点からしても、ここまで育てた鶏が無駄になってしまうとすら思える。

 だからこそ私は団長の行動が分からなかった。

 

「……養鶏場は、ペットを育てる場所じゃあない」

 

 けれども詰め寄ってみせた私に対して、彼は静かに、けれどもハッキリと言い切ってみせた。すぐに食い下がろうとしたけれども、先程までの優し気な雰囲気から一転した団長の顔つきに言葉が詰まる。

 そんな私の様子を見た彼は、一度目を閉じてゆっくりと息を吐いた。

 

「……確かに鳥の足の骨折は添え木で治療することが可能だ」

「っ、だったら!」

「けれどもそれは、ペットを飼うように年中、毎日誰かがずっと傍にいてやれるなら、の話だ。動けない鶏の餌は誰が用意する? 歩けない鶏に水を与えるのは一体誰が? フンの処理は? それとも添え木があるとはいえ、骨折した鶏に餌も水も自力で確保する様に小屋に戻すのか?」

「……」

「……言い方は悪くなったが、鶏は経済動物だ。人の、人間の益となるために改良されたと言っても過言じゃない。卵を産めなくなった鶏が処分されるように、足を折って自力で餌場や水飲み場にたどり着けない鶏も処分される。

 仮に処分をしなかったとしても。添え木をして治療したとしても。動けない鶏は衰弱し、いずれ死に至る。餌はともかく、二日三日、水を飲まないだけでも死ぬからな」

 

 私が何も言い返せないのを尻目に「後は任せる」と団長はガンライコウに言い、踵を返して小屋から出て行った。

 冷静になって考えてみれば、彼の言うことは正しいとは思う。団長が出て行った小屋の扉を見ながら、私は頭の中を整理させる。

 食用の鶏が、その時になったら屠殺され、肉となる。その前に病気や怪我でもし食用にならないと判断されたら、その鶏に商品価値は無いと判断されて処分される。

 それは彼の言った通り、鶏卵用の鶏でも変わらない。卵を産むことに商品価値を持っている鶏が、その卵を産めなくなったのならば処分する他無い。そして、生産効率、作業効率を考えたら怪我や病気になった鶏を親身になって看病する理由も無い。

 飼育している鶏が数羽であれば、隔離して看病するところもあるかもしれない。けれども、ここで飼っている鶏の数はざっと見ても百はくだらない。それ故に、ああして処分した方が早いのだろう。

 ……冷静になれば、頭では理解できる。出来ていたはずなのに。団長もそのことを配慮して背を向けてから殺したのだろう。普段は意識しないだけで、分かっていたはず。いいえ。分かっていたつもりのはずなのに。

 けれども彼が鶏を殺したという事実が、私には何故か受け入れられなかった。

 そして何よりも、私自身がどうしてそんな気持ちや感情を、出会ったばかりの団長に抱いたのかが分からず、その場から動くことが出来なかった。

 

「……珍しいわね」

 

 そんな私の時を動かしたのは、背後から聞こえてくるガンライコウの声だった。

 声を聞いて振り返った先には、気だるげな表情こそ変わらないものの、珍しいものを見たかのような目をしていた彼女が私の傍まで来ていた。

 

「……珍しいって?」

「ん。彼のことよ。あの人があそこまで理詰めで反論する姿は見たことが無かったから」

 

 しかも相手は養鶏業の知識もないのにね、とガンライコウは肩をすくめてみせた。私を慰めているつもりなのか、ここにきて初めて彼女の笑みを見た気がする。

 だが、私にとってはその微笑の理由よりも団長の言動が珍しいと言った、その真意が知りたかった。

 

「どういうことかしら? あたしが反抗的だから、知識や経験則から黙らせたってこと?」

 

 すると、私が食い下がることを予想していなかったのか、ガンライコウは少し驚いた表情を見せた後、やや俯いて思案顔になる。それから何度か確認するかのような頷きを見せた後、再びこちらへと視線を戻す。

 

「そうね。少なくとも、貴女と似たような質問をした子たちに対して、彼はこれまで苦笑いをしながら彼女たちの言い分を否定しなかったわ」

「……」

「そして、最後は『これも仕事だから』とまるで自分にも言い聞かせるように説得していたわね。だから、真っ向から自分の意見をぶつけるような人には思えなかった」

「それじゃあ」

 

 やっぱり私のことが気に入らなかったのだろうか?

 そう、続けようとして私は口を噤んだ。私はどうしてそう思ったのだろうか?

 右も左も分からない仕事をさせられている中で、処分という私の知らない畜産の裏側を見てしまい、感情的になった。

 そこまではいい。それは仕方のないことだと思う。

 本を読んでいるだけでは害虫の脅威が分からないように。養鶏という仕事をしなければ、実際に分からないことなのだから。

 分からないから、初めての処分という出来事を前に衝撃を受けた。それが自分の中で整理できず、感情の発露として表へ出てしまった。

 けれども、そこにあるのは養鶏という仕事の内容に関することであり、団長の私に対する感情や評価は関係ないはずだ。

 いやまあ、私の言動が反抗的に見えたのならば、初対面であっても気に入る、気に入らないはあるかも知れない。

 しかし、あんな態度をしておいて今更だけれども、私は団長に悪い感情を持たれたくない。そう思ってしまっていた。

 そしてだからこそ、何故そんな感情を出会って間もない彼に抱いたのかが分からなかった。

 

「まあ、団長も機嫌の悪い時ぐらいあるかもね」

 

 考え込む私に対し、ガンライコウは「仕事を終わらせるわよ」と彼や私への興味を失ったかのように小屋掃除を再開する。

 仕事である以上、私もそれに従ったけれども、その日はずっと頭に靄が掛かったかのような気持ちで過ごすこととなった。

 時折、去り際に見せた団長の寂し気な横顔だけをハッキリと脳裏に思い出しながら。

 

「いずれにせよ。貴女も時期が来れば分かるわ」

 

 そして、仕事終わりにガンライコウが別れ際に残した気になる言葉と共に眠りへと落ちてその日を終えた。

 

 

 

※※

 

※※※

 

 

 鶏は警戒心が強く、聴覚に優れている。

 眼球は動かせないので首を動かして対象を捉える。また、行動中は常に首を前後に動かしている。鶏にも性格があり、人懐っこいものや気性が激しいもの、神経質なものと、個性が豊か。

 また鶏は雑食性の生き物であり、割と何でも食べる。

 好みはそう……同じ名前を持つ者としては名誉なんだか不名誉なんだか分からないけれども、アブラナ科の植物。キャベツや白菜などだ。因みに、ミカンの皮は食べない。柑橘類は好みではないとのこと。

 逆にトウモロコシは大好物であり、卵を産むためにカルシウムも必要なため、魚粉なんかも与えるのだとか。

 私たちがよくイメージする可愛らしいヒヨコの姿は、実は十日前後程で幼ビナと呼ばれる姿へと成長し、そこから中ビナ、大ビナと鶏らしく育っていく。

 養鶏団長と呼ばれていた彼曰く、この幼ビナから大ビナまでの間は可愛くないとのこと。……確かにヒヨコや鶏のイメージを強く持っていると、まるで出来損なったかのような姿をしているように見えなくもない。

 けれどもこれはこれで愛嬌があって可愛いと思うのは私だけかしら。何にしても単に好みの問題だろう。

 とにかく、生後百五十日以降から雛は成鶏となり、雌鶏はここから卵を産む。

 そんな毎日卵を産む雌鶏や雛たちの世話や餌やりをするのが私の仕事であり、この養鶏騎士団の仕事でもある。

 

「……何であたしはこんなことをしているのかしら?」

 

 日が昇り始め、晴天に恵まれた気持ちの良い天気。作業場で鶏の餌作りに勤しんでいた私は、ふと作業の手を止めてぼやいた。とはいえ、花騎士である私の口からそんな言葉が出るのも当然と言えた。

 私がこの騎士団に入団してから早くも三ヶ月の月日が流れていたのだから。

 春を象徴する木々は花を散らし、初夏に相応しい緑の葉を伸ばす。その間、私が覚えたことと言えば先程のような鶏に関する知識や育成経験。食用の鶏と養卵用の鶏の、そもそもの種類の違いや成長速度の違いという知識から、鶏を処分する際の方法の違いという、やってみないと分からないことまで経験した。

 飼育している鶏にだって襲われた。鶏の攻撃方法は嘴でのつつき、蹴り、足爪の刺しなど多岐に渡り、特に蹴られながらの刺し攻撃は思いもよらない痛みが走ったこともある。……という、必要のない傷すら負った。

 とまあ、朝から晩まで鶏中心の生活になっていた。花騎士らしい仕事と言えば、たまに人手が足りないとブロッサムヒルの都市部の夜回り警備をするぐらい。それ以外は基礎訓練を続けるばかりであり、害虫討伐といった仕事はまるで経験していない。

 私の不満は募るばかりだったけれども、それが爆発する前に先ほどの警備の仕事や見回りの仕事が回ってくるので、騎士団を辞めるきっかけが掴めずにいた。上手い具合に誤魔化されているのでは、と最近思っているぐらいだ。

 

「はー、やってらんないわ」

 

 その日も朝の訓練を終えた後に、私は鶏の餌作りをしていた。天気は快晴。気温湿度共に良好。過ごしやすく、穏やかな一日になりそうであり、訓練や害虫討伐が捗りそうね。……私は鶏の餌作りだけれども。

 しかしながら、何時だったか彼が言ったように、鶏は水が数日飲めないだけで死んでしまう。けれども、当然ながら生き物である以上食べるものも重要であり、鶏の世話の大半は餌作りと餌やりと言っても言いぐらいだ。

 鶏卵に含まれる水分量は約七割。残りの三割は栄養と卵を構築するためのカルシウム。毎日卵を産むのに必要な栄養を与えなければならないため、水と同じぐらい餌も大事なのだ。

 故に、餌作りと言えど手は抜けない。そもそも、仕事に対して手を抜くという考え方が私には理解できないし、したくもない。

 でも、本来望んだ仕事とは関係のない仕事をしているので、愚痴の一つや二つはこぼしたい。

 

「まあまあ、その内アブラナちゃんにしか出来ない仕事が来るよ」

 

 そんな訳で、いつものように現状に愚痴を言いながら、それでも仕事であるため餌作りをしていた私に、先輩であるミズナさんが相手をしてくれる。騎士団の先輩ではなく、養鶏業としての先輩ではあったが、私のことをよく気にかけてくれる良い人だ。この騎士団を辞めようと決心しなかったのも、ミズナさんの存在も大きかったとすら思える。

 

「いつの話よ。あたしはすぐにでも花騎士らしい仕事がしたいのだけれども?」

 

 口を尖らせる私の返しに誤魔化すように笑ってみせた彼女だったが、作業の手は止めていない。艶のある肩まで伸ばした黒髪に綺麗な翠色の瞳。容姿端麗と言えるその顔は笑うと愛嬌があった。

 正直、わざわざこの仕事を選ばなくても他にいくらでも仕事があるだろうに、と思える程だったけれども、ミズナさんには一つだけ私たちと違う点があった。

 

「そう、ね。アブラナちゃんとしてはそう思っても当然よね」

 

 彼女は右足が義足だった。

 正確には右膝から下が失われており、下腿義足と呼ばれる足を模した器具を装着して日々を過ごしている。

 そして、彼女が足を失うきっかけが、他ならぬ害虫のせいであった。

 

「……ふん、当たり前でしょ。私はそのために花騎士になったんだもの」

 

 花騎士として害虫と戦い、負傷し、引退。その後、縁あってこの養鶏騎士団で働くこととなった。

 そんなミズナさんが、花騎士としての仕事をどう思っているのか。私には分からない。けれども、彼女に気を遣って花騎士の話題を出さないようにするのは寧ろ失礼と言える。

 だからこそ私は、鼻を鳴らして乾燥したトウモロコシを挽いた粉と刻んだ青菜とを混ぜ合わせながらも、ハッキリと答えてみせた。

 こちらの言葉に、彼女は何も言わず寂しそうな笑みを返すばかりだった。

 

 

※※※

 

 

「……よし。こんなものね」

 

 鶏小屋の中にある餌箱に作った餌を入れ、勢いよく集まってくる鶏たちを観察しながら一息つく。

 炭水化物、たんぱく質、ビタミンと鶏に必要な栄養素がバランスよく配合された餌なだけあってか、鶏たちの食いつきは見ていて清々しい程だ。苦労して作った甲斐があると言える。

 割と何でも食べる鶏ではあるものの、慣れというのはやはりあって、雛の時に緑野菜を与えていないと成鶏になった後に葉の物を見せても食べないのだそうだ。

 そう思うと苦労したのもあって、何だか鶏たちに愛着が湧いてくる。元気に育ってくれると嬉しいし、逆に病気や怪我などがあると悲しい気持ちになれる。……流石に初日の出来事から処分という行為には、未だに納得がいかない部分もあるし、慣れないし、やったこともないのだけれども。

 そういうのを含めて、生き物を育てるというのはとても大変なことであり、だからこそ思い入れが強くなるのだと再確認できる。

 ……これで私が花騎士ではなく、最初から養鶏業の職員として入ったのなら文句は無いのだけれども。

 

「はぁ。何時になったら害虫討伐とかに参加できるのかしら」

 

 養鶏の仕事が慣れてきたこともあり、当初よりは不満がほんの僅かに減っているとはいえ、私は花騎士だ。

 その本分を全う出来ないのであれば、やはり遅かれ早かれこの騎士団を去る決心をつけなければならない。

 いくらミズナさんやガンライコウ、他の人たちから良くしてもらっていたとしても、ここだけは譲れない。譲りたくはない。

 今日もリリィウッド側に近い森で比較的規模の大きい作戦が早朝より開始されたと聞いていたために、その想いは強くなる一方だ。

 早いところ、私を受け入れてくれる騎士団を見つけて、ここを出て行かなければ。

 それこそ、ミズナさんや他の人たちの迷惑になる前に。

 ……どうしてそう思った時に、あの養鶏団長の顔が一緒に思い浮かぶのだろう。他の人ならいざ知らず、彼の場合は寧ろ辞めようと思える一因のはずなのに。

 いいえ。だからと言って、きっかけを待つのでは駄目。自ら動かなければ事態は良くも悪くもならない。

 

「……あ、ここにいたのね」

「っ!?」

「ちょっと来てもらってもいいかしら?」

 

 そう改めて花騎士としての決心を固めかけたところに、背後から声を掛けられた。

 考えていたことが考えていたことだけに、少しだけ驚きながら振り返ると、そこにはガンライコウが小屋の扉から顔だけを出して私を見つめていた。彼女の声の調子こそ普段と同じではあった。けれども、その頭に双眼鏡のような、ルーペのようなものをベルトで括りつけていており、様子も普段と同じとは言えなかった。

 ガンライコウの言葉通り、小屋の中で話す雰囲気ではなさそうなこともあり、私は作業を中断して表へと出ていく。

 

「何かあったの?」

「緊急招集。急いで着替えて事務所の会議室へ」

 

 彼女は着物姿だった。それも袖以外は動きやすさを重視したもののようであり、太ももには工具、何やら風呂敷や番傘、箱のようなものも背負っている。それが彼女の花騎士としての正装であることに気付くのは緊急招集という言葉を聞いてからだった。

 

「分かったわ。でも、私はその内容を知りたいのだけれど?」

 

 端的に用件だけを伝えて背を向ける彼女に対し、私は食い下がる。緊急招集とは確かに穏やかではないけれども、先に理由を聞いてもいいはずだ。まさかとは思うけれども、大量の鶏が病気を患ったから処分を手伝えとかではないでしょうね?

 すると、私の言葉を聞いたガンライコウは振り返ると、神妙な顔つきで口を開いた。

 

「私たち、花騎士本来の仕事よ」

 

 

※※※

 

 

「よし。全員揃ったな」

 

 私が作業着から花騎士の正装へと着替えてから会議室へと向かうと、そこには団長を始め、この騎士団で働く花騎士たちが既に集まっていた。

 花騎士たち、と言っても本来の意味での花騎士は私を含めて八人。それ以外はミズナさんを含めてこの養鶏場で働く職員の人たちだ。その内、今日は非番の者を抜いた計九人が部屋の中にいる。

 横に長いテーブルを縦に二つ並べて、左側のテーブルに奥からガンライコウ、ケイトウ、サギソウの花騎士たち。そして、右側にはミズナさんを含む職員が五人座っていた。

 そして、部屋の入り口から一番奥に座った団長は私の入室と同時に口を開いた。

 

「一部の者たちは既に知っているかもだが、本日早朝より行われたブロッサムヒルとリリィウッドの国境付近の森で行われた害虫討伐の未帰還部隊が出ている」

「えぇっ!?」

「ちょっと、一大事じゃない!」

 

 団長の言葉に思わず反応してしまったが、それは私ともう一人の花騎士、ケイトウだけであった。忘れっぽいと自称する彼女はさておいて、この場において浮いてしまったことを自覚した、私は周囲を見渡す。

 しかし、他の者たちは話が始まる前と同じ姿勢で彼の次の言葉を待っているように見えた。まるで、この状況が慣れたものであるかのように。

 

「……話を続ける。国境沿いとはいえ、討伐隊はブロッサムヒルから出ている。リリィウッドにも応援を要請しているそうだが、あそこは上層部が上層部だ。救助隊の編成と出動の許可が降りる頃には陽が暮れてしまうだろう」

 

 団長は私を一瞥すると、その後すぐに手にした紙へと視線を落とす。恐らく、今回の状況がその書類に記されているのだろう。

 一度言葉を切って書類を目に通していた彼だったが、少し顔を歪ませた後に視線を室内の全員へと向けた。

 

「既に最高司令官の指示の元、救助隊の編成及び出動の命が下された。だが、その救助に多くの人員が割けないという事実と、今回の討伐相手が巨大害虫であるという危険性がある。

 そのため、俺たちにも出動の命が下った」

 

 彼の言葉に、室内の空気が張り詰めていくのを感じた。顔は動かさず、視線だけでこの場にいる全員を一瞥した後、「事態は一刻も争う」と団長は大きく息を吐く。

 

「俺はこの命令を受理承諾した。この会議が終わり次第、速やかに行動へ移る。ミズナ他、職員は通常通りの業務を。ケイトウとサギソウは何時でも出動できるように待機」

「分かった!」

「了解しました」

 

 ミズナさんたち職員は頷き、鮮やかな服を身に纏い、体格さえ無視すれば幼く見えるケイトウは元気よく、白装束を思わせる着物を身に纏った美麗という言葉が似合うサギソウは静かに答える。

 討伐ではなく救助とはいえ、害虫との戦闘が予想されるのは流石に分かった。それでも彼女たちを待機させたのは、少数で動くためだろう。

 私もその救助部隊に志願したかった。けれども、新米であり戦闘経験もそれ程ない私が呼ばれる訳もない。精々、最後にミズナさんたちと作業に戻れと言われるのがオチだ。

 悔しいけれども、団長ならそう指示するだろう。そう漠然と思い、自然と頭が下がっていく

 

「ガンライコウとアブラナ。両名は俺と共に緊急の救助隊を組む」

 

 しかし、次の団長の言葉で私は驚きと共に顔を上げる。視線先には彼が真っすぐな目をしてこちらを見据えていた。

 私と目が合った彼は、少しだけ唇の端を釣り上げて不敵に笑ってみせる。

 

「以上だ。質問は受け付けない。各自、すぐにでも行動に移れ」

 

 

 

※※

 

※※※

 

 

 ブロッサムヒルとリリィウッドの国境付近。白百合の街道から北東に位置する無垢なる森林区。その許可なく立ち入りが出来ない区域の手前に位置する森の中で、救助作戦は決行された。

 本来の害虫討伐任務はその日の日の出と共に行われ、私たちが緊急招集で呼び出されたのがそれから数時間経った後のこと。そして現時刻は丁度正午の手前といったところであり、討伐任務から半日経過していることを考えると救助を急がないと手遅れになる可能性が出てきている。

 それは分かる。分かるのだけれども。

 

「うぅ」

「本当にこの周囲にいるのかしら?」

 

 自身の装備故か、森の中の探索に苦心しているガンライコウを横目に、私は疑問を先行する団長に呈さずにはいられなかった。

 というのも、私たちの他に緊急の救助部隊は二部隊組まれていた。そのニ部隊はそれぞれ、本来の討伐任務部隊が突入したところから捜索を開始している。しかしながら、私たちはそこから大きく迂回。まずもって人が立ち入らないような生い茂った場所からの探索開始となったからだ。

 立ちふさがる木々を避け、茂みに足を取られながら、時には倒れた巨木を乗り越える。どこまで行っても似たような景色。人の気配はおろか、害虫の気配すら感じられないが故に、私が眉根を寄せるのも仕方がないと思う。

 

「……ある程度進んで対象が確認できなければ、途中で引き返す。そのために、印を残している。もしも対象がこちらの方面に迷い込んでいたのならば、この印が役に立つだろう」

「むぅ」

 

 私の言葉に、団長は振り返らずに答える。そしてその言葉通り、印となる派手な赤色のリボンをピンで木の幹に留めていく。森の中を歩く速度といい、印の付け方の手際といい、正に手慣れているとしか言えない。経験者は語る、という言葉の通り、彼の方針に口を挟む余地はなさそうだった。

 彼の装備を見ても、よく言えば武骨な、悪く言えば華やかさの無い、装飾はおろか柄や模様すらない緋色の一本槍。背中にはそれと対を成すような、緋色の盾……にしては形が奇妙なものを装着している。逆三角形をしたヘタ付きのリンゴのようなそれは、見ようによっては柄の短いスコップに見える。

 害虫相手に花騎士が構える盾ならともかく、身体能力こそ一般人よりも優れている騎士団長が害虫の攻撃を盾受けしたところで焼け石に水。仮に緋色の盾が加護を受けた盾であったとしても、それを持っている人間に加護が無ければ腕や身体が耐えられない。

 しかし、目的地へと向かうさながらに聞くと、これは攻撃を受け流す用の盾であるという。用途はそれ以外にもあるとも言っていたが、そこに追求する前に作戦は開始された。

 そんなやけに目立つ盾とはうって変わり、団長の腰には携帯用にしてはやや大きいと思える焦げ茶色の地味なウエストポーチがある。若干色あせており、ただ単に道具の扱いが悪いのか、年期を感じさせるのかは分からなかった。

 それでも服装も含めて、彼の装備は決して一介の騎士団長の着こなすそれではなく、団長の雰囲気も相まって経験豊富な冒険者を思わせる。

 しかし、それでも腑に落ちないせいで漏らしてしまった呟きに、団長も軽く失笑してみせた。

 

「森の中で害虫と遭遇し、戦闘活動の後に撤退を余儀なくされた場合、アブラナは正確に位置を把握できるか?」

「……まあ、無理ね。戦闘がどの程度の規模や時間経過によるけれども、一度始まればそれに集中して、それまでの方向感覚が狂うと思う。方位磁石があれば話は別だろうけれどもね」

「その通り。周辺の地形や現在地を把握しながら戦える程、森での害虫戦闘は甘くない。ましてや害虫から逃走を図る場合は、今のように事前に付けていた印を頼れずに彷徨うことになる場合もあるだろう。……方位磁石があれば話は別だがな」

 

 声の調子を軽くして同じ言葉をそっくり返す団長に、私は自然と口角が上がるのを感じた。状況が状況だけれども、流石の私も彼の言葉がこの場を和ませる冗談だと分かる。

 鬱蒼とした森の中で行われる慣れない捜索活動。救助者が見つからずにやきもきするなかで、こうした小粋な会話を出来るのは余裕がある証拠なのか、余裕があるように見せているのか。そのどちらにしても、部隊のモチベーションを維持しつつ活動を続けられる団長の胆力や精神力には見習うべきところがあると感じられる。

 出会った当初は養鶏業をさせられたこともあって、本当に団長か疑わしくも思った。けれども、こうした一面を見ることによって花騎士の団長だと再認識できる。私はそれを何故か嬉しく思う。

 後はこのまま、要救助者が見つかって、無事に任務を終えることが出来ればいいのだけれども。

 

「……団長」

「あぁ。全員止まれ」

 

 そう思って気合を入れ直したところで、ガンライコウと続く団長の号令で私たちは立ち止まることとなった。

 私は害虫かと思い、辺りに視線を走らせ、レイピアの握りの部分へと手を伸ばす。心なしか、周辺から聞こえてきた木々の枝や葉が擦れる音すら遠ざかっていくように思えた。

 周囲には似たような木々が立ち並び、茂みがいくつか点在する程度で、広場はおろか獣道ですらない。見れば倒木すら視界の中にいくつか確認でき、それこそ戦闘ともなれば戦い辛いと分かる。

 害虫の気配は、しないと思う。けれども団長が、この状況下で意味もなく停止命令を下すとも思えない。一体何が、と思ったところで、私たちの進行していた正面の先にある茂みが微かに揺れた気がした。

 無風状態の不自然な揺れ。茂みの大きさは屈めば私たち三人を隠すには十分の大きさ。小動物があの中に隠れていて動いたとも思えたけれども、それにしては団長とガンライコウはその茂みに注視している。

 

「ガンライコウ」

「ザンセツ」

 

 団長の呼びかけに、ガンライコウは自身の作品であり、オトモでもあるカラクリ雁を展開。茂みに対して警戒する様子を見せた。私もそれに倣って、何時でも抜剣出来るように構える。

 害虫であるかどうかは分からないけれども、害虫の中にも気配を察することが出来ないのもいると図鑑で見た。だがだからこそ、害虫であれば手柄を立てる好機とも言える。

 ここで私が活躍すれば、団長たちも少しは見直すかもしれないし、もしかしたら別の騎士団から誘いが来るかもしれない。

 

「ぅ……」

 

 しかし、一触即発ともいえる雰囲気の中、茂みの中から次に聞こえてきた音は、人の小さなうめき声だった。

 

「大丈夫か!」

 

 そして、それに気づくと同時に団長が私やガンライコウよりも先に駆けだし、茂みの中へと躊躇なく入っていく。続いてガンライコウが彼の後を追い、それを見た私は慌てて彼らの後を追って茂みの中へ入った。

 頬や手、露出した部分に茂みの枝葉が擦れる痛みを感じながら更に足を踏み出すと、そこは小さくも人が留まれる空間になっていた。一つの大きな茂みと思っていたものは、いくつもの茂みによる塊であり、空間は丁度二重丸の内側のように広場となっていた。

 なるほど、これならば臭いで相手を追う害虫や、空を飛んで上から見ることの出来る害虫でない限り、意識的に見つけることは難しいと思える。

 

「うぅっ、だ、誰?」

「大丈夫。私たちは貴女を救助するための部隊よ」

 

 茂みの中の状況を把握してから意識を前に向けると、そこには傷ついてうつ伏せに倒れている黒髪ボブカットの花騎士と、その右手側で膝をついて彼女に声を掛けるガンライコウが見える。そして、負傷した花騎士を挟んで反対側には鑑別診断をするかのように、触診と視診する団長の姿があった。

 彼は「意識、あり。呼吸、やや乱れ。脈拍は正常だが緩やか。体温、微熱」と小さく呟きながら、手早く手負いの花騎士の状態を見ているようであり、それに割って声を掛けるのは憚られた。

 

「アブラナ、周辺の警戒を。ガンライコウも、ダイゾーを出せるか?」

「分かったわ」

「り、了解!」

 

 すると、団長は作業する姿勢や手は止めないまま、私たちに指示を出してくる。即答しながら背中の風呂敷包みを解いて、ダイゾーと言われたカラクリを展開する彼女に対し、私は負けじと返事をして彼らに背を向ける。

 茂みは立ち上がっても周囲の様子が分からない程しっかりとした円陣となっていたが、逆に言えばこちら側からも外から何が来るのかの確認が取れない。だからこその警戒態勢命令であっただろう。

 

「団長。どうかしら?」

「擦り傷、切り傷はあるが、どれも大事には至っていない。負傷が、というよりも極度の緊張及びその解放による疲労が原因だろう。害虫から逃げてきたのかも知れない」

「そう」

 

 私の背後からはガンライコウと団長との会話が聞こえてくる。彼の言葉に彼女は安堵するかのような声色になり、私もまた団長の診断を聞いてひとまず安心した。

 

「態勢が悪い。ガンライコウ、彼女を仰向けに。その後に水筒の水を少量与えよう」

「了解」

「うぅ……っ」

「少し落ち着いたか? 俺の手を見てくれ。指は何本立っている」

「ぁ……さ、三本」

「認識機能も問題なし。ガンライコウ、アブラナ。彼女を連れて速やかに森を抜けるぞ」

 

 彼女の言葉を聞いて、団長は私たちへと声を掛ける。振り向くと、彼は周囲の警戒こそしていたものの立ち上がっており、私はそれを見て内心安堵した。

 それは未帰還部隊の人を無事に見つけられたことであり、彼女を助けられたことでもあり、そして何事もなく任務を完了できそうなことだからでもあった。

 

「ぅあ、ま、待って、下さ、いっ……!」

「どうした? いや、まだ立てないのか……ガンライコウ、肩を」

「だ、団長が……団長がまだ、ふき、付近にいる、はず、なんです!」

「っ」

「団長が、わたっ、私を庇って……! きず、傷っ! 傷を負って!」

「落ち着け」

「あ、あの人、酷く足をけ、怪我して……! わた、私は、それで、私、たす、助けを、呼ばないとって! ぐっ……ぅ」

 

 けれど、団長を引き留める彼女の言葉に、彼とガンライコウは動きを止めた。ガンライコウは私の位置からは顔が見えなかったが、団長は目を閉じ、口を横一文字にしている。

 まるで、その言葉は聞きたくなかった、と言わんばかりの表情に私は眉根が寄るのを感じた。まだ助けられる人がいる。その情報は良い話であり、悪い話ではないはずだ。

 しかし、団長は大きく息を吸い、そしてともすればため息とすら思えるぐらいに肩を落としながら息を吐いた。

 

「ガンライコウ」

「何かしら」

「彼女を頼む」

「了解」

 

 団長を引き留めた花騎士は、疲労しているところに大声を出したせいか肩で呼吸をし、それ以上喋ることはなかった。そんな彼女の身体を起こし、支持運送をするガンライコウを見た後、彼は私の方へと視線を向ける。

 

「アブラナ」

「な、なによ?」

「悪いが、お前と俺は作戦続行だ。何か異論はあるか?」

 

 一瞬。何を言っているのかの理解が遅れた。

 けれども、団長の言葉と現状を把握した後、私は自分でも分かる程に口角が上がるのを感じた。

 

「当然よ」

「良い返事だ。ガンライコウ、気を付けろよ」

「えぇ。団長たちも」

 

 真剣な表情で頷いた団長はガンライコウに香水瓶のようなものを渡す。それを受け取った彼女は負傷した花騎士の肩を抱いたままカラクリを展開しながら来た道を戻っていく。

 

「行くぞ。彼女があの様子なら花騎士でない団長も急いで見つけないと。だが、害虫と接敵した場合は状況次第で撤退する、いいな?」

 

 その後ろ姿を見送ることなく、団長は私に声を掛け、戦闘の可能性を暗に言う。

 

「了解」

 

 彼の言葉に対し、私は短く返事をしてから先を進もうとする団長の後を追う形で茂みから出る。言われた通り、戦闘の可能性を考慮して鞘から突剣を抜きながら。

 時刻は、丁度正午を迎えた。

 

 

※※※

 

 

「アブラナ。周囲に害虫の気配は?」

 

 ガンライコウたちと分かれてから、それ程時間も、戦闘にもならずして、私たちは目的の団長と思われる人物を発見した。ブロッサムヒル騎士団の団長服に、茶髪ショート。その顔は俯いているために生きているのか、それとも既にこと切れているのかは分からない。

 すぐにでも向かいたかったが、彼が持たれかかっている大木の周辺は森の中であっても開けた空間であり、周囲様子が分かりやすかった。

 

「……無い、と思うわ」

「よし。手早く行くぞ」

 

 視認した上で害虫の姿は無かったものの、警戒するに越したことはない。そのため、私たちは再三の確認の後、覚悟を決めて遠目からも負傷しているのが分かる彼の元へ走った。

 ……けれども、これは。

 

「これは……」

「うっ」

 

 遠くからでも彼が負傷しているのはよく分かった。それはこの団長の周辺に血だまりが出てきたから。

 けれども、傍まで行って彼の様子を改めて見た私たちは絶句する他なかった。

 足が折れている、足を大きく裂傷している。それだけなら、騎士学校時代でも見かけたことはあった。花騎士候補生同士の訓練中に、害虫と実戦する実地訓練中に。

 しかし、救助した花騎士が「傷」と言っていた、その団長の負傷具合は何と言っていいのか分からない。

 足が、膝の先が、太もも含めて、ひしゃげている。それも両足が、だ。

 まるでその足がいくつもの関節で出来ているかのようにあらぬ方向へ曲がっており、それが辛うじて繋がっている。大腿筋の根元を布と紐で無理やり止血した跡があり、血は止まっているようだった。

 が、そのおかげでひしゃげた足の骨や脂肪、筋肉の筋までがはっきりと目についてしまう。それらを確認した後に私は目を逸らしてしまった。

 一体、何をどうすればこうなってしまうのか。例え馬に轢かれたとしても、ここまで酷い有様にならないと思う。まるで、まるでそう、いくつもの足がある化け物に轢き潰されたかのような……。

 見てはいけないものを見てしまった気分になった私は、金縛りにでもあったかのようにその場から動けなかった。

 そんな私が目の前の惨状に立ち尽くしていると、団長が彼の傍まで行き、視線を合わせるように膝を地面につける。それから鞄を開き、中から注射器を取り出す。

 冷静、というよりは冷酷さすら感じられる彼の横顔も相まって、私は以前の鶏を処分した際の記憶が脳裏を過ぎる。

 

「えっ、ちょ、ちょっと!」

「静かにしていろ」

 

 毒か何かを注入するのかと思い、慌てて声を掛ける。本当は無理やりにでも止めに入りたかったけれども、私の足はその意思に反してまだ動けなかった。私の叫びを無視し、団長は手際よく注射針の蓋を外す。それから別で用意した透明の液体入りのコルク蓋つき試験官を取り出したかと思うと、その蓋も外して注射針を中に入れる。

 その後、ゆっくりと注射器で液体を吸い上げ、試験管を廃棄。流れるような手つきでいつの間にか袖をまくられていた、相手の団長の右前腕と二の腕の間に注射針を刺して液体を注入した。

 

「っ……くっ」

「おい。意識はあるか?」

「ぅ……だれ、だ」

 

 片手で器用に注射器を片付けながらも、相手の頬を軽く叩く団長。その言動に、彼は閉じていた目をゆっくりと開く。髪の色と同じ黒色の瞳は、角度のせいなのか、それとも負傷による痛みなのか。生気のないものであり、団長や私を見ても自身を救助しに来た者たちだと思えないようだった。

 

「……ライミ騎士団だ」

「っ!?」

 

 けれども、私も初めて聞いた騎士団名を団長が口にすると、目の前の彼が驚愕の表情を見せた。それからまじまじと団長、それから私と交互に見たかと思うと何故か小さく微笑んだ。

 

「そう、か。君が、君達が……そうか」

「俺たちを知っているのは話が早くて助かる。アブラナ」

 

 こわばっていた身体を明らかに脱力させる彼に対し、団長は振り向くことなく私に声を掛けた。

 まるで感情のないように聞こえたその声色を前に、私は返事が出来ずにいた。

 

「アブラナ」

「……何、かしら?」

 

 負傷した彼がこちらを一瞥する。それに合わせるかのように、団長がもう一度私の名を呼び、それに応えた。……応え、させられたようにすら思える。

 

「悪いが、周囲の警戒を頼む」

「……ねぇ」

「二度は言わない。これは命令だ」

「……了解」

 

 有無を言わさない圧力すら感じられる言葉を前に、私は団長の命令に従った。

 普段の私であれば、理由を聞いたり反発したりしただろう。けれども、何故かこの時はそういったことが出来なかった。

 応急手当をするに違いない。私たちは救助するためにここにいる。先ほどの注射の件も、勝手にこちらが介錯だと勘違いしたけれども、現に相手はまだこうして生きて喋れている。だから、この警戒任務の命は妥当な判断。

 そう、自分に言い聞かせながら、私は団長たちから少し離れてから周囲へと意識を向ける。

 けれども、視界の端には彼らが必ず入るようにした。そうしなければいけないような気がしたから。

 

「……」

 

 周囲の警戒は、しなくてはいけない。それは分かっている。

 ここは害虫との戦闘があった区域であり、討伐のうち漏らしの害虫や、それ以外の害虫がいつここに来るかも分からない。花騎士の騎士団長も適性の合った武器であれば小型害虫程度は倒せるが、ここに来る害虫がそうだとは限らない。

 つまりは現状、戦力と言える戦力は私だけと言える。だからこそ万が一害虫が乱入してきた際には戦えるように準備もしなければならない。

 頭では分かっている。けれども、どうしても団長たちのやり取りが気になってしまう。

 あぁ、もう。実戦なら騎士学校時代に行った。騎士団に着任してから今回が初めてと言える正式な任務だというのに。どうしてここまで緊張してしまうのか。

 いつ、意識の範囲外から害虫が来るかも分からないこの状況。可能ならば、すぐにでもここから全員で離脱したい。それとも、害虫が本当に乱入し、戦闘になれば少しは気が楽になるだろうか。

 何にしても、団長は悠長に彼と会話を続けずに早く治療を終えて欲しい。

 

「……む」

「……ない」

「……っ」

 

 それは、私にとっては一瞬の出来事だった。

 

「っ!?」

 

 視界の端に入れていた団長たちに動きがあったために、丁度意識をそちらに向ける。

 

「~~~~っ!?」

 

 その私の目に飛び込んできた光景は、団長が手にしたハンティングナイフで彼の胸の中央を突き刺し、それから素早く抜く瞬間であった。

 

 

※※※

 

 

 つまりは養鶏騎士団と揶揄されていたこの騎士団は、ブロッサムヒル騎士団の暗部ともいえる存在だった。

 緊急時にしか正式な任務の依頼は来ず、その任務の命もブロッサムヒル最高司令官の判断でしか下されない。

 任務内容も、救助隊とは別の、最も危険な場所へと向かう救助活動……及び、対象者の命を終わらせることだった。対象が救助できるのであれば可能な限り救助するが、それが無理と判断された場合に、害虫などの情報を聞いた上で相手を介錯する。

 助からないと判断された者を殺すのには理由があった。

 そして先程団長に介錯された彼は、止血が遅れたことによる出血多量及び両足の損傷による歩行不能。それらの情報から森の脱出、医療機関への搬送まで持たないと判断したと言う。

 団長は納得と同意の上で行ったとは言ったけれども……。

 

「結局のところ、害虫への対策の一つに過ぎない」

 

 団長は言う。

 害虫とは、害虫化の毒を受けた益虫、害虫から攻撃を受けた益虫、害虫から生み出された害虫と三種類に分かれる。

 けれど、それらの行動原理は全て同じであり、異常な飢餓状態に陥り、目に付くものをただただ貪る。有機物であれば、固体であろうとも液体であろうとも動物、植物、そして人。全てを等しく己の食料と見なし、奴らは飢えを一時的に抑えようと喰らい続ける。正に世界に仇なす存在なのだ。

 

「だが……」

 

 害虫はそんな単純な存在ではない、と団長は続ける。

 奴らの中には毒に侵されながらも、益虫だった頃の行動を繰り返す害虫もいるし、何かしらのきっかけで一つのことを続ける害虫もいる。……中には、傍から見ても馬鹿ではないのかと思える行動をする害虫もいるとは、私も図鑑で見たことがある。

 しかし、その「何かしらのきっかけで一つのことを続ける」というのが、時と場合によっては単純な破壊と貪食を繰り返す害虫よりも厄介になるという。

 

「尻つつきと言って、鶏も仲間の血の味を覚えるんだ。相手をつつく理由自体は別にあるんだが、それを行うことによって今度は血を求めてつつき続けるようになる。元々あった理由とは別に相手を攻撃し、血を貪る。手段の目的化、というやつだな」

 

 それと同じだ、と彼は大きく息を吐く。

 ケーキの味を覚えた害虫がそれを気に入り、以降ケーキを求めて村や町を襲うように。人の味を覚えた害虫が人の味を気に入った場合……人を率先して襲うようになるのだという。

 特に対象となる人が生きており、逃げる、戦うなどの行動をして見せた場合、奴らはそれを覚える。そして、同じ形をしたもので、同じような行動をする者を優先する。

 一般的な害虫が集落を襲っても、そこに住んでいる人が全員死ぬというのはそうそうない。だが、人の味を覚えた害虫が集落を襲った場合は……考えたくもない惨事になることは容易に想像できた。

 

「だからこそ、助からないと判断した場合、俺たちは、『ライミ騎士団』は介錯する。相手が長く苦しまないための配慮であり、以降の二次災害を抑えるためでもある」

 

 試験管の中に入っていた液体は「魔女の秘薬」であり、適量を打つと対象の痛みを和らげる効果がある。ともすれば、致命の一撃すら感触だけしか残らないという貴重な代物だという。

 続いて彼が使用したのは「魔女の掘削丸」という鶏の卵サイズの黒い球体。地面に触れた瞬間に魔法が作用して一定の……大人一人を埋葬出来そうな穴を掘り、周囲に土の山を作る代物。

 遺体をそのまま放置しては、害虫に食べられた場合は同じことになる恐れがある。けれども、害虫が蠢く場所で悠長に穴を掘っている暇などない。そのための薬であり、埋葬時間が大幅に短縮される。

 

「……まあ、結局埋めるのは人力なんだが」

 

 そう言って、私に周囲の警戒を維持させた団長は、装備していた収縮性の槍と盾を手に取る。穂先の反対部分に握りの取っ手がある奇妙な槍と盾にしては武骨過ぎると思っていたそれらは、彼の手によってスコップへと変形する。

 そうして出来上がった両手持ちのスコップで、団長は手慣れた様子で土を掬って穴を埋める。……穴の中には、先程まで救助対象だった団長が入っていたのは言うまでもない。

 遺体を入れた穴を埋め、周囲とは違う色をした盛り上がった土を前に団長は黙祷するように頭を垂れる。それから墓標とは言い難い木の枝を突き立て、お墓と呼ぶには簡素過ぎるものが完成した。

 

「よし。撤退するぞ」

「……」

「……分かっている。帰還しながらでいいのなら、ちゃんと全部話す」

 

 振り返って私の方を向いた団長は酷く息苦しそうな顔をしていた。それでも私の顔を見るなり、無理やりいつもの表情に戻す辺り、多分こちらの顔も相当に酷いものになっていたのだろう。

 団長が「行くぞ」と言いながら横を通り過ぎても、私は何の言葉も発せないまま彼の後を追った。

 

 

※※※

 

 

 任務からの帰還中に、団長は自分自身に言い聞かせるような口調でこの騎士団の本当の活動内容や成り立ちを説明してくれた。

 この騎士団の起源は古く、何でも「ライミ」というあだ名の花騎士が立ち上げたものだという。故に、その騎士団の団長となった者は「ライミ」の名を継承する。

 花騎士「ライミ」は巡る。

 本人が死んだ後も、その騎士団が存在する限り。花騎士であっても、花騎士でなくとも「ライミ」の名を継ぐ者がいる限り。彼女の意志は、「ライミ」という花騎士の悲愴とそれによる決意は紡がれる。

 だからこそ、騎士団の団長は任務の際に名乗るのだ。

 

「ライミ騎士団」

 

 表立った組織ではないけれども、ある程度の規模になったブロッサムヒルの騎士団の団長たちは全員、その存在を知り得ている。

 そのため先程の救助対象だった彼も、団長の言葉を聞いて察したのだろう。

 自分を助けに来たか、そうでないのなら殺しに来たのだと。

 

「可能なら……いや、可能な限り、俺だって助けたいさ」

 

 けれども、救助を行う者たちが帰還してこその救助活動。誰かを助けに行って、その誰かと引き換えに自身が死ぬのならまだしも、共倒れとなっては意味がない。あくまでも最優先は自分たちの命と無事の帰還なのだ。だから時として、任務を放棄したり、救助対象者を見捨てたりしなければならない。

 団長も「ライミ」の名を継いで騎士団長になるまでは、私のように先代の「ライミ」団長に反発したという。

 可能性が少しでもあるのなら、一人でも助けたい。そう思って任務の度に可能な限り助けようとした。

 

「だが、駄目だった」

 

 救助中にそのまま亡くなる者。救助後に亡くなる者。それらならまだマシなほうであり、苦しみながらの帰還途中に運悪く害虫と遭遇。戦闘となり、巻き添えになって死亡した者。……先代の命令によって囮役にされてしまい、恨み言を残して死んだ者。

 特に団長の心を痛めたのは、彼の意見に賛同した者たちが結果として本来負うはずのない怪我をしたことであったそうだ。軽い怪我ならまだしも、跡の残る傷、後遺症すら残る負傷をする者たちを見て、団長の精神は削られた。

 あのミズナさんも、先代の騎士団長からの花騎士であり、救助の際に無理をして足を失ったのだという。……中には亡くなった者もいたそうだ。

 

「けれどそれは、先代のじーさんも同じだった」

 

 そして、時に救助者を見捨てる判断を下した先代の騎士団長も、団長と同じような経験をした者だったという。

 だからこそ、なるべく多くを救助したいという団長の言葉も理解できたし、それができない時があることも嫌という程理解していた。

 故に先代はありのままを見せた。理想を掲げ、行動する彼に、現実という名の鋭い刃の一閃で打ち砕いた。

 

「じーさんは言ったよ」

 

 これは呪いだと。

 花騎士「ライミ」の呪い。人を守り、国を守り、世界を守る存在であった彼女。そんな彼女が恋人に守られ、恋人を守れず、恋人を自らの手で殺さざるを得なかった皮肉。花騎士「ライミ」の深い絶望と慟哭は今も、当時であっても窺い知ることはできない。

 それでも尚、世界を救う存在である花騎士として。これ以上被害を出さないために、騎士団を結成。そしてその生涯をその活動に費やした。

 救助か、死という名の救済か。一つの命がそこで散るか散らないか。その場で埋葬するか野晒しか。

 それでも、今後の被害や脅威が変わるかは分からない。害虫の数はそれだけ多く、効果はあっても大局に影響を及ぼす程ではない、というのが過去の「ライミ」団長や歴代のブロッサムヒル最高司令官の見解だという。

 だからこそ先代の団長を含めて、この騎士団の存在意義と「ライミ」という花騎士の想いは呪いだと表現したのだろう。

 人の生き死にを人が決める。それによって、多くの者が心身問わず死傷する。それを歴代の「ライミ」団長は間近で見続けてきた。それでも仕事である以上、続けなければならない。次の「ライミ」が見つかるか、自身の命が燃え尽きるまでは。

 これを呪いと言わずして何というのだろう。

 

「だったら、止めればいいじゃない!」

「そういう訳にもいかないのさ」

 

 反発する私に対し、団長は肩をすくめてみせる。

 救助隊はあくまでも、救助隊自体が戻ってくる前提で活動を行う。救助に向かった者たちまでもが未帰還になるなど本末転倒だからだという。そこは、流石に私も理解できる。

 けれどもこの騎士団は、そんな救助隊がまず捜索しないような、それこそ危険地帯と言われる場所までも捜索範囲に含める。そのため、花騎士たちは局地戦闘を想定した基礎訓練。団長に至っては探索を指揮するため、樹海や山岳、湖畔に渓谷などあらゆる地形を把握し、それに合わせた知識と訓練を行う。

 訓練はともかく、経験に基づく知識はそれこそ今の花騎士たちの探索や戦闘に活かされている。

 そして、何よりもライミ騎士団は必ず帰ってくる。その一点が大きかった。

 

「通常の部隊を率いての戦闘ではなく、限定された条件での探索及び戦闘。それも個々の基礎能力が高く、応用も利く。高度な訓練と知識を得ている者たちによる少数精鋭の部隊。そんな騎士団が現地から得た確かな情報を持ち帰る」

「……あたし、この騎士団に来てからそんな訓練は一度も受けなかったわよ」

「そりゃそうだ」

 

 これまでの自主訓練と養鶏の仕事を思い出し、私は口を挟む。しかし、団長は肩を竦めながら陰のある笑いをして見せた。

 

「この騎士団に残るか残らないかも分からない新人花騎士に、ここの本当の仕事を教えるわけにはいかない。これでもこの騎士団の本当の仕事は機密なんだ。同国の別騎士団へ移籍するならともかく、他の国の騎士団に流れるようなら、それなりの箝口令を敷かなくちゃならない」

「……だから、最初の任務までは素質を含めて見極める期間ってこと?」

「察しが良いな。つまりはそういうことだ。」

 

 今みたいにな、と、団長の顔から笑顔が消える。

 

「この任務はそんなには発生しない。いやまあ、頻繁に起こってもらっても困るんだが。とにかく、新人花騎士を連れての任務は危険を伴うのは間違いない。だからこそ、必ず帰って来られるように上の連中も普段とは違ってこういうものを渡してくれる」

 

 そう言うと団長は皮肉気味に笑い、鞄の中から空になった綺麗なガラス瓶を取り出して見せる。それは、先程ガンライコウも去り際に団長から受け取っていたものであった。

 害虫除けの香水。趣味の香水作りが高じて害虫の忌避する匂いを見つけ、花騎士になったという者が調香したもの。余程飢餓か手負いで我を忘れている害虫以外は近寄ることすらしないという代物であり、現に森を抜けて街道に出るまで害虫と出会うことは無かった。

 ……匂いは、相当にキツイ。薄めれば良い匂いなのだろうけれども、濃すぎて鼻の奥が痛くなるぐらいに。

 曰く、本来であれば忌避程度のものを安全のために濃縮しているのだという。それを躊躇なく自身の体や私の体に掛ける団長も団長だけれども。

 

「じゃあ、何? 今回の任務はあたしの教育が主であって、人助けは二の次って訳? それとも任務における救助活動自体が、情報を得るための副産物に過ぎない訳?」

「……そういう訳じゃあない。と、俺は思いたい。だが、より多くの人々を救うために、上層部が情報を欲しているのもまた確かだ」

 

 ライミ騎士団の活動は大局的には戦況に影響は及ぼさない。

 けれども、味方を生かすにしろ殺すにしろ、救助活動の際に得た情報が一番大きい。それも、他の救助部隊が行かないような場所に赴くのだから、害虫情報の他にも地形や新しい発見などもそれらに含まれる。今回も介錯した相手の団長からは情報を得られたと団長は言う。

 そしてそれ故に、この騎士団は必要なのだとも言った。だからこそ、歴代の「ライミ」は騎士団に適性のある者たちを集め、今日まで花騎士「ライミ」の想いを継承し、次の「ライミ」へと紡いできた。

 団長も私と同じように、その適正があったからこそ、先代のブロッサムヒル最高司令官が直々に勧誘しにきたのだという。

 

「嘘か本当か分からないが、備考欄に感想を書くようなタイプが一番見込みあり、らしい」

 

 ブロッサムヒルの城下街手前まで来たところで話は終わり、団長は肩を竦めながら自虐的に笑っていた。

 

「……」

「そんな顔をするなよ……とは、俺が言える台詞じゃないな。一応、今の最高司令官はこの『呪い』を変えたいって言っていたよ。どこまで本気かはまあ、分からないけれど」

「……そう」

「何にせよ、今日はここで解散だ。後のことは俺がやっておくから、休んでいい」

「……アンタはどうするのよ?」

「色々と報告しに行く。……今回得た情報を元に、書類も作成しなきゃあいけないしな。先に戻っているガンライコウらからも話を聞かないと」

 

 睨むような気持ちで団長を見つめる私に対し、固い笑顔を見せていた団長は去り際に悲しそうな、寂しそうな顔をした。

 

「これも仕事だ」

「仕事……ねぇ、鶏たちの世話はどうするの?」

「他の者に任せる。そうでなくとも、あの子たちには会わない。その、つまり、『そういうこと』をした日は……会いたくない」

「……っ」

 

 先ほどまでは団長……一人の成人男性として隣に立っていたと思っていた彼が、まるで大事に飼っていたペットを亡くしたかのような子どもに見え、私は声を掛けられなかった。

 そして、すぐに大人の顔へと戻り、立ち止まる私を置いて先を行くその背中を見送ることしか出来なかった。

 

「だからって、『はい、そうですか』って納得は出来ないわよ……」

 

 この日、私は改めてこの騎士団を辞めようと思った。

 けれども、そう心に決めたはずなのに、何故か悲しそうな顔をする彼の顔が脳裏に浮かび、また何故か胸の奥が針に刺されたような痛みを覚えた。

 どうして胸に痛みが走るのかは分からない。……分かる訳がなかった。

 

 

後編に続く

 




今回の物語は少し長くなりすぎたために、まずは前編として投稿しました。
後編は今しばらくお待ちください。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

追記:一部修正。アブラナの地の文は「私」のままですが、台詞中の一人称を原作と同じ「あたし」に変更。また二人称も「あんた」から「アンタ」へ変更しました。


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鶏口なれど牛後となるなかれ・後編

 騎士団を辞める。
 そう決めたアブラナは、再びブロッサムヒルの最高司令官と対面する。
 彼女の望み通り、騎士団の転属は認められ、後はその日を待つだけだったのだが……?



※「鶏口なれど牛後となるなかれ・前編」の続きです
※誤字脱字、乱文あり
※解釈違い、設定違い
※ご都合主義、ご都合展開
※やや残酷な描写あり
※登場人物である各団長たちのモデルあり

以上のご注意の上、それらが許せる方はお暇つぶしにでもどうぞ


 

 

 

※※

 

※※※

 

 

 団長に騎士団を辞めると告げたのは、初めての救助任務の翌日だった。

 私の言葉を聞いた彼は、諦観と安堵の顔を見せた。そして同時に、辞めようと決めた際に思い浮かんだのと同じ顔を一瞬だけ見せるとそれを承諾した。騎士団の活動が活動であるため、「時間は掛かるかも知れない」と申し訳なさそうに言う団長は、続けて「でもすぐに最高司令官には伝える」と言ってくれた。

 

「やあやあ、久しぶりだね。騎士学校を卒業した日以来かな? 君の希望した件については遅れて申し訳ない。今日はそれについて進展があったから話に来たんだ」

「お久しぶりです。……進展があったのなら、直接話す必要はないと思いますけれども、最高司令官『殿』?」

 

 けれども、団長が事前に言っていた通り、こうして最高司令官と次に入団する騎士団の話をするに至るまでに一月を要した。

 私以外誰もいない事務室にて、あの時と同じように人懐っこそうな笑みを浮かべながら入室してきた彼は机を挟んで対面に座る。以前はこの笑みに騙されたけれども、今日は騙されない。そんな思いで私は大げさに肩を竦めてみせた。

 

「そんなに畏まらないでくれ。私のことはそう、ハチロク団長とでも呼んでくれたまえ。そっちのほうが気に入っているんだ」

「……口調を崩していいというのならお望み通りに。でも、一応は上司の上司なんだから、司令官と呼ばせてもらうわ」

「つれないねぇ。まあ、直接ここに来た理由は一つ。用事は君だけでなく、ここの騎士団長にもあったからね。……その様子だと、この騎士団がどういうものかも知ったようだ」

「……どうして、あたしをこの騎士団に配属させたの?」

「その答えはあの日、君に伝えたとおりさ」

 

 こちらの問いに、司令官は茶化す様子も無く真っすぐに私を見て言う。

 

「君には素質があるかも知れない。そして、実際に素質があった。少なくとも彼の報告書を見る限り、私はそう思った」

「でもあたしは」

 

 この騎士団を辞めようとしている。そう言いかけて、口を紡ぐ。それはまるで、私が司令官に引き留めてもらいたいと言っているようなものだと思ったからだ。

 ……そもそも私は、どうしてこの騎士団を辞めようと思ったのだろう?

 辞めようと思い、行動したのは他の誰でもない。間違いなく私の意思。けれども、その理由は何だろうかと考える。

 最初は、花騎士の仕事が出来ないから辞めようと思っていた。しかしそれはこの間の任務で色んな意味で経験させてもらった。情報を集め、可能なら救助活動を行い、時に害虫と戦闘する。それは間違いなく、花騎士としての仕事だろう。

 けれども、私はそれを知ったが故に辞めようとしているのだ。

 そして、その理由が分からないまま、この場にいることに気付く。

 

「素質はあっても、仕事の合う合わないはある。ほら、得意なことと好きなことは必ずしも一致するとは限らないだろう? 嫌いなことが得意な人もいるし、好きなことでも苦手な人はいる。それに何も合う合わないは仕事の内容だけじゃあない」

 

 人の好き嫌いだってある、とまるで私が辞める言い訳を一緒に考えてくれるかのように話す司令官に対し、私はふと団長の顔を思い出す。

 脳裏に浮かぶのは、独りぼっちで寂しそうな顔をする彼。けれども、そんな団長に対して嫌悪感は抱かない。寧ろ、彼が悲しそうな顔をしていると落ち着かない気持ちになる。

 そして、どうして落ち着かない気持ちになるのかが分からずに、私は眉間にしわが寄るのを感じた。

 

「……まあ、君自身が自ら進んで退団を望んだのだ。私がこれ以上とやかく言うつもりもない。過去の話は置いておくとして、未来の、建設的な話をしよう」

 

 一考する私を黙って見つめていたハチロク司令官だったが、短く息を吐いたかと思うと妙に明るい口調で話しかけてくる。内側に向いていた意識をそちらに向けると、彼は懐から赤色を基調とした分厚い本を机の上に取り出していた。それは立派な装丁であり、如何にも重要な本であることを主張している。……というか、そんな本をどうやって懐に仕舞っていたのかしら?

 

「えーっと。騎士団の退団及び転属願いに関しては、当然ながらそれまでの個人の実績が少なからず影響する。いくらその騎士団での団長評価が高かろうが、害虫を一匹も討伐していないのでは花騎士としての評価は低くなるからね」

「……うっ、もしかして申請が遅れたのって」

 

 司令官は本の頁をめくりながら説明をする。その直球過ぎる揶揄を前に、私は顔がひきつっていくのを感じた。とある頁でその指の動きを止めた彼は「ご名答」と何故か嬉しそうに微笑む。

 

「ライミ騎士団の表の活動が活動だからね。本当の活動を知るブロッサムヒルの騎士団に空きがあれば良かったのだけれども。ありがたいことに今年はまだ花騎士の戦死者は出ていなくてね。私のコネと彼のツテで他国の騎士団に配属依頼をしたのだよ」

 

 花騎士の戦死者は出ていない、という言葉を聞き、私は脳裏にあの時団長が介錯した人のことを思い出す。……かの団長がいなくなったあの騎士団はどうなっているのだろう?

 そんな思考の沼に落ちかけている私の前に、司令官は本を開いた状態で「ほら」とこちらに中身が見えるように向きを変えて渡してくる。それに目を向けると、まず頁の冒頭の書かれた太枠の中の文字が飛び込んでくる。

 

「ウィンターローズの……騎士団?」

「ウィンターローズのとある騎士団だよ。副団長は、オジギソウ君だったかな? そこの団長はライミ団長……彼の古くからの友人でね。私のコネでコンタクトを取り、事情を説明すると共に彼の名前を出したら少し考えた後に快諾してくれたよ」

 

 そのコネを使った接触に時間がかかったのだけれどもね、とまるでそこが笑い処と言わんばかりに司令官は柏手を打つ。こちらが何の反応も示さないところを見ると、彼は気まずそうな顔をした後、わざとらしく咳ばらいをした。

 

「とにかく、だ。転属先は決まった。後は君がこれを良しとすれば、契約完了だ。簡単な条件はそこの頁に書いてある通り。決まり事に関しては当然ながら国ごとに違うからね。詳細は転属後に確認してくれ。一応、条件はなるべく同じようにしたつもりだから」

「……了解した場合、移動は何時になるの?」

「そうだね。相手にも色々と準備はあるから、それなりに時間はかかるだろう」

 

 契約内容に目を通し、頷く私に彼は顎を擦り考え事をするかのように視線を泳がせる。

 

「私の計算では大体二週間程、といったところかな? それまではこの騎士団で仕事を続けて欲しい」

 

 当然ながら本来の仕事もそれに含まれるよ、と念を押すように言う司令官の言葉を聞き、私は一度目を閉じる。

 脳裏には再び、あの日あの時の光景が広がる。それを思い出すだけでも軽く背筋に寒気が走る。まさか、このニ週間で似たような事件が起きるとも思えない。今は、大規模な作戦計画もないのだから。

 

「分かった。この条件でお願いするわ」

「オーケー。確かに承った。さっき話した通り、正式な契約書はこの後すぐに送るよ」

「……その契約書と、ここに書かれていることに相違があるとかは」

「ないない。私は騙されることはよくあるけれども、騙すことはしない主義なのさ」

 

 胸を張って言い切る司令官を前に、私は心の中で悪態を吐いた。

 こちらにも落ち度があったとはいえ、私を騙した人が良く言う。

 

「但し」

 

 すると、それまで気の抜けた顔をしていた彼が急に真剣な表情へと変えた。心の中であるとはいえ、悪態を吐いていた私は見抜かれたかと思って思わず姿勢を正してしまう。

 

「鶏口なれど牛後となるなかれ、とは言うものの。君が次に所属する騎士団はブロッサムヒルの騎士団ではなく、他国の騎士団だ。上官に対する口の聞き方と態度には注意しなさい。実力や素質があったとしても、君はまだ新人花騎士。牛後の立場を良しとしなければ、この話は無かったものと思いたまえ」

「けいこう? ぎゅうご?」

 

 ややまくし立てるような早口に加え、聞いたことも無い言葉を前に、私は小首を傾げた。それを見た彼は、口角を上げて笑みを見せると「この騎士団の先代団長の言葉だよ」と言った。

 

「牛後。つまりは牛のお尻を意味する言葉なのだが、それを転じて集団の中で強い者に付き従うことをいう。それよりも、鶏口。そのまま鶏の口という意味だが、小さくとも集団の中の長となった方が良い。

 長い人生において、主体的に行動できる場や地位を求めるべきであり、そのためには大きな組織の末端になるよりは小さな組織の頭になったほうがいい。そういう意味だよ」

「はあ」

「けれども、時と場合によっては鶏口よりも牛後。つまりは集団の中で下の地位に甘んじなければならない時もある。本人がそれを望んでいなくともね。それが正に今回の転属となる訳だ。君はそのことを理解しなければならない」

 

 寄らば大樹の陰って言葉もあるしね、と司令官は意味深に片目を閉じて微笑んでくる。何だか小難しい言葉を並べたかと思えばその説明を聞く限り、私は集団活動が出来ない人間と思われているように聞こえるのだけれども?

 

「ああ、気を悪くしないでくれ。何も君が協調性のない人間だ、と言っている訳じゃあない」

「……じゃあ、どういう意味ですか」

「その言葉の通り受け取ってもらえればいい。君には素質があった。それも私が思う以上にね。けれども、次に行く騎士団ではその素質を活かせないと思ってくれ、という忠告さ」

「素質、ね。結局のところ、その言葉にこれまで振り回されてきた気がするけど?」

「そうかい?」

 

 思えば期待させるようなその言葉が全ての始まりだった、と眉根を寄せて睨む私に対し、彼は意外そうな顔をしてみせた。

 

「彼は君を高く評価し、君は彼に意見する。それこそ副団長にでもなれば、良い関係になれると思ったのだけれどもね。君の素質や才能は、大規模な騎士団ではなく、小規模の騎士団。……つまりは鶏口でこそ輝くと感じたのだよ」

 

 そうすればこの騎士団も良い方向に向かうと確信していた、と司令官は続けて残念そうな顔をするのだった。

 回りくどい言い方だったけれども、つまるところこの人は私にライミ騎士団を変えられるのではないか、という期待があったのだという。

 どうやら、この人が今のライミ騎士団を変えたいと思っているのは本当のように感じられた。

 けれども本当に、どうしてなのか。

 ……どうして辞めるのを決めた今になって、そういうことを言ってくるのか。

 

「あぁ、そうそう。言い忘れていたけれども、当然この騎士団の本来の仕事は他言無用だ。君は口が堅い方だとは信じているが、万が一のことがあった場合はそれなりの処置がある、と覚悟しておいてもらおう」

「……一応、処置の内容を先に聞いておきたいんだけど?」

「あっはっは。それを私の口から言わせたいのかい?」

「……」

「そうだねぇ。一つだけ言えるとするのならば、花騎士としての活動が出来なくなる、が一番穏当な処置になるね」

 

 そんな意気消沈する私を余所に、「聡明な君なら後は言わずとも分かるだろう?」と司令官は朗らかな口調で釘を刺しに来るのだった。

 

 

 

※※

 

※※※

 

 

「さて、作戦概要は以上だ。前回とは違って今回は幾分か余裕があるとはいえ、質問があるのなら手短に頼む」

 

 一体全体、本当にどうしてなのか。

 運命の神様とやらがいるのであれば、今のこの私の状況はさぞや滑稽で愉快に見えているに違いない。

 

「……いないようだな。では二手に分かれて行動を開始する。サギソウ、そっちは頼む」

「了解」

 

 事の発端はあの司令官との話から二週間後のことだった。

 先方の日程が合わずに一週間転属が引き延ばしにされ、ライミ騎士団の任務を知ったことにより正式な訓練と知識を叩き込まれている時に任務は発生した。

 それは、先日失敗に終わったブロッサムヒルとリリィウッドの境目の森で行われた害虫討伐。その再討伐任務が発令されたのだ。

 本来であれば、これまでの私たちの騎士団は未帰還の部隊でも出てこない限り動くことはなかった。しかし、今回より試験的ではあるものの、最高司令官の提案によって私たちも最初から任務に同行することとなった。

 とはいえ、通常の討伐訓練を受けていない私たちが実際に討伐任務当たることはなく、事が起こるまで後方待機と相成った。……当然ながら、何事もなく終わった場合は無駄骨といえる。

 それでも、例え一部隊を動かして経費を無駄に消耗するよりも、もしもの際の迅速な行動によって未帰還の部隊を減らしたい。という、以前より強く主張していたという司令官の意見が通り、今回の運びとなった。

 そして幸か不幸か、そんな彼の思惑は嫌な形で実現したと言える。

 

「何かあったらこっちは俺の指示に。そちらはサギソウの指示に従え。だが当然ながら、原則として自分の命最優先だ。救助出来なかったとしても、必ず全員がもう一度ここに戻って来い。以上だ、行動開始!」

 

 日の出とともに開始した作戦から数時間後。雲がまばらにあるも雨にはならなさそうな晴れの元、一つの部隊だけが未帰還であることが発覚した。

 正確には、団長1名と花騎士三名は戻ってきたのだが、残るチームの花騎士ニ名が戦闘時にはぐれてしまったのだという。その報を聞いて、作戦本部にいた司令官は即座に今回の任務を発令したという流れだ。

 

「悪いな、アブラナ。最後の最後にこんな任務で」

 

 作戦本部のテント前から森へと進む道中で、団長が私にそう言った。

 舞台が森の中の討伐任務とはいえ、当然ながら森の中に拠点を構える訳にはいかない。かといって、森を目の前にして設営する訳にもいかない。森を全体的にある程度見渡し、且つ何か異常が起こっても対処行動に出るまでの猶予を得られる距離。

 森の入り口から辛うじて作戦本部のテントが見える。そんな場所から私たちは二手に分かれて行動を開始した。

 

「えぇ、全くよ」

 

 私は返事をしながらも、分かれていくサギソウの部隊を一瞥する。

 サギソウをリーダーとした部隊は、拠点から一旦南西へ進み、南から森へと侵入する。つまりは前回私たちが任務の際に突入したルートと同じルート。今回は救助活動までの行動が早く、そちらのほうまで迷い込んでは無いというのが団長の見解だった。しかし、万が一を考えてそっちにも手を回してもらいたい、と司令官が言ったため二部隊に分かれることとなった。

 ……本来であれば、他の帰還した部隊も救助に回らせたかったそうだが、迅速な捜索活動の開始は帰還した部隊の疲労の回復を待てなかった。

 故に、今回の任務は私たちのみで行われることとなった。

 

「けどまあ、チャンスでもあるのよ」

「何がだ?」

「救助は優先するけれども、ここでもし害虫を一匹でも倒せたら、評価につながるから」

「……そうだな」

 

 サギソウ、ケイトウ、それに前回は非番だったウグイスカズラが目視で豆粒ほどの大きさになる中、私は改めて今回の編成部隊を見る。

 と言っても、私に団長、それからガンライコウとメンバー自体は前回から変わっていない。

 唯一変わっているとするのならば、この二週間の本格的な訓練と座学によって、私が前回よりもはるかに強くなったと実感していることだった。

 

 

※※※

 

 

「アブラナ! そっちに行ったぞ!」

「うっ、喰らえっての!」

 

 まあ、そう簡単にはいかないのが実戦というやつで。

 団長の指示に従い、ガンライコウがうち漏らした手負いの害虫に何とか一撃を入れて、その動きが止まるのを待つ。それから対象が完全に動かなくなったのを確認し、突剣を引き抜く。

 筋繊維と液体が刃に絡まる感触を気持ち悪く思いながらも、付着したそれらを振って払い周囲を再度警戒する。が、視界内に動く者は団長とガンライコウ、それとザンセツしかおらず、私は緊張で止めていた息をゆっくりと吐き出す。

 

「よし。取り敢えずは大丈夫だな」

「……流石に、ちょっときついわね」

 

 団長が戦闘の終了を告げると共に、ガンライコウがぼやく。けれども彼女の言う通り、前回とはうって変わって森の中を進む度に害虫との戦闘になっている。これでかれこれ三度目の戦闘ともなれば、一言二言ぼやきたい気持ちもよく分かる。

 主に彼女が害虫の相手をし、私はその手伝い。団長は全体の動きを見ながら私たちに指示を出す。害虫自体はそれほど手強い感じはせず、また手負いであるのもチラホラ見かけるため、今のところこちらに負傷者はいない。

 

「討伐任務から時間が経っていないからな。害虫側も気が立っているのだろう。……大型が来ないだけまだマシだが」

 

 団長曰く、本来の任務であれば討伐任務から数時間は経過した後から開始するため、害虫との遭遇はあまりないという。けれども今回に限っては、討伐任務直後の任務。それ故に前回とは違い正面からの突入であるのも手伝って、害虫との接敵回数が多い可能性があるらしい。

 言われてみれば、一回の討伐で全ての害虫が倒し切れる訳ではない。そのため弱い害虫たちからすれば、私たちがまた自分たちを倒しに来たのだと勘違いしても当然のこと。そして、そうならないためにも先に攻撃を仕掛ける。それは生物の持つ生存本能としては妥当な行動といえた。

 逆に言えば、今は痺れを切らした弱い害虫たちが群がってきているが、奥へと進めば強い害虫や大型害虫も仕掛けてくる可能性があるということ。

 

「団長」

「どうした? 今の戦闘でどこか負傷でも?」

 

 体感それほど森の奥には進んでいないけれども、これから先はどうなるのか。前回も今回も失敗となる今回の害虫討伐任務。話を聞けば、その討伐対象の害虫は大型害虫であると言っていた。……もし、道中でそんな害虫と出会ってしまったら?

 そう思って嫌な予感に身震いする中、ガンライコウが団長に声を掛けていた。

 

「私は大丈夫。けれども、ダイゾーが前の戦闘辺りから調子が悪いの。今回は何とかしのげたけれども、次辺りから怪しいかも」

「……何回か攻撃を受けてくれていたものな。直せるか?」

「分からない。ここで見ても良いけれども、時間が掛かるかもしれない。すぐに直せる保証は無いわ」

「そうか」

 

 ガンライコウの言葉を聞き、団長は考えるように腕を組む。幸い、先程まで戦闘していた場所の視界は悪くなく、不意打ちが来ても対処は出来る。下手に行動するよりもここは彼の指示を待ったほうが良い。

 

「……一度撤退しようと思う」

 

 しばしの沈黙の後、団長は命令を出した。そして、私はそれに賛成であった。ここまでの戦闘数を考えれば、この先を進もうとすれば戦闘は避けられないと思う。要救助者の発見も大切だけれども、それ以上に私たちの無事の帰還も同じように重要な任務内容の一つ。それに前回と違って、この後すぐに対象人物が見つかるとも限らない。

 ……以前の私なら、無理を言ってでも任務を続行しようと提案したと思う。けれども、ここ二週間の訓練や座学を経た後も、こうして実戦を経験した私一人ではそれを実行するには実力が伴っていない。一度も戦闘をこなしていないのならともかく、既に三度の戦闘をしているのだ。悔しいけれども、ここで無理を通しても今の私では厳しい。そう強く感じた。

 私の我儘でガンライコウや団長を巻き添えには出来ない。この騎士団を退団するのであれば尚の事。救助を優先したいけれども、ここは大事を取るべきだと思う。

 

「えぇ。賛成ね」

「あたしも賛成」

 

 ガンライコウに続き、頷く。団長もそんな私たちを見て、決心を固めたようで頷き返す。

 

「それじゃあ、私は先に撤退させてもらうわ。二人とも、気を付けて」

「うん、うん?」

 

 けれども、団長が言葉を発する前にガンライコウはいそいそと撤退の準備を始める。私の耳が聞き間違いで無ければ、彼女は一人で撤退すると言っているように聞こえたのだけれども……。

 

「……ガンライコウ?」

「言葉の通りよ。私は戦闘に不安があるから撤退させてもらうけれども、作戦自体は続行したほうが良いと思うわ。心配しなくても来た道を戻ればよっぽど害虫と遭遇しないと思う」

「いや、そうではなくてな……」

「団長だって分かっているでしょう? 私たち、戦闘ばかりでまだ話に合った戦闘場所にすら到達していない。作戦を中断するにしても、せめてそこまでは行った方が良いと思うけれども?」

「それは、そうだが……」

 

 ダイゾーを背負い直しながらも、普段口数が少ない彼女が矢継ぎ早に現状を話す。その口調の強さと勢いもあってか、口を挟もうとした団長は押し黙ってしまう。

 ガンライコウの言わんとしていることは分からなくもない。事実、先の討伐任務で戦闘があった場所は現在地から更に奥へと進まなければならない。少なくともそこまでたどり着かなければ、要救助者がどこに向かったかのスタートラインにすら立てない。

 彼女たちが森を抜けてくれていればいい。けれども最短距離で現場へと向かっている私たちと出会わなかったということは、入れ違いになっていない限り、対象の花騎士たちはまだ森の中にいる可能性が高い。そのため、作戦前に知り得た情報を元に、少なくとも要救助者である二人がどこへ向かったのかぐらいは調べる必要があるという彼女の意見は任務を果たす上で最もな進言といえる。

 けれども、ここまで戦闘続きであり、これからも戦闘が予想されるのもまた同じ。ここで戦力が抜けるのは割と問題だと思う。いくら私がまだ戦える体力が残っており、団長も自分の身を守れるぐらいの術を持ち合わせているとはいえ、戦闘を想定したこれ以上の捜索は危険を伴う。

 そう思って眉根が寄るのを感じながらガンライコウの様子を見ていると、不意に彼女がこちらを見て微笑んだ。

 

「彼女はまだ戦える。任務は続行すべきと私は思うわ」

「だが……」

「だからこそ、団長。今こそアレを使うべきではないかしら?」

「アレ?」

 

 その笑みの意味はすぐに分かった。何もガンライコウは無茶をしろと言っている訳ではないらしく、意味深なことを団長に向けて言う。その言葉に釣られて私も彼のほうへと視線を向けると、団長はゆっくりと息を吐くと鞄の中から瓶を一つ取り出した。

 瓶の形といい、中に入っている液体の色といい、それには見覚えがあった。

 

「……出来ればこれは、撤退時に使用したかったんだが」

「でも効果時間も含めてお墨付きでしょう。これから先も戦闘があることを考えたら、今が使用する機会だと思うのだけれども?」

 

 害虫除けの香水。確かにこれがあれば、文字通り害虫を除けつつ活動を続けられる。すぐに作れるものではない分、貴重な品とは以前聞いた。けれども、ガンライコウの言う通り、使うなら今だとは思う。

 

「……分かった。任務は続行しよう」

 

 彼女の意見に団長は今一度沈黙するも、今度はすぐに答えを出した。

 

「けれどもガンライコウ。効果時間は減るだろうが、お前にもこれを使ってもらう。それが条件だ」

 

 そして、この場にいる全員に害虫除けの香水を振りまいた後、私たちはガンライコウと別れ、任務を続行することとなった。

 

 

※※※

 

 

「……アブラナ、どう思う?」

「害虫の気配はないわ。害虫による罠の可能性は?」

「ない、と断言してもいい。小型害虫は論外としても、ここいらの大型害虫がそのようなことをしたという情報はない」

「なら、一気に行くわよ」

「あぁ」

 

 害虫除けの効果は絶大であり、その後の戦闘行為は一切無く、私たちは第一目的である討伐任務の戦闘跡地へと到着した。

 私たちが潜む茂みから正面の広場……のように戦闘で荒らされた場所には一人の花騎士らしき人物が横になって倒れていた。

 花騎士らしい翡翠色の華やかな鎧を身に纏い、美しい栗毛の長髪をした彼女は、事前情報にあった人物の一人で間違いないだろう。

 こちらから見て左腕が上になる状態で背を向ける形になっていたため、その花騎士が生きているのか死んでいるのかは分からない。上半身部分に触れている草花が赤黒く染まっているので、少なくとも負傷しているのは間違いないだろう。

 すぐにでも様子を見に行きたいからこそ、今一度周辺の様子を確認。団長と私とで情報をすり合わせた後、素早く茂みから飛び出して花騎士のところまで駆けた。

 

「……っ」

「……これは」

 

 覚悟はしていた。もしかすると害虫に殺されているのではないかと。

 そう思ったが故に、仰向けにした彼女の顔が青ざめてこそいたけれども、微かに動く眉と小さな呻き声に安堵した。

 

「不幸中の幸いか。自分の体でそこを押さえつける形になったのが止血代わりとなったのだろう。もしくは、意識を失うまでは止血を続けていたのかも知れない」

 

 けれども、彼女の右腕は肘から先が綺麗に無くなっていた。

 腕を失った際の出血のショックで気絶したわけではないようであり、団長の言う通りこの花騎士の肘部分には衣類の切れ端のようなものが巻かれている。そしてその巻き方が適切なものではなく、赤黒く染まり切っていたことから相当に余裕が無かったことも見て取れた。

 以前の私ならともかく、今の私なら分かる。

 彼女は出血のし過ぎだ。戦闘中なのか撤退時なのかは分からないけれども、しっかりと止血をする機会に恵まれなかったのだろう。

 それは、仕方のないことだと言える。座学の傍らで読んだ、ライミ騎士団の過去の資料でこの手の話はいくらでも見てきた。戦闘中に負傷し、周囲には味方がいない状況且つ、応急処置を施す余裕もない。そのせいで、救助後の治療が間に合わずに亡くなった花騎士が何人もいたことを、私は知っている。

 だからこそ助けたい。

 

「アブラナ。念のために周囲の警戒を」

「……」

 

 けれども、その想いに反して私の体は動かなかった。団長は私の返事を待たずして、倒れている花騎士の診断を手早くこなしているというのに。

 意識は周囲の様子を伺うのではなく、かと言って目の前の花騎士の無事を祈る訳でもない。

 ただ単に、診断の後、団長がどう動くかだけが気になって仕方がなかった。

 

「ショック症状が起こる前に、早急に対処しないと」

「……っ」

 

 団長の言う通り、その花騎士は顔色だけでなく、他の皮膚まで蒼白になりかけている。見れば額には細かい汗が浮かんでおり、呼吸も浅く、短く、そして速い。

 対処が遅ければこのまま大量出血による出血死が待っている。だからこそ、急いで輸血をするなり治療をするなりしなければならない。

 だが、それはここが病院であればの話。ここはブロッサムヒルの総合病院の待合室では無いし、騎士団の医務室でもない。だからこそ、普通の治療が困難だということは分かり切っていた。

 今の私たちに出来ることは、彼女を正しく応急処置を施すこと。一緒に連れて一刻も早く森を抜け、駐屯地まで戻ること。それでも間に合うかどうかが分からない。

 それならば、対処としてやることはもう一つ……。

 

「……血が流れ過ぎだ。このままでは」

「っ!? 駄目よ!」

 

 団長が手際よく鞄から取り出した包帯で彼女の右腕を巻いていく。しかし、ぼやく彼の言葉を聞き、私は咄嗟に制止した。

 次のものを取るために鞄に手を入れていた彼は一瞬身体をすくませた後、やや睨むような目つきで私を見る。

 

「香水の効果があるとはいえ、大声を出すな。大型が来たらどうする」

「で、でも! 団長はその人をどうするつもりなのっ!?」

「……」

 

 私の言葉に団長は目を逸らして俯く。咄嗟に答えられないのか、それとも答えたくないのか。次に彼がこちらへと顔を向けた時、それは後者だったと分かった。

 

「アブラナ。お前も薄々は分かっているだろう。この傷では――」

「それでも! 私は助けたい!」

「っ!?」

 

 団長の言いたいことは分かる。私だって、彼と同じように現実を見て、その後に学んだからこそ分かる。

 けれども、だからこそ!

 私は団長を止めなければならない。

 本当は分かっている。助かる可能性のほうが低いということも。彼が危険を冒すよりも、私の安全を気にしていることも。そして、私よりもずっと辛い現実を突き付けられてきたこと。

 けれども、それでも誰かがやらなければならないから、自分の手を汚してでも仕事をこなしていることも!

 

「あたしは、あたしは……」

 

 声が震える。

 こうしている間にも、負傷した花騎士は危篤状態に陥りつつあるということ。私たち自身にも危険が迫ってきているかもしれないということ。

 それらを無視してでも、私は団長に言わなければならないと思った。

 何て言うべきだろう。何を言わなければならないのだろう。

 頭の中は色んな感情が渦巻き、舌も上手く回らない。それでも団長が彼女を介錯するのだけは絶対に止めなければならないと強く思う。

 ……それこそ、この任務の後に彼のいる騎士団とは別の騎士団に行くというのに。

 

「……っ」

 

 団長のいる騎士団を辞める。

 そう思った時、私は何故ここまで彼にこだわるのだろうとも思った。

 別の騎士団に行くことが決まり、後は目の前の任務をこなすだけ。ならば、ここは団長の指示に従うべきはずなのに。以前の私ではなく、今の私だからこそ、彼の言っていることは何ら間違っていないと分かっているのに。

 私はどうして、ここまで助けることにこだわるのだろう?

 私はどうして、この人のことがこんなにも気になるのだろう?

 

「……ぁ」

 

 その時だった。

 頭の中にあった色んな感情の中から一筋の光が目の前を白く染め上げた。

 同時に光の眩しさに目を閉じ、私の意識はここではないどこかへ運ばれていくような感覚に呑まれる。

 

 

 

※※

 

※※※

 

 

 それは入団の書類にサインをした後、ハチロク司令官に連れられてライミ騎士団の事務室まで来た時のことだった。

 早速騎士団入り出来るということで、騎士団の詰め所が畜産地区にあるということに然したる疑問も持たず、私は浮かれに浮かれていた。

 司令官の紹介の後、私は一歩前に出て団長の目の前で自己紹介をしてみせる。

 

『アブラナよ、よろしく頼むわ。あたしが騎士学校卒業したての准騎士だからって、テキトーなことやらせたら許さないから、そのつもりで』

 

 所属する騎士団の団長との初邂逅だというのに、私は彼のことをよく見ることなく根拠のない自信たっぷりに話したことを覚えている。

 そんな私の言葉を聞き、それまで椅子に座っていた団長が立ち上がり、こちらに右手を差し出してきたところで、初めて正面から彼の顔を見た。

 

『ここの騎士団長をやっている者だ。こちらこそよろしく』

『……』

 

 そしてどこか陰のある笑顔を見せながらも、こちらを真っすぐに見つめてくる団長を前に、言葉を失った。

 

『……』

 

 私が黙ってしまったことを疑問に思ったのか、それとも彼自身も思うところがあったのか。団長も私を見つめたまま黙ってしまい、私たちはそのままお互いに次の言葉を発することなく見つめ合った。

 だがその沈黙は長く続かなかった。

 

『何だい、何だい。二人して良い雰囲気になって。今は私もいるのだから、そーゆーのは後にして欲しいものだ』

『ぇ、あっ、いや……』

『はぁっ!? あたしは別に!』

 

 茶化すような司令官の嬉しそうな声に対し、団長は狼狽し、私は反射的に食って掛かる。

 ……けれども反射的に、そして感情的になったのは、何もからかわれたからではなかった。

 何故なら私は、あの時、あの瞬間。団長に、彼に。

 

 

 

※※

 

※※※

 

 

「どうした、アブラナ?」

「……あたしは」

 

 団長に声を掛けられ、意識が戻る。

 数秒の出来事のようであったものの、こちらが急に黙ったことを気にする素振りを見せる彼に対し、私は口を開く。

 思い返してみればそうだ。初めて団長と出会った時から、何かあれば何故か彼のことが頭に思い浮かんだ。彼に嫌われたくないと何故か思っていた。彼が悲しい顔をすれば、私の心も悲しい気持ちになった。

 けれどもこれは、つまりはその、認めたくはないけれども。

 つまりはそういうことなのだろう。

 

「あたしは、その人を助けるわ。絶対に」

 

 もう一度、同じ言葉を団長にぶつける。

 仕事とはいえ、任務とはいえ、団長にその手を汚して欲しくはない。

 私の言葉を聞いて、彼は大きなため息をつく。

 

「……あのなぁ、アブラナ」

 

 そして先ほどよりも疲れたような顔をして、こちらを見る。続く言葉はさっきと同じ、救助したところで負傷した花騎士の命が持つかどうか分からない、と今の状況を鑑みて言うのだろう。

 それに対して私が更に反発し、そのまま平行線を辿ることとなる。

 しかし、あの時からずっと彼に感じていた気持ちを思い出し、私は覚悟を決めた。だからこそ、平行線になる前に団長の懐へと飛び込まなければならない。

 次の言葉を紡ぐ前に、脳裏にハチロク司令官の言葉が浮かぶ。

 鶏口なれど牛後となるなかれ。

 そうだ。私には鶏口でこそ才能を発揮できる素質があると言われた。

 ならばその言葉通り、私は団長にだって意見をしよう。

 助けられるかもしれない命を見捨てるなんて。本人の意志に反して手を汚すのを見過ごしておくなんて。そんなテキトーなことを他でもないこのアブラナが出来るわけがない!

 

「アンタがそうやって手を汚すのを、あたしはもう見たくないから!」

「っ!?」

「そして、あたしは欲張りで、往生際が悪いのよ! 助けられる命は全部助ける! 文句あるかしら!?」

 

 ……あぁ。言った。言ってしまった。

 上司である団長の判断に対しての反発。それも戦闘区画のど真ん中で大声を上げて。

 ただでさえ危険地帯にいるというのに。ただでさえ一刻を争う事態だというのに。

 

「……ふん」

 

 だというのに、頭の中は驚くほどに澄み切っており、心は軽くなっていた。

 気合を入れる意味と彼の次の言葉を受け止める意味で鼻を鳴らす。対して団長は唖然とした顔で私を見つめていた。その顔は珍しいものを見るようであり、正気を疑うようなものを見るようでもあった。

 

「お前、なぁ……はぁー。いや、分かった」

 

 少しの間呆然としていた団長だったが、やがて肩を落とすほどの大きなため息を吐く。それから鞄の中から見覚えのあるものを取り出す。

 注射器と試験管。それが何であるかを知っていた私は再び頭に血が上るのを感じた。

 

「分かってないじゃない!」

「これ以上騒ぐな。黙って見ていろ」

 

 騒ぐ私を叱責し、団長は以前と同じように流れるような手つきで、花騎士の左腕へと注射針を入れる。

 

「っ……ぅう」

 

 しかし、以前とは違って入れた薬の量は半分程度。残った薬の入った注射器も試験官と同じように廃棄し、団長は無言で花騎士の頬を叩く。

 痛みによるものなのか、顔を歪ませてから薄っすらとその目を明けた彼女を彼は覗き込んだ。

 

「あんたを助けに来た。死にたくなければ、生きたいと思え」

「ぅあ……くぅっ!?」

 

 そして花騎士の返事も聞かないまま、彼女の左腕を掴み上体を無理やり起こさせる。抗議するかのように小さく呻くのすら無視し、団長はそのまま肩を組む形を取って立ち上がった。

 左手で花騎士の左手首を、右手で花騎士の右腰をしっかりと掴んだ彼は、呆気に取られていた私へと一瞥する。

 

「どうした? 早く先導しろ。彼女を助けたいんだろう?」

「ぅ、も、もちろんよ! あんたこそ、しっかり付いてきなさい!」

 

 わざわざ挑発的な言葉を選ぶ団長に対して、私はまた違った意味で頭に血が上り背を向ける。それがこちらに発破を掛けているのだと分かっているからこそ、一度深呼吸をし、振り返ることなく来た道を戻ろうと歩みを進める。

 

「薬によって痛みは緩和させているが、彼女の容体は変わらない。……なるべく急げよ」

「……えぇ」

 

 団長の言葉を背に、私は撤退の先陣を切る。ここ数週間の座学で習った、救助した際の先導人として。警戒しつつも歩調を後ろに合わせ、私は、私たちは森からの脱出を試みた。

 

 

※※※

 

 

「……っ」

「……」

 

 害虫除けの香水の効果もあってか、行きの連続した戦闘が嘘のように滞りなく撤退は進められていた。

 しかし、途中から背後より強烈な悪意を感じ、私の意識はそちらに引っ張られる形となってしまう。後少しで森を抜けられるというのに、先程からそれが気になって仕方がなかった。

 一体何時から、とは思わない。気づいたら悪意は私たちの背後にいたのだ。

 

「ねぇ、団長……」

 

 威圧するような悪意を発する正体との距離は開いているように思えたけれども、その悪意は増すこともなければ減ることもない。完全に付かず離れずの状態で私たちの後を付けている。

 まるで何時こちらを襲おうか見定めているように感じられ、私は不安に苛まれる。

 香水の匂いがあるから仕掛けてこないのか、それとも……。

 

「……こっちは大丈夫だ。歩みを止めるな」

「そうじゃなくて」

「分かっている。だからこそ歩みを止めるな。ペースも上げる必要はない」

「……了解」

 

 けれども、息をやや切らしながらも応える団長の言葉を聞き、ゆっくり息を吐いて確実に歩みを進める。私一人で足止めをしようと提案しかけたけれども、この悪意が単体とは限らない。こっちが対処している間に団長たちがやられてしまうことにもなりかねない。

 ……とはいえ、向こうが攻めてきたらそうするしかないのだろうけれども。

 

「……ふぅ」

 

 気を張りながらも、短く息を吐く。道には、迷っていない。感覚が鈍っていなければ、もう少しで森から脱出できるはず。

 草木を分ける音が大きく聞こえる。落ち着いているはずの呼吸が荒くなる。緊張と疲労で喉が渇いていくのを感じる。

 間違いなく、この悪意の正体は害虫だ。しかも確実に私たちを認識している。

 

「……」

 

 後ろの気配が一向に消えないことに否応なく意識が割かれてしまう。

 足が重い。私はちゃんと歩けているだろうか。団長の言う通り、歩みを止めず、早めず、しっかりと森を抜け出そうと足を前に出せているのだろうか。

 ……後ろにいるであろう、恐らく大型害虫が襲ってきた時、団長たちを庇いつつ戦えるだろうか。

 

「……っ」

 

 背中から冷や汗が滲み出てくる緊張感が続く中、私の頬を涼やかな風が撫でる。意識を背後から正面へと向けると、木々の先からは草原が見えかけていた。

 助かった。

 そう、思った瞬間だった。

 

「$#@%&#@&~!!」

「ひぅっ!?」

 

 後ろの威圧が一瞬消え、それから地を這うような、空気を揺らすような咆哮が背中から全身を突き刺した。悪寒が背面全体を襲う。同時に驚きで呼吸が止まる。

 意識を逸らしてすぐの出来事であったことと、それまでとは違う行動をしたと耳と肌で感じてしまったこと。それらが緊張の糸を切ってしまい、気がつけば私は焦りと恐怖から森の外に向かって駆けだしていた。

 

「っ、アブラナ!」

 

 後方から団長の声がした。その言葉に我に返り足を止めようとするも、言うことが利かない。頭では「止まれ」と命令を出しているはずなのに、足は完全に「逃げろ」と言わんばかりに大地を踏みしめ、土を蹴り上げて前へと進む。

 その矛盾を目の当たりにし、私は下唇を噛み締めた。けれどももう止まれない。少なくとも森を抜けるまでは。

 

「く、ぅっ!」

 

 後ろ髪を引かれる思いを抱きつつも、私はその足の赴くままに森から草原へと転がるように飛び出した。

 威圧感もとい悪意の塊は、私が足を止めないままに振り返った際に、その正体を現した。

 

「&#%&$$#%~!!」

「っ!? 大型、害虫!」

 

 大地を揺らし、敵は私が飛び出した森から木々をなぎ倒し、言語化出来ない叫びを上げる。それらが不協和音となってこちらの全身を包む。

 数か月にわたってこの森で行われていた本来の任務。害虫討伐の対象である大型の蠍害虫がこちらに向かって突っ込んできた。

 

「ぅ、ああぁぁっ!」

 

 そんな真紅と紫、そして黒色をした外殻の害虫を、私は左手側に大きく跳んだことで回避した。胸から地面に飛び込む形とはなったが、そのまま寝ている訳にもいかないのですぐに立ち上がる。

 振り返ると目標が捕らえられなかったせいか、害虫は先程まで私がいた場所から少し通り過ぎたところで制止する。まるで地面を耕すかのように足を止めたところから目算で十メートル程抉り、一度動きを止めた。

 

「はっ、団長!? 団長は!?」

 

 害虫が何を考えているのかは分からない。けれども、そいつが停止している間に息を多少整えられた私は、団長の姿を探す。

 しかしながら、彼の姿は見えない。私は大型害虫の圧に耐えられずに駆けだしてしまった自分を恥じる。

 

「……っ、けど!」

 

 救助中で両手がふさがっていたとはいえ、あの団長が簡単にやられるとは思えないし、思わない。思いたくもない。

 それに、害虫は今、私だけを認識しているように見える。ならば私がここで引き付ければ、彼ならその隙に救助を完遂してくれる。

 ならば今の私に出来ることは、一つしかない。

 

「えぇい!」

「$%#?」

 

 地面に落ちていた拳一つ分の大きさを無造作に掴み、害虫へと思いっきり投げる。小気味いい軽い音と共にその外殻へと当たった石に気付いた害虫は、その巨体をゆっくりとその場で旋回させてこちらを見た。

 改めて見ると、凶悪な害虫だと分かる。高さは私の二倍以上。横幅も馬車が数台並んでいるかのように思えるぐらいの大きさ。外殻には数多の武器による攻撃跡が残っており、甲殻自体が剥がれかけている部分が見える。

 また私から見て左側の前足に当たる鋏の部分は大きく欠けて、最早挟むことすら出来なさそうに見えた。更には蠍害虫の特徴ともいえる尾の先端にある勾玉のような形をした針は無く、切断された跡だけがあるというのに威嚇するように持ち上げている。

 パッと見たら、傷だらけで後一押しで倒せると思わせるような状態。それにも関わらず、相手の戦意は全く喪失していない。

 そこまでしても倒せない害虫を、これから相手をしなければならない。

 それを思うと、正直なところ闘志よりも恐怖の方が勝る。

 恐怖で足が竦む。震えで歯の奥が鳴る。顔から血の気が引いていくのを感じる。けれども、そんな惨めな思いをしたのは後にも先にも、騎士学校時代の実践訓練だけでいい。

 

「私はこっちよ! このウスノロ!」

「&$%~!!」

 

 自分を奮い立たせ、害虫が完全にこちらを認識したのを確認後、私は身を翻す。追ってくるであろう害虫を背に、走る先は自分から見て左手側の森でも、右手側の拠点でもない。

 北へ向かう。そこが私たちの戦場だ。

 

「%&##¥~!!」

「くぅうっ!?」

 

 しかし、その目論見は早くも崩れ去ることとなった。思っていた以上に近く聞こえる害虫の咆哮に振り替えると、地響きを鳴らしてすぐ近くまで迫ってきていた。

 私の足と、害虫の足の速度がまるで違う。

 こちらの疲労が思っていた以上に速度を落としてしまっていたのか、それとも相手の速度が私をはるかに上回るのか。あるいはその両方か。

 どちらにせよ、戦う場所を変えるなどもってのほか。私の作戦はただ、相手を引き付けただけの生贄の羊となっただけだった。

 

「ぐっ、ぅうっ!」

 

 山を下りている時に、巨岩が上から転がってきたかのような地響きが全身を震えさせる。軽鎧越しにでも分かる程の圧に加えて、目論見が外れたことによる焦りと恐怖。

 ふと脳裏に浮かぶのは、数か月前の同討伐任務における唯一の殉職者であるあの団長。花騎士を助け、両足があらぬ方向へとへし曲がった彼の悲惨な姿が私の恐怖を助長させる。

 ……あぁ、そうか。きっと彼は、あの大型害虫に轢かれたのだろう。

 

「&$%#~!」

「ふっ、うぅううううっ!」

 

 地響きや圧に加え、背面全てに感じる咆哮に耐えかね、私は左手側に大きく跳ぶ。本当は拠点がある側ではなく、森の方へ誘導するのが正解だと思う。

 しかし、その森の中にまだ団長たちがいると思うと、咄嗟の判断でつい反対側へと跳んでしまった。

 跳んだ真後ろから咆哮と地鳴りが通り過ぎる。間一髪の回避に脳は痺れ、膀胱が緩む感覚に陥る。それでも身体はまだ動いた。

 

「ぐっ!? くぅうっ!」

 

 二度目の地面との接触だったけれども、今回もすぐに起き上がる。頭を振り、下腹部に力を入れる。息を整えている暇はない。すぐに振り返って害虫の様子を確認する。

 

「!? #$&……$$%&#~!」

 

 相手も流石に馬鹿ではないようであり、私の姿を見失ったのを見るや即座に旋回。巨体に似合わぬ身軽さを見せて再び私の方へと向き直る。

 けれども、見れば相手も相当に疲弊しているようにも思えた。巨体故に身軽に見えるものの、地面を転がすというよりは抉るような無理やりの旋回だったからだ。

 

「……っは」

 

 数か月に分けて行われた討伐任務。何度も襲撃を受けては花騎士を撃退し、傷ついた体。しかも今回はその討伐のすぐ後なのだから、疲労が蓄積しているのも当然と言える。……まあ、害虫に疲労という概念があるかどうかは分からないけれども。

 とにかく。一度横に跳んだ私を見失ったのも、先程の回避に対応が間に合っていないのも、そういうことなのかも知れない。戦意が衰えていないことばかりに目がいっていたけれども、活路は見えた気がする。

 私自身も疲弊しているとはいえ、相手をすると決めた以上はやるしかない。

 

「考えてみれば、それもそーよ、ね!」

 

 恐怖を勇気に変え、震えを武者震いへと奮い立たせる。鞘から突剣を抜いて、私は害虫を見据えて構えた。

 害虫もそんな私を見て、体を震わせる。似たような相手に何度も襲撃されれば、警戒して見せるのも不思議ではない。だからこそ、そこが狙い目だと害虫に向けて突剣の切っ先を向けたまま突進する。

 

「やぁああああぁぁっ!」

「%&!? $&%#~!」

 

 大型害虫との正面衝突など、愚策でしかない。寧ろ、正気を疑われるだろう。

 中には正面からやりあって倒し切る花騎士もいるとは思う。ブロッサムヒルでいうのならばサクラやウメ、モモ辺りならば、恐らくは。

 けれども、私はそこまでの実力はまだないし、戦闘経験も少なすぎる。特に大型害虫を相手取るなど、今回が初めてだ。

 私の装備である突剣も、あの装甲は貫けそうにない。打撃武器でもあれば話は別だっただろうけれども、ないものねだりしても仕方がないし、そもそも私は打撃が得意でもない。

 だが、私にはライミ騎士団で培った、経験を元にした知識がある。それを元にして、この状況で私の取るべき手段は一つ。

 

「っ……ふっ!」

「##%!?」

 

 衝突間近で、私は相手が先に伸ばしてきた右側の鋏に突剣の切っ先を当て甲殻を縫うようになぞる。その行き先に剣を身体ごと突っ込ませる。

 相手の勢いをそのまま利用して、滑るように回避する。敵は攻撃の動作を止められた訳ではないので、即座に対応は出来ない。後はすり抜けざまに攻撃すれば。

 

「……っ!」

 

 事前のイメージ通りに害虫の攻撃は紙一重で回避することが出来た。少し甲殻と鎧が擦る形にはなったものの、横をすり抜けることに成功する。

 続いて先に空を切った突剣を横に振り、相手を斬りつけた。

 

「っ!? くっ!」

 

 が、その剣から伝わった感触は堅い甲殻。避けることに集中し、前を見ていただけに無造作な攻撃となったのが仇になった。

 

「けどっ!」

 

 完全に相手とすれ違いを確認した後で、私は確かな手ごたえを感じた。走る速度を落としつつ、足に負担が掛からない程度に旋回し、振り返る。相手もまた同じように急停止し、旋回しようとしているところだった。

 

「はぁっ!」

 

 大型であるが故に、旋回には時間が掛かる。それを待っていられるほど悠長に事を構えてはいられない。害虫が旋回し切る前に、私は再び突撃する。

 お互いに勢いを殺さずに走ったために、相手との距離はそれなりにあった。けれども、このまま走り切れば間に合う。

 

「これ、でぇ!」

「&%#!?」

 

 害虫が旋回し切るのと同時に、私は接近に成功。そのまま先ほどと同じようにすれ違いながら、今度は甲殻と甲殻の間を斬りつける。今度は確かな手応えを感じる。固い繊維を何本か斬った感覚が剣を握る指に伝わった。

 突剣なのだから、本当は突き刺す方が効果的だとは思う。けれども、突き刺したまま抜けない可能性を考えると、斬った方が確実にダメージを与えられるとも思った。

 後はこれを相手が倒れるまで、こなすだけ。……こなせるかどうか、だけ。

 

「……ふっ!」

 

 害虫の悲鳴にも似た咆哮を尻目に、私はある程度の距離を駆けてから振り返る。その際も突剣を構え、相手の突進の警戒を忘れない。

 以前の私であれば、大型害虫に一撃を入れたことを手放しに喜んでいたかも知れない。しかし、今はそんな余裕はない。花騎士候補生の頃に行った実地訓練の時のように、周囲には誰一人としていないし、何よりもまだ相手を倒してもいない。

 

「……」

「……」

 

 肩に力を入れての警戒だったけれども、害虫は鉄をこすり合わせるような音を出すだけでこちらを見据えているだけであった。けれどもその目は戦意を失っているようには見えない。

 だけど私を警戒するような、見定めるような制止はこちらとしても好都合だった。

 ……戦意喪失して森に帰るのならば、その方がもっと好都合なのだけれども。

 

「……ふー」

 

 害虫に気取られないように、ゆっくりと息を吐く。当然、相手から視線を逸らさないし、突剣の構えも解かない。

 あの時切れてしまった緊張の糸をもう一度切る訳にはいかない。しかし、先程のような心身を削るような攻防を何度も行える体力が残っているかと自問すると、否の一言で自答出来る。

 だからこそ、小休止にもならないこの一呼吸がありがたく思える。新しい空気が肺を満たし、状況を把握できるから。

 団長は無事に作戦本部まで逃げ切れたのかどうか。確認する術は今のところないけれども、どうか無事であって欲しい。私がそう願うだけの時間を稼げているのであればいいのだけれど。生憎時間の感覚もよく分からなくなっているのが正直なところだった。

 しかし、私の心はもう決まった。

 絶対にお互い無事に帰還して、私は団長に私の決心を聞いてもらう。それくらいの我儘は聞いてもらう。

 

「$#%~!」

「っ……上等ぉ」

 

 こちらの想いの上から塗りつぶすように、害虫の咆哮が全身を包む。

 けれども先ほど感じた恐怖は私の中にはもうない。あるのは、覚悟とそれを成すための勇気と武者震いだけであった。

 

「やっ、あぁああぁぁっ!」

「$$%&!」

 

 馬鹿の一つ覚えか。それともそれしか出来ないのか。地面を揺らし、先程と同じように突撃してくる相手に軸を合わせて、私も突撃する。

 一歩、二歩、三歩。

 害虫の速度とこちらの足の速さを目算し、タイミングを合わせる。後はさっきと同じようにすれ違いを狙うだけ。

 

「$#%!」

「なっ!?」

 

 そして、突剣の切っ先が左の鋏に触れたのを見てから身体を左にずらしたところで、一瞬害虫の動きが止まる。鋏に当たった突剣は甲殻をなぞるように滑らすことが出来ず、また勢いを殺すことも逃がすことも出来なかった。

 武器を離す訳にもいかず、かと言って走るのを止めることも出来ない。

 

「くぅうっ!」

 

 まるで鉄壁にでも剣を思いっきり突いたかのような衝撃を前に、右腕が痺れ、肩に痛みが走る。それを嫌って、私は無理やり突剣を左方向へ逃がすことで対処する。

 それからそのまま害虫の横をすり抜けようとした。

 

「##$&!」

「う゛っ、ぁ゛っ!?」

 

 けれども右半身に強烈な衝撃を受け、その勢いのまま空を仰ぐこととなった。

 それが害虫の体当たりによるもので、不意の攻撃で宙を舞う羽目になっていたことに気付くのは背中から地面に落ちてすぐのことだった。

 

「あぎっ!? っ――がっ、はぁっ!?」

 

 頭こそ打たなかったものの、背中からの強い衝撃によって一瞬だけ呼吸が止まる。仰向けに倒れたことによって、肺の空気が全て押し出されるような錯覚を感じる。またそれと落下の衝撃によって、脳が混乱したのか、無理やり口を開かせて呼吸を再開させようとした。

 

「ひゅっ、ぎぃっ!? あ゛ぁ゛ああぁっ!?」

 

 それにより、空になった肺に急速な空気が送られ、同時に思い出したかのように全身に痛みが走る。

 逃げ場のない痛みを前に、本能が動かないようにと警鐘を鳴らす。

 

「あぎっ、ぁがっ……ぐっ!」

「$&%~っ!」

「っ!? ぐっ、ぅううっ!」

 

 しかし、害虫の咆哮を耳にし、私は下唇を強く噛み締める。そうだ。ここで醜くのたうち回る訳にはいかない。そんな暇はない!

 

「ぅぁあ゛ああぁ゛っ!」

 

 両手の指先に力を入れて土を掴む。その動きだけでも全身の神経が逆巻くような痛みが走るが、それをかき消そうと叫び声を上げながら無理やり上体を起こす。

 

「だぁ゛あ゛ぁああっ!」

「%%$#!」

 

 そして、そのままの勢いで立ち上がる。初めてその段階で右手に握っていた突剣が無いことに気付くも、どこにあるかを確認する前に害虫の咆哮が背中越しから全身を包む。

 

「うぐっ……そう、よ、ね」

「&%#%~!」

 

 痛みを堪えて振り返り、敵の姿を確認。同時にそれが三度私に向かって突撃してくるのも見えた。突剣がどこにあるかは、分からなかった。

 相手が手負いだったこともあり、私でも立ち回って傷を負わせたこともあり、ほんの少しでも勝てると思ってしまった。

 それが今の状況に繋がったかどうかは分からない。けれども原因の一つではあると思う。

 

「どこまで、やれるかは分からない、けど!」

 

 徒手空拳。武器も、道具も、いつかは壊れて使い物にならなくなる。それが戦闘中の時もあるが故に、自分の身体を使って戦うのは最後の手段。

 そう、騎士団の座学で習ったことをふと思い出し、構えを取る。

 相手を制すのではなく、相手の攻撃をいなし続けるために。

 一分でも一秒でも、時間を稼ぐために!

 

「$#%#!」

 

 害虫が、私目掛けて突撃してくる。対する私は痛みもあって、構えるだけでその場から動かなかった。

 単に突撃してくるのであれば、直前で大きく横に跳ぶ。タイミングを見誤ることがなければ、避けるのは容易なはず。鋏を使った攻撃であれば、ある程度の距離で突撃を止めるはず。尾撃は、先端部分が切断されていることもあって、まず仕掛けてこないだろう。

 そんな思いで相手の挙動を注視する。速度は、変わらない!

 

「んぎっ!? ぃいやぁあ゛ぁ゛っ!」

 

 相手との距離が縮まったところで、私は右横に跳ぶために一歩を踏み出す。地面を踏みしめた際に右足から激しい痛みが走るも、立ち止まる訳にもいかずそのまま跳躍する。

 距離は思った以上に伸びない。けれども、痛みに耐えた甲斐あってか敵の追撃もない。回避には成功した。

 

「ぐっ!? ……ぐぅっ!」

 

 だが、喜びは跳躍先の地面を踏みしめた際に雲散霧消する。両足に痛みが走り、ふくらはぎ、太もも、腰とそれが伝達される。

 額や背中に嫌な感じのする汗が流れ出るのを感じた。出来ることならば、もうこれ以上動きたくないと全身が悲鳴を上げる。

 

「&%#$……」

「……」

 

 痛みを我慢し、害虫へと意識を向けると、相手はもうこちらへと向き直っていた。もう少しぐらい休息が欲しいと思ったけれど、そんなことは害虫には関係ない話。

 指先が震えるのが分かる。それでも相手をけん制するように手を前に突き出して構えを取った。

 先ほどは回避できたけれども、次は回避できるかどうか。

 そして、次を回避できたところで、その次はどうか。

 

「%$#~!」

「……はっ、はっ、はっ」

 

 害虫が咆哮する。対する私は、痛みを誤魔化すように短い呼吸を繰り返すばかりだった。

 どうしたらいい。どうすれば攻撃を避けることができるの?

 一体全体、どうしたらこの状況を打破できるの?

 

「……くっそぉ」

 

 先ほどまで確かにあった余裕や活路が雲散霧消する。それも、害虫の動作一つで逆転されたのだから、動揺を隠せない。

 いっそのこと森に逃げ込んで相手を撒くべき?

 ……否、今の私であの害虫を振り切れるとは思えないし、そもそも相手がこちらを逃がしてくれるとも思えない。

 そんな状況下でわざわざ視界も足元も悪い森に入るなど、それこそ死へと飛び込むようなもの。

 

「&%$!」

「っ!?」

 

 害虫の咆哮と地鳴りによって、動揺や複雑怪奇と化した脳内の考えが消える。相手は真っすぐにこちらを目掛けて突っ込んでくる。対する私は棒立ちのまま、それを迎え撃つ形となってしまった。

 幸い、今ならば距離は十分にある。また横に跳ぶべきか、それとも急停止を予想して横に逃げる動作で引っ掛けるべきか。

 駄目。考えが決まらない。まとまらない。害虫の次の攻撃や行動が予想できない。……完全に追い詰められた。

 

「……」

 

 予想が出来ない焦りと目前に迫る恐怖を前に、両足は震え、完全に止まる。害虫との距離は後僅か。

 私は、ここまでだというの?

 まだ団長に、何も、伝えられていないのに?

 

「アブラナ! 上だ!」

 

 その時、後方から声が聞こえてきた。よく聞いた、男性の声だった。

 

「っ!? ~っ!」

「$%!?」

 

 彼の声が耳に届くと同時に、私は視線を斜め上に向ける。

 そこには今まさに振り下ろされようとしている切断面の見える尾があり、咄嗟に右へと跳ぶことでそれを回避できた。

 轢き殺されるとすら思っていた害虫の突進はいつの間にか速度が緩んでおり、尾撃の後の追撃は確認できない。恐らくは、今の一撃のために制止したのだろう。

 

「団長!」

 

 驚きと声を聞けたことによる安堵。それから隠そうにも隠し切れない喜びの声色を以て、私は声の主である団長の方へと振り返る。

 ……思わず、振り返ってしまった。

 

「アブラナ!?」

「ぇ? ――ぁがっ!?」

 

 そして、驚愕の表情で私の名前を叫ぶ団長の姿を確認できたと同時に、私は右半身に強烈な衝撃が走った。

 目の前の景色、団長がぼやけて、歪む。

 

「アブラナぁああっ!」

 

 衝撃の勢いは止まらず、私は地から足を浮かして宙へと舞う。不意の一撃によって視界は完全に暗転し、反面思考を含めた脳内は真っ白になった。

 辛うじて分かったのは、今の自分が宙に浮いていることと、そんな私を呼ぶ団長の声だけであった。

 

「っ!? ……ぁ」

 

 続いて強い衝撃が左半身を襲うが、最早声も上げられなかった。視界だけでなく意識まで暗転するかのように遠のいていく中、私は何故か安心していた。

 団長が無事だった。

 それが分かっただけでも、今の私にとっては十分だった。

 

「俺の花騎士にぃ! それ以上近づくんじゃねぇええええっ!」

「っ……」

 

 そして、これまでに聞いたこともない怒気の孕んだ団長の叫び声を最後に、私の意識は完全に途絶えたのだった。

 

 

 

※※

 

※※※

 

 

 結論から言うと、あの後、私は助かった。

 団長の話によると、私は振り下ろされる尾撃を回避した後、そのまま横に掃うような追撃に対処できずに吹っ飛ばされた。

 その後は団長の時間稼ぎが功を奏し、他の騎士団の救援が来たのだという。その騎士団が他でもない、あのハチロク司令官だというのだから複雑な気持ちになったのは言うまでもなかった。

 

「はぁ~。ヒマねぇ」

 

 あの日の救助任務から二日経った後の昼下がり。私は用意されたベッドの上で上体だけ起こし手持ち無沙汰となっており、退屈すらも持て余していた。

 昨日の早朝に意識を取り戻した私の状態は、診断によると軽度の打撲や擦り傷、そして脳震盪だという。意識を失ったのは緊張の連続からの頭を打ったことによるものであり、症状が軽いとはいえ、私は三日の入院と治療。それから問診や検診を余儀なくされている。

 今回の任務の功労花騎士ということもあって、私は個室を与えられた。それは良いのだけれども、無駄に広くて、無駄なものが何もない。同期の花騎士であるイチゴがロマンチックな恋愛物語の本を持ってこなければ、昨日一日は耐えられなかったと思う。

 そもそも症状自体も世界花の加護のおかげで、それこそ病院内を歩き回れる程度に回復している。けれども大事を取ってか、外出は認められなかった。

 

「……ヒマねぇ」

 

 ベッドの傍にあるイチゴが持ってきてくれた本に手を伸ばし、数頁めくる。

 しかしながら、複数冊ある恋愛物語は全部読んでしまっており、生意気で自信家の花騎士が後の恋人となる騎士団長に食って掛かるシーンで本を閉じる。

 ……別に急ぎとかそういうのではないけれども。あの時、彼に伝えようとしていたことを思い出し、会いに行こうとベッドから降りる。

 そう、別に団長を意識しているつもりはない。養鶏騎士団と揶揄されたこの騎士団に残る旨については、昨日何故かお見舞いに来たあの司令官には伝えてある。その話は既に彼の耳に届いているだろう。

 

「よいしょっとぉ」

 

 だから別に、改めて団長にそのことを話す意味はない。けれども、私は彼がそのことについて理由を聞きたいだろうから、それに答えるために会いに行くのだ。

 決して、彼に、会いたいなどと、思った訳ではない。

 

「……うん、よし」

 

 今の私の姿は白の患者衣とはいえ、一応身だしなみを確認する。個室の壁際に設置された鏡の前で一度回って見せて、問題がないことに頷き、私は団長の病室へと向かうために部屋から廊下へと出た。

 

 

 

 

 団長の病室は私と同じく個室とはいえ、花騎士用の病棟から一般病棟まで歩くこととなった。とはいえ、これは仕方のないことであり、私はリハビリだと思うことにした。

 私の部屋から一度階段を下り、渡り廊下を歩き、そこからまた一階分の階段を上る。階段先の廊下を突き当りまで歩き、そこから右に曲がって二つ目の個室が彼に与えられた部屋であった。

 

「どうぞ」

 

 個室の広さは私の部屋と同程度と考え、強めのノックをするとすぐに扉越しからぐもった返事が来た。

 

「入るわよ」

「っと、アブラナか」

 

 扉を引いて中に入ると左手奥のベッドの上で団長が上体を起こしていた。私の姿を見るや、少し意外そうな顔をした後、バツが悪そうに視線を横に反らす。

 

「おや。お前の花騎士が来たということは、私たちはお邪魔だな」

「そうみたいですねぇ~」

 

 彼の視線の先には二人の男女がベッドの傍に立って入室した私を一瞥し、男性の方は肩を竦めてみせ、女性の方は相槌を打った。

 女性、というよりは私とそう変わらない年齢の彼女が花騎士であることは確認するまでもないことだった。

 独特な杖を背負い、何故か枕とクマのぬいぐるみを手にした少女。透き通った橙の髪に綺麗なアメジストを想起させる瞳。一見すると寝巻……のように見える白と青を基調とした服装は花騎士のもので間違いはないと思われた。

 対する男性の方は団長と年齢が変わらない見た目をしており、外に跳ねた浅く染めた緋色のショートカットに、夏の澄み切った空を想起させる瞳。身長からすると細身だが体つきはしっかりしており、黒色の長袖服に迷彩柄のようなズボンも相まって、端正な顔立ちに反して肉体派な印象を受けた。

 二人は私を見るなりお互いの顔を見て微笑み、帰り支度をするかのようにベッドから離れようとする。

 

「おい。もう行くのか? 来たばかりだろうが」

「怪我人なんだろ? 大人しくしてろよ。それに、お前の無事を確認しに来ただけで、二人の時間を邪魔する程野暮じゃあないさ」

「友達がいのない奴め」

「減らず口が叩けるのならすぐ治るだろ。退院したら飲みにでも誘ってくれ。友達がいのあることはその時にでもしてやるよ」

「もちろん、『植木屋』の、お前の奢りだよな?」

「ウィンターローズまで来たらな、『養鶏』君。そうでないのなら、快気祝いはブロッサムヒルまでの交通費で差し引いて、いつも通り割り勘だ」

「……遠慮のない奴だな」

「気の置けない奴、と言ってくれ……お邪魔したね」

「ごゆっくりどうぞぉ~」

 

 団長の呼び止めにも応じず、二人は仲睦まじく寄り添うように私の前まで来る。

 それから扉の前からどいた私に対して会釈をすると、そのまま彼の方へと振り返ることもなく退室した。……なるほど。彼の言う通り、団長にとって遠慮が必要のない関係と言える。

 あの人こそが、ハチロク司令官が言っていた、私の転属先の予定だった騎士団の団長。そして、団長の友人ということになる。

 ウィンターローズの騎士団と聞いていたけれども、団長のためにわざわざブロッサムヒルにお見舞いに来るような間柄。ともすれば、今後も彼らとの関係は続いていきそうな予感がする。

 普段、というには付き合いが短いけれども、団長の違った一面を少し見ることが出来たような気がして、私は少し頬が緩むのを感じた。

 

「……あー。まあ、なんだ。そんなところで立っていないで、話をするならもう少し近づいてくれ」

「分かったわ。『養鶏』団長さん」

「ぐぅ」

 

 神妙な面持ちをした団長の言葉にからかうような返事をすると、彼は鳩が豆鉄砲を食ったような顔を見せた後、諦めるように大きなため息を吐いた。

 そんな団長の様子を見るのが嬉しく、また彼が拗ねないうちに私はベッドの傍まで歩を進めた。

 

「無事でよかった」

「っ……それは、お互い様でしょ」

 

 しかし、彼が身体をひねってベッドの奥から持ってきた椅子に腰かけたところで、不意の言葉を掛けられ、私は思わずそっぽを向いてしまった。先ほどの団長の顔のように、バツの悪そうな顔になっていたかも知れなかったからだ。

 ……ずるい。その言葉は私が先に言おうと思っていたのに。

 

「そうだな。お互い、無事で本当に良かった」

 

 そんな私の心境を余所に、団長は何事も無かったかのように話を続ける。気まずい思いをしているのがこっちだけ、というのが嫌だったため、私も何事も無かったように装い口を開く。

 

「他の子たちも無事だったみたいね」

「あぁ。ガンライコウも、サギソウたちも。……後は、あの花騎士も、な」

「……うん。本当に、よかった」

 

 団長の言葉はどれも私が目を覚ました際に司令官から聞いたものと同じだった。

 けれども、それを団長の口から聞くことにより、改めて全員が無事に今回の任務を終えたという実感が湧いてくる。その喜びを噛み締めるように安堵と共に肩の力を抜いていると、彼が黙って私を見つめていることに気付く。

 

「な、なによ」

「いや、本当に。今回は色々とお前に助けられた。ありがとう」

 

 また何か小言を言われるのかと身構えると、団長は顔だけでなく体もなるべくこちらを向くようにすると深々と頭を下げた。

 

「べっ、べつに! あたしはアンタのためにやった訳じゃあ……!」

「そうだったな。だが、結果として今回の任務に携わった者たち全員が生存できた。だから、ありがとう」

「うぅ……」

 

 感謝の言葉も意外であれば、その真摯な礼も意外過ぎたため、つい顔を背けてしまう。

 というか、さっきから私が言いたかったことを先に言われている。

 団長が無事で良かったことも、あの時私の意見を聞いてくれたことの感謝も。こうして先に言われてしまうと、言い辛くなってしまう。

 ……ううん。以前の私なら先に言われたとしても、その後にちゃんと自分の言いたいことを言えていたはず。

 それなのに。団長と一緒に死地を乗り越えて、こうして再び話し合えているというのに。

 どうしてこう、上手く言葉が出てこないのだろう。

 

「ところで司令官から話は聞いた。ここの騎士団を辞めないそうだな」

「え? え、えぇ」

 

 それどころか、まともに団長の顔も見られないと思ったところで話が変わり、彼の言葉に視線を戻しながらも頷いた。

 騎士団を辞める、辞めないについては、私の中でハッキリと決まったことの一つだったので、既に終わっている話だった。けれども、それはあくまでも私の中で完結しているだけであって、団長からしてみればどういった心境の変化なのかを問いただしたいと思うのは当然のことだろう。

 

「理由を、聞いてもいいか?」

「それは……」

 

 いつになく真剣な表情。答えをはぐらかしたり、誤魔化したりするのは許さないと言わんばかりの団長を前に、私は一度喉を鳴らす。

 けれども、私は団長に対して何と言うべきか、答えに窮していた。

 

「それはその……あれよ」

「うん」

「あぁ。えぇっと……その~」

 

 団長を初めて見た時から気になっていた。でも仕事の内容とそれを淡々とこなす姿に勝手に失望し、そんな仕事をする団長の近くにいるのが辛いで辞めようと思った。

 それでもやっぱり気になっていたし、初めて見たあの時から実は団長のことを好きになっていたのを先の任務で思い出し、この騎士団に残る決心がついた。

 団長の傍にいて、団長を支えたい。そう思ったから。

 そして、今はまだ無理かも知れないけれども、いつかは彼を振り向かせたい。私のことを好きだと言わせてみせる。

 

「……」

「アブラナ?」

 

 ……いや、言えるわけないでしょ!

 これじゃあほとんど愛の告白と変わらないじゃない!

 というか、何で私がわざわざそんなことを団長に言わなくちゃあいけないのよ!

 これで「お前の気持ちは嬉しいが……」とか言われてフラれたら私が馬鹿みたいじゃないのよ!

 

「はぁー……それはね」

「ああ」

 

 ……うん、落ち着きなさい。落ち着くのよ、アブラナ。

 別に今、団長に告白する訳じゃあないのよ。ここはそう、花騎士としてのキャリアに傷が付くからという尤もらしい言葉で濁しておくのよ。

 団長はこういう時、無駄に察しが良さそうだから訝しむだろうけれども、まさか「貴方が好きだから辞めたくないです」とか歯が浮くような言葉を伝えたくはない。

 ……でも、だからと言って団長に全くこの気持ちを伝えられないというのは、それはそれで寂しいし悲しいわ。

 それに、私はまだまだ団長のことを知らない。そして、この「好き」という気持ちが本当にそうなのかどうかも分からない。

 私はそれを知るためにも、団長のことをもっと知りたい。もっと一緒にいたい。もっと傍にいたい。また、それと同じぐらい私自身のことも知ってもらいたい。

 

「……あんたをあのまま、放っておけなかったから」

 

 だから私は、それこそ自分でも驚くほど小さな声になってしまったが、まずは真っ先に思った言葉をそのまま口にした。

 恋とか愛とかを抜きにすれば、一番気になったのはやはり団長の内面のことが気になったからだ。

 誰からも理解されず、誰からも支持されず、誰からも望まれず、そして誰もやりたがらない。時に人を助け、時にその助ける対象である人を介錯するという矛盾した仕事を続けていれば、いつか人の形を保ったまま壊れてしまう。

 団長のことを好きになったから、というのもあるけれども、見知った人が壊れかけていることを知ってしまった以上、この私が見て見ぬふりを出来る訳がなかった。

 

「……」

「……」

 

 団長の顔は見えなかったし、顔は火に炙られたかのように熱かった。今の言葉に対する彼の反応が知りたいと思うのに、自分が期待していた反応とは違う反応をされるが怖い。

 けれども、これが今の私が言える精一杯。これ以上口を開けば、また素直になれない部分が出てしまって、誤解を招くことになるかも知れない。

 今の言葉以上の理由を追求されたとしたら、後は先ほど考えたように言葉を濁す。そう思って彼の言葉を待った。

 

「……アブラナ」

「……っ」

 

 一秒か、十秒か。一分か、十分か。

 体内時計が狂うほどの間を置いた沈黙の後、団長はゆっくりと私の名前を呼ぶ。それはまるで、廊下を歩いているこちらを見かけて声を掛けるような、そんな優しい声色だった。

 だからこそ、怖かった。

 私の気持ちが伝わったのかと思う反面、その気持ちに答えられないからこその優しさなのか。団長は優しいからこそ、今の仕事に神経を擦り減らし、疲れ切っていた。

 そのため、私のこの想いを否定する時も、今のように優しく話しかけてくるのかも知れない。

 そう思うと、顔を上げて彼の顔を見るのも躊躇われた。

 

「すまん。よく聞こえなかった。もう一回言ってくれ」

「……は?」

 

 しかし、こっちの勝手な杞憂を余所に、続く言葉は驚くほどに拍子抜けするものだった。

 団長の言葉を聞き、一瞬その意味を理解できず、顔を上げる。私の視線の先にはいつもの顔をした彼がおり、こちらの言葉を待っているかのように口を閉ざしていた。

 

「はぁあああっ!?」

 

 だが、団長のその態度が逆に私の緊張の糸を切った。気づけば身を乗り出して大声を出していた。眉もつり上がっていたように思える。

 ……私も悪いのは分かっている。勝手に頭の中で色々と考え、やっとの思いで口にした言葉が小さいともなれば、彼の耳に届かなかったのも仕方がない。

 けれど、けれどよ?

 乙女心を理解しろとまでは言わないけれども、もう少しこう、こっちの気持ちを汲んでも良くないかしら?

 いや、というか聞こえなかったのならもっと申し訳なさそうな顔をしなさいよ!

 

「アブラナ。病院で大きな声は……」

「大きな声を出させているのはアンタのせいでしょーが!」

「? いや、何をそんなに怒っているんだ?」

「っ!? ~っ! このバカ! あんぽんたん! 鈍感男!」

 

 眉根を寄せて小首を傾げる団長に、私は勢いよく椅子から立ち上がり罵詈雑言を浴びせる。こちらの怒りと憤りをぶつけられた団長はますます眉間のしわを深くし、困惑しているように見えた。

 あぁ、もう!

 私はどうしてこんな人を好きになってしまったのか。どうしてこんな鈍い男なのに嫌いになれないのか。

 真面目に告白しかけた私が馬鹿みたいじゃない。

 

「とにかく、あたしはこのまま騎士団に残るの! 何か文句でもある!?」

「あ、あぁ。文句も問題もない、が」

「ならそれでいいわね!」

「アブラナ、一体どこへ?」

「自分の病室に戻る! お邪魔したわね!」

 

 そう言って、扉の取っ手へと手を掛けたところで我に返る。

 これでは駄目だ。一人で勝手に盛り上がって、空回って、気持ちを汲んでもらえずに憤る。

 それでは今までと何も変わらない。せめて、せめてそう……何か団長に伝えないと。ちゃんと私の何かを伝えないと。

 頭の中で言葉が上手く整理できない。かといって、このままでは勢い余って廊下に出てしまう。

 ええい、ままよ。

 そう思って私は取っ手を握ったまま振り返る。

 

「いいかしら!」

「うん?」

「あたしは絶対に、アンタを振り向かせてやるんだから! 覚悟しておきなさい!」

「お、おう……?」

「それじゃあ!」

 

 私の言葉に遠目にもはっきりと分かるぐらいに疑問符を顔に浮かべていた団長を尻目に、今度こそ勢いに任せて部屋から飛び出す。

 近くに誰かいたら迷惑だったろうけれども、幸い廊下には誰もいなかった。

 

「……」

 

 足早に廊下を歩き、わざと音を鳴らすように階段を下りる。それから無言のまま渡り廊下の真ん中まで歩いたところでようやく足を止められた。

 

「うっ、わぁああああぁぁ……っ!」

 

 それから周囲に人がいないことを確認した後で、顔を両手で覆ってからその場にしゃがみ込んだ。

 言った。言ってしまった。

 頭の中で言葉が整理できなかったとはいえ、勢いに任せてつい言ってしまった。

 散々、告白のようなものはしないと心に決めておきながら、結局伝えてしまった。ここが渡り廊下ではなくて自身の病室のベッド内であれば、間違いなく悶えてもがいていたと思う。というよりも、今も似たようなものだと思う。私の自尊心が許すのならば、今この場で寝転がって駄々をこねるように手足をばたつかせたい。

 顔どころか、耳まで熱い。頭の中は熱によって今にも蕩けそうな気分だった。

 団長からしてみたら、生意気な新人が自分を認めさせると息巻いているように見えたかも知れない。それならそれで良いけれども、でもやっぱり私の気持ちが届かなかったという意味でもあるからそれならそれで良くもない。

 けれども、素直に告白と捉えられたら?

 

「それでも良いけれども、やっぱり良くはないぃ!」

 

 明日以降、一体全体どういう顔をして団長と会えばいいのか。

 

「うぅ……」

 

 いずれにせよ、私は自身の気持ちをハッキリと彼に伝えた。そして、私自身の気持ちも改めて自覚した。

 ならば、先程の言葉を彼がどう捉えたとしても、こちらのすることは変わりない。

 私の実力を団長に認めさせ、私の魅力も彼に認めさせる。

 そのために、団長の、彼の騎士団に残ることを決めたのだから。

 

「……よぉし。見てなさい」

 

 今一度状況を整理した後に、自身を落ち着かせる意味も込めて深呼吸する。

 それから気合を入れるために両手で両頬を二度叩く。顔を上げて、正面を向いて、立ち上がる。自分のことで陰鬱な気持ちになるなんて、それこそ私らしくない。

 

「鶏口なれど牛後となるなかれ、ね」

 

 気持ちを切り替えたところで、ふと思い起こされるのは以前の司令官の言葉。その言葉を口にし、私は自分の病室へと足を踏み出した。

 私はその言葉の通り、他の騎士団へと移って末端の花騎士になるよりも、今の騎士団を代表する花騎士になる道を選んだ。

 それが良いことなのか、悪いことなのかは、分からない。自分の恋のために、目の前にある栄光を蹴ってしまったのかも知れない。

 けれども、この選択に後悔などない。

 それに、花騎士としての栄光も、私自身の恋心も。そのどちらも諦めるつもりは毛頭にない。

 私、アブラナという花騎士は我儘なのだから。そのどちらもいつかは手にして見せる。

 それこそ、かつて読んだ絵本に登場する花騎士が、花騎士としての栄光と、勇者の愛の二つを手にしたように。

 

終わり

 




参考文献

・映画「イノセンス」
・単行本「ニワトリと暮らす」
・単行本「自給養鶏Q&A」
・単行本「生き物の死にざま」
・事典「死を考える事典」

元ネタとなってくださった団長の皆様方(敬称略・順不同)

・アブラナ団長
・ハツユキソウ及びヒツジグサ団長
・オジギソウ団長


ここまでお読み頂き、ありがとうございました。


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