人助けをしたら幻想郷にさらわれたので呑気に暮らそうと思います (黒犬51)
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1話 人助けしたら恩返しされるって思いません?

夢を見て、夢を描き、夢が覚める。寝てみる夢も、起きて描く夢もいつかは覚める。
歳を取り、現実を知ると描いた夢は崩れ去る。
 
 なら、夢なんて描かない方が身のためさ。


「今日は休み...か」

 

 ベッドの上で一人の少年が目を覚ました。勉強机にはデスクトップのパソコンが置かれ、その横には本棚が置かれている。本棚には本が入り切らなかったのか並べられた本の上にはまた本が載せられ、本棚の足元にも本がかさねられていた。部屋には旅先で買ったラベンダーの芳香剤が僅かに香っている。

 少年が体を起こし、寝台の足元に転がる目覚まし時計を見ると短針は3時を指していた。立ち上がり、カーテンを開けることもなく、螺旋階段を降って一階へと降りる。時間のせいか薄暗いリビングには誰もいない。

 本来ならば大学のある日ではあるが、今日は大学も休校だった。理由は確か、創立記念日だっただろうか。

 冷蔵庫を開けて何か食べるものがないかを探す。食べ物もないが、それ以上に日常的に飲んでいる炭酸飲料が無くなっていた。大きくため息をつき、自室へと帰る。ゲームするにも飲み物がなければ気が乗らない。クローゼットを開き、サイズを見ないで買ったせいで大きすぎたジーパンと茶色のパーカーを着る。財布を鞄から取り出して、寝台の上に置かれたスマートフォンとワイヤレスイヤホンを取る。電源ボタンを押してロックを解除、Bluetoothを起動して接続。耳に入れたイヤホンから接続完了を伝える音声が流れ、音楽を流し始める。

 忘れていた黒い靴下を履いて階段を降りて家から出て、カードキーでドアにロックをかけ道路へ、冬ではあるが、もうすでに春の方が近い。肌には過ごしやすい空気が触れている。世間への嘆きを唄う歌を聴きながら近くのスーパーへと向かう。昼も何か食べようかと思ったが、特にそれと言って食べたいものもなければ、あまりお腹も空いていない。家の横の小道を少し歩いてスーパーへと続く一本道へと出た。左右には住宅、散髪屋や飲食店が並んでいる。

 

「あの教師うざくなかった?」

 

「わかるわー」

 

 学校が終わったのであろう女子学生が後ろで歩いており、学校への愚痴をこぼしている。

 正面からは小さな焦げ茶色の髪をした子供が走ってきていた。後ろからは外国人だろうか。腰まで伸びた金髪の女性、恐らく親だと思うが笑いながら辞めなさいと追っている。平和な光景だ、だが。嫌な予感がした。ただ、なんとなくその少女を目で追う、少女は彼を避けるために大きく道路側へ避けて後ろを向いて母親へ笑いかけている。

 そしてその目の前にその道に出るために現れたトラックが一台。左右確認を怠ったようでそれなりの速度を持って道路へと現れた。ここは狭い道だ、避けるには止まるしかない。だがあの速度では少女に衝突する前に止まることはないだろう。歩道には別の人間がいる。ハンドルを切ったとしても絶望的だ。運転手の焦ったような顔を見た時、体が動いていた。響く急ブレーキの音を背景に地面を踏みしめて道路へでる。突き飛ばせば少女は無事だろうが道路に残された自分は確実に死ぬか重症だ。助けた少女も運転手もそれでは悲惨だろう。できるだけ他人の心に負い目を残したくない。左足を一歩踏み出して重心を後ろに、少女の手を握り、歩道へと引っ張る。体重は少年の方が重い。少女は少年へ引き寄せられ彼の胸の中へ。そのまま少女を抱くような形で大きく一歩後ろに下がる。眼前をトラックの運転席部分が通り抜け停車。

 遅れて後ろにいた女子学生の悲鳴。停車したトラックから出てきた運転手が飛び出してくる。

 

「すいません!大丈夫ですか?」

 

「俺は大丈夫です。気をつけてください」

 

 子供を離して衝撃で落ちたイヤホンを拾ってスーパーへと歩く。そんな彼を親であろう金髪の女性が止めた。

 

「ありがとうございます。お礼と言ってはなんですが、うちに来ませんか?」

 

「・・・・・・」

 

 少年は回答に迷っていた。見ず知らずの人間を唐突に自分の家に誘うだろうか。親からすれば子供を守ってくれた良い人かもしれないが。

 

「お兄さん来てよ!お礼が言いたいの!」

 

「娘もこう言っているので、お暇であれば来ていただけませんか?」

 

 嘘は感じ取れない。危害は加えられないだろう。少年は笑顔で了承して彼女たちの後を追うことにした。

 どうせ、今日は何もなかった。そして...暇つぶしには丁度良いだろう。

 

「お兄さんさっきはありがとう、死んじゃうかと思った」

 

「道路には飛び出さないようにね。危ないから」

 

「はーい」

 

 悪い子ではないようだ。いい意味でも悪い意味でも子供らしい。少女は身を翻し、親の元へと走っていく。揺れる白いワンピースは、冬には少し似合わない。

頬を撫でる風の寒さに眉を顰める。数分ほど歩くと森の中へと入った。鬱蒼と茂る木々は都会の喧騒を忘れさせる。葉に覆われて空は少ししか見えない。日は沈みかけている。

 ここでやっと少年は身に起きている異常に気づいた。

 こんな森が家の近くにあっただろうか。彼の家はそこまで都会というわけでは無いが決して田舎でもなかった。木が生えている公園のようなものはあったがここまで森と言えるような場所は記憶の中には無い。それに足元はいつの間にか枯葉で埋め尽くされている。

 

「あの、本当にこの先に家があるんですか?」

 

「ええ」

 

 振り返る少女とその親。そこで本当の異常に気づく。明らかに人間の物ではない耳が、尻尾が生えている。先ほどの子供には2本の焦げ茶の猫の尻尾に猫の耳、親だったと思っていた者には金色の9本の狐の尻尾と狐のような耳。

 

「コスプレ...ですか?それ」

 

「そう思います?」

 

 わかっていた。それはコスプレでは無いだろう。もしそうであったとしていつ付けたのかが全くわからない。後ろからついて行っていたのにも関わらずそれを見逃すとは思えない。

 

「違ったら、すごく嫌なんですけど」

 

 もしそれが本物ならば目の前にいる少女は人間以外の何かであることが確定してしまう。そんなものについて行ってしまったただの人間の末路など考えることもできない。ただ一つわかるのは、元の場所には帰れないだろうと言うことだけだ。

 

「貴方を歓迎しますよ。私の家、幻想郷へようこそ」

 

 背後から声をかけられた。少年は慌てて振り向き、大きく後ろへと退く。足元には枯葉がある。どう歩いたとしても足音があるはずだ。

 

「家っていうか森だと思うけど」

 

 振り返って先には金髪の女性。腰まで伸びた金髪に紫のドレスだろうかあまり見ないような服装だ。見た目はそこまで年老いてはいないはずだがその存在感は異常なまでに大きい。

 先の二人は明らかに見た目から人では無いがこの女性は見た目は人間でも恐らく人間では無い。確信に似たそれを感じ後ろの下がろうかと思うが後ろにはあの親子がいる。

 逃げ場がない。

 

「いいえ。ここが家なのよ」

 

 瞬間周囲の景色が変わる。今度は部屋だ。どこかの高級ホテルの客室のような一室。大きなベッドは整えられておりシワひとつない。一つの窓にはカーテンが掛けられており周囲は見えない。真上にはシャンデリアが掛けられており部屋を照らしている。驚くことにどうやら電気ではなく火が灯されている。火が揺れれば部屋の明るさもゆらりと変化する。

 

「いや...え...?」

 

「ここが貴方の家よ」

 

 夢を見ているのかと思うほどに現実離れしたことが起き続けている。頭の処理がまるで追いつかない。そんな少年の視界の端でドアのノブが下がる。

 

「歓迎します。ようこそ地霊殿へ」

 

 開けられたドアから一人の少女が現れた。桃色の髪に桃色の服。これまた外では見ないような服だ。桃色のスカートに空色の服。袖からは白のフリルが見えている。首元には襟のように白いシャツが見えていた。おそらくはフリル付きのシャツの上に空色の服を羽織っているのだろう。そして最も特徴的なのが、その体から赤いコードのようなもので繋がれている一つの眼だ。

 

「いや...待って。全然わかんない。なんで俺を拐った?俺を返してくれる気は?」

 

 しばらくの静寂。

 外からは賑やかな酔っ払いの騒ぐような声が聞こえる。

 

「貴方を返すわけにはいかないわ。貴方にはここで生きてもらう。何故なら貴方はこちらにいるべき者なのだから」

 

「そんなこと...突然言われて信じられるかよ...。俺には家族が居るんだぞ。弟だって妹だって。両親もいる。どこがここにいるべき人間なんだよ」

 

 少年の嘆きを聞いた桃色の髪の少女だけが顔を少しつらそうに歪ませている。だが彼を誘拐した張本人は顔色すら変っていなかった。

 

「迎えが遅くなったことは謝るわ。ただ、これは真実。諦めて認めなさい。それに一つ。ここに入った者は外の者から忘れられるの。貴方が戻った所で家族は貴方を受け入れないわ」

 

 淡々と、あまりにも残酷な真実が告げられる。始まりはたった一つの人助け。恩返しを少し期待しながらついて行ったらこの結末。心を襲う悲しみ、怒り。そして、少年の思考が急激に冷えていく。感情がはらりと散り枯れ木が残る。

 

俺は、なんで他人を信じて、挙げ句の果てには期待したんだ?

 

全ては......自分が悪いじゃないか。

 

「あなた...」

 

 桃色の髪の少女がとても悲しそうな、憐れむような顔をする。そんな少女を横目に少年は口を開く。

 

「もう仕方ないか。ならせめて何か教えてくれ。ここは幻想郷です。以上。じゃあまりに何もわからない」

 

「あら、それは諦観?」

 

「嘘だとは思えないしな、帰ったところで無駄。帰り方がわかるならまだしも帰り方がわからない。そうなればもう信じる他ないだろ」

 

 淡々と事実だけが並べられる。合理的過ぎた、一切の感情が含まれていないそれはどこか他人事のようだった。

 

「恐ろしく冷静ね。いいわ。説明してあげる。ここは幻想郷、貴方のいた世界とは結界で分かたれた場所よ。そしてここに外から入った人間は能力を手に入れるの。でも貴方には教えないわ」

 

 それを聞いた少年は少し鼻で笑う。そんなことが信じられるかと嘲笑するようにも自嘲するようにも見える。

 

「ところで、ここって電気通ってたりする?外の世界のゲーム機を持ってきたいんだけど」

 

 おかしな事を言っている自覚はあるが帰れないならゲームが二度と出来ないということになる。それはあまりに辛い。

 

「ないわ。ただ、妖怪の山というところにいる河童ならなんとかしてくれるかも。能力に関しては一切触れないのかしら?」

 

「河童ね。ザ・妖怪って感じ。ありがとう。能力はねぇ......それが本当ならまぁ気が向いたら聞こうかな」

 

優しそうに笑う少年。それを暫く見つめた後女は踵を返す。

 

「さとり妖怪。あとは任せたわよ」

 

「わかりました」

 

 そうとだけ言い残し、拐った犯人は裂けた空間の中に入っていく。リボンで裂け目の範囲は固定され、その内部からは数多の目がのぞいている。不気味という他ないそれは彼女が入ると同時に閉じた。

 あれで拐われたらしいな。ただ、それがわかったところであの話が真実であるならなにをしても無駄だろう。俺が居なくなって悲しむ人がいないならまだマシだ。

 

「災難でしたね」

 

「まぁ。ただもう戻っても無駄らしいし、諦めてここで生きてくことにするよ」

 

 カーテンを開き外を見る。そこにはなかなか衝撃的な光景が広がっていた。まず、空がない。歴史の教科書で見た江戸時代の風景画が広がっている。

 

「驚きましたか?」

 

「予想はしてても実際こうだとね。あれ上どうなってるの?」

 

 空はない。だがその代わりに光るものがある。それは太陽ほど明るくはなく月明かりよりは煌々と輝いている。その絶妙な光が眼下に広がる町を照らしていた。

 

「光る石ですよ。ここは地底なので陽光は入りません」

 

「アホほどでかい洞窟なわけね。ところで君名前なに?あと、能力は?あるんでしょ。あの話の感じ」

 

「名前は古明地さとりです。能力は、この目で......他人の心が読めます」

 

 慌てて振り返る少年。そしてこちらを眺める彼女を悲しそうに見つめる。

 

「それ.....めっちゃ便利だろうけど。辛かったでしょ」

 

「もう慣れました」

 

「苦しみには慣れない方がいいよ。自分がわかんなくなる」

 

 少年から発された静かな言葉は決して形だけのものではない。きっと共感できるだけの何かが彼にはあった。ただ、彼女はそれを覗くことはしない。その理由はおそらく彼女だけが知っている。

 

「俺は心が読めたりはしないんだけどね」

 

「嘘つきましたね」

 

「事実だよ。俺には君みたいに心が読めない。今も頑張ってるけど無理っぽいね」

 

 古明地さとりはここで途中から気になっていた事を聞くことにした。

 

「あの、話は変わるんですが。男っぽいですね。貴方、そんなに顔は可愛いのに」

 

「ん...?」

 

 少年?は一瞬理解が出来なかったが、視線を下に下ろして状況を理解した。膨らみが2つ視界を遮っている。痩せ型では無かったがこんなに胸が出るほど太っても筋肉質でもない。

 

「え...?」

 

 意識して聞いてみれば、声も高い。

 

「あー......うん。え......ちょっと失礼」

 

 後ろを向き手を使い、息子が居ない事を確認する。立派なものではなかったと思うがその別れは少し辛い。

 

「女になってるなぁ......」

 

 現実を受け止めきれない。別に男で困ったことも女になりたい願望もなかった。身体をペタペタと触りベッドに腰をかける。

 

「外の世界だと男性なんですか?」

 

「身体も男だったんだけどなぁ。もしかして能力は女になるとかだったりする?」

 

「いや、違いますよ」

 

「そっかぁ......」

 

 確かにこれだと戻っても誰だお前ってなるな。どうせ戻っても忘れられてるって言ってたけど少し試したい気持ちはあった。いくらなんでもあれを盲信的に信じるほどアホでは無い。いやでもそれは置いておいてこんな機会ないだろうしちょっと漫画みたいな驚き方しとこうかな。

 

「う....うっわぁ!お...俺....女の子になってる!?」

 

「え....なんで今更そんな反応を?」

 

「せっかくだしおっきく反応しようかなって思った」

 

「そう....ですか」

 

 さぁ幕をあげよう。ライトを付けろ、俳優の支度は出来ているかな。お客さんは来るだろうか。そんなことはどうでもいいな。これより彼の、いや、彼女の幻想郷と呼ばれる場所での新しい生活が幕を開ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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2話 身体が女の子になるってことはいろいろ問題ありませんか?

 一つの画用紙がある。そこに描かれた絵を塗りつぶすように虹の絵を描く。そこにあったはずの絵は一体何だっただろうか。とてもきれいな虹の下に埋もれた絵は二度と見つかることはない。


 今、とんでもない問題が起きていた。さとりはもういない、地霊殿のトイレや風呂などの位置の説明をひとしきりした後に自室に帰っていた。そして起きている問題というのが...尿意だ。トイレに行きたい、だがトイレに行くという事は自動的にみるということになる。することに慣れているならまだしも正直座る事くらいしか知らない。それに加えて今は問題ないが風呂もある。俺は正真正銘男だ。身体は女だが、心は男だ。いや...なんかおかしいな。だが今はそんな事を考えている場合ではない。

 

「いやマジで、本当に笑えない」

 

 もう、どうせ女として生きていくなら慣れてしまった方がいいのか。だが、家族以外の初めて見る異性の体が自分とは何とも言えない気持ちになる。

 

「覚悟決めるか」

 

扉を開いてトイレへ向かう。

 

少ししてベッドに座る少女の顔は少し陰鬱だった。

 

「......」

 

 見てしまった。見ざるを得なかったから仕方がないと自らに暗示のように唱え続ける。こんなことなら彼女作ってみるべきだったかな。ここまで考えて、顔もよくなければ根本的に女性が苦手だった俺には無理かとあきらめた。

 悲しみを背負いながら部屋へと戻る。微かに薔薇の匂いがする部屋に戻ってきた。にしても本当にすることがない。外の世界では暇なときにゲームをしていたがこの世界にはまだない。スマホはさっき確認したが、電波が入っていなかった。その上、今は充電することが出来ない。下手に使いすぎて充電がなくなれば、電気が通るまでの間使うことは出来なくなる。それは避けた方がいい。写真を撮りたい時にでも使うことにしよう。

 

「あーまじで」

 

 頭を様々な嫌な思い出がよぎる。それは恥ずかしい思い出だったり、単純に痛い思い出だったりと。様々だ。昔から記憶力が少し良かった。勉強には使ったことはない。怖い先生の授業の時などには使ってはいたが覚えたくないものはあまり入ってこなかった。入ってきたのは嫌な思い出。日常のふとした瞬間に想起する。何かトリガーがあるわけではない。ただ、まるで空を見たら偶然妙な形の雲があったようにふと現れる。そしてしばらく後に消えていく。

 

「どうしました?」

 

 いつの間にか部屋にさとりが居た。ベッドに腰をかけている。トイレに行っている間に入って来たらしい。

 

「いや、暇すぎてね。あっちだとゲームしてたんだけど、ないからさ。なんかすることある?あ、まってそういえばさ。俺の能力ってなにさ。あの言い方なら多分あるでしょ」

 

 少しの静寂。なんとなく、本当にただ何となく嫌な予感がした。

 

「ああ、そのこと...ですか。お伝えする前に、あなたがなぜ地底に連れてこられたのかから説明します。いうなればここは隔離場所です。他人に害を及ぼす妖怪が連れてこられたり、自ら来る。そういう場所です」

 

 彼女の説明からするに、恐らく俺は良い能力を持っていないのだろう。それだからこそ、ここへと連れてこられた。いや、良い能力かもしれないが他人を傷つけるようなものと理解することもできるか。

 

「なるほど。覚悟はしてねってことか。いいよ聞く」

 

「理解が速くて助かります。能力というのは基本一つですが、あなたは特例で二つです。一つは同調する程度の能力。そしてもう一つが、騙す程度の能力」

 

「おー。厨二心をくすぐる良い能力。ただ、確かになかなか他人には恐ろしい能力だね。騙すのは言うまでもないし、同調って下手したら心を読むよりも嫌われそうだ」

 

 自嘲気味に笑う少年。だが、目は笑っていなかった。他人にはあまり分からない差だが心を読むさとり妖怪だからこそ分かったことがある。彼は極端に感情の起伏が少ない。少ないというよりか、ないといった方がいいのかもしれない。彼は笑うし、感情の起伏もありげなのだが心の底からではなく、表面上だけで笑い、感情を表していた。

 

「実はまだ続きがあって、あなた外でも能力を持ってましたね?同調の方を」

 

「もしそうだったとしても俺がそれを認識することは出来なかったよ」

 

これは真実だろう。私が彼にあまり能力を教えたくなかった理由がある。それは彼が善人か悪人かが分からないという事。彼の能力は私の能力からすれば脅威だ。騙されてしまえばば心は読めない。心情が本当かどうかを判断するすべはない。だが、彼は同調でこちらの大まかな考えは読んでくる。この能力は嫌いだ、けれど無いとなるとそれはそれで恐ろしい。

 

「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。俺はさらわれたことに対して恨んでもないし、報復を考えてもない。実際にそんな能力があるんだとしたら俺はここに連れてこられて当然だよ。逆にそれを知られてたら俺はきっと迫害されてた。ある意味では感謝してる」

 

 その発言に恐怖を覚えた。これは恐らく彼の優しさだ。不安になっている私に同調しての発言だろう。彼の能力の存在を知らなければそこまで何も感じない。だが知ったうえでこの状況なら話は違う、彼は私に同情した。という事は無意識下であったとしても能力を使いこなしている可能性が高い。外の世界でも同じように使っていたのだろう。

 そしてこの能力はどこまでも優しくて、どこまでも自虐的だ。彼はそれに気付いているのだろうか。

 

「そう..ですか。ところで河童に会うなら明日私と地上にいきましょう。貴方を地上の博麗の巫女という人に合わせておきたいので」

 

「巫女さんか。おっけー、ところでご飯とかって妖怪は食べない感じ?」

 

「お腹空きましたか?」

 

 ちらりと時計を見ると5時を回っていた。

 

「もうこんな時間なんですね。準備してもらいますか」

 

 ドアが開き一匹の黒猫が入ってくる。耳には黒いリボンがついており、尻尾が2本あった。猫が開けられるようなドアではない気もするが。容易に開いていた、開けやすい造りなんだろうか。

 

「さとり様、ご飯の準備ですか?」

 

「猫が喋った?!」

 

「失礼な奴ですね。死にます?」

 

「いや、こっわ」

 

 愛くるしい見た目に反して恐ろしい事をいう猫だ。そういえば尻尾が二つの猫の妖怪がいたような。二又だったっけか。

 

「ふふっ、二股...猫又ですよ。ふふふ」

 

 耐えきれないと言ったようにさとりが笑い始める。

 古明地さとりが俺の心の中を言語化したせいで、明確に猫からの殺意が増した。多分これはさとりの悪癖だろう。にしても今からこの猫が食べるご飯を食べて俺は無事なんだろうか。死にはしないだろうか。

 

「さとり様......この女やっぱり殺して良いですか?毒殺とかで」

 

「ダメですよ。この子は私が引き取ったので仲良くしてください」

 

「いや、俺猫アレルギーだから多分近付いたら死ぬ」

 

「それはいい事を聞きました」

 

 そういうと猫は俺に向かって突進。身体を俺に擦り始める。あぁ....死んだな。そう思うのも束の間。当然くしゃみと涙が止まらなくなる。同じアレルギー持ちなら理解してくれると思うが本当に辛い。それを見ていたさとりはと言うとめっちゃくちゃに笑っていた。許せない、許せないが、不安が消えたようで何よりだ。

 

「ねぇ、めっちゃスースーするんだけど」

 

「それがスカートですし」

 

 俺は猫の毛まみれになった服はもう着れず。洗っている間は他の服を着る事を強要された。当然外に世界から服を持ってくることはできない。もし出来たとして。今は身体が女になっている。ただでさえ持っている服が少なかったから着れるものは更に少ないだろう。ということでさとりの服を着ていた。薄桃色のスカートに、白いフリルが付いている。上は、気を遣ってか薄桃色ではあるもののシャツにしてくれていた。ただ、シャツと言っても襟や袖がフリルになっている女性用のものだ。ただ、胸元がきつい。

 

「似合いますね」

 

「嬉しく無いなぁ...」

 

 鏡に映る女の自分を見て絶妙な顔をする。と言うか未だに自分が女になったことは理解できていない。息子はいなくなり胸もできたが心はしっかり男だ。

 

「にしてもなんですかこれは」

 

 後ろからさとりに胸を掴まれる。

 

「痛いんだけど?!」

 

 冗談抜きに痛い。シンプルに。つねられるようなそんな感触。掴んでいるというよりかは鷲が掴んでいるといった方が正しいだろうか。初めて見たときは筋力はなさそうだと思ったが力が強い。たまにいる握力ゴリラの類だろうか。

 

「失礼過ぎません?」

 

 力がさらに加わっていく。失念していた、彼女は心が読める。

 

「イタイイタイ痛い痛い!もげるって!急にどうしてそんな暴力的になるのさ」

 

 やっと手を離したさとりから距離をとる。そして目線を下にそらし、なんとなく理解してしまった。にこりと笑ったさとりが近づいてくる。

 

「笑ってるの?それ、邪悪な感じすごいんだけど」

 

 少しずつ距離を取り、背中が壁に触れたその瞬間。

 

「ご飯ですよさとり様。って何してるんですか....」

 

 ドアを開けたのは黒髪の女性、朱い髪、黒い耳には黒いリボン、二本の尻尾と声からさっきの猫だと断定できる。服装はなんだこれは初めて見た柄だ。ワンピースだとは思うが、緑のフリルに表現できない柄がついている。靴はバレエ靴のような、真黒なもの。くつひものかわりに黒いリボンがついている。

 

「因みに私は猫又ではなくて火車です。知ってます?」

 

「いや全く」

 

 猫又ならまだしも火車は全く知らない。その少女は嘆息してまぁいいかとでも言いたげに笑う。

 

「......まぁいいよ。一応名乗っておくね、もう敬語とか要らないでしょ。私は火焔猫 燐。ここでさとり様に使えてる従者だと思っていいよ」

 

「敬語マジで使われるの苦手だからありがたいな。お願いだからさっきみたいなことはやめてな、死ぬかと思った」

 

 事実敬語は苦手だった。過去に後輩がいたことがあったが、彼らにも俺だけには敬語を外してくれといった覚えがある。敬語はどこか距離を感じる。

 

「はは、それは失礼。ところであなた名前は?私は名乗ったよ」

 

「そう。それなんだけどさ。新しい名前くれたりしない?俺元々男だったのに女になるわ能力あるとか何とかで折角なら名前変えとこうかなって。心機一転ってやつ」

 

 前の名前が嫌いだったとか、忘れたとかそういう話ではない。ただ、なんとなく。本当に心機一転。それだけだ。新しい自分の人生、それに過去を持ち込みたくない。それに名前を呼ばれるたびに家族のことを思い出しそうだ。

 

「いいですね。ご飯食べながら考えます」

 

 そういって、さとりは部屋を出る。その背を慌てて追う。スカートまじで動きにくいな。

 そのまま食卓へと向かう。なんとなく察してはいたが、この屋敷は大きい。外の世界でいうところの宮殿程度の大きさはあるだろう。家というレベルではない。

 

「めっちゃ大きいな」

 

 歩くこと数分、やっと食卓に到着した。並んでいたのは豪勢な食事。鳥、肉、豚、様々な調理をされた料理と、空腹を誘うにおいで充満していた。

 

「今日はお客様が来たからね。ちょっと豪華にしてみたよ」

 

「すげぇ...ドラマとかでしか見たことないぞこんなの」

 

 椅子の多さからしてそれなりの人数がいるのだろう。彼女たちの座る席は元から決まっていたようで迷いなく座る。先ほどはいなかった背中にカラスのような羽を生やした少女もいる。長い黒髪を緑のリボンでポニーテールにしている。だが最も特徴的なのは胸もとにある巨大な赤い宝玉か眼のような石だ。雰囲気からしてなんとなく天然な気がする。

 椅子はすべてで5個、余ったさとりの横ではない方の席に腰掛ける。

 

「今日も来ませんね」

 

「そうね、でも待ってもきっと来ないわ。食べましょう」

 

 さとりは何かに悲しんでいるようだが、いったい何のことかは分からない。俺にできるのは同調まで、悲しんでいれば悲しんでいるというのはわかるが、一体何を悲しんでいるのか、それを理解することは出来ない。この考えはすべて美味しそうだなご飯という物に偽っているので恐らくさとりには読まれない。もしこれで読まれるようであれば、さとりの前でこの謎について頭の中でも触れたり、この先触れることがるかもしれない本人が本気で嫌がるような話題には触れないようにしよう。

 それから食事が始まった。先ほどの少女が霊烏路 空という事を教えてもらったり。やはり雰囲気どおりの天然だったり。和気あいあいと食べているような雰囲気ではあったが、さとりだけは心のどこかで本気で楽しんではいなかった。横の空席からしても誰かを待っているのだと感じた。恐らくそれに従者と名乗っている二人も気づいているがあえて触れていない。

 

「あー、まじで」

 

 ベッドに転がりながら天井を眺める。食事を終えた後、俺は割り当てられた部屋へと帰っていた。そこでまた嫌な思い出を思い出す。

 正直、騙す程度の能力に関しては想定外ではあったが、同調に関しては彼女の言った通り、言われてみれば思い当たる節があった。心が読めたりするわけではない、ただ何となく感じる。相手の喜怒哀楽が感じ取れる。会話をしている最中に、他人の横にいるときに。自分ではない何かの感情を感じる。そしてこれはとても...気持ちが悪い。その時抱えていた感情を上から他のもので塗りつぶされるような。腹の中を虫に蹂躙されるような、そんな感覚だ。そして、それが過ぎ去ると自分が何を思っていたのかを忘れる。真っ白な紙になって帰ってくる。

 

「こんばんわ」

 

 ノックの音で、体を起こす。

 

「どうぞってあれ、どうしたの」

 

 ドアが開き、さとりが入ってきた。突然の訪問、そのままベッドに座る俺の横に座る。

 

「外の世界、暮らしにくくなかったですか?その能力私のものとすごく似ていて悩みがわかるというか、何というか」

 

 要は心配してくれているのだろう。優しいな。

 

「まぁね。でも、悪いことだけでもなかったよ。相手が本気で嫌がることも喜ぶこともこれのおかげでわかったんだと思う。それに俺、友達とかも少ないタイプだったからさ。疲れることもなかったし」

 

 自嘲的に笑う。嘘はない。実際友達は少なかった。大学でも、高校でも陰キャと分類されていただろう。実際、この能力を使えば友好関係は簡単に広がる。小学生のころふとした気の迷いで友達をたくさん作ってみたことがあった。でも、その引き換えにとても疲れた。肉体的にではなく、精神的に。その時は向いてないんだなと思っていたが今思えば心がすり減っていたのだろう。

 

「なら、良かったです。ところで、一緒にお風呂に入りませんか?いろいろと外の物とは違いますし、お教えしようかと」

 

 思考が止まる。この少女は今なんと?

 

「一緒にお風呂に入りましょうって言ったんですよ」

 

「いや、俺は男なんだけど。身体はこれでも心はしっかり」

 

「でも身体は女の子じゃないですか。なら何も問題ないと思いますが」

 

 正直、さとりはかわいい。さとりだけでなく、この世界に来てからあった人々はみんなかなり顔立ちが良かった。個人的な趣向としてはさとりが一番かわいいと思った。だが、それならなおさらその人とお風呂に入るというのはダメではないだろうか。身体は女であっても心は男だ。少なからず興奮もするだろう。いやだが、それはこの状況だと所謂百合になるのか...?俺は端から見れば一人称が俺の女だ。男風呂か女風呂どちらに入るのが正しいかと言われば女風呂だろう。さとりの裸を見たくないかと言われればそれは嘘だ、俺だって男、かわいい女の子の裸は見たい。でもこんな欲望を今の状況を利用して発散するのは.....

 考えれば考えるほどわからなくなる。どちらの判断も同じくらい正しい気がしてきた。

 

「じゃあ。私が一緒に入りたいので入りましょう。これならいいですか?」

 

「え。あ、うん。え、よろしく、お願いします?」

 

 今後はどうせ女子風呂に入るほかないのだ。あきらめる他ない。俺は女の子だから.....。

 そんな言い訳をしつつ、さとりとともにお風呂セットをもち風呂場へと向かった。

 



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3話 舞台の裏では

他人から感じる優しさ、それは貴方にとって不都合でないという事。
都合のいい言葉、都合のいい態度、それを人は優しさと呼ぶ。


「どうしてこうなったかなぁ...」

 

 俺は地霊殿にある大浴場にて湯船に浸かっていた。あの屋敷の広さからしてもなんとなくは予想できていたが、とんでもなく広い。上の近くにあった銭湯などとは比べ物にならない広さだ。ただ、風呂は一つしかない。掃除が大変だからだろうか。

 だが今はそれどころではない。

 

「湯加減はどうですか?」

 

 この事態を招いた張本人、古明地さとりは俺を風呂場に誘い、あろうことか一緒に入っている。今は体を洗っているのだろうが、それでも家族以外の女性と風呂に入るのは緊張する。

 

「湯加減は大丈夫、なんだけどね」

 

 後ろからさとりの声がした。当然生まれたままの姿だろう。彼女は本当に俺が心は男という事を理解しているんだろうか。

 

「理解してますよ」

 

「身体洗い終わったのね」

 

 水音と共に隣に座ったさとりから視線を逸らす。無心だ、無心になれ。風呂から登る湯気に集中するんだ。

 あーーーー湯気ぇぇぇぇ。無理だ。

 

「頑張りますね。別に私は見られてもいいんですが」

 

 さとりがどんな表情をしているかはわからないが、多分今悪い顔をしている。悪魔だ。

 

「俺が良くない」

 

「はは、悪戯したくなりますね」

 

「頼むからやめて、俺は家族以外の裸とか現実で面と向かっては見たことないから。見るとしてもちょっと覚悟が」

 

 当然そういうビデオとかでは見たことがある。俺も一般的な大学生だった。だが、女性関係を持ったことはない。持てるだけのスペックがなかったというのが一番だが。正直あまり欲しくもなかった。と言うのも俺は昔から自由が好きだった。彼女を作るということはその時間をある程度は彼女に費やさなければいけないと言うことになる。俺にはそれが出来そうになかった。だからこそ、作る努力すらもしなかった。それに作ったなら、それだけ彼女に愛を手向ける必要もある。俺にはそれをする自信が無かった。

 

「いくつか聞きたいことがあるんですけど良いですか?」

 

 さとりが声をかけてくる。

 

「もちろん。ただ、アダルティなのはなしで。経験ないから」

 

 補助線を張っておく。ないとは思うが、念のためにだ。昔からそう言った話題は得意ではない。

 

「大丈夫ですよ。では、」

 

 意味ありげに一拍置かれた。白い湯気が幕開けとでも言いたげに立ち昇る。

 

「貴方は、私と同じような能力を持っていますね。その上で、人間ってどう思いますか?」

 

「なるほど」

 

 心の中で、人間がどう言うものか。それは結論が出ていた。能力があったからとかそういう話ではなく。一人の人間として。

 

「元は悪い奴らだと思ってる。自分の生きやすいように全てを変える。そこに発生する犠牲に関しては目を向けず。仕方なかったとか正義のためだとか言って納めようとする。けど、全員が悪いやつだとは言わない。その悪性を抑えようとする奴もいた。世間はそれを偽善と言ったけれど俺はそれでも立派だと思った。だって、偽善だと吠える奴は何もしていない。俺は人間のそういうところが嫌いだった。だから」

 

「いっそのこと、滅んでしまえばいいと思った」

 

 さとりが俺の代わりに言葉を紡いだ。一瞬驚いたが恐らく心を読んだのだろう。確かにそれが俺の下した結論だった。ただ、俺にそんな力はない。俺はそう願った、ただそれだけだ。

 

「オチまで言わせてよ。ただ、この結論は見なくてもいい裏を見てしまったからこその結論。俺の能力の話が本物なら俺は他人なら見ていないような場所を見ていることになる。例えるならテーマパークの着ぐるみの中のおじさんを見るような感じかな、だからきっとこれは正しくない。真実であったとしても」

 

「そうですね。その通りです。でも、人間が醜いというのが事実であればあなたの結論はきっと間違ってないと思います」

 

「やさしいね」

 

 笑顔を浮かべながら内心では嫉妬を、泣きながら内心では嘲笑い、怒りながら快感を得る。表情には出ていない、本来ならば理解し得ない人間のそれをこの二人は理解してしまった。そうなればこの結論は必然なのかもしれない。

 

「にしても白いね。外出てるの?」

 

「あれ、もう見てるんですね。立ち上がりましょうか?」

 

「やめて」

 

 覚悟を決めてみたのはいいが思ったよりも興奮しなかった。心も女になりつつあるんだろうか。同性の裸体見ても興奮しないだろう。風呂場で弟の裸を見たようなそんな感覚だ。

 

「質問ばっかりだし俺からもいい?」

 

「そうですね。どうぞ、ただアダルティなのはやめてくださいね」

 

 くすくすと笑いながら俺と同じ言葉を吐く。そんなさとりにため息を吐き、最初の印象とは若干違ったななどと思う。

 

「答えたく無かったら答えなくて全然良い。食事の時に待ってたのは誰?」

 

「あー、その事ですか」

 

 少しの逡巡。そんな彼女の姿を見る。白肌はまるで絹のようで、健康的とは言えないが、俺も言えた事ではない。身体はとても豊満とは言えないが、幼げな顔立ちと似合っている。ここまで言えば恐らく怒られない。

 

「つらつらとよくもそんな恥ずかしい単語が出てきますね」

 

 思考を読んださとりをニコリと笑いながら眺める。彼女の顔は明らかに風呂のせいというだけではなく真っ赤だ。

 

「貴方性格悪いって言われません?」

 

「そうねぇ。まぁそこそこは」

 

 お返しだよ。と心の内で笑う。俺はやられたらやり返すが主義の人間だ。あんなに一方的に恥ずかしい目に合ったら相手にも相応の目には合ってもらう。にしても慎ましくはあるが女性を感じる。

 

「ストップです。ストップ。あぁ、もう。感情を読まれるっていうのもなかなかやりにくいですね...あの時の空席は妹です」

 

「それを心読める人に言われてもね。にしても妹か。家出とかされてる感じ?」

 

「いえ、そういうわけではないんですが。とても()()で」

 

 自由か。ここでの自由は恐らく能力的なものだろうと推察は出来る。まだ俺が知っているのは自分のふたつの能力にさとりの心を読む能力だけ。推測するだけ無駄だろう。それにこれ以上は土足で踏み込む意味はない。

 

「自由ねぇ。てことはたまには帰ってくるの?」

 

「そうですね。たまに帰ってきます」

 

「俺も妹居たし、年上の気持ちは分からんでもない。めっちゃ不安になるよね」

 

 彼女は不安を抱えていた、事実気持ちもわかる。大切な家族が帰ってこないというのは不安にもなる。誰かに襲われていないだろうか、もう二度と帰ってこないんじゃないだろうかなど、最悪の想定はいくらでも浮かぶ。こういう時に楽観的に考えることはなかなかできない。

 

「貴方は優しいんですね」

 

「そんなことないよ。俺はそんなにいいやつじゃない」

 

 断言した。優しいとそう感じるのは俺が感情を感じれるから。これがなければ俺はきっと。優しい言葉をかけられない。どんな言葉をかければいいのかすら分からない。

 

 

「そういえば、名前決めました。古明地 こよみってどうですか?」

 

「ネーミングセンスあるね。変な名前来るんじゃないかとちょっと構えてたんだけどよかった」

 

「私のことをなんだと思ってるんですか。結構しっかりしてますよ」

 

 しっかりしている人は自分のことをしっかりしてるとはいわないよなぁ。と思いながらも名前を反芻する。古明地 こよみ...か。いい名前だと思う。そしてこれまで共に歩んできた名前に別れを告げた。多くの思い出がある。だが、それは捨てなければならない。弟や、妹、両親、友人と会うことももうない。俺という人間は古明地こよみという人間として生きていくしかない。

 

「そうね。さとりはしっかりしてるよ。明日河童のとこ行くんでしょ?ならもう寝とこうかな。慣れない環境で疲れたし」

 

「そうですか、わかりました。お燐にパジャマを置いておくように言ったのでそれを着てください」

 

「了解」

 

 こよみは湯船から上がり、風呂場を後にする。残されたさとりは一人、湯船で妹を思った。今どこにいるのか、元気ならそれで構わない。けれど、たまには顔をみたくなる。私のただ一人の家族。

 湯煙の中、一人きり。妹も大事だが、今は彼も大切だ。彼を古明地として迎え入れたのには理由がある。心に何か影響を及ぼす能力は物理的には強くない。その割に周囲への影響が強い。そのため能力がバレれば周りの者達から簡単に攻撃を受けてしまう。そしてそれに抵抗する術はない。そのため、危険だけれど地底の私達の家に招待した。ここは元々地上から追いやられた妖怪が住む場所、相当な強者か、同じような境遇の者が多い。心を読める程度では地上ほどは恐れられない。それに彼を妹と同じような目には合わせたく無かった。

 けれど彼がここにきたのはそれだけが理由というわけでもない。彼のもう一つの能力。騙す程度の能力。それを彼を連れてきたあの妖怪。八雲紫が恐れたから。騙すと一言に言っても問題はどこまで騙せるかだ。その範囲によっては彼は幻想郷にとって悪魔になり得る。だからこそ、そんなような動きがあれば心を読む事で知らせる。それが私の役目。

 今日見た感じでは、異常はない。普通にここでの生活を楽しんでやろうという意思を感じれた。このままいけばここに馴染んでくれる日も遠くはない筈。幻想郷を破壊したくなるような事件が起きない限り彼は味方でいてくれる。敵であれば脅威ということは味方につければそれだけ心強いと言うことになる。だからこそ彼とは早めに友好的な関係を築いておきたい。彼にできるように私も感情を読み、それに応じた言葉をかける事ができる。

 

「また難しい顔してるね。おねーちゃん」

 

「あら、こいし。お帰りなさい」

 

 そこに立っていたのは古明地こいし。私の最後の家族にして最愛の妹。エメラルドグリーンの髪は肩まで伸びていた。

 

「髪切らなきゃね。今回はどんな土産話があるのかしら?」

 

「えっとね!またこころちゃんと遊んだの」

 

─────────────────────

 

 古明地さとり。とても良い人だった。少々小悪魔的な部分もあるが、それでも悪い人ではない。

 こよみは悟りの言っていた通り、置いてあったパジャマに着替え、寝台で横になっていた。

 こうしているとここにくる前と余り変わらないような気もするが。能力があるだの、妖怪がいるだの。信じられない話が余りに多い。今でもこれは夢なんじゃないかと思う。ただ、恐らくは現実だ。夢だと思いたいが、所々でリアリティがありすぎる。それにあまりに長い。

 

「お邪魔するよ」

 

「ん?」

 

 身体を起こすとドアが開き火車を自称していた少女が入ってきた。

 

「さとりかと思った。燐か。どしたの?」

 

「いや、ちょっと気になってね。家族と離れ離れにされたって聞いてさ。大丈夫かなって」

 

 一度俺をアレルギーで殺しかけた少女とは思えないセリフだ。

 

「流石に辛いよ。でも、仕方ないと思ってる」

 

「帰りたいとか思わないのかい?」

 

「帰りたいけど帰っても俺のこと忘れてるらしいからさ。それってつらいなって」

 

 燐が嘆くような顔をするが、すぐに悲しそうな笑みに変る。

 

「もし本当に無理になったら言ってくれ。胸貸すよ」

 

「はは、今は大丈夫。もしまじで辛くなったら借りるよ」

 

「借りなそうだねぇ」

 

 笑いながら燐が戸を閉めて廊下を歩いていった。

 窓から外を見る。そこでは未だに賑やかな喧騒が続いていた。外の世界でも喧騒はあったが、機械的なものだった。車や飛行機、そんなものはここにはたぶんない。あるのは楽しそうな笑い声と、歌。

 

「平和なのかね」

 

 外の世界では、俺のいた国ではなかなか見ることのできなかった景色だ。サークルでいった居酒屋ではこういったことはあったが、みんな何から逃げるために酒を飲んで、酔っていた。平和そうに、楽しそうに見えて、それは表面上だけで、中は違った。

 

「あー、まじで」

 

 ゲームをしていないとこういうことを考えてしまう。目を背けたい事実。触れるべきでない、世界の舞台裏。彼にとってゲームは逃げだった。他のことをしている間はその事を考えなくて済む。

 

「ゲームしてぇなぁ」

 

 灯を消して、布団へと潜り込む。花のような良い匂いがした、かなり整えてくれたようで寝台は雲のように柔らかく、眠りにつくことは難しくなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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4話 空を飛ぶって、まじですか...?

 何かを守るためには何かを捨てるほかない。正義の味方を語るならその瞬間に自分が悪役でもある事を理解しろ。全てに対する正義、そんなものがあるとすれば、それは全ての敵になる事だ。


 既に消灯された薄暗闇に包まれた部屋のドアがゆっくりと開かれ、黒い帽子にオレンジ色のリボン。古明地さとりの服の色をを反転させたような服をきた緑髪碧眼の少女が入ってきた。

 

「ねーねーおねーちゃん」

 

 返答はない。寝台には一人の少女が横になっている。小さな寝息と白い肌。肩まで伸びた黒い髪。これだけ見れば多くの人は彼女が昨日までは男だったなどとは思いもしないだろう。

 

「私も一緒に寝る」

 

 唐突な発言の後に、起きない少女の返答を待つことなく、エメラルドグリーンの髪をした帽子を机に置き、少女は寝台に入り込む。そして眠っている黒髪の少女の腕を強引に取り枕のようにして眠りについた。

 

────────────────

 

 陽光で目を覚ますことはない。それは外でも変わらない事だった。日が登るまでゲームをして陽光を避けながら眠りにつく。目を覚ませば日は沈みかけている。まるでフクロウのような生活だと家族に苦言を呈された。そんなことももう言われることはないんだろうと思うと少し寂しい。

 

「あ、起きた?」

 

「金縛りかと思った。多分さとりの妹?」

 

 起きた直後、右腕が動かず。何事かと周囲を見渡すと腕を枕にすやすやと眠る少女がいた。風貌や、服からして恐らくさとりの妹だと断定できる。決定的だったのはその胸もとに浮かぶ三つ目の目。さとりの物は開いていたが、彼女の物は閉じていた。寝るとシンクロして閉じるのだろうか。

 

「そうだよ。よくわかったね」

 

「似てるからね。手がもう限界だから退いてくれるとありがたいんだけど」

 

「寝心地良かったよ」

 

 そう言って笑顔で頭を退ける少女。余りにまぶしい笑顔だ。子供とは純粋でいいと思った。きっと今の自分にはこんな純粋な笑顔は浮かべられない。大人になるといろいろ知ってしまう。

 

「それは何より」

 

 立ちあがり腕を上げて回す、かなり血の周りが悪かったのか熱い何かがドクドクと流れるのを感じた。

 

「たまには帰ってきなよ。さとり寂しがってた」

 

「うーん。毎日おねーちゃんが腕枕してくれるなら考えようかな」

 

「さとりならやってくれそうじゃない?」

 

 会いたいといっていた妹がそれでここにいてくれるなら、さとりは快諾しそうだ。

 

「さとりおねーちゃんはなんか怖いからダメ。こよみおねーちゃんで」

 

「いや、なんか怖いって何が起きるんだ。にしてもおれかぁ...要検討で」

 

 妹に怖いと言われるとはなにをしたんだろうかなどと疑問に思いながらカーテンを開く。胸が重い。そこまで大きくはないが、胸で肩が凝ると言われている理由も理解できた気がする。

 

「そういえば俺の名前は知ってるみたいだけど君の名前は?」

 

 重さを感じる肩を回す。これは走ったりすると尚痛いんだろうと思うと元々インドアであったこともあり外に出るのが憂鬱になる。

 

「私?私はこいしだよ」

 

「こいしね。覚えとく」

 

 ジャンプすると胸が重力に引っ張られる感覚がある。世間の巨乳の人はまじで痛いんだろうな。本当にそこまで大きくなくて良かった。

 

「今日どこか行くの?」

 

「河童のとこにゲームの機器とか作れないか聞きに行くよ。今思うとあの俺を拐った金髪ロングの女に持って来させればよかったと思ってる」

 

「金髪ロングの女?紫のことかな、呼べば出てくると思うよおばあちゃんって」

 

「なにそれ、確実に煽ってるじゃん」

 

 思わず笑ってしまった自分の声に驚く。そんなに声が高かっただろうか。元々男の中では声は高い方ではあったが、今のは確実に女の笑い声だ。体だけではなく、声まで女になっているのだろう。ただ、もうどうしようもない。ならもう受け止めて生きるしかない。それに今思えば、女の体に男の声はおかしいだろう。都合がいいと言えば都合がいいが。

 

「どうしたの、そんな驚いた顔して」

 

「んや、何でもないよ」

 

「起きてますか?」

 

 扉が開けられ少し見慣れてきた桃色と、優しそうな声が聞こえた。寝癖がすごいことになっている。跳ねまくっている。

 

「起きてるよ」

 

「それは何よりです。お風呂入ったら行く準備をしましょう。服も着替えなきゃですしね」

 

「朝風呂いいねぇ。出たら教えて」

 

 そう言ったこよみの服を掴んでさとりが引き摺って行く。

 

「え、ちょ、力強くない?」

 

 華奢な少女とは思えない力でズルズルと風呂場まで連行される。その後ろをこいしが呑気に鼻歌混じりに歩いている。道中でかなりの動物と会ったが誰も近づいてこなかった。昔から動物には好かれない体質な上に、俺自身がアレルギー体質で近付けなかった。

 

「いや、俺元男だしさぁ。風呂はよくないと思うんだよなぁ」

 

 愚痴をこぼすこよみの服をさとりが器用に脱がして行く。

 

「でも今女の子じゃん」

 

 隣で服を脱ぎ終えたこいしが帽子を置いてさとりを手伝い始める。これでは要介護者のようだ。

 

「そうなんだよなぁ」

 

 さとりが服を脱ぐ間にこいしに手を引かれて浴場へと連行された。身体を洗って、風呂に浸かる。昨日よりは少し温い気がするがそれぐらいが正直丁度いい。少し遅れてこいしが風呂へと飛び込む。盛大な水飛沫を顔面に迫り、直撃した。

 温泉成分が盛大に目に染みる。顔を手で拭うが、温泉に使っていた手では意味はない。

 

「こいし。お風呂はプールじゃないのよ」

 

「同じような物じゃない?」

 

 さとりが体を洗い終わったようでこよみの横に座りタオルを手渡してきた。

 

「ありがと」

 

 それを受け取って顔を拭う。乾いたタオルが顔についた湯を吸ったおかげで目の痛みは少し楽になった。そのまま使ったタオルを少し畳んで頭に乗せる。

 

「思うんだけど俺はいいとしても君らは良いの?元男に裸体を晒している訳だけど」

 

 湯船を泳ぐこいしも横に座るさとりもタオル一つ巻いていない。何もかもが見えている。無防備どころの騒ぎではない。こいしの泳ぎが止まり、さとりからは困惑が感じ取れた。

 

「私は...別に」

 

「わ...私も別に」

 

 いや、顔赤くなってるやん....という感想は胸にしまう。正直男からすればこんな環境は嬉しいものでしか無い。今は女になったせいかあまり感動しなかったが。

 

「姉妹揃って若干天然だよね」

 

 天井を眺める。白い大理石が並んでいた。足元は黒い石で埋め立てられているようだが、天井は大理石らしい。よくこんな建築ができるものだと思う。外であればさまざまな機器があるのでそこまで苦労しないだろうが人力でこれを制作するのはかなり大変だろう。

 

「建築が得意な妖怪もいるので、あと天然じゃ無いです」

 

「なるほど。ならポンコツ...?」

 

「一回ぶっ飛ばします?」

 

「勘弁」

 

 はは、と乾いた笑みを溢す。楽しい、楽しくはある。楽しいのだろう。紫というあの女に能力を教えられた時から思っていたことがある。いま感じているこれは本当に俺の感情なのか、ただ他人に同調したものなのではな

いかと。

 

「辛いですか」

 

「辛いというか分からんくなるんだよね。自分が」

 

 何をもってしても今感じているこれが自身の感情だと証明することはできない。残酷な話だ、知らなれければ良かったことだった。ただ、そんな気がする程度であればここまで苦悩することはなかっただろう。

 

「あー、まじで」

 

「そろそろ上がりましょう。河童に会う前に貴方には試してほしいことがあるので」

 

 その後、さとりは風呂を上がり、そのあとを追う様にこよみも風呂場を後にする。

 こいしはどこかのタイミングであがっていたのか姿が見えなかった。さとりが心配していないあたり、問題はないのだろう。また置かれていた服に着替える。さとりの服を黒と灰色にした喪服のようなデザインの服だった。少しの苦戦の後にさとりの助力もあってそれを着た後に初めて屋敷の外に出た。

 

「やっぱりにぎやかだね」

 

 町の喧騒は屋敷から出ると一層はっきりと聞こえるようになった。閉められた門の先では酔っているのであろう人ならざる者たちの姿が見えた。一人は歌い、一人は踊っている。そのような外と隔絶するかのように門の中は静寂で満たされている。庭は広く、中央には白の大理石で作られた噴水があり、永遠と水を吐き出し続けている。屋敷を囲う様に建てられた塀の内側には整えられた椿が白い花を咲かせている。地面は道を作るように石で舗装されており、そこ以外は自然のままに土が露出していた。

 

「基本的にみんなお酒を飲んでいるので」

 

「幸せそうでいいね。で、試すことって何」

 

「空を飛んでみてほしいんです」

 

「はい?」

 

 唐突にかけられた言葉。一瞬その意味を理解できず、思考が止まる。だが、ありえないこと続きの今であればできないこともないのかもしれない。

 

「なんか頭につける竹とんぼみたいなやつがったりするの?」

 

「そんなものはありませんよ。普通にこうやって飛びます」

 

 さとりの体がふわりと宙に浮く。

 

「おーまいがー」

 

 目の前で重力がログアウトした。目の錯覚かと思うが地面に足はついていない。背中にジェットパックのようなものがついているのではないかと疑うがそのようなものは見えない。ただ、重力に逆らって上に飛んでいた。

 

「俺にもこれをしろと」

 

「いえ、できないなら私が持ち上げるので」

 

 よし、飛べるようになろう。生殺与奪の権を他人に握らせるなという声が頭に響く、それ以前にさとりのあの細腕に持ち上げられ、高所を運ばれるというのは恐ろしすぎる。

 

「コツとかはある?」

 

「早い話、飛んでいる私に同調すれば飛べると思いますよ」

 

「かしこい」

 

 そのまま浮いているさとりに同調する。その考えはシンプルだった。自分は飛べるとそう信じる。だけだった、目を閉じ目を開く。身体は浮いていた。地面から足が離れ、まるで映画のお化けのように体が浮いている。

 

「すげぇ!でも俺高所恐怖症なんだよね」

 

「下見ないようにしましょうね!」

 

 にっこりと笑っているが確実に何かを隠している。いったい何を....

 

「最初からとんで行くのもあれでしょうし、どうせ通ることになるので町を通っていきましょう」

 

「いいね。それにこの格好でとんだらパンツ見えるだろうしね」

 

「え」

 

 門を開けようとしていたさとりの手が止まる。

 

「え?」

 

 当然のことを言ったにも関わらず驚いたさとりに驚いてしまう。まさか

 

「あの人たちが私のパンツの色を知っていたのはそのせい...」

 

「あー...そいう事だろうね」

 

 恐らくさとりはこのスカートの格好で、町の上を当然のように飛んでいたのだろう。そうなれば、結果は見えている。やはりさとりは天然なのではないか。

 

「ちがいますよ」

 

 そっかとだけ言い残し開いた門から外へ出るとどこかから声を掛けられる。どうやら町からのようで一人の人ではない者が歩いてきていた。下駄をはいているようでカポカポと特有の木が固いものにあたる音を立てており、右手には巨大な赤い杯。おでこの部分から一本紅い角が生えている。赤い着物をほぼ着崩しており胸もとは完全に開いている胸がかなり大きいこともあり相当妖艶な雰囲を醸し出していた。

 

「あんた、見ない顔だね」

 

「昨日来たので、一応こよみって言います」

 

 人間ではない、だが今のところ敵意は感じない。ならわざわざ身構える必要もないか。ただ、人間でないことは確か、何も警戒しないわけにはいかない。

 

「勇儀さんですか」

 

「あんた、外来人らしいね。能力は?」

 

 チラリとさとりを見る。俺の能力は他人に嫌われるようなものだ。それをわざわざ伝える必要があるのか。この世界では他人と健全で、良い関係を築きたい。だが、真実を伝えないというのも良い関係には繋がるとは限らない。

 

「彼女は大丈夫ですよ」

 

「そっか。俺の能力は、同調する程度の能力」

 

 ここで一拍。正直、同調よりももう一つの能力の方が嫌われる事になり得るだろう。我ながら......ひどい能力だ。相手はこれを知ってどのような感情を抱くのだろう。

 

「そして、騙す程度の能力」

 

「ほーん。能力二つ持ち、ねぇ。まぁ地下に連れてこられるわけだ。だが安心しな、ここは元々そういう奴らの集まる場所さ、誰もあんたを遠ざけようとはしない。歓迎するよ」

 

「なるほど。そりゃめっちゃ嬉しい。正直迫害されると思ってたから安心したよ。よろしく、勇儀」

 

 にこやかに笑い、握手を求めるこよみの手を勇儀も笑顔で受け取る。それを門の前で見るさとり。

 

 その表情は、まるで目の前で一匹の子犬が轢かれ、それに何もできなかった時のように。歪んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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5話 挨拶と幸福と真実

 もし貴方が勇者だとして、貴方はこの世界を救おうと思えますか?


「いやー、良い人だった」

 

 あの後勇儀と少し話したが本当にいい人だった。分け隔てなくいろんな人に平等に接している者というのはたまに居るが本当にすごい才能だと思う。人にはみんな才能がある。世界に同じ人は二人としていないし、同じ事ができる人間もいない。全てが別だ。それは全て才能という者で区分されているのだろう。

 

「彼女はとんでもなく強いですから。それ故にどんな能力を持っていようが恐れる必要がないんです」

 

 今はさとりと共に地上に出る場所へと向かっている。勇儀は他の妖怪に飲みに誘われて少し前に去っていった。

 

「そうであったとしてもだよ。自分が強いと大抵それに酔っちゃって傲慢になったりするもんさ。でも勇儀は違った。それだけでも良い人間だったという証明にはなる。まぁあの一瞬で理解したっていうのは傲慢だけどね」

 

「そうですね。ただ、今のあなたなら傲慢ではないんじゃないですか?」

 

 ふと能力を思い出す。まるで自分が一般人のように語っていたが、もう違っていたのだった。今は、能力を持った人間だと言えるのかわからない物。

 

「確かに、今の俺なら傲慢ではないかもね」

 

 ただ、それは........自分がもう絶対に外に帰れないということの証明になってしまう。こんな能力を持った人間はあちらにはいれない。それを理解する前ならばきっとそうはならなかったが、今となってはもう、隠すことを意識してしまう。

 もし隠し通すことに成功したとして、それはとても.......生きづらいだろう。

 

「そうなんですよね。能力を持っている。それを理解した瞬間もう外では暮らせなくなるんです。彼らはおそらくあなたを許容できない。人間は弱い種族です。自らが危険になるような可能性は排除する」

 

「そうだよね。知ってるよ。でも大丈夫。俺はここで暮らすってもう決めたから。そこに二言はないし、復讐でここを壊そうなんてことも考えてない。ただ、自由にここで生きていこうと思ってる。だからそんなに警戒しなくていいんだよ。俺が生きていけるのはもうここしかないんだからさ」

 

 古明地さとりに人の心が読めるように、こよみは人の心を調べることができる。そしてどちらもそれを隠す術は持っていない。彼女たちの会話は真実しか内包できない。だからこそ、古明地さとりは彼女の言葉が真意を隠していることに気づいていた。

 

「貴方、騙す能力は使わないんですか?」

 

 但し、こよみに関しては騙す術を持っている。これを使えば恐らく古明地さとりを欺くことは容易いだろう。そうなればこよみだけが一方的に心を調べることができる。

 

「うーん。正直使いたくなくてさ。こう見えて結構いい奴でありたいと思ってるから他人を騙すのは本当に必要な時だけにしたいなって」

 

「というのは嘘で?」

 

 こよみが苦笑する。そう、嘘も誤魔化しも通じない。これが決定されたこの二人の関係性。お互いに本音で話す他ない。彼女が何かを隠したいとそう願うまでは。

 

「いやー、折角隠してたのに。もし、本当に騙したくなったときに疑われちゃうからだよ。必要な時に使えないと困るからね」

 

「合理的ですね」

 

 そうかな、とつぶやいて周囲を見渡すと町はすでに抜けかけて、周りには砂漠が広がっていた。

 

「少し飛びますよ、ここからは少し危険なので」

 

 さとりに同調し、ふわりと身体を浮かせる。先ほど飛んだおかげか想像以上にスムーズに飛ぶことが出来た。自分の思った方向へ、まるで鳥のように移動できる。空から飛んで見下ろす世界というのは砂漠と言えど、新鮮だった。

 その後は特に会話もなく、ただどこかを目指して飛ぶさとりの後を追った。時折、砂漠から不自然に砂が吹き上がったり、何かが移動しているのであろう砂ぼこりが舞い上がったりしているのが見えた。大きさ的にも尋常ではないものがこの砂漠の下にはいるらしい。

 

「もし、一人で来るようなことがあっても絶対にここは上を飛んでくださいね」

 

「明らかにやばいのいそうだもんね」

 

 視線を上げるとそこには巨大な穴。目を細めると先に少しの光が見える。なるほど、これを登れば地上という事だろう。空を飛べるかの確認はここを浮上する際に必要だったからと。空を飛べなければこの高さは登れないはずだ。

 

「地上楽しみだな」

 

 先行して地上を目指すさとりを追って光へと向かう。一体どんな世界が広がっているのか。それを考えるだけでとても楽しい。ここに来てから起きることは全て新鮮だ。

 

「貴方、純粋なのかそうじゃないのか」

 

「同調なんて能力あったら純粋ではいられないでしょ」

 

 当然、全ての人間が悪人だったわけではない。心の底からいい人間もいた。だが、大抵の人間はそうではなかった。人は基本的に悪人で、そこに稀にいい人間もいる。それが彼女の得た結論だった。

 

「君が新人?」

 

 気づくと横に並走している少女がいた。空を飛んでいる分足音がないので意外にもかなり接近されるまで気付けなかった。茶色のワンピースにこげ茶のリボンで団子のようにまとめられた金髪。恐らくは人間の類ではないだろう。

 

「どーも、古明地こよみです」

 

 さとりが停止しなかったので上へと飛び続けたまま会話を続ける。それに合わせるように少女もついてくる。

 

「私は黒谷ヤマメ、よろしくね!」

 

 最初の印象は元気な女性という感じだ。内心も大体同じような物。この世界の妖怪の心は調べてきたが、表裏があまりないと言う印象を抱いた。見えてしまう人間からすればかなり生きやすい。

 

「にしても地上に何しに行くの?お祭りとかあるっけ?」

 

「ないですよ。彼女はまだ霊夢さんに会っていないので一応挨拶に行こうかと思いまして」

 

「私もまだ会ってないんだけど....」

 

 ヤマメが少し不満げに告げるがさとりは気にしていないようだ。不自然に飛び出している石を避けながら光を目指す。

 

「地底の人々は彼女が生きていれば勝手に会いますしね」

 

「それもそっか。それじゃまたね」

 

 ヤマメは飛ぶのをやめて落ちていく。止まったわけではなく恐らく落ちている。一瞬死んでしまうのではないかと救う方法を考えたがヤマメが手首から白い糸のようなものを出してどこかの蜘蛛男のように移動して行ったのをみて安心と共に驚いた。

 

「えぇ....スパイダーマンじゃん」

 

「彼女は大蜘蛛という妖怪ですから。ところで体調が悪かったりしませんか?」

 

「大丈夫だよ。下はあんまり見れないけど」

 

 昔から若干の高所恐怖症なのでこの高さから下を見ると少し怖い。だが、自分で空を飛べる今その恐怖はそこまで大きくは無かった。

 そのまま彼女たちは地上へと向かっていく。所々に生えた危険な石を避け、数十分するとついに地上へと出た。そこに広がっていたのは緑。人間に手をつけられていない自然の姿だった。不思議と空気が綺麗に感じる。眼下に生い茂る木々と大きな山。少し先には地下で見たような町が見えた。空は晴れ渡っていて、所々にある雲が風に乗って流れている。

 

「おお....凄いな」

 

 外の世界にもこのような場所はあるのだろう。だが、そこに行くのは簡単ではない。言語の壁、金銭面、時間。いい意味でも悪い意味でも人間は何かに縛られている。何かをしたい、でも時間がない、それを買うお金がない、行ってみたい場所はあるが言葉が通じない。全ての物事には壁があり、それを越えられるかどうかでそれの可能不可能が決まる。だが、人間はその全てを可能にすることはできない。圧倒的に、時間が足りない。人が満足に動ける60年程度で自分のしたいこと全ては行えない。

 

「そうですね。でも長く生きるというのも簡単な話ではないですよ。貴方ならわかると思いますが、時間があるということはそれだけ嫌なこと、他人の醜い場所を見る機会も増えるわけですから」

 

「そうね。ただ、それだけ良いこともあるかも知れない。どっちが多いかなんて俺は知らんけどね」

 

「人によるでしょうね。ただ、貴方の能力と、貴方の下した決断からすれば。どちらかと言えば」

 

「この話はやめよう」

 

 こよみが何かを言いかけたさとりを遮る。まるで子供が苦手な野菜から目を背けるように。

 嫌な事を思い出した。人間は醜い。そう決断するに至った数多の事象がフラッシュバックする。倒れる人を気にもせず通り過ぎていく民衆。人間は、自分が一番好きなのだ。本来足りない時間をより有意義に過ごすためならばなんでもする。その結果、他人が傷つこうとも。どうでもいい。

 

 だから、だからこそ。

 

 同じ人間である自分も、どこまでも醜悪で、残酷で。

 

「やめた方がいいですよ。それに貴方は」

 

「あんたが最近来たっていう外来人か!なぁ、外の世界のことを教えてくれよ」

 

 何かを言いかけたさとりを遮るようにして一人に少女が現れた。いったい何を。

 

「ココとは全部違うしなんともね」

 

 細かく見るまでもなく魔女だろう。一般に魔女の服と言われる白黒の服を着て、ダメ押しに箒に乗っている。肩の少し下まで伸びた金髪が日光を反射し輝いている。感情は興味に満ちていて、純粋で、まるで子供の様だ。

 

「色々聞かせてくれよ」

 

「魔法はないね。あとは、凄いでかい建物が多くて地面はほぼ全部舗装されてる。土なんてなかなか見れないよ」

 

 かなり郊外に出ない限りはあの世界にはここまでの自然はない。どこもかしこも人間が手をつけ、変えてしまっている。立ち並ぶ巨大なビルと固い人工物。そこに自然の面影はない。

 

 

「さとり妖怪もいるのか、最近はちゃんと外に出てるのか?」

 

「いいえ、あまり必要もないので」

 

 さとりは無愛想に笑うこともなく静かに告げてはいるが、この魔法使いへの負の感情は調べられない。恐らく悪いやつではないんだろう。

 

「ところで名前なんていうの?俺は古明地こよみ」

 

「一人称俺か。見た目と違って男勝りだな。私は霧雨魔理沙、この幻想郷最速の魔法使いだぜ」

 

 たしかに見た目は本当にただの少女になっているので一人称が俺というのは少しおかしいかもしれないが、今更20年近く使っていたものを変えるのは大変だろうし面倒だ。

 

「外では男だったからね。ここに来たら女になってた」

 

「それは初めて聞くなぁ。色々実験してみたい」

 

「パスで」

 

 実験されるのはお断りだ。何をされるのか分かったもんじゃない。外ならば薬を打たれるやら、解剖やらだろうが、彼女は魔法で実験してくるだろう。恐ろしいことが起こる気がする。

 

「まぁ、気が変わったら教えてくれよ」

 

 残念そうにそう言って魔理沙は箒に跨ってどこかに飛んでいった。最速を名乗っていただけある様で一瞬にして消えて行く。どんなに頑張ってもあの速度は今のところ出せなそうだ。

 

「行きましょうか」

 

「嵐みたいなやつだったね。行こうか」

 

 眼科に広がる広大な自然。所々から聞いたことのない生物の鳴き声がするが恐らくは妖怪の類なんだろう。

 飛んでいると確かに下を見るのは怖いがそれ以上に爽快感があった。地底ではそれほど感じなかったが、空の下を乗り物に乗るわけでもなく飛ぶというのは前から吹き付ける風と、見える景色の二点から圧倒的に異なるものがある。

 

「あれです」

 

 さとりの指差す先には山の上に建てられた赤い鳥居と境内。大きい神社では無いが神社だと認識するのに困らないサイズがあった。

 

「あそこに巫女さんがいるんだよね」

 

「そうですよ。気が狂っても戦おうとはしないでくださいね。確実に勝てないので」

 

「俺はそんな戦闘狂じゃ無いよ」

 

 そんな冗談を交えながら境内へと降り立つ。特に特別な点はない。境内では一人の巫女が箒を持って掃除をしていた。

 

「さとりじゃない。彼女がその外来人?」

 

 少し訝しげにこよみを見る巫女服の少女。

 

「男と聞いていたんだけど」

 

「俺もそうだと思ってたんだけど気づいたら女になってた」

 

 スカートをひらひらとさせながら苦笑いを浮かべる。彼女自身もその理由はわからない。男に戻りたいと言った様な欲も無いが理由は気になっている。

 

「まぁ、そんなこともあるのかしらね。とりあえずようこそ幻想郷へ。私はこの博麗神社の巫女。博麗霊夢よ、最強だからこの世界で変なことしない様にね」

 

「挨拶が怖いな。俺は古明地こよみ。地底に引き篭もると思うしそんな会うことないだろうけどよろしく」

 

 恐らく自称最強には偽りがないんだろう。調べても嘘は見つからない。それどころか自信に満ち溢れている。こう言う人間が壊れてしまった時というのが一番怖いのだが、それ程までに強いのであれば大丈夫だろう。

 

「たまには出てきなさいよ。私結構暇だから歓迎するわ」

 

「それならまだ来て2日とかだしここに慣れたらお邪魔するよ」

 

「挨拶も済んだことですし河童のところに行きましょうか」

 

「そうね」

 

 軽く霊夢に手を振って先に飛んださとりの後を追う。

 

「今更なんだけどさ。なに隠してる?」

 

 先ほど何かを言いかけたとき、魔理沙が来たというのもあるのだろうが。それ以上に言おうか言うまいか悩んで言わなかったといったような感じがした。もし、これで何もないならそれに越したことはない。だが、今思えばこの物語は最初から全てがおかしい。俺が生きているのは現実だ。ヒーローが現れてすべてを救ってくれるような創作物ではない。これは夢でないのなら、俺をわざわざここにさらった理由があるはず。未だに俺はそれを知らない。世界はすべてに理由があって、自分に理由もなく幸福が起きる時は大抵裏に凄惨な現実が待ち受けている。

 

「聞きたいですか?」

 

「多分それが俺にとって大事だしね」

 

 空から彼女たちを見守る太陽は一切表情を変えずに大地を照らす。眼科に鬱蒼と茂る木々は時折吹く風に揺られ葉を落とす。空を渡る雲はどこかも分からぬ果てに意味もなく流されていた。

 



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6話 貴方はもう家族なのだから

 神は我々人間を創造した。ではなぜ、人間の思い描く神は人の形をとっているのか。戦争が起きても、どんな不条理が起きても神は助けに来ないのか。そんな理由は知れている。
 神などいないからだ。神などという物は人が統治や人心掌握、縋るために作り上げた都合のいい作りものでしかない。だからこそ、神は人を救わない。眺めることすらしていない。だが、その事実に目を向けず愚直に神を信じる者たちがいる、だからこそ人々は神を使うのだろう。


 人ならざる者の集まる世界。俺はここに誘拐された。けれどその訳は未だに知らされていない。人間の、いや、感情のある人間に近しい者の行う行動には全て理由がある。その理由は本能的な物で説明できないものもあるだろうが、大抵のものは自己の目的を果たすために行われる。一応、俺が能力を持っていたからという理由はあった。だが、そんな理由だけで人を拐うだろうか。何か大事な事を見落としている気がしてならない。

 

「隠していた訳ではありません。ただ、一人で納得していたのでそれで良いかと思っていました。大きくは変わらないんですが一応説明しますね」

 

 さとりから嘘は感じ取れない。恐らくこれから語るには真実だろうし、そこまで衝撃的なことでもないのだろう。

 横を通り過ぎたカラスが一声鳴いた後、さとりは語り出す。

 

「この世界には同じ人間は誰一人いない。これはご存知ですよね。同じ才能を持つ人間はいない」

 

「それは流石に知ってるよ」

 

 依然として前を飛び続けるさとりの後を追いながら同意する。さとりの顔はこちらを見ていないが桃色のコードに繋がれたサードアイはこちらを見ていた。

 

「これには第六感的な霊感なども含まれています。これはかなりの種類と、それごとにその力の大きさに個人差があるんですが。そこに触れると長いので触れないでおきます。重要なのはその部類の中に『他人の想いを集める』というものがあることです。妖怪とは人間の畏れから生まれる存在。神は人間からの信仰を集めてその信奉で生まれる存在です。その想いを集める性質のある人間というのは妖怪や神になることが可能になります。でも別にこの特性が珍しいという訳ではありません」

 

 確かに、性格などの面だけではなく、その特質が異なるという解釈は納得いくものがある。性格、才能、それだけでは人間が皆異なるという説明には少し不十分だとは感じていた。AさんがBさんと全く同じことをするのは不可能だが、それは翌日のAさんも同じだ。

 

「大丈夫そうですね。続けますよ。その特性自体は特に珍しいものでもないんですが貴方の場合は他人に同調することでその他人の想いと他人にかけられた想いを一時的に集積、回収してしまうんです。その結果、貴方は畏れと信仰を同時に集めすぎてしまう。その為、存在が人間と妖怪と神の間をウロウロとしているので非常に不安定、だからここに来た時に体の作りが変わると言った事態が起きたり。本来人間は空を飛べないのに簡単に飛ぶことができたりするわけです」

 

「なるほど....なら今の俺は妖怪寄りか神寄りなのかとかはわかる?」

 

 さとりが突然飛行をやめてこちらを振り向く、思わぬ急停止のためさとりにぶつかりそうになるが直前で止まる。

 数秒間じっと身体を隅から隅まで舐め回す様に見られる。

 

「今は妖怪ですね」

 

「自分じゃ全然わかんないな」

 

「慣れればわかるかもしれませんね」

 

 どうだろうね。と苦笑してさとりの横に並ぶ。

 カラスがまた鳴いている。その声は、誰に向けての声なのだろうか。家族を呼ぶ声か、挨拶か、はたまた慟哭か。

 

「行こう」

 

「あややややや!」

 

 今から移動を再開しようとした瞬間に声をかけられた。

 

「あややややや?」

 

「それ挨拶じゃないので復唱しないで貰って良いですか?」

 

 手には大きい紅葉のような団扇。黒い髪と背中から生える黒い羽根はまるで鴉のようだ。頭には見たことのない六角形の赤い帽子が載せられて、その左右からは紐が伸びてふらふらと風に揺られている。この帽子とは対照的に意外にも服装は普通で黒い白いフリルのついたスカートその上に白いシャツにネクタイのように首に黒いリボンをつけている。

 

「取材いいですか?」

 

「取材?」

 

 そうですそうですと首を縦にふりながら胸元からメモ帳を取り出す。胸のポケットにメモ帳とペンが入っていたようだ。どこからか飛んできたカラスが肩に留まって丸い目で此方を見ていた。どうやらただカラスに似ているというわけでもないらしい。

 

「どっかに書くの?」

 

「私、新聞屋を営んでましてね。その記事にさせて頂きたいなと」

 

「おー、一気に有名人になれるってわけね」

 

 有名になるというには別にいいことだけではない。特に俺の能力の関係上、下手に人気になると面倒なことになる可能性もある。ただ、わざわざ挨拶回りをする必要性もなくなるかもしれないと考えれば悪いことだけと言うことでもない。

 

「うーん」

 

 片目でさとりを見る。その動きに気付いたようで少しの逡巡の後に受けておきましょうと結論を付けたようだ。

 

「いいよ、何聞きたい?答えれる範囲では答えるよ」

 

「あや!正直断られると思っていたんですが、意外にもすんなり受けてくれましたね」

 

「貴方、断るとokを出すまで地上に来るたびに聞きにきますからね。今のうちに受けた方が後々のためですから」

 

 それは確かにめんどくさいな。心中でそう思うがあえて口には出さない。さっさと終わってしまった方がそれなら確かに楽だろう。

 

「記者魂ってやつですよ。褒めていただけて光栄です」

 

「褒めてないです」

 

 笑顔で受ける文とやれやれといったような表情のさとり。恐らくそこまで仲が悪い訳ではないんだろう。

 この記者メンタル強いなぁ。基本的に何を言われても一切に気にすることはなさそうだ。記者をするならそれぐらいのメンタルはあった方がいいのだろう。

 

「はは、ではさっそくですが質問しますね。私は文文。新聞の記者、射命丸文と言います。貴方のお名前は?」

 

「古明地こよみってここでは名乗ろうかなって思ってる」

 

 少女の発言に合わせてペンが信じられない速度で文字を綴っていく。別にまだそこまで書くこともないだろうに。

 

「では、問題なければ、能力を教えていただいても?」

 

 まぁ、聞くよな。わかり切ってはいたが、それと言って対策を講じているわけでもなかった。ここで、能力を言ってもいいが、別に、言わなくてもいい。問題は俺がこの先、地底から出て交友関係をどれだけ持ちたいかどうかに一任されるだろう。

 

「あーね。二つあって。一つは同調する程度の能力。もう一つは騙す程度の能力だね」

 

 ここで嘘をつくか隠しても、そこから構成できるのは嘘で包まれた偽装の関係性だ。それは望んではいない。そして、面倒だ。

 

 

「おー、珍しいですね。では次の質問です。外来人とのことでしたが、外では何をしていたんですか?」

 

「あぁ...それね」

 

 忘れようと。思い出すまいとしていた記憶が、ゆっくりと浮上してくる。夕食を囲んだ家族の笑顔、共に青春を過ごした友人。ただ、その夕食は、彼らと笑う会うこともできない。もう二度と。

 

「普通の人間だったよ。特に何の変哲もない...ね」

 

 意識してはいなかったが、恐らく自分のその笑顔はとても悲しそうだったのだろう。文が察したようで申し訳なさそうな顔をする。

 

「ごめんなさい。聞くべきではありませんでした」

 

「いや、大丈夫だよ。結構な頻度で思い出してるから」

 

 苦笑いする。少女を見るカラスが悲しそうに一声鳴いて文の方から飛び去った。きっと仲間の元へと帰るのだろう。

 

「最後に一つだけ。貴方に夢はありますか?」

 

「夢?」

 

 あまりに唐突な質問だった。夢....か考えるがそれと言って浮かばない。あまり考えたこともなかった。他人に合わせて生きてきた人生。良い人であれと親から学び、それを実行したそんな俺の人生においての夢とは。少し考える。

 風が吹き、木々を揺らす。山で吹き上がった風が彼女たちに届いた。

 

「俺の思うように、生きたいように生きたいな」

 

 それは夢というにはとても曖昧で、少女にとっては傲慢だった。だが、それが幻想郷で生活をすると決めた元少年のたった一つの願い事。照れた様に笑うこよみに文が笑顔で返す。

 

「良い夢ですね。きっと叶いますよ。では用事もあるのでしょうしここでおさらばしますね。ご協力ありがとうございました!新聞お送りしますね〜!」

 

 そしてとんでもない速度で文は去って行った。とてつもなく速い、先程の魔女と同等かそれ以上。山の方へと消えた影に背を向けてさとりに向き直る。

 

「行こう」

 

「彼女の向かった方向が目的地なんですけどね。折角なのでもう一つの神社も行きますか。神になるかもしれないなら会っておいたほうが良いでしょうし」

 

 苦笑するさとりの横に並んで山を目指す。あまり彼女が笑っている姿を見たことが無かったが笑うとまるで見た目相応の子供の様で愛しいものがあった。

 

「神様に会うのかぁ。まじでとんでもないところに来たって感じして良いね」

 

「これからここで自由に生きるならそんな非日常が日常になりますよ。意外と楽しいものです」

 

 色々と思うところがある様で郷愁の様な感情が感じられた。

 

「意外だわ。引きこもりの方が楽しいっていうタイプの人....妖怪だと思ってたよ」

 

「とっても失礼ですよ」

 

 頬を膨らませるさとりが小さな子供のふくれっ面に見えてしまい、けらけらと笑うつもりが喉から出たのは鈴を転がした様な声。少し驚いたが、神にこれから会うのだからこんな事で驚いてはいられない。突然頭に顎からたこの触手が生えた神のような者の姿が浮かぶが、それを慌てて振り払う。にしてもかなり飛ぶペースがゆっくりだ。恐らく俺を気遣ってくれているのだろう。だが、もう慣れた。これからのためにももう少しスピードを出す方法を学んでおくべきだろう。

 

「もうちょい速度出そうよ。これだといつまで経っても終わらなそう」

 

「そうですね。十分慣れたようですし、ついてきてくださいね」

 

 ここからは一瞬だった。さとりのスピードがぐんと上がり、それを追う。先ほどよりも風は吹きつける。まるでジェットコースターに乗っているような感覚。死が急速に迫っているような気もするが、それ以上に体で受ける風が心地いい。

 

「見えてきましたよ。あれがもう一つの神社、守矢神社です」

 

 山の上に大きな境内が見える。先ほどの博麗神社とは比べ物にならないサイズだ。その中央には社がある。それもかなり立派だ。外でもなかなか見ることのできないほど大きな社には巨大なしめ縄が飾られている。さとりと鳥居をくぐると奥から一人の少女が駆け寄ってくる。巫女服は袖の部分が青く染められ、スカートは夜空のように青い。だが、その巫女服よりも目を引くのはその緑髪。こいしのそれよりも深い緑のそれは光を反射し、森のように輝いていた。

 

「さとりさんと、うわさに聞く外来人の方ですか。ようこそ、守矢神社へ、そしてようこそ幻想郷へ。楽しんでいますか?外とはかなり違うでしょう」

 

「ありがとう。その口ぶりは外のこと知ってる?」

 

「私も外来人ですから」

 

 連れてこられたのは俺だけではないことに少し安堵したが、その話をするのはやめておくと決めた。ここに連れてこられたのならば、俺と同じ様に家族とは離れることになったはずだ。それを思い出すのは少しつらい。だからこそ俺は聞かないと決めた。それに正直、そこまで興味もなかった。

 

「おー、いいね。同じような人がいてよかったよ」

 

「お、君が最近来た外来人の子か」

 

 社の中から二人の女性が出てくる。一人は紫髪のショート、赤い服に黒いスカート、ベルトにはしめ縄、胸元には鏡が飾られ、背中には原理はわからないが円を描いたしめ縄が付いている。もう一人は女性というよりか女児といった見た目、小麦色の髪に邪馬台国の人々のような服装。服にはカエルの絵が描かれており、麦わら帽子のような帽子には目玉が二つ付いている。一見妙な格好をした人間だが、出てきた場所と雰囲気からするにこの二人はさとりの言っていた神なのだろう。

 その現実を見て、俺は正直。残念だ。そう思った。

 

「神様って思ったよりも人間の見た目なんだなぁ」

 

「おやおや、見ただけで分かるとは優秀だねぇ」

 

 少し嬉しそうに笑う女性の神に対し小柄な神は若干面持ちが険しい。理由を探るため同調してみるが、そこにあったのは俺という存在への警戒だった。神を名乗るのだから幻想郷での地位もそれなりに高いのだろう、そうなると紫から俺の能力を前もって聞くことくらいできると考えるのが妥当だ。それなら無理もない。

 

「神様いるってさとりから聞いてたからね。それにお社から出てきたし。にしても神様とこうやって話す時が来るなんてなかなか信じられないわ」

 

「いいね。いい信仰心だ。どうだい、ここでの生活は」

 

「まだ来て2日目だから何とも言えないけど。いいとこだと思うし、外よりもみんな生き生きしてる感じはするかな」

 

「ここは自由だからね。外の人間と比べるのは少しかわいそうさ、彼らはあまりにいろいろな物に縛られているから」

 

 何か思うところがあるようだ。だが、それをわざわざ探ることはしない。そういった部分に踏み込むべきではない。というのもあるが、それ以上にもう一人の神からの目線が気になる。未だに一言も話さない彼女は未だに警戒を強めている。俺の予想に過ぎないが、神としての力は今陽気に話しているしめ縄の女性よりも目の前の少女の方が強い。ただの感、だがそんな気が少し前からしている。威圧感というか、何か表現しにくいものを感じる。

 

「そうだね。俺もそう思うよ。俺もそれが嫌で病んでた時期とかあったしね。思ってたよりも神様がフレンドリーでよかったよ。俺実は河童に用があってここまで来たらここらへんでお別れしようかな。また暇なときに来るね」

 

 さとりに目をあわせ意思を伝えると小さくうなずき軽く神二人に会釈をして空へと飛んだのでその後を追う。

 

「どうでした?」

 

「神様だなって感じはしなかったな。思ったより人間っぽくてびっくり。そんでもって若干がっかりかな」

 

「がっかりですか」

 

 横を飛ぶさとりが不思議そうな顔をする。無理もない、神が人の形をしているのがおかしいというのは異常と言えば異常だ。

 

「神様も人間の信仰によって造られたんだなってことを知りたくなかったなってね」

 

 急激に感情が冷める感覚。感傷が、感動がゼロに戻る。目をつむり、静かにそれを受け入れる。気温が変わったわけではないが、体の芯が冷たくなる。その冷たさを体にゆっくりと慣らす。

 

「どうしました?」

 

「んや。大丈夫だよ。ちょっと疲れただけかな」

 

 心配をさせないためにも笑顔で応対する。事実、なんの問題もない。この感覚には慣れている。倒れたりすることはない。家族のだれにも言ったことはないが、心を読めるさとりなら隠したところで一発で看破されるだろう。騙そうにも突発的なこれを隠すのは無理だ。

 

「貴方は、もう少し自分を大事にしてください。貴方は元々、心に尋常ではないダメージが入っています。なんで今こうして普通に話せているのかが正直分かりません」

 

 さとりがゆっくりと正面に回って目をのぞき込んで来る。その顔はとても真剣で、目には悲しみが満ちていた。感情は悲しみと、同情、そして怒り。

 

「どうしたの?」

 

「辛いときは辛いと、苦しい時は苦しいとそういってください。私たちはもう家族なんです。貴方の名前は古明地こよみ、誰が何と言おうと外ではお兄ちゃんでもここでは私の妹なんですから。頼っていいんです、それが家族なんですから」

 

 明らかに言葉に嘘はない。俺を家族だと思っての言葉だった。未だにさとりの目は俺を見ている。頼ってもいい、助けられてもいい。兄であり、弟や、妹を守らなくてはいけない俺からすれば考えられないような行為だった。俺は守られる側ではなく守る側。そのために様々なことをしてきた。そして、その家族と強引に引き裂かれた。高ぶる感情、それはある一定まで上るとゼロに戻る。弱い部分は見せてはいけない。そんな自負。でもさとりはそれを否定し受け入れるといった。出会って二日目の特に何も知らない俺を妹と呼び、家族と呼んで弱い面でも受け入れるといってくれた。こみ上げてきてはいけないものがこみ上げてくる。それは弱さの証明。もう出さないと決めたもの。

 

「ごめん。やっぱつらかったわ」

 

 涙が零れる。もっと家族と一緒に居たかった。ここに来たくはなかった。でも帰れない。どうしようもないから受け入れた。忘れようとしても家族との記憶は消えない。家族と過ごした時間が想起されていく。

 さとりがそんな少女をゆっくりと抱きしめた。まるで宝物を守るかのように。さとりにとってこよみは妹、胸の中ですすり泣く少女を鼓動を感じるほどに強く抱きしめる。その心には二度と家族を悲しませない。あんな悲劇は起こさせない。そんな決意が満ちていた。

 

 



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7話 バレると一番恥ずかしいものってなーんだ

たった一人の友人と、見たこともないような多くの人々。どちらかを殺さなければ全員死ぬとして。貴方は何方を選びますか?


「ありがとね。中身は結構大人だから流石に恥ずかしいけど。スッキリしたよ」

 

 あの後、少しさとりの胸の中で泣き、今は河童のもとへと向かっていた。

 

「人間の大人なんてたかが20歳程度でしょう?私はもっと長い時間を生きてますから。まだまだ赤ちゃんですよ、貴方なんて」

 

 ふふん、と自慢げに笑うさとりを見て苦笑する。こうしていると見た目相応の子供のようだが、その精神は年相応に育っているのだろう。

 

「そうですよ。私は立派な大人の女性ですからね」

 

「いや....うん。そうだね」

 

 精神性は大人だろう。たまにこうしてふざけるのも場をなごますためであると言われればそうかとしか思わない。だが、身体付きは中学生のそれだ。着痩せという可能性もなくは無かったが、風呂場で色々と見たためそれはない。

 

「ぶっ飛ばしますか?」

 

「勘弁してよ」

 

 時折本当に見た目相応の反応をするがそれを含めて古明地さとりという妖怪なのだろう。なんとも可愛らしい姉だ。兄や姉が従兄弟を含めて居なかった俺からすればその存在はとても新鮮だった。だが、それと同じように兄や姉の苦しみも理解できる。頼る当てがないというのはとてもつらい。

 

「もしさとりが辛いときは俺に何でも言ってね」

 

「そうですね。そんな時が来たらきっと頼らせてくださいね」

 

 永遠などない。だからこそ、あらゆるものは素晴らしく生きようとする。故に、すべての物は美しいのだ。

 風が吹く、空を回る太陽は少しずつ傾き去り際を探している。鳥が鳴く、虫が鳴く、そんな空を二人で談笑しながら飛び続ける。こんな時間がずっと続けばどれだけ幸せか。そんな、ありもしない幻想を願う。

 

_______________________________________________________________________

 

「で、彼女はどうだったかしら。洩矢諏訪子?」

 

「そこそこ危ないね。能力は使いこなせていない感じしたけど。あの同調だっけ?あれが一番危ないね。彼女、壊れたら幻想郷も危ないよ」

 

 守屋神社の境内、その中に立つ巨大な社の中で八雲紫と洩矢諏訪子と呼ばれた金髪に奇妙な眼球が二つ付いた帽子をかぶった少女が会談を行っていた。よくある和室のような場所に一つのちゃぶ台、そこにはお茶とお茶菓子が出されてはいるが二人とも手を付けていない。

 

「それを未然に防ぐためのさとり妖怪よ。異常があれば伝えるように言ってあるわ」

 

「そんなことは見ればわかるよ。私が聞きたいのはそこじゃない。なんで彼女を幻想郷に連れてきた?」

 

 怒気をはらんだ声、それと同時にその部屋の気温が下がったかと錯覚するほどの威圧感を諏訪子が発する。あの風貌からは到底想像できないほどの圧だが、八雲紫は全く動じることもなく扇子で口元を隠す。

 

「あら、怖いわね。当然意味はあるわ。彼女は言わば保険よ。ただそれだけ」

 

「それ以上は言う気もないみたいだね。まぁいいよ。ただ、もしも私たちに危害が及んだらわかってるね?」

 

「その時は彼女を好きに殺しなさい。止めないわ」

 

 扇子をパタリと閉じ、八雲紫は自分の後ろに裂け目を生み出す。そこから覗くいくつもの黒い瞳はまるで警告するかのように周囲を見渡していた。

 

「また何かあったら来るわ。さようなら」

 

 それだけ言い残し、裂け目に姿を消す。彼女の体が消えた後、裂け目はゆっくりと閉じ、部屋にはまるで何もなかったかのように静寂が訪れる。

 

「まぁ。私が理解できてあいつが理解できてないはずもない...か。ただ」

 

 苦虫をかみつぶしたかのような表情で虚空を睨む諏訪子。その頭ではどのような想像がなされているかは彼女自身しか知り得ない。

 

「諏訪子さま。終わりましたか?」

 

 戸襖の向こう側から東風谷早苗、この神社の風祝の声がした。彼女もまた先の彼女と同じ外来人、何か通ずるものはあるかもしれない。

 

「うん。終わったよ早苗。ところで、早苗は彼女の事どうおもった?」

 

 戸襖を開き、早苗が部屋へと入り、諏訪子の前に座る。

 

「どう思ったかですか......一言で言えば、掴みどころが無いと。そう思いました。そこに彼女は居たんですが実はいないような。存在そのものがとても不明瞭で、陽炎みたいだなと」

 

「大方同じだね。ここからが大事な質問なんだ。彼女、妖怪だと思った?人間だと思った?それとも私みたいな神?」

 

「それは.....それも含めて不明瞭でした。ただ、最初は何となく妖怪かなと、でも去るときには神に近いと」

 

 彼女は不明瞭だった。これは真実だ。だがその不明瞭の理由は存在が途中で別種になったから?だが、そんなことが有り得るだろうか。もし可能だとしたら、彼女という存在は一体何なのか。

 

「彼女、本当にただの外来人だったのかな」

 

「......。ええ、きっと彼女はただの外来人です」

 

 何か思うところがあるようだが、それを口にしない早苗を片目で見る。私は神、隠し事は基本的に通用しない。だが、それは早苗も分かっているはず、それでも言わないのには何かしらの理由があるのだろう。

 ただ、彼女から危害を加えるという意思は感じられなかった。それにもし、危害を加えようとすればその時に殺してしまえばいい。それだけだ。

 

「考えてもよくわかんないなぁ。なんか紫全然お茶請け食べなかったからみんなで食べよっか」

 

 笑って早苗に笑いかけると早苗も立ち上がり、神奈子様を呼んできますね。とだけ言って戸襖を開けて部屋を後にした。

 その頃神奈子と呼ばれた神は境内で空を見上げていた。考えているのはあの少女のこと。

 異常だった。雰囲気が変わったというレベルではない。彼女自体がまるで別物になったかのような瞬間が二度ほどあった。一体何が引き金で発生したのかは分からないが、その変化した事実は変わらない。危険ではある。だが会話をした感じはごくごく普通の人間だった。特に変わった事もなく、特別な訳でもない。若干神への信仰が少ないような気もしたが問題のない範囲だった。だが、それが尚不気味だった。

 

「神奈子様。一緒にお茶をしましょうと諏訪子様がお呼びですよ」

 

「早苗か。今行くよ」

 

 呼びに来た早苗の背を追って社へと戻る。軽やかな足取りで前を歩く少女、その緑髪が陽光を反射し、宝石のように輝いている。そしてその様は神たる神奈子に覚悟を再確認させる。

 もし何かがあったとしても早苗だけは守り抜く。もし早苗に何かをすれば彼女を殺せばいい。ただ、それだけだ。造作もないことだ。

 

_______________________________________________________________________

 

 あの後少し飛び、山の中にある滝壺のような場所に到着した。吹き上がる水飛沫が自然のシャワーのように池に降り注いでいる。周囲には特に何もない。そんな場所で止まったので観光スポットなのかと滝壺を見に行こうとすると何かに体がぶつかった。

 

「え?」

 

 周囲の背景と同化しているようで全く見えないがそこには何かがある。手でそこ一体を触ってみると確かに何かに手が触れた。壁というにはそれは柔らかすぎる。大きさはそれほどないようで腕で長さを測ろうとすると抱き抱えるような形で手が後ろで届いた。そして後ろに回したはずの手は目の前の景色の裏に隠れるように消えていた。

 

「河城さん。居ますか?」

 

「いるよ。今はセクハラされてるけどね」

 

 突然話した景色にギョッとして慌てて一歩下がるとその景色に少しのノイズが走りひとりの少女が現れた。

 ウェーブのかかった外ハネが特徴的な青髪を数珠のような赤いアクセサリーでツーサイドアップにまとめている。白いブラウスに肩にポケットのついた水色の上着、同じ色をしたスカートにも幾つかのポケットがつけられている。

 

「ごめん。まさか消えたりできるとは思ってなくて」

 

 俺の想像以上にこの世界はなんでもありなようだ。

にしても少年心をあまりにくすぐる機能だ。年齢的にはもう少年ではなかったが心はいつでも少年でいたい。

 

「君が最近聞く外来人かな。私は河城にとり。技師をやってる河童だよ。感動してくれたようだからセクハラに関しては不問にしてあげよう。で、何用だい?」

 

「いや本当に見えなくてさ。ごめんね。用事は、その前に電気ってこの世界は通ってる?」

 

 ゲームの話をすると思っていたのであろうさとりが少し驚いて居たが気にしない。

 

「電気か。ここには一部通っているよ。もしかして地底で電気を使いたい?」

 

「そういうことだね。本当はゲームを作ってもらおうかと思って居たんだけど。今思えば八雲紫に盗んできて貰えばいいかと思ってね。だから充電とかに使う電気だけでもと思って」

 

 犯罪行為ではあるがまずまずこっちは誘拐されている。それぐらいの条件は飲んでもらわないと困る。もし、そんな犯罪行為はできないと言うならば俺が外に置いてきたお金を使えば良い。それに俺はすぐにでもゲームをしたい。

 

「良いよ。ただ、私は地底に入るのに許可が要るから少し時間がかかるかもしれない。それでも良ければ」

 

「勿論。やってくれるだけでほんと有難いからさ。お代とかはどうすれば良い?」

 

 目の前でにとりが少し考え込むような仕草をする。

 

「もし、八雲紫からゲームを余分に貰えるならそれが欲しいかな。いったいどういう構造なのか。気になるし」

 

「そんな事で良いなら喜んで」

 

 意外にも簡単にことが進んだ。それにしてもそろそろこの世界の通貨を手に入れないと生活がし辛い。ふと何かが欲しい時に一文なしでは何も出来ない。

 

「今更なんだけど、さとりにも確認をとっておきたくて」

 

 言うまでもなく、恐らく心を読んでくれているだろう。さとりとの会話には無駄に言葉を発する必要がなくて楽だ。外にもある程度察してくれる人間はいたが、全く察することのできない人間もいた。今となっては同調が能力であるとわかっているが正直外ではなんでそんなことが分からないのだろうかと思う事が少しあった。ただ、これに関しては俺が口下手だったと言うのもあるだろう。それにあまりにも比べる相手が悪い。同調できる人間と同じ様にしろというのは無理な話だ。

 

「地熱発電を設置して良いかですよね。私たちも電気を使えるなら良いですよ」

 

「俺一人じゃどうせ使いきれないから」

 

 想像以上に話が上手くまとまった。何か金銭的なものを要求されるかと思ったがそんな事はなくて安心した。

 

「ああ、そうだ。あと良ければたまにここに来て外の世界のシステムとかについて教えてくれると有難いな。もしも次来てくれて話をしてくれたらラジオをあげるよ。ついでに配信環境も」

 

「マジか。それなら是非是非来るよ。ここの土地勘も掴まなきゃだしね」

 

 同調しても善意しか感じない。ただただ良い奴なんだろう。基本的には人間は醜いと思って生きてきた。大体の行動には裏があり、自分に利益がくるように動いている。だが、別にこれを否定することは出来ない。何せ、仕方がない。そうすることでしか生きれないのだから。俺もそうして生きてきた。

 

「うん、ぜひきてね。それじゃ準備できたらそっち行くから気長に待ってて」

 

「おっけ。しばらくは地上とかに出て彷徨くと思うから結構くるかも。色々話すね」

 

「それではまた会いましょう。にとりさん」

 

「そだね」

 

 さとりが挨拶を終えたのを確認して空へと上がる。やはりこの世界は誰も彼もが美少女だ。元々あまり女性が得意では無かった俺からすれば自分も女性になったというのは今思えば悪くなかったのかもしれない。前の状態だと話すのもままならなかったかもしれない。

 

「見ている限り女性が苦手とは思え無いですけどね」

 

「まぁ、今は俺も女だしね。同性と話すほうが気が楽なんだよ。異性ってなんかあんまり何考えてるかわかんなくて苦手なんだよね。不思議と今はそんなことないけど。多分同性は同調しやすいとかあるんだと思う」

 

「自分と同じものは同調しやすいというのは確かにそうですね。自分との距離が短いでしょうし簡単に同調できるんでしょう」

 

 確かに。言われればそうだ。同調という行為は自分を相手に合わせるという事に他ならない。ならば自分と質が同じものであればあるほど合わせやすいというのは必然。

 

「まぁ、俺は男だったんだけどね」

 

 ついさっきまで男だった身からすればすでに心も身体も女性になったという事の証明に他ならない。身体はまだしも心はまだ男でいたかったものだが。

 

「でも貴方、病気患っていたでしょう。ホルモン関係の」

 

「そうなんだよ。でも心は男だからね。身体はメス堕ちしてたとしても心は男だからね...」

 

 大事なことは2回言おう。言霊という言葉もある、それだけ言葉にして声に出すというのは大事な事なのだ。ただ、今の現状を見るにそこまで意味はないのかもしれない。実際メス堕ちしている。それどころか心まで女、名前も女のようになってしまった。

 

「メス堕ちって.....まぁ、貴方がどんなに男だと主張してもどこからどう見ても見た目は可愛い少女ですけどね」

 

 意地悪そうに笑うさとりに、違いないねと苦笑する。

 ここにきてから、まだ二日だが少し体調が良い。昼夜逆転、1日一食食べてもカップ麺の生活から朝起きて動いているだけでも相当身体にはよかったんだろう。だが、今思えば俺はそれといって物を食べていない。今日も朝から何かを口にしただろうか。健康的とはどう考えても言えないだろう。では何故今少し調子がいいのだろうか。

 

「私たち妖怪や神は、畏れや信仰が食べ物なので食事しなくても本来問題ないんですよ。おなかがすかないというなら。貴方もかなり人外に寄ってきたという事ですね」

 

「少年心は結構くすぐられるけど正直不安だな。身体から触手とか生えてこないよね」

 

 なぜかこの問いにさとりが少し考え込み始める、空を飛びながらではあるが。

 

「え、もしかして生えてくるの?」

 

 唐突にものすごく不安になってきた。少し背中を触ってみたりするが今のところは大丈夫そうだ。さとりと同じ様な物ならまだいいがどこかの邪神のような触手が生えてきたらかなりまずい。でも器用に動かせるなら少し便利か。

 

「生えないとは思います。確信をもって言うことは出来ませんが」

 

「確信持って欲しいなそこは...いいの?妹に突然触手とか生えてきても」

 

 さとりにとっては他人事かもしれないが俺にとってはとても重要なことだ。それに今思えばさとりにとっても他人事でもない。俺は今では彼女の妹だ。

 

「ところで、なんで触手が生えてくるなんて発想が出てくるんですか?」

 

 確かに何故だろうかと考えて思考が止まる。その様を見たさとりが意地悪そうに一瞬笑ったのを俺は見逃さなかった。

 

「いや、えーっと。地底に触手生えてる妖怪居たからそれが衝撃でね」

 

 思考を読まれないようにさとりを騙すが今更感は否めない。既にあのタイミングで思考は読まれていただろう。あの意地悪そうに笑顔が何よりの証拠だ。

 

「今更もう無駄ですよ。触手がせーへきの変態さん」

 

 ニンマリと笑ったさとりからの死刑宣告。性癖だったという訳ではないが正直あまり何でとは言わないが見たりはしていた部類の物だった。

 

「あぁ、もう死のう」

 

 間違い無く夕日の所為だけではなく赤く染まった顔を手で隠しながら地底へと向かう一人の少女と正反対にその様を見てニコニコと満足げに笑う少女は対象的だったが。その様は服装が同じ事もあってか本当に二人の姉妹のように見えている。地底へ降りる二人を見送るように沈んだ日は世界に1日の終わりを告げる。電気の普及していないこの世界では日が沈めば闇が世界を支配する。そんな二人を裂け目から眺めていた一人の妖怪は満足そうに妖しく笑い。それを閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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8話 ありがとうをただ伝えたい

 何故人間は生きると疲れるのか。簡単だ、本来人間はこの世界を生きれるように作られていない。


 河童の河城にとりとの約束を交わした事で地上での目的は達成したため、彼女たちは帰路につき、地底に建つ白い巨大な館。地霊殿へと戻っていた。

 さとりが門を開き、こよみを中へと先に通し、その後を追うように館の庭へ。

 

「さとり、ありがとね。許可くれて」

 

「いえいえ、私も読書灯がランプで少し使いにくいなと思っていたのでありがたく使わせて貰います」

 

 この世界のランプがどの程度のものかは知らないが、確かに読書灯として風で揺れる灯りを使うのはあまり良くないだろう。風情はあるだろうが、読みにくくもありそうだ。

 

「あれ、おかえりおねーちゃんと、こよみちゃん」

 

「こよみちゃんかぁ...」

 

 ちゃん付けされるのは流石に慣れない。俺は男だ。だが、郷に入っては郷に従えという言葉もある。なんとか慣れるしかないだろう。少し、こいしの次の言動や行動を調べてみよう。こいしとはこの2日程度一緒に暮らしたが正直、掴みどころのない少女だ。次に一体何をするか本当に想像できない。

 

「こよみ?」

 

「大丈夫だよ。今日は疲れたし先お風呂入ろうかな」

 

 ふらふらと館の中へと入っていくこよみに少しの違和感を覚えたさとりはその心を読もうとするが、何故か読めなかった。騙す能力を使っているのかと思ったが、使う意味がない。彼女は使う意味がない限りは使わないと言っていた。なら実験的に使っているのかとも考えるが心が読めない以上正解はわからない。一度諦め彼女もまた自室へと戻っていった。

 

_______________________________________________________________________

 光の差し込むことない暗闇、息をすることの出来ないほどの静寂。その中で2人が椅子に腰掛けていた、間には長机、本来はもっと人数がいるのが正常であるはずの大きさの場所で二人だけ、最も遠い距離で見つめ合っている。

 

「良いの?」

 

 暗闇、相手の顔は見えない筈だが。その口振りは相手の顔がわかっているようだ。

 

「良いんだよ」

 

 育ちきった男特有の少し低い声。だが、どこか幼なげも残しているそれからは何故か親が子に話しかけるような優しさが感じ取れる。

 その一人はどこからか出したカップで湯気の上がる何かを啜る。

 

「そっか」

 

 暗闇で話すもう一人の声は対照的に幼い。だが、その言葉には子供のような純心さはなかった。短い言葉ではあるが。まるで親友に話しかけるような優しさと、心配だと思いやる心それは感じ取れる。

 

「何でなのかって聞いても良い?」

 

「まだそれはダメだな。いつか教えられる時が来たら」

 

 一人が光に包まれる。その輝きが消えた後残されたのはもう一人。絶望的な暗闇の中、まるで全てが見えているかのように部屋の奥へと入っていく。座るものが居なくなった机もまた暗闇へと沈んでいく。残されたのは静寂と、二人の名残り。

 

_______________________________________________________________________

 

 灯りを灯し、机の上に置いておいた本を手に取る。内容は妖怪と人間が恋をする物語。妖怪は皆から嫌われており、人間は生まれつき殺し屋として育てられた影響で感情を失っていた。今、物語は人間が徐々に感情を取り戻している最中だった。青い薔薇の押し花で作られた栞のページを開き、読書を続ける。物語のフィナーレは大方読めていた。きっと幸せでは終われない。

 

「おねーちゃーん!」

 

 扉を蹴り開けるように乱雑に開きこいしが入ってくる。既に食事は終えており、後は睡魔が来るまで読書をしようとしていたのだが、そうはいかないらしい。

 

「あら、こいし。どうしたの?」

 

 彼女の心は私でも読めない。彼女の能力は無意識を操る。というもの。大方の行動に意識は無い。その為そこに思考が介在する余地はない。その為私の心を読むという能力は彼女の前では全くの無意味。

 

「地上の土産話を持ってきたんだよ」

 

 純粋無垢な笑顔。それとは対照的にわたしと同じ彼女の傍にコードで浮かんでいるサードアイの瞳は痛々しく縫われ、二度と開かないようにされていた。

 

「一体どんな話が聞けるのかしら」

 

 私も笑顔で返す。だが、その心は暗い。彼女が瞳を閉じた原因は私にもある。実の妹であるこいしの変化に気付けず、護ってあげることが出来なかった。

 

「地上にね、こころちゃんって言う面霊気が居てね。とっても面白いんだよ。すっごく無表情なんだけど仮面で感情が分かるんだ」

 

 今はこうして楽しそうに話してはいるがこれもまた無意識かもしれない。そう考えると私は実の妹すら守ることのできなかったひどい姉だったと言うことを再認識してします。

 

「こころさん、確か能楽がとっても上手な人だったかしら」

 

「そうそう。さすがおねーちゃん、物知りだね!で、その子がとっても...可愛いの」

 

 可愛いと言ったこいしの表情に思考が止まった。モジモジと俯いて少し顔を赤らめている。それはまるで恋する乙女のようで。一拍置いたのも少し発言が恥ずかしいと思ったからだろうか。

 

「ちょっと恥ずかしいね」

 

「み、みたいね。でも良いじゃない。好きになるって素敵な事よ」

 

 こいしにも恋人が出来るのだろうか。いや、もしかするとこれは早計かもしれない。こいしは無意識で照れていると言う可能性も。ただ、それなら尚更本当に恋してると言うことになる気もする。

 

「?!好きなんて言ってないよ!私とこころちゃんは友達だもん」

 

 顔を真っ赤にして否定しているがその行為自体が肯定になってしまっていることに彼女は気付いていないのだろう。そして、こいしがここまで感情を出してくれるのは嬉しいことだった。サードアイを閉じた直後、彼女はとても不安定で館に全く帰って来ず、来た時にはボロボロであったり、いつか帰って来なくなるのでは無いかと不安になるようなことがあった。でも今は不安にはなるがそれなりの頻度で帰ってきてくれる。そして、外で好きな人ができたと言う。とても素晴らしい事だ。

 

「ふふ、大丈夫よ。おねーちゃんはいつでもこいしの味方だからね」

 

 優しく頭を撫でるとこいしは少し抵抗しながらも猫のように目を閉じた。愛おしい私の妹、残されたたった一人の家族。もし、この先こいしが、私の家族が傷つけられるようなことが起きるのならば。私は、何をしてでも、今度こそ救ってみせる。

 

「でね、こころちゃんを地底に連れてきて一緒に遊んでもいい?」

 

「もちろん。ただ、誘拐とかはダメよ」

 

「しないよそんな事」

 

 最近誘拐されて幻想郷に連れて来られた彼女の顔を思い浮かべる。彼女、いや彼にも家族がいたはず。今でも彼にとっての本当の家族は私達ではない。そして、彼は恐らくもう会うことが出来ない。ならば、私が貴方は私の家族だと言ったのはとても残酷だったかもしれない。それはもう二度と家族には会えないことへの証明になってしまう。そして呪いだ、家族だと思ってくれる者の前から消えると言う行為がどれほど辛いかを彼は知っている。ならあの時の涙は、他人に頼れたからではなく。心のどこかでまだ会えると思っていた家族への別れだったのかもしれない。ならあのふらふらとした足取りは。

 そこまで思考が回った時、慌てて椅子を立ち彼女の部屋へと向かう。後ろからこいしが追ってきているのも気にせずに。

 もしかすると、私が与えたのは救いではなく。本当に呪いだったのかもしれない。

 

_______________________________________________________________________

 

 その頃こよみは地霊殿から離れ、街の中を流れる川の上にかけられた橋の手すりに腕を乗せ、地底の街の景色を眺めていた。歩く人ではない者と、賑やかな喧騒。それは不思議と彼女を不快にはさせなかった。周囲に同調する彼女にとって本来このような人混みは楽なものではない。空を見ると青いように彼女の視界には他人の心が見えており、その全てに少しずつ同調している。

 

「一体どうしたんだい。こんな橋の上で」

 

「ヤマメだっけ、冒険してたんだよ。土地勘も覚えたいしね」

 

 どこかをみている彼女の横に並んで橋に寄り掛かる。

 

「心なんて読めなくても嘘ついてることくらいわかる。無理に言えとは言わない、みんな隠し事の一つや二つあるもんさ。ただ、なんでも抱え込むのは良くない。心は簡単に壊れる」

 

「はは、もうほんと。ここにいる人達っていい人ばっかだね。困るなぁ」

 

 同調するという力が本物だと分かった以上。彼女には相手が発した言葉が心から思っている本物か偽物かがわかる。結果は本物だった。

 

「俺の力じゃ解決できない問題があってね。どうしようもないってわかっているんだけど。どうにか出来ないかってずっと考えてるんだ」

 

 一瞬の静寂、ヤマメは空のない天を見上げる。

 

「ならずっと悩むと良い。どうしようもないってのはそうかもしれない。でも、ずっとどうしようもないわけではないだろ。いつ、何処でどうしようもないことからなんとかなることになるか分からない。そんなに大事な物なら諦めないで、ずっと悩むんだ。もしかするといつか解決出来るかもしれない。大事なのはどうしようもないことじゃない。あんたがそれを諦められるか、そこだよ」

 

「確かに......そうだね。ありがとう」

 

 悲しそうに笑うこよみは大きく深呼吸。それはまるでこれまでの悩みを捨てるようで、それを終えた彼女の顔は少し晴れていた。

 

「楽そうになったようでよかったよ。タイミングあったら一緒に飲もう」

 

 楽しそうに笑うヤマメと苦笑するこよみ。側から見れば仲のいい友人か何かに見えているだろうか。橋の下では静かに水が流れている。

 

「飲みかぁ。良いけど俺酒そんな強くないから手加減してね」

 

 そこで突然こよみは身構えて周囲をキョロキョロと見回す。それはナワバリに侵入した外敵に気付いた動物ようで、だが、その外敵に先に気付いたのはこよみではなくヤマメだった。

 蜘蛛の糸でこよみを縛り自分の方へと引き寄せる。直後、落下音と共に彼女のいた位置に鶴瓶が直撃する。橋が揺れるが壊れる事はない。

 

「キスメ、危ないだろ。今の死んでてもおかしく無かった」

 

 少し怒ったようなヤマメの声の後鶴瓶から緑髪の少女が現れる。その緑は地上で見た早苗という少女のものよりもさらに深い。髪は河童のにとりと同じようにツインテールで止めている。印象的なのが服装で、白い死装束だった。

 

「脅かそうと思ったんだよ」

 

 ヤマメの胸の中で蜘蛛の糸に胴体を縛られ、動けなくなっているこよみは動くこともなくじっとその襲撃者を見ていた。

 

「悪意はないっぽいけどやめてね.....俺、人間だからさ。普通に即死だよ」

 

「それで人間なの?」

 

 糸を自分で切ろうとこよみは体を動かすが全く解ける様子はない。少しすると諦めたように動かなくなる。

 

「雰囲気は妖怪かもだけど体が人間だからさ。普通に死んじゃうよ」

 

「そうなんだ。気をつけるよ」

 

 少し反省した様子のキスメを見て、悪意が無かった事を確認する。そして再度糸が解けないかと体を捻る。だが、やはり緩む気配すらない。

 

「ヤマメ、これ外せる?」

 

 自分でなんとか出来る限界は超えているらしい。諦めてヤマメに助けを求める。

 だが、胸の中で動けなくなって助けを求めるこよみを見つめるヤマメの様子が少しおかしい。

 

「ちょっと加虐心そそられるなぁ」

 

「目が怖いよ」

 

 気がつくと猿轡のように蜘蛛の糸を噛ませられていた。

 

「あー、ヤマメって結構sだから。頑張って」

 

 そう言ってキスメと呼ばれた少女は鶴瓶ごと空へと飛んでいく。口に入った糸が若干不快だ。粘度と強固さが共存している。噛み切ることも厳しい。

 

「こう見ると可愛いよね」

 

 糸に縛られ身動きの取れないこよみに恍惚とした顔でそう告げるヤマメ。

 

「そんなこと言われても、あと俺外では男だったから嬉しくない」

 

 喋りにくい。糸のベタつきが口内に広がってきた。

 

「マジで目が怖いんだけど。もしかして変な気起こしてない?」

 

「.........。」

 

 返答がない。少し嫌な予感がする。俺のこういう嫌な予感は大抵当たる。ヤマメの手がボタンの間を抜けて素肌に触れる。

 

「え、ちょ」

 

 能力を発動する。俺ではなく橋を触れていると錯覚させる。正直通じるかはかなり微妙なラインだ。

 

「流石にわかりやすすぎるな」

 

 橋は肌のように柔らかくない。騙すという行為自体このように組みつかれた状態では意味がない。騙すという能力がバレているならまだ最初から騙していた可能性も生まれるが、まだ新聞も出てないだろう。無理がある。触れているのも目の前で話していたのも俺だった。

 

「マジで、洒落になってないよ」

 

 糸のせいで腕が動かないのは勿論、腕を服に入れられているせいで服を破るか脱ぎ捨てるかしない限りは抜けられない。器用にも猿轡を付けられているため、大声も出せない。簡単に言えば、誰かの助けが来ない限りは詰んでいる。

 

「さとりよりも大きいな。さとりに羨ましいがられない?」

 

「ちょっとね。にしても触り方がいやらしいよ」

 

 腰やら胸やらを触っている。蛇がなぞる様に摩られ少しくすぐったい....くすぐったい。そういうことにしておこう。

 手が下へと滑り落ちていく。それを判断して抵抗する。

 

「流石にダメ」

 

「もうちょっと仲良くなってからかぁ」

 

 残念そうにするヤマメを見て苦笑いを浮かべる。良い人....妖怪なのはわかったがそれと同時に少し危ないということもわかった。暴力的というよりかは、俺の貞操的に。

 

「仲良くなってもわかんないよ」

 

「うーん。そりゃ残念」

 

 本当に残念そうにしながら糸を解き始める。手慣れている様でこれまで全く解けなかったのが嘘の様に簡単に外れた。

 

「でもヤマメがめっちゃ良い人ってことはわかったから、友達としては仲良くしたいな」

 

「そりゃもちろん。でもその先も目指したいもんだね」

 

 やっぱりちょっと危ない妖怪だなぁ。そんなことを思いながら自由になった腕を回す。黙って抜け出しているしさとりも心配しているだろう。そろそろ帰った方がいいだろう。橋の上でヤマメに手を振って、別れを告げた後、家家に挟まれた道の少し先に見える白い館を目指して歩く。歩いたり、酒を飲んだり、自由に暮らす妖怪たちの様々な感情が流れ込んでくるが外の世界と比べれば数は多くない。それに自分を偽る物や、怒りや憎しみもほぼない為それほど辛くもなかった。

 これなら俺は、外の世界よりもここの世界の方が暮らしやすかったのかもしれない。ただ、それならもっと早くここの存在を知りたかった。

 少女は一人、頭に浮かぶ家族の記憶を思い起こしながら帰路を辿る。ただ、その足取りは行きと比べれば軽い。

 もし、俺が誰の記憶にもいないとしても家族であったことには、友人であったことには変わりない。なら俺は意味がないとしても、元の生活に戻ることが出来ないとしても、その愛情に、友情にせめて感謝を告げたい。だから俺は諦めない。どうにかなるその日を信じて俺はこの世界を呑気に生きる。

 

 

 

 



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9話 どうしようもない

 私は自由だと、そう叫ぶ人程、何かに縛られている。
 何故なら自由とは、何かに縛られていなければわからない感情だから。


 地霊殿への帰路で偶然さとりと会った。俺としては偶然であったがさとりは俺のことを探していたらしい。さとりからすればかなり心配だったのだろう。やはり、何も言わずに出たのは流石にまずかった。

 

「さとり、ごめん。心配した?」

 

「よかった」

 

 そう言ってさとりが抱きついてくる。香水だろうか、薔薇のような匂いが鼻腔をくすぐる。一瞬驚いたがすぐに抱き返す。それだけ心配してくれていたんだろう。周囲の妖怪は一瞬驚いたようで様子が変わったがすぐに元の喧騒に戻った。

 

「何もありませんでしたか?」

 

「うーん。なにもなかったよ」

 

 ヤマメとの一件を思い浮かべるが俺はギリギリで難を逃れている。それにヤマメはそれ以上にいいアドバイスをくれた。俺としては感謝している。

 

「ヤマメさんですか....でも良いことも言っているようですし許すとしましょう」

 

「心を読むの強いなぁ。でも本当にいい人だったよ。ここはいい人多くて困るね。外だとどうしても疑って掛かってたからさ」

 

 外の世界は弱肉強食だ。いい人間もいる。だが、それと同じように悪い人間もいる。それに比べて今のところ会った妖怪は大方良い人ばかりだ。同調をしても悪意を感じれない。

 

「その考えはやめた方がいいです。その点はここの世界も変わりません」

 

「まぁ...そうだよね」

 

 悲しくはあるが、言われてみれば当然だ。あまりに希望を持ちすぎた、生物は皆平等に醜くもあり美しい。そして全ての行動には理由があり、目的を果たすために動く。言葉はそれを実行するための道具でしかない。

 

「ただ、この地底の人々はその傾向が少なめです。元々同じような境遇の者が集まっていますから、シンパシーを感じるところがあるのかもしれませんね」

 

「なんにせよ、外の人間よりはずっと綺麗だと思うよ」

 

 同調を繰り返し、辿り着いた答えは外の世界ほどここにいる妖怪たちは酷くないと言うことだ。喧騒も、怒声もその全てが純粋な自らの欲からきていた。

 

「帰ろっか、お風呂入りたくなったよ」

 

「一緒に入ります?」

 

「遠慮したいな....」

 

 おそらく拒否権はないが一応拒否しておく、別に俺はもう女性に性的な感情も抱かないし、俺自身ももう女だ。特に問題はない。だが、元男としてそんなに簡単に女性の裸を見ていいのかという点で問題を感じる。

 

「ならまた一緒に入りましょう」

 

 嬉しそうにさとりが笑う。平和だ。そんなさとりの頭を撫でてみる。すると少し恥ずかしそうにし、一瞬受け入れ、何かに気づいたかのように後ろへ下がった。

 

「私はおねーちゃんですよ」

 

「そうだったね」

 

 可愛らしい姉だ。その後ろからこいしが駆けてきた。彼女もまた恐らく姉ではある。ただ、違いを言うのであればさとりよりも懐っこい。言うなれば猫のようだ。ずるいと言いながら俺に撫でることを要求してくる。それに軽く答えて頭を撫でた後、地霊殿への帰路についた。街の喧騒を後にし、門を開き地霊殿の内部へ、さとりは本当に焦っていたようで門をの錠は閉まっていなかった。俺のことを本当に家族だと思っているようだ。疑っていた訳ではないが、正直無償の愛というのは家族にしか与えないものだと思っていた。いや、だからこそか。俺を家族だと認めたからこそ、これだけ愛をくれるのだろう。

 

「それじゃ、10分後くらいにお風呂で集合しよっか。服とかどうすればいい?」

 

 さとりは少し考えるような素振りをする。

 俺の服は未だにさとりの服だ。何処かで買ってくるかしない限りこの問題は解決しない。それなら今日地上に出たタイミングで買いに行けばよかったなどと考える。紫に持ってこさせるのも手ではあるが、俺の服は性別とこの胸の関係でもう着れない。となると盗む事になる。ただ、盗むと言っても俺はファッションに興味がなかった。これが欲しいと言ったような指定も出来ない。

 

「いいことを考えました」

 

 何かを思いついたようなさとりが名探偵がするようにこちらに指を刺し、

 

「一回、着せ替え人形になって下さい」

 

 と、宣言してきた。着せ替え人形というと何処かから服を持ってきて着せて遊ぶと言うことだろうか。俺は妹がファッションに強かった為、服を買うときは大抵妹に一任していた。それと同じようなものだろう。

 

「いいよ」

 

 二つ返事で許可をする。おかしなことは起きないだろう。恐らくは。

 

「ならそういう感じで行きましょうか。取り敢えず今日はまたお燐に持って来てもらいましょう」

 

 さとりはやけに機嫌がいいようだ。横を通ったペットに何かを告げると犬のペットはワンと一声。廊下を走っていった。

 そんなに人を着せ替え人形にするのは楽しいのだろうかと疑問には思うが、きっと楽しいんだろう。過去に疑問に思って妹に聞いたところ自分とは体つきの違う人に服を着せれるのは楽しいと言っていたような気がする。確かに体の大きさ、性別の違いで着れる服、似合う服は異なってくる。

 

「私も参加して良い?」

 

「良いよ」

 

 こいしも参加表明をしたので当然承認した。さとりはまじめではあるが若干抜けているところがある、不思議な服を選んで来る可能性が無いとも言い切れない。選んでもらう側であるが変な服を着る事になるのは遠慮したい。

 

「取り敢えずお風呂で続きを話そうよ」

 

 話を切り上げて自室へ向かう。もう俺に家族は二つ、優先順位などない。どちらも大切にしないといけない。家族であるから。ただ今は外の家族を蔑ろにしている。ここで一つ疑問が生まれた。どちらかしかとれないのなら俺は何方をとれば良いんだろうか。自分の能力を知っている以上、外ではもうこれまでのようには暮らせない。それ以前に家族は俺の事を忘れているらしい。そして、もしそれを解決できたとして、俺が外に戻ることになれば今度はさとりを置き去りにする事になる。

 二つを取ることは今のところ現実的にできない。どちらかを捨てなければいけない。だが、どちらも捨てたくはない。どうしようもない。今はどうしようもない。ただ、これから先もどうしようもないとは限らない。少しでも可能性があるなら俺は諦めない。恩を受けたのだ、返さなくてはいけない。

 

「よし。どうしようもないことで悩んでも仕方ない。今できる事をしよう」

 

 暗示のように呟く。自室の壁に手を当て、目を閉じて頭の中で反復する。大きく息を吸って、吐く。部屋に置かれていたタオルを取って扉を開くとそこにはすでにこいしが待っていた。

 

「どうしたの?」

 

 返答はないが右手にはメジャーのようなものが握られている。少し嫌な予感がする。刹那、こいしの姿が目の前から消える。どこに消えたのかと周囲を見回すが姿が見えない。続いてするりとメジャーを伸ばす音が聞こえたかと思うとそれが腰に巻き付いた。

 

「こよみちゃんは私とかおねーちゃんよりもおっきいから測らないと服のサイズが分からないんだよね。だから少し我慢してね」

 

「あぁ、そういうことね。急に消えたからびっくりした。」

 

 腕を上げて抵抗せずに体のサイズを測られていく。確かスリーサイズというはずだ。胸、腰、腹部の三種のサイズだっただろうか。ファッションにもあまり興味のなかった上に男であった俺は測られる機会もあまりなかった。まずまず男にスリーサイズなどという概念はあるのだろうか。

 

「ご協力ありがとうございました!」

 

 そんなことを考えていると、どうやら測定は終わったようで、また突然目の前に現れたこいしがお辞儀をする。少しふざけたように丁寧な言葉を使うさまは少し子供っぽく、愛おしい。

 

「どういたしまして」

 

 こちらもにこりと笑って返し、自室の扉を閉め、こいしとともに風呂へと向かう。道中で燐とあったので服の件について説明した後に感謝と、手伝えることがあればやるよという意思を伝えた。さとりとこいしの動きを見る限り、この館の家事全般をこなしているのは燐だろう。これだけ大きな屋敷だ、清掃には膨大な時間が掛かるだろう。それに加えて恐らく調理も担当している。相当な苦労人だ、できることなら手伝いたい。ただ、返答はペットたちの一部が清掃を手伝っているからそこまで大変ではないという事と手伝いたいと思うならペットと遊んでほしいという事だけだった。

 燐と別れ、こいしと風呂へ向かう。すれ違うペット達は皆何かしらの掃除器具を持っていた。

 

「ペットが掃除もしちゃうんだね。見たことないよ」

 

 それぞれのペットがすべてを理解しているように行動し、各々の方法でドアを開け、消えていく。まるで統率の取れた軍隊のようなそれは大方動物のできる動きではなかった。

 

「おねーちゃんが心読めるし、お燐は猫だからね。動物の教育って面だと最強の布陣だよ」

 

 動物は人間と会話することが出来ない、そのために意思疎通が取れない。だから指示を出すことが難しい。だがその課題が克服できれば指示を出すという行為が圧倒的に楽になる。そうなれば人間と同じことは出来ずともできることの範囲は圧倒的に広がるだろう。加えて、さとりの能力は言葉の通じない対象と会話ができるという物ではない。それ以上のものだ、心を読めば声に出さずともその対象の本心がわかる。動物からすれば自分を理解してくれる特別な飼い主だろう。そこいらの飼い主とは圧倒的な差がある。

 

「確かに、最強の布陣だね」

 

「おねーちゃんはあんな感じだけどやる事はするし、結構すごいんだよ」

 

 あんな感じ....とはたまに見せる少し抜けているようなアレだろう。だが、さとりがすごいというのはまだ出会って数日だが同意できる。あまり踏み込んではいけないと思っているが、心を読む能力というは俺の能力と同様の苦しみがあるはずだ。それにこれまでの長い長い時間耐え続け、今もああして生きている。それだけでもすごい以外の言葉が見当たらない。

 

「あの能力生きづらいだろうしね」

 

「そこはこよみちゃんも一緒だけどね」

 

 他人の考えている事、他人の想い。それを感じるというのはとんでもない負荷になる。世の中には知らなくても良いことがある。それらは間違いなくその部類だ。友人が目の前で話しているとしてその発言全ての真偽が分かってしまう。誰も嘘をつかない世界なら問題はないがそんな事はまずあり得ない。加えて相手に能力が知られてしまった場合。友人を作るというのは困難を極めるだろう。誰にも知られたくない事はある。

 

「俺は能力なんて信じてなかったからさ。さとりよりも楽してたよ」

 

「信じてなくても、他人の心がわかる能力を持ってる。それだけで生きるのすごく大変なの。だから、こよみちゃんが今こうして生きてるのも凄いんだよ」

 

 何か思い当たる事があるようでこいしは胸元に浮かぶ彼女のサードアイを撫でる。その瞳はさとりと異なり閉じていた。今思えば彼女の開いているところを見た覚えがない。

 

「....うん。ありがとう。ところでなんだけど、なんで俺の呼び方こよみちゃんになったの?一回こよみおねーちゃんだったと思うんだけど」

 

「私の方が歳も上だもん。こよみちゃんも私のことおねーちゃんって呼んで良いんだよ」

 

 その通りだった。年齢で敵うはずもない。妖怪は人間と比べ途方もない時間を生きているとさとりから聞いた。となればこいしの姉が俺という状況はおかしい。

 

「流石におねーちゃん呼びは遠慮したいな」

 

「そっかぁ」

 

 すごく残念そうな顔をするこいしを見て何か悪いことをしたような感覚に陥るが、おねーちゃんと呼ぶのは避けたい。それではまるで幼女のようだ。俺は女になってしまったが幼女にはなっていない。

 

「2人で楽しそうですね」

 

 談笑をしているうちに、気づけば風呂のある部屋の前まで来ていた。そこではさとりが既に風呂道具をもって待機していた。どうやら少し不機嫌なようだが理由はわからない。3人で風呂場に入り服を脱ぐ、女性の服がわからない俺は脱ぎ方が分からずさとりとこいしの手を借りやっとの事で脱ぐ事ができた。構造が男の物と違いすぎてわからない。

 

「なんであんなに服がつっかえるの?」

 

「知らないよ...」

 

 その後は何事もなかったように体を洗い3人で風呂に浸かった。風呂というには少し大きすぎる気もする上、水が温泉だが。今回はこいしがダイブをしなかった為俺の目が被害を受けていない。石畳の風呂の淵に座り、足湯のようにして座っているとさとりが声を掛けてくる。

 

「ここに来て2日目ですが、気分はどうですか?」

 

「うーん。体調は良くなってるね。身体ってこんなに軽いんだなってビックリしてる」

 

 恐らく外での不健康な生活からここでの健康的な生活に変わったからというのが理由だろうが、そんなすぐに変わる物だろうか。一週間程度経っているならまだしも今はまだ2日だ。変化が早すぎる気もする。

 

「普通の範囲だと思いますよ。ある日突然石が砕けるようになった訳では無いんですから」

 

 冗談混じりにさとりが笑う。それもそうだね。と、こちらも笑う。それを見たこいしがさとりに後ろから抱きつく。

 

「2人で楽しそうだね」

 

 少々不満そうだ。だが、同調した感じではちょっとした冗談らしい。絡んで欲しいだけのようだ。

 

「そういえばこいしって結構地上に行ってるんでしょ?色々教えてよ」

 

「うん!いいよ!」

 

 生き生きと嬉しそうに話すこいしと、それを楽しそうに聞くさとりとこよみ。こいしから伝えられる様々な情報はどれも新鮮で外では経験の出来そうにないものが多い。崖から滝壺に飛び降りたであったり、所々危ないものがあり、さとりに厳重注意をされてはいたがそれでも楽しそうに話すこいしは本当に幸せそうだ。そして俺も幸せだと、感じた。

 俺は昔から他人が心から幸せそうに笑うのが好きだった。ただ、歳をとるにつれて人はその笑顔を見せなくなる。だから俺は大人よりも子供の方が好きだった。だから外では子供と絡む仕事を、塾教師やら家庭教師をしていた。今思えば他人が幸せであれば同調する俺も幸せになるからという自分勝手な理由だったのかもしれない。

 

「それでも幸せを願ったのなら貴方は良い人ですよ」

 

 そんな俺に気づいたのかさとりが耳打ちしてきた。

 

「そんな大層なもんじゃないよ」

 

 苦笑いを浮かべて話を逸らし、こいしの話にもう一度耳を傾ける。

 その後、夢中になり過ぎたのか少しのぼせてしまったこいしをさとりと2人で協力し彼女の自室まで運んだ。

 ベッドにこいしを寝かせ、さとりが頭をなでている。部屋にはあまり帰っていないようで物が無い。ただ、愛用しているのであろう黒い帽子だけが机の上に置かれていた。巻かれている黄色いリボンが良く映えている。

 

「たまにしか帰ってこないんですよ。埃が積もったりしない様に掃除はしているんですけどね」

 

「みたいだね。本当にただお散歩気分なんだろうね」

 

 眠るこいしを眺める。恐らく悪意は無かった。まだ会って間もないが、姉をわざわざ心配させるような事をするタイプではないだろう。では、何故外に出ていくのか。

 

「こいしがこうなったのは私の責任なんですけどね」

 

 突然の告白に驚いてさとりをみる。その手はこいしの開かないサードアイを撫でていた。その目は、心は一層の悲しみを抱えている。

 

「もうあなたも家族ですし。お話しましょうか。私たちに何があったのか」

 



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10話 本質

 他人の心を読むことができてもきっと人々は戦争をやめない。何故なら、戦争で生きている人々もいるから。


 こいしを起こしてはいけないという判断でさとりと俺はさとりの部屋に置かれた椅子に腰掛け、向かい合って座っていた。机には紅茶とラスクの様な菓子が並べられている。長話になるとのことで、さとりが呼びつけた燐が準備してくれたものだ。

 

「これは昔の話です。貴方はまだ生まれていないと思います。ただ、私にとっては忘れられない事件です。私達さとり妖怪は心を読むという能力から、迫害を受けていました。なので地底に逃げてきたんです。それ以来ここは地上で忌み嫌われたり、恐れられたりしている妖怪が集まる場所になりました」

 

 いつだったろうか。さとりがお互いにシンパシーを感じるといっていたような気がする。あの時はお互いに妖怪だからなのだと思っていたが、どうやらそう言う訳ではなかったらしい。

 さとりがこちらが何を考えているのかを読んだようで少し頷き、話を続ける。

 

「迫害と言っても私達が腕力の強い鬼のような妖怪であれば力技でなんとでもなります。ただ、私達は人間よりは強いですが。妖怪と比べると腕力が弱い上に、人間相手でも数人に囲まれれば負けるほどに弱かったんです。だからこそ、私たちに対する迫害は他の妖怪へのものよりも悲惨なものでした。今では私とこいししか居ませんが昔はもっといたんです」

 

 何が起きて数が減ってしまったのか。そんなことは聞かずともわかる。恐らく、殺されたのだろう。出来るだけ凄惨な方法で惨たらしく、見せしめの様に。

 

「なんとか生き残った私達は八雲紫に交渉を持ちかけられたんです。これから、旧地獄、ここですね。地底に嫌われた妖怪を集めるから、そこの主人になってみないかと。仕事は多いけれど、なってくれれば安全な居住区を差し出すとの契約でした。当然呑みます、これ以上地上にいてはこいしも私も危険でしたから。土地の管理者としてこの心を読むという能力は便利だとあの賢者も考えたんでしょう」

 

 妥当な判断だ。多少リスクはあったとしても安全には変えられない。この時すでにこいしの目は閉じていたんだろうか。間違いなく辛いことはあっただが、目を閉じることにつながるかと聞かれればよく分からない。だがそれ以上に同族が次々と殺されていく様というのは体感するとどれだけ辛いものなのか。想像するだけでも辛い。ここでさとりを騙すことに決めた。俺は単に話を聞いていると読ませる。そう、俺は想像する必要はない。同調をしてしまえばどれだけ辛いのかは分かってしまう。理解には必要な行為だ。だが、これはさとりからすれば調べられたくないだろう。だからこそ騙す。真実を誤解すればそれがその人にとって真実になる。

 ゆっくりと、いつものように相手を見つめ、能力を発動する。心に流れ込んで来る、相手の感情。絶望、憎悪、そして、殺意。黒い感情は家族を傷つけた者達に、延々と呪詛を詠っていた。

 少し同調すると感情がリセットされる。筈だった。いや、リセットはされた。だが、少し、視界が...揺れて。

 

「さとり」

 

「どうしました?」

 

 ふらりと立ち上がったこよみ。少し頭を押さえている。やはり、少し話が重すぎるだろうか。同調できる彼女にとっては少しつらいのかもしれない。

 

「いや、なんでもない。続けてくれ」

 

 何事も無かったかの様に席に着いたこよみは安心してくれと言いたげに少し笑って続きを求めた。何かがおかしい様な気もするが、それが何かは分からない。心には相変わらず話に対する興味しか無い。

 

「そうですね」

_______________________________________________________________________

 

「今日も行ってくるね!おねーちゃん」

 

 部屋を開けるなり笑顔で私に声をかける。愛しい妹。黄色のリボンのついた黒い帽子を被り、私と色の違う服を着たこいし。その胸元に身体から伸びるコードで繋がれた瞳は開いている。私の目の前には山のように積まれた書類。地底の管理を任せられた上でしなくてはならない業務だ。忙しくはある。だが、ここは地上に比べて圧倒的に安全だった。

 

「地上が怖いのはわかってるでしょ、なんで行くの?」

 

「みんながみんな悪い人ってわけじゃ無いよ。今は誰にもさとり妖怪だって事言ってないけど。みんなよくしてくれる」

 

「それはさとり妖怪と知られてないからよ。もし知られたらどうなるか。知ってるでしょ?」

 

 少しの沈黙。私たちは心を読まれるのを嫌った妖怪や人間にひどい迫害を受け、地上では日々殺されるかそれよりも酷い目にあっていく同族に何も出来ず逃げ惑うことしか出来なかった。当然こいしもその現実は知っている筈だ。

 

「それはさとり妖怪ってことで嫌われている所からのスタートだからだよ。ちゃんと信頼関係を築いてその後ならきっと仲良くなれる筈」

 

「待って。地上に行くのは良いけれど、さとり妖怪である事を伝えるのだけは絶対にやめて。仲良くなれる筈ってだけでそんなに危険な事をしないで。貴方は私に残された最後の家族なの」

 

 縋る様にこいしに願う。今思えばここで全力で止めておけばよかった。そうすればこいしが傷つくことはなかったのかもしれない。でも全力で止められなかったのは、やはり私も心のどこかでまだ仲良くすることができるのではないかと言う一抹の希望があったのかもしれない。今考えると本当に愚かだと思う。

 

「うん。わかってるよ」

 

 そう言い残し、こいしは笑顔で部屋から去っていった。私もついていけばよかったのかもしれない。ただ、それが出来なかった。怖かった。自分自身は怖くて行けないから妹に希望を託してしまった。これが私の罪、そしてその罪は最悪の形で償わされる形になった。

 こいしがその日、帰ってくることはなかった。たまに、その友達の家に泊まることもあったのでいつもならそれほど不安にはならない、けれどこいしと家をでる前にしていた会話もあり、少し嫌な予感がした。そのため、八雲紫を呼んだ。

 

「あら、なんの用かしら」

 

 虚空が裂け、闇が覗く、中にある目玉がこちらの景色を確認している。数秒してその中から金髪が覗き、白いフリルをつけた白いドレスに勾玉の様なものがあしらわれた薄紫の前掛けをつけた女性が現れ、裂け目が閉じる。

 八雲紫はこの幻想郷の賢者であり、管理者。彼女ならきっと、こいしの居場所がわかるだろうとそんな淡い希望を抱いていた。

 

「私の妹のこいしが地上に行ったっきり帰ってこないんです。とても不安なので探していただけませんか?」

 

「なるほど。貴方にはここの管理も任せているし探してみるわ。ただ、私としても確実に見つけれる保証はない、それだけはわかって頂戴」

 

 意外にもすんなりと了承してくれた。正直、何かしらの条件を提示されると思っていたので正直意外だった。

 

「よろしくお願いします」

 

 小さく頭を下げて、書類に向き直る。本当は私が探したい。けれど、現実的に難しいだろう。幻想郷は広い、その上私にとってはあまりに危険だ。探す最中に私に何かあれば帰ってきたこいしを迎えることが出来ない。

 私にとってこいしは唯一の家族だが、私もまたこいしにとって唯一の家族。おかえりを言える最後の1人。そんなことを考えている。ただ、これはただの言い訳だ。こいしの事は間違いなく大切だった、けれどそれ以上に私が酷い目に遭うのが怖かった。もし、この時私も探しにいけばこいしをもっと早く見つけることが出来たかもしれない。そう思うと、今でも胸が後悔と懺悔と、自らに対する嫌悪で痛くなる。

 

「結局こいしは見つかりました。ただ」

 

「ただ?」

 

 正面には先ほどから少し様子のおかしい気がするこよみ。ただの気のせいな気もするが、不思議な違和感がある。先ほどから服も、見た目も何も変わっていないはずなのに、何かが変わっているような。

 

「もうあまりにも遅すぎたんです。こいしを見つけた八雲紫曰く、こいしは小屋で地面に寝かされており、ナイフがサードアイに突き刺さり、服は破られ、どうやら村人達に輪姦されていたのだろうとの事でした。ただ、そのこいしの周りには殺された村人が転がっていたそうです。どれも酷い拷問を受けた後のように身体中に傷があり、顔は痛苦に歪んでいたそうです」

 

「そうか」

 

 もう一度こよみを見る。何かを考えるように目を閉じた彼女を見る。彼女にはとても辛い話だろう。こよみにとって他人の話を聞くと言うのは一般人とは少し意味が違う。同調を行える彼女は、相手が話すために思い出したその時その瞬間の感情を全て自らに投影して感じ取っている。恐らく彼女の同調というのは他人を自らに投影していると言った方が正しいのかもしれないと最近は感じている。実際彼女の心にはあの時私が抱いた感情が渦巻いている。

 

「大丈夫ですか?やはり辛いですか」

 

「いいや、大丈夫。何もこの能力をここにきて初めて手に入れた訳じゃない。俺は元からコレと仲良くやってきたんだ。慣れてる」

 

 目を開いた彼女を見る。やはり外見に変化はない。やはり少し精神に影響が出ているのだろう。

 

「ごめんさとり。思い出させない方が良かった話題だった。興味で聞いてごめん。なんか身体が凄くだるいから部屋でもう寝るよ」

 

「こちらこそすいません。貴方の能力上、この話を聞くのは苦痛だとわかっていましたが、いつかは話さなくてはいけない事でもあったので」

 

 返答はなく。そのままでも部屋から彼は立ち去った。残された私は一人でまた書類に向かう。今日もまだ、少し書類が残っていた。

 

_______________________________________________________________________

 

 心には憎悪、嫌悪、煮えたぎるような復讐への欲求。地上にいる人間を皆殺しにしてやりたい。そしてコレは、俺の感情ではない。今となってはコレほどの憎悪は無いのだろう。だがさとりの思い出していた過去のあの時点では恨んでいたという事だろう。無理もない。俺にも妹がいた。その妹が同じ目に遭えばきっとそれに関わった全てを殺したいと思うだろう。

 

「凄く、具合が悪そうだね」

 

 ふらふらと歩いている様子を見かねてか燐が声をかけてきた。

 

「あらら、見て分かっちゃう?」

 

 ケラリと笑う。俺の顔は笑っているのだろうか。他人の感情はいつも少し気持ちが悪い。少し経てば泡沫のように消えてはいくが、思い出すたびに同じ気持ちが想起される。これまではただの考え過ぎかと思っていたが、どうやらそうではない。俺にこんな能力を持たせたこの世界は一体何のつもりなのだろうか。それ以上に俺をここに拐ったあの女は一体なんなのか。まぁ、考えるだけ無駄か。

 

「どうしても苦しかったら呼んで」

 

 早足で去っていく燐を視界の端に部屋へと戻る。いつもならこうなるとゲームをして忘れるように努めるがここにはそれがない。諦めて受け入れるしかない。にしてもさとりが俺の能力を同調ではなく投影と言ったのは興味深かった。この世界の能力というのはあまり理解していないが、名前だけが全てを決定するわけではないのかも知れない。

 まぁ、そんな事。考えたって意味ないか。

 

 ドアを開き、部屋の明かりを消す。寝台へと歩き、一度息を吐く。心の準備をする。そのまま寝台に身体を滑り込ませ目を閉じた。未だにここの匂いには慣れない。長い間過ごした外とは大きく違う。それもあり、なかなか寝付く事は出来ない。何か気を逸らすことをしようと寝台から虫のように抜け出し、部屋を散策する。今思えば満足に部屋を見た事は無かった。

 いつ見ても豪華だ。外ではこのような部屋は高級なホテルにでも行かない限り出会えないだろう。既に灯は消したが、外からのうすぼんやりとした光で部屋の中を見ることは出来た。天井から吊るされたシャンデリア、まるで海外の王族が使うかのような天蓋付きの寝台。何も置かれていない淡い茶色の木製のテーブルには薔薇が刻まれている。そこに備えられた椅子にも同様に薔薇が刻まれていた。クローゼットには俺の着ていた服が入っている。もう着れる事は無いだろう。まだここにきて数日だがもうズボンが恋しい。足がとても涼しい。半ズボンは偶に着ていたが、太ももまで涼しいというのはなかなか経験がなく、慣れない。

 

「何も無いな」

 

 諦めて寝台に戻ろうかと思ったが、気が晴れるまで外を眺めることにした。相変わらずの喧騒だ。不快なものではない。ただ、一つ問題点を言うのであれば陽の光が無いところだろう。外では寝る時に鬱陶しいとまで思っていた光だがいざ無くなってみると困る。あるのは、夜明けの始まりのような光のみ。

 そんな傲慢な自分を自嘲して少し笑う。全く、コレで良い人と呼ばれるのだ。優しい人だと言われるのだ。造花が最も美しいと言われるわけだ。

 

「はは」

 

 彼女の口から乾いた笑みが漏れる。それは世界への嘲笑か、自らへの嘲笑か。呪いのように纏わりつく他人の想いの中で何を思い、彼女は世界をどのように見ているのか。そんな事は彼女以外知り得ない。

 くるりと体を反転させ、寝台へと入る彼女。その目にはただ、諦観があった。



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11話 重ね重ね、仮面の下で

 世界には見ない方が良いことがある。
 その通りだ。
 世界は見える必要のないもので溢れている。


 覚悟を決めて彼女の部屋へと向かう。最後に部屋を出た時に様子は明らかにおかしかった。私は彼女の大丈夫と言う言葉を信用していたが、よく考えればこよみがまだ彼だった時、既に大学生だったと聞いた。

 確か人間の年齢であれば20は超えている。それだけの年、彼はあの能力と過ごしていたはずだ。となれば、先のような他人の悩みや恨みつらみを聞く機会もあっただろう。それに加えて、別に他人からの相談ではなくとも周囲で話す人間の想いも影響を与えるのだとすれば、普通の精神状態でいることのできる人間は居るのだろうか。

 彼女の能力が同調よりか、他人の投影が正しいという私の考えがあっているのであれば耐えることは出来ないだろう。心はそんなにも強靭に出来ていない。どれだけ屈強な体を持つものでも心は脆い。その事を私はよく知っている。

 扉を開けると既に灯は消されており、寝台で静かに彼女は眠りについていた。うなされている様子はない。静かに、まるで彫像にように眠っている。彼女の頬を愛おしそうに撫で、目を瞑る。

 

「すいませんこよみ。お邪魔します」

 

 私が彼女の寝ている隙を狙って来た理由は深層心理を読む為。通常コレは起きていても可能だが、彼女の場合、もう一つの能力がある。考えたくは無いが、もしも騙すという能力を既に使いこなしているというのならこのように油断している隙をつかなければ意味がない。

 一度深呼吸。サードアイに集中し、彼女の深層心理に侵入する。そこには灯りがなく。辛うじて見える眼前には木製の長い机があった。多くの人が会食をし、賑やかなはずのそこには静寂だけがある。さらに机には何も乗せられていなかった。この空間にはまる生物の気配がない。だが、強いていうのであれば、闇があった。

 

「ようこそ。さとり。来たなら仕方ない。本意では無いけど、歓迎しよう」

 

 長机の端から突然男の声がする。顔を確認したいが闇が邪魔して見ることが出来ない。

 

「貴方が、本当の古明地こよみですか?」

 

 少し悩むような声がした後に男が口を開く。

 

「確かに古明地こよみでは無い。だが、俺自身だ。古明地こよみという名前はここに来た時につけられた名前、俺の本名では無い。別人格だと理解するのが楽だろう」

 

 私の想像は大方当たっていたらしい。やはり、精神構造が少し妙だ。一般人の深層心理はなにか明確に物がある。それはその人が執着したものであり、その人の人間性に直結する。だが、彼の世界には闇と机、それしかない。

 

「まず。謝りたい。俺はさとりに隠しておく気はなかった。ただ、あの賢者や他の妖怪には隠しておきたかった。何故なら俺は彼女たちをまだ信用していないからだ。だが、さとりのことは信用できる。それに、騙すという能力があるにしても心が読める相手を騙すのは限界が来る」

 

 そして彼は自重気味に笑う。

 

 「悲しいかな俺はそれほど賢く無い。いつか矛盾が生まれ、それに気づく時がくるのは分かっていた。ただ、だからといってふつうの生活で話す事は危険だと感じた。あの八雲紫というのは幻想郷の中の会話の全てを把握していてもおかしくはなさそうだった。だから話すならこの俺の深層心理で話すことにした」

 

 スラスラと紡がれる言葉。だが、その全ての言動に無駄がなかった。まるで全てが準備されているかのようだ。それに彼女がやけに自分の事を話さなかったことも納得がいった。ボロが出ることを恐れたのだろう。

 

「それは、大丈夫です。ただ、聞きたいことが、古明地こよみはどこにいるんですか。そして貴方はこよみでないのなら誰ですか」

 

 相変わらず顔も姿も見えない。光一つ刺さないこの空間では彼の距離まで歩く事は不可能だろう。それに、足元もよく見えないような状況で下手に動くのは危険すぎる。見えないというだけでなにもないとは限らない。

 

「ここにいる。ただ、今は出てこれない。出られる状態ではないというのが正しいだろう。俺はこの体が古明地こよみと呼ばれる前の肉体の人格だ」

 

 二重人格。という事だろうか。少し違う気もするが彼が視界に入っていない以上心を読むことができない。ただ、どうやら彼は今の所どのような質問にもかなり誠実に答えている。とそう感じる。古明地こよみという人間のことを知るならきっと今しかないのだろう。先の言葉が本当ならばここから出れば答えてくれる事は当分....いや永遠にないかもしれない。

 

「ではもう一つ質問です。貴方の能力の同調するというのはどんな能力ですか?わかる範囲でいいので教えてください」

 

 この質問の回答次第で彼がどうして二重人格のような状態になっているのかを聞くことも、最悪教えてくれなかったとしても推測することができる。闇の向こうから何かを諦めたようにため息が聞こえた。何か面倒なことを押し付けられたような反応だ。恐らくいつかこよみに言わせるつもりで居たのだろう。

 

「あの同調という能力はさとりの感じた通り相手を自分に投影して同調する能力だ。ここにくるまではそんなメルヘンなことを20にもなった大人が言えば周囲からの目はどうなるか容易に想像がついたから特に口外や相談する事はなかった。実質相手の心がわかっているかなんてわからなかったしな。だから今の方が辛いかもしれない」

 

 大方想像通り。ただ、信じていなかったとしても心的負荷というのはとてつもない事になる。到底人間が耐えられるものではない。

 

「流石は心を読む能力を持っているだけあって心に関しては詳しい。あれはそこにあった想いも感情も全てを一度受け止める事になる。当然、その話を聞いているときの相手の心情に大きく左右される。ただ、別に感情がどうであれ普通にやっていれば正常ではいられない。心というものは他人の想いまで受け取れるほど強靭なものではない。基本的に一人だけが使うものだとして作られている。だが、俺はこの能力と生きてくる他なかった。だから工夫をしたんだ。まず、他人と極力関わらないようにしたが、それでも限界はある。外の世界というのは恐ろしく他人と関わる機会が多い。人間の総数というものがあまりに多すぎる。それに別に俺を対象に話していなくとも会話が聞き取れれば軽くではあるがこの能力は発動する。さとりの読心がその目で見る事で発動するなら俺の能力は耳で聞くことによって発動する。耳を聞こえなくするなんて事は出来なかったから、分担することにした。一人で受け切れないなら受ける人数を増やせばいいと考えたわけだ。人のカタチ自体は能力の関係上沢山心にあったからな。ただ、彼女はここにきてから作られた人格。だから少し慣れて居なかった。それに妖怪の生きてきた年というのは人とは比較にならない。その分想いも強くなっていた。俺は慣れていたからまだ問題なかったが、彼女の容量は越えてしまった。だから休ませている。ただ、休んでいる間、人格がなくなるのはマズイ。だから俺が出てきた、ということだ。二重人格みたいなものだと思ってくれて構わない」

 

「そんな能力。そんな小細工をした程度で耐えられるようなものでは」

 

 想いとは蓄積する。周囲から虐められ自殺に追い込まれる人間。それは

他人からぶつけられる負の想いと自分自身への負の想いが集積し耐えられなくなった結果起きてしまうものだと考えている。当然世界にあるのは負の感情だけではないが、どちらにせよ想いを背負うというのは尋常ではない不可になる。

 

「確かにどれだけ器を作ろうが俺が受けないという選択肢がない以上俺に対する負荷はそこそこあるが、実際耐えられているんだ。俺はこうして今も普通に会話ができている。心は意外と強い」

 

 確かに会話をしている限りは彼に異常な点はない。会話も成立している。ただ、闇の中、彼は一体どんな表情をしているのだろうか。どんな姿をしているのか。ふとそんなことが気になる。しかしここは深層心理、何が起きるかはわからない。きっといつか、彼の姿を見ることは叶うだろう。そんな気はしている。

 

「そうですね。貴方は大丈夫な様にみえます。私ばかり質問してすいません。貴方からは何かありますか?」

 

 しばらくの静寂。何かを考えているのか少し何かを言いかけてやめたようだ。

 

「そうだな。なら.....質問ではなくお願いだ。俺は外といえば良いのかな。そこでは能力もあったし、結構他人に気を使ったり、長男って立場上色々...何だろうな」

 

 言葉を選ぶような間の後、少し寂しそうな苦笑が聞こえ、続きが語られる。

 

「伸び伸び暮らせなかった。別に不満だったわけではないが、古明地こよみにはそんな人生送って欲しくない。俺はもう自分で人生を歩めないが彼女はまだ先がある。どうか呑気に過ごさせてやってくれ」

 

 口調からして堅苦しいイメージがあったが実のところそうではないらしい。だが、彼が話す内容ではまるで今生の別れのようで。

 

「別に俺という人格が死ぬわけじゃない。ただ、俺が古明地こよみというここに住む人間ではないというだけだ。そして俺には身体がない。わかるだろ」

 

 シンプルに自分に出る幕はないとそう言いたいのだろう。だが、それはあまりにも残酷で、悲しい。彼は死んだわけでもなく、心が壊れる瞬間までこの世界に1人、取り残され続ける。一体何が彼をそうさせるのか。

 

「良い人だな。でも、大丈夫だ。俺も感覚は共有してるから意外と暇はしてない。幻想郷だっけか、その世界も見てる。さとりの思っているよりはずっとマシだ。まぁ、俺の話はあまり必要無いだろう。俺に質問できる機会はそうそう無いのに本当にもういいのか?」

 

 自分が世界から死んだ事にされるのと今の状況は変わらない。にも関わらず、彼の言葉から不安や恐れは感じ取れない。あるのは諦観と達観。まるで他人事のように淡々と言葉を紡いでいた。

 

「なら、貴方がどんな人間だったのかを教えてください」

 

「は?そんな事聞いてどうなるんだ。俺はもう居ないも同然、知ったところで何も無いぞ。ほら、もっと色々聞くべきものがあるだろ。何か気付くこととか気になる事とか無いのか?」

 

 素っ頓狂な声が響き、彼が疑問を投げかけてくる。闇の向こうから聞こえる彼の声は明らかに困惑していた。だが、そんな事は関係ない。

 

「そんなもの聞いても何にもなりませんから。それに私は初めて貴方に会って少し興味が湧いたんです。貴方自身を知りたいと」

 

「あー…そういえばそういう奴だったな。まぁ良いか。でもこよみが前に軽く話しただろ。普通の男だった。ただ、人付き合いがすごく疲れるからゲームに逃げてただけの男。でもこれだと全く同じか。なら、俺と言う人格が自分をどう考えてるか、それを加えよう。俺という人格は恐ろしくバカで臆病だ。自分よりも他人の願いを優先しているように演出し、自分が傷付かないように立ち回る。そんな人格だった」

 

 淡々と、彼は言い放った。自分は良い人間ではないと。どちらかと言えば屑だと。大方自分の事を他人に告げる者の発言では無い。彼が普通の人間であれば。

 

「ひどい事を言うんですね。自分自身の事なのに」

 

「事実だからな」

 

 相変わらず闇の先に居るはずの声の主は見えない。響く声だけが存在を主張している。

 

「ならこれが最後の質問です。どちらの能力が貴方が元々持っていた物ですか?」

 

「残念だが、それは分からない。ただ、ここにきてどちらの能力を説明された時はどちらも俺らしいと思った。同調した情報を生かし、理想に沿うように自分を偽って見せる。ほら、しっくりくるだろ」

 

 一つ気づいてしまった事がある。きっと彼という大元の人間は、恐ろしい程に優しいのだろう。普通の人間ならばそれだけだった。だが、彼は同調ができる。他人の求める自分への理想が流れ込んで来る。優しい彼はそれを参考に動く。目の前に成功のルートがあるならわざわざそこ以外を通る必要はない。延々と自分を改竄し、その果てにふと気づく。自分とは一体なんなのか。他人の理想を追った結果。遥か後ろに置かれた自分自身を見失う。探したいが、今に至るまでに作り上げた全ての仮面が邪魔をする。

 

「さとり」

 

 そして彼はこの幻想郷に辿り着いた。全てが新しい環境。そこで彼は考えたのだろう。

 

「さとり、それ以上の詮索は辞めてもらおう」

 

 闇から手が伸び、後ろから肩を掴む。慌てて振り返るとそこには、男が立っていた。白いシャツに黒のチノパン。服装は普通だが、それ以外が異常だった。

 

「あなた」

 

「それを優しさとは呼ばない。臆病って呼ぶんだ。それに少し、いいように理解し過ぎだ」

 

 顔の部分と背後が黒い霧に包まれていた。その上、読心が通用しない。

 

「折角だし出てきてみた。こんな機会はそうそう無いしまぁ、いいだろ」

 

 戯けるように笑っているがその顔は、その肌は全てが見えない。彼は本当に笑って居るのだろうか。

 

「これが臆病の末路ってことさ」

 

 表情も感情も掴めない。彼はこの場にいる。先ほどと全く状況は変わらない。ただ、一つだけわかった事は。彼は私が考えるような生やさしいものでは無いという事だ。雰囲気が明らかに異常だった。目の前に立って居るのはたった1人の人間にも関わらず、妖怪、神、大勢の人々、それらをミキサーにかけ、ごちゃごちゃになったものを人の型に落とし込み、目の前に出されたかの様な不気味さがある。

 

「優しいんじゃ無いんだよ。自分が嫌われるのが怖くて逃げてた、それだけだ。わかっただろう。これがその結果。これが古明地こよみになる前の俺」

 

 声が出せなかった。彼と言う人間の異常性に恐怖よりも畏敬の念を抱く。そして、彼という人格は読心を用いても読めない。まるで喧騒のような雑音がはいるだけだった。

 

「そうだ、あと最後に一つ、俺が出るというのは古明地こよみに何か深刻な事態が起きたという事だと考えてくれ。周りにはわからないだろうけど、心を読めるお前ならきっと気づけるだろう。それじゃ、さようなら。もう会わないことを願ってる」

 

「貴方は!」

 

 手を伸ばすが届かない。彼の姿が闇に溶け、世界に静寂が訪れた。もう何も答える気は無いのだろう。気づけばあった筈の机も、イスも、嘘の様に消えていた。ただ一人闇の中に残された私は諦めて能力を解く。

 あいかわらず、こよみは静かに寝息をたてている。外には相変わらず酔いどれたちの喧騒が響いている。

 

「それでも貴方は私の家族なんです。今度こそ」

 

 静かな決意は窓から光が差し込む明かりに溶ける。未だに静かに寝息を立てている彼女を起こさない様に立ち上がり、部屋を後にする。

 

_______________________________________________________________________

 

 彼女が居なくなったのを確認し、寝台から立ち上がる。そして窓の外の景色を眺める。相変わらず酒を飲み交わす妖怪たちが見える。

 

「あんな事は言ったものの辛いわな」

 

 当然誰からの反応はない。寝台に腰をかけ、静かに天井を眺める。先ほどまで寝ていたからかまだ人肌の熱を感じる。こうして自分の意思でこの体を動かすことはこの先ほぼないと考えるとやはり辛い。ただ、こよみも俺といえば俺だ、そう考えればまだ心に余裕はある。

 それに、仕方のない事だ。俺の選んだ道、これは俺を見つけるいい機会だ。今を逃せば見つけることは出来ないだろう。普通に生きていてこれだけ周囲が変わることは無いだろう。それに、ここであればあまりあの能力を使う必要も無い。

 

「古明地こよみか。彼女の人生に幸の多からん事を。なんてキザっぽいな」

 

 少し照れるように笑う彼。独り言を楽しそうに呟く彼とそしてその横に座る少女。

 

「キザっぽいね。似合ってないかも」

 

 驚いて横を見るとそこには古明地こいし。いつの間にやら帽子は何も乗っていない机の上に置かれ、横に腰掛けていた。

 

「うーわ。恥ずかしいな。まぁ、いいか」

 

 正直かなり恥ずかしくはあるが、別にこれで被害を被るのは俺では無い。こよみの方だ。そう考えておけば問題ないだろう。

 

「いつからいたんだ?」

 

「おねーちゃんが入った時から」

 

「なるほど」

 

 少しの静寂。二人の静かな息遣いだけが部屋に残る。古明地こいしの能力は未だにどういう原理なのかは分からないが、警戒しておくべきだった。

 

「さよならなの?」

 

「いや。そんなことはない。別にこよみは消えない」

 

 昔からこういう小さい子供の悲しそうな声には弱い。傷つけたく無いと思ってしまう。俺はもう大人だ、社会に揉まれ、様々な事を知った。彼女達もいつか知ることにはなるだろうが、その時まではどうか純粋にいて欲しい。

 

「私、会いにくるよ」

 

「こよみにか?」

 

 回答の想像はついているがあえて外す。そうであってほしく無い。俺は頼まれればきっとブレてしまう。そんな気がした。

 

「お兄さんに」

 

 最悪の回答だった。こよみちゃん呼びではなく、敢えてお兄さんと呼ぶあたり間違いなく気づいている。

 

「なんで?」

 

まだなんとかこいしをこの話題から話せないかと、無かったことには出来ないかと必死に策を練る。

 

「おねーちゃんから聞いたでしょ。私は人間とお友達になりたかったの。でもね、失敗しちゃった」

 

 胸元にあるサードアイを寂しそうに見つめるこいし。その本来開いていたであろう瞳は、固く閉ざされている。俺も彼女の話は聞いた。能力など使わずとも、人間に何をされたのか簡単に想像はつく。

 

「でもね。まだ、普通の人間のお友達が欲しいってそう思うの」

 

「こよみも人間だ」

 

「違うよ。こよみちゃんは特別な人間。でしょ」

 

「どうだろうな」

 

 下手に間が空いてもおかしいと判断し、簡単に返したがすぐにそれがミスだったと気づく。しっかりと否定をしておくべきだった。または能力を使ってまでも騙すべきだった。ただ、完全にバレきっている状況から相手を騙せる手が今の俺には浮かばない。

 

「私も元々はさとり妖怪だし、お兄さんよりもずっと長い間生きてるんだよ」

 

 お見通しだと、諦めろと、そう言いたいのだろう。だが、ここで認めるわけにはいかない。賢者に聞かれていてもおかしくはない。ここで認めてしまったら本当に何のためにさとりにあそこで話したのかが分からなくなる。

 

「そうか。なら、時々会いにくるといい。会えるかどうかは気分次第だけど」

 

「そこは確定じゃないんだね」

 

「寝てるかもしれないし、出かけているかもしれない」

 

「そういう言葉遊び嫌いじゃないよ」

 

 小悪魔のように笑うこいしを少し諦めたように見つめる。まるでアニメの世界だ。誘拐されて別世界に、周囲には可愛い少女。今でも時々夢なのではないかと思う。だが、こいしに認知されていた事で正直少し嬉しいと思ってしまった自分もいる。いつかは壊れる俺だが、誰かの記憶には残れる。

 

「いつ戻るの?」

 

「わからない。数日かかるかもしれないし、明日には戻っているかもしれない」

 

 もう手がない。諦めも時には肝心だろう。どうかこの会話をあの賢者が聞いていない事を願うほかない。

 

「そっか」

 

「はい。この話は終わりだ。もう寝る時間だろ。早く寝ろ。背が伸びないぞ」

 

 立ち上がり、寝台に潜り込む。単純な話、これ以上会話をしなければボロがでることはなければ、賢者に聞かれるリスクもない。さっさと目を瞑って寝たふりでもしておこう。

 そんな俺の眠る寝台におもむろにこいしは入り込む。

 

「は?」

 

「一緒に寝よ」

 

「...........勝手にしろ」

 

 そうとだけ言って背を向ける。言ったところで何処かに行く気はないようだ。力尽くで退けることもできるが、面倒過ぎる上にメリットがない。にしても初めての家族以外の添い寝がこんな所で消費されるのか。人生本当に何があるか分からないな。

 こよみはそのまま背中に気配を感じつつも意識を落とす。

 

 

 



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12話 呑気に暮らしたい

 罪を贖うのなら。裁判をしても、何をしても、意味はない。それを許せるのは自分しかいないのだから。


 闇の中。目の前にある木製のドアをノックする。返答はない。ノブを手首とくるりと回し、中へ。しかし、彼は全てが見えているかのように歩みを進め、様子を見るように周囲を見回すように歩く。

 

「まだ無理か。できる限り早急に治ってくれよ。俺はあんまり女が得意じゃないんだ」

 

 目を覚ます。相変わらず陽の光はない。まだの外からは相変わらずの喧騒。どうやら今日は祭りも行っているのか祭囃子も聞こえる。

 起きあがろうと体を起こそうとするが動かない。腰のあたりに白い手が回されている。一瞬ギョッとするがそういえば昨日こいしに強制的に添い寝をさせられていた。俺が寝ている間に抱き枕代わりにしていたのだろう。耳をすませば確かに寝息も聞こえる。わざわざ起こすのも流石に気が引ける。だからといって起こさずに手を外すのも難しいだろう。今のうちの状況を整理するか。

 未だにこよみは復活しない。何時ごろ復活するのかわからない、もしかすると二度と起きないという可能性も最悪あるのだろうか、そうなれば新しいこよみを作る必要がある。どんな人格であったのかは少しは覚えている、それを基にすれば作れない事もないだろう。

 困った事になった。ただ、今ある問題はそれだけではない。俺というのは男として創られた人格、当然女性というのは異性という認識だ。これまでの距離感でいられれば当然動揺もする。そして、古明地さとりは心が読める。あの性格からして動揺を知られれば何か悪戯をしてくる可能性が高い。それに近々俺の服を探すために着せ替え人形にすると言っていた。正直、女性の服を着る事に抵抗があるし、正直女性自体があまり得意では無い。俺がこよみ越しに見たこの世界は男が非常に少なかった。というか、ほぼ女性だった。俺だとこよみのように気楽に話すことが出来るかどうか。とりあえずは出来るだけ交流を抑えつつ、今後の対策を練るか。

 

「おはよー」

 

 なんとなく今後の動きが決まったところでこいしが目覚める。まるで計ったかのようなタイミングの良さだ。一瞬心を読んでいる可能性を考えたが、こいしは心を読めないはずだ。偶然だろう。

 

「ああ。おはよう」

 

「その感じはまだお兄さんだね」

 

 とても大きなため息をつく。わざわざこよみの口調に変えるのも億劫だ。その上こいしには俺の存在がバレている。隠すだけ無駄、だが口封じはしておくべきだろう。

 

「そうだ。だが、一つ約束して欲しいことがある。俺の存在は秘密だ」

 

「二人だけのヒミツって事だね」

 

 本当に理解しているのか不安になる軽さだ。バレると心底面倒な事になるから本当に黙っていて欲しい。

 

「ああ」

 

「いいね。私とお兄さんの二人だけのヒミツ」

 

 意味ありげな言い方をし、嬉しそうに笑うこいし。惜しむように抱く力を強めた後にこいしの手が俺から離れる。

 

「まぁ、さとりにはすぐにバレるだろうけどそれは仕方がない」

 

 寝台から起き上がり、大きく伸びをする。ここにきてからというもの?やけに肩が凝る。胸というのもあるだけお得というものでも無いらしい。実際女になってみないとわからないことがわかったのは収穫と言えば収穫だろうか。

 とりあえずこいしには黙ってもらうとしてそういえばにとりの方は順調なのだろうか。携帯などがあれば簡単に連絡が取れるがここにはそんなものは恐らくない。実際にあそこまで出向き、話してみる必要があるだろう。ただ、地上は広かった。俺は正直方向感覚に自信がない。帰って来れなくなり、そのまま餓死みたいなオチが容易に想像できる。それに俺が直接出向くのはまずいだろう。行くならこよみだ。

 

「で、お兄さんは今日何かするの?」

 

「いや、何もしない。寝直す事も割と考えてる」

 

 家事は全て燐が行っている。前に手伝おうかと聞いたら大丈夫だと言われ、それならペット達と遊んでくれと言われた。だが俺は動物と仲良く遊べる自信はない。本当にすることがない。こんなことならさっさと八雲紫に外の世界からゲームを持って来てもらうべきだった。

 

「あれ、どうしたんだろ」

 

 唐突にこいしが外をみる。相変わらず祭囃子は止んでいない。

 

「祭りでもしてるのか?」

 

 こいしが眺める外を追うようにして見ると街の方で何かがあったようで煙が上がっている。

 

「火事か?」

 

「わかんない」

 

 何か嫌な予感がする。何故、こんな状況でも祭囃子が止まらないのか。

 

「火事は多いのか?」

 

「多くない」

 

 日常的なことなら気に留める必要もない。だが、そうではないとなると。一体何が起きているのか。

 

「様子を見てくる」

 

 返事を聞く事もなくこいしの横を通り、自分が通れるサイズに窓を開く。窓に足をかけてそのまま空を飛び、現地へと向かう。会話をする気はない。単に様子だけを確認するつもりだ。眼下では妖怪が音楽に合わせて踊っている。一体どこからこの祭囃子が聞こえているのか。

 

「やぁ、こよみじゃん。久しぶり」

 

「そんなに久しくは無いと思う」

 

 空を飛ぶ俺を見てかヤマメがどこかから飛んでくる。バレるわけにはいかない。いい具合に演技をしながら下の状況を探ろう。

 

「ところであの煙はなに?」

 

「わからない。でも大したことじゃ無いでしょ。今は踊ろう」

 

 そのまま手を掴んでくるヤマメの手を後ろに飛ぶことで躱す。そんなことをしている暇はない。身を翻し、煙の立ち登る方へと向かう。

 

「待ってくれよー」

 

 後ろからヤマメが追ってきているようだが気にしない。前回橋の上で襲われかけたのを覚えている。下手に捕まるのは良くない、それに今に状況では尚更まずい。

 煙の立ち上る所へ向かうと別に火事というわけではなく。数人の妖怪がキャンプファイヤーを囲んで踊っていた。ただの杞憂だったらしい。胸を撫で下ろし、地霊殿へと向かう。何事も悪い方へと考える癖はやめたほうが良さそうだ。そんなことを考えながら帰路についていると腕が後ろに引っ張られる。

 

「は?」

 

「捕まえたよ」

 

 未だに後ろから俺を追っていたヤマメが手からいつか見た糸を吐き、俺の腕を捉えていた。

 

「逃げるなんてあんまりじゃないか」

 

「あー、ごめんね。先に煙を確認しておきたかった」

 

 元々俺は虫が好きだったし、ヒーロー系の物語も好きだった。そうなれば、虫が蜘蛛の糸が太いということがどのような事を表すのかは知っている。

 

「前回は逃げられちゃったけど。今回は逃がさないよ。一緒に踊ろう」

 

 糸が引き寄せられ、徐々にヤマメに引き寄せられる。力が強い。正直、さとりやこいしの比ではない。服を脱げば一時的には逃げられるだろうが、そのあと蜘蛛の糸をぶつけられるのが目に見えている。おそらくそう簡単に躱せる代物ではない。同調すれば蜘蛛の糸をどこに放つかはわかるかもしれないが。同調したところで俺の身体能力が上がるわけではない、来ると分かっていても銃弾が躱せないようにおそらく回避はできない。

 

「いいよ。踊ろうか」

 

 諦めて踊ることにしておこう。人格についてバレないかは不安だが、手がない。ただ、貞操に関しては全力で守ろう。俺としての人格のままそんな目には空いたくない。せめてこよみの人格で...もよくない。

 

「いいね。素直な子は好きだよ」

 

 先ほどから感じている異常。それは、妖怪たちの感情。どうも不自然だ。どうも幸せすぎる。良いことではあるが、みんながみんなこんなにも幸せになることがあるだろうか。そして、それ以外の感情を調べられない。

 

「あの音楽っていつから聞こえてる?」

 

 俺の目の前まで来たヤマメに一つ問う。今あるいつもと違うものはあの音楽くらいだ。となれば原因はそこにあると考えるのが一番自然。

 

「目が覚めたら聞こえてたよ」

 

「なるほど」

 

 まずはこの音の発生源を調べない限りは始まらない。だが、俺の能力では見つけることはできない。なんとかして自力で見つけるしかないだろう。

 

「おかしいな。君って、こよみだよね」

 

「え?ああ、そうだけど」

 

 バレるような要素はあっただろうか。何か失言をしたか必死にこれまでの発言を遡る。

 

「雰囲気変わったねぇ」

 

「ちょっとずつここに慣れてきたからね」

 

 どうやら何かしらの手段で俺がこよみではないと感じているらしい。思い返しても今のところ失言はしていないはずだ。

 

「あーね。まぁ、色々あるんだろう。あえて問い詰めないよ。辛そうな能力ではあったしね」

 

「良く気づくな」

 

 ふわりと糸が切られる。まるで先ほどまでの強靭さが嘘のようだ。

 

「私たち妖怪はかなり長く生きてる。それに、妖怪は人間よりもその本質を見てるから」

 

「そういうことか。なら仕方ない。そこまで確信に近いと騙すのもキツそうだし」

 

 諦めよう。とりあえずはこの音がなんなのかを調べたい。これが原因でこいしやさとりに何かしらの影響ができるなら早急になんとかしたほうがいい。

 

「で、俺がどうやらこよみではないということがわかったみたいだけど、それでも踊るか?」

 

「うーん。男っぽいこよみもすごく良いけど遠慮しとこう。それに私もこの状況はおかしいと思ってるから」

 

 感動にも似たような声を漏らして笑う。どうやら最初からそこまで本気で俺の貞操は狙っていなかったらしい。ただの戯れだよとでもいいたげな態度だ。だが、俺はヤマメに縛られ、色々と触られたのを覚えている。

 

「でもこれが異変だとして、私たちが解決することではない気もするし。何より、今の所なんの問題も起きてない」

 

「何か起きてからじゃ遅い場合もあるけどな」

 

 想像はつかないが、嫌な予感はする。もし、あの妖怪たちが暴走するようなことがあればさとりとこいしでは何もできない可能性が高い。ただでさえ腕力はないと言っていたのだ、数で押されればあっという間に殺される可能性がある。その可能性は排除しておきたい。

 

「それもそうだけど、みんな楽しそうだし」

 

「まぁ、間違いない」

 

 この間にも永遠と祭囃子が聞こえ、眼下の妖怪たちは踊り続けている。その様は誰がどう見ても楽しそうではあった。

 

「でも、異常なのも確かだろ」

 

 眼下に視線を落とす。それにそうようにヤマメも視線を下ろす。彼らは楽しそうであると同時に、異常でもあった。それは理解できているはずだ。

 

「間違いない」

 

「それに誰も彼もがあんな風に踊り出したら本当に最後だ。だれも止められなくなる」

 

 異常な舞踏とそれを助長する狂想曲のように祭囃子が響く。今俺は踊りたいとは思えないが、いつまでそうかはわからない。この音楽に異常性があるのならこれを聴いている俺もいつああなるかわからない。

 未だに協力しようか迷っているヤマメに何か決定打を与えたい。正直、こう言ったトラブルを解決するのは初めてだ。暴力沙汰になった場合、俺には抵抗する手段がない。簡単に制圧されてしまうだろう。

 

「多分、そんなに重大な問題じゃないだろうし。私は楽しいから解決は任せた!」

 

 そう言って地上に戻って背に手を伸ばすが諦める。仕方がない。どうやっても協力してくれそうな雰囲気は無かった。とりあえずは飛び回ってこの音の発生源を出来るだけ早く見つけよう。ただ、見つけると言ってもどうするか。

 眼下には街が広がっている。どうやっても一目で発生源がわかるような広さではない。だからといって何か目印があるわけでもない。しらみ潰しに飛ぶのもなしではないが現実的とは言えない。

 相変わらず、眼下では妖怪達が楽しそうに踊っている。そこでふと考える。俺は解決を目指しているが、これは俺が手を出す必要のあるものなのだろうか。俺は腕力もそこまで強くない。能力も戦闘向きとは言えない。専門家に任せる方が得策では無いだろうか。

 

「あー、マジで」

 

 ぽろりとそんな言葉が溢れる。嫌な事を思い出した。良かれと思ってやったことが結局他人の迷惑になる。その時に向けられた周囲からの想い。それはどれもが俺に対する否定的な意見だった。だが、それで二度としないようにするというものまた違う。それが善意であったなら、余計なお世話だと、偽善だと罵られようと行うべきだ。

 何故なら俺は()()()人間であろうと決めたから。

 

「まずはさとりに聞いてみるか」

 

 身を翻し、地霊殿へと向かう。今起きているこれが異常であるのは確かだが、対処すべき事柄かどうかはこの世界に昔から住むさとりに聞くのが最も手っ取り早いだろう。下にいる妖怪に聞くのもアリではあるが今後こよみが関わる可能性のある者に接触はしたくない。そうなると選択肢は自動的にさとりかこいしになる。雰囲気で気づくというなら他の一度でも会った妖怪でも良いが、わざわざ俺の存在を伝えるべきではない。俺はいつかは消える者だ。関係を持てば俺を認識し、ここのお人好しの住民であれば俺との別れを悲しむだろう。なら、下手に俺の存在を知らせるべきではない。

 自分が出た窓から再度部屋へと入る。重力を感じる瞬間が未だになれず転びそうになる。

 

「こいし」

 

 部屋を見回すが既にこいしの姿はない。机の上に置かれていた帽子がないあたり恐らくまた出かけたのだろう。窓を閉め、部屋のドアへと向かう。となると会いに行くべきはさとりだ。廊下に出る。やけに静かだ。ペットたちは眠っているのだろうか。日の差し込まないこの地底では時間感覚が全く機能しない。昨晩の記憶を頼りにさとりの部屋へと向かう。いくつかのドアの前を通り過ぎ、目的の部屋にたどり着く。

 

「さとり?」

 

 ドアを叩くが応答はない。寝ている可能性もある。ドアを開いて中を確認する。壁には相変わらず書籍が並んでいる。いつも作業しているであろう机にはいくつかの書類があるだけでさとりの姿はない。そのままベッドに視線を移す。一見居ないように見えるが、もしかするとその潜っている可能性もある。部屋に入り、ベッドに近づく。

 

「寝てるのか?」

 

 寝台には人が一人入れそうな膨らみがあった。それをめくり、中を確認しようとしたその時。

 

「こんにちわ」

 

 突然背後から声をかけられる。驚いて振り向くとそこにはみたことのない少女が立っていた。暗い室内で暗く輝く金髪とまるで不思議の国のアリスの主人公ののような白い服を着こなし、こちらを見ている。

 

「誰だ?」

 

 即座に能力を行使。相手を投影し、調べる。そこにあったのは無邪気さ。子供がおもちゃを見つけた時のような。俺が会っていないだけでこの地霊殿にいたのだろうか。となれば説明がつく。だが、そうでないなら。

 

「私?私に名前はないよ」

 

「名前が無い。まぁ、そんな奴がいてもおかしくはないな。ところで、さとりはどこに行ったか知ってるか?」

 

 名前が無い。という時点で相当嫌な予感はする。さとりであれば名前を付けないはずがない。俺にすら名前を付けてくれるような奴だ。ここにいた者ではないのだろう。となればこいつは一体誰で、ここで何をしているのか。

 

「ピンクの髪の人かな。そこのベッドで寝てるんじゃない?」

 

「そうか」

 

 一つわかった事がある。ベッドにさとりはいない。こいつは嘘をついた。さとりほど的確ではないが、簡単な嘘程度であれば俺の能力でも見切ることが出来る。そして、どうやら危害を加える気でいるらしい。

 寝台に進み、顔を確認しようとしたフリをし、身を捻る。ギリギリのところで背後に迫っていた少女の振ったナイフが空を切った。

 

「ざんねん」

 

 予想は出来ていたとはいえ、実際に刃物を持ちこちらに殺意を向けている存在と会うと足がすくむ。話には聞いていたがこれほどまでに怖いとは思いもしなかった。

 

「何のつもりだ?」

 

「わからないの?殺すつもりだよ」

 

 そりゃそうか。だが何で俺を狙うのか。特別強いわけでもない。特別何かを持っているわけでもない。ただ、生きていただけだ。

 

「何で俺なんだ?」

 

「君が特別だからだよ」

 

 こちらの話など聞く耳も持たないと思っていたが、そうではないらしい。それなりに話は通じる。

 

「特別って何がだ」

 

「それは秘密。君は私たちの計画に邪魔だからさ。今のうちに退場してもらおうかなーってね。それにこれは君のためでもあるんだよ」

 

「善意が歪みすぎてて怖いな」

 

 視線だけで周囲を探すが何も武器になりそうなものはない。これなら何か武術でも習っておくべきだった。今更ではあるが。

 

「無駄だよ。君はここでおしまい。恨むんなら八雲紫を恨むんだね」

 

「はぁ、なるほど。確かにそうだな。でもどうせ死ぬなら教えてくれないか。八雲紫をどうしてそんなに恨んでいるんだ」

 

 同調を行うがあまり情報が入ってこない。どうやって殺そうか程度の情報しか手に入らない。逃げるにしても足がまだすくんでいる。この状態で飛び去るというのは窓が閉まっていることもあって現実的ではない。選択肢はこいつを倒すか、死ぬか。上手くドアを開けるか、窓を開ける隙を作って逃げるしかない。

 

「あいつは私の家族を殺したからね」

 

 怨嗟が流れ込んでくるが俺ならば問題ない。それにそのおかげで伝播した怒りで足のすくみは収まりつつある。

 

「それは十分な理由だな。でも俺も死にたくない」

 

「ごめんね」

 

 悲しそうに笑う少女。その手に握られていたナイフが容赦なく彼の腹部に突き刺さる。冷たい鉄を伝って床に血が滴り落ちた。少女がナイフから手を離すと彼は数歩下がり、苦悶の声を上げながら腹部に突き刺さったナイフを抜こうと手をかけるが痛みが酷いのか、抜けないようだ。そのまま、壁にもたれずるずると崩れ落ちた。

 開いた窓から吹き込む風が仕事を終えた少女を撫でる。暗い室内で金髪が揺れ、濡れていた少女の頬に張り付いた。それは後悔か、懺悔なのか。ただ、動かなくなった少年の冷たい体がそれは許されることではないと冷酷に伝えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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13話 おもいおもいのおもい

 壊れたものは戻らない。


 昨晩、彼女の部屋に行った後、部屋に帰って眠り。起きた私はいつもの机に座って仕事をこなそうとしていた。だが、全く手につかない。

彼の心は、完全に崩壊していた。初めてだった。心を読んだ時、いくつもの文字が一枚の紙に殴り書きされたようなものしか見えなかった。あそこまで行けば、確かに自分を見つけるなど不可能だろう。それ以前に自分というものがまだ存在しているのかすら怪しい。あの能力、同調、それによって幾重にも繰り返された自分への他人の投影。だが、それでも一つ疑問があった。何故、そこまでして同調を繰り返したのか。自らを壊している行為だというのは自分自身が一番わかっていたはずだ。優しさ。という言葉で片付くものではない。一体なぜそこまでして他人に尽くしたのか。

 

「貴方は...」

 

「おねーちゃん!」

 

 慌てて前を向くとそこにはこいしが立っていた。いつ扉を開けたのかなど気にはしない。彼女の無意識を操る程度の能力であれば何の問題もなく可能なことだ。気にすべきはそこではない。彼女がとても慌てていることだ。

 

「お兄さんが!」

 

 お兄さん。という言葉に引っ掛かるが恐らくはこよみのことだろう。昨晩の心にいた彼は男で、こよみが戻るまでは俺が代役を務めると言っていた。こよみの中身が今は彼であることをこいしは何らかの手段で知ったのだろう。

 

「どうしたの?」

 

 ペンを置き、慌てるこいしに駆け寄り、なだめながら状況の説明を求める。

 

「お兄さんが、外がおかしいからって1人で様子を見に行っちゃったの。今考えると確かに外はおかしくて、でも私は一緒に行けなくて、」

 

 確かに耳をすませば外から祭囃子が聞こえる。いつも賑やかではあるが、今回はまるで祭りでも開かれているような騒ぎだ。外に目を向けると確かに煙が上がっていたり、誰も彼もが踊っていたり。異常と言われれば異常だ。何より、今日祭りがあるなどという話は聞いていない。

 

「私たちも様子を見にいきましょう。こよみも一緒に探します」

 

「うん」

 

 ドアを開け、廊下を走る。彼はただの人間だ。私たち妖怪よりもずっと弱い。飛行に失敗すれば普通に死ぬだろうし。妖怪に攻撃されればタダでは済まないだろう。そんな彼が異常が起きている街に繰り出すなどあまりにも無謀だ。

 

「街の何処に行ったのかは分かる?」

 

「ううん。わかんない」

 

 気づけば玄関まで来ており、驚くペットたちを気にもせずそのまま飛び出し、飛び立つ。彼が行きそうな所を思い浮かべるが何も浮かばない。だが、彼が頼るとすれば一度でも会った妖怪だろう。もし彼のままなのであれば秘密を守るためにもそうするのが合理的だ。ふと後ろを振り返るとこよみの部屋の窓だけ開いていた。あそこから飛び出したのだろう。

 

「ヤマメさんを探しましょう」

 

 だが、これだけの妖怪の中から一人の妖怪だけを探すというのは現実的に厳しい。まず、目星をつけて探すのが一番効率的だろう。彼女のいそうなところを必死に思い浮かべるがあまりに出てこない。もとより彼女は自由奔放、どこにいてもおかしくは無い。なら、いつも定位置にいるヤマメと親しい妖怪に聞くべきだ。それなら一人、心当たりがあった。橋姫である彼女であればいつもの位置に居るだろう。すぐにこいしを連れて橋を目指す。何よりも早く彼を見つけ出さなければ。

 しばらく飛んだのちに喧騒を尻目に橋の中央で街を眺めている橋姫、嫉妬を操るという能力と、あまり人に関わりたくないという理由で地底に降りたパルスィさんを発見する。

 

「パルスィさん」

 

「あら、さとり妖怪。珍しく焦ってるわね、どうしたのかしら」

 

 こちらの焦燥を気にすることなく彼女はのんびりとこちらに視線を移す。宝石のような金髪が動きによって揺れ、深緑の瞳がこちらを捉える。黒いワンピースの上に法被のような服をきた彼女は和風ではあるが、金髪のお陰かいつもどこか少し周囲から浮いている。その浮いている理由というのは彼女が持つ能力も影響しているだろうが、今はそれを気にしている時間はない。

 

「ヤマメさんを見かけませんでしたか?それか、こよみを」

 

「こよみ?あぁ、あの勇儀が言ってた子ね。顔も見たことないし知らない。でも、ヤマメならさっきあっちの方に行った」

 

 祭囃子はうるさいが話を遮断するほどではない。役目を終えたことを理解してか、パルスィさんはまた橋の中央で真下に流れる川を鑑賞し始める。

 

「ありがとうございます」

 

 そうとだけ言い残し、先ほど言っていた方向へと向かう。にしても本当にこの祭囃子はなんなのだろうか。踊る妖怪たちも、どこかおかしい。心を読んでも楽しいという感情しか感じ取れない。

 

「おねーちゃん、あれ!」

 

 突然声を上げたこいしが指を刺す方向を見ると見覚えのある金髪が目についた。茶色のリボンでポニーテールにまとめた金髪。蜘蛛のように膨らんだワンピース。ヤマメさんで間違いなかった。彼女は何かを探すように上空を飛んでいる。

 

「ヤマメさん。こよみを見ませんでしたか」

 

 柄でもなく、大きな声を出す。驚いたようにこちらを見た彼女はこちらに向かって飛んでくる。

 

「どしたの」

 

「こよみを見ませんでしたか?」

 

「見たよ。でも、さっき地霊殿に戻って行ったと思うけど」

 

 彼女は不思議そうにこちらを見る。彼女の記憶を覗くが、異変解決の誘いを断った後、地霊殿に確かに飛び去るこよみを確かに見ていた。

 

「追おうかと思ったんだけど。向かったのが地霊殿だし大丈夫かなぁと思ってね。何かあった?」

 

「いえ、なら安心しました。一人で行くものですから不安になって」

 

 安心した。ただ、すれ違っただけのようだ。地霊殿に戻ればきっと私たちを探しているこよみを見つけられるだろう。

 

「うん。ならよかった。でも、本当になんだろうね。これは、」

 

 眼下を見るヤマメ。そこには相変わらず踊る妖怪たち。楽しそうではあるものの、同時に不気味でもある。そんな彼女たちの横を風が吹く。誰かが通り過ぎたような風だった。

 

「そうですね。博麗の巫女に相談した方がいいかも知れませんね。こよみを見つけ次第連絡したいと思います。地上の様子も知りたいですしね」

 

「うん。よろしく」

 

 ヤマメはこちらに手を振り、彼女の居場所である洞窟の方へと飛んでいった。いつもならまだ遊んでいるような時間だろうに不気味だったんだろう。

 

「こいし。帰りましょう。こよみも帰ったみたいですし」

 

 飛び去ったヤマメに背を向け、地霊殿へと戻る。こよみのためにも早く帰った方がいいだろう。

 少し飛んだ後に私の部屋の窓が空いていることに気づく。それと対照的にこよみの部屋の窓は閉まっていた。ただ、こよみがまた私たちを探すために開けたとすればなんの問題もないこと。ただ、何故か不安が襲う。そんなにもすぐに探しに行くだろうか。ヤマメさんの記憶からすれば本当に入れ違いのような状況だろう。私たちがパルスィさんと会話している間に戻ったのだろう。それに、探していると言うなら焦っているとはいえ、いくらなんでも気が早すぎる。私たちも探していると言うのは簡単に想像がつく筈だ。

 

「おねーちゃん」

 

「あの窓から入りましょう」

 

 窓から入るのは作法的に間違っているというのは理解している。ただ、今はそんなことを言っている場合ではない。何かとても嫌な予感がする。窓から入ると鉄の匂い。ベッドの横には血痕があり、何かを防ぐように立てかけられた机にはナイフが突き刺さっている。

 

「こいし!離れないで」

 

 背中を合わせて部屋を隅々まで確認する。窓も開いていたが、ドアも開いていた。恐らく襲われたのはこよみ。お燐やお空であれば多少の抵抗は出来るはずだ。もっと部屋が荒れる。そして不意打ちで一撃で仕留めたのなら机で守るなどという事はできないはずだ。お燐とお空以外のペットであれば机を壁に立てかけ、攻撃を防ぐなんて真似は出来ない。

 

「お燐!」

 

 呼びかけるが返答はない。虚しく部屋に残響した。気づいていないだけだと信じたい。

 まずは寝台を探すが残された血痕以外のものは何一つ見つからなかった。だが、こよみも居ないとなれば逃げている可能性もある。だが、同時に連れ去られたと言う可能性もある。そのままクローゼットを開くが、やはり誰もいない。私の服がいつものように掛けられていた。

 

「無事でいてください」

 

 願うように告げる。だが、その願いが叶っているのかは彼女にはわからない。

 

「おねーちゃん。お兄さんは大丈だよね」

 

 部屋の真ん中でこいしは立ち尽くしている。こいしにとっても彼は家族、過去ではそれを失うことは日常茶飯時だったが、最近は全くなかった。そんな私たちはだからこそ、家族愛が他の妖怪よりもずっと強い。それをなくすというのは付き合いが浅いとはいえ大きな心へのダメージになる。

 

「ここにいないということはきっと逃げてる。きっと無事」

 

 きっと、多分。そうとしかいえない。だが、人間である彼が妖怪の追撃、追走を振り切れるかと問われればかなり厳しいのが現実だ。当たれば致命傷、反撃は出来ず、逃げる速度も無ければ逃げる能力でもない。となれば....

 考えるのことをやめる。どうやっても逃げ切れるイメージが湧かない。

 

「お燐を探しましょ」

 

 一縷の可能性もとして、お燐やお空。ペットたちが撃退、看病を行なっている可能性がある。急いで部屋を後にしようとした時、背後から視線を感じる。

 

「古明地さとり」

 

「八雲藍さんですか。何用ですか?」

 

 そこにいたのは九尾のきつね。といっても狐の尾を9本持つ、漢服のようなゆったりとしたロングスカートの服に青い前掛けがついた服を着こなした狐耳の生えた金髪の女性と判断するのが正しいだろうか。

 

「彼、いや彼女はどこでしょうか」

 

「こよみの事ですか?」

 

 彼女は少し不思議そうな顔をするが、すぐに何かに気づいた。

 

「そうです。ただ、この様子だとそれどころではなさそうですね。まさか彼女に何か?」

 

 彼女は八雲紫の使者だろう。ということは私かこよみに何かを伝えにきたのだろうが、彼女の言う通り今はそれどころではない。こんな会話をするよりも先にこよみを探しに行きたい。

 

「恐らくこよみが何者かに襲撃されました」

 

 部屋を見れば誰でもわかる情報だ。凶器も血痕もその場に残されている。

 

「安否は確認できていますか?」

 

「いいえ...」

 

 今すぐにでも駆け回って探したい。だが、このタイミングでの八雲藍の訪問はタイミングが良すぎる。何かあるはずだ。それになんのヒントもなしに探し回ったところで見つかる可能性はほぼない。

 

「そうですか。私は今回紫様の使者としてではなく、ただ感謝を伝えようと思っただけなのですが。取り敢えず、紫様にこの件を伝えてきます。あの方としてもこよみさんは重要人物でしょうから」

 

 家族のことを他人に頼るのは歯痒いが、能力を考慮すれば八雲紫が探した方が確実で、早い。こよみは間違いなく怪我をしている。そんなプライドに身を任せ手遅れにはなりたくない。

 

「よろしくお願いします。私たちも探しますのでこれで」

 

「ではこれで、また何かあれば連絡します」

 

 そう言い残し、八雲藍は煙のように姿を消す。

 

「こいし!」

 

 声を掛けるがこいしはもういない。部屋には静寂だけが残される。恐らく無意識を利用してこよみを探しに行ったのだろう。

 

「私も」

 

 一人の少女が部屋から駆け出す。残された凶器は冷徹にもテーブルに突き刺さり、赤い液体を垂れ流している。

 

______________________________________________________________________

 

 

「なんなんだよ.....俺はただ呑気に生きたいって思っただけじゃねぇか」

 

 腹部を押さえながら幻想郷の空を飛ぶ、既に地底からは脱出した。空には朧げに三日月が上っている。あの時あの瞬間、咄嗟の判断で相手を騙してテーブルを俺と誤認させた。だが、刺した結果何も滴らなければ、刺した感触がテーブルでは騙せはしない。だから、俺の身体を掠らせるつもりだった。だが、そう上手く事は運ばなかった。思った以上に深々と横腹を切りつけられてしまった。あの後、窓を開き逃げる程度には動けはしたが、出血は酷い、服を濡らし終えた血液は足から地面に垂れている。どこかで出血は取り敢えず押さえろと言われた気もしているので押さえているが意味があるのかはわからない。それに加えて、とんでもない激痛が走っている。だが、痛いからと言って逃げる足を止めればいつ捕まるか分からない。死ぬ方がマシな痛みというわけではない。なんにせよ、どこか身を隠せるような場所を探さなければ。だが、身を隠すと言っても眼下は森、さとりの話では地上にも妖怪がおり、人を襲うと聞いた。怪我を負った人間を一晩見逃すほど甘くないだろう。

 

「あー、くっそ。マジで。拐われて、さとりに会って.....家族になって。突然襲われて」

 

 舌打ちする。もう....視界がぼやけている。限界は近いのだろう。気絶で済んだとしても生きて目覚める事はないだろう。詰んでいる。それに今こうして飛んでいる空も安全とは言い難い。妖怪も空は飛べるはずだ。早急に安全地帯に行く必要があるが、地底は戻ったところであいつが待っている可能性がある。それに戻ればさとりも危険に晒されることになる。さとりは腕力が強くない、凶器を持った人間なのか妖怪なのか分からんあいつに勝てる確証はない。町の妖怪は様子がおかしかった。鬼だと見ればわかる勇儀であれば勝てる可能性があるが、この怪我で逃げながらあの街の中から見つけるのは厳しかっただろう。もし見つけられたとして、この世界のルールとして能力というものをあの女も持っていると考えるのが妥当だ。とすれば誰でも確実に勝てる確証はない。せめてもう少し情報があれば良かったが、そんな余裕はなかった。

 

「いてぇよ.....クソ」

 

 唯一の救いはこの飛行は脱力したままでも行えることだろうか。こんな怪我で走って逃げるようなことになればここまでは逃げることも出来なかっただろう。ぼやける視界の先に煙が見えた。気づけば眼下には竹林が広がっている。妖怪も火をおこすだろうが、それだけ理性的な妖怪がいるのだろう。もしかすると匿ってくれるかもしれない。わずかな希望ではあるが、それにかけるほかない。だが、警戒するに越した事はないだろう。少し高度を下げ、竹の上から様子を確認する。

 そこにいたのは足首まで白髪の伸びた人影、人外というわけでもないだろう。上空からは赤と白のリボンも確認できる。またまた女性だろう。雰囲気もおかしくはない。一か八かに掛けて声をかけることにした。高度を降下などしないようにゆっくりと下げる。顔に笹の葉が当たるがそんな事は気にしてられない。

 

「こんばんわ」

 

 白髪の少女の後ろに降りるが、足に力が入らず、座り込んでしまう。飛んでいたから気づかなかったがすでに色々と限界らしい。

 

「こんな夜遅くに一体何の用だい?」

 

 ゆっくりと振り向く少女。白い髪が炎を反射して輝いている。焚き火に触れてしまわないか少し心配になるがそれどころではない。

 座り込み、赤い血で濡れた身体を見た少女が慌てて駆け寄ってくる。

 

「いや、一体何があったんだ?ここにくるまでに妖怪に襲われたのか?いや、あんた見覚えあるな.........そうだ。あの天狗の新聞で見た地底の外来人か!」

 

 あの黒い羽の生えた天狗の新聞記者の新聞を読んだのだろう。確か名前は....文だったと思う。俺はまだ見ていないが、すでに発行されていてもおかしくはない。俺には届かないから未だにできていないのだろうと思ったが、地底は遠い、届けてくれと言ったが、色々と問題もあったのだろう。

 

「あぁ...たぶんそれで合ってる。でだ、唐突なんだけど、できれば匿ってくれないか、変なやつに急に襲われたんだ。この傷が塞がるまででいい」

 

「あんた、人間だろ?その傷は自然に治る前に死ぬぞ」

 

 間違いない。この出血量からして包帯などの適切な処置をしなければ出血多量で死ぬ。だが、ここに外の世界のような施設はないだろうし、俺もそれに関する知識はない。どうしようもない。地が止まらなければ死ぬ、それだけだ。

 

「そんな気はするけど、どうしようもない。治らなかったら死ぬってだけだ」

 

「諦めが早いな。ただ、運が良かった。私がその傷を治せるやつの居るところまで案内しよう。そこまでの道のりで死ぬなよ。ついてきな」

 

 俺の運も捨てたものじゃないな。だが、すでに体は限界、そこまでの道中で死んだら意味がない。正直、想像を絶するほど痛いし、体は重い。もうここで絶えてもいいかと思うレベルだが。ここで死ねばさとりに申し訳なさすぎる。もう、別れも告げずにさよならはしたくない。

 少女の体の少年は、激痛の最中、ただ家族を悲しませない為だけに飛ぶ。前を行く少女は笹の葉の隙間からこぼれる月明かりだけで前に進み続ける。静寂に包まれた竹林の中で、一人の足音だけが響いていた。

 

 

 



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14話 滴る血液と利益

 理由なき善行などない。だからこそ全ての善行は偽善である。


 

 

 

 

 

 殺した。殺した。殺した。

 

 

 

 

 

 手には未だに人の体を突き刺した感触が残っている。目の前で目を開いたまま腹部から血を流し横たわる少女を置いて空いていた窓から外に出る。きっとこれからもっと多くの人を殺す、この程度で動じてはいられない。全ては復讐のため、あの賢者の希望を砕くため。これはまだ最初のステップですらない。でも、ただ今は、なによりも早急に逃げよう。いつここの主人が帰ってくるかわからない。まだ私には力が足りない。

 純白だった服には返り血で彩られた花が飾られている。そして、そんな明らかに異常な少女は踊り狂う妖怪たちの間を抜けて人混みと、喧騒の中に消えていった。

 

_______________________________________________________________________

 

 お燐とお空、ペットの無事を確認した後に館の内部でこよみの捜索が始まった。だが、結論から言うと見つからなかった。犬のような鼻のきく動物でさえ、追うことができなかった。だが、これも仕方のないこと。この世界は空を飛べる。空に逃げれば匂いも足跡も何もない。匂いが風で流れる距離まで行ってしまえば追う事はできない。そして、見つからなかったのはこよみだけではない。犯人もまた見つからなかった。凶器の匂いを導に追わせたものの、館の外まで続いた後、追跡が出来なくなった。ただ、窓が空いていたので窓から逃げた可能性もある。ただ、匂いは館内を一回通っている為、行きか帰りで館の中を通ったということだけは確か。

 そして、追えなかった事はそれほど意外ではない。問題なのは、どうやってペットたちのいるこの屋敷を通り抜けて私の部屋に侵入し、そして去ったのか。それがわからない。こいしの様な認識を阻害するような能力なのだろうか。けれど、そうならこよみが抵抗できたと言うのはおかしい。本当にそんな能力なら不意を打てばよかったはず。わざわざ声をかけた可能性も無くはないけれど少し無理がある。

 見つけることが出来ず、いじけたゴールデンレトリバーという犬種の彼の頭を撫でる。大型犬のふわふわとした毛並みはいつでも触り心地が良い。

 だが、今はそれに熱中している暇はない。こよみはもしかすると館からは逃げることが出来たのかもしれない。けれど逃げ切る事はどう考えても厳しい、となると拉致されたか、今この瞬間も逃避行を行なっていると考えるのが一番賢い。

 

「申し訳ありませんさとり様。私がもっと警戒していれば....」

 

 こよみが襲われた際にはお燐もお空もこの館にいた。ただ、誰一人この異常に気づくことが出来なかったらしい。こよみが机をずらしたりしていたのにも関わらず。大きな音が立った筈。でも誰も気づかなかった。ならやはり何かしらの能力を使っていたと考えるのが妥当。

 

「大丈夫よ。貴方は悪くないわ。悪意を持って見捨てたわけじゃないと言う事はわかっているし」

 

 疑いたくはなかったが、それも読心で確認した。本当に誰も気付いていなかった。ということはやはり、認識を阻害する系統の能力である可能性が高いけれど、色々と説明のつかない部分がある。

 

「お燐は一体どうやったと思いますか?」

 

「私は、音や気配を消す系統の能力だと思います。ただ、それだとなんでこよみが抵抗できたのかがわからないんですよ。それにこれだけ暴れて誰も気づかないというのもおかしいんです」

 

 大方考えている事は同じだった。恐らく認識阻害系ではあるだろうが、なぜかこよみは抵抗している。瞬間移動は匂いが館の中を通っていたのでありえない。紅魔館のメイドのような時間停止も説としてはあるけれど、それでもこよみが抵抗できるとは思えない。もし本当に認識阻害系の能力を持っているんだとすれば何故かわざわざこよみに抵抗する隙を与えたと言うことになる。

 

「そうですね。お空はどう思いますか?」

 

 黒い羽を持った少女、その胸には相変わらずぎょろりと赤い目玉がついており、右手には木でできた筒が装着されている。食事の時は外しているが、今は緊急事態、彼女の火力が必要になることもあるだろうと武装させている。

 

「うーん。私はわからない。ただ、入り口から来たのに誰も気づかないっていうのはやっぱりおかしいよね」

 

 みんな同じような形だ。本来は同じ認識阻害の能力を持つこいしに聞いてみたい、けれど先程藍さんが来たあたりから能力で消え、どこかに行ってしまった。恐らくこよみを探してるのだろう。

 

「さとりさん。お邪魔しています」

 

 先ほども聞いた声、八雲紫の式神が戻ってきた様だ。最悪の事態を想像するが、それだけは信じたくない。

 

「藍さん、こよみは見つかりましたか?」

 

 振り返りながら問いを投げかける。読心を使う気にはなれない。真実を知るのが怖かった。

 

「結果から言います。生きていました。なんとか逃げ切れたようです。今は永遠亭にて治療されていますが、出血がひどいとの事で、気を失っている様です」

 

 よかった。胸を撫で下ろす。けれど、出血の量によっては危険。今すぐに様子を見に行きたい。

 

「ありがとうございます。永遠亭ですね。今すぐに向かいます」

 

「待ってください」

 

 空いている窓に向かって足を踏み出した瞬間に止められる。

 

「ここからが紫様からの伝言です。彼に幻想郷を旅させたいとの事です」

 

「旅...?」

 

 彼は人間。この幻想郷を旅するなどただの自殺行為でしかない。この幻想郷には良い妖怪もいるが当然悪い妖怪もいる。好き勝手に人間を殺さないというルールはあるが、彼一人を殺すことを好き勝手に殺すとは言えない。ただ、食事のためと言われれば終わり。

 

「無謀です。彼を殺したいんですか?」

 

「旅といっても移動は飛行。常時紫様の監視があり、その上で彼の自由で地霊殿に帰ることも、私の家で寝ることもさせる、そして彼自身の戦力を上げるために訓練もするとおっしゃっていました。そして、彼もそれに同意したと」

 

 告げられた事実を受け止められず、自室の椅子に座り込む。ただ、今生の別れではない、こよみの意思で自由に帰ることができると言っていた。なら....ただそれでも危険すぎる。それにこよみが何故同意したのかが....わからないと考えた時一つの理由が浮かんだ。

 こよみは、私たちに被害が及ばない様に....?

 今回狙われたのはわかりやすくこよみのみ。それは能力でわかっているはず、ならこの考え方が一番筋が通る。通ってしまう。

 

「こよみの意思だというなら。わかりました。ただ、絶対に守ってください」

 

「はい、よく言っておきます」

 

 お辞儀をしてその場から消えた藍さん。心配した先程の犬のペットが身体を擦り寄せてくる。

 きっと、きっとこよみなら大丈夫。

_______________________________________________________________________

 

「本当にその出血でなんで動けるんだ?」

 

 白髪の少女がこちらを見てくる。相変わらず闇に包まれた竹林の中で月明かりに照らされた彼女の髪だけを頼りに進んでいる。時々、こちらに語りかけてくるのは恐らく生存確認だろう。気づいたら後ろにいなかったというパターンを避ける為だろうか。

 

「俺も正直驚いてる。意外といけるもんなんだなって」

 

 傷口に目を落とす。手には未だに温かいものが触れている。乾くより先に出血しているのか血が止まる気はないらしい。だが不思議と意識ははっきりとしていた。歩くとひどい痛みが走るだろう。という理由で飛んではいるが実際に意味があるかはわからない。残念なことに結局激痛と言って差し支え無いような痛みが走っている。

 

「一つ確認していいか?アンタは、人間なんだよな」

 

「そうだ。俺は人間。特別に力がある訳でもなければ、何か特別な才能があるわけでもなかった。ただの人間。あー、いや同調っていう能力はあったらしい」

 

 それを聞いた少女は何も返さず、前に向き直り足を進める。何かを考えていると言うのはわかるが、わざわざ同調してそこまで調べるのは流石に気が引ける。それにそんな余裕はない。

 

「そろそろ着く」

 

「それは良かった」

 

 安堵と共に前を見ると、そこには時代劇で見たような門が建っている。左右に松明の灯りがあり、非常に明るい。鉄で補強された木製の扉は締め切られており、その上きは黒い瓦の乗った屋根がある。入るために、インターホンのような物もない。だが、冷静に考えればインターホンなどここの世界の技術で存在するのかはわからない。それ以前にここの住民は空を飛べるのだから門なんてものは意味がない。

 

「おい、開けてくれ。急患だ」

 

 奥から若い女性の返事が聞こえ、その後に走る音。中は砂利のようで、足音は濁っている。足跡が止まった後、門がゆっくりと開き、紫色の髪を腰まで垂らし、女子高の制服のようなものを身に纏っている。だが、頭部から生えたうさぎの耳が人間ではないと言うことを証明していた。外にいた時もこんなコスプレをしている人をネットで見かけたことがある。

 

「妹紅さん、ってひどい傷。一体何が、取り敢えず師匠に診せましょう。まだ動けますか?」

 

「まだなんとか」

 

 内部は昔歴史の教科書で見た寝殿造のようで、壁に沿って置かれた松明によって明るいが、それ以上になぜか建物内も明るい。松明以外の何かの影響だろうが、それが何かはわからない。そして足元には綺麗な枯山水の庭が作られている。左右にそれを収めながら石で作られた足場の上を飛ぶ。

 にしてもこれだけ出血しているのにも関わらず、本当に意外と動ける。飛んではいるものの、激痛はあるものの、これだけの出血はあるものの、死が近いという実感は今の所ない。

 

「ならついてきて下さい。すぐに案内します!」

 

 大急ぎで走る少女の後を追おうとして、慌てて振り向く。驚くほどの激痛が走るが気にはしない。

 

「ありがとう。本当に助かった」

 

「どういたしまして、でもその傷でそんな勢いで振り返るなよ。傷が開く」

 

 苦笑しながらそう言って、少女は身を翻して竹林の中に消えていく。一人で妖怪が出ると聞いている外にいるのだからそれだけの実力者ではあるのだろう。にしても本当に助かった。もし、彼女が妖怪であれば俺は間違いなく殺されていただろう。

 振り返り、少し先に行っているうさぎ耳の少女を追う。少女はその石の道の先にある襖の前で俺の到着を待っている。どうやら本当に心配しているようだ。こよみの時も見ていたが、この世界の住人はみんな優しい。

 

「ごめん、待たせた」

 

「いえいえ、気にしないでください。師匠!急患です」

 

 そう言って開けられた襖から中に入るとそこは診察室のようで、外でも見たような金属パイプで出来た回転椅子には一人の女性が椅子に腰をかけている。ワンピースを左右を赤と青で色分けし、上は右が青、下は左が青と色分けされており、星々が線で繋がれ星のマークが描かれていた。

 彼女が座る椅子の前にある机の上には資料と思しき紙の束と、薬品が陳列されており、その横の金属製の棚にも資料と薬品、そして何かのホルマリン漬けが置かれている。また、彼女の横には病院で見るような寝台が据えられている。そしてこの部屋も何故か明るい、電気のようだがそれらしきものは見えない。

 

「ひどい傷ね。何があったのか聞きたいところだけど、先に処置をしましょう。まずはそこで寝て」

 

 別に断る事もないから寝たいといえば寝たいが。

 

「いや、血がだいぶ付くと思うけどいいのか?」

 

「ここは病院よ、構わないわ」

 

 こんな状態でタオルも何もない場所に寝ればいうまでもなく真っ赤になる。念のために確認をすべきだった。でも、問題がないならいい。

 

「ありがとう」

 

 少し体を浮かせて寝台に腰をかけ、腹痛にうめきながら横になる。

 

「服は切っても?」

 

「あー」

 

 これは俺の服ではない。さとりから借りたものだ、そんな服をと思ったが、すでに血まみれでナイフで裂けてもいる。

 

「大丈夫、だと思う」

 

「なら切るわ」

 

 机の引き出しから銀の鋏を取り出し、慣れた手つきで服を切っていく。

 

「少し痛いと思うわ。耐えて」

 

「耐えて...ってな」

 

 直後激痛が走る。どうやら患部に張り付いた服を剥がしたようだ。だが、思っていたほどではない。気絶するレベルかと思っていた。

 

「あら、声もあげないのね」

 

「想像よりはマシだった。で、俺は生きれそうか?」

 

 どうやら傷口を眺めているらしい。どうやっているのかは全くわからないが、横に浮いている光で患部を照らしていた。コードも何もなく、ただ電球の明かりが蛍の様に浮いているかのような状態だ。

 

「死ぬほどの傷なら貴方意識ないわよ。血で少し見えないから水で血を流すわ」

 

「痛いんだろうな」

 

 返答はなく、引き出しがおもむろに開き、水が入っているであろうボトルとガーゼが飛んでくる。

 

「どうやってるんだまじで」

 

 そのままボトルがおもむろに開き、患部に内部の液体がかかる。思ったよりは痛くなかった。自分でも患部を見たい気持ちがあるがグロテスクなものは出来るだけ見たくない。

 

「なかなかひどい傷ね。ナイフで刺されたのかしら、何か傷口に残っている可能性はある?」

 

「いや、ナイフは刺さっていない筈だ。服の繊維とかがわからない」

 

「処置の前に一つ。貴方は人間かしら」

 

 おそらく治癒力などの関係で処置が変わるのだろう。

 

「人間だ。能力も治癒系ではない」

 

「...そう。なら、縫合しましょうか。麻酔を打つわ」

 

 また引き出しから医療のドラマで見たような吸入具が飛び出し、口に覆い被さり、その先に繋がれた缶からガスが吹き出す。

 

「普通にしていれば意識が飛ぶわ」

 

 一瞬耐えられるかと考えるがそんなことは許されず、一瞬で意識が落ちる。

 

「人間ねぇ」

 

 目の前にはナイフで大きく裂かれた患部。縫えばいい、それだけ。ただ、この傷は、この出血はあまりに人間が耐えられそうなものでは無い。黒い服で見にくいが出血量は血液で濡れ切った服を触れば想定できる。下手をすれば妖怪でも危ういレベルだ。それにこれだけ大きな裂傷にも関わらず臓器が外部に出てきていないのも異常だ。これだけの裂傷なら臓器がこぼれてもおかしくない。手で押さえていたとはいえ、切られた直後に押さえでもしない限りは厳しいだろう。切った相手がそんな隙を見逃すとは思えない。

 

「彼は無事かしら」

 

 襖が開き、見慣れた顔が現れる。八雲紫、幻想郷の賢者。その顔には若干の心配が浮かんでいるが、どこか結果を知っていそうでもある。

 

「無事よ。ただ、異常ではあるけど。彼女は人間なのよね」

 

「よかったわ。ええ、人間よ。まだね」

 

 怪しい笑み。彼女がなんの理由もなく人間をここに誘うわけがない。だが、実際相当に心配だったようで珍しく額には汗が玉となっている。

 

「施術の後に話があるわ。集中したいから出て行って」

 

「宜しくね。お医者様」

 

 ひらひらと手を揺らし、部屋を後にする彼女を端目に縫合を行う。私にとっては失敗する要素のない簡単な手術。けれど、この傷では恐らく数日は絶対安静。その後に抜糸を行う必要がある。数日はここにいてもらう事になる。術後のことも考えながら器具を持った。

 だが、そう簡単には行かなかった。

 

「しっかり痛いんだけど。もう終わった?」

 

「はい?」

 

 目の前で起きてはいけないことが起きている。私が麻酔の量を間違えたかと疑うが、そんなはずはない。月の技術でつくられた道具だ、そのようなミスは起こり得ないはず。となれば、シンプルに麻酔の効きが悪かったか。

 

「ごめんなさい。どうやら麻酔の量を間違えてしまったみたいでね。今追加するからもう少し眠ってもらえるかしら」

 

「わかった」

 

 麻酔を再度吸入させる。今度は自分自身でしっかりと吸入量を決定した。けれど彼が人間なら吸入量に上限がある。それを超えると危険だ、早急に終わらせる必要がある。眠ったはずの彼女の患部の縫合を再開。いつもよりも早急にそして正確に手術を完了し、彼の体を優曇華に運ばせる。

 

「終わったかしら」

 

「ええ。で、あの子はなんなのかしら。人間?」

 

 手元の扇子で口元を隠す。これは彼女が何かことの本題から逸らすサイン。でも、この件に関しては話を逸らさせてはいけない。私は永遠亭の主人として、知っておく必要がある。

 

「私はこの幻想郷の住人。知る権利はあると思うのだけど」

 

「そうね。彼は保険よ。それに外にいてはいけない者だったしね。貴方は妖怪や神がどうやって力を得るのか知っているかしら」

 

 聞かれるまでもない。妖怪は他者からの畏れを神は他者からの信仰を、どちらも他者からの想いを力にしている。逆を言えば他者からの想いが無ければ私たちは生きられない。

 

「他者からの想いでしょう?」

 

「その通り。そして彼の能力は同調する程度の能力。いまこれ以上は言えないわ。彼が目を覚ましたら教えてちょうだい。面会をしたいから」

 

「それは...構わないわ」

 

 スキマをひらき、八雲紫はどこかへと消える。静かになった診察室で1人、紫の言葉の意味を机に向かい、考える。

 同調。これだけではよく分からない。けれどもし、私の推測がが当たっているのだとすれば。そこまで考えて筆を止める。

 いや、そんなことはありえない。何せ彼女は元人間だと聞いている。人間であるならば限界がある。耐えられるわけがない。どう足掻いても身体が保たないはず。けれど、そうでも無ければ紫が誘拐してくるとも思えない。それにそれなら麻酔がすぐ切れたことにも説明がついてしまう。

 自身の予想を紙に書き記す。彼女が一体なぜ保険足り得るのか。これを調べる必要がある。偶然にも彼女は数日この屋敷に泊める。その間に身体検査と言って調べれば良い。私自身、いやこの幻想郷の未来の為に。私の予想が当たっているのであれば、彼女はあまりに危険すぎる。

 だが、今日はもう深夜だ。彼女もそう簡単に起きるとは思えない。明日以降にしっかりと策を練ろう。

 立ち上がり、診察室を後にした彼女の机の上にはメモが記された紙が置いてある。そこには、彼女の予想が綴られていた。

 

    『彼女は、人間でも、妖怪でも、神でもない』

 

 

 

 



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15話 自由への対価

この世界は、何かを手に入れるためには何かを犠牲にしなければならない。
簡単に手に入れられそうな物ほど、その対価は高くつく。


 

 光ない世界。闇の中。孤独に作られた一室の扉の前で今日も黒い影が待っている。

 

「おい、起きろよ」

 

 ただ一つ、その空間に置かれた精巧な彫刻の施された木製の扉の中から返答はない。扉に触れようともしない。彼は返答を待つばかりで何故か扉を開けようとはしない。開ければもっと簡単に確認できるにも関わらず。

 

「そうか」

 

 とだけ言い残し、影は消え世界がまた闇に包まれる。静寂と闇の中、一つ残された扉は開くこともなくただ静かに佇んでいる。

 

_______________________________________________________________________

 

 目を覚ますと見慣れない天井。木製の天井はどこか温かみを感じる。家族と住んでいた家はかなりモダンだったから、木製の天井など修学旅行で行った京都くらいでしか見たことがなかったが、まぁ嫌いじゃない。

 

「にしても、まだ俺が続投か」

 

 未だにこよみからの返答はない。彼女がここで生活しなければ俺を探すと言う目標は達成できない。それに俺があまりに出過ぎるとこよみと交代した時、周囲に違和感を与えることになる。二重人格だと思われるのは印象としても良くない。それに俺はまだここに来たばかり、このままでは古明地こよみが俺として認識されてしまう。

 本当なら見限って新しい人格を作るのも無しではない。けれど、新しく作ったそれはさとりの家族ではない。俺を招いてくれたさとりの家族はあのこよみだ。だから、そう簡単には捨てられない。

 

「いってぇ....」

 

 身体を起こそうとして脇腹に鈍い痛みが走る。いつの間にか着させられていた白い病院服を捲り傷を確認しようとするが、白い包帯が巻かれており何も確認できない。部屋を見回すと窓があり、そこから日差しが差し込んでいる。天井だけでなく、壁も木製で出来ており、患者用であろう木製の机と椅子も置かれている。

 

「目が覚めましたか」

 

 声で気づいたのか木製のドアが開けられ、見覚えのある少女が入ってくる。腰まで伸びた紫の髪にウサギの耳、高校生の制服のような服装。名前はなんだったか。

 

「ああ、ありがとう」

 

 身体を起こし、ベッドに腰をかける。うさ耳が慌てて止めてきたが問題はない。来るとわかれば別に問題のない痛みだ。それに治療のおかげでかなりマシになった。

 

「無理して動かないで下さい。傷が開きますよ。大怪我だったんですから。見せてください」

 

 傷を確認するために近づいて来る少女。こよみはあれだが、俺は正直女性慣れしていないというか苦手な部類。正直、何を考えているのかわからなくて得意じゃない。

 服をめくりあげられ、慣れた手つきで包帯を解く少女。何かの香水かシャンプーだろうか、花のような匂いがする。解き終えた真っ白な包帯を一度横に置き、傷口の確認が始まる。

 

「あれ...?」

 

 まるでまずいものを見たかのような反応。日常生活ならまだしも、病院でそれをされると相当怖い。

 

「その反応怖いぞ」

 

「すいません。ただ傷が」

 

 俺も確認しようとするが覗き込むように覗いている少女の耳と頭が邪魔で見えない。

 

「一つ確認なんですけど。新聞で見たんですが、人間なんですよね」

 

「みんなそれを聞くな。人間だよ。ふつーの人間だった」

 

 少し何かを考えるような素振りを見せた少女は少し待ってくださいと言い残し、部屋を後にした。包帯は巻き直されていない。折角なので傷を確認する。

 そこには既に傷など無かった。縫い合わせるのに使ったのであろう糸だけが残っている。これには流石に異常に気づいた。一瞬何日間も眠り続けたかと思ったがそれなら彼女の反応がおかしい。それに抜糸は傷が完治する前にするものではないだろうか。いや、最近は抜糸が必要ないものもあると聞いた気もする。良くわからない。

 

「俺...どうなってるんだ」

 

 自分で自分を騙しているという説もあるのだろうか。実際傷がないのに痛みを感じた。でも、そんなことをする意味はない。となれば、俺が異常に早く治ったと考えるのが妥当。ふと、気付きたくなかった予想が浮かび、呼吸が荒くなる。落ち着けと自分に言い聞かせて目を瞑る。

 

「なるほど。そういうことか。それなら筋が通る」

 

 明らかに人外が集うこの世界に俺が連れて来られた理由。会うたびにかなりの頻度で聞かれる人間かどうかの確認。それはただ、二重人格を疑っていたわけではなかったのだろう。

 どうやら俺は、もう人ではないらしい。

 

「あら、賢いのね」

 

「八雲紫」

 

 目の前に開かれた空間の切れ目から俺を拐った本人が現れる。相変わらず趣味の悪い空間だ。赤いリボンで端を止めた空間の中からは多くの眼球がこちらを覗いている。

 

「心でも読めるのか?」

 

「いいえ。気づくと変わるのよ。雰囲気みたいなものがね」

 

 自分では全くわからないが、何かが違うらしい。そんな俺を見て怪しげに笑う紫。

 

「なんで話してくれなかった?」

 

「こうなるかが未確定だったのよ。それにそれを知ったら貴方はその未来に走った。伝えなかったのは貴方の未来を固定しないため。でも悪いことではないわ、貴方はこれで家族であるさとりを守る力を、そして自由に生きる力を手にできる」

 

 全く何を言ってるのかわからないが、どうやら異世界転生らしいオチがついたらしい。だが、強くなった事など正直どうでもいい。さとりを守れるのというのは大きいが、結局俺はここで呑気に暮らしたいだけだ。過剰な力は必要としていない。ただ、大切なものが守れるだけあれば良い。それ以上はいらない。何事も過剰に持っていると問題が起きる。

 

「まぁ、あって困ることは無いだろうな。自由に生きれるのは願ったり叶ったり、ありがたい話だ。でも、そんなことは今はどうでも良い。いや、どうでもよくはないか。気づいたら人間辞めてましたってそんなことあるのかよ。いや、でも今はそうじゃない。俺を襲ったあいつはなんだよ」

 

「さぁ、私にはまだわからないわ。調査中よ。ただ、ロクでも無いのは確かね」

 

「そりゃそうだ。ロクでもねぇから突然俺を襲ったんだろうしな。けど、お前に恨みがあるって言ってたぞ。家族を殺された、ともな」

 

 顔色を確認しながら能力発動。ここが真実かどうか、それが一番重要だ。俺を襲う理由が本当にこいつならなんとかするしか無いが、違うなら誤解を解けばいい。そのためにもこの真偽は知っておく必要がある。

 

「特徴的な見た目はあったかしら。さとりの眼のような」

 

 覚えていないのだろうか。今のところ全く心に動揺も、不安もない。どうやらここに来た一番の目的は別に犯人探しではないらしい。

 

「いいや、不思議の国のアリスという童話の主人公みたいな見た目だとは思ったくらいだ」

 

「人形はいたかしら?」

 

 一瞬思い当たる節があったようだがどうやらハズレだったらしい。すぐに犯人の像が消える。人形の有無はまだ言っていないがありえないと判断したらしい。扇子で顔を隠しているが目でわかる。俺の能力は別に相手の顔が全て見えている必要はないらしい。

 

「いや、無かったはずだ。残念だが能力もわからない。シンプルに急に来て、急に刺された」

 

 記憶には人形のようなものは無い。能力を確認する余裕もなかった。ただ、ここは一度脅しておくべきだろう。グダグダと話を伸ばされても困る。さっさと八雲紫の本当の目的を把握しておきたい。なにせ俺を殺すことに失敗した事にあいつはすぐに気付くはずだ。なら、次いつ来てもおかしくはない。恐らくそれほど時間はない。

 

「一つ言っておく。俺はさとり以上に騙されない。お前の知っていることを教えてくれ」

 

「そんなに脅さなくても答えるわよ。それに貴方の能力は騙せない事はわかってるわ。ただ、貴方なら理由も理解できるはずよ。世界を治めるにはそれ相応の犠牲も必要、その中から誰かと言われてもすぐにわかるものではないわ」

 

 世界を治めることの意義は理解している。この世界がどうかは知らないが、反抗されることもあったはずだ。統治をするならばそれを治めることも重要な仕事になる。説得でまとまった事もあっただろうが、武力での勝負も発生したはずだ。となれば、犠牲も生まれる。俺の居た世界ほどの規模ではないにしろ、多くが争いの果てに、悲劇的な死を迎えただろう。

 だが、俺としてもこれだけ焦っている理由はある。あいつの相手をするとして、話し合いが不可能だった場合。殺し合いになる。こよみにあいつの相手をさせたくない。彼女は白紙。その紙に人殺しのインクを塗ればきっとそれは消えることのない傷になる。そしてそれは、俺を探すという目的の大きな障害になる。決着をつけるなら彼女が起きる前か、俺の人格の時に終わらせなければならない。

 あの襲撃者に関しての情報は掴めなかった。だが同調も大分完了したお陰で、こいつの本当の目的もわかった。相変わらず、こういった時には便利な能力だ。

 

「嘘はなさそうだな。なら、俺に力の使い方を教えてくれ」

 

「あら、貴方そんなにアウトドア派だったかしら?」

 

 結局、今日こいつが俺のところに来た目的はこれだ。最初から犯人を特定できるとは思って居なかった。ただ、俺を殺されないように鍛える口実が欲しかったようだ。正直、俺が強くなることで何か紫にメリットがあるとは思えないが。まぁ、これなら俺としても問題はない。いつか学ばないといけないことではあった。妖怪が跋扈する世界を呑気に生きるなら、自己防衛もできなければいけないとは思っていた。本当はもう少し後でもよかったが、あの女に狙われている以上今すぐに学んだ方が良い。

 

「わざわざ誤魔化さないで良い。最近ちょっとずつ能力にも慣れて来た。俺としてもさとりを危険な目に遭わせたくない」

 

「もしかするとさとり以上に相手し難いかもね。貴方は」

 

「それはどーも」

 

 誉め言葉ではないのだろう。驚いたようなそぶりもしているが、結局この女はすべてわかっていたようだ。俺がこういう反応をすることも、何もかも。八雲紫、彼女はあまり得意ではない。能力があると尚のことだが、すべてわかった上で手のひらの上で転がされているような気がする。

 

「でも基本的にこの世界では争いは弾幕ごっこというもので納めるの。貴方にはそれ以外の力も学んでもらうけど、基本武力行使は厳禁よ。それだけは思えておいて。そこで早速だけど、弾幕ごっこから説明するわ」

 

 弾幕ごっこ...まるで子供の遊びのような名前だが、つまるところは武力同士の争いをさせないための物だろう。あちらの世界でもそんなものがあれば多少はましになったんだろうか。などと考えるが、恐らく無理だろう。そんなルールなんて無視して、きっと争いが起きる。

 

「弾幕ごっこか、名前はかわいいな」

 

「でしょう?で、ルールの説明をするわ。シューティングゲームはしっているかしら、それをあなた自身が行うというような感じよ」

 

 とんでもない事を言い始めた。確かにシューティングゲームは知っている。だが、それを自分の身体でやると....想像ができない。

 

「いや....本気か?俺はそんなに俊敏に動けないぞ」

 

「まぁ、最後まで聞きなさい。色々なルールがあるのだけど、基本は攻撃側とかわす側に分かれて行うわ。攻撃側は弾幕を所定の回数当てたら勝ち、かわす側は一定時間避けたら勝ち。貴方には厳しいと思うけど、攻撃を中断させても勝ちよ」

 

 本当にやったことがあるようなゲームの説明が出てきた。確かにゲームは好きだが、VRを超えたレベルで本当にリアルだと...すごく興奮する。VRはお金の問題もあり、やったことがなかった。しかも俺はこの先その先のゲーム体験ができる。体力は若干不安だが、とても楽しそうだ。

 

「だいぶ期待してくれているようでうれしいわ。これは独特なものなのだけど、スペルカードという物があるわ」

 

「スペルカード...」

 

 スペルという単語を綴りかと思っているような生徒がたまにいたが、実際は魔力やまじないとった意味があったはず。となると魔力の込められたカード。という意味で受け取るのが正しいだろう。

 

「簡単に言えば必殺技ね。宣言することで使えて、そのカードの中に記憶された弾幕を放つことが出来るようになるという物よ」

 

「なるほど。やばくなったときに使うみたいな感じか。にしても弾幕ごっこか。ここに来た中で今のところ一番楽しそうだ」

 

 今のからワクワクする。ただ、実際に数回やらないと感覚はつかめないだろう。ゲームでも聞いているときは楽しそうでも実際にやってみるとおもしろくなかったというような経験もある。だが、話を聞く感じではこのゲームはこの世界で生きていくにはやらないといけないものだ。俺に合わなかったとしてもやるほかない。そして強制されるゲームというのは基本それほど楽しくない。

 それは十分に理解しているが、そんなことはあってほしくはない。所謂最悪の想像というやつだ。

 

「そうだ、さっきどうでもいいとか言ったけど。聞いておきたいことがある。俺は結局なんなんだ?人間じゃないのは分かったけど」

 

 本当にあの傷が一夜にして治ったなら俺は人間ではないだろう。なら、人間でないとして、俺は一体何なのか。

 

「そうね。今の貴方は人間でも妖怪でも神でもあるしどれでもないわ」

 

「俺の頭が悪いのか?血が足りてなくて頭が回ってないだけか?全く何を言ってるかわからない」

 

 よくわからない。人間でも妖怪でも神でもあるしそうじゃない。なら俺はなんなのか。

 

「私にもわからないわ。ただ、それで死んだりはしないし、逆に力がつくから安全になるわよ。程度の低い妖怪なら貴方に近づこうともしないでしょうね」

 

 知らない間にだいぶ人間を辞めて居たらしい。石の仮面を被った覚えはない。だが、そうなら八雲紫に攫われたのもまぁ理解できる。あの世界で人間でも妖怪でも神でもあって、ない奴なんて聞いたことがない。それにいてはいけないだろう。

 

「あーもう。意味わかんねぇ。まぁわかったよ。わかってないけどわかったことにしよう。でだ、弾幕ごっこだっけか、それは理解した。でも、あの女はそんなごっこ遊びじゃ満足してくれないだろ。そういう奴に対する対策は無いのか?」

 

 それを聞いた八雲紫は苦笑する。何かおかしなことを言っただろうか。

 

「当然そうなったら殺し合いよ。でも、貴方はそれについて訓練する必要はないわ。だって、ここの妖怪は弾幕ごっこのルールが出来るまでは殺し合いをしてたの。実はこのルールができたのは結構最近でね。そんな妖怪に同調して経験を調べれば貴方は十分戦えるわ。それに、相手の動き大方わかるでしょ。避けるのは簡単でしょうね。それに、貴方はもう人間じゃないのよ。妖怪の動き、そうね...貴方の世界で言う、人外の動きももう出来るはずよ。最初は怖いかもしれないけれどすぐに慣れるわ」

 

 妖怪の動きというのがいまいちどんなものかわからないが、人外というなら漫画で見たような知識があっているならスーパーマンのような動きができるようになっているのかもしれない。平時であればいらないが、命が狙われている今となれば話が違う。ありがたい話だ。

 そして経験を調べて、自分の物にするというのはかなり理に適っている。確かにそこから戦術を学ぶのが一番手っ取り早い。負けたら死ぬ争いがすぐに来る。そんな物、最も効率よく強くなる方法を取るに決まっている。

 

「まぁ、やるしかないよな。俺には家族がいる。死ぬわけにはいかない。もう、何も言えずにお別れなんて辛いからな」

 

 ふと八雲紫に目線を合わせると扇子で口元は隠しているが、妖しく笑っていた。まるで俺の覚悟を見据えたように。

 

「いいわね。好きよ。貴方のその歪んだ覚悟」

 

「歪んでないだろ。普通だ。なんにせよ、そうなると色んな奴に会わないとだな。それに地底に戻ってさとりに被害出るのは避けたい。となると大冒険しないとか」

 

 苦笑して流す、こいつは得意ではないが。悪意はない。

 人間...いや生物誰でも話したくないことはある物だ。それを勝手に能力で覗いてこいつは嫌な奴だと判断するのは良くない。俺の能力は見るべきでない場所まで見えすぎる。少し反省しよう。

 まぁ、それにしても本音は正直ずっとゲームをして呑気に暮らしていたかった。ここに来たことで就活とか面倒な物から逃げれると思っていたのにな。だが、今はそれどころではない。ゲームをしている最中に襲われるのも困る。そして何より、さとりに被害を出したくない。

 

「そうね。せっかくだからこの幻想郷を楽しんで。ところでもう行く気満々みたいだけど、抜糸もあるし弾幕ごっこはちゃんと練習するわよ。貴方加減できなそうだし」

 

 もう適当な日常会話だからだろうか。扇子は手元で閉じられ、口元には笑顔が浮かべられている。

 

「それは酷い言われようだ。でもまだ弾幕の打ち方わからんしな、聞くよ。そうだ、あと冒険中の寝床はどうすればいい?出来ればキャンプはしたくないんだが」

 

 寝てる間に妖怪に襲われてはひとたまりも無い。もし、襲われないにしても貴重品を盗まれるのも怠い。だからと言って毎回地底に帰れば当然さとりに危険が及ぶ可能性がある。行くにしても不定期にするのが賢いだろう。

 こいしが居れない分俺がいてあげたいと思っていたが、どうやら厳しい。家族を守るなんて言いながらその本質で守れているのか疑問だ。

 

「寝泊まりする場所は私が用意するわ。それに貴方には死んでほしくないからね。ちゃんと監視するわ。ゲームでいう所の妖精さんみたいなものよ」

 

 八雲紫が一体どれほどの時を生きているのかは想像できないが、風貌は美人な女性という感じだ。少女のような儚さはないが、その分完成している。それもあって、妖精というにはあまりに大きい気もするが心強いことには変わりない。黙って助けてもらうことにしよう。

 

「ありがたい限りだね。俺も安心して冒険できる。最初にどこ行くとかは弾幕ごっこの説明受けるときにしてもらおうかな。よろしく」

 

 話がまとまった時に丁度ドアが開かれ、昨日の夜、手術を担当していた医者が入ってくる。

 

「ほら、面会は終わりよ。傷を確認して抜糸するんだからどいて頂戴」

 

 手を叩いて邪魔な紫を退ける医師。その一見、非情な動作に紫が一切不快感をいだいていないあたり、この2人はそこそこに仲が良いんだろう。

 

「貴方ね。ちゃんと彼女に人間じゃないって教えなさいよ。処置が大変でしょ」

 

 麻酔も撃たずに突然糸に手を伸ばし、切断。あろうことかそのまま引き抜こうとしているらしい。

 

「ごめんなさいね。色々訳があるのよ」

 

 止めたいが、会話の間に滑り込めない。そして、糸が引き抜かれる。鋭い痛みとともに糸が抜け、玉のような血が傷口から出てくるが、それを医師にガーゼで拭き取られるともう、傷も何もなかった。ジョークでもなんでもなく。俺はもう、人間ではない事を再認識する。仲良さそうに俺の事でケンカをする2人を前に、自分について考える。

 確かに、さとりを守れるのは、家族を守れるのは良いことだ。でも、人間ではないなら。俺は....家族に会うことは出来るんだろうか。紫は忘れていると言っていたし、今は性別も違う。恐らく彼らは気付かない。でも、何処かで会う事くらいはできると思っていた。一目見る事くらいは出来ると思っていた。

 でも、ナニカになってしまった今。あちらに一瞬でも、戻ることは出来るんだろうか。一目でも見ることはできるんだろうか。

 



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16話 貴方と私

 生きるとは何かを犠牲にするという事


 

 そよ風の吹く草原。太陽は真上から草木を照らし、草木はそれに応えるように青々と輝いている。そこで彩色の球体を飛ばす者たちがいた。

 

「良いわね。そんな感じよ」

 

 あの後無事に抜糸を終えた後、紫のあの気味の悪い空間を通り、草原で弾幕ごっこの練習をしている。まずは弾幕を出すところから始まった。意外と難しいらしいが、俺からすれば同調すれば良いだけの話だ。例として弾幕を撃った紫に同調して、簡単に打つことが出来た。だから、難易度に関しては何もわからない、ただ一つ言えるのは、この弾幕というのはとても綺麗だということだ。様々な色を持ち、空を彩る。今は日が出ているからあまりだが夜であればきっと息を呑むほど美しいのだろう。蛍火のようなそれはきっと夜空に良く映える。

 

「でも、そうね。感覚がわかるなら貴方自身の弾幕を目指しなさい。それ私の同調して撃ってるでしょ」

 

 確かに俺の放つ弾幕は紫と全く同じ色をしている。ゲームという面でも同じ弾幕を扱うというのはあまり良くないだろう。経験したことのある弾幕とそうでない物であれば圧倒的に後者のほうが避けにくい。

 

「あーね。上手くやるわ」

 

 そんな彼女の元に、1人の少女が駆け寄ってくる。白のドレスに赤い中華服のようなものを纏い、猫の耳と二つの尻尾を持つ彼女はこよみの下までくると笑顔を向ける。見た目は小学生だ、そして俺が轢かれそうになっているのを助けた少女でもある。

 

「紫さま!お呼びですか?」

 

「ええ、一回こよみと弾幕ごっこをして頂戴。勝ったら好きな魚買ってきてあげるわ」

 

「おい、お前俺に加減でき無さそうとかいってたじゃねーか。大丈夫か?」

 

 正直、当たるとどれだけ痛いかもわからんものを小さな子に打つのは気が引ける。

 

「あの時助けてくれたのは感謝してるけど。私のこと馬鹿にしてる?私は貴方よりもずーっと先輩なんだよ?」

 

 それも一理ある。明らかに妖怪だ。俺よりも長い時を生きているのだろう。なら、気にする必要もないか、それに一回本気を出してどんなもんかを調整しないと加減も何もない。

 

「あー、わかった。やればいいんだな。ただ、俺はスペルカードとか知らないぞ。必殺技ないんだけど勝負になるのか?」

 

「これは避ける練習よ」

 

「おーけー。ならできる限り足掻こうか。スタートは任せた」

 

 橙という少女から距離を取り、二度ほどジャンプ、伸びをして体の緊張をほぐす。後でどんなものか弾幕も撃ってみないといけないが、今は回避だけを考えよう。人間じゃないらしいこの体がどれだけ動けるのかも知りたい。

 

「スタート」

 

 掛け声に合わせて橙の体から赤と黄色の弾幕が発射。紫と弾幕の形状も色も違う、となると形も含めて自由なのか。想像力豊かにって事らしい、そういうのは正直苦手だ。俺の想像などというものは、結局俺の調べてきた奴らの誰かが経験している。なら、それは想像ではなく現実でしかない。

 目の前に迫る弾幕をひらりと躱す。ただ、この身体は動きにくい。主に胸の部分が。ただ、服装はさとりからもらった服が逝かれてしまった為、紫が持ってきた服を着ている。黒いチノパンに白シャツ。さとりからもらった服と比べればいくらか動きやすい。それに、やけに体が軽い。空を飛べるから、という理由もあるのかもしれない、ただ恐らくはそれなりに健康的な生活をしているから、そして人間ではないからだろう。にしても思えば懐かしい服装だ、外ではずっとこんな服装だった。ファッションに興味の無かった俺からすれば一番楽な服装だった。そんなことを思いながら弾幕を避ける、アスレチックのようなゲームだ。ジャンプやしゃがみを入れながらかわし続ける。正直今のところ当たる要素はない。

 

「橙、もういいわよ」

 

 紫が合図を送ったのを猫の少女が確認し、胸元から何かを出した。

 

「わかりました!仙符『鳳凰展翅』」

 

 少女の手元に一枚の札が握られている。成る程、あれがスペルカード。それが少し光ったかと思うと飛んできていた弾幕が一度消滅する。そして、弾幕が少女の周囲から青と緑の弾幕が時間差でそれぞれ円状に列を形成して展開。そのまま円を広げながら回転。飛んでくる。

 綺麗だが、躱すのに苦労するレベルではない。と思っていたが、徐々に密度が上がっている。時間差で円が迫るなら後半の方が辛いのは当たり前か。

 左右を見ながら躱すが、見切れなかったものがあったらしく一つの弾幕が迫っていた。少しヒヤリとしたが足首を使って上手くステップを踏んで回避する。

 迫ってくる鮮やかな弾幕に目をやり避けるルートを捜す。同じ形式で一定周期で円状に弾幕が飛ばされている以上パターンがある。それさえ掴めればなんの問題もない。もしわからない弾幕が来たとすれば相手に同調すればどのような形式で、どのように狙っているのかくらいは判断できるだろう。それに従って躱せば良い。

 こんなことなら同調なんて能力を知らなければ良かった。極力使わなければ良いか。

 それから数十秒間弾幕を避け続ける。恐らく難易度は高かった訳では無いのだろう。まぁ初回で鬼畜なものをやらせるゲームなんて血が香るゲームで十分だ。

 

「当たらない!」

 

 遠くで橙が当たらないことを嘆いてか紫に文句を言っている。

 

「仕方ないわよ。逆に当てられたらすごいわ」

 

 遠くからこちらを見ている紫。その手にはカメラのような物が握られている。恐らく録画をしているのだろうが、練習光景を録画されるというには中学時代の部活のようで少し良い思い出がない。

 

「終わりましょうか」

 

「紫さま」

 

 どうやらもうやる気は無いようで弾幕が消える。結局被弾しなかったが、一度くらい被弾の感覚を覚えるために受ければ良かった。橙は紫に何かを話す様で草原を少し走って紫の元に行くと小さな声で会話を始めた。距離的に何を話しているのかは全く聞こえない。

 

「そうね。強いとは言っても経験は無いだろうし、少し練習は必要ね」

 

 練習という単語は聞こえているが一体なんの練習なのかがわからない。ただ、少し嫌な予感がする。軽く体を動かしておく。実際はなんでもないかもしれない。これは能力も何もないただの予想。外れてもなんの問題もないが、警戒はしておくべきだ。

 相変わらず橙は紫に何かを話している。少し困った顔をしていた紫だが、最後には首を縦に振った。その瞬間、こちらを向いた橙が猫の様に四足で走り人では不可能な速度で突っ込んでくる。

 

「は?」

 

 すぐさま能力を発動するが、恐らく同調するまでの時間が足りない。それに同調したところで避ける事ができるとは限らない。腰を深く落とし、避けるか受けるかの選択を出来る様に、だが、基本的に受けるという選択肢はないだろう。恐らくタダでは済まない。結果、右に避けると騙して左に避ける。

 

「あたってくれれば良いのに!」

 

「いや、あんなのにあたったら死ぬだろ!」

 

 どうやら肉弾戦の練習らしい。最悪だ、俺が痛い目に遭うのは嫌だが、それ以上に見た目が年下の少女を傷つけるのが倫理観的に厳しい。だが、あの時俺を襲ったあの少女も性別は女、そして歳は俺より下に見えた。そこらの感情は邪魔だと分かっているが。

 

「死なないように加減してるから、当たっても良いんだよ」

 

 にこやかに笑ってはいるが、しっかりとした殺意も感じれる。

 

「勘弁してくれよ」

 

 凶悪タックルを避けられた橙は今度は爪を伸ばし、ベアクローの様に変化した状態でゆっくりと歩み寄ってくる。さっきのタックルよりも洒落にならないものが出てきた、当たれば致命傷、擦れば出血の凶器攻撃。そして攻撃範囲も長い。そんな物を武器のない奴に持ち出すのは反則だろう。

 紫に救助を頼みたいが、そんなことをしている間に襲われる。その上、もしまたあの女に襲われた時に他者に助けを求められるだろうか。いや、無理だ。自分で解決するしかない。

 今俺にある攻撃手段は肉弾戦と、弾幕。ただ、弾幕に関しては当たるとダメージがあるのかが不明だ。弾幕ごっこというゲーム内でしか効かないという可能性もある。ただ、手札が少ない以上。使ってみる価値はある。それに有効ならあの女にも使えるはずだ。

 

「やるしかないか」

 

 2、3度その場で跳ねるフリをして飛行に切り替えて、低空で後方に下がる。距離は取れたが弾幕を使うとして、あの速度であれば一瞬で詰められる。一体どんなものが有効か。それを取り敢えず撃って考えるしかない。

 まず、紫が撃っていたものと同質のものを打ち出す。一発目から自分自身の物でいくとクセを読まれる可能性がある。それに、自分自身のものなんてよく分からない。

 

「いいね!武器がないなら得策。でも」

 

 そう言って四足になったかと思うと、恐ろしい速度で弾幕の間を抜けてくる。速いとかそう言ったレベルではない。慌てて後ろに飛びながら弾幕を打ち続ける。距離が詰まれば詰まるほどに弾幕の密度は上がる。避けると言うことは何かしらのダメージはあるのだろう。

 

「もっと、自分が思うように動くといいわよ」

 

 そんな姿を見かねてか、紫が助言を渡してきた。確かにその通りだ、いつでも日和って攻撃しないのは俺の悪癖だ。相手が俺を終わらせにきている以上、俺も終わらせにいくべきだ。ただ、弾幕は打ち続ける。実際にあの速度を抑えられているのは弾幕のおかげと言う他ない。恐らく有効打にはならないが、俺が同調するまでの時間稼ぎは出来るはず。

 ただ、問題は同調してどうするのかという事、別に移動速度が上がる訳でも、攻撃力が上がる訳でもない。強いて言うなら相手の考えがわかって攻撃が避けやすくなるくらいのもの。避けることはできても決定打がない。何か攻撃の手段が必要になってくる。武器でも良いし、技でも良い。

 そんな事を考えている間にも橙は距離を詰めてきている。時々弾幕が当たっているが、かすり傷くらいのダメージしか与えられていない。そして、橙に接触した弾幕は少し起動がずれている。

 覚悟を決めて弾幕を解除。ただ、肉弾戦となると武器を持っている相手が有利、何か武器を作れれば。そこで良いことを思いついた。弾幕を剣の形に整形し、一本を握る。どうやら自分に当たり判定は無いらしい。そのまま、背後にも数本同じものを浮かせる。

 

「面白いね。でも、使った事ない武器に負けるほど私は弱くないよ!」

 

 相手に懐に飛び込むと見せかけて背後に跳躍、かなりの負荷がかかる動きのはずだが、簡単に動く。先ほど踏み込んだ足元は人間が踏み込んだとは思えないレベルで抉れていた。本当に身体能力はバカほど上がっているらしい。すかさず飛びかかってくる橙に背後の剣を一本飛ばす。だが、器用に空中で体を捻り避けられる。一本だけでは捉えきれない。そのまま飛びかかる橙の爪に合わせて剣をかみ合わせて止める。見た目によらずバカみたいな腕力だ。妖怪っていうのはやはり、人間と比べて圧倒的に筋力があるらしい。そして、それと競り合えている俺ももう人間とは呼べない。

 

「恩人にそんなことして良いのかよ」

 

「これは訓練だから、感謝してくれてもいいんだよ?」

 

 訓練にしては殺気が高すぎる。という発言は胸にしまい、対策を練る。にしても紫も大概ひどい。どうすれば良いのやら。

 

「ありがとうは言いにくいな」

 

 そういった瞬間、何か鋭い痛みとともに何か暖かいものが口から溢れる。腹を何かが貫いている。

 

「は...?」

 

 一気に力を込めて剣を押し出し、橙と距離を取る。嫌な音と共にひどい痛みが走るがそれどころではない。顔を上げて再度視界に橙を捉える。

 少し離れた場所で血に塗れた尻尾を舐めとっている橙がいる。傷つけたくないなんて舐めた事を言っている場合ではない。貫かれた腹は赤く染まっているが既に痛みはない。手で触って確認するともう痛みすら感じなかった。

 

「橙?!何をして...まさか」

 

 橙だったものの姿が歪み。見覚えのある少女が現れる。白いワンピースには赤い血が付いていた。それが俺の物である事を願いたい。

 

「お前...」

 

「やっぱりそう簡単には行かないよね。やっぱりあの時殺せておけばよかったなぁ。傷、もうないもんね。仕方ないな、作戦変更」

 

 けろりと笑う少女。中学生くらいの見た目から溢れるその無垢な笑顔と裏腹に手に握られたナイフは赤く染まり、鮮血を流している。同時にいてはいけない二つが異常性を際立たせている。

 

「そうだ。八雲紫。変なことしたらあの猫ちゃんがどうなっても知らないよ」

 

「貴様ッ......」

 

 人質か。自分の命の危機であるにもかかわらず。呑気にそんな事を思っている。

 

「で、目的は?俺を殺すのか」

 

「殺したいんだけど。正直殺し切る自信ないから。勧誘だよ」

 

 勧誘。俺は殺せない。でも、紫の思惑は失敗させたい。なら、俺を八雲紫の敵側であるこちらに引き入れれば良いと。単純だが、作戦としては正しい。そして俺はもう普通じゃ殺せない域で化け物になったという現実を受け入れる。

 

「なるほど。なら、お前らが何を目指してるのかを教えてくれよ。それくらい知らないと仲間になんてなれない」

 

「前も言わなかったっけ?八雲紫の絶望」

 

「わーお。で、どうやって?」

 

 思っていたよりも危険思考だ。だが、橙は人質になっている以上、紫の助力は望めない。状況は悪い。俺がこいつに一対一で勝ったとして、橙の無事が保証できない。なら。

 

「それを本人がいる前で言うと思う?」

 

「それもそうか。なら、場所を変えよう。それでいいな?」

 

 正直、こいつがなんの能力を持っているか分からない以上サポートのない状況に行くことは避けたいが、今俺をサポートできるのは紫のみ。そして今この現状ではサポートが望めない。なら、別に場所を変えようが何も変わらない。結局、俺がなんとかするしかないのだから。

 

「もしかして結構前向きに考えてくれてる?」

 

「まぁ、内容によってはだな。まずまず、明らかに無謀だったら乗らないだろうし、俺は、お前が前言ってた八雲紫がお前に何をしたのか、その具体的な内容は聞いていない。それが報復するのに十分だと感じたら協力するかもしれない。ただ、話を聞くにしても条件がある。橙は解放しろ。俺を捕まえられたんだ。それでいいだろ?」

 

 死ぬかもしれないというのは分かっているが、諦めなのか冷静になってきた。静かに色々な策を練る。思いつく限りの状況に対策を、そしてそれが実行可能かをシミュレーションする。

 

「うんうん。いいね。なら、あの猫ちゃんは解放する。でもその前に、」

 

 そう言って少女は八雲紫への方へと手を伸ばし、何かを掴む動作をする。顔など見なくてもわかる程度に黒い感情が渦巻いている。紫に外傷がないように見えるが、なにも起きていないとは考え難い。

 

「貴方は絶対に許さない」

 

 そしてこちらに笑顔で振り返る。その切り替えが不気味だ。

 

「じゃ、行こうか」

 

 少女を少し急かす。もしここに紫と一緒にいたもう1人の狐の女性。名前は忘れたが、それが来れば間違いなく戦闘が起こる。それは避けたい。それにこの少女は恐らく今すぐ俺は殺さない。だが、俺以外を殺さないとは限らない。それに、俺は彼女の身に何が起きたのかについて興味がある。一体どれだけのことをされればここまでの恨みを抱くのか。

 

「うん。行こう!」

 

 まるで遠足前の少女のように目を光らせ、目の前に見覚えのある空間を開く。それは、紫の物と似て。いや、全く同じ物に見える。紫が設置した可能性もあるが、橙が人質に取られている以上その説は薄い。となれば、この空間は。そこまで考え、少女の能力にある程度想像がつく。

 

「行こうか」

 

 先に入った少女の跡を追う。後ろから何か声が聞こえた気がしたが振り返らない。

 相変わらず一瞬で変わる風景。そして広がる世界。それは何処かの城跡。冷たい石畳を足に感じる。目の前には大理石でできた長机、その端に置かれた椅子に座れされていた。丁度反対にはあの服を着た少女が1人。天井にはシャンデリア、あまりにも豪勢なそれはまるでプリンセスの出てくるアニメのものに近い。周囲を見渡して逃げ道を探すが、どのドアも大きな木製でそう簡単には開かないだろう。その上蝶番までされている。

 

「ようこそ!」

 

 声のあり方を見ると丁度反対側に先の少女が座っている。そして無邪気に手を振っていた。

 

「いいとこに住んでるな」

 

「まぁね。猫ちゃんは解放したし、さっさと本題に移ろうか。でも、これを私から話すことはしない。せっかくいい能力あるんだから、それでしっかり見つめて。そして私を理解して」

 

 突然後ろから首に手が掛けられる。ただ、力を込めるわけでもなく触られただけ。振り返るとそこには先ほどまで正面に居たはずの少女。そのまま顎に手を掛ける。

 

「なんだ?」

 

「折角だから、もう一つ教えてあげる」

 

 まるですぐ壊れてしまうように、宝物に触れるかのように触れていた手が離される。

 

「うーん。やっぱり私の過去を見てからにしようかな。ほら、深く同調すると意識無くなるんでしょ?今ベッドに飛ばしてあげるから」

 

 再度足元に紫の空間が開かれ移動。目の前には天蓋の付けられたベッド、その中で既に白いネグリジェに着替えた少女がこちらに手招きしている。

 添い寝なんてしたくない。だが、仕方のない事だ。こいつはなぜか紫の能力を使っている。逃げ切るなんてことは不可能だろう。それに逃げた結果俺に被害が出るとも限らない。紫の能力さえあれば誰にでも危害を加えられる。

 そして、俺自身。この少女に何があったのか。この幻想郷とはどんな犠牲の上に成り立って居るのかを知りたい。恐らく知ったことで後悔する事になるだろう。だが、それでも真実を知っておきたい。

 天蓋を潜り、少女が手招きするベッドへ入る。

 

「ほら、私の全部。見ていいよ」

 

 恥ずかしそうにこちらを見据える少女の身体とベッドの擦れる音が聞こえる。

 だが、そんなことはどうでもいい。俺は、こいつの恨みが知りたい。全てはそれ次第だ。

 

「その前に一つ聞いてもいいか?」

 

「いいよ」

 

 笑顔でこちらを見る少女。こんな距離に異性の顔があった事など無かった。俺を殺しに来た奴でもなければきっとドキドキしたのだろう。

 

「なんで急にこんなにも友好的になった?」

 

 おかしいことが多すぎる。仲間にしようという思考回路も、この距離感も、そして何より、味方になることに疑いのないかの様な態度も。

 

「そう見えるよね。でも、しっかりと理由はあるの」

 

 少女は俺の首に手を回して身体を寄せてくる。そのまま身体を密着。そして耳元で囁く。

 

「ほら、早く私の過去を見て。その後に続きを話そう」

 

「その距離じゃ見えない」

 

 そう言って彼女の身体を押し返し。目を合わせる。ゆっくりと彼女の心が伝わってきた。絶望、孤独、怨嗟。果てしない復讐への執着。そして、少しずつ遠のく意識。そのままこよみは眠りにつく。そんな彼女を抱き寄せた少女はまるで愛しい物を守るかの様に目を閉じる。

 



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17話 結局何も変わらない

人が人であるために必要なものとは何か。


 青い空。爽やかな風が吹く草原で白い服の少女が、泣いていた。その胸には、少女よりも一回り大きい者が抱かれている。そよぐ風と揺れる草花、そして涙を流す少女、その中でたった一つ抱かれた者だけが動かない。

 

「お母さん。お母さん!置いていかないで」

 

 悲痛に叫ぶ少女の胸の中でお母さんと呼ばれた者は少し目を開く。その腹部には大穴が開き、砕けて歪になった黄色い骨が見え、血液が止めどなく溢れている。人外の力をもってしても、きっともう助からないだろう。

 

「ごめんね。貴方を1人残してしまって」

 

 もう、なぜ話せるのかも分からないような状態で言葉を紡ぐその目には涙が浮かんでいる。

 

「私の自慢の子。私は先に天国で待ってるわ。だから幸せに生きていっぱいお土産話しを持ってきて?約束よ」

 

 ゆっくりと上げられた腕に縋り付いて何度も頷く少女。それが最後の力だったのか、満足したように笑った母親からは力と、もっと重い何かが消えた。

 そして少女は、1人世界に残された。

 

_______________________________________________________________________

 

「お、今日もお使いかい?えらいねぇ」

 

 木製の古びた家家が連なる村の道を数人の人々が行きかい、少し前に雨が降ったのか舗装されていない道路には所々水溜りが生まれ、静かに空を映している。

 そこで1人の少女が一つの八百屋の前で野菜を買っていた。一見するとただの子供だが、白いワンピースが麻の服を着ている人ばかりの村ではとても目立ち、肩まで伸びた金髪とその顔立ちが少女であるとを示している。そんな少女を老年の店主は笑顔で迎えていた。

 

「今日はね。大根をください!」

 

 元気に店頭に並ぶ大根を指さす少女。それを確認した店主はザルに入った数本の大根から一本を選び、少女の持つ袋へと入れる。少女はポケットから財布を取り出し、小銭を探す。そんな少女を見ながら店主は大根をもう一本袋に入れた。

 

「一本分しか払えないよ...?」

 

「いいんだよ。いつもお使い頑張ってるからご褒美」

 

 老年の店主、いやこの村の住民の多くは、彼女が何故いつも1人でここに訪れるか。それを知っていた。危険なこの世界で、少女を1人、買い物に行かせるわけも。そして、そうせざるおえない訳も。そしてその理由に少なからず同情していた。

 

「またおいで」

 

 律儀に何度もお辞儀をしながらさようならと言って去っていく少女を見送り、次の客を待つ。

 周囲を木々に囲まれた森の中。ぽつりと家が建っている。木で作られた屋根と壁、とても簡易的な作りではあったが、住むということには困らない程度の家だった。そこにとある家族が住んでいた。彼らはこれといって腕力が強いわけではないが、人間ではなかった。そして、さとり妖怪のように、一族としてある能力を持っており、それが原因でこうして森の中でひっそりと暮らしていた。

 

「ただいま!」

 

 元気に木製の扉を開ける少女。その中では上下に白い布の服を着た一般的な体格の金髪の男性と女性が机に座って待っていた。

 

「おかえりリリィ!」

 

 元気よく挨拶をする男性、そして女性も同じ言葉を掛ける。

 

「うん。お父さん、お母さんただいま!」

 

 少女にとってこの2人は両親であり、少女の名前はリリィ。少し焼けた健康的な皮膚に、白いワンピース。太陽の光を弾く金髪は綺麗に輝いている。嬉しそうに笑うその姿はこの家族が良好なものであることを表していた。

 

「今日はどんなことがあったのかしら?」

 

 笑う少女に釣られるように笑った母親が少女に呼びかける。その目には少しクマができていた。

 少女は手に持っていた袋を机の上に置いた後に木製の安そうな椅子を引く。既にガタが来ているのか不安定だが、それに座り話を始める。

 

「今日はね。八百屋のおじさんに一本多く大根を貰ったよ!」

 

 今日あった出来事を、一つずつしっかりと伝える。どんなに何の変哲もない日常でも両親は本当に嬉しそうに笑って聞いてくれる。その笑顔が、笑ってくれるこの時間が、少女にとってはかけがえのないものだった。

 

「それでねそれでね!お花がとっても綺麗だったの」

 

 少女が1日の出来事を伝え終わる頃にはすでに日が暮れていた。ふと窓から外を見た母親が袋から大根を取り出して料理を始める。父親は少女と談笑を続けていた。

 

「ごめんよ。いつも買い出しを任せてしまって」

 

「ううん。いいんだよ。だから早く治してね?」

 

「リリィは本当にいい子だな」

 

 嬉しそうに、だがどこか寂しそうに笑う父とその会話を聞いて微笑みながら大根の皮を剥く母。リリィの両親は、足が悪かった。歩けないと言ったほどではないが、少し距離のある村まで歩くのは辛い上に、妖怪に襲われればひとたまりも無い。故に少女が代わりに村まで買い出しに向かっていた。その事情を知っているからか村の人にはよくしてもらっている。野菜を一つ多くもらったり、お菓子をくれたり。いい人ばかりだ。

 

「今日もオセロするか?」

 

 料理ができるまでは時間がかかる。その間、父とするオセロ。勝てたことはあまりない、けれど楽しかった。寺子屋にも行っていない彼女に同年齢の友達はいない。だから、こんなふうに遊べる人は父と母しかいなかった。

 

「いいよ!今日は絶対勝つもん」

 

 少女は父に勝ったことがない。少しくらい手加減してもいいでしょと母が小言を言うまでがワンセットだ。ただ、少女にとって重要なのは勝利する事ではなく、この時間を楽しく過ごすことだった。

 少女は親から毎日言われている事がある。それは、後悔のないように楽しく生きてほしいと言うもの。この妖怪の闊歩する世界で、村というコロニーの外に住む者は皆危険に晒される。村の外にあるこの家がいつまでも妖怪に襲われないはずはない。そして襲われればただでは済まない。運良く生き残れるかもしれないが、かなりの確率で誰かが居なくなる。実際に、多くの者が死んだ。だからこそ、後悔のないように。今を生きてほしいというメッセージ。もしここで父にオセロで負けたからと言って喧嘩をして次の日に父が殺されればそれは一生の後悔になる。だから少女は全てを楽しいと受け止める努力をして、楽しくないものはしっかりと伝える。これがこの家族でのルールだった。

 

「ちょっとは手加減してよ!」

 

 いつものように盤面が父の色で染まる。

 

「あはは。まだまだだな」

 

 幸せそうに笑う父に少女は笑いかける。それを見ている母が仕方が大人気ないと笑っていた。

 いつもの光景、いつもの会話、いつもの日常。いつまでも続いてほしい日々。だが、この世界に永遠などない。いつ崩れるかわからない。だからこそ、このいつもを楽しむ。

 

「リリィ、ご飯できたから運んでくれる?」

 

 オセロをする間に完成していた料理を机へと運ぶ。既に人数分に分けられていた大根料理を両親、そして自分の前に置き、母が持ってきた箸を受け取り、手を合わせ、食事を始める。

 そして、次の瞬間。ドアが開いたかと思うと、刀を武装した妖怪が駆け込む。

 

「え?」

 

「逃げろ!」

 

 入ってきた妖怪に組み掛かった父親が叫ぶ。

 現実が読み込めず、動揺する少女の手を取り、母親が裏口から家を出る。早急に妖怪は追ってくるかと思ったが家のあった方向から爆発音が響き渡る。

 

「ねぇ!お父さんは?」

 

「今は逃げるの!」

 

 母親に抱えられながら煙を立てる家に手を伸ばす少女。その先から数人の妖怪が飛び出してくる。その身体を空から降ってきた武器が切り裂く。そして黒煙の中から出てきた父親がその武器を握り、妖怪へと立ち向かっていく。

 

「なんで置いていくの?!お父さん1人じゃ死んじゃうよ」

 

 少女の悲痛な叫びに応答せずに母は森を走る。どれだけ走っただろうか。追手がいない事を確認した母親が少女を下ろす。

 

「お父さんは帰ってくるの?」

 

「ええ、きっと大丈夫」

 

 帰ってこないであろうことは簡単に想像がつく。少女はそこまで子どもではなかった。忙しなく周囲を見回す母親は足など悪くなさそうだ。まずまず、足が悪ければ少女を抱えて走るなんて芸当は出来ないはずだ。

 

「足、大丈夫なの?」

 

 母親は意図的にリリィの言葉を無視して話し始める。遠くに火が見える。自然なものでは無い。それはゆらゆらと揺れながらこちらへと向かっている。

 

「リリィ。とっても大事な話をするわ。大丈夫?」

 

 すでに日の落ちた森は闇が支配している。周囲からする物音の全てに警戒しながら母親が口を開く。

 

「私たちはね。妖怪なの、昔は人と一緒に暮らしていてね。他人に何かを与える力があるの。そして、人の為にと生きた結果。村を追い出されたの」

 

 母親から突然伝えられた真実。ただ少女にとっては能力の存在も、何もかもが初めての情報だった。でもわからないことがある。与える能力なんて何も恐ろしくない。なのになんで、襲われたのか。

 

「私達はね。優しすぎたの。能力を使ってあまりに与えすぎた。その結果、彼らは与えられることが普通になってしまった。そんなある日、武器を与えてくれと言われたの」

 

「武器?」

 

「そう。彼らは妖怪と戦うために武器を与えてくれと願ったの。私たちは最初断ったの。でもね、断ったら。私達を殺し始めた。それでも武器を与えないから、私達を捕まえて、与えるまで拷問を始めたの」

 

 母親は何かを思い出しながら語る。きっとそれは酷く凄惨でできれば思い出したくない物なのだろう。その顔は酷く歪んでいる。遠くからは妖怪の声が聞こえる。遠くに松明の火が揺れている。

 

「どこまでも逃げましょう。いつか逃げ切れるわ」

 

 少女は立ち上がり、幽鬼のような足取りで森の中に入っていく母の後を追う。

 それから数日間。少女と母は森の中を逃げ続けた。だが、相手は妖怪。逃げ切ることは出来ず日に日に追い詰められていることは母親の焦りから見て取れた。そして1週間が経とうとしたころ、ついに逃避行は限界を迎える。妖怪から放たれた矢からセナを庇った母親が矢を足に受けてしまった。もう逃げることは出来ない。逃げることをあきらめた母親は最後に花を見たいといい、リリィと共に草原へと向かった。草原には色とりどりの花々が咲き乱れ、少し甘いような芳香が漂っている。

 

「綺麗ね。リリィ、あなたの名前も実は花の名前から来てるのよ。私たちの願い通りきれいな子に育ったわね」

 

「うん」

 

 隠れるものもない草原。既に森から妖怪が現れ、こちらを見ている。もう逃げないことをわかってか妖怪たちは襲ってこない。気が変わらないようにか周囲を囲むように動き始めた。

 

「最後に、話さないといけないことがあるの。私たちの能力は与える事。でもねリリィ。貴方だけは、与えることも」

 

 刹那、母親が前に出たかと思うとその腹部に槍が突き刺さる。目の前で起きたことが飲み込めず、頭が真っ白になり、一気に真紅に染まる。何故、私たちがこんな目に遭うのか。私たちは何もしていない。ただ、呑気に生きたいだけだったのに。

 

「......奪うこともできるの。だからリリィ。貴方だけでも生きて?」

 

 奪う。奪う。奪う。真紅に染まった思考に母のその言葉が反響する。

 そして、草原に悲鳴が響く。周囲にいた妖怪のうち一人が目を押さえて蹲る。その手からは紅い液体が垂れており、倒れた母親の後ろに立つ少女の手には何かがぶら下がっている。それは赤い紐のようなのにぶら下がっている眼球だった。少女はごみを捨てるかのようにそれを捨てる。草原を赤く染めながら転がったそれは世界を映すはずの瞳だった。

 

「おい、何が起きた?」

 

 心配そうに声を上げ、駆け寄る妖怪たち、しかし彼らのその声も痛みに耐える苦悶の絶叫へと変化し、様々な色の花々が咲き乱れていた草原は、赤と狂乱に染まる。あるものは口から血を吐いたかと思うとそのまま倒れ、動かなくなる。あるものは突然腕が無くなり、それがあったはずの場所から赤い水を噴き上げる。あるものは突然仲間だったはずの妖怪に襲いかかり、死にたくないと悲鳴を上げるその血肉を食らっている。その横では自らの武器であるはずの槍を突き刺し、笑い続ける妖怪がいる。

 

「許さない......」

 

 絶叫する少女の白かったワンピースは真っ赤に染まり、少女の周囲には肉片が散っている。そして、その絶叫に呼応するかのように周囲に静寂が訪れる。いたはずの妖怪は皆地面に倒れていた。

 

「もう、調べ終わった?」

  

 突然世界に引き戻される。目の前には、リリィと呼ばれていた少女。あれからどれだけの時が経ったのかは知らないが、身体は大きくなっている。人間で言えば小学生から高校生くらいの成長幅だ。

 

「少し早い......けど十分だ」

 

 一つ大きな息をつく。

 さとりのあの一件で感情の受け止め方は慣れた。膨大な感情を受け取ることになるとわかっていればそれだけの対策をすれば良い。例えるなら、前回は2リットルの水がくるのにコップ一杯で構えていたからおかしなことになった。ただ、実際そんな事を多くの人々にできるかと言われればノーだ。一般人ならそんなことできないだろう。だが、俺にはその技術がある。いくら使い捨ての人格だとはいえ、それくらいできなければ日替わりで人格が変わる羽目になる。

 

「どう?私の仲間になる気になった?」

 

 こよみは目の前の少女をじっと見つめる。少女はまるで確信があるかのように笑みを浮かべてこちらを見据えている。

 

「復讐には十分だ。俺も多分、同じことをする。だから、あとはその内容による。物によっては俺は傍観しても良い」

 

 少し残念そうに笑う少女。そのままこよみの目を見つめ返す。協力はできない。俺は実際に八雲紫に何かをされたわけでは無いから。俺はリリィというこの少女の経験に同調しただけ。実際に経験したわけではない。だから、たとえどれだけ悪だとしてもそんな権利はない筈だ。

 

「そう言うと思った。でも、貴方に傍観という選択肢はないの。だって」

 

 少女の口から淡々と、何故俺がこの世界に拐われたのかが語られる。即座に嘘をついていると考え、心を調べるが、嘘はなかった。それに、色々と辻褄が合うことが多すぎる。何か、冷たいものが血管をながれる感覚。そして、一気に思考が冷める。

 

「あぁ、成る程」

 

 リリィを置き去りに、寝台からゆっくりと脱出する。肌触りのいいシーツを抜けて、肌が外気に触れる。セナの発言に嘘はない。ただ、それでも俺は、復讐者にはなれない。きっとそれでは八雲紫以外のここの住人に被害が出る。この世界の住民は、少なくともいい人々だった。命を救われた。楽しいという感情も新鮮だという感情も久々に抱いた。

 そして、大切な家族もいる。

 

「どう?あなたもこっちにくる?」

 

 寝台に座っているリリィがこちらに手を伸ばしている。肩まで伸びた金髪と整った顔立ち、その目には何かが宿っている。その手を握ればきっと2度と帰ってこれないだろう。

 

「お前につくと、被害が他にも及ぶだろ。だから無理だ。それに、俺にはまだお前が八雲紫に復讐した理由がわからない。お前はあいつに何をされたんだ?俺からすれば、八雲紫よりも、幻想郷自体に復讐した方が良いような気がするが」

 

 リリィの瞳に映っているのは憎悪だ。家族を奪ったこの世界への憎悪。なら、今俺の瞳には何が映っている?怒りだろうか。だが、にしては何も感じない。俺は今一体何を感じているのか。

 

「途中で起こしちゃったんだね。あれの首謀者が八雲紫だったって後々わかったの。私たちの能力が幻想郷の根幹を揺るがしかねないから襲わせたんだって。それに私は、八雲紫だけに復讐したいわけじゃない。この幻想郷に復讐したいと考えてるから」

 

 妖怪は畏れを糧に生きている。俺のいた世界で妖怪が居ないのは科学に進歩で、畏れるものが減ったからという話を聞いた。実際に人々の畏れた闇は煌々と輝くネオンに照らされ、わからないという恐怖も科学によって次々解明されている。彼女たちの与えるという能力は、科学力は与えられるかは知らないが、なんにせよ畏れを減らすことにつながる。人々は自分の生きやすい、畏れのない世界を目指す。その過程にある犠牲には仕方がないといって目をそらす。そんな事をされれば確かに幻想郷が危ない。

 

「なるほど。確かに理にはかなってる。人間はそういう生き物だってのはよく知ってる。いや、妖怪か。まぁ、同じようなもんだろ。何にせよ、幻想郷がターゲットなら俺はすぐに決断は下せない。俺は幻想郷自体は未だにいいところだと思っている」

 

 形成の過程にどんな犠牲があったとしても、という言葉を発さず飲み込む。全ての物事の形成には犠牲が付き纏う。時間、労力、そして命。人々はそれを認識しながら生きている。だが、自分に矛先が向けば人々は口を揃えて批判を吐き散らす。もうすでに、絶望的なまでの亡骸の上に立っているのにも関わらず。まぁ、なんにせよこれは言う必要のないことだ。

 

「まぁ、だよね。いいよ。私じゃもう、貴方には勝てないから。後でもう一度聞くよ。貴方が審判を下す時に」

 

 ゆっくりとこちらに伸ばされた手が落ちるが、金色の瞳はこちらを映している。ただ、そこにあったのは、人の形に何かを入れた人形だった。他人に同調し、感情を持つ生物のことを理解しながら、自らを感じられない冷たい機械。そしてそれに相対するのが復讐心を燃料に動く機械。機械同士、仲良くなれそうだ。

 

「助かる。それまでは待ってくれるのか?」

 

「うん。ここで待ってる。それまで幻想郷に手を出さないよ。でも、たまに会いにきてくれても良いよ?」

 

 リリィがこちらをみて笑う。揺れる金髪が不覚にも綺麗だなと思った。だが、その瞳には少女らしからぬものが宿っている。だが、それはきっと俺も人のことが言えないだろう。

 

「もしかして、寂しいのか?」

 

 少しニヤつきながらそんなことを告げる。意外な反応だったのか一瞬リリィの顔が紅くなるが何かを察したような顔をして、こちらを睨む。

 

「やっぱ来なくていいかも」

 

「ジョークだよ」

 

 不貞腐れたように頬を膨らませるリリィにけろりと笑って手をひらひらと振る。少しの時間しか会っていない。その上、俺の命を狙っていたやつになんで俺はこんなにも心を許しているのか。まぁ、彼女の過去には本当に同情するものがあった。それに、なんとなくだが似ていると感じた。そのせいだろう。

 

「まぁ、そういう事で。また会いに来る」

 

 そう言ってこよみは八雲紫の能力によって展開された狭間に入る。

 

「私は貴方の決断を待つよ。そしてそれが貴方にとっていいものであると願ってる」

 

 それを送り出すリリィ。彼の消えた空間に訪れる静寂。その中で、もう一度横になる。そして残された彼の温もりでリリィは再度眠りにつく。

 

「さぁ、こっからどうするかな」

 

 こよみは森の中にいた。既に夜のようで周囲には闇が漂っている。流石にこんなところで寝るのは自殺行為だろう。寝床を探す必要がある。だが、その前に。もう何がなんでもこよみを起こさなくてはいけない。俺は知らなくても良いことを知った。この状態で平等な判断は出来ない。

 強度を確認した上で、木に背中を預けて、目を瞑る。

 光のない暗い世界。これだけ暗いと正直外でも変わらない。しかし、その闇の中で少年は迷うこともなく、扉の目にたどり着き、開け放つ。その部屋では一つの寝台が朧げに光っている。その上で少女が眠っていた。彼女こそが、こよみと呼ばれれる少女。自分を探すために作りあげ、そして壊れかけた1人。

 

「もう起きてくれ」

 

 返答はなく。眠り続ける少女。少し押せば壊れてしまいそうに儚いそれに、少年が手を触れる。少し少年が淡く光ったかと思うと、その光が少女に受け渡される。まるで蛍火のようなそれは少女の中に消えていった。

 

「おはよう」

 

 ゆっくりと目を開ける。ぼんやりと光る寝台から体を起こすと横には彼が立っていた。

 

「おはよう?」

 

 まだ意識がはっきりとしない。どれだけの間、寝ていたのだろうか。しかし、彼は何も言わずに私を見ている。そして、問題無いと判断してか口を開く。

 

「君が寝てるあいだ少し代役をさせてもらった。簡単に起こったことだけ伝えてある。俺は、もう緊急時しか出ないからこれから先は一人で頑張れ」

 

 早口に言って彼はこちらの意見は何も聞かずに闇に消えた。

 

「私は......」

 

 目を覚ますとそこには闇が。おはようと言われたから朝かと思いきや夜だったらしい。彼から簡単に寝ている間に何があったかを聞いた。弾幕ごっこのルールや遊び方。今の所、命は狙われていないこと。そして、この幻想郷を自由に余すことなく自由に楽しむ事。

 

「そんなこと言われてもね」

 

 あまりに唐突過ぎる。突然自由に生きろなどと言われても困る。しかも放り出されたのは土地勘もない森の中。どこかの童話でももう少しましな導入を作る。だが、こんな愚痴を言っても何も変わらない。今のところ命を狙われないといわれたけれど、こんなところにいてはどんな妖怪が来るかわからない。

 来ても、殺されはしないけれど。

 ゆっくりと立ち上がり、周囲を見渡す。圧倒的な闇が広がってはいる。だが、月明かりで少しは世界を見渡せる。風に揺れ、こすれる派の音も、足元に落ちている何かを踏んだ音も。月を直視し、月明かりに慣れてしまった瞳を慣らすために目を閉じる。そして、目を開けると再度闇が広がっていた。

 

「こんばんわ。今日は素敵な夜でしょ」

 

 背後から唐突に話しかけられる。声質的には良くても中学生、ただこんな闇夜に普通の少女はいない。もう人外に目をつけられたらしい。

 

「うん。良い夜。散歩もしたくなる」

 

 空を見上げるが、月はどこかへ消えていた。先ほどまでの月明かりはどこかへと去り、闇が空間を支配している。

 

「そうだね。ところでおねーさんは、食べてもいい人類?」

 

 何かが大口を開ける音がする。それと同時期漂う鉄の匂い。

 

「お腹壊すよ」

 

 笑って言い放つ。首筋に息がかかる。血生臭いそれは、すでに何かが犠牲になったことを理解させる。自由に生きろと言われている分ここでは死ねないし、なによりももう一度さとりに会いたい。

 

「おねーさん怖くないの?」

 

「そうだね。今の所怖くないかな。何も見えないし」

 

 これで少女の声をした化け物とかであれば絶叫しながら逃げるかもしれない。ただ、この世界の妖怪は外で聞くほどに醜くない。今の所ってだけかもしれないけれど。

 

「そーなのかー」

 

 背後から生暖かい血の匂いが消えたかと思うと月明かりが差し込む。後ろを振り返るとそこには少女がいた。年齢はかなり若い。中学生くらいだろう。月光を弾く短い金髪を右側に赤いリボンのような物で結っている。ただなんとなくただのリボンではない気もする。白の女性用シャツの上に黒いジャケット、そして胸元には赤いリボン、スカートも黒。全体的に黒いイメージ。ただ、真紅の目だけがこちらを見据えている。

 

「人間かと思ったんだけど、人間じゃないっぽいしいいや。ならお話ししよ」

 

 雰囲気でだろうか、人間ではないと決めつけられる。確かに人間ではないらしいが、意外にも残念ではない。まぁ、この世界では人間であることのメリットの方が少ないだろうし。

 

「まぁ、自己紹介からしよう。私は古明地こよみ。外の世界から来た人間」

 

「おー、新聞で見たかも。私はルーミア」

 

 にこりと笑う少女。人間ではないが、その笑顔は見た目相応で幼くも純粋だ。さとりもこいしも笑顔だけは年相応だった。外の世界ではなかなか純粋な笑顔を見る事も、浮かべることもなかった。他者といい関係を作るためのツールに過ぎなかった。ただ、限られた友人の前では純粋な笑顔を浮かべる事もあったが、彼らとはもう会えない。そしてもう、彼らの記憶に俺は居ない。

 

「なんか寂しそうな顔してるね」

 

「いーや。大丈夫。懐かしい思い出に浸ってた」

 

 全くこの世界はいつも、いい人が多い。気遣いをさせたことに少し反省する。

 

「ところで、地底に行きたいんだけど。行き方知ってる?」

 

「地底?もちろん知ってるけど、今からはやめた方がいいと思う。夜だし、明日案内するよ」

 

 そういえば夜だった。妖怪が闊歩する上に、この世界には街灯なども無いだろう。外の世界のように夜でも明るいことはない。今日はこのルーミアという少女と一緒に過ごして、明日動くのが安全だろう。ただ、この少女も妖怪である上に、明らかに人に対して害意を持っているタイプだ。警戒は解けない。

 

「ありがとう。でも朝まで何するのさ」

 

「そうだね。折角なら外のお話聞かせてよ。ここの妖怪は大体外から来てるんだけど、結構昔だからどう変わったか聞きたいの」

 

「あー、なるほど。いいよ」

 

 それから、ルーミアという少女と雑談をした。外での暮らしや俺の経験を話していると、途中で流石に眠くなり、寝たいというと意外にも簡単に許可され、二人して地面で夜を過ごすことになった。

 

 



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18話 古明地こよみ=

戦争で死ぬのは、始めた者ではない。
いつも死ぬのは、巻き込まれた弱者だ。


 

「リリィ生きてるか?」

 

「本当に来るんだ」

 

 暗い城砦、その一部屋に朧げに灯が灯っている。その中に少女が2人。こよみの声に反応してリリィが寝台から体を起こす。声を掛けたこよみは何時の間にやら石畳の一室にそぐわない数輪の百合の装飾が施された扉の前に立っている。

 

「来るって言ったしな」

 

 苦笑しながら石畳の床をゆっくりと歩き、こよみがリリィの眠っていた寝台に腰掛ける。それをリリィは止めることもなくただ傍観する。

 相変わらずいい肌触りだ。野宿するくらいならここで寝たい。ただ、そんなことをすればさすがにルーミアにばれるだろう。正直、今のこの行動も若干危ない。だが、俺は......

 

「時間わかってる?寝ないの?」

 

 眠そうな目を擦りながらリリィが本当になんなんだと言いたげに睨んでくる。以外にも健康的な生活をしているようだ。

 

「いやここに来てから食欲とか睡眠欲とか無いんだ。妖怪ってそういうものじゃないのか?」

 

 冗談めかしく笑う。だが、冗談ではない。俺はこの世界に来てからそう言った欲がない。ただ、偶然眠くならず、偶然空腹を感じない、そう言った可能性もあるが。正直、考えにくい。

 

「普通は寝るし、お腹も空く。貴方もきっと眠くなる。でもどうせ暇だから来たんでしょ。あの後何があったのかくらいは聞く」

 

 とりあえず畏れさえあればいいというわけではないらしい。あくまで畏れは存在意義を証明するためのものでしかないのだろうか。又は、なくなれば消えるいわば血液のようなものだろうか。

 

「よくわかっていらっしゃる」

 

 こよみが嬉しそうに笑う。その顔を見てやれやれと言いたげにリリィがため息をつき、身体を起こす。

 寝ないのは異常なのかもしれないが、俺は人間でもないし、妖怪でもないので気にする必要はない。神が寝るのか、其れに関してもどこかできいておくべきだろう。一度行ったあの神社ではなかなか待遇が悪かったのこともあるし、可能であればあれ以外の神や知識人と会うことが当面の目標か。俺は情報がなさすぎる。正直、ここに来たのも情報収集が目的ではある。まずは、今直近の問題を話そう。

 

「ルーミアって言う妖怪にあった。人喰いっぽい。ただ、俺を食う気はないらしいから警戒はしていない。この後は地底に一度戻るらしい」

 

 端的に何があったのか、そして今後の予定を伝える。ルーミアという妖怪を知っているかと思ったが知ってはいないようだ。リリィは思い当たらないと言ったような表情はしているが、興味深くもあるようだ。

 

「見た目は?」

 

「金髪に、黒スカート、白シャツの上に黒ベスト。頭にリボンっぽい何か。見た目はお前と同じか、それより幼いくらいかな」

 

 どんな風貌だったのかを思い出して、あまりない服の知識でなんとか伝えようとする。正直、この世界でスカートのようなカタカナが通じるかどうかはわからない。だが、通じなければ俺としても伝える手段がない。あれをわかりやすく日本語のみで伝えるのはなかなか難しい。

 

「リボンっぽいってどう言うこと?」

 

「髪をリボンで結ってるんだけど、ただのリボンじゃない気がするって話」

 

 彼女のリボンはただのリボンに見えはしたが、違和感を感じた。ただの気のせいと言われればそれだけかもしれない。だが、この世界ではなんでもあり、その中では小さな違和感も重要だろう。

 

「なるほど」

 

 リリィが顎に手を置き何かを考える。一体何を考えているのかはわからない。調べようと思えば調べられるが、必要もないだろう。

 

「多分何かの封印とかだと思うけど、私も知らない。でも、変に解く必要はないと思う。今、特に何もないんでしょ」

 

「封印なんてものもあるんだな。まぁ、封印なら解くのは正直無しだな。解いた結果ヤバいの出てこられても困る」

 

 封印なんてものは解くと大抵ヤバい事になる。それはこれまでやってきたゲームの中でしっかり学んだ。良いことが起こるかもしれないがその確率は主人公補正が無ければ限りなく低い。

 

「それが良いよ。にしても私と話す時は君なんだね。正直こよみの方だと思ってた」

 

 それに対してこよみからの返答はない。ただ、何か愉快そうに笑う声が小さく聞こえる。それは少女というよりか、若い男のようなものだった。

 

「なんで俺に名前教えたんだ?名前はないとか言ってただろ」

 

「そこは聞かなかった事にするんだ。まぁ、いいや。私から自己紹介した覚えはないよ。でも、実際あのリリィは死んだの。ここにあるのは復讐だけ」

 

 小説のような台詞だ。確かに自己紹介はされていない。勝手ではないが、同調した結果得た情報だ。ただ、それによって名前を知られることはわかっていたはず。やはり俺が味方にはならずとも敵にはならないと言う絶対の自信が有ったのだろう。それに、実際リリィの思い通りになってる。

 

「復讐ね。まぁ、人の生き方はそれぞれだ。それで生きるなら止めはしないさ。ただ、俺が見た限りはこの世界は今ならお前を追いやったりしないと思うけどな」

 

「そうかもね。ただ、私は最後の1人なの。そんなリスキーなこと出来ない」

 

「まぁ、それもそうか」

 

 リリィが死ねば、彼女の血は途絶える。彼女の一族はいなくなる。それがどれだけの事なのか、人間の俺には理解しきれない。だからこそ、何も言えないし、彼女がリスクを取らない事を否定もできない。

 

「にしても、ここに来てからは飽きることがなくて良い」

 

 少し気まずくなった雰囲気を解決する為に話を変える。

 

「君のそれだと人間だけの世界だと何もかも新鮮じゃなかったでしょ。何も新鮮じゃないってどう言う感じなの?」

 

 多くの人々の経験、思いの集積である俺にとって新鮮な物はほぼない。新鮮だと感じるものはあの世界で多くの人が経験したことのないもの。それは非常に稀、そしてそれへの挑戦は基本的にとても難しい。だからこそ誰もやっていないのだが。

 

「まぁ退屈。でもまぁ、外の世界では能力なんてものないんだ。だから俺はなんとなく相手のことわかるなくらいにしか思ってなかったから言うほど辛くもなかった」

 

 だが、無意識下で同調は行えていた。実際に俺は何をしてみても新鮮味というものはなかなか感じなかった。すぐに、ある一定ラインまでは出来るようになる。そしてそこからは面白みを感じられなくなった。自らの成長を全く感じない上に新鮮でもないそれをずっと行おうとはどうしても思えなかった。

 

「外の世界には無いのね。能力」

 

 少し不思議そうに首を傾げるリリィ。まぁ、彼女にとってはあり得ない世界。どんな世界か理解できなくても仕方ない。誰しも理解できないものとは受け入れ難いものだ。

 

「逆に能力持ってるなんて言おうもんなら好奇の目で見られる」

 

 人間は、平穏を望む。自らの安定を望む。それのおかげで今まで繁栄できた。だからこそそれは重要なものだ、だがそれは、変化を生みかねない異物やわからないものは排除するという面があることにもつながる。

 

「何考えてるか知らないけど。顔が怖い」

 

 俺の表情を見たらしいリリィが声をかけてきた。身体の半分を未だにベッドに沈める彼女のその目は俺の目をじっと見ていた。どうやら本当に顔が怖かったらしい、心配が見える。

 

「人間ってどういうものだったか思い出してただけ。気にしないでくれ」

 

 世界で、同じ種族を生きる為以外に理由で殺す種族はいない。人間を除いては。それもそのはずだ、そんな事をすれば未来が失われる。敵対していたとしても殺せば種の存続に関わる。だが、人は余りに増えすぎた。増えすぎたが故に思想が違う相手を殺したとして種族の存続に問題はない。同じ人間であるにも関わらず、違う思い、違う見た目を持つだけで違う生物と見做す。だからこそ、あんなことが起きる。

 頭に映像が浮かぶ、それは燃える街、それは亡骸の前で慟哭する子供、それは物言わぬ物を嬲り、犯す兵士達。それは裁くべき人間の罪。

 

「ところで、君は結末を知ったけど。逃げないの?」

 

「あー、それか」

 

 こよみは寝台に座り手をついた姿勢で星を見るように天井を見上げる。

 俺は、リリィからここに連れてこられた理由について知らされた。俺は今のところその真相に疑問は持っていない。正直、辻褄が合いすぎていた。

 そしてその結末は決して喜劇的なものではない。

 

「俺は、まだ逃げない。まぁ、小っ恥ずかしい話しではあるんだけど。男の子ってのはヒーローに憧れるのさ。だから、俺が本当にこの世界が良いところだと思えるなら、救おうと思う。救いたくねぇって思ったら逃げる。ヒーローになれるかもしれないならなってみたいんだわ」

 

 他者からすれば異常に楽観的だろう。ただ、俺は外で社会の歯車として何も残さず生を終えるくらいなら、何かのために死にたいと思う。

 

「かなり楽観的だね。死ぬかもしれないのによくそんなリスクをとるね」

 

「それに正直、今から外の世界に戻ったら死ぬほど退屈だろうし。能力を隠しながら生きれるほど俺は図太くない。多分、あっちにもう居場所はないんだ。ならここで暮らして、最後に審判を下すさ」

 

 もし、八雲紫が嘘をついていて。家族が俺を覚えていても、もうあそこに俺の居場所はない。隠そうにも、いつかバレるだろう。そうなれば、家族と再会を喜び合うことはできるかもしれないが、その後は迷惑をかけることになるなる。俺は前の暮らしには戻れない。なら、最初から家族は俺を忘れたと信じた方が良い。これが俺の決断だ。

 

「ありがとう。貴方には逃げる選択もあるのに幻想郷に向き合ってくれて」

 

「ありがとうなんて言われることはしてない。全部俺が勝手に決めてるだけ。状況によっては俺だけが一人勝ちだ」

 

 もし、家族が俺を覚えていれば俺がどうなっているかを知らない家族にとって俺の行動はただ不安にさせるだけだ。俺がうまく隠し通せば、なんの問題もない事だ。それに頑張れば隠し通せないようなものではない。ただ、俺がそれをしたくないから家族を悲しませている。俺の自分勝手でしかない。

 

「やめだやめ、辛い話はやめよう。まぁ、そろそろ帰るわ。寝る努力をする」

 

 こよみは勢いをつけて立ち上がる。その反動で少しベッドの軋む音がする。

 

「そう。なら、おやすみ。いい夢を」

 

「俺はいつでも夢の中さ」

 

 乾いた笑いと共に、こよみは突然出現した不気味な瞳が爛々とこちらを除く空間に入り、彼女の姿が消えると同時にどの空間も閉じた。

 

「また来てね」

 

 リリィの声が彼女に届いたのかどうかはわからない。また一人ぼっちになった彼女は再度寝台に身を沈める。こちみは一体何を思いこの世界で生きるのか。そもそもこよみとは一体何なのか。もしかすると本人はそれについてわかっている可能性がある。けれどそれを無理に知ろうとは思わない。きっとそれを彼は望まない。

 

 時は少し遡る。こよみが永遠亭で治療を受けている時。地底で二人の妖怪が酒を飲み交わしていた。6席程ある木製のカウンターには彼女ら以外で埋められ、4つほどある座敷も席はほぼ埋まっている。いつもの喧騒、彼らはいつも酔っていた。それは地底に追いやられた自分を忘れるためだろうか。そんな中で店員だと思われる女の妖怪は忙しなく注文を受け、店主に伝えている。この喧騒でよく注文が聞こえるものだといつも感動する。私ではまず無理だ。

 

「なぁパルスィ。最近きたあいつどう思う?」

 

 赤い大きな盃に酒を注ぎながら鬼が声をかけてくる。

 その恵まれた身体を見せつけるかのように開いた着物、透明でほぼ意味のなさないスカート。額からは赤いツノが一本、そこに黄色の星が描かれている。肩甲骨の辺りまで伸びた金髪の髪を揺らしながら私の友人である星熊勇儀が声をかけてきた。全く、その自分に対する圧倒的な自信が妬ましい。

 

「あぁ、あの外来人のこよみって娘の事ね。悪い奴ではないと思うけれど、実際に話したことはないしね。わからないわ。でも、あのさとりが家族として受け入れるからには悪いやつではないんでしょう」

 

 古明地さとりは他者の心を読むことの出来る妖怪でこの地底の管理者。そして、外部との交流を好まない妖怪。その彼女が、家族として受け入れたという話は最近この地底で話題になったばかりだ。基本的には動物としか友好的な態度を取らない彼女が家族として受け入れるからには、まず悪い人間ではないのだろう。

 

「私は、あいつを初めて見た時。なんて言えば良いんだろうな。気持ちが悪かった」

 

「会ったことあるのね。でも気持ち悪いってどういうこと。貴方らしくもない」

 

 意外だった。会ったことがあるというよりも彼女が、他者に対して気持ちが悪いという完全にマイナスなイメージを向けることが。彼女は鬼。幻想郷でも最強の一角を担う種族だ。だからこそ、基本的にはどんな者が相手だったとしても気にする必要がない。何故なら力でねじ伏せてしまえば良いからだ。その力が妬ましいと思っていた。

 

「違和感というか何というかね。腹の底が見えないというか」

 

「だってまだ一回しか会ってないんでしょ?ならわからなくても当然だと思うけど」

 

 まだ一回しか会ったことがないならそれは当然。そんなにすぐに相手のことがわかっても困る。ただ、いつもそんなにことを言わない勇儀がいうのなら本当に何かがおかしいのかもしれない。

 

「まぁ、それもそうか」

 

 勇儀はそういうと盃に注がれた酒を一息に飲み干し、口を拭う。

 

「最近は平和だし。退屈してるのかもしれない」

 

「つい昨日の変な音楽のやつは若干おかしかったけどね。でも、最近は確かに血で血を洗うような物はないわね。でも、私のような妖怪からすればそっちの方が生きやすいわ」

 

 目の前のお猪口に注がれた日本酒を飲み込む。喉を焼くようなアルコール。そして、その後に米の甘さがくる。

 

「良い飲みっぷりだ。退屈ではある、ただそうでもなきゃこんな風に仲のいい奴と酒は飲めないしな。大将、おかわり」

 

「はいよ。ひやか?」

 

「いや、熱燗で」

 

 厨房で長ネギを切っていたガタイの良い妖怪が包丁を置き、棚に手を伸ばし日本酒を徳利へと注ぎ、縄でつなぐと熱湯に浮かせる。

 

「珍しいわね。足りるのかしら」

 

「今日はもう十分飲んだ。最後にあれ飲んで帰ろう」

 

 確かにそこそこの酒は飲んだ。私はほろ酔いといった感じだ。今が一番気分がいい。つまみとして注文した塩茹での枝豆を手に取って種を押し出して咀嚼する。絶妙な塩加減が美味しい。

 

「そうね」

 

 その瞬間、背後の戸が勢いよく開く。驚いて振り返るとそこには明らかに様子のおかしい妖怪が立っていた。目が異常に赤い。青に染められた麻の服は血で濡れ、ところどころ千切れ、異常に血走った青白い皮膚が見えている。

 勇儀が振り返り、椅子からゆっくりと立ち上がる。ただ、手の上には未だに盃が乗せられている。

 

「何しに来た?」

 

 勇儀が機嫌が悪そうに相手を睨む。しかし、その妖怪は一切興味がないようだ。その瞳はこちらを睨んでいる。

 

「私に用?」

 

 先ほどまでは騒がしかった店内は気付けば静まりかえっている。

 勇儀の横に立つ。離れてはいけないと本能が叫んでいた。この妖怪は何かがおかしい。

 

「アぁ?」

 

 口だけがまるで糸に引かれたかのように釣り上がる。そしてそのまま唇が裂け、限界を超えて口角が上がる。

 

「なんにせよ、言葉が通じる相手では無さそうだ。消えな」

 

 大地を蹴る音と共に衝撃音が走り、異常者が吹き飛んでいく。そのまま家を二つ貫通し、そこで止まったようだ。土埃が上がっている。流石の事態に外から悲鳴が聞こえ、時を取り戻したかのように店内に混乱が巻き起こり、先ほどまで楽しそうに晩酌していた客は慌てて勇儀の横から店外へと脱出していく。

 

「勇儀」

 

「わかってる。まだだ」

 

 刹那、先の異常者が勇義の眼前に迫り、拳を振り上げる。

 

「面白い」

 

 勇儀はその拳を開いた手で受け止めると腕を捻りあげる。圧倒的な腕力によって腕は嫌な音を立てながら捻られていく。そしてそのまま雑巾のようになった腕を握りながら胴体に蹴りを入れる。生物から出るとは思えない嫌な音が響き、腕だけを残した異常者が店外へと吹き飛んだ。残された腕からは千切れた黄色い骨が見え、血が噴き出している。勇儀は何事もなかったかのように壊れた戸を跨ぎ、店外へと出てその腕を捨てる。

 

「噂をすれば襲ってくる奴きたわね」

 

「パルスィはまだそこにいてくれ。まだ、終わってない」

 

 少し遠く、崩れた家屋の瓦礫の中から先ほどの以上者が現れる。その片腕はちぎれ、骨が見えているがそれすら気にしていない様子だ。また、勇儀に向かって走ってくる。

 

「なによあれ」

 

 私は、それを見て何か言い表せない恐怖を感じた。普通であれば片腕がちぎれれば痛みから怯むはず。ただ、目の前の異常者はそんなことは気にしている様子が無い。まるで何事もなかったかように、こちらへと直進してきている。

 

「気味が悪いな」

 

 勇儀も何かの異常を察してか。腰を深く落とし、大きく溜めの動作に入る。一撃で終わらせる気なのだろう。勇儀と異常者が再度急接近した次の瞬間、勇儀の正拳突きが腹部に直撃まるで風船の様に膨れたのちに炸裂し、周囲を赤く染め上げた。

 

「大丈夫?」

 

「余裕」

 

 勇儀は血に濡れた拳を振り抜いて血を払いながら足元に転がる動かなくなった遺体を見る。

 

「どうしたの」

 

「いや、いくら何でも腕失ったら逃げるかと思ったんだけどな。なんでそこまでして......」

 

 妖怪にとって腕の欠損はいつかは治るものではあるが、力の差は分かったはずだし、致命傷ではある。何故それでも向かってきたのか。私の感じた恐怖の原因はそこにあるのだろう。

 

「わからないわね。一応八雲紫に伝えておく?」

 

「ああ、その方が良さそうだ。だが、それより先にさとりのところに行こう。どうせ伝えるならさとりに伝えて、そこから八雲紫に伝えてもらった方が速い」

 

 私は頷き、未だに騒然としている町を地霊殿に向かって勇儀と共に歩む。妖怪たちは皆家へと逃げている。あるものは家に向かって走り、あるものは僅かに戸の隙間や窓からこちらを覗いている。いつもならばここまではいかないが今回は戦っている妖怪が勇儀だったこともあってかいつもよりも怯えている様に見える。

 そういえば、結局古明地さとりはこよみを見つけることが出来たのだろうか。かなり焦っていたこともあって少し心配していたが、未だにどうなったのかは知らない。

 

「そういえば、さとりがこよみを探していたのよね。結局見つかったのかしら」

 

 勇儀がそれに少し呆れたような表情をする。

 

「外来人だろ、ここが危険ってことはわかってるのか」

 

「八雲紫がわざわざ招待して、古明地さとりが家族にしたのよ」

 

 だから、一般人な訳がない。あえてこの言葉は言わなかった。だが、だからと言って安全という訳ではない。結局は人間、妖怪に腕力で勝てるものではない。多くの妖怪は腕力で人間に負けるほど弱くない。それに、もし腕力で勝てたとしても腕力が無い分だけ能力が強力だったりする。だから、勇儀の不安も間違ってはいない。

 

「それもそうか」

 

 心配することはもうやめたようで、勇儀とパルスィは地霊殿への道を歩み始める。もう争いが終わったことを察してか、町には喧騒が戻り始めていた。少しずつ家から出てきた妖怪達が、再度談笑を始めている。

 

「パルスィ、振り返らずに真っ直ぐ地霊殿に急げ」

 

 祭囃子が聞こえる。あの時と同じだ。だが、違うことがただ一つ。誰一人踊っていない。しわの寄った老いた妖怪が、まだ若い筋肉がよくついた妖怪が、家の窓からこちらを見ていた幼い妖怪が。ただ、なにも言わずにこちらを見ていた。

 

「なに......これ」

 

「早く行けッ!」

 

 その声に合わせるかの様に周囲の妖怪が一斉にこちらに向かって走り出す。その目に感情はない。ただ、暗い光が灯っている。狂ったように響く祭囃子と共に、空へと浮かび、最高速で地霊殿を目指す。背後からは獣の様な声と肉の破裂する音が響く。

 

「一体、なんなのよ!」

 

 パルスィは地霊殿の正門から転がり込む様に内部へ入る。相変わらずステンドグラス越しに奇妙な色をした灯で薄暗く灯った館内の螺旋階段で掃除をしていた一人が何事かと言いたげにこちらを見ている。真紅の髪を黒いリボンで止め、黒の下地に緑の模様の入ったゴスロリファッションのようなものを着ている。ただ最も特徴的になのは頭部に生えた猫の君と二股の尻尾だろう。そして彼女こそがこの館の住人である火焔猫燐だった。

 

「一体何事?」

 

 驚きを隠しきれていないその表情からは何か嫌な予感がするのか尻尾が不安そうに揺れている。そんな様子を無視して一息付き、私はゆっくりとしかし確実に言い放つ。

 

「異変が始まったわ」

 



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19話 自由に呑気に

 生きるとは自らに課せられた責務を果たすことである。


 

 木漏れ日の溢れた森で二人の少女が目を覚ます。木々は風に揺れて葉が伴奏を奏で、それに合わせる様に鳥が歌を歌っている。そしてその森の中では元気そうにルーミアに声をかける少女が1人。

 

「おはようルーミア」

 

「起きるの早いね。私はまだ眠い」

 

 目を擦るルーミアを見ながら、伸びをする。いい朝だ。寝床が地面だった事もあってか腰が痛いが気にするほどでもない。動いていれば治るだろう。

 

「ちょっと目を覚ましたら地霊殿行こう。心配かけたし」

 

 相変わらず、空腹は感じていない。それに睡魔もなかった。昨日の夜はかなり頑張って寝た覚えがある。

 

「朝は苦手。でもいいよ。どうせ暇だし」

 

 少し面倒臭そうに愚痴を残しながらもルーミアは立ち上がり、伸びをする。

 

「助かるよ」

 

 少女は嬉しそうに笑い、体を浮かせる。

 

「ところでさ、結構奇抜なファッションだよね。ゾンビなの?」

 

 ふと顔を落とすと白いシャツの胸にはしっかりと穴が開き、大惨事が起きたと予想できる量の赤い血が付いている。そういえば、あの時腹を貫かれてそれ以降何もしていなかった。体が治ったことで、服も直るなんてことはない。なぜそれを失念したのか。

 正直なところこれで外を歩いていたのは恥ずかしい。

 

「あー、いや、今気づいた。ちょっと色々あってね。替えの服がないのさ。それもついでに地底で貰おう」

 

「そう。なら早く行こう」

 

 ついに立ち上がってルーミアが先に空に浮き、木々の隙間から空に向かう。それを追う様にこよみが空へ飛びあがった。どこまでも続くかのような鬱蒼と茂る森の上、二人の影が飛ぶ。

 

____________________________________________________________

 

 2人が向かう地底では響き渡る祭囃子の中で戦闘が続いていた。その喧騒の中、1人の妖怪が年齢、姿形、性別さまざまな種類の妖怪に囲まれている。既に戦闘はかなり続いているようで、周囲にあったであろう家は形を保つ事が出来なくなり、いたるところに動かなくなった妖怪が転がっている。一方の囲まれた妖怪は返り血で真っ赤に染まっている。だが、その妖怪に目立った外傷はない。

 

「一体なんなんだよこれは」

 

 周囲を見回しつつ、額の汗を拭う。

 突然襲ってきたあの妖怪。それを倒した後、パルスィと報告に行こうとした途端あの祭囃子が流れ始め、妖怪が一斉に凶暴化。パルスィだけは先に報告に行かせた。だが、この状況では戻って来れないだろう。

 喧騒の中で、妖怪が叫ぶ。

 

「アンタら一体どうしちまったんだ!」

 

 酒場で飲んだことのある見覚えのある妖怪もいたがそれを含めて全員おかしくなっていた。足を破壊したり、腕を破壊するという明らかな致命傷を与えても立ち上がり、こちらに向かってくる。殺す他に止める手段が無い。しかし、殺害をすること自体は簡単で問題がない。アタシにはそれだけの力はある。けれど心配なのはパルスィだ。この様子だとアタシだけを追ってるとは考え難い。無事に地霊殿につき、匿って貰えていると良いが。

 そんなことを思考している間にまた妖怪が襲いかかってくる。右からきた妖怪の腕を掴み、振り回す。掴んだ腕から骨の砕ける嫌な音が聞こえたタイミングで正面に投げ飛ばす。飛んできた妖怪によってピンのように妖怪が倒れる。だが、それでも倒れることの無かった数人の妖怪が襲いかかってきた。

 

「早く合流しないといけないってのに」

 

 周囲の妖怪が再度波のように襲ってくるがそれを気にせず。勇儀が腰を大きく落とし、深呼吸。左の手で地面に標準を合わせ。全力で右の拳を振り下ろす。冗談のようにめり込んだ手が大地を砕き、粉砕する。隆起した大地が周囲の妖怪と家屋を巻き込み、飲み込んでいく。土煙の中、周囲にいた妖怪達はあるものは石の下敷きになり、あるものは頭を潰され動かなくなっている。それを確認した勇儀も飛び上がり、地霊殿に向かう。

 パルスィの逃げる時間は稼いだ、もう合流した方が良い。地霊殿の面子ではこの妖怪の量は手に余る。

 胸に残る若干の不安を抱きつつ、少し遠くに見える白い大理石でできた館を目指す。その門の前には数人の妖怪が群れていた。そしてその門の内部から数色の光弾が放たれている。どうやら弾幕で対抗しているらしい。正しい判断だ。あの妖怪たちは腕力が異常に高くなっている。鬼であるアタシには敵わないものの。普通の妖怪であれば、危険だ。

 高度を下げ、最高速で群れる妖怪達の中に滑り込み、足払いで一掃する。鬼の脚力によって繰り出されたそれは言葉通り足刀であり、容易に周囲の妖怪の足を切断する。そのまま息をつくこともなく、異動の足を奪ったことを確認し、一気に体勢を崩した妖怪の1人の腕を掴み、放り投げる。

 

「パルスィ!無事か?」

 

 喧騒の中、館の中に向かって声を投げかけるが回答はない。正面に立ち塞がった妖怪を拳で吹き飛ばし、塀を飛び越え、地霊殿の庭に急ぐ、踏み荒らされた花畑で1匹の妖怪が弾幕を受けながらも何かに跨り、拳を振り下ろそうとしていた。最悪の事態を想定しながらもその妖怪を蹴り飛ばすと、そこにいたのは傷だらけになったこの館の住人である火焔猫燐だった。

 

「おい、大丈夫か」

 

 パルスィではなかったことに一瞬安堵するが破られた地霊殿の扉を見て背筋が凍る。扉が破られているという事は既にあの妖怪が侵入しているという事、そしておそらくここにいないのであればこの館のどこかにいるはずだ。

 

「下手こいちゃった。ありがとう」

 

 少し弱々しい声の燐に手を貸して立ち上がらせる。ふらついてはいるもののまだ動けそうだ。だが、これ以上はどう考えても限界だろう。

 

「パルスィはどこ行った」

 

「館の中。今はさとり様と居ると思う」

 

 既に館の扉は破られ、妖怪が中へと入った形跡がある。ここで長考している時間はない。

 

「あいつが一緒なら大丈夫だと思うが、相手がこれだと不安だな。一緒にくるか?」

 

 だが、まだ塀の外にもおかしくなった妖怪がいる。それにあれで終わりとも考えにくい、まだ最低でも10人はこちらに来るはず。もう少し数を削りたいが......

 

「先に行って。あの塀の外の奴らを相手しないといけない」

 

そんなことを考えているうちに、燐の方から声を掛けられた。その瞳は覚悟で染まっている。

 

「その傷で?」

 

 少し驚きつつも、不安そうに燐に勇儀が問いかける。

 燐の服は黒の上からでもわかるほどに赤く血で染まっている。それに数を削ったとはいえまだ燐にとっては数が多い。正直危険だろう。けれど、その瞳に死ぬ気は感じられない。

 

「早く行って。勇儀が削ってくれたから大丈夫。でも、私の力不足で何人か館に入っていった。私の腕力じゃ室内だと足を引っ張る。だから、先に行ってさとり様とパルスィを守って」

 

 確かに、その傷では足を引っ張るかもしれない、室内は攻撃がよけにくい。ただそれ以上にこの場に置いていくの危険だ。けれど、それについて今考え込んでいる時間はない。アタシは燐を信じる。何度か手合わせしたが決して弱くない。それに賢い戦い方をする。きっと大丈夫だ。

 しっかりと燐の目を見据えて言葉を残す。

 

「そうか。死ぬなよ」

 

 この場は燐に任せ、館の中へと入る。何時もどおり薄暗い室内は、濃い血の匂いと地獄のような光景で満ちていた。周囲には至る所に動物の亡骸が点在している。恐らく主人を守ろうとしたのだろう。だが、動物の妖怪では限界がある。相手が悪かった。まだ息のある者もいるが胴体が切断され、臓腑が床に零れている明らかに絶命している者もいた。

 

「パルスィ!どこだ!」

 

 大きな声で呼びかけるが返答はない、館の二階部分から爆発音が響く。館の中であることを無視して飛び上がり、最速で2階に登ると右から妖怪が走ってくる。その拳は血にぬれていた。恐らく、動物たちの物だろう。きっとそうであると信じたい。

 

「邪魔を......するなッ!」

 

 怒号と共に身体を捻り、妖怪の横腹に蹴りを打ち込む。鬼の暴力的な脚力によって放たれたそれは肉を裂き、骨を砕き、容易に妖怪の身体を二つに裂く。奇妙な唸り声を上げながらそれでもなお動く妖怪の頭に踵を落とし、絶命させる。

 ただ無事でいてくれと願いながら館を走る。ところどころに点在する動物の亡骸を目にも留めず、騒乱の音がする方へ。壁には動物たちの物と思われる血が飛散し、赤く染まっていた。角を曲がったところで、一人の妖怪が扉を蹴り破ろうとしているのが目に入る。その周囲には周囲よりもよりも多くの動かなくなった動物たちがまるで砦のように積まれていた。全力で走るが扉が破られたようで妖怪が中に入る寸前で倒れていた動物のうち犬の見た目をした1匹がこちらを確認すると起き上がり、鋭く吠えた後に決死の力で足に噛みつく。それに対して妖怪が容赦なく拳を振り落とした。悲痛な声を上げることもなく頭を潰された犬がぐったりと倒れる。その作られた時間のお陰で何とか部屋に入る妖怪に追いつき、後ろから抱え込むと身体を後方に逸らし、地面に頭を打ち付け、絶命させる。

 

「勇儀!」

 

 室内から耳になじんだ声がする。身体を起こし、室内に目をやると、パルスィ寝台に寄り添っている。慌てて駆け寄ると寝台で古明地さとりが寝ていたそしてその寝台が赤く染まるほどに腹部から血を流している。だが、それ以外の外傷は見当たらない、室内も荒らされてはいなかった。動物たちの尽力のお陰だろう。

 

「大丈夫か」

 

 さとりに声を掛けるが返答はない。だが、息はある。荒いものの息はしている。だが、ここに医者はいない。妖怪は自然回復力が高くはあるがさとり妖怪は一般と比べれば低い。すぐに永遠亭に連れていく必要がある。だが、ここからは遠い。応急処置は必要だろう。しっかりと患部を見るために、服を裂くと臓物まではいかないものの大きな裂傷が出来ていた。

 

「傷が深いな。応急処置を任せる」

 

 念のために、次の妖怪の襲来に備えて扉にむかって歩く。

 

【勇儀さん。逃げて】

 

 その思考にさとりの声が混ざる。慌てて右に大きく跳躍するとそこを空を切りながら一本の釘が通過し、壁に突き刺さる。

 

「パルスィ。何のつもりだ?」

 

 ゆっくりと振り返るとそこには、こちらを見ながら高笑いをするパルスィが立っていた。

_____________________________________________________________________

 

 こよみは未だに少し眠そうなルーミアと共に地底へと続く洞窟を降りていた。冷たい岩肌には地下水によって濡れており、遥か先の空から僅かに差し込む光が反射し、所々にある穴の奥から覗いている何かの双眸を映している。

 

「実は地底行くの初めて」

 

 まるで遊園地に行くかの様にワクワクしているルーミアを見て幼い頃の弟と妹を思い出した。

 

「そうなんだ。良いとこだよ」

 

 ルーミアに関して実はわかっていないことが多い。人食いの妖怪だと言うことくらいだ。聞いても答えてくれるかわからないがそれでも聞いておくべきだったかも知れない。まぁ、でも悪意が無いならそれで良いか。あってからまだ1日経ったか経たないかだ、知っている方が可笑しくはある。

 そんなことを考えていた少女の耳にいつか聞いた祭囃子がかすかに聞こえる。

 

「ルーミア。戦いは得意?」

 

 新しい地に心躍らせていたルーミアが驚いた様子でこちらを見る。

 

「なんで?」

 

 そろそろ洞窟の出口だ。そして、微かに祭囃子が聞こえる。あの時、妖怪が踊る原因となったあの音だ。なら、何かの異変が起きていてもおかしくは無い。また楽しそうに踊っているだけならいいが、そうではない可能性もある。

 

「嫌な予感がする」

 

 変な事を聞くなと思っているのか、飛びながらこちらの顔色を伺うルーミア。ただ、少しすると口を開いた。

 

「そこいらの妖怪には負けない程度」

 

 そこそこに心強い。少し警戒をしながら洞窟を降下、少しすると前が開け、砂漠の先に見覚えのある街が見える。だが、町のいたるところから黒煙が上がっている。

 

「急ごう」

 

 的中したであろう嫌な予感を的中していないことを願いながら速度を上げる。

 町の上を飛ぶとそこにあったのは阿鼻叫喚の地獄絵図だった。いたるところから悲鳴が聞こえている。右では子供の妖怪が大人の妖怪に追いかけられた末に捕まり頭部を地面に打ち付けられていた。左では後ろに庇った家族を守るために立ち塞がった父親であろう妖怪を後ろから子供が刺している。真下では既に動かなくなった妖怪を別の妖怪が幾度も幾度も殴りつけている。そして、その状況に全く似合わない祭囃子が町中に響き渡っていた。

 

「何が起きてるの」

 

 動揺を隠せない様子のルーミアがこちらを見ている。俺だって聞きたい。

 

「分からない。取り敢えず、さとりの所に急ごう」

 

 さとりの無事を確認したい。さとりは他の妖怪に比べて腕力がないと聞いた。襲われていたら危険だ。

 

「う、うん」

 

 少し戸惑ったような様子のルーミアを連れて町の端に見える地霊殿を目指す、遠目でも何か彩色の光弾が発射されているのが見えた。恐らく弾幕だろう。誰かが戦っている。さとりかも知れないが、さとりの弾幕を見たことがない為、誰のものかはわからない。

 ある程度まで近づくとその弾幕の持ち主が驚いた様子でこちらに向かってくる。

 

「こよみ?!傷は大丈夫なのかい?」

 

 彩色の弾幕は燐の物だった。燐に襲い掛かろうとしていた妖怪に後ろから弾幕の剣で斬りかかり、容易に殺害する。耳に残る悲鳴を上げながら妖怪が落ちていく。手には嫌な感触が残ったが気にはしていられない。

 

「傷は大丈夫。そっちこそ大丈夫なの?」

 

 腕を開き、腹の既に塞がった傷を見せる。一方の燐は傷だらけだった。黒かった服は赤黒く染まり、髪は血で乾いている。所々破れた服から痛々しい傷が見えていた。

 

「なんとか......ね。剣、使えるんだ」

 

 少し驚いた様子の燐の傷を確認する。無事ではないだろう。剣を背中に戻し、周囲を確認する。

 

「俺の知識じゃない。さとりは大丈夫?」

 

 剣を生み出すという発想は俺の物、けれど剣技に関しては外の世界で見たもののパクリだ。

 燐がここで耐えていたという事は恐らくさとりは無事だろうと思って周囲を確認する。荒らされた庭に数人の妖怪が倒れている。門の外には足を切断されて上半身だけでもがく妖怪が数人。綺麗だった噴水は浮かんでいる妖怪の血で紅に染まっていた。

 そして、扉が破壊されている。燐がわざわざ扉を破壊することはない。となれば、何故扉が開いているのか。そこから燐では処理が間に合わず、内部に侵入を許していたという事に気づき、一気に寒気が走る。燐という普通の妖怪が苦戦する相手にさとりが勝てるのか。慌てて館内へと向かおうとしていた時に燐に声を掛けられる。

 

「大丈夫。勇儀が行ってる」

 

「なら大丈夫だね」

 

 何も発言していなかったルーミアが突然会話に入ってきた。彼女が何を心配しているのかを二人とも理解しているようで、その上で落ち着いている。そして地底にいた事の無いらしいルーミアでさえ、勇儀を知っているらしい。彼女自身も一度会った事はあるが一体どのような妖怪なのかは知らない。ただ、有名人ではあるのだろう。

 俺があまり理解していない居ないのを見越してかルーミアが言葉をつづけた。

 

「勇儀はこの幻想郷でもかなり最強に近い存在だよ。その勇儀が守ってるっていうなら大丈夫」

 

 地底にいたことのない妖怪ですらも知っているほどの最強の一角という妖怪ならばきっと大丈夫だろう。だが、それでも心配ではある。最強なんてものは存在しない。基本的にそれは相手にによって決まる言葉だ。一般的に言われる最強とは、多くの生物に対して有利を取れるというだけだzどんなに最強な筋力を持っていても相手が物理攻撃が効かなければ、どれだけ強い精神攻撃の手段を持っていても相手が壊れていれば意味をなさない。

 

「一応向かう。その前に何があったのかを教えてほしい」

 

「音楽が流れたと思ったら急に暴れる奴らが出てきた。これしか分からない」

 

 燐はそう言って恐らく痛むであろう身体を無理に動かし、地面の妖怪に対して弾幕を撃ち込む。

 同調してみるが、本当にそのままらしい。それ以上の情報は無かった。いつも通り、庭を掃除していると急に音楽が流れ、妖怪が暴れ出した。

 

「ありがとう」

 

 それだけ残し、少女は破られた扉から館に入る。至る所に転がったペットの死体と二つに裂かれた妖怪が少女を出迎える。そこは赤かった。床に敷かれたカーペットは飼われていたペットの臓物と血肉で汚れ、大理石には黄色い脂肪が取り残されている。満ち満ちた血の匂いを吸い込んでしまい込み上げる吐き気を抑えながら少女は転がる遺体を避けながら階段を登り2階へ、そのままさとりの部屋を目指す。

 2階部分も凄惨な状況に変わりはなかった。所々にまだ息のあるペットがいるが少女にそれを救う手立てはない。故に一直線にさとりの元へと向かう。きっと彼らもそれを望むだろう。

 部屋の前に到着すると既に扉は破られており、その側に見覚えのあるゴールデンレトリバーのような動物が頭部を潰され、その金の毛並みを赤黒く染めていた。その横に地面にめり込むような形で倒れた妖怪がいる。どう考えてもさとりはこんな芸当は出来ない、敵か味方か。

 そんなことを考えながら部屋を見回すといつもの髪が寝台から出ているのが目に入る。そこには特徴的な角の生えた見覚えのある妖怪が寝台に眠るさとりに寄り添っていた。

 警戒を解くことはなく、背後から声をかける。

 

「勇儀?」

 

「こよみか」

 

 勇儀がこちらを振り返り、場所を譲る。

 寝台の横に駆けつけるとそこには腹部から血を流しているさとりがいた。息はあるが荒い、目は瞑っていた。部屋には辛うじて血の匂いではなくいつもの薔薇の匂いが残っていた。

 

「ありがとう。助かった。さとりは」

 

 守ってくれていた勇儀に感謝しつつ。さとりの傷を確認する。既に応急処置は行われていた。恐らくは勇儀が行ってくれたのだろう。

 

「深い。医者に連れて行きたいが。私は急用が出来た。任せる」

 

「わかった」

 

 同調する間もなく勇儀は窓から外へ飛んでいってしまった。その姿を目で追い同調、軽く情報を収集する。そのままさとりに同調してさらに情報を集めたいがその前に医者に見せなくてはならない。恐らく向かうべきはあの永遠亭と呼ばれる場所だ。だが、少し遠い上にまだ暴れている妖怪がいる。来た時は襲われなかったが、帰りもそうとは限らない。

 少女は思考を回すが、完璧な解答が見つからない。

 

『俺がやろう』

 

 頭に声が響く。それは自分のものではない。恐らくは外の世界にいた時の俺だ。その声を信じ、少女は意識を預ける。

 目を開けた少女はさとりの傷を確認する。応急処置を解き、実際に傷を確認する。大きな裂傷だ。臓器は見えていないが、重症であることは変わりないだろう。手慣れた手つきで包帯を巻き戻し、コードに注意しながらさとりを抱える。ふわりと薔薇の匂いが香った。

 

「こよみ?」

 

 順調に動いていた少女の動きが止まる。腕の中の少女が目を開けた。

 

「さとり......」

 

 少女は腕に抱かれた少女を見下ろす。その瞳には、重傷のさとりの他に不安と動揺が映っていた。

 

「いえ、貴方はこよみじゃないですね」

 

 まるで全てを見透かしたかの様に腕の中の少女が寂しそうに笑う。

 この状態では、移動ができない。俺がいるのは既にバレているが、それ以上のことを知られるわけにはいかない。だが、それではさとりを救えない。

 

「無事だったんですね。襲われたと聞いて、本当に心配したんですよ」

 

 本当に良かったとそう言いたげに弱々しく笑う顔を見る。

 

「今は自分を心配してくれ。俺は、大丈夫だ」

 

 腕の中の血が染み、真紅に染まっている包帯を巻く少女を見てそれでも何もしていない自分に歯噛みする。

 俺はこよみを守れていない。このままではさとりと言うこの世界の俺の家族も失う事になる。

 

「さとり。俺、ただ呑気に生きたいだけなんだ。でも、そう上手く物事は行かないらしい」

 

 ぽつりと本音が溢れる。俺は力も、能力も責務も何も要らなかった。ただ、自由に呑気にこの世界を楽しみたかった。

 

「本当の自分探し......ですよね。実は知ってました。さとり妖怪なので」

 

 胸の中で弱々しそうにさとりが笑う。少し驚くが、それも当然のことだろう。体の横に浮くさとりのサードアイがしっかりとこちらを見ている。

 

「流石はさとり妖怪」

 

 少女は冗談めかしく笑い、大きくため息を一つ。

 俺が気を抜いた瞬間は必ずあった、もしかするとこよみを見ることによって中から見ていた俺ごと透過出来ていたのかもしれない。なら俺がどこまで能力を理解していることを知っているのか。

 考えていた最中に、またさとりが口を開いた。

 

「こよみは自分の思うように生きるべきだと思います。これは貴方の物語なんですから」

 

 さとりがゆっくりと目を閉じ、腕から力が抜ける。一瞬焦るが死んだわけではなく気絶したらしい。顔を近付けると確かに呼吸を感じた。

 

「それができれば苦労はしない」

 

 悲しそうに呟く少女の声は町の音楽に吸われ、少女は不気味な瞳が覗く空間の裂け目に入って行く。

 



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File1 才能

 才能とは素晴らしいものだ。だが、それが万人から祝福されることはない。


 薄暗い洞窟の、まるで心のように冷たい鉄で作られた籠の中。1人のまだ15も行かないであろう幼い少女が囚われていた。黒い作業服を身にまとい、まるで雪のような白い髪は肩まで伸びている。しかしその髪はケアされていないのか酷く傷んでいた。そんな状態の少女の入る籠の中には一つの机、その上には基本的な工具が置かれている。しかし、少女はその工具を持つこともなく立ち尽くしていた。

 そして少女の様子を籠の外から赤、黄色、緑の髪色をした3人の同じく黒い作業服を着たガタイのいい男たちが監視し、怒号を飛ばしている。

 

「お前は出来損ないだ」

 

「なんでお前が河童に生まれたんだ」

 

 しかし、その怒号を浴びても少女は微動だにしない。その少女の心は、致命的に死んでいた。暗い暗い闇の中、少女は立ち尽くす。周囲の言葉は聞こえていない。ただ、頭の中には音楽が流れていた。

 少女は、物作りの妖怪である河童でありながら物を作る事ができなかった。それ故に彼女は異端、出来損ないとしてこの場所に閉じ込められ、物の作り方を学ばされていた。

 一人の男が最後の課題だと言ってこの図面通りに置かれていた木の板を加工しろという指示を出す。その図面には五芒星が描かれていた。少女は置かれていた黒いペンでその図を木材に書き込み、鋸を用いて木材の加工を始めるが、出来上がったのはまるで赤子の書いたような歪な五芒星だった。

 

「もういい。出ろ」

 

 飽きれながら赤髪の男が錠を開けて、少女を開放する。開けられた扉から少女がゆっくりと出てくる。そのまま洞窟の奥に向かう少女の髪を黄色髪の男が掴む。痛みから少女が悲鳴を上げるがお構いなしにそのまま地面に引き倒す。

 倒れた影響で頭からは血が流れ、鼻腔には鉄の匂いが漂う。

 

「お前、いい加減にしろよ。何時になったら覚えるんだよ。それとも覚える気がねぇのか?」

 

 引き倒された少女は答えない。ただ、無言で天井を眺めていた。その反応が頭に来たのか一人の男が少女に跨る。そして、少女の作業服を脱がし始める。

 

「今日も教育代として使わせろよ」

 

 男に跨られ少女は服を脱がされ、下着だけの姿にされる。ただ、少女のそれはまかれた布でしかなかった。雪のような白い肌に大切な部分を隠すためだけに白い布がまかれている。まるで芸術作品の様な少女の手を先の作業服で縛り、男達による教育代の請求が始まった。

 

「こいつ、マジでなんも反応しないよな」

 

 それからしばらくの時間が経ち、黄色の髪の男が服を着なおしながら横で同じように服を着ている緑髪の男に不服そうに告げる。それに対して赤髪の男が笑いながら反応する。

 

「まぁ、でも何しても反応しなくても俺らが気持ちよくなれればいいだろ。それに、こいつなんてそれくらいしかできない」

 

「それもそうか」

 

 赤と黄色の髪の2人が醜悪に笑っている中で、緑髪の男だけが何も言わない。その男に対して赤髪の男が茶化すように声を掛ける。

 

「お前はにとり一筋だからそんなに良くなかったか?」

 

「は、はぁ?そんなんじゃねぇよ。ただ、にとりの方が胸もあるし具合は良いだろうな」

 

「お前まじでその発言は気持ち悪いわ」

 

 緑髪の男の反応に爆笑しながら2人の男が洞窟を後にし、そのあとを残されて1人が追う。残された少女はゆっくりと立ち上がると捨てられていた包帯を拾って再度巻き直す。少女にとってはこれもまたいつもの事だった。教育費と銘打って体を使われる。最初は嫌だったが、もう慣れてしまった。抵抗をしても、男の河童、そして複数人には勝てない。

地獄のような日々。なんで私がこんな目に合わないといけないのか。私が一体何をしたというのか。私はただ曲を作って呑気に暮らしたいだけなのに。

 少女の心に深い闇が蠢き始める。それは怨嗟、それは絶望。それは願望。

 

 あぁ。こんな世界......

 

「こんちゃー!元気してるかい。かわいいお嬢さん。そんなに肌を出すと風邪を引いちゃうぞ?」

 

 聞いたことのない明るい声に驚いて正面を見るとひとりの見覚えのない河童ではない男が立っていた。男にしては少女と同じくらいという低い背とショートで整えられた黒い髪。幼くもあるが、青年と言われればわかる程度の顔立ち。服装は白いシャツに黒いチノパン。作業着でもないことから河童の関係者というわけでもないと少女は予想をつける。

 突然現れた男を訝しみながら少女が声をかける。

 

「貴方、誰?」

 

「おれ?俺はね。君のヒーローだよ」

 

 ニコリと笑う少年。その表情はどこまでも明るく、その目はまるで幼子を慈しむかのようにこちらをみている。こんなところに河童でも無いような者が来るはずがない。ただ、少女の心は少年の発した言葉に惹かれていた。

 

「ヒーロー?」

 

 少女のよく分からないというような反応を見て少年はやってしまったと言いたげに頭を抱える。

 

「そうか、ヒーローじゃわかんないか。救世主で通じる?」

 

 一段と優しくなった少年の声。それはまるで迷い子を導く星々のようで。その灯りは、少女が縋るには十分すぎた。

 

「ヒーロー......私を助けてくれるの?」

 

 少年が笑いながらヒーローで通じるんかーいというツッコミを入れている。しかし、すぐに真面目な顔に戻ると、少女に手を伸ばす。

 

「うん、君を助けてあげる」

 

 考えるまでも無かった。それが疑わしいものであっても、少女に頼ることのできるものは無かった。差し出された手を取る。

 

「お願い。私を......助けて」

 

 これまで凍っていた心が溶けていく。瞳からは涙が溢れる。少年は服が汚れることも厭わずにそんな少女を抱きしめて、背をさすっている。

 

「すぐに助けるよ」

 

 しばらく少年の胸の中で泣き、落ち着いた少女は少年から離れる。

 

「まずは、服を着よう。その格好は色々と危ないし」

 

 少し目を逸らしながら少年が言いづらそうに告げる。少女は包帯を巻いただけで男の前に出ていいような格好ではなかった。毎日のように河童の男どもに教育費を強いられた所為で常識がおかしくなっていたのだろう。すぐに顔が赤く染まると地面に捨てられていた作業服を身に纏う。少年は紳士的にも少女が服を着るまで後ろを向いていた。

 

「ごめんなさい。でもそんな急に言われても私は貴方をヒーローだと信じられない」

 

 少年はそれを聞いてそれもそうだと頷くと少女を見る。

 

「なら、君の望みを叶えよう。なんでもいいよ」

 

 少年は少女に笑いかける。

 

「なん......でも?」

 

 動揺を隠せずに少年の発言を少女はゆっくりと飲み込む。

 そんなことをできるはずがないと思いつつも少女にはこの少年が地獄に垂らされた一本の糸に見えていた。

 

「その通り。なんでも君の望みを叶えるよ。例え、どんな願いであったとしても」

 

 どんな願いであっても。その言葉に少女の心の中で諦めていたものに向かって何かが芽吹き始める。

 

「なら......なら私をこの環境から解放して」

 

 少女のその願いに少年は少し驚いた顔をする。

 

「マジ?それでいいの?俺は本当になんでもできるよ」

 

「うん。私の望みはこれでいいの」

 

 少年を見据え、少女はしっかりと言葉を紡ぐ。それを聞いた少年は少し考え、大きな声で笑い始める。その声が洞窟に響き渡る。誰かが来てしまうのではないかと少女は心配になるが、何故かそうなったとしてもどうにかなるような気もしていた。しばらくすると落ち着いたのか呼吸を整えてゆっくりと話し始める。

 

「そっかそっか!わかった。俺は君を解放するよ。でも、いきなり全ては無理。少しずつ状況を好転させていく。それでも良い?」

 

「うん。それで良い」

 

 頷く少女。それをみて少年は満足そうに笑う。

 

「よし、なら俺はここらでおさらばしよっかな。バレちゃうと面倒だしね」

 

 まるで悪戯をした後の子供のように少し屈んで手をわきわきとさせ、振り返り、洞窟の外へと歩き出す。その少年を背後から少女が呼び止める。

 

「もう一つ、お願いを言っても良い?」

 

 それを聞いて少年はゆっくりと振り返る。その顔は笑っていたが、目にはどこか不安が宿っていた。

 

「もう一個?いいよ」

 

 振り返った少年に少女は一呼吸置いてもう一つの願いを告げる。

 

「私の......友達になって」

 

 少年の貼り付けていた笑顔が崩れ、瞳を瞬かせる。洞窟の天井から水滴が落ち、静寂に音を与えた。

 

「とも......だち?」

 

「うん。私はずっとここにいたから。友達なんて誰もいないの。だから、ダメ?」

 

 まるで捨てられた猫のような瞳で少年を見つめる少女。少年は少し逡巡したようだったが、首を縦に振った。

 

「女の子にその目をされたら断れないなぁ」

 

 少し何かを懐かしむような目をした少年はまたこちらへ歩み寄ってくると手を差し出す。

 

「いいよ。俺は君と友達だ。だからまたくるよ」

 

 今度は心から笑っているのであろう少年のその手を取り、少女はそのまま少年と握手を交わす。

 

「うん。約束」

 

 握手を終えると少年はその後すぐに洞窟から出て行った。それを見届けて彼があのまま無事に帰れたのかを考えながら少女はカゴのような牢の中に戻り、一つ置かれた机の中から白い紙を取り出して河童に支給される作図用のペンを走らせる。しかし、彼女が書いているのは、図面ではなく、曲だった。今日あったことを、会った彼を思い浮かべながら五線譜に音を紡いでいく。時に鼻歌を交えながら時に歌詞を入れながら。

 幼い頃は毎日が新鮮でいくらでも曲が浮かんできた。けれど、ここに閉じ込められてからというもの、曲を作ることは許されなくなった。見つかれば暴言を投げられた後にいつもよりも激しい教育費の請求が始まる。気持ち悪いといいながら。それ知って以降彼女はもう曲を作ることは無くなった。いや、正確には、恐怖から作ろうと思えなくなった。しかし、今日は違う。

 一つの曲を作り終え、少女がペンを置くと外は既に暗くなっている。もう日は沈むのだろう。少女は一人出来上がった曲を奏でる。まだ歌詞は出来上がっていないが題名は決まっていた。

 自らの作り上げた曲を満足げに読み直し、眠くなった少女は洞窟の奥に置かれた使い古されて所々に穴の空いた茶色い布でできた質素な敷布団に横になる。

 正直彼女自身彼との遭遇は夢だと思っていた。でも、もしこれが夢なら、夢でも良いと思っていた。一瞬でも希望が見えて、友達ができた。素晴らしい夢。

 しかし、その変化はその翌日に起きた。

 

「おはよう」

 

 少女は声に反応して布団から起き上がり洞窟の入り口を見る。

 そこには青髪を赤い球体が二つ付いたゴムでサイドテールにまとめた、青い作業着をきた少女が立っていた。胸元には鍵が結ばれており、女性用のためズボンの代わりにスカートに変更され、そこに多くのポケットが付いている。今日は外の天気が良いらしく、差し込む光が彼女の髪を通って水面のように揺れる。

 

「だれ?」

 

「私はにとり。河城にとり。貴方に物の作り方を教える為にきた」

 

 淡々とにとりと名乗った少女は遠慮がちにこちらに近付き、周囲に少女以外の者が居ないかを確認する。ふわりと花の匂いがする。その風貌に気を取られていると突然にとりが悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

「あんまり声を大にしては言えないんだけど。私あんまり教えるの上手くないからのんびりやろ」

 

 その少女を、その笑みを訝しみながらも本当に変わったことに少女は驚く。もしかすると彼は、本当にヒーローなのかもしれない。そんなことに想いを馳せながら少女はゆっくりと口を開く。

 

「私は......奏。よろしく」

 

 これが私とにとりの初めての出会いであり。初めてできた河童の友達だった。それ以降先生としてにとりは毎日来るようになり、授業以外にも色々なことを教えてくれた。正直、授業よりも雑談に花を咲かせていた気もする。日々語られる外の世界の情報は楽しそうで、とても興味を惹かれるものばかりだった。それに加えてにとりは私の髪や寝床にも気を遣ってくれた。少しでもこの生活が良くなるようにと何でも言ってとまで言ってくれた。

 

「ねぇヒロ。わたし洞窟の外に出てみたい」

 

 教師がにとりに変わってから、1ヶ月ほど経った時。授業を終えてにとりが帰り。約束通り友達としてそこそこの頻度で訪れていたヒロと呼ばれた少年に奏は自身の希望を告げる。今日の彼の格好は闇に溶けそうな黒のシャツに相変わらずの黒いチノパン。

 少女の発言に対して洞窟に胡座をかいてすわるヒロは少し苦しそうな表情をする。

 

「あー、外か」

 

 このヒロというのはずっと名前を名乗らない少年に痺れを切らした奏が彼からやっと聞き出した名前だった。

 

「やっぱり厳しい?」

 

 彼が苦手だと言っていた捨てられた猫のような表情する奏にヒロは勘弁してくれと顔を伏せる。

 

「将来的には行ける。というか行かせる。ただ、やっぱりそこは時間がかかる。外には奏の能力を危険視する奴も多いからさ。急な変化っていうのは危ない。もう少しの辛抱だと思うから申し訳ないけど耐えて、俺も全力でうごいてる」

 

 実際、教師がにとりに変わってから私の生活は一変した。少しでもここでの生活が豊かになるようにとにとりが冷たい岩肌に布を貼り、地面には絨毯を敷いてくれた。さらにはほぼ布だけになっていた布団の代わりに木製のしっかりした寝台が設置された。しかしそれでも、一度も外には出られなかった。

 

「ねぇ、なら私の能力って何?」

 

 ヒロは顔を上げると不満そうにこちらを見る少女の瞳を見つめ、数秒後に一度目を閉じると口を開いた。

 

「君の能力は、音楽を聴いた者の感情を操る程度の能力。だから多くの妖怪が君を恐れて閉じ込めた。昔......いや。何でもない」

 

 最後の方に何かを言おうとしてやめたようだったが奏には聴こえなかった。一体何を言ったのかと気になって聞く奏にヒロは関係ないこと言いそうになっちゃったと笑う。

 

「なら私強いんだね」

 

「条件満たせば強いよ。逆に満たせないと弱いから急に襲われたりすると厳しいだろうね。耳栓とかされてもちゃんと厳しいし。まぁ、なんにせよ今日はこんなもんでお暇しよっかな。実はこの後一仕事あるんよ」

 

 ヒロは立ち上がると身体を伸ばす。洞窟の中にポキポキと骨の鳴る音が響く。

 

「あぁ〜っ。もうちょい頑張るか」

 

「ねぇ」

 

 そんなヒロに背後から奏が声をかける。

 

「ん?」

 

 腕を下ろし、振り返ったヒロに奏が抱きつく。ヒロは一瞬の出来事に驚き抵抗しようとするが、すぐに止める。その瞳は胸の中で温かい湿りをもたらす奏を映し、一瞬戸惑った後にその身体にゆっくりと腕を回して抱き返す。

 奏の体は何か甘い花の匂いがした。

 

「ありがとう。ヒロは私の救世主だよ」

 

 震えた声で胸の中の少女が零す。それを聴いた少年はその腕に少し力を入れる。まるで、大事な物を守るかのように。

 ずっと言えなかった言葉。もしかすると明日になればまた同じ生活に戻るかも知れないそんな恐怖があった。でももう、確信が持てた。彼は私の救世主だと。

 

「怖かったよな。でも、もう大丈夫」

 

 胸の中で震える奏をヒロが離すことはしなかった。震えが止まった頃、奏がヒロから離れる。その瞳は赤い。

 

「じゃ、またね」

 

 ニコリと笑ってヒロは洞窟から出ると重力を無視して陽が沈み黒が支配する世界に飛び立つ。奏はその後ろ姿を洞窟の入り口から彼が闇に溶けるまで見送った。

 暗い森の中、一人の少年が両足で血まみれの男の腹の上にしゃがみ込んでいた。フードで隠された姿は闇に溶けて目視できない。ただその手には月明かりに反射し、淡く光る黒い両刃の剣が握られている。

 

「お前......一体何なんだ」

 

 上に乗っている少年に男が口から血を吐きながら必死に問いかける。月明かりだけでは余り見えないがその身体は酷く傷つけられていた。特に、動きを奪う為か足が徹底的に攻撃されていた。何箇所か骨が見えているほどの重症だ。それでもまだ動けたのは妖怪であるからだろうか。

 

「俺は......救いを与える者さ」

 

 少年が静かに応える。その反応からは何も感じ取れなかった。だが、その言葉を続ける瞬間に少年の顔が乏しい光でもわかるほどに感情を喪う。

 風が吹き、木々がざわめいた。少年はその風の行方を追うかのように視点を動かすと剣を強く握り込む。きっとこの血の匂いも運ばれる。

 

「何言ってんだお前。なら俺を救ってくれよ。

 

「さようなら」

 

 虚な少年の瞳に胸に剣を突き立てられ空虚な瞳でこちらを見る男の死体が映る。その赤い髪は濡れた血で固まっていた。

 少年は男の上からゆっくりと降りると剣を抜き、血を払う。鮮血が周囲に叩きつけられる。その背後から大量の目が覗く不気味な空間から女が現れ、半身を乗り出す。その身には紫の紫陽花が彩られた着物を身につけていた。

 

「もう、慣れたかしら」

 

 その女は何か可哀想な物を見るかのような瞳で少年を見る。

 

「いや。慣れたら終わりでしょ。こんなん」

 

 それに対して少年は冷ややかに答え、握っていた剣を手放すとそれは落下する事なく、光の粒子となって消えていった。

 女がまるで母親のような口調で少年に語りかける。

 

「無理はしなくてもいいのよ」

 

「大丈夫。それにこれは......俺にしかできない。やらなきゃいけない事だ」

 

 対する少年は重々しく覚悟を乗せて答える。そして視線を下ろし、自らの血に濡れた手を見て握り込む。

 その様を見た女が身体を不気味な空間から出して少年の瞳を覗き込む。

 

「少しくらい休んでも」

 

 その様子を見て最後まで言い切らせる事はなく少年は笑う。

 

「はは、心配してるんだろ。ありがとう。でもまぁ安心してくれ、今日はもう終わったから休む」

 

 そんな少年を見て少し安心したのか女は視線を外しまた不気味な空間へと向かう。

 

「よかったわ。でも本当に無理はだめよ。貴方が倒れれば本末転倒。分かっているの?」

 

 少年もまた女を心配させていることが分かっていたようで安心させるように言葉を紡いでいた。

 

「わかってるよ。だいじょーぶ。それに俺はそんなに柔じゃない」

 

 そして少年はその女の後を追い不気味な空間へと消えていく。



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20話 私が私であるために








あなたは、自分がなぜ生きているのか。考えたことはありますか。


 

 誰もを迷わす竹林の奥、隠されるように建った寝殿造の枯山水の庭の中央で、いつも通りのセーラー服の鈴仙に白いシャツにチノパンという格好のこよみが瞳を閉じ、腹部を赤く濡らした少女を引き渡していた。

 どこからともなく突然現れたこよみに有無を言わさずさとりを預けられた鈴仙はその傷を見た後にその深刻さに気付いてか顔色を変えている。しかし、こよみはそれについて気にしている様子はない。

 

「後は任せた。俺は行かなきゃいけない」

 

 静かに言い残したこよみは最後に鈴仙に預けたさとりの頭を撫でて身を翻し、体を浮かせる。

 

「ちょっと、待ってください。一体何があったんです?」

 

 呼び止められたこよみは後ろを振り返る。

 こよみからすれば未だに抱えられたままのさとりを早く診て欲しいが、まだ聞いていない情報があった。しかし、それ以前にあの状況をどう説明しようかと宙に浮きながら考える。そして、そういえばこんな状況にぴったりな言葉があったことを思い出した。

 

「俺もよくわかっていない。ただ、異変だろう。そこで頼みがある。博麗霊夢にこの事を伝えてくれないか?会ったばかりの俺がいうよりも動いてくれるだろ」

 

 異変という言葉を聞いた鈴仙の顔色が少し悪くなる。だが、すぐに何かを決めたようで、そのぼんやりと輝く紅い瞳になにかが宿る。

 

「異変......ですか。博麗霊夢が協力してくれるかはわかりませんが。説得してみます。もし協力してくれなくても出来るだけ協力してくれそうな者を集めます」

 

「ありがとう。俺は急いで地底に戻らなきゃいけない」

 

 再度身を翻して空に飛ぼうとするこよみを鈴仙が止める。今度は一体なんだと少しいらだった様子でこよみが鈴仙を見つめる。

 

「急いでいるのはわかります。ただ、もう少し教えてください。でもこの傷のさとりさんをまずを師匠に預けてくるので、少し待っていてください」

 

「確かに情報が少なすぎるか、悪かった。俺も焦っていたらしい」

 

 パタパタとかけて行く鈴仙を見送り、残されたこよみは地面に降り立つと1人腕を組み目を瞑り思考に耽る。考えるのはこれからの事だ。

 俺がこのまま出張るのは良くない。だからといってこよみはもう限界だ。これ以上は取り返しがつかなくなる。想像以上に負荷の掛かり方が酷い。作った人格を慣らす時間がない。それに何度も作り直してはいつまで経っても俺の目的は果たせない。なら、一体どうすれば。

 考え込んでいるこよみの下に綺麗に整えられた枯山水の上を跳ねながら1人の少女が駆け寄ってくる。

 

「やぁ」

 

 こよみは突然の声掛けに愛想を返す。

 

「やぁ。うさぎさん」

 

 ゆっくりと目を開くとまだ会ったことのない顔だ。背はまだ小学生くらい。黒いショートの髪、白いワンピースに長靴のような茶色のブーツ。そしてその耳には鈴仙と同じくウサギの耳が生えている。ただ、鈴仙より耳は大きいだろうか。

 

「私は因幡てゐ。てゐって呼んで、あなたは?」

 

「俺は、古明地こよみだ。最近ここに来た」

 

 まるで何かおかしなものを見るかのようにそのてゐと名乗った少女はこよみを観察する。それに対してこよみは何も思っていないようで、ただそのさまを眺めていた。

 

「一体何用だい、てゐ」

 

 まるで子供に話しかけるようにこよみは言葉を優しく紡ぐ。

 

「いいや、別に。ただ、不思議だなと思ってね」

 

「不思議?」

 

 かけられた不思議という言葉にこよみは反応して聞き返した。

 

「だって古明地を名乗るなら彼女の家族でしょ。あれだけの傷を負ったさとりをここに連れてきてるのに、全く心配そうにしてない。まるで、無事だと確信しているかのように」

 

 ここでこよみは反省する。この世界の住人は見た目で判断できないと。確実に見た目は小学生のような彼女だが、その精神年齢はかなり高いのだろう。子ども扱いは失礼だ。

 

「心配はしてる。ただ、さとりは人間じゃない。あの傷なら命は助かるはずと思ってる」

 

「なんで、ここに来たばかりのあなたがそこまでわかるんだい?」

 

 こちらを訝しみながらてゐがこよみを覗き込む。その瞳はしっかりと彼女を捉えていた。恐らくその瞳が捉えようとしているのは、こよみではない。もっと深くにあるものだ。

 

「俺自身が大怪我したからな。死んだと思ったけど、今こうして生きてるから外の常識は通じないって学んだんだ」

 

 その発言を聞いててゐが深刻そうな顔をする。まるで大きな過ちを犯した者を見るかのような目で。

 

「あなたの回復力は聞いたけど。それを他の妖怪も持ってると思うのはやめた方がいい。妖怪はたしかに人間よりは回復力が高いけど、種族による。その点さとり妖怪は高く無い。あれは間違いなく......致命傷だよ」

 

 こよみは知っている。あれが致命傷だということくらい。では、何故ここまで反応が薄かったのか。訪れるかもしれなかった別れに対してどうしてこうも冷静だったのか。それに対する回答は既にこよみの中で出ている。

 

「そうだな。それを聞いて急に不安になってきた」

 

 こよみの中で、さとりの死、それは間違いなく大きなものだろう。だが、人は慣れる。どれだけ大きな衝撃でもそれを何度も体験すれば徐々に感想が薄れる。そしてその果てに。

 

「余計なお世話かもしれないけど、一人で背負いすぎない方がいい。私だったらいつでも相談に乗るからさ」

 

「ああ、助かるよ」

 

 少女の顔を見て何かを察したのであろうてゐがこよみの肩を叩き、くるりと周り、屋敷の方へと戻っていく。器用にも自分が踏み荒らして枯山水の上だけを跳ねていく。そのさまはまるで本当の兎の様だ。それをみて、忘れていた笑顔を取り戻したかのように、そんなぎこちない笑みで彼女はその背を見送る。

 

「お待たせしました。てゐが余計なことを言いませんでしたか?」

 

「大丈夫だ。それよりも、異変の内容を伝えたい。いいか?」

 

 なにか雑談が始まる雰囲気を感じとったこよみはそれを遮り、確認を取った上でそれに対して頷いたのを確認する。

 

「と言っても俺もまだわからないことばかりだが。突然地底で音楽が流れたんだ。それを聞いた途端に一部の妖怪が攻撃的になって周囲を攻撃し始めた。でも、音楽を聴いていてもなんの変化もない妖怪もいた。しかし、時間が経つと急に攻撃的になったりする。ここまでが異変の内容だ」

 

 鈴仙は少し考える素振りを見せる。数秒もせずに、何か引っかかるものがあると言いたげな表情をしながら答えを出す。

 

「大方音楽を聴いた者を操作する能力でしょうか」

 

「俺も最初はそう考えた。ただ、もしその能力を持っているなら、音楽を聴いた全員が操られないとおかしい。だから恐らく何かの発動条件があると考えている」

 

「その条件は......」

 

「残念ながらまだわからない。だから、協力に来てくれるのはありがたいが、そんな大人数では来ない方が良い。きっとまだ、音楽は流れている。君も強いんだろ。操られたらたまったものじゃない」

 

 忌々しそうに地面を睨み、こよみは体を浮かせる。こよみ自身もその条件がわからなかった。未だに解答にたどり着けていない。どうしても操られない人々への説明がつかない。

 

「俺は行く。さとりを頼んだ」

 

 こよみはそのまま真っ直ぐ上空へ、事前に聞いた迷いの竹林だという情報から空からでなければ移動できないと考えてのことだった。

 眼下の竹林を抜けて真っ直ぐにあの穴のある位置まで飛ぶ。しかし、その穴の手前に広がる森の中へこよみは降り立つ。地底の住人から妖怪の山と呼ばれていたそこは天狗の縄張りだと勝手に聞いた。周囲に目線がない事を確認するとこよみは右手を虚空に掲げる。そして、突如として開いたいくつもの眼球がこちらを覗く薄気味悪い裂け目を開き、その中へ。周囲の世界はがらりと変わり、見覚えのある寝室に出る。そこは、さとりの部屋だった。寝台には赤い血が付いている。そして、相変わらず、外からは賑やかな悲鳴を歌詞に祭囃子が聞こえている。

 

「さて、どうするか」

 

 まずの第一目標として、この音を止めなければいけない。ただ、ここは洞窟だ。音は響いていてどこが発生源かを探すのは容易ではない。

 

「取り敢えずは、合流しよう」

 

 しかしそこで一つの問題を思い出す。一体どうやってさとりを永遠亭に連れて行ったと言うべきか。俺ができることに関して色々な奴に教えるのは良くない。

 

「まぁ、なんとかなるか」

 

 目を瞑り、腕の中のさとりに俺が俺が思うように生きるべきだと言われた事を思い出す。それで色々と思いは固まった。もう俺は、俺の思うように自由に生きる。そしてそれを何度も頭で反芻する。

 

「ああ、ああ。分かってる。もう畏れる必要はない」

 

 目を開き、窓から外へと飛び立ち、燐とルーミアのいる場所へ。まだ凶暴化した妖怪が向かってはきているようで戦闘が続いていた。燐は相変わらず弾幕を使っているが、ルーミアは自分の背丈程はありそうな漆黒の大剣を振り回していた。それは剣というのかもよく分からない。鞘も剣も全てが漆黒。いうならば、闇を振り回していると表現した方が良いのかもしれない。それをあの小さな少女が振り回して、妖怪を切り伏せている。だが、その奮闘も虚しく少しずつ向かってきている妖怪が増えてきているようで、門の上には既に妖怪の死体が山のように積まれている。そしてその上を抜けることで庭には先ほどよりも多くの妖怪が侵入していた。

 

「燐!さとりは永遠亭に連れて行った。だからもう安心して......」

 

 ここまで言ってこよみはあることを思い出す。忘れていたもう一人の存在。もう一人の家族。

 

「こいしはどこにいるんだ?」

 

 もしまだ館の中にいるなら緊急事態だ。すぐにでも救出する必要がある。あまり付き合いは長く無いが、家族であることに変わりはない。だから、助けなくてはいけない。

 

「こいし様は無意識の中にいるからどこにいるかはわからない。でもきっと大丈夫。さとり様の件は助かったよ。ありがとう、私も永遠亭に行こうと思う」

 

 一体何を持って大丈夫と言っているのか、ただ確かにこいしなら何の問題もなく動いているような気もしている。だからこれは信頼からくるものなんだろう。

 

「そうか。わかった。ルーミアは燐と一緒に永遠亭に向かってくれるか?流石にその傷の燐を一人で行かせるのは怖い」

 

 ルーミアがそれに対して頷いたのを確認していつも通り剣を出す。ルーミアのように大きいわけではない。取り回しの良い武器を周囲に浮かせる。

 それを見たルーミアが純粋無垢な瞳でこよみを見つめる。

 

「今更なんだけど、それってなんで周囲に浮かべてるの?」

 

 一瞬の静寂。少しするとこよみは照れたように頬を掻く。

 

「え?あー......」

 

「やめてやりなルーミア。こよみは元々男の子。憧れるかっこよさってのがあるのさ」

 

「そうなのかー」

 

「お前それ、全くカバー出来てないからな......」

 

 純粋な瞳でよくわからないと言いたげにこちらを見るルーミア、苦笑する燐。その中に囲まれながらこよみは顔を覆っていた。

 

「あーもう。はよ永遠亭に行きな。鈴仙に救援は頼んだからここは任せてくれ。こいしもこっちで探す」

 

 しっしっと手を振り、燐とルーミアにさっさと行けと促し、こよみは右手を掲げる。すると周囲で等間隔に機械的に回っていた剣が意志を持ったかのように腕の周囲に集まり回転を始める。

 

「ゴメンな」

 

 少し悲しそうに、まるで道を歩く虫を潰してしまった子供のようにぽつりと言い放った言葉。その瞬間に剣が射出。狙いは門の前に集る妖怪たち。放たれたそれは一切の躊躇なく妖怪たちの体を裁断して行く。何往復かすれば、そこには光を艶やかに反射する綺麗な肉塊が出来上がる。

 

「ありがとう。あとは任せた」

 

 それを見た燐がルーミアとともにこよみに背をむけ、洞窟の出口へと向かっていった。

 

「とりあえず、暴れる奴を全員シバいてその後に音源探すか」

 

 一人不敵に笑ったこよみは地霊殿に降り立つ。まるで水にぬれた土を踏みしめたときのような不快な音が響く。突然地面に降りた格好の的に庭に侵入していた妖怪が何を言っているのか判断できないような怒号をあげながら襲い掛かる。だが、次の瞬間に庭には頭部のみを切断され、血を噴水のように上げる妖怪のオブジェが出来上がった。

 

「でもあんまり殺しすぎるのも良くないか。最低限、困ってる奴を救える量にしよう」

 

 肩を回し、また身体を浮かす。こよみの周囲の剣が少し遅れてそれを追っていく。

 一方その頃永遠亭に向かうため、ルーミアは傷を負った燐と共に地上へと繋がる大穴を登る。ここまでの道中で、彼女たちが妖怪に困らせられることはなかった。というのも、彼等は空を飛べないらしい。だから、攻撃手段は跳躍。それに限られる。そうなれば逃げるだけが目的なら問題なく行える。そして、基本的に町の凶暴化した妖怪は、他の得物を追っていて、こちらに興味がなさそうだった。

 

「ところで疑問なんだけど。こよみって私たちの横通ったっけ?」

 

 ルーミアが、ふと思い出したかのように燐に話を振る。

 

「いや、どうだろう。通ってなかったような。でもそれだと」

 

「そうなんだよね。一体どうやって永遠亭に行ったんだろうって思って。それに永遠亭にさとりを抱えたまま行ってそのまま帰ってきたとしても速すぎない?」

 

 確かにと燐は頷く。あまりに早い。この穴を抜け、永遠亭までは少なくとも10分はどんなに急いでもかかる。行き来で20分。それにこよみがさとり様を抱えていたならそれよりももっとかかるはずだった。けが人を抱えながら全速力を出せはけが人が無事で済まない。にもかかわらず、10分もかからずにこよみは帰ってきた。異常というほかない。

 

「確かに、でも八雲紫に協力してもらえれば」

 

「なら貴方も連れて行ってもらうでしょ」

 

 すぐさまあった可能性をルーミアによって否定される。八雲紫に協力してもらったなら説明がつく。ただ、それならあの時燐もつれて行くのが妥当だろう。もしさとりだけ送ったとしてもまた頼めば良い。ルーミアの言う通り、こうして態々飛ばせて行く意味がわからない。では、一体どうやってこよみはさとり様を永遠亭に送ったのか。

 

「何が言いたいのさ」

 

「あの外来人、なんか変じゃない?」

 

 少しの間静寂が二人を包む。そのまま尖った石の目立つ仄暗い大穴を抜け、空に出る。傾いた日は、炎のように眼下の森を輝かせている。二人はその炎を避けるように遠くに見える竹林へと急ぐ。

 その静寂を破ったのは身体から流れ出る血を抑える燐だった。

 

「外来人、いやここの住人なんてみんな変さ。それに、誰でも隠し事の1つや2つあるものだろ。だから、あたしは気にしない。こよみはまだわからない部分が多いけど、悪いやつじゃない。あたしもそう思うし、なによりもさとり様が家族に招いた人。だからきっと何かどうしてもいえない理由があるんだと思ってる」

 

 その回答を聞いたルーミアがころころ笑う。

 

「それもそうだね。私もさっき会ったばっかりだけど、悪い奴ではないって思ってる。でも、気を付けた方が良いと思うよ。私が聞いた限り、外ではあんな惨殺できるはずがないんだから」

 

 それもまた、こよみの謎な部分だった。さとり様の話でも、外の世界はそんなに惨殺など基本的に起きないと聞いていた。なのになぜ、あんなにも普通だったのか。あれだけの命を摘み取っているのにも関わらず、あの時のこよみは何も感じていないようすら見えた。ただ、それに関しては一つ思い当たる節があった。

 

「きっとそれは、能力のせいだろうね」

 

「能力?同調するだっけ」

 

 新聞に書いてあったとルーミアが言葉をつづけた。それを聞いた燐は、なら説明の必要はないと本題に入る。

 

「そう。こよみは外の世界でもその能力を持っていたらしい。そして、外の世界には能力はない。だから、それが普通だと思って常時その能力を使っていたらしい」

 

「......なるほどね」

 

 ルーミアは何か思う事があったようだがそれを口に出すことはない。ただ、それは恐らく、彼女への同情だ。そして、自らの発言への後悔。心は壊れる。という事は人間よりもはるかに長い時間を生きる妖怪であれば周知の事実だった。そしてその時に必要なのはその理解者。ただ、恐らく、能力の存在しない外の世界に彼女を理解してくれる者は存在しなかった。

 

「よく生きてたね」

 

「それに関しては同意見」

 

 再度無言の時間が訪れる。時折、ルーミアが心配そうに燐を見たり、傷は大丈夫かと聞くことはあったが、それ以上の会話はなく、二人は無事に竹林にたどり着き、永遠亭へとたどり着いた。

 響く祭囃子と怒号と慟哭。道では狂ったように妖怪たちが血を流し、白い骨が表皮に現れるまで殴り合い、逃げる者を追いかける。いつもはただせせらいでいる川は歪に曲がって動かなくなった妖怪が流れ水は薄い桜色に染まっていた。

 

「情報収集が先決か」

 

 上空を飛びながら一人の子供を追いかけていた妖怪の足を一本の剣が切断する。そして追われることから解放された子供の前にこよみが降り立つ。背後では足を切断されながらもナメクジのように子供を襲わんと緑色の腕を使い、その妖怪は這ってくる。それをみたこよみは迷いなく、剣を一本手に取り、その頭部に突き刺す。その状態でも剣を抜こうと最初は妖怪はもがいたが、しばらくすると動かなくなる。その最後を見送り、こよみは何事もなかったかのように子供に視線を移す。

 

「大丈夫か。一つ聞かせてほしい。この音の発生源はわかるか?」

 

「そうか」

 

 必死に首を振る幼い子供の目には恐怖が宿り、震えている。どこかで転んだのか膝からは血が流れ、着ていた麻の服はところどころ血で染められていた。そして、その見た目は追っていた妖怪とは異なり人間に似ていた。そしてこよみは思考する。助けたい。ただ、この現状を打開しなければこの状況は終わらない。それに避難させられるような安全な場所が無い。だが、守って戦うのではあまりに効率が悪すぎる。いち早く終わらせなければ、俺の目に見えない所で第2第3のこの子が産まれてしまう。しかし、それでも。自分の手の届く範囲は救いたい。それにこの子の風貌と綺麗な黒のストレートの髪は、もう会うことの出来ない妹に少し似ていた。やはり、この子は助けなくてはいけない。俺が、俺であるために。

 

「わかった。俺に掴まれ。今から地霊殿に連れて行く。安全だとは言い切れないが、此処よりはマシだ」

 

 何度も頷く子供の身体を抱き抱え、きた道を最高速で戻る。眼下で一人の妖怪が狂った者にその体を殴られ、泣き叫んでいる。そして、その妖怪もまた、暴走を始める。地獄のような光景だった。それを見せない様に子供の瞳を手でかくして飛ぶ。そのまま開いたままの窓から地霊殿内部へ。しかし、入ったさとりの部屋は扉が破られている。ここには置いておけない。燐もルーミアもいない今、扉のないこの部屋はあまりに危険すぎる。子供の目を手で隠したままその部屋を抜けて横の部屋へ。廊下にはまださとりのために命を捨てた従者の姿があった。あとで彼らも埋葬しなくてはいけない。だが、今は何よりもこれを解決することが優先だ。扉を開き、子供を下ろし、部屋に誰もいないことを確認する。この部屋はだれにも使われていない様だった。寝台も整えられたままだ。部屋に置かれたタンスにを開いて確認するが、何も入っていなかった。

 

「いいか。ここにいろ。絶対に出るな」

 

 赤べこのように何度も頷く子供を背に、タンスを動かし扉の前へ。

 

「よし、俺は窓からしか戻らない。もし誰か入って来たら逃げろ。あいつらはどうやら空を飛ばないらしいから、侵入は基本正面のこのドアからだ。もしもここに奴らが来たらあのタンスが少しは時間を稼いでくれる。此処は2階だ、最悪飛び降りろ」

 

 窓の取手に手をかけて解錠、建て付けのよくできた窓は苦もなく簡単に開いた。開いて縁に脚をかけて外へ向かう。

 

「あの!」

 

 そんなこよみに背後から子供が声を掛ける。ゆっくりとこよみは振り返り、窓の縁に腰を掛ける。そして、まだ震えている子供はその瞳にしっかりと目の前の少女を映す。

 

「どした」

 

「ありがとう。おねーちゃん」

 

 こよみはその言葉に少し笑う。そして窓の縁から降りて子供に近づくとその手で頭を撫でる。

 

「怖かったよな。絶対解決するから、生き延びろ」

 

 最後に安心させる為に笑い、こよみは今度こそ振り返らず、止められることもなく、窓から外へと飛び出す。至る所から悲鳴と慟哭、そして怒りに満ちた雄たけびが聞こえる。こんな状態でどこから行くかと迷っていると、目線の端で巨大な水柱が突如吹きあがる。

 

「あそこだな」

 

 もうすでに狂っているかもしれない。だが、そうならそれを止めるしかない。そこいらの妖怪よりもヤバイことは間違いない。それに、もしまだ理性があるなら、協力してもらおう。正直人出が欲しい。あれだけ派手な攻撃が出来るなら戦力面も期待できるだろう。

 そんな淡い希望を抱きながら、こよみはその水柱の方へと一気に加速する。

 

 

 



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21話 蜘蛛の糸

何もかも、救うことなど出来やしない。


 

 地底に広がる大きな町。その中で一人の少女が周囲から襲いくる妖怪たちに地上から襲撃を受けていた。青い作業着に、既に空になり、軽くなった茶色いバッグ、まるで日に照らされた小河のような翡翠の髪を揺らす少女は河城にとり。彼女は必死にいなし続けてはいる。しかし、全くもってキリがない。地面から跳躍して引き摺り下ろさんとする妖怪たちに正確に青く光る水面のような弾幕を当てて撃墜している。ただ、妖怪たちは全くそれに怯むことなく、逆に少女を襲う妖怪の量は増えていた。

 

「一体どうしたっていうのさ!」

 

 にとりは悲痛に叫ぶ。目の前には突然凶暴化した妖怪達、異変は突然に訪れた。約束度通り、古明地さとりの邸宅である地霊殿へ赴いて、そこで古明地こよみのパソコンの設置を行った。パソコンの作り方は八雲紫の持ってきた彼のパソコンを解体して理解した。帰って、その技術をどうやって転用するか。そんな最高の時間を過ごそうと思っていたその時だった。

 

 どこかで聞いたことがあるような祭囃子が響いた。

 

 そして、突然妖怪たちが付近の妖怪を襲い始めた。それはまるで妖怪の襲い方ではなく獣のようだった。ただ、怒りに任せ暴力を振るう。妖怪のそれは人間のそれとは話が違う、個体差はあれど、石を砕き、木を捻じ曲げる。それは当然、容易に同じ妖怪を殺すことができた。その後は地獄絵図だ。至る所で同様の変化が起き、妖怪同士の争いが起こる。さらにさっきまでは普通に逃げていた妖怪も急に周囲を襲い始める。それによって疑心暗鬼になった妖怪達もまた狂っていった。まるでドミノのように状況が悪化して行く。

 最初はうまく逃げていたにとりだったが、空に無限に逃げ場のない地底では、限界があった。さっさと逃げることも考えた、しかし、なぜかこの問題をなんとか解決しないといけないと考えてしまった。理由は全く分からない。ただ、本能がそう言っている。だからこそ、今はこの音の発生源を探していた。

 途中で偶然暴走した妖怪が空を飛べないことに気づけたのが不幸中の幸いだった。もし、地上であの数を相手していれば傷だらけになっていたのは彼女だったかもしれない。

 

 ただ、それを知ったところで、音の発生源を見つける事は出来ない。

 

「これはマズいね」

 

 少女によって撃墜された妖怪は多少なりとも傷ついている。というのも少女は民家の屋根よりも上を飛んでいる。そして、跳躍で寄ってくる妖怪を地面に叩き落としている。当然それを繰り返すたびに妖怪の身体は傷つき、血を流す。そんな彼女の足元は地獄絵図だ。地面は妖怪の死体と臓物で染め上げられている。だが、身体がおかしな方向に曲がり、骨が露出して尚、狂った妖怪は跳躍をやめない。

 こんな時、迷彩服があればとにとりは思う。しかし、それは今手元にはない。というのも、ここに来たのは彼女単独。その荷物は届け物だった古明地こよみのパソコンで埋まっており、他の物を入れるスペースがなかった。

 そんな後悔をするにとりの後ろ、建物の影から小柄な妖怪が跳躍。それに気づけなかったにとりはその妖怪がバッグにしがみつくことを許してしまう。そのままその妖怪は身体を揺らし、にとりのバランスを崩させる。その隙を逃さんとばかりに地面にいた妖怪達が跳躍する。

 

「ホントはこんなことしたくないけど、ごめん」

 

 突如、眼下の流れる川の水が上空へ登る。まるで間欠泉から噴き出したかのようなそれはにとりの周囲を囲うように避け、水の壁が出来上がる。それに巻き込まれ、バッグに絡んだ妖怪は上空に打ち上げられ、重力に従い落下。致命的な音の後に動かなくなる。

 これで一時は凌げるとにとりは一息つく。これが彼女の能力。水を操る能力の力。眼下の川の水を噴き上げさせ、周囲に水の壁を作り上げる。それによって跳躍した妖怪たちが弾き飛ばされていった。

 無限にこの壁を出し続けられるわけではないけれど、まずは一安心。そう思い、目を閉じて一息ついた瞬間。目の前には見覚えのない妖怪の顔があった。

 

「え?」

 

 見れば妖怪が壁に弾かれることを気に止めず、突撃を繰り返した結果。水が妖怪の体に当たることによって水の壁が薄くなる瞬間が生まれていた。そして、運悪くその水の薄いタイミングで妖怪が飛び込んできていた。完全に気を抜いていた。なんとか回避行動を取らなくてはいけないと思うが、既に遅い。周囲は水の壁、今から止めてももう遅い。一気に脳内に自分の行動への後悔が溢れる。

 

「あ.......」

 

 そして、声が溢れる。

 

 これから襲ってくる痛みに備えて目を瞑る。

暴走した妖怪の一撃、それを耐えられるかはわからない。

 でも、耐えなければ終わり。耐えるしかない。

 しかし、いつまで経っても衝撃が来ることがなかった。何故と目を開けるとそこには綺麗に切断され、ピンク色の繊維が空気に触れ、断面図の様になった腕があった。そして少し遅れて血が噴き出す。その血が彼女の空色の作業服を赤く染め上げていく。だが、片腕を切り落とされたにも関わらず、その妖怪は怯まずににとりが唖然としている間に万全なもう片方の手でにとりを攻撃しようとする。しかしその攻撃は、白く輝く剣がその妖怪の身体を2つに裂いた事によって水圧によって上空に飛ばされて行く事で、阻止された。

 

「大丈夫か?」

 

 水の壁、その外に誰かがいる。聞き覚えのある声だった。白いシャツに黒いチノパン。まさかと思い水を止め、それが誰かを突き止める。重力に従い水が落ち、視界が開ける。

 そこにいたのは。

 

 古明地こよみだった。周囲には弾幕を利用して作ったのか、妖力の応用か、淡く光る白い剣が数本浮いている。

 

「こよみ?」

 

「あぁ。俺だけど。どうした、顔色が悪いぞ」

 

 本当に心配そうにこちらを覗きこむこよみ。服は血で深紅に染まっている。一体それが何の血なのかは想像したくない。

 

「とんでもなく真っ赤だが、けがはないか?」

 

 ノー天気にそんな軽い質問をくりだすこよみをにとりはじっと見つめていた。

 

 私は今一体、誰と彼女を重ねたのか。

 

「大丈夫。助かったよ。にしても少し見ない間にとんでもなく強くなった?」

 

 頭の中の疑問符を消す努力を行いながら、何とかこよみに回答する。

 

「いや、不意打ちだからできたことだ。正面からだとあんなに上手くは行かないはず」

 

 そんなのんびりとこよみと会話していることを許すこともなく、数匹の妖怪が壁のなくなった二人を狙い、跳躍する。

 

「突然だが、俺はこの音楽を止めたい。確か、技術力めっちゃ高いよな。何とか音の発生源を突き止められないか」

 

 こよみの後ろに妖怪の姿。こんな会話をあの妖怪たちが待つわけもなかった。既に跳躍を終え、背後にまで迫り、その拳を振り抜こうとする。血走った目は怒りに満ち、目の前の少女を傷つける事以外の全てが見えていない様だった。

 にとりは慌てて弾幕を構える。しかし、この距離ではこよみに当たってしまう。迷った結果、こよみの服を掴み引き寄せる。少し目を見開き驚いているこよみをにとりがハグをする様な形で守ろうとする。

 

「会話中なんだ。邪魔しないでくれ」

 

 こよみが本当に飽き飽きした様に大きなため息。刹那。白い何かが縦に弧を描く。それは彼女の周囲を漂っていた一本の剣だった。

 拳を振るおうとした妖怪の動きが止まる。一瞬遅れて妖怪の顔から縦に血の粒が浮き出たかと思うと左右にズレながら地面へ落下。地面に広がる地獄の仲間入りを果たした。

 

「不意打ちじゃなくても強いじゃないか」

 

 目の前で行われたそれににとりが感じたこと。それはその躊躇いのなさ。彼女は今も、先も妖怪を殺さずになんとかするという択を全く取らない。いや、恐らく考えていない。ただ冷酷に、殺すしかないと考えている。

 

「そりゃどーも。ただ、結局不意打ちだし、凶器攻撃だからな。それにこの弾幕っていうのがすごい便利なのもある。あと、もう離してくれ。知ってるか知らないけど俺は一応元男だ。色々思うところがある」

 

 にとりは慌ててこよみから手を離す。仕方がなかったとは言え、彼女のシャツは私がさっき浴びた妖怪の血でより真っ赤に染められていた。

 

「シャツ汚してごめんよ」

 

「ん?あぁ、別にもう汚れてたし、いいよ」

 

 よく見れば、彼女の服の腹部には穴が空いていた。そして、既に黒く固まった血液。間違いなく痛々しい傷があるべき場所には何も無い。

 

「話を戻そう。音源の特定は出来る?俺が全力で協力する事を込みで」

 

 そんな話をする間にもにとりとこよみ。その周囲を白く光る剣がまるで意志を持ち絵を描く様に舞う。いまだに襲撃を続ける妖怪のその悉に命という代償でもって償わせている。

 

「出来る。君のパソコンを使えば。ただ、時間がかかる。それまで私を守ってほしい」

 

「あぁ、もう出来たのか。わかった。いこう」

 

 こよみは直ぐに地霊殿へ視線を移す。そこには未だに妖怪による襲撃を受けている地霊殿が映っている。

 

「俺としてもちょうどよかった」

 

 すぐさま2人地霊殿へ向かう。道中で妖怪が襲ってくるが、こよみによって安全は確保されている。まるで周囲を警戒する番犬のように白い剣は彼女たちの周りを漂っている。

 こよみは地霊殿を見て少し苦い表情をする。門の前には再度多くの妖怪が集まっていた。まるで意志を持たぬ屍の行進だ。まだ辛うじて門は生きているが、重なった妖怪たちの上を妖怪が通り、館へ入るのは時間の問題だろう。そうなれば最初に犠牲になるのは館に逃したあの子供。こよみはそれだけは許容できなかった。

 虫の様に集る妖怪の上に、4本の白い剣が降る。地面に刺さったそれはこよみはそれに手をかざし、握る。刹那、閃光と共に剣が爆発。その爆風で噴き出した弾幕が妖怪たちを襲う。

 

「行こう」

 

 こよみに連れられて地霊殿に入ったにとりが見たのは惨劇だった。至る所に生物だったものが散らばっている。手足が、骨が、肉が、臓物が。白かったはずの館の中は脂の混ざった薄ピンクで染め上げられている。

 

「おぇ......」

 

 上がってきたものを飲み込む。今はそんなことをしている暇はない。この音を止めないといけない。

 

「大丈夫か?」

 

「そっちこそ」

 

 それに対してこよみの反応はない。こよみは周囲を見渡して何かを確認している。それが一体なんなのか、さとりではない私には理解できない。

 

「音源はどれくらいで見つけられる?」

 

 こよみは空に浮くとそのまま階段を無視して二階に上がる。

 

「ここは洞窟、反響もあるからそれも計算しないといけない。それに外はあの状況、そう簡単には行かないはず」

 

「そうか」

 

 少し遠くなった彼女の後を追う。そのままこよみは廊下を抜けていく。廊下も酷い状態だった。幅が狭い分、死体もよく目立つ。ただ、にしても多すぎる。逃げたりせずに立ち向かわなければこうはならない。恐らく、主人であるさとりを守ろうとしたのだろう。

 

「さとりは無事なのかい?」

 

 足元には既に光を失った双眸で虚空を眺める鳥の首が転がっている。もう血が流れることもない。十分すぎるほどにもう床は染められている。

 にとりは知っている。この状態で無事なわけが無い。ただ、命があるなら、このペットたちもいくらかは救われる。彼らが多少であっても人間の畏れで産まれたのであればまた別の人生を送れる可能性もある。

 

「無事、と言いたいけど。怪我を負った。だから永遠亭に運んだ。あと、寄りたい所がある」

 

 こよみは振り返らない。そして真っ直ぐさとりの部屋の中に。さとりの部屋に入ると少し待ってくれと言われこよみは窓から外に出ると横の部屋に入った様で誰かとの会話が聞こえる。

 にとりは部屋を見回す。先ほどまではあんなに普通だった部屋だったが扉は破られ、その前には数匹の動物と頭が地面に突き刺さる様な形で絶命した妖怪がいる。

 

「お待たせ」

 

 また窓から戻ってきたこよみの腕には妖怪の女の子供が抱かれている。子供と言ってももう後数十年もすれば大人になる様な妖怪だ。こよみは彼女を部屋に下ろす。

 

「子供?」

 

「そう。さっき助けたんだ。一緒にいて欲しい。流石に一人で置いておくのは不安なんだ。頼めるか」

 

 こよみは真っ直ぐににとりを見つめる。少し見ない間に彼女も何か変わったらしい。少なくとも、今は自分を隠してはいないらしい。

 

「断れないよ。ただ、確実に守り切るって保証は私には出来ない。私はさとり妖怪ほど弱くはないけど。水を扱う能力だから、水のない室内は正直弱い」

 

「そこは大丈夫。俺が全力でここへの侵入を阻止する。ただでさえ、多くが死んだ。彼らの為にも俺が守らないといけない」

 

 目の前のこよみが周囲に淡く光る直剣を並べる。恐らく今日だけで多くの命を奪ったであろうそれには傷も、汚れも何もない。

 

「随分逞しくなったね。でもそれなら安心。音源を見つけたら声をかける。それまでは頑張って」

 

「そいつはどうも。とりあえず、俺の部屋に行こう」

 

 こよみは腕を広げて子供を迎え入れると抱きかかえ、その目を隠す。恐らくはこんな惨状を見せたくないという配慮だろう。そして着いてきてくれと言って先に部屋を出た。

 しばらく祭囃子の木霊する静かな廊下を飛んだ後にとある扉が開かれた。そこはにとりがパソコンを設置した部屋で間違いなかった。どうやらこの部屋への侵入は無かった様だ。荒らされた様子はない。

 

「にとりはこの家具くらいなら動かせるか?」

 

 寝台に良い会の子供を下ろし、座らせながらこよみがそんなことを聞いてくる。

 

「どの家具かにもよるけど」

 

「あー。悪い。これだよこれ」

 

 そう言って彼女が示したのは子供の座る寝台だった。綺麗な装飾を施されたフレームの上に綺麗に整えられた白いベッドが置かれている。彼女はここに来てから、一体何度ここで寝られたのだろう。

 

「うん。それくらいだったらいける」

 

「そうか。良かった。なら俺が出た後にドアが開かない様に動かしてくれ。俺は、行くよ」

 

 子供に笑顔をむけて頭を撫でるこよみ。それを心配そうな顔でじっと子供は見ている。

 

「大丈夫。俺強いから。ここであのおねーちゃんとまってて。お手伝いも必要だったらしてあげてな」

 

 立ち上がり。こよみが部屋を出て行く。その後ろ姿は、これまでにないほど、辛そうだった。

 思えば無理もない当然の事だった。無理もない。知る限り、外の世界は安全だった。少なくとも他者を殺す必要はない程には。そんな所で過ごした人間がこの世界であんな光景を見て、あんなにも他者を殺して。平気なはずがない。

 

「こよみ!」

 

 気付けば、既に部屋を出たこよみににとりは声を掛けていた。ゆっくりとこよみが振り返る。

 

「ありがとう。お礼と言っちゃなんだけど。これが終わったら。地上でいいご飯紹介するよ」

 

 それを聞いたこよみが笑う。まるで鈴を転がした様な音が鳴る。自分でも驚いたのか、こよみは喉仏を触っている。だがそれも直ぐに止めると。

 

「そいつはありがたい」

 

 そうとだけ言って扉を閉じ、廊下を歩く音が遠くなって行く。

 

「私は私にできることを」

 

 にとりは寝台に手を掛ける。重い、重いけれど動かせない程ではない。引きずりながら少しずつ動かす。少し動かして、背後に空間が出来たのを確認して今度はドアの方へと押す。なかなか動かない。意外にも重さがあった。必死に押すがその動きは牛歩の様だ。しかし、急に寝台が動き始める。

 

「私も、手伝います」

 

 にとりの横に入った子供の妖怪が寝台を押していた。筋力のある妖怪の子供なのだろう。簡単に寝台が動き、ドアの前に移動させることができた。

 

「ありがとう。にしても力持ちだね、助かったよ」

 

「助けてもらってばかりじゃ申し訳ないので」

 

 褒められて少し恥ずかしかったのか、子供が頬を染める。

 

「そっか。その気持ちわかるよ。私もこよみに助けて貰ったからね」

 

 にとりは苦笑いする。

 本来は、助けるべき相手だった。そんな相手に、助けて貰った、ならその恩返しは全力でしないといけない。

 それに、これはにとりにとって、自分の為でもあった。心にある、この異変を解決しないといけないと言う使命感。

 机に置かれたパソコンの電源をつける。静かな起動音。それが一瞬激しくなり、画面の明かりが灯る。そこに映されたのは地平線まで広がる美しい湖だ。浜には雪に様に白い砂が敷かれている。

 

「ここからは、私が頑張る番」

 

 こよみの部屋に打鍵音が響く。もしもそれをこよみが聞けば、何を思い出すのだろうか。ただきっとそれは、彼女にとって。

 

 もう、取り戻すことの出来なくなった物。なのだろう。

 

 



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22話 ひとりぼっち

 
 何を犠牲にしても守りたい。そんなものはありますか?


 

 臓物で艶やかに染められた廊下をこよみが飛ぶ。彼女の目的は、今のところにとりが音の発生源を見つけるまでの死守。

 廊下には相変わらず、多くのペットと、妖怪の死体が転がっている。子供をここに連れてきた時と全く同じ残状だ。

 

「さとり......」

 

 もし、今の自分がこの場にいれば、きっとこうはならなかった。状況は多少はマシだった筈だ。少なくとも、ペットがここまで死ぬことは無かっただろう。

 ただ、それと同時にそんなことを考えるのが無駄だということも理解していた。きっと、紫に弾幕勝負を教えて貰わなければ今ほど戦えなかった。きっと、足を引っ張った。そうなれば、結局みんなに庇って貰って。今よりも状況が悪化したかも知れない。

 もしかすると土壇場で何かができる様になったかもなんて、そんな幻想は捨てるべきだ。俺はおとぎ話の主人公ではないのだから。

 館の入り口、既に破壊され、役割を果たしていない扉に向かう。動かなくなったペットたちに破壊された扉の破片が突き刺さっていた。しかし、それには目もくれず、こよみは走り出す。

 館内も地獄だが、館の外も地獄だ。あれだけ処理したはずの妖怪たちはどこから湧いたのかまた門の前に集まり、門を破壊しようとしている。度重なる衝撃によって既に門は限界が近いようで耳障りな音を立てながら大きく揺れている。ただ、数は減っている。先ほどのように妖怪の上を登って侵入される心配は無いだろう。

 それに対してこよみは即座に自らの周囲に浮く剣を射出。白い軌跡を描きながら門の隙間を抜けた剣が妖怪達を裁断、赤い噴水を作り上げる。周囲が鮮血で染め上げられる。それを浴びたこよみの身体も紅く染まっていく。

 地底には祭囃子が響き渡り、憤怒にまみれた妖怪の雄叫びとそれから逃げる妖怪の悲鳴と失った者たちの慟哭が混ざり合っている。そして、その鮮血を浴びたこよみは血に塗れた瞳で真っ直ぐに妖怪達を見据えていた。

 

「......」

 

 そんな狂騒の中、赤く染まった自分の両の手を見つめ、目を瞑る。

 口の中は鉄の味で満たされていた。自分のものではない。殺した多くの者たちの血液。顔見知りはいない。ただ、それでも。自らが殺しをしていると言う事実だけは変わらない。

 

 ただ、それでも。俺を家族と言ってくれたさとりのために。これ以上被害を広げる訳にはいかない。そして、これ以上彼等に殺しをさせるわけにもいかない。

 

「ごめんな......」

 

 静かに、まるで何かが溢れるかのような言葉は狂騒の中に溶けていく。そんな彼女の指揮のもと、剣は舞い続ける。

 相変わらず噴き上げる血飛沫、幸運なのは殺した感触をその手に感じない事だろうか。なんにせよ、このままであればここの防衛は容易だ。先のにとりを見る限り、彼らは腕力に関してはかなり強い。避けられるのであれば、接近戦は避けるべきだ。大方の妖怪達が地を這うのみになったのを確認してこよみは剣を消失させる。

 門の前では雄叫びをあげながら、ミミズのように妖怪が這っている。これで時間は稼げるだろう。そう思い、こよみが一息ついた瞬間。空から一本の白い糸が飛んでくる。

 

「は?」

 

 それが左腕に着き、何かを判断する前に、こよみの体は釣り糸に掛かった魚のように強烈に上空へと引き上げられる。異常な上昇速度による重力のなか、風で乾く目を細く開きながら、こよみは何とかその糸の発生源を見上げる。そして視界に入ったそれを見て目を見開く。

 そこにいたのは黒い塊。毛に覆われた脚を地底の天井に着けた巨大な蜘蛛だった。その小屋なら建ってしまいそうなほど巨大な尻から糸が繰り出されていた。

 

「冗談だろ......」

 

 そんな化け物が前の二脚を使い、糸を器用に繰っていた。こよみはなんとか糸を千切ろうと自由な右腕で糸を掴むが、その糸が外れる気配は無く、逆にその粘性によって手が離れなくなってしまう。

 それでも何とか剥がそうともがく間に、蜘蛛がもう数メートル先まで迫ってきた。8つの瞳孔がこよみを見据え、まるで巨大な杭の様な牙が透明な液体を垂らしながら獲物を処理する為に動き始める。

 

「まだ、死ねねぇよ」

 

 低く呟き、こよみは蜘蛛の眼前に白く輝く剣を作る。そしてそれを高速回転、糸を切り落とす。重力に任せて落下する。目の前で獲物が逃げた事に怒ったのであろう蜘蛛が、その体勢を沈めたかと思うと跳躍、その身体を半回転させて、こよみに飛びかかる。

 こよみはそれをぎりぎり身体を捻りながら飛ぶことで回避。血に塗れた服を蜘蛛の脚の毛が掠める。

 一直線に落下していく蜘蛛。そのまま地面にぶつかれば終わりだと考えていたこよみの横を一本の糸が掠める。

 

 それは洞窟の天井に張り付くとまるで冗談のように蜘蛛の体を支えてみせた。

そして蜘蛛はそのまま糸を伸ばして地上へ降りようとする。こよみはまだ浮かせていた剣に自らの腕に絡む糸を擦ることで両腕を自由にする。

 しかし、蜘蛛の糸を掴んだ右手は開くことが出来ない状態。

 それでもこよみは再度剣を回転させて蜘蛛の命綱となっていた糸を切断。光を重ねて剣を2本増やし、地面へと落下する蜘蛛を追う。

 糸をつかんでいた蜘蛛は背中から落下し、黒板を擦ったような音を出す。

 その音に嫌悪感を感じながらも、地面で暴れる蜘蛛に剣を2本放つ。狙いは脚、白い軌跡を描いて飛んだ剣がその脚に弾かれる。それを蜘蛛の上を飛行しながら回収。左右に待機させる。

 全ての生物を人間大にした時、最強なのは虫だと言われている。それはその生命力、力、硬さ。その全てに由来する。それがこのサイズ、まず間違いなく最強格の生命体だ。先ほどの妖怪と同じようにはいかないという事を理解したこよみはなんとかその弱点を探すために同調を開始する。

 

 手加減をする余裕はない。こんな奴を館に入れるわけにはいかない。にとりも、あの子供も殺される。考えろ、どうすればこいつを殺せる。

 

 必死に思考するこよみ。しかし、蜘蛛はそんな暇は与えない。また沈み込んだかと思うとこよみに跳躍、その毒牙でもってこよみを仕留めようとする。それを再度ぎりぎりで避けるこよみ。顔の前を毒牙が掠める。勢いのままに後方に飛んでいった蜘蛛に剣を1本放つ。次の狙いは関節。流星のような軌跡を描いて剣が飛ぶが、動いている蜘蛛の脚の関節を狙うことは出来ず、狙いが外れる。

 それを確認してこよみは手元に残った2本の内1本を射出。こちらに向き直る瞬間に頭部への直撃を狙ったその不意打ちはあと一歩のところで避けられる。

 

 蜘蛛は、目の数が多い。8個、人間の4倍だ。そして、ただ4倍の情報量というわけでもない。視野も広い。普通の不意打ちはまず意味を成さないだろう。

 次は相手の番だ。速度で勝てない以上、カウンターを狙うしかない。遅い方から動けばカウンターを貰うのはこちら側、しかも速度が上の方が避けるのも容易だ。これまで何も考えず速度が高い方が先行というゲームをしてきたが、ちゃんと理由があったのか。

 

 そんなことを考えているとはつゆ知らず、蜘蛛は、尻を突き出すとそこから糸を数発塊として吐き出す。放物線を描きながら放たれたそれは同調を行なっている彼女には当たらない。遠距離攻撃を諦めた蜘蛛がこよみを狙い突進を行う。しかし、その攻撃は空から降ってきた1本の剣によってその寸前で阻止された。蜘蛛の頭胸部はこよみの横を抜けていく。地面に深々と刺さった剣が粒子となって消えていき、蜘蛛の胴体が庭に転がっている。

 

「こういう使い方もありか」

 

 一息つこうと地面に降りたこよみの右足を鋭い痛みが襲う。慌てて飛び立つと右足に人の顔のサイズはあろう蜘蛛が張り付いていた。なんとか足を振って振り落とす。

 地面にはそれと同じ蜘蛛が大量に蠢いている。

 

「......冗談キツイな」

 

 こよみはそれに対して残っていた2本の剣を投擲。地面に刺さったそれは一瞬光を強めると小さな剣に分かれて周囲を切り刻む。凶器の嵐に巻き込まれた庭に咲いていた木花は一瞬にして裁断されていく。その嵐に巻き込まれた子蜘蛛もその腹部を裂かれ、耳障りな声を上げながら薄青い体液を周囲に撒き散らす。

 なんとか処理を終えたこよみが地面に降り立つ。だが、何かに気付いたのか慌てて再度浮上する。

 

 身体に力が入らない。思い当たる節は。先ほど噛まれた右足。空を飛んでいるからわからなかったが、右足の感覚がない。痛みがないのが不幸中の幸いか。ただ、こんなことで俺は持ち場を離れられない。

 

 こよみは、未だに妖怪が押し寄せる門を睨む。

 

 先ほどの攻撃で門は少なくとも傷ついただろう。まだ倒れるわけにはいかない。数は減ったが、それでも10はいる。それだけのものが流れ込めば、にとりとあの子供が危ない。それに、ここで倒れれば、俺の身も危ない。それに、この後音源を破壊するという仕事も残っている。

 

「どれくらい持つんだろうな......」

 

 乾いた笑みを浮かべこよみは見上げる。そこに空はない。代わりにあるのは冷たい地面。その所々にいつでも周囲を昼のように照らす石が煌々と輝いている。

 

 俺は、ただ、普通に呑気に生きたかった。妖怪がいる、そんな世界でもそんな生活ができると思っていた。ただ、結果はこれだ。血に塗れ、多くを殺し、傷を負いながら戦っている。もう、元の世界には戻れないだろう。ただ、全ては俺の招いた結果だ。この幻想郷で俺を家族と呼んでくれたさとりの為に、そして誰かを救いたいと願った故の。

 

 大きな音を立てて門が倒れる。限界を迎えた門が倒れ、妖怪が流れ込んでくる。こよみの周りを飛んでいた剣はいつの間にか消えていた。ゆっくりと視線を下げたこよみは糸に塗れた右腕を上げる。左右に光が集まり、2本の剣が生成される。その腕を振り下ろすと光に塗れた剣が駆け込んで来た妖怪の足元を意志を持った動物の様に駆け抜ける。多くの妖怪はそれによって倒れたが、ただ1人、捌ききれなかった妖怪が館の中に向かって走っている。その背を光の軌跡が切り裂く、骨まで達した一撃によって血飛沫を上げながらズレて、落ちていく。

 ただ、その状態で尚、館の中を目指している頭に剣が突き刺さった。流石にその一撃には耐えきれなかったのか、動きが止まる。上空にいたこよみは、ゆっくりと降りると館の入り口の前で浮く。その過程で、先程足を払った妖怪の頭を1本の剣がまるで機械の様に貫いていく。

 そんな様を見ながらこよみは目を擦る。

 

 館の入り口いることで、妖怪の攻撃を俺に集中させることは出来る。ただ、ひどく眠い。即効性の毒がある事ぐらいは知っているが、それでもこんなにも早いのか。噛まれてから数分も経っていない。体調不良ということはないが、睡魔のせいで思考が纏まらない。足にも力が入らない。なんとかして、この睡魔を。

 

 そんな状態のこよみに妖怪が襲いかかる。ギリギリで反応したこよみが1本残していた剣で首を切り落とす。

 そこで、紫が言っていたことを思い出す。俺のもう一つの能力。

 

 これまでは、個人的に他者に嘘を吐きたくないということで使っていなかった。ただ、自分自身も騙せるのなら。この状況を打開できるかも知れない。恐らく、毒に侵されていると言う現実は変わらない為、その後、俺が死ぬかも知れないが、今ここで殺されるよりはマシだ。

 

「やってやるよ」

 

 こよみは1人、数は減ったもののまだ向かってくる妖怪たちを2本の剣で裁く。正面から来た妖怪はその身体を両断されて崩れた、こよみに飛びかかろうとした妖怪にはその口内に剣が突き刺さり、そのまま回転、顎より下を残してオブジェの様に立ち尽くしている。

 

 そしてこよみはその中で、自分自身を騙す。俺は毒など食らっていないと。ただ蜘蛛に噛まれただけだったと。

 

 それによって後にどんなことがその身に起きようとも。

 



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23話 舞うは狂気、奏でるは慟哭の調べ

 
 あなたは人類をその根本は素晴らしいものだと思いますか。


 

 

 3人の少女が地底へと続く長く暗い洞窟を抜けて地底にたどり着く。砂埃の舞う砂漠の先に見える町からは祭囃子がかすかに聞こえ、至る所から黒煙が狼煙の様に地底の天井へと立ち昇っている。

 

「霊夢」

 

「ええ。行くわよ。魔理沙」

 

 箒に両足を乗せて飛行する黒のとんがり帽、ゴスロリの服。いかにも魔女という様な格好をした少女とそんな彼女に霊夢と呼ばれた赤と白の巫女服を纏った少女が目を合わせる。

 そして3人目である兎耳にセーラー服といういつも格好の鈴仙に目配せして、一気に加速。地底の町へ急ぐ。近付くほどに祭囃子に混じって悲鳴と慟哭が太鼓の様に聞こえ始めた。

 

 町に到着した一行は、その地獄を見て絶句する。

 皆血を流している。道では妖怪たちが骨や筋肉を露出させてなお、雄叫びを上げながら殴り合い、動かなくなった妖怪の四肢を食いちぎっている。その影響か、道にはまるで小石の様に妖怪の一部が転がっており、地面はその血を吸って赤く赤黒く染まっている。穏やかだった町の中心を流れる川は、薄桃色に染まり、臓物が泳いでいた。

 その惨状を見た鈴仙が街の先に佇む地霊殿を見据える。

 

「こよみさんが無事かどうかが気になります。まずは地霊殿に向かいましょう」

 

 霊夢と魔理沙、この2人が頷いたのを確認し、鈴仙は未だに惨劇の続く地上からの襲撃に警戒しながら町の上空を飛ぶ。ただ、魔理沙と鈴仙。この2人は彼女の生存は絶望的だろうと考えていた。

 彼女はまだ幻想郷に来たばかり、そんな元人間がこんな地獄を目にして正常でいられる訳がない。そして、もし正常でいられたとしても、その後生き残ることが出来るかと言われれば首を縦には振れない。しかし、そんな重い空気を霊夢が破る。

 

「先に言っておこうかしら。私は彼女、元彼って言った方がいいのかしら。無事だと思ってるわ」

 

 ただ、博麗霊夢。彼女だけは彼女の生存に肯定的だった。突然の発言に2人は驚いて霊夢を見る。

 

「おいおい、私は一回あったけど。アイツはただの人間って感じだったぞ。なんでそう思うんだよ」

 

 博麗霊夢は彼女に初めて会った時を思い出す。

 こよみは古明地さとりと地上に挨拶回りをしている際に一度会っており、短いながらも会話した。そこで感じたのが、神でも、妖怪でも、神霊でも、人間でもない。けれど、その全ての気配がある。その曖昧さ。

 

「彼女、今まで会った全部の生物の中で1番気味が悪かったのよ」

 

 それを聞いた魔理沙が豪快に笑う。おいおい、と言って腰に下げた小さなポーチの中から8角形の手で握り込めるサイズの筒を出す。

 

「気味が悪い?ヒドイこというな。私と会った時はそんなこと無かったぞ。霊夢が怖くて腰が引けてたんじゃないか?」

 

 それを聞いていた鈴仙は何も言わない。ただ、納得もしていた。初めて会った時、そしてさっき会った時。ずっと感じていた違和感。それは彼女という生物が一体なんなのか。それがわからない。会うたびにその性質は移ろいでいた。

 

「鈴仙はわかってくれているようで良かったわ。でも、私はこれが思い違いであって欲しいのよ」

 

 霊夢は、その先も何かを言おうとしたが、首元まで出たそれを飲み込む。

 それを見た魔理沙は大きく一つため息を吐き、先程取り出した8角形の筒を一層強く握り込む。

 

「鈴仙もわかってるのかよ。なら、これが終わった後に教えてくれよな」

 

 目の前には地霊殿が迫っている。すでに破られた門の前にはピンク色の山が白い脂と赤い液体を垂らしている。地面には染みることの出来なかった脂が広がり、白い薄膜を形成していた。

 門の中ににはそこまで死体はないが、綺麗な水を噴き上げている筈の噴水には肉だった筈のものが浮いている。

 綺麗に咲いていた筈の花々も跡形もない。そして、最も目を惹くのが転がっている巨大な蜘蛛の体だ。所々にやすりに掛けられたような傷があるが、それでもその大きさは計り知れない。

 そして、その一行の足元を抜けて、館に入ろうと駆け込んだ妖怪の首元と足を2つの白い軌跡が切り裂く。

 

「ほらね」

 

 そういった霊夢の指し示した先には館のすでに破壊された門の前に浮いたこよみがいた。ただ、その全ては赤黒く染め上げられている。髪は血と脂で固まり、元の色がわからない程に染め上げられた服は既に服としての役割は二度と果たせないだろう。その横にそれを護るかの様に白く輝く1本の剣が浮いている。

 

「いや、無事......なのか……?」

 

 魔理沙が止まり、一行が止まる。

 一体何が行われたのか。そんなこと、誰にでもわかる。あの少女が、あの前の肉塊を作ったのだろう。外から来て間もないはずの人間が。

 

「......ちょっと、無事なの?」

 

 その姿を見て、何か思うところがあったのか。霊夢だけが2人を置き去りにこよみの元へと飛ぶ。その後を警戒しながら2人が追う。

 

「博麗霊夢、だったっけ。()()大丈夫だ」

 

 含みのある言い方。既に破られた扉の中を霊夢が覗く。そして、ただごめんなさいとだけ言って。魔理沙に向き直る。

 

「これをどうやって解決するかよね」

 

 相変わらず流れる祭囃子。合いの手は絶叫と慟哭。博麗霊夢は長年の勘でこの音楽に原因があるということは朧げに理解していた。しかし、だからといって何かが出来る訳ではない。

 

「それについては、にとりに任せてある。そろそろ音の発生源がわかるはず」

 

 示し合わせたかの様に窓が開く音がしたかと思うと、そこから青い作業服の袖が手を振っている。恐らく、にとりだろう。

 

「おーい。無事かい?やっと発生源を見つけた。それで、位置なんだけど。って大丈夫なの?血塗れだけど….」

 

 身体をのり出すにとり一仕事終えた筈の彼女だが、その表情は暗い。こよみを見てからではなく、身体をのり出す前から。それに気付き、何かとても嫌な予感を感じたこよみは同調で一歩先に情報を得ると、血相を変えて身を翻し、館へと飛び込む。

 

「お、おい。どこ行くんだ?!」

 

 それを見た魔理沙が後を追おうとするが、それを霊夢が制する。

 

「私が追うわ。鈴仙と情報を聞いてその場所に向かって、多分同じ所に向かうでしょうけど」

 

 そう言い残し、霊夢は、館へと入って行ったこよみの後を追う。

 血塗れのこよみが館に飛び込んでいったのを心配そうに見つめていたにとりに魔理沙が声をかける。

 

「にとり、霊夢がいれば大丈夫。わかってるだろ?続けてくれ」

 

「あ、あぁ。場所は、ここの地下だ」

 

 

 



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24話 終幕

 
 貴方は、自分が救える人はどれだけいると思いますか。


 

 床に落ちる生き物だった物の上を飛び、こよみは一つの扉の前に着く。明らかに他の部屋とは違う分厚さを持った扉は既に開かれており、その先には延々と下に向かう螺旋階段が続いている。所々に置かれたランタンが、階段に残された赤い道をぼんやりと照らしている。

 そして、その先から祭囃子が聞こえてきている。

 こよみはその暗闇を睨む。地上に音の発生源があると思っていたが、そうでは無かった。地上にあるならこの下から音は聞こえないはずだ。ただ、それでもどうやってあれだけ街に響かせているのか。その疑問は残る。覚悟を決め、階段を降りようとしたとき。

 

「あなた1人じゃ無謀よ」

 

 背後から声を掛けられる。こよみが振り返るとそこには紅白の巫女服。

 

「霊夢」

 

 さとり曰く、この幻想郷でも有数の実力者。博麗神社の巫女。手にはお祓い棒を持っている。

 

「貴方、足。怪我してるでしょ」

 

 霊夢がそのお祓い棒で足元を指し示す。確かにそこは、先程こよみが蜘蛛によって噛まれたはずの場所だった。

 

「すごいな。わかるもんなのか」

 

 けろりとしているこよみ。しかし、その傷は毒蜘蛛による咬み傷だ。実際には毒も回っている。ただ、それをこよみは自らを騙す事によって一時的に無かったことにしている。

 

「分かるわよ。それくらい。で、この下に行くのよね」

 

 霊夢もその地下へと続く道を見る。明らかに何事もなく、音を止めることは出来ないだろう。

 

「あぁ」

 

 霊夢の疑問にこよみが振り返る事もなく応える。未だに宙に浮いている身体からは未だに血が滴っている。

 

「私も行くわ。ここに来てばかりの貴方に全部任せるのも申し訳ないしね」

 

「ありがとう」

 

 そうとだけ言って、先頭を行くこよみ。霊夢は、その後を付いていく。そして、血に塗れたこよみを見る。

 彼女がこよみの後を追った理由は一つ。こよみが傷を負っていることに気づいたから。

 血に塗れている為、傷の場所まではわからない、ただ恐らくは足だろうと言う予想はついていた。その証拠にこよみはずっと飛んでいる。ここは館の中、少なくともずっと飛ぶ必要はない。

 そんな状態でまだ何かがいるかもしれない場所に一人で向かわせる事は出来ない。そんな見殺しにするような事は霊夢には出来なかった。

 冷たい石畳の階段。それをゆらゆらと天井から掛けられたランタンがかりかり音を鳴らしながら照らしている。その道をふらふらとこよみが飛び、その後ろを霊夢が続く。相変わらず、祭囃子は聴こえてくる。

 しばらくすると少し開けた空間に着く。長方形の空間の左右にはランタンを置く場所があり、置かれてはいるが、赤い血によってその光はさらに乏しくなっていた。そして、その部屋の先に身体に焼かれた様な跡のある妖怪の遺体が両開きの木製の扉に寄りかかっていた。

 こよみは周囲を見回し、その扉に手を掛けて止まる。

 

「この先に何があるんだ?」

 

「知らないの?灼熱地獄よ。と言っても、元。だけどね。ここの住人の空が管理してるはずよ。こうなってくると彼女も心配ね」

 

 空と聞いてこよみがその手を止め一度思考する。確かに、彼女の姿を見ていない。こいしも心配だったが、おそらく彼女は能力とさとりの話からして地霊殿にいなくてもおかしくは無い。だが、あの空と言われていた黒い羽の生えていた少女はどうか。

 無事でいてくれと願いを込めて、こよみが扉を開く。

 そこには、地獄があった。周囲を白く照らすほどの光と熱。恐らくは地熱発電に使っているのであろう機械。その機械の上に見覚えのある機械が置かれていた。

 

「は.....?」

 

 それは、こよみのスマートフォンだった。そこから何本ものコードがのび、スピーカーに繋がり、地上に向けて祭囃子を流している。そしてその機械の前に空が倒れていた。周囲には妖怪の死体がある。そのどれもが体のどこかが溶け落ちていた。

 慌てて飛ぶこよみ。空に声をかける。返事はない。慌てて首元に蜘蛛の糸が付いていない左手を当てて脈を取り、問題がないことを確認する。

 

「霊夢、運ぶのを手伝ってくれ。魔理沙は後から来るのか?」

 

 後ろから周囲を警戒しながらこちらに来た霊夢に左肩を任せ、空を運ぶ。

 

「ええ、その筈よ。そろそろ来ると思うわ」

 

 2人よりも空は一回り大きく、背に生えた大きな黒い羽が少し煩わしいものの、妖怪となったこよみと、幻想郷最強の巫女の2人にはそれほどの負担ではなかった。

 

「こんばんわ」

 

 そんな2人の背後から聞き覚えのない少女の声。こよみと霊夢は目を合わせる。

 

「知り合い?」

 

 振り返るとことなく小声でこよみに話しかける霊夢。それに対してこよみは首を横に振る。

 

「わからない。聞いたことのない声だ」

 

「空を任せるわ。あの階段まで運んだら手伝いに来て」

 

 こよみは一瞬自分が戦うと言いたげな顔をする。しかし、この世界で知り合いが多く、異変の解決という点でも圧倒的な霊夢にこの場を任せることにして空を背負う様に持ち直すと自分達の入ってきた扉へと向かう。

 

「貴方は一体誰かしら」

 

 背後を振り返った霊夢が息を呑む音がした。こよみは速度を上げて扉へと向かう。

 次の瞬間背後で何かの衝突する音が響く。扉に到着し、空を一度壁に寄り掛からせるとそこに魔理沙と鈴仙が階段から降りてくる。鈴仙に空を頼むとだけ言い残し、振り返り魔理沙と共に霊夢の戦っている方へと戻る。

 霊夢は、雪の様な白い髪を肩まで垂らした黒い修道女の様な服を着た少女と戦っていた。特徴的なのは修道服もそうだが、その顔につけた白い面だ。一切の凹凸もないそれは面と表現していいのかすらわからない。ただ、目と口元だけが開けられているそれはまるで子供の工作の様だ。

 お互いの得物は霊夢はお祓い棒、対する女は薙刀。リーチの差は歴然。それでもこれまでの圧倒的な経験値の差からか、戦闘は霊夢に有利に運んでいく。少女は少しずつ距離を詰められていた。順調に事が進む中、背後から悲鳴。慌てて振り返ると鈴仙が目覚めたのであろう空にその手につけられた六角形の筒を向けられていた。その先端に光が集まっている。

 それを見た魔理沙が手に持っていた箒にまたがると急加速、空に体当たり。大きく標準のズレたそれから放たれた一発の光は壁に直撃するとそのまま壁を赤く染め上げ、赤熱の液体へと帰す。

 一方、それを見るために一瞬視線を外した霊夢に修道服の少女が手をかざしたかと思うと霊夢が突然ぐらりと揺れる。しかし、倒れる直前に足を出して耐えると再度得物をぶつけ合う。ただ、そこに先程のような余裕はない。今度は霊夢が押され始める。その表情は何かに耐えているようで、口元からは血が垂れていた。

 しかし、こよみはそれを見ても、空の方にも霊夢の方にも向かわずに、一直線に自分のスマートフォンの方へと向かう。それを確認した白髪の少女が今度はこよみに手をかざす。

 その瞬間こよみが膝をつく。突如身体中を倦怠感が襲っていた。頭の中で祭囃子が反響する。瞼が重い、地面に足が着いてしまい、毒に侵された身体では立つことが出来ず、そのまま座りこむ。足に伝わる地面の冷たさが心地いい。

 

「あぁ......クソ」

 

 意識が落ちる直前。こよみは自らの太ももに弾幕で作った短剣を突き刺す。しかし、毒の影響か痛みを感じない。そのまま深呼吸してその短剣を握り、突き刺さったまま捻る。流石に感じた激痛によって一時的に睡魔から逃れると、飛び上がり、スマートフォンのある位置へ向かう。

 能力の影響下に置いたにも関わらず動き続けるこよみを見て、目を丸くしている白髪の少女に霊夢が札を掲げると、そこから数本の鎖が放たれる。その全ては意志を持ったかの様に少女の四肢を縛り上げた。

 

「終わりよ。何のためにこんなことしたのか吐いてもらうわ」

 

 お祓い棒を拘束した少女に向けて、霊夢が勝利宣言。

 その間にこよみはスマートフォンの位置にたどり着く。そのままスマートフォンを手に取り、接続されていたコードを半ば千切るかの様に外すとそれと同時に崩れ落ち、鳴り響く祭囃子が止まる。

 それによって背後で行われていた空と魔理沙と鈴仙の戦闘も幕を閉じる。突然糸が切れたかの様に倒れる空を2人が支えている。

 

「はぁ、残念」

 

 鎖によって縛り上げられていた少女の面の下からそんな言葉が漏れると周囲に白い煙が立ち込める。

 しばらくするとそれは、視界の全てを白く染め上げる。その霧が晴れる頃には、鎖に拘束されていた少女の姿は消えていた。霊夢は小さく舌打ちすると倒れたこよみに歩み寄る。

 

「大丈夫?」

 

「あぁ。終わったのか?」

 

 霊夢に手を引かれてこよみが起き上がろうとするがそれは叶わず、上半身だけが起き上がる。

 

「悪い。一気に気が抜けたみたいだ。なんかよくわからない蜘蛛にも噛まれたし、もしかするとここで俺のお話終わりか?」

 

 血まみれになって既に感覚のない足を見てこよみが自嘲気味に苦笑いする。なんにせよ。これでもうこれ以上被害が広がることはないだろう。

 そして、自らの手で殺した妖怪達の顔を思い出す。今になって罪悪感が押し寄せてくる。他者を殺したことなんて当然なかった。仕方が無かったといえば確かに仕方が無かった。ただ、だからと言って罪が許される訳ではない。俺はきっと地獄行きだ。

 

「そうはならないわよ」

 

 そう言って霊夢がこよみを背負う。入口の方では魔理沙と鈴仙が空を先ほどのこよみと霊夢の様に抱えていた。

 

「はぁ、もっと沢山救いたかった」

 

 霊夢の背でこよみがぽつりと呟く。この異変、結局こよみが救えたのはにとりとさとり、妖怪の子供だけ。それ以外は救えず。挙句、多くを自分の手で殺した。

 

「一応異変解決の先輩として言っておくと。救える数なんてね、その手が届く範囲までなのよ。それ以上は救えない。そして、今の貴方の手が届いたのはここまでだった。その怪我を見れば分かるわ。限界まで頑張ったんでしょ。なら、胸を張りなさい。それが、貴方の殺した妖怪達のためでもある」

 

 遠のく意識の中で。霊夢の言葉を反芻する。たしかに俺は頑張った。外ではここまで頑張った事はない。何事も中途半端にやって、それで目標か、その下に到達出来た。そんな人生だった。

 

 そして、そんま生き方に嫌気が差していたが、それでも改善しなかった。結果、何よりも自分自身に嫌気が差していた。

 

「あぁ、ありがとう。確かに俺は結構頑張ったわ」

 

 こよみは霊夢の背で力なく笑う。確かに出来るだけに事はした。と。

 

 ただ、それでも。そうであったとしても。

 

 この結果を俺は頑張ったからと、素直に受け入れること。それはこよみには出来そうに無かった。

 

 





 そんなの、どれだけ考えても最終的には。
 結果論にすぎない。


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25話 英雄とは

 
 自分が自分であるために。貴方は一体何をする。


 

 こよみは、あの異変を解決した後に霊夢によって無事に永遠亭に運ばれ、なんとか一命を取り留めた。やはり、毒が回ったまま無理に体を動かした代償は大きく。彼女は一週間ほど眠る事になった。

 その後、目を覚ますと目元を泣き腫らしてクマを作っていたさとりに抱き付かれた後にさとりと医者である八意永琳に元人間なのだから本当に無理はするなとひどく説教を受けた。

 実際に、心配をかけたのは事実であったし、そこに関してはしっかりと謝った。ただ、こよみの言うべき事は、それで終わりではなかった。

 永琳が部屋を出て、さとりと2人きりになった瞬間を狙い、彼女は長い眠りでやる気を無くした体を無理やり起こして看病に来てくれたさとりの目を見る。

 暖かな斜光の射す病室、少し開けられた窓から入る穏やかな風がカーテンをしなやかに踊らせている。

 

「俺は、ペット達を守れなかった。本当に......ごめん」

 

 風が止まり、踊りが止まる。まるで次の瞬間を待つかの様に室内から音が消えた。

 ただ、そんなこよみを見て、さとりは優しそうに笑う。そして、こよみの身体を抱き寄せた。

 

「いいえ。貴方は守りましたよ」

 

「優しいな。でも結果として俺は誰も守れてないんだ。さとり」

 

 悲しそうに笑うこよみ。それを聞いたさとりは一層こよみを強く抱居た後に離し、こよみのその悲しげなを瞳を見つめる。

 

「確かに多くは死にました。ただ、貴方のおかげで救われた者も居ます」

 

「妖怪の子供か。でも俺が救えたのはそれくらいだ。間に合わなかった。それに、あまりにも多くを殺した。流石に帳尻が合わない」

 

 自らの両手を見つめながらこよみは言う。既に治療によって一切の汚れもないが。彼女の目には何か違うものが見えているのだろう。

 

「貴方は私も救いましたよ。燐も。それに貴方はだれも救えなかったと言っていますが。実際は子供のペットたちも救いました」

 

「子供のペット?」

 

「そうです。大人になったペット達は子供のペットを風呂場に匿って居ました。貴方が守ってくれていなければ彼らも全員殺されていたでしょう。だから、私は貴方に感謝しているんです。十分貴方は頑張りましたよ」

 

 白い病院服を鳴らしながら、こよみはさとりに抱きつく。そして、嬉しそうに笑う。ただ、その心の曇りはいまだに晴れない。

 

「そうか......本当によかった。でも俺は結局あまりにも多くの妖怪を殺した。その罪はどうやって償えばいいんだ。それに俺は、彼らが地霊殿に向かっていたのは音の発生源を止めるためだったんじゃないかって思ってるんだ。なら、俺がやった事は......」

 

 さとりはこよみの表情を窺い知る事はできない。ただ、それでも読心を使うことすらなく。こよみが心に罪悪感を抱えていることは理解できた。

 

「それは大丈夫です。妖怪は畏れから生まれると言いましたね。なので、一度殺されても時間が経てば、人々が畏れを抱く限り、この世に生まれることができます。それに、地底の妖怪は人々、そして妖怪から畏れられたもの達ばかりです。きっとすぐにいつもの喧騒が戻りますよ」

 

 それを聞いたこよみが少し安堵した様で苦笑いする。

 

「......妖怪ってのはなんでもありだな。ただ、そうであったとしても俺は彼らが音を止めに行ったのならひどい事をした」

 

 こよみと離れてさとりがゆっくりと話し始める。それは、過去からの膨大な時間の中で導いた、弱いが故に全てを多くを救うことの出来なかったさとりの結論だった。

 

「私が思うに、救えるのはその手が届く限りだけなんです。なんでも救おうとするのはやめた方がいいです。貴方が、もしも妖怪を通せば子供のペットは死にました。それに貴方もただではすまないでしょう。妖怪は復活できる。しかし、貴方とペットは復活出来ない。なら、貴方の行動は間違っていない。そうは思いませんか?」

 

「......それも。そうだな」

 

 さとりの説得にこよみは未だに腑には落ち切っていない。そんな気持ちを抱きながらも、それを心に伏せて。確かにあの時できる最適解だったのかもしれないと。そう......願う事にした。

 

「号外ですよ〜」

 

 突然、庭の方からそんな明るい声が聞こえる。聞き覚えのある声だった。それはいつだったか取材をして来たあの新聞記者の声。こよみは自分自身のことについて書いた新聞を読んでいない事を思い出し、話をしようと動こうと思うが、体が思った様に動かない。それを見たさとりが慌ててこよみを静止する。

 

「安静にしていてください。どうしたんですか」

 

「あぁ、ごめん。ちょっと射命丸と話したいと思って。にしても一週間寝続けた事はなかったけど。こうまで筋力無くなるか」

 

 大きくため息をついたこよみ。身体が重い。流石に一週間も眠るとかなり筋力が落ちるらしい。

 

「残念ですが、彼女すぐに飛んで行っちゃうので多分間に合いません。あと、力が入らない件についてですが......いえ。なんでもないです」

 

 明らかに何かを言おうとしたさとり。しかし、その喉元まで出てきた言葉は紡がれない。

 こよみがそれについて問い詰めようとしようとした時。病室の扉が開かれる。入ってきたのは鈴仙。その手には恐らくあの記者の作った新聞が握られていた。

 

「貴方についての新聞が出ました」

 

「俺について......?」

 

 さとりを経由してこよみに新聞が渡される。紙でできた新聞独特のインクの匂いが鼻につく。幼い頃にこの匂いが好きでよく父の新聞を嗅いでいたことを思い出すが、そんな郷愁はその一面によって片隅に追いやられた。

 

「あの野郎......」

 

 ため息と共にこよみの口から戸惑いが混ざった様な言葉が漏れる。

 結論ととして。彼女は英雄となっていた。新聞の一面にはいつ撮ったのか寝台で寝ているこよみとその上に大きく、『地底を救った外来人の英雄』と書かれている。

 

「あなたは英雄なんですよ」

 

 その記事を見たさとりが未だにうなだれているこよみの頬にキスをする。

 

「だから、元気を出してください。私の英雄さん」

 

 そうとだけ言ってさとりはまた来ますと言って踵を返す。家族とは言ってもここまで直接的な愛情表現をされたことの無かったこよみはその後ろ姿にありがとうと言い残すことしか出来なかった。

 その後、少し脈拍などを検査した鈴仙は師匠に呼ばれたと言って部屋を出て行った。誰もいなくなった部屋でこよみはもう一度横になる。

 何故か異常に身体が重く。眠い。

 

「英雄か.....」

 

 新聞を寝台の横の机に乗せて目を瞑る。微睡んでいく彼女が居る室内に再度微風が流れ込む。そしてまるで新しい音楽が始まったかの様にカーテンがまた踊り始めた。穏やかに、淑やかに。

 





 ここまでありがとうございました。作者です。
 物語はここでひとまず一区切り。と言ってもただ地底編が終了というだけです。
 私自信4月から社会の歯車になってしまうので更新ペースが遅くなるかと思いますが。どうかお付き合い頂けると嬉しいです。
 ではまた、彼女の物語でお会いしましょう。
 感想、評価など頂けると励みになります。


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26話 月光の下


隠せていると思う秘密。
それは本当に隠せていますか?


 

 美しい彫刻技術によって円形に掘られた窓から月光が薄いレースにカーテンを通し、部屋を青白く照らす。部屋には患者が使うために置かれた簡易な木製の机が置かれており、その上には赤く染まったバラが手紙と共に置かれている。

 こよみはそんな病室の寝台で目を覚ます。手触りの良いシーツは何故か未だに太陽の匂いがする。身体のだるさもさとりと会った時よりかはマシになった。体を起こし、シーツを払い、地面に足をつく。木でできた床は冷水のように冷たい。近くにスリッパが無いかと見回すがそれらしきものがなかった。

 流石の寒さに耐えかねて、こよみは館を徘徊する幽霊の様に身体を浮かせて引き戸を引く。

 そのこよみを静かに囁く笹の音が迎え入れる。月光に照らされた枯山水は笹の音も相まって本当にせせらいでいるかのようだ。

 

「起きたのね」

 

「まるで出待ちしてたみたいだな」

 

 その枯山水の庭に建つ永遠亭。その縁に博麗霊夢が腰掛けていた。その顔は空に浮かぶ白い月に向けられている。

 

「全然起きないから。外で待ってたのよ」

 

 霊夢が初めて振り返る。その手には湯気を立てる湯呑みが握られている。

 

「それは......悪かった。結構身体がきつくてな。あったかそうで良いな。なんか話すことがあるんだろ?」

 

 霊夢の横にこよみが腰掛ける。霊夢は湯呑みをこよみの座った方とは逆に置く。

 

「紫の身になにがあったの」

 

 こよみは迷うことなく霊夢に同調する。その心にあるのは不安と、疑念だった。

 

「今、紫はどうなってるんだ?」

 

 霊夢はそれ以上なにも言わない。こよみは霊夢と心を重ね続ける。ただ、言葉選びを間違えない為に。

 これが彼女がまだ彼だった時の、生き方だった。

 

「呼吸はしている。心臓も動いている。けど、起きない。目を覚さない」

 

 こよみを見ていた霊夢から唐突に殺意が溢れ出す。しかし、それを受けて尚こよみは逃げることも動くこともしない。

 こよみが同調によって得た情報。そこには、博麗霊夢と八雲紫の関係性もあった。結論だけ言えば、こよみにとってさとりが大切な様に、彼女にとっては八雲紫がそれほど大切だった。

 故に、こよみには彼女の質問に応える義務があった。

 

「そして、最後、紫は貴方に弾幕を教えていて、その時に橙に化けた何者かに貴方が襲われたと聞いたの。なのに、紫は目を覚さず、貴方は今こうして、無事に生きている。なにがあったのかしら」

 

 こよみは月を見上げる。能力によって分かりきっていた質問。そして、その回答によっては博麗霊夢と敵対することになるかもしれない重要な分岐点だ。正直、それは避けたかった。ただ、だからといって嘘を吐く。ということもしたく無かった。きっと能力を使えば騙し続ける事はできる。ただ、それをしたく無い。

 そうしてこよみは一息ついて話し始める。

 

「結論だけ言うと、俺は恐らく紫を今の状況にした本人と話をした。俺は色々と聞いたが、そいつが一体どうやって紫をその状態にしたのかは聞いていない。ただ、聞いたこともある。紫がここを作る上でなにを犠牲にしたのか。そして、俺をなんでここに連れて来たのか......とかな」

 

「なるほどね......紫をなんとかする方法を貴方が知らないと言うことはわかったわ。ただ、それを聞いて貴方はどうするのかしら。もし、ここの敵になると言うなら。今すぐにでも」

 

 霊夢が立ち上がり、懐からお祓い棒を取り出し、その先端をこよみに向ける。夜風に揺られて笹と共に、取り付けられた紙が音をならす。のどかな風景とは言え対照的に今にでも戦闘が始まりかねない緊迫感が場を支配する。

 

「落ち着いてくれ。俺は今のところ。敵になる気はない」

 

 それに対してこよみは両手を挙げ、降参の姿勢をとる。

 

「ただ、俺は地底に籠るのは辞める。地上に出て、色々する事にした。何故かはもう博麗の巫女様ならもうわかるだろ。いや、お前も事前に知ってたのかな。どうやらお互いにすごく信頼している様だしね」

 

 霊夢はお祓い棒を下ろす。そして何か不気味なものをみる様な瞳で目の前の白い病院服に身を包む少女を見る。一方のこよみはゆっくりと立ち上がる。

 

「貴方、どこまで理解しているの?」

 

 その問いにこよみは笑う。鈴を鳴らしたかの様な音がして。こよみは笑顔を辞める。そして何かを思い出しているのかぼんやりと笹の隙間から囁く星々をぼんやりと見つめる。

 

「さぁね。ただ、俺の能力は同調と欺瞞。それ俺は君と違ってちゃんと誘拐された」

 

 博麗霊夢が一歩引く。まるで何かに警戒するかのように。そして自分の動きに気付いたのか、急いで引いた足を戻す。

 

「貴方......一体どこまでその能力を」

 

「ごめん、色々思い出しちゃってね。ガキっぽかったな」

 

 こよみは目を見開き、警戒を解けない霊夢を気に留めず、目を瞑りゆっくりと上空に上がる。そして永遠亭の庭の上で止まると大きく深呼吸。

 

「ちょっと夜風を浴びてくる」

 

 そのままさらに上空を目指す。ゆっくりとではあるが着実に空を目指すその姿を黒い闇が覆った。一瞬霊夢はその姿を追うために闇に向かって飛び上がったが、がその闇から見えた金髪を見て踵を返して静かな闇夜に消えていった。

 

「初めまして、最後に会ったのは貴方の方だよね」

 

 自らの出した暗闇に溶けた黒いワンピースの端を掴み。異国の王女のように淑やかにルーミアが挨拶する。呆れたようにそれを聞いたこよみが笑う。

 

「ハッ。どいつもこいつもよく分かるもんだな。これなら隠すだけ無駄か。その通り、俺がお前らを逃した方の古明地こよみ。まぁ、ここで名乗る名前は無いわけだが。そんなことはどうでも良い。何用だ?」

 

 まるで全てはお見通しだと言いたげに言い放つこよみ。

 

「吸血鬼が貴方を呼んでる」

 

「今度は吸血鬼。ねぇ......本当に何でもいるんだな。わざわざお呼ばれしているわけだし、折角なら謁見させて貰うか。ただ、行くのは明日だと伝えてくれ。今日はもう寝る。準備もあるしな」

 

 こよみはそういうと飛行を辞めたのか背中から真っ逆さまに地面に自由落下する。慌てて能力を解いて月光の下照らされる永遠亭を見るとそこには既に枯山水に降り立ったこよみの姿があった。そのままゆっくりと館の中へとその影は消えていく。

 それを見送ったあと、ルーミアもまた静かな月光の下。静かな空を闇を率いて飛び去った。

 



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27話 同調


 下手に出過ぎるというのも、良くないことだ。

 調子に乗った人間ほど、面倒なものは無い。


 こよみは相変わらずの病室に差し込んだ白い光で目を覚ます。横になったままに伸びをして、楽にはなった体を無理やり動かして立ち上がる。

 

「.....最初っからこれが目的だったか?いや、まさか」

 

 何かを必死に抑えながら机に目をやるとそこには新しい服。そして、その上に一輪の薔薇が乗せられている。

 

「さとりか......」

 

 こよみがその服に手を伸ばして服を少し強引に引き寄せると白い便箋がひらりと落ちる。

 それを見て、服を一度ベッドの上に置き、その便箋を手に取る。宛名は書いていない。ただ、薔薇のような紅い封蝋が施されている。そのマークには見覚えがあった。

 

「さとりからか」

 

 初めて見る封蝋の手紙に手こずりながらもなんとか封を開けて中を見る。そこには一枚の手紙と金が入っていた。

 手紙を開くといかにもさとりらしい整った字でメッセージが綴られていた。

__________________________________________________________________________

 

 こよみへ

 

 恐らく貴方はすぐには帰ってこないのでしょう。なので、外で生活するために必要な金を渡しておきます。これを香霖堂という地上の魔法の森の入り口にある店で換金してください。

 いつでも貴方を待っています。

 

 古明地 さとり

 

__________________________________________________________________________

 

「お見通しか」

 

 大きくため息を吐き。笑う。そして、さとりによって置かれていた服を羽織る。黒いチノパン、白いシャツ。どちらも買ってすぐのような絶妙な硬さがある。

 そして、そのポケットには彼女のスマートフォンが入っていた。電源ボタンを慣れた手つきで押すと充電は20パーセントと表示され、危険を知らせる為に赤くなっていた。

 

「......まぁ、そうだよな」

 

 そのままじっとその画面を見ていると廊下から足音が聞こえ、それに反応してこよみはスマートフォンをポケットに入れる。そして何事も無かったかのようにさとりの手紙に入っていた金を手に取る。

 

「もう元気そうですね」

 

「ありがとう。お陰様でな」

 

 扉を開けて入ってきた竹で作られた小さな箱を持つ鈴仙が腕を回して元気だということをアピールするこよみを見て笑う。相変わらず格好はセーラー服だ。妹もあんなものを着ていたとこよみは少し懐かしくなる。

 

「なんか、良いですね。それ」

 

 こよみには一体それが何を示しているか分からなかったが。取り敢えず笑っておいた。

 

「今日退院でしょうから薬の方持ってきました」

 

 そう言うと鈴仙は手に持っていた箱を机に置き、その中身を取り出す。透明な袋に入ったそれはどれも外で見たことのあるような形の錠剤だ。ただ、判別の為か信号のように赤黄青と色分けされている。

 それを見て少し違法薬物みたいだなと感じたが、わざわざそんなことを口に出すことは無かった。

 

「質問いいか?」

 

 机に向かって薬を袋に詰める作業をしていた鈴仙がこよみの方を向き、なんでしょうと一言、それを確認してこよみは口を開く。

 

「燐は大丈夫だったのか」

 

 気になっていたが聞けていなかった。その事実をこよみは問いかける。あの時はまだ元気そうだった。ただ、外で医療従事者でもなければ、妖怪についてもよく知らないこよみにとってあの傷が燐にどれだけダメージを追わせたのかが分からない。

 

「燐さんですか。大丈夫です。傷も貴方ほど深くなく回復力も高い方だったのですぐに地霊殿の方に戻られました。空さんも既に地霊殿に戻りましたよ」

 

「そうか。あと、さとりは元気そうだったが大丈夫だったのか」

 

 こよみは取り敢えず燐と空の無事を確認したが、気にしていていたのはさとりだった。元気そうに看病しに来てくれたが、実のところは分からない。あのときの暦に同調する余裕も無かった。

 そして、てゐという少女に言われたあれは致命傷だという発言がいまだに引っかかっている。

 

「さとりさんですか。実は貴方ほどでは無いにせよかなり危険な状態でした。本来はもう少しここにいて欲しかったのですが、地霊殿での仕事があるからとすぐに行ってしまって。ただ、薬もしっかり飲んでくれているようですし、燐さんや空さんも居ますからね。大丈夫だと思っています」

 

「それは良かった。これで安心して行ける。そうだ、あと質問ばかりで申し訳ないんだが、吸血鬼にお呼ばれしてるらしくて行かなくてはいけないんだが、何処に住んでるんだ?」

 

「吸血鬼......レミリアさんのことでまず間違いないですね」

 

 鈴仙はテキパキと作業をしながら話し続ける。机には色ごとに綺麗に梱包された、錠剤の入った袋が並んでいる。

 

「場所は魔法の森を抜けた先、霧のかかった大きな湖のほとり。そこに建つ真っ赤な建物です。紅魔館と言います。本当に真っ赤で分かりやすいので近くに行けばわかりますよ」

 

 しかし、何故か淡々とそれを告げる鈴仙に表情は曇っている。こよみは一瞬同調して確かめるかと思うが、何でもかんでも踏み込むのは良くないと判断してありがとうとだけ言い残す。

 

「いえいえ。では薬の説明に移りますね」

 

 そうして振り返った鈴仙によって掲げられた3つの袋には、赤、青、黄色。3色の薬がそれぞれ入っている。

 

「まず赤。これは痛み止めです。貴方は傷が治っているようですが、また傷が開いたりするかもしれません。その時に飲んでください。次に黄色。これは外から来た方には説明しにくいのですが、簡単に言えば治癒能力の向上の薬です。自身の妖力などを回復させる事で治癒を促します。そして最後ですが、青色の薬。これは精神安定剤です。急激な感情の起伏というのはこの世界においてあまり良いことでは有りません。それへの対策です。それぞれ、必要な時に一錠だけ飲んで下さい」

 

 つらつらとまるで原稿がその場にあるのかのように的確な説明が終わる。だが、こよみにはその心にある僅かな不安が感じ取れていた。

 

「そして最後に警告です。間違っても同じ薬を一気に摂取しないで下さい。特に黄色はダメです。さとりさんからの言伝で多めに処方していますが。それだけは守って下さい」

 

 それを聞いたこよみが苦笑いする。対して鈴仙はじっとこよみを見据えている。まるで危険を犯そうとする子供を止めるような目で。

 

「用量は守らないと酷いことになるのは外と同じか。ところで、興味があるだけなんだけど、もしも一気に摂取したらどうなる?」

 

 その質問が来ることは予想できていたようで鈴仙はため息を吐く。

 

「正直、赤と青は死んだりはしません。ただ、黄色だけはダメです。昔に過剰摂取した患者が居ましたが、博麗の巫女が出てくるほどの大事になりました。これで分かりますね?」

 

 一体何が起きたのか。それはこよみにでも想像がついた。妖力などの力を回復する薬。それを過剰に摂取すればいつか自らの容量を超える。そうなればどうなるのか。限界まで空気を入れられた風船のように爆発的する。

 

「なるほど。助かる。ちゃんと注意しよう」

 

 ふむふむと顎を撫でるこよみを見て呆れたように鈴仙が息を吐く。そして、机に置かれた竹の箱の中から何かを取りだす。

 

「注意するではなく。絶対に辞めてくださいね。良くて死ぬ。そう思っていてください。あと、持ちにくいでしょうからこのポーチ差し上げます」

 

 そう言って渡されたのは黒いポーチ。渡された薬ともう少し何かが入りそうな丁度いいという言葉が最も似合うそのポーチをこよみは薬を一度ベットに置いて受け取る。

 

「何から何までありがとう。本当に色々助かった」

 

 こよみはそのポーチに薬を詰め、肩にかけ、少し余った分をコキカンで上手く調節する。

 

「ところでお金はどうすれば良いんだ?結構かかったろ」

 

 こよみは現状お金は持っていない。ただ、それでも聞かないで行くことはできなかった。

 それを聞きかながら鈴仙は箱を持ち上げる。

 

「それですか。さとりさんが全部払ってくれていますよ。だから安心して下さい。あと伝言です。無理はしないように。だそうです」

 

 それを聞いてこよみは手紙に書けばよかったなのにな、と笑う。それに合わせて鈴仙も少し笑った。

 

「彼女はあんまりそういうの得意じゃないですから。精一杯って感じですよ」

 

「ま、そうだよな。正直恥ずかしいけど有難いな」

 

 そんな談笑しながらこよみはベットの上に置いておいた手紙を手に取って扉を開く。どうぞと道を譲り、ありがとうと言って鈴仙が扉の外へ、こよみも外に出る。

 

「じゃ、俺はその吸血鬼とやらに会いに行くとするさ。魔法の森ってどこら辺だ?」

 

 それを聞いた鈴仙は少し考えて待っていて下さいと言って箱を持ったまま立ち去った。静かな枯山水を讃える廊下にこよみは1人取り残される。

 入れ違いのように何処かから出てきた鈴仙と同じくウサギ耳をつけた少女。ウサギのように軽いステップで跳ねながらこよみの少年に入る。

 

「元気になったんだ」

 

「てゐか。おかげさまで」

 

 にこりと笑うこよみに嬉しそうにてゐも笑って応える。

 

「よかった。本当に死ぬんじゃないかと思ってたからね。最初に霊夢が連れてきた時それは焦ったんだよ。血まみれだし、毒は回ってるし、妖力ほぼ無いし」

 

「いや本当に実力不足を痛感した。もっと強くならないとな」

 

 こよみは何度か拳を握る。身体にある妖力というものはイマイチ分かっていない。ただ、地底で戦う前よりも少し身体に力が入らない気がする。

 

「まだ回復しきって無いみたいだし。当分はのんびり生きていく」

 

「それがいいよ。ただでさえ、外から来たんだから観光とかしてこの幻想郷を楽しんでいってよ」

 

「そうするさ。ありがとう」

 

 そんな雑談をしていると廊下の先から鈴仙が現れる。てゐと一緒に談笑するこよみを確認し、少し苦い顔をしたがそれを直ぐに消してこちらに向かってくる。手には一枚の紙が握られていた。

 

「はい。これがこの幻想郷の地図です。これがあれば妖怪の森に行けるでしょう」

 

 紙を手渡し、こよみはそれを手に取る。そこには簡易的ではあるものの幻想郷の地理が絵によって表されていた。筆で書かれたそれは博物館にでも飾られていそうに雰囲気はあるが、書いてある文字は全て読める。

 

「妖怪の山、魔法の森、太陽の畑?結構広いんだな」

 

 目についた地名を読み上げて笑う。

 

「地底のように砂漠はないですからね。貴方の目指す紅魔館はこれですよ」

 

 覗き込むような形で鈴仙が地図の一点を指差す、魔法の森の奥。青い湖のほとりに赤い建物が描かれており、その上部には確かに紅魔館と描かれていた。

 

「なるほどありがとう。なら早速行こうかな。今後は出来るだけお世話にならないよう頑張る」

 

 こよみは地図を四つ折りにすると先ほどもらったポーチに入れて身体を浮かせる。そしてそのまま永遠亭を後にした、その姿を2人にウサギが手を振って見送る。

 

「ねぇ、てゐ」

 

 もうこよみは見えなくなった。それを確認して鈴仙がてゐに声をかける。既にどこかに行こうと身を翻していた彼女は振り返る。

 

「こよみ。前会った時となんか違くない?怖いっていうかなんていうか」

 

 鈴仙の感じていた僅かな違和感。それは魚の小骨のように引っ掛かる。しかし、その違和感を全く感じていないのか振り返った少女は少し考えて口を開く。

 

「そう?私は元からあんな感じだと思ったけど」

 

 にこりと笑って、てゐは廊下の角を曲がっていく。1人残された鈴仙は既にこよみの居なくなった空を眺める。

 

「やっぱり地底での言葉、引きずってるのかな」

 

 これ以上考えても意味がないと諦めて鈴仙は清掃のために、こよみのいた部屋の扉を開く。そこにはもう誰もいない。静かな日差しだけが部屋を暖めている。

 



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28話 過ぎたるは及ばざるが如しだっけか


 何事も適量を超えると色々問題が起こる


 

 心に疼くは黒い闇。

 幻想郷の空にナニカがいた。未だに太陽が空を照らす時間にも関わらず。それは黒い蒸気を纏い、ふらふらと、まるで力尽きる直前の蝶のように、空を飛ぶ。

 

「......あ...」

 

 一瞬蒸気が強く噴き出したかと思うと、それは寿命が尽きたかのように地面に堕ちる。かなりの高度からの自由落下、衝突の瞬間に肉が打ちつけられる酷い音が響く。偶然にもそのモノが落ちた場所に木々はなく。赤い血溜まりの中で、白い骨と肉塊が悶える。

 ただ、それでもその肉塊は動きを止めない。命という縛りから解放されない。未だにその肉塊からは黒い蒸気が漂っている。そして、一瞬の静寂の後に砕けた骨が形を取り戻し、肉が軟体生物のように這いずって形を整えていく。死体を漁りにやってきた鳥達はそれを見て逃げ去った。

 

「あら、もうここまで行ったんだ。簡単だったね」

 

 そんな中、その肉塊を1人の少女が眺める。顔には白い仮面。ただ、それは仮面というにはあまりにも何もない。そして、少女は正面で悶えるそれを見て嬉しそうに高笑いする。まるで、羽化をする蛹を眺める子供の様に。

 

「オ.....エ......」

 

 肉塊が未だに白い骨とこびりついた艶やかな肉だけの手を伸ばす。しかし少女は、その手を掴むこともせずに。ただ、にこやかに笑って眺める。

 

「ねぇ、一緒に壊そうよ。こんなところ」

 

 そして、少女は手を伸ばす。まるで同意を求めるかのように。しかし、その手を既に出来上がって人のものとなった手がそれを取る事はなかった。

 

「そうは......いくかよ」

 

 ゆっくりとモノの部品が集まり、人の形を取り戻す。そしてその足で立ち上がった。その周囲にはまだ黒い蒸気が漂っている。気付けばそれは立派なヒトガタになっていた。新品だったシャツは骨の突出によってところどころ破れた。ただ、赤く染まったはずの服は白く戻っている。

 

「お前、一体なんなんだよ。なんで、あんな事......」

 

 こよみは、ポーチから青い薬を取り出して。口の中に放り込む。

 

「お前......なんなんだよはこっちのセリフ。もう完全に人じゃ無いんだね。でも結局それはいい事、ちょっと速いけど。私の願いには近付いてる」

 

 そして、まだ日の光がある昼にも関わらず、少女の姿は掻き消える。まるで、そこに少女など居らず。ただの光によって生まれた幻とでも言いたげに。

 だが、それを見たこよみはそれ以上に気になっていた事があった。

 少女の発言。願い。それだけでは一般人にとって意味がない、ただ、同調によって言葉以上の意味を回収できるこよみにとっては少し違った意味を持つ。

 そこで得たもの。それはこよみにとって覚えのある感情だった。

 

 あの少女。リリィと似たもの。

 

「なんで、どいつもこいつも」

 

 こよみの中で、怒りが沸々と湧き上がる。そしてこれが、こよみを苦しめていたものでもあった。あの地底での異変。そこで回収した怒りの感情。それをいまだに処理できていなかった。こよみ自身可能な限り同調をしないよう動いたが、それでも限界あった。まず、こよみはその能力をゼロにする事は出来ない。周囲に何かがいる限り感情の回収を行う。そして、あの状況。館を守る為に、あの妖怪たちに同調する必要があった。

 

「だって、これ以上いたら貴方私を殺すでしょ。あと、そういうのちゃんと発散したほうが良いよ」

 

 何処からか、あの少女の声が聞こえる。ただ、何処にいるかは分からない。まるで、耳鳴りのように少女の声だけが響いている。

 

「お前は誰で、狙いはなんなんだよ」

 

 虚空にこよみの怒気を孕んだ声が響く。

 

「はは、いいよ。教えてあげる。でも、これは貴方と私だけの秘密。私は......奏。この幻想郷を滅ぼしたいの」

 

 こよみとは対照的に声高に宣誓されたその名前と目的。ただ、こよみにとってもう名前などどうでもよかった。気になったのはその目的。それが、リリィと酷似していたこと。

 

「貴方の審判を待ってるね」

 

 審判。その言葉までもが、リリィと同じ。だが、リリィがこんなことをするとは思えなかった。何せ、彼女は俺の審判を待つと言った。

 

「あとそれ、ちゃんと発散した方がいいよ」

 

 最後、悩むこよみの耳元で発されたこの言葉を皮切りに奏の声は聞こえなくなる。

 

「発散......んなことどうやって」

 

 一瞬で一つの解答が出る。ただ、それはこよみにとって最悪の選択肢だった。なんとかそれを回避する為に思考を回す。ただ、並んだのは碌なものではなかった。

 

「もう服も汚したくない。それにそんなことしたら俺は......」

 

 服など脱げば良い。痛覚も騙せば良い。ただ、こよみが恐れていたのはそれによる認知の歪みだった。

 

 どんどんと、自分が人間から離れていく。そしてこれは妖怪の在り方とも違うのだろう。頭にてゐの言っていた警告を思い出す。

 

 「あの怪我はさとりにとって致命傷になる」

 

 妖怪とはそんなに都合のいいものじゃない。だが、それだけ、いやそれ以上のダメージを負っても自分の身体は回復した。挙句の果てには、先ほどの自由落下。肉体がバラバラに砕け散る感覚。激痛が未だに残っている。

 なのに、今はこうして動けている。手足もある。まるで先程の感覚が嘘のように。だが。体が、心が言っている。あの出来事は、この感覚は、この記憶は。

 

 嘘ではない。と。

 

 そしてそれは、残酷に。古明地こよみという生き物が妖怪でもなんでもない。正体不明のナニカになっているということを意味していた。

 

「なんで俺がこんな目に......」

 

 発散。奏から聞いた助言。こよみは空を見上げる。先ほどの落下。そこからの体の再生。それによって体に籠った感情が発散されたのを感じた。恐らく、エネルギーとして使用されたのだろう。

 だが、この方法では、俺は何度も自殺を繰り返す必要がある。それはリスクが高すぎる。痛みは恐らく騙せば何とかなるが、後何回、俺があの怪我を再生できるのか。もしその限界を超えたら......どうなるかは安易に想像がつく。

 いくらなんでもあんな死に方はごめん被りたい。

 だからと言って他に手があるだろうか。こんな状態のまま金を交換すると言うのは避けたい。この世界の住民はやけに心の動きに敏感だ。こんな状態で行けばまず間違いなくバレる。理解はできないが、黒い霧も出ている。発散しない手はない。それにこれは、永遠亭でもらった薬があっての現状だ。薬が切れればまたさっきのような状態に陥るだろう。薬の効いている今のうちに行動に移した方がいい。

 

「困った時のリリィ行っとくか。最近行けてないしな」

 

 恐らく、今幻想郷で最も俺の在り方を理解しているのは彼女だ。助言を求めるなら彼女しかいない。命を狙われた相手ではあるものの、こよみという者の秘密も、意味も知っている。だからこそ、方法を探るなら彼女しかいない。

 

 こよみが虚空を覗く。世界に裂け目が入る。ゆっくりと、開いたそれは、黒いリボンによって範囲を制限する。そして、その先の深い闇から大量の目が覗く。こよみはまるで慣れたかのように、その裂け目に入って行く。

 残されたのは、黒い霧と

 

 

 

 

 

 

 



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29話 こんにちは、私のヒーロー


 生きることには意味が必要だ。


 

 暗い暗い城の中。冷たい冷たい石畳。そこにぽつりと置かれた玉座。そこに1人の少女が座っている。クラシカルな黒いワンピースを来た少女は、王というにはあまりに若かった。そして、そばに仕える者も無ければ、崇める者も誰もいない。

 そんな彼女の視線の先、そこに突如裂け目が現れる。その侵食を止める為、黒いリボンで止められたそこから闇が覗き、次に大量の瞳が覗く。

 そしてそこから、赤く染まったシャツを着た1人の少女が現れる。

 

「やぁ、久しぶり。リリィ」

 

「随分と酷いことになってるね」

 

 赤く染まったシャツと黒いチノパンは所々が千切れ、肌が露わになっている。ただ、その肌に傷の形跡は無い。まるでハロウィンの仮装のような服装だが、体から噴き上がる非現実的な黒い蒸気がそれを否定している。

 

「聞かなくてもわかってるよ。それの解消方法だよね」

 

 玉座に座りながら、年相応に顎に指を当てて少し考える素振りをする。しばらくするとひとつ答えが出たようで、静かに待っていた少女に対して口を開く。

 

「わかってると思うけど、必要なのは体に流れるその力の発散。私が考える方法は2つ。1つは、自傷。その回復に力を使えばいいからね。もうひとつは正しく発散。能力を使ってみればいいんじゃ無い?」

 

 玉座の上で妖しく微笑む少女。それは、中学生のような見た目に反して、あまりにも、邪悪だった。

 

「なるほど。これから先。長い......」

 

 こよみの言葉が止まる。いったい何を考えたのか、こよみは自嘲気味に笑う。そして、再度言葉を紡ぎ始めた。

 

「いやなんにせよ、付き合っていくとになるなら。まともに使えた方がいいのは間違いない。にしてもここまでなったの初めてなんだけど、理由はある?なるのは仕方ないとして可能な限りこの状況は避けたい」

 

 こよみはため息をついて再度ポーチから青い薬を取り出して口に放り込む、それによってこよみから噴き出していた蒸気が少し抑えられた。

 その様子ではなく、こよみのその言葉が意外だった様で、未だに玉座に腰掛けるリリィは少し目を見開いた。

 

「あ、これまでなった事ないんだ。多分自分に能力があることを知ったから、無意識下でも想いを集めやすくなったのが原因だろうね。警戒しても想いを集めるという貴方の本質自体はどうしようもないよ。だから、なんとかして発散していくしかない。水の入った箱からどうやって水を抜くのかって事だね。自然に蒸発なんて待ってられないでしょ」

 

「結局そうなるのか」

 

 一つ大きなため息をついてこよみが石畳に腰を掛けた。そこで胡坐をかいて、リリィを、見据える。

 

「なら、練習が必要なわけだ」

 

「私は嫌だよ。君の相手するの」

 

 まるでその次の言葉を見切ったかのようにリリィが釘を刺す。

 

「はは、振られたか。まぁ色々試すさ」

 

 まるで、まさか振られると思っていなかった。そう言いたげに、こよみは笑って立ち上がる。そしてそれに応じるかのように、黒いリボンで止められた裂け目が現れる。多くの瞳が、まるで監視するかのように2人を見据える。

 しかし、こよみがその空間に入る直前。リリィが彼女を止めた。

 

「あ、まって。理由ならもう1つあった」

 

「聞こうか」

 

 裂け目は出したまま。こよみがリリィに振り返る。まるで2人を監視するかのように裂け目の中から視線が2人に注がれる。

 

「なんて言えば良いかな。悲しみ、怒り、畏れ。そう言う負の感情は、他者に影響を与えやすい。そして、後を引きやすい。同調できる君なら分かるんじゃない?」

 

「確かに、それは俺も分かる。悲しみとかの感情は後を引く。主人公が悲惨な目に遭う物語を読んだ後、怒りに任せて他者を殴る男。そんなのを見た後はその1日は辛い。ただ、これはみんなも感じることだろう?」

 

 こよみは笑う。何を言っているのだと。ただ、その表情は何かに気づいて固まり、そのまま自重気味な笑みに変わった。

 

「残酷だけど。君はみんな側。じゃないんだよ」

 

 こよみには既にわかっていた事。何度も自分に言い聞かせて納得させた。ただ、まだ。他者から言われると言うことには慣れない。

 そんなこよみをリリィはまるで捨てられた子供を見るように、玉座から見下ろしている。そして、見かねてかそのそばに行くために、玉座を立とうとした。

 

「あぁ、わかってる。にしても、あれのひどい版って事か」

 

 こよみは背後に出現していた裂け目を閉じる。リリィは何も言わない。ただ、その様をじっと見ている。しばらくの静寂。

 

「そうだよ。ごめんね。私も君にこんな役目を負わせたくないし。傷ついて欲しくはないんだよ」

 

 本当に愛しいとでも言いたげにリリィはこよみを見下ろしている。ただ、それを見たこよみは不思議そうな顔をして言い放つ。

 

「俺お前に腹貫かれたんだけど」

 

「でも死ななかっただろう?急所は外したさ。それにあの時は、君がこんなに簡単に私の方に来てくれるなんて思っていなかったからね」

 

「いや、もっと別の方法あるだろ」

 

 そのツッコミを無視してリリィは玉座から立ち上がるとこよみに駆け寄る。

 

「だから頼むよ私のヒーロー。私のためにも、この世界を審判しておくれよ」

 

 こよみに一心に向けられる瞳。そこにあるのは残酷なまでの狂信だ。もう彼女には、古明地こよみというヒーローしかいない。それ以外はもう、何も居ない。こよみはそれ理解している。

 

 そして、理解していないこともある。それは、何故自分が選ばれたのか。どこにもこよみが彼女のヒーローという確証も証拠もない。もし、彼女の狂信が本来別人に向けられるべきものだとしたら。こよみの行動は彼女の人生を破壊している。

 

 ただ、それでも。

 

「あぁ、俺はお前のヒーローらしいからな」

 

 目の前にいるひとりぼっちの少女を見捨てることができなかった。

 これは傲慢な選択だろう。

 ただ、もしここで違うと言って、救えなかったと後悔をするくらいなら。彼女のヒーローであった方が気が楽だった。

 

 

 

 



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30話 貴方にとって、友人とは


 友人と呼ぶのに必要な要素は、なんだと思いますか?



 

「教えてもらったのはいいものの、どうするか」

 

こよみはリリィと別れ、既に先程落下した森の中に出てきていた。まだ陽は高い。だが、まだ行動には移せていなかった。

 

「発散をしないといくら薬があっても足らない。やるしかない」

 

 こよみは言い聞かせるように言って身構えるが、実際の行動に移せない。もし、誰かが見ていたら。もし、思った以上に周囲に被害が出たら。そんな不安が脳裏を過っていた。

 そんなことをしている間にも、黒い蒸気が悪化し、もう一錠口に放り込む。 

 こよみにとって、水無しで錠剤を飲むことに関しては苦でもない。ただ、薬がなくなるのは避けたかった。というのも、今ここで使い切ることも避けておきたい。今回のような事態が次に起きたときに、対策が出来なくなる。

 

「なんでいつもこう俺は臆病かね」

 

 こよみは両の手で自分の顔を叩く。

 

「幻想郷に来た、ここで人生を変えようと思ったんだろ。なら、ここでウジウジしてるなよ」

 

 それは自らへの激励、外の世界の自分の生き方を変えたいと願ってここまで動いていたにも関わらず、結局何も変われていない自分へ向けた激昂。

 ただでさえ、色々とうまく行っていない。

 

「何がそんなに怖いんだよ!」

 

 叫ぶようにこよみが声を上げる。だが、未だに能力を発動できていない。あと一歩、何かが足りない。ただ、その一つがこよみにはどうしようもないものだった。

 

「違うよね。怖がってるのは、私達に嫌われることでしょ」

 

 慌てて振り向いたこよみの目の前に立っていたのは。古明地こいしだった。

 

「いつから、」

 

「教えてあげない」

 

 意地悪そうに笑う少女。ひとまず彼女が無事だったことには安心した。だが、こよみからすればタイミングが悪い。

 こよみは自分の発言を思い返す。こいしはもう心が読めないと言う話は既にさとりから聞いた。故に、最も警戒すべきは自分の発言だ。そして、こよみの思い返す限りでは致命的な発言は無かった。発散と口にはしたが。そこまでだ。

 だが、懸念点はもう一箇所。八雲紫の能力で移動していた所を見られたとなると話は変わる。霊夢の話によれば、八雲紫は目を覚ましていない。にも関わらず、八雲紫の能力で移動していることを知られればかなり面倒な事になる。

 しかし、こよみの懸念は無駄なものだった。

 

「本当はね。助けてくれてありがとうって、お礼を言いに来たの。でも、お兄さん今すごく辛そう。だから」

 

 未だに黒い蒸気を噴き出しているこよみにこいしはゆっくりと近付き、呆然とこちらを眺めているこよみの頬に手を当てる。

 

「お兄さんが何に縛られているのか、今の私にはわからない」

 

 こいしは一歩距離を置くと、黒い蒸気を身にまとったこよみを眺める。

 

「でもね。私、お兄さんには幸せになってほしいって。そう思うの。不思議だよね。出会って別にそんなに時間経ってる訳でも無いのに。でも多分、私と似てるなって思ったからだと思う」

 

 こいしはそこで、一度視線を瞳から外し、こよみの顔を覗き込むように頭を下げる。

 

「能力使うことに躊躇してるでしょ」

 

 風が吹く。木々を揺らし、2人の間を駆け抜ける。にこやかに笑うこいしの瞳は明るい。心を読む、そんな能力がなくとも、こよみの悩みはこいしには何となく理解できていた。

 咄嗟に何か言いかけたこよみの唇を指で押さえ、こいしが続ける。

 

「きっと私たちの能力似てるから分かるよ。今はもうこれだから分からないけど」

 

 閉じた瞳をこいしが少し寂しそうにさすって続ける。

 

「周囲の変化に嫌でも気づくのって辛いよね。私はそれが嫌で閉じた。だって辛かったから。特に私の場合、昔は友達作るのに必死で、心を読むって力はすっごく邪魔だった。相手も警戒するし、例え、隠しても何処かでボロが出てバレちゃう物だから」

 

 遠い空に浮かぶ雲を追うように、記憶の彼方にある朧げな思い出を思い返すかのように、こいしが空を眺める。

 

「でもね。それでもお姉ちゃんは閉じなかった。不思議だった。どうやっても情報が入ってくるの。最初は引きこもってるからだと思ってた」

 

 冗談めかして笑うこいし。こよみも少し笑う。そして、すぐに続きが綴られる。

 

「でもね。友達ちゃんといるの。地上一緒に行ったなら分かるよね。でね、ある日気づいたの。私とお姉ちゃんの違い」

 

 こいしが言葉を切る。どれだけの時間を使ってその結論を導き出したのか。ただ、その回答が出た所で、こいしは元には戻れない。もう遅かったと。無慈悲にも閉じられた瞳が静かに語っている。そして、こいし本人もそれを理解している。だからこそ、無理な笑顔を作って。

 口を開く。

 

「結局。私は友達作ろうとしてたんじゃ無かった。相手にとって、理想であろうとしてたの。それは友達じゃ無い。だってそこには信頼が無いからね」

 

「信頼......?」

 

 こよみが反芻するかのよう繰り返す。それは、こよみには無い視点だった。永遠と、疲れはするものの、他人に合わせるのが普通。仮面を被り、自己を偽り、他者にとって都合の良いものとして生きる。

 それが彼にとっての生き方だった。それが、彼にとっての優しさだった。

 

「友達関係って。お互いの信頼が無いと出来ないんだよ。相手は信頼してくれているかも。だけどね。私は信頼できない臆病者だった。だから最適解を答える。でも、それって相手からすると最初は気持ち良いんだよ。けど。ずっと続くと。不気味なんだよ」

 

 見えてしまう。からこその畏れ。もし今思っていることを伝えたらどうなるのか。その不安に苛まれる。普通の者達はその不安を持ったまま伝えたり、はぐらかしたりする。

 ただ、さとり妖怪と彼の前には最適解が転がっていた。そして、こいしはその最適解を使って友達を作ろうとした。その結果が今の彼女だった。

 

「その点、多分お姉ちゃんは目の前にある最適解を使うか使わないかを判断してる。だから信頼もされるし、きっと同じくらい相手のことも信頼してる。凄いよね。正直尊敬する。こんな事をお姉ちゃんに面と向かっては恥ずかしくて言えないけどね」

 

 照れ臭そうに笑うこいしに、こよみも笑う。尊敬される姉という構図を見て、果たして自分は尊敬される兄であったのかとふと思う。

 こいしは自分自身に欠けていたパーツを見つけていた。それがもう、手遅れだったとしても。ただ、目の前にまだ間に合う者がいた。

 

「まだお兄さんは間に合う。だからね。怖いけど、もっと周りを信頼して。そうすれば、ここでもっと楽しく生きていける筈だよ。幻想郷はいい所だから」

 

 そういって、最後にこいしは未だに黒い蒸気を出しているこよみにハグをする。

 

「ありがとう。いろいろすっきりしたわ」

 

 こよみにとって、こいしの出した結論は少し異なる部分はあれど納得がいくものだった。自分自身が臆病だという事には気づいていた。ただ。自分が一体なんでこうも生き辛かったのか。それを理解するにはまだ何かが足りなかった。それを、ついに見つけることが出来た。

 

「これから、こいしはどこ行くんだ?」

 

 一度、二人は離れる。

 

「一回お姉ちゃんの所戻ろうと思うよ。なんで?」

 

 何かを楽しみにするかのように。こいしが笑う。

 

「送るよ」

 

 それに応えるかのようにこよみは右手を虚空に向かって振る。すると、それに合わせるかのように空間が切断され、その端を黒いリボンが止める。ゆっくりと開き始めたその裂け目から、いくつもの瞳が2人を覗き込んだ。

 こいしは最初は目の前で行われたことに驚いたようだが、納得したようで。その裂け目を覗き込んでいる。

 

「俺は、紅魔館にお呼ばれされてるからいけないけど。さとりによろしく言っておいてくれ」

 

「うん。ありがと。また会おうねお兄さん」

 

「あぁ、また」

 

 こいしはそのこよみの回答を聞くなり、その裂け目に飛び込んだ。少し時間がたってから、こよみはその裂け目を閉じる。再度、森に静寂が訪れる。未だにこよみからは黒い蒸気が立ち昇ってはいるが、先ほどまでの辛さはない。何か、肩に乗っていたものが落ちたかのような安心感がある。

 

「信頼か。なるほど、年の功ってやつかな」

 

 こいしがここに居たら頭でも叩かれそうなことを苦笑しながらつぶやくこよみ。ただ、その表情にはもう曇りが無い。そんなこよみを祝福するかのように風が吹く。さわやかだと、こよみはそう感じ、深呼吸。だがすぐに、曇る。

 

「鉄......?」

 

 風の来た方角。森の中、そこから。錆びた鉄のような臭いがする。そして、その匂いから最悪を想定したこよみは。その方角に走り出すのだった。

 

 

 

 

 



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31話 宵闇の妖怪


 自分がなんのために生きるのか。それを直視したことはありますか?


 

 こよみは森を飛んでいた。既に黒い蒸気は無くなっている。外では感じられなかった新鮮な空気。そして、自ら風を切る感覚。初めてではない行為だったが、それを今となっては異常なまでに新鮮に感じていた。

 木々の隙間を縫い、寸前で枝を避ける。それを繰り返しながら目的地を目指す。

 

「あそこか」

 

 ただ、こよみは意味もなく遊んでいるわけでは無い。森の中で香った血の匂い、それを追っていた。少し飛ぶと、血の匂いが一層濃くなる。そして、赤が広がる。ただ、その赤は自然由来のものではない。艶やかに光を反射するそれは血液だった。

 何かが爆発したように少し開けた場所に出る。なんらかの衝撃に耐えた木々には血液と樹皮のように白い脂肪がこびり付いている。腸が蔦のようにぶら下がり、目玉が地面を転がっている。そしてその全てが、未だにハエも集らないほどに新しい。

 そしてそれは、まだその惨劇を起こした本人が近くにいるということを意味する。刹那こよみの真横を一本の闇が通り過ぎる。

 

「えっと、訳を聞いても良いかな。ルーミア」

 

 そこにいたのは、黒いワンピースを着た少女。その血に染まった金髪を赤いリボンが止めている。

 

「ねぇ、貴方は食べても良い人類?」

 

「悪い冗談だな」

 

 冗談だと信じたいが、そうではないと言いたげに。悪意、憎悪。その感情が、こよみに流れ込む。

 

「あぁ、なるほど」

 

 こよみは困ったように笑う。昨日のルーミアは正常だった。初めて会った時のような、優しい。良いやつだった。ただ、今のルーミアはこよみをこよみと認識していなかった。ただの憎悪の対象。悪意をもって屠る対象でしかない。

 

「あいつか」

 

 こよみの頭に、1人の少女の姿が映る。その顔には白い仮面が付けられていた。そして、耳障りな笑い声が響く。

 

「ただ、音楽は聞こえない。か」

 

 こよみは耳を澄ませるが、音楽らしきものは聞こえない。先ほど遭遇した奏の能力であれば、音を聞かせなければ意味がないはずだった。

 

「ルーミア。俺はお前を傷つけたくないよ」

 

 しかし、その言葉と裏腹にルーミアは近づいてくる。こよみは見ず知らずの妖怪を殺した、そこに慈悲も同情もなかった。ただ、目の前にいる少女は違う。少なからず恩がある相手だ。そして、友達と呼ぶのはおこがましいかもしれないが、この幻想郷にいる者たちの中では関係があった方だった。

 ただ、その瞳には、こよみではなく、ただの食べ物が映っている。そして、それを解決する手段がこよみには無い。

 

「勘弁してくれ。頼むよ」

 

 こよみの悲痛な声も通じることはなく。ルーミアはこよみへと距離を詰めてくる。

 こよみは手元に一本の剣を出す。が、その手は震えている。弾幕で作られたそれの威力はもう地底で見た、上手く当たればただでは済まない。

 

「ねぇ、食べてもいいの?」

 

「ダメだ」

 

 最終的にこよみの下した結論。それは、逃走だった。正面から戦う事もできなくはないかもしれない、ただ、それをすれば相手を傷つけるかもしれない。あれだけの殺しをしていたとしても、やはり友人は傷つけたくなかった。

 大きく空に飛ぶ。ルーミアが追ってくる様子はない。ただ、少し視線を先に飛ばすと、一つの民家が見える。

 

「は......?」

 

 そこに向かって、黒い闇が前進していた。そして、その民家に子供が入っていくのを見てしまった。恐らく親も家族もいるのだろう。だが、だれもその異変には気づいていない。そして、ルーミアは人食い妖怪だ。あの森の惨状も恐らく、誰かが犠牲になった結果。

 

「見なきゃよかったッ......!」

 

 こよみは、苦しそうに言葉を漏らすとその闇を負い越してその民家へと飛ぶ。運のいいことに闇の動きは遅く、まだ猶予はあるタイミングで到着し、戸を叩く。

 

「おい!開けてくれ人食い妖怪が来る!逃げないと殺されるぞ」

 

 必死に戸を叩くが、中から反応はない。耳をすませば、民家の中からは子供の悲鳴と啜り泣く声が聞こえる。冷静になれば、わかる事だった。知らないなにかが、突然戸を叩き、妖怪が来たと騒ぐ。そうなれば、畏れられるのは来るかもしれない妖怪ではなく。扉の前にいる何かだ。

 

「くっそ、そうだよな。ただ、そうなると」

 

 後ろを振り返る。森の奥から周囲の明りを食らう様に闇が迫ってきていた。

 もう時間は残されていない。里があると聞いていたのに、こんな辺鄙な場所に住んでいる、それだけでどんな状況にいるのか。頭をよぎるのはさとりとリリィの過去。

 彼らがやっと得た平穏を壊すことは出来ない。彼らにとってこの平穏は、やっとの思いで手に入れた暇なのだから。

 

「わかった。なら。出てくるな」

 

 こよみは、扉から離れる。そして大きく深呼吸した。その右手には、いつの間にか、再度白く光る弾幕の剣が握られている。

 

「さぁ、来い。ルーミア。お前が好きなのは、これだろ?」

 

 そして、その剣で自らの腕を切り裂く。溢れ出る大量の血液。しかし、こよみは全くそれに動じない。まるで、全く痛みを感じていないかのように。

 森を飲み込む闇が、こよみに向かって前進を始める。それを確認するとこよみは民家と逆方向へと走り始める。そして、空へと向かう。その姿を追って巨大な球体となった闇が昇る。

 それがしっかりと追ってきていることを確認し、こよみは方向転換。背後の闇にギリギリ追いつかれない速度である場所を目指す。その間にも、腕からは血が流れ、地面に落ちる。ただ、その治りは早い。数分もすれば血は止まり、傷も消える。こよみはその度に自らの腕を切り付けて闇の気を引き続ける。

 そのまま逃げ続け、こよみは遂に目標地点を見つける。そのまま一気に加速し闇から飛び出してきた槍を避け、着地する。

 

「霊夢!」

 

 そこにあるのは赤い鳥居。少し古くなった境内、そこで1人の巫女が箒を持って落ち葉を掃いていた。

 

「何よ。って貴方またひどい怪我ね」

 

「今はそれよりルーミアを止めてくれないか。様子がおかしい」

 

 博麗霊夢。幻想郷でも最強とさとりから聞いた。そんな彼女ならルーミアをなんとかできるかもしれない。そんな淡い期待を抱いたこよみをを見て、博麗は言い放つ。

 

「え、嫌よ。私貴方のこと嫌いだし」

 

「は?」

 



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32話 後悔ないように

 
 勇者とは、英雄とは、一体何だと思う?


 

 幻想郷、その中で佇む博麗神社。その境内で2人の少女が向き合っている。1人は紅白の巫女服に枝箒、対する少女は赤く染められ、所々が裂けている。

 だが、その身体に傷はない。その矛盾が彼女の服装を仮装のように仕立て上げていた。

 

「私からすれば貴方って要注意人物なの。ここで死んでくれた方が幻想郷にとっては吉かもしれない。紫の件についても何も話さないしね」

 

 こよみは忘れていた。あの夜。博麗霊夢とは敵対とまでは行かずとも、関係が悪くなった。相手からすれば、紫の情報を持っているにも関わらず何も言わない正体不明の外来人。そんな奴に助けてと言われたところで助ける義理も理由もない。

 逆に弱ったところを拷問にでもかけて情報を引き出す可能性すらある。

 それを理解した上でこよみが引かない。背後から迫る闇を指刺して言う。

 

「でもあいつ止めないと人が大勢死ぬぞ。様子もおかしかった」

 

 こよみがここまでルーミアを引いてきた理由は被害の抑止だ。その中で、ルーミアを傷つけずに済むには博麗霊夢が最適だと判断した。

 しかし、本人は助けないと言う。更には、

 

「貴方、自分が特別強いとか思ってない?ルーミア程度、人里でどうとでもできる。余計なお世話よ。貴方が止めるのは勝手だけど、私は興味ないわ。それにルーミアは最近人を食べてなかった。おかしくなる理由もある」

 

 そんな言葉を吐き捨てる。

 自分を強いと思ってる。その言葉にこよみは一瞬詰まる。確かに、あの地底での一件の後、自分はなんでもできるんじゃないか。と思っていた。ルーミアの件もそうだ。こよみは確実に勝てるとわかった上で話を進めている。傲慢だと言われればそれまで。

 ただ、それでも。

 

「そうであったとしても犠牲が出るだろ。お前が戦ってくれれば解決するじゃないか」

 

 誰も傷付かないはずが無かった。実際あのまま放置すればあの小屋の子供は死んだだろう。人が殺されるとわかっているなら止めるべき。それがこよみの意見、そして。恐らく、古明地こよみはそれを止められる。ただ、地底の戦いを見る限り、自分自身が戦うよりも、彼女が戦った方が確実だ。それを彼女は理解している。そして、人の味方である彼女ならばそれを救うと確信していた。ただ、帰ってきたのはこよみにとって意外な答えだった。

 

「人は死ぬでしょうね。それで?」

 

「は......?」

 

 2人の間に一瞬生まれた静寂。こよみがもう一度後ろを振り返ると闇はどこかに向かって動き始めていた。慌てて目線を腕に向けると、彼女の腕は既に何事もなかったかのように治っている。

 

「貴方に、一つ教えてあげる。ここではね。妖怪が人を殺すのは悪じゃないのよ。彼らは人間からの畏れで出来ている、だから時に恐怖を思い出させないといけないの。その一番簡単な手段は殺すこと。流石に限度はあるけれど、ルーミア程度の力じゃ大した問題にはならないわ」

 

「だから。犠牲には目を瞑るのか?」

 

 どこかおかしいということは薄々わかっていた。ただ、それでも尚、こよみは食らいつく。

 それを見た博麗霊夢はまるで呆れたかのように大きくため息を吐く。

 

「あー、なるほど。紫が貴方をここに連れてきた理由が分かった。聞くけど、貴方は誰の味方でありたいのか。それだけ教えて」

 

「......それは」

 

 答えられない。無理もない。これが、こよみの抱える強欲さであるからだ。そんなこよみに霊夢は箒を向ける。

 

「わかってる?誰かを助けるって事はね、誰かを見捨てるって事なのよ。私は今回は人間を救わない。私が守りたいのは幻想郷だから。でも貴方は?」

 

「俺はルーミアも、人間も守りたい」

 

 こよみは迷いなく答える。ただ、その答えを聞いた霊夢は貶すように笑う。

 

「そんな貴方に朗報」

 

「朗報?」

 

 明らかに朗報ではない。それを予期したこよみが身構える。

 

「もし、ルーミアが過度に人を殺したら。私は制裁を加える。それは、ボコるだけかも知れないけど。状況によっては......殺すわ」

 

 冷静に冷酷に残酷に、霊夢が言い放つ。その瞳は本気だった、そして彼女であれば容易にそれを行うことが可能だという確信もある。

 

「だからね。もし本当にルーミアを守りたいと思うのなら貴方が止めた方が良いと思うわよ。ただ、貴方がこれから先も止め続ければ、ルーミアは飢えて死ぬわ」

 

「なるほどな」

 

 こよみは仕方がないと息を吐く。光の粒子が集まったかと思うと数本の光剣がこよみの周囲に展開される。それは少女の背丈ほどはありそうな大剣から、取り回しの良さそうな短剣。使い勝手の良さそうな直剣と、大小様々な武器が並ぶ。

 

「結局そうなのね。自分が矛盾してるってわかってるの?」

 

 振り返り、飛びあがろうとするこよみの背に霊夢がそんな言葉を投げかける。

 

「もちろん。ただ、俺は自分勝手だからな。俺が後悔しないように動くさ」

 

 こよみが巨大な闇へと向かって飛び去る。その後を光によって作られた武器たちが流れ星の様に追う。

 

「八雲紫。貴方は一体なにを考えてるのよ」

 

 そんな言葉をこぼす博麗霊夢。彼女の表情はどこか暗い。

 

「彼は、もう死んだのよ」

 

 博麗神社に1人取り残された紅白の巫女。その視線の先には光を連れた少女の姿がある。もう覚悟は決まったらしい。止まる様子も振り返る様子もない。

 

 そしてその先にあるのは、光さえ飲み込む漆黒の闇だ。

 

 

 



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33話 巡り巡ってもう一度



 ぺたぺたぺたりと塗りつぶせ


 

 空を移動する黒い球体。古明地こよみはついに追いつき、その進行方向に立ち塞がる。

 

「止まれ」

 

 その号令でこよみの周囲を飛んでいる様々な武器が一斉にその切先を闇に向ける。

 

「なんで?」

 

 闇の中から聞き覚えのある声が聞こえる。そして、ゆっくりと闇が晴れる。月の様な金髪と血の様に赤い瞳が現れて、彼女を見据えた。先ほどまであの血の中にいたとは思えないほどにルーミアの服は一切の汚れがない。

 

「さっきも殺してただろ。あれで十分じゃないのか」

 

 こよみは警戒を解くことなく、ルーミアに問う。しかし、ルーミアは呆然とその紅い瞳でこよみを見据えている。

 

「なんで?」

 

「ダメか」

 

 こよみは必死に思考を回す。話は通じない。攻撃もしたくない。原因もわからない。だが、何かを犠牲にしなければ結果は得られない。

 

「俺が犠牲にするのは俺で良いんだよ」

 

 頭の中に流れた不協和音を消す様に低く呟く。

 

「なにがあったのか調べさせてもらうぞ。ルーミア」

 

 周囲の武器から鈍器を選択。ルーミアへ射出する。しかし、その一撃は闇に吸われた。比喩でも何もなく、ルーミアを包み始めた黒い闇。その中に消えていった。手応えはない。

 

「なんで?」

 

 未だにルーミアは誰かへと問いを続けている。その赤く染まった瞳は何処を見ているのか。

 

「闇か」

 

 こよみは思考を回す。

 先ほど飛ばした弾幕がどうなったかわからない以上、ルーミアへの接触は出来ない。そしてあの闇がある以上、ルーミアにしっかりと能力を行使出来ない。なにが起きたか知るほどの同調は相手の目を見ないといけない。それに、深い同調には相手の動きを止める必要がある。さとりに過去を読んだ時も、俺は気を失った。あんな隙を晒せば間違いなく殺される。

 だが、なんにしてもまずはあの闇の性質を判明させることが第一。

 避けられた。という線は考え難い。避けたなら後ろから出て来るはずだ。となると受け止められた。または、あの闇に接触するとなんらかの要因で消えてしまうか。この2択。

 

 闇の前に相変わらず立ち塞がり。こよみは右手を振り上げる。その瞬間闇が伸びる。まるで獲物を捉える触手の様に伸びたそれをこよみは距離をとって避ける。

 

「攻撃も出来ると」

 

 さらに、闇の中から青い光弾が円弧状に放たれる。距離は取ったままこよみは弾幕を避ける。

 

「同調ないとやっぱ難いな」

 

 こよみは自分がどれだけ同調という能力に頼っていたか。それを理解させられた。あれがなければ避けられるものも避けられない。これまではわかっていたから避けられた。

 近づけば触手、離れれば弾幕。闇の性質を理解することですら一筋縄ではいかない。

 

「ちゃんと強いじゃんか。恨むぞ。博麗霊夢」

 

 あの闇が俺の攻撃を喰らっているのならあの闇よりも大きな範囲で攻撃すればその武器の動向でわかる。それが現状最も分かりやすく手っ取り早い判断方法。ただ、現状はその余裕すらない。それだけ大きな武器の製作には少し時間がかかるが、その余裕をくれる様子はない。

 

「どうするか」

 

 距離を取れば避けられない攻撃ではない。ただし、近付くと触手が出て来る。弾幕と触手を能力無しに避け切る自信はない。だからと言って距離を取り続けてもこの戦闘が終わらないだけだ。

 

「択を削るか」

 

 こよみは周囲に浮いていた短剣のみを掴み、それ以外は射出する。しかし、それは闇に届くことなく青い弾幕に数発当たると消えてしまう。

 それを確認すると周囲に光を纏った50センチ程度の直剣を5本作り上げ、一列にして射出。先頭の2本は弾幕との衝突で消えてしまったが、残りの3本が闇に突入する。ギリギリ闇の直径を超える程度の長さはあった。

 しかし、相変わらず手応えはない。そして、闇の外に剣が出て来る気配はない。これで合計4本。ルーミアが闇の中で受け止めていたとしてあのサイズの武器を3本プラス最初の鈍器を全て持っている可能性は低い。なら、なんらかの要因で消えていると考えるのが妥当。

 

「となるとだ」

 

 こよみはルーミアに手をかざす。そしてその手を振り落とす。刹那、ルーミアの上に黒いリボンが2つ。ゆっくりとその距離を開けると捕食者が獲物を食う様に黒い空間が広がる。そして、その中から大量の水が滝の様に溢れ出した。

 しばらくの間、その水は闇に吸われる様に消えるが、絶え間なく流れ出す水はやがて闇を押し流して闇を剥がす。

 そのまま地面に向かって流されるルーミア。それを見送ってこよみは水を止め、自らの後ろに開いた裂け目に入る。そして地面に叩きつけられ、肺に入った水を吐き出そうと喘ぐルーミアの目の前に現れる。

 そしてそ身体を裂け目に手を入れて取り出した鎖で周囲の木々と繋ぐ。

 

「なん....で?」

 

 咽せながらそれでもなお問うルーミアにこよみは笑う。

 

「あー、難しい質問だな」

 

 恐らくこの応答に意味はない。ただ、それでも。

 

「これはお前の為だって言い切りたいが。残念。俺の自己満足だ」

 

 こよみは両手の人差し指と親指で窓を作る。そしてその中にルーミアを捉えた。

 

「それじゃ、失礼する」

 

 

 

 くらくらくらり 世界が揺れる

 

       ゆらゆらゆらり また揺れる

 

         じわじわじわり 世界が滲む

 

   べたべたべたり また消える

 

           くるくるくるりと繰り返す

 



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34話 2人きりの夜空


 私は、夜に輝くあの月に恋をしました。


 

 夜の闇に包まれた森を2人の中学生程度の少女が駆けている。1人は暖かい月の様な髪を。1人は冷たい闇の様な髪を。揺らしながら。

 

「ルーミア、待ってよ」

 

 ルーミアと呼ばれた少女は振り返る。

 

「どうしたの」

 

 少女は髪を揺らしながらにルーミアに追いつく。肩で荒い息を繰り返す霊夢にルーミアは笑いかける。

 

「疲れた?」

 

「うん。休憩しよ」

 

 ルーミアは少女の手を取るとその身体が空に向かって浮き始める。その様は月が闇を連れて登る様で。

 

「私達、ずっと友達だよね」

 

 星を目指しながら、ルーミアが溢す。それに対して、少女は少し笑うと首を縦に振る。それを見たルーミアは満足そうに笑って、森の上。輝く月光の下。少女を抱いた。

 

「うん。ずっと友達だよ」

 

 2人の出会いはさらに遡る。それは深い森の中。ルーミアは1人、倒れていた。大きな裂傷を負った足からは絶えず血が流れ、地面を赤く染めている。腹部からも絶えず血は流れている。

 

「あぁ、こんなとこで」

 

 じわじわと体の熱が周囲に染み出し、冷えていく。まるで暖かい布団の様で、ゆっくりと目を閉じる。きっと閉じれば終わりだなんてこと分かっているのに。しかし、わかっていたとしても。彼女は意識を手放した。

 ただ、目を覚ますとそこは白い布団の上だった。体には包帯が巻かれている。慌てて起きあがろうとして鈍い痛みに唸る。

 

「こら。まだ動いちゃだめだよ」

 

 木で出来た質素なドアが開き、1人の少女が入ってくる。闇の様な黒い髪、琥珀のように輝く瞳。女性にも関わらず、白いシャツと黒いチノパンを見に纏うその違和感にここは死後の世界かと思う。

 

「私死んだの?」

 

「どうだろう。でも、私はここが天国だとは思わないかなぁ」

 

 クスリと笑う少女。身を翻すとドアからまた部屋を後にする。少し足音が遠ざかり、すぐに戻ってまた扉が開かれる。

 

「お腹すいたでしょ。ご飯食べよう」

 

 少女の手にはトレーが乗せられており、その上には湯気を立てるスープとパンが置かれていた。

 

「なんで助けたの。私は人喰い妖怪」

 

 能力を発動する余裕もない。それを知らせれば殺されるかもしれない。ただそれでも、助けてくれたこの少女を殺す気にはなれなかった。人喰い妖怪と言えどそれくらいの良識はある。

 

「わーお。人喰い妖怪。なら私は食べられちゃうの?」

 

 また楽しそうにころころと笑う少女。しかし、その心から恐怖は感じない。まるで舐められている様で少し苛立ちを覚える。

 

「弱ってる私なんて怖くないってこと?」

 

「あれ。怒った?ごめんね。貴方を舐めてるわけじゃなくて、もし食べられたとしても貴方がそれで生きられるなら私はそれで良いの」

 

 生きることになんの執着もない。それがこの少女だった。たとえ死んだとしても、それが誰かにとって意味のあるものであればそれで良いと。少女は笑う。

 

「狂ってるね」

 

「そうかも」 

 

 これが私と彼女の出会いだった。それ以降、私たちは定期的に会った。そして、話をした。その内に彼女は私にとってかけがえの無い者になっていた。今思えばあれば友愛の類ではなく、恋慕に近かったのかもしれない。

 いつもなら食べる対象でしか無い人間と何気ない会話をする事が、こんなにも楽しいことだなんて。誰かと食べる料理がこんなにも美味しいものだなんて。私は知らなかった。

 そして、知った。

 

 妖怪と人間。本来は敵対する2人のの物語なんて。

 

         大抵幸せな終わりは迎えられない。

 

「なんで......?」

 

 暗い闇の中で月光の様な髪を持つ少女が、闇に溶ける様な黒い髪を持つ1人の少女を抱いていた。家の外からは人々の怒声が聞こえる。

 

「なんで」

 

 固く目を閉じ、動かない黒髪の少女を金髪の少女が何度も揺するが応答はなく。静寂と冷たさだけが帰ってくる。

 

「なんで」

 

 繰り返し問いを投げる少女。一際強くその体を揺すった時。黒髪の少女の腹が裂け、臓物が溢れて金髪を赤く染めた。黒髪の少女の体は傷だらけだった。切り傷、刺し傷、火傷、誰が見てもわかる。奇跡でも起きない限りは、もう助からない。

 

「あ...あ」

 

「嘘つき」

 

 ぽつりと、水滴の溢れた一つの言葉。そして、その一滴が、少女の心を決壊させる。

 

「嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき」

 

 叫び、喚き、哭く。まるで赤子の様に。血に飢えた獣の様に。しかし、その赤子をあやす親はいない。あるのは、全てを飲み込む。闇。

 

 外が騒がしい。私と彼女の時間を奪った奴らが羽虫の様に騒いでいる。それは、彼女と同じ人間だった。どうして同じ人間なのに、どうして同じ仲間なのに、どうして。どうして。

 彼女の血に濡れた体で、動かなくなった彼女を抱きながら、彼女の臓物の中で。

 少女は思考し、思索し、思慮し。そして嗅ぎつける。

 

 一つの答えを。

 

「あぁ、そっか。これが人間なんだ」

 

 闇が溢れる。それは周囲の全てを包み込んだ。少女の住んでいた家を、周囲で喚く羽虫を、木々を、森を、炎を、光を。

 そして、愛しそうに抱えた少女の闇の様な髪を、月の様な琥珀の瞳を、腹から溢れた宝石の様な赤を、雪の様に白い肌を、暖かった心を、その全てを一欠片でも残さぬ様に。

 

「さようなら。私の......最愛の人」

 

 呆然と闇の中、少女との思い出を振り返るルーミアの前に1人の人間が現れる。

 

「何してるのよ」

 

 それは、紅白の巫女。手に持った大幣で私を指している。

 

「......最後の晩餐」

 

 闇の中に溶ける様にこぼした言葉は、始まった戦闘によって掻き消された。

 



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35話 たった一つの願い


 これは、私のたった一つの願い


 

 こよみは闇の中で目を覚ます。周囲に光はない。そこにはただ一つ。鎖に繋がれた月がある。

 

「なるほど。別れか」

 

 いつかは来る。避けようのないものだ。ただ、そうであったとしても。別れ方と言うものがある。悲劇的な結末だった。本にでもすれば人気になりそうなほどには。

 

「これが貴方の能力」

 

 鎖に繋がれたまま、ルーミアは呆然とこよみを見る。

 

「まぁ。そういうことだ」

 

 こよみが指を鳴らす。すると光に溶ける様に闇が晴れる。しかし、それを溶かした空の色は紅い。

 

「今度はなんだよ」

 

 空が、血に染められたかの様に紅い。いや、正確には、霧なのだろう。こんな空を白いシャツで飛んだらどうなるか。

 そこまで考えて、自分の服がボロボロだったことを思い出す。まぁ、大差ないか。

 

「やめて!」

 

 こよみがその声の元を見る。そこではルーミアが鎖に繋がれながらもがいていた。周囲に鎖の擦れる不快な音が響く。

 

「どうした?」

 

「違う。違う違う!私はそんなつもりじゃ」

 

 誰かと話しているかと思い周囲を見回すが、誰もいない。だが、ルーミアの心は何かに荒らされている。

 

「落ち着け。あいつが死んだのはお前のせいじゃない。悪いのは、人間だろ」

 

 少女が死んだ訳。そこまでを知ることは出来ない。ただ、想像は出来る。人喰い妖怪であるルーミア、見ていた限りは普通の人間だった女。その2人が仲良くすれば、周囲の人間は彼女を忌避する。

 そして、その忌避感は、人々にある結論を招いたのだろう。

 

 我々の安寧を妨げる人間など、殺してしまえと。

 

 人間は平穏を望む生き物だ。だが、その生き様は平穏ではない。なぜなら、人間とは、それを手に入れるためならば何でもするからだ。

 例え、それによって他の種族や、自分以外のものがどうなろうと。

 

 自らが、平穏に、平和に。今の暮らしを続けられる様に。

 

 だからこそ、その点人間というのは獣に最も近いのだと。そう思う。

 

「あ、あぁ。私が、あれ以上あの子と会わなかったら死ななかった」

 

 ルーミアからどろりと闇が滲み出す。

 その闇は、彼女を縛る鎖を蕩して、その身体を、全てを拒む様に包む。

 

「さっき通用しなかっただろって」

 

 再度こよみは裂け目を展開。大量の水を全てを蕩かす闇にぶつける。しばらくの拮抗状態。そして闇は萎み始める。

 ただ、こんなことを永遠と繰り返していては埒が開かない。それに、先のルーミアを見る限り、水を自ら飲んでいるわけではないらしい。あの量の水だ、飲んだのであれば体に変化が出ないのはおかしい。

 

「私が、この世界を裁くの」

 

 闇から出てきたのはルーミアの筈だった。だが、本能が告げる。何かがおかしい。背中からは闇が炎の様に立ち昇り、黒いワンピースだった筈の服は跡形も無くなり、黒い闇が必要な部分だけを隠している。

 

「どこかのゲームじゃないんだから強くなると同時に服脱ぐなよ」

 

 ため息を吐きながらこよみは構える。笑ってはいるが、余裕はない。それは彼女がしっかりと臨戦態勢入ったことからも明らかだ。そのこよみを見て、ルーミアは手のひらを重ね、頭上の赤い空を見つめる。

 そして、祈りを捧げるかの様に目を閉じた。

 

「闇に喰われた星月夜。光に飲まれた朧月。私はたった一つの願いを告げる」

 

 こよみの判断。それは様子見だった。ただ、次の瞬間、それが最悪の選択だった事に気付かされる。

 それは一瞬迷った後の同調によっていやでも理解させられた。アレは、詠唱だった。元ゲーマーを名乗るなら理解するべきだったと後悔するがもう遅い。周囲の全てが闇に染められる。

 

「冗談キツいぞ」

 

 目が、耳が、鼻が、全てを認識しなくなる。そして、闇が晴れた時、こよみの身体は黒い鎖によって四肢を拘束されていた。まるで先ほどの意趣返しだ。

 そして、目の前には身の丈程はある闇を滴らせた漆黒の鎌を持ったルーミアがいる。

 

「私たちは願いを告げる。全てを飲み込む夜の闇よ、裁きをッ!」

 

 空気すらも喰らいながら闇に濡れる鎌が振り下ろされる。しかし、その闇がこよみを飲み込むことは無かった。

 

「あぁ、死ぬかと思った」

 

 こよみは見覚えのある寝台で目を覚ます。手や脚に巻きついた鎖は外れないものの自由を手に入れることは出来た。

 

「こういうのは大抵位置がバレてるとか攻撃できるとか碌な事にならないんだけど」

 

 渾身の力を持って引くがそれでも鎖は外れない。

 

「無理か。にしても博麗霊夢。なーにがルーミアは村で何とかできるだ。あんなの本当に何とかできるのかよ」

 

 整えられた寝台に倒れ込む。相変わらず、いい肌触りと、薔薇の匂いがする。

 

「結局帰ってきちゃったなぁ」

 

 長居をするつもりはない。ただ、戻ってしまえばずっとここに居たくなる。

 

「にしてもルーミアに一体何があったんだ。音は聞こえてなかったしな」

 

 寝台に埋もれながらこよみは思考を回す。

 

「あの白面のせいだと考えるのが一番楽。ただ、そうなるとあいつは音で相手を操ってるわけじゃないって事になる。そうなるとここでの異変の辻褄が合わない」

 

「あれ、帰ってきたんだ。おにーちゃん」

 

 もそもそと寝台で独り言を繰り返すこよみの上に聞き慣れた声の少女が覆い被さる。突然の強襲におっふと声が出る。

 

「こいしか。久しぶり。その後地底はどう?」

 

「何もないっていいたいとこだけど。おねーちゃんがお出かけしてる間に勇儀さんがパルスィさんと戦ってね」

 

「勇儀とパルスィ?パルスィは何でそんな無謀なことを」

 

 まだ上ににられているために、ほぼシーツに話しかけているがこいしもこよみもそれを全く気にしていない。

 

「と思うでしょ。実はね、勝ったのはパルスィさんだったの」

 

「は?」

 

 そんなわけが、といいかけたところでこよみは言い淀む。たった1つ勝つ方法があった。

 

「俺が先に処理すべきはこっちか」

 

 こよみは窓を開けて外に飛び出ようとする。そんな肩をこいしが掴む。

 

「まずはお風呂と服だよ。おにーちゃん」

 

「え、服はまだしも。風呂は」

 

 何かをいいたげなこよみを手首に巻きついた鎖を持って、こいしが連行していく。

 



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36話 This is why


 貴方の人生に目標はありますか。

 貴方の人生とはなんですか。

 貴方、どうして生きているんですか。


 

 流れる水の音、立ち昇る湯気。白色に濁った湯の中に2人の少女が座っていた。

 

「こいし。俺はどうすればいいと思う?」

 

 白い湯気の立ち昇る風呂の中で壁に顔を向けながらこいしに尋ねる。

 

「どうって。まずはこっち向いて欲しいかも」

 

 まるで壁と会話しているかのようなこよみにこいしが呆れたように言う。ただ、こよみはそちらを向く気は無いらしい。何の反応もせず、淡々と言葉を続ける。

 

「俺、逃げてきたんだよ。そのせいでたくさん人が死ぬ。そして、多分俺の友達も死ぬ。でも俺には、止められそうに無かった」

 

「だからそんなSMみたいな鎖つけてるんだ」

 

「え、えすえ。お前そんな言葉どこで」

 

 慌てて振り返ってしまって、顔を覆う。そこには翡翠色の髪から水が滴らせ、生まれたままの姿のこいしがいた。半身浴のような形で風呂に浸かっている為、下は見えないが、見た目相応のささやかな膨らみとその桜色の先端まで見てしまった。

 

「知らないよ」

 

「恥じらいとかないんかな」

 

「ないよ」

 

 こよみは大きなため息を吐く。早急に地上に戻らないといけない。確かに放っておいても霊夢が対応しそうではある。ただ、霊夢が言った通りに動くなら、その頃には多くは死ぬだろうし、ルーミアは殺されてしまうだろう。

 それに、あのルーミアは明らかにおかしかった。霊夢は人間を舐めるなと言っていたが、実際にあれを処理できるかはわからない。

 

「でもね。後悔はしないようにした方がいいよ。勝てないかもしれないけど、勝てるかもしれない。だってお兄ちゃんはこうして生きて帰ってきた。それは可能性があるって事だよ」

 

 こよみは腕に付けられた鎖を見る。これは恐怖の象徴だ。次は殺されるかも知れないという、今のような日常に帰れないかも知れないという恐怖の。

 

「あぁ、いいこと言うな」

 

「長生きだからね」

 

 こよみは温泉の中の自分の体を見る。覚悟は出来ただろうか。まだ足りないだろうか。ただ、それでも。

 

「姉妹揃って見た目は幼いがな」

 

 こよみは冗談めかして笑う。思えば、こんな日常をもっと過ごしたかった。外の世界で過ごしていた普通が懐かしい。何も生まない怠惰な日常だった。人々が家に帰る頃、目を覚まし、人々が目を覚ます頃、眠りにつく。周囲からすれば時間の無駄だと笑われるだろうが、あの頃は本当に楽しかった。

 ただ、それでも。

 

「元男の人なのに、おっきくてムカつく」

 

 頬を膨らませるこいし。そのまま猛進してきて抱きつかれる。しっかりとした女性の温度を、肌の質感を感じてしまい少し頬を赤らめるこよみ。それを見たこよみがイタズラっぽく笑う。

 こちらに連れ去られてからは全てが変わった。まず女になった。光の球を撃てるようになった。何処かの王様のようにどこからともなく武器を出せるようになった。空も飛べるようになった。腹に穴を開けられても治る。能力なんて言うファンタジーな物も手に入れた。このままここで、こいしとさとりとのんびり暮らすと言うことも出来るだろう。あの頃のような呑気な暮らしができる。

 ただ、それでも。

 

「ありがとう。色々と救われたよ。こいし」

 

 こいしを一度抱き返し、ゆっくりと離す。そして、ゆっくりと立ち上がる。肌が外気に触れて少し冷える。

 

「何もしないで後悔は違うよな。だから俺、いくよ」

 

 こいしはこよみの目をじっと覗き込むように見つめる。

 

「死ぬかも知れないんでしょ」

 

「それでも。俺は後悔したくない」

 

 何もせず、後悔するのだけは嫌だった。それだけが、こよみの想い。呑気に暮らしたかった一般人の欲望。

 心残りがあっては、呑気に暮らすことは出来ない。

 

「うん。わかった。行ってらっしゃい。でも、死んだらダメだよ。お姉ちゃんも悲しむから」

 

「苦手だけど、本気で頑張るわ。家族の願いだしな」

 

 こいしの頭を撫でる。気持ちよさそうに少し目を細めるこいし。出来るだけ顔の下を見ないように気を付けつつこよみは風呂を後にする。

 準備されていたシャツとチノパンを着て、廊下へ。そこで1匹の黒と赤で彩られた猫とすれ違う。

 

【行くのかい】

 

「怪我治すの早いな」

 

 2本の尻尾が足を撫でる。

 

【あんたには敵わないよ】

 

「俺は特別だしな。もう一回お出かけしてくる。さとりによろしく」

 

 振り向くことは無く、手をひらひらと振って玄関を目指す。廊下は未だにあの凄惨な戦闘の跡が残っている。唯一の救いは遺体だけはもう無いことだ。安らかに眠ってくれと願いながら玄関の扉を開く。

 

「あー、怖いな。でもやらないといけないか」

 

         ************

 

「逃げろ!」

 

 人里では闇が暴れていた。それに相対するのは1人の少女。青いワンピースのようなものを来て、頭には六面体と三角錐の間に板を挟んだような奇妙な青い帽子が乗せられている。

 

「ルーミア!やめろ!」

 

 また1人、人間が闇に飲まれた。一瞬だけ断末魔が響き、すぐにそれすら闇に消える。少女は必死に弾幕を放つが効いている様子はなく、全てが闇に溶け落ちる。

 そして、遂に少女にまでその闇が手を伸ばす。少女は回避、しかし、その闇の狙いは少女だけでは無かった。その背後、少し先を逃げる子供。そこに向かって闇が伸びる。慌てて闇に弾幕を撃ち込むが、やはり効いている様子はない。子供の絶望に歪み、涙を溢しそうな表情が少女を捉える。

 しかし、その闇は業火によってその道を絶たれた。

 

「慧音。大丈夫か」

 

 慧音の前で、その灰のような白髪が揺れる。白のカッターシャツ、赤いモンペのようなズボンをサスペンダーで吊っている。

 

「妹紅......」

 

「慧音。村人は任せた」

 

 まるで頑張ったとでも言いたげに慧音の肩を叩く妹紅。

 

「任せたぞ」

 

 そう言い残して慧音は先程の子供の方へと駆ける。それを見送って、妹紅は闇へと振り向く。

 

「ルーミア。お仕置きの時間だ」

 

 大きく息を吸い込み、妹紅の体から揺らめく炎がまるで溢れるかのように滲み出す。

 

「今宵の炎は、お嬢ちゃんのトラウマになるよ」

 

 この宣言と共に、全てを喰らう闇と万物を灰燼と化す業火が衝突する。

 

 

 



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37話 今日も月は、夜の闇にただ1人


 


 

 人々の悲鳴と嗚咽が狂想曲のように響いている。赤い霧に包まれた村の中で家家は倒壊し、炎に包まれた。助けを求める声が響いて、大きく家が崩れた瞬間に消える。誰も彼もが逃げ惑っている、逃げる場所などないのに。外には妖怪がいる。人間にとって、この村は唯一の安全地帯だった。

 そんな村で、炎と闇が衝突する。その中心には2人の少女がいた。1人は足まで伸びた白髪をなびかせながら腕に炎を纏って闇に向かっている妹紅。そしてもう1人が、身体から噴き出す闇を服の様に身体に纏ったルーミア。その瞳からは絶えず涙が流れており、うわごとのようにごめんなさいと呟いている。

 妹紅が一度空へと急浮上、全身に炎を纏うと急降下。一つの大きな火球が闇と衝突する。空気を焦がす炎と全てを溶かす闇。衝突は数秒続き、最終的には闇から火球が離れる。

 

「面倒な能力だな」

 

 炎をを解いた妹紅の足は無くなっていた。しかし、妹紅が自らの喉を手に持った短刀で掻き切ると血液が蒸発するほどその体が炎上し、その炎が消えた頃には妹紅の傷は跡形も無くなっていた。

 それを見届けてから再度闇が襲いくる。妹紅は業火で対応するが、徐々に押されつつある。そしてその理由に妹紅はすぐに気付く。

 1つはルーミアが妖怪であるということ。これだけの惨劇を生み出されれば人々は畏れる。畏れを集めれば強くなる。それが妖怪の本質。

 もう1つが人々が遠くに逃げた事だ。これまで人間を狙っていた攻撃が妹紅を狙っている。だが、ここで何処かに退避出来るわけではない。恐らく人間は村の外には出ていない。村の外には多くの妖怪が居る。いくら慧音がいたとしても守り切る事はできない。

 要は、妹紅はここでルーミアを止めなければいけない。しかし、苛烈になっていく攻撃は徐々に妹紅の業火を超えてくる。

 

「一手足りないな」

 

 現状妹紅の抱える問題は一つ。人手不足。あの闇に妹紅の攻撃は有効。しかし、ルーミアに届かせることが出来ていない。原因はあの闇の防御力の高さ。1vs1では炎が闇に溶かし切られてしまう。

 周囲を焼き切る勢いで燃やせば闇を突破できるかも知れない、が。ここは村。そんなことをすればどうなってしまうのかは想像に難く無い。しかし、全力を出さない限りはルーミアの闇を突破できそうきないと言うのも事実。

 

「一手欲しいだろ」

 

 空から声が響く。そこには深淵から湧き上がって来たような闇。慌てて妹紅は回避行動を取る。

 直後、二つの闇が激突、お互いにお互いを喰らい合う。しばらくするとその闇から何かが産み落とされる。産まれたての子供のように闇に濡れているそれは風に舞う絹の様に妹紅の横に降り立つ。

 そこにいたのは黒いフードを纏った誰かだった。ただ、そのフードはまるで生きているかのように空気の流れを無視して揺らめいている。

 

「アンタは......いや無粋か」

 

「あの時はありがとう。手伝ってくれるか?」

 

 顔を見せることはなく、ソレは静かに告げる。腕と足には何故か鎖が絡みついていた。闇そのものであるフードとマントを羽織ったその姿も相まってまるで獄中から抜けて来た罪人だ。

 

「こちらこそ、頼む」

 

 しかし、それを気にもせず妹紅は共闘を願い出る。その回答を聞いたフードは静かに頷くと再度口を開く、刹那2人を目掛け飛んできた闇を妹紅の炎が打ち消す。

 

「アレを倒せる様な技はあるか?」

 

「あるにはあるが、場所が悪い」

 

「なるほど。わかった。横に飛べ」

 

 フードの指示で2人は同時に横に飛ぶ。刹那、地面から闇が針のように飛び出す。

 

「なら、隙を作れるか」

 

「任せろ」

 

 少し距離があるためか、お互いに声を張る。対象が2人になった事もあってか闇の攻撃が分散し、処理が容易になった。今なら反撃もできる。

 妹紅は胸元から一枚の札を出すとそれは彼女の炎によって燃え尽きた。そして、彼女の身体もまた業火に包まれるそれを見送った誰かは呼吸を整えてルーミアをその相貌で捉える。

 

「パゼストバイフェニックス」

 

 業火は不死鳥を形取り、大地を焦がしながらルーミアに猛進する。大量の闇が応戦するが妹紅には届かない。いや、正確には届いている。しかし。その全てがダメージにはなっていない。いくら喰らおうともその不死鳥は死なない。その名の通りに。

 

「1人で勝てるんじゃねぇか?」

 

 誰かはそんな事を不平気味に呟き、祈り子のように両の手を重ねる。

 

「暗い、昏い、星月夜を喰らう。光は月光を守ることを選んだ。取り残された1人、私はたった一つの願いを告げる」

 

 詠唱の完了と同時に世界は急激に黒に染め上げられる。そこには取り残された一人ぼっちの月。そして月はその手を祈り子のように重ねる。

 

「闇に喰われた星月夜。光に飲まれた朧月。私はたった一つの願いを告げる」

 

 その詠唱によって少女の前に立つ誰かを鎖で繋ぎ止める。そしてそのフードを剥ぐ。そこにいるのは古明地こよみのはずだった。しかし、そこにいたのは。闇の中で光り輝く月だった。そして、その腕には先程繋いだはずの鎖がない。

 

「なんで......」

 

 そう呟いた瞬間その月が闇に溶ける。

 

「私は1人。願い続ける。全てを闇に帰した夜よ」

 

 その背後から、聞き覚えのある声で詠唱が完了される。突如として量の手足を鎖で繋ぎ止められる。

 

「こよみ......?」

 

「裁きを」

 

 静かな宣告が、闇の中に響く。

 精一杯振り返るとそこにはフードを翻しながら、急接近して来ている古明地こよみの姿があった。その髪は、月のように輝いている。

 

「ありがとう」

 

 刹那一閃。鈍い音が響き、闇が晴れる。そこにいたのは古明地こよみによってフードをかけられ抱き上げられているルーミアだった。その髪は、先程が嘘のように黒く染まっている。

 

 



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38話 紅霧


 他者を、救済せよ

 他者を、救済せよ
 
 例え、


 

「アンタの方が十分強そうだけど?」

 

 闇の晴れた世界で妹紅がこよみを迎えた。その腕にはルーミアがおり、先ほどまでこよみが羽織っていたローブを被せられている。

 

「わ......俺にはあんな不死身技ない」

 

 苦笑いしながらこよみは周囲を見回す。その心に残っているのは後悔だ。村だった周囲は原型を留めていない。炭になり、闇に溶かされ崩れている。人がもう一度暮らせるようになるにはどれ程掛かるだろうか。

 何もかも、ルーミアをあの時すぐ戻って止めていれば起きなかった悲劇。

 

「ありがとう。おねーさん」

 

 驚いて振り返るとそこには見た目10歳程度の子供。

 

「......妹紅。ルーミアを頼む」

 

 その子供を無視するようにしてこよみはルーミアを妹紅に預ける。そして、重力に逆らい森の方へと向かって飛んで行く。

 

「おい、アンタ......」

 

 その背に妹紅が声を掛けるが、こよみは一切の反応を示さない。まるで何事も無かったかのように村の外へと消えていく。

 

        **********

 

 森を1人で歩くこよみ。その顔色は悪い。幽鬼の様な足取りで森の中を進んでいく。周囲に漂う赤い霧は未だに何なのかは分からない。ルーミアがああなった理由も。自分がどうしてこんな事になっているのかも。ただ、こよみはただ一つ理解していることがある。それは今は人間に会ってはいけないということだ。

 今のこの精神状態には思い当たる節がある。恐らくルーミアにあそこまで過度な同調を行ったためだ。ただ、あれ以外に打開策は無かっただろう。妹紅では火力が出しきれない。裂け目でルーミアを移動させるというのは現実的ではない上に、あんな大勢に俺の能力を見られる訳にはいかない。

 結果がこれだ。妹紅の後ろ、村の端から現れた人々を見た瞬間。衝動に駆られた。それは悪意、それは殺意。そして絶望的なまでの飢餓。

 人を見て異常に空腹なった。信じたくはないが、なってしまったものは仕方がない。咄嗟に村から逃げたから良いものの長居すれば今度は俺がルーミアと同じことをする所だった。そんな確信がある。

 

「お姉さん。辛そうね」

 

 木に手をつき、荒い呼吸を繰り返すこよみは慌てて振り返る。人間でないことを祈りながら。

 そこには1人の少女が立っていた。それは半袖の白いシャツと赤いドレス。頭にはナイトキャップを被っている。ただ、それは人間ではないだろう。その背にはねじられた枝のような翼が生え、装飾の様に七色の宝石が吊り下げられている。ただ、それは翼というには心許なく、装飾というにはあまりに生々しい。

 

「人間じゃないな。何用だ」

 

 身構えるこよみを見て、少女が笑う。ふわりと黄金色の髪と、背中に釣られた七色の宝石が揺れる。

 

「すごい敵意だね。でも私は貴方と戦う気はない。私はフランドール・スカーレット。幻想郷に住む吸血鬼にして、レミリア・スカーレットの妹」

 

 ドレスの端を掴みながら仰々しい挨拶をする少女。

 

「今度は吸血鬼かよ。何だ、血でも吸いたいってか」

 

 頭が痛いとでもいいたげにこよみは頭を抑える。そして、服に手をかけ、首筋を露わにする。

 

「へ......変態」

 

 その恥じらいを含んだ声にゆっくりと顔をあげるとそこには顔を真っ赤にしたフランドールがいた。ただ、その瞳は一心に首筋に注がれている。

 

「あー、そんな感じか。漫画で見たな」

 

 薄ぼんやりと、ここに来る前に来た漫画の吸血鬼が首筋を露出されると顔を赤くするシーンを思い出した。

 

「でもダメ。私はあの子からしか吸わないって決めてるの。浮気になっちゃうわ」

 

 目を瞑り、耐えている彼女を見て流石に申し訳なくなり、首筋を隠す。

 

「で、お願いって何だ」

 

 こよみは心に渦巻く憎悪に対して自らを騙して対応する。自分は怒ってなどおらず、腹も減っていない。人はただただ人であると。食べ物ではない。

 

「アイツを止めて欲しい」

 

「アイツ?あー、お前のお姉さんの事か。前に起こした異変を繰り返している上に様子がおかしいと。なるほどな。この霧はそれなのか。となると霊夢が村にいなかったのはそういう事か」

 

 一瞬何も言っていないのにも関わらず全てを仕立てたことにフランドールは疑問を感じるが、すぐに新聞で見た古明地こよみの能力を思い出す。

 

「それが同調。さとり妖怪と本当に似てるわね」

 

「そういう事だ。あんまり長話をしている余裕もなくてな」

 

 こよみの身体からは黒い靄が漏れ出していた。まるで内包する何かが限界に達したかの様に。

 

「一回離れてくれ。話はそれからだ」

 

 その声に応じてフランドールはその身体を浮かせる。背から生えている翼は飾りなのだろう。それで飛んでいる様な様子はない。あんな物で飛ばれても困るわけだが。

 古明地こよみは大きく深呼吸。拳を固めたところで止まる。そして、何を思ったか再度大きく息を吸うと身体から力を抜く。

 

「これでも良いわけか」

 

 自重気味に薄気味悪く笑ったこよみ。その身体からは靄は既に出ていない。

 

「もう。大丈夫だ」

 

 上空で飛んでいるフランドールを呼び戻し、こよみは少女を前にして再度問いを投げる。

 

「で、私の望みは叶えてくれるのかしら」

 

 その問いに、こよみは顎に手を当てて考える。何を考えているのかを理解できるのはさとり妖怪くらいのものだろう。

 

「まぁ、吸血鬼がどんな物なのか。それに関しては結構興味がある。ただ、俺の予想では博麗の巫女がすでに向かっていると思う。彼女は最強だと聞いているんだが、俺は必要なのか?」

 

「ええ。貴方は必要よ。何せ博麗の巫女では今回は力不足」

 

「なら、俺が行っても無駄だと思うが」

 

 博麗の巫女。それは聞いた話によれは最強の一角。地底で助けてもらった時にこよみは勝てる気がしなかった。もし、本当にそれで敵わないのであればこよみが勝てる道理はない。

 

「博麗霊夢は最強ではないわ。彼女が最強なのは結局のところ弾幕ごっこ。でもアイツが始めようと捨てるのは違うの」

 

 一体何を、こよみがそう聞く前に能力によって一つの回答が得られた。

 

「なるほどな」

 

 古明地こよみの手に入れた回答。それは、新しい世界。

 それを理解したと同時に舌打ちする。

 

「あぁ、俺はただ呑気に生きたいだけだったのになぁ」

 

 ぽつりとそんなことを呟く。それを聞いたフランドールがその手を握る。

 

「ごめんなさい。でも、貴方にしか出来ないことなの。もうわかってるんでしょう?」

 

「あぁ、わかってる。俺が何のために生きるのか。なんてな」

 

 古明地こよみは空を舞う。1人の少女を連れて。赤い霧で染められた幻想郷を。

 他者を救う。この幻想郷を救う。その行動の果てに何が待っているのか。それを明確に理解しながらも。

 



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39話 氷の妖精


誰も気づかぬ嘘があるならそれは真実となる。


 

 赤い霧に包まれた空を2人の少女が飛んでいる。眼下には広大な森が広がっていた。先ほどの場所からまだ数分。赤い霧は一向に晴れず、フランドールの話によればまだ目的地には時間がかかるらしい。

 そんな中、2人は特に会話することもなく目的地を目指していた。その気まずい静寂をこよみが破る。

 

「この霧毒とかないよな」

 

「貴方なら大丈夫。妖気が混ざってるから村の人間だと毒」

 

 衝撃的な真実に慌てて口を覆うこよみ。様々な死に方があるが、その中でも毒で死ぬのだけは嫌だった。ついでに溺死も嫌だった。

 理由は単純、辛いから。

 

「いや俺元人間なんだが。大丈夫なのか」

 

「実際今元気なら大丈夫」

 

 にこやかに笑うフランドールにこよみは一つため息を吐き、口から手を退ける。そして、その横を何かが掠める。

 

「なんだ」

 

 それは背後から飛んできていた。慌てて振り返ると今度は真下から何かが飛んでくる。咄嗟に避けるが間に合わず、腕を掠めた。それは、氷だった。ただし、その先端を鋭利に尖らせた氷。そして、流れ出るべき血はまるで時が止まったかのように凍結している。

 

「フランドール」

 

「簡単には行けないってこと」

 

「そうじゃなくて。こっちに寄ってくれ」

 

 こよみはフランドールを抱き寄せると右手の指を鳴らす。それに呼応して点々と空に光が産まれた。赤い空に星空が生まれる。

 そして、こよみの目配せひとつで、その星は眩い星光でもって地上を焼き払った。

 

「は......?」

 

 降り注ぐ光によって焼き払われた木々は炎上し、大地には穴が開く。逃げようと飛び上がった鳥はその羽を穿たれ地に落ちたのちに脳天を射抜かれた。生きようと森を走る狐の家族は子供が穿たれ、親が助けに踵を返した瞬間その手足を焼き切られた。

 その地獄にフランドールはただ絶句していた。しかしその様をこよみは心底不思議そうに見つめて言い放つ。

 

「何を驚いてるんだ。こうするのが一番早いだろう?」

 

「貴方......」

 

 見る限り、空に姿は見えない。上にも見えない。となれば眼下の森が一番怪しい。それは当然の帰着だ。だからこそ、古明地こよみは森を攻撃した。例えどこに隠れていようと終わりを迎えるように。

 しかし、その攻撃では死ななかったらしい。地上には巨大な氷が生まれ、攻撃から森を守っていた。その氷から1人の少女が現れる。空色のワンピース。腰まで伸びたラムネのような青い髪。背中には透き通った氷でできた翼が生えている。

 

「外の世界から来たってヤツね。最強の私が相手だ」

 

 腰に手を当てて立ち塞がるその少女を見てこよみは微笑を浮かべる。

 

「空飛んでるだけのやつを突然攻撃しておいて、正義のヒーロー面はキツいだろ」

 

「うるさい。私を、バカにする奴はみんな凍らせるんだ」

 

 こよみは集積した記憶を探る。たった一つだけヒットした。それはルーミアの記憶。彼女にとっては友達だったらしい。だが、記憶と少し風貌が違う。

 

「何が起きてるんだか」

 

 こよみは大きくため息を吐くと未だに抱き寄せていたフランドールを離す。

 

「そういえば、フランドール。お前は戦えるのか?」

 

「勿論。悪魔の妹と呼ばれる程度にはね」

 

「十分だな」

 

 正直能力も何もかもまだわからないし、知ろうとも思わないが。悪魔と呼ばれるのであればそれだけの何かがあるのだろう。

 

「なら自分の身は自分で守ってくれ」

 

 こよみは右手に光剣を携え、周囲に光でもって作られた武器を生成する。

 

「私の記憶のチルノと違うなぁ」

 

 ルーミアの記憶にあったチルノはもっと幼く、髪も短く、そして背には、氷のかけらがあった。朧げな記憶ではあるが、少なくとも、こんな竜のような翼だという記憶はない。

 

「あたいは会った事ないよ。古明地こよみ」

 

 チルノもまるでこよみを真似るかのように右手に氷でできた直剣を握り、その周囲を氷の破片が舞う。

 

「はは、俺のこと知ってるならいいじゃねぇか」

 

 そう言ったこよみが右手をかざした瞬間に氷と光が衝突する。お互いに動く事はない。冷静に相手の攻撃に対して自分の攻撃を合わせるだけ。

 

「まぁ、あたいの勝ちだけどね」

 

 突然チルノが右手を握る。すると、まるで内側から現れたかのように突如こよみの腕を氷の棘が貫く。運が悪いのがその腕が利き腕の右だった事だ。握っていた武器は地面に落下していく。それに驚いた隙を逃す事なく、突如こよみの周囲から氷の礫が現れる。

 

「これも記憶外だな」

 

 そう呟いたこよみの身体に殺到する氷の礫。氷の衝突音が響き、砕けた破片でその姿は掻き消える。

 

「正義は勝つのさ」

 

 勝ち誇ったように腰に手を置き、威張るチルノ。しかし、その状態でもなお礫はぶつけ続けていた。気付けばそこには巨大な氷が形成されていた。幾重にもぶつけられた氷によって内部は見えないが、生存が絶望的だろうという事は誰の目にも明らかだ。

 

「キュッとして」

 

 その様を見ていたフランドールは右の掌をその上にチルノが見えるように広げる。

 

「ドカン」

 

 その手のひらが握られた瞬間にチルノの体が砕けた。

 

「危ないなぁ。貴方も悪いヤツ?」

 

 しかし、チルノは砕けたまま話し続ける。そして、氷が集まったかと思うと再度身体を形成する。その影響でこよみにぶつかる氷の礫は止まったが、砕いた程度では致命傷にはなり得ないらしい。

 

「思った以上に面倒......」

 

「わかるー」

 

 あっけらかんとした声が響く。それは、氷の礫の中から聞こえてきている。

 

「まだ生きてるの?」

 

「閉じ込めたくらいじゃ死なないさ」

 

 苦笑する声が聞こえると同時に氷から闇が溢れる。氷の全てを飲み込んだそれが明けるとそこには古明地こよみだけが残っていた。

 

「やぁ」

 

 その右腕は既に何事も無かったかのように戻っている。

 

「ラウンド2と行こう」

 

 そして、軽々と宣言する少女のその髪は、月の様に輝いていた。

 

 



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40話 wind of fear


 自由とは存在しない。

もしあるとするならば、世間の全てを知らない赤子の手の上のみに存在する。

 故に無知こそが真の自由である。


 

「ラウンド2と行こうか」

 

 宣言と共に、こよみの周囲に光の剣が並び立つ。まるで闇に飲まれるかの様にその髪は黒に戻っていた。

 

「今の......」

 

 何かに気づいてかチルノは呆然とこよみを見つめている。

 

「どうしたんだ。俺を倒すとかなんとか言ってただろ。まぁ、来ないなら。こっちから行くが」

 

 しかし、その宣言通りの行動はこよみには出来なかった。振りかざした手が地面に落下していく。

 

「は?」

 

 続けてもう一つの手が、次々胴体を置いて落ちていく。同時に走る激痛に備えて能力発動。痛みは騙したが、今はそれどころでは無い。

 腕のあった位置から血を地面に垂れ流しながら周囲を見回す。こよみの背後、その先に翡翠の髪を腰まで伸ばした少女が飛んでいた。

 

「クソが。今はタイマン中だろ」

 

 視線の先でその少女が手を掲げる。攻撃の種類すらわからない。闇で防げるのかは怪しい。この状況でわざわざ俺を狙うか。

 答えが出ると同時にフランドールを開いたスキマに蹴り飛ばし、自分の周囲を闇で囲う。

 しかし、その闇を何かは切り裂いた。咄嗟に上空に飛ぶが、回避が間に合わず両の足首が切断される。

 

「なるほど」

 

 地面に降りても走れない。出血は絶望的だが止める手がない。だが、攻撃できないわけではない。

 

「もう誰も見てねぇからな。お試しだ」

 

 今この状況で勝つにはどうすれば良いか。簡単だ。武器があれば良い。そして、俺はその武器を作る手段を持っている。何も手に持つ必要などない。なら。

 しかし、その思考は叫んだチルノによってかき消された。

 

「大ちゃん!」

 

 そう叫び、友人であろう大ちゃんと呼んだ少女にチルノが飛んでいく。少しずつ明瞭になってきたその姿は黒いワンピースに翡翠の髪。という合わない組み合わせ。

 

「?」

 

 こよみは一瞬思考する。何かがおかしい。何がおかしいかはわからない。ただ、自分ではない何かがおかしいと叫んでいる。

 その疑問符が消える前に。目の前を通り過ぎたチルノの翼が切り落とされた。小さな悲鳴と共に飛行能力を失ったラムネ色が赤を散らして落ちていく。

 すぐにチルノは翼を作るが不完全なためか飛び上がれない。

 

「は?」

 

 とっさにこよみは落下していくチルノを追う。しかし、手がない。その方法も、伸ばす物も。故に、追いついたとして救えない。スキマを使ってもあの速度を緩めない限りは助けることはできない。あの速度で地面に叩きつけられればただでは済まない。妖精であればその程度の傷は問題ないかもしれないが、そんなもしもで殺したくは無い。

 そして、こよみの視線の端に映る少女が再度手を振りかざす。防御不可、視認不可、回避も難しい。目の前には助けたいと誰かが叫ぶ少女。

 

「俺は......」

 

 こよみは自らを裂け目でチルノの前方に飛ばす。そして背中から落下するチルノを支える。勢いがついた翼が腹部に突き刺さり、臓腑をゆっくりと切断しながら後ろに抜ける。口からは止めどなく血が溢れる。こよみは一瞬顔を顰めるが、次の瞬間には再度裂け目で視界の遥か先へと飛ぶ。

 周囲に目を回すと鬱蒼と茂る森の中だった。ここであればすぐに見つかると言う事はないだろう。

 

「早く抜いて逃げろ。友達だかなんだが知らんが殺されるぞ」

 

 こよみは腹の上に翼を突き刺したチルノに告げる。

 

「なんで」

 

 チルノはゆっくりと翼を抜き、四肢が落ち、腹部から止めどなく出血している少女を見つめる。氷だったのが幸したか、臓物が溢れる事はなかった。しかし、誰の目にも限界だ。

 

「なんでだろうな。俺も知らん。ただ......生きて欲しかっただけだ。だから逃げろ」

 

 こよみの口から血が溢れる。しかし、それを拭き取ることが出来ず一瞬溺れるようにもがき、身体を横に倒す。

 

「そんな体で」

 

「それは大丈夫だ。俺はこれじゃ死なない」

 

 あろう事かその身体のまま空中へと浮き上がる。既に腹部の穴は塞がり。真紅に染まった服だけが残っている。

 

「毎回毎回これだ。たまには綺麗な服で行かせてくれよ」

 

 こよみはため息をつくとその周囲を闇が覆う。それが晴れる頃には服は新品のように戻っている。既に足と腕からの出血も止まったようだ。

 

「手も足もないのに勝てるの?」

 

「あー、どうだろう。ただ、あいつの攻撃に関しては思い当たる節があるし、なんとかなるんじゃないか。て事で続きは後でな」

 

 こよみは森の中にチルノを残し飛び立つ。何かを言われかけた気がするがその全てを無視する。その背には紅霧の中で光を反射する氷の翼が生えていた。

 

「こいつは便利だな」

 

 水中を駆ける魚には鰭があり、草原を駆ける馬には脚がある。では、空を舞う鳥には何があるか。それは翼だ。空で生きると決めた者たちの標準装備。ならば、空を飛ぶのにこれ程までに素晴らしい追加装備は他に無い。彼女の翼から変化を加え、まるで竜の様になった翼を羽撃かせる。その度にいつも以上に風が頬を切る。着想はあっちでやっていたゲームの竜から持ってきた。形も大方そんなものだ、あれは火を吐くが俺はきっと氷を吐くのだろう。

 ところで話は変わるが、鎌鼬という妖怪の話を聞いたことがあるだろうか。風というのは実際に妖怪となるほどに人々から畏れられた。現実でも車から外に手を出したら空気によって皮膚が裂けたなんて話も聞いた事がある。不可視故に不可避。それが風だ。だが、常に不可視というわけでは無い。

 



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41話 愛


 愛とは狂気であり。

 狂気とは愛なのだろう。


 

 古明地こよみは森の上を飛ぶ。風を切り、ただ視線の先の湖を目指す。

 

「チルノちゃん?」

 

 その背後には、闇の様に黒く潰されたワンピースを着た少女。エメラルドの髪が、赤い霧の中で燻んでいる。そして、背には純白の翼。

 その全てを無視してこよみはさらに速度を上げる。

 

「なんで逃げるの?」

 

 ただ、逃げ切ることができない。それはこよみがまだ翼に慣れていないためか。ただ、力の差があるのか。

 

「逃げるんだ。そうやって。私はこんなにも愛してるのに」

 

 刹那、こよみは翼を畳み、地面へと急降下する。重力に置いて行かれた髪が突然切断され、赤い霧の中に混ざってこよみと共に落ちていく。

 

「洒落になってねぇな」

 

 速度では勝てない。湖に行けば策が無いわけではないが。十分な希望があるかと言われれば否だ。まだマシになるかもしれないと言うだけだ。 

 葉と枝の層を抜け。地面の足がつく直前で飛行を再開。森を飛んで距離を取ろうとすると左右の木が突然ズレる。まるで自らが切断された事に気づけなかったかの様に倒れていく。

 それを片目にこよみは森を抜ける。周囲で木々が倒れ、その大木が、枝が、彼女を襲うがその全てを無視して駆け抜ける。流石に視界を切れば当てられないのか運良く刃は当たらなかった。

 そして、視界が開ける。目の前に広がる湖に、こよみは飛び込んだ。飛行すると言う行為は止めないままに。

 湖に向かって大量の風が殺到するが、大きな飛沫を上げるだけでこよみには届かない。そして、当たらない。それが風であるならば、水中では可視化され、浮力によって速度は遅くなる。そんなものがこよみに当たるはずは無かった。

 

「チルノちゃん。溺れちゃうよ」

 

 空から湖を眺める少女はこれ以上の攻撃は無理だと判断。先の攻撃で濁ってしまった湖では水中の様子が分からず位置は把握できない。だから少女は待つ事にした。まるで恋人を待つ少女の様に。

 だが、ここで想定外の事態が起こる。既に水面は静まり返り、濁りすらも消え始めた。ただ、まだ上がってこない。

 頭の中に最悪の想像が浮かぶ。

 死んでしまったのでは?

 あれだけの怪我で水に入れば意識を失ってしまうかもしれない。でも、なら何故浮いてこないのか。何かに引っかかっている?なら助けなければ。

 ぐるぐると思考を巡らす。そして、一つの答えに辿り着く。もしこのまま死んでしまったら。

 その瞬間に体が動いた。彼女は私の最愛の人。それを自らの手で殺したとなればきっと。壊れてしまう。そう考えて、水面に近づいた瞬間。少女は溺れた。既に恋には溺れているが、少女が溺れたのは水だ。だが、別に落下したわけでも潜ったわけでもない。まるで意志を持ったかの様に水が少女を捕まえる。逃げようとどれだけ動いても水から逃れられない。次第に意識が遠のいていく。

 その先で見たのは、水面から上がってくる。知らない女だった。

 

________________________________________________________________________

 

 水面から上がってきたこよみは水ごと少女を陸に叩きつける。その後にゲホゲホと水を吐きながら立ち上がる少女の顎を掠める様に拳を振るえば、少女は地面に倒れ伏す。

 

「一体何者?」

 

 どこからかチルノが現れる。その背の翼は先ほどの不恰好なものから、既に先ほどの様な整ったものになっている。

 それに対してこよみからの回答はない。ただ、一瞥した後にふらりと森に向かうと何かを吐き出す音がしばらくした後に帰ってきた。

 

「俺は...元人間。ここで呑気に生きたかっただけのな」

 

「貴方、何のつもりよ」

 

 森からもう1人。少女が出てくる。先ほど逃したフランドールだった。どうやら逃がされたのが不服の様で、不満げにこよみを見ている。

 

「悪いな。タイマンしたくてな」

 

 さも当然とでも言いたげに苦笑しながら言い放ったこよみを、フランドールは憎々しそうに睨む。

 

「私を守ったでしょ」

 

 それを聞いて、こよみは少し考える様な表情をする。

 

「否定しても無駄よ。最初から助ける気なら戦えるかなんて聞かないでしょ」

 

「否定はしないさ。ただ、俺は今こんなだけど」

 

 両手を少し広げてほら見ろとでも言いたげにシャツの上からでも分かるほどに、女になった身体を見せる。

 

「元は男で、可愛い子いたら目の前で傷ついて欲しくないんだわ」

 

「ッ。かわ......うるさい。次やったらアイツより先に貴方を倒す。わかった?」

 

 少し紅潮した頬を隠す様に一気に後ろを向くフラン。その動きに合わせて鞭の様に背中の枝の様な翼が空を切る。危うくそれが当たりそうになって避けるこよみの表情は死んでいた。

 

「ねぇ。」

 

 そんなフランドールを横目に、チルノはこよみを見つめる。その瞳には、彼女の表情が映っている。未だに水で濡れた髪。ただ、服は全く濡れていない。

 

「なんだ」

 

 こよみは大きくため息を吐くと。右手に光を集めて短剣を作ると。背中まで伸びていた髪を肩に掛からないところまで異常な切れ味でもって切る。水に濡れた髪が地面に落下する。

 

「何やってるの?!」

 

「なんだよ。元男に長い髪は少し邪魔なんだ。それに......いやなんでもない」

 

 こよみは右手を握るとガラスが割れる様な音と共に光の短剣が壊れて粒子となって消えていく。

 

「フランドール。あの館だろう。さっさと行こう。次は門番だ」

 

 こよみの視線の先。紅い霧の中。血で染められた様な紅一色で染め上げられた館が、まるで歓迎する様に、鎮座していた。

 



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42話 塗り重ねろ


 各々がさまざまな個性を持つ世界は素晴らしい。

 ただ、その全てを混ぜた場合。

 何が生まれるだろうか。


 

 痛い。いたい。イタイ。居たい。会いたい。消えたい。

 

 様々な感情が出ては、消える。まるで、モグラ叩きの様だ。違う点と言えば、出てくるのがモグラだけではないという事くらいだろうか。可愛い小鳥から人殺しまでより取り見取り。

 定まらない自分の心に嫌気がさすが、その嫌気すらも別のものに置き換わる。

 

「だからもう。やめとけって」

 

 ため息を吐く古明地こよみ。紅い館の中。赤い灯と赤い床、赤い天井を眺めるその手には銀髪の少女の首が握られている。豪奢なメイド服は大量の切り傷でボロボロになり、この館の様に赤に染められている。一方のこよみは、対照的に無傷だ。無感情に傷だらけの少女を見つめている。

 

「私はメイド長として、いえ。1人の人間としてお嬢様を守らなければならないの」

 

 首を掴んでいる腕に、何処からか取り出した銀に輝くナイフを突き立てる。しかし、その刃はこよみに通らない。鉄を切ったかの様な音が鳴り、刃が折れた。

 

「どーでも良いよ。勝てないんだから諦めろ」

 

 少しずつ、首を握る力を強める。その姿をフランドールは呆然と見ていた。

 

「殺すの?」

 

 まるで、溢れた様に呟く。

 

「いや、リタイアしてもらうだけだ。人殺しは趣味じゃない」

 

 そう言ったこよみの腕に上空から斧が振り下ろされる。それは正確には足だった。竜の刺繍が施された緑のチャイナ服に腰まで伸びた髪を持つ少女がこよみの腕をへし折った。大きな衝撃に思わず腕を離してしまい。その瞬間メイド服の少女が消えた。

 

「わざわざ起きてくるなよ」

 

 パラパラと突き破られた天井から建物だった物が落ちてくる。先ほど侵入する際に門の前で爆睡していた少女を睨みながら腕を回す。

 異常な方向に折れ曲がったこよみの腕はもう何事もなかったかの様に回復していた。

 

「こういう戦いなら私の方が得意です。咲夜さんはお嬢様に報告を」

 

 こよみは、視界内には居ないが、咲夜と呼ばれたメイド服の少女は何処かに行ったのだろうと確信する。

 そして、次の瞬間。その宣言をした少女の腹に握り込んだ左腕を叩き込んでいた。おもちゃの様に吹き飛ぶ少女は、壁に衝突する。ヒビは入らないものの、肉が叩きつけられる音が響く。

 しかし、それだけの攻撃を受けて尚、少女は何事もなかったかの様に立ち上がる。

 

「なるほど。あの再生能力とそのスピード。厄介ですね。でも、時間くらい稼がせて貰いますよ」

 

「あぁ、確かにお前みたいなタイプ苦手だわ」

 

 憎らしげに言葉を溢した刹那こよみの姿が消える。停止した時間の中で距離を詰め、拳を振りかぶり直撃する直前で時間を再度動かす。

 絶対必中。回避不可。そんな攻撃は重ねた腕によって防がれた。

 

「正気かよ。どんな瞬発力だ」

 

「ネタはわかっているのでね」

 

 こよみは防がれた拳を下ろす。そしてそのまま数歩下がる。天井だったもののを踏みながらゆっくりと。

 

「めーりんねぇ。漢字はよくわからないけど。君はきっと良い人だ。なら、少なからず俺が止めに来た理由も理解できるのでは?」

 

 そんなことを言いながらこよみは周囲を見回し、西洋の宮殿にしか無い様な豪勢なソファーに向かう。上に散っている屋根だったものを払い、そこに腰掛けた。

 そんなこよみにめーりんと呼ばれた少女は追撃をしない。ただ、見送った。

 

「ええ、わかっていますよ。ただ、それでも私は従わなければならない」

 

 そして、めーりんは構え直す。それを見て、こよみは腕を伸ばし欠伸をする。まるでもう飽きたとでも言いたげに。

 

「俺としては、君に、フランドールとここで待っていて欲しい」

 

 挙げ句言い放ったのはそんな言葉だった。めーりんと呼ばれた少女は呆気に取られる。

 

「そんなに驚くことか?君とフランドールは結構仲が良いらしいし。あまり目の前で傷つけたく無い。それに嫌いとか言ってるけど、俺はフランドールの姉と戦うわけだろ。多分お互い無傷では済まないだろうし。あんまり見せるのもねぇ。だからここで待っていてくれよ」

 

 すらすらと、さも当然の様に少女の口は動く。悪い提案では無い。きっとソファーに座っている彼女に私は勝てない。時間は稼げると思っていたけれど、正直のところそれも怪しい。少しでも怯ませるために行っただけだった。

 

「もし嫌と言ったら?」

 

「君が勝てると思っているなら良いけど。俺、君を殺すよ?」

 

 分かりきった答えを待っているかの様に。こよみは妖しく笑う。

 

「それでも、私は」

 

 構えを取り直し、ソファーで寛ぐ少女を見据える。

 

「あー、わかったわかった」

 

 ソファーで寛ぐ少女は、仕方がないと言いたげにため息を吐く。そして、その姿が消える。どんなトリックを使ってか、瞬きの間に構えを取っていた少女の真横に現れ、その耳元に何かを囁く。それを聞いた少女は何かを言おうとして、口をつぐむ。そして、構えを解いた。

 

「それで良いんだよ。て事でフランドール。ここでお留守番していてくれ」

 

 優しく、柔らかく、朗らかに。こよみは笑う。ただ、対照的に、美鈴は警戒を緩めない。

 

「私も行くわよ」

 

「駄目です」

 

 背を向けて歩き始めたこよみを追おうとしたフランドールを美鈴が遮る。

 

「なんでよ」

 

 邪魔をするならどうなるか分かっているのかとでも言いたげに。フランドールは美鈴を睨む。

 ただ、それでも美鈴は動かない。

 

「アレは妹様を」

 

 何かを言いかけた美鈴。しかし、その声は館の奥から響く轟音によってかき消された。そして、メイド服の少女が飛んでくる。自分の意思ではなく、何者かの悪意によって。

 

「咲夜さん!」

 

 美鈴はそれを受け止める。骨は折れていない。ただし、もう意識は無かった。先程見た外相以外に傷は見えない。

 

「貴方達。何してるのよ」

 

 轟音の収まった館の中に紅白の巫女がついにやってきた。

 

 



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43話 Bloody


 こんばんわ。

 自分の生きる意味知っていますか。


 

 再度轟音の轟く館内。先程館のメイド長を助けるために作った天井の穴から屋根だったものが降ってくる。

 館が持たない。そう判断するには十分だった。

 

「誰が何してるとこんな事になるのよ」

 

 その中で、紅白の巫女衣装を身に纏った博麗霊夢がめんどくさそうに音の出所を見ている。

 先ほどよりもボロボロになり、腕の中で抱えられている既に赤と黒になったメイド服を着た咲夜が呟く。

 

「古明地こよみが、お嬢様と戦っています」

 

「私も異変を止めるために来たし、丁度いいわ。この際あいつもしばいてやるわよ」

 

 幻想郷で最強と言われる紅白の巫女は右手に持つお祓い棒を振り払い、背を向けて古明地こよみが消えていった方向へと歩き出す。

 

「ダメ」

 

 しかし、その背をフランドールが掴む。

 

「邪魔する訳?」

 

 紅白の巫女は振り返り、静かにお祓い棒の先端をフランドールに向ける。誰が見ても明確に、苛立っている。

 

「貴方じゃ勝てない。アイツがしてるのは、弾幕ごっこじゃない」

 

 そして、この言葉がさらに博麗の巫女を苛立たせた。お祓い棒を握る手が震える。

 

「は?私は博麗の巫女よ。馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ、吸血鬼。人間をあまり舐めない事ね」

 

 お祓い棒の先でフランドールの額を押し、轟音の響く館の奥へと飛んでいった。

 

「待って!」

 

 慌てて手を伸ばすが、その手は博麗の巫女には届かない。しかし、その手は白黒の魔法使いには届いた。

 

「すごい音がすると思って来たんだが。何事だ?」

 

 そこにいたのは、白黒の魔法使い。いかにも魔女といいたげな三角帽子に黒系の服、白いエプロン。金の髪と瞳。挙げ句の果てにはその手には箒が握られている。

 

「魔理沙......霊夢が」

 

 わかっているといいたげにフランドールを制して魔理沙と呼ばれた少女が言葉を紡ぐ。

 

「レミリアか。紅霧異変だもんな、これ。ただ、なんで今更」

 

 穴の空いた天井から空を見る。そこには血のように紅い霧が漂っていた。

 

「違うの。霊夢が危ないのは、」

 

  ****

 

「久々よ。こんなに楽しい戦いは」

 

 紅い館の最奥部。玉座の置かれた大広間で2人の少女が槍を交えていた。

 

「思ったように動けるというのはこんなにも楽しい事なんだな」

 

 お互いが距離をとる。1人の少女は古明地こよみ。黒いチノパンに白いシャツ。顔には歪んだ笑みを浮かべている。対する少女はフランドールと同じような服を着ている。ノブカバーの様な帽子に白のワンピース。ただ、大きく異なるのは髪色と翼だろう。ラベンダーの様な淡い紫のショートの髪と、コウモリのような黒い翼。

 

 時間は少し遡る。古明地こよみは、図書館を抜けていた。瞬間、足元で魔法陣が光る。周囲から突然石で形成された人型の魔物が現れる。ただ、次の瞬間それらは粉砕された。

 

「冗談じゃないわよ」

 

 それを空中で私は見ていた。透明化の魔法を自分にかけているので見つかることはない。

 外から戦闘音がした時点で罠を起動、追加で設置した。ただ、現れた少女は止まらない。罠を避けるわけではなく。進行方向にあるものには全てかかり、召喚物は破壊、拘束も破壊、毒などは効いている様子がない。

 図書館を抜けようとする少女の背を拘束しようと木の根を伸ばそうとした時。

 

「やめとけ?」

 

 ぐるりと振り向き、見えていないはずのこちらを見据える。その瞳は、まるで地面を歩く蟻を踏み潰す様に無邪気で純粋で。

 邪悪だった。

 それを見てしまった私はただ、息を潜めることしか出来なかった。親友が、今からこの化け物に襲われると言うのに。

 

「良いのよパチュリー。貴方じゃそれには敵わないもの。良いわ、招待しましょう。私の部屋へ」

 

 どこからか響く声。合わせて少女の目指していた扉から真紅の槍が飛び出す。それは容易に少女の体を貫くとそのまま扉の奥へと引き摺り込んだ。

 

「ようこそ。古明地こよみ。貴方を殺すわ」

 

 そう呼ばれた少女は一つの玉座に向かう階段、その玉座に座る1人の少女。その右横の壁に槍ごと突き刺さっていた。口からは吐血し、腹からはとめどなく紅が溢れており、館をさらに紅く染めていく。

 玉座に腰掛ける少女はその右手を横に振る。それに合わせて壁を砕きながら壁に突き刺さった少女を振り落とす。少女は半ば千切れた様な状況で地面に叩きつけられた。臓物を散らしながら階段を滑り落ちる。下についた事には皮一つで繋がっている様な状態だった。しかし、そんな状況でもソレは立ち上がる。

 

「妹によく似ているな」

 

 少女の体はその言葉を発する頃には治っていた。白いシャツを赤く染めている血だけが先程の惨状が嘘ではないと言っている。

 玉座から見下す様にその少女に戻ったものを見る少女の服は白いワンピースだった。紅い館には本来全く合わないが、先ほど飛び散った少女の血で、服は絵の具を振ったかのような柄が出来ていた。

 

「想像よりも進んでいるわね。貴方ももうわかっているんでしょう?地底でのんびり過ごしていれば私もこんな事をせずに済んだのに」

 

「俺も呑気に過ごしたかったさ。でも、どうやらソレだとダメらしい」

 

 わざとらしく両手を広げて苦笑する血に塗れた少女。

 

「貴方がその役を負う必要はないのよ」

 

 それを憐れむように見下す血を被った少女。

 

「折角生きる意味を見つけたんだ。この空虚な人生に」

 

「説得は無理のようね。なら、始めましょうか」

 

 少女が玉座から立ち上がる。背はフランドールと同様に高くない。中学1,2年くらいだろうか。背にはコウモリのような黒い翼。それを広げる。まるで月の輝く夜空のような紫の髪がたなびき。そして、その紅い瞳が血に濡れた水晶のように輝く。

 その手には身の丈よりも巨大な槍が握られている。

 

「ああ」

 

 古明地こよみがそう言うのと同時に、周囲に月のように輝く武器が並ぶ。

 

 そうして、異変の首謀者と呑気に過ごしたいだけ少女が同時に地を蹴った。

 

 



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44話 血で血を洗う


日常を、怠惰に。

故に、人生に色はない。


 

 気分が良い。

 

 こんなことをしたらどうなるかと言う恐怖。そんなことをしてはいけないと言う倫理。そんなものを気にする必要もなく、自分を解放する。思い描いたように体は動き、思い描いたように破壊する。

 

「なに笑ってるのよ」

 

「いや、気にしないでくれ」

 

 こうでなければならないという責任感。こうあって欲しいと言う他者からの希望。その全てを無視する。自分の思うように、自分のしたいように動く。

 刀を作り、身をかがめ、全力で地を蹴る。地面は砕け、こよみはまるで隼のようにレミリアに急接近。刀を抜くが、少女はそれを槍で容易に受け止める。武器の強度の差が出たか、受け止められた瞬間に刀が折れた。

 その隙を見逃さず、突き出された真紅の槍を身を捻って避ける。確実に避けた一撃。しかし、その攻撃は脇腹を貫いた。

 しかし、古明地こよみは止まらない。両手に短剣を持つと再度強襲。しかし、槍を持つレミリアに対して短剣ではリーチが足りない。十分な距離を保たれながら攻撃を繰り返し続けるレミリア。ただ、蝶のようにその攻撃を避けるこよみによって徐々に壁際に追い詰められていく。

 そして、背が壁に触れた瞬間にこよみは先程以上にスピードを上げて懐へ。

 

「甘いのよ」

 

 それに合わせてレミリアは上に飛行、距離を取る。短剣を避けるのには十分すぎる距離のはずだった。しかし、次の瞬間鋭い痛みと共に地面に落ちていた。

 

「なにが甘いって?」

 

 こよみの手には、直剣が握られている。短剣を振る最中に直剣に変えたことによるリーチの変化。それによって蝙蝠のような羽が切り落とされていた。

 それを見て、今度はこよみが上から見下ろすようにして笑う。

 

「少しはやるようね。でも、私を舐めない事ね」

 

 瞬間レミリアが立ち上がり、槍を突き出す。容易に避けることの出来る攻撃だった。こよみは体を捻って避ける。だが、槍は腹部を貫く。それを引き抜こうと古明地こよみは掴む。

 レミリアが右手を掲げ、鈍い光を集める。

 

「消えなさい」

 

 声と共に、赤い光がこよみの右肩を吹き飛ばす。いや、正確には消しとばしたと言った方が正しいか。まるで沸騰したかのように血が煮立ち、肩から溢れる。地面に光で作られた剣だけが落下する。

 

「繋ぐのは簡単でも作るのは難しいのよ」

 

 そのままその光で左肩も消したレミリアは勝ち誇ったように笑い、こよみを蹴り飛ばし、そのまま槍を抜き去る。

 

「お姉ちゃんがそんなことするなんて、私は悲しいよ」 

 

 だが、こよみはなにもなかったかのように立ち上がるとその身体が赤に包まれる。周囲に撒き散らされていたこよみの血が徐々に集まり、球体を形成する。

 

「なるほど。ここからと言ったところかしら」

 

「始めようか」

 

 その球体から現れたのはこよみのはずだった。しかし、視覚の情報がそれを否定している。

 金の髪に紫のメッシュ。右手には身の丈はありそうな赤い槍が握られている。そして、背には竜にも似た黒い翼が生えている。

 ただ、血に塗れた服、それだけが、あれがこよみはではないかと伝えている。

 

「私の思っていた以上に酷いのね」

 

「残念ながら」

 

 こよみと思われるものはニコリと笑う。ただ、その笑みはまるで空虚だ。その姿を確認してレミリアは槍を掲げる。そして、次の瞬間。紅がその槍に集まる。

 

「神槍」

 

 その言葉と共に、十分に紅を吸った槍が朧げに輝きながら脈打つ。

 

「スピア・ザ・グングニル」

 

 そして、その宣言と共に、槍を投げる。

 

「なるほど」

 

 こよみはその槍を、自らの槍で弾く。それを見たレミリアの目が驚いたように開く。

 

「小細工で勝っても楽しくないだろ。ここは正々堂々やろう」

 

 こよみは槍を構えて、レミリアにその切先を向ける。

 

「ふふ。そうね。良いわ。思う存分、殺し合いましょう!」

 

 レミリアは霧を集めて槍を再度出現させるとこよみに対して飛来する。既に翼は回復しており、空気と共に風を切り裂くが、こよみはそれを自らの槍で受け止める。

 

「久々よ。こんなに楽しい戦いは」

 

 紅い館の最奥部。玉座の置かれた大広間で2人の少女が槍を交えていた。

 

「思ったように動けるというのはこんなにも楽しい事なんだな」

 

 風を切って、音を置き去りに、2つの赤が交差する。しかし、そのすべてはお互いに致命傷を与えられない。確実に当たりそうな攻撃もすんでのところで弾かれる。

 

「でも残念。次の機会だな」

 

 こよみの姿が元に戻る。黒い髪に、紅く染まったシャツと傷だらけで肌色が見えている面積の方が多いチノパン。

 そして、レミリアの槍の柄を受けて吹き飛んだ。

 

「は?」

 

「あんたらいい加減にしなさいよ!」

 

 こよみでもレミリアでもない声が響く。扉を蹴り開けて入ってきたのは紅白の巫女だった。

 

「霊夢」

 

 レミリアは槍を構えるが、少し考えた後に槍を置く。その槍は手を離れると同時に周囲の紅へと帰っていく。

 

「降参。あの外来人とやって疲れたわ」

 

 両手をあげて降参したレミリアに紅白の巫女は歩み寄る。そして、

 

「それで、許す訳。ないでしょうが」

 

 思い切り殴った。しかし、その攻撃はあまり効果が無かったようでレミリアは立ったままだ。それを紅白の巫女が憎らしそうに睨む。ただ、睨んでいたのはそれが理由ではないらしい。

 レミリアは殴ってきた巫女ではなく、パラパラと崩れる壁を見ていた。そこは先程古明地こよみを吹き飛ばした場所だ。

 

「流石に強い。後は巫女さんに任せるわ」

 

 悠長に瓦礫の中を退けて現れたこよみが告げる。その身体にはもう傷はなく。なぜか服も先程の血が消えて、新品同様になっていた。

 それを見て、レミリアは少し悲しそうに笑った。

 



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45話 幕は降りない

 
 終わりがあるから美しい

 あぁ、きっと美しいだろう。

 だが、そのあとは?


 

 服についた埃を払って、こよみは伸びをする。

 

「じゃ、俺地底に帰るんで。後はよろしく」

 

 あー疲れたと言いながらこよみは紅白の巫女が蹴破った扉から外に出ようとしたところで、飛んできた箒にぶつかった。正確には、箒を乗り物にしている金髪の魔女と衝突した。鈍い音が響き、こよみはうずくまる。

 

「あ、ごめん」

 

「あ....じゃねぇよ....前見て運転してくれ」

 

 うずくまるこよみの背を申し訳なさそうに魔女が撫でる。

 

「魔理沙?遅かったじゃない。もう終わったわよ」

 

 こよみの背をさするのをやめ。霊夢の方に視線を投げる。

 

「知ってるよ。まぁ、怪我がなくて良かった」

 

「はぁ、今度こそ俺は行くからな。後、せめて妹には理由を伝えた方が良かったんじゃないか?じゃ」

 

 先程の衝突でダメージを負った横腹をさすりながら、それだけ言い残してこよみは廊下を曲がっていった。

 それを見送って、霊夢は言葉を発する。

 

「で、どうだったのかしら。あいつは」

 

「強いわよ」

 

 レミリアの回答に霊夢はため息をつく。

 その反応を見て、レミリアが言葉を続けた。

 

「能力の恐ろしさだけで言えば、貴方と同格かもね。霊夢」

 

「まぁ、フランが危ないって言うくらいだ。そろそろなんとかした方が良いんじゃないか?」

 

 そんな、呑気に暮らしたいだけの元人間の対策会議が行われていた頃。こよみは、既に湖の上にいた。

 裂け目での移動はあえてしていない。ただ、呆然と空を飛んでいる。思考が纏まらない。何かを考えようとする度に、思考にノイズが走る。

 正確には、多くの声が聞こえる。

 

「久々だな」

 

 と言っても。ここまで酷いのは久しかった。何かを考えると誰かが意見を行う。それ延々と行っている。そこに議論はない。ただ。各々が自分の意見を言っている。

 

「うるさいな」

 

 原因は大方見当がついている。解決法も。ただ、どうやら少し耐えないといけないらしい。こよみは、こんなことは慣れてると自分に言い聞かせて空を飛ぶ。多くの自分がそれに意見を述べるが、それは無視した。

 気付けは森を越え、村が見えてきている。そう言えば、あの後どうなったのだろうと、こよみはなんとなくでその村に寄ることにした。

 それが、最悪の判断だとも知らずに。

 

      ***

 

「フラン」

 

 赤い霧は既に収まった。霊夢と魔理沙との会話も終えて、レミリア・スカーレット、この館の主人は妹と食卓を囲んでいた。

 上品にナイフとフォークを使って食事をする妹にこえをかけえうが、回答はない。

 

「なんであんなことしたの」

 

 一体何を聞いているのか。それは明白だ。紅霧異変私はそれをもう一度起こした。何故か、そう聞かれている。しかし、私には答えられない。

 

「それは」

 

「言えないんでしょ。そうやっていつも隠すよね。大事な話は。私ももう、子供じゃないのに」

 

 何も言えない。気まずい静寂が走る。もしもここに、咲夜や美鈴がいれば話を変えるなどしてくれたかもしれないが、今は咲夜を永遠亭に連れて行くために美鈴もいない。親友たるパチュリーは先程あの外来人のせいで被害を受けた図書館の修復に忙しいらしい。

 

「ごめんなさい。でも、これは貴方を守るためなの」

 

 これは真実だ。愛しの妹を守るために。あの行為は必要だった。そして、実際に情報が手に入った。

 

「どうせ何を言っても言わないもんね。あそこから出ても結局変わらない。もう良いよ。外の空気を吸ってくる」

 

 私にはその背を止められない。今は、止める権利すらない。

 未だに皿には夕食が残っている。かなりレアで焼き上げられた肉が、少し掛けた状態で放置されている。1人残された食卓で、紅の女王は食事を続けた。

 

「なんなのよ」

 

 食堂を出て、廊下を飛ぶ。何体かのメイド妖精とすれ違うが、皆あえて視線を外す。

 いつも通りだ。悪魔の妹と呼ばれた私を、皆畏れている。

 

「こよみ......ね」

 

 考えているのはあの外来人の事だ。あいつは、私を守ろうとした。それも二度も。悪魔の妹と呼ばれるだけあって、私は実力もある。だからこそ、守られる経験は少ない。あれは私にとって屈辱であり、どこか嬉しかった。

 

「こんな場所......」

 

 右手を構えて。手に握ったそれを眺める。そして、手を振って、窓を開く。外では鳥が青空の下を羽ばたいている。それを遮るものは何もない。

 

「じゃあね」

 

 フランドールはふわりと体を浮かせる。しかし、背に生えた枝のような羽では空は飛べない。

 故に浮くのだ。鳥の様に。例え、羽ばたく事は出来ずとも何にも遮られることなく空を飛ぶということには分かりない。

 故にこれは告別だ。自分で未来を選ぶ選択でもある。

 

 そして、それには責任が伴う。

 

      ***

 

「あれで良かったの?」

 

 先ほどはレミリア以外誰もいなかった食卓に、もう1人の少女が座っていた。黒いクラシカルなワンピース。黒い髪は背中まで伸びている。

 少女と言う言葉の具現化とも言えるその風貌で、食卓に並べられた食事を眺める。

 

「これがあの子のためだから」

 

「あぁそう」

 

 その少女はそれだけ言い残すと、食卓に置かれていた紅茶を一口だけ飲み。裂け目へ消えていく。

 それを見送ってレミリアは紅茶を啜る。

 

「あの外来人のもたらす未来。それはきっと貴方の望むものではないわよ」

 

 そんな言葉を、一つ残して。

 

 

 



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46話 嫉


人間は同じものあろうとする。

故に、突出した何かに憧れ。

それが手に入らないとわかると、妬むのだ。


 

 腕には暖かい赤が握られている。そして、それに食らいつく。まるで体温のような暖かさが口の中に広がり、続けて錆びた鉄の様な匂いが拾いが追いかける。

 それが誰のものなのか。そんなことに興味はない。

 ただ、一つ言えるのは。

 

 俺達は許せなかった。

 

           *****

 

「パルスィさん。なんでこんなことを」

 

 目の前には緑の蒸気を噴き上げる少女。ショートの金髪は揺らめき、黒い浴衣の袖を揺らす。そして、その中で、深緑の眼光だけが。私を見つめていた。

 回答はない。勝てる見込みもない。

 右には、地面に倒れて動かない鬼。既に地底最強は地に倒れていた。

 

「貴方は」

 

 口を開いた瞬間。緑が肉薄する。咄嗟にしゃがみ、間一髪でパルスィの突き出した釘を避ける。そして、そのまま大きく後方へ飛ぶ。

 緑を吹き出す少女は、追ってこなかった。

 相性は最悪だ。心を読んでも、嫉妬を原動力に動く彼女の次の動きは読めない。

 けれど、なんとかするしかない。勇儀さんはもう動けない。お燐とお空には館を守る様に言いつけてある。そのため助力も望めない。正直、状況は絶望的。ただ、そうであったとしてもなんとかしないといけない。なぜなら、こんな感情の塊をこよみにだけには会わせてはいけないからだ。

 再度距離を取り、手を探る。力は足りない。技術も足りない。速さも足りない。ただ、私には能力がある。

 

「あぁ、妬ましいわ。みんなに嫌われていると言いながら、実のところは家臣にこの上なく好かれている。私には、そんなにも私を思ってくれる人はいなかった」

 

 緑が軌道を描いて、右手に持った槌を振りかぶる。回避が間に合わない。死なない為に、腕で体を庇おうとする。その刹那、その槌が弾かれる。

 

「さとり様!」

 

 その槌は、巨大な砲台によって弾かれていた。と言ってもそれは腕についている。刹那その砲台から光が放たれる。薙ぐように放たれたそれは回避はされたもののそれはパルスィの肌を黒い着物の上から焼いた。

 その光線とは、核融合であった。外の人間ですら手に余る超科学。それをお空はその右手の砲身から放つことができる。

 

「お空、地霊殿は?お燐がもう大丈夫だって」

 

 恐らくそれは嘘だ。限界が来る。ただ、それでも私を守ろうとしてくれたのだろう。なら私がやるべきはこの目の前の橋姫を戦闘不能にし、お燐を助けること。

 

「お空。行くわよ」

 

「もちろん!」

 

     ***

 

「しつこい奴は嫌われるよ!」

 

 地霊殿には妖怪が押し寄せていた。お空の熱線によって多くは焼き払ったが、それでもまだ数は多い。30はいる妖怪達が門を越えようとしている。そしてあたいはそれを相手にしなくてはいけない。

 妖力はまだ余裕がある。けれど、使い切ってはいけない。お空が削ったとはいえ、まだ街には多くの妖怪がいる。

 

「やってやる」

 

 前回、こよみに助けてもらった。ただ、今回はその助けを得られそうにない。地上から、外来人が異変解決に向かったという新聞が届いたからだ。そしてあの異変は、地上の吸血鬼が起こしたもの。一筋縄では行かないはず。

 あたいがなんとかしなくてはいけない。前回の一件以降、こう言った事態に対抗する策を考えていた。

 

「手伝いな!」

 

 右手を掲げる。その瞬間に、地面に倒れて絶命していた妖怪が動き始めて妖怪を襲い始めた。

 

「さとり様には怒られそうだけど。これなら、耐えられる」

 

 瞳を緑に輝かせた妖怪が光を失った瞳を持つ妖怪に蹂躙されていくのを眺めながら、お燐は悲しそうに笑う。

 

    ***

 

 私達は優勢になった。ただ、決定打がない。お空の攻撃は一発一発が遅く、パルスィには当たらない。掠める程度ではあれだけの嫉妬を集めた彼女を止めるには至らない。

 だからと言って、心が読めない以上、私が止めることもできない。

 

「妬ましいわ。貴方には大切に思ってくれる家族がいる。でも私は、私は.....?この手で?」

 

 消え入るような声で何かを言った直後、パルスィの心が揺らぐ。私はその瞬間を見逃さなかった。

 

「ごめんなさい」

 

 能力を用いて、彼女のトラウマを想起させる。しかし、その能力は発動できなかった。

 正確には、その必要が無かった。

 

「誰が死んだって?」

 

 腹部から血が流れてはいるものの、立ち上がったのは地底最強。

 

「勇儀さん」

 

「わかってる。任せな」

 

 そのまま、頭を抱えるパルスィに歩み寄り、抱きしめる。ゆっくりとその力を上げて、いつしかパルスィは崩れ落ちる。

 

「ありがとうございます」

 

 倒れたパルスィをお姫様抱っこで抱え上げる勇儀にさとりは感謝する。

 もし、私があそこで能力を使えていたとして、彼女を止められる確証は無かった。狙っていたのはその隙だった。その隙にお空の全力をぶつける。そうすれば、異変は終わった。多くの妖怪は救われる。たった1人を除いて。

 

「にしても、いったい何があったんだ。こいつはそんなことをする様なやつじゃない」

 

 勇儀は静かに寝息を立てるパルスィんl頭を撫でる。何があったのか、それはわからない。

 しかし、どうやらそんな事を考えている時間的余裕はないらしい。

 

 地面が揺れる。さとりとお空は空に浮き、勇儀だけが盛り上がり始めた地面を睨む。

 

「さとり。パルスィを任せた」

 

 視線は外さずに、空に浮いているさとりに腕に抱いていたパルスィを預ける。

 そして、次の瞬間、地面からソレが現れた。それは百足だ。と言ってもその大きさは異常だ。巻き付けば、家家など容易に砕くことの出来そうな巨体が現れる。

 

「大百足。お前もか」

 

 その瞳は薄ぼんやりと緑の炎に照らされている。勇儀は構えを取り、さとりとお空を行かせる。

 

 しかし、その全てを無視して百足はさとりへと向かう。正確には、その腕に抱えられている黒い着物の少女を狙っている。

 勇儀が追うが、その速度は速い。地面を砕き、地割れを起こしながらそれはさとりへと向かい。爆散した。

 

「気持ち悪い。死になさいよ」

 

 頭部か爆散したままにその百足はまださとりを目指す。しかし、追い討ちをかけるように繰り出された真紅の剣がその巨体を地面に突き刺す。

 その持ち手には、少女がいた。その羽は飛ぶにはあまりにも細く。装飾というには気味が悪い。

 

「フランドール・スカーレット....?」

 

「フルネームで呼ぶの辞めてよ」

 

 剣を地面に突き刺したまま。ふわりと一行の前に降りたつ少女。そのまま、百足に手をかかげた後、此方に振り返り、仰々しいお辞儀の後に、手を閉じた瞬間。

 百足は木っ端微塵に吹き飛んだ。吹き付ける血飛沫を浴びながらもお辞儀を続ける彼女は、歌劇のヒロインというよりかは、悪魔に近かった。

 



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47話 あぁ、こんなにも

善行を積んだ、

いつか報われると信じて、

しかし、報われることはなかった。

故に私は、思うように生きる事にした。


 

 冷たい石畳に囲まれた空間。ポツンと一つ置かれた玉座に、1人の少年が座っている。光る一つ刺さない暗闇の中で、ぼんやりと周囲の喧騒を聞いていた。

 

「うるさいな」

 

 ぽつりと少年が溢すが、それを聞いてもなお周囲からの声は止まない。もし、それが歓声であれば気分が良いだろうが、それは喧騒でしかない。怒り、嫉妬、歓喜、羨望、まとまりの無い感情の乗った声。

 その出所は彼が座る玉座のある空間の外側。この城は彼にとって一種の防壁だった。ただ、その防壁も正直なところはあまり意味を成していない。

 

「呑気に暮らすってのも。無理あるよな」

 

 自嘲気味に笑う少年。しかし、それに対しての返答はない。ただ、延々と続く喧騒だけが嘲笑うかのように響く。

 

「いつか、慣れるだろ」

 

 少年は玉座で目を瞑る。

 

          ***

 

 そこは、幻想郷の村。人々がのんびりと過ごしていたはずの村。しかし、それは闇によって飲み込まれた。

 そして、その闇を一つの炎と、一つの光が照らして消した。

 

 

だが、

 

 人々の心の闇は、消せなかった。

 

 多くの人間が闇に溶けた。所々で火の手が上がり、何かに溶かされたかのような穴が家家には空いている。

 

「あいつは何処に行った!」

 

 怒号が響く。武器を手に、人間達が村を探す。

 

「絶対近くにいる筈だ。空を飛んだら撃ち落とせ!」

 

 彼らの手には黒い機械が握られている。そして、運の悪いことに、その村に妖精が来てしまった。

 腕には傷だらけになった友人を抱えている。ラムネ色のワンピースに、ラムネ色の髪。

 

「大ちゃん、もう大丈夫だから。もう人里に着く、そこで妹紅に永遠亭まで案内してもらおう」

 

 腕に抱かれた少女が動かない。息はあるが、このまま待っていても埒が明かない。

 

「いったい何が」

 

 人里からは黒煙が上がっている。所々、大地は抉られ、何かに削り取られたかのような人間の死体が転がっている。

 

「おい、撃ち落とせ!」

 

 人間の声、一体何を撃ち落とすのかと周囲を見渡した瞬間。何かが爆発するような音と共に、足に鋭い痛みが走る。

 何が起きたのか、それを確認する前に、身体を丸めて氷で周囲を包む。しかし、何かは容易に貫通し、体を貫いていく。

 少しずつ、透明な氷が赤く染まっていく。

 

「すごい、すごいぞ。これなら俺たちも妖怪に勝てる!それにあの妖精はあの妖怪と仲が良かったはずだ。落とせ!」

 

「ごめん。大ちゃん」

 

 氷の中で、1人の少女は庇っている少女を守るために、一際大きな氷を作り、自分は外へ。そのまま氷を残して、村の人間達に向かって飛ぶ。

 すでにラムネ色の服は赤く染まっている。

 

「やめて、私達はただ永遠亭に行きたいだけなの。妹紅は何処?」

 

 見た目だけで言えば、チルノは小学校低学年。そんな少女が血みどろになれば、少しは善意が痛んだのか。

 それを聞いて、人間達は少し何かを話し合う。そして、村の外れの家を指差す。

 

「よかった。ありがとう」

 

 上空から救いたい少女を下ろして、再度抱えてその小屋へと向かう。少し歩こうとして、足が動かないことに気付き、空をフラフラと飛んでいく。そして、その背に向かって、人間は、容赦なく、何かを撃った。

 それは、チルノの足を容易に貫通し、地面に倒れさせる。

 

「なん...で」

 

 地面に落としてしまった大切な親友を庇うように前に立ち上がり、人間達に向き直る。

 

「もう、許さない」

 

 氷を使って、どうやって殺すか。チルノは思考する。ここでの能力の使用は強く止められている。ただ、それでも使わなければ殺される。

 そうして、構えた瞬間に、人々の持つ、黒い機械のようなものから爆音が響く、氷を出す間もなく、足が貫かれ、腕が貫かれ、地面に倒れる。

 

「一体何が」

 

 遠くから人間が走ってくる音がする。地面が温かい。このままだと死んでしまう。ただ、それでも、親友は守らなければいけない。地面を這いながら、親友に向かって進もうとする足を人間に掴まれて引きずられる。

 

「やめて!なんで!私は何も!」

 

「何もしていない?ふざけるなよ。お前らがいるから俺たち人間はいつも怯えて暮らしてるんだ。だが、それも今日で終わりだ」

 

 1人の男が叫ぶ。その手には、黒い機械が握られている。

 

「手始めに、お前を使って俺たちの村を襲った妖怪と庇っている奴を殺す。それまで、お前には俺たちのストレスの捌け口になってもらう」

 

 そういった男が、私の服を掴み、破る。血みどろになっている肌と傷が晒される。

 

「え......?」

 

 ここで、何が行われようとしているのか。それに気づいた瞬間。恐怖が思考を支配する。

 

「いや...だ。こんな、やめて!私達は本当に何もしてない!」

 

 必死に叫ぶが、その声は届かない。次々と服を破られていく。

 

「おい、人外も身体の作りは一緒らしいぞ」

 

 下着を刃物で切り取られ、生まれ落ちたままの姿になった私を男達はゲラゲラと笑う。動けないように、四肢に1人ずつ男が乗ってその手で身体を弄り始める。

 地面に転がされたままでも能力は発動できる。道連れにしてやろうと思った矢先。

 

「あぁ、そういえばお友達を助けたかったんだっけか」

 

 胸を揉んでいた男が周囲の男に声を掛け、動けない私の横に、大妖精を連れて来させて、その頭に黒い機械を当てる。

 

「抵抗したらお前のお友達から殺すからな」

 

 未だに目は開かないまま、無抵抗に引きずられて来た少女の服が、裂かれていく。

 何も出来ない。目の前で友達が汚されていくのに。

 

「おい、こっちの方が物がいいな」

 

 抵抗をしようとしても動けない。私が弱いから。

 

「俺はこいつでやるわ。あー、最近たまってたんだ」

 

 男が醜悪に笑う。

 あぁ、全ては私が弱い所為で、私が強かったら。

 

 少女はそんな夢を願う。

 しかし、急に覚醒なんて都合のいいことは起きない。

 

「ごめんね。大ちゃん」

 

「おいおい、泣くなよ。悪いのはお前ら人外なんだからな」

 

 無抵抗で、目を瞑ったまま、親友が、自分が汚されていく。

 

「誰か...」

 

 抑えられて動かないままに、首を回して周囲を見回す。当然人間以外には誰もいない。それに気づいてか、男に突然唇を奪われた。

 

「誰もこねぇよ」

 

 あぁ、なんで私が、私たちがこんな目に。希望が消えていく。

 舌を噛み切ってやろうかと思ったが、抵抗をすれば、親友が死ぬ。世界が色を失った気がした。まるで全てが他人事のように思え始める。揺らされる身体に走る痛みも遠くなっていく。

 その全てが、遠くなる直前、咆哮が轟いた。

 

「は?」

 

 刹那、風が吹く。それは一瞬で通り過ぎると胸の上に、人間の男の首が落ちる。続けて、噴水のように血を噴きながら胴体が首の上に落ちた。悲鳴と共に、人間が手に持った機械を構えて撃つ。爆音に周囲が包まれる。腹の上の物を退けて、身体を起こす。

 

 そこにいたのは、黒いフードを被った人外だった。姿形は人間のように見える。しかし、その右腕は人のものではなかった。それは、何かを切り裂く為に生まれたのだろう。5本の鋭利な爪が蜥蜴のような鱗に覆われた腕から伸びている。背には左肩から黒い翼が生えている。それは蝙蝠というには大きく、言うなれば、絵本に出てくる竜の物に近い。

 

「なんなんだ!お前!」

 

 人間どもは黒い機械から何かを放っている。しかし、全く効いている様子がない。フードは全く揺れず、ゆっくりと歩いてくる。それに恐怖して、人間達が散り散りになって逃げる。しかし。その人外から伸びた影が、大妖精に黒い機械を突きつけていた男の足を掴む。

 

「おい、ふざけんな!」

 

 その男に向かって人外が歩き始める。

 

「ルーミア?」

 

 少し違う気もするが、能力は似ていた少女が頭に浮かぶ。

 

「、)8(-769」

 

「え...?」

 

 その口から発せられたのは言葉では無かった。何を言っているのか何もわからない。ただ、そんな思考は男の悲鳴で消される。

 いつの間にか、黒い影は檻のように男の周囲を囲っている。そして、その柵から棘が飛び出して男の足を貫いていた。

 

「9^_^-2:-!-」

 

 相変わらず何を言っているのかはわからない。ただ、一つわかるのは敵ではないということだ。

 

「やめてくれ、おい!妖精!なんでもする、だからこいつを止めてくれ!」

 

 当然首を横に振る。その反応を見てフードの人外はもう一本棘を刺す。

 

「おい、俺を殺すのか?その意味はわかってるんだろうな。ここまで殺したなら博麗の巫女が黙ってないぞ」

 

 人外の左手には人間が持っていた機械が握られている。違うのはその大きさだ。人間の機械よりも一回りも二回りも大きい。ただ、驚いたのはそこでは無かった。その手が、人間のものだった。袖が長くほぼ見えないが、機械を持つ手は肌色で、人間の物のように見える。

 

「)-)-、943)-^_^ー」34759?」

 

 男の主張は間違っていない。これだけ殺せば、博麗の巫女は動く。

 

「/-697!-4-」

 

 人外は右手に握った機械を人間に向ける。そして、次の瞬間、人外が炎に包まれた。業火が全てを焼いている。しかし、聞こえる悲鳴は、人間の男のものだった。身を焼かれているはずなのに、棘は男を貫き続ける。

 

「何してるんだ。お前」

 

 炎が止まったかと思うと、地上には大地の焼け跡、無傷の人外。そして、空中には背中から炎の翼を生やした妹紅がいる。

 

「-&-」

 

「何言ってるんだお前。その人間を解放しろ」

 

 まるで聞こえていないようで、次の棘が男を貫き、悲鳴が上がる。

 

「やめろって言ってるだろ」

 

 大地を蹴る音が響き、人外の頭に蹴りが入る。しかし、それを入れたのは妹紅ではない。2つの角が生えた人外。人間の街で暮らす教師。

 

「慧音逃げろ。こいつは、おかしい」

 

 蹴りが入ったが、人外は微動だにしない。引き続き、男に悲鳴をあげさせる。急所だけは避けた棘によって、男の身体は檻の中でオブジェのように固められている。

 

「助け」

 

 そう言った男の口にいつの間にか檻の前にいた人外の手に持った機械がねじ込まれている。次に何が起こるのか。そんなことは誰にでもわかった。故に、妹紅と慧音が止める為に走る。しかし、無慈悲にも 

 街に響く銃声と共に、男は機械によって後頭部を爆散させられ、脳漿を撒きながら死んだ。

 

「お前!」

 

 妹紅の業火が人外を襲うが、今度は当たらない。目を開くと、それは私の前にいた。

 

「え....」

 

 何も言えない。何も出来ない。殺される。そう思った瞬間だった。頭を撫でられる。それは先ほどの凶行が嘘のように暖かい。

 

「あ、あり」

 

 たった一つ、感謝を伝えようとした瞬間。目の前からそれは消えた。

 

 



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48話 私は1人


生きるとは苦しみである。

ただ、それでも人々は生きようとする。

 


 

 黒い黒い闇の中、悲痛な声を上げながら、1人の少女が蹲っている。それを1人の少年が見下ろしていた。

 

「さよならの時間だ」

 

 頭を抱えて蹲り、叫ぶ少女の頭を1人の少年が撫でる。

 

「俺は弱いからさ。夢を捨てられなかった。だから、お前は呑気に生きろ。俺がこれを背負うから」

 

 闇が閉じる。そこに光はない。闇だけが残る。うずくまる少女も闇に消えた。

 

            *‘**

 

「さとり。ただいま」

 

 見覚えのある景色、それほど長くいたわけでもないのに、懐かしいと思ってしまう。門の前には大量の死体があった。でも、もうそんな物で心は動かない。

 胸を穿たれて虚な瞳で世界を映している妖怪の死体の上を飛び越えて扉を開けて館に入る。

 

「誰だ!」

 

 扉を開けると共に、槍を持った死体が前方を遮る。エントランスの上からは見覚えのある少女が見下ろしていた。

 

「お燐か。久しぶり、元気そうで良かった」

 

 少し笑う少女。それを見たお燐の顔は引き攣る。

 

「こ....よみ?」

 

「そうだ。戻ってきた」

 

 一体何に顔を引き攣らせたのか。そんな事に興味はない。

 

「パルスィ、たしか嫉妬の妖怪だっけ、大暴れしたらしいけど、この感じだとさとりも無事かな。会いたいんだけど、大丈夫?」

 

「大丈夫だけど。その前に、何をする気だい?」

 

「大丈夫。傷つけるなんて事はしない。ただ、挨拶しにきただけだよ」

 

 瞬きもしていないにも関わらず、こよみはいつの間にかお燐の横に立っている。お燐がこよみに怯えた理由。それは、その存在の異常性に、だ。

 

「一体何が」

 

「色々」

 

 にこりとわらって、こよみは再度消える。

 お燐の感じた異常性。

 それは、こよみの存在。

 こよみが何なのかが分からなかった。元は動物の彼女は他の妖怪よりも悟る能力に優れている。そこで感じたのは混合だった。どこか人間で、どこか妖怪で、そしてそれぞれが一つではない。地上の吸血鬼かと思えば、すぐに人間に戻る。

 

「さとり。ただいま」

 

「こよみ....?」

 

「そう」

 

 養生中なのか、寝台で横になっているさとりの横にこよみは現れる。

 

「お帰りなさい」

 

「ただいま」

 

 横になっているさとりの頭をこよみが撫でる。まるで宝物を撫でるかのように。

 

「見つけたんですか」

 

「そうだね」

 

 淡々と、言の葉を紡ぎ合う。同調と読心。似通った2つの能力。2人の間に余分な言葉は必要ない。

 

「後悔は無いんですか」

 

「俺が強ければ無いと言い切れるんだけどね」

 

「なら」

 

 何かを言おうとしたさとりの口にこよみの人差し指が押し当てられる。

 

「揺らぐからダメ。でも、ありがとう。俺って中途半端だから認められるって経験が少ないんだけど。さとりには認めてもらえた」

 

「そんな私のお願いでも駄目ですか?」

 

 寝台に腰をかけて、こよみはどこか悲しそうに笑う。

 

「わかってる癖に」

 

 一息ついて、少しの間2人を静寂が包む。お互いにお互いを悟っているからこその静寂、例え何を言ったとしても彼女の思いは変わらないという確信がそこにあった。

 

「はは、まぁ。そうだな」

 

 その静寂に耐えきれなかったのか、こよみは笑って誤魔化す。そして、寝台から立ち上がった。

 

「でも少しは地霊殿にいるよ。もう何かがあっても守れるし」

 

 そのまま、扉の方に歩いて向かうこよみの背中にさとりが抱きつく。

 

「びっくりした。どうしたのさ」

 

「このまま」

 

「俺は....」

 

 何かを言おうとしたこよみは口を閉じ、心臓の拍動と熱をゆっくりと感じる。どれだけの時間だろうか、2人はそのままお互いを感じ合っていた。

 

「ありがとう」

 

「良いよ。減るものではないしな」

 

「少し、感情を隠すのが下手になりましたか?」

 

 扉を開こうとしていたこよみの背に向かって、さとりが笑って投げかける。それを聞いた、少女の歩みが止まる。何を感じたのか。何を思ったのか。

 

「そうかもしれない」

 

 背を向けたまま、少女はそうとだけ言い残して、部屋を後にする。見覚えのある廊下を歩く。血に塗れていた時が嘘のように綺麗に清掃されている。

 少し歩いて、懐かしい自室の扉を開けると、そこには1人の少女が立っていた。

 

「穏やかじゃ無いな」

 

 2人の死体がこちらに武器を構えている。その奥で、お燐が札を構えていた。

 

「何をしに戻ってきたんだい」

 

「家族のいる所に戻ってくるのがそんなに不思議か?」

 

 淡々と、こよみは告げる。後ろ手で、ドアを閉めて黒いチノパンのポケットに突っ込む。まるで敵意はないと言いたげに。

 

「あんたを試す。表に出なよ」

 

 しかし、お燐は静かにこよみを視界に入れ続ける。敵意は解かない。前とは何かが違う。その確信を持って。

 

「わかった。行こうか」

 

 窓から2人は空に向かう。未だに血肉が散っている町の上を飛び、砂漠に降り立つ。

 

「あたいと勝負しな」

 

 お燐は降り立つと少し離れた場所に降りたこよみに告げた。それを聞いたこよみは眉ひとつ動かさずに口を開く。

 

「弾幕ごっこか?」

 

「そうだよ」

 

「スペルカードとか使ったことないが。まぁ良いか」

 

 胸元を探るが、こよみの探していたものはそこには無く、大きくため息を吐いた。

 

「と言っても、殺す気だけどね。猫符 キャッツウォーク」

 

 そう宣言した瞬間、地面から腕が伸び、こよみの足首を掴む。そして、動けないこよみに向かって赤く光る槍のように尖った弾幕が殺到する。

 

「そうか」

 

 大量のの弾幕が砂を巻き上げていく、周囲が砂煙で見えなくなり、砂煙が周囲を包む。そのまましばらくして、お燐は大きく息を吐き、撃ちやめる。

 風が吹き、ゆっくりと砂煙が晴れていく。そこには、無傷のこよみが立っていた。その足にはまだ操っていた死体の腕が残っている。それを腕で掴み、こちらに投げて来た。少し手前でそれは落ちる。

 

「弾幕ごっこのルールも知らないの?」

 

 警戒を解くことなく、次のカードを準備する。

 

「当たっていないから問題ない」

 

 あの攻撃を動かずに避けた?お燐は思考を走らせる。確かに、避けることが前提の弾幕であえて避けないことが最適解とする弾幕を使う事はある。ただ、あれは違う。避けなければいけない弾幕だった。

 

「嘘だね。あたいは騙されない」

 

 ただ、弾幕が当たった様子がないというのもまた事実だった。弾幕ゲームは申告制ではない。当たれば、撃った側にわかるようになっている。

 その感覚はない、ただ、避けれる筈もない。

 

「もう、体力切れだろ。引き分けにしよう」

 

 あまりにも撃ちすぎた。妖力が減ったことによって視界がボヤける。その燐にこよみはゆっくりと歩み寄ってくる。その体から溢れる力は未だに歪んでいる。人間が見ればただ、歩み寄っているだけだ。だが、妖怪にはそうは見えない。そして、それをお燐以外に確認していた者がいた。

 

「何してるの?」

 

「お空」

 

 空から、巨大な黒い鴉のような翼を持った少女が降り立つ。それを見て、お燐の表情が固まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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49話 ないよりもあった方が良い


 この世の全ての不利益は、当人の能力不足。




 

「喧嘩してるの?」

 

 上空から降り立ったお空と呼ばれた少女は、お燐とこよみの間に入る。

 

「そんな所だ。でも、もう終わったから大丈夫」

 

 それを確認し、こよみは踵を返して身体を浮かせる。

 

「お燐、安心してくれ。俺は敵じゃない。これだけは信頼してほしい」

 

 そして、振り向かずに、そうとだけ言い残してこよみは館に向かって飛び去った。

 

「なんでこよみと喧嘩したの?」

 

 肩で息をしているお燐にお空が心配そうに声を掛ける。

 

「こよみが、一体何なのかを確認したかった。さとり様の家族7日...敵なのかを」

 

「敵...?なんでこよみがそんな事を」

 

 その発言に驚いたお空がお燐を揺さぶる。疲れてる人を揺すらないの。と言いながらお燐がお空と距離をとる。

 

「わからなかった?今のこよみは、おかしい。私達の知っていたこよみとは、あまりにも何かが違う」

 

「そうかな。私には、変わっていないように見えたけど」

 

 不思議な事を言うねと黒い羽を揺らして笑うお空の頬を摘む。

 

「はぁ」

 

 呑気にそんな事を言うお空に大きなため息を吐き。上を見る。

 ただ、もうあたいには信じる事しか出来ない。こよみの最後の言葉が嘘ではない事を。どうやってやったのかはわからない。全方位から、動けない状態にして放った弾幕を無効化された。もう、彼女を止める事は出来ない。

 

「そうだね。あたいも信じるしかないよ」

 

     ***

 

「あいつは.....」

 

 永遠亭で2人の少女が看病されている。陽は既に傾き、赤くなった日が室内に差し込んでいる。翡翠の髪をした少女は未だに眠っているが、ラムネ色の少女は起きていた。その少女が横になっている寝台に椅子を向けて、妹紅が座っている。その顔色は暗い。

 

「アタイもわからない。ただ、助けてくれた」

 

 事情を聞けば、人間が2人を襲ったらしい。それをあの黒いナニカが救ったとの事だった。あの黒いナニカが何なのかも問題だが、人間の使っていた黒い機械も気になる。あの後、慧音に確認してもらったが、誰1人その黒い機械を知らないと言った。そして、嘘をついている様にも見えないとの事だった。

 そして、その黒い機械は全てが破壊されていた。元々どんな形状だったのかもわからない程に。

 

「謎が多すぎる」

 

 2人の少女の前で白い髪を掻く。

 

「でも、アタイは。あいつは敵じゃないと思う」

 

「そりゃ助けられたと思ってるからそうだろうな。ただ、あそこに私が居なかったら次はお前だったかもしれない。何を言ってるかも分からなかったんだろ」

 

 チルノ曰く、アレが何かを言っていたらしい。ただ、それは理解できなかった。それは日本語ではなく、そもそも言語かも分からないという。

 

「でも、もしあの人が来なかったら」

 

「人?あれは化け物だよ」

 

 思わずそんな言葉が出る。私はアレが人間を殺そうとした時、火炎を浴びせた。生物であれば、燃え尽きて死ぬ物だった。しかし、直撃したアレには、何のダメージもないように見えた。

 

「でも、人からしたらアタイ達も全員化け物だよ」

 

「それは......」

 

 一体何を言われ、何をされたのか。聞いていない。ただ、ルーミアの一件で想像はついている。だからこそ、私は彼女に何も言えない。

 ルーミアを襲うならまだ理解できる。彼女は人喰いの妖怪だ。ただ、チルノは日常的に人間に被害を与えていた訳ではない。逆に彼女たちの存在で低級の妖怪が手を出さなくなっていた。

 守ってすらいた。恐らくチルノはそれを意識していないだろうが、人間は気づいていたはずだ。

 

「みーんな化け物だよ」

 

 ボソリと告げられたその言葉に背が凍る。そして、それはチルノの発言ではなかった。

 

「お前、誰だ」

 

 眠ったままの大妖精。寝台で横になったままのチルノ。その前に置いた椅子に座る私。そして、その部屋にもう1人、白い面を被った少女がいた。まるで、雪が服を着たような、髪から服から目に映るものは白かった。

 

「チルノちゃん。一緒に、行こう。貴方には資格がある」

 

「おい、聞いてるのか」

 

 掴み掛かろうと椅子を立とうとするが、身体が動かない。椅子が凍っていた。

 

「チルノ?」

 

 横になった少女は身体を起こして、その白を見ていた。

 

「それで大ちゃんを守れるの?」

 

「もちろん」

 

「おい、チルノ!」

 

 椅子を燃やして立ちあがろうとするが、今度は足が凍らされた。身体を熱するより、氷の方が早く、動くことができない。

 ふらりと、チルノが起き上がり、大妖精の額を撫でる。

 

「私が絶対守るから」

 

「良いね。最高、一緒に行こう」

 

「チルノ!行くな!」

 

 叫ぶが、体が動かせない。騒ぎを聞きつけてか、扉が開けられて鈴仙が現れて状況を確認し、構えをとった瞬間頭を抑えて倒れた。

 

「お前、一体何者なんだ!」

 

「名前なんてないよ。ただ、私はこの世界を恨んでいる者でしかない」

 

 そうして、2人が突然現れた裂け目に消えていく。その裂け目からは大量の瞳が覗き込み、2人が入ったのを確認すると閉じていく。

 それは、誰の目にも明らかに、この幻想郷の賢者の能力だった。

 

「何で、お前が」

 

 眠り続ける大妖精とその横に1人残された妹紅は、動くようになった足を叩く。

 

「畜生が」

 

 そして、廊下に倒れている鈴仙をチルノの寝ていた寝台に寝かせ、永遠亭を後にした。

 

 



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50話 人生とは


 

  
 貴方の人生は、どのような物語ですか。




 

「八雲紫。お久しぶり」

 

 そこにいたのは、ひらひらと手を振りながらにこやかに笑っている古明地こよみと名付けられた1人の少女になった人間。私は寝台に寝かされているようで目覚めた私を見て、藍と橙が少し離れた所で泣いている。

 

「どれくらい寝ていたのかしら」

 

「俺はわからない。式神に聞いた方が良い」

 

 彼女の発言に一瞬違和感を感じる。長い間寝ていた体はまだ完全には起きておらず、その理由には気付けなかった。

 ただ、ぼんやりとそれに従い、式神に目を向ける。ただ、その回答が来る前に、こよみが口を開く。

 

「でだ。賢者さんに頼みがある」

 

「はい?」 

 

 彼女は何も言っていない。しかし、その考えが流れ込んでくる。私がいない間に幻想郷に何があったのか。そして、彼女がどうやってそれを解決しようとしているのか。

 

「まぁ、ざっくりとこんな感じだ。あとはそっちも好きに動いてくれ、おれを邪魔しないようにな」

 

 そう言って、こよみはスキマに消えていく。

 

「確かにこれは私の望み.....ただ、これでは」

 

 式神が駆け寄ってくる。しかし、八雲紫の心は暗い。既に、消えていったこよみのいた場所を眺める。彼をここに引き込んだのは私。そして、その結末を望んだのも私。ただ、それは、こんな形で迎えると思っていたものではない。

 八雲紫は、何も、彼に不幸になって欲しいわけでは無かった。

 

「私は......」

 

 その身を焦がすような罪悪感に苛まれながら、八雲紫は式神に抱擁を返した。

 

                 ***

 

「お帰りなさい」

 

「ただいま」

 

 スキマを使って、地霊殿の自室に戻る。少しずつ見慣れてきた。やけに豪華なベットと、優雅なシャンデリア、一つ置かれた円卓には、昼にどうぞと渡されたお菓子が置いてある。

 

「どこに行ってたんですか?」

 

「あー、野暮用でちょっとね。何事もなく終わった」

 

 未だに少し慣れない豪奢なベッドにさとりが腰掛けている。

 

「なら良かったです」

 

 にこやかに笑うさとりは恐らく心を読んでいない。読まれても問題ないように対策はしているが。それは信用なのか、諦観なのかはわからない。

 

「そういえば、明日地底でお祭りがあるんですよ。一緒に回りませんか?」

 

 祭り、地底の祭りはあの祭囃子の一件であまり良い思い出は無い。ただ、興味がないかと言われれば嘘になる。外にいた時は、そう言ったことに赴こうともしなかったし、誘ってくる友人も居なかった。祭りに行くくらいならゲームをすると、そんな輩ばかりだった。

 ただ、俺はそんな環境が、そんな輩とゲームをするのが好きだった。この世界に来て、八雲紫にゲームを頼んだのもその為だ。あいつらとはもう出来ないとしても、その思い出に縋りたかった。

 ただ、そんな想いは心に隠し、さとりに告げる。

 

「祭り。楽しそうだけど、俺結構殺して回った過去あるけど大丈夫なのか?」

 

 懸念点はそこだった。地底の妖怪は俺が殺した過去がある。もうすでに復活済みというのは聞いているが、それでも殺された相手を多少は恨んだりするかも知れない。

 

「その点は大丈夫です。彼らにとって死は身近なので」

 

「身近って言っても殺したってのは罪の意識がな」

 

 すでに罪の意識なんてものはわかっていないが、気づけばそんな言葉を漏らしていた。ただ、それが自分の本音なのかはいつも通り分からない。

 

「こよみ。少なくとも貴方を恨んでいる者は少ないですよ。あのままであれば、事態はもっと悪化していたでしょうから」

 

 それは否定のできない事実だ。俺が何もしなければ、状況は悪化の一途を辿っただろう。ただ、もし、俺が違う方法を取っていれば。

 もしかすると、殺さずとも気絶させることが出来たのではないか。

 もしかすると、先にあの音源を止めることが出来たのではないか。

 

 全ては結果論で、イフの話だ。考えるだけ無駄ということもわかっている。ただ、どうしても考えてしまう。

 

 より良い選択があったのではないか、と。

 

「貴方は優しいですね」

 

 心を読んだのであろうさとりが、悲しそうにこちらを覗き込む。いつの間にやら寝台から立ち上がり、正面に立っていた。

 そんなさとりを見て、はっきりと言い切る。

 

「いや、これは優しさじゃない。自己保身だ」

 

 これは自己保身。もし俺が、あの時、ああしていれば、今より苦しまなくて良かったのに。これが俺の思想の原点だ。

 こうすれば傷つく人が少なかったなんて綺麗なものではない。

 反吐が出るほどの自己愛からくる保身の為の思考回路。

 

「こよみ」

 

 突然さとりに抱きつかれる。

 

「さとり」

 

「私達のような。心あるものの醜悪を知る者は時にそう思います。ただ、これだけは覚えておいて下さい。最後に貴方の人生がどうであったかを決めるのは貴方ではありません」

 

 心を読める者は、その真意を気にしてしまう。表面ではそう言っていても、その真意はこうだとわかってしまう。しかし、多くの人にとって、表面こそが真意である。何せ、実際にどんな思いで言っているかなどわかりはしないからだ。故にわざわざそんな事は考えない、相手のしてくれた事、相手の言っている事を受け止める。

 時にそうでないものもいるが、心を読める者たちからすればそれは滑稽でしかない。本来はわかりもしない情報を、真実だと思い込んでいるに過ぎないからだ。

 

「あぁ、そうだな。ならこれは、俺とさとりだけの秘密だ。俺の行為だけ残るのであれば、俺の人生がどうなったかはもう確定している。だからさとりだけは知っていてくれ」

 

 ゆっくりとさとりを抱き返す。

 古明地こよみは、もう本当の家族の元には帰れない。帰る家はここにしかない。

 それは残酷であるか、彼という元人間の人生でもある。

 

 

 

 



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51話 Last Wish



 苦しいと理解しながらなぜ生きる。


 

「私の能力でチルノが攫われた?」

 

 こよみに起こされてすぐに、藤原妹紅が訪問してきた。そして、現れるなりチルノが私の能力で攫われたと言う。まずはその者の特徴などを聞き出して、私は考え込んだ。

 目の前では毛を逆立てて怒っている橙がいる。

 

「紫様はずっと眠っていたんです。そんなことできない!」

 

「いえ、これは私の責任よ。私の仕業出ない事は真実だけど。私の能力を使われたのは事実」

 

 ただ、私は淡々と事実を告げる。あれは、私を眠らせたあの少女による物だろう。恐らくチルノを攫った者の背後にはあの少女がいる。こよみを攫った時、彼女は私の能力を使っていた。

 その数日後、橙は無事に我が家に帰ってきたらしいが、その時には私は眠っており、藍と2人で看病をしてくれていたと言う話を聞いた。

 

「ただ、危惧すべきはそれだけじゃないわ」

 

 人里に現れて人間を殺した人外。それは藤原妹紅の火力でも一つの傷もつけられなかったという。ただ、私が最も警戒しているのは、人間が銃を使ったという事。銃は外の人間の武器だ、なぜそれが入ってきているのか。あの武器が忘れられる事など無いはずなのに。

 

「チルノはどうでもいいのか」

 

 妹紅は私の発言が気に障ったようで、立ち上がり、机を叩く。それに私は少し謝る。背後から、藍が殺気を出しているので目配せをして橙と共に下がらせる。

 

「残念ながら。場合によってはチルノが消えた事よりも危機になりうるわ。話を聞く限り、あの人間が使っていた武器は、外の世界で今も利用されている武器。銃と呼ばれるものよ」

 

「銃...?なんでそんなものが」

 

「理由はわからない。ただ、銃があれば、人間は簡単に妖怪を殺せるようになる。そうなれば、もう畏れる事がなくなってしまう。私が危惧しているのは、これよ。畏れとは妖怪にとって存在を証明するもの。それが無くなれば妖怪の力は弱まり、幻想郷の均衡が崩れる」

 

「でもなんでそんなものが急に」

 

「おそらく、幻想郷に銃を持ち込んでいる奴がいたのね。その出所を掴まない限り、脅威は無くならない。それに、そんなに都合よく忘れるものかしら、人間もその武器があれば畏れなくてもよくなる事を分かったでしょうし。騙しているという可能性もある」

 

 静寂が場を包む。妹紅も人里の人間を思い出して何も言わなくなった。古明地さとりのような能力を持っていない限りは、人間が嘘を吐いたかなどわかりはしない。

 

「それに、貴方の攻撃を受けて無傷の人外も気になるわ。発生した事案全てが無視できない物なのよ」

 

 そして、人外だ。藤原妹紅の攻撃は幻想郷でも屈指の火力を誇る。人里のため多少は火力を抑えたとしてもそれで無傷なのは気になる。

 

「それは...確かにそうだな。悪かった。少しカッとなった」

 

「いえ、教え子を襲われたのであればその反応が正常よ」

 

 やはり、問題点が多すぎる。ただ、人外に関してはどうしようもない。チルノが攫われた場所の特定もこの幻想郷どこかだろうというのは想像がつくが、見つけるのは現実的ではない。なら、心を読めば解決できる人里の問題から片付けるのが得策。

 

「それは、さとりではなく。俺がやろう」

 

 突然、最初からいたとでも言いたげに。少女の声が響く。

 

「...こよみ?」

 

 部屋の隅に、気付けば彼女はいた。音も気配もないもなかった。

 

「いつ入った?」

 

「いつでも入れる」

 

 そんなくだらないことを聞くな。そう言いたげにこよみは苦笑する。

 

「ただ、聞いたところは銃で間違いない。俺も実物は撃ったことがないが、ヤバい武器だという事は知ってる。この世界の構造としても存在してはいけない武器だ」

 

 本当に話を、想いを全て見透かしたかのような発言に私はゾッとした。私が眠っている間に彼女、いや彼に何があったのか。起きてから一度会ったとはいえ、この在り方はもう人間のそれではない。

 

「とりあえず。俺が対応する。紫には、人間の記憶を一部消すなんて芸当が出来るやつが幻想郷に居るのかを確認して欲しい。妹紅は、人里で人間を守ってくれ。妖精とはいえ、被害を受けた時点で妖怪が黙っているとは思えない」

 

 それじゃ。とだけ言い残して、こよみの姿が掻き消える。

 

「は?」

 

 正しく消えた彼女。それに妹紅は動揺する。そして、1つ呟く。

 

「なぁ、あいつがここに銃を持ち込んだんじゃないか?」

 

「それは可能性として否定できないわ。ただ、それは無いと思うわ。メリットがないはずよ」

 

「確かに、メリットはない。だが、人間は時にメリットなんて考えずおかしな行動をする」

 

 古明地こよみ、彼女であれば確かにこの世界に銃を持ち込むことができるだろう。ただ、そんなことをするメリットがない。彼女は古明地さとりの家族だ。幻想郷の破壊は、、ここまで考えて思考は止まる。

 破壊しても、さとり妖怪は生きていける。

 ただ、そうであったとしてもメリットはない。

 

「何にせよ私は村に戻る。あいつの言っていた事は正しい。妖怪が恐怖から人間を襲ってもおかしくはない」

 

「えぇ、わかったわ」

 

 手をかざし、人の村までのスキマを開く。闇の中から覗く幾つもの目が白髪の少女を歓迎して、消えていった。

 部屋に藍と橙が入ってくる。そして、聞き耳を立てていたのであろう藍が自らの主人に意見する。

 

「私も、古明地こよみはやっていない。と思います。ただ、確実にやっていないとも言えないのが現実です。彼女は歪すぎる」

 

 歪。それは今の彼女を表すのに最も適した言葉だろう。様々な思いが存在が、常時渦巻いている。

 

「ただ、私は彼女、いや彼を信じるしかないと思うわ」

 

 私の出した結論はこれだ。彼は私に信じろと言った。

 そして、先ほど会った瞬間に感じた。彼はもう、止められない。

 

 



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52話 時は進む


 時は誰も待ってくれない。


 

「おい、何だあいつは」

 

 星々の煌めきが届かない暗黒からそれは突然現れた。一対の漆黒の翼。全身を覆う黒い鱗に、黒い鉤爪、宇宙の闇が生んだ黒い龍。

 その前に数匹のウサギの耳を持った少女が立っている。

 

「龍....?何でこんなところに」

 

【特段理由など必要ない】

 

 鈍く光る赤い瞳、その口が少し開いたかと思うと声が聞こえた。それは、男の声だった。しかし、女のものでもある。

 無理もない。それは実際には音を発していない。10人に聞けば、10人が違う回答を出す。それは、何か声とは別の手段で声を届けている。

 

「最強の月に挑んだことを後悔させてやる」

 

 一斉に各々が、獲物を構えて龍に襲いかかる。しかし、その攻撃は通らない。正確には、その直前で全てのウサギは気絶した。あるものは絶叫し、あるものは恍惚の声をあげて血を濡らしている。あるものは怒声をあげて味方に襲い掛かろうとした所を味方に止められる。

 

「一体何を」

 

 絶望の表情で竜を見上げるウサギの前で、光が竜を焼き尽くす。

 

【ただでは、いかないか】

 

 右手に刀を持った少女、扇子で口元を隠す少女。2人が月にそびえる建築から飛んできていた。

 

「お前はもう終わりだ。あのお方に勝てるわけがない」

 

 先ほどまで絶望に歪んでいたウサギ達の表情が希望で満ち、喝采が上がる。それはまるで、既に勝利を確信したかのような。

 だが、すぐに静寂は訪れる。光が徐々に翳り、漆黒の闇が漏れ出し、光を打ち消した。そして、その中から黒竜が現れる。

 

「効かないか」

 

 薄紫の髪を後ろで纏め、漆黒のワンピースを纏った少女と、純白のワンピースを着た亜麻色の髪の少女が竜の前に立ち塞がる。

 そして、亜麻色の少女の手に持っている扇子が竜に向けて振るわれる。

 

【通してくれるだけで良いんだがな】

 

 突如、竜の周囲を突風が舞い地面のウサギが宙を舞う。

 

「通すと思うのか?お前のようなやつを」

 

【仕方ないのか】

 

 竜は吼える。宇宙に輝く星は、それを拒絶するかのように光を消していく。そして、最後その光が月を照らした時、そこにいたのは異物だった。そこにあってはいけないもの。この世界にあってはならない物。

 

「なるほど。行きます」

 

 刹那、闇を掻き消すように、少女の刀が光を灯す。そして、一筋の残像を残しながら、それを強襲した。煌めきは、闇を穿ち、瞬きの間に裁断した。細切れになり、地面へと向かうそれは、闇に溶けていった。

 

【あぁ、噂通りのチートか】

 

「結局こんな物か」

 

 つまらない。そう言いたげに、少女は刀を納める。そして、その表情が絶望に歪む。振り向いたところにあったのは、突然生まれた木に埋められた姉の姿だった。

 

「は...?」

 

 そして、その姉が何かを伝えようと口を開いた瞬間、その中に木が生物のように入り込んでいく。その瞬間助けようと木に切り掛かるが、それを邪魔するように木が前を塞ぐ。目の前では姉が嗚咽を上げながら涙を流している。

 絡みついてくる木々を打ち払い、姉の口から入る木を切断し引き抜こうとした瞬間。姉の腹から飛び出した木に腹部を貫かれる。

 出来てしまった穴から徐々に木が侵入してくる。体内で異物が蠢き、激痛が走る。それでも手を伸ばした先の姉からは、木が生えていた。

 眼球のあった部分から白い花が咲いている。ただ、その脈は生物の物のように赤いものが流れている。

 

「そん....な」

 

 その言葉を吐いた瞬間に口から木が飛び出し、眼球に突き刺さる。

 そして、そのまま意識が落ちた。

 

「一体何をしたのよ」

 

 目の前で突然妹が苦しみ出したかと思うと、地面へと落ちていく、慌ててそれを追って地面にぶつかる直前で掬い上げる。

 そして顔を上げるとすでにそこには何もいない。

 

「まさか」

 

 妹を地面に起き、背後にそびえる館に飛んでいく。失敗した。既に侵入された。だが、一切の悲鳴も喧騒も聞こえない。

 少なからずまだ兵は居たはずだ。あんなものが侵入したとなれば少なくとも誰かは反応する。

 

「一体なんの目的で......」

 

 慌てて地面で警備にあたっている兵に声をかける。

 

「何かが侵入しなかった?」

 

 兵士たちは顔を合わせる。

 

「いえ...先ほどから侵入者への警戒を行っていましたが、何も見えませんでした」

 

「そう...」

 

             *******

 

「やぁ」

 

「あら、貴方は見た事がないわね」

 

「そりゃそうだ」

 

 少年の声で苦笑が聞こえる。しかし、そこには何もいない。空には昼にも関わらず、広がる星々と、不自然に浮いた大地。その上に、ポツンと一つ建っている家屋の外で、椅子に座った女性が何かと話している。

 

「にしてもよく来れたわね」

 

「場所さえわかれば来れるのさ」

 

「そう。で、もう用は済んだのでしょう?ここには誰も来ないから、もう少しゆっくりして行ったらどうかしら」

 

 少しの間、風の音だけが流れて、突然と男が現れる。まるで最初からそこにいたとでも言いたげに。

 黒いパーカーに黒いチノパン、その辺りを歩いていそうな素朴な顔。

 

「そうだね。こんな機会もないだろうし」

 

「あら、意外と素直」

 

「失礼だな。俺は純粋無垢な男の子だよ」

 

「それだけは無いと思うけど。良いわ、幻想郷はどうだった?」

 

 男が指を鳴らすと何も無い場所から椅子が現れる。そして、そこにゆっくり座る。

 

「良いとこだ。感動すらしたよ」

 

 青空に瞬く星を男は眺める。そして、何かを想うように目を瞑る。

 

「だからその道を選ぶのね」

 

 少し間が開いたのちに少年から笑みが溢れる。

 

「その通り、世界は常に大勢の幸福と少数の不幸によって成り立っている。だからこれで良いのさ」

 

 女は何も言わない。2人の間に風が何度か吹いたのち、男が立ち上がる。

 

「あら、もう行くの」

 

「あんまりに長居するとね」

 

「そう。ならさようなら。ヒーローさん」

 

「そんな良いもんじゃ無いさ」

 

 男はそれに対して一言だけ残し、再度消える。再度訪れた静寂。瞬く星々の間から1人の少女が落ちてくる。

 

「あら、クラウンピース。今日も元気ね」

 

 ゆっくりと、だが確実に時間は流れていく。

 

 



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53話 お祭り


喧騒、同調、溶解。


 

 平和すぎるほど平和な日常。すでに見慣れて来た地霊殿の自室には、3人の少女がいた。寝台に腰かけるこよみの膝の上にこいしが座り、さとりはその横で、静かに本を読んでいる。

 流石に足が痺れて来た頃に、さとりが本を閉じ、こいしが降りてどこかに消える。

 

「今晩は祭りですね」

 

「祭りか。そういえば、服装はこれでいい?」

 

 いつも通り、黒のチノパンに白いシャツを着ているこよみが立ち上がって声をかける。

 

「そうですね。私のを貸そうかと思いましたが」

 

 さとりの視線がこよみの胸の辺りに向く。

 

「キツイか。なら、このままでいいか」

 

「いえ、サラシを巻けばいけると思うので、それで行きましょう」

 

 何かすごく嫌な予感がする。自分の直感を信じて逃げようと立ち上がった瞬間。こよみの腕が引かれる。

 

「何処に行くんですか?なーにもありませんよ」

 

 ゆっくりと振り返るとそこには、笑みを浮かべたさとりがいた。

 

「さとり....?圧縮には限界があってだな」

 

「圧縮したところで私よりも大きいという自己主張ですか?」

 

 同調をしないでいるだけでこんなにも地雷を踏み抜ける物だろうか。そんなことを思っていると椅子にこいしが座っているのが見える。

 

「こいし。さとりを止めてくれ、殺されそう」

 

 こいしがこちらを振り返るが、流石は姉妹と言ったところだろうか。さとりと同じ表情をしている。そして、一瞬こいしの胸元を見てしまった。

 

「あー、助けてはくれないか」

 

「見てなかったら考えたかも」

 

 そのまま、こいしが消えたかと思うと服を脱がせ始める。

 

「やめてくれ。悪とまじでサラシが怖いわ」

 

 本気で抵抗すれば当然剥がせるが、それは出来なかった。と言うのも、最近力加減がわからない。怪我はさせたくない。

 抵抗も虚しく、シャツのボタンを全て外されたあたりで扉が開かれ、枝から七色の結晶を吊るした異様な翼を持つフランドールが入ってくる。パルスィが暴走した一件があったらしいが、その際にさとりを助けてくれたらしく、以降は地霊殿に居候している。

 

「助けてくれ、襲われてる」

 

「あー、どう言う状況?」

 

 下らないとため息を吐いてこちらに歩み寄ってくるフラン。これでやっと救われると思ったのも束の間、こいしの声が状況を変える。

 

「こよみが、フランちゃんのことまな板って言ってた」

 

「おい、そんなこと一言も」

 

 慌てて弁解するが、既に手遅れだ。ゆっくりとフランが寄ってくる。悲しいが、どう考えても友好的では無い。そのまま右手をこいしに左手をフランに抑えられ、服を脱がされていく。

 俺は抵抗をやめて能力を一度だけ使い、されるがままになる。シャツを脱がされて、下着が露わになる。

 フランはそれをみて舌打ちすると無理やり剥がす。

 

「乱暴だなぁ」

 

 側から見れば犯罪に他ならないが、不思議と心は暖かかった。こんな日常が幸せだと感じている俺がいる。

 ここに来てから、延々と戦っていた気がする。自分の手で人を殺したことなんてなかった、妖怪は人では無いが。まぁ、そこは些細な差だろう。どちらにせよ、言葉を解し、話すものを殺したことはなかった。血も流した、死ぬことはなかったが、痛みは感じた。

 あぁ、だが痛みは最近は感じないか。臆病故に、常に痛覚はある程度騙してある。

 

「なんで笑ってるのよ」

 

 フランが頬をつねる。

 恥ずかしいことに頬が緩んでいたようだ。

 

「いや、平和だなぁと」

 

 それに少し笑って、応対してさらしを巻いているさとりを見る。かなりの力でまいているのだろう。だが、残念なことに思ったような成果はあげられていないらしい。それはそうだ。締め付けると言っても限界はある。

 何周か巻いて満足したのかさとりが扉をあげるとそこには着物を持った燐がいた。

 

「助けてくれてもいいんだぞ。こっち側だろ」

 

「やめてほしいね。アタイはあんたと同じ目に合いたくないし、さとり様の従順なペットなんだから」

 

 それを聞いて、諦める。あとはさとりに着物を着せられて終わった。薄桃色の着物に桜が刺繍されたそれは明らかに女物で少し恥ずかしい。当然女性用の着物など着たことがないので新鮮ではあったが、恥ずかしさと動くにくさが勝っている。袖を振っていると、ふと日本舞踊をしていた妹を思い出す。よくこんな格好で踊ったもこだ。

 

「苦しいな....」

 

 恐らくという言葉を抜いてそんなことを言う。実際、着物で苦しいと感じてはいない。というか...

 そこまで考えて、こよみは心の中で少し笑う。

 

「よし。さとりも着替えてくれよ。玄関で待ってる」

 

 こよみはそのまま身体を浮かせて部屋を後にする。見慣れた廊下をするりと抜けて、ステンドグラスからの光で薄ぼんやりと照らされた玄関には数匹のペットがいた。襲撃で数は減ったものの、まだこうして元気なものもいる。ぼんやりと擦り寄ってくる彼らを見下ろしながらさとりを待つ。足元に他の温もりを感じながら壁に腰をかけて目を閉じる。

 頭を響くのは騒音。誰の声でもなく、誰の声でもある。聞き覚えのあるものもあればないものもある。聖徳太子でもあれば聞き分けられるかと思うが残念なことに俺は違う。

 それは、ただただ、全てを掻き消す騒音だ。まるで溢れる水のように、それは全てを飲み込み、溶かしていく。境界は解け、自分が溶けていく、まるで泥水に流された水のように混ざり合って消えていく。

 今日が最後だな、と静かに頭に声が響く。

 目を開き、虚に天井を見上げる。

 

【あぁ、わかってる。これはみんなが幸せになる物語だ】

 

 



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54話 世の中思い通りに行かないものだね


 善意での行動が必ずしも、相手にとってよく働くとは限らない。


 

「お待たせしました。こよみ」

 

 階段の上からさとりとこいし、少し後ろからフランが降りてくる。どうやら歩きにくいようで遅れをとっている。まぁ、歩きにくいことには大方同感だ。

 

「ちょっと、早いって」

 

 フランが、少し走ろうとして躓き、階段から落ちそうになる。それを片目で見て、指を鳴らす。

 全てが静止した時間の中で、足元のペットを踏まないように気をつけながら階段を登り、フランの身体を支える。そして、指を鳴らそうとしてふと止まる。

 

「あー、ダメだな」

 

 こよみはフランの身体を少し浮かせ、ゆっくりと元の位置に戻って指を鳴らす。少し浮いたフランは間一髪で身体を浮かせて怪我はなかった。

 

「あぶな。気をつけろよ」

 

 片目でフランを見て、壁から離れて3人の前に立つ。

 

「すごく歩きにくいからな」

 

 そういってはいるものの、こよみの足取りは軽かった。

 

「そういう割にはかなり楽そうじゃない」

 

 フランは不貞腐れて空を飛び始めた。それをみてこよみは笑う。

 

「まぁ、そういう能力だし」

 

 そう、俺の能力において、初めてなんてことは、誰かに会うたびに減っていく。元々、外にいたときは能力への認識が無かった。だから、多少はマシだった。だが、この世界に来てからそれは酷くなった。

 自認というのは、非常に重要らしい。

 

「行こうか」

 

 扉を開き、こよみは数歩歩いて、飽きたように空を飛び始める。すぐに追いついてきたフランと屋台に向かって飛ぶ。後ろからさとりとこいしも飛んできた。

 少し先では祭囃子が聞こえている。あまり良い思いではないが、今回はきっとあんなことは起きない。

 そんなことを考えながらぼんやりと飛んでいると、さとりが追い付いていくる。

 

「こよみ。大丈夫ですか?」

 

「どちらかとすればこっちのセリフだけど。俺は大丈夫」

 

 そういって、さとりはフランとこいしにお金を渡し、そのまま二人を見送った。

 

「あら、二人きりだ」

 

 趣味でもない。趣味でもない?そんな事をさとりにつぶやく。それを見たさとりは俺の手を引いて、祭囃子と町から離れていく。特に抵抗する気にもなれず、延々と手を引かれていると、そのままずっと遠くまで、砂漠を超えて洞窟に入っていく。ただ、この洞窟は地上に出るために使っていたものではない。

 

「どこに行くんだ」

 

 流石に少し不安になり、さとりを止める。さとりがこちらに向き直り、やっと手を放した。洞窟にはどんな技術かは知らないは、手入れはされていないにも関わらずランタンのようなもので明かりが灯されている。何も誰も来たことがないわけではないようだ。ただ、その頻度は高くはないだろう。ところどこに蜘蛛の巣が張っている。

 

「お願いです。もう少し、ついてきてください」

 

 一瞬、同調を使おうか迷う。それを察してかさとりは声を上げた。

 

「お願いです。使わないで下さい」

 

「...分かった」

 

 迷いはあったが、それでも一度さとりを信じることにした。恐らく、騙しながらであれば、同調はバレないだろう。ただ、それはしたくなかった。

 俺を家族と呼んでくれたさとりを裏切りたくないと思った。

 そのまま、前を飛ぶさとりの後を追う。しばらく同じ景色が続き、一気に晴れる。

 そこには一つの丘を囲むように白い彼岸花で出来た花畑があった。そして不自然にその丘の上に机と椅子がある。未だに前を歩くさとりの横に立ち、その風景を眺める、

 

「ここは」

 

「秘密の場所です」

 

「そうか」

 

 恐らく、嘘ではない。実際、アニメでしか見たことのない風景だったが、新鮮だとは感じなかった。さとりが過去に経験しているのであれば辻褄が合う。

 

「じゃ、話を聞こうか」

 

 どこからか風が吹き、花が揺れる。まるで2人を迎え入れるかのように踊る花たち、その舞が終わった時。さとりは口を開く。

 

「話してくれませんか。外の世界での貴方を」

 

 一瞬こよみは黙り込む。それは、あまり話をしてこなかったことだ。それに、この話は、古明地こよみの話ではない。所謂、他人の話だ。

 それに、恐らくさとりの聞きたいことはこれではない。そんなことを聞くためだけにわざわざこんな所まで連れてくる意味はない。

 

「別に構わない。ただ、そんなことを伝えに来たわけじゃないだろ。本題を話そう。本当は何を聞きたい?」

 

「貴方の目的はなんですか」

 

 1人の少女はそれを聞いて歩く。

 

「それって話した気がするけど。必要かな」

 

「私は、貴方と言いました」

 

 それを聞いて、花畑の中で少女は笑う。地面に咲く彼岸花をしゃがんで眺める。少しの間風の音だけが支配した後、その支配権を少女が奪う。

 

「騙し切ったと思ったけど。相手が悪かったなぁ」

 

 そして、ゆっくりと花畑の上を飛び、中央にある椅子に腰をかけ、さとりを見る。

 

「さとりもこっちに来なよ。ここで話そう」

 

 さとりが飛んできて、前に座る。

 

「残念だけど。俺の目的は言えない。これだけはどうやっても読まれないようにする。ただ、一つ言えるとすれば、俺は敵じゃない」

 

 ふざけた話だ。自分でも笑える。ただ、それでも、俺の思いはそこにある。そして、思い出したかのようにまた口を開く。

 

「それに、古明地こよみが不幸になることはない。それだけだ、祭りに行こう」

 

 それだけ言い残して、こよみは飛び去っていく。その背を追って、さとりが飛ぶ。その表情には、覚悟に近い何かがあった。こよみはそれを見ずに飛んでいく。

 



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