私の生徒たちが、自分を恋人だと思い込んでいる! (雨あられ)
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1話

「というわけで、先生。お願いできますか?」

 

知的な眼鏡をかけた、黒い長髪の少女……連邦生徒会所属幹部・七神リンの言葉に、自身は首を捻って意思表示をすると、彼女は耳に掛かった髪をかき上げて眼鏡をクイっと持ち上げると再び言葉を紡ぎ始める。

 

 

「ですから、先生にはこの”シャーレ併設カフェ”の運営と営業をお任せしたいのです」

 

 

シャーレ併設カフェ……確かに部屋の中には大人数で使うテーブルやイス、厨房と立派なコーヒーサイフォンなどが目に映る。結構埃を被っていて今まで使われていなかったのも同時に伺えるが、カフェとして必要なものは全て揃っているように見える……。

 

“でも、先生なのにカフェを……?”

 

「はい」

 

“私が?”

 

「はい」

 

“……なぜ!?”

 

「はい、それが”先生”ですから」

 

何を当たり前のことをと言うように淡々と告げると、時刻を確認し、次の仕事がありますのでそれでは失礼します。何かあればご連絡を。と短く告げてリンは部屋を去って行ってしまった。

 

 

だだっ広いカフェに、教師が一人……。

 

 

生徒たちとの親交がどうとか言っていた気がするが……それでもやはり、関連付けが上手く出来ない。

刻一刻と、立ち尽くしたまま時間だけが過ぎていく。

 

 

 

“…………やるしかない”

 

 

 

何処か腑に落ちない気持ちもあったが、ぐいっと、腕まくりをすると、近くの窓を開け放ち、まずは辺りの掃除から始めることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の生徒たちが、自分を恋人だと思い込んでいる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お邪魔するわよ!!」

 

バンと扉が開いたかと思えば、ぞろぞろと準備中のカフェの中へとやってきたのはゲヘナ学園きっての問題児集団。1日1悪、お金さえ貰えれば何でもします。がモットーであるペーパー会社、便利屋68の面々である。

 

「さぁ、武装を解いて手を上げなさい!!」

 

カチャ、カチャカチャッ!と、全員が銃火器を構えている。

学園都市キヴォトスでは少女たちが銃火器を持ち歩くのは至極普通のことである。こういったトラブルも頻繁に起きるし、どちらかと言えば、生身で銃に撃たれたら危険な自分が珍しいくらいだ。

 

だからこそ本来ならこの状況は絶体絶命のピンチ、慌てるべきものなのだろうが……相手が相手である。

 

今、先頭に立って黒いファーのついたコートを靡かせているこの人物こそ、会社の社長にして組織の親玉である、ひと際目つきの鋭い少女、陸八魔アル。追放された身ではあるものの、ゲヘナ学園所属の私の大事な生徒であり、いくつか依頼をこなしてもらった協力者に変わりはない。

 

厨房から私が姿を現すと、彼女はその強張った表情を緩めて声を明るくする。

 

「あ!先生!」

 

……が、部下たちの視線が一斉に刺さり、んんっ!とわざとらしく咳ばらいをしてから表情を戻すと腕を組みながら凛と澄ました声を出す。

 

 

「こほん、単刀直入に言うわ、先生。私たち、今日はこのカフェを……”ジャック”しにきたの!!」

 

ど ん !

 

と某海賊漫画ならエフェクトが付きそうなほどのノリノリの笑顔で宣言をする社長の姿に、室長である生意気系メスガキ・浅黄ムツキは楽しそうにくふふと笑い、苦労人気質の課長・鬼方カヨコはため息をつく。そして、平社員を務めている伊草ハルカは目を輝かせながら心酔する社長へと惜しみない全力の拍手を送っていた。それにしても

 

“……カフェ……ジャック?”

 

「うふふふふ、驚いているわね!そう、そうよ!カフェジャック!時代はカフェジャックなのよ!我ながら何と恐ろしい悪事を思いつくの!」

 

「そうだね~!行きつけの格安で優しいラーメン屋を爆弾で吹っ飛ばしてから、ろくに食べられなくなっちゃったからって、まさか今度はお世話になっている先生にまで恩を仇で返しにくるなんて~、流石はアルちゃん、外道の極みって感じだよね~」

 

「スゴイです、アル様!!尊敬してしまいます!」

 

「あははっ!もう、もっと褒めて頂戴!!」

 

「…………はぁ~」

 

4人のいつも通りの寸劇を眺めながら、テーブルに乗っていた椅子を降ろすと、布巾でテーブルを念入りに拭いて、机の上の砂糖やナフキンの量をチェックし始める……そろそろ、カフェの開店時間が近づいている。

 

我ながらカフェの仕事が板についてきたなと思う。

先生とカフェのマスター、両方こなすなんて無茶だと思っていた時期もあったけれど、人間用意された環境には適用するように出来ているらしく、いつの間にか私もこの生活にすっかりハマってしまっていた。

 

床を簡単にモップ掛けしていると、くいくいっと袖を引っ張られる。

 

「ちょ、ちょっと、先生、さっきから聞いてる!?」

 

うわ!

いつの間にか、目と鼻の先に居たアル社長が顔を赤くし、唇を尖らせながらフーフーと息を荒げている。プルプルと震えながら目尻には涙まで貯めていて……こうしてみると可愛いのに。

 

“き、聞いてたよ”

 

ぐいっと引き離した後もなお、こちらを疑わしそうに上目遣いにのぞき込むアル。

 

「……本当に?本当に本当なの?……まぁ良いわ。それじゃあ早速、”アレ”を出してちょうだいな、先生」

 

アルは近くの椅子にどっこらせと腰を下ろすと、足を組み、トントンと机を指で叩く。

 

“……アレ?”

 

「もう!もったいぶらなくても良いわよ先生!カフェジャックよ?そして”アレ”と言えば、”アレ”しかないでしょ!」

 

超良い笑顔で言われてもまるで何のことかわからない。が、他の面々はわかっているらしく、うんうんと頷く。

 

「”アレ”、 ”アレ”ですね……!」

 

「あ~、”アレ”ね、”アレ”」

 

「……いや、普通に”アレ”って何よ?」

 

「あら、カヨコも知らないの?”アレ”っていうのはね……」

 

「朝ご飯よ!」

「非課税の現ナマでしょ~!」

「土地の権利書と、営業許可証ですね」

 

「「「え?」」」

 

上から、社長のアル、室長のムツキ、平社員のハルカの順だが、後になるほど内容が非道になっている……。

 

「えっと、アルちゃん。わざわざ危険なシャーレのど真ん中のカフェをジャックしておいてそんなショボいもので満足しちゃうの!?」

 

「しょ、ショボッ!?ショボくなんてないわよ!腹が空いては依頼はこなせぬ、って言うじゃないの!あと、仕事中は私のことは社長って……」

 

「アル様!全部奪いますか?根こそぎですか?アル様が命令してくだされば私……」

 

すっと銃を構えるハルカを前にサーっと顔を青くするアル。

 

「いやいや!それは流石にやり過ぎじゃないかしら!?相手は先生なわけだし……」

 

「そもそも、ジャックしに来てる時点でそういう問題じゃないでしょ……」

 

と内輪で揉め合っていると、カランカランと、入り口のベルが鳴った。

入ってきたのはトリニティ統合学園の制服を着た品の良さそうな生徒で、恐る恐ると言った風にドアを開けながらおどおどと店内を見回す。

 

“いらっしゃいませ”

 

「あ、あの~!本日は営業していらっしゃらないのでしょうか?開店時間をもう過ぎていますが、まだプレートが回っていませんでしたので……」

 

“いえいえ、もう大丈夫ですよ。どうぞ中へ入ってください”「せ、先生!?」

 

そう言うと安心したように少女は胸を撫でおろし、ドアを持ったまま後ろへと振り向くと……

 

「聞きましたかみなさん!今日は”シャーレの先生カフェ”が営業しているようですわ!」

 

ワッ!と、外から複数の少女の声が聞こえてくる。……この声、随分多いような……!?

 

「楽しみですわ~」「なんでも”ヤバうま”らしいのですわ~」

 

「わ」「おっと……」「な、なんなのよ~!」

 

と、便利屋の4人をまるでいないもののように扱いながら、カフェの中へと入ってきて、すぐに座席は超満員に……!?

 

それに慌てたのはアルである。

 

「ちょ、ちょっと先生!?私たち、今”カフェジャック”中なんですけど~!!?」

 

“そうだった。でも……”

 

「店員さん、注文よろしいでしょうか?」

 

「え!?わ、私……ですか?」

 

「あの、こちらの座席、メニューが無いようなのですが……」

 

「ん?じゃあ、こっちの席の子たちとシェアして~」

 

「きゃ!すみません、何か零してしまって……」

 

「あ~、待ってて、今拭くもの持ってくるから……」

 

方々で声のあがるお嬢様たちの声に応えてくれる便利屋68の社員たち。

……ただ一人ガビーン!という顔をした社長を除いて。

 

「ちょ、ちょっと、みんな!当初の目的を忘れちゃだめよ!私は先生を独占するために……」

 

え?

 

ハッとしたように顔を合わせると、顔を真っ赤にしながら何でもないわ、おほほほほ!と不自然極まりない笑いを見せる。

 

「せ、先生!コーヒーと。チーズケーキを、4つずつ……だ、そうです……」

 

「こっちはハニートーストと紅茶を5つだって!ほらほら、早くしてよ~。先生ってば遅すぎ~!」

 

"わかった。アルには厨房を手伝ってほしいな”

 

「え?え~~~~!?先生と二人で……?」

 

“アル”

 

「…………もう!しょうがないわね!先生がどうしてもっていうのなら!」

 

と、言葉とは裏腹にウキウキした様子の彼女と厨房へと入ると、気合を入れなおしてすぐさま準備に取り掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「「はぁ……」」」」

 

ピークを過ぎて、4人が机の上にぐったり倒れ込む。

今日はどういうわけかあれからも絶え間なくお嬢さんたちがやってきた。

来てくれるのは嬉しいのだけれど、彼女たちは全員トリニティの良いところのお嬢様。

あまり外でカフェに行くようなこともないらしくて、何から何まで教えたりしていることが多くて……。これだけ人手があっても忙しくて目が回るようであった。

まぁ、途中で注文を覚えきれずに銃と爆弾で本気で自害しようとしたハルカの暴走を止めたり、アルがそのポンコツぷりを発揮して厨房で大火事を起こしたりしなければもう少しスムーズに事が済んだかもしれないけれど……。

 

「先生って~、いつもこれだけのお客さんを一人で相手してるわけ~?」

 

“そうだよ”

 

「大人って大変だね~、あははは!……はぁ」

 

休む暇すらろくになかったのだから、あのラッシュを乗り越えられたのもまた、彼女たちのお陰に他ならない。いつもはあれだけ騒がしい便利屋68の面々も流石に疲れたのか静かである。

 

「………………スン、スンスン……ッ?先生!?こ、この匂い、もしかして!!?」

 

ガタガタっと起き上がったみんなの前に置いたのはゴロゴロと大きなミートボールが転がったスパゲッティだった。

 

山盛りに盛られたパスタに赤いトマトソースがトロリと垂れて、食欲のそそられる煮込みたてのミートボールが、脂と絡み合って美味しそうにテラテラと光っている。

 

“みんな頑張ってくれたからお礼だよ。口に合うかわからないけど”

 

「タラー……っは!?せ、先生!言っておくけど、こんなもので私たちを懐柔しようだなんて無駄よ!それに、先生ってあまり食事を作る時間を作れないくらい忙しいんでしょう?だったら料理の味だってあまり期待できな、うまあああああっ!!?」

 

「なにこれ、めっちゃ美味しいんだけど!?」

 

「…………意外、先生にこんな特技があったなんて、ハフ」

 

ガツガツ、ズルズル!!と物凄い勢いでスパゲティを掻き込み始める少女たち。その食べっぷりたるや見ていて気持ちが良いほどだ。

今日出したミートボールスパゲッティはここ、シャーレ……『シッテムの箱』に保存されていた秘伝のレシピの一つだ。カフェを出すときに秘書兼メインOSである”アロナ”に相談したら、見つけてきてくれた。なんでも一部のファンにはたまらない一品らしいが……どうやら上手く作れたらしい。

 

「ちょっと!!ムツキ!そのひと際大きいミートボールは私のよ!?きちんと社長に上納しなさい!!」

 

「え~!仕事を頑張った部下を労うのもアルちゃんの仕事の一つじゃないの?」

 

「ぐぐぐ、それは確かに……で、でもそれはだめなのよ!だってそれは、”私の先生”が私を想ってつくってくれたんだもの!ミートボールの大きさが、その愛の大きさなのよ!」

 

え?今、なんて……

 

「……いやさ、だったら、普通に接客とみんなの失敗した後片付けを一番頑張ってた”先生の一番の理解者である”私がもらうべきだと思うけど?」

 

普段はこういった時に一歩引いた大人の対応を取るカヨコが珍しく食いつく。

不思議に思う私と目が合うと、わかってるからと、ばかりに難しい顔をやめて、まるで彼女のような優しい顔をしているけれど……?

 

「あ、あの。も、もしかしたら、私のため、かも……!だ、だってだって、先生は私にすごく優しくて、いつもあえて嬉しいって言ってくれたり、そ、それに、先生も、”私のことを……す、好き”だって……言ってくれて、えへ、えへへ」

 

確かに”生徒として”好きだと言ったことはある。

けれど、なんだかハルカの様子を見ていると違う受け取られ方をしたような気が……。

 

「くふふ!みんな面白―い!先生は”愛しの恋人である”ムツキちゃんに食べてほしくて作ったに決まってるのに~!」

 

「うふふ」「あはは」

 

ニコニコと笑顔を浮かべる少女たち、誰かの皿からフォークが床に落ちて金属音を出した、次の瞬間!

 

「「「「あっはははははッ!!!!?」」」」

 

ひい!?

ズガガガガガガ!っと目を光らせながら高笑いを浮かべて、銃火器を乱射する少女たち……ッ!?

 

「先生の愛を渡しなさい!!」

 

「私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の」

 

「こればっかりはアルちゃんたちのお願いでも無理なんだよねー、だから~諦めて?」

 

「なら、実力で……奪えば良いでしょ?」

 

 

パリンパリンと皿が割れ、壁に穴が開き、大きな爆発が起こる。

 

 

 

どうして、どうしてこんなことに……!!?

 

 

 

 

 

それからのことは……あまりよく覚えていない。

 

響き渡る発砲音と高笑い、なぜかミートボールをゲットしたものが恋人に相応しいなどと言う内容に湾曲した結果参戦するトリニティの正義実現委員会やゲヘナの風紀委員会、その他多数の部活動たち……

 

戦場は混沌を極め、カフェは半壊して1ヵ月ほど営業停止となり、便利屋68のみんなは200万文字を越える反省文の提出と、億を超える借金の返済を求められることとなったのだった……。

 

ちなみにミートボールは戦いのさなか塵へと変わった。



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2話

「はぁ……今日は廃棄のお弁当、もらえなかったなぁ……」

 

とぼとぼと、黒い耳が下がったツインテールの少女、黒見セリカが夜道を歩く。

多額の借金を抱えるアビドス高等学校のために、日夜アルバイトに勤しむ対策委員会所属の普段は気難し屋だがその実、真面目な生徒……。

 

「それに昼のバイトも最低だったわ……賢そうな凄いバイトだと思ったのに、まさか新興宗教の勧誘の手伝いだったなんて……思い出しただけでもムカムカする~!」

 

自らの騙されやすさに苛立ちすら覚えながらも、握った拳は、やり場のない気持ちとともにため息となって出すほかなかった。

バス停のベンチに腰掛けると懐にしまっていた端末をゴソゴソと取り出して足をブラブラと揺らしながらネットを開く。

 

「他のアルバイト探さなきゃ……時給が良くなくても良いから、まともな待遇のバイトがあれば良いけど……?え?」

 

ペタンと垂れていた耳がいっぺんにそそり立つ。

 

「カフェのアルバイト!?し、しかも、この場所って……っ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の生徒たちが、自分を恋人だと思い込んでいる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先生も人が悪いんだから。アルバイトなんて募集しなくても、言ってくれれば私が手伝ってあげたのに」

 

早起きをしてやってきたのは先生が運営しているというシャーレ併設カフェ。

 

ここに居る先生という人物は……正直、かなりの変わり者だと思う。

今まで私たちに干渉してくる大人なんて一人も居なかったのに、急にどこからともなく現れて、それで私たちのことを手伝ったり助けたりしてくれる~だなんて、そんな都合のいい話ないでしょ?だから、私は初めから警戒していて、仲良くするつもりなんてなかった。

 

だけど、先生の言葉は本当だった。

 

一緒にアルバイトをしたり、不良たちから学校を防衛したり、時には銀行強盗なんかやっちゃったりして……なんだかんだ、楽しく過ごしているうちに先生という存在は私たちの中に自然と溶け込んでいて……次第に、居なくてはならない者に変わっていた。

 

「普段、色々と手伝ってくれているんだから、こう言うところでお返ししていかなくっちゃ!」

 

ギュっと両手を握りこむ。

シロコたちの居ないところで、二人っきりでバイトを手伝ってもらったことだってある。その時も、思い返せば先生は何気ない優しさで何度も私を助けてくれて頼りになって……。

 

「べ、別に先生のことが好きってわけじゃないのよ?でも……」

 

……気になるっていうか、お世話になったお礼に、何か役に立ちたい気持ちになるっていうか……。

 

う、うが~!もう!

ぐーっと空に向かって伸びをすると、ドアを開ける間に、慌てて携帯に映った自分の前髪を直して服の皺をまっすぐにのばして深呼吸をしてから扉を開けると元気よく声を出す。

 

「先生!私がカフェを手伝いに来てあげたわ……よ?」

 

ドアを開けると目が合ったのは3人の生徒……!?

 

二人はゲヘナの生徒?ウチ一人は制服の上からエプロンとバンダナを付けた小さめの少女で、私を見ると小さく控えめにお辞儀をした。

 

もう一人はふわふわしたグレーブラウンの髪色に大きな赤いリボンとおさげ、そして全く私に興味がないのか美味しそうに「チョコレートを挟んだハンバーガー」を頬張っている幸せそうな生徒。口の端っこに盛大に食べカスがついている……

 

そして最後に、艶やかな黒髪にきめの細かい褐色肌、鋭い金色の瞳がどこかミステリアスな雰囲気を纏ったメイド服姿の少女。あれって確かミレニアムサイエンススクールの「C&C」……どうしてこんな子が!?

 

この子たち、一体先生とどういう関係……!?

 

“あ、セリカ、いらっしゃい”

 

「え、ええっと、先生!私、アルバイトの募集を見てきたんだけど……」

 

“ああ、そうだったの?じゃあ、みんなと一緒だね”

 

みんなと一緒!?じゃあ、ここに居る3人も……!?

狼狽えていると褐色メイドの方が一歩、前へと歩み出て優雅にスカートの裾を引きお辞儀をする。

 

「どうも初めまして。私はC&Cの角楯カリン……。今日は先生……いや"ご主人様にご奉仕"をするためにここに」

 

「は、はぁっ!?どういうこと!?」

 

「ご、ご主人様!?ご、ご奉仕……!?」

 

声を荒げる私と戸惑うエプロン姿の少女。

それに構わずメイド、カリンは言葉を続けた。

 

「言葉の通り。普段お世話になっている……ご主人様のために働くのはメイドとして当然のこと」

 

そう言って先生へと一瞬クールな目を向けるカリン。だけど、その顔は、とてもじゃないけれどただの主従の信頼から来るだけのものとは思えなかった。熱を帯びたもっと別の……!

 

「あ、愛清フウカです!わ、私も今日は給食部として先生をサポートするために来ました!」

 

負けじと声を出したのはエプロン姿の少女、フウカ。

 

「よく一緒にいると”先生の新妻”だと勘違いされちゃいますけど、”まだ”そういうわけじゃないですから!」

 

「に、にい!?わかってるわよそれくらい!」

「新妻……イイナ…」

 

っく、気弱そうだと思ってたのにさり気にマウント取ってきたわね!?しかも結構強めの……!

私も負けてられないわ!

 

「……私は黒見セリカ……!数々のアルバイトを先生とこなしてきた、そう”先生のパートナー”よ!」

 

「……先生の」

 

「ぱ、パートナー!?」

 

「そ。夜通し同じ部屋で一緒に働いたことだってあるんだから」

 

「「…………!」」

 

バチバチバチッと3人の視線が交錯する。

ただのアルバイトじゃない!こいつら……二人ともあわよくば先生と仲良くなろうという最っ低な下心を持っている!!

こうなったら負けてられない……!

 

……そう言えば、もう一人いたような。と視線がハンバーガーをもきゅもきゅと頬張っていた少女に集中する。

 

「……?もぐもぐ……!」

 

少女は自分が自己紹介をする番とわかったからかハンバーガーを一気に食べ終えて指先を口に含んでからぺろりと舌を出す。

 

「私は美食研究会の獅子堂イズミ!今日は美味しいものを食べにきました!」

 

…………こいつは恐るるに足りないわね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃいませ~!」

 

先手は貰ったわ!

 

「2名様ですね、こちらへどうぞ~!」

 

普段、紫関ラーメンで働いている経験と手腕を見せる時!

営業スマイルで素早くお客さんを案内し、オーダーを受けて、料理を運ぶ!

 

「はーい!サンドウィッチとコーヒーお待たせしました~!」

 

その手際たるや、我ながら惚れ惚れしちゃうくらい。先生も私に惚れ直しても良いの……!?

 

 

 

「おかえりなさいませ。お嬢様方」

 

 

 

う、うそ!?

 

「4名様ですね。ご案内させていただきます」

 

「「「「は、はい~!」」」」

 

あのメイドの方は、お客さんをお嬢様と呼び、とても上品且つエレガントな接客を開始した。何処か忙しい私の給仕とは対照的に、落ち着いた大人っぽい雰囲気で……。

 

「すご、なんだか本当にお嬢様になったみたい……!」

 

「ちょっと~!後ろ向いたままだとあぶな……」

 

「きゃ!」

 

「危ない!」

 

咄嗟に、転びそうになったお客さんの元へと滑り込むと、倒れ込む前に身体を抱き支えるカリンさん……。

 

「……怪我はない?」

 

「は、はい……!」

 

「無事でよかった……」

 

「はう!!」

 

そう彼女が微笑むと、胸を抑えて苦しそうにする少女。なんてイケメンムーブなの!あんなことされたら堕ちちゃって当然……!

 

「あの、注文良いですか!メイドさん!」

 

「私も!」

 

「……少々お待ちください」

 

キャーキャーと騒ぎ始めるお客たち。

 

……不味いわね。

その様子を一部始終見ていた他のお客さんたちまでも、私じゃなくて露骨にカリンの方へと声を掛け始める。

うぅ、こんなはずじゃなかったのに……!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「負けないわよ!!」

 

ホールがある程度落ち着いてきたので今度は厨房に入る。

店長直伝の鍋さばきでチキンライスを炒め始める。この火力を操って美味しい料理を作る姿を見たら先生も私をお、奥さんにしたくなるはず……!?

 

「はい!モンブラン出来上がりました。次はショートケーキとミートスパゲッティですね!

 

……早い!

圧倒的な速さで厨房を移動するフウカ。

生クリームを泡立て始めたかと思えばスパゲッティを茹でる下準備を始め、合間の時間にお皿洗いまで……!?

その手際の良さに驚いていると今度は私の方を向いてオタマを突き付ける

 

「そこ!お鍋を動かす!」

 

「!!は、はい!」

 

思わず敬語になって鍋を動かす。

これが”あの”無法地帯、ゲヘナの給食を作っているという給食部の実力……!?

こんなの、私程度の付け焼刃じゃどうやったって……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

お客さんが少なくなってきたころに、机の上を拭きながらため息をつく。

 

接客ではカリンに劣り、料理ではフウカに負けた。

まさか得意だと思っていた飲食店のバイトでここまで力の差を感じるなんて……。

あの後私は焦りから普段やらないようなミスを連発。お客さんの足をフンじゃったり、料理に入れる砂糖の量を間違えちゃったり……失敗続き。

 

“どうかしたの”

 

「あ!……先生、私……」

 

と、そこへ先生とにゅっと歯を出して笑顔を浮かべた少女、イズミが何かを私の口元に近づける。

 

「元気だしなよ!ほら、これでも食べて……!」

 

「うん……って、ごほごっほ!!!ナニコレ!!?これってコーヒーに入れるスティックシュガーじゃないの!?」

 

「美味しいよ!」

 

「食わすな!!!」

 

はぁ、まぁ案の定、イズミはまるで役に立たなかったけど、私が焦って失敗した料理を食べてくれたりしてなんだかんだ役に立っている。今だって、私のことを元気づけようと……それに比べて私なんか……。

 

「……先生、私なんか放っておいてあの二人に……あ」

 

ポフポフと先生の手を私の髪を優しく撫でる。

 

“そんなに落ち込むことないよ。セリカはよく頑張ってくれてる”

 

「でも……」

 

“焦る必要なんかない。いつも、私と一緒にアルバイトしている調子でやってくれればいいよ”

 

いつも、先生と一緒に……?

……いつもの私って、何を考えていただろうか。

 

ただ私は、先生と一緒にいると楽しくて、それで……あ。

 

 

そうか……そうだったんだ!

 

 

 

「先生」

 

“ん?”

 

「……あ、ありがと……」

 

“?なんて、良く聞こえない……”

 

「も、もう!二度は言わないんだから!!」

 

先生のもとを離れて仕事へと戻る!

揺れる気持ちを抑えようともせずに、口元を緩めて新しく入ってきたお客さんを迎える。うん、大事なのはきっと……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

セリカが落ち込んだ様子だったので心配していたが、どうやら杞憂だったらしい。

明るい表情で接客をするセリカは、ミスもなくお客さんと円滑にコミュニケーションが取れているように見える。

いつも通り、楽しそうに。

 

「あれ、カリンさん。今のお会計間違ってないですか?」

 

「え?そんなはず……!!し、しまった。500円多く貰ってしまった」

 

どうやら、テイクアウトを注文していたお客さんの会計をカリンが間違えてしまったようだ。今度はカリンがズンとその場で頭を垂れて落ち込んでしまう。

 

「単純な計算ミス……今日は、先生と一緒に働くからそんなつまらないミス、したくなかったのに……」

 

「……カリンさん」

 

その様子を見て、セリカはグッと眉を吊り上げた。

 

「……まだ間に合いますよ。私、渡してきます!」

 

「え?!あ……!」

 

セリカはそう言うや否やとレジの五百円を持って、お客さんの後を追いかけ、店を出て走り始めた。不安そうにドアを見つめるカリンの肩に手を置くと、先生……と心細そうな声が聞こえる。

 

 

 

……暫くすると、息を切らしたセリカが帰ってきた。

 

「はぁはぁ……大丈夫、ちゃんと渡せました!」

 

とぐっと、額に汗を浮かべて笑顔を浮かべるセリカ。

呆気に取られていたカリンだったが……ふっと表情を緩めると

 

「……ありがとう。セリカ」

 

と顔を軽く赤らめながら微笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、フウカさん。この料理、卵の殻が入ってませんか?」

 

「え?……あぁ!ごめんなさい!急いでいるとつい細かいことを気にする余裕がなくて……」

 

今度は料理を運び出そうとしたときにセリカが気が付いたらしい。

 

コーヒーを淹れていると厨房の方からそんな声が聞こえてくる。

フウカは普段ゲヘナの給食を大量に作る関係上、どうしてもクオリティに拘っていられないところがある。だからこそ、卵の殻が入っているくらいでゲヘナ学園的には手を止めていられなかったのだろうが……ここはカフェ。そんな料理をお客さんに出すわけにはいかない。

 

セリカはあたりを見回してから殻をポイポイっと箸で取り除くと、これで大丈夫ですね。と内緒話をするように人差し指でしーっとしながらウィンクをする。

 

「今度は忙しいときは私も厨房のお手伝いをするので、声をかけてくださいね」

 

「!!あ、ありがとう~セリカちゃん!!」

 

フウカは普段の給食部では絶対に聞けない台詞と気遣いの数々に、泣いていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「終わったー!」

 

看板を仕舞い終えると伸びをしながらセリカが声を上げた。

4人とも、本当によく頑張ってくれた。おかげで今日は比較的楽に仕事をこなすことが出来た。

 

“お疲れ様。……そうだ、"まかない"でも食べていかない?”

 

そう言うと4人、特にイズミは待ってましたー!と目を輝かせて喜びを露にした。

 

「えへへ~。このために今日一日頑張ったんだ~!!」

 

「あんたはつまみ食いと皿洗いしたりしかしてないでしょ……」

 

「そうよ!隙あらば厨房の食材を狙ってきて~……!」

 

「う~!許して!だって働いているとお腹がすいちゃうから……」

 

「少しは後輩のセリカちゃんを見習って!!」

 

「あう~!」「あはは!」

 

コポコポと4人のために紅茶を淹れていると、先生お手伝いしますと、カリンがそっと私の手を取って給仕を手伝ってくれた。……彼女は細かいことによく気が付き、本当に気が利いている。

 

“ありがとう。カリンは良いお嫁さんになりそう”

 

「よ、嫁っ!?」

 

?顔を真っ赤にしたカリンに紅茶の方は任せて、自身は腕を捲くると厨房へと入る。今日は……何が良いだろうか。そうだな。アレにしてみよう……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わぁっ!!!!!!」

 

「このパンの上に乗ってるのって、グラタン!?」

 

「良い匂い!それに見た目も凄いです!」

 

作ったのは賞味期限の近いパンと食材で作ったごった煮のグラタントーストだった。

厚いトーストの上にエビやブロッコリー、鶏肉や玉ねぎなど……結果的に様々な種類の具材がとろとろのチーズと一緒にこぼれるほどに乗っていて、グツグツと未だに煮立っている。

 

「いっただきまーす!!…………っ!!!!美味しいっっ!!!」

 

「どれどれ……って、あ、熱々……!……ん~!本当、美味しいわね!」

 

伸びるグラタントーストと戦いながらもハフハフと口元を動かして幸せそうに食べてくれるセリカ達。ついでにサラダとコンソメのスープも出してと……。

 

「先生、こんなに料理がお上手だったんですね!今度、給食部も手伝ってほしいです!」

 

…………考えておこう。流石にあの戦場を見て安請け合いするほど私も人間が出来ていなかった。

 

「…………」

 

?カリンの様子が……おかしい。

俯いて何かをブツブツとつぶやくカリン。口に合わなかったのかと耳を凝らしてみる。

 

「先生とカフェ……共同経営……りょ、良妻賢母…………!!」

 

良く聞き取れないが、なんだかほっぺたに手を当てたまま本人は幸せそうなので放っておこう……。

 

「あ、先生手が止まってるよ!食べないならもらってあげる~!」

 

「あ、ちょっと待ちなさいよ!もう、先生、足りないなら私の分、あげるからね……?」

 

「あ、だったら私が新しく何か作って……」

 

「ハフハフ!う~ん!みんなで食べるご飯ってやっぱり、最高~!」

 

すっかり暗くなった夜道とは対照的に、明かりの灯ったカフェの窓からは楽し気な声が夜遅くまで続いていた……。

 

 



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3話

-ゲヘナ学園 風紀委員会・執務室-

 

「失礼します!委員長!また給食部で原因不明の爆発が……!」

 

「また?すぐに原因を解明してそれから……」

 

「委員長!街で美食研究会のやつらが飲食店を襲ったと……!」

 

「え?」

 

「なんでも酢豚にパイナップルを入れるのは邪道か否かいう話を繰り広げて……あ、私は許せない派です!」

 

「…………」

 

「委員長!便利屋のやつらがまた問題を……!」

 

「~~~!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の生徒たちが、自分を恋人だと思い込んでいる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

営業時間も過ぎた夜更け。

カフェの営業もバイトのみんなのお陰で軌道に乗ってきたころ、床をモップ掛けしているとカランカランと誰かが店のドアを開ける音がする。

 

“すみません。今日はもう店じまいで……”

 

「…………あ」

 

“…………ヒナ?”

 

ドアを開けて立っていたのは、ゲヘナ学園で風紀委員長を務めている少女・空崎ヒナ……。

軽くスリットの入った風紀委員会の制服に、太ももまで伸びた黒いタイツ、蝙蝠のようなギザギザの羽……真っすぐに伸びた白髪を少し触ると、気まずそうにその菖蒲(あやめ)色の目を伏せる。

 

「ごめんなさい。先生がここに居ると聞いたから……でも、営業時間外ならまた出直すことにする」

 

踵を返して帰ろうとするヒナの手を取って引き留める。

先ほどは暗くてよく見えなかったが、玄関ホールに照らされたその顔は、疲れからかとても窶れているように思える……。

 

「あ、先生……?」

 

“……何か飲んでいかない?”

 

ヒナは、驚いて目を見開いた後に、弱弱しい笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ということがあって……」

 

砂糖もミルクも入っていないブラックコーヒーを飲みながら、ヒナは止めどなく溜まりに溜まっていた愚痴を吐き出し続けていた。

 

「アコやチナツも頑張ってくれているけど、それよりも発生する事件が多すぎて……」

 

"ゲヘナだから……"

 

自身も同じようにコーヒーを手にすると、椅子を引いてヒナの対面に腰を下ろす。

 

“やっぱり、ヒナの仕事は大変だね”

 

「……そんなことは…………ただ他に出来る人が居ないから……面倒だけど、やるしかなくて……」

 

照れくさそうに眼を逸らすヒナ。

 

空崎ヒナという少女は強い少女であった。

 

強いと言っても、ただゲヘナ最強と謳われるその屈強な戦闘力を振りかざすだけではない、その成熟した精神や冷静な思考回路が、風紀委員会を導くカリスマとなって彼女の"強さ"をより盤石なものにしている。

あれだけ無法地帯になっているゲヘナ学園が今日までギリギリのところで秩序を保っていられるのも、全て彼女たち、風紀委員会のお陰と言っても過言ではないだろう。

 

だけど……

 

“ヒナにしか出来ないことがたくさんあって、大変だとは思うけど……あんまり、無理ばっかりしちゃいけないよ。”

 

「先生……」

 

頑張っているヒナの頭に手を乗せて撫でると、ヒナは少し緊張から体を強張らせたものの、次第に眼を細めて身を委ね始める。

 

私は同時に……とても不安になる。

彼女には他にも同じ風紀委員会の仲間がたくさん居るが、それは同時にそれだけの数だけ彼女に期待や責任を向ける存在がいるということ。外からも内からもストレスを抱える彼女がいつか倒れてしまうのではないかと、ついそう考えてしまう。

彼女と対等か、支えてあげるような存在が、どこかに居ればいいけれど……

 

“今日はこの後お仕事?”

 

「……きょ、今日の分は終わらせてきたから……」

 

“そっか、じゃあ……”

 

キュルル……と、そこでなんとも可愛らしい音が響く。

見ると、ヒナの顔が赤く染まっていて……こちらもクスリと笑みが漏れる。

 

“何か食べよっか?”

 

「…………」

 

コクと、お腹を押さえて恥ずかし気に頷く少女を見て、やはり、彼女も周りと何も変わらない少女なんだなと、私は安心した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-ゲヘナ学園 風紀委員会・執務室-

 

「……ふふ」

 

ついこぼれてしまった笑みを見て、パチパチとアコが瞬きをする。

 

「……委員長。昨日は何か良いことがありましたか?」

 

ニコニコと笑みを浮かべるからかい調のアコの言葉に、目をそらしながら足を組み替える。

 

「別に……いいから報告を続けて……」

 

不覚を取った自身の気のゆるみに少し呆れながら、それでもなお緩んでしまう口元を隠すように椅子に肘を立てながら手で口元を覆う。

しかし、やはりというかどうしても仕事に身が入らない。だって、昨日は……あの後……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「美味しい……」

 

先生が作ってくれたのは親子丼と大根の煮物だった。

ふわふわした卵の上に醤油ベースのダシが絡んだ鳥肉が、ご飯と一緒に口に含むと、ダシがお米を解きほぐしてとても食べやすい。

煮物も、あっさりした白ダシに大根や豚もも肉などを薄切りの生姜と一緒に煮たものなのだろう、お腹が空いていたのもあっていくらでも食べられてしまう。

 

本当に美味しい。優しい味がする……。

 

「先生……こんなに料理が上手だったの?」

 

“別にレシピ通り作っただけだよ”

 

それが、人によってはどれだけ難しいことか……わかっていないのだろうこの人は。

香りのよいお吸い物も添えてくれて…………うん、好きな味。

 

「こんな料理なら、毎日食べた……!」

 

顔が急速に熱を持つ。

 

い、今私、何を!?先生にとんでもないことを……!?

チラリと先生を伺うように見上げると

 

“また食べにおいでよ”

 

と、そう屈託のない笑顔を浮かべていた。

本当に全く、この人は。

その後も、先生と他愛もない話をしながら、夜の時間を共有した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-シャーレ併設カフェ・前-

 

「流石に、昨日の今日じゃ早すぎる……?」

 

気が付くと、私は先生のカフェへと足を伸ばしていた。

最後の踏ん切りがつかなくて、さっきから、扉の前を行ったり来たり……私だって本当は何日か開けたかったけれど……お腹が空いてくると昨日のあの味が口の中に広がって、頭から離れなくなってしまった。

 

固唾をのむと、別の用事があったことにしようと、言い訳を思いつき、カフェのドアを開くことにした。

 

「先生?お邪魔しま……!?」

 

 

 

「きえええええええええっ!!!!!!」

 

 

 

ビクッ!!?

 

反射的に身構えると、真っ暗闇の店内でフーフーと息を荒げているモンスターの赤い光だけが見えている。

いや、地面まで伸びた黒い長髪に獣じみた光を放つ赤い瞳、禍々しく生えている漆黒の翼。そして黒い制服に返り血のような赤を纏っているこの少女は……剣先ツルギ!

 

トリニティ統合学園の正義実現委員会、その委員長……!?

 

「あなた、何故ここに……」

 

「クケケ、コケ?」

 

グキンと人間離れした首の曲がり方で私の方を見ると、イヒヒヒと気味の悪い笑みを浮かべてこちらへと近寄ってくる!!?

 

「な、何……?」

 

「おま、おまま…………」

 

「お"ま"え"が"っっっ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガシャンと窓を割って外へと逃れると、次の瞬間ドカーン!と部屋の中では彼女の放った赤い弾丸が炸裂していた。

私が着地をして銃を構えている間にも、ツルギは奇声を発しながらドアを蹴破って私の元へと飛び掛かってくる。とんでもない跳躍力っ!?

 

「何のつもりか知らないけど……!?」

 

黙ってやられるわけにはいかないと、こちらも翼を広げて支えにするとマシンガンを乱射する。

 

「きえええっ!!!」

 

しかし、空中や建物を蹴って高速移動をするツルギを中々とらえることが出来ない。

これがトリニティの戦略兵器……!?

本当に同じ人間なのかと疑わしくすら感じてくる。当てる方法はあるけれど、それだとこっちも手加減するのが難しく……。

 

「シャアアっ!!」

 

「!!」

 

構えた二丁のショットガンを回転させて弾を弾くと、身体を捻りながら捨て身で懐に潜り込んでくるツルギ。

私は咄嗟にその一つを踏みつけ、ガトリングの銃口をツルギの額へと合わせたが、同時に、下を取った彼女の片腕が伸びてショットガンを私の額へと突き付けられる。お互い、少しでも引き金を引けば眉間が吹き飛ぶ。

 

「はぁはぁ……」

「げひひ……はふ……」

 

硝煙が吹きすさび、突き付けられている未だに暖かい銃口に冷や汗が流れる。

油断していたとは言え、私をここまで追い詰めるなんて……でもおかしい、冷静に考えて……。

 

何故、彼女は襲ってくる?

いくらトリニティとゲヘナの中に争いが存在しているといっても、それはほんの一部のこと。交流会で顔を合わせた彼女は、そんな些事を気にするような人物ではなかった……気がする。それに、これだけの銃撃戦が繰り広げられているのに、どうして先生はあの建物から出てこない?

 

…………まさか!!

 

「……きひっ」

 

口元を引きつらせながら、引き金を引こうとする彼女に待って!と声を上げる。

 

「先生が……危険かもしれない!」

 

「ッ!?」

 

パァンと銃声が響く……それは、私を照準から大きく外して、コンクリートの壁に大きな穴を作っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-アビドス 廃墟ビル 3階-

 

「先生もさ、ついてないよね~」

 

アハハハハ!と室内には笑いが起こる。

両手足を縛られたまま床に座らせられている私を、机に座ったまま何度か小突いてくるのはこの辺では珍しくもないヘルメット団と呼ばれる不良少女たち。

 

「まぁ安心しなって?私たちも鬼や悪魔じゃないからさ、貰うもの貰ったら、無傷で解放してあげる」

 

へっへっへと笑いながら別の少女が私の持っていた財布の中身を数えながら涎を垂らす。

こう治安の悪い場所で、私という弱い存在は不良少女たちにとっては格好の餌らしい、シャーレの連邦生徒会を強請ってお金を手に入れようと画策しているようだった。

 

 

まぁ、よくあることだ。

 

 

「……先生、やけに落ち着いてるけど、自分の状態わかってる?」

 

“もちろんわかってるよ。ただ今日は夜からお客さんが来る予定だったから早く帰らないと……”

 

「はぁ?」

 

アハハハ!とまた笑いが起こる。

しかし、今度はただ笑っただけではない、ガン!と強く机を蹴る音がしたかと思えば、この中でもリーダー格なのか、唯一赤いヘルメットをかぶった少女が私の方へと銃口を向ける。

 

「先生、私らを舐めてるだろ?今、自分がどういう立ち位置にいるか、よく考えな?えぇ?」

 

そうドスの利いた声をだすと、ゆっくりと少女は引き金に指をかけ始める……。

 

“舐めてるわけじゃない……”

 

「あん?」

 

"ただ、私は……"

 

 

"信じてるんだ"

 

 

 

ズガーンッ!!と、遠くで爆発音が響く。

そして、思わず耳を塞ぎたくなるような凄まじいガトリング音……!?

その間にも地震が起きたかのように地面はグラグラと揺れて、パラパラとコンクリートの天井から埃や破片が降ってくる。

 

「な、何だ!?」

 

「あ、悪魔……!!ゲヘナの風紀委員長、空崎ヒナが来たんだ!!」

 

「へ!!?こ、こんなアビドスの廃墟ビルに!?」

 

予想外の大物の登場に、リーダー格の少女はその名前を聞いただけで、声を裏返させて狼狽え始める。それに追い打ちをかけるかのように汗だくになった少女が上の階から走って来て震えた声を上げる。

 

「せ、先輩!!そ、空からあ、あの、あのば、化け物がトリニティの化物が!!」

 

と、そう報告したのとほぼ同時に、こちらの元まできええええええええっ!きひゃあああああ!あーひゃはひゃはっ!!という叫び声が廊下を通ってエコーとなって届き始める……。

 

「あ、あぁ……!?」

 

「い、一階全滅で……」「上からもうここに来ますっ!!?」

 

「あああああああっ……!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先生、それで、どうしてこんなことに?」

 

事件が収束してカフェへと戻ってくるとすっかり機嫌の悪くなったヒナからそんなお小言を貰う。まぁあれだけの大事になったのは完全に予想外だ。まさかビルが跡形もなく消え去ってしまうなんて……つい最近カフェが吹き飛ばされたのを思い出して縮みあがる思いだ。

 

“ちょっと買い物に出たタイミングで捕まってしまって”

 

「…………はぁ。もっと気を付けて……それと、彼女は……?」

 

呆れた様子でヒナが目を向けた先には、カーテンに包まって隠れる様にしてこちらを伺っているツルギだった。何か話しかけたそうにしているのに、私と目が合うと赤い顔をしてすぐに隠れてしまう。

 

“恥ずかしがり屋さんなんだよ”

 

「え?いや……もうそれでいい。面倒くさいし……」

 

頬杖をつきながらため息をつくヒナ。と、そこでまたクキュルルルっと、可愛いお腹が鳴った音がする。

またヒナが?と思ったのだけど、ヒナはち、違う!と頬を染めながら慌てて否定をする。ということは……

 

「…………」

 

メジエドのようにカーテンに完璧に上半身が包まれたツルギから滝のような汗が流れているのが見て取れる。やがて

 

「きええええぇぇっ!!きぃひひ、ひひ、ひいいい!!?」

 

「すみません!すみませえええん!!こ、こ、このお腹が勝手に!!」

 

とその場で体を揺さぶって悶え始める。

 

「せ、先生、だ、大丈夫?彼女……?」

 

“いつものツルギだよ……そうだ、せっかくだし……”

 

「?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、私がこんなことをするなんて……」

 

ペタンペタンと、交互に手を動かすと……炒めた玉ねぎや粗挽き肉などが入ったハンバーグのタネをその手で形作っていく……。

どういう意図かわからないけど、先生に手伝ってほしいと言われたのはハンバーグ作りだった。

やったことがないと言ったら、二人はこれだけやってほしいと言い、ボウルに材料をたくさん入れて持ってきて、先生自身、いくつか作って手本を見せると、さっさと他の料理作りに行ってしまった。

…………ちらと、同じように任されたツルギを見る。

 

 

「いひ……いひ……」

 

 

「きええええいいぃっ!!」

 

 

と、変な顔をしながら真剣にハンバーグを左右に叩きつけ……戦っている。

だけど、あれだけの力で左右に叩きつけたりしたら……

 

「……ぁ!?」

 

……ボロボロと、形は崩れ、もはやハンバーグとは呼べない肉片があたりに飛び散る。

 

「……」

 

肉片を浴びたまま固まってしまったツルギは次の瞬間、わなわなと肩を震わせ始める。

 

また、叫び声をあげるのかと思わずきゅっと目を瞑って身構える……

が、一向に彼女の声は聞こえない。

不思議に思って目を開けると……そこにはじわっと目に大粒の涙を浮かべている眉を下げたツルギの姿が!?

 

「そ、そんな……どうして……」

 

グスンと言いながらボロボロになった肉片を集めるツルギ。

……先ほどまでの化物のような彼女からは想像できないほどに、その顔は普通で、私たちと何も変わらない…………少女だった。

 

「せっかく、先生に食べてもらおうと……頑張ってるのに……」

 

……彼女のことはやはり理解不能だけど、その気持ちだけは……私にもわかる。

気が付くと、私は面倒なはずなのに、彼女に歩み寄っていて……散らばったお肉を集めるのを手伝い始めた。

 

「え?」

 

「……力を入れすぎ、もう少し力加減をして……こんな感じで」

 

「っ!!」

 

彼女の手の中にハンバーグのタネを持たせて、その手を包み込むように握ると、ビクリと、肩を飛び跳ねさせるツルギ。

しかし、素直に私の言うことを聞いて、コクンと頷くと私と動きを合わせて、手をリズミカルに動かし始める。

 

「こ、こうですか……?」

 

こちらに振り返りながら、恐る恐る私に声を掛けるツルギ。

やがて、私の補助なしでも同じようにハンバーグを捏ねることが出来るようになった。肩から力も抜けて、もう問題はなさそう。

 

「うん、それで大丈夫……」

 

満面の笑みを浮かべるツルギ。そして……

 

「きひ」

 

「え?」

 

「きひ、きひひひひっ!」

 

舌を出してにちゃりと邪悪な笑みを浮かべはじめる……!?

こ、これだけは、慣れそうにない……。

 

けれど、喧嘩をして、共闘して、そして今、同じ気持ちを持っている私には何となく彼女の楽しそうな気持ちだけはきちんと伝わるようになっていた。

 

「あ、あの、ひ、ヒナ……さん!つ、作りたい形があって……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“さぁ、出来たよ”

 

ドンと先生が持ってきたのは、それぞれが作ったたくさんの小さなハンバーグとニンジンやトマトが添えられたハンバーグプレート。特製のソースが掛かってすっかり美味しそうに生まれ変わったそれに、私は思わずわぁと声が漏れて、ツルギはきひぃ!!と歓声?を上げた。

 

“みんな上手にできたね。じゃあ、早速……”

 

と先生が手を合わせて食べ始めようとすると、まごまごしていたツルギは勇気を振り絞って擦れた声を上げた。

 

「あ、あの、先生、こ、ここ、これを!た、食べてくだひゃい!!!」

 

そう差し出したのは……一緒に作ったハートマークのかたどられたハンバーグ。少し形が崩れているが、先生ならば、十分にその気持ちを汲み取ってくれるだろう。

 

先生はまさか自分用に作ってくれていたとは思わなかったらしく

 

“良いの?”

 

「は、はひ!!」

 

"ありがとう、ツルギ!とっても嬉しい"

 

と、本当に嬉しそうな顔を浮かべて、本当にこの人は……それを見て、ツルギ自身もこれ以上赤くなり様がないくらい真っ赤な顔をして、けれど、今日一番の笑顔を浮かべる。

 

“じゃあ、私のと交換しようか”

 

「えぇ!!い、良いんですか!?」

 

先生もツルギのプレートに自分が作ったハンバーグを乗せると、真っ赤な顔をしたツルギは初めは戸惑い、困惑していたが、次第ににちゃあと顔を崩し喜びの色が加わる。

 

……ずきりと、胸が痛む。

その光景は、本当なら、微笑ましいはずのそんな風景なのに、私はきっと……

 

「あ、あの……ヒナ……さんも、よ、良かったら……こ、これ、た、食べてください!」

 

「え?」

 

目線をきょろきょろと挙動不審に動かしながら恥ずかしそうにハンバーグを差し出すツルギ。ハートではないけれど、ツルギなりに一生懸命作った、一番見栄えのいいハンバーグだ。

 

「え?けれどこれは……」

 

「ひ、ヒナさんのお陰で、ちゃ、ちゃんと、つ、作れたから……だから……」

 

「……」

 

クスっと、笑みが漏れた。

 

「じゃあ、私のと交換しましょうか……ツルギ」

 

「っ!!きひ、きひひひっ!!きええっ!!!」

 

私の一番うまく出来たハンバーグと交換すると、先生に貰ったのと私のを並べて嬉しそうにプレートを天に掲げるツルギ。

今日のことで彼女のことがよく分かった。少なくとも、彼女は悪い人間ではない。というより、むしろもう私たちは……

 

「え?友達が出来て良かったねって?……う、うるさい」

 

と、そう先生のことを小突きながらも、私はさりげなく……ツルギへの見本で作ってあげたハート型のハンバーグを……先生のプレートの上に乗せたのだった。

 

 



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4話

-シャーレ併設カフェ-

 

静かな雨の降る平日の昼下がりだった。

今日はバイトの皆もお休みで、さっき1時間前に出て行ったお客さんを最後に客足も途絶えてしまった。

 

一文字も埋まっていないクロスワードパズル。

心地良い雨音と、一滴一滴下に落ちていき波紋を作るコーヒーサイフォン。

ペンを持ち、雑誌を広げたままこくりこくりと船を漕ぎ、無意識に出たあくびは隠す必要もない。

 

“ふわ……”

 

大口を開けていたらカランカランと、突然入店を告げるカフェのベルが鳴った。私は慌ててあくびをかみ殺す。

 

“いらっしゃいませ……?”

 

ドアの奥には雨音が広がるだけで誰も入って来ない……?いや

 

「よいしょっ、と……」

 

ワンテンポ遅れて見えたのはラベンダーを思わせる薄いピンク色の長髪だった。

その少女はずぶ濡れのまま、背中を向けて”何かを引きずりながら”部屋に入ってくると、大げさに額の汗を腕で拭う仕草をしてから、その場でターンすると私を見つけて笑顔を浮かべる。

 

「あ!こんにちはー!先生!それとも、ここはカフェだから……1名様で!って言うべき?」

 

濡れた髪をかき分けて、口元に手を当てて上品に笑っている少女。

トリニティの純白の制服に、腰元から生えた天使の羽、長いまつ毛に少し垂れた瞳は黄金の三日月を彷彿とさせる。

彼女こそ、トリニティ総合学園の生徒会、ティーパーティーに所属している三人の生徒会長の一人……。

 

聖園ミカ。

 

彼女は以前様々な問題を起こし、一時は地下に幽閉されることとなっていたが……今は問題も解決してこうして外出もできるようになった。もちろん、償いと言う名の生徒会の”宿題”がたくさん残っているらしいが……。

 

“ミカ……ずぶ濡れじゃないか”

 

「突然降ってくるんだもん、びっくりしちゃった」

 

すぐ近くの引出からタオルを取り出して彼女の頭にのせてあげ、ついでに後ろを覗いてみるが他の人影は見当たらない。

そして、その拍子に目に入ったのは、先ほどミカが引きずって持ってきた……大きな茶色い旅行鞄だ。ベルトで止めなければ中身がはち切れんくらいにパンパンの。

 

“それは……?”

 

「あ、これ?私のお泊りセット!」

 

“お泊りセット……!?”

 

「うん、そうだよ!」

 

髪や服についた水滴を拭いながら目を輝かせるミカ……

 

なんだか嫌な予感がする……。

 

“えっと、どこか遠くへ行く予定なの?”

 

「……ううん、もう目的地にはついてるよ」

 

“じゃ、じゃあ、ここにそのお泊りセットを持ってきたってことは……?”

 

「…………」

 

ミカは、沈黙の中、暫く口元だけ笑みを浮かべていたが、やがてその整った表情が崩れていき目尻に涙を浮かべて、かと思えば目を瞑って勢いよく胸の中へと飛び込んできた。

 

“ミカ……?”

 

「……お願い…………先生…………先生しか頼れる人が居ないの」

 

先ほどまでとは打って変わって、不安そうなか細い声音を震わせるお姫様に……私は、彼女の濡れた髪をそっとタオル越しに撫でた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の生徒たちが、自分を恋人だと思い込んでいる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暖かい紅茶を淹れてカウンターの上に置くと、彼女は既にリラックスした様子でそれを飲み始める。

 

“寒くはない?”

 

「うん、ありがとう、先生……あ、良い匂い!それに……美味しい!」

 

何処か、優雅さを思わせる品の良い仕草でカップを冷ましながら匂いを楽しみ、カップを傾けるミカ。

 

「ねぇねぇ、先生?先生さえよかったら、毎日ティーパーティーのために紅茶を淹れに来ない?そしたら、つまらない会議にも楽しみが出来ると思うの!」

 

“ありがとう。毎日は無理だけど、たまにならお邪魔させてもらおうかな”

 

「本当!?約束よ?先生」

 

そう言って嬉しそうに笑うミカ。まるで先ほど見せていた表情が嘘のように明るい。

 

彼女が本題を話してくれるまで待とうと思っていたが、どうにもあの巨大な”お泊りセット”が気になって仕方がない。それに、先ほどから僅かに動いているような……。

チラチラと旅行鞄に目を向けていると、彼女は何かを察したように席を立つ。

 

「あ!中身が気になっちゃう感じ?ふふ、良いよ。先生になら特別に教えてあげる!まずはドライヤーセットでしょ、寝るときのためのフェイスパックにそれから……」

 

ポイポイと中身を取り出していくミカ。あぁ床を散らかして……と見ていると、あ!とミカから驚いたような声が聞こえた。

 

「そうだった、それから……はい、コハルちゃん!」

 

“そうコハルまで……”

 

 

“…………え!?コハル!??”

 

 

ぬっと、スーツケースから姿を現したのは間違いなくトリニティ総合学園所属、補習授業部の……下江コハル!?

 

ピンク色をしたツインテールの小柄な少女で、本来は正義実現委員会の所属だったが成績が落ちて強制的に補習授業部へと入れられてしまった、少し困った妄想癖を持つ少女。

 

そんな彼女がミカに抱えられるようにしたまま目を回している。

そして、ぱちりと目が開いたかと思えば、え、え、え!?とあたりを見回し始めて、次第に顔を赤くする。

 

「ひゃあっ!!こ、こここここ、ここはどこ!?わ、私に何する気……!?」

 

混乱するコハルの顔を覗き込む。

 

“コハル、落ち着いて……”

 

「せ、先生っ!?……わ、わかった。わ、私にや、やらしいことするつもりなんでしょ!!?」

 

“……えっ!!?”

 

「わ、私を鞄に詰め込んで……こんな人気のないところに連れこんで……!!あ、あんなことや、こんなことするつもりなんでしょ!?わ、私、何でも知ってるんだから!」

 

“えっと、ごか……”

 

「変態!変態!変態っ!!先生が私の事、そ、そんな如何わしい目で見てたなんて……!!抵抗するけれど、虚しくも私は先生に敵わずに、きっと……は!じゃあ、今まで私に優しくしてくれていたのも、こうして私を連れこむことが目的で……こ、こ、この最低変態っ!!」

 

フーフー!と猫のような目をしながら真っ赤な顔で威嚇するコハル。説明する間もなく浴びせられる罵倒の嵐に当惑しているとあはっ、あははっ!と笑い声が響く。

 

「コハルちゃんってもっと、内気で大人しい子だと思ってたけど……相変わらず凄いね、あははっ!」

 

「え!?あれ、あなたは!?それにここって……シャーレのカフェ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しく紅茶の入ったカップをコハルの前に置くと、すこし申し訳なさげに両手でカップを受け取った。

 

「あ、ありがとう。そ、それからごめんなさい、先生」

 

“良いんだよ。それよりも……”

 

少しだけ責める様にミカの方をみると、あ~っと、ミカは視線を逸らしながら頬を掻く。

 

「えっとね、コハルちゃんを連れてきたのは……偶然なの」

 

“偶然?”

 

「うん、たまたま先生の所へ行く途中で見かけたから……一緒に連れていけば楽しいんじゃないかなって!」

 

目を >< のようにして言うミカに、コハルは口を開いて絶句する。

 

「わ、私そんな理由で誘拐されたの!?」

 

「あはっ!ごめんね?コハルちゃん。」

 

少しも申し訳なさそうじゃないが、ミカが隣に座っているコハルの頭をよしよしと撫でる。コハルは突然頭を撫でられたことに驚き、顔を赤くした。

 

「でも、もう十分楽しめたし、外も暗くなってきたから、帰ってもらっても大丈夫だよコハルちゃん。お詫びに今度ケーキと紅茶を送っておくね」

 

「え?でも、ミカ……先輩は帰らないんですか?」

 

“ミカは……”

 

「私は、ほら、今日は先生の家に”お泊り”しちゃうから!」

 

「え、えええええええっ!!??」

 

言ってしまうのか……コハルは席を立って叫んだ後に、再び顔を真っ赤にしてぼそぼそと何かを呟き始める。

 

「せ、せせせ、先生と生徒が一つ屋根の下!?でお、お、おお、”お泊り”!?そ、それって実質……!?密室、二人きり、何も起きないわけがなくて……じゃあ、私が居なくなった途端に、このカフェの中、二人でいつ誰が来るかもわからないスリルを楽しみながら……濃厚なシチュエーションを……!!?」

 

“えっと、コハル?”

 

肩をわなわなと震わせるコハルの誤解を解こうとすると、キッと目を上げて私とミカを睨みつける。死刑!!死刑!!とでも言われるのかと身構えていたが、コハルは次に驚くべきことを口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-シャーレ・居住区 シャワールーム-

 

ど、どどど、どうしよう!!

 

シャワーのお湯を頭に浴びながら私はその場で屈みこむ。

私は確か、下校途中で”新作”をチェックしようと”いつもの場所”に向かってた途中だった。それが、急に目の前が真っ暗になっちゃったと思ったらここに居て……それで、ミカ先輩に制服を着せられてウェイターみたいなことしてから、それから今は、せ、先生の居る居住区でシャワーを……!!!?

 

「こ、この後先生に……」

 

お風呂上がりの姿、じっくり見られちゃうんだ……!

それから、ちょっと夜のいい雰囲気に当てられて。も、もしかしたら……そ、そんな!

 

「ま、まだ早いのに!!?」

 

「コハルちゃーん。大丈夫?」

 

「ひゃ!?ひゃい!大丈夫ですっ!!」

 

そ、そうだった~!私一人じゃないんだ……!全身が火照っていくのがわかる。

隣のシャワールームを使っているのは聖園ミカ先輩。

昔、エデン条約の時にトリニティのホストになろうとして、ゲヘナを滅ぼそうとしていた……ちょっと怖い人。

今日だって、私が居れば面白そうだからって、急に誘拐まがいなこと……で、でもとっても綺麗な人だから、先生が変な気を起こしたりする可能性も……そんなことになっちゃったら、今度は先生が一緒になってトリニティを……!!?。

 

「わ、私が止めないと……」

 

「ところで、コハルちゃんも使ってみる。このシャンプー。すごく使い心地いいんだよー!」

 

「え、あ、はい。良いんですか?」

 

「もちろん!じゃ、投げるよー」

 

しゃっと、投げ入れられてきたのは……ミルズ型の手榴弾っ!!?

 

 

「ひゃああ!!?」

 

 

手の中でお手玉してたけど、つるりと滑って地面に落としてしまって慌てて頭を抱えたけど……?あれ、これ、ピンが抜けてない。

 

「あ、ごめーん!間違っちゃった。こっちこっち」

 

そう言って、今度こそシャンプーの容器が投げ入れられてくる。

……あ、これ私でも知ってる!TVとかでもやってるとっても高いやつ!

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「いっぱい使って良いからね~!」

 

……ミカ先輩って怖いところもあるけれど、そんなに、悪い人じゃないのかも。

今日も、ウェイターをしていた時にミスしちゃった私のフォロー、たくさんしてくれたし……。

 

シャンプーとそれからコンディショナーも貸してもらったけど、本当にサラサラになって、改めてお礼を言ったら、ナギちゃんのだから気にしないでって。

 

…………わ、私は悪くないよね!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-シャーレ・居住区 メインロビー-

 

「それでそれで!何して遊ぶ?トランプ?先生のお宝さがし?あ、王様ゲームとか!」

 

「お、お宝に……王様……!!?き、禁止!やらしいことは禁止!!王様ゲームなんてやらしいんだから!!」

 

「え?コハルちゃん。王様ゲームってやらしいの?私もやったことないんだけど……」

 

「そ、それは……ごにょごにょ、とにかくダメ!やるなら健全なこと!」

 

お風呂を上がった二人はピンク色のレディースパジャマに着替えて今から何をするか討論している。コハルはミカに借りたものだからか、若干ぶかっとしており袖が余っていたり、肩がずり落ちそうになっている。

 

「健全なこと……例えばどんなこと?」

 

「えっと……先生と一緒にお勉強、とか!」

 

「えー……先生のお家にいるのにわざわざ?」

 

「だ、だからこそ、勉強するの!!」

 

「むー……先生はやりたいよね?私たちと王様ゲーム!」

 

流し目でこちらを見るミカに、涙目でこちらに訴えかけてくるコハル。

 

“……コハルの意見に賛成かな”

 

「あ、当たり前じゃない!」「え~、だからってお勉強しようだなんて……」

 

と言いかけてここで何かを思いついたような顔をするミカ。先ほどまでの渋面と打って変わってニヤリと笑う。

 

「うん、そうだね。学生の本分はお勉強だもんね!……先生に色々と教えてもらおうかな!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミカが何を企んでいたのかわからなかったけれど、勉強は予想以上にスムーズに進んだ。

初めの方こそ、ミカも私によくわからない質問をして困らせていたけれど、コハルが一生懸命勉強しているのを見て、気が付くと彼女自身も問題集の方にのめり込んでいったようだった。

 

「せ、先生、ここってどういうこと?」

 

“ここは……”

 

コハルは基本を理解する力が弱く、初めで躓いてしまうとその後もどんどんとわからなくなって授業についていけなくなってしまうタイプだ。だが、一度じっくりと説明して自分の中で理解すると、するすると問題を解けるようになる。

 

「ねぇねぇ、先生ー。私も教えて!ここは……」

 

ミカも似たようなタイプだった。初めはナギサやセイアのような頭の良い子なのだと思い込んでいたが、素の彼女は寧ろ勉強が苦手で、ちょっとした長文にも拒否反応を示してしまう。だが、根気強く、彼女にわかるように教えてあげれば、その後の応用力は……。

 

「出来た!見てみて先生!どうかな?」

 

“……うん。正解。教えていない応用問題なのにすごいよ。ミカ”

 

優しくミカの頭を撫でる。うん、彼女はとても素晴らしい発想力を持っている。

……?ミカは私のことを見たまま、目を丸くして首先まで赤く染める。

 

「おー……な、なるほどね……た、確かに先生となら勉強も……頑張れるかも……」

 

“ミカ?”

 

「う、ううん!そ、そーだ!コハルちゃん。補習授業部でも、こんな風に先生と授業をしていたの?」

 

「え?えっと、はい。そうですけど……」

 

「ふーん。良いな良いな~。だったら私も補習授業部に入っちゃおうかな!」

 

「え!?み、ミカ先輩が!?」

 

それは……色々と大変そうな。

 

「嘘嘘。冗談。そんなに嫌がらなくても……私傷ついちゃうなー」

 

「そ、そういうわけじゃないです。ただ、ミカ先輩って補習授業受けなくても良いくらい頭が良いんじゃ……」

 

「私なんて全然だよー!いっつもセイアちゃんとナギちゃんに泣きついてるってだけ。まぁ二人の解説は先生みたいにわかりやすくなくって、すっごく時間が掛かっちゃうんだけど」

 

二人が苦労している様子が目に浮かぶ。

セイアもナギサもあまり言い回しがストレートな方ではないから、ミカのように彼女が理解できるように話すことが重要な生徒には相性が悪いかもしれない。

 

「……でもね、どれだけ私が悪態ついても、わからないって言っても、二人ともいつも私のことを見捨てたりしないんだよ……なんでだろう」

 

寂しそうに笑うミカ。

空気が、一瞬重くなったが、すかさずコハルがえっと!と珍しく声を大きくする。

 

「そんなの決まってるじゃないですか、”友達”だからですよ!」

 

「”友達”……」

 

「そ、そうですよ!わ、私だってあんまり頭は良くないほうですけど、友達が助けてって言ってきたら……見捨てたりしないです!」

 

しばらく呆けたようにコハルの方を見ていたミカだったが、あは、あはは!とまた声を出して笑う。

 

「み、ミカ先輩……?」

 

「やっぱりすごいよコハルちゃんって……尊敬しちゃうな」

 

「わ、私別に……」

 

そこで、ぐ~!と、腹の虫が鳴った。

自分ではないそのお腹の主は茹蛸のように顔を赤く染める。

 

“じゃあ、勉強はこの辺りにして……”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-夜 キヴォトス 夜道-

 

「こんな時間に生徒を連れ出すなんて……イケない先生だね?」

 

先生とコハルちゃんと、3人で夜のキヴォトスの街を歩いた。

雨はすっかり上がっていて、地面は濡れていたけれど星空の見えるどこか爽やか夜道。

先生は、いつもみたいにニコニコして歩きながら

 

“今日は特別”

 

って、そう言った。

その言葉に深い意味はないはずなのに、私に向けられた言葉だって意識すると……ムズムズと背筋がくすぐったくて、でも、全然悪い気はしなかった。

 

「……えへへ、そっかぁ特別かぁ」

 

「イケない先生と、ととと、特別……!?」

 

私は自分の顔が情けなくにやけちゃうのを感じ取っていた。ぐにぐにと頬の緩みを直すと、暫く、黙って先生の隣を歩く。

 

「……」

 

"……"

 

「…………ねぇ、先生。その今回の……”家出”のお話なんだけど」

 

“うん”

 

 

「喧嘩、しちゃった」

 

 

足を止めた私と同じように、立ち止まる先生。

その目は私の目をじっと見ている。まるで、全部を見通しているような優しい目で……。

 

「あのね、私って、みんなに酷いことしちゃったよね?」

 

「……アズサちゃんやセイアちゃんに、取り返しのつかないことしちゃったし」

 

「ナギちゃんだって。もし、先生たちがいなかったら……」

 

"……"

 

「でも二人は相変わらず優しいから……一緒に居るのがちょっと息苦しくなっちゃって…………」

 

“……ミカ”

 

二人は……私のことを許してくれた。

普段から私は頭からっぽで、何でもストレートに言いすぎって怒られる。

こんな私なのに、本当は二人は私のことを嫌いかもしれないのに、それでも、やっぱり二人は私を輪の中に入れてくれた。

それが何でかって今となっては答えはわかっているけれど……あの時の私には、二人の優しさが……惨めで辛くて、苦しくて……怖かった。

二人に責められる夢を、毎日見るくらいに。

 

“……ミカ。大丈夫。だから、泣かないで”

 

「え、私……!!?」

 

……気が付くと目が燃えてるみたいに熱くなっていた。先生が近くに居て、私の頬をハンカチで拭ってくれた。

……先生は本当に凄い。何回だって、私のことを助けてくれる……。

 

先生の温かさが、コハルちゃんの勇気が、そして、ナギちゃんやセイアちゃんの優しさが……。

 

「えへへ……なんかね……今日は先生にたくさん……甘えたい気分」

 

“…………良いよ”

 

「え!?……う、うん……今日だけの、特別?」

 

“……それは……”

 

 

「ひゃああああぁぁ!」

 

 

っ!!二人で後ろに振り返る、聞こえてきたのは……コハルちゃんの叫び声!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつもみたいに、少しぼーっとしちゃってる間に置いて行かれちゃった!

 

慌てて二人の後を追いかけようとした時、ドン!と誰かにぶつかってしまう。

 

「きゃ、ごめんなさ「いってー!!」え?」

 

「おいおい、何してくれてんだよ、あたしの相棒にさ~」

 

「いたいよー!たぶん腕折れちゃったよ~」

 

「な、何言って……」

 

ぶつかったのは口元にバッテンのついた黒いマスクをしたセーラー服の不良学生たち。そのうちの一人が腕を抑えてわざとらしくわめき声をあげていた。

 

「可哀想になぁ相棒。なぁ、あんたよぉ、可哀想だと思うならあたしらに治療費くらい払ったらどうだ?なぁ?」

 

「え、え?で、でも、私軽くぶつかっただけで……」

 

「あぁん!?うだうだ言ってねぇで!有り金全部おいてけって言ってんの!!」

 

「ひゃああああ!!?」

 

バババババっと!構えていたマシンガンを乱射してくる不良学生。怖くなってその場にうずくまってしまうとハハハハ!と不良たちの笑い声が聞こえてくる。

 

「おいおい、ちびっちゃうんじゃねぇのコイツ?」「だっせー」「怪我したくねぇなら今のうちにさっさと……」

 

 

 

『その汚い手を離したら?』

 

 

 

 

ズパパパパンッ!!!

 

「え?ぎゃあ!?」「へぐ!」「ひん!」

 

!?発砲音が聞こえたかと思えば、先ほどまで目の前にいた不良たちは全員地面に突っ伏していた!?

弾が飛んできた方に居るのは黒いランチェスター短機関銃を構えたミカ先輩……と先生!

 

“大丈夫?コハル?”

 

「う、うん!でも……」

 

「なんだ~?」「て、てめらよくも姉御を……」

 

ざっざっと、その場にいた他の不良たちも姿を現し、狼狽え始める。

 

 

 

みんな強そうで、私は怖くなってそっと先生の裾を握ってしまったというのに、そんな中でもミカ先輩はいつもの調子で頬に人差し手を当てて笑っている。

 

「何笑って……ってこいつ!?」「ま、まさかトリニティの魔女!?」「な!?じゃ、じゃああたしら……」

 

 

「えーっと、なんだっけ……こういう時は……そうそう!」

 

 

 

「『イジメなんて。こんなの私が許さないんだから!』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-夜 紫関ラーメン-

 

「す、すごい!本当に屋台で座ってラーメンが食べられちゃうんだ!?」

 

先生に連れられてやってきたのは柴関ラーメンという屋台のお店だった。

赤い提灯に、湯気の溢れる暖簾の向こう側、そこには茶色いスープがぐつぐつに煮立ってて良い匂い……それに、誰かと夜の屋台なんて初めてくるし、ドキドキが止まらなくなってる。

 

"こんばんは柴大将"

 

「見てみて、先生!あっちに吊るした豚肉が……」

 

「み、ミカ先輩、ほ、他の人にみ、見られてますから……」

 

「うん?あ、ごめんなさい。シェフの方も」

 

そう言うと先生が柴大将と呼んだ人物が大きな声で笑いだす。

 

「ははは!シェフなんて、初めて言われたなぁ……なぁ先生」

 

“えっと、大将。彼女はこういうお店は初めてで……”

 

「お、そうなのかい?ならちゃんと良い店だって覚えて帰ってもらわないとな!」

 

そう言うや否や、ザクザクっと具材を切り、麺を細切れにして熱湯の中に入れると、勢いよく湯切りをして出されたのは……湯気の煮立った熱々のラーメン。

 

いただきます、と食べ始めた先生やコハルちゃんを倣って自分も薄い膜の張った茶色いスープをレンゲで掬って一口飲んでみると……!?

 

「……美味しいっ!!」

 

「はははそりゃよかった」

 

醤油の味がお口の中に広がって、良い匂い。それにあったかくてこの寒さにはピッタリ!

麺もつるつるしてて、チャーシューも歯ごたえが程よくて……こんな時間に食べているという背徳感も相まって……。

 

「禁断の味だね。これって」

 

「き、禁断の!!?……そ、それって!?」

 

あわわとまたコハルちゃんが暴走を始めたのを微笑ましく思いながら、改めて先生の方へと向き直る。

 

「せ、先生。あのね、明日……」

 

“明日、一緒にナギサたちに謝りにいこうか”

 

「っ!!」

 

そう言って、優しく私に笑いかけてくれた。

……敵わないなぁ。先生には。

あはっ。ラーメンが美味しいのだって。今胸の中がポカポカしてるのだってきっと……

 

「先生。今日はいっぱい甘えてもいいんでしょう?」

 

“うん?え!?”

 

目を瞑って先生の腕をぎゅーっと抱きしめると、先生は珍しく驚いた顔をしていて、コハルちゃんはあー!!と叫び声を上げた。

 

……私、おバカさんだから。きっとこれからもたくさん間違っちゃうことが有ると思うの。

だけどそんな時に、先生が居てくれたら……。

 

私、良い子にするよ?

だから、先生には……私との毎日を”特別な日”にして……ほしいな。



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5話

買い出しを終えてカフェへの帰路についていると、目の前の少女がフラフラと路地へと入っていくのが見えた。

少女は左右を確かめてからツバのある帽子を目深に被り、長くて綺麗な黒い髪を靡かせた、どこかで見たことのある後姿であった。

 

気になった私は路地の方へと踏み込み、そこでトンと何かが足先に当たったことに気が付く。

 

“さ、サオリッ!?”

 

「はぁ……はぁ……」

 

苦しそうに息を荒げ、壁に倒れ込んでいるのはアリウススクワッドのリーダー。

戦うことを学ばされ、目的のためなら手段と方法を選ばないよう教育を受けた冷徹な少女……。

 

錠前サオリ。

 

彼女は縛り付けられていた悪い大人の足枷が外され、自由に生き始めたところだ。

つい最近もブラックマーケットで危険な任務を受けていたが……まさかそこで何かが……心配になり駆け寄っていくと、サオリが苦虫を噛み潰したような表情でこちらを見上げる。

 

「せ、先生……か。私が困っているといつも……」

 

“大丈夫?どこかが痛む?”

 

「いや、これは……」

 

そこでグゥ~!キュルルルルッ!!っと大きな音が聞こえてくる。

音がしたのはもちろん、露出した白いおヘソの見えている……サオリのお腹からである。

 

「……」

 

サオリは私と目が合うと、バツが悪そうに帽子を深くかぶりなおした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の生徒たちが、自分を恋人だと思い込んでいる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-シャーレ併設cafe-

 

ガツガツとサオリは一心不乱に出された食事を掻き込み始めた。

様子を見るに、もう何日も食べていないのだろう、出してあげたスープもお肉も瞬く間に消えていく。同時に、やつれかけていた顔の精気も見違えるほどよくなってきた。

 

「……もぐ……」

 

っスと、サオリが無言で空になったお皿を私に差し出す。

今度はオムライスを出してあげるとサオリは再びスプーンを動かして頬張り始める。

見ていて気持ちが良いくらいだが……同時にとても不安になってくる。

 

彼女は非常に従順……というか、人を疑うことをあまり知らない。

この間も不当な雇用主に契約書で騙されていたし、策謀や欺瞞の渦巻くブラックマーケットで彼女のような純粋な存在が生きていくのは難しいと言わざるを得ない。

 

彼女は自由にはなったが、この世界ではまだ飛び方を知らない生まれたてのヒナなのだ。

 

そんな彼女が食事も碌に取れない環境に身を置かれている……それは、枷を外した私にも責任の一端があることだ。

 

「……ご馳走様」

 

出されていた冷たいアイスティーを飲み干すと彼女は席を立って出ていこうとする。

 

“ちょ、サオリ!?”

 

「お代がない。何か稼いでくるからツケにしておいてくれ」

 

“そんなもの、要らないよ”

 

「……先生には返し切れないほどの恩がある。感謝もしている。けどこれ以上、恩を重ねるわけにはいかない。だから私は……」

 

身を翻してドアまで歩くとこちらに振り返って笑みを浮かべる。

 

「ご馳走様。久々にまともな食事を……」

 

と別れの言葉をつげようとする彼女の座っていたカウンターに、とあるお皿を置くとサオリは目を見開いて顔色を変える。

 

“デザートもあるけど。要らない?”

 

「………………」

 

彼女は目を瞑って暫く考えごとをした後に、黙ってカウンターへと戻ってきた。フォークをすぐにその手に取って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私を雇うだと?」

 

先生にはこれまでの経緯を一通り話した。

ブラックマーケットでの日々だ。

ペロロなるグッズを転売する仕事を手伝っていると、覆面を被った少女たちに襲われた。ファウストと名乗る謎の人物が特に恐ろしく、私は任務に失敗してしまった。

それに、幻の珍味と呼ばれる赤イノシシの護送を命じられた時には美食屋を名乗る謎のゲリラ集団に襲われ、守り切ったというのに建物に損害が出たからと給料から全て差し引かれ……まぁそんなつまらない話ばかりだ。

だからこそ驚いた。そんな私の話を聞いた先生が目元に涙を浮かべてそう提案をしてきたのだから。

 

確かに先生の身の回りには危険なことが多い。ボディガードが必要なこともあるだろうが……

 

「……気持ちは有り難いが、同情でそのようなことをされる必要はない。それに先生にも立場というものがある。私が先生のボディガードとして傍に居れば、快く思わない者もいるだろう」

 

私たちの、いや、私のやってきたこと全てが許されないことだと思っている。だから私が先生の隣にいる資格など……

 

“いや、私が言っているのはカフェの手伝いだよ”

 

「……は?」

 

“最近バイトの子たちはみんなテスト期間でね。中々手伝いに来れないから……”

 

「ま、待て……この私がカフェの従業員だと!?」

 

“?何か変かな。それともサオリはここで働くのは嫌?”

 

何もかもが変に決まっている!

しかし、先生の方は微塵もそう思っていないらしく、まるで私がおかしいかのような……。短い付き合いではあるが、この状態になった先生が頑固なのは知っている。

 

「……っぐ、わかった。しかし、私はあまり経験が……」

 

“大丈夫、そこはばっちり教えるよ。あ、契約書もちゃんと書こうね”

 

「…………よ、よろしく頼む」

 

半ば押し切られるような形で先生にそう言われてしまい、断ることが出来なかった。

 

その日から、私の新生活が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でさー、テスト期間だからって誘ったのに断るわけ!!」

「えー!」「ないわー!」

 

ギャル風な少女たちの話し声が店内に響いている。他のお客さんにも迷惑になっていると思うくらい大きな声だ。そろそろ注意でもしようかと思っていると、隣に立っていた髪を結ったエプロン姿のサオリが私の袖を引いた。

 

「先生、あれはやはり黙らせた方が良いか?」

 

“え?まぁ確かに声が大きいし、少しくらい注意した方が良いかな……”

 

「わかった」

 

サオリ?

彼女はツカツカとギャル風な少女たちに近づくと、懐から銃を取り出して、パンパンパン!!とテーブルに弾丸を撃ち込んだ。

シーンと静まり返ったカフェの中で青い顔をしたギャル生徒たちが戦々恐々としたオーラを纏ったサオリを見上げる……

 

 

「……声がでかい、静かにしろ」

 

 

「……あ、ああ」「す、すすす、すみませんでした」「っす」

 

……サオリがこちらに戻ってくると、少女たちは小声で何か話した後、いそいそとお会計を済ませてカフェを後にしていった。というか、他のお客さんたちも全員逃げる様にお勘定を始める。

 

「……これはもしかして失敗、してしまったか……?」

 

“……えっと、ちなみに今のは”

 

「これがこの世界(キヴォトス)でのやり方だとブラックマーケットで学んだ」

 

“そっかぁ。まぁ、場合によっては間違いではないのだけれど……”

 

すっかりお客さんの居なくなったカフェを見ながら奥歯を噛み締めるサオリ。

 

「すまない先生。私にはやはり向いていな…………先生!?」

 

そんなサオリの頭を優しく何度か撫でる。

 

“サオリなりに注意しようと思ってやってくれたんだよね?だから、ありがとう”

 

「……!い、いや、その…………う……」

 

あまり褒められ慣れてないのか、サオリは顔を赤くしながら目を泳がせ、拳を握って耐えていた。嫌そうな感じではないが……。

 

その後も、ダラダラと注文をするお客さんのオーダーを聞き間違えて理不尽に怒られたサオリの仲裁に入ったり、タダ飯をたかりに来たラビット小隊とひと悶着あったりと中々にスリリングな日々が続いた。

 

 

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“サオリはちょっとくらい手を抜く方法を覚えた方が良いかもね”

 

「手を抜く?」

 

それが先生の教えることか?

と私は一瞬先生の言葉を疑った。

しかし、それは言葉通りの意味だったらしく、先生はマガジンラックに入っていたいくつかの雑誌を持って私の前で広げて見せる。

 

“はい。今はお客さんも居ないし好きなの読んでていいよ”

 

「今は就業時間中だと認識しているが……」

 

“もちろんずっとサボった方が良いって言ってるわけじゃなくてね。ただ、仕事も一通り終わって、ずっと張りつめていても疲れちゃうからほどほどにねってこと”

 

「……そういうものか」

 

確かに、昔ミサキやヒヨリにも似たようなことを言われたことがあった。だがあの時は自分がリーダーとして皆を導かなければならないという使命感と、失敗することによる恐怖心でいっぱいだったから、手を抜くなどと言う考えは生まれなかったのだ。

 

……何気なく一冊の雑誌を手に取る。

それはどうやらファッション雑誌というものらしく、色鮮やかな服をまとった可愛らしい少女たちの写真がいくつも載っていた。

 

私たちがいた世界とは、まるで違う。

白いドレスに、ピンク色の爪、チェリーローズカラーのグロスに、透き通った肌。

どれも美しく、輝いていて、そして……私とはかけ離れた存在だった。

 

「……」

 

“その服、サオリにも似合いそうだよね”

 

「ッ!!」

 

何を言って……と言いかけたところで先生の顔がすぐ隣にいることに気が付き、更に鼓動が早くなる。

 

“サオリはお化粧もせずにそんなに美人なんだから、きっとこのモデルの子より綺麗に着こなせると思うんだよね”

 

「な!?」

 

“それに、スタイルもすごくいいし、うん。そうか、サオリならモデルみたいなお仕事も出来るんじゃないかな”

 

先ほどから耳元でそういう先生の言葉の数々が脳に焼き付いて離れない。

私がモデルを?この写真の娘たちのように?

 

無理に決まっている!

 

だが、先生は冗談で言っているような様子はない。ほ、本気で私を綺麗だとか……

 

“サオリ?”

 

「も、もう、わかった。これは試しに見ていただけだ。それに、私にはこんなものは似合うわけが……」

 

“そんなことないよ!サオリは可愛い!絶対に似合う!”

 

「~~ッ!!!」

 

顔を抑えて冷静さを取り戻そうとするも、更に先生は可愛いとか綺麗だとかと言って私のことを囃し立てる。そして、あれよあれよという間に乗せられて、その日の仕事終わりに化粧品だの洋服だのを買いに行くこととなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-デパート(婦人服/化粧品/婦人雑貨フロア)-

 

 

冷静に考えてみれば、これはデート……というものになるのだろうか?

 

先生と並んで歩いているとそんな考えが浮かんできたがすぐに首を振って否定する。先生はあくまで私の可能性を模索してくれている。ただそれだけなのだから。

 

だが、だが、どうしたことだろうか。

 

一緒に街中を歩く気分は、他の誰とも味わったことがない高揚感があり、緊張してしまう。だが悪い気分ではない。そんな不思議な気持ちだった。

 

「あ、ご主人様だ~!」

 

「……?」

 

しばらくしてやってきたのはデパートにあるテナントの一つ。こまごまとした小物や良い匂いのする小瓶が並んだ店だった。

そして、先生の方に人懐っこい笑顔を浮かべているのはブロンドの髪を持つ、プロポーションの優れたお洒落な店員……しかし、その顔には見覚えがある。

 

一之瀬アスナ。

 

ミレニアムサイエンススクール、Cleaning&Clearingのエージェント「ゼロワン」。

その戦闘力は極めて高く、また、勘と称して行動するトリッキーな動きは作戦行動において一番恐れられているイレギュラーを引き起こす……アリウスの要注意リストに入っていた危険人物の一人。

 

しかし、先生に懐いているのかして、腕に抱き着きながら浮かべる笑顔は……まるで大型犬の様だ。

 

“アルバイト中にごめんねアスナ、良かったらサオリに似合うメイク道具を見繕ってもらえないかな”

 

「サオリ?」

 

指に口元に当てたままこちらを向く一ノ瀬アスナ。

私は何時でも戦闘を行えるように、懐にしまってあった銃へと手を伸ばす……。

だが、相手は次には

 

「ふふっ、まっかせてー!」

 

と私の手を引き椅子に座らせ始める。

戸惑ったのは私の方だ。

 

「ど、どういうつもりだ?私のことを知らないわけじゃないだろう……?」

 

「え?ん~だって、あなたってそんなに悪い人じゃないんじゃない?だったら仲良くしようよ!」

 

白い歯を見せて笑顔を浮かべる一ノ瀬アスナはせかせかと準備を始める。

彼女はいくつか商品を持ってくると、それではお客様と店員口調で口を開き質問を始めた。

 

「お客様は普段どのようなスキンケアをなさっていますか~?」

 

「スキンケア……?あぁ、基本的に朝は水で顔を洗っている」

 

「え?お水だけ?夜寝る前の保湿とかは……」

 

「保湿?……考えたこともなかったな」

 

一ノ瀬アスナは絶句していた。

 

「えっと、じゃあ他に美容のためにやっていることとか……」

 

「美容のため、というわけではないが、強くなるために鍛錬はよく行っていた」

 

「…………」

 

そして、私の話を聞き終わった一ノ瀬アスナは目を閉じて暫く考え事をした後に、うん!と言って笑顔を浮かべる。

 

「全然だめ!」

 

と言って、次々とそこら中に飾ってあった商品を買い物かごに放り込み始める。

 

「ま、待ってくれ。あまり持ち合わせが……」

 

「大丈夫!これ全部試供品だから!あ、普通の商品もちょっとあるけどご主人様が出してくれるよ!」

 

「いや、しかし……」

 

「それよりも、お客様!せっかく綺麗なお肌しているんだからちょっとはケアしないとダメだよ~!カサカサの曲がり角になってからじゃもう遅い!ケアの方法お教えてあげるから、今夜からやってね!あ、それからマニキュアも塗ってこう!」

 

ぽいとまた新たな化粧品をかごに入れて一ノ瀬アスナが微笑む。

 

「それに、綺麗になるって楽しいよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-シャーレ居住区-

 

「起きているか?先生」

 

先生の寝室にやってくると、私はゆっくりとベッドへと近づき腰かける。

布団を蹴飛ばして、大きな口を開けて寝ている先生はどうやらぐっすり夢の中らしい。

 

無理もない。

 

今日は色々と連れて行ってもらったからな……。

デパートの後は水族館にまで行って、それから少し高そうな夜ご飯を食べて……。

どうやら、今日は私の給料日だからそのお祝いでと、そういうつもりで色々と連れて行ってくれたらしい。慣れない化粧に、履きなれないパンプス。履いたことがなかったスカート……全てが新鮮で、気恥ずかしく、そして……楽しかった。

 

 

どうしてここまで良くしてくれるのだろうか。

 

 

先生は自分が大人だから当然だと言っていたが、そうではないと私は確信している。

 

それは先生が先生だからだ。

他の大人は私たちを助けてはくれてなかった、これまでも、そしてこれからも。

きっとこの人だから……私は……

 

「……」

 

パジャマからはだけた腹部には銃創と比較的新しめの縫い傷。

そうだ。私が撃ったその消えない痕だ。許されざる罪の証明。私に隣にいる資格などない。

そっと触れると、先生は少しくすぐったそうに身じろぎした。だが、先生ならきっと……

 

「先生、私は……」

 

傷痕に手の平を合わせながら私の手の平で包み込むように先生の身体を抱きしめると、少しずつその温もりで睡魔に誘われる。

全てが無意味だとしても。この瞬間、今感じる熱い鼓動だけは、意味があるような、そんな気が……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-シャーレ併設cafe-

 

「いつもよりもよく眠れた?……そうか」

 

カチャカチャと食器の用意をしながらそう呆れた様に答えるサオリ。しかし、その表情は微笑みを浮かべていてどこか優し気だ。

サオリもすっかりこのカフェの仕事が板についてきていた。接客の方法や、金勘定のこと、それから力を抜いて生きていく方法。

 

この調子で学んでいけば、いずれ私の手が無くたって生きていける様に、やりたいことを探せるようになるはずだ。それは寂しくもあるが、同時にとても喜ばしいことだ。

 

「……やけに機嫌が良いな」

 

“サオリこそ、楽しそうだね”

 

「……?私が……?そうか、私は楽しんでいるか……」

 

少しおしゃれに気を遣うようになった彼女は見込み通り、いや、想像以上に美しくなった。

それに、あのお客さんを黙らせて発砲した時の彼女のかっこよさに惚れ込んだ固定客も何人か要るようだったし、少しずつ彼女の存在は皆に認知され始めている。

ギャル風の少女たちに爪を塗られたりしていて、困っているサオリの表情は記憶に新しい、まぁ本人も満更ではないらしいし。良い変化だろう。

 

「……先生、私は役に立てているか?」

 

“うん?”

 

「もし、私が、このままここにずっと居たいと言ったら、先生は……どうする」

 

“…………それは”

 

不安や期待の入り混じった眼でこちらを見るサオリ。

 

「……いや、なんでもない忘れてくれ」

 

”もちろん、サオリさえ良ければずっと居てほしいな!”

 

「!」

 

“サオリと二人で先生をやって、カフェを経営するなんてのも幸せそうだしね”

 

「そ、それって……プロ……ッ!??」

 

?首筋まで真っ赤にして目を見開き、口を半開きにするサオリ。いつもは冷静で落ち着いた彼女の初めて見る表情だった。最近はそういう顔も見せてくれて嬉しいと思う。

 

「…………ふぅ、いや、そうか。わかった。先生。これからも……よろしく頼む」

 

“うん、よろしく!”

 

「……ほら、肩に糸くずが付いているぞ、少し屈んで……」

 

そう言われて屈むとサオリの顔が少し近づき、そして

 

「ふえ~ん先生~!助けてください~!」「……外、暑すぎてもう無理」「先生のところに、避難させてもらおうってみんなで……」

 

丁度、サオリと顔と顔が触れそうな距離に迫ったくらいでカランカランと入ってきたのは他のアリウススクワッドのメンバーであるヒオリ、ミサキ、アツコ……。

 

3人は私たちの方を向いてギョッとする。

 

「え?り、リーダーと先生!?い、今キスしようと!?ど、どうして……」「まさか……抜け駆け?」「サオリ?」

 

「ち、違う!これは糸くずを取ろうとしただけで」

 

3人はサオリのその声を聴いて顔を合わせるとドアを締めながら声を出す。

 

「お邪魔しました」「サオリ、赤ちゃんできたら教えてね」「ず、ズルいです!私もこのクーラーの利いたお部屋で先生とお茶飲んだりケーキ食べたりしt」バタン!!

 

「ま、待ってくれ!!」

 

慌てて3人を追いかけ始めるサオリ。

私はそんな慌ただしい後姿を見ながら3人分のアイスティーとアイスクリームを用意し始めるのだった。

 



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6話

……暑い!

 

と自身の胸元に溜まった汗を拭うと角楯カリンは空を仰いだ。

空には薄い雲が広がり、過酷な太陽の日差しがサンサンと照り付けている。

街ゆく人々も日傘を差し、ハンディ扇風機を顔に当ててささやかな抵抗をしながらもそれでも目的地へと歩いている。

 

私もその一人だ……このように暑い日にわざわざ外にいるのは……この先に先生がいるからに他ならない。

 

カフェが近づいてきたので映りの良い窓に近づくと汗拭きシートで軽く汗を拭い取ってから乱れていた黒い髪を直し、アスナに選んでもらった香りのよい香水を付け直す。

準備は万端。これで……

 

ドアを引くとカランカランとベルの音が鳴る。

 

私には夢があった。

お洒落な喫茶店を旦那様と二人で慎ましくも幸せに経営していくこと……。

そのうち子供にも恵まれ……そうだ、大きな犬なんかを飼うのもいいかもしれない。

 

そういう意味では、先生とのこのバイトはそのための予行演習のようなものだった。

二人の将来の為……な、なんて!

 

一人照れ隠しでぶんぶんと手を振っていると…………?

 

「な、なんだこれは!!?」

 

いつもは趣のあったはずのカフェが……!?

筐体がひしめき、それぞれの放つ電子音が不協和音となって部屋中に響き渡るサイバーな空間へと変わっていた。目に付くのは大きなバイクのレースゲームにクレーンゲーム、テレビゲームにキャラクターものの電光掲示に果てはプリクラまで……!!?

 

「な、なんで私たちのカフェが……ゲームセンターにッ!!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の生徒たちが、自分を恋人だと思い込んでいる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“カリン!”

 

「せ、先生!これはいったい……」

 

筐体の奥から姿を現した先生を見つけると私は慌ててそちらに駆け寄った。

 

“それが、朝来たらもうこうなってて……”

 

「そうなのか?……ということは、外部の犯行と言うことになるが……」

 

そこで二人で膝を突き合わせて悩んでいるとカランカランと再びカフェのドアが開く。

入ってきたのは……見覚えがある。

 

「お!来てる来てる!いやーやっぱりここなら涼しい~!」

 

「お、お姉ちゃん!やっぱり先生に内緒でこんなこと……良くないよ。先生も困っちゃうよ」

 

「何言ってるのさ。ミドリだって途中までノリノリだったくせに!」

 

「だ、だって先生のところだったなんて知らなくて……先生にキラワレタクナイシ……」

 

「アリスは早速あそこにあるスペースキャットのプレイを所望します!」

 

「暑い、死んじゃう……か、帰して……お家に、帰して……」

 

汗だくになりながら入ってきたのは上から赤の才羽モモイ。緑の才羽ミドリ。大きなロッカーを担いで入ってきたのは天童アリスに……多分、中で蚊の鳴くような声で何か訴えているのは花岡ユズ。いずれもミレニアム学園、ゲーム開発部の面々だった。

 

「あ、ほらもう居るよ!先生~」

 

「え、先生!?嘘、待って、汗かいてるし今はあんまり近寄りたくない……」

 

“これは……”

 

“もしかしてゲーム開発部のみんなが?”

 

そう先生が訪ねるとニコニコしながらモモイがピースサインを浮かべ、アリスもそれを真似る様にピースをする。ミドリは隠れるようにモモイの後ろへ逃げてユズは……先ほどアリスがピースをするためにガシャンと床に乱雑に落とされていたが……生きているのだろうか?

 

「実はね、今日はここをゲームカフェにしようと思って!」

 

“ゲームカフェ?”

 

「う、うん。……実はお姉ちゃんが近所で閉店するゲームセンターを見つけて……そこの筐体を安く譲ってもらうことになって……だけど置くところがないからとりあえず先生のところへ置かせてもらえないかって」

 

“なるほど……?”

 

「アリスは早く先生とスペースキャットで遊んでみたいです!」

 

そう言ってアリスが先生の袖を引っ張るとモモイやミドリもそれに続くようにして先生を取り囲んで服を引っ張り始める……!

 

微笑ましい光景だとは思うがゲームカフェ?

 

それは……おしゃれなカフェで働きたいという私の理想とは違い過ぎる。それに

 

「ちょっと待ってほしい」

 

訪れるお客さんの柄も悪くなりそうだし、犬だって飼えるかどうか……子供にも悪影響だろうし……。

 

「……あ!あなたはC&Cのカリン先輩!?どうしてここに!?」

 

「私はここでおよ……アルバイトをしているんだ。そんなことより、先ほどの話、少しおかしくはないか?今日ここに置かせてもらうという話はまぁ良いとして、ここまでセッティングされていて装飾もされているなんて……まるで”初めからずっとここに置いていくつもり”だった、そんな感じだ」

 

「「ギクギクッ!」」

 

「そもそも……ミレニアムのゲーム開発部の部室にはこんな大きな筐体を置くスペースはないだろうし……なんだかんだ理由を付けてずっと先生のところに置いておくつもりなんじゃないか?」

 

私がそう言うとモモイとミドリは目を逸らして下手な口笛を吹き始めた。

 

「はい!先生の所なら涼しいし冷たい飲み物や美味しいお菓子も食べ放題で筐体のゲームできる、セーブポイントみたいに使える!ってモモイたちは言ってました」「「あ、アリス!?」」

 

「やはり……!」

 

そうなると、私はこのシャーレ併設カフェのアルバイト代表として、このままゲーム開発部の企みを看過するわけにはいかない!……うん。決して先生とお洒落なカフェで二人きりで働きたいからなどという自分の邪な願望の為ではない!

 

「ふぅ、ではセミナーのユウカに連絡してすぐにでも引き払って貰って」

 

「え、えっとえっと。そうだ、勝負!勝負で決めようよ!ゲーム対決!」

 

「ゲーム……対決?」

 

「そう!!こっちが勝ったらゲームはそのまま!先生のカフェは今日からゲーム開発部ご用達のゲームカフェになるの!」

 

「……では私が勝ったら、ここは元のお洒落なカフェに……いや、制服は可愛いメイド服にしたメイドカフェにする!」

 

「う、うん!私たちもその時は潔く諦めるから!」

 

そう私が言うとモモイたちは顔を突き合わせてよーしやるぞー!プライベートゲームセンターのために!と闘志を燃え滾らせた。

 

だが、私だって負けるつもりはない。

 

すぐに小型無線を取り出すと緊急連絡を飛ばす。

この戦い、私たちC&Cにとっても絶対に負けられない戦いになる。そんな予感があった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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…………話が、勝手に決まっていく!!

 

そう危機感を覚えながらも、事は今更私が介入して何とか出来るレベルをとうに過ぎているようだった。ゲーム開発部はシャドーボクシングをしながらやる気満々だし……

 

「みんなすまない。急に呼び出して……」

 

「いや、本当だろ」

 

「助けてくれなんて言うから、カリンに一体どんな危機が迫ってるのかと思って来てみれば……まさかゲームで戦うだけだなんて……」

 

「あっはは!でも面白そうだよ~!」

 

カリンの電話で現れたのはミレニアム学園Cleaning&Clearingのエージェントであるコールサイン00 美甘ネル、01 一之瀬アスナ、03 室笠アカネ。C&Cのフルメンバーにはあと一人欠けているが、これで頭数は揃い、自然と4vs4の戦いになったようであった。

 

「ゲームで戦うったって相手はゲーム開発部だぜ?超不利じゃねえか。完全に相手の土俵だぞ」

 

「う……それは……その場の勢いでつい……」

 

「あらあら……上手く乗せられちゃったのね」

 

「ご主人様ご主人様!あれ!あのプリクラ一緒に撮ろう!」

 

「てめぇは一旦落ち着け!……プリクラは……あ、後でだ!」

 

……意外とこのリーダー、ノリノリだ。

それにしても……このメンバーが揃うのは件のG.Bible騒動以来だ。あの時もこうして敵対し合ってはいたが今回はゲームで仲良く遊ぶというとても平和的な争い方法。

どこか……感慨深いものがある。

ほら、アリスたちも楽しそうに……?

 

「アリスは逃げだした!」

 

「ちょっとアリス!いくらネル先輩が苦手だからって!」

 

「は、離してくださいモモイ!アリスには無理です!!まだ死にたくないんです!」

 

「ユズちゃんも!早くロッカーから出てきて!」

 

「うぅメイドさん怖いメイドさん怖いメイドさん怖い」

 

……仲良く……遊べるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カフェのプレートをクルンと回し、張り紙を張って本日は臨時休業にすると、早速ゲーム対決の一回戦が始まった。

 

「ふふふ」「私たちのコンビネーションを打ち破れるかな?」

 

「エアホッケーですか……」「早くやろう!早くやろうよ~!」

 

コインを入れると盤上の多数の小さな穴から空気が噴き出す。

白いマレットで円盤(パック)を打ち合い、相手にたくさんゴールした方が勝ちというシンプルなゲーム、エアホッケー。アーケードゲームの中でも比較的有名だし、C&Cのメンバーもルールくらいは知っているようだった。

 

モモイとミドリ、アカネとアスナがそれぞれマレットを構える。

 

「……アスナ先輩。以前お二人と戦った時の情報(データ)は……?」

 

「ん~昔戦った感じ、二人のコンビネーションは口だけじゃなくて相当なものかも。あの時は不慣れっぽい銃撃戦だったけど、今度は種目が得意なゲームだし、なおさら警戒した方が良いと思うな~」

 

「そうですか……ですが、私たちも任務で鍛えたチームワークがあります。この勝負、そう簡単には……」

 

カンカン!と壁を跳ね返りながらモモイの打ったパックがアスナたちのゴールに迫る。

アカネもアスナもそれを目で捕えると同時に跳ね返そうと手を伸ばしそして

 

ガ、カシャーン!デロデロデー!

 

 

二人のマレットがぶつかり合っている間にパックはc&c側のゴールに収まった。

 

 

「よくよく考えてみれば、アスナ先輩は基本単独行動ですし……二人でチームワークを鍛えたことなんてありませんでしたね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一回戦目はモモイ・ミドリチームが勝利した。

C&Cの二人も途中から役割分担がはっきりしてきていい勝負になりそうな雰囲気はあったが、普段から息の合った双子の二人には流石に勝てなかったようだ。

 

「先生見てた!?」「私たち勝ったよー!」

 

“ああ、ホンジャマカさながらのコンビネーションだったよ”

 

「ホンジャマカ……?」「何それ?何かのゲーム?」

 

“……”

 

ジェネレーションギャップに打ちひしがれている間にも次の試合が始まろうとしているようであった。次の対戦カードは……。

 

「お、久しぶりだなぁ。いっちょよろしくな」「」

 

八重歯を見せて笑顔を見せるネルと、凍り付き笑顔のまま滝汗を流してフリーズするアリス。

二人が戦うのは……

実際に近未来型のバイクに乗ってリアルなレースをホログラムで楽しむことが出来る、ハイスピードレースゲーム機で戦うようだ。

 

「悪ぃけど手加減はなしだかんな」「」

 

身軽な動きでバイクに飛び乗るネルと、まるでロボットのような動きでぎこちなくバイクにのるアリス。そして私がコインを入れるとバイクに乗った二人の様子がホログラムで映し出される。

 

ギラギラの金色の龍の描かれた赤いバイクに乗るネルと、時間切れで決定された特に特徴のない青いバイクに乗るアリス。そして、赤いシグナルが一つずつ点灯していく……

 

3,2,1、GO!

 

「うらああああ!!」「」

 

開幕バイクをフルスロットルで走らせ、ついでにアリスの乗っていたバイクを後輪で吹き飛ばすネル。スピードを出し過ぎてグイングインとロデオマシンのように揺れる機体を完全に乗りこなし圧倒的なスピードでラップを叩き出す。ネル、さてはこのゲームをやりこんでいるな!?

 

そして、NEW RECORD と画面に表示されるとどうだ!とネルがガッツポーズをして皆の方へと振り返る。

 

「ひっく、ぐす怖かったです……」

「よしよし、ウチのリーダーがごめんなさいね。アリスちゃん」

「無理させてごめんねーアリス~」「すまない、ほら、オレンジジュースは好きか?」「ごめんねーウチのリーダーが大人気なくって~」

 

泣きじゃくるアリスを甘やかすメンバーたち。それを見てネルの肩がわなわなと震えだす。

 

「て、てめぇらどっちの味方だ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、ついにゲーム対決も最終決戦だ。

 

「やっちゃえユズ!」「がんばって、ユズちゃん!」

 

「カリン、がんばってください!」「負けたら承知しねぇぞ!」

 

それぞれのチームから声援を受けて二人は今、向き合っていた。

 

 

ダンスリズムゲームの前で!

 

 

「ど、どうしてこんなことに……」

 

「参ったな、ダンスゲームなんてしたことない……」

 

ユズはゲーム開発部部長。ここに並んでいる格闘ゲームやアクションゲーム、シューティングゲームなどはどれもプレイしたことがあるだろう。ゲームをあまりプレイしないカリンと戦えば勝敗は明らかだ。

しかし、今、目の前にあるのは身体を動かすタイプのダンスリズムゲーム。二人の実力差が広がる恐れが少ないように他のメンバーがあーだこーだと言いながら公平に選ばれたゲームだ。実際……

 

「やばいよお姉ちゃん。ユズちゃんがフィジカルでカリン先輩に勝ってるヴィジョンが見えない……!」

 

「う、やっぱりそうだよね?でも格ゲーもシューティングも却下されちゃったし……」

 

「頑張ってください!ユズ!」

 

流石に分が悪いと思っているのか少し不安そうな顔をする姉妹に、純粋な笑顔でユズに声援を送るアリス。そして

 

「なにこれ!なにこれ!すっごく美味しい~!」

 

「本当ですね。フワフワで甘くて……」

 

「……うめぇ」

 

正直勝負に勝っても負けてもどうでもいいらしいc&cのメンバーはカリンへの応援もそこそこにお茶を飲みながらケーキを食べてくつろぎ始めていた。

 

「で、では、始めるとするか……」

 

「ちょ、ちょちょちょ!ちょっとだけ待ってください!」

 

……?

いざ、という時にサンダルをぺたぺたさせて駆けてくるユズ。

そして、私の目の前で止まると、ブルブルと震える手を私の目の前に差し出した。

 

「せ、先生。お願いです。わ、わたしにゆ、勇気を分けてください……」

 

私はユズが精一杯伸ばした手を両手でギュッと包み込むように握った。

 

“ユズなら大丈夫、頑張って!”

 

「は、はい!」

 

赤い顔をしながらも笑顔を浮かべるユズに暫く大丈夫と言う念を送っていたが、すっと手を離すとユズが少し名残惜しそうな顔をする。

ともあれ、これでいよいよ戦いがはじ

 

「先生。私にも、勇気を分けてほしい」

 

“え?”

 

まらない。見ると、先ほどのユズと同じように顔を赤くしながらもじもじと手を差し出すカリンの姿があった。

確かに、ユズにだけ応援をするのは不公平だと感じたので、私はカリンの手を同じように両手で包み込んでカリンの目を見て応援の言葉を口にする。

 

“頑張って、カリン!”

 

「!!……今の私なら何でもできそうだ」

 

そんな大げさな……と手を離すとぱっと、また手を取られる。今度はユズだ。

 

「せ、先生。さっきのわたしよりも3秒も長く手を握って……!?か、勝つためにも、今度はわたしの方が長く……」

 

「ず、ずるいぞ!先生、今度は私が……」

 

「アリスも先生にバフをかけて貰いたいです!」「はいはーい!ご主人様―!私も私もー!」

 

わっと、人が殺到した拍子に、

 

「あ!」「わー!」

 

敷き詰められていたコンセントに引っ掛かってモモイとミドリが近くの机に倒れ……その拍子に机に置いてあったケーキが宙を舞い……ネルの顔面に張り付く。

 

シーン、と部屋の中に静寂が訪れる。

 

「て、て、て、てめぇら……覚悟はできてんだろうな!」

 

ズガガガガ!とネルのマシンガンが唸れば、今度はそれに怯えたアリスが条件反射でレールガンに手を伸ばす!?

 

「ひ、光よ!」

 

そして、無作為に放たれた光の剣の閃光が膨れ上がり、タコ足配線で繋がっていたゲーム機たちのコンセントに直撃し、そして……光が瞬いたと同時に……

 

 

シャーレ併設カフェは大爆発とともに吹き飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「す、済まなかった先生」

 

“そんなに謝らなくても大丈夫だよカリン。それに、こうして今日も手伝ってくれてるでしょ?”

 

「先生……」

 

結論から言えば、あの爆発でゲーム機はほとんどが駄目になりゲーム開発部の野望は塵となって消えた。代わりに、今、シャーレのカフェは……

 

「おかえりなさいませ、ご主人様~!」「アリスもお出迎えします。おかえりなさい~!」

 

カランカランと新しいお客さんが入ってくると、メイド服を着たアスナとアリスが笑顔でお客さんを出迎えている。

メニューも一新され、アカネとカリンが作ってくれるお絵描きオムライスに……

 

「うわ、あのメイドつよ……」「な、何者なんだあの二人……」

 

生き残ったゲーム機でユズやネルに挑めるメイドさんの冥土コースなど……

すっかりとメイドカフェとゲームカフェの折衷案のようなカフェに……どうしてこんなことに。

 

「先生―!どう!私のメイド服!可愛い!?」

 

とてとてと掛けてきたモモイに笑顔でサムズアップすると満足したように笑みを浮かべる。

 

「へっへー!」

 

?モモイの後ろでもじもじとメイド服の裾を握って隠れていたミドリも顔をだす。

 

「せ、先生……私も似合ってる……?」

 

とても似合ってると伝えるとミドリは赤面しながら嬉しそうにはにかんだ。

 

「えへへ……」

 

……ま、まぁ、こうしてみんなの楽しそうな姿を見れるのなら、期間限定でこういうカフェも悪くはな……

 

「失礼しまーす!」

 

“……?”

 

カランカランと扉が開いたかと思えば、次から次へと青い服を着た引っ越し業者のような人たちが何かをカフェに運び込んでくる。こ、これは……!?

 

「ふぅ、やはりここは涼しいな」

 

続いて入ってきたのはトリニティの補習授業部の白洲アズサ、浦和ハナコ、下江コハル……。

 

「ちょ、大丈夫なの!?こんなことして!?っていうか、いくら暑くてもこんなところで脱がないで!エッチなのは禁止!!」

 

「え~」

 

「安心してください。みなさん大丈夫です!」

 

1歩,2歩、ゆっくりと歩みを進める

 

「先生ならきっと理解してくれます」

 

カツンと歩みを止めると狂ったような輝いた目で両手を広げる……阿慈谷ヒフミ。

 

 

 

「ペロロ様のすばらしさを!」

 

 

 

カフェに運び込まれたのはモモフレンズと呼ばれる大量のペロログッズたち。

 

睨みあう補習授業部とゲーム開発部・C&C。

 

今!こちらに一切決定権のない戦いの火ぶたが再び切って落とされた……!?



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7話

-シャーレ執務室-

 

「先生、なんですかこの伝票は!」

 

正座をさせられている。

目の前で領収証をかざしてお怒りになっているのはミレニアムサイエンススクール所属、生徒会セミナーの会計、早瀬ユウカ。

 

天色の髪に空色の目を持つ、少し太もも周りが逞しい少女。

数字や計算が好きで、ミレニアムの予算周りの管理も統括している

 

そして、私の財布も管理している……

 

「この前無駄遣いはしないと約束したばかりですよね?」

 

“はい……”

 

「じゃあ、なんなんですか!この特上寿司10人前って!!?」

 

“いや、それは違って……”

 

サオリがこの前誕生日を迎えた。今まで祝ったことがないなんて悲しいことを言い始めたのでアリウススクワッドのみんなも呼んで誕生パーティを開いたのだ。パーティが終わると、サオリはひっそりと目に涙を流し泣いていた、ヒヨリは涎を垂らしながら余った寿司とケーキをタッパーに詰めていた。

 

「それに、これ!このゲーム機の筐体!中古の固定資産は処理が複雑なんですよ!?それをこんな急に」

 

“私も予想外で……”

 

「この飲料水のレシートも軽減税率が適用されるものですし、こっちのも!課税の対象外です!」

 

そう言いながらもカタカタとパソコンを動かして私の仕事の伝票(ミス)を修正してくれるユウカ……。

 

「これも、こっちもこうして…………ふぅ。これで良し。次は気を付けてくださいね、先生」

 

全ての伝票を処理し終えるとノートパソコンを閉じて優しい笑みを浮かべてくれる。

母性が強いというか面倒見が良いというか、早瀬ユウカという少女は最後には必ずこうして微笑みながら私のことを許してくれるのだ。

 

“ありがとうユウカ……。ユウカが居てくれて良かった”

 

「な、もう、またそんなこと言って……。大体、先生は大人なのにこんなに叱られていて、それでもお礼を言うなんておかしいと思わないんですか?」

 

“うん、本当にそう思ってるから……怒ってくれるのもユウカの優しさだってわかってるから……そうだ、コーヒー淹れようか?それとも肩を揉んだ方がいい?”

 

「…………クス、もう、しょうがないですね。じゃあ、コーヒーくらいは貰ってあげます」

 

このように、私は彼女には全く頭が上がらないほどお世話になっているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「いけない。もうこんな時間!?」

 

私、早瀬ユウカは遅刻を良しとしていない。

もはや週課になりつつあるシャーレへの訪問。鞄に荷物を詰めると仕事をしていたデスクを立って準備を始める。

いつも皆のことを諫めることの多い立場だからこそ、遅刻なんてするわけにも……?

 

「……ノア。どうしたのニマニマして」

 

「別に~?ただ、ユウカちゃんすっかり先生の通い妻だなって」

 

そうクスクスと悪戯っぽく笑った同じセミナー所属の少女、ノアの言葉に顔が赤く火照っていくのがわかる。

 

「そ、そんなんじゃ!」

 

「うふふ。奥さん。早く行ってあげないと先生が大変ですよ?」

 

確かにもう時間が……!

 

「も、もう!覚えてなさいよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全く……

 

 

何が先生の通い妻。よ。

 

 

「フンフンフフーン♪」

 

先生の居るシャーレへの道を軽い足取りで歩いていく。

 

先生は大人なのにとてもだらしのない人だった。

伝票の処理も満足にできないし、食べてる料理もカップ麺とかコンビニおにぎりとか適当なものばかり、忙しくていつも執務室の掃除もろくにこなせていない…

 

 

全く、先生は私がいないとダメなんだから……。

 

 

……でもこの前みたいに、変にプライドを持ったりせずにきちんと感謝もしてくれるし、私が困っているときには手を差し伸べて助けてくれて、たまに見せてくれる子供っぽい笑顔が好きで……って!?

 

わ、私ってば何を考えて!!

 

にやけてしまう口元をぐにぐにと崩す。

ダメダメ!私は先生の前では厳格で、清貧なセミナーの生徒として向き合わないといけないのに。

 

最低限の身だしなみを整えると、買ってきた夕食用の買い物袋を持ち直して、ウィンと開いたシャーレの扉を通って先生の執務室へと向かう。さて、今日も掃除から……?

 

あ、あれ?

 

ガチャリと開けて執務室に入るとまず目に飛び込んできたピカピカに磨かれたフロア。普段は散乱しているはずなのに綺麗に片づけられた書類やコンビニ袋などのゴミ、それにどこからかカレーの良い匂いまで。

 

「ああ。おかえりなさい先生。もしかして忘れ物……と……か?」

 

まるで恋人に声を掛けるような優しい声音。

制服の上にエプロンをして、鍋掴みをしたまま出て来たのは、黒い髪にピンク色のインナーメッシュが入ったボブヘアの少女。黒い耳をピンと立てて優しい笑顔を浮かべて出てきたけれど、この少女は先生じゃなくて……!?

同時にお互いの存在を確認すると指を突き出して声がハモる。

 

「「あ、あなた(あんた)はまさか!」」

 

 

私は知っている!

 

この少女……いやこの女こそ……最近私の領域(テリトリー)を勝手に荒らしてる……

 

泥棒猫ッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の生徒たちが、自分を恋人だと思い込んでいる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“ごめんね。折角来てくれたのに”

 

「勝手に来たのは私だし。その……いってらっしゃい。先生」

 

“うん、行ってきます”

 

そう私……杏山カズサが自分には似合わないような微笑みで先生にいってらっしゃいをするのはもう何度目の事だろう。

 

先生は大人なのにとてもだらしのない人だった。

一人じゃアイロンがけとかできないみたいだし、食べてる料理もレトルトカレーとかファストフードとか適当、執務室の掃除もろくに出来なくって……。

 

 

そう、先生には私がついていてあげないとダメなんだ。

 

 

放課後スイーツ部の活動がない日にはこうやって、ちょくちょく顔を出して……カフェの仕事を手伝ってあげることもあれば、執務室や仮眠室を掃除しておいてあげることもある。手料理を振舞うことだって……まぁ、実は今日が初めてだったり……。

 

自然とニヤついていた顔を慌てて締めなおす。

らしくない!……でも先生だってズルいと思う。頼りないように見えて、芯はどっしりしているっていうか、自分以上に私たちのことをちゃんと見ててくれて……それなのに、嫌味な感じが全くなくて、いつも、手伝ってくれとか、ありがとうカズサとかって、本当もう……

 

ん!ま、そう言うわけで、最近は私が先生の面倒をよく見てあげてたわけだけど……。

 

「「……」」

 

先生が想定よりも早く戻ってきたと思ったら、部屋には知らない青髪の女が大根のような足で、大根が入った袋を持って立ち尽くしている。

 

「「あんた(あなた)はまさか……」」

 

しかし、お互いに叫んですぐにピンときた。

 

私が来てなかったのに、妙に先生の執務室が綺麗に片付いている時があった。

初めは、先生が掃除したのかな?と思っていたけれど、明らかに先生が買わなさそうな卓上鏡や化粧落としのクレンジングオイルなどの出現によって、それは確信に変わった。

 

私以外にもここに出入りしている女がいるッ!

 

しかも、縄張りを主張するかのように、こまごまとしたものを増やしていって……!!

顔を合わせたことはなかったけれど……なるほど、この真面目ちゃんっぽいミレニアムの生徒が……顔を見て納得だ。

 

「あ~……何か先生に言っとくことあるなら聞いと……聞いておきますよ……?先生からは“色々と頼まれてる仲だしね”」

 

かくして戦いのゴングが鳴った。

笑顔を取り繕ってその女に告げると相手は目を見開き、次にはギラついた闘志をにじませてこちらを見据える!

 

「へ~“色々と”……!じゃあその“色々”と、代わってあげますからお家に帰ってもらって大丈夫ですよ?“絶対に、私の方が先生に信頼されてますから”」

 

「は?……いや……何言ってんの?」

 

バチっと、にらみ合いは続き火花が散る。

ただの真面目ちゃんかと思えば……私の“凄み”に動じないなんて結構な胆力があるみたいだ。

 

「大体、私物散らかしすぎじゃない?電卓とかそろばんとか……片付ける身にもなってよ」

 

「散らかしてあるんじゃないですよ~。置いてあるんです!あなたこそ、最近先生にお菓子を食べさせすぎです」

 

「う、なぜそれを?」

 

「そんなの伝票を見れば丸わかりです。先生はただでさえ運動不足なんですから、あまりばかすか食べさせないでください。大体……」

 

やばッ!?よくわからないけどお説教モードが……

 

「じゃ、じゃあ。あの変な鳥のぬいぐるみも持って帰ったら?」「あれは私のじゃありません!」

 

「あなたの方こそ、最近やけに増えた化粧品の数々とか持って帰ってください!」「いやどれも、私のじゃないんだけど……」

 

「「……」」

 

冷や汗を流しながらも、硬直は続く。

…………もしかして、他にもいるの?別の女たち……いや、それでもこの女が先生の正妻面しているという事実には変わりない。とその時だった。

 

フ。と青い髪の女が勝利を確信した笑みを浮かべる。い、一体……。

 

「先ほどから、準備を進めていたカレーの方は大丈夫ですか?」

 

「ッ!!」

 

「火は止めてあったとしても……これ以上冷めたりしたら先生が帰ってくるまでに煮込み切れないんじゃないですか?」

 

た、確かに!私は慌ててキッチンに戻ると、コンロに火をつけてカレーのルーを混ぜ始める!ど、どうしよ!それに、カレー以外も色々と準備が……?

 

すっとエプロンを結びながら、髪を咥えたゴムで結って隣に立ったのは先ほどから言い争いをしていたはずの真面目ちゃんの……少女。

 

「あ、あんた何やって」

 

「何って、見てわかりませんか?私も手伝いますから先生が帰ってくる前に作っちゃいましょう」

 

「……」

 

「こんな結果であなたに勝っても、しょうがないですから」

 

そう言うと少女はため息をついた後に笑顔を浮かべて野菜を切り始める。

悔しい。悔しいけれど、私よりも遥かに手際が良い。それにこの人は彼女とかいうよりも、まるで…………お母さん?

 

「…………あ、あんがと」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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--

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“なんだか良い匂いがする”

 

帰ってきて扉を少し開けただけで、懐かしさを感じるようなカレーの匂いが流れてくる。

中に入ると、そこには声を弾ませながら談笑し、皿を並べているらしい杏山アズサと早瀬ユウカの姿が目に映った。

二人はこちらの姿を認めると、微笑みを浮かべながら声を合わせる。

 

「「おかえりなさい、先生」」

 

“ただいまカズサ。それから……ユウカも?”

 

「なんですか、先生。私が居たら不服ですか?」

 

“まさか……いつも来てくれて助かるよ”

 

「おかえり先生。ユウカ……さんは。色々と手伝ってくれて」

 

「別にユウカで良いですよ。それに、私は簡単なことしかしていませんから、準備自体はカズサが」

 

そうユウカが述べるとカズサは恥ずかしそうに視線を外して頬を掻いた。

ユウカまで居るのは予想外だったけれど、ちょうどよかったかもしれない。先ほど用意したものを渡そうとした矢先、二人に背中を押されて席に座らせられる。

 

“えっと?”

 

「……夕食。作ったから……」

 

“うん?”

 

「もう先生、温かくて美味しいうちに食べてみてください、ってことですよ」

 

「べ、別に感想がきになるとかじゃ……」

 

人差し指を口元に当てて意地の悪い笑みを浮かべるユウカに、何やらふにゃふにゃになって慌てているカズサ。確かに抗いがたい良い匂いに、お腹の方も限界の様だ。

 

“ありがとう!それじゃあ、一番美味しいうちに頂こうかな!”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カズサとユウカの作ってくれたカレーは美味しかった。

にんじんやじゃがいもなど少しばかり具材が大きかったけれども、辛いながらも程よいとろみと甘みがあってご飯と絡んだ時の口の中でほぐれていく食感は絶品だった。

ど、どう?と、カズサが上目遣いで不安そうに聞いてくるので、毎日食べたいくらいおいしいと素直に答えると、顔を赤くしながら俯いてしまっていた。

 

“でもカズサ、もう帰っちゃうなんてね”

 

「……そうですね」

 

カズサは、これで貸し借りなしだから、とユウカに何か言って帰っていった。ユウカも初めは残念そうにしていたものの、最後にカズサが控えめにまたね、先生と笑顔で去っていったときには塩でも撒いておきましょう。と意味不明なことを……。

 

それにしても食べ過ぎた。

お腹をさすりながら座っていると、今度はユウカが食後に温かいお茶まで出してくれた。まさに、至れり尽くせりだ……。

 

“ユウカ、いつもありがとう”

 

「なんですか。藪から棒に」

 

“改めてそう思ったんだよ。いつもユウカには助けられてるなって……”

 

「…………でも、先生ならきっと私が居なくても大丈夫ですよ。さっきのカズサみたいな良い子が近くに居てくれるみたいですし……」

 

机を拭きながらそう寂しそうにつぶやくユウカ……

 

 

“そんなことはない!!!”

 

 

 

 

 

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気が付くと、先生の真剣な表情だった。

それが、私の布巾掛けをしていた手首を持って、すぐそこまで迫っている!?

私は机にお尻を当てるような形で、そう、まるで先生に押し倒される寸前みたいで……!

 

「せ、せ、先生……?」

 

今まで見たことのないくらいの気迫。

息をすれば、お互いの吐息が混じり合って……ジットリと、触れ合っている箇所から、身体が熱を持って汗ばんでいくのがわかる。

怖い。けど、ドキドキしてしまう。眼が、離せない……。

 

“私にはもうユウカなしの生活なんて考えられないよ”

 

「……あ、あ、わ、わかりましたから、一度離れ……」

 

そう必死に出した声も上ずってしまっている。

だ。だめ。わ、私どうなってしまうの…………!?

 

“わかってくれたならよかった”

 

 

「……………………?」

 

 

目をギュッと閉じていたら、身体にかかっていた重みが消えた。そして先生は先ほど座っていた席に戻って……呑気な顔をしてお茶をすすり始めたようでした。

 

「………………」

 

“ユウカ、このお茶美味しいね”

 

「………………」

 

“ユウカ?”

 

「はぁぁぁ~~」

 

まぁ、わかってた!!

ええ、わかってたわよ!!

先生は、本当に、どうしようもなく…………はぁぁ……

 

全身から力が抜けて机に手をつけたまま膝から崩れ落ちる。

先生に自覚はない。それはわかっているのだけれど……だからこそ、恨めしくもある。

何とか先生の対面の椅子に座りなおすと、私はカズサの置いていったマカロンを不機嫌な顔をして頬張りお茶で流し込む。もう、こうなったら今日はやけ食いして!

 

“そうだ。ユウカ、はい、これ”

 

「なんですかこれ?」

 

“カギだよ、ここと仮眠室の合鍵”

 

「ああ、合鍵…………うえぇッ!?」

 

な、な、な、どういうこと!?

 

「先生、これ一体どういうつもりで……」

 

“ほら私が居なくてユウカにドアの近くで立たせて待ってもらうことが結構多かったから”

 

「あぁ……そういう……」

 

……いいえ、でも流石にこれは、この鍵はそんな言葉だけで受け取っていいものではないような気がする。

 

「…………はぁ、先生?知っていますか?こう言った大事なものはそう簡単に渡してはダメなんですよ?本当に心の底から信頼できる相手くら……い……に……しか」

 

ハッとして顔を上げる。

身体が蒸発してしまうんじゃないかってくらい顔が赤くなった感覚があった。

そして、先生は、ニコニコしながら

 

 

“うん、だからユウカになら渡しても大丈夫だよね?”

 

 

と当然のことのように言った。

 

先生の信頼が嬉しくて、嬉しくて、心がもみくちゃになってしまっているのに。

熱くて、温かくて、全身から火が出そうなほどに私の身体は歓喜で震えていた。

 

「…………で、でも流石にシャーレの鍵なんて計算外で……」

 

“そっか、じゃあ返s”「でも!!わかりました!これは私が責任をもって、お預かりします!!」“う、うん”

 

先生が伸ばした手から逃れるようにして、もらった鍵を胸元に引き寄せる。

 

これは“証”。

 

先生との間に築き上げてきたいくつもの信頼が形となって、積み上げてきた方程式が解きほぐされて、確かに=イコールになっている。

通じ合って、親愛しあっていることがはっきりとわかる。そんな絆の“証明”。

 

「先生。私は、きっと一番合理的な選択をしたと思わせて見せます……だから……ふ、不束者ですけど、よろしくお願いしますね?先生!」

 

きっと今の私の顔は計算通り……いえ、計算できないくらいの……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全く……

 

 

誰が先生の通い妻。よ。

 

 

「フンフンフフーン♪」

 

先生の居るシャーレへの道を軽い足取りで歩いていく。

ストラップを付けた鍵は、今日も銀色に光っている。

 

先生は大人なのにとてもだらしのない人です。

目を離すと変なものに大金を使っているし、最近はお菓子をよく食べ始めてますます栄養が偏っている、夜更かしが続いているくらい忙しいみたいで。

 

 

だからこそ、先生には私がついていてあげないとダメなんだから!!

 

 

さてと、今日は先生好みの完璧な肉じゃがでも作ってあげ……?

鍵を取り出して執務室に入ろうとしたけれど、鍵穴に差した時には既に違和感が……

 

あ、あれ?開いてる?

 

先生は今の時間はカフェにいるとのことだったのに……。

開いていた扉を通って執務室に入るとまず目に飛び込んできたピカピカに磨かれたフロア。普段は散乱しているはずなのに綺麗に片づけられた書類やコンビニ袋などのゴミ、それにどこからかシチューの良い匂いまで。

 

「おかえり、先生。じゃあ仕事を始めよう……か?」

 

まるで恋人に声を掛けるような優しい声音。

目つきの悪い生徒だった。

黒いパーカーの上にエプロンをして、鍋掴みをしたまま出て来たのは、白と黒のツートンカラーをした髪を束ねたゲヘナっぽい少女。黒い角がシュシュのようになっていて、ズボンの右ポケットには私がもらったはずの……鍵!?

同時にお互いの存在を確認すると指を突き出して声がハモる。

 

「「あ、あなた(あんた)はまさか!」」

 

 

私は知っている!

 

この少女……いやこの女こそ……前から私の領域(テリトリー)を勝手に荒らしてる……!

 



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8話

-シャーレ執務室-

 

「先生、あなたには容疑がかけられています」

 

桜が舞い、長閑な風が部屋に吹くようになったそんな日のことだ。

失礼します。と執務室に入ってきたのは、やや気疲れした様子の困り眉に「ギザ歯」を出して強張った顔をしたヴァルキューレ警察学校所属、公安局の局長・尾刃カンナ。

 

何やら思いつめた様子の彼女のために、コーヒーを淹れてあげて席に着く。

そして、口を湿らせようと自身もマグカップを傾けたそんな時に冒頭の一言だ。私は気管支に入ったコーヒーにより激しく咽せた。

 

「先生?大丈夫ですか?」

 

“だ、大丈夫だよ”

 

ど、どの容疑のことだろうか…?

 

その瞬間、脳裏に駆け巡ったのは様々な「生徒との記憶」。

銀行強盗、レストラン爆破、学生寮への宿泊……いや、それだけではない、他にも様々な……!

 

……こ、心当たりがあり過ぎる。

 

無意識に目を逸らしてしまい、カンナはその一瞬の動作を見逃さずに目を鋭く光らせる。

 

「やはり何か、後ろ暗いことが……?」

 

“い、いや、そういうわけではないんだけど……”

 

カンナの切れ長な青い瞳に思わず洗いざらい白状してしまいそうになるが、きっと何かの間違いだと、負けじと見つめ返す。

暫く目と目を合わせたまま沈黙が流れていたが、カンナの方が先に目を瞑って、こほんっ!とワザとらしく咳払いをした。

 

「……いえ、すみません。先生に限ってそんなことはないと信じているのですが、職業柄どうしても疑ってかかってしまって」

 

ポリポリと赤く染まった頬を掻くカンナ。どうやら信じてくれたらしい。

 

“えっと、ちなみにどういう容疑なの?”

 

改めて椅子に深く座りなおすと、カンナは自身の持ったマグカップが作る黒い波紋を眺めながら口を開く。

 

「……にわかに信じがたいことなのですが……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の生徒たちが、自分を恋人だと思い込んでいる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-シャーレ・執務室 午後-

 

「先生……?居る……?」

 

控えめなノックの音とともに部屋に入ってきたのは白くて長いブロンドヘアに、黒い翼とスリットの入った制服。ゲヘナの風紀委員長、空崎ヒナだ。

 

ヒナは自分の髪を指先で弄りながら目を泳がせ、たまたま近くを通ったから……とモジモジしながら言い訳をしている。とても可愛らしい。

……のだが、私の心中はそれどころではない。

 

 

今は……不味い相手かもしれない。

 

 

チラリと後ろに目をやると、パソコンの近くに見えているのは無機質な黒いレンズ……それが、天井やキャビネットの隙間……至る所に見えづらいように設置されている。そう、俗にいう監視カメラと言うものだ。

 

そして、モニター越しにこちらを監視しているのはもちろん……

 

「……先生?もしかして今日は忙しかった?」

 

何も言わない私を見て、不安そうな声を出すヒナに慌てて向きなおる。

 

“……ごめんごめん、いらっしゃいヒナ。ここまで来るのも疲れたでしょ?何か飲む?”

 

「……ん」

 

と短く甘えた返事をして、羽織っていた風紀委員会の制服を椅子に掛けるとソファに腰を下ろして、ソワソワと落ち着きがない様子でコーヒーの準備を始めた私と自分自身とを交互に見比べるヒナ。

 

 

ヒナなら大丈夫。

 

 

うん、多分。問題があるようなことにはならないはず、きっと。

 

そう、今の私はカンナの……公安局からの監視を受けている。

どうもシャーレの先生は生徒を連れこんで「いかがわしいこと」をしている、と変な噂が立っているらしい。

なので、カンナから監視を受けることでこの身の潔白を証明できるらしいのだが……おそらくこれは……。

 

コーヒーをヒナの前に出してあげてヒナの対面に腰を下ろすと、え?と不満そうな声を出す。

 

“……ど、どうかした?”

 

「だって、いつもは、その…………」

 

手を膝の上に押しこみながら、ソファの隣の席を何度も見るヒナ。

 

監視ということは、現在の映像や音声は全てカンナに筒抜けである。

そして、ここで私が何か誤解を生むような行動をとった場合、すぐにでも公安局、ひいてはヴァルキューレ警察学校の部隊が突撃してくるだろう。

しかし、下手に誤魔化すような行動をとり続ければ。それはそれで怪しいとされてしまい、黒であるとされてしまう可能性も否定できないし……何より……

 

「…………先生」

 

ヒナが悲しそうな顔をしながらこちらを上目遣いに見上げている。

…………私は腹を括ると、ゆっくりと席を立って、今度はヒナの隣に腰を下ろす。

 

そして、膝の間を少し開けると、ヒナを抱えてすっぽりと、その膝の間に彼女の小さなお尻を収める。

ヒナは、一瞬強張ったけれど、すぐに力を抜いて私にしな垂れかかってくる。

 

「うん……やっぱり、ここが一番落ち着く……」

 

そう柔らかい表情で微笑むヒナ。

反面、カンナたちが突撃してこないかと冷や汗が止まらない私。

 

「先生、あのね……」

 

そんな私の心中を知る由もないヒナは笑顔で話し始める。

最近アリスやツルギと一緒に買い物に行ったこと、温泉開発部のせいで学校が倒壊しかけたこと、その処理のせいで1週間近くもお家に帰れなかったこと……

とにかく面倒くさくて大変だったと、私の手を強くにぎにぎしながら開いた口は止まらない。

 

けれどヒナはどこか楽しそうで、私も自身が監視されていることなど忘れて、ヒナの頭を優しく撫でながら、その話を熱心に聞くことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-ヴァルキューレ警察学校 公安局・局長室-

 

「……一種のカウンセリング……?いや、距離が、近いような。でも……これは……?」

 

仕事の片手間で先生の様子を監視していたのだが、いつの間にか手を止めてモニターにクギ付けになってしまっていた。

私の知っているゲヘナの風紀委員長とは明らかに違うその表情や仕草に、人のイケない側面を知ってしまったかのような、心にズキリと何かが……いずれにしろ判断に困る。

 

「い、今吸った?……髪の毛の匂いを吸った……いや、まさか先生に限って……」

 

そんな調子で1時間ほど二人の動作一つ一つにヤキモキしていると、突如として鳴り始める風紀委員長の携帯端末。

そして、彼女が電話に出ると、ここまで聞こえてくるくらい凄まじい叫び声と銃声に救援要請……手短に返事をすると電話を切ってから、はぁと項垂れる風紀委員長。

……どこか見おぼえのある光景に同情のまなざしを向けていると、先生が私に聞こえないくらいの声で彼女に何かを囁いた。

すると風紀委員長は真っ赤になって……

 

「……え!?」

 

座る向きを反対にして先生に抱き着いた!?

 

しかし、そう長いものではなかった。

時間にして30秒ほどと言ったところだろうか。先生は、おしまい、とその体を離すと、名残惜しそうに彼女は立ち上がり、白い手袋をキュッとはめ込むと制服を羽織りなおす。

 

「……ありがとう、先生…………行ってきます」

 

幸せそうな笑みを浮かべた後、先生との交流時に緩み切っていた表情をキリッと整えてから部屋を出て行った。

 

…………凄いものを見てしまった。

 

 

そう口元を覆っているとすぐに私のところに電話がかかってくる。先生だ。

 

“カ、カンナ。今のは……”

 

「………………はぁ、安心してください。先生。少々、いえ、だいぶ……距離が近いように思いましたが……彼女の心労や疲労を労うためで、不健全なものではなかったように思います。

……それから、彼女のプライバシーを尊重して映像記録としても残しませんので、ご安心を」

 

ほっと先生が胸を撫でおろす姿がカメラ越しに見てとれる。

 

公安局としては……この映像を彼女の「弱み」として握る選択肢もあるのかもしれない。

しかし、忙しい仕事の合間にわずかな時間を見つけてまで先生に会いに来た彼女のいじらしさを踏みにじるようなことは……絶対にしたくない。

それに、彼女にこの映像の存在を知られたその瞬間、怒り狂ったゲヘナ最強と呼ばれるその力でヴァルキューレ警察学校が滅ぼされかねない。比喩表現なしに。

 

「……先生、ですがこの程度なら……」

 

と言いかけたところでコンコンと先生の執務室のノックの音が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-シャーレ執務室-

 

「フーッ!フーッ!」

 

あぁ、どうして今日に限って……

 

首に赤い首輪を嵌めて、そこから伸びた赤いリードが私の手元にあり、そして、怒ったように目を見開いて息を荒くしながら地べたで足を開いて所謂「チンチン」のポーズをしているのはゲヘナ学園風紀委員会所属の行政官……天雨アコ。

 

そこには普段の飛耳長目とした彼女の姿はなく、目に映るのは屈辱と背徳感で興奮したように息を荒げる一匹の飼い犬の姿……

 

「ど、どうしたんですか!先生!いつもみたいに命令で、さ、散歩とか、させればいいじゃないですかッ!!賭けに勝ったんですから!!」

 

フン!と息を荒げながらそう言うアコに私は思わず目元を覆う。

どうやら先ほどの事件、ヒナが来たことでスピード解決したのは良いものの、その時にアコの方は疲れているのだろうと暇を出されたらしい。まぁ、ヒナなりの気遣いだとは思うのだけれど、彼女を狂信しているアコにとってそれは解雇宣告に近いものだった。

自らの不甲斐なさ故に、ヒナが自分に失望したからそんなことを、と、そんな風に受け取ってしまい……アコにとっては耐え難いストレスになったようだ。だからストレス発散のため犬になってしまった。

 

“えっと、アコ。今日は……”

 

「今日は……?!ま、まさか、お、お外ですか!?そ、そんな……!敗者である私に拒否権がないからってッ!!」

 

“うん、アコあのね”

 

「そ、それだけじゃないと……!?まさかバニー服でも着せて……ッ!?

クッ、ですが、勝負は勝負ですから、今の私は先生に命令されれば例えどんなことでも聞き入れなければ……!!」

 

“アコ!?ステイ!!”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-ヴァルキューレ警察学校所属 公安局 局長室-

 

“違うんだ。カンナ”

 

「…………」

 

フーっと息をついてから、私は椅子に深く腰掛けると瞼を揉みこみ、冷静さを取り戻そうと努力する。

 

なんだ?今のは?

 

瞼を閉じたまま空を仰ぎ、先ほどの光景を思い返す。

 

初めは特に可笑しなことはなかったように思われる。あのゲヘナ学園風紀委員会の行政官、天雨アコがややご機嫌斜めの様子で執務室を訪ねてきて、先生に対して仕事の愚痴を漏らし始めたところまではまぁ普通であった。

 

それに、天雨アコは愚痴をこぼしながらも先生の仕事をテキパキと手伝っており、私も監視ばかりしていられないと、天雨アコから止めどなく流れ出る愚痴の数々をラジオ代わりに自らの仕事に着手し始めたのだ。

 

そして、少しの間席を外して戻ってきたらあの光景が目に飛び込んできたのだ。

 

そう、首輪を嵌められ、目元には微かに涙を浮かべながらも頬を上気させて先生の前に両手でひざまずく天雨アコの姿が……!

 

すぐに突入をするか悩んだが、カメラの録画を少し早戻しし、経緯を詳しく確認してから裁定することにした。

すると、どうやら天羽アコの方が愚痴っている間に勝手にイラついて八つ当たりのように先生に勝負をふっかけ、勝手に負けて、勝手に言うことを聞くという流れになったらしい。

 

 

いや、尚更ワケがわからないッ!

 

 

「…………」

 

“えっと、あれはアコなりのストレス発散で……”

 

「…………」

 

私はいったい何を見せられていたのだろう……?

 

何故か先生を罵倒しながら部屋の中を四つん這いで素直にお散歩した後、先生に(無理やり)ボールを投げさせ、口で捕ってきたかと思えば、怒りながらご褒美を要求して、近場にあったビスケットを先生の手の平に乗せて、アコは顔を近づけると手を使わずにビスケットを食べ始め……それからもやたら細かいシチュエーションを指定してきては、ケチをつけていたがそれでも最終的にはご褒美として先生に頭や首元を撫でられて顔を真っ赤にしながらも満足気に帰っていった。

 

「………………」

 

“その……カンナ?”

 

「…………おや?すみません。少々……席を外していて……私は何も見てませんので……はい」

 

“…………ごめんね”

 

「………………まぁ、流石にこれ以上は」

 

と、そこへ本日三度目のノックの音が響いてくる……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-シャーレ・執務室 午後-

 

次の生徒は流石に大丈夫!

そんな考えが一瞬で吹き飛んでしまった。

 

「先生?……どうかしたのか?」

 

そう私の前に座って声を出したのは、褐色肌に銀色の綺麗なツインテールを持つ少女、銀鏡イオリ。珍しく喧嘩腰ではない彼女は、足をブラブラと揺らしながら大人しく私の目の前に座っている。その産毛の生えたうなじをこれでもかと見せつけながら……!!!?

 

「クソ、あいつら、どうしてあんなに汚くて埃っぽい場所をアジトなんかにしてるんだ!おかげで蜘蛛の巣と埃だらけになっちゃったじゃないか……」

 

そう言いながら、先生、早く取ってよ!と机を叩くイオリ……

 

落ち着こう、ここは。深呼吸だ。

 

普段なら、ここで百連写のイオリ撮影会を開始していただろう私も、今日そんなことをすればタダじゃ済まないことくらい心得ている。

 

 

しかしそれでも、カメラを構えそうになるもう一人の自分が居る!

 

 

蜘蛛の巣に絡まったバージョンのイオリ。この先の人生で何度見れるかわかったものではない!網膜に焼き付けるだけでなく、本当はデータとして永久保存するべきだろう。

 

しかし、今は我慢するしかない……

 

“イオリも大変だったね……じゃ、動かないでね”

 

「え?ああ、うん……」

 

大きめの蜘蛛の巣をイオリの髪の毛から引っぺがしていき、おそらく彼女が乱暴に取ろうとしたときに絡まってしまったらしい糸も、一つ一つ丁寧に紐解いていく。

その間も、敏感肌のイオリは頭皮や耳元を刺激されて、どこを触っても身じろぎしたり、時には甲高い声を漏らす。普段なら、ここぞとばかりに食いついてしまうのだが、今日は我慢しないと……。

 

「…………ん」

 

埃を取り除き、ツインテールを取り外すと、ウェーブのかかったロングヘアのイオリで目が眩しい。それに、いつもとは違い大人っぽく見える蠱惑的な魅力があった。

その絹のように綺麗な髪を傷つけないように柔らかくブラシを動かし、最後の蜘蛛の巣を取り除いていく。

 

全てが終わると、ブラッシングしている間、気持ちよさそうに目を細めて大人しくしていたイオリが、髪を結びなおしておずおずと振り返り、ポツリと呟く。

 

「な、なんかいつもと違う……!」

 

“…………え?”

 

「おかしい。だって!セクハラしてこなかったし……」

 

“せ、セクハラって……いつもこうでしょ?”

 

しかし、イオリは全力で首を振って席を立って私を指さした。

 

「いや、いつもなら舐めてきたり、へ、変なこと言ったりするのに!今日はそう言うの無くてこっちだけドキドキして……」

 

後半の言葉があまりに小さすぎて聞き取れないが、次第にイオリは悲しそうな顔をしながらぎゅっと握りこぶしを握って下を向く。

 

「も、もしかして、他の子にセクハラしていて私に飽きた……?」

 

ッ!!?

 

“そんなわけないでしょ!!今だって、もっと近くで!その可愛らしいつむじをなぞりたかったし、何ならうなじの一つでも舐めたかったけど我慢してッ!”

 

「は、はああぁぁぁッ!?へ、ヘンタ……待て。さっき梳いた、その私の髪の毛だけ、どうして捨てずに机の上に……?」

 

“……いや、イオリの髪が綺麗だからお守りにしようかと……”

 

「~~~~ッッ!!!!!???」

 

「突入ッッッ!!!!」

 

響く銃声。

なだれ込んでくるヴァルキューレの部隊。

私は取り押さえられ、もみくちゃにされていく。

でも、この手にお守りだけは……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-屋台・夜-

 

「…………とりあえず、容疑が晴れてよかったですね。先生」

 

“……ありがとうカンナ”

 

少し皮肉を込めて私がそう言うと、先生は乾いた笑いを浮かべていた。

一度は突入し逮捕したが、被害者?が庇ったこともあり、先生の容疑は無事に晴れることとなった。ただ、ショックだったのか、先生は手元と地面を見ながらうっすらと涙を流していた。

 

ゆらゆらと揺れる湯気の中。器に入っていた煮卵を頬張る。

ほろほろと中身の黄身が崩れて、そこにレンゲで掬ったダシを流し込むと言い塩梅に混ざり合う。そして、そこへウーロン茶を……

 

「ぷはぁ」

 

“良い飲みっぷりだね”

 

「もうオフですから。……そうだ、「一応」容疑は晴れましたので監視カメラとマイクは撤去しました。ただ……」

 

“ただ?”

 

「……今回の件と全く関係のない盗聴器とカメラが全部で25台ほど見つかりました」

 

“え?”

 

とコップを持ったまま固まる先生。この反応は……白だろう。

 

「……先生が望まれるのであれば公安局側で犯人を探し出してみせますが、いかがされますか?」

 

“…………えっと、いくつか心当たりがあるから捜査は良いかな”

 

「そうですか……ですが、何か助けが必要であればいつでもご連絡ください」

 

“ありがとう。頼りになるね、カンナは”

 

先生にそう言われ、くちゅくちゅとダシのよく染みたちくわを噛み締めながら勢いよくウーロン茶を流し込む。耳が熱い。

 

「先生、今日の生徒たちとの交流をみていたら……誤解を受けるのもやむなしかと思われます」

 

あの後も先生の執務室には訪れる生徒が後を絶たなかった。

ご奉仕させろとせがみに来たメイド、執務室を休憩所代わりにしているサボり魔、私ともあっち向いてホイすべきと窓から乗り込んできたアビドスの生徒……。

 

「先生も大変ではないですか?たくさんの生徒に頼りにされるというのは……」

 

“全然そんなことないよ。みんなと居ると楽しいからね”

 

「……そうですか」

 

迷うこともなく即答した先生の言葉に自然と笑みがこぼれてしまう。

 

少し行き過ぎたコミュニケーションもあったように思うが、誰一人として、嫌そうにしていた生徒は居なかったのだ。

みんな先生が大好きで、楽しくて、構ってほしいから遊びに来ている。

先生はその生徒が一番喜ぶ対応を、けれど時には大人として一線を引いた対応を……そう心がけていたように思う。

 

……監視するまでもなくわかっていたことだ。

だから、この監視は完全に儀式的なものだった。それでも私は…………

 

 

先生のことがもっと知りたかった。

 

 

「先生」

 

“うん?”

 

言えばやってくれるのでしょうか。

他の生徒にやっていたような……

 

「…………い、いえ」

 

私は自分を誤魔化すようにして、コップの杯を傾ける。

他の生徒たちが……羨ましくないと言ったら嘘になる。けれど、「狂犬」と呼ばれる自分のガラではない……

 

“カンナも良かったらいつでも遊びに来てね”

 

「はい?」

 

“いや、別にこうして一緒に居るだけでも良いんだけど……”

 

“私も、もっとカンナのことが知りたいからね”

 

「ッ!……は、ハハハハッ!!」

 

全く、この人には……叶わないな……

 

「おかしなことをしたら、一生逮捕してしまいますからね?……先生」

 

そうして笑う私と先生。

 

キンとコップをかち合わせ。

 

春の提灯は、まだ燈ったばかりだった。

 

 



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