NTRゲーの竿役おじさんに転生した俺はヒロインを普通に寝取っていく (カラスバ)
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1話 物語の始まり

 先週、兄貴が亡くなった。

 

 優秀な兄貴だった。

 まさしく文武両道。

 勉学も運動も出来た兄貴はとてもモテて、現在の兄貴の妻はその時出会い付き合い始めた人だった。

 その後彼は国立の大学へと入り、優秀な成績を残し卒業。

 大企業へと就職し、これからの人生は華やかなモノとなる事はもう約束されたようなものだった。

 そんな兄貴は、妻と共に突然の交通事故で亡くなった。

 突っ込んできたトラックに身体をぐしゃぐしゃにされ、残された遺体等はとても無残なもので見られたモノではなかった。

 

 炎に呑まれただの白骨へと化していく兄貴の姿を見、しかし俺は心の中で喜びを隠せなかった。

 あの兄貴が死んだ。

 ずっと俺の事を引き立て役にした、忌々しい奴が。

 兄貴の妻に関しては同情するが、しかしそれ以上に喜びが勝っていた。

 

 ああ、まったく。

 人生というのは本当に分からないものだ。

 優秀な兄貴が死んで、愚劣だと言われ続けた俺が今も生き続けているのだから。

 

 そして二人には一人の娘がいた。

 名前を、天童桜子。

 正月に何度かあった事があったが、兄貴の妻の遺伝子が勝っていたのか兄貴の雰囲気は感じられない、とても可愛らしい女の子だった。

 その子は今、俺の家にいる。

 正確には兄貴が俺に遺した、今はもう俺のモノとなった家に。

 普通ならばこういうモノは娘に相続するような気がするけれど、まあ、細かい事はどうでも良い。

 桜子ちゃんが大人になった時、改めて遺書を書き直すつもりだったのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 

 今までアパート暮らしだった俺が今では立派な一軒家暮らし。

 そしてそこには可愛らしい女の子がいる。

 ああ、本当に俺は幸福だ。

 兄貴の幸福の証だったものは、今や俺の手の内にある。

 これを幸せと言わずに何と言うか。

 

 桜子ちゃんも、そうだ。

 あの可愛らしい女の子は、俺の庇護なくては生きてはいけない。

 それはつまり、あの子は俺のモノと言っても間違いないのではないか?

 ああ、そうだ。

 俺のモノだ。

 俺の女だ。

 

 そうと決まれば早速あの子の眠る部屋へと急ごう。

 階段を足早に昇る――

 

「あ゛」

 

 慣れない家。

 慣れない階段。

 つるりと足が滑り、身体が傾く。

 咄嗟に手すりを掴もうとするが空を切る。

 幸い俺が足を滑らせたのは階段の一段目。

 だから大怪我をする事はないだろう、けど――

 

 ドカッ!!

 

 大きな衝撃。

 脳を揺さぶられる。

 そして同時に。

 

 俺は、この世界の事を理解した。

 

「え、なに? 俺、エロゲの世界に転生したの?」

 

 呆然とそう呟く。

 しかし自身の頭の中にある情報と前世の知識を統合させるとそうとしか思えなかった。

 この世界は、特に俺の周囲は、『気づけばみんな、あいつの雌になっていた』というエロゲにとても酷似している。

 メインヒロイン、天童桜子の家庭事情など、まさにそう。

 両親を交通事故で喪った薄幸の少女。

 主人公との交流、そして恋によって一時の幸せを手に入れる――そうなるかと思われたが、しかしそれは俺の魔の手により崩れ去る事になる。

 主人公の知らないところで行われる行為。

 主人公の手から零れ落ちていくヒロイン達。

 そして最終的には――

 そんな感じの有りがちなNTR系エロゲーだ。

 

「ええ……」

 

 ヒロインの一人、桜子ちゃんと俺が一緒の家に暮らしているという事は、もうストーリーは始まっているのか?

 一応ストーリーは桜子ちゃんが交通事故に会い悲しみに明け暮れるところから始まる。

 だとすれば、ここはまさに物語の序章手前。

 まさにその時なのだろう。

 

「……」

 

 俺はゆっくりと足音を忍ばせ、慎重な足取りで階段を昇る。

 そして昇った先にある部屋の扉をゆっくりと開き、そして部屋に静かに足を踏み入れる。

 

 ベッドの中。

 そこには薄い桜色の長い髪の少女。

 天童桜子がそこにいた。

 

 この子を。

 俺は。

 

「く」

 

 笑いが零れそうになるのを必死に堪える。

 それから俺は彼女を起こさないようにゆっくり部屋を出る。

 

 リビングへと辿り着き、そこでふーと長く息を吐く。

 にやにやが止まらない。

 ああ、本当に『俺』は幸福だ。

 

 これから、あんな可愛らしい女の子を俺のモノに出来る訳だから。

 

 俺は決める。

 俺はこの世界で、原作通りの結末を目指すと。

 可愛い女の子を自分のモノにし、ハーレムを築くと。

 

 なに、きっと物語の強制力とかそういうのがあるに違いない。

 きっと俺の願いは叶うだろう。

 そのためには、まず。

 

「桜子ちゃんが起きた時、お腹を空かせてたら可哀そうだしな」

 

 お夜食作ろ。




感想などよろしくお願いします。


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2話 分からない人

 微睡みから意識が浮上する。

 目を開けると真っ暗な自室の天井が見える。

 むくりと起き上がって闇夜に染まった自室を見渡す。

 変わらない部屋。

 変わらない風景。

 だけど間違いなくこの家は変わってしまった。

 

 主を失った家。

 主が変わった家。

 この家はもはや私達家族のモノではなく、あのよく分からない男のモノとなった。

 

 いつも気味の悪い笑みを浮かべている男だった。

 媚びへつらうような、こちらの機嫌を窺っているような、何か内に秘めている事を隠そうともしない表情。

 会う機会はそうそうなかったが、それでもあまり良い印象を持っていないのは確かだった。

 

 天童武。

 よく分からない男。

 お父さんの弟らしい人物。

 

「……」

 

 今、自分は武さんの庇護下にいる。

 不安がないと言えば嘘になる。

 だけど今のところ彼には悪い事はされていない。

 とはいえ警戒を解くにはまだ時期尚早だろう。

 自分は彼の事を何一つ知らない。

 だから、行動を逐一注意する必要がある。

 もし、彼がこの家を台無しにするような人物なら、その時は容赦出来ない。

 このお父さんとお母さんが残した家はもう彼のモノになってしまったけど、だけどこの家は私達の思い出が詰まった場所なのだから。

 

「……お腹、空いたな」

 

 ふと、そんな事を思う。

 身体を壊す訳にはいかないのでちゃんと食事は取っているのだが、しかし量が少なかっただろうか。 

 もしくは最近は食事を作る余裕がなくてカップ麺などで済ませてしまっていたからなのかもしれない。

 なんにせよ、このすきっ腹は何とかしたかった。

 この時間に軽食を取るのは女の子としてどうかと思うけど、だけど空腹で眠れなくなるよりはマシだろう。

 

 そう思いながら私は部屋を出て――そして一階の灯がまだ点いている事に気づく。

 武さんはまだ起きているのだろうか。

 なにしているのだろう。

 疑問に思いながら階段を下りる。

 すると、私は香ばしい美味しそうな匂いを嗅ぎ取った。

 これは、醤油が焦げる匂い?

 

「ああ、起きたんだね桜子ちゃん」

 

 台所に足を踏み入れると、武さんはそんな風ににこやかな笑みを浮かべて私を迎え入れてくれた。

 

「……?」

 

 なんだろう。

 何か、違和感がある。

 武さんの笑みが、なんだか前より自然なモノになったような気が。

 

「えっと」

「ちょうどいいところに来たね、桜子ちゃん。ちょうど『これ』が出来そうだったから、ダイニングでちょっと待っててよ」

「あ、はい」

 

 頷き、彼の言った通りダイニングへと向かう。

 自分の定位置の椅子に座ると同時に、武さんは何かを載せた皿を持ってこちらへとやって来る。

 そして私の前に置かれた皿の上に置かれたのは――焼きおにぎり?

 しかし私の知っている焼きおにぎりとは違う。

 なんだか平べったいし、それになんだかテカリがある。

 

「これって……」

「俺特製の焼きおにぎりだよ。ちょうどホットサンドメーカーがあったから、それを使って焼いてみた」

「……なる、ほど」

「油を使って焼くと表面がバリバリになって美味しいんだ。今回はごま油を使って焼いたから香りも良いし、美味しいと思うよ」

 

 それじゃあ、食べてみて。

 そう言われた私は頷き、恐る恐る箸を使って焼きおにぎりを一口分摘み、口に含んだ。

 

 ――美味しい。

 

 素直に、そう思った。

 彼が言った通り、こんがりと焼かれた表面はぱりぱりで香ばしい。

 醤油のしょっぱさと、もしかしたら砂糖も入っているのかもしれない、微かな甘さが口いっぱいに広がる。

 初めて食べる味だけど、凄く美味しかった。

 

「おい、しいです」

「それは良かったよ」

 

 満足げに頷いた武さんは、それから少しだけ真面目そうな表情をする。

 それもまた、初めて見る顔だった。

 

「桜子ちゃん、何か困った事ややりたい事、その他いろいろ言いたい事があったら遠慮なく言って欲しいな」

「……え?」

「俺はこの家にやって来た新参者だけど、だけど桜子ちゃんよりも年上で、大人だ。君の保護者として、君の願いはある程度叶えなくてはならない義務があると、俺は思っている」

 

 彼は真剣な口調でそう言う。

 

「だから、これはお願いだ。遠慮はしないで欲しい。ある程度の事はやって上げるから」

「それは」

 

 私は。

 顔を伏せながら尋ねる。

 

「どうしてこのタイミングで、言うんですか?」

「それは、そうだな」

 

 彼はそこで真剣な表情を優しげなモノへと変える。

 

「俺と桜子ちゃんは今日から同じ屋根の下で暮らす同居人だ。こういう事は早めに言っておいた方が良いと思ったからね」

「そう、ですか」

 

 私は小さく頷く。

 武さんの言った理由。

 同居人という言葉。

 ……家族という言葉を使わず、ただあくまで一緒に暮らす関係と言ってくれた事が、私達の家族の関係を尊重してくれたようで、それが少しだけ嬉しかった。

 だけどその時は何も言う事が出来ず、私はただ焼きおにぎりを最後まで食べ切り。

 

「それじゃあ、私。もう寝ます」

 

 そう一方的に武さんに告げ、二階へ上がる。

 

「うん、お休み」

 

 最後に見た武さんの表情は、やはり穏やかで優しげだった。




星、感想など頂けると作者の励みになりますのでよろしくお願いします。


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3話 準備

 俺が兄貴のモノだった家の家主となってから一週間が経過した。

 その間に俺がした事と言えば、これから始まるであろう原作の準備である。

 いくら最強の寝取り竿役おじさんとはいえ、無策で行けば普通にアウト。

 人生のすべてを失いお先真っ暗である。

 

 なのでとりあえず先立つものとして――お金稼ぎを継続して始める事にした。

 というのもこの天童武という男、原作では兄貴の残した遺産で将来的に遊び惚ける予定なのである。

 そのために桜子ちゃんを堕としにかかるとか寝取り竿役おじさんの恥さらしだと個人的には思うのだが、まあ、原作はそうなのだから仕方がない。

 

 そんな俺、天童武が今までどのようなお金稼ぎをして生きて来たのかというと、意外な事に投資である。

 デイトレード、株、FX等々。

 働かずにお金を動かし、手元を増やしていた。

 それでちゃんとプラスになっていたのは、多分ゲーム特有のご都合主義だろう。

 実際、天童武としての知識を使いお金を動かしたところ、嘘のように手元のお金が増えていった。

 思わず嘘だろと呟いてしまうくらいに。 

 

 そして、このご都合主義は原作が終わった後も続くとは思わない方が良いだろう。

 いわゆる主人公補正は原作が終わった後、つまりヒロイン達をすべて手中に収めた後まで続かない。

 そう思って行動する。

 そのために、今から全力でお金稼ぎをする。

 幸い神は俺の味方をしてくれている。

 たった一週間でお金がうん万円も増えたし、この調子でいけば多少贅沢しても女性を侍らせながら働かずに生活出来るだろう。

 

 さて。

 そんな俺だったが、当然近所との交流も忘れていない。

 特に近所には俺のモノとなる女性というかヒロインがいるのだから。

 その人物は、隣に住む桜子の幼馴染、竜胆翔の母親、竜胆愛奈だ。

 豊かな黒髪に大きな胸。

 歳は公開されていなかったが、実際に見た感じでは40は超えていないと思う。

 彼女は、竜胆翔がまだ赤ん坊だった頃に夫を病気で亡くし、今はシングルマザーで翔少年を育てている。

 その愛奈の心の隙間に付け入り、侵入し、犯す。

 彼女自身、男に飢えているので案外コロっといきそうな気がする。

 

 後は、個人的にいろいろと機材を集めておいた。

 それはこの後、とある人物を家に呼び込む際に必要になってくる。

 その人物は一応サブヒロイン的な立ち位置の女の子で、その伝手で竜胆翔に繋がるヒロインと知り合う事となっている。

 原作では俺のマジカルな竿でにゃんにゃんして従順にさせるのだけど、しかし俺にそんなテクがあるとは思えないしなー。

 という訳で、安全策で行く事にする。

 

 彼女との出会いは、昼間の街。

 駅の前でうろうろしていればきっと出会える。

 原作の強制力とか神の導きみたいのがあればこうしているだけで彼女の方から寄ってきてくれるだろうが、しかし最初の印象というのは大事なので見た目には結構気を付ける事にした。

 まず、清潔なのは第一。

 髪をちゃんと梳かしてセットし、服はちゃんと洗って綺麗なモノを着る。

 これでイケメンとは言えないけれど、普通の気の良いおじさんには見えるだろう。

 

 それから俺はしばらく駅の前をうろうろする――までもなかった。

 すぐに彼女の方から俺の方へとやって来た。

 彼女はゲームで見た通りの格好、つまり学校の制服の上にパーカーを羽織るという格好をしていた。

 ふわっとした金髪に碧眼。

 どちらかというとギャルっぽい見た目の少女は俺に対し上目目線で甘えるような口調で話しかけてくる。

 

「ねえ、おじさん? ちょっとぉ、私。おじさんにオネガイがあるんだけど」

 

 俺はそんな彼女を見、頬が緩まないように気を付けつつ朗らかに答える。

 

「なんだい?」

「あのね、実は財布を忘れちゃって。だからちょっと融通してくれるとありがたいんだけど」

「そうなのかい?」

 

 如何にも驚いたような口調で俺は言う。

 

「それは大変だ。いくら必要なんだい?」

 

 その言葉を聞き、少女は待ってましたと言わんばかりの表情をする。

 

「これくらい、かな?」

 

 指を開いた手をこちらに見せてきて、それから。

 

「おじさん。イケメンだから、それくらい出してくれたら私もオレイ、してあげるよ?」

「なるほど」

 

 俺は少し迷ったように間を置いた後、言う。

 

「それじゃ、おじさんとお茶に付き合ってくれないか?」

「へ?」

 

 少しだけ驚いたような表情をしたのち、彼女は「お、おじさんがそれで良いなら」と答えてくる。 

 まあ、そう答えるだろう。

 彼女は今、何よりお金が必要なのだから。

 

「じゃあ、行こうか」

「う、うん」

 

 厄介な人に話しかけてしまったかな?

 そんな表情をする彼女の前を歩く。

 今に見ておくと良い。

 俺がいないとダメな身体にしてあげるからな?




モチベに繋がるので、感想などよろしくお願いします。


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4話 夢の罠

 私には夢がある。

 

 だけどこのご時世、夢を叶える為にはそれ相応のお金が必要で。

 

 馬鹿な私は、だからそんな風にお金を稼ごうと思ったんだけど。

 

 だけどなんだか、変な事になってしまったぞ?

 

 

  ◆

 

 

「ここの喫茶のコーヒーは豆から挽いていてね、それに結構良い奴を使っているからとても美味しいんだ」

「へ、へえ?」

 

 彼女は明らかに愛想笑いと分かる表情をしている。

 うん、まあ。

 どうせ「おっさんのコーヒー語りなんて聞きたかねーよ」とか思っているのだろう。

 気持ちは分かる、俺も同じ立場ならそう思うだろうし。

 彼女はあくまで、お金が欲しいだけなのだから。

 

 彼女――日乃本朋絵。

 ゲームでは一番最初にプレイヤーが見る事となるエロシーンのキャラクター。

 その時点ではただの『少女A』としか出てこないが、後々彼女がそのような名前だという事が判明する。

 

 彼女はまあ、手っ取り早くお金を稼ぎたくて俺と接触し、その結果天童武の都合の良いオンナとなり、桜子ちゃんを中心とするヒロイン達の情報を収集してくる便利キャラとなる。

 無論、俺もそうするつもりだ。

 だってそうしないとヒロインをコンプリート出来ないからね。

 

「それで、お小遣いの事だけど」

 

 ここは喫茶店なので、あえてそのように言う事にする。

 そして朋絵ちゃんは俺のその言葉を聞くなりぱっと表情を明るくする。

 どうやら彼女は相当面倒事が嫌いなようだった。

 そういう欲に忠実なの、嫌いじゃない。

 ただ、今回はそうはいかない。

 これから始まるのは、ちょっとした尋問タイムだ。

 

「それで君は、何をするつもりなんだい?」

「……私の話、聞いてなかった? 財布忘れちゃったから、その分をちょっと貰いたいなーって」

「それでそんなには必要ないだろ。君のような年頃の子が、そんなに持ち歩いている筈がない」

「……なに、説教?」

 

 朋絵ちゃんはあからさまに不機嫌そうな表情をする。

 まあ、お金を貰えると思って付いてきたのに、説教を始められたとなっちゃあそんな反応になるのも分かる。

 そもそも大人からの小言ほど嫌なモノはない。

 

 だけど、今はこちらから大きく踏み込ませて貰う。

 

「絵描きになる夢を叶えるため、だろ?」

「……!?」

 

 ガタッ、と彼女は椅子ごと距離を取り、驚き警戒を露にする。

 

「……どうして」

「実に簡単な事だよ――君の左手、利き手だろうね。その中指にペンだこが出来ている。更には右手の脇が若干黒色に染まっていた。それらは絵を描いている人間の特徴だ」

 

 なんか探偵みたいな事を言っているが、実際は原作知識である。

 

「それで、私がイラストレーターになりたいって思ったの?」

「まあ、漫画家とかそういう線もあったけど、流石にそこまでは分からないから、ここは多少ぼかして絵描きって言い方をさせて貰った」

「あー……」

「それから、お金が必要な理由も言って上げようか? 恐らくは、デジタル作画をしたいんだろ?」

「……正解」

 

 お手上げと言わんばかりに肩を竦めて見せる朋絵ちゃん。

 

「私、将来はイラストレーターになりたいって思ってるの。それで、機材を買いたいんだけどどれもすっごく高くて」

「分かるよ。専門機器は基本的にどれも高い」

「……笑わないの?」

「何故?」

「イラストレーターなんて、食っていけるかも分からない、才能も必要でなれるのは一握りの人間だけって、そんな風に思わない?」

「思わないさ」

 

 俺は大まじめに言う。

 

『馬鹿だな』

『兄はあんなにも優秀なのに』

『そんなのなれる筈もないだろ』

『現実を見ろ』

 

 ああ、そうだ。

 きっと『天童武』も不承不承そう言うだろう。

 

「人の夢を、笑ったりはしない」

「……おじさん、良い人だね」

「良い人ではないさ。良い人ならばこんなところにわざわざ連れてこないでその場で説教をしている」

「はは、それもそうだ」

 

 はー、と大きく息を吐く朋絵ちゃん。

 彼女は疲れたように言う。

 

「お父さんもお母さんも、おじさんみたいに物分かりが良い人だったら良いのに」

「上手くいっていないのかい? もしくは、夢を諦めろとか言われたのか?」

「それが普通だよ。心配されているのは分かってる。だけど、私としては夢を応援して欲しいとも思っちゃうの」

「まあ、それもそうだな」

「だから、お願いしても機材のお金は出してくれなくて、だから自分で何とかしようと思って。だけどアルバイトはしちゃいけないって。そうこうしている内にネットを見れば同年代の子はどんどん上達しているってのが分かって」

「だから、なんだな」

 

 何を、とは言わない。

 きっと彼女にとっても苦渋の選択だったのは確かだ。

 それであの慣れたような感じを出していたのは凄いとしか言いようがない。

 とはいえ、詰めが甘くもある。

 

「だけど、例え俺が素直にお金を渡していたところで、多分機材は買えなかったと思うぞ?」

「え?」

「だってお金の出所は絶対聞かれるだろ」

「あ」

「考えなかったのか、そう言う事は?」

「……全然」

「後はまあ、間違ってもこういう事はしないように」

 

 まるで立派な正しい大人みたいな事を口にする。

 

「俺もそこまで良い人間とは思わないけれど。こうして未成年の君を喫茶まで連れてきているからな。だけど、俺以上に悪い奴は山ほどいる」

「……説教?」

「夢を叶えたいってのは分かる。だけど、行動の言い訳に夢を使うのは、良くないって事を言いたいな」

「それは、うん。そうだね」

 

 そう言う彼女はどこか諦めたような表情をしていた。

 

「うん、分かったよ。私も薄々分かってた。自棄になってこんな事に手を出したけど、こういうのはホントは悪い事だ」

「自覚は、あったんだな」

「夢を現実への逃避の理由にしてた。それは多分、一番の夢への裏切りだった」

「それじゃあ」

「うん。私、夢は夢のままにしておく事にするよ。そうすれば――」

「まだ、そんな風に思う段階ではないと思うな」

 

 そう言い、俺はカップに入ったコーヒーを一息に飲み干し、にやりと笑う。

 ああ、そうだとも。

 俺は決して良い人間ではない。

 

「なあ、君。時間があるなら、俺の家に来ないか?」

 

 こうして、彼女を家にまで連れ込もうとしているのだから。



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5話 夢への一歩

 おかしい事になったというのは最初から思ってはいたけど。

 これは本当に本格的におかしくなった。

 

 今日初めて出会った男にお金を強請り。

 それで説教染みた事をされたと思ったら、気づけばその彼についていっている。

 

 状況をオカシイと思う心はあった。

 不審に思う感情は残されていた。

 だけど、何故か。

 私は吸い寄せられるように彼の後を付いて行く。

 歩き。

 歩き。

 歩いて。

 そして――

 

「ここが、俺の家だ」

 

 ようやっと辿り着いたその場所。

 家の標識には『天童』と書かれていた。

『天童』。

 どこかで見たような気がするけど、まさかね。

 

「じゃ、上がってくれ」

「あ、うん」

 

 先行し扉を開けてくれる彼に続き、私はおっかなびっくり家の中に入る。

 大きな家だ。

 少なくとも、彼一人で暮らすにはあまりにも広い大きさだ。

 もしかしたら同居人がいるのかもしれない。

 しかし玄関には靴が一足も置かれてなくて、なんだかちょっとだけ違和感があった。

 まるで最近、すべてをきれいさっぱり撤去したような、そんな感じ。

 とはいえそれは彼の事情。

 ツッコむ必要はないだろう。

 

 それから私は彼に続き家の中に侵入する。

 リビングを通り過ぎ、階段を昇り、そして二階の一室の扉の前へ辿り着く。

 彼は「ここだ、ここ」と言って扉を開け、それから私に入るよう指示してくる。

 私は恐る恐る部屋の中に入り、そして目を見開く。

 だって、そこにあったのは――

 

「うわぁ」

 

 パソコン。

 当然のようにデスクトップパソコン。

 いくつものモニターがあって、なんだかSFのロボットのコックピットみたい。

 椅子はゲーミングチェアだろうか。

 座り心地が良さそうだ。

 そして何より、私の目を引いたのは。

 

「え、液タブだぁ……」

 

 液晶タブレット。

 十数万円はする、絵描きなら誰しも憧れる垂涎の一品。

 それがデスクの上にでん、と置かれていた。

 

「え、ええ。おじさん、ええっ!?」

「語彙力が低下しているぞ」

「え、おじさん。こういうのを持っているって事は、もしかして実は絵描きさんなの?」

「いや、残念ながらこれらは趣味のモノなんだ。実力はまあ、そんなない」

 

 でも、パソコンは確かに使われた形跡があるし、もしかしたら案外私の先輩なのかもしれなかった。

 それが分かっただけでも、なんだか彼との精神的な距離が近づいた気がする。

 

「これらを、ここにいる間、君に使わせて上げても良い」

「え、良いの!?」

「ただし、条件がある」

 

 彼は至極真面目な表情で私に問いかけてくる。

 

「まず、一つ。学校にはちゃんと行く事。学業は大切だからね」

「それは、……」

「約束出来るか?」

「う、うん。分かった」

 

 今日は平日。

 制服を着てあんな場所をうろついていたのだから、学校をさぼっていた事はすぐに分かった事だろう。

 

「もう一つ、ここに来るときは、親には嘘を吐いても良いから黙って家を出るって事はしない事。せめて、友達の家に行くって事にしなさい」

「え?」

「それだと心配するだろう、親御さん」

 

 それもそうか。

 私は再度頷く。

 

 それから、最後に。

 と彼は言う。

 

「夢を諦める事になっても、最後まで頑張る事」

「……」

「挫折する事も、頓挫する事も将来的にあり得るかもしれない。でも、その可能性が見えた時も最後までやり切る事。それを約束して欲しい」

「……うん、分かったよ」

 

 私はしっかりと頷く。

 

「最後まで、諦めない。絶対に、イラストレーターになるって、私は決めたんだ」

「それなら、うん。俺も安心してこれを使わせてあげられるよ」

 

 にこり。

 そう微笑む彼は私に手を差し出す。

 これは――握手という事だろうか?

 私も同じく手を差し出し、彼の手を握る。

 

「天童、武。そう言えば、自己紹介がまだだったよな?」

 

 ああ。

 そういえば。

 うっかりしていた。

 我ながらおかしな話だ。

 名前も知らない人について行くなんて、警戒心の欠片もない。

 だけど、結果から見れば、これは夢に一歩前進したと見て良い。

 夢を叶えるチャンスをくれた。

 その事に感謝をしつつ、私も彼に名乗る事にする。

 

「私は、日乃本朋絵。朋絵って呼んで?」

「ああ、朋絵ちゃん。よろしくな」

 

 そうして私達はぎゅっと固く握手を交わす。

 それが私達の出会い。

 夢への一歩を踏み出した、その瞬間だった。



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6話 歪み

 歯車は微かに、しかし確かに軋み始める。

 その始まりは、恐らく『天童武』の中の彼が目覚めた時からだろう。

 物語を表面上はなぞってはいるものの、やっている事はなんだか違う。

 そも、本来の彼女、日乃本朋絵が彼の家にやって来るのは本来もっと先の筈だった。

 何故なら――その危険性を本来の彼は理解していたからだ。

 しかし今の『天童武』はその危険性を理解した上で、彼女を家に招き入れた。

 そうするのが最も彼女の心を掴むからと信じていたからだ。

 その予想は間違いではなく、今の彼女は間違いなく天童武の事を信じている。

 心酔とまではいっていないが、信頼出来る一番の男として彼の事を思っている。

 

 とはいえ、この違いは大きい。

 そして、この違いによる変化は物語に大きな変化をもたらす。

 

 

  ◆

 

 

「ねえ、武さん。もしかしてこの家に武さんのお友達を連れ込んでいるんですか?」

 

 そう尋ねてきたのは、朋絵ちゃんがこの家を訪れイラストの創作を始めてから一週間経ってからだった。

 その間に彼女は放課後になると家にやってきて一時間から二時間ほど絵を描いて、それから家に帰っている。

 いや、帰らせていると言うべきか。

 彼女にも家があるし、何よりこの家には桜子ちゃんがいる。

 彼女は今、受験勉強の為に塾に通っている。

 そのため毎日7時過ぎにならないと帰ってこない。 

 その間に、正しく鬼のいぬ間に洗濯って感じで彼女を家に入れてイラストを描かせているのだが。

 多分、桜子ちゃんは何かでその事を感づいたのだろう。

 

「……」

 

 さて。

 ここは正念場だ。

 ここで答えを間違えれば一発で桜子ちゃんからの信頼を失う事になる。

 ここで一番やってはいけないのは、「お前には関係ない」と突っぱねる事だ。

 この家は俺のモノとは言え、その家を好き勝手に使われるのは彼女にとってもいい気はしないのは間違いない。

 なのでここは、素直に誠意をもって、だけど重要な事はぼかして答えるのが、正解だ。

 

「ああ、ちょっとな。桜子ちゃんがいない間、友達をこの家に呼んでいる」

「それは、遊んでいるって事ですか?」

「いや。パソコンを使わせている。その子はちょっと、家の事情でパソコンを持っていなくてね」

「その子?」

 

 さて、次に彼女がこちらに尋ねてくるのは、「もしかして年下の人なんですか?」みたいな事だろう。

 

「その子って、もしかして武さんよりも年下っていうか、もしかして学生さんなんですか?」

 

 ほら、やっぱり。

 学生というところまで当ててくるのは、やはり彼女は勘が良いというかなんというか。

 さて、ここで俺が彼女に伝える情報は、どうやって朋絵ちゃんと知り合ったかだろう。

 まさか、彼女との出会いをそのまま伝える訳にはいかない。

 そしてそこら辺は既に彼女と打ち合わせしてある。

 

「実は、ツブヤイター……ツブヤイターは分かるかい? 桜子ちゃん」

「ええ、それは分かりますけど」

「それで最近、仲が良くなった奴とオフで会おうって話になってね。それで知り合った子なんだよ」

「そう、だったんですか。私はそこら辺詳しくないですから何とも言えませんですけど、そういう交流というのもあるんですね」

「うん。それで、その時その子の悩みを聞いてね。パソコンの、それこそ俺の部屋に置いてあるようなパソコンじゃないと出来ない事をしたいらしくてね。それで、折角だから試しに家に連れ込んで使わせてみたら、そしたら結構才能があるみたいで」

「という事は、もしかしてその人は絵描き志望ですか? 私、武さんの部屋はまだ覗いた事がないですけど、学生が性能が良いパソコンでやりたい事っていうとデジタル作画くらいしか思いつきません」

「桜子ちゃんは話が早くて助かるよ」

 

 本当に。

 勝手に納得してくれるから、こちらとしては吐く嘘が少なくて済む。

 

「……話は、分かりました」

「そうか」

「ですが、ちょっと気になった事があります」

「ん?」

 

 ……ん?

 なんだか、雲行きが……

 

「これ、何ですか?」

 

 そして桜子ちゃんが取り出した物。 

 それは。

 

「……プリン?」

 

 しかし問題はパックの蓋にあった。

 

「なんかこれ、マジックか何かで『ともえちゃんの♡』って描いてるんですけど。もしかしてその子って女の子なんですか?」

 

 おっとぉ?

 なにやってんだあいつ。

 いやまあ、最終的にその事は伝えなくてはならないとは思っていたけど。

 ちょっと段階が早過ぎないか。

 桜子ちゃんもあからさまに不機嫌そうな表情をしているし。

 もしかして、ていうか間違いなく俺が無断で女を連れ込んだ事に対して腹を立てている。

 そりゃあそうだ。

 この家を勝手に都合の良い逢瀬の場として利用されれば、イヤと思うのも無理はない。

 こちらの推定していた流れとしては、もうちょっと桜子ちゃんと仲良くなってからさりげない感じで朋絵ちゃんの事を紹介するか、もしくは彼女の描いたイラストを見せ、朋絵ちゃんの才能を嫌というほど語った上で紹介するかのどちらかをしようと思っていたのに。

 今、俺は桜子ちゃんとそこまで仲が良くなっている訳ではないし。

 今、手元に朋絵ちゃんの描いたイラストがある訳でもない。

 ああ、いや。

 パソコンにデータがあるし、それを見せるか。

 そう思い声に出そうと思ったが、しかし桜子ちゃんに先を越される。

 

「会わせてください」

「……え?」

「その、ともえちゃんとやらに。この家の住人として、それを知る権利が、私にはあると思います」

 

 これは。

 ……イヤとは、言えないよなぁ。

 

 




少し違和感がある箇所があったので訂正しました。


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7話 そして二人は対面する

おかげさまで日間ランキング一位を取る事が出来ました。

ありがとうございます。


 元々は。

 朋絵ちゃんと桜子ちゃんが出会うのは物語の中盤である。

 その頃の二人は『天童武』による手練手管により完全に骨抜きにされていて、もはや俺の操り人形と言っても過言ではない状態になっている。

 そこで『天童武』は朋絵ちゃんを家に招き、桜子ちゃんと一緒に……というのが本来の物語の流れだった。

 だが、今。

 物語の流れをだいぶ無視して事態は進行している。

 一体どうなってしまうのか。

 俺にも分からない。

 ただ、一つだけ分かるのはここを切り抜ければだいぶ俺としてもやりやすくなるという事だ。

 朋絵ちゃんの存在をわざわざ隠す必要がなくなる訳だから、それは俺にとってとてもありがたい。

 まあ、切り抜けられれば、だけど。

 

「……」

「……」

 

 そして今。

 二人は机を挟んで顔を見合わせている。

 朋絵ちゃんと桜子ちゃん。

 この状況で面倒なのは、二人は実は知り合いかもしれないという事。

 原作ではあまり語られてはいないけれど、二人は同じ学校に通っている。

 だから知り合いではなくても顔を合わせた事ぐらいはあるのではないか。

 

「やっぱり」

「……」

「天童って名前でまさかとは思ってたけど、こんな偶然ってあるんだね」

「私は貴方の事、知りません」

「私は一方的に知ってる。それだけだよ天童さん」

 

 どうやら、朋絵ちゃんは桜子ちゃんの事を知っているけど、逆に桜子ちゃんは朋絵ちゃんの事を知らないみたいだ。

 

「それで」

「ん?」

「貴方と武さんって、どんな関係なんですか?」

「んー?」

 

 と、朋絵ちゃんは首を傾げて見せる。

 

「私と武さんがどんな風に知り合ったとか、そこら辺は聞かないの?」

「そこははっきり言ってどうでも良いです。どうあれ既に終わってしまった事を今更聞いたところで意味はないですから」

「ふーん」

「で、どうなんです?」

「武さんは私の夢を応援してくれて、それでいろいろ手助けしてくれる人。ただそれだけだよ」

「そう、ですか」

「……それだけ?」

 

 やけに物分かりの良い感じな桜子ちゃんに朋絵ちゃんは不思議に思ったのだろう。

 眉をひそめる彼女に対し、桜子ちゃんは「まあ、ある程度は分かっていた事でしたから」と言う。

 

「そもそも、武さんがこの家に上げても良いと思った人間なんですから、そこまで悪い人間ではないのは分かっていました」

「……ふーん。信頼しているんだね」

「したいと思っています。ただ、貴方に関しては結構良い性格をしていると思っていますが」

「そう褒めないでよ、照れる」

「それはそうと、朋絵さん。貴方、イラストレーターになりたいようじゃないですか」

 

 桜子ちゃんの言葉に朋絵ちゃんは露骨に嫌な表情をする。

 

「そうだけど。それが、どうかした?」

「私にも見せてみて下さい。パソコンの中に保存されたデータはありますよね?」

「あるっちゃあるけど、どうして?」

「私はこの家の住人として、貴方がこの家に来てただ遊び惚けているだけじゃないか確かめる権利があります。分かりますよね?」

「イヤって言ったら?」

「イラストレーターを目指している癖に人に自分の絵を見せられないとか、その程度の夢なんだなと思いますね」

「はは、やっすい挑発だね」

 

 しかし朋絵ちゃんの顔は引きつっていた。

 どうやらその言葉に腹を立てたようだ。

 

「良いよ、見せて上げる。良いよね、武さん」

「ん?」

「一応武さんの部屋じゃん。確認を取った方が良いかなって」

「あ、ああ」

「良いって」

「貴方に言われるまでもなく、聞こえています」

「じゃあ、行こうか。武さんも、ほら」

「分かった」

 

 頷き、俺は二人の前を歩き自分の部屋へと移動する。

 部屋に入ると桜子ちゃんは部屋の中をきょろきょろと興味深げに見渡す。

 彼女は俺の部屋に入るのは初めてなので、いろいろと新鮮なのかもしれない。

 そんな彼女を無視し、朋絵ちゃんはパソコンをさっさと起動させて、そしてフォルダから自分の描いたイラストを大画面で表示させる。

 あれは、確か彼女が一番傑作と言ってた奴だろうか?

 

「ふむ……」

「どうよ」

 

 自信満々の朋絵ちゃんに対し、桜子ちゃんは極めて冷静に、

 

「なんか不自然に片手が隠れていますね」

「むぐ……」

「あと、なんかキャラクターが直立していて躍動感がありません。そういう絵なんですか?」

「う……」

「ていうか、何ならデッサン崩れが起きている気がします。反転すれば分かると思いますが、まさか敢えてそうしたとは言いませんよね?」

「お、ぐ……」

「あと、なんか見た感じどこかで見たような絵柄ですね。もしかしてこれ、模写ですか?」

「お前言ってはならん事をーっ!」

 

 朋絵ちゃんは泣いた。

 いや、実際には泣いてはいないけど、心の中では泣いているように見えた。

 そんな彼女を見て、桜子ちゃんは「はあ」と嘆息して見せる。

 

「別に下手とは言いませんよ? 筋はあると思います。ですが、そのイラストの状態でイラストレーターになりたいって言うのならば、まあ、大言も甚だしいですね」

「こ、これから上手くなるし?」

「なら、もっと努力しなさい。この家でなくても出来る事は沢山ある筈です。デッサン、クロッキー、アナログでもいろいろと勉強が出来ます」

「だけど」

「ん?」

「貴方の言う事は、正しいよ。反論のしようがない。だけど、折角こうして環境を与えて貰ったから、この環境で出来る事をしたいんだ」

「そう、ですか」

 

 朋絵ちゃんの言葉に桜子ちゃんは再度「はあ」と息を吐く。

 

「さっき言った通り、貴方はまだ未熟ではありますが、しかし筋はあると思います。だから、それを潰さないよう、努力しなさい」

「それは、分かってるよ」

「ですが、ぬるま湯に浸かった状態でやっていては緊張感がありません。なので、ここは目標を決めましょう」

「目標?」

 

 きょとんとする朋絵ちゃんに桜子ちゃんは、

 

「学園祭。11月に学園祭がありますよね」

「ああ、そういえば」

「それのパンフレットの表紙の公募があった筈です。それに応募して、採用される事を目標としましょう」

「それは」

「自信がないのですか?」

「な、ない訳じゃない。ただ、いきなり過ぎてびっくりしただけ」

「なら、それで大丈夫ですね?」

「ん。分かったよ」

 

 朋絵ちゃんは決意に満ちた表情で言う。

 

「この家に来ている間はデジタル作画を頑張って、それ以外ではアナログで出来る事を勉強する。そして、目標は、学園祭のパンフレットの表紙」

「学業も頑張りなさい?」

「わ、分かってるってば」

「そう。では、良いでしょう。貴方の事を、私は認めます――良いですよね、武さん」

 

 こちらを見る桜子ちゃんに俺は「ああ」と頷く。

 なんにせよ、朋絵ちゃんがこの家を訪れる事を桜子ちゃんは許容してくれたようだ。

 良かった良かった。



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8話 私の思い

「ほら、桜子ちゃん。これ」

 

 武さんから渡されたのは、一枚の1000円札だった。

 唐突だったので彼の真意がまるで分からず、なので私は目を丸くして「これは?」と尋ねる事にした。

 

「ああ。これはお昼代だよ。これを使って好きに弁当でも買うと良い。確か、桜子ちゃんの通う学校、購買があったよな?」

「ありますけど、えっと。え、これで食事を買えって事ですか?」

「うん。そう言うつもりだけど。俺が作るような弁当は食べたくないだろ? 男の作る弁当って得てして彩りのない奴になるし、そういうのは女子高生が持っていくようなものじゃない」

「い、いえ。別にそんな事は……」

「そう遠慮しなくて良いよ――ああ、そうだ。余った分は桜子ちゃんのお小遣いにして貰って良いからな?」

 

 そんな風に言われてから一週間以上が経過した。

 仕方ないので私はその1000円の内、400円くらいを弁当代にし、後は貯金に回している。

 いつかは返すつもりだ。

 だけどきっと、武さんはそれを受け取ってはくれないだろう。

 頑なな人だから。

 

「はあ……」

「どうしたんだ?」

 

 と、尋ねてくるのは私の幼馴染、竜胆翔だ。

 彼とは何となく長い付き合いで今も何となくで昼休み、食事を共にしている。

 仲が悪いという訳ではない、しかし良い訳でもない、微妙な関係。

 

「いや、ね。うちのおじさん――良い人なんだけど、良い人だからどう付き合っていけば良いのかちょっと分からなくて」

「なんだか贅沢な悩みだな」

「それはそう、だけど。こちらとしては結構な悩みなんですよ」

「そういうもんか」

「そういうもんなんです」

 

 何となく、彼と私との間には距離があるように感じる。

 意図的に距離を取られているように感じるのだ。

 それはきっと、私の事を大事に思っているからこそなのは分かる、だから歯がゆいのだ。

 

「それにしても、桜子」

「なんですか?」

「前は凄く暗そうな表情をしてたけど、最近はちょっと明るくなったよな」

「?」

「あー、その。ご両親の事だよ」

「……」

 

 ………………

 

「ご、ごめん。こんな事、言うべきじゃなかったな。デリカシーに欠けてた」

「いえ、気にしませんよ」

 

 ふう、と息を吐いて、それから昼ご飯のメロンパンを包装していた紙を丁寧に畳んだ私はそれをゴミ箱に持っていく為に立ち上がる。

 

「そういえば、翔。貴方は文芸同好会には顔を出さないのですか?」

「あー、そうだな。ゴメン、行ってくるわ」

「ええ。行ってらっしゃい」

 

 そう言い、弁当を仕舞い立ち去る彼の背中を見送った。

 やれやれと思う。

 なんだかんだ言って彼はまだまだ子供だな。

 そんな風に親のように思ってしまうのは、きっと彼と同じ時を共にし過ぎたからだろう。

 男としては見れない。

 

「……」

 

 では、男として見れる人物は。

 

(そんな人は、)

 

 いないけど。

 だけど気になる人がいない訳でもなかった。

 

 

  ◆

 

 

 放課後、塾でみっちり勉強をし終えた後、家に帰る。

 電気はついているので、いるであろう武さんに向かって「帰りましたー」と玄関口で挨拶をすると、珍しく今日は彼からの返事が返ってこなかった。

 あれ、と思い私はリビングへと移動し、そこで武さんを発見する。

 

「あ……」

 

 彼はソファの上で眠っていた。

 テレビが点いたままになっているところから察するに、いつの間にか眠っていたのかもしれない。

 

「……」

 

 私の事を待ってくれていたのだろうか。

 だとしたら、嬉しく思う。

 だって――

 

(だって?)

 

 なんだというのだろう。

 とりあえず私はテレビの電源を切り、それからキッチンへと移動する。

 そこで牛乳を飲むために冷蔵庫を開き、

 

「……ん?」

 

 それを見つける。

 プリン。

 変哲のないプリン。

 だけどその蓋に書かれている文字。

『ともえちゃんの♡』。

 

「これ、は……」

 

 誰だ?

 私はまだ眠っている武さんの方を見る。

 この家にあった女の痕跡。

 それを招いた人間がいるとすれば、彼しかいない。

 だとしたら、

 

 

『今日はこの娘と――』

『口煩くするな――』

『――俺達は選ばれた――』

『――なんの間違った――』

『――お前もまた選ばれた人間だ』

『――あいつとは違って』

 

『僕の弟、天童武』

 

 

「……ッ、はぁっ。はぁっ!」

 

 気づけば私はその場でしゃがみ込み息を荒くしていた。

 ふらふらと立ち上がり、息を整える。

 さっきのは。

 ……いや、思い出すのは止めよう。

 私は大丈夫。

 だいじょうぶ。

 私は、平気だ。

 

 だって私は、ユウシュウナニンゲンナノダカラ。

 

「……」

 

 私はリビングへと移動し、武さんの顔を見下ろす。

 顔は口と口が触れ合いそうなほどに近く。

 きっと、彼が目を覚まし衝動的に身体を起こそうとしたら、きっと。

 

「……」

 

 安らかな寝顔だ。

 ああ、それは。

 とても羨ましい。

 

 なんて、普通な表情。

 

「はぁ……」

 

 私は溜息をしてその場から立ち去る。

 今日は疲れた。

 もう寝よう。

 プリンの件は、後日改めて彼に尋ねるとする。

 

 私に対して露骨に警戒心を抱かせようとするかのようなモノを残した相手に対しては少々腹が立ったのは間違いなかった。

 

 ただ、不思議と彼に対しては不信感を覚えてはいなかった。

 

 



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9話 日乃本朋絵の悶々

「武さんさー」

 

 カシャカシャと。

 いや、実際にそんな音はなっていない。

 どちらかというとぴろんぴろんだ。

 私はスマホを使って自分の手の写真を沢山取りながら、ベッドに腰掛け何やらタブレットを弄っている彼の名前を呼んでみる。

 

「なんで手の写真なんか撮ってんだ?」

「いや、イラスト描く時の参考にするために。やっぱり写真で見るのが一番だからさ」

「なるほど」

「それで、武さんさー。ちょっと気になった事があるんだけど」

「なんだ?」

「天童さん……桜子さんのご家族って、もう亡くなってるんだよね?」

「本人から聞いたのか?」

「うん、そう」

 

 私から聞いたというのは言わない方が良いだろう。

 デリカシーのない質問だし、そんな事を言ったとなれば間違いなく小言を言われる。

 それに、こんなところで彼からの好感度を下げる訳にはいかない。

 ……恩人であり協力者である武さんに嫌われるのは嫌だから。 

 それだけだ、うん。

 

「それでさ、思ったんだけど。桜子さん、あまり態度変わらないよね」

「うーん?」

「いや、ほら。やっぱりショックを受けてそうだけど、何と言うかあまりそういう雰囲気を出していないというか。だから学校でもあの人の家族がそんな目にあったって事を知っている人、全然いないし」

「本人がいないところでこんな事を話すのはなんだかと思うけど、だけど結構本人は気にしていると思うよ。その、雰囲気が出てないってところは俺にはよく分からないけど」

「あれじゃない? 親しい人の前だから、みたいな」

「……え?」

 

 よく分からないと言ったようにきょとんとする武さんを見て私は苦笑する。

 

「武さんの事、桜子さんは結構信頼していると思うよ。だから、無防備な素の姿も見せると思うし」

「そうか」

「だからちょっと、うーん」

「どうかしたか?」

「ああ、うん。何でもない」

  

 悩んだようなそぶりを見せる私に対し、武さんは少し心配するような表情を見せる。

 ずるいなぁ、そんな風な顔をするのは。

 反則だよ。

 

「と、ともかく。桜子さんってあまり感情を表に出さない、隠し通すタイプだから、武さんはちゃんと見てあげてねって話」

「それは、うん。分かっているよ」

「後はまあ、武さんもあまり無理しないでねって事」

「俺が? 何を?」

「いや、ほら。武さんって桜子さんの保護者になりたてじゃん? だからその事で必死になるあまり無理して頑張っちゃいそうだから。武さんってどちらかと言うとそう言うタイプな気がするから」

「別にそういう人間ではないけれど、まあ。忠告はありがたく受け取っておくよ」

 

 にこりと微笑んでくる。

 ああ、くそ。

 そういうのもずるいよ。

 そんな風に優しい笑顔を向けてくれるなんて、最近では両親もしてくれないのに。

 特別に思っちゃう。

 特別に思ってくれてると勘違いしちゃう。

 ああ、でも。

 私は素直じゃないから、私は心のドキドキを抑えるように敢えてにやにやとした笑みを浮かべつつ立ち上がって部屋を横断し、

 

 ぽすっ。

 

「ん?」

「んっふふ~」

 

 彼の膝の間に収まった。

 

「……何やってんだ、朋絵ちゃん?」

「何って、武さん。美少女が近くにいるんだから、もっと可愛い反応してよ。ほら、ぐりぐり~」

 

 と、後頭部を彼の胸元に押し付ける。

 やばい。

 や、ヤバい。

 何やってんの、私。

 正気に戻れー、私。

 だけど私が頬を上気させながら、後戻りをするキッカケもなく、そのまま頭をぐりぐりとさせ続け――

 

「……」

「……? 武、さ――」

 

 急に静かになった武さんを心配するよりも早く、私の身体が宙に浮かぶ。

 武さんに腰を掴まれ、そして強引に持ち上げられたのだ。

 そして私はベッドの上に優しく落とされる。

 寝かせられる。

 目をぱちくりとさせる私。

 彼の顔が、すぐ近くへとやって来る。

 うそ。

 嘘。

 どうなってんの……!

 私は身体を抱き寄せきゅっと目を瞑り――

 

「……?」

 

 そしていくら経っても『それ』とか『あれ』が来ない事に「おや?」と思い目を開ける。

 

 ぺしっ。

 

「あだっ」

 

 額に痛み。

 何をされたのかは分かった。

 デコピンだ。

 武さんからデコピンされた。

 

「な、なにすんのー!」

「馬鹿な事をしたから、お仕置きだ」

 

 彼は少し厳しい表情をして言う。

 

「そんな風に男を誘惑するような事をするのは、例え親しい仲でも止めなさい」

「う……」

 

 イヤ。

 ような、じゃないんだけど。

 とは、言える状況ではなさそうだ。

 そして勘違いして熱くなった頭がすっと冷たくなっていく。

 

「……」

 

 私は黙って起き上がり彼の横を通り過ぎ、

 

「反省するためにちょっと一人になってくる……」

 

 部屋を出て行こうとし、ふと気になった事があって振り返る。

 

「ねえ、武さん」

「なんだ?」

「もし、もしだよ。私に『そういう気』があって行動に移ったとしたら、どうする?」

「それは、そうだな」

 

 彼は少し考えるそぶりを見せる。

 それから、

 

「その時は、ちゃんと茶化さず真摯に対応するよ」

「……そっか――って!」

 

 ず、と。

 彼が一息で距離を詰めてきて。

 気づけば再び、彼の顔が近くにあった。

 耳元で囁くように、武さんが言う。

 

「……未熟な果実でも、俺はちゃんと最後まで食べるつもりだよ」

「~~~~っっっっ!!!!」

 

 顔がまた熱くなる。

 彼の言葉の真意は分かる。 

 分かる、から!

 

「ッ、お水飲んでくるっ!」

 

 急いで私は離脱する。

 ばたんと扉を閉める事すら忘れ階段を下りる。

 

「もう、もうっ!」

 

 大人って本当に、ズルい!

 



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10話 竜胆愛奈との邂逅

試し描きで桜子ちゃんを描いてみました


【挿絵表示】



なお、現在の桜子ちゃんはこんなに明るくはない模様。


「やっちまったー……」

 

 翌日まで俺は昨日やってしまった事を後悔していた。

 昨日あった事というと、朋絵ちゃんをベッドの上に押し倒しかけた事とか、その後に彼女に言った事とか。

 なんだかいけそうな気がしてあんな行動をしてしまったが、思い出してみると完全にキモチワルイおっさんだ。

 実際朋絵ちゃん、逃げるように家から去っていったし。

 あー、絶対好感度下がっただろ。

 俺の夢のハーレムが遠のいたのを感じる……

 

 と、まあ。

 そんな風に後悔していても日常というのは遠慮なく進んでいくもので。

 今日も今日とて朝ごはんを作ったあとは家の掃除をしたりゴミ捨てをしたり。

 その後はひたすらパソコンを睨み続ける。

 今日もまたそのサイクルを送るつもりだったのだが。

 しかし、今日は少しだけ状況が変わった。

 

「あら……?」

「ん?」

 

 ゴミ捨て場にて。

 燃えるゴミを捨てるためにその場所へ訪れたところ、そこで一人の女性と出会う。

 黒髪に赤い瞳の女性。

 竜胆、愛奈さんだ。

 学生の子を持つというのにあまりにも若々しい外見を持つ彼女は、俺を見るなり目を見開く。

 

「えっと、その。武さん、でしたよね?」

「あ、はい」

「その、こんにちは?」

「ああ。こんにちは」

 

 実のところ言うと、彼女と遭遇した機会はこれまであまりなかった。

 単に運が悪かっただけで、出会う時は本当にばったりと出会ったりするのだが、こうして彼女の方から話しかけられるのは初めてかもしれない。

 しかしこうして出会ったところで、まだ井戸端会議に洒落こんだり出来る程仲が良い訳ではない。

 とりあえずこうして会話出来ただけでも運が良かったと思おう、そう考えてとりあえずぺこりと頭を下げてその場から立ち去ろうとした、その時だった。

 

「あの!」

「……?」

 

 彼女、愛奈さんに呼び止められる。

 なんだ、と振り返ると彼女は少し迷ったのち、こんな事を言ってくる。

 

「この後、少々お時間ありますか?」

「……え?」

 

 答えは一つしかないけれど、しかし一瞬戸惑ったのは事実だった。

 

 

  ◆

 

 

「どうぞ、お紅茶です」

「あ、どうも」

 

 目の前に置かれた紅茶を俺は一瞥し、俺は愛奈さんの事をみて感謝の言葉を告げる。

 彼女の眼には俺は落ち着いて見えているだろうか。

 実際、心の中は絶賛混乱中であり、それが表に出てこないか凄く不安だった。

 今、俺がいるのは竜胆さんの家のダイニングルーム。

 そこで俺は椅子に座っていた。

 愛奈さんは俺の対面の席に座って自身の紅茶を啜り、ふうと息を吐く。

 

「ダージリンの紅茶です。そこまで値があるものではないものですが、味は良いと思います」

「はい」

「あ、お砂糖やミルクは必要でしょうか?」

「ああ、大丈夫です。それと、口調はもう少し崩して貰っても構わないですよ?」

「あら」

 

 俺の言葉を聞き、彼女は目を丸くする。

 ん?

 俺、変な事言ったかな。

 

「いえ、その。てっきりこうして丁寧な口調じゃないと嫌なのかしらと思って」

「それは、どうして?」

「……その、貴方のお兄様が、そのような方だったから」

 

 愛奈さんは言いにくそうにその事を告げる。

 ああ、そうなのか。

 兄貴はそうだったのか。

 まあ、そう言う事もあるかもしれない。

 俺は気軽に、「俺はそういうのは、あまり気にしないタイプなので」と言うと彼女はほっとしたように「分かったわ」と頷いて見せる。

 うーん、なんだか初対面の時しきりに警戒されてたような気がしたけど、もしかして兄貴の所為だった?

 まったく、面倒な置き土産をしてくれたものだ。

 

 しかし、どうしよう。

 この状況、原作の俺としてはチャンスでもある。

 原作に於いて、『天童武』は彼女を強引に襲い、その後その状況を撮影してそれを脅迫の種にして彼女を言いなりにするのだ。

 まあ、NTRゲーには有りがちな展開だと思う。

 しかしまあ、今、そんな気分じゃないしなー。

 というか原作的に結構力比べで拮抗していたような描写があった気がするし、そんな五分五分の賭けをここでする訳にはいかない。

 俺、力勝負に自信ないし。

 

「それでえっと、何か、俺に用があったのでしょうか?」

「貴方も口調は崩して貰っても構わないわ……その、ね。私が貴方に聞きたいのは、桜子ちゃんの事なの」

「桜子ちゃんの事?」

「あの子、その。優秀でしょ? だから無理しているんじゃないかって思って。ご両親が亡くなって精神的に辛いだろうに、だけど私と会う時はそんな素振り全然見せないから」

「あー」

 

 確かに、そのような節はある。

 俺に対しても彼女は自身の弱いところを見せる機会がほとんどない。

 最近はそういうところが改善されたような気がするし、控えめだけどご飯のリクエストをしてくる時とかもある。

 最初は何と言うか、本当に警戒されてたような気がした。

 だから俺もあまり距離を取ろうとはせずに彼女の好きなようにさせていたので、こうして彼女の方から歩み寄ってくれたのはかなり良かったと思う。

 愛奈さんも言った通り、桜子ちゃんは素で優秀なのでこちらがヘタな手を打つと間違いなく距離を取られ、最悪の場合バッドエンドへと行き着く可能性がかなり高い。

 

「大丈夫ですよ」

 

 俺は愛奈さんに対して安心させるように言う。

 

「あの子の事はちゃんと、俺が支えていくつもりなので。無理はさせないように、これからもちゃんと見守っていくつもりです」

「そう、それは良かったわ」

「それより、愛奈さん。俺としては貴方の事も心配ですよ」

「え、私?」

 

 きょとんとする彼女に俺は苦笑して見せる。

 

「年頃の男の子を一人で育てるのは大変だと思います。もし人手が必要な時は、すぐに俺に言ってください」

「ふふっ、そうね。その時は素直に助けを求めさせて貰うわ」

 

 くすくすと笑う彼女に、やはり愛奈さんは大人の女性だなと改めて思う。

 なかなかに崩れない。

 まあ、そこら辺は長期的にやっていくとしよう。

 

「それじゃあ、これで俺は帰らせて貰いますね」

「あら。もうちょっといてくれてもこちらとしては良いのだけれど、もしかして何か用事があるのかしら」

「ええ、ちょっと個人的な事が。まだ家の掃除とかも終わらせていないので」

「それも、そうね。それじゃあ、玄関まで送らせて貰うわ」

 

 そう言い立ち上がった愛奈さんに合わせるように俺も立ち上がる。

 そしてその場から立ち去ろうとした、その時だった。

 

「きゃっ……!」

「え、危ない……!」

 

 愛奈さんが机の脚に引っ掛かり、転倒し掛ける。

 その先にいた俺は咄嗟に振り返り彼女を抱き留める。

 ずん、という衝撃が身体を襲う。

 重――くはない。

 むしろ見た目よりも軽かった。

 

「あ、わ」

 

 と、彼女は突然の出来事に目を白黒させ俺の胸の中でしばらく呆然としていたが、すぐに我に返り。

 

「ご、ごめんなさい……!」

 

 と、距離を取られる。

 

「ごめんなさい! わ、私ったら……」

「いえ、愛奈さんが怪我しなくて良かったです」

 

 彼女に笑い掛けつつ、ちょっと内心冷や冷やする。

 やっばい、偶然とはいえボディタッチは流石に早いって。

 精神的に距離を取られるぞ。

 とはいえ、こちらから出来る事はないのも事実。

 仕方がないので、ここは離脱する事を選択する。

 

「そ、れじゃあ。俺はここでお暇させて貰いますね」

「え、ええ」

 

 結局その後、俺は彼女に玄関まで見送られる結果となった。



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11話 学校事情

 今日も朋絵ちゃんは放課後家に来ていて、そして今日は珍しく桜子ちゃんも家にいた。

 二人はお茶を飲みながらおやつのクッキーを食べている。

 ちなみにクッキーは俺が暇潰しに作ったチョコチップクッキーだ。

 大量にどすどすとチョコを投入してあるので凄く美味しいが、しかしこれは沢山食べると糖尿病になってしまいそうだ。

 

「うぇっへっへぇ~」

 

 朋絵ちゃんがなんかキモチワルイ笑みを浮かべている。

 なんだなんだ。

 良い事でもあったんだろうか?

 

「……なに、気持ち悪い表情をしているんですか」

「いやー、私。ぐんぐん成長しているなーって思って」

「はぁ?」

「実はねー、ツブヤイターでイラストあげたら『良いね!』が300もついてさー」

「それ、凄いんですか?」

「い、いやまあ。最近流行っているアニメに便乗しているから凄いかどうか言われると、うん。どうだろ」

 

 桜子ちゃんに素の表情で尋ねられた朋絵ちゃんは焦ったような表情をする。

 そしてすん、と目を逸らしながら、

 

「……うん、実はそう凄くないかもしれない」

「はぁ」

 

 メチャクチャどうでも良さそうな「はぁ」だった。

 ここまでどうでも良さそうな雰囲気を出すのはなかなか難しいよなと思う。

 少し、感心する。

 いや、感心するところではないか。

 

「それより、二人とも」

「ん?」

「はい?」

「学校はどうなんだ? 楽しく過ごせているか?」

 

 それはちょっとした日常的な会話であり、そして情報収集目的でもあった。

 最後のヒロインである二人は朋絵ちゃん経由でしか知り合う事が出来ない。

 現在の朋絵ちゃんは俺にそこまで従順ではないので彼女の友達であるその二人を直接連れてこさせるとかは出来ないし、情報もぽんぽんと引き出せはしない。

 でも、ちょっとくらいなら知る事が出来る、知り合えるきっかけになる情報を少しくらいは得られるかもしれない。

 

「私はまあ、普通ですよ。普通に学校に行って、授業を受けて、帰ってくる。それだけです」

「まあ、桜子さんって基本独りだもんね」

「……ちょっと、朋絵さん」

「事実じゃん」

「あれ、でも桜子ちゃんってお隣の男の子と友達じゃなかったっけ?」

 

 ちょっとカマをかけるつもりで翔少年の話を出してみる事にする。

 すると桜子ちゃんはちょっと焦ったように、

 

「べ、別に翔はただの友達ですし、それ以上でもそれ以下でもありません。話す時はありますけど、話さない時もあります」

「ふーん」

「ほ、本当ですよ?」

 

 なんだか腹立たしいな。

 もしかして実は結構二人の間に進展があったりしたのだろうか。

 二人の関係は彼女の両親の事故をきっかけに、桜子ちゃんの心の傷を癒すという形で発展していく。

 今、翔少年はその役割を果たしているのだろうか。

 だとしたら、不味いかもな。

 早く、桜子ちゃんを俺のモノにしなくてはならないかもしれない。

 

「そ、それで。朋絵さんはどうなんですか?」

「んー、私?」

「ええ。確かイラスト同好会に入ってましたよね」

「うん、それで今は文芸同好会の出す部誌の表紙を描いているよ」

「へえ、文芸同好会」

 

 俺はとりあえず思考を切り替え、朋絵ちゃんのその情報を掘り下げる事にした。

 

「文芸同好会って、部じゃないって事は部員が少ないのかい?」

「うん、今のところ五人で、うち二人は幽霊部員。実質三人で活動しているようなもんだよ」

「それはそれは。それで、どんな部員がいるんだ?」

「えっと、件の竜胆君と、後は金剛って双子の子。一年生のね」

「双子で同じ部活にいるっていうのは、なんだか珍しい気がするな」

「まあ、二人の描くジャンルは正反対だけどね。朝日ちゃんはファンタジーで夜月ちゃんは現代ものを書いてたと思った」

「なるほどね」

 

 そう言いつつ、結構情報が出て来たなと棚ぼた具合に内心にやりと笑う。

 金剛朝日と金剛夜月。

 ヒロインの二人だ。

 ここで二人の事を知れたのは今後に結構影響してくると思う。

 

「朋絵ちゃんはその文芸同好会の人達とは仲が良いのか?」

「いやー、あんまりだね。朝日ちゃんとは仲良くやっているけど、夜月ちゃんとは全く話さないし、竜胆君とは顔を合わせるくらい」

「……そんなんで部誌の表紙描けるの?」

「うん、朝日ちゃんにこういうの描いてーって言われて、その指示に従って描くだけだから」

「ふーん」

「あっ、もしかして武さん。私と竜胆君の関係が気になっているの? イヤだなー、私は今のところ好きな人はいないからねー」

 

 にやにやと笑ってみせる朋絵ちゃん。

 

「私はあくまで! 今のところはイラスト一筋ですから!!」

「それは重畳。頑張ってくれ今後も」

「あ、あれー? そんな風に素で返されるとこちらとしても困るんだけど」

「嘘なのか?」

「い、いや。嘘じゃないけどさー」

 

 なんだか釈然としないとぼそぼそと言う朋絵ちゃん。

 ?

 何が釈然としないのだろうか?

 

「ま、なんにせよ。朋絵さんは今後もイラストレーターになるという夢に向かって頑張ってくださいね」

 

 と、桜子ちゃんはにこっと笑いながら言う。

 

「私と武さんはその事を応援していますので」

「あはは。うん、これは私だけの夢じゃないからね。勿論、頑張るよ」

「ええ。貴方の夢、叶う事を祈っていますよ」

 

 ニコニコと笑い合う二人。

 なんだかんだで仲が良さそうでこちらとしても嬉しかった。



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12話 閑話休題

「それじゃ、さいならねー」

 

 帰っていく朋絵ちゃんを見送り、俺は夕食の準備をする。

 今日は簡単に炒飯を作る。

 結構前にご飯の冷凍したものを作ったので、それを解凍すればすぐに作る事が出来るだろう。

 

「手伝いましょうか?」

「いや、これは一人で作る方が効率が良いだろうから、桜子ちゃんはゆっくりしていてくれて構わないよ」

「分かりました」

 

 そんな訳で二階へと上がっていった桜子ちゃんを目で追ったのち、俺は炒飯作りを始める。

 炒飯は好きだ。

 大好物。

 手っ取り早く作れるし、美味しい。

 ただ、作る人によってこだわりが結構変わってくる料理だとも思う。

 例えば卵。

 あらかじめいり卵を作って後で投入するか、それともご飯の後に流し込むか。

 人によってはご飯と混ぜてから炒めるという人もいるだろう。

 肉も人によっては異なる。

 ハム、ソーセージ、焼き豚、ベーコンを入れる人もいるだろう。

 味付けも洋風和風、中華風と分かれていたりと多岐に渡る。

 何が言いたいのかって言うと、炒飯と言う料理は結構性格が出るって事だ。

 

 俺の作る炒飯の味の決め手となるのは、焼き豚――叉焼だ。

 まあ、正確に言うと煮豚なのだけれど。

 これもまた、将来的に使う事を想定し、冷蔵庫に焼いた豚肉の塊を特製のタレの中に漬け込んでいた。

 これを細かく刻んで炒飯に投入する。

 ちなみにこのタレも料理に使う。

 味付けに使う事で深みが産まれるのだ。

 

 他に入れるモノは、ネギ、キャベツ、玉ねぎ。

 それぞれ細かく刻んで炒める。

 最後に俺はご飯を入れ、混ぜた後にといた卵を流し込む。

 うん、良い感じなんじゃないかな?

 後は、ちょっと野菜が少なめな気がしたので適当にキュウリとレタスを刻んでサラダを作る。

 ジュウジュウと良い音を立てる炒飯をお皿に盛りつけた後、俺は上の階に向かって言う。

 

「出来たぞー」

「はーい」

 

 元気の良い、だけど控えめな声が聞こえてくる。

 とんとんという音と共に降りてきた桜子ちゃんは机の上に並べられた炒飯を見て、

 

「相変わらず、美味しそうですね……」

「そう言ってくれると嬉しいよ」

 

 着席し、俺達は手を合わせる。

 

「いただきます」

「はい、いただきます」

 

 スプーンで山を崩し、すくう。

 ぱらっとしたコメの具を一緒に頬張り、噛みしめる。

 うん、旨い。

 やはり、焼き豚の煮汁の旨味が沁み込んでいてとても美味しい。

 しかしこれは男の感想。

 かなり味が濃いような気がしたが、

 

「美味しいですね、相変わらず」

 

 と、桜子ちゃんにも好評の様子。

 良かった良かった。

 

 それから俺達は黙々と食事をする。

 シーザードレッシングをかけたサラダを途中に挟みつつ、炒飯をぱくぱくと食べる。

 食事の時間は10分も掛からなかっただろう。

 気づけば皿は空っぽ。

 再び手を合わせて、言う。

 

「ごちそうさまでした」

「うん、お粗末様でした。お皿は流しの方に置いておいてくれれば俺が後で洗っておくから」

「……良い加減、私にも手伝いさせて貰いたいんですけど」

「良いって良いって。桜子ちゃんは楽にしていて貰って構わないから」

 

 軽くそう言いながら俺も皿をキッチンへと運び、それから食後のお茶でも飲もうかと紅茶の茶葉を用意する。

 紅茶は確か97度くらいのお湯で入れるのが良いとかそんな話を聞いた気がするけど、俺はそこまで拘りはしない。

 ポットに入ったお湯で蒸らし、ティーカップに入れる。

 

「そういえば、桜子ちゃんは蜂蜜派だっけ?」

「はい」

「お砂糖は?」

「……入れません」

 

 頷きつつ、俺はお茶をダイニングルームへと運んでいく。

 

 穏やかな夜の時間が訪れる、そんな予感がした。

 

 




タイトルに関して意見がある方は、感想に書いていただけると助かります。


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13話 たらればのお話

感想欄にてご意見ありがとうございました。

タイトルは元に戻させて貰いました。


 真夜中。

 

 俺はやるべき作業をようやく終えて、一つ伸びをする。

 作業と言うか、まあ、趣味なのだが。

 現在、朋絵ちゃんのモノと化しているパソコン類を使ってのお絵描き。

 とても懐かしい行為だ。

 もっとも前世の俺はこんな液タブなんて持っていなくてただの小さい板タブを使っていたのだが。

 そのため液タブに慣れるのにちょっとだけ時間を要したが、慣れてしまえばするすると描ける。

 尤も、前世でも趣味レベルでしか描いていなかったので、腕前に関してはお察しだ。

 ツブヤイターにあげるまでもない。

 しかし、やはり絵を描くのは楽しいと思う。

 朋絵ちゃんの気持ちも良く分かる。

 ただ、これを職業にするとなると、辛い事や大変な事も沢山あるだろう。

 仕事というのはそういうものだ。

 それを乗り越えてもなお、彼女は絵を描く事を楽しいと言えるのか、それは少し心配ではあるけれど。

 だけど今は、どのような結末が待っているにせよ彼女の事を信じるというのが筋というものだろう。

 

「ふぅ……」

 

 凝り固まった肩を回して解しつつ、俺は立ち上がって部屋を出る。

 一階に降りてお湯でも飲もうかと思ったのだが、階段を下りる途中で一階の電気がついている事に気づき、「おや」と思う。

 なんだろう。

 桜子ちゃん、起きているのか?

 そう思いながら降りていくと、電気がついていたのはリビングだった。

 リビングではテレビの電源も点いていた。

 

『とどめは必殺技で決まりです!』

 

『ディザイア・クルセイド!』

 

 派手な音と演出と共に魔法少女がビームをモンスターに向けて放っていた。

 今、流行の魔法少女アニメ。

 確かタイトルは、『魔法少女は電波と共に』、だったか?

 内容は知らないけれど、ライトノベルが原作の深夜アニメだった筈。

 それを知っているのは朋絵ちゃんが教えてくれたからだが、しかし桜子ちゃんも見ていたのか。

 それも、リアルタイムで。

 いやでも、彼女の性格からしてアニメを見るような事はしなさそうだし、だとするともしかして朋絵ちゃんに勧められたから視聴したのかもしれない。

 そっちの方がよっぽど桜子ちゃんらしい。

 

 すうすうと寝息を立てている桜子ちゃんを起こさないよう、俺はひとまずテレビの電源を切る。

 それから、ソファの上で眠る桜子ちゃんを見下ろす。

 

「……」

 

 今、やろうと思えば彼女を襲う事は出来るだろう。 

 彼女の純潔を奪う事が出来る。

 しかしそれは間違いなく物語、いや、これからの俺の人生の進展に関わってくるだろう。

 

『気づけばみんな、あいつの雌になっていた』。

 典型的なNTRエロゲだ。

 それも基本的にエッチなシーンがメインで、ストーリーは結構ご都合主義なところがあった。

 情報が不足しているところが多く、まあ、そこら辺がプレイヤーの想像力を掻き立ててくれたという側面もあるが、それはさておくとして。

 問題なのは、この世界はこのエロゲにとても酷似した世界ではあり、間違いなく原作補正のようなものがあるみたいだが、しかし世界の整合性というものを俺は100パーセント把握し切れていないという事だ。

 

 ストーリーと設定は二の次だったエロゲの世界。

 ただエロいシーンを楽しむだけだったらそれで良いが、世界を運営するならばそれだけでは足りない。

 つまるところ言いたいのは、この世界は表面的にはエロゲの舞台だが、裏ではどんなものが潜んでいるのか分からないのである。

 

 例えば、ここで彼女を襲うとしよう。

 それは間違いなく成功するだろう。

 そして原作補正が働けば、間違いなく彼女の心は俺のモノとなる。

 しかしその際、彼女が俺のモノとなった時世界はどのような動きをするのか、俺にはさっぱり分からないのだ。

 

「……」

 

 俺はエロゲの竿役であって、都合良く世界を改変出来る神様ではない。

 世界の荒波には勝てないし、当然社会のルールにも則って生きていかねばならない。

 犯罪をしたら檻の中、変わってしまった人間関係は修復する事は適わない。

 うん、まあ。

 だから、そういう事なのだ。

 行動に移るには、そうとう慎重にならねばならない。

 細心の注意を払い、彼女とは愛し愛されなくてはならない。

 それは他のヒロインにも同じ事が言える。

 手っ取り早く原作通りに行動したら原作のように進むとは思うが、その裏で何が起こるか分からない以上、俺は丁寧に事を進めなくてはならない。

 

「はぁ……」

 

 まあ、そんな御託を並べたところで。

 俺には、こんなすやすやと幸せそうに眠る桜子ちゃんの事を強引に襲うなんて事は出来なさそうだけれども。 

 こんな役割を得たところで、俺は俺。

 小心者なのだ。

 まったくこれでは、NTRゲーの竿役おじさんの名折れだ。

 まったくもう、まったくもう。

 

 俺は彼女を抱きかかえ二階へと運ぼうかとも思ったが、しかし現実的な行為とは思えないので考え直す。

 とりあえず、毛布を持ってこよう。

 そう思い、俺は使ってない毛布がしまってある部屋へと音を立てないように向かうのだった。

 



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14話 ある日の文芸同好会

 ファンタジーというものは良い。

 現実的でないところが魅力的だ。

 世界が違うのだからルールや法則が違うので、どれだけ理不尽、ご都合主義でも許される。

 それがファンタジーの一番の魅力だと私は思っている。

 うん、だから私が書く作品というのはファンタジーに傾倒しているのだろう。

 我ながら浅ましい理由だと思う。

 現実で出来ない事を発散するように創作するというのは、もしかしたら創作行為に関しての冒涜なのではないかと常々思ってしまう。

 だけど、でも。

 私は。

 それでもこの世界がファンタジーでない事を残念に思ってしまうのだ。

 

 

  ◆

 

 

「せーんぱーい」

「なんだー?」

 

 俺はだらりと机の上で寝そべる後輩の朝日に目を向ける。

 彼女にしては珍しい。

 朝日はいつも元気一杯で、見ている時は常に忙しなく動き回っているイメージがあるんだけど。

 

「暇ですー」

「いや、そんな事を俺に言われてもな」

「何か芸をやってくださいー」

「無茶振りが過ぎんだろ……」

「コーラいっきでも良いですよ?」

「いや、無理だし。そもそもここにコーラはない」

「じゃあ、買ってきてください」

「先輩をパシらせようとすんなこら」

「あだっ」

 

 ぱしんと頭を軽く叩く。

 それから、確かに彼女の言う事も一理あるなと思った。

 昼休み、やる事がない。

 自作の短編の読み合い、感想の言い合いは先週やったし、そして今手元に文章はない。

 もしここに夜月がいれば何か良い案を「やれやれ」と肩を竦めながら言ってきそう――ではないな、あいつの性格から考えて。

 暇なら部屋の隅で持ってきた本を読み始めるのが夜月と言う人間だ。

 

「私達の時間は有限です、暇というものは存在しません。例えば私は読むべき積み本が大量にありますし。ていうか、それなら普通に勉強でもすれば良いのでは?」

 

 そんな事を言いそうだ。

 ……間違いなく言いそうだなぁ。

 少なくとも暇の潰し方を誰よりも知っている人間だ、金剛夜月という人間は。

 

「そういえば、夜月はどうしたんだ?」

「よーちゃんは図書委員の委員会があるらしいです。よーちゃん、一年生なのに書記なので、欠席は出来ないのです」

「あー、そんな事前に言ってたな」

「それよりも先輩ー」

「なんだ? コーラいっきはしないぞ?」

「そうじゃなくて、先輩。なんだか最近変わった事がありましたか?」

「変わった事? なんでそう思うんだ?」

「いや、なんか今日、ここに来るのがいつもよりも早かったみたいじゃないですか。だから何かあったのかなーって」

「何かあったっていうか」

 

 俺は昼休みの事を思い出す。

 

 桜子がカバンから弁当箱を取り出したのに驚いた。

 

「あれ? 弁当作ってきたのか?」

 

 そう尋ねると、彼女は何やら慌てた様子で、「そ、んな事よりも。私は今日一人で食べるので翔は部活動にでも行ってください」と言われた。

 ……

 俺が彼女と昼休みに食事を共にしているのは母からの指示だった。

「あの子は放っておけば一人でいる癖があるから貴方が一緒にいて上げなさい」と。

 そうでなくても友人が皆無な彼女はいろいろと放っておけない。

 そう思いなんだかんだで昼休みは一緒にいる事が多かったのだが、明確に彼女からそんな事を言われたのは初めてだった。

 うーん……

 

「なにも、ないけど」

「まあ、何もないから早く来れたと言うべきですかね」

 

 一人納得する朝日。

 

 と、そこで教室の扉ががちゃりと開かれる。

 もしや夜月かと思って目を向けると、そこにいたのはまさかの日乃本朋絵だった。

 

「日乃本?」

「よっすお前等ー。元気にしてっかー?」

 

 そんな風にニコニコ笑いながらこちらへとやって来る彼女の手にはファイルが握られていた。

 なんだろう。

 多分、それがここへ来た理由のような気がするけど。

 

「何しにきたんですか、日乃本先輩?」

 

 何やらちょっとだけ不機嫌そうな口調で尋ねる朝日に対し、日乃本は変わらず陽気な調子で、

 

「部誌の表紙のラフ、出来たから見せようと思ってね」

「あれ、もう出来たのか? ちょっと早くないか?」

「いやー、今回はちょっと張り切っちゃってねー」

 

 そう言い、彼女はファイルから印刷用紙を取り出し、俺達に差し出してくる。

 そこに描かれたのは――お世辞ではないが、結構上手いイラストだった。

 いや、本当に上手い。

 こんなに彼女、上手かったっけ?

 というかこれ、デジタルイラスト?

 日乃本って確かいつもアナログイラストだった気がするけど……

 

「どうよ?」

「うーん、個人的には二枚目が好きですね」

「あー、私もそう思ってた。翔君は?」

 

 尋ねてくる日乃本の顔を見て、アレ? と思う。

 彼女、化粧をしている?

 珍しいな。

 日乃本ってそういうのをしていないイメージがあったけど、こんな風に化粧に疎い俺でも分かるぐらいだ、あからさまに化粧を施しているのだろう。

 頬が若干赤みを帯びているような気がするし、唇なんてぷるぷるだ。

 

「翔君?」

「あ。え、えーっと。俺も二枚目が良いと思うよ」

「そっか。それじゃあ、二枚目を清書していくって事で。それじゃあ、あでゅー」

 

 そして、あっさりと教室から去っていく彼女の背中を、朝日は何やら恨めしそうに見つめている。

 そしてその視線のまま、彼女は俺の事を見てくる。

 

「なんか、アレでしたね」

「アレ?」

「先輩。なんか視線がアレでしたよ?」

「な、何が?」

「……なんでもありません」

 

 その後、何故か不機嫌になった彼女の機嫌を取るため、自販機からコーラを買ってきていっき飲みする羽目になった。



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15話 秀才達

 現実というのは良い。

 理路整然としているというところが魅力的だ。

 どこまでもリアリティがあって法則やルールが敷かれていて、それでも決まった未来はなく自由な可能性が広がっている。

 それが現実の一番の魅力だと私は思っている。

 うん、だから私の書く作品というのは現実に傾倒しているのだろう。

 我ながら浅ましい理由だと思う。

 自らの欲望を発散するかのように創作するというのは、もしかしたら創作行為に関しての冒涜ではないかと常々思ってしまう。

 だけど、でも。

 私は。

 だからこそこの世界がどこまでも現実である事を、残念に思ってしまうのだ。

 

 

  ◆

 

 

「そういう訳ですから、その。お弁当を作って欲しいです」

「……良いのか?」

「はい」

「分かった。それじゃあ、明日から桜子ちゃんの弁当を作るという事で」

 

 そんな事で、あっさりと武さんからの了承を得、明日から弁当を作って貰える事になった。

 我ながら、本当にアレだと思った。

 お金が勿体ないというのならば本来は私が作るのが正しい筈なのに、武さんのご飯をもっと食べたいと思うあまりそんなおねだりをしてしまった。

 本当に子供だ、私は。

 凄い罪悪感が湧いてくる。

 ああ、でも。

 

「……美味しそう」

 

 図書室前にあるフリースペースで。

 私は一人、弁当を広げていた。

 初めてだ、こんな風に弁当を広げるという経験をするのは。

 真っ白なご飯の上に載せられた、細かくちぎられた海苔。

 きんぴらごぼうは唐辛子が入っていて少しピリ辛。

 プチトマトは彩りを考えて入れられたのだろうか?

 焼き肉のたれで味付けられたお肉の下にはレタスが敷かれている。

 なんと言う、美味しそうな弁当。

 実際、武さんの食事を食べて来た自分だからこそ分かる。

 これは本当に、美味しいものだと。

 

「いただきます」

 

 手を合わせ、まずは海苔弁から。

 海苔と一緒にご飯を口に頬張る。

 しょっぱい味は、多分醤油。

 海苔の風味ととても合っている。

 次に食べるのはどれにしよう。

 きんぴらごぼう?

 メインの焼肉?

 それともプチトマト?

 とても迷う。

 それでも昼休みは有限なので勿体ないけど早く食べてしまわないといけない。

 

 そう思っていると、こちら――フリースペースへとやって来る一人の女子高生が見えた。

 知り合いと言うべきかは分からないけど、知っている人物だった。

 

「あれ、夜月さん?」

「……天童先輩?」

 

 彼女、金剛夜月さんは私の事に気づき、こちらへとやって来る。

 その手には本が握られていた。

 もしかして、本を返しに来たのだろうか。

 そして彼女は私の弁当を見て「あれ?」と首を傾げる。

 

「珍しいですね、先輩が弁当なんて。何と言うか、いつも購買で食事を買っているってイメージを持っていました」

「そう、かな。そうかもしれない。それよりも、夜月さん。今日は確か、部活動があったと思ったけれども」

「ああ、はい。それはそうですけど」

 

 少し渋くて、少しだけ寂しそうな表情をして言う彼女。

 

「私はいない方が、姉さんは嬉しいでしょうから」

「?」

「それよりも、先輩。もしよろしければ、隣に座っても良いですか?」

「ええ。良いけれども」

 

 珍しいなと思った。

 夜月さんって、私以上に孤高な子だと思っていたから。

 

「先輩。なんだか、雰囲気が変わりましたよね」

「え?」

「何か、前と比べて肩の荷が下りたような、そんな雰囲気がします」

「そ、そうかな?」

「何か良い事、あったんですか?」

「……どうだろう」

 

 分からない。

 いや、彼女の言いたい事は分かる。

 だけど、それを『良し』として良いのか、それは分からなかった。

 武さんと過ごしている事。

 そのきっかけは、決して良いとしてはいけない事だ。

 だけども、ああ。

 ナニカから解放されたかのように、私が変わりつつある気がするのは、実感がある。

 気づいている。

 その事に少し、罪悪感がある。

 いけない事なのに、今の状況に安心感を覚えている自分がいる事に。

 

「そ、れよりも」

 

 私はイケナイ思考を振り払いつつ、話を強引に変えるように夜月さんに尋ねる。

 

「夜月さんは、その。夢とかあるの?」

「夢ですか? なんというかその、唐突ですね?」

「あ、うん。そうかも、ね。ゴメン。ちょっと急だったかも」

「……まあ、良いですよ。付き合いますよその話に」

「え?」

 

 珍しい。

 こんなふわふわとした内容の会話を彼女がしようとするなんて。

 何か、あったのだろうか?

 

「とはいえ、話す事なんてないのですけど。私には夢なんてありませんし、それは先輩も同じだと思ってました」

「私が?」

「ええ、勝手に同類だと思っていたんですけど。先輩は夢を見るんですか?」

「……私だって夢は見る、けど。夜月さんは、違うんだね」

「夢を見る資格がないですから」

「資格は必要なのかな」

「必要ですよ。少なくとも、私はそう考えています」

 

 夜月さんは「はあ」と如何にも陰鬱そうに溜息を吐く。

 

「人は生まれる場所は選べないけど生き方は選べるという言葉がありますけど、私は違うと思います」

「金剛さんは」

「生まれる場所によって、人は生き方を変えざるを得ない。特に私達みたいな人間は、特に」

「……」

「それで、最初に戻る訳ですけど。先輩は何かあったんですか? というか、あったんですよね」

 

 確信めいた言い方をする夜月さん。

 私は少し迷った後、言う。

 

「夜月さんは、その。家の事が、嫌い?」

「嫌いじゃありませんよ。だって姉さんがいますから」

「そっか」

「でも……いえ、何でもないです」

 

 何かあったのは間違いないけれど、しかしそれを聞く資格は私にはあるのだろうか?

 自分の事すらよく分からないでいる自分に。

 だけど、彼女の事をそのまま見て見ぬふりをするというのは、私には出来なかった。

 

「その、夜月さん。今日、放課後、暇かな?」

「……はい?」

 

 そんな風に夜月さんを誘ったのは何故なのか。

 



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16話 予想外過ぎる来訪者

「という訳で、今週の土曜日に友達が遊びに来るんですけど、大丈夫ですか?」

「と、唐突だねぇ……」

「……ええ、それはその友達にも言われました」

「まあ。俺は大丈夫だから、桜子ちゃんはその友達と好きにしていると良い……ところで、その友人ってなんて子なんだ? もしかしてお隣の子?」

「いえ、金剛夜月さんっていう一年生の子なんですけど」

「……ふーん」

 

 え、マジ?

 何故にその方向でヒロインの一人が家に訪れる事になるの?

 ていうか桜子ちゃん、金剛夜月と知り合いだったの?

 いろいろ突っ込みたいところが山盛りだったけれど、しかし俺としては「分かったよー」としか言えなかった。

 後はまあ、彼女の舌に合うような茶菓でも用意するとか。

 金剛夜月はお金持ち出身の子なので、彼女の舌を満足させられるようなお菓子なんてなかなかないと思うけど。

 お金持ちに限って庶民の味に飢えているなんて言うのは幻想なのだ。

 

 結局、またもや自分でクッキーを作るという結論に落ち着き、ジンジャークッキーやらチョコチップを大量に投入したチョコクッキーやらしっとりクッキーなど様々なクッキーを製造する事になった。

 なんだかんだでお菓子作りは楽しい。

 砂糖を入れる時だけは目を瞑るけど。

 あの量はマジでいつも本気か? って思う。

 少なくとも毎日たくさん摂取していたら糖尿病になってしまうだろう。

 お菓子は適量、それ大事。

 もしかしたら遠足のおやつが500円までだったのはそれが原因だったのだろうかと年を取った今、そんな風に思ってしまう。

 

 それはともかく。

 

「こんにちは」

「いらっしゃいー」

 

 薄い茶色のロングヘアを右側でサイドポニーにした、黒曜石色の瞳の少女。

 金剛夜月。

 そして彼女を出迎えたのは日乃本朋絵だった。

 ……なんでいるの?

 いやまあ朋絵ちゃん、暇さえあればいつも家に来ているから、今この時にこの場にいるのは決しておかしくないのだけれど。

 

「……なんで貴方がいるんですか、日乃本先輩」

 

 その事情を知らないだろう夜月ちゃんは半眼で朋絵ちゃんを見る。

 

「いや、私は普通にこの家に用があるから来ているだけだよー」

「まあ、夜月さん。これは放っておいて良いから、早く席についてよ」

「これってなんだ、これって」

 

 桜子ちゃんは割とぞんざいな感じで朋絵ちゃんを扱い、夜月ちゃんを招く。

 その言葉で彼女はいろいろ気になる事はあるみたいだが、それは一旦気にしないようにしたようで桜子ちゃんの言った通りリビングのソファに腰を下ろした。

 そこで俺は飲み物やお菓子を持って姿を現す。

 

「いらっしゃい。君が、夜月ちゃんだね」

「……貴方は?」

「ああ。俺は桜子ちゃんの叔父で、一応この家の家主って事になる」

「……はぁ」

 

 警戒されているのだろうか?

 まあ、されるだろうな。

 そうでなくても夜月ちゃんは警戒心が強い方だし、更には彼女は大人と言う存在に対しあまり良い印象を持っていない。

 結構大変そうだな、夜月ちゃんの警戒心を解くのは。

 

「それで」

「ん?」

「何の用です、天童先輩」

「何、とは?」

「何か用があって私を呼び出したんじゃあ、ないんですか? そう思って、諸々の予定を前倒しにしてきたんですけど、私」

「特別重要な予定は、ないよ」

「帰ります」

「待って待って。話は最後まで聞いて?」

「……冗談ですから本気にならないでください」

 

 冗談だったのか。

 ……夜月ちゃんも冗談を言うんだな。

 まあ、それも冗談とは分かりづらいものではあったけど。

 

「今日はさ、夜月ちゃん。貴方とゆっくり話したいなって思って」

「はあ。話、ですか」

「うん。夜月さん、ちょっと日頃の鬱憤が溜まっているように見えたから。だから、ここで私達と話してそれを発散して貰えれば良いなと思って」

「ストレス発散に付き合って貰う必要は」

「別にそこは遠慮しなくて良いんじゃないのー? 桜子さんだって好きでそういう提案をしたんだろうし、そこはむしろ当たって砕ける勢いでぶつけて上げた方が為になるってもんよ」

「……はあ」

 

 夜月ちゃんは心底面倒臭そうに息を吐き、それから目を瞑る。

 そして目を開くと、諦めたように二人に告げる。

 

「それじゃあ、ちょっと私の話に付き合ってください」

「お」

「うん」

「とはいえ、下らない話なんですけどね」

「あ、ちょっと待って?」

 

 と、そこで桜子ちゃんはこちらの方を見る。

 ん?

 なんだ?

 

「一応、ここからはガールズトークなので、武さんは席を外して貰えると」

「あ、うん。分かった」

 

 どうやら邪魔という事らしかった。

 

 

  ◆

 

 

「それでは、お邪魔しました」

 

 その後、小一時間ほど会話をしていた彼女達。

 それを終えた夜月ちゃんはさっさといった感じに離席し、帰っていった。

 

「何て言うか、やっぱり出過ぎた事だったでしょうか。あの子、なんだか悩んでいるみたいで、だからこうしてガス抜きがてらお話でもしようと思ったのですが」

「別に、あの子の事を考えてやったのなら、後悔する必要はないと思うぞ?」

「それは――ん?」

 

 と、そこで桜子ちゃんはリビングにあるガラステーブルの上を見る。

 そこにあったのは一冊の小さな手帳。

 なんだろう、これは。

 なんだか上等そうな見た目をしているけれど。

 

「これ、夜月ちゃんの忘れ物です」

「ああ、なるほど。それじゃあ、俺がちょっと届けに行くよ」

「え、でも……」

「大丈夫大丈夫。すぐに帰ってくるから」

 

 そう一方的に言い、俺は勝手に出かける準備をする。

 このタイミングを逃す訳にはいかない。

 ここで彼女と会話出来る機会を逃したら、次、何時彼女と出会えるか分からないから。



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17話 制限付きの会話

 金剛家は娘に対して割と寛容だ。

 いや、寛容と言う表現は少し違うか。

 放置気味と言う方が正しいかもしれないし、そして私とよーちゃんは正反対の理由で静観されている。

 よーちゃんが両親から干渉されないのは、ひとえにしなくても十二分に優秀だからだ。

 誰よりも賢く、誰よりも強か。

 そんなよーちゃんの事を両親は信頼していて、だからこそ何をしても見て見ぬ振りをしている。

 まあ、よーちゃんが危ない事やいけない事をするなんて事、今までした事がないのだけれど。

 門限は守る、テストは何時だって一番。

 優秀な成績を平然な顔をして、まるでそうする事が義務であるかのように。

 

 そして私、朝日が両親から無視されているのは、単に出来損ないだから。

 誰よりも劣っていて、誰よりも鈍い。

 そんな私の事を両親は半ば諦めていて、だからこそ何をしても見て見ぬ振りをしている。

 失敗も当然、まあ、自分に才能がない事は誰よりも自分が理解しているので、大きな失敗をしでかす事こそないのだけれど。

 

「……よーちゃん」

 

 そして、今日。

 よーちゃんは用事があって家を開けている。

 珍しい事だ。

 いつも休日は家に引き籠って勉強をしているか、もしくは図書館に出掛けている。

 そんなよーちゃんが、今日は『友達』の家に遊びに行くという理由で家から出ていった。

 あり得ない。

 あの、優秀だけど対人関係を疎かにしている彼女が、『友達』だなんて。

 アリエナイ。

 

「……」

 

 ああ、ダメだ。

 こんな事、考えてはいけない。

 よーちゃんに『友達』がいる事はとても喜ばしい事なのだ。

 だけど、でも。

 

「……先輩に連絡しよう」

 

 耐えられなくなった私はスマホを取り出して先輩に連絡を取ろうとする。

 しかしどれだけ待っても通話は繋がらず、私は「はあ」と嘆息しスマホをベッドの上に投げ出す。

 先輩。

 センパイ。

 私にそっくりな人。

 だからこそ私は、こんなにも彼に惹かれるのだろう。

 

 これはきっと、恋じゃない。

 もっともっと、最低な感情だ。

 

 

  ◆

 

 

「おーい、夜月ちゃーん!」

 

 俺はゆっくりと歩くその背中に呼び掛ける。

 すると彼女はゆっくりと振り返り、そして自身の元へと走り寄ってくる俺を見て胡乱げな視線を向けてくる。

 

「……はい?」

「はぁ、はぁ。わ、忘れもの」

「え……」

 

 俺がカバンの中から取り出した手帳を見、夜月ちゃんは思わずと言ったように「あ」と口にする。

 そして俺に試すような視線を向けながら、尋ねてくる。

 

「それで、届けに来てくれたんですか?」

「あ、ああ」

「なんでですか?」

「う、うん?」

「別に、貴方がわざわざ届けに来る必要はないじゃないですか。それこそ、先輩。天童先輩が届けに来るのがむしろ自然な気がしますけど」

「ああ、うん。ちょっと、な。個人的な理由があって」

 

 それを聞き、彼女は少しがっかりしたような表情をする。

 

「……やっぱり。で、どんな下心があってわざわざ走ってきたんですか?」

「ちょっと、君に学校での桜子ちゃんの話を聞きたいなーって思って」

「それなら、別に日乃本先輩にでも――ああ、いや。そうか」

 

 と、何やら納得したように頷く彼女。

 それからぼそりと、「まったく、これだから」と聞き取れないほど小さな声でぼやく。

「まったく、これだから」とはなんだろう? 

 凄く気になるんだけど。

 それから彼女は一つ溜息を吐き、半眼で俺の事を見る。

 

「コーヒー1本」

「うん?」

「コーヒー1本奢ってください。それで2分、話に付き合ってあげます」

「君はなんて言うか」

「はい?」

「……いや、何でもない」

 

 容赦ないというか、悪い意味で物怖じしないというか、そういうところを言ったら怒りそうなので言葉を飲み込む。

 それから俺達は近くの公園へと移り、その途中で買ったコーヒーをベンチに座った夜月ちゃんに渡す。

 

「天童先輩は」

「うん」

「当たり前ですがとても優秀な人です。文武両道を体現している人。だから少し人から距離を取られている――いや、逆ですね」

「逆?」

「むしろ天童先輩の方から距離を取っている、ような気がします」

 

 私とは真逆ですね。

 そうも付け加えた彼女は、我に返ったように「な、なんでもないです。今のは聞かなかった事にしてください」と言ってきた。

 むろん、そんな事はしない。

 桜子ちゃんの話をしたいのはやまやまだが、しかし彼女にタイムリミットを設定されてしまった以上、その事を話すのは二の次。

 今はとにかく、夜月ちゃんの話をしよう。

 

「君は、夜月ちゃんはあまり対人能力がないタイプなんだな」

「それは、いえ。そうかもですが。それはどうでも良い事ですので、そもそも今話す内容でもありません」

「そうだな。ただ、君がそんなタイプなのだとしたら、二人が友人なのは、桜子ちゃんの方から話しかけたからって事なのかな?」

「……ええ」

 

 彼女は渋々と言ったように言う。

 

「それはとても感謝しています――けど、さっき言った通り。これは今関係のない話です」

「確かに関係のない話だが。ちょっと思ったのは、夜月ちゃんはもしかして結構自己評価が低いタイプなのかな?」

「……」

 

 じろり、と。

 遠慮なく、値踏みするように。

 彼女は俺の事を見てくる。

 

「私の事なんかどうでも良いでしょう?」

「これは大人の意見だが、自分の事を「なんか」なんて言うのは、ちょっとよろしくないと思うぞ」

「大人、ですか」

 

 今度は苛立たしげな事を彼女は隠そうともせずに俺の事を睨みつけてくる。

 

「大人というのは勝手ですね。そうやって上から手の届きもしない位置から語って、それでまるで守ってやっているかのような気になっている。まあ、どうでも良い事ですけれど」

「それを言われると耳が痛い。ただ、同時に君に対して申し訳なくも思う」

「どうして――」

「君に対して大人とはそういうモノだと思わせてしまったのは、大人の責任だ。だとしたら俺にも責任があると言っても良いだろ?」

「それは、?」

 

 彼女は少し、混乱しているようだった。

 多分、微妙に論点がずれた事に頭を悩ましているのだろう。

 

「確かに大人というのは勝手な生き物だ。何せ子供と違って勝手に出来るからね。だけど、だからこそ子供の事を自由に心配するし、手助けしたいとも思う」

「それは」

「君は、夜月ちゃんは、話していてなんだか自分の事を諦めているようなところがあるように感じられた。他人の事もね。それは多分、君が賢いからだろうし、だからこそ俺は心配に思ったよ」

「――」

 

 それを聞いた彼女は一度目を閉じ。

 そして溜息と同時に目を開く。

 

「2分」

「ん?」

「2分、経ちました。お話は終わりです」

「あー」

 

 もう、そんな時間が経ったのか。

 割と早かったな。

 もうちょっと、彼女とは話したかったのだけれど。

 話も中途半端なところまでしか出来なかったし。

 

 そう思っていると、彼女は何やら手帳にペンを走らせ、そしてページを一枚破ってそれを俺に差し出してくる。

 

「これは?」

「メールアドレスです」

「……どうして?」

「今の会話は、少なくとも有意義ではありました」

 

 そして彼女は立ち上がり、俺に背を向ける。

 

「今度の会話も有意義である事を、祈っています」

 

 それはつまり、俺が連絡しても良いという事だろうか。

 ……ほんとぉ?

 彼女の性格的に、大人に対してこんなすぐに連絡先を渡すなんて事、しなさそうなんだけど。

 何か、他に要因があるのだろうか?

 そう思い、尋ねる前に彼女は今度こそ歩き始めその場から立ち去ってしまう。

 なんと言うか、子供っぽいな。

 総合的には、そんな印象を感じた2分間だった。




現在書きだめが一話しかないという……


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18話 ありふれた出来事

「それで」

「ん?」

「なに?」

「あの人ですけど、天童先輩の叔父さん」

「武さんが、どうかしたの?」

「いえ、その。なんだか二人とも……いや、何でもないです」

「なに? 別に怒ったりしないから、聞いて貰って構わないよ?」

「そうそう、そんな風に中途半端に言うくらいなら、こう、ずばっと言って貰った方がこちらとしてはありがたいよ~」

「……えっと。別に些細な疑問なんです。別にどうでも良い事なんですけど、あの人。武さんって言うんですよね。あの人とお二人、結構自然に付き合っているんですね?」

「……ん?」

「えっと」

「ああ、その。なんて言うか普通はもっと距離があっても良いような気がしたので。言っては何ですけど、割と他人に近い人じゃないですか」

「他人って表現は、ちょっと違うけどね。叔父な訳だし」

「優しい人だよ、武さんは」

「はぁ……」

「いろいろとやって貰っているし、そんな人に対して警戒するのはちょっと失礼だと思うしね」

「そういうもの、ですかね?」

「うん」

「そうそう」

「何て言うか、意外です」

「意外?」

「お二人って、大人に対してもっと距離を取って接すると思ってました」

「そう、かな?」

「私は別にそうじゃないと思うけど」

「もしくは――いえ」

 

(あの人が特別だなんて聞くのは、流石に踏み込み過ぎか)

(それにしても、どんな人なんだろう、天童武と言う人は)

 

 

  ◆

 

 

 夜月ちゃんと分かれた後、俺はゆっくりと歩きながら家へと向かっていた。

 急に走ったので足にキタ――という訳ではない。

 俺はまだまだ若い。

 そう、急な運動で身体にダメージが来るほど、年は取っていない筈なのだ。

 うん。

 ただまあ、筋肉痛が怖いなぁ。

 

「ふぅ、やれやれ」

 

 そう思いながら歩いていると、前方から一人の少女が歩いてくる。

 どこにでもいる普通の子だ。

 年齢は――分からないな。

 ただ、高校生ほど年はいっていないような気がする。

 黒い上等そうなワンピースドレスを着ている。

 長い長い黒髪に黒い瞳の少女。

 そんな綺麗な少女なのにもかかわらず、不思議と存在感はなかった。

 きっとここに人がいっぱいいたら、彼女の事など気づかなかっただろうし、気にも留めなかっただろう。

 

 彼女は俺が歩いているのにもかかわらず避けるような事はせず、ずんずんと歩いてくる。

 そのまま俺達は触れるような距離を保ったまますれ違い。

 その際、ぽつりと少女が呟いた。

 

 

「順調に役割を遂行しているみたいね、竿役おじさん?」

「……」

 

 俺はそのまますれ違い。

 歩いて。

 そしてそこでようやく彼女の言葉の意味に気づいてぞわりと背筋を凍らせた。

 

「……ッ!!」

 

 俺は勢いよく振り返り、彼女の姿を探す。

 しかしそこには人影はどこにもなかった。

 オカシイ。

 ここは一直線の道。

 隠れる場所はないし、横の道に入る事も出来ない。

 どこに、どこに消えたんだ。

 さっきの少女は。

 

「……なんだったんだ?」

 

 そして不思議な事に。

 先ほどの衝撃が時間が経てば経つほどに薄れていくのを感じる。

 どうでも良い事のように。

 別に忘れても良い事のように。

 

 そして数秒もしないうちに、俺は何をしていたのか思い出せなくなって、訳が分からず首を傾げながら帰路につくのだった。

 

 



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19話 例えばの可能性

 ――合鍵は既に用意してある。

 

 音を立てないようにゆっくりと扉を開け、そして閉める。

 しんと静まり返った家の中。

 家の主がいない事は既に分かっている。

 分かっているが、いつ帰ってくるか分からない。

 早急に任務を終わらせ、帰らねば。

 

「……」

 

 目的のモノがあるのは、二階。

 奴の部屋。

 散々そこでイジメられたから、大体場所は把握してある。

 パソコンの位置は分かっている。

 問題はそれを操作しデータを徹底的に破壊するのにどれほどの時間が掛かるかだが、最悪物理的に破壊するという手もありだろう。

 器物破損?

 いや、問題ない。 

 その程度の事、今更気にしている問題ではないのだから。

 姉さんを守るため。

 私はこうして今、ここにいるのだから。

 

「……ここ」

 

 階段を上り。

 上り。

 上って。

 部屋へと辿り着く。

 ゆっくりと、しかし急いで扉を開く。

 カーテンが閉じられた部屋。

 清潔に掃除されているけど、しかし自分には分かってしまう。

 その、鼻に付く嫌な臭いを。

 ああ。

 それを自分は許容し、それどころか○○し掛けている事に、嫌悪する。

 今はそんな自分を強引に無視し、パソコンの元へと急ぐ。

 電源を点け、そしてマウスを動かす。

 目的のデータは、どこだ?

 焦るほどに手が震え、目移りする。

 急がないと。

 急がないと――

 

 バチッ!!!!

 

「あ、ぎぃ……ッ!」

 

 衝撃。

 まるで電撃。

 全身が痺れ、真横に倒れる。

 まるで自由に動かない身体。

 視界に映るのは二人の男女。

 

「あはっ、よーちゃん。悪なんだぁ」

 

 くすくすと笑う、自分の姉の姿。

 その手には黒い、先端で紫電が散るスマホサイズの何かが握られていた。

 その隣で醜悪に嗤う、痩躯の男。

 

「やっぱりおじさまの言う通りだったね?」

「ああ、本当に悪い子だ」

「ねえ、おじさまぁ? 朝日、おじさまの言う通りにしたから、後で……」

「そうだな。後でたっぷり可愛がってあげよう。けど、その前に」

 

 にやりと笑う男。

 

「悪い子には、お仕置きが必要だ」

 

 男の汚らしい手が、私の元へと伸びる――

 

 

  ◆

 

 

「……」

 

 夢を見た気がする。

 酷い夢だった気がする。

 だけどどれだけ頭を動かしても夢の内容は思い出せない。 

 珍しい事だ。

 夢を見たという自覚はあるのにその内容をまるで思い出せないのは、多分初めて。

 その上悪夢を見たらしく、身体中汗がびっしょりで気持ちが悪い。

 一つ、シャワーを浴びてきたいけれど、しかし姉さんを起こしてしまう可能性があるのでここは我慢する。

 

「ふう……」

 

 しかし、目が冴えてしまっている。

 多分、すぐには寝付けないだろう。

 スマホで時間を確認すると、今は夜の3時。

 起きるにはまだ早い時間帯。

 私は試しに欠伸をする振りをしながらベッドの上で寝返りを打った。

 

「……」

 

 暗闇の中で、私はふと思い立ちスマホを弄る。

 確認するのは、メール。

 しかし誰からもメールは来ていない。

 というより私にメールを送ってくる人なんて、今のところ家族と――

 

「あの人……」

 

 天童武。

 よく分からない人。

 メールで幾らか議論したが、未だにどんな人かよく分かっていない。

 悪い人ではないだろう。

 しかし、赤の他人である私にどうしてあそこまで執心出来るのかが分からない。

 下心があるようにも見えないし、しかし下心がないにしては不自然でもある。

 私は最後に彼から送られてきたメールを確認する。

 

『とりあえず、夜月ちゃんは何か目標を見つけてみるってのはどうかな?』

 

「目標、ね」

 

 夢ではなく、目標。

 それなら私でも出来そうだ。

 何かをするために、努力する。

 今までは出来る事しかやってこなかった私なのでそういうのは不慣れな気がするけれど、まあ、出来ないと決めつけるには尚早だ。

 はてさて、まずはどんな目標を見つけてみようか。

 無理のない目標にしよう。

 

 そんな風に頭を使っていたら、私はいつの間にかまどろみの中に――

 

 

 次の眠りの間、夢は見なかった。

 



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20話 買い物先で

 買い物である。

 無論、なんか怪しいものを購入するとかではない。

 原作では怪しい機械やらお薬を購入しておりました天童武ですが、そんな事やったら普通に警察にしょっ引かれます。

 なので、今回の買い物は極めて普通。

 というかただ食材を買いに来ただけである。

 

 徒歩5分程の距離にあるスーパーマーケット『アンリアル』。

 なんか厨二っぽい名前だなと思うが、まあ、この世界原作がエロゲなのでそんなものだろう。

 変な物とか売っているかなとか思ったけど、別に何の変哲もない普通のスーパーマーケットである。

 あ、いや。

 なんか多彩な避妊具とか、何故か自慰用品が一角に並んでいて、それを客や店員は極々普通に受け入れていたけど、それ以外は極めて普通。

 羊肉やウサギ肉、ドラゴンフルーツとかドリアンとかが普通に並んでいる、普通のお店です、うん。

 一体全体誰が購入するんだ、そういうの。

 

 無論、そういう珍妙なものを購入したりするもの好きではない俺は普通に買い物をしていく。

 今日買いに来たのは、豚肉、牛乳、ヨーグルト、小麦粉とか。

 豚肉は何日かに分けて食べる。

 そのためたくさんの、それこそ900グラムとかそれくらい入っているものを購入し、今日食べた後は残ったものを冷凍庫に保存しておくつもりだ。

 あとは、牛乳とヨーグルト、小麦粉。

 これらは結構消費量が多い。

 食事の他にもなんだかんだでお菓子作りに使ったりするからだ。

 朋絵ちゃんが遊びに来るし、桜子ちゃんの食後の甘味として弁当に入れる為にも時々お菓子を作っている。

 なのでこれらも大量購入。

 小麦粉はお徳用が売っているけど、残念ながら牛乳とヨーグルトにそういうのはない。

 結構経費が掛かるし、これからは作るお菓子を減らそうかしら。

 

「あら? 天童さん?」

 

 それ以外に値引きシールが貼られていたり、もしくはここで購入しておいた方が良いものはあるかなと思いながらスーパー内を歩いていると、唐突に背後から声が掛けられる。

 振り返ると、そこにいたのは黒髪の女性。

 竜胆愛奈、その人がそこにいた。

 

「あ、ああ。竜胆さん」

「天童さんも買い物ですか?」

「ええ、この通り」

 

 と、俺は自身の持つ籠を見せる。

 彼女もまた籠を持っていたが、しかし俺と比べて中に入っているモノは結構少ない。

 やっぱり女性だし、一度に購入するものは少ない方が良いとか、そんなところだろうか?

 

「なんと言うか、新鮮ね」

「新鮮、とは?」

「いえ。天童さんってなんだかインドアなイメージがあったから、こうして外に出て買い物に来ているというのがちょっと、ね」

「なるほど」

 

 確かに、言われてみれば。

 

「でもまあ、俺だって外に出る時は出ますよ。買い物は通販って手もありますけど、それだとお金が掛かりますし。それに身体を動かさないと身体が鈍ってしまいますから」

「あら、それじゃあ運動のつもりで?」

「後はまあ、良い食材はやっぱり自分で選んだ方が良いですから」

「それは、その通りね」

 

 彼女もまた納得と言わんばかりに頷いて見せる。

 主婦としてそこら辺に理解があるのは間違いないか。

 

 それにしても、と俺はさりげなく彼女の姿を見る。

 サラサラと流れる黒髪。

 赤く輝く瞳。

 ぷるっとした桜色の唇。

 流石は竜胆愛奈、大人の色気があるな。

 それと同時にやはり精神的に安定しているというか、ガードが固そうにも感じる。

 まあ、独りでずっと息子一人を育ててきたのだ、守りが固くて当たり前か。

 

 まあ、ここはそこまで深く探ったりはせず、世間話をしようか。

 

「それにしても最近は本当に暑くてたまりませんね」

「ええ、そうね。ただこういうスーパーとかは冷房がとても強いから、ちょっと風邪を引いちゃいそう。それに、うちの息子は暑がりだから冷房を強くしたがるのよ。私としては扇風機で我慢しなさいって思うわ」

「年頃の男なんてみんなそういうモノですよ。それに、男は女と違って暑がりって言いますからね。基礎代謝の違い、だったと思いますけど」

「へえ、そうなの。結構物知りなのね、天童さんって」

「いえいえ、俺はあくまで知っている事を話しているだけですよ。それに、こういう話はあくまで話題の一つにしかならないし、しかも発展性もない。俺としてはもっとウンチクじゃなくて、女性と上手く話せるようになりたいです」

「あら、ちゃんと話せていると思うわよ?」

「キザったい男が良く言うような、歯の浮いたようなセリフを自然に言ってみたいですね」

「あはは、冗談が得意なのね。天童さんって」

 

 くすくすと笑って見せる愛奈さん。

 うーん、可憐で可愛らしい。

 その上大人の女性としての色気があるとか最強かよ。

 

「とはいえ、そういうのはあまり他の女性には言うモノではないわよ、天童さん」

「それは、どうして?」

「セクハラに捉えられるかもしれないから。まるで私に対してキザったい、伊達男のような仕草をしたいみたいな言い方だったわよ」

「おや、そうですかね」

「ええ」

「でも、竜胆さんにならそのような事をするのもやぶさかではないと思ってはいますよ、俺は」

「……! も、もう。おばさんをからかうんじゃないわよ天童さん!」

「おばさんというにはまだ若いですし、まだ若々しい外見をしていると思いますよ、俺は」

 

 その言葉を聞き一瞬動揺を見せた彼女だったが、すぐに平静さを取り戻し、それから「はあ」とため息を吐く。

 

「まったく、桜子ちゃんの言う通りね」

「……え?」

「いえ、何でもないわ。それよりも、いい加減ここで立ち話をし続けるのは他の客に迷惑ですから、先に買い物を済ませてしまいましょう」

「ん、ああ。そうですね」

 

 それから俺達は二人並んで予定通りのモノを購入した。

 そして、当然のように、というかお隣さんなので一緒に帰るのは当たり前か。

 その時、愛奈さんの荷物が重そうだったので俺が持ってあげる事にした。

 

「いろいろとありがとうね、天童さん」

「いえいえ」

「ああ、そうだ。ちょっとそれを家に運ぶついでに、ちょっと家でお茶でもしていく?」

「え?」

 

 やったぜ。

 



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21話 家庭訪問

 そもそもこうして竜胆家を訪れるのは二回目である。

 前回は桜子ちゃんの話をするために。

 今回は普通に誘われて。

 

 ……こうして愛奈さんに家に呼ばれる事が出来たのは、ひとえに日々ちゃんと彼女と交流をしてきたからだろう。

 毎日出会ったら挨拶。

 食事のおすそ分けなんかもしてきたし、根気よくお菓子とかも渡してきた。

 そのお返しにいろいろと貰って来たし、そのお礼と感想もちゃんと言ってきた。

 そういう日々の努力がこうして実ったという事に違いない。

 後はまあ、原作の強制力、とか?

 俺がこの家を訪れないと話が進まないだろうし。

 まあ、そこらへんはあくまで俺があるとしているだけで、実際にあるかどうかは分からないんだけどね。

 

 さて。

 そんなこんなで俺はダイニングに来ていた。

 そこで席に座り、愛奈さんに出された紅茶とクッキーをいただいていた。

 いただいていた、っていうか。

 

「あれ、これ」

「ええ、手作り。貴方、天童さんのよりはまだまだ全然だけれど、そこそこ美味しいでしょう?」

「いえいえ、竜胆さんの手作りのお菓子を食べられて、とても嬉しいですよ」

「相変わらず本当に嬉しい事を言ってくれるわよねぇ、天童さんは」

 

 と、しみじみ言う愛奈さん。

 

「こう言ってはなんだけど、最初はもっとお堅い人だと思ってたわ。顔を合わせてもすぐふいってそっぽ向いちゃうし、声を掛けても一言二言でどっか言っちゃうし」

「あー」

 

 それは多分、『天童武』が俺じゃない時の事を言っているのだろう。

 

「それはまあ、俺もちょっと緊張していたんだと思います。今はほら、ここの生活にも慣れましたし」

「そう、だと良いのだけれど。私は今の貴方、とても魅力的だと思うわ。笑顔も自然だし、お菓子も料理も美味しいし」

「はは、褒めても何も出ませんよ。出るのはそれこそ、お菓子と料理くらいです」

「それは、楽しみね。特に前貰ったチャーシュー、翔も好評だったのよ」

「へえ、それはそれは」

 

 まあ、男の子はああいう味の濃い奴は大好きだろう。

 俺も男だし、その気持ちは分かる。

 それにしても、翔少年か。

 全然会わないけど、今、何しているんだろうか?

 文芸同好会で活動しているみたいだけど、そこら辺の情報は全然聞かない。

 桜子ちゃんや朋絵ちゃんに聞くのもなんだか変な気がするし。

 

 とはいえ、そこから俺達が話したのは主に子供の育て方についてだった。

 具体的に言うと、勉強方面。

 彼等は今、高校二年生。

 受験を気にするような時期と言えば間違いない。

 

「あの子も桜子ちゃんみたいに塾に通わせた方が良いのかしら」

「そこら辺はそれこそ翔君のやる気次第じゃないですかね。やろうという意思がなければどれだけ努力しても意味はないのですし」

「勉強は将来の為になるのだから、出来れば努力して欲しいわ」

「そこはまあ、親の辛いところですよね」

「ええ。強く言うのも私のエゴだと思うし、とはいえ静観するのもおかしいような気がするし。夫が生きていたら、なんと言うのかしら」

「案外何も言わないかもしれませんよ、子供の自由意思に任せる、とか」

「それは――言いそうねぇ」

 

 と、そこで愛奈さんは空っぽになったお菓子が乗っていた皿を見、「新しいお茶菓子を持ってきますね」と言い、皿を持ってキッチンへと姿を消す。

 まだあるのかと思いながら紅茶を啜っていると、次の瞬間、絹を引き裂くような悲鳴を聞き驚き、声のした方へと急ぐ。

 キッチンでは愛奈さんが腰を抜かしたような感じに倒れていた。

 

「ど、どうかしましたか!?」

「い、いえ。ちょっと、あの。アレがいて」

「……アレ?」

「その、ゴキブリ……」

「あー」

 

 それは言い辛いな。

 家の掃除をちゃんとしていないと思われるかもしれないし、そうでなくてもゴキブリというのは口に出したくない生き物のいい例だろう。

 

「立てますか?」

 

 と、そう言いつつ俺は彼女に手を差し伸べる。

 それを見た愛奈さんは恐る恐る俺の手に伸ばし――

 

「きゃあ!」

 

 まだ身体に力が入り切っていないからだろう。

 もしくは床が滑りやすいようになっていたからか。

 彼女の身体がずるりと傾き、前のめりに倒れる。

 とはいえ、大丈夫。

 前回と同じく、彼女のように細身で明らかに軽い女性からタックルを食らったところで倒れたりはしない――

 

 ふにょん。

 

「ぅ」

 

 俺は変な声が出そうになるのを必死に堪えた。

 だって、咄嗟に出たのであろう彼女の手の伸ばした先にあったのは、俺の、その、股間だったのだから。

 潰されるかと思った。

 いや、そこまでやわではないのでそんな事はないだろうけど、精神的にはそれくらい恐怖があった。

 

「あ、え。ひっ」

 

 そして愛奈さんはそこで自分がどこを触っているのか気づいたらしく、ひゅっと息を呑み慌てて手を退ける。

 

「ご、ごめんなさい。私ったら、なんてはしたない……!」

「い、いえ。これは事故ですから、あまり気にしないでください。ていうか、そうしてくれると助かる……」

「え、ええ……」

 

 動揺しつつも彼女はこくりと頷いてくれた。

 とはいえ動転した心はすぐには元通りにはならない。

 真っ赤な顔でぽーっとした彼女は俺の顔を見る。

 俺も何と言ったら良いか分からず、その結果気まずい沈黙が場に訪れる。

 え、なに。

 なんでそんな顔をするの?

 まるで熱に浮かされているように、もしくは何かに魅了されたかのように。

 ……もしかして、俺の股間を触ったから?

 え、なに?

 もしかして原作の強制力的なモノが発動しちゃってる?

 もしくはそういう魔力的なモノが宿っているの、俺の股間?

 嘘でしょ?

 

「て、天童さん……?」

 

 彼女は潤んだ瞳で俺を見てくる。

 とろんとした瞳だ。

 濡れた唇がゆっくりとこちらへと近づいてくる。

 俺はどうしたら良いか分からず、とはいえ逃げるのは男らしくないと思ったので、その結果その場に立ち尽くす事となった。

 そして――

 

「お、お菓子の屑がついていたわ」

 

 と、彼女は俺の頬に付いていたであろうお菓子の屑を手に取る。

 そしてそれを口に含んだ彼女は、ぎこちない笑みを浮かべる。

 

「そ、その。それじゃあ、ちょっと、あちらでお茶の続きをしましょうか」

「え、ええ」

 

 俺はちゃんと笑えていただろうか。

 そう思いながら、俺は彼女と一緒にダイニングへと戻る。

 

 ……結局その後、俺は彼女とぎこちないまま会話を数分した後、帰還する事となった。

 

 



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22話 認めたくない事実

 今日、あった事を思い出す。

 竜胆愛奈との事。

 彼女にチョメチョメを触られた時の事。

 ……彼女の様子。

 劇的な変化。

 まるで催眠。

 むしろ催淫。

 強制されているようでもあり、自由意思のようでもあった。

 

 シャーッ。

 シャワーから流れる水音を聞きながら、一人物思いに耽る。

 シャンプーで頭を洗った後だ。

 それで一通り泡を流した後、身体をごしごし泡立てたボディソープの泡で洗う。

 それもまたシャワーで流す。

 一通り身体を清めた後、湯船に身体を沈める。

 温いお湯。

 身体の疲れが抜けていくのを感じる。

 

 しかし、今日起きた事への疑問は抜け切らない。

 むしろ増すばかり。

 何故あんな事が起きてしまったのか。

 普通ではない。

 いや、今までそう言う機会は何度もあった。

 ただ、それらの事をずっとただの偶然だと思っていた。

 原作の修正力。

 強制力とも言うべきか。

 そんなもの存在しないと思っていた。

 もしくはその存在について懐疑的であった。

 だから、今日起きた事は俺にとってとても信じがたい事だった。

 幽霊の正体見たりだが、実際見たのは枯れ尾花じゃなくてガチの幽霊だった、みたいな。

 マジで笑えない。

 

 だって、そうじゃないと考えられない。

 彼女、竜胆愛奈が、言い方は悪いがビッチだったとしても、急にあんな風な態度を取ったりはしないだろう。

 だってあの時、彼女はとても動転していた。

 いきなりあんな風に俺の事を誘うような表情で身体を近づけ、まるでキスしようとしたかのように顔を寄せてくるような事はしないだろう。

 

 恐ろしい話だ。

 俺の推測が正しければ。

 俺の持つ股間。

 

 それは人の思考を捻じ曲げ、強制的に行為へと至らせようとする力が宿っている可能性がある。

 

 なんじゃそりゃ、馬鹿じゃねーのと思うかもしれないけれど。

 しかし、そうとしか思えないから凄く困る。

 

 竿役おじさんとしてはラッキー?

 いや、絶対違う。

 だってこれ、催眠術とまるで同じじゃないか。

 意思を捻じ曲げ、自分の都合の良いようにする。

 それってつまりはただの自慰行為となんら変わらない。

 独りよがり。

 自分勝手。

 そんなの一時的な快楽は得られるだろうけど、後で空しさがやって来るだけだ。

 

 だから、俺は今、決めた。

 最終的に行為へと至るまで、自身の股間は封印すると。

 まあ、やる事は今までと同じだ。

 強引に行為を迫るのはしないって事を誓っただけ。

 それをしたら結構な成功率があるという事が分かった今でも、改めてそう思う。

 

「ふう」

 

 俺は浴槽から立ち上がり、あらかじめ持ってきていたタオルで身体を拭う。

 湯冷めして風邪を引く訳にはいかないのでさっさと風呂場から出て身体を乾かすためにがららと洗面所と風呂場を繋ぐ扉を開け――

 

「あ」

「え」

 

 そこには、桜子ちゃんがいた。

 え、何故に?

 歯を磨きにでも来ていたのか?

 

 いや、理由はどうでも良い。

 問題は、状況が想定外だったので前を全然隠す余裕がなかったという事。

 

「あ、ぁ。あ……」

 

 桜子ちゃんの視線が下にズレる。

 どこを見ているのかは明白だった。

 俺は慌ててタオルで前を隠すが、しかしどうやら遅かったようだ。

 

 桜子ちゃんの目が、とろんとする。

 頬が上気しているのはきっと羞恥だけではないだろう。

 だらりと身体の力が抜け、熱い吐息を漏らす。

 そして彼女は一歩、倒れるようにこちらへと踏み出してきて。

 

「……ッ!」

 

 俺は彼女が何かをするよりも早く、風呂場へと逃げこんだ。

 

「ご、ごめん桜子ちゃん!」

 

 そう扉越しに叫ぶと、彼女がはっと我に返るのが分かった。

 

「え、あ……ぇ」

 

 扉越しに見える影が揺れる。

 

「た、武、さん……」

 

 そして、俺が二の句を告げるよりも早く影は揺れながら洗面台の出口へと向かっていった。

 どうやら、立ち去ったらしい。

 やばいな、どうしよう。

 きっと桜子ちゃん、ショックを受けてる。

 だけど、俺から何を言うべきか。

 とりあえず、落ち着いたタイミングを見計らって謝りに行くか。

 

 そう思い、俺は風呂から出て身体と髪を乾かし、それから数分後。

 

 足音を忍ばせ、桜子ちゃんの部屋へと近づく。

 起きているだろうか。

 扉越しに耳をすませてみる。

 すると。

 

「……あ、ゃっ……」

 

 ん。

 んん????

 

「……や、ぁん……♡」

「……」

 

 離脱する事にした。

 聞かなかった事にしよう。



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23話 女性達の悶々

 ――その頃、女性達はそれぞれ悩ましい声を上げていた。

 

 

「ふぅ……」

 

 私は何度目か分からない溜息を吐く。

 サーっという水音。

 シャワーから流れ出る水粒が身体を叩く。

 生暖かい水は私の身体を優しく流していくが、しかしどれだけ洗っても心の中の靄が晴れる事はなかった。

 

 今日の出来事。

 アクシデント。

 男性の、その、あそこを、誤って触れてしまった事。

 それも、そこそこ知れた仲の人のものだ。

 結局彼は気にしていないと言っていたが、実は心の中では私の事を軽蔑しているかもしれない。

 酷いオンナだと。

 情欲に忠実な女だと。

 そんな風に思われていたらどうしよう。

 そうだとしたら、とてもショックだ。

 

「はぁ……」

 

 落ち込む姿を翔に見られ、今日は早く休んだ方が良いと心配された。

 息子にもそんな風に言われるなんて親失格だ。

 親、失格。

 

「……」

 

 夫と出会い、それから夫と死に別れて。

 こんな感情を抱いたのは久しぶりかもしれない。

 そんなまでに、彼の事を気にしているのだろうか、私は。

 気にしてしまうのは仕方がないだろう。

 男の象徴を嫌でも見せつけられて、ああ、いや。

 別に実際に見せつけられてはいないけど。

 実際はもっと酷いものだけど。

 アクシデントで、触れてしまった。

 夫は元々身体が弱い人だったから、触れる機会は少なかった。

 その分愛し愛されたとは思っている。

 ああ、でも。

 

 私、やっぱり欲求不満なのかしら。

 

 思い出したかのように、溢れてくる欲求。

 シャワーから吐き出される水粒に当たりながら、私はモジモジと太ももを擦らせていて。

 気づけば両の手は胸の先へと伸びていた。

 

 

 その時、私は数年ぶりに母親ではなくなった。

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 何度目か分からない溜息を吐く。

 今日はもう休むつもりでベッドに横になったが、いっこうに眠りにつける気配がない。

 むしろ目は冴えていて、頭の中を混沌が渦巻いていた。

 これでは眠れるのは何時間後になるだろう。

 そして思い出してはいけないと思えば思うほどに、先ほどあった事がフラッシュバックしてしまう。

 

「……」

 

 おじさん。

 武さん。

 武さんの、裸体。

 肉付きは薄く、筋肉はそこまでついていないけど、しかし無い訳ではない。

 30代の肉体としては割と理想的ではないだろうか。

 そして、ああ。

 うん。

 忘れる事も出来ない。

 あ、あまりにも大きい、その。

 

「……」

 

 あれはまだ準備段階ですらなかった。

 だって下向いてたし。

 じゃああれがもし興奮状態になったら、どれほどになってしまうのか。

 想像するだに恐ろしい。

 絶対入らないでしょ、あんなの。

 

「……って」

 

 なんで自分がそうする事を想定しているんだ。

 頭を振って思考を振り払う。

 私と武さんは同じ血が流れている。

 そういう事は出来ないのだ。

 出来ない。

 可能かどうか考える状況か、今。

 

「……」

 

 ああ、何と言うか。

 ○○と思う自分がいる。

 その事に嫌悪する。

 だって仕方がないじゃないか。

 だって、おじさん。

 武さんは、私にとって。

 初めて――

 

「んっ……」

 

 私は気づけばパジャマの前をぺろんと捲り上げ。

 ズボンを中途半端に下ろしていた。

 下着が外気に晒される。

 お気に入りのシトラスグリーンのカワイイ飾りがついたブラとパンツ。

 最近購入したものだ。

 前は、こういうのを買うのを許しては貰えなかったから……

 

「あ、ああ……」

 

 なんて、罪深い。

 私は罪悪感に苛まれる。

 だけど、ああ。

 それすらも禁忌の味として。

 身体は熱を帯びていく。

 

 

 その時、私は数年振りに良い子ではなくなった。

 

 

 

 

 ――その頃。

 日乃本朋絵は。

 

「ああ! 気になるーっ!」

 

 ベッドの上で枕に顔を埋めながら叫ぶ。

 気になる。

 気になる。

 先週、とあるイラスト雑誌の募集に応募した結果が、凄く気になる。

 結果が出るというか雑誌が販売されるのは当分先だが、割とすぐに販売されるとは思う。

 大賞を取れると思えるほど私は自信家ではない。

 だけど、雑誌に掲載されたりしたら。

 親は、私の事を認めてくれるだろうか。

 桜子の奴と、少しは並び立つ事が出来るだろうか。

 武さんは――私の事を褒めてくるだろうか。

 

「ううーっ!」

「五月蠅いぞ、朋絵!」

 

 下から父親の怒鳴り声が聞こえて来たので、黙る。

 それでも悶々とした心は晴れない。

 多分、まだまだ夜は長そうだ。

 

 

 女性達は、それぞれの思いを胸に秘め、悶々としながら夜の時を過ごす。



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24話 ぎこちない朝

「お、おはようございます」

 

 桜子ちゃんは見るからに寝不足で、その上申し訳ないというか罪悪感に溢れる表情で降りてきた。

 何を考えているのかはとても分かる。

 ただ、ここで彼女にその事を追求したら間違いなく桜子ちゃんが傷つくだろう事は目に見えているので、俺はとりあえずこちらからは何も言わずに「おはよう」と挨拶する事にした。

 

「あの、武さん」

「なんだ?」

「……その」

 

 長い沈黙の末、彼女は口を開く。

 

「昨日は、すいませんでした」

「ああ」

 

 桜子ちゃんの自室での秘め事は知らない事になっている。

 なのでここで俺が言うべきなのは、

 

「別に、俺も不注意だったよ。人がいるか確認してから外に出ていくべきだった。こちらこそ、ごめんな。見たくないものを見せてしまって」

「それは――いえ。その、謝らないでください。こちらももうちょっと存在感を出しておくべきでした」

「うん、まあ。それじゃあ、謝るのはお互いこれでお終いにしよう、な? 多分、謝り合っていたらきりがないだろうからな」

「は、はい」

 

 そう言いつつも桜子ちゃんはずっと申し訳なさそうな表情をし、結局学校へと行くために家を出る時までずっと表情は暗かった。

 これは――帰ってきたらフォローするべきだろうか。

 もしくは時間が解決してくれるのを待つべきか。

 ……後者だろうなぁ。

 俺もこれで謝るのはお終いって言っちゃったし、それを覆して彼女にあれやこれやしてしまうと、逆に彼女も申し訳なく思ってしまうだろう。

 まあ、いつものように、いつもの如く過ごすのが一番か。

 あまり意識しないように、そうしよう。

 

 それから俺は朝食の後片付けをした後、ゴミ捨て場にゴミを捨てに外に出る。

 するとそこで俺は出会ってしまう。

 

「あ、」

「う、ん?」

 

 竜胆愛奈さん、その人だった。

 彼女は何やらゴミの他にバッグを手に持っていた。

 もしかして、これから仕事だろうか。

 道理で彼女、うっすらと化粧をしているのか。

 いつもよりも綺麗に見える。

 

「お、おはよう。天童さん」

「ええ、おはようございます。竜胆さん」

 

 とりあえず、挨拶をする。

 彼女も予想通りと言うかなんというか、よそよそしいというか笑顔がぎこちなかった。

 間違いなく、昨日の事を意識している。

 とはいえ、こちらもこちらで昨日、既に終わった事として処理してしまっている。

 こちらから昨日の事をぶり返すような事は、しない。

 

「お仕事、ですか?」

「え、ええ。そうよ。これから、職場に」

「それは、頑張ってください」

「……ありがとう。天童さん」

 

 ぺこり、と深く頭を下げてくる。

 それはどこに向けてのありがとうなのかは、聞かない事にした。

 なんて言うか、地雷原の上で会話しているような気分だった。

 その後、彼女は一度自分の家に戻り、それから自転車に乗り出掛けるのを俺は見送る。

 その背中が完全に見えなくなったところを確認し、俺は肩を重々しく落とし、自分の家へと引っ込むのだった。

 はあ、なんだか朝だというのに、疲れた……



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25話 蒼い鳥

『ところで天童さん。今日の午後暇ですか?』

『暇と言えば暇だけど』

『それじゃあ今日、家に行っても良いですかね』

『うん?』

 

 

 ……そんなメールでのやり取りがあって、それから午後。

 

「こんにちは」

「お、おう」

 

 今日も今日とて無に近い表情で現れる少女、金剛夜月。

 彼女とはあれから何度かメールでやり取りをしてきたが、しかしこうして家を訪れるのはあれから二度目である。

 それにしては随分と急な来訪だ。

 何か、あったのだろうか?

 

「で、今日は何をしに来たんだい?」

「それはそうと、ですけど。今日は随分と静かですね。前は確か天童さんの他に、先輩方がいましたけど」

「ああ、うん。今日は二人ともいないよ」

 

 桜子ちゃんは塾。

 朋絵ちゃんは、なんだろう。

 彼女が来ないのは珍しい事だ。

 まあ、彼女も高校生だし、忙しいのはおかしくない。

 精々高校生生活を満喫して欲しいものだ。

 

「あれ、もしかして二人に会いに来た、とか?」

「いえ。ただ、いてくれた方が都合が良かったというのはあります」

「?」

「とりあえず、家の中に入らせて貰えませんかね」

「あ、ああ」

 

 そう夜月ちゃんに言われ、俺は慌てて道を譲る。

 二度目だというのに彼女は勝手を知っていると言わんばかりにずんずんと家へと上がり、そしてリビングへと向かった。

 なんと言うか、度胸があるな。

 俺が言うのもなんだが、今、この家にいるのは年上の男しかいないんだぞ。

 ちょっとは警戒してくれた方が、こちらとしてはありがたいんだけど。

 

「さて」

 

 と。

 リビングのソファに腰掛けた夜月ちゃんはカバンを開けて中身を弄っていた。

 何をしているのだろう。

 そう思っていると、彼女はその中から印刷用紙の束を取り出し、「はい」と俺に差し出してきた。

 

「ん?」

「えっと、ですね。これは、私が執筆した小説なのですが」

「あ、ああ。なるほど、それを読んで感想を言えば良いのか?」

「そう言う事です」

 

 納得。

 それと同時に、パソコンのメールアドレスを教えておいた方が良かったかなとも思った。

 それならこんな風にわざわざ家に足を運ぶ必要はなかった訳だし。

 まあ、俺としては夜月ちゃんに直接会えたのはとてもラッキーだったと思うけれど。

 

「それじゃあ、読ませて貰うけど。それまで夜月ちゃんはどうする? お菓子でも食べるかい?」

「いえ。スマホがあるので、それで時間を潰しています」

「分かった。それじゃあ、急いで読ませて貰うよ」

「急がなくて良いので、しっかり読んでください」

 

 彼女はぴしゃりと言ってくる。

 手厳しいな、そう思いつつ俺は部屋の片隅にあった丸椅子を取ってきて、そこに腰掛け読み始めようとする。

 

「あ、その」

「ん?」

「ソファ、広いですし。別に私は気にしないですので、座って貰って構わないですよ?」

「そうかい? それなら」

 

 実際、二人が腰かけてもなお余るサイズの大きさだ。

 端に腰掛けた夜月ちゃんの反対側に腰掛けても、大体70センチほど余っている。

 

「それじゃ、読ませて貰うよ」

「……はい」

 

 早速読み始めてみるが、序盤を読み始めた時から「ん?」と首を傾げる事となった。

 確か、夜月ちゃんは現代ものを書いているという話だった筈だ。

 しかしこの小説はどこからどう見てもファンタジーなのだ。

 

 主人公は親から虐げられていて、ある日我慢が出来ず家を飛び出して旅に出る。

 彼の目的は、願いを叶えてくれる蒼い鳥を見つけて自身の願いを、それ即ち幸せな日常を手に入れる事。

 そのために主人公は山を越え海を渡るなど、様々な困難を乗り越えた。

 しかしどれほど旅を続けても、どこにも蒼い鳥は見つからない。

 そこで彼は思い至る。

 もしかして、蒼い鳥はかつて自分の暮らしていた家にいるのではないか、と。

 しかし彼は頑なにその思考を否定する。

 だってあのような苦く苦しい日々を送ってきた家にそんなものがいる訳ないじゃないか。

 世界は広い。

 まだ、探していない場所があるのだろう。

 そう思い、主人公は旅を続けていく――

 

「……ん?」

 

 そして、物語はそこまでだった。

 この小説は、書き掛けだったのだ。

 どうしてだろうと思い夜月ちゃんを見る。

 

「これは――」

「えっと。まだ、終わりは決めかねているんです」

 

 そう、夜月ちゃんは言う。

 

「結局、蒼い鳥を主人公は見つけ出すのか見つけ出せないのか。見つけ出せたのなら、蒼い鳥はどこにいたのか。いろいろと考えていて」

「んー。俺の知っている幸せの蒼い鳥の話は、結局家で見つけたんだったよな」

「それは今、考えないという事で」

「……それじゃあ、やっぱり家の外で見つけたって事の方が良いんじゃないか? だって主人公は親に虐げられてきたんだろ? そんな場所に願いを叶えてくれる蒼い鳥がいるとは思えない」

「それは、そうですね」

「うーん。問題は、どこにいたのかだよな。世界は広いって言っているし、旅の果てで見つけるって事になるんだろうけど」

「まあ、実は世間は狭かったという風にするって手もありますけど」

「ん?」

「……ああ、いえ。さっきのは聞き逃してください」

 

 と、彼女は慌てたように言う。

 それから、こほん。

 そう咳払いをした彼女は、じっと俺の事を、らしくもなく不安そうな目で見つめてくる。

 

「それで、どうでしたか?」

「内容の出来は、って事だよね?」

「はい。面白かったでしょうか」

「それは――」

 

 俺は少し考えた末、正直に答える事にする。

 

「まだ、分からないとしか言いようがないな。やっぱり、物語の終わり方によってそれは駄作にも傑作にもなる訳だし」

「それは、そうですね」

「でも、今のところ話は面白かったと思うよ。話の緩急の付け方も上手いし、主人公の会話も結構洒落が聞いてて読んでて面白い」

「それは、良かったです」

 

 ほっとしたかのように肩の力を少し抜いたのが見て取れた。

 結構、表情が動かないようで全体的に見ると結構感情豊かな子なんだな、夜月ちゃんって。

 

「その」

 

 と、夜月ちゃんはそれから少し言い辛そうに言う。

 

「出来れば、ですけど。この物語がちゃんと完成した時は、貴方にもう一度感想を聞きに来ても良いですか?」

「それは、良いけど」

 

 そう言えば。

 一つ、気になった事があった。

 

「これって、もしかして部誌に載せる奴なのかな?」

「ああ、これは」

 

 と、夜月ちゃんは少し照れ臭そうに言う。

 

「完全に趣味で書いた小説です」

「趣味、か」

「ええ。こんな風な創作活動をするのは初めてでしたが、なかなかに楽しかったです」

「それは良かった」

「はい」

 

 それから彼女は表情を再び消す。

 

「それじゃあ、天童さん」

「ん?」

「私はこれで、帰ります」

「もうちょっと、ゆっくりしていっても良いんだよ?」

「いえ、私も色々と用事があるので」

 

 俺が何を言っても引き留められそうにはなさそうで、結局彼女は宣言通り帰っていった。

 

 その後。

 

『また、小説を持っていったら読んでくれますよね』

 

 そんなメールが送られてきた。

 返答は考えるまでもなかった。




今話で書きだめがなくなりましたので、次回から不定期更新になるかもしれません。


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26話 少女の勘

「……ん?」

 

 と。

 桜子ちゃんは帰って来るなり眉をひそめた。

 ちなみに夜月ちゃんが帰ってから二時間ほど経過したタイミングである。

 

「どうかしたのか?」

「いえ、これは……」

 

 と、彼女は何やら首を捻った後、それからリビングへと移動してソファに顔を近づける。

 そして顔を上げた彼女は、何やら確信めいた表情をしていた。

 

「もしかしなくても、金剛夜月ちゃんが来てましたよね?」

「え」

 

 なんで分かるの?

 顔を近づけてたけど、匂いで勘づいたのだろうか。

 警察犬かな?

 

「なんか、夜月さんの匂いがしたので」

「わ、分かるものなのか?」

「何となくは。後はまあ、勘です」

「勘……」

 

 凄いな、勘。

 あるいは桜子ちゃんが凄いのかもしれない。

 桜子ちゃんは腰に手を当て少し考えるような仕草をしたのち、俺に尋ねてくる。

 

「それで、どうして夜月さんが家に来てたんですか?」

「あ、ああ。何でも、小説を読んで貰いたくて、というよりも、意見が欲しくて家に来たみたいだ」

「小説の?」

「うん。ファンタジー小説だったよ」

「ファンタジー? 夜月さんは基本的に現代ものを書いていたと思ったのですけど」

「ああ、それは俺も思ったけど。そういう気分だったんじゃないか?」

「気分の問題ですかね……まあ、ともかく理由は分かりました」

 

 やれやれと首を振って見せる桜子ちゃん。

 何やら完全に理解したと言わんばかりの態度だった。

 相変わらず凄い物分かりが良い女の子である。

 こちらとしては説明をする手間が省けるので凄くありがたい。

 

「でも」とそこで桜子ちゃんは胡乱げな、というより不審そうな表情をする。「一体武さん、いつの間に夜月さんと仲良くなったんですか?」

 

「一回しかあった事がなかったと思ったのですが」

「あ、ああ。実は、その。以前会った時にメールアドレスを交換しててね。それでメールでのやり取りを何度かしてたんだ」

「メールアドレス?」

 

 ますます桜子ちゃんは意味が分からないと言ったような表情になる。

 

「何がどうなってそうなったんですか?」

「いや、なんでだろうな。今思い返してみても、どうしてそうなったのか分からない」

「ふーん……」

 

 と、彼女は少し顔を伏せる。

 表情が見えづらくなるが、なんだか不機嫌そうでなんだか怖い。

 えっと、どうしたものかこの場合。

 なんと言うのが正解なのか。

 そもそも彼女が何を考えているのか分からないので、何を言っても正解じゃないような気がする。

 

「まあ、良いです」

 

 そうしてしばらくした後顔を上げた彼女は、どこか表情の読めない顔をしていた。

 何を考えているのか分からないので、少し怖い。

 

「とにかく、武さん。こういう事がある時は出来るだけ先に教えてください。凄くびっくりしたんですから」

「あ、ああ。そうだね」

「夜月さんに関しては、まあ、そういう事もあるって事で。武さんは――」

「俺は?」

「い、いえ。何でもないです。それよりも、この話はこれでおしまいにしましょう。お腹が空いたので、夜ご飯が食べたいです」

「あ、そうだな」

 

 頷き、俺はキッチンへと移動する。

 多分料理を運ぶのを手伝いに来たのだろう。

 桜子ちゃんも一緒に付いて来る。

 

「今日は、何ですか?」

「今日は冷やし中華だ。タレは一応自作で、どちらかというと油そば風だな」

「それは、楽しみです」

 

 ニコニコと笑う桜子ちゃん。

 先ほどのどこか不機嫌そうな雰囲気はどこかに消え去っていて、俺はとてもほっとした。

 

「まったくもう、油断なりませんね、まったく」

「ん?」

「いえ、なんでも」

 

 何かを言ったような気がしたが、しかし桜子ちゃんは何も言わなかったと首を振る。

 まあ、彼女がそう言うのだからそうなのだろう。

 

「さあ、お腹が空いたので早く食べましょう!」

「そうだな」



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27話 朋絵の夢

 何事にも始まりがあるように。

 あるいは始まるものには必ず終わりというものが存在する。

 それは多分、普遍的な原理。

 だからこそ人はその法則に抗う事は出来ない。

 果てしないと思われる旅路にもいつしか到達点があるという事だ。

 そしてその場所に辿り着いた者は――

 

 果たして、どうするのだろう。

 そこで歩みを止めてしまうのか。

 はたまた、新しい目的地を模索するのか。

 もしくは……

 

 私はどうだろう。

 もしくは、私は果たしてその場所へと辿り着く事が出来るのだろうか。

 たった一人、厳しい道を歩み続けて。

 ……歩み続ける事が、果たして出来るのだろうか。

 

 

  ◆

 

 

「……ん」

 

 ソファで眠っていた朋絵ちゃんがむくりと身体を起こす。

 今日、彼女は何やら寝不足なようで、そのため絵を描くよりも前に仮眠を取る事を指示したのだ。

 どうも学校のテストが近いらしい。

 それで桜子ちゃんも少々忙しくしている。

 ……少々忙しくで済むのは流石は桜子ちゃんという事だろう。

 桜子ちゃんの場合、理解力が半端ではないので、授業中で復習が必要ない程に内容を把握しているだろうし。

 ただまあ、それを基準としてはいけないだろう。

 むしろ俺的には朋絵ちゃんの方が普通だし、気持ち的に親近感が湧く。

 俺もどちらかと言うと朋絵ちゃん側の人間な訳だし。

 

 むくりと身体を起こした朋絵ちゃんは眠そうな目できょろきょろと辺りを見渡す。

 そして、こくりと小首を傾げた後、「ああ」と頷いて見せる。

 どうやら、どうして自分がこんな場所にいるのか分かってなくて、そして今、それがどうしてなのか頭が理解したのだろう。

 朋絵ちゃんは俺の方を見て言う。

 

「武さーん」

「なんだ?」

「眠い」

「眠いならまだ眠って良いぞ」

「でも。もう、帰る時間だし」

「あー」

 

 言われてみれば、もうこんな時間。

 彼女にも実家というものがあるし、長くい続けていると両親に心配をかけてしまうか。

 朋絵ちゃん的に問題なのは、それで外出禁止令が出る可能性があるという事。

 それだと彼女はデジタルで絵を描く事が出来なくなってしまう。

 それは彼女にとって致命的なロスとなってしまうだろう。

 高校生とはいえ、時間というのは有限だ。

 いつまでも子供でいられるという訳ではないのだから。

 

「ふー」

 

 と、朋絵ちゃんは伸びをする。

 それから彼女は「なんだかなぁ」と呟いて見せた。

 何かしたのかと尋ねて欲しいと言わんばかりだった。

 仕方がないので俺は「どうかしたのか?」と尋ねてみる事にする。

 

「いやーね、ちょっと考え事してて」

「考え事?」

「うん。今後の事を、ちょっと」

「ふーん?」

 

 首を傾げる俺に朋絵ちゃんは苦笑する。

 

「これから先、ちゃんと私は絵を描き続けられるのかなーって」

「それは」

 

 俺は少し厳しめに言う。

 

「描き続けられる、じゃなくて、ちゃんと描き切って貰わないと困る。それが朋絵ちゃんにパソコンを使わせる条件だった筈、そうだろう?」

「うん、分かってるよ、分かってる。それは分かっているんだけど、時々心配になるんだ」

 

 彼女は下を向き、ぽつりぽつりと話し続ける。

 

「どれだけ努力しても夢が叶わなかったり、何かがあって夢を追うのを断念せざるを得なくなった時。その時夢は終わる訳だけど。その時私はそれを受け入れられるのかなーって」

「それは、どうだろうな」

 

 難しい話だった。

 俺もそれに関しては簡単には答えられない。

 

「夢をいつまでも追い続ける事が、必ずしも自分の為にはならない。それは俺も分かっているよ」

「うん、だよね。でも実際のところ、今の状況ってある意味じゃ諦めるしかなかった夢をズルして見続けているようなもの、でしょ?」

「ズルではないさ。ただまあ、運が良かったとは言えるな」

「うん。だから、きっとこの幸運は永遠には続かないと、そう思った方が良いなって」

「……もしかして、何か嫌な事でもあったのか?」

 

 少し心配する俺に対し、朋絵ちゃんは「ううん」と首を振る。

 

「いつもだよ、こういう事を考えているのは。だから、いつも思い出す様に心配になる。そんな事している暇があったら手を動かすべきなんだろうけどね」

「朋絵ちゃんはよくやっていると、俺は思うよ。実力も日に日に増している事は目に見えて分かるし、きっと夢は叶えられるさ」

「それなら――」

 

 と、朋絵ちゃんは何かを言いかけて、止める。

 それから少しぎこちない笑みを浮かべながら「ごめんね?」と謝罪をしてきた。

 

「ちょっと、愚痴っちゃった。こんな話、聞きたくなかったよね?」

「いや? 朋絵ちゃんっていつも調子が良いから、こういう真面目な話をしてくれて俺は嬉しいぞ?」

「そう言う事を言ってくれるから、武さんは――ううん、何でもない」

 

 それから彼女は、よいしょと立ち上がりソファの近くに置いてあったバッグを手に持つ。

 

「それじゃあ、私。帰るね?」

「うん、分かった」

 

 頷き、彼女を玄関まで送る。

 そして玄関の外で立ち去る彼女を見送る。

 

「武さん」

「なんだ?」

「さようなら、また今度も、よろしくね?」

 

 そういう彼女は何か儚げで。

 風が吹けば壊れそうなほどに脆そうに見えた。

 だから俺は何も言う事は出来ず。

 

「……」

 

 ただただ、去り行く彼女を見守る事しか、出来なかった。



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28話 朝の月

 金剛夜月の朝は遅い。

 

 そもそも眠る事自体が大好きだし、早起きしたところで三文程度の得しかない、その程度の事で貴重な睡眠時間を削る必要はあるのだろうか、いやない。

 そんな訳で今日も今日とてぐっすりと眠り続け、鬱陶しいスマホのアラームで目を覚ます。

 ああ、24時間眠る事が可能だったらどれほど良いか。

 いやまあ、最近はそんな風に思う事も少なくなっているのだけど。

 むくりと身体を起こし、のそのそとベッドから這い出る。

 そして寝間着から制服に着替えてから部屋を出る。

 家の中はとても静かだ。

 多分、誰もいないんだと思う。

 両親は共働きで朝早くから出掛けているし、姉さんはいつも通りさっさと家を出たのだろう。

 姉さんは人込みが嫌いで、何より立っているのがキツイらしいから、始発の電車に乗るために早く家を出るのだそうだ。

 まあ、私も立っているよりかは座っていたいのでそこら辺は理解出来るけど、私の場合はそれよりも睡魔の方が勝るので、優先度的にいつも睡眠を長く取っている。

 

 さて。

 食パンを袋から取り出し、牛乳をカップに注ぐ。

 電子レンジ、600ワットで1分20秒。

 生温い程度の温度が適温。

 その間にヨーグルトを皿に移し、机に運んでおく。

 ヨーグルトはいつも乳酸飲料と一緒に食べているので、それも一緒に。

 そうこうしている内に電子レンジが「ぴー」と鳴る。

 中からカップを取り出し、それもまた机へと持っていく。

 準備は万端。

 手を合わせて、独り呟く。

 

「いただきます」

 

 味に関してはまあ、普通。

 どれもこれも既製品。

 美味しいもクソもないと思う。

 そもそも食パンを美味しいと感じた事がない。

 栄養補給のための手段として摂取しているし、それは多分高級パン屋さんで購入したとしても感想は変わらないと思う。

 だから私は食パンを牛乳で流し込むように食べる。

 そしてあっという間に食パンを消費し、ヨーグルトも飲み物のように飲み干す。

 食事時間は多分、五分にも満たない。

 あっという間にだ。

 それが私の朝食風景。

 朝食大好きなイギリス紳士が見たらぶったまげそうな光景だと我ながら思う。

 

 朝食を終えたら、後はもう登校するだけ。

 バッグを持って、鍵をしっかりと閉めてから家を出る。

 

「行ってきます」

 

 その頃になると完全に目は醒めていて、眠気の欠片もない。

 電車の中で手すりにつかまりながらぐらぐら身体を揺さぶられても、睡魔は全く襲ってこない。

 ちゃんと睡眠を取っているからだと思う。

 そのまましばらく電車での移動を続ける。

 下車し、それから数メートル徒歩で移動しようやっと学校へと到着だ。

 

 そのまま私は教室へと行こうかと思いながら周囲を適当に見渡しながら歩いていた。

 特に注意深く周囲に気を向けていた訳ではない。

 だから、彼女の存在に気が付いたのは、本当に偶然だった。

 

「日乃本、先輩?」

 

 日乃本朋絵先輩が歩いているのが見えた。

 しかし、なんだか様子がおかしい。

 生気がないというか、なんだか足取りがフラフラしているというか。

 凄く調子が悪そうだし、明らかに普通ではない。

 

「……」

 

 何か、あったのだろうか。

 しかし日乃本先輩の元へ走って大丈夫かと尋ねたり出来る程度胸はなかった。

 なんだか、今の彼女、雰囲気が怖かった。

 とはいえ、そのまま見過ごすのもなんだかおかしい気がしたので。

 

「……一応、武さんに連絡しておきましょうか」

 

 どうせ、彼女も放課後になったら天童家に向かうだろう。

 その時、武さんがどうにかすれば良い。

 そう軽く思い、私はスマホでメールを送るのだった。



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29話 好悪

『どうやら日乃本朋絵ちゃんの様子がおかしいみたいだから、ちょっと桜子ちゃん様子を見に行ってきてくれないかな?』

 

 ………………

 

 …………

 

 ……

 

 

「いや、そんな風に頼まれたら見に行かざるを得ないじゃないですか……」

 

 武さんからメールを受け取った私はそうぼやきつつ学校の廊下を歩いていく。

 時間的にはまだまだ余裕があり、これから彼女の元を訪れて何があったのか尋ねても大丈夫。

 とはいえ、面倒なのは確かだ。

 別に日乃本さんの事は嫌いではない。

 好悪で言えば好きだし、数少ない友人の一人として数えられると思っている。

 ただ、苦手でもある。

 あのように明るく、それでいて心の内に何か秘めている人間というのは距離感が掴みにくくてやりづらい。

 そういう意味で金剛夜月さんはやりやすい。

 辛辣ではあるけど、素直だし。

 

「……ん」

 

 そうして廊下を歩き、日乃本さんがいるであろう教室へと辿り着く。

 外から教室の中を見、彼女を発見する。

 そして納得する。

 なるほど、確かに調子が悪そうだ。

 ここからでは日乃本さんの背中しか見えないけれど、なんだか彼女の丸まった背中からは負のオーラが漂っているのがここからでも分かるし、なんだか日乃本さんの周囲だけ重力が重たそうな、そんな雰囲気がある。

 普段は比較的明るい彼女なので、そんな彼女がそんな風になっていたら周囲の人間も彼女の変化をすぐに察知するだろう。

 実際、日乃本さんの事を見て何かあったのかと話しているような感じの女子生徒達が見えるし。

 

「……」

 

 この中を移動して日乃本さんに話しかけるのは容易ではない。

 無視して帰りたいな。

 そう思ったけど、しかし武さんに頼まれたのだから、そんな事は出来ない。

 まったく、貧乏くじを引いてしまった。

 そう思いつつ、私は重い足取りで教室へと入り、彼女の元へと移動した。

 

「ちょっと、日乃本さん」

「……え」

 

 と。

 日乃本さんは緩やか、というよりもどんよりとした動きで振り返り、私の方を見る。

 分かっていたが、凄い暗い表情をしていた。

 何があったのかと正直彼女の事なんてどうでも良いと思っている私ですら何があったのかと尋ねたくなりそうなほどに。

 とはいえここで話せるような内容ではなさそうなのも事実。

 

「その、一旦場所を移しませんか?」

「……ん」

 

 と、彼女は頷いてくれた事にほっとする。

 これで拒否されたら更に面倒な事になっていた。

 こんな状態の人間は結構頑なだし、そんな人間を説得出来る程私はコミュニケーション能力がある方ではない。

 

 そして私達は人気のない校舎裏へと移動する。

 そこにきてようやく私は彼女の目を直視する。

 いつもの無駄に明るかった瞳は、今や濁り切っていた。

 何がどうしてこうなった。

 

「その、どうかしたんですか?」

「……天童さんには関係な」

「その天童さんのところの武さんが気にしているんですよ」

「……ッ、」

 

 彼女はきゅっと唇を噛んだのが見て取れた。

 そして彼女はしばし悩んだのち、ゆっくりと答える。

 

「……桜子さんには、言いたくない」

「そう、ですか」

 

 こう言ってくるとなると、こちらがどれほど説得しても口を割りはしないだろう。

 そういう状態なのだ、今の日乃本さんは。

 多分本当に私に言いたくないような内容の話だろうし、そうなってくると私もあまり聞かない方が良いとも思う。

 じゃあ、どうする。

 このまま放置する?

 それは出来ない。

 出来ないけど、しかし私の力では何も出来ない。

 完全にお手上げだ。

 

「……はぁ」

 

 しかし、何も出来ないという訳ではない。

 まったく、こんな事をするような人間じゃなかったんだけどな。

 私はポケットからスマホを取り出し、電話帳からその電話番号を選択し、電話を掛ける。

 通話が繋がる前にコホンと咳払いし、喉の調子を整える。

 そして、

 

「あ、あー。こほん、先生、ですか? けほ……その、ちょっと私、熱っぽくて、咳も出て。だから今日は、お休みにさせて貰って良いですか?」

 

 返事は言うまでもなかった。

 ぽちりと通話を切った私が日乃本さんの方を見ると、何やら彼女は呆然としていた。

 なんだか、彼女の瞳に光が少しだけ戻っているような気がした。

 

「な、なんか迫真な演技だったけど」

「こほん。そんな事は良いですから」

 

 私は彼女に言う。

 

「今日は学校、サボりましょう――全く私、悪い子ですよ全く……」

「え、っと?」

「だから、ですね」

 

 察しが悪いな。

 彼女の事を半眼で見る。

 

「私の家に、武さんに会いに行くんです」



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30話 否定と肯定

「やった……!」

 

 私は達成感で身体が震えるのを感じた。

 手に持っている雑誌が読みづらい。

 でも、何度見直してもそこにあるイラストは見間違えようがない。

 私のイラストだ。

 私のイラストの下には小さく、銅賞と書かれている。

 ……私のイラストがページを占領する範囲はそれなりに小さい。

 そもそも私のように銅賞を取った作品は他にも5作品ほどあるのだ。

 それでも、間違いなく。

 私の作品は、私の知らない誰かに評価されたのだ。

 

「……!」

 

 嬉しい。

 ……嬉しい! 

 嬉しくない筈なんか、ない。

 涙が零れそうになる。

 ああ。

 今まで暗闇の中で、いつ辿り着くかも分からない旅路を続けてきたと、そう思って来たけれど。

 だけど、こうしてちゃんと努力は実を結んだんだ。

 イラストの実力はまだまだ。

 課題は山ほどにあるのも事実。

 それでもちゃんと見てくれている人には評価を貰えた。

 小さな一歩だけど、私にとっては大きな前進だ。

 

「……ふふ」

 

 頬が緩む。

 今私、凄く気持ち悪い表情をしている。

 でも、今はそんな風な顔をしても許されるよね。

 成長を喜び、誇る。

 胸を張って、その事を主張しよう。

 そう思った私は雑誌を持ったまま部屋を出る。

 少し緊張するけど、今の私は無敵だ。

 今なら何でも出来そうな気がする。

 そして私は、兼用になっているノートパソコンを使って何やら調べ物をしている母親の元へと向かった。

 ドキドキする。

 だけど、きっと――

 

「母さん」

「……なに、朋絵」

「これ、見てよ」

 

 と、私は自分のイラストを指差しながら雑誌を見せる。

 

「これ、私の描いたイラスト。銅賞を取ったんだよ」

「……」

 

 母さんはそれを眼を細めながら数秒見つめたのち、呟く。

 

「……それで?」

 

 ………………

 

 …………

 

 ……

 

 母親の、反応は。

 極めて、冷ややかだった。

 

「私、何度も言うけど貴方の趣味に興味はないの」

「……! い、いやさ! それでも、私は――」

「その上銅賞って、しかも5人も選ばれているじゃない。銀賞も金賞も、大賞もいるし。その程度の実力しかないって事でしょ?」

「そ、それは」

「そもそもこの雑誌、どうでも良いけど。こんな雑誌で評価されたところで、それがどうかしたの?」

「……ッ!」

 

 唇を噛む。

 口の中に血の味が広がるのを感じる。

 それでも何とか反論するための言葉を探すけど――

 

「大体、貴方レベルの絵を描ける人なんて山ほどいるし、絵でお金を稼ぐような人は才能があるか、子供の時からずっと努力している人よ。そんな宝くじで一等を当てるような、一握りの選ばれた人間になるなんて夢を見るのは、いい加減止めなさい」

「……」

「貴方も子供じゃないんだから、良い大学に入れるように勉強を――」

「もう、良い!」

 

 私は叫び、走ってその場を離れる。

 涙が溢れる。

 涙を拭く暇もない。

 私は自分の部屋に入り、鍵を閉める。

 ゴミ箱に雑誌を投げ捨て、そしてベッドの中に倒れ込んだ。

 

「う、うう……!」

 

 枕が濡れる。

 嗚咽が零れる。

 どうして、こんな。

 頭の中がぐちゃぐちゃになる。

 

 なんで、なんで!

 どうして、認めてくれないの!!

 こんなに、こんなに、頑張ってるのに!

 

 ぎゅっと拳を痛いほどに握りしめる。

 痛くて痛くて、イタイ。

 心がイタイ。

 どうして。

 どうしてこの世界は。 

 

 こんなにも、上手くいかないの?

 

 ……気づけば、私はベッドの上で眠っていた。

 窓の外から日差しが差し込んでいる。

 多分これは、朝だ。

 どうやら泣き疲れて、そのまま眠ってしまったらしい。

 

 身体が、重い。

 重たくて、ずきずきする。

 どうしてかは、分かる。

 だけど身体を動かしたくない――

 

「……学校、行かないと」

 

 そうだ。

 武さんと、約束したんだ。

 努力すると。

 諦めないと。

 ……学校にはちゃんと行くように、と。

 だからこんなところで仮病は出来ない。

 私はのろのろとベッドから這い出て、制服に着替える。

 母さんと顔を合わせたくないから、朝食は抜きにしてさっさと家を出よう。

 ああ、でも。

 

 こんな風に現実から逃げ続けられるのは、一体いつまでだろう。

 

 ……現実から逃げていると思ってしまう自分がいる事に、凄く凄く嫌悪感がした。

 

 

  ◆

 

 

「……そんな事が」

 

 天童家で。

 私達を出迎えてくれた武さんは非常に渋い顔をした。

 

「とてもじゃないけど、辛かっただろうね朋絵ちゃん」

「……それは」

「夢を認めてくれないってのはとても悲しい事だし、その上夢を否定されたんだ。苦しくない筈がない」

「……」

 

 そう言ってくれる武さん。

 ヤバい。

 また、泣きそうだよ。

 桜子さんがいる手前、泣く訳にはいかないけれど、でも涙腺が嫌でも緩んでしまう。

 

「それで?」

 

 と、桜子さんは極めて冷静に武さんに尋ねる。

 

「とはいえ、これは朋絵さんの、それこそ日乃本家の事情ですし、私達がどうこう出来るような事ではないですよね」

「まあ、更に言うと俺なんかが出て行ったらもっとややこしくなるだろうな」

 

 やれやれ、大袈裟に肩を竦めて見せる武さん。

 それから彼は、凄く意味深な表情をしながら桜子さんを見る。

 

「だからまあ、俺は何も出来ないけど。その代わりと言ってはなんだが」

「いや、ええ……?」

 

 凄く凄くイヤそうな表情をする桜子さん。

 

「百歩譲って私が行くとして、果たして話を聞いてくれますかね?」

「それはほら、俺よりはマシって事で」

「じゃんけんで勝った方が行くって事にしません?」

「ダメに決まってるだろ」

「え。そ、その?」

 

 私は戸惑いながら尋ねる。

 

「二人がどうこう出来るような事じゃないんじゃ……?」

「やってみないよりはマシだって事だよ、朋絵ちゃん」

「……まあ、私も無視出来る程薄情な人間じゃないので」

 

 そう二人は私に言う。

 

「だから、朋絵ちゃん。君は、今はまだ諦める時じゃあ、ないんだ」

 

 その言葉を聞き、私は無性に泣きたくなった。



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31話 見て貰う意思

『という訳だが。桜子ちゃん、今回君にやって貰いたいのは説得な訳だけど、最優先でやって欲しいのは、その、ご家族の感情を動かす事だ。どうも朋絵ちゃんのご家族は良い悪い以前に彼女の趣味に関心が薄いようだから』

 

 

  ◆

 

 

 夜。

 7時。

 私は日乃本さんと一緒に彼女の家の前まで来ていた。

 外から見ると極々一般的な家庭だ。

 何の変哲もない、どこにでもありそうな一軒家。

 今からここへ突入し、日乃本さんの母親と話して彼女の夢を理解して貰う事、それが私に与えられた使命だった。

 

「それで」

「……ん?」

 

 私は少し緊張している面持ちの日乃本さんに話しかける。

 

「どうしますか?」

「どうします、って?」

「ここまで来てなんですけど、正直言って今なら引き返せますよ? 引き返すというか、貴方は普通に帰宅するって事ですけど」

 

 私は続ける。

 

「武さんは言わなかったですけど。正直言って、貴方の母親に貴方の夢について語るという事のメリットは薄いです。今まで通りに彼等には何も告げず、独りで夢に向かって努力するというのも手だと思うのですが?」

「あ、ああ。そういう事」

 

 私の言いたい事を理解したのだろう。

 深く頷いた上で、彼女は答えを返してくる。

 

「ううん、それでも。私は母さんに、私の夢を理解して貰いたい」

「意味がなかったとしても、ですか?」

「意味ならあるよ。これから何も気にせずイラスト製作をする事が出来る訳だし、それに」

「それに?」

「やっぱり、理解してくれる人が増えるというのは、嬉しいから」

「そうですか」

 

 そういうものか。

 家族に理解を得られるというのは、嬉しいものなのか。

 そういう人も、いるんだな。

 頷いた後、私は「さて」と日乃本さんに向かって言う。

 

「それじゃあ、行きましょうか」

「う、うん」

 

 再び緊張した顔に戻った彼女を引き連れ、私達は家へと足を踏み入れる。

 

 ……家の中も案の定普通の様子。

 結構小奇麗で、掃除が行き届いている事が分かる。

 そして日乃本さんに引き連れられる形で家の中を歩いていき、そして。

 

「帰ったよ、母さん」

「ちょっと、朋絵。遅くなるなら連絡を寄越しなさい――」

 

 リビングで、テレビを見ていた女性が私を見るなり目を丸くする。

 そして少し表情を険しくし、それから苦笑いのような笑みを浮かべた。

 考える事が手に取るように分かる。

 多分、友達を連れてくるなら前もって連絡しなさいよ、とか考えているのだろう。

 でも、私がいる手前そんな事は言えない、だから仕方なしに笑顔を浮かべている、そんなところだろう。

 

 とりあえず、私は先制攻撃と言わんばかりに挨拶をする事にした。

 

「初めまして、お母さん。私は天童桜子と言う者です」

「桜子、さん? 桜子さんって、あの?」

 

 あの?

 

「確か、入学式の時、新入生代表として挨拶をしていた子よね? 成績優秀で主席入学だったと言う」

「あ、ああ。そんな事もありましたね」

 

 そんな事も確かにあった。

 昔の事なのに、よく覚えているモノだ。

 

「えっと、その。それで、私は日乃本――朋絵さんと仲良くさせて貰っているのですけれど」

「ええ、と。その前に、ちょっと待っていて頂戴ね。少し、お茶を用意するから」

 

 と、そう言うなり彼女はぱたぱたと急いでキッチンへと移動していく。

 私は朋絵さんと目配せをし、それからダイニングへと移動し椅子へと座った。

 それから発言通り湯飲みを三つ持ってきた彼女はそれを私達の目の前にことんと置き、それから「で」と話の続きを促してくる。

 

「その、桜子さんは、家に何の用があってきたのかしら」

「実は朋絵さんの夢、つまりはイラスト製作について話をしたいんです」

 

 私の言葉に彼女は少し嫌な表情をしたが、構わず話を続ける事にする。

 

「彼女、朋絵さんは今までイラスト製作を熱心にしていました。本格的に始めたのは最近から見たいですけど、実力をメキメキと身につけているみたいで」

「……はあ」

「ああ、勿論学校の授業に関してもしっかりと受けている事は、友人である私が保証します。最近あった期末テストでも、彼女、平均点以上の点数を取っていました。多分、今までよりも点数が良いんじゃないでしょうか」

「それは、そうねぇ」

 

 頷いて見せる、彼女。

 しかし彼女は渋い顔のままだ。

 そして朋絵さんに視線を送り、「まったく」と少しキツイ口調で叱るように言う。

 

「朋絵、貴方。夢がどうの言っていたけど、それで友人を巻き込んだの? まったく、桜子さんに失礼でしょう」

「それは、巻き込んでしまったのは申し訳ないと思うけど。だけど、こうでもしないと母さん、話を聞いてくれないでしょ?」

「私を理由にするのは止めなさい」

「それは――」

「それで」

 

 このまま行くとグタグタ話続けそうだったので、私は強引に話に割り込む事にする。

 

「朋絵さんが何をするのかはさておくとして。彼女は今、本気で努力をしています。勉強とイラスト、二足の草鞋で。それはとても大変ですが、今のところはちゃんと両方ともにこなせているみたいです」

「……はい」

「だから、その。お母さん、朋絵さんの努力を、少しは認めて上げて欲しいんです。イラストレーターになるという夢はとても過酷な道なのは確かで実を結ばせられる人間は限られていますが、しかし今、朋絵さんはメキメキと成長しています。その事を、見守って上げてはくれませんか?」

 

 私の言葉に彼女は「はあ」とため息を吐き、それからじろりと朋絵さんの方を見る。

 

「ねえ、朋絵?」

「……なにさ」

「さっきから桜子さんばかりに話させて、貴方は何も言わないの?」

「……っ!」

「そんなだから、私は反対なのよ。友達に助け舟を出して貰って、それで夢なんて叶えられるの?」

「だって、私が夢を語っても、いつも本気で受け取ってくれないじゃないか!」

「また、それね。私を理由にして。そんなだったら他の家の子にでもなれば良いじゃないの?」

「……出来ているなら、そうしているよ!」

「そう! なら話はお終いね! すみません桜子さん、こうして家のこのために来て貰ったのに」

「い、いえ。だから――」

 

 マズイ。

 二人とも一瞬で頭に血が昇ってしまった。

 これじゃあどれだけ理性的な話をしても耳を貸さないだろう。

 ど、どうしよう。

 でも、こうなってしまったらどうしようもない――

 

「落ち着きなさい、二人とも」

 

 ー―と。

 

 助け船は、予想外な場所からやって来た。

 振り返ると、そこにいたのは壮年の男。

 

「と、父さん? か、帰ってきたの?」

「お前が、大事な話がしたいから出来れば早く帰ってきて欲しいってメールをしたのだろうが」

 

 そうだった。

 彼女は、(父さんは忙し過ぎていつも家に帰ってこない)と渋っていたが、武さんに言われて念のために彼女の父親にそう言った内容のメールを送っていたのだった。

 しかし、彼はとても忙しい身らしい。

 それでも、娘の為に早く帰ってきたのか。

 

「話は、途中から聞いていた。というか、最初から今まであまり話はしていないみたいだが。どうやら――桜子さん、だったね。君には迷惑を掛けたみたいだ」

「い、いえ。その」

「そして、智子さん。ちょっとは、落ち着いて欲しい。そうやって頭に血を昇らせていては、まともに話し合いが出来ないだろう」

「そ、それは」

「そして、朋絵。智子さんの言う通り、大事な話は自分の口からするべきだ。大切な話、なんだろう?」

「そ、うだね」

「さて」

 

 と、彼はお母さん(智子さんと言うらしい)の隣の椅子に座り、そして朋絵さんに問いかける。

 

「それで? 朋絵は僕にどんな事を話したいんだい?」

「え、えっとその。私の、夢の話を」

「イラストレーターになりたい、だったか。それは前にも話していたな。しかしそれはとても厳しい道だろう。それだけで食っていくのは至難の業だし、まずは大学に進学し、資格などを取得してから改めて目指しても良い筈だ」

「それは、そう。私も、高3までに何一つとして結果を残せなかったら、大学には進学するつもりだった。でも、私が言いたいのは、今、イラストレーターになるための努力を認めて欲しいって事」

「そんなに急ぐ必要はあるのか?」

「今は、一杯絵を描きたいって思うんだ。沢山絵を描いて、それをみんなに見て貰って」

「つまりは、イラストレーターになるのはあくまで手段であって、目的はむしろソレって事か?」

「それは――そうかもしれない」

「好きな事をして生きていきたいという事を否定するつもりはないが――しかし仕事というのは時に自分の嫌いな事もしなければならない事がある。それで、絵を描く事を嫌いにはならないか?」

「大丈夫。だって」

 

 私は、絵を描くのが好きだから。

 

 その言葉を聞き、彼は深く頷いて見せた。

 

「朋絵。はっきり言って、僕は朋絵のしている事は何一つ分からない」

「……」

「分からないから、何もしてあげる事も出来ない。だから、やるなら自分だけでやりなさい」

「それは、うん」

「お金も出して上げられないが。それでも朋絵名義の貯金を下ろす事には目を瞑ろう。その時は、ちゃんと前もって説明するように」

「――それじゃあ」

「智子さん」

 

 彼は少し呆れたような表情をしている智子さんに言う。

 

「そういう訳だから、貴方も多少、彼女のしている事を甘く見て上げていて欲しい」

「まったく、貴方は朋絵に甘過ぎです」

「まあ、普段滅多に会えないからね。多少はそうなってしまうさ」

「まったく……」

 

 そして二人は今度は私を見る。

 

「ありがとう、桜子さん。朋絵は、君がいたからこうして僕達に話をしてくれたのだろう」

「それは、いえ。私のした事なんて」

「それでも。ありがとうと、伝えさせて欲しい」

 

 ぺこりと頭を下げてくる彼等。

 それに少し困惑する。

 えっと、この場合、私はどうすれば良いんだろう。

 私、武さんにあれこれ入れ知恵させられていたのに、それを全く生かせなかった。

 今回、私は何も出来ていない。

 だから感謝される謂れはないと思うんだけど。

 でも。

 

「ありがとう、桜子さん」

 

 と、私に告げる朋絵さん。

 笑顔の彼女を見ると、私は何となく「まあ、いっか」といった気持ちになってくるのだった。

 

 まあ、いっか……

 



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32話 IN アキバ

 休日。

 

「いやー、知ってはいたけど、凄い場所だねぇ」

 

 辺りをきょろきょろと見渡しながら、朋絵ちゃんが言う。

 この場所、秋葉原は確かに凄い場所だ。

 ところどころにアニメのキャラクターがいるし、遠くにはメイドさんがビラを配っていたりする。

 サブカルチャーというか、オタク文化のルツボ。

 それがここ、秋葉原と言う場所だと俺は思っている。

 しかし今回、俺達がここに来たのはそのオタク文化を楽しみに来たからではない。

 

「えーっと、目的の場所はどこだ?」

「あっちだね、武さん」

 

 と、朋絵ちゃんがスマホを操作しながら歩いていくのを、俺は追いかける。

 こういうのはやはり黙ってついて行くのが吉だろう。

 そうして歩く事数分。

 3分も経っていないかもしれない。

 辿り着いたのは、縦に大きいビル。

 電気屋である。

 ビルの入り口に置かれているゲーム機に視線を奪われつつ、俺達はエスカレーターに乗って目的の階へと昇っていく。

 目的の場所は、3階だ。

 そこに辿り着いたら後はすぐ。

 それはすぐに現れた。

 

「うへー。やっぱり知っていたけど、液タブってたっかいね」

 

 それ、液晶タブレットを見ながら、朋絵ちゃんは眉を顰めてそう言うのだった。

 

 今回、俺は彼女の買い物の付き添いでこの場所に来ている。

 目的の物は、イラスト製作に必要な用品。

 パソコンは必要ないらしい。

 それは通販で取り寄せたようだ。

 

「いやー、パソコンだけで15万くらいなくなったんだけど」

「そりゃあ、快適な創作活動をするためにはそれくらいは必要だろ」

 

 そんな会話があったりした。

 

 ……結局、彼女は両親からイラスト製作に関して多少の理解を得られたみたいだった。

 こうして、パソコン用品を買いに行く事が出来たのもその証拠だ。

 ただし、一切の手伝いはしない。

 そして、学業もしっかりする。

 まあ、それに関しては今までと同じなので大丈夫だろう。

 

「ま、あ。今回は液タブは買わないんだけどね」

「そうなのか?」

「うん。今回は、板タブで我慢する事にする。高い高い液タブは、もうちょっと活躍できるようになってから」

「今まで液タブを使ってただろ、慣れてないんじゃないか?」

「慣れれば良いんだよ。それに、結構お金、かつかつだから」

「そうか」

 

 本人がそういうのだから、そう言う事で良いだろう。

 そのまま朋絵ちゃんは大きめの板タブレットを持ち、レジへと持っていく。

 それを購入した後、別の階でイラストレーションソフトのパッケージも購入する。

 

「セイとクリステ、どっちにするんだ?」

「クリステ。やっぱ今の時代はクリステだよ」

「そうか」

 

 そう言う事らしい。

 

 そうして、今日の目的はあらかた終了。

 買い物はお終い。

 となると、後は帰るだけなのだが。

 

「折角だから、何か食っていくか?」

「うん。ちょっと私、気になる奴があるんだ」

「へえ、どんなのだ?」

 

 ホットドッグだった。

 

「え? わざわざアキバに来て食べるのがホットドッグ?」

「ここ、本場アメリカの味を楽しめるって事で有名らしいよ、結構」

「……へえ?」

 

 よく分からないが、まあ、何事も試してみるものだろう。

 さっさと店の中に入り、お目当てのホットドッグを購入する。

 

「うっぷ」

 

 して、後悔した。

 メチャクチャ胃が重たい。

 30歳の胃にアメリカンなホットドッグはちと厳しかった。

 

「ていうか何故にあんな立派なソーセージがパンの間に3本も挟まってるんだ……」

「大丈夫、武さん?」

「大丈夫……」

 

 死に掛けているけど。

 それから俺達は、何となくそこら辺をぶらぶらとした。

 特に当てもなく、ウィンドウショッピング。

 秋葉原でウィンドウショッピングとなると見るのは基本的にパソコン用品かもしくはオタクグッズ。

 それでも、俺達はそこそこ楽しめたと思う。

 少なくとも、朋絵ちゃんは始終楽しそうにしていた。

 それなら良いかと、思った。

 今日の主役はあくまで朋絵ちゃん。

 彼女が楽しいなら、それで良い。

 

「はー、あっという間に日が暮れちゃったねー」

 

 そして、楽しい時間はあっという間に終わる。

 電車に乗り、最寄り駅へと辿り着く。

 何となく、懐かしい。

 彼女と出会った場所。

 俺達は不思議と誰もいない、駅の外にある広場の一角で向かい合う。

 

「どうだった、朋絵ちゃん? 今日は、楽しかったか?」

「うん。楽しかった」

「それは、良かった」

「武さんは?」

「ん?」

「武さんは、楽しかった?」

「……楽しかったよ」

「それは良かった」

 

 ニコニコと笑う、朋絵ちゃん。

 ああ、良かった。

 その笑顔を見て安心する。

 何も迷いもない、そんな笑顔。

 そんな顔を出来るのならば、もう、心配する事はないだろう。

 

「朋絵ちゃんは、これからどうするんだ?」

「これから?」

「パソコンがあるから、もう俺達の家に来る理由がなくなるだろ?」

「意地悪な事言うね」

 

 むっとした顔をする朋絵ちゃん。

 

「これからも、そっちに行きたい。勿論武さんがダメっていうなら聞くけど、だけど、出来るならこれからも家に行きたいな」

「ちゃんと、イラストも学業も出来るならな」

「もちろんだよ」

「それなら、良い」

「……ねえ、武さん」

 

 と、朋絵ちゃんは少し遠くを見ながら言う。

 

「私、武さんに凄く感謝しているの。いろいろな事を貰った。武さんの事を考えると、感謝が溢れてくる」

「俺は俺のエゴでしたまでだよ」

「武さんの、エゴ?」

「君みたいな子は放っておけないっていうエゴ。お節介なんだよ、俺は」

「そう、だね。そうかも。だけどね、そんな武さんだったからこそ私は――」

 

 彼女は。

 夕日に照らされた彼女は。

 満面の笑顔を浮かべながら。

 そう告げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――そんな貴方が、大好きです」

 



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33話 始まり

 え。

 マジで?

 率直に言って驚いた。

 なんで俺、告白をされているんだろう。

 朋絵ちゃんに。

 夕日に染まる駅前の広場。

 なるほど告白するには最高のロケーションだ。

 しかし、ちょっと予想外過ぎるぞ?

 まだまだ彼女の心を射止めるような行為はまだまだし始めたばかりだったのに。

 予想だとあと一か月は掛かると思っていた。

 だから、こちらも全然心の整理も準備も出来ていない。

 

 ど、どうしようこの場合。

 彼女は頬を赤らめはにかみながら、俺の答えを待っている。

 俺に求められている答えは二つ。

 イエスかノーか。

 非常に分かりやすいな、こんちくしょう。

 でも、ちょっと待って欲しいというのもある、けど。

 そんな事を言える空気ではない、よなぁ――

 

「やあ」

 

 と。

 

「まさに佳境って感じのようだね」

 

 彼女は、現れた。

 黒い髪に黒い瞳。

 ただし服装は以前と異なっている。

 黒いセーラー服。

 喪服のようにも見える。

 どこにでもいそうな、しかし逆にどこにもいなさそうな雰囲気の少女。

 

「だ、誰?」

 

 と、朋絵ちゃんも彼女の異質な雰囲気を察したのだろう。

 一歩下がり、俺に近づき半ば背中に隠れるような形になる。

 逆に俺は一歩前に出て彼女へと対面する。

 

「誰だ、君は」

「アリス。だけど名前に関してはどうでも良いと思うな。私は君達の物語に関わるべき人間ではないし、だからこうして顔を出すのもイレギュラーな状況だ」

「……」

 

 厨二病かな?

 しかし不思議と彼女の言葉には真実味があって信じなくてはならないという感覚があった。

 

「さて、と。まあ、そんな事はさておくとして。おじさん。武おじさん。貴方は今、分岐点に立っているのは理解しているでしょう?」

「分岐点?」

「物語を終えるか、もしくは続けるかという分岐点」

「人の人生を、そのような一言で言い表すというのは、ちょっと感心しないな」

「でも、貴方は私の言いたい事を理解しているでしょう、ねえ」

 

 彼女が何者なのかはさておくとして、しかし彼女は俺が今立たされているこの状況を理解しているようだ。

 物語。

 エロゲの世界というあまりにも馬鹿げている世界。

 しかし、何故彼女がその事を知っているのか。

 もしかして。

 

「貴方と私が同じような存在だと思っているのだとしたら、それは違うよ。私はあくまで傍観者と言う立ち位置でこの世界にいる。だから、この世界を変える為には、貴方の力が必要なんだ」

「この世界を変える?」

「まあ、そんな大層な事ではないけれど。だけどこの世界はある意味彼女達を中心に回っている。だから、そんな大仰な言葉を使うのも、強ち間違いではないんだよ」

 

 彼女達。

 それは――

 

「4人のヒロイン達。彼女達がそれぞれ異なる問題を抱えているのは、貴方も知っているでしょう?」

「それは、うん。俺は、知っている」

「その為にも、私は貴方にはここで立ち止まって欲しくない。物語を終えては欲しくないんだ」

「……さっきからその、物語を終えると言っているが、俺が何をしたら、どうなってしまうんだ?」

 

 とはいえ、この状況で俺が取れる事は一つしかなく。

 そしてそれが表す事も一つしかない。

 

「日乃本朋絵の思いに応える事。そうする事により、貴方は彼女達を救うという名目がなくなり、ただのおじさんになる」

「……それが疑問なんだよ。俺が彼女達を救うと君は言っていたが、俺の役割はむしろ正反対だろう?」

 

 竿役おじさん。

 NTRをする者。

 どう考えても、彼女達の人生を破壊する立場の人間だ。

 そして再び俺の考えを察したのだろう。

 少女は薄く微笑みながら言う。

 

「そもそもこの世界は竜胆翔がヒロインとラブコメディを繰り広げるというのがメインにあり、そしてそれを破壊するというのが貴方の役割だ。しかし、しかしだよ。その破壊するという行為は、即ち彼女達の問題を問答無用で無茶苦茶にするものだ。それは、物語の結末を知っている貴方なら、何となく分かるでしょう?」

「……それ、は」

「手段はどうであれ、ね。メリーバッドエンドとも言うけれども。だけど彼女達は最終的に笑顔だった。ならばそれは、彼女達の抱えていた問題、蟠りが消え去ったと考えても良い」

「確かにそれはそうかもだが。しかしそれは竜胆翔少年にも出来る事だろ?」

「いや、いや。それは出来ない。何故なら彼に出来る事は、ラブコメディの主人公として、一人の少女を幸せにする事だ。それが誰なのかは今のところ決まっていないみたいだけど」

 

 まあ、それでも彼に出来る事は一人の少女を救う事、それだけだよ。

 彼女は残念そうに言う。

 

「それが悪い事とは言わないけれど。全体的な話をするならば、貴方にはもっと頑張って欲しいと私は思うんだ」

「頑張る、って」

「ああ、つまりは貴方にはこれからもこれまで通りに頑張って欲しいって事だ。そうすれば、おのずと物語は進んでいく――最初はどうなるかと思って見ていたけどね。だけど貴方は、うん。間違いなく役割を全うしているよ」

 

 苦笑をしながらそう語る少女。

 

「それは多分、茨の道ではあるよ。だって貴方にはもっと楽に事を進ませるだけの力が与えられている筈だ。でも、貴方はそれを使わないと決意した。だからきっと、これから貴方はいくつもの選択を迫られるだろう」

「でも、俺は」

「そう。貴方はもう、今更引き返せないところまで来ているみたいだね。だから、私は」

 

 これからも、貴方の頑張りを応援しているよ。

 そう呟いた刹那だった。

 少女の姿は霞となって消え去り、後には俺と、朋絵ちゃんが残された。

 ……そういえば、彼女はさっきの会話を、ずっと後ろで聞いていたんだな。

 俺はなんて言ったら良いだろうかと思いながら振り返る。

 

「良く、分からないけど、さ」

 

 朋絵ちゃんは少し、悲しそうな顔をしていた。

 

「貴方は、武さんには、まだ、やるべき事があるんだね」

「朋絵ちゃん。俺は」

「何も、言わないで。何となく分かったから」

 

 そして彼女は。

 満面の笑みを、精一杯の笑顔を俺に向けてくる。

 

「大丈夫。私の好きになった貴方は、きっとそう言う人だから。だから私は、大丈夫」

「絶対に、約束する。何時しかその時が来たら、俺は君の思いに対して、真剣になって答えを探す」

「あはは、応えてくれるとは言ってくれないんだね。でも、うん。分かった。その時を、私は待つよ」

 

 だから、と。

 彼女は自然な動きで、俺に身体を寄せて来た。

 手が伸ばされ、首に手を回される。

 ぐい、と。

 抱き寄せられ。

 次の瞬間だった。

 

 唇に、柔らかい感触。

 

 ただ、触れ合うだけの、子供染みたキス。

 だけどそれは、間違いなく彼女の精一杯。

 

「忘れないでね!」

 

 きっと、彼女の顔が夕日に染められていても分かるほどに赤いのは。

 

「武さんに一番最初に好きを伝えたのは、私だって事!!」

 

 その頬に、一筋のシズクが流れる。

 

「だから、その時まで! その事を覚えていてね!」

 

 それじゃあ!!

 

 去っていくその背中。

 俺はそれを消えてもなおしばらく目を逸らす事が出来なかった。

 



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34話 襲来

 ――昔から、私はお姉ちゃんと一緒にいた。

 お姉ちゃんと一緒に産まれて来た私は、その事が当たり前だった。

 だけど私はお姉ちゃんと比べてどうしようもない程に欠けていて。

 どうしようもない程に劣っていた。

 だから私はある日、その日に。

 彼女の姉さんになりたいと思った。

 

 

  ◆

 

 

「――と、いう訳なのですが。どうでしょうか?」

 

 私は二人に見せた小説の感想を聞いてみる事にする。

 姉さんと竜胆先輩は私が印刷してきた小説の原稿をぺらぺらと読み進んでいく。

 ドキドキとしながらその様子を見守る。

 そんな風に思うのは案外初めてかもしれない。

 感想を聞く事に心を動かされるのは。

 果たしてそれが良い事なのか悪い事なのかは分からない。

 だけど、でも。

 私は何となくだけど、この変化を好意的に受け入れていた。

 

 成長。

 もしくは退化。

 私はどちらだろう。

 どちらにせよ、私は今、私以外の何かになろうとしている。

 それは一体、なんなのだろう。

 新たなる金剛夜月。

 果たして――

 

「うーん……」

 

 竜胆先輩は深く唸り。

 

「……」

 

 姉さんはとても厳しい表情をした。

 それだけで、何となく感想が読めたような気がした。

 少しがっかり。

 そして残念。

 だけど私は、彼等の感想を待つ。

 

「ダメだと思うな、私は」

 

 姉さんは少しキツめな口調でそう呟く。

 

「なんでよーちゃん、急にファンタジーなんて書こうと思ったの?」

「そう言う気分だったからです」

「気分でって。いやまあ、それは良いけどさ。だけど私達って一応書くジャンルはそれぞれ分けてたじゃん?」

「それは部誌の話でしょう?」

「それはそうだけど……先輩はどうですか?」

「うーん……」

 

 もう一度深く唸った彼は、しばし黙った後に答える。

 

「やっぱり、ちょっといつも書いているような話に雰囲気が引っ張られているような感じがある事は否めないというか」

「そう、ですか」

「ああ。別にこの作品が悪いって言っているんじゃないぞ? 発想も悪くないと思うし、ただ、やっぱりこの作品は夜月らしくないっていうか」

「私らしいっていうのは、現代モノを書くって事ですか?」

 

 少し、ムッとする。

 酷評は覚悟していた。

 だけど、その言い方は少し癪に触る。

 ただ、そこで「ざっけんなてめえんだこらぁ!」とか言ったらただの逆切れである。

 感情を抑え、私はふうと息を吐く。

 

「……まあ、良いです。確かに急すぎたのは確かですから。部誌の分の小説はいつも通り、現代モノを書きますよ。役割分担、ですからね」

「あ。ちょっと」

 

 立ち上がり、部室の教室から出て行こうとする私を竜胆先輩は呼び止めようとする。

 

「あー、そのだな。さっきも言った通り、夜月の作品を否定した訳じゃなくてだな」

「……それは、分かってますよ。別に怒って立ち去ろうとしている訳じゃないです」

「どこいくの、よーちゃん」

「帰るんですよ、家に」

 

 嘘である。

 本当は、知り合いに私の小説を読んで貰いに行くのである。

 天童先輩とか。

 日乃本先輩とか。

 ……武さんとか。

 

「それじゃ、失礼します。お疲れさまでした」

 

 扉の前でぺこりと部屋の中に向かって一つ頭を下げくるりと踵を返す。

 そのまま廊下を足早に歩いていく。

 

 ……あと数日で夏休みだ。

 期末試験は終わり、生徒の間には若干ゆっくりのんびりとした空気が流れている。

 とはいえ、だ。

 夏休みが終わって数か月すれば、学園祭が始まる。

 その準備は夏休みから始まる。

 いろいろとこれから大変になるだろう。

 まあ、一年生なのでそれがどれほどの規模なのかは知らないけれど。

 

 それにしても、暑い。

 夏だから当然だけど。

 早く冷房の利いた部屋に移動したい。

 そう思いながらさっさと歩いて学校の外を目指す――

 

「あーっ!」

「……は?」

 

 いきなり、前方から大声がした。

 声のした方向を見ると、そこには何やらこちらを指差す生徒の姿があった。

 瑠璃色の髪色の少女。

 少女は次の瞬間、

 

「確保ーッ!」

 

 なんか、両手を上げてこちらに突っ込んできた。

 いや、廊下を走るなよ。

 そう思うよりも前に、このままだと体当たりを食らって大ダメージを食らいそうだった。

 だから私は冷静に手をぐっと前に伸ばし――

 

「あぎゃああああああああああッ!!!!」

 

 少女の顔面を思い切り掴んだ。

 いわゆるアイアンクローである。

 

「いだだだだだだだっ!」

 

 ぺしぺしと私の腕を叩くが、残念ながらこちらは全然痛くない。

 

「ギブギブギブ! ていうか初対面の相手にいきなりアイアンクローってどうなのさ!」

 

 言われてみれば。

 そう思い、私はアイアンクローを解除する。

 私の手から解放された彼女は床に膝を突きぜーぜーと息をする。

 

「ふ、ふう。死ぬかと思った」

「いや、マジで貴方何者なんですか……?」

 

 よく分からないけど。

 なんだか面倒でオモシロオカシイ状況に巻き込まれたみたいだ。



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35話 マンガ同好会

久々の更新となってしまい、申し訳ありません。


「……で?」

 

 ところ変わって。

 空き教室。

 私は三人の女子生徒と向かい合っていた。

 多分、見た感じ全員一年生。

 見覚えは、何となくある。

 さっきこちらに突撃してきた女子に関しても、そう言えば同じクラスだった。

 

「瑠璃川さん。なんで私をこんなところまで連れて来たんですか?」

「あ、私の事知ってるんだ」

「いや、同級生なんだから知っているに決まっているでしょうが」

「私、自慢じゃないけどクラスの半分は名前覚えていないけど」

「……へえ?」

「それで、今東さん」

「私もその半分に含まれているじゃないですか」

 

 この女……

 

「もう、よもぎちゃん。そう言う冗談は顔だけにしておきなさいって何度も言ったでしょう?」

 

 そう彼女――瑠璃川よもぎに突っ込みを入れるのは、これまた同級生の鶴木まこと。

 メチャクチャ豊満な胸が特徴だ。

 ていうか突っ込みが結構辛辣だな……

 

「そんな風に言う子は、めっ、なんですからね?」

「いや、そんな風に言ってもおぎゃるのは男子くらいだからね?」

「あら、数年前までお母さんのおっぱい飲んでたでしょ、貴方」

「同い年だが?」

「……ッ!!!!」

「おい待て何故そこで衝撃を受けるんだまこと君?」

「さっきも言ったけど、冗談は顔だけにしてね?」

「私がロリ顔なのを気にしているのはまことも知っているでしょうが。むしろ知ってて言ってんのかこら」

「はあ……」

 

 二人のコントを聞き、痛そうに額に手を当てるのは、こちらは私は知らない子だった。

 白衣を着た、小麦色の髪をハーフサイドアップにした少女。

 かなり小柄。

 しかし表情はこの中で一番理知的である。

 

「すまないね、夜月さん。この子達がこういう調子なのはいつもの事なのだが、大目に見てやって欲しい」

「……いきなりこんなところまで引っ張ってこられて、そこから更に甘く見ろというのはちょっと無理がある気がしますけど」

「まあ、それは一理どころか万理あるとしか言いようがないが」

「それで、貴方達は一体どんな集団なんですか?」

 

 私の問いに、絶賛頬をゴムのように引っ張られていたよもぎは「よくぞ、聞いてくれた!」と勢いよくこちらに振り返った。

 結果、頬が思い切り伸びる結果となり、つまりはメチャクチャ痛そうだった。

 

「い、イタイ……」

「で、貴方達は一体どんな集団なんですか?」

「無視かいな」

「私達はマンガ同好会――名前通りマンガを日々描いている」

「マンガ……?」

 

 そんな部活動、あったんだ。

 ていうかそういう部活動は何となくイラスト同好会に合併されそうな気がするのだが、違うのだろうか。

 

「金剛さんの考えている事、良ーく分かるよー」

 

 と、瑠璃川さんが言う。

 

「そんな部活動、あったんだーって考えているんでしょ」

「まあ、今年出来たばかりの部活動だしね」

「ていうか、私達が作った訳だからな」

「……ふーん」

「いやー、イラスト同好会とは馬が合わなくてねー。それで結局自分達で設立したって訳」

「許されたんだ、それ」

「許されてないんだな、これが」

「え」

 

 何言ってんの、この人。

 

「だから、部員が集まらなくて部活動設立を学校側が許してくれなかった。だから今は実質非合法部って感じだね」

「非合法って言って良いんですか?」

「校則に縛られていない自由な存在とも言う」

「いや、そこは縛られるべきでしょう」

「校則に、拘束。なんて」

「はっ倒しますよ?」

「ともかく。今はとりあえずイラスト同好会に所属しているけど、ゆくゆくは下克上を目指してこうして徒党を組んでいるって訳」

 

 メチャクチャな事を言う。

 ……メチャクチャな連中なのだろう。

 多分、頭のネジが足りてないと見た。

 特にこの、瑠璃川という奴。

 こいつには関わらない方が良い。

 そう思った私はとりあえず顔が引きつらないようにしつつ愛想笑いを浮かべながら、脱走を試みる事にした。

 

「と、りあえず。貴方達が頑張っている事は分かりました。努力が実ると良いですね、それじゃあ――」

「それで、金剛さんには私達に協力して欲しいの!!」

 

 しかし、回り込まれてしまった!!



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36話 原作

「――とまあ、そんな事があったんです」

「それはまあ。なんというか」

 

 俺は何と言えば良いか分からず唸った。

 学校の事情に関してはそもそも桜子ちゃんからもそして朋絵ちゃんからもあまり話を聞いていない。

 だからそんな事が学校で行われていたなんてまるで知らない。

 それ以上に原作でもあまり学校での話はしなかったからな。

 抜きゲーなんてそんなもんだ。

 情報の欠如なんて当たり前。

 情報が少ないから矛盾も起きにくいと考えられるかもしれない。

 

「それにしても、マンガかぁ」

 

 イラスト同好会があるのは知っていたけれども、そんな風な内部構造をしているとは知らなかった。

 謀反を起こす者、と言ったら少し物々しいか。

 その言い方が不味いなら、音楽性の違いと表現すべきか。

 

「その子達が、夜月ちゃんにストーリーを書いて欲しいと、そういう風に言ったんだね?」

「ええ、そう言う事らしいです。何でも、自分達の能力では面白い話を作り出すのは不可能なのだと痛感したからだとか」

「……それが分かっているなら普通にイラストの方向に転換するべきなのでは?」

「それでもマンガを描きたいって事でしょうね」

「まあ、気持ちは分るけどね」

「それで、私に原作を書いて貰って、それで学園祭の時に結果を出し、部員を増やし、そして独立するというのが彼女達の計画なのだそうです」

「何て言うか、ガバガバだな」

「ガバガバです」

 

 勝手に人を巻き込もうとするなら、もっと緻密に画策して欲しいです。

 珍しく不愉快そうにぶつくさ言う夜月ちゃん。

 そうとう腹立たしかったのか、はたまた面倒くさかったのか。

 多分、両方だろう。

 彼女の性格的に、そういう事に巻き込まれるのはイヤだろうし。

 

「でも、私は。」

「……うん?」

「えっと、ですね」

 

 彼女は少し口ごもった後、それから顔を上げる。

 

「彼女達の計画とやらに、便乗してみようかと思います」

「……便乗?」

「原作の話を書くって事です」

「それは、どうしてだい?」

 

 少し驚く。

 こんな事をするようなタイプじゃないのに、夜月ちゃんは何を考えているのだろう。

 何か、内面の変化があったのだろうか?

 もしくは嬉しい事でもあったのか。

 ……弱みでも握られたのか。

 

「ああ、いや。別に何か悪い事があったからではないです」

「あ、そう」

「ただ、彼女達は、こう言ってくれたんです」

「……」

「私の考えた話が、面白いと」

「それは」

「だから、彼女達のための物語を、ちょっと書き記してみようかと、そう思いました……駄目でしょうか?」

「いや」

 

 少し、ほんの少しだけ頼りなさげにそういう彼女に俺は微笑み、言う。

 

「そんな事はないさ。きっとそれは、君にとって大切な経験となるだろう」

「別に経験が欲しいからって訳じゃないんですけどね」

「同じ事だよ。そもそも、そんな風に思える事自体が成長だと、俺は思う」

 

 だから、と俺は言う。

 

「好きにしたら良いと思うよ。好きにして、いろいろな事を彼女達と話してくれば、きっと面白いんじゃないかな」

「ええ、そのつもりです」

 

 少し恥ずかしそうにはにかみながら頷く夜月ちゃん。

 そんな風に笑顔を向けてくれる事自体が、彼女にとって大きな成長だ。

 改めて、そう思った。



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第37話 暇という幸福

 そう感じるのはとても幸福なのは分かっていたが。

 

「ふむ……」

 

 誰もいないリビング。

 テレビを見ながら、ぼーっとする。

 桜子ちゃんがいるなら、もしかしたらテレビの音が聞こえて勉強の邪魔になるかもしれないからテレビを見る事は出来ないが、今日は彼女は塾に行っている。

 夏休みはまだもう少し先だが、夏期講習はもう始まっているらしい。

 なので遠慮なくテレビをつける事が出来る。

 とはいえ、面白いものはやっていない。

 暇つぶしにつけたのだが、しかし暇をつぶす事すら出来ないようなツマラナイものばかり。

 つまらな過ぎて眠気すらやってこない。

 眠気がやってきたのならば、このままソファの上で昼寝をするという手もあるが、それすら出来ない。

 昼の食後にコーヒーを飲んだのもいけなかったかもしれない。

 なんて言うか、いろいろと細かな失敗が重なった結果、こんな事になっている。

 お陰で俺は、手持無沙汰の暇人状態になっている。

 いや、どうしよう。

 こんな風に時間を浪費する事になるとは夢にも思わなかった。

 

 でも、こんな風に時間を無駄に出来るというのもある意味幸せかもしれない。

 前まではいろいろと暗躍する為に毎日毎日大変だった。

 具体的に言うと、ヒロイン達の好感度稼ぎの為に、いろいろと。

 今はそんな事をする必要はなくなっている。

 いや、大局を見据えるならばまだいろいろとやるべき事はあるのだが、毎日せこせことやる事はない。

 みんな、勝手に幸せな方向に向っていっている。

 そう思う。

 天童桜子ちゃん、日乃本朋絵ちゃん、竜胆愛奈さん、そして金剛姉妹。

 

 ……金剛姉妹についてはまだほとんどノータッチだ。

 特に、金剛朝日ちゃんについてはまだ会った事すらない。

 彼女と接触するためにはいろいろと画策する必要はあるだろう。

 しかし、夜月ちゃんからさりげなく聞いた話によると、彼女は我らが主人公、竜胆翔君と仲がかなりいいらしい。

 まあ、仲が良くないとNTRが成立しないのだから、当然なのだが。

 そう考えると、いっその事彼に丸投げしてしまうというのも手のような気がする。

 あのアリスとか言う人物(?)の話を信じるのならば、彼に救われる人物は一人だけ。

 逆説的に言うのならば、一人だけならば彼に任せてしまっても良いと言う事。

 まあ、朝日ちゃんにもかかわりを持ちたくないかと問われれば、持ちたいとしか言えないのだけれど。

 これはNTR竿役おじさんとしての本能なのか、否か。

 

「それにしても、暇だな……」

 

 俺はぐっと伸びをする。

 しかしそうしても時間の進みが早くなるなんて事はないので。

 俺は少しだけ壁の時計と睨み合いをし、それからソファの上から立ち上がる。

 

「……散歩でも行ってくるか」

 

 小一時間程。

 それくらいならば、この後にある家事に支障はないだろうし。

 そう思い、部屋着から外着へと着替え、外に出る。

 空はとても青かった。

 俺は夏の眩しい太陽の光に目を細め、そして。

 

「あら、武さん?」

 

 そこには、家の外にある植物に水を上げていた、竜胆愛奈さんがいた。



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