心がノゾける呪い (おおきなかぎは すぐわかりそう)
しおりを挟む

第一部
一刀三礼


 

 

 

 あの日のことは、今も鮮明に覚えてる。

 

 私が、ボクへと生まれ変わった大切な日。

 

 自分の力で、未来を切り開く力をキミに貰った、ボクにとっての人生の分岐点? ってやつなんだと思う。

 

 

 キミは怖いくらいにボクのことを理解してくれて、ちょっとばかし……ひどいことをしてしまったかもしれないけれど、それでもボクに懸命に寄り添ってくれて……。

 

 

 

 キミは本当に、ボクにとってかけがえのない存在なんだよ。

 

 

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 

 

 朝はジリジリと鳴り響く目覚ましから始まった。

 

 すかさず布団の横に寝かせてあった相棒を手に取り、布団を蹴飛ばしながら横回転。おあつらえられたようなクッション目掛け、両手に握り込まれた竹刀を鋭く振り下ろした。

 

 

 

 バスッとクッションが変形し、その下にあった目覚まし時計も衝撃で飛び上がって、内蔵のバネを押し合いへし合いさせながらジャリンリンと倒れ込んだ。

 

 

 

 カーテンに近づくとまだ朝日を拝むことはできなかったが、構うもんかと竹刀を担ぎ窓を飛び越えズンズンと、隣人の寝顔に喝を入れる。

 

 

 

「起きろエイタ!! もうボクはとっくに起きてるんだぞ!!」

 

 

 

 最大音量に設定してあるスマホのアラームに手を伸ばしているのに、当の本人は早朝の騒音から逃れようとボクに背を向けて再び寝落ちしようと企む。

 

 当然そんな甘い態度を許すはずもなく、ガラ空きになって打ち込んでくださいと言わんばかりのお尻へ、竹刀を叩き込んだ。

 

 

 

「いで!!」

 

 

 

 気持ちのいい打撃音と、寝起きにしてはいい声に感心し、飛び上がったエイタに”おはよう”と、にこやかに挨拶する。

 

 すると、安眠を妨げられたことが不愉快なのか、ブツブツとボクに聞こえるか聞こえないかのラインでひとりごとを呟き始めた。

 

 竹刀を振り上げて再び”おはよう”と声を掛ければ、速攻で返事は貰え、彼はしぶしぶと朝の支度を始めるのだった。

 

 

 

「……出てってくんね?」

 

 

「? 男の着替えって別に恥ずかしいものじゃないでしょ?」

 

 

「それでも」

 

 

「それでも? 幼馴染でも?」

 

 

「幼馴染でも」

 

 

 

 エイタの支度が終わるまで、彼のベットでくつろごうとした計画は失敗に終わってしまった。

 

 だけど、まぁ本来の目的は達成できたのでいいかなーとそのままメツギ家のリビングへと向かう。

 

 

 

「……いい加減やめろよ、屋根つたって部屋入るの」

 

 

「? どうしてだい」

 

 

「それだよ、それ」

 

 

 

 振り返ると、今しがた通った僕の足跡をなぞるように、薄黒い斑点がテンテンと浮かび上がっていた。

 

 この頃は雨も降らなかったし、都会の空気が汚れていることは一般常識みたいなもんだから、玄関から入ってこなかったボクが”百”悪い。

 

 けれどもやってしまったものは仕方がないと、開き直ってリビングへと被害が広がらないようカーペットに擦り付ける。

 

 

 

「起きないエイタが悪い」

 

 

 

 納得いかないと顔を歪ませるエイタを背にし、そんな視線なんて気になりませんと竹刀を前方で振るいながら、ボクは彼の部屋から退出するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはよう、おばさん。今日もいい天気ですね」

 

 

「おはようウチハちゃん。そうね、この頃は洗濯物がよく乾いてくれて嬉しいわ」

 

 

「何か手伝うこととかないですか?」

 

 

「そうね〜。とりあえずお皿出してもらえる?」

 

 

「はーい。あーそれとすみません、エイタの部屋からここまで汚してきちゃったかも、です」

 

 

「いいわよそんなこと気にしないで、あとでエイタに掃除させるから。あ、これ運んでくれる?」

 

 

 

 竹刀を壁際に立てかけながら、朝ご飯の支度をしているおばさんに声を掛けた。

 

 

 

 朝帰りになることも珍しくない両親に変わって、長年の面倒は隣人のメツギ家に見てもらっている。

 

 おばさんは何処の馬の骨ともしらないボクにも良くしてくれて、おじさんも血の繋がっていないボクに優しく接してくれた。

 

 自主練の前にメツギ家の目覚ましと朝食のお手伝いを引き受けて、せめてもの恩返しと、こうして毎朝通ってるってわけ。

 

 

 

 皿を出し終えたあとは、お弁当作りに切り替えたおばさんに変わってボクがフライパンを引き継ぐ。といっても、材料は既にある程度調理された後で、実質作りかけの料理を完成させるだけなのだが。

 

 

 

「おはよう」

 

 

「あらエイタおはよう。ほら、ウチハちゃんの料理冷めちゃうから早く食べちゃいなさい。食べ終わったら床の掃除、お願いね?」

 

 

「なんでウチハの後始末なんか……」

 

 

「口答えしない。こんなに可愛いウチハちゃんに毎朝起こしてもらって朝ごはんまで作ってもらってるんだから、ちょっとぐらい役に立ちなさい」

 

 

「ウチハの練習に付き合ってるだろうが……」

 

 

「どうせあんたのやることなんて遅刻ギリギリまで不貞寝するぐらいなんだからいいじゃない。そんなことより、剣道の調子はどうなのウチハちゃん? 大会近いんでしょう?」

 

 

「あ〜はい。もーばっちし、です」

 

 

「はーホントに、息子と同年代だと思いたくないくらいにしっかりした子。ほら、あんたもちょっとは見習ったらどうなの?」

 

 

 

 ボクのことを見習うように、なんて彼は母親に言われ、なおのこと居場所を無くしたように軽くそっぽを向き箸を動かす。

 

 

 

 誰もいないはずのガランとした我が家と違って、メツギ家の朝は部外者のはずのボクに、もう一つの家族が出来たような心地よさを与えてくれた。

 

 だが同時に、この満ち足りた日常がいつ壊れてしまうのかという恐怖心もボクに抱かせる。

 

 おばさんおじさんがいて、そしてエイタがいて。願わくばこの幸福が末長く続きますように、なんて。験担ぎのように、コップ並々に注がれた牛乳を一気飲みするのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 寒空の下、青々と突き抜ける空が、日の出とともにその全貌を露わにしていく。

 

 天気がいいのはいいことだ、なんたって外で自主練ができるのだから。

 

 

 

 場所をボクん家の庭先に移し、竹刀の剣先がエイタを捉える。

 

 力強く踏み込んだ一歩に素早く竹刀を振り上げて、エイタの顔面寸前でピタリと止めた。

 

 

 

「な、なぁ……毎回思うんだが、この練習は本当に必要なのか?」

 

 

「あたりまえじゃん!!」

 

 

「ならせめてお前の防具ぐらい付けさせてくれ、危なくてしょうがない」

 

 

「いやぁーでも、剣道具は洗濯大変だから匂いが染み込んじゃったりしててー……」

 

 

「体育で汗臭さには慣れてるから問題ねぇよ」

 

 

「ボ、ボクの匂いが男子並みにキツイって言いたいの!?」

 

 

「そうじゃねーよ。耐性はあるってことをいいたいんだ」

 

 

「そんなこといって。本当はそういう趣味の変態なんじゃない?」

 

 

「んなわけないだろコノヤロ」

 

 

「ぷ、あっはは」

 

 

「笑い事じゃなく危ないんだよ単純に! 痛い痛くないが全部相手に握られてるとか気持ち悪すぎるだろ!?」

 

 

「い、いやーでも。恥ずかしいっていうかー……」

 

 

 

 生物である限り、調子の浮き沈みをコントロールすることは不可能と言っていい。

 

 その対策として、ボクはエイタに装備も着けさせずに、集中力を無理やり引き出す方法をとって練習をしている。

 

 頭の中で思い描いた軌道と現実の軌道を毎朝確認して、調子に合わせ修正してるってわけ。

 

 

 

 ……なんてのはただの冗談で、本当はエイタと一緒に過ごしたいだけだったりー……。

 

 

 

 過去の記憶からか、ビクビクしながらボクの竹刀を立ち尽くして目で追っているのは、その……ちょっとした息抜きになっている。

 

 朝から晩まで張り詰めて過ごしたら人間おかしくなっちゃうよ。

 

 だから朝練をサボる口実に、ちゃんと自主練の体でエイタと朝の時間を過ごすほかないのだ。

 

 

 

「あれ。これどうやって結ぶんだっけか?」

 

 

「ちょ、ちょっと! 恥ずかしいって言ってるでしょ!!」

 

 

「グフッ!?」

 

 

 

 ちょっと目を離した隙に、エイタがどこからか剣道具一式の入ったカバンを持ち出して、中身を堂々漁り始めていた。

 

 レディーの所有物を許可なく触るとか……幼馴染でも礼儀ってもんがあるんじゃない? と抗議しようと詰め寄ったら、エイタのやつ構わずおっ被りやがった!? 

 

 

 

 羞恥に顔を染めながら、ボクの面の中で深呼吸はさせまいと竹刀を突き出す。

 

 結果、エイタのみぞおちに見事ヒット。

 

 肺を空っぽにされて悶えてる隙に、面は無事回収することができた。

 

 

 

 冬場なら蒸れることなどそうそうないが、やっぱり夏をへての一年分の匂いというのは、体臭を気遣ってるボクからしても気になるところだ……。

 

 意中の相手になら余計に、ね。

 

 

 

 その昔、彼はボクの考えが透けて見えているんじゃないかと的確な行動を繰り返し、得体の知れない気味の悪さから幼いながら拒絶した記憶がある。

 

 幼馴染だから、長年の付き合いで相手の思考を読むことができたんじゃないの? とひどく頼りない答えを導き出すことはできるのだけれど、じゃあ今は……エイタは、ボクの考えていることがわかっちゃったりするのかな? 

 

 もしそうだとしたら……。

 

 

 

「ふへ、えへへへへ」

 

 

「……何笑ってんだよ」

 

 

「いんやぁーべっつにー」

 

 

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 

 

 自主練も終わり、すでに疲れ果てているエイタを引きずって登校する。

 

 体を動かした者と動かしてない者の違いなのか、冷たい外気で気持ちよく体温を下げるボクに対して、彼は肩をすくめ体温を逃すまいとサナギみたいな格好でホントおかしい。

 

 

 

「あ、まってて。いつもの買ってくるから」

 

 

 

 サナギがいっそう縮こまるのを視界の端に、コンビニに駆け寄っていつもの棚へ小走りで向かう。

 

 学校の給食で出るような小さなパック牛乳を手に取り、賞味期限を確かめながらレジへ。

 

 ちょっと割高感あるけど、寂しい思いと引き換えに、お小遣いはそれなりにもらえているのだー。と、無駄な浪費を告白すれば、朝早いコンビニは、通勤途中のサラリーマンとかOLでそれなりに混雑していた。

 

 

 

 新発売の文字に心惹かれながら、でもバレた時の顧問おっかねーんだよなーと欲を抑え、大好きだったコンビニスイーツが一線から退いているのにトホホと残念な気持ちになり、スマホの着信に対応しているとレジの前に。

 

 商品も多くないので手早く済ませ、自動ドアをくぐってエイタの姿がないことに気付く。

 

 

 

「?」

 

 

 

 キョロキョロと周囲を見渡していると、頭を下げられているエイタを発見した。

 

 

 

「ちょっとちょっと! エイタなんかやらかしたの!?」

 

 

「迷惑かけたんなら俺が頭下げる方だろが」

 

 

「あーそっかー……て、まだなにがあったか聞いてない!」

 

 

「まぁその、ただの迷子だよ」

 

 

 

 その発言で頭を下げていた女性に目を向けると、足元にはマルチーズがお行儀良く座って、申し訳なさそうにしょんぼり大人しくしていた。

 

 

 

「うは〜マルチーズだーかわい〜」

 

 

「公園のベンチでウトウトしてしまって、気が付くとウチの子が……本当に、ありがとうございました」

 

 

「いいですよ、そんな頭なんて下げられても。……たまたま目の前をワンちゃんが通り過ぎただけなんで、成り行きです」

 

 

「おぉー、人懐っこくて良い子でちゅね~」

 

 

「馬鹿やってないでいくぞウチハ。顧問に顔見せないと、無理いって自主練なんだろ?」

 

 

「そ、そーだった。ボク達急いでるので! じゃーねワンちゃん」

 

 

 

 名残惜しげに手を振る。ボクがコンビニに行ってるあいだ、この短い時間でトラブルに巻き込まれるなんてエイタはついてないなー。

 

 けど、これは生まれ持ってのサガ?セガ? ってやつなんだと思う。なんかこう、お人好しというか、損な役回りみたいなもんかな?(都合の)良い人、みたいな。

 

 

 

「あ!? 今日は科学の課題プリントだった。エイタに預けてたっけ?」

 

 

「はぁ……ほらよ」

 

 

「へへー、ありがとうございますエイタさま」

 

 

「テストで死ぬなよ」

 

 

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 

 

 体育担当の先生が急病で自習となり、代役が到着するまでの間は、教室はまさに無法地帯と化していた。

 

 運動部だからって寒さが好きなわけではない。まして、袴でスースーするし剣道具は冷えてるし、おまけにお肌のお手入れといつも以上に気を配る。

 

 もちろん防寒着は着込んでいるけど、あんまり着込むとずんぐりむっくりで見た目も悪いし動きも鈍くなるので、最低限の薄い防寒で我慢しないといけない。

 

 

 

 パック牛乳にストローを差して、チューチュー吸って、時計を見て。……後五分ぐらいいけるかな? なんて、呑気にカルシウムを摂取する。

 

 

 

「ちょっと〜聞いてるウチハー」

 

 

「あーごめんごめんポクってた」

 

 

「もー折角の恋バナなんだから。ウチハもなんかネタ出ししてよ〜」

 

 

 

 机を取り囲んでの、そうだそうだの大合唱が始まる。

 

 女の子が恋バナ好きなことに言うことはないのだけれど、さっきから視線をこっちに向けて話をしているエイタのグループに気を取られ、全く内容に集中できないでいた。

 

 

 

「ごめん大会近いからさー、恋愛に集中できないんだよね〜」

 

 

「まーそーだよねー。剣道部、期待のエースだもんね〜」

 

 

 

 なんて会話を聞き流しながら、ついにはボク達を指差しながら喋り始めたオタク眼鏡くん? の話の内容が気になってチューっと席を立つ。

 

 ツカツカと進む背後から、”でたーエイタスキー”との茶化されに後方を睨んで、その熱弁に耳を傾けた。

 

 

 

「なんであんな可愛いボクっ子が、お前みたいな幸薄ヤロウにべったりなんだよ!! ふざけんな!!」

 

 

「あーそう」

 

 

「しかもドウゾノは全国大会の常連にして強豪!! その細身な体から繰り出される一撃は「誰が貧相じゃ」

 

 

 

 まだ飲み終わっていない牛乳パックに思わず力がこもり、噂に違わぬ手刀を貰い受けたボクのファンは、その威力にヘブッと最後の言葉を残すとそれきり黙り伏せった。

 

 素早く黙らせた反動で、パック牛乳は見事に潰れ、制服やら髪やら顔や床に少なくない量の牛乳を吹き上げる。

 

 

 

「……ねえ、ハンカチ貸してくれない?」

 

 

「持ってるけどよぉ……」

 

 

「牛乳臭くなるのが嫌なの? 男の子のハンカチっていうのは、女の子の涙を拭くのが仕事なんだよ? ボクは今まさに、牛乳濡れで泣きそう」

 

 

「ドウゾノさんよかったらこれ使っ「あーいいからいいから気を遣わなくても、ボクの幼馴染は優しいいんだ。ね?」

 

 

「わかったよ、ホラ……雑巾も持ってこないと」

 

 

 

 そうやって、面倒くさそうにしながらも結局ハンカチを取り出してくれたエイタに”ありがとー”と微笑んで、ササッと素早く牛乳を拭う。

 

 

 

「柔軟剤変えた?」

 

 

「いや、知らないけど……」

 

 

「前の方が良かったかな─────」

 

 

 




話を書く時に出た、資料とか補足とか裏側とか。
https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

師なきは外道

 
タイトルは剣道用語から適当に選んでる。


 

 

 

「んんでぃえい!!」

 

 

 

 息も絶え絶え。呼吸のリズムを整えて、ありったけの声を張り上げる。

 

 もう何度目かもわからない打ち合いによる疲れを、乗り慣れた気迫で張り倒した。

 

 

 

 体育館は締め切られてしばらく経つ。この閉鎖空間で自身と空間との明確な温度差を実感しながら、実績によって選別された同じ体育館の民への手向けと、いま出せる渾身の一振りを響かせた。

 

 バチンっと小気味いい音が体育館を満たし、略式の礼をすかさず取る。

 

 

 

「次!!」

 

 

「押忍!!」

 

 

 

 機械的な次の相手を呼ぶ声に、先程の相手とは少々違った野太い声色が迫り上がる。

 

 両者はまたも、試合場で示し合わせたようにお辞儀の共演をはたし、竹刀はガンマンのように高速で向かい合う。

 

 ジリ、ジリッと間合いを計るように右回りで接近し合い、竹刀の先端では打ち込みやすい場所を巡っての前哨戦が繰り広げられていた。

 

 挑戦者からは攻めっ気を感じない。このまま防戦に終始するつもりのようだ。

 

 

 

 ジャージを着た顧問は、試合の行方に目もくれず、じっと自身の腕時計を見つめていた。

 

 

 

「……十!! 九!! 八!! 七!! 六!! 五!! 四!! 三!! 二!! 一「んんだぁらう!!」

 

 

 

 突如始まるカウントは、これ以上の勝ち抜きを抑止するための圧力だ。

 

 顧問の声を背にする相手の四肢が、隙は見せまいとより強靭さを増す。

 

 だが焦ってはいけない。焦りは相手に付け入る隙を与えてしまう。下手に前に出れば切り捨てられてしまう。

 

 

 

 カウントは無機質に下り、相手の優位がそびえ明確な差が開くのを肌で実感する。

 

 だが開く一方であった格差は、ウチハにプレッシャーを与えるだけに止まらず、相手にも悪影響であることを理解しなければならない。

 

 カウントが背後で途切れるまでの間、いつ襲いかかってくるかもわからないウチハに集中するあまり、戦いの主導権を彼女に譲ってしまっているからだ。

 

 

 

 勝つか負けるかのバランスが崩れ、勝てるかな? と思考に緊張感を失うと、あれだけ堅牢を誇っていた守りにも緩みが生じ綻ぶ。

 

 あとは簡単、その隙間に全力を持って飛び込んでいくだけ。

 

 

 

 バチンッ

 

 

 

 悪あがきのように見えた最後の最後で飛び出た一撃は、見事に相手の守勢を食い破り、綺麗な一文字の足捌きを生み出した。

 

 追い越した相手に振り向き頭を下げる。そしてすぐさま、次の相手に対応できるよう相手コーナーから距離を取った。

 

 

 

「イイザワ!! 最後まで油断するな!!」

 

 

「お、押忍」

 

 

「声が小さい!!」

 

 

「押忍!!」

 

 

 

 顧問の試合開始の合図がないからなのか、入るタイミングを上半身の前後運動で探る一人の生徒。

 

 そんな戸惑いに応えることはせずに、ゆっくりと困り果てた生徒へと近付くと、顧問は手の平を突き出した。

 

 

 

「ヤマダ、少しの間貸してくれ」

 

 

「は、はい。どうぞ……」

 

 

 

 言い終わる前にして、既に竹刀は顧問の手に。

 

 振り心地を確かめることもせず、ただ淡々と左手に帯刀しなおし、試合場に足を滑らせ両者立礼。

 

 

 

 まさかジャージ姿のまま試合をする気なのだろうか。

 

 

 

「ドウゾノ、遠慮はいらん。本気で来い」

 

 

 

 いくら相手が剣道を志しているものとはいえ、防具を身に付けていない生身の人間への攻撃は躊躇ってしまうものだろう。

 

 しかもウチハは連戦に次ぐ連戦で満身創痍。何かの拍子に、危険な太刀筋を描かないとも限らない。

 

 よって先ほどの発言は、言うなれば勝利宣言ということだろうか。

 

 何があろうと確実に一本、無傷で取りに来ると言う絶対的自信の表れなのか? 

 

 

 

 レベルの違いは、竹刀を構えた瞬間から明確に浮かび上がった。

 

 動けないのである。正確には、自分の動きたい方向に向かうことが出来ない。

 

 

 

 動き出そうと踏み出す場所は、即座に相手の足が差し込まれる。

 

 ならばより早くと足を出せば、今度はその場に相手の体があった。

 

 不用意に踏み込んでしまえば、待ってましたとばかりに、強烈な一撃をお見舞いされることだろう。

 

 

 

 万全の態勢から放たれる、格の違う面・胴・小手。……勝ち筋の一片も窺い知れなかった。

 

 

 

「どうした、早く打ち込んでこい」

 

 

 

 そんな戸惑いを知ってか知らずか、攻撃の催促をする顧問の行動に、勢いは完全にへし折られたかのように見えた。

 

 基本的な足捌きから違うのだ。捨て身の肉薄すら戦い切れるか怪しい。

 

 

 

 連勝の慢心を引き締め、大会への残り少ない鍛錬を手抜くことなく高めさせる。教え導くものとして、彼はその役目を見事はたしていた。

 

 あくまで顧問、あくまで年上、あくまで経験者として。自分と相手の力量を正しく見定め、正しく振るったただそれだけの行動に、いったいどれほどの経験と思慮が積み上げられているというのか……。

 

 

 

「んんでぃえい!!」

 

 

「「「!?」」」

 

 

 

 打つ手なし……もう降参するかと思われたその瞬間、ウチハの体は跳躍し、軽装である格上へと切りかかっていた。

 

 配慮の色も匂わせない、まさに研ぎ澄まされた一撃だった。

 

 

 

 しかし、相手するのは明らかな格上。動きをまるで予期していたように、水面のような静けさでいなされる。

 

 そのキッカケが合図となったのか、ウチハは狂ったように前へ前へと連撃を繰り出した。

 

 

 

 剣戟の全てを受け切らなければならない顧問に対し、ウチハは体力の続く限り何度でも挑戦権を得ることになる。疲労困憊な体で、一体どれだけ戦えるというのか……。

 

 

 

「んんがぉれえ!! えい!! れえ!! らう!!!! れえ!! らう!! れえ!! えい!! らう! らう! れえ……」

 

 

 

 肩で息をしながら、使い果たした気力の最後の一滴まで酷使しようやく直立するように、しかし相手へ竹刀の切っ先を向け続けることは忘れない。

 

 剣道の構えもクソもない。ねじれたような格好、次の足捌きのことなど全く考えなしのポーズ、そのどれもが一貫して限界を主張していた。

 

 

 

 その立ち姿に、まるで苦しむウチハに介錯を施すような、明瞭な意思を持った鋒が下される。

 

 

 

「てッ! 「ッメェヘ────!!」

 

 

 

 一撃目をなんとか払ったウチハは、次の瞬間には討ち取られていた。

 

 初撃は囮、本命は第二撃。しかし、この状態では相手の狙いが読めてたとしても、反応できるかどうか怪しかったことだろう。

 

 

 

 互いに礼をするまで、剣道の試合は終わらない。

 

 再配置につき、なんとかスピードの落とされた腰折りに追従し、試合場を出た途端にウチハはぐったりと膝を突く。

 

 ようやく倒されたことで、長時間の緊張感から解放されたからなのか……はたまた。

 

 

 

「連打が単調すぎる。基礎はできてるから、もっと基本の形を崩して良い。・・・・よし!! お前ら集合!!」

 

 

 

 倒れたウチハの背後に声をかけながら、鬼畜にも全員集合の号令をかける。当然部活メンバーの一人であるウチハが無視していいはずもない。

 

 頭を振って立ち上がり、最後の仕事だとトボトボと列についた。

 

 

 

「ドウゾノ。自主練の内容はどうしても喋れないのか?」

 

 

「い、いえ、その……個性的過ぎて部活動で採用するのはイマイチかなと……」

 

 

「それを判断するのは顧問の仕事だ」

 

 

「えーいや、でもあのー……」

 

 

「渋ってくれるな、ここにいる全員強くなりたいんだ」

 

 

「そーいわれましても……」

 

 

「ハー……大会が来週に近付いてきているが、いい結果を残せるように、それぞれ体調管理には十分注意するように。みんなご苦労だった……それじゃあ、解散!!」

 

 

「「「「ありがとうございました!!」」」」

 

 

 

 あ、危なかった……。再び引き締められた緊張を今度こそ解いて、ウチハは安堵の息を吐いた。

 

 最終下校時刻が迫っていなければ、容赦無く問い詰められていたかもしれない。

 

 

 

 竹刀を杖にしたい衝動を必死に抑えながら、ウチハは下校すべく自分のバックへと向かう。

 

 

 

「……お疲れ」

 

 

「ッんばぁー! キッツ!!」

 

 

「無双だったじゃん」

 

 

「最後のが無ければねぇー」

 

 

 

 終わったタイミングを見計らって入ってきたエイタは、遠慮なくガサゴソとウチハのバックを漁り、タオルとスクイズボトルを投げ渡す。

 

 それに面を脱ぎ捨てたウチハが受け止めれば、ようやく息苦しさから解放される。

 

 

 

 前面が格子状で空気と触れるとはいっても、連続しかも休みなしの試合形式は、冬であっても汗をかかせるには十分であった。

 

 湿度でベッタリとへたれた髪の毛をたくしあげ、スポーツドリンクを流し込み、不快感の原因をタオルで拭った。

 

 

 

「自主練のことでまだ問い詰められてるのか?」

 

 

「そーなんだよもー本当に……異性がいないと出来ない練習とか、この部活には合ってないんじゃないかな──……」

 

 

 

 ウチハがもしやと思って振り返った先には、強さの秘密を知りたい多くの視線があった。

 

 たまらず赤面するウチハ。

 

『異性がいないと出来ない練習』確かにそう聞き取った剣道男子達は、思春期特有の過激なシチュエーションを想像したが、即座にいったい部活と交際の両立をどう果たすのかといった難問を前にして頭を抱えた。

 

 

 

 だが実在することもまた確か。非公式ながら、その両立を果たしているウチハへと、彼らは”尊敬”と”畏怖”と”可愛い”といった念を送る。

 

 

 

「エイタが変なこと聞いてくるから、ボク恥ずかしい思いしちゃったじゃん」

 

 

「……いや、わるかったって」

 

 

「もう暗くなってきたから早く帰ろうよ」

 

 

「そうだな、今日はグチが多くなりそうだ……」

 

 

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 

 

「ふぁーねむ……ねぇ汗臭くない?」

 

 

「んんや。確かめるか?」

 

 

「ちょ、やめてよ……わざわざ嗅ぐのは変態でしょ」

 

 

「じゃあ大丈夫だろ」

 

 

 

 スンスンと鼻を鳴らしながら、ウチハは自分の体臭を気遣う。

 

 剣道具などの、一つのバックにまとめるとそれなりの重さになる荷物は、エイタが受け持つ。

 

 

 

 バックを開け、臭いがどうか確かめようとするその動きは、身軽なウチハによって物理的に阻止された。

 

 接近する両者。体臭を気にしている割には迂闊な行動だなとエイタは変わらずに息を吸ったが、嫌悪感を抱くような匂いを発しているわけではなかったので、それとなく問題ないことを告げる。

 

 

 

「流石にあの扱きはないっしょ───」

 

 

「だいぶウチハに厳しいのな」

 

 

「そーなんだよね〜。実績ある分、余計にね〜」

 

 

「五段だっけ?」

 

 

「あ〜そうそう。歳を聞くのは怖すぎるけど、まだ三十いってないんじゃない? 剣道一筋って感じ滲み出てる」

 

 

 

 太陽は季節に倣って早い段階から姿を隠し、お早い出勤の街灯は、文句も言わずに役目をこなす。

 

 都市ではLEDライトの普及が着々と進みつつある。

 

 二人の街にも、いつのまにやら淡い黄色い光を放っていた存在は姿を消し、より白く強い灯りが街を席巻するようになった。

 

 

 

 ふと気がついてしまえば、過去に思いを馳せるような瞬間を生み出すかもしれない街灯に、エイタは目を細める。

 

 いつも部活が遅いウチハと下校を同じくするために、図書室で長い時間を勉強との格闘に費やしていたので、目の疲れからか鋭く突き刺すような光は目に堪えた。

 

 

 

「今日はいつもにましてキツかったー……ねぇ〜家までおぶってよ〜」

 

 

「うるさい。剣道具持ってやってるんだから文句言うな」

 

 

「じゃあ私が剣道具持ってあげるから、代わりにボクをおんぶして?」

 

 

「それ俺の負担が増えてるだろ……」

 

 

「ケーチ〜」

 

 

「そりゃどうも」

 

 

「帰宅部のくせに〜」

 

 

「なんとでもいえ」

 

 

「役立たずなエイタなんてこうだ。えい、えーい」

 

 

 

 エイタの横から離脱し背後に回り、ダル絡みのように頭突きを繰り返すウチハには目もくれず、地味に重い剣道具のバックを背負い直して帰路を急ぐ。

 

 だが住宅街を抜け、交通量が多くなったところでその動きは一旦停止した。

 

 止まったことで背中からの反発が大きくなったことにウチハは驚き、頭突きを終了させて、どうしたのかと面を上げる。

 

 

 

「!!ちょっ、いきなり止まらないでよ」

 

 

「……」

 

 

「エイタ?」

 

 

 

 声をかけても聞こえていないかのように反応がない。

 

 その視線の先に何かあるのかと行方を探れば、なにやらタクシー前で揉め事が起こっているようだ。

 

 特に自分たちとの関連性が見受けられず首を傾げるが、エイタはその場から一歩も動く気配がない。

 

 

 

 今朝のマルチーズの件もそうだが、どうしてそんなに赤の他人に構うんだろう? と顔をしかめるウチハに、ようやくエイタが動き出す。

 

 

 

「なぁウチハ……三千円貸してくれないか?」

 

 

「えぇ!? ……いいけど、何に使うの?」

 

 

「いや、ちょっとな……」

 

 

「ちゃんと返してよね? あとそれから、今度ボクの願いも聞くように!」

 

 

「わぁーたよ、早くしてくれ」

 

 

「約束だかんね〜」

 

 

「ひ、ふ、み……。ウチハはここで待ってろ」

 

 

 エイタは揉めている二人に近づくと仲介に入り、スーツ姿の男と話し込み始める。

 

 突然の乱入者に、しばらくは平行線上に見えた両者のやりとりは、やがて押し切るようにお金を運転手に渡すことで決着する。

 

 静止し、慌てるように持ち物を探るスーツの男に断りをいれ、役目は終わったと疲れたようにウチハの場所へと舞い戻った。

 

 

 

 その一部始終を、なんとも物申したい表情でウチハは見つめる。

 

 

 

「……あのさー、人のやることに口出しするつもりはないけどさ? やめた方がいいんじゃない、こういうの。いつか足元すくわれるよ?」

 

 

「……お前にはわからねぇーよ」

 

 

「? なんか言った?」

 

 

「別に」

 

 

 




話を書く時に出た、とかとかとか。
https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill2/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし

まるで将棋だな(なにが?)。


 

 

 

『準優勝、ドウゾノ ウチハ』

 

 

 

 大きな体育館ホールは、今まさに最後の役目を果たそうとしていた。

 

 全国大会の舞台なだけあって今日は特別に授業が免除され、観客席を見渡せば、学年中がウチハの功績とサボれるきっかけを生み出してくれたことに沸き立っている。

 

 雷のような拍手に祝福されながら、ウチハは二番目に高い表彰台に立ってトロフィーを受け取る。

 

 剣道部なんかは互いに抱き合ったり、みっともなく盛り上がったり、それを咎める顧問の先生は静かにうなずいて目頭を抑え。いつもそばで見ていた身としては、彼女の努力が報われたことに頬が緩み、拍手の音量は次第に大きくなっていく。

 

 

 

 ウチハのご両親は、仕事の都合上この会場にはいない。

 

 だが、母親の”ウチハちゃ~ん!! ”の声が届いたのか、コチラに向かってぴょんぴょん跳ねながら満面の笑みで手を振る彼女に気負った様子はなかった。……なお、近くにいる俺は恥ずかしいので、即刻やめてくれと肩を揺すっている。

 

 流石に優勝者よりも目立つその行動に、係の人が肩を叩いてそれとなく注意すると、しょんぼりと送られたトロフィーを胸に抱き寄せていた。

 

 

 

 クラスは勝利の余韻を残しながらも、母校最寄りの空港への飛行機に乗り込み、観光気分もそこそこに関東の地を去った。

 

 明日には「タダでは転ばん」と言いたげに、学校側から剣道大会の感想文を書かされるハメになるんじゃないか?

 

 ……合わせて後日談となるのだが、授業が潰れた分は宿題として課題が盛り込まれ、終業式から始業式までの割と自由な時間が勉強に塗り潰されることとなる。功績の立役者であるウチハも巻き込む、阿鼻叫喚の地獄絵図となる様は、自分も含めて配慮の余地があったのではと今でも疑問に思っている。

 

 

 

 帰りも学年で一フロアを貸し切るように座席を埋め、着陸したのは午後の四時頃。ここから手配したバスに乗って学校へ滑り込み凱旋……と行く予定であったが、どうやらうちの母親がここで待ったをかけた。

 

「空港までは車で来ていたので、帰宅の足は充分です」

 

なんて主張を教師に繰り広げてクラスの注目を集め、顔を伏せたくなるような騒動に発展する。

 

 

 

 ……結果から言えば、許可されてしまった。担任や教職員はあくまで団体行動を優先し、誰か一人を特別扱いすることに否定的だったが、騒ぎを聞きつけた校長先生が割り込んできたために風向きが変わる。

 

 曰く、我が校の優秀な生徒を早く休ませてあげたいだとか、中途半端な時間で祝うよりも、明日の朝礼で学校を上げて祝った方が彼女のため……とかなんとか屁理屈をこねて集団の輪から外されてしまった。

 

 

 

 いくらウチハが今回の主役だからって、贔屓するのは学校としてどうなんだ……なんて意見は手を引く母親とウチハに掻き消され、クラスメイトからの特権階級を見るような羨望の眼差しに申し訳なさを覚えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鉄の翼が揚力を得てその巨体を持ち上げる。

 

 地上を離れ、どんどんと高度を増していく様は、重力が効いた地面に置いていかれるような虚しさを置き土産とする。

 

 いくら俺がこの場で幸運をだとか堕ちろだとか、どんな感情を抱こうとも、あの飛行機へさしたる影響なんてないのだろう。

 

 

 

 行先も告げぬ飛行機は、はじめから目的地に辿り着くだけの力を備えているのだから、あとは不幸に見舞われさえしなければ、役目を全うすることができる。

 

 飛行機雲を棚引かせながら、悠々と滑空する空の大鳥。そんな力強さと単純さが、今の俺には羨ましく思えた。

 

 眼前の四角い世界を飛び出して、車窓の枠外へ消え去ってしまったジャンボジェットの行き先を知る術は、永遠に失われてしまった。

 

 

 

「まぁ、とりあえず……おめでと」

 

 

「あ~エイタ、応援ありがとね~」

 

 

「よかったよ。俺の選択は間違ってなかったんだなって」

 

 

「ボクはこの道を選んだことを後悔したことなんてないよ? ここまでこれたのはエイタのお陰!」

 

 

「……いや、それは大袈裟だろ」

 

 

「なにおう~」

 

 

 

 車の後部座席に収まり、もう何度も言われ飽きてると思うが、形式的にお祝いの言葉を述べる。

 

 素直な感情が飛び出たのは、ここが身内しかいない閉鎖空間だからなのか。……だからと言って、頭部を擦り付けてきていい理由にはならないが。

 

 ルームミラー越しに覗く、母親のニヤついたような目線に気がつき、ウチハを押しのけて窓の外を見て気を紛らわす。親しき中にも礼儀あり、だ。

 

 

 

「実際のところ、エイタはウチハちゃんのこと好きなの?」

 

 

 

 追越車線場を猛スピードで車が”シャーッ”とタイヤを滑らせるように駆けていく。

 

 エンジン音は絶えず燃焼を繰り返しているはずなのに、車内の静けさはより磨きがかかっているように静やかだった。

 

 どうしてこう……俺の母親は、この和やかな雰囲気を的確に打ち壊すことができるのだろうか、本当に腹が立つ。

 

 

 

 だが聞かれてみると、つい考えてしまうのが人間という生き物だ。そして自分でもウチハのことをどう思っているのか、よくわからないということを理解する。

 

 人を心の底から好きになったことがない。そもそも、人を好きになる価値が自分にあるのだろうか? とする前提条件が思慮を遮る。

 

 

 

 ウチハは俺と比べるのもバカらしくなるほどに社会に利益な人間だ。

 

 その小さな体で努力を積み重ね、学年中いや学校中の応援を背に受けて、彼女が望めば特例だって認めてもらえる。そんな高嶺の花に手を伸ばす行為は、客観的に見て愚かしい行為なんじゃないだろうか? 

 

 

 

 ……でも何かしら答えを出さないといけないのだろう。意思の非表示は……それこそ相手に失礼なのだから。

 

 

 

「……よく、わからない」

 

 

「えーなんなの? 照れてるの? 別に深い意味はないのよ?」

 

 

 

 熟考した上での、これ以上ない俺の心の内だった。けれども、母はハナから俺が出す回答を聞く気などさらさらなかったらしい。

 

 いつもそうだ、本当は? でもやっぱり? なんて話を区切って、ただ自分が望んでいる言葉をパクパク金魚みたいに待ち構える。

 

 

 

 ……俺は外面から見えるより、中身が詰まった人間なんかじゃない。

 

 空のポケットをいくら叩いて揺すったところでビスケットなんて出てくるはずもなく、なんなら増やすためのビスケットすら俺は持ち合わせていない。

 

 自分が平均以下の人間であることを……あぁやめろ、そんなに深く考え込まなくていい。答えはもう出てるじゃないか。さっきの言葉がお前の本心で、そのままいつものように有耶無耶に過ごせばいい。誰もお前の話なんて聞きたくない。

 

 キ・キ・タ・ク・ナ・イ。

 

 

 

 ……それで? 結局? お前はウチハのことが? 

 

 

 

「キr「もーなんなのよーエイタったら、意地張っちゃって。そんなことしてるとウチハちゃん愛想つかしちゃうわよ?」

 

 

 

 しまったとルームミラーに目をやる。

 

 右折のウインカーを出して、車が途切れるのを待っている視線を確認し、もどかしい気持ちになるが今度は同じ後部座席にハッとした。

 

 ……言葉にすらなっていない、断片でしかない今の発言を、はたしてウチハは聞き取っただろうか。

 

 ”あっあー”とさっきと音量を似せたリズムを紡いで、相手の反応を流し目で見守る。ソッポを向いたウチハは窓の外を見ていた。

 

 これは? セーフ? なのか? 赤茶色の鮮やかな頭髪を観察し、カラカラと笑う母親の存在を隠れ蓑にして、そっと息を吐き出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 母は買い物してから帰るといい、俺とウチハを分かれ道で降ろした。あぁ、ウチハの荷物持ちしろってことねと、無意識に体が動く。

 

 剣道具が詰まったバッグを背負い、二人並んで帰路につく。ウチハに目立っておかしな点はない。やっぱり聞かれていなかったんだろうと勝手に決着をつけ、けれども妙な気不味さからか、こちらから会話を切り出せずにいた。

 

 

 

「……来月から新学期か~」

 

 

「そうだな」

 

 

「三年生は色々と大変そうだよねー」

 

 

「早いやつは一年生から対策してるってな、俺達もそろそろ本腰入れていかないと……」

 

 

「二年生になったら選択授業が始まるし、エイタに手伝って貰えないから今から不安だよ~」

 

 

「流石に選択外の科目まで面倒見るのはウチハのためにならないし、それにこの先、学力をつけておいて損はないだろうから……。まぁ、頑張れよ」

 

 

「学年上がったらクラス替えだよね?」

 

 

「なるべくいろんな人と集団生活できるように先生が調整するから。あえて仲良い友達と引き離したり……まぁ社会に出るための準備だよな」

 

 

「次も一緒のクラスになれたらいいね」

 

 

「いや、それはわからない」

 

 

「ここは普通同意するところじゃないの〜」

 

 

「日頃の行いとか成績とか、全部ひっくるめて先生に委ねるしかないから、無責任に同意なんてできるか」

 

 

「ふぅーん」

 

 

 

 俯いて、寂しげに地面に目線をやるウチハをサッと確認しながら、自分の発言の是非を問う。

 

 何もかもを握られているというのは、それはそれで腹立たしいことなのかもしれないが、自分で何もかも決めるというのもそれはそれで面倒くさいことだ。

 

 飼い犬がいいか、はたまた野良犬がいいのか。優秀なら選択肢も用意されている。しかし、優秀になれないのなら話は別だ。

 

 

 

「なんか、やだなー」

 

 

「……学校がか?」

 

 

「んー学校は好きなんだけどね~。どんどん見える景色が変わっていっちゃうからかな……ちょっと怖い」

 

 

「……」

 

 

「エイタは……変わらないでね?」

 

 

「……人間そうコロコロ変わるもんじゃねーよ」

 

 

「あっはは、そりゃそーだ!!」

 

 

 一度話が始まりさえすれば、いつも通りの関係性に元通り。

 

 感じていた違和感は頭から消え去り、自動的に不安材料の一つも居場所を無くした。

 

 相変わらず、冬の寒さに風が吹き荒べばなお凶悪だが、それも春の訪れとともに都合よく懐かしく感じるのだろう。

 

 

 

 疾風怒濤の時代は、内在に激しい変化を伴いながら残痕を刻み込んでいく。

 

 表層に滲んだその形が、いつしか別人であると囁かれたがるように。

 

 

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 

 

 桜が見頃の満開を迎え、新しい門出を祝っている。

 

 俺たちの教室も一段上がり、新たなメンバーでの一年間が始まった。

 

 

 

 クラス表のプリントを見れば、友人たちは見事に三々五々に散らばっている。

 

 唯一同じクラスになった眼鏡くんも、二席離れてしまえばなかなか交信が出来ず、お互いに周囲の人間との交流を迫られていた。

 

 

 

 担任が職員会議から帰ってくるまでの間に、ほぼ全てのクラスメイトが何かしらのコミュニティーに属し、来るべき自己紹介に備えている。

 

 気をてらったアピールさえしなければ、目立ちはしないが、反感も持たれない。

 

 クラスへ自分の存在を認知してもらう重要な局面だ。

 

 波風起こさないという点では、平均に近ければ近いほど苦労を伴うイベントではないのだろうが、どんな場所にも例外はいる。

 

 そう、例えば……。

 

 

 

「ねぇ、あの子じゃない?」

 

 

「不登校なんでしょ?滅多に学校来ないって噂の」

 

 

「そうそう、いろんなところで入賞してる子」

 

 

「なんか多芸なの?」

 

 

「へー結構綺麗な人だねー」

 

 

「でも先生に媚び売ってんでしょ?」

 

 

「男子にも色目使って」

 

 

「ねぇナツキ話しかけてみなよー」

 

 

「えー無理無理。凡人とは話したくないってさー」

 

 

「なにそれ性格わっる」

 

 

「また部活入り直すんじゃない?」

 

 

「いく先々で嫌われるから居場所がないんじゃないの?」

 

 

「うっわーそれめちゃくちゃダサイやつじゃん」

 

 

「ウチの部活に来たことあるけどチョー迷惑」

 

 

「わざわざしゃしゃり出てこなければいいのに」

 

 

「いっやw言い方w」

 

 

「どうせ目立ちたがりなんでしょ?」

 

 

「そりゃ孤高気取るしかないっか~」

 

 

「ぜんぜん反応ないけど何あれ?」

 

 

「死んでんじゃないの?」

 

 

「なにすかしてんだよ」

 

 

「可愛げなッ」

 

 

「ウチハはどう思う?」

 

 

「んー……」

 

 

 終業式で配られた課題プリントを広げ、諦めたように頬杖をついていたウチハは、どうでもよさそうに応える。

 

 あの課題プリントはかなり凶悪で、俺も結構時間を食った。それでも手伝ってやれなかったのは、ウチハが予行演習と俺の手助けを断ったのが原因だ。

 

 

 

 ウチハと同じ状況の生徒達が、示し合わせたように、教師の怠慢に抗議する意見が飛び交う。

 

 なにか共通の敵を作ることは、賢い団結の仕方だ。宇宙人の襲来で、いがみ合っていた人類が手を取り合うのは、なにも非現実的じゃない。自分はあなたと同じですよと主張して歩調を合わせるのは、互いに安心感を共有する大事な第一歩なのだから。

 

 

 

 ウチハが口を開く。

 

 

 

「──────興味ない」

 

 

 




メンヘラのヘラヘラとかとかとか
https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill3/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ささら踊り

 

 

 

「みんなバラバラになっちまったなー」

 

 

「そだな」

 

 

 

 顔合わせを終え、真新しい教科書を携えて、俺達は午前も早々と帰路についていた。

 

 気の早い奴らは、新しく出来たグループで親睦会を開こうと、カラオケやらファミレスやらで盛り上がっていることだろう。

 

 

 

 なんだろう……こう変わり身の早さというか、学校生活をより円滑に進めるためのロビー活動に熱心だよなと。口にすれば馬鹿にしたような発言であることに気が付く。

 

 別によそで盛り上がることに難癖をつけたいんじゃない。ただ毎年のように、出禁の店を無作為に生み出すことを止めていただきたいだけだ。

 

 

 

 偏差値は特別低いわけでもないが、かといって高いわけでもなく。世間的に見て問題は起こすものの、致命的な間違いを犯すわけではない。そのラインはきちんと弁えているのだろうか。

 

 入店拒否になってるのにリスク管理できてるの? という疑問はいちど端に捨て置く。

 

 いまいちパッとしない学校、というのが世間から見たこの学校のイメージだろう。

 

 ……いや、ウチハを抜きにして、なんて文章を新たに付け加える必要があるかも知れないが。

 

 

 

 近いからなんて、いかにも適当に学校を選んだ俺ではあるが、どこか影の薄いこの学校を前にした時、当時は酷く魅力的に見えたことを覚えている。

 

 だから、あの高校は……と一括りにされることに、文句をいうのはお門違いなのかもしれない。

 

 大体、しっかりと情報収集していれば予想できることをどうして回避しなかったのかと、誰かに問い詰められてしまえば、反論もできずに閉口する他ない。

 

 

 

 結局、新しい環境に即座に対応してみせる彼らを見上げ、こっちの方が居心地がいいんだぞなんて捨て台詞を吐き出す、酸っぱい葡萄の定型文のような感情を知って気分を悪くして終わる。

 

 自分にできないことを平然とやってのける彼らに対するやっかみなのか? 

 

 

 

「……てか、メツギはウチハちゃんと帰るんじゃなかったのかよ」

 

 

「んんや、ドウゾノは新しい女子グループに引っ張られていったよ」

 

 

「なんだよそりゃ。せっかく一緒に帰れると思ってたのによー」

 

 

「俺はちゃんと言ってやったぞ」

 

 

「メツギがそそくさ帰るから嘘付いてると思ったんだよー。あーもう、しくったなー」

 

 

「……」

 

 

 

 それは遠回しに、俺とは帰りたくないって意思表示かな? ……なんてね。

 

 

 

「なぁ、いまから引き返してあいつら待たないか?」

 

 

「……悪いな。今日はちょっと、体調が悪くて」

 

 

「あーそーかよ」

 

 

 

 クラスが変わった途端に付き合いが減るのは普通のことなのだろうか、それとも単に俺が薄情者なだけだろうか。

 

 あんなに仲が良かったのに、ほんの少し距離が出来るだけで、幻のようにそっけない態度に変わってしまう。

 

 きっかけは何も距離だけとも限らない。時間・性別・思想の食い違いが両者の袖を分かつ。

 

 

 

 自分が周囲の人々にとって大切な存在であると知るために、友達だなんて言葉を宛にすることは、酷く頼りないもののように思える。

 

 

 

「ウチハちゃん盗られた割にえらく冷静だよな」

 

 

「え、あぁ、うん」

 

 

「けッ、幼馴染さま高みの見物ってか? うらやましいねたましい……」

 

 

「……幼馴染は関係ないだろ」

 

 

 

 悪態をつきながら、眼鏡の奥から蔑むようなその瞳に弱く反論する。

 

 人の気持ちも知らないで、そんなに羨ましいのなら、ぜひ変わってやりたいぐらいだ。

 

 まぁ、そんな気軽に他人へと譲渡できるのなら、こんなに羨望の眼差し(笑)も向けられないんだろうが。

 

 

 

「それともなんだ? メツギはコツツミさんみたいなのがタイプなのか?」

 

 

「いや、そんなんじゃない」

 

 

「どっちもお前みたいな奴に釣り合うとは到底思えないが、まあ夢見るだけならタダなんだから勝手にすれば良いんじゃないか?」

 

 

「だから、そうじゃない」

 

 

「にしても女の子っておっかねーのなー。同じ才能でも身の振り方一つでああも扱いが変わるんだから」

 

 

「だから違うって言ってんだろ!!」

 

 

 

 思わず声を荒げた。

 

 すぐにハッとして取り繕うがもう遅い。

 

 

 

 もしもノーリスクで人を助けることができるのなら、よっぽどの事情を除けば誰だって手を差し伸べるだろう。それが出来ないってことは……よほど逼迫した状況でもない限り、見過ごされるのがオチだ。

 

 

 

 女子の嫉妬や根も葉もない噂話はあまり気分の良いものじゃないが、俺はこの溜飲を下げる術を知らないでいる。

 

 俺が幼いだけなのか、はたまた近い将来、人が傷ついているのを平気で見過ごすような人間に適合してしまうのかと唇を噛んだ。

 

 あぁ後そうだ、その時々の気持ちによっても、両者の間を引き裂くには容易いんだった。

 

 

 

「なー」

 

 

「?」

 

 

「メツギってノリ悪いのなー」

 

 

「はは……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰もいない家は、ただ冷たい温度を伝えた。

 

 薄暗いリビングを横切って、階段を上り、自分の部屋に閉じこもる。

 

 

 

 ベットに倒れ込んだ。

 

 このまま無気力に身を任せていれば、何も考えなくて良くなるだろうか。

 

 心は疲れているはずなのに、頭は変なことばかりに思考が絡め取られて、休まる暇がない。

 

 

 

「疲れた……」

 

 

 

 大したことはしてないはずなのに、誰にアピールするわけでもなく、ただ心情がシーツに吐き出される。

 

 こんな薄暗い場所でうずくまっていたら、気持ちも沈んでしまうだろうといった至極当たり前な思考を放棄して、もう何も見たくないと視界を閉じ外界との接続を断つ。

 

 もうこれ以上刺激を受けとりたくないとした行動なのに、何を思ったのかこの体は、モヤモヤとした気持ちの清算に動き出していた。

 

 

 

 一人がどうこうしたところで、大勢を変えることはできない。

 

 そんな誰もが知っている当たり前を理解してしまったその日から、周囲とのズレに苦しむ毎日が始まった。

 

 

 

 誰しもがヒーローの資格を持っているわけではないが、素質足り得るものが必要な者にだけ配られるわけではないらしい。

 

 自身にとっては使いこなせない耐え難い呪いのようなものであっても、他の誰かにとっては銅臭に塗れた嫉妬の対象にだって転換する。

 

 

 

 ……隣の芝生は、いつだって青々としていた。

 

 自分の持ち合わせているものはより、他人の優れた部分だけがハッキリと主張してくる。

 

 突き抜けた存在が、いつだって目の前の障害を打ち破ってくれるのを息を潜めて待つ他ない。その時点で、自分が向こう側の人間でないことを知り、ますます確信を強めた。

 

 あぁ、やっぱりな。

 

 自分には、片輪しか与えられていないのだ。

 

 自分の才能に期待して、周囲には理想の自分を取り繕って。この見渡す限りの前例の、ごく当たり前な一例に過ぎないのだと。

 

 

 

 善人にも悪人にもなりきれない中途半端な自分には、逃げる場所も、頼る人も、全てがあやふやなただの幻。

 

 グルグル思考を巡らせる頭は疲れ、ようやく待ち望んだ思考停止を喜ぶ間もなく、気が付けばベットの上で意識を手放すのだった。

 

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 

 

「エイタ? 寝てんの?」

 

 

 

 部屋をノックする音で目覚める。

 

 カーテンを開けると、夕闇が窓を覆っていた。

 

 こんがらがっていた頭は幾分か解け、その代償として、明日起きられるか心配になった。

 

 

 

「また制服のまま寝て……シワになるからやめろって毎回言ってるでしょ?」

 

 

「んー……」

 

 

「ウチハちゃんいるんだから、もっとしゃんとしなさいよ」

 

 

「んぁー……」

 

 

「はぁ……顔洗ってから下りてきなさいよ」

 

 

 

 呆けた返事に呆れ返る母親が去ると、朝の身支度に倣うように制服をクローゼットに仕舞い、人前に出れる格好を取る。

 

 あんまりだらしない格好でリビングに上がると、"ニートみたい"に始まり、さっきの小言が倍に膨れて殴りかかってくるので、面倒臭く感じながらも姿見で体裁を整えた。

 

 

 

 この後の予定らしい予定といえば、飯食って風呂入って寝るだけなのに、ウチハはあくまでお客様ってことらしい。

 

 まぁあんな才能の塊を身内と主張するのも恥ずかしい気もするが……。

 

 

 

 

 

「あ~きたきた、エイタも早く座って?」

 

 

 

 前掛けを取りながら、そそくさと配膳をこなすウチハに、横合いから頭を叩かれる。

 

 

 

「あんたも手伝いなさい」

 

 

「大丈夫ですよおばさん。エイタは新しい環境で疲れちゃったんだよね?」

 

 

「何かしたわけでもないのに何が疲れたよ。ウチハちゃんもおんなじ状況だろうに……」

 

 

 

 まあまあと母を宥めながら着席を促すウチハを無言で見送り、四人がけのテーブルにポッカリ空いた椅子に触れ、席に着いた。

 

 パート勤めの能天気な母は正面、家族の団欒と顔を綻ばせるウチハは横に、さっきから一言も発しない寡黙な父は対角線上の向かいを陣取る。

 

 

 

「それじゃあ今日の音頭はエイタ、お願いね?」

 

 

「……いただきます」

 

 

「「「いただきます」」」

 

 

 

 横合いから声に目を逸らし、手を合わせて食事の開始を合図すると、食卓上には無数の手が伸びる。

 

 主菜のアジの塩焼きと副菜であるほうれん草のお浸し、ワカメと豆腐が浮いた味噌汁と、ふっくらと炊かれたご飯から視線を落とす。

 

 

 

 一人で食べるよりみんなで。そういう人種は、食事中の人の暖かみ、大雑把に人との会話を、より正確には明るい話題を望んでいる。

 

 才能があって、愛想が良くて、見ていて気持ち良いくらいに障害を乗り越えていく彼女の話をご所望だ。

 

 誰もこんなだらしなくて、覇気がなくて、出来損ないの近況など聞きたくはないだろう。

 

 

 

 仕事帰りで、疲れているであろう物静かな父は、ウチハの話に不器用ながらも相槌を打つ。

 

 パート勤めのお喋りな母は、遠慮を知らない突っ込んだトークを封印し、まるでセラピストように話の引き出しに徹していた。

 

 ……特別な人間は、人を変えてしまうような不思議な魔法でも備えているのだろうか。

 

 俺だけ態度が変わらないからって別に何もない。空虚な人間が他者に影響を及ぼさないように、その魔法はマトモな人間にしか効果がないのだろう。

 

 

 

 俺はこの食事の時間を心底嫌っていた。

 

 逃げ場所がない。

 

 目の前のノルマを達成するまで、この場を離れられない。

 

 家族という実態が曖昧になって、とても心を休める場所とは言えなかった。

 

 

 

 けれども、そう感じているのはどうやら俺だけのようで。

 

 この、自分だけが常時心を尖らせている様が。

 

 お前だけがおかしい、間違っているのだと逐一報告されているような感覚が。

 

 耐え難い苦痛となって襲い掛かってくる。

 

 

 

 毎日毎日。

 

 来る日も来る日も。

 

 そして何度だって気が付く。

 

 

 

 世界の何処にも、俺の居場所なんて無いんだってことに。

 

 

 

「それで? 新しいクラスはどうなのウチハちゃん。楽しくやっていけそう?」

 

 

「えーと、はい。新しい友達も出来ましたし、エイタと一緒になれたんで不満はなし、です」

 

 

「あら、それは良かったわ。部活との両立は大変だと思うけれど、困った時はエイタに頼ってちょうだいね?」

 

 

「はい。もちろんです、おばさん」

 

 

 

 交わされる会話は右から左へ。

 

 ただ黙々と目の前のノルマ達成に心血を注ぐ。

 

 

 

 水分は極力飲まないように。途中途中で箸を置くとタイムロスの原因になってしまうので、最後にまとめて飲む。

 

 食事は歯だけでなく舌も最大限に活用。柔らかい食べ物だったら舌も噛み砕きに利用し、ある程度纏まったら嚥下のサポートに回す。

 

 

 

 昔はこれほど気を回さずに済んだが、やがて自分が集団生活で劣った存在なのだと感づいてしまったときには、そんな流暢なことも言ってられなくなった。

 

 必要に迫られて獲得するしかなかった技術だが、評価はされないものの社会で一生使えるスキルって奴なんだろう。

 

 

 

「ごちそうさま」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コンコン

 

 

 

「エイター? 起きてるー? ……あー勉強してたんだ、邪魔しちゃった?」

 

 

「……んんや。別に」

 

 

 

 無遠慮に開かれた扉からは、赤みがかった濡れ茶髪をタオルで乾かすウチハが現れる。体温が上がって上気した肌。体のラインが浮き出る薄い服装と無防備な姿勢。邪な思念を悟られぬよう思わず目を逸らし、使っていたノートを閉じて思考を切り替えた。

 

 

 

 勉強してたというのは、額面上の意味ではちょっと語弊がある気がする。

 

 何かしていないと不安になって、でも他の選択肢なんて知る由もなくて、仕方なく勉強をやっているというのが正しい解釈だ。

 

 だからそんな畏まった顔で入ってこられても、コッチとしては困ってしまう。

 

 

 

「ちょっと今、時間あったりする?」

 

 

「あぁ、別に、問題ないけど……」

 

 

「ありがと」

 

 

 

 彼女はそういうと、タオルを首に掛け、迷いのない所作でベットへと腰掛けた。

 

 こんな時間に彼女が部屋に来るのは珍しい。平静を装ったつもりだったが、彼女には不機嫌なのが勘付かれてしまったのか。面倒なことになったな……。

 

 

 

 ベットに腰掛けた後も動かないウチハが切り出しあぐねているのを察し、"それで? "と会話の切り口を作ると、彼女は小さく頷いてから口を形作る。

 

 

 

「なにかあった? 今日」

 

 

「んんや。別に、なにも」

 

 

「嘘。エイタがそういう時は、何か良くないことがあったっていう証拠。……もしかしてだけど、コツツミさん?」

 

 

「……」

 

 

「やっぱり。……あの人、ときどき学校来ない不良っぽい人だから、関わるのはやめた方がいいんじゃない? あんまりいい噂も聞かないし」

 

 

「……」

 

 

「別に、エイタがコツツミさんのことをどう思ってどう行動しようと勝手だよ? でもね、エイタの優しさは危ないところがあるからさ? ……ボクはエイタを心配して言ってるんだよ? わかってくれる?」

 

 

「……あぁ、わかってるよ」

 

 

「はい」

 

 

「?」

 

 

「約束、指切りしよ」

 

 

「約束する程の事なのかよ……」

 

 

「うん」

 

 

「ハ───……」

 

 

 

 ベットから立ち上がり、前屈みになって差し出される小指に、こちらもと力なく小指を垂れさせる。

 

 すると、ウチハは絡め取るように下方から掬い上げ、キュッと自らの胸元に引き寄せながらしなだれかかってきた。ちょうどキャスター付きの椅子を二人で共有し、内ももにウチハが収まると二人は垂直に密着の形を取る。

 

 体重が徐々にかけられることで柔らかさを実感し、ウチハの右耳が首筋を掠めくすぐったい。漂ってきたシャンプーの甘い香りに思わず息を止めた。これ以上、彼女のことを意識したくなかった。

 

 

 

 もはや口約束なんか建前で、ただ単にこうしたかったとも捉えられる行動は、本当は俺の感情なんてどうでも良かったんじゃないかと頭に冷静さが戻ってくる。

 

 仮に他意がなかったとしても、……こんな法的義務もない形だけの契約で信頼を勝ち取ろうだなんて、なんと虫のいい話だろう。

 

 

 

「今日のことは、さ。ボクだって嫌な気持ちになったんだよ? でもね、ああいうのって、自分で解決しないといつまでも付き纏う問題だと思うんだ。……いつも、誰かが救いの手を差し伸べてくれるとは限らない。だから、コツツミさんには乗り越えてほしい」

 

 

「……」

 

 

「変に助けて、事態が悪化しちゃったら目も当てられないからね。だから、静観が一番……」

 

 

 

 

 




話を作る時に出ちまった、知識とか裏側とか苦悩とか。
https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill4/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

歩歩これ道場

 
優秀で忠犬な可愛い幼馴染

お飾りの名ばかり飼い主、主人公くん

ただ褒めて欲しくてペロペロ迫って、結果ヘイトが溜まってく


 

 

 

 閑静な住宅街、不似合いなトラックの縦列、運び出されるダンボール達。

 

 引っ越し業者の合間を縫って、一人の女の子が飛び出した。

 

 

 

 車での長距離移動は案外疲れる。

 

 新しい自分のお家のはずなのに、庭先にしか自分の居場所がないからと、彼女はいじけたように電柱の影で膝を折った。

 

 

 

 根元にはタンポポの花が二、三と咲いている。

 

 手を伸ばして触れてみれば、なんだか湿りっけを帯びていた。

 

 クンクンと手元で嗅ぐわせ、直後"オェー"と顔を顰める。

 

 チラリと玄関先に目をやるが、荷入れは一向に終わる気配を見せない。

 

 けれども手元が臭いのは変わらず。

 

 ブンブンと腕を振って匂いを吹き飛ばそうとするが、逆に乾いて芳しい香りが強くなるだけだった。

 

 

 

 近くに蛇口でもあれば……どこかしらに蛇口はあるのだろうが、土地勘もない場所をほっつき歩く冒険心はなく、迷子にでもなると大騒ぎだと結局動けず座り込む。

 

 気を紛らわせてくれるような興味を惹くものは直ちにその数を減らし、けれども新居の慌ただしさは収まる気配もない。

 

 

 

 暇潰しの術を持たない幼女は、五分も経たずに空を仰ぐ。

 

 海が落っこちたような青い空。

 

 綿菓子をちぎったように漂う雲。

 

 ポカンと口を閉じ忘れて思い至った。

 

 おしっこ行きたい、と。

 

 

 

 幼な子特有の突飛な話題転換。

 

 社会の優先順位だとか常識だとか、まだまだ自己さえ確立していない彼女はまだまだ子供で、大人が守るべき守護の対象のはず。

 

 けれども、大人には大人の事情というものがある。

 

 大変そうな両親の背中を見て、いわずとも何かを察してしまった。

 

 結果、それは世間の見本となる"良い子"を生み出した。

 

 彼女のそばに親の姿がないのも、我が子への信頼の証と言えよう。

 

 

 

 しかし、どこまでいっても子供は子供。

 

 その全てに対応できるはずもなく、本当に頼るべきその時が来ると、いまだ曖昧な境界線に立ち尽くす。

 

 どうすればいいのかわからない。イイコにしてなかったから? じゃあ、困っても仕方ないよね。

 

 

 

「トイレに行けなくて困ってるの?」

 

 

「ぇ……」

 

 

 

 俯いた地面に影が差し、ふと見上げた先に男の子。

 

 真っ直ぐと射抜くような視線。初対面でも物怖じない言動。確信に近いその口ぶり。それは、彼女の短い人生でも、初めて出会う人種だった。

 

 

 

「トイレじゃないことで困ってる? ……困ってない?」

 

 

「え、いや……」

 

 

「困ってないの?」

 

 

「そうじゃ、なくて」

 

 

「はっきりしてよ」

 

 

「……きみ、だぁれぇ」

 

 

「ぼく? ぼくメツギ。きみは?」

 

 

「わたし、は、ウチハ」

 

 

「ふーん……アメ食べる?」

 

 

「い、いらない……」

 

 

「そっかー」

 

 

 

 そういうと、メツギと名乗る少年は、ポケットから取り出したアメ玉を口に放り込む。

 

 "知らない人についていっちゃいけない"とも"知らない人と喋っちゃいけない"とも教わったウチハは、やけに距離感の近い目の前の異性に戸惑いを隠せなかった。

 

 イラストで描かれたマスク・サングラス・黒い服装のいかにもな不審者でなかったことと、自己紹介し合ったのなら"知らない人"ではないのでは? という疑問がなおさら頭を混乱させる。

 

 

 

 束の間の沈黙。

 

 あれ? 喋らないの? お話おわり? なにか変なこといった? なんて、何か気に触るようなことをしたのかいったのか、不安が覆い被さってくる。

 

 

 

「近くに公園があるよ。トイレもあるし、蛇口もある。一緒に行こう」

 

 

「ん、う〜ん……」

 

 

「すぐ戻って来ればヘーキだから。ほら」

 

 

 

 差し出される手のひら。

 

 思い出したかのように尿意が迫り上がってきて、たまらず彼の強引さに乗っかった。引っ張られる腕は、力強いが不快じゃない。

 

 視界は移ろい、道は開け、今までうずくまっていたのが馬鹿らしく思えてくる。

 

 あぁ、始めから手を取っておけばよかったな。

 

 

 

 手を繋ぐのはお母さんかお父さんしかいなかったから、見上げなくてもお話しできるなんて、なんだか不思議。

 

 疎外感で一杯だった新しい街並みは、少し強引な男の子の出会いによって、幼少の思い出として美化されるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「隣に越してきたドウゾノです、娘ともどもよろしくお願いします。これ、つまらないものですが……」

 

 

「いいえ〜わざわざお越しくださらなくても、こちらからご挨拶に伺おうと思ってましたのに。あら、こんにちは〜。かわいいね〜、お名前は?」

 

 

「……娘のウチハです。ごめんなさい、この子引っ込み思案みたいで」

 

 

「ウチハちゃんは何歳なの? ……七歳? あらウチの子と同い年だわ。あったら仲良くしてちょうだいね〜。……あらいけない私ったら、いつまでもお客様を立たせっぱなしじゃ申し訳ないわ。ささ、手狭な家ですがどうぞ上がっていってください」

 

 

「それじゃあお言葉に甘えて、お邪魔します。ほらウチハも

 

 

おじゃま……します

 

 

「どうぞどうぞ。いま、お茶出しますから」

 

 

「あ、いいえお構いなく」

 

 

 

 リビングに通されたドウゾノ親子。

 

 退屈しかないだろう社交辞令の場に、わざわざウチハがついてきた理由は二つ。

 

 あの時のお礼を、言いそびれていた感謝の言葉を伝えるため。もう一つは、もうすぐ始まる学校生活での拠り所を作るため。

 

 隣人ながらタイミングを計りかねていた少女は、母親の挨拶回りに乗っかったのだった。

 

 

 

 しかし、目的の人物の姿はいまだない。

 

 ただ座り、大人が話すよくわからない話を聞きな流すのは、いくらオレンジジュースをお供にしてもさぞ退屈だろう。

 

 

 

「ごめんなさいね〜ウチハちゃん、おばさんたちの会話は退屈でしょう? もうすぐしたらウチの子帰ってくるから、それまでもー少し待っててね?」

 

 

「ただいまー」

 

 

「ほら丁度帰ってきた。エイター?」

 

 

「なぁにぃーお母さん。誰か来てるのー?」

 

 

 

 買い物袋を引き連れて現れた少年。

 

 久方振りの再会に、ウチハは軽く手を振って交信する。彼は眉を少し上げて反応し、すぐにニッコリと同じように手元を泳がせた。

 

 そんなやりとりがなんだか嬉しくて、思わず手を胸に抱き寄せる。

 

 

 

「あれ? あんたウチハちゃんと知り合いなの? いつそんな誑し込んだのよ」

 

 

「タラシコ……? 意味わからないけど、馬鹿にされてるんだなってことは伝わってくる」

 

 

「引っ越して間もない頃、御宅のお子さんにウチハの面倒を見てもらったみたいで。……その節はありがとうございました」

 

 

「いいえ〜そんな気を使っていただかなくても、ウチの子は好きでやってるだけですから、そんな頭を下げられるようなことはしてませんよぉ〜」

 

 

「んじゃ、ぼくの部屋行こうか?」

 

 

「え〜、あ〜、その〜……」

 

 

 

 ウチハは歩きながら、なんて声をかけるべきかとメツギを前に考える。

 

 子供は子供で、大人は大人で。二組に分かれ、リビングを後にする二人の背後。

 

 メツギの襟首に影が伸びた。

 

 

 

「ちょっとあんた、お母さん何も聞いてないわよ? 何も言ってくれなかったじゃない。女の子に優しくしたのが小っ恥ずかしかったの?」

 

 

「なんだよ、いちいち伝えないといけない決まりなんてないだろ? ぼくの勝手だ」

 

 

「お母さんにはご近所付き合いってものがあるの。あんたがしてることには口出ししないから、ちゃんと自分のしたことには責任持ってお母さんに報告しなさい。わかった? 返事」

 

 

「おーい」

 

 

「たく、この子は……。あ、ごめんなさいね邪魔しちゃって。あとは二人でごゆっくりねぇ〜」

 

 

 

 笑顔を浮かべ、目も笑い、何か含むようにその母親はリビングへと消えていった。

 

 さて、と一泊置き、向かい合ったメツギは言いかけたであろう言葉を待って沈黙する。

 

 

 

 メツギ少年のこの癖のようなものを何度か体験したウチハは、その意図を察し、形になり損ねていた言葉を形作っていく。

 

 

 

「あ、ありがとう」

 

 

「?」

 

 

「お、お礼言いそびれちゃったから。これは、あの時助けてもらったお礼」

 

 

「うん、うれしいよ。ありがとう」

 

 

「へ、えへへ。それから、それから……」

 

 

 

 普段あまり喋らないからだろうか。

 

 なかなか滑らかに動かない口に、内心早く喋らなきゃと焦るウチハがメツギを見ると、彼はジッとなにも言わずに待っている。

 

 そんな行動をとらせてしまったことに、逆に申し訳ない気持ちが付随して、悪化したようにアワアワと口元を震わす。

 

 

 

「大丈夫。慌てなくていいから」

 

 

「……うん」

 

 

 

 慌てるように持ち上がった手をメツギの両手が捉える。

 

 しっかりとした芯が通う父性の微笑みに落ち着きを取り戻し、やがて唇は歯車が噛み合ったように動き出す。

 

 

 

「お友達、になってほしい、の」

 

 

「友達? もうそうなんじゃねーの?」

 

 

「へ? へぇ〜、え〜?」

 

 

「う〜ん、じゃあそうだなぁー。握手、友達の握手しよう。それで今日からお友達」

 

 

「うん、うん! 友達の握手」

 

 

 

 扉の向こうの光が大きくなっていく。

 

 無限の可能性に沈む心地よさに身を沈めながら、二人は約束を誓い合った。

 

 それは、形だけを大人に真似た、中身の伴っていない空約束だろう。

 

 しかし、子供の世界ではそれは大きな意味を持つ。

 

 

 

 ガワだけでも、ポーズだけでも、精一杯の寄り添いを示す最大限の行動なのだから。

 

 

 

「ウチハは、同じ学校に転校してくるんだろ?」

 

 

「うん。来月には……メツギと一緒の学校に通えるようになる」

 

 

「エイタでいいよ。片方だけ下の名前ってのもおかしいし」

 

 

「んん……。エイタ、と、いっしょのクラスになりたいな」

 

 

「ウチのクラス人少ないから、もしかしたら同じクラスになるかもな」

 

 

「……友達、できるかなぁ」

 

 

「大丈夫だって。みんなイイ奴ばっかりだから、ウチハならすぐみんなと仲良くなれるよ」

 

 

「……うん!」

 

 

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 

 

「みんなと仲良く……ね」

 

 

「? なにかいった?」

 

 

「うんん。こっちの話」

 

 

「また彼のこと見てたの?」

 

 

「うーん……ちょっと違うかなぁ〜」

 

 

「毎回思うんだけどさぁー、そんなにメツギって良い男なの? ウチハが誰かに告白断られるところなんて想像できないし……なんかもったいなくない?」

 

 

「ん〜」

 

 

 

 まあ確かに? エイタが女の子同士の話題に上がることは少ないし、思い出補正で高く見積もってる感はなくはないけど、ご家族にはお世話になってるし? 冷め切った関係って訳でもないし? 長く一緒にいるって考えたら、悪くない選択肢なんじゃないかなーって。

 

 それに、一番心配なのが……。

 

 

 

「ボクがいなくなった後のエイタが心配」

 

 

「えーなにそれ〜、ウチハ聖母すぎな〜い?」

 

 

「ふっふ〜ん、よきにはからえ〜」

 

 

 

 薄い胸板を張りながら、偉そうにヒラヒラと片手を振って頬杖をついた。

 

 視線の先には、休み時間なのに誰とも会話していないコツツミさんの姿が。

 

 

 

 新学期初日と違って、メガネを掛けている。

 

 学年が上がって、イメチェンのつもりだったのかな? クラスメイトが散り散りなったはずなのに、それでも彼女の扱いは変わらなかったようだ。

 

 

 

 ……私が声を掛ければ、彼女に対する嫌がらせは止むだろうか。

 

 いや、本人が助けてと言ってもいないのに、知った風な口ぶりで近づくのは押し付けがましい。

 

 それにエイタに助けるなっていった手前、私が目の前で助けてしまえばそれこそ彼の心をへし折りかねない。

 

 エイタに話したように、彼女には自力で這い上がってもらう他ない。

 

 事態が悪くなる一向なら、その時は改めて考えるとしよう。

 

 

 

 ついでエイタに視線を預けた。

 

 男子同士の会話に参加をしているものの、その意識は時折コツツミさんに向く。

 

 助けられない事実がそんなに自分を追い詰めちゃうの? 

 

 

 

 ジトーとあからさまな視線を投げかけるが、彼の瞳と交わることは決してない。

 

 

 

 ……みんながみんな無感情って訳じゃないけど、エイタのそれは病気だよ。

 

 昔みたいな強引さがあれば、単純だったあの頃なら力技でどうにかできたかもしれない。

 

 でも、今は違う。

 

 エイタにとってはすごく難しいことなのかもしれないけれど、大人になってほしい。

 

 

 

 みんなだって辛いんだよ? 

 

 エイタだけが正しくあり続けたい訳じゃないんだよ? 

 

 コツツミさんだけが不幸って訳じゃないんだよ? 

 

 

 

 ボクだって辛い時はあるし、ボクだって悲しい時はある。

 

 ボクだって心配されたいし、ボクだって近くで支えてほしい。

 

 ボクだってボクだってボクだって……。

 

 

 

 親におんぶに抱っこから時は経ち、もう子供と言い切れない年齢になったが、まだ大人とも言い切れない微妙な立ち位置。

 

 都合よく入れ替わる立場に苦笑いしながら、それでも大人から見れば子供は子供。

 

 社会経験もなく、感情的で経済力もなく、自由も制限されているのならば未熟の一言で片付けられてしまう。

 

 

 

 それなのに、大人の世界で実現できないからと、子供の世界に理想を吹き込むのは教育の内なのか?

 

 

 

 

 

 部活で毎日忙しいボクではあるが、今年の春は夏と冬の大会並みに疲れ果てた。

 

 新入生を迎い入れる、体育館での部活説明会だ。

 

 

 

 全国大会で準優勝を飾ったボクは、剣道部の代表を務めたり女子の黄色い声援を浴びたり男子の視線を集めたりと、体の良い広告塔と成り果てていた。

 

 体験入部期間は、入るんだか入らないんだかわからない乙女の列を相手取り、結局誰も入らなかった時は愕然としたものだ。

 

 男子は見覚えのある視線が片手ほど加わり、"先輩♡"なんて、可愛い後輩とのガールズトークを夢見ていた脳みそを見事に破壊していった。

 

 

 

 唯一の救いは女子が全滅ではなかったこと。

 

 "後輩"は入部してこなかったが、"同級生"が加入してきた。

 

 

 

 この厳しい部活に途中から? なんて最初こそ驚いたが、顔を見て納得した。

 

 

 

「コツツミ、テルミ、です。剣道は初めてで、至らない点が多いかもしれません、が。どうか、よろしく、お願いします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 
グチの吹き溜まりと化したとかとかとか
https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill5/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

上り兵法下り音曲

 
 
最近将棋の調子が良いです。


 

 

 

 薄ピンクの花びらが足元を覆う。

 

 確かな暖かみを帯び始めた葉桜は、残りわずかの余命をふるって、最後の花びらまで迷惑を振りまく覚悟のようだ。

 

 

 

 日本人の美意識に、散りゆくものほど美しいという言葉がある。

 

 パッと咲いて、パッと散る。なんて理想的な人生だろう。

 

 春になると、まるで長年の親友だったんだと言いたげに日本人が寄ってくる。いや? 春だけに存在価値を認められているようなものか? 

 

 

 

 都合の良い存在に見えなくもないその花が、それでも多くの人を酷く惹きつけてしまうのは、見ている側の多くが徒花だから。

 

 桜がどうして美しいピンク色なのかも説明できないくせに。散った花びらがどれだけ積み重なるかも知りもしないくせに。

 

 ちやほやと祭り上げることばかりに目を奪われ、その裏で淀んだプレッシャーや苦悩は知ったような口ぶり。出来上がりの直前に結果だけ掻っ攫って、それでも感謝しろと言うのは傲慢じゃなきゃ何なんだ。

 

 物事の二面性、特に汚いものとの付き合い方を大人が徹底して覆い隠そうとしている気がしてならない。

 

 ただただ、よい行いとはなんなのかと教え込まれ、その道を外れた行いに対してはとことん関心がない。

 

 どう接すればいいのかと深く学び考える機会がないのなら、目を閉じて耳を塞いで、何も知らなかったんだと弁解するほかないじゃないか。

 

 

 

 この世界はどこかひずんでいる。

 

 世界はより良くしていくべきなのだ!! なんて若者達に熱弁を振るいながら、実際はどこか冷めた目で見る大衆が全てを物語る。

 

 これは単純に、世の中が神格化され過ぎてるのが原因なのかもしれない。

 

 こんなのただの演出。嘘っぱちに決まってるじゃんなんて、ヘラヘラと馬鹿にする口ぶりで肩を叩かれる代物なのだろうか? 

 

 

 

 愚鈍になりたいと願い始めたのはいつからだろう。

 

 社会に希望を持ち過ぎていたのだと気付いた俺は、いつしか愚かで、鈍くて、ヘラヘラ笑う側への憧れを募らせていた。

 

 目敏く、敏感に、周囲との隔たりや自分の不完全さを実感する才能なんて要らなかった。

 

 そんな手に余る視点、捨ててしまいたかった。

 

 

 

 青い作業着で背を向けて、能力社会から逃れるように花びらを掻き集める背後からは、とても桜が美しいなんて達観したセリフ伝え聞けそうにない。

 

 ……どこかで聞きかじった言葉を間借りして、わかったような口ぶりでそれらしく言葉を組み立てる。ただ自分が信じたい思想の補強材としか他者との繋がりを見ていない。

 

 大層なことを考えている風を装いながらも、その中身は自分がどれだけ欠陥品だったかの証明にしかなっちゃいない。平たく言えば、一から十まで自分が被害者で可哀想だと主張するばかり。

 

 

 

「ねぇ、ボクの話聞いてた?」

 

 

「……悪い、なんだっけ」

 

 

「だーかーらー、今日はおばさん達帰りが遅くなるみたいだから、どっか二人でご飯食べ行こうってぇー」

 

 

 

 そういってウチハは、天の灰色と空を仰いだ。

 

 朝の登校途中。校門を抜け、校舎への舗装路を歩きながら、即答したくない提案に沈黙した。

 

 

 

 男女が並んで歩き、しかも著名なウチハとくれば、誰かの目や耳が監視しているような幻覚を見そうになる。

 

 これはただの錯覚だ、それは俺の自意識過剰だ、誰もお前なんかに興味はないと何度も心で呟いた。

 

 ロボトミー手術を受けた後みたいに自我を無くし、鈍感になるんだと自分に繰り返し暗示をかける。

 

 

 

「友達と、どっか食べ行ってこいよ。俺は良いから……」

 

 

「エイタは晩御飯どうするの?」

 

 

「あー……適当に家にあるもの食べるよ」

 

 

「ダメ。またインスタントとか簡単なもので済ませる気でしょ? 何か食べたいものとかないの? ボク付き合うよ?」

 

 

「外食そんな好きじゃねぇーんだよ……」

 

 

「ふーん。……じゃあ今日はなに作ろうっかな〜」

 

 

 

 スマホで調べ物をするウチハを尻目に、寝不足で重くなった頭で文脈を読み取った。

 

 この会話の流れだと……もしかして不味いか? 

 

 行動を起こすより前にその選択へと体は拒否反応を示し、身体中から汗が吹き出し始める。

 

 

 

「いや剣道で、疲れてるだろ? 今日くらいは休んどけ」

 

 

「え〜気遣ってくれるの? じゃあ晩御飯は、お願いね?」

 

 

「え?」

 

 

「いつかのさぁほら? お願いがまだ残ってるんだよねぇ〜」

 

 

「……こんなことでお願い使っていいのかよ?」

 

 

「こんなことって言うならさぁ、別に拒否する理由にならないよね?」

 

 

「いや、そうだけど……」

 

 

「はぁ〜エイタの手料理かーボク楽しみ〜」

 

 

 

 これ以上深く否定すると、鋭い追求が返ってくる気がしてそれきり黙り伏せた。

 

 けど、どうする。誰もいない家でウチハと二人っきり? 冗談じゃない。それに料理の経験なんて家庭科の雑用くらいしか経験ないんだぞ。

 

 向き合いたくない現実に軽く絶望しながら、今日がまだ始まってまもないことにまた心を下す。始まりもせず疲れ果てた足取りは、地面に散らばった花びらを汚し踏みつけるのだった。

 

 

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 

 

「この後の授業なんだっけ?」

 

 

「今日、選択じゃん。ダル」

 

 

「近所に新しくできたお店あったじゃん? 放課後みんなで行ってみない?」

 

 

「おけ〜。じゃあ放課後連絡して?」

 

 

「なぁ教科書貸してくれ、一生のお願いだから」

 

 

「おめぇ前に貸した時グチャグチャに落書きしてただろ、今度やったらタダじゃおかねぇからな?」

 

 

「剣道部に入るとかほんとクソだわ。もしかしたら私もウチハみたいになれるかなとか夢見ちゃってるのかな?」

 

 

「それでね、その時ソイツなんていったと思う?」

 

 

「ねぇ勿体ぶらずに早く教えてよぉ〜」

 

 

 

 ……最近はよく眠れていないからか、午前は睡魔に襲われ、肘をついて頭を支えるようにして眠ってしまうことが多くなってきていた。

 

 ただでさえなんの取り柄もないのに、勉強も落としたら洒落にならないぞ自分に言い聞かせ、気力を振り絞って授業を頭に入れようとする。

 

 だがそんな精神論も虚しく、気が付けば意識が飛び時間も飛んでしまうことが往々にしてある。

 

 

 

 休み時間が睡眠時間にとって変わられたからか、柔く築いていた交友関係はいつの間にか気まずい雰囲気になっており、寝不足がそれに拍車をかけて面倒臭さを助長。

 

 結果、いつも酷く眠そうにしているボッチが仕上がる。この選択肢がどれほど危険なことなのかと分かった上で、それでも繋がり作りに奔走しなかった事実は、それ自体に価値を見いだせなくなりつつある何よりの証拠だろう。

 

 

 

 座席は運のいいこと? に後方に位置するので、すぐに先生に気付かれるわけではないのだが、それでも指名が飛んできた際は恥をかくことは免れない。

 

 普段が真面目で成績優秀のつまらないやつなんて印象がついているからか、毒にも薬にもならずクラスの晒し者になる様は、もともと有って無いようなクラスでの立場を余計に下げた。

 

 このままではまずいと思いながらも、何かしらの行動を起こそうとする気概も湧かず。結局、休み時間にタガが外れたように眠りに落ち、チャイムで寿命を縮めるなんてのを繰り返すハメになるのであった。

 

 

 

 そしてまた今日も同じように……いや、もはやこれはどうすることもできないのかもしれない。

 

 ここまで寝不足による弊害を語ってきたが、なにも全てが全て悪いことばかりでもないのだから。

 

 一度眠りに落ちてしまえば、見たくない現実から目を逸らすことができる。

 

 眠っている間は自分も他人も、未来も過去も、ひどい悪夢で叩き起こされない限りずっと曖昧でいられる。

 

 そうか、俺はハナから……この生活を良くしようだなんて気持ち毛頭ないのかもしれない。

 

 寝不足の頭に、思考を止めない暴走した頭。授業の準備を形だけ整え、ゆっくりと瞼が重くなっていくことに抵抗しなくなったが最後、教室の喧騒が去っていく感覚を受け止めるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──────タ」

 

 

「──────きろ」

 

 

「──────っちゃうぞ?」

 

 

「──────エイタ!!」

 

 

 パッチリと、呼ばれた気がしてすかさず立ち上がり、教科書をめくろうとしてハタと止まる。薄暗い中いきなり飛び起きて驚くウチハの顔、教室には誰もおらず、明かりも窓の外からしか差し込んでいない。

 

 

 

「みんな帰ったのか?」

 

 

「なに寝ぼけてるの? これから始まるんだよ!」

 

 

 

 ドン!! と置かれた移動教室の道具と教材に唖然とし、時計に目をやると、まだ学校にいなければならない時間帯。ヨーイ、ドンで他に必要なものをかき集め、一目散に目的の教室へと駆ける。

 

 

 

「ちょっとちょっとちょっと!!」

 

 

「なんだよ!? 後にしてくれ!」

 

 

「ボクにお礼の一つもないわけ!?」

 

 

「今じゃなくてもいいだろ!?」

 

 

「ボクが起こしてあげなかったら、エイタは確実に遅れてました〜」

 

 

「離せって! チャイム鳴るだろが!?」

 

 

「イタッ」

 

 

「わ、悪い」

 

 

「傷つきました」

 

 

「? どっか引っ掻いたのか? ごめん、悪かったって」

 

 

「ボクの心が傷つきました!」

 

 

「はぁ?」

 

 

 突然、意味のわからないことを叫びながら、駄々をコネ始めたウチハに対して生返事が飛び出す。

 

 起こしてくれたことには感謝するべきなのだろうが、だからって今やらなくちゃいけないことでもないだろう。

 

 なに考えてんだコイツ。

 

 

 

「最近エイタが冷たい気がする」

 

 

「……俺はいつも通りだ」

 

 

「休日遊びに行こって約束したのに直前まで寝てるし、勉強教えてっていってもまだ終わってないって突っぱねられたし、昨日は部活が終わるまで待っててくれなかったし……。ねぇ、なにがそんなに気に入らないの? ボク、エイタの気に触るようなことした? それともボクが何か間違ったことしてる?」

 

 

「……なに言ってんだ、ウチハは正しいだろ」

 

 

「嘘ばっかり。じゃあなんでエイタは今ボクと目を合わせてくれないの? エイタこの頃本当におかしいよ?」

 

 

 イライラする。

 

 ただでさえ睡眠不足で口が回らないのに、こうも質問攻めされるとあくびするライオンの前で立ち尽くしている気分になる。

 

 

 

 鳴り響くチャイム。過ぎ去った途端に焦りを失う体。さっきまで抱いていた感情が全くの紛い物のような気がして、空っぽの自分ごとゴミと一緒に焼却炉に突っ込んでやりたい気持ちになった。

 

 全部全部、何もかも。

 

 ……じゃあウチハはなんなんだ? ニセモノで縛られていないのだったら、一体何に縛られてるんだ? 

 

 何考えてんだか、願望かよ。

 

 

 

 頭の中でようやく思考の節目がつき、荷物を抱えた両腕がだらりと垂れてしまうのと同時、おもむろに片方の腕を引っ張られる。

 

 一瞬、優等生らしく遅刻判定されてでも授業を受けに行くのかと考えがよぎったが、されるがまま拘束された腕は明後日の方向へと向け歩き出す。この方角は……体育館? 

 

 

 

「……何のつもりだ?」

 

 

「……」

 

 

「なぁ……」

 

 

「……」

 

 

「はぁ……」

 

 

 

 がっちりとホールドされた腕。剣士が決して自分の分身を手放すまいするような、脱力しながらも要点を抑えた握り込み。

 

 血管が浮き出るほど強く握られていないはずなのに、不思議と彼女の手を振り解くことができない。

 

 

 

 コンクリートの連絡路、雨よけの白いトタン、くすんだ空が色彩を似通わせる。どこかのクラスの男子の声が、体育館で弾けた。

 

 青いスライド式の隙間をジャージが通り過ぎ、思わず目を逸らす。体育館を横切って道なりに。別館の扉を開け、階段を上り、人の気配がないのを確認してから流石に抵抗を強くした。

 

 

 

「なぁ、やっぱり大人しく授業受けといたほうがいいんじゃないか? 先生が探しにくるかもしれないだろ?」

 

 

「来ないよ」

 

 

「?」

 

 

「ボクが来させない」

 

 

「……」

 

 

「そんなことよりさ。ほら、入って」

 

 

「……ここって更衣し「あーもういいからいいから」

 

 

 

 取り出した鍵でガチャリと開け、有無を言わさない力強さで引きづり込まれた先は、埃っぽくて湿っぽくてひどく息が詰まる小部屋だった。

 

 プールなんかで置かれていそうな青くて水捌けが良さそうなベンチや、腰の丈ほどのロッカー。部屋の上部、申し訳程度に置かれた小窓を、ウチハは背伸びして開け放つ。

 

 反社会的なことをしている自覚がチラつきながらも、途切れた会話と白けた感情が睡魔を誘発。立っているのも億劫になって、思わずベンチに座り込んだ。

 

 でも、このまま流れに身を任せるのは危ない気がして、何か会話を繋いでおこうと思って口を持ち上げた。

 

 

 

「いいのかよ、勝手に使ったりして」

 

 

「ん〜、いいんじゃない? ブチョーケンゲン?」

 

 

「……お前だけが使ってるわけじゃないだろ?」

 

 

「コツツミさん? なに? 興奮してるの?」

 

 

「……」

 

 

「ここなら誰にも邪魔されないしねぇ〜」

 

 

 

 クルクルと指で回される鍵を見やり、次いで得意そう顔をしたウチハを視界に収める。

 

 授業をサボってまでの用は想像することさえ叶わなかったが、いずれにせよウチハに拘束されるというなら、変なことを口走る前にさっさと意識を失ってしまいたかった。

 

 

 

「眠い?」

 

 

「ほっとけば楽だろうに」

 

 

「……そういうわけにはいかないんだよ」

 

 

「……眠い。おやすみ」

 

 

「ん」

 

 

 同じくベンチに腰掛けたウチハは頭部に抱きついてきて、そのまま自分の膝下に組み伏した。

 

 呼吸を薄くゆっくりにする。少しでも思考を暴走させたくない。植物人間のように、平穏でありたい。

 

 くすぐるようにまとわりつくウチハの手を払って、それきり黙る。

 

 

 

 なるべく布地の方に頭を預けたかったが、動けば余計に大惨事になると、太ももの温もりを甘んじて受け入れることに。

 

 気遣われた身で腕を組み、眠れもしないのにまぶたを閉じ、静まり返った水面のように彼女へと静かな身を捧げるのであった。

 

 

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 

 

 灰の空が暗くなっていく公園で、帰宅を促すチャイムの音色にため息をつく。

 

 春は花粉さえなければ過ごしやすい。季節の変わり目には生命の息吹が宿るのか、何か行動を起こさせようとする力がある。

 

 新しく目標を立て取り組むだとか、常人には理解できない行動を取るだとか、……自ら命を絶つだとか。

 

 自分もその爪弾き者達の仲間なのかなと手を揉み込んで、手を振って明日の約束を交わす子供達を見やり、まぁ世間一般から見て普通ではないだろうなと一人で完結させる。

 

 

 

 ウチハには料理を作って待ってるからとかいう、いかにもな言い訳を告げ、気付くと俺はこの公園に逃げ込んでいた。

 

 リストラされたサラリーマンが、なにゆえ公園のベンチを選ぶのか今ならほんの少しわかる気がする。

 

 

 

 公園が限界点なのだ。

 

 社会から離れられる距離と、社会へと戻ってこれる距離の、バランスが中立になっているのが公園という場所だ。

 

 手近に人気のなく安全で過ごしやすい場所がないと言うのもあるが、結局なにかから逃げられないと悟っている当人は、ならせめて距離だけは置かせてくれとこの場所を選ぶ。

 

 ひとときの休息、ひとときの逃避、ひとときの未練。公園で何をするでもなく空を眺める人というのは、何とか踏ん張って生きていこうとしている、一つの人間の姿の中もしれない。

 

 言い切ったが、もちろんただの妄想。

 

 今の状況と何かを結びつけて、俺は普通じゃないけれど、俺は普通に近しいんだと主張したいのかなんなのかよくわからない。

 

 

 

 大切なことはさっぱりわからないのに、いらないことばかりに頭が回る。

 

 そんな自分でも、何か致命的欠陥がある俺でも、いつかは世の中に出ていかなければならないと思うと申し訳ない気持ちが込み上げてくる。例外が一つ身近にいるだけで、自分もなんてそんな期待、内が悪いかはたまた外か。

 

 

 

 あぁ、そろそろ買い物に行かないと、夕飯の準備ができないな。とどうでもいいことのように考えて、ひとりになった公園でうずくまった。

 

 周囲に誰もいない今ならば、暗くなりつつある今ならば、こんな行動も許される気がする。

 

 

 

「お困りかい少年」

 

 

 

 びくりと体を震わせて、バッと後ろを振り返った。

 

 直前まで気づけなかった。気配がまるでなかったことに寒気がして、ベンチから勢いよく飛び上がる。

 

 

 

「そんなに驚かれると傷つくなぁ」

 

 

 

 街灯を背にし、スーツを着て、困り顔で女性が次句を繋ぐ。

 

 いかにも仕事帰りの風貌を醸し出す彼女。顔に影が刺しているからか、第一印象は"気味が悪い"だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 
やる気あんのぉ?なとかとかとか
https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill6/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二部
援助じゃアフリカは発展しない


 
 
いけすに放ったネタをようやく使える喜び


 

 

 

「えっと……さようなら」

 

 

「第一声が別れの挨拶とは。さっきのお化けを見るような目といい、大人の私でも流石にショックを隠しきれないよ」

 

 

「あの、家訓で知らない人とは話すなと……」

 

 

「未成年者に声を掛ける。それだけで、全ての大人が不審者扱いとは甚だ遺憾だ」

 

 

「はぁ……」

 

 

 

 "私から見て、あなたは充分に不審者の部類です"なんてバカ正直に言えたらどれだけ楽だろう。

 

 

 

 困っているか? と聞かれている時点で、俺の話に耳を傾けてくれる準備があるのだと窺い知れるが、おいそれと他人に悩み事を吐き出すのは軽率な行為だ。

 

 もっとこう、順序というものがある。

 

 外部の人間に助けを求めるより、まず身内に助けを求めるのが普通であって……。

 

 

 

 浮かぶのは家族、友達、そしてウチハ。

 

 あぁ、周りに相談できる人なんていなかったと思い返して勝手に傷つく。

 

 身近に信頼できる人がいない状態であっても、他の誰かに助けを求めるような具体的行動をとった覚えはない。

 

 もしかして俺は、誰かに"助けて"とも縋りつけないほどに衰弱し切ってしまっているのではないのか。今更なことを悟って、気付いたところで身動きできない自分に沈黙した。

 

 

 

「突然こんなことを言われて困惑しているとは思うんだが、何かあるなら私に話してみてくれないか? 赤の他人だからこそ、喋りやすいということもある」

 

 

「……」

 

 

「……君が何も語らないのなら、私は一向に動けずじまいだ」

 

 

 

 暗がりから歩み寄り、逆光は次第に薄まっていく。

 

 だんだんとクールな困り顔が露わになり、切れ長な目がいっそう細められていく。

 

 それに比例して、心臓の鼓動が鮮明に聞こえ始めた。

 

 

 

 彼女の好意をはね飛ばして、逃げ帰るほどの冷酷さはなく。

 

 また彼女の好意に甘え、寄りかかろうとする度胸もなく。

 

 自分の安全領域が狭まれ、逃げ場がなくなっていくのを何もせずただ眺める。

 

 無力な蝋人形のように突っ立って、それ以上は近づかないでくれと祈る他なかった。

 

 

 

 せっかくお前のために良くしてくれようとしてる人を邪険に扱って、あげく息を殺してやり過ごそうとしているのか? 

 

 いっそ"近付かないでくれ"と主張してみればいい。

 

 お前についているその口は飾りか? 良い歳して自分の現状を相手に伝えられないのか? 

 

 お前は赤ん坊並だな。いや、おしめを取り替えてと主張できる赤ん坊の方がよっぽど利口じゃないか。

 

 こんな当たり前のこともできないのか? みんなできてるんだぞ? お前だけができてないないんだぞ? みんな必死に努力しているんだぞ? なのにお前は、一体いままでなにを学んできたんだ? 

 

 お荷物・知恵遅れ・退化・劣等・ノータリン・白痴。

 

 

 

「ッん──────第一印象が悪かったのかな? 少年なんて馴れ馴れしかった? もっと礼儀正しくした方が正解だったか、うっかりした。言葉を急かしたのも悪手だったかもしれない。もっとじっくり時間をかけて……いやいや黙したまま這い寄る気? それこそ気味悪がられる。でもでも困ってる風だったし、このまま見過ごしちゃうとあの人に顔向けできないし……うぅ」

 

 

「あの」

 

 

「ん? なんだい」

 

 

「お気持ちは嬉しいのですがあの、その、結構です。……自分でなんとかしますから」

 

 

「自分でなんとかできる人間は、公園でうずくまったりしないだろうに」

 

 

「……」

 

 

「これは相当溜め込んでいると見るべきか? それなら真正面から引き出そうとするのは愚策か……」

 

 

 

 ……漏れ聞こえる独り言を聞こえないフリで乗り切って、無表情でウロウロと黒い長髪が捩れるのを視界から外した。

 

 

 

 善人も悪人も皆んな笑顔で寄ってくる。

 

 その理から外れた異物であるとわかった時点で、自分と同じような人種を見つけた安堵と、鏡を前にしたような強烈な不快感が同居した。

 

 

 

 彼女が一体どんな考えのもと話しかけてきたのかは定かでない。

 

 何にせよさっさと飽きて諦めて、こいつからはなにも得られないんだと学習して、それきり二度と会わないようにしてもらうのが一番早い。

 

 

 

「……実は困っているのは私の方なんだ」

 

 

「え?」

 

 

「とりあえずついてきたまえ」

 

 

 

 クヨクヨと悩んでいる姿を見せつけたかと思えば、次はついてくる前提で話は進み出している。

 

 突然の急展開に頭は追いつかず、しかし体は"困っている"の言葉に是非もなく反射を示す。

 

 

 

 今が絶好の逃げ時に思えた。

 

 このまま女性が離れていくのを見送って、見失ってしまったとでも言い訳をこねくり出せば、自分を無理やり納得させられるような気がする。

 

 

 

 ……その筈なのに、気付けば彼女の離れていくスーツスカートを追って、歩き出している自分がいるのだった。

 

 

 

 

 

 車がすれ違える程の道を、背後三、四メートルの間隔を保って進む。

 

 周囲からはストーカーのように見えなくもない。

 

 だが横並びに歩くのは、彼女へ無条件に心を開いている自分を想像して。

 

 また、さらに離れて十メートル二十メートルまで距離を開けたとあらば、本当のストーカーに間違われる気がして。

 

 間をとって会話をしようと思えばでき、距離を取ろうと思えばすぐ離れられる、そんな絶妙な位置関係で歩くことを決めたのはついさっき。

 

 

 

 ツカツカと丈の低い黒ヒールだけが舗装路に響く。

 

 ヒール分を加味しても、そう自分と身長差があるようには見えない。

 

 カバンの類はなく、両手はフリーだ。

 

 一際目を引くのが、黒髪ロング。

 

 動きに合わせて波打つ様は、よく手入れされていることが窺える。

 

 

 

 相手を観察しながら、なぜこんなことになったのかの目的を見失いそうになっていた。

 

 まだ互いの歩幅を知る程の仲ではないので、ときどき速度の調整は怠れない。

 

 すぐ下に相手の踵があるかのような緊張感で、一定の距離を絶えず保ち続ける。

 

 

 

 五分、……いや十分。

 

 正確な時間は定かでないが、ある白いアパートの前までくると、彼女はおそらくいつもの調子で帰宅するのだった。

 

 

 

「……は?」

 

 

 

 指示待ち人間、万事休す。

 

 

 

 あれ? 俺はどうすればいいんだ? 

 

 

 

 ついてきてって言葉は聞き間違えるはずがない。

 

 じゃあ、態度を見るに部屋までついてこいってことなのか? 

 

 一度も振り返らずに部屋に入っていった謎の信頼感に怪しさが膨らむ。

 

 俺がついてきていることを忘れてる? 

 

 数分前の記憶を忘れてしまうなんて人をテレビで見たことがあるが、彼女はそのクチなのか? 

 

 それだと家に帰宅できたのをどう説明する? 

 

 ある特定の記憶だけ覚えているなんて説明、嫌に都合が良いな……。

 

 

 

「どうかしたのかい? 早く来たまえ」

 

 

「いや、これは不用心過ぎるといいますか、なんというか。……一応、初対面なんですし、男女ということもあるのでちょっと……」

 

 

「世間体を気にしているのかい?」

 

 

「常識の範疇で話してます」

 

 

「常識なんてものは前時代の遺物だよ」

 

 

「……仮にそうだとしても、縋るものの少ない人間にとっては生命線なんです」

 

 

「つれないねぇ……」

 

 

 

 玄関の扉からひょっこり顔を覗かせた彼女と押し問答を繰り広げる。

 

 ここが共用の通路であることから、邪魔だとかうるさいだとかの声がいつ飛んできてもおかしくない。

 

 だからと言って、このまま"はい、喜んで"と相手に従うのもおかしく思えた。

 

 

 

 出会って間もなく、彼女の取る不審な行動の数々が、ただ困りごとを聞くだけで終わるのか? と不信感を煽る。

 

 新手の宗教の勧誘だとか、骨董品を売りつけてくるだとか、何か裏があるんじゃないかと勘繰ってしまう。

 

 たかが高校生の懐事情なんて大人からしたらはした金だが、本人がダメなら保護者から金を引き出そうとするかもしれない。

 

 わざわざ周りに相談できない孤立した状況を見抜いて話しかけてきたのかもなんて変なところばかりに頭が回り、しかし騙すのならわざわざ自宅に招き入れるのか? と確信が持てず、彼女の放った"困っている"が足枷のようにその場に留める。

 

 

 

「いい加減話してもらえませんか? ご自宅に用があるのは、なんとなく予想つきますけど」

 

 

「立ち話もなんだろ? 少し休んでいくといい」

 

 

「……それ怪しさ100%って自覚あります?」

 

 

「……確かに」

 

 

「冷やかしなら帰りますよ」

 

 

「まぁ待ちたまえ。何も言わずについて来てくれたということは、少なからず私のことを好意的に見てくれている証拠だろう?」

 

 

「今の言葉でついてきたことを後悔してます」

 

 

「いやまぁなに、火急の用というわけではないのだが」

 

 

「お疲れ様でした」

 

 

「ちょま、待ちたまえ」

 

 

「……あの、手はなして貰えます?」

 

 

「野菜が余っているんだ。君には協力してもらいたい」

 

 

「それ俺である必要ありましたか? あと制服引っ張らないでください、傷みますから」

 

 

「いやほらえーと……いま一番近いのは君だ」

 

 

「……はぁ」

 

 

 

 制服が傷むと指摘すると、彼女はパッとその手を離す。

 

 次いで俺である必要があったのかの質問に、ワタワタと身振り手振りをしたかと思えば、閃いたとばかりによく分からない理論を展開し始めた。

 

 反論がない様子から、意見が通ったと得意になっている女性に、思わずため息混じりの呆れ声が溢れてしまった。

 

 つまりこういうことか? 頑なに口を開かない俺を見かねて、"お願い"を強制することで平等な立場に持っていこうとしている? 

 

 

 

 悩みを聞くというのは一方通行だ。

 

 聞いてあげるというか、聞いてもらうというか、両者の関係は決して対等とは言えない。

 

 返ってきた答えが"エラそうだ"なんて、相談に乗ってあげた立場から見たらそれこそ"エラそうだ"だが、相談する問題が大きく深刻であるほどこの感情は強くなる。

 

 もし"お前が悪い"と断言されてしまったら? 

 

 そこまで言われなくても、今までの苦悩や憤りが考慮されずに淡々と常識をぶつけられでもしたら? 

 

 自分の中にある経験や知識をいくら煮詰めてもわからないから困っているのに、弱者の気持ちに寄り添わない押し付けられた意見を頂戴したところで、一体どう生かせってんだ。

 

 

 

 こんなものは相談とは言わない、一方的な思想の伝播。

 

 アレルギーだろうがなんだろうが、俺の好物だからお前も従えと暴論を振りかざしているような物。

 

 

 

 ……彼女はそうならないよう、お願いを聞いてくれたお返しに相談に乗るという、対等な目線でのやり取りを希望している。

 

 自分が変人と思われようと、ただ相手の悩みを解決してあげたいという強い執念を感じ取った。

 

 

 

 少しどころか、かなり強引なやり口だ。

 

 もっと上手に相手を誘導する方法がなかったのかと考えずにはいられない。

 

 それでも、さっき出会ったばかりの女性に、俺という一人の人間へ敬意が払われていることだけは確かだった……。

 

 

 

 その推測が真実かどうか、俺には確かめる術がある。

 

 だが向こうが礼儀を尽くすというなら、こちらも相手に礼を尽くさなければ失礼というものだ。

 

 我ながら面倒な性格だな。

 

 こんなに気を遣わせて、ようやく相手に歩み添おうと決断する様に苦笑いを浮かべる。

 

 

 

「そこまでいうなら、わかりました。それじゃあご厚意に甘えて……」

 

 

 

 伏せていた顔を上げると、彼女は真顔のまま動かなくなっていた。危うくこっちまで固まりかけたが、かぶりを振って"も、もしもーし? "と語りかける。

 

 

 

「え?」

 

 

「はい?」

 

 

「野菜、もらってくれるのかい?」

 

 

「そ、そういったつもりなんですが」

 

 

「……」

 

 

「……」

 

 

 

 なんかわからんが会話が終わった。いや終わる要素どこにあった。さっき抱いた温かい気持ちが消え失せてしまう前に、騙すんなら騙すで気分のいい内にとっとと済ませてもらいたい。

 

 

 

「いや、助かるよ。一人じゃ消費しきれない量が送られてくるもんだから困り果てていたところなんだ」

 

 

「そんなに量あるんですか?」

 

 

「かじったりしているんだがねぇ……なかなか減らないんだよ」

 

 

 ? 

 

 

「好き嫌いはあるかい?」

 

 

「へ? い、いいえ特には……」

 

 

「家はこの辺り?」

 

 

「近所です」

 

 

「わかったありがとう。だが助けてもらいっぱなしというのは気分が悪い。どうだろう、ここは一つお姉さんに困っていることを相談してみるというのは」

 

 

「相談ですか……別に喋るのに抵抗がある訳じゃないんです。その、何て言えばいいか……抱えてる問題の量が多過ぎて、何処から手をつけるかわからないってところですかね」

 

 

「そう難しく考えることはない。私も出会ったばかりの人間に、自分の深い場所を晒そうとは思わないよ。君がおかしいなと思ったこと、不思議だと思ったこと、ちょっとした疑問の様なものでもいい」

 

 

「んー……考えが纏まるまで少し時間を下さい」

 

 

「構わないよ。立ったままというのもなんだ、どうせなら上がっていきたまえ」

 

 

「……まあここで長話されても迷惑でしょうからね」

 

 

 

 結局、初対面で見ず知らずの女性の家に上がることになった。

 

 いきなり家に連れ込もうとした時は何事かと思ったが、ただ会話の順序がおかしい変な人? なだけらしい。

 

 

 

 野菜をもらい受けるという、普段とは縁遠い僥倖を得るも、丁度買い出しに赴かなければならない身。

 

 さっさと野菜を譲ってもらって、当たり障りのない相談をして、ネットで調べたそれらしい料理を作れば今日を乗り切れるだろうと予定を軽く組む。

 

 料理のジャンルは決めかねるが、時間も無いし一品ものを作ることは確定。

 

 丼物が手抜きと言われないギリギリのラインか。

 

 

 

 半開きの扉に手をかけ、入る直前で表札が目に入る。えっと、"ツキノキ"でいいのか? 

 

 

 

「お邪魔します」

 

 

 

 玄関を上がると、線香を思わせる独特の香りが鼻腔を掠めた。

 

 甘いようでいて、香辛料を思わせる独特な香り。

 

 それでいて頭が冴え渡るような、どこか気持ちが落ち着いた気分になる匂い。

 

 会話のタネにでもしようかと一瞬考えたが、長居する気がなく人の趣味をとやかく言っていいものかと思いここはスルー。

 

 

 

 靴を脱ぎ、家主のものとは対極の端っこの方で揃える。

 

 ワンルームの間取り。

 

 清潔感の漂うキッチン、バストイレを通り過ぎれば一室と東向きのベランダが。

 

 女性の部屋をジロジロ見て感想を述べるのは気持ち悪い趣味のように思えるが、ウチハに比べ物は散らかっておらず、引っ越して間もない頃のみたいに必要最低限の物を集めたさっぱりとした印象を受けた。

 

 

 

「適当に楽にしてくれて良いから」

 

 

 

 そう言い残してからツキノキさんはベランダへと出る。

 

 出された冷たい緑茶と、野菜が入っているであろうビニール袋をテーブルの上に。

 

 クッションが対面に転がされているが、楽にしろと言われても居座るつもりは元々ない。

 

 クッションをどかし、カーペットの上に正座、唇を湿らす。

 

 こうした方が一番落ち着く。

 

 

 

 窓から段ボールを運び入れようとする姿を見て、そんなにあっても消費しきれないと腰を上げたが、ぶら下がった洗濯物にすぐさま腰を下ろす。

 

 ベランダにうっかり干してある物を目にしたとしても、不可抗力で警察に突き飛ばされるようなことがないとは思うが、けれども自分の良心がそれを許さなかった。

 

 

 

「ふふ、ここは修行寺ではないよ?」

 

 

「あ、いいえお構い無く」

 

 

「よいしょと」

 

 

「あの、もらう身で差し出がましいですけど……今日使う分だけで充分ですので」

 

 

「君が必要な分だけ言ってくれればそれでいい。さぁ、どれでも好きなのを選びたまえ」

 

 

 

 物色して選り好みするような態度は少々気がひける。

 

 だが、いつまでもこの家の世話になるわけにもいかないのでさっさと行動に移る。

 

 

 

 スマホを取り出して軽く検索をかけ、使えそうな野菜を選り分けていく。

 

 ほうれん草、玉ねぎ、きのこ類、もやし、にんにく……。

 

 

 

「……質問なんですけど」

 

 

「なにかな?」

 

 

「料理ってされます?」

 

 

「サラダが料理の内に入るのなら……」

 

 

「かじってるってそのまんまの意味じゃないですか」

 

 

「しょ、しょうがないだろう? 仕事から帰ると時間はないし、疲れてるし、何より面倒なんだ」

 

 

「だからってそんな食生活じゃ栄養も偏りますよ。今はいいかもしれませんけど、後々痛い目を見るんですから」

 

 

「そ、それでも野菜を全く食べないよりは救いがあると思うんだが?」

 

 

「休日はちゃんと食べてるんですか? 大方、生で食べれる野菜はかじったりちぎったりして、それ以外がいま目の前にある野菜ってところですかね」

 

 

「う゛」

 

 

「大の大人が、見ず知らずの学生に調理しないといけない野菜を押し付けないで下さい。送り主が悲しみますよ」

 

 

「う゛ぅ」

 

 

「はぁ……」

 

 

 

 大人の余裕は見る影もなく、すっかり萎縮してしまった彼女にため息をつき、しかしこのまま放っておくわけにもいかずに冷蔵庫の中身をあらためる。

 

 全滅だ。

 

 お酒なんかの飲み物の他は、そのまま食べれる加工食品がほとんどを占めている。

 

 精肉も生魚も見当たらない。

 

 ろくな食品もなければドレッシングの類いもない。

 

 冗談が冗談じゃないことに気づいた。

 

 

 

 つづいてキッチンへ。

 

 道具はある、だがどれも新品同然。

 

 基本的な調味料は形だけは揃っていた。

 

 賞味期限はギリギリセーフ……か? 

 

 

 

「ご飯まだですよね?」

 

 

「あ、あぁ」

 

 

「この中で苦手な野菜とかありますか?」

 

 

「あー、ニンニクはそんなに使わないで欲しいかな?」

 

 

「お米あります?」

 

 

「パックのなら……」

 

 

「キッチンお借りします」

 

 

 

 気づけば勢いで包丁を握っていた。

 

 自分が余計なことをしている自覚はある。

 

 お節介だの、ありがた迷惑だの、いらない心配なのはわかりきってる。

 

 それでも、目の前に助けられる人がいて、自分に助ける力があるのなら動かずにはいられなかった。

 

 どうせ後でウチハに料理を作る羽目になるのなら、今から予行演習の一つや二つしておいたところで苦労は変わらないだろうと自分に言い訳を説く。

 

 

 

 そもそも野菜を譲り受けること自体、彼女の手助けになっているか怪しいのだ。

 

 むしろ公園で下ろしていた重い腰を引っ張り上げ、今夜の材料すら提供してくれたと考えればどれだけ救われていたことか。

 

 彼女に料理を振る舞うことで、本当の意味で対等の立場になれるのだと……俺は信じたいのかもしれない。

 

 

 

 レシピを開く。

 

 そう都合よく全ての材料が揃っているわけはない。

 

 しかし、味付けさえしっかりと押さえていれば、素人でも食える料理を生み出せる。

 

 あとは味のバランスを欠くような、味や香りが強いものを入れない限り、致命的失敗は有り得ない。

 

 豚の挽肉を魚肉ソーセージで代用。

 

 にんじんは玉ねぎで穴埋め。

 

 ニンニクはいない子。

 

 彩にかける。

 

 が、それも許容範囲。

 

 

 

 おぼつかない手つきで、無駄の多い手つきで、うっかり砂糖と塩を取り違えそうになりながら。何とか完成にこぎつけた。

 

 

 

「すごい……私なんかよりよっぽど生活力があるじゃないか」

 

 

「ははぁ……」

 

 

 

 とはいうが、野菜は火を通しすぎてくたってる、これでは食感がない。

 

 ご飯に対して具が多すぎ、分量を間違えて作りすぎだ。

 

 早く作ろうと火加減を誤ったせいでもやしの端っこが焦げている。

 

 魚肉ソーセージはもっと細かく切ったほうが良かったんじゃないか? 

 

 欠点にばかり目がいく自分が嫌になりそうだ。

 

 

 

「君の分は盛らないのかい?」

 

 

「晩御飯が食べれなくなってしまうので遠慮します」

 

 

「……食べても?」

 

 

「はい、どうぞ」

 

 

「……いただこう」

 

 

 

 スプーンが突き刺さり、持ち上げられて、口に運ばれる直前で目をそらし振り返る。

 

 レシピに忠実とは言えないが、要点は抑えた。

 

 料理は科学だと言われるように、書かれていることを愚直にこなせば何も難しいことはない。

 

 レシピ自体を疑っているわけではないが、大筋を押さえていたとしても、やはり不安感を抱いてしまうのは生まれ持っての性質か環境が編み出した処世術か。

 

 否定的な言葉に備えての現実逃避。

 

 もしものショックを軽減させるための回避行動。

 

 ただの照れ隠し。

 

 単に冷徹、もしくは自分嫌い。

 

 自分が飼っている気持ちを的確に表す言葉が浮かばないことにイライラするが、思い浮かぶどれもにニアミスしている気がして、自分という存在が酷くいい加減なものに思えてくる。

 

 

 

 調理道具を洗うべく台所に立とうとすると、声が掛かってきた。

 

 

 

「何をしているんだい? こっちにきて座りたまえ」

 

 

「いや、洗い物……」

 

 

「私が後でまとめてやっておくよ。いいから座りたまえ」

 

 

 

 開けた蛇口を元に戻し、重い足取りで床に正座する。さっきまで湯気を立てていた魚肉ビビンバは、四分の一ほどが掘り起こされ、スプーンが食器に触れた時に奏でる音を高めていた。

 

 

 

「ん、おいしいよ」

 

 

「はぁ……そうですか」

 

 

「相談内容は決まったかい?」

 

 

「あー……」

 

 

 

 料理を完成させることばかりに気を配って、肝心の話す内容を考えていなかった。

 

 それほど深刻な空気を醸さず、YesかNoで答えられる在り来たりな疑問はないかと記憶を探る。

 

 あまり時間をかけすぎると先方の食事が済んでしまうし、ツキノキさんが何時までたってもスーツから着替えられない。

 

 

 

 なにかないか、なにかないか……。

 

 

 

「………………賢いってなんですかね」

 

 

「ふーむ……」

 

 

「「……………………」」

 

 

 

 長い沈黙。

 

 焦りのあまり質問の内容が大雑把だった? 

 

 あれ、ミスったか? 

 

 あまりに具体性を欠いた疑問に、かえって複雑にしてしまったと間違いを認める。

 

 

 

 ならさっさと軌道修正すべきだ。

 

 腕を組み、考え込んでいる所を申し訳なく思いつつ、このテーマを断ち切ろうと口を……。

 

 

 

「やけに壮大で、それでいて奥が深い。なるほど、なるほど……」

 

 

 

 すっかり"今のナシ!! "と叫ぶタイミングを逃した。

 

 これだけ考えてくれているのに、いまさら質問を切り替えて日常的な相談をしたら信用されてないと受け取られるかもと思考が追い付き、結局あいてに丸投げする形で面倒を見なかったことに。

 

 あークソ、どんどんシワが濃くなって唸りだしてるぞ、俺の根性無しが……。

 

 

 

 これはなかなか結論が出せないと判断したのか、ツキノキさんはご飯を食べる手を再開して、低く唸りながらも咀嚼を繰り返す。

 

 四分の一が半分に、半分がわずかに、わずかをスプーンでさらい手を合わせた。

 

 

 

「ごちそうさま。久方ぶりの手料理だったよ」

 

 

 

 軽く会釈して応え、タイミング的にもそろそろかなと返答を待った。

 

 面と向かって、こんなに質問内容を吟味された経験がないので、ツキノキさんが一体どんな結論を下すのか少し興味が湧く。

 

 

 

 彼女はティッシュで口元を拭くと丸め、ゴミ箱に放った一投は手前に落下。

 

 気まずそうに立ち上がり、確実な一打を決め、座り直して手を組む。

 

 何度か手の開閉運動を繰り返し、意を決したように放った一言は。

 

 

 

「わからない」

 

 

 

 真剣な口調で放たれたのは降伏宣言だった。ここはツッコミを入れる場面なのだろうか? 

 

 

 

「いやすまないね、私は考えをまとめてからでないと喋ることのできないタチなんだ。また日を改めて会うことはできないかい?」

 

 

「……」

 

 

 

 スマホを掲げ、連絡先を交換しようのゼスチャーにポケットに向かいかけた手が止まった。

 

 本当に委ねていいのか? 

 

 ツキノキさんの迷惑になってないか? 

 

 こんなにも容易く連絡先は交換されるものなのだろうか? 

 

 これが社会人の普通? 

 

 それとも常識? 

 

 

 

 色々考えは巡ったが、途中で断ち切った。

 

 疲れた、諦めた。

 

 時差ボケの頭にはもうこれ以上の情報を処理しきれそうにない。

 

 もういいや、騙されたら自分の責任ってことで。

 

 

 

「……いいですよ、また何か作りましょうか?」

 

 

「ん、んう、初対面の人間に二度もご飯を準備させる覚えは……」

 

 

「じゃあ次に来る時は自分で作ってしまうわけですね?」

 

 

「物事にはステップというものがあってだね……」

 

 

「いいんですよ、ツキノキさんが粗食だと目覚めが悪いんで。楽にしていいって仰るなら、ここにいる時は俺の好きなようにさせてもらいます」

 

 

「あぁ……」

 

 

「どうかしました? 名前間違えてましたか?」

 

 

「いやそうじゃない。そうだな、まだ自己紹介も済んでいなかった」

 

 

 

 突き合わせたスマホ同士を名刺がわりにでもするように、連絡先の交換を自己紹介とするのかと迎合。

 

 入学式や新学期のお試し期間でしか関係を築けない俺は少々がもたついたものの、数えるほどしかないアドレスの一つに、赤の他人の名前が加わる。

 

 

 

 

 

< ツキノキ
✆ 目 ∨

 今日 

.ツキノキだ. 18:50

.よろしく. 18:50

18:51
既読
  .メツギです.

18:52
既読
  .どうも.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

+       
             

 

 

 

 

 

「私はこの時間帯なら基本的に空いているから、メツギさんの都合が合う日に連絡を入れてくれればいい」

 

 

「わかりました。次回のリクエストがあるなら聞きますけど」

 

 

「見ての通り料理はからっきしだ。作ってもらう立場であれこれ指図するつもりはない、全て君に任せるつもりなんだが」

 

 

「俺も頻繁に料理するわけじゃないんで丸投げされると困ってしまうんですよ。なにか縛りがある方が、こちらとしても動きやすいんですが……」

 

 

「野菜を沢山消費できる料理か。……なべ、鍋なんてどうだろう」

 

 

「四月も終わりに鍋ですか?」

 

 

「そうだ。……だめだろうか」

 

 

「お湯を張って食材を煮込むだけなので楽なのは嬉しいですけど、その……量が」

 

 

「メツギさんも一緒に食べればいい」

 

 

「いや、そんなご迷惑は……」

 

 

「それとも、何か食事できない理由でもあるのかい?」

 

 

「いえ……そういったことはないですけど」

 

 

「じゃあ決まりだ、次会う時はお鍋にしよう。決定」

 

 

「ははぁ……」

 

 

 

 ツキノキさんは表情を動かさずに、早合点と拳を打った。

 

 あの苦痛の食卓を思えば、一度逃げ出せるチケットを手に入れられたとここは喜ぶべきなのかもしれない。

 

 なのに、素直に喜ぶことができないのは、ウチハや家族に合わせられない情けなさが付き纏ってくるからだろうか。

 

 

 

 ……なんにせよ、またここに来る理由をつくってしまった。

 

 

 

「それじゃあ、バイバイ」

 

 

「えーと。また今度?」

 

 

 

 軽く手を振って別れを告げるツキノキさんに、こちらもと手を上げたが失礼ではないかと上げ切る前に指を折った。

 

 パタンと閉まる玄関扉に、中途半端に止まったままの手の硬直を解く。

 

 

 

 不思議な人だった。

 

 終始同じ目線で話を進めようとするところとか、一歩身を引いた位置で話しかけてくるところとか、早く答えを出さないところとか。

 

 

 

 斜陽の輝きを忘れた空を見上げ、なんだか状況が良くなる気がする前触れに、何度それが裏切られてきたと警告を持って戒めた。

 

 小さく、淡い、光にも満たないそれに、決して心奪われてはならないと背を向け、暗がりへ暗がりの深い場所へと進み始める。

 

 

 

 

 

 自宅へと辿り着く頃には、もう夜の七時をとうに過ぎていた。

 

 なのにおかしい、家には電気が灯っていない。

 

 

 

 部活はとっくに終わっているだろうし、ウチハから何か新しいメッセージもなく。

 

 どこかに出かけたっきり、連絡もよこさない俺に腹を立てて、友達と何処かに出掛けてしまったのだろうか? 

 

 公園で動けなくなっている時も、ツキノキさんと話をしている時も、なにかしら一報をいれるタイミングはあった。

 

 ウチハは何も悪くない。

 

 

 

 ウチハがいないとなると、自分のためだけにいま一度調理場に立つのは気が引ける。

 

 だが今後しばらく腕を振るうことになりそうなら話しは別だ。

 

 もう少し腕を磨いておく必要がある。

 

 真っ暗な玄関で靴を脱ぎ、リビングのスイッチを手探り。

 

 壁とは異なる材質に確信を抱き、一方に傾いたスイッチを倒すと。

 

 

 

「……!!」

 

 

 

 ウチハだった。

 

 リビングの、四人掛けのテーブルの一角に、ただ座っていた。

 

 人気のない家で、いないと思っていた人物が、いつもの調子で座っていた。

 

 声は出さなかったものの、危うく腰を抜かしそうになる。

 

 

 

「あ、エイタおかえり」

 

 

「……ぁあ」

 

 

 

 何も置かれていないテーブルから顔を上げ、唐突にウチハの日常が始まったように動き出す。

 

 小動物のようにくりりとした目、形のいい唇が柔和に微笑みニッコリと花が咲く。

 

 その異様さに対応が遅れ、驚くこっちがおかしいのだと不思議がられた。

 

 

 

「え~なんでそんな驚いてるの?」

 

 

「いや、いないと思ってたから……」

 

 

「エイタと約束してたじゃん、サプラーイズだよサプライズ。靴を隠したのはちょっと手が込んでた?」

 

 

「……悪い、遅れること伝えなくて。すこし手間取ってた」

 

 

「うんん、いいよ。ボクはエイタが帰ってきてくれるって信じてたから」

 

 

「……」

 

 

「なにかおかしい?」

 

 

「あ? いや、お腹空いてるだろ? すぐ作るよ」

 

 

「わーい」

 

 

 

 動揺を悟られないように冷蔵庫を開けて視界を遮る。

 

 ついでにひき肉や野菜の有無を確認して一息ついた。

 

 同じものを作るのなら最悪買い物は必要なかったようだが、せっかくの頂き物だ、優先して料理に使わせてもらおう。

 

 

 

 勝手知ったる自分家のキッチン。

 

 ウチハのほうが熟知しているだろうが、俺もあやふやながらどこに何があるのかを大雑把に理解している。

 

 

 

「……なにしてんだ」

 

 

「ん〜見学ー?」

 

 

「目新しいものなんてねぇだろ」

 

 

「エイタがボクのためにどんな料理をつくってくれるのかなぁ〜って」

 

 

「座って待ってろ」

 

 

「大丈夫、邪魔しないから。大人しく見てる」

 

 

「やりづらい」

 

 

「もうボクお腹ぺこぺこだよ〜」

 

 

「はあぁー……」

 

 

 

 ひときわ大きなため息を吐く。

 

 いつだって押し切られるのは俺の方。

 

 特に二人きりの時の妙な不気味さといったら末恐ろしいものがある。

 

 かといって家族に食い込んでいる関係上、無視を決め込むというわけにもいかず。

 

 口では言い切らないで、行動で拒絶を示そうとするのは、俺が取れる数少ない抵抗の一つ。

 

 

 

「何か手伝うこととかない?」

 

 

「いいから座ってろ」

 

 

「何作るの?」

 

 

「食えばわかるだろ」

 

 

「野菜切ろうか?」

 

 

「いらないって」

 

 

「エイタ怒ってる?」

 

 

「怒ってない」

 

 

「……制服着たままだよ?」

 

 

「……制服で料理しちゃ悪いのかよ」

 

 

「そうじゃないけど……家に帰ってきてないの?」

 

 

「……」

 

 

「ずっと買い物してたの?」

 

 

「……食ったんだよ、時間」

 

 

「ボクのこと、避けてない?」

 

 

「気のせいだろ」

 

 

「……怖い」

 

 

 

 ジューと、フライパンを焦がす音が響く。

 

 二回目だからか、動作に慣れが生まれこなれてくる。

 

 冷凍のご飯をレンジにかけ、フライパンにはひき肉を加えた。

 

 彩が加わった野菜の群れで、ほぐしながら茶色くなるまで炒める。

 

 ニンニクの有無は聞かなかったが、前と同じく入れないことにした。

 

 

 

 ウチハの指先が背中をつつく。

 

 

 

「ボクのいないところでどんどん話が進んで、気づけば周りの景色がまるっきり変わっちゃうみたいな」

 

 

「怖いよ」

 

 

「恐ろしく怖い」

 

 

「信じて見守ることも大切なんだと思う」

 

 

「こういうことすると、エイタに嫌われちゃうってほんとはわかってる」

 

 

「でも何かあるんだったら話して欲しい」

 

 

「エイタお願い」

 

 

「くだらないことでも、小さなことでもいい」

 

 

「悩んでいることがあったらボクに話して?」

 

 

「ボクって頼りない?」

 

 

「力になれそうにない?」

 

 

「難しい問題なの?」

 

 

「エイタの抱えてるもの、ボクにも背負わせて?」

 

 

 

 なおも反応せず無視していると、触れていた指先は背中を走り、肩を揉んで絡み付いてくる。

 

邪魔をしないという言葉はどこにいったんだと口には出さず、変わらず口はつぐんだまま。

 

 

 

「なにこれ?」

 

 

「変な匂いする」

 

 

「お墓みたいな匂いだけど」

 

 

「ちょっと甘いような?」

 

 

「……ねえ、エイタ」

 

 

「エイタが何処で何しようと勝手だよ?」

 

 

「でも、これだけは守って」

 

 

「よく知りもしない人に、変な影響を受けたりしないでね?」

 

 

「約束だよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 
共感と喜びと感謝がエネルギーになる人がいるみたいだから、私もしっかり向き合わないとなと思ったとかとかとか
https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill7/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

予定説および公正世界仮説

 
タイトルの無理矢理感・・・・


  

 

 

 けたたましいベルの音。

 

 まだ寝てたいの前に動く。

 

 定位置の竹刀を手に。

 

 宙を舞う掛け布団。

 

 目覚ましの命運は尽きた。

 

 

 

 サンサンと輝く日光は瞳へ。

 

 貴重な朝の二人きりの時間。

 

 一分一秒でも長く一緒に居たくて、一直線に彼の寝室に。窓枠の向こう、敷かれたタオルに着地。

 

 音で起床を促すスマホに加勢し、ボクは竹刀でアラームのリズムを伝える。

 

 

 

「お〜き〜ろ〜♪ お〜き〜ろ♪ エ〜イ〜タ〜♪ お〜き〜ろ〜♪」

 

 

 

 いつもならしばらくベットを温めようと狸寝入りするエイタが、今日はお腹を執拗に突つく刺激に参ったのかすっくりと素直に起き上がる。

 

 今日はちゃんと眠れたのかな? それとも、ボクの思いが伝わった? 

 

 

 

「あれ? おはようエイタ」

 

 

「……ちょっとだけ眠れた」

 

 

「よかったじゃん! でもしっかり寝れてないから顔おじいちゃんだよ」

 

 

「ほっとけ」

 

 

「……わ、わ、わぁ〜起きないで起きないで! ボクが部屋出ていくまで起きないでぇ〜!」

 

 

 

 自分の発言を振り返り、ボクは大丈夫だよね? となにをいまさら顔を触る。

 

 

 

 本当の乙女だったなら、気になる異性の部屋に行くときは気を使うものなのだろうけど、朝起きると身嗜みのことをぽっかり忘れてエイタを起こしに行ってしまう。

 

 ボクってこんなに鳥頭だったっけ? エイタに会うのがそんなに嬉しい? なんてふと考えてしまったが最後、身体中の血液が顔に集まってくる感覚を味わった。

 

 寝起きで酷いであろう顔と、赤くなった顔の両方を見られまいと、起きろと言っておきながら今度はベットに押さえつける。

 

 

 

 掛け布団を被せ見えなくし、ドタドタと逃げ去るように洗面台へチョッコー。

 

 ……なにも変なところ、ないよね? 

 

 

 

「おはようウチハちゃん。朝から元気ね」

 

 

「あ、おばさんおはようです」

 

 

「どうしたのそんなに慌てて。エイタがなんか変なことした?」

 

 

「や、そうじゃないんですけど……」

 

 

「じゃあなんでそんな慌ててたの?」

 

 

「その、こんなすっぴん寝起き顔でエイタに嫌われたりしないかなって……」

 

 

「そんなことで悩めるなんて青春ねぇ~。好きな人の前で良いカッコしたいのはわかるけど、長い間付き添っていくなら自然体が一番よ?」

 

 

「そういえば、二人が喧嘩してるのいままで見たことないかも……」

 

 

「あの人無口で自分をよく見せようとか一切考えない人だから。ついこの間もあの人がパンツ片手に私のとこ来たと思ったら、ウンチついちゃったから洗濯の仕方教えてって……。あらやだ、この話聞かなかったことにしてね? あの人の威厳なくなっちゃうから」

 

 

「あ、あははぁー……」

 

 

「相手の弱点を受け入れて、自分も弱点を晒して愛してもらうの。これ、夫婦円満のコツー」

 

 

「でも、エイタがうんち付いたパンツ持ってくるのは嫌ですかねぇ……」

 

 

「そりゃあ今そんなことされたら絶叫ものだけど、歳を取るってことはお互い情けなくなってくるものよ? くしゃみを抑えきれなくなったり、歯磨きしたらえずくようになっちゃったり、オナラしたいのにウンチ出しちゃったりね。私だって腰は痛くなるし、最近物忘れが激しくなってきたし、おしっこも近くなるしでも~大変」

 

 

「……弱いところを見せたら、エイタがボクに幻滅して、他の女の子に目移りするキッカケになったりしたらと思うと怖いんです」

 

 

「なぁ~にいってのよウチハちゃん。あの子斜に構えてるようだけどね、なんだかんだ言いつつウチハちゃんのことで頭一杯よ?」

 

 

「う、うぇ!? そうなんですか?」

 

 

「おばさんとしてはむしろウチハちゃんが見限らないかの方が心配なのよぉ。……ねぇねぇ進展の方はどうなの? 若さ余ってCまで済ましちゃった?」

 

 

「ちょ、や、止めてくださいよおばさん! エイタに聞かれでもしたら……」

 

 

「なぁ〜に? 恥ずかしいの? こんなの恋人同士ならみんな通るべき道なんだから、今のうちに慣れておくなりしておかないと、いざってときに恥かいちゃうわよ? 友達同士でこういう話しないの?」

 

 

「あの、相手がいない子とかは話に取り残されちゃうので。そう言ったのはあんまりしない、です」

 

 

「おばさん達は避妊さえしてくれればどんなことにも目をつぶるから。なんなら二人っきりになりたい時は言ってね? いつでもこの家二人にしたげる」

 

 

「へ? いや……ソユノハチョットハヤイカナッテ」

 

 

「ウチハちゃんはそういうのに興味ない?」

 

 

「うぅ、そりゃ全くないってわけじゃないですけど、一方的に燃え上がるの「顔洗えないんだけど」んひょ!!」

 

 

 

 心臓が飛び出ちゃうくらい大きな間抜け声を上げる。

 

 "あら、おはよ"とおばさんが声を掛ければ、なんてことないように"んー"と気だるげに返事は飛んだ。

 

 会話の内容は聞かれてないよね? 確かめたいならエイタの様子を探ればいいと知りつつも、再燃した恥ずかしさを堪えきれず、鏡にも写らないように顔を隠した。

 

 

 

「んじゃ、あとは若い者同士よろしくどうぞー」

 

 

「「……」」

 

 

「どいてくれ、水出せない」

 

 

「……」

 

 

「おい聞いてんのかよ」

 

 

「……エイタはさっきの話、聞いてた?」

 

 

「いいや、全然」

 

 

「ホントに?」

 

 

「だぁーもう良いからとりあえずそこどけ」

 

 

 

 肩をいきなり掴まれびっくり。

 

 そのまま廊下に引っ張り出され、洗面所を追い出された。

 

 

 

 水の流れる音。

 

 ボクを意識の外に追いやったであろうエイタをチラリと見る。

 

 んで、すぐ諦めた。

 

 肝心なところで一歩踏み出せない。

 

 一緒の時間が長い分、また次があると気楽に思えてしまうのは幼馴染の良いところ? 悪いところ? 

 

 

 

 普通の恋愛ならもっとこう、朝に顔を合わせただけで舞い上がっちゃって"おはよう"なんて下らないことで嬉しくなっちゃったりしてさ? 

 

 貴重な二人の時間を大切に過ごしちゃったしてさ? 

 

 近づいてくるそれぞれの進路に焦りながら、それでも一緒になりたい気持ちが強くなっていって、嫌われたくないな、でも離れたくないなって互いに歩み寄ったりしてさ? 

 

 いま置かれている立場が"恵まれてない"なんて言ったら誰かに怒られちゃいそうだけど、ゆっくり着実に進んでいくありふれた恋愛が、ボクにはすごく羨ましい。

 

 

 

 けどだからといって、押し付けるような態度はエイタの負担になっちゃうから絶対にしない。

 

 それに、万一嫌われでもしたら立ち直れそうにないし。

 

 なにより女の子から迫るのってどうなの? ここは女の子の気持ちを汲んであげてさ? 男の子がカッコよく手を引っ張るものなんじゃないの? 自分勝手すぎるかな? 

 

 

 

 ……いまのエイタには少し荷が重い気がするけど、気持ちが落ち着くまでボクはいつまでも待ってるから。

 

 ……いつまでも待ってるは少し言い過ぎかな。なるべくはやく、エイタとそういう関係になれたらいいな。なーんて。

 

 

 

「あーおばさん手伝いますよ」

 

 

「悪いわねぇいつもお手伝いさせちゃって」

 

 

「ボクがこの家でお返し出来ることは少ないですから……むしろ、もっとお手伝いさせてください」

 

 

 

 

 

 エイタと朝練して、登校して、授業を受けてお昼食べて。

 

 ボーと午後の授業を聞き流していたらもう放課後。

 

 みんなそれぞれ用事や約束、予定があるのか、少しずつ会話の輪から外れ教室を去っていく。

 

 

 

 人もまばらになった教室で、スマホの画面を見つめ、一向に腰を上げようとしないエイタに近付いていった。

 

 

 

「なに見てたのー?」

 

 

「別に。なんでも」

 

 

「えー怪し〜、エッチな画像でも見てた?」

 

 

「誰が学校で盛るかよ」

 

 

「そうだよねぇ〜、エイタにそんな度胸ないもんねぇ〜」

 

 

「……」

 

 

「剣道って服は薄いけど露出少ないからさぁー、やっぱりエロくはない?」

 

 

「いうかボケ」

 

 

「それとも更衣室みたいな場所じゃないと興奮しないかな? あぁ〜でもやっぱ生着替えとかないと捗らないかぁー」

 

 

「……」

 

 

「今日はちゃんと一緒に帰ってくれる?」

 

 

「……あぁ」

 

 

「ホントに? 絶対だよ!」

 

 

「わかってるって」

 

 

「また勝手に帰ったりしたらおばさんに言いつけるからね?」

 

 

「少しは信用しろよ……五月に中間テストあるだろ? どっちみち図書室でいままでの遅れを取り戻さないといけないからな」

 

 

「うげぇーまだ先のことじゃん」

 

 

「授業中に寝てたから、今回は俺もヤバい。せめて英語と数学だけでも頭に叩き込んでおかないと置いてかれる」

 

 

「エイタその二つ苦手だもんねー」

 

 

「人の心配してる場合じゃないと思うが、大丈夫なのか? 赤点だと部活停止で補習だろ?」

 

 

「中間でしょ? 余裕余裕。それにいざとなればエイタに勉強教えて貰えば良いからさ」

 

 

「ちょっとまて、俺だって追い込まれてんだ。自分の面倒くらい自分で見ろよ」

 

 

「選択教科を頼るのは流石にないけど、でも共通ならエイタの負担も少ないでしょ? それに言わない? 誰かに教えれば、教えた方も内容が身に付くって」

 

 

「相手に合わせてランダムに復習するよりも、自分のわからない場所を集中して振り返る方が効率いいだろ」

 

 

「ブーブー、エイタの屁理屈ー」

 

 

「うっせ」

 

 

「……一緒に帰れるんだよね?」

 

 

「そういってるだろ」

 

 

「それじゃあさ、いつもより早く迎えにきてよ」

 

 

「……顧問に怒られないか?」

 

 

「途中でいなくなるみたいだから大丈夫」

 

 

「それでもなぁ……」

 

 

「コツツミさんの部活での様子、確認したくない?」

 

 

「……」

 

 

「それともここで聞く?」

 

 

「……いや、自分の目で確かめる」

 

 

「勉強がひと段落してからでいいからさ」

 

 

 

 "じゃあ、また後でね?"と手を振って、道具一式を背負って体育館の方角へ。

 

 途中すれ違った生徒とちょっとした会話や別れの挨拶、軽い応援なんかをされたりして。体育館を通りすぎ、階段を駆け上がって、更衣室のある別館へ急いだ。

 

 

 

「ごめーんコツツミさん、喋ってたら遅くなっちゃってさぁ〜」

 

 

「いえ……」

 

 

 

 卒業生が置いていった剣道具と、ボクのお古の胴着が入った鞄を床から持ち上げて、コツツミさんは眼鏡を外した。

 

 片目を覆っていた髪が持ち上がり、ロングでウェーブがかった毛先が舞う。

 

 うわいつ見てもまつ毛なが。

 

 二重で目がおっき。

 

 鼻は高いのに細くって、唇なんてゼリーみたいにプルプルで……。

 

 エイタの目にはどう写るんだろう、なんて疑問は飲み込んじゃって、鍵を開け中に入る。

 

 

 

 ドサッとロッカー上に荷物を置き、隣のコツツミさんも同じように。

 

 バックから胴着を取り出し、そそくさと着替えるボクは隣をチラリ。

 

 スカートを下ろして、ムッチリと柔らかそうな下半身が現れた。

 

 比べるように視線を戻す。

 

 

 

 角ばって直線的な足。

 

 肉は肉でも筋肉質で、筋と骨が目立って細くって。

 

 お尻は小さいし平べったい。

 

 また一段と着替えが速くなる。

 

 

 

 剣道具を装着。

 

 面と竹刀をぶら下げて、さっさと更衣室を出た。

 

 出てすぐの壁に背を預け一呼吸。

 

 

 

 コツツミさんとの間には、いまだ会話らしい会話はない。

 

 もちろん、質問されれば答えるし、剣道で教えていないことは積極的に指導する。

 

 ただ、部活友達のような普通の会話をしてないってだけ。

 

 

 

 同情して仲良くなろうとするのはちょっと違うと思うし、かといって変に遠ざけたりするのもなんだかな。

 

 ボクに出来ることといえば、敵にも味方にもならない今の態度を突き通すくらい。

 

 

 

「お待たせしました」

 

 

「んー忘れ物はない? じゃ鍵閉めちゃうねー」

 

 

 




 
話を書いて不法投棄、過去七話分の収集ゴミはいずこ
https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill8/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

新 賢明なる投資家 

 
前回までのあらすじ
平和な日常に迫る不審者おねーさんに注意


 

 

 

 メツギさんと別れてから一週間がたった。

 

 

 

 自己紹介から途切れたメッセージ画面を開き、こちらからコンタクトをとるべきかと逡巡する。

 

 これだけ連絡がこない、ということは……嫌われてしまったと考えるのが自然だろう。

 

 

 

 出会った当初、抱かせてしまった不信感は、私が想定したよりも遥かに深刻だったようだ。

 

 てっきり別れ際のやり取りで、信頼を得られたとばかり……。

 

 

 

「はぁ……」

 

 

 

 力無く倒れこみ、手足をばたつかせる。

 

 

 

 ヘタな人工知能で、人型の物体を泳がせている? ような無様な姿。

 

 とても人様には見せられない醜態を晒すのは、それだけショックを受けている証。

 

 いつ連絡が飛んできてもいいよう、急いで思考を整理したのは、どうやら不要な配慮だったようだ。

 

 

 

 だが避けられたからといって、まだ私の役不足だったと確定したわけではない。

 

 人生をピョンピョン拍子に乗り越えてきた青年が、思春期特有の些細な悩みを、周囲に打ち明けるべきかと悩んでいただけかもしれない。

 

 

 

 頼もしい友人、温かい家族、尊敬に足る大人が周囲にいたのなら、私が声を掛けた時点で既に余計なお世話だったことになる。……妄想の域を出ない話だが。

 

 

 

「はぁ……」

 

 

 

 ため息。

 

 通知の一つも変わりなく、画面を落とし、手放した。

 

 これがゴースティング……? 

 

 

 

 ……アドレスを消すべきか迷った。

 

 二度と繋がるか不明のアイコンを、手元に伏せつづけているほど私はしたたかな人間ではない。目につく度に憂鬱な気分を味わいたい物好きなど。

 

 

 

 そわそわとスマホを撫でた。

 

 手持ち無沙汰に再度手に取って、スリープ状態の画面を見つめ、直後に振動。

 

 心臓が跳ねる。

 

 

 

 そんな都合のいいことはあるまいと、しかし前後関係に関連を見出だしたくなるのが人間という生き物。

 

 確認すべしと指先が動く。

 

 

 

 

 

 

< ツキノキ
✆ 目 ∨

 5月7日(金) 

18:51
既読
  .ツキノキだ.

18:52
既読
  .よろしく.

.メツギです. 18:50

.どうも. 18:50

 今日 

.夜分遅く申し訳ありません. 19:12

 

 

 

 

 

 

 

 

 

+       
             

 

 

 

「わっわっわっまっわ」

 

 

 

 爆速の既読。パニックの頭。スマホを御手玉しながら手遅れを知る。

 

 冷静に俯瞰しよう。……男の子からの返事を画面の前で待機する、粘着質な年下趣味。

 

 

 

 弁解の言葉が脳内を駆け巡った。

 

 けれども張り付いていなければ説明の仕様がない既読速度に、下手な言い訳はかえって顰蹙を買う。

 

 

 

 ので、ここは待ちの一手。

 

 二次被害を広げぬよう、先方の出方を座して待つ。行動に移すのはその後でも遅くはない。

 

 じっと、動向を伺った。

 

 

 

 一分、二分経っていやまだまだ。

 

 三分を過ぎた辺りでそろそろか。

 

 五分経過で流石に焦り始める。

 

 

 

 文章がぶつ切りのまま終わるとは考え難い。

 

 引かれてる? 

 

 辛うじて繋がっていた繋がりが、ついに許容限界を越えた? 

 

 まさかこれが決定打になって、はいさよならなんてことには? 

 

 あまりに呆気ない幕切れ。

 

 この一押しが決定打に? 

 

 

 

 あの人に会わせる顔が……ない。

 

 

 

「うがぁー……」

 

 

 

 頭を抱え、嫌な想像に頭を振り、テーブルに倒れ込んだ。

 

 

 

 相談する意志があるのは認識済み。

 

 私が器用に立ち回れないことも十分理解している。

 

 だからお願いだ、双方のためにも、今いちど私にチャンスを貰えないだろうか……。

 

 

 

《会って話したいんですが、明日って大丈夫ですか?》

 

 

 

 チラリと盗み見た画面に安堵の息を吐く。

 

 文章上のやり取りで良かった。

 

 産まれた時代が違っていたら、どんな醜態を晒していたか想像できない。

 

 

 

 メッセージに動揺が滲み出ないことを感謝。

 

 これ以上の不安をあたえないよう、多くを語らず短く返答する。

 

 

 

《かまわないよ》

 

 

《何時ごろ伺えばいいでしょう》

 

 

《夕飯の準備を手伝ってもらいたいから、十九時前後に来てもらえれば》

 

 

《わかりました》

《なにか必要なものとかありますかね》

 

 

《気遣いありがとう。ただ人には平等だけでなく、公平な関係なんてものもあるんだ。与えることだけが誰かを敬う唯一の方法じゃない。誰かを信じ、寄り掛かる。それも相手を受け入れていることと同義だ。私は、その、やっぱり頼りないかい?》

 

 

 

 そこでやり取りは小休止。

 

 返事はじき返ってくる。

 

 

 

 彼はどうも、他者に重きを置くあまり、自分のことを疎かにしてしまう傾向がある。

 

 事と次第によっては、相談よりもそちらを優先した方が彼のためかもしれない。

 

 

 

 どうしようもないことも実際ある。

 

 だが、未だ発展途上で若い内ならば、いくらだってやりようはあるはずだと信じたい。

 

 

 

 

 ……私は、彼の力になれるのだろうか。

 

 

 

 ……よそう。

 

 それを判断するのはメツギさんであって、私ではない。

 

 今はただ、少しばかりの気を配ってあげることしかできないのだから。

 

 

 

《すみません》

《自分でもどうしたらいいかよくわからないんです》

 

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 

 

 早朝。

 

 いつものように叩き起こされる。

 

 

 

 今日は生憎の雨模様。

 

 登校するまで練習が出来ないウチハは、人様のベットに寛いで、剣道関連の小難しい書籍にムムムと顔をしかめていた。

 

 ウチハ曰く"練習できない時はこれを読め"と顧問に手渡されたらしい。

 

 

 

「あーつまんない。……ねぇ、エイタはなんで勉強するの?」

 

 

「?」

 

 

「いやさー、退屈なことをやり遂げちゃうやる気? みたいなのって、みんなどっから出してるのかなーて」

 

 

「……じゃあウチハが剣道つづけてんのは何なんだよ」

 

 

「んーボクは剣道が体の一部みたいな? あーあと楽しいから?」

 

 

「……そう」

 

 

「それで? エイタは?」

 

 

「俺は……」

 

 

 

 そんなこと、意識したことない。

 

 

 

 いや、少し違うな。

 

 考えたことはあったが、そんな疑問をかき消すように家族やら課題やら友達付き合いなんかが降り注いできて、とても熟考できる暇がなかったというのが近い気がする。

 

 

 

 そのままなあなあで年を重ねて、勉強することへの不安は飼い慣らされ。それでもみんな大人になってしまえるのだから、考えるだけ無駄なことなんだろうけど。

 

 周囲にそれとなく聞いてもどこかあやふやで、話が流されているような感覚は恐らく正しい。

 

 知る必要のないことだと暗に伝えられているのか、答えられないから煙に巻かれているのか。そんなことよりやるべき事が先だろうと、優先順位の最後尾にその答えがあるのか。

 

 

 

 なぜやるのかと思い悩むものではそもそもなく、やらなければならないもの。

 

 そう素直に説明したとしても、首を縦には振ってくれないんだろうな。

 

 

 

「もしもーし」

 

 

「え? あぁ悪い、さっぱりわからん」

 

 

「……わかんないのに勉強してるの?」

 

 

「あー、うん」

 

 

「ふーん」

 

 

 

 理解したのかしてないのか。

 

 ウチハはひどくいい加減な返事を聞くと、閉じた本をベットの端っこに追いやって、背を向けて横になった。

 

 

 

 ここまでは……一般的な建前。

 

 そしてこれからが、たぶん本心。

 

 もっともっと個人的な、俺が勉強をする意味。

 

 

 

 ……例えば、そのままの自分を誰も受け入れてもらえないから、こうして世間が評価してくれる勉学に身を投じている。

 

 なんて。

 

 

 

 例えば、将来に抱く得たいの知れない恐怖が勉学に駆り立てている。

 

 とか。

 

 

 

 好きとか、嫌いとかじゃない。

 

 将来役に立つとか、立たないとかじゃない。

 

 しなければ、やらなければ、向き合わなければ。

 

 この世界に居場所を作る唯一の方法。

 

 ……みたいな? 

 

 

 

 いや、こんなくだらないことで時間を潰している暇ないんだった。

 

 ……今日は用事があることを伝えておかないと。

 

 

 

「……なぁ」

 

 

「……」

 

 

「今日……夕飯いらないから」

 

 

「……なんで?」

 

 

「ちょっとな」

 

 

「それってさ、」

 

 

「ウチハが想像するようなやつじゃねぇよ……」

 

 

「信じていいんだよね?」

 

 

「あぁ、もっと個人的な理由」

 

 

「ふーん」

 

 

「ちゃんと伝えたからな」

 

 

「ねぇエイタ?」

 

 

「……あんだよ」

 

 

「今度の休日、どっか食べいこうよ」

 

 

「……テスト期間中だろが」

 

 

「外で食べてくる余裕あるんでしょ? それに一日中あそぶ訳じゃないもん。午後はエイタに勉強教えてもらえばおけ」

 

 

「あのなぁ……」

 

 

「はい、決まり。前から気になってたとこあるんだけどさー、そのお店美味しそうな料理一杯でボクだけじゃ絶対食べきれそうにないんだよねー。だからエイタも協力して?」

 

 

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 

 

「いらっしゃい」

 

 

「遅かったですかね……」

 

 

「曖昧な時間設定にしたのは私だ。気にすることはないよ」

 

 

「そうですか……」

 

 

「? どうかしたのかい?」

 

 

「いえなんでも……それじゃあ、お邪魔します」

 

 

「どうぞ」

 

 

 

 アパートの玄関前。

 

 申し訳なく伏し目の青年。

 

 向かうは鉄面皮の女性。

 

 

 

 青年は私服。暗色でじじくさい。

 

 サイズが絶妙に合っていないのか、全体のバランスに違和感を覚える。

 

 いわゆる、センスがないと言うやつ。

 

 

 

 女性も普段着で……というか学校指定ジャージ。

 

 紺に白地のラインが入り、実名入りの刺繍がはいった年期もの。

 

 端から見ればコスプレに見えなくもないその服装は、センス以前に常識を欠いている。

 

 

 

 これがまだ長年の付き合いとかならまだ理解のしようとあるのだろうが、実際は会って数週間の間柄。

 

 それでも問題なく会話を交わし、何事もなかったかのようにアパートの一室に消えていく様は、見る者によっては一種のホラーだ。

 

 

 

「材料と道具はこちらで用意させてもらったよ。好き嫌いは、なかったはずだね?」

 

 

「はい。……野菜、切ればいいんですかね?」

 

 

「悪いね、私ばかり甘えるようで。メツギさんの力になれるかどうかわからないが、私なりの解釈を食事しながらでも話そう。無論、客観性は保証できないが」

 

 

「そんなこと……負担については気にしないでください。俺は迷惑かけるより、迷惑する方が気が楽でいいですから」

 

 

 

 嫌味ったらしく放たれた青年の言葉を最後に、事務報告は終わりを告げた。

 

 最低の一言。

 

 社会でやっていけるとは心底思えないディスコミュニケーション。

 

 

 

 では彼女の方は? と問われれば、こちらは判断が難しい。

 

 わかってスルーしているのか、天然でキャッチできなかったか、ただ単に意思疎通がヘタクソなのか。

 

 二の句が続かないのなら断定のしようがないが心配ご無用。

 

 一応、社会人であるという証言をここに掲げて飾っておこう。

 

 

 

「キムチ、カレー、豆乳、味噌、トマト、ゴマ担々、豚骨、柚子、塩、あごだし鴨だし昆布だし……。鍋は多彩な味付けが魅力だ。変わり種も捨てがたかったが、今日はオーソドックスに水炊きにしてみた」

 

 

「……気を使わせてしまったみたいですね」

 

 

「そんなことはない。休日の予定を想像する時が楽しいという人種はいるものだ」

 

 

「?」

 

 

 学生と社会人という立場。

 

 世代によって成り立たない会話もあるのだ。

 

 同じ目線に立てない以上、ここから会話を膨らませることは経験がなければ難しい。

 

 まして距離を近付けようとする努力を見せない口下手ならばお手上げ。

 

 

 

 野菜、鶏肉を切っていく。

 

 二人の間に会話はない。これで鍋をつつく関係とは、これはいよいよ理解に苦しむ。

 

 

 

 カセットコンロと、一人暮らしには不釣り合いな両手鍋。

 

 青年の顔が曇った。

 

 

 

「言って貰えば用意出来ましたよ」

 

 

「ん? あーこれかい、実家から送って貰ったんだ。鍋のサイズが少し……いやかなり大きいが。厄介払いだよ。私の両親も、もう歳だ」

 

 

「仲、いいんですね」

 

 

「比較対象が少ないからノーコメント。さっ準備できたよ、鍋に具材を詰めていってくれ」

 

 

 

 次々に突っ込まれていく総決算。

 

 不要野菜の大掃除。

 

 にんじん大根キャベツもやしえのき椎茸ピーマン? オクラ?? ほうれん草??? アク抜きしたのか。

 

 少々、いやかなり異質な鍋パーディーではあるが知ったことか、他人事だ。

 

 

 

「あれから……随分と悩んだ。そもそも賢いの幅が広いんだ。能力があることを賢いという。規範に則ることを賢いともいう。古語の恐ろしきが転じて賢い。異なる解釈を賢いと称し。経験を積んだ者を賢いとも讃える」

 

 

「半端な質問でした……」

 

 

「本当にそうだろうか? 咄嗟の発言、行動にはその人の本性が現れると聞く。メツギさんは、物事を知っているだとか要領が良いだとかの表層的な賢いではなく、もっと深い場所にある核心に疑問を持ったんじゃないだろうか?」

 

 

「そんな大層なことは……」

 

 

「メツギさんには、哲学者の血が流れていると思うんだ」

 

 

「……哲学って聞いたことはあるんですけど、一体なにするんですか?」

 

 

「物事の根源を見出だす学問だよ。紙も鉛筆もいらない学問とも、古代ギリシャから始まる果てしない学問とも言う」

 

 

「……それ実生活で役に立ちます?」

 

 

「立たんな。哲学は夢を叶える秘密道具ではない」

 

 

「……」

 

 

「話を戻そう。私の見立てではメツギさんは賢いの本質を探しているように思える。違うかな?」

 

 

「……分かりません」

 

 

「直ぐに返事を期待するつもりはないさ。焦らず、じっくり、ゆっくり組み立てていけばいい」

 

 

「そうやって」

 

 

「?」

 

 

「いえ……なんでも」

 

 

 

 加熱を続けるガスコンロ。

 

 しかし水の量が多いからか、なかなか沸騰の兆しは見えない。

 

 

 

 この時間、この空間は気不味いにも程がある。

 

 なぜこの二人は互いの存在を許容することができるのか。

 

 チグハグな距離感。

 

 近いんだか遠いんだか。

 

 地球外生命体同士の交信を見せられているようで、心底気味が悪い。

 

 

 

「メツギさんが見つけるべきだと思うんだ」

 

 

「え?」

 

 

「人から貰った答えというのは酷く空っぽだ、それがどんな道筋を経て辿り着いたのかのプロセスがない。メツギさんはいま手の届く範囲の答えに納得できていない。違うかな?」

 

 

「だからって……俺には」

 

 

「メツギさんは愚かじゃないよ」

 

 

「……何ですかいきなり」

 

 

「私が思う"賢さ"をメツギさんは既に持っている」

 

 

「……さっきっから訳わかんないですよ」

 

 

「大丈夫、きっと見つかるから。きっと」

 

 

「……」

 

 

「なかなか煮えないね」

 

 

 




 
ちかれた
https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill9/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ナッシュ均衡

 

 

 

「おらぁ~起きろエイタ!」

 

 

 

 ペチペチと頬を叩いて、しかめっ面にする。

 

 今日は休日、しかも部活なし! 

 

 代わりに勉強しろってことなんだろうけど、ボクがこんなチャンス見逃すはずないのだ~。

 

 

 

 ……おめかしに頭を悩ませていたせいで、ちょっとクマってるけど大丈夫だよね? 隠せてるよね? 

 

 いつもの癖で、何度もエイタの部屋に突撃したい衝動を我慢しておしゃれしたから、早く外に出掛けて発散したい。

 

 数日前から楽しみにしていた瞬間だから、早く起きて欲しくて、自然と平手に力がこもる。

 

 

 

「んだぁー! 起きるから叩くのヤメロ!」

 

 

「あ、もしかしてエイタも眠れなかった?」

 

 

「少しは眠れた……と思う。てか、休日くらい普通に起こしてくれ」

 

 

「なに言ってんの? こうしないといつまでたっても起きてくれないじゃん。そのうち"今日は休ませてくれ"っておじさんみたいなこと言い出すし。あ、それともなに? お目覚めのキスがないと目が覚めない?」

 

 

「もうわかった降参だ」

 

 

 

 あ、折れた。

 

 ま~幼馴染で長く一緒にいたら、嫌でも相手の動かしかたくらい身に付いちゃうよねぇ~。

 

 

 

 はじめの方は気が進まなかったけど、グイグイ攻めれば余程のことがない限りエイタは受け入れてくれる。

 

 自分から誰かと関わるのが下手っていうか、自分の気持ちを相手に伝えるのが苦手というか、誰かに振り回されるのを待っているというか。

 

 

 

 でも、ボクはちゃんと知ってるよ? 昔に比べたらだいぶひねくれちゃったけど。

 

 だけど、そんなエイタも私は……。

 

 

 

「その前にさぁー何かいうことあるんじゃない?」

 

 

「……おう、似合ってるぞ」

 

 

「そんな言わされましたな褒め言葉でボクが喜ぶと思う?」

 

 

「キレイ、素敵、かわいい」

 

 

「目ぇ〜見ていってよ目ぇ〜」

 

 

「……」

 

 

「あ、こら。なんとかいってよ!」

 

 

 

 こっちのことなんかしらんぷりで、肩を掴まれ部屋の外に追い出される。

 

 ボクが居座る気満々なのに気付いてたなぁ? 

 

 せっかく準備が遅れていることを理由に居座れると思ったのに。

 

 

 

 "ケーチー"とドアに投げかけて、返事はドアを叩く音。

 

 試しにドアノブに手をかけてみるが、しっかり鍵が掛かってた。

 

 ちょっとは信用してよねーもぉー。

 

 

 

 プリプリと壁にもたれかかって、いまかいまかとドアが開くのを待つ。

 

 あまりにも静かすぎるので、度々ノックで様子を探って、ぶっきらぼうな返事で語尾がだんだん荒れていくのにおもわず口元を隠して手の中でクスクス笑う。

 

 

 

「終わったぞ」

 

 

「……ねぇ⤵なんでボクが選んだ服着てくれないのぉ⤴」

 

 

「いや……」

 

 

「お買い物するのにその服暗すぎ。団地のラジオ体操じゃないんだよ? 隣にいるボクの身にもなって」

 

 

「嫌だよ。なんか、気取ってる奴みたいで」

 

 

「エイタにはそれくらい堂々としてもらった方が丁度い──の」

 

 

「あー憂鬱だ」

 

 

「急がないと勉強する時間なくなっちゃうよ──」

 

 

「ぅあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

 

 

 

 おばけのような恨めしい声。

 

 あまりにもおかしなその声に、ボクは口元を押さえるので必死だった。

 

 エイタはもう逃げ道がないことに気付いたのか、肩を落として部屋に戻っていった。

 

 

 

 もうちょっと時間かかりそうだから、空き時間で今日の予定を思い出す。

 

 朝早くに家を出て、バスと電車を乗り継いでアウトレットモールへ。

 

 お店を片っ端から見て回って、夏物の服を買いたいな。

 

 途中、お腹が空いたらどこかで軽くつまんで、お昼になったらずっと食べてみたかったあのお店へ。

 

 エイタへばらないかな? 時間はた──ぷりあるから、どうせなら午後潰れてベンキョーデキナカッターでもいいし。

 

 

 

 それはちょっと可愛そう? ボクはエイタとずっと一緒にいられるから、どっちみち大勝利なのだぁ~。

 

 

 

「はぁ、これでいいか?」

 

 

「ムムム────」

 

 

「まだなにか?」

 

 

「まいっか。ほらほら忘れ物ない? おばさんからもらったお金持った? 忘れてもボク奢ってあげないからね?」

 

 

「かーちゃんかよ……」

 

 

「歯磨いて洗顔して寝癖直しすっぽかさないでね?」

 

 

「言われなくても」

 

 

 

 階段を下りて洗面台へ。

 

 鏡の前に立つエイタを横から覗く。

 

 ボクも最後、変なところがないかの確認だけしときたいなと、ちょいちょいっと髪型をいじって。そんなことをしている横で、エイタが動かないなと不思議に見てみる。

 

 

 

「外で待ってろ」

 

 

「ム──乙女心が分かってない!」

 

 

「うるさい近所迷惑だ」

 

 

「もし怒られたらエイタのせいだかんね!」

 

 

「理不尽……」

 

 

「早くしないとバス来ちゃうんですけどー」

 

 

「こんな朝早くに出る意味ね……」

 

 

「あ、そんなこというエイタきらぁーい」

 

 

 

 フンと顔をそっぽに向けて。

 

 

 

 なのに、こっちのことなんて気にしてませんよぉーな態度のエイタに、思わず背中に頭を突っ込んでしまう。

 

 二回、三回と繰り返すと"なぁ"と頭上から声がかかり、乱れた髪を持ち上げた。

 

 

 

「それ外でやるなよ、子供ぽいぞ」

 

 

「う、うっさい」

 

 

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 

 

「ほらほらー今度はさっきのお店戻るよー」

 

 

「これで何回目だよ……」

 

 

「しょうがないじゃん! あのお店の水着が一番気に入ったの!」

 

 

「その店入った時に買えって」

 

 

「他に良い水着があったかもしれないじゃん!」

 

 

「じゃあ寄り道するなよ……」

 

 

「エイタ歩き疲れたの?」

 

 

「こんな歩くか普通……」

 

 

「もー運動不足! 最近体動かしてる? そんなんで海行ったとき大丈夫なの? どうせなら部活入ったら? あ、なんなら剣道部入りなよ。ボクが手取り足取り教えちゃうぞ♡」

 

 

「余計なお世話だ」

 

 

「んじゃまだ行けるね? なんだったら少し持つけど」

 

 

「……」

 

 

 

 ずんだドリンクを飲み干して、目的のお店に向かう。

 

 

 

 荷物は二人で半分こしてるから、エイタだけが特別疲れるなんてことはないかもだけど。

 

 単に体力の差が出ただけって考えたら、ボクが少し多めにもってあげた方がいいのかなって。

 

 学生の範囲で収まる買い物の量だし、紙袋の中身は衣類ばっかだし、重い物持たせて連れ回してるなんてことはないかもだからもちょっと頑張ってほしいかな。

 

 

 

 ベンチに座り込んだエイタを元気づけながら、予定よりちょっと遅いくらい? な時間で買い物を終え駅に向かう。

 

 

 

「お昼ちょっと過ぎかぁ───」

 

 

「やっと終わった……」

 

 

「あ、それデートの時は禁句ぅ」

 

 

「……」

 

 

「お店混んでるかなぁー」

 

 

「予約はしてないよな」

 

 

「んーいつ買い物終わるかわからなかったからねー」

 

 

「……なんの店だっけ?」

 

 

「ちょっと! 話聞いてなかったでしょ!」

 

 

「……悪い」

 

 

「パスタだよぉーパスタ。パスタの美味しいオシャレなお店ぇー」

 

 

「あぁ……」

 

 

 

 反応の悪さに頭から突っ込みたくなるのをすんでで引っ込めた。

 

 あ~あぶない。

 

 つい昔からの癖で動くところだった。

 

 もっとも、こんなことする意味ももうないんだけどね。

 

 

 

 時間の流れというのは残酷だなぁーと大人ぶってみたけれど、寂しさが薄れることはない。

 

 電車に乗って、つまらない話を交わして、近くて遠い二人の距離。

 

 変わっていくものに目を閉じて、変わらないものにだけ目を向けて、思い出と現在を重ね合わせて懐かしくなっちゃったり? 

 

 

 

 お喋りも一区切りついて、ふっとやって来た静かな時間。

 

 こんな瞬間も嫌いじゃない。

 

 それでもエイタが気を利かせたのか、口をパクパクさせ、小さく呼びかけた。

 

 

 

「なぁ」

 

 

「?」

 

 

「賢いってなんだろう」

 

 

「どしたの? いきなり」

 

 

「いや……」

 

 

「前した質問の仕返し?」

 

 

「そういう訳じゃ……。単純に、ウチハの考えを聞きたいだけだ」

 

 

「ふーん……みんなと、一緒にいること、かな?」

 

 

「そうか……」

 

 

「えぇ───聞いといて反応それだけぇ〜?」

 

 

「は?」

 

 

「じゃエイタは違うの?」

 

 

「俺はまだ……ちょっとわからない」

 

 

「なにそれ?」

 

 

「だけど、うん。正しいと思うよ」

 

 

「正しいと思ってるのにわからないって……ちょっとおかしくない?」

 

 

「……例えば、鼻くそを食べれば病気にならないってのが正しいとして……それでも食うか?」

 

 

「ウゲェなにその例ぇ────」

 

 

「はは。本当、おかしいよな」

 

 

 

 自分の口から出た言葉なのに、まるでひとごとのように笑うエイタに違和感を覚えた。

 

 ボクに関心を向けてくれたことと、久し振りに見れた昔の表情に少し戸惑いながら、変化のワケを知りたくて"あのさぁ"と切り出す。

 

 

 

 あっという間だった。

 

 ボクが声をかけて一瞬で、またいつものつまらなそうな顔に変わる。

 

 どことも知れない空間を見つめ、ここじゃないどこかへ笑いかけているように見えた。見えてしまった。

 

 

 

「どした?」

 

 

 

「え? ……いや、なんかさ。いいことあった?」

 

 

「ん? 別に」

 

 

「そ、そか」

 

 

「「……」」

 

 

「あ──。泳ぎの練習とかってさ、しておいた方がいいんじゃない? ほら、海いったとき、みんなに自慢できる」

 

 

「なんだよそれ」

 

 

「いやさ? エイタ体育の成績悪いじゃん? ちょっとでも泳げるようになれれば、内申も良くなるんじゃないかなぁーて」

 

 

「……気が向いたらな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ゛─────……だめだ」

 

 

 

 もう降参と、シャーペンをノート上に放り出す。

 

 びっしりと書き連ねた文字列が、壮絶な戦いを物語っていた。

 

 

 

 放課後の図書室、自習机での出来事。

 

 外部から見れば俺は、勉学に行き詰まった苦学生。だが実際のところは……。

 

 

 

 腕を組んで目をつむる。

 

 ポーズだけだ。

 

 現実は一向に変わらない。

 

 

 

 どうして中間テストまで一週間も切っているというのに、ツキノキさんの課題に呑気に取り組んでいるのだろうか。

 

 崇高な世捨て人を気取って何がしたいのか。

 

 ……俺が聞きたい。

 

 

 

 言葉が上手くまとまらない。

 

 頭に靄がかかったように見通しがつかない。

 

 何かを掴んだと思ったら、次の瞬間には幻に消える。

 

 思考は二転三転を繰り返し、元来た場所にとんぼ返り。

 

 

 

 わかってるさ、すぐに答えが出ないことくらい。

 

 これで即答を望むなら、悩んでくれたツキノキさんを見下すことになってしまう。

 

 甘ったれるな軟弱者。

 

 世界はお前の都合のいいように出来ちゃいない。

 

 

 

 それでも……何かのきっかけを掴むためならば。

 

 そう、たとえそれが大したことない一歩であっても、求めずにはいられない。

 

 ……いままで人に誇れるよう成果を、この手に掴んだことがないのだから。

 

 

 

 今すぐに教材を出し、試験範囲の復習を迫られている筈なのに……全く意識が向かず。

 

 カバンに手を伸ばすこともなく、両肘をついて、誰に願うわけでもなく祈りを込めた。

 

 組んだ手に額を添え、上手くいかないイライラを鎮めるように目を閉じる。

 

 ……いかんな、今日はずっとこの調子だ。

 

 

 

 座っていても埒が明かないと立ち上がり、本棚を見て回ることに。

 

 これも形だけの行動。

 

 

 

 古い紙とインクの匂い。脱色された表紙。折れ曲がり破かれ、いまにも壊れてしまいそうな書物。

 

 本なんて、読書感想文で渋々最後まで読む程度。

 

 親にプレゼントされた話題の書は、数ページいや最悪一ページもめくられずに学習机のスペース埋め。

 

 本の良さなんて分かる筈もない。

 

 そんな俺が、図書館の一スペースを占拠することで感じる罪悪感を、本を眺めることで誤魔化して。

 

 

 

 ふと、目についた背表紙に指を掛ける。

 

 

 

『たのしい郷土料理』

 

 

 

 何となく手に取ったその本は、いま自分が最も必要としている本。だったか? 

 

 ……下らない。

 

 本を押し込んで冊子の列に戻す。

 

 

 

 室内を軽く回ってみたが、哲学の類いは見当たらなかった。

 

 よくわからん物にスペースを割く余裕なんてないか。

 

 今更だが当たり前だ。わかりきっていたことだ。

 

 

 

 ……となると残るは裏の倉庫。

 

 

 

 カウンターの女生徒を見る。

 

 名前は知らない。

 

 同級生かも……分からない。

 

 

 

 やめとこう。変なやつだと思われる。

 

 

 

 やっぱりというか、当然というか、一人じゃ遅々として進まなかった。

 

 

 

 才能なし。

 

 成果ゼロ。

 

 ただ虚しさの再生産。

 

 

 

 いたたまれなさからスマホを取り出した。

 

 

 

『メツギさんは愚かじゃないよ』

 

 

『私が思う"賢さ"をメツギさんは既に持っている』

 

 

 

 ……じゃあ何で教えてくれないんですか。

 

 

 

『人から貰った答えと言うのは酷く空っぽだ』

 

 

 

 ……じゃあどうすればいいんですか。

 

 

 

『大丈夫、きっと見つかるから。きっと』

 

 

 

 ……なにを根拠に。

 

 

 

 次々に追い越していく。

 

 世界も、周囲も、家族も、そして自身の体でさえ。

 

 遠い遠い、遥か彼方の光の中に溶けていく。

 

 

 

 おいてかないでと、叫んじゃいけないの? 

 

 つまりこういう意味だった、だから相手は怒っていたんだ。この時はこう言えばよかった、こう返せばよかったんだなんて。

 

 一人帰り道でその答えを知って、手遅れを知って。

 

 

 

 大人にされた今その答えを知ったところで、一体なにが救われるんだ? 

 

 

 




 
https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill10/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

行動経済学の逆襲

 

 

 

 

 

 中間終わって直ぐのテスト返し。

 

 いままでの頑張りが数値となって示される今日。

 

 積み上げて来なかった生徒は地獄を見る。

 

 まあ、サボった借金の取り立てにあっているだけなのだが。

 

 

 

 一年の綱渡りを制してきた歴戦の猛者達。

 

 中には爆死していることを確信して心ここにあらずの者も。

 

 気分はもはやジョットコースター。

 

 

 

 テスト期間は部活がない、喜ぶ。

 

 テストが始まって全く解けない、落ち込む。

 

 テストが終わって早く帰れる、嬉しい。

 

 これが数日間つづき。

 

 テストが返ってくる、悲しみ。

 

 でも授業はテスト返しで潰れる、複雑。

 

 

 

 義務教育の加護から外れた高校は、実社会の一端に触れる最初の場所。

 

 少子高齢化が長く叫ばれても支援は乏しい。

 

 経営し実績を上げ利益を計上しなければならない。

 

 学校の評価を下げる生徒はお役御免とは、わかっていても扱いが商品のそれだ。

 

 社会の荒波に揉まれる感覚を、いま体に叩き込まなきゃならんわけか。

 

 

 

 一等賞を配りきるにはこの世の中は広すぎる。

 

 

 

「んねぇ──テストどうだった?」

 

 

「も──ホント最悪ぅ──。あとちょっとで赤点だったぁ──」

 

 

「ワタシもぉ~! でもなんでこのクラスだけ平均こんな高いわけぇ?」

 

 

「そりゃあどっかに空気の読めないのがいるからでしょ?」

 

 

「あ──そっか。ホンット、自分さえよければとか思っちゃってるわけぇ?」

 

 

「マジ信じられないよねぇ~」

 

 

「でもそれしか取り柄がないわけだから、あんまりいっちゃ可哀想じゃない?」

 

 

「え──やだ──エミコ優しすぎ──────」

 

 

「エーイタ。テストどうだった?」

 

 

「……ん、まあ」

 

 

「それじゃわかんないじゃん。……こっそり教えて」

 

 

「過去一低い」

 

 

「それボクのせいみたいに聞こえるんだけどぉー」

 

 

「事実だからな」

 

 

「エイタの嘘つけないとこ、ボク嫌いじゃないよ?」

 

 

「……どうだった?」

 

 

「セ、セーフッ」

 

 

「よかったな」

 

 

「エイタのお陰」

 

 

「なにもしてない」

 

 

「ううん。エイタの考えてる以上にボクは救われてるんだよ? だから、いままでの感謝も込めて。ありがとぉー

 

 

 

 ……授業終わりの休み時間。

 

 コッソリ耳元で感謝の言葉を口にするウチハに口をつぐんだ。

 

 

 

 素直に感謝を受け取れないねじまがった根性だとか、成績が転げ落ちたことに不満を持ってるんじゃない。

 

 気分が悪いのは、子供染みて馬鹿げたやり取りが目の前で平然と行われているからだ。

 

 あからさまに大きな声で、わざわざ相手を挑発するような声色で。

 

 ここにいる誰もが声を上げず、ここにいる誰もが疑問を持たず、啓蒙活動は繰り返される。

 

 

 

 "大丈夫、大丈夫"と一瞥してウチハの声。

 

 頭に触れた手を払った。

 

 なにを基準にした発言だ。

 

 誰かを不幸にしないと成り立たない平穏なんて、そんなの間違っている。

 

 

 

 中途半端な反抗期。

 

 じゃあなんだ? 

 

 もしコツツミさんが助けを求めてきたら、オマエは守ってあげるのか? 

 

 一丁前に俺はコイツらとは違うと表に出しておきながらその実、黙って、座って、目をそらして。

 

 ただ現状を黙認しているのと一緒。

 

 

 

 おかしいと思いながら救いもせず、認めもせず、受け流せもせずおろおろと。

 

 コツツミさんを避けてるのは、けっきょく自分が可愛いからだろ。

 

 

 

 

「今日……迎えに来てくれる?」

 

 

「……」

 

 

「わかった……」

 

 

「……」

 

 

「家で待ってて? あ、今日は唐揚げにしよっか。エイタの好きな味噌のやつ。おばさんお休みだったよね? いま連絡すれば夕飯に間に合うかな?」

 

 

「……」

 

 

 

 情けなく突っ伏すことしかできない自分。

 

 どうすればいいか分からない自分。

 

 見なかったことにできない自分。

 

 俺だ。

 

 全部、おれだ。

 

 

 

 ガキで、子供で、幼くて。

 

 なんのために勉強するのか、なんのために生きているのか、これから先どうなるのかビクビク怯えて恐ろしくて。

 

 ベルトコンベアの先、燃え盛る焼却炉に唖然と連れ去られていく。

 

 みんなどうやって大人になったんだ?????? 

 

 

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 

 

「いらっしゃい……どうかしたのかい?」

 

 

「あの……すみません突然押し掛けたりして」

 

 

「なにも聞かない方がいいのかな?」

 

 

「……そうですね。まだ、ちょっと」

 

 

「わかった。ふふ」

 

 

「……なんですか?」

 

 

「いやね、メツギさんが頼ってくれるようになって嬉しいんだよ」

 

 

「……そういうもんなんですか」

 

 

「そういうも~んだよ~♪」

 

 

「……?」

 

 

 

 見上げた先。

 

 ツキノキさんは頬を薄紅に染め、切れ長だった目をトロンと脱力させたていた。

 

 いやいや待て待て。

 

 いくら突然連絡を入れたとはいえ、お酒が入ってるのは不味いだろ。

 

 

 

 "ちょちょちょちょ"を連呼して止めにかかるが、ツキノキさんはお構いなしに部屋に戻っていく。

 

 諦めた。

 

 いや諦めちゃだめだろ。

 

 あの状態のツキノキさんを説得できる気がしないんだが。

 

 ……。

 

 

 

 観念して、靴を脱ぎ、鍵を閉め。

 

 一体どんな惨状が広がっているのか……。

 

 沸騰してグツグツ茹だった鍋。プルタブを開けた350mlビールが一缶。あれ? キョロキョロ周囲を見渡して、首を傾げた。

 

 

 

「鍋はいいね、面倒がなくて」

 

 

「お酒入ってます?」

 

 

「ん?」

 

 

「何本飲んだんですか?」

 

 

「まだ半分残ってる」

 

 

「もう飲まないでください」

 

 

「あとこれだけぇ……?」

 

 

「それ一本だけですか?」

 

 

「……メツギさんこれ飲んだぁ~?」

 

 

「俺未成年ですよ」

 

 

「あれ~?」

 

 

 

 缶を覗きこんだり、手のひらに中身を出そうとしたり。

 

 仕舞いには手に流れ落ちたしずくを舌でなめとってるのを確認して見てられなかった。

 

 

 

 缶を取り上げ、火を消し、大人しくするよう言って背中を向ける。

 

 一本だけ……だよな? だとしたらお酒弱すぎだろ。

 

 

 

「日を改めます……ちゃんと鍵閉めてくださいね?」

 

 

「メツギさんも食べていきなさい」

 

 

「いや、話聞こえてました?」

 

 

「豚肉が特売だから、特売だった」

 

 

「あーわかりました。じゃ鍵どこですか?」

 

 

「合鍵ぃ?」

 

 

「……もうこの際なんでもいいです。鍵はどこですか」

 

 

「予備の鍵はたしか……ちょっと時間を」

 

 

「えぇ待ちますよ。このままじゃ帰れないんで」

 

 

「「……………………」」

 

 

「えぁ~また今度来たときにでも」

 

 

「なんて悠長な……」

 

 

 

 その場に崩れ落ちる。

 

 

 

 防犯意識ゼロ。

 

 無防備の権化。

 

 田舎の鍵かけない文化。

 

 

 

 様子を見るに、いままで犯罪に巻き込まれたことがないのだろう。

 

 そこら辺の小学生の方がまだ分別がある。

 

 酔っ払いに尋ね事はご法度。

 

 どっかのカバンの中にでも入ってるといいんだが。

 

 幸い、物が多いわけではない。

 

 それほど時間はかからないだろう。

 

 

 

 一応、部屋を漁る断りを入れる。

 

 意志疎通できてるのか不安だが、なにも言わずに周囲をひっくり返すのもどうかと。

 

 ただ気の持ちようだが。

 

 

 

「人と仲良くなる方法、だっけかな?」

 

 

「……やっぱり難しいですか?」

 

 

「手を振ればいい」

 

 

「へ?」

 

 

「お~い。て」

 

 

「リスと仲良くなる方法じゃないですかそれ」

 

 

「またまた〜」

 

 

「いや本気で手を振るんですか?」

 

 

「う〜ん」

 

 

「どっちかわからないですよそれ」

 

 

「お~いメツギさ〜ん」

 

 

「いや……初対面だったら100%無視されますって」

 

 

 

 天を仰ぐツキノキさんに渋々応えて、満足したのか大人しく席に着いたのを確認して捜索を再開する。

 

 帰宅している以上、鍵がないわけないんだが……お、あった。

 

 

 

 次に会った時は絶対にお酒を控えさせるように進言しようと心のうちで留め。

 

 しかし一本程度で酔ってしまうのはどうなんだ。

 

 世の中にはウィスキーボンボンで酔っぱらったり、お酒の匂いで酔ってしまう人も。

 

 体質的には合わなくても、ストレス社会を生き抜く術だったりしたら気の毒だ。

 

 

 

 俺の前で酒を飲まなかったから自覚はあるんだろうが、ともかく量は控えて欲しいところ。

 

 危なっかしくてしょうがない。

 

 適当な紙に書き置きを残し、力尽きているツキノキさんに別れを告げる。

 

 

 

「賢さは見つかったかい?」

 

 

「……いえ」

 

 

「それでいい」

 

 

「え?」

 

 

「簡単に答えが見つかってしまうようなら、それは大した問題ではなかったということ。一筋縄でいかないからこそ、悩む甲斐がある」

 

 

「なら、せめてツキノキさんの考える賢いを「zzz──」……駄目だこりゃ」

 

 

 

 毛布をかけ、鍵を閉め、ポストに投函。

 

 

 

 ふ────。

 

 ため息に似た何かが漏れる。

 

 手がかりすらつかめていない。

 

 手を振るにいたっては意味不明。

 

 だが、悩むことを肯定されたのは新鮮だった。

 

 

 

 いつまでもウジウジしてないで動けだとか、そんなことしても時間の無駄だとか、構って貰えるまでそうしてるつもりかとか。

 

 思えば、慢性的に駆け足を要求されていたのだと思う。

 

 同級生がそびえる壁を次々と乗り越えていく様にはショックを覚えた。

 

 努力が足りないと言われれば真に受け。

 

 間違っていると言われれば受け入れ。

 

 大人になれといわれれば……飲み込む他なかった。

 

 

 

 時間がかかるな……。

 

 太陽は沈みかけている。

 

 家々からは夕飯の臭いが立ち込め、道行く人もその臭いに急かされるように歩く。

 

 道を時折外れ、家路を蛇行させながら。

 

 俺もまた、料理を作り待っているであろう家族の元へ付き従うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 手を振ることで仲良くなるなんて、一見すると馬鹿馬鹿しい結論だ。

 

 そんなことで親しくなれるのなら、世界中の人間がそうしているだろう。

 

 しかし、だからと言って別の案があるわけでもない。

 

 普通の会話が上手いわけでも、気がきくわけでも、話が面白いわけでもないんだ。

 

 一緒にいる時間を増やしたところで……失敗するのは目に見えている。

 

 初めから選択肢に悩めるほど俺は優秀じゃないんだ。

 

 

 

 ならいっそ、賭けてみよう。

 

 今後、ツキノキさんの話を傾聴すべきか否かの判断材料にするんだ。

 

 なーに、失敗したところでクラス中に噂が広まるわけじゃない。

 

 コツツミさんには距離を置かれるだろうが、それくらいで済むのなら許容範囲。

 

 そう自分を鼓舞しながら。

 

 

 

 朝の登校途中。

 

 傘にはウチハ。

 

 天気は小降り、じき大雨へと変わる。

 

 昇降口の前。

 

 下駄箱の前に、彼女はいた。

 

 

 

 手が震える。

 

 ただ手を振ればいいわけじゃない。

 

 ちゃんと、彼女に向けての行動だと気づいてもらわなければ意味がない。

 

 ジッと、その後ろ姿を見つめた。

 

 ………………わかるわけないだろ、テレパシーじゃあるまいし。

 

 そうこうしているうちに上履きに履き替え、教室に向かう背後に小さく"ぁ"と声を漏らしてしまう。

 

 

 

 目があった。

 

 チャ、チャンスだ。

 

 今しかない……。

 

 

 

 胸の前で軽く手を広げ、ゆっくりと左右に振る。

 

 うまく笑えているのか、動作はぎこちなくないか、相手に意志は伝わっているのだろうか。

 

 悪い発想ばかりが頭の中を駆け巡る。

 

 コツツミさんへ手を振ったのだと、相手の目を……おでこを見つめて意思表示をつづけ。

 

 

 

 長い沈黙。

 

 ここは居心地が悪い。

 

 心臓が張り裂けてしまいそうだ。

 

 寿命を縮める思いでした結末は、拍子抜け。

 

 

 

 離れていく足音。取り残された俺。

 

 本当に信じてよかったのだろうか。

 

 無性に悲しくなってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill11/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

パラダイムシフト


 
各界隈の有識者が同じ結論に至るの好き


 

 

 

 最近混じる変な臭い。

 

 その時は決まって遅くなる。

 

 久しぶりにゆるんだ顔は、ボクじゃない誰かが引き出したもの。

 

 問い詰めたい気持ちをグッと抑えて、いつもの顔を張り付ける。

 

 大丈夫、いつものエイタ。

 

 お願いはちゃんと守ってくれてる。

 

 だから、心配いらない。

 

 このまま何事もなく今日を終えて、変わらない毎日が過ぎていくんだ。

 

 

 

 自主練をサボった日のこと。

 

 すぐ止みそうな、ちょっと肌を湿らす雨。

 

 "風邪ひいちゃう〜"なんてか弱い乙女を演じてみせ、ごく自然と肩を寄せる。

 

 二人だけの時間。

 

 中身のない会話。

 

 時折見せる暗い顔。

 

 エイタが頼ってくれるなら、ボクなんだって出来ちゃうんだよ? 

 

 

 

 学校に着いたら、ドキドキはおしまい。

 

 傘を畳むエイタの肩。

 

 雨粒を手で払ってあげて、背が伸びたと成長を知って。大きくなったねとおばさんみたいな感想に一人ショックを受ける。

 

 気を使いすぎて心が老けてきてる? やややまさか。疲れは顔に出るって聞くし……大丈夫だよね? ボクまだ若いし。

 

 薄暗い玄関。人影はない。ジメっとしたこんな日でも、不思議とボクの気分は……さっきまで心地よかった。

 

 

 

 こんな日に限って、コツツミさんとばったり出くわす。

 

 はぁ、またエイタが思い詰めちゃう。

 

 もう立ち去る寸前に、挨拶すべきか悩んでいると、エイタがコツツミさんを見つめ立ち尽くす。

 

 そんな姿に肩を落とし、呼び掛けようした肩越しから、蚊の鳴くような声。

 

 え? なになになになに? 怖いんだけど。

 

 何がしたいの? 

 

 挨拶でもしたいの? 

 

 ……それでエイタの気が済むならすれば良いんじゃない? 

 

 

 

 なんでわざわざ自分から傷つきにいくんだろう。

 

 そんなことしても何も出来ないのに。

 

 かわいそうな自分に酔ってる? 

 

 おばさんとかに相談した方がいいのかなぁ。

 

 ボクにだって我慢の限界くらいあるのに。

 

 

 

 振り返ったコツツミさん。

 

 あくびが出るくらい退屈な時間が流れて、コツツミさんは去っていった。

 

 ?????????? 

 

 ……ほんっとわけわかんない。

 

 

 

 成績が落ちても焦ってる様子はなかった。

 

 このごろノートに何かを書き込んでブツブツと気味が悪い。

 

 本気で誰かに診てもらった方がいいのかもしれない。追い詰められておかしくなってるのかなぁ。

 

 冗談ナシに、もしそんなことになってたら? 

 

 ……その時は、またボクがエイタを支えてあげなきゃ。

 

 

 

 迷っているような、助けを求めるような、救いを求めるような表情をするエイタの肩を押し。

 

 ボクはエイタの味方なんだよ? と疲れた顔で張り付く。

 

 それに、エイタのそばには家族もいるじゃん。

 

 父の日のプレゼントの話題を振って、もっと周りに頼ってね? と、遠回しに何度も何度も伝えてあげるのだった。

 

 

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 

 

 日本中で鳴り響いているチャイムの音。

 

 気分を下げる音も、上げる音もかねるイカした合図に、授業を終えた生徒たちはそそくさ席を移動して楽しいランチタ〜イム。

 

 

 

 まず手始めに、女子力を共有する楽しいおかず交換……は新学期しばらくして消えてしまった。

 

 毎日必ず誰かが弁当作るの忘れてきて、ついにみんなそろって忘れてしまって以来その存在自体がなかったことにぃ……。

 

 なんやかんや献立考えて、準備して、早起きして、キッチンに居座るから家族の分も毎日作ってたら、嫌というほど母親の偉大さを自覚するわけでぇ……。

 

 ボク達の女子力計画は早々に崩れ落ちてしまったんだけど、少食アピールとかの別方面での女子力? でトントンにしようとしてみたり? 

 

 

 

「ウチハ今日も特盛だね」

 

 

「う〜おばさんが部活あるんだからちゃんと食べなさいって」

 

 

「んーそれじゃあ女子力は上げられないかなぁ……」

 

 

「代わりにキレイに完食するところで女子力もらいます」

 

 

「やっぱ体力使う?」

 

 

「う〜ん季節によるかな? 暑い時は基礎練ばっかだし、寒い時はめちゃ動くし。今は夏仕様のお弁当だよ〜」

 

 

「冬はもっと特盛?」「マジヤバじゃん」「文化部はデブるね」「間違いないわ」

 

 

「総体の予選いつからだっけ?」

 

 

「六月の頭から」

 

 

「今度こそ目指せナンバーワン!」

 

 

「あはは。あんまり勝ち負けにこだわるのは良くないんだけどね」

 

 

「いや準優勝でも充分凄すぎるけどさ? それでも手の届く範囲にあるんだからとって欲しいわけよ……あ、ごめん。生意気だった?」

 

 

「うんん。みんなが応援してくれるからスポーツって成り立つと思ってるからね」

 

 

「さすがウチハ人間ができてる」

 

 

「ウチハが新聞とかテレビで取り上げられてるのを見ると、私も鼻が高いわけですよ」

 

 

「アンタなにもやってないやろがい」

 

 

「う゛でも声かれるまで応援するから」

 

 

「うん、みんなありがと」

 

 

「……くわぁ────夏休み早くコイコイー」

 

 

「わかるーでも課題はマジ勘弁」

 

 

「夏休み前に期末テストありますよ奥様」

 

 

「ちょっと────ヤなこと思い出させないでよ!」

 

 

「部活とバイトで忙しいのにさぁ勉強もしろって頭湧いてるよね?」

 

 

「気晴らさないとやってられっしょ?」

 

 

「どっか海いく?」

 

 

「まだちべたいって」

 

 

「パスパスパース」

 

 

「フェスある無理」

 

 

「彼氏と行きたいなぁ」

 

 

「コメドット周回するから」

 

 

「枯れてんなぁ────」

 

 

「ウチハはまた介護?」

 

 

「う〜ん……」

 

 

「切っちゃえ? 変に荷物しょうの良くない」

 

 

「てかこんなに支えて上げてるのに感謝の一つもないとか終わってるって」

 

 

「良くしてもらってるのはわからなくもないけどさぁ……それで不幸になったら意味ないべ」

 

 

「でも、ボクしかいないから……」

 

 

「そこが優しすぎるんだってぇ」「もぉ──お人好しすぎぃ」「ウチハが縛られる意味がわかんない」「ガツンと言ってやりなよ」「舐められないようにしなきゃ!」

 

 

「あはは……」

 

 

「ん」

 

 

「?」

 

 

「また一緒にどっか行きたいね」

 

 

 

 差し出されたスマホ。

 

 画面に映っていたのは、新学期の日にみんなとキメポーズして撮った写真。

 

 それ以来みんなで外に出かける時間は取れていない。

 

 唯一のチャンスであった試験勉強中も、様子が心配だったエイタから離れられなかった。

 

 

 

 見渡せば眉を下げて、みんな心配してくれているのが伝わってくる。

 

 うん、ボク自身わかってる。

 

 これまでエイタにしてあげたことに対して、報われないんじゃないかなって。

 

 でも、誰だって見たくないじゃん? 

 

 身近な家族が壊れていくところなんてさ? 

 

 

 

 大切な居場所なんだよ。

 

 両親と会えないボクにとって。

 

 

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 

 

「今日はここまで」

 

 

「「「「ありがとうございました!!」」」」

 

 

 

 部活終わり。

 

 今日は珍しくエイタが迎えに来てくれていた。

 

 ボクの苦労がわかってくれたかな? と一瞬淡い期待を抱くが、朝のようにコツツミさんに手を振ってるのを見て歯ぎしり。

 

 んで、案の定無視されるっていうね。

 

 おもわず笑っちゃったんだけど。

 

 

 

 仲良くなりたいならちゃんとあいさつしてあげたら? 

 

 こういう場合、ボクがきっかけを作って上げるべきなんだろうけど、なんで他の女の橋渡しをしなくちゃいけないのって。

 

 もしかして手助けしてくれるのを待ってるの? 

 

 ……土下座して頼み込んで、ボクを言ったことは必ず破らないって約束して、ボクのことをなにがなんでも優先してくれたら……まあ考えてやらないこともないけどね? 口には出さないけど。

 

 

 

「帰ろうエイタ」

 

 

「……あぁ」

 

 

「今日もキツかった〜」

 

 

「うん……おつかれ」

 

 

「晩ごはんなんだろうね?」

 

 

「そうだな……」

 

 

「「………………」」

 

 

「なあ」

 

 

「……あのさ、また出掛けるとか言わないよね?」

 

 

「……なんでわかった」

 

 

「いやや、なんとなくわかるでしょ」

 

 

「約束が……」

 

 

「誰と会うの?」

 

 

「……」

 

 

「ボクは良いと思うよ? 趣味でも娯楽でも、エイタの世界を広げることは悪いことじゃない。でもさ? コソコソと誰かと会って、詳しく言えないことしてるって怪しんじゃうボクの身にもなって? おばさんたち誤魔化すの大変なんだよ?」

 

 

「……」

 

 

 

「エイタが変なこと始めたのもその人が原因なんでしょ」

 

 

「変なことって……これは俺のい「どんなこと吹き込まれたか知らないけど、あんまり深入りはしないでね? 絶対エイタのためにならないから」

 

 

「……」

 

 

「ボクのこと大切に思ってるなら……なんて、卑怯なことしたくないから、どうしても行きたいって言うならこれだけは答えて。その人ボクが知ってる人?」

 

 

「………………違う」

 

 

「そっか──────」

 

 

 

 ふーん、ボクの見てない間にねぇ…………。

 

 信じて良いんだよね? ちゃんと周りが見えてるんだよね? ボク達のことちゃんと考えてくれてるんだよね?

 

 エイタが忘れてるのかわからないけど……いまのエイタがあるのって、みんなに支えてもらってるからなんだよ?

 

 自力でここまで生きてきたわけじゃないんだよ?

 

 それなのに自分勝手、自分勝手、自分勝手……。

 

 

 

 ねえ、ほんと。エイタって自分のことばっかりじゃん。

 

 

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 

 

「はーいもしもし?」

 

 

「うん、うん」

 

 

「え~元気だよぉ元気」

 

 

「うん、だいぶ慣れてきた」

 

 

「新しい友達もできたし」

 

 

「うん」

 

 

「……わかってる」

 

 

「仲? いいよ全然。おばさんに愛想つかさないでねって首根っこ捕まれるくらい」

 

 

「エイタ? エイタは──う~んちょっとだめかなぁ……」

 

 

「うそうそ冗談。今日も一緒に帰ったし」

 

 

「うん」

 

 

「うん」

 

 

「あ、今度父の日にプレゼント渡すんだよ?」

 

 

「え? ネクタイにしようかなぁ~て」

 

 

「うん」

 

 

「だいじょぶ」

 

 

「あ~もう足りてるから。いいっていいって」

 

 

「そいえば同級生の女の子が入ってね? うん。いまその子の面倒見てる」

 

 

「え? そんなわけないでしょ? ちゃんと優しく教えてますぅ~」

 

 

「……あはは。それ何年前の話?」

 

 

「うん、うん」

 

 

「もーそれ何度目? わかってるから心配しないで?」

 

 

「はぁ、まだ忙しいんでしょ? はやくきりたいんですけどぉ~」

 

 

「うん」

 

 

「うん」

 

 

「いつもお仕事お疲れ様」

 

 

「体調には気を付けてね」

 

 

「今度はいつ帰ってくるの?」

 

 

「………………」

 

 

「そっか、うん、わかった」

 

 

「うん、元気で。うん、それじゃ、おやすみなさい」

 

 

 





ンガァ!!やっと美味しいとこ食えるよ!!
https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill12/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

投機バブル 根拠なき熱狂

 

 

 

 深く、深く、潜り続ける。

 

 ただ答えを求めて身を沈める。

 

 答えを見付けたところで、何が変わるというのだろう。

 

 またいつものように、カラッポの成果を徒労感で詰めるのか。

 

 いつ晴れるかも分からない霧の中、ただ一筋の光を求め進みゆく。

 

 

 

 ひとりぼっちの孤独。

 

 居場所の知れない孤独。

 

 出口の見えない孤独。

 

 されど進み続ける。

 

 頼まれるべくもなく暗闇に溶ける。

 

 

 

 立ち向かっているのだと、戦っているのだと、力強く言い切れたのならどんなに誇らしいことだろう。

 

 実際は、実情は、真実は。

 

 ただただ、これしか選び取れなかったという現実だけ。

 

 初めて誰かに認めてもらえたその種子に、希望が芽吹きますようにと、祈りを捧げることしか出来ないという貧しさ。

 

 

 

 暗い、深い、底がない。

 

 常人ならとうに根を上げてる。

 

 そこにいる意味がないからだ。

 

 闇しか見えぬその空間に、何の意味も見出だせないからだ。

 

 振り返れば、きらびやかな世界があまた待っている。

 

 多くは背を向け、そこへ駆け出す。

 

 では行き場のない弱者は何処へ? 

 

 

 

 深く、深く、潜っていく。

 

 世界が狭いと笑う者、時間の無駄だと哀れる者、不幸の元凶だと怒る者。

 

 逃げるように下ってく。

 

 光は燦然と輝かなかった。

 

 向き合い続けた者にしか見えない手掛かり。

 

 僅かな違和感。

 

 踏み締め、ただ信じ、恐れて進む。

 

 

 

 幼い頃の記憶が。

 

 ソリがあわなくなった同級生が。

 

 声をかけられなかった図書委員が。

 

 コツツミさんに手を振ったことが。

 

 そして……ツキノキさんとの出会いが 。

 

 今までの経験が嵐のようにかき混ぜられていく。

 

 点と点が手を伸ばし、輪郭をかたどっていく。

 

 やがて……それは一つに集約した。

 

 

 

 手元で遊ばせたシャーペンを置き、フ────と一息つく。

 

 誰もいない放課後の教室。

 

 窓に近づくと、空を覆い尽くすように波々とした雲が晴れ間に浮かんでいた。

 

 どうやら天気予報は外れたらしい。

 

 

 

 ふと手元に視線をやると、ノートと擦れていた部分が黒く変色していることに気づいた。

 

 ジワリと達成感が湧き上がってくるがそれまでで、いままでの出来事と絡めて説明できるよう試みる。

 

 

 

 ……筋は通せる、けど。

 

 ちっぽけな自分から放り出された物体に自信が持てなかった。

 

 猛烈にツキノキさんへ連絡をとりたい衝動に駆られ、会いたいと打ち込んだ所ではたと止まる。

 

 

『大丈夫、きっと見つかるから。きっと』

 

 

 材料は揃っていた。

 

 ツキノキさんは俺の選択を信じ、見守ってくれている。

 

 それに……あまりツキノキさんにばかり頼ってもいられない。

 

 あんな優しい人が、いつまでも側にいてくれるとは限らないから。

 

 

 

 随分ツキノキさんが心に入り込み、侵食されている実感はある。

 

 ウチハの指摘した通りになったな……。

 

 それでも、未熟者でしかない俺が断言できることがただ一つあった。

 

 あの人だけだったということだ。

 

 生身の自分に、真正面から向き合ってくれたのは。

 

 

 

 体育館に近付くと、荒々しい掛け声が響き渡っていた。

 

 大会も近付き、練習に力が入るのも当然と言える。

 

 正面の入り口には男子生徒が複数人。

 

 しばらくするといつものように怒鳴り声が飛んでくると思うので避難しておく。

 

 

 

 体育館の裏に回って、小窓をそっと開ける。

 

 誰かの袴が見えた。

 

 よほど暑い時以外はちゃんと施錠されているはずだが、ウチハの裏切りによってこうして様子をうかがえるわけで。

 

 面をつけているので、パッと見ただけでは誰が誰だかわからないが、よく観察して見てみると動きにも個性があるので割りとわかる。

 

 

 

 ウチハはすぐわかった。

 

 コツツミさんは詳しいわけではないが、身長で大方の予想は出来る。

 

 丁度、二人の試合が始まるようだ。

 

 一瞬、こちらに手を振ったウチハに窓の隙間を調整し、二人の試合の行方を目で追うのだった。

 

 

 

 ウチハの動きが洗練されているのはいうまでもない。

 

 気になるのはコツツミさんの方。

 

 最後に見たときは動きがぎこちなかったが、ウチハと試合をしている時点で、まあ……。

 

 動きに辿々しさがなく自然な所作で攻撃や防御を繰り出している。

 

 なるほど、種類は違えどウチハと同じ、紛れもない天才ということか……今更か。

 

 

 

 試合の行方は、ほとんどその場を動かないウチハに、コツツミさんが一歩踏み込んで、瞬間討ち取られたことで終了。

 

 そこからは特に何事もなく部活動は進み、終わりのあいさつを確認して小窓を閉じ、迎えにいく。

 

 ウチハに応対するなかでコツツミさんの動向をうかがい、次に動くべき時を模索する。

 

 体育館は人が多い。

 

 余計な会話のタネになるのは、向こうも望む展開じゃないだろう。

 

 なら仕掛けるのは更衣室から出た後になるわけだが……。

 

 

 

「……」

 

 

「どした?」

 

 

「べっつにーなんでも」

 

 

「?」

 

 

「おじさんへのプレゼント決めた?」

 

 

「いや、まだ……」

 

 

「時間あるからって先伸ばししないでよ? 前のおばさんの時にみたいに、直前に二人でクッキー作りました~が何度も通るわけないからね?」

 

 

「それは……悪かったよ」

 

 

「ほんとにもう。……でも、今日はちゃんと来てくれたんだね。その事は、ボク嬉しいよ?」

 

 

「あぁ……」

 

 

「……じゃ、ボク達着替えてくるから。あ、コツツミさんがいるからついてきちゃダメだかんね~」

 

 

「誤解を振り撒くようなことすんな」

 

 

「あはは~」

 

 

 

 はぁ……ウチハの冗談でコツツミさんが警戒しないと良いんだが。

 

 

 

 座り込んで、目を閉じた。

 

 着替え終わるまでは少々時間がかかる。

 

 この間に、どのくらいの期間必要かの試算をしてみよう。

 

 

 

 初日は……まあ動きがないと見てまず間違いない。

 

 そもそも自分に向けられたものなのかどうか、対応をどうするか決めあぐねてる可能性が高い。

 

 だとすると、早くて二、三日? 順調にいってそのくらい。

 

 最悪一週間、いや様子見や先送りも考えるとなると一ヶ月ほど掛かるかも。

 

 その間は、彼女と会うたびにアピールしないとならない。

 

 

 

 とはいえ、特別高いハードルでもないのは確か。

 

 意識を引いて、手を振るだけ。

 

 これならちょっと心をすり減らす程度の負担で済む。

 

 ……嫌になって、投げ出しそうになってしまったその時は……ツキノキさんに頼ろう。

 

 居心地良いのもあるだろうが、あの人の話は知見が広く、聞いていて毎回新しい発見がある。

 

 だからうん。多分、問題ない。

 

 

 

 そう頭で決着をつけ、うっすら眠りかかっていると、二人が別館から出てきた。

 

 勢い良く距離を詰めたウチハが"帰ろ? "とこちらに手を差し出してくる。

 

 ……その前に、やることがある。

 

 

 

 手を下ろさせて、この場を通り過ぎていく彼女へ、小さな声で"コツツミさん"と呼び止め、振り返った別れ際に小さく主張してみた。

 

 彼女はしばらく固まった後に去ってしまったが、これは想定内。

 

 明確な拒絶が出るまでは繰り返さなければならないのは、ちょっと精神的にキツいが。

 

 

 

「ほら早く帰るよ」

 

 

「ッ、いきなり引っ張るなって」

 

 

「ちゃんとボク言いました~」

 

 

「はぁ……それよりも、どんな気の変わりようだよ」

 

 

「へ?」

 

 

「小学生以来だろ」

 

 

 

 密着して、腕を絡ませて、手を合わせてくる。

 

 最後に手を繋いだのは小学生の……いつだったか。

 

 ウチハの言動と行動が噛み合ってなくて極度に混乱していた覚えが。

 

 体型は……それほど変わってないが。

 

 

 

 応答のないウチハの呼び掛けると、手、腕、ゆっくりと離れて足早に。

 

 一言もなく剣道具を預けられ、脱兎のように逃げられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝顔を合わせたら手を振り、部活終わりに手を振って。

 

 途中、高校総体の予選が始まり休日が潰れたが、表面上は順調の一言。

 

 

 

 ここでの最悪は、この流れを絶ち切ってしまうこと。

 

 どこまでの進展があるのか、諸情報がパラメーターで表示されるわけではない。

 

 言葉にされない限り、コツツミさんしか知り得ない事だか、雨垂れ石を穿つ。

 

 俺の見えない場所で、着実に変化は起きている……そのはずだ。

 

 

 

 それでも、青空に向かって雨乞いの躍りをするようなもの。

 

 確固たる指針がなかったら、とうの最初に諦めていただろう。

 

 ツキノキさんのためにも、無論、自分のためにも。

 

 いまは上手くいくことを信じる他ない。

 

 

 

 二日、三日経つも向こうからの動きはなかった。

 

 一週間が過ぎ、二週間に突入し。

 

 心が押し潰されそうになって、ツキノキさんに会いに行きたいと思い始めた、そんなある日。

 

 

 

 吹き抜ける青空。

 

 薄い雲には虹がかり。

 

 珍しくて空を見上げる、夕暮れの校舎。

 

 

 

 パラパラ漫画のように代わり映えのしない動作に、コツツミさんがジ──とこちらを見つめたあと、僅かに指先を動かすのが確認できた。

 

 目を大きく見開く。

 

 自分でも驚いてるのがよく分かる。

 

 喜びは柔和な笑顔へと移って、いつもより少し長く手を振っていたような気がする。

 

 

 

「! ……いきなり突っ込んでくるなよ」

 

 

「……」

 

 

「なんだよ……」

 

 

「あれ、別に嬉しくて応えた訳じゃないと思うよ?」

 

 

「……じゃあなんだってんだ」

 

 

「エイタがしつこいから仕方無くって感じ」

 

 

「……そういう見方も出来るか」

 

 

「いやいやいや、あんなので仲良くなれるとか思ってないよね?」

 

 

「悪いのか?」

 

 

「いやさだって。へ? ホントに仲良くするつもりなの?」

 

 

「仲良くってのとはちょっと違うが……」

 

 

「ボクのお願い忘れてないよね?」

 

 

「? あぁ、変に手を貸すなってやつだろ?」

 

 

「どう見ても首突っ込もうとしてるとしか考えられないんですけど」

 

 

「それは……俺が決めることじゃない」

 

 

「やめて」

 

 

「……」

 

 

「ボクこれからもっと忙しくなる。いざって時、エイタそばにいてあげられない」

 

 

「……そ」

 

 

「真面目に聞いてよ!」

 

 

「何かが掴めそうなんだ」

 

 

「それって、ボク達よりも大事なものなの?」

 

 

「悪い」

 

 

「エイタ変わっちゃったね」

 

 

「……俺は、ずっと俺だろ」

 

 

「ううん。前のエイタは温かくて、優しくて、もっと周りが見えてた」

 

 

「……」

 

 

「そっか……ふーん。わかった」

 

 

「……」

 

 

「もういいよ。そこまでいうなら好きにして」

 

 

「……」

 

 

「どうなっても知らないから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 

 いつもなら騒々しさで起こされるのが日常だが、自然と目が覚めて一日を迎えられた。

 

 おかげでいつもより頭が軽い気がする。

 

 ウチハは早々に学校へ向かったようだ。

 

 朝飯を食べる傍ら、何かを察した母に"どうせあんたが悪いんだから、早く謝りなさい"と説教された。

 

 

 

 注目を浴びなくて済む通学路は胃に優しいのだと、久しく味わってない感覚をありがたがって。

 

 日課になりつつあるコツツミさんとのやりとりを交わす。

 

 昨日は指先だけだったが、今日は手元も動いた。

 

 小さいながらも目に見える成果は人をやる気にさせる。

 

 珍妙な雨乞いダンスをした甲斐があるというものだ。

 

 ツキノキさんへの報告を楽しみにしながら、ただ日々は過ぎていった。

 

 

 

 順調に見えた。

 

 上手くいった時は反動が怖いというが、これまでが抑圧されていたこともあり、そんなものは当分先の事だと無意識に考えていた。

 

 

 

「同じクラスのメツギくんだよね?」

 

 

「あぁ、そうだ」

 

 

「前から気になってたんだけど、なにか用?」

 

 

「困ってることがあるんだ。コツツミさんの力を貸してほしい」

 

 

「それで?」

 

 

「……賢いってなにか。知恵を借りたい」

 

 

「そんな下らないことのために三週間も費やしたんだ」

 

 

「……え?」

 

 

「賢さってのは多角的視点のこと。これで満足?」

 

 

「いや、あ、その……」

 

 

 

 バチン

 

 

 

 いい音が鳴った。

 

 肌と肌が触れた音だ。

 

 俺の頬が叩かれた音だった。

 

 ひりひりと持続する感覚に手を添え、俺はただ、一瞬の出来事に呆然とする他なかった。

 

 

 





アップアップ
https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill13/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三部
クレショフ効果


 
女子にひっぱたかれたことはあるか〜い


 

 

 

 バチンいい音が鳴った。

 

 肌と肌が触れた音だ。

 

 俺が平手打ちされた音だった。

 

 ひりひりと持続する感覚に手を添え、俺はただ、一瞬の出来事に呆然とする他なかった。

 

 

 

 何が起きた? 

 

 周囲には俺とコツツミさんの二人だけ。

 

 俺の目の前には、手を振り抜いたコツツミさん。

 

 は? え? なんで? 俺……え? 

 

 知らぬ間に不快にする行動を取っていたか。

 

 動揺で右往左往する目がコツツミさんを捉える。

 

 

 

 ハーフを思わせる端正な顔立ち。

 

 ハリがありキメ細やかな肌。

 

 吊り目だが眠たげな瞳。

 

 スラリと高い鼻。

 

 女性らしい体つき。

 

 小柄だがどこか威圧感のある背丈。

 

 変化の激しい髪型は、深藍のポニーテイル。

 

 

 

 なんだこれ、グチャグチャで感情に一貫性がない。

 

 これが教室で見た後ろ姿なのか? 俺の知ってるコツツミさんなのか? 

 

 

 

「感想は?」

 

 

「????? 「感想」

 

 

「……は?」

 

 

「わからない? いまの気持ち」

 

 

「……は?」

 

 

「脳震盪でも起こした?」

 

 

 

 情報量が多過ぎて、ショートしてしまいそうな頭をかいた。

 

 色々聞きたい気持ちもあるが、まず何を優先すべきか頭を整理しないと………………なんで俺ぶたれた? 

 

 

 

 シンプルに、攻撃されたということは=怒っている。であれば、最後の聞き分けのよさをどう説明する? 

 

 では、気に食わなかったというのは? こちらを小馬鹿にしたり嫌悪するといった負の感情は感じ取れなかった。

 

 なら、ただの照れ隠し。いや、羞恥のような心の昂りさえ窺えなかったぞ。

 

 なんなんだよ、なんだこれ。脳がバグる。

 

 

 

「……「もすもーす」

 

 

「いや、意味わかんない」

 

 

「どゆこと? 自分の気持ちがわからないの? それともあたしの言ってることが理解できない? そもそも状況が把握できてない?」

 

 

「……なんでぶった」

 

 

「あ? ん────なんとなく?」

 

 

 

 人差し指で唇を隠し、こてんと小首を傾げそう言い放つ。

 

 ふつふつと怒りが込み上げてくる。

 

 ……世の中には社会構造の不備を指摘し、改善を求める層が一定数存在する。

 

 それに対して心無い言葉をかけたり、現実逃避だと気に止めなかったり、むしろ適応できないオマエラが悪いと指先を向けたり。

 

 ごく一部が少数派を圧迫する光景には、いささか不快感を覚えずにはいられないが、これはあまりに……。

 

 

 

 この間にコツツミさんはこちらの顔を覗き込み、"顔色悪いよ"と心配? してくれてはいた。

 

 

 

「意志疎通できるなら大丈夫そう。そういう頭の病気かな? じゃね、あたし帰るから」

 

 

「いやちょ、ちょっと、待って」

 

 

「あ? 救急車? 黄色い?」

 

 

「取り敢えず……悪いけど止まってくれないか?」

 

 

「むーりー」

 

 

「……じゃ歩きながらで良い。……多角的視点ってのは、どうやって出したんだ?」

 

 

「ん────天の配剤?」

 

 

 

 次から次へ、斜めにずれた返答の数々に、疲れがのし掛かってくるようでおもわず膝を突きそうになる。

 

 野性的というか、本能的というのか、適当というか。

 

 それらしい回答を直感で選び取っているとでもいうのか。

 

 なんだか、自分の中で作られていた人物像から音速で離れていっている気がするが。

 

 

 

 下履きに履き替えた彼女は、とんとんとかかとを立てて。

 

 行き場のないイライラを抑え、まだ聞きたいことが残っていると、俺も負けじと追い縋る。

 

 だがこれまでの受け答えから、マトモな返事を聞けるとは思わない方がいいらしい。

 

 ひょっとすると、コツツミさんと関係を持つ一連の期間が全て灰塵に帰す可能性も……。

 

 どっと気分が悪くなってきた。

 

 

 

 道をいくコツツミさんを追い掛ける。

 

 横に並ぶことも考えたが、歩行者を妨害してまで我を通す必要性は皆無。

 

 それに、変な噂になるのも避けたい。

 

 余計な火種は……気にする必要ホントにあるのか? 

 

 

 

 歩くペースを緩めるどころか、全く背後に気を配らない様子はさながら俺がいないよう。

 

 確かに影は薄い方だろう。

 

 先行する通行人が二度見するなんて、一度やニ度の騒ぎじゃない。

 

 大袈裟に足音を立てて、存在感をアピールする。

 

 あんまりしゃべりたくはない。

 

 余計な口を開くと、気持ち悪さが口から溢れてしまいそうだ。

 

 

 

 クラスメイトの目を避けるためにも、どっかで座って話がしたい。あと休憩したい。

 

 大きな交差点で、彼女はようやく止まってくれた。

 

 

 

「まだいたんだ」

 

 

「話はまだ終わってない」

 

 

「なら早くしてよ」

 

 

「……ベンチで話さないか?」

 

 

「あ────なんかやだ」

 

 

 

 信号は青に変わり、また歩き出す。

 

 ……いい加減我慢の限界なんだが。

 

 いま鏡が手元にあるのなら、ピクピクとまぶたは痙攣させ、青筋でも浮かべている事だろう。

 

 てか、やだってなんだ。

 

 

 

 あれか? 女の勘ってやつか? もしくはキショくて生理的に受け付けないみたいな? それならそもそも応える必要性がないだろ。

 

 仕方無く? 惨めで見てられなかった? ちょうど張り手したいところだった? 疑問は尽きない、しかしここで引くわけにもいかない。

 

 いまここで離脱したら、次会う時に話しかけづらくなる。

 

 折角、向こうから接触してきたんだ。

 

 とりあえず、マイナスに見られている可能性は低い。

 

 なら、この機会は最大限に活かしたい。

 

 

 

 気持ち悪い体を無理やり起こして、コツツミさんのあとを追う。

 

 今度はチラチラと背後に目配せしているようだ。

 

 ……わかってるんならせめて止まってくれないだろうか。

 

 

 

 そうしてフラリフラフラ、コツツミさんを追って。

 

 曲がり角を右へ左へ、右へ左へ。

 

 様子が変だぞと思いかけたその瞬間、いきなり腕を捕まれ引っ張られる。

 

 

 

「この人ストーカーです」

 

 

「「………………」」

 

 

 

 え? え? え? え? え? パニックのあまり否定できず、書類仕事をしていた中年の警官に助けての視線を送る。

 

 相手も相手で、顔を上げポールペンを握ったまま時が止まったように動かなくなってしまった。

 

 産地直送のストーカー引渡しなんぞ経験がないのだろう。

 

 

 

 いやなに冷静にとち狂ったこと考えてんだ。

 

 痴漢冤罪の恐ろしさを知らないのか。下手すると犯罪者認定されるんだぞ。

 

 汗が吹き出し、瞬きが増え、なにか弁明しなきゃと声を出かかれば引っ込み出かかって引っ込み。

 

 

 

「えっとお嬢ちゃん。まず長期間に渡って、被害に遭った証明ができるものを提出してもらえるかな?」

 

 

「んーないですね」

 

 

「見たところ、近くの学生さんだね。えっと悪いんだけど、憶測じゃあ警察は動けないかな。もし本当に困ってるなら、学校の先生に一度相談するといいよ」

 

 

「はい。ご丁寧にどうも有難うございました」

 

 

 

 軽く礼をして、そそくさと彼女は交番を去った。

 

 我に返った俺は、血の気の引いた顔で"有難うございました! "と全力で腰を曲げてから交番を飛び出る。

 

 集まる周囲の目。

 

 いますぐこの場から逃げたい。

 

 脂っこいものを一気に胃へぶち込まれたような最悪の気分だ。

 

 クッソが、あいつッどこ行きやがった……。

 

 

 

 苦しさのあまり、口を抑えてゾンビのような唸り声を漏らしながら辺りを見回す。

 

 コツツミさんは忽然と姿を消していた。

 

 ………………。

 

 

 

 くふふ、んん

 

 くく、ふひ

 

 あひ、ふひゃ! 

 

 んく、あひゃ! あひゃひゃ!! 

 

 あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!! 

 

 

 

 ……。

 

 

 

 街路樹の脇から、この世のものとは思えない笑い声が漏れだした。

 

 間抜けな相手をそっと見守るように、ちょっとばかし体をずらし傾けて、小さな口を綺麗な三日月に吊り上げ肩を肩を震わせる人が。

 

 歩行者は、音の発生源を確認はするものの、すぐさま見なかったことにしてその場を通り過ぎていく。

 

 

 

 関わっちゃいけない人だ。

 

 明確な異常性を知れた俺は諦めがつき、散々後回しにしていた吐き気の処理に取り掛かる。

 

 一刻も早く人混みから離れたい。ここよりもっと、人口密度の低い場所へ……。

 

 

 

 近くに河川敷があったはずだ……あそこなら落ち着けるかも知れない。

 

 最悪、草葉の陰で解放しちゃってもいい。いやダメだろ。

 

 不特定多数が利用する憩いの場だ。

 

 そこで汚いもんじゃ焼きを提供してみろ、食らった奴らは一人や二人で済まないかも知れないんだぞ。

 

 ならエチケット袋でも恵んでもらえってのか? そんな余裕あるんだったら冷静にトイレへ……ヤバい本格的に予備動作に入った。

 

 

 

 人は本当に追い詰められると、動きが小さく小刻みになる。

 

 なるべく体を揺らさないようにするのと、より早く目的を達成したいという二つの両立を図るからだ。すり足、すり足、すり足の連続。

 

 脳は余計な邪念をカットして、冷静に最短ルートをなぞる機械と化す。

 

 

 

 トントン

 

 

 

 誰かに肩を叩かれた。

 

 いまは止めてくれ。気が散る。

 

 見えない相手に配慮する猶予もない。

 

 だが悲しいかな、こちらの意図は伝わっていないようで。

 

 

 

 トントン

 

 

 

 いや、別に二度繰り返さなくていいから。

 

 一回で全部伝わってるから。

 

 わかった上で無視せざるを得ないんだから。

 

 察しろよ、どうせ日本人だろ。

 

 

 

 業を煮やしたのか、肩を掴まれ回れ右。

 

 いや、まあ、この展開を一番恐れてたけどさぁ……。

 

 顔が見れない。獰猛な猛禽類のような、絶好の獲物を見つけたような顔でもしてるのだろうか。

 

 あぁ、もう、本当に。

 

 

 

 変なやつに目をつけられたが最後、現状もはや為す術もない。

 

 腕を引かれる。

 

 もうどうにでもなれだ。

 

 

 

 なに、いつもと同じことじゃないか。

 

 周囲の潮流に乗せられて、あれよあれよと責任を背負わされて、あんたが選んだ道だろって。

 

 乗り越えれれば誰かの手柄、踏み外せばお前のせいだ。

 

 悪かったなんて一言もない。

 

 そのくせ人のせいにしようとすれば口を尖らせて。

 

 うんざりだ。

 

 もう、うんざり。

 

 

 

 自己嫌悪が止まらない。普段まともに動かぬ口から、ポンポン言葉が溢れ出す。

 

 こんなことなら出会わなければよかったと、悪くないツキノキさんすらこき下ろして。

 

 臨界を行き来する肉体は、ただ流れに身を任す小舟と成り果てた。

 

 

 

「ついたよ」

 

 

 

 澄んだ青空に入道雲。

 

 どこまでも敷かれた芝生。

 

 高架を渡す一級河川。

 

 人工的につくられた環境ではあるが、人間が介在しているからだろうか、大自然よりも親しみが持てる。

 

 

 

 背中をさすられた。いまさら優しくした所で罪が消えるわけではないだろうが、こんな単純なことでさっきまでの怒りはどこへやら、我ながら単純な性格だなと思う。

 

 心に余裕ができたのもあり、お礼だけでもと口元を緩めた。

 

 

 

「……ありがとう」

 

 

「メツギくんてさぁ」

 

 

「?」

 

 

「スッゴい誘拐されそうだよね」

 

 

「……」

 

 

「自分の意思とかないわけ?」

 

 

「……ないわけじゃ、ないと思うんだけど」

 

 

「ふーん。自分の声がちっちゃいんだ」

 

 

「いや、ちょっと違う」

 

 

「?」

 

 

「誰も話を聞く気が……ないんだと思う」

 

 

「ほぇ────」

 

 

「……なんだよ」

 

 

「ん、ちゃんと話せると思って」

 

 

「……そりゃどーも」

 

 

 

 そういって、コツツミさんはジグザグに斜面を下っていく。

 

 俺もなんだ。計画はズタズタだが、本来の目的を果たせそうなら、直帰する流れでもないだろう。

 

 足を踏み出した。

 

 

 

「もちょっと先行くと、あたしのお気に入りの場所」

 

 

「へー……」

 

 

「で?」

 

 

「……これが本命なんだけど。クラスで、その、やな思いとかしてないか?」

 

 

「くふ。もしそうだよって答えたら、何かしてくれるわけ?」

 

 

「それは……そうなった時また考えるよ」

 

 

「あっひひ。メツギくんってっ馬鹿なんだねっ」

 

 

「……笑うなよ」

 

 

「いやごめんごめん。こんなからかい甲斐のある人初めてだからつい」

 

 

「……じゃ、困ってないってことで良いんだな?」

 

 

「うんうん」

 

 

「そうか……なら、よかった」

 

 

「ここがあたしのベストスポット」

 

 

 

 眼下には野ざらしのグラウンドが。

 

 焦げ茶の砂が円形に広がって、カキンとボールが打ち上がり、歓声がひときわ大きくあがった。

 

 野球が好きなんだろうか。

 

 

 

 ボールの行方を追いながら、ようやくコツツミさんを捉えられた気がして、ふっと一息ついた。

 

 

 

「学校で見るのと、その……」

 

 

「雰囲気ちがうって?」

 

 

「あぁ……いや、言いたくないなら別「いい子ちゃんでいるようにダディーに泣きつかれてねぇ────。案の定ストレスが溜まってるっ」

 

 

 

 準備体操を始めたのを視界の端に捉えた。

 

 ……なんだろう、凄くこの場から離れた方がいい気がする。

 

 さっきまでのどかな場所だったはずが、こんな一瞬で手のひらを返すかと冷静沈着な自分に警鐘を鳴らした。

 

 

 

 深く息を吸い込む彼女。

 

 もうぜんぶ手遅れ。

 

 

 

「おチ○ポ────────!!」

 

 

 

 海に向かって"バカやろう!! "と叫ぶように、仲夏の空へ、その声は明朗に響き渡った。

 

 

 





私はあるぞぉ〜
https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill14/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ツァイガルニク効果

 

 

 

「おチ○ポ────────!!」

 

 

 

 海に向かって"バカやろう!! "と叫ぶように、仲夏の空へ、その声は明朗に響き渡った。

 

 

 

 野球少年達が、散歩するご老人が、犬を連れた飼い主の視線が。集まる、集まる、集まる。

 

 当の本人は、キラキラとした青春の一ページでも飾るように、清々しい横顔で感嘆のため息を漏らす。

 

 

 

 意味がわからなかった。

 

 脈絡もまるでなかった。

 

 他人のフリしたかった。

 

 少しでも気を許してしまった自分に酷く後悔しながら、一人満足する彼女を置き去りに、この場を静かに立ち去ろうとしたが。

 

 

 

「ほら! メツギくんも!」

 

 

「」

 

 

 

 観衆の面前で公開羞恥プレイの打診。

 

 ふざけろ。

 

 

 

 顔はクシャリ、首はわなわなと震え、手は逃げ出そうと宙を掴んだ。

 

 しかし、"さあ、さあ! "と愉悦に溶けるその顔は、俺の必死の抵抗を許さない。

 

 

 

 肩を組まれ、抱き寄せられる。

 

 柔らかさ、いい匂い、ぬくい体温に心停止。

 

 男性器を叫んでたから、今度は女性器かな? なんて、現実逃避を噛ませる。

 

 

 

 隣は再び深呼吸を始めた。

 

 

 

「おマ○コ────────!!」

 

 

 

 顔を覆うことで防御。

 

 あれだ、共感性羞恥だ。

 

 生放送でどスベりしてる芸人を見ているようだ。

 

 それも真横で、相方として。

 

 

 

 逃げられない。だって……ほら。

 

 揺れが起こるたび半身が沈み込む低反発女体。

 

 思考がセクハラ。

 

 いや違くて、自分も同類と思われている懸念。

 

 なら今すぐ黙らせろ。

 

 相方の暴走を止められるのはオマエだけだろ。

 

 おあいにくさま、いま俺の両手は過去最高レベルで顔面に癒着している。

 

 

 

 恐ろしいのだ。

 

 手のひらを隔てた向こう側の視線が怖い。

 

 他人事なのに、当事者じゃないのに、この場の誰よりも恥ずかしがっているのが心底情けない。

 

 死にたい。

 

 深い意味はないが死にたい。

 

 消えて無くなりたい。

 

 微粒子レベルで存在したくない。

 

 

 

「えっ? なんで顔隠すわけ?」

 

 

「……」

 

 

「ねねねね、そのパターン初めてなんだけど、なんで顔隠すわけ?」

 

 

「……」

 

 

「もしかしてさあ、恥ずかしいの? え? なんで? どうして? あたしが下ネタ叫んだからダメージ受けたってこと? え? それやばくない? 敏感過ぎない?」

 

 

 

 饒舌は止まらない、逃げられない、されるがまま。

 

 スポットライトは一身に注がれ、季節外れの悪寒がする。

 

 逃げたい、離れたい、自由になりたいと身をよじった。

 

 が、柔さを再認識するだけだった。

 

 このままだと訴えられても文句は言えない。

 

 

 

「ここまでされてなんで反抗しないわけ? え? ひょっとして想像だけで? え? 嘘!? ねねねね、それって真っ当な生活送れるわけ? ちょっとまってあたしに声かけたのって、嫌がらせってやつを勝手に増幅させて耐えきれなくなったからじゃない!? ねねねねねね、黙ってないで教えてよ!!」

 

 

 

 なおも圧力が加わる面積は増えていく。

 

 次から次へ、情報が頭に叩き込まれていく。

 

 悲しいことにそれを律儀に一つ一つ、向けられた疑問を噛み砕き、なんとか消費しようと両手に積み上げた。

 

 だがそんなことには目もくれず、コツツミさんは荷物を投げ渡す。渡し続ける。

 

 俺はただただ潰れるように、小さく小さく体を畳む。

 

 

 

 最終的には脱力し、へたりこんでしまった。

 

 もう誰が、なにを、なぜかを回収しきれない。

 

 終いには、コツツミさんの言葉を半分も理解できなくなっていた。

 

 

 

「なーんだ。誰も聞く気がないってそれ、無能の言い訳にしてるだけじゃん?」

 

 

 

 嫌なことだけよく聞き分ける、自らの地獄耳を呪った。

 

 水面は波紋を広げ酷くうねっている。

 

 冷静になれ冷静になれと念じるが、降り注ぐ雨は止まず、波は止まることを知らない。

 

 閉塞感が胸を締め付けた。生唾を絶えず胃へ送り込み、不快な胸焼けを鎮めて、鎮め、しずめも──────。

 

 

 

 目の前に広がる惨状。

 

 青空と、青草と、グズグズになった昼食と。

 

 引っ張り出された不快感に、染み入るのはただ無情。

 

 

 

 画面の向こうの出来事のように、自分じゃない他人の失態。

 

 俯瞰した視点。

 

 ふとした感想は"汚い"というニ文字だった。

 

 

 

 最後の関門とばかりに開口部を抑えていた両手には吐瀉物。

 

 "コイツにはお似合いだな"と突き放すように受容して、口端を引き上げた。

 

 

 

「うっわぁ────吐くくらい拡張できるんだ。それならそうと最初に言ってよ」

 

 

 

 プリプリと演技にも聞こえる声が耳を素通りする。

 

 散々引っ掻き回された彼女に襟を引っ張り上げられ、無抵抗に起立して、"近くに蛇口あるよ? "とぼんやりと腕を引かれる方向に足を進めた。

 

 

 

 野球グラウンドの脇。

 

 用具の洗浄用か、散水か、はたまた夏場のオアシスか。

 

 連れられた場所で手を洗い、口をゆすぎ、蛇口を閉めて放心。

 

 帰る気分にはどうにもなれず、トボトボと落ち着ける場所を求めて歩き出す。

 

 

 

 線路の高架下。

 

 コンクリートの基礎と、ダンボールとブルーシート、太陽の影となる場所で立ち止まった。

 

 未来の日常景色になるかもしれない所とかが、今の自分には相応しいように見えた。

 

 どうやらここの主人は外出中らしい。

 

 しばしの間だけ、この性能の悪いこのポンコツロボを匿って欲しいとコンクリートに体育座り。

 

 額を膝に乗せ、冷却に入った。

 

 

 

 ……近づいてきた気配に、念のためと顔をずらして確認を済ませ、正体がわかれば相手したくないと元の世界に引きこもる。

 

 全くわからん。謎だ、謎。

 

 なんでこう、人生ってのは上手くいかないのだろう。

 

 知らないうちに難易度を間違えてたりしないだろうか。

 

 

 

 どうでもいいことを考える。

 

 背後で行ったり来たりを繰り返す摩訶不思議。

 

 贅沢は言わないから、彼女をここから遠ざけてくださいと、都合のいい神様に願うのだった。

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 飛び起きた。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。

 

 

 

 空は茜色に染まり。

 

 頭上を轟音と共に電車が駆け抜けていく。

 

 ……よくこんな場所で寝てたな。

 

 

 

 日が沈む。今日が終わる。

 

 積み上げてきた日々は、からくも無駄になってしまった。

 

 俺が判断を誤ったせいで、多くの時間を無駄にした。

 

 後悔。回帰。落胆。

 

 やり直しが効いた所で、また同じ失敗を繰り返すだけの気がする。

 

 なによりも時間だ。

 

 時間が……足りない。

 

 

 

 辺りを見渡した。

 

 彼女の姿はない。

 

 流石に帰宅したか。

 

 いやそんなことより、長居しすぎた。

 

 早くこの場所から立ち去らないと。

 

 

 

 足が重い。

 

 帰りたくない。

 

 てっきり、少し休めば動けるようになるだろうと算段を立てていたんだが、どうやら損傷が激しいようだ。

 

 なんだよ損傷って。

 

 いやさ、寝る前に自身をロボットに例えてただろ? 

 

 イメージとしては、頭部にある操縦室から、いま取るべき最善の行動を逐一指示してくれるような感じ。

 

 

 

 出来損ないが俺で、有能なキミ。

 

 人の食べ物の好みは、それぞれが飼っている腸内細菌で決まるんだと。

 

 欠陥こそあれ、上手いこと人体は各所と折り合いをつけているというのがツキノキさんの見解だったか。

 

 俺の一人二役の悲しい突っ込み劇も、もしかしたらなにか事情があってこうせざるお得ないのかなって。

 

 

 

 ……例えば、寂しさのあまりイマジナリーフレンドの延長戦をしている、とか。

 

 そうだなあ……常駐化するストレスの受け皿として人格を分裂させた。もしくは、全権限をキミに譲渡して、不出来な俺にはご退場願う……なんて? 

 

 

 

 ─────────。

 

 

 

 ずっと前から疑問だったんだよ。

 

 なんで人は自殺するんだろうって。

 

 高いところに登ると足がすくんだり。

 

 ガラの悪い人が近くにいると緊張したり。

 

 自分という存在がいつか必ず消滅することに恐怖したり。

 

 死んじゃうくらい痛いとか熱いとか苦しいって。

 

 本来なら忌避されるもののはずだろ? 

 

 

 

 じゃあここに男を一人用意する。

 

 彼は否定に次ぐ否定で責任の所在を問われた。

 

 のしかかった重圧に耐えかね男はもう一人の自分を産み出しそいつのせいにすることで精神の安定を図った。

 

 やがて産み出した人格が成熟し今度は司令塔の役目を果たすようになる。

 

 結果責任の所在は本来あるべき場所に至り外に出ようと家に居ようと否定否定否定否定やめろ。

 

 

 

 ……安全装置が作動したようだ。

 

 酷い立ちくらみのような、体各所の感覚が喪失する。

 

 あぁ、これじゃ帰れないな────と薄ら笑いを浮かべ。

 

 耳を塞ぎたくなるような、高速で通過する電車でさえ、いまの俺には愛おしく思えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏休みも指折り数える、期末試験二週間前を切った今日。

 

 みな形は違えど、テストに意識を向けているだろうことはなんとなくわかる。

 

 後ろに控える夏休みを、補習なんぞでこれ以上荒らされたくはない。

 

 まして大学案内だとか、職場見学だとか、尻を叩かれている上級生を目撃すれば嫌でも反応せずにはいられない。

 

 

 

 ここのところ勉強に身が入らない俺としては、せめて学校の授業や休み時間にこそ力を入れるべきなんだろうが、このところ心労が絶えず軒並みダウンしている。

 

 前記したテストもそうだが、ウチハのこと、変なヤツに絡まれていること、クソッたれのプールの授業と余裕がない。

 

 ツキノキさんに個人レッスンでもつけてもらおうか……。

 

 こんな具合に、隙あらば会う口実を作り出そうするくらいには消耗している。

 

 

 

 インターハイに出場したウチハ。

 

 結果は四位入賞という結果に終わった。

 

 無論、俺との関係性のスレによって実力を発揮できなかったなどと、ウチハの実力を疑うものはいないだろう。

 

 が、人は理由を求める生き物だ。

 

 

 

 ただでさえ口うるさかった母は、これを契機に口酸っぱくウチハとの和解を叫んできた。

 

 少なくとも不調の一端を担う、悩みのタネであったことまでは否定しきれない。

 

 だが、今回のは違うだろ。

 

 いつもなら即譲歩する段階にあってなお、言いようの知れない不快感から、意地を張りウチハを避け続けている。

 

 

 

 筆記用具を抱き、耳を隠すように寝る体制も板についてきてしまった。

 

 このままだとヤバい、非常に不味い。

 

 前回は多少なりとも貯金があったからなんとかなったが、次の期末で全テスト赤点を回避できる自信がない。

 

 なのに驚くほど危機意識がない。

 

 テスト期間中は図書室に人が多くなるしなぁ……。

 

 

 

 別にそこでしか出来ないことでもないと、場所を移して通い詰めるなんて選択はなくはないんだが……動機が弱すぎて失敗する光景しか浮かばん。

 

 こんなこと今までなかったのにな……。

 

 この変化を成長と考えるべきか、退化と捉えるか。

 

 時間をつぎ込んだだけ無価値であったと認めたくはない。

 

 なによりツキノキさんとの居場所を守りたくて、手放そうにも手放せないというのがより正確な表現か。

 

 

 

 教室は居心地が悪い。

 

 トイレが唯一の安全地帯だ。

 

 ここぞというときにしか使えないのは少し残念だが。

 

 

 

 前方からコツツミさんが向かってくるのが見えて一瞬ためらった。

 

 引き返すのも不自然だし、学校では大人しくするとかそんなことを言われた覚えがある。

 

 気にするだけ無駄だと、窓を見ながらやり過ごそうと歩幅を取り戻すと。

 

 

 

「メツギくん」

 

 

 

 ……声を掛けられてしまったら、無視することはできない。

 

 生徒間の会話さえ放棄してしまったのなら、不利益の方が多すぎる。

 

 だから、しかたなく。

 

 ゆっくりと顔を向けると、よく知るメガネを掛けたポニーテールのコツツミさんがいた。

 

 

 

 彼女は手を出して、人差し指をペコペコと、おそらくあいさつのつもりなのだろう。

 

 マネをするのは……恥ずかしいので、わかったふりして手を煽った。

 

 それに満足したのか、コツツミさんは笑みを浮かべるとそのまま横を通り過ぎていく。

 

 

 

 ……あれで良かったのだろうか。

 

 いや、変に抵抗しても突っかかる大義名分を与えるだけ。

 

 なら、無難にやり過ごすのが賢い……んだと思う。

 

 ……正直わからん。

 

 

 

 バラララッ

 

 

 

 音のした正面を見ると、ウチハが突っ立っていた。

 

 手元には数冊のノート、足元には散乱するクラスのノート。

 

 無表情のまま、虚空に吸い込まれていくように、ただこちらを一点に見ていた。

 

 

 





シュッシュ!ジャブジャブ!
https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill15/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

系列位置効果

 

 

 

「ウチハっていつもエイタにくっついてるよな」

 

 

 

 一年二組の休み時間。

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべながら、からかうようなその発言。

 

 話すきっかけを得たと浮かれる気持ちと、これを気に仲良くなれるんじゃないかという淡い期待と、それと少々の嫉妬心と。

 

 

 

 恋愛経験の乏しい未熟者ゆえの態度に、話題に挙げられたウチハは、視線から逃れようとエイタの背後に隠れる。

 

 だが、その行動がまさしく指摘の通りであることに気付き、頼りにしていた背中を突っ張った。

 

 露わになる熟れた顔。

 

 当然、主張の補強にしかならず。

 

 すぐさま声色をマネた冷やかしが刺し込まれる。

 

 

 

 どうすればいいか分からない。

 

 頭は真っ白だ。

 

 家に帰りたい。

 

 足が震えて動けない。

 

 

 

 助けてと密かに心を寄せる想い人は、"やめろよ"と低い声で言い放つ。

 

 ビクリと体を震わせてしまうほどの冷たい声に、少女は自身が拒絶されたような感覚に陥り、とたんにグチャグチャとした感情に支配されてしまうのだった。

 

 ここで彼が動揺の一つでもしていたのなら、あるいは違った未来があったのかも知れない。

 

 

 

「エイタなんてだいっきらいだから!!」

 

 

 

 本人も驚く大声に、教室中が静寂に包まれる。

 

 次第にざわめきだし、"席につけ──"と入室してきた担任の先生が"どうしたどうした"と聞き込みを開始したことで遂に我慢の限界を迎えた。

 

 

 

 走って走って走って。

 

 堪えていた悲しさが地面を蹴る度こぼれ落ちる。

 

 この世の終わりだと悟った。

 

 彼女にとっての、たった一人の救世主を自ら放逐してしまったのだ。

 

 精神的な屋台骨を取っ払われた少女の心中は、筆舌に尽くしがたい。

 

 

 

 生徒の駆け込み寺、明かりはついているが人のいる気配のない保健室には目もくれず。

 

 誰かを犯人にして、槍玉に上げたいわけじゃない。

 

 クラスメイト、特にエイタが責められたらと考えると胸がはち切れそうになる。

 

 

 

 一輪車が二段掛けに並べられ、大縄がハンドル式の車輪に巻かれ、ボールがカゴに納められた物置地帯。

 

 倒つ転びつ、校舎の一角に設けられたその場所は、気持ちを整えるのに適している。

 

 どうやら彼女のお眼鏡に叶ったようだ。

 

 

 

 腰の丈ほどの小さな隙間にスルリと体を滑り込ませ、すんすんと静かにすすり泣く。

 

 悪いのは自分。

 

 受け流せる余裕が、反撃する苛烈さが、"そうだね"と笑顔を浮かべる勇気がなかった。

 

 どれか一つでも持っていたのなら、こんなに悲しみに暮れる必要はなかったのだろうに。

 

 腰を落ち着ける場所の判断基準は前記と引き継ぎ、こんな寂れた場所を選んだ理由はもう一つあって……。

 

 

 

「……いた」

 

 

 

 肩で息をしながら、安堵の表情を浮かべるエイタに腕を広げる。

 

 少しの間隔を置き、その意味を察したであろう彼はかがみ込んで優しく抱き留めた。

 

 "大丈夫大丈夫、平気だから"と唱える言葉はまるで魔法のようで、ポンポンと背中のリズムが、さっきまで収まる気配のなかった心臓に安らぎを与える。

 

 母のように抱かれて、ウチハはただただこの時間を堪能するように、両目をつぶって彼に委ねる。

 

 本当はもう大丈夫なはず、なのに……。

 

 より安堵を得るため、甘えるように頭を擦り付け。乱れた髪型をエイタが手櫛で整える心地よさに、背中に回した腕は逃がすまいと輪を作った。

 

 

 

「ごめん、辛い思いさせちゃって……」

 

 

「うんん、エイタは悪くない」

 

 

「いんや、本当はわかってたんだ。分かってたのに……」

 

 

「わ、わたしのこときらいに、なった?」

 

 

「そんなまさか」

 

 

 

 困ったように笑うエイタに、思わずもう一度捕まえた。

 

 情けないなと感じながらも、動いてしまうものはしようがない。

 

 年齢は同じ筈なのに、理想のお兄ちゃん像を演じられるのも憎い。

 

 長い人生経験を経たような落ち着きと、冷静さと、包容力に包まれて。

 

 お仕事から帰って来た父親みたい、なんて。

 

 でもなんだかそれってヤダなと、不思議とそんな事を頭でこねる。

 

 

 

 

 

 このまま彼に寄り掛かる人生というのも、それはそれでいいのかもしれない。

 

 けど、そんなことはいつまで続くのだろうか? 

 

 少女漫画のように、もしもエイタに大切な人が出来てしまったら、きっといまの関係なんて破綻してしまう。

 

 いまでこそ彼の優しさに依存しているウチハだが、その好意が他の誰かに向いた時、彼女は一体どうなってしまうんだろうか? 

 

 任せっぱなしのままでは、もしもエイタが助けを必要とした時、彼の力になれないことに勘づく。

 

 もしそんな時に、エイタと同じくらい自立した女の子に手を引かれたら……。

 

 やはりウチハ同様に、恋へ発展してしまうのだろうか? 

 

 

 

 彼女は願った。

 

 好きになってほしいと。

 

 彼女は望んだ。

 

 ずっと一緒にいたいと。

 

 だから彼女は決心した。

 

 エイタのようにカッコよくなろうと。

 

 

 

 泣き虫を卒業して、エイタが倒れてしまいそうになったその時に、手を差し伸べられるような女の子に……。

 

 ハグという甘露の誘惑を絶ち切って、言葉足らずに少女は告げる。

 

 それに相槌を交えながら、優しい目で少年は聞くことに徹した。

 

 ハチャメチャな文法ながら、言いたいことは大体伝わるのが日本語の良い所。

 

 全部出し切り返事を待つウチハに、少年は笑いかけた。

 

 

 

「うん……応援してる」

 

 

 

 まだなにも始まってすらいないのに。

 

 自分が受け入れられたと感じたウチハは、もう舞い上がってしまって。

 

 けれどもすぐ後に"からかわれちゃうから教室では離れていよう"と告げられ、終末のような絶望感に襲われ。

 

 そうだよね、まずは強くならなくちゃ。エイタに好きになってもらえないもんね。

 

 なんて、自分を奮い立たせてみたりして。

 

 

 

 この頃だろうか、メツギ家に入り浸るようになったのは。

 

 この頃だろうか、か細い自信をエイタの同一化によって補うようになったのは。

 

 この頃だろうか、自分をボクと名乗るようになったのは。

 

 

 

 前々から親不在の場合は、メツギ家にお邪魔していた。

 

 だが、学校で一緒になれない寂しさは拭えず。

 

 代わりにお泊まりをすることで穴埋めをしようと画策した。

 

 客観的に見て、随分と不躾で傍迷惑な子供だ。

 

 いってしまえば、面倒を見る我が子が一人増えたようなもの。

 

 だがメツギ家の面々はそんなことおくびにも出さずに、ウチハの第二の父母となっていく。

 

 本来エイタに注がれていたであろうリソースが、少なくともウチハが奪っていることなど、当の本人は全く気にしていないようだったが……。

 

 そしてある時、人生を大きく変える転換点に差し掛かる。

 

 

 

「か、かっこいい」

 

 

 

 メツギ家のリビングにペタンと座り、テレビを食い入るように見つめ、お気に入りの人形をギュッと抱き締めて。

 

 甲冑のように重厚な防具、つばぜり合う剣戟、洗練された美しさ。

 

 バッと旗が一色に振り上がり、歓声が巻き起こった。

 

 

 

 何が起こっているのか全く分からなかったが、ただただスゴくカッコいいという想いだけは止まない。

 

 日曜日の朝に放送されているような、強きを挫き弱きを助ける覆面ライダーのような凄みがあった。

 

 そこから近くの剣道教室に興味を持つのは、もはや必然だろう。

 

 

 

 エイタの親御さんに連れられ練習を見学。

 

 ご好意で防具を着けさせてもらったり、子供用竹刀を握らせてくれたり、打ち込みを教わったり。

 

 見学終了後、そこにはパンフレットを読み込む大人を尻目に、早々と申し込み用紙へ名前を記入している可愛らしい姿があった。

 

 そのあまりの熱中ぶりに"エイタもやってみる? "なんて母親からの打診が。

 

 カッコいいエイタとカッコいい剣道が出逢ってしまったら、一体どうなってしまうのだろうと妄想は膨らみ、うっとりとした乙女の視線がエイタを捉えた。

 

 

 

「いや……考えておくよ」

 

 

 

 大人びた消極的な発言に、思わず眉をしかめた母が背中を突く。

 

 意味をストレートに受け取ったウチハの方は、互いに切磋琢磨し合って双璧となる未来に夢膨らませ、デヘヘと緩みきった笑顔を浮かべるのだった。

 

 

 

 だが申し込み用紙が提出されることはなかった。

 

 なんの事はない、ウチハの両親が認めなかったのである。

 

 一転して、悲観しきったように泣きじゃくるウチハ。

 

 そのあまりの仕打ちを目撃して、エイタは我慢できずにウチハへ詰め寄った。

 

 親の連絡先を聞き出し、後先考えずに呼び鈴を鳴らす。

 

 本来なら仕事で忙しく電話に出ることはないウチハの父親だったが、繁忙期を過ぎていたこと、そして緊急連絡先であったことが重なり電話口に呼び出すことに成功した事を彼は知らない。

 

 

 

 "もしもし? ウチハか? "と警戒する低い声に、御託は不要とウチハがどれだけ剣道をやりたがっていたのかを叩きつける。

 

 名乗りもせず自らの要求を告げるなど、まるで誘拐犯のそれだ。

 

 だが電話越しの相手は、口を挟んでくるようなことはせず、終始無言を貫いた。

 

 最後の言葉を告げ、鼻息を荒くして返答を待つ。

 

 向こうからは"うんうん"という頷きの後、"家内と話す時間が欲しい"と落ち着いた口調が。

 

 先伸ばしにして有耶無耶にする大人の常套手段。

 

 唖然としたエイタが憤怒を爆発させる前に、ウチハの父は別れを伝えて電話を切った。

 

 無力感に打ちひしがれながら、いい結果にはならないだろうなと弱々しく受話器を戻す。

 

 縋るような視線を送るウチハを見てしまったが最後、"大丈夫、きっとわかってくれるよ"なんて、無責任な言葉を吐き出す自分心底情けなかった。

 

 

 

 それから三日経ち。

 

 元気のないウチハを励ますパーティーを密かに計画していた日。

 

 ウチハのご両親から呼び出しがかかる。

 

 何処かそわそわとした様子のウチハに連れられ、ドウゾノ家のリビングに通された。

 

 オレンジジュースが出され、神妙な面持ちでこちらを見つめてくる。

 

 

 

「……」

 

 

「そんな固くならなくてもいいよエイタくん。なにも叱りつけるために呼んだわけじゃないからね」

 

 

 

 柔和に微笑むその男は、ウチハの父親その人である。

 

 ウチハのシャープな鼻筋、顎の輪郭はどうやら父譲りのようだ。

 

 歳若く、優男で、とても理知的に見える。

 

 寡黙でいつもしかめっ面した自身の父親と自然に比較してしまう。

 

 隣で行く末を見守っているのは母親。

 

 ウチハは隣に座り、ギュッとエイタの裾を引く。

 

 

 

「それで、ウチハの習い事についてなんだ「ウチハに剣道をやらせてあげてください!! お願いします!!」

 

 

 

 迷いのない平身低頭。

 

 テレビで知識として得ていた土下座を敢行した。

 

 地面しか見えずとも、動揺が広がり効果絶大であることに気を良くする。

 

 深い意味はなかったが、こんなことでウチハの願いが叶うのなら、いくらだってしてやるとさらにエイタは額を擦り付けた。

 

 

 

「エ、エイタくん!? まずは顔を上げてくれないか!?」

 

 

 

 なおもポーズを解かないエイタに、駆け寄った家主が肩を揺すって投げ掛ける。

 

 

 

「何か私達には誤解があるようだが、わざわざ時間を作ってもらったのは、キミにお礼を言いたかったからなんだよ」

 

 

「お礼?」

 

 

「ウチハはご覧の通りおとなしい子だ。だから勝負事には不向きで、ヘタをすると今よりもっと塞ぎ込んでしまうんじゃないかと心配したんだ。けれど、エイタくんがウチハの想いを伝えてくれたおかげで、娘の気持ちが強いということを知れた。だから、むしろ謝るのは私らの方なんだよ。娘の側に居てくれて、娘の事を考えてくれて、娘の力になってくれてありがとう。そして、同時にすまない。恥ずかしいことに、私達ではウチハの想いに気付けなかった、大人の私が言うのも情けない話なんだがね。……これからもどうか、愛娘の側にいてあげて下さい」

 

 

 

 そういって、深々と頭を下げたウチハのご両親。

 

 そんな大袈裟なとたじろぐエイタ。

 

 大人に謝らせちゃうなんてすごい!! とより尊敬の念を深めるウチハ。

 

 三者三様の感情が出揃い、歯車は微かな異音を混じらせるのであった。

 

 

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 

 

「それじゃあこれよろしくね、ドウゾノさん」

 

 

「はい先生」

 

 

 

 備品の申請用紙を職員室に出して、教室に戻ろうとした所で、国語の先生に声をかけられた。

 

 クラスのノートをチェックし終えたので、持っていってほしいとのこと。

 

 ついでとばかりに、まだチェックできてない生徒に声かけよろしくとお願いされた。

 

 タイミングわるーと思いながら、両手で抱えると、胸くらいの高さになった。

 

 おっぱいおっきかったら持ちづらそうだなぁーなんてのんきに考えて、下を見て、ズーンと沈んだ。

 

 

 

「ウチハちゃーん手伝おうか?」

 

 

「あ、お願ーい」

 

 

「職員室に用事?」

 

 

「ん───備品の申請ぇ」

 

 

「あー部長ってなんだか大変そ」

 

 

「うーんどうなんだろ。でも意見通りやすいし、テスト出るとこ教えてくれるし、面接の時に喋れるし。悪いことばっかじゃないよ?」

 

 

「私も部長とかやればよかったかなーて時々思うんだけど、文化部だかんなあー」

 

 

「無理にやることもないんじゃない? ボクなんて周りに押し付けられる形でなっちゃったし」

 

 

「あはは。でもそれだけウチハちゃんが部員に認められてるってことだよ」

 

 

「トロフィーもらえませんでしたけどー」

 

 

「準決勝惜しかったよねーありゃ相手が悪かった」

 

 

「夏休みは部活みっちりだけど、みんなの期待に応えれるように頑張んないと」

 

 

「私も夏休み部活あるけど……んー運動部と比べるのも失礼かな。でも今年の夏は作品たくさん作りたい!」

 

 

「お互い頑張ろうね!」

 

 

「うん!」

 

 

 

 二人で拳を突き合わせて笑い合う。

 

 そうだよね、落ち込んでるヒマなんかないよね。

 

 夏休みの予定に話題が変わり、曲がり角に差し掛かった時に彼女が何かに気が付いた。

 

 

 

「あれメツギくんじゃない?」

 

 

「え?」

 

 

「ほら誰かと一緒にいる……あれは、コツツミさん?」

 

 

「……ごめん、先行ってて」

 

 

「え? う、うん……」

 

 

 

 困惑しながらも去っていく彼女を見送り、ボクは足音を立てないようにしながら二人を見守る。

 

 エイタの一方的な感情。

 

 エイタのことを本当にわかってあげられるのはボク以外いない、もういい加減気付いたらどうなの? と黒い感情を塗り重ねた。

 

 

 

 けど、今日は違った。

 

 先に声をかけたのはコツツミさん。

 

 一瞬、見間違いかと目をこする。

 

 だって、ちょっと前までエイタはコツツミさんに無視されてたんだよ? 

 

 なのに、ちょっと目を離したスキにどうしてそんなに距離を縮めてるの? 

 

 ボクがちょっと構わなかったからって、コツツミさんと関係を持ちたくて頑張ちゃったってこと? 

 

 なんで? 

 

 どうして? 

 

 剣道で結果を残せなかったから? 

 

 

 

 剣道はエイタが話をつけてくれた大切な場所。

 

 エイタの想いに応えたくて剣道をつづけた。

 

 そしたらエイタは褒めてくれた。

 

 エイタのために剣道にのめり込んだ。

 

 そしたらエイタは笑ってくれた。

 

 友達付き合いも勇気を出してみた。

 

 そしたらエイタは、自分のことのように喜んでくれた。

 

 

 

 失敗して上手くいかなかった時も、エイタはずっとそばにいて励ましてくれた。

 

 ボクがエイタにベッタリだったから、しばらくするとクラス中でウワサになった。

 

 ボクは恥ずかしくて、恥ずかしくて恥ずかしくて恥ずかしくて、ボクなんかにエイタはもったいないと首を振った。

 

 泣きたかった、泣き出したかった。

 

 あの頃は自分の気持ちをうまく表現できなかったから、ズキズキと痛む心に暴れ回った。

 

 見捨てられると思った。

 

 だってボク自身、何したいのかわからなかったんだもん。

 

 でも、どこか期待していたんじゃないかな? 

 

 エイタなら。エイタならきっと、絶対ボクの味方になってくれるって。

 

 

 

 ……ずっと、苦しんでる風だった。

 

 やっと、ボクがエイタの力になれる時が来たと思ってた。

 

 けど、いくら待っても。それとなく尋ねても。エイタの味方であり続けても。硬く口を閉じたまま諦めたような顔をするだけだった。

 

 なのに、なのになのになのになのに。

 

 いつの間にボクの知らない人と楽しくしちゃって。黒いウワサがあるからって、念押ししたハズなのにコツツミさんと仲良くしちゃって。ボクが困っていても関係ないねと自分の世界に閉じ籠っちゃって。

 

 なんで? なんでボクじゃないの? ボクは誰よりもエイタのことを考えて、根回しして、頑張って、苦しんでるのに。

 

 ナンデボクヲミテクレナイノ?? 

 

 

 

 バラララッ

 

 

 

 気が付いた時にはノートを滑らせていた。

 

 二人の視線が自然と集まる。

 

 エイタの困った顔を見つめる。

 

 

 

 壊してやりたかった。心配されたかった。悲しさで一杯だった。

 

 だって、このままエイタはボクをいないもの扱いにして、勝手に幸せになろうとしてるんでしょ? 

 

 みんなが笑みを浮かべる未来にヒビが入る。

 

 今さら他の誰かを好きになるなんて考えられない。

 

 ねえお願い、ボクを見て? 

 

 じゃないと、ボク何するか自分でもわかんないよ? 

 

 

 

 やがてエイタは、ボクの気持ちが伝わったのかノートを拾い上げて"悪い"と口先だけで謝りながら手渡し。

 

 そのまま素通りしていった。

 

 

 

 ……は? なんで謝ってきたの? 悪いことしてる自覚があるのに、なんでボクのこと気にかけてくれないの? 

 

 いままでのボクの頑張りはなんだったの? 

 

 たった一言の"悪い"で、ボクが気が収まると? 本気で思ってるわけ? 

 

 

 

 ……エイタならわかってくれてると信じてたのに。

 

 遠ざかっていく足音。小さかったヒビ割れがパキリと音をたてて止まらない。

 

 動くことも、声を出すこともできずに。

 

 ただただショックで、ノートの束を握り締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友達に体調の心配をされながら、なんとか放課後まではやり過ごせた。

 

 剣道用具を探して、キョロキョロとロッカー上を探したけれど、見当たらなくて。

 

 ちょっとして。そうだ、今日から部活ないんじゃんと頭をコンコンノックした。

 

 こんなバカだったっけかぁーと目をつぶって心を落ち着けていると……そうだよ、いまなら時間あるじゃん。

 

 エイタとお話しする時間できたじゃん。

 

 

 

 そうとわかれば空っぽの学生カバンを振り回して、いくつもの呼びかけを押し切って、エイタを探して走り回る。

 

 エイタだって苦しんだ。

 

 だから"悪い"なんて謝ったんだ。

 

 ボクの知るエイタはどこにもいってない。

 

 だからボクがエイタを追いかけなくちゃ!! 

 

 

 

 玄関について、下駄箱をのぞきこんで。

 

 上履きが残されているのを確認すると、急いで後を追いかけるために履き替える。

 

 かかとぺちゃんこのまま、ぺったんぺったんスリッパみたいな音を鳴らしながら校門を出て辺りを見渡すと……。

 

 エイタだ。

 

 コツツミさんと密着して。脇の下に手を通されて。交差点で信号待ちしていた。

 

 青に変わった信号に、二人はどんどんと離れていく。

 

 

 

 目の前の出来事が信じられない。

 

 このままだとボクは取り残されちゃうと、徐々に目頭を熱くして。

 

 がむしゃらに追いかけるけどすっぽぬけた靴で派手に転んだ。

 

 恥ずかしがってる場合じゃないと靴を拾い上げ、二人のいた交差点に走る。

 

 点滅する青信号。

 

 すりむいた頬が風に撫でられじんわりと痛む。

 

 なんとかギリギリで渡り切って、人混みをかき分けて。

 

 影も形もない二人に、ローファーを両手で抱えながら、ただ立ち尽くすのだった。

 

 

 





へい!ヤンデレお待ちぃ!!次はなにいたしやしょう?
https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill16/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ハロー効果

 

 

 

 長かった六時限目が終わった。

 

 担任が教室に来るまでの時間は、ともに喜びを分かち合う瞬間。

 

 それがテスト期間によって自由が増えたとあれば、興奮もまた相応に。

 

 喜びをスマホに向かって表現したり、他教室に走り出す奴が出たり、目立ちたがりが教壇に立ってなんか始めたり。

 

 とてもテストを再来週に控えた生徒の姿じゃない。

 

 批判的な口振りだが案外、俺はこの騒がしい雰囲気を羨ましく眺めていた。

 

 

 

 ウチハが立った、決勝戦の体育館ホール。

 

 クラスメイトが、学年のみんなが、一つの願いのもと一丸になるのは心地いい。

 

 不思議な一体感。

 

 こう、みんなの心が溶け合ったような、自己が消失するような陶酔。

 

 柄にもなく大きく声援を送っていたのは、場の空気に支配されていたなによりの証拠。

 

 学校中を取り巻くお祭り気分を、帰宅部の俺にもちょっとはお裾分けしてもらいたいな、なんて。

 

 

 

 ……趣味が悪い? 考え方がキモい? 

 

 いいじゃないか、減るもんじゃないんだし。

 

 いまなら渋谷のバカ騒ぎが、ちょっとは分かる気がするよ。

 

 

 

 誰に向けての保身もその辺にして。

 

 目下最大の課題は、勉強する理由を完全に見失ってしまったこと。

 

 

 

 元々勉学に打ち込んだのは、気概を見せたウチハを支えてあげたかったから。

 

 だが今はどうだ。

 

 大舞台に上がり、歓声を受け取って、壇上で表彰状を受け取ってピースサインを決めるような。しっかり自立し、立派な翼を生やし、目的地を見据えた雲の上の存在に。

 

 夢を掴んだウチハを前にして、形容し難い虚無感が取り憑いた。

 

 子供を育て上げた親は、こんな気持ちになるのだろうかと知ったかぶり。親の言いつけ通り"ウチハを支えて上げるんだ"と奮起するも、しかし心はますますなにかがおかしいと首を振るばかり。

 

 この不調は、役目は果たされた筈なのに、何時までもウチハのためと行動を促されていることから生じるもの? 

 

 やっと形にできたそれに、ようやく深いため息をつけた。

 

 俺は誰かに左右されて勉強していたという、少し考えればわかる真実に項垂れて。

 

 この小さな発見をあと何回積み重ねていけばゴールテープを切れるのかと、スマホの向こうのツキノキさんに聞いてみたかった。

 

 

 

 俺は要領がいい方じゃ決してない。

 

 いちど違和感を見つけてしまえば、心が整理されるまでかかりきりになってしまう。

 

 頭のモヤモヤが取り除かれるまで、何度も何度も該当部分を読み込んで。

 

 仮に、勉強が賢くなることを目的にしているとして。言い換えるなら、勉強とは多角的視点を獲得するための手段なのかもしれない。

 

 教育の礎を築いた先人が、広い視野を持って欲しいと願いを込めたのなら、およそ社会で活用できない幅広い知識が詰め込まれることにも合点がいく。

 

 本来はあらゆる可能性を考慮に入れた教育が、使えるか使えないかという二極化で議論されてしまうのは、時代の流れと表現すべきなのか。

 

 対象外であるこの哲学の真似ごとも、視野角という一視点を振りかざすなら、存外マト外れと切り捨てられないものなのか? 

 

 

 

 問題箇所と行動指針が出揃えば、後はそう難しい作業じゃない。

 

 自分の身の丈以上のことは避けていい。意地を張ってまで、ウチハの成績を上げようとする必要はないのだ。誰かに教えられるまで理解を深めるなんて、元より断るべきで。

 

 より良い成績を掴むため、誰かと競って争って、自分を殺してまで前の景色にのめり込むのは……どうも賢いとは程遠く思う。

 

 

 

 分からないなら、解らないなら、判らないなら。

 

 止まったっていい。うずくまったっていい。振り返ったっていい。寄り道したっていい。そしてまた、戻ってきたって、別の道を進んだって。

 

 だってそうだろ? 

 

 どこに自分の可能性があるかなんて、世界の誰にもわからないんだから。

 

 

 

 思考を巻き戻して、今度はツキノキさんが精査しやすいよう無駄を削ぎ磨き上げる。

 

 コツツミさんという外部ガジェットを使い、ようやく形となった様は情けないが、まだ現実に何の影響もあたえちゃいない。

 

 そしりはすべてが無事終わってから。実現してくれるなら、口汚い言葉の数々も、いくらでも受け止めてやるとネガティブな自分を押さえ込んで。

 

 カラッポのケースにようやく一つ、コレクションと呼べるものがポツリと置かれるその様に、静かな興奮を覚えるのだった。

 

 

 

 ……でも妙だな。

 

 この小骨を喉にひっかけたような不快感は? 

 

 完成したパズルに満足して。ふとピースの間に隙間を見つけてしまったような落胆は、廊下を足早に進む音に遮られるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 HRも終わり、帰り支度を素早く済ませ教室を出る。

 

 競合は少ない。

 

 誰よりも速く駆け抜けろと昇降口に向かった。

 

 

 

 正門に至る最短ルート。

 

 おおよそここを通るであろう路肩。その端に寄り、着信なんて滅多にないスマホを眺めるフリして。

 

 目当ての人物が出てくるのを待つ。そして……。

 

 

 

「コツツミさん」

 

 

「……わぁ、驚いた」

 

 

「すみませんでした」

 

 

「あ? 意味わかんないんだけど」

 

 

「いや、ちゃんとコツツミさんに向き合えてなかったから」

 

 

「だからって謝る? おかしいでしょそれ」

 

 

「どんな所が?」

 

 

「……そういう空気読めないとこ」

 

 

 

 ペコリと謝り、チラリと伺った表情は、困惑がたっぷりで。

 

 よかった。得体の知れない多重人格者ってわけではないようだ。

 

 何も言わないで歩き出す後を追いかけて。

 

 

 

 イメージと違うからと勝手に動揺し、恥ずかしながら自分本位の誤解があったことを詫びるも、"おかしい"と一蹴され。

 

 彼女をもっと深く知るべく、詳しい説明を求めるもはぐらかされてしまった。

 

 いきなりの謝罪がなかなかに衝撃を与えたのか、一方的な圧迫は漂ってこない。

 

 

 

 前回より上手くやれている。これは好機だとさらに後詰を前に出す。

 

 

 

「あと、ありがとう」

 

 

「……睨んだ通り、やっぱメツギくんも相当変わってるよね?」

 

 

「まあ……自覚がない訳じゃないけど」

 

 

「で? いきなり感謝なんか告げてなに? もしかしてあたしのこと好きになっちゃった? それかマゾに目覚めたとか? 後は……相手してくれたのがそんなに嬉しかったとか?」

 

 

「……コツツミさんの助言で視界が晴れたってことを伝えたくって」

 

 

「あー賢いがどうたら。そんなありがたがるほどでもなくない? 少し考えれば誰でも簡単にわかることじゃん」

 

 

「それが出来なくて、もがく人もいる。現に俺がそうだったから」

 

 

「あーそー世紀の大発見でもないのに? こんな小娘でも知ってんのに、馬鹿みたいな労力注ぎ込む気が知れないわ」

 

 

「でも、納得いかないところがある」

 

 

「……あ?」

 

 

「なるほど、とは思う。……けど、そっから先に前進しないというか、俺が探しているものと噛み合わないというか……なんだか腑に落ちないんだ」

 

 

「あたしの態度が気に入らなくてネガキャンしてんの? それともお前使えねって負け犬の遠吠え? 拒絶? なにそれ? 喧嘩売ってるわけ?」

 

 

 

 "そんなことは"と否定する前に、腕を引かれて急接近。

 

 見ればグッと握り拳が待機しており、心なしか僅かに振動していた。体に寒気が走り、離れようと肩を押し、顔を隠せと俯きながら。

 

 信号待ちをする最中。弱々しすぎる抵抗に、相手が呆れ失笑した。

 

 

 

「あーあーそうだったそうだった。メツギくんってこんな風に詰め寄っちゃうと何にもできなくなちゃうんだった。ごめんね? いまラク~にしてあげますからね~?」

 

 

「……」

 

 

 

 一瞬の静寂。遅れて進めと指示する青。早く動けと急かすクラクション。それに応えて飛び出す車体。無関心な前進全てが、俺を嘲笑う敵に映って、止めて。

 

 "解放"の声にホッとした自分も、敗北感を色濃く行き渡らせて。

 

 "こんなことなら実行すべきではなかったのでは"なんて疑念が、ただでさえ少ない口数を刈り取りに掛かる。

 

 

 

 いかんいかん、相手に呑まれちゃいけない。本来の目的を見失うな。

 

 惨めな自分から脱却するためだったら、何だって差し出す覚悟じゃなかったのか。

 

 グッと拳を握り、爪を食い込ませ、コツツミさんに意地で張り合う。

 

 

 

「俺は……ご覧の通り、能力が低い」

 

 

「知ってる」

 

 

「もっと深い場所にある何かを掴むためには、コツツミさんの力が必要なんだ」

 

 

「それ言われてさぁー心が動いちゃう人って、便所裏の野草みたいな、誰からも見向きされないメツギくんだけじゃない? ようは自分で道も切り拓けない低脳くんが、舗装ボランティア乞食してるだけでしょ? そんな図々しい浮浪者なんぞに、誰かが親身になって協力してくれるって本気で考えてる訳? え? マジで言ってんの?」

 

 

 

 本来の威圧が牙を剥く。

 

 攻撃的な短口調がマシンガンのように撃ち出される。

 

 言葉の端々は酷く鋭利で、標的を害する邪悪さが染み出ていた。

 

 

 

 確信し、断定し、執行するその口ぶり。

 

 以前なら粛々と受け入れていた。

 

 運が悪かったねと、誰目線? で自分を慰めて。

 

 気が済むまでトリガーハッピーさせていた。

 

 

 

 しかし。

 

 

 

「くっふふ、そんな落ち込まないでよ。あたしは他の偽善者と違って慈悲深いんだよ? さあこの手を取って? メツギくんをみ「違う」……あ?」

 

 

「さっきの、最後だけ違う」

 

 

「……」

 

 

「俺みたいなヤツでも、受け入れてくれる優しい「あっそ」

 

 

 

 お返しのように、吐き捨てるように。

 

 心の底から興味なさげとそっけなく言い放ち、歩くペースがどんどん速くなる。

 

 

 

 しくった。

 

 誰がどう見ても機嫌を損ねた。

 

 会話の腰を折ってしまったのがいけなかったか。

 

 だが仕方ないだろう、早口で捲し立てるんだから。

 

 あのまま頑なに手番を待っていたら、いつまでたっても相手ペースだった。

 

 

 

 ……てかまだ話の途中なんだが。

 

 一方的に殴ってサヨナラは、そうは問屋が卸さないって。

 

 

 

「もちろんタダでとはいわない」

 

 

「なに? レッスン料でも払ってくれんの?」

 

 

「学生が動かせる金なんて高が知れてるだろ」

 

 

「んじゃ御破算」

 

 

「……その判断は話が終わってからにして欲しいんだが」

 

 

「ついてくんな」

 

 

「何で上手くいかないか……ぉ、教えてやろうか?」

 

 

「あ?」

 

 

 

 大見得を切ってみる。

 

 やっと振り返った。

 

 だんだんとコツツミさんの人物像が掴めてきたぞ。

 

 

 

 貶した相手が、エラそうに答えを教えてやるなんて態度を取れば、さぞプライドが刺激されることだろうよ。

 

 

 

「あたしのやり方が間違ってるって言いたいわけ?」

 

 

「……ちょっと待て、似たことを他の誰かにもしてないよな?」

 

 

「生意気!!」

 

 

「ブッ!」

 

 

 

 パンッと頬が弾けて。

 

 いっそ清々しいまでの音色と、不細工な余韻。

 

 

 

 確実に前回より威力が上がっている。

 

 虎の尾を踏んだことは間違いない。

 

 が、それは裏を返せばコツツミさんの核心を突いたとも取れる。

 

 

 

 血行が良くなった肌を庇いながら、違和感を貫いた。

 

 

 

「なんで謝るとおかしいんだろうな」

 

 

「オマエほんとなんなの?」

 

 

「間違いを改める。非を認める。……降伏宣言とも見て取れる。その後に待っているものは……? 相手によっても、その時々にもよるだろ。丁重に扱われるか、勝者が敗者を裁くのか、追い剥ぎ死体蹴りに遭うか」

 

 

「当たり前のこと並び立てて勝手に気持ち良くなってんじゃねーよ」

 

 

「……相手がどう出てくるかわからないなら。そもそも相手しなかったり、対策を立ててみたり……情報を収集してみたり。意味のない暴力や暴言、マウント……。弱味を見せまい、悟らせまいとするのは、俺を潜在敵として見ているから……?」

 

 

「ウッザ……枠にはめ込んで理解した気にでもなってんの? 人間は複雑で矛盾に満ちた生き物じゃん。あたしその考え方ダイッキライ」

 

 

「もちろん押し付けるつもりはない。所詮は俺目線で、コツツミさんを捉えたにすぎないから。けど、見当違いなら尚更取り込むべきじゃないのか? ……多角的視点の獲得を、もしコツツミさんが目指しているのなら」

 

 

 

 我に帰って、青ざめる。

 

 自分が何を口走ったか思い出せない。

 

 組み上げることに集中して、ブザーがなる毎に排出して。百マス計算のように、前の等式なんか忘却の彼方。

 

 ちゃんと会話が成立していたのだろうか? 

 

 

 

 一心不乱で意味不明に錯乱していたのかもしれないと強まる疑惑に、今度こそ関係性の終わりが現実味を帯びて。

 

 

 

「メツギくんのそれが全部演技で、近付くために嘯いてるって公算は?」

 

 

「……俺がそんな器用な人間に見えるのか?」

 

 

 

 当然のように言い放つ。

 

 

 

 コツツミさんは一瞬面食らい、しばらく黙り込むと、突如としてタガが外れたように笑い出した。

 

 あひゃひゃ、いひひ、うくく。

 

 とても女が発してはいけない三点盛りは、なかなか収まりどころを見つけれずにいるようで。

 

 腹を抱え、息も絶え絶え苦しそうに。

 

 酸欠気味に上気する、情欲的なその姿。

 

 居た堪れず、サッと目を逸らす。

 

 

 

「あひひッん、ふ。……それアリ? こんな説得されたの生まれて初めてなんですけど」

 

 

「じゃあ……「やだ。だってきしょいもん」……」

 

 

「でもこんなに笑わせてもらったから、あたし今すごく機嫌良い。一日だけ、一日だけメツギくんのイキりに乗ったげる。あたしの気まぐれに感謝しな?」

 

 

 

 晴々とした表情に、中指を立てて。

 

 

 

 急転直下の逆転劇に、脳みそが追いつかない。

 

 俺の要求は受諾されたってことで良いのか? そうなんだよな? また一歩前進したって認識で間違いないんだよな? 

 

 

 

 喜びには……沸かなかった。

 

 平均的な人間なら、投じるものをもっと絞れたはずだ。

 

 必死になって、噛みついて。

 

 死力を尽くし、振り落とされないことだけを考えていた人間には、数多くの資源を投じてこれだけかという憂いが占める。

 

 

 

 そう、これはほんの前段階。

 

 喜びを噛み締める時間さえ惜しい。

 

 雲まで延びる無限階段。

 

 それでもと、次の段差に、足をかけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ただいま」

 

 

「あら、帰って来た」

 

 

「?」

 

 

「ウチハちゃんから探してるって連絡来てたのよ。アンタあんな優しい子ほったらかしてなにしてんの? 変に拗らせたからって逃げ回ってんじゃないでしょうねぇ?」

 

 

「……」

 

 

 

 スマホを確認すると、分刻みの時報が届いていた。

 

 ざっと流し読みするが、どれもこれも内容がない。

 

 "おーい"だとか、"みてるー? "だとか、"いまどこー? "だとか。

 

 要件の一切はなく、似たような単語が延々と。

 

 そのチグハグさに辟易する。

 

 

 

 なにか返信しとくか? 

 

 仕方なく動いた指が、入力画面でピタリと止まる。

 

 ……これ返す必要あるのか? むしろ迷惑だって注意した方がいいんじゃ? 

 

 

 

 判断に迷っていると、新しいメッセージが届いた。

 

 

 

《どこ?》

 

 

 

『人間は複雑で矛盾に満ちた生き物じゃん』

 

 

 

「俺が……間違ってるのかもな」

 

 

 

 幼馴染の心境さえ、もう良くわからない。

 

 

 

《おい》

 

 

 





喜多ちゃん・・・・
https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill17/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

自己関連付け効果

 

 

 

「はい、エイタ。あーん」

 

 

「……」

 

 

「もう二人とも突然どうしちゃったの? あ、今晩は家開けといた方がいいかしら?」

 

 

「も、もうおばさんったら、気が早いですよぉ」

 

 

 

 "うふふ"なんて嬉しそうに笑みを溢して。

 

 なんだ、この空気は。

 

 俺の知らない間に、一体何があったっていうんだ。

 

 

 

 運び込まれるカレーライスを、無心で受け入れながら。

 

 頬にかさぶたを作ったウチハをチラリと伺う。

 

 向こうは視線を目敏く察知すると、"おいし? "と蕩けるようなフニャフニャの笑みを浮かべた。

 

 底冷えしてしまいそうな、輝きのない眼差しをそのままに。

 

 

 

 ……俺達は喧嘩していたはず。

 

 余計なことはしないでと訴えるウチハと、居ても立ってもいられなかった俺。

 

 いままでの付き合いのなかで断トツの不仲に陥っていた……はずだ。

 

 それがまた、どういう了見で距離感が狂うなんてことになる。

 

 いま目の前にいるのは生き別れの双子で……なんてひどい急展開の方がまだ信憑性があるぞ。

 

 

 

「それよりも、二人とも期末試験もうすぐでしょ? どうなの? 大丈夫そ?」

 

 

「……」

 

 

「範囲広いですけど、エイタが本気を出しちゃえば、期末試験なんてちょちょいにちょい、です。エイタってすっごく教え方上手いんですよ? わからないところがあったら、根気強く色んな方法で教えてくれるんです!」

 

 

「あらそうなの? 普段ウチハちゃんの足引っ引っ張ってるから、お役に立ててなによりだわぁ。ところでアンタ、このごろ成績落ちてるんですって? 危機感ちゃんと持ってんの?」

 

 

「……」

 

 

「エイタは……最近ちょっと調子が悪いだけですから。……もしかして、ボクがいると勉強の邪魔だったりしちゃう?」

 

 

「なにいってんのよウチハちゃん。剣道頑張って勉強もこなしてるウチハちゃんならいざ知らず、点数が悪いのは、エイタが夜遊びなんて覚えた自業自得じゃない。だいたいこの前の態度あれなに? ウチハちゃんに迷惑かけてなんとも思わないわけ? 全くもう」

 

 

「そのことはもういいんですって。ボク達ちゃ~んと仲直りしたんですから」

 

 

 "ね? "とご機嫌に同意を求めて、太ももを執拗に撫でてきた。

 

 目の辺りはじんわり腫れぼったく、瞳は生気を失ったように死んでいる。

 

 そのあまりの落差異様さに、探りを入れるなんて余裕は毟り取られた。

 

 

 

 俺の記憶では、決別した後、マトモな会話が交わされることはなかった。

 

 俺がオカシイのか? 

 

 俺だけが会話の流れについていけてないのか? 

 

 頼むから誰か状況を説明してくれ。

 

 

 

「はぁホント、なんでこんな情けなくなっちゃったのかしら。こんなエイタ想いの素敵な子振り回しておいて、自分は遊び呆けて? 挙げ句ウチハちゃんを出しにつかって責任転嫁? アンタの手口は下劣なのよ。……そうだわウチハちゃん、お願いがあるんだけど。テスト期間中はウチハちゃん家でエイタの面倒見てもらえない? 朝夕は一緒に食べればいいから、エイタが勉強に向かうよう見張っててもらうことってできたりする?」

 

 

「ボクは良いですけど……エイタは、イヤ?」

 

 

「……」

 

 

「ちょっと良い加減にしなさい!! だんまり決め込んでないで、なんとか言ったらどうなの!?」

 

 

「俺は……ヤダよ」

 

 

「あーはいはい。自分がどれだけ恵まれてるかも知らないで、良くもまあ反抗的な態度取れるものね」

 

 

「イッ!」

 

 

「?」

 

 

 

 足にハンマーを打ち付けたような衝撃が響く。

 

 第一指・二指・三指の付け根に、4tトラックが降ってきたような激痛。

 

 衝撃が骨を震わせ、神経の圧縮で麻痺を起こす。

 

 かかとだ。

 

 ウチハのかかとが突き刺さっていた。

 

 そのまま、ゆっくりと、少しずつ。いま一度同じ痛覚を味わわせてやろうと、踏みにじってくる。

 

 

 

「ぅ、ウチァ?」

 

 

「ん? な~に♡」

 

 

「やめて、くれないかぁ……」

 

 

「なんで?」

 

 

「俺には、わからない……」

 

 

「じゃ一緒に勉強頑張ろっか!」

 

 

「それは……ッッッ!!」

 

 

 

 頷くしかなかった。

 

 それしか解放してもらう条件を満たせなかったから。

 

 説得するだとか、逆ギレだとか、逃走なんて出来っこなくて。

 

 いくら祈りを捧げたところで、所詮まやかしに過ぎないだ。

 

 

 

 周囲にとっちゃ、俺の意思なんざ踏みつけて、ねじ伏せて、押し付けて。

 

 問答無用と弱くて、鈍くて、使えない現実に引き戻す。

 

 あぁ、この理不尽にあと何年付き合わされるのだろう。

 

 個人を構成する要素が、生活環境にも左右されることを、まざまざと思い知らされる。

 

 

 

「ハァ〜よかった。一時はどうなるかと思ったけど、なによぅただの照れ隠しじゃない。お熱いようでなによりだわぁ。い〜いエイタ? 二人っきりだからって、あんまり羽目外しすぎるんじゃないわよ? ドウゾノさん家はアンタを信用して娘さんを預けてるんだから、何か間違いでも起こしたら、二度とウチの敷居を跨がせないからねぇ!?」

 

 

「……」

 

 

「ごめんねぇーウチハちゃんばっかり損な役回り押し付けちゃって。無理そうならすぐ連絡入れてね? もし無理に襲われたら、こう竹刀でボッコボコにしてあげて?」

 

 

「あはははは。安心してくださいおばさん、優しいエイタがそんなことするはずありませんから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自由意思などない夕飯が終わり、部屋に逃げ込むと、旅行バックとアメニティグッズが用意されていた。

 

 あまりの対応の早さにへたり込む。

 

 

 

「エイタ~? 準備手伝おっかぁ~?」

 

 

「俺がなにしたってんだ……」

 

 

「どうしちゃったの? お話ならボク家でとことんやろうよ」

 

 

 

 袖を引かれて。

 

 無邪気を装っていることは、笑っていない目が顕著に物語っていた。

 

 いつの間に構えた竹刀で胴をつついてきて、口元だけを器用に緩めながら。

 

 あくまで強制合宿は覆さない構え。

 

 

 

 諦めの境地。

 

 仕方なく衣類を詰め、荷物をまとめ、外に出る。

 

 

 

「やっと二人きり」

 

 

「……」

 

 

「キレイな腕……女の子みたい」

 

 

 

 隣家に至るまでの僅かな道。

 

 竹刀袋を背負って、疲れ切った声を漏らしながら、俺の腕は絡め取られた。

 

 なにが気に入らないのか、カリカリと半袖を執拗に引っ掻いている。

 

 

 

 天下の公道。情緒不安定。精神的にも肉体的にも非常に歩きにくい。

 

 "昔みたいだな"と記憶が引っぺがされて。

 

 あの頃の選択を見誤った結果がいま、これなわけか。

 

 

 

「ボク見ちゃったんだ。エイタがコツツミさんと帰ってるとこ」

 

 

「……お前には関係「あるよ。みんな薄々気付いてる」

 

 

「だからってこれは、簡単に曲げられる問題じゃない」

 

 

「へーそんなにコツツミさんが大事なんだ」

 

 

 

 ウチハ家の玄関に上がると、鍵をロックする音が辺りに響き渡る。

 

 

 

 開口一番飛び出したのは、コツツミさんに関する事だった。

 

 慎重に行動した筈だったが、やはり人目についてしまうことは避けられなかったか。

 

 いや、影の薄い俺ではなく、なにかと注目されるコツツミさん経由で噂が広まってしまったのかも知れない。彼女は良くも悪くも、独特な存在感を放っているから。

 

 矢面に立つ覚悟はしていたつもりだ。

 

 例えコツツミさんの火の粉が飛び火しようとも、計画を断念するわけにはいかない。

 

 

 

 すでに高校二年の一学期が終わろうとしている。

 

 進路を明確にすることを求められ、それが終われば、新しい目標に向けて走り出さないといけない。

 

 あっという間、あっという間だ。

 

 現実から目を背けてきた代償が、ここに来て覆い被さってきている。

 

 俺には、周りが楽観視するほどの時間的猶予が残されていない。

 

 

 

 一刻も早く答えが欲しい。

 

 が、肝心の作物は未だ収穫時期には程遠く。

 

 焦る気持ちをグッと堪え、細く。長く。光を放つ頼りない可能性の糸を手繰り寄せる。

 

 遅い作付けなのは百も承知の上。

 

 多少のリスクを前にして、唯一の希望である苗木を切ってしまうような行動に、俺が舵を切れるわけ……ないんだよ。

 

 それを言葉に出来ないのは、単に。俺の力不足で。信頼を築けなくて。話しても無駄だと。心が閉じてしまっているから。

 

 

 

 当たりがないガラガラを熱心に回させてるみたいだ。

 

 白玉の残念賞しか出ないのに、何度も何度も挑戦してきて。

 

 そんな諦めの悪さが、俺をより一層醜悪にする。

 

 だから、もう。ほっといてほしい。ほっといてくれ。

 

 

 

「ボクにも大事なものがある。エイタがなりふり構わないっていうなら、もうボクもやり方にこだわらない」

 

 

「……」

 

 

「この二週間。この二週間だけボクを自由にしていいよ? エイタの全部、受け止める、から」

 

 

「……悪いけど」

 

 

「うん……わかった。ならせめて、この瞬間だけでも」

 

 

 

 ウチハが俺の胸に収まる。

 

 驚いた片腕はウチハが両手で拘束して。クルリと回って、腕はウチハの胸の中。

 

 まるで我が子に愛情を注ぐかのように、頬擦りを始めた。

 

 

 

 かける言葉が見つからない。

 

 自分が心底情けない。

 

 呆れたのか、失望したのか、嫌気がさしたか。例えどんな感情を飼っていたとしても、見逃してくれたことに変わりない。

 

 

 

 ならせめてもと、彼女を優しく抱き締める。

 

 強くて、小さくて、暖かい。

 

 もう少し早く。いまよりちょっと賢ければ。ウチハを受け入れる未来があったんじゃないか、なんてもしもに目を閉じて。

 

 

 深い深い、誰もが捨て去る奈落への道。

 

 決意は固いぞと、光を最後に、ただ闇へ。

 

 

 

「ボクは絶対エイタの味方だから。なにか辛いことが起きたときは、ボクにも相談してね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コツツミさん」

 

 

「……凡人って暇なわけ?」

 

 

「約束をブッチされるよりはマシかな」

 

 

「あたしってそんな適当に見える?」

 

 

「そこは、まあ……お互い様ってことで」

 

 

「いやいや、だからって昨日今日であたしに話しかけるとかおかしいって。そんな軽い気持ちでチャンス使うの? もっとさぁこのあとすぐの長期休暇ん時に呼び出すとか考えなかったわけ? ま、あたしとしては実働時間減らせてありがたいんだけど」

 

 

「連絡先を教えてくれなかったコツツミさんにも責任の一端があると思うよ」

 

 

「メツギくん絶対人付き合い長引かないタイプでしょ? ほら、押しの強い男は嫌われちゃうぞーって」

 

 

「……」

 

 

 

 汗をハンカチで拭いながら反応に困っていると、校門を通り過ぎる生徒と目がかち合う。

 

 同級生なのかは……ちょっとわからないが、少なくとも同じクラスでないことは確か。

 

 それでも人付き合いの輪の中で、少しでも面白そうな話題はあっという間に共有されると考えて齟齬はない。

 

 いくら注目を集めることを許容するとはいえ、余計なものまで呼び込む気もさらさらない。

 

 

 

 さっさと場所を移そう。

 

 

 

「どこか店に入って話そう。……少ないけど、奢るよ」

 

 

「腹満たしてポロリが目当て?」

 

 

「要望あるか?」

 

 

「チョコミント」

 

 

 

 




 
ポンポン よし、次
https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill18/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ゲシュタルト崩壊

 

 

 

「どこか店に入って話そう。……少ないけど、奢るよ」

 

 

「腹満たしてポロリが目当て?」

 

 

「要望あるか?」

 

 

「チョコミント」

 

 

 

 六月十八日(金)

 

 今日はいつもに増して暑い。

 

 最高気温は三十五度に迫る勢いで。遮るもののない太陽はサンサンと大地に降り注いでいる。

 

 汗でインナーが張り付いて不快だ。

 

 兎にも角にも場所を整えないと。

 

 

 

 誘い言葉が弱々しいのは、コツツミさんなら無言で焼肉屋に突撃しそうだなという偏見が垣間見える。

 

 どちらかの家に招待するだとかお邪魔するだとかは、流石の俺でも認識がズレていると早々に却下。

 

 外での会合はもちろん論外。

 

 消去法で、俺のお年玉資金から捻出する形となった。

 

 

 

 しかし、チョコミントとは驚きだ。

 

 いや、こうも暑いと冷たい物を口にしたいというのに異議を唱えるつもりはないんだが……。

 

 アイス一口取っても数多くのフレーバーがある。

 

 本性を偽る擬態力と、厚顔無恥な自分軸。

 

 知る前も、知った後も、持ち合わせのモノサシでは到底測れない遠い存在であることに変わりなかった。

 

 

 

 そんなコツツミさんが、条件反射的にチョコミントを所望。

 

 澱みないその声色は、チョコミントへの絶対の自信に他ならない。

 

 親しみのある執着に、顔が徐々に緩んでいくのを感じた。

 

 顔は平静を保てているだろうか? 

 

 バレてしまうと追及されて一悶着起きそうだったので、うなじの汗を拭う素振りで保険をかけた。

 

 

 

「はぁ? 急いでんの? お気楽なの? 駅前にサンニーあるからさっさと行くよ」

 

 

「あ───、アイスクリーム屋なんてここらにあったんだな」

 

 

「出不精のメツギくんが知らないのも無理ないけど、あたしがこの学校に通い始めた時からあるから」

 

 

 

 高校生の身分では高額な部類を持ち出して、俺が尻込みしてるとでも受け取ったのだろう。

 

 しかし、そんな願いも聞き入れられないようなら話さないという取引のつもりか、スタスタと駅前に向かって突貫していく。

 

 従わなければそのまま直帰する勢いか。

 

 

 

 俺も一頻り冷静さを取り戻してから、ハンカチをポケットに仕舞い、駆け足で彼女の背後に陣取った。

 

 

 

「なんで隣来ないわけ?」

 

 

「……いや、並んで歩くと道幅取るから」

 

 

「んなもん人が来たら捌ければいいじゃん」

 

 

「それも……そうだな」

 

 

 

 確かに変だと納得して、恐る恐る足並みを揃えた瞬間、なんで並進を避けていたか理解した。

 

 なに喋って良いかわからない。

 

 自称聞き上手。相槌装置。三人寄らば後方待機。

 

 

 

 そうだ、俺はコミュニケーションがヘタクソだったんだ。

 

 ポンと予め決められた、共通の話題を挙げられたなら表向き上手くやれる。

 

 だが制限のないフリースタイルとなると、途端に口が重くなる。

 

 ツキノキさんと不自由なく喋れていたから、てっきりもう克服したものかと思い上がっていた。

 

 

 

 急な沈黙は胃に負担をかける。

 

 しかも相手は何をしだすか予測不能のあのコツツミさん。

 

 すぐ隣に静かに膨らみつづける風船があるみたいに、ジワジワとその存在感は増してくる。

 

 

 

 "なんとかして話を切り出さないと"と焦るあまり、見るからに頼りないガラクタ箱をひっくり返した。

 

 学校生活、マイブーム、住所、出身、テスト、成績、体育、剣道、テレビ、ゲーム、本、朝食昼食夕飯、おやつ、スイーツ、ファッション、恋バナ、猥談。

 

 ……おいおい、この中から選べってか? 思考を撒き散らしただけで一仕事終えた気になるなよ。

 

 

 

「……テスト勉強。どうだ? 順調か?」

 

 

「あんなの教科書ペラ見してれば余裕でしょ」

 

 

「はは……そりゃ、また、凄い」

 

 

「「………………」」

 

 

 

 この世の終わりみたいな静寂の後、吹き込んできたのはコツツミさんのため息。

 

 二人の空間を埋めるように、長く長くその音は引き延ばされる。

 

 ……なんだよ、そんなに不満なら主導権を投げつけたって良いんだぞ。

 

 

 

「さっきハンドタオルで汗拭いてたでしょ」

 

 

「んぇ? あぁ……」

 

 

「あたしも持ち歩いてるけど、汗っかきだからハンドタオルで拭くのは抵抗あるかな。制汗剤入りの日焼け止め塗って、汗を極力抑えて。塗り忘れちゃうと肌がテカッてサーチライトみたいになっちゃうだよね。今日くらいの暑さになると、ちょっと外歩き回るだけで顔から滝みたいに汗が吹き出てくるし。メツギくんは汗そんなかかないんじゃない?」

 

 

「俺は……そうだな。コツツミさんみたく汗をどうこうって意識はしてないから、少ない気もする」

 

 

「そっかー想像通り。部活入ってたんだっけ? ドウゾノさんのこと迎えに来てる感じだったけど」

 

 

「高校では部活には入ってない。……中学の時は友達に合わせて入ったけど、合わせてやめた。剣道部が終わるまでは……図書室で、勉強」

 

 

「あたしは高校の気になる部活は回り尽くしたけど、一番長くつづいたのが吹奏楽部かな。他の部活動と親和性低いから、勝手を掴むまで苦戦してた。辞める時はかなりキレられたからそれと合わせて印象に残ってる。んで、一番短かったのがホドゲ〜とかそんな名前のヤツ? 中身が無さすぎて三日で退部届け出し行った。そん時の先生の顔すごかったなぁ。優しい中年の女教師だったんだけど、手渡した用紙の端クシャらせながら微笑んでんの。余計な仕事増やすなって感じ? ひゃ──おっかね──って新しい入部届け出すんだけどね? メツギくんは中学んときは何部だったの?」

 

 

「……パソコン部だった。取り敢えず一番楽そうなのって入ったが……予想が外れてな。そのまま、やめた」

 

 

「へ────。コンピューター系はそそられないからノータッチなんだよね。ワーペロ検定とかする感じ?」

 

 

「あぁなんか懐かしいな。他はパウーポイントとかエクセラなんかを教わって、実態は資料作ったりプリント作ったり教師の補佐したりが中心の使いっ走りだった。全然ラクじゃないって一部で反発起きて、部員は片手しか残らなかった記憶が」

 

 

「メツギくんらしいと言えば、メツギくんらしいのかな? その友達に誘われてなかったとしたら、どっか他の部活に入ってたと思う?」

 

 

「どうだ、ろうな。あの頃は……今もそうだが、ときどき一人の時間が欲しくなってたから、自分から時間を削りにいく真似はしなかったと思う。宙ぶらりんの俺をウチハが剣道部に引っ張ってく可能性もあるけど、運動って柄じゃないし……。いずれにしろ、なにかしらの部活に入ったところで、そのうち足が遠のいてたんじゃないかな」

 

 

「へ────。いまあたし一人暮らしなんだけど、毎回食事作るのメンドイんだよね。人様に見せるわけでもないから、一手間加えた料理作る理由も士気もこだわりもないし。冷食とかコンビニとか外食とか自炊とか、フル活用してなんとか体調管理してるけど、一度体ぶっ壊れた時の対価がデカすぎっていうか。あったかい食事で、準備とか後片付けとか要らなくて、時間設定で美味しいのが自動で出てくる三食おやつ付きな人生送れたら最高なんだけどなぁ。全部用意された食事ってメツギくん的にはアリ? ナシ?」

 

 

「ん────難しいな。作って貰ってばかりの立場だから、コツツミさんの望む理想に近いっちゃ近いけど……。疲れた時にありがたいのは事実だし、かといって唐突にあれ食べたいってなっても融通利かないのは嫌かな? その時々によるとしか、なんとも」

 

 

「答えになってないじゃん」

 

 

「あ、ごめん。いまは特に食べたいものとかないからアリ……かな? いや……」

 

 

「そんな難しく考える必要ある?」

 

 

「……味噌煮込みうどんってのを食べてみたいなってのは、ちょっとある、かな?」

 

 

「名古屋名物? 赤味噌使って蒲鉾とか油揚げ入ったやつでしょ? うどん好きなの?」

 

 

「いや、味噌の方。俺のウチでは色素の薄い大豆味噌が主流だから、熟成させて濃い色にした豆味噌とは縁がないんだ」

 

 

「へ────。テスト終わったら愛知に遠出の予定?」

 

 

「んー。本場の味を楽しみたいって気持ちは少しはあるけども、どうせなら自分で作ってみたいかなって」

 

 

「メツギくん変わってるよね。普通ならもっとこう手軽に済まそうとするものだけど」

 

 

「いや、俺からすれば調べて遠出してお店で食べるって方がハードル高い気が……インドア派の宿命かも」

 

 

「ま、いいんじゃない? メツギくんがそうしたいならそうすれば。あ、もし美味かったらあたしにもご馳走して?」

 

 

「ぁ──────……」

 

 

 

 曖昧模糊に言葉尻は途切れた。

 

 距離が縮んだと喜ぶべきか、それとも面倒だなと嫌がるべきか。

 

 ……両方な気がする。

 

 比率で言えば、否定的感情が優位。

 

 

 

 ここでコツツミさんをツキノキさんに入れ替えてみると、あら不思議。

 

 感情の逆転現象が起きた。

 

 同じ条件下でこうも違いが生じると、コツツミさんと親しくなれたという感情に疑念を抱かざるを得ない。

 

 いや、むしろその発想は誤りで、ツキノキさんが聖人すぎて相対的にコツツミさんが悪く見えてしまっている可能性も。

 

 どちらにせよ、俺がツキノキさんを高く見積もっている点は、疑いようのない事実だろう。

 

 ……そうか。ツキノキさんと連絡を取る指先が重いのは、自分だけ貰ってばかりいて、なにもお返しの出来ない自分に引け目を感じていたから? 

 

 ……ただのまぐれとはいえ、一人で頭を悩ませていたら拾えていたかも怪しいパズルのカケラに、そっと息を吹いて。

 

 もう手放しはしないと、握り込んで小さな前進を噛み締めた。

 

 

 

 しばらくは先導される形で会話を重ねていると、あっという間に駅前のメインストリートに到着。

 

 コツツミさんの隣に並んでしまった時は、目的地までの長い道のりに卒倒してしまいそうだったが、一変して有意義な時間を過ごせた気がする。

 

 新たな気付きを得たのもそうだが、コツツミさんの新たな一面、次に話しかけるとっかかりができたことは強い。

 

 焦りに身を任せたとはいえ、実行に移した功績も大きい。

 

 

 

 いや、まだ。まだだ。

 

 勝って兜の緒を締める。

 

 本丸は未だ、高く高くそびえ立っているのだから。

 

 

 

 商店街を進んでいくと、特徴的な看板が見えてきた。

 

 ピンクと青のどぎつい配色、ポップで人を選民する外観、店名を冠する識別番号。

 

 サーティツーアイスクリーム。

 

 由来は確か、一ヶ月間とプラス1、毎日違ったアイスを更に楽しんでほしいという願いからだったか。

 

 ……それにしては価格設定が平民を想定しているとは到底思えないが、何代かを経て方針転換でもされたのだろうか? 

 

 

 

 店内に入ると、遊園地のキャスト衣装のよう女性店員が応対。

 

 コツツミさんは宣言通りチョコミントを注文し、俺は冷蔵ケージ内に視線を這わせて訝しんだ。

 

 チョコミントの魔力とでも形容すべきか。熱狂的ファンを作り出す原動力を探ってみたいなんて姿勢は、まあいい。

 

 しかし着眼点となったのが、チョコミントが他のケージ内のアイスに比べ減りが遅いという点。

 

 レギュラーメニューに据えられている以上、ただの偶然に過ぎないのかもしれないが、チョコミントという括りが人を選ぶという点もまた事実。

 

 高い失敗は買いたくないという消費者意識が、聞き馴染みのある無難なアイスへの逃避を示す。

 

 

 

 こういう咄嗟の判断、苦手なんだよな。

 

 外食が嫌いな理由の一つに、最後までメニュー表相手に睨めっこしてしまうことが挙げられる。

 

 どうしてみんな、あんな簡単に意思を示せるのだろう。

 

 俺が聞き逃してるだけで、どこかで判別基準となるものをマスターしてたりするのだろうか? 

 

 あぁ、こうしてまた店員さんや同伴者を不機嫌にする……。

 

 

 

「迷ってんの?」

 

 

「……ごめん」

 

 

「チョコミント味見させてください」

 

 

「かしこまりました」

 

 

「ェ?」

 

 

「難しく考えすぎ。もっと自分に正直にって、あーなる。だからそんな必死になってんだ」

 

 

「……マヌケだよな」

 

 

「マヌケじゃないよって否定して欲しいわけ? いまのメツギくんがマクロ視点でどう見えるか教えてあげようか? 誰かを頼らない、選り好みはする、忙しそうにしてるけどそれ全部自分ありき。助け舟を出さなきゃロクに会話もできない。その様子だとなんのために労力を割くのかすら曖昧にしてるでしょ。目的地どころか行き先も不明瞭。聞いてて耳心地良い言葉を掻き集めてレベルアップした気にでもなってるの? 総評は、現実を直視できない駄々っ子ってのが至当かな? ね、おねーさん?」

 

 

「お待たせしました」

 

 

 

 問いかけには応じずに、困ったように笑う店員さんから、ショッキングピンクのスプーンを受け取った。

 

 部外者から見ても、俺の残念さは染み出て臭うのか。

 

 薄っぺらい人間として、周囲からは一目で認知されてしまうのだろうか。

 

 家族も、ウチハも、コツツミさんも。

 

 ツキノキさんには、悟られたくないけど……全部見透かされているんだろうな。

 

 

 

 目眩がする。

 

 視界が揺れた。

 

 無謀な弾丸登山で、高山病を発症したかのような容態の急変。

 

 ダメだ、嫌だ。

 

 今度こそ大丈夫だと駆け出した場所が、本当は夢も希望も祈りさえ飲み込んでいくブラックホールだなんて。そんな残酷なことがあってたまるか。

 

 進んできた道はメビウスの輪で、階段は願望が生み出すただの足踏みで。

 

 また振り出しに戻るのマスを引き当て、最初からどうぞなんて僻地に飛ばされ。

 

 遥か先のゴールにサイコロを投げる屈辱なんて、もう二度と味わいたくないのに……。

 

 

 

 違うんだ。

 

 全部全部、前回のコイツが環境に適応できないのが悪い。

 

 今度の俺は、前の品種よりもっと上手く適合してみせる。

 

 だから早く、目指すべきゴールを照らしてくれ。いつまでたっても、しょうもない段差に躓いている自分なんてもう見たくない。

 

 ……変わらないと、変わりたいんだ、変わるんだ。この憎たらしくて殺してやりたいくらいに使えない自分を置き去りにして、今すぐにでもちぎって遠くへ旅立ちたいんだ。

 

 

 

 震える手で、チョコミントを口に含む。

 

 ス─────と鼻を突き抜ける爽快感の中に、チョコの残滓が舌に浮く。

 

 歯磨き粉として生活に溶け込んでいるだけに、目を閉じて味わうなんて大胆なマネはちょっと戸惑った。

 

 

 

 ……大丈夫、だ。この程度なら、吐きはしない。注文しても、問題ない。

 

 擦り寄ってると取られても、ご機嫌取りだと思われようと、尻尾を振ってると受け取られたって構いやしない。俺に差し出せるものがあるなら、なんだって……。

 

 

 

「そんな無理しなくていいのに」

 

 

「いや、これでいいんだ」

 

 

 

 会計を済ませ、受けとったレギュラーサイズのチョコミントを手に、端に設けられた店内スペースの椅子を引いた。

 

 ガラス張りの向こうはうだるような暑さの世界。

 

 心なしか足取り重い外界に優越感を抱くのは、否定こそしないが、性格は歪んでいるに違いない。

 

 さっさと話を引き出して、アイス平らげて……テストに備えないと。

 

 内申点をこれ以上悪くすれば、勉強合宿の延長なんて悪夢が起きかねない。

 

 がっつくようで下品だが、コツツミさんが座ってすぐに本題を切り出した。

 

 

 

「それで、違う"賢さ"は見つかったのか?」

 

 

「あ? まずはメツギくんの持ってる情報全部ゲボするところからじゃないの?」

 

 

「そうか……そうだな。……どっから話すべきか」

 

 

「吐け、隠すな」

 

 

「……今年の春頃、二学年に上がってしばらくのことだ。どこにも居場所のなかった俺は公園に逃げていた。その時にある人……ツキノキさんという女性に声を掛けられたんだ。始めはそのつもりじゃなかったんだが、家にお邪魔することになって。悩みを聞かれ……自分でも何に悩んでいるのかさっぱりだったが、咄嗟に出てきたのが賢さへの疑問で……なあ、この流れは絶対に必要なのか?」

 

 

「ぅん。メツギくんがちゃんと会話してくれてたら要点のかい摘みでも全体像が掴めてた。面倒な確認作業を頻発させないためにも一つ一つ段階を踏んでいかなきゃ。論点が行ったり来たりするとかコミュニケーションとして下の下でしょ。後からここなんだったのって一歩進んで二歩下がるなんて茶番あたしヤだかんね? わかったらコミュ障は口挟まない」

 

 

「……」

 

 

 

 ピシッと向けられた人差し指は俺を真正面に捉えた後、お待たせとチョコミントを掬うスプーンへと向かう。

 

 水色に黒の散らばりを後世大事に切り取って、口に運んで舌鼓を打つ。

 

 ……指定されたのが冷たいもので良かったな、ほんとに。他の場所頭に血が登っていたか、どうか。

 

 

 

「……すまん、俺どこまで話した?」

 

 

「賢いってのに疑問を持ったってとこからつづけて」

 

 

「あぁ、悪い。それで、だ……ツキノキさんは結論を出すことを控えた」

 

 

「あ? どゆこと?」

 

 

「人から与えられた答えというのは酷く空っぽで、どんな道筋を経て辿り着いた言葉なのかわからないから、自分の足で辿り着く必要がある……そんな意味だった気がする」

 

 

「ふ──────ん。それめんどくせぇってたらい回しにされただけじゃないの?」

 

 

「いや、なんの手掛かりもなく放り出された訳じゃない。あぁ、そうだ。より正確な方が良いんだよな? 確か、ノートが……」

 

 

 

 バッグからノートを取り出し、テーブルに広げ、最初にメモされた数行を読み上げた。

 

 

 

「能力があることを、規範に則ることを、古語の恐ろしいが転じて、異なる解釈を、経験を積んだものをそれぞれ賢いと呼び……その根源に俺の求めている答えがある、と」

 

 

「んな共通項で括るなんてタルいことしなくても、余分な贅肉削いでいって、最終的に残った形が一致すればそれ採用で一件落着でしょ。わざわざ迂回路使って物事を複雑にするのって、ただでさえキツイデバフ食ってるのに縛りプレイ背負う変態のすることだよ?」

 

 

「ははぁ……」

 

 

 

 やれやれと首を振り、小馬鹿にするように鼻を鳴らし、カップを一突き。

 

 反応に困る。

 

 ここで冗談の一つでも返せる頭があれば、今頃こんな頭を悩ませることもなかっただろう。

 

 

 

 ……俺がいままで時間をかけてゆっくり溶かしてきた物体を、ガスバーナーであっという間に焼き尽くす豪快さには、もはや何もいうまい。

 

 大切なのは、これまでとは違う突入口に迫った歴とした事実。

 

 例え地上ではあまりに儚い光だとしても、真っ暗闇の洞窟では、何物よりも存在感を放ち惹きつける。

 

 全貌の見えぬ輝きに、理想とする自らの姿を夢想して。

 

 俺へのお小言が通行料として取られるのなら、喜んでと五体投地して的にもなろうというもの。

 

 

 

「んで? これまでの成果は?」

 

 

「そう、だなぁ……」

 

 

「まどろっこし。貸して」

 

 

 ひったくられたノートをパラパラと斜め読みして。投げ返された。

 

 

 

「ねえ、メツギくんはどうして自分が生きづらいか説明できる?」

 

 

「それは……」

 

 

「出来ないでしょ。あ、ぼくちんあたまわるちんっていうクソボケみたいなちゃっちさじゃないよ? もっと大局で世界を捉えた自然の流れ。この世界にびっしり張り巡らされた根っこみたいな存在。メツギくんにはそれが欠落しているから、どんなに水や日光、栄養を与えても最後に腐り果てる」

 

 

「勿体ぶらずに早く教えろ」

 

 

「冷酷さ」

 

 

 

 

 





文字数で熱量測られるの恥ずかし
https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill19/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

不気味の谷現象

 

 

 

「ねえ、メツギくんはどうして自分が生きづらいか説明できる?」

 

 

「それは……」

 

 

「出来ないでしょ。あ、ぼくちんあたまわるちんっていうクソボケみたいなちゃっちさじゃないよ? もっと大局で世界を捉えた自然の流れ。この世界にびっしり張り巡らされた根っこみたいな存在。メツギくんにはそれが欠落しているから、どんなに水や日光、栄養を与えても最後に腐り果てる」

 

 

「勿体ぶらずに早く教えろ」

 

 

「冷酷さ」

 

 

 

 事も無げに呟けば、メツギくんは二の句も告げずそれきり動かなくなってしまった。

 

 あーまた過負荷でフリーズってる。

 

 話が進まないので、張り手して再起動しようかとカップを置くが、テーブルを挟んだ位置関係が悪く秒で断念。

 

 台パンして、ビクついて、ほーら直ったと口端を引く。

 

 

 

 進みの悪いチョコミントを伺い、向こう見ずに憐憫を。とろくさいって罪だよね。

 

 みんながギアを合わせてあげないといけないんだからさ。

 

 

 

「……人間の冷たさが、賢さの本質だとでも言いたいのか?」

 

 

「そう言ったつもりだけど」

 

 

「時代錯誤だ……」

 

 

「そ?」

 

 

 

 チョコミントを舌で削ぎ落としながら、メツギくんを観察する。

 

 論理的なら理詰めればいい。激情家なら感情に訴えればいい。考えなしは言いくるめればいい。でも、どれもメツギくんには効果が薄かった。

 

 

 

 樽底の人間。人の顔色をチラチラ確認するチワワ。認知的不協和の前で、いつまでも途方にくれる暇人。一貫性の原理を尻に敷いて、不幸だと嘆く好き者。薄幸で酔いしれるオナニスト。罵声で蛇に睨まれたカエルになるマゾ気質。

 

 決して認知のズレや、背馳する行動にもがき苦しんでる訳じゃなかった。

 

 特殊性癖持ちの歩く死体。

 

 一瞬でもあたしに似てるなんて錯覚してしまったのがアホらしい。

 

 

 

 けれど、コントロールしやすい人材なのは確か。

 

 条件付けさえしっかりやれば、従順な奴隷に仕立てるのはお茶の子さいさい。

 

 これまでの失態は、あたしからの矢印が過ぎたから。

 

 実力も示せた。興味も持たせた。焦らしもしてる。

 

 話を聞かなきゃならない状況に持って来れた時点で、メツギくんは術中にハメるのは容易い。さ、これからどう必至を組み立てていくべきかな? 

 

 

 

「それが事実だとしたら……より性格の悪い人間が歓迎される社会ってことになるんだぞ」

 

 

「その社会ってのには定員があって、毎日イスの奪い合いが起きてるって実感はないワケ?」

 

 

「……それが全てじゃない」

 

 

「全てだよ。スポーツマンもミュージシャンもアーティストも、有名どころでテレビに出てて歓声を浴びてるのならみんなみんな同じ。熾烈な競争の末に居場所を確保してきた。そんな彼ら彼女らが、蹴落とした相手に一々立ち止まっちゃう人間性だったとしたら、変わらずその地位に就けてたと思う?」

 

 

「……証明のしようがない」

 

 

「お手手つないだハッピーセットがお好み? いい加減目を覚ましたら? どんなに頑張っても上手くいかない異様さ。いつも一歩も二歩も出遅れる欠陥さ。優しくしたり気遣ったり手助けしたはずのあの人達は、どうしていまのメツギくんを放置してのうのうとしてられるのかな? ホントはメツギくんが一番理解してるんじゃない? 答えは目の前にあって、でもメツギくんから一番遠い場所にあって。アイデンティティーを手放せもしないから、何時までも明後日の方向を見て誤魔化してるって」

 

 

「俺は……誰かの不幸をエネルギーにして前進するような人生なんてまっぴらだ」

 

 

「その誰かってなに? イスに座れなかった不特定多数? 違うでしょ。へなちょこの自分を食い物にされたくないだけなんじゃない?」

 

 

「違う……俺は、本気で」

 

 

「押し倒せ」

 

 

「……え?」

 

 

「ドウゾノさん。幼馴染なんだっけ?」

 

 

「……だったらなんだ」

 

 

「言葉通り。あの子を手篭めにすればいい」

 

 

「ふざけてるのか?」

 

 

「脈がなきゃ甲斐甲斐しく世話も焼かないでしょ。人生を百八十度変えたいってなら、いままでとは真逆の事をしなくちゃ」

 

 

「話が飛躍し過ぎてる」

 

 

「手を出せ、奪え、そして勝ち取れ。避けて通ってきた醜い闘争に参加しろ。それができなきゃ、一生地べたを這い回るウジ虫のまま」

 

 

「俺はそんなこと望んじゃ……」

 

 

「相手を一切考えずに、身勝手を押し付けてやれば良い。後は本能で、ね?」

 

 

「そんな屁理屈が通ってたまるかッ」

 

 

「理屈は通ってるんだ〜嬉しいなぁ〜メツギくんのお墨付きだぁ〜」

 

 

 

 痛快に笑って揶揄ってやれば、不快そうに顔を歪めてスプーンを手放す。

 

 交渉決裂。荷物をまとめ始めた。

 

 けど無理に引き留める必要はない。

 

 出だしから結末の予想はついてた。

 

 あの性格からして、ドウゾノさんに危害を加えることなんて万に一つにありえない。

 

 

 

 迫り来る現実ほど残酷なものはない。

 

 脇道を見つけられないのなら、必ずまたあたしに縋り付いてくる。

 

 声をかけてきたとかいう徒事ヤロウが不確定要素だけど、それらしいことほざいて何一つ解決してくれない役立たずに比べれば、ハッキリ物申すあたしの方が好印象。

 

 知ってる? 道は急げば急ぐほど足元が見えなくなるんだよ? 

 

 にっちもさっちもいかなくなって、ところてんみたくニューッと押し出されてきた所をおいしく絡め取っちゃえばいい。

 

 反応からして、破裂するまでそんなに時間はかからないだろうから。

 

 それまでは、ま、様子見かなぁー。

 

 

 

 当たり前を説かれ、顔面蒼白のメツギくんが自動ドアへ向かう。

 

 残されたのは、食べ掛けのチョコミント。

 

 三分の一がカップの中に取り残されていた。

 

 

 

 勿体ないなぁーと手繰り寄せ。

 

 こんなに美味しい食べ物、世界に二つとないのになぁーと口に含んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 別れも告げずに店を出て。

 

 あれから自分なりの落とし所を見極めようとしたが、悶々とした心は、自宅の前に着いてもついぞ晴れなかった。

 

 頭痛がする、胃酸が登ってくる。気分は最悪の一言だ。

 

 今にも崩れ落ちてしまいそうな脱力感に、早くベットに倒れ込みたいと鍵を探すが、逃げられないように没収されていたんだったとしばし放心。

 

 テスト期間中はウチハと二人っきり。

 

 いまは間が悪い。

 

 

 

 薄々感じていたとはいえ、改めて言葉にされてしまうと込み上げてくるものがあった。

 

 何処に誤りがあるのか指摘できず、"そんなことない"と断言できず。所々で同意している自分を見つけてしまったことが、コツツミさんの論調に乗っかっているようで不愉快だった。

 

 俺はコツツミさんの語っていた、突拍子もない世界の仕組みとやらでさえ、心が揺らいでしまうほど主体性のない人間なのか。

 

 あるいは心の奥底で、ウチハのことを滅茶苦茶にしてやろうなんて、恐ろしい欲望が息を潜めているのだろうか。

 

 不安定な精神下で結論を急いでしまうのは、碌でもない暴発を招きかねない。いまはウチハと距離を置くことが賢明だ。

 

 彼女を前にしてどんな感情が溢れ出すか、分かったものじゃない。

 

 少なからず、コツツミさんの言葉を消化しきるまでは時間を取るべき。

 

 休息を諦め、どこで安静に過ごすか候補を出す傍ら。扉の向こうから、悪魔が囁く。

 

 

 

 最後のチャンスだとしたら? 

 

 

 

 ドウゾノ家の前で足が止まる。

 

 何がチャンスだ。

 

 どんな手を使ってでも生まれ変わりたいんじゃなかったのか? 

 

 常識を欠いてる。

 

 ウチハが彼氏を作らない理由。お前は知ってるんだろ? 

 

 うるさい。

 

 オマエに向けられる特別な感情に、本当は気付いてるんじゃないのか? 

 

 ふざけるな。

 

 エイタの力になりたい。

 

 やめろ。

 

 ボクはエイタの味方だから。

 

 やめろ。

 

 そこまで言ってくれるなら、全部受け取って貰わないと損じゃないか? 

 

 やめてくれ。

 

 

 

 頭では拒絶を指示するも、体は一歩一歩と玄関ににじり寄って、淡々と解錠していく。

 

 手が足が、いうことを聞いてくれない。

 

 自分が自分でないみたいで気持ち悪い。

 

 

 

 ウチハの靴が中央で揃っていた。

 

 荷物を放り出す。

 

 玄関に上がり彼女を探す。

 

 風呂場につづく扉が開いて。

 

 バスタオルで前を隠しただけのウチハ。

 

 床を鳴らしながら迫り。

 

 両肩を掴んだ。

 

 拍子に小さく息が漏れて。

 

 ギュッと恥ずかしさでタオルを引き寄せたと思えば、すぐ緩む。

 

 体温が肌越しに伝わり。

 

 この一枚先に、生まれたままの姿がある。

 

 ウチハは逃げない。

 

 手で距離を空けるようなこともない。

 

 シャンプーの甘い香り。

 

 俺の女だ。

 

 生唾を飲む。

 

 抜け出せるかも。

 

 膨らみに手を添え。

 

 この苦しみから。

 

 押し黙るウチハ。

 

 支配して。

 

 タオルに手を。

 

 追い付け。

 

 伸ばし。

 

 追い越せ。

 

 奪いとれ。

 

 

 

 ……………………。

 

 

 

 視界が溺れた。

 

 止まらない。

 

 拭っても、止まらない。

 

 ウチハから離れる。

 

 困惑。感染。二人して。

 

 名前を呼んで、すり寄る腕に。

 

 怖くなった。

 

 聞いたこともない腑抜けの声に、嗚咽を交じらせながら。

 

 靴も履かず。逃げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 涙の理由がわからない。

 

 なにから逃げているのかわからない。

 

 何処へ向かっているのかわからない。

 

 自分のことさえ知らなかった。

 

 

 

 人の群れに逆らって走る。

 

 ひたすら、ひたすら。顔をぐちゃぐちゃにしながら距離を稼ぐ。

 

 何者にもなれない。何者でもない。

 

 優しさも、賢さも、狡猾さも。全ては出来損ないだった。

 

 始めから中身なんて詰まってなかった。

 

 食い荒らされた種子。

 

 芽なんて出る筈もなく。

 

 ただ、それだけ。

 

 それだけのこと。

 

 それだけ。

 

 

 

 ひたすらひたすら振り払い。

 

 足を痛めて、あの日の公園。

 

 帰宅を促すチャイム。帰る場所のある子供達。

 

 歩き疲れた迷子も、帰宅の遅い親も。

 

 永遠にさまようのだと突きつけられれば、泣きじゃくる。

 

 あまりにもちっぽけだった本性を、小さく小さく畳み込んで。

 

 どうせなら、希望の余地すら挟めないくらい、何もかも攫っていってくれれば。

 

 与えることが難しいのなら、せめて何も恵んでくれなければよかったのにと。

 

 出来ることといえば、もしもを願って、途方に暮れるくらいしか。

 

 

 

「メツギさん?」

 

 

 

 泣きつきたさと、情けなさ。

 

 全部全部、吐き出してしまいたくなるその声に、胸は痛んで切なくなった。

 

 

 





ウチハ爆弾点火!点火!点火!!
https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill20/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ポップル錯視

 

 

 

 あまりにもちっぽけだった本性を、小さく小さく畳み込んで。

 

 どうせなら、希望の余地すら挟めないくらい、何もかも攫っていってくれれば。

 

 与えることが難しいのなら、せめて何も恵んでくれなければよかったのにと。

 

 出来ることといえば、もしもを願って、途方に暮れるくらいしか。

 

 

 

「メツギさん?」

 

 

 

 泣きつきたさと、情けなさ。

 

 全部全部、吐き出してしまいたくなるその声に、胸は痛んで切なくなった。

 

 

 

 今だけはやめて欲しかった。

 

 だが見られてしまった。

 

 剥がれ落ちた仮面。晒された柔らかい下腹部。奥に閉じ込めていた醜い自分。

 

 

 

 突然みっともない姿を晒されれば、当惑するのは当たり前。

 

 それでも俺は恵まれていたから、元気付けられたり励まされたり。

 

 俺みたいな半端者にも、多くの慈悲が注ぎ込まれ。

 

 ツキノキさんも例に漏れず、必ず助け起こそうとしてくれるなんて謎の思い上がりを得て。

 

 このパターンに嵌まったが最後、ロクな結末はなく。

 

 

 

 いまにも壊れてしまいそうな体を引き上げられ、置いてかれるぞとせっつかれ。

 

 無理矢理叩き起こされ正面で向かい合わせ。

 

 でも見捨てず手を掛けてくれたのだから、感謝とお礼を伝え、バイバイと手を振って別れを告げ。

 

 その後ろ姿を見送ったあと、事切れたガラクタは崩れ落ち。

 

 演じたエネルギーと、満足げな足取りを対価に、節々のパーツは劣化を早める。

 

 

 

 内心あれだけ慕っていた筈のツキノキさんにさえ、"いま話し掛けると嫌いになってしまう"と意思を伝えられないのなら。

 

 ツキノキさんのことなんて端からどうでもよくて。

 

 使えないと分かれば切り捨ててしまうくらい、なんとも思っていなかったのか。

 

 

 

 立ち去って欲しかった。関わらないで欲しかった。記憶から消して欲しかった。

 

 そうやっていくら遠ざけても、心の何処かで嬉しさを噛み締めている自分がいるのだから、本当にどうしようもない人間だなと痛感する。

 

 散らばったパーツは、素組みしてからでないと動けない。

 

 せめてこの場を切り抜けられるよう、多少の猶予を望んだ。

 

 

 

「……少し、周囲を回ってくるよ」

 

 

 

 ベンチで屈んだままの俺。離れていく足音。

 

 鼻を啜って、ゆっくりと背後を伺う。

 

 夕焼けに伸びた人影はない。

 

 

 

 動じない平常運転に力なく笑う。

 

 仕切り直しとハンカチで目頭を抑えてから、覚悟を決めた。

 

 全て捨ててしまおう。

 

 みんなみんな、何もかも断ち切ってしまって。もう手の施しようがないくらいグチャグチャに。

 

 良くなるにしろ、悪くなるにしろ。

 

 後戻りできない状況に追い込まれれば、嫌でも変化を要求される。

 

 

 

 ……舵を振り切れば、もう後戻りできない。

 

 成功する算段はなく。

 

 賢さのかけらも見当たらない。

 

 ツキノキさんの期待に応えられなくて残念ですが、どうやら俺は相当な愚か者だったみたいです。

 

 

 

 どう伝えれば、退けられるだろうか。

 

 できればツキノキさんを傷つけたくない。

 

 嫌われるつもりでいながら、相手のことを考えている。

 

 力なんかないくせに。つくづく、俺は……。

 

 

 

 明日へ向かう赤橙。

 

 何処へ逃れようと、自分の影は付き纏う。

 

 惨めな自分は罪なのか、向き合う事が罰なのか。

 

 無学な身には、とてもとても────。

 

 

 

 照明は灯り、暗がりは白み。二度目の再開はまたすぐそこに。

 

 

 

「久し振りだね」

 

 

「……お久し振りです」

 

 

「もう一周……してこようか?」

 

 

「それで問題が解決するんですか?」

 

 

「私からは、なんとも」

 

 

「分かり切ったことじゃないですか……解決なんて、しませんよ」

 

 

「そうなのかもしれない」

 

 

「……どうしていつも口を濁すんですか」

 

 

「私はメツギさんの全てを把握しているわけではない。……誰かの人生を左右しかねない言動には、慎重になって然るべき」

 

 

「なら全部曝け出せば、この掃き溜めから抜け出せると?」

 

 

「文字通り全てを把握できるなら、そこに間違いはないのだろう。だが、過不足ない情報伝達は困難を極める。自らの内面にすら疑いの目が向けられるのなら、なおさら」

 

 

「……それなら正しい答えなんて永遠に見つかりっこない」

 

 

「そうかもしれない」

 

 

「俺は一生、このままってことですか?」

 

 

「そうかもしれない」

 

 

「これまでのやり取り全部、無駄だったってことですか?」

 

 

「……そうかも、しれない」

 

 

「理不尽に折り合いをつけて、妥協を塗り重ねて、忘却に慣れてしまうことが……あるべき大人の姿?」

 

 

「……」

 

 

「なんとか言ってくださいよ」

 

 

「メツギさんは……自分のことが嫌いかい?」

 

 

「……突然なんです」

 

 

「いやね、いまのメツギさんは変化することに躍起になっている気がして」

 

 

「……馬鹿にされてる?」

 

 

「す、すまない、そんな意図はないんだ。ただ……」

 

 

「なんなんですか。ハッキリして下さいよ」

 

 

「何かに憧れ、求めることを悪いとは言わない。けれど……過去の延長線上に今があり、今の延長線上に未来があるならば。自らを否定し、憧れに成り代わろうとする行為は……少々、ピントが合わないように思う」

 

 

「じゃあなんです? 自分を大切にして、自然に振る舞ってさえいれば幸せになれると? 誰も望んでませんよそんな理想論なんて。……なにも持ってない凡人は、必要とされる人間になるために必死で自分を殺すんです。それなのに、まだ俺は自分を殺しきれていない。自分を優先してる場合じゃないんです。もっと自分を押さえ込まないといけないんです。じゃないと、じゃないと──────」

 

 

 

 昂るものを抑えようと両目をつぶった。

 

 なんだ? 心に整理がついて、また悲しくなちゃったのか? 

 

 縁を切る決心は何処に行ったんだ? 

 

 ベラベラと無意味なことを喋りすぎだ。

 

 これで満足したんだろ? 

 

 僕はこんな可哀想なヤツなんです! なんて必死にアピールして。

 

 優しい優しいツキノキさんに同情してもらって。

 

 嬉しいね、良かったね。なんの進捗も更新もないまま、どんどん状況だけを悪化させてさ。

 

 コツツミさんの助言も生かせず、ウチハは中途半端に傷つけて、テストも迫ってるってのに。

 

 不幸不幸でもう立てない? よく頑張ったねと慰めて? 甘えるなカスが。地獄に堕ちてろ。

 

 

 

「……不躾なのを承知で口にするなら。メツギさんは誰かの想いに応えたくて、いままで必死に耐えてきた、とても純粋で優しい子に映った」

 

 

「違うんです……俺は、俺の本性は」

 

 

「自責に駆られるメツギさんが優しくないだなんて……私には到底思えない」

 

 

「……」

 

 

 

 一度緩んだ涙腺は、簡単に決壊してしまうようになるらしい。

 

 乾いた肌を再び湿らせて。

 

 あれだけ泣いたはずなのに。涙の底は知れないらしい。

 

 脇目も振らず弱さを放出する。

 

 恥ずかしい行為のはずなのに。ツキノキさんの前では不思議と抵抗がなかった。

 

 

 

 長年押さえ込んでいた感情の発露は、止まる事を知らない。

 

 その間、ずっと。ツキノキさんは何も語らず、何もせず、黙したまま。ただただ俺が泣き終わるのを待ってくれていた。

 

 別れを告げるつもりだったのに。甘い誘惑を断ち切るはずだったのに。

 

 どうにもならないことを学習しておきながら、それでも心のどこかで、ツキノキさんに期待してしまっている諦めの悪い自分がいた。

 

 

 

「……見苦しいですよね。すみません」

 

 

「見苦しいなんてことは微塵もないよ。溜め込んだものは吐き出すに限る。そうしなければ、人は簡単に壊れてしまうから」

 

 

 

 カサカサとビニール袋から差し出されたのはサンダルだった。

 

 普段持ち歩いてるとは考えづらい。俺のためにわざわざ用意させてしまったらしい。

 

 手をこまねく。俺に受け取る資格はあるのだろうか。

 

 何から何まで与えてくれるツキノキさん。対して、何から何まで享受する俺という存在。

 

 本当は無理をさせているんじゃ? と気を回す余裕が生まれたことで、いつものお節介が息を吹き返した。

 

 ここまで持ち直せば、もう大丈夫。

 

 ツキノキさんを大切に思う気持ちが、受け取ることを拒んだ。

 

 

 

「これは……上から目線で与えるモノでも、見返りを求めて投資するモノでもない。メツギさんへ送る、私に出来るささやかな報いだ。……どうか受け取ってもらえないだろうか?」

 

 

 

 思わずツキノキさんを見た。

 

 寄せられる眉。純真な瞳。結んで待機する唇。控えて構えるサンダル。半歩前に出る足──────。

 

 嘘偽りなく。疑いの余地なく。邪な気持ちなく。この人は、本気だった。

 

 いや、思えば初めて会った時から真っ直ぐで。

 

 主張こそ不透明にすれど、誰よりも慎重で、どこまでも遠くを見つめてくれていた。

 

 

 

 どうしてそんなに優しさが溢れているのだろう。どうしてそんなに信じて託せるのだろう。どうしてそんなに力強いのだろう。

 

 疑問は尽きない。きっと俺に足りない大切なナニカを持っている。

 

 もっともっと、ツキノキさんを深く知りたい。

 

 そこにはきっと、俺なんかが考えにも及ばない手掛かりがある筈だから。

 

 自分を認めることで、ようやく一歩踏み出せるというのなら。

 

 恐る恐る、手を伸ばす。

 

 ツキノキさんは静かに微笑んだ。

 

 

 

 汚したくなくて、素足になって。

 

 靴下を片手にぶら下げ、足をサンダルに納めてから、溢れ出る感謝を伝えた。

 

 

 

「…………ありがとうございます。なんだか頭がスッキリしました」

 

 

「私の方こそ、すまなかった。……メツギさんがそこまで追い込まれているなんて考えが及ばずに」

 

 

「ツキノキさんは俺じゃないんですから、追い詰められてるなんて知りようないんじゃ?」

 

 

「悩んでいるという前提はすでにあった。問題にばかり気を取られ、結果メツギさんが身を持ち崩してしまっては元も子もない。優先順位を誤った私の落ち度だ。すまない」

 

 

「……ダメですね、ツキノキさんに救われてばかりで。ちょっとくらい骨のあるところを見てもらいたいんですけど、なかなか」

 

 

「上手くいかない要因はさまざまだが……一度、足場を固めてみるというのは? といっても、くだんの件がある。メツギさんにも道を急ぐ理由があるのだろう。行く末を指し示すことは叶わない。だが、不変なモノならば、或いは。……私の偏見でよければ、協力させて貰えないだろうか?」

 

 

「っはい、よろこんで。……ツキノキさんが協力してくれるなら百人力です」

 

 

「買い被って貰っては困るよ。事実、メツギさんが追い詰められていることに気付けなかった」

 

 

「それでもですよ。真剣に取り合ってくれるのは、ツキノキさんだけですから」

 

 

「……評価はメツギさんに委ねる。さて、明日の予定は空いているかな?」

 

 

「明日、ですか。急ですね。いえ、嫌と言う訳ではなくて」

 

 

「どうせなら早い方が良いと思ってね。不満かい?」

 

 

「そんな事ありません。是非時間を下さい」

 

 

「ふふ、余り期待されるのも困りものだ。禅問答を私は好かん。……少々、試してみたいことがある。手間と時間が必要だが、実地試験と行こうじゃないか。構わないかな?」

 

 

「ツキノキさんの迷惑にならないのなら」

 

 

「よし、決まりだ。いきなりの事だから、帰宅してから諸々詰めていこう。大事な予定が入っていたら、遠慮なく言ってほしい」

 

 

「わかり、ました。何から何まで、本当にありがとうございました」

 

 

「うん。それじゃあ、また」

 

 

「はい、また後で」

 

 

 

 向けられる手の平に、照れ臭く返事して。

 

 浮かれていることを悟られないように、足早にその場を後にした。

 

 

 

 安全な距離を取ってから、電柱に手をついて。

 

 サンダル、洗って返した方がいいかな? 

 

 ふとした疑問が湧く。

 

 聞きに戻った方がいいか。いやなんだそのマヌケは。そもそも、連絡先を交換しているのだから、引き返す必要なんて皆無じゃないか。

 

 ウダウダと下らないことを考える。

 

 

 

 ……家に帰りたくない時間稼ぎのつもり、なのだろうか。

 

 さっきまでの安らぎが、嘘のように消え去っていた。

 

 どんな事情があろうと、どんなに上手く取り繕うと、ウチハへした行いが消えるわけじゃない。

 

 もうとっくに、夕食の時間だ。

 

 みんな揃って食事するのが我が家の方針。

 

 強制はされないものの、破ったからには説明責任が伴う。

 

 嘘をつくのが苦手だ。より正確には、嘘をつく能力がない。

 

 厳しい質問攻めに遭うと、だんだんと辻褄が合わなくなって、簡単にボロが出てしまう。

 

 今日あった出来事も、なにもかも白日の元に晒されてしまうのだろう。

 

 テスト期間という大事な時期に。何も悪くないウチハに嫌な思いをさせて。一方的とは言え、約束も果たせず。

 

 どんな要求が突きつけられるのだろう。

 

 嫌な予感がして堪らなかった。

 

 

 

 一目散に逃げ出してきたから、手持ちはない。

 

 ツキノキさんを俺の都合に付き合わせたくない。

 

 逃げ場なんて、どこにもない。

 

 家に近づく一歩一歩が、いつもより短く感じた。

 

 

 

 明かりの点いたメツギ家の前で立ち尽くす。

 

 これから始まる弾劾裁判を思えば、インターフォンを押す気にはとてもなれない。

 

 だから、一抹の望みをかけて。

 

 真っ暗闇のウチハ家は、出て行ったっきり鍵がかかってないんじゃないかと期待して。

 

 一時避難先として。吸い込まれるように、ドアノブを引いた。

 

 

 

「おかえりエイタ」

 

 

 




 
https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill21/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

パレイドリア現象

 

 

 

 指先を見つめて玄関で座り込む。

 

 頭で繰り返されるのは、エイタの後ろ姿。

 

 どこで間違えちゃったのかな。

 

 たとえ嫌われちゃっても、自由にさせないほうがよかったのかな。

 

 

 

 おばさんには、何も喋れなかった。

 

 ショックだったわけじゃないんだよ? でも、エイタにこれ以上辛い思いをしてほしくないから、頑張っていつもと同じようにお喋りして。

 

 エイタには、返しきれないくらいたくさんのプレゼントをもらったから。

 

 今度は、ボクがエイタに送る番。

 

 

 

 幸せになって欲しい。

 

 大好きで囲まれて欲しい。

 

 無邪気に笑っていて欲しい。

 

 かけがいのない宝物をたくさんたくさん集めて欲しい。

 

 

 

 けど"ボクの隣で"ってのは、たぶんワガママで。

 

 エイタを大切にしてくれる素敵な人と出会ったなら。

 

 悔しいけど、エイタがそれで幸せなら。

 

 想うことはあっても、応援しなくちゃいけない。

 

 

 

 いきなり割り込んできた謎の人と会うようになってから、エイタは変わった。

 

 そこからコツツミさんと関わりを持つようになって、いよいよ不安が現実になった。

 

 ウワサをまるっきり信じてたわけじゃないけど、悪く言われるってことはそれなりの理由があるはずだから。

 

 ボクより頭の良いエイタが気付かないはずがない。

 

 そうなんども自分を落ち着けても、あんな姿を見せられたら揺らいじゃうよ。

 

 

 

 どうするのが正解だったんだろう。

 

 迷惑かけてでも、周りに相談したほうが良かったのかな。

 

 家族は……仕事で忙しいし。

 

 おばさんは……エイタのこと責めちゃうし。

 

 友達には……こんな重い話したら、引かれちゃうだろうし。

 

 ボクが頼りないから、エイタは不幸になっちゃうの? 

 

 ボクのせいで、エイタは離れていっちゃうの? 

 

 誰にも話せない胸の内。

 

 悩んでも、悩んでも。剣道しか取り柄のないボクには、何が何だかさっぱりで。

 

 一人ぼっちでこの家に取り残されると、暗い気持ちに飲み込まれそうになってしまう。

 

 

 

 カチャ

 

 

 

 ゆっくりと、玄関に光が差し込んでいく。

 

 いつも我慢してるんだから、二人っきりの時くらいは……いいよね? 

 

 待ちきれなくて飛びつけば、さっきまでの寂しさは吹っ飛んで。

 

 

 

「お帰りエイタ」

 

 

 

 怒ってないよと伝えるために、前髪をこすりつけながら。

 

 大好きな匂いを胸一杯に吸い込んで、背中にまで延びていた影を振りほどいた。

 

 

 

「……あぁ。ただいま」

 

 

「お腹すいたでしょ? 焼き味噌おにぎり作ったんだ。おかずはおばさんにちょっと分けてもらってね?」

 

 

「……ごめん」

 

 

「へ? なんで謝るの?」

 

 

「情けなくって……ごめんな」

 

 

「あっ」

 

 

 

 頭がくすぐったい。ボクが落ち込んでいたことなんて、エイタにはお見通しなんだ。もう絶対放さないって、ギュッと腰に回す腕。ずっとこのまま、時間が止まっちゃえばいいのに。

 

 

 

「……そろそろ、いいか?」

 

 

「ご、ごめん。すぐご飯にするから」

 

 

 

 離れたくないなとエイタの服に触れながら。

 

 けど重い女って思われたくないから、回れ右して光のない廊下を走った。

 

 

 

 リビングの電気をつけ、ラップしておいたお皿をレンジにかける。

 

 気分はルンルン。だって土曜日も日曜日もエイタとずっと一緒に居られるんだよ? もう幸せすぎて爆発しちゃいそう! 

 

 静かすぎるのはキライだから、ワイワイガヤガヤ笑いの絶えないテレビ番組の音量を上げて。

 

 おにぎりの湯気を開放して、新しいお皿レンジに入れて。

 

 準備できたよとエイタに声をかけ、返事がないので洗面台まで行ってもう一声かけて。

 

 用意したコップに麦茶を注いで、テレビに釣られ笑いしながら、エイタが来るのを待った。

 

 

 

「制服のままで大丈夫?」

 

 

「……食べてからでもいいかなって」

 

 

「そんなにおにぎり食べたいの?」

 

 

 

 好物でいつものクールさが崩れてることに含み笑いを浮かべ。"いただきます"を被せてから、チラリと見て気になっていたことが口から出た。

 

 

 

「どうしたの? あのサンダル」

 

 

「……いや、借り物」

 

 

「へー優しい人もいるもんだね〜」

 

 

 

 迷惑かけるのを嫌うエイタが素直に受け取るなんて、不思議。前に話してた、ボクが知らない謎の人なのかな? 

 

 そんなに頻繁に会ってるってはずじゃないのに、ちょっと距離感おかしくない? 

 

 エイタが変わるきっかけを作ったっぽい人だから、ヘンなことされてないかってちょっと心配。

 

 一度会って話してみたいな。

 

 エイタは底なしに優しいからさ? 

 

 悪い人に気に入られちゃって困ってるなんて、考えられなくもないでしょ? 

 

 それに、エイタと仲良くできてるなら、そのヒケツ? 知りたいし。

 

 

 

「なぁ」

 

 

「? なに?」

 

 

「明日……外していいか?」

 

 

「なんで?」

 

 

「いや、約束、したんだ」

 

 

「コツツミさんと?」

 

 

「……違う」

 

 

「なんで明日なの? 勉強どうするの? どうしてもその日じゃないといけないの? もうその日以外考えられない?」

 

 

「違う、けど」

 

 

「じゃボクも連れてって」

 

 

「……は?」

 

 

「せっかくのテスト期間なんだから一緒に居たいし、会う人がどんな人かこの目で確かめたいし、エイタがどんなことするのかボク知りたい」

 

 

「……余計なお世話だ」

 

 

「おばさんに有る事無い事言いふらしたっていいんだよ?」

 

 

「ッ!?」

 

 

「選ばせてあげる。一緒に出かけるか、一緒に家で過ごすか。……どっちがいい?」

 

 

「……」

 

 

 

 テレビからは芸能の爆笑。

 

 手を叩いて、口を大きく開いて。番組を盛り上げるって仕事を必死にしてる。

 

 エイタは食事の手を止め、うつむいて、しばらくしてから小さく言った。

 

 

 

「分かった……家にいるよ」

 

 

「ボク的には一緒に出かけるってのもアリだったけど?」

 

 

「遊びじゃないんだ。それに……いや、なんでもない」

 

 

「もしかして、その人のこと好きだったりして?」

 

 

「ッ、ゴホッガハ! ケフ……ンン」

 

 

 

 苦しそうに胸を叩いて、麦茶を勢いよく流し込む。

 

 え……なにその反応。もしかしてだけど、コツツミさん以外に女の子とつるんでるの? 

 

 

 

 やややや、エイタは確かにカッコイイけどさ? 

 

 けどパッとしないっていうか。何もしないでチヤホヤされるくらい、女子ウケするってほどでもないでしょ? 

 

 絶対なにか裏があるはず。

 

 じゃなきゃ、こんな短い間に心を開くなんておかしいよ。

 

 

 

「断りの連絡入れてくる」

 

 

「待って」

 

 

「……今度はなんだ」

 

 

「気が変わっちゃった。一緒に行こ?」

 

 

「巫山戯るのも大概にしろ」

 

 

「別にふざけてないもん。このさいだからハッキリさせよ?」

 

 

「なにを」

 

 

「エイタがボクに隠してること」

 

 

「……」

 

 

「ね? いいでしょ?」

 

 

「マナーがなってないだろ。飛び入り参加だなんて」

 

 

「うん。だから伝えてくれる?」

 

 

「……断る」

 

 

「ボクが目をつぶってるから、エイタはその人に会えてるんだよ?」

 

 

「……」

 

 

「それが嫌だって言うなら、ん」

 

 

 

 テーブルに手をつき身を乗り出して、目を閉じる。

 

 会う人のことをなんとも思ってないのなら、これくらいのことしてもらわないとね? 

 

 大丈夫。リップは念入りにしてるし、汗もちゃんと流したし、保湿だって忘れてない。

 

 変な顔にはなってない、はず。

 

 

 

 アワアワしてるエイタをこの目で見たかったけど、恥ずかしくって、目なんて開けられるわけなかった。

 

 小さな物音がするたび、期待しちゃって甘い声が出てきちゃう。

 

 いまか、いまかと口元を無防備にしていたら、下から"わかったよ"と諦めた声が。

 

 けっこう踏み込んだはずなのに、ちっとも反応くれないことにガックシ。

 

 トスンと腰をおろして、イスを引いてコソコソ目を合わせないエイタを見送るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日。

 

 ボク達は朝早くに起きて、待ち合わせ場所へ向かう。

 

 その場所を聞いた時、一瞬"ヤッター!! "ってはしゃぐまでは良かったけど、へ? もしかしてボクがついてきてなかったら、二人でデートしてたの? て考えちゃったのが最後、いつの間にかエイタに詰め寄ってた。

 

 エイタは"そんなんじゃない"ってゆずらなかったけど、ボクが引っ張らなきゃ家から絶対にでないエイタが自分から外に出てるんだよ? ホントのとこどうなんだか。

 

 ……いまエイタをゆさぶっても、何がホントでなにがウソかわかんない。

 

 ちょっと強引でも、やっぱりちゃんと会って確かめようと行動できた自分を褒めてやりたい。

 

 

 

 チケット売り場の前まで来ると、エイタは辺りをキョロキョロ見回す。

 

 約束の時間の十五分前なのにこれだよ? なんかい約束なんてほっぽりだして、二人で遊園地楽しもうとしたことか。

 

 

 

「待たせてしまったかな?」

 

 

 

 耳の奥をくすぐるようなキレイな声。

 

 そこにはスーツをピシッと着こなして、バッグから三枚のチケットを取り出す、大人の女性が立っていた。

 

 

 




 
https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill22/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

傍観者効果

 

 

 

 大人三枚の当日券をバックにしまう。

 

 賑わいを縫うように進みながら。向かうは、入場ゲート手前の噴水広場。

 

 時刻を確認。あと十五分でメツギさん達との約束の時間。

 

 

 

 飛び入りでの参加を打診された時は何事かと身構えたが、口ぶりから察するに、近しい間柄のようだった。

 

 しかし、油断は禁物。

 

 その人物が、メツギさんを萎縮させている可能性も考慮に入れなければ。

 

 そうなれば自然と、発言には慎重さが要求されるわけで。

 

 結果、準備していた会話展開は水泡に帰し。これで果して、メツギさんの助けとなれるのだろうか。

 

 

 

 自らの愚鈍を認知してなお、約束を無下に出来なかったのは、過去に囚われている証左とも言える。

 

 "人は善人に成り切れない"

 

 ちらつくのは先生の言葉。

 

 誰かの発言というものは、案外無下にできなくて。

 

 いつからか言霊と言われ始めたように、言葉には不思議な力が込められている……などとオカルトを謳い始めれば、アナタは笑ってくれるだろうか? 

 

 

 

 くゆる濃霧の只中で。手にするランプ一つでは、足元さえも覚束無ず。

 

 ……私は、光を見出せないでいる。

 

 明滅を繰り返す私の言動や行動が、メツギさんに悪影響を与えない保証など、何処にもない。

 

 

 

「遊園地くるの何年振り? 二人で来たことあったっけ?」

 

 

「さあな」

 

 

「そだそだ、エイタがお化け屋敷の前で泣いちゃったのが最後だっけ?」

 

 

「……」

 

 

「おばさんに引っ張られてさ。出口までセミみたいに引っ付いて怒られてたよね? みっともないって」

 

 

「……」

 

 

「ボクは別に、抱きつかれても気にしないから、ね♡」

 

 

「……」

 

 

「もう! ダンマリ決め込んで! 女の子には優しくしないと嫌われちゃうんだよ?」

 

 

「その方がいいのかもな」

 

 

「……なんて?」

 

 

「なんでもない。そんなことより、今日はくれぐれも失礼のないようにしろよ」

 

 

「それ何度目? ちょっと気にしすぎじゃない?」

 

 

「わざわざお金と休日使って出向いてもらってんだ。これくらいわけない」

 

 

「どーだか。おばさん達と出かけるって時は、ナメクジみたいに準備遅いのに。……朝は先に起きてソワソワしてたみたいだし」

 

 

「……」

 

 

「なに? イライラしてるの?」

 

 

「別に」

 

 

 

 険悪な会話の中に、聞き覚えのある声を見つけ。

 

 人混みを探り、目に止まる。

 

 ……。

 

 メツギさんもなかなか、隅に置けない。

 

 気にかけてくれる異性がいることを幸運と取るべきか、不幸と見るべきか。私には判断がつけられない。

 

 二人の関係性に微笑ましさを感じながら、どこか薄氷の上を歩いているような危うさも同時に覚えた。

 

 

 

「ちょっとそこらへん歩いてくる」

 

 

「い〜じゃんここでまってよーよぉー。待ち合わせの場所ここなんでしょ?」

 

 

「いや、"もしも"って場合もあるし」

 

 

「なにその"もしも"ってぇ。エイタがどっかいってる間にその人来たらどうするの? ボク顔知らないから、すれ違ってたら後から気不味くなるやつじゃん!」

 

 

「ちょっとそこらへん歩いてくるだけだ。すぐ戻ってくる」

 

 

「む─────。ボクに"もしも"があったらどうするのさぁ」

 

 

「……ウチハなら自力でなんとか出来るだろ」

 

 

「それどういう意味?」

 

 

 

 声のトーンが一つ下がり、メツギさんの袖口が引き締まる。その異変に気付いた彼は、躊躇いながらも振り向いた。

 

 大事を取るなら、速やかに二人の間に割って入らなければ。

 

 

 

 初対面パターンを頭で列挙。

 

 深く息を吐いて、吸って。たったいま遭遇したのを装う。

 

 

 

「待たせてしまったかな?」

 

 

「あ、ツキノキさん。おはようございます。俺達も今「はじめまして、ツキノキさん? ボク、ドウゾノ ウチハっていいます。まずは、突然の無理を通してくださってありがとうございます……えと、エイタがおせっかいかけてたりしませんか?」

 

 

「いいや、そんな事実はないよ。むしろ私が迷惑をかけてしまっているくらいだ。自己紹介が遅れたね。はじめましてドウゾノさん。私の名前はツキノキ キミ。月明かりの月に、野原の野、樹木の木。奇跡の奇に、海と書いて月野木 奇海だ。苗字でも名前でも、好きなように呼んでもらって構わない。今日一日、よろしく」

 

 

「あ、は、はい。こちらこそ」

 

 

 

 顔は総合時に見るならば中性寄りだろうか。

 

 しかし所々の体のパーツに着目すれば、彼女が成長を途中の少女であることが窺える。

 

 控えめなながらも、体は女性らしい柔らかさへ向かっている。

 

 私の方から握手を求めると、ドウゾノさんはかしこまって両手で私の手を取る。

 

 しっかりした子だ。それゆえに、メツギさんと比べられることも無きにしも非ず。

 

 

 

 美麗なS字カーブ。体幹がしっかりしている証拠だ。

 

 上目遣いの体格からは、か弱い印象を受けとる。が、その立ち振る舞いからは只者ではない気配が覗く。

 

 左手の薬指と小指に厚い皮膚の感触。利き腕の方ではない。

 

 真っ先に浮かぶのは剣道、なぎなた、弓道……は違うな。

 

 

 

 好んで情報収集をしないわけではないのだが、世間に疎い所がここで響いてきている。

 

 帰宅してから探りを入れてみることにしよう。

 

 

 

 情報を読み解くことに気取られて。

 

 遅れてその後の展開を吟味し。

 

 硬直していた私は、痺れを切らしたドウゾノさんに先行される。

 

 

 

「あの!!」

 

 

「?」

 

 

「キミさんはエイタとどういったご関係なんでしょうか!?」

 

 

「……ふむ」

 

 

 

 猛々しく睨みを効かせる小さな少女。

 

 その横には、"コラッ"と咎めて肩をつかむ純朴な青年。

 

 どう返せばいいのか、事前に用意は済ませてある。

 

 だがこの後に及んで行動を躊躇し、迷いに身を委ねていたい自分がいた。

 

 

 

「恥ずかしながら不摂生でね。少々縁があって、メツギさんには定期的に料理を作ってもらっているんだ」

 

 

 

 対して、ドウゾノさんは全ての感情が消失した虚無を描き。

 

 メツギさんの方は、わずかばかりの喜びと安堵の一息を入れる。

 

 いち早く建て直したのは彼女の方。唇を震わせ、言いたげを吐露する。

 

 

 

「か、かか通い妻?」

 

 

「お前意味わかってないだろ」

 

 

「で、でも、でもでも──────」

 

 

「落ち着け。……別に、やましいことはない」

 

 

 

 その言葉に、彼女の目はじっと細められ。

 

 手を叩いて。二人の注目を集め、強引に話題をすり替える。

 

 

 

「せっかく遊園地に遊びに来たんだ。今日は目一杯楽しもう」

 

 

 

 

 

 それから私達は、数々のアトラクションを乗り継いだ。

 

 だが休日だったこともあり、人気の乗り物には長蛇の列が。

 

 無計画に回れば、待ち時間が思い出になってしまうと協議に入る。

 

 結果、午前は回転率のいいサブアトラクションを中心に。午後からどうしても乗りたいメインアトラクションを攻めようと話がまとまった。

 

 

 

 道中はドウゾノさんからの質問がつづく。

 

 事実を織り混ぜながら、メツギさんが迎合しやすいカバーストーリーを語り、肝心な部分は直隠し。

 

 蚊帳の外のメツギさんは、私に会話が振られるたび、言いたげを抑え込んでいるようだった。

 

 

 

 初めは怪訝だったドウゾノさんの顔も、やがて柔らかく推移し。

 

 彼女が身の上を語りだす頃には、ランチタイムに差し掛かっていた。

 

 

 

「いい頃合いだ。そろそろお昼にしよう」

 

 

「あ、もうこんな時間」

 

 

「丁度、出店も近くにある。メツギさんも構わないかな?」

 

 

「あの、昼食代は自分たちで出しますから」

 

 

「それはまたどうして?」

 

 

「どうしてって、そりゃ……」

 

 

「遊園地を楽しむコツは、細かいことを気にしないこと。"チケット分は楽しんでもらいたい"と願うのは、購入者のエゴだろうか」

 

 

「……いいえ。金額に対する捉え方は人によって違うでしょうけど、対価を望むのは当然の権利……なんですかね」

 

 

「ふふ。なら、私の気持ちを受け取ってくれるかい?」

 

 

「……ツキノキさんがそれでいいなら」

 

 

「……」

 

 

「なんだよ……」

 

 

「エイタって、キミさんと距離近いよね」

 

 

「……」

 

 

「ちょっとしゃべっただけだけど、夜に抜け出してまで会いに行っちゃう理由が少しわかったかも。うまく言葉には出来ないけど……キミさんにはボクの言葉がちゃんと伝わってるっていうか、心のモヤモヤがスッキリするっていうか。……だからさ? これだけはハッキリさせておかなきゃ。キミさんに甘えるのって、なんの解決にもならないからね?」

 

 

「……………………」

 

 

「メツギさん?」

 

 

「……すみません。気分が悪くなってきました」

 

 

「大丈夫? もしかして朝からずっとそうだったの? それならそうと始めからいってくれればよかったのに。ごめんなさいツキノキさん、エイタ具合が悪くなちゃったみたいで。昔から外に出かけると時々あるんですよ。だからここはボクに任せてください。必要なら後日また連絡しますから」

 

 

 

 メツギさんの顔を湿っぽく執拗に触り、流暢に代弁をこなし。

 

 "ほら、帰ろ? "と手を引いて、申し訳なさそうに何度も頭を下げる彼女を、私は見ていることしかできなかった。

 

 

 

 パチン

 

 

 

 手を払う音。

 

 メツギさんが、明確な拒否を示した音。

 

 時が止まるとはこのことか。

 

 ドウゾノさんは、退けられた手とメツギさんを交互に見て、首を傾げた。

 

 

 

「……え、なに?」

 

 

「……」

 

 

「もしかして、歯向かってるの?」

 

 

「……」

 

 

「エイタがどう思おうと勝手だけど、エイタが周りの人を振り回してるって実感ない?」

 

 

「……嫌いだ」

 

 

「……なんて?」

 

 

「ウチハなんか大っ嫌いだ」

 

 

「………………そっか、そっか。わかった。そうやって人の気持ちなんか知らんぷりして、そうやって人の親切から逃げ回って、大好きなツキノキさんにいっぱいいっぱい認めてもらって。それが今のエイタの幸せだっていうなら、もうボクにしてあげることはないよ。……助けが欲しくなったらいつでもいってね? エイタが帰ってきてくれるって、ずっとずっと、ボク信じてるから」

 

 

 

 冷静沈着に見える語り口は、しかし血管が浮き出るほど動揺した拳によって否定される。

 

 振り返る、ほんの一瞬。ひときわ鋭い眼光に睨まれ、心臓が畏縮し、さぶいぼが波打った。

 

 まるで、これから起こる未来を予見しているような。決意に向かって歩き出すような。力強い足取りを、私は見逃すことしかできなかった。

 

 二人の和解は贅沢までも、せめて二人の関係性を壊さないような立ち回れなかったのかと、不器用で情けない己を恥じた。

 

 

 

「……違う。こんな、はずじゃ。こんなはずじゃない」

 

 

 

 悲壮感を背負い、肩を震わせる後ろ姿。

 

 おもわず伸びた手は、けれど何の解決にもならないことを理解し宙を舞って。

 

 腕を組み、指先をこね合わせ。卑怯にも、十八番の出し渋りを決行した。

 

 

「誰かを、傷つけたいわけじゃないんです。でも、現に俺はウチハのことが"嫌い"と言い切ってて。家族を大切にしなきゃと心に留めておきながら、実際に一家団欒の時間になると、俺が一番空気を悪くしてて。クラスメイトとも、もっと話を合わせたり盛り上げたり積極的にならないといけないって理解しているはずなのに、やることなすことてんで駄目で。……その全部が俺のはずなのに、けど全部が間違っているような実感のなさがあって。人よりこうしたいなんて望みがなくて、けどそれだと体裁が悪いから、その場で取ってつけたような雑な欲望をぶら下げてみたりして。そうやって自分を薄めることに慣れてるからか、他人の言葉にあっさり染まっちゃうんですよ。もう、疲れました……振り回されるのに、疲れたんです。ツキノキさん、隠さないで、ハッキリ言ってください。俺は、世間の平均より数段劣り腐った……ダメ人間なんでしょうか

 

 

 

 最後は、か細い声だった。消え入りそうな声だった。

 

 注意深く意識を集中していなければ聞き逃してしまうような。メツギさんの底の底、極夜に囚われた場所。

 

 きっとその場所を長い間、根城にしていたのだろう。

 

 声が震えているのは、半ば受け入れ、他の生活など考えにも及ばないから。

 

 私と出会う以前から、すでに何十回何百回と夜明けを夢見て、何十回何百回と裏切られ。

 

 イヤでも体に染み付いてしまっているのだろう。

 

 

 

 残念なことに私には、彼の積年を解き放つだけの眩い希望を持ち合わせてはいない。

 

 むしろ、メツギさんにとっては介錯となるような。冷たく鋭利な刃物なのかもしれない。

 

 私が、最後の一押しを。トドメを下してしまうかもしれない。

 

 けれども、それを。解放と取るには名ばかりの暗澹を。メツギさんは欲してしまっている。

 

 

 

 私の責任だ。

 

 たとえ運悪く順番が巡ってきたのだとしても、大人として引き受けた以上、それは私の責任だ。

 

 ここで私が同意しても、拒否しても、結果は同じというのなら。

 

 なら、そうであるのなら。

 

 矮小な私の全てを、メツギさんに託そう。

 

 それがたとえ、なんの解決に至らないとしても。

 

 

 

「……いこうか」

 

 

「? 行くって、どこへです?」

 

 

「本当のメツギさんを探しに」

 

 

 




 
今更ですけど、全国高等学校剣道選抜大会に個人戦はありませんでした
・・・・あぁ^修正したい欲に駆られるじゃぁ^〜
https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill23/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

カラーバス効果

 

 

 

 残念なことに私には、彼の積年を解き放つだけの眩い希望を持ち合わせてはいない。

 

 むしろ、メツギさんにとっては介錯となるような。冷たく鋭利な刃物なのかもしれない。

 

 私が、最後の一押しを。トドメを下してしまうかもしれない。

 

 けれども、それを。解放と取るには名ばかりの暗澹を。メツギさんは欲してしまっている。

 

 

 

 私の責任だ。

 

 たとえ運悪く順番が巡ってきたのだとしても、大人として引き受けた以上、それは私の責任だ。

 

 ここで私が同意しても、拒否しても、結果は同じというのなら。

 

 矮小な私の全てを、メツギさんに託そう。

 

 それがたとえ、なんの慰めにもならないとしても。

 

 

 

「……いこうか」

 

 

「? 行くって、どこへです?」

 

 

「本当のメツギさんを探しに」

 

 

 

 メツギさんの手を取って、園内を進んでいく。

 

 肝心なことは何も語っていない。それなのに、説明してくれとせっつかれることもなく。

 

 むしろ、今にも脱落してしまいそうな弛緩した手。

 

 強く握るのは避けたくて、折を見て指を絡ませて。

 

 より一層、溶けて無くなってしまいそうな無抵抗に、離すまいと握り直す。

 

 

 

 エリアとエリアを結ぶ、往来の激しい場所。その端。陽の当たらない場所へ捌け。

 

 握っていた手を離し、向き直った。

 

 

 

「私から見て……メツギさんの抱えている問題は二つある」

 

 

「……」

 

 

「"あるものが有毒かどうかは、服薬量によって決まる"という言葉がある。嗜好品のアルコール・タール・ニコチンはもちろん、生命維持に不可欠な水や酸素でさえ例外ではない。たとえいかなる物質も、急激に体内へ取り込まれれば中毒症状を引き起こし、最悪の場合死に至る。これを拡大解釈していく。より多く、より高く、より厚くを推奨する友情・お金・愛ですら、用法用量を誤れば命を落としかねない猛毒へと変貌する。これがまず一つ」

 

 

「俺は……恵まれ過ぎているってことですか?」

 

 

「その認識で相違ない。私の見立てが正しければ、の話だが。……どうも踏に落ちないという顔をしているね。確かにこの外的要因だけでは、メツギさんのいま置かれている現状を説明するのに不十分だ」

 

 

「……もう一つというのは?」

 

 

「むしろこちらの方がより深刻だ。……メツギさんは、"他人は自分を映す鏡"という言葉をどう思う?」

 

 

「……自分の態度・行動・言動が自身に返ってくる、というやつでしたっけ? 突然、どう? と尋ねられても……別におかしいところはないと思いますけど」

 

 

「例えば、通り魔のようにターゲットが無作為な場合。例えば、些細なことからトラブルに発展した場合。例えば、大事な約束を反故にされてしまった場合。これらが映し出すものは、果たして自分自身と言えるだろうか」

 

 

「……」

 

 

「例外を除くと末尾に添えれば、無法無点の長物だ。……だがね、メツギさん。"他人が自分を映す鏡"なら反対に、"自分もまた他人を映す鏡"が成立する。ドウゾノさんを傷つけたくない、家族を大切にしたい、クラスに馴染みたい。自分が自分でないように感じたり、自らを軽んじてしまったり。望みが希薄なのも、周りの目が気になってしまうのも、それで焦りを覚えてしまうのも。自分のことを後手に回し、誰かに影響されやすく、振り回されている自覚があるのも。……メツギさんが純真無垢な鏡だとすれば、この世界はさぞ息苦しいことだろう」

 

 

「……俺がみんなと違うっていうのに、その通りなんだと思います。けど……普通の幸せを噛み締めたい、欲張りな自分が居るんです。……それがもし、ツキノキさんの筋書きをなぞっているなら。何か解決策があるんじゃないですか?」

 

 

「……すまない」

 

 

 

 失敗を繰り返していたのではなく、そもそも前提から大きな誤りがあった。例えそう励まされても、それで本人が納得するかはまた別問題。

 

 揺れる瞳に、目を伏せた。

 

 掛ける言葉が見つからなかった。

 

 きっと、理想の大人というのは。なんでも知っていて、なんでもできて、どんな行動にも確たる自信があって。より良い未来の道標として、頭上に燦々と輝く存在なのだろう。

 

 私は、その役割を放棄した。

 

 これ以上、メツギさんが分離していくのを見ていられなかった。

 

 根拠のない励ましや慰めが、よりメツギさんを追い込んでしまう可能性。

 

 そんな"もしも"が、私から模範的な大人としての振る舞いを奪った。

 

 その道の専門家ですらない私が判断することに気分を害しながら。先生が直面したであろう無力感を追体験しているようで、心底狼狽した。

 

 

 

 動揺を沈めた彼の目はやがて園内へ、道行く人々を瞳に映す。

 

 もう一度乗りたいとせがむ子供。スイーツ片手にお喋りする若い子達。マスコットにはしゃぐカップル。二人の記念を写真に残す夫婦。遊戯施設そっちのけで談笑に興じるお年寄り。緩慢に流れていく時間。どの場面を切り取っても、そこには緩んだ顔がある。

 

 気付けば柔らかい笑みを浮かべていたメツギさんは、自分の感覚を確かめるように手を結んで開いて、小さく笑って。

 

 営々抱えていたものを、そっと手放すように。

 

 ゆっくりと、こちらに向き直った。

 

 

 

「すみません、わざわざ遊園地まで誘ってもらったのに。今の俺には、もう楽しむ余裕はないみたいです。……またいつか、何かの形で埋め合わせさせてください。今日は、ありがとうございました」

 

 

 

 メツギさんは深々頭を下げた後、覚束無い足取りで人混みに溶けていった。

 

 またも私は、傍観者のように。何もしてあげられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カーテンから差し込む朝日。

 

 延々スヌーズをつづけるスマホ。

 

 寝起きでぼやける視界。

 

 気分は大暴落の月曜日。

 

 学校にミサイル落ちねぇかなぁーとバキバキのスマホに手を伸ばし。

 

 付随するであろう多くの不幸を妄想しながら、前日に用意していた軽食をスムージーで流し込む。

 

 体操着を仕込み、適当に開いた雑誌はお団子ヘア。

 

 頭の体操と手順をなぞり、思考がクリアになっていく。

 

 

 

 粛々と過ぎ去っていく毎日。

 

 少しでも気を抜けば、光陰矢の如し。

 

 将来を有利なチャートで展開するためにも、いまはひたすら自己投資の時。

 

 死ぬほど退屈な毎日にくたばりそうになりながら。今日もひたすら、小反発を模索する。

 

 

 

 朝練がなければいくらかのんびりできるんだけどねぇー。

 

 剣道もあらかた吸収出来たことだし辞めちゃおうかな? 夏休みまで拘束されるとか時間の無駄でしょ。

 

 手心を加えられているとはいえ、全国トップレベルの選手の動きはもう飽き飽きするくらい堪能できた。

 

 これでまたあたしの作品の完成度が爆上がりしたと。

 

 いやー我ながら多芸な自分が恐ろしい。

 

 次はどの部活の知識をチューチューしてやろうかなぁ──────。

 

 

 

 むっさい電車に揺られ、チョコミント以外魅力のない駅前商店街を抜け、土手でチ○ポ叫んで学校到着。裏門からお邪魔しますよっと。

 

 そのまま体育館に向かうと、部員に取り囲まれた顧問の先生が、体育館の鍵を差し込んだところだった。

 

 朝からお勤めご苦労様です! あたし教師なんてブラックな仕事絶対就きたくありません!! なんて言葉が頭をよぎるも自重して。フツーに挨拶、フツーに労い、フツーに雑談。

 

 平穏な学校生活ってやつを送るためにも、このムーブは必要経費ってところなのかな。

 

 

 

 開け放たれた体育館に素足で乗り込む。背後からパタパタと駆けてくる誰か。

 

 およ? 珍しい。ウチハちゃんだ。

 

 最近調子悪いからねぇー。真面目に練習しちゃう感じ? それとも、メツギくんと一悶着あって居づらい、とか。

 

 制服を畳んで、ひたすら竹刀を振り下ろす。

 

 決まった型を反復させながら、何度も何度も何度も何度も。

 

 ワンセット終わって、ドウゾノさんに向く。

 

 無表情を張り付けた顔。一心不乱に打ち込む太刀筋。空気を切り裂く高い音。

 

 視線が交差する寸前で顔を背けた。

 

 

 

 これもしかすると、メツギくんもだいぶ仕上がってるんじゃ? 朝一番にあたしの所へ駆け込んできたりして。

 

 距離というか壁があるのを察するに、だいぶ警戒してるご様子。

 

 まメツギくんと居るところを何度か目撃されてるからねー。

 

 やっぱりクラスの嫌われ者と幼馴染がつるむのは面白くない感じ? 

 

 最近はエイタ、エイタってグループで主張する元気もなくなっちゃったみたいだし。

 

 畳み掛けるとしたら今かな? 

 

 

 

 夏休みまでもう時間がない。

 

 期間が開くと最悪勘付かれて避けられるようになってしまう。

 

 かと言って、あたしから動くというのも悪目立ち過ぎる。

 

 やっぱりメツギくんの方から飛び込んでくれるのがスマートなんだけどなぁー。

 

 逆に言えば、私のことを呼び止めるようならもう捕獲したも同然。そうじゃなければ、もうひと工夫が必要になってくる。

 

 このテスト期間中に取り込むことができれば、この夏休み中は退屈しないだろう。

 

 

 

 精神的肉体的に孤立させれば洗脳も容易い。持てる知識を総動員して、都合のいい労働力のモデルケースとして完成させるのだぁー。

 

 ようやくあたしの伝説が始まると笑みをこぼしながら。

 

 退部届を提出する算段は頭の片隅で。頭の多くを占めるのは、いつか語られるであろう、今日という偉大な日についてだった。

 

 

 

 

 

 "身が入ってないぞ"とあたしとドウゾノさん二人してお叱りを受け、"何かあったのか? "と一悶着ありながらも。

 

 正門が開け放たれ、他の生徒がゾロゾロと登校してくるようになったら切り上げの合図。

 

 あっちぃな〜と着替え、置き勉軽量バック背負って、くっだらない授業を受けに教室へ。

 

 教室の扉を開けば視線が焼べられるも、正体があたしだとしれば中断していた青春を再開。

 

 別にいつものことなのでさっさと席につき。日常なら惨めさで死んだふりしているメツギくんを睥睨。

 

 ……は? なんで持ち直してるわけ? 

 

 

 

 イラつく被害者オーラーは相変わらず。だけど、陰キャ特有の自分の世界に必死こいて没頭しようとするポーズ取って、ノートに向かって機能を停止してた。

 

 突如電気が通ったかのようにペンを走らせれば、書き進めた分だけ消しゴムを往復させ。なんて無意味な行動に精を出していることでしょう。頭イッちゃってる? 

 

 あたしの知ってる範囲だと、ツキノキさんとかいう暇人の存在が頭に浮かぶ。

 

 自他共に認める無能のメツギくんのことだ。心の支柱を外注して、しょーもない薬物療法に縋っているのだろう。

 

 あひゃひゃーそいつぁー無責任だねぇー。どんな診断を下されたのか知らないけど、根拠のない甘い言葉で取り返しつかなくしてるだけじゃん。

 

 これで目に見える症状が悪化したら、それはお前の責任だって突き放すんでしょ? ぷぷ。なら初めから手なんて出すんじゃねぇよヤブ医者が。

 

 自覚のない善意ってやつが一番タチ悪ぃんだよ。

 

 

 

 せっかく人が無価値な人生に意味を与えてやろうとしてるのに。

 

 二度と甘えた考えに傾倒できないようボロクソ罵って泣かせてやる。

 

 途中、席を立ったタイミングで、帰りに伝えたいことがあると恋する乙女の皮を被って接触。

 

 メツギくんはそりゃもうゴーヤ口一杯頬張ったんじゃないかってくらい顔歪めてた。ウケる。

 

 これでバックレたりしないんでしょ? ほんと不思議。やっぱり"ド"がつくほどのド変態? ひやぁー偉大だねぇー。

 

 あたしとしてはそっちの方がやりやすいから一向に構わないけども。

 

 

 

 終業を告げるベルを何度かやり過ごし。放課後。

 

 開けたホールに着くと、メツギくんが隅っこの自販機の並びに立ってて。

 

 なんだ? あたしの暴挙に対する牽制のつもりか? 

 

 学校だから大きく出れないだろうって? 

 

 字面だけで理解した気になってる無能の典型か? 

 

 

 

「やーやーメツギくん元気? 調子どう?」

 

 

「……一つ、質問いいか」

 

 

「お前さぁー、会話する気ミジンコもないの? そんなんだから性格捻くれんだよ」

 

 

「どうして手を振る俺に話しかける気になった?」

 

 

「ガン無視かよ。それで哲学のままごとが進展するんでちゅか〜」

 

 

「……」

 

 

「へぇ〜コツツミさんって教室とキャラ違うんだね」

 

 

 

 

 




・・・・お化け屋敷入る余地なくね?(間抜け)
https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill24/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

敵対的メディア認知

 

 

  

 終業を告げるベルを何度かやり過ごし。放課後。

 

 開けたホールに着くと、メツギくんが隅っこの自販機の並びに立ってて。

 

 なんだ? あたしの暴挙に対する牽制のつもりか? 

 

 学校だから大きく出れないだろうって? 

 

 字面だけで理解した気になってる無能の典型か? 

 

 

 

「やーやーメツギくん元気? 調子どう?」

 

 

「……一つ、質問いいか」

 

 

「お前さぁー、会話する気ミジンコもないの? そんなんだから性格捻くれんだよ」

 

 

「どうして手を振る俺に話しかける気になった?」

 

 

「ガン無視かよ。それで哲学のままごとが進展するんでちゅか〜」

 

 

「……」

 

 

「へぇ〜コツツミさんって教室とキャラ違うんだね」

 

 

 

 背後からの声に振り返れば、そこにはウチハちゃんの金魚のフンが一人。

 

 つづくように後ろから、ドウゾノさんを除いた残りのメンバーが、フナムシのようにゾロゾロと。

 

 

 

 静かな怒りを秘めた形相に、はてと首を傾げる。

 

 あーなる。スクールカースト下位のあたしが、人の男に粉かけてると思われてんか。

 

 え? なにそれ? 屈辱なんだけど。

 

 てかちょい待ち。ウチハちゃんだけ除け者ってなんか変じゃね? 飼育放棄したんか? 

 

 

 

「……テスト。そうだ、テスト。あと一週間を切ってたんだった。ま、まいったな、全然勉強進んでないや。……コツツミさんも、早く帰って勉強した方が良いんじゃない?」

 

 

「あたしに聞きたいことあったんじゃないの?」

 

 

「え? いや……今じゃなくてもいいかなって」

 

 

「なんなら勉強教えてあげようか? 手取り足取り、ウチん家で」

 

 

「は? え? いや、あの」

 

 

「ここまでしてあげてるのにまだ気付かないんだ、ウケるぅー」

 

 

「キッモ。自己中がよ」

 

 

「勝てないからって嫌がらせかよ」

 

 

「こりゃ男も寄りつかないわ」

 

 

「女もじゃね?」

 

 

「ちょwそれ言い過ぎw」

 

 

「どっち? 行く。行かない」

 

 

「……」

 

 

「行くわけねぇだろドブカスがよ」

 

 

「だれか無視されてるって言ってあげて?」

 

 

「やめてあげなよ可哀想じゃん」

 

 

「髪型変えて声かけられるの待ってる子に?」

 

 

「イタイwイタイwイタイ」

 

 

「馴染めないからって部活もちょこちょこ変えやがって。発想がキショいんだよ」

 

 

「来る? 来ない?」

 

 

「あっ、おれ、俺は……」

 

 

「聞こえない振りー」

 

 

「効いてないアピ〜」

 

 

「ほらほら、どう断ろうかって困ってんじゃん」

 

 

「やだ〜気ぃ使われてるって自覚ないの?」

 

 

「良いんじゃない? 知らない方が本人のためwなんじゃないの?」

 

 

「まだわかんないの? 誰もお前なんかに興味ないって」

 

 

「ウチハちゃんがウザったいんでしょ?」

 

 

「「「「「はぁ?」」」」」

 

 

「言ってたよね? 家に帰っても、自分の居場所がないって」

 

 

「デタラメほざいてんじゃねぇよクソが!」

 

 

「自分勝手に加えて目も節穴なの!?」

 

 

「あんなに性格の良いウチハが鬱陶しいって何様のつもり!?」

 

 

「ウチハが一度でもコイツを放置したことあったのかよ!」

 

 

「お前も黙ってないで、ウチハの彼氏ならちゃんと否定しろ!」

 

 

 

 それとなくヘイトをメツギくんへ向け、ジリジリと圧をかけていく。

 

 その薄っぺらい正義感とやらで、なりふり構わずあたしに手を伸ばすのか。

 

 はたまた、同調圧力に屈して手を払うか。

 さ、痴呆のクセに綺麗事を語るその本心を、あたしによ〜く見せてみて♡

 

 

 

 広がる静謐。メツギくんの旗色に注目が集まる。

 

 苦悶に歪んだその顔は、一心に浴びる視線に耐えきれず……あたしの腕を取って駆け出した。

 

 

 

 取り巻きからは数秒遅れで非難轟々。予期せぬ背信に、即座に反応できなかった模様。

 

 なおも強引に腕を引かれ、昇降口も通り過ぎ。

 

 突き当たりに差し掛かれば、ようやく拘束は解かれた。

 

 

 

「学校では大人しくするんじゃなかったのかよ!?」

 

 

「無条件に席を明け渡すことが、メツギくんにとっての "大人しく"なの?」

 

 

「ただでさえ目をつけられているのに、一歩間違えば暴力にだって……」

 

 

「ならないよ」

 

 

「……どうしてそう言い切れる」

 

 

「だって秩序があるから」

 

 

 

 衛星中継の機材トラブルのような断絶。型落ちの電子機器を扱うような歯痒さ。でも、顔には出さない。だってあたしは、慈悲深い人間だから。

 

 わかったらさっさと読み込んで次に移らせろ。

 

 

 

「……それは誰にとっての秩序だ?」

 

 

「決まってるでしょ。あのコバンザメらの」

 

 

「……俺の目には、無秩序に好き放題しているようにしか見えない」

 

 

「名前」

 

 

「?」

 

 

「誰に向けての発言か。ものの見事に避けてたでしょ?」

 

 

「つまり……」

 

 

「鈍いなぁー。リスク管理されてんだよ」

 

 

「……自己保身の行動じゃないか」

 

 

「共通認識がグループ内で周知され守られている。これを秩序と呼ばずになんて呼ぶの? 激昂してたのに名指しで罵ってこなかったのが何よりの証拠じゃん」

 

 

「だからって、あんな態度は……」

 

 

「もちろん何か間違いが起きた時は修正する」

 

 

 

 あっけらかんと言い放つ。

 

 徐々にその意味を理解してきたのか、メツギくんからは動揺が見てとれた。

 

 さもそれが常識であるかのような振る舞いは、目を泳がせるのに事足りたようだ。

 

 

 

 そら、手前勝手な代弁者サンは、どんな都合のいい思想を強要してくるのかな? 

 

 

 

「……どんな理由があっても、暴力だけは絶対ダメだ」

 

 

「人間が暴力を振るわなかった時代なんてあったのかよ。流血を厭うものは〜って」

 

 

「……もう、わかった。もういい」

 

 

「およ? どしたの。認めちゃっていいわけ?」

 

 

「ここで反発しても……時間の無駄だ。どうしたって、最後には飲み込まれる」

 

 

「休日に何かあった? あたしが力になってあげようか?」

 

 

「安易な方法に飛びついて来た結果が、この体たらくだ。……もう自分から逃げるような真似はしたくない」

 

 

「ブフッ」

 

 

 

 スカした言葉が、余計嘲笑を誘った。

 

 コイツ、自分の状況理解できてないのか? 

 

 お先真っ暗の未来のことより、まず足元に目を向けたら? 

 

 って、ソレができたら苦労しないか。

 

 

 

 夏休みで使役できたらって考えてたけど、今回は見逃してやろう。

 

 せいぜい面白おかしく踊って足掻いて、あたしを存分に楽しませてね? 

 

 

 

「……なんだよ」

 

 

「んふ? 別に? それよりさ、まだ返事もらってないんだけど」

 

 

「……いや、遠慮しておく。まだ考えが、纏まり切ってない」

 

 

「あっそ。んじゃ、バイビー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 軽い足取りのコツツミさんを見送り、フッと肩を脱力させた。

 

 まだウチハの友達がたむろしているのかもしれない。かと言って、引き留めるほどの力もない。

 

 

 

 諦めと、時間潰しに窓を見た。

 

 ガラスには酷く陰気そうな顔が。

 

 もし自分が異性だったなら、近付こうなんて微塵も思わない。

 

 顔を両手でほぐして、ぎこちない顔。

 

 表層を繕うことさえできやしない。自然体には、程遠い。

 

 

 

 居た堪れなさは空へ伸びた。

 

 夏の精彩な青、影の皿に盛られた白。

 

 それをしばらく視界に捉え。

 

 

 

 平積みの問題が更新されていくなかで、あの日から絶えず頭を巡るのは、強烈に印象づけられたツキノキさんの言葉。

 

 俺が"優秀な鏡"なのではという一つの仮説だった。

 

 末恐ろしいのは、コツツミさんの暴論さえも内包しうるという点。

 

 何物も映し出す"優秀な鏡"が愚かである時、何物も映さない"くすんだ鏡"が賢いのだとしたら。

 

 ストレス耐性の有無を賢さの基準にした時、"冷酷"こそが賢さの本質という路線を否定しきれない。

 

 

 

 人の悪意を関知せず、人の痛みを感知せず。許されるなら、あらゆる手段を行使する。

 

 そんなヒトデナシを目指す道こそ、この人間社会で有利に立ち回る方法論なのだろうか。

 

 ……人に優しくしましょうというのは、人が優しくないことの裏返しなのかもしれない。

 

 

 

 ただそうなると、自動的にツキノキさんも冷酷に分類されてしまう。

 

 ツキノキさんやコツツミさんが俺よりずっと賢いのは確実だ。

 

 だがその両者の賢さを、"冷酷"の一括りで説明できるかと問われれば、首を横に振りたくなる。

 

 心理的に受け入れられないという個人的主観を重々承知で。それでもなお、俺は"冷酷"こそが人間の賢さという展開を到底受け入れることができなかった。

 

 

 

 ……また手がかりなしからのスタート、か。

 

 いや、まだツキノキさんの言葉を解き明かしたわけじゃない。

 

 手段を見失った今、より深くツキノキさんを真意を理解するためにも、鏡理論を運用していくことで背後を探っていこう。

 

 運が良ければその過程で、賢さへつながる糸口が見つかるかもしれない。

 

 

 

 残念なような、安堵するような。

 

 一端の整理がついた心中。

 

 気付けば薄暮の深まる空に"勉強しないとな"と、ようやく重い腰を上げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイタおかえり」

 

 

「……ただいま」

 

 

「エイタのこと待ってたんだ。そろそろ帰ってくるかなって」

 

 

「一声かければよかっただろ」

 

 

「だってエイタすぐいなくなっちゃうし、スマホの電源切ってるでしょ?」

 

 

「……」

 

 

「今日のご飯生姜焼きだって。切り落としが安くなっててね?」

 

 

「買い物、手伝ってたのか」

 

 

「うん」

 

 

「ありがとな」

 

 

「うん」

 

 

「「……」」

 

 

「なんか、遅かったね。勉強?」

 

 

「いや……ちょっと考え事」

 

 

「……そっか」

 

 

「……」

 

 

「なら、よかった」

 

 

 

 

 




 
https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill25/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四部
開戦は歩の突き捨てから


 

 

 

「ツキノキ。お前どっか部活入れ」

 

 

「……」

 

 

「ちょっとでも興味を引くような部活はなかったか? ないってなら、先生も困っちまうがな?」

 

 

「……」

 

 

「ダンマリか。だが、帰宅部ってのはイカンぞ? 進学するにせよ、就職するにせよ、面接時の印象が悪くなる」

 

 

「……」

 

 

「こりゃまいったなぁ……」

 

 

 

 手詰まりで、寂しくなった頭を撫でる。

 

 目の前には変わらず、長机に視線を落とす一人の生徒。

 

 出席番号二十三番、ツキノキ キミ。

 

 自己紹介の時もこんな調子だったから、印象に残っている。

 

 

 

 授業態度は真面目。

 

 特定の交友関係は持たないが、クラスメイトとの関係は良好。

 

 自己主張が苦手なようだが、かといって擦れてるわけではない。

 

 少し変わったところもあるが、"模範生"と認識していたために、今回の件には面食らった。

 

 

 

 部活加入は強制じゃない。ないんだが、孤立を促すなんてことは教員のすることじゃない。

 

 

 

 なおもツキノキは一言も喋らず。

 

 ため息をつきたくなるのを堪える。

 

 このままでは埒が開かないので、おもむろに席を立った。

 

 

 

「将棋、わかるか?」

 

 

「……いいえ」

 

 

「んじゃ、これ読みながらでいいから。一局指そう」

 

 

「……」

 

 

 

 プラスチックの将棋盤を広げ、入門向けのルール本を差し出す。

 

 我ながら唐突すぎだ。臍を曲げられてもおかしくない。おかしくないが、反応を示してくれるなら内心何でも良かった。

 

 結局、ツキノキは異論を唱えず、表情を動かさず。大人しく本を開いて読み始めるのだった。

 

 

 

 飛車角を除き、ゆっくりと自陣の駒を並べる。俗にいう、飛車角落ち。

 

 一通り読み終えたのか、本と見比べながらツキノキも駒を並べていく。

 

 駒を摘むように持ち上げる仕草には、初々しさに溢れている。

 

 準備が整ったのを見て、頭を下げた。

 

 

 

「よろしくお願いします」

 

 

「……お願いします」

 

 

「先生は二枚落ちだ。こういう場合、先に駒を動かすのは不利な方からだ」

 

 

「……」

 

 

 

 パチンと駒を動かし、つづいてツキノキも駒を動かす。

 

 本と無表情でにらめっこしながら、一手一手慎重に指していく。

 

 

 

 将棋には"棋風"と呼ばれる、性格のようなものが明確に現れる。

 

 攻めを重視した攻撃的な棋風。ゆったりと戦いたい守備寄りの棋風。前例を無視し、実力勝負に持ち込む力戦的棋風。

 

 どうやらツキノキは、見たままのようだ。

 

 

 

 将棋は相手との対話。なんて呼ばれたりもする。

 

 我が強すぎると、相手に狙いが読まれ、作戦負けになりやすい。

 

 かといって、主張がなさすぎるというのも考えものだが。

 

 

 

 飛車角落ちは強力な大駒こそないものの、小駒は充実しているので守備には困らない。困らないが攻めなければ勝てないので、必然、盤面を圧迫していくような将棋になる。

 

 守るべき玉も前線に送り出した。なにぶん、こちらの駒は不足している。

 

 

 

 前線を広げながら歩を交換していき、桂馬を跳ねた。

 

 居玉の相手に対して、中央での攻撃準備を整えていく。

 

 ツキノキの方は、なかなか攻めるのに難儀している。こちらが盤面を制圧するように指しているので、飛車や角といった足の長い駒は動きづらそうだ。

 

 何とかツキノキは左辺突破の目処を立てたようだが、こちらとしては貴重な攻め駒を補充できるので歓迎するところ。

 

 が、依然戦力差には大きな開きがある。モタモタしていると、押し潰されかねない。

 

 

 

 頃合いと見て、歩を突き捨てて開戦する。

 

 手持ちの歩で陣形を乱し、銀を進出。歩で弾き返す手には、金の頭に歩を叩く。

 

 逃げてるようでは押し込まれるので取るしかないが、さらに銀を進出させ玉頭を制圧。

 

 ツキノキも駒を密集させて守備を固めるが、こちらはジッと桂馬を跳ねて力を溜めた。

 

 解けない拘束。こちらの玉に手掛かりはなし。盤面は、必勝形。

 

 

 

 対してツキノキは、飛車を自陣に引き徹底抗戦の構え。

 

 満を持して、総攻撃を開始。残された銀・飛車・角を剥がし、勢いそのまま、詰みまで一直線。

 

 

 

「……参りました」

 

 

「ありがとうございました」

 

 

「……」

 

 

「袖飛車に振っていたな」

 

 

「?」

 

 

「ツキノキから見て、右から三マス目に飛車を移動させる指し方をそういうんだ。確かに角と連携させるいい攻めだ。お前なかなか筋いいな」

 

 

「……」

 

 

「これ、貸してやる。駒落ちの定跡書」

 

 

「……」

 

 

「そんじゃな。気をつけて帰れよ」

 

 

 

 相変わらず、何を考えているのかわからない顔で渡した本を見つめていた。

 

 嬉しいのか、悔しいのか、帰りたかったのか。

 

 ままならんな……。

 

 そろそろ職員室に戻って、明日の段取りを決めないとだ。

 

 

 

 一人一人に目をかけるには、先生の数が少なすぎる。

 

 

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 

 

「それでは職員会議を始めます。各学年ごとに報告をお願いします」

 

 

「一学年です。入部届の提出期限が迫っています。先生方はまだ提出していない生徒への声掛けよろしくお願いします。以上です」

 

 

「二学年です。教職員一名が体調不良により欠席、スネヤ先生に臨時で入っていただきます。以上です」

 

 

「三学年です。本日午前九時頃に空調設備の業者の方が下見に入ります。以上です」

 

 

「全体の報告といたしましては、体育祭が来月七日に迫っています。備品の安全点検、不足分の報告など、早め早めの対応をどうかよろしくお願いします。暖かくなってきましたが、まだまだ朝は肌寒いです。寒暖差で体調を崩さないよう心がけていきましょう。それでは、本日もよろしくお願いします」

 

 

「「「「お願いします」」」」

 

 

「スネヤ先生。ちょっと」

 

 

「……なんでしょうか?」

 

 

 

 教頭先生に手招きされて、嫌な予感がした。

 

 わざわざ朝の忙しい時間に呼び止める、個人的な要望。

 

 九割五分、面倒ごとだ。

 

 ごめん被りたかったが、こちとら税金で飼われた公務員。

 

 拒否権は早速ないものと、後退した頭部を撫でながらそれに応える。

 

 

 

「新しく必修になる授業はご存知で?」

 

 

「えぇ。情報の授業が高校で必修になると」

 

 

「なら話は早い。単刀直入に言いますと、スネヤ先生には情報教員になっていただきたいのです」

 

 

「……」

 

 

「来年を目処に、研修を受けてもらいたいのですよ。ほら、ちょうど国も後押ししているようですので」

 

 

 渡された研修支援の冊子。

 

 IT教育の推進。その神輿は大変ご立派。だが、それを実行する現場はたまったもんじゃない。

 

 人はいない、収入は減る、だが負担や責任は割り増し増し。それで教える内容は、初歩的なものばかり。

 

 本当に必修にする必要はあったのか。選択式ではダメなのか。教えてもらう立場なのは、むしろ我々の方ではないか。

 

 

 

 お上の考えていることは、下々にはさっぱり理解できない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ、スネヤ先生。やっぱりここにいましたか」

 

 

「……なにか御用ですかな?」

 

 

「いえいえ。姿が見えないので、もしやと思いまして」

 

 

「煙を吸わないとやってられません」

 

 

「同感です」

 

 

「ふぅ──────」

 

 

「聞きましたよ? 情報教員になってくれと頼まれたと」

 

 

「こんな年寄りに一体何を期待しているのでしょうな」

 

 

「年寄りだから、でしょうな。若者には、割り切れんでしょう」

 

 

「せめて、慎重に協議してほしいものです」

 

 

「まあ、無理でしょうな。それが出来るのなら、日本はアジア最低の英語力じゃありませんよ」

 

 

「……火、お貸ししましょうか?」

 

 

「んぁ? あぁ……」

 

 

「何か問題でも?」

 

 

「このライターで、きっかりタバコをやめようとしていたのを思い出しまして」

 

 

「ここまで来たら一本も二本も変わりませんよ」

 

 

「それも……そうですな」

 

 

「失礼」

 

 

「あ、どもども。……スウゥ──────ふぅ──────」

 

 

「これでまた死期が早まりますな」

 

 

「カッカッカ。ここまで生きれれば本望」

 

 

「またどうして禁煙を?」

 

 

「国がタバコに関する法整備を進めていると小耳に挟んで。これから喫煙者は、ますます肩身が狭くなっていくでしょう?」

 

 

「来年も値上がりでしたな。タバコを吸ってるのか、税金を吸ってるのか」

 

 

「世の中は、随分キレイになりました。けど反対に、人の心は荒んでいくように思います」

 

 

「……」

 

 

「お互い、頑張りましょう」

 

 

「その言葉は、生徒達に言ってあげてください」

 

 

 

 タバコの火を消し、携帯灰皿に入れる。

 

 喫煙室を出て職員室へ。

 

 体育祭の発注、しないとだな。

 

 

 

「先生」

 

 

「うぉ!? なんだツキノキか。心臓に悪い」

 

 

「……」

 

 

「どうした? 一局指していくか?」

 

 

「……はい」

 

 

「んじゃちょっくら鍵取ってくるから。資料室の前で待ってろ」

 

 

 

 将棋に興味を持ってくれたのか、定跡書を返しにきたのだろうか。まあ、なんでもいい。

 

 頼ってくるのなら、それにできる限り応えるのが教師の仕事だ。

 

 

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 

 

 パチンと、プラスチックの安っぽい音。

 

 ルールは前回と同じ二枚落ち。

 

 進行も同じく、盤面制圧に対しての袖飛車。

 

 大きく違う点は、二歩突っ切りという戦法を使ってきたところ。

 

 

 早々に歩で六筋・七筋の位を取られた。角・飛車と足の長い駒に、銀を加えての左辺制圧。

 

 これの痛いところは、貴重な駒を釘付けにされること。

 

 下手に動かすと、角の突破を許してしまう。

 

 

 

 攻めの手掛かりを探す間も、ツキノキは的確な指し回しでこちらを追い詰める。

 

 今度は自陣整備に取り掛かるようだ。

 

 カニ囲い。上部強襲を警戒する形か。

 

 さらに浮き飛車で桂馬を飛ばれ。着々と攻める準備が整っていく。

 

 

 

 有効な手を指せないまま、差は開く一方。これは、まずいな。

 

 局面は敗勢。自陣へ直通している角が強烈だ。

 

 本格的に攻めが始まる前に、なんとか相手に迫らなければならない。

 

 

 

 突出した飛車に狙いを定めた。

 

 銀・金を八筋から繰り出していく。

 

 歩だけでは手が続かんな。何か駒を手持ちにしたい。

 

 端の歩を切って、手筋を使い桂交換。

 

 中央の歩を突き、ここで必殺の桂のタダ捨て。

 

 

 

 歩の眼前に打ち下ろされた桂馬に、ツキノキの手が止まる。

 

 何もしなければ、次に王手で銀が取れる。

 

 だが、真の目的はそれじゃない。

 

 この手は、飛車の逃げ道を塞ぐ手。

 

 ここでツキノキがどんな手を指しても、飛車を追い詰めることができる。

 

 飛車を手にすれば、上部に備えたカニ囲いは脆い。

 

 

 

 意図を読み解き目を見開いているがもう遅い。

 

 そのあとはペースを握り、なんとか勝利を収まることが出来た。

 

 

 

「……参りました」

 

 

「ありがとうございました。なかなか、肝を冷やしたいい戦いだった。後半は、ちょっと詰めが甘かったな」

 

 

「……」

 

 

「ツキノキは、将棋部に興味はないか?」

 

 

「ここは、将棋部なんでしょうか?」

 

 

「あぁ」

 

 

「……」

 

 

「普段は部室に集まらない。主に、詰め将棋を解かせている」

 

 

「少々特殊ですけど、熱心なんですね」

 

 

「いや、そうとも限らん」

 

 

「?」

 

 

「詰将棋を解けば、世界史の対策プリントがもらえる仕組みだ」

 

 

「……それは、不正なのでは?」

 

 

「まあな」

 

 

「……」

 

 

「もし不満なら、生徒総会で議題に挙げるといい」

 

 

「どうして、先生の不利になるようなことを」

 

 

「不正に変わりはないからな」

 

 

「……」

 

 

「活動実績は、詰将棋大会へ出場……したり、しなかったり。成績は、察しろ」

 

 

「……」

 

 

「どうだ、ツキノキ。無理に将棋を指す必要もない。ちょっとした特典もある。籍だけでも置いてみないか?」

 

 

「少し……考える時間を下さい」

 

 

「今すぐにとは言わないが、出来れば明日にも返事がほしい。仮入部期間も、あと数日で終わってしまう」

 

 

「……」

 

 

「これ、貸してやる」

 

 

「?」

 

 

「次の一手問題。ささ、用が済んだんならさっさと帰れ。先生も仕事があるんだ」

 

 

「あの、これ……」

 

 

「ん? あぁ、定跡書か。誰も読むやつなんていないから、明日まで預かっといてくれ。返事を聞いてから、受け取るかどうか決める」

 

 

「わかりました」

 

 

「盤はそのままでいい。よし、そんじゃ閉めるぞ」

 

 

 




https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill26/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

金は斜めに誘え

 

 

 

「なぜ許可していただけないのですか!」

 

 

「生徒の負担になるからです」

 

 

「それは仕事が増える言い訳では」

 

 

「否定はしません」

 

 

「それが教職員としての姿勢なのですか!?」

 

 

「第一に優先されるのは業務の完遂です」

 

 

「スネヤ先生は教師と生徒、一体どちらの意見で語ってらっしゃるのですか?」

 

 

「教育者は常に中立であるべきと考えています」

 

 

「全生徒全教科プラス十点が見込めるのですよ? より良い進路を願うことは、教師も生徒も同じでは?」

 

 

「たとえその試算が正しかったとしても、許可することは出来ません」

 

 

「なぜわかっていただけないのですか」

 

 

「用はそれだけですか? それでは失礼させていただきます」

 

 

「まぁまぁスネヤ先生、そう固くならずとも。せっかくの若者の意見です、広く意見を募り議論すべきでしょう」

 

 

「……」

 

 

「次回の職員会議までこの話は持ち越しということで。よろしいですかな?」

 

 

「感謝いたします」

 

 

「問題ありません」

 

 

 

 仲裁が入った職員室。

 

 クラスを受け持つ新任教員が突っかかってきた。

 

 

 

 元はこの学校の生徒会長だったらしく、熱意がすごい。

 

 今もこうして、少ない労力で全校生徒の成績を上向かせる計画を立案し説得してきている。

 

 若者だから、経験が浅いからと袖にしたくはない。ないんだが、学年主任としては徒に業務を増やす決定を下したくなかった。

 

 人の善意が必ずしもいい結果をもたらすとは限らない。

 

 むしろ小さな善意から、悲劇が生まれることだってある。

 

 

 

 ……昼飯時ぐらいは、せめて仕事を忘れさせてくれ。

 

 職員室に居づらくなった。

 

 かと言って外で食べるのは、咄嗟の呼び出しに対応できない。

 

 逃げるか、資料室に。

 

 

 

 風呂敷をぶら下げ、フックから鍵を取り。

 

 筆記音と打鍵音の鳴り止まない職員室を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 踊り場までくると、空の番重が積み上げられていた。

 

 撤収作業の邪魔にならないよう軽く挨拶。

 

 

 

 ペンペン草も生えない完売ぶり。

 

 供給は十分なのだろうか。

 

 販売側としては、売れ残るのは好ましくない。

 

 不幸を最小化するのなら、現状維持が望ましい。

 

 

 

 長い廊下には、人影はなく。時々奇声が響き渡る。

 

 ここは動物園か? 

 

 それで授業中暴れずに済むのなら、存分に発散してくれ。

 

 

 

 目的地について、ポケットをまさぐった。

 

 

 

「先生」

 

 

「うおぁ!? ツキノキか。どうだ? 将棋部に入る気になったか?」

 

 

「そのことについて、一つお聞きしたいことがあるのですが」

 

 

「? なんだ?」

 

 

「屁理屈に聞こえてしまうかもしれません」

 

 

「聞こうじゃないか」

 

 

「なぜ部活に所属しなければならないのでしょうか」

 

 

「……どうしてそう思った」

 

 

「学生の本分は、勉強のはずでは?」

 

 

「……」

 

 

 

 ピクリとも動かない顔に、ツキノキの言わんとしていることを理解した。

 

 この感じは、部活に所属する実利ではなく、意義を求めているのだろう。

 

 

 

 黙殺、すべきなのだろうか。すべきなんだろうな。

 

 一度社会に出てみれば、理由のない理不尽に溢れてる。

 

 一々目くじらを立てていては、終わる仕事も終わらない。

 

 ここで答えをはぐらかしても、誰が責めるというのだろう。

 

 ……。

 

 

 

 若い頃の体験というか、対応というか。こういう選択が、後々響いてくるんだよなあ。

 

 歳を食っても、ヤケに頭の片隅に残ってたりして。

 

 素朴な疑問なんてのも、いつしか考えもしなくなるもんだ。

 

 頭が固くなるってのは、この移り変わりを言うのかねえ? 

 

 

 

 ………………。

 

 

 

「先生?」

 

 

「放課後、ヒマか?」

 

 

「はい」

 

 

「ちょいと時間をくれ。ツキノキが納得するかは知らんが……まぁ、なんとかする」

 

 

「ご迷惑、おかけします」

 

 

「違うぞ、ツキノキ。抱え込まれる方がよっぽど迷惑なんだ。……ほら、昼休み終わっちまうぞ」

 

 

 

 我ながら、柄にもないことに手を出してしまった。

 

 手で払い除けるように、"シッシッ"と強引に会話を切り上げる。

 

 ペコリと一礼して、小走りで去っていくのを見届け。

 

 ようやく、ゆっくりできる。

 

 

 

 弁当を食べながら考えるのは、そのままを伝えるべきか否か。

 

 自身が伝える内容は、果たして教育者として相応しいかどうか。

 

 

 

 "部活動には価値がある"という主張は通らない。

 

 ロクに活動もしない部活の顧問で、あまつさえ成績で釣って部員を維持しているのだからなおさらだ。

 

 そんな男がいくら部活動の素晴らしさを説いたところで、薄っぺらくなるのは目に見えている。

 

 そこまでして体裁を保つのならやめてしまえ。自然か、自然な反応だ。

 

 

 

 この"無価値な活動"の意義を掲げるしか、道は残されてないらしい。

 

 主題は一つに絞り、なるべく砕いた表現で、事例は直感的に理解できるものを少々。

 

 最後のおかずを口に放り込んで、仕事に毒されていることにようやく気付く。

 

 ……ハッ。

 

 全く、とんだ皮肉だな。

 

 

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 

 

「いや、待たせたなツキノキ」

 

 

「いいえ」

 

 

「HRが長引いたんだ。スマンスマン」

 

 

「……」

 

 

 

 ガチャ

 

 

 

「ま座れ。先生も仕事が残っているからな。手短にいこう」

 

 

「お願いします」

 

 

「整理するぞ。ツキノキは、部活に所属する必要性を求めてるんだったな?」

 

 

「はい」

 

 

「先生の知る限り、部活に所属する必要性なんてものは見当もつかん」

 

 

「……」

 

 

「だが所属する意義はある」

 

 

「……はい?」

 

 

「人類は争いの歴史だ。アフガン紛争が記憶に新しいな。衝突に至る思想、主張、文化は様々。だが、世界史に長く携わっていると、ある共通点が見えてくる」

 

 

「……」

 

 

「"余力"だ」

 

 

「……?」

 

 

「先生はな。人類の行動原理は、"余力の獲得"という一点において集約できると考えている」

 

 

「勉強に注力するよりも、余力を獲得する方がより優先されると?」

 

 

「そうだ。いや、そうであってほしいという願望かもしれないな」

 

 

「……」

 

 

「人は老いる。建物は朽ちる。機械は壊れる。仕組みは古くなる。どんな国家でさえ、興隆と滅亡を繰り返してきた。例えその瞬間は最善であっても、未来も変わらず最善であるとは限らない。だが"余力"を残していたのなら、何かしら手を打つことができる。……ツキノキ、焦る気持ちはわかる。だが、お前はまだ若い。まだまだ人生は続いていくんだ。未来はきっと、今よりもっと様変わりしていることだろう。もしもそんな大事な時に、"余力"を手放していたとしたら。……人なんか簡単に死ねるぞ?」

 

 

「……」

 

 

「……冗談だ。耄碌した中年の妄言だ。真面目に受け取ってくれるなよ? それこそ"余力"を手放してしまう」

 

 

「……」

 

 

「あくまで先生の個人的意見。どう捉えてもらおうと構わない。ツキノキの人生は、ツキノキのモノだ。例えどんな決断を下したとしても、先生はツキノキの意思を尊重したい」

 

 

「……」

 

 

「さぁ、応えを聞こう」

 

 

「先生、私は………………将棋部には入りません」

 

 

「ズコ──────」

 

 

 

 椅子から転げ落ちた。

 

 飛車・角・金・銀・桂・香・玉・歩。

 

 宙を舞う将棋の駒。

 

 材木に似せた欺瞞の雨。

 

 

 

 我に返り、黙って駒を拾い集める。

 

 大切な備品だ。

 

 こんな実態のない部活に部費は下りない。

 

 一つでも駒をなくしたら、また一セット買わないといけなくなる。

 

 

 

 薄給激務の情けない姿。

 

 ツキノキも拾うのに協力させてしまい。

 

 拾い忘れはないものかと、盤に並べて精査する。

 

 

 

 "金"がない。

 

 二番目に大きい駒の筈だが、どこかのスキマにでも入り込んだか。

 

 

 

「先生」

 

 

「む?」

 

 

「足元」

 

 

「……あぁ、灯台下暗し。これで揃った。片付けは、大事だな」

 

 

 

 歳は取りたくないものだ。

 

 情けない姿に、年甲斐もなく涙が出そうになる。

 

 

 

 いくつになっても格好をつけたい。

 

 男というのは、そういう愚かな生き物。

 

 生徒と生身で対話して分かり合うなんてのは昭和の価値観だが、あれは完全に入部する流れだったろう。

 

 またストレスで後退しそうな生え際に諦めをつけ、どうして将棋部に入らないのか聞いてみることにした。

 

 

 

「将棋部に入らない理由。聞いてもいいか?」

 

 

「不正は、ダメです」

 

 

「希望するものにしか配らなかったとしても?」

 

 

「所属すれば、私も共犯に変わりありません」

 

 

「確かにな。確かに……」

 

 

「……」

 

 

「引き際か。腹を括るか」

 

 

「? 告発はしませんよ?」

 

 

「む? どういうことだ?」

 

 

「人生に必要なのは余力。先生がそう仰ったんじゃないですか」

 

 

「……」

 

 

「スネヤ先生も事情があってそうされている。それが不純な動機なら、その時にまた動きます。それに、私はまだ先生に勝てていません」

 

 

「部活に所属しないが、将棋は指したいと?」

 

 

「はい」

 

 

「むっふふ、真っ直ぐだな。……それがツキノキなりの筋の通し方というわけか。わかった、所属諸々は不問だ。先生がなんとかしよう」

 

 

「ありがとうございます」

 

 

「放課後互いに空いてたら、この老いぼれの相手をしてくれ」

 

 

「はい」

 

 

「……一局、指してくか?」

 

 

 




https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill27/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

桂馬の高跳び歩の餌食

 

 

 

 六月二十二日、火曜日。

 

 コツツミさんと話していた所に、ウチハの友達が来襲してきた翌日。

 

 勉強の方は、概ね順調に推移している。

 

 

 

 カッコつけたがその実態は、英語の単語や文法、数学の数式といった基礎を頭に叩き込んでるに過ぎない。

 

 それらを応用した発展問題は、日数を考慮して早速切り捨てた。

 

 他の教科は暗記に重点を置き。

 

 あとは一ページ眺めるだけだとか、範囲の一文を読むだとか、さらっと触れて後回し。

 

 虫食いの記憶と、前日の詰め込みでカバーする予定だ。

 

 テスト外で得点を稼げる提出物については、国語のノート提出は完全に見限っている。

 

 担当の先生が初老で温厚でマイペース。結果これ幸いと睡眠時間が集中。

 

 もうこの遅れはノート提出で得られる評価に見合わない。国語という雰囲気で得点を取れる教科であったことも事態を悪化させた原因だろう。

 

 

 

 以上が、テスト対策に迫られた愚鈍が編み出した苦肉の策である。

 

 理想を言えば、もっと成績を上乗せして親を安心させるべきなのだろう。

 

 だが情けないことに、あれもこれもと欲張れるほど俺のこの手は大きくない。

 

 低空飛行を前提とした消極的な立ち回り。

 

 それで浮いたエネルギーを、"賢さ"の探究に充てたい。

 

 さもないと、俺は。今後人生で大きな間違いを犯してしまう……そんな気がする。

 

 

 

 進路希望調査書は、相変わらず白紙だ。

 

 自分が平穏無事に未来を歩んでいるイメージが湧かない。

 

 今は目的地うんぬんより、地固めして足場を確保しないと。

 

 そのためにも、貴重な夏休みをテストなんかで拘束されている暇はない。

 

 

 

 理由さえ見出せれば、あとは淡々とこなすだけ。

 

 進展が初期化されたショックで、逆に冷静さを取り戻している。

 

 昨日はウチハが必要以上に介入してこなくなったのも関係しているのかも知れない。

 

 今日も一緒に登校するとせがまれなかったな。

 

 余計な横槍が入らなければ、目の前のことに集中できる。

 

 ……鏡に写るものを減らしていけば、本来の力を取り戻せる。ということなのだろうか。

 

 人の顔を見て話せなかったり、無性に一人になりたくなったり、部屋を暗くしたりするのもまた同様に……。

 

 

 

 教室に入った瞬間、いくつもの視線に射抜かれるのを感じた。

 

 明らかに異質な空気を、自意識過剰と結論付け。

 

 要らぬ誤解を生まないよう、俯きながら自席に着く。

 

 俺は注目を集めるような人間じゃない。

 

 きっとその関心は、他の違う誰かに向けられたものだ。

 

 だから、気にする必要なんてない。

 

 

 

 与えられたイスに座っても、なぜか心臓の鼓動は収まらなかった。

 

 "気のせい、気のせい"と頭で言い聞かせても、体は意識することを止めず。

 

 耳に神経が集中するかのように冴え渡る。

 

 いつもと違う感覚に、動作に統一感のないぎこちない動き。

 

 カバンから教科書を出す、一時間目の用意をする、残りは机に入れる。そんな何気ない行動にまごつういてしまう。

 

 気配のする方向から、ヒソヒソと話し声。

 

 自分に向けられたものかもしれないが、同時に俺にそこまでの価値はないと言う揺るぎない自信。

 

 それでも意識が引っ張られるので、筆記用具を抱え込み、耳を片側塞ぐ形で机に突っ伏し狸寝入り。

 

 

 

 暗黒。暗闇。教室内にできた別空間。

 

 ここには光を放つものは何もない。

 

 教室で起こる喜怒哀楽は、すべて別世界の出来事。

 

 そのはず。なのに。どうして……。

 

 HRが始まるまで、複数の悪意が向けられているような感覚が消えることはなかった。

 

 

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 

 

 授業中になっても、違和感は消えない。

 

 それどころか、その正体はより指向性を持ち始めているようだった。

 

 周囲の人間が、キョロキョロと辺りを確認し出す。

 

 その流れは、二時間目を終えた頃にはすっかり特定を済ませた……ように感じる。

 

 

 

 思い込みの力というのは恐ろしい。

 

 一度"そうかも"と認識してしまうと、簡単には覆せなくなってしまう。

 

 今の状況が、まさにそれだ。

 

 第一、会話に上げる理由がないじゃないか。

 

 こんな俺みたいにつまらないやつを引き合いに出すより、もっと面白くて有意義な話題なんていくらでもある。

 

 それなのに"自分に注目が集まってる"だなんて、一体どこのナルシストだ。

 

 

 

 休み時間になるたび、大人しく座っているのに耐えかねて席を立った。

 

 用もないのに、フラフラと校舎を渡り歩く。

 

 階段を上がり、人気のない場所で中腰に、そうして教室へ戻ってくる。

 

 あの異様な場所で長時間拘束されるのは、精神的にクルものがある。

 

 最後の休息とトイレに寄って。案の定、出すものは出ず。

 

 

 

 手を拭きながら廊下に出ると、コツツミさんと目が合った。

 

 

 

「さっきの授業のノート取ってる?」

 

 

「え? あぁ」

 

 

「貸してくんない? 板書消されちゃってさぁ」

 

 

「別にいいけど……」

 

 

「ほら、早く。チャイムなっちゃう」

 

 

「……今じゃなきゃダメか?」

 

 

「ほんの数行だから。すぐ返す」

 

 

 

 コツツミさんが居なかったら、何のヒントも得られず途方に暮れていたであろうことは容易に想像できる。

 

 人格に問題はあるものの、だからといって感謝しなくていい理由にはならない。

 

 出過ぎた要求でもない限り、協力してあげたいと考えるのは当たり前なことだろう。

 

 突然のことに少々の疑念を抱きながら、言われた通り机からノートを取り出す。

 

 横合いから伸びた手が、無言でそれをかっさらった。

 

 今更だ。こんなことにいちいち反応していては、コツツミさんとの協力関係なんて築けてない。

 

 机に広げられてたノートに走り書きをして、一瞬で戻ってくる。

 

 

 

 鳴り響くチャイム。

 

 急いで次の授業の準備をする。

 

 "ども〜"と受け取ろうととしたその時、口元が歪んでいるのが見えた。

 

 理由を尋ねる間もなく、背中をむけるコツツミさん。

 

 そして、ようやく気付く。

 

 クラス中の視線が集まっていることに。

 

 

 

 "え? ──────"

 

 

 

 なんで、俺を見てるんだ? 

 

 俺が、何かしたのか? 

 

 なんだ、その目は。

 

 まるで、裏切り者を見るような目じゃないか。

 

 クラスの不利益に繋がることは……あ。

 

 

 

 ようやく、理解に及ぶ。

 

 コツツミさんが槍玉に上げられていたから、見落としていた。

 

 俺もまた、このクラスの不愉快な存在であったことに。

 

 そしてまた、今まではウチハによって守られていたということに。

 

 

 

 そんな。いきなり。どうして……。

 

 決まってる。俺が好き勝手し始めたのと同じように、ウチハも好き勝手始めたんだ。

 

 釘を刺してきた。

 

 目的は、単純。

 

 そんなくだらないこと切り捨てて、合流しろという"命令"。

 

 もし従わないのなら、コツツミさんと同じく孤立させるという"警告"。

 

 俺の個人的事情だとか、ツキノキさんとの会話、コツツミさんとの交渉諸々を考慮に入れない。

 

 不善で、偽善で、独善で。

 

 ようやく育った萌芽の上を踏み荒らす行為。

 

 そんな優しい理不尽が、眼前で繰り広げられただけ。

 

 

 

 ショックだった。

 

 確かに俺は、不器用だ。あらゆる部品が足りてない。

 

 でも、それでも。足りないなりに試行錯誤してきたつもりだった。

 

 いつも気にかけてくれるウチハには、その頑張りが少なからず理解されているものだと思っていた。

 

 けど、違ったんだ。

 

 ウチハは俺を理解しちゃいない。ウチハが共有しているのは、その他大勢が見る景色だ。

 

 

 

 ……実に滑稽だ。

 

 俺は一体、ウチハに何を期待していたのだろう。

 

 ろくに心中も明かさないで、勝手に理想を押し付けて、勝手に裏切られてたと傷ついて。

 

 この行動に悪意があろうと、なかろうと。ようやく見つけた活路を引き返す勇気はいまの俺にはない。

 

 

 

 とにかく、いまはテストを切り抜けるのが先だ。

 

 補講が終われば、晴れて夏休み。

 

 最悪ツキノキさんなら、きっと具体的な解決策を提示してくれるはずだ。

 

 それまでの辛抱、辛抱……。

 

 

 

 この時は知る由もなかった。直面した問題の、その根深さに。

 

 

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 

 

 同情、憐れみ、軽蔑、嘲笑。

 

 寄せては返す感情の波。

 

 灼熱の太陽の下放置されているような感覚。

 

 物理的に害あるわけではないが、それでも監視されるような感覚は放課後まで続いた。

 

 "実害がないのだから問題ない"。そう簡単に言い切れないほどに、心が衰弱していくのがわかる。

 

 いつかコツツミさんが語っていた感情の増幅器。今まさにこの瞬間、イヤというほどわからされているようだった。

 

 

 

 これが、夏休みまで続くのか……。

 

 時計の進みが一層遅い一日。

 

 やっとの思いで解放されれば、一目散に荷物をまとめ教室を出る。

 

 見せ物は御免だ。動物園のパンダじゃあるまいし、付き合ってられない。

 

 なによりも優先すべきはテスト。

 

 今日はまったく集中できなかった。せっかく自習の時間もあったってのに……。

 

 こんな事で心が折れかかっているようじゃ、先が思いやられる。

 

 

 

「やっほー」

 

 

「……」

 

 

「どした? 話聞こか?」

 

 

「……知ってたのか?」

 

 

「あ? 何を?」

 

 

「惚けるなよ。あからさまに燃料ぶちまけてただろ。……目的はなんだ?」

 

 

「べっつにー。深い意味はないよ?」

 

 

「……悪意があるのは否定しないんだな」

 

 

「火が燻ってなきゃガソリン撒いても気化するだけでしょ。火種を見落としてたのはメツギくんの責任じゃん?」

 

 

「……」

 

 

「で? どうすんの?」

 

 

「どうもこうもない。……テストが迫ってる。まずはそれを片付けてからだ」

 

 

「はい手遅れ」

 

 

「は?」

 

 

「啓示したげる。いますぐ行動に移せ。さもないとお前は破滅する」

 

 

 

 眼球に迫った人差し指。

 

 遥か高みから、全てを見透かしたように告げられた予言。

 

 強い言葉で、冷静な判断力を削ごうとするのは詐欺師の常套手段。

 

 それが俺をハメた張本人ってなら、身構える必要がある。

 

 

 

 ……口車に乗ってやる気はさらさらないが、"ふざけるな"と切り捨てられるような根拠もない。

 

 相手にすべきかの判断は、まず詳細を掴んでからだ。

 

 

 

「だからって……テストを片手間に対処できるほど「あたしが代わりに動いてやるよ」……」

 

 

「代価は、メツギくんの夏休み」

 

 

「……ふざけるな。こっちは一日だって惜しいんだ」

 

 

「学生生活の安泰を、たったの一ヶ月ぽっちでペイできるってなら、破格の値段だと思うけど?」

 

 

「断る。……じゃあな」

 

 

「後悔しないようにね」

 

 

 

 振り返らず帰路につく。

 

 執拗に絡まれなくて良かった。

 

 ホッと安堵する傍で、なぜだか背後のコツツミさんが、笑いを堪えているような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま〜」

 

 

「あぁ……おかえり」

 

 

「いっやー今日も暑いよねぇ〜。シャワー浴びちゃうけどいい?」

 

 

「……あぁ」

 

 

「なんだったら、一緒に入る?」

 

 

「勉強、しないと」

 

 

「そか」

 

 

 

 ウチハに特別変化はない。

 

 これではっきりした。今日の出来事は、想定の範囲内だったのだろう。

 

 ここで泣きつきでもすれば、この騒動はピタリと止む。

 

 代償として、コツツミさんは疎か、ツキノキさんとさえ喋れなくなる。

 

 そうなれば、またちっぽけな自分に逆戻りだ。

 

 ……。

 

 

 

 いや、いまは悩んでる場合じゃないんだって。

 

 勉強しないと。やりたくないが、英語と数学の遅れはひどい。

 

 二回や三回じゃ覚えられないんだ。それなら十回二十回と反復しないと。

 

 一度足を滑らせた人間は、まず立ち上がる所から始めないといけない。

 

 できないやつが、もっとできなくなる仕組み。

 

 一抹の不公平さに、頭を振った。

 

 

 




https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill28/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

玉の早逃げ八手の得あり

 

 

 

 テスト前日の夜。

 

 リビングの机に翌日の教科を広げながら、最後の追い込みをする。

 

 

 

 時間を捻出してみたものの、結局新しい"賢さ"は影も形も掴めなかった。

 

 やはり俺一人の力では、手も足も出ないということか。

 

 改めて自らの能力不足を情けなく思いながら。

 

 ……こんな調子で、果たしてテストを乗り越えられるのだろうか。

 

 ちょっかいをかけられて気が立っているのは承知しているが、この瞬間だけはどうか勉強に集中してくれ。

 

 

 

 目頭を揉んで、気疲れを払う。

 

 廊下で軋む音。

 

 抜き足差し足。ゆっくりとウチハが入ってくる。

 

 

 

「ごめんね。ちょっと、飲み物」

 

 

「……」

 

 

「どう? 明日のテスト、イケそう?」

 

 

「……さあな」

 

 

「だ、大丈夫だよエイタなら。勉強がんばってたもんね? きっといい点取れるって」

 

 

「「……」」

 

 

「あ、あのさ」

 

 

「……なんだよ」

 

 

「仲良いフリってできないかな、なんて」

 

 

「……」

 

 

「いや、うん。なにかに打ち込んでるエイタはとってもカッコいいよ? その邪魔をボクがしちゃってるってのもわかってるつもり。けど、おばさんとか、ボクの友達とか。敵いっぱい作っちゃうのよくないよ。……ボクのことキライなままでもいいからさ、周りにケンカ売るのはやめない?」

 

 

「……」

 

 

 

 牛乳を注ぐ流れで向かい席に居座られる。

 

 なんとも返答に詰まる提案。

 

 実際、ナルシストやら浮気野郎やら勘違い男といった流布によって、学校では肩身が狭くなる一方だ。

 

 ウチハが近くにいる時と同等、いやそれ以上の好奇の視線に晒され、休まる時間はほとんどない。

 

 不快に思われているのは把握していたが、まさか挑発している認定だったのは初耳だった。

 

 しかしだからと言って、素直に提案を呑む気にもなれなかった。

 

 今すぐにでも現状を脱したい俺にとって、コツツミさんは切っても切れない存在。

 

 よってたかって人を貶めるような姿勢にも賛同できない。

 

 

 

 コツツミさんと関係性のある俺は、それを良しとしないウチハやその友達とは明確な敵対関係にある。

 

 それを表では握手したように見せ、裏では足を踏みつけるなんて高度な手腕を持ち合わせていない。

 

 そもそも、都合が良すぎる。協力関係を築いているコツツミさんに失礼だろ。

 

 誰かを犠牲にするくらいなら、自分を犠牲にしていた方が数百倍マシだ。

 

 

 

「それは、できない」

 

 

「ッ……」

 

 

「明日、テストだろ」

 

 

「うん」

 

 

「部活、出れなくなるぞ」

 

 

「うん」

 

 

「あんまり遅くまで起きてるなよ」

 

 

「うん」

 

 

「おやすみ」

 

 

「うん。おやすみ……ねぇ、エイタ」

 

 

「?」

 

 

「コツツミさんのことも、好き?」

 

 

「……」

 

 

「そっか……勉強、頑張ってね?」

 

 

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 

 

 テスト当日。

 

 ギリギリまで登校をズラし、最後の抵抗を試みる。

 

 途中、ウチハに家を出るように勧められるも、やんわりと断りを入れ。

 

 視線もよこさない態度にあきれたのか、そこで会話は終了。

 

 玄関が開いて、閉まる音がした。

 

 

 

 初日から英語と数学を持ってこられるのは困る。

 

 できれば土日休みを挟むテスト三日目以降にしてほしかった。

 

 そんな個人都合が聞き入れられるはずもなく。

 

 一発目の英語。そこで要求される単語を時間の許す限り暗記する。

 

 遅刻だけはしないよう、時間をマメに確認。

 

 こんなんで集中できるはずがない。

 

 

 

 無為に時間は過ぎていき。不安と焦りを抱えたまま学校に向かった。

 

 教室に入ると、しんと静まり返る。

 

 足早に自分の席につき、自分の世界に逃げた。

 

 動き出す外界。

 

 突きつけられる場違いに胸が苦しくなる。

 

 この場から合法的に立ち去りたくて、早くテストが開始される事を望んだ。

 

 

 

 一時間目、英語。

 

 リスニングはかろうじて聞き取れる断片を手がかりに埋める。

 

 一問一答の軽い問題は上出来。

 

 筆記。単語、文法、長文読解は記憶を手繰り寄せながら。

 

 先生が回収を指示するまで悩み抜いた。

 

 

 

 次、地理。

 

 正直、心配だ。

 

 初日から英語と数学で手いっぱいなのに、地理まで手を回す余裕はなかった。

 

 振り返った場所がピンポイントで出てくれるように祈って。

 

 答案は半分ほど埋めることができた。

 

 裏を返せば、半分しか埋めることができなかった。

 

 

 

 最後、数学。

 

 基礎問題から先に取り組み、応用で手が止まる。

 

 苦し紛れの計算式を解いていると、気づけば終了の時間に。

 

 

 

 一日目終了。

 

 二日目もこんな調子で。

 

 土日休みを挟み、幾分か持ち直す。

 

 三日、四日、五日と日数は進み。

 

 最後の関門は国語だった。

 

 

 

 初老先生のモゴモゴ訂正にも落ち着いて対応できている。

 

 早計かもしれないが、国語は、いや休みを挟んだテストは問題ないだろう。

 

 不安要素はやはり数学と英語。それに後手を引かされた地理。

 

 結果は明日。すぐにわかる。

 

 何とか最悪の事態だけは回避している事を祈ろう。

 

 

 

 テストが終わり、緊張が解かれる教室。

 

 補講期間を乗り越えれば晴れて夏休み。表情も緩むというものだ。

 

 ……やっとまとまった時間が確保できた。これでようやくツキノキさんへのお礼ができる。

 

 だが具体的に何をすればいいのかの目処は立っていない。

 

 晩酌のおつまみセットなんてのを用意すれば、喜んでくれるだろうか。

 

 おっさんのステレオタイプのような対応に、さすがに品がないかなと足を止める。

 

 異性が喜ぶものは、異性に聞くのが一番。

 

 好みや傾向とか……意外な盲点に気付けるかもしれない。

 

 

 

 直接ツキノキさんに聞くのは憚られた。こういうのは、何というか。……密かに準備して驚かせるものだろう? 

 

 そうなると、候補は二択あるわけで。

 

 ウチハとは長い付き合いだから、目新しい情報は得られないだろう。軍門に下ってまで聞き出す必要はない。

 

 となると自動的に、コツツミさんになってしまう。

 

 ……参考? なるのか? あのチョコミントモンスターが? 

 

 

 

 いずれにしろ、夏休み中も協力を打診する予定だったから、これを機に関係をより強固なものにしておきたい。

 

 そのためにはまず連絡先。何としても夏休みまでに確保しておかなければ。

 

 四六時中なんて贅沢は言わないから、困り果てたときに一言二言助言してもらえる地位に収まってくれるのが理想。

 

 果して上手くいくだろうか。

 

 いや、上手くいくどうこうじゃない。やらなくちゃいけないんだ。

 

 

 

 配慮もクソもなくなって、教室内でも喋れるようになって久しい。

 

 以前よりもずいぶん動きやすくなり、チャンス自体は増えている。

 

 はてさて、どう説得したものか。

 

 

 

「テストどだった?」

 

 

「あぁ、まぁ……ぼちぼち」

 

 

「あたしはあくびが出そうだったわ」

 

 

 

 ワワワと口元を隠しながら。

 

 コツツミさんが唐突に話しかけてきたが、驚くほどのことじゃない。

 

 このテスト期間中。特に帰り際に呼び止められることが頻繁にあった。

 

 勘繰らずにはいられない。だが、応えずにもいられない。

 

 

 

 コツツミさんの発した忠告。

 

 俺が孤立している関連だろうことは誰の目にも明らか。

 

 いったい何があるというのか。これ以上事態が悪化するとでもいうのか。動向に注意を払っても、以前に比べてイキイキしている以外に特別変化があるわけじゃない。

 

 嘘か誠か。からかって遊んでいるだけなのか。実際にこの身に降りかからないことには対処のしようがない。

 

 

 

「なぁ」

 

 

「?」

 

 

「もしプレゼントをもらうとして。どんなモノだったら嬉しい?」

 

 

「ブフォッ。なにそれ? 口説いてんの?」

 

 

「お世話になってるツキノキさんに何か送りたいんだ。なにか案ないか?」

 

 

「つまんな」

 

 

「つまらなくて悪かったな」

 

 

「お金でも送ったら? 承認欲求足りてないんでしょ?」

 

 

「そういう下世話なのを求めてるんじゃなくてだな」

 

 

「んじゃメツギくんをリボンで縛ってプレゼントってのは? うっは。キッモ」

 

 

「聞くだけ無駄だった」

 

 

「ウソウソ冗談冗談。メツギくんが選んだものなら何でもいいんじゃない? どんなにダッサくてブッサくてクッサいプレゼントでも、メロカリに出せばお小遣い程度にはなるからさ? あ、でもそれなりのモノ贈らないとダメだかんね? 札になんないとテンション下がんじゃん? これ常識」

 

 

「……」

 

 

 

 コツツミさんはツキノキさんほど繊細じゃない。

 

 大雑把で豪胆で下品。

 

 高額で認知されてるわかりやすいプレゼントを好むというのは解釈が一致する。

 

 それなら逆に、ツキノキさんへは安価でマイナーな珍しいモノを送った方が喜ばれるのではないだろうか。

 

 

 

 問題は、その条件に合致する知識がそもそもないことだろう。

 

 こんなことなら、趣味の一つや二つ持つべきだった。

 

 周囲との開きが顕著になる中で、非生産的活動に興じる呑気さがあったらば……という話だが。

 

 嘆いてばかりもいられない。

 

 恥を忍んで、ここはツキノキさんの叡智を借りよう。

 

 ツキノキさんの感性ならば、より芯を食った話が聞けるかもしれない。

 

 

 

 コツツミさんとは駅前で手を振り。元来た道を引き返す。

 

 焦りは禁物。

 

 補講期間は計七日。

 

 その間に協力を取り付け、必ず手掛かりを掴んでみせる。

 

 グッと握った手に、ジンワリと汗が滲む。

 

 せっかちな蝉の独唱。

 

 運命の夏が始まる。

 

 

 

 荷物を放り、ベッドに倒れ込む。

 

 久々の自宅。

 

 ようやく羽を伸ばして休める。

 

 休憩もそこそこに、スマホからメッセージアプリを起動した。

 

 

 

 探すのはもちろん、ツキノキさんの名前。

 

 最後の遊園地は、嫌な別れ方をしてしまった。

 

 そんな些細なことで対応を変える人ではないとは思うが、甘え過ぎているという自覚があるのも事実。

 

 呼吸を一旦整えて。失礼のないように言葉を選んで。

 

 メーっセージを送って。張り付いて。

 

 

 

《すみませんツキノキさん。いま時間をもらっても大丈夫ですか?》

 

 

《構わないよ》

 

 

《お世話になっているツキノキさんに、何か贈り物をしたいと考えていたのですが》

 

 

《いい案が思い浮かばなくて》

 

 

《メツギさん》

 

 

《なんでしょう》

 

 

《誰かに何かをしてあげようという気持ちは、とても尊いものだ》

 

 

《ありがとうございます》

 

 

《けれどね、メツギさん》

 

 

《?》

 

 

《無理してないかな?》

 

 

 




https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill29/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二枚飛車に追われる夢を見た

 

 

 

《すみませんツキノキさん。いま時間をもらっても大丈夫ですか?》

 

 

《構わないよ》

 

 

《お世話になっているツキノキさんに、何か贈り物をしたいと考えていたのですが》

 

 

《いい案が思い浮かばなくて》

 

 

《メツギさん》

 

 

《なんでしょう》

 

 

《誰かに何かをしてあげようという気持ちは、とても尊いものだ》

 

 

《ありがとうございます》

 

 

《けれどね、メツギさん》

 

 

《?》

 

 

《無理してないかな?》

 

 

《えっと、すみません》

 

 

《発言の意図が読めないのですが》

 

 

《何かをしてあげたいと思う気持ちはきっと正しい。けれど、相手に寄り過ぎてしまう点はいただけない。メツギさんは、特に》

 

 

《相手を思い遣ってはいけないと?》

 

 

《全てそうとはいわないが》

 

 

《それじゃあ、一体どうすれば》

 

 

《相手によってではなく、自身の発露に従えばいい》

 

 

《それはただの身勝手では?》

 

 

《そうかもしれないね》

 

 

《納得できません》

 

 

《無理をすると、無意識に見返りを求めたくなってしまう。向き合った時間・金銭・気持ち以上の、せめて同等の感謝をもらえなければ、物足りなさが胸で渦巻く。相手も同様。無理に無理で付き合えば、双方にとって不幸に他ならない》

 

 

《俺の独り善がりで、感謝は伝わるでしょうか》

 

 

《どうだろうね》

 

 

《自信ないです》

 

 

《難しく考える必要はない。どこかへ探しにいく必要もない。なにかを変える必要もない。メツギさんは、メツギさんらしくあるだけでいい》

 

 

《自分らしくあるだけで?》

 

 

《眉唾かい?》

 

 

《ツキノキさんも、同じ心持ちなのでしょうか》

 

 

《そう願いたい》

 

 

《素敵です。眩しいくらいに》

 

 

《メツギさんなら、その先へだって辿り着ける。少し、喋りすぎてしまったね。また何かあれば、話を聞こう》

 

 

《はい。ありがとうございました》

 

 

 

 最後のメッセージに既読がつく。

 

 やりとりが完全に止んだのを確認してから電源を落とした。

 

 

 

 自分らしく。俺らしく。

 

 ツキノキさんの口ぶりは、あるがままの弱さや未熟さを肯定する甘言だった。

 

 よくできた話だと苦笑しながらも、相手がツキノキさんであることから閉口する。

 

 記憶が確かなら、"賢さ"を尋ねた時も同様の姿勢だった。

 

 奇妙な一致。背後に一貫したナニカがある。

 

 このわだかまりこそが、もしかすると"賢さ"の正体なのかもしれない。

 

 

 

 そうと分かれば、うかうかしてられない。

 

 弾かれるように机に向かい、頭のゴチャゴチャをノートに吐き出す。

 

 難しく考えるなと言われているのに、難しく考えてしまっている時点で軌道から外れている気がするが。

 

 何もせず立ち尽くすより、よほど健全。

 

 

 

 難しいことではなく、どこか別の場所にあるわけではなく、変化する必要もなく。

 

 自分勝手。自分本位。自分都合でいい。

 

 果たしてカラッポな俺に、ツキノキさんへ送れるようなワガママは残されているのだろうか。

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 

「エイター? あんたちょっと下りてきなさい」

 

 

 

 ……なんだ? 呼び出したりして。

 

 気が進まない。嫌な予感がする。

 

 けど行かなきゃ行かないで、後が怖いからな。

 

 ノートを引き出しにしまい、仕方なく立ち上がる。

 

 お礼の件、コツツミさんの引き入れ、嫌がらせへの対処。問題は山積みだってのに。

 

 一難去ってまた一難。問題には事欠かないらしい。

 

 

 

 扉越しにリビングを見ると、母親とウチハがいた。

 

 ウチハ、来てたのか。気が付かなかった。

 

 入室して、改めて状況を確認。

 

 母は腕組みして、仁王立ちでこちらを睨んでくる。

 

 ウチハの方は、ダイニングテーブルに座って俯いていた。

 

 あぁ……。

 

 

 

「あんたまたヘンな意地でウチハちゃん困らせてるの?」

 

 

「ウチハちゃんに迷惑かけるなって何度言えばわかるの?」

 

 

「そうやって黙ってれば許されるとでも思ってるんでしょ」

 

 

「だいたいあんたはねぇ、自分以外に無関心なのよ」

 

 

「ウチハちゃんがどんな想いであんたの世話してるか考えたことあるの?」

 

 

「大事な時期だってのに手間割いて気にかけてもらってるのに、挙句それが当たり前かのように感謝も忘れて」

 

 

「剣道の不調はあんたにも原因があるのよ?」

 

 

「しょうもないプライドでカッコつけてるから二人っきりにしてあげたのに」

 

 

「ちょっと目を離した隙にウチハちゃん隠れ蓑に好き放題して」

 

 

「授業不真面目に受けて、テストはちゃらんぽらんで」

 

 

「あんたわかってんの? 危機感ってものがないんじゃないの? いままで出来てたことが出来なくなってるのよ? このままじゃ社会のお荷物まっしぐらじゃない」

 

 

「夜遊びがなんだか知らないけどねぇ。あんたみたいなろくでなしとつるんでるヤツなんて、マトモな人間じゃないわよ」

 

 

「ちゃんと聞いてるの? あんたに言ってるのよ? 返事ぐらいしたらどうなの」

 

 

 

 ぶつけられる不備。科される要求。自発性の否定。

 

 なにより、ツキノキさんの人間性さえ歪められて、なにも言い返すことの出来ない自分。

 

 あまりの惨めさに、頭が真っ白になってしまった。

 

 ツキノキさんに認めてもらった俺が、ボコボコと熔けていく。

 

 原型を留めることさえままならず。だが心の大事な所だけは守ろうと、何も言わずに背を向けて。

 

 背後から怒号がいっそう響く。

 

 腕を掴まれ。引き戻されて。

 

 一方的な会話劇。

 

 ウチハが介入した隙に振りほどき。

 

 こんな家に居たくない。

 

 振り返らずに逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世の中が、くすんだ鏡で満ちてるとして。

 

 利害関係を調整するには、要求の突きつけ合いは必須。

 

 相互理解を深めるためには、要求の突きつけ合いはさらに必須。

 

 強者はもちろん、弱者も自己主張しなければいないと同意。

 

 上も下も左も右も、要求の叩き合いという点では同じ。

 

 

 

 人間関係もそれは同様。

 

 教室の隅で死んでる人畜無害なんて、気色悪いったらありゃしない。

 

 それならば、口汚く特定の個人を罵ってでも、情報開示を怠らない人物のほうが受け入れられる。

 

 

 

 強い光を前提とした世界。

 

 過敏に反応してしまう澄んだ鏡には、どだい無理な話。

 

 学校でいじめられるのも、その共犯が受け入れ難いのも、社会に息苦しさを覚えるも当然で。端から社会構造に組み込まれてなかったのだ。

 

 例え"賢さ"を見つけ手にしたところで、そもそも発揮する場所がないのなら。

 

 俺の選び取る行動は、すべて空しい現実逃避なのではないか。

 

 

 

 ふと足が止まる。

 

 夜の河川敷。

 

 どうやら学校の反対側まで来てしまったようだ。

 

 

 

 十メートル間隔の明かりに、時々ランナーが浮かび上がる。

 

 街灯の淡い、グラウンドの野球ベンチに座り込み。

 

 芝生をむしり、放ったそれを夜風がさらった。

 

 目の前の河川は漆黒。音もない静寂。

 

 

 

 個人目線でも、冷静に俯瞰してみても、結論は同じ。

 

 ただただ、自己が不良品であると再認識しただけ。

 

 もしも推測通りなら、俺は一生苦しみ続けることになる。

 

 

 恐らくこの先も割り切ることはできないし、何かの弾みで社会が歩み寄るなんて間違いも起こらない。

 

 ここで身を投げてしまえば、あらゆるしがらみから楽になれるのではないか。

 

 

 

 ……。

 

 

 

 楽になるまでの苦しみ、しくじった時の絶望、いままでかけられたお金、粗大ゴミの後始末、残された人達への影響。全部保証してくれるなら、喜び勇んで飛び込めるのに。

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 

 やんなっちゃうよな、ほんと。

 

 泣くことしか出来ないなんて。

 

 誰かの助けを呼べないなんて。

 

 呼べたところで意味などなくて。

 

 選べる道には未来はなくて。

 

 否定に否定が重なるだけで。

 

 逃げることさえ許されなくて。

 

 終わらせることさえ叶わなくて。

 

 

 

 ……泣き止んだだけで一仕事終えた気になるなゴミが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 

 この日から補講期間に突入する。

 

 テスト返し、授業日数の調整、夏休みの宿題などいよいよ大詰め。

 

 心底どうでもいい。

 

 

 

 目的を見失ってしまった。

 

 このまま祈りを捧げたところで、希望はないのだと悟ってしまった。

 

 ツキノキさんが言葉を選んでいたのは、慈悲の意味も含まれていたのだろう。

 

 ……それでも向き合ってくれたことに変わりはないのだから、感謝は伝えるべきで。それさえできないなら俺は本当のクソ野郎だ。

 

 

 

 再開したネガティブキャンペーン。

 

 連続してシャッターを切る音。

 

 グループで回すだとか、ネットに晒しあげるだとか。鋭敏な聴覚は不必要なことまでよく拾う。

 

 シャッター音が頭にこびりついて離れない。不眠と相まって最悪の相乗効果。

 

 判断力が鈍って車の前にでも飛び出してくれることを密かに期待していたが、ただ無気力であらゆる行動が億劫になるだけだった。

 

 

 

 死体になって乗り切りながら、昼。

 

 食欲がない、気力も湧かない、でも教室にはいたくない。

 

 後ろ指を指されながら図書室へ逃げる。

 

 

 

 目的らしい目的もないはずだったが、無意識に向かった先はある棚の前。

 

 一冊の本を手に取った。

 

 ……なんだ? 血迷ったか? 見たところで腹が減るだけだぞ? 

 

 パラパラとページをめくっていき、その手が止まる。

 

 腹がなった。食欲はそんなにないはずなのに。

 

 反応したといううことは、食いたいということなのだろうか。

 

 そういえば、前にコツツミさんと喋ったな。上手くできたら食べさせてとも。

 

 

 

 自分らしくあるのなら、味噌煮込みうどんを作るいい機会かもしれない。

 

 美味しく作ることができたなら、これ以上の身勝手はないだろう。

 

 そうと決まれば話は早い。

 

 椅子に腰掛けて読み込んでいく。

 

 

 

 うどんに鶏もも、油揚げ・紅かまぼこ・青ネギ・卵・だしの素・豆みそ・みりん。結構シンプルだな、材料もすぐ揃いそうだ。

 

 手順にも技術らしい技術は見られない。これなら俺でも上手く作れそう。

 

 もろもろの計画を立てていると、あっという間に昼休み終了の時間が迫る。

 

 放課後は一秒でも学校に居たくないので、どうせなら本を借りてしまうことに。

 

 そうか、夏休みに合わせて長期貸出期間になっているのか。

 

 ないとは思うが、調理に難航した際の手間が減るのはいいことだ。

 

 

 

 また放課後まで不貞寝し、HRが終わればすたこらっさっさ。

 

 どんな味がするのだろう。赤味噌は口にしたことがないから、味の想像が全くつかない。

 

 味噌に変わりはないのだが、郷土料理として独自の地位を築く以上、似て非なるものな気がする。

 

 好奇心に胸躍らせて。

 

 スーパーで買い出しを済ませて足取り軽くウチハの家へ。

 

 ウチハは再開した部活で帰りが遅くなる。

 

 ここなら気兼ねなく試作できるし、もし責められたとしても免罪符として味噌煮込みうどんを差し出せばいい。

 

 腹の虫が鳴った。体はもう待ちきれないようだ。

 

 とりあえず一人前から作ってみよう。

 

 

 

 一人用土鍋なんて都合のいいものはなかったので、片手鍋に準備をしていく。

 

 手順通りに進めていき、特に苦戦することもなく味噌煮込みうどん完成。

 

 誰も止めるものもおるまい。行儀悪く鍋のまま食べる。

 

 どれどれ……? 

 

 なんだろう、この。独特の風味。

 

 いや、不味くはない、不味くはないんだが。美味しくもない? こんなものなのか? 

 

 問題なく食べれてはいる。だが空腹を加味するならなんかもう少し。????? 

 

 

 

 調理器具や材料に多少の違いこそあれど、しっかり表記通りに調理をしたはず。

 

 どこかでミスをした? いや材料は一人分で計算した。それに調理は一方通行、切って入れて煮込むだけ。逆にミスをする方が難しい。

 

 俺の舌がおかしいのか? いや、普段から家族で食事をしていたからその線は薄い。

 

 短期間で劇的に変化した線も捨てきれないが、そんなわかりやすいキッカケに覚えがない。ストレスは元からだしな。

 

 あと考えられるのは調味料、くらいか? 

 

 甘味・塩味・酸味・苦味・うま味……。どれが不足してるのかなんて見当もつかない。

 

 他にも似たようなレシピが並んでいることから、レシピ自体が間違っているというのも考えづらい。

 

 ????? 

 

 

 

 この日は一日悩んでも解決できず、モヤモヤを抱えたまま翌日を迎えた。

 

 

 

 

 

 赤味噌のポテンシャルを生かしきれていない気がする。

 

 だがその原因がわからない。

 

 このままでは迷宮入りしてしまいそうなので、コツツミさんに相談してみることにした。

 

 性格は終わっているが、こういう時に頼りになるのがコツツミさんだ。

 

 報酬はもちろん、おいしい味噌煮込みうどん。

 

 

 

「コツツミさん」

 

 

「およ? ようやく目が覚めた感じ? 報酬は高くつくよ」

 

 

「違う。別件だ」

 

 

「どんだけ問題抱え込めば気が済むんだよ」

 

 

「……味噌煮込みうどん作ったんだ」

 

 

「食えって?」

 

 

「いや、そのレベルに達してない。作ってみたがどうもパッとしなかった」

 

 

「ふーん」

 

 

「一人前、レシピ通りにちゃんと作ったはずだ。うどんに鶏もも、油揚げ・紅かまぼこ・青ネギ・卵・だしの素・豆みそ・みりん。手順は「砂糖入れた?」

 

 

 




https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill30/


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。