めちゃくちゃ堂々とあの方とか言ってるが第三勢力なんて存在しない (幽 )
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道化が騙る


pixivでも投稿しております。なんとなく、こっちにも投稿してみます。
感想、いただける嬉しいです。


にこりと笑ったその隣で、同じように穏やかな顔をした男が微笑んでいた。

 

「・・・・君との話は実に有意義だと私は思うよ。」

 

それに、男の向かいに座った青年は柔らかに微笑んでいる。黒いスーツをまとった彼は、緩やかに微笑んでいた。

けれど、不可思議なことに青年は顔の前に白い布を垂らしている。彼らがいるのは、あるファミレスの中だ。

けれど、誰もそんな彼に対して関心を向けない。

 

「それで、計画は滞りなくすすめられるので?」

「ああ、呪霊たちとも関係は築いたしね。そうそう、真人が君に会いたがっていたよ。」

「真人様が?はい、また顔を出すとお伝えください。」

 

礼儀正しく柔らかに微笑んだことを察して、男はいやいやと首を振った。

 

「伝えておくよ。それにしても、君たちの主は未だに姿を現してはくれないんだね。」

 

それに、布の面をつけたそれは首をかしげる。

 

「申し訳ございません。あの方は良くも悪くも慎重な方で。ただ、こちらとしても十分な協力はさせていただいたかと。」

「まあね。夏油傑の体は手に入らなかったが。代用品としては十分だよ。それに、五条や夏油への対策は十分だ。」

「計画が滞りなく進めば、よき結末になるかと。」

「・・・・わかったよ。」

 

それに、スーツ姿の男は立ち上がり、深々と礼をした。

 

「それでは、これにて。」

 

男がするりとテーブルから離れる。男はそれにごくりとコーヒーをすすった。そうして、次の瞬間には男はいなくなっていた。

それに、彼はけだるそうにため息をついた。

 

「いやはや。つれないことだ。」

 

 

そうして、所変わって、ファミレスから少しだけ離れた路地裏。

ぜーぜーと荒く息を吐く、脂汗をだらだらながした少年が一人、壁に寄りかかっている。

そうして、青い顔で、はあああああとため息をついた。

 

「あの方って誰だよおおおおぉ…」

(あの方とか、第三組織なんてどこにもねえんだよなああああっ!!)

 

少年、虎杖祐礼はぐったりと息を吐いた。

 

 

 

どんな人間にだってあらがえない現実というものに屈してしまうときはあるだろう。

例えば、テストの結果だとか、運の悪さだとか愛だとか。

まあ、これは覆らないだろうと思えるような何か。

祐礼という少年がそれを自覚したのは、未だに小学校にさえ通っていないほどの年齢の頃。

頭の重い年齢だ。二頭身に等しいバランスの体は簡単にこけてしまう。ごちんと、後頭部に衝撃が走った。幼い体はそれに痛みよりも先に驚きを覚えた。がちんと固まった体を何かがのぞき込む。

 

「ゆーと、だいじょーぶ?」

 

舌っ足らずの言葉と共に自分をのぞき込む、双子の弟。

そこで、何かが祐礼の脳裏ではじけた。

柔らかそうな明るい髪色、愛嬌のある顔立ち。

見慣れているはずだ。だって、目の前のそれと自分は鏡から抜け出したかのようにそっくりなのだから。

なのに、自分は目の前のそれと初めて話すと自覚した。口から、無意識にそれの名前が吐き出される。

 

「ゆーじ?」

「なに、いたいの?」

 

その呼び名に反応したと同時だ。

頭の中に、己が半身の地獄の生涯と、それを娯楽としていた自分の前世を思い出したのだ。

 

 

呪術廻戦という漫画がある。

人気だったなあとぼんやりと考える。アニメにもなったし、書店でも見つからないときもあった。

自分はというと本紙派で、そこまでがっつりと追っていたわけではない。ただ、なかなか丁寧に主人公へ地獄を提供しているなあと思った。

ささやか、といえるかはわからないがそれでも善人であることを認めていい少年の地獄を哀れんでいたのは事実だ。

けれど、それだけの話だ。それだけの、なのに、何故だろうか。

 

「ゆーと、どうしたの?」

 

目の前で、無邪気に笑う少年。ちょっと、大人としてどうなのかはわからないが悪い人ではない祖父に大事にされている少年。

なにゆえに、そんな地獄を歩む彼の双子の兄として自分は生きているのだろうか。

 

頭を打った衝撃か前世の記憶が現れたその後、祐礼は見事、と言っていいのかわからないが高熱でぶっ倒れた。幼い脳は十数年生きた記憶を処理できなかったのだろう。

その間も祖父も虎杖も非常によくしてくれた。だからこそ、ひどく罪悪感が芽生える。幼い心は十数年生きた前世に食い潰されてしまった。

そうして、熱も下がり、祐礼はぼんやりと日々を生きている。

別段、変わったこともない。

祖父も虎杖も何かがあるわけではない。当たり前の話で、本編が始まっていないのだから当たり前なのだが。

前世を思い出したと言っても、詳しいことは覚えていない。自分がどんな人間であったか、ぼんやりと霧の中にいるようだった。

けれど、覚えている。

虎杖はきゃらきゃらと笑って外でよく遊んでいるのが見えた。祐礼がぼんやりとしていても二人は何も言わなかったし、不信感もないようだった。

無邪気な子供が、適度によい子で、適度にくそガキな、どこにでもいるかはわからないが不幸になれなんて欠片だって思えない。

そんな子供の遠い未来の地獄を知っている。

 

そうして、祐礼はその地獄の根源から逃げ出した。

 

 

 

(だってさ、無理だろう。)

 

地獄を抜け出して未だに一年も経っていない。その、青年と呼んで差し支えのないそれはひたすら人混みを縫って歩く。

誰も彼も祐礼を見る者はいない、関心を持つ者はいない。

それに東京に出てきて良かったと思う。己の存在を気にもとめられないというのはひどく気楽だ。

そうして、ふと、店のガラスに映ったそれを見る。そこには、自分が漫画の中で追っていた少年とうり二つの男がいた。

 

 

幸福だったのは、気づいてすぐに術式を使えたことだろう。

祐礼はじっと己の手を見た。

一応、自分の肉体年齢は幼児なのだ。それを術式を使って無理矢理に年齢を引き上げ、大人になっている。

その後は簡単だ。

子供の姿で駅に潜り込み、そうして新幹線に適当な大人にくっついて乗り込む。そうして、東京で降りた後は大人になる。

 

(・・・・自分の頭を血が流れるぐらいに強打するのは大変だった。)

 

けれど、そのおかげで倒れた祐礼は保護された。記憶を失ったという設定で。

さすがに、腐っても文明国だ。そこまで行けばある程度の制度の恩恵に与れる。

東北で行方不明になった子供と、東京で発見された男との同一性を見出す者は誰もいない。

自由だ!

今はバイトで、おまけに古くて狭いアパート暮らしだ。けれど、驚くほどに快適だ。当たり前の話で、成人をすでに越した野郎が幼児扱いを受けるのはなかなかに来る。

皮肉なことに、いたどりゆうとという名から逃れられはしなかったけれど。それでも、ましな話だ。すぐに反応だってできる。

漢字は違う。けれど、名前もないという自分に仮に与えられたそれを拒絶もできずに抱え続けている。

祐礼は自分は間違っていたとは思えない。

だってそうじゃないか。

誰が、いつか化け物を腹に飼って、どんな理由があるにせよ死体の山の上で生きていく、そんな少年の人生に付き合えるものか。いっそのこと両面宿儺に虎杖を揺すぶる材料にされるのが関の山だろう。

 

(今はなんて気楽だろう!)

 

もちろん、そこまで余裕のある生活ではない。けれど、それでもいつか来る地獄から逃れられたとするのならば万々歳じゃないか。

いくつもバイトを掛け持ちしている。

スーパーに、コンビニの夜勤だとか。一人で帰るアパートで、術式を解いて子供の姿で眠る。幸いなことに祐礼の術式は単純で、そこまで難解な呪力の扱いをする必要はない。つけっぱなしでも別段平気だ。

時折、トイレだとかに入っては小休憩を挟んだりする。術式の特性のせいか、反転術式も使えるというチートぶりだ。何かあったときだって大丈夫。

 

(原作連中に近づかなければ、俺の人生は安泰だよな。)

 

聞いた話では、海外では呪霊やら呪術師の存在は希少らしい。ならば、いつかは金を貯めてどこかにいこうか。

遠くに、ただ、遠くに。

客に頭を下げて、重いものをもって。誰にも会わないように家に引きこもる。呪術師に会わないように、裏方の仕事をできるだけして。

早く、お金を貯めよう。どこに行こうか。どこか、言葉が通じなくても、遠ければそれでいい。

あの子に会わないところに、あの人に、会わない場所に。

後悔しない、死にたくない。あの地獄なんて、俺には関係ない。

ちらりと、ガラスに映った虎杖悠仁が自分を見ていた。

 

本当に?

 

 

祐礼が最後に見たのは、虎杖悠仁が自分を見送る姿だった。

祐礼が家から飛び出たのは、うららかな休日だった。虎杖と庭で遊んでいた自分は、祖父がトイレにいった時を狙ってそっと走り出した。

その前に、祐礼は虎杖に笑った。

区切りだったのだ。もう二度と、会うものかとそんな覚悟を決めて走り出した。

さようなら。

その意味を、虎杖は理解ができただろうか。わからないけれど、それでよかったのだ。

さようなら、我が無関係の双子の片割れ。

舞台に立つのは君一人、配役の名前に自分はいらない。

 

割り切ったはずだ。自分にはどうしようもない。変えられることはどれほどあるのか。

祖父は病気で死ぬ。虎杖の悲劇を止めてどうなる。

おそらく、虎杖というそれがいようといまいと、夏油傑の体を乗っ取ったそれのやることは変わらないだろう。

全てを解決したとして、誰かの呪いは終わらない。

 

(転生したってだけでおなかいっぱいだ。)

 

だから、布団に潜り込む。眠って、目覚めて、仕事をして、呪術師が怖いから引きこもる。少しずつたまる預金額だけが救いで。

それでも、頭の隅に、かすかな罪悪がのさばった。

いなくなってしまった兄を、そうして、孫を彼らはどう思っているのだろうか。

祐礼が知る限り、二人はいなくなった子供を気にしないなんてことできるはずもない。

自分は、彼らに何を背負わせてしまったのだろうか。自分は、彼らにどんな呪いをかけてしまったのだろうか。

気になって、息が苦しくなる。

体が重い、まるで石でも飲み込んだかのように体がだるい。眠っていても、どうしようもなく夢を見る。

いつか破滅へと転がり落ちるあの子。いつか、たくさんの人を殺してしまう君。

誰だっただろうか。誰かに生きてと言われなければ、人は死んでしまうものらしい。

死ぬのだろうか。漠然と、そんなことを考えた。

自分は知っている。それを、自分は知っている。

 

殺すのか?

 

「俺は!」

 

ぼんやりと、いつもの帰り道を歩いていたその時、口から漏れ出たそれは夜の中に溶けていく。

誰もいない夜道。周りは簡素な住宅街で、ちかちかと電灯の明かりが揺れている。

かみ殺せない動揺に、祐礼は歯がみする。

 

「どうしろってんだよ・・・・」

 

かさりとスーパーの袋がなっている。暗い夜道の中で、頭にあるのは置いてきた彼ら。

それは、きっと気の迷いだった。振り返らないと、自分のために生きると決めて、偽ってここまで来たのに、それでもさみしがり屋の過去は延々と自分のことを追ってくる。

 

一度だけだ。一度だけ、会いに行こう。自分のいなくなった彼らの元に。それこそが正しいのだ。そのあり方こそが、あるべきものだった。

だから、間違ってなどいなかったのだと、そう、思いたかったのだ。

 

 

久方ぶりの地元は特別に変わったことはない。よくいったスーパーだとか、特別な変化はない。ただ、やたらと張り紙が眼に入る。何気なく見たそれ。

 

「行方不明・・・・」

 

思わず漏らしたその張り紙には、いたどりゆうとの名前が書かれていた。

 

何か、嫌なものがべったりと背中を流れている。気分が悪い、動きたくない。なのに、なぜか足は吸い寄せられるように虎杖家を向かっている。

そうして、見慣れたそこにたどり着いた。

別段、変わったところなど無い一軒家だ。そこに、自分と片割れと、祖父が住んでいた。

 

(そういえば、じいちゃんは、俺と血はつながっていたんだろうか。)

 

ぼんやりとそんなことを考えて、家をじっと見る。

何をするわけでもない、何かができるわけでもない。ここに、自分ができることはない。

それを決めたのは自分なのだ。今更、今更何をしようというのだろうか。

祐礼はそのままきびすを返そうとした。けれど、その前に背中に声がかけられる。

 

「なあ。」

 

未だに高くて、幼い声だ。わかる、ああ、わかる。その声が、誰のものなのか。すぐにわかってしまう。

かすかに、軽い足音がした。立ち去れと、己の中で声がする。

わかる、わかるのだ。振り返れば、自分の中で押し込め続けた何かが崩壊してしまう。

遠い昔、心の奥に閉じ込めて蓋をした何かが、がんがんと喚き出す。

鍵をかけて、閉じ込めたそれが、ガンガンと扉を叩く。

 

「兄ちゃん、なあ。」

 

声がして。幼い声がして、だから、あんまりにも久しく、懐かしい声だったから。だから、祐礼は、それに思わず振り返ってしまった。

 

「うちになにかよう?」

「ああ。」

 

漏れ出た声に、少年は不思議そうに首をかしげる。

 

「なあ、兄ちゃん。だいじょうぶ?」

 

こてりと首をかしげたそれは、心の底から気遣わしげに自分を見ていた。

今まで、夢を見ていたのだと思う。内に孕んだ心と体の齟齬のせいかずっと夢を見ているようだった。

きっと、あれは夢だった、寝ぼけ眼で見た、くだらない夢、そんなことを思って。

けれど、目の前にいる。

幼い少年。あの日、漫画の中に見た彼にそっくりな少年。

ようやく、見ていた夢から覚めた気がした。

 

そのままどうやって帰ったかなんて覚えていない。ただ、気づけば東京のアパートに逃げ帰っていた。

何かを言った気がする。けれど、記憶は遠くに放られていて、殆ど覚えていない。

けれど、気づくと、見開いた目尻に涙がたまり、そうしてそれが頬を流れる。まるで、水たまりでも作るかのように、流れていく涙。

部屋の真ん中にうずくまり、シミのできる畳を見つめる。

ああ、泣いている。気づけば、手の甲で無理矢理にその涙を拭った、拭った、拭って、拭って、それでもやむことのない涙に、祐礼の口から絶叫がほとばしる。

獣のうなり声のような、喉の奥からあふれ出した声が、ただ、ただ、吐瀉物のように吐き出されていく。

 

ああ、ああ、ああ!

死ぬのか、あの子は、あの少年は。いつか、どんな悪意もなく、ただ、ただ、背負わされた業によって多くに呪われて死ぬのだろうか。

地獄を見るのか、憎しみも、怒りも、悲しみもなく、ただ、ただ、押しつけられたそれによって罪を被っていくのだろうか。

俺は、それを見捨てるのか?

腹に抱えた罪悪感が、産声のようにほとばしる。

ああ、無理だ。

これから死にゆく誰か。

俺は知っているよ。あんたたちが死ぬのを。罪も、罰も、憎しみも、ことごとく無く。事務的に、享楽的に、無意味に、無価値に殺されて死んでいくあんたたちを知っている。

俺だけが知っている。

まるで胎児のように丸まって、ようやく自覚したそれに、ひたすらに絶叫した。

逃げろ、そうだ、逃げてしまえばいい。

祖父からも、地獄の象徴たる弟からも、逃げたじゃないか。逃げて、遠くに行けばいいじゃないか。

 

「む゛りだ・・・・」

 

そんなこと、無理だ。無理なのだ。

ただ、理解してしまった事実に、彼はのたうち回る。

だって、だって、彼はあまりにも平凡だった。善人は報われるべきで、悪党には罰があるべきで、理不尽に憤り、平穏に微笑んでしまう程度に、彼は平凡だった。

そうして、罪を背負って人生を歩めるほど、彼は強くはなかったのだ。

その事実を背負って、逃げ続けるにはあまりにも彼は弱すぎた。

 

むくりと、起き上がった彼は、とっくのとうに壊れていたのかもしれない。

ただ、ただ、彼は理解してしまったのだ。

この業を背負って、地獄を壊し尽くさねば、自分は幸せにはなれない、幸せになることを自分自身は赦せない。

 

「やってやるよ。」

 

血反吐を吐くように、彼は吐き捨てた。それは、呪いだ。

地獄を是とした世界と、人と、呪霊と、そうしてこの世界を作った誰かへの呪いだ。

 

ああ、お望みならば見るがいい。

これより始まる、一人の男の茶番劇。全てを否定し、たたき壊し、陳腐な舞台で自分は踊るだろう。

けれど、それでいい。終わるとしても、ただ死ぬだけというならば、せめてそこで踊り狂ってやる。

 

「ゆーじ・・・・」

 

吐き出した、無関係の、赤の他人の双子の弟。

もしも、いつか、君がこの世界で平穏に、老いて死ぬことができたのなら。その時、きっと自分はようやく己を赦すことができるだろう。

 

 

 

 

 

夏油傑の中にまるでシミのように違和感が出てくるようになったのは、天内理子が死んだ後のことだった。

盤星教「時の器の会」が解散したとのことを流し聞いていたとき、違和感を覚えることがあった。

それは、信者の人間からの話だ。呪術高専もさすがに内部で何かがあったかは調査をしたが、その中で幾割かがおかしなことを言っていたという。

気になり、夜蛾に報告書を借りて目を通した。

曰く、自分は元々この宗教に関して否定的だった。なのに、何故か、この数ヶ月妙にここに入り浸っていて。

曰く、私もさすがに人を殺すなんて信じられなかったし、警察に連絡しようと思ってたのに、何故かしなくちゃって。

曰く、あいつそこまで熱心じゃなかったのに、この頃急に信仰に篤くなって。

まるで湧いて出てくるようにそんな話がいくつも書かれていた。

もちろん、夏油はそれを苛立ち混じりに流し読んでいた。今更、言い訳でしかないだろうと。

けれど、それにしてはあまりにも、そんな話が出てきすぎた。口裏を合わせているのかと思ったが、皆が皆、同じようなことを最後に言う。

だって、彼がそうした方がいいって言ったから。

彼とは誰かというと、全員が困り果てた顔をしてこう言うそうだ。

顔もろくに覚えていない。ただ、背が高くて、男で。

そうして、全員が口をそろえて。

とても、とても、神様みたいに優しい声をしていたと。

 

はて、彼とは一体誰なのか?

 

 

「・・・・今回の件は、組織的な思惑が絡んでいる可能性が出てきた。」

「盤星教の信者たちの話、信じてんの?」

 

教室内には、夏油と夜蛾、そうして最強に成り果てた五条悟がいた。

態度が悪く、机に脚を乗せた彼に夏油は呆れた顔をする。

 

「悟、机から脚を下ろしたらどうだい?」

「うっさい、この頃ただでさえ任務が続いてるんだぞ。」

 

イライラとした彼に、夏油は少しだけ視線を下げた。

五条と任務に出ることは殆どなくなった。別段、一人でも十分にこなせはする。けれど、おいていかれたかのように空虚さが、重たく腹にのしかかる。

最強であった自分、けれどそれさえも今では過去のことだった。自分を置いていった親友。

 

(・・・私は強い。)

 

けれど、今、助けたいと願った誰かを救えなかった自分に価値はあるのか?

体の内で、何かがぐるぐると回っていく。

 

「調べたが、確かに信者の中に今まで無関係を装っていたというのに、急に態度を変えたものがいたのも事実だ。呪術高専が把握していない呪詛師組織がある可能性は否定できない。」

「といっても、その組織の足取りは掴めてるんですか?」

「まったく。今のところ、調査は進めている。お前たちも気をつけておけ。言えるのはそれだけだ。」

 

それに夏油は腹の中で吐き捨てる。

だから、なんだというのか。

あの子は死んだのだ。おまけに、彼女を殺した男は今でも逃走中だという。

自分では、何もできなかったという事実だけがそこに横たわっている。

 

(最強、そんなもの。)

 

けして、赦さない。彼女を殺した、ただ、幸せになりたいと願った幼いあの子を、自分は、自分だけはけして。

 

 

孤独だ。ひどく、孤独だった。

救いたいと思った少女の一人さえも、そうして、隣で最強を自負した彼の相棒であることさえも、ことごとく失った。

そうして、ただ、特別であった。けれど、それだけだった誰かを食い物にした、凡俗なる何かを、自分は、けして。

赦したくないと、そう、思っていた。

 

ある村のことだ。疲れ切った体を引きずって、彼は任務に赴いていた。

そこで、夏油はある地獄を見た。

呪霊を祓ったその後、牢屋に入れられた、幼い少女たち。

何かが、かちゃんとはまり込みそうになる。なにか、ずっと腹の中で蓄えていた何かが、爆発するようにあふれ出しそうになる。

なんとなく、それに気づけば後戻りはできないとなんとなしに理解した。

帰れなくなる。彼の所、大好きな親友、相棒。

 

(でも。)

 

いいじゃないかと、ぼんやりと思った。だって、もう、彼は、一人きりの最強だから。

だから、夏油はそれを、その憎しみを飲み込んだ。

双子の彼女たちに微笑んだ。大丈夫だよと、そう思って。

だから、くるりと依頼者たちに振り返ったその時だ。

 

「大体、彼女が確かにそう言ったんだ!間違いない!」

「そうよ、あの人がそう言ってたんだもの!」

 

けたたましく言ったそれに、喉の奥に引っかかったかのような心地がした。

 

「あなたたちも、知っているでしょう?あの人ですよ、彼女ならきっと信じても。」

「待ってください、あの人って。」

「あーあ。だめよ、おしゃべりが過ぎるわ。ねえ、あなた?」

 

唐突だった。唐突に、にゅるりと、その背から細い腕が伸びてきた。そうして、その上では依頼者の体に絡みつく。黒いレースの手袋に覆われた手が、その胸に這うように添えられた。

その次の瞬間、男の口から血しぶきが吹き出した。

甲高い悲鳴が、部屋を満たした。力なく倒れた男の背から現れた、未だ少女と言っていいほどの、誰かだった。

俗に言うゴスロリをまとったそれは、真っ黒な髪を腰まで伸ばしている。

そうして、顔の前に布を垂らしていた。

夏油はそこまで目立つ存在に気づかなかった自分に愕然とする。背後にいた少女たちを守るために、後ずさった。

 

「だめよ、だめ。今までちゃんと色々よくしていたでしょう?ねえ。」

 

少女はそう言った後に、立っていた女に飛びかかる。そうして、躊躇なく、もう一人の依頼人の頭を引っこ抜いた。

血しぶきが、まるで水遊びをした後のように散らばった。彼女は布で顔が覆われていても、わかるような弾んだ声で夏油に言った。

半端に染まったその面は、ひどくおぞましかった。

 

「こんにちは、傑君!」

 

あなたのこと、迎えに来たの。

そう言って、それは自分に手を差し出した。

 

「どういう意味だ?」

 

吐き捨てるようにそういえば、目の前のそれは困り果てたかのように首をかしげた。

 

「どうって、そのまま。うちに来ないかってお誘いに来たの。」

「うち、だと?」

 

夏油はそう言いながら、ちらりと後ろを見た。ともかくは、彼女たちの安全を考えなくてはいけない。呪霊を出すか考えるが、下手に手を出すには目の前の存在はあまりにも得体が知れなかった。

 

「そうよ。あの方が、あなたをご所望なの。だって、あなた強いから。だから、あの方が欲しいって!」

 

あなた、呪力を持たない人たちのこと、嫌いでしょう?

弾んだ声に、体が固まる。かみ合いかけていた何かが、戻ってくる。

 

「大丈夫、あなたが私たちに協力してくれるなら、こちらもちゃんと代価を差し出すわ。そうだ、その子たちだって来ればいいわ。不自由なことをさせる気はないから。」

 

少女はペラペラと、その年頃の通り、明るく、無邪気で、そうして残酷に笑っていた。

 

「そちらの望みは何だ?」

「知らないわ。私は連れてこいって言われてるだけだし。あの方が教えてくれるんじゃないの?そうだ、私のことは、赤って呼んで。素敵ね、そんなふうに呼んでもらえたら、とっても嬉しいもの。」

 

夏油は、少女の言葉に考える。

自分は、その手を取るべきなのか?

違和感がある。けれど、腹の中で暴れ狂う怒りが、救えなかった彼女への悔恨が、その手を

欲してやまなかった。

あの子は死んだ。守るべき誰かに、欲を持って殺された。

彼女は特別だった。けれど、幸福だったわけではない。そのために、全てを捨てて行かなくていけない理由はあったのか?

呪霊がいるから悲劇が生まれる。非術士がいるから、術士たちが食い尽くされる。

 

(無能なら、猿なら、死んだ方が。)

 

ぐるりと、何かが夏油の中でのさばった。

 

「大丈夫!五条悟にとって、あなたは無価値になったけど。でも、あの方はちゃんとあなたを大事にしてくれるわ!」

 

少女の無邪気な声を聞いたとき、何だろうか。今まで揺れていた、迷いの針がぐるりと不愉快に傾いた。

 

「黙れ。」

 

夏油はぎろりと少女をにらみつけた。少女は不思議そうに、夏油を見ていた。

今まで、なんとも思わなかった。どちらかというと、不愉快な依頼人を殺してくれたことに感謝さえしていた。

なのに、何故だろうか。

その言葉を聞いた瞬間、一気に不愉快に傾いた。

わからない、わからない、ただ、目の前の女がひたすらなまでに不愉快だ。それだけを考えて、夏油は目の前のそれを睨む。

 

「誰が、無価値だって言うんだ?」

「だってそうでしょう。五条悟はもう、一人で大丈夫だもの。なのに、あなたは彼に勝てないって拗ねてるじゃない?」

 

それに、まるで子供のように、直情的な怒りがこみ上げてくる。

少女はまるで踊るように、くるりとターンをして数歩動いた。

 

「あまり私をなめないでくれないか?大体、あんなひねくれた屑に追いつけないだって?私のことをなめすぎていないか?」

「あら、そうとしか見えないから言ったのに。でも、いいじゃない。だって、お猿さんたちを嫌ってるのは事実でしょ?なら、ほら。」

 

一緒に行きましょう?

自分に伸ばされた、手。それは、まるで地獄への誘い文句のようで、けれどたまらなく魅力的だった。

特別なだけの、少女を思い出す。彼女を殺した、彼女によって救われるはずだったのに、彼女の不幸を招いた誰か。

けれど、その女への不快感に、素直に手を取ることができない。

そうして、何よりも、自分で語ったその事実に五条のことが頭を離れない。

その時だ、後ろにいた少女たちが声を上げる。

 

「だめ、その人が来てから、みんな変になったの、だから!」

 

その言葉が終わる前に、牢屋に向かって何かがたたき付けられる。また、夏油の頬に生暖かい何かが広がる。

 

「きゃあ!」

 

悲鳴の後に、夏油は牢屋に依頼人の死体がたたき付けられたことを理解する。

 

「・・・余計なこと喋らないでよ。私が怒られる。」

 

すねた子供のような声に、夏油はようやく思い出した。

黒い服、白い布の面。男であると聞いていた、だが、ああ、そうだ。

こいつは、あれの。

あの人が、そうしろって言ったから。

悪魔のように、引き金を引いた誰か。

 

「お前か、彼女を殺すようにそそのかしたのは!」

 

激高する夏油をみてもそれは不思議そうに首をかしげた。その後に、ああと思い出したように言った。

 

「彼女?あー星漿体かあ。私はしてないわよ?あれは黒がやったんだし。でもいいじゃない。」

だって、どっちに転んでも死んじゃうはずだったんだもの。

 

なんとなく、夏油はそれに察する。その布の面の下で、少女は天使のように笑っているのだ。化け物のように、笑っているのだ。

吐き出されたそれに、夏油は呪霊を呼び出した。それに、少女はたんと飛ぶ。

 

「あーあ。そんなに怒らなくていいのに。でもいいわ。来ないなら興味はないもの。」

やることはたくさんあるし。

 

夏油が呪霊を少女に向けるが、それよりも先にまるで彼女の体は霧のようにかき消える。狐に化かされたかのように、夏油は立ちすくんでいた。

そうして、少女を連れて出てきた外、村では地獄が広がっていた。

嗅いだこともないような、生臭く、そうして鉄くさいそれ。

ことごとく、積み上げられた死体の山が、ひたすらなまでに積み上げられていた。

 

 

 

 

 

 

 

五条は、ちらりと携帯電話に目を向けた。

高専の教師になった五条は、つかの間の休憩時間をある一室で過ごしていた。

一応は、離反したという設定になっている親友からの連絡を待っていたのだ。

数年前、任務先で一般人十数名を虐殺したという知らせを受けたとき、現実を疑った。

ようやく見つけた彼は、神妙な顔で五条に言った。

 

「私は、少しの間潜る。」

 

何を言っているのかわからなかった。けれど、夏油は淡々と村であった女の話を始める。

 

「確かなわけ?」

「わからない。ただ、夜蛾の言っていたことは真実に近いように私は思う。」

「一人で行く気か?」

「・・・・高専内に、裏切り者がいる可能性も考えている。」

 

それに、五条は目を見開いた。けれど、反論をするほど現実を知らないわけではない。

夏油曰く、彼が拾った少女たちからも、ある時期から急に彼女たちへの虐待がひどくなったという証言もあるらしい。そうして、その場にやはり、白い布の面をした男の姿があったと。

 

「何かが、裏でいろいろと動いている。私はそれを探るために呪詛師の間に潜ることにした。」

悟、私は君を信じるぞ。

 

珍しく、くさい台詞を吐き出した。夏油は、五条をじっと見た。

 

「・・・お前は、私がいないと寂しいだろう?」

 

五条はそれに何を言っているんだと思った。けれど、向かい合った夏油の顔があまりにも悲しそうだったから。

だから、茶化さずに、彼は応えたのだ。

 

「・・・・当たり前だろ」

自分たちは、変わることなく親友なのだから。

 

それに、夏油は笑った。

安堵したように、泣きそうに、それでも笑っていた。

 

「一度でも、お前を疑った僕の失態だよねえ。」

 

はあと、五条はため息をつく。そうして、数年経った今も、全くといっていいほど足取りを掴めない存在に向けて舌打ちをした。

 

「ゆうれいなんて、ちょっと嫌な呼び方だよ、本当に。」

 

 

 

 

 

「・・・・・いよいよ、原作も近いな。」

 

祐礼は、そんなことを言いながら、パソコンに目を向けた。そこには、夏油や五条の動向がメモされている。

 

(・・・まず、相手の戦力を削るために、夏油の呪詛師行きを阻止。)

 

祐礼の術式の効果は、反転だ。男を女に、子供を大人に。姿を変えたのは、この術式によるものだ。使い方によっては応用も大変効く。

そうして、彼はその力を使って、第三組織をでっち上げたのだ。

盤星教「時の器の会」や夏油が呪詛師へ転向するきっかけの事件に、裏に誰かがいたように仕向けてヘイトの操作を行った。

現在、なんとか夏油の体を乗っとった存在とのコンタクトも叶っている。

 

(・・・・反転、好感度までひっくり返せるって本当に便利だよなあ。)

 

おかげで、誰かにとってひどく信頼をできる存在を装うことも、誰かにとって怒りを一心に受ける存在になることも自由自在だ。おまけに、現在の実験で呪霊にもそれは叶っている。

こくこくと、時間が迫る。どこまでも、時間が迫る。ふと、自分の顔をケータイのカメラで確認した。

そこには、遠い昔漫画の中に見ていた主人公の姿がある。真っ黒な髪だけが唯一違うところだろう。

 

「大丈夫だよ、ゆーじ。」

 

お前の地獄は、滅ぼすよ。ことごとく、ことごとく、徹底的に。

うっすらと微笑んだ彼は、どこまでも一人だった。

 



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盗人が騙る

少しずつ結束を固めるために暗躍中と、本人曰く手駒を増やすために頑張る話。
pixivより少しだけ加筆してます。
感想いただければ嬉しいです。


 

「伏黒甚爾様。」

 

やたらと、耳に付く声音だった。

スーツに、筋肉質な体。けれど、顔を覆った白い面がやたらと目立っている。けれど、それさえなければ今にも人混みの中に埋没してしまいそうな人間だった。

緩く手を後ろ手にして、無造作にたたずんでいる。

纏った衣装は簡素なスーツで面白みというものにかけた。けれど、面に被った白い布は、それこそ遺体にかけるそれのようだった。

生きているような、死んでいるようなそれは、まるで煮詰めた砂糖のような声で自分に語りかけてきた。

 

 

それと伏黒甚爾が出会ったのは、場末のある居酒屋でのことだった。

仕事終わりのあるときだ。丁度、飲酒量の増えていたとき、隣に座った男がいた。

けれど、何故だろうか。思い出そうとすればするほどに、その記憶はどんどん薄れていく。

それを後悔する。何を後悔するかはわからない。ただ、自分が出会ったそれに、ひどく憎しみを孕んだ。

 

「お兄さん、いい飲みっぷりだね。」

「だろう、あんたは飲まないのか?」

 

安酒といえども居酒屋に来たのだ。ならば、何かを飲むだろう。だが、それは不思議と何も飲まなかった。隅っこのテーブル席でいつの間にか同席していたがあまり気にならなかった。雑多すぎる店内は、見知らぬ人間がテーブルに着いていることもよくある。

 

「いや、俺は酒はどうも飲めなくてさ。でも、酒を飲んでる人は気に入っててね。誰かにおごるのが好きなんだ。」

 

風変わりな趣味だと思ったが、そうはいっても現在自分もその恩恵に与っているのだ。何よりもありがたいことではないか。

ほくほくの甚爾はそのまま酒をあおる。

何の話をしただろうか、たわいもないくだらないことであったと記憶している。

そのまま仲が良くなり、次の店に行こうという話になった。今度もまたおごるという言葉に釣られて。

 

 

暗い夜道を歩いている。ふらり、ふらりと、歩いている。

そうして、人気のないそこで、ふと、後ろを歩いていた男が立ち止まったことに甚爾は気づいた。

 

(・・・こいつもかあ。)

 

なんとなしに、それは自分にとって良くない部類であることは察した。いつものことだ。

ろくでもないことをしていれば、それ相応にろくでもないめに遭うものだ。

 

「禪院甚爾さん。」

 

背後から聞こえてきたその声に、甚爾はべえと口の中から呪物を仕込んだ呪霊を吐き出した。そうして、たんと飛び退いた。

誰から命じられたかは一応は吐かせた方がいいだろう。勝てないようならさっさと逃げればいい、その程度の認識だった。

向かい合ったそれは、奇妙なことに白い布をつけていた。

顔は割れているというのに、何故か思い起こそうとするともやがかかっていることに気づく。

甚爾はすぐに目の前のそれに関わることを拒否した。逃げようと構えるが、それよりも先に男が口を開いた。

 

「お子さんは、お母様にも、あなたにも似ておられますね。」

 

ぺらりと男の前で振った、幼い少年の写った写真にその動きが止まる。

 

 

(さあ、本番はこれからだ。)

 

祐礼が近づこうと思っていた人間、少なくとも過去編に当たる今においては、伏黒甚爾、夏油傑、そうして、五条悟。

彼らが未だ生きている現在が、何よりも肝だ。

 

(さ、笑えるぐらいにひっでえ茶番をぶちまけて。そうして、素人だって笑えるぐらいの語りを見せてやろうじゃないか。)

 

 

「で?なにが言いたいんだ?」

 

甚爾は目の前のそれから十分に距離をとり、適当な呪具を肩にかけて気だるそうに言った。せっかく気分良く酔っていたというのに、すっかり醒めてしまっていた。

忌々しそうに言えば、それは深くお辞儀をした。手を前で緩く重ねてたそれは、やけに丁寧だった。

 

「あなたには、我らが主の頼みを優先的に聞いて欲しいと思っております。」

「へえ、お望みは一体何で」

 

甚爾はそのままじっと相手を見た。それは、にこりと笑ったのだと思った。

そうして、ようやく持っていた写真を目の前で掲げる。そうして、やたらとゆっくりとした動作でそれを破り捨てた。

 

「あなたの息子をいただきたいと。」

 

甚爾はそれを鼻で笑い捨てた。

 

「何を言うかと思えば、だいたい・・・・・」

「あなたが禪院家当主とされた約束は、賢明かつ、冷静な判断と言って構わないでしょう。」

 

かぶせるように言ったそれは甚爾が浮かべた不愉快そうな甚爾の表情など気にもせずに、言葉を続ける。

 

「伏黒恵が呪霊を見ることができるのはすでにわかっておられるのでしょう。だからこそ、わざわざ自分の子の存在を禪院家にばらした。あんなにも嫌っていた実家へ、コンタクトまでとって。ええ、大正解です。彼は、禪院の相伝を確かに継いでおられます。」

 

その言葉に甚爾はぴくりと眉をひそめた。

全ての行動に意図が見えない。

甚爾が禪院家の当主とコンタクトをとったのを何故、それは知っているのか。

もちろん、探ろうと思えば探れただろう。だが、何故目の前のそれはそこまで堂々と、かつ自信満々に伏黒恵の術式に関して確信を持っているのか。

相伝にそれほどの価値を見いだすのは理解ができた。五条家の相伝と相打ちができるほどの威力は、確かに喉から手が出るほどに欲しいだろう。

だが、わざわざ甚爾に一言入れるのは何故か?

そこまで求めるならば、攫ってしまえばいい。

甚爾は、お世辞にも己が息子をかわいがっているとは言えない。ならば、その隙は十分にあるはずだ。

 

(・・・そうだ、金づるじゃなきゃ、ガキなんて。)

 

甚爾の人生は、誰かに、徹底的に尊厳を踏みにじられていく人生だった。

たった一人だけ、それでも救いがあったのだ。そんなくそったれの人生でも、確かに幸福であったと思えたときもあった。

そんなものは、結局の話、ことごとく消え失せて、甚爾からは奪われてしまった。

 

(こいつは何を企んでいる?)

 

実際の所、甚爾は伏黒恵を育児放棄している。今でさえも、彼らは子供だけで生活しているだろう。それに対して、何かをする気はない。するような、気力もない。

それで、自分の価値なんてその程度で、彼らもそうであって欲しいと思う。見捨てて欲しいと思う、いっそのことそうであればいいと思う。

 

(親を見捨てるには、それぐらいは。)

 

一瞬だけ巻き込まれた思考を、やたらとまた穏やかな声がかき混ぜる。

 

「報酬ならば、ええ、ええ。いくらでもはらって差し上げますよ。それこそ、あちら以上の金銭は払っても構いませんが?」

 

甚爾はそれに、眉をひそめた。

一瞬の間を置いて、甚爾はあっさりと言い放つ。

 

「残念だ。とっくに先約があるんでな。」

 

何故だろうか、ぐるぐると思考が乱れる。

冷静になれと思考に渇を入れるが、その声を聞いていると沈めた感情が吹き荒れる。

何かがおかしい、それはわかる。

いつもならば、もっと冷静に判断ができるはずだ。

なのに、その声を聞いていると、やたらと感情が揺さぶられる。湧き上がってくるような不快感が腹にたまる。

ああ、だめだ。これは、おそらくだめだ。漠然とした感覚のまま、甚爾はそれから離れることを決めて言い放った。

 

「わざわざ己を蔑んだあの家に息子をやらなくてもよいのでは?我らのほうが・・・」

「交渉の意思はねえ。何より、信用ができねんだよ。」

 

甚爾の言葉に、それはまた一瞬だけ沈黙した。が、あっさりとそれは深々と頭を下げた。

 

「承りました、あの方にはその旨、しかとお伝えしておきます。甚爾様。あなたに仕事を頼もうと思っていたのですが、残念です。」

 

どうか、次の仕事ではお気をつけを。

そう言って、それは消えた。何かしらの術式を使ったのだろうかと予想した。

最後の、残念ですがやたらと耳についていた。

 

 

「ああ、本当に、残念です。」

 

耳に付くと思っていた声がまた自分の耳に飛び込んできたとき、甚爾は何かを決定的に間違えたことを自覚した。

甚爾は見事、目的であった星漿体を殺して見せた。そうして、取引相手に渡した。別段、変わることないことだった。ただ、気になるのは男がやたらと妙なことを言っていたことだろうか。

 

こちらに頼んで正解だった!やはり、彼の言うことは正しい。

 

そうだ、そんな言葉など気にもとめていなかった。あの、怪しい男のことなんてろくろく気にもとめていなかった。

けれど、五条悟と対峙したとき、違和感があった。

そうだ、殺したそれへの違和感と、そうして自分に会いにやってきたあの男への違和感。

何かがおかしい。そうだ、何かが。

男へ孕んだ、不信感はなぜかひどく不愉快で忌々しい物になり果てていた。

何かが告げている。自分の中で、明らかにおかしいと言えるような違和感が膨らんだ。

それ故に、甚爾の意識は、五条への攻撃ではなく守りに向けられた。

避けられたのだ、虚式・茈は。コンマ、数秒というそれの中で彼は確かに避けられたのだ。たとえ、左腕の肘から下をなくしたとしても。

 

「ええ、本当に見事です。」

 

己の腹に突き立てられた、刃を見るまでは。いつの間にか甚爾の後ろに回っていた存在はその肉をかき回すようにそれを引き抜いた。

甚爾とて、その程度で倒れるほどに軟なたちではない。が、一瞬だけの隙を作るには十分だった。

その、白い布の面をつけたそれは、甚爾の呪霊に手を伸ばした。

 

「|逆・言葉≪ろれきちた≫!」

 

叫ぶようなそれの後、甚爾は自分と呪霊とのつながりが立ち消えたことを理解した。

するりと、それは甚爾の耳元でささやいた。

 

「五条悟を殺せなかったのは期待外れでしたが、まあかまいません。後のことは、どうぞお任せください。」

 

男は思いっきり、それこそ甚爾と変わらないほどに強く、彼を五条の方向に蹴り飛ばした。

 

「おい、お前、逃がすと。」

「いいえ、残念ながらあの方は今はあなたに興味がないそうで。」

 

それは五条が構えるよりも先に印を結んだ。

 

「・・・・それでは、ごきげんよう。」

 

そう言い捨てた男は、あっさりと笑って姿を消した。

 

「は?なんだ、あれ。」

 

突然に現れ、そうして突然に消えたかのようなそれに五条は対処もできなかった。

 

(・・・・俺だって、気づかなかった。)

 

まるで、透明人間のように五条はそれの存在を認識さえできていなかった。それこそ、まるで幽霊のように。ふっと現れて、そうして消えた。

 

「・・・・くそが!!」

 

下から聞こえた罵倒のそれに、五条は意識を向けた。そこには、腹からどくどくと血を流した甚爾の姿があった。

 

「そうか、そういうことか。」

 

甚爾は地面にはいつくばって、吐き捨てるようにそう言った。

抱えた違和感の正体をようやく理解したのだ。

最初からおかしいと思ってはいた。

何故、わざわざ自分のもとに交渉にやってきたのか。それこそ、直接さらうことさえも考えてよかったはずだ。

甚爾も時折、遠目に様子だけを見に行ったが、別段おかしなことさえもない。意外なことにまだ彼らの生活が破綻していないことに驚きはした。

が、理解した。そうだ、今、たった今、理解した。

 

(あの野郎、これを狙ってたのか!)

 

星の子の家の幹部が言っていた、彼、という言葉に引っ掛かりと覚えていた。

 

男、いや、その後ろにある何かの目的は確かに甚爾の息子である伏黒恵であったのだろう。ただ、彼をさらえばその親である甚爾から文句があるのは予想に難くない。

ならば、正面から金銭で買うことを決めたのだろう。力づく、ということをしなかったのはひとえに甚爾の強さと、そして言葉通り彼らは自分に仕事を頼むことを望んでいた。ある程度の友好関係を築きたかったはずだ。

が、それは決裂した。ならばどうするか?

甚爾を殺すという選択肢をとったのだろう。

 

(あの口ぶりからして、あいつは俺がこの仕事をすることを知ってたはずだ。何よりも、この仕事を俺に依頼する発端が、あいつだ。)

 

五条と甚爾がかち合う現状、ああ、そうだ。笑えることじゃないか。

全て、何者かの掌の上で踊っていたということではないか。

何よりも、甚爾の持っていた呪具はそれこそ喉から手が出るほどに欲しかったのだろう。そうして、術師殺しである甚爾と五条をぶつけることでどちらかを消せれば御の字だった。

 

「・・・・おい!」

 

ゆだるような怒りだ。さんざんに、コケにされたという事実。そうして、こんなにもあっさりと相手の術中にはまってしまったという事実。

久方ぶりだ。

 

(ああ、そうだ。確かに、そうだ。)

 

こんな世界の中で、己の尊び、他を尊ぶのか。そんなものがこの世にあるのか?

それゆえに、徹底的に全てを泥に沈めるように生きてやった。散々に全てをさげすんで生きてやった。

それでいい、それでいい。

だって、もう、いないのだから。たった一つだけ、この世はましなのだと思えるものはいないのだから。

けれど、甚爾の中には今までにない激情があった。絶えることない、熱があった。

怒りだ。それは、確かに、怒りだ。

己を散々に利用したものへの怒り、奪われたことへの怒り、そうして、ぼんやりと頭に浮かんだ、子供の顔。

 

「知りてえだろう、あいつがなんなのか。」

 

五条はそれに男の顔を見た。

甚爾は己の体を確認する。

腹には穴が開いており、おまけに片手は吹き飛んでいる。だが、この程度ならばなんとかなる。

 

「俺を、生かせ。」

 

てめえの敵が何なのか、わかるだろうが。

それに、五条は少しだけ考えた後に、こくりとうなずいた。

 

 

 

(あれから、何年たったんだか。)

 

甚爾は、とある町の競馬場で煙草に火をつけてから考え込む。

その後、甚爾は五条と取引を行い、治療を受けた。

己の息子については五条に後見を頼んでいる。おそらく、それで手出しはできないだろう。

甚爾はそのまま細々と、というのはおかしいが対呪詛師として五条から依頼を受けつつ、例の組織について調べている。

 

(全てはやつらの掌の上、なんざごめんだが。)

 

彼の追っている組織は調べれば調べるほどに、まるで煙をまかれるように全容が不明だ。

ただ、時折、白い布の面をつけた人間の話は聞いた。

 

星の子の家の事件が終わった後、多くのことがぼろぼろと出てきた。

甚爾たちに払われるはずだった金銭は、笑えることにすべて男に奪われていた。幹部に話を聞いても、ただ、信頼ができるから預けていたという一点張りだ。星の子の家の金庫の中身は、ものの見事に組織に奪われてしまっていた。

が、そんなものは序の口だ。

今回の一件で、呪術界においてかの組織の名は早々と広がっている。

 

(まさか、呪胎九相図のうち、三体を盗っていくとはな。)

 

甚爾たちが天元について大騒ぎをしている間に、いつの間にかなくなっていたらしいそれを聞いて、それさえも計画のうちであることを理解して甚爾は歯噛みする。

もちろん、無くなった物はそれだけではないそうだ。

門番たちでさえも、口をそろえているのだ。

 

確かに、信頼ができると、そう、思って。

 

「くそが・・・・」

 

甚爾は吐き捨てる。今でも、甚爾は全てがことごとく憎いと思う。だが、それでも、あの男、ひいてはその裏にいる誰かへの怒りはことごとく燃え続けている。

なぜこんなにも、怒りが続いているのかはわからない。

 

「・・・・経過報告を、五条の坊にする時期だなあ。」

 

甚爾はそれに対して、ハァとけだるそうに溜息を吐いた。何はともあれ、五条に会うとなると、夏油に会う必要が出てくるのだ。

甚爾が彼女を殺したせいで、当初は相当に恨みを買っていたが、組織への対策と、そうして伏黒から親を奪うことへの抵抗からか今のところは落ち着いている。

そうして、甚爾は知らないことだが、彼の受けていた禪院家からの虐待に対して複雑な感情を夏油が持っていることもある。

何よりも、互いに共通の敵がいるということが大きい。

 

(そういや、星の子の家といやあ、少し前に幹部が一掃されてそのままなんだかんだで続いてるって話だが。まあ、一度探ったときは何も出てこなかったしなあ。)

 

甚爾はゆっくりと立ち上がり、そうして久方ぶりに会う五条たちと、そうして息子への対処について考えつつ息をついた。

 

 

 

伏黒恵には、忘れられない人がいる。

何故か、確かに顔を見たのに、何故か覚えていない。ただ、とても優しく笑っている人だったと思う。

その人に会ったのは、伏黒が未だに子供のころ、それこそ保護者である父親や義理の母が消息を絶っていたときのことだった。

二人だけであったが、元々そんな生活だったせいか不便はなかった。

ただ、金銭面では苦労してさあどうしようかという時、彼は現れた。

 

「こんにちは、伏黒恵君。」

 

優しい声だったと思う。とても、とても、優しい声だった。ただ、それだけを覚えている。

学校から帰ってきた伏黒は自分を出迎えた男に固まった。ひどく、身なりのきちんとしたそれは、緩やかに微笑んで伏黒を出迎えた。

私は、君のお父さんから世話を頼まれたものだよ。よろしくね。

静かに微笑んでいた彼、顔を確かに見たのだ。優しそうな人だと、確かに思ったのだ。

けれど、全くといっていいほどにその顔がどんなものだったか、とんと覚えていない。

 

「誰だよ、あんた。」

「君の父君から世話を頼まれた者です。」

「あいつがそんなことするわけないだろう!?」

 

怒りのままに叫んだ伏黒に、彼は緩やかに微笑んだ。伏黒と同じぐらいにかがんで、笑っていた。

 

「それでも、私はここにいるよ。」

 

柔らかな声が、本当に、煩わしいほどに耳に響いていた。

 

彼の姉である津美紀はあっさりと男に懐いた。それも理解できる。男は何くれと二人の世話を焼いてくれた。

津美紀が率先していた家事も、家に帰れば終わっている。わがままを言っても、苦笑気味に彼は赦してくれた。

好きなご飯を作ってくれた、土日にならば連れて行ってもらったことのない遊園地にだって行ってくれた。

毎日ではなかったけれど、やってきては溜まった家事を片付けて、作り置きの食事を用意してくれた。

津美紀は久方ぶりに自分を甘やかしてくれる男に懐いていた。

男は、名前を名乗らなかったから、ずっとお兄ちゃんと自分たちは呼んでいた。

それでも、伏黒は男のことが嫌いだった。

 

信用はできない。信頼なんて欠片だってない。男は自分たちに危害を加えることはなかったけれど、それでも目的がなんなのかわからない。

父親から頼まれた事というのが何よりも信頼ができなかった。

あの男が?

自分たちを置いていったあの男が、何を持って自分たちの世話をしてくれる人間なんて者を送ってくるものか。

だから、ずっと何をしでかすのか監視し続けた。

追い返そうかと思っても、男が渡してくる生活費で自分たちは命を繋いでいた。男に頼らないという選択肢は幼い自分たちには難しかった。

嫌いだ、嫌いだ。

自分に微笑みかけてくるその男、優しいその男、自分を置いていった父親、会いに来ない父親。

嫌って、嫌って、嫌って。

ずっと、拒絶し続けた。津美紀に言われても、礼を言ったことはなかったし、無視を続けた。

彼はそれに何も言わなかった。

消えてしまえ、あっちにいけ。

何故だろうか、必死に男を嫌おうとした。嫌って、目を背けようとした。

人は嫌いだ。大人の男は嫌いだ。

視線をそらして、無視をした。

けれど、ある日のことだ。男は、ぽつりと聞いてきた。

 

「お父さんのことが嫌いかな?」

「嫌いに決まってる!」

 

その日は、珍しく津美紀の帰りが遅く、男と二人きりだった。

そんなとき、男は何気なく、洗濯物をたたみながら言った。

無言で宿題をしていた伏黒は吐き捨てるように言った。

 

「・・・・君の名前は、お父さんがつけたんだよ。」

「だからなんだよ!?どうせ、あいつのことだから適当につけたんだろう!?じゃなきゃ!」

 

たたき付けるように子供は、どうしようもない感情を叫んだ。

母のことは、すっかりもう忘れてしまった。いたのかさえも曖昧だった。だから、どうしようもなくて叫んだ。

唯一のこった父親は、滅多に会えず、転々とした見知らぬ女とのかすかな記憶。そうして、ようやく家族だと思える姉だけが幼い少年の縁だった。

嫌いだ、嫌いだ、嫌いだ。

父なんていらない。自分の家族は、津美紀だけ。彼女だけが、自分の家族だ。だから。

 

「・・・・あなたの父君は、恵まれない人だった。」

 

静かな声が、やっぱり耳朶をついた。とつとつと聞こえる声はどこまでも優しくて、心のどこかを撫でるように柔らかい。

言葉をかぶせようとしているのに、何故か、もう、黙り込んでしまう。

だって、だって。

 

「ことごとく、踏みにじられ、否定され、まあ中々に屑ではありましたが。それでも、あなたの母君のことは愛されていたのですよ」

恵とは、あの人が手に入れられなかったものそのものだったんです。

 

少しだけ、夕日に照らされた部屋の中で、それは笑っていた。

黄昏色の中で微笑みその男は、あんまりにも、本当に優しかったのだ。

 

「伏黒恵君。君がどう思っているかわからないけれど、君は確かに愛されていたんだよ。不器用に、かすかに、絶望していても、確かに彼は君の未来を願っていたんだよ。」

 

嘘だと思いたかった。違うと否定したかった。

今更柔らかな肯定を放られても、積み重ねてきた悲しみと寂しさは捨てることもできずに伏黒の中に降り積もっている。

おいで、と男は言った。何故だろうか、それがことごとく、緩やかに体にしみこんでしまう。

何故か、すがりついた。

あんなにも嫌いだったのに、信用なんてするものかと思っていたのに。

その柔らかで、穏やかな声を聞いていると、何故だろうか全てがことごとく溶けていく。

ぼたぼたと涙があふれて、擦り潰れそうな心がそれを信用していいと告げていた。

それは、確かに大人だったのだ。

伏黒が久方ぶりに出会った、大人であったのだ。

 

けれど、男はある日を境にいなくなってしまった。

男は、伏黒にそっとささやいた。

いいかい、これから銀の髪をした青年がやってくる。彼は信頼ができるから、頼りなさい。けれど、禪院家に行ってはいけない。そこじゃあ津美紀は幸せになれないから。

そうして、これは置き土産だ。いつか、きっと必要になるときが来る。

男はそう言って、そっと伏黒の影の中に何かを沈めていった。

 

男は彼の父親のようにいなくなってしまったけれど、伏黒は不思議と彼のことが

嫌いではなくなった。

わかるのだ。彼は、きっと優しい人だと。誰かの幸福を願う、善人であるのだと。

あの日、彼だけは伏黒の頭を撫でてくれたから。

だから、伏黒は思うのだ。

せめて、そんな優しい人だけは、どうか、救われて欲しいと。

 

 

 

 

ゲロを吐くほどの緊張は、とっくに超えていて。残ったのはひたすらなまでに重たい責任やら苦しみだった。

祐礼が何よりも悩んでいたのは、戦力についてだ。

事情が事情のせいで下手に仲間も、人も雇えない。ならば、どうするか。

絶対に裏切れないような存在を引き入れ、なおかつ祐礼の戦力を底上げするしかない。

 

(伏黒甚爾についても、なんとか五条とつながって仕事もしてるみたいだしな。)

 

伏黒甚爾は、原作でも指折りの強者だ。

いくら学生だからと言って、特級である夏油と五条をやり過ごし、そうして目的を達成したそれは見事といって差し支えがない。

あまりにも、見殺しにするには価値が彼にはありすぎた。

祐礼の術式、反転術式は能力的には単純で対象の在り方を反転させるものだ。だが、単純であるがゆえに使い方の応用は広い。

あることをないとし、ないことを在るとすることができるそれはひどく使い勝手がいい。

例えば、祐礼という存在を認識できるというそれを、認識できなくさせること。

例えば、不信感をひっくり返し、信頼へ。

例えば、無限を有限に。

もう少し頑張ればできることももっと広がるのだが。それでも、体にかかる負担を考えれば難しい面があった。

今回、祐礼が呪胎九相図を盗み出すことができたのは簡単な話で、自分の運をひっくり返したのだ。

たどり着けないだろうほどの運を、塵芥のような確率の中でそれを引き当てるほどの強運へと。

 

(しばらくは、相当運が悪くなるな。)

 

祐礼は偽名で借りているマンションの一室でため息を吐く。

自分がどれほど運が悪いままなのかわからない。

そうして、次に目をつけたのは、盗み出してきたそれだった。

祐礼は仲間を持つことができない。ただ、それでも引き込める存在はあった。

彼らと虎杖という家の関係性は不明だ。虎杖に対して、あの脳が本当に父であったのかはわからない。

ただ、それでも、彼らはおそらくあの脳のことをちらつかせれば味方に付いてくる可能性はある。

そうして、ほかにもいくつか呪具をかっぱらうことに成功した。

 

「そうか、肉体を用意しないといけないのか。」

 

誰を持ってこようか。誰を、犠牲にしようか。

どうせなら、とびっきりの悪党にしようか。そうだ、そうしようか。

どうせ、人殺しになるのなら、そちらのほうがずっとましだから。

祐礼はそのまま、ぼんやりと夢を見るように目の前の呪物に目線を向けた。

 

「・・・・お兄ちゃん、大丈夫?」

 

舌っ足らずな声がした。それに、祐礼はうっすらと微笑んだ。

 

「ああ、ごめんよ。真依。なんでもないから。」

 

祐礼の言葉に、幼い黒髪の少女は不思議そうな顔をした。

 

禪院真依を攫うと決めたのは単純な話、どうしてももう一人仲間が欲しかったためだ。

何よりも、祐礼は一つ、やり遂げなくてはいけないことがある。

原作でもあった、呪力からの脱却だ。

呪力が存在する間、虎杖悠仁の業は続いていく。両面宿儺の影はつきまとい続ける。

そのために、祐礼はどうしても呪力というものがどんなものか理解をしなくてはいけない。

が、祐礼の術式は確かに応用は利くが、呪力が何かを理解するためには不得手である。

そこで、目をつけたのが禪院真依だ。

彼女の持つ構築術式は、術式の中でも異端だ。

術式は、起こした結果が消えることはないが、永続するわけではない。構築術式は、呪力というエネルギーから有を生み出す。

おそらく、呪力というものを理解するためには最適の力だろう。

 

(何よりも、彼女という存在がいなくなろうと、そこまで大きな波紋があるわけではない。)

 

禪院家も、京都呪術高等専門学校も、そうして、禪院真希も。彼女の気性からして、なすこと自体は変わらないだろう。

だからこそ、好感度と信頼をひっくり返し連れてきた。

無邪気な少女は、柔らかな手を自分に伸ばす。温かなそれ、柔らかなそれ。

祐礼はうっすらと笑って、少女の手をそっと掴んだ。

祐礼はぼんやりと、自分の行き着く地獄についてを考えた。

 

 




伏黒の世話を一時的にしてたのはかわいそうだなって同情心と親父への敵対心をそぐため。好感度をひっくり返した。
真衣さんは呪力について知るために丁度よさそうだったため。ただ、申し訳なさと自分と同じ立場の双子の姉への申し訳なさがましましです。
お兄ちゃんと弟は、できるだけ早く出したい。あと、乙骨君。

次回は真衣さんと楽しい呪力の実験教室になる、かな?

感想、いただけると嬉しいです。


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人攫いが騙る

呪術師へのカードが欲しくて一人増員。

燃料投下のため感想、いただけると嬉しいです。


板取祐礼は、この世界で、一生嘘をつき続けると決めたときからずっと疑問に思っていることがある

呪力とはなんなのか?そうして、術式とはなんなのか?

 

(・・・・負のエネルギー。怒りだとか、悲しみだとか、そういったもの。体に刻まれた、ある意味で奇跡を生み出すもの。)

 

こう言えば、某運命に出てくる魔術と似たようなものなのかもしれない。

祐礼の真の目的は、女の趣味を聞いてくる特級と同じだ。呪力からの脱却。

 

(俺の力を使えば、呪力があるという事実自体はひっくり返すこともできる。)

 

だが、それではだめなのだ。一時的なものではなく、祐礼の望むのは永続的且つ、世界規模の話になる。

もしくは、負のエネルギーではなく、正のエネルギーならばまた話は違うのだろうか。

 

(なら、一度考えてみよう。まず、呪力を持つ者と持たない者の違いは?)

 

元々、原作では呪霊が見えはしても術式を使えないものは多くいた。例えば、三輪霞などが筆頭だろう。

呪力を持っていても、術式をもたないものの違いはどんなものがあるだろうか。

ただ、原作の中でも夏油傑を乗っ取っていた、仮に加茂としよう。

彼は、吉野順平を、術式は持てど脳のデザインが非呪術師であったものと言っていた。

何よりも、祐礼は吉野という少年が高校生になってからようやく呪霊を認識し始めていたことが気になっていた。

吉野が呪霊を認識できるようになったこと自体には真人たちは関わっていなかった。

 

(吉野自身に仮にもともと術式があったとして。なら、何故幼い頃から呪霊を認識できなかった?)

 

 

相伝術式というものがある。

同じ術式を血統内で受け継ぎ続けていたというならば、おそらく血の繋がりは呪術において関係があるはずだ。

だが、そうだというならば突然非呪術師家系から出てくる呪術師はなんなのだ?

某紳士の国の魔法ファンタジーでは、非魔法族の家系から出てくる魔法使いがいた。それについては、祖先に魔法使いがいたという所詮は血統由来のものだった。

ならば、呪術師もそうなのだろうか?

 

(家系、という単語をわざわざ使っていたのなら、突然変異っていうのもあるのか?)

 

元々血統というものに重きを置くにしても、やはり吉野という突然呪力というものを知覚した存在は気になる。

 

(呪力、過度なストレスによる負荷が適正の条件か?)

 

 

 

呪術師は異常な人間が多い。

そういった環境下にいるからである、と一言に言われればそうだろう。

けれど、非呪術師家庭の子供はあまりにも地獄に対して受け入れが良すぎないだろうか?

夏油傑という男がいる。

彼は非術師の家系で生まれた。彼を見るに、別段両親から疎まれていたという様子はない。どちらかというと、言動や描写からして愛されて育ったのではないだろうか。

例えばの話だ。

自分に特別な理由があるにせよ、明日さえも知れぬ生活を受け入れられる人間はどれほどいるだろうか。

もちろん、祐礼自体彼らのバックボーンというものを知らない。それ相応に理由があるのかもしれない。

だが、彼らは人としての何かが徹底的に欠落している。

死を悲しまないわけでも、死を恐れていないわけでも、死を受け入れているわけでもないだろうか。

けれど、死ぬかもしれないという可能性を前に彼らはあまりにも軽やかでありすぎる。

何故呪術師であるという事実を受け入れられるのは、彼らがストレスというものへの感覚を麻痺させているからではないかと考えたのだ。

非呪術師と呪術師の違いは、体の中での呪力の循環の違いだ。大量のストレス、強いては多量の呪力を体に流すことで人は呪力のショックを受け、そうして存在を理解する。

花粉へのアレルギーのようなものだろうか。

 

(まあ、仮にそうだとしてなんだという話だが。)

 

あくまで今のところそうだろうという予想であって、あまり意味は無いのだが。

ただ、確信というか、祐礼は術式とは肉体に依存しているのではないかと考えていた。

あの漫画では真人は肉体は魂に引っ張られると言っていた。

けれど、元より真人自体信用のできる語り手かはわからない。

何よりも、仮に術式が魂に付属しているというならば、加茂はどうなるのだろうか。

死んだ肉体に魂は宿らない。あのとき、加茂の首を絞めた夏油は肉体の反射だ。

一時は脳に宿っているのかとも考えたが、それもまた加茂という存在への矛盾が生じる。

何よりも、魂に術式が宿るというならば、転生した祐礼の魂へ術式はいつ宿ったというのか。

 

(知覚できる肉体に術式が宿っているなら、まだ調べられることが多い。)

「お兄ちゃん?」

 

つたない声に、祐礼はぼんやりと浮かばせていた思考をようやくたたき起こした。

 

「どうしたの?どこかいたいの?」

 

つたない声に、祐礼は微笑んだ。

 

「なんでもないよ、真依。」

 

自分を誘拐した男に、少女は淡く微笑んだ。

二人がいるのは、祐礼が借りている物件だ。彼は部屋に置いてあるソファの上で考え込んでいた。

少女は、その笑顔が好きだった。その声が、好きだった。

とっても、とっても、優しい声だ、笑顔だ。

両親さえも、しないような優しいものだった。

 

 

 

 

 

禪院真依は、己の家が嫌いだった。

だって、彼女の家はことごとく、己を忌むべきものとした。

何が悪いかも、幼い真依にはわからなかった。いつからか、父も母も、家の者皆が自分に冷たかった。

真依は自分の頭を撫でてくれる優しい手に、ゆるりと笑った。

自分を家から助け出してくれた彼ににこにこと微笑んだ。

 

ある日、珍しく双子の姉が側にいなかった彼女に、ある男が絡んでいた。幼い彼女へ大の大人が嫌みを言うのは大人げないことだったが、それをとがめる存在はいない。

ただ、嵐が通り過ぎるのを待っていた彼女を助けてくれた存在がいた。

 

「申し訳ありません、呼びに参ったのですが。」

 

声のする方に視線を向けると、体格に恵まれた男性が一人いた。彼はその名前もろくに知らない親戚筋の男は慌てて去って行く。

災難が立ち去ってくれたことにほっとして、真依は恐る恐る助けてくれたであろう人を見た。

 

「こんにちは。」

 

真依はそれに固まってしまった。だって、その声はあんまりにも優しかったのだ。何故か、どんな顔か上手く頭の中で繋がらないが。

けれど、双子の姉の真希からさえも向けられたことのない優しい顔をしていた。

彼は淡く笑って、真依と視線が合わさるようにかがみ込んだ。

 

「真依ちゃんだね?」

「・・・・えっと。」

「ああ、気にしないで。そうだね、少しだけこのおうちに用があってね。大丈夫?」

 

真依は久方ぶりにまともに扱われたことにほっとしながら、ちらりと男を見た。男は、淡く笑って姉が帰ってくるまで少しだけ話をしようと誘ってきた。

真依という少女は臆病で、姉がいなければ初めて会うような人間と関わることもできなかっただろう。けれど、その優しい声を聞いているといつだって背中に張り付いた臆病さも、そうして警戒心も消えてしまっていた。

 

彼の話は真依にはとても面白かった。何よりも、まともに大人に構ってもらえているという事実も嬉しかった。

ただ、男はとても不思議な人だった。

名前を聞くと、彼は淡く笑ってゆうれいと名乗るのだ。

 

「おにいちゃん、おばけなの?」

「・・・・そうだねえ。似たような者かもね。」

 

そっと手のひらに転がされたあめ玉を真依は舐めながら彼のことを見上げた。彼はおいしいかいといいながら、真依の頭を撫でてくれた。

彼はとても優しかった。真依のつたない話も、うんうんと頷きながら聞いてくれた。真依は姉以外に話など聞いてくれるものはなく、ひたすらつっかえながらでもつらつらと話を紡いだ。

好きな色、動物、大人たちの知らない自分たちの秘密基地、そんなものだった。

夕方になっても姉はなかなか帰ってこない。

それでも、真依はあまり気にしていなかった。ただ、ただ、いつの間にかゆうれいのことが大好きで、彼と話せれば幸せで。

幼い少女は気づかない。頭の中で、何かがひっくり返る。

ずっと、この孤独な家の中で味方であってくれた姉のことさえも塗りつぶされて、ただ、ただ、彼女の心は優しい男で満たされていく。

 

「・・・・・真依ちゃんは、このおうちのこと好き?」

 

やっぱり優しい声がした。優しくて、そのままその声だけに浸っていたいと思うような声だった。

それに真依は咄嗟に返事ができなかった。うんなどと、お世辞にだって言えなかった。

幼い子供にだってわかるのだ。臆病であるが故に、わかるのだ。

自分はどれほどまでに、姉がどれほどまでにこの家で疎まれているのか。

黙り込んだ真依に、男は柔らかな声で言った。

 

「じゃあ、俺と来るかい?」

 

そういって、自分を膝にのせて男が頭を撫でてくれる。

 

「ほんとう?」

 

真依はそれに歓喜を爆発させた。

だって嬉しい。嬉しい、とても嬉しい。

ここから行こうと、そう言ってくれるならひどく幸せな気分になった。

己を愛してくれない家族、居心地の悪い家。ここから出て行きたい、ここじゃないどこかに行きたい。

それは、幼い子供にとって紛れもない本心だった。

親に愛されたいという心も、家に受け入れられたいという心もあったはずなのだ。けれど、それは彼女が知らない間にひっくり返ってしまう。

 

「うん!行く!待っててね、お姉ちゃんに。」

 

真依は体を翻して己の姉を探しに行こうとする。けれど、それよりも先に真依の手は男に掴まれた。

ゆうれいのほうに視線を向けると、彼は柔らかに微笑んでいた。

 

「真希ちゃんは、連れて行けないんだ。」

「どうして?」

「・・・・彼女は、ここでやることがある。」

 

それに真依は今まで弾んでいた心が沈んでいく気がした。

姉がいない。姉とは行けない、ならばと傾きかけていたその時だ。ゆうれいはそっと屈み込み少女と同じ視線になる。

初めて、真正面から男の目を見た。

優しい色をした目が、自分を見ていた。

 

「・・・・一緒においで。」

 

その声はやっぱり優しい。何故だろうか、その声を聞いていると男への大好きという感情でどんどん塗りつぶされていく。

 

「大丈夫、なんにも怖いことはないよ。ただ、真依ちゃんはここが辛いだろう?」

 

それは事実だった。だから、真依はこくりと頷いた。

それに男は淡く笑って、ぼそりと真依にささやいた。

 

「《うこい》」

 

何かを囁かれた。それが何かはわからない。ただ、それで徹底的に真依の中で何かが変わる。いきたくないと、今まで思っていたのに。

その言葉を最後に、真依は素直に青年の首に抱きついた。

 

「うん、いく。お姉ちゃんがいなくても、いく。」

 

それに彼は真依のことを抱きしめてくれた。真依はびくりと体を震わせたが、暖かなそれに手を回した。

父とて、母とて。

こんなふうに抱きしめてくれただろうか。ぼんやりと、幼いながらにそんなことを考えている。

遠のいていく家があった。それに、心底安心している自分がいた。

ゆうれいはそのまま真依のことを抱き上げて、道を歩いた。揺られて、暖かなその体に触れていると、いつのまにかうとうとと微睡んでいた。

かすかな意識の中で、誰かがごめんなと言っていた。

 

 

 

祐礼はぼんやりと少女を攫ったときのことを思い出す。

あの後、禪院家について少し探りは入れたものの、真依のことを心配する声は聞こえてこなかった。聞こえてくるのは、少女を攫った敵対しているだろう存在への怒り。

禪院家を舐めているという、プライドからくる怒り。

たった一人だけ、たった一人の少女だけが静かに泣いていた。涙と言えないような、怒りを湛えた眼で、泣いていた。

 

(君は、俺と似ているのかな。禪院真希。)

いつか、地獄に弟/妹を置いていく兄/姉よ。

 

禪院真希、君は今、悲しいだろうか。今、何に怒りを燃やしているだろうか。

君は俺を憎んでいるだろう。奪われたと、怒りに震えているだろう。

それでも、ぼんやりと思うのだ。

いつか、結局の話、君は地獄に妹を置いていくのだろう。

怒っていてくれ。そうして、本当の意味で全てが終わったら。

幼い少女は、世界の全てのように自分を見ていた。

 

「・・・・何でも無いよ。」

「ふうん?あ、そうだ。お兄ちゃん、見て!できたよ!」

 

弾むような声で彼女はぽんと、彼に何かを差し出しだ。それは、青いガラス玉だ。祐礼はそのガラス玉をつまみじっくりと完成する。

 

「構築術式は使えるのか。」

「うん、でもすごいつかれる。」

「そうだな、構築術式は呪力も使うし、体への負担も大きい。にしても。」

 

祐礼はガラス玉をのぞき込んだ。

 

「そういえば真依、お前さん、ガラスの作り方なんて知ってるのか?」

 

それに真依はきょとりとした眼をする。

 

「ううん。知らない。」

「なら、どんな風に作ったんだ、これ?」

 

それは純粋な疑問だった。それに、真依はうーんと首をかしげた。

 

「なんかね、体に力を入れてね、いいなあって思ったらできてる。」

(構造を知らなくてもいいのか。なら、もっと意味不明なものでも作ろうと思えば作れるのか?例えば、強力な呪具でも。)

 

ただ、それを試すにはあまりにも彼女は幼く、かつ呪力も少ない。

何を持っても呪力が足りない。燃料がなければ機械は動かないのだ。

 

「いっそのこと、呪力自体を吸収するだとか。いや、その前に呪力ってなんだ。目で見れるぐらいわかりやすけりゃいいのになあ。いや、いっそ呪力操作からか。」

 

祐礼はそんなことをブツブツと言いながらソファの上でガラス玉を見た。

 

(・・・・呪力操作か。そういや、五条は六眼のおかげで繊細な呪力操作ができるんだっけか。つって、六眼手に入れるなんて無理だろうしなあ。)

 

そう思いつつ、自分の目に呪力が見えないことを嘆いた。そこで、ふと、思いつく。

祐礼はがばりと起き上がる。それに、隣に座っていた真依が不思議そうな顔をした。

祐礼は目を閉じた。

 

(なら、俺の眼を呪力を見えるように反転させれば。)

 

祐礼の術式の発動条件は認識の有無だ。ただ、認識するとしても多々条件はある。

例えば、祐礼の姿についてだがそれとて現在の彼の状態の反転に過ぎない。

“幼い少年”の反転をするとして、子供を起点にして大人に、男を起点にして女に。また、幼いを起点に老人にもなれる。

ただ、半端な年齢である中年になることはできない。そうして、動物にもなれない。

また他へ干渉を行う場合、祐礼のことをしっかりと認識していないといけない。そのため、視覚、聴覚などを媒介に干渉を行っている。

ただ、複雑な干渉になるとそれ相応に手間もかかる。

好感度についてはただ、相手が持っていたものをひっくり返す程度なため声や目を合わせるだけで済む。

けれど、相手の術式や呪霊との契約についてはそれ相応に縁が必要になる。

伏黒甚爾に発したのは逆さ言葉だ。発した言葉を逆転させることで彼への干渉を深めたのだ。

何よりいいのは、相手の一部を取り込むことだ。

祐礼が伏黒甚爾や五条悟、そうして夏油傑の三つ巴に立ち会いたかったのはこのためだ。

三人がたっぷり流してくれた血液についてはしっかりと手に入れてある。

特に、五条の血液が手に入る機会なんてこのときぐらいしかなかっただろう。

祐礼は自分の眼を反転させる。そうして、眼を見開いた瞬間、祐礼はたたき付けられるような情報量にぐらりと意識が遠のきそうになる。

 

「ぐっ!」

 

サーモグラフィーのように、呪力が巡りに巡った世界に吐き気を覚える。

うめき声を上げた祐礼に真依は慌てて話しかけた。

 

「・・・・いや、何でもないよ。」

 

脂汗をだらだらと流しながら言おうがおそらく信用はないだろう。けれど、そういうしかない。

祐礼はそう微笑みながら真依の頭を撫でた。

 

(・・・・呪力操作するにゃあいいかもしれないが。もう少しひっくり返す起点を考えねえと頭が焼き切れるかもな。)

 

そんなことを思っていると、カリカリと窓の外からひっかくような音がする。それに、祐礼は視線を向けた。

そこには、見張りをさせていた呪霊の姿があった。

 

 

 

 

(・・・・あ、死ぬ。)

 

灰原雄は、目の前に迫り来る、呪霊を見てそう思った。

二級呪霊の討伐だったはずだ。

灰原と、そうして七海建人がいればなんとかなるだろうと送り出され、そうして顔を出した呪霊に絶望した。

 

(七海、逃げられたかな。)

 

灰原は現在、一人で呪霊に立ち向かっている。

囮になると決めたのは、簡単な話で灰原の術式は障壁を張れるためだった。だからこそ、灰原は選択した。

二人で逃げることはできないのなら、自分が囮になることで時間を稼ぐと。

大丈夫だ、だから行って。

見送った七海のことを覚えている。

呪霊がニタニタと笑っている。そうして、術式だろうそれを自分に向けるのも見えた。

障壁はすでに限界だ。だからこそ、灰原は簡潔に自分の死を予想した。

 

障壁が壊れる。

避けるために飛び退いたが、両足が消し飛んだ。

痛みの中で絶叫する。

ああ、痛い、痛い!

激痛の中で、薄れていく意識の中で、それでも走馬灯が頭の中で回っていく。

両親のこと、そうして自分と同じように変なものが見えた妹のこと。

大丈夫だ、彼らはこちらには来ない。自分だけが、ここに来た。

世話になった学校の先輩や先生。

そうして、そうして。

 

(七海・・・・)

 

自分の友人よ、君は助けを求められただろうか。

君を生かせた、君は生きていける。自分はここで死ぬ。それが嫌でないなんて言えないけれど、それでも、君を助けられたのならそれできっと報われる。

自分に、呪霊の手が伸びる。

ああ、死ぬ。

血があふれて、痛みがあって。思考の中で恐怖の中で、わめき立てる声がある。死にたくない、怖いと、妹や両親へ手を伸ばす。嫌だ、嫌だ、嫌だとわめき立てる声がある。

けれど、それと同時に奇妙な静けさがある。

ああ、死ぬとその事実を受け入れて、見送った背中に安堵している自分がいる。

掠れていく意識の中で、呪霊をじっと見ていた。

その時だ。這いつくばった灰原の視界に、誰かの足を見た。

何の変哲も無い革靴、スーツ。

それは、当たり前のように灰原の前に立ち、呪霊を前にする。

姿はよく見えない、ただ、黒い髪が揺れているのが見えた。

 

「・・・間に合ったが。そうはいっても早めにしないとな。」

 

男はそう言って、呪霊を前に手を上げた。

 

「・・・・出来たてほやほや、アイギスの盾なんて。」

 

言葉と供に男へ呪霊の攻撃が襲う。けれど、それは男に届くこともなく跳ね返されていく。

 

「跳ね返した後、反転術式で干渉して。」

 

ぼそぼそと男の声が聞こえてくる。そうして、跳ね返されたそれを浴びて呪霊は反撃の意欲を失ったのか逃走を図った。

 

「まあ、祓わない方がいいか。」

 

そう言った後、それはくるりと灰原の方を振り返った。顔は、不思議なことに布でできた面をしていた。

 

「・・・・・やあ、死にかけたあなた。一つ、取引をしませんか?」

 

感情を感じさせない、淡々とした声だったはずなのだ。けれど、何故だろうか。

流れ出ていく血のせいか、やたらとぼやけた思考の中でその声はひどく優しく聞こえた。

 

「私はあなたを生かしてあげます。その代り、私の言うことを聞いていただきたいのです。二度と、家族には会えぬでしょう。二度と、友人には会えぬでしょう。ですが、生きたいと願うなら、私の手を取りなさい。全てを忘れても構わないというならば、そのまま生きて足掻きなさい。」

 

目の前に差し出された手に、灰原は考える。一瞬だけ、その手を取るか考える。痛みと、恐怖で染まった思考の中でもどこかで考える。

いいのかと、そんなことを考えた。

けれど、灰原はそれでも男に手を伸ばした。

これはきっと縛りだ。これは、自分を縛り付ける約束だ。

けれど、伸ばしたそれを掴んでいた。

 

「・・・・わかりました。灰原雄。私はあなたを生かす。その代り、我が同胞として働いてもらいます。」

 

言葉と供に、灰原は意識を失ってしまった。

 

 

 

 

どすりと、思いっきり腹の上に何かがのしかかってくる。

それに灰原はぐえっとうめき声を上げた。

ぱちりと目を開けたその先で、真っ黒な髪をした少女はむすりと自分を見ていた。

彼女は、ぼすぼすと灰原の腹を叩く。

 

「おなか減った!」

 

灰原はじっと彼女の方を見た後、にやりと笑って勢いよく起き上がる。

 

「よし!朝ご飯だあああああ!」

 

大声を上げながら、少女、真依の体をくすぐった。それに、彼女はきゃあああああと悲鳴染みたものをあげながら、けたけたと笑う。

そのまま灰原はベッドから飛び降りて、真依と朝食のためにキッチンに向かった。

 

「今日のご飯なにー?」

「今日はゆうれいが置いていったフレンチトースト。」

「やった!」

 

灰原は冷蔵庫に入っていたタネにつけてあった食パンを取り出しながらそういえば、足下の少女はるんるんと嬉しそうに声を上げる。

そんな声を聞きながら、灰原は自分でも何をしているんだろうかと心の中で首をかしげた。

 

 

「あなたに命じるのは、一つだけ。この子の護衛兼世話です。」

 

目を覚ましてすぐにひょっこりと現れた男はそういった。

自分が眼を覚ましたのは、今でも真依と、そうしてもう一人と住んでいる場所だった。

日の光が入って明るい部屋の中で、スーツを着た男が一人の少女を連れて立っていた。

自分が横たわっていたベッドを思いっきり起き上がる。そうして、灰原は開口一番に叫んだ。

 

「あなたは誰ですか?」

 

そう呟いた後、少年ははてりと首をかしげた。

そういえば、自分とはいったい誰なのか?

 

 

 

(俺は本当は死ぬはずで、幽霊の上司さんの慈悲で生かされている、らしい。)

 

じゅうじゅうとバターとパンの焼ける音がする。食欲をそそる甘いにおいに真依は眼をキラキラさせている。

灰原と、男は自分を呼んでいた。どんな意味があるのかと問うと、彼は少しだけ黙った後に意味は無いと首を振った。

だから、自分は灰原になった。自分の名前がそれだけであることに特別な感慨はなく、なるほどという納得しかなかった。

男は戸惑いに満ちた灰原に、少しだけ考えるような素振りをした後に淡々と言った。

 

「私は幽霊、私たちは幽霊。あるはずであり、いないもの。くもに仕える、ありながらないもの。どうぞ、私のことは幽霊と。」

 

仰々しい名乗りをした。

曰く、彼以外にも仲間はおり、自分もいつかは出会うかもしれないが。それはともあれ、彼らは共通して幽霊と呼ばれているらしい。

 

「よし!やーけーた!」

「やーけーた!」

 

灰原はフレンチトーストを皿にのせ、牛乳を汲んだ。

 

「ほら、席に着く!」

 

弾んだ声と供に、少女は居間に置かれたテーブルに着いた。そうして、二人は互いに向かいに座り、手を合わせる。食べやすいように小さく切ったフレンチトーストを前にする。

 

「いただきます!」

 

それと共に、真依はもぐもぐとフレンチトーストを平らげる。それを見ながら、灰原はまたぼんやりと考える。

自分が何者であったのか、灰原は知らない。

知識はある。

一般的な常識、呪術というもの、己の術式。そんなものはわかる。

ただ、思い出というものはことごとく無くなっていた。

幽霊にそれを聞いたが、彼は冷たく教えられないと言った。

 

(与えられた役目をこなせば、命の保障をしよう、か。)

 

彼はそういった。

灰原に命じられたのは、目の前の少女の護衛と日常的な世話だ。時折帰ってくる、といっていいのかわからないが、幽霊が世話を代わる日は特別暇だ。

指定された人間に関わらない限りは基本的に自由にしていいと言われている。

 

(なんだっけ、銀髪の人と、黒髪の人とか。あと、金髪の人がいたなあ。名前は、確か、ごじょうにげとう、さん?あと、ななうみ?あれ、どうだっけ?)

 

やたらと容姿のいい人ばかりのせいか、すぐに顔は覚えられた。ただ、名前に関しては曖昧で、あとで資料を確認しようと灰原は思い立つ。

ほのかな甘みのあるフレンチトーストは素直に旨いと思う。

それを味わいながら、灰原は自分についてを考える。

生活自体は別段不自由していない。

家は確保されているし、真依自体元々大人しくさほど手間はかからない。生活資金だとか軽く数百万を超える金が入った通帳だって渡されている。

ぼんやりと、灰原は考える。自分が何者であったかを。

わからない、帰らなければと思う心がある。記憶ではない何かが、置いてきたものがあると告げている。目の前の何の変哲も無い少女をここに置いていいのかと疑問が残る。

ゆうれいは何も言わない。問いかけても教えてくれない。

ただ、そうはいっても自分の命が彼に握られているのも事実だった。

 

(俺が逃げたら、次に真依につけられる世話役がまともである保証はない。)

 

幼い子供が傷つけられるのは心が痛む。ずきずきと、苛まれる。

それでも、何故だろうか。

一応は自分たちの保護者兼監視役が真依という少女にどれほど優しく接しているのか知っている。

命令さえ守ってくれれば、俺の何をかけてでも命の保障だけは約束しよう。確かに、男はそう約束した。縛りを結んだ。

 

「ねえ、灰原。」

「ん?なんだい?」

 

思考の中に少女の声が割り込んだ。それに、彼は素直に応じる。

 

「お兄ちゃん、今日帰ってくるんだよね?」

「ああ、そのはずだよ。」

 

それに真依はぱあああと顔を輝かせる。そうして、弾んだ声を出した。

 

「じゃあ、晩ご飯は一緒かな?」

「そうだね、何か用意しておこうか。手伝ってくれる?」

「うん!」

 

弾んだ声がする。嬉しそうな声がする。

幽霊をどう思えばいいのかわからない。ここにいることが正しいのかはわからない。

ただ、それでも、男が真依に接するときの優しい声音を知っている。灰原に向ける声音が、どれほどまでに優しいか理解している。

 

(大丈夫、俺、たぶん人を見る目はあると思う。)

 

そんな確信をした後に、灰原は今日の食事についてを考え始めた。

 

 

 

 

(・・・・・予定通り灰原の回収は成功。助ける代わりに縛りをかけて記憶は消した。)

 

何よりも大変なのは、灰原の死ぬ任務がいつであるかわからないときだ。記憶によれば、伏黒甚爾との決闘から数ヶ月ほど後だったはずだ。

そのため、呪術高専の窓へ好感度反転で探りを入れ。それに加えて呪霊で遠回しに監視をさせていた。

祐礼の術式を使えば、呪霊を操ることはできなくはない。どちらかというと、好感度を高めるだけのため、厚意にすがって頼みを聞いてもらうような形であるが。

道具のように扱うことはできない。ただ、手駒として、盾として、囮として扱うにはこれほどのものはない。

残穢さえも、祐礼の術式で扱えばなかったことになる。

 

(本当に幽霊になったみたいだ。)

「あのお、そろそろ。」

 

声のする方に視線を向けると、そこには老いた女が座っていた。祐礼はそれににっこりと微笑んだ。

二人がいるのは、都内にあるレストランだ。レストランの中の人間は、二人をまったく気にしない。いっそのこと、布面を被った男の事なんて忘れてしまう人間だっているだろう。

 

「ええ、そうですね。引き続き、調査をお願いしますね。」

「はい、はい!わかっております。ただ。」

「ええ、何も喋らず、何も知らせず。約束さえ守ってくだされば我らは何もしませんよ?」

 

祐礼はオガミ婆が差し出してきた情報をまとめた書面を持ってそういった。

柔らかな声に、オガミ婆は怯えたように体を縮こませた。

 

 

原作が始まるまでできるだけ情報を集めておきたいという思惑があった。

ただ、そうするには残念ながらあまりにも伝手がない。

少しの間だけ呪詛師の中で動いていたときもあったがそれだけではあまりにも足りない。

そのため、思いついたのが呪詛師を脅すことだった。

下手に呪術師に手を出せば足がつく。だが、裏世界の呪詛師なら誰が死んでもさほど情報が回らない。

 

(・・・・呪術が使えなくなるのは、そんなに怖いか。)

 

そんなものは当たり前の話で、呪詛師でありながら呪術が使えない存在の末路など分かりきったものだろう。

呪力があるということをひっくり返し、一瞬だけでも呪術を奪ったときの狂乱振りは今でも覚えている。

惨めに死ぬのは、そんなにも恐ろしいのだろうか。

 

(俺は、こんな力、いらなかったなあ。)

 

そんなことを思いつつ、祐礼は変わることなく微笑んだ。

 

「ええ、また、お願いしますね?あの方もとてもお喜びになっていますから。」

 

それにオガミ婆はまだ続くだろう地獄に肩を落とした。

祐礼はそれに興味が失せたように目を伏せた。

 

(・・・・これからは、資金稼ぎと情報収集、あとは真依や自分の授業になるか。それと、世話係も確保したし、脹相たちの器を探さないとな。)

 

真依を抱えた状態で脹相たちと話し合うような余力は無い。そのため、目をつけていた灰原を連れてきたのだ。彼の術式を知って、正直当たりを引いたとほくそ笑んだのは秘密だ。

祐礼は考える。

器として贄にする誰かのことを、徹底的に誰かの死に慣れた自分を。

 

(・・・それでも、悠仁。)

 

お前だけが幸せであるならば、自分はいくらでも、どんなことでもなして見せよう。

心のどこかで、一人になって泣いている双子の片割れについてを考えた。

 

 

 

 

 

 




呪力ってこんなもんかなっていう祐礼の考え。呪力実験は真衣ちゃんが幼くていったん断念。
真衣はたぶん、原作よりもある意味で幸せかも。お姉ちゃんのことは、心の片隅で忘れてる。
灰原の術式は摸造しました。
主人公と灰原の術式悩んでおります。もし、何かあればこちらにいただければ。
一応、ハーメルンで別名義で活動しており、分けておこうかと思っているので活動報告は使わない気です。
https://odaibako.net/u/kaede_770


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老いたものが騙る

今回は少し短めです。
真依の話、あと組織の設定について。

やる気のために感想いただけると嬉しいです。


 

「なあ、兄ちゃん。ちっくと立ち話でもどうだい?」

 

のんびりとしたそれに、五条悟は声の方に視線を向けた。そこには、ゆるゆると笑う老人がいた。

 

 

その日、五条は変わることなく任務に赴いていた。すでに絶えて久しい廃村にて肝試しにいった人間が消えているらしい。五条は相も変わらずさっさと任務を終わらせた。

時間はすでに夕暮れで、暮れかけた日の中を五条は歩いていた。

 

(今日はもうこれで終わりか。)

 

夕飯に何を食べるか、そうしてこの頃後見を引き受けることとなった少年の教育方針について考えながら補助監督の元に向かっていた。その時だ。突然、五条に話しかけるものがいた。

五条はそれに固まる。

己の六眼で把握しきれない何か。声のする方に意識を向ける。

そこには、大岩に腰掛けた老人がいた。

雪のように白い髪は短く刈り込まれていた。さびねず色の着流しを纏い、同系色の襟巻きをしていた。手には使い古したキセルを燻らせている。

そうして、何よりも印象的なのは目元だけを覆った鬼の面だろう。

五条はようやく意識に捉えたそれに、目を見開いた。

 

「動揺してるな。だろうなあ、なんたってその六眼じゃあ、俺のこたあ捉えられないんだからなあ。」

 

なあ、五条家の若大将。俺と、少しだけ話をしねえかい?

 

その言葉と同時に、五条はなんのためらいもなしに術式の構えをとった。

五条の脳内には、あの日、伏黒甚爾との対戦に割り込んできた男を思い出したのだ。

 

「・・・・お前、何者?」

「あーあー、やだねえ。年上への敬意のない若造たあ。」

「質問に答えろ。お前は。」

「一つだけ言えるなら、俺はお前さんたちの追いかける幽霊を知るもの、だな。」

 

それに五条はピクリと体を震わせた。

その老人は、また、にこりと笑った。

 

「なあ、兄ちゃん。だから言ったろう。ちょっくらと俺と話をしようや。」

 

ニコニコと笑ったその姿は、いたずらっ子のように楽しげなものだった。

 

「・・・・お前は何者だ。その前に、あいつらは何者だ?」

 

五条はじろりとその老人をにらみ付けた。老人は、いや、それは老いているというのにはどこか若々しい。されど、その見た目通り、生疲れたような目をしていた。

どこか、苦みと悲嘆と、そうして暗く落ち込んだ水辺のような目をしていた。

さて、それは敵であるか味方であるか。

敵の敵であるというのが一番の可能性だろうか。

 

「まあ、そんなにも急かしなさんな。良い女を前にした童貞でもないだろうに。」

 

それに五条の額に青筋が浮かんだ。

目の前のそれを殺すのは簡単だ。ただ、それでも円滑に情報を知れるならばそれ以上のことはない。

一旦は無理矢理に気持ちを静めたのはひとえに組織の情報をまったくといっていいほど掴めなかったせいだ。

呪詛師側に潜った夏油であるが、捜しものである彼らは全くといっていいほど見つからない。

呪詛師たちの中にはどうやら接触を持った人間はいるようだが、情報や金を搾り取られるだけ絞られて放り捨てられているものが殆どだ。

少しでも情報を探ろうとするが、誰も彼もが何も知らない。

 

(・・・・おまけに、それっぽいのだけ探っても、男だったり、女だったり、はては子供が使いだってやつもいる。)

 

構成員の存在さえも不明瞭。何よりも、構成員に子供を加えられると言うことはその程度の年でも使えるほどに教育が行き届いているということだ。

五条とて、幼い頃から懸賞金をかけられ、呪詛師程度に負けるようなことはなかった。だが、そんな存在を幾人も抱えた組織などあり得るのか?

それ以前に、それほどの組織が今まで誰にもばれないように潜っていたというのか?

伏黒甚爾は五条が認めるほどの強さを持っている。

そんな彼、そうして、五条の六眼にさえも気づかれない隠密能力。それが、どんな術式によるものかはわからない。

五条はそれに上の人間たちのことを思い出す。

五条とてさすがにある程度の危機感というものは存在した。

最強であっても救えないものはある。

脳裏に浮かんだ、死んだ少女のことを思い出す。そうして、一人で抱え込んでいた友人のことも。

いくら五条が最強でも、物理的に潰せなければ意味が無いのだ。

 

(だってえのに!)

 

何を根拠にそんなことが言える?

仮に今回のことに裏があったとしてそこまで大きな組織の可能性はあるのか?

今、そんなことに取りかかっている暇があるのか?

五条は脳裏に浮かんだくそ爺どもの言葉を思い出す。

もちろん、五条とて、呪詛師たちへの大捜査に乗り出せるような余裕がないことは理解している。圧倒的な人手不足により呪霊に手一杯なのだ。

だが、あそこまで危機感のない老害どもに怒髪天を決めているのも事実だ。

 

(何もわからない。)

 

確かにいる。存在している。けれど、まるで幽霊のように不確かに、痕跡さえ掴めない。それこそ、残穢さえも掴めない。

五条の中でじりじりと何かがじれる。

何か、何かが自分の首元に絡まりついている気がする。見えない何かが、じっとりと背後に絡みついている気がする。

 

「世知辛えな、てめえみたいな坊主がそんなにも憂わなくちゃならねえ状態かい。」

 

仮面の中から少しだけ見えた瞳に浮かんだ哀れみに、五条は睨みをきかせた。

それに老人は肩をすくめた。

 

「はっはっはそう怒るな。爺ってのは良くも悪くも若いのが心配なのさ。自分が散々に痛い目を見てきた分にはなおさらに。」

「・・・・御託はいい。さっさと情報をよこせ。」

「そうだなあ、まず、てめえはあいつらが何者かわかってるのか?」

「そうさなあ。まず、あいつらは滅多に表にでてこねえ。今だってそうだ。何の因果で表に出てきたのかわかりゃしねえ。俺たちの一派は、色々と相手と因縁があるんだよ。」

「あいつらの目的はわかってるのか?」

 

それに翁はキセルを口にくわえ、吸い込む。そうして、ふうと煙を吐き出した。

 

「国家転覆?」

 

明らかに語尾にはてながついているだろうそれに、五条は一瞬間を置いた。

 

「はあ!?」

 

「なんだよ、その小学生が言い出しそうなこと!?」

「ふざけちゃあねえんだよ!」

 

五条は老人に向けてきゃんとわめいた。だって、あまりにもふざけすぎていないか?

いや、可能性がないわけではないのだ。ただ、なんというか釈然としない。

もちろん、そういった考えを持つものがいるのもわかる。

ただ、五条が今まで出会ってきた呪詛師とは良くも悪くも、何というか単調だった。

金だとか、良くも悪くも即物的で。

だからこそ、唐突に湧いて出てきたそれに驚いたのだ。

翁はがりがりと頭をかきながら、あーと言いつつまたキセルは吸い込んだ。

 

「あいつらへの名はねえよ。ただ、構成員、つまりは使いっ走りの奴らはゆうれいと呼ばれ、かつそれぞれを色の名前で区別してるって話だ。そうして、くもってやつに仕えてる。あいつらは、誰にもしたがわねえ。頭を垂れぬと、腹を見せぬと、くもとしてあり続けると決めたもの。」

 

まるで謎かけのような言葉だった。半信半疑を意味するように悟は男を見る。

 

「・・・・それだけしか情報ないってわけ?」

「あいつらは基本的にトカゲの尻尾切りが基本で本命に手を伸ばせたことがねえんだよ。だからこそ、だ。」

 

翁は岩からたんと飛び降りて、五条に向かい合った。

 

「手を組まないか?」

「・・・・信用ができるとでも?」

「あくまで誘いだよ。情報が入りゃあ互いに御の字。後はまあ、まともな大人もいるって思ってくれりゃあいいだろうさ。」

 

それが上の人間の対応に対しての皮肉であることを察して五条は眉間に皺を寄せる。

 

「それ以上、話す気はないってわけ?」

「ああ、もう少しだけ情報はあるがな。まだ、話せねえ。」

「・・・・わかった。」

 

五条は一度頷いた後、ためらいもなく己の術式を発動しようとした。

わざわざ丁寧に聞き出す気は無かった。それならば、捕らえて無理矢理に口を割らせた方が早い。五条に悟らせなかった、そうして話しぶりからしてある程度の権限等を与えられていることは察せられた。

 

「まあ、当たり前だよな。」

 

老人はそう言うと、己の手の甲を打ちならした。五条はそれを気にしない。自分の早さに自信はあったし、そうして攻撃が通ることもないためだ。

けれど、五条の全ての予想に反して、彼の体は何故か空に吹っ飛ばされた。

 

「な、んだこれ!?」

「お前さんの性格からして予想してたんだよ。まあ、返答に関してはゆっくりと考えてくれや。」

 

どんどんと遠ざかる老人はけらけらと笑っていた。

持ち上げられているという感覚は無い。あるのは、空の中に落ちていくという奇妙な感覚。

そうして、五条も自分が浮かび上がっているのではなく、空の中に落ちていることを理解する。

 

「あと、一つだけ忠告だ。人間つうのは、結局一人で死ぬもんだ。だからこそ、あまり夏油傑に依存するなよ。てめえの正しさも、間違いも、てめえで考えるぐらいにゃ大人になれよな。寂しい坊でもないだろうに。」

俺の名は黒鷲、またいつか会おうじゃねえか。

 

対処できないわけではない。ただ、自分に起こった事への驚きで呪力操作への集中が乱れた。

その隙を狙われる。

青と夕日の混ざった、黄昏色の空に落ちていく。飲み込まれるように、全てのことがまるで逆さに落ちていく。

それはまるで夢を見ているような、不可思議な浮遊感だった。

そうして、地面に降り立った五条はついぞ、その老人を見つけられなかった。

 

「・・・・悟、完全にからかわれてないか?」

 

それに五条は思わず黙り込んだ。翁、黒鷲に逃げられた後、五条は車の中でメールで夏油に事の顛末を知らせた。

そうして、己の自室に帰宅した後、直接電話をかけた。

五条とて腹が煮えくりかえるようだった。

 

(完全にしてやられた。)

 

自分への攻撃はけして通らない。だが、今回は心の底からしてやられたと感じていた。

おそらく、黒鷲の術式は重力に関係するものだろう。

無下限術式はあくまでも五条を対象にしたものであって、彼を取り巻く重力まで防ぐことはできない。これはあくまで対象を何として選択するかという問題だ。

自分にできた一瞬の隙。

何よりも、黒鷲の残した言葉に苛立ちが残っていた。図星でないと言えば、嘘になる。

自分はある意味で、何を選ぶかと放棄している。

何を正しいと思い、尊いのだと目を細めるのか。

何を間違いと思い、罪だと除外するのか。

思考の放棄と言えるそれをいじくり回されたかのような、ひどい苛立ちだった。

 

「・・・おい、悟。聞いてるのか?」

 

電話口で聞こえるそれに、五条はその苛立ちを素直にさらけ出す。

 

「なに?」

「何ぶすくれてるんだ。それよりも、黒鷲と名乗った呪詛師の言葉、思うところはないか?」

「思うところ?」

「正直言って情報が少なすぎる。ただ、もしかしたらと思うものがある。」

「だからなんだよ。」

「悟、土蜘蛛って知らないか?」

 

それに五条の中で何かが繋がる。そうして、無意識のうちに呟いた。

 

「・・・・まつろわぬ民か。」

 

古来、国を治める存在に従わない民族がいた。敵になった存在を人ではなく、獣や怪物に例えるのはいつの時代だって存在する。

土蜘蛛は遠い昔、国に従わなかった逆賊たちの総称だ。

 

「くも、という呼び方にほかの意味があるのかもしれない。何よりも、お前の会った存在が本当のことを言っているのかわからない。ただ、調べてみてもいいはずだ。」

「わかった。こっちでも調べておく。」

 

そのまま切った電話をじっと見る。老いた男が笑っている、呆れたかのように、自分をとがめるようにそれは自分を見ていた。

何故か、黒鷲の言葉が耳につく。

寂しい坊?

そんなもの、そんなことは。

ああ、老いた瞳、まるで子供を見るかのような瞳が、自分を見ていた。

五条はそれに、持ったケータイを握りしめた。

 

 

 

じいっと禪院真依は自分に流れる呪力を眺める。

てちてちと床を叩く。過保護に床に敷き詰められた絨毯の上でごろりごろりと転がった。

そうして、真依はぷくっと頬に空気を貯める。

外はすでにとっぷりと帳が降りている。

 

「はいばらー、お兄ちゃんは?」

 

それに真依を見守りつつも、何故かかわいらしいエプロンをした灰原雄が現れる。

 

「うーん?明日までは帰らないぞ?」

 

それに真依はぱんぱんに膨らんだ頬に更に空気をため込んだ。

真依は、ひどく、ひどく不満だった。今日も今日とて、大好きな兄は真依のもとに帰ってこない。

 

じいいと真依は今日も今日とて自分の力と向き合っている。

真依は今のところ、勝手に術式を使うことは禁じられている。体への負担、呪力の消費、呪力の研究のためにと連れてこられたそれさえも置いて、真依はそれはそれは大事に育てられていた。

現在、真依の瞳は呪力を認識しているが正直言って幽霊はそのことを嫌がっていた。ただ、真依自身早く呪力を扱いたいという思いのため徹底的にだだをこねたのだ。

幽霊も呪力の扱いに慣れ、術式を早く扱って欲しいという願いのため、散々に迷ったあげくの選択だった。

足がつく可能性があるとわかっていても、幽霊は彼女のもろもろを偽装して小学校に通わせようとしていた。

ピカピカのランドセルを買ってもらった当初、真依は目をキラキラさせていた。

そんなふうに大事にされていても、真依はひどく不満だった

大好きな兄はなんだかんだとずっと外を回っている。時折、夜中にこっそりと帰ってきてはそっと冷蔵庫に入っている作り置きの食事だけが彼の置き土産だった。

 

(・・・・・わかったら、帰ってきてくれないかな。)

 

ぼんやりとそう思う。真依は、じいいと自分の手のひらに通う呪力を見る。まずは慣れておこうといって自分に施されたそれのせいか、確かに呪力の扱いがずっとスムーズになった。

けれど、だからといって元の呪力も少なく、幼い少女にできることはあまりない。

 

(・・・・調べる。何か、調べる。)

 

幼い少女にとって、何かを調べるとすればなんと言っても虫眼鏡だ。だが、虫眼鏡でじいいと何を見たとしても、呪力は何のかわりもない。

そこで真依は灰原雄にも、意見を聞いた。灰原はまさか呪力を調べているなどとは思わず、虫眼鏡でもわからないなら顕微鏡を使ってはという話になった。

 

(・・・無理。)

 

顕微鏡なんて物は家にはないし、元より真依の目にしかうつらないものを調べられるはずもない。

真依はまた、未だに短くて柔い手足をばたばたと不満を表すかのように振る。

 

「どうかしたの、真依。」

 

真依のまるで魚のような動きに灰原がひょっこりと台所から顔を出した。それに、真依は思いついたかのように口を開いた。

 

「灰原、固まらない物を固めるのってできない?」

 

飛び込んできた質問に灰原はきょとりと目をまばたかせた。

 

「え、うーん。ごめん、わからないかな。」

 

情けないそれに真依は不満げに頬に空気を詰め込んだ。

 

「役立たず!」

「あーどこで覚えてくるかな、そういうの?」

 

灰原はそう言って真依の元に行き、悪い子めとその脇腹はくすぐった。真依はそれにきゃきゃらと笑い声を上げる。

ひとしきり遊んだ後、真依のギブアップに灰原は手を止めた。

 

「はい、もうすぐご飯だから待ってること。」

「はーい。」

 

大人しく返事をしながら、真依はぼんやりと考える。どうすれば、呪力というものがわかるようになるだろうか。

 

「うーん。」

 

ばたばたとする真依を見つつ、灰原はケータイで件の男に電話をかける。

少しコールがあった後、男は電話に出る。

 

「こんにちは、幽霊さん。」

『・・・・灰原か。定期報告か?』

「はい、そうですよ。真依は今日もご飯もしっかり食べたし、変わったこともないです。」

『わかった。あと、明日には帰る。』

「わっかりました!任せてください!」

『・・・・お前は。いや、いいか。』

 

電話口から聞こえてくる呆れた声音に灰原は首をかしげる。灰原として任された仕事をできるだけ全力でやっているだけなのだが、声の主、雇い主である彼の声から疲労感がにじみ出る。

そうして、灰原はなんとなく相手が電話を切ろうとしていることを察して、一つだけ質問をした。

 

「そういえば、一つ聞きたいことがあるんですけど。」

『なんだ?』

「固まらない物を固めるってできないですかね?」

 

ちんぷんかんな質問に、電話口の彼は黙り込む。明らかに困惑してるようだったが、なんだかんだで律儀な彼はそれに答えた。

 

『・・・・・冷凍だとか、固まるような性質の物を混ぜたり。後は、そうだな圧力をかけても固まるのか。宝石だとかは強い圧力で結晶化するもんだし。まあ、なにを固めるかによるが。』

「あーなるほど。そういう方法があるんですか。」

『急にどうしたんだ。』

「いえ、ただ真依が急に聞いてきたんで俺もなんかあるかなあって。」

『・・・・まあ、それならいい。』

 

そのままぶつりと切れたケータイを置いて灰原はさっさと食事の準備に戻った。

 

それは、本当に無邪気な好奇心だった。真依は灰原に寝かしつけられた後、ベッドの中で丸まっていた。

そうして、先ほど灰原に聞いたことを思い出す。

 

(あつりょく、えっと押す力。)

 

灰原は、例えば泥団子を作るとき、握ることで固まるだろうと例え話をした。そのことを思い出しながら、真依は自分の手を見る。

構築術式は、呪力を元にして無から有を作り出す。だが、真依が目に見えるような形になって欲しいのは呪力そのものだ。

 

(・・・・呪力さえあれば、どんなものだって作れる。)

 

真依は自分の慕う幽霊の言葉を素直に信じた。それ故に、手に力を込める。

いつもならば、これが欲しいとだけ漠然と考えるしかない術式に一つの思考を持ち込んだ。

呪力は泥、手で丸めて力を込めるように構築していく想像。

何を作るわけではない、ただのエネルギーでしかない呪力を結晶に。無を有へと転換する。

自分の手の中に硬い感触があった。真依はそれに手のひらを開ける。

暗闇になれた瞳は、手の中にある歪な形の石を見た。

わかる、呪力を認識できる彼女の目には、それが何かわかった。

真依はベッドから飛び出して、未だに灰原が起きているだろう居間の方にかけだした。

 

「灰原、見て!呪力の石!」

 

きらきらと、電灯の下で濁った紫色の石が鈍い光を放っていた。

 

 

(・・・・真依のやつ、何があったんだ?)

 

祐礼はそんなことを思いつつ、はてりと首をかしげた。

電話口で話した内容はどこまでも不思議な物だった。

 

(まあ、好奇心がうずくか。そういう年だもんな。)

 

ふっと、わずかに微笑んだ彼の耳に何かのうめき声が聞こえてくる。それに、祐礼は笑みを消した。凍り付くような、うつろな目で声の方を見た。

怯えた顔をした男は、鼻水と涙でぐちゃぐちゃになったそれで祐礼を見ていた。

暗くよどんだ瞳は、ぼんやりと汚いなあと眺めた。

 

おそらく、これから数年は特別なイベントはないだろう。いや、もちろん、祐礼の知らない何かがある可能性もある。原作のキャラクターたちの言動にも一応目を光らせていく気だ。

今回、五条たちに土蜘蛛という設定を臭わせたのは、しばらくの間目を逸らしたかったというのもある。

何よりも、いっくら謎の組織でも、ある程度設定という物は必要だろう。

目的、思想、意味。

人は、いつだって理由を求める。

殺すこと、奪うこと、憎むこと。

漠然としたものでも、意味や理由を見つければ人は思考を固定化するものだ。

存在しない、滅びた民。

何よりも、夏油の中に入っていたメロンパンが納得する程度の設定という物が欲しかったのだ。さすがに、全てが謎の組織と手を組む気にはなれないだろう。

遠い昔、この国に滅ぼされた民が、もう一度栄華を求める。それがどんなものだとしても。

なるほど、なかなかに狂ったものとしては映える命題じゃないか。

だからといって、構成員として新しくキャラクターを作ったものの、設定をある程度固めなければぼろが出ればおしまいだ。

祐礼は、そのために古着屋で着物を探したり、幼女のために洋服を探している自分についてなんとも言えない気分になる。

 

(・・・・じいちゃんの容態も、見とかねえと。)

 

もう、すっかり動揺さえも感じなくなった己の弟のことを思い出す。

ちらりと、見に行った。

時折だけ、見に行った。沈んだ顔をした彼が、それでも友人と遊ぶのを見て。暗い顔した祖父が、それでも少しだけ心持ちを取り戻した顔をしていた。

祖父は変わることなく自分のために情報を探している。弟が、雑踏の中に現し身のような自分を探すことを知っている。

祐礼はちらりと自分の目の前で芋虫のように寝っ転がるそれを見た。

それは、何でも額に縫い目のある男に接触したという呪詛師だった。

なんと言うことはない。彼は自分よりも弱く、そうして祐礼は徹底的に隠れて行動した。おかげで、その呪詛師を捕らえることも、口を割らせることも簡単だった。

痛めつけたせいで、血のにおいのするそこ。人里離れた廃屋は、まさしくホラー映画に出てきそうだ。

 

(なら、俺はなんだろうか。ホラー物のラスボス?思いっきり安っぽいやつ。)

「や、やめて。い、や・・・・・」

 

祐礼は血まみれのそれを眺めながら、ぼんやりと座った椅子を漕いでいた。

自分は、きっと地獄に落ちるだろう。

たやすく、人を殺した。命を踏みにじったこともあるし、たやすく人権というものを泥で汚したこともあった。

傷つくような心はとっくにない。

祐礼は、弟が言った言葉を思い出す。

誰かを殺すことで、自分の大事な人の命さえも軽く扱ってしまうのが恐ろしいと。

ああ、なるほど。

確かにそれは至言だったろう。

けれど、祐礼は逆だった。

誰かの命を軽んじて、天秤を動かすたびに重みに傾いだ愛しい家族への情が身を焼くのだ。

自分の地獄の果てに、あなたたちの幸福があるのなら。

自分の罪過の果てに、あなたの清廉さがあるのなら。

それでいい。

それでいいじゃないか。

だって、自分は兄だから。

兄は弟を守るものだ。もちろん、一概には言えないだろう。

それでも、自分が彼の前を歩み、全ての罪過を被るのならば。どうか、善良なる弟よ。平淡でつまらない道で退屈にあくびをして、歩んで、いつか死んでくれと切に思う。

それこそが、祐礼の罪だ。そうして、祐礼が己が己であるために歩んだ人生だ。

そうして、同時に思うのだ。

どうか、自分を悼んでいきてほしい。忘れないで欲しいと、そう、思う。

 

祐礼は優雅に微笑んだ。

 

「そんな顔をしないでください。ご安心を。」

 

祐礼は優雅に足を組み替えた。

 

「あなたのことは、ええ、それこそ。つま先から頭まで、完璧に再利用してあげますから。だから、安心して死んでくださいね?」

 

絶望に満ちた男の顔に、祐礼は考える。

 

(脹相の体はこいつを使うとして。下の彼らの体はどうしようか。ああ、そうだ。いっそ、術師と人間で器として違いがあるか調べてみようか。)

 

その時は、せめてとびっきりの悪党の体を使おうか。ああ、そうしよう。せめて、せめて、善人は幸福に生きて、死ぬべきだろうから。

 




いつの間にやら第四勢力もブラフのためにぶち込まれている。
板取の名前は漢字を間違えてるわけではありません。
術式の強さについてはどうしようかと悩んでおります。また、何かありましたらこちらにどうぞ。
https://odaibako.net/u/kaede_770


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偽物が騙る

最新話のネタバレがありますのでご注意ください。

真実に気づいてゲロを吐き、人でなしになることを誓うような話?
脹相さん出ましたが、出番は薄いです。
感想、いただけると嬉しいです。


「・・・・おはようございます、脹相様。」

 

緩やかに微笑んだそれは、まるで命を祝福する神父のようであったし、それと同時に死者を祝福する死神のようであった。

 

 

 

 

(はあ、憂鬱だ。)

 

板取祐礼はある呪詛師に受肉させた呪胎九相図の一人である脹相を前にしていた。

実のところ、今まで散々どういったスタンスでそれと関わるか悩んでいたためだ。

元々、原作では呪胎九相図の三兄弟が呪霊たちに加担していたのも、それ相応の理由がある。

自分は彼らを釣れるような目的を提示できるのか?

もちろん、前提として真人等の呪霊たちに引き合わせるという前提は組み込もうと思っている。何よりも、好感度の反転は行う気だが。

そうはいっても、原作で見せた脹相たちの異様な兄弟愛を前にどれほど影響が下せるかはわからない。

 

(・・・・人のことをいえた義理じゃないな。)

 

嘲笑じみたそれを浮かべた後、祐礼は肩を落とす。

壊相や血塗は今のところ、甚爾から奪った武器庫の呪霊の中に入れてある。この武器庫の呪霊の便利なところはいくらでも入る所はもちろん、入っているものを外から感知できない、そうして入れている呪霊に影響を及ぼさないところだろう。

今のところ、祐礼も甚爾と同じようなことをして、限界まで小さくしたそれを飲み込んでいる。

姿さえ消してしまえば、五条でも無い限り見破れないため便利なことだ。

 

(まあ、交渉が決裂した場合は、壊相、血塗を人質に取るしかないか。)

 

もちろん、リスキーすぎる判断であるのはわかるが、そうはいっても背に腹は代えられない。

そうして、祐礼は覚悟を決めてがたがたと恐怖に振える呪詛師の口に脹相を放り込んだ。

 

 

「・・・・立てますか?」

 

祐礼は目の前にいる真っ裸の男に話しかける。

(鈍いな。いや、確か壊相たちは受肉してすぐに動けていたはずだ。)

祐礼の差し出したそれに、脹相は驚いた顔をしていたが素直に手を取った。祐礼は目の前に現れた素っ裸にいたたまれなくなり、用意していた着流しを肩にかけてやる。

 

「・・・・名前は?」

 

祐礼はそれを意外に思う。

何者だ、でも。目的、でも。弟、でもなく。祐礼自身の名前を聞いてきたことが意外だった。

 

(すでに好感度反転をかけているせいか?)

 

「これは失礼を。我らは幽霊。くもなる御方に使えている従僕が一人。どうか、私のことを区別するならば、黒とお呼びを。」

 

いつも通りの口上をした後、祐礼は気を取り直して微笑んだ。

 

「それでは、脹相様。」

「違う。」

「はい、というと・・・・」

「お兄ちゃんだ。」

「は?」

 

思わず飛び出た素の言葉に、素っ裸の男は祐礼の肩をがしりと掴んだ。

 

「俺は、お前のお兄ちゃんだ!」

 

 

(待て待て待て待て待て待て!!!)

 

祐礼はそれこそ、頭の中で叫ぶようにそんなことを考える。

目の前には、なんとか着流しを着せた脹相がいる。彼はふんと鼻を鳴らして祐礼を見ている。

 

「・・・・あの、脹相様。」

「だから、お兄ちゃんと。」

「いえ、お待ちください。その、お兄ちゃんというのはいったい?」

「お前が俺の弟であり、俺はお前の・・・・」

「お待ち下さい。私があなたの弟である根拠はありますか?」

 

原作では確かに脹相は虎杖に関しては兄であることを主張していた。もちろん、あれ自体何かしらの理由があるのかも知れない。ただ、そうはいっても自分がそう言われる理由は何だ?

 

(東堂だっけ。あいつにも同じように記憶ができてたけど。いや、確かにあの力自体は何なんだ。)

「繋がりを感じる。確かに、お前と俺の血は繋がっている。」

お前は、俺の弟だ。

 

断言する、脹相の言葉。それに、祐礼はずっとそらし続けた何かを理解する。

祐礼は正直言って、一つだけしなくてはいけないとわかりながら、避け続けたことがある。

もちろん、天元についての一連の事件や、伏黒甚爾についてのことが立て込んでいた部分はある。

けれど、それでも、できれば知らずに生きていければと思っていたのだ。

ひどく、ひどく、気遣わしげな顔をした男が自分の腕を掴んでいる。

弟と、彼は言う。彼が自分の兄であるのなら。

さて、己の、そうして虎杖悠仁の親とは誰なのか。

 

 

「・・・・・まじか。」

「まじです。」

 

板取祐礼の前に置かれた、濁った紫色の石。それを、祐礼は光にかざした。それは、認めるべく、呪力の塊だった。

 

「お兄ちゃん、私、えらい!?」

「ああ、そうだな。こりゃあ、期待以上・・・・」

 

正直言って、この結果に至るとはまったく思っていなかった。元より、真依の呪力は非常に少ない。ならば、作れるものなど些細なものだろう。

 

「そうか、確かに変化をさせずにそのままにすれば。」

 

祐礼はそんなことを言いつつ、じっと石を見る。

 

(まあ、借り名で呪力石、いや、ダサいか。謎めいたって感じで四魂の石とでも呼んでやろうか。)

 

ただ、祐礼はゆるりとこみ上げてくる笑みを抑えきれない。

使い方によって、上層部の方にまで影響を与えられるかもしれない。

 

「わあ、わっるい顔してますねえ。ところで、あなたはどちら様ですか?」

「俺は黒のお兄ちゃんだ。」

 

灰原の言葉に祐礼は現実に引き戻される。

今いるのは、真依と灰原が住み、そうして祐礼が現在拠点にしている場所だ。その居間にて、ラグの上にあぐらをかいた祐礼を中心に真依、灰原、そうして脹相が座っている。

本音を言うならば、祐礼としては脹相にはほかにある拠点に置いておきたかったのだ。だが、灰原から連絡でいったん帰ることにした祐礼を脹相はてこでも放さなかった。連絡にあった真依が作ったという石に興味があったためにどうしても帰りたかった祐礼はそれを振り切ることもできなかった。

弟二人と一緒にしておけば大人しくなることも考えたが、脹相のぶっ飛びっぷりに受肉はいったん止めておくこととなった。

そうして、一人でいることを嫌がり、全力でだだをこねた兄を名乗るそれに祐礼が根負けしたのだ。

 

「へえ、幽霊さん、お兄さんがいたんですね。あんまり似てないけど。」

「・・・・待て、灰原。それは兄を名乗る他人だ。」

「違う、俺はお兄ちゃんだ!」

「主張だけは、本当にでかいな・・・・」

 

ぼやくようなそれの後、祐礼は真依がびくりと体を震わせているのを横目に見る。それに祐礼は急いで、真依に手を差し出した。それに真依は全てを察したのか、祐礼の膝の上に彼女は飛び乗る。祐礼は真依の背をなだめながら、脹相に言った。

 

「・・・この子が怯えるので、大きな声は控えてくれ。」

 

不機嫌そうな祐礼の言葉に、脹相は悲しそうにしゅんとした顔をする。

 

「あ、ああ。そうか、すまない。」

(・・・・・変なとこで押しが弱いな。)

「・・・・お兄ちゃん、この人誰?」

「大丈夫、真依にひどいことはさせないよ。ただ、この人は少しだけ、寝起きなんだよ。」

「ねおき?」

「そうそう。だから、少しだけちょっと色々ぼんやりしてて慌ててる。それだけだよ。」

 

真依は信頼している祐礼の言葉に少しだけ脹相を見た。

それに祐礼はため息をつく。

 

「ほら、真依。ちょっと降りなさい。兄ちゃん、用があるから。」

「えー。」

「またちゃんと遊んでやるから。」

 

それに真依は不機嫌そうな顔をするが、渋々と祐礼の膝の上から降りる。それを確認した後、灰原の方を見た。

 

「・・・・灰原、俺は少し出てくる。脹相のことを頼めるか。」

「待て、黒!一人でどこに行くんだ!?それに、俺はお前の名前を聞いてないぞ!」

 

立ち上がりかけた祐礼に脹相は叫んだ。

祐礼はそれに内心で思いっきり顔をしかめた。

もちろん、脹相というそれを起こせばそれ相応に面倒ごとがあるとは思っていた。だが、こういった系統の面倒ごとは予想していなかった。

ぐぐぐぐと掴まれた手に祐礼の体は傾いた。

 

(つれてけるか!)

 

これから祐礼が向かう場所には、絶対と言っていいほど連れて行けない。

 

「・・・・なら、真依と灰原の護衛を頼めるか」

「何?」

「もちろん、頼めるよな、兄さん?」

 

じゃないと嫌いになるからな。

最後に兄、というそれに脹相は一瞬の隙を見せる。その間、祐礼はさっさと部屋からするりと抜け出した。

 

「灰原、引き留めろ!」

 

脹相は慌てて祐礼を追いかける。が、その言葉に動いた灰原によって止められる。

 

「くそ!」

 

脹相は見失ってしまった祐礼に苛立ちのこもった声を上げる。

 

「ちょうそう、さん?でしたっけ。ともかく一旦は落ち着いた方がいいですよ。幽霊さん、出て行くとすぐには帰りませんから。」

 

部屋の入り口でそう言われた脹相は振り返る。今すぐにでも弟を追いかけたいと思いはしたが、脳裏に思い出すのは、嫌いになるという一言。

振り返った先にいた、やたらと愛想のいい青年と不安そうな少女を見る。

 

「・・・・わかった。」

 

脹相は、ひとまずは弟からの頼み事を引き受けることを決意する。何よりも、耳元で幾度も嫌いになるという単語がこだましていた。

 

「俺はお兄ちゃんだからな!」

「ところで、ちょうそうさん、好きなもの何ですか?」

 

 

 

くさい物に蓋をしたとしてもどうしようもない。

例え、何も感じなくなったとして、処理をしなくてはいけない事実はあるのだから。

それでも、どうしても目をそらしてしまった。

祐礼は、うろんなまで二度と帰ってきたくないと思っていた場所を見回した。

見慣れているようで、けれど懐かしい場所。

板取祐礼はぼんやりとした目で、自分の故郷を見回した。

 

 

(・・・・変装のためとはいえ女の格好をすることに抵抗がなくなってきたのはすっげえ不本意なんだが。)

 

ぼやくようにそんなことを思いながら、祐礼はため息をつく。

今のところ、姿として幼女と老人があるが、そうはいってももう少しレパートリーというものは必要だろう。

 

(味方に、煽るのも、憎まれるのも、疑惑を持たれるのも。カードは多い方がいい。)

 

が、そのために本気で設定を作ったり、衣装を用意したりというのはなかなかにキツいものがある。

祐礼はぐったりとした思想のまま、見慣れた道を歩く。

ぐらぐらとするような、腹に効くような重さを感じる。それでも、祐礼は以前よりもずっと確かな足取りで道を歩いていた。

たんたんと、道を歩く。そこには動揺などはない。それでも、ぎりぎりと胸の奥で何かがきしみをあげる。

目指すのは、生まれ育った場所だ。己が、散々に拒否して、一度は逃げ出した場所だ。それでも、行こうと決めたのは自分自身だった。

 

 

 

虎杖悠仁は、ぼんやりとした表情で公園で砂遊びをしていた。本当を言えば、遊ぶ気力さえもろくろく存在はしなかった。だが、ずっと家にいるのも体に悪いと連れ出してくれた祖父の顔を見ると帰るとも言えなかった。

虎杖はちらりと遠目の自動販売機で何かを買っているらしい祖父を見る。

一人で黙々と砂遊びをしていた。けれど、欠片だって気は晴れない。

 

(・・・ゆーと、どうしてるのかな。)

 

虎杖の中にあるのは、ある日を境にいなくなってしまった双子の兄のことだった。

その日は、本当にいつもどおりだった。ただ、庭先で二人で遊んでいた。自分は壁にボールを投げて遊んでいたし、双子の兄は庭の隅でありの隊列を見ていた。

いつも通りだ、いつも通り。

だから、唐突に祐礼が立ち上がって走り出したことも気にしなかった。だって、虎杖にとって、祐礼はいつだって大人しい、いい子であったからだ。

言うこともよく聞いて、物静かで、大人たちから太鼓判を押されるほどのいい子だった。

 

(・・・・どこに、いっちゃったんだろう。)

 

大人たちがひそひそ言っていたのは聞いた。兄は、駅で誰かを追いかけていたらしい。

待ってよ、お兄ちゃんと。

警察にも届け出た。近所の人も探してくれている。でも、兄は見つからない。

祖父がだんだんと焦燥しているのはなんとなしにわかる。

沈んだ顔で、べたべたと砂の山を撫でる。

それに、虎杖は兄は砂遊びが好きだったなあと思い出す。

 

(おねつでて、でも、さがって。それで。)

 

うるうると目に涙が張っていくのがわかる。今にもこぼれそうなとき、視界の端で何かが動いた。

 

 

(泣かないんだなあ。)

 

祐礼はぼんやりと自分の隣に座った、幼い弟のことを見た。

小さな手だ。まるで、クリームパンみたいに柔っこそうで、そうして真っ白な手。ボールほどの頭に、まるでぬいぐるみのように小さな体。

祐礼は自分の体を見た。

髪の長い、成人した女の体。何もかもが正反対だ。本当なら、自分は目の前の片割れと鏡の写し身のようにそっくりであるはずなのに。

なのに、何もかもが違う。

虎杖を探すのは簡単だ。元より、幼い虎杖の動く範囲は広くない。せいぜい、買い物のためにスーパーに行くだとか。あとは、近くの公園に行くだとか。その程度だった。

だからこそ、すぐに虎杖を見つけることができた。目の前であからさまに落とし物をすれば、すぐに話しかけられるのは彼のことを理解していればわかる。虎杖を通じて、祖父と接触をはかろうと思っていた。

 

(にしても、好感度反転もしてないのに、ここまで警戒心がないのはどうなんだ?)

 

もちろん、祖父との関わりを目的に接触をした自分が言えた義理ではないのだが。

祐礼はそのまま、仲良くなったという体で虎杖のたわいもない話を聞く。

よく行くスーパー、くそ爺が連れて行くパチンコに、家で何をして遊ぶのか。

それを、祐礼はうんうんと頷く。

 

(知ってるよ。)

 

虎杖の話す全てが、どうしようもなく、泣きたくなるほどになじんでいく。

うん、うんと、ひたすら相づちを打つ。

知ってる。全部、知ってるさ。だって、そうだった。お前の世界は俺の世界だった。

自分だってそうだったのだ。

 

(知っている。そう、この公園に、商店街、そうしてあの家が。それだけが。)

いたどりゆうとの世界だった。

 

涙など出てこない。乾ききった眼球が、ただ、虎杖の幼い顔を見る。完璧な作り笑いを浮かべた顔は、欠片だって動揺も、悲しみも浮かべない。

抱きしめてやりたい。今すぐにでも、子供の姿に戻って、驚いた虎杖の顔を見たい。そうしたら、帰るのだ。無愛想で、でも、悪い人ではない祖父の元に。

散々に怒られたら、祖父の作る鍋が食べたい。そうだ、ショウガが入った鶏団子の入った、あれ。

何もかも、忘れて。そうだ、全部夢だと思って。ただ、家に帰りたい。

手が、動きそうになる。弟に、すがりつくように抱きつきたい。前のように、団子のようになって昼寝を、そうだ、だから。

 

「おい、悠仁!」

 

たたき付けられた怒りの声に、祐礼は声の方を見た。

皺の刻んだ顔、険のある目つき。それでも、自分をきっと大事にしてくれた老いた男がそこにいた。

 

「すまんな。」

「いいえ、私こそ。驚かれましたよね。お孫さんの近くに知らない人間がいるんですから。」

 

祐礼は泣きたくなるほどに懐かしい、己の祖父を見た。

夢を見ているようだった。虎杖との接触のせいか、いや、それ以上に焦燥しきった祖父のそれを見て余計に祐礼の中で罪悪感が膨らんでいく。

祖父は、祐礼が覚えている姿以上に痩せていた。

それはそうだ。だって、己の孫の一人がいなくなったのだ。おまけに、誘拐であろうとすれば余計にだろう。

 

(・・・・探すのを諦めて欲しくて、わざとお兄ちゃんとか叫びながら駅で走り回ったからなあ。)

 

好感度を反転したせいか、祖父の中で孫に近寄る不審者ではなく、親切な誰かとして扱われている。どうやら、虎杖のために水分を買ってきたらしい祖父は、自分の目の前で遊んでいる虎杖を見ている。

 

「すまんな。少し、色々あって気がたっとってな。少しは、息抜きにとおもっとったが。」

「何か、あったんでしょうか?」

 

祐礼の声は、どんな人間にだってまるで聖母かなにかのように響くだろう。甘くて、柔らかくて、くらくらするような。

まるで、幼い子供にとって親のように、信頼と縁と愛にあふれた声に聞こえる。

 

「その、心配になってしまって。」

 

それは、真実を誘い出すための、単なる切り口だ。けれど、祖父は少しだけ考えた後にぼそりと、口を開いた。

 

「・・・・孫が一人、いなくなってなあ。」

自分のせいだ、目を、はなしてしまったから。

 

それに、祐礼は後頭部に強い衝撃を受けた。

二人で隣だってベンチに座り、虎杖を見ていた。虎杖はせっせと泥団子を丸めている。ぴかぴかの、泥団子。ひどく無意味で、けれど、ぴかぴかとした泥団子。

少しだけ、目を離してしまった。だから、いなくなって。せめて、見つけてやりたいと思っている。

漏れ聞こえてくるそれ。

祖父が、孫を思う心。いなくなってしまった家族を心配する声。

いるんだ、どこかにきっと。だから、見つけてやりたいんだ。それは、胸の奥をえぐるような声だった。

優しい、かはわからないが。それでも、きっと、彼らは不幸になるべきではないのだ。

それを、改めて理解する。

どこにだっている。聖人君子ではないだろう。けれど、不幸になることだって絶対に無いような、そんな人。

悲しんでいると、わかる。自分がいなくなって。けれど、必死に探してくれている。駅前には変わらずにチラシが貼ってあって。虎杖からまだ探しているんだと、聞いて。

 

(・・・・いいじゃないか。)

 

そう思った。堅物の祖父が、困り顔で虎杖を見ていた。虎杖は、自分に綺麗に作れたと泥団子を見せてくる。

 

(なあ。いいじゃないか。)

 

もう、このまま全てを放り出して逃げたって。そうだ、赦されるんじゃないのか?

だって、そうだろう。自分が行うには、あまりにも過ぎた目的だ。

祐礼の術式は確かに便利だろう。けれど、どこまでのことができるのか。

今でさえも、ぎりぎりの綱渡りだ。

真依のことも、灰原のことも、脹相のことだって、放り出してはいけないのだろう。けれど、それでも、このままここにいたいと、そんなことを思ってしまう。このまま、子供に戻って、そうして祖父にただいまというのだ。虎杖にだって、ただいまというのだ。

そうだ、別に祖父は確かに死ぬけれど、十分生きて死ぬのだ。虎杖は、両面宿儺の指に近づけなければいい。

そうだ、例え、どんな地獄が起きたって。関係なんて、そうだ。あるはずが。

 

「・・・・・父君たちも心配されているでしょうね。」

 

それはあらかじめ考えていた、自分の父母について聞き出すための台詞だ。それを吐き出したのは、すり切れた何かが機械的に吐き出しただけだった。

それに、祖父はああと無意識のように吐き出した。

 

「あれが母親なものか。あれはおかしい。仁のことを幾度も止めたというのに。」

 

何よりも、額に縫い目があるなど何があったのか。

祐礼の目はゆっくりと見開かれた。

甘ったるい、すり切れた、崩れかけて、敗北しかけた、精神は簡単にひっくり返る。

見ていた夢は、醒めてしまう。逃げ出したいと願った現実は残酷なほどに祐礼の前で微笑んだ。

 

 

 

(そういや、何にも食ってなかったな。)

 

トイレの中にぶちまけられた吐瀉物は、何の面影もない。水に混じったそれはもうすでに、かすかな泡だけが名残として残っている。

空っぽの胃が吐き出せるのは、胃液だけだ。

祐礼がいるのは、彼がいくつか用意しておいた拠点の内の一つ。そのトイレだ。

あの後、祐礼は気分が悪いと席を立ち、そうして暴れる理性を必死に奮い立たせて、撤退を選んだ。

祐礼は、こみ上げてくる何かを散々に吐き出して、そうして止まることのない嫌悪感の後に、漏れ出てきたのは哄笑だった。

 

「ふ、ふふふふふふふふふふ。あははははははははははははははははは!!!」

 

ゆだるような、くだらないような、祐礼はトイレに捕まりひたすらなまでに笑い転げた。涙と鼻水がだらだらと流れ落ち、そのままに湧き出てくるように笑みがこぼれ落ちた。

 

「くっだらねえ!!」

 

だん、と祐礼はトイレから這いずり出るような形で体を投げ出した廊下の床を拳で叩いた。

 

「夢なんざ、見れる立場だと思ってたのかよ?」

思ってなんか無かったさ。

 

「どの面下げて、逃げ出せるなんて考えた?」

それでも逃げ出したかったんだ。あの場所にいたかったんだ。

 

「散々、やらかしてたんだろう。」

それでも。悠仁とじいちゃんの側に。

 

「・・・・黙れよ、結局中身は他人じゃねえか!!!」

 

たたき付けるように祐礼は叫ぶ。がんと、何にむけているかわからない。その言葉に、祐礼はまるで夢から覚めたように目を見開いた。そうして、次には胎児のように丸まった。

 

「・・・・・そうだよ、おれ。ゆうとじゃないんだよ。」

 

そうだ、ここにいる男は、どこまでもいたどりゆうとではない。自分の名前さえも思い出せない。それでも、自分がいたどりゆうとではないと知っている。

考えてみて欲しい。かわいい自分の、例えば姪っ子だとか甥っ子だとか、子供だとか、そんなものに成熟しきった赤の他人の精神が入ってるってものすごく気持ちが悪いだろう。

 

(間違ってたんだよ。俺は、俺って存在は。)

 

それでも、ぼたぼたと流れてくる涙でかすんだ視界の中で考えたのは、虎杖家での思い出だ。

ああ、それでも。

この中身である存在が間違っていたとしても。未だ生きていること自体が間違っていたとしても。

 

(あいされてたんだよ、いたどりゆうとは。それでも、あいされてたんだよ。)

 

ぼたぼたと、流れ落ちていく涙。吐き出し続けた体液が口元からだらだらと流れていく。

祐礼は自分の胸ぐらを握りしめて、歯を食いしばった。

 

「くそったれが。」

 

吐き出した言葉、なるほど、まさしく笑える話だ。

祐礼は、己自身を嫌悪する。己に流れているらしい、あの男の血を嫌悪する。

 

(なるほど、そうかよ。全部、あれの手のひらの上ってか?)

 

祐礼はげらげらとまた笑う。笑うしかないから、笑う。

自分の母親の頭には縫い糸があって、それを祖父はひどく嫌悪をしていた。

これでも、信じていたのだ。虎杖悠仁という青年は、確かに日の光の下で生きていくような人生を歩んでいるのだ。そうだとも思った、そうであって欲しかった。

だから、自分の父母のことを探れなかった。

いや、なんとなしにわかっていた。漫画の考察なんかが流れてきて、あー確かにありそうなんてのんきに思った記憶があった。

けれど、信じたくはなかったのだ。漫画とここは違うだろう。だって、この世界には作者なんていないし、どこまでも残酷に誰かの選択肢によって積み上げられた結果があるだけなんだと。

笑える話じゃないか。自分こそが、この身こそが、あの男の企てる何かの一部であるのだ。あの男の織りなす計画の一つなのだ。

実験の一つ。些細な積み上げ。試行例。

どこかのマッドサイエンティストの好奇心のなれの果て。

呪胎九相図のことだって笑えやしない。いや、彼らはすでに男にとっての結末を迎えたというならば、これからその結果に至る自分こそがよっぽど救えやしないのだ。

胃液でぐちゃぐちゃな口からまた乾いた笑い声が漏れ出てきた。

 

(なあ、あんた。俺とあんたが親子ってすっげえぴったりだよ。だって俺、間違ってんだよ。そうだよ、そもそも、俺って存在はこの世界のバグなのさ。ああ、そうだ。俺も、あんたも、生きてることが間違いなんだよ。)

 

なあ、お母さん。

そうだ、だから。

祐礼は、ずっと、ずっと、未練たらしく引きずったそれを静かにぶつりと、断ち切った。

いつか、幸せになりたいとも思った。

いつか、あの家に帰りたいと思った。

いつか、弟とたわいもない話をしたいと思った。

いつか、いつか、いつか。

祐礼は、それを、淡々と、淡々と、丁寧に断ち切っていく。

全てが終わったら、どうか、叶うならと願ったことを悉く消し去っていく。

悠仁の柔らかなほっぺた、伏黒恵の涙、禪院真依の甘えるように差し出される手、灰原雄のさっぱりとした笑み。

ぼたぼたと、流れていく涙と共に、それを淡々と手からはなしていく。

 

背負った業はなんのためにあるのだろうか?

背負わされた業の責任は誰がとるのだろうか。

いつか、たくさんの人を殺すのかもしれない。いつか、たくさんの善性と幸福を踏みにじるのかもしれない。

けれど、背負わされたあの子に何の罪があるのだろうか。

 

ああ、ああ、お母さん。醜くて、大っ嫌いな、おかあさん。

いいさ、わかった。それを事実を受け入れよう。その、きたねえ血も、とち狂った思考も、受け入れるさ。

あんたがいたからこそ、俺とあの子がいるというならば、それを受け入れよう。

それでも、やっぱり俺は間違っている。だから、だから、だからさ、おかあさん。

どうか、間違ってしまった俺と、どうか、死んでくれ。

 

 

 

ぎしりと、廊下が軋む音に、脹相は起き上がった。彼の周りには、散々真依と遊んだ後が広がっている。

彼はそっと足音を殺して、居間に向かう。

そうして、そこには彼の待ち望んだ、おそらく末っ子がいた。

脹相はやっと帰ってきた末っ子に声をかけようとした。

 

「・・・・ああ、起きてたのか。」

 

発せられた声、そうして自分の方を見た青年。何故か、彼を見て、自分の弟であるそれを見て、黙り込んでしまった。

 

「悪かったな。血塗たちはすぐに会わせてやるからな。久しぶりの再会だ、嬉しいだろう?」

「あ、ああ。そうだな。」

「そうか。ああ、そういえば、灰原から連絡が来てた。真依の世話してくれたんだよな?いや、俺もなかなか構ってやれねえからさ。」

「・・・・おい、黒。」

「うん?」

「お前、大丈夫か?」

 

脹相の言葉に、祐礼は変わることなく、術式で認識を歪めた顔で微笑んだ。脹相には、まるで優しげな文学青年に見えている顔で、穏やかに微笑んだ。

 

「・・・・さあ?」

 

特別なことなんて何もないよ。

そういって、穏やかに微笑んだ。

 

 

 

その日、男は神様を見たのだと思う。

だって、そうとしか言い様がないのだ。男は、久方ぶりに回ってきた自分の番にうきうきと沸き立つ。

薄暗い廊下を歩き、そうして一番奥の部屋にたどり着いた。男は、それに深く息を吸う。

 

「・・・・はい、ります。」

「どうぞ。」

 

その声を聞くだけで、男はまるで天にも昇るような気持ちで扉を開けた。

 

男の人生とは、まさしくどん底だった。

初めて付き合った女に騙され、こつこつ貯めたお金をむしり取られ、挙げ句の果てに浮気までされたのだ。

もしかすれば、鼻で笑うやつだっているのかもしれない。けれど、男にとっては絶望して死ぬには十分なものだった。

死ぬ気だった。そうだ、死ぬ気だった。誰もいない、ビルの上。そこから、飛び降りて死ぬはずだった。

けれど、その日、彼は神様に会ったのだ。

 

「どうしました?」

 

最初はそんな声が聞こえただけだと思った。けれど、振り向いて、これから死ぬんだと怒鳴りつけようとしたとき、目が合った。

表現はできない。ただ、掠れていく印象の中で、その声がだけが暗闇に照らされた光のように優しかった。

あなたの言葉を聞かせてください、あなたの悲しみ、苦しみを、どうか教えてください。

わからない、ただ、その声がひたすらなまでに優しくて、麻薬のように頭の中にしみこんでいく。

信じられる、ただ、少しはなしただけでそれを理解した。理由なんてものは存在しない。ただ、信じられる。

世界の何もかもがひっくり返って、地獄になっても、その人のことだけは信じられる。

何故か、そんな確信だけが芽生えた。

何かが決壊したように男は泣いて、わめいた。それに、神様は静かにうんうんと頷いてくれた。

それだけで、何かが救われた気がした。

 

ここ、星の子の家という宗教団体を紹介されたときだって疑う気は起きなかった。昔は、別の名前で活動していたらしいがこのごろ名前を変えたらしい。

が、男にとってはどうでもいい。

別に、何かを買うように責められるわけではない。月々、会費は取られてもそこまで多額と言うことはない。

団体は、好き勝手に喋られる場所を用意していて、干渉をしてくるわけではなかった。ただ、話を聞いて欲しいときにそっと輪の中に入れてくれる。

そこは、そういう場所だった。

何よりも最高なのは、別段お布施を大量に払わなくとも、順番さえ来ればあの人と会えるのだ。

 

「・・・・どうかしましたか?」

 

穏やかな声がする。優しい声がする。

その声は、神様みたいに優しそうで、柔らかで。

 

「いいえ、なんでもないんです。」

 

その声だけは信じられる、その声だけを聞いていたい。その人さえいれば、それだけで自分はいい。

 

 

 

「・・・・・特別変わったこともない。」

 

祐礼はぼんやりと呟いた。

ぱらりと捲ったのは、星の子の家に差し出された報告書のようなものだ。

以前から、新しく幹部になった人間に手を回してはあったのだ。

今回、本格的に祐礼は教団にまで手を回したのは、一つ、実験をしたいがためだった。

ころん、と転がる紫色の石。

それは、真依が作った、呪力を吸収する性質を持った石だった。

少女に呪力を認識できる眼、そうして脹相という良くも悪くも面倒見のいい存在を師としてあてがったのが良かったのだろう。

祐礼は紫色のそれこそ、彼女を拾い上げた何よりの価値であるとした。

教団に、今にも死にそうな存在を集めたのはひとえにその石が本当に呪力を吸収できるかを確かめるためだった。

祐礼の好意の反転は、絶望し、人を拒絶する者だからこそよく効いた。言っては何だが、丁度いい駒として役立つだろう。

ころんと、また祐礼は紫色の石を手で突く。

呪力の電池。それさえあれば、やれることは格段に上がるはずだ。

 

「・・・・呪術の鍛錬しねえと、それと、本格的に呪術界隈の老害どもへの干渉もはじめねえと。」

 

祐礼はぼそぼそと、次にやってくことを頭の中でくみ上げていく。

そうして、ちらりと窓を見た。

 

おかあさんに、自分のことはばれているか?

この疑問は、真実を知った日からずっと疑問であった。男が自分に気づいているのか?

けれど、はっきりいって、気づいていようと気づいていまいと構わないのだ。

祐礼にとって重要なのは、自分の行動全てが把握されていないこと、思考が読まれていないこと、これだけで構わない。

言ってしまえば、くもという存在が嘘でなく、そうして幽霊という存在さえ信じてくれれば構わない。

さすがに、男が祐礼の行動の全てを把握するというのは無理だろう。

体を乗っ取るという事実を自分は知っている。

どちらにしようとかまわない。祐礼が望むのは、一つだけ。

間違いが正される。それだけを、望んでいる。

 




ちゃんと真衣ちゃんのこととか、幽霊の術式の話とか次回します。
あと、そろそろ原作に突っ込んでいこうかなあと思ってます。
また、何かありましたらこちらにどうぞ。
https://odaibako.net/u/kaede_770


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血族が騙る

ようやく、血塗と壊相が出せました。
年単位で話が飛んでおります。
たぶん、次から原作時空に入ると思います。

感想、いただけると嬉しいです。


 

 

(・・・・・正直に言えば、俺は自分についての範囲ならある程度のことはできるんだよ。)

 

板取祐礼はぼんやりとした表情でそんなことを考える。

祐礼のそれに関しては、いくつか試してみたものの反転するにも色々と条件がある。

例えば、歳を変えるとする。

それには、幼いにたいして老いている。そうして、子供に対して大人という反転はできる。けれど、確かな年格好云々は決めることはできないのだ。

また、他人への干渉に関しては何よりも縁が必要だ。伏黒甚爾に関しては、彼が弱っていたことと縁を作ることができていたというのもある。

 

(呪力を使えなくするって言っても、すぐにガス欠になるし。五条とか、それこそ数秒レベル。いや、数秒も持つのか。だいたい、そこまでいくと体に触れてねえとむりだしなあ。)

 

呪詛師たちに関しては彼らが格下であることもある。それでも、短時間の話だ。

 

(まあ、ああいうのは短時間でもできるって見せつけるだけで十分に脅しにゃあなるしなあ。)

 

それでも、できないことは多い。

人をよみがえらせるのはおそらく無理だし、重力の反転は元より燃料が足りない。

応用は利くが、際だったことはそうそうできない。

何よりも、重力の反転は確かに使えるが、範囲が狭いため使いどころを考えなければすぐに攻略される。

 

(六眼からの認識は、自分の性質を変えればいいって言うのはすげえありがてえけど)

「・・・・黒、どうかしたか?」

 

それに祐礼は視線を声の方に向けた。

 

「何かあるなら、お兄ちゃんに言ってくれていいからな?」

 

心配そうな脹相の顔に祐礼はなんとも言えない顔をする。そうして、それと同時に血塗と壊相も自分の顔を見た。

 

 

「どうした、黒。この兄者に話してみろ。」

 

祐礼は血塗の、どこか得意そうな言葉にため息を吐いた。彼は自分の背中によじよじと乗っかってくる血塗を振り落とすように体を揺すった。

 

「何でもない。」

 

祐礼は血塗と壊相を受肉させたことに若干後悔していた。受肉させた当初、壊相と血塗はそれはそれは喜んだ。何と言っても兄弟の再会だ。

ただ、脹相は二人に対して早速祐礼のことを弟だと紹介した。祐礼はそれに対して流せばいいかと思っていたが、二人は脹相のそれをあっさりと信じたのだ。

兄者が言うからそうだろうと、それはそれはあっさりと。

それだけならばまだいい。ただ、何を思ったか血塗は初めて自分を兄者と言ってくれる可能性のある存在をいたく気に入ったらしく、ことあるごとに兄者と先輩風ならぬ兄風を吹かせたがっているのだ。

壊相と脹相はそれが微笑ましいらしくにこにことやたらと笑っている。

 

「血塗、弟ができて本当に嬉しそうで。」

「ああ、新しい弟で血塗も少しだけ成長したな。」

「あの子より下は、すでに。ですが、新しい弟の存在は私も嬉しいよ。」

「ああ、壊相、新しい弟のために兄としてしっかりな。ただ、お前もまた俺の弟だしっかりと頼るといい。」

「おーうい、くーろ!兄者の話を聞いてるのか?」

 

だんだんと兄と弟がゲシュタルト崩壊してきている。

 

(あれ、俺ってまじで弟だった?)

 

やたらと連呼される兄と弟という単語に汚染されそうになりながら、祐礼は正気に戻るために頭を振った。

弟たちを受肉させてから脹相はそれはそれははしゃいだ。寝ても覚めても、血塗と壊相の単語を繰り返している。弟たちに旨いものを食わせたいと、灰原雄に料理を習っているらしい。

祐礼も好きにさせている。

何故って簡単な話で、血塗と壊相を受肉させるまで、数年ほど時間を要したためだ。

小学校に入学だと準備していた真依も、すっかりお姉さんという年になっている。

灰原は、変わることなく灰原だ。

 

(そりゃあ、俺だってすぐに受肉させたかったさ。でも、あいつら普通の人間の眼にも見えるんだよなあ。下手な準備もなしに受肉させて拘束すんのもさすがに。)

「そういえば、これはどうするつもりですか?」

 

そういった壊相は地面に転がる、呪詛師を見る。それに、祐礼はゆっくりと立ち上がる。

 

「実験。」

 

祐礼はぐっと背伸びをして応えた。

 

 

「でもさ、黒の目的って、こいつの持ってた面じゃないのかあ?」

 

そう言って血塗はぶんと持っていたお面を振った。それは、祐礼が以前から欲しがっていた呪具だった。というよりも、その呪具の情報が手に入ったために血塗たちを受肉に踏み切ったと言っていい。

 

「まあ、それも目的なんだが。」

「そういえば、これはいったいどんなもの何ですか?」

 

「肉付きの面って名前がついてたな。それをつけたやつは面を剥ぎ取るんだが。そうして、次につけるやつは前のやつと同じ顔になるんだと。まあ姿を変えるしかできないし、死人の顔だ。で、それは血塗と壊相が使えよ。」

 

祐礼は、血塗の持つ女の顔をした面と、壊相の持つ男の顔をした面を見る。

 

「ええ!顔が剥がれるのに!?」

「面を取るとき呪力を流しゃあ何にもねえから!」

「俺の顔が気にいらないのか!?」

「だーかーら!!血塗の見た目じゃ人間の間だと目立つんだよ!上手く見た目を変えられるようになったらお前の言ってたテーマパークにつれてってやるから!」

 

それに血塗はお世辞にもわかりやすいものではない顔を輝かせた。

 

「本当か!?」

 

祐礼は自分にぐいぐいと縋り付いてくる血塗にこくこくと頷いた。

何の因果かはわからないが、血塗というそれを受肉させた後、某ネズミが有名なアニメーションにドはまりしたらしい。

 

(いつの間にか、真依とも仲良くなってるし。)

 

祐礼が真依と呪胎九相図に会わせたのは、本格的にどんな状況下になるのかわからなくなったためだ。少なくとも、当分は行動を共にさせて信頼関係は築いた方がいいだろうと考えた。

灰原雄については不安は特になかった。ただ、真依と三兄弟が仲良くなれるかは不安であった。

脹相はまだしも、血塗と壊相の見た目はお世辞にも親しめるものとは言えない。

元々、臆病な彼女を心配していたが、脹相のごり押しによって祐礼の兄弟だからと受け入れてしまったらしい。

 

(脹相のやつ、兄弟を魔法の言葉だとでも思ってんのか?)

 

そうして、その縁で真依に見せていたアニメーション映画にはまったそうだ。

ちなみに、壊相は魔女が宅配便する作品に。脹相は森の中で不思議な何かに会う作品にはまったらしい。

 

「・・・・黒、その、私も。」

「あー。そういえば、あっちもあったなあ。わかった。血塗が先になるけど、そっちも行こうか。」

 

それに壊相はぱあああと顔を輝かせた。それに、脹相は顔の前で手を合わせる。

感慨深いと書いてある脹相の顔を見ながら何を考えているのか察してしまう。

 

(大方、弟たちが愛おしいと考えてるんだろうなあ。)

 

祐礼は感極まった脹相のことを冷たく横目で見る。最初にあったクールな印象など、空の彼方に放られていた。

 

「まあともかくだ。一つは男に、もう一つは女に化けるためのだから。どうするかは互いで決めてくれ。」

「男女で一組か。」

「元々夫婦想定して作られたらしいからな。まあ、それはさておき。」

 

祐礼は怯えた眼で自分を見る呪詛師を見た。

 

「いくつか、気になることがあるんだよ。」

 

 

 

 

 

 

「真依、おいで。」

 

それに、真依は恐る恐る部屋の中に入った。彼女がいるのは、祐礼が用意したという都内のアパートの一室だ。

久方ぶりに祐礼に会えるとわかり、真依はどきどきと胸を高鳴らせた。彼は変わることなく穏やかに笑いながら真依を招き入れた。

部屋の中はがらんとしており、窓もない。ただ、部屋の真ん中に大きな袋が置かれていた。

何かが入っているらしいそれに、真依は思わずひるむように祐礼の手を掴んだ。

それに、祐礼は努めて穏やかな声音で語りかける。

 

「大丈夫だよ。ほら、これは呪霊だよ。ただ、見た目が怖いからな。真依が怯えないように見えないようにしたんだ。」

「・・・・怖くないわ。私、もう赤ちゃんじゃないの。」

「そうだな。でも、まあ一応ね。血塗は真依に何もしないだろう。これはそうはいかないからな。ただ、真依、これをまた分解して欲しいんだ。」

 

それに真依は、ああと頷いた。

真依が反転術式を会得するのは早かった。なんといっても、伝えることの難しい感覚を実体験で学習できるのだ。真依はあっさり、とまではいかないがすぐに反転術式を会得した。

まず、祐礼が試したのは呪霊を分解することだ。

そうして、できあがったのは呪力の塊。祐礼はそれをすぐに結晶化させたが、あまり等級の大きくない呪霊だったせいか、おせじにも質がいいものではなかった。

 

(呪霊をちまちま潰して結晶にさせるのは効率が悪い。ともかく、星の子の家に呪石を置いといて呪力を貯めてるが。)

 

ただ、今回は違う。本来ならば術式持ちの呪霊が良かったのだが、いざ探すとなるとなかなかに難しい。しかたがなく、術式持ちである呪詛師を捕縛したのだ。

さて、ここで疑問だ。

ただの呪霊を分解した場合、呪力の塊になった。ならば、術式を持った人間を解体し、そうして構築し直した場合どうなるのだ?

真依は意気揚々と呪詛師を分解する。すでに喉を潰し、身動きもとれない。

祐礼はその解体されていく様を見て、そっと少女に囁いた。

 

「真依、それはな火の力が使えるんだってさ。」

「火?」

「そうだ。だから、それを分解して、そうしてまた作り直すんだ。想像してごらん、分けて、そうして作り直すんだ。」

 

その声に、少女は一つずつ拾うように言葉を反芻する。その時だ、一気に布が膨らんだ。

祐礼はとっさに真依を庇うように抱き込んだ。けれど、彼女はその呪詛師への干渉を止めない。

祐礼は布からあふれ出る呪力に歯がみした。

 

(しくじった!)

 

わかる話だ。術式を使いこなせる程度の人間ならば呪力もまたそれ相応の量があると。

部屋がきしみをあげた。そうして、真依もまた集中のせいか気にならないのだろうが、鼻血が出ている。明らかに少女の体への負担が度を超している。

 

(失敗だ。)

 

祐礼は覚る。早すぎたのだ、実験を行うには、あまりにも早すぎたのだ。真依に術式を止めさせ、そうして部屋の中で膨らむその呪力が爆発するベクトルをそらそうとする。

が、それよりも先に、後ろから手が真依に伸びる。

 

「真依、飲みなさい。」

 

後ろにいたのは、脹相だった。真依の気が散るだろうと待機をさせていた彼は、真依に呪石を差し出した。真依は本能のようにその石を飲み込む。

 

「いいか、真依。術式は、お前の一部だ。お前の手であり、足だ。己の四肢以上に理解のできるものはないだろう。だからこそ、真依。わかるだろう。自分の触れる呪力、その呪い。それを、閉じ込めるんだ。呪力は泥、術式はお前の手。」

 

泥団子を作るのは得意だったろう?

脹相は、真依の肩を掴み、そうしてじっと膨らんでいくそれを見る。真依は、脹相の言葉にこくりと頷いた。

 

「固めて、作る。」

 

その言葉と共に、呪力はまるで吸い込まれるように縮まった。そうして、かたんと何かが落ちる音がした。祐礼は慌ててそれを確かめようとしたが、脹相は弟を静止し先に近づく。そうして、袋の中をのぞき込んだ。

 

「・・・これが、何かわかるか?」

 

脹相はそう言って、一つの銀色のライターを祐礼に見せた。

 

 

 

 

 

 

 

(成功、なんだろうな。)

 

祐礼はじっと己の手の中にあるライターを見た。かちゅん、とライターの蓋を閉じる音がした。

祐礼がいるのは、真依たちと暮らしている拠点だ。すでに、灰原と真依は就寝しており、部屋にいるのは祐礼と九相図の三人だけだ。

「・・・・本当に、これって術式が宿ってるのか?」

そういって祐礼の手元をのぞき込んだ血塗に、祐礼は頷いた。

 

「そうだ。」

 

祐礼はぞくぞくとした背筋に走る何かに笑みを漏らさずにはいられない。

祐礼の持つそれは、呪具ではない。呪具は元々呪力が宿ったものだ。だが、祐礼の持つそれは呪詛師の持っていた術式が、言葉のままに埋め込まれている。呪力を流せばお手軽に術式を扱うことができる。

 

(術式はそのままに、体なんかを再構築して、ライターにか。そいつ自身を材料にしなけりゃならないが。いや、便利だな。何よりも甚爾の時。あの死体をついでに回収しといたのは幸運だ。)

 

祐礼は思わず緩まりそうな表情筋をなんとかこらえる。

五条悟は、呪力を認識できる。だが、あくまでそれは呪力の流れ、違いだ。それ故に、見た目を取り繕っただけでは彼の目をごまかすことはできない。

だが、あくまで流れであり、彼は術式の有無については認識できていない。呪力と術式はまた別物だ。ならば。

 

(いいな。俺にとって一番の難は五条だ。それこそ、正体がばれることが、一番にやっかいだ。)

 

誰が、術式持ちの人間を加工して、それをそっくり模倣できるなど考えるだろうか?

術式は、誰もが一つしか持たない。

 

(切るカードとしては丁度良い。)

「嬉しそうですね。」

 

その緩んだ顔に壊相は微笑ましいと言外に言った。それに祐礼はなんとも言えない顔をする。

 

「まあな。おかげで人手不足が解消しそうなんだよ。にしても血塗、お前、もう少し何とならないのか?」

「何がだ?」

「いや、俺が言うのも何なんだけどな。その、見た目がなあ。」

 

それに、金髪ツインテールの少女が首をかしげた。

 

 

「どっか変か?」

 

血塗の言葉に壊相が応えた。

 

「いいや、どこも変ではないだろう。」

「いや、そうなんだよ。確かに上手く化けられた。にしても血塗が泥眼で、壊相が十六の面をつけるのか。」

 

他人に化けることのできる面は、それぞれ能面の名前で呼ばれている。女の面は泥眼、男の面は十六と呼ばれている。

そうして、泥眼、女の面を被った血塗は何故か金髪のロリになっていた。

まん丸としたほっぺたに、キラキラとした緑の瞳。まるで絹糸のような金の髪。それこそ、そういった系統の人間からは相当の人気が出そうな容姿をしている。

 

「・・・・なんで、あえて。」

 

祐礼はぐったりとした声を上げた。

何故、よりによってこれなのだ。大体、これを使っていた呪詛師は何の目的があってこの姿になった?

頭痛がするような頭を抱えて、祐礼はうなだれる。

 

「どうした、黒?痛いのかあ?」

 

血塗はこてんとなんともあざとい仕草で首をかしげた.

 

「かわいいですねえ、血塗。」

 

そう言ってニコニコと十六の面を被った壊相は、まるで文学青年のように優しげな見目になっている。似合うのは似合うのだが、祐礼は思わず血塗の方を凝視してしまう。

 

「そうかあ?俺、かっこいい方がいいんだけどなあ。あ、そうだ、脹相兄者も同じ髪型にしよう!」

 

祐礼はどんどん死んだ眼になりながら目の前の光景を眺めた。

血塗と壊相に、どや顔で髪を結われている脹相。

祐礼はそれに死んだ目をした。仲良きことは美しきかな、なんて言葉がある。

けれど、なんというか目の前の光景にそれが似合うかと言われれば悩むだろう。

彼らの下には少なくとも、一人の人間の贄がある。一人の誰かの死がある。

 

(それは、俺の罪か。)

 

ぼんやりとそう思い、祐礼は立ち上がる。

 

「まあ、今日はそろそろ寝るか。色々と疲れたしな。三人も寝ろよ。」

「ああ、黒。おやすみ。」

 

脹相が何気なくそういった。それに、祐礼は少しだけ黙った後、口を開いた。

 

「・・・・今日はありがとう。あの子を助けられたよ。」

 

それに脹相はふっと淡く笑う。

 

「俺はお兄ちゃんだからな!!」

 

大音量のそれに祐礼はため息を吐きながら、自室に引っ込んだ。

 

(兄弟、なあ。)

 

ぼんやりと考えた、その後に彼は変わることなく笑った。

そんな資格は自分にないと、祐礼は誰よりもわかっていた。

己の兄弟は、一人だけ。そのために、走り出した。そのために走っている。自分の行き着く先が地獄だとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

「やあ、こんにちは。」

 

目の前のそれを見て、祐礼は努めて冷静でいられた。いや、もしかしたらそれ相応に動揺はしていたのだと思う。けれど、祐礼の中はまるで凍り付いたようにしんと静まりかえっていた。

祐礼は、女に姿を変えたまま熱のない声でそれに声をかける。

 

「・・・・お初にお目にかかります。」

 

そういえば、目の前の額に縫い跡を残した女は軽く手を振った。

 

「わざわざこのような場を整えてくださり、感謝しております。」

 

それに、女、加茂憲倫であったそれはくすくすと楽しそうに笑った。

 

「いいや構わないよ。それでは話をしようか。君たちは、いったい何を望んでいるのかを。」

 

それに祐礼は変わることなく目の前のそれを向き合う。

場所は、人気の無い廃ビル。静まりかえったコンクリートの箱に人の気配はない。

心の内で、決意をする。どこまでも、どこまでも、冷徹に覚悟を決める。

 

(・・・・騙すのなら得意だ。嘘つきだというなら、それでいい。俺は、それに納得する。)

 

祐礼は能面のように変わらぬ表情のままに、加茂へと礼をしてみせた。

 

「はい、それでは話をしましょう。」

 

これからの、世界の話を。

それに、加茂は楽しそうに笑っていた。

 

 

 

真依が呪石を作った折、祐礼がしたのはそれを呪詛師、そうして呪術師に渡すことだった。

まずは、それこそ今にも崖っぷちの人間を選りすぐった。そうして、好感度の反転によって信頼を勝ち取る。

後はただ囁けばいい。そっと、あなたを助ける手助けですと呪石を渡した。呪術師の強さと術式は確かに比例する。けれど、呪力の多さもまた火力に関係するのだ。何よりも、反転させたプラスエネルギーを固めた呪石は密かな噂として広まっていた。

上層部の人間とコンタクトをとるのは簡単だった。撒いた餌に引っかかるのを待てばいい。

そうして、コンタクトをとってきた人間にはそっと囁く。

 

「希少なこれを、あなただけに差し上げます。ええ、ただ、対価はそれ相応にいただきますが。」

 

縛りをつけるよりも簡単に呪力を上げ、そうして家入硝子を引っ張ってくるよりもなお手軽に反転術式を使うことができる呪石を求める存在は多かった。

祐礼はわざと希少であるからと少しずつ流用されていった。おかげで、上層部などとの繋がりもしっかりとできている。

 

(なんかの助けにはなるだろう。)

 

そこら辺が五条の耳に入る可能性は低かった。彼が相手にするのは主に呪霊であったし、上層部などと繋がりの薄い彼に呪石について教える者はいない。ばれたとしても、第三勢力について覚ってくれれば構わなかった。

祐礼の目的は、たった一つだけ

くそったれのメロンパンと接触を図ることだけだった。

 

加茂はおそらく研究者気質の人間だ。それこそ、悪い意味のことだ。

良くも悪くもより優秀になるために、文字通り何でもするだろう。それ故に、呪石は彼の興味を駆り立てることは予想できた。

その予想は当たった。その賭けに祐礼は見事に勝って見せた。

湧き上がる吐き気を必死にこらえる。あふれるような殺意を必死に押さえる。

全てを噛みつぶして祐礼は加茂と対峙した。

呪石を渡していた呪詛師を経由して連絡が来た。呪石を配り続けてそこそこの時間も経っていたため、ほかのアプローチに入るべきかと悩んでいたときのことだった。

 

「こんにちは。どうも、私のことを探しているようだけれど。何のようかな?」

 

それに祐礼は全てを覚る。

ああ、そうか。そうだ、ようやくだ。ようやく、お前を自分が見つけたのだ。いや、見つけられたのか。それとも、会っていい程度に興味を引くことが叶ったのか。それはわからないが。それでも祐礼ははやる心臓を必死に落ち着けて口を開いた。

 

「ええ。探しておりました。我らの主が、あなたにご興味があるとのことです。そうですね。こちらにいるご子息たちのこともありましょうから、加茂様、とでもお呼びしましょうか。」

 

電話の奥で、優悦を隠しきれない笑い声がした気がした。

祐礼はそれを気にすることもなく、淡々と声を紡いだ。

 

「あなたの計画、そうですね。人間の呪力への順応。そのほかの面について、非常に興味があるのです。」

 

一度、お会いする機会がないでしょうか?

それに、加茂は嬉々として了承を告げた。

 

 

 

 

「私は、幽霊。逆らいし者の影法師でございます。どうぞ、ご不快でなければ幸いに。私のことは、青とお呼びを。」

 

恭しく頭を下げた祐礼に、女はにっこりと微笑んだ。

 

「そうかい。では、青。私としては君たちが何者であるのか知りたいんだがね。」

「はい、彼の君より賜っております。我が主は、くも、と言われるお方です。」

「くも?」

 

祐礼は後ろ手を組み、加茂を見た。

 

「昔、この地には国にけして従わなかった民がおりました。その民を、国は異形として扱い、そうして滅ぼしました。」

「君は、土蜘蛛の系統に入る存在であると?」

「・・・・いえ、我らは幽霊。くもに従う、あくまで手足でしかありません。」

 

加茂は少しだけ沈黙した。けれど、その口元には変わることなく楽しそうな笑みが刻まれていた。

顎に手をやったそれはじっと祐礼を眺める。そ知らぬ顔をしていたものの、胸の内でばくばくと心臓がなっている。

 

(表に出すな、心を殺せ。大丈夫、心なら、何度だって殺してきたんだ。)

 

祐礼は改めて加茂のほうを見た。

 

「そうして、我らはできればあなたと協力関係に着きたい、そう思っております。」

「協力か。そうだね、私の考えていることには確かに人手がいるだろうが。」

「両面宿儺。」

 

放り込んだそれに、加茂は少しだけ表情を変えた。

祐礼は、必死に釣り針を揺らす。かかれ、かかれと、そう願いながら。

 

「彼の者が生きた時代ほどの呪い遭う世界、それを望んでおられるのです。」

「何故?」

「この世界を悉くひっくり返すこと。それだけが願いなのです。もちろん、あなたの邪魔はいたしません。その代り、我らの邪魔もしないでいただければと思います。あなたがこれから先起こすことについても興味があります。」

「なるほど。呪石に関しては私も非常に興味がある。あれは。」

「ええ、飲み込めば呪力の増加も叶いました。」

「ほう?」

「術式に関しては未だ研究中ですが。あなたにとっては有益な話になると思っています。」

「・・・・いや。いいね。君の持つカードは確かに興味深い。是非とも、手を組みたいと考えるよ。ところで、くも、という存在には会えるのかな?」

「・・・・申し訳ございません。彼の方は誰とも会われず。私からははっきりとは言えぬため。」

「わかったよ。まあ、それ以上に、君はひどく興味深いからね。あと、そうだ。君とは是非とも仲良くしたいね。知らない仲ではないのだから。」

 

ねっとりとした視線を感じて、祐礼は息を吐いた。

かかったと、漠然と思った。それこそ、垂らした針にかかったのだと思った。

それが、そういった意味合いかはわからない。けれど、勘違いしたと前置きはできるだろう。

 

「加茂様、私とあなたの間に血のつながりはございませんよ。」

「どういう意味かな?」

「ああ、申し訳ございません。てっきり勘違いをされたのかと。私の身には、あなたの末の子の血が混ざっておりますので。」

 

それに加茂の額がピクリと震えた。祐礼は変わることなく淡々と言葉を進めた。

 

「呪胎九相図については本当に助けとなりました。血を混ぜることで性質を引き継がせる。確かに家系や遺伝についてを考えるのなら、興味深い。私は失敗例に終わりましたが。」

 

祐礼はじっと加茂を見た。彼は、何の感情も浮かんでいない顔で祐礼のことを見ていた。

 

「あなたが仕掛けた片割れについては、こちらで預からせていただいております。」

 

それに加茂は、感情を感じさせない能面のような顔をした。祐礼は、それがどちらの反応であるかはわからない。ただ、それに祐礼は確信を持つ。

それは、祐礼の動向全てを知っているわけではないのだろうと。

 

「・・・・・あれは、そちらにいるのかい?」

「ええ。同胞としてよく働いてくれています。ただ、己の出自に関しては知らされていないようですが。」

 

その後、加茂は破顔した。

げたげたと、けらけらと、ひたすらなまでに笑っていた。絶叫じみたそれを、祐礼はただ淡々と見つめた。

 

「君は、本当に興味深い。ただ・・・・」

「加茂様。」

 

祐礼は加えて、重ねるようにこういった。

 

「己の想像の足る範囲でしかお考えをまとめられないような方だと失望をさせないでいただきたい。あなたの観測しえないことさえ存在しているのですよ。」

 

祐礼の揺るぎない言葉に、加茂は一瞬だけ口をつぐんだ。

 

()()()とは、是非とも仲良くしたいね。」

 

それに祐礼はこくりと頷いた。

 

「加茂様。これより、どうぞ、よろしくお願いします。」

「・・・ああ。そうだね。」

 

 

 

 

 

 

(元々、あの男にそこまでの探索能力はないんだろうな。)

 

じゅーじゅーと香ばしい匂いを感じながら、祐礼はフライパンを見つめる。

加茂は話の中で確かにそれ相応に事態の顛末を理解しているようだった。けれど、メカ丸のことを見るに、そこまで高い能力ではないのだろう。

ぽんと、きつね色のパンケーキをひっくり返す。

 

(例えばの話、あれであいつはどこまで俺のことを把握しているのか。おそらく、虎杖の家を出た後、東京をふらふらしていたときまでは追っていたはずだ。だが、そこからは俺も痕跡は徹底的に消して回った。)

 

その後は?

本格的にくも、というそれを生み出した後自分は追われていたのか?

わかりやすく、早々と男と関わりを持つために派手に行動していた節はある。

勘違いを生み出せばいい。

確かにある繋がりは、ばらけて、違う存在を信じていればいい。

もしも、全てがばれているとしたら?

 

(そん時は、せいぜい手の上で踊ってやるよ。)

 

打てる手ならば、いくらでもうっている。

 

「お兄ちゃん、できた!?」

「くろお、まだか?」

「あー。はいはい、できたできた!」

 

祐礼はそう言って自分の足下にわらわらと集う真依と血塗に言った。

ふかふかの、彼ら気に入りのネズミのキャラクターの形をしたそれを、真っ白な皿に盛る。

 

「チョコで絵、書きたいやつは?」

「やる!」

「やりたい!」

「はいはい。」

 

祐礼はそのまま二人をリビングまで連れて行き、テーブルの上に皿を置く。そうして、チョコペンを渡した。

 

「兄者のは俺が描く!」

「じゃあ、私は灰原の!」

 

そう言って二人で顔をつきあわせる光景を、脹相はばしゃばしゃと支給したスマホでひたすら撮っている。壊相と灰原は買い物に行っている。

現在、血塗は呪霊姿のままであるため、そんな彼が真依と戯れている様はなかなかに奇妙である。

祐礼は二人が喧嘩しない程度に仲裁をしながら、頭で考える。

 

(次、次は。そうだ、乙骨を探すか。あと、夏油がどれぐらい仲間を集めたのかも。あと、あの術式について実験を。)

「・・・・黒。」

 

唐突にかけられたそれに、祐礼は肩をふるわせた。視線の先には、気遣わしげな顔をした脹相がいた。

 

「・・・俺は、お前の目的がわからない。幽霊というあり方も、お前の所属している組織のことも。ただ、あまり根を詰めるな。俺は、お前のお兄ちゃんだ。そうして、それは血塗も、壊相もだ。いくらでも、頼ってくれていい。兄弟が望むなら、俺はどんなことだってしてみせる。」

 

脹相は、そういった。

それは、兄の顔だ。誰かを庇護し、全うに幸せを願うものだ。たった唯一の誰かのために、散々に狂えるものの顔だ。

祐礼は、それにどんな顔をしていいかわからなくなる。彼の気持ちは、誰よりも理解できる。誰よりも、何よりも。

自分だって、兄なのだから。

祐礼は、それに苦笑した。

 

「・・・・そうだな、ありがとう。んじゃあ、コーヒーでも入れてくれるか?」

「ああ!わかったよ。安心しろ、弟の好みぐらいは理解しているからな。」

 

そういって、台所の方に向かった彼を祐礼は見送った。

 

(・・・・未だに、俺の名前も知らないのに。確かでさえもないのに。あんたは、俺を弟と言うんだな。)

 

 





真依についてはあんまり詳しく書くとだらだら長くなりそうで。
真依と九相図はそこそこ仲良し。
また、何かありましたら。
https://odaibako.net/u/kaede_770


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家族が騙る


ちょっと、間が開きましたが。本編がスタートします。

感想、いただけると嬉しいです。


 

 

「悠仁、お前は人を助けろ。あと、もう一つ。頼む、あの子を、探してくれ。」

 

珍しく、呼び出された病院にて、祖父は悠仁を目の前に、絞り出すような声でそういった。あの子、が誰かなんて言われなくても理解した。

それが、彼にとって祖父からの最期の言葉になった。

 

 

「五条先生。」

「ん、何?」

 

特級呪物、両面宿儺の指を飲み込んでしまった虎杖は彼なりに地獄を選んだ。

誰かのために死ぬ地獄。戦い続けるという地獄。

それでも、彼はその地獄を選んだのだ。

虎杖は祖父の弔いを済ませて、改めて五条悟に向き合った。

祖父の言葉がある。どうせ、自分が引き返せないのならば。

そうして。

 

「あのさ、人を探す呪術ってない?」

「急だね。どうして?」

「・・・・探してる人がいるんだ。」

 

俺、双子の兄貴がいたんだ。

 

ぽつりと虎杖はかすかな記憶の中にいる、鏡の写し身のような存在を思い出す。

 

虎杖の記憶の中にある兄は、殆ど掠れて覚えていない。それでも、いたことだけは覚えている。いつだって彼はそこにいたし、いつだって自分の近くにいた。

大好きだったのだ。祖父と同じかけがえのない家族だった。

それでも、兄はある日いなくなった。それが、どんな日であったかは覚えていない。

ただ、おぼろげな記憶の中で、兄が遠のいていくのを覚えている。

何と言っていただろうか。それでも、何故か晴れやかに笑っていたことだけを、ただ覚えている。

 

 

「・・・・行方不明ね。」

「誘拐、だったらしい。」

「なんでらしいなんだよ?」

 

向かい合った伏黒恵のそれに、虎杖は目を伏せた。

 

「よくわかんねえんだ。兄貴、急に家から出て行って。それっきり。じいちゃんがトイレに行ってた数分ぐらいの間にいなくなってさ。最後に駅で見た人いたらしいんだけど。」

「誰か一緒にいたのか?」

「誰かを追いかけてたみたいで、お兄ちゃんっていいながら走って行って。それだけ。」

ずっと、探してんだ。でも、見つからなくて。

 

虎杖は祖父の後ろ姿を覚えている。ずっと、探し続け、電話がなるたびにどこか悲愴な顔をしていたのを。

虎杖だってそうだ。

双子の片割れというならば、きっと見ただけでわかるはずだ。雑踏の中に同じ顔を探していた。いるはずがないのだと、死んでいるのではないかと、そう囁く声がする。

 

(それでも。)

 

たった一人の兄弟なのだ。たった一人、離れがたい兄なのだ。もう、覚えていることなどかすかで、写真の中でしか鮮明に思い出せないけれど。かすかのなにか、暖かな何かが宿っている。

それでも、兄弟なのだ。なら、探さなくては。どんな姿になっても。どんな結末になっても、墓前でもいいからいっしょにただいまと言うのだ。

正直言って、虎杖としては呪術師になるという選択肢自体にはもちろん覚悟もあった。けれど、それと同時に兄を探す術を見つけられないかという打算も込みであった。

 

「・・・・どうかはわからないけど、僕の方でも探ってみるよ。」

 

五条は何か思うことがあるらしく口を噤み、そうして含むように言った。

 

「二人には、話しておいた方がいいね。」

「何がですか?」

 

伏黒の不思議そうな声に、五条はどこか憎々しげに言い捨てた。

 

「虫のことさ。」

 

暗闇を這い回る、忌々しい虫のことさ。

滅多にないほどに苛立ったその言葉に、伏黒は眉間に皺を寄せた。

 

 

「それじゃあ、一年生が全員集まったことだし。話をしようか。言っておくけど、これってものすごい極秘、なようで極秘じゃないことだからそこら辺は覚えといてね。」

 

教壇に立つ五条の言葉に、伏黒恵、虎杖悠仁、そうして新しく加わった釘崎野薔薇は構えを取る。

 

「極秘なのか、じゃないのかどっちだよ。」

「うーん、ここらへん少し複雑でね。まあ、あんまり表立っていうなよって話だから。そこら辺わきまえておいてくれたらいいよ。」

 

じゃあ、話をしようか。くもの話を。

 

 

 

 

「くも、というのはそうだね。呪術界隈で影響力を見せている、呪詛師の組織のことだよ。」

「じゅそし?」

「そっか、悠仁は知らないか。呪詛師は、一般人にも手を出してる悪い呪術師のことだよ。そうして、その界隈で一番に勢いがあるのが、くもって存在が率いてる組織なんだよね。そうして、全てが謎に包まれている。」

 

五条はそう言った後、懐から紫色の石を取り出した。

 

「なによ、それ。」

「呪力の結晶だよ。」

 

その言葉に、野薔薇と伏黒は目を見開いた。虎杖だけはどういう意味なのかわからないのかはてりと首をかしげている。

 

「ちょっと待ちなさいよ。これが呪力?目に見えないはずのそれがこんなふうになるわけ!?」

「・・・・呪力自体は、六眼じゃないと認識できないはずじゃあ。」

「そ、だからこそやばいの。この状態だと一般人にでも認識できるし、おまけにこれを飲み込めば、縛りよりも遙かに簡単に呪力の底上げが可能になる。これは、ある呪詛師から回収した物なんだけどね。」

そうして、これは呪術師にも出回っている。

 

五条の言葉に野薔薇と伏黒が熱心にその石を見つめる。

 

「それ本当!?」

「まあね。でも、基本的に僕の生徒はこれを持つのは禁止だよ。」

「何でよ。」

「言ったでしょう。これは、呪詛師から流れてる物だって。」

 

五条はそう言った後、目の前にあった紫の石をばきんと割った。飛び散った欠片はまるで霧散するように消えていく。

教室内にいた三人は、五条から漏れ出るかすかな、殺気と言えるそれに動きを止める。

教壇に立つその男は、変わることなくにこやかで、けれども沸き立つような憎悪を纏っている。

 

「呪詛師から流れてる物を呪術師が使ってる。この時点で、完全に秩序自体が崩れてるってこと。三人とも、これがどういう意味かわかる?」

 

とっくのとうに、呪術界隈の均衡が崩れ去ってるって事だよ。

 

その声音は、努めて明るい。けれど、冷たく吐き捨てるような空気が彼の中であふれ出るような何かを表している。

 

「だから、三人とも心にとめといて欲しいんだけど。まあ、高専内はいいけど。下手な呪術師に関しては絶対に信用しないでね。上層部はとっくにずっぶずぶだからさ。誰が敵で、誰が味方か、本当の意味でわかんないんだよね。」

くもには気をつけてね。

 

五条は冗談を歌うような気安い言葉で言ってのけた。

罠にかかったら最後、助けられるか僕にだってわからないんだからさ。そんな、朗らかであるのに、凍り付くような声に乗せて。

 

 

 

 

 

「・・・・どう思う?」

「さっきの五条先生の話?」

 

授業が終わり、少しの休憩時間中に野薔薇が口を開いた。それに、虎杖が返事をする。

 

「だってさあ、くもなんて私も聞いたことないわよ?うちのばあちゃんだってそんなこと聞いたことないし。」

「・・・・けっこう古い組織みたいだけどな。」

 

野薔薇の言葉に口を挟んだ伏黒に視線が集まる。伏黒は二人の方を見ながら口を開いた。

 

「五条先生の同期に夏油さんって人がいるんだよ。で、今は呪詛師の界隈に潜ってるらしい。昔、会ったとき同じようなことを聞いた気がする。」

「そんなに言うほど古いか?」

 

野薔薇のそれに、伏黒は肩をすくめた。

 

「知らねえよ。ただ、先生たちもそこまで詳しいことは教えたくないみたいだしな。でも、一年前にあった高専の襲撃事件には関わってる可能性はある。くそ野郎も騒いでたし。」

「くそ。情報が少なすぎる。大体、結晶化した呪力って何よ。便利そうよねえ。」

 

虎杖は二人の間で交わされる会話の内容があまりわからずに困ったように黙り込んでいる。

ただ、虎杖の思考は五条の言っていたくも、という組織のことではなかった。

 

(ゆーと。)

 

彼は二人の会話を聞き流しながら、五条に頼んでいる探索のため呪術について考えていた。

どこにいるのだろうか。

自分の兄弟、たった一人の、片割れ。

 

(みつけなきゃなあ。例え、どんなことになってても。)

 

約束だ。祖父に託された、望まれた。その願いは、虎杖の願いでもあった。

 

「・・・・虎杖。」

「ん?なに?」

 

物思いふけっていた虎杖に伏黒がおもむろに言葉をかける。うーんと、野薔薇のうめく声がした。

 

「いや、何でも無い。」

「そう?」

 

伏黒は何かを思うように言葉を飲み込んだ。虎杖はどうしたのかと首をかしげている中、伏黒はじっと虎杖の顔を見る。

 

(・・・・どこかで、会ったことがあったか?)

 

誰かわからない、ただ、伏黒は虎杖という少年の顔に奇妙な懐かしさをずっと感じていた。

 

 

 

 

 

「・・・・何、今回も収穫はなしなわけ?」

 

五条は不機嫌そうに電話口で吐き捨てた。それに、電話の向こうのしわがれた声が苦笑する。

 

『おいおい、収穫がないのはお互い様だろうに。』

 

ひょうひょうとしたその言い方に五条の眉間に皺が寄る。もしも、仮にここで彼の後輩に当たる伊地知潔高がいれば全力で逃げ出していただろう。いや、大抵の人間は機嫌の悪い五条に近づきたがらない。

ある意味で兵器に等しい彼への扱いというのはそんなものだ。が、あくまで電話の相手である黒鷲はひょうひょうと変わることなく話を続ける。

 

『元々、俺たちもそこまで情報持ってるわけじゃねえって言っただろう。そのせいでこんな協力関係築いてるんだがなあ。』

「本当に使えない。」

 

五条は憎々しげに吐き捨てる。そうすれば、すまんすまんとなんとものんきな返答がした。それののんきな声音に五条の神経は逆なでさせる。

 

「ほんとにふざけてんの?」

『ふざけちゃねえさ。ただ、めぼしいもんがねえのは事実だ。大きな動きなんざ、一年前の襲撃事件ぐらいだろう。そういや、あんたの親友は大丈夫なのか?乙骨の坊主をぶつけられてたようだが。』

 

それに五条はぶわりと殺気を纏わせて吐き捨てるように言った。

 

「後からのこのこやってきたお前がどの口で!?」

『それ以上の犠牲を、我らとて強いられていることを忘れるな。』

 

ぴしゃりと吐き捨てられた声音に、五条は思わず黙り込む。その声に含まれた何かに、思わず口を噤んだ。そうして、五条は頭をぐしゃりとかき回す。

頭を冷やすように息を吐いた。

 

「・・・・無事だ。正直言って、わざわざ傑を狙った意味もわからない。いや、それよりも、憂太をけしかけられて傑が無事であるって言う意味がわからない。」

『相手の目的が見えねえな。上層部の様子はどうだ?』

 

それに五条は憎々しげに吐き捨てた。

 

「あいつらのおかげで、ましなほうだよ。」

 

呪石の利便性に、全ての古参たちが魅入られたわけではない。基本的に、呪石を使っているのは後がない落ちぶれかけた家系や、または死んでも影響のない下っ端に使わせる家系に分かれる。

が、呪術界隈への影響力を安定して持っている家系などは、そんな怪しいものを使うことに反対している。

一番に呪石を否定しているのは加茂家だろう。彼らなりに注意喚起を行っているが、使い続けるものはある程度存在する。

幸運なことかはわからないが、加茂家などの保守派とは呪石をばらまいている相手に対しての方向性だけは一致している。

 

「・・・・まったく。その方向性はあっても、ほかに関しては全くといっていいほど合わないんだよね。憂太だって、自分たちがじり貧ってわかってんなら処刑せずに利用ぐらいすればいいのに。」

『一度固定化されちまったものを変えるのは難しいもんだからな。』

「俺が言いたいのはそういうことじゃねえんだよ。ガキの青い春ぐらい大人が邪魔する権利なんざねえだろう。」

 

憎々しげに吐き捨てたそれに、電話の奥で笑いをかみ殺したかのような声がした。

 

「何笑ってんだよ。」

『いや、いいことだと思ってなあ。』

 

五条がまた口を開こうとしたとき、黒鷲が先に声を発した。

 

『つたなくとも、自分にとっての正しさも、悪徳も考えられるようになって結構だ。』

他人に善悪の価値観なんて、曖昧な物を任せるもんじゃねえからな。

 

まるで幼い子供の成長を語るような声に、五条はまた眉間に皺を寄せる。

 

『己に均衡を保つほどの力があると理解するならば、せいぜい己の振る舞いは己で決めることだ。お前は兵器ではなく、人間なのだからな。』

「おい、何が。」

『まあ、年寄りの戯れ言だ。それじゃあ、また連絡する。』

 

そう言い放って電話はぶちりと切れる。それに、五条はスマホをにらみ付けて叫んだ。

 

「んだよ!あのくそ爺!!!」

 

出会った頃から、良くも悪くも逃げるのが得意な黒鷲は、肝心なときにするりといなくなる。定期的に報告会のようなものをしているが、互いに収穫は殆ど無い。

呪石を使った家系は徹底的に隠蔽を図るため見つからず、呪詛師を絞ろうと自分たちからの接触方法を持っていない。

 

(黒鷲、ねえ。)

 

五条は自分の持つスマホに視線を向ける。

くも、という存在を知るために関連のありそうな書物をあさっていたときのことだ。

土蜘蛛というそれは、幾つかの氏族に分かれていたらしく、それぞれに名前を持っていた。そうして、その一つの名前が黒鷲といった。

五条は山積みになった問題に頭を悩ましてため息を吐いた。

 

 

 

 

 

「よかったのか?」

「何がだ?」

 

脹相はちらりと青年を見た。どこか、ぼやけた印象を受ける青年は脹相に背を向けて、どこともしれない方向を見ている。

 

「わざわざこんな北までやってきて、何もしないのか?」

 

脹相はそう言いつつ、目の前に広がる町を見下ろした。脹相がいるのは総合病院の屋上だ。夜のせいか、さほど視界はよくない。ただ、ぽつりぽつりと確かに存在している呪霊が少なくなっているようだった。

 

「昨日、明らかに動きがあったが、本当に何もしなくて構わなかったのか?」

「・・・・ああ。あれは放っておいた方がいい。」

 

板取祐礼はそう言った後、ぼんやりと照らされた町を眺める。脹相は心ここにあらずというそれにどうしたものかと悩む。

この町にやってきてからの彼はおかしい。どこか、ふわりふわりとした雰囲気で、考え込むような仕草をする。脹相にさえも、数日だけ過ごすからと用意された廃屋に放りっぱなしで一日中を外に出たままだった。

 

「脹相。」

「なんだ?」「もう一度、この町に来る用がある。その時、またついてきてくれるか?」

「ああ。それは構わないが?」

 

その言葉に、脹相の弟はほっと息をつき、そうしてこわばっていた体から力を抜いた。そうして、口を開く。

 

「ありがとう。」

 

久方ぶりに浮かんだ笑顔に、脹相は顔を輝かせた。

 

「ああ。お兄ちゃんに任せておけ!」

 

うっきうきの声と共に脹相が胸を張るが、祐礼はひどくあっさりとした態度で彼の横を通り過ぎていく。

 

「さて、さっさとずらかるか。」

「え、あ、おい!まって、黒!」

 

ばたばたと脹相は彼の後を追って足を進めた。

 

 

 

 

 

本編のスタートする場所にわざわざ立ち寄ることにリスクがないとは思わなかった。

祐礼はとつとつと一人で町中を歩いていた。

故郷にて、己の双子の片割れの顛末を見に行ったのは、ひとえに覚悟を決めるためだった。

両面宿儺の指を食べさせるか、食べさせないか。

食べさせる以外の選択肢を、祐礼は持たなかった。元より、自分たちの生があの男によって望まれたものであるならば、虎杖が今回の騒動に関わらせないという選択肢はあれにはないだろう。

ならば、ここで下手に宿儺のそれから遠ざけるよりも、五条悟に保護させた方がまだましだ。

渋谷であったように大量に摂取させなければあそこまでのことは起きないだろう。

だからこそ、祐礼は最初の虎杖たちに対しての干渉を放棄した。

その代わり、彼は病院に向かったのだ。

そうだ、本編が始まるその日、丁度、己の祖父が死ぬ。

 

以前から調べていたため、病室は知っていた。けれど、一度たりとも、向かうことはなかった。

会うのは、別れを言うときだけだと、決めていた。

 

しんと静まりかえった病室。殺風景なそこは薬臭かった。全体を白で覆ったそこは、何故かやたらと死の臭いがした。

こつりと、床を叩く靴の音がする。窓際のベッド。そこには、一人の老人がいた。

 

(・・・・小さくなった。いや、じいちゃんが痩せて、俺がでかくなっただけか。)

 

かすかに聞こえる寝息が、その老人の命の残量を表しているようだった。そうして、祐礼は覚悟を決めて、そっと祖父を揺すり起こした。

 

「なんだあ、悠仁かあ?」

 

寝ぼけ眼の彼はゆっくりと祐礼を見上げた。それに、祐礼は淡く苦笑した。確かに、間違えられても仕方が無いだろう。成長した祐礼は、すっかり、双子の片割れとうり二つなほどに似ているのだから。

ただ、祖父はあまりにも虎杖にはらしくない、苦みの走ったそれに違和感を覚えたのだろう。眉間に皺を寄せた。

 

「じいちゃん。」

「悠仁、どうした、何かあったのか?」

 

祖父は自分の感じるそれの答えを探ろうとじっと祐礼を見た。祐礼はそれに、ゆっくりと言葉を発した。

 

「俺を探して。」

 

その言葉に、全てを察したのだろう。祖父は祐礼に縋り付くように手を伸ばした。もう、動く体力も無いのだろうベッドから降りることもできず、祐礼に手を伸ばした。

祐礼は淡く笑みを浮かべたまま、すでに死に近しい老人に言葉をかけた。

 

「じいちゃん、俺のこと、探してくれたんだね。ありがとう。俺も、会いたかったよ。」

「ゆうと、お前、今までいったいどこに・・・・・!?」

「ごめん。じいちゃん、俺、どっかにいるんだ。でも、帰れないんだ。でも、今だけはじいちゃんにお願いがあるんだ。」

 

じいちゃん、俺を探して。

 

祐礼は幾度も、幾度も、祖父に囁いた。

ありがとう、ありがとう。俺を探してくれて。だから、じいちゃん。悠仁に伝えて。俺のことを探して。

じいちゃん、大好きだよ。だから、お願いだから。じいちゃんは、じいちゃんのことを赦してあげてね。

微笑んだ彼に、祖父は体力の限界が来たのか崩れ落ちる。祐礼はそれに乗じて病室から抜け出した。

 

 

 

 

それは呪いだと、そう言われればそうだろう。

ただ、祐礼はそれに対して何の躊躇もなかった。

本編で、祖父の言葉は確かに孫の幸福を願う言葉であったのだと思う。

誰かに大切にされるように、その死を嘆かれるように生きろと、その願いはきっと全うだった。

けれど、虎杖悠仁という少年の性質か、それとももっと別の物かはわからないが、たくさんの物がそれを赦さなかった。

(だったら、悠仁。俺だけが、お前を呪うよ。)

 

無辜なる誰かの多くの死によってではなく、いなくなった兄弟に囚われて生きてくれ。

まだましだ。

どうか、利己的に生きてくれ。どうして、お前が悪いものか。お前がどうして、罪を被る必要がある。

紙面越しに見た、あの渋谷。

あの渋谷に罪があるとして、罰があるとして、それを償うべきは弟ではないはずだ。

どうか、生きてくれ。

どうか、俺を探すために、何があっても生きてくれ。

俺を引きずって、どうか、もがきながら生きてくれ。

参れもしない祖父の墓。

もしも、もしも、全部が終わって、もう大丈夫だと思ったら、その時は行こうと思う。

ごめんなさいと、謝りに。

 

(脹相にも、話してやろう。)

 

誰にも話せないだろうから、誰かに聞いて欲しいとぼんやりと考える。

脹相を、あの町に連れて行ったのは、誰かに見張っていて欲しいと思ったからだ。誰かと、いつか、故郷に帰ると約束を交わしたかった。

そんな日が、自分にやってくることなんて欠片だって信じてはいなかったけれど。

 

 

 

 

 

「申し、申し。呪いが王よ。どうぞ、その希少なる時間を割いていただきたいのですが?」

 

唐突に自分にかけられた言葉に、両面宿儺はぴくりと体を震わせた。

特級呪霊を苛立ちのままに屠った宿儺は、虎杖から主導権を奪えていることを理解した。そのままに、逃げ出したもう一人の少年の元に足を運ぼうとした。

生得領域が消え去ったその瞬間、宿儺は自分に話しかけてくるものがいた。

声のする方に視線を向けると、そこにいたのはおそらく年若い青年だ。スーツを纏い、顔に布製の面をつけたそれは、にこやかに微笑みながら宿儺を見た。

 

(気配を感じなかった、だと?)

 

少年院に張り巡らされた生得領域は、呪霊で溢れていた。それこそ、異物が入り込めば戦闘は起こっていたはずだ。

 

(いや、これは人間か?)

 

はっきりと、気配を探ろうとするとまるで霞に触れるように曖昧な印象だけが残る。

 

「何者だ?」

 

一応、そんな問いかけをしたのは、ひとえに宿儺の機嫌が良かったためだ。煩わしい小僧の拘束を脱している今はひとまずは殺さない程度に機嫌が良かったのだ。

 

「ああ、申し訳ございません。私はくもに仕える幽霊の一つにございます。かなうならば、私のことはどうぞ、黒とお呼びくだされば幸いです。」

「くも?」

「はい、あなた様よりも遙か昔、この島にて栄えていたものの末裔にございます。」

 

それに宿儺は彼の発言からして該当するだろう何かを探した。

 

「・・・・東の果てに、朝廷に逆らった民がいるとは聞いたが。」

「はい、我らが主はそれらの末裔であり、我らは仕えし影なれば。」

 

宿儺はそっと己の顎に手をやった。

それに覚えというものはなかった。

宿儺の全盛期と言える時代からは、それこそ遙か過去の存在だ。自分は知る限り、そんなものは表舞台に立っていたこともない。

だが、深く潜っていたという可能性は隠しきれない。

何が目的でそれがやってきたのか。好奇心というものが多少なりとも刺激される。

 

「今日は、宿儺様にお聞きしたいことがあり、参りました。少々、お時間をいただけないでしょうか?」

 

宿儺はそれに、ふむと息を吐いた。そうして、あっさりと言い切った。

 

「興味はあるが、死ね。」

 

たんと、それは軽やかに飛んだ。男の頭に手を伸ばし、そうして思いっきり吹っ飛ばそうとした。

が、不可思議なことが起こった。宿儺の体はまるで引っ張られるように後方に吹っ飛ばされた。

 

(跳ね返された、のか?)

「申し訳ございません。何か、ご不快なことでもありましたでしょうか?」

 

平然とそういったそれに、宿儺は顔をしかめた。

やたらと丁寧なその声音は鼻についた。

 

「貴様の話など聞く気分ではない。何よりも、人を殺すことに意味など無いだろう。」

「ああ、ああ、呪いが王よ。耳を傾ける程度の時間はありましょう。羽虫の言葉を聞くほどの余裕もありませんので?」

 

それに宿儺にとって苛立ちを煽る。だが、自分の追撃をそらして見せたそれに好奇心が煽られた。

 

「ならば、話してみるがいい。」

「・・・・はい、呪いが王よ。世界をひっくり返そうとは思いませんか?」

「なに?」

「ただ、人を殺すのは楽しくございません。例えば、無抵抗な虫を殺すのもよろしいやもしれませんが。強者とひりつくような呪いあいも、それはそれは好ましいのでは?」

 

歌うような声音と共に、それはそっと宿儺に対して手を差し出した。

 

「強者?五条悟のような、か?」

「はい。詳しい情報については言えませんが、我らは人をさらに強くする算段を立てております。呪いが、さらに世界に溢れましょう。憎しみが、怒りが、苦しみが。弱者は嘆き、強者は笑う。」

 

その箱庭で遊ぶのは、さぞかし楽しいと存じます。

呪いが王よ。

黒は朗らかに笑って、宿儺にお辞儀をした。丁寧に腰を折り、片足を後方に引いた。

 

「指についてはこちらで集めましょう。ですので、準備が整うまで眠っていただければ幸いです。」

「ほう、俺に黙っておけと?」

「王とは、お膳を整えてから宴に呼ぶものかと。」

「それで、貴様に何の得があると?」

「さあ、特別には。」

 

それは、あんまりにも朗らかな声で言い放った。宿儺は男の方に視線を向けた。

変わることなく綿で覆われた顔は表情は見えない。けれど、その声だけはやたらと明るかった。

 

「興味がございません、どうでもよいのです。主が望みを叶えんとするが、王になりますれば。」

 

朗らかに、それはあくまで軽やかに言って見せた。心の底からどうでもいいというように。

 

(嘘、ではないのか。)

 

その、空虚な無関心さはまるで空洞に響く風音のように寒々しい。その温度のなさが、奇妙な無関心さを確かに表していた。

別段、男の言葉に興味は無かった。けれど、その男が発する奇妙な空気、そうして、自分を跳ね返した力。

それへの好奇心は確かに存在していた。

 

 

 

 

(かかれ、かかれよ!!)

 

押し殺した鉄仮面の奥で、祐礼は宿儺が頷くのを待っていた。

 

(賭けだ。そうだ、それこそ、でかい賭けだ。)

 

少年院の事件で、わざわざ虎杖と宿儺の交代を黙認したのはひとえに接触の場を欲したためだ。

宿儺にとって、祐礼の考えた設定はそれ相応に興味を引くはずだ。

知らない何か、いるかもしれない強者。

 

(カードを切れ、交渉の糸口を探れ。)

 

幸いなことに、祐礼の術式を使えば、攻撃に当たることはそうそうない。

祐礼は口を開いて、さらに言葉をたたみかけようとしたその時だ。

宿儺が、ある方向に視線を向けた。そうして、にかりと笑った。

 

「お前の話は後にしよう。その前にすることがある。」

 

そう言い放つと同時に、宿儺が消えた。祐礼はそれを見送り、そうして察する。

 

「伏黒のやつ、入ってきたのか!?」

 

(強い。)

 

宙を舞う伏黒をみて祐礼が思ったのはそれだけだ。さすがは呪いの王。下手なポテンシャルだけでも目を見張る。

 

(けどな。)

 

祐礼は少年院に吹っ飛んでくる伏黒の重力を反転させる。それによって、落ちていく彼は一瞬だけ浮かび上がる。それに、術式を解除すれば彼はそのまま落ちてくる。

勢いを殺された伏黒を鵺がなんとか支えながら降り立った。

 

「・・・・あんたは。」

「お前は逃げなさい。ここは。」

「ほう、お前、それの味方をするのか?」

 

祐礼が伏黒を逃がす前に、宿儺は一気に距離を詰める。祐礼はそれに息を吐いて、向かいあう。

 

「・・・・これは、まだ生かしておいた方がよろしいかと。」

「俺に指図をすると?」

「そのようなことは!」

「おい、あんた、どけ。」

 

伏黒は一瞬の混乱の隙に構えをとる。彼から発せられる何かに、祐礼の体が震えた。そうして、宿儺の嬉しげな絶叫が響き渡る。

 

(狂った!くそが!)

 

祐礼は宿儺を丸め込み、穏便にことを進めようと考えていた。心臓をえぐられようと、祐礼ならばなんとかなる。

 

(筋書きと同じか!)

 

それに祐礼は覚悟を決める。できるだけ、宿儺の神経を逆撫でることだけはしたくなかった。だが、仕方が無い。

祐礼は宿儺に向かって飛びかかる。もちろん、宿儺はそれに応戦する形で拳を振うが、それを祐礼は反射する。その勢いのままに吹っ飛んだ彼を祐礼は追う。

 

(反転術式、順転!)

 

祐礼の術式は物事を反転させる。それをさらに反転させた場合どうなるか。

答えは、対象の起点を更に順転させる。

肉体の力を、呪力を、1の力をもう一つ先に進める。

祐礼はそれによって更に強化した身体能力を使い、宿儺に飛びついた。

そうして、彼の体を触る。

 

「逆言葉・れども。」

 

言葉を発して、虎杖の現状をひっくり返す。

表と、裏。

それを悉くひっくり返す。宿儺が祐礼を睨んだ。それを、恐ろしいとは思わない。ただの殺意程度ならどれほど畏れる必要があるのかと。

祐礼と虎杖は兄弟なのだ。それこそ、血の繋がった同じ腹から生まれた自分たち。斬ることのできない、たった一人の兄弟よ!

ならば、干渉がどれほどまでに簡単なのかわかりきったことだろう。

 

「き、さま。」

「呪いの王よ。どうぞ、お眠りを。全ては滞りなく、我らが主もそう望まれておりますので。」

柔らかな声を出すと同時に、虎杖自身が眼を覚ます。

 

「・・・・誰?」

 

掠れた声がした。自分とうり二つの顔が自分を見ていた。

それに、喉の奥から何かがほとばしりそうになる。

ああ、だって。例え、偽りなのかもしれない。自分というのは異物なのだろう。けれど、それでも、たった一人だけ残った家族だ。

もう一人の家族は、散々に親不孝をしてしまったけれど。それでも、お前だけは。お前だけは、どんな犠牲を払おうと守ると誓った。

祐礼の地獄は、その少年のためにあるのだから。

何かを言いたかった。何か、逃げていいとでも吐きたかった。けれど、そんなことは言えないから。だから、祐礼はそっとその額に触れた。

 

「眠りなさい。なしたこと、なさなかったこと、報いはきっと来るはずだ。」

 

術式のせいで無理矢理に表と裏をひっくり返したせいか、彼はそのまま気を失う。

 

(大丈夫だ、まだ、まだ。間に合う。ならば。)

 

祐礼は振り返る、そうして自分に近づいてくる伏黒が見えた。

 

「伏黒恵様、一つだけ、取引をいたしませんか?」

 

まだ、自分はちゃんと笑えているだろうかとそんなことを考えた。

 

 

「・・・・つまり、何も覚えてないわけ?」

 

五条を目の前にして、虎杖と伏黒は塩をかけられた青菜のようにしぼんでいる。

 

「・・・・俺も、誰かに会った気がするんだけど。さっぱりで。」

「俺も、誰かに助けられた気はするんですが。誰か、覚えていなくて。」

 

その言葉に、五条はゆっくりと目を細めた。

彼らがいるのは高専の一室だ。後に回収された二人は、気を失っており、外傷も見受けられなかった。

そうして、伏黒の発言だ。

宿儺と戦闘があり、そうして虎杖の心臓は抉り取られたが、何故か傷が治っている。

 

(あいつか?)

 

心臓を抉り取られた虎杖を救えるほどの実力を持っているような存在に、五条は覚えがない。黒鷲の線も考えたが、わざわざ彼らの記憶を消す意味も無い。宿儺もそれをする理由が見当たらない。

そうして、唯一考えられるのなんて。

 

(・・・・宿儺の器にくもも気づいたのか?いや、だとしてなぜ連れて行かなかった?)

 

縛りを結んだことを察して、五条はぴりぴりとした空気を出す。

散々に、均衡も秩序も崩れかけているというのに、未だに現状を理解していないのか。

 

「・・・・悠仁。本格的に修行しようか。」

「え、つけてくれんの!?」

 

ウキウキとした虎杖の声を聞きながら、五条は完全に後手に回っている自分たちの現状を鑑みて、上層部への殴り込みを考えた。

 




https://odaibako.net/u/kaede_770
また、何かありましたらこちらまで。


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優しき人が騙る


真人と漏瑚の祐礼への所感、灰原と真依と積み上げてきた物について。
あんまり話が進まなかった。
次は、吉野の辺とかになります。

感想、いただけると嬉しいです。


 

 

(・・・・ああ、なんだ、この感覚は。)

 

漏瑚にとってそれ程ひどく興味を惹かれ、それと同時に憎悪と言える物を駆り立てられる物は無かった。

 

漏瑚がその男、といっていいのかわからない人間と会ったのは、彼らにある呪詛師が接触してきたときのことだった。

五条悟の戦闘不能、両面宿儺の器である虎杖悠仁を仲間に引き入れる。

そんな提案を聞いている中、ずっと無言でありながら、呪詛師、天内と名乗った女の隣にいるそれは目を引いた。

何故か、布製の面をつけているそれは、まるで空気のように誰にも関心を向けられない。

文字通り、ただ、そこにいるだけの存在だった。話し合いの場に唐突に連れてこられたそれは、天内の隣で淡く笑ったままそこにいるだけだった。

獄門疆の存在を話し、嬉々とした漏瑚に対してそれは初めて口を開いた。

 

「漏瑚様。」

「何を。」

「叶うなら、落ち着きください。あまり、騒ぎを起こすのも得策ではないかと。」

 

漏瑚は最初、無視をしようと思ったのだ。己に話しかけてくるそれにそこまでの意識を向ける必要は無いのだと。

けれど、何故だろうか。その声を聞いた瞬間に意識が全て持って行かれた。

何故か、わからない。ただ、その声を聞いた瞬間、関心をむけずにはいられなかった。

 

「貴様、何者だ?」

「私は、天内様との同盟を組まれている方に仕えております、黒と申します。」

「黒?見たところ、人間か。」

「はい、この身は人間でありますが。」

 

柔らかな声だ。いつもならば、気にもとめないようなとるに足らないものはずだった。

けれど、何故だろうか。

その面の奥で、男が笑っている。穏やかに、きっと笑っている。

それを理解すると、何故か、心が引かれて仕方が無かった。

 

 

 

「なあ、次に黒に会えるのっていつ?」

 

真人の言葉に漏瑚は眉間に皺を寄せた。

 

「またその話か。」

 

呆れた口調の漏瑚を前に真人は不機嫌そうに顔をしかめた。

 

「口を開けばそればかりだな。なんとかならんのか。」

「だってさあ。全然会えないじゃん。」

 

子供のように頬を膨らませる真人に、漏瑚は怒る。

 

「人間なんぞに会いたいなどとわめくな!」

「なんだよ、漏瑚だって会いたいだろ?」

 

真人のその言葉に、漏瑚は黙り込む。彼らがいるのは、丁度拠点にしているマンションの一室内に広がった領域にて、漏瑚は五条悟との戦闘の傷を癒やしていた。

彼が口に出す、黒と名乗る青年については漏瑚も会いたいと思っていた。

 

その青年は非常に不思議なことに、不快と感じたことはない。

漏瑚は呪いだ。

仲間意識はあれども、お世辞にも何かに対して熱烈な好意のようなものを覚えたことはない。

けれど、何故だろうか。

その青年についてだけが、なぜか好ましいと思うのだ。

黒と話していると楽しい、もっと話がしたいと思う。ただ、向かい合っているだけで心が躍る。

それは、漏瑚にとって未知であった。滅多に感じることのない感情だった。個というものに対して向けたことがない感情は、まるで甘い毒のようにむしばんでいく気がした。

それは危険だ。自分の望みを阻むきっかけになる気がした。

殺した方がいいのではないかという考えが頭を擡げるというのに、どうしても殺せない。

幸せになって欲しい、殺したくない、もっと話がしたい。

呪いである彼とは相反するような感情が、どんどんと膨れていく。

それは、花御も同じであったらしく、彼にはやたらと積極的に話しかけ、そうして花まで贈っているのを見た。

気に入らないはずなのだ。気に入ることなどないはずなのだ。

けれど、それに、好かれたいなどとふざけたことを考えてしまう。

術式か何かの力かとも思ったが、彼の力は曰く、ベクトルの操作に当たるらしく、精神的なものはなんの関係もないそうだ。

漏瑚は必死に、なんとかその感情に蓋をして、彼から距離をとることを決めた。

けれど、生まれて間もない真人はそうも行かなかった。

元より、人間という者に対して興味を持っていたということもあり、真人は初めて感じる個人への愛着というものに見事にはまってしまっていた。

 

自分たちは呪いだ。

ならば、所詮は他人を憎むことしかできない。が、その男だけに感じる、愛着、好意、焦がれ、親しみ。言葉にできぬ、求めてしまう繋がりを真人が気に入るのは当たり前だ。

 

「天内だっけ?あいつに言っても、全然会えないし。ようやく会えると思ったら、赤がくるしさ。」

 

不機嫌そうな彼に、漏瑚は呆れたようにため息を吐いた。

 

「わしらは人を滅ぼそうとしていると忘れ・・・・」

「でも、別に一人ぐらい飼ってもいいだろ?」

 

無邪気な声に漏瑚は真人の顔を見た。彼は、にたにたと笑っていた、楽しそうに、おぞましく、笑っていた。

 

「人間だといつか死ぬからさ、呪霊になればずっと一緒だろ?」

 

うっとりと恍惚に微笑むその様は、まさしく、恋に溺れる少女のように熱っぽい。それに漏瑚は頭を抱えたくなる、

それと同時に、いくら言っても聞かぬだろう事は理解できた。

 

真人にとって、それに初めて会ったとき浮かんだのは衝撃だった。だって、真人は一目見ただけで祐礼のこと好きになった。

まるで、はじけるような感覚が脳裏に瞬いた。

真人にとって、人はおもちゃであって、どこまでも遊ぶ物でしかなかった。けれど、なぜか、彼に会ったとき真人を襲ったのは全く逆の感情で。

彼と話がしたい、優しくしたい、構って欲しい、遊んで欲しい。笑って欲しい。

それは真人にとって全く覚えのない感情だった。

人に興味はある。自分を生み出した、創造主と言える物への飽くなき興味。そうして、それと同時に湧き上がってくるような憎悪。

憎しみとは違う、怒りとは違う。それとはかけ離れた、漠然とした加虐心と、侮蔑。

それが真人にとっての人間への感情だった。

けれど、その青年だけは違った。

何だろうか、彼は、これは一体何だろうか。人のはずだ。けれど、何故か彼へは同胞の呪いたち以上の感情を抱いてしまう。

まるで、親を慕う子供のように、初恋に心を躍らせる少年のように、真人は一心に青年に焦がれてしまっていた。

知りたいという好奇心、心を満たす焦がれ。全てが、真人を飲み込んだ。

 

「なあ、何かして欲しい事ってない?」

 

話す機会を設けられたとき、真人は黒にそんなことを聞いた。真人の知る中で人間というのは贈り物だとか、献身で好かれようとするらしい。

だからこそ、真人は何をしても彼に好かれようとそんなことを言ったのだ。

黒と話すだけでこんなにも心を踊るというならば、彼に好かれればそれはどれだけ幸せだろうか。

そんなことを思っていた。けれど、黒はそれに対してあっさりと言葉を返した。

 

「さあ、何も望みませんよ。真人様の好きにしてください。」

 

それに真人は驚いた。

てっきりだ。てっきり、何かしらの要求はされると思っていた。けれど、黒は何も望まない。何も望まず、好きにしろと言った。

それはどこまでも素直な言葉であった。

これは何だろうか。わからない、わからないけれど。

それでも、それは真人が会ってきた中で、一等に変わっていることだけは理解した。

笑って欲しい、すきになってほしい、その魂に触れたいと、そんなことを思った。

 

(なんで、こんなこと考えるんだろう?)

 

沸き立つような考えが浮かんでくるのに、すぐに炎のような欲求に消えてしまう。

ただ、一つだけ言えることがあった。

 

(欲しいな。どうしても、あれが欲しい。)

 

例え人が滅んでも、あれだけは飼っていたい。死んでしまったとしても、呪霊にして永遠に側に置きたい。

その熱量の出所がわからない。けれど、どうだっていい。ただ、ただ、真人はその未知の感情に心を奪われていた。

 

 

 

 

板取祐礼にとって、ある程度のことは順調に進んでいた。

 

(悠仁と宿儺の間で縛りをつけることはなかったが、悪い方向には進まないだろう。)

「お兄ちゃん、お肉多めがいい!」

(大体、今のところ、伏黒あわせて甚爾からの扱きを受けてるようだしな。)

「俺も、俺も!」

(ただ、上層部も悠仁を殺すかどうか意見が二つに分かれているのは分かっている。表立っての暗殺命令は出ないだろう。)

「黒、私は少なめでいいですよ。」

(ただ、夏油の奴が教団について探り出したのは面倒だな。)

「俺の分の肉は、お前が食え。」

(つって、あの教団自体、真依に作らせてる呪石の供給にしか使ってないし。探られて痛いこともない。)

「黒、締め何にしますか?」

「わあったからいったん落ち着け!真依、血塗!上から肉を強奪するな、野菜もくえ!壊相、脹相!下に肉を分け与えるな、食え!灰原、締めはまだいいからお前は食え!」

 

目の前には、鉄鍋で煮られるすき焼き。

そうして、その周りに集まった身内たちが虎視眈々と具材を狙っていた。

 

 

鍋物って楽で祐礼は好きだ。

なかなか拠点にしている部屋に帰ることはできない時もあるが、食事の当番の時は鍋をよくしていた。

何せ、最初に比べれば大分大所帯になったのだ。鍋ならば、栄養バランスもある程度考えられて楽だ。

両面宿儺との接触を終え、且つ、呪霊との接触を終えた後、ふらふらと帰り道を歩いていたときのことだ。丁度、町の肉屋さんといえる個人店にさしかかったとき、何となしにすき焼き用の肉が目に入ったのだ。

別に、一段落したわけではない。これから考えることは山ほどあるのだ。

けれど、なんとなく、ふっと息をつきたくなった

ちょっと高めな肉を、数キログラム買った。食べ盛りが一人と、底なしの特級もいる。何よりも、精神は置いておいても、体は高校生だ。無意味に腹は減る。

 

(いや、極端な話、金だけはあるんだよ。金だけは。)

 

情報収集で界隈で名前を売るために受けた仕事だとか、星の子の家で咄嗟に奪った資金、大々的に名前を売るために呪詛師から奪った金だとか。また、星の子の家でお布施だと言われて受け取っている分もある。正直言って、祐礼にとってそこまで金を使う機会という物は無い。もちろん、日本中で借りている拠点だとか、真依の学費だとか、日々の浪費もあるのだが、おそらく第三勢力を謳うにはだいぶお得に終わっている。

元々、資金自体は祐礼が管理しているわけだが、時折何か違うんじゃないかと思うことはある。

そんなこんなで始めたすき焼きではあるが、鍋をやると問題が出る。

真依と血塗が肉を欲しがり、二人を庇護対象と認識している壊相と脹相が率先して分け与えてしまうのだ。

祐礼がいつの間にやら鍋奉行と、焼き肉の焼き手になるのは必然であった。

灰原も平等であるが、肉が欲しいというと素直に与えてしまうため、除外している。そんなこんなでせっせと、肉と野菜をそれぞれの皿に分けている。

 

「というか、お兄ちゃん、今日はやたらと奮発してない?」

「確かに、いつものスーパーのパック詰めのやつじゃなくてなんか、高そうな紙に包まれてる奴だし!」

「あー、でっかいのが終わったから祝いだ、祝い。ほら、言ってないで食え、食え。」

 

祐礼はひょいひょいと、血塗と真依の器に肉を放り込む。

そんな彼の様子に、脹相と壊相が気遣わしげな顔をした。

 

「黒、こちらにあなたの仕事を回すことはできないんですか?」

「ああ、せめて上からの指示をこっちが聞けないのか?」

「・・・・仕事に関しては適材適所の部分がありますから。隠密に特化してる奴じゃないと難しいからな。上からはな。接触は、できるだけ減らしたいとの意向なんだよ。」

「融通が利かんな。」

 

ちっと、忌々しげな脹相の舌打ちに祐礼はなんとも言えない顔をする。

 

「何よりも、仕事なんてけっこう振ってるだろ。」

「ですが、私にできることなんてほんの些細なことですし。」

「仕事なんていっても、呪石の回収や、敵方の監視ぐらいだろう。お前の仕事量に比べれば、俺たちに何ができたのか。俺は、お前の兄なのに。」

 

わいわいと、血塗と真依が向かいで話しているのが聞こえる。ぐつぐつと煮える鍋の湯気を見つめて、脹相が小声でそんなことを語った。

それに、祐礼はため息を吐きつつ、脹相と壊相の器に肉を放り込んだ。

 

「そんなことはないだろ。何より、二人には一年前の高専の時は本当に世話になったと思うぞ。」

頼りにしてる。二人がいなけりゃ、きっとだめだった。

 

言葉少なな、その礼に壊相と脹相は不安げな顔をした。それ以上はいらないと、頑なな祐礼の拒絶を見て取り、二人は黙り込んだ。

 

 

 

「おーい、締め、うどんと雑炊どっちだ?」

「うどん!」

「俺も!」

「血塗と真依はうどんか。」

「黒、何か手伝うことはありますか?」

「兄ちゃんも手伝うぞ。」

「はーい、兄貴二人は嵩張るんで居間にもどれい。」

 

灰原と立ったキッチンでそういえば、壊相と脹相はえーなどと言いながら帰って行く。兄貴と呼ばれたせいか、どことなく嬉しそうだった。灰原とキッチンに二人で立った。

すき焼きの残り汁で締めのうどんを煮込む。

 

「・・・・そういや、灰原。」

「何ですか?」

 

ちらりとみた、それに祐礼は少しだけ黙り込んだ。

会ったときは、それこそ少年だと言っていいほどの年齢であったけれど。ちらりと見た男は、まるで年の取り方を忘れたかのようにそのままであった。

頼み事を口にしようとしたとき、ふと、男の見た目が変わらないことに意識がいった。

当たり前かもしれない。本来ならば、彼は年をとることなどなかったのだから。

 

「仕事を頼みたいんだ。」

「俺に?へえ、珍しい。星の子の家の石の回収はいいの?」

「あれは脹相と壊相に任せる。」

「いやあ、二人とも最初に連れてこられたときに比べて成長しましたね。」

「ああ、あれはな。」

 

かれこれ、呪胎九相図の三人が仲間に加わって時間も経った。兄弟を最優先するのは変わりは無いが、なんだかんだで常識という物を理解し、そこまでつきっきりにならなくて良くなったのは安堵している。

術式のコントロールにも慣れたのか、壊相と血塗は、汁といっていいのかわからないが、垂れ流しせずによくなっている。

今では、星の子の家についての管理、呪詛師への対応、また真依や灰原への訓練についてを任せている。

また、時折、嗅ぎつけてくる甚爾や夏油傑について全力で逃げるように頼んでいる。

 

(乙骨のときは本気で死ぬかと思った。夏油の体の一部が欲しかったからって、気軽にぶつけんじゃなかったなあ。)

 

本編では、彼の男は夏油の術式を欲しがっていた。そのため、祐礼は男への媚びのために用意しようと思っていた。

真依の術式は、術式を持った人間を材料に呪具もどきを錬成できる。といっても、あくまでコピーしているのは術式で、呪力を流さなくては使えないのだが。それでも、永続的に人の術式を使い回しできるのは便利だろう。

事実、炎を操れるライターは祐礼が他の役柄の時に使っている。

また、五条たちに立ちはだかった分身の術式を使った男についても回収をしていた。その死体を使い、分身の術式も用意している。

が、問題なのはあくまで永続的に術式を使うには、文字通り全てを材料にしなくてはいけない。

幾人かの呪詛師を材料にしてみたが、例えば、肘から下を切り落として材料にすればどうなるか。

呪具もどきとしては数回使えるだけで、それ以後はただのものに成り果てる。

半永久的に使うには、文字通り、命を材料にしなくてはいけない。

生半可に、腕を一本、足を一本では数回、または一回だけで終わる。

ただ、便利なのは指一本程度で使いっきりの呪具ができる。実際、真依には祐礼の術式が込められた呪具を幾つか持たせている。

祐礼が欲しがったのは、夏油傑の体の一部だ。永続的には使えずとも、数回ほど使えるならば、加茂にもメリットがあるだろう。

 

(まあ、見事に片腕もらったわけだけど。反転術式でまあ、元通りにはなってもそれ相応にヘイトは買ったしなあ。)

 

自分でやったこととはいえ、乙骨からのヘイトはわかっていても怖すぎる。いくら、乙骨から里香を引き離すためとはいえ、いっそ放置しても良かった気がする。それでも、勢力のアピールとして望ましかったと言えばそうなのだ。

 

「それで、仕事ってなんですか?」

 

灰原の言葉に、祐礼は現実に返ってきたような心地で、隣を見た。

 

「・・・・ああ。そうだ。指定の場所に行って、ある少年を連れ出して欲しいんだ。」

「それだけですか?」

「ああ、それだけだ。ただ、できるだけ早々とその場から去って欲しい。で、顔がこれ。」

 

祐礼は煮込まれているうどんを眺めつつ、灰原にスマホを見せる。そこには、どこか陰鬱そうな表情の少年がうつっていた。

 

「名前は吉野。気絶させてもいいから適当に連れ出してくれ。後でお前のスマホに送っとく。」

「わっかりました!」

「・・・・灰原。」

 

そろそろ、良い頃合いだろううどんを見ながら、火を弱める。

 

「言っておくが、その場で何があっても手は出すなよ。」

 

言い含めるようにそう言った。

元より、宿儺の指を回収するための道筋は、呪胎九相図の繋がりを使えばいい。だからといって、思い出す真人の性格から、吉野順平を見つければ放っては置かないだろう。

真人に対しては祐礼がついている気ではあるが、それと同時に吉野をできるだけ遠ざけておきたいという心がある。

ただ、あの映画館で灰原にはあの不良たちが殺されるのを無視してもらわなくてはいけない。

 

「・・・・だから、灰原。」

 

祐礼はわざと名前を呼び、自分の方に意識を向けさせようとした。それに自分の方に視線を向ける灰原の瞳をのぞき込んだ。

言葉を、発しようとした。術式を使い、その信頼を、好意を、さらに順応させようとした。けれど、それよりも先に灰原が口を開いた。

 

「大丈夫ですよ。」

 

その声に、思わず目を見開いた。何をそんなことを言うのかと思えば、灰原は朗らかに言ってみせる。

 

「黒のこと、俺、信じてますから。」

 

そういって、あんまりにも朗らかに灰原は笑った。何を根拠に、そんなことを言うのだろうか。

灰原は、煮立ったうどんの火を消した。甘塩っぱい匂いがした。湯気の立つそれを見て、灰原はなんてこと無いように言った。

 

「もう、十年ぐらいの付き合いになりますね。」

「・・・・ああ。」

「その間、まあ、いろんな事もありましたし。きっと、人を傷つけるようなことだってしてるんだろうなって察してはいるんですよ。でも、それ以上に、黒は優しいんだろうなって、わかるぐらいは一緒にいましたよ。」

 

それに祐礼は、何と言えばいいかわからなかった。

 

 

灰原にとって、黒はまるで漫画の中の悪役のようだった。

真依の話を聞く限り、彼は誘拐犯であったし、特級呪霊を仲間に引き入れている時点で、呪術師らしくはないだろう。

けれども、彼はどこまでも優しかった。雑用を頼まれることがあっても、灰原は黒に暴力を振われることはなかったし、食事だとかの資金は渡されていた。

何よりも、彼はいつだって真依を気にしていた。

風邪を引けば、できるだけ早く帰ってきたし、看病だってしていた。幾度も名を呼んで、彼女の話を聞いていた。食事だって家にいれば作ったし、わざわざ手間をかけて、真依を学校に通わせた。

灰原は、一度聞いたことがある。灰原とて、自分たちがどちらかと言えば日陰者であること自体はわかっている。

けれど、彼は手間を考えても真依を学校に通わせた。

何故、とそう、聞いたことがある。それに、黒は簡潔に応えた。

 

「ああいう時間は、子供の特権だろう。」

 

すっかりと、最初の敬語が取れた彼はそんなことを言った。入学式にも、卒業式にも、彼はできるだけやってきて愛おしそうに彼女の大きくなる様を見つめていた。

呪胎九相図がやってきたときもそうだ。

灰原も、少しだけ警戒心があった。けれど、彼らと過ごす内に、なんとなくその精神性が理解できた。

呪霊としての、当たり前のような社会性の欠如はありはしても、彼らは兄弟以外には特別に無関心で仲良くなることは基本として簡単であった。いつの間にやら、真依は彼らと仲良くなっているようだった。

付き合い方さえ間違わなければ彼らは良き隣人で、いっそのこと身内であった。それはきっと、人間だって同じだ。

そうして、黒はやはり呪胎九相図のことを気遣っていた。

行きたいと言えば遊びに連れて行ったこともあるし、常識を教えるためにつきっきりであったし、何度だって飽きずに付き合っていた。

脹相の兄であるという意見に押し切られた部分もあるのだろうが、それでも、彼はいつだって彼らの言葉を聞いていた。

灰原は、その時だって何となしに聞いたことがある。

何故かと。

それに、黒は言葉少なに呟いた。

 

「生きることが楽しいことだって記憶があってもいいだろう。」

 

何となしに、灰原は、黒が自分のことを悪い奴だと思っているのだろうなと思っている。それは確かにそうなのだろう。

真依に構築術式を使わせた、腕や足からみて、彼は人を殺しているのだろう。

けれど、それでも、灰原は例えば彼が地獄に行くべき人間だとしても、優しい人だと思うのだ。

だって、彼は灰原に人を殺させたことはなかった、ひどいことを強要することはなかった。

彼は、最初の約束通り、真依の世話や雑用以外に何も願うことはなかった。

灰原には、彼が何故くもというそれに従っているかはわからないけれど。

それでも、望んでいないことぐらいはわかるのだ。

彼はいつだって、ひだまりの中で笑う真依たちに微笑んでいた。穏やかに、まばゆい物を見るように。

わかる、それぐらい、わかるのだ。

黒という男は、誰かの幸せを願い、何よりも誰かを愛することができる人間だと。いつだって、彼は誠実であった。ずっと、誠実に、真摯に灰原に接してくれていた。真依のことを慈しんでいた。

灰原は黒の方を見た。

いつだって、彼は面を被っているか、それとも呪具で顔を変えているけれど。

 

「俺、あなたが優しいって知ってますから。だから、信じてますよ。あなたのこと、お互いに長い付き合いですから。」

 

それに彼がどんな顔をしているか、はっきりとわからなかった。

 

 

 

「・・・・お兄ちゃん。」

「ああ、真依か。」

 

真依はひょっこりと彼が仕事部屋として使っている一室の前にやってきた。

 

「はいっていい?」

「手短にな。」

 

入った部屋は机と本棚、そうしてパソコンがあるだけの部屋だ。

机に向かっていた彼はくるりと振り向いた。簡素な、事務椅子のようなそれに座って振り返る。

食事も終わり、もう、眠ればいいという状態で真依は黒に向き直った。

 

「どうかしたのか?」

 

黒は手を組んで、真依を見る。真依は黒を見上げる形で床に座る。

 

「ねえ、私も何かすることないの?」

「何かって。」

「灰原には仕事、頼んだでしょう?」

 

その言葉に全てを察したのか、黒はため息を吐いた。

 

「・・・・あのな、真依。お前は。」

「私だって、お兄ちゃんの役に立ちたいの!」

 

子供がだだをこねるような声を出せば、黒はそっと彼女の頭を撫でた。

 

「いいや、お前は俺にとって何よりも役に立ってくれている。だから、お前は何も気にせず学校に行ってればいいんだ。お前は、何もしなくても。」

 

それに真依は顔を上げて、眉間に皺を寄せた。

 

「どうせ、学校に行ったって、普通に就職とか無理じゃない。」

 

ぴしゃりとそういえば、何となしに黒が傷ついた気がした。それでも、真依は気にすることはない。せいぜい、傷つけばいいと思っていた。

 

黒が真依に、禪院真依という少女に負い目がある事なんてわかりきったことだった。

彼はいつだって、くもという上の存在からの任務以外は何を持っても真依を優先してくれた。学校の行事だとか、誕生日だとか、旅行にだって連れて行ってくれた。

途中から、それに愉快な仲間が加わっても、真依の人生はいつだってその男がいた。

大事にされていたと、わかるのだ。

甘やかしてくれたし、それと同時に叱ってくれた。だめだろうと、言ってくれた。手を握って、見上げた先で笑っていたのだとずっと思っている。

それでも、その裏には負い目があるのだと、何となしに気づいたのはいつからだろうか。

死体を前にしたときだろうか。それに術式を使ったときだろうか。腕や、足が目の前に転がっても平気になった時だろうか。

戦い方をたたき込まれたときだろうか。

真依にだってわかっている。自分というのは、禪院真依で、実家のことだって覚えている。

それでも、自分は帰ることはできない。真依は自分が誘拐されたと言うことを知っている。

黒が、自分のことを慈しんでくれるのも、願いを聞いてくれるのも、精一杯のことをしてくれようとしているのも。

その裏には黒の負い目があることを知っている。

黒は優しい人だ。それは、呪胎九相図や灰原への接し方、そうして育てられた自分が一番に知っている。

大好きだ。真依は、黒が大好きだ。

だって、彼は自分を愛してくれている。

 

(そうだ、禪院の家のことを覚えている。)

 

あの家での自分の扱いも、周りからの接し方も、覚えている。だからこそ、わかるのだ。

真依は愛されているのだ。優しい男に、彼がどれほどくもからの命令に逆らえないとしても、確かに真依を大事にしてくれようとしたのだ。

知っている。今まで、積み上げられた時間で、真依は自分が愛されていると理解していた。

だから、役に立ちたかった。

負い目なんて背負わなくていいから。真依はここで幸せだ。愛されていた、慈しんでくれた。

自分を否定した、たった一人の姉以外に味方のいない箱庭を覚えている。

彼はそこから連れ出してくれた、ずっと愛してくれた。

 

(だから、ねえ。気づいてよ。私、どこにもいけないのよ。)

 

わかっているからこそ、真依は怒りを抱いていた。

真依は黒さえいればいい。黒だけが、真依に普通の少女として幸せを願ってくれた。

けれど、真依は自分が普通の生活をすることができないことだってわかっていた。

ここしか居場所がない。それでも構わない。

真依はここがすきだ。呪霊と、人が混じるように生きているここが好きだ。

真依を愛してくれるここが好きだ。

帰りたくなんて無い。真依の居場所は黒の元だ。あの日、彼が自分を連れて行ってくれるといった日から、それは変わることはない。

とっくに、真依は禪院というものを捨ててしまっているから。

黒以外はどうでもいい。ここ以外がどうなろうと、気にならない。

とっくに、真依という少女の世界の中心は変わってしまっていた。

 

「わかった。」

 

掠れた声で黒は返事をした。見れば、彼はなんとも言えない顔をした。

 

「何かしら仕事は渡す。それでいいだろう。」

 

苦笑している気がした、どうしようもないと言っている気がした。

真依はまた、自分の頭を撫でる手に目を細めた。

気づけばいいのにと、そう思う。とっくに、真依の行く先は、黒と共に行くしかない。道連れは決まっているのだ。

年老いることもなく、十年経った今でも若々しい青年の手に頭を撫でられて、真依はゆっくりと目を細めた。

 





次で話が動くようにしたい。
何かありましたらこちらにどうぞ。
https://odaibako.net/u/kaede_770


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苛まれた人が騙る

今回は、真依と灰原と吉野の話です。
すいません、本当はもう一幕あったんですが、それまで足すと二万字超えそうだったので、こちらに前編を早めにあげることにしました。
pixivの方にはあわせたのをあげます。

感想、いただけると嬉しいです。


「行かない方がいいよ。」

 

吉野順平はその言葉にぴたりと動きを止めた。暗い映画館の中で、吉野はけして人ではないだろうと理解できるものを見た。

己の同級生を、おそらく殺した者。

恐れを感じなかったわけではない。けれど、それ以上に膨れ上がった、憎悪。

だから、吉野はそれを追おうとしたのだ。

その人影がシアターから消えると同時に、いつの間にか自分の後ろから話しかける者がいた。振り返った先、そこには短い黒の髪の男が一人。

映画館の暗闇のせいではっきりとした顔立ちはわからない。ただ、声は若々しい印象を受けた。

 

「だ、誰だよ。」

 

話しかけられると思っていなかったせいで動揺をにじませて吉野はそれに言った。

 

「僕?僕は、灰色って呼んでくれないかな?」

 

明らかに本名ではないそれに吉野は余計に体をこわばらせた。そのまま、先ほどの人影を追うにせよ、追わないにせよ、男から逃げようとした。

けれど、それよりも先に灰色は吉野に言った。

 

「どうして、君は自分が安全だと思えるんだい?どうして、自分の家族になんの影響もないって思えるのかな?」

 

その声は比較的に穏やかであったが、それでも吉野は体を震わせた。家族、という単語に過剰なほどに反応して振り返る。

男は淡く笑って、吉野に近づいた。それによって、男がどんな顔をしているかわかった。

吉野よりも年上であろうが、童顔のせいではっきりとした年齢はわからない。

ただ、彼が浮かべた笑みは、それ以上にひどくひどく、言って何だが善良に見えたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「おっそい!!」

「ごめんごめん。」

 

吉野は目の前の少女に固まった。そのまま、男の勢いに押されて映画館から引きずり出された彼は、そのまま人通りの多い方に引きずられていく。

そうして、男はとある一角に目線を向けた。

そこには数人の男たちに言い寄られているらしい吉野とそう年の変わらない少女がいた。

吉野はその少女に思わず目を引かれた。男に言い寄られるのも納得なほどだった。

艶やかな黒い髪、涼やかなモデルのような顔立ちに、人目を引くプロポーション。

ぴんと伸びた背筋のせいか、どこか品があるように見えた。

彼女は男たちを無視して、己のスマホに視線を向けている。が、それに諦めない男たちがそのまま声をかけていたが。

それに、灰色と名乗った男は堂々と少女に話しかける。

 

「おーい、紫苑。」

 

それに何もかもに関心を持たなかった少女がようやく視線をあげた。そうして、男たちをかき分けてつかつかと灰色に歩み寄る。

 

「おっそい!何してたの?」

「ごめんごめん。」

「まあ、いいわ。それで、そっちが話の奴よね?」

「そうだよ。」

 

二人は周りのことなど気にせずに会話を続ける。それに面白くないらしい男たちは灰色に詰め寄った。

 

「なに、こんな奴待ってたの?」

「俺らと遊ぶ方がずっと楽しいって。」

 

その言葉に苛立っていたらしい紫苑の眉間に更に皺が寄った。それに何かを察したらしい灰色は紫苑越しに男たちに微笑みかけた。

 

「君たちこそ、うちの娘に何か用?」

「は?」

 

さすがの男たちもその言葉に固まった。そうして、紫苑はため息を吐いた後、男たちに視線を向けた。

 

「それで、あんたたち、家族団らんに首を突っ込みたいの?」

 

ぴしゃりとそう言い返せば、男たちは何となしに気まずそうにその場から去って行く。

吉野さえも固まった。確かに、年齢については曖昧であったし、自分よりも年が上なのだろうという考えがあった。けれど、思った以上にぶっ飛んだ年齢の差について、固まってしまったのだ。

男たちが去って行くと、紫苑は非常に不機嫌そうに顔をしかめた。

 

「・・・・言っとくけど、私、灰色のこと父親とか思ったことないわよ。」

「えーひどいなあ。僕が育てたみたいなものなのに。」

 

「ちーがーう!私を育ててくれたのはお兄ちゃんよ。体操服の袋をぬってくれたのも、一緒にランドセルを買いに行ったのも、運動会の父兄リレーに出たのもお兄ちゃんよ。」

「給食のエプロンを洗ったのも、遠足のお弁当を作ったのも、参観日によく出てたのも僕なのに?」

 

灰色のからかうような反論に、紫苑はぎろりと彼を睨んだ。そうして、顔をしかめて先を歩き出した。

 

「一番上だってお昼ご飯作ってくれるし、二番目は買い物つれてってくれるし、三番目は遊んでくれたわよ。」

 

つんと澄ました言い方に灰色は苦笑した。しかたがないなあと、そんな風に笑って、そうして少女の行く方向に体を向けた。

 

「君も。」

 

それに吉野はこくりと頷いて、その後をついていく。

ざあああと風が吹いた。それに吉野は咄嗟に自分の前髪を押さえた。そして、前を歩く二人の顔がよく見えた。

少女がふくれっ面で、そうして、男は楽しげに笑っていて。

彼らの関係などさっぱりわからなかったが。

それでも、彼らは確かに家族であるのだろうと奇妙な実感を覚えたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ええっと、それで君たちは、その、呪術師ってこと?」

 

町外れの河川敷、何か誘われるようについていった先で、石段に腰掛けて吉野は紫苑と灰色に問いかけた。

灰色は吉野に簡単ではあるが、人間の負の感情からなる呪力、それを使いこなす呪術師、そうして呪力の集合体である呪霊の話をした。吉野は信じられないような顔をしたが、先ほどの映画館のことがあるためああと頷いた。

 

「あんた、呪霊についてこうとしたのよ?」

「え。でも、あの人。」

「人じゃないよ。呪霊は基本的に人間ぽくない姿をしてるし、知能もそこまで高くないけどね。でも、呪霊はあくまで人の思いから作られる。人間の姿をした、人の恐れる何かがいても不思議じゃないかな。」

 

その言葉は、やはり吉野にとってはあまりにも遠く聞こえる。どこか、夢の中のように現実感を欠いていた。

けれど、その脳裏に刻まれた映画館での彼のことだけは確かに現実であると理解していた。

それにじっと話を聞くだけで、己の爪をいじっていた紫苑がずいっと吉野に顔を近づけてきた。

 

「あんたさ、あの呪霊に会いに行こうって思ってない?」

 

まるで絵本の中に出てくるチェシャ猫のような笑みだった。脳内に、自分をおとしめた女のことを思い出すが、すぐに目の前の少女に記憶は塗り替えられる。

月のように蠱惑的な笑みでそれは吉野を見た。

 

「そ、そんなことは・・・・」

「別にいいわよ。死んでもいいならね?死ぬ前に面白いこともしれるかもしれないし。」

「こら、紫苑。そんなこというもんじゃないよ。」

 

くすくすと少女が笑う。幼さの目立つ声に吉野はどことなく混ざる残酷さと、そうして寒気のするようなまがまがしさがあるように感じた。

 

「呪霊はね。呪いなの。誰かを憎んで、嫌って。そんな感情の固まりよ。だから、言っとくわね。呪霊と関わって幸せな結末を迎えられるなんて思っちゃだめね。」

 

最後の台詞だけ、紫苑はやたらと格式張った、奇妙な静けさを持って語りかけた。

ああ、何故だろうか。

その言葉だけは、からかいだとか陽気さだとか、そんなものからはどこまでも遠く、忠告染みた何かがあった。

けれど、それよりもなお、腹の中で暴れる憎悪がある。頭の中でフラッシュバックする、トラウマたち。

 

(でも。)

もしも、自分にあんなことができるのなら。そうであるならば。自分は。

 

「・・・・憎いものがあるわけね。」

 

思考の中に放り込まれた言葉に吉野は勢いよく紫苑のことを見た。その少女は、まるで老婆のように静かな目で吉野を見た。

 

「そうね。いいわ。なら、私がその復讐手伝ってあげてもいいわ。」

「紫苑!それぐらいにしとくんだ!」

 

横から入った咎めの言葉に紫苑はふんと息をついた。

 

「いいじゃない。言われたのは、こいつが呪術に関わらないようにしろってことでしょ?こいつ、どうせこのまま放っておいてもあいつのこと探しそうだし。」

 

紫苑はそう言った後に、持っていた鞄から何かを取り出す。それはやたらと白い紙と、そうして簡素なボールペンだった。

 

「じゃじゃーん。これであんたに復讐させてあげるわ。」

「これで?」

「そうよ。あんた、絵心ある?」

「まあ、下手では無いと思うけど。これで何ができるわけ?」

 

それに紫苑は意気揚々と説明する。

 

「私はね、単純に言うとさっき言った呪力があれば、ある意味でなんでも作れるんだけど。これは、私が作った夢返しの紙よ。」

「夢返し?」

「縁起担ぎで初夢に見ればいいものってあるじゃない?それで宝船を枕の下に置くと、良い夢が見れるって言うおまじないがあるのよ。」

「ああ、確か見たい夢の絵とかを枕の下に入れるとか?」

「それもこの宝船の話からの派生よ。」

 

紫苑はそう言って吉野に紙を渡した。

 

「私の術式、色々便利なんだけどこういうの作るとなると、色々共通認識があったほうがいいのよね。」

 

紫苑はそう言いつつため息を吐く。

己の術式は便利だ。けれど、こういった呪いを纏った何かを作るとなると上手くいかない。言ってしまえば、どんなものが作りたいかというイメージがぶれるのだ。

呪いとは、人が人を憎む気持ちだ。誰かに憎まれているとき自意識が呪いを招き入れるのだ。

今回作った呪具もどきはそういったおまじないを元にした呪霊を分解し、そうして作ったものだ。といっても、そういった噂から派生した呪霊をいちいち探さなくてはいけないのだが。

 

「まず、大っ嫌いな奴の何かを盗むの。そうね、持ち物でも、いっそのこと髪の毛一本でもいいわ。そうして、この紙に相手に見て欲しい夢の絵を描くの。できるだけ具体的にイメージして。そうして、盗んできたものを紙でくるんで自分の寝てる場所の下に置いとくの。」

「それだけ?」

「それだけよ。そうしたら、そいつはあんたの思うとおりの夢を見るの。どんなものでもね。きっついわよ。下手したら不眠症にでもなるんじゃないの?そうね、いっそ殺すことだってできるかしら?」

 

吉野は思わずその紙を見た。確かに相手の何かを盗むのは難しいかもしれない。けれど、もしも、そんな何かがあるのなら、あの地獄のような日々を少しでも味遭わせることができるとしたら。

じっと、未だに白い紙を見る。まるで己に書き込まれる憎悪を待つような、真っ白な紙を見る。

 

「本当にいいのかい?」

 

吉野はまた顔を上げた。そこには少しだけ下の石段に座っていた灰色が立ち上がり、座った吉野と同じ目線でいた。

 

「何よ、邪魔しないでよ灰色。」

「あのね、紫苑。今の君、シンデレラの魔法使いじゃなくて、白雪姫の魔女みたいだよ。」

「ひっどいわね!私、今、こいつの魔法使いじゃない。」

「もー。すぐに力業に持ち込もうとするのやめない?」

「いいじゃない。物量こそがパワーだってお兄ちゃん言ってたわよ。」

「ここで物量で落とそうとしてどうするのさ。」

 

灰色はため息を吐いた後、吉野を改めてみた。その苦笑交じりの笑みはどこか老いていた。

 

「いいのって、いうのは?」

 

問いかけた吉野に灰色はうーんと腕を組んで首をかしげた。そうして、口を開けようとしたとき、紫苑がずいっと割り込んでくる。

 

「吉野、あんた、それ使いなさいよ。」

「ええ!?なんで。」

「私も、殺そうかと思ってる人間がいるわ。」

 

凍えた声に吉野は紫苑のことを見た。そうして、その目を見たとき。その、薄暗い目を見たとき奇妙な確信が生まれた。

ああ、この少女は自分と同じようにひどく泥のように煮凝った何かを抱えているのだと。

 

「吐き気がするぐらいに嫌いなものが。でも、それ以上に取り返したいものがあるし。お兄ちゃんにも止められてるし。今はしないけど。でも、あんたはそれで仕返しぐらいしときなさいよ。痛い目見せるだけで済ませるなら一回ぐらい、いいでしょ。」

「紫苑、だから・・・・」

「痛まなければ、理解できないことがあるのよ。虫に魂があることさえも。」

 

じっと紫苑は吉野を見た。知っている、とそんなことを言うように。彼女は吉野の手をぎちりと掴んだ。

 

「憎いって、思うことは悪くないわ。それ相応のことをされたならなおさらにね。私も、そう思うほどのことをされたもの。」

 

少女はそのまま吉野の手にその紙を握らせた。

 

「このままじゃ、あんた、きっとその憎いってこととどうしようもない理不尽だけを抱えて生きてくんでしょ。でも、それじゃだめよ。痛みと憎しみが心に根ざしたままじゃ。だから、一度だけ。その理不尽への仕返しをしなさい。」

 

じっと、吉野の瞳をのぞき込んだ紫苑はその後に付け加えるように言い添えた。

 

「でもね、それをはらしたら。この力とは縁を切りなさい。そうしないと今度は憎しみだけを信じて生きていくことになるわ。だから、一度だけ。本当に一度だけ、その憎しみと怒りをはらしたら、呪いから逃げなさい。」

 

静かな声に吉野は美しい少女の顔を見上げた。先ほどの騒がしい、良くも悪くも年相応の顔はあまりにも静かな感情をのぞかせていた。

 

「なら、そっちはどうなんだよ。どうして、僕がだめで、そっちはいいんだよ!」

 

吐き出した言葉は、それこそ溢れるような憎悪に塗れていた。

思い返す、くるりくるりと、まるで本のページはめくれていくように。映写機に映された画像が移り変わるように、思い出すのはくだらない人間ばかりだ。

自分は何もしていない。なのに、なぜ、そんな理不尽にさらされるのか?

 

(いいじゃないか。)

そんなことができるのなら。そんな才があるのなら。自分だって。殴られたというならば、殴ってやればいいだろう。

 

「それしか、選択は赦されなかったからよ。」

 

怒号のような言葉への返事はまるで雑談のように軽い声音だった。見返した彼女は、やはり凪いだ瞳で吉野を見ていた。

 

「私はね、父親も、母親も呪術師で。私もこんな力があったから。これ以下にも、これ以上にもなれなかった。力を持てるって意味ではよかったかもしれないわね。でもね。選べないことの方が多かったわ。私は幸せよ。お兄ちゃんがいる。ほかに私を大事にしてくれる人がいる。でも、それと同時にあんたのことだって羨ましいわ。」

 

吉野、選ぶことのできる幸福の意味を忘れないで。

そう言った後、彼女は絵本の中のチェシャ猫のように、やっぱり笑った。

 

「誰のことも、憎み続けなくていいなら。誰のことも呪わなくていいなら。それが一番よ。憎むって、疲れるじゃない。他人への憎いって思いを抱えるようなしけた生き方ごめんでしょ。」

「・・・・・いつか、憎い誰かを殺すのに?」

 

吉野は掠れた声で少女に問うた。いつか、誰かを殺すのだと、吉野は少女を理解する。それに紫苑はにこりと笑った。

会ったときと同じ、年相応の無邪気な笑みだ。たんと、彼女は立ち上がる。そうして、けらりと笑って見せたのだ。

 

「そうよ、だから私みたいにはなんじゃないわよ。」

 

壊すことでしか、何も変えられないような奴に。

黒い髪がなびいていた。少女の顔が陰ってしまっていた。見上げた先にいる彼女は、どこまでも遠いように見えた。

 

「・・・・灰色、そろそろ行きましょ。」

 

言い添えたそれに灰色は少しだけ考えるような仕草をした後、頷いた。

 

「そうだね。事情は話したし。映画館から君を引き離す目的も終わったからね。吉野君。」

「・・・・はい。」

 

灰色もまた立ち上がり、吉野に静かに語りかけた。紫苑はすでにゆっくりとではあるが、遠のいているのが見える。

 

「これから呪術師の人たちが接触してくると思う。そこで、もしも僕たちのことを聞かれたら、できるだけ黙っておいて欲しいんだ。ただ、どうしようも無いと思ったら素直に話してもいいよ。」

「二人は呪術師ではないんですか?」

 

吉野の言葉に灰色はうーんと困ったように首をかしげた。

 

「どちらでもないかな。どちらかになると、できないことがあるっていうのが僕の上司の考えらしくて。」

 

吉野は暗い顔のまま、じっと白い紙を見つめた。それに灰色は幼い子供に語りかけるような声を出した。

 

「君は、それを使うのかい?」

「止めますか?」

「・・・・勧めたのは紫苑だし。何より、それは君が選ぶべきだと僕も思うよ。」

 

灰色はそっと目を伏せた。

 

「吉野君、君、大事な人はいる?」

「え?」

 

顔を上げた吉野に、灰色はどこか気まずそうに肩をすくめた。

 

「なんだろう、家族とかもでもいいんだ。ただ、大事な人はいるって話だよ。」

 

それに吉野の脳裏に、彼にとってたった一人と言っていい家族の姿が。陽気で、明るい、たった一人の母親のことを思い出す。

吉野の表情に灰色は何かを察したのか、そうかいと一度だけ頷いた。

 

「今、君は憎いって感情に囚われている。いや、いっそのこと、君は自分を呪っている。」

「僕が?自分を?」

「君の中には、今、ずっと根付いて、抱えた愛おしいって感情よりも、誰かへの憎しみで満たされているからかな。」

 

また、風が吹いた。灰色はどこかはつらつとした印象からは遠い、もの悲しい顔をしていた。

 

「あの子の言うとおり、今、君はその憎いって感情に決着をつけないといけないんだね。そうでなければ、君はこのまま優しいものや大好きなものじゃなくて、憎いものを抱えて生きていくってことだものね。それは、確かに、悲しいね。」

「何が言いたいんですか。」

 

吉野は己を慰めるように自分の体を撫でた。

 

「・・・・別に、誰かを蔑むのだって簡単だ。そこに、欠片だって意味は無くたって。ただ、生意気だとか、弱いだとか。そんな理由で。なら、なら、そこに罪悪なんて関係ないじゃないか。母さんのことだって、関係ないじゃないか!あなたは、そっちだって、いつかは誰かを殺すのに。」

「そうだよ。だから、きっと僕は誰かに殺されるんだと思う。」

 

吉野は思わず上を見上げた。そこにいた青年はただ、柔らかに微笑んでいた。

 

「人を殺すってことはさ。それを受け入れるってことだと思う。自分のなしたことへの業を背負うことだって。だから、僕はそうなるんだろうなって思うよ。」

 

その語り口はあまりに軽く、本心であるなどと欠片だって思えなかった。けれど、わかる気がした。

青空のバックに笑う黒い男の言葉は嘘でないと。優しくて、人好きのする様相に比べて、その目はひどく凪いでいた。

 

「人を呪わば穴二つっていうのはさ、誰かになしたことへのカウンターを受けるってことだよ。そうして、その業を被るのはけして君一人では足りないかもしれない。吉野君。叶うなら、叶うなら。壊して、呪うことでしか何も変えられないような人にはならないでね。僕にはもう、無理だから。」

 

そっと、男は頭を撫でた。子供にするように、あやすように、頭をそっと撫でた。

 

「さようなら。僕はもう行くよ。二度と君に会わないことを願っているけれど。ああ、そうだ。これをつけた人に会ったらひとまずは味方だから頼りにしていいよ。」

 

灰色はそう言って、あるボタンの写真を見せた。立ち去ろうとする灰色に、吉野は思わず声をかけた。

 

「あなたは、僕の復讐をばかだと思いますか?」

 

灰色は少しだけ迷うような仕草をした後、軽く首を振った。

 

「人を呪ったのなら、それは僕もだ。だから、君は自分で選ぶといい。ただ、そうだね。悪意に悪意を返して。そうして、悪意を肯定したとき。君はいつの間にか君の嫌った存在と同じものになるのかもね。」

 

夕暮れの中で笑っている。男が笑っている。明るく、朗らかに、笑った顔とはほど遠い言葉を言った。

 

「怪物を倒す勇者が、怪物に成り果てることだけはないようにね。」

 

優しい声がした。優しくて、明るくて。それでも、頭を撫でていた熱はいつの間にかなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

白い紙を見た。

夕暮れに染まっていく世界の中で、真っ白な紙が場違いなほどに目立っていた。

それは、赦しの象徴だ。

吉野の憎しみへの、赦しの象徴だ。

人を殺すことは悪いことか?人を呪うことは悪か?復讐とは愚かか?

彼らはそれに対して、否定することはなかった。

けれど、彼らは最後まで、選べと言ったのだ。

脳裏に、大事な人はいるかという言葉を思い出す。母の姿を思い出す。

吉野はその紙をそっとたたみ、そうしてしまい込んだ。

彼らは、一度だって人を殺すなとは言わなかった。

けれど、ずっと彼らはこちら側に来るなと言っていた。

 

(誰かを殺したその時は、僕はどうなるんだろうか。)

 

人を憎んで、それをはらして、殺したら。

きっとすっきりすると思った。きっと、心が晴れるのだと思った。

けれど、なんとなく、今更になって。

紫苑と言った少女の選べなかったという言葉を思い出す。そうして、一瞬だけ、夢から覚めたような気分になった。

夕焼けが自分を照らしている。

もしも、自分が人を殺したとき。その時、自分は怪物になるのだろうか。

 

(あいつらと、同じものになるのは嫌だな。)

 

ぼんやりとそう思った。

やり返して、やり返して、その後自分は何になるのだろうか。

母がそれを知れば、どう思うのだろうか。

誰かを殺すのだと、そう言い切った二人を思い出す。

 

(・・・・帰ろう。)

 

その紙を捨てる気にはなれなかった。けれど、その紙を使う気にもなれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「真依、よかったの?」

「何がよ、灰原。」

 

紫苑と灰色と名乗った二人は夕焼けの迫る道を歩きながら言葉を交わした。

灰原は呆れたようにため息を吐いた。

 

「君の作ったあれを渡すことだよ。黒にはできるだけ何もないようにって言われてたろう?」

「お兄ちゃんはあくまで彼自身が納得できるようにって言ってたじゃない。なら、あれぐらいのおもちゃを渡しといて良かったでしょう。」

「まあ、僕も止めきれなかったのはだめだったなあ。でも、真依があんなに温和な意見だったとは思わなかったけど。」

「んなわけないじゃない。詭弁よ、詭弁。」

 

ふんと息を吐いて腕を組んだ真依に、灰原はああですよねというようにそっと視線をそらした。後ろ手を組んで灰原は歩く。

河川敷から見える川は、夕暮れによってきらきらと光っていた。長く伸びた影はとっくに差が無くなっていることに灰原は笑った。

 

「やられたらやり返せばいいのよ。弱者だとわかれば徹底的になぶってくるばかは星の数ほどいるんだから。そういう奴はね、結局殴り返されて自分の方が弱いってわからない限りは反省しないんだから。」

 

生々しい何かの交ざった言葉に、灰原はそっと目を伏せた。そうして、出会った当時、幼く小さな体に残った痣のことを思い出す。

彼女の育った禪院という家についてそこまで詳しいわけではない。けれど、少女はそれ相応に地獄で育ったことも理解していた。

 

「ねえ、灰原。」

「なんだい?」

「灰原は、復讐ってどう思う?」

 

灰原はちらりと隣を歩く少女を見た。真依は変わることなくつまらなさそうな表情をしていた。けれど、幼い頃から彼女の親代わりであった灰原にはわかる。

それは彼女が何かをごまかしたいと思っているときの顔だ。

何となしに察している。彼女の先ほど吉野にかけた言葉が全て本当ではないし、それと同時に全てが偽りではなかったのだろう。

 

「理解ができない、かな?」

「ふうん?」

 

真依はそう言ってちらりと灰原を見た。それを先に促す行為であると察して灰原は言葉を続けた。

 

「僕には過去がないからね。だから、復讐に至るほどの理由がない。」

 

灰原はひどく軽やかな口ぶりでそういった。

それは事実だ。

灰原が吉野に言った言葉は嘘ではない。彼とて、腐っても黒という存在と永い時間を過ごしたのだから。

誰かを呪うものではない。呪いは呪いになっていつか返ってくるものだ。

それは理解している。

けれど、灰原には復讐などに必要な憎しみや嫌悪がなかったのだ。

憎しみには、悲劇や積み重なった負の感情が必要だ。けれど、灰原の生活はひどく穏やかだった。

することと言えば、幼子の世話や家事、そうして雑用。彼は呪術師ではあったけれど、そこまでの感情を持つほどの激情を持っていなかった。

 

(・・・・何かを、忘れている気はするけれど。)

 

もちろん、記憶など無くしているのだから、忘れているのは忘れているのだが。

 

「灰原はさ、お兄ちゃんに記憶を戻してもらおうとは思わないの?」

「そうだね。今のところはこれでいいと思うよ。」

 

灰原はいつか、彼の性格もあって聞いたことがある。自分の記憶は返してもらえないのかと。その発言に黒は珍しく動揺した様子であったのを覚えている。

 

「いいの?帰る場所、あんたにはあんじゃないの?」

「うーん。少なくとも僕の大事な人は普通に暮らしてるらしいし。それに、黒のやってることが一段落したら記憶も返してくれるってさ。縛りも解いてくれるって。」

 

あっさりとした言葉に真依は意外そうな顔をした。

 

「いいの?」

「まあ、帰りたいって言えばそうだけど。でも、記憶が戻ったら、きっと黒や真依たちとはお別れになるしね。それに、そうだなあ。僕は地獄に行くと思うからかな。」

黒はたぶん、そっちに行くからね。

 

伏せた目にまつげが影を落とした。

真依はその言葉に少しだけまぶたを震わせた。そうして、灰原のことを見ることなく、前を見た。そうして、美しい顔で切なそうにどこかをみた。どこでもなく、ぼんやりとした方向を見た。

 

「・・・それなら、私も地獄がいいわ。」

 

真依はぼんやりとした表情で考え込むように目を伏せた。

 

「みんなきっとそっちにいくんでしょ。一人で天国に行くなら、みんなのいる地獄に行きたいわ。」

 

二人は互いに何も言わなかった。

黒という男が非道であると知っていた。彼が一般人に手を出すことはなかったけれど、それでも呪詛師への扱いはお世辞にも正常であるとは言えなかった。

真依とて、自分の手を貸してきたことの意味合いを理解していた。

吐き気がした。恐ろしいと、思わないわけではなかった。

それでも、なお。

真依と灰原は、その男を慕っていた。

非道であると知っている。彼の所属する組織が、けして自分たちの理解できる範囲のものでないことを知っている。その組織に彼が逆らえないのだろうと知っている。

けれど、それでも。

彼は、確かに灰原と真依を大事にしてくれたのだ。

灰原は男を一人にしたくないと思っていた。本音など滅多にさらさない、その手は血まみれで、幼い子供を誘拐し、特級呪霊を受肉させた大罪人。

けれど、彼はどこまでも誠実であった。

彼はどこに行くのだろうか。彼は、どんな末路をたどるのだろうか。

呪うことでしか何かを変えられないのならば、その行き着く先は変わらないだろう。

だから、その男の末路を灰原は見てみたかった。

ここ以外のどこかにいけるとしても。

死にたいとは思っていない。けれど、ここまで行き着いてしまったのだ。ならば、最後まで付き合ってもいいだろうと灰原は思っていた。

 

(灰原は、とっくに覚悟を決めてるのね。)

 

それがどんな類いのものであるかは知らないけれど、灰原はきっとどこに行くかと決めているのだと、それだけは理解した。

それに真依はそっと、また、目を伏せた。

真依は、黒のことが好きだ。心から、彼が好きだ。

けれど、昔、恨んだこともある。

黒のことは好きだ。あの家は嫌いで、真依の能力の程度がわかったときから扱いなどお察しのものだ。普通の家庭の人間と関わるようになってから、そのおかしさはとっくに理解していた。

だから、連れ出されたことに後悔だとか、家に未練は無い。

けれど、それでも。

置いてきてしまったものがあることも理解していた。どうして、ここに己が半身はいないのか。

連れてきて欲しい、一緒に暮らしたい。そうだ、手を放さないでと願ったのは自分だった。なのに、自分は一人でここにいる。

大事にされて、愛されて、慈しまれて、ここにいる。けれど、自分は一人でここにいる。

真依の言葉に黒は悲しそうな声で言った。

君の姉までを俺は守ってやれない。もしも、そこまで姉を望むなら、それ相応の力が必要になる。

真依は己の手を握り込んだ。

黒の言葉も、理解できる。彼も何かに仕えていて、その命令で真依は連れてこられた。恨む気にはなれなかった。黒の声は、時折、なんとも言えない物悲しい何かを含んでいた。

責めることはできなかった。しがらみというものがあることは理解していた。

これでも、それ相応の力は手に入れた。燃費の悪い術式を補うための術もある。だから、今度こそ自分が迎えにいくのだ。

 

(それでも、もしも。お姉ちゃんが拒んだら。)

 

行こうと、今度こそ、手を放さないと決めたから。今の生活は幸せで、愛されていると思っても、繋がった半身を忘れたことはない。自分たちは、二人で一人だったのだ。

確かに、あの地獄のような箱庭で。

だから、どうしているだろうと思っていた。ぼんやりと。

黒の言葉に決めたのだ。

自分が守るのだと。置いてきてしまったから、今度こそ、これからは自分が片割れを守るのだと。

 

(それでも、もしも、一緒に来てくれないのなら。その時は、私は。)

 

ぼんやりと真依は茜色の空を見上げた。

二人は家路を急ぐ。自分たちが帰る家はもう、たった一つだけだった。

 




また、何かありましたら。
https://odaibako.net/u/kaede_770


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内通者が騙る


七海の動揺と、五条と夏油。黒鷲になって下準備を進める祐礼について。

話はあんまり進みませんでしたが、頑張ります。
感想、いただけると嬉しいです。


「・・・・今日はまた、すげえのが雁首そろえてきたな。」

 

着物を着た、老いた男は自分たちをうろんな目で見つめた。

皺の寄った顔に、短く切られた白い髪をした翁は五条悟たちを待ち合わせの廃墟にて待ち構えていた。郊外にある、寂れた廃墟だ。呪霊の討伐だと言って抜け出すのにはうってつけだった。

 

「まあね、今回は少しだけ事情が違う。」

 

五条悟はそう言いつつ、後ろを窺う。そこには、七海建人とそれに気遣うような視線を向ける夏油傑がいた。

七海はうろんな目で埃まみれの床を見つめていた。

五条は、それに彼の動揺ぶりを思い出した。

 

 

 

 

 

全ては数日前に遡る。

神奈川県のある都市の映画館で頭部が変形した遺体が見つかった。どう考えても呪霊の仕業であることを鑑みて、一級呪術師である七海が任務に当たることとなった。

そうして、五条はそれに虎杖悠仁を同行させることを決めた。

虎杖の戦闘スキルに関しては十二分に信用はできた。虎杖が死んだことに関して、上層部はそれはそれはもめることとなった。

虎杖を殺すか、殺さないか。

実を言えば、これについて意見が二つに割れていたのだ。

両面宿儺の力を失わせるには、彼らには懸念材料が多すぎた。その力を使い、敵対しているくもたちを殺した方がいいのではないかという意見もあった。

そうして、どうするかという判断も出ないうちに虎杖が死ぬ事態となり相当に荒れることとなったのだ。

五条はともかくはその諍いについては放っておくこととし、当分は虎杖を本格的に鍛えることとした。

そうして、基礎的な部分ができている伏黒たちは、二年生と、そうして因縁があるあの男に任せることにしたのだが。

七海と関係者であるだろう、映画館から逃げ出した存在を監視カメラで確認して全てが狂ったと言っていい。

最初、五条は気づいていなかったのだ。

何をしても、その画像では殆ど監視カメラに背を向けており、顔ははっきりと見えなかったのだ。

けれど、七海は違った。彼だけは、ひどく動揺した様子で、その画像を見ていた。

まるで溺れるかのように口を幾度も開けては閉めてを繰り返す。

そうして、画面を凝視し続けた後、絞り出すような声で言った。

 

「・・・・灰原だ。」

 

掠れた声で、幾度も、灰原だ、と。

それに五条は、ひどく、ひどく、面倒ごとになったのを理解した。

まるで、遠い昔にしまい込んだ気に入りのおもちゃたちが物置から顔を出したかのような、そんな気持ちだった。

 

 

 

 

七海は何をしても現場に駆けつけたがったが、その前に五条は黒鷲との会合に連れて行くことを決めたのだ。

何と言っても、死人で生き返るなんて矛盾に彼らが関係している可能性は高かったのだ。

珍しくキセルを燻らせてない男は、ゆるゆると笑って五条たちを出迎えた。

灰原のことを聞いた夏油傑もまたそれに参加していた。

五条は自分を落ち着かせるように息を吐いて、少しだけ離れた場所にいる黒鷲に声をかけた。

 

「聞きたいことがあるんだ。」

 

かすかに照らした日光の中で、黒鷲は三人の男を前に気だるそうに肩をすくめた。

 

「ああ、なんだ。」

「こいつについて情報は?」

 

そう言って五条が差し出したのは、一枚の写真だ。画像自体は不明瞭で、はっきりとした顔立ちはわからないが男が一人。

黒鷲は眉間に皺を寄せて、その写真を眺めた後に首を振った。

 

「・・・・残念ながらないな。こいつは。」

 

問いかけるような言葉に夏油が応える。

 

「私たちの後輩の灰原雄だ。十数年も前に死んだと、そうだ。死体さえ、残らなかった。」

 

振り絞るような声が夏油の口から漏れ出た。

 

「・・・なのに、今回急に現れたんだ。それで、僕達はくもが関係していると思ってる。」

 

五条は念を押すようにそう言ったが、黒鷲は困ったように顎をしごいた。

 

「はっきりいって、灰原がどうやっていなくなったかははっきりとわからんが。わざわざ、死んだようにして、連れ去るようなことをする存在は思い浮かばん。わざわざ、十数年も温存しておく意味も無いしな。」

「情報は無いんだな。」

「残念ながらな。」

「数百年、いや、それ以上の時間を使って追ってるくせに心許ないことだね。」

 

夏油から飛び出した皮肉に、黒鷲はにたりと笑った。

老いたもの特有の、見透かすような目だ。彼は嘲笑じみた声を上げた。

 

「ああ、数百年追ってるさ。そのたびに、殺され、阻まれ。くもたちに欠片でさえも報いを与えることさえできずに数百という死体の山の上で存続だけは続けた愚かな一族さ。」

 

皮肉の効いた言葉に夏油は少しだけ顔を歪めた。五条はけっと、吐き捨てるように顔をしかめた。

黒鷲は特別な苛立ちも見せずに、困ったように肩をすくめた。

 

「・・・あっちも負傷した人間を治療する術は持ってるはずだ。だが、その灰原って奴を生かしたかはわからんぞ。」

「灰原を、相手が求めるような理由はなにが考えられますか。」

 

割り込むような形で七海がそういった。五条がそれに彼の姿を見れば、それこそ幽霊のようにじっとりとした湿り気を感じる。

 

(当たり前か。自分を庇って死んだ男が、おまけに死体も見つからず、家族に返すこともできなかった存在が生きていたのなら。)

 

たった一人の友人、七海の青い春。

五条は、鈍くはあれども、確かに抱えた何かが痛む気がした。少しだけ、彼は夏油を見た。

 

「・・・お前らに対する人質か。それとも術式が有益なのか。」

「彼の術式は使い勝手いいが、そこまでとは言えない。」

 

ささやかな夏油の言葉に黒鷲は肩をすくめた。

 

「・・・・だいたい、その写真の人間が灰原という人間かはわからないだろうが。容姿を変える方法だってないわけじゃねえ。」

「違う!」

 

けたたましい声に皆の視線が七海に集まった。

 

「それは、灰原だ。」

 

拳を握りしめた男はぎらぎらとした目で黒鷲のことをにらみ付けた。

 

(ああ。)

 

ぼんやりと思う。

後悔と、悲しみと、ぐちゃぐちゃに多くのことが混ざり込んだ瞳は覚えがある気がした。

知っている、知っている目だ。五条には、あまり理解できないけれど。それでも、幾人もの人間が、抱えているのを見た感情だ。

 

「何の根拠だ?」

 

黒鷲は熱のない声で言葉を返した。それに七海は、だんと一歩だけ歩みを進めた。五条は、正直言ってそれを物珍しい気分で眺める。

ああ、これはこんなにも激情をのぞかせることができるのかと。

 

「私にはわかる!」

 

絶叫染みた言葉の後に、本当に、小さな声でわかるんだと、そう付け加えた。

それは取り残された男の残響だ。それは、たった一人で老いてしまった人間の願望なのか、それとも確固たる事実なのかはわからない。

けれど、その魂を削るような声は、確かに七海にとって真実なのだろう。

七海は思う答えがもらえないと理解したのか、五条たちに視線を向けた。

 

「五条さん、私はもう下がらせてもらいます。それよりも行かなくてはいけないので。」

「・・・・わかった。悠仁は先に行かせてるから合流してくれ。」

七海はそれに軽くお辞儀をしてその場を去って行く。それに夏油はふうと息を吐いた。

「もう少し、言い方というものがあるだろう。」

「無茶を言うな。下手に希望を持つ方が残酷だろうが。」

 

黒鷲は仕方の無い子供を見るような目で、七海の後を視線で追う。

 

「・・・・真実なら、そいつがどんな理由で相手についているにせよ。地獄であることにゃかわらんだろう。」

 

悲しい目をした黒鷲は、そう言って軽く首を振った。五条はその後に、ずっと疑問であったことを口にした。

 

「そういや、お前、七海のこと知ってたのか?」

「そりゃあ、ただでさえ数が少ない一級だからな。調べようとおもやあ調べられる。」

 

熱のない声でそういった。そうして、黒鷲はちらりと夏油を見た。

 

「そういや、例の器のガキ、死にかけたらしいな。」

 

のんびりとした態度で黒鷲は言った。それに五条は顔をしかめた。それに夏油が口を開く。

 

「・・・何故、それを知っている?」

「あのな、あんだけ騒ぎを起こしてわからないってことはないだろう。」

 

呆れたような言葉の後、黒鷲ははあとため息を吐いた。

 

「いや、それよりも先に報告だ。」

「へえ、珍しいね。そっちからわざわざ報告なんて。」

「宿儺の指を、誰かが集めてる。」

 

それに五条と夏油の目が見開かれた。それに黒鷲は淡々と言葉を続けた。

 

「・・・・器の小僧の話が出て、俺達もちっと気になることが出てな。少し、捜し物をしてたんだ。」

「捜し物?」

「ああ。それでな。両面宿儺の指があると掴んだ場所があったんだが。消えていた。誰かしらが、指を集めてるのは確かだろう。」

 

それに夏油と五条の二人は、ある特級呪霊の存在を思い出す。夏油が五条の方に視線を向けると、彼もまた頷いた。

二人は確かに特級呪霊である存在について何かしらの目的があって五条の前に現れたと考えていた。が、明確な理由までは思い至っていなかった。

 

「その様子じゃ、何かしらで集めてる奴に覚えはあるようだな。」

 

低く、乾いた声に夏油は顔をしかめた。

 

「そっちは何かあるのかい?」

「・・・・くもの関係者らしき存在と呪霊らしい存在に繋がりがあることがわかった。そうして、未確認の呪詛師とも。」

 

それに五条たちはぴくりと目尻を震わせた。

呪霊と人が何かしらの取り決めを持って協力関係を築く、それは非常に考えにくかった。

まず、そんな存在と関わりを持ったとして、殺されない程度の実力が必要だろう。そうして、呪霊とは人を嫌うものだ。そんなものと手を組むというのは、それ相応の理由が必要になる。

目の前の存在からの情報は信用できるか?

 

(悟は一応信用しているらしいが。)

 

夏油にとって黒鷲というのは、良くも悪くも信用をしていいのか微妙な存在だった。ただ、彼がくもという未知の存在への情報を持っていることは魅力的であったのだ。

ただ、その老人から感じる奇妙な親しみは感じてはいた。

なんと表現すれば良いのだろうか。

父や母に感じるような、そんな普遍的な善性に感じる好ましさがその男にはあった。

ただ、数回、数度話しただけの人間にそんなことを思うのは不思議ではあった。

 

「どっかの誰かが両面宿儺の器を使って企んでるのは確かだ。護衛をつけておくのは勧めるがな。情報はそれぐらいだ。」

「・・・・その呪詛師の詳しい情報は無いわけ?」

「掴んだ奴が死んだ。なんとか、そいつの言い残したのがさっき伝えたことだけだったんだ。」

 

五条はふむと口をとがらせた。

呪霊と呪詛師、そうしてくもが宿儺の指を集めている。

それは虎杖という器が現れたというのはもちろん理由としてあるだろう。

 

(宿儺はあくまで手段だ。)

 

五条は己の顎に手をやる。

元より、宿儺の復活自体を願うものはいないはずだ。同じ呪霊であろうとも下手な慈悲など与えるような存在ではない。呪霊でも己が滅びを願うことはないはずだ。

ならば、器という存在を介して、宿儺に何かをさせることを目的としているはずだ。

 

(それとも、あくまで宿儺の指はフェイクで、それ以上のことを企んでいる?)

 

現在、宿儺の指はほとんど回収できていない。けれど、もしも、全ての指が集まり、それを回収した場合。

五条は両面宿儺に勝てるのか。そうして、戦った場合、周りの被害はどれほどになるのか。

そこまで考えたとき、五条の思考に夏油の不機嫌そうな言葉が割り込んできた。

 

「仲間が死んだって言うのに冷たいね。」

(弱いんだから仕方が無いだろうけど。)

 

五条はそんなことを考えたが、夏油の手前ではそれは黙っておいた。彼の正しく、そうして優しすぎる気質はよくよく理解していた。

夏油の言葉に黒鷲は少しだけ感慨深そうな顔をした後、ああと頷いた。

 

「その不条理を飲み込めねえのならこんな生業さっさと足を洗うべきだろうさ。」

 

帰ってきた返事は、好々爺然とした黒鷲には珍しく、冷たく、そうして辛辣だった。

夏油の方を冷めた、黒い瞳で眺めた男は白髪の髪を揺らして天井を見上げた。

 

「弱けりゃ死ぬ。それを理解して俺達はくもを追ってる。こんな力を持った俺達は、どうせ人から離れて生きていくしかないんだからよ。」

 

その言葉は、夏油にとってひどく癪に障った。

その言葉はまるで、呪力を持った人間の犠牲は当然としているように聞こえたせいだろうか。

彼の脳裏には、一人の少女のことが思い浮かんだ。目の前で、頭から血を流して死んだ彼女。生きるべきだった彼女、幸せになれたはずの彼女。

伏黒甚爾のことは今でも憎いと思う。

けれど、彼でさえも、あのくもたちの手のひらの上で踊らされたというならば、少しだけ思うところがある。

 

(それに。)

 

夏油もまた、禪院真希と話をしたことがある。あまり人を寄せ付けないような空気を持っていたが、彼女から漏れ聞いた、禪院家での呪力の無い存在への扱いを知ったとき。

夏油の中に、苦々しいものは生まれていた。

赦せはしない、憎いと思う。ただ、くそったれの、クズ野郎が抱えた過去に思うことがないわけではなかった。

喉の奥からせり上がってくるような、嫌な感覚だ。

 

「・・・・良い顔するようになったな、お前。」

 

悲痛にゆがんだ夏油の顔を見て、黒鷲はどこか楽しそうに言った。それに五条は顔をしかめた。その顔に黒鷲は手を振った。

 

「ただ。少しだけ嬉しく思ってるだけさ。人には人それぞれに、大なり小なり地獄があるってことがわかったってことだろう?」

 

きひ、と笑ったその様はまさしくいたずらっ子のようなのに、目はまるで地獄の底を覗いたかのように(くら)かった。

夏油も何かしらの意図があっての言葉だと理解して、五条と同じように、というかこの場に来てからすっかり眉間に刻まれた皺を深くした。

 

「どういう意味だ?」

「お前さんが引き取った姉妹、そりゃあかわいそうだったな。だがな、あんなことはよくあることさ。」

 

夏油はその言葉を聞いた瞬間、そのまま黒鷲への攻撃へ入ろうとした。それこそ、反射のように。

けれど、それよりも先に、黒鷲は言葉を重ねた。

 

「親に殺される子供はいる、小さな箱の中で同級生になぶられて死ぬ子供がいる、理不尽に追い詰められて死ぬ奴も、血を分けた家族にさえも見捨てられることもある。だがな、別段、それは呪力を持っていようが持っていまいが、生まれちまった環境で決まる。その悲劇に、呪力があるかは関係ないって話さ。」

 

「その程度で分けられる問題だと思うのか。その、運が悪かった、良かったというだけで。彼女は!」

「お前は、本当に天元が存続していると思うか?」

 

凍えた声音だった。まるで、至極当たり前の理を解くかのような。そんな声音だった。

 

「人の死を望むのは、呪術師にとっちゃあ簡単だ。だがな、続くことには意味がある。知ってるか、たった一人と引き換えに守られる世界の理っては案外どうしようもないことばっかりなんだぞ。」

「・・・・知った口を聞くけど、天元のこと、なんか知ってるの?」

「さあ。それは自分で調べてみろ。ただ、そうだな。己のせいで死ぬ誰かがいるという事実を平気で受け入れられる人間は少ないんだ。」

 

苦みの走った声だった。そうして、彼は夏油を見た。

その目を見ていると、どこか居心地が悪くなる。ぶわりと膨れ上がった憎しみは、その悲しげな瞳を見ていると、するすると収まってしまう。

夏油は何か、その哀愁を纏った目を見ているとあふれ出る何かが収まってしまう。

深い暗がりのようで、けれど含まれた悲しみに居心地が悪くなる。

黒鷲ははあとため息を吐きながら頭を掻いた。そうして、独り言のように呟く。

 

「悪徳を憎むのはいい。だが、それじゃあ心がすり減るだけだ。善を肯定するのはいい。だが、それじゃあ曖昧なことさえも壊してしまう。人の心には、善も悪も両方ある。一方的に悪徳を好むものだっているが、呪術師だろうが、なかろうが。」

 

ふうと、老いた男は夏油を子供を見るような目で見た。

幼くて、無垢なものを見るような目で、彼を見た。

 

「だからまあ、昔よりかはずっと良い顔してるって話だ。悉く愛せるほど人は愚かでもないが、憎めるほど醜いってことでもねえだろう。お前の愛する呪力持ちがいたとしても、生まれた場所や資質で、呪力を持った弱者をいたぶる奴だって出てくる。そんなもんだ。例え、呪霊がいなくなろうとも、人間は人間だ。賢しい獣に変わりは無い。それでもだ、悲しい空しいところばっかじゃなくて、美しいものがあることをわかれば、愛せるときも来るかもな。」

 

夏油はそれに何も言わなかったのは、その言葉の中にどうしようもない苦さと、確固たる確信が混ざっていただろうか。何か、少なくとも自分よりも長く生きたものが語る重さを感じた。

 

「はあーあ!僕さあ、正論て嫌いなんだけど?まあいいや。それよりも、お前、僕達の昔についてだいぶ詳しいね?」

 

夏油が黙り込んでそれを聞いていた隣で、割り込むような形で五条が言った。

それに黒鷲はああと頷いた。

 

「ああ、お前さんたちのことは昔から協力者として目をつけてたんだよ。何せ、そうそうない特級だ。力になるって確信はあった。まあ、性格に難があるのは置いとくが。」

「それなら、あの時まで近づいてこなかったのは何故だ?」

「そりゃあそうだろう。理想だけを追い求める人間も、正しさを他人に委ねるだけの兵器もお呼びじゃなかったからだ。」

 

辛辣なそれに夏油と五条は同時に威嚇するように声を上げる。黒鷲はまるで双子のように息の合った返事にけらけらと笑った。

 

「まあ、てめえらよりも数倍生きて、幾度もやらかして。そうして失った人間の言葉だ。傷みを知っているなら、聞いておくだけでも良いだろうさ。」

 

黒鷲はそう言った後、二人に手を振った。

 

「そんじゃあ、俺はそろそろいとまをもらうぞ。こちとら猫の手も借りてえからな。」

 

くるりと背を向けてその場を去ろうとする背を二人は見つめた。

幾度か、その後ろ姿をつけたときもあったが彼の気配はまるで、それこそ幽霊のようにふっと消えてしまう。そうして、聞きたいことを訪ねようとしてものらりくらりと躱されるのが関の山だった。

 

「それじゃあな、クソガキども。」

 

黒鷲はそう言い捨てて、廃墟の闇に消えてしまう。

それを見送った後、五条は憎々しげに吐き捨てた。

 

「あーあ、ほんとに食えない爺さんだね。」

「捕まえて吐かそうとは思わないのかい?」

「そうしようとしたんだけどさ。重力使いだもん。僕じゃあどうも制限されちゃって。傑だってやってみればいいよ。空にすっ飛んでくバグ技みたいなの受けてみなよ。」

 

げえええええと五条はベロを出して吐き捨てた。それに夏油は自分ならばどうかと考えるが、よくよく思えば捕まえたとしても相手方からの縁が消えて情報が入ってこなくなるのも確かに痛い。

何よりも、夏油としてはどうもあの老人が好ましく思える。飄々としてその老人は、良くも悪くも、大人のように見えるせいだろうか。

そこまで考えた後、夏油は頭を振った。

 

「・・・それよりも、悟。どう思う?」

「どうって?」

「こんなタイミングよく、虎杖君の行く先に宿儺の指が現れると思う?」

 

それに五条はゆっくりと夏油の方を見た。

 

「内通者、ってことかい?」

 

顔を見合わせた二人は多くは語らずとも似たようなことを考えていた。

あまりにもタイミングが良すぎるのだ。

虎杖を殺そうとした上層部がいたとして、宿儺の指など簡単に持ち出せるだろうか。何よりも、そんな取り合わせをするような度胸の人間などいない。

ならば、考えられるのは何か。

 

「くも側にこちらの動きがある程度ばれてるって考えで良いね?」

「ああ、だろうさ。候補はいる?」

「・・・・呪石なんてものに魅入られる馬鹿って案外いるんだよなあ。」

 

夏油の苦々しい言葉に五条は頭を抱えた。

呪石のおかげである程度の賛同者も増えたが、逆を言えば権力目当ての内通者もまたいるということだ。特に禪院家などあくまで静観を選んでいる。

五条がどうしたものかと考えていると、くいっとそれを夏油がのぞき込む。

 

「悩んでるね?」

「お前だって悩んでくんない?」

「そりゃあ悩んでるけどさ。僕だっているじゃないか?」

 

夏油はからかうような口調で五条に言った。

「昔は二人で最強だったけれど、今は二人とも最強だろう?」

面白がるような言葉に五条は目隠しの下で、目を丸くした。そうして、ケラケラ笑う。

 

「いっつの間にそんなキザな言葉覚えたの?」

「悟のいない時。」

 

楽しげな夏油の言葉に五条は立ち上がる。

 

「ま、確かに?僕最強だし?傑もいるし。誰にも負けないよね。」

 

楽しそうに笑って、二人はそのまま廃墟から出るために歩き始める。二人は、そのまま話をする。

内通者を探すこと、生徒のこと、そうして今まで触ってこなかった天元についても。

 

「なあ、ラーメンでも食べて帰らない?」

「まあ、ミミとナナには帰らないって言ってるし。かまわないよ。」

「よし、この前恵たちと見つけたとこなんだけどさ。」

 

楽しそうな声が響いた。問題なんて山積みで、それでも五条も夏油も欠片だって不安はなかった。

己の隣に、彼がいる。ならば大丈夫だ。これ以上の事なんて無いだろう。そう思って、二人は互いに何も言わずともくすりと笑い合った。

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・これで次の対校戦はまだ、厳重になるだろうが。」

 

板取祐礼は、老人の姿を解き、そうして廃墟の窓から五条たちを見送った。

そうして、ふうと息を吐いた。

 

(七海はだいぶ動揺してたが。まあ、あれはあれでいいか。怒りは思考を鈍らせる。誘導が楽になるし。くもって存在への不安感もあおれただろうか。)

 

祐礼はその後に真人と合流した後のことも考える。

予想通り、真人の行動は止められず、映画館のことはばれてしまった。元より、彼の行動理念からして今回のことはばれてしまっただろう。

ただ、幸運なのは今回、己が生みの親は関わってこないことだろう。彼の望みである対校戦において宿儺の指の持ち出しに関しては、脹相を使えばすむ。

 

(そうだ。その時、あいつの弟たちの持ち出しはしてやらないと。)

 

祐礼はそんなことをぼんやりと考えながら、己の手を幾度も握っては開いてと繰り返した。

真人曰く、魂に干渉することで、彼は他の姿に変わるらしい。それに、祐礼は一つの賭けをしたのだ。

そうして、彼はそれに勝った。魂が肉体に影響するならば、姿を変えることで魂もまた変動するのではないのかと。その仮説はあっていたらしく、性別を変えた祐礼は真人には別人として認識された。

 

(でも、なんだっけ。あの男と真人の意見の食い違いから見て、術式によってそこら辺の認識に違いが出てるのかもしれねえな。)

 

今にも崩れ落ちそうな天井を見上げて、思考に浸る。

五条たちに与える情報をどれほどまでにすればいいのか悩んでしまう。あまり詳しいことを伝えたあげく、本来の筋書きからそれてしまえば行動がしにくくなる。だからこそ、曖昧に、小出しにした。次の対校戦にて警備が厳しくなるだろう。

 

(それで、花御でも死んでくれて、頭数が減れば万々歳だな。あと、天元についても探りを入れたし。これで次の時にでも情報を持ってきてくれればそれでいいか。あと、そうだ。真依。あの子、連れて行こう。)

 

祐礼は真依と交わした約束を思い出す。

真希を連れてきたいと言われたとき、祐礼はそれを拒んだ。筋書きから外れることを恐れたのだ。けれど、彼女の思いも理解できた。

それ故に、詭弁を吐いた。守れる程度に強くなれば、連れてきても構わないと。

真依は強くなっただろう。

呪石による圧倒的な物量と、努力を重ねて。

祐礼の養い子は、強く、そうして美しくなった。

恨まれているのだろうと、祐礼は思う。漫画の中で見た、強くて、美しい少女のことを思い出す。妹を置いて、飛び出した姉のことを思い出す。

自分ならばどうだろうか。虎杖悠仁を攫い、そうして都合の良い子供に育てられたら。

 

(いや、思考しても無駄だ。俺と悠仁。そうして、真依と真希。あり方が違いすぎる。)

 

祐礼は己の手を、もう一度眺めた。

曰く、双子とは、呪術師にとって不吉であるらしい。

 

(同じように生まれてきた。肉を分かつたそれは、己と同じもの、だったか。)

 

真依は何かに気づいているようだった。何か、双子であるということにかんして、何かを理解しているようだった。

祐礼はぼんやりと考える。自分もまた双子であるが、感じた物は無い。

 

(二つで一つ、俺はあいつで、あいつは俺で。裏と表であるなら。)

 

ぼんやりと考え込んでいた祐礼の思考を、ポケットにしまっていたスマホのバイブが邪魔をした。

祐礼はそれにスマホを取り出す。連絡用にと、複数のスマホを所持している彼は鳴っているのがどれかと目線を走らせた。

 

(これを手に入れんのも面倒だったなあ。自由業の方々にも探りを入れて手に入れて。)

 

祐礼は鳴っているそれに出た。

 

「もしもし?」

『黒か?俺だ。』

「ああ、脹相。どうだ?」

『お前に言われたとおり、あの子供を監視しているが真人に関わる様子はない。』

「そうか、わかった。ありがとうな。」

『ふ、お兄ちゃんにかかればこれぐらい簡単だ。』

 

そんなことを聞きつつ、祐礼はすぐに真依のことも、真希のことも、そうして弟のことも思考の端から追い出していく、

そんなことを考える暇はない。そんなことを思考するいとまはない。

祐礼は脹相の言葉を聞きながら、次に何をするかを考え始めた。

 

 

 

 




また、何かありましたら。
https://odaibako.net/u/kaede_770


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少女は騙る

大変、お待たせしました。
色々とごたごたしておりまして、すっかり遅くなってしまいました。
リハビリのため短めです。
また、感想等いただけました嬉しいです。


 

 

 

虎杖悠仁はちらりと自分の前を歩く男を見た。淡い金の髪に、どこかやつれた印象を受ける男は淡々と彼の前を歩いている。

現在、残穢についてを教わった虎杖は前を歩く七海建人の後を追っていた。

 

(・・・・大丈夫かな?)

 

虎杖の脳内には、出発前に七海を紹介してきた五条悟のことを思い出した。

 

 

 

 

「ちょっとさ、気をつけてね。」

「何を?」

 

虎杖の言葉に五条は少しだけ気まずそうに頬を掻いた。

高専のとある一室、そこで顔を合わせをした彼について虎杖は不思議に思う。

七海は虎杖にとってなんとなく見たことがないタイプの大人だった。

スーツをびしりと決めていて、静かで、背筋を伸ばした、厳しそうな人だ。

虎杖が見る限り、そこまで自分が何かを気にするような必要もなさそうだった。けれど、五条はそれに含むように肩をすくめた。

 

「そうだねえ。まあ、どうせわかることだろうけど。実はね、十数年前、七海が高校生だったとき、同級生が任務中に死んだんだよ。」

 

それは、まるでありきたりな思い出話を語るように簡素な声だった。虎杖は虚を突かれたかのように目を見開いたが、すぐに持ち直す。

良くも悪くも、彼の知る五条というそれはそういった存在だった。

 

「で、今回の任務で死人がひょっこり顔を見せたらしくてね。」

「死んだ人が?」

「・・・・・どうせ、よく似た顔か、術式だろうさ。」

 

目は見えなかった。どんな顔をしているかなんて、よくわからない。けれど、あまり虎杖の知らない顔だった。

 

「本当なら別の奴に行かせたいけど。それも無理だし。まあ、大丈夫だと思うけれどね。」

 

 

 

不安感があるのは、ひとえに彼が纏う空気のせいだ。

ひりつく。

焼け付いて、雨に打たれたように冷たくて、どこか、雫がまなじりからこぼれるように。

 

(・・・じいちゃんみてえ。)

 

昔、以前、滅多に見たことはなかったけれど。

祖父が、時折そんな顔をしていた。兄の、いなくなった日はそんな顔をしていた。祖父が気づかれていると知っていたのかは知らないが。それでも、虎杖はそんな顔を知っていた。

なんとなく、ちゃんとした大人なんだろうなあと分かりはした。

態度だとか、空気だとか、物言いだとか。

それでも任務中、ずっと彼は何かを探すように、いつかにどこかで見た迷子のように寂しい。

虎杖は、もちろん大丈夫なのだろうかなあと思った。五条のお墨付きだってあったのだ。

けれど、陰った顔を見ていると奇妙な不安感はついて回っていた。

 

 

 

 

 

「つまんなーい!!!」

 

自分の、丁度頭上から聞こえてきた声に真人は思いっきり顔をしかめた。真人がいるのはアジトにしている下水道だ。人があまり立ち寄らないそこは隠れ澄むには丁度良い。

真人は一通りの自分の能力における実験を休み、のんびりと本を読んでいた。壁に掛けたハンモックにのんびりと横たわっていたとき、けたたましい声が聞こえてくる。

真人はそれに思いっきり顔をしかめた。

声のする方、頭上に張り巡らされたパイプの一つ、その上に何かが中腰で立っていた。

それは、少女だった。

呪霊である真人の価値観は別にして、ゴスロリを身に纏ったそれは独特の雰囲気だった。

黒い髪をツインテールにして華奢な日傘を持っている。

それは不満げに真人を見下ろした。

 

「ねえ、スライム、まだ帰らないの?」

「・・・・スライム?」

「だってえ、ぐちゃぐちゃだし、姿変えられるし。モンスターじゃない。」

 

きゃらきゃらと耳につくあざ笑いに真人は一瞬むかりと苛立ちが湧き上がる。殺してしまおうかと、懐に忍ばせたものを取り出そうとした。

けれど、脳裏に彼の大好きな黒のことを思い出す。

 

「真人、この子を使ってくださいますか?」

 

そういって黒が連れてきたのは一人の少女だった。小柄で、ふわふわとした衣服を纏ったそれはつんと澄ました風に真人から顔を背けていた。

それに真人はハズレを引いてしまったことを理解した。

宿儺の指を全て奪うために呪術高専に侵入する必要がある。けれど、それもすでにスパイを送り込んでおり、尚且つ蔵までの道順は脹相がいれば事が足りる。

そのため、呪術高専の交流会までは自由になっていた。

真人はといえば自分の能力について実験、そうして、出来るならば話題の中心である虎杖悠仁への興味が尽きなかった。

真人はともかくはととある町を拠点として、自分の能力を試すことにしたのだが。

そこで黒も是非とも真人の能力を知りたいと言ってきたのだ

それに真人はるんるんになった。

だって、大好きな黒と一緒に過ごせるのだ。けれど、蓋を開ければクソガキが一人ついてきただけだ。

 

(放っておいてもいいって言ってたけどさ。)

 

言葉の通り、未だ小学生程度のそれは特別な世話はいらなかった。

基本的に彼女は真人の実験を興味なさそうな顔で眺めているだけだ。

 

(殺しちゃおっかなあ。)

 

そんなことも考えることもあるが、実際に何かしようとする彼女はせせら笑うように言ってくる。

 

「私に何かあったら黒が怒るわよ!なんたって、私はあの人のお気に入りだもん!」

 

むかつく、その一言に尽きる。

それを嘘だとせせら笑いたいが、本当の可能性もある。そのため、それの言動に関しては無視することに決めていた。

だって、もしも殺してしまって黒に嫌われたらどうするのだ。

真人は心に浮かべる。

ただの青年だ。けれど、思うと焦がれて、欲しくて、求めてやまない。

欲しい、大好きだ。

それだけが心を覆ってしまうのだ。

だから真人は必死にその少女を殺すという意思をねじ曲げて、飲み込むのだ。

生まれて初めて味わう、強烈な執着は麻薬のように真人を魅了していた。

それでも早く離れてしまいたいというのが本音であった。

 

「ねえ。」

 

そんなことを考えていると、唐突に少女、赤が声を漏らした。それに、真人もようやく気づく。

自分たちのアジトにしている下水の出入り口、そこに配置した改造人間の気配がしないことに。

 

「お客さんよ、あんたがもてなしなさいね。」

 

命令口調のそれにまた軽く苛立つが、それよりもさっさとその場から離れることを真人は選んだ。

 

 

 

 

「あっはははははははははは!!」

 

きゃらきゃらと、まるで感情を抑えきれない子供のような声に七海は上を向いた。

そこには、幼い子どもがいた。黒い髪をツインテールにしており、やたらとごてごてとした服装をした。

 

(ご、すろり?)

 

予想外の存在に七海は目を見開いた。彼が作った瓦礫の山の上でそれは笑っていた。

愛らしい少女だった。くるりと、華奢な印象を受ける傘を持っていた。

 

「スライム死んでんの!ばっかみたい!」

 

にやにやとそれは笑って瓦礫の上で七海を見下ろした。

 

「さいっこう!ねえ、あんた、褒めたげてもいいよ?」

「・・・・あなたは?」

 

七海は溢れるような苛立ちを隠すこともなく言った。

 

七海はずっと苛立っていた。

それは、最初はきっと怒りだった。灰原雄の生存が確認された、そんなものは嘘だと思った。それはきっと、都合の良い、嫌がらせじみた何かであるのだと。

五条から散々に聞かされている第三勢力というもののこともあった。けれど、あのとき、見せられた画像の悪い監視カメラの映像。

ありえないと、幾度も考えた。そんなことはないだろうとあざ笑った。

なのに、なのに、それでも、七海は理解してしまったのだ。殆ど映ってなどいない黒髪の男。

それが、己の友であるのだと、確信してしまった。

あの日、死体を残さずに消えた。いつかに、空っぽの棺桶を見送った。

体の芯から冷えていくようなそれを、覚えている。割り切ったとか諦めたとかそんなものではなくて、あの日に感じた死の手触りを知ってしまった。

永遠の喪失も、別れも、そういうものだと理解してしまった。だから、一度はここから去ったのだ。

なのに、今更、あの日々が夢であったのだと告げるそれに怒っていた。

 

「何よ、仏頂面でつまんないわね。」

 

ふんと息を吐いた少女に、七海は眉間に皺を寄せた。真人にやられた横っ腹が痛んだ。

 

「ま、いっか。でもね、せっかくあたしのこと良い気分にさせたんだから、ごほうびをあげなくちゃっね!なにがいい?」

 

その仕草はひどく傲慢で、どこか、彼の先立ちである銀髪の彼のことを思い出させた。

 

(さすがに、先ほどの呪霊レベルをもう一度はキツい。)

 

何よりも、目の前のそれは呪霊なのか。先ほどのように、限りなく人に見えるだけの存在なのか。

少女は黙り込んだ七海に釘を刺すように言った。

 

「言っておくけど、あたしのこと、スライムと同じだとか思わないでよね。それってさあ、すっごい気色悪いから。」

「・・・・人間が、呪霊の手助けをしていると。」

「そ。まあ、あたしは黒のお願いを聞いてるだけだから、理由とかどうだっていいけど。」

(・・・・もしや。)

 

以前、五条を狙った特級呪霊の件がある。その特級とも繋がりがある場合。

人と呪霊の共同戦線。

嫌な言葉が脳裏に浮かんだ、その時。少女の弾むような声が飛び込んでくる。

 

「ねえ、聞きたいことがあるんでしょう?」

 

少女の、真っ黒な瞳と視線が交わった。その瞬間、何故だろうか、緊張していた意識がふっと緩んでしまった。

聞きたいこと、答えてくれる保証はなくとも、時間稼ぎだとしても、言うべき言葉はいくらでもあった。

けれど、何故か、その時、七海の口から漏れ出たのは。

 

「灰原を、知らないだろうか?」

 

ずっと、仕事であると理解して、張った緊張の奥で、ずっと揺らいでいた怒りの奥で、立ち止まった幼い自分が、こぼれ落ちた。

いるはずがないのに、死んだはずなのに。わかっているのに、それでも、こぼれ落ちる心があった。

もしも、本当は、奇跡が起きて、なにか、ひどく幸運に。

己の友人が、生きてはいないかと。

 

「はいばら?ああ、知ってるわ!」

 

心の底から、楽しげな声がした。それに、七海は顔を上げた。

 

「黒が飼ってる下僕でしょう?」

 

ひくりと、喉の奥で何かが呻いた。きゃらきゃらと、少女が笑う声がする。

 

「知ってる、黒髪の童顔の人でしょう。でも、そっかあ。確か、呪術高専の子を拾ったって言ってたもんね。大丈夫、安心して!」

 

とっても使い勝手がよくて大事に使ってるから。

 

何も考えられなかった。ただ、体の中で何かが爆発したのだと思った。振りかぶり、もう、ギリギリの呪力を巡らせる。

けれど、それよりも先に、少女は持っていた華奢な傘を思いっきり振り回し、そうして七海の刃を吹っ飛ばした。

術式か否か、少女と思えないほどの剛力に七海は抵抗が出来なかった。かーんと、甲高い音が響き渡る。反動でじくじくと痛む腕を七海は押さえた。

 

「ダメよ。だって、そんなぼろぼろのあんたと遊んでも楽しくないでしょう?」

 

いつの間にか、自分の目の前まで、飛んだと表現して良いほどの動きで少女は近づいてきていた。

 

「ねえ、遊ぶなら、今度思いっきりしようね!」

 

少女はそう言い放ち、たんと飛んだ。瓦礫の山の向こう側、そこへとまるで映画か何かのような動きだった。

きゃらきゃらと、変わらず笑い声が響いていた。

 

 

 

 

「・・・・・もしもし?」

『もしもし!』

 

祐礼はスマホから聞こえてくる大きな声に眉間に皺を寄せた。

 

 

「血塗、声がでかい。」

 

電話は、ほかの拠点で頼み事をしていた血塗だった。

 

『あー、悪い。にしても、黒、声が高くないか?』

「仕事先で少し変装してるんだ。」

『それでか!』

 

祐礼は現在、人目を隠れる形で拠点として使っているある部屋にいた。

 

(・・・反転での力はどうしても体に影響は出来ても服まではなあ。)

 

おかげで姿を変える場合は、服の影響でどうしてもそのままでなくてはいけない。

七海との接触の後、祐礼はあることが確かめたくて血塗に電話していた。

 

「・・・・・虎杖悠仁と例の少年は接触したか?」

『ああ!ちゃんと、弟の頼み事を俺は遂行したからな!』

「・・・・ああ。ありがとうな。」

 

『それでな、夜1号で監視してたんだけど。虎杖とあの子、すぐに仲良くなって、そのまま家に夕食を食べに行ったみたいだぞ。』

(・・・・それについては筋書きと同じか。)

 

祐礼は予想通りのことに頷いた。このままならば、おそらく吉野順平は監視下に入るだろうが誤差の範囲だ。

 

『あと、虎杖たちの周りに不審な人影もなかった。』

「わかった、ありがとうな。」

『まあ、今回は夜1号も頑張ってくれたからな!』

 

夜1号とは、真依が新しく作った呪骸である。カラスの姿を模したそれは色々と特殊なものだ。

まず、カラスの姿をかたどったそれは偵察用に作ったもので視覚を術者とリンクさせることが出来る。生物の動きは元々、脳におこる電流だ。そこに目を向けた真依は、コントローラで動く、ドローンもどきの呪骸を作り出した。作り出した呪石を電池のように扱えば非常に利便性の高い偵察機になった。

何よりも、呪骸の核としているのは血塗の体から作り出したものだ。

 

(一回きりとは言え、血塗の術式を使えるのはいいな。)

 

意外、と言うほどではないのだろうが、血塗は何故かゲームなどの電気系統にやたらと強かった。元より、兄弟の中で一番人としてかけ離れた彼は家の中で暇を潰す方法というものに模索する必要があったというのもある。

おかげで、術式だけでなく、真依と合わさったときの彼らは隠密兵として非常に優秀だった。

祐礼はそれに素早く、これからのことを考える。

 

(七海の怒りは煽ったし、絶対に真人を追うだろうな。それが決まったら、そうだ、悠仁のことも誘い出さないと。)

 

人が死ぬ、いや、真人の所業を無視した時点で似たようなものなのだろうが。

それでも、祐礼はこれからの計画についてを考える。

 

『・・・・・黒?』

「うん?ああ、そうだ、ご苦労さん。監視についてはもう。」

『疲れてないか?』

 

思っていた数倍、優しげな声に祐礼は一瞬だけ動きを止めた。

 

「・・・・まあ、それ相応にな。」

『なんか、帰ったら食いたいものないか?兄者に頼んどくぞ。』

「ありがとうな。帰るときは、真依と灰原と一緒だ。だから、その時に頼むよ。」

『わかった!黒、安心しろよ!俺、お前の兄ちゃんだからな。もっと、頼っていいからな!』

 

黒はそれに、か細く、ありがとうと言い、そのままスマホを切った。

黒い画面に反射した少女は、沈んだ瞳でそれを眺めていた。

 

(・・・・・人質だ。悠仁をおびき寄せる、人質。)

 

けれど、すぐに思考は切り替わる。

 

(七海に呪霊と組む人間のことをアピールして、そうして餌である灰原のこともアピールした。次は、悠仁だ。)

 

祐礼はそんなことを考えて、スマホをさっさと仕舞った。

 



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ひとでなしが騙る


お久しぶりの投稿になります。
これで吉野の辺は終わりになります。

感想、評価、ありがとうございます。感想、いただけると嬉しいです。


 

 

 

「えっと、ごめん、誰にも会ってないんだ。」

「・・・・そっか。」

 

虎杖悠仁は目の前の少年、吉野順平の言葉にがっかりした。

虎杖は現在、とある川辺で吉野と話をしていた。というのも、呪霊の被害に遭ったと思われる人たちがいた映画館から無傷で出てきた少年が吉野であったためだ。

伊地知と共に彼を探していた虎杖はそうそうに吉野を見つけるに至った。

が、どうも吉野と、どうやら教師であるらしい男のやりとりに不穏なものを感じて割って入ってしまった。

虎杖は伊地知と連絡がつかないこともあり、映画館でのことを聞いた。

がっかりした様子の虎杖に、吉野はそういえばと口を開いた。

 

「でも、その、実は。人が死ぬところは、見たんだ。」

「え?」

 

吉野は言葉少なに映画館で見たことを語った。

 

「人間?」

「ええっと、うん。なんだか、怪物って感じじゃなかった。」

(・・・・人間、じゅそしってことか?)

 

虎杖は聞きかじった知識を考えて吉野に頷いた。相手が人間であるにしろ、ないにしろ、ともかくは自分が同行している七海に話をするべきかと、虎杖は考え込む。

その時、吉野が声を上げた。

 

「・・・・僕って、どうなるの?」

「え?」

 

吉野はどこか不安そうに視線を下に滑らせた。それに虎杖はそれもそうだと納得した。

彼もまた不安であるはずだ。こんな、意味のわからない状態では。

 

「えっと、安心してくれよ。順平は何にもしてないわけだし。ただ、俺たちも色々と調べなくっちゃいけないことがあるだけだからさ。」

「そっか・・・」

 

虎杖はそれにもう一度伊地知に連絡をしようかと悩んだ。その時だ、二人の頭上から声がした。

 

「あれ?」

 

振り向いたその先、河原近くの土手の上。そこには、どこか吉野に似た女性が立っていた。

吉野の母を名乗る彼女と、吉野のやりとりを見る上では二人は良好な関係であることを察して虎杖はどこか安堵していた。なんでも担任であったらしい先ほどの男性との雰囲気を見る上で、少しだけ大丈夫だろうかと心配していたのだ。

 

(・・・・家族、か。)

 

虎杖の脳裏にはもちろん祖父の姿と、そうしておぼろげになってしまった双子の兄のことを思い出していた。

鏡の中から抜け出してきたような、そんな姿の兄。写真の中での記憶と、祖父から聞いた話で構成されたそれは、それでも確かに虎杖にとって大事な思い出だった。

 

(五条先生も探してくれるって、言ってたけど。)

 

未だに、人を探すための術式だとか、呪具というものは見つかっていない。虎杖とて、己の兄が生きていないだろうことぐらいは理解していた。けれど、家族なのだ。祖父に頼まれたのだ。

何よりも、ずっと恋しいと思っていた兄なのだ。

せめて、見つけてやりたいのだ。お帰りと、ただ、言ってやりたい。

じっと二人のやりとりを眺めていた虎杖に、吉野の母が話しかけてきた。

 

「それで、順平の友達だっけ?夕飯食べてかない?」

「は?迷惑だろう!?」

「は?あたしの飯が迷惑だって?」

 

そのやりとりの後に虎杖の腹が壮絶になる。それに、吉野の母は食べていけばいいと言葉を言った。虎杖もそれに乗るかとうきうきしていたが、脳裏に金髪の痩躯をした男のことが

思い出された。

彼の、迷い子のような空気を思い出した。大丈夫だろうか、また、そんなことを思った。

彼は自分は大人であるからと言った。大人として、義務があって、子どもを優先しなくてはいけないのだと。

けれど、大人になったからといって、傷つかないわけでも、悲しくないわけでもないだろう。

 

「・・・・ごめん!吉野の母ちゃん、俺、これから用があってさ。誘ってくれたのにごめん!」

「そうなの?まあ、仕方が無いわね。」

 

虎杖は己の上に当たる七海建人の元に一端戻ることにした。何よりも、疑惑であった吉野から彼の同級生について話を聞くことは出来なかったことも伝えなくてはならないだろう。

 

「うん。吉野、それじゃあ、俺行くから。」

 

そう言って立ち去ろうとする虎杖に、吉野は慌てて声をかけた。

 

「待って!母さん、ごめん、先に帰ってて。」

「えーなに話すの?」

「いいから!」

 

吉野のそれに母親ははーいと渋々その場を去った。吉野はどこか気まずそうに、けれど、ぐっと背筋を正して虎杖を見た。

 

「どうかした?」

「・・・・虎杖君は、呪術師、なんだよね?」

「まあ、そうだけど。」

「どうして、呪術師になったの?」

 

何でも無いような言葉であったが、それに虎杖は固まった。吉野はそれも気にすることなく、言葉を紡いだ。

 

「呪術師ってさ、呪霊だけじゃなくて、人間も相手にするんだろう?悪い人であっても、誰かを殺すかもしれないのに?」

 

その言葉に虎杖は一瞬だけ、言葉を失った。

それは、確かにそうだろう。自分は正義の味方ではなくて、あくまでこれは人という存在の生存戦略に等しい。

呪術師には後悔が多い。脳裏に浮かんだのは、やはり金の髪をした男の姿で。迷子のように、遠い昔の誰かを探す彼のことで。

自分はどうだろうか。何を、後悔するのだろうか。

虎杖はそんなことを考えた後、苦笑交じりに言った。

 

「それでも、立ち止まれなかったんだ。俺はきっと、立ち止まるよりも、進み続けた方がまだ、後悔しないと思えた。」

それだけ、なんだ。

 

苦笑交じりの虎杖のそれに、吉野は目を伏せた。そうして、虎杖は言葉を続けた。

 

「もしも、悪い奴を相手にするとしても、俺は殺したくないなあ。」

「そんなことが出来るの?本当に悪い人なら、殺すことだって選択の内だ。」

「・・・・それでも、殺したくない。」

 

一度人を殺したら、「殺す」って選択肢が俺の生活に入り込むと思うんだ。命の価値が曖昧になって、大切な人の価値までわからなくなるのが、俺は怖い。

 

虎杖のそれに吉野は、ああと頷いた。頷いて、小さくありがとうと言った。

 

「ありがとう。」

「どうしたんだ、順平?」

「・・・・虎杖君のおかげで、僕も決めたよ。」

 

僕は、誰も呪わない。誰かを呪うよりも、大事な人のために頑張りたいと思うんだ。

 

虎杖には、その言葉の意味がわからなかった。ただ、なんだかやたらとすがすがしい笑みであることだけは理解した。

 

 

 

「あの、七海さん、大丈夫ですか?」

 

七海の後輩に当たる、猪野琢真の言葉に七海は言葉少なに返事をした。

 

「なんの異常もありません。」

「そうっすか。」

 

そんな言葉を言っても、お世辞にも大丈夫、などとは言ってられない様子だった。

猪野の心配などをよそに、七海の中では嵐が吹き荒れていた。

 

とても使い勝手良いから。

 

少女の言葉が彼の中で反芻していた。

 

(生きていた!)

自分を庇って死んだ男。明るくて、朗らかで、自分とは正反対の少年。すっかり老けてしまった自分と、記憶の中で太陽のように微笑む彼とのギャップに苦笑した。

生きているのだ、そうだ、心に熱がともる。嵐が吹き荒れて、まるで燃えるように体が熱い。

 

会いたい。

 

胸の内にあるのはそれだけだった。

灰原、灰原、どうしてあなたはそっちにいるんだ?あなたの家族は、ひどく心配していました。妹さんは、泣いていました。

私に会いたくないから?

ああ、そうだというなら、自分は二度と、あなたに会おうなんて思わない。生きているだけで、呪術師なんて辞めてもいい。

ただ、一度だけ、一度で良いから。自分は、あなたに。

反響する心の中で、どす黒いものが沸き上がる。

灰原という彼は、何よりも善良だった。太陽のように明るくて、朗らかで、誰かを助けることの出来る人間だった。

ならば、なぜ、そんな彼が帰ってこないのか?

 

(あれのせいだ。)

 

脳裏に浮かんだ、少女の姿。甲高い、忌々しいほどの声。そうだ、あいつらだ。あいつらのせいで、彼は帰ってこないのだ。帰ってこれないのだ。

今まで味わったことのない怒りだった。純粋な、何もかもを燃やすような、そんな怒り。

なんとしても、あの呪霊を殺さなくては。そうして、あの少女から聞き出さなくてはいけない。

 

(灰原・・・・)

 

もしも、赦されるというならば、どうか。話をさせて欲しい。今まで、散々に積み上げた、大人になれきれない己の話を。

 

 

 

里桜高校に報告にない帳が下りた。それに虎杖は慌てて昨日携帯番号を交換した吉野に電話した。

 

『もしもし?』

「あ、順平?ごめん、俺だけど。」

『虎杖君?どうしたの?』

「いや、ごめん。昨日の今日だからさ。なんかなかったかなって。」

『なにか?特には、なにもないよ。母さんも仕事に行っちゃってるし。』

「そ、そっか。なら、いいんだ。」

 

虎杖はそのまま電話を切った。どうやら吉野たちの方にはなにもないようだ。伊地知からもあちらに人をやると言ってくれている。ほっとしている虎杖の電話が鳴った。吉野かと画面を見たが、そこには非通知の文字が躍っている。

 

「はい、もしもし?」

『ふ、あはあははははははははは!』

 

電話に出た瞬間、虎杖はその甲高い声に固まった。それはひとしきり、けたけたと笑うと、言葉を走った。

 

『ねえ、あんた、虎杖悠仁でしょ?』

「えっと、そうだけど。あんた、誰?」

『あたしはね、赤っていうんだ!ねえ、悠仁、あのね、あたし、あんたに話があるんだ!』

 

どこか幼い声音に虎杖はなぜ、こんな少女から電話が来ているのか疑問に思う。何を言うのかと思っている中、虎杖の耳にとんでもないものが滑り込んできた。

 

『ねえ、ゲームをしない?あんたが大好きな、人間の命をかけたゲームよ。』

「何言って・・・・・」

『えっと。あいつ、七海だっけ。そうだ、ナナミンって呼ぼっか?ナナミンに前の、遊ぶ約束果たしに来てって言っといて。里桜高校で待ってるから。逃げたらね、たくさん死ぬんだ!楽しいから。』

思いっきり、遊ぼうね?

 

蜜のように甘くて、悪魔のようにまがまがしい言葉が、虎杖の脳裏をのかすように囁かれた。

 

 

 

「・・・・ほんとに来るわけ?」

 

体育館の舞台の上、そこに据わった真人はうろんな瞳で、隣に佇む少女を見た。彼女は、ええと笑った。

 

「きっと来るわ!黒がこう言ったら来るって言ってたもの。だから、大丈夫よ。それに、この短時間じゃあ五条も来ないわ。」

「ふーん?」

 

真人は気だるそうにため息を吐いた。

虎杖悠仁を追い詰め、両面宿儺に有利な縛りをつけるという話は一応流れた。黒からの助言で、両面宿儺がそういった要求に応じるかもわからず、下手な煽りは不利益を被る可能性もある。

けれど、真人としては虎杖に対して興味があったし、自分が責任を取ると言うことで接触を図っている。一応、協力者である呪詛師も今回のことには無関係だ。

 

「にしても、すごいねえ。」

 

真人はぐるりと体育館の中を見回した。そこには、眠りこけている幾人もの生徒や教師が転がっていた。

 

「いいでしょ?呪具なんだけどねえ。眠らせるだけだけど、こういうときは便利なんだあ。」

そういって、赤はそっと香炉の蓋を閉めた。辺りには甘い匂いが立ちこめている。

「ああ、そうだ。真人は一旦、校舎の方にいなさいよ。」

「えーなんでさ?」

「いいの、最初は私が戦うって決めてたんだから!」

 

真人は己に命令するそれに一瞬だけ苛立ちが募ったが、すぐにはいはいと頷いた。真人も、やりたいことがあったためそれでいいと納得したのだ。

 

 

 

頭の中で幾度もシミュレーションしたことを、祐礼は巡らせた。

彼がいるのは、本来ならば吉野がいたはずの体育館の舞台の上だ。現在、幼い少女の姿をしているが、それでも大丈夫な程度に準備は進めた。

生徒たちを犠牲にするし、虎杖の覚悟と認識のために、自分はひどいことをする。けれど、とっくに覚悟は決まっていた。

ばん!

体育館の扉が開いて、まるで鏡の中から出てきたかのような、自分とうり二つの少年が飛び込んできた。

 

「何してんだ!お前!?」

 

それに祐礼は穏やかに微笑んだ。当たり前のように、本当に、軽やかに微笑んで見せた。

そうだ、これもまた、大事な演目の一つ。自分の望む結末のために、己が選んだ過程の一つ。

演じることには慣れている。

 

「ふ、あははあはははははははは!よかった!来てくれたんだ、私ね、赤って言うんだ。それじゃあ、お兄ちゃん。」

私と、遊ぼう?

 

そういって祐礼は、赤の仮面を被って、天使のように微笑んだ。

 

 

 

 

「ふ、あははははは。ねえ、のろまね!だめよ、もっとちゃんと当てないと!?」

 

校舎の中にけたたましい赤の声が響き渡る。

体育館にて眠り続ける生徒たちの中に一人の少女の姿を見つけた後、虎杖は逃げ出した彼女の後を追った。

校舎の中に逃げ込んだ赤は虎杖に向けた日傘を振りかぶる。

たたき付けられるそれは、華奢な日傘にしては明らかに、重い。まるで鉄パイプにでも殴りつけられたかのような衝撃が走る。

 

「な、なあ!君、なんなんだよ!?さっきの電話だって、意味は?」

 

狭い廊下の中を赤は壁や天井を蹴り、体をひねって虎杖を攻撃する。が、虎杖としては赤を攻撃する気にもなれない。

それがどう見ても善良でないことは理解できても、まだ年端もいかない幼い姿をしているのを見ると殴りつけることができない。

そのため、必死に捕まえようと赤の姿を追うが、彼女はまるで宙に浮いた木の葉を掴もうとするときのようにするりと虎杖の手のひらから逃れた。

 

(どうなってんだ?)

 

赤はその傘をたたき付ける瞬間や蹴りつける瞬間はまるで石のように重く、けれど回避をする瞬間は木の葉のように躱してしまう。

 

「守ってばっかじゃ意味ないんだけど!?」

 

少女は突き出された虎杖の手を避け、足下に降り立った。そうして、すくい上げるように虎杖の足を払った。転がるように後ろに倒れ込む。赤はそれに正面から足をたたき込んだ。そうして、虎杖の上に片足を置き、そうして日傘を彼に突きつけた。

 

「ねえ、ふざけてんの?」

「ふ、ふざけてるって言われても。」

「あのね、私とあんたは敵なの。だから戦ってるのよ?わかる?あんたは私を殺す気で来なくちゃいけないの。」

「だから、電話のあれだって意味がわからないんだよ!何がしたいんだ!?」

 

そうだ、虎杖にとって状況が飲み込めなかった。

電話で聞いた声は確かに幼かった。何か、ぞわりと嫌な予感に突き動かされるように走り出したものの、そこで見た幼い姿に固まってしまった。

今でさえも、戦っていいのかわからない。それに呆れたように赤はため息を吐いた。

 

「はあ、ほんとつまんない。虎杖悠仁、あんたさあ、自分がどうして器になったのかちゃんとわかってんの?」

 

その言葉に虎杖は眉間に皺を寄せた。

その言葉は、明らかに可笑しいはずだ。まるで、自分が誰かに器にされたかのような言い方じゃないか。

 

「ど、どういう意味だよ?」

「なによ、知らないの?自分が、何者なのか。」

 

退屈そうな少女のそれは、まるで仮面が剥がれ落ちたかのように。それこそ、表情という仮面が剥がれたかのような、能面じみたそれ。

 

「忌々しいことに貴様は選ばれ、生み出されたのだ。己の役割を違えるな。器よ、血潮の末よ。」

 

その言葉が虎杖には意味がわからなかった。

生み出された?選ばれた?

いいや、自分は、確かに選んだはずだ。そうだ、あの日、両面宿儺の指を食べたのは、自分の選択のはずだった。

 

本当に?

 

少女の、その瞳を見ていると、胸の奥ががたがたと揺れ始める。本当に、そんな単語が幾度も反芻した。

ぐらつく思考の中に、何かの悲鳴が上がる。

虎杖は赤の後ろを思わず見た。そこには、怯えた様子の男子生徒がいた。赤は面倒そうに虎杖の側からのいた。

少年は狂ったように近くにいた赤に縋り付いた。

 

「た、頼む。助けてくれ!化け物が!」

 

虎杖がそれに答えようとしたとき、いつの間にか近づいていたらしい赤は、その男子生徒を階段方向に吹っ飛ばした。

ひしゃげた音を立てる男子生徒になど目もくれずに、赤は階段の先に目を向けた。

 

「真人、それなに?」

「なんか教室に残ってたみたいでさ。お前のが終るまで遊んでたんだよ。」

「ふうん?」

(人間?)

 

やってきた灰色の髪のそれに虎杖は体勢を整えた。男子生徒は尋常ではない様子で、今度は虎杖に助けを求めた。虎杖が男子生徒に駆け寄ろうとした瞬間、真人と呼ばれたそれは手を前に突き出した。

ぐにゃりと、腕が変形し、それは窓に虎杖をたたき付けた。それに、虎杖は己の短慮さを理解する。

そうだ、継ぎ接ぎ顔の、人の姿をしたそれ。

 

(ナナミンの言ってた、呪霊!)

「逃げろ!」

 

反射的に叫んだそれに男子生徒は逃げ出そうとする。けれど、その近くに立っていた赤が何の躊躇もなく、その男子生徒の腕を日傘で殴った。

ごきりと、嫌な音がした。

 

「うん、じゃあ、君も。寂しくないように友達と同じになろうか。」

 

たんと、男子生徒の方に真人は手を置いた。

 

無為転変

 

ぐにゃりと、その少年の体は幼子がいじくった粘土のように変わり果てる。

 

それに、虎杖は呆然と見入っていた。

 

何か、ああ。

人から変わったそれは、軋んだ音を立てて、拘束の解かれた虎杖に飛びかかる。

助けなくては。

殆ど、面識のないそれ。

これから死んでしまうそれ。人から、人でない何かに変わってしまったように見えるそれ。

ああ、助けなくては。

衝動が、虎杖を支配する。

助けなくては、助けてなくては。

だからこそ、虎杖は両面宿儺にそれを懇願した。

本当に思ったのだ。

助けてなくてはと思ったから、自分の何もかもを、捧げてもいいから。

 

嘲笑が、響き渡った。

両面宿儺の声が、真人の声が。

そうして、幼い少女の、甲高い、笑い声がした。

 

「ふ、あははははははははは!何、余計な邪魔が入ったかと思ったけど。最後に、笑わせてくれたから褒めたげよっかなあ?」

 

視界の端で、子どもが、それが、悪辣に笑っていた。

それに、虎杖は理解した。

これは、だめだ。

人であるとか、人でないとか、そんなことは関係なくて。

呪いでしかないものたち。そうして、人であるのに、性悪なもの。

ああ、これは、殺さなくてはいけない。

 

ブッ殺してやる。

 

それは、掛け値なしの、虎杖悠仁というそれの本音であった。

その言葉に、その表情に、悪辣に笑う少女の仮面の下で、少年が一人、悲しそうな顔をしていた。

 

 

 

(・・・・必要があった、そう言えば済む話ではないな。)

 

表面上はゴスロリの衣服を纏った、愛らしい少女は校舎の二階部分で校庭で起きている惨状を眺めていた。

今回の件で真人と虎杖をぶつける気ではあった。

先ほどの反応、見目が少女だからといってあそこまで舐めた、とは言わないが油断してもらっていては困るのだ。

虎杖のあり方は出来るだけ守る気ではいる。けれど、虎杖自身の強さによって死ぬ可能性は十分に考えられるのだ。

ならば、必要最低限の覚悟も、実力も、そなえてもらわなくてはいけない。

 

「戦いに必要なのは、強さもある。だが、それ以上に戦う意思をもてるかどうかだ。」

 

祐礼は、脳裏で、爆発的な殺意を自分に向ける弟のことを思い出した。

できるだけ、とは思っている。けれど、それでも、祐礼の脳裏には己の望みのために踏みつけにした誰か、名前さえ知らないエキストラの顔が浮かんでいた。

真人によって犠牲になった誰か、学校で死んだ彼。今まで、散々に犠牲にした誰か。

それに祐礼はあざ笑うように微笑んだ。

ああ、くだらない話だ。

そんなものへの罪悪感など、持っている暇などないくせに。

自分が助けた吉野と、先ほど死んだ男子生徒になんの違いがある?

強いて言うならば、虎杖が傷つかないように。そうして、自分の勝手な微かな愛着。

笑える話だ。そんなものを持つ資格さえ、ないだろうに。

 

(そうだ、悠仁、強くなれ。最低限で良い。そうして、自分が何者であるのか、立ち位置がどこにあるのか。疑問に思え。)

 

両面宿儺の器とは、自然発生であり、偶然の中で生まれたのか?

その疑問を持ってもらうために、今回祐礼はわざわざ彼の目の前に現れたのだ。

 

(悠仁はそれを五条に告げる。彼に告げれば、夏油や、その他にも伝わるはずだ。あとは、黒鷲を使ってたきつけるか。)

 

呪術界隈で、段々と五条家と加茂家の二つと、禪院家での対抗的な図が出来ている。今はまだ、禪院直毘人が当主を務めている間はいいだろう。が、彼が死んだその時は?

 

(次の当主は、誰にするのが得策か。)

 

祐礼はぼんやりそこまで思考して、ふと、校庭での戦いが大詰めに来ているのに気づいた。

虎杖と真人が校庭に飛び出して戦っているのは遠目に見ていた。七海がそれに加わったのも遠目に見ていた。

赤の気まぐれさについては真人も知っているため、戦いに加わらずとも何も言わないだろう。

祐礼はスマホを取り出して、電話をかける。

 

「もしもし、準備はいいな?」

 

タイミングは、もうすぐ訪れる。

 

 

 

虎杖ががんがんと、真人の領域を叩く音がする。

七海はじっと目の前の真人を見た。自分の詰み具合については自覚していた。

死ぬ、目の前でそれが立っている。

呪術師はくそだ。だから、逃げた。

自分では何も出来ないと思った。救えないものというものを、目の前でまざまざと見たものだから。

だから、逃げた。けれど、七海はここに戻ってきてしまった。

 

ありがとう

 

そう、言われた。ただ、そんなことを言われただけで。自分が呪術師になろうとおもったきっかけなんて思い出せない。呪術高専に入ろうと思った理由さえもおぼろげだ。

ただ、自分と同じものがいる場所に行きたかったのか。

けれど、逃げ出す理由だけは覚えていた。

 

(そうだ、生きて。)

 

思い浮かんだ、後悔。己の無力さの証。苦い、苦い、青い春。

 

「死ね、ない。」

 

七海は最後まで抵抗するために、眼鏡の奥で真人をにらみ付けた。

 

自分は、死ねない。彼を、灰原を、まだ、確かめていない。彼に、会えるかもしれない。

ならば、自分は。

「生きなくては、いけない!」

 

呪術師の死には後悔がつきまとう。それは、裏を返せば、呪術師の死には後悔が必要となる。ならば、七海は死ぬべきだった。七海の運命は、死であったはずだ。

彼の中に、悔いが生まれてしまったから。

けれど、どんなことにでも、イレギュラーは存在する。

 

がしゃんと、領域が崩れる音がした。上から、少年と、少女が一人ずつ落ちてくる。

 

「あ、真人、ごめん!」

 

明るい声の、その後に、真人の体が切り裂けた。

 

両面宿儺によって傷つけられた真人に、崩れていく領域に、虎杖悠仁は本能のように、目の前のそれが殺せると認識した。

走ったその先で、真人ははあとため息をつき、残った呪力を自分に込める。それに、虎杖は純粋な殺意を込めて、拳をたたき込んだ。破裂した真人はそのまま下水に逃げ込んだ。

 

「赤、お前のせいなんだから、一人で帰れよ!」

「わかってるわよ!ごめんって!」

 

七海は、その時、真人を捨てた。追いつける可能性を考えて、近くにいた少女に焦点を当てる。

何よりも、その少女には聞くことが多すぎる。

 

「逃がしません!」

 

七海の手が、少女に迫る。捕まえられる、そんな確信があった。けれど、それに反して、どこかで懐かしい声がした。

 

「・・・・埴安の術、天岩戸。」

 

それと同時に、七海と少女の間にまるで膨れ上がるように土の壁ができあがる。それに吹っ飛ばされる形で、七海は転がった。

覚えがあった、それは、その声に、その術式に。

 

「すいません!ちょっと、この子、連れて行かれるわけにはいかなくて!」

 

明るい声だ、暑苦しくて、けれど温かな声だ。

古い、ずっとしまい込んだ記憶の中で、忘れかけていたそれ。

聞こえてきた、土壁の上に七海は視線を向けた。

 

「灰色、遅い!」

「仕方が無いだろう、黒に言われて急いできたんだから?」

 

黒い髪に、まるで時が止まったかのような、その顔立ち。

「灰原!」

七海は、叫んだ。友の名前、ずっと、求めていた、その顔に。その言葉に、灰原ははてりと首を傾げた。

 

「赤、この人って俺の知り合い?」

「しらなーい。それより、早く逃げるわよ!」

「そうだね。えっと、ごめんね、お兄さん。俺、逃げないといけないから。」

 

灰色、灰原は七海が行動を起こす前に、サングラスをかけて閃光弾を地面にたたき付けた。

 

 

 

『もしもし、黒?赤のこと、送り届けてきたよ。』

「ああ、ありがとう。すまんな。」

 

『いいけど。あ、そうだ。迎えに行った先で、俺のこと、知ってる人に会ったんだけど。』

 

祐礼はそれに、少しだけ体を震わせた。

 

「・・・・気になるか?」

『・・・・いいや。大丈夫。それじゃあ、真依たちと待ってるから、早めに帰ってるからね?』

 

灰原はそれだけを言って、電話を切った。

祐礼は、赤の変装を解き、借りているアパートでスマホを見た。

決めていたことだ。

ここで、本格的に灰原の存在をアピールすること。

 

(これで、七海は本格的に戦いに引き込める。灰原のことは、夏油にも餌になるだろうから。悠仁も、呪霊への憎悪を駆り立てられたか。そうだ、線引きは出来た。一皮むけられるか。)

 

祐礼はつらつらとそんなことを考えた後に、ふと、自分が見殺しにした人々の顔が思い浮かんだ。

そうして、微かな頭痛。

 

(・・・疲れてるな。)

 

祐礼はそう思い、次に向けるために少しの休息を取ることにした。

 

 

 





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父親気取りが騙る

甚爾と黒鷲の話。

次で交流戦編になります。

感想、評価、ありがとうございます。感想、いただけると嬉しいです。


(・・・・空が、高いな。)

 

虎杖悠仁はぼんやりとそんなことを考えた、目の前に広がるのは、高く広がる青空だ。

ふわりと感じる浮遊感に虎杖は少しだけ夢を見ているような心地がした。

が、そんな感覚などつかの間のこと。

ぞわりと感じた殺気に虎杖は改めて覚悟を決めて体をひねった。地面にそのまま衝撃を殺して降り立った。

 

「気を抜くなんざ、余裕があるじゃねえか!?」

 

自分に突進してくる、黒髪の大男の姿に虎杖は思いっきり上に飛んだ。そうして、その勢いのままに宙で体をひねり足に力を込める。

 

「あめえ!」

 

男、伏黒甚爾はその足を掴み己の方に引っ張る。

 

(予想通り!)

 

虎杖は囮とした片足を軸に反対の足を振りかぶる。が、甚爾はそれにゆるりと笑った。そうして、掴んだ虎杖を思いっきり地面にたたき付ける。

 

(やば!?)

「そこまで!」

 

そんな声と共に、ふわりと明らかに物理法則を無視した浮遊感が虎杖と、そうして甚爾を襲った。

ぐるんと、内臓がひっくり返るような不快感の後、虎杖は自分が空に落ちていることを理解した。それを理解したらしい甚爾は虎杖から手を離した。それを合図に、虎杖はまたぐるんと体が回ることを理解した。そうして、今度こそ自分が地面に向かって落ちていることを理解し、そのまま着地した。

 

「おい、黒鷲!」

「なんだ、坊主?」

 

甚爾はグラウンドの端、校舎に上がるための階段に腰掛けた白髪の老人に声を上げた。

 

「さすがに死にそうなのは放っておけないだろう?」

 

きゃらきゃらと笑う老人の声に甚爾はぶすくれた顔をした。それを息子である伏黒恵は呆れた顔で、そうして釘崎野薔薇は引いた顔をしていた。

 

「すげえな、あいつら。」

「しゃけ。」

 

呪術高専の二年生であるパンダと、そうして狗巻棘は頷いた。そうして、階段の一番上で仁王立ちの禪院真希が醒めた目で見ていた。

もう数日で京都の姉妹校との交流会が迫っていた日のことだった。

伏黒甚爾は何故だとぼんやりと思った。何故高専にて臨時講師をしている自分にくっついて黒鷲がこの場にいるのかを。

 

甚爾は目の前で男を見た。鬼の仮面を被ったその老人は唯一露出された口元をあげて言葉を発した。

 

「なんだ、すねるな。アメいるか?」

「・・・・いらねえよ。」

「そうか。そりゃ残念だ。」

 

老人、黒鷲はにこにこと笑って袖から何かを出そうとするのを止めた。

 

「にしても、禪院の少女、だいぶ腕が上がっているな。やはり、お前さんに頼んで正解だった。」

 

目の前では、禪院真希と伏黒の殴り合いが発生している。伏黒もそこそこやってはいるが、肉体的な意味で真希が勝っていた。

 

「礼を言う、甚爾。本当に助かった。さすがだな。」

 

ありきたりな、礼の言葉。簡素な、賞賛の声。それは別段、珍しいものではない。けれど、その言葉を心のどこかで嬉しいと思う自分がいた。

 

 

 

黒鷲という男と伏黒甚爾が出会ったのは数年前にまで遡る。

天元の適合者を殺し、自分をはめたらしい勢力について調べていた時のことだ。

 

「よう、兄ちゃん。ちょっとお話しいいかな?」

 

刈り込まれた白髪に、好々爺然とした空気、そうしてさびねず色の着流しをしたそれはどこかしゃれっ気のある老人のように見えた。けれど、その顔の上半分を覆った鬼の面が異質だった。

その登場の仕方に、甚爾は自分に誘いをかけてきた男のことを思い出す。甚爾の警戒心を察したのか、老人はまあまあと落ち着かせるように手を振った。

 

「そんな顔をするな。俺は五条の共犯者だ。」

 

その言葉に甚爾は少しだけ体から力を抜いた。五条から協力勢力の存在は確かに聞いていた。人気の無い路地裏で、それはキセルを燻らせてそれは甚爾の前に立っていた。

 

「・・・黒鷲ってのはてめえのことか?」

「そうだ。おお、よかった。連絡が行ってるのか!」

 

口元に笑みを浮かべてそれは甚爾に言った。が、甚爾は眉間に皺を寄せた。

 

「それで、てめえは俺に何の用がある?」

 

甚爾はそう言って頭を巡らせた。五条の話からして目の前のそれは相当古くから続く集団のようだった。

甚爾も伝手を頼り、それについて調べているがまったくといって良いほどその名前を知るものはいなかった。

 

(何が目的だ?)

 

生ぬるい夜風が己の頬を撫でる。現時点で、わざわざ甚爾に接触する理由。

考えられることとして個人的な依頼が妥当だろう。情報を自分単独で渡すとは考えられない。甚爾がこうやって彼らとの敵対を選んでいるのは、偏に怒りだ。

こけにされたという事実、そうして、頭のどこかで微かにちらつく少年の横顔。

甚爾はそれを振り払うように眼を瞬かせた。

 

「それで、わざわざご丁寧にご挨拶にでも来たのか?」

 

老人は、黒鷲は、一瞬だけ黙り込んだ。仮面越し、その目を甚爾は探るようにのぞき込んだ。

 

「・・・・いや、お前さんのことは昔から知っていた。色々とな。そうだな、いや。ただ、昔から会ってみたかっただけだな。」

 

どんな理由だ、そう問いたくなるような返答をした後に、老人はキセルを吸った。吐き出した煙は、するりと空に昇っていく。

 

「身内に止められててな、諸事情で。だから、そうだな。それだけなんだ。甚爾よ。」

俺は、お前に会いたかったんだ。

 

その声はひどく穏やかだった。まるで、まるで。

何か、その声に思い出しそうになる。蓋をした記憶をこじ開けるような、そんな感覚に襲われる。

その声に、似た印象を受けるものがあった気がした。けれど、甚爾はそれを振り払おうとした。

黒鷲は変わることなくじっと甚爾を見ていた。

 

 

 

 

それから黒鷲はふらりと甚爾の元を訪れた。それは、調査の依頼であったりしたが、それでも訪ねてくると、時折食事へ誘ってくることがあった。

居酒屋だとか、なんとも気軽に、飯を食いに行かないかと誘ってくる。その意図がわからない。何を思って、そんなことをするのか。

五条悟と連絡を取った折に老人の様子を言えば、彼はそんなことを誘われたことはないと言った。

黒鷲にも一度、食事に誘う理由を問うたことがある。それに彼は一瞬だけ笑みを浮かべた後、飄々と言ってのけた。

 

「あいつら、可愛げ無いからな。」

「なら、俺にはあんのかよ?」

「そうだな、まあ、他よりはな。」

 

そう言ってゆるゆると笑う黒鷲はいつも、何かを含んでいるような気がした。

けれど、不思議と甚爾は黒鷲の誘いを断る気にもなれなかった。認識の上でゆがみを起こすらしい仮面を被った老人と食事に時折出かけた。

 

ただ飯だ、人の金で食べる飯は旨いだろう?

 

そんなものだ。黒鷲はたわいもない話をよくした。一般的なニュースだとか、そんなことをよく話した。酔っているのか、酔いもしないのか、酔っていないのか、わからない挙動のままで老人は話をした。

その老人はよく甚爾の息子と義理の娘の話もした。

いつの間にか二人と仲良くなり、爺業に勤しんでいた。甚爾としては阻止しようとしたが、十種影法術を持つ伏黒恵について釘を刺されると口を閉じてしまった。

元より、くもたちは伏黒の術式を狙っていた。老爺が彼の周りにいるのを見れば、攫われることへの牽制には成るだろうと言われれば納得は出来た。

何よりも、その爺は伏黒の家に行っては子どもたちを何かしら甘やかした。

聞いた話では、春には桜を、夏には海を、秋には紅葉、冬は雪遊びを。

数度か、そんなことに付き合ってやったというのだ。

何がしたいのかわからなかった。他にするためのアピールにしては明らかに過剰だった。

へたをすれば、甚爾まで引きずって行かれることもあった。

五条たちはそれ自体を止めることはなかった。事実、黒鷲とは友好な関係を築きたがっていたし、子どもたちとの会話で素性を知るヒントがあればと考えていたようだった。

何よりも、幼い子どもたちのささやかな楽しみを邪魔したくなかったのだろう。

 

断るのならば、断ってしまえば良かった。行かないだとか、そんなことも言えた。

けれど、いつの間にか仕方が無いと引きずられていった。

珍しく家に帰った折にくつろいでいれば、それは楽しそうに自分を見下ろすのだ。

 

「なんだ、せっかく天気が良いんだ。ちょいっと、外にでもいこうや。」

 

時折のことだった。そう言って、本当に、たまにそれは自分や子どもたちを外に連れ出した。

家族やら、恋人たちがひしめくそこに子どもと行くのはどこか滑稽で。それでも、老人がこいこいと手招きをすれば、仮面から垣間見える眼を細めるのを見ると、何かを思い出した。

何か、胸の中でぐるぐるとした。

何かを思い出しそうになる。その何かを思い出しそうな感覚が不快で渋々従った。

 

その老爺が自分を呼ぶ声に、自分を見る目に、自分にかける声に、何かを思い出しそうになる。けれど、それが何かを思い出せずに、何か不快で止めてしまう。

そうして、その日、甚爾は己の不快さの理由をようやく知った。

 

その日、甚爾はその老人に誘われて食事をしていた時のことだ。カウンター席で食事を食べていたときのことだ。

隣にいた酔っ払いがこんなことを言ってきた。

 

なんだ、兄ちゃん。親父さんと飲みかい?

 

そんなことを冗談染みて言われた。別段、違和感のない言葉だった。年の離れた親子に見える程度の年齢差はあっただろう。

けれど、その時、何故か甚爾は固まってしまった。固まった甚爾の代わりに、黒鷲は答えた。

 

「おお!自慢の息子だ!」

 

それが冗談染みたものだったことぐらい、わかっていた。けれど、甚爾はがたりと勢いよく立ち上がり、そのまま店を飛び出した。

 

(なんだ?)

 

ぞわりと、嫌な感覚だった。なにか、不快感と言える何かが湧き出してくる。ふらふらと、どこともしれずに歩き続けた。何に、そこまで感じるのか、わからなくて。

 

(なんだ、俺は。何を、そんなに・・・・)

「おい、甚爾、大丈夫か?」

 

声がした。とっくに、馴染んでしまった声だった。聞き覚えのある、老爺の声がした。後ろから聞こえてくるその声に、思わず立ち止まってしまった。

まるで、縫い止められたかのようだった。

 

「甚爾、すまん、不快だったか?」

 

それに甚爾は黙り込んでしまった。不快、そんなことを感じるような感覚など残っていたのか?

それでも、腹の中で、何か不快なものが渦巻く気がした。

そのまま、どこかに行こうとした。そのまま走り去ろうとした。けれど、黒鷲の声に立ち止まってしまった。

 

「甚爾、こっちを向けよ。」

 

仕方が無い子どもにかける声音だった。いつもなら、無視するような声音だった。けれど、それに甚爾は振り向いた。

夜の中で、老爺は変わることなく笑っていた。優しげに、穏やかに、それは笑っていた。

それから目が離せなかった。何かが、己を満たした。何かが自分に注がれている。

それに、ああと、甚爾は気づいた。

その目に宿ったものが、何であるのか。

 

甚爾くん!

 

記憶の中で女が笑っている。自分に、これ以上にないほどに、向けられたことのない感情を注いだ女。

 

知っている。その目に宿った感情の名前は、慈しみであって、優しさであって、そうして、いっそのこと、愛と言えるものであるのだと。

そんなものを注いだ女がいたものだから、甚爾はその目に宿ったものが何であるのかと知った。

 

「てめえは、なんなんだ?」

 

低く押し殺した声に黒鷲は困ったように笑って袖に両手をしまい込んだ。

いつも通り、それは微笑んで、どこか苦笑染みたそれで甚爾を見た。

 

「唐突に、どうしたんだ?」

「どうして、俺に会いたかったんだ?」

 

甚爾はまるで熱にうなされるようにくらくらとした感覚でそう言った。珍しい感覚だ、まるで体の中の何かを燃やすように気分が悪かった。

 

「・・・・俺は、てめえの息子じゃねえ。」

 

反射のように口から出たのはそれだけだった。どうして、そんなことを言ったのかわからない。口から漏れ出た、拒絶の言葉にそれは手を顔で覆った。

そのせいで、顔はよく見えなかった。が、黒鷲はくるりと甚爾に背を向けた。

 

「・・・・すまんな。俺の、ままごと遊びに付き合わせた。」

 

掠れた声だけが聞こえた。己に背を向けた男の顔はよく見えない。ただ、わざわざのぞき込むようなことも出来なかった。

気分が悪かった。その老爺に宿っている瞳が、言葉通りなら、自分を息子のように思っていることも、全てが気分が悪かった。

全て気分が悪いのに、目の前の男を傷つけようだとか、この場から去ろうとは思えない自分がいた。

 

「・・・・己の人生などないようなものだった。生まれた頃から決められた。俺は、覚悟も諦めもあったが。そうだな、昔、お前さんに会ったこともあるんだ。覚えてないだろうがな。その時、思ったんだ。気色悪いだろうがな。」

 

黒鷲はそう言ってくるりと、微笑んだ。

苦笑の混じった、けれど、優しくて暖かな、甚爾にとって最も遠いどこかにある笑みだった。

 

「こんな息子がいりゃあ、きっと、鼻が高いだろうなあ。なんてなあ。」

夢を見たと言うには、願うほどのことでもねえ。ただ、お前さんみたいな、賢しく、強く、へそ曲がりが息子だったら。きっと、俺は心の底から嬉しかったと思うんだ。

 

優しい声がした。優しくて、柔らかで。

甚爾は、陥落するように跪いた。

くらくらする、熱に浮かされたように、甚爾は黒鷲のことをにらみ付けた。

どこかで似たような話を聞いた気がした。生まれたころから決められた人生で、決まった人生。自由など無く、恵まれていたかもわからない男の人生。

思い出す、何かとダブっていた。

跪いた甚爾に、黒鷲はそっと近づいた。そうして、彼は甚爾の大きな体を抱きしめた。

柔らかな女の体ではない、小さな子どもの熱ではない。

それは、甚爾の知らない感覚だった。

自分よりも小柄とは言えたくましい体つき、固い体、体温の低いそれ。

甚爾は固まった。気色悪いとはねのけてしまいたかった。なのに、甚爾は目を見開いて、固まった。

振りほどいて、いっそのこと殴りつけてやれば良かった。なのに、抵抗できない自分がいた。

知らない感覚だ。当たり前だ、甚爾の人生で、そんなに優しく、何の欲もなく、慈しむように抱きしめてくれた男なんていなかった。

そっと、節くれだった手が自分の頭に乗せられた。するりと、頭を撫でられた。

子どものように頭を撫でられた。

それに甚爾は、己の心を理解する。

甚爾も、少しだけ、思っていたのだ。

気安くて、明るくて、歩み寄ってくることはあっても甚爾のことを遠くから見ているだけで。けれど、拒絶しているわけでも、どうだっていいわけでもなくて。

どこか、甚爾が望めばいくらでも腹を見せた。酒の席でくだらない話をした。孔時雨ともそんな話をしたこともあった。

けれど、彼とは違った。その老爺はいつだって、甚爾のことを慈しむように見ていた。

じいちゃんと、老爺に子どもたちが話しかけていた。それに、ああ、それに。

甚爾は背けていた感情の正体を理解した。

父とは、こんなものだろうか、なんて。

 

「すまなかったな。」

 

顔は見えない。老爺がどんな顔をしているのかなんて、見えない。なのに、きっと、悲しそうな顔をしていることだけはわかった。

 

「もう二度と、お前さんの前には顔を出さないよ。他の奴を代わりにするさ。ただ、一つだけ、これだけは覚えておいてくれ。」

あまり己を呪ってやらないでくれ。親父気取りをしたかった、爺の戯れ言だ。

 

するりと、手が、体が離れていく。自分に背を向けたそれが去って行く。

甚爾はそれを、それに、口を開いた。

 

「くそ爺!」

 

吐き捨てるように言った。ずっと、お前だとか、名前も指し示す名称さえも呼ばなかった甚爾が、初めてそう呼んだ。

爺と、そんなことしか言えなかった。

 

「・・・・また、家に来い。あいつらが、じいさんが来ねえって愚図るだろうが。」

 

絞り出すような声でそう言った甚爾に、振り返った黒鷲は嬉しそうにそうかと言った。本当に嬉しそうに、そうかと、そう言った。

 

 

 

(あれからだ。)

 

黒鷲はそれから何かしら態度が変わることなど無かった。自分に依頼をして、そうして時折食事に誘われる。それ以外でも、それ以上でもない。

接触しない時間の方が何倍も長い。けれど、甚爾はその男からの連絡を嬉しく思う自分がいた。

伏黒も、そうして津美紀もまたその老爺に懐いている。

甚爾はちらりと己の息子と殴り合う少女を見た。それは、自分と同じ、それこそ従妹に当たるはずの禪院真希だった。

 

(あいつを連れてきたのもこいつだった。)

 

数年前、当時中学生の真希と甚爾があったきっかけは黒鷲だった。

 

「こいつのこと、鍛えてやれないか?」

 

そんなことを言ったことを覚えている。

禪院家の娘が一人攫われたのか、殺されたのかという話は甚爾も知っていた。いなくなって数年経つ間、手がかりもないことから死んでいるのだろうと思っていた。

が、その子どもの双子の片割れに会うなどとみじんも考えていなかった。

曰く、双子の妹を碌に探しもしない家に嫌気がさして家出したのだという。

 

「それを俺が見つけてな。」

 

丁度、競馬場にいた甚爾の隣に座り、黒鷲はぼやいた。少しだけ離れた場所で、腫れた頬をした少女がうつむいている。

 

「てめえが世話すりゃいいだろうが。」

「ああ、生活云々に関しちゃ五条が責任を持つとさ。来年、高校は東京の高専に入学って条件でな。ただ、あの子はまだ中学生だ。それまで時間はある。無駄にする手はないだろう?」

「俺に面倒ごと押しつけんじゃねえよ。」

「・・・・あの子はお前さんと似てるんだ。天与呪縛、呪力が極端に低い代わりに、優れた肉体を持っている。」

 

その言葉に甚爾は思わず少女を見た。自分と似た、それ。

 

「その状態で、女で、おまけにいなくなった妹の行方を気にして反抗的。どんな人生を歩んできたかわかるだろう?」

 

禪院家で育った甚爾はそれだけで少女がどんな生活を送ってきたのかを理解した。が、それで受け入れるほどの甘さなんてなかった。

が、その老爺の願いは、どうしてか受け入れてしまった。

悩みに悩んで、呪霊相手の依頼に関しての同行と、体術をたたき込むという約束だけはさせられた。

嬉しそうに笑った黒鷲は、そっと甚爾に万馬券を渡してきた。

自分の買った馬券が紙切れになっていく中、男の買ったそれだけが当たった事実にむかついたのはまた別の話だろう。

真希という少女は無口で、無反応で、甚爾も扱いにくかった。ただ、根性だけはあって甚爾に食らいついてくる。その理由を、甚爾は知ろうとは思わない。

ただ、彼女の地獄を、甚爾は少しだけ理解できる。その年若い弟子と言えるそれは高専に在籍しているものの、甚爾の仕事によく同行している。

だから、何だという話ではない。特別な思い入れなど少女には持っていない。それでも、真希の世話を続けているのは、同情か、それとも。

 

「甚爾、真希のこと、ありがとうな。」

 

甚爾はそれに薄く笑った。老爺の声が、聞こえる。それを、その感謝の言葉が心地良いと思える自分がいた。

 

「礼を言うぐらいなら飯をおごれや、じじい。」

 

愛称のように成り果てたじじいという単語は驚くほどに甚爾の口に馴染んでいた。

 

 

 

(・・・・真希のやつ、だいぶ鍛えられたな。)

 

老人の姿をとっている板取祐礼はそんなことを考えながら、ちらりと後ろにいる大男を見た。

 

(伏黒甚爾とある程度の親交を結んでおいてよかったなあ。)

 

正直、真依のいない状態での真希の行動はどんなものになるのか予想は出来なかった。ただ、本来負けず嫌いの彼女ならば必ず禪院家に反抗して高専に入学することは予想できた。もしもダメだったときは、策を打つ気でいた。

が、事態は予想の斜め上を言った。双子の片割れを探さない禪院家に真希は反抗に反抗を重ねた。そうして、とうとう家出をした彼女を祐礼はなんとか回収できた。

回収できなかったときは恐ろしかったが、それでも筋書き通りにすすんでほっとしたものだ。

祐礼はまた、甚爾を見た。そうして、ほっとした。

 

(・・・・こいつの好感度のいじくりは本当に大変だった。)

 

伏黒甚爾が原作に関わり続ける確信が欲しかった。一時的な怒りをあおれたとしても、どうでもいいと途中退場をされては困る。

だからこそ、甚爾の生きる理由を早急に作らなくてはいけなかった。

恵だけではダメだった。彼を産んだ妻を亡くした男の嘆きを埋めるためにはどうするのか。

だからこそ、祐礼は黒鷲を偶像の父親として固めることにした。まめに会いにいった。そうして、少しずつ男の領域へ入り込んだ。

子どもを手懐けるのは簡単であったし、タダ飯で男を釣るのは簡単だった。少しずつ、少しずつ、手に入れた甚爾の一部を取り込み、そうして自分の一部を甚爾に食べさせた。

自宅にまで乗り込んだのは、手料理を食べさせる機会が欲しかったのだ。

男の嗅覚がどれほど強いのか確信が持てないために、味の濃いものだとかに血を一滴垂らしたりした。

元より、同じ料理を食べるというのは、同調としての意味合いがあった。

自分の干渉が強くなるにつれ、気分が悪そうな顔をしていたため、いつばれるのかと不安であった。

が、天は祐礼に味方をした。

最高のタイミングだった。父親という言葉への拒絶、自分への嫌悪感、違和感が最高潮になった瞬間、祐礼は甚爾の好感度を反転した。

少しずつ作った繋がりは、甚爾に相当な不快感をもたらしたが一度感じた感情を甚爾は放り捨てることもなく抱えてくれている。

それにどんな感情があるとは言えなかった。すっかり、演技というものになれた自分に笑ってしまう。今ならば、俳優にだってなれる気分だった。

仮面を被るのに慣れた、口調を変えるのも、感情を出すのだって平気だ。

 

(時々、自分がどれかわからなくなるのは辛いけどなあ。)

 

それでも、もう慣れてしまったことだった。

もうすぐ、交流戦が始まる。そうして、呪霊たちの襲撃も近づいている。

祐礼はそのままこれからのことを考えて頭を巡らせた。

 




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密通者が騙る

お久しぶりです。原作で新事実が明らかになり、どうしようかと悩んでいる内に軽く一年が過ぎておりました。

pixivの方でリクエスト企画をしているのですが、そちらで続編をという声が有り、これを機にと投稿しました。
感想いただけましたらうれしいです。


「おうおう、こりゃあ、いい面がそろってなあ。」

 

のんびりとしたそれに京都校の人間は声の方を見た。そちらを見ると、着物を纏った男が立っていた。黒い、木作りの鬼の面を被っている。

唯一、露出された口元は皺が寄っている。

顔は見えないが、微かに煙草のにおいを漂わせた男は伊達男、なんて単語が似合いそうだった。

 

「・・・何者だ?」

 

京都校の面々は、それぞれ構えを取る。狭い呪術界隈で見たことのないそれは確実に警戒を誘った。

 

「ああ、いや、作戦会議を聞こうとしたわけじゃねえんだ。」

 

老人はそう言って、壁に体を預けるように力をかけた。ゆったりと笑った口元が老人の得体のしれなさを表していた。

それを見ていた三輪霞は今までで見たことのないそれにどきどきした。西宮桃はぐっと箒を握った。

 

「俺は、ああ、そうだ。今は黒鷲っていう男さ。五条悟の、知り合いだ。楽巌寺殿に用があってな。」

「五条?」

「・・・わしにか。」

「ああ、簡単なことをな。」

「こちらも暇な身ではなくてな。」

 

それに黒鷲は淡く微笑み、そうして、肩をすくめた。

 

「それなら。」

「おい。」

 

楽巌寺を見ていた黒鷲は声の方を見た。それに加茂憲紀は反応する。声の主である東堂葵は黒鷲をにらみ付けた。

 

「・・・ああ、なんだい、坊主。」

「てめえが爺さんにどんな用があるかは興味がねえ。こちとら気分がわりいんだ。」

「虎杖悠仁を殺す算段でも立てていたか?」

 

それに楽巌寺の眉がぴくりと動いた。

図星だった。虎杖悠仁に関して、保守派の人間からはどうするのかと話が出ていた。

が、五条の言っていたそれに、これ以上の懸念事項を背負うのを避けたい人間が出てきた。

 

ならば、今回を機に虎杖悠仁を始末するという方向性に決まったのだが。

「ああ、謀略諸々好きにすりゃいい。俺に指図をしなけりゃな。ただ、俺はてめえに聞きたいことがあるだけだ。」

「ほう?」

「どんな女がタイプだ?」

 

それに部屋にいた人間がまた始まったとため息を吐いた。

東堂は目の前のそれを見た。普段ならば、あまり他人を気にしない彼は、それでもその老人を見て興味が湧いた。

ただ者ではない。それの勘のままに彼は黒鷲にそう聞いた。それに、彼はふむと首を傾げて口を開いた。

 

「そうだな。強いて言うのなら、高身長で尻のでかい女と言いたいが。」

前半を聞き、目を見開いた東堂はその末尾にがっかりしたように顔をしかめた。

「どういう意味だ?」

「昔はそうだったが、今は違うという話だ。年を取り、多くが変われば女の好みも変わる。坊主も女の好みを気にするのはいいが、選ぶ女は考えろよ。」

 

ふうと、黒鷲は一度だけ息を吐いた。

 

「女に泣かれるのは堪える。」

「女を泣かせなきゃいいだろうが。」

「はっはっは!いやあ、なかなかに言うな。確かにそうだ。まあ、出来ないこともあるってことだ。」

 

黒鷲が首をすくめるのを見ると、東堂は早々と興味を無くした。女の趣味が悪そうであることを察して、そのまま障子を蹴破って廊下に出ようとした。

 

「・・・・廊下に出たいのならば、障子を手で開けろよ。」

「あ゛?」

「暴力的な男を、えてして、女は嫌うもんだぞ?」

 

それに東堂は顔をしかめ、そうして障子を開けて出て行った。その後ろ姿に黒鷲は声をかけた。

 

「師匠によろしく伝えておいてくれ。」

 

東堂はそれに一瞬だけ歩を止めたが、すぐにまた、歩き出した。

それを見送った後、黒鷲は改めて、楽巌寺を見た。

 

「さて、騒がせて悪かったな。」

「・・・九十九由基とは知り合いか?」

「有名だからな。さて、時間が取れないのならば仕方が無い。俺としては、まあ、あんたらの虎杖の坊主への態度が知りたかっただけだしな。」

「・・・貴様も五条と同じか?」

「同じ?ふむ、同調しているというのならば、そうさな。そちらはどう考えているんだ?少なくとも、転換期には入っているのだろうが。」

「そのために宿儺の器を野放しにしろと?」

 

楽巌寺のそれに、老人はゆったりと微笑みを浮かべた。

 

「何を言う、俺の見る世界と、あんたの見る世界が同じであるのだと思っているのか?」

 

黒鷲はそう言うと、くるりと皆に背を向けて、ゆうゆうと微笑んだ。

 

「重要なのは、事実の見方だ。物事をどう見るか、それによって敵は味方であるし、同時に、味方は敵になる。」

「どういう意味だ?」

 

加茂のそれに黒鷲は人差し指と親指を立て、くるりと回した。

 

「あんたの立つ位置は、果たして正常か。いいや、もしや、ひどく歪やもしれん。」

 

黒鷲はそのまま廊下に向かい、部屋の中を振り返った。

 

「自分たちの知らない今まで存在する。長く続いた、さてそれは。」

信ずるに値する価値になるのか?

 

「いったい、何について言っている?」

「さあ?ただ、一つだけ言えるのならば。いつだって、世界も人も、己が見ている以上にねじくれているもんさ。」

 

それを忘れることは無きように。

黒鷲はそう言って、廊下を歩いて行ってしまった。

 

 

 

「・・・・ほら、言ったろう?」

 

楽しそうな声に庵歌姫は振り返った。そこには悠々と立つ老人の姿があった。着流しに、白髪の髪をしたそれは鬼の仮面を被っているせいで要素はわからない。

ただ、今現在、歌姫には目の前のそれがそこまでゆうゆうとしているのか理解が出来ない。

交流会の団体戦にて唐突に現れた帳、おまけに五条悟だけを阻むという特別仕様だ。

緊急事態の中で、その老人はやはり悠々と笑っている。

 

「黒鷲の言うとおりになったか。」

 

五条のぼやくような言葉に歌姫は目を見開いた。

 

「あんた、知ってたの!?」

「あくまで予想であって、はっきりとした確信はなかったがねえ。」

「どういうことだ?」

 

歌姫達の会話に京都呪術高専の学長である楽巌寺が割り込んだ。それに黒鷲が引き継ぐように口を開いた。

 

「・・・・呪詛師は基本的に己の欲望に忠実で、個別に動くことが多い。だが、この頃、その呪詛師に声をかける人間が出てきていてな。それに伴い、この交流会の話を五条から聞き、もしやと思い話を通しておいたまでのこと。」

 

楽巌寺は目の前の、教師達が慌てて外に出てくると同時にどこからか現れた存在である老人を見た。

老人、黒鷲は肩をすくめた。

 

「ふっふっふ、んなこええ顔をしないでくれよ。ただ、こっちも取れる手段はとりたかったってだけの話だ」

 

煙を巻くようなその言葉に楽巌寺の眉間に皺が寄る。けれど、それを五条が遮った。

 

「彼は信用できるから大丈夫だよ。それよりも、中の方が心配だねえ。」

「信用が出来るだと?こいつの正体を知っているのか?」

「おじいちゃんだって知ってるでしょ。呪石をばらまいてる奴らのこと。」

それに楽巌寺の目が見開かれた。

「そこの組織についての協力者。でもさ、黒鷲、おじいちゃんに何の用があったの?」

「いんや、本命は東堂葵だ。少し、顔を見たかったからな。建前さ。で、五条。お前さんはこのまま帳が上がるのを待つんだろう?」

「そうだけど。ああ、そうか。」

 

五条は今回の件について、黒鷲からの提案があったことを思いだした。

今回、呪詛師に動きがあるという話が夏油傑と黒鷲からあった。夏油がこの場にいないのは、呪詛師たちがまったく別の案件で集っている場合を考えて、待機をしているためだった。

そんなとき、黒鷲から提案があった。

 

「・・・今回、呪術高専に呪詛師が何かを仕掛けてくる場合、大雑把にわけて可能性が二つ。両面宿儺についてのこと。そうして、高専自体に用がある場合だ。」

それに五条と夏油は顔をしかめた。

 

「高専自体?」

「ああ、だろう。あの学校にゃあ、呪詛師も呪術師もよだれが出るような厄介ごとも、宝もあふれてるだろ?」

「・・・・宝物庫には、そうそう、入れないはずだ。」

「術式ってのは、千差万別だ。御前んとこにも、とんちきな術式持ちはいただろうが。」

方法なんてどうにでもなるのだ。

 

「・・・・黒鷲は宝物庫には、どうやって入るわけ?」

「いいや、入り口にだけ張っておく気だが。」

 

五条は黒鷲の話を思い出しながらそう言った。それに黒鷲は肩をすくめた。それに五条は頷きながら好きにすればいいと言った。

そんなふたりの様子に歌姫が叫んだ。

 

「あ、そうよ!あんた、なんでそんな落ち着いてるの?」

「そりゃあ、警告はされてたからね。」

五条は帳を見上げて笑みを浮かべた。

「ちゃんと、隠し球ぐらい用意してるさ。」

 

 

吹っ飛んだ。

伏黒恵、そうして加茂憲紀と狗巻棘は思わず空を見上げていた。見事な快晴だ。それはもう、外で何かするのにはぴったりだと思うような空だった。

そうして、その空に舞う、今まで自分たちを追ってきていた呪霊。

そうだ、丁度建物の屋根部分まで逃げていた折、何かが呪霊にぶつかった。そうして、呪霊は華麗に吹っ飛んでいったのだ。

そうして、その後に現れた存在に伏黒は目を見開いた。

 

「親父!?」

「はあ、黒鷲の言ってた通りになったな。」

ぼやくように伏黒甚爾は森の方に吹っ飛ばした呪霊、花御へぼやくように言った。

「おい、ガキども。てめえらはさっさと下がって教員のとこにいけ。」

「・・・・君の父親?ならば。」

「は!?あんたは!?」

「さあな。さすがに命をかけるほど暇じゃねえよ。ただ、今回のバイト代がよくてな。」

 

そう言いながら、甚爾はぐるりと游雲を構えた。それを眺めながら甚爾はぼやいた。

 

「たく、お前がこれのことを坊に言うもんだから、いちいち借りなきゃならねえんだぞ?」

「な!つって、あんたが殆ど借りてて私物になってるだろうが!」

 

後ろから息子の罵倒を聞きながら、甚爾はそっと游雲に視線を向ける。

游雲は元々、甚爾のものだ。

だが、昔、武器庫にしていた呪霊をくもの一員である存在に盗まれてから行方知れずになっていた。

けれど、ある日、それが息子である恵の影から出てきたのだ。

 

(なんの目的だ?)

 

游雲自体は調べても何も出てこなかった。が、何かしらのトラップが仕掛けられている可能性が高い。

そのために、どうなっても構わないと思われている甚爾が常時使用している。

 

『・・・・不可思議な、気配ですね。』

 

屋根から吹っ飛ばした樹木の生えた呪霊のそれに甚爾はぐっと背伸びをした。

「・・・まあ、バイト代ぐらいは働かねえとな。」

 

そう言って甚爾は獰猛に笑った。

 

 

 

その日、脹相はうっきうきだった。

何故って、今日、彼はようやく兄弟たちとの再会が叶うのだ。

 

「お前には頑張って貰うからな。」

 

脹相はそう言って己の肩に絡みついた芋虫のような呪霊に言った。それは、彼の弟である黒から借りた呪霊だ。

七人の弟を運ぶのは大変だろうと、わざわざ貸してくれた存在だ。

 

(・・・俺たちのように受肉は出来ないだろうが。それでも、ずっと閉じ込めておくよりはましだ。)

 

何よりも、ようやく弟の仕事を肩代わりをできることが嬉しかった。

 

「脹相にしか頼めないんだ。」

 

(ようやく、あの子の力になれる。)

 

脹相は、最初に彼に会ったときのことを覚えている。

眼を覚まして、そうして、まるで霧が晴れるような感覚だった。人である、目の前のそれ。けれど、確信を持てた。ああ、これは、弟だ。

己の、愛すべき者だ。

 

けれど、情けない話をしよう。

脹相はまったくと言っていいほど、黒に対して何も出来ていない。どちらかというと、黒に生活の保障をされている身だ。

 

(くもという奴らも気に入らない!)

 

己の可愛い弟を幼い頃からこき使っているというのだ。

脹相は正直、くもたちの目的がどんなものかは興味は無い。黒曰く、国家転覆らしいが、それさえも本当かわからないのだ。

けれど、脹相にとってはどうだっていい。彼にとって重要なのは、どこまでも、弟たちだ。けれど、だからといって、彼は呪霊のように振る舞う気も無かった。

弟たちにも、黒の頼みで人を殺すことがあるとしても、できる限り、人として振る舞うように心がけている。

それは、黒が人であるためだ。可愛い弟を仲間はずれにする気は無い。それ故に、脹相たちは己自身を人として定義した。

 

何よりも、なんだかんだで脹相たちはそれぞれで術式を使う訓練を除外すれば戦ったことはあまりない。

黒の欲しがる術式を持った、呪詛師の捕獲をしたぐらいだろうか?

脹相は、他の呪霊たちに混ざって呪術高専までやってきたが、思い返すほどに呪霊達に腹が立つ。

 

(特に、真人という奴!俺の弟にべたべたしやがって!)

 

脹相は弟たちが仕舞われている倉までの道を歩きながら、いらいらとしていた。

今回は黒も同行しているが、何故か呪霊たちはやたらと弟にべたべたしているのだ。

普段の脹相ならば、さすがは俺の弟と胸を張るのだが、彼にはわかる。黒が、彼らを不快に思っていることを。

 

(あいつは優しいからな。はっきりと拒絶できんのだろう。)

 

高専にまで来ていないが、真人というそれと今度会ったらはっきりと言ってやろうと思っていたとき、後ろから声がかけられた。

 

「よう、兄ちゃん。」

 

それに脹相は何のためらいもなく後ろに向けて、赤血操術・穿血を放った。

やらなければやられる。事前に作っておいた百斂から、放たれる。

脹相は、声の方向に向けて、切り裂くように術式を放った。けれど、それと同時に、脹相は己の体に圧倒的な重みが襲ったことを理解した。

それによって、穿血の狙いがずれたことを理解した。振り向いた先に、人影はない。

 

「・・・・おーい。」

 

脹相は天井を見た。そこにはひらりと己に手を振る存在がいた。

 

「鬼面!」

 

脹相は圧倒的な重さに動くことが出来ない。

 

(俺、の体が重くなっている!)

「いやいや、坊主。んなに振り向き様にしなくてもいいだろう?俺だって、すぐに殺そうなんて思ってないんだが。」

 

だまし絵のように天井に立つそれはくるりと回転しながらその場に降り立った。そうして、楽しそうに笑っているのが見えた。

 

「黒鷲か!」

「おおっと、初対面のはずだが。やっぱり、俺のことは幽霊たちに知られてるか。」

 

仕方が無いとからからと笑うそれに、脹相はなんとかその場を離れられないかと考える。黒鷲、その存在については黒からよくよく聞かされている。

 

「黒鷲って老人に会ったら気をつけろよ。」

「何故だ?」

「・・・・幽霊のことを執拗に追ってるじじいだ。術式も範囲が広くてやっかいだからな。だから、いいか。すぐに逃げろよ」

 

(くそ!五条たちとつるんでいるとは聞いたが、まさかこんなところに!)

「はっはっは!そう怒るな。殺すときは苦しませんよ。ただ、なあ。」

 

亡霊どもの情報を教えてくれればの話、だが。

それに老人の目が見開かれていくことを脹相は気づく。それに、彼は必死に心を落ち着かせた。手さえも重く、ろくに動かせない。

 

脹相は黒の言っていたことを思い出す。

いいか、黒鷲に会ったとき、一度だけならこれで逃げ出せる。

 

脹相は口を開いた。

 

「・・・サシナの絶命を、貴様は聞けずじまいであるな。」

 

それに黒鷲の目が、仮面ごしにさえも見開かれたのが見えた。爆発的な、殺意を脹相に向けられたのがわかった。けれど、それに反して自分の体が軽くなるのを理解する。

脹相はそれに立ち上がり、赫鱗躍動を使い、その場から離れる。

 

(今回の俺の役目は、目的のものを回収し、そうして、黒たちの元に帰還すること!)

「お兄ちゃんに任せておけ!」

 

脹相は、この、特殊な空間において自分に勝機があることを確信していた。

 

 

「・・・・まあ、無事に逃げてくれたし。いいか。」

 

黒鷲こと、板取祐礼はそう言って息を吐いた。

 

(黒鷲に会ったら、何があっても逃げること。あれだけ言いつのれば、さすがに従ってくれたな。)

 

そのまま祐礼はゆうゆうとその場から歩き出した。

 

(黒のほうで五条たち側の調整をして、黒鷲で本命を果せば良い。)

 

元々、今回、祐礼は黒として参加するはずだった。それを覆し、以前手に入れた分身体を使って、脹相という存在に接触を図りたい理由があった。

 

(我が母上の手が、加茂家にすでに回されていたなんてな!)

 

忌々しげに祐礼はほぞをかんだ。

五条家は、五条悟が掌握している。問題は、他の二家。禪院家は性格に難がありすぎる。ならば、加茂家を先に攻略しておきたかった。

幸いなことに、加茂家の次期当主であるらしい青年は少なくともまともな方だ。そちらから崩していくことを計画しておいたというのに、だ。

 

(ああ、しくじった!しくじった!ああ、そうだな、おかあさん!すでに加茂になったあんたなら、とっくに掌握していることも考えておくべきだった。ああ、俺の落ち度だ!ああ、俺の、俺の、浅慮さだ!)

 

祐礼は冷たく微笑みながら、道を歩く。脹相を追うのはたやすい。

祐礼の脳裏には、自分に微笑みかける、それがいた。

 

加茂家?

ああ、君も使いたくなったら言ってくれ。大々的には無理でも、少しぐらいなら、なんとかなる。

 

己が、手のひらの上で踊りかけていたことを理解して、祐礼は吐き気がした。

 

(脹相に会った、そうして、その口から、加茂家の名前が出た。)

 

黒鷲としてわざわざこの場にやってきたのは、脹相との接触の実績が欲しかったためだ。

それによって、加茂家を潰す足がかりにする。

祐礼はそう決めて、脹相を追う。

事前に、設定していた黒鷲へのお呪いも覚えていたようだ。

 

(この分身の術式、使い勝手が良いな。)

 

以前殺した呪詛師の術式について、祐礼は多くの縛りを使い、条件を構築して使っている。

イメージとしては、某スタイリッシュな忍漫画の分身だろうか。

何よりも、分身体を消すことでフィードバックを得られるのがいい。

これのおかげで、彼は現在、一人二役の状態をキープできているのだ。

 

「さて、どう出る?」

 

祐礼は奥に進む。今回の大本命である祐礼の目的。それは、天元との接触なのだから。

歩きながら、祐礼は考える。

 

(・・・真依の方も、どう転ぶか。)

 

 

その日、禪院真希は茫然と、それを見ていた。

「やだ、鳩が豆鉄砲喰らったみたいな顔してる!」

きゃらきゃらと、まるで、普通の少女のように軽やかに、それは笑っていた。

もう、遠くに、記憶は掠れて幼い頃の写真を便りに探していた。

ずっと、ずっと、探していた。

 

「お姉ちゃん、ねえ、久しぶりね。」

「真依、お前、今まで、いったい・・・」

「そんなのは、どうだっていいの。ねえ、お姉ちゃん、ようやくよ!」

私ね、お姉ちゃんのこと、迎えに来たの!

 

そう言って、禪院真希の片割れは恋する少女のように華やかに微笑みで見せた。

 




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妹が騙る

感想、評価ありがとうございます。感想いただけましたらうれしいです。

とある姉妹のあれこれについて。
これだけは早めに書いておきたかった。
わかりにくかったらすみません。

https://odaibako.net/u/kaede_770
何かありましたら。


 

「諦めろ。」

それが、あの日、妹がいなくなって父に言われた言葉だった。

「仕方が無い。」

それが、あの日、妹を失った母が言った言葉だった。

 

「その価値がない。」

それが、禪院真希の妹に、彼女の一族が下した結論だった。

 

 

妹を見つける。

それが、禪院真希が生涯をかけると誓ったことだった。

そのためには力がいる。

だから、真希は、全てをかけて鍛錬を続けていた。

どれだけ、罵倒されようと、どれだけ尊厳というものをドブに捨てられようと、愚かな女だと言われても。

 

探していた、探していた。

生きているのだ。死んでいるのなら、自分にはわかるはずだから。どこかできっと、生きていて。

あの、泣き虫な妹は、お姉ちゃんと言っているのだと。

そう、信じていた。

 

 

「お前さん、どこにいくんだ?」

「・・・誰だ、てめえ。」

 

当時、中学生だった真希は、雪の降る日に家出をした。持っているのなんて、数日分の衣服、こつこつ密かに溜めた金銭、そうして、こっそりと盗んだ呪具。

何も言わず、何も告げず、ただ、ただ、禪院家から真希は出た。

何かを告げる意味も感じなかった。だって、何かを言ったとしても、それは悉く無意味であるとわかっていたからだ。

 

探さないと、あの子を、弱い子だから、泣き虫だから。

あの子を、ねえ、酷いことをされているかもしれないのに、お腹を空かせているかもしれないのに。

ねえ、ねえ、ねえ、母さん、父さん。

どうして?

 

ソノカチガナイ。

 

それで、終わり。それが、真希の妹が、禪院真依が見捨てられた理由。

だから、真希はもう、己の家に期待する気がなかった。

吹雪のような日に家を出た。足跡は、すぐに雪がかき消した。行く当てがないわけではない。

少なくとも、真希のような身体能力があれば、場所を選ばなければ行く当てはあった。

 

吹雪が、珍しく、びゅーびゅーと吹く風と己に叩きつけられる雪なんてもの、気にもならなかった。

こんなもので死ぬことさえも出来ない身だ。歩いて、歩いて、未成年の身のためにどこにも泊まれないために高速バスに飛び乗って、当てもなく東京に向かった。

人が多ければ、紛れることも出来るだろうと思った。

そうして、バスから降りて、あてどもなく歩いていた時、目の前に、人影が現れた。

 

「じじいに、教えてくれるか。」

「・・・誰だ、てめえは?」

 

真希は目の前のそれが呪術師であることをすぐに覚った。一般人と名乗るには、それはあまりにも異装であることもあった。

ゆっくりと真希は逃げる用意のために体勢を整える。けれど、その老人はとても悲しそうな声音で言った。

 

「・・・・妹を、探しているのか?」

 

それに真希は、目の前のそれが己が誰であるかを知っていることを理解した。それに、彼女は何のためらいもなく、その場から逃げ出そうとした。

リスクを冒せないと判断したのだ。けれど、それよりも先に、真希は己ががくんと落下していることを理解した。

 

(浮んで?いや、違う!空に落ちてやがる!?)

 

空が、ぐんぐんと近づいてく。それと同時に、ぐるりと視界が回った。それに、真希は自分が今度こそ地面に落ちていることを理解した。

真希はそのまま地面に着地する。

 

「そう、警戒するな。少し、話をしようじゃないか。ちなみに、逃げても、向かってきてもさっきみたいに強制バンジー付きだがな。」

「それで警戒するな、なんてよく言えるな!うちからの追っ手か?」

「・・・それをするほど、あの家はお前に価値を見いだしているのか?」

 

それに真希の中で怒気が膨れ上がる。

 

価値がない?今、この男は、価値がないと言ったのか?

 

「黙れ!」

「・・・ああ、そうか。価値の話か。そうだな、お前の妹の捜索は、価値がないと打ち切られたのだからな。」

 

それに真希はがなり立てるように声を吐き捨てた

 

「勝手なこと言いやがって!!」

 

だんと、コンクリートの地面に足を踏みしめた。

 

「価値、価値、価値!価値って何だよ!娘なんだぞ!?一族の、子どもなんだぞ!女だからなんだよ!術式がしょぼいからってなんだよ!それだけで、あいつは捨てられるのか!?それだけで、全部、全部、切り捨てられるのかよ!」

そんなの、嫌だ!

そんなの、あまりにも、むごいじゃないか。

ああ、わかった。なら、思い知らせてやる!無価値だと、意味が無いと、切り捨てた自分たちがどれほどのものなのか。

お前達に、刻みつけてやる。

 

まるで、もの悲しい獣の咆吼のよう声だった。痛みにもがく子どもの泣きじゃくる声に似ていた。

 

「・・・・そうだな。」

 

静かな声に、男に視線を向けた。男は、ゆっくりと真希に近づいた。

 

「そうだ、多数にとって価値のあることと、お前さんにとって価値のあることは違う。お前には、お前自身の祈りが有り、それ以上がないほどの宝がある。だが、禪院真希よ。お前は、あまりにも弱いねえ。」

 

その声に、侮蔑はなかった。その声に、哀れみはなかった。その声には、ただ、冷淡に事実を突きつける厳しさだけがあった。

 

「俺も、探しているんだ。俺も、ただ、他にとって無価値に贄にされるべきと断ぜられながら、それを赦せなかったものがある。」

 

老人はそう言って、そっと、真希に手を差し出した。

 

「俺は、お前に救いを与えられない。俺は、お前の望みを叶えることは出来ない。ただ。」

お前が目的を遂げるための力をやろう。

 

そういった、老いた男を真希は見上げた。そうすれば、そっと、老人は彼女の頬に触れた。振り払おうとした、けれど、その瞬間、己の頬に触れた荒れた、老いた手に、何かががらりと変わってしまう。

その男が、己と同じであるのだと。

何かを亡くして、何かを探して、ここにいるのだと。その目を見て、真希は、目の前のそれが己と同じものであると理解する。

だから、だろうか。

真希は、その時、何者であるかもわからない男の手を、取ってしまったのだ。

 

 

 

そうして、話はトントン拍子に進んだ。

妹の情報を集めるには必要だろうと、呪術高専の生徒という身分が与えられた。そうして、禪院家がうるさいだろうと、五条悟という後ろ盾も。

何よりも、真希にとって幸いだったのが。

「俺のと、同じねえ。」

己と同じ、天与呪縛を持つ男。真希としては認めたくないが、彼女にとって師である伏黒甚爾の存在だった。

 

「いいか、お優しく俺がお前に指導してやるなんて都合の良いことを考えるなよ。」

 

それが伏黒甚爾の発した最初の言葉だった。

言葉の通り、甚爾は真希に何かを教えてくれることはなかった。ただ、仕事に付き合わされ、吹っ飛ばされ、たたきのめされるだけだった。

けれど、それは真希にとっても幸いだった。彼女にとって言葉よりも、物質的にたたきのめされる方が理解できることが多かった。

何よりも、真希は甚爾のことを気に入っていた。

彼は、真希を哀れむことも、同情することもなかった。会話なんて事務的なものが殆どで、組み手をしろと言っても無視されて、競馬場に連れて行かれたり、男の義理の娘や息子たちの元に置いていかれることも多かった。

けれど、男は、真希の禪院家の扱いを理解していて、それでも哀れむわけでも、同情するわけでもなくて。

男にとって世界とはシンプルで、自分か、それ以外かのようだった。いくつか、思い入れのあるものがある程度で。

それ以外、心底どうでもいいという顔をしていた。

だからこそ、真希は、男を好きではなかったけれど、嫌いでもなかった。

 

「・・・・いいか、お前は俺と比べて半端なんだよ。」

「・・・私に半端に呪力があるって話か?」

「ああ、技術はあがっちゃいる。場数は踏ませたからな。」

 

それに真希は顔をしかめた。

勘は冴えていると理解できた。それは思考してから、体を動かすという行程に無駄が少なくなってきているがためだ。

それは、とある仕事帰り、高専からの迎えを待っていたときのことだ。疲れてしゃがみ込んでいた真希に、甚爾は唐突にそう言った。

俗に言う、うんこ座りで向かい合った二人はそんな会話をした。そうして、甚爾は何か、奥歯に物が挟まったような顔をする。

 

「お前、なんでそんなによええんだ?」

「あ゛!?」

 

甚爾のそれに真希はがなり立てるように叫んだ。

 

「んだてめえ、嫌みか!?」

「嫌みじゃねえんだけどなあ。」

 

甚爾はがりがりと頭をかいた。

 

「お前は、俺よりも半端だ。けどな、にしても、弱すぎるんだ。」

 

何故だ?

そんなこと、真希自身が知りたかった。けれど、何か、それを真希は何故か口に出来なかった。

何故?

何故?

何故、己は弱いのか。

甚爾の言葉、それの意味を、真希は。

 

「ねえ、お姉ちゃん、久しぶりね。」

「ま、い?」

 

掠れた声でそう言えば、彼女の双子の片割れは、くすくすと楽しそうに笑った。

 

その日、真希は後輩である釘崎野薔薇を助け、一人で森を進んでいた。何か、高専内で何かがあったことを察して、状況を伺うために高所に向かっていたときのことだ。

声が、かけられた。

とある木の上から、まるで、遠い昔に絵本の中で少女に話しかける猫のように。

その先にいた存在に、真希は目を見開いた。

わかる。

理解できた。

 

「あはははは、すごい、鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔をしてる。」

 

軽やかな声で、それは笑っている。

 

お姉ちゃん、なんて呼ばれたからではなくて。

そこまで変わらない面差しをしているからではなくて。

理解できたのだ。

己の中に、ずっと、ちぎれることなく存在していた、繋がり。

 

「まい?」

 

掠れたような声で、名を呼んだ。求めるように、手を伸ばした。それに、彼女は、禪院真依はたんと軽やかに飛んで見せた。

真希は泣きたくなるような感覚で、手を伸ばした。ただ、手を伸ばした。

それに、真依は、わかっているかのような顔で、その腕の中に飛び込んできた。

 

「お姉ちゃん!」

 

揺るぐことなく、真希は女を胸に抱いた。暖かな、体温は、まるで昔からそうであるかのように、まるで、このまま抱きしめ合っていれば、溶け合って一つにでもなるような、感覚。

 

ああ、ああ、かえってきた!ようやく、かえってきたのだ!

 

「やだ、お姉ちゃん、泣いてるの?」

 

自分の肩口に冷たさを感じたのか、真依はきゃらきゃらとそう言って。それに、真希はその背中に手を回したまま、真依に言った。

 

「お前、お前、今まで、どこにいたんだよ!?」

 

真希はばっと片割れのことを確認した。

艶々とした肌、上等そうな衣服、整えられた髪、そうして。

 

「どうしたの、お姉ちゃん?」

 

ああ、なんて。

 

「お前、真依、なあ。」

 

「ふふふふ、久しぶりだものね。きっと、驚いちゃったわよね。でもね、お姉ちゃん、喜んで!私ね。」

 

真希は喉の奥に張り付いたような感覚。それを、口にしようとした。けれど、それよりも先に真依が口を開いた。

「お姉ちゃんのこと、迎えに来たの!」

 

なあ、教えてくれよ。

 

朗らかな、その笑み。まるで、愛されて、ふくふくとして、それこそ、この世の春の中で育ったかのように、少女は幸福そうに笑っていて。

なあ、真依。

なあ、お前はさ。

 

(私がいないどこかで、泣いていたんじゃないのか?)

 

なんて、誰が言えたものだろう?

 

 

「お、お前、何言ってるんだよ?」

「何って、そうよね。怒ってるわよね。散々、お姉ちゃんのことを、私、放っておいたし。」

 

真依はそう言って、真希の腕の中から抜け出して、そうして、たんと踊るように真依に背を向けた。

 

「でもね、仕方が無かったの。お姉ちゃんのこと、連れ出せる理由がなくて。黒にも、ねだったけど、許可が下りないって。」

「だから、何言ってるんだよ。黒って、誰のこと言ってるんだ?」

 

それに真依はそうだったと顔に浮かべて真希に振り返った。そうして、ぱんと両手を叩いた。

 

「そっか!そうね、言ってなかったんだ。なんか、いっつも、そこら辺は周知されてるから。」

 

真依はそう言った後、着ていた黒いスカートを気取ってつまんでお辞儀をして見せた。

 

「改めまして、私、幽霊が一人、冠する色は紫、紫苑と申します。くもに仕える者が、一人と、お見知りおきを。」

 

そう言って、真依はやっぱり笑うのだ。本当に、何の憂いもなく、満たされた子どものように笑うものだから。

真希はその台詞に目を見開いた。

 

くも。

 

それは、真依を攫った存在として何よりも先に名前が挙がったものだった。

くも、相当古い呪詛師組織らしく、それを追っているのは、家系で因縁を持つ黒鷲たちぐらいである。

そんな黒鷲たちにさえも尻尾を掴ませない、裏組織。

 

「やっぱり、奴らに攫われたのか!?」

「うん、私も組織の一員で、おまけにけっこう良い立場にいるのよ?」

「おま、何言ってるんだよ!?いや、それよりも、なんでここにいるんだ?」

「ああ、実はね。くもからの命令で呪詛師を集って呪術高専に殴り込みをかけてるの。で、私はそれに混じってお姉ちゃんに会いに来たんだ。」

 

そう言って、真依は当たり前のように真希に手を差し出した。

 

「それでね、お姉ちゃん。待たせちゃってごめんね。」

さあ、一緒に行きましょう?

 

それに、真希は自分が何を言われたのか、理解できなかった。

 

 

「お前、何言ってるのか、わかってるのか!?」

「何って、一緒に行こうって言ってるじゃない。ああ、安心してね。他の人、みんな優しいし。黒とか灰原のご飯もおいしい。お小遣いだって貰えるから。」

「んなことを聞いてねえんだよ!?呪詛師だぞ!?お前、呪詛師に加担しろって、私に言ってるのか?」

 

真希は頭をかきむしりながら言った。

何もかも、意味がわからなかった。

ずっと、探していた妹は、何故か今になって目の前に現れて、そうして、自分を呪詛師に誘っているのだ。

喉の奥からせり上がってくる不快感、それに、真希はくらくらする。

そうだ、この、妹は、呪詛師に育てられたのだ。

それの意味すること。

真希はふらふらと真依を見た。それは不思議そうに、自分を見ていた。

 

(真依は、いったい、ここまで大きくなるのに、何を、させられてきたんだ?)

 

考えるだけで吐き気がした。可能性を理解するだけで、くらくらと頭が痛くなった。

 

「まい・・・・」

「なーに、お姉ちゃん?」

 

それに真希は、目の前のそれが、幼い頃の、泣き虫で甘ったれの妹であることを理解した。だからこそ、真希は息を吐いた。

真希は、真依の手を握った。

 

「真依、帰ってこい・・・・・!」

 

それに真依はなんとも言えない顔をした。

 

「このまま五条のところに行くぞ!あいつなら、お前の保護を約束してくれるはずだ!それがダメなら、黒鷲のじいさんがいる!」

 

真依、と真希は妹の名前を必死に呼んだ。

 

「禪院家のことなら、姉ちゃんに任せろ!私がもっと強くなって、あいつらのことだって黙らせてやる!今度こそ、お前のこと、守ってやるから!だから!」

「呪詛師のどこがいけないの?」

 

真希のそれに、真依は平然とそう言ってのけた。それに、真希は目を見開いた。真依はふうと息を吐いて、その手を振り払った。

真希は何故、己の手が振り払われたのか、いいや、その言葉の意味を理解できずに真依を見つめた。

真依はゆっくりと目を細めて、真希を見る。

 

「呪詛師であることの何がいけないの?」

「何故って、お前、そんなこともわかんねえのかよ!」

「だって、呪術師は私たちを救ってくれなかったじゃない。」

 

それに、真希は何と応えて良いのかわからなかった。

何故?

それは、倫理の話か?それは、ルールの話か?それは、人が群れて暮らすための社会性の話か?

何故、呪詛師ではダメなのか?

答えられるものはあった。ただ、それが正しいから。

けれど、真依のそれ。

 

ならば、何故、自分たちは、あの家で、あんな扱いを受けたのだろうか?

彼らは、正しい者であるはずなのに。

真依は不思議そうに首を傾げて、散歩でもするように手を後ろに組んで数歩、歩く。

 

「呪詛師になってはいけない。それは、人が社会に溶け込む上で必要なルールの上での話でしょう?人を何故殺してはいけないのか。それは、人に殺されないという相互作用で必要だから。でも、お姉ちゃん。呪術師になって、そのルールを守って。私たちのこと、守ってくれる人なんていないじゃない。」

 

くるりと、真依は踊るようにターンをして真希に振り返った。その顔には、柔らかな笑みがあった。

 

「私、優しくして貰ったの。当たり前のように、テストで良い点を取ったら褒められて、怖い夢を見たらあやしてくれて、誕生日には大きなケーキに好きな料理とか、誕生日のプレゼントだって、もらえて。ねえ、お姉ちゃん、私ね、好きな人がいるの。」

 

それに真希は大きく、目を開き、まぶたが引きつるような感覚がした。

 

「誰だよ、それ。お前、自分を誘拐した奴らに、そんなこと考えてるのか?」

「どうしてそんなことを言うの?あの家のほうがずっと、ずっと、地獄だったのに。私ね、その人の側にいたいの。その人のために、どんなことだってしたいの。でも、ずっと、お姉ちゃんのことが心配だった。」

 

その言葉と共に真依は真希へと足を進め、そうして、抱きしめた。

混乱する真希は固まりながら、されるがままに抱きしめられる。

 

「ごめんね、一人にしちゃって。ずっと、私のこと、守ってくれてたのに。だからね、お姉ちゃん。」

 

真依は、まるで、ああ、輝かんばかりの笑みを浮かべて真希の顔をのぞき込む。

 

「今度は、私がお姉ちゃんを守ってあげる。」

 

守る?

真希はそういう己の妹を見た。

ずっと、真希が守り続けていた。妹。弱くて、臆病で、柔い、地獄のような世界の中で、唯一愛せた生き物だ。

それが、笑っている。

己のことを守るなんてことを言って、笑っている。

 

ふざけるな。

 

真希は真依の手を振り払った。

 

「守ってあげる!?お前、何言ってんだよ!お前と私のこと、引き離して、お前のことを攫った奴らに加担した奴らのところに、行けって言うのか!?」

 

真希はそのまま、持っていた呪具を握りしめた。

 

「私は、お前を攫った奴を赦さない!絶対に、赦さない!そうだ、あの家は私たちを疎んだだろうさ!でもな、それでも、一歩踏み出せば差し出される手はあった。ガキを攫って、てめえの好き勝手なことを教え込むような奴らに、お前を渡さない!」

 

真依、そう、それは少女の名を呼んだ。

 

「帰ってこい!今度こそ、私がお前のことを守ってやるから!」

 

それに真依は息を吐き、そうして、手を真希に突き出した。そうすれば、その手に一つの拳銃が現れる。

 

「・・・・やっぱり、こうなるのよね。」

 

その言葉と共に、真依はためらいなく引き金を引いた。

 

 

「真依!」

 

自分に飛んできた弾を、真希は現状借りている刀で弾き飛ばした。それを予見していたのか、真依は一歩下がり、それと同時に地面に拳を叩きつけた。

そうすれば、分厚い土の壁ができあがる。真希はさすがにそれをぶち破ることは出来ずに、壁を避けて奥に進んだ。

けれど、壁から顔を出すと、そこには無数の壁と、そうして、うっそうと茂る木のおかげで視界は悪い。

 

「ねえ、お姉ちゃん、すごいでしょう?」

「何言ってやがる!?」

「私の構築術式って大人たちから外れ扱いされてたの、知ってる?」

「知らねえよ!」

 

真希は周りを見回した。声のために、方向はわかる。けれど、正確にどこにいるのかわからない。

真希の脳裏には甚爾とのやりとりが思い浮かんだ。

 

いいか、俺たちみてえなのは、いや、お前は半端じゃあるが。それでも、肉体といえる部分でのアドバンテージはそこまで重要じゃねえよ。

なら、何が重要なんだよ?

例えるなら、呪力もねえのに呪霊が見えるってことだ。俺の見える世界はある意味で、誰とも共有できねえ。俺だけが認識している世界。

だから、それがわかんねえって行ってるだろうが!師匠!

ちげえんだよ、いいか、お前が俺になることはできねえが。でもな、お前は俺に近づくことなら出来るんだよ。

 

びしりと、額を甚爾は指ではじいた。痛みの走る額に真希が甚爾を睨む。

それを甚爾は不思議そうな目で眺めていた。

 

なあ、真希よ。

その時、甚爾は、珍しく真希のことを名前で呼んだ。普段なら、おいだとか、そんなことでしか呼ばない男が。

 

お前、本当に強くなりてえって思ってるのか?

 

(そんなもの!)

 

真希はそのまま並んだ壁に飛び込んだ。何かを仕掛けているとしても、飛び込むという判断しか出来ない。

何かがあるとして、場数を踏んだ精神は確実に何かの予兆は感じられると思った。

けれど。

かちりと、足下で音がした。

その瞬間、本能のように目をふさぎ、耳もまた手でふさいだが、眩むような閃光と、耳の潰れるような音が響き渡る。

埋まっていた、地雷染みたそれに真希はふらふらと潰された五感の内の二つを捨てて、気配を探る。

けれど、それよりも先に、まるで雨のように細かな衝撃が体にぶつかる。けれど、所詮は本当の実弾ではないらしく、自分に当たる感覚を頼りに呪具を振り回し、できるだけ防ぐ。

 

(なんとか耐えろ!目はまだだが、耳は回復して・・・)

 

その時、何か、背中に痛みを感じた。

鋭い、何か、鋭いものが突き刺さる。それを咄嗟に引き抜くが、体がくらりと傾いでしまう。

倒れ込めば、体に力が入らない。

そのまま、真希の意識は闇に飲まれた。

それに、真依はゆっくりと近寄った。

 

「・・・・本当は、こんなことしないのよ?私、スナイパーだし。でも、こういうの、便利だよ。物量で押しつぶすのが基本だし。近距離はどきどきするわ。」

 

そんなことを行って、真依は持っていた麻酔銃を呪力に分解した。

 

「お姉ちゃん、やっぱり普通の人よりもいろいろと効きにくいだろうと思ってたけど。効いて良かった。ねえ、お姉ちゃん。」

 

真依はそっと倒れ込んだ真希の元に屈み込んだ。

 

「・・・わかってたの。お姉ちゃんは、たぶん、一緒に来てくれないって。それは、培ってきた倫理観だとか、それだけじゃなくて。単純に、奪った奴らを認められないだろうから。だから、わかってたの。」

 

真依はそう言って、そのまま真希に覆い被さる。そうして、真希の眼鏡を取った。

 

「だから、ずっと、決めてたの。お姉ちゃんが私に守られてくれないのなら、お姉ちゃんに強くなってもらわないといけないって。」

 

ねえ、お姉ちゃん。

 

真依はそっと、真希の口に、己の唇を近づけた。

 

「さようなら。」

 

 

「おはよう。」

 

眼を覚ますと、何故か、真希は砂浜に横たわっていた。どんより、曇り空を仰ぎ見て、起き上がれば冬の海があった。

 

「真依、ここは?」

「・・・・ねえ、一卵性双生児は呪術において凶兆なの。それは、何故か。何かを得るには何かを手放す。恩恵には代価がいる。それはよくある話でしょう?でも、私たちじゃ無理だから。」

 

真依はそう言って、波が押しては引いてを繰り返す、そんな瀬戸際に近づいて、海を見ていた。

 

「互いが同じ事を思わないと、意味が無いの。お姉ちゃんに術式がなくても私が持っていることが、私に術式があってもお姉ちゃんに呪力の器を持って行かれてることが。互いで互いをむしばんでいる。」

 

わたしはあなたで、あなたはわたしだから。

 

真依は悲しそうに微笑んだ。悲しそうに微笑んで真希を振り返った。

 

「わたしにあなたがいる限り、あなたにわたしがいる限り。永遠に、私とあなたは半端物なの。」

「だったら、どうするんだよ!それでも、お前と私が姉妹だって事に変わりは無い。血の繋がりは覆らねえだろう!?真依、かえってこい!」

「ねえ、お姉ちゃん。教えて。どうして、お姉ちゃんはそんなにも禪院家に執着するの?」

 

それに真希はなんと言えばいいのか、わからなかった。

執着?

何を、執着だなんて。ただ、禪院家の当主になれば真依を探すのに便利で。ただ、禪院家に捨てられた真依の価値の証明のためで。ただ、自分はあいつらに、捨て去ったものの価値をわからせるために。

 

「ねえ、違うわ。お姉ちゃん、ずっとわかってたんでしょう?お姉ちゃんは、心のどこかで全部、諦めてるんだもの。」

 

諦めている?

 

おうむ返しのように口の中でそれを転がした。

真依はそっと目を伏せて口を開く。

 

「わたしはあなたで、あなたはわたしだった。だから、互いになんとなくわかっていたでしょう。本能のような何かで、生きているって。私、ずっと、知ってたわ。お姉ちゃんが苦しんで、痛がって、耳の奥で怨嗟のような声が響いていたの。だから、お姉ちゃんもわかっていたでしょう。私が、ずっと幸せだったことを。」

 

だから、と真依は続けた。

 

お姉ちゃん、振う刃をどこに向かわせるのか、足掻いた先に何があるのか。

私がいるのに会いに来なくて。自分のいないどこかで、断絶されたその先で私は幸せだったから。

 

「ねえ、お姉ちゃん。お姉ちゃんは本当に強くなりたいの?だって、もう、守ってあげたかった、弱虫の妹はいないのに。」

 

それに真希はまるでどこからか血が流れていくような、冷たい感覚が全身に広がった。

 

足掻いて、足掻いて、術式を持った奴らに痛めつけられて。

それでも真希は強くなろうと、足掻いていた。

けれど、武器をふるって、体術を磨いて、血を吐くような努力をして。けれど、いつからだろうか。

何故か、二度と、真依に会えないような気がしていた。

きっと泣いているのだ。きっと、誰もいなくて、独りで、自分を求めているのだと。

けれど、思い立つ。

あの子は、生きているのだろうか。いや、生きている。自分にはわかる。あの子は生きている。

なのに、するりと耳元で囁いた。

 

なら、あの子はどうして、自分にさえ会いに来ないの?

 

違う!

違うのだ!

きっと、閉じ込められて、拘束されて、帰って来れないだけで。

ああ、でも、わかる。何か、胸の内でわかっていた。

あの子は生きているのだ。生きていて、そうして、帰ってこなくともいいぐらいに、幸せであるのだと。

 

からんと、武器が転がった。

 

(なら、私は。)

 

どうして、武器を振うのだろうか?

 

「どれだけ努力をしても、私は半端だった。当たり前だよ。だって、お姉ちゃんが諦めているから。お姉ちゃんには私だけで。私を理由に武器を振っているのに、私はもう、弱虫の妹じゃないのなら。お姉ちゃんはどうして、武器を振うの?」

何が言えるのだろうか。

 

甚爾の言葉。

お前は本当に強くなりたいのか?

ああ、そうだ。強くなって、ただ、強くなって。そうして、私は何をするのだ?

 

「なら、戻ってこいよ!真依、私を置いていくのか?」

「・・・お姉ちゃん、禪院家に絶望したのなら、捨てて良かったの。私が幸せだってわかるのなら、そのまま、あんな家、捨てても良かったの。でも、お姉ちゃんが、私がかえってきたときの居場所を作ろうとしててくれたのもわかってる。」

 

だから、と。

真依は振り返った。

気づくと、周りは、上も下もないような暗闇の中にいた。

そこで、自分たちだけがぼんやりと浮かび上がって、向かい合わせに立っている。

そうして何故か、互いの左手の薬指に糸が繋がっていた。

 

「呪力は全部持っていくわ。私のことも、もう、忘れて良い。」

「そんなこと、できるわけないだろ?私とお前は、姉妹で!」

「・・・うん、だから、もう、姉妹じゃなくなるの。私はあなたじゃなくなって、あなたは私じゃなくなる。ねえ、お姉ちゃん、約束して。」

大好きよ、ずっと、ずっと、最初に誰よりも好きだったのはお姉ちゃんだから。

だから、ねえ。

 

真依は甘えるように微笑んだ。

 

「幸せになって。」

 

そう言った瞬間、ぷつりと、二人を繋いだ糸がちぎれた。その瞬間、真希の意識はぶつりと切れた。

それでも、そんな最後に、今際の果てに声がする。

 

それでも、ねえ、私に会いたいって思ってくれるなら。追いかけてよ、ねえ、お姉ちゃん。

 

 

 

『灰原?』

「あれ、真依、どうしたの?」

 

その日、灰原はいつものように隠れ家にて夕食を作っていた。そんなときにかかってきた電話に出れば、末の娘が明るく声を出した。

 

『私のやることは終ったから、そろそろ帰るからね。』

「わかった。今日はしゃぶしゃぶだよ。」

『本当?ごまだれは?』

「あるよ。」

 

灰原は真依の明るい声に、ああ、成功したのかと理解した。

 

「真依、君のお姉ちゃんも仲間になるの?」

『え?ああ、禪院の末娘?勧誘したけど、だめだったわ。まあ、能力も半端だし、そこまでじゃないかなあ。』

「え、でも、いいの?お姉ちゃんなんでしょ?」

『お姉ちゃんって、何言ってるの、灰原。もう、何年会ってないと思ってるの?そんなの、他人と変わらないわ。大体、私のきょうだいは、ずっとお兄ちゃんだけよ?』

 




・・・・ねえ、お兄ちゃん。私ね、お姉ちゃんを連れてきたいの。
いいでしょう?もう、私もお姉ちゃんを守れるぐらいに強くなったから。
もしも、だめだったら?
その時は、お姉ちゃんに強くなって貰わないと。そうしないと、たぶん、すぐに死んじゃうから。
方法はあるの。
ねえ、私は呪石のおかげで構築術式の欠点を補ってるでしょう?でも、本当はもっと出力の効率化が出来るはずなの。でも、無理よ。
お姉ちゃんがいるから。お姉ちゃんも、私がいるから、完璧になれない。
だから、ずっと、考えていたの。わたしはお姉ちゃんを捨てて、お姉ちゃんも私を捨てないといけないって。

・・・姉妹であるって、証は何かしら?
血のつながり?でも、それは肉体的なものよ。私たちを縛るのは、もっと、根本的なもの。わたしはあの人で、あの人は私であるという繋がり。

愛を捨てるの。
愛しいという心。幸せになって欲しいって願い。互いがいれば良いっていう想い。
それを、全部捨てる縛り。誰かへの思いをくべる。
縛りは大丈夫よ。だって、わたしはお姉ちゃんで、お姉ちゃんはわたしだから。強制でもできるわ。わかるもの。
私ね、きっと、お姉ちゃんさえいればよかったの。
そうすれば、尊厳とか、苦しいとか、全部どうだってよかったから。
でも、私ね、お兄ちゃんと一緒にいたいの。お兄ちゃんのために何かしてあげたいの。
だから、力が欲しいの。
恩恵には、代価が必要でしょう?
だから、私は、私にとって最も尊いものを捨てるの。お姉ちゃんが私のものになってくれないなら、私の願いを理解してくれないなら。
私たちは、もう、別の道をいかないと。でも、そういうものでしょう。
人は、死ぬとき、独りだもの。だから、私は私の生きたい場所に行く。お姉ちゃんも、お姉ちゃんの行きたい場所に行く。
・・・・泣かないで。
いいの、ねえ、お兄ちゃん。
好きよ、好きよ、本当に、私、お兄ちゃんのことが好きよ。
だから、どうか、地獄にも私を連れて行ってね?


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各話の人物紹介

評価、感想ありがとうございます。感想いただけましたら嬉しいです。


pixivのほうだけに乗せていたおまけになります。
漫画の、柱に書かれている人物紹介みたいなものです。


 

道化が騙る時点での人物紹介

 

板取祐礼

とんでもない地獄に転生してしまった一般人。けれど、地獄を体験する双子の弟への罪悪感で、全てをひっくり返すことを決意する。が、もろもろのストレスでほぼほぼSAN値がゼロに近い。目的のために人を殺すこともためらわなくなっている。

術式は、性質を反転させることができる。そのため、反転術式も使えるし、姿を変えたり、果ては瞬間移動もどきもできる。数人にひどく恨まれている。

皮肉なことに、名前を捨てても、同じ音の名前になっている。

あだ名はゆうれい。

 

夏油傑

ゆうれいをものすごく憎んでいる。ただ、一般人へ向ける憎しみがそっちに行っているので、呪詛師にはならなかったが、ゆうれいの尻尾を捕まえるために裏側に潜入中。

 

 

五条悟

ゆうれいにはあったことがない。ただ、いくら調べても痕跡はあっても本質が見えず混乱中。当たり前で、組織が存在しないため。

 

虎杖悠仁

他人に囲まれて死ぬことも託されたが、それ以上にいなくなった兄貴を探している。ワンチャン、術式で探せないかと、呪術師になることを決めた部分もある。

 

プロのヒモ

ちゃっかり生き残っているし、ゆうれいのことが嫌いな人の一人。

 

盗人が騙る時点での人物紹介

 

板取祐礼

乗っ取り野郎への対抗馬をできるだけ増やしたくて、甚爾をなんとか生き残らせた。徹底的に不信感を持たせて、怒りを煽って生きる気力を無理矢理に植え付けた。

呪胎九相図についてはなんとかして仲間に引き入れる気。

元々、好感度の操作は得意なため、原作が始まるまではなんとか持たせたい。

 

 

五条と夏油

甚爾に対しては色々と複雑な面がある。ただ、甚爾の複雑な内面を知ってなんともいえない気分になっている。

特級呪物をいくつか盗られていたことに、余計に怒り狂っている。

 

 

伏黒甚爾

今回、手のひらで転がされていた人。物の見事に不信感と疑心暗鬼を爆発させて予定通りに動いてくれた。

が、動かされたことに対して非常に不愉快且つ、何億という価値の呪物をぶんどられて非常に怒り狂っている。原作よりも、恵が相手に狙われているという事実と祐礼への怒りのせいでちょっとだけましになっている屑。

 

伏黒恵

甚爾の育児放棄に呆れた祐礼に一時期育てられていた。祐礼が善人であることを理解していた。ただ、顔が思い出せない。

虎杖悠仁に対して、奇妙なデジャブを感じている。

 

禪院真依

祐礼に浚われる形で連れてきた。ただ、好感度の操作のためか祐礼のことを盲信している。

構築術式目当てであるが、置いていかれた双子の妹という存在への祐礼からの負い目の結果甘やかされている。

 

人攫いが騙る時点での人物紹介

 

板取祐礼

呪力についての研究のために真依を誘拐した人。申し訳なさはもちろんましましだが、心のどこかで自分の元にいた方がましではないかと傲慢なことを考えている。

灰原についてもそうだが、罪悪感は感じすぎて麻痺している。悠仁のことだけが心のよりどころ。

脹相たちについては御し切れるか不安で少しの間、放置していた。が、手駒が欲しいため呼び起こすことを決める。

正直、五条たちへのブラフのために星の子の家の金を盗んだため、有り余っている。金を使うにも構成員が数人のためあまり使っていない。ただ、もしもの時のため金を貯めていく気。

術式の名前をどうしようか悩んでいる。

この頃、伏黒父から奪った呪霊に癒やしを求め始めている自分がいる。

 

灰原

思い出がまるっとない。今のところ、幼女と誰よりも平和に暮らしている。

自分の人を見る目に何故か自信があるが、それは誰かにひっくり返されたものなのかは本人もわからない。

術式の名前を書いてる人間が悩んでいる。

実は祐礼に変装のため髪を染められたりしている。

 

真依

たぶん、原作よりもずっと幸せに暮らしている。

親からの圧もなく、疎まれることもなく、祐礼からの罪悪感でましましになった慈愛を受けてすくすくと育っている。心のどこかで姉が恋しいという心はまだあるが、祐礼にひっくり返されてどこかに置き去られている。

祐礼を慕っている。それが本当のものかは誰にもわからない。

 

 

七海

助けを呼ぶために走ったが間に合わなかった。友人の死体は残らず、残された血痕から死んだと思っているが、未練たらしく雑踏の中に目を走らせている。

呪術師を辞めようと思っている。

 

五条と夏油

何やら窓がやたらと容姿を覚えていない誰かと仲良くなったという噂を聞いている。

 

呪詛師

祐礼に脅されて使い走りになっている。

 

お兄ちゃんと弟たち

次回に登場、予定?

 

老いたものが騙る時点での人物紹介

 

板取祐礼

この頃、まじもんの幽霊劇場と化してきており、台本やらキャラ作りを頑張っている。

養い子をしている幼女があるものを作り出したことは知らない。

五条への発言はちょっとした老婆心。

今のところ、メロンパンを探すのに集中している

呪胎九相図を生み出すため、呪詛師と悪党を集めている。将来、兄弟になるかもしれない男との対面にどきどきする。

ただ、少しだけ彼の気持ちもわかる。生まれてしまったのだから、一人は寂しいから、縁を求めてしまうのだ。知っている。

 

真依

安易な気持ちで何かを作った。お兄ちゃんが喜んでくれないかとわくわくしている。

 

灰原

実直且つ子供と遊ぶのは好きなのでなんだかんだで上手くやっている。

 

五条

この後、何故か夏油のまねをし始める。ちょっと独り立ちをする決意中

 

祖父と孫

少しだけ表面的な悲しみは癒えてきた。それでも、ずっと、幼い子供の姿を探している。

 

偽物が騙る時点での人物紹介

 

板取祐礼

自分の血にまとわりついた業を知った。

元々、自分自体が間違っていたのだし、それについてはしょうが無いかと思っている。けれど、間違いは訂正されるべきなのだ。だから、間違いを全て正して終わるつもり。

心にあった甘い夢を破り捨てた。自分で自分を呪った。

現在、自殺希望者たちを集めて、呪力の充電器にできないかと考えている。

 

 

虎杖の祖父と孫

いなくなってしまった家族のことを心底心配している。偶然出会った女性のことが二人ともやたらと思い出深く残っている。

 

脹相

好感度反転をかけようとして余計に縁が深くなって、繋がりに気づいた人。

祐礼の本当の顔については知らない。

 

 

血族が騙る時点での人物紹介

 

板取祐礼

正直言って、SAN値的にはぎりっぎり。

メロンパンになんとかギリギリ、くもの存在を匂わせられたと願っている。

真依についての教育は現在成功中。とんでもないものを爆誕させた。

新しくできた三人の兄弟を頑張って捌いている。

ちなみに、テーマパークは行った。

 

脹相

何はともあれ兄弟がそろって嬉しい。なんとかして、他の兄弟の亡骸も回収したいと考えている。色々と含む物がある末っ子について気にしている。幽霊の本当の名前を知らない。

それはともかく、テーマパークには行った。

 

壊相と血塗

よくわからないが弟が一人増えた。兄者が言うのだからそうなのだろうなあと納得している。また、人の中で過ごすために常識を色々と教わったが、その間にとある会社のアニメ映画にドはまりした。

テーマパークには行った。

 

禪院真依

何はともあれ、原作から一番かけ離れている少女。たぶん、能力を知ったら禪院家も喉から手が出るほど欲しがる。自分のすごさをあんまり理解していない。

テーマパークには行った。

 

灰原

護衛と言うよりも世話係になっている。幽霊のつれてきた呪胎九相図にも平気な顔をしている。

俺、人を見る目はあると思ってるんですよ!

 

メロンパン

どうも、自分以外の何かがいることを察し始めている。

 

ひとでなしが騙る時点での人物紹介

 

板取祐礼

一段落ついてほっとしている。罪悪感というものが鈍くなっている自分に辟易している。

真人にあとで赤のことで文句を言われたため、黒になって散々に構った。

悠仁の自分に向けられた憎悪に、ああ帰れないんだろうなあと考えている。

禪院家を使って、御三家の信用を落として、新参が有利にならないかと考えている。

次の対校戦でやることについて考え中

 

 

真人

赤が戦いに加わらなかったのは怒り狂っているが、あとで黒に構ってもらったためご機嫌。赤とは二度と組みたくない。

 

虎杖悠仁

今回のことで呪霊や呪詛師への覚悟が決まった。赤というそれを全力で殺す気。

 

吉野順平

呪霊が見える立場であるが、それ以外に何もないため監視されているがそれだけ。

転校した。

 

七海

くも、というものへの殺意を貯めている。

 

父親気取りが騙る時点での人物紹介

 

板取祐礼

五条と交渉して交流戦に潜り込むことが出来た。また、甚爾と交流を持って高専の臨時講師にねじ込めた。

甚爾にとって一番触れたことのない感情が父性ではないかと予想してそういったキャラクターを装い、そうして数年かけて天与の肉体を攻略した。

伏黒と父親の関係性はまだ良好なことにほっとしている。

 

 

伏黒甚爾

気づいていないが、彼の感じた不快感は、自分を刺した黒と黒鷲が同一であると本能で覚ったため。ただ、自分の受けている干渉への不快感や祐礼の完璧な演技に混乱して気づかなかった。

最後の瞬間に、自分に向けられる父性に落ちた。それが本当か、そうでないかは置いておくとしても頭を撫でてくれたものは誰もいなかった。そういう人生だった。

 

禪院真希

真依のいない反動で反抗レベルが爆上がりしている。肉体の資質が優れていたためなんとか生きて、五体満足でいれたが普通なら死んでるレベルで虐待されていた。

家出、と説明されているが実際は罪悪感で祐礼が連れ出して甚爾に預けられた。

原作よりも無口だが、基本的に不屈であり、面倒見は良い。高専にはあまりおらず、甚爾にくっついて任務をしている。

 

伏黒恵

父親のことはクズだが、だめな父親程度の認識。父の肉体能力の高さは認めている。

黒鷲に関しては父を止められる存在であり、昔から外に連れ出してくれてたため懐いている。どこか、懐かしい気持ち。

 

 

パンダ、狗巻

真希とは接触は少ないが、少ない同級生のため話はするし、仲が悪いわけではない。

 

密通者が騙る時点での人物紹介

 

板取祐礼

今日も今日とて頑張っている。己の産みの親に加茂家?とっくに陥落済みだよと教えられて慌てて作戦を変更している人。出来れば、加茂君を取り込みてえなあと思っている。

分身の術式を使い、黒としても潜り込んでいる。甚爾を放り込んだが、死人が出ないように調整しようと思っている。

いつかに、エゴと哀れみと、利用するために攫った少女が決意を決めた。なら、それを止める手立てなどない。

 

脹相

弟にようやく頼られて嬉しいし、置いてきた弟たちともようやく会えるのでテンション爆上げ。

黒鷲から逃げて、お兄ちゃんを遂行しようと思っている。黒鷲に何かを感じた気がするが、逃げるのに必死で忘れた。

 

伏黒甚爾

なんかあったら飛び出してくれと森に放置されていた。ただ、本当に事態が起こって飛び出てきた。

五条が来るまでしのげたらボーナスが出る。

 

禪院姉妹

ずっとあなたに会いたかった。ずっと、どうしているのか心配していた。ずっと、きみのことを思っていた。

ねえ、今度はずっと、一緒に居れたらいいのにね。

例え、共に産まれてきたとしても、人は結局一人で死ぬのだ。

 

妹が騙る時点での人物紹介

 

板取祐礼

今回は出演はなし。最後まで妹分の提案を否定していたが、当人がそのまま押し通した。

ああ、弟のために地獄を歩いている。彼のために、地獄に墜ちる。それでいい、

それで、よかった。

その道連れに微笑む女はさぞかし愛らしいだろう?

お前が植え付けた愛だ。お前が育んだ愛だ。お前が、誰よりも、慈しみ続けた愛は確かにお前に微笑んだ。

地獄に羽ばたく雁は何よりもきっと美しいだろう。

 

妹分

きっと、誰よりも姉のことが好きだった。共に産まれたくせに、彼女を姉だと言って、甘え続けていた。

けれど、力を持ち、己で歩いて行く足を手に入れて、自分がどれほど甘ったれだったかを理解した。

自分を守り続けてくれた人がどれだけ心を砕いていてくれたのかと理解した。

だから、今度は自分が守ってあげよう。己の愛する人、全てを。

それでも、姉はきっと認めない。私と一緒に堕ちてはくれない。あなたはそういう人だから。

だから、せめて、私がいなくても、どこにだって行けるように強くなって欲しい。

さようなら、私の愛。終らせよう、私の初恋。

墜ちる地獄はもう決めた。

 

 

禪院家の末娘

原作ほど頑張る理由がなくて色々とふわふわしていた。この世界でも、乙骨先輩とかとは仲が良い。

妹分が強くなっても、姉はどこかで諦めていた。

何のために足掻くのだろうか?何のために強くなるのだろうか?

もう、彼女に妹はいない。もう、彼女に愛はない。

ただ、あるのは、彼女の最も愛した鳥の残した、葦の欠片、それ一つ。

完成した、確かに、それは何よりも。

たった一つ、失いたくなかったものを失って。

 

 








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弱者が騙る

お久しぶりの投稿です。切りのいいとこで切りたかったので、すごく短いです。

高専襲撃のその後と、祐礼の必殺技の話?


 

 

「・・・・誰も死んでないというのは意外だね。」

 

それは呪術高専の一室だ。そこには、五条悟、夜蛾正道、そうして、夏油傑がいた。

夏油は今回の交流会での顛末を聞いて目を細めていた。

それに五条が肩をすくめる。

 

「まあね。お前と黒鷲からの釘刺しでまばらに、じゃなくてある程度戦力を一つにまとめておいたことが功を奏したようだよ。というか、黒鷲、あんたまだ仲間がいたのかよ?」

 

畳敷きの部屋の中で、座布団に座った互いを見ながら五条が吐き捨てた。それに壁際に座り込んだ黒鷲が肩をすくめた。

 

「そりゃあな。」

 

今回、呪術高専に待機していた術師たちを助けたのは一人の青年だったという。変わらず仮面を付けたそれは、呪具を使っていたそうだ。

 

「でも、そいつら殺す前にこっちに引き渡してもらいたかったがな。」

「手加減が出来ない奴でな。ただ、情報は幾つか引き渡しただろう?」

 

それに五条はふむと腕を組んだ。

 

「・・・・だが、宿儺の指と、そうして呪胎九相図の4~9番が奪われたのは痛いね。」

「そうは言っても、忌庫番の安全を取ってのことだろう?仕方が無いよ。」

「・・・・まあ、今回襲ってきた、あの植物の呪霊を祓えたのは僥倖だったけどさ。」

「というか、だ。」

 

そんな話をしていた夏油と五条に、夜蛾が叫んだ。

 

「なーんで今回のことをこっちに回さなかったんだ!?」

 

びりびりとしたそれに五条がげえっと吐くような仕草をする。

 

「絶対めんどくさくなるじゃん!!」

「教師に!なったのなら!報!連!相!を心がけろ!!!」

 

ぎゃーすかと騒ぐ中で、黒鷲は気だるそうにため息を吐いた。それを見ていた夏油はゆっくりと口を開いた。

 

「・・・・植物の呪霊を祓った存在については、本当にわからないのかい?」

 

夏油はじっと黒鷲を見つめる。黒鷲は、騒いでいる二人に視線を向けつつ、静かに首を振る。

 

「だから言っただろう。俺の身内が祓ったのは確かだが。それが誰かはわからんのだ。」

 

夏油はそれにそうなのかいと頷いた。

 

 

 

植物の呪霊に逃げられ、生徒たちの安全確認を任せた五条は、ともかくと黒鷲の回収に向かった。

その時だ、空に閃光、いいや、それが巨大な呪力の固まりであることをその目は捉えた。急いで飛んだ先にいたのは、疲れ果てた黒鷲だった。

 

「・・・・今の何?」

「あー・・・特級呪霊がいたんだが。なんとか祓った。」

 

黒鷲はあっさりとそう言った。

 

 

黒鷲曰く、ではあるが。

 

「俺だって一人でやってるわけじゃねえよ。身内だっている。今回やらかしたのは、身内の一人だ。」

 

それに対して、五条はもちろん、夏油でさえも疑問に思う。あんなに強力な呪力の出力が可能な存在がいるのならもっと早く知らせればよかったのではないかと。

それに黒鷲は肩をすくめる。

 

「うちは、互いの連絡は最低限だ。一人がばれて、そこから芋づる式にばれる可能性があるからだ。だからこそ、だ。俺たちは互いの術式も知らねえんだよ。」

「そんなこと、あんの?」

「誰一人、かい?」

「ああ、一応、情報を管理してる家系があるから、そいつらは知ってるだろうが。なあ、俺たちがどうしてお前達の窓口役になったのかわかるか?」

「なぜだい?」

 

その問いに、黒鷲はけらけらと笑った。あっけらかんと言ってのけた。

 

「俺は術式が、相手側にも、そして、味方にも知られてんだよ。」

渡る情報は少ない方がいいだろう?

 

それに対して黙るしか出来なかった。

五条からすれば、残穢の痕跡も黒鷲のものしかないことが気になっていた。けれど、黒鷲はそれに肩をすくめる。

 

「俺みてえに一人でやってんのは珍しいんだよ。大抵は、足役と、あと戦闘役とかに分かれてるんだ。」

「何だよ、集団行動苦手なの?」

「死んだからな。」

 

あっさりと言われたそれの後に、少しだけ伏せられた顔はよく見えない。

だから、一人だと。

そう言われると、どこか、踏み込みにくいものがあった。五条も、欠けること無く、片割れがいるのだから。

そこに触れるのははばかられた。

 

そうして、呪霊を祓った功績も、五条のものとなった。

 

虎の子は出来りゃあ隠しときたい。そう連発出来るもんでもないそうだからな。

 

そのため京都校との現状把握のための報告会でもそういったことにした。その時、宿儺の指について守ることが出来なかった黒鷲に対して批難はありはしたものの、術師や忌庫番たちの保護をしたことや、老いた男の言葉で少しだけ黙り込む。

 

「若造が死ぬのは、老体にゃあキツいんだよ。」

 

老いた男の言葉短いそれに、少しだけ黙り込む。

何よりも、今回、人死にが出ていないだけ、いいや、呪霊を祓ったことも功績であるとしてとんとんであろう。

 

夏油は、騒動を聞きつけて慌てて高専にまでやってきたのだが。改めて話を聞いて頭を抱えたくなった。

何と言っても、宿儺の指と、そうして、呪胎九相図が奪われたのだ。

 

「上の連中が五月蠅いぞ・・・」

 

ぼやくような言葉を夏油が吐いたとき、がらりと扉が開く音がした。

それに、皆が扉の方を見た。そこにいたのは、疲れた顔をした伏黒甚爾だった。

 

「・・・あの子は?」

 

掠れた声で黒鷲が甚爾に問うた。それに、甚爾は疲れたように肩をすくめた。

 

「感覚は掴んだみてえだ。行くんだろう?」

「行く?どこにだい?」

 

夏油は不思議そうに言った。それに、夜蛾に関節技を決められていた五条が、腕から逃れて姿勢を正した。

 

「やっぱり、意思は変わんないの?」

「ありゃあ聞かねえよ。止められはするが、四六時中あいつを押さえつけとけなんて非現実的なことを言うなよ?」

「だよねえ。黒鷲、あんたは止めないの?」

 

五条のそれに黒鷲は首を振る。

 

「俺は最初に、たきつけた側だ。何よりも、だ。失せ物を見つけたとき、誰だって慈しむのと同じように。自分の指からすり抜けることを許せんのは人の性だろう。」

「・・・なら、一応、やり過ぎないようについてこうか。あ、傑も来る?」

「来るって、どこにだい?」

「うーん?禪院家への殴り込み?」

 

五条のそれに夏油と、そうして夜蛾の口元がぱっかんと開いた。

 

「「は?」」

 

間抜けな声音が二人の口から飛び出した。

 

 

 

 

花御にとって、それは、特別な人間であった。

 

「ご挨拶を、花御様。」

 

初めて会ったとき、花御にとってそれはひどく不思議な気分になった。

憎いだとか、蔑みだとか、呆れだとか、そんなことなんて欠片だって思わず。ただ、ただ、しんと静まりかえった穏やかな気持ちだけになった。

 

呪詛師黒は、まるで植物のような存在だった。

静まりかえって、穏やかで、呪霊を前にしてなお、ひどく落ち着いている。

ただ、そこにいる。そこにいて、けれど、そこにいないような曖昧な存在。

 

花御にとって、それは人であるのだと理解はしていたけれど、心のどこかで違うのだと思っていた。

真人のように積極的に関わることはなかったけれど、気にはしていた。

それが何を考えているのか、問いかけたいとずっと思っていた。

 

 

呪術高専の襲撃のためにかけられた帳が上がったとき、時間だと理解して離脱のために呪霊や呪詛師の人間の回収に向かった。

そうして、最後に黒の元に向かった。

 

指定していた場所にやってくれば、彼は穏やかに微笑んでいつも通り花御を見た。

 

『さあ、ここから離れましょう?』

「ええ、申し訳ありません。」

 

黒はそう言って花御の作った抜け穴に向かう。すでに、抜け穴一杯になった根っこの部分には脹相などが待ち受けていた。

 

「黒、大丈夫か!?」

「ええ、特別には。」

 

そんな会話がある中、花御もまた地面にもぐろうとした、その時だ。

 

ふわりと、自分の体が浮かび上がる感覚がした。それに、花御は感覚として理解できた。

 

空に、自分が、落ちていることに。

 

ぐんぐんと遠ざかる地面が見えた。

 

花御は、己の作った地面を掘り進める根の部分を切り離した。そうして、ありったけの呪力を込める。

そのまま掘り進める根のことにほっとして、花御は自分に向けられる視線に気づいた。

 

「疑問だったんだよ。」

 

ぴたりと、花御に起こる落下は止まる。半端に空中に縫い止められ、花御は己の目の前に存在するそれを認識する。

それは、渋い色合いの着物を纏った、鬼面を被った老人だ。

花御は虫の息の中で、種子を発射する。けれど、それは、老人に到達する前にぴたりと止まり、そうして、地面に落ちていく。

 

「五条悟の、虚式・茈は、正と負のエネルギーをぶつけることで仮想の質量を生み出す。だが、それは普通の人間では出来ない。そこまでの呪力の調整は元より、あれは、違う性質の無限をぶつけることでできることだ。」

だがな、考えていたんだよ。

 

「力の性質さえなんとか、できればってな。」

『貴様は、何を言っている!?』

 

空中では身動きは取れず、それへの攻撃は確実にそれに届く前に止まる。叫んだ花御に、老人は微笑んだ。

 

老人は、紫色の石を花御に向ける。

 

「順転と反転、俺はその性質だけだ。だからこそ、それを混ぜたときの結果は、停滞だ。進む力と、戻る力は拮抗し続ける。だからこそ、だ。反発しあいながら、蓄積され続けた力が解き放たれたら。どうなると思う?」

 

その言葉に、花御は察する。自分にやってくる、それのこと。

 

『何を!』

「ええ、ですから。実験台になってくださいますか?花御様?」

 

その声。その声は、ああ、花御はずっと惹かれていた、黒のもので。

花御の視界は、光で埋め尽くされた。

 

 

 

(・・・・・ははは、んだよ、成功、か。)

 

術式を保ち続けられず、板取祐礼はそのまま落下する。それに祐礼は気力を振り絞り、呪石を飲み込み、そうして、またふわりと浮き上がる。

 

疑問だった。

正反対の力をぶつけることで、五条が虚式・茈を発動するなら自分でも似たようなことが出来るのではないかと。

けれど、祐礼がそれをしても何も起こらない。当たり前だ、祐礼の術式は、あくまで正当な循環と、反する循環、力の流れであって力そのものではない。故に、起こる結果は力の拮抗、停滞、静止だった。

ならばと思った。術式を指定する力があれば。

例えば、重力なら空中で止まることが出来た。例えば、好感度ならばリセットが出来た。

けれど、あくまで拮抗における静止にしかならなかった。

 

それで終るはずだった。まあ、劣化版の無下限が出来ると思えばそれでよかった。

 

けれど、それでも思いついたのだ。

純粋なエネルギーの結晶であり、そうして、それを保つ器になるもの。

 

一度、呪石に反転させた呪力を注ぎ込んだことがあった。そうすると、呪石は軽い爆竹のように爆ぜた。

結晶化された呪力とただの呪力ではうまく打ち消し合うと言うことは無かった。

呪石に、順転させた呪力を注ぎ込む。爆発する瞬間、静止する。

そうすれば、爆発するはずの力は行き場を失い、けれど、打ち消し合う力はそのままに保たれる。そうして、そこに更に呪力を蓄え続ければどうなるか。

 

(十数年物の、おまけに複数から作った 呪石を消費するのはキツいが、まだ余裕はある。)

 

祐礼はため息を吐いて、ちらりと、呪石を発射した手を見た。そこには、ぐずぐずに肌の溶けた腕があった。

 

「・・・弾丸が一流でも、打ち出すのが三流だからなあ。まあ、偽・茈ぐらいは言っていいのか。」

 

ぼやくようにそう言って、祐礼はそのまま己の腕を治した。

そうして、結果的に五条と合流した。

高専に身内をいれたと怒られはしたが、元より、忌庫番に自分が向かったこと自体、非常に禁忌なのだ。

 

(まあ、上の連中は俺を排除できないだろうが。)

 

上の人間、つまりは術師として古く、力の強い家系の人間は自分をそう排除できない。何故って、表向き、黒鷲という役割は唯一くもと関わりがある人間なのだ。

 

呪石という存在はそれほどまでの金脈なのだ。

術式がどれほどお粗末でも、燃料が豊富であれば如何様にも出来る。それは、真依が一番に顕著だろう。

だからこそ、だ。

くもへの一番の手がかりである黒鷲とは仲良くしたいのだろう。少しでも情報を引き出し、どうにか関わりが持てないか、と。

 

(くだらねえ。)

 

祐礼は仮面の下で嘲笑を浮かべる。

目先の利益に目が眩み、信用も出来ない存在から受け取った物を体に取り込むなど愚の骨頂だ。

けれど、彼らはそれをする。自分たちが強者であるという傲慢さを持っているが故に。

黒鷲は、基本的に五条や夏油の目の前にしか現れない。そのために、余計に情報が引き出しにくい。

表立って捕らえてしまえばいい?

いいや、あくまで、秘密裏に行わなければいけない。何故って、表立って捕らえてしまえば、情報が他に渡ってしまう可能性がある。

自分だけが得をしたいのだ。どうやって、他人を蹴落とし、そうして、自分だけ得をするか。

それだけのために、黒鷲という存在は薄氷の上を歩いている。

そうであるが故に、生意気な五条の小僧の元に現れる身元もわからない術師の存在が許されているのだ。

 

(なんて、筋書きで俺は表向きで優遇されているわけだが。)

 

おそらく、五条たちはそう思っているだろう。身元もあやふやな黒鷲が許されている理由なんて。

実際の所は違う。

祐礼はすでに、くもとして、上層部の人間達と関わりを持ち、そうして、呪石の配給を少量だけ行っている。

あくまで少量、そうして、そこまでの結果を出せないぎりぎりの量。

くもは、彼らに呪石を渡すとき、囁くのだ。

 

五条の協力者である、黒鷲から情報を引き出してください。そうすれば、それと引き換えに、呪石の生成方法をお教えしましょう。

 

それだけで、彼らは互いを牽制し、逆に黒鷲の身元は安定する。

彼らは黒鷲の身元を求めるが故に、互いに牽制し、ある意味で守ることしか出来ない。

 

(まあ、いい。そろそろ、爆弾のスイッチを押してもいいだろう。呪術界の手綱は、五条たちに握らせたい。禪院家の掌握が出来るのなら、それで。)

 

そんなことを、祐礼は考える。そうして、禪院家に着いた。当主である禪院直毘人は真希の謁見を許した。

祐礼はそれに、ああと。

 

何人かが死ぬのだろうと思う。おそらく、真希と真依の父親は死ぬのだろうと考えて、それでもどうでもいいかと考える。

その程度で、傷つくことも、結局なくて。

 

なんてことを考えていたとき、明るい声が聞こえてくる。

 

「なんや、来とったん!?」

 

騒がしいその声に、祐礼はびくりと体を震わせた。

そこにいたのは、満面の笑みを浮かべた禪院直哉だった。

 



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師が騙る

お久しぶりです。今回も短めです。ちょっと、直哉の術式反転とかの解釈で悩んで遅れました。ちょっと、解釈が似た作品があって出していいか迷いまして。ちょっと、まだ考えたいので、直哉のそこら辺は後日にします。


「お師匠!なんで禪院におるん!?うちのパパに用事!!??」

「い、いや、今回は別件というか。まあ、お前さんにも話しとけばよかったな。」

 

ぶんぶんと、回される尻尾を幻視した。

それに黒鷲はたじたじになりながら、受け答えをする。それに夏油傑は目を白黒させる。

そうして、それを五条悟と伏黒甚爾は呆れた目で見つめる。

 

「えー。何々?」

「いやな、その・・・・・」

 

それをうろんな瞳で見つめながら五条と夏油はその理由を知っていそうな男に声をかける。

 

「ねえ、あれって、禪院家の当主の息子でしょ?なんであんなに仲良いわけ?」

 

それに甚爾は心底面倒くさそうな顔をした。五条もまた肩をすくめた。

 

「言葉のままだろ。あいつにとって、黒鷲は師匠なんだよ。」

 

直哉というそれは傲慢な男だ。

他者に対してへりくだるような立場でなかったこと、それと同時に、少なくとも他者よりも秀でた才能はそれの傲慢さをかき立てさせた。

故に、彼は周りを見下した。

事実、彼の周りには、彼の鼻をたたき折れる存在などいなかった。肥大した自尊心はそれの在り方をすっかりねじくれさせていた。

そんな中、直哉は一つだけ困ったことがあった。

それは自分の力が伸び悩んでいた。

彼の父は、確かに実力者であったが、直哉が望むのはそれ以上のことだ。

 

特級、その高み。

 

故に、彼の父は呪術師の師として力不足であった。

そんなとき、出会ったのが、黒鷲というそれだった。

 

 

「なんや、自分・・・」

 

直哉は改めて思い出すと、初対面とはいえ、少々無愛想すぎる。それに、老人はくすくすと笑って直哉に話しかけた。

 

「まあまあ、そんなに警戒するな。少しだけ、提案がしたいんだよ。」

 

柔和な印象を受ける声音は不快ではない。けれど、明らかに不審者と言って良い存在に直哉は眉間に皺を寄せた。

 

「ていあんん?あほか、んなこと言う前に自分が何者なんか言えや。」

「おお、そりゃあ、悪い。俺は、黒鷲ってものなんだが。お前さんに提案があってな。」

 

なあ、お前さん、強くなりたくねえか?

 

そんなことを囁いてきた。

 

直哉はそれに、眉間に皺寄せた。

 

「・・・・ずいぶん、甘いお誘いやな。で、何してくれるん?」

 

その時、直哉は、何か、珍しくそれの話を聞いてみたくなった。それは、丁度、行き詰まっていたこともあるし、何よりも何故だろうか。

その男を前にすると、不思議と信頼が出来ると思えてしまった。

直哉の返事に、それは唯一うかがい知れることが出来た口元に、にんまりと笑みが浮んでいた。

「そうだな、まずは、反転術式からやってみるか?」

それに直哉はあまりにもぶっ飛んだ提案に固まってしまった。

 

 

それは黒鷲と名乗った。

曰く、どこぞの馬の骨だと名乗った。もちろん、信用など出来るはずがないのだが。

不思議と、その男の話に耳をそばだててしまった。話を聞くだけはただであろうと、自分を納得させた。

 

「いうて、なんでそんな提案してくるん?というか、不審者の提案なんて聞けるわけないやん。」

「・・・ふむ、それもそうだな。うんうん、ようし、なら、こうしよう。俺の身元を保証する奴に会わせてやろう。」

「ほう、誰に会わせてくれるんや?」

 

そうして、後日会わせられたのは。

 

「五条悟。」

「こいつ、誰?」

「は?」

 

直哉の目の前には、不機嫌そうな銀髪の青年が一人。直哉は突然現れたそれに固まってしまった。

黒鷲は固まった自分に淡々と物事を進めていく。

 

「これである程度の信頼は勝ち取れたよな?」

「いや、え、ちょい待ち。どういう繋がりや?」

「ねえ、黒鷲、こいつ誰?」

「お前。禪院家の人間の、おまけに当主の息子の顔ぐらいは把握しておけよ・・・」

「別に興味ないし。」

 

あっけらかんとした五条のそれに黒鷲は呆れた顔をした。そうして、改めて直哉を見る。

薄く、笑みを浮かべた口元は、ひどく、柔らかくて何か、そわそわした。

 

「まあ、で、だ。お前さんと少し、取引がしてえんだよ。」

 

五条の言葉に眉間に皺が寄っていた直哉はそれに反応した。視線を向けると、そこにはにこやかに笑う老人がいた。

それはそっと、手を伸ばしてくる。

 

「戦力が欲しい。」

 

声が、する。

五条の隣に立ち、それの力を借りることが出来る存在が、自分に手を伸ばす。

 

「お前はそれに足る、そうなり得る存在に至れると、思っている。」

 

何故か、わからない。

心が落ち着かない。魅入られたように、老人の、しわくちゃな手を見つめる。

 

「禪院、直哉。どうか、力を貸してくれ。」

 

直哉は、それにふらふらと、何か、惹かれるようにその手を取った。

触れた瞬間、淡く浮んだ笑みが見えた。

ああ、何故だろうか。

思ってしまった。

 

この人に、認められたいと。

 

 

 

「・・・・禪院家の息子が実力をつけてきたって噂があったけど。本当だったのか。というか、なんで教えてくれなかったんだよ?」

「黒鷲のやつに口止めされてたんだよ。繋がりを知られてない方が色々とやりやすいってさ。」

 

夏油の不機嫌そうな顔に五条が顔をしかめる。

 

「ふうーん、真希ちゃんが当主に?」

 

話しの大部分が終ったのか、直哉の声にその場にいた三人が振り返る。

 

(確か、禪院家の次代は、彼だったはず。)

 

夏油は頭の中に入れておいた勢力図を引っ張り出す。今のところ、禪院家の人間は際だったほどの人間がおらず、術式的に彼が有力だったはずだ。

 

(あいつの幼少時の話から考えて、あの子が当主になるのには納得しないんじゃ。)

 

夏油は少しだけ、甚爾のことを見た。

 

なあ、夏油。

 

昔、老いた男と話をした。

それは、あの少女の話だ。

死んでしまった少女、それを殺した男。

何故、生きているのだと、怒りに震える自分に、男が静かに話した。

 

夏油が猿と呼んだ、とある男の、幼い頃の地獄について。

 

蔑まれ、たたきのめされ、尊厳という尊厳を踏み潰されて、ここまできた。

 

「なあ、夏油。」

 

老人の声がする。

 

「お前の救いたかった幼子と、甚爾の違いは何だ?」

 

手の先が震える。

 

「力の有無によって蔑まれた彼らは、どこが違う?」

 

喉の奥からせり上がってくるものがある。

 

「お前の両親は、猿である彼らは、お前を疎んだか?」

 

・・・それは。

 

夏油、と老人の声がする。

甚爾への憎しみが沸き上がる度に、老いた男の声がする。

 

諦めろ。お前の言う猿が醜いのではない。人とは本来醜いものだ。だがな、醜さと美しさばかりを見つめるな。

 

男が頭を撫でた。

しわくちゃな、手が。

自分の頭を撫でて、悲しそうに微笑んで。

 

「見つめるのなら、人の優しさと非道さを見つめろ。」

「何故?」

「その方が、救われる。」

人は、美しいものは美しいまま、醜いものは醜いものだと引きずる。でもな、悪党の中にも慈悲は有り、善人にも非道が存在する。

 

「醜いものばかりと思うよりかは、どんなものにも慈悲があると思う方が救われるだろう。」

 

その男に何があったのか知らない。ただ、男は、甚爾というそれに何かしら思い入れがあるようだった。何故、とは聞けなかった。

己に地獄があるのなら、その老いた男にもあるのなら。

 

夏油はいつだって、それに痛みを覚えながら怒りが沈んでいく。

 

「かまへんよ?」

 

直哉の言葉に思考が戻ってくる。

 

「いいのか?」

「ええよ、どうせ、真希ちゃん自身、当主の座自体に興味あらへんのやろ?大方、真依、ちゃんやっけ?あの子探すためやろうし。大体、あの子自身、この家の采配自体するような気もないやん?」

大方、期間限定やろ?

 

あっさりとした、その言葉に黒鷲は苦笑いをした。

 

 

 

人を、吹っ飛ばす。

殺しても構わないが、真希は的確に、それぞれが気絶する程度の力でそれら吹っ飛ばす。

 

眼を覚まして、最初に見たのは黒鷲の爺だった。

 

「ま、まいは?」

 

震える声でそう言った。

 

「・・・お前は一人で倒れていたよ。それと、これだな。」

 

そう言って、一振りの呪具を渡された。

受け取った真希に、黒鷲は労るように背中を撫でて、囁いた。

 

「何があった?」

 

真希はわらにも縋るような心地で男を見上げた。それならば、きっと、自分に起ったことも、全部理解して、助けてくれると信じたのだ。

真依との会話、そうして夢の内容。それに黒鷲は静かな声で言った。

 

「・・・・五条の話だと、お前の中にある呪力が無くなっているそうだ。」

「師匠、と同じ?」

「ああ、そこから考えて、だが。お前は、あの子との間に縛りをさせられたんだな。」

「私は受け入れてなんて!」

「お前達は双子だ。同じ時に生まれた、いいや、同じ肉を持って生まれてきたかも知れないお前達は、当人本人だと言っていい。縛りを強制できる、理論上では。」

「なら、私は何を捨てたんだ!?呪力を捨てるなんて、そんな縛り、どうやって!」

「お前が捨てたんじゃない。お前は、捨てられたんだ。」

 

頭を、殴打されたようだった。

がんと、目の前が、真っ暗になる。真希は持っていた剣を見つめた。

 

わかっていたのだ。

だって、確実に、どれだけ探っても、確かに存在していたものがなくなっていたから。

 

妹との、繋がり。

確かにあった、かすかで、けれど、存在していた何か。

 

ぶつりと、切れて、消えて、しまって。

 

(捨てられた?私は、お前に。)

 

ずっと、求めていた。ずっと、探していた。

いない、いなくて、そうして、消えて。

 

(・・・・真依、お前は、私が、いらなくて。)

「真希?」

 

そこで声がする。それに、顔を上げれば、これ以上ないほどに優しい顔をした老人がいた。それは、ベットに座っている真希の視線に合わせるように屈み込んだ。

 

「真希、いいか、お前の心を本当の意味で理解することは俺には出来ない。ただ、一つだけ覚えておいてくれ。」

 

お前は、まだ、本当の意味で失っちゃいないんだ。

 

それに真希は少しだけ、姿勢を正した。男の手は温かくて、そうして、どこまでも真摯に自分のことを見つめていて。

そんな顔で、自分を見てくれる人はいただろうか。

あの家で、そんな風に、優しく、己のことを見つめて語りかけてくれる人なんていただろうか?

 

「お前はまだ取り戻せる。本当の意味でお前のことを拒絶したってえなら、お前はとっくに殺されてる。言われたんだろう。追いかけろって。諦めるのか?」

 

それに真希は無意識のように首を振った。

 

「・・・・やだ。」

 

茫然と、ひどく、幼い声で真希は吐き出した。

 

「やだ!やだやだやだ!そんなの、やだ!わたしのいもうとだ!わたしの、たったひとりの、かぞくなのに!」

「なら、追いかけよう。」

 

やっぱり、聞こえたのは、優しい声で。

黒鷲は真希のことを強く、抱きしめた。

 

「真希、お前の妹はお前が嫌いになったんじゃない。」

「きらいに、なってない。」

「そうだ、嫌いになってたら殺してる。でも、お前は生きてる。」

「わたしはいきてる。」

「お前の妹はきっと、何か事情があるんだ。」

「じじょうが、ある・・・」

「だから、お前が助けてやるんだ。」

「わたしが、たすける。」

「そうだ、きっと、くもたちに、ゆうれいにそう育てられてしまったんだ。」

「あいつら、悪い。」

「そうだ、真希。妹を、助けてやろうな。」

 

まるで、乾いた大地にしみこむように、真希は黒鷲の言葉を受け入れる。

そうだ、自分は、助けるのだ。

あの子を、ずっと、願っていた。

 

(真依を、みつけてあげなくちゃ。)

 

しわしわの、手が自分の頭を撫でる。少しだけ、お香のような匂いがして。普段は飄々とした男の体は案外小さいように思えて。

 

温かな、体だった。

 

「そうだな、悲しいな、苦しいな。大丈夫だ。」

じいちゃんも頑張るから。

 

だから、泣くな。なあ、泣くな。

優しい男が自分を抱きしめてくれる。それに、真希は泣いた。

わんわんと、わんわんと、ただ、泣いた。

 

そうして、真希はぎらぎらと輝く瞳で虚空を見つめる。

ああ、殺そう。

自分から妹を奪った存在、妹から自分を奪った存在。

ああ、殺そう。滅ぼそう、壊してしまおう。

自分から、あの子を奪う存在は、全て。

 

 

目の前で人が飛ぶ。

甚爾によって最低限とはいえ、力の使い方を理解した少女に勝てるほどの人間はいなかった。

 

(まあ、当たり前か。)

 

何と言っても彼女と同位体といって良い存在の甚爾には、覚醒前と言えども五条も勝てなかったのだ。

はっきり言って、この結末は見えていたのだ。ただ、なあと板取祐礼はちらりと隣の青年を見た。

それは、おお、よう飛ぶなあと暢気にしていた。

 

(ここまで懐かれるのはあまりにも予想外すぎる。)

祐礼は頭を抱えたくなった。

 

元々、禪院直哉は性格が生来お世辞にもよくはなかったのだろう。

けれど、別段、異常な子どもというわけではなかった。そんな彼は飢えていたのだ。

何に?

 

承認欲求に、だ。

 

直哉は強者に憧れた。

禪院の異端児である、逸脱者である甚爾に。けれど、彼の憧れは家の者によって潰された。

あんなものに憧れるなんて、あんなものに関わるな。

 

子どもの柔らかな憧れは、周りの、術式を持たない甚爾への蔑みによって潰された。

それによって、少年の、周りへの蔑みは加速した。

だって、そうだろう。

自分たちよりも強い甚爾を否定した弱者を、どうして強者である自分が慈しまなければならないのか?

直哉の周りに強い女がいなかったのも、男尊女卑の思考を加速させたのだろう。

おかげでできあがったのは、まあ、言ってしまえばカスである。

尊べる者はなく、直哉にとって蔑むものしかいない世界で、彼の自我は肥大していったわけだ。

 

(・・・・好感度反転が、思った以上に嵌まっちまったんだよな。)

 

そこで現れた黒鷲というそれに直哉が嵌まるのは必然だったのだろう。

だって、元より、彼の世界には好きな人なんてほとんどいなかった。父については認めてはいても、それは好意ではなかった。

彼の好意は、いいや、愛、敬愛と言えるものは高みに立つ人間にだけ向けられていた。

けれど、彼らは直哉を見ない。直哉を愛さない。

 

そこに現れた、好ましいと言える存在。

強くはない、けれど、何故か好ましくて、そうして、自分を認めてくれる存在に直哉は無邪気に手を伸ばすようになってしまった。

 

人は、愛を求めるものだ。どんな逸脱者であって、人という枠組みに生まれてきてしまえば、誰もが愛を、他者からの理解を求める。

祐礼は知っている。

 

最強に至った青眼は、傲慢さと全能感を持ってなお、たった一人の親友を求めた。

人という殻での最強であった男は、一つの愛の喪失によって己の尊厳を踏み潰し続けた。

直哉は、今、愛に寄っている。

 

己を見てくれる、己のことを認めてくれる。そうして、己を高みに押し上げてくれる黒鷲という存在を、言ってしまえば、直哉は愛してしまったのだ。

 

(・・・・元々な。)

 

直哉に近づいたのは、偏に。

自分の、反転術式が人に対してどれほど影響するのか、そうして、反転術式を仕えるようにするのはどれほど影響力を出すことが出来るのか。

それを知りたかったためだ。

 

(ただ、悠仁たちに使うのは悩ましい。下手に中心人物を強化して、敵側が本気を出してきても困る。)

 

ならば、相手があまり気にしていない人間を強化していく方が安パイであると考えたのだ。

そこで、鍛えれば確実に戦力になる存在、そうして、禪院家のほうに影響を与えられるとして、直哉を選んだわけだが。

 

ただ、そうであるとしても、どうなのかと思う。

自分の横で、喜々として話しかけてくる存在に困惑する。いや、おそらく、原作よりはましな性格なのだろう。

彼は少なくとも弱者を蔑むのではなくて、自分に無害ならば無視する程度にはましだ。そうして、弱者をいたぶる存在を、くだらないと蔑むようにはなった。

ある意味で、徹底的な実力主義の方向に向かっているのだろう。

 

(・・・真希が躯倶留隊に入る前に矯正できたおかげでそこまで関係は悪くはないのがありがたいんだよな。)

 

真希からすれば、直哉は自分に関心は無いが、それと同時に害してくることもない。無害と判断して良い存在だった。

 

(・・・・いや、でも、黒鷲からセクハラは止めろって言っただけでまじでセクハラつーか、性的なことでの嫌がらせも止めたのまじでわかんねえ。)

大丈夫?お前、ちょっとちょろくない?

 

そう言いたくなることが多々ある。

 

(・・・・まあ、これで羂索の手が入ってない禪院家も手に入るし。)

 

祐礼はゆっくりと、目を細めた。

 

(次に移るか。)

 

 

その日、五条は苛々と、珍しく足を揺すっていた。

 

「・・・悟、止めなよ。」

「そうも言ってられないじゃん。黒鷲の奴、総監部からの呼び出し、一人で行ったんだぞ!?」

 

苛立ちに塗れたそれに、夏油も又不安そうな顔をした。

方々に、密通者の存在を探してのことだった。総監部から、黒鷲への呼び出し要請が来たのだ。

 

曰く、今回の交流試合でのことについて、忌庫までの立ち入りまでのことなど詳しい話を、ということだが。

五条はそれですまないことを理解していた。

もしも、断るようならば、今後、呪術高専への立ち入りの禁止、そうして、呪詛師として認識すると通達があった。

五条はそれに渋々黒鷲に連絡を取った。黒鷲はその要請をあっさりと受け入れた。

曰く、だ。

 

ここで答えとかねえと信頼問題もあるだろう?大体、急に殺された、なんてことにゃならねえさ。上の方々もさすがにくもたちについて知りたいことが多いだろうしな。

 

「今まで散々無視しといて、今更なんでこんな・・・・」

「急な方向転換が気になるのは事実だが。黒鷲自体、ただで起きる奴じゃない。と、いうよりも、彼自体、何で呼び出されたのか理解して。」

 

そこで、ぴりりりと、音が鳴った。

見れば、五条の携帯に通話が入っていた。

 

「誰?」

「うん?なんだろ、げ、上層部方からだ・・・」

 

五条はともかく黒鷲のことだろうと電話を取った。

 

「おい、結果は・・・・・」

「た、大変です!!!」

 

けたたましい声に五条は思わず顔をしかめた。大変とは、いったい何があったのか。

 

「大変て、何が・・・」

「そ、総監部、および、その近親者ら、多数が、死亡しました!」

 

震える声で聞こえてきたそれに、五条は目を丸くした。

 

 

 





祐礼
折れかけた真希の心を奮い立たせて、限定的に禪院家を手に入れた。
最初の計画では加茂家のほうが欲しがったが、羂索の手が回っていると知って怖くて止めた。
直哉に関しては他人に修行を付けるってどんな感じかなあと手を出しただけ。失敗してもまあ、捨て石でいいかと思っていた。
総監部を殺した。
真希からかかってきた電話の後に吐いている。

真希
妹に捨てられた?あの子に私はいらないの?というのを老人に慰められて復活。
くも、絶対殺すウーマン。
全部が本人の思考かはわからない。
禪院家の当主で、呪具を好き勝手に使ったり、情報関係を使っているが、基本的な采配は前当主?の直毘人に放っている。当主といわれると悩むが、望めば家を動かせるのでそれでいいと思っている。
あの子が戻れば、捨てる家だ。どうでもいい

最強二人
禪院家に行って、家の人間が空を飛ぶのを眺めていた。
一応、真希の後ろ盾的な存在として立ち会った。五条はゆうれいが反転術式を他人に仕えるよう出来るのは知らない。ただ、自分よりも教師として才能があることはくそと思っている。
夏油は禪院家との繋がりは知らなかった。パパとは微妙な距離感。
あれもお前の愛すべき同胞?と禪院のことを聞かされて複雑。憎いと思う度に老人の声が聞こえて怒りが冷めてしまう。それが当人の意思なのかは謎

伏黒パパ
自分はそれをする気力がわかなかったが、目の前でむかつく家の奴らが吹っ飛ぶのは少し笑った。

禪院家
むかつく女が当主になって腹立つが、直毘人も認めているし、直哉もいいと言っているし、おまけに自分たちは勝てないので何も言えない。
ただ真希自身は家に殆どいないので、まあという感覚。
反抗した真希パパはぶっ飛ばされて全身の骨が折れた。

直哉
周りがくそ!で認めて欲しい人たちは自分を見てくれない中、こじらせた承認欲求がおじいちゃんによって満たされた。反転術式も領域も使える。
真希とはそこそこ仲が良い。昔の真希には興味は無いが、強者になった真希は尊びラインを越えたため。どうせ、真希自身が当主になるよりも、認められることを望んでいるのを理解しているので、用が終れば当主を辞めることを理解しているのでスルーしている。真希の後ろ盾?というか、実権はほとんど、直毘人と直哉にある状態。
黒鷲の影響で自分のことは自分でを信条にし始めて、禪院家の台所の設備の古さにキレ、最新の家電などをそろえた。そのせいで女性陣から若干感謝されている。


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役者が騙る

感想、評価ありがとうございます。感想いただけましたら嬉しいです。

呪骸の話は早く書きたい。


 

「・・・・成果は、あまり出ておられないようですね。」

 

柔らかな声、がした。

それに男は、じとりと目の前の存在を睨んだ。そこにいたのは、特徴と言える特徴のない男だった。体を覆う真っ黒いコートに、目深に帽子を被っている。そうして、顔を覆う布面。

静かな男の声が、部屋に響く。

そう言って、男、黒と名乗っているそれは部屋の中を歩き回り、つらつらとしゃべり続ける。

 

「ええ、あなたに協力を依頼し、黒鷲から情報を引き出すようにと望んでから、いくほど経ったのか。」

「・・・・わかっている。」

 

苦々しく男はそう吐き捨てた。男は、総監部のメンバーの一人だ。

 

「そうですか。我らもあなたの努力について理解している、と思っております。」

 

ですが、とそれは付け足し、男にゆっくりと近づいた。

 

「そろそろ、お時間が近づいていることも理解されておりますでしょうか?」

男はそれに苦々しい顔をした。

 

 

男は総監部の男であり、呪術界でも長く続いている家系の出だった。

そんな男の元に、ふらりと現れた存在がいた。それが黒だった。

 

「ええ、我らは幽霊と申します。くもに仕うる手足の一つ。ええ、ええ、一つ、取引を求めに来ました。もちろん、対価はございます。」

 

黒が、現在話題に上がっているくもの手先であることはすぐに理解した。そうして、現在、自分たちが喉から手が出るほどまでに求めている、呪石まで。

 

「・・・取引とは?」

「・・・・五条悟と関係を持っている、黒鷲という存在からの情報を。」

「黒鷲?」

「今後、必ず表に出てこられると思いますので。もしも、情報をいただけるのであれば、呪石の生成方法を差し上げても構いません。」

「なに!?」

 

男は高揚した。あまりにも、それは何を差し出してもあまりあるものだった。術式はピンからキリだ。が、どれだけ弱い術式であっても呪力というエネルギーさえあれば結果をひっくり返せる。

それは、生まれ持ったもので決まる術式の性質を凌駕するほどの力だ。

が、男は慎重に立ち回る。何と言っても、それもまた長く、呪術界で生きていた人間だから。

 

「・・・・縛りを結ぶか?」

「それは当たり前のことですね。ええ、どのようなものでも。」

 

それに男は事細かに条件を付けた。それは、例えば、呪石の生成方法が確実であること、裏切ったとき確実に情報が伝わること、自分たちに危害を加えれば持つ全ての情報を引き渡すことなど。

黒はそれに是と答え、そうして、自分もと条件を差し出した。

 

「そうですね、私たち側を裏切らない。これから私も定期的にあなたを訪ねてきますが、そんな私を捕らえて、尋問などされては溜まったものではないので。」

 

それに男は当たり前かと頷いた。何よりも、黒側の要求はそれだけで、破格と言えた。

 

「ああ。そうだ。お試しに、これもどうぞお使いくだされば。」

そう言って差し出された呪石、男はそれに魅了された。

 

 

他の幹部達が黒鷲の情報を知ってなお、牽制を続けられたことを忌々しくは思っていた。

何と言っても、早々に黒鷲からくもたちについてどれほどの情報を持っているのか、それを聞き出さねばならなかったからだ。

だが、他の人間達もまた血眼になっているのも理解できた。呪石、この存在を知ったとき、皆が熱狂した。

当たり前だ、ここまで簡単に呪術師の力量を底上げする方法など存在しないのだから。それを精製する方法を知っている存在への手がかり、誰もが欲しがって当然だ。

それ故に、皆が表立っては様子見をする。

呪石のことも表向きは反対した。何故って?

自分だけが得をしたいからだ。男は内心で、落ち着けと己に言い聞かせる。

 

今のところ、少なくともは自分が有利なのだ。

 

「取引相手ですか?今のところは、あなただけですよ。ええ、不特定多数に声をかけても構いませんが、誰が五条等と繋がっているかはわかりませんし。そこまで言われるのならば、他の人間にも声をかけた方がよろしいでしょうか?」

「・・・いいや、けっこうだ。」

「おや、ですが、今は互いに牽制で面倒でしょう?なら、同じ条件が増えれば、こちらとしても。」

「・・・・貴様らとて、あの情報が多く出るのは困るだろう。」

「ならば、どうぞ、結果を早々としてくださればと。」

 

男は苛立つように指先で肘掛けを叩く。

黒は穏やかに、けれど、隙を見せることなく男に交渉を求める。それを信頼できると思った。

それは淡々と、私情を挟まずに、仕事をする。

 

(これほどの男ならば、うちでも子飼いとして雇いたいものだ。)

 

そんなことを思うほどに。

男は指先で呪石を撫でる。

 

あまりにも、呪石というものは魅力的だった。事実、それを手にすることで男の派閥の人間は確実に力を付けた。

 

「・・・・是非とも、欲しい物だ。」

 

どんな対価が必要でも、どんな技術が求められても。

男はそれを求めていた。

 

 

大丈夫だ、周りの有象無象と自分は違う。自分は選ばれたのだ。

このままくもたちに有利な立場を取ることが出来れば、呪術界を牛耳ることも出来るはずだ。

男はそう思い、時期を待っていた。

 

が、そうも言ってられなくなったのは、特級呪霊たちの高専襲撃事件だ。それにおいて、黒鷲が大立ち回りをしたことが発端だった。

 

「・・・ずいぶんと、彼が入り込んでおられるようで。」

 

黒の言葉に男は苦々しい顔をした。

今まで、牽制し合い、黒鷲の存在に傍観を決め込んでいたツケが回ってきたのだ。

黒からしても、下の人間達であっても彼、もしくは彼らが発言権を持つのは阻止したかったのだろう。

男は苦々しく顔をしかめた。

 

黒鷲への詰問を行うことが決まったのも、ぱらぱらと声が上がったためだ。

さすがに忌庫に向かったことについて問題になった。それに男は覚悟を決め、その場において、なんとか黒鷲へ個人的な接触を図るタイミングを待つことにした。

 

「おうおう、老いぼれが集まってご苦労なこったな・・・」

 

そう言って部屋に入ってきた男に、周りの人間は不機嫌そうな顔をした。洒落た着流しに、鬼の面を被ったそれは変わること無く、総監部を前にしてなお、飄々としていた。

 

「・・・・そのような口を利いてもよいと思っているのか?」

「さあ、少なくとも、この場に何の価値も感じてねえもんでな。」

 

肩をすくめた老人、黒鷲は困り果てたような顔をした。

 

「本当に有意義な時間を使うなら、わざわざ俺みてえな老いぼれに構わねえんだけどな?」

 

皮肉気なその口調に男の眉間に皺が寄る。けれど、落ち着けと己に言い聞かせる。

そうだ、今、声を荒げても意味が無い。何よりも、それよりもどの場で黒鷲と接触を測るかだ。

 

「貴様は以前から、くもという組織について警鐘を鳴らしているそうだが。実際、それらについての存在は真か?」

「は!そんなもの、あんたら自身、ひしひしと感じてるだろう?今まで、呪霊と、権力争いがもっぱら話の種だったはずだってえのに、それ以上の何かが、確実にうごめいている。」

 

段々と、言葉が終るにつれて、何か、有無を言わせない声音があった。

かつんと、不思議と足音が響いた。

部屋の中央にて、それはくるりと回りながら、己を囲む老人達を見た。

 

「はてさて!ご覧じていただきたくは、目の前に立つ老いぼれ!今、呪術界にて蔓延びたる亡霊に立ち向かわんがと足掻くチンケな存在にございます!そうして、お聞かせいただきたくは、ただ一つ!」

 

老人は口上を述べて、仮面を脱ぎ捨てた。

そこにあるのは精悍な顔つきの翁が一人。

 

「皆様方が刃を向ける先は、如何様で?」

 

朗々としたそれはまるで舞台役者のように目を引いた。ただ、その口上に口を挟むこともなく、その様を見つめていた。

黒鷲はにやりと笑って障子越しに、総監部の人間を一人一人見つめていく。まるで、その向こうにあるものを理解するように、目が合ったと、思うように。

 

「・・・・てめえらがくもと繋がってるのはわかってるんだ。大方、呪石の斡旋をしてもらってるんだろう?」

「何を根拠にそのようなことを・・・・!」

 

それに黒鷲へ非難の声が上がる。男も又、どきどきと心臓が鳴ったが、それを押し殺して、非難の声に混ざる。

いいや、理解は出来る。自分たちのことをある程度理解しているのなら、予想は付くはずだ。

そこで黒鷲は笑みを深くした。

 

「何が可笑しい!?」

「そりゃあ、おかしいさ。なんてたって。」

 

そう言って、男は手を組んだ。反応が遅れてしまったのは、何故だろうか。

頭がどこか、ぼんやりとする。その男を見ていると、何かが、重なって。

ずしりと、己の体に負荷がかかる。石のように重く、かはりと、肺から空気が漏れ出た。

それと同時に、暗い部屋を照らしていた照明などその衝撃のせいか、がちゃんと壊れる音がした。

その衝撃から解放されて、男は笑った。

 

ああ、やはり、自分はツイている!それを捕らえる口実が、手の中に・・・・

 

「約束しましたよね?」

 

声が、した。逃亡等の阻止のために地下に作られた、その部屋の中に、声が、した。

それと同時に、男の胸には鋭い痛みが走る。

 

「“くも、ひいてはその手足である幽霊への敵対行為を取ってはならない”と。」

 

それは、黒と名乗った青年の声で。それと同時に男の意識は薄れていった。

 

 

 

 

「どういうことだ!?」

 

その場に集まった人間たちはぎりぎりと五条、そうして、それらに並び立った夏油傑、黒鷲を睨んだ。

五条はやっかいなことになったと眉間に皺を寄せる。

五条は総監部の人間たち、またはその近親者が死んだという話を聞いて黒鷲の保護に向かった。

幸いであったのが、あまりにも上層部が死にすぎたせいで指示系統があまりにも交錯していた。その混乱に乗じて、五条たちは黒鷲の確保に成功した。

「何があった!?」

 

 

その言葉に、黒鷲は忌々しそうな声を上げた。

 

「・・・・幽霊の襲撃に遭った。奴さん、総監部の人間皆殺しにして、去りやがった!」

 

叩きつけるような声に五条が話を聞くと、どうも尋問の途中で幽霊らしき存在が現れ、総監部を皆殺しにしたのだという。

 

「俺は対抗して逃げ出した。」

 

その言葉の通り、その場には黒鷲と、他の残穢が残っていた。五条はそれに到頭ここまで侵入を許したのかと忌々しく舌打ちをする。

そうして、ろくな話し合いも出来ずに、今度は総監部の後釜である存在たちに呼び出された。

総監部の使っていた部屋は血の海で使えないために、急遽、高専内の一室でそれは行われた。

 

「どういうことだ!?総監部の人間の殆どが死んだなどと!」

「おまけに、それはお前達が追っているくも、の手先のせいだというじゃないか!?」

「何よりも、そのほかに、総監部と繋がりのあった人間が幾人か亡くなっている!」

 

どういうことだ!?

 

その言葉に五条はため息を吐いた。

 

「だから、説明しただろう?黒鷲の詰問中に敵が侵入してきてそのまま殺されたって。」

「何を無責任な!くものことは貴様らの管轄だろう?」

 

それに夏油は顔をしかめて吐き捨てる。

 

「ほう、無責任とはどの口が言う?」

「どういう意味だ!?」

「くもに関しては、個人的な話から逸脱しているのはわかっているはずだ。呪石という存在のせいで呪詛師たちはそのくも、という存在に集っている。何よりも、呪石に魅力をあなたたちは感じていないとは言わせないが?」

 

暗に、くもという存在に関係を持とうとしているお前達がどの口で、というそれに幾人かは顔をしかめた。

が、それさえもはねのけてがなり立てる存在はいた。

 

「だからなんだ!大体、今回、その黒鷲という存在だけ生き残ったのはどういうことだ!?あやしいに決まっている!!」

「いい加減に・・・・!」

「少し、よろしいか?」

 

激高した五条のそれを黒鷲は手を上げて制止した。それに五条は思わず止まり、視線は黒鷲に向かった。

黒鷲はそれに淡々と口を開いた。

 

「・・・・今回のことは、一人逃げたこと、まことに申し訳ない。ただ、様子がおかしかったために、逃げ出した。一つ、お聞きしたい。今回、あの場にいた総監部の方々は、呪術師としてそれ相応の実力があった、そうだな、五条?」

「まあ、前線になんて出なくなって結構経つだろうけど。無能で上に立てるほど甘くないからね。」

「ああ、そうだ。だが、あの場で幽霊が現れたとき、総監部の人間はまったくと言っていいほど抵抗していなかった。残穢も俺と、そうして幽霊以外に残っていなかったはずだ。」

 

それにその場にいた人間は、一つの結論にたどり着く。それを理解してか、黒鷲は淡々と言葉を続けた。

 

「優秀な術師が?前線を退いて久しいとして?」

何の抵抗もせずに殺されるのは、あまりにもおかしくないか?

 

水を打ったように、その場は静まりかえった。それに黒鷲は大きくため息を吐いた。

 

「・・・・・今回の死因は?」

「不明だ。強いて言うのなら、出血多量だ。」

「今回の事件で、殺した候補に俺が入っているのは事実だ。だがな、俺の術式じゃあ、その殺し方は難しい。何よりも、遠方で死んだ人間達を殺すのは無理だ。そうして、あの場に現れた幽霊の残穢は確認済みのはずだ。」

 

夏油と五条は黒鷲がかすかに震えていることを理解した。

 

「大丈夫か?」

「おい、じじい、どうしたんだ?」

「大丈夫、だ。」

 

掠れた声で黒鷲は答える。そこで、相手側の人間が口を開く。

 

「だが、それならば、何故、わざわざ彼らを殺したのだ?」

 

その言葉に、黒鷲は小さくため息を吐いた。

 

「今回、総監部に俺がのこのこ出たのは、くもとの関係を探るためだ。そのほかに死んだと聞いた奴らもまた、俺たちが監視を付けようと回りを探ってる最中だったんだよ。」

 

苦々しい声で黒鷲は吐き捨てる。

 

「・・・・蜥蜴の尻尾切りか。」

「・・・・二人とも、わりいな、俺自身、つい最近わかったことがあるんだよ。報告しようとしたとき、総監部からの話が来た。それを、ここで言うぞ。」

黒鷲は意を決したように口を開く。

「相手側、くも側に人を操る術式を持った存在がいるかもしれねえ。」

その言葉に、夏油の脳内に浮んだのは、星漿体の事件だった。

 

あの人のことは、信用できると。

なんでか、信じてみようって。

あの人が来てからおかしくなって!

 

「身内の古い文献を漁ってるときに見つけた。人に暗示をかけ、政府側を操ろうとした存在がいたと。ただ、その時の術式が格下相手にしか通じなかったため、早々と阻止できたそうだ。」

 

黒鷲は顔を上げて回りを見つめた。

 

「・・・相伝、というものがある。ならばわかるだろう。呪術師にとって血縁とはどのようなものか。いいや、今回も格下相手にしか通じない条件の多いものならばいい。だがな、術式自体が変化し、今代で発現したと、するのならば!」

 

黒鷲は目の前の上層部のことをにらみ付けるように見つめた。

 

「すでに、総監部を含めた全ての家系は、くもたちの手の内にある可能性がある。」

 

老人の伝えたそれに皆が黙り込んだ。

 

 

 

「・・・・どういうこと?」

「・・・・申し訳ありません。」

 

目の前のそれは、深々と頭を下げた女、青をにらみ付けた。そこは、羂索、と名乗った存在が拠点にしている一室だ。

今回は青との話し合いのためにわざわざやってきた。それに対して青はため息を吐いた。

 

「呪術界を牛耳っていたはずの勢力が完全に変化した。これは、君達も知るところだろう?」

「はい、存じております。」

羂索はため息を吐いた。

 

現在、呪術界の方針を決めているのは、五条と夏油、そうしてそれを手伝う形で禪院家が関わっている。

理由は簡単で、少し前にあった総監部の死亡事件のためだ。

その事件の折、黒鷲というくもたちの敵対者達が警告をした。

 

人の精神を操る術式を持っていた存在がいるかもしれない。誰が操られて行動しているのかわからない。

ここで総監部に連なっていた上層部達の信用は一気に下がった。いいや、最低限あった、呪霊を祓うという建前さえもなく、呪詛師側のスパイが確実にいるかも知れない、おまけに、上層部に、だ。

その中で残った人間達はまるで共食いをするように互いを疑い始めた。

 

貴様、もしや。

いいや、お前の方こそ!

それならば!

 

そんな状態で指揮系統などお察しの通りだ。

そこでまずかったのは、加茂家の中でも、おまけにそこそこの立場にいた人間にも死亡者が出たことだ。

そこで加茂家もまた監視対象と保守派としての立場を無くしている状態なのだ。

混乱を極めた中で、方向決定をすることになったのが、五条と、そうして夏油である。

何を言っても、その術式にかからないという確信を持っていえるのがそれぐらいだったのだ。

そうして、さすがに二人だけではと、禪院家、といっても禪院直哉や禪院直毘人ぐらいが関わっている状態だ。

そのほかにも、五条たちが選んだ人間で最低限のことを行っている。

 

「・・・・今回のことは、君達がしたと思われているようだが?」

 

その言葉に青は深々と頭を下げて謝罪をした。

 

「今回については相手側に完全にやられました。」

「・・・私や、そうして君達と総監部の関係を知られたと?」

 

羂索はくもたちが呪術界の上層部と関わりを持っているのは知っていた。曰く、呪石について実験をしたいこと、また、黒鷲の当りを探るためだ。

が、今回はそれが完全に裏目に出た。

彼らを殺すことで、上層部の信用が失われ、特権意識を守るために互いを守っていた者たちは疑心暗鬼に襲われている。

おかげで、五条たちがそれらを牛耳ることになったのだ。

 

「いいえ、おそらく、我らとの繋がりはあると確信はあったでしょうが、証拠はないと思われます。」

「ならば、誰が殺した?」

「おそらく、黒鷲らが殺したのでしょう。」

 

それに羂索は目を見開いた。そうして、あははははははははは、と愉快そうに笑った。

 

「なるほど、今回は全て茶番!」

 

羂索はゆるゆると笑った。

黒鷲たちからすれば、くもたちを追い詰めるために戦力が必要だ。だが、彼らが信用できる五条たちは勢力としては手駒が少なすぎる。

ならばどうするか?

五条たちに実権を握らせればいい。そのために、全ての罪をくも側になすりつけて、疑心暗鬼を煽り、勢力を削って見せたのだ。

 

「彼らは秩序側だと思ってたんだけどなあ。」

「彼らは子どもを殺すのに戸惑いは持つでしょうが、化石を壊すのには躊躇を持ちません。」

「それはまた、エゴイスティックだなあ。」

けらけらと笑った羂索に青は変わること無く言葉をかけた。

 

「今回の落とし前については、早急に・・・」

「いいや、大丈夫。」

「よろしいので?」

「まあ、遅かれ早かれ、あの辺りは殺しておくはずだったからいいかな。ただ、色々と早めなくちゃいけないことが増えたかな?」

「わかりました、ならばすぐに手配をいたします。」

「ああ、頼んだよ。」

 

そのまま青は部屋を立ち去ろうとした。そこで、羂索は口を開いた。

 

「私の子どもたちは元気かい?この頃、顔を見せてくれなくて寂しいよ。」

「・・・・変わりなく過ごしておりますよ。出来れば温存をしておきたいので、又の機会に。」

 

淡々と帰したそれに、羂索は笑みを深くした。

楽しみだなあと、それは笑った。

 

揺蕩う、術師同士の殺し合いで彼らはどんなふうに踊ってくれるのだろうか?

楽しみで仕方が無いと。

 

 

 

(・・・・幸いなことだ。)

 

青はほっと息を吐いた。

何故って、今回、なんとか全てがスムーズに進んだ。

元々、呪石を上層部に配り、そうして、結果を聞きにと関わりを持ったのは彼らの信用を潰し、五条たちに権限を渡すためだ。

縛りによって自分を裏切る行為、つまりは黒鷲であり、黒でもある祐礼への詰問を行った瞬間、縛りを結んだ彼らにはペナルティーである死が訪れる。抵抗は出来ない。何故って、彼らは縛りを破った自覚など、寸前までないのだから。

電話がなった。それに、青は、いいや、姿を変えた板取祐礼は電話に出た。

 

「もしもし?」

『あ、お兄ちゃん!?』

「真依か。どうした?」

『もう、どうしたじゃないわよ!全然帰ってこないから心配してたのに!この時間なら出られるって言われて健気に電話した私に言うこと?』

「それは、悪かったよ。」

 

祐礼はどこぞのサラリーマンのようにぺこぺこと頭を下げた。

それを電話向こうの妹分は察したのか、仕方が無いと口を開く。

 

『それでね、言われた呪骸のことなんだけどね?』

「ああ、どうだった?」

『うーん、一応、動いてるわ。脹相達が、ものすごくはしゃいでる。』

「成功したのか・・・・!」

『まあね、でも、能力的にやっぱり無機物の体じゃ不便だろうから人間の体を作って、それで核を三つずつ埋め込んでみたの。まあ、人造人間に近いのかしら?でも、正直、お兄ちゃんの持って帰った情報だけじゃ不安だから、どのくらい持つかはちょっと・・・・』

「そうか、いや、近々、呪骸についての知識も持ってる奴を連れて帰ろう。」

『えー。また、この家、人が増えるの?そろそろ引っ越さない?』

「それも考えないとな・・・・」

 

そのまま祐礼は真依の愚痴、というか、何故帰ってこないのかという文句に晒される。

 

「わかった、埋め合わせはするから、な?」

『じゃあ、今度デートして!』

「で、デートか。ええっと、エスコートはしたことないが、頑張ろうな。」

 

子守扱いをしなかったことがお気に召したのか、真依は約束よと意気揚々と期限を治した。

そのまま、家での脹相達の様子などを聞かされた。

 

「・・・・なあ、真依?」

「うん?なあに?」

 

間延びした、愛らしい、弾むように元気な声だ。それは、どこまでも、祐礼の知る真依からはかけ離れていて。

 

「お前、大丈夫、か?」

それに真依は不思議そうな声を出した。

 

「何言ってるの?私は、お兄ちゃんがいれば、それでいいもの。他に何もいらないわ。」

弾んだ声だ、楽しそうな声だ、そうして、踊るように元気な、健やかな声だ。

 

祐礼は、話を終え、電話を切る。

 

お兄ちゃんがいればそれでいい。

脳裏に、妹を求める、一人の姉が思い浮かんだ。

 

「お゛え゛」

 



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