汝、モルモットの毛並みを見よ (しゃるふぃ)
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1話

 ――日本ウマ娘トレーニングセンター学園。全国各地にあるトレセン学園の中でも、トップクラスの規模を誇るトレセンだ。日本最高峰に集うのは、無論みな純粋に”走ること”を追い求める者たち。

 の、はずだった。

 

「やる気が出ない。嫌だなぁ。なんで俺がこんな仕事してるんだろうなぁ」

 

 模擬レースを眺めながら、簡易的な観客席の端で独り言ちた。

 目の前には広大な競技場。整備員の苦労が伺われる芝は青々としていて、模擬レースを走る少女たちの姿を映えさせていた。

 彼女たちは人間離れした身体能力を持ち、大抵は見目麗しく、耳と尻尾が生えていたが、逆に言えばそれ以外は完全に人間と遜色ない。細身の美少女たちのどこにそんな筋力があるのか、まったく理解できない。不気味だし、個人的事情を鑑みれば嫌悪感すら感じていた。

 

 まず、なぜ俺がウマ娘嫌いなのか。普通に考えると、速いし、可愛いし、歌って踊ってくれるんだから人気が出るのは当然だ。

 しかし男の、それも陸上競技者としては、話題を全部攫って行ってしまうウマ娘は商売敵というか、何とも言えぬ敗北感を植え付けてくる存在だった。

 もちろん人間とウマ娘の区別はある。男と女の性別も違う。しかし、結局やってることは『走る』だけなのだ。ならば普通、可愛い女の子の方を見るだろう。俺だってそうする。責められない。だいたい、人間とウマ娘では、どうしても速度的な意味で迫力が違い過ぎた。

 

 高校生の時、俺は走るのをやめた。そして迷走の果て、一つの疑問に行きついた。

 ”なんであんなに早いんだ?”

 ウマ娘という存在は、冷静に考えるとオカルトじみている。科学的な文明社会の中で、彼女たちにはまことしやかに”別世界の魂と名前を受け継いだ”という非科学的な意見が語られていた。無論、本当にそうならば構わない。が、それが事実だと誰が検証したのか。責任者は誰だ。不在だった。ウマ娘は神話だった。彼女たちの足が速い理由なんて、はっきりしたことはわからないのだ。

 

 そこで、俺は狂気的な発想に行きついた。

 ”ウマ娘が作れないとは限らないのではないか?”

 極端な話、人工ウマ娘――後天的なものか、クローン培養的なものかは別として――すら、可能かもしれない。

 その果てに、俺は夢を見ていた。

 ウマ娘と同じような速度で走りたいと。いや、彼女らを超えたいと。人間のままでは勝ち目がないのなら、人間をやめればいい。そういう結論を出したのが、大学生の時だった。

 

 あとは簡単だ。ウマ娘について、トレーナーではない立場として大学院に進み、博士号を取り、研究を進めた。人間の脚をウマ娘の脚にする技術や薬剤は、今のところ開発できていない。研究に手詰まりを感じていた。やっている研究が異端じみているせいで教授のポストには就けないし。

 要するに金がなく、追い詰められていた。

 

 そこに届いたのが、トレセン学園からの勧誘だった。

 社員寮付き、高収入、好待遇、休みもあるし、研究対象が近くにいる。最高の待遇だ。しかし俺はウマ娘を正直好きになれなかった。憎んだり嫌ったりしているわけではないのだが、何だか商売敵みたいなライバル意識がある。

 

 ……まあ、金には勝てなかったんだがな!

 そういうわけで、やる気のないトレーナーが爆誕した。一応トレーナーとしての講習は受けたが、付け焼刃だ。専門の学校を出てきた者には敵わない。はっきり言って、この状態で誰かの担当をしても全員が不幸になるだけだ。ウマ娘嫌いとしても、いくらなんでも未来ある若人の将来を潰そうとは思わない。それにも関わらず俺がレースを見ているのは、隣にいる奴のせいだった。

 

「鶴城トレーナー、どうでしたか?」

「みんな速いね」

「そうですよね! 特に6番のあの白髪の子が――」

 

 そりゃウマ娘なんだから速いに決まっている。俺の感想は虚無に等しい。

 それにも関わらず、ショートカットの女性こと桐生院葵トレーナーは興奮気味に捲し立てた。彼女とは同期の間柄だし、トレーナー業に詳しい友人は必須だから仲良くさせて貰っている。

 それに、個人的な共通項もある。変わり者だ。俺はトレーナー養成所出身ではないし、彼女は桐生院家の出身だった。まあ桐生院家がどう凄いのかはわからないが、なんだかすごいらしい。

 彼女は悩む表情を見せた後、ぱっと真剣な顔付きになった。

 

「じゃ、じゃあ! 私は早速スカウトに行ってきますので!」

「誰を? 白髪の子?」

「はい! では!」

 

 桐生院は颯爽と駆けて行った。スカウトは早い者勝ちだ。急ぐのも頷ける。

 出遅れた者は出遅れた――誰からもスカウトされなかった者と組むしかない。つまり二軍は二軍とくっつくし、三軍は……恐らく、地方トレセンに移籍することになるだろう。デビュー前にも関わらず、勝負の世界は既に始まっているのだ。

 

 その点で桐生院トレーナーは最高の存在だ。彼女はウマ娘を選ぶ側。俺はウマ娘に選ばれる側だ。もっとも俺が正式なトレーナー過程を卒業していないのは周知の事実。そんな奴に将来を託したい子はいなかった。いたとすれば、俺はそいつの正気を疑う。

 

 一応、保健室や担当なしの教官としての仕事で食い繋げるし、担当を決める必要はないのだが……。

 社会人としてそれで良いのか。トレーナーたるもの、本分はチームや担当を持って育成することではないのか。うんうん唸っていると、周りは皆帰ったらしかった。

 

 うん。余計なことを考えたせいで時間を浪費した。そもそも勧誘したのは学園だ、俺が気にすることじゃない。

 研究に戻ろう。踵を返したところで、向こうからやって来る人影に目を奪われた。

 白衣だ。白衣を着ている。試験管もある。懐かしい物ばかりだった。研究者仲間だろうか。顔を見ようと目線を上げると、ベンゼン環みたいな髪飾りをつけたウマ娘だった。

 彼女は少し低めの声で、クックッと喉を鳴らすように笑った。

 

「……おや? おやおや? 君は、鶴城圭吾といったかな?」

「どこでそれを?」

「何か発表していただろう。人間をウマ娘に変える技術、だったかな?」

 

 あぁ、間違いなく俺だ。頷くと、彼女は嬉しそうに笑った。

 

「で、どうしてトレーナーバッジを? 研究は?」

「続けるさ。ただ金がなかったから。仕方なく」

「あぁ、それは……仕方ないね。誰もが研究の価値を理解してくれるわけじゃあない」

「それより、君は?」

 

 ウマ娘なのは見ればわかる。学園指定の制服を着ているし、生徒なのもわかる。

 しかし名前がわからない。

 彼女は輝きの無い瞳を、一瞬だけ光らせた。

 

「ほほう! 知らないときたか。これはますます好都合」

「何が?」

「気にしなくていい。私はアグネスタキオン。超光速の粒子の名を冠する――それくらい知ってるか」

「アグネスタキオンか、覚えておくよ。じゃあ、俺はこれで」

 

 厄介ごとの気配がした。あの目を、俺はよく知っている。鏡に映った自分が時々こういう目をしていた。それ以外でも、時々こういう目をした研究者を見てきた。全員ロクな奴じゃなかった。教訓は生かすべきだ。

 立ち去ろうとして、がっと肩を掴まれた。ウマ娘の身体能力に勝てるわけがなく、振り向いた。

 

「タキオン?」

「まぁまぁ、焦る必要はないだろう。私の実験に協力したまえよ、それが君の研究にも役立つはずだ」

「実験だと?」

「私と共に、ウマ娘の速度の向こう側を目指そうじゃないか!」

 

 まったく意味がわからない。

 これが、アグネスタキオンとのファーストコンタクトだった。

 



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2話

 

 アグネスタキオンに誘われ、俺は彼女の研究室――ラボとかいう場所に連行された。

 とりあえず椅子に掛けたところで、彼女はほぅと息をついた。

 

「私の研究にとって君は有益だ。君にとっても同じだろう」

「どうした急に。何を研究してるんだ、タキオンは」

 

 お互いに敬称や話し方は気にしないことにしていた。無駄に数音話す時間が勿体ないらしい。気持ちはわからなくもないので、俺も年の差を気にせず話している。

 彼女はふぅンと声を漏らした。

 

「端的に言うと、ウマ娘の最高速度の向こう側を見たいのさ」

「……つまり速く走りたいってことでいいのか?」

「野暮な言い方だなぁ。ウマ娘の最高速度、定説は知っているだろうが――それを超える可能性を探っている」

 

 やっぱりただ速く走りたいだけじゃないか。自覚しているらしく、タキオンは目を逸らし俯いた。

 なんだか馬鹿みたいな研究目的だが、気持ちはよくわかる。走って負けた果てに好奇心に突き動かされた自分とそう違いはない。それに、俺もウマ娘と同じ速度で走りたいと思ったことはある。

 速度を求めていることに変わりはない。違うのは人間か、ウマ娘かだ。

 

「……確かに、協力できそうだな」

「おぉっ!」

「中身について話そうか。あぁ、でも明日は平日か。もう夜になるし、ここは日を改めて」

「それはひどいんじゃないかい? 私は今、大変に興奮しているんだよ」

 

 タキオンは少し上気した顔をしていた。恍惚とした表情は艶かしいが、舌なめずりは乙女ではなく爬虫類のそれだった。

 

「さぁさぁ。研究について、思う存分に語り合おうではないか!」

 

 宴が始まった。

 

 

 

 結論。俺と彼女の目的は一致しているが、方向性が違っていた。そろそろ寮の門限という頃合いになって、俺は話をまとめに掛かった。

 

「タキオンの研究は主に脚に着目している、ってことでいいんだよな」

「あぁ。もっとも脚だけ頑丈でも意味はない。それ以外も研究しているがね、君には負ける」

 

 彼女の研究は主に脚部の強化に主軸が置かれている。実際、足を速くするならそれが一番だろう。

 一方、俺は違う。そもそも人間である我が身では、脚だけウマ娘に取り換えたところで宝の持ち腐れになる。そのため全般的な強化が必要で、器用貧乏になってしまった。

 

「心肺能力、脳機能、尻尾なしでのバランス維持……私のプランAもなかなか難しいが、君の目標はそれ以上だと言って良いだろう」

 

 プランAという単語は何度か聞いていたが、意味は教えてくれなかった。足の強化が目的らしい。プランBも速度の追求が目的だというから、何が違うのかはわからなかった。とりあえず、研究成果を渡してみようか。

 

「飲んでみるか。俺の薬を」

「いいや、やめておくよ。効果が弱すぎる。ウマ娘で実験したいという君の気持ちは、よーくわかるけど」

「なら仕方ない。副作用も大きいしな」

 

 俺の薬の到達点は、日常生活での身体能力が若干低下する代わりに、レース時……つまり、力を出したい時に増強させる薬だ。あまりにも効き目が強すぎると、それこそ軽い風邪ですら死の危険が付きまとうようになる。実用するとなれば、かなり薄めて使わざるを得ない。

 

「君は案外、健康そうだね」

「効能を弱めて使っている。それに俺は成人男性だ」

「なるほど。ところで、こんな新薬があるんだが――どうだい?」

 

 タキオンはラボの中を少し見回して、青白い蛍光色の液体を持って来た。薄暗い室内で煌々と輝いていて、チェレンコフ光のようだった。明らかに生命体が摂取して良い色をしていない。が、一応聞いておこう。

 

「それは?」

「私が開発した筋力増強剤だ。なぁに、効果はきっとある」

「……副作用は?」

「ハッハッハ!」

 

 笑ってる場合か。好奇心はあるが、まだ死ぬ時じゃない。丁重にお断りし、俺はラボから逃げ出した。

 

 

 

 無人の校舎を歩く。もう太陽はとっくに落ちていて、残っている生徒は見当たらない。

 というか、寮の門限とやらは大丈夫なのだろうか? 22時だったはずだが、もう21時を過ぎている。

 もちろんトレーナーには門限などないが……どうしたものかな。

 

「迷った」

 

 廊下に照明はなく、街灯やグラウンドから差し込む光だけが頼りになる。ふらふらと彷徨っていると、人影が見えたので声を掛けた。

 

「すみませーん!」

「ん?」

 

 応じた声は低く、何というか、女性のはずなのに格好良い声だった。というか、ウマ娘に詳しくない俺でも知っている。生徒の代表として、トレーナー研修の時に挨拶に来ていた。

 

「こんばんは。えっと……シンボリルドルフさん、ですか?」

「あぁ、そうだが――見覚えがある。研修会にいた新人トレーナー君かな」

「はい。実は迷ってしまいまして」

「そうか。では私が案内しよう。ちょうど帰るところだった」

「ありがとうございます」

 

 シンボリルドルフは、この学園において生徒会長を務めているウマ娘だ。しかし有名なのはその肩書以上に、そのレース実績のためだろう。伝説のウマ娘。史上初の七冠、無敗でのクラシック三冠。ついた二つ名は『皇帝』だ。恐ろしい存在に遭ってしまった。

 

 できれば話したくはない。暗い中でも彼女は特有のオーラとでもいうべきものを放っていた。何というか、全てを見透かされるような錯覚すら覚えてしまう。

 しかし現実は非情だ。声を聞く必要もないのか、見透かしたように彼女は話し始めた。

 

「どうだった。アグネスタキオンは」

「なぜ、それを?」

「失敬、見ていたんだよ。レースの後、君たちが連れ立って歩いているのを」

 

 その話題になると思っていなかったので、一拍遅れてしまった。どうだった、か。

 

「変わっていると思います。何というか、普通のスポーツ選手じゃない」

「ふふ、その通りだ。だが彼女は、ああ見えて走りも速い」

「そうなんですか? てっきり遅いからこそ研究していたのかと」

 

 俺と同じパターンかと思ったが、違うらしい。

 

「いいや。断言してもいい。彼女自身、優れた素質を持っている」

「そうだったんですか」

「知らなかったのか。いや、今回はそのほうが良かったのかもしれないな。彼女を悪く言う者は多い」

 

 悪く言う? 詳しく聞きたかったが、彼女は咳ばらいをした。失言だと思ったのかもしれない。

 

「忘れてくれ。君もトレーナーになったからには、粉骨砕身を期待している――そして、これは私の個人的な望みだが。もし、まだ担当が決まっていないなら。アグネスタキオンのことも考えておいてほしい。それでは」

 

 有無を言わせぬ口調のまま、彼女は去って行った。呑まれていたらしい。気づけば出口に立っていた。

 

「……アグネスタキオンの担当、か」

 

 正直、彼女が素質あるものだと聞いて苛立ちを覚えた。もちろん彼女に落ち度はない。ただ元々速いのなら邪道に手を出すな、普通に走ってろと思ってしまったのだ。

 トレーナー失格だな。シンボリルドルフの――いや、会長と呼ぼうか。会長の希望には沿えないが、致し方あるまい。

 その日、結局アグネスタキオンを見ることはなかった。

 

 トレーナーにはいくつか道がある。誰かの専属になる、チームを率いる、名門チームのサブトレーナーになる、フリーで教官として、同じくフリーのウマ娘を育てる。

 ただし専属とは言うものの、トレーナーの数はウマ娘の数よりも少ない。そのため三人まで担当を持てるという規定になっていた。もちろん、新人のうちは一人だけに専念するのが基本だが。

 

 トレーナーの業務は、学園に勤める普通の教師とは違う。極端な話、担当がいなければ割と暇なのだ。とくれば、やることは決まっている。研究研究研究だ。ウマ娘が大勢いる環境、彼女たちを観察してさらなる運動能力の増強に勤めなくては!

 ……と、思っていたのだが。

 

「やぁ、トレーナー君。奇遇だね」

「トレーナー君! カフェを捕まえてくれ!」

「待ってくれシャカール君! データを! おや、トレーナー君!」

「おや、久しぶりじゃないかモルモッ――トレーナー君」

 

 運命の巡り合わせかストーカーを疑うレベルでアグネスタキオンに遭遇した。

 まさか会長が画策しているのかと思ったが、被害妄想らしい。時折似た三日月模様の前髪を見かけたのだが、元気の良さそうな別の子だった。一度詰め寄った際、顔を引きつらせてしまったから反省している。

 あと、呼び方がおかしい。普通に名前で呼べばいいものを、何を企んでいるのかわからない。

 

 そんな風に過ごしていた、ある日。

 

「……ここも通行止めか。掃除してるなら仕方ないな」

 

 ワックスでも掛けているのだろうか、特に違いはわからないが。仕方ないので進路を変更して歩いていると、他のトレーナーがたまたま話している所に出くわした。

 

「なんだって。あのアグネスタキオンが出走するのか!?」

「ああ。今日の選抜レースだってよ」

「ついにやる気を出したってことか……悪いが、彼女をスカウトするのは俺だ。彼女とならクラシックだって目指せる!」

「そうだと良いんだがな」

「ん? どうしたんだ」

「前にもあったんだよ。アグネスタキオンが選抜レースに出走するっての。でもその時は結局来なかったんだよ」

 

 通りすがりに聞けるのはここまでか。今日の放課後に選抜レースが行われることは、俺も耳にしていた。場所くらいはわかる。そこに彼女が出走するとは知らなかったが。

 あの”皇帝”をして素質があると言わせる走り。一度くらいは見ておけば、副業にも生かせるだろう。

 俺はグラウンドに足を向けた。

 

 数時間前から待機すれば最前列を確保できるだろう。どうせ研究は行き詰っている、今必要なのは突破口となるアイデアだ。自室に籠っていても意味はない。

 芝のコース上では一人のウマ娘が走っていた。桃色の髪をしていた。レースではなし、トレーナーの影もなし。自主トレか。盗み見るようで悪いが、観客席に腰を下ろさせてもらった。

 

 あまりウマ娘に詳しくないが、それでもわかる。彼女たちは速い。レース本番でもないのに、ここまで速度を出せるのか。恐る恐る時計を出して測ってみると、驚きの結果が出た。

 

「……むしろ遅い方、か」

 

 GⅠはおろか、オープン戦でも危ういだろう。Pre-OPレベルでどうにか、と言ったところだろうか。もちろん練習だからレースと比較するのは間違っているのだが、それにしたって彼女はもう走れそうになかった。完全にスタミナが切れている。

 

 ウマ娘としては平均的な、それこそ”素質のない”彼女たちだ。それでも、実際に見ると少なくない衝撃があった。

 ならば”素質あり”のタキオンならばどうなるのか。俄然楽しみになった。彼女たちに礼をしても良いだろうが、何かしてやれることはないだろうか。

 おや、また走り出したか。今度は何か言えることがないものかと、注視して観察を続けた。

 



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3話

ガチャ爆死記念(阪神、芝3340m)


 

 ……なんで芝走ってんだあの子?

 何というか、こう、明らかに芝に足を取られている。それでも走るってことは、ダートはこれより酷いのかもしれない。

 タイムも先程以上に遅くなった。これではPreOPどころか、まずゴールにたどり着けるのかすら疑わしい。

 これはわかる。明らかに才能がない。というか、よくこの学園に入学できたなと逆に感心する。奇跡と言っても過言ではないだろう。地方を馬鹿にしている訳ではないが、これでは中央のレースは走れないだろう。

 

 ただ、それとは別で”楽しそうに走る子だな”と思った。もちろん遅いながらも懸命に走っているし、呼吸が苦しいのだろう、表情は歪んでいた。それでも、走ることが好きだという意思が伝わってきた。

 

「うーん……」

 

 これは下手なことは言わない方が良いかもしれない。せっかく楽しく走っているのを、下手な指導で台無しにするのは申し訳ない。とはいえ、他の行く宛もなし。迷っている間に彼女は一周してきてしまい、目が合ってしまった。

 

「どうしたのー!」

「……や、何でもないよ。暇だったからね、見せて貰っていたんだ。お邪魔だったかい?」

「ううん、いいよー!」

 

 全体的に幼いが、明るく元気の良い子だ。親しみを誘う容貌をしている。だからだろうか。

 もう一度走ろうとした彼女を、思わず止めてしまっていた。すると、彼女はきょとんとした表情を浮かべた。

 

「なんでー?」

「何でというか……多分、オーバーワークになるぞ」

 

 俺と彼女の間には二十メートルほどの距離がある。それでもわかるほど消耗していた。

 きょとんとした表情を浮かべる彼女に、まさかと思いつつ補足した。

 

「……かえって悪い結果を招くかも、ってことだ」

「そうなんだ! じゃあ、今日はこれでおしまい! 教えてくれてありがとー!」

 

 彼女は手を振って、帰って行った。体の軸がぶれていたから、やはり危ないところだった。まだ夏には遠いとはいえ、熱中症にでもなれば大変だからだ。

 それにしても、まさかオーバーワークという単語を知らない子がいるとは驚いた。文武両道とは何だったのか。

 無人のコースを眺める。その後も数名のウマ娘たちがやってきてはトレーニングをして去って行った。

 

 

 

 そして放課後。そろそろ日が傾くかという時間になって、一気に人が増えた。次の選抜レースは大分先なので、自然と熱気が高まっていた。トレーナーはもちろん、生徒も大勢集まっているのだから驚きである。

 

 今日の選抜レースは5回行われる。芝コースで全距離、ただし中距離だけ人数の関係で2回。アグネスタキオンは――そういえばどれだ? スピードって言ってたし、やっぱり短距離か?

 

「あ、鶴城トレーナー!」

 

 その声に振り向く。

 人混みを避けて隣に現れたのは、桐生院トレーナーだった。傍らにはいつぞやに見た白髪のウマ娘。

 

「どうも、桐生院トレーナー。そちらのウマ娘さんは? 大分前の選抜レースに出ていた子だよね」

「はい。ミーク、ほら」

「ハッピーミーク、です……むん」

 

 なんだか大人しそうだ。一つ声のトーンを落とした。

 

「鶴城圭吾。新人トレーナーだ。桐生院トレーナーとは同期でね」

 

 ハッピーミークは頷いたが、視線をグラウンドの方に移してしまった。

 桐生院トレーナーは苦笑しつつ、俺とハッピーミークの間に挟まるように立った。

 

「鶴城トレーナーはスカウトですか?」

「まだ担当が決まってなくてね。まあ、誰が出走するのかもわからないんだけど」

「どうして?」

「……資料を忘れたんだ」

「ええ!? じゃあ、えっと……はい、どうぞ」

 

 彼女が渡してくれたのは数枚のプリントだった。今日の選抜レースに関する資料らしい。礼を言って拝見させてもらうと、タキオンは2回目の中距離レースに出走することがわかった。各ウマ娘に関する簡単な説明が手書きのメモで付されていた。

 

「桐生院トレーナ―は二人目のスカウトに?」

「いえ、敵情視察――なんて言うと、ちょっと堅苦しいですけど。鶴城トレーナーは、アグネスタキオンさんのレースを?」

「何故それを」

「指が差していますから」

 

 確かに。そりゃそう思うか。桐生院トレーナーのメモには「実力は高いらしいが、意欲がないらしい」と書いてあった。

 

「桐生院トレーナーでも、タキオンの走りは見たことないか」

「はい。何年か前に走ったらしいんですけど、流石に選抜レースは映像が残っていなくて」

 

 そりゃそうだ。そうこうしているうちに、レースが始まった。

 まず短距離。快速自慢たる彼女たちの走りは素晴らしかった。夢がある。俺もあんな風に走りたいと、そう思わせてくれる走りだった。

 ただ、しっくりこない。速いのは良いのだが、素人の俺では判断や分析が終わる前にレース自体が終わってしまう。

 少し距離が延びてマイルになっても、同じような感想を抱いた。何というか、先程の短距離――スプリンターが、少し持久力に気を配っているな、という印象だった。

 中距離2000m、1戦目。タキオンは不在だが、見ていて満足できた。映像越しでもわかっていたことだが生で見ると迫力が違う。それに、一人一人まるっきりバラバラのフォームで走るし、脚質も違うから見ていて面白い。個性がある。自分で言うのもどうかと思うが、これでは人間の陸上競技が不人気なのも頷けた。

 

 そしていよいよタキオンの出番というところで、観客席はざわめき始めた。

 

「……タキオン、いないよな」

「いませんね、どうしたんでしょう。故障とか急用なら、発表があるはずですが」

 

 放送が流れた。現在アグネスタキオン不在につき、捜索中とかいう訳のわからないアナウンスだった。

 それを皮切りに、周囲からはタキオンへの悪評が噴き出していた。あの桐生院トレーナーが微妙な表情を浮かべているから、よっぽどのことなのだろう。

 

 そして数分後。ターフの上に現れたのは、意外にもジャージ姿の会長だった。しかしそれ以上の目を引いたのはタキオンだった。彼女は首根っこを掴まれていた。ジャージ姿には些か以上に皺が寄っていて、無理やりゼッケンをつけられた形跡があった。

 騒然とする観客席に、会長は右手を掲げることで応じた。ある程度静かになってくると、よく通る声で語り出した。

 

「皆、すまない。突然のことだが予定を変更することになった。決定事項として、中距離第2レース、10番アグネスタキオンは出走取消。その後は長距離レースを行い、第6レースとして私とアグネスタキオンでレースを行おうと思う。距離は2400だ」

 

 突然の予定変更。不満が出てもおかしくはなかったが、それ以上に”皇帝”の走りを見られるということで、観客は盛り上がっていた。隣の桐生院トレーナーも訳の分からないことをハッピーミークに捲し立てている。

 そんな中、俺は黙ってタキオンを見ていた。彼女はこちらの視線に気づくと、皮肉気な笑みを浮かべた。

 なるほど。何か考えがあるらしい。通常のレースではなく、シンボリルドルフと走る意味。それは間違いなく、何らかの実験か、検証のためだろう。お膳立てされた以上、俺も何かを学ばなくてはならない。

 気合を入れ直し、精神を集中させ始めた。

 タキオンは走るからには手抜きはしないはずだ、なぜなら効率が悪いから。彼女たちの速度ではコンマ一秒すら遅いくらいになる。このままでは捉えきれないだろう――ならば、動体視力を引き上げればいい。頭痛に襲われ、目が充血していった。

 

 

 

 ”永遠なる皇帝”に挑むレースが始まる。

 皇帝の実績に対し、タキオンは実績どころかデビュー前。その上タキオンは態度が悪い。声援は10:0で会長優勢だった。

 こうなってくると、判官贔屓というか、逆張りをしたくなるのが男の性である。俺はタキオンの方を応援することにした。もちろん応援なんて必要ないし、俺の性格にも合わないんだが――戯れくらい、許されるだろう。それに、俺はある可能性に気づいていた。

 

 確かに実績だけ見れば、タキオンに勝ち目はない。しかし、皇帝――いや、会長にはレースでもないのに他のウマ娘の心を折る趣味はないだろう。併走ならともかく、始まる前から手を抜くような性格でもないはずだ。この事実が示唆するのはただ一つ。

 この二人は「勝負が成立する」のだ。それを、よりにもよって”皇帝”の側が認めたのだ。

 謎の興奮に包まれたまま、ゲート入りをじっと見つめる。タキオンは相変わらず不気味な笑顔を浮かべたまま、会長は威風堂々たる立ち姿だった。

 

『……スタート!』

 

 桁違いの速度だった。

 走り始めてからの加速が違う。二人とも逃げの戦法は取っておらず、控えたままだ。それは表情が物語っている。しかし、二人の速度は先程までのレースのラストスパートに等しかった。

 

『シンボリルドルフ、ハナを進みます。しかしアグネスタキオンも食らいついていく!』

 

 あれは食らいついていくというより、控えている。スリップストリームで楽をしているらしい。

 しかし両者の表情に余裕はない。真剣に走っている。会長がわずかにペースを落とした。このまま走ったら万全のタキオンに消耗した状態で当たることになる、それはまずいと考えたのだろう。表情からするとかなりスローペースな展開だが、タイムは全然スローじゃない。これでようやく、先程までのレースの平均タイムだった。

 

 ならばこの二人が本気で走ったら一体どうなってしまうのか。不意に、タキオンの言葉がフラッシュバックした。

 “ウマ娘の可能性”

 確かに見てみたい。どこまで速くなるんだろう。純粋な疑問と好奇心が掻き立てられた。

 データを取ろう。この数日間寝込むことになるだろうが、構わない。負荷が大きくなっていき、弾けたように掻き消えた。全能感のままに、目を見開いた。

 

『最初のコーナーを回った! 依然順位は変わりません』

 

 両者脚をためたまま、ゆっくりゆっくりと進み向こう正面に入る。冷戦状態の中、まず動いたのは皇帝だった。

 

『シンボリルドルフここで一気にスパートをかけた! 3コーナー手前からのスパート! アグネスタキオン離される!』

 

 スパートではなく、ギアを上げたというべきか。なぜなら、会長はまだ全力を出していないからだ。本来なら間違いなく最終直線でバテてしまう。それでもなお機先を制したのは皇帝としての矜持か。それとも会長として盛り上げようという責務か。あるいは、自信があるのか。

 いずれにせよ面白くなってきた。会長のリードは5バ身ほどまで広がった。そこで会長は挑発的な笑みを湛え、一瞬だけ振り向いた。タキオンの表情から笑みが消え、少しずつ加速を始めた。

 

『じりじりと詰めるアグネスタキオン! シンボリルドルフ逃げる! 最終コーナーカーブ!」

 

 現在の差は3バ身ほどだ。観客席からは会長への声援が飛ぶ。タキオンの方を応援する声はなかった。

 

「……そういうことするなよ」

 

 柄にもなく応援したくなるじゃないか。だいたい、タキオンの走りは見事だ。完璧なフォームで、接地の衝撃を可能な限り和らげつつ走っている。身体に負荷をかけずに加速するのは、至難の業だ。それが会長の速度に並ぶというのだから恐ろしい。最終直線に入ったころには、二人は完全に並んでいた。

 そこで、さらにタキオンは加速した。

 

『抜け出した! アグネスタキオン先頭! まさか皇帝が敗れるのか!?』

 

 その一瞬は、俺の記憶の深くまで突き刺さって離れなかった。あまりにも鮮烈で、爆発的で、凄まじい速度。スピードを追い求める、タイムを追い求める者たちにとって、神話になるほどに美しかった。

 これがアグネスタキオンか。

 

「……タキオン! 走れ! ウマ娘の可能性の向こう側へ!」

 

 気づけばそう叫んでいた。正直、どうかしていたんだと思う。

 桐生院の驚いた表情が目に入り、冷静になった。

 感動している場合じゃない。観察しなくては。

 そして異変に気付いた。何かがおかしい。

 確かに一瞬はタキオンの方が差して先頭に立ったが、明らかにトップスピードを維持できていない。ほんの一瞬だけ10割――全力を出したが、今は9割の力しか出していないように見えた。

 対する会長は今8割。そして今、さらにギアが上がった。

 競り合ったまま残り200m、しかし10割の会長に対し9割のタキオン、地力の差は歴然としていた。

 瞬間最大風速ならばタキオンに軍配が上がるが、維持できないし、何なら維持する気もないらしい。

 

『シンボリルドルフ差し返した!』

 

 やはり。そして、タキオンに差し返す力は残っていなかった。いや、使わなかったというべきか。9割の力で走り続けたままゴールイン。勝者を告げるアナウンスが流れるが、観客席は静まり返っていた。会長が汗を流して、呼吸を乱していたからだ。

 

「……皆、感謝する。この勝利は君たちの声援あってのものだ」

 

 客席は一瞬の戸惑いの後、拍手と声援に包まれた。

 敢えてタキオンには触れずに場を締めくくった会長は、悠々とした佇まいで去っていった。

 気を使われたであろうタキオンは気づけば消えていた。俺はどうしても聞きたいことがあったので、未だ興奮の残る会場から抜け出した。

 



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4話

 レース後何処へ行ったか、突き止めるのは容易い。実験をした後はまとめる、それが我々の生態なのだから。

 いつぞやに連れていかれた空き教室のラボに向かい、ノックする。

 

「開いているよ」

 

 予想済み、と言いたげな落ち着いた声だった。その瞬間、何かが繋がった気がした。

 

「入るぞ」

 

 タキオンは座って紅茶を飲んでいた。促されるまま、彼女の対面の椅子に座る。

 本題に入ろうかと思ったが、忘れてしまう前にもう一つの要件を話すことにした。

 

「なぜ、今になって選抜レースに出た?」

「実験だとも。本気の会長を間近に観察したかっただけだよ。それが何か?」

「いいや。それは本題じゃないはずだ」

「なぜ?」

「会長と走るのが目的なら、選抜レースである必要はないだろう?」

 

 ならば選抜レースにしたのは、会長の側だ。会長には”選抜レースである”必要があったのだろう。だからこそ、あんな権力の濫用じみた行動に出た。タキオンを走る気にさせつつ、自分の願望も叶えてみせた。

 

「なぜ、会長は君とのレースを”選抜レース”にしたがったのか。教えてくれないか」

「……ふぅン。知的欲求に突き動かされる人間は好ましいが――それを伝えるのは今じゃあないな」

「なんだと?」

「君、他に聞きたいことは?」

 

 是が非でも答えるつもりはないらしい。一旦後回しにしよう。

 

「ならもう一つ。いや、二つかな。あのレース、本気で走ったか?」

「もちろん。無駄に手を抜くほど無意味なことはない」

「……じゃあ”全力で”走ったか?」

 

 タキオンは顔を顰めつつも、少し嬉しそうに笑ってみせた。

 

「クククッ。良く捉えきれたね? 君がここに来た時間からして、カメラで確認する時間はなかったはずだ」

「こっちは薬で強化してるからな」

「ほほう! 素晴らしい。やはり君の研究は私にとって必要不可欠だ!」

 

 興奮した調子で彼女は捲し立てたが、糸が切れたようにふぅと息をついた。

 

「いかにも、全力は出していない。より正確な表現をすれば、一瞬だけだ」

「なぜだ?」

「時期じゃない。しかし意義のあることだったことは明言しておこう。私にはそうする他に選択肢がなかったのだよ」

 

 ……嘘はないな。研究上の都合か何だったかはわからないが、意図があってなら仕方ない。

 もし無駄に速度を落としているのなら、信用できないところだった。しかし事情があるなら別だ。

 ウマ娘の可能性の果て――つまり速さを追求するその志、確かな物と見て良いだろう。ならば目的は達成だ。何を考えているかわからない者と共に研究する趣味はないから、それを改めに来ただけだ。

 帰りを伝えようとしたタイミングで、見計らったようにタキオンの方が口を開いた。

 

「さて、合格だ。モルモット君」

「合格?」

「あぁ。君は私のトレーナーになるだけの価値がある」

 

 ……ウマ娘の側がトレーナーを試していたらしい。まあ、そういうこともあるだろう。

 ただ、担当と言われても困ってしまう。俺は全力を出さなかった理由が知りたかっただけなのだ。別に担当させてくれ、と申し出に来たわけではない。

 

「それはどうも。で、どうしたんだ」

「で? って……え?」

 

 タキオンは明らかに狼狽したというか、驚いた表情を浮かべていた。しかしすぐに余裕たっぷりの表情に戻ったが、額に若干の汗が浮かんでいるのが見えてしまった。

 

「君。私をからかってるつもりかい? 君は何のためにこの部屋に来たのか。もう一度思い出してみるべきだ」

「何故全力で走らなかったのかを聞きに来ただけだが……」

 

 彼女は何も言わなくなった。心なしか手が震えている。

 

「大丈夫か?」

「……君は」

 

 声が震えていた。

 俺は堪らず居住まいを正した。

 

「私をスカウトしに来たわけじゃ、ないのか……?」

 

 違うと言うのは簡単だ。しかしあまりに不憫な彼女のことを思うと、時としてちょっとくらい事実を捻じ曲げたほうが良いんじゃないかと思った。その一方で、現実を突きつけるのが研究者として正しい態度なのではないかとも考えた。

 タキオンは震えている。冗談だろ? とでも言いたげな余裕には、似つかわしくない汗が流れていた。

 

 迷ったら理性に。それが研究者だ。きっと彼女だってわかってくれる。

 子供に言い聞かせるように、穏やかに、それでいて事実とわかるよう力強く言った。

 

「違う。違うんだよ、タキオン。俺は、君をスカウトしに来たわけじゃないんだよ」

「……。そうか、ハッハッハ」

 

 覇気がない。空虚な高笑いだった。

 

「ハッハッハッハッハッ……ハハハ。はぁ」

 

 アグネスタキオンの調子が下がった。今にも死にそうだ。

 

「そうか。そんな奴なんだな、君は。会長、私を騙したんだな」

「会長? どうしたんだ?」

 

 彼女は俯いたまま震えていた。目頭が若干輝いているように見えたのは勘違いだろうか。勘違いであってくれ。

 

「タキオン?」

「ククッ、クックック。ハーッハッハハハ! ハーッハッハ! この気持ちで走れば、さらなる可能性の扉を開けそうだよ!」

 

 後半はドスの利いた声だった。陶酔したような威圧感の残る声で彼女は言った。

 

「君には責任を取ってもらおう」

「は、はあ」

「私はトレーナーを早急に見つけなくては退学せざるを得ない状況だ。その上実験に必要な道具が足りていない。この二つを一挙に解決する秘策がある」

「それは?」

「君をモルモット兼トレーナー兼助手にすることだ」

「……というかおい、退学?」

「そうだとも。実は今日の選抜レースに出ないと退学になるところだったらしい。会長に引っ張り出されてね」

「なんでそんな状況に」

「時間は有限なのだよ。今まで私を担当したいと言ってきたトレーナー諸君の提案には無駄が多く、それに付き合っては研究に支障が出る。しかし君ならば研究の重要性は理解できる。故に、干渉などしないだろう?」

 

 そりゃそうだ。何せド素人だからな。

 

「そして……私を応援しただろう。あの時」

「ああ」

「その時、ほんの少しだけだが――なんだか加速した気がしたのさ。しかし一度だけでは確実とは言えない。さらなる検証が必要、というわけだ。さあトレーナー契約を結ぼうじゃないか」

「いやまあわからなくもないが」

「それとも君は、私が退学処分になっても良いと? あるいは、誰とも知れぬトレーナーと契約し、満足に研究もできない環境に私を追いやっても良いということかな?」

 

 理論的に情に訴えられた。早口気味なのは恥ずかしいからか。

 まあ、名義貸しだと思えば良いか。ウマ娘の速度の可能性、興味がないと言えば嘘になる。そのためには彼女の研究を続けさせること、支援することが必須。

 

「良いだろう。”ウマ娘の可能性の果て”、見てみたい気持ちは俺にもある。スピードを追い求めた者として、君には共感できるからな」

「クククッ、素晴らしい。では早速だが、この薬を飲んでみてくれ。なぁーに最終試験のようなものだ」

 

 いつぞやに見た青白い液体だった。相変わらず光っている。

 

「……死にはしないよな?」

「安全ではあるとも。ちょっとばかり愉快なことにはなるかもしれないが」

「ウマ娘の可能性に繋がるんだよな?」

「もちろん。無意味な実験などする暇はない」

 

 覚悟を決めて飲み干すべく、試験管を手に取った。一気に煽ると、喉が焼けるような刺激を感じた。ただ危険な感じではない。アルコール度数の高い酒と炭酸を同時に口に流し込んだような感覚だった。当然、不味い。むせそうになるのをどうにか堪え、飲み込んだ。

 

「……で、この薬の効果は?」

「気分は? 身体に変化は? ちょっと立ち上がって動いてみてくれたまえ」

 

 言われた通りにするが、何も変化を感じない。

 

「何も。死ぬほど不味いだけだが」

「フム。そうかそうか……つまり、この実験は」

「おい」

「失敗ということだな! ハーッハッハ!」

 

 かくして、アグネスタキオンのトレーナーをすることになった。

 



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5話

ゲームやった方にはわかると思いますが、ウマ娘は連鎖的に好きになり最終的に全員好きになってしまう傾向があります。つまりタキオン以外も好きです。タキオンメインの方針は変わりませんが、気分次第で他の子も出てくることをご了承ください。


 そういうわけで、タキオンのトレーナーになったのだが。彼女が普通のトレーナーを求めているかと言えば、否だろう。かといって完全な職務放棄も多分文句を言われる。タキオンにではなく、会長か理事長に。解雇だけは避けなくてはならない。

 そこで、俺は助っ人のトレーナー室に訪れていた。ノックすると返事が返ってきて、戸を開く。

 

「あれ、鶴城トレーナー?」

「すまないが、折り入って頼みがある。大至急、俺にトレーナーとしてのイロハを教えてほしい」

「あれ? あ、いえ、それは構いませんけど。今年一年は教官として経験を積むから、って」

「そのつもりだったんだが、のっぴきならない事情で担当ウマ娘ができた」

「え?」

「そいつの名前はアグネスタキオンという。一人でも勝手に走って行きそうだが、最低限の仕事はしないとな」

 

 桐生院トレーナーは動かなくなった。一分ほど待つと解凍されて、金魚のように口をパクパクさせた。

 

「超光速の粒子の?」

「そう」

「そ、そんな人を担当するトレーナーに、そんな畏れ多いと言うか」

「全距離走れるハッピーミークだって大概だろう」

「でも」

「教えてください」

 

 桐生院は折れた。そして一度遠慮がなくなってからは、凄まじかった。

 ひたすらトレーナーとしての責務、素晴らしさ、そして何をするのかを語り続けるbotになっていた。質問すらできなかったが、一人でヒートアップして勝手に答えていったので問題はない。

 そして夜になり、朝になった。

 窓から差し込んだ光に照らされたところで、ようやく桐生院は我に返った。

 

「……朝、ですね」

「そうですね」

 

 何か違う人とやり取りしていた気がしたが、多分寝惚けているのだろう。

 

「えっと、熱を入れ過ぎてしまいました。ごめんなさい」

「いや、頼んだのは俺の方だから。むしろこんな時間まで付き合わせて申し訳ない。ありがとう」

 

 徹夜明けの頭を下げつつ退室した。何時間話していたんだろう。多分12時間以上だ。薬の副作用もあって、今にも倒れそうな気分だった。

 吐き気を堪えつつトレーナー室へ向かった。勤務時間中に自室で寝るのは体裁が悪すぎる。せめてトレーナー室で寝よう。仕事に集中しすぎてついうっかり眠ってしまった風を装うんだ。

 と、思っていたのだが。

 

「トレーナー君。何をしていたんだい? 崇高なる研究を放棄して」

 

 タキオンが同時にトレーナー室に現れた。手には黄緑色に発光する液体入りの試験管。実験がしたいのだろう。

 

「悪いが、今は疲れてるんだ」

「そうかいそうかい。ちなみに何を?」

「トレーナーとしてのあれこれを聞いていた。さすがに知識不足が過ぎるからな」

「なんだそれ。はー……君に一般的なトレーナーとしての役割なんて求めていないというのに、まったく」

 

 タキオンは試験管を白衣についているホルダーに差し込んだ。

 

「良いだろう。実験は後回しにする」

「ありがとう」

「何。良い夢を見られることを祈っているよ」

 

 タキオンは笑顔を浮かべたまま退室した。

 トレーナー室に置かれたソファーの上に横たわると、すぐに意識が呑まれていく感覚を覚えた。眠りに落ちる直前に再びドアが開いた気がしたが、多分気のせいだろうと思った。

 

 

 

 目覚めると口の中から凄まじい味がした。微睡みを打ち破るには十分すぎるほどの刺激だった。

 

「何だ!?」

「無論、実験さ。おっと動かないでくれよ? 結果が狂ってしまうからねえ」

 

 何をするという苦情と、実験なら仕方ないという感情がぶつかって、最終的に少し待つことになった。数分後、実験が完了したところで声を掛けた。

 

「タキオン」

「なんだい?」

「もうこういうことはするな」

「おいおい、君はトレーナーだろう? ウマ娘のサポートをするのが君の職務のはずだ」

「契約解除は実績を残せなかった場合だけじゃない」

「……ほう?」

「完全に付き合わないわけじゃないんだ、そこは安心していい。俺はトレーニングメニューを組むから、少し待っててくれ」

「トレーニングメニュー?」

 

 タキオンは不思議そうな表情を浮かべた。

 

「君にできるのかい? 習ったとはいっても、一夜漬けみたいなものだろう。実際の学習としては非常に効率が悪く――」

「元々俺はランナーだぞ。それに本とかじゃなく、桐生院トレーナーに習ったんだ」

「桐生院……?」

「同期だよ。まあそれはどうでもいい」

 

 彼女は本当に事の重大性がわかっているのだろうか。いや、わからないような奴じゃない。ただ研究最優先で、他のことに無頓着なだけだ。

 今更言う必要もないくらい当たり前のことなのだが、念のために確認するような口ぶりで言った。

 

「重要なことを言うぞ。いずれにせよタキオンはデビューしないといけないわけだ」

「私はその必要性を感じていないが――わかったわかった、そう睨まないでくれよ。デビューくらいはする」

「それはよかった。まず、今は4月後半。その上で、デビュー登録は5月後半に――まあ、これは俺がやっておく。6月後半にメイクデビューだ」

「つまり、2か月で仕上げないといけないと言う訳だね。なんとも無謀な話じゃないか。来年のデビューにしないかい?」

「一応考えはした。クラシック級でのメイクデビューは可能っちゃあ可能だが……皐月もダービーも出られないし、菊花も出走条件を満たせるか怪しい。GⅠレースで経験を積み、強いウマ娘と競い合うことは成長に必要不可欠だ。違うか?」

 

 タキオンは不満そうに眉を寄せたが、反論はなかった。

 話がまとまったことに安堵していると、タキオンは不満げに腕を組んだ。

 

「しかしプランAの進捗状況は芳しくない。ジュニア級でのメイクデビューの代価として、最大限の実験への協力を求めよう」

「で、プランAは何だ?」

 

 聞くだけ無駄だろうと思ったが、やはり彼女は黙って首を横に振るだけだった。

 やけに頑なな様子を見て、彼女にも何か退けない理由があることを悟った。彼女も何だかんだ言ってまだ学生、秘め事の一つ二つはある、か。

 

「わかった、実験には協力しよう。ただ不意打ちはやめてくれよ」

「……良いだろう。もちろん録音させてもらったから、そのつもりで。あと君の要望は覚えておくが、クラシック路線の確約はできない。そこはよろしく頼むよ」

「構わない。まだ先のことだからな。それで、練習については――」

「私にも準備がある。本格的なトレーニング開始は明日からだ。構わないね?」

「俺もメニューを決めるからな。それでいい」

 

 解散の流れだろうと思い、俺は立ち上がってデスクに歩こうとした。しかし、腕を掴まれたので振り返った。

 

「どうした? タキオン」

「実験に付き合ってもらうよ、トレーナー君。ひとまずラボまで来てくれたまえ」

「……午前中だけだぞ」

「まあいいだろう。では行こうか」

 

 その後、約束は反故にされて夕食の時間帯まで拘束されるのだった。

 




ほどほどに設定にリアル競馬が混じったりアプリが混じったりアニメが混じったりします。許してください。私にはわからないんです。トウカイテイオー(1988年生)が中等部でアグネスタキオン(1998年生)が高等部だったりする世界なんだ……!


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6話

 2ヵ月の時が過ぎた。まもなくメイクデビューとなるが、我々のこなしてきた内容は基礎トレに基礎トレ、あと基礎トレと基礎トレーニングだ。俺自身の知識とタキオンの知見を活かして作った基礎トレーニングだから、普通のよりは効果が高い……と、信じたい。

 

 ただ、不安なのは今後だ。タキオンには明らかに次のステップに進むつもりがなく、偏執的とも言えるほどに基礎トレーニングだけを続けていた。無論基礎が重要なのは理解できるが、それだけで勝てるというわけではない。

 ”時期が来たら切り替える”と言っていたが、考えるまでもなく信頼性はゼロだ。

 

 何とか別のことも取り入れられないかと考えていると、驚きのニュースが飛び込んできた。メイクデビューを1週間後に控えているが、ここ最近はトレーニング続き。休憩も兼ねた一計を案じることにした。

 

 

 

 毎日朝食後、トレーナー室で顔を合わせるうち、何となくだが彼女との信頼関係ができてきたように思われる。それが良いことなのかはわからないが、駄々をこねても良いと思われているらしい。それが舐められているのか信頼の証かは不明だが。

 今日もタキオンは眠そうだったが、それでも一応来てくれてはいた。

 

「タキオン。少し提案がある。いいか?」

「ふぅン? 珍しい。聞くだけ聞こうじゃないか」

「トレーニングについて少し、趣向を変えてみようと思う。先に言っておくが根本的に方針を変えようというわけではない」

「前置きは良い。それで?」

「実は今週末、あるレースがあるんだ。おい、つまらなそうな目をするな」

「観戦をしようって言いたいんだろう。無論意味がないとは言わないがね、私はそれより――」

「シンボリルドルフ会長が出る」

「……ほう?」

「なんでそうなったのかは知らない。が、急遽出走となった」

「なるほど、会長が。知らなかったな――宝塚記念かい?」

「その通り。どうせレースなんてほとんど見たと言いたいんだろうが――シンボリルドルフのレースならば見る価値がある。他の面子もGⅠ、春のグランプリだ。豪華な面子が揃っている。で、どうだ?」

 

 タキオンは脚を組み俯いた。基礎トレからの変更はやはりまずかっただろうか。

 

「無理に、と言うつもりはない。トレーナーである以上従って欲しい指示はあるが、これは相談だ」

「……ま、良いだろう!」

 

 吹っ切れたような声だった。

 

「関西ならではのデータが取れるかもしれないからねぇ。しかも今回は労働力もいる。君、運転免許と車は持ってるかい?」

「両方持ってるが、おい。阪神レース場まで運転しろって言う気か? 何百キロあると思ってるんだ」

「もちろん。何十キロもある精密器具を抱えて走っていけと言うのかい!」

 

 なら行かない、と言い出すのは明白だった。溜息をついて承諾する。

 結局今日のトレーニングは取りやめとなり、荷造りに追われるのだった。

 

 

 

 金曜日の夜、俺は栗東寮前までタキオンを迎えに来ていた。いかに学園内とはいえ真夜中に女性一人はまずいと思ったのだ。ただ、これが良くなかった。厄介ごとに首を突っ込むことになってしまったのだから。

 

「ヤダヤダー!」

 

 美浦寮の前を通りかかった時、駄々っ子の声が聞こえた。それはもう明らかに子供のもので、そうとくれば多分ウマ娘のものだ。もちろん門限は過ぎている。

 やだ、と言うからには誰かいるのだろうが、一応様子は見ることにした。

 

 寮の入り口に二人。少し外れた場所に二人。寮の入り口の方はトウカイテイオーとシンボリルドルフが、外れにはフジキセキとヒシアマゾンがいた。寮長組は入り口の二人を見守っているらしい。心配はいらないようだ。すんなり名前が出てくる自分に感動した。

 

「テイオー……チケットが取れなかったのだろう?」

「うううー、でも、でもぉー!」

「その心だけで十分だ。心配する必要はない」

 

 寮長組と目が合って、お互いに軽く会釈した。

 

「カイチョー……」

「テイオーの応援は受け取った。この上映像越しで応援してもらえるならば、猶の事安泰だろうな」

「……うん」

 

 出る幕はなさそうだ。通り過ぎようかと思い、視線を感じた。フジキセキからだった。

 栗東寮長のフジキセキには、タキオンとの関西行軍は伝えてある。車で行くということも。そして、彼女はじっと俺を見つめて、時折トウカイテイオーに目配せしていた。フジキセキが小さく口を動かした後は、ヒシアマゾンからの微笑交じりの威圧も加わった。

 いけと。なるほど。車に余裕はあるから、構わないと言えば構わないのだが……タキオンと喧嘩しないだろうか。ウマ娘の力で暴れられると車が壊れるので、やめてほしいのだが。そうこう迷っているうちに、会長がこちらを向いた。

 

「おや、君は」

「……こんばんは、会長」

「ああ。こんな時間に、どうしたんだ?」

「タキオンを迎えに」

「……ああ、思い出した。確かに外泊届を提出していたな。私のレースを見に来るんだろう?」

「はい」

「そうか。私の走りが君たちに資することを願っている。そうタキオンに伝えておいてくれ」

「わかりました。それでは」

「……ねえ!」

 

 まあ、そうなるよな。テイオーがこちらを向いて、ぱあっと明るい笑顔を向けた。

 

「これから阪神レース場に行くの!? どうやって!?」

「車だ」

「それ、ボクも乗せてよ! いいでしょ!?」

 

 こうなれば、事態は俺の裁量を超えている。嘘をつくのは心苦しかった。断って欲しいと思いつつ、会長に目配せした。

 

「……千載一遇、か。鶴城トレーナー君、私からもお願いできないだろうか」

「わかりました。君、名前は? 俺は鶴城圭吾。ここのトレーナーだ」

「えーっ、ボクのこと知らないの!?」

「建前上聞いてるだけだ。一方的に知られてるのが怖いって子もいるだろ」

「なんだ、そっか。ボクはトウカイテイオー! 無敵のテイオー様だぞ!」

「こら、テイオー。無理を言っている立場なのだから」

「はぁーい。鶴城トレーナー、よろしくね!」

「そうだ、現地でのテイオーの引率も任せて良いだろうか?」

「……わかりました。帰りは会長が何とかしてくださいよ」

 

 タキオンとは合わないだろうなあ。そう思いながら、俺はタキオンを迎えに行くのだった。

 

 

 

 私服姿のタキオンは、何というか、普段とは随分違って見えた。

 彼女は些か不機嫌そうに空を眺めていたが、足音に気づくとこちらを向いた。

 

「遅かったじゃないかモルモット君。実験アルファと実験ベータ、どっちがお好みかな?」

「どうせ、選ばれなかった方が後回しになるだけだろ」

「もちろんだとも。まぁ安心したまえ、流石に今はやめておこう。事故は起こさないでくれたまえよ?」

「そりゃよかった。ところで同乗者が増えることになった。荷物をトランクに運んだら少し待つことになると思う」

「ほう。しかし、そういうのは私に断りを入れてから決めるべきではないかい?」

「会長に頼まれたんだよ」

 

 タキオンは不満そうだったが、唇を尖らせるだけで収めてくれた。

 車で二人、待機する。タキオンは助手席に乗ろうとしていたが、テイオーが暇するだろうから後部座席に移ってもらった。

 

「トウカイテイオー。聞いたことはあるが……どうだろう。興味深いウマ娘だと良いが」

「会長が目を掛ける程だ。玉石混合の学園の中で、間違いなく玉の側にあるだろう。タキオンと同じだよ」

「そうは言うが、会長はウマ娘というだけで無条件に目を掛けるだろう?」

「そりゃそうだが、あれは並々ならぬものを感じたぞ」

 

 雑談をしていると、人影が見えた。タキオンに一声かけて、耳を塞いだのを確認してから大声で呼びかける。

 

「こっちだー!」

「わかったー!」

 

 元気の良いことだ。タキオンは少し忌々しそうに表情を歪めていた。

 

「言ったろ、呼びかけるから耳塞いどけって」

「違う。どうやら眠れなさそうだと思ってね」

「ああ……頑張れよ。俺は運転に集中するから」

「頻繁に休憩を取るようにしたまえ。それで気が紛れるだろう」

「……さすがだ。8時間近く掛かるだろうが、頼むぞ」

「なあに希望はある。幼いようだから、深夜になれば眠く――」

「ボクが子供だって言った!?」

 

 ああ、やらかしたな。タキオンらしからぬ失敗だが、多分彼女も眠いのだろう。

 一気にうるさくなった後部座席に不安を覚えつつ、出発した。

 




世間ではしっとりテイオーが一般化していますが、私はシットリルドルフの方が好きです。嫉妬、シンボリとシットリは最初と最後が同じだから実質同じ、そして独占力持ち。


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7話

タキオンがテイオーを何て呼ぶのかわからない。経験則的に考えれば冠名抜いて君付けでいいと思うんですけどね。(エア)シャカール君とか。親しいと呼び捨てになるみたいですけどね。「カフェ」とか。


 俺は知っていた。このドライブが平穏無事に済むはずがないことを。だから燃料も満タンにしたし、念入りに点検もしたし、掃除も徹底的にした。打てる対策は全部打ったはずだった。しかし想定外の強敵は、全ての対策を打ち砕いた。

 

「ねーねー! 何かゲームしない?」

「……私は今研究で忙しいんだよ、テイオー君」

「じゃあトレーナーは?」

「モルモット君は運転で忙しいんだよ、テイオー君」

 

 背後からキーボードを叩く音がした。タキオンは持ち込んだノートパソコンで研究中らしい。言うまでもないことだが、彼女が世界一嫌いなのは研究の邪魔をされることだ。

 

「うぅー、つまんないのー」

「悪いな、テイオー」

「何かないのー?」

「……あと一時間くらいしたらサービスエリアに入るからさ、何か探そう。テイオーは担当トレーナーとか、チームとか入ってるのか?」

「ううん。まだだよ」

「そうか。体重が大丈夫なら、そのうち何か飯でも奢るよ」

「いいの? ありがとっ! にんじんラーメンとかあるかな?」

 

 テイオーの機嫌を取るのは、これで良いのだろうか。上手な対策法がわからない。ただ、想像よりは楽だった。彼女は我儘だが素直でもある。タキオンと比較すれば何倍もマシに思えた。

 ……それにしても、俺も暇だ。

 

「タキオン。今少しいいか」

「なんだい。事故だけは勘弁してくれよ?」

「わかってる。来週はデビュー戦だが、距離とかは覚えてるよな?」

「2000m、左回り。東京レース場だろう? 私はあまり個々のメンバーに対策を立てるのは好まないから、やりたいならトレーナー君の方でやっておいてくれたまえ」

 

 タキオンの興味は絶対的な速さにある。その場限り、その回限りの勝利には価値を見出していない。というか、全体的に勝利への関心が薄い。もちろんウマ娘として最低限のものはあるが、勝利をスピードの副産物とでも思っている節がある。

 

「そういうと思っていた。だからメールでメンバーリストを送っておいた。簡単なことしか書いてない、というかわからなかったけど、一応目は通しておいてくれ。どうせメールチェックなんかしてないだろ」

「ふぅン。ま、良いだろう。この状況じゃあ研究も捗らない」

 

 俺もトレーナーらしくなってきたと思う。最近は何となくだが状態や実力を察せられるようになってきた。ウマ娘研究者としての自分も大喜びだ。タキオンに新薬を提供したところ、髪の毛が金色になったが関節が良く動くようになったのを覚えている。あの時は彼女も褒めていた。

 

「なるほど。正直に言うが、勝てるだろうね」

 

 読み終えた彼女も、俺と同じ見解に至ったのだろう。よっぽどコース取りを間違えたり、徹底的に妨害されたりしなければ負けはない。

 

「万全なコンディションで挑めば大丈夫なはずだ。だから、こうして連れ出している」

「気分転換か。まあ、私とて生物である以上休息は必要だ。最近はトレーニングだったし構わないが、そうならそうと先に言ってくれ」

「会長の走りを見るのも重要だからな?」

「もちろん。しかし、この間のマッチレースで多くの知見を得た。あの時はそれなりに本気で走っていたようだし、あれでも十分――」

「いいなぁ」

 

 会話を遮って漏れた呟きに、思わずタキオンは口を閉じた。

 テイオーが慌てて弁解するように言った。

 

「あ、ゴメン邪魔しちゃって。続けて?」

「……はあ、気が変わった。それにしてもテイオー君は会長に随分御執心のようだねえ」

「うん! カイチョーはボクの憧れなんだー。強くて、カッコよくて、無敗の三冠ウマ娘! ボクもあんな風になるんだー」

 

 強い憧れが伝わってきた。テイオーの目標は会長か。それが大言壮語となるのか、それとも実現するのかはわからない。いずれにせよ、タキオンとはまるで逆の性格だということがよくわかった。

 

「ねえねえ、タキオンってカイチョーと走ってたんだよね! ボク、あの時は見れなかったんだけど。どうだった?」

「……ふぅン。なるほどなるほど。プランBの検証にも有効か」

「プランB?」

「テイオー君。私のモルモッ……実験に協力してはもらえないかい?」

 

 ああ、始まった。タキオンの悪い癖だ。

 

「なぁーに、ちょっと新薬を飲み、データを取らせてもらうだけさ」

「なにそれ?」

「代わりに、私の集めた会長の走法データその他を君に提供しようじゃないか。悪い取引じゃあないと思うがね?」

「むー、カイチョーのことならボクが一番わかってるよ?」

「どうかな。確かに君の会長に掛ける熱意は私を凌駕しているだろう。しかし、君は私が持つような測定器具や、繰り返した実験で積み重ねた目を持っているのかね?」

 

 テイオーが言いくるめられている。が、放っておくことにした。

 

「……うぅ。それは、確かにないけど」

「なあーに、君の”無敗の三冠ウマ娘”という目標にも資するはずさ」

「でも、うーん、タキオンのお薬って、その……あんまりいい噂を聞かないんだけど……」

「私が追い求めるのは”ウマ娘の限界速度の向こう側”。現時点でもっともそれに近いのは、君の敬愛するシンボリルドルフ会長だ。しかし、私はそれを超えようとしている。会長すらも凌駕して、ね」

「カイチョーを、超える……?」

「そうだとも。無論、私は限界の果てが見たいだけ。会長がその領域に到達しても構わないがね。そして……それはテイオー君でも構わない。さて、どうする?」

 

 俺の背後に詐欺師がいる。被害者もいる。しかし嘘はついていないし、正直ウマ娘の実験台が増えると俺の負荷が減るからありがたかった。

 テイオーはしばらく黙り込んで考えていたが、ぱっと思いついたように言った。

 

「ねえねえ、この後一緒に走ろうよ!」

「うん? どうしてそうなったのかな?」

「一緒に走ったらわかることもあると思うんだー、だからさ、それからでもいいかな?」

「……今はその回答で満足しておくとしよう。それにしても――」

「うわっ!? 急に足を触らないでよー!」

「許可を取るだけ時間の無駄だろう。ああそうだトレーナー君。振り向くなよ?」

「わかってる」

「とのことだから、ここにいるのは私と君、モルモット一匹だ。安心したまえ」

「うう、うーん、まあ、それなら、ちょっとだけだよ?」

 

 バックミラーから見えるのだが、黙っておくことにした。

 音でしかわからないが、恐らくタキオンがテイオーの脚を観察しているのだろう。

 

「ふぅン。実に興味深い。私のプランAにも生かせそうだし、プランBにも使えるな」

「プラン?」

 

 誤魔化すようにタキオンは言った。

 

「それはそれとして、よく鍛えられている。懸念事項はあるがジュニア級ならば敵なしだろう」

「ほんと!? えへへっ」

「しかし、やはり特筆すべきはこの柔軟性! 素晴らしい!」

「うぇあ、どうしたの急に」

 

 ここまで興奮しているタキオンは珍しい。慌てたのか、早口で彼女は捲し立てた。

 

「いやはや失敬。テイオー君、少し事情が変わった。新薬を飲むかはともかく、今後時折実験に協力してくれたまえ。君でしかこのデータは取れない」

「ボクじゃないとダメってこと?」

「ああ、君にしか頼めない。その柔軟性は研究をさらに推し進めることとなるだろう!」

 

 テイオーはすぐには返事をしなかった。後ろがどうなっているかはわからない。

 数分後、落ち着いた調子で返したテイオーの言葉は、随分と大人びているように聞こえた。

 

「……うん、良いよ。研究でもなんでも言ってよ。カイチョーのところに行くためには、並のトレーニングじゃ足りないから」

 

 一度打ち解けてからは案外あっさり打ち解けたのか、レースや走りの話で盛り上がっていた。安心して運転を続けられて、ひとまず順調だった。

 




この二人、共通点多いと思う。
・無敗三冠を嘱望されたが、怪我で成し得なかった
・足がガラス製
・会長から結構期待されてる(テイオーは説明不要、タキオンはアプリ版のストーリー参照)
・先行脚質

そしてアニメ版テイオーは夢がくじけても新たな夢を抱いて立ち上がる不屈の帝王になり、アプリ版のタキオンは夢を決して諦めず、自分の脚を壊してでも他人に託して同じ夢を続けようとする。良いよね。
え? アプリ版テイオー? さあ……。


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8話

阪神競馬場を見過ぎてうっかり東京競馬場を右回りって書きました。ゆるして



 

 サービスエリアでの休憩中、健康に致命的な悪影響があるのを承知で俺とテイオーはラーメンを啜っていた。一方、タキオンは暇そうだった。途中まではノートパソコンを眺めていたが、やがてそれも飽きたらしく唇を尖らせた。

 

「モルモット君。何か面白いことをしたまえ」

「うわ。トレーナー頑張れー」

「……なら俺の研究の進展について語ろうか」

「おお、面白そうだ」

「えぇー?」

 

 テイオーは放置して、研究の進捗状況を伝えることにした。もっとも、技術協力はお互いに進めているので、概ね想像はついているだろうが。

 ここに来る前は進んでいなかった研究は、今や飛躍的に発展している。それに伴って越えがたい壁も発見されたが、とりあえず壁の存在すら見えなかった以前と比べれば雲泥の差だ。

 俺は思い切った提案をした。

 

「タキオン。変な癖がついたら悪いから、デビュー戦の後で良いんだが」

「前置きをするなって言っているだろう?」

「俺と競争して欲しい。併走って言っても良いかもしれないが、それよりはもう少し勝負っぽい感じで」

 

 辺りが静まり返った気がした。タキオンは目を丸くして興味深そうな表情を浮かべていたし、テイオーは完全に頭がおかしい人を見る目を向けていた。

 

「トレーナー? 君って耳と尻尾が無くて女性じゃないウマ娘?」

「それはウマ娘ではない。人間だ」

「無謀な試みだねぇ、トレーナー君」

 

 いつぞやの皇帝との対決の調子で走られた場合、もちろん負ける。当たり前だ。

 

「手加減してもらうのは前提だぞ」

「それくらいわかっている。しかし、君が陸上競技に打ち込んでいた話は聞いているが、オリンピック級の選手ではなかったのだろう? 彼らをして我々ウマ娘の走力には勝てないのに、果たして君には何が見えているのかな?」

「やればわかるさ」

 

 俺のやったことは単純だ。例の代償付きの薬、あれの代償をそのままに効果だけを高めた。同じ負荷――同じくらいの体調不良――で、今や何倍にも早く走れる。理論上は。

 この辺りの事情を伝えると、タキオンは顎に手を当てた。

 

「私の研究に役立つ可能性があると言うのなら、協力することもやぶさかではないよ」

「じゃ、決まりだな」

「ところで、君の言う”手加減”はどのくらいかね? 競歩というのは経験がないから、なかなかに難しいのだが」

「いいや。さすがに全力は無理だろうが、タキオンの――そうだなあ、3割くらいとなら渡り合えるはずだ。一応言っておくが100mじゃないぞ? 2000mだ」

「ほう! ウマ娘の現時点での最高時速は時速70kmとされている。それを知っての上で、3割と言ったんだね?」

 

 人間の最高速度は時速45kmほどで、それもトップアスリートの100m前後に限った話だ。距離が延びれば伸びる程、ウマ娘と人間の差は広がっていく。まして俺はトップアスリートではない。

 それでも俺は頷いた。

 

「ククククッ、楽しみだなあ! 面白いデータが取れそうだ! どんな結果になるのやら」

「ねえ、本当に大丈夫? データが欲しいだけならボク代わってもいいけど」

「ああ、ありがとう。でもいいんだ。俺の研究目標はウマ娘より速く走ることだから」

「へぇー……すごいね」

「君に言われたくはない」

「ボクは絶対勝つから、そうでもないけどね。まっ、君もこのテイオー様の背を追ってくれたまえよ。ふぉっふぉっふぉっ」

 

 なんだか少しテイオーからの視線が暖かくなった気がした。食事を済ませると早々に出発した。

 

 

 

 土曜日の朝、我々は阪神レース場近郊に辿り着いた。前日だというのに物凄い活気だ。新幹線の席が取れなかったのも、恐らく宝塚記念効果ではないだろうか。宿を予約しておいてよかった、と思ったところで背筋が凍り付いた。

 

「一応聞くんだが。テイオー、宿の当てはあるか?」

「宿? ……ないよ」

 

 まあ、そうだよな。

 新幹線の座席すら取れないのに、果たして現地のホテルが開いているだろうか?

 

「タキオン、調べておいてくれ」

「君の携帯端末は何のためにあるんだね、まったく」

「俺は電話するんだよ。ホテルに」

 

 タキオンは肩をすくめた。一方の俺は言葉通りにホテルへ連絡して状況を説明したが、ベッドの追加は不可能らしい。ただし二人部屋を一人で取っているので、一人を二人にする分には構わないそうだ。礼を言って通話を切った。

 

「タキオンはすごいなあ。これを見越して二人部屋に一人で泊まるなんて言い出したんだな」

「……おいおいまさか。そりゃあ君、いくらなんでも」

「なら空いている場所があるのか?」

 

 タキオンは不服そうに首を横に振った。

 取った部屋は二つ、俺は一人部屋だ。タキオンは荷物を置く場所が欲しかったらしい。まあ要するにテイオーとタキオンが一緒の部屋で眠れば、だいたいの問題は解決される。

 

「大阪か神戸の方でなら部屋は開いているそうだ。そっちで良いんじゃあないかな」

「あまり遠くの宿に泊まらせるのは、会長に引率を任された身として問題がある」

「……なんかゴメンね? ボクのせいで」

「いや、気にするな……でもどうしたものか。タキオンの部屋に一人追加するなら大丈夫らしいんだが、どうだ? 空いているベッドが1個あるだろ。そこに――」

「あの部屋はツインベッドの二人部屋じゃない。だいたい、一人で寝るつもりだったのにベッドが二つあるわけないだろう? あれはダブルベッドの二人部屋だ」

 

 おお。

 つまりあれか。俺は今まで”同じ部屋に泊まる”だと思っていたのだが、”同じベッドで眠る”だったらしい。そりゃあタキオンも渋るわけだ。いくら同性で仕方ないとはいえ、今日会ったばかりの相手と共に寝ろと言うのは中々にハードルが高い。

 

「いや、しかしな、いくらなんでも……」

「えっと、ボクにももう少し詳しく教えてくれない?」

 

 テイオーが拗ねる気配を感じたので、諸々の事情を説明した後、現状の打てる手を伝えた。

 彼女は微妙そうな表情を浮かべていた。人懐っこい印象のテイオーだが、さすがに快諾はできないらしい。

 

「んー……あ、そうだ。カイチョーに聞いてみてもいい?」

「ああ、良い案だ。頼む」

 

 テイオーが電話を掛ける。何度か驚きや落胆の声が聞こえた後、彼女は限りなく気まずそうな表情でこちらを向いた。

 

「無理だって。さすがに学園の施設は借りられないってさ」

 

 俺から言うしかないか。

 

「……悪い、二人とも。同じ部屋に泊まってくれ」

「モルモット君とテイオー君が眠ると言うのはどうだい?」

「それはさすがにちょっと……ごめんね、トレーナー」

「謝る必要はない、俺だってそうする。あと理事長か会長に殺されるから、やめてくれ」

 

 さて、どう言いくるめるか。意外なことに、タキオンはそこまで嫌そうにはしていない。諦めているのかもしれないが、後回しにして大丈夫だろう。つまりテイオーを言いくるめれば万事解決する。

 

「なあ、テイオー。修学旅行って覚えてるか? 小学生の時とか行っただろ?」

「あ、うん。確かに行ったことある。でも一緒の布団では寝なかったような……まあ、いっか。お泊り会みたいなものだよね」

「タキオンも頼むよ。今晩だけだから」

 

 タキオンは大きくため息をついて腕を組んだ。

 

「仕方なし、か……次からはもっと良い案を考えたまえよ」

「悪いな。助かるよ」

「実験三本、いや五本だ。付き合いたまえよ、モルモット君。あとテイオー君は……間違って実験器具を壊さないように」

「ボクをなんだと思ってるの!」

 

 テイオーが不機嫌そうに唸っている。タキオンがまあまあと言いながら白衣の中から何かを渡したところ、機嫌が復活した。何を渡したのだろうか。いや、聞かない方が良いか。

 

「これからどうする?」

「ねね、お土産買っていきたいんだけど」

「じゃあ観光するか。タキオンは何か希望はあるか? チェックインにはまだ早すぎるが」

「……ま、良いだろう。ただ、私も実験の材料を購入したい。構わないね?」

「高等部だっただろ、タキオン。どのみち今日は休みだし、単独行動しても構わないが」

 

 こっちの付き添いは必須じゃないし、本人も望みだろうと思ったのだが。

 彼女は溜息をつき、これ見よがしに腕を広げて呆れたと言いたげだった。

 

「君がいなければ誰が荷物を持つんだ」

「……テイオー、悪いけど付き合っても良いか?」

「いいよー。っていうか、元々ボクがついてきてる側だし」

「悪いな。じゃあ、行こうか」

 

 テイオーが大量の肉まんを買おうとするのを止めつつ、またタキオンがどこから入手したのかわからない劇薬を買おうとするのも止めながら、俺の土曜日は過ぎて行った。疲れた。

 これは、休日出勤ではないだろうか。

 




テイオーにせよタキオンにせよウマ娘は書くのが難しいですね。私には彼女らの性格がわかりません。


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9話

書いておいてなんですが、そこまで競馬に然程詳しいわけではないのです。レース描写がガバガバでも許して。
よく考えたらウマ娘にも詳しくないですね。なんでルドルフとナリタブライアンが一緒に皐月賞走ってるんですかね? そこまで行ったならミスターシービーも走ってくれよ。私にはもう何もわかりません。


 こうして迎えた翌日、宝塚記念。曇ってはいるが雨はなし。我々は関係者でも何でもないので、位置取りが重要だ。ウマ娘二人は普通に開幕ダッシュで好位置につけた。俺も実験の成果のためか、かろうじて人間の先頭は取れた。よって問題はなくスタンドの好位置で集まれた。タキオンの希望とテイオーの『カイチョーは余裕で勝っちゃうから、ゴール前過ぎると良く見えないよ?』の発言のため、1階のゴールから少し離れた辺りに陣取っている。ゴール側から俺、テイオー、タキオンの並びだ。

 

「芝が荒れてはいるが、まあ良バ場だな。タキオン的にはどうなんだ。嬉しいのか?」

「走りを見られるだけで問題はないさ。まあ個人的には不良バ場の方が見たかったんだがね」

「えー? なんでぇ?」

「それはもちろん研究のためさ。私がそれ以外を優先するわけないだろう」

「で、タキオンよ。装置はちゃんと持ち込めたか?」

「あぁ。このために来たのだからねぇ」

 

 白衣から取り出したのはカメラのような何かだ。魔改造されているので、これを素直に「カメラ」と呼ぶことは差し控えたい。ついでに言うと信じられないくらい重い。馬鹿でかい装置はこれのメンテナンス装置なんだとか。もちろんこれを扱うのはウマ娘以外には不可能だ。カメラのように首から下げたら首が折れるだろう。

 

「モルモット君は……あぁそうか。脳の処理能力を増大させるんだったかな」

「万が一でも倒れたらよろしく頼む」

「任されよう。その代わりきちんと報告したまえよ?」

「脳の処理能力をって、何?」

 

 テイオーも隣にいるが、まだ会長は出てきていない。暇だったので興味を示したらしい。

 

「正確に言えば、ウマ娘のように細かく全身を制御して、あの速度で走っても十全に周囲を認識できるようにする技術だ。心肺能力の強化でも何でも、脳が制御できなくては宝の持ち腐れになる」

「えっと……うん?」

「つまり人より少し良く物が見えるってことだ」

 

 まあ本当は違うんだが、この方が通りが良いだろう。

 テイオーも理解が及んだらしく、ふんふんと頷いている。

 

「でも、カイチョーに関してなら負けないよ~?」

「ほんと会長好きだよな」

「うん! あのね、カイチョーは……」

 

 スイッチを踏んでしまったが、暇つぶしと思えば悪くないか。

 テイオーの話にうんうん頷いていると、カメラもどきの設定を終えたタキオンが声を上げた。

 

「今回のレース、他に有力なウマ娘はいるのかい?」

「特に聞いてないけど」

「人気は……うんうん、やっぱり会長がダントツ1番だね」

 

 出走は11人。

 正直、会長以外が勝つビジョンが見えない。他のメンバーがひどいと言うつもりはないが、相手が悪すぎる。誰が勝つのかではなく、どう勝つのか。それが見たいからここにいる。

 パドックを映し出すモニターには順次ウマ娘が現れ、各々パフォーマンスをしたり、ただ立っているだけだったり、一礼したりと個性的に振る舞っては去っていく。

 

「あっ、きたぁ!」

『3枠3番、シンボリルドルフ!』

 

 相変わらずの威風堂々たる佇まい。GⅠレースだと言うのに自然体のように見えた。しかし勘とでもいうべき部分でほんのわずかに違和感を覚えた。

 俺にわかることが二人にわからないはずはない。

 

「カイチョー……?」

「これは……」

「何かおかしい気がするが、何がどう違うのかわからない。何が見えてる?」

「歩き方を見たまえ。元々ウマ娘と人間では若干走り方に差異があるのはよく知られたことだが、あれはほんの少しだが左側が……」

「少しじゃない」

 

 テイオーの声は、底冷えがするほど冷たい声だった。だが怖いとは思わなかった。むしろ一人にしたら消えてしまいそうなほどに震えていた。放っておいたら飛び出して会長の元へ飛んでいきそうだった。

 

「テイオー、落ち着け」

「でもっ」

「あの会長だぞ。皇帝シンボリルドルフだぞ。判断を誤ると思うか? まして、トレーナーは大ベテランだ。俺はあまりその人に詳しくないけど、噂はよく聞く」

「……安心したまえ。映像で見ているから違うように見えるだけかもしれない」

 

 気休めだ。タキオンにわからない筈がない。ウマ娘を観察することにかけて、彼女は一流と言って差し支えないはずだからだ。そのタキオンが”歩き方がおかしい”と言ったのだから、多分そうなのだろう。

 

「何事もなくレースは終わるさ。会長が勝つ。だってシンボリルドルフなんだから」

「……うん。そうだよね。カイチョーなら、ちょっとやそっとじゃ負けないよね」

「モルモット君の言う通り。会長の走りは文字通り桁外れ、天性の物だ。そう簡単に揺るぎはしないさ」

 

 タキオンの援護射撃もあり、テイオーはひとまず落ち着きを取り戻した。それでも不安そうにモニターと芝を見つめていた。それで気が緩んだのだろう。タキオンの瞳に、一瞬だけ諦観と心配の両方が浮かぶのを見てしまった。

 実験を諦める、ということだ。つまり実験にならない。皇帝は万全に走れない。

 それでも帰らないのは、彼女なりに期待しているのか、それとも優しさか。一晩共に過ごしたことは、テイオーとタキオンの間に確かな関係を結ばせたようだった。

 

 

 

 レースが始まる。

 さすがにこの期に及んでゲート入りに苦戦するようなウマ娘はおらず、我々の不安と反するように驚くほどあっさりとレースが始まった。出遅れはなかった。

 

「カイチョー!頑張れぇーっ!」

 

 タキオンは撮影装置を起動し、そちらに掛かり切りになっている。一応記録は残しておくつもりらしい。ここで、俺もドーピングの力を使う。

 ちりちりとした痛みの後、世界がスローモーションになった。

 

 会長が目の前を走っていく。あの日、タキオンと走っていた時とは明らかに様子が違った。

 フォームが崩れている。経験不足? あり得ない。不自然なほどに右脚重心で、恐らく左足の負荷を軽減しようとしている。その分右半身にかかる負担は相当なようだ。はっきり言って、シンボリルドルフでなければレースができる状態ではない。あの状態でも走れることに尊敬すら覚えた。

 しかし、まだレースは始まったばかり。まだ2000m近くあるのに、これで持つのだろうか?

 

『さあ1コーナーから2コーナーを回っていく!』

 

 遠くなってきた。さすがに見えないので、レース全体を俯瞰する。

 

『一番人気シンボリルドルフ、今日は中団につけています!』

 

 差しか。他に手が無かったとも言える。差しが楽なんて言うつもりはないが、最初から全力疾走する逃げ、それに食らいつき続けねばならない先行、短期間に一気に負荷が集中しすぎる追込はこの状態じゃ無理だろう。

 

『先頭からシンガリまでおよそ10バ身』

 

 だいぶまとまって走っている。少なくとも大逃げはいない。会長は内枠3番、今も若干バ群に呑まれ気味だ。抜け出せる脚があるだろうか。

 

『残り1000m! 明らかにスローペースな展開です!』

『まだ先頭集団には余力が残っていますよ』

 

 宝塚記念は2200m。今のところ会長は走れている。遅めの展開に助けられているか。しかしその分最後には通常以上の速度でスパートを掛けねばならない。その上阪神レース場では最後の200mで急激な上り坂がある。

 はっきり言おう。負けてほしいと思った。脚を使わないまま敗れる無様を演じれば、恐らく大事には至らない。

 もしスパートをかけてしまったら……。嫌な汗が流れた。

 

『3コーナーを曲がって4コーナーに差し掛かる!』

『各ウマ娘、一気に加速し始めました!』

 

 わかっていた。皇帝がそんな負けをする訳がないと。

 

『シンボリルドルフ! 一気に内側からバ群を突き抜けていきます! 第4コーナーを回って最終直線並びかけてきた!』

 

「カ……カイチョー……」

 

 隣から、半ば茫然とした呟きが聞こえた最終直線、再び脳に負荷を掛けた。

 フォームが更に崩れている。左脚がまったく踏み込めていないせいで、右脚だけで加速していた。そのせいで一歩踏み出すごとに、外に飛び出すようによれかかり、それを重心移動や上半身の筋肉で必死に制御していた。無謀とも言える走りだが、それでも上がって来るところに圧倒的な地力を感じた。

 

『さあ最後の直線だ! シンボリルドルフ交わすか!?』

『おおっとシンボリルドルフ様子がおかしい! 伸びない! どうしたんだシンボリルドルフ!』

『手間取る間に後続からウマ娘たちが突っ込んで来る!』

『残り200! シンボリルドルフ交わせない! ずるずると沈んでいきます!』

 

「あ……」

 

 テイオーの悲痛な声が聞こえ振り向くと、テイオーは口を僅かに開いたまま、静かに涙を流していた。

 

『一番人気シンボリルドルフは6着! まさかの展開です!』

 

 会長は肩で息をして、右膝に両手をついていた。斜行しないようにするだけで精一杯だったのだろう。表情には苦悶の色が見えた。

 

 スタンドにはどよめきが広がっている。まさかの結果だ。圧倒的な一番人気からの大敗。それも明らかに様子がおかしい。ここまで来ると否応なく最悪の光景が想起されるが、それでも皇帝は己の脚で立って、ぐるりとスタンドを見回した。

 

 その時、目が合った。いや、本当は俺なんか見ていなかったのだろう。隣にいるテイオーを見たのだ。会長は一言も発しなかったが、申し訳なさそうな瞳をしていた。しかし顔が止まることはなく、最後に一礼してゆっくりと地下バ道へと戻っていく。敗者はただ去るのみ。

 

「あっ、おい!」

「っ、これは任せたよ!」

 

 テイオーは人混みを掻き分けて出口へ向かう。ウマ娘が本気を出せば危険だが、さすがにまだ理性は失っていないらしい。しかしタキオンは飛び出した。大事な大事な実験道具を置いていくほどだから、相当だろう。

 残されたのはカメラもどきと俺だけ。急いで追わねばならないが、こんな重い物を持っては動けない。

 

「……筋力強化」

 

 激しい頭痛に苛まれながら、俺も二人を追いかけ始めた。

 




競馬何も知らない民(自分)のために書いておくと、史実会長は宝塚記念そもそも走ってません。レース前日に怪我して出走を取り消しました。勝ったのはスズカコバン、マルゼンスキーの産駒です。

他の馬の名前を書かないのは史実を完全再現してるわけじゃない(まあそしたらタキオンは……)ことや、筆者の単純な知識不足、あとウマ娘化されてないからです。ゲームでモブ(かわいい)が何番!って呼ばれているのを聞くと妙に悲しくなるので、できる限り使わないようにしています。


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10話

トウカイテイオーと七つの冠


 完全に見失った。人混みさえ抜けてしまえばウマ娘の速度に敵うはずないと言えば、その通りだ。

 というか、このカメラもどき何十キロあるんだ。下手しなくても人間より重いぞ。

 行きそうな場所は……まさかタキオンがメッセージを寄越すなんて社会的行為を行えるわけがない……とすると。

 

 ウイニングライブの準備を尻目に、関係者以外立ち入り禁止の場所に忍び込むことにした。テイオーのことだから会長の所にいるだろう。幸いにして時間が時間だからか記者は少なく、警備員に身分証を提示したところ通してくれた。ついでに聞いたところ、ポニーテールのウマ娘と白衣を着たウマ娘が連れ立って入っていったらしい。

 

 さすがにどこに会長の控室があるのかはわからないので、散策しているとタキオンを見かけた。

 彼女は一瞬目を見開いたが、さっと唇に人差し指を当てた。きっと中に会長とテイオーがいるのだろう。タキオンを手招いて少し離れると、彼女はふぅと息をついた。

 

「テイオー君は会長に預けてある。まあ大丈夫だろう」

「助かった。それにしても驚いたな」

「何がだね、モルモット君。なんだその目は」

「いや。タキオンが他人のためにあそこまで必死になるのが意外で」

 

 タキオンは面食らったように表情を凍らせたが、クククッと喉を鳴らす様に笑った。

 

「何。君の思っている物とは違うさ。テイオー君も私の実験に欠かせない存在だからに過ぎないよ」

「俺の思っている物?」

「……あー、それより、先程のレースは実に有益だった……ある意味、普通のレースよりもね。私の研究は飛躍的に発展するだろう。テイオー君の前では言わないがね」

 

 あの足をかばいながらのレースが有益になる。その言葉に、俺は嫌な感覚を覚えた。

 本当は薄々気づいていたのかもしれないが、ここで確信に変わった。

 

「どんな風に?」

「おや。今日はえらく好奇心旺盛じゃないか。普段ならば諦めているところだ」

「あんなものを見てしまったら、担当ウマ娘の健康に気を遣うのは当然だろう」

「……はぁ。さすがに同業者は誤魔化せない、か」

「負荷の少ない基礎トレに拘る、足を取られやすく力のいる不良バ場の方を見たがる、極めつけは”怪我をした状態で走った時の方が役立つ”だ。さすがに気づく。まだあるぞ」

「ここまで来たんだ。聞かせてみたまえ」

「タキオンが我慢できるわけがないんだ」

 

 胡乱気な表情を浮かべる彼女に、俺は苦笑いで返した。

 

「アグネスタキオンというウマ娘が、トゥインクルシリーズという最高の実験場を黙って指咥えて待てると思うか?」

 

 彼女はきょとんとした表情を浮かべ、すぐにやりと不敵な笑みを浮かべた。

 

「走れるなら絶対に出てるはずなんだよ。我慢できるわけないじゃないか。そうだろ?」

「……ククッ、大声で笑えないのが口惜しい」

 

 息を入れると、何でもないことのように彼女は言った。

 

「私の脚は少々問題があってね。”速すぎる”んだ。その負荷に耐えられない」

「贅沢な悩みだな」

 

 しかし羨ましいとは思わない。以前の俺ならば妬ましいと思ったかもしれないが、俺にも情がある。タキオンがいかに苦しいか、似た経験のある以上容易に想像がついてしまった。

 速度を出せないのはもどかしいことだ。

 

「俺の研究成果がタキオンの役にも立つことを、願っている」

「……そういえば、君の方はどうだった? 有益なデータだったかい?」

「ああ。今なら全速力のタキオンにも勝てるかもな」

「ふっ。ならば私の代わりに、私の全速力を見せてくれたまえ。なんせ私だって知らないからな、ハッハッハ」

 

 この先、タキオンは全力を強いられることもあるだろう。草レースや選抜レースならばともかく、本気の舞台で手を抜けるほど悪人ではない。それは他のウマ娘への侮辱になるからだ。

 

 ウマ娘の可能性、最高速度の向こう側へ。それを強く望み、すぐにでも達成しうるポテンシャルを持ちながら、達成すれば脚が砕けて夢が叶わなくなる。トゥインクルシリーズ出走を我慢し続けられたのは当然だ。彼女は生まれた時からずっと、己の夢を我慢し続けてきたのだから。

 

「よく我慢したな。色々と」

「私とて無意味に我慢はできないさ。ただ、一瞬だけ辿り着いても無意味だ。繰り返さなくては意味がない」

「その心は?」

「何度も検証してこそ研究者だろう?」

「……違いない」

 

 お互いに声もなく笑った。足回りの弱いタキオン、そもそもすべて弱い俺。

 そして怪我を負ったシンボリルドルフ。言葉は不要だった。

 

「何かする気はあるか?」

「元々この数日でプランBに大きな変更が出たところだ。もう一人増えたところで今更計画の変更は免れ得ず、大した差ではない。プランAにも活かせる」

「良い医者がつくことは間違いないが」

「何、案ずることはないよトレーナー君。会長はウマ娘に甘い。大義名分を得た今、実験への協力要請は容易い」

「……じゃ、そういうことで」

「その前に診察をさせて貰わないといけないな。博士号が飾りでないところ、見せてくれたまえよ」

「医師免許は持ってないけどな」

 

 スポーツ関連ならば並の医者よりは詳しいはずだ。そして怪しい研究に関しては、俺とタキオンに敵う者はいないだろう。腹を決めたところでちょうど扉が開き、中からは松葉杖をついた会長が現れた。

 

「おや……君も来ていたのか」

「お疲れ様です会長。テイオーは、というか担当トレーナーはどこに?」

「テイオーは中だ。泣き疲れてしまったようでね。トレーナーには無理を言って離れて貰った。ああ、アグネスタキオン。よくテイオーを軽挙妄動に走らせず、ここまで連れて来てくれた。礼を言う」

「実験百本で手を打とうじゃないか。私の貸しは高くつく」

「フッ……そうだな、それでいい。当面暇になる」

「入院するのか?」

「いや、そこまでではない。しかし捲土重来を期すにしても、万全の状態まで戻すには時間が掛かりそうだ」

 

 会長には思いのほか余裕があるように見えた。それが不思議で、つい尋ねてしまう。

 

「でも、なんで走ったんだ。あんな無茶を」

「君もテイオーやトレーナーのようなことを言うのだな。一言でいうのなら、皇帝の矜持というものだ。笑うかな」

「……いや。笑えないさ。良いレースだった」

「参考になるレースだったねえ。パドックを見た時はダメかと思ったが、思いのほか役立てられる」

「そうか。なら良かった」

 

 心底安堵した表情を浮かべる姿には、やはり皇帝はこの人でなくてはと思わせる何かがあった。

 言い訳をするかのように、ぼそりと呟いた。

 

「今回の宝塚記念。盛り上がりに欠けるというのでね、是非出てほしいと頼まれた」

「それで、こんな無茶を」

「ああ。決して共に走ったウマ娘を愚弄するつもりはないが、私が直前で出走を取り消せばいくらか寂しい物になっていただろう。それは避けねばならなかった」

「だからって怪我するのまでは誰も望んでいなかったのでは?」

「上手く誤魔化せているはずだ。いや、違うな。”誤魔化した”。嘘も方便だよ。私の信条には反するが、若干の体調不良程度で落ち着くだろう」

「……権力の上手い使い方だ。さすがは会長、感心すら覚えるねえ」

「それに、もう一つ理由はあるんだ。恥ずかしい物でね。本人には結局言えずじまいだったが」

「本人?」

「テイオーの前だ。意地を張りたかったんだよ」

 

 照れ笑いを浮かべながら、僅かに誇らしげな表情だった。

 なんだそれは。呆れながらも納得してしまう。良いな、と思ってしまう。タキオンも疲れた表情を浮かべていたが、ふんと鼻を鳴らしただけだった。

 

「ま、学園に戻ったらせいぜい実験に付き合いたまえ。テイオー君は任せてしまって構わないね?」

「ああ。ただ、学園に帰った後もテイオーとは仲良くしてやってほしい。これは私個人の願いだ」

「言われずとも既にプランBに組み込んであるさ。心配は無用だ」

「そうか、ならば安心だ」

 

 会長が歩き出そうとしてバランスを崩しかけ、すかさずタキオンが支えに入った。

 

「すまない、アグネスタキオン」

「モルモット君。君には研究データを持ち帰るという崇高な使命がある」

「わかったわかった、車に積んでおく。給油したり色々やっとくから、適宜連絡してくれ」

「良いのか? 鶴城トレーナー」

「部屋から遠ざかりたいんだろ。寝た子は起こしたくないもんな」

「君にはお見通しだな。すまないがトレーナー君、少し借りる」

「はい。じゃ、俺はこれで。もう終わってるかもしれませんけど、ウイニングライブも見てきますよ。会長の分まで」

「そうか。うむ、ありがとう。惜しみない賛辞を、勝者に」

 

 俺は二人を置いて、ライブ会場へ赴いた。慣れない声援を飛ばして車に戻り、タキオンを乗せて走り始めたころには夜になっていた。

 激動の二日間だった。しかし、これで終わったわけではない。むしろ始まったばかりとも言えるし、始まってすらいないと言える。助手席に座るタキオンに、独り言のように話しかけた。

 

「来週のメイクデビュー、とりあえず無事に勝つぞ」

「さすがにそれだけでガタが来るほど弱いわけじゃないさ。あんなものを見た後では不安になるのもわかるがね」

「ならいい。無理だけはするな。俺は素人だからな、クラシック三冠の重みもわからんくらいだ」

「ま、研究成果次第で決めるさ」

 

 それきり会話は途切れ、低い駆動音だけが響く。

 復路は、随分と静かだった。

 




タキオンは一見いかれてるようですが根が滅茶苦茶まともだと思います。解釈違いを起こした方は素直にブラウザの戻るボタンをクリックしてください。


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11話

結構悩みましたが、こんだけ出ててタグつけないのはそれはそれで詐欺になると思ったので、テイオーとカイチョーのタグをつけました。


 

 テイオーや会長も心配だが、そろそろ自分たちのことも済ませなくてはならない。

 メイクデビューまで残り一週間。並みのトレーナーやウマ娘ならば慌てふためくところ、我々は落ち着き払っていた。

 

「なあ、もう少し緊張感を持った方がいいんじゃないか?」

「所詮通過地点だ、この程度で焦ってどうする。その調子でGⅠレースに勝てるとでも?」

「最初の担当がタキオンで良かったよ。鋼の意志を手に入れられそうだ」

「……それは本当に我々に必要なんだろうか?」

 

 タキオンはGⅠに出る気満々だ。クラシック三冠はおろかホープフルステークスも出たいらしい。代わりにGⅡ、GⅢには出たくないというのは、データ取りにならないからだろう。

 

「速さを追い求めるのだから、速いウマ娘が出るレースを望むのは当然のこと。その点において、”皐月賞”、ここは絶対に抑えたいところだ」

「最も速いウマ娘が勝つ、だからな」

「ああ。そういうわけだから、前哨戦となるレースを探したまえ」

「探すったって……そりゃ、弥生賞でいいだろ。というかメイクデビューで負けたら未勝利戦に出ないといけないんだし、もうちょっと差し迫った問題をだな」

「問題にならないと言っているのだよ、モルモット君。さあ基礎トレをやろうじゃないか」

「それは構わないが……ゲートは大丈夫なのか?」

「不愉快なのに違いはないが、極端な出遅れはしないさ」

 

 仕方ない。ここまで緊張感がないのも問題な気はするが、当日の空気にあてられればさすがに多少は緊張するだろう。

 

「じゃ、今日も基礎トレするか」

「任せたまえ。ついでに実験もするから、計器をよく見ておくように。準備運動は済ませたかね?」

「問題ない、いくぞ」

 

 タキオンの練習にはいつも俺がついていっている。それは遠くから見守るという意味ではなく、文字通り隣でトレーニングをするという意味だ。もちろん負荷は俺の方が軽いが、タキオンはそれでも満足そうなので気にしないことにしていた。

 

「はっ、はっ、はっ、はっ……おやトレーナー君。顔が赤いよ?」

「ウマ娘と同じ速度で、走れるわけねぇだろうが!」

「ハッハッハッハ! さあさあ、私を追いかけてみたまえ! ちゃんとタイムは測りたまえよ!」

 

 芝コースの上を走っているが、やはり積んでいるエンジンが違うと言うべきか。

 

「ちょっとずつペースを上げていけよ!」

「言われるまでもない!」

 

 出した指示に対して、俺はゆっくりと速度を落としていった。さすがに無理だ。ゆっくりクールダウンして、実験機材を入れていた段ボール箱の隣に腰かけた。

 

「ふぅ。死ぬかと思った」

「……タキオンさん、頑張ってますね」

「うわっ!?」

 

 存在感の希薄な少女が傍らに立っていた。漆黒と言っても過言ではないほどの黒髪で、耳と尻尾が生えている。タキオンさん、というからには知り合いか。

 

「君は?」

「……マンハッタンカフェ、といいます」

「タキオンとはどういう関係で?」

「……付きまとわれて、実験を、と」

「ごめんな。本当に」

「いえ……あなたがタキオンさんのトレーナー、で、良いんですよね……」

「ああ、そうだ。何か用件があるなら伝えておくが」

「いえ……私も少し練習を、と思ったので……使っているなら、また、出直しますから」

 

 知り合いとのことだし、併走トレーニングにしても良いかもしれない。

 タキオンが戻って来るタイミングだったので、声を掛けた。

 

「マンハッタンカフェさん、ちょっと待っていてくれ。おーい! タキオーン!」

「いえ、あの……」

「ん? おや、カフェじゃないかぁ!」

 

 タキオンはゴールまで走った後、こちらに歩いてきた。タキオンが君付けせずに呼び捨てるとは、相当親密な間柄のようだ。片思いかもしれないが。

 

「それで、どうしたんだい?」

「いえ、私は……」

「練習に来たが先に使っていたから帰ろうとしたらしい」

 

 この時間帯に練習している生徒はほとんどいない。トレセン学園は文武両道、文はともかく武……レースの部分は、専属トレーナーがいればそちらに委ねられる。故に、本来授業時間であるはずのこの時間でも練習することが可能というわけだ。レース直前だし、ある程度融通は効く。故に謎だった。

 

「でも、マンハッタンカフェさんは授業をどうしたのさ」

「カフェも来週……来月だっけ? 来年?」

「再来週、です」

「おぉそうだった。ところで実験に協力を――」

「タキオン落ち着け。トレーニングもまた実験だ。マンハッタンカフェさん、どうだろう。タキオンと併走トレーニングをして貰えないか?」

「タキオンさんと……?」

「そうだ。この2ヵ月、基礎トレしかしてないからな。たまには少し”レースっぽさ”を思い出してもらいたいんだ」

「構わない。プランBの対象選定にも有益だからねぇ。コースはここを使うとして、距離は? カフェに希望はあるかい?」

「私は……3000mを」

 

 長いな。デビュー前のウマ娘が走る距離じゃない上、メイクデビューの距離でもない。しかし並々ならぬ拘りを感じとった。俺が応じる前に、タキオンが踵を返した。

 

「良いだろう。トレーナー君、準備をしたまえ」

「ああ。無理はしすぎないように」

「……ありがとうございます」

 

 レースではないが、恐らくお互いに本気で走るだろう。面白そうだ。

 簡易ゴールを持ってきて、ストップウォッチを二つ手に携えた。

 さすがにゲートはないが、十分だろう。

 

「こっちは大丈夫だぞー! そっちはー!」

 

 返事はなかったが、頷いているのが見えた。

 ラップタイムなんかは傍らに置いてあるタキオン謹製の機械が自動で測ってくれる。らしい。

 

「いくぞー……スタート!」

 

 一気に二人が飛び出していく。が、両者抑え気味だ。先行脚質のタキオンが先頭、1バ身も離れずにマンハッタンカフェ。恐らく差しの脚質だろう。両者動かず、そのままの展開で1000、2000と過ぎていった。どちらも様子を伺っていて、かなりのスローペースだ。このままゴールされたら練習にならないが、邪魔をするわけにもいかない。

 

 最終コーナー手前で、先に動いたのはタキオンの方だ。彼女はコーナーが上手なので、それを活かしたのだろう。ぐんぐん加速していく。対するマンハッタンカフェは抑えたままで、差が2バ身3バ身と開いていった。しかし最終直線で一気にマンハッタンカフェも加速。凄まじい末脚だ。差しウマの本領発揮と言えよう。開いていたリードは詰まっていくが、タキオンは先頭を譲らなかった。アタマ差くらいでタキオンが勝った、と判定しても良いだろう。タイムには差がない。

 

 コースから出て戻ってきた彼女たちに、タオルを投げながら言った。

 

「正直良い走りだとは思うんだが、タイムはそんなでもない。まあわかってただろうが。あ、これ見たほうがいいか」

 

 ストップウォッチを渡すと、二人そろってまぁこんなものか、と言いたげな表情を浮かべた。

 

「スローペースだったからねぇ。当然と言えよう」

「……タキオンさん……もう一度、走りませんか」

「えぇー? いやまあ、構わない。しかし、この薬を飲ませて貰おう」

「……私は飲みませんからね?」

「そこのモルモット君ですでに実験済みだ。もちろんカフェのデータも欲しいが、今は自分に――おおぉおおお!?」

 

 タキオンが蛍光ピンク色の液体を取り出して飲むと、目が金色になって輝き始めた。

 

「おい、大丈夫なのか?」

「問題ないとも! さあさあ! 走ろうじゃないか! 今の私は燃え上がっている!」

 

 大丈夫じゃなさそうだ。とはいえ今日のメニューはまだ終わってないし、タキオンのことだから止めたって無駄だろう。

 

「マンハッタンカフェさん、付き合ってやってもらえないか?」

「……わかりました。でも、実験はしませんから」

「はーやーくー!」

 

 タキオンは既にコースの中に戻っていた。水分補給は……したようだ。ボトルの位置が動いている。なら何も言うことはない。

 その後の二人の併走はきちんとトレーニングになった。代わりに滅茶苦茶ハイペースだったので、タキオンの方は練習後完全に潰れていたが。

 

「モ、モルモット君、実験は……失敗、だ」

「見ればわかる。帰るぞ」

「う、動けそうにない……私を、運びたまえ」

「どこか痛むのか?」

「いやはや、すごいよこれは。立ち上がる気力もない……」

 

 身体に異常はないようだ。一時的にとんでもなくやる気になった反動が来たのだろう。

 運びたいのはやまやまだが、成人男性が女子高生に触れて運ぶのは問題がある。困っているのを察してか、控えめな声が聞こえた。

 

「私が保健室まで運んでおきます……」

「ああ、ありがとう。助かるよ」

「いえ、私の方こそありがとうございました……」

 

 何というか、個性の強いウマ娘だった。もっとも個性のないウマ娘なんていないのだが。

 ともあれ、本気で走っているタキオンに食いついていけるのだ。彼女は強力なライバルになるだろう。この先のレース、一筋縄ではいかないかもしれない。

 不穏な物を感じつつ、俺は後片づけを始めるのだった。

 




年代とか時空間は好き勝手に歪めるので、あらかじめご了承ください。タキオンは同期がね、馬はいるけどウマ娘がいないからね。

ちなみにマンハッタンカフェは勝ったGⅠが菊花賞、有馬記念、翌年に天皇賞春というとんでもねぇステイヤーです。しかもこの流れで全勝できたのはシンボリルドルフとマンハッタンカフェだけ。
一方タキオンはそもそも中距離、それも2000mだけしか走ったことがありません。極端ですね。


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12話

感想を読む限り多くの方が前回の展開に疑問を感じているようなので、とりあえずタキオンの原作台詞を引用しますね。
『ドーピングほど白ける行為はない。私が求めるのは永続的な速さ…薬は可能性を探るものに過ぎないのさ。』
というわけで、練習中ならドーピングもするだろうって解釈をしています。ただ実際よくわからないんですよね。薬でもなく屈腱炎を回避する方法……? 


 翌日のトレーニング前、トレーナー室に現れたタキオンの瞳はまだ若干輝いていた。

 

「なあ、それ何の薬を飲んだんだ?」

「ん? 安心したまえ。データが目当てだよ」

「じゃあ一時の異常なテンションは……」

「気分の高揚効果もあったらしい。だから言ったろう、失敗だと」

「今は大丈夫なのか? あと、当日は何も飲むなよ」

「私はドーピングってのは嫌いなんだよ、これでも。昨日はデータ取りだから仕方ないがね」

「念のため今日以降は何も飲むな」

「なんだって!? 私に実験をするなと!? あーなるほどそういうことか、君が飲んでくれるんだね? なるほど。それならば構わないよ」

「いや、まあいいけどさ。それが意味のある行為なら」

「……最近のモルモット君は素直だなあ」

 

 間違いなくタイムは良くなっているので、文句は言えない。

 

「ところで、本当に基礎だけでいいのか? もし変えたいなら申請とか色々考えないといけない。ゲートとかウイニングライブの練習とか、本当に大丈夫か?」

「君も大概心配性だな! もう少し担当ウマ娘を信頼したまえ!」

 

 能力ではない部分で信頼ができないのだが。まあ、そんなことは口に出さなくても良いか。

 こうしてレース前日にもスタミナを鍛えようと水泳をし、結局そのままの調子で本番を迎えた。

 

 

 

 正直に言うが、メイクデビューなんて見に来る客は少ない。関係者とか、余程のめり込んだ人ばかりだ。タキオンが緊張しているとは思えなかったが。

 

「モルモット君? レース中で構わないから、茶葉とお菓子を買ってきてくれたまえ。銘柄は――」

「さすがに緊張した方が良いんじゃないか?」

「ほう? 緊張することによる能力の向上が考えられる、と言いたいのかね」

「適度な緊張に限っては、あり得るだろ」

「ふぅン。しかし何に緊張すれば良い? 私は限界速度を超えたいだけなんだ。観客もレースも勝敗も、すべては付属物に過ぎない」

「……わーったわーった、もう何も言わない。満足する走りをしてこい」

「ああ。任せたまえよ」

 

 タキオンは悠々と控室を出て行った。紅茶用の茶葉を買ってこいとか言っていたが、流石にトレーナーとして見るべきだろう。関係者席に移動する途中、フードを被ったウマ娘がいて足を止めてしまった。わずかにのぞいた前髪には白い三日月が浮かんでいた。

 

「……会長?」

「気づかれてしまったか。騒ぎにはしたくない、黙っていて貰えないだろうか」

「それは構いませんが、どうしてここに」

「手持無沙汰でね。皆私を病人扱いして、何もさせてくれない。もう自力で歩けるくらいには回復したというのに」

「そうなんですか、回復おめでとうございます。走れるんですか?」

「いや、そうはいかないんだ。日常生活に不便はないというだけさ」

「そうでしたか……」

 

 微妙な空気になったところで、そろそろ発走というアナウンスが聞こえてきた。

 

「失礼、今はアグネスタキオンのレースに注目しよう」

「欠片も緊張してませんでしたけどね。茶葉買ってこいとか言われましたし」

「ふふっ、彼女らしい」

 

 ゲート入りが始まって、会話が途切れた。タキオンは自称するだけあって何も問題はなかった。

 

「余裕綽々なその態度、蛮勇でないと証明して欲しいものだな」

「先行策で行くように伝えてあります。出遅れないと良いんですけど」

「彼女の脚質には合っている。問題ないだろう」

「そう言われると安心します。何せ新人トレーナーですからね」

 

 否応なくドキドキしてくる。レース本番では何がどうなるかわからない。タキオンは精神的に強い方だし、掛かったりはしないと思うが……。

 

『スタート!』

 

 一斉に9人のウマ娘が飛び出した。メイクデビューだけあって出遅れるウマ娘もいたが、タキオンは問題なく先頭につけている。逃げウマ娘不在と見るや否や、邪魔されない位置を進むことに決めたらしい。ペースを上げ過ぎなければあとは逃げ切れるはずだ。レースの駆け引きは苦手かと思ったが、流石に大丈夫なようだ。

 

 会長はしみじみと言った。

 

「うむ。基礎を徹底的に固めた者らしい、質実剛健な走りだ」

「わかるんですか?」

「生徒会長はウマ娘に無知では務まらないさ。ところでトレーナー君、ダンスの方はどうなっている?」

「あー、話を振ったことはありますけど……大丈夫だって言われて、それきりですね」

「そうか。不安ではあるが、彼女は嘘をつく類のウマ娘ではない。きっと大丈夫なのだろう」

 

 レースの展開を見ながら勝った後の話をするのは驕っていると言われても仕方ない。が、さすがにこの展開は負けようがない。

 タキオンは普通に走っていた。彼女自身は8割程度しか力を出していないが、それでレースの展開を作っている。かなりのハイペース、巻き込まれた他のウマ娘たちは皆失速していた。

 結局、最終コーナーを曲がった時点でタキオン以外は全員スタミナ切れを起こしていた。

 

「勝ったな」

「ああ。まずは一勝、おめでとう。しかしトレーナー君、本番はここからだ」

「はい。次は恐らく――ホープフルステークスです」

「そうか。賞金額は君の方で管理すると良い。彼女には少し難しいだろうからね」

「もちろん。いざ足りなくなった時、GⅠ以外に出てくれるかだけは不安ですけどね」

 

『ゴール! アグネスタキオン、圧倒的な勝利です!』

 

 6バ身差の勝利。フォームの乱れもないし、呼吸も少し苦しい程度で済んでいる。トレーニングのように走って、勝った。それだけだった。何なら全力を出してもいないだろう。脚の事を考えればそれで構わないが、会長はどう思ったのだろうか。

 

「余裕があるな。レース後だというのに、頼もしいことだ」

「あれ? 怒らないんですね。レースは常に全力を出せ、とかいうと思ってました」

「脚を残したまま負けるのは愚の骨頂。しかし、余力を残して勝つのは勝者の余裕というものだ。私も差し切ったところで脚を緩めている」

 

 それは知らなかった。今度会長のレース映像を見直した方が良いかもしれない。

 

「さて、私はライブを見に行こう。君はアグネスタキオンのところへ行ってあげて欲しい」

「大丈夫ですか。何なら会長を送ってからタキオンの方に行きますけど」

「そこまで虚弱になったわけではない。気持ちは有り難いが、今はトレーナーとしての責務を優先すると良い」

 

 少し怒ったような、いじけたような声だった。あまり心配されるのに慣れていないのかもしれない。

 

「じゃ、タキオンのところに行ってきます」

「ああ。また学園で会おう」

 

 後ろ髪を引かれるような感覚を覚えながら、俺は控室に向かった。

 

「タキオーン。入るぞー」

「ん? あー、ちょっと待ってくれたまえ。汗を拭いているのでね」

 

 危なかった。ドアノブをひねったところだった。

 数分後、許可を得て入室するといつも通りのタキオンがいた。

 

「モルモット君。買い物は済ませたかい?」

「悪い。さすがにレースくらいは見たかったんだ。メイクデビューで”最高速度の先”を出すとは思わなかったけど、万一にでも見逃したくはなかったから」

「……上手い言い訳を考えるじゃないか。良いだろう。では次だ」

「次?」

「観客席で君の隣にいた、あれは……なんだい?」

 

 俺がレースを見ていたことに気づいていたのか。

 なぜ買い物を済ませたか聞いたんだ。それに何の意味があった。謎すぎる。頭の中を疑問符で満たしていると、どんどんタキオンの機嫌は悪くなっていった。

 

「はーやーくー、答えたまえよ」

「……相手がお忍びっぽい感じだったから、あまり言いふらしたくはないんだが」

「ほう? 私のレースを無視してお忍びで来たウマ娘と密会?」

「何でウマ娘だってわかった?」

「頭の部分が膨らんでいた。で? ほら、早く」

 

 タキオンは脚を組んでいた。不機嫌そうだった。何というか、これはこう……トウカイテイオーっぽい、というと怒られるだろうか。彼女に影響されたのかもしれない。

 

「……はあ。一応言っておくが、レースはちゃんと見てたからな。隣にいたのは会長だよ」

「会長?」

「シンボリルドルフ会長。怪我で暇だったから来たんだとさ。走りを褒めてたよ」

「……そうか、会長か。まあ恐らく大恩ある会長だし、仕方ないか」

「納得してくれたなら何より。ところで、俺にこの後どうして欲しい?」

「どうとは?」

「個人的にはタキオンのウイニングライブを見たいんだが、買い物を優先しろと言うならそれでも構わない。どうせ後で映像で見るし、気分的な問題だ。どうする?」

 

 トレーナー業に順応してきたというのもあるし、単純に数か月一緒になって練習してきた分、情が芽生えたというのもある。最初はウイニングライブなんて珍妙な物としか思わなかったが、娘の晴れ舞台的な感覚で今は肯定的に考えられた。

 

 タキオンは表情を崩し、少し目を見張っていた。が、しばらくしてフンと鼻を鳴らした。

 

「良いだろう、買い物はライブの後だ。よくよく考えたんだが、君に任せたら間違って変なものを買ってきそうだ」

「信頼ないな。ところでライブの準備はできてるのか、そろそろ時間だろ」

「ま、安心したまえ」

 

 立ち上がり、タキオンは皮肉気に笑った。

 

「これでも私は、君の担当ウマ娘だからね!」

「……だから心配なんだろうが」

「ハーッハッハッハ! 君はもう少し自信を持った方が良い! 基礎トレーニングをあそこまで練ることができるのは、もはや才能と言えるだろうからね!」

「それはタキオンがそれしかやらないからだろ!」

「……そう言ってくれるのが一番良いのさ。少なくとも私にとっては」

 

 急に寂しそうな表情をされた物だから、俺は面食らって二の句を継げなかった。

 

「では行こうか。私のステージだ。ライブというのは面倒だが――手を抜けば会長に怒られてしまうからね」

「それは安心だ。今まで聞いた物の中で一番信頼できる理由だよ」

「なんだって!?」

 

 その日、タキオンは完璧なライブを行った。メイクデビューに似つかわしくない大歓声を浴びた後、満足げに彼女は引き上げるのだった。

 




ホープフルステークスさん、ゲームだとデビューの次戦にされがち
他にウマ娘二次が増えて自分のを書いている暇がなくなるのが夢です。よろしくお願いします。


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13話

4月13日はタキオンの誕生日です。おめでとう。という訳で長めにしましたが、残念ながら今回の主軸はトレーナーです。

ところでタキオンちょろくね? と思っている方もいると思います。
しかし冷静に考えてほしい。プランA断念→プランB→トレーナーに言われプランAの流れは、クラシック級6月後半の出来事です。長く見積もっても1年半。
ちょろくね?


 無事にデビューを終えた夜、トレーナー室で作戦会議を行っていた。議題は次の目標だ。

 

「ホープフルステークスだ。構わないね」

「……そう言うと思ったから調べてある。他の出走メンバー次第なところもあるが、ホープフルステークスには出られるだろう。ただ不安ならGⅢないしGⅡに出て、賞金稼ぎを行う必要があるが――」

「嫌だ。万一出られなかった場合は弥生賞だ。そこから皐月賞。いいね?」

 

 タキオンは名のある、強いウマ娘が出走するレースに出たがっている。その裏返しとして、OP戦なんかにはまったく興味を示していない。地方なんか論外だろう。

 

「まあ、それでいいよ。ところでこれからのトレーニング方針なんだが」

「基礎だ。何せまだ私の脚の補強が終わっていない」

「構わないが、何か俺にできることはあるか」

「……おかしいな。私は実験を行ってはいないはずなんだがねえ」

 

 タキオンは怪訝な顔をした。

 

「俺が献身的なのが気持ち悪いか?」

「いや、別にそこまでは――」

「今日、相当手抜いて走っただろ」

「……いかにも。それで?」

「本気で走ってほしいんだよ。それで、どれくらい速いのか俺に見せてくれ」

 

 彼女は少し俯いた。畳みかけるように、逸らされた目を見つめた。

 

「そうできない事情があるのはわかってる。だから、それをなくす手伝いをしたいんだ」

「……そうか。好きにすると良い」

 

 ぶっきらぼうな言い方だが、怒ってはいないようだ。憎まれ口の一つも言わないのは、彼女なりに悩んでいるのだろう。

 タキオンの脚の脆さは俺の想像以上に深刻なようだ。検査結果やデータは見た事があるが、そういえば触診はしていなかったな。

 

「タキオン。脚触ってもいいか?」

「さわっ……!? 君、いきなり何を言いだすんだ!」

「触診って奴だ。医師免許はないが、これでもちゃんと勉強はしたんだぞ」

「……良いだろう」

 

 屈みこんで、座った状態のタキオンのジャージにそっと手を付ける。尻尾が揺れたのが視界の端に映った。

 足首の辺りから少しずつまくり上げていき、膝のところで止めた。物凄く緊張するのはなぜか。ウマ娘という容姿端麗な存在だからだろうか。タキオンの脚は真っ白で、軽く押すと弾き返された。その調子で何か所か触っていく。ふくらはぎから足首へ。靴下と靴を脱がして触っていくと、アキレス腱の辺りに違和感を覚えた。

 

「……んー? 何かがおかしい気がするが、何がおかしいのかわからない」

「……驚いたな」

 

 タキオンの声が聞こえ、顔を上げた。耳がピンと立っていて、目が見開かれている。

 

「私は”足が悪い”と言っただけだ。部位まで特定できるとはね」

「ウマ娘の怪我と言ったら、だいたいここだろ。骨に異常がないのはレントゲンとかでわかるしな」

「何かわかったことは?」

 

 そのまま足首の辺りを触っていく。ほんのわずかにだが、熱を持っているような気がした。普段からトレーニング後にアイシングはしているが、今日はもう少し念入りに行った方が良いかもしれない。

 

「とりあえず冷やそうか。さっきも冷やしたけど、まだ少し熱い気がするんだ」

「そうかな。まあ、そういうなら従おう」

「あとマッサージをしてやろう。泣いて喜んでくれ」

「ありがとう。ところで、涙が止まらなくなる薬品γならある。オススメだ」

 

 妙に意地を張ってしまうというか、タキオン相手に素直に親切にするのは難しい。お互い素直に感謝はできるのだが、その後に何かしら付け加えてしまう。

 

「保健室に行くぞ。ベッドもあるし、その方が楽だろ。実験がしたいからって逃げるなよ」

「逃げはしないさ。なんだか研究という気分になれなくてね……」

 

 タキオンが研究意欲を失っている。異常事態だ。

 もしかしたら風邪、いや熱発と言うべきか? 体調が悪いのかもしれない。

 

「寮長には俺の方から連絡しておく。栗東寮長はフジキセキで良かったよな」

「そんなにかかるのかい? まあ……任せるよ」

 

 明らかに気怠そうだ。脚の状態が悪化して、気力が引き摺られているのかもしれない。

 気休めかもしれないが、念入りに処置を行った。風邪ではなさそうなのが唯一の救いか。寮長に連絡を入れると、怒られるかと思ったが逆に心配された。ギリギリ日付が変わる前には寮に帰したが、終始調子が悪そうだった。

 メイクデビュー、手を抜いて走ってこの状態か。先が思いやられた。

 

 

 

 ジュニア級、9月前半。デビュー戦から2か月ほどウマ娘はトレーニングをせず、トレーナーばかりが鍛えてきた。何かがおかしい。俺たちは何をしていたんだ?

 思い浮かぶ光景は主に三日月に彩られていた。皇帝の補助と帝王のお守り。幸いにして皇帝は復活し、ジャパンカップで復活戦を行うらしい。テイオーにはタキオン的に何か感じる物があるらしい。甘いものに目がないテイオーはタキオンによって容易く懐柔され、時折実験に付き合っていた。モルモット捕獲成功、研究も上手くいっているらしい。

 

 しかし皇帝の支援という名の研究、テイオーへの実験という名の研究、そしてプランA……究極的にはすべて”タキオンの脚を強化する”に行きつくとはいえ、すべてを並列させるには時間的問題があった。

 その結果がこれだ。7月8月のトレーニング時間、何とゼロだ。調子は上向きになったがいかんせんこの出遅れは痛い。上の世代が夏合宿をする間、我々は夏休みを楽しんでいたのだ。

 体調最優先とはいえ、さすがにそろそろ動かないとまずい。

 

 そういうわけで、タキオンをトレーニングに連れて行こうとしたのだが……。

 

「やーだー。私は怪我人だー」

「もう治ってるからな? 検査だってしたし、だいたいこの間”もう体調は万全だからねぇ”とか言ってたじゃないか」

「いやー……それはだねぇー」

「わかった、じゃあ脚に負荷のかからない上半身のトレーニングからやっていこう。さ、いくぞ」

「私にものっぴきならない事情が――」

「そうか。脚がまずいのか?」

「それならちゃんと言うさ」

 

 少し嬉しい言葉だった。しかし打算が見え見えだ。

 

「で、なんでだ?」

「あの二人から取れた新鮮なデータが私を待っている! 君ならわかるだろう私の苦しみが!」

 

 残念だが苦しくてもやらなくてはならないこともある。例えば俺のトレーナー業なんかもそうだ。金のためにやっているが、今のところは結構楽しくできている。

 

「辛くてもそのうち楽しくなるかもしれないだろ」

「嫌だね!」

「わかった、じゃあ俺と併走しよう。それなら研究のついでにトレーニングになる」

「研究? ……ああ、デビュー後の。あったね、そんな話」

 

 タキオンは抵抗をやめた。好奇心には抗えないようだ。

 

 

 

 数日前から予約しておいた芝コースには誰もいない。良かった、無法者はいないようだ。これなら誰にも邪魔されずに実験が――。

 

「おーい! タキオーン!」

「おや、この声は……」

「テイオー! 今からちょっと併走するから、用があるなら手短に頼む!」

「わかったー!」

 

 テイオーは素早く近寄ってきて、勝ち気に笑った。

 

「併走するならボクも混ぜてよ。何となく来たら面白そうな話してたからさ~」

「うーん……ちょっと待ってもらってもいいか。俺の実験も兼ねてるからさ、全力で走られると困る」

「えー、ボクだって手加減くらいできるよー」

 

 不安だが、ここで認めないと拗ねてしまいそうだ。

 

「わかった。5割くらいで頼むぞ」

「うん! ねねタキオン、これ終わったら――」

「状況による。トレーナー君、準備をしたまえ」

「手伝えよ……やるけど」

 

 トレーナーの仕事だから仕方ない。コース脇に置かれていた簡易ゴール板を運びながら、ウォーミングアップをする二人に声を掛けた。

 

「距離は2000だ。正直俺には厳しいんだが、トレーニングだからな」

「タキオン、ホープフルステークス出るんだよね!」

「ああ。検証のためにはさらなるデータが必要不可欠だからねえ」

 

 そう言ったタキオンの瞳は、いささか狂気に満ちていた。

 爛々と輝く瞳から顔を背けつつ、テイオーは顔を引きつらせた。

 

「そうなんだー……あははー……ト、トレーナー! どう!? 準備できた!?」

「すまん、もうちょい」

「そうか。それではテイオー君、少し――」

「遅いよトレーナー! よーし、ボクが手伝ってあげる!」

「……まあいい、どちらに転んでも損はない。では私は計測機器のセットを……」

 

 この謎の分業が功を奏し、少しだけ早く準備が整った。さすがにゲートはないし見てくれる人もいないので、コインを投げて合図にする。

 

「誰が投げる?」

「ボク投げたい!」

「じゃあそういうことで。もっかい言っておくけどな、頼むから手加減してくれよ?」

「君に合わせよう。つまり、モルモット君の速度次第でトレーニングにはならないわけだ。わかるね? 私は悪くない」

 

 せめて本気の半分は引き出せないと、研究の成果が出たとは言えない。あとタキオンがサボってしまう。

 テイオーが大きくコインを振りかぶった。

 

「いっくよー! それ!」

 

 今まで幾度となく見てきたように、始めて大地を蹴って飛び出した。

 

 

 

 ウマ娘を超える前に、並ばなくてはならない。そのためには? 模倣するのが一番だ。しかし肉体の構造だけでは説明がつかない部分での圧倒的な差がある以上、外見的な模倣には限界がある。

 

 故に内部の肉体を模倣する。普通の体質改善でどうにかできる物ではないので、タキオンの流儀には反するが薬にはガンガン頼っている。薬品をさらに改良してドーピング以外での方法での強化を求めるタキオンの、一歩前段階の成果を利用するわけだ。言い換えれば俺が基礎を作り、彼女が発展させる。だからこそ――。

 

「何っ……」

 

 タキオンの知らない技術、タキオンのできない方法で、俺は肉体を強化できる!

 これがウマ娘の見る世界! あまりにも速く脚を動かしていて、肉体がバラバラになりそうだ。最初のコーナーを曲がったところで、遠心力で吹き飛ばされるかと思った。

 

 浮かぶのは恐怖だ。しかしそう思えば脚は自然と止まってしまう。そこで脳の神経系にちょこーっと作用する薬品を投与し、”止まれない”ようにする。脳の感覚を裏切って、理論上の数値を信じる。まだ大丈夫。まだ壊れない。ならば――

 

「もっと速く! もっと! もっとだ!」

「君は本当に興味深いねえ。狂っているよ」

 

 調子に乗っていたのだろう。

 左隣から呆れたような声が聞こえて、冷や水を浴びせられた気分だった。タキオンは少し息を弾ませながらも、問題なくついてきている。溜息をつきたい気分だった。

 

「置き去りに出来たかと思ったんだがな」

「まさか。今4割くらいかな」

 

 時速換算すれば人間のトップレベルか。なるほど、速くも遅い。

 

「トレーナー、速いんだね!」

 

 テイオーも少し経って、右隣りに並んできた。彼女は加速の際に一瞬だけ溜めが入るようだ。

 この速度で走りながら喋れるのは、自分の心肺能力が強化されている証左か。

 

「タキオン、外見的に見て俺に異常はあるか?」

「極度の興奮状態にあることは間違いない。それ以外は特に」

「じゃあもっと速度を上げるぞ!」

「……危険と判断すれば制止する。従いたまえ」

「わかった!」

「むっ、負けないよーっ」

 

 テイオーを真似して、少し強く踏み込んでから加速するがうまくいかない。俺には難しいようだ。

 速度に興奮する一方で、どこか冷めた自分もいた。あれだけ研究してこんなものかと。タキオンもテイオーも息一つ乱していない。もし彼女たちが息を乱していたらそれはそれで問題なのだが、素直に喜べない自分がいた。

 

 向こう正面に入って限界速度が訪れた。これ以上加速すれば、万一の時は身体が文字通り木っ端みじんに砕けるだろう。だが限界を超えるには、限界に挑まなくてはならない。唯一わかっていることは、”万一”が起こればウマ娘以上にひどいことになる未来図だけだ。

 

 でも、耐久力が持たないだけなんだ。加速自体はできるんだ。危ないスイッチを押しかけた時、いつになく強い調子の声が聞こえた。

 

「やめたまえ、モルモット君。それ以上は君が持たない。ここが理論上の限界値だ」

「トレーナー? ボクよくわかんないけど、無理しちゃだめだよ。無理はレース本番でしなきゃ」

 

 ……そうだな、研究を続ければもっと速くなれるはずだ。まだ終わるべきじゃない。

 加速を止め、現状安全なトップスピードのままで走っていった。もちろん転んだら致命傷だが、制御はできている。

 しかし1400mに差し掛かった時点で、まるで海に沈められたかと錯覚した。頭を蹴られているような片頭痛に襲われ、倒れ込みそうになったのを必死に立て直した。今にも吐きそうだ。急激な失速に二人が慌てて振り向いたところで、消えかけの酸素を振り絞る。これだけは言わなくてはならない。

 

「先に行け。あとから行く」

「トレーナー!」

 

 テイオーが表情を歪めて叫んだ。タキオンは渋面を浮かべた後、覚悟を決めた表情を浮かべた。

 

「ふぅン。テイオー君、勝負といこう。残り600m、3ハロン。我々が代わりに”果て”を見せてやろう」

「……負けないよ!」

 

 そうだ。それでいい。俺が追い付くには、まだ二人は速すぎる。

 呼吸を整えながら失速する俺と反対に二人はどんどん加速して、弾丸のようにゴール板を駆け抜けた。そこから先はわからない。ジョギングにも劣る速度でゴール板の脇を通ったところで、タキオンが俺の下に潜り込んだのは覚えている。

 

「やれやれ。手間のかかるモルモットだ」

「悪い。手間かけさせた」

「なぁに、良い物が見れた分のお代さ。君は間違いなくあの瞬間、ウマ娘の速度に並びかけていた」

「俺は……」

「なんだい。きっと忘れてしまう君に代わって覚えておこう」

「ウマ娘にではなく……お前らに……」

 

 勝ちたい。その言葉は紡がれなかったが、間違いなく届いたのだろう。

 

「クククッ、それは楽しみだねえ」

 

 少し弾んだ声が聞こえるのと共に、全身の力が抜けていった。

 




ウマ娘二次創作はやれ。流行ってくれ。そうすれば私が書かなくて済むんだ。私が自作を更新する暇もないくらいの速度で増殖してくれ。


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14話

口調・喋り方その他への指摘は遠慮なく感想等でお寄せください。
あと誤字報告もいただければ幸いです。


 目を覚ますとベッドの上にいた。

 白衣のタキオンが何かの機械を操作していたが、俺に気づくと顔をこちらに向けた。

 

「おや、目が覚めたかい?」

「……タキオンか。今何時だ」

「安心したまえ。あれから三十分と経っていない」

 

 彼女は溜息にも似た、長い息を吐いた。

 

「あまり無理をしない方が良い。私の言えた話ではないがね」

「善処する」

 

 タキオンは白衣から試験管を取り出した。中にはピンク色で光っている液体が詰まっている。

 

「飲みたまえ。鎮痛剤だ」

「……それは大丈夫なのか?」

「君こそ正気かい? 足の動かし過ぎで捻挫になっているし、でなくとも筋肉痛を起こすだろう。その痛みを素面で耐えたいとは……驚いたな」

「くれ」

 

 市販の鎮痛剤では恐らく効き目が弱く、痛みだけを考えるならタキオン製の多分高性能な薬を飲んだ方が良い。そう思って手を伸ばそうとしたのだが、うまく動かせなかった。

 怪訝な表情を浮かべていたタキオンは、やがてふんふんと興味深そうに鼻を鳴らした。

 

「動かせないなら仕方ない。覚悟したまえ」

 

 タキオンは目を細めた後、試験管をゆっくり俺の方に近づけてきた。ガラスが唇に触れたところで、わざとらしくタキオンが言った。

 

「そうそう、言い忘れていたんだがね。この薬はとても不味い」

「はっ!?」

 

 抗議しようと思った瞬間、液体が流し込まれた。何だこれは。咄嗟に吐き出そうとしたが、すかさず彼女の手が口に当てられた。嗜虐的な笑みが浮かんでいる。もう片方の手には小さな機械が握られていた。

 油断していた。俺が睨みつけるのを尻目に、彼女は楽しそうにどこ吹く風だった。

 

 数分後ようやく飲み込むと、口元を塞いでいた手が離れて行った。

 思考が明瞭になったように錯覚した。走馬灯のように記憶が蘇り、先程の実験のことで頭が一杯になった。その結果俺が出した結論は、やや残酷だった。

 

「地方所属ウマ娘の下位、ってところか?」

「適切な評価と言えるだろう」

 

 つまり中央では通用しない。タキオンに勝てるわけがない。

 研究を続けて埋められるのか。この差はいったい何なのか。肉体の構造だって大差ないのに、どうしてここまで違うのか。ずっと昔の考えが、俺の脳裏を掠めた。

 そんな折、ふとタキオンがやけに優しく、力強い声を発した。

 

「……いずれ報われる、とは言わないがね」

 

 彼女は目を閉じた。

 

「研究を続けない限り道は開かれない。それだけは断言しようじゃないか」

 

 やけに力のこもった声だった。そこでようやく気付き、思わず口に出してしまった。

 

「励まそうとしてくれてるのか」

 

 タキオンはそっぽを向いたが、尻尾がぶんぶんと揺れていた。

 

「さ、実験が終わったならやるべきことがあるはずだ。そうだろう?」

「……ああ。悪いな」

「モルモットに時として餌を与えるのは飼い主の役目さ。私はトレーニングを行ってくるから、安静にしていたまえ」

「は? あ、ああ。わかった」

「何を意外そうな顔をしている。私だって色々あるんだ」

 

 タキオンはひらひらと手を振って出て行った。

 意外だ。あのタキオンが自発的にトレーニングに向かうなんて、明日は雪でも降るかもしれない。

 

 

 

 念のため医者にかかったところ、当面の運動禁止を言い渡された。残念だが、いい機会とも言えるだろう。そろそろホープフルステークスが迫ってきているし、そろそろ白黒はっきりさせないといけない。

 例によって朝のトレーナー室で、くつろいで紅茶を飲んでいるタキオンに語り掛けた。

 

「さて、今日はトレーニングの前に決めなくてはいけないことがある」

「なんだ藪から棒に。珍しくも私がやる気を見せているのに、良いのかね」

 

 本人の言う通り、最近はタキオンが自発的にトレーニングに励んでいる。渡したメニューがちゃんと実行されているのは感動ものだった。だが、それでもやらねばならないことはある。

 

「来年の予定を決めるぞ。クラシック登録をどうするか、またその他のレースについて、トレーニング方針について、来年に向けて決めておかなくてはいけない」

「どうせ私の脚の状態如何でどうとでもなるが……まあわかっているか。それで? 何を決めたい?」

「とりあえず”何のレースに出るか”だ。希望のレースがあるなら聞かせてほしい」

 

 ダービーや天皇賞など、こだわりの強いウマ娘は一定数存在する。特にメジロ家を筆頭に名家ではその傾向が強いが、アグネス家にも何かある可能性を考慮しての発言だ。

 

「ない。強いて言うなら有馬記念だねえ」

「理由は?」

「強いウマ娘が大勢出るからさ。それ以外に何がある。あれはデータの宝庫だぞ」

「宝塚は良いのか?」

「そっちはダメだ。クラシックレースには出たいからねえ」

 

 日本ダービー後の疲労と菊花賞への調整を考えれば、確かに宝塚記念は厳しいか。

 

「じゃ、来年はクラシック路線の後、有馬記念出走を目標にするぞ。良いな?」

「構わないが、私の脚次第で予定は変更する。あまり期待しないでおきたまえよ」

「わかってる。あと、脚のことを考えるとレースの数は絞った方が良い。もしホープフルステークスに勝てたなら、弥生賞は取りやめにしないか?」

 

 GⅡレースに出て脚を消耗するのは得策じゃない。まして今回は4月前半の『皐月賞』に続けて5月後半の『日本ダービー』だ。GⅠレースは手を抜けないだろうから、脚への負担は以前より大きく見積もるべきだろう。

 その上でメイクデビューから完全回復までに1か月半かかったことを鑑みれば、かなり厳しいスケジュールになる。

 

「どうだ?」

「……ふぅン、わかった。ホープフルステークス次第だね」

 

 万一ホープフルで勝てなかった場合、出走条件を満たせない恐れがある。だから負けた場合は弥生賞に出走しなくてはならない。言わずもがな伝わっているだろうから、態々負けた時の話を口にはしなかったが。

 

「それでは情報収集やその他事務手続きは任せたよ。私はトレーニングに向かおう」

「ああ、やっておく。頼んだぞ」

 

 タキオンへは、スピードよりもスタミナを鍛えるように指示を出している。水泳でのトレーニングだから、コースを走るよりは脚への負担も軽く済むと思ってのことだ。今のところは問題ないはずだった。

 

 

 

 しかし一難去ってまた一難という言葉もある。タキオンを見送ってさあ事務仕事と思ったところで、ドアがノックされた。

 

「すまない。少し良いだろうか?」

 

 凛とした声がドア越しに聞こえた。彼女が何の用だろうか。扉を開けると、少し申し訳なさそうな表情を浮かべた会長が立っていた。

 

「おはようございます、会長。中へどうぞ」

「君は相変わらず敬語を崩さないのだな。会長ではなく”ルドルフ”で構わないと言っているだろうに」

 

 少し不機嫌そうだった。会長はこれで繊細なところがあるから、遠ざけられていると思ったかもしれない。

 かいちょ――ルドルフはソファに座った。彼女が立ち話にしないということは、それなりの長話だろう。

 

「ル……ルドルフ。紅茶を入れようと思うんだが、大丈夫か?」

「ああ! 頂けるのならばありがたい。君たちの淹れてくれる紅茶は中々飲める物ではない」

 

 タキオンはやたら紅茶に拘る。時折茶葉の御裾分けを誰かにしているほどだ。

 紅茶の準備を進めながら、少し居心地悪そうなルドルフに話を振った。

 

「それで、要件は?」

「そうだな……一言でいうなら……まあ……なんだ」

 

 珍しく歯切れが悪い。とてつもなく嫌な予感がしてきた。そこでパンと両手を合わせた。

 

「狐疑逡巡して申し訳ない。はっきりと伝えよう。君たちに、いや、”トレーナー君に”生徒会長として頼みがある」

 

 ああ、厄介ごとだった。それから説明とも釈明ともとれる話を聞いていくうちに、段々仕事への意欲が失われていくのだった。

 




個人的見解ですが、ルドルフは初回甘え始めたりするまでのハードルがとてつもなく高いが、代わりにそれ以降は遠慮が吹き飛ぶ感じだと思います。


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15話

14日はサクラバクシンオーの誕生日です。最早説明の必要がないとは思いますが彼女はガッチガチのスプリンターです。そしてガッチガチのステイヤーであるキタサンブラックの母の父(母系祖父)です。
なんで?



 会長が持って来た厄介ごとは毒だった。

 

「以上の理由により、すまないが君の知見を活かして是非担当して欲しいウマ娘がいる」

「……俺が今年採用された新人トレーナーだってことは、ご存じなんですよね?」

「ああ。URAも学園理事達も秋川理事長も、もちろん私も承知している」

 

 妙な言い方だが、俺はトレーナ―としては異色の存在だ。

 普通この名門である学園に来るのはトレーナーとして正規の課程を修めてきた人間か、地方などで実績を積んできた叩き上げしかいない。いずれにせよ、『純トレーナー』的人物ばかりである。

 一方俺はというと、半ば飛び入り参加の如く降って湧いた、学園が特別に招致した存在だ。冷静に考えればおかしいのだ。”何か求めていることがある”から、特別に遇して連れてくる。実に合理的であって、むしろこの時期まで何もないことの方がおかしいくらいだった。

 

 ルドルフは俺が事態を整理するまで待ってくれていたらしい。俺が何度か頷くと、続きを語り始めた。

 

「私としても、願わくば君に担当して欲しいと思っている。上手くいくとは思っているんだ。ただ万一にでも、その結果としてアグネスタキオンまで巻き込んで不幸にすることは望まない」

「念のため確認ですが、掛け持ちするというだけでタキオンとの契約解除をしろという意味ではないんですよね?」

「もちろんだ。むしろ何の落ち度もないのに学園側が圧力をかけるようなら、私は全力で君たちの味方をしよう」

 

 彼女の瞳には情熱が宿っていた。ルドルフは信じて良いだろう。

 頼みにしてますよ、と軽く応じてから、俺はいよいよ本題に入った。

 

「で……そのウマ娘の名は?」

「……トウカイテイオーだ」

「ふんふん……うん?」

 

 聞いたこともない名前が出るかと思ったが、この間一緒に走った相手の名前が飛び出した。

 

「えーっと……俺の知ってるテイオーで良いんですよね?」

「ああ。それが学園上層部からの要請だ」

 

 テイオーに並外れた素質があることは一目見ればわかる。あの足のバネはそれだけで才能になるし、好奇心旺盛なのは知識に貪欲とも言える。それにタキオンと競り合っていたあのレースを見てしまえば、才能の程は窺い知れた。

 俺なんかが担当して良いウマ娘なのか。タキオンも大概才能の塊だが、あいつはどうしようもなく性格に問題を抱えている。だから俺が担当する他なかった。しかし、俺の知るテイオーはちょっと我儘で子供だが、それだけだ。才能ある中学生として考えればあんなものだろう。

 

 黙っているのを渋っていると勘違いしたらしく、ルドルフは立ち上がり深々と頭を下げた。

 

「私からも頼む。テイオーの夢、”無敗の三冠ウマ娘”。どうか君の力を貸してほしい」

「……理由を聞いていません。それからです」

「君に依頼が回ってきた理由は簡単だ。テイオーが誰とも契約しないまま、アグネスタキオンの再来となることを恐れている」

「そんなことはないでしょう。性格がまるっきり違う」

「いや……」

 

 ルドルフは心底気まずそうに説明してくれた。無敵のテイオー伝説は限りなくどこかで聞いた話ばかりだった。

 テイオーの契約解除理由その1。束縛が多い。トレーナーごとに指導方針は違い、俺のように最早何も決めていないに等しい状態でウマ娘の好きにさせる者もいれば、日々の一食に至るまで徹底管理する者もいる。このような”管理派”が現在の主流であり、言うまでもなくテイオーとの相性は最悪だった。どこかで聞いたことがあるな。

 

「こればかりはテイオーの趣味嗜好の問題だから、私がずけずけと言えることではない」

「そうですね。無理に変えても不和を招くだけです」

 

 その2。こればっかりはテイオーは悪くないのだが、トレーナーの実力不足。

 

「テイオーは独特の脚運びをするだろう。”テイオーステップ”、君も見ていたはずだ」

「いやまあ、知ってますけど」

 

 なぜそれをルドルフが知っているのか。ああ、そうか。テイオーから聞いたのか。

 

「あの走法は足に掛かる負担が大きい。下手なトレーナーではやめさせて長所を殺してしまうし、あの子は目標が高い。少しでもトレーナーが信用できないとなれば、すぐに離れてしまう」

「まあ……何だかすみません」

「君を責めているわけではない。確かに君がトレーナーとして素人に近いことは知っている。しかしそれはレース関係のことであって、こと”走ること”に掛けては抜きんでているだろう」

 

 他にもいくつかテイオーの欠点を聞かされた。結局のところテイオーは自身の能力に誇りを持っていて、トレーナーの存在を不要だと思っているそうだ。どこかで聞いたことがある。

 要するに、我儘で手に負えないけど未来を嘱望されたスターだから走って欲しい。けど放っておいたらデビューできるのにしないままになりかねない。どっかで聞いたことがある。

 

「”あのアグネスタキオンのトレーナーなら、きっと大丈夫だろう”……これが理事会の見解だ」

「俺は癖の強いウマ娘専門じゃないんですが」

「私はそうは思わない。むしろ”君にしか頼めない”。私はそう感じているよ」

「それは買い被りすぎじゃ」

「テイオーも成長している。あの宝塚記念以来、少しだけ目つきが変わったんだ。どうだろう、トレーナー君。お願いだ」

 

 真摯な表情を浮かべないでほしい。俺はその顔に弱いんだ。ましてルドルフのような人がやると、物凄い罪悪感と破壊力を生み出す。

 

「……わかった。とりあえず俺は構わない。が、タキオンの話も聞いてからにしたい」

「感謝する。せめて、こちらで説得を行おう。今彼女はどこに?」

「指示通りやってるならプールだと思います。いなかったらラボでしょうね」

「わかった。では」

 

 戸を開けたところで、彼女は深々と礼をして去って行った。

 さて、どうしたものかな。ルドルフのレースは俺のトレーナーとしての勉強に非常に有益だったし、テイオーからカイチョー伝説を聞かされたおかげで非常に理解を深めている。恐らくテイオーのカイチョートークに付き合うのは可能だが、全部についていけるとは思えない。

 不安だ。お菓子でも買って来れば良いだろうか。ルドルフの写真集でも置くか? いやもう持ってそうだな。どうしよう。あ、そうだ。まだ仕事がある。

 俺は書類仕事に没頭することで、すべてを忘れようとするのだった。

 




悩みましたが、チーム周りの設定について。
アプリ版では最低5人(チーム『シリウス』)となっているが、アニメではチーム『カノープス(4人)』などもあり、整合性が取れない。アプリ版優先の方針に従って、基本的にアニメ版チームはなかったことにしています。名前だけ流用したり等はあるかもしれませんが、メンバーがアニメと一致することはないことだけは伝えておきます。


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16話

アンケートへのご回答ありがとうございました。7割以上の方が今のままで良いとのことですので、特に変更はしません。


 その日の放課後。トレーナー室は重苦しい沈黙に包まれていた。

 対面にはルドルフとテイオーが、こちらには俺とタキオンが座っている。さっきからずーっとタキオンは黙ったまま脚を組んでいて、テイオーは憮然とした表情でじっと俺とタキオンを交互に見つめている。ルドルフの表情は平静を取り繕っていたが、耳がぺたりとしょぼくれていた。

 

「で?」

「……彼がテイオーを担当することを認めてはくれないだろうか?」

「言うまでもなく彼は新人だ。まだトレセン学園に来て1年も経っていないし、トレーナーとしての修業期間もなかった。私はもう高等部で慣れているから問題なかったが、中等部のテイオー君を持たせるのには反対だな」

 

 正論の暴力がルドルフに襲い掛かる。そうだった。タキオンはこれでも再三のトゥインクル・シリーズ参戦要請を拒み続ける奴だ。煙に巻くことと口喧嘩で弱いはずがないのだ。

 ルドルフは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて黙り込んだが、テイオーが唇を尖らせて反撃した。

 

「ボクのこと子供扱いしないでよ。カイチョーからいろんなこと教わったんだから」

「私はテイオー君の力量を疑っているわけではないよ。ただ、トレーナー君には荷が重いだろう。ただでさえ私という面倒なウマ娘を担当しているのだからねぇ」

「そうなの? トレーナー」

「わからん。重いと言えば重いかもしれん」

「何せテイオー君は将来を期待されている。優秀な素質を持ったウマ娘は、往々にして相応しい支援体制あってこそ花開く。テイオー君は生半可なサポートしかできないトレーナーの元で大成できるだろうか?」

 

 テイオーは首を横に振った。ルドルフは頭を抱えている。

 

「良弓難張、というわけか」

「トレーナー君が無能だとは思わない。むしろ良くやっている方だ。ただし私だってトレーナーの力を必要としている。この件を強行してはトレーナー、私、テイオー君すべての才能が潰れかねない。URAにとっても学園にとっても多大な損失になるだろう。違うかね?」

「タキオン。その辺にしといてやれ」

「……私は君のためを思って言っているのだが」

 

 タキオンは渋々口を閉じた。タキオンの言っていることは正しいのだが、そこまで忙しいというわけでもない。

 そもそもだが、俺たちは「チーム」を作ろうとしているわけではない。俺とテイオーが契約するかが焦点であって、タキオンは無関係でこそないが、第三者の立場だ。重要なのはテイオーの意思になる。

 

「なあ、テイオー」

「なに? トレーナー」

「俺と契約するつもりはあるのか?」

「うん? うん。君となら契約しても良いよ」

 

 随分あっさりした応答に、違和感を覚えた。

 なんだかな。何かすれ違いというか……ああ、そうか。

 

「なあテイオー。ちょっと頼みがあるんだが」

「なになに?」

「君の最高の走りを、俺に見せてくれないか。あの時の併走は自分のことでいっぱいいっぱいだったから」

「実力を測りたいだとー? ボクは無敵のテイオー様だぞー! 良いけど!」

 

 結局のところ、お互いに抱いている考えは『担当してもされても”構わない”』だ。積極的な、担当したいという意思はない。このままでは問題がある。

 タキオンとの関係性とは似て非なる物だ。タキオンは同好の士であり、相互の研究を発展させたい、支援したいという熱意があった。タキオンの夢は俺の夢に近い。人間の限界を超えるかウマ娘の限界を超えるか、ただそれだけ。スピードの高みへ挑む者として、共感できた。タキオンの夢を隣で俺も見ることができた。

 

 だがテイオーはどうだろう。彼女の夢は”無敗三冠”だ。勝敗は兵家の常とまではいわないが、そこまで勝利に拘り切れない自分がいる。やはり個人的には、”最良の走り”に重点を置きたい。

 テイオーの夢を一緒に見れないならば、同床異夢になってしまう。テイオーを担当するための条件は、”俺がテイオーの走りにスピードの限界へ至る可能性を見出せるか”。あるいは”無敗三冠の夢を共に抱けるか”だろう。

 

 俺が考えなしに言っているわけじゃないことは、暗黙の裡に伝わったらしい。ルドルフが静かに鋭い目つきをした。

 

「……テイオーの走りを引き出すなら、私も隣で走った方が良い。それでも構わないだろうか、トレーナー君?」

 

 頷いた。どういう理屈かはわからないが、まあルドルフが言うならそうなんだろう。

 

「ならば私も走ろうじゃないか。私のモルモット君に担当されたいというのなら、実力を示したまえ」

「その対抗意識は何なんだ。別にタキオンの担当を外れるわけでは――」

「実験器具がどこかに行ったら不便だろう?」

 

 いつものタキオンだった。

 レース条件は俺が決めることになった。この三人に適切な距離を選ばなくてはならないが、主軸はあくまでテイオーだ。彼女がやる気を出しそうなのは……。

 

「左回りの2400mかな」

「ダービーじゃん! やろうやろう! カイチョーとレース、カイチョーとレース……!」

 

 これで良さそうだ。残る二人に目配せしたところ、頷いてくれた。問題なさそうだ。

 しかしタキオンの目に並々ならぬ闘志が宿っているのだけが、唯一気がかりだった。

 

 

 

 予約を取れるのが夜からだったので、レースは夜に行うことになった。この3人が並んで歩いていれば耳目をひきつけ、まず質問されるのはルドルフだ。彼女は何も隠さず、レースを行うことを伝えてしまった。

 そして、もう夕食時だというのに大勢の観客が集まっていた。

 

 各々体をほぐしていたところで、ルドルフがやけに堂々とした様子で言った。

 

「すまないな、トレーナー君。見定めるのには不適な状況になってしまった」

「仕方ないさ。俺だってこのレースは見たいと思ったはずだ」

「そう言ってもらえると助かるよ。アグネスタキオン、準備はできているか」

「いつ始めても問題はない。測定装置の準備は整っている」

「ボクも大丈夫だよっ! 楽しみだなぁー!」

 

 観客の存在に後押しされて、テイオーの調子は鰻登りだ。これを意図してルドルフは情報を零したのかもしれない。

 顔を見上げて観客をぐるりと見渡すと、他の生徒会役員やマンハッタンカフェといったウマ娘たちも見受けられる。ちょっと失敗したかもしれない。ルドルフはともかく、他二人の手の内を晒す結果になってしまった。

 

「悪いな、二人とも。手の内を晒させることになってしまうが、それでも全力で走って欲しい」

「構わないさ。彼らが私について何を知ろうが、私がそれより速ければ良いだけだろう?」

「ボクもぜんぜんオッケーだよ。みんなの歓声を浴びるんだから、むしろバッチリ覚えてって貰わなきゃね」

 

 誰かを表立って応援はできない。しかし、俺はタキオンの肩に軽く手を置いた。

 

「ふぅン? なるほど」

 

 何かは伝わったらしい。俺はスタート地点まで移動して、高く腕を上げた。

 

「始めるぞ。位置について。よーい……」

 

 腕を振り下ろした瞬間、眼前の芝が爆ぜた。

 

 全員脚質は先行だ。ルドルフは今回本気で走るらしく、早々に先頭に立った。その後を2バ身ほど離れてタキオンとテイオーが追走している。タキオンが内側だが、抜け出すのは容易いだろう。お互いに様子見の展開が続くが、1000mを通過したところでテイオーが動き出した。軽い小手調べから始めるらしい。

 タキオンは追い抜かれるままに任せ、3番手についた。ルドルフは抜かせまいと速度を上げ、テイオーも負けじと食らいつく。離され過ぎるとまずいタキオンもペースアップ。どんどんハイペースになっていって、先頭ルドルフ、2バ身差でテイオー、さらに3バ身離れてタキオン。この展開が終盤まで続いた。

 

 最終コーナー手前で、タキオンの雰囲気が変わった。急激な加速。コーナー前からラストスパートを掛けて曲がれるのはさすがとしか言いようがない。ちょうど曲がり終えたところで、タキオンはルドルフを交わして先頭に立った。

 

 タキオンにリードはなく、残る二人にも余力がある。

 直線勝負、まず仕掛けたのは2番手のルドルフだった。暴力的な速度であっさりとタキオンを追い抜いてしまう。その走りはあまりに圧倒的で、あまりに神々しく、唯一無二の皇帝だった。

 

 しかし、支配者は一人ではなかった。

 トウカイテイオーの走りは、焦がれる者の物だった。皇帝を模倣した末に生まれた、帝王の走り。

 同床異夢だと思っていたテイオーは、実はこれ以上ないほどに同じ夢を見ていた。

 俺は”ウマ娘”に夢を見て、彼女は”シンボリルドルフ”に夢を見たのだ。それが種族か、個かという違いだけ。

 俺が”研究”を行う最中、彼女は”テイオーステップ”を身に着けた。その理由は一つだけ。憧れの存在に追いつきたい。そして、願わくば――。

 心を決めるのと同時に、ゴールを皇帝が駆け抜けた。

 

 

 

 ルドルフとテイオーが1バ身差、テイオーとタキオンがクビ差で決着した。まさかのタキオンが最下位だ。面子が面子とはいえ、負けは負け。

 考えられる敗因は2つある。1つは距離が長かった。2000mの練習しかしてこなかったから、距離が少し増えただけで対応しきれなくなった。今後はもっと長距離に慣らしていく必要がある。さもなくばダービーと菊花が危うい。

 もう1つは仕掛けが遅れたことだ。二人のような爆発力がない以上、最終直線での末脚勝負は分が悪い。速めに仕掛けてリードをもっと広げておくべきだった。

 

 意外なことに、俺の内心は少し変化していた。タキオンを勝たせてやりたい、自然な形でそう思っていた。

 タキオンはどう思ってくれているだろうか。いつの間にか俯いていた顔を上げると、目を閉じているタキオンが映った。

 彼女は静かに佇んでいた。何も感じてくれていないのか。やはり勝敗など気にしないのか。視線が下に沈んで行って、一点で止められた。タキオンは拳を強く握りしめていて、隙間からは僅かに血が流れていた。彼女がそう思ってくれているなら――この敗北にも、意味がある。 

 

 そんな俺たちには誰も気づかず、観客は熱狂する。

 

『ワァアアーーッ!』

「皆――声援、感謝する!」

『皇帝! 皇帝! 皇帝!』

 

 ”皇帝”コール。普段なら飛び上がって勝利を祝福したはずのテイオーの表情は、少し歪んでいた。何かを求めるように目を彷徨わせた後、タキオンの手を見て黙っていた。

 皇帝を讃える声は止まない。残る二人への声も好意的だが、あくまでも敗者に向けての言葉だった。

 

「勝ちたい」

 

 誰かがそう言った。もしかしたら自分だったかもしれない。

 勝利を追い求める。走りと共に宿命づけられた、ウマ娘の抱える渇望。その一端に触れて、俺まで熱にあてられただろうか。気づけば声を漏らしていた。

 

「次は……こうはいかない」

 

 いつの日か皇帝を、シンボリルドルフを打倒する。まずは無敗の三冠。テイオーの大言壮語がようやく理解できた気がした。皇帝に挑むには1冠程度じゃ物足りない。敗北という汚点は許されない。”無敗の三冠”なんて通過点に過ぎなかった。

 

 この日、本当の意味で俺はトレーナーになった。

 




ゲームの固有スキルを意識して書きました。(つまり、ルドルフは固有スキルを使っていない)
白状すると、今回の話はトウカイテイオーのストーリーのパクりです。多分。

アプリに詳しくない方向けに、各々の固有スキルを書いておきます。
アグネスタキオン:U=ma2
レース後半のコーナーで控えていると、持久力が回復する

トウカイテイオー:究極テイオーステップ
最終直線で前と差が詰まると華麗な脚取りで速度がすごく上がる

シンボリルドルフ:汝、皇帝の神威を見よ
レース終盤に3回追い抜くと最終直線で速度がすごく上がる


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17話

しっとりテイオーとぐずぐずテイオーとめらめらテイオーとひんやりテイオーで悩みました。


 勝者は生徒会室へ凱旋し、敗者たちは皆トレーナー室へ逃げ込んだ。敗北から逃げたわけではない。2位でもすごい、3位でもすごい、ジュニアをあそこまで育てるのはすごい、という無価値な称賛から逃げたのだ。

 

 それらの的外れな賛辞を受けるたびに、敗北を意識しすぎてしまう。部屋は重苦しい沈黙で満ちていて、タキオンが先程のレースデータを前にしても視線一つ動かしていない。間違いなく重傷だった。

 

 気分転換に温かい物でも用意しよう。常備してある紅茶を淹れて、カップを二人の前に置いた。

 

「……大丈夫か?」

「ああ、ありがとう。珍しく気が利くじゃないか」

 

 タキオンはカップに口を付けてくれた。さすがに冷静と言うべきか、それとも中等部と高等部の差か、余裕があるようだ。テイオーは放心状態のまま固まってしまっていた。

 こういう時、一人で黙らせておくと思考が悪い方へばかり傾いてしまう。

 

「ほら、テイオーも。砂糖はいるか?」

「……なんでだろうね」

「ん?」

「カイチョーが勝って嬉しいのに、素直に喜べなかったんだ」

「……そうか。なんでだと思う?」

「負けて悔しいだけじゃない。でも、勝ちたいとも思わない。あんなカイチョーに勝ったって、なんにも嬉しくないや」

 

 彼女は覇気ともまた違った、どこか暗い迫力をまとっていた。テイオーがルドルフに冷ややかな扱いをしている。これにはタキオンも目を剥いた。彼女の表情は好奇心ではなく、驚きや憐憫で満ちていた。

 

 今のテイオーは相当不安定だ。対応を間違えれば突発的な行動に出かねない。慎重に言葉を選んだ。

 

「何かあったのか?」

「うん。あのね、前に君たちと行ったでしょ。宝塚記念」

「ああ。その時にも同じ気持ちになった、ってことでいいのか」

 

 テイオーは頷いた。宝塚と今日の決定的な違いは勝敗だが、それは関係ないらしい。

 

「宝塚記念、ボクすっごく感動したんだ。あんな状態で走り切ったカイチョーはすごいな、やっぱりカイチョーがイチバンだなって」

 

 あの時のテイオーの憔悴した表情を見れば、彼女がどれだけルドルフのことを思っているかは想像がつく。

 

「でも、最後の直線で抜けなかった時……なんかね、今とおんなじ気持ちになった」

 

 ルドルフの敗北が決した時だ。ますます理解に苦しむ俺と対照的に、タキオンは顎に手を当てていた。

 

「あ、もっと前にもあった。三冠だったかな、連覇だったかな? 記録が掛かってた時にね、その子が負けちゃったんだ。ボクはその時は何とも思わなかったけど、周りの人はみんなボクと同じような顔してた。ねえトレーナー、これって何かな。胸の辺りがすっごくイガイガしちゃってさ、このままじゃボク、カイチョーに会いに行けないよ」

 

 難しい。ただ観客席に蔓延しただろう空気は、恐らく落胆、失望、そんなところか。

 だが、今日のレースにそんな要素があっただろうか。

 

「確認だが、テイオーはルドルフに負けて悔しい。それは間違いないんだよな」

「うん。勝ちたいとも思ってるよ。カイチョーってばみんなの歓声を独り占めしちゃってさ。羨ましいなーって。あれ、全部ボクの物にしたいんだ」

 

 敗北の落胆ではない。とすれば、いったい何だろうか?

 返答に窮していると、タキオンが聞き慣れた調子で言った。

 

「なあテイオー君。私がほんのすこーしだけ思っていたことは現実かもしれないから、君の見解を聞かせてほしい」

「なに?」

「今日の会長は……少し手を抜いていたのではないかな?」

 

 手を抜く? あり得ない。ルドルフはいつだってウマ娘に対して本気だ。そう思う俺に反して、テイオーはパッと目を輝かせた。

 

「それだよそれ! なんかさっきのレース、絶対カイチョーは適当にやってた!」

「やはりか。何かおかしいと思ったんだ」

「そう、なのか? 俺の目にはルドルフは本気に見えたが」

「わかってないなぁ」

 

 呆れたような声に、むっとして尋ね返した。テイオーはやれやれと両手を上げる仕草をした。

 

「カイチョーはね、いつだって本気だし、全力なんだよ。もちろんコンディションとか、状況とかにもよるけど、併走だって全力でやってくれる。10割の力で走るって意味じゃないよ?」

「うん。そういう性格だな」

「でもね、今日のカイチョー変だった! いつも通りだったんだけど、なんか、レースのこと以外を考えてるみたいな」

「レース以外?」

「走りながらも少し上の空だった! あんなのカイチョーっぽくない! もしかして体調が悪いのかな!?」

「そういった兆候は見られなかったし、仮に少しでもあればモルモット君が止めたはずだ。つまり、手を抜いていたのだろうねぇ」

 

 二人とも半信半疑な調子だが、タキオンはぽんと手を叩いて目を丸くして、くつくつと一人で笑い始めた。地獄から這い出てきた幽鬼のような声だった。

 

「会長はいつだってウマ娘のことを考えている。クククッ、ハァーッハッハッハ! 私など眼中にない、ということらしい」

 

 ぎょっとした俺たちだったが、彼女の言葉が引っ掛かった。”ウマ娘のことを考えていて、タキオンは眼中にない”。第三者が現れるとは考え難い。つまり、テイオーのためを思っていたということになる。

 

 ……なるほど、そういうことか。タキオンが怒るのも頷ける。

 ルドルフは便乗してきた段階で、今回のレースをどう走るか決めていたのだろう。彼女は本気で走った。”本気で手を抜いた状態で”勝利した。手抜きだって全力だから、気迫はある。それを俺は見誤ったのだ。

 親密な間柄でなければ見抜けないはずだ。テイオーはルドルフの手抜きに気づいてはいるが、なぜ手を抜かれたのかはわからないらしい。一方タキオンはほんのわずかな違和感だったが、テイオーのおかげで疑念が芽吹き、ついに彼女の意図に気づいたというわけだ。

 

 さて、これをテイオーに伝えるか。一瞬ちらっとテイオーを見ながら尋ねた。

 

「タキオンはどう思う?」

「放っておくのが良いだろう。感情的に計画をぶち壊してやりたい気はあるが、私はそこまで冷酷にはなれないようだ」

 

 なるほど。つまり、これ以上手伝う気もないらしい。彼女は目をそらし、ゆっくりと紅茶を楽しみ始めた。

 うんうん唸っているテイオーに、そっと語り掛けた。

 

「なあ、テイオー。手を抜かれて悔しいよな」

「うん」

「気に入らないよな」

「うん」

「今日の問題点って、簡単なんだ。テイオーが手抜きのルドルフに負けるくらい弱かった。それだけが問題なんだよ」

 

 テイオーは眉間にしわを寄せた。彼女が口を開く前に、先制して言葉を投げた。

 

「観客の視線を独り占めにしたい。その望みに、もう一人だけ加えよう」

「もう一人?」

「シンボリルドルフの視線を独り占めするんだ。会長を負かしてやれ。そうすれば、彼女の視線はテイオーに釘付けになる。会長が負けたままでいると思うか?」

 

 花が咲いたような笑顔が浮かび、安堵するや否や再びテイオーの表情が陰った。

 

「でもボク、あの状態のカイチョーにも負けちゃったんだよ」

「大丈夫、できないことなんてないんだ」

「でも、カイチョーは絶対で」

「ウマ娘と人間の壁だって絶対だろう。俺の併走、忘れられちまったのか?」

 

 テイオーは目を丸くした。涙こそ零していないが、少し目が潤んでいた。

 タキオンが足を組みながら、ティーカップ片手に微笑んだ。

 

「テイオー君も実験に付き合ってくれると嬉しいんだがねえ。打倒シンボリルドルフ会長の」

 

 ああ、まったく。この展開まで予想していたのなら、シンボリルドルフは化物だ。

 

「テイオー。俺とトレーナー契約を結ばないか。余裕ぶった会長を叩き起こしてやろう」

 

 テイオーの返事はなく、代わりに目を合わせてきた。

 

「寝ぼけたままで勝てる相手じゃない、そう見せつける。そのために会長を負かすんだ。テイオー、君自身の走りでだ」

「おや、トレーナー君? 私は良いのかね、何もしなくて」

「何もしなくたってスイッチ入ってるだろ。もし手抜きが真実なら、歯がゆさを覚えないはずがない」

 

 会長に全力を出させたら、どれだけのスピードが出せるのか? なぜ自分の脚ではそこに到達できないのか? 自分が追い求める物を有しながら、それを無為にされているわけだ。ルドルフの狙いにも気づいているのだろうが、それでも業腹なのは事実だろう。

 タキオンは面白くなさそうに鼻を鳴らした。肯定に違いなかった。

 

 そもそもの話、俺たちはテイオーを担当するかしないかで揉めていたはずだ。それが気づけば打倒シンボリルドルフに変わっている。元凶は誰か? 

 タキオンを眼中に入れなかったのも、テイオーに手抜きを見せつけたのも、そしてタキオンが負ければ俺がこう思うことも全部、ルドルフの掌の上というわけか。

 だが今更引き返しはしない。

 

「テイオー。どうする」

「……よし! 君を無敵のテイオー様のトレーナーに任じてあげよう! 打倒カイチョーだー!」

「おう、その意気だ」

「それじゃあボク、センセンフコクに行ってくるね!」

 

 テイオーが歯を見せて快活に笑い、豪快に飛び出して行った。

 あとに残されたのは呆気にとられた俺たちと開け放たれたドアだけだ。何とも言えない雰囲気の中、タキオンが咳払いをした。

 

「さて、モルモット君。研究を再開しようか」

 

 新たな目標が生まれたこの日から、俺たちの時間はだんだんと加速し始めるのだった。

 




この話に限らず当作品には賛否両論あると思いますので、賛の方も否の方も諸人挙って二次書いてください。よろしくお願いします。


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18話

 翌日。

 俺とタキオンが徹夜で洗い出した昨日の分析レポートを脇に、三人でトレーナー室に集まっていた。事務的にテイオーからトレーナー契約書へのサインをもらい、さあ始動といったところで躓いた。

 

「ところで君、一つ残念なお知らせがある」

「なんだいきなり。どうした?」

 

 俺が事務用の席に、タキオンとテイオーが向かい合ってパイプ椅子に座っている。残念というが、ぱっと見では何も変化がない。おまけにタキオンはもったいぶって何も言わない。

 

「言い辛いことか?」

「あっ、もしかしてボクお邪魔だった? 二人だけの話がしたいなら――」

「そうではない。むしろテイオー君にいて貰わないと困るし、私たちは既に同志だろう」

「タキオン……!」

 

 二人に絆を感じる。まあ元々知り合いだったのだから、当然といえば当然だが。

 タキオンは散々渋った後、はぁと溜息をついた。

 

「テイオー君も脚に爆弾を抱えている」

「……爆弾だと?」

「ボクの脚、爆発するの?」

 

 キョトンとしたテイオーと反対に、俺は心当たりがあった。タキオンがテイオーに何かと構う理由が理解できた。冷や汗が背中を伝う。

 タキオンは説明を続けた。余命宣告を行う医師のような調子だった。

 

「自覚はないかもしれないが、テイオー君の脚はいずれ折れる。運が良ければ疲労骨折、悪ければ開放骨折だ。レース中に起きれば死の危険も伴う」

「え……?」

「なぜ今まで黙っていたんだ?」

「定期的な実験は診察も兼ねていて、問題がなかったからだよ。けどさすがにトレーニングをしてデビューしようって言うなら事情も変わってくる」

「え? え? えっ……そんな」

「今になって言った理由はわかったが、回答になってないぞ」

「……デビュー前の中学生の夢を無為に打ち砕く必要があるかね?」

 

 ぐうの音も出ない正論だった。

 タキオンは皮肉気に笑っていた。そうか、自分の夢が打ち砕かれたから、遠慮したのか。

 真っ青な顔をしたテイオーに、タキオンは穏やかに告げた。

 

「まあ安心したまえ。走れないわけじゃあない」

「そうなの?」

「少なくとも私よりは頑丈だし、インターバルを設ければそうそう故障はしない。私の実験に協力してくれれば、いずれは常識的な範囲内での連続出走だって可能になる」

 

 あ、悪い癖が始まった。止めようと思ったがテイオーが目を輝かせていて、できなかった。

 

「インターバルって、どれくらい?」

「1回出走して全力疾走したとすれば、3ヵ月はおくべきだ」

「……それじゃあ三冠できないじゃん! やだやだー!」

 

 皐月賞と日本ダービーの間隔は長くても1ヵ月半ほどだ。菊花賞はともかく、片方を諦めないとその先の競争人生を諦めることになりかねない。リスクは回避するべきだが……。

 

「テイオーの脚はどれくらい悪いんだ? 俺たちの研究は活かせる類か?」

「私の研究よりもモルモット君の研究の方が役立つだろう。私は筋肉の問題だが、テイオー君は骨の問題だからねぇ」

 

 骨か。確かに俺の方が詳しいかもしれない。何か役立つデータがないか探そうとしたところで、タキオンが動きを制した。

 

「まず現段階でも施せる対策がある」

「教えて!」

「テイオーステップをやめたまえ。少なくとも練習では使用禁止。あんなのを使うのはGⅠだけ、それも君の場合は三冠レースだけに限るべきだ」

「でも、それじゃ無敗が……」

 

 みるみるうちに耳が垂れていくのは不謹慎ながら面白かった。ただ、テイオーならば脚を温存したまま無敗を貫くことは可能だと信じていた。幸い、実例は昨日見たばかりだ。

 

「昨日の会長を思い出せ」

 

 ハッとした表情を浮かべたテイオーは、落ち込んでいたのが嘘のように元気を取り戻した。

 

「よぉーし! ボクもカイチョーみたいになるぞー!」

「それすら達成可能な実力が備わっていれば、三冠も叶うだろうねえ」

「違うよタキオーン。ボクが欲しいのは、む、は、い、の、三冠だよ!」

「わかったわかった……ああ、一応見せておこうか」

 

 タキオンはそう言いつつ、小型の端末に昨日の映像を映し出した。ズームしてテイオーの足元を映し出す。

 

「抉り取られた芝生、爆発的な加速は素晴らしい。しかし凄まじい力に君の脚は耐えられないのだよ。長所が諸刃の剣になっているわけだ。私と同じだね」

「同じ?」

「私は全力で走ると身体が空中分解して死んでしまうのさ」

 

 どこかで聞き覚えがある上にひどい表現だったが、これ以上ないほど適切な表現だった。時速70km以上で生身の人間が転倒した場合、分解といって差し支えないことになるだろう。

 テイオーの顔は青ざめていた。生々しい光景を想像してしまったのだろう。

 

「だから私は8割の力で勝てる自信のあるレースしか出ない予定さ。他にも長距離となると走行時間が長くなり、負荷は増大するから出ない。春の天皇賞なんて論外だね」

 

 かといって、タキオンにスプリンターとしての適性はない。本気でやればスプリンターの速度でも走れるかもしれないが、多分1回で脚が砕けるだろう。ところで、8割の力で勝つとは初めて聞いたのだが。抗議すると、昨日決めたと彼女は言った。

 

「GⅠクラスとなれば手を抜けないのはわかっていたが、昨日の会長を見て考えを改めたよ。圧倒的な実力差があれば余裕のままの勝利は可能さ」

「……すごい自信だな。いや、タキオンらしいよ。その方が」

「なんだか侮辱された気分だ、実験三本を所望する。だいたい昨日の敗北は君にも責任があるんだぞ」

「はあ。責任とは?」

「君、私を応援しなかっただろう! おかげで実験ができなかったじゃないか!」

「なんの?」

「声援による能力向上の可能性を確かめたかったのに!」

 

 妙に理論的なようで感情的な可能性だ。彼女は時々、こういう風な方向に走る。俺にはよくわからない。

 

「そういうわけだから、これを飲みたまえ。テイオー君も」

「……えー」

「大丈夫、危険ではない」

 

 タキオン薬は製造過程まで含めて謎と神秘に満ちている。唯一わかっているのは大抵ロクでもない結果を招き、怒るに怒れない絶妙に迷惑なラインをついてくることだ。ただ今回は我慢してもらおう。

 

「走る以外のテイオーの実力とか、色々とデータが欲しいんだ。トレーニング計画を作るために」

「ふむ、一理あるね」

「さっそく行こっか!」

 

 少し焦った様子のテイオーと共にジムへ向かう。

 なぜかタキオンもついてきたので、結局その日はテイオーのデータ取りに費やした。

 



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19話

 テイオーの加入以来、珍しく一致団結してトレーニングに励んでいた。とはいえ肝心のスピードトレーニング……実際に走るのは週1ペースだ。それ以上増やすと負荷が回復ペースを上回ってしまう。ただ、もちろんレース直前にはもう少し厳しく追い込んでいく予定だ。

 

 限られたトレーニングを最大限有益にするため、基本的には二人で併走しながら行っていた。

 

「タキオーン! ちゃんと本気で走れー! テイオー! その踏み込みやめろー! 脚ぶっ壊す気か!」

「勝ちたいもーんだ!」

 

 これだからスピード練習は余計に少なくなってしまう。その分実践的な内容にもなるので、あまり文句も言えないが。スパートを掛け始めたタキオンを追ってテイオーが例のステップで突っ込んでいった。

 

 タキオンの戦法はいつも同じ。まず最終コーナーに差し掛かるまでは控え、コーナーを曲がりながら加速して先頭集団に取り付く。そして最終直線で末脚を使って追い抜く。コーナーで加速なんてしたら普通は遠心力で身体が吹き飛ぶところだが、タキオンには可能だ。

 一方のテイオーは少し違う。常に逃げのすぐ後ろ、先行集団の先頭を確保して、最終コーナーを曲がったところで逃げを抜き、そのまま他を置き去りにする。この戦法は大逃げ以外の全脚質に対応できるが、大逃げ相手だけは問題が生じると予想していた。うっかりテイオーが引き摺られてしまうと、途中でスタミナ切れを起こすだろう。理論的に導き出した答えだが、テイオーがそれを実際にできるかは不明だ。

 

 総括すると、両者先行だがテイオーは逃げ寄り、タキオンは差し寄りということになる。レース展開は往々にしてテイオー先頭で進み、最終コーナーでタキオン先頭、次いでテイオーが差し返せるか否かで勝敗が決まる。今日は……テイオーに差し切られたようだ。

 

「テイオー! 1バ身差だ! おめでとう!」

「へへっ、やったー!」

「くぅ……やはり姿勢制御に問題がある。モルモット君! はやくデータを寄越したまえ!」

「先にクールダウンしろ!」

 

 何周もさせたら脚が折れる。これで3週目だが、ここで仕舞いにしよう。クールダウンを終えるとテイオーがぴょこぴょことこちらに駆け寄ってきて、ドヤッと嬉しそうな表情を浮かべた。どうして欲しいのかは手を取るようにわかった。

 

「テイオーはすごいな。タキオンは強いのに」

「へへーん。無敵のテイオー様だからね! でもタキオンも強いよねー。本気で走ってる時は」

「まあなあ。けど、それだと効果が高い練習とは言えないからな。既にタキオンの末脚とスパートは一級品だし、それをさらに磨く段階じゃない」

「でも本気でレースしたいよー、ボクは本気のタキオンに勝ちたいのに」

 

 タキオンも戻ってくると、不満そうな表情を浮かべていた。聞こえていたのだろう。

 

「いつも本気さ。私が実験機会を無駄にするはずないだろう! コーナーで加速してから末脚勝負に持ち込めば更なる速度がだね」

「いっつも加速しきれてないじゃん!」

 

 ほんのわずかにでもバランスを崩せば転倒の危険がある以上、細心の注意を払わねば曲がり切れない。レース本番でその余裕があるとは限らないので、無意識に行えるまで習熟が必要だ。

 

「で、トレーナー? 次は何するの?」

「とりあえずタキオンが相変わらず体幹不足で制御できてないから、脚を休ませてから筋トレだ」

「またぁ~? ボクもう飽きたよぉー、もっと一杯走ろうよぉー」

「テイオーだって脚弱いだろうが。うっかり折れたらどうする」

「そこまで虚弱じゃないんだけどなぁ……トレーナーもタキオンも心配しすぎだよー」

「いや十分危険さ。用心したまえよ。ところでモルモット君。この実験データには不備がある、さらなる研究のために――」

「もう一本は許可できない。行くぞ」

「タキオンは脚弱いんだから、気を付けないとね!」

 

 この調子だ。片方が無茶をしようとすればもう片方が止める。よってオーバーワークにはならないのが唯一の救いだ。

 テイオーに連行されていくタキオンの後ろをついていくと、彼女のぼやきが聞こえた。

 

「研究の進捗がなぁ……ホープフルステークスまでに、プランAが完成……は無理だろうなぁ。せめて検証段階に入れたら良いのだが」

「実験には協力する。走るなら俺がやろう」

「んー、それで手を打っておこうじゃないか。君の速度は確かにウマ娘に近いものがあるし、使えない訳じゃない」

 

 二人の脚を強化しつつ自分も強化しないといけない。トレーナーというのは大変だ。例えば、こんな風に予想外の出来事が起きた時には特に。

 

「タキオンさん!?」

 

 現れたのは高い声をした女子生徒だ。背が少し高いし胸も大きいし何よりツインテールがでかい子だった。誰だあれは。未知のウマ娘は明らかにテイオーとタキオンの知り合いだった。

 

「おや……スカーレット君。聞いておくれよ。このテイオー君とトレーナー君が私をいじめるんだ」

「そうなんですか!? ちょっと、あなたトレーナーとして恥ずかしくないんですか!」

 

 スカーレットと言うらしい。聞き覚えが――あ、あの子か。ダイワスカーレットとかいう、だいぶ下の世代に期待の新星がいるとか聞いたことがある。タキオンは慕われているようだ。スカーレットがタキオンを奪い取った。テイオーは不思議そうに声を上げた。

 

「スカーレット? どうしたの、タキオンがぐずるからこうしてるだけなのに」

「タキオンさんはそんな人じゃありませんっ!」

「……え、そうか?」

「こういう人だよね」

「なっ、と、とにかく! タキオンさんをこんな風に扱う人たちに任せられません! それじゃあ!」

「あ、ちょっと」

「あー……やめといたほうがいいよトレーナー。スカーレットかなり頑固だから」

「……まあほっとけば戻って来るか。トレーニング、続けるぞ」

「はーい。えへへ。ちゃーんとボクから目をそらさないでね?」

 

 なんだか嬉しそうだ。テイオーは子供っぽいし、たまには構ってあげないと拗ねてしまう。どうせタキオンもすぐ戻って来るだろう。俺たちは二人でジムに向かい、並んで筋トレをし、そして――日が暮れた。

 二人きりのトレーナー室で、トレーニング後のミーティングを行っていて、ふと思った。

 

「俺の担当ウマ娘はテイオーだったかもしれない」

「いや、実際ボクの担当でしょ。ところでさ、チームって作らないの?」

「5人いるんだろ」

「それはそうだしボクもチームなんて要らないと思うけど、資金援助とか施設の予約が優先されたりとか、色々特典があるよ? ちゃんとわかってる?」

「よくわかってない」

「仕方ないなぁ。教えてあげるっ」

 

 チームを持つとチーム単位で予算が出て、消耗品なんかのグレードだって上げられるようになるらしい。もちろん現時点でも普通の額は出ているのだが、最低限の品質の物を揃えるので限界だ。シューズや蹄鉄も拘れるなら拘りたい。

 それに、一番の金食い虫がいる。

 

「タキオンがなあ、研究予算にしちゃったからな」

「しょーがないよ。ボクたちも使うし」

 

 俺には二人分の予算が下りてきているが、テイオーの分までタキオンの研究費に消えていた。テイオーの同意はあるから倫理的な問題はないが、金がないという問題は何一つ解決していない。タキオンの研究開発による利益も多少はあるが、雀の涙ほどだった。今までタキオンが資金をどうしていたかと聞けば、どうにもなっていなかったと返ってきた。何も言えなかった。

 

「とにかくね、テイオー様にはテイオークラスの待遇が必要なんだい!」

「良い道具と良い環境で練習したいんだな。確かにチームでしか取れない予約もある」

「でしょ!?」

 

 大きな施設を貸しきったりするのはトレーナーにしかできないし、担当が少ないトレーナーにはあまり機会が巡ってこない。

 利益と要望は理解した。

 

「どこから人を連れてくる」

「トレーナーはスカウトとかしたことないの?」

「ない。気が付いたらタキオンと契約していた」

「運が良いのか悪いのかわかんないや。じゃあさ、人集めしたらチーム作ってくれる?」

「ああ、キャパシティに余裕はある。ただ10人も20人もだと無理だから、あと3人な」

「そんな不安そうな顔しないでよ~わかってるからさぁ。大丈夫、ボクにぜーんぶ任せてよ」

 

 不安だが、泥船とわかっていても乗り込まねばならない時がある。大海に漕ぎ出さなければ魚は手に入らないのだ。テイオーは部屋を飛び出した。結局その日、タキオンは戻ってこなかったので相談はできなかった。

 翌日彼女がひょっこり顔を出した時に、チームを作ることにしたと告げると表情が凍り付いた。

 




リアル馬パートがあるウマ娘二次創作が好きです。よろしくお願いします。


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20話

フジキセキはこういうのじゃない!という意見を待っています。なぜなら情報がないからです。よろしくお願いします。


 翌朝タキオンにチームを作ることになったと告げると、彼女はフリーズしたのちに電話を掛け、いつも通りの調子で椅子に腰かけた。以前のテイオーの反応からして反対すると思っていたのだが、あまりにも予想に反している。何となく居心地が悪くて、求められてもいない説明をした。

 

「チームを作る目的は、一言でいうと金だ。研究資金、消耗品、とにかくお金がいる。是非ともチームを作って予算を得たいんだよ。単純に5人の担当をする以上の収入になるからな」

「……ああ、わかっているよ」

 

 冷淡な声だった。怒らせてしまっただろうか、それも無理もない話だ。

 

「悪かった、相談もなしに」

「良い。君たちがそうするのなら、私にだって考えがあるというわけさ」

「考え?」

「なに、気にすることは――おっと失礼」

 

 タキオンのスマホに着信が入った。他人の電話を盗み聞きする趣味はないため、少し離れて様子を伺う。タキオンは打って変わって明るい声で応対していて、先程との差異が露骨に不安を煽った。

 数分の通話を終えると、タキオンはスマホをポケットに突っ込みながら立ち上がった。

 

「悪いが急用だ。チームの件に関わることだから、嫌とは言わせないよ」

「ああ、それは良いんだが……チーム、良いのか?」

「構わないと言っておこう。では」

 

 タキオンは渋面を浮かべながら消えていった。そのうち彼女が喜ぶ物を買っておこう。物で釣るのは原始的な方法だが、気を使われて嫌がるタキオンではあるまい。

 テイオーも現れてはすぐ消えてしまった。メンバー集めに行くらしい。今日のトレーニングは中止になった。

 

 

 

 新チームの立ち上げは学園内でも話題になる。慢性的なトレーナー不足が続くこのトレセン学園において優秀なトレーナーは得難く、優秀の判断基準として”5人集められる”というのは重要な指針となるからだ。ましてやメンバーに有名なウマ娘がいればなおさらである。

 

 悪名高き天才アグネスタキオン。彼女は付き合う相手を選り好みする上に研究狂いなだけだが、傍から見ると癖ウマ娘に他ならない。話題にはなったが、入りたいというウマ娘は現れなかった。まさかの応募者0である。たまげたものだ。

 そんな状況の中、放課後二人が妙な面子を連れてきた。

 

「あの、私はもうチームに入っているのですが……」

 

 チーム設立に際し、色々と調べた。新入生に配布されるチーム紹介のパンフレットをひっくり返して読んだだけだが。その中に、この眼前に佇む栗毛の大人しそうな少女の写真があった気がする。名前は確か……サイレンススズカだ。ちょうど今年クラシック級を迎えていて、タキオンの一つ上にあたる。今のところ目立った戦績はないし重賞勝ちもないが、所属チームはベテラントレーナーが率いているところだ。強豪チームに所属している以上、才能はあるに違いない。

 問題はトレーナー同士のもめごとにならないかという心配である。

 

「テイオー? 一応聞くが、勧誘は頼んだが引き抜いてこいとは言ってないぞ?」

「最近スズカの走りが面白くないからさー。多分トレーナーが悪いんじゃないかなって」

「返してきなさい」

「やーだー! せっかく連れてきたのにー!」

 

 ダメだこりゃ。何も言えなくなった俺の代わり、に黙っていたタキオンが口を開いた。いや、開くと同時に立ち上がり、サイレンススズカの足元に屈んで太ももをさすり始めた。

 

「良い脚だね。まさに速度を極めた者の……」

「あ、あの……」

「やめなさい。砂糖没収するぞ」

「ちっ、わかったわかった」

「えっと、名前を聞いても良いかな? 噂では聞いてるんだけど、一応ね」

「サイレンススズカです。あの、トレーナーさん……」

「ありがとう、サイレンススズカさん。もし良かったら、話だけでも聞いていってくれないかな」

 

 そう言いながらタキオンとテイオーをチラ見すると、彼女は頷いてくれた。テイオーが連れてきたとは思えないほど良い子だ。

 さて、次だ。

 

「……ステータス『困惑』が発生」

「ふむ? 機械の真似かな?」

「とりあえず、君も残っていてくれないか? あと、名前を教えてほしい」

「ミホノブルボンです。オーダーを承認。オペレーション、待機を開始します」

 

 機械みたいな喋り方をするウマ娘で、怖ろしいほど表情が変わらない。というか、通常人が持っている仕草とかささやかな動きの類が皆無。色々と人間離れしたこの子もテイオーが連れてきた。なんでも再来年デビュー予定、つまりテイオーの1年後にデビューするわけだ。今のところ詳しい性格は不明だが、ともあれ変な子に違いない。

 

「テイオー、ミホノブルボンさんはどこから連れてきたんだ?」

「ブルボンは今フリーだよ!」

「ふぅン? 珍しいね? 走る能力で言えば恐らく上位に位置すると思うが――」

「前のトレーナーと喧嘩になって追い出されたんだって!」

 

 その流れで聞いた”前のトレーナー”は、俺でも知るベテランだった。チームリギルほどではないが、こっちも大概である。大丈夫なのかそれは。早くも胃が痛い。この後もっと痛くなる。首を右隣にスライドさせると、苦笑する黒髪の女性がいた。

 

「……お久しぶりです、フジキセキさん」

「そんなに畏まらなくていいよ、君はトレーナーなんだから」

 

 栗東寮の寮長、フジキセキ。女性人気の高いイケメンウマ娘だ。彼女は区分上、シニア級ということになる。成績は4戦4勝。ただしジュニアとクラシックでの記録であり、シニア級に入ってから――というかこの数年、レースに出ていない。なんでそうなったのかは不明だし、この場にいる理由も不明だ。すべての謎はタキオンが握っている。視線を送ると、彼女は鼻を鳴らした。

 

「フジ君は今フリーだし、実力者で私の研究にも有益な存在だ。そうだろう?」

「前提を共有しろ」

 

 タキオンに言ったつもりが、フジキセキが答えてくれた。

 

「ああ。私も脚が弱いんだよ。それにフリーなのも事実なんだ。普通引退するところを無理にしがみついていてね、前のトレーナーに落ち度があるわけじゃないんだけど、ね」

「そうでしたか……答えてくださりありがとうございます」

「口調、崩してよ。私も肩が凝ってしまう」

「……じゃあ御言葉に甘えよう。で? タキオン? フジキセキの脚が弱いのはわかったが、それとチームに何の関係が」

「チームという想定外の要素も何もかも、研究と私のために最大限利用するだけさ」

 

 少し芝居がかった仕草でタキオンはサイレンススズカとミホノブルボンに手を差し出した。

 

「ちょうど他にも二人いるわけだ。フジ君とスズカ君とブルボン君の3人と、私とテイオー君でチームを結成しようじゃないか」

「さんせー!」

「え、いや……私は……」

「ステータス『戸惑い』を感知」

「私は構わないよ、トレーナーがそれで良いのなら」

「モルモット君、早くその二人を説得したまえ」

 

 フジキセキは承知のうえでここに来ているから良いとして、残る二人を説得しろと言われても困ってしまう。

 

「そもそもさ、二人がどんな風に走るのかわからないし、その状態で担当トレーナーになるのは無理だ」

「じゃあ走ればいいんだね!」

「そんな簡単に――」

「ねえスズカ、ブルボン! いいよね、ボクとちょっと走ろうよ!」

「……私、走るのはあんまり」

「いかなる距離でも遂行しますが、距離次第ではミッション完遂が困難な可能性があります」

「つまり良いってことだよね! ねえスズカぁー! 一緒に走ろうよー!」

「うーん……」

「おーねーがーい! 1回! 1回だけだから!」

「私としても是非スズカの走りは見たいな。君が最近落ち込んでいるの、気になっていたから。思いっきり走れば気分が変わるかもしれないよ」

 

 テイオー、フジキセキが後押しをする。タキオンは何も言わず、ただ黙って段ボール箱から実験用の機材を取り出していた。その無言の圧力が決定打になったらしい。サイレンススズカは諦めたように俯いた。

 

「じゃあ、一度だけ」

「わーい! ほらトレーナー! いくよー!」

「モルモット君。運びたまえ」

「私も手伝うよ」

「オペレーション『輸送』を開始」

「あっ、待ってブルボン。君はこれに触らない方がいい」

 

 フジキセキが慌てて段ボール箱に触れようとしたミホノブルボンを止めた。なんでも聞くところによると、ミホノブルボンが触れた機械はすべて爆発するらしい。箱越しでもうっかり爆ぜたらまずいので、彼女にはコース整備をお願いした。

 興味を持てない子の担当はさすがにできないし、正直ただ才能があるだけなら他を当たってもらいたい。お互い不幸になるからだ。さて、どうなることやら。

 




ぶっちゃけフジキセキのキャラはよくわからないが、個人的な趣味によってこうなりました。
競馬なんか知らん(筆者)人用の説明を置いておきます。すごくざっくり言うと「サンデーサイレンス産駒組」と「無敗三冠を達成できなかった、故障が多かった組」です。

サイレンススズカ:三冠どころかGⅠは宝塚の1度しか勝っていないが、出すしかないと思った。故障は粉砕骨折。
フジキセキ:幻の三冠馬。タキオン繋がり。タキオンと同じ4戦4勝GⅠ1勝だが、こちらは朝日杯。故障は屈腱炎。
アグネスタキオン:幻の三冠馬。こちらは皐月賞。故障は屈腱炎。
ミホノブルボン:無敗二冠、菊花で2着の後、引退。テイオー繋がり。故障は骨膜炎や骨折など。
トウカイテイオー:無敗二冠、菊花は不出走。故障はダービー後に骨折、あと沢山。


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21話

口調、難しい


 一気に見るのは不可能だが、レース形式の方が実力が発揮しやすいだろう。

 タキオンとミホノブルボン、テイオーとサイレンススズカの組み合わせで模擬レースを行うことになった。フジキセキは審判を買って出てくれた。怪我で走るのは難しいそうだが、その分きっちりサポートをすると笑っていた。表情は確かに笑顔だったが、もはや素直にそれを受け取れるほど無知ではなかった。彼女がウマ娘であり、このトレセン学園に来た以上、彼女にも勝ちたい何かがあったはずだ。

 GⅠが難しくともせめてレースには出られるようにしてやりたい。そのためには? 研究の進展だ。結局そこに尽きる。彼女にチームに入ってもらわねばなるまい。

 

 

 

 残りは二人だ。じゃんけんの結果、タキオンとミホノブルボンのレースからになった。距離は3000m。どう考えたってデビュー前のウマ娘が走る距離じゃないのだが、ミホノブルボンはクラシック三冠に並外れた思い入れがあるらしい。タキオンの脚部に不安が残るが、相手はデビュー前だ。ある程度は手加減するはずだ。

 

 ……と、思っていたのだが。

 想定外は二つある。一つ、ミホノブルボンはデビュー前とは思えないほどに強かった。完璧なスタート、完璧なラップタイムで展開される、完璧な逃げ。自分の目を疑ってタキオン謹製測定装置を見ると、やはり1ハロンごとの経過時間は一定だった。

 

「すごいでしょ。これがブルボンの走りなんだー。ボクが興味を持つだけのことはあるでしょ?」

「計器のミスを疑うレベルだな」

 

 相当優れた体内時計を持っている。しかも、速度を出して走っていると頭なんて回らないだろうから、余裕があるということだ。

 

「あの口調のこともあって、サイボーグってあだ名なんだよ。あと、坂路の申し子っていうのもあるんだ」

 

 フジキセキが苦笑しながら教えてくれた。正確無比な体内時計、坂路上手。そして、単純だがスピードもかなりの物だ。手を抜きすぎればうっかり負けかねない。

 

 そこで、もう一つの想定外がやってくる。まずタキオンは手を一切抜いていない。長く付き合ってきた時間は伊達ではない。今タキオンは大人げなくぴったりミホノブルボンの背後につけている。スリップストリームを狙うにしても露骨すぎる。圧力のような物も遠くから感じられるので、ミホノブルボンでなければ怯えて早々に沈んでいただろう。

 

「タキオンは何をやってるんだ……」

「まあまあ、怒らないであげてよ。彼女にも色々あるんだ」

 

 嗜めるような口調だった。何か考えがあるのだろう。ひとまずタキオンは置いておき、ミホノブルボンをどうするか考えていた。

 

 確かにトレーナーになったのは金のためだ。しかし一人の人生に深く関わる以上、生半可な気持ちでは付き合えない。そして、俺は強いだけのウマ娘には興味を持てそうにない。タキオンもテイオーも一緒に見る夢がある。フジキセキの叶わなかった夢を思うと、何だか涙が出てくる。要するに力になりたいと思えない相手に力を貸す契約をするのはアホらしい。

 

 ミホノブルボンの夢はクラシック三冠だ。すごいとは思うが、夢にはできない。だって三冠に興味がない。タキオンは気分次第だからともかく、いずれテイオーが取ってくれるからだ。紹介してくれたテイオーには悪いが、担当の話は断るのがお互いのためだろう。1600mを通過するまで、そう思っていた。

 

「……なんかおかしいな」

「気づいたみたいだね。ブルボンの問題に」

「なあ、テイオー、フジキセキ。もしかしてだけど、ミホノブルボンさんって……スプリンターじゃないのか?」

「そうだよ?」

 

 あっけらかんとテイオーが答えるのに、俺は呆気に取られてしまった。スプリンターの主戦場は1200メートルだ。一方、クラシック三冠路線はダービーですらスプリントの2倍ある。菊花賞なんか考えたくもない。

 

「あはは、みんなそういう顔するんだよねー。それでトレーナー、どう思った? ブルボンの夢!」

 

 不可能だと思う。無謀だと思う。才能を浪費しているとも思う。限りなく困難な挑戦だ。だからこそ。

 

「面白いな!」

「だよね! 無謀な夢だって笑う人もいるけど、ボクもトレーナーにさんせー!」

「無謀って言ったらだいたい、うちのチームの目標だって似たような物だろ」

「打倒カイチョーだもんね!」

「そうなのかい? それは知らなかったな……嫌いじゃないよ、むしろ好きだ」

 

 フジキセキはニッと笑った。悪戯っぽい笑顔だ。テイオーは尻尾が鬱陶しいくらい揺れている。

 サイレンススズカは先程からじっと黙り込んでいて、何を考えているのかわからない。多分無口なのだろう。ただ打倒会長と聞いて、少し目を丸くしているのが印象的だった。

 

 

 

 戻ってきたミホノブルボンには長距離用のスタミナトレーニングについて教え、タキオンにはもう少し脚を労われと説教をしてから、次のレースを迎えた。

 スタートして1ハロンもしないうちにテイオーが先頭に立ち、少し離れてサイレンススズカが続いている。サイレンススズカは差しか? いや、それにしては随分と……。

 

「走り方が不自然すぎないか?」

「破裂する直前の風船のようだねぇ。というわけだからモルモット君、爆発させようじゃないか」

「は? どうやって」

「声の一つでも掛けたまえ。トレーナーからの要望ならば応えるだろう」

 

 タキオンに唆されている。つまり何かがある。フジキセキにも目を向けたところ、彼女も頷いた。やるか。

 

「サイレンススズカさーん! 脚をためないで走ってくれ!」

 

 返事はなかった。もう一度。

 

「トレーナーとして頼む! テイオーのためにも、脚を溜めない君の走りが必要なんだ!」

 

 これで逃げても大して強くなかったら惨事だが、テイオーが連れてきたんだから多分強いのだろう。

 彼女の返事は聞こえなかったが、明らかに走りが変わった。

 サイレンススズカは猛烈な勢いで加速し始め、テイオーを追い抜いてどんどん引き離していく。

 

「スズカ……良かった」

 

 フジキセキは安堵しているらしいが、俺は戦慄を覚えていた。

 サイレンススズカは1000mを通過したところで、テイオーに20バ身近くつけている。普通あんな大逃げをしたならば終盤で垂れてくるはずだ。だが垂れてこない。1600mを通過した。まだ垂れない。テイオーが必死に追っている、それでもサイレンススズカの逃げの方が速い。

 素晴らしい。何だあれは。その言葉が漏れてしまっていたようだ。隣にいるタキオンが笑った。

 

「いやぁ、君が知らないのも無理はない。数年ぶりだろうからねえ、あの走りを披露するのは」

「どういうことだ?」

「クククッ、トレーナー選びは一生に関わるということさ。常識の埒外にあるものを常識に押し込めようとする行いの、何と不毛なことだろうか!」

 

 上機嫌すぎて会話にならない。

 フジキセキに目を向けると、彼女は目じりに涙が浮かんでいた。嬉し泣きらしい。しかし一番気分が良いのは走っているサイレンススズカだろう。あんな速度で走っておいて、顔は心底嬉しそうだった。

 最終直線、サイレンススズカは……ペースが落ちなかった。どころかますます加速していく。”逃げて差す”とでも言えば良いだろうか? その圧倒的なスピードに、辿り着くべき到達点を見た気がした。

 呆気に取られていると、隣から喉を鳴らすような声が聞こえた。

 

「素晴らしいだろう? 私のプラン候補だっただけのことはある」

「……なんでこの子、クラシック勝ってないんだ?」

「さあねえ。ただ私が思うに、トレーナーの問題だろう」

 

 あの有名なトレーナーで力不足というのは考え難い。極端に本番に弱い? そういう人もいるが、彼女がそうだとは思えなかった。だとすると、やはりトレーナーの問題と考えるしかないか。

 

「君が代わりにトレーナーになりたまえ。彼女は見る限り大人しそうだし、大丈夫だろう」

 

 何が大丈夫なのか不明だが、タキオンが前向きなのは覚えておこう。

 問題はトレーナ―の問題だったとして、俺に代えれば解決するのかどうかだ。

 悩んでいると、二人が戻ってきた。

 

「トレーナー! 負けちゃったよぉー!」

「頑張ったな、テイオー」

「すごく気持ちよかった……こんな感覚、いつ以来だったかしら。テイオー、あなたのおかげよ」

「ああ。タイムは……うわあなんだこりゃ。テイオーの走破タイムも自己ベストだぞ」

「そ、そう? 嬉しいけどなんかフクザツだなぁ。次は勝った上でタイムも更新するからね!」

「ふふ。トレーナーさんも、ありがとうございます。私の走っているのを見て、どうでしたか?」

 

 さて何と答えよう。他のウマ娘たちからも鋭い視線が向けられていて、嘘なんかついた日には八つ裂きにされそうだ。

 

「まあ、なんだ。憧れるよ」

「憧れ、ですか?」

「このモルモット君は頭の中も齧歯類でねぇ。人の身でありながらウマ娘と同様の、いやそれ以上のスピードを求めているのだよ」

 

 なんて言い様だ。全員苦笑いを浮かべている。ただ誰も可哀想だとは言ってくれなかったので、無謀だと思っているのは事実なのだろう。

 生暖かい空気を流そうと、咳払いした。

 

「あ、あー。俺は君たちにチームに入ってもらいたいと思った。どうだ?」

「……すみません。私は先行と逃げ、どちらが向いていると思いますか?」

 

 思いっきり流された。が、多分彼女は口下手なのだろう。幸い、答えは考えるまでもない。

 

「逃げ一択だろう。精神的な問題か走りの癖かまではわからないが、脚をためる、ペース配分とか余計なことを考えるのが向いてないんじゃないか。走ってる時の表情が完全に別物だったぞ」

「表情、ですか?」

「ああ。同じ逃げでも、ミホノブルボンとは真逆のタイプに見える」

 

 サイレンススズカはぼーっとしていた。聞いているのだろうか。

 彼女はやがて眼をパチパチと瞬かせて、すっと頭を下げた。

 

「チームの件は考えさせてください。今のトレーナーさんとも話し合ってから決めたいんです」

「もちろん。他の二人は?」

「あなたのトレーナーとしての実績は未知数ですが、一定水準の知識の存在を推定。私の目標は三冠ですが、承認していただけますか」

「難しい夢だからこそ支えがいもある。君は強いから、スプリンターで暴れ回るなら支えはいらないだろ」

「……では、これからよろしくお願いします。マスター」

 

 マスターってなんだ。気にするだけ負けか。

 フジキセキに目を向けると、照れたように笑った。

 

「私はタキオンに頼まれて来てるから、最初から入るつもりだったよ」

「ありがとう。よろしく頼む」

「よろしく。サブトレーナーだと思ってくれていいからね」

「まだ1年目だ。むしろ俺がサブだろ」

 

 とは言った物の、さすがにトレーナーとしての勉強もかなり進めてきた。多分同期の誰よりも詳しいのではなかろうか。

 なぜここまで詳しくなったのか? 理由は簡単である。勤務時間が長いのに対して仕事が少ないから、勉強するくらいしかやることがなかっただけだ。さすがに勤務中に研究は憚られるし、タキオンは手が掛からないし掛けるだけ無駄だったし、テイオーはちゃんと授業に出るタイプのウマ娘である。

 

 

 

 数日後、サイレンススズカは正式に移籍が決まった。元担当トレーナーの承諾もあるので、問題はない。問題はクセの塊のようなメンバーである。

 タキオンは相変わらず実験と研究に狂っている。チームメンバーが増えてますます研究狂いに弾みがついて、1日に50回くらい実験のお誘いが来る。

 テイオーは週に3回はカイチョートークに付き合わないと機嫌が悪くなる。構わないとちょっと悲しそうにするので質が悪い。

 スズカは走っている時以外は9割ポンコツだ。まともな良い子だと思ったが、あれは走ることしか頭の中にないだけだ。つまり何も考えてない。

 ブルボンはわかりにくいし融通が利かない。放っておくとスズカより静かだが、あれでもウマ娘or生き物である。望みをこっちで解読して、先回りして助けないとエラーを吐く。

 フジは優しくて良い奴で頼りになるが、悪戯大好きという可愛い悪癖を抱えている。引き出しを開けたら花が咲いた時、頭がどうにかなりそうだった。

 そして俺。週に1回くらいウマ娘と併走してはボロ負けして、相手を研究攻めにする癖を抱えている。まあ他の連中と比べたら大したことはないはずだ。

 

 つまるところ、このチームには豪華な顔ぶれの問題児が集まってしまったようだ。何せメンバー全員クセが強い。個性の塊だ。そんなイカれたチームの名前は、『ベテルギウス』だ。まるで今にも爆発しそうな名前である。なんと10分間の大激論の末、まともな天文知識を持っているのがタキオンだけだったからそうなった。

 

 ただ、良いこともある。このチームは”走ること”にかけては基本的に一流、ないし元一流のウマ娘が集まっており、予算が溢れるほど貰える見込みだ。しかも重賞を勝つなど、結果を出せばさらなる増額もあるらしい。なんて素晴らしいのだろう! これで買えなかった実験器具が手に入る!

 

 そういうわけだから、何としても重賞勝ちが欲しい。まずはホープフルステークス。スズカはしばらく走り方を逃げに戻す訓練が必要だから、今年はお休みだ。つまり我々の予算はタキオンの双肩にかかっている。不安の極みと言えよう。

 ただ、速く走りたい。その夢がどんどん膨らんで行くのを感じながら、冬の到来を待ち続けた。

 



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22話

時折ランキングに乗ったり乗らなかったりしているようですね。ありがとうございます。
実況で雰囲気のためにモブウマ娘を作りましたが、フィクションです。仮に同名の存在がいたとしても実在の人物や団体などとは関係ありません。


 暮れのGⅠ、ホープフルステークス。正直GⅠの中では最も格の無いレースだ。歴史が浅く、賞金が飛びぬけて高いわけでもない。ジュニア級王者決定戦は朝日杯で、人気と話題は有馬記念が持っていく。まるで有馬記念の裏番組のようだ。

 

 ……そう、思っていた。

 ふたを開けてみればどうだ。見慣れつつあるレース場はまるっきり別の場所に見えた。今更ながらに緊張している自分がいる。これがGⅠ。生で見た回数だって多くないのに、トレーナーとしては完全に初見。というか、トレーナーとしても2戦目がGⅠなのだ。緊張するなと言う方が嘘である。

 一方いきなり大舞台を2戦目に選んだはずのタキオンは、控室で項垂れていた。

 

「実験が……検証が……」

「ほんっと何というか、メンタルが強いというか、図太いというか、面の皮が厚いというか」

「レースなんか恐れてどうする。それよりも、この絶好の機会を活かせないのは……トレーナー君、本当に重バ場なのかい?」

「重じゃなくて不良だってさっき発表があった」

 

 タキオンは溜息をついた。さっきからずっとこの調子だ。中山レース場だから良かったものの、阪神ならボイコットしそうなくらいだ。

 

「今日は速度を追求できそうにないよ。モルモット君、私はどうすればいい?」

「じゃあ、1個良いか。タキオンくらいにしか言えないことだ」

「なんだい? 言ってみたまえ」

「……手を抜け。それで勝て」

 

 GⅠは多くの人々の想いが集まっている。応援してくれるファンにだって失礼な行いだし、共に走るライバルにも顔向けできるようなオーダーではない。それでもタキオンの脚を優先したい。今は雨も上がっているが、泥濘に嵌ろうものなら目も当てられない。

 タキオンは顔を少し顰めたが、長く息を吐いて頷いた。

 

「良いだろう。今日は実験もできないし」

「……こんなことを言うのは、トレーナー失格かもしれないが」

「ん?」

「怪我しそうだと思ったなら、少しでも違和感を覚えたなら……脚を緩めて、立ち止まれ」

 

 勝利を信じて送り出すトレーナーとしては不適切かもしれないが、間違いなく俺の本心だった。

 すべてのウマ娘たちが追い求めるGⅠ。一等星の輝きは、一生に一度、このジュニア級でしか掴み取れない。その重みを理解するには、あまりにも経験が浅すぎた。だからこうして漠然とした不安に襲われるのだろう。

 

「やれやれ、まあ齧歯類というのはストレスに弱いという物だ。モルモット君は私の分まで緊張してくれているようだがね」

「うるさい。一応聞いておくが、今は大丈夫なんだよな?」

「ひどく気乗りしないこと以外は絶好調さ。ほら、行った行った」

 

 心底気怠そうだ。俺としても残念な気持ちはある。ウマ娘の限界速度、今日は見れそうにない。

 とはいえ俺があまり下を向いていてもダメだ。他のメンバーに余計な心配を掛けてしまう。軽く頬を叩いて、観客席へ歩き出した。

 

 

 

 観客席で他のメンバーとも合流すると、テイオーがぴょこぴょこと尻尾を揺らした。

 

「トレーナー、タキオンどうだった?」

「調子は良いらしい。脚も大丈夫だとさ」

「じゃあヨユーだね!」

「慢心しすぎてはダメよ、テイオー。ちゃんと応援しましょう」

「……マスター。応援とはどのようにすれば良いのでしょうか」

「声でも掛ければいいんじゃないか? フジ、細かいことを教えてやってくれ」

「じゃあこれを飲むと良いよ。応援になるから」

 

 フジキセキは謎の薬品γを取り出し、疑いを知らぬブルボンに飲ませた。その瞬間、ブルボンがカッと目を見開いた。

 

「未知の信号を検知。エラーです」

「タキオン薬にしては普通の効果だな」

「危ない物なら飲ませないよ。実は私も前に飲まされてね、面白そうだから貰ったんだ」

 

 ブルボンの肌がメタリックなシルバーカラーで塗装されていた。まるでロボットである。良かった、輝かなくて。輝いていたらフラッシュを焚いたと勘違いされてもおかしくなかった。鏡を渡すと、ブルボンはぽけーっとした表情を浮かべていた。

 

「トレーナーさん、始まりますよ」

「ああ、ありがとう」

「頑張れー、頑張れー」

「もうちょっとこう、緩急をつけて」

 

 フジキセキとブルボンは放っておいても大丈夫そうだ。視線をゲートに移したタイミングで、タキオンが問題なくゲートに収まるのが見えた。この期に及んでゲート入りを拒むウマ娘はいないようだ。これがGⅠということだろうか?

 

『各ウマ娘、ゲートに入り態勢整いました』

 

 この一瞬、静かな時間だけは何度聞いても慣れそうにない。

 

『……スタートしました! 3番アグネスタキオン良いスタートです! ハナに立ったのはアグネスタキオン!』

 

 逃げ、るわけではないか。単純にスタートが上手くいきすぎただけらしい。タキオンは流れるようにペースを落として先頭を逃げウマ娘に譲り渡し、逃げ勢の後ろ3番手で悠々と走っている。順調な滑り出しだった。

 

 今回の作戦は先行だ。差しはこのバ場状態では脚への負担が大きいからやめた。何度となく行ってきた併走トレーニングや模擬レースの結果からして、タキオンは最終コーナーまで控え、曲がりながらスパートを掛けるのが勝ちパターンだ。

 

『向こう正面に入って先頭は変わりません、12番スターハムハム、続いて1番エスケープフラワー、1バ身差3番アグネスタキオン、本日の1番人気です』

 

 予定通りにレースを進めている。あとは展開次第か。タキオンが抜け出すタイミングを誤れば、後方から一気に上がってきたバ群に埋もれる危険性がある。抜け出せる力はあるが、無駄に消耗してしまえばどうなるかわからない。

 

『4コーナー、最初に立ち上がってきたのはアグネスタキオン!』

 

 ……杞憂だったか。まあ走れなかった分、それ以外を重点的にやったんだ。今更仕掛けどころを間違えるわけないか。そういえば、このまま終われば怒られてしまう。

 

「タキオーン! ほどほどに頑張れー!」

「ひどい声援……」

 

 スズカの呟きが俺の心を殴りつけた。しかし頑張れと言って本当に頑張られても困るのだ。ここで脚を浪費するくらいならトレーニングに使いたい。実戦が最大の練習とは言うが、こんな公開練習じみたレースでは然程変わりはあるまい。

 

『アグネスタキオン、リードを開いていく! 残り200メートルで2バ身差! 差が広がらないが縮まらない! 後続のウマ娘も追っているがしかし先頭はアグネスタキオン! ゴールッ!!』

 

 2バ身差を完璧に維持したまま、タキオンは最後まで全力を出さずに勝ってしまった。良いレースではない。蹂躙と表現した方が良いくらいだ。しかしこの圧倒的な勝ち方は、俺たちの目標にそっくりだった。

 

「すごいすごい! タキオン、カイチョーみたいだった!」

 

 はしゃぐテイオー、声援を送るフジ、少し微笑んで拍手するスズカとブルボン。皆喜んでいる。それは金が欲しいとか汚い欲望ではなく、純粋に勝利を讃えての物だ。会場もゴール直後はどよめいていたが、今では声援を送っていた。

 

 みんなが喜んでいる。俺も嬉しいはずなのだが、何だか現実離れした気分だった。そもそも勝ちに来ているのではなく、スピードを出しに来ていたからだろう。ゴールの少し先でタキオンが手を振っている。表情から察するに、タキオンも然程嬉しい訳ではないらしい。俺もタキオンもこれが欲しかったわけじゃない。良バ場ならきっと全力で走って、速度の限界を探りに行ったはずだ。手を抜いて走った。それでも、なぜこんなに声援がある? これがGⅠを勝つということなのか?

 

「ほら、トレーナーも何か言ってあげなよ」

「……頑張ったなー! タキオン!」

 

 テイオーに促され、上滑りした文句を叫んだ。タキオンが俺を見て笑っている。アホだと思われた気がする。

 こうして余韻もないままに、俺はGⅠウマ娘のトレーナーになるのだった。

 




ちょっとしたご報告。
まず結論から説明しますと、投稿は続行しますし、今のところ本作を削除する予定もありません。R15タグはついていますが予防線に過ぎず、元々いわゆるR指定の必要な作品ではないと考えているためです。

なんでこんなこと今更言ってるのか。
ご存じの方もいらっしゃると思いますが、先日一部の方がウマ娘二次創作を巡って馬主様と騒動になりました。(一部の方、馬主様ともに個人名は出しません)結局その馬主さんは「全年齢ならいいよ」と言ってくださいましたが、色々と慎重を要する状況になっているためです。

本作では今後もウマ娘のガイドライン(長いので引用はしません)と原作(現実)を最大限尊重しつつ、時折創作的都合や個人的趣味によって捻じ曲げていこうと思います。よろしくお願いします。


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23話

 なんだか釈然としないままライブを見て、狐につままれた気分で帰り、隙だらけのままトレーナー室で座っていた。どうも勝利で熱狂できるタイプではない。というかテイオーの勝利なら喜べたが、タキオンでは喜べない。そもそも勝つことに意味がないからだ。だというのに皆が祝ってくれる。トレーナーたるもの担当ウマ娘の勝利を喜ばないといけない。でも釈然としない。

 内心を隠す努力はしたが、結局チームメンバーにも気を使われてしまった。

 

「モルモット君? おーい、モルモットくーん? いつまでそうしているつもりだい?」

 

 タキオンは皆で帰る時、『これは通過点に過ぎないからねぇ。この程度では喜べないな』なんて誤魔化していた。うまいことを言ったものだと思う。伊達にのらりくらりとデビューとスカウトを躱し続けていない。

 突然、口の中に筆舌に尽くしがたい苦みを感じた。飛び上がって辺りを見回す余裕もないが、何をされたのかはわかる。咄嗟に近くのコップを奪い取って、喉の奥に精神的劇薬を流し込んだ。

 

「……タキオン、どうした?」

「どうしたも何も、君がどうした。本当にモルモットになったかと思ったぞ」

「ああ、いや。その……ん? タキオン、顔赤いぞ。風邪か? レース後だし、念には念を入れておきたい。痛みはないらしいが、俺の方でも確認していいか」

「はっ? 薬の作用は思考を鋭敏にするはずなんだが――」

「なら効果はあるだろ、顔色の変化に気づけた。ほら、足見せろよ。あと体温も測っておいてくれ」

 

 タキオンはさらに顔を赤くした。赤くする要素があるだろうか。そりゃあ女子高生は成人男性に触られたくないだろうが、医療的必要性があるしだいたいもう何度も触っている。マッサージしたりアイシングしたりと、今更恥ずかしがることではないはずだ。

 

「……どうやら本当にモルモットになってしまったらしい。それで検査だったね、任せたよ」

 

 やけに疲れた雰囲気を出しながら、彼女はソファの上にごろんと横たわった。それから脚を触っていくと、少し驚いた。レース後だというのに、熱を持っていない。研究かトレーニングかわからないが、着実に状態は良くなってきているようだ。その後10分くらい掛けて触診を行ったが、問題はなかった。

 

「これが研究の成果、か?」

「それもあるが、基本的には手抜きの成果だね」

「そんなにか?」

「自分で言うのもなんだが、他のウマ娘よりも脚を敵だと思った方が良い」

 

 今回は脚に問題はないし、精神的にもある程度持ち直しているようだ。この分ならメイクデビューの時のような休息期間はなくても大丈夫だろう。頭の中で今後の予定が組みあがる感覚に、俺もトレーナーになったものだなぁと妙な気分だった。

 

「どうしたんだい? 今日は随分と自分の世界に入るじゃないか」

「あっさり勝ちすぎて、実感がないんだよ。色々なことに」

「クククッ、私がトレーニングをサボっていた理由がわかっただろう?」

 

 珍しくも少し自慢気だった。研究成果ではなく実力を誇るのは珍しい。褒めろというアピールだろうか。

 

「タキオンは凄いな。明日の放課後までにはこの結果を踏まえてメニューを作っておくよ」

「じゃあ朝は休みで構わないね」

「レース後だしな。ところで、出たいレースはあるか?」

 

 しばし考えた後、彼女は無言で横に首を振った。

 

「じゃあ俺の要望だ。GⅠを勝った以上、もはや出走条件については考えなくて良い」

「それで?」

「次走は……というか、今後はずっとトライアルを使わずにGⅠに直行していく。それは構わないな?」

「ああ。私もその方が良いねぇ。良質なデータは良質なレースにこそある物だ。で? 君の要望は?」

 

 今の発言を鑑みると、考えていることは同じらしい。出るのはGⅠに限る。大阪杯なんかはシニア級からという規定があり、出られない。ぱっと考え付いたのは簡単な物だった。

 

「脚の調子が良かった場合、良くも悪くもない場合、悪い場合の3パターンを考えてる」

「ほう。では良い方から聞こうか」

「俗に言うクラシック路線だ。クラシック級のウマ娘と走れる機会って、シニアに上がってからだと少ないだろ。秋になったら実質シニアみたいなもんだし。それにダービーに並々ならぬ思い入れのあるウマ娘もいるから、やはりデータを観測しておきたい」

 

 タキオンはふむふむと頷いている。つかみは良好か。

 俺のトレーナーとしての傾向は、素人ということだ。つまり重賞偏重だし、GⅠくらいしか知らない。もちろんトレーナーとして最低限名前くらいはわかっているが、細かいデータや経験値は絶対的に不足している。

 つまり有名レースに出したいってことだ。そこなら勝った時の凄さが俺でも少しは理解できる。少し気取った言い方だが、俺はまだ勝利の味を知らないのだ。よく味わう前に飲みこんでしまった。

 

 この話をタキオンに伝えると、意外にも食いつきが良かった。

 

「なるほどなるほど。確かに、”勝利”の要素は研究対象外だったよ。私としたことが重要なものを見落としていた。あの時”敗北”が重要な要素になったのだから、勝利もまたあって当然。ありがとう、モルモット君」

「そういう意図ではなかったんだがな、まあいいか」

「それで? 他には何かあるかね?」

「テイオーが次に挑むだろ、だから勉強しておきたいんだよ」

 

 タキオンは急に機嫌が悪くなった。次にばつが悪そうな表情を浮かべ、最後には澄まして何事もなかったかのように取り繕った。

 

「他には?」

「……単純なことなんだがな。タキオンはある程度距離があった方が、結果的にスピードを出せるタイプだと思うんだ。それだけだよ」

 

 タキオンは目を丸くしたが、やがて大声で笑い始めた。

 

「よくわかっているじゃあないか。ちなみに本調子でない場合は?」

「皐月賞に出る。状況次第でNHKマイルに出て、ダービーには出ない。回復すれば安田記念か宝塚記念、秋は状況によるとしか言えないが、菊花賞は出ないだろうな」

「なるほど、距離を短くして負担を軽減しようというわけか。でも良いのかい? 自分で言うのもどうかと思うが、私に1600メートルは忙しすぎるぞ?」

 

 要するに”勝てないかもしれないぞ?”というわけだ。ならば俺はこう返そう。

 

「それがどうした。テイオーやブルボンならともかく、タキオンにとっては副産物だろ。ならたかだかGⅠ勝利に大した意味はないってわけだ。ただまあ、それだとルドルフに勝てないだろうな」

 

 タキオンはますます笑みを深めた。いつもは不気味で怪しいが、今回に限っては純真無垢と断言しても良い笑顔だった。

 

「うーん、良いねぇ。ちなみに今日の勝利で君の懐には少なくとも数百万のボーナスが……」

「何を言う。どうせ祝勝会の食費で半分は消える運命だろうが」

「……否定できない自分が恐ろしい。ウマ娘の身体とは本当に神秘だねぇ! それで? 最悪の場合は?」

「レースなんか出ない! トレーニングもしない! トレーニングメニューには勉強と書いておいて、実験と研究だけやってればいい。それでも俺の給料は出るし、今日の勝利であと2年は食っていける。その時は俺も楽しく研究させてもらうさ」

「ハーッハッハ! ではその暁には君を助手に任じてあげよう!」

 

 調子よく故障した時の話をできるのは、強いというべきか後ろ向きと言うべきか。無理して欲しくはないので、好調を保たせるべく言葉を投げた。

 

「俺の一押しはクラシックロードだ。そこだけは覚えておいてくれ」

「ほほう? 場合ごとの対応ではなく、希望ときたか。理由は?」

「今まで名だたるウマ娘たちが走ってきた道だ。御利益ってわけじゃないけど、なんか速く走れそうだろ?」

 

 アホみたいな理由だが、タキオンは意外と真面目に考えてくれたらしい。顎に手を当てて唸った後、何かに気づいたように声を上げた。

 

「君、声援を送っただろう? あの人を舐め腐ったような」

「あったな」

「あれを聞いた瞬間に、上手く力を抜けたのさ。いやぁ元々1バ身差で止めるつもりだったのだがね、失敗して2バ身になってしまった。車はいきなり止まれないなんて言うが、ウマ娘も止まれないからねぇ。うっかり3バ身差まで広がりそうになったところだったよ」

 

 惰性で出る速度でも全力疾走でも、程度の差はあれど脚部への負担が掛かる。余裕のレースの裏にはそんなことがあったのか。

 

 応援の力。妙にオカルトじみているし往々にして精神論にもなりやすいが、共感はできる。俺自身もそうだったからだ。あの赤茶けたトラックの上でまばらな声援を受けた時、心の中にはウマ娘への劣等感以外の物があった。

 

「経験でしかないから、あれなんだが」

「いいからいいから」

「他人の声による実力の増大は実在する。あと確実なことが1個だけある。気分が良いってことだ」

「ほほう。実にしょうもないが、一理はある」

 

 しょうもない……。

 しかし間違ったことは言ってないはずだ。関係ない人からの声援でも効果はあるし、親しい人間からの声援には精神的な高揚が期待できる。

 

「私は有象無象の観客やらファンとやらに興味はないが、声援の力。これは私の目標に活かせるかい? モルモット君」

「そりゃもう、気分が良いに越したことはないだろ」

「では次もよろしく頼むよ、モルモット君! 次の実験場は皐月賞、そして日本ダービーだ! 未知なるデータが待っている!」

 

 ……ああ、歓声が多いレース、注目度の高いレースに出たい、つまりクラシックということか。俺としては願ったりかなったりだ。賞金も高いしスピードが出しやすい。

 タキオンを寮に返したあと、パソコンを起動し今日のレース映像を流し始めた。

 



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24話

これが私のタキオン資金源問題の答えです。冷静に考えたらアグネス家って名家ですよね。ウマ娘で出てくる奴にイカれたメンバーしかいないのでそんな印象皆無ですけど。


 有馬記念も終わると、トレセン学園はいよいよ年越しを迎えることになる。地方に帰るウマ娘もあれば残るウマ娘もあり、千差万別だ。

 翌日の放課後、今年最後のミーティングを行っていた。そこで意外な事実を聞くことになった。

 

「実家に帰るのはブルボンとタキオン、で良いんだよな?」

「肯定」

「ああ」

「正直、タキオンが実家に戻るとは思わなかった」

「寂しいのかい? ん? 生憎だが、私は実験予算を貰ってこないといけないからねぇ」

「……そんなに裕福なのか?」

「アグネス家はウマ娘の間では有名なんですよ、トレーナーさん」

 

 スズカ曰く、アグネス家とはメジロほどではないにせよ、結構な良いとこらしい。今までレース賞金もないのに資金をどうしていたのか、ようやく謎が解けた。

 

「ボクはカイチョーがやるパーティーの手伝いをするんだ!」

「会長が?」

「会長さんは毎年、年末になると色々な催しをするんです。クリスマスパーティーだったり、年越しパーティーだったり」

「へぇ……スズカ、ありがとう。テイオーも楽しんで、でも食べ過ぎには注意しろよ」

「はーい!」

 

 元気が良いのは良いことだ。トレーナー素人の俺がこういうことを言うのもどうかと思うが、年末年始はトレーニングを控えさせる方針だ。皆まだ学生なのだから、家族や友人とゆっくり過ごしてほしい。とはいえ完全に休むと身体が鈍ってしまうので、ごく簡単なメニューを全員に渡し、簡単な説明を行った。さて、もうやることはない。解散の雰囲気になったところで、フジが飄々とした態度で声を上げた。

 

「ところで、トレーナーはどう過ごすんだい?」

「ん? 寮で研究でもしてるよ」

「それならパーティーにおいでよ。歓迎するから」

 

 満面の笑みのせいで無下に断るのも憚られる。俺に出来るのは玉虫色の回答だけだった。そして、通じない奴が1人いた。

 

「あー、覚えてたら行くよ」

「じゃあボク呼びに行くよ! トレーナーの部屋どこ?」

「あはは……」

 

 フジには暗黙の意図が伝わったが、テイオーに通じるはずもない。しかもフジはテイオーを止めてくれなかった。渋々寮の部屋を教えると、とてつもなく嫌な予感がした。やっぱりやめておけばよかった。逃げるように言った。

 

「さて、詳しいことは来年にも話すが、今のうちに来年の予定を伝えておこう。気持ちの準備とかあるだろ」

 

 異論はないようだ。まずタキオンの方を向いた。

 

「前々からの方針だが、タキオンは弥生賞なんかのトライアルは使わず、皐月賞に直行する」

「脚が弱いから……ですか?」

「その通り。言われなくてもわかってるだろうが、4月前半だ。基本的には根本的に速度を上げられるようにスピードを鍛え、タイム更新を狙う。あとは体幹を鍛えてバランスを取れるように。転倒はもちろん、ちょっとでも左右で負荷が違うだけでタキオンの場合は怪我に繋がるからな」

「構わないよ」

 

 一番詳しそうなフジに目を向けたが、異論はないらしく頷いてくれた。

 

「で、スズカなんだが……いくつかレース映像はこっちでも確認済みだが、本人の意見も聞きたい」

 

 今のところ一緒に練習してきてわかったことは、スズカは大逃げ一辺倒なウマ娘で、適正距離は1600から2400メートルまでということだ。ただしこれはあくまでも可能な範囲というだけで、できればこの中央らへんの距離を走りたい。具体的に言うと、1800から2200メートルがベストだろう。左回りが望ましい。新しいことをするから、見慣れた東京レース場が良い。

 この考えを伝えると、スズカは無言で頷いた。

 

「1800メートル、東京レース場、オープンクラス。2月前半のバレンタインステークス。大逃げの初戦としてどうだ?」

 

 トレーニングの動きを見る分にはいきなり重賞に送り出しても勝てそうだが、慣れないことは格下で試すに限る。スズカは幸い身体が弱いわけでもないので、無理にGⅠにこだわる必要はあるまい。

 

「わかりました。では、それに出ようと思います」

「おう。何か希望が出来たら言ってくれ、問題がなければ通すから」

「はい。よろしくお願いします」

 

 移籍から数か月だが、大逃げのトレーニングは楽だった。スズカの場合余計なことを考えれば考えるほど遅くなる、ひいては弱くなってしまうので、教えたのは簡単なことだけだ。走り方、上手な先頭の取り方、3コーナーか4コーナー手前で少し息を入ること。これだけだ。途中で息を入れさせるためだけに数か月費やしたと言っても過言ではない。それでタキオンもテイオーもぶっちぎっていくのだから、明らかに基礎スペックがおかしい。

 

「で、テイオー」

「なになにー? 1月でもうデビューしちゃうとか?」

「んなわけあるか。来年から本格的なトレーニングを始めるから、そのつもりでいろってだけだ」

「ちぇー、でもやっとかぁ……やっとテイオー様の伝説が始まるんだぁ……!」

 

 デビューできるだけでも興奮するようだ。確かに誰にもスカウトされないままデビューできずに去るウマ娘も一定数いるから、間違ってはいない。もっともテイオーがそんなことを考えているとは思えないから、多分単純なだけだろう。

 

「ブルボンはとにかくスタミナをつける。スピードは後回しで、まずは3000走れるようにする。それに並行してラップタイムの刻みをより厳しい状況でもブレないように。走りのフォームも調整していくぞ。」

「了解」

「フジは情報をまとめてくれるとありがたい。二人の出るレースの情報や、テイオーと同期の有力ウマ娘とか。俺の方でも調べはするが、性格とかはどうもね……そっちの方が詳しいこともあるだろ」

「ん、わかったよ」

 

 1人だけ何も振られないと悲しいだろうから、試しにサポートをお願いしてみた。今までも率先して何かと雑務を引き受けてくれていたが、こちらから頼るのは初めてだ。満足そうなので多分正解だったのだろう。

 

「ところでトレーナー、クリスマスパーティーをしていないね?」

「ああ。ホープフルでそれどころじゃなかったからな」

「このままじゃエアグルーヴに怒られるよ? 祝勝会も兼ねてさ、どうかな?」

 

 エアグルーヴに怒られる理由はわからないが、やることはわかった。寮の食事は無料だし美味いはずだが、たまには違う味も食べたくなるだろう。話し合いの結果、甘い物を食べようということになった。買ってくるか食べに行くか検討していると、フジが練習をしたいと言い出した。テイオーも頷いていたので、多分会長が主催するらしいパーティーだろう。

 というわけで材料を買い出しに行き、夕方から食堂の厨房を借りた。

 

「……で、この中に料理ができる奴はいるのか」

「不可」

 

 真っ先に声を上げたのはブルボンだった。触れた機械が壊れてしまうので、コンロも冷蔵庫も触れない。でも材料を切ったりはできるし変な薬品を混入させることもないので、料理ができる判定になった。他は……自信はなさそうだが、まあ壊滅的な奴はいなさそうだ。というわけでフジに全部投げた。苦笑しながら引き受けてくれたので、いよいよ俺の仕事はない。

 

「じゃ、俺は帰る」

「あれ? トレーナーもしかして料理できないの? ボクが教えてあげよっか?」

「できるが面倒だし、仕事があるんだよ。あとはウマ娘同士で楽しくやってくれ」

 

 俺に限らず年末年始は忙しい。私用はもちろん、まだ書類仕事が残っているのだ。予算の要求もそうだし、来年の計画もトレーニングメニュー以外に色々ある。

 後ろ手で右手を振りながら立ち去って、トレーナー室で仕事にとりかかった。

 

 

 

 数時間後、一段落ついたので休んでいた。この分には明日明後日には片付くだろう。いったん息抜きに――いや、まだやらないといけないことがある。彼女たちに渡したのはあくまで年末年始の休みのメニューだ。つまり1月のメニューというのは別途考えなくてはならない。方針は決まっているが、さすがにそのままでは杜撰すぎる。

 

「もしかしてだが……トレーナー業って滅茶苦茶忙しいのか?」

 

 今更気づいてしまったかもしれない。でも今更引き返すわけにもいかないし、引き返したいとも思わない。でも疲れるものは疲れる。たまにはコーヒーでも飲もうか、タキオンがいない今なら飲んだって文句は言われまい。一人でのんびりとマグカップを持っていると、心が穏やかになった。

 

 しかし、その平穏は5分も経たないうちに破壊された。

 

「やっほー! ワガハイからのクリスマスプレゼントだー!」

「……あの、トレーナーさんも疲れてるでしょうし、もう少し控えめに」

「やぁやぁモルモット君……うわっ、なんて物を飲んでいるんだ」

「目標をテーブルに設定」

「メリークリスマース!」

 

 フジはシルクハットをどこからともなく取り出して器用にもてあそび、放り投げて俺の頭にかぶせてきた。

 

「データの照合を開始……該当、『探偵』です」

「ウソでしょ……安直すぎ……」

「お前ら何の用だ」

「可哀想なトレーナーに料理をごちそうしてあげようと思って!」

「というわけだからモルモット君? ここにチキンがあるだろう? 実は作ったのは私なんだ。なぁーに焼くだけだから異物は混入していないさ。さあ、食べたまえ」

 

 タキオンを除く全員が無言で首を横に振っていた。タキオンは一歩進み出て差し出しているため、気づいていない。彼女とは長い付き合いだから、どっちを信じるかなんて言うまでもない。

 

「……遠慮しとくわ」

「えー!」

「薬品で焼いたんじゃないのか? それ?」

「あ、今のそれカイチョーっぽい!」

 

 それは罵倒ではないか? 次々と彼女たちが皿を並べて、卓上は瞬く間に豪華絢爛たる状態になった。その隅っこに例のタキオンチキンも混ざっている。水の中に無味無臭の毒薬が混ざっているのを連想した。とはいえそれ以外の料理に罪はない。

 

「わざわざ悪いな、みんな。ありがとう」

「気にしないでください」

「そうそう! テイオー様の慈悲深さに感謝するが良いぞよー!」

「疑問。それは気にしているのではないでしょうか」

「トレーナーもお疲れ様。新人なのにこんなメンバーのまとめをするのは凄いことだ。誇って良いよ」

 

 タキオンは無言で皿の位置を入れ替えようとしていた。何となく乾杯の音頭を取ろうとして、重大なことに気づく。

 

「乾杯とか言おうと思ったんだけどな」

「うん」

「飲み物ないじゃん。いや俺はあるけどさ、みんなの分ないじゃん」

「……私にいい考えがある!」

 

 物凄く嫌な予感がした。タキオンは吼えた。

 

「ここに試験管と薬品がある!」

「よし! みんなで飲み物を取りに行こうか! 行くぞスズカ! フジ! ブルボン! テイオー!」

「待ちたまえ! 少なくとも健康に悪影響は……」

「行きましょう」

「ボクはジュースがいいなー」

 

 かくして、どうにも締まらないクリスマスパーティーを過ごしたのだった。

 




筆者の競馬知識はほぼ皆無と言って差し支えないので、主にwikiが由来です。


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25話

ゴールドシップの登場予定はありません。私ではあの狂った言動を書けないからです。


 

 年末の休みを利用して、俺は芝の上を走り回っていた。

 トレセン学園は年末年始でも使えない設備はない。とはいえ利用者の大部分はまだ学生である。だいたいは帰省するし、それでなくてもこの時期にまで練習する子は少ない。

 コース利用にはトレーナーの許可が必要にはなるが、自分で自分に許可を出すだけだ。こうして何日も走っていると、いよいよ大晦日がやってきた。早朝、柔軟をしてから走り出した。

 

 間違いなく以前よりも成長している。トレーナーとしても、ランナーとしても。連日走っても寝込まずに済んでいるし、走れる距離だって伸びた。増えた知識で、芝の上をどう走れば良いのかも何となく掴めている。

 既に1000を通過したが、まだいけそうだ。以前のような無様は晒さない。目指せ2000。少し息を入れていると、気づけば隣を誰かが走っていた。心臓が止まるかと思った。だが万一にでも脚を止めたらすっころぶので、強引に脚を動かしつつ抗議した。

 

「スズカ、無言で隣に来るのやめてくれないか。死ぬかと思った」

「すみません。けどターフの上を走って良いと思うと、いてもたってもいられなくて……」

「いつも走ってるだろ?」

 

 もっと速度を落として話そうと思ったが、スズカはペースを落とさなかった。ついて行きながら喋れというのか。良いだろう、その勝負受けて立つ。

 

「普段は河川敷とかを走ってるんです」

「知ってる。偉いよな」

「でも、本当はターフを走りたかったんです。トレーナーさんが走ってるなら、許可してもらえるはずだと思って」

「……じゃあ許可する。遅いかもしれないが、併走しよう」

 

 実際の早朝はコースの整備を行っていることもあるので、年末年始で彼らが休みの間くらいしか走れない。まあ戻ってきた時に芝が酷いことになっているのは……許してもらおう。

 

 心の中で謝罪しつつ、さらにギアを上げた。呼吸がかなり荒くなってきたが、元々激しい運動をしているんだから仕方ない。ブルボンと一緒にプールに潜りながらラップタイムを測ったしょうもない経験を思い出し、過剰なペースにならないよう気を付ける。

 

「……あの」

「どうした? 遅すぎるか?」

「いえ……走るの、速いんですね」

「ああ、ありがとう。研究の成果だ」

「そうなんですね……」

 

 それきり会話が途切れた。お互い多弁ではないし、俺は会話上手ではない。話しかけられるまで黙っていることにした。

 2000mの壁は越えたが、全力疾走ではないし体力は大丈夫。

 それにしても、併走相手がサイレンススズカだというのは、ひょっとしてすごく贅沢ではなかろうか。来年、彼女は間違いなくGⅠウマ娘になっている。そんな子は滅多にいないのだ。そう思うと気合も入るし、意欲も出てくる。さらに加速しようとして――物凄く嫌な感じがした。足首の辺りからだった。

 

「トレーナーさん!?」

 

 こちらの変調に気付いたのだろう、スズカの憔悴した声が飛んできた。幸い、骨が折れたり動かなくなったりはしていない。無理させると悪化しそうだが、転んだ方が致命傷になる。徒歩くらいまで速度を落としたところで、脚がもつれて転倒した。まあ、こっちは痛いだけだ。幸いこんなこともあろうかと、受け身の練習はしてある。

 

「あの、大丈夫ですか?」

「とりあえず死ぬ奴じゃないから、落ち着いて。歩けるとは思うけど、無理しない方がいいな。救急車呼んでもらえる?」

「は、はい!」

 

 オーバーワークと言うほどではない。恐らくだが、スズカと走って無意識に速度が上がっていたのだろう。加速する際の踏み込みに、脚が耐えられなかったようだ。

 この程度でもダメなのか。沈みゆく気分の中で、面白いくらいに狼狽するスズカが少しだけ気分を和らげてくれた。

 

 

 

 診断結果。左足首の骨にヒビが入った。念のためにギプスで固定して松葉杖も使うが、それ以外には大した怪我ではない。それに脚だって、多少日常生活が不便になるだけで大した問題ではない。むしろ問題はスズカの方だった。

 

「……スズカ?」

「ごめんなさい」

「いや、スズカは悪くないからな。もう何回も言ってるけど」

「でも、私が併走したせいでスピードが上がって……」

「自制心のない俺が悪いから」

 

 医者は全治3ヵ月と言っていたが、研究の成果を活かせば多分もう少し短縮できるはずだ。血行を良くする程度は造作もない。そう言っても彼女は俯いたままだった。

 

「俺さ、速すぎて骨折するって実感がなかったんだ。今回はヒビで済んだけどさ、速過ぎて折れるなんてあるんだな。この結果も研究に活かせるはずだ」

「でも……」

「ウマ娘ならやばいけどな? 俺はレースに出るわけじゃないから」

 

 移動が不便なのと、一緒にトレーニングできないだけだ。移動はともかく一緒にトレーニングするトレーナーというのは普通いないので、異常が普通に戻っただけ。そう力説してようやく顔を上げてくれたが、それでも彼女の耳は垂れている。仕方ない、最後の手段を使おうか。

 

「じゃあさ、俺の頼みを聞いてくれないか?」

「はい。何ですか?」

「バレンタインステークスで大逃げして勝ったなら、重賞に出ることになる」

「はい」

「そのレースで大差勝ちしてくれ」

「えっ……」

「重賞勝ててないって言いたいのか? 安心しろ、俺には勝ってる」

 

 ウマ娘と人間だし、勝って当たり前だが。そう思っても言わず、むしろ自慢気に胸を張ってやった。

 それで無駄だと悟ったのだろう。スズカは頬を膨らませた。

 

「もう……」

「俺は速く走りたいんだ。圧倒的なレースをして、目標になってくれ」

「……わかりました。トレーナーさんがそう言うのなら」

 

 耳が復活している。よしよし、うまくいったか。

 

「ところで、みんなには連絡したのか?」

「あっ、そうでした。すみません、今から」

「いや、別に急いで伝える必要はないよ。さっきも言ったがトレーナーとしては大して支障はないし、無駄に騒がせたくない」

「たづなさん、喜んだり怒ったり悲しんだりしてましたけど……」

 

 駿川たづな。事務員とは思えないほど足が速い。あれが人間だったら俺の理想そのものなのだが、多分人間じゃないと思う。個人的な付き合いはないが、仕事ではよく会う間柄だ。何に感情を動かしたのかはわからないが、怒らせっぱなしはまずい……菓子折りでも持っていこうか?

 不安気な表情を見て取ったのか、スズカは珍しく先回りした。

 

「大丈夫ですよ。怒ってはなさそうでした」

「……そうか。退院が始業に間に合わなかったら、また連絡する」

「はい。あっ、でも……連絡先、交換してませんよね」

「あ、じゃあ――ないわ、スマホ」

 

 置いてきてしまった。というか、今日は様子を見るため1日だけ入院になるそうだが――まずい、何も暇を潰す物がない。

 

「私、取ってきましょうか?」

「いいのか?」

「それくらいはさせてください。トレーナーさんには色々お世話になってもいますし」

 

 家に見せて不味い物はないし、スズカなら余計なことはしないはずだ。ありがたく世話になることにして、部屋の鍵を渡して持ってきてほしい物と在処を伝えた。

 

 

 

 それから2時間後。病院からここまでは人間の足でも30分で往復できるはずなので、少し遅かった。スズカは汗をかいた様子もなく、いつも通り物憂げなまま現れた。

 

「遅くなってすみません」

「ありがとう。ところで大丈夫か? 面倒ごとに巻き込まれたりはしてないか?」 

「いえ、ちょっと手間取ってしまっただけですので」

「あー……悪いな、汚かっただろ」

 

 スズカは微妙に笑った。

 社交辞令だ。膨大な量の研究資料と機材はきっちり整頓してあるし、私物が散らかってもいない。物の場所だって全部伝えた。とはいえ追及して無駄にスズカをいじめる必要もないので、この話は終わらせておこう。

 早速連絡先を交換したところで、スズカが急に思い出したように声を上げた。

 

「どうした?」

「トレーナーさんとは今日会えませんし、今のうちに言っておきますね。あけましておめでとうございます、トレーナーさん」

「は? あ、あぁ、うん。おめでとう」

「はい。それでは、失礼します」

 

 やっぱり天然なのだろうか。退室するスズカに手を振りながら、妙な言い回しが引っかかった。

 今日会えないも何も、会う予定などないはず――あ、そうか。今日が生徒会主催のパーティーの日だ。テイオーにどやされる。どうしよう。リモート参加? いや、同じ病室の人に迷惑が掛かる。

 そうだ。賄賂代わりに、無駄に凝ったトレーニングメニューを作ろう。持ってきてもらったノートパソコンを立ち上げて、さっそくメニューの検討を始めた。気づけば消灯時刻になっていたが、一度火がつくと止まらない。横になった後も、ずっと彼女たちのトレーニングメニューを考え続けるのだった。

 




最近、「この作品あらすじ詐欺では? 少なくともあらすじとして間違っているのでは?」ということに気づいたので、変えておきました。


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26話

評価、感想、お気に入り等励みになります、ありがとうございます。ちなみに栞を挟まれるだけでも少しモチベーションが上がります。


 トレセン学園の冬休みは長い。帰省する生徒が多いからだ。つまり、退院早々必死になってメニューを作る必要性は皆無、正月三が日を無駄にした。初詣にでも行けばよかった……と思ったが、よく考えたら神社なんて地獄だろう。人混みもそうだし、階段を上りたくない。結局、研究に戻ることにした。

 

 脚を治す研究を始めても、終わるころには完治しているだろう。だからそもそも壊れないように強化する研究をすることにした。それに、文字通りの怪我の功名だが「速すぎて脚がぶっ壊れた」データは、タキオン、テイオー、フジなどの脚に爆弾を抱えた人にとって値千金のはずだ。特に、データを寄越せと喚く高校生の幼児に心当たりがある。

 

 かくして研究漬けの日々を送っていたのだが――その平穏はいきなり破られた。ウマ娘が訪ねてきたのである。トレーナーがウマ娘寮に入ることは禁止だが、その逆は許可されている。そうでなければスズカが荷物を取ることだって不可能だった。問題はインターホンが鳴らされて、俺が出る前に鍵が開いたことだった。

 

「あの……すみません……」

 

 スズカだった。栗毛で緑色の耳飾りをしたスズカだった。走るの大好きで天然のスズカだ。余計に意味がわからなかった。なんで入れる? 鍵は掛けていたし、実際『カチャン』という鍵が外れる音が今しがた響いた。当たり前だが、あの時預けた鍵は返してもらっている。

 

 彼女は黙ってこちらを見つめていた。何を考えているのか、エメラルドのような瞳からは読み取れない。ウマ娘相手に、片足を怪我した俺では敵うはずもない。強盗に接するように注意深く、慎重に言葉を掛けた。

 

「……要件は?」

「いえ、その。特には、ないのですが」

 

 彼女は困ったように俯いてしまった。困るのは俺だ。

 何から言えば良いものか迷いながらも、とりあえず順当な問いを投げた。

 

「どうやって入った? 鍵壊れてたか?」

「え? いえ。合鍵を……」

「すまんが記憶にない。俺が渡したか? それとも入院した時のか?」

「あ、はい。トレーナーさんが入院した時、合鍵を作っておけばいつでも会えるし、トレーナーさんの手を煩わせることもないと思ったんです。玄関まで出るのは大変だと思いますし」

 

 そりゃ大変だが、だいぶ斜め上の解決法だ。

 

「その、ご迷惑でしたか?」

 

 迷惑というか、困惑している。

 スズカは盗みを働くような子ではない。彼女が合鍵を持っていて起こる不都合は俺のプライバシーが消し飛ぶだけだ。スズカの耳が完全にへたっている。勝手に合鍵を作ったことは後で注意するとして、まずは理由を確かめる方が先か。

 

「まあ、とりあえず座ってくれ」

「トレーナーさんの方こそ座っていてください。飲み物を用意しますから」

「悪いな。キッチンはそっちにあるから、適当に使って良いよ」

 

 ありがたい提案だった。いちいち杖を使って立ち上がるのは手間だ。

 数分後、マグカップ片手に机を挟んで向かい合って座っていた。そしてマグカップで乾杯した。コーヒーの苦みが染み渡る。苦いのは味だけだろうか、それとも現実だろうか?

 なんでスズカはこんなに落ち着いているのだろうか。俺はそれなりに緊張しているのに。一向に話す気配がないので、諦めてこちらから触れることにした。

 

「で、何の用だ?」

「本当に理由はないんですけど、強いて言うなら……笑わないでくださいね?」

「ああ、善処はする」

「……スペちゃん、あっ、同室の子なんですけど」

「うん。知ってるよ。スズカが話してくれたからね」

「実家に帰っちゃってて、部屋で1人なんです」

「そうなんだ」

 

 スズカは困ったように薄く微笑んだ。何かまずいことでも言っただろうか。ただの相槌を打ったはずなんだが。

 

「以上です」

 

 ん? 何か聞き漏らしたかな?

 

「え、本当に? 終わり? そんだけ?」

「はい」

「それを素直に聞くとさ、部屋で1人なのが嫌だから来たって言ってるように聞こえるんだけど」

「はい」

「……それ、相槌だよな? まさか肯定ってことでいいの?」

 

 彼女は頷いた。

 どうしよう。赤ちゃんか何かか? 彼女は極度の寂しがり屋なのかもしれない。いやでも、それで男の部屋に来ようってのはおかしい。普通同じ寮の、それでなくてもウマ娘の別の子の部屋に――あ、まさか友達がいないんじゃ。スズカならあり得る。確かめるように尋ねた。

 

「他の子の部屋にはいかないのか?」

「フクキタルは神社1000か所お参りするまで帰ってこないそうです。エアグルーヴは何か忙しそうですし」

 

 良かった、友達はいるようだ。

 話に上らなかったテイオーは恐らく会長を追いかけまわしているし、フジキセキは寮長の仕事で忙しいはず。確かに暇なのは俺だけか。

 

「……今後は黙って他人の鍵を複製しないように」

「はい。えっと、この鍵は――」

「いいよ持ってて。確かに、毎回玄関まで迎えに行くのもしんどいからな」

「ありがとうございます」

「で、1人が嫌らしいけど。何かしてほしいこととかはあるのか?」

「いえ、特には。そこにいてくだされば」

 

 スズカは虚空を見つめていた。何を考えているのか、非常にぼーっとしていた。ぼんやりという単語を埋め込まれたみたいだった。もう少し有意義なことをさせた方が、トレーナーとしても人としても正しいのではなかろうか。

 何か遊べる物は――あ、そうだ。

 

「トランプがあの引き出しに入ってる。どうせだし俺の暇つぶしに付き合ってくれ」

「それなら……神経衰弱とか、どうでしょう?」

「やろうか」

 

 スズカはそれなりに強かった。が、俺も弱いわけではない。昼時まで10回やったのだが、スズカは闘争心が長続きしないらしい。まずスズカが勝ち、油断したところで俺が勝つ。次は燃え上がったスズカが勝つ。これを繰り返し、最後だけスズカが2連勝した。

 

「ふふ……ありがとうございました。お昼、どうしましょうか」

「ああ。ただ外出るのが面倒だから、俺は適当に出前でも頼むよ。スズカはどうする? 食べるならついでに奢ろう」

「良いんですか?」

「ああ。今の俺は景気が良いからな」

「ありがとうございます、トレーナーさん」

 

 食器を片付けるのも面倒だし、ピザにした。俺の分と、スズカにはにんじんピザだ。繁盛しているようで、届くまでは1時間ほどかかる。また暇になってしまった。

 

「……ポーカーでもやろうか」

「ぜひ」

 

 スズカはぼんやりした表情から変わらないから強敵かと思ったのだが、こういうゲームは向いていないようだ。何かあれば表情に結構出るし、それ以上に耳と尻尾がものすごい勢いで動く。数戦で切り上げて、また神経衰弱だけやっていた。そしていよいよ……。

 

「飽きたな」

「そう、ですね?」

 

 困ったように微笑んだまま、生地に、ソースに、トッピングにありとあらゆる部分にニンジンが使われた狂気の産物をスズカが食べている。話したいこともないし、どうしたものかな。

 

「トレーナーさん。無理して話さなくて大丈夫ですよ」

「……わかった。ちなみに、メニューはこなしたか? というか、スズカは走るのが好きなんだろ。コース使用許可なら出すけど」

「あ、いえ……少しは間隔をあけて走ろうかな、と。実は元旦からずっと走っていたので」

 

 気遣わしげな視線だった。なるほど、俺の怪我が効いたらしい。スズカに許可は出していないが、まあ書類を提出する物でもないからな。口裏を合わせてしまえば良いだけか。

 話さなくても良いとは言われたが、流石に暇だろう。何かないかと考え、妙案を思いついた。

 

「ちょっと、こっちに来てくれないか?」

 

 閉じていたノートPCを開きつつ、スズカを呼び寄せトレーニングメニューを見せた。

 

「どう思う? まず、自分のを確認して欲しい」

「そうですね……」

 

 スズカはマウスを取って真剣に読んでいくが、途中から少し顔を顰めた。5分ほどして全部読み終えると、一つ息をついた。

 

「何でも言ってくれ」

「走りの練習が少ないのと……休みが多すぎませんか?」

「もっと走りたいか。普通のウマ娘はそうなのかもな。わかった、調整しよう」

 

 ベースがタキオンだから生まれてしまった認識の齟齬だろう。

 スズカもブルボンも、健康上の不安はない。であれば、可能な限り厳しくトレーニングをした方が良いのだろう。そうすれば勝ちやすくなるし、速く走れる。

 

「ちょっと時間を貰うぞ」

「はい。その間に、他のも読んでしまいますね」

 

 このチームには他にはない強みがある。俺とタキオンの技術だ。何か活かせないだろうか?

 しばらくアイデアを出そうと頭を捻っていると、妙案が思いついた。俺には難しいが、タキオンなら可能かもしれない。

 それから日が暮れるまで、スズカとトレーニングやレースについて話し合うのだった。

 




スズカメインの話が続いているのは、スズカの誕生日が5月1日だからです。


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27話

今見たらランキングが14位でした。どうもありがとうございます。
感想で何人も予言者が現れましたが、それでも話の内容は変えずに投稿します。


 あけましておめでとうございます。

 新年、真っ先に使う言葉だ。始業式も終わり日常の戻ったトレセン学園では、あけおめがそこら中で咲いていた。

 学園からの要請もあり、今日のトレーニングは休みとした。生徒の再会と施設整備を邪魔するなという意図だ。そのため朝練がなく、トレーナーと担当ウマ娘との正式な初顔合わせは放課後になる。もっとも、私的な関係で先に会っている場合も多々あるが。

 結局あれからスズカとはほぼ毎日会っている。買い出しを頼めるので、俺としては非常にありがたい。合鍵を持たせた甲斐があった。反面、テイオーとフジにはまだ会えていない。一歩も部屋から出ていないから、当然と言えば当然だ。

 

 放課後トレーナー室に向かい、少し手間取りながら戸を開いた。

 

「よう。あけましておめ――」

「ちょっと静かにしたまえ」

「……はい?」

「したまえ」

「はい」

 

 何か大事な話でもしていたのだろうか。今のタキオンと比較すると、会長に負けた時の方が機嫌が良かったかもしれない。

 一番の問題は怒った原因がわからないことだろうか。怪我のため数分遅刻したが、それではないはず。

 

 理由も不可解だが、彼女の様子そのものも奇妙だ。尻尾が左右に振られているくせして、耳が垂れ下がっている。表情は憤怒の形相だった。変な薬でも飲んだのだろうか? さっぱりわからないが、席についた。

 

 タキオンは早々に詰め寄ってきた。

 

「モルモット君? 私に何か言うことがあるのではないかね?」

「どうした急に」

「その松葉杖はどうしたんだい? スズカ君からも聞いているがねぇ? 君の口から、是非とも聞かせたまえよ」

「走ったら脚が負荷に耐え切れずにヒビが入った。折れてはいないし、そのうち治る」

「ではなぜ私が怒っているか、君の頭脳で当ててみたまえ」

 

 怪我は知っているらしい。ちらと視線を向けると、スズカがそっと指先を合わせていた。

 

「どこを見ているのかな?」

 

 顎の辺りをそっと掴まれた。これは一般的な感性ではわからないが、ウマ娘にされている場合は恐怖そのものである。何せ彼女が本気を出した場合、顎骨を握りつぶすくらい造作もないからだ。多分脅しの意味でやっているのだろう。刃物を突き付けるのと同じである。

 しかしタキオンが機嫌を損ねるとすれば、実験ができないくらいではないか。それは問題かもしれないが、この極めて重要なデータが得られたことを鑑みれば大事の前の小事――。なるほど、完璧に理解したぞ。タキオンの考えていることが隅々までわかる。

 

「確かに俺が悪かった。タキオンが一番欲しいデータだろうに、すぐに送らなかったのは俺のミスだ。ただ、罪滅ぼしってわけじゃないんだが、その分こっちで色々まとめておいた。欲しがるだろうと思って印刷もしてある……ほら、これだ」

 

 鞄から対タキオン特効弾、実験データを差し出した。効果は抜群だった。悪い方に。

 

「そうか、これは有り難く受け取ろう。で?」

「……で、とは?」

「そうか、そうか。非常に残念だよモルモット君。外れだ。君をモルモットにしてやるから、覚悟するように」

 

 タキオンの瞳には狂気が滲んでいた。じりじりと試験管を片手に迫ってきている。逃げようにも足が足だ。誰でもいい、助けてくれと視線で訴えた。

 スズカは無言で目を逸らした。フジは苦笑しているが庇ってくれる気配はない。ブルボンは壊れた機械のモノマネをしている。テイオーはタキオンより不機嫌そうだった。

 

「救いはないんですか……?」

「私が救ってあげよう。人の心がわかるようになる薬だ、ほら」

「それはヤバい奴――うっ」

 

 試験管を突っ込まれた。七色に輝く液体が口内で虹をかけ、鮮やかな輝きが天国への道しるべになる。走馬灯と死後の世界をいっぺんに見たようだ。ふざけているが、今なら手に取るようにわかる。

 

「タキオン……」

「ふぅン? 何か様子が随分変わったじゃあないか」

「お前……まさか、嫉妬しているのか……スズカにばかり構ったから」

 

 タキオンは目を丸くした後、俺から顔を隠すように背を向けた。尻尾が揺れて俺の顔を叩く。椅子を引いて逃げた。言っておいてなんだが、タキオンがこんな可愛らしいことを思うだろうか。疑問はあるが、俺は確信を抱いていた。どうもこの薬は本物らしい。

 どうせだから色々試してみよう。

 ぐるんと顔を横に向けて薄情者を見ると、全員顔が引きつっていた。あのブルボンですら瞼が動いているのだから、これは異常事態だ。

 

「スズカは勝手に色々話したことで、罪悪感を覚えているな。テイオーは単純に伝えて貰えなかったのが嫌で拗ねてる」

「はぁ!? ボクはテイオー様だぞ! 何だよ拗ねるってぇー!」

 

 安心しろ、立派なクソガキだ――。

 フジとブルボンを見た。フジは努めて無表情を作っているが、見えているぞ。

 

「心の中で笑うな。重苦しい雰囲気をどう打ち破ろうか悪戯を考えるな」

「へぇ? すごいなぁ、今回のタキオンの薬は当たりかもしれない」

「ブルボン」

「はい、マスター」

「……何も感じない。すごいな」

 

 ブルボンは何も言わなかったし、表情も変わらなかった。代わりに若干の悲しみが伝わってきた。ちゃんとあるじゃないか。

 

「悲しいのか。一応言っておくが、社交性がないとか言いたいわけじゃないぞ。感情を隠すのが上手いのはいいことだ」

「理由の提示を求めます」

「ポーカーで勝ちやすい」

「承認。データベースに追加」

「そうね。トレーナーさんとやった時に負けてしまったわ」

「スズカは隠し事できないからな」

「そのデータは既に追加されています。情報の正確度が上昇」

「君たちレースはどうしたのさぁー!」

 

 テイオーが呆れたように声を上げた。

 

「ねえタキオン、これ何とかしてよ。カイチョーのギャグ聞いてる時みたいな気分になってくるよぉ……」

「困ったな、見え見えの状態じゃ悪戯なんてできないや。タキオン?」

 

 テイオーとフジがタキオンを責め立てている。

 批判された当人はちょっと悲しんでいるようだった。

 

「やれやれ、解毒薬は確かこの辺に……あった。トレーナー君、飲みたまえ」

「タキオン、この状態ちょっとありかもって思ってるだろ」

 

 無言で試験管をねじ込まれた。液体を嚥下して数秒で、相手の思考なんてまったく理解できなくなった。俺は正気に戻ったのだ。

 ただ、この経験は今後のトレーニングに活かせるかもしれない。少なくともブルボンにも感情があることが判明し、タキオンは想像以上に普通の感性で、テイオーは想像通り子供だった。実はまともなのはスズカとフジかもしれない。いや、赤ちゃんはまともではない。

 ……俺は彼女たちとうまく付き合っていくことができるのか? あの薬は必要ではないか?

 そう訴えたのだが、結局薬は封印処理されてしまった。

 

 

 

 混沌とした空気を紅茶で洗い流し、話を切り出した。

 

「怪我があるから今まで通り一緒にトレーニングはできないし、場所によっては近くで見てやるのも難しくなる。ただその分、ちょっと真面目にトレーニング内容を考えてきた」

 

 ブルボンとスズカはスタミナを重視。タキオンとテイオーは体幹の強化など、怪我防止策。フジだけ何もなしというのは気が引けたので、人間の俺がやっているような――つまりウマ娘からしたら遊び――リハビリ用のメニューを渡しておいた。

 

「ちなみに、去年の実績は学園も評価している」

「ほほーう?」

「予算が増えた。あと本来クラシック級以上しか参加できない夏合宿だが、他のメンバーも連れていけるようになった。テイオーとかもな。で、全員参加ということで大丈夫か? 別に強制ではないから、何かあるなら申し出てくれ」

 

 未熟なウマ娘を連れてきても良い――つまり実績により手腕を認められ、管理を任されたというわけだ。誰も手を上げなかったので、こういうところは闘争心溢れる存在なんだなと改めて思わされる。俺なら夏休みが欲しいと言い出すのに。

 

「じゃあ全員参加ということで申請しておく。あとタキオン、なんかこう……実際に脚をそこまで使わずに、走ってる気分にさせる装置とかないか?」

「VR装置を使って良いのなら、そういうこともできるね」

「じゃあそれを作ろう。ゲート練習で実際の脚を消耗したくないからな」

「心理的な問題への解決策ということだね? わかった、任せたまえ」

 

 本当はスズカのおもちゃなのだが、それは黙っておこう。実際、ゲート嫌いなウマ娘にとっては特効薬になる……この中にはいないな。スズカは別にゲートが苦手なわけじゃないらしいし。

 

「じゃあ、さっそく明日からトレーニングだ。今年もよろしくな」

「ええー今日じゃないのー? ボクもう待ちきれないんだけど……」

「設備点検だから諦めろ。勝手に使ったら会長が泣くだろうな」

「そっか。じゃあボク、カイチョー手伝ってくるね」

「おう。じゃ、これにて解散」

 

 立ち上がるだけでも少し手間だ。四苦八苦していると、慣れた手つきでスズカが補助してくれた。この数日で助けられるのにも順応した自分がいる。

 

「いつも助かる。部屋まで頼んでもいいか?」

「大丈夫です。いきましょう」

「……なあモルモット君、それは何だい?」

「脚が折れてるから補助してもらってるだけだが」

「なるほど」

 

 タキオンは無言で腕を組んだ。

 

「そこまで悪いなら、今度移動用の道具を作ってこようじゃないか。たまにはモルモットにも餌を与えないと脱走するらしいからねぇ。なーに安心したまえ、仮想練習装置と一緒だから、大した手間じゃない」

「いいのか? トレーニングに支障が出ないなら……俺としてはありがたい」

「気にすることはない。何せ私もいつか使うかもしれないからねぇ! ハッハッハ!」

「笑えない冗談は止せ。フジ、何かあったら止めてくれ」

「了解。ちょっとタキオンは傷心してるだけだから、あまり気にしなくて大丈夫だよ」

「マスター、私にも指示を」

「暇なら年末に渡した奴でもやったらいいんじゃないか」

「オーダーを受理」

「失敗したかな……予算が増えるなら、帰省は早計だったか……」

 

 背後からの感情の籠った声を聴きながら、ゆっくり退出していく。物凄く嫌な予感がしていたが、かくして再びトレーナーとしての日々が始まった。

 




ところで、この話でだいたい10万文字です。
読了ありがとうございます。お疲れ様でした。(続きます)


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28話

 一週間後の放課後。タキオンとフジが盛大に遅刻していた。およそ20分。行方は誰も知らないらしい。電話を掛けたが繋がらない。

 何かに巻き込まれたかと思うと心配だが、あの2人なら厄介事は巻き込まれるより起こす側だろう。悩んでいると、戸が開いた。

 

「やぁやぁ、遅くなってすまなかったねぇ」

「悪いねトレーナー。タキオンが未練がましく弄ろうとするから」

 

 二人は珍妙な機械を運んでいた。フジの手には極々一般的なVR用のゴーグル。恐らくだが、スズカ用おもちゃこと模擬走行装置だろう。そしてタキオンが押してきた物は、少々近未来的なただの車椅子だった。

 

「タキオン、それは?」

「見ての通りだが?」

 

 確かに車椅子にしか見えないが、俺は彼女を信頼しているのだ。タキオンがまともな物を作るはずがない。80%の善意と20%の好奇心でロクでもない物を作るタキオンに限って、普通の車椅子なんて用意するはずがない。

 もし善意100%で作っていたらと思うと心が痛むが、元を正せば前科が多すぎるタキオンが悪い。疑いの目を向けていると、案の定タキオンは悪役じみた笑顔を浮かべた。

 

「クククッ、この車椅子には少々手を加えていてねぇ。さぁモルモット君遠慮はいらないから座りたまえ。それが君のケージだ」

「どういう機能があるんだ?」

「君のための物なんだから、君が試すに決まっているだろ?」

 

 説明を求めたら実演させられた。外付け安全装置ことフジに目を向けると頷いたので、多分大丈夫なのだろう。

 車椅子にはシートベルトがついていた。それだけなら理解できるのだが、やけに厳重だった。まるで振り落とされる可能性に想定しているかのようで、ジェットコースターを連想した。

 座ると、肘置きの両側にボタンがたくさんついていることに気づいた。

 

「気づいたね? それでは右側の起動ボタンを。マークがあるだろう? ……よし。では次に右側のパネルにある……ロケットのマークだ。押したまえ」

 

 嫌な予感しかない。そうだ、名案を思い付いた。

 

「ブルボン、ちょっとこっちに来てくれ」

「はい、マスター」

「もしこの機械が暴走したら、触って破壊してくれ」

「……オーダーを受理」

 

 少し耳が垂れてしまっている。すまないが命には代えられないのだ。今度賄賂でも渡しておこう。

 

「はーやーくー」

 

 急かされるままにボタンを押すと、ゆっくりと前に進みだした。当然進んでいくと壁がある。

 

「どうやって止めるんだ?」

「安心したまえ」

「何をどう安心するんだよ」

 

 破壊するのは心苦しいが、ブルボンを呼ぼうとした。その声にかぶせるように、鳥が羽ばたく音がした。慌てて振り向くと、ハトが舞っている。その中心にはシルクハットを振り回すフジがいた。呆気に取られて数秒ロスし、車椅子が止まった。ゆっくり顔を前に戻すと、壁の前で自動で停止したようだった。

 

「よし、安全装置も機能しているようだねぇ」

「そういうことは先に行ってくれよ……」

「これは私の提案ではない。フジ君に脅されたのさ。それでも君は私を責めるのかい? 残念だなぁ、お詫びとして実験に付き合いたまえ」

 

 ……そうか、鳩を出したのはブルボンの気を引くためか。

 フジはにこにこと嬉しそうに笑いながら窓を開け、鳩を空に放っていた。忘れていたがこいつも問題児か。

 呆れ果てていると、タキオンが得意顔で言った。

 

「その車椅子にはこの学園内の構造がすべて入っている。左側を見たまえ、色々と行先が書かれたボタンがあるだろう? 行きたい場所を選べばそこまで自動運転してくれる。障害物があれば自動で減速、回避、迂回もする。あと万が一に備えて、GPSによる位置特定機能もある。うっかり置き忘れても大丈夫な仕様だ」

 

 確かに食堂だの寮だの色々と書いてあるボタンがあった。日常的に使いうる場所が登録されているらしい。

 試しにトレーニング用のジムへ向かうボタンを押すと、動き始めた。そしてドアの前で止まった。これはとんでもない。俺は二重の意味で感動していた。製品自体の凄さなんて言わなくてもわかっているだろうから、もう片方を伝えた。

 

「こんなまともな物をよく作れたな」

「怪我をしないための研究はもちろん、怪我をしても研究生活に不便しない備えもしている。これもその一環、つまり今のモルモット君のような状態は想定内ということさ」

 

 誕生経緯があまりにも暗かった。返答に窮していると、今まで黙っていたテイオーがどうでも良さそうに言った。

 

「ねータキオン、それって速く移動できたりする?」

「しない。あくまでも日常生活の範疇だ」

「ちぇー、つまんないの」

 

 速く動けたとして何なのか。自動車と競争するのと同じで不毛なだけで、生身であることに価値がある。まあテイオーにそんなこと言ってもわからないかもしれないが。

 

 車椅子の機能を確認していると、腕時計が目に入った。もうこんな時間か、そろそろ行かないと日が暮れてしまう。

 

「2人ともありがとう。さて、今日はメニューにも書いてある通り筋トレだ」

「マスター。坂路走行を希望します」

「今日もパワートレーニングですか? あの、今度は是非ターフで……」

「トレーナー、ボク言ったよね? カイチョーと併走したいって。どうだった!? ボクから頼んでもダメって言われるんだよぉ!」

「はは……トレーナー、今日は休んでもいいかな?」

 

 フジが死にそうな顔をしていたので、威嚇しながら首を横に振った。1人だけ逃げられると思うなよ。だいたい俺に言わせればお前だってそっち側だ。タキオンだけが黙っていたが、今は特に言いたいこともないのだろう。怪我のデータを渡してからずっとこの調子で、データの分析に情熱を費やしている。実験もその影響でお休みだ。

 

「ねーねー併走したいよー、カイチョーに会いたいよぉー……お正月に会えなかったんだよぉ!」

「わかったわかった、後でな」

「後っていつ!?」

「……トレーニング中に生徒会室行くから。な?」

 

 1人だけの言うことを聞いて無視するのは不公平なので、ブルボンにはトレーニング後に付き合うことを約束し、夜になったらスズカの大逃げトレーニングを見る誓いを立てた。

 ここで、俺は学んだことを活かした。ここでタキオンを放っておくと面倒になる。こちらから明日は研究に付き合うと申し出ると、了承された。ハイライトのない目が丸くなっていたから、相当意外だったのだろう。フジはさっき憂さ晴らしに付き合ったばかりなので無視した。苦笑していた。

 

 

 

 トレーニングを見てアドバイスした後、俺は廊下を移動していた。一度始めてからはちゃんとやってくれるので、その点では安心していられる。

 俺の目的地はもちろん、生徒会室だ。なぜか行き先に設定されていなかったため、近くのポイントまで行ってからは手動で操作する。

 

 それにしても、彼女たちはなぜ素直にトレーニングできないのだろう? 俺のせいか。それともチームの個性が相乗効果で爆発しているのか?

 現状、トレーニングに従ってもらう代価に俺の時間が使われている。だからこの数日、俗に言う「お休み」がまったくない。研究時間と睡眠時間とウマ娘時間で1日が終わってしまうのだ。スズカはスペシャルウィークの帰還を受けて部屋を訪ねる頻度はめっきり減ったが、それでも時折は顔を出しにくる。

 

 ここで事態をややこしくしているのは、俺が嫌だと思っていないことだ。研究の遅れやプライベートが消えることは問題だが、彼女たちに付き合うこと自体は何の苦でもない。

 ブルボンが満足するまで坂路に付き合っても構わないし、スズカが走ってるのを見ると俺も走りたくなる。テイオーは近所の悪ガキ感があり小生意気だが怒る気にはならない。タキオンも越えてはいけないラインは超えないし、フジの悪戯は可愛い物だ。

 

 多分、決めたメニューに従わせようとしているから疲れるのだろう。いっそほとんどウマ娘に任せた上で、助言や補助に徹した方が良いのではないか。トレーニングしたければする、したくなければしない。全員あれでも理想や願いがあるから、無理に管理しなくたって勝手にトレーニングはするはずだ。

 

 ただ、ウマ娘指導のスタンダードからは大きく外れている。王道には王道なりの理由があるのだから、まずそちらを試してからでも遅くはあるまい。とはいえ、あまり悠長に構えてもいられない。

 バレンタインステークスで決めよう。そう決断した時、もう生徒会室の扉は迫っていた。

 




ランキングが6位になっていました。ありがとうございます。


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29話

更新が遅れて申し訳ない。


 

 チームの間に妙な意識のズレを感じながらも、それを修正できないまま数か月が過ぎた。この数か月、僅かに管理派に寄せたトレーニングを行っていた。それでもトレーニングメニューに則り行っているだけの、非常に緩いやり方だった。

 

 しかし2月14日のスズカの調子は、決して良いとは言えなかった。風邪や体調不良ではなく、何か思い悩んでいるらしい。原因も薄々わかってはいたが、どうにもできない類の物だった。だから2人きりの控室で黙ってスズカを眺めていた。

 ふと目が合い、やけに重い口を動かした。

 

「スズカ、大丈夫か?」

「最初に前に出て、走って、でもスタミナのことも考えて――」

「そうだ。本当に好き放題走ると、終盤間違いなく息切れする。最初から最後までラストスパートなんて不可能だ」

 

 理論上はそうなっている。子供でもわかる簡単な話だが、スズカには難しい話だった。

 どこで息を入れれば良いかで悩む。そもそも休むという思考がないので、忘れないように覚えておくだけで精一杯。

 

 かといって、作戦なしというのは無謀が過ぎる。 

 普通、ウマ娘は作戦を立てる。脚質、距離、面子、バ場、展開。あげればきりのない状況に合わせ、どう走るか算段を立てる。

 もちろん作戦内容は千差万別だが、本当に作戦のないウマ娘なんて余程のアホかド素人に違いない。

 

「うーん……」

 

 しかしスズカに作戦はない。スタイルは大逃げとすらいえない何か、最初から最後まで元気よく走るだけ。気持ちよく走ること以外考えていない。勝利とか勝負に興味が薄く、勝負勘もない。こんな状況で、いったい俺はどうするのが正解だったのだろう?

 

「トレーナーさん、私……いえ、やっぱり。ごめんなさい」

「いや、こちらこそ何かすまん」

 

 どんな意味の謝罪だろう。悪いことなんてしてないのに。だとすればこの気持ちはどう説明すれば良いのか。

 物憂げな彼女を見ていると、生暖かい罪悪感が背筋から上って来るようだった。今からでも何も考えずに走れというべきだろうか。しかし、一度試してからでも良いのではないか。

 

 ノックの音に押し出され、スズカが跳ねた。

 

「あのっ、トレーナーさん」

 

 その先を言う必要はない。彼女を手で制し、唾を飲みこんだ。代わりに吐き出したのは無責任だった。

 

「好きに走れ。選手は君だ」

 

 一瞬だけ嬉しそうな笑顔が浮かんだ。次に物憂げな表情を浮かべ、いつも以上に消え入りそうな声で言った。

 

「……はい。行ってきます」

「ただ、どんな場合でも約束だ。無理だけはするな」

 

 いってらっしゃい、がこんなに空虚だとは思わなかった。

 わからない。サイレンススズカというウマ娘の才能は、いったいどれほどの物だろう。レースには勝てる、そこまではわかる。その先――その輝きは、GⅠにも届くのだろうか。

 

 

 

 バレンタインステークスは芝1800メートル、東京レース場左回りのレースだ。

 近場の開催だけあって、チームは全員応援に来ていた。今は和気藹々とタキオンの謎装置を組み立てている。

 俺が顔を出すと、レース場の喧騒に負けないくらいの声でテイオーが言った。

 

「遅いよトレーナー! ねね、スズカどうだった!?」

「あまり良くないかもしれん。ただ体調が悪いわけではなさそうだ」

「そっか……」

 

 テイオーは明らかに落ち込んでいる。俺の表情からも何かを掴んだに違いない。しかしテイオーは俺を責めはせず、黙ったまま芝を眺め始めた。

 微妙な雰囲気を打ち消すように、無遠慮な声が響いた。

 

「まったく、君たちはいったい何をしているんだね。テイオー君には頼んでおいた物があるだろう。終わったのかね?」

「え? あ、うん。終わったけど?」

「ありがとう。さあモルモット君、さっさと観察の準備に入り給え。頭痛でデータが手に入るのだから良いじゃあないか」

「……わかった」

「分析完了。マスターのメンタルの異常を検知。大丈夫ですか、マスター」

 

 そりゃそうだ。何を言うべきか迷っていると、フジがブルボンの肩に手を置いた。

 

「誰だってそうだよ。だから大丈夫さ、ポニーちゃん」

「ポニーとは何でしょうか。データの提供を求めます」

「あー、えっとねー、あはは」

 

 フジが回答に窮しながらポニーとやらの説明をしている。確かに、実際ポニーが何かと言われると俺も説明できない。ただ何となく理解した。俺は気を使われているようだ。

 手を叩く音が聞こえ、ようやく気持ちを切り替えた。

 

「はーやーくー」

「わかった。機材の準備だよな。悪いが皆も手伝ってくれ」

「了解」

「ブルボンはパドック映像を確認して。あと、今度から機械に触る系の頼みは聞かなくていいから」

「オーダー変更を受理」

 

 チームを設立したメリットとして、広い関係者席が使えるようになった。おかげで以前より多くの測定機械を持ち込めているし、チェックも緩いからレース妨害以外はやりたい放題だ。おかげで訳の分からない上に嵩張るしそこまで有益なデータが取れるわけでもない物に席を占領されていた。

 もちろん、この状況を黙っているテイオーではない。

 

「ねータキオン、これ本当にいるの?」

「3分の1はいらないな」

「えぇー? じゃー2の方だけ持ってきてよぉ。なんでこんなに持ってくるんだよぉー」

「何が必要かを確かめるために今日持ってきたのさ。まぁそう怒らないでくれよ」

 

 テイオーは頬を膨らませたが、それ以上は何も言わなかった。黙々と準備を進めていくうちに、少しだけ気分が晴れた気がした。

 

 

 

『さあ、いよいよ本日のメインレースが近づいて参りました。本日のメインはバレンタインステークス。12人の出走ウマ娘中、現在の1番人気は12番サイレンススズカ。少し顔色が悪いようにも見えますがどうでしょう?』

『トレーナーの許可がある以上問題はないのでしょうが、ちょっと不安が残りますね。無理をしすぎなければ良いのですが』

 

 本来、無理をするレースではない。強豪ウマ娘は不在の中で、一番マシな戦績なのがスズカだ。それが1番人気に繋がったのだろう。トレーニングの様子からしても、実力を発揮できればスズカにとっては鎧袖一触となる。

 不安なのは精神状態だ。ウマ娘も人間と同様、精神的な問題への耐性は人によって大きく違う。レースとあらば即切り替えられるウマ娘もいるし、そもそも傷つかないウマ娘もいる。引き摺ってしまうウマ娘だって、当然いるわけだ。

 

『ゲートに入って……おぉっとサイレンススズカ、少し気乗りしない様子です。係員の誘導を受けて……態勢整いました』

 

 とにかく無事で。それだけを祈った。

 

『スタートです! 大きな出遅れはありません』

 

 枠入りは拒んだとはいえ、スズカは元々ゲート嫌いではない。出だしでしくじることはなかった。

 

『大外から一気に12番サイレンススズカが前に出ます。これはどうでしょう』

『掛かってはいないようですね。逃げは彼女の脚質にあっているのでしょうか?』

『その後ろは……いや、サイレンススズカこれは逃げじゃない! 大逃げ! 12番サイレンススズカ大逃げです!』

 

 ここまでは作戦通りだ。どうせ自滅するから脚を溜める。そう思わせればこちらの勝ちだ。勝手に諦めてくれても良い。

 俺が今まで教えてきた作戦は、一言で言うと”逃げて差す”だ。スピードとスタミナ、才能のゴリ押しと言い換えても過言ではない。ただし現状のスズカでは”逃げる”までしか考えられない。差す余力を残した逃げができないのだ。

 

 そして現状のスズカの逃げは、差す余力なんて考えちゃいない走りだった。

 

「そうか。やっぱり、そっちを選んだか」

「スズカを信じよう、トレーナー」

「……そうだな。俺が1番に信じないといけないもんな。悪い、フジ」

「まだ1年目でしょ、そう思えるだけマシさ」

 

 先輩風を吹かせているんだか、励ましているのやら。

 ”逃げて差す”のは簡単にできることじゃない。実現のため、最初は10割、あとは全部8~9割の力で走るように指示を出した。差しの逆と言っても良いかもしれない。

 

『800を通過して先頭は依然サイレンススズカ。これはとんでもないペースだ! 果たしてこのペースはどうでしょうか!』

『掛かっているようには見えませんが、良いペースなのでしょうか? 終盤に脚を使えるかが勝負所ですね』

 

 その通り。今まで通りのスズカだと、終盤には力尽きている。きっと今回のレースでも、このままだと急激に失速する。逃げて差すためには、途中で息を入れる他に道はない。

 しかしタイミングを誤ればリードを全部失うリスクがある。俺はそれを選べなかった。彼女は選んだか、何も考えていない。そのどちらを選ぶのか――結果が見えたのは、1000メートルを超えた辺りだった。

 

「見たまえ、モルモット君」

 

 差し出された計器には、明らかなスズカのペースダウンが表示されていた。再び顔を上げると、追いつかれる様子はまったくなかった。彼女と他のウマ娘の間では、あまりにも速度が違い過ぎた。

 

「……俺は才能を信じ切れなかったみたいだな」

「そのようだねぇ。ま、これはスズカ君の勝負勘が良かったのもあるだろう。君の懸念は間違いではないからねぇ」

 

 スズカが4コーナーを曲がっていった。呼吸に乱れはない。

 

『サイレンススズカ先頭! 残り400! 逃げきるのかしかしこのペースで持つのか!? 他のウマ娘も一気に上がって来る! 2番猛烈な追い上げ! 1番5番も突っ込んで来るぞ! 坂だ! ここが勝負所残り200!』

 

 一瞬だけ、彼女と目が合った。実際はそんなことはないのかもしれないが、俺は何かを理解した。彼女は物凄い速度で走りながら――

 

「ごめんなさい」

 

 と、言っていた。存在しない謝罪は俺の脳裏に深く突き刺さり、ついに俺は心の底から過ちを認めた。

 彼女にトレーナーなど必要ないのだ。

 

『サイレンススズカ落ちない! ペースが落ちない! 2番手争い――の前にサイレンススズカ楽勝でゴール! 2番手は4バ身離れて……』

 

 聞く必要はないだろう。

 4バ身差の勝利は、圧勝と言っても過言ではないはずだ。それでもターフの上で手を振るスズカは、勝者の顔をしていなかった。社交辞令的な笑みしかない。少なくとも気持ちよく走った後の顔じゃない。

 チームでも形だけ喜んではいる物の、少し空回りしている。

 不完全燃焼。本来のスズカなら大差で勝てたはずだ。6バ身ロスしたと思えば、喜べるはずもない。

 謝らないといけない気がした。何も悪事を働いていないが、強いて言えば無能なことが罪なのだろう。ここはそんな世界なのだ。

 

「悪かった」

 

 誰かに言ったわけじゃなく、ほんのわずかに呟いただけだ。聞かれるとは思っていなかった。ただ偶然耳に入ったのだろう。テイオーは無言で寄ってきて、いつになく真剣な表情をしていた。

 

「元気出してよ、トレーナー」

「別に。気にするなよ」

「そう? ボクもあんな風に勝っちゃうからさ、今のうちに慣れて貰わなきゃ困るんだよねー」

 

 ニシシ、と笑うテイオーには覇気すら感じた。

 誰もがスズカのような才能を持っているわけじゃない。だがこのチームに才能のないウマ娘はいない。その重みと異常性を、この上ないほどに理解させられるレースだった。

 




個人的事情と内容に納得がいかず筆が進まない二重苦で、しばらく離れていました。
そこで、更新告知用にTwitterを始めました。ユーザーページの方に掲載しましたので、もしよろしければフォローをお願いします。


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30話

 ウイニングライブを見た後、現地で解散した。祝勝会という雰囲気にもならなかった。ただ帰り際にスズカの表情は暗いままだった。いよいよ困り果てた末に、頼れる相手の存在を思い出した。

 

 彼女は門限を過ぎた時間にトレーナー室に現れた。飲み物を渡すと、フジは穏やかな表情でコップに口を付け、溜息をついた。

 

「要件はチームのことだよね?」

「何が正しいのかわからなくなった」

 

 言わずともわかっているだろう。

 対面に座るフジは物思いにふけるように目線を上に向け、呟いた。

 

「まず、その問いが間違っているかな」

「間違い?」

 

 フジは少し片手を上げて、お道化た調子で言った。

 

「トレーナーはさ、”友達を作る方法”とか、”恋人を作る方法”とか、そういう本を信じるタイプ?」

「いや。眉唾だろ」

「ならトレーナーは”チームの運営方法”っていう本があったら、それに従う?」

「どうかな」

 

 必要性と不安に駆られているから、一概にこうとは言えない。しかし理性的な結論は見えている。

 見かねてフジは脚を組み、気軽に語りかけるように言った。

 

「元々タキオン、テイオーとは上手くいっていたんだよね」

「たぶん」

「あの2人をまとめられて、スズカとブルボンと私をまとめられないわけないよ。こういう風に直接言うのは好きじゃないけど、言わせてもらう。君は普通の道を進めないんだ」

「……そうか」

「あの2人は王道を歩めなかった。だからトレーナーが今まで決まらなかった。そこに君が現れたんだ。今更普通の道に戻ろうとすれば、あの2人はどうなると思う?」

 

 再び放り出される。俺にとって彼女たちは良くも悪くもただのウマ娘だ。こういう言い方は好きじゃないが、代わりはいる。しかしタキオンやテイオーにとって、俺の代わりはいないのだ。もしいるならば、とっくの昔にデビューしているはずなのだから。

 

「君は道を切り開くしかない。不安だろうけどさ、安心しなよ。多少のトレーナーの失敗くらい、帳消しにできるから……もう少し、私たちを信じても大丈夫さ」

 

 照れたように笑うフジに、俺は何も言えなかった。

 道を切り開く、か。並々ならぬ才能が必要なはずだが、俺に出来るだろうか。いや、それも織り込み済みか。私たちを信じろというのは、1人だけで考えるなという意味か。

 

「ありがとう」

「こういう説教臭いのは私の役目じゃないんだけどね。もうすぐレースだし、スズカには今度こそ楽しく走って欲しいから」

「ああ。頑張ってみる」

「うん。でも、頑張らない方が君らしいんじゃないかな?」

 

 そうかもしれない。何も知らないから何もしていなかった時は、こんな問題は起きていなかった。

 肩の力を入れ過ぎていたかもしれない。彼女たちは優秀で、テイオーが前に言っていた通り、走るのはウマ娘なのだ。トレーナーは元より主体ではない。

 

「……わかった。最近はちょっと真面目にトレーナーをしすぎたんだな。研究も進められてないし」

「あ、でも私の分はちゃんと作ってね」

「フジがそれを望むなら。ところで怪我の方はどうだ? ちょっとはマシになったか?」

「ちょっとはね……でも、走るのはまだダメそう。なんとなくね」

 

 フジの怪我はタキオンの研究の方が近い。どうもタキオンの方は進捗が思わしくないらしく、それがトレーニングをサボる理由にもなっている。トレーニングをしないと負ける、なんてのも常識にとらわれ過ぎていたかもしれない。自分で言っていたではないか。敵は他のウマ娘ではなく、自分の脚だと。

 それからフジと別れた後、大幅なトレーニングメニューの修正に掛かるのだった。

 

 

 

 翌日の朝、全員集まったところで頭を下げた。

 

「悪かったな、今まで」

「あの……どうかされたんですか?」

「走りたいのは一緒なんだから、俺があれこれ指図する必要はなかったってことに気づいた」

「えーっと、つまりボクのやりたいよーにやって良いってこと?」

「怪我しそうなら止めるけど、それで間違ってない。必要なら助言はするが、最終的にやるかはテイオーの判断だ」

「モルモット君。私は研究をしたいんだが」

「ならトレーニングしなくていいが、まったく動かさないと色々とまずい。最低限はやってもらうぞ」

「……ふむ」

「坂路を希望します」

「好きなだけ上り下りしていいが、トレーニング時間中は付きっ切りでは見れないと思う。これは他のみんなにも言えることだけどな」

「……何も考えずに走って良いですか?」

「構わないが、息だけは入れた方がいい。じゃないとレース中にスタミナが切れて、最後まで好き放題走れなくなる」

「えーっと……じゃあ、私も泳ぎますね」

「スズカも一緒? ふふん、負けないからね!」

 

 そこまでして無心で走りたいのか。そりゃ理論上基礎スタミナがあれば大逃げで息を入れずに走れるが、それができるなら苦労はしない。否定しようとしたところで、フジの言葉を思い出した。才能を信じよう。もしかしたら彼女が伝説になるかもしれない。

 フジは何も言わず、ただ無言で頷いた。これで良いのだろう。

 

「じゃ、何をしたいか言ってくれ。ブルボンは坂路でパワーとスタミナ、スズカはプールでスタミナトレーニング。テイオーもプールでいいのか?」

「うん。なんか泳ぎたい気分なんだよねーボク」

「じゃあ、それで。先に言っておくが俺は泳がないぞ。ところでタキオンは……もういねぇし」

 

 気が付いたら消えていた。多分ラボだろうけど、一応後で確認しにいこう。

 

「それじゃ、ブルボンの方から先に行くか……あ、そうだ」

「ん?」

「フジは水中ウォーキングをしないか? 軽い運動だし、負担にもならないだろ。あと、まとめて見れるから楽なんだが」

「わかった。けど帰るつもりだったから、ちょっと時間を貰うよ。いいかい?」

「大丈夫だ。プール組は準備もあるだろうし、先にブルボンから見るよ。というわけでテイオー、着替えたら準備運動とかしといてくれ」

「オッケー! ボクに任せてよ。スズカは放っておいたら寝ちゃいそうだし!」

 

 そんなことはない、ない……あるかもしれない。走っている時以外常にぼーっとしているから、あり得る。

 

「じゃ、各自行動開始で。最初はブルボンから見るぞ」

「了解。行動を開始します」

 

 ブルボンはいつも通り無表情だったが、尻尾が揺れていた。坂路を走れるのが嬉しいようだ。何が彼女をそうさせているのかわからないが、楽しくトレーニングできるならそれで良い。そういえばこんなに和気藹々とトレーニングするのは久しぶりだった。

 



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31話

好きなウマ娘はタキオンですが、好きな馬(非誤表記)はミスターシービーです。出番少なすぎてウマ娘的には好きになりようがない。悲しい。


 自由にやろうと決めてからは、細かい問題は起きなくなった。正確には無視していた。これで安心と思いきや、思わぬ伏兵が現れた。放っておくと無限トレーニングを始める2名である。スズカとブルボンを止めるのが、近頃唯一のトレーナーらしい仕事だった。ちなみにフジは俺に代わって胃を痛め、タキオンに胃薬開発を命じていた。

 

 3月後半、テイオー、タキオン、俺はグラウンドの適当な段差に腰かけてブルボンを眺めていた。

 

「ボク……あんなに走れるかな?」

「積み重ねがあれば可能だろうが、無理をする理由もあるまい。そもそも長距離が苦手なわけでもないだろう?」

「え~? でも、中距離走ってる時よりも少し走り辛いんだよねー。トレーナー、どう?」

「却下だ。テイオーの脚で坂路なんか走ったら砕け散るぞ」

「菊花賞は? まさかトレーナー、距離を忘れたわけじゃないよね?」

「素の実力が高ければ何とかなる、と思ってる。ダービー終わったらスタミナ重点トレーニングの予定だ」

「そっか。ちゃんと考えてあるならいいや。ボクも早くレースしたいなぁ……」

「そう言うなよ。レース出るようになったら負荷掛けられんし、出来るだけ先延ばしてトレーニングしたい」

「なにー? ボクは無敵のテイオー様だぞー?」

 

 驕った発言にも取れるが、俺も実際負けるとは思わない。文句こそ言うが、厳しめのトレーニングで着実に強くなってきている。まあストレス発散に自棄はちみーして太ったり色々問題はあるが、テイオーステップ頼りは脱却しつつある。後はここぞというところで切り替えれば、本当に無敵になるだろう。

 秋になったら休みつつ緩くトレーニング、冬デビュー戦、春にある程度稼いで3冠路線。タキオンはシンプルにずっと緩めだ。それでも危なそうなら自主的にサボってくれるので、そこらへんは安心できる。

 

 さて、ここで問題が1つある。まだまだ先のブルボンは置いておくとして、スズカはいったいどうしようか?

 

「テイオー、ちょっと相談に乗ってくれ。スズカは次どのレースが良いと思う?」

「えぇー、それトレーナーが考えることでしょ?」

「まあまあ、そう言わずに」

「スズカからは何か聞いてないの?」

「ない。秋の天皇賞は出たいらしいが」

「えぇー? でも春は全部お休みっていうのも勿体ないよね」

 

 しかし、正直ターフを走るだけならどこでも良い。1人暮らしさせたら彼女の自宅には芝コースが建設されるだろう。そんな彼女に、レースに出ろと果たして言ってもいいものだろうか。

 

「スズカの動機がわからないんだよな。テイオーは何か知らないか? 気持ち良いレースがしたいらしいが、GⅠなら何でもいいのか? それとも競う相手が必要ってことか?」

「スズカにライバルなんていたっけ?」

「非科学的なことを話し合っていないで、ひとまず実力を試したらどうだい? 時間は有限だぞモルモット君」

「とりあえず大阪杯でいいんじゃない? あとはスズカが決めてくれるでしょ」

「本人が出たいって言ってもいないのをお勧めするのもなあ」

「ずっとトレセン学園から出られないよ」

「金銭に貪欲だったころのモルモット君はどこへ行ったんだい? あの時の君なら迷いなく選んでいただろうに」

「タキオンが稼ぐからな。ダービー勝てば……いくらだっけ?」

「えぇー? 私にも楽させておくれよー」

 

 へたくそな泣き真似を無視していると、ブルボンが戻ってきた。息も絶え絶えの彼女に飲み物を渡した。

 

「はぁ、はぁ……ん。マスター、6本目の坂路トレーニングを申請します」

「却下。汗凄いことになってるし、足もちょっと震えてるぞ。給水と直ちに充電に入れ」

「……了解」

「念のために言っておくが、今日のトレーニングはこれで終わりだからな」

 

 彼女は渋々頷いた。この一言が無ければ6、7本目を勝手にやっていたに違いない。今のところ故障の危険はないが、この時期にブルボンが問題を起こすと困ったことになる。もうまもなく見えている爆弾が起爆するからだ。

 

「……タキオン、本当に皐月賞は出ても大丈夫なのか?」

「危なければ回避しているさ。心配は無用だ。まあ事後的な問題は起こりうるが、それは仕方のないことだろう?」

 

 要するに”走ってる最中に故障はしないがレース後は確証が持てない”と言っている。だが止められない。万全の状態を追い求めていたらそのまま卒業だ。7割、8割まで持って来れた以上、これは好機なのだ。

 

「なぁに勝算はあるとも。さすがの私も自殺は御免だ。まだその段階でもないからねぇ」

 

 不安ではあったが、こうなったら反対しても止まらない。仕方なく頷いておいた。

 

 

 

 4月、シニア級、大阪杯。2000の距離に良バ場。

 勝てるとは思うが、不安なのは2人。

 まず、エアグルーヴ。トリプルティアラこそ逃したがGⅠを2つ、負けたレースでも基本的に大きく崩れていない。

 次にメジロドーベルも有力候補だろう。年末年始の調子はすこぶる悪かったようだが、さすがに3か月あれば調子も戻っているはずだ。

 

 ただ、十中八九スズカが勝つとは思う。

 現状の、絶好調のスズカと真っ向勝負できるウマ娘は限られている。シンボリルドルフくらいだろう。エアグルーヴもメジロドーベルも実力者だが、ただの強者では相手にならない。有力な逃げウマ娘がいれば展開次第で話も変わるが、エアグルーヴもメジロドーベルも差しだ。一応逃げ自体はいるが、恐らくスズカはハナを取れるだろう。そうすれば独壇場である。

 

 控室のスズカはぼんやりとしていたが、少し不安そうでもあった。なんでもエアグルーヴは彼女の友人らしい。直接の面識はないが、生徒会副会長でルドルフと仲が良いのなら、レースで負けて逆恨みして友情破綻……とはならないだろう。

 

「スズカ」

「はい。どうしましたか、トレーナーさん」

「気負う必要はない。何枠だ、人気だ、展開だとか、そんなことは無視してしまえ。って、数か月前まであれこれ言ってた俺が言うのは卑怯かもしれないが」

「そんなことは」

「あるさ。でも言わせてくれ。これだけは絶対だ……俺とタキオンには見たい物がある。スズカが見てる物とは少し違うかもしれないが、間違いなくその一端は掴めるはずだ」

 

 一拍おいて、俺は頭を下げた。

 

「先に行って、偵察してきてくれ。後で追いつくから」

「……はい!」

 

 その時のスズカを見て、俺は嬉しさ、安堵などと同時に期待交じりの不安を抱いた。あまりにも熱が入り過ぎている。こんなのは初めて見る姿だ。いったいどんなレースをしてくれるのか。

 

 感情を揺らしながら本バ場入場を見て、ゲート入りを見て、そしてスタートを見た。勝ったな、と思った。あまりにも速すぎる。1人だけ違う物を積んでいる。そうとしか言えない走りだった。放送席の解説も何も言わなかった。察してしまったのだろう。

 唯一気になるのはスタミナ切れだが、それも中盤で息を入れたことで克服された。95%が99%になった。

 実況が囃し立てる声が、少し空虚に聞こえてしまった。

 

『さあ大逃げするサイレンススズカを捕まえられるのか!? 女帝エアグルーヴ迫る! メジロドーベルも来ている! しかしゴールが先だ! サイレンススズカ1着! 圧勝です!』

 

 最早笑うしかない。トレーナーとしてインタビューされた時の顔は、うまく笑えていただろうか。まあいずれにせよ、俺は注目されないから良いか。スズカのインタビューは一種のネタ、あるいは強すぎる印象を和らげる効果を発揮していた。

 

『おめでとうございます! 良い走りでした! 今のお気持ちをお願いしてもよろしいですか!』

『……うーん。えーと、走っていたら勝ちました』

 

 当たり前である。それを大真面目に言うのだから、一発で彼女が天然だと判明した。つまりレースで強くてキャラクターも立っている。おかげで人気は急上昇中。最近ファンクラブができたらしい。俺も入ったら驚いてくれるだろうか?

 

 こうなるとチームにも注目が集まる。怪我で療養中だがフジキセキとて朝日杯を制しているのだ。つまり現役メンバー全員GⅠタイトル獲得済みで、まだデビューしていないテイオーやブルボンにもかなりの期待がかかっている。

 それ自体は良いのだが、どうにも困った出来事が起きてしまった。

 

 

 

 3冠ウマ娘とは、皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞のすべてを制したウマ娘に与えられる称号である。並の強者では手が届かない、まさに絶対王者だけが名乗りを許された称号だ。実際、テイオーとブルボンはこのためにトレーニングしているくらいだ。

 

 そして今回タキオンが挑むのは、第1弾の皐月賞となる。もっとも速いウマ娘が勝つレースとして知られ、成長の速さと走力の2点が重要になる。つまりタキオンは勝利条件を既に満たしていた。想定外さえ起きなければ大丈夫なはずだ。

 しかし不幸にもパドックにおいて、完全なる大誤算が生じていた。その日、あろうことかタキオンには――。

 

『アグネスタキオーン! 頑張れぇー!』

『3冠取ってー!』

『期待してるぞー!』

 

 大歓声と声援が向けられていた。

 どうしてこうなった?

 




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次に、そもそも二次創作は初めてです。不慣れです。単純に時間かかります。
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