前科戦線ウヅキ (鹿狼)
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第一部 『懲罰煉獄狂奏曲』
第1話 着任


あらすじが酷いですが、前科持ちになるまでは平和な日常パートが続きますので、ご安心ください。


 化け物がいる──そんな情報だけが、頭の中にあった。

 目の前は真っ暗で何も見えない。音も聞こえない。体の感覚もない。なのに、情報だけは理解できる。

 

 化け物の名前は、『深海凄艦』。

 奴等はある日突然現れて、海を()()()()()()()()()。シーレーンはズタズタになり、人類が数千年かけて紡いだ繋がりは、全て断ち切られてしまった。

 

 私は、そいつらと戦うために蘇ったのだ。

 そこまで理解した時、体の感覚が変わった。手や足がある。真っ暗だったのは瞼を閉じていたから。艦の肉体から、少女の肉体へ。

 

「──ん……んん」

 

 声が漏れた。幼い少女の声。これが私の声だ。どうやら相当幼い体らしい。

 私は元々駆逐艦だ。戦艦や巡洋艦と比べると小さい。元のサイズに相応する体になっているんだろうか。

 

 ゆっくり瞼を開けると、白い天井やカーテンが見えた。簡易的なベッドに私は寝かされている。薬品の臭いがする辺り、きっと医務室とか、そんな部屋だ。慣れない動きで首を回すと、ベッドの隣に、白髪の少女が腰かけていた。首が船をこいでいる。寝ているようだ。

 

「……あ、なた……は……?」

「うぉっ、目覚めていたのか!」

 

 少女は相当驚いたのか、椅子から危うく落ちそうになる。私のことを、かなり長い時間見ていてくれたんだろう。疲労の限界で、うたた寝をしていたのだ。

 

「起きれそうか」

「うん、大丈夫だと、思います」

 

 ベッドの柵を支えにすれば、体を起こすぐらいはできそうだった。しかし、腕に力が上手く入らない。そこから、人の体に慣れないといけないのは不便だと思う。情報だけじゃなく、そういった感覚も最初から欲しいんだが。

 

「無理はしない方が良い」

「……すいません、思ったよりも、難しいですね」

「当然だ、私たちは艦という本質を持つ。人の体との矛盾、理、概念を越えることは容易くはない」

 

 彼女は手を貸し、体を起こすのを手伝ってくれた。

 何だか、妙に……いやかなり独特な言い回しをする。一瞬何言っているのか分からなかった。徐々に慣れれば良いよと、言えばいいのに。

 

「自分が誰だか分かるか、敵は誰だか、知っているか?」

「敵は、分かります、私も、分かる」

 

 私が誰なのか。それは言われるまでもなく覚えている。

 あの感覚は消えないだろう。直感的に思えた。体中に水が入り、機関が止まり、重く暗い水底に沈んでいく感覚。最後は痛みもなく、逆らえない眠気が押し寄せた。私は一度、死んでいる。

 

 その上で、蘇ったのだ。

 戦争とは違う。人々を護るために、必要とされたから。もう一度戦うために、私は生まれたのだ。艦の付喪神、艦娘として。

 

「私は、『卯月』。睦月型駆逐艦の卯月──だぴょん!」

 

 医務室が、静まり返った。

 私自身も突っ込んだ。何だ『ぴょん』って。うさぎか? 『卯』月だからなのか? だからぴょんなのか? 

 

「面妖な」

「それはうーちゃんのセリフだぴょん! まさか好んで言っていると言うってのかぴょん!」

「う、うむ、済まなかった」

 

 それでもぴょんは消えない。私は絶望した。というか今一人称も変だったぞ。

 彼女が言うには、妙な語尾がつくことがあるらしい。原因は不明。別に困りもしないから、放置しているんだとか。

 語尾だけではなく、『性格』もある程度は決まっているらしい。私たちはそういう存在なんだと、納得する他なさそうだ。

 ……このまま語尾に人格まで引き摺られないことを祈る。

 

「えーっと、それで貴女は?」

「私は『菊月』だ、覚えているか、卯月姉さん」

「勿論だぴょん!」

 

 首をぶんぶん振る。忘れる訳がない。私たち卯月型の中で、ギリギリまで生きていたのが、私と末っ子、そして彼女こと、菊月だ。まさか、この体になって初めて会うのが、菊月になるなんて。こんなに嬉しいことはない。

 

「菊月の口調も、うーちゃんのと同じ、生まれつきの特徴かぴょん?」

「いや違うぞ? カッコいいだろう。黄泉より齎された力により人々を護る、艦の化身だ」

「うん、そっか」

 

 死に分かれた姉妹兼戦友が、こんなのに毒されたと知った私は、どうすればいいのだろう。後で知ったが、こういうのは中二病と言うらしい。完治した後に、心底後悔するのが定石なんだとか。

 

「歩けそうか、歩けるなら、提督に挨拶をしに行きたいんだが」

「提督?」

「ここの鎮守府を任されている、指揮官のようなものだ」

 

 私の知る時代とは色々違うらしい。

 私たちのような兵器を運用する場所を『鎮守府』と呼び、リーダーのことは『提督』や『司令官』と呼ぶ。実際の役職名ではなく、俗称みたいなものらしい。

 

「無理はするなよ。卯月は私たちの鎮守府で、始めてのD(ドロップ)事案艦だ。建造艦と違う可能性がある」

 

 そうは言っても、体に変な感じはない。提督の部屋までは問題なく歩けそうだ。

 そもそも、D事案とは何だろう? 鎮守府の廊下を歩きながら、菊月は艦娘の産まれ方について説明してくれた。

 

 艦娘の顕現には二通りの方法があると言う。建造とドロップだ。

 建造はそのまま、ドックを使って一から生み出す方法。私はそっちではなく、ドロップで生まれている。深海凄艦を沈めた際、残骸から艦娘が発見されるケースがあるのだ。

 

 何故かと言えば、深海凄艦と艦娘は、()()()()()()()だと言う。

 かつての戦いで沈んだ軍艦や、人々の思い。それらは時間を得て成仏したり、付喪神になったりする。しかし、どういう訳かそうはならず、莫大な怨念や無念、重すぎる願いに絡めとられてしまった。

 

 付喪神の成り損ない、深海の鬼、それが深海凄艦なのだ。

 人々は、そこから中身を取り出す技術を作り上げた。艦の御霊を呼び戻し、契約や浄化により、『人』の魂を定着させ、人の為の付喪神に正す。契約は『建造』。浄化は『ドロップ』と呼ばれているんだとか。

 

「ドロップだと、建造艦と何か違うのかぴょん?」

「そういう報告は聞いたことがないが、注意するに越したことはないだろう? ただでさえオカルト極まった存在なんだ」

 

 確かに、さらっと聞き流したがデタラメな理屈だ。御霊とか付喪神とか、そこに人の魂だとかカオスじゃないか。深海凄艦に侵略されていて、手段を問うていられないのは分かるが、かなりヤバイところに足を突っ込んでいる気がする。用心はした方が良さそうだ。

 

 

 

 

 それからも色々聞いている内に、提督室の前まで来てしまっていた。道中他の艦娘と入れ違わなかったのが気になった。菊月に聞くと、この時間は全員何処かしらで訓練や出撃しているんだとか。

 

「うへぇ、緊張するぴょん」

「心配する必要はない。提督というのは艦娘を指揮する人間の『総称』だ。階級は別にある。わたしたちの提督は『少佐』だ」

 

 そういう問題ではないんだが。この体で初めて会う人間だから緊張しているのだ。顕現時にある程度インプットされていても、わたしの常識が通じない可能性もある。人間同士の戦争と、化け物との戦争が同じ訳がない。

 

 菊月は扉を叩いて部屋に入る。わたしも続いた。部屋の中は割と普通だ。わたしの記憶にあるような執務室に似ていた。真正面の机に座っているのが、きっと提督だろう。思ったよりもずっと若いことに、内心驚きつつ、菊月に合わせて敬礼する。

 

「睦月型四番艦、駆逐艦卯月、着任しましたぴょん!」

 

 やっぱりぴょんは外せない模様。提督は眼を白黒させていたが、すぐ正気に戻った。

 

「菊月から聞いたと思うけど、僕が提督の神 躍斗(ジン ヤクト)だ」

 

 いかにも好青年、と言った印象だった。この若さで少佐なのだ、実際は優秀なのだろう。神提督は資料を片付け、わたしに改めて向き直る。

 

「知っての通り、今この海は化け物たちによって支配されてしまった。悔しいことに、僕たち人間では太刀打ちできない。人々を護る為に、再び戦場へ赴いてくれたこと、感謝します」

 

 神谷提督は深々と頭を下げた。まさか、初対面の上官からこんなこと言われるとは思ってもいなかった。予想外の展開にわたしは困惑してしまう。

 

「……提督、卯月が困惑している」

「あ、済まない。ともかく、これからは艦娘として戦って貰う形になる。不安とか色々あると思うけど、頑張ってほしい。化け物を倒し切るその日まで」

「うん、分かったぴょん。こちらこそよろしくだぴょん」

 

 神提督はわたしの手を握った。力強い軍人らしい手だけど、それでも深海凄艦には勝てない。一般人もそうだけど、提督を護るのもわたしの仕事だ。負けじと力を入れ返すと、提督は満足そうに笑った。

 

「頼りにしているよ」

「どんどん頼るといいぴょん!」

「その前に基礎訓練だがな」

「言うなぴょん」

 

 心から頼ってくれているのが感じられた。どんな戦いになるのか想像もできないが、提督の元なら頑張れるかもしれない。

 

 一礼をして提督室から出る。今度は艤装とのセッティングがあるらしく、菊月は工廠へ案内してくれるらしい。その途中、わたしは気になっていたことを菊月に尋ねた。

 

「神提督なんだけど、あの人結婚してるのかぴょん?」

 

 握手をしている最中、机に置かれた左手の薬指には指輪が嵌めてあった。結婚指輪を嵌める場所というのぐらい知っている。

 興味本位の質問で、深い意味は全然なかった。だけどわたしは、質問したことを後悔した。

 

「……ああ、提督は艦娘と結婚()()()()

 

 悲しい声で菊月は答えた。つまり、そういうことだった。

 提督も辛い過去を背負って、あのイスに座っている。知らなかったとはいえ、聞いていいことではなかった。

 

「……ごめん」

「気にするな、提督自身もそれを承知で指輪をつけている」

「強い人だぴょん」

 

 提督もまた、わたしが護るべき人間の一人だと実感した。ああいった悲しい思いをさせないために、戦わなくてはならない。自分がその最前線にいることを、改めて自覚した。

 

 

 

 

 工廠へ入ると、予想通り多くの艤装が置かれていた。

 

「卯月の艤装をとってくる、待っていてくれ」

 

 艦娘はそのままだと、人間と同じぐらいの力しか出せない。しかし艤装を装備することで、超人的な力を使えるようになる。その艤装を整備しているのは『妖精さん』と呼ばれる存在だ。

 

 手のひらに乗りそうな小さい小人が、所狭しと駆けまわって艤装を整備している。

 わたしたち艦娘が艦の付喪神ならば、妖精さんたちは兵器の付喪神らしい。主砲を撃ち、魚雷を発射するのも妖精さん。加えて艤装の整備をする個体や、鎮守府の施設維持をする個体もいる。

 

 やっぱり、非現実的だと思った。

 その光景をぼんやり眺めていると、菊月が戻ってきた。しかし困ったような顔をしている。わたしの艤装はどうしたのか。

 

「どうしたぴょん?」

「いや、まだ整備中だった。本来ならもう終わっているんだが……やはり彼女の影響は多きいな」

「彼女?」

「妖精さん以外にも、人間のメカニックが一人いたんだが、つい昨日退職してしまってな」

 

 話を聞くに、相当優秀な技術者だったんだとか。菊月も何回もお世話になっていたらしい。工廠妖精さんよりも有能なその人が退職したことは、かなりの痛手だった。止めようがなかったが、提督も頭を抱えたらしい。

 

「まあ駄目なら仕方がない。鎮守府は広いし、他の艦娘もいる。そちらから先に案内しよう」

「頼むぴょん」

「そうだな……甘味処はどうだ。ちょうど小腹も空く時k」

「なにグズグズしてるぴょん、さっさと案内するんだぴょん!」

「おい、急ぐ必要はないんだ!」

 

 こうしてはいられない。菊月を脅迫したわたしは甘味処へまっしぐらに走る。

 わたしたち艦娘──もとい、日本海軍の艦にとって甘味といえばアレしかない。呆れ返る菊月の顔はきっと気のせいだ。

 

 甘味処がある場所はすぐ分かった。鎮守府のそとに、あきらかに景観のちがう建物がある。というか思いっきり甘味処と書かれている。扉を開けば、中からは甘いお菓子の香りが漂ってきた。

 

「いらっしゃ……あら、新人さん?」

「卯月です、うーちゃんって呼ぶぴょん!」

「すまない間宮さん、制御できなかった」

 

 やはりそうだ。彼女は間宮さんだ。

 わたしたちと違い大人の女性だ。変な髪色もしておらず、パッと見は割烹着を着た人間と変わらない。それでも艦娘と分かるのは、同族の直感だろう。

 

「いいのいいの、駆逐艦の子は元気すぎるほうが安心するわ」

「そう言ってるぴょん、分かったか菊月」

「いやなんなんだお前」

 

 菊月は無視して、メニュー表に目を通す。

 やはり一番に目が行ったのはカレーだ。海軍と言えばカレー。これは外せない。甘味も良いが、まずは腹を満たさねばならない。元気よく間宮さんに注文する。味を想像していれば、待ち時間も楽しいものだ。

 

「……あれ、菊月は頼まないのかぴょん?」

「まあな、わたしは甘味だけで十分だ」

「菊月ちゃん、辛いの駄目なのよ」

 

 厨房から聞こえた声は、聞こえなかったことにしよう。私にも慈悲の心があるのだから。赤面する菊月なんて存在しなかった。

 

 そして、ようやく間宮さんの特製カレーが出来上がる。一口食べてみたら、中々強めの刺激が口の中に染みていく。いや、味覚を得るのは初めてなので、これが一般的な『辛い』なのかは分からないけど。

 

 しかし、その刺激もまた楽しい。一口、また一口と運んでしまう。半分ぐらいまで減った時、テーブルの横に、間宮さんがドでかい、何やら豪華そうな食べ物を置いた。硝子製のおしゃれなグラスに、フルーツや餡、アイスがてんこ盛りだ。

 

「頼んでないぴょん?」

「新人さんへのサービス。これから訓練や実戦で大変な目に遭い続けるんだから」

「ありがとう、いただきますぴょん!」

 

 スプーンを使って、たっぷりと乗っかったクリームに舌鼓をうつ。あとで教わったがパフェという食べ物らしい。艦のころでも、こんなお菓子は食べたことがなかった。これだけでも艦娘になれて良かったと思う。

 

「だから急がなくていいと……」

「うまい!」

 

 菊月はなにも言っていない。かなりの量があったが、あっと言う間に食べきってしまった。カレーはとっくに終わっていた。これが育ち盛りの肉体なのか。

 

「ごちそうさまぴょん。でも本当に良かったのかぴょん?」

「考えたくもないけど、食べれないまま終わる可能性もあるのよ。そんなのは嫌でしょう?」

 

 そんな可能性、考えたくもない。こんな美味いのを知らずに沈むとか、どうして蘇ったのか分からなくなる。

 

「だから最初にあげるようにしているの、また食べたいって思ってくれるように」

「間宮さん、最高だぴょん」

「それは良かった。訓練はこれからなの?」

「いや、他の施設を案内してからだ」

「そうなの、頑張ってねうーちゃん。私応援してるから」

 

 提督も含めて、本当に良い人ばかりだと改めて思う。

 だからこそ、護りたいと強く思える。まだ艤装のセッティングも終わっていないが、奥底からやる気が溢れるのを感じる。

 

 どうやったって、これから辛い目に合うのは間違いない。でもここなら頑張れるはずだ。このパフェまた食べたいし。

 ほかの鎮守府がどうだか知らないが、ここに着任できて良かった。

 ここから、わたしの新しい戦いが始まる。絶対に護ってみせる。

 

 

 

 

 一か月後、卯月の解体が決まった。




日常パートは以上で終わりです。
最初の四話は連続投稿を予定。
タイトルは漢字四文字+カタカナで、ひと昔前のアニメっぽいノリになってます。


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第2話 解体

卯月のSSが少ない気がするのは気のせいでしょうか。増えれば良いのにと思っています。


 夜の帳が、土砂降りの雨で濡れている。

 真っ暗な夜道、水浸しのアスファルト。誰もいない山道を、一台の車が走っていた。

 ただの車に見えるが、何か所かに防弾用の装甲が張られている。軍が所有する護送車の一つなのだ。

 

 神鎮守府に着任した卯月は、その護送車の中で目を覚ました。

 ……ここはどこだ? 

 そう首を動かした瞬間、全身を激痛が襲った。

 

「──ッ!?」

 

 溜まっていた痛みが、全て噴き出したような、全身に針を突き立てられるような痛み。

 あまりの苦しさに卯月は叫ぶ。しかし、悲鳴は出なかった。代わりに出たのはうめき声だった。

 

 猿ぐつわを噛まされていて、上手く話せなくなっていたのだ。

 いや、それだけではない。四肢は拘束され、目隠しもされている。指先を動かすぐらいしかできない。

 

 耳だけは何もされてない。車のエンジン音に、窓ガラスを叩き付ける雨粒の音、そして時折響く雷の音。嵐の中で車が走っている。その中にいることだけ理解できた。だけど、どうしてこんなところににわたしはいるんだ? 

 

 確かわたしは、一ヶ月の基礎訓練を得て、初出撃に臨んでいた。

 近海に深海凄艦が現れて、その対応のために出撃したのだ。菊月や他の仲間たちと一緒に。これが初陣だと、意気込んでいたのを覚えている。

 

 しかし、そこまでだった。

 

 覚えているのはそこまでだった。

 あとはなにも分からない。出撃して、なんの脈絡もなくこうなっている。まるで時間でも飛んだような感覚だった。

 

 意味が分からない、現状が理解できない。加えて気が狂いそうな激痛、卯月はパニック一歩寸前だった。

 

 周りに人の気配はない。いるはずの運転手も、卯月に対して何もしない。拘束されている理由の説明はもちろんない。

 

 カーブにさしかかったのか、車がブレーキを踏み込む。

 卯月はシートベルトで固定されていない。拘束のせいで受け身もとれない。ブレーキの速度のまま、転がって体をぶつけてしまう。

 

「うあ、あぁ……」

 

 卯月自身は気づいていないが、気絶している間にも、何度も体をぶつけている。ブレーキやカーブの度に、どこかしらを打ちつけている。

 艤装がなければただの人間。彼女のからだは痣塗れだった。青くない場所を探す方が難しいほどだった。

 

 自分が衰弱していることに、卯月は気づきはじめた。鎮守府にいたときと比べて、まるで力が入らなかったからだ。

 

 だんだんとうめき声も出なくなっていく。体の痛みを感じなくなっていく。死がひたひたと、ゆっくり確実に、首元へ手をかけ始めている。

 

 目隠しはもう、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。

 そのせいで息も難しくなっていく。パニック状態さえ超えて、意識が混濁し始めた。

 

 なんで、どうして、なにが、どうなって。

 あの初陣のときに、なにかがあったのだ。綺麗サッパリ消えている記憶で、わたしはなにかをしてしまったのだ。

 

 しかし、それを推理したところで、もうどうにもならない。

 わたしは、死ぬのか。

 なんにもできないで、なんにも知らないで。生まれ直した意味を、なにも作れないままに。冷たくなっていくからだが、そうだ、お前は死ぬと囁いてくる。

 

 卯月はひたすら、仲間が無事であることを祈っていた。

 神提督や菊月に間宮さん。少ししか一緒にいられなかったあの人たちが、元気でやっていることを願い続ける。わたしと同じ状況でないことを祈る。

 それが、壊れそうなこころを繋ぎ止める、唯一の手段だった。

 

 

 

 

 車のブレーキを踏むたびに、卯月がぶつかっているのを、運転手は分かっていた。

 彼の隣にいる兵士も気づいていた。その度に、背後の壁にぶつかる音がしたからだ。護送任務を請け負った軍人たちも、全員知っていた。

 

 その上で、無視を決め込んでいた。

 艦娘といえども、艤装がなければ普通の少女と変わらない。わざわざ固定する必要はない。四肢の拘束だけで十分なのだ。

 

 体重の軽い卯月は、少しのブレーキで転がり、あちこちにぶつかってしまう。まあ、そうなること込みで拘束しなかったのだが。全身痣塗れになっても、誰も憐れとは思わなかった。むしろ当然だと思っていた。

 

 車のライトが、濡れた路面に反射する。

 道も悪い、視界も悪い。あげく同乗者も悪い。何もかもが悪い。運転手はバックミラー越しに卯月を睨み付ける。卯月は目隠しのせいで、そのことに気づけない。

 

 涙ぐむ卯月を見て、運転手は露骨に舌打ちをした。

 気持ちの悪い奴。

 犯罪者のくせに、被害者ぶっているのだろうか? 

 

「落ち着け、あと数十分で解体施設につく。こいつとはそこでおさらばだ」

 

 ようすを見かねた助手席の兵士が、飲みかけの缶コーヒーを手渡す。ほぼ一晩中運転しているのに加え、運んでいるのがあんな奴なのだ、不満を抱く気持ちは、良く分かった。

 

「解体施設ぐらい、もう少し近いトコに建ててくれていいじゃねえか」

「文句を言ってもどうにもなるまい。あいつらは人権を持っている。あまり目立つ場所で解体するのは、世間が許さんのだ」

「クローンを作れるくせ人権だって? 汚いとこは隠しやがる。面倒なこった」

 

 艦娘は基本的人権を持っている。

 なぜなら、人権がなければ、使い潰す連中が増えてしまうからだ。それが政府や軍上層部の決定だった。

 

 兵士個人としては、それで良いと考えている。

 兵士も艦娘も貴重な資源。考えなしに消耗していいものではない。

 

 だが、人権……自由が保障されているなら、『責任』もなくてはならない。解体施設は『責任』をとらせる場所だ。

 

 それでも艦娘はデリケートな存在だった。

 死刑を『解体』と、物のように言っている時点で、扱いの微妙さは伺える。だから施設は人目のつきにくい場所にある。この矛盾には、兵士も思うところはあった。

 

「クローンでも何でも、やったことの責任は負わなければならない。こいつには一切同情しない」

「同感だ、こんな奴のためには、二度と運転したくないね」

「わたしも同じ気持ちだ」

 

 まだ涙を流す卯月を見て、兵士も苛立つ。

 あんなやつのために、何人の人間が苦労したのか彼女は分かっていないのだ。行為の『責任』はキッチリ背負って貰おう。解体現場を見たいとは思わないが。

 

 途端に、いっそう雨が激しくなった。

 運転はより慎重になり、夜道を照らすライトは乱反射する。目を細めながら、滑落しないように注意する。

 

 荒れる天候が頂点に達し、稲妻が落ちた。雷鳴に照らされた道路に、運転手たちは、自分の目を疑った。

 

 

 雷光を背にして、一人の人間が立っていた。

 

 

「は!?」

 

 

 道路のど真ん中、護送車の真正面。

 先に反応した運転手はすぐさまブレーキペダルを踏み込む。急停止の反動が彼らに襲い掛かり、エアバッグが作動する。卯月は一際強い衝撃を受けたせいで、ついに意識を失った。

 

 エアバッグが引いて、まっさきに辺りを見渡す。

 さっきまで立っていた人影は、まったく見当たらない。サイドミラーやバックミラーで確認しても、どこにも確認できない。

 

「まさか、ひいちまったのか」

 

 運転手の顔が蒼ざめていく。ハンドルを握る手が震えだす。険しい峠道だ。跳ねた衝撃でがけ下まで落ちたのかもしれない。

 しかし、助手席の兵士は首を横に振り銃を構えた。

 

「いや、おかしい」

「なにがだ、人はいたんだぞ!」

「そこが妙なんだ。今は何時だ? ここはどこだ?」

 

 そう言われると、たしかにおかしい。

 真夜中で、歩道もない山道。近くに民家は一件もない。しかも、堂々と道路のど真ん中に立っていた。

 まるで、護送車を待っていたかのように。

 

「まさか」

「敵襲だ、身構えろ」

 

 運転手の手が、別に理由でわずかに震えた。ごくりと生唾を呑み込んで、彼も武器を手に取る。

 

 兵士たちは、卯月を逃がさないためだけにいるのではない。

 艦娘はロストテクノロジーとオーバーテクノロジーの産物。解体が決まった艦を標的にした事件は過去何件かおきている。テロリスト等に奪われたら大参事を招きかねない。それに備えて、護送車と兵士が用意されていたのだ。

 

 敵の位置を確認しなければなにもできない。

 後ろの兵士たちも臨戦態勢に入る中、運転手はゆっくりとドアを開けた。

 どの方向にもいなかった。

 あと確認していないのは、車体の上と下しかない。

 

 銃口を下に向け、狙いを定めさせないよう飛び降りる。車体の下に誰もいないことを確認し、側面のはしごを一気に昇る。

 車体の上にも、敵はいない。改めて周りを見るが、やはり誰もいなかった。

 

「……おっこちたのか?」

 

 まさか、しかしそれしか考えられない。だとすれば相当の間抜けだ。とにかく近くに敵はいない。それを報告するため運転手は自分の席に戻る。

 

 兵士が倒れていた。

 

「あとはあなただけです」

 

『敵』が、助手席にいた。

 

 背筋が凍るのが分かった。車内にいた兵士たちは全員動けなくなっている。殺されたのだ。物音一つ、悲鳴一つなかった。雨音である程度紛れるとしても、敵の腕前は異常だった。

 

 変声機を使っているのか、性別や年齢は伺えない。

 しかし凄まじい強さなのは分かる。武器らしきものはなにも持っていない。素手だけで、熟練の兵士たちを倒していた。

 

「痛くないようにはしてあげます」

 

 敵の手刀が、首元に叩き込まれた。

 目で追えない速さ。運転手は敗北を認める他なかった。

 

 だが、手刀は滅茶苦茶痛かった。

 痛てぇじゃねえか下手くそ。

 そんな断末魔とともに、彼の意識は刈り取られた。激痛による失神であった。

 

 

 

 

 兵士たちは殺されていなかった。気絶、または麻酔銃によって眠らされていただけだった。

 無力化した兵士たちを横目に、襲撃者は卯月の元へ近づく。その足音で卯月は再び目を覚ました。

 

「聞こえていますね?」

 

 身動ぎする卯月を見て、襲撃者は咳ばらいをし、語り出した。

 

「駆逐艦卯月。あなたはこれから解体されようとしています。『解体』とはなにか分かりますか? 簡潔に言えば『死刑』です。あなたは処刑されようとしています」

 

 情報が正しければ、彼女は着任してから間もない。基本的知識が欠けている可能性もある。それ以上に、危機感を煽るのが目的だ。その方が()()()()()()()。襲撃者は更に現実を突きつける。

 

「あなたはそうなるほどの犯罪をしました。前科持ちというわけです。その罰が解体なのです」

 

 じたばたともがく卯月が固まった。状況を全くできないまま、護送車に積まれたようだ。

 予想通りだ。彼女は自分がなにをしたのか分かっていない。混乱している。だからこそよりチャンスでもある。

 

「しかし、もう一つ選択肢があります。

 わたしたちの部隊に加わる選択肢です。ですが──生き続ける代償に地獄を見なければなりません。

 駆逐艦卯月、あなたはここで死にたいですか。地獄であっても生き残りたいですか」

 

 襲撃者は卯月の猿ぐつわを外す。これで話せるようになった。呼吸が辛かったのか何度か咳を出していた。

 

「長くは待ちません。同様の理由で詳細な説明もしません。生きたいか否かを、わたしは問います」

 

 卯月はなにも話さない。

 口枷を外したにも関わらず、ゼイゼイと喘いでばかりで一言も口にしない。聞き漏れがないように耳を澄ましたが、それでも喋ろうとしない。

 

「……良いんですね?」

 

 それでも卯月は動かなかった。これ以上待てばわたしが危険に晒される。襲撃者はため息をついて立ち上がった。

 

「では、さようなら」

 

 自分で言っておいて、かなり落胆した声が出た。

 しかし仕方のないことだ。

 わたしの部隊はとにかく過酷だ。無理矢理連れてきたとしても、そんな覚悟ではすぐに沈んでしまう。自分で選んでもらわなければ意味がないのだ。

 

「……ん?」

 

 踏み出そうとした足が、なにかに引っ掛かる。

 

 足元にいたのは、襲撃者のズボンに喰らいつく卯月の姿だった。

 

「ムーッムー……ッ!」

 

 涙をボロボロと流し、息を荒らげながらも、離すまいと必死になっている。ここまで必死なのに、話そうとしない理由は分からなかった。

 

 だが、この態度は間違いない。

 命に縋りつこうとする必死な雰囲気。生きることを渇望している。地獄を見てでも、生きようとしているのだ。

 

「生きたいですか」

 

 卯月は、ズボンを噛む力を更に強くした。確信を得た襲撃者は卯月を担ぎ上げて、近くへ止めておいた自分のバイクへ乗り込む。肩にかかる体重が重くなった。緊張の糸が切れてまた気絶したのだろう。まあ、その方が運びやすいが。

 

「こちら不知火、目標(ターゲット)を確保しました。今からランデブー・ポイントに向かいます」

〈了解、慎重に頼むわね〉

「承知しました」

 

 荷台に卯月を乗せて、不知火はバイクで走りだす。

 見つかる危険がある山道ではなく、荒れた場所を走っていく。相当揺れているのに、卯月はまったく目覚めない。

 

 合流地点まで半分を切った、その時だった。

 

 護送車が突如、大爆発を起こした。

 

「……なんてことですか」

 

 爆発の音が不知火のところまで聞こえた。振り返り、炎上する車両を遠目に睨み付ける。

 

「敵は予想を超えてきましたよ」

 

 不知火は護送車の兵士たちに冥福を祈った。

 彼らは職務を遂行しただけなのだ。まさか、無関係な人間まで巻き込むとは思わなかった──思いたくなかった。

 

「予想以上の、化け物(外道)でした」

 

 再びバイクを走らせて、不知火は夜の密林に消えていく。

 燃える炎も彼女の姿は照らせない。そして、これを仕組んだ『黒幕』の目を誤魔化すのだ。せいぜい慌てふためけ、怯えていろ。

 わたしたちは、化け物を殺すための存在なのだから。



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第3話 前科

 話し声が聞こえた。

 なにも見えず、なにも感じられない。真っ暗などこかで、甲高い笑い声と、耳障りな泣き声が聞こえていた。

 

「とうとう、とうとう始まっちゃったんだね。とても辛い戦いが、とても無残で、無意味な争いが!」

「……惨い戦いです、酷い争いです。視たくない、聞きたくない、知りたくもないのに」

 

 二人の少女が話しているようだった。

 同じ話題なのに反応は対照的だ。腹を抱えて大笑いする少女。掠れる声ような鼻声で呟く少女。

 

「ああ楽しみだ、彼女はどれだけ苦しむのかな、どんな涙を浮かべるのかな?」

「……ああ嫌だ、少しの幸せもないの、少しの喜びもないの?」

 

 二人の声質はほとんど同じだった。楽しげか悲しげか、その違いだけで印象が全然異なる。卯月はぼんやりと会話を聞く。

 暗闇の奥底から、三人目の足跡が鳴った。

 

「どうでしょうか、主様!」

「……どうでしょうか、主様」

「さて、どうだろう」

 

 静かで冷静な、男の声だった。

 

「道がなんであれ、行きつく先は決まっている」

「それって深海!?」

「……深海、ですか?」

「そう、深海の真実だ。わたしたちは準備をしながら待てばいい。パーティーの幕が上がるのを」

「────」

 

 声が聞こえなくなる寸前、もう一つのすすり泣きが聞こえた気がした。

 

 

 

 

 泥沼に浸かっていた意識が、次第にハッキリしていく。

 鉛のように重かったまぶたが上がる。

 暗闇ではない。太陽がある。窓から差し込む光が温かかった。目を動かすと、周りは白い清潔なカーテンで覆われていた。わずかに薬品の臭いがする。

 

「面倒、本当に面倒。こんなことしてる暇なんてないのに」

 

 不満を隠そうともしない声。乱雑にカーテンを開けて少女が入ってきた。ツインテールに加え、一部をシュシュみたいに丸めている。なんか、ドーナツというお菓子であんな形を見た気がする。

 艦娘らしい、改造制服みたいな服だ。首に巻いているのは……マフラーだろうか? 

 なぜか分からないが、だいぶ機嫌が悪そうだ。

 

「早いとこ終わらせましょ」

 

 卯月の顔を見ないまま、タオル片手に服を脱がそうとした。

 途中までぼんやりしていた卯月も、これには危機感を覚えた。わたしは今から、何をされようとしているのだ、まさか! 

 

「へ、変態だぴょん!?」

「は!? 誰が変た──は!?」

「け、憲兵さゲホッゲホッ!?」

 

 いきなり叫んだせいか、卯月はむせ返った。

 一方少女も卯月が目覚めたことに驚いていた。

 しかし、しだいに変態呼ばわりされたことへの怒りが出てきた。咳が落ち着くのを見計らって、少女は卯月の胸ぐらを掴んだ。

 

「誰が変態よ誰が!」

「じゃあ、なんで服をひん剥くぴょん」

「あんたの体を拭こうとしたのよ! ただでさえ忙しいってのに!」

「騒がしい! いったいなにが──」

 

 やかましさに耐えかね、別の少女が部屋に入ってきた。

 変態(仮)と違った制服に、銀髪をポニーテールに纏めた、眼つきの悪い少女だ。彼女もまた、卯月が目覚めたことに驚いていた。

 

「目覚めたのですね」

「そうよ、だからわたしの仕事は終わり、良いわね!?」

「良いですが、なにかあったんですか?」

「そいつに聞けば!?」

 

 憤慨しながら部屋のドアを乱雑に占めていった。変態(仮)のクセになんという態度だろうか。

 

「……なにが?」

「うーちゃんの服をひん剥こうとしたぴょん。からだを拭くとかなんとか言っても騙されないぴょん」

「あー、あぁ……」

 

 顔に手をやり、うつむきながら納得していた。きょとんとする卯月を見て、また溜息をついた。頭を振って、咳ばらいもして、少女はやっとまともに話し出した。

 

「まず、彼女は変態ではありません。理由がありますが、それはおいおい。わたしは『不知火』。あなたと同じ駆逐艦の艦娘です」

「ほう、うーちゃんは」

「駆逐艦卯月ですよね、存じています」

 

 知っていたのか? いや、艦娘は同じ見た目の個体が複数いる。どこかで()()()()()を目にしたんだろう。

 

「卯月」

 

 不知火は突然、真面目な目でこちらをじっと見つめてきた。

 

「あなたは今までのことを覚えていますか?」

「今まで?」

 

 そりゃ覚えている。

 神提督の鎮守府にドロップで着任し、菊月と一緒に挨拶周りをしたのだ。

 その後は艤装を背負い訓練をし、一ヶ月ぐらいで始めての実戦を……。

 

「あ」

 

 それでわたしは、思い出した。

 

「え? な、なんで……?」

 

 出撃をした。

 出撃をして──わたしはなぜか、全身を拘束されて運ばれていた。

 思い出した途端、全身から嫌な汗が流れ出す。胸が苦しい。息がうまくできなくなっていく。胸に手をあてて深呼吸をしても、調子は戻らない。

 

「覚えているようですね。では、あなたが解体されかけていたことも、覚えていますね」

 

 解体という単語に、胸が更に締め付けられる。卯月は苦痛を堪えてシーツを強く握りしめる。なにも分からないのに、どうしてここまで苦しいのだろうか。息をどうにか整え、不知火の質問に答える。

 

「そうらしいぴょん、説明を受けただけだけど」

 

 詳細は知らない。護送車から救助してくれた誰かが説明してくれただけだ。なぜ解体が決まったのかも、その経緯も、過程が真実かも知らない。そこで卯月は思い至る。不知火の話し方は、どこかで聞いたことがあった。

 

「もしかして、うーちゃんを助けてくれたのは不知火かぴょん?」

「助けた、という言い方が正確かは分かりかねますが、護送車から卯月を強奪したのは、確かに不知火です」

「そっか、ありがとうぴょん」

「礼は要りません、それが不知火の任務なので」

 

 それでもだ。あそこで助けてくれなければ、わたしは本当に解体されていた。なにもできないままこの世を去っていた。再びチャンスをくれた、それだけでも感謝に値する。

 しかし、胸の痛みはまだ消えない。苦痛に苛まれている。多少慣れてきたが、息はまだ整わない。

 

「うーちゃんは、どうして解体されかけてたぴょん」

「その説明は、この施設の責任者からあります。が、その様子では聞くのも難しいでしょう」

「……大丈夫、頑張って聞くぴょん。なにも分かんないままは、もうこりごりだぴょん」

 

 わけの分からないまま、一方的に解体されるよりはマシな筈だ。理由を知っても嫌なものは嫌だが。

 

「分かりました、ではこちらに」

「車椅子?」

 

 座れと言うのか。いくらなんでもそこまでなまっちゃいないぞ。憤慨した卯月は自力で歩くためベッドから降りようとする。

 結果、体どころか腕一本さえ持ち上がらなかった。

 感覚はあるのに、今までどう動かしていたのか分からない。神経だけが通った義手がくっついている感じだ。

 

「動かないんだけど」

「半年昏睡状態なら、そんなものでしょう」

「まじか」

「なので失礼いたします」

 

 卯月は不知火に担がれ、車椅子に乗せられた。

 一体全体なにがあったんだ。不安を突き抜けて困惑に変わっていく。わたしはこれからどうなってしまうのだろう。

 解体よりマシな未来だと、祈る他ない。

 

 

 

 

 不知火の動かす車椅子に乗せられて、卯月は建物の中を移動する。

 床も壁も、武骨なコンクリート製だ。余計なものは一切置かれていない。剥き出しの照明が目に痛い。神鎮守府とはだいぶ趣が異なっている。そういうのも、提督によって変わるのだろうか。

 

「ここって鎮守府なのかぴょん?」

「広義の意味で言えばそうですが、厳密には違います。ここは通常の鎮守府が行う任務を一切負わないからです」

 

 鎮守府の普段の任務は、簡単に言えば安全確保だ。

 深海凄艦というものは、どこから現れるか予測もつかない。神出鬼没、幽霊のような連中だ。それこそ突然海岸線に出てくるケースもある。

 

 その時、一帯を管轄する鎮守府が出動し、深海凄艦を駆除する。

 また、そういった事態を予防するため警戒を行ったり、場合によっては出現元を直接叩きに行ったりする。

 他にも大本営や他鎮守府の要請で出撃することもあるが、だいたいはその任務だ。

 

「へー、なんか特殊部隊って感じっぴょん」

「……ええ、まあ」

「なんでどもるぴょん」

「……不知火になにか落ち度でも?」

 

 こいつ、誤魔化しにかかりやがった。

 責任者に聞けば良い話だが、どうにも不安が残る。本当の本当にわたしはどうなってしまうのだろうか。

 

「失礼いたします」

「入れ」

 

 扉の向こうから男の声が聞こえた。神提督とは全然違う雰囲気に卯月は身構える。男の顔を見て、その直感は間違っていないと思った。

 

「提督、駆逐艦卯月をお連れいたしました」

 

 男は机からゆっくりと立ち上がる。首を上げないと顔も見えない、かなりの大男だ。少なくとも日本人では中々見ない。

 

 だけどそれ以上に、冷徹な眼つきに驚いた。

 鋭く、内面まで探っているようにわたしを見てくる。教鞭をパシンパシンと手で叩きながら、値踏みしているようだった。

 

「……上官に対してなにも言わず、敬礼もしないつもりか?」

「あっ、ごめんなさいぴょん、駆逐艦卯月です!」

「次回は注意したまえ」

 

 敬礼をしたものの、『ぴょん』という語尾に、明らかに顔を顰める。今出るなよと思ったが、本当にこの喋りかたはどうにもならないらしい。

 

 まあ提督もそれ以上言及しなかったので、この話し方は許してくれそうだ。

 

「わたしは高宮、高宮志々雄。階級は中佐だ。不知火から聞いたとおり、この施設の責任者を務めている」

「施設って、鎮守府じゃないなら、なんの施設ぴょん」

 

 高宮中佐が、パシンと教鞭を叩いた。いきなり睨まれて卯月は萎縮してしまう。

 

「卯月、いつわたしが質問を許可した」

「……ごめんなさいぴょん」

「話すのは私だ。質問は私が許可してからだ。艦娘とはいえ軍属、上官への敬意が足りていない。これだから艦娘という存在は」

 

 呆れたような物言いに卯月はムッとする。しかし軍人としては真っ当な意見なせいで言い返せない。今言われたばかりで口答えをすれば、阿保と自称するようなものだ。話し終わるまで黙るのが賢い選択だ。

 

「まず一つ。お前が所属していた神躍斗少佐の鎮守府だが、()()()()

「え?」

 

 耳を疑う。今高宮中佐はなんと言ったのだ。

 

「お前の初陣直後に、深海凄艦の奇襲にあったためだ。誰も予想できない完璧な奇襲と記録にはある」

「生存者は駆逐艦卯月、給油艦間宮、神躍斗少佐、以上三名。

 残る所属艦は全員轟沈したと推定された。ただし生存者である三名も全員重症を負った。神少佐については、提督業への復帰は不可能とされている」

 

 高宮中佐は徹底して淡々と語る。いっさいの抑揚なく、事務的に伝えてきた。どこまでも客観的な雰囲気は、否応なく真実味を帯びる。

 菊月も、ほかの仲間も、全員沈んでしまったのか? 

 そんなときに、わたしはなにをしていたんだ。思い出そうとしても、何一つ思い出せない。分からないだけが積み重なって、卯月は棒立ちのまま、油汗を流し続ける。

 

「その様子だと、なにも覚えていないようだな。おおかた友軍が死んだ実感さえ持てないのだろう」

 

 何も言い返せなかった。発言を許可されていないからじゃない、本当になんにも覚えていないのだ。嘘ではないと思う。でも実感が湧かない。そのせいでなんの感情も湧いてこない。困惑することしかできないのだ。

 

「責める気はない、予想していたことだ。襲撃のダメージで記憶が飛んだのだろう」

 

 それでも、内心で呟く。

 記憶が飛んでも、悲しみも、涙の一滴もないのは、人としてどうなのだろう。卯月は傷つかない自分を責めていた。

 

 次の一言を、聞くまでは。

 

「この襲撃の黒幕は、卯月だった」

「は?」

 

 まったく、本当に、一切、悉く意味が分からない。頭が理解を拒んだ。今なんて言った。襲撃の原因が、誰だと言ったんだ。

 

「艦娘が人類を裏切り、深海凄艦に尾を振るとは」

「待って、ぴょん」

「卯月は鎮守府の内部情報を深海凄艦に伝えていた、結果、完全な奇襲を受けてしまったのだ。途中で裏切ったのか、最初から裏切っていたのかは分からない」

「待ってよ、ちょっと、高宮中佐!」

「しかし、騙されたとしても、卯月は一度艦娘として着任した。であれば、法と人権に基づいた処罰が必要になる」

 

 艦娘には人権がある。だから罰がある。

 鎮守府を深海凄艦に売り飛ばし、大勢を殺した。提督は二度と現場復帰できなくなってしまった。

 

 そんな所業をする外道に対して、与えられる処罰は一つしかない。

 合点がいってしまった。だけど、どうしてそんなことになったのかはやっぱり分からない。ただ唯一、確信があった。

 

「お前は『造反者』として、解体が決定された。これがお前の現状だ」

 

 わたしは二度と、まっとうな艦娘には戻れないだろう。

 わたしのすべてが足元から瓦解していく感覚。沈んだときさえ覚えなかった、本当の絶望の底へ、わたしは足を絡めとられていく。

 ここは地獄だ、地獄の底に来てしまったのだ。




説明回は次回まで、次は施設の概要についてざっと説明します。
ちなみに提督の名前はグリフォンからとってます。
鷹+獅子=グリフォンってことで。


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第4話 造反

 神提督の鎮守府へ着任したわたしは、一ヶ月後初めての出撃に赴いた。

 けど、そこで記憶はとぎれた。

 次に気づいたときには、護送車に閉じ込められて、解体施設へ連れていかれる直前だった。

 

 そこから不知火という艦娘に助けられたわたしは、なぞの施設で半年間昏睡していたらしい。

 それだけでも頭がいっぱいだが、施設の責任者の高宮中佐が言った言葉は、比ではなかった。

 

「お前は造反の罪により、解体されることになった」

 

 唖然としていた。それ以外のリアクションが分からない。

 意味不明にも限度がある。初陣のあとの抜け落ちた記憶、あの間になにがあった? わたしはなにをした? 

 

「……神提督は、生きてるって言ったぴょん?」

「ああ、彼は生きている。重症だが、話せないほどではない」

「なら提督と話をさせてほしいぴょん、うーちゃんが造反なんてしてないって言ってくれるぴょん」

 

 藁にもすがる気持ちだ。神提督がわたしの潔白を知っている根拠はなにもない。でも、わたし以外の生き残りは提督と間宮さんしかいない。

 

 それに、提督なら。そんな気持ちもあった。

 あの人ならわたしを助けてくれるかもしれない。卯月はわずかな希望を抱く。

 

 それが、もっとも最悪な形で壊されるとも知らずに。

 

「不可能だな」

「そんなことないぴょ──」

「お前が造反者と証言したのは、他ならぬ神躍斗少佐本人だ」

 

 もはや言葉もでなかった。

 提督が、証言した? わたしが、造反者だって? 

 

「なんで?」

 

 卯月は呟く。全てが理解のそとにある。悲しいとか悔しいとか、感じるだけの余裕もない。

 

「端的に言えばスケープゴートだ」

「生け贄? なんの?」

「神少佐が、提督を続けるための。鎮守府壊滅の責任を負わないため」

 

 仮に、鎮守府壊滅が深海棲艦の奇襲だったとき、責任を負うのは提督である。

 そうなれば、神躍斗は提督をとうぶんできなくなる。少なくとも謹慎処分は確実だ。

 

 だが、大本営はそれを許さなかった。

 このご時世に、貴重な戦力を遊ばせる余裕はない。国民からの信頼もなくなってしまう。外国がつけ入るかもしれない。

 それに、大本営のメンツが立たない。

 

 大本営は、卯月を奇襲の実行犯に仕立て上げた。この戦争始まって以来、初めての()()()()。誰も予想できないことなら、責任は緩和されるからだ。

 

 提督が負けても仕方がなかったことにして、全責任を卯月におっかぶせる。こうすれば大本営のメンツは立ち、神少佐は提督を続けることができる。

 

 これで万事解決、すべてが上手くいったのだ。

 高宮中佐の説明を聞いた卯月は、なんの反応も示さなかった。

 そんなことは無駄なのだから。

 

「神少佐は大本営からの提案を呑み、お前が造反者だと、虚偽の証言をした」

「じゃあ提督は、今、どっかで提督をしてるのかぴょん」

「いや、さすがに怪我が治ってからだ。それまでは他所の鎮守府で、提督補佐を務めるらしい」

「そうですか」

 

 怒りはある。知らない間に、仲間殺しの犯罪者にされて、腹が立たないわけがない。

 

 しかし、仕方ないかと納得している部分もある。

 わたしは所詮、下っ端の一兵士でしかない。それよりも、指揮官である提督を生かし、活かす方がよほど大事だからだ。

 

 ただ、一度沈んだところから引き上げられて、この仕打ちというのは、酷過ぎやしないだろうか。

 いったいわたしを、わたしたちをなんだと思っているんだろう。

 そう考えずにはいられない。

 

 つまるところ、理屈として納得しているけど、心が追いついていないのだ。

 艦だったのなら、悩むこともなかっただろうに。

 心とはこんなに面倒なヤツだったのか。

 

「しかしだ、大本営の提案は神少佐にとっても本意ではない」

 

 冤罪を被せるのは本心ではないというのか。そう言われても信用できない。

 荒れるいまの気持ちでは、全部が建前に聞こえてならない。

 

「証拠でもあるんですかぴょん」

「お前がここにいる、それが確固たる証明だ」

「ここって言っても……いや、ここ?」

 

 そういえば、ここがなんの施設か聞いていない。

 鎮守府壊滅や冤罪やらで、すっかり頭から抜け落ちていた。

 冤罪でも前科持ち。

 そんなわたしを受け入れるなんて、どんな場所なんだ? 

 

「ここにはまっとうな艦娘はいない。全員なんらかの前科を持っている。本来なら解体処分されていいような連中ばかりだ」

「本来なら?」

「だが、どうせ解体するのなら有効活用すべき。そうは思わないかね?」

 

 まあ、たしかに、どうせ死ぬなら敵一隻でも道ずれにしたほうが無駄はない。

 

 しかし、それはダメだろう。

 倫理的に許されない。個々人で思うならまだしも、組織が敷いていい思想ではない。

 

 ただしそれは、なんの罪もない人に限る。

 罪を持つ人が送られる、死ぬための部隊を卯月は知っていた。

 

()()()()だ。

 

「あまりにも轟沈率が高く、危険な任務……しかし誰かがやらねばならない任務。

 任期を終えれば罪は帳消し。代わりに、過酷な戦線で戦ってもらう」

「そーゆーことかぴょん……」

「解体され死ぬか、わずかな可能性に賭けるか。賭けた連中たちの特殊部隊が、この施設なのだ。お前もその一員というわけだ」

 

 むかしから、軍隊には懲罰部隊というものがある。

 軍規違反をした兵士が送られ、過酷な戦いを強要させられる。使い捨てるための部隊。

 

 そうすることで、ああはなりたくないとほかの兵士に思わせる役割もある。

 実質遠回しな死刑宣告だ。

 

 それでも、それしか生きる方法がないなら、選ぶ余地はない。

 わたしも同じだ。

 ここへの配属は任意と言うが、死ぬかどうかで選択肢なんてありゃしない。

 

「不知火が言ってたのは、そういう意味だったのかぴょん……」

 

 どんな戦場かは知らないけど、間違いなく地獄だ。

 というか、地獄でなければ懲罰にならない。生き抜くためとはいえ、とんでもないところにきてしまった。

 

「元々は選択肢さえなかったんだがな」

「へ?」

「不知火が来ることなく、お前は秘密裏に解体される運命だったのだ」

 

 艦娘に扮した裏切り者がいる。そんな事実が知られれば、艦娘に依存した戦線そのものが瓦解しかねない。だからわたしの解体は秘蔵される予定だったらしい。

 

「護送車のルートを知る手段も、そもそも事件を知ることもない。我々が情報を得なければ、間違いなく解体だった」

 

 しかし、高宮中佐はこの情報を得ている。

 どこからか情報を得たのだ。独自の情報網とか、大本営内の仲間とか──誰かがリークしたとか。

 

「それが、神少佐だ」

「提督が、高宮中佐に情報を?」

「わたしのせいで卯月が死ぬのは忍びない……そう頼み込んできたのだよ」

 

 神提督は、どういう気持ちだったんだろう。

 職務を続けるために、仲間が死んだ痛みに耐えながら、わたしに冤罪を着せたのだろうか。

 

 はたまた解体するのなら、ここで使い捨てたほうが国のためになるという、合理的な考え方なのか。

 

 本当に本意じゃなくて、数少ないわたしを救う手段として、高宮少佐に連絡をとったのか。

 

 卯月に分かるはずもない。

 前科持ちの彼女は、お務めを終えるまではここから出られない。神提督に会うことはできない。

 本心を聞くことは、不可能なのだ。

 

「これをどう判断するかはお前の自由だ、だがこれは理解しておけ。神少佐の行動は彼自身を危険に晒す行為だったことを」

 

 考えなくても分かることだった、捕縛したテロリストの移送ルートを漏らしたようなものだ。もしこのことが露見すれば、神提督は間違いなく始末される。

 

 そんな危険を晒してまで、わたしを助けた。

 行き先が地獄であっても、命を繋いでくれた。

 

 卯月に分かる真実は、今はそれだけだ。

 本当は私利私欲でわたしに冤罪をかぶせたかもしれない、仲間が沈んだことを、なんとも思ってないかもしれない。

 

「わたしから話すべきことは話した。改めて聞くぞ、卯月」

 

 ピシャリと、高宮中佐は教鞭を叩く。反射的に卯月は背筋を伸ばした。

 

「冤罪を受け入れ、黙って解体されるか……地獄で蜘蛛の糸を掴み、生き残るか」

「選んで良いのかぴょん?」

「重傷の状態では意思確認にならん」

 

 確かに、不知火に助けて貰った時はそれどころではなかった。

 全身の痛みと恐怖から逃げるのに精一杯だった。だから不知火の提案に、ホイホイ乗ってしまったのだ。

 

「言うまでもなく過酷な任務だ、この半年間で7隻は轟沈している」

「うーちゃん、普通の鎮守府の轟沈率なんて知らないぴょん」

「不知火」

「はい、平均的には半年で0から1隻、最前線の鎮守府に絞っても同じですね」

 

 つまり最前線の約七倍の死亡率と、不知火が丁寧に教えてくれた。

 なるほど地獄という言葉に嘘はない。懲罰部隊らしく、実質的な死刑宣告に等しい。

 それでも、100%(解体)と比べれば、何倍も希望がある。

 

「では駆逐艦卯月、おまえはどちらを選ぶ」

 

 卯月は高宮中佐に向けて、ニヤリと笑う。

 

「どっちも選ばないぴょん」

「なに?」

「うーちゃんはもう、()()()()

 

 土砂降りの中、護送車から助け出されたときに、わたしはもう『選択』したのだ。

 不知火と約束した。

 重傷であろうとも、意識が朦朧としていても。一度選んだ、わたし自身で『選択』したことだ。

 

「それを変えるよーな、『嘘』は言わないっぴょん!」

 

 そうだとも、わたしは本心から願ったのだ、()()()()()

 

「なるほど……しかし、上官に対する物言いではないな」

「うげ」

「まあいい、人になりたてなのだ、多少は眼を瞑ろう」

 

 高宮中佐は、わたしの意志を汲んでくれたようだ。

 隣の不知火は眼をパチクリさせている。いやまさか、分かっていないなんてことはないだろう。

 

「……中佐、どういう意味で?」

 

 分かってなかった。

 

「彼女は我々の監視下に置かれるということだ、懲罰部隊の一員としてな」

「あ、なるほど」

 

 高宮中佐の溜め息は気のせいだろうか? まあ気にしないでおこう。その方が不知火のためだと思う。

 

「お前の意志は確認した、今日よりお前は我々の部隊、『第一艦隊直属第零特殊強行偵察戦隊』として戦ってもらう」

「了解です、ぴょん!」

「死なないように、死力を尽くすことだ」

「りょ、了解ぴょん」

 

 本当にどうなってしまうんだ。まったく予想できない。

 しかし、わたしは生きている。

 生きているならチャンスはある。神提督にもう一度出会う望みがある。

 

 だから、いまはこの真実を信じよう。

 とても大きな危険を犯してまで、神提督はわたしを救おうとしてくれた。それがわたしにとっての『真実』だ。

 

 同時に、内に秘めた本心を密かに確かめる。

 艦娘として相応しくないが、間違いだとはとても思えない。

 グツグツと煮えるような、ドス黒い淀んだ感情。

 

 みんなを殺した深海凄艦は、必ず殺してやる。

 

 そのためにも生きるのだ。

 卯月は再開を望む。話すため、報復のため。

 相反する思いを抱えながら、卯月は新たな一歩を刻んだ。

 

 

 *

 

 

 卯月が退出し、更に時間が経って不知火も退出した。

 丑三つ時も越えた深夜、執務室で電話が鳴った。あらゆる防諜技術を施された極秘回線を、高宮中佐は手に取る。

 

「はい、わたしです……夜分遅くに申し訳ありません。状況は一端落ち着いたということで?」

 

 極秘回線を知る人物はわずかしかいない。

 それを使う必要があり、それに相応しい人物が、高宮中佐の電話相手だ。

 この会話は、誰にも聞かれてはいけない。

 

 秘書艦の不知火は知っているが、ホイホイ聞かせていい内容でもない。電話相手はそれも見越して、寝静まった深夜に電話をかけていた。

 

「そうですか、ありがとうございます。駆逐艦卯月強奪の件は、予定通りに。

 ……はい、護送中の卯月による自爆ということで。ええ、おかげさまで予定通りに進んでいます」

 

 高宮中佐は能面のまま、淡々と答えていく。その顔には怒りも悲しみも、愉悦もない。卯月と話していたときと同じ冷徹な態度を崩さない。

 

「卯月ですか、彼女は喜々として部隊に合流しました。色々言ってはいましたが、報復が最大の理由でしょう」

 

「わたしの『嘘』を簡単に信じたのも、それが原因かと」

 

「ええ、問題はありません。我々の役に立ってもらいます……では」

 

 通信は切れ、静寂が執務室を包む。

 聞くものは誰もいない。

 夜の帳が、真実を覆い隠した。




説明回はここまで。
次回からは「イカれたメンバーを紹介するぜ!」になります。
あと連続投稿もここまでです。
以降は3~4日ごとに更新を……目指したい……。


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第5話 泥酔

タイトルの時点で3択に絞られているという事態。
そんなことより8周年の卯月書き下ろしを見ましたか。あれはきっと改二のお告げに違いない。


 前科戦線に着任するかどうか、改めて聞かれたわたしは、着任を選んだ。

 地獄には違いないけど、生きることができる。

 

 わたしは生きたいのだ。

 また神少佐に会うため、そして深海凄艦に報復するために。

 この前科戦線で戦うと、もう決めたのだから。

 

 高宮中佐に着任を宣言したあと、わたしはすぐに眠ってしまった。

 なにせ半年間昏睡してたのだ、少し動くだけでもからだの負担は大きい。

 

 不知火に車椅子で運んでもらい、医務室のベッドに転がり込む。

 詳しい話諸々は、また明日してくれるとのことだ。

 急激に押し寄せる疲労に身を任せて、わたしは一瞬で眠りについた。

 

 

 

 

 その夜、夢をみた。

 見知った仲間たちと、間宮さんの朝ごはんを楽しむ。これは、前の鎮守府の記憶だ。

 

 このあとは、いつもどおり訓練に勤しむ。

 船のときと、人の体では戦い方がまるで違う。センスのある艦娘だと数日で慣れるらしいが、あいにくわたしにセンスはなかった。

 

 それでも一ヶ月後やれば、基礎訓練は終わる。

 ここからは、戦闘技術の向上がメインだ。今日からその訓練をする予定だった。

 

「卯月、提督が呼んでいる」

「提督が?」

「出撃だそうだ」

「ってことは、初陣かぴょん!」

 

 あわただしく、菊月と一緒に執務室に入る。

 いつもと違う、どこか緊迫した空気を感じる。神少佐は地図を広げて、一点を指差す。

 

「鎮守府近海に小型深海棲艦を発見した、駆逐艦数隻を軽巡一隻が率いている」

「珍しいな、こんな近くまでくるのは」

「本隊からはぐれたんだろうね。なんにせよ、卯月の初陣にはちょうど良いと思ったんだけど、どうかな?」

 

 遂に、きた。

 守護者としての使命、睦月型の力を見せる最初の戦いだ。

 

「うーちゃんにどーんと任せるぴょん!」

「頼もしいかぎりだ、でも、無茶は駄目だよ、分かっているね」

「当然、命大事に、だぴょん」

 

 戦闘訓練だけじゃない、座学もやった。

 まず教わるのは、『轟沈してはならない』原則だった。

 

 恐ろしいことに、艦娘が沈んでしまうと、そのまま深海棲艦に取り込まれてしまうのだ。

 開戦当初は知られておらず、それはもうボッコボコにされたらしい。

 

 だからいま、艦娘を沈めるような戦法はNGになっている。

 そんなことをする提督はクビ、どころか利敵行為で始末されることもある。それほど、深海凄艦は恐ろしい敵なのだ。

 

「万が一もおこらないように、護衛の子もつける。安心して戦ってきてほしい」

「了解ぴょん」

「それと、ちょっと良いかな?」

 

 手招きする神少佐に近づくと、なにやら白い布を手に取る。そしてわたしの右肩に結び付けた。

 

「これは?」

「願掛け……と言えば良いのかな、みんなしてるだろう? 帰ってこれますようにっていう願掛けだよ」

 

 そういえば、間宮さんも菊月も、同じものをつけていた。

 ようするに、決戦のときつけるハチマキみたいなものか。悪い気はしない。なんだか、やっと真の意味で、仲間になれた気分だ。

 

「提督、時間は大丈夫か」

「そろそろ、いやピッタリだね。艤装の準備もしてある、訓練の成果をぼくたちに見せて欲しい」

「ふっふっふ、目ん玉飛び出る戦果をあげてくるぴょん!」

「軽巡と駆逐艦しかいないがな」

「菊月はちょっと黙ってるぴょん」

 

 艦種の問題ではないのだ、そうに違いない。

 とにかく、これが初めての出撃だ。緊張以上に胸が高鳴る。工廠への廊下を走るわたしのこころは、これまで以上に昂っていた。

 

 どんな敵にも負ける気がしない、訓練で身に着けた自信に押されて、わたしは海へと飛び出す。

 

「駆逐艦卯月、出撃ぴょ──」

 

 目の前が真っ暗になった。

 

 

 *

 

 

「ッ!?」

 

 バッと目を開ける。さっきまで広がっていた海はない。

 装備していた艤装も消えている。というか、仰向けで寝ている。制服ではなく、白い病人服を着こんでいた。

 

「ゆめ、かぴょん」

 

 そう自覚すると、だんだん記憶が戻ってくる。

 ああそうだ、わたしの記憶は、あそこで途切れた。パソコンが落っこちたように、いきなり舞台の暗幕が降りたように。

 

 また幕が上がった時には、造反の罪で解体寸前だったことも。不知火に助けられて、前科戦線に着任したことを思い出す。

 ここは施設の医務室だ、昨日高宮中佐に改めて宣言して、そのまま爆睡してしまったんだ。

 

「こっちが夢なら良かったぴょん……」

 

 前科戦線に着任したのが悪夢で、神少佐のところで活躍する方が現実じゃないかと、今でも割と本気で思っている。

 

 しかし、現実だとは理解できている。そうでなければ、この胸の()()()()を説明できない。

 

 記憶も実感もないのに──確かに、憎悪だけは感じられるからだ。

 

 仲間を殺されたことへの怒りがある。記憶がなくても、それは消えていない。

 この憎しみが、現実だと証明している。まあそれでも、現状を信じ切れないわたしもいるんだが。

 実感が持てないのが、けっこう大きく影響している。

 

「うん、やっぱり夢に違いないぴょん」

 

 もう一回寝て起きたら、変わっているかもしれない。卯月は速やかに毛布を被る。

 

「おやすみなさーい」

「んなわけないでしょうが」

 

 速やかに毛布を引っぺがされた。不知火だった。

 

「酷い、悪魔だぴょん!」

「今日から忙しいんです、起きるぐらいはできますよね」

「うっ! 持病の冷え性が……」

 

 チラッと不知火を見る。

 

「…………」

 

 小動物なら目力だけで殺せそうだ。

 卯月は名の通りウサギ、小動物である。卯月は不知火に睨まれる。

 キュッと心臓が締め付けられる、生命の危機が迫っていた。

 

「おはようございますぴょん、今日も元気に頑張るぴょん」

「よろしくお願いします」

 

 なんとかからだを起こすも、からだのあちこちからピキピキと軋む音がする。

 半年間寝ていたのだ、からだもかなり鈍っている。まずは体力を取り戻さないといけない。

 

「どのくらい動けますか」

「……かなりキツイっぴょん」

「やはり、ですか」

 

 ぶっちゃけ立つこともままならない。

 顔を洗うどころか、トイレも難しい。かなり困った状態だ。時間的にも、もよおしておかしくない。いったい、どうすればいい。

 

「しばらくは補助が必要ですが、ずっとわたしがいることもできないですし」

「秘書官の仕事ぴょん?」

「ええ、そうです。まあ今日ぐらいまでなら時間はありますので、おいおい考えましょう」

「ほーい、で今日はなにするぴょん」

「まずは挨拶ですね」

「むう、清廉潔白を地で行く正直者うーちゃんが馴染めるか……」

「行きますね」

 

 不知火の目が冷たいのは気のせいだ。

 実際、前科持ちの艦娘とやっていけるかは不安がある。

 まあ、当たって砕けるしかあるまい。卯月と不知火は、医務室の扉を開く。

 

 なんか床に、全裸の女性が転がっていた。

 

「……うん?」

「あ~、シラヌイじゃないですか、Buona serata(こんばんは)~」

「朝です」

 

 気の抜ける間延びした声で、全裸の女はワイングラスを振る。

 空っぽだ。

 泥酔しているのは明らかだが、いやだからって全裸になるか普通。

 

 そこで卯月は冷静さを取り戻す。

 人と考えるから混乱するのだ。

 艦娘は元々軍艦、服なんて着ない。つまり彼女は、より元に近い存在ということだ。

 卯月は納得した。

 

「この物体も前科持ちかぴょん?」

「いやせめて生き物と認識してください」

 

 不知火に指摘によって、卯月は認識を改める。

 信じがたいが、これは真っ当な艦娘らしい。

 全裸だが。

 始めて会う仲間一号ということだ。

 全裸だが。

 

「あれぇ~、知らない子がいますね~、どなたでしょ~か?」

「半年前からいましたが」

「そうでしたっけ、ポーラ、忘れちゃいました~」

 

 この露出狂はポーラというのか。

 名前からして海外の艦娘だが、そんな先入観は簡単に吹っ飛ぶ。

 顔を赤らめ、二へラと笑いながらこちらへ這いつくばってくる。酔い過ぎて立てないのか。いったい何時まで飲んでいたんだ。

 

Buongiorno(おはよう)、わたしはポーラって言います~。あなたは誰でーすか~?」

「わたしは睦月型の卯月だぴょん」

「ウヅキ、ですね」

 

 ポーラはフラッフラの千鳥足で、なんとか立ち上がる。あいさつぐらいはちゃんとする気らしい。ちょっとだけ安心した。

 いくら前科持ちと言っても、そんな常識・礼儀もなかったら色々困る。

 

「ポーラ、覚えました、よろしくお願いしまオエッ」

 

 突発的に、赤らんだ顔が青くなった。

 

 爆発するまで、一秒もかからなかった。

 ポーラの口から、虹がスプラッシュする。不知火が直前でどついたものの、すべては回避できなかった。

 

 ようするに、ちょっとかかった。

 

「……おい」

Scusa(ごめんなさい)~で、でもポーラのせいじゃぁないです」

「じゃあなんのせいぴょん?」

「この体ですよ~、呑むと吐く人間の体が悪いんですよ~」

「片付けはしてくださいねポーラ」

 

 不知火の顔は見えなかった。

 けどポーラの顔がそりゃもう真っ青になっていたので、察することはできた。もちろん止める気はなかった。

 

「お風呂行きますか」

「わあい、うーちゃんお風呂大好きぴょん」

「わたしもです」

「あ、ポーラもです~」

 

 わたしたちは速やかにお風呂へ急行する。後ろから聞こえるポーラの声は気のせいだ。いや、そもそもポーラというのは、わたしが生み出した幻覚だったのかもしれない。可能性は高いだろう。

 

 だが、かかった液体が、現実だと突き付けてきた。あれが前科持ちの仲間という訳だ。まじかよ。

 

「あんなんばっかぴょん?」

「あれは最悪のパターンです、他はマシです」

「どのくらい?」

「……7.7ミリ機銃と12.7ミリ機銃ぐらいは違います」

 

 誤差じゃねえか。人間基準なら大きな差だが、艦基準だと誤差でしかねぇ。

 

「彼女はまあ、見ての通りアルコール中毒なので。あとは脱ぎ癖があるぐらいです」

「それを最悪って言うんだぴょん」

 

 初対面でシャワー(比喩)をかけられて良い印象があるわけない。いやもうホント最悪である。

 

「あれ、それだけじゃないぴょん?」

 

 アルコール中毒は病気だ、前科ではない。ここは前科戦線であり、病院船ではないのだ。まあ、病院船が逃げ出す気もするが。

 

「まあ、酔っぱらって暴力沙汰になったとか、露出で問題になったとか──」

「密造です」

「……ああ、梅酒とかかぴょん」

「いえガッチガチの、ワインとかウイスキーとか」

「生まれる時代間違えたんじゃないかぴょん?」

 

 禁酒法時代のアメリカでもあるまいし。そもそもなんで買わないで自分で作ろうと思ったんだ。不知火に聞くと、うんざりした様子で答えてくれた。

 

「飲みすぎて金が尽きたからです。なので自分で作ったそうです」

「クズだったかぴょん」

「いえ、それだけなら謹慎処分ぐらいだったんです。ただ密造が原因で……」

 

 ここ前科戦線は、解体寸前の重罪をおった艦娘しかいない。

 言っちゃ悪いが、密造はそこまでいく罪じゃないそうだ。謹慎とか減俸が打倒なところ。つまりポーラは、それ以上の何かをしているのだ。

 

「鎮守府爆発させたんです」

 

 どうやらわたしの耳が悪いようだ。酒作ってて鎮守府爆発なんて、何の話やら。

 

「作った酒の度数が高すぎて、気化炎上からの爆破沙汰を起こしたんですよ。鎮守府の四分の一が吹っ飛びました」

「どんな酒を造ったんだぴょん、どんなのを!」

 

 もう駄目だった。

 前科戦線送りしかなかった。

 テロを疑われてもおかしくないぞ。いや、実際疑われたに違いない。だからこんな地獄行きになっているのだ。

 

「一応鎮守府の端っこでやっていたので、怪我人はポーラ自身を除いていなかったんですが」

「許される訳なかったから、懲罰部隊行きかぁ」

「そういうことです、彼女の前科は『密造』及び『施設爆破』です」

 

 納得いった。爆破テロもどきをおこして、お咎めなしは無理がある。

 しかし、そんな経緯で送られたのに、あいつには酒を止めようという感じが全くない。現状を正しく理解しているのかも分からん。

 

「あれ、反省しているかぴょん?」

「少なくとも爆破事故は起こしてないです。ただ御覧の通り勤務態度がアレなので、お勤めの期間はほとんど減っていません」

「そんなことだと思ったぴょん」

 

 結局、アルコール中毒が治らない限りはどうにもならないのだ。卯月はわずかに同情した。病気は仕方がないのだ。

 

「入渠でアルコール依存症は治ってるんですけどね、肉体、精神依存どっちも」

 

 プッツンと音がした。主に吐かれたことへの恨みだった。

 

「……なんで解体しないぴょん?」

「戦力としては使えるからです」

「さいでっか」

 

 マジで、ここで戦うの?

 今更ながら卯月は絶望していた。どいつもこいつも前科持ちと言っていたが、しょっぱなから飛ばし過ぎていた。

 

「おそうじが、終わりました~」

 

 またアレが現れた。やはり全裸のままだった。ぶっちゃけ見るに堪えない。今気づいたがとんでもなく酒臭いし。

 

「まだ服着てなかったんですかあなた」

「ど~せお風呂入るんですし~良いじゃないですか~」

「良くないです」

「そんな~、これでもポーラ反省してウッ」

「二度目は本気で怒りますよ……?」

 

 他は多少マシとはいえ、大差ないに違いない。

 

「うーちゃん帰りたいぴょん」

 

 偽りなき本音だった。

 楽しいですと嘘を通せるほどわたしは強くなかった。

 ここは前科戦線、吹き溜まりの行きつく底の底。天井を見上げる卯月の目は死んでいた。

 あとポーラは結局吐いた。




ポーラの扱いがアレな気はしますが、元々ぶっ飛んだキャラに前科を加えるとなると、ああなるしかないと思います。
なお前科戦線にザラ姉さまはいません。


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第6話 食堂

 クソッタレ(ポーラ)にゲロをぶっかけられたわたしは、死んだ目で風呂場に直行する。

 もちろん自分では入れない。服を脱ぐところから洗うまで、全部不知火にやってもらっている。

 

 浴槽にはたっぷりのお湯が張られていた。

 別にゲロをかけられなくても、お風呂に入る予定だったらしい。半年間昏睡していた間、一回も体を洗っていないからだ。

 一応体を拭くぐらいはしてたが、それでも臭っている。

 

「あ゛ー、染みるぴょぉん」

 

 神提督の鎮守府ほど大所帯じゃないからか、風呂場そのものは小さめだ。それでも2、3人は十分入れる大きさだ。

 

「意外ぴょん、前科戦線って言うからには、もっと汚い風呂をイメージしてたぴょん」

「失礼な、不知火の提督をなんだと思っているんです」

「いやだって、使い捨ての部隊だし」

 

 不知火が不満ありありな目で睨んできた、やっぱめっちゃ恐い。

 けど、使い捨てるのが前提なのだから、適当な待遇でも問題はないように思える。しかし、ここの施設はしっかりしている。医務室も綺麗だったし、風呂場は見ての通りだ。

 

「良い生活とクソのような生活、どちらのほうが、兵士たちは貢献すると思いますか?」

 

 そりゃ言うまでもない、良い方だ。

 良くしてくれればそれだけ貢献したいと思うし、また帰りたいと思う。実際の数値まで知らないけど、わたしはそう思う。

 

「使い捨ての部隊ですが、その分請け負っている任務は重要なものばかり。その成功率を下げるような愚行を、高宮中佐はしません」

「なるほど」

「分かりましたか卯月、中佐への評価は改めますか」

「お、おう、改めるぴょん」

 

 不知火は卯月の答えに、鼻を鳴らしながら頷いた。高宮中佐が侮辱されるのが、そうとう許せないのだろう。

 中佐がどんな人かは知らないけど、これだけ敬愛されているのだ、悪い人じゃなさそうだ。態度は厳しいけど。

 

「ああでも」

 

 不知火が思い出したように呟く。

 

「死刑が決まった罪人には、とても優しい環境が与えられるって噂を聞いたことがあります」

「……いやなんでそれを今?」

「冗談です」

 

 不知火は真顔のままだった。

 眉一つさえ動いていない。

 ちょっとしたホラー映画に出れそうだ。無言のシリアルキラーとかが適役だろう。この鉄面皮なら誰だって泣く。

 

「緊張が解けたでしょう」

 

 解けねぇよ。

 冗談に聞こえない。いや冗談でも言うんじゃねえよ。そんなこと言われたら、とたんに不信感が溢れ出すだろが。

 

「やっぱり中佐への評価は保留ぴょん」

「え゛、なぜ」

「さあお風呂でるっぴょん、お腹すいたぴょん」

 

 いい加減お腹も空いた。ゲロの臭いも取れた。とてもさわやかな気分でご飯が食べれるだろう。

 着替えている間不知火がなんか言ってたが、終始無視してやった。冗談ならもっと面白いのを言って欲しいものだ。

 

 

 

 

 再び車椅子に乗せられて食堂へ向かう。

 風呂場と同じく、鎮守府ほど大きくないがかと言って汚くもない。綺麗に掃除されたテーブルがキッチリと並べられている。

 

 ちょうど朝ごはんの時間だ。先客が座っている。彼女たちは扉の開く音に反応し、こちらへ振り返る。

 けど、興味深い目線は感じなかった。

 みんな少し見て、すぐご飯に戻ってしまう。なんだかちょっと拍子抜けだ。

 

「全員静粛に、いったん食事を止めて下さい」

 

 不知火の声に、全員一斉に箸をおく。前科持ちとは言え、この辺りはさすが軍人だ、徹底して統率されている。ポーラがいないのが気になるが……まあどうでもいいか。

 

「本日より第零特務隊に、彼女が配備されます」

「睦月型駆逐艦の卯月です、よろしくだぴょん!」

「以上、承知しておくように」

「了解」

 

 あまりやる気のない「了解」だった。

 やっぱりわたしに興味を持っていないようだ。これでも挨拶を色々考えてきたのに、無駄になってしまったか。

 

 まあ、顔合わせは時間をかけてやればいい。ポーラレベルでアレなヤツは早々いないはずだ。

 それよりもまずはご飯だ。卯月は不知火に連れられて、カウンター席に座らせて貰う。厨房では一人の女性が、慌ただしく動き回っていた。

 

「飛鷹さん、良いですか」

「ちょっと待って、今行くわ」

 

 飛鷹という女性と眼が合う。

 腰まで伸びた黒髪に、白いリボンをつけた女性だ。間宮さんよりかは年下そうだが、大人の女性だ。

 

「さっき言ってわね、その子が?」

「ええ、任せてもよろしいでしょうか」

「任せる?」

「不知火は秘書艦業務があるので、これ以上時間がないのです」

 

 秘書艦業務はかなり多忙らしい。不知火が付き合ってくれたのはほんの少しの時間だけど、それでもかなりの時間を割いてくれたんだとか。

 

「……ポーラが吐かなければ、もう少し時間はあったんですが」

「そう、また、ポーラなのね」

「酷いですよヒヨウ~」

「喋らないで、手を動かして」

 

 食堂の奥で、半泣きで洗い物をしているポーラがいた。

 二度もゲロした罰に、洗い物その他雑用をやらされていた。卯月はこれっぽっちも可哀想と思わなかった。

 飛鷹の眼つきも冷たい。ここでのポーラの扱いが、何となく分かってきた。

 

「それで、任せても」

「食事の見守りぐらいしかできないけど良いの?」

「十分です、そのあとは別の艦娘に任せてありますので」

「じゃあ分かったわ」

「聞きましたね卯月、不知火はここで失礼します」

「あ、不知火。あなたと中佐のご飯、そこに置いてあるわよ」

「感謝します」

 

 不知火は二人分のお盆を持って、慌ただしく行ってしまった。あの二人は執務室でご飯を食べるのだろう。食堂に来る暇もないぐらい、忙しいというわけだ。

 

「それじゃあ改めてだけど、わたしは飛鷹、商船改装空母の飛鷹よ」

「改めてだけど卯月だぴょん、うーちゃんって呼んで欲しいっぴょん」

「はい、うーちゃんね」

「なんだって、ホントにうーちゃんって呼んだっぴょん!?」

 

 神鎮守府にいた頃も、誰一人としてうーちゃんとは呼ばなかったのに。卯月は心の底から感動していた。

 呼び捨てなんてありえない、いや『さん』でも敬意を表しきれない。

 

「これからは飛鷹お姉さまとお呼びしますわ」

「やめなさいうーちゃん」

「はいだぴょん」

 

 なお感動したのは事実である。ホント呼ばれたの始めてじゃないだろうか?

 

「見ての通り、だいたいはここで全員分の食事を作ってるわ」

「持ち回り制とかじゃないのかぴょん?」

「わたしがいないときだけね、持ち回りになるのは。はいこれうーちゃんの朝ごはん」

 

 風呂があんな感じなのだから、ご飯だってちょっとは期待できる。美味い物を食べることこそ、人の体に生まれた意味なのだ。半年振りの食事は、いったい何になるだろうか。食堂に入る頃からワクワクが止まらない。

 

「わーいだぴょ……」

 

 液体だった。または流動食しかなかった。

 

「お粥に具無しの味噌汁、他栄養素を補填するゼリー飲料ね」

「固形物がないっぴょん!? ハンバーグは、カレーは!?」

「当たり前でしょ、半年間なにも食べてないのよ。そんなもの食べたらあなた死ぬわよ」

 

 だが嗜好品的には死んでいる。理屈としては納得できるが、ハッキリ言って滅茶苦茶ショックだった。

 

「ちょっとぐらいなら……」

「なにか言った?」

「いただきますぴょん」

 

 お粥を一口食べる。

 するとどうだろうか、卯月は眼を見開いた。

 

「おいしい」

 

 お粥なので、当然噛み応えとかはない。

 しかしそれ以外は絶品だ。ほんのわずかしか入っていないのに、ダシの旨みが染み込んでいる。舌で具を磨り潰せば、具の味が加わる。意識しないと分からないような塩味が、わたしの食欲を引き立てていた。

 

 お味噌汁もそうだ。薄いのに旨みがハッキリ分かる。

 何よりも味噌が良い。やっぱり日本人には味噌が一番だ。呑むだけで体全体が温まっていくのが分かる。

 

 ゼリー飲料は甘い味付けがされていた。デザート風味にしてくれてたらしい。気づけば食べ終わっていた。完食である。固形物がないとかどうでも良くなっていた。

 

「良い食べっぷりだったわね、作る側としても嬉しいわ」

「御馳走さまでしたぴょん!」

「はい食後のお茶、熱いから気をつけてね」

 

 しかし、本当に美味しかった。

 お盆で出してくれたお茶が身に染みる。嬉しそうに微笑む飛鷹さんを見ていると、とても前科持ちとは思えない。

 その分勘ぐってしまう。どうしてこんな人が、前科戦線にいるのだろうか。聞いてみる方が早いか。

 

「飛鷹さんは、なにをやらかしたんだぴょん」

「わたしはなにもやってないわよ?」

「あれ?」

 

 お互いに首を傾げて見つめ合う。

 ここは前科戦線で、前科持ちの集まる場所じゃないのか?

 卯月が悩んでいると、飛鷹はなにかに気づいたようすで手を叩く。

 

「不知火、説明し忘れてたわね」

「どういうことぴょん?」

「わたしと不知火は前科持ちじゃない、ここの『正規艦娘』なのよ」

 

 勿論獄卒でもない。れっきとした()()()艦娘だ。

 考えてみれば当然である。全員前科持ちの懲罰部隊はあり得ない。必ず普通の兵士も所属している。そうでなければ、制御できなくなる恐れがある。

 

 不知火と飛鷹は、元々別の鎮守府にいたのではない。

 最初から高宮中佐の艦娘として建造されている。またもう一つ。前科持ちの中に人間のスタッフを置くのは、危険過ぎて誰も来てくれないのも理由の一つだ。

 

「まあ、全員が全員前科持ちじゃ部隊として成り立たないのが一番の理由ね」

「なるほど、確かに不知火は前科持ちには見えなかったぴょん」

「そういうこと、あとはメカニックに一人、正規艦娘がいるわ。不知火そこの説明してなかったのね」

「初耳ぴょん」

 

 秘書艦の不知火とコックの飛鷹さん、そしてメカニックの一人。合計三人が前科戦線内の正規スタッフだ。

 中佐以外の人間は、重兵装の憲兵隊しかいないらしい。

 メカニックにもその内会えるだろう。そう思っているところに、飛鷹さんが指を突き付けてきた。

 

「うーちゃん、注意しないといけないことがある。ここでの暗黙のルールについて」

「ルール?」

「そう、この施設を混乱させないための気遣い。

『相手の前科を自分から聞かない』ことと、『人の前科を他人に教えない』こと。この二つよ」

 

 飛鷹さんは真面目な眼つきをしていた。

 卯月もふざけるのを止めて真剣に聞き入る。

 暗黙の了解を破れば大変なことになるのは、昔からの鉄則だからだ。

 

「誰もが色々な前科を、色々な事情で背負ってきているわ。その中には話せない事情や、話したくない事情だってある」

「それは、まあ……」

「心当たり、あるでしょう?」

 

 心当たりはある。

 卯月の前科は『冤罪』だ。なのに造反者として扱われる。

 

 懲罰部隊にいるのも冤罪によるもの。罪も犯していないのにこんな扱いをされている。

 ハッキリ言って聞かれるのも嫌だった。余計心が傷つくからだ。

 

「聞くだけで傷ついたり、錯乱するかもしれない。だから、こっちからは『聞かない』のがルールになっているわ。お互いに傷つかない為にね」

「さっきの質問は、『ルール違反』だったってことかぴょん」

 

 さっきわたしは飛鷹に対して、なにをやらかしたのか聞いた。

 なんの『前科』かこちらから聞いてしまっていた。ルール違反のストライクを、知らない内に決めてしまっていたのだ。

 

「わたしはなにもしてないから良かったけど、他の子に聞いたらどうなるか分からなかったわ。『人の前科を他人に教えない』のも同じ理由。自分の前科が勝手に知られていたら、嫌な気分になるからね」

 

 暴力的なヤツもいるかもしれない。そうなればまたベッド行きだ。

 そういう意味ではラッキーかもしれない。被害を受ける前にルールを知れたのだから。

 と、そこで卯月は首を傾げる。

 

「……うーちゃん、不知火からポーラの前科を聞いたぴょん」

「不知火が?」

「ホイホイ喋ってくれたぴょん」

 

 あれこそ、『人の前科を他人に教える』行為だ。暗黙のルールは前科組だけで、正規艦娘には適用されないのか?

 

「ポーラは良いのよ、あんなんだから」

「いったいここでのポーラのカーストはどうなってんだぴょん」

「ド底辺よ、分かるでしょ」

 

 分かってしまうのが辛いところだ。まあ憐れとは全く思わないが。そんなわけで奥から聞こえるポーラの悲鳴は聞き流した。あれは一部例外ってところだ。

 

「とにかく、『相手の前科を自分から聞かない』ことと、『人の前科を他人に教えない』こと。この二つは徹底しなきゃ駄目。分かった?」

「うん、分かったぴょん!」

「相手から話そうとしない限りは、話題に触れちゃだめ。気をつけてね」

 

 そこで、手元のお茶が空になった。

 暗黙のルールをしったところで、朝ごはんの時間は終わりになった。これからどうすればいいのだろう?

 

「じゃあ今日からは、まずリハビリね」

「飛鷹さんがやってくれるのかぴょん?」

「いいえ、同じ前科持ちの先輩が担当よ」

 

 卯月の顔が渋くなる。彼女が知る前科持ちは現在ポーラ(ゲロ野郎)だけだ。良い印象が全くない。

 不満に気づいていた飛鷹は、疲れたように笑う。彼女もポーラの被害を受けているのだろう。卯月は同情した。

 

「安心して良いわ、彼女なら指導役として適任だから」

「そう言うなら……それで、指導役はどこぴょん?」

「今呼ぶわ、球磨!」

「ほいクマー」

 

 立ち上がった人が、何か言った。

 部屋に入った時は、一番端で黙々とご飯を食べていた人だ。アホ毛がやたらと長くて印象に残っていたのだ。

 しかし、全部「クマー」という一言で上書きされた。

 

「半年間昏睡してた分のリハビリをするクマ」

「前科持ちの先輩って、この人ぴょん?」

「ええ、そうよ」

「球磨型軽巡一番艦の球磨だクマ、よろしくだクマ」

 

 クマがゲシュタルト崩壊しそうである。

 わたしの事情は高宮中佐か、不知火から聞いているらしい。クマクマ言っているが、指導を任されているのだ、ちゃんとした人に違いない。

 

 ポーラ以来、やっと会う二人目の前科持ち。

 どんな前科か気になるが、聞いてはいけないとさっき教わったばかりだ。

 

 今はただ冷静に、体力を戻すことを目指さそう。そうでなければ、戦場に出れないのだから。

 久々の訓練を想像し、卯月は気合を入れ直すのであった。



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第7話 リハビリ

 飛鷹さんのところで朝ごはんを食べたあとは、リハビリの訓練をすることになった。付き合ってくれるのは不知火でも飛鷹さんでもなく、球磨という前科持ちの艦娘だった。

 

「リハビリだけど、急ピッチでやるクマ」

「のんびりは駄目ぴょん?」

「駄目クマ。この前科戦線はとっても戦力が少ないから、遊ばせておく余裕はまったくないクマ」

 

 コロコロと車椅子を押す彼女を、卯月は振り返って見つめる。

 なんか、やはりアホ毛が特徴的だ。ジグザグに折れ曲がった毛ってだけでも目立つが、明らかになんか動いている。

 

「どうしたクマ」

「いや、べつに……」

「クマ?」

 

 なお、クマという語尾についてはまったく気にならない。わたしだってぴょんぴょん言ってるんだし、お互い様というやつだ。

 

「ついたクマ」

 

 そう言って球磨は車椅子を止める。

 ついたのは海の見える砂浜だった。基地の一部が海に隣接しているのだ。

 ほんとうに広い海だ、島影の一つも確認できない。

 

「ここで、リハビリをするのかぴょん?」

「そうだクマ、まずは自力で立つんだクマ」

「えー、立つって言っても」

 

 昨日まで昏睡状態だったわたしが、そんな簡単に立てる訳がない。だからずっと車椅子に座っていると言うのに。

 

「効いてきているはずだクマ、いいから一度立ってみるクマ」

 

 効いているって、なんのことだろう?

 首を傾げながらも、卯月は足に力を込め、手を支えに体を起こそうとする。

 

「あ、立てた」

 

 すると、拍子抜けする程あっさり立てた。

 半年間動かしてなかった分、衰えていると思っていたんだが、筋肉的な劣化は全然なかった。

 

「さっき風呂に入ったクマ、あれには微量の修復剤が入っているクマ」

「入渠に使う薬品ぴょん?」

「そう、微量じゃ怪我は治せないけど、疲労回復とかにはなるクマ。劣化しか筋肉もそれで回復したクマ」

「なるほど、つまりうーちゃんは完全復活! リハビリなんていらなかったってこ」

 

 走り出した卯月は即座に転んだ。

 顔面から砂浜に突っ込んだ。

 顔の皮がむけた。あと目に砂も入った。

 

「あ゛ーっ!」

「体を動かす感覚は戻らないから、それは訓練するしかないクマ。筋肉もあるていど回復しただクマ。じゃあ始めるクマ」

「ま゛って、痛いびょん」

「待たないクマ」

 

 クマクマ言っているが、彼女は容赦なかった。

 顔に乱雑に消毒液をぶっかけられて、本気で泣きそうになる。完全復活なんて言ったのはどいつだ、嘘つきめ!

 

「やることは簡単、走り込みクマ」

「走り込み」

「そうだクマ、とにかく走るクマ。体力を完全に戻して、動かし方を思い出すには一番手っ取り早いクマ」

 

 ランニングは確かに簡単だ。複雑な動きはしないし、体全体を動かせる。筋肉から肺まで全部使える。

 しかも、ペースも調整できる。専門家じゃないから合ってるか分からないけど、良い訓練だと思った。

 

「ただしこれをつけるクマ」

 

 ペイって感じで手渡されたのは、マスクだった。

 

「……健康に気をつけろと?」

「つけるクマ」

「無駄口叩くなって意味ぴょん?」

「つけるクマ」

 

 激烈に嫌な予感がする。しかしつけない選択肢はない。わたしは一応軍人。上官(先輩)には逆らえないのだ。

 

 卯月は言われるがままにマスクをつけた。

 次の瞬間、球磨が海水入りのバケツを卯月に投げつけた。

 卯月は頭から海水を浴びた。

 

「なにすんだぴょん!?」

 

 全身がベタベタする。服が水を吸って重い。

 なにより、マスクが水を吸ってしまい、息をするのがかなりキツくなってしまった。

 

「これで走るクマ」

「……え?」

「この、濡れマスクをつけた状態で、一定のペースで走り続けるクマ」

「……どれぐらい?」

「球磨は『走れ』と言ったクマ、何度も何度も疑問文で話しかけるなクマ。急ピッチでやるとは言ったクマ。はい開始!」

 

 球磨がパンを手をならす。卯月は否応なく走り出した。

 しかし、限界はすぐに訪れた。

 体力ではなく、呼吸の方の限界が。

 

 当たり前だ。濡れマスクがヤバイ。ベッタリと肌に張り付いたせいで、まともに息ができないのだ。

 

 呼吸ができなければ体力が持たなくなる。卯月の走るペースはどんどん遅くなっていった。

 だが、球磨は最初に言った。

 一定のペースで走り続けるクマと。

 

「遅いクマ」

 

 卯月の背中に、激痛が走る。

 どっから取ってきたのか、まさしく精神注入棒が握られている。

 クマはもう一度、それをフルスイングで叩き込んだ。

 

「ッッッ!?」

 

 肺の底、腹の底から空気が無理やり押し出される。一瞬視界が真っ黒になった。

 

「ペースを緩めるなクマ、走るクマ」

 

 これは不味い。リハビリと油断している場合ではない。

 死ぬ。

 本気で、死力を振り絞らないと死んでしまう。

 

 球磨は再び棒を振りかぶる。

 卯月は必死で飛び上がる。息なんて吸えてない。足だけ動かしている。

 

 しかし、まともに走ることもできなかった。

 砂浜に足をとられ、すぐに転んでしまう。咄嗟に手を出すのもできない。

 体がうまく動かせない。半年も寝てたせいだ。また顔から突っ込んだ。

 

 その度にまた、息が漏れ出してしまう。

 呼吸も水浸しのマスクのせいでできない。だが寝てたら球磨に殴られる。息ができなくても動く他ない。

 

 また無理矢理立ち上がり、足を前に動かそうとする。

 

「あっ……」

 

 瞬間、目の前が真っ暗になった。

 酸欠だ。息を止めながら激しく動き回ったようなもの。すぐに限界が訪れた。

 

 視界だけじゃなく、四肢の感覚が抜け落ちていく。あっという間に卯月は意識を失った。

 しかし球磨は容赦などしなかった。

 

「休んでいいとは言ってないクマ」

「──ッ!?」

 

 倒れ込んだお腹に向けて、またフルスイングで棒が打ち込まれた。

 もはや言葉にならない。

 尋常ではない激痛と苦痛に、卯月の意識は力業で戻される。

 

「まだ数メートルしか走ってないクマ、徹夜でマラソンする気かクマ?」

「し、しぬぴょん、しんでしまうぴょん」

「大丈夫クマ、死ぬかどうかの瀬戸際になるけど、死なないようにするクマ」

 

 球磨は笑顔だった。

 クマクマ言っていなければ、超がつく美少女である。さながら天使のようだ。現に卯月をあの世へ連れていこうとしている。あの世への案内人だ。

 

「と言う訳で再開クマ」

「死んだわわたし」

 

 いや死神だった。

 しかし殴られるのは嫌だ。卯月は半泣きで走り出す。流れた涙のせいで、マスクが更に濡れて呼吸し辛くなる。

 

 お腹に過剰な力を入れて、まるでポンプのように無理矢理息を吸っていく。

 喉から肺からお腹まで、全てを使いながら同時に体も動かす。がむしゃらにはできない。意識しながら走らないとどっかでミスる。

 

 呼吸に集中してたら転ぶし、走るのに集中したら息ができなくなる。

 限界を超えた動きのせいで、何度も何度視界がブラックアウトする。息を吸う度に肺を激痛が襲う。

 

 意識を失っても、訓練は終わらない。

 その度に叩かれるか、水をぶっかけられる。絶対死ぬだろこれ。そう愚痴る余力もなくなっていく。

 

「……さすがに限界かクマ?」

 

 球磨がそう呟くのが遠くで聞こえた。

 耳も遠くなっている。本格的にヤバイところだった。

 どうせまた走るだろうけど、これで一休みはできそうだ。砂浜にぶっ倒れながら、卯月はそう思った。

 

 しかし、ふと目線を感じた。

 

 基地の方から、誰かがわたしを見ている。

 かなり遠くだが、艦娘が二人、わたしを見ながら喋っていた。食堂で見た人たちだ。いったいなにを話しているんだろう?

 

 片方が突然笑い出した。

 

「は?」

 

 会話の内容は聞こえないが、確かに笑っている。

 茶髪のポニーテールと、黒いお団子の髪をしたうちのお団子のほうがとても良い笑顔をして、わたしを指さしていた。

 

「あ゛?」

 

 なんで笑っているんだあいつは?

 そんなにわたしが面白いのか?

 砂浜に顔を沈めてぶざまに引っ繰り返っているさまがそんなに愉快なのか?

 

「よし、いったん休憩するクマ」

「やだぴょん」

「ク、クマ?」

「このうーちゃんを、舐めるなぴょん……!」

 

 たまたまかもしれない。

 たまたま、こっちを見て笑っているように見えただけかもしれないが、それでも卯月はキレた。

 必死に頑張っているのに、どーして笑われなきゃいけないのだ、ふざけるな!

 

「本当に大丈夫かクマ、球磨が言うのもなんだけど、かなりハードな訓練クマ」

「バッチコイだぴょん、ふざけた連中に目にもの見せてくれるぴょん!」

「急にやる気になったクマ……?」

 

 まあ死なないようには気をつけるが、それにしても腹が立つ!

 卯月の頭はもう真赤に染まっていた。怒りで足を動かし、激情で息を吸う。乱雑に砂浜を踏み締めて、トレーニングを再会させるのであった。

 

 ただし、怒りの力には限界がある。

 

 五分後、吐血したことでトレーニングは強制終了となるのであった。

 

「どこがバッチコイだクマ!」

「ぴょん……」

 

 

 *

 

 

 トレーニングのやり過ぎで血を吐きぶっ倒れた卯月は、また車椅子に乗せられていた。

 酸欠と過呼吸と吐血を併発しており、瀕死の重症である。

 

 そんな状態の卯月が運び込まれたのは入渠ドックのある工廠だった。ドックの傍らにはすでに妖精さんたちがスタンバイしている。球磨は手慣れた手つきで卯月をドックへ入れた。制服は一瞬で脱がされた。

 

 同時にカウンターが点滅した。修理が終わるまでの時間が表示されている。ドックの中から、ぼんやりとそれを見つめる。

 終わるまでは30分もかからない。回復が早いのは駆逐艦の強みだ。

 

「生きてるかクマ」

「半殺しにしておいてなにを言うぴょん」

 

 ドックを覗き込む球磨に卯月は文句を垂れる。

 ブーとほおを膨らませ威嚇するが、球磨は眉一つ動かさない。そもそも限界を見誤ったのが自分自身なのは、もう忘れていた。

 

「あんなのは半殺しと言わないクマ」

「本当かぴょん、うーちゃんは嘘が嫌いぴょん」

「本当クマ」

 

 球磨はこちらをまっすぐ見ていた。嘘を言っている感じはない。いや本心なんてわかりゃしないけど。

 

「ふん、まあ信じてやるぴょん」

「そっかクマ」

 

 そう呟くと、球磨は黙り込んでしまう。

 いや黙ってるのは良いんだが、こっちを覗き込んだまま無言でいる。ちょっと怖い。なんか喋れよと思う。

 

「なにぴょん?」

「いや、なんでもないクマ」

 

 球磨は目線を卯月から一瞬背ける。

 気をつかったんだろう。かといってドックから離れたりはしない。

 あんな訓練をしておいて、けっこう心配性なんだろうか?

 

「入渠が終わったらすぐに再開クマ」

「ああ、そんな気はしてたぴょん」

「済まんクマ」

「今更ぴょん、でも、なんだってそんな急ピッチでやるんだぴょん?」

 

 いくらなんでも無茶苦茶過ぎる。

 病み上がりの可哀想なうーちゃんにして良い仕打ちではない。

 ここまでハードな訓練をするからには、それなりの理由があるはずだ。

 

「単純な話クマ、卯月の出撃まであと()()()しかないからクマ」

「おっと聞き間違えかぴょん、いまなんて言ったぴょん、一週間って聞こえた気がしたけど、いやいやいやまさかそんな」

()()()だクマ」

 

 卯月は笑った。

 球磨も笑った。

 妖精さんも笑っていた。

 みんな笑顔だった。

 

「なんで?」

「言っておくけど、これでもかなーり遅らせている方クマ。高宮中佐のおかげクマ」

「あ、うん、そうじゃないぴょん。なんでうーちゃんが出撃するんだぴょん?」

「知らんクマ、ただ高宮中佐がそう言ったから、球磨も間に合うようにしてるんだクマ」

「聞けば教えて……」

「無理クマ、教える気があったら、とっくに言ってるクマ」

 

 それで言わないのは、今は言う必要がないからだ。

 わたしにとって必要でないことを教える理由はない。必要の原則というやつだ。聞くだけ無駄なのは予想できた。

 

「結局のところ、トレーニングは負荷をかけた分だけ帰ってくるクマ。本当ならその負荷は時間をかけて直すけど、艦娘は荒業ができるクマ」

「あー、だから入渠ってわけかぴょん」

「そうだクマ、壊しては治し、壊しては治すクマ」

 

 瀕死になるような負荷をかけたら、そのまま死んでしまう。

 しかし入渠すれば全部チャラだ。短い時間で回復できる。確かにこの方法なら、短い時間で体力や感覚を取り戻せるだろう。

 

「それ下手なブラック鎮守府よかアレじゃないかぴょん?」

「懲罰部隊に今更なにを言ってるクマ」

 

 ごもっともであった。

 そもそも道理の通らない部隊だった。ちょっと忘れていた。ブラックじゃなくて漆黒だったか。

 

「まあ、これで死なないのは理解できたと思うクマ」

「分かったけど、でも、納得いってないトコがあるぴょん」

「なにクマ?」

「いやさすがに、人が苦しんでるの見て笑うのはえぐいぴょん」

 

 そもそも、あんな奴等がいたせいでわたしは『プッツン』してしまったのだ。前科戦線とかブラックとか関係なく、単純に腹が立った。思い出すだけでムカムカしてくる。

 

 わたしの文句に、球磨は考え込む様子で首を傾げる。

 

「あ」

 

 思い当たるのがあったようだ。

 

「あいつらか、いや、それは違うクマ」

「違うって?」

「苦しんでいるのを笑ったんじゃないクマ。別の理由だクマ。どっちにしても知らん方がいいと思うクマ」

「余計気になること言わないで欲しいぴょん」

「悪いクマ、ほらもう入渠終わりクマ、また走り込みをするクマ」

 

 知らん方が良いって、どんな理由なんだよ。

 卯月の疑問を意図して無視し、球磨はドックを開く。疲労やダメージは完璧にとれたが、精神疲労は別問題だ。

 

 時計はまだ正午を切ってさえいない。この走り込みはまだまだ──体力が戻るまで、問答無用で続く。出撃に間に合わせるにはそれしかない。

 

 まだ話せていない仲間(仮)に、地獄のようなトレーニング。

 自分で志願したこととはいえ、文句ぐらい言いたくなる。もはや無だ、無になるしかない。感情を殺して足を動かすマシーンになるのだ。

 

 卯月はそう言い聞かせて、制服の裾に腕を通す。

 地獄の奥、底の底、前科戦線での日常はまだ始まったばかりだ。



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第8話 舌戦

 ドックでの入渠が終わり、わたしはまた訓練に戻る。

 前科持ちの先輩球磨の元でのリハビリは、午前一杯続いた。その間3回入渠ドックに運ばれた。血を吐いた回数はもう数えていない。

 

 午後も同じリハビリ、走り込みをするとのこと。というか今日一日はそれしかやらない。とにかく、明日以降の訓練に耐えられる基礎体力をつけるのが最優先だとか。

 

 また血を吐くのか。

 死んだマグロのような目で卯月は天井を見る。これからお昼だが、その前にもう一回入渠していた。これが終わったらお昼に行っていいらしい。

 

 午後も同じ訓練が待っている。あの過酷さを思い出すと身震いがしてくる。

 必要だと理解しているから文句は言わない。

 だが、単にキツイ。普通に辛い。それとこれとは別問題なのだ。

 

 ひょっとしたら、球磨さんはドSなのかもしれない。訓練と言う名目でわたしを苦しめているんじゃないか。

 あり得る話だ。元の鎮守府でしごきをし過ぎて前科戦線行き……辻褄は合う。

 

「うーちゃんは絶対に負けないぴょん」

 

 ドックの中で一人呟く。妖精さんが怪訝な目で見つめてきた。幸い球磨はいない。彼女は先に食堂へ行ってしまったのだ。わたしは歩けないんだぞ!

 

 しかし、卯月はすぐに気づく。特訓の成果は出ていることに。

 それはドックから出て、着替えて外へ出たときだった。

 

「……歩けるぴょん」

 

 朝起きた時は車椅子がなければ駄目だったのに、今は普通に歩けている。

 それだけじゃない、無意識だったけど着替えもできた。自分一人で、普通の動きが全部できたのだ。

 

「うーちゃん、ついに復活ぴょん!」

 

 今度こそ復活だ。卯月はウサギのようにぴょんと跳ねた。今度は転んだりしなかった。

 

 さすがは球磨大先輩だ、彼女の指導についていけばなんら問題はあるまい。

 あんな凄い人を疑う奴はいないだろう。当然わたしは最初から信じていたが。卯月は心の底から感動していた。嘘はなかった。

 

「ありがとう球磨先輩、うーちゃん感激ぴょん!」

 

 卯月は感謝を述べた。

 ただし球磨はこの場にいない。既に食堂に行っている。いるのは卯月と妖精さんだけだ。

 

 卯月の独り言が木霊する。妖精さんたちは変なものを見たような目線を送る。

 

 わたしはいつまで一人で喋っているんだ?

 冷静になった途端、一気に腹が減った。回復した分の栄養を補給しなきゃいけない。

 

 過酷な訓練でテンションが壊れたのかもしれない。やはり球磨のせいだ。卯月は内心愚痴りながら食堂へ向かう。

 

 歩くのはやはり苦ではなくなっている。しかし、歩けるだけでは戦えない。午後の訓練もしっかりと取り組もう。

 

 食堂へ入ると、朝とは違ってがらんとしていた。

 飛鷹さんもいない。けどご飯はお弁当が用意されている。人数分はありそうだ。とっていけということだろう。でもきっと美味しい。覚めても美味しい味のはずだ。ウキウキしながら弁当を取る。

 

「あら、奇遇ですわね」

 

 声の主を聞いた瞬間、卯月のテンションは地に落ちた。

 

「一緒にいかが?」

 

 茶髪をポニーテールで纏めた女性がご飯を食べている。しかしそいつは、訓練中の卯月を笑っていた方の相方だった。

 

「遠慮するぴょん、うーちゃんはぼっちめしが好きだからぴょん」

「ですけど、これから同じ部隊で戦うのですから、少し話しても良いと思いますけど」

「……ッチ」

「露骨ですわね」

 

 最悪の気分だが、言っていることは正論だ。

 こんなつまらないことで連携ができず、死んでしまっては泣くに泣けない。ちょっとだけ話して立ち去ろう。

 

「……あいさつぐらい、あんたからしたらどーだぴょん」

「勿論ですわ、わたくしは航空巡洋艦の『熊野』。以後お見知りおきを」

「卯月です、よろしく」

「では、こんどはわたくしから。どうしてそんなに嫌そうな顔を?」

「あ゛?」

 

 まさか分かっていないのか?

 リハビリ中の奴を笑ってどんな気分になるのか、想像もできないと。わざわざ言う気にもなれない。卯月は熊野を全力で睨み付けた。

 

「あ、もしかして、リハビリしている卯月さんを笑っていたことですか?」

「そーだぴょん」

「わたしく自身は笑っていないのですけども」

「同罪、有罪、ギルティだぴょん」

 

 隣にいて止めなかった時点で笑ったのと同類だ。こいつもゲス野郎に違いない。しかし熊野は、怒る卯月を見て、なんと更に笑った。意味が分からない。

 

「いえ、失礼。わたくしの『予想』が当たっていたのが嬉しくて、つい」

「予想って、なんの?」

「貴女です、卯月。貴女の性格についての予想ですわ」

 

 性格の予想がなんだと言うのか。

 ますます意味が分からない。趣味にしてはマニアック過ぎる。熊野を見る目は怒りから、奇っ怪なナマモノを見る目に変わっていく。

 

「つまり、こういうことですわ」

 

 熊野は懐に手を突っ込む。

 そして勿体ぶった仕草で、一枚の紙を取り出した。チケットみたいだ、交換券と書かれている。

 

「一枚上げますわ」

「使い方分からないぴょん」

「これで支給品以外の物を買えますの、化粧品とか甘味とか。間宮羊羹もありますわ」

 

 戦果を上げればボーナスが出る、というのは良くある話だが、ここ前科戦線にそれはない。

 

 懲罰目的での配属なのに、そんなのを出すのは色々良くないのだ。かといってなにも無しじゃ士気が落ちる。

 というわけで、替わりにこの交換券を配っているらしい。別に給与も出ているが。

 

 そもそもからして売店も酒保もないこの基地で、外の物を手にいれる唯一の手段、それがこの券なのだ。

 

「フン! 交換券でうーちゃんを買収しようって魂胆かぴょん。ずいぶんと安く見られてたもんぴょん」

「あら、では要らないというこ」

「だが頂いてやるぴょん、うーちゃんの寛大な心に感謝するぴょん!」

 

 なかば奪い取る感じで交換券を手に入れる。卯月も女の子。間宮羊羹の誘惑には勝てなかったのだ。

 

「でも、ホント貰って良いのかぴょん」

「奪った後に言いますか」

「貰ったの間違いぴょん。で、良いのかぴょん。これ貴重品でしょ?」

 

 簡単に手に入らないのは理解できる。それをくれるのはありがたいが、理由が分からないとなんだか不気味だ。

 

「ええ良いですわ、ささやかなお礼、分け前ということですから」

「お礼って、なんのことぴょん」

「さっき言いました、『予想』のことですわ」

 

 予想があったから笑い、予想があったからお礼をする。やはり意味が分からない。卯月は再び首を傾げる。

 

「お蔭で賭けに勝てましたから」

「……なんだって?」

「卯月さんがわたしの予想通りの性格だったお蔭で、わたくしは()()に勝てたんですの」

 

 今、聞き捨てならない単語が聞こえた。

『賭け』だって。

 賭けといったのかこの熊野は。

 なら、彼女と相方の二人がわたしを見ていた理由って、まさか。

 

「卯月さんが何回倒れるか、賭けていたんですの」

 

 卯月はフリーズした。想像の斜め上に飛んでいった。知らぬ間に賭けの対象にされていた。どう反応すりゃ良いんだこの状況。

 

「途中倒れかけたとき卯月さんがガッツを見せて下さったおかげで、わたしくが勝ったんですの」

「じゃあ、この交換券って」

「負けた方から奪った……違った、頂いたものですわ」

 

 なるほど、確かに馬鹿にしてはいない。

 熊野も、もう一人の笑った奴も真面目にやっていただけだ。いっさいのおふざけなし。彼女たちは真剣に賭けていた。

 

「最低じゃねーかぴょん!」

「え? ああ、もう一人が笑ってたのは予想が当たりかけたからで、バカにしたわけじゃありませんよ?」

「どっちにしろ最低じゃねーかぴょん、そもそも人で賭けをすんなぴょん!」

 

 わたしがあそこで倒れたら、もう一人が勝っていたのだろう。

 だから笑ったのだ。

 悪意どうこうじゃなく、賭けた競馬の馬が勝ちかけたときような、勝利の笑いだったのだ。

 

 しかし、わたしがその光景にキレたおかげで、熊野が勝ったわけだ。やっと繋がった。最低な理由だったが。

 

「そうそう、そういう反骨心溢れるところ。きっとそういう方だと思ったので、わたくしは倒れない方に賭けたのですわ」

「まるで嬉しくねぇぴょん」

「そうですか? こんなの賭けにしたら、全然優しい方だと思いますが」

「感覚麻痺ってんだぴょん」

 

 無断で人を賭けに使うことに違和感がない時点で駄目だろ。卯月は内心突っ込んだ。さすがに熊野もちょっとだけ申し訳なさそうにしている。自分が変という自覚は持っているらしい。

 

「昔はもっと色々やってましたので、確かに卯月さんの言う通りですわね」

「昔って……つまり、その」

「ええ、そういう『前科』で合っておりますわ」

 

『こちらから前科を聞いてはならない』。

 そのルールのせいで、なんだか微妙な聞き方になってしまったけど、熊野は言いたいことを察してくれた。

 なんだか悪いことをした気分だ。しかし、その気持ちは次の一言で消し飛ぶ。

 

「『違法賭博』ですわ」

「……ああ、うん、そっかぴょん。つまりギャンブルで身を持ち崩したと」

「違いますわ」

「ギャンブルで鎮守府のお金に手を出したと」

「違いますわ、そんなクズと一緒にしないでくださいな」

 

 前科戦線行きになっているのにクズではない?

 不思議なことを言う。

 まあわたしみたいに冤罪のパターンもあるので、なにも言わないが。なら熊野は賭博のなにをしでかしたのか。

 

「わたしくしは胴元でしたの」

「胴元……って、つまり熊野は、賭場を()()してたってことかぴょん」

「そうなりますわ」

「この世界の軍って賭け事は」

「当然ご法度ですわ、無許可でやってましたし」

 

 軍内部での個人的な賭け事を認める軍なんて聞いたことがない。少なくともわたしは知らない。

 そんなことをすれば風紀は乱れてトラブルは巻き起こる。良いことなんて何にもない。だから禁止されている。

 だけど、禁止するということは、やる奴がいるという意味だ。

 

「わざわざそんなことしなくたって、お給料が出るのに」

「足りませんの、あんなお金では、人生を楽しみきれませんわ」

「楽しむ?」

「ええ、食事に遊戯、趣味、この体(人間)は様々なことを楽しめる。せっかく生まれ直したのに、戦うだけというのはつまらないでしょう」

 

 言いたいことは、まあ分かる。

 わたしだって同じだ。間宮さんが食べさせてくれたカレーは美味しかった。間宮パフェは特にだ。あれを食べるために生きて帰ることを決意したぐらいだし。

 

 俗っぽい言い方だけど、熊野の言うことは多分楽しい。

 わたしたちは『護る』ための存在。そのためには『護りたい』と思わなきゃいけない。使命感だけでは限界がある。

 

 だから戦場から逃げないための『物語』が必要なのだ。それはわたしたち自身の思い出からしか作れない。

 

「でもそれにはお金が足りないので、賭場を開きましたの」

「いやその理屈はおかしいぴょん」

 

 しれっと言ってのける熊野に突っ込んだ。

 

「なぜでしょう、わたくしは儲けたいから賭場を開いた。参加者は賭場をしたいからやってきたWinWinの関係ですのに」

「それ絶対身を持ち崩す奴が出るやつぴょん」

「……いましたの」

 

 熊野は急に、どんよりとした顔で俯いた。

 ここまで話した時点で、もうポーラとどっこいどっこいの印象だが、最低限の罪悪感はあるらしい。

 さすがにそこまでなかったからホントやばかった。卯月はホッと胸をなでおろす。

 

「2.3人闇金に手を出して自殺したせいで、芋づる式に賭場がばれてしまいましたの。あいつらのせいですわ、本当に腹が立つ」

「ドクズぴょん!」

 

 卯月は直ちに考えを改める。

 こいつはポーラとは別ベクトルでヤベー奴だ。自分のせいで死人が出たことになにも感じていない。それどころか前科をそいつらのせいにしている。本当に艦娘なのか!?

 

「心外ですわ、わたくしがどんな悪事をやったと!?」

「全部だ全部! 死人出てんじゃねーかぴょん!」

「勝手に死んだだけですわ、勝手にドハマりして、それでギャンブルが悪いとは言いがかり以外の何物でもありません」

「借金取りの理屈だぴょん!」

「パチンコで自殺者が出てパチンコ店が責任を取ったことはありません。現代社会はそれを認めてますわ」

 

 まずパチンコってなんだよ。

 卯月はまだ現代文化に疎かった。しかし、言いくるめに来ているのは分かる。卯月は顔を真っ赤にしながら、貰った交換券を叩きつけた。

 

「お返ししますっぴょん!」

「一度受け取ったのに、失礼な子供ですわ!」

「貸しなんて作ったらどーなるか予想もできないっぴょん」

「それはわたくしのセリフです、いま貸しがあるのはわたくしの方ですわ」

 

 そういえばそうだ。わたしの反骨心のおかげで熊野は賭けに勝った。

 それに対して、勝手に貸しを返そうとしているのだ。卯月は邪悪に口角を上げる。こんな奴の思い通りになってたまるものか。

 

「なら、返しはこっちで指定するぴょん」

「交換券は嫌と?」

「ほーん、勝手に賭けの対象にしておいて……随分勝手な奴ぴょん」

 

 熊野は黙り込む。わたしが優勢のようだ。今こそ好機、すぐさま言葉を畳みかける。

 

「でも熊野は、貸しを返そうとはした、『誠意』はあると思うぴょん。だからこそ、『誠意』を見せて貰うぴょん」

 

 本当のクソなら、賭けていたことを言いもしない。それを言って貸しを返そうとしたのだから誠意はある。

 だからその気持ちを利用させてもらうのだ。心の中で卯月は『ウシシシ』とほくそ笑む。

 

「簡単なことぴょん、このうーちゃんに対して『嘘』を吐かないことだっぴょん」

「……え、それだけですの?」

 

 もっとキツイことを要求されると思ったのだろう。熊野はキョトンとしていた。

 

「そう、うーちゃんは嘘が嫌いだからぴょん」

 

 馬鹿め、本命はそっちじゃなくて博打の方だ。

 もしかしたら今後、熊野の博打に巻き込まれるかもしれない。

 その時、熊野が嘘をつけなければ、賭博で敗北することはあり得なくなる。熊野の博打に嵌る可能性をゼロにできるのだ。

 

「分かりました、了承しましたの」

「よーし、しっかりと聞いたぴょん。今後なにがあっても約束は守ってもらうぴょん!」

()()()()のはアリですのね」

「……あ」

 

 言い忘れていた。

 卯月は固まる。ダラダラと脂汗が流れ始めた。熊野はなんだか菩薩みたいな笑顔を向けてくる。これは、やっちまったか。

 

「追加は」

「できまねます、あと……わたくし、前科戦線では賭場開いてませんわ」

「え」

「個人的な小規模な賭けだけですわね、卯月さんが思うような賭け事はしません」

 

 考えてみれば当たり前だった。

 賭場で捕まったのに、また賭場を開けるわけがない。個人的な賭け事で巻き上げられる可能性は虚無に等しい。そんな勝負で勝っても旨みはない。

 

 つまりどういうことなのか。

 

 卯月は、この貸しをほぼ()()()に浪費したのである。

 しかも、『言わない』を指定し忘れた、半端な約束によって。

 

「舌戦の人生経験が足りてませんわ」

「あーっ!」

「あと商品券、いらないんでしたね」

「あーっ!?」

 

 完全なうっかり。

 どっちにしろ、ギャンブルで死ぬことはない。

 それは良いが単純に悔しかった。前科戦線に卯月の悲鳴が響き渡った。




 熊野の理屈が完全にTEIAIのそれ。
 別に給料も酒保もあって良かったんですけど、こうした方が懲罰部隊らしさが出る気がしたので。
 
 あと渡してないだけで、給料は出てます。
 出したところで使い道がないので、中佐のところで管理してます。沈んだ時は全額回収されます。極めて合理的な制度です。


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第9話 古傷

小説のネタはあるけど並行連載できる気力がない。並行連載できる作家さんの体力はどうなってんでしょうか……(渇望)。


「もう誰も信じられないぴょん」

「昼休憩でなにがあったクマ」

 

 この世界の全てに絶望した顔で、卯月は砂浜に倒れていた。

 貸しは安い約束で使ってしまい、貰った商品券は消えた。熊野にしてやられたことで、卯月は生きる活力をなくしていたのだ。

 

「世界の全てが敵だぴょん」

「そうかクマ、まあどうでもいいクマ。午後の訓練を始めるクマ」

「また走り込みかっぴょん」

「そうだクマ」

 

 午前中の苦しみを思い出すと、ゲッソリとしてくる。

 まあだいぶ体力も戻ったので多少はマシか。気合を入れて頑張って、早いところ終わらせよう。

 しかし卯月は、それが甘い考えだったと思い知る。

 

「だけど、更に実戦的にするクマ」

「実戦?」

「ちょっと前を向くクマ」

 

 だいぶ、いやかなり嫌な予感がする。けど逆らえない。卯月は追い詰められた小動物のようにプルプル震えながら反対を向いた。

 球磨は卯月の腰に手を回し、そのままお腹あたりを触ってきた。

 

「ちょ、な、なにをしているぴょん!」

「じっとしてるクマ」

「いや無理、くすぐったい、これはセクハラだぴょん!」

 

 さすがに肌を直で触っちゃいない。服の上からだ。それでもくすぐったい。変な笑いが出てくる。

 いったい球磨はなにをやっている。そう思うと同時に、お腹周りがキュッと締め付けられた。

 

「完了クマ」

 

 なんか、お腹にロープが巻かれていた。

 

 軽く動かしてみると、見た目以上に重い。

 違う。ロープが重いんじゃない。ロープの先に繋がっているなにかが、とても重いのだ。

 

 振り返り、ロープの先を確かめる。

 そこにあったのは、全4個のタイヤだった。それも普通車のではない。大型ダンプカーが使うようなゴツイ代物だ。

 

「おーっと、これはまさか、そういうことかぴょん」

「これをつけて走るクマ」

「ハハハ、御冗談を。ああそうか、艤装をつけて走れってことかぴょん!」

「いや、生身クマ」

 

 卯月は笑った。球磨はピクリとも笑わない。

 

「せめて理由を」

「球磨たちは艤装をつけて戦うクマ。つけている間なら、艤装の重さはほとんど感じないクマ」

「じゃあなんでぴょん」

「感じないけど、それでもある程度の重さはあるクマ。そのわずかな差を埋めなければ、沈むクマ」

 

 クマクマ言ってるが、ふざけた様子は一切ない。

 心の底から(最初からそうだけど)真剣に、わたしを生き残らせる方法を考えてくれている。

 

 実際の戦場は、砲弾や機銃が飛び交う。

 1秒、0.1秒で死が訪れる世界。その瞬間、艤装のわずかな重さで、動きが鈍ったら、もう死ぬしかない。

 

「それに、艤装は()()()クマ」

「大きい?」

「そう、動いた時の遠心力とかも、生身とは違う。馬鹿にしてると酷い目にあうクマ」

「つまり、今度は艤装の『重さ』に慣れる訓練だぴょん」

 

 午前のは本当に基礎体力。ここからは艤装込みでの基礎体力だ。

 これができなければ、艤装を使った訓練もあまり意味がなくなる。砲撃や雷撃訓練のための体力を、ここで作らないといけない。

 

「というわけでタイヤクマ」

「……ぴょん」

 

 納得した。

 納得してしまったので、文句など言える筈もない。

 卯月は遠い目を擦り、砂浜を駆けだす。

 

「あ、忘れてたクマ」

 

 そう言って球磨は、素早く濡れマスクを装備させた。

 ちょっと泣きそうだった。しかし卯月は文句を言えない。改めて砂浜を踏み締める。

 

 さすがに午前のように、バランスを崩して転ぶことはなかった。

 あのスパルタ訓練も、艦娘の体なら効率的なトレーニングになるのだ。キツイが。

 

 しかし、今度は別ベクトルのキツさがあった。

 どんなに走っても、()()()()のだ。

 

 原因はやっぱり後ろのタイヤだ。

 進むたびに4個もあるタイヤが滅茶苦茶に動くせいで、重心が安定しない。砂浜に引っ掛かってしまい、文字通り足を引っ張る。

 

 思いっ切り力を入れれば進むが、今度は力が入れにくい。

 不安定な砂浜は踏み締めにくい。少しでも力の入れ方がズレたら、また転んでしまう。

 

 今度は一歩一歩、一つ一つに全力の力を、正確な角度で込めないといけない。午前以上に集中力を要求される。

 

 遅かったり、力加減が甘ければ球磨の一撃が飛んでくる。

 このせいで気を抜けない。意識を抜くヒマはまったくなかった。

 

 しかも、筋肉を使う分、息をしなきゃいけないのに、この濡れマスクだ。

 回復した心肺機能でも相当キツイ。お腹から肺から喉まで、全部使って息を吸わないと、また酸欠で倒れてしまうだろう。

 

 ここまで辛いのか。卯月はいよいよ半泣きになってくる。

 痛いし苦しい。それでも、我慢して走る以外に道はない。そうしなければ実戦には出れない。一週間後実戦と言ってたけど、球磨が許さないかもしれない。

 

 そんなことになれば、また戦うタイミングは遠のく。

 とても耐えられない。わたしは絶対に前線に出たい。そうでなければ深海棲艦を殺せない。わたしはあいつらをぶっ潰したいのだ。

 

 自分の頬を思いっきり叩き、朦朧としてきた意識を叩き起こす。

 

「うおおお! うーちゃんは負けないぴょん!」

 

 意識が飛びかけたら、とにかく叫んだ。

 余計息が苦しくなるが、意識は目覚める。卯月にとっては黙って走るよりは()()だ。

 

 この訓練は無茶苦茶だし暴力的だ。

 だけど、間違いなく強くなれる。午前の訓練でそれは分かった。

 なら全力で取り組んでやる。どうせ苦しむのなら、そっちの方が良い。

 

「まだまだっ、どんどん走るびょん……!」

 

 若干ヤケクソ気味の考え方だった。酸欠になりかけて思考が変になっている。球磨は微妙な顔をしたがなにも言わなかった。変なことはしてないって意味だ。

 

 球磨はどうせ倒れるまで走らせる予定だろう。ならやる気になった方が質は上がる。卯月は自分にそう言い聞かせて、砂浜を踏み締めた。

 

 

 

 

「……ん?」

 

 気づくと、卯月は大空を見上げていた。

 おかしい。さっきまで地獄の走り込みをしていたのに。なぜわたしは砂浜に寝転んでいる。転んで意識が飛んだか?

 

「気づいたかクマ」

「どうなってるぴょん」

「びっくりしたクマ、走りながら気絶してたクマ」

「ええ……弁慶じゃあるまいし」

 

 異変に気づいた球磨がどつき、ぶっ倒れたらしい。

 やり過ぎで気絶していたのだ。ただ入渠ドックに入れられていない辺り、まだまだランニングは続く。終わりではない。

 

「本当に一歩も動けなくなったら入渠ドッククマ。水分だけはやるクマ」

 

 手渡されたペットボトルを、一気に飲み干してしまう。

 喉も相当乾いていた。一回走っただけでどれだけ汗をかいたのやら。ジャージの裏がビショビショで気持ち悪い。

 

「痛くないのかクマ?」

 

 ペットボトルを返して再び立ち上がると、球磨がそう言ってきた。

 

「痛いに決まってるぴょん、我慢してんだぴょん」

 

 ムッカー、とオノマトペをつけて卯月は憤慨する。

 足はパンパン、骨も筋肉も、肺も悲鳴を上げてる。それを訓練のためと耐えているのだ。なのに痛くないって、なんだよお前は。

 

「いや、感心してるクマ」

「感心だって?」

「そうだクマ、同じ特訓を課して、一回でドック行きになんなかったのはお前が始めてクマ」

「それは自慢していい話かぴょん」

「そもそも前科持ちがなにを自慢するクマ」

 

 ごもっともなお話で。

 しかし、本当に感心しているらしい。でなければわざわざ話さない。

 なぜなら、わたしは気絶してないといけないからだ。

 

「球磨は卯月が絶対に動けなくなる負荷をかけたクマ。でも卯月は動いている。体の限界を超えてなお動いている。凄いことだクマ」

「なるほど、つまりうーちゃんは天才ってことかぴょん!」

「いや、多分、痛みに()()()()()んだクマ」

 

 どういうことだ。

 わたしは生まれてから実戦に出ていない。戦場の痛みは知らない。

 知ってるのは、今やってる訓練の痛みだけだ。

 神鎮守府でも基礎訓練はしてたけど、ここまでじゃない。

 

 あとは……護送車の中にいたとき。あの時もかなり苦しかった。でも、それでも今の方が辛いと感じる。

 

「覚えていないかクマ、いや、当然かクマ」

「ぴょん?」

「卯月は深海棲艦の襲撃時、死にかけているクマ、だからこの訓練に耐えれたクマ」

 

 死にかけた?

 神鎮守府が深海棲艦に襲われた時のことか。

 そういえば、冤罪でいっぱいいっぱいで、わたしがどんな状態かは知らなかった。

 

 まさか深海棲艦の襲撃を受けて、無傷はあり得まい。その時死にかけて、ギリギリ生き残ってしまったのだ。

 その上で冤罪で解体。

 我ながら、不幸のどん底にいたと思う。

 

「うーちゃんがどんな怪我が聞いたのかぴょん?」

「聞いたクマ、特訓内容考えるのに必要だったクマ」

「どんな怪我だったぴょん」

「まず、全身の打撲クマ」

 

 なるほど、それぐらいは普通か。

 

「そして全身に火傷クマ」

 

 砲撃とか空爆で受けた傷だろう。

 

「続けて複雑骨折が30箇所」

 

 攻撃をまともに食らえばそうもなる。

 

「さらに粉砕骨折が50箇所」

 

 人間の骨はだいたい200本だ、80本ぐらいなんてことはない。

 

「大動脈破裂10箇所、他内出血300箇所、脳卒中4箇所」

 

 えーと、あれだ、人間は割りとタフだ。雷に当たっても死なない時もある。

 

「最後に内臓破裂3箇所クマ」

「いやどうなってんだぴょん!?」

 

 おかしい。あまりにもおかしい。

 

「艦娘は死にさえしなければ、入渠すれば治るクマ」

「違う、そこじゃないぴょん。なんでそんな重症を負ってるぴょん」

 

 深海棲艦の攻撃を受けたとしても、やり過ぎだ。こんなダメージは普通負わない。どんだけ執拗にボコボコにされたんだわたしは。

 

「知らんクマ、球磨は不知火から聞いただけクマ」

「ホントかぴょん」

「ホントクマ」

 

 と言うからには、本当に聞いてないのだろう。これ以上聞くのは時間の無駄だ。

 

「その状態で数日放置されて、入渠できたのは不知火が助けたあとクマ」

「よく間に合ったぴょん……」

「でも、そのせいで半年間昏睡する羽目になったクマ。そのときの痛みに比べれば、こんな特訓なんてことはない、と思うクマ」

 

 そう言われても、わたし自身は痛みを覚えていない。

 もしくは、死にかけて痛覚がマヒしていたのか。

 それでも、からだは覚えているのだろう。だから過激な特訓にも耐えられる。そういう理由だ。

 

「ちょっと喋り過ぎたクマ、再開するクマ」

「うぇぇ……ぴょん」

 

 でも辛いです。

 卯月を見て球磨はニッコリとほほ笑む。やっぱりこいつド鬼畜じゃないのか? 心の中で悪態をつきながら、再び地獄へと走り出す。

 

 

 

 

 結局、そのあとも卯月は何度も何度も血反吐を吐いた。入渠ドックと砂浜を往復すること5時間、太陽はもう水平線に重なっていた。

 

「お空が赤い、夕焼けか、それとも、うーちゃんのお目めが内出血しているのか……」

「まだ喋る余裕があったクマ、速度を速めるクマー」

「ぎゃあ!」

 

 何時まで続くのだろう。

 集中力はとっくに切れた。もう精神力だけで手足を動かしてた。それも限界を超えている。越えてぶっ倒れると入渠ドック行きになる。同じことの繰り返しだ。

 

 幸か不幸か、わたしを賭けにしていた熊野はいない。

 そのせいで、怒りのブーストができないが……どっちが良かったのか、今となってはさっぱりだ。

 

 朦朧としながら走っていると、ふと球磨の足音が消えた。

 走りながら振り向くと、いきなり現れた不知火と話していた。足を止めたらまた言われそうなので、無視して走り続ける。

 

「卯月、止まるクマ!」

 

 わたしに聞こえるように、大きな声で手を振っている。いったいなんの用だろうか。訓練関係ではなさそうだが。

 

「──ど、ど、うし、したたぴょ、ぴょん」

「……球磨、これは?」

「訓練を張り切ったクマ」

 

 やべぇぞ、呂律が回らん。

 ひーひーと息を整える間、片手でチョップを喰らう球磨が見えた。ちょっとだけざまあ見ろと思っていた。

 

「聞こえていますか、卯月」

 

 まともに話せないので、頷いて返事をする。

 

「球磨にも話しましたが、本日の訓練は現時刻をもって終了となります」

「え、良いのかぴょん」

「ええ、明日から別の訓練になるので。今日は休んで心身を回復させてください」

「了解ぴょん」

 

 冷静さを装いながらも、卯月は内心喜んでいた。

 やったぞ、ようやくこの地獄から解放される!

 

 必要なことと理解してても、嫌なものは嫌なのだ。明日から別の訓練なのも良い。また走り込みじゃモチベーションが持たない。

 

「担当は誰クマ」

「那珂です」

「那珂……その人も、前科組かぴょん?」

「ええ、そうです」

 

 ポーラ、球磨、熊野に続いて四人目の前科持ちになるわけか。

 いったいどんな奴なのか不安しかない。まあ、今回ほどヤバイ訓練はそうそうないだろう。今日はぐっすり眠れるぞ。

 

 立ち去る卯月を見る球磨と不知火は気づいていた。彼女の足取りがスキップになっていることに。

 

 そして球磨は同情した。

 アイドルがトラウマにならなければいいが……と。

 彼女を見つめる二人の目は、死んだ魚のようだった。

 

 

 

 

「不知火」

 

 空気を変えたのは、球磨の一言だった。

 

「お前から聞いた、卯月の怪我のことだけど」

「不知火は、お伝えしましたが」

「それは、あの怪我で、()()って意味クマ?」

「言うまでもありません」

 

 そう言い切って不知火は立ち去る。言ったことが全てであり、これ以上の質問は意味をなさないからだ。

 あっというまに夕日は落ちて、赤い空は星空へ消えていく。

 砂浜に立ったまま、球磨は地平線を眺めていた。

 

 卯月は、凄まじいダメージを受けていた。

 それは間違いない。実際球磨も運び込まれた直後の卯月を一度見ている。

 

 だからこそ疑った。

 不知火や高宮中佐が、一部の怪我を隠したんじゃないかと。

 そう思うほど、異常なことがあった。

 

 粉砕、複雑骨折、大動脈破裂。

 あれだけの怪我をして。あそこまで執拗に、深海棲艦から攻撃されて。

 

 なんで、『欠損』がなかったのか。

 

 球磨が見たとき、卯月は死にかけていた。

 しかし五体満足だった。

 深海棲艦の猛攻を受けて、内臓破裂までしたのに、指先一本の欠損さえなかったのだ。

 砲撃や爆撃の直撃を受けて、欠損はないけど、体内は重症?

 

「卯月は、いったいなにを抱えているクマ」

 

 夕日の残り火も消え、静寂が海を覆う。

 最低限の明かりしかない前科戦線。サーチライトの代わりになるのは星空か、見えぬ監視か。球磨は足早に立ち去った。



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第10話 宿敵

 地獄どころか阿鼻地獄のようなランニングを終えた卯月は、速やかに入渠を終えた。

 今日一日で一生分の入渠をした気がする。

 とぼとぼ廊下を歩きながら、卯月は腹をさする。お腹が空いたのだ。

 

 食堂に入ると、朝と同じようにメンバーのほとんどが集まっていた。いないのは不知火と高宮中佐ぐらいだ。

 

 厨房では飛鷹さんが忙しそうに動き回っている。普通の鎮守府と比べれば人数は少ないが、それでもご飯を作るというのは、大変なのだろう。

 

「あ、うーちゃん! ちょうど良かった!」

 

 飛鷹さんが急に声をかけてきた。

 なんだろう。もしや一日頑張ったうーちゃんのためにスペシャルなデザートを用意してくれたか。

 

「ふふん、そこまで言うなら受け取ってあげるぴょん!」

「ありがと、じゃあこれ」

 

 と言って、夕食のプレートを渡された。二人分の食事が乗っていた。一人でこの量を喰えって意味か?

 

「うーちゃんこんな食べれないぴょん」

「……いや、うーちゃんのじゃないわよ」

「え?」

「え?」

 

 ということは、スペシャルなデザートとかもないのか。信じられない。こんなことがどうして許される。

 

「裏切りものめ!」

「これ持ってって欲しいの」

「待ってスルーは辛いぴょん」

 

 しかし、飛鷹さんは問答無用で話を進める。わたしの脳内妄想に付き合っている暇はないとしても無視は辛かった。

 

「で、どこに持ってくぴょん」

「自室、うーちゃんの」

「自室?」

「不知火が決めてくれたわ、いつまでも医務室暮らしってわけにはいかないでしょ」

 

 昨日今日と病室で目を覚ましたせいで考えていなかったが、そうか、普通自室があるか。

 神鎮守府でも、わたしの部屋はあてがわれていた。ただし菊月との相部屋だが。

 

 卯月は改めてプレートを見る。

 乗っているのは二人分だ。これを自室へ持っていく。つまり、わたしと誰かの食事ということだ。

 

「もしかして、相部屋ってことかぴょん」

「そういうこと、満潮って子との相部屋よ」

「なるほど、満潮に食事を持ってって、ついでにコミュニケーションを取ってこいって意味だぴょん」

 

 でなければ二人分の食事はいらない。満潮の分だけで良い。

 

「そうよ、正直ここでは歓迎会なんてしないから。こうやって機会を作らないと、喋らないままになるわ」

 

 その通りだろう。懲罰部隊の歓迎会とか絶対に内外から文句が出る。ついでに単語の犯罪臭がヤバイ。歓迎(意味深)って感じだ。

 

「頼めるかしら、満潮多分ここまで来ないでしょうし」

「ご飯を食べに来ないって、作る人のこと舐めてんのかぴょん」

「そうじゃないわ、見ればわかるわよ」

 

 飛鷹さんのご飯は美味しい。朝食と昼食を食べて分かった。こんな美味しいもの作って貰っているのに、来ないとは失礼じゃないか。

 

 でも見れば分かるのか。

 じゃあ見て来よう。

 飛鷹さんから貰ったメモを元に、満潮との相部屋を目指す。

 

 歩いている最中も、ホカホカのご飯の香りが胃を刺激する。メッチャ腹が空いてきた。歩く速度も自然と早まる。

 

「ここか」

 

 部屋は思ったより近くにあった。

 鋼鉄製のネームプレートに、満潮と卯月の文字が書かれている。

 扉は鋼鉄製で、向こう側を覗ける細い窓がある。いかにも監獄って感じだが、室内ははてさてどんなのか。

 

「失礼しまーす、ぴょん」

 

 扉を抜けた先は……ある意味銀世界か。

 全部うちっぱなしのコンクリート。床も天井も壁もコンクリ。鉄製のベッドが二つ、人数分置かれていた。窓にはキッチリと鉄格子がついている。

 

「おお、ザ・牢屋って感じぴょん」

 

 あくまで犯罪者、あくまで前科者。

 そう感じさせる内装に卯月はいっそ感心する。

 

 余計な装飾品一切なし。機能性だけを追求した武骨な部屋、これぐらいスッキリしていれば、むしろ過ごしやすいか?

 

 部屋の奥、同じく二つ置かれた鉄製の机に、女の子が座っていた。きっと彼女が満潮だ。

 

「どうもっぴょん、今日からここでおはようからおやすみまでを一緒にすることになった、駆逐艦の卯月だぴょん!」

 

 なぜそこまで言う必要があるのか。

 対して意味のない挨拶を繰り出した卯月に対して、満潮は。

 

「…………」

 

 無言であった。

 一切の反応を示さず、机に向き合っていた。

 

「おーい、聞こえてますかぴょん」

 

 近くにいって声かけをしても、満潮は反応しない。机の上には色々な本が置かれていた。どれも軍事関係の本ばかりだ。

 

 つまり、勉強に集中し過ぎているから、食堂に来なかった?

 なるほど、確かに持っていくしかない。でもご飯が冷めるのも困る。できるなら今直ぐに食べて貰いたい。

 

「ご飯持ってきたぴょん、冷めるぴょん」

 

 スプーンで頬を叩くも反応がない。

 続けて体を揺すってみても、机から一切離れようとしない。

 米粒を頬につけても微動だにしない。

 

 どんだけ集中してるんだ。

 卯月は絶句する。このまま放置して、自分だけ食べるのが一番良い筈だ。

 

 でも、せっかくのご飯なんだから、温かいうちに食べて貰いたい。

 飛鷹さんもそう思っているから、持っていってとわたしに頼んだのだろう。なんとか満潮に食べて貰わないと。

 

 そうだ、食べさせればいいじゃないか!

 

 わたしは飛鷹さんのご飯が冷めないで済む。

 満潮は勉強しながらご飯を食べれる。

 これは中々のグッドアイデアだ。

 

 というわけで、満潮の口へ突っ込んであげた。

 

 熱々のシチューを。

 

「──ッ!?」

「美味しいぴょん?」

 

 ただのイタズラであった。

 ぶっちゃけ満潮のリアクションを見たかっただけである。

 悶絶する満潮を見て、卯月は大満足であった。

 

「なにすんのよあんた!?」

「シチューぴょん」

「食べ物の名前を聞いたんじゃない!」

 

 予想どおり、彼女は憤慨している。

 ちょっとばかしやりすぎただろうか。ちょっぴり申し訳ないと思った。

 

 しかし、あることに気づく。

 こいつの髪型、このドーナツ染みた髪型。どこかで見たぞ。

 あれは確か……

 記憶をたどり、思い出した卯月は叫んだ。

 

「あの時のド変態!」

 

 昏睡状態の無抵抗なわたしの肌を、にちゃぁ……としながら劣情全開でなぶっていた奴だ!

 

「はぁ!? あんた、それは違うって言ったでしょ!?」

「うーちゃんは騙されないぴょん」

「だーかーら! 寝てたせいで風呂に入るのも難しかったあんたを、毎日毎日綺麗にしてたのよ!」

 

 そういえば、不知火が変態じゃないとか言ってたような。

 どっちでも良いか。

 少なくとも変態ではない。うーちゃんのうーちゃんは守られたのだ。

 

「つまり黒子の数まで知ってる関係と」

「そろそろ殴るわよ、それにさっきの。まだ口痛いんだけど」

「悪かった悪かったぴょん」

「ったく……」

 

 凄まじい負のオーラを撒きながら、満潮はまた机に向き直る。

 

「ご飯は?」

「あとで、いま忙しいの」

「ふーん、分かったぴょん」

 

 冷めるのに。そんなに勉強が大変なのか?

 仕方がないので、卯月は先に食べることにした。

 

 今日の晩御飯はクリームシチュー。

 懲罰部隊って言う割りに扱いが良い。それを帳消しにするほど、任務は過酷なのか。

 

 そもそも、前科戦線がどんな任務をしてるのか聞いてない。満潮とか、誰かに聞いてみるか。

 まずはご飯だご飯。

 

「うまい!」

 

 まずは一口。牛乳の優しい口当たりのなかに、確かな旨味がある。

 

「うまい!」

 

 スープなのも良い。おかげでどんどん食べられる。疲れきった体に染み渡るのが分かる。

 

「うまい!」

 

 カレーみたいに、ご飯にかけて食べても美味しい。いやもう本当に味覚があって良かった。マジ最高。

 

「うま──」

「あんた、わざとでしょ」

「いやぁ、この感動を伝えてあげようと!」

「たかが食事じゃない……はぁ、もういいわ、集中できない」

 

 読んでた本を乱雑に閉じて、持ってきたご飯を持っていく。見るからに不満そうだ。

 しかし、食事を始めてくれた。狙いどおりだ。

 

「勝った」

「なによ」

「いや別に」

 

 無理矢理話題を変えるため質問をする。さっき気になったことだ。

 

「満潮は、ご飯が好きじゃないのかぴょん?」

「そうよ、こんな作業に時間を取られて、不便じゃない」

「えー、でも軍艦も燃料補給とかの時間があるぴょん」

「元の姿なら燃料()()じゃない、野菜も肉もとらなきゃいけないなんて、面倒でしかないわ」

 

 満潮はシチューの中にご飯を全部突っ込み、一気に掻き回す。

 かなり食べやすくなったところで、さっさと口に運びだす。さっき言った通り、作業のような食事だ。

 

「人生損してるぴょん」

「なんであんたに、わたしの人生決められなきゃいけないのよ」

「それもそうか」

 

 わたしには理解しがたい感覚だ。

 守護者でも、どうせ人の体で生まれたんなら、この体を楽しみたい。

 

 熊野のように、博打に手を出す程やり過ぎる気はない。

 あくまで程々に、守護者の使命を忘れない程度にだ。それが分からないとは、なんだか可哀想に思える。

 

 だけど、彼女の言う通り、それは人の勝手だ。

 わたしがどうこう言うべきではない。

 満潮には満潮なりの人生観がある。それは尊重しなきゃいけない。

 

「てか、なんであんた、ここでご飯喰ってるの。食堂で食べれば良いじゃない」

「満潮のご飯を持ってくるついでに、お喋りしてこいって飛鷹さんが」

「ああそう、うざいわね……」

 

 ご飯作らせて、今度はうざいか。

 ちょっとカチーンとくる。

 なるほど、確かにこの性格と価値観じゃご飯を食べに来ない。飛鷹さん気を使い過ぎじゃないか? ほっといても良いと思うけど。

 

「まあいいわ、そういう理由ならとっとと自己紹介ね」

 

 満潮はもう食べ終わっていた。手早く食器を片付けて、わたしの真正面に椅子を置き直す。マメだと感じた。

 

「もう散々話したけど、朝潮型三番艦、駆逐艦の『満潮』よ。前科戦線唯一の駆逐艦。不知火は前科持ちじゃないから例外」

「モグモーグ、モググ」

「呑みこんでから話なさいよ」

「睦月型駆逐艦の、うーちゃんだぴょん!」

 

 秘書艦という立場だから、不知火はほとんど出撃しない。水雷戦隊を組むなら、満潮とタッグになるわけだ。

 駆逐艦仲間か。色々な人に会ったけど、やっぱり同じ艦種は話が違う。

 ちょっと価値観は合わないけど、仲良くなれそうだ。

 満潮なら似た過去もあるし。

 

 と、思っていた。

 しかし満潮は、卯月の淡い期待を吹っ飛ばした。

 満潮からすれば当たり前な、簡単な一言で。

 

「ああ、()()の駆逐艦ね」

 

 卯月は耳を疑った。

 信じがたく、許しがたい言葉が聞こえた。

 最弱と、弱いと言ったのか。

 

「今、なんて?」

「最弱って言ったの。だって睦月型の卯月って言ったら、なんにもできない艦じゃない」

「なるほど、でも最弱は言い過ぎじゃないかぴょん?」

「ちょっと対空が高いだけで、イ級の装甲も抜けないんだから、最弱でしょ」

 

 満潮はそれからも、卯月の欠点を言っていた。

 装甲も紙、輸送が得意でもない、雷装も高くない──それらはもう、聞こえていなかった。

 頭の奥で、ブチブチと血管の千切れる音が響く。

 

「ま、せいぜいわたしの足を引っ張んないでよね」

 

 弱いのは、事実だ。

 睦月型は最初期の駆逐艦、わたしも例外ではない。あとから建造された艦と比べればほとんどが劣ってしまう。

 

 だから、弱いのは否定しない。

 

 しかし腹は立つ!

 

 最弱だが、それでもわたしは睦月型の『卯月』なのだ。

 それを真正面から弱いと言われて、アハハと笑い飛ばせる性格はしていない!

 でも、阿保のようにキレるのも無様だ。

 

「なるほど、しっかり覚えておくぴょん」

「ええ、そうしてちょうだい」

「了解だぴょん、『満潮型駆逐艦』の満潮!」

 

 なので、地雷(史実)を踏み抜いてやった。

 

「今なんて?」

「同じことを二度も効くなぴょん、マヌケかぴょん?」

 

 一瞬絶句したあと、満潮はわたしを睨み付ける。

 歯を食いしばり、怒りに震える顔。もう一言付け加えたら、プッツンしそうだ。

 じゃあそうしよう。

 

「うーちゃんは、事実を述べたまでだぴょん」

「なんで、そんなこと知ってんのよ」

「いやぁ、うーちゃんも似た経緯があったもんで。同じ過去仲間が、いたんだなーって思ったんだぴょん」

 

 この発言、実は卯月の地雷でもある。

 睦月型駆逐艦は、1942年に『卯月型駆逐艦』と改定されている。

 なぜなら、睦月から弥生までが轟沈してしまったからである。

 

 満潮型駆逐艦も同じ理由。

 彼女の『姉』が沈んだことで、改定されたのだ。

 姉妹艦の轟沈による改定。絶対良い気分にならない話題。

 

 そう自覚していたからこそ、卯月はそこを踏み抜いた。

 艦だった頃も、艦娘になった時も、似た過去の仲間として覚えていたのだ。

 絶対に煽りになると理解していたから、踏み抜いたのだ。

 

「怒るわよ……!」

「へぇ? 人のこと弱いって言っといて、言われるのは嫌って、お子様ぴょん」

「弱いのは事実じゃない、それを言ってなにが悪いの!」

「じゃあ満潮型も事実ぴょん、別に良いけど、弱いって言ったって、卯月型って言ったって、うーちゃんはぜーんぜん怒らないぴょん」

 

 ヘラヘラと笑う卯月に対し、血管を浮かび上がらせる満潮。

 どちらも変わらず、眼光は鋭い。心の中で激怒しているのは、誰から見ても明らかだった。

 一触即発。部屋が緊迫に支配される。

 

「ッチ!」

 

 先に動いたのは満潮だった。

 シチューを一気に食べ、さっさと部屋を出ていこうとする。

 

「風呂かぴょん?」

「そうよ、じゃあね!」

「行ってらっしゃいぴょん」

 

 乱闘になったら、刑期が伸びる。

 そうなれば困るが、怒りが収まらない。だから満潮は一端この場を離れることにした。血が流れるような展開は、起きずに済んだ。

 

 静かになった部屋。静かな廊下。

 卯月と満潮は、同じことを思っていた。

 

 あいつは嫌いだ!

 

 しかし真の地獄はこれからだとは、まだ知らない。

 高宮中佐が部屋替えを認めず、ずっと二人、同じ部屋になるとは、知る由もない。

 不倶戴天のルームメイトに、卯月は深い溜め息をつくのだった。



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第11話 偶像

 寝起きの卯月に襲い掛かったのは、想像を絶する筋肉痛だった。

 悲鳴も上がらなかった。叫ぶと更に痛い。入渠でカバーできないレベルの、無茶苦茶な訓練をやったツケだ。

 

「……あんたなにやってんの」

 

 同室の満潮が、冷たい視線を投げかけてきた。

 なんてことだ、朝からこいつの顔を見るなんて。別室にしてくれないだろうか。今度相談してみよう。

 

 なお相談した結果は、前回説明した通りなので割愛する。

 

「動けないぴょん」

「そう、ざまあないわね」

「人でなし!」

「なんとでも言いなさい」

 

 白状者満潮は、ベッドでのたうち回るわたしを無視して部屋から出ていった。なんて奴だ。

 いや、それで抱っこなんてされた日には、拒絶感で吐くだろうから、これで良いわけだが。

 

 結局卯月は、自力で這いずってベッドを脱出した。

 今日は確か、砲撃とかの訓練をするんだったか。那珂という艦が教えてくれると聞いた。

 ……この筋肉痛だから、優しくしてくれるかな?

 

 淡い期待を抱きながら、卯月は朝食に舌つづみを打つ。

 満潮が視界にいないだけでも、だいぶ心がさわやかだ。安心して食事を楽しめる。ホッとしながら、箸を持ったときだった。

 

「おっはよーうっ!」

 

 背中から抱き着かれた。

 結果、箸が目に刺さった。

 致命傷である。

 

「ぬぎゃぁーっ!?」

「艦隊のアイドル、那珂ちゃんだよー!」

「自己紹介してる場合かぴょん!?」

 

 痛みに引っ繰り返るわたしが見えていないのかよ、卯月は突っ込んだ。

 艦娘でなければ失明である。なにがアイドルだ馬鹿野郎。

 

「あれ? 刺さってた?」

「お前にも刺してやろうかぴょん」

「駄目だよー、アイドルは、顔が命なんだからー」

 

 いやマジで刺したくなってきた。プルプル震えるわたしを見て、「テヘ」と舌を出す那珂を見て思った。

 

「ゴメンゴメン、本当にゴメン。後輩ができるって聞いて、ついテンション上がっちゃったの」

「マジで勘弁してくれぴょん……」

 

 艦娘だから失明しなかったし、謝ったのだから一応許す。痛いけど。

 

 息を整えて向き直る。

 髪の毛をお団子にした、黒髪の女性。彼女が『那珂』というわけか。

 

「……ん?」

「どーしたの?」

「あ!」

 

 卯月は見覚えがあった。

 この髪形をした奴を昨日見た。そうだ、熊野と一緒にわたしを賭けにしていたやつじゃないか。

 

「お前、うーちゃんを賭け事に使ってたなぴょん!」

「昨日のお話?」

「そうだぴょん、人を賭けごとに使うなぴょん!」

 

 熊野にも言っておいたことだが、彼女にも改めて言っておく。

 頬を膨らませて、威嚇しながら睨み付ける。

 すると、なんと那珂まで頬を膨らませて、威嚇の姿勢をとってきた。

 

「な、なんだぴょん」

「酷いでしょ、あそこでちょっと転んだフリしてくれたら、那珂ちゃんが勝ってたのに!」

「そっち!?」

 

 こいつ、勝手に賭け事をしてたのに、その責任をこっちに持ってきやがった。信じられない展開に卯月は絶句する。

 

「那珂ちゃんの交換券取られちゃったし、怒りたいのは那珂ちゃんだよ!」

「知らねぇぴょん……」

「こうなったら、今日の訓練で思いっ切り八つ当たりしちゃうんだから!」

「は!?」

「でも安心して、必ず卯月ちゃんもステージで輝けるようになるから!」

 

 なんだよステージって、なんで訓練で八つ当たりなんだ、まるで意味が分からんぞ!

 と叫ぶ暇もない。瞬きした間に、那珂は煙のように消えてしまった。足音さえしなかった。

 

「……忍者かなにかかぴょん?」

「御愁傷さまですわ」

「ぎゃあ!」

 

 後ろから熊野が現れた。驚かす気満々の登場だった。今度はなんだいったい。わたしはおだやかにモーニングも食べれないのか。

 

「ご飯食べさせてぇ……」

「あら、愚痴の一つでも聞いて差し上げようと思いましたのに」

「いやお前も愚痴の原因の一つだぴょん」

 

 人を賭けの対象にする奴がなにを言うか。

 しかし、冷静に記憶を思い返すと、前科組みでまともなやつは何人いただろうか。

 ……アレ、会話が成り立つの球磨と熊野しかいなくね?

 

 満潮はそもそも話したくないし、不知火は飛鷹さんは、立場の違いがある。

 気づきたくない事実に気づいてしまった卯月は、頭を抱える羽目になった。

 

「気づいてしまいましたか」

「お話、するぴょん」

「……ご愁傷さまですわ」

 

 顔を上げれば、朝から酒を飲もうとして、焼酎瓶で殴られているポーラが見えた。

 見なかったことにしよう。

 

「で、なにをお話します?」

「愚痴でも良いかぴょん」

「よろしくてよ」

「満潮はなんなんだぴょん」

 

 どういうことかと聞かれて、卯月は昨日の出来事を話した。

 思い返せば、シチューを喰わせる以前からツンツンしていた。そのことへの不満を卯月は愚痴る。

 

「弱いからってなんだぴょん、腹立つ奴ぴょん」

「なるほど、ですが、全くの間違いでないのも確かですわね」

「あのドーナツ野郎の肩を持つのかぴょん」

「ドーナツではなくフレンチクルーラーですわ」

 

 満潮が居たら「どっちも良くないわよ!」と叫んでいた。卯月からしたらどっちでも良い。

 そもそもフレンチクルーラーを知らない。食べ物だろうか、前科戦線で食べれるだろうか……変な方向に行きかけた思考を戻す。

 

「で、間違いでないってのは?」

「この前科戦線のメンバーは5人、ポーラさんと球磨さん、那珂さんにわたくしと卯月さんですわ」

 

 じゃあわたしは、もう全員に会っているのか。思ったより少ないと卯月は驚く。

 

「少ないと思ったでしょう、なぜだと思います?」

「……死にすぎるから?」

「それも一因ですね。ですが違います」

 

 ならなんだろうか。

 全科持ちの全員が全員、ここ送りになるのではない。軽めの罪なら鎮守府の独房とかに入れて、反省させる場合もある。

 

 それでもなお、どうにもならない罪の場合、解体か前科戦線行きか選ぶことになる。

 

 卯月はそう考えていた。しかし、それでもなお、5人は少ない。どういう理由なのか想像できないが。

 

「ダメ、答え教えてぴょん」

「正解は、ここに来れる……所長からスカウトされるのは、前科持ちのエリートだけだからですわ」

「所長?」

「高宮中佐のあだ名ですわ、裏で皆そう呼んでますの」

「あっそう……」

 

 監獄かよ。

 確かに自室の様子はまさに牢屋だったが、所長呼びはあんまりだ。

 

 でもそんなことはどうでもいい。

 もっと分からない。前科持ちのエリートってなんだ、超ド級の犯罪者ってことか?

 

「ここでの任務はご存じのとおりとても過酷」

「死亡率7倍って言ってたぴょん」

「そう、ですが、同時に()()な任務でもありますの。失敗は許されない。失敗の要因になるような、弱い艦はここにはいらない」

「じゃあ、前科持ちのエリートってのは、優秀だけど前科持ちの艦娘って意味かぴょん」

 

 熊野はそうだと頷く。

 任務を失敗させるような弱い艦娘はいらない。

 いるのは確実に成功させる強い艦娘。

 

 前科持ち中から、更に選別を行い、残ったエリート兵だけをスカウトする。

 そりゃ少ない訳だ。

 

 前科持ちは少ない、そっから強い艦娘は更に少ない、スカウトしても来てくるかは分からない。そして7倍の死亡率。いなくなる訳だ。

 

「任務が辛いから、強いやつばっか集めてると。前科持ちばかりなのは……誰もやりたがらないから?」

「その通りでございますわ」

 

 そりゃ、死亡率7倍の戦場に行きたがる奴はいないだろう。

 いたとしても、上官が嫌がるだろう。だからこそ前科戦線がある。懲罰部隊だが、必要な存在でもあるわけか。

 

「……え、じゃあなんでうーちゃんいるぴょん?」

 

 卯月は着任してから、一ヶ月で前科戦線送りになった。

 実戦経験はまったくない。なのに高宮中佐からスカウトされた。ド素人だ。熊野の説明と矛盾しているじゃあないか。

 

「そう、気になっているのはそこなのですわ」

 

 熊野は指先を立てて、顔をずいっと近づける。楽しいおもちゃを見つけたような、好奇心旺盛な反応だった。

 

「本来なら熟練者しか来ない。なのに卯月さんは、素人なのにスカウトされた。そこが最大の謎なのですわ」

「なるほど……ってちょっと待って、なんでうーちゃんが実績ないって知ってるぴょん?」

「そんなの訓練の様子を見れば分かりますわ」

 

 見てたな、賭けていやがったが。

 

「なので卯月さんは、『特別』なのですわ」

「特別……」

「プラスの意味かマイナスの意味かは、さておいて」

 

 お互い揃って首を傾げる。

 素人のわたしがなぜ、熟練者しか呼ばれない前科戦線に来たのか。

 可能性があるなら……それこそ『前科』、いや『冤罪』だ。

 消えた記憶に、その秘密があると思う。所ちょ……高宮中佐は、多分答えてくれない。

 

「ある意味で前科戦線はエリート部隊とも言えますの、そこへ素人の卯月さんが着任した。満潮さんは、それが気に入らないんだと」

「つまり満潮との仲はどうにもならないってことかぴょん」

 

 こっちだって好き好んで来たわけじゃない。なのに一方的に敵視とは。本当に満潮が嫌になる。なんなんだよあいつ。

 苛立つ卯月を見て、熊野は少しため息をついた。

 

「しかし目下の問題はそこではありませんわ、素人だとしてもここにいる以上、恐ろしく過酷な戦いに行く羽目になります。

 このままだと卯月さん、初陣で沈みますわよ」

 

 熊野は全然ふざけていなかった。

 真剣な態度に、背筋がゾッとする。その時はふざけたギャンブラーではなく、熟練の戦士の目つきをしていた。

 

「まあ、そういうわけですわ。那珂さんはちょっと……ええ、まあ……独特ですが……訓練はしっかりやってくださるので!」

「待ってなんだぴょん今の間は!」

「あらこんな時間、わたくしお時間ですので、失礼致しますわー」

「待って恐い! どんな奴なんだぴょん!」

 

 さっき箸を刺されたばかりだ。あれ以上にやばくなるのか。もう恐怖しかない。

 卯月の叫び声が虚しく響き渡る。とても小声で厨房の飛鷹さんが『ドンマイ』と言っていた。

 死ぬかも。

 卯月の目は死んでいた。

 

 

 *

 

 

 朝食を済ませた卯月は、昨日散々走り回った砂浜をまた走っていた。

 ただし濡れマスクはない。タイヤもない。ただジャージで走っているだけだ。

 

「……こんなので良いのかぴょん?」

「良いんだよー、まずはウォーミングアップから!」

 

 その間、卯月は正体不明の悪寒に襲われていた。

 あれだけ不安を煽っておいて、こんな簡単な訓練な訳がない。楽な分、後が恐い。

 

 あと恐いのは隣の那珂である。

 

「どうかしたの?」

「い、いや、べつに」

「?」

 

 那珂も卯月と一緒に走っていた。それは別によかった。

 ただ、気になるのは背後の轟音だ。

 金属がぶつかり合う音が、どうしても恐ろしかった。

 

 那珂はタイヤではなく、ドラム缶を8個引っ張って走っていたのだ。

 

 中身は恐らく海水で満たされている。

 水はけっこう重い。

 それを8個。腹にロープで繋いで。

 

 なのに那珂は、涼しい顔で鼻歌まで歌いながら走っていた。

 

 化け物かな?

 これからこの化け物に訓練を受ける。卯月は底知れぬ恐怖を覚えながら、気を紛らわすように走り続ける。

 

「よーし、これぐらいにして、訓練にはいろっか!」

「っひゃい!」

「良い返事だね!」

 

 那珂の満面のサムズアップ。

 卯月の震えたサムズアップ。那珂はそのようすに一切気づかない。

 

 こりゃ駄目だ。死ぬしかねぇ。

 すっかり諦めた卯月を、那珂は引っ張っていく。どこへ連れていかれるのか、地獄か。

 卯月の予想は少し外れた。

 

「着いたよ!」

「地獄へようこそってかぴょん」

「やっだなー、そりゃー特訓は地獄だけどー、その前にやることがあるでしょ?」

 

 地獄なのかよ結局。

 心の突っ込みはさておき、卯月は辺りを見渡す。

 

 かなり広いスペースに、色々な機械類が設置されている。海に直接出れる場所もある。似た景色を、神鎮守府でも見た。

 

「工廠……ってことは」

「そう! 艤装の装着だよー!」

「なるほど」

「ちょっと、折角の一大イベントなんだから、もっと喜ばなきゃ!」

「お、おおー……!」

 

 艤装をつけるだけでそんなハイテンションになれるのか。

 ここまで元気な艦娘に会うのは始めてだ。この卯月がノリで押され始めてる。こんなことは初めてだ。

 

「ちょっと、うるさいんだけど」

 

 と、工廠の()から声が聞こえた。

 

「え?」

 

 見上げると、そこには椅子があった。

 天井からワイヤーで吊るされた椅子が、ロープウェイのように動いている。そこにツナギ姿の女性が座っていた。

 

「ほら卯月ちゃん、あの子がここのメカニックだよ」

「あ、どうも、卯月です。うーちゃんって呼んでほしいぴょん」

「へー、うーちゃんねぇ」

 

 これは、飛鷹さんに続いて読んでくれる流れか!?

 

「うーちゃん、ううちやん、うちやん……よし」

 

 期待する卯月を見て、彼女はニヤァと笑う。イタズラを思いついた時の卯月と同じ顔で。

 

「じゃあ、略してうーちんで」

 

 下ネタを連想させる素晴らしいあだ名だった。卯月は激怒した。

 

「キャーッ! 那珂ちゃん下ネタはNGだよ!」

「はっはっは、そういうことだって。あだ名呼びは駄目みたい」

「わざとっぴょん!?」

「いいや、これはねぇ、確信犯ってやつだよ」

「同じじゃねーかぴょん!」

 

 顔を真っ赤にして憤慨する卯月を見て、ツナギの女性は良い笑顔で笑う。

 

「あ、あたしは軽巡北上、正規艦娘でメカニックやってるよ、よろしく卯月」

「結局卯月呼びかぴょん」

「結局? あたしは最初から卯月としか言ってないよ? 変な子供」

「よーし降りてこい、グーでパンチしてやるぴょん」

「降りるのは良いけど、そっちは行けないよ?」

 

 どういうことだ?

 卯月が見えるように、北上はズボンをたくし上げる。

 

 卯月は一瞬、息が止まった。

 そこには、あるべきものが欠落していた。

 

「足が……」

「そ、義足」

 

 北上は慣れたようすで義足を動かす。

 しかし、慣性に従って揺れるだけ。来れないとは、()()()()という意味だったのだ。

 天井からぶら下がった椅子で動くのも、同じ理由だ。

 

「そんな理由で、メカニックをやらせて貰っているの」

 

 キュラキュラと音を立てて、椅子が地面へ降りてくる。

 そして北上は、義足ですくっと立ち上がった。

 

「まあ、歩けるけど」

「え、じゃあ今の椅子は」

「趣味」

 

 自由人過ぎるメカニックと、テンション高すぎる軽巡。

 既に疲労困憊の卯月を、地獄の特訓が待ち受ける。前科戦線の三日目はまだ始まったばかりなのだ。




過酷な任務だけど誰かがやらなきゃいけない
 →強い奴じゃないと任務を達成できない。
  →強い前科持ちなら万一沈んでも問題はない!
という合理的発想の元前科戦線は運営されております。by不知火
任務の内容はまた後日。


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第12話 訓練

 散々卯月をからかい、満足した北上は工廠の奥へ消えた。

 またゴンドラのような椅子に乗ったまま。気に入っているようだ。疲れた卯月はそれをぼんやりと眺める。

 

「今はああだけどねー、北上ちゃん、昔はとんでもなく強かったんだよー」

「大本営悪ふざけ部門でかぴょん」

「ううん、そっちでは単独一位」

 

 あんのかよ。この国大丈夫か。

 実際は心配無用である。このランキングは全国の鎮守府の広報誌、青葉新聞が勝手にやってることであり、大本営は一切関与がない。

 

「そんなに強かったぴょん?」

「そう、北上ちゃんと、武蔵ちゃん、雪風ちゃん。この三人が大本営最強って呼ばれてたの」

「へー、ま、うーちゃんにゃ分からないけど」

 

 そもそも強さの基準が分からない。だから北上への印象も覆らない。いじってくるうざい先輩という認識で固定済みだ。

 

「でもなんで? 艦娘なら入渠で回復するはずぴょん」

「うーん、なんだか、怪我してからすぐ入渠できなかったみたいなの。入渠だって魔法じゃないから、余りにも酷いケガだとダメージ残るし」

 

 卯月のその一例だ。

 粉砕骨折や内出血をおこし、なのにすぐ入渠できなかった結果、半年間昏睡する羽目になっている。

 北上も似た理由があるのだろうと、卯月は考える。

 

「その言い方だと、理由は知らないぴょん?」

「まあね、聞きにくいし、聞く理由もないし」

「あんたたち、いつまで喋ってんのさ」

 

 そうこうしている内に、工廠の奥から北上がやってきた。

 天井からぶら下がる椅子から、更にワイヤーで艤装が吊るされている。

 

 高さも良い。

 ちょうど、卯月の腰辺りの高さで固定されている。だいたいの艤装は、腰を起点に接続する。このままくっつくだけで済むわけだ。

 

「ひっさびさの艤装接続ぴょん」

「調整諸々は完璧、さ、さっさと繋げちゃって」

「了解ぴょん!」

 

 接続部位に背中を近づけると、磁石のように艤装がくっついてきた。

 

「ぴょっぴょん!」

「お、繋がったみたいね」

「ビリビリぴょん」

「その感覚、那珂ちゃん全然慣れないのー」

 

 ピリっと、ちょっと痺れる感覚。艤装と卯月が繋がった証拠だ。神鎮守府でもこんな感じで艤装を装備してたのを思い出す。

 

「ワイヤー外すよ、一応注意してね」

 

 椅子に機械でもついているのか、北上が手を動かすとワイヤーが外れた。

 同時に、艤装の重さがグッと圧し掛かる。でも動けないことはない。艤装にはパワーアシストのような機能もあるのだ。

 

 卯月はその場でジャンプしたり、小走りで動き回ってみる。

 なにかパーツがあるわけでもないのに、どれだけ動き回っても艤装は外れない。妖精さんの力だろうか、なんでもいいけど。

 

「うん、ちゃんと繋がったみたいね」

 

 北上の言う通りだ。艤装とわたしが一つになった感じがある。

 ある、あるのだが……なにかが違う。

 変な感覚に、卯月は眉を八の字にして首を傾げた。

 

「どうかした?」

「……北上さん、これって、ホントにうーちゃんの艤装かぴょん?」

「どういうことさ」

「なんか、なんというか、パワーが出きってない感じがするぴょん」

 

 数字で説明できない、感覚で説明するしかない。

 卯月は前科持ちになる前、神鎮守府でも艤装を装備している。その時に比べると、どうにもパワー不足な感じがしていた。

 

 感覚ではほぼ誤差レベルだが、気になるものは気になる。戦場では生死を分けかねないことだから、なおさらだ。

 

「ああそれか、そりゃ卯月に原因があるんだよ」

「う、うーちゃんに?」

「当たり前じゃん。だって半年間昏睡してるんだよ、いきなり元気一杯本調子なんて方があり得ないでしょ」

 

 そう言われたら、そうだろうなと思うしかない。

 昨日から無茶苦茶かつ急ピッチのリハビリをしている。出撃まで一週間──一日経ったから後六日だ──しかないからだ。

 

 それで体力が戻っても、感覚まで一気に戻るわけじゃない。眠っている間に衰えたこととのギャップで、作動率が落ちたように感じているのだ。

 

「ホントかぴょん、嘘なんて言ってないぴょん?」

「いやいや、そんなウソ吐いてあたしになんの得があるのさ」

「さっき嘘言いまくってたじゃないかぴょん」

「嘘じゃないよ、忘れてただけだよ。ホントダヨー」

 

 北上は素晴らしいまでの棒読みだった。でも、言ってるのも確かなのだ。嘘を吐いても、なにも得はない。卯月はもう一度、北上に確かめた。

 

「ホントかぴょん」

「……さすがのあたしだって、生死のかかるとこじゃ嘘言わないよ。そこは信じて欲しい」

「じゃあ、信じるぴょん」

「そう」

 

 そこまで言うなら信じなきゃいけない。

 卯月はそう思った。ここまで言わせて尚疑うのは良くないことだからだ。

 

「結構割り切ってるんだね」

「嘘だったら骨の髄まで呪い倒すだけぴょん」

「こわ」

「嘘じゃないぴょん」

 

 割とマジである。ここまで言ったのに嘘だったら『プッツン』してやる。一応、理由だけ(命乞い)は聞いてあげるけど。

 

「じゃ、水面立ってみて。ちゃんと艤装が動くか見たいから」

 

 言われた通り、工廠に面した海に足をつける。

 人間ならば沈んでしまう、しかし卯月は理に反し、水面に着地した。

 

「神鎮守府で最低限の訓練はしてたんだよね?」

 

 卯月は頷く。

 懐かしい思い出だ。最初は姿勢制御もままならず、何度も何度も転んでずぶ濡れになっていた。

 

「なら今更、航行について教える必要はないね。軽く動き回っていいよ」

 

 久々だが、一度体で覚えたことだ、簡単には忘れない。重心を動かしながら海上を縦横無尽に動き回る。艤装の動きに大きな問題はなさそうだ。

 

「ダイジョブそうだね」

「じゃあ訓練行っちゃっていい?」

「良いけど、無茶はしないでよ。直すのメンドーなんだから」

 

 動き回っている間に那珂も艤装を装備していた。那珂も同じように、慣れた動きで海上を走る。

 

「訓練用のエリアがあっちにあるから、ついてきて」

「了解ぴょん」

 

 工廠から直接海に出て、那珂についていく。

 しばらく航行すると、遠方にブイが浮いているのが見えた。一列に並んでいるようすは、柵かなにかのようだ。

 

「あのブイは越えちゃ駄目だよ」

「なんでぴょん?」

「隙間なく機雷が敷設されてるから、脱獄防止用なの」

 

 決して行くまい。卯月は強く誓った。

 あのラインを越えたら脱獄扱いということだ。確かにそう簡単に行ける距離ではない。間違って接触する危険はなさそうだ。出撃のときどうするのか知らないけど。

 

 そして、この辺りが訓練用の区画として認められている。

 近くには前科戦線の建物があるため、陸地からある程度離れたところになっている。使うのが模擬弾でもかなりダメージがある。人に当たったら大参事だ。

 

「よーし、じゃあ那珂ちゃん流の特訓、始めるよー!」

「おー、で、なにするぴょん」

「簡単だよ、那珂ちゃんが今から模擬弾を撃つから、それをドンドン回避するの」

 

 簡単、かどうかは別にしておいて、慣れた訓練ではある。

 

 戦場で重要なことは、まず生き延びることだ。

 状況にもよりけりだが、艦娘が沈むのはNGとされている。沈んだら深海棲艦のエネルギーになってしまうからだ。

 

 だからなによりもまず、生き残るための訓練をさせられる。

 神鎮守府でもそうだった。航行訓練のあとは、攻撃回避の訓練だった。圧倒的殉職率を誇る前科戦線でも、『沈まない』原則は変わらないのだ。

 

「もしかして、前の鎮守府で経験済み?」

「まあ、基本訓練だし」

「そっかー、でもそうなると、ちょっと大変かも」

「ちょっと?」

「高宮所長から言われたの、『とにもかくにも初陣で沈まないようにしろ』って」

 

 那珂も所長呼びかい。というツッコミは置いておく。

 

「高宮中佐がそんなこと言ってたぴょん?」

「そーなの、やっぱり前科戦線で始めての新人ちゃんだから、気をつかってくれてるのかもねー」

「うーちゃん以外に、新人っていなかったのかぴょん」

「そうだよ、那珂ちゃんの知っている限りだと、全員熟練の艦娘ばっかだった」

 

 今更ながら妙な話だ。

 前科戦線にはベテラン艦娘しか呼ばれないのに、ど素人のわたしがなぜ呼ばれたのか。首を捻っても分からないものは分からないけど。

 

「とにかく、素人の卯月ちゃんを沈まないようにするため、那珂ちゃんはアイドルを止めます!」

「じゃあなにになるぴょん」

「鬼になります!」

 

 それは、どっちかというと那珂のお姉さんな気がする。卯月はそう思い、慢心していた。

 

 高を括っていた。昨日の球磨ランニングに比べれば、まだ慣れているから大丈夫と。

 体力を戻すのが一番キツイ。でも砲撃回避は経験済みだから、まだマシだと。

 

「じゃあ準備は良い?」

「バッチコイだぴょん!」

「あ、それと当たっても攻撃は止めないから頑張ってね、はいスタート!」

「え、ちょ今なんて──」

 

 直後、顔面に激痛が走った。

 

「!?」

 

 今、なにをされたのだ。

 

 油断はしてない。しっかりと那珂を見ていた。

 なのに攻撃を受けた。主砲を構える動作さえ認識できず、顔に模擬弾を食らった。

 

 これはヤバい。

 慌てて顔を上げる。もっと注意深く那珂を視なければならない。そう思った矢先だ。

 

 那珂が見えなかった。

 

 忽然と消えた。

 まて、落ち着け。移動したのなら水面に軌跡が残る。それを辿れば──それもない。卯月の思考は完全に停止した。

 

「次行くよー!」

 

 那珂の声が()()から聞こえた。

 と、同時に後頭部に模擬弾が叩き込まれる。完璧な不意打ち、クリーンヒットだ。脳が揺さぶられ、意識が飛びかける。

 

 なんだそれは!

 迫る不条理に卯月は、負けてなるものかと奮起する。舌を噛み、激痛で意識を覚醒させる。

 

 これは、前科戦線での基礎訓練だ。

 できて当たり前のことだ。できなければ仲間の足を引っ張ってしまう。

 

『ふん、やっぱり雑魚じゃない』

 卯月の脳内満潮が侮蔑を吐く。きっと言うだろう。そんなことあってはならない。あんなのに守られる展開なんてまっぴらごめんだ。

 

「このうーちゃんを、舐めるなぴょん!」

「おお、凄い気合だね。じゃあもっと過激に行っちゃうよー!」

 

 再び那珂が消えた。

 これはどうにもならない。今の卯月の動体視力では、どうやっても那珂を知覚できない。しかし砲撃の回避はできる筈と、卯月は考える。

 

 だって基礎訓練だし。

 まさか練習にもならない甲難度の特訓を課すわけがない。集中すれば必ず突破できる。卯月は自分の考えを信じ、五感を研ぎ澄ませる。

 

 そして反応したのは、『耳』だった。

 

 とっさにからだをよじらせる。すると耳元を模擬弾が掠めていった。

 ギリギリで反応できた。波しぶきや風の音に混ざっていたけど、確かに一瞬、砲撃の音が聞こえた。

 

「初弾回避おめでとー! でもまだまだだよ!」

 

 また那珂の声が聞こえた。

 そこに目をやってみても、もう見えない。どんな高速移動をしてるんだ。そう思ってしまったせいで、二発目を回避し損ねる。

 

「ぎゃぁ!」

「こら、集中しなきゃ。ちゃんと集中しなきゃ立派なアイドルにはなれないよ」

「いやなんの話ぴょん!」

 

 マジで分からない。

 しかし那珂は、いっさいの容赦なく砲撃を続ける。やっぱり那珂の認識はできない。一瞬だけ聞こえる砲撃音を頼るしかない。

 

 そうと決めてしまえば、糸口が見えてくる。

 那珂、彼女の移動速度(移動かどうかも分からないが)は異常だが、多分砲撃は普通だ。音さえ聞き漏らさなければなんとかなりそうだ。

 

 と油断したのを、那珂は気づいていたのだろうか。

 

「うーん、そのタイミングは良くないね」

 

 砲撃の一発を回避した直後、過ちに気づく。

 逃げた先に見えたのは、()()()()()()だったのだ。砲撃目がけて突っ込んでしまう形になり、模擬弾のダメージを真正面から受けてしまった。

 

「フェ、フェイント……」

「駄目だよー、回避したあとなんて、絶好のねらい目なんだから」

「りょ、了解ぴょん……」

 

 また頭がぐらぐらする。今度は側頭部への直撃だ。

 これは大変だ。あんな性格なのに強さがシャレにならない。これが前科戦線で求められる最低の基準なのか。

 

 絶句する卯月を他所に特訓は続く。結局午前中は、二、三発を回避するのが限界だった。

 

 知覚できず、気配のない砲撃。卯月は改めて思い知る。前科戦線とは地獄で鍛えられた、蠱毒の戦士の部隊だということを。




艦隊新聞小話
大本営最強と呼ばれている三人ですが、武蔵さんが突出して強いんですよ。
武蔵さんがあと三人いたら、大本営は『銀河』を統一できたって言われてますねー。ウソかホントか分かりませんが!


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第13話 舞踏

モンハンやるんで次はちょっと遅れます(正直)


 前科戦線は過酷な戦場だ。素人の卯月が生き残るにはまず砲撃回避を身に付けなければならない。

 当然、その訓練は過酷だ。

 結局午前中は、那珂の砲撃をろくに回避できないまま終わってしまった。

 

「強過ぎるぴょん」

 

 お昼時の食堂で、卯月は机に突っ伏していた。

 

「これでもまだ手加減してるんだけどねー」

「嘘ぴょん、那珂は嘘をついてるぴょん。うーちゃんは騙されないぴょん」

「ちょっとぉ、アイドルの嘘はNGなんだから!」

 

 あれが手加減だったら、プライドに傷がつく。

 だから本気なのだ、那珂は強がるために嘘を吐いている。卯月はそう思い込んで精神の安定を保とうと試みる。

 

「手加減だよ」

「う、嘘ぴょん……」

「卯月ちゃん? あれはね、手加減しているの。分かった?」

「ヒッ」

 

 那珂がニッコリと笑みを浮かべた。

 瞬間卯月を生命の危機が襲う。

 有無を言わせぬ圧倒的圧力。いつまでも嘘だ嘘だと言ったせいで、那珂はちょっと苛立っていた。

 

「って言っても、全然回避できないぴょん。最初からハードモード過ぎるぴょん」

「うーん、そう言ってもねー、最低限アレは回避できないと、ホントに沈んじゃうよ」

 

 言い方は緩いが、冗談めいた雰囲気ではない。どんな戦場か想像もできないが……死亡率七倍だ、地獄は間違いない。

 

 沈んだら元も子もない。深海棲艦どもを殺せなくなる。でも訓練のレベルが高すぎるとも思う。過酷過ぎて訓練に成っていないと、卯月は悩んでいた。

 

「なにせ三日後には初陣だしねー、なんとかしないと」

「うんうん……いまなんて?」

「え、なんとかしないとって」

「いやそっちじゃない、いつ初陣ぴょん!?」

「明々後日、三日後だね」

 

 おやおや、覚え違いだったっけ?

 卯月は記憶を掘り起こす。昨日球磨は言っていたぞ、初陣は一週間後だから、急ピッチで訓練してるって。

 間違いなく一週間後、だった。

 

「一週間後じゃなかったぴょん!?」

「あ、予定が変わったんだって。理由は那珂ちゃんも知らないよ」

「うっそぴょーん……」

 

 なんでそうなった。理由は分からない。でも訓練がハードモード化した理由は分かった。明々後日までに仕上げないといけないからだ。

 

「ああでも、ちょっとだけ不知火ちゃんが言ってた」

「不知火が?」

「出撃予定エリアだけど、『姫』が出る可能性が高いって」

 

 姫、と聞き、卯月は戦慄する。

 無尽蔵に湧き出て来る深海棲艦。それらを統率するボスの総称が『姫』だ。他『鬼』とかもあるが、それは別のお話。

 

 姫はより下位のイロハ級を統率できる。それだけでも脅威だが、なによりも圧倒的に強いのが特徴だ。火力、装甲、耐久、どれもイロハ級の比ではない。

 

 知識では知っていた。でもまさか、初陣で相対することになるとは思ってもみなかった。駆逐艦、睦月型の装甲では、一挙手一投足が致命傷になるだろう。

 

「まあいつものことだけどね、那珂ちゃんたちの行く場所はだいたい姫ばっかだから!」

「あー、ばっかって、姫が二、三隻ってことかぴょん」

「ううん、全部」

 

 なるほど死亡率七倍は伊達ではない。一人納得する卯月の目は死んだ魚のようだった。

 

「だから訓練も、それを前提にしてるんだよー」

「納得したぴょん……でも、どうすれば良いぴょん」

 

 姫級に取り囲まれたら死ぬ。

 だから全方位からの砲撃を回避できるような訓練をしてるのだ。現状成長できてる気はしないけど。このままじゃ時間の無駄だ。

 

「うーん、卯月ちゃんって砲撃を()()()()してない?」

「ダメなのかぴょん?」

「一対一なら良いんだけどね。

 もちろん認識した方が確実に回避できるよ。でも認識できる数には限界があるんだよ。それを越えた攻撃には対処できなくなっちゃう」

 

 那珂はその状況を疑似的に再現していたのだ。

 一人では数は撃てない。だから砲撃そのものを認識されないように、全方位からの攻撃を繰り返していた。

 

 なるほど、と納得すると同時に気づく。

 那珂は、そういった認識を越えた動きを『一人』でやっていたのか?

 ……考えない方が良さそうだ。わたしにはまだ早い。

 

「電探とか使えば、後ろも見えるようになるぴょん」

「駄目だよ、それでも認識の限界はある。だからこうすればいいの」

「こう?」

「認識する数を、減らせばいいの。そうだね、それが良い! 午後からはその訓練をやってみよう!」

 

 昼御飯を早々に終わらせて、那珂は席から立ち上がる。卯月もつられてご飯をかっこんだ。

 

 

 

 

 艤装を装備した卯月は再び海に向かう。

 ただし午前と違い主砲を装備している。さっきは動きの邪魔だったから置いてきたのだ。

 

「主砲のちょーしはどう?」

「試し撃ちしてみるぴょん」

 

 海上に浮かんだ的がターゲットだ。

 卯月、もとい睦月型の主砲は単装砲タイプだ。

 連装砲より威力や命中率は劣るが、一発の狙いを確実にできる。

 

 撃ち方の訓練も神鎮守府でやってる。やり方は分かっている。

 両手で主砲を構え、目線の高さまで持ち上げる。

 

 本当なら風速とか重力とか緯度とかを計算しないといけないが、その辺は妖精さんがアシストしてくれる。

 

 艦娘がするのは姿勢制御や照準、トリガーを引くことだ。

 妖精さんが計算してくれた『補正』を元に、ターゲットへ狙いを定める。

 

「ってぇ!」

 

 強烈な反動を、体全体で受け止める。

 飛んでいった砲弾は、ターゲットの的をちょっと掠めた。

 直撃ではなかった。

 

「ありゃ」

「あらら、残念」

「やっぱり、まだ体が鈍ってるぴょん」

 

 思ったより狙いが定まらなかった。北上さんの言ってたとおり、体調が完全に戻っていないのだ。

 こればかりは、時間をかけて慣らしていくしかない。

 

「で、この主砲をどうするぴょん?」

「撃ってきて、那珂ちゃんに」

「……あー、その、うーちゃん特殊性癖につきあう暇はないぴょん」

「せーへき? なにそれ?」

 

 いや、駆逐艦のわたしが知ってて軽巡の那珂ちゃんが知らないわけないだろ。

 

「なにそれ?」

 

 那珂は圧を放つ。

 アイドルとは純粋無垢な存在である。

 故に、性癖などという俗世めいた概念は知らない。知らないのだ。知らないのである。

 

「アッハイ」

 

 そんな超理論、卯月は知らない

 しかしこれ以上言ってはならないことは察せられた。

 本能が「聞いてはならぬ」と告げていた。

 

「ドMとかそんなの、那珂ちゃん分かんないの」

「いや知ってるだろぴょん!?」

「撃ってもらうのには、ちゃんと理由があるの」

 

 卯月の突っ込みを無視して、那珂は説明する。

 

「認識する数を減らす方法を、今から実演します!」

「なるほどぴょん」

「なので、撃ってきて!」

 

 そういうことなら容赦はしない。

 装填してるのは模擬弾だ。当てるつもりで撃ってやろう。

 狙いを定めて、トリガーを引き絞る。

 

「どんどん撃って!」

 

 流石に一発目は回避された。

 気を使っているのか、午前と違い那珂の動きを認識できる。

 

 あちこち動き回っているが、動きは予想できる。

 こっちだってバカ正直に撃たない。動く先を考えて、またトリガーを引く。

 

 しかし、撃つと同時に那珂は進路を変えてしまう。

 当然砲撃は的外れな場所に落っこちる。

 卯月はまた狙いを定めようと那珂を見る。

 

「今度は当てるぴょん!」

「ふふん、那珂ちゃんを甘く見ないでよね」

 

 きっとここに来る。

 そう狙った瞬間に、那珂が航路を変えた。

 動きが変わった。また狙いを直そうとするが、定まる頃にまた動きが変わる。

 

「撃たないのー?」

「ッ舐めるなぴょん!」

 

 ギリギリだが、狙いが固定できた。

 迷いなく一撃を撃ち込む。

 しかし、それも当たり前のように回避された。

 

「チャーンス!」

 

 突如那珂が、まっすぐこちらへ突っ込んできた。

 チャンスだ。

 多少怪しみながらも、トリガーを引く。

 

 たが、主砲は撃たれなかった。

 

 主砲の妖精さんが腕でばってんを作る。

 さっき撃った弾のリロードが、まだできていないのだ。

 慌てて装填を促すが、那珂は止まらない。

 

「はい、死んだ」

 

 心臓にピタリと主砲を突きつけられた。

 

「よし、もう一回いってみよう!」

 

 また主砲を撃つがあっさり回避される。

 そこから何セットかやってみたが、全て負けだった。

 

 ろくに狙いを定められず、最後には主砲を突き立てられる。動きは見えていたのにダメだった。

 

「どうだった、那珂ちゃんのダンスは?」

「死の舞ぴょん」

 

 最後は心臓に突き立てられる。間違いではあるまい。

 

「最高だったって? やったぁ、那珂ちゃん嬉しい!」

 

 どんな耳してんだと突っ込む気力もなかった。疲れた。

 

「それで分かった? 認識すべき数を減らすにはどうすれば良いのか」

「うん、狙いの定まらない動きをすれば良いってことぴょん」

「そう! そうすれば、当たりそうな攻撃だけ見れば良くなるってこと」

 

 考えてみれば当たり前の行為だ。スポーツでいうフェイントは戦闘でも通じる。

 当たる弾と当たらない弾の見極めは……経験を積むしかない。それでもより広範囲に警戒を割り当てられる。

 

「なんで思い付かなかったぴょん」

「だって那珂ちゃんたち『軍艦』だし。軍艦じゃあんな動きできないんだから、思い付かなくてしょうがないよ」

 

 先程の那珂の動きを軍艦でやればどうなるか。

 ほぼ確実に転覆である。

 艦娘の利点とはただ単に体が小さいだけではない。その分小回りが利く点にあるのである。

 

「その代償に軍艦と違って、全方位を同時に警戒できないけど、でも伝達のラグはないし」

「一長一短ってことぴょん」

「そういうこと、ならばこそ、この体の長所を突き詰める! それが艦娘の戦いかただよ!」

 

 艦娘というものは、単に深海棲艦と戦えるだけかと思っていたがそうではないのだ。那珂の熱演に卯月はうんうんと頷く。

 

 前科戦線がエリート集団という話は本当だ。那珂もそう。たまに会話が成り立たないだけで強者には違いない。

 

 あんま関わりたくないけどな!

 眼球に箸を刺される初対面ではそうもなる。至極当然の感想であった。

 

「で、その動きはどう覚えるぴょん」

「そんなのバックダンサーに決まってるじゃない」

「なんだって?」

 

 バックダンサーとは、言わずもがバックで踊るダンサーである。卯月もそれぐらいは知っていた。

 しかし、意味が分からなかった。

 

「だから那珂ちゃんがセンターで、卯月ちゃんがバックダンサー。で、一緒に踊るの」

「那珂ちゃんの動きを真似るってことぴょん?」

「違うよー、センターとバックダンサーって言ってるじゃんか」

「ああ、うん、そう、分かったぴょん」

 

 卯月は速やかに会話を諦めた。そっちがそれでいいなら、こっちも良い。これ以上話そうものならこっちの正気度が下がる。

 

「ま、那珂ちゃんの真似をすれば動き方は身に付くから大丈夫だよ」

「最初からそう言えぴょん!」

 

 なんだこいつ。さっきから正気と狂気を言ったり来たりしている。凄く疲れる。このまま訓練に行ける自信がない。卯月は疲労のあまり、つい言ってしまった。

 

「……ぶっちゃけて良いぴょん?」

「なにー?」

「艦隊のアイドルって、なんだぴょん」

 

 軍属のアイドルなんて聞いたことが……間宮さんがそうだったか?

 まあそれはともなく、軍隊なのに、歌って踊れるアイドルとか正気じゃない。プロパガンダだとしても、前科戦線(ここ)じゃ無理がある。

 

「凄い! ちゃんと聞いてくれるなんて、那珂ちゃん感激!」

「そ、そっかぴょん」

「そう、卯月ちゃんの言う通り、アイドルには色々な姿があるの。本当にアイドル活動をしてる別の『那珂』もいるんだよ」

「まじかぴょん」

 

 マジでいるのかよ、艦隊のアイドル。

 でも、アリかもしれない。卯月は考え直す。

 艦娘は紛れもなく()()の存在、言い換えれば人の味方をする『化け物』でもある。

 

 建造で生まれるし入渠で怪我が治る。こころは人でも絶対的な違いはある。人の社会に馴染むにはそれが立ちはだかる。

 その溝を和らげる手段がアイドルだ。多少なりとも批判はあるだろうけど、その方が最終的に良くなる気がする。

 

 若干ヤバイ奴だけど、実は那珂はとても進んだ考えの持ち主だったのだ。そうに違いない。卯月は感心した。

 

「でも那珂ちゃんは、そっち系じゃなくて、艦隊のアイドルを目指してるの。砲弾雷撃爆撃が飛ぶステージでこそ輝く戦場のアイドルに!」

「へー……」

 

 感心は粉々になった。

 

「それは、トリガーハッピーって言うんじゃ……」

「アイドル」

「アッハイ」

「だって那珂ちゃんは『艦娘』、ならわたしにしかできないアイドルをやりたい。そう思うでしょ?」

「アッハイ」

 

 言ってることは正しい。他の人でもできることじゃなく自分でないとできないことをする。そう思うのは変じゃない。

 でもなんでだろう、那珂が言うと危ない考え方に聞こえてくる。

 

「分かってくれるの!?」

「え」

 

 空返事ばかりしていたのが不味かったのだろうか。顔を上げたら眼をキラッキラに光らせた那珂と眼があった。

 ちょっとばかし深淵が見えたのは気のせいに違いない。

 

「ちゃんと聞いてくれた、分かってくれた、理解しているし納得しているということは卯月ちゃんの性格は那珂ちゃんに近いところがあるってことでじゃあ卯月ちゃんも心のどこかでアイドルを目指してるってことだよねならならなら那珂ちゃんのバックダンサーをしても問題ないよねさあ卯月ちゃん那珂ちゃんと一緒にアイドルを目指そう!」

「誰かぁぁぁっ! 助けてぴょぉぉぉん!」

 

 艦娘になって以来、ギャン泣きしたのは初めての経験だった。

 この後やってきた球磨に那珂はグーパンされた。

 那珂は、完全に狂人認定されたのであった。



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第14話 落涙

超特殊鏖魔をソロ撃破したワイに敵はいないZE☆とヌシディアに挑んだら20分かかって絶望した結果投稿が遅れましたごめんなさい。


 ひとしきり暴れたからか、球磨に殴られたからなのか、とりあえず那珂は落ち着きを取り戻した。

 やっと訓練本番である。那珂の動きを真似るというが、具体的になにをするのだろうか。

 

 まさか本当にバックダンサーではないだろう。

 

「那珂ちゃんと一緒にダンスします!」

 

 まさか本当にバックダンサーだったのである。

 

 軽快なアイドルソングをBGMに、探照灯をふって踊って歌う那珂。どこに仕込んできたのかスモークや歓声まで聴こえてくる。ふざけすぎだろ。

 

「ほら卯月ちゃんも、ちゃんと踊って。歌うのは勘弁してあげるから!」

 

 勘弁ってなんだよ、まさか歌うのを恥ずかしいと思っているのか?恥ずかしいけど。

 

 しかし、これは楽かもしれない。

 どんな過酷な訓練かと思ったがダンスとは。激しい動きだが艤装のパワーアシストがある今なら問題ない。

 

 一気に成長して見返してやろうじゃないか。特に満潮を!

 

「準備オーケーぴょん!」

「よーし、じゃあミュージックスタート!」

 

 と、油断しきっていたのが数刻前。

 では数刻後は?

 

「ぎゃばぁ!?」

 

 水の中であった。

 艤装の重みに耐えきれず、卯月は一気に沈んでいく。

 紛れもない轟沈の感覚。卯月はダンスに失敗して絶命するのであった。

 

 あ、死んだ。

 そう思った瞬間、手を伸ばしてきた那珂に引っ張り上げられる。

 助かった。

 喉に入った海水にせき込みながら、卯月は生の実感を得ていた。なお溺れるのはこれで三回目である。

 

「誰だぴょん、楽な訓練って言ったやつ!」

「誰も言ってないよ?」

 

 那珂のマジレスは聞いていない。

 本当に殴りたい気分だった。楽な訓練って油断したわたし自身を。

 球磨のリハビリを辛かったが、那珂の特訓は別ベクトルで過酷だったのだ。

 

 なのに那珂は汗もかかず涼しい顔をしている。

 踊るだけじゃなく歌も歌っていたのにピンピンしている。化け物のような体力だ。わたしが無さすぎるだけかもしれないが。

 

「さ、さむい……べっくし!」

 

 ひぃひぃと息を切らす中、卯月は潮風に晒される。なんども沈んでずぶ濡れになった体にはとても寒く感じる。くしゃみまで出てくる。風邪を引きそうだ。

 

「ジャージならあるけど、着替えてくる?」

「おねがいしますぴょん」

 

 鼻水を垂らしながら、どうにか工廠まで辿り着く。機械の影響か外より暖かい。濡れた制服を脱ぎ捨て、タオルで拭いてから替えのジャージに着替える。

 

「こうなると思って、温かいスポーツドリンクも持ってきたよ」

「て、てんしがいるぴょん」

「違うよ、アイドルだよ!」

 

 死に追いやったという皮肉も込めたんだが通じてないらしい。いったいこのアイドルへの執念はどっから来るのだろうか。『那珂』自体そういう艦娘なのか。どっちでも構わないけど。

 

 ただ替えのジャージとドリンクは本当に助かった。感謝もしている。

 那珂は単なる狂人ではない。気づかいができて明るい狂人だったのだ。卯月の中のグレードがわずかに上がった那珂であった。

 

「あ、温まったら再開だよ」

「うぇー……」

 

 変な声が出るのも仕方ない。全然ダンスができなかったのだ。

 慢心もあったけど、それでも想像以上に動けなかったことがショックだった。卯月はドリンクを飲みながら項垂れる。

 

「まさかあんなに辛いとは思わんだぴょん」

 

 ダンス、という訳で、主に飛んだり跳ねたり、回ったりステップしたりしていた。

 しかし、その動作全てがままならない。

 とっさに飛べない跳ねれない。回れずステップできずにスっ転ぶ。そのまま艤装に押しつぶされて溺死コースに突入だ。

 

「そうだよ、艤装って思っている以上に重いんだよ。パワーアシストがあるからって慢心してるととっさに動けないんだよ」

「球磨にも同じこと言われたぴょん」

「新人あるあるだね、人の体と艤装のパワーを始めて感じて、どっちの力も得た気分になっちゃうってやつ」

 

 良いとこどりでも悪いとこどりでもない。正確にはどっちつかず。『艦娘』というカテゴリの兵器なのだ。そこを捉え間違えると死が近づく。

 

 結局まだこの体に慣れていないのだ。

 艤装を背負った艦娘。という存在に慣れてないから上手く動けず、まともにダンスもできない。そんな状態で戦場に行けば、どうなるかは明らかだ。

 

「でも前の鎮守府じゃ、そんなこと教わらなかったぴょん」

「前のって、確か壊滅しちゃったっていう……」

 

 那珂に言われて、ちょっと言いよどむ。わたしの帰る場所は本当にないと突き付けられた気がして。

 

「確かいたのは一ヶ月ぐらいでしょ。多分教わる段階まで行ってなかったんだよ思うよ。普通はもうちょっと『艦娘』に慣れてから始めることだし」

「うーちゃんは、それを寝起き三日目にやらされてるのかぴょん」

「しょうがないじゃん、あとちょっとで出撃なんだし。死亡率七倍だしー」

 

 他にも輸送隊という役割の関係してたのかもしれない。

 睦月型はハッキリ言って戦闘向きではない。基本輸送隊が主な仕事だ。神鎮守府でもそっちの役割を前提に置いた訓練をしてたのかもしれない。今はもう知りようもないが。

 

「まあなんとかなるよ」

「ならなかったら?」

「できる限り速やかに楽にしてあげる」

 

 そこは「ぜったい守るから大丈夫」と言ってくれよ。

 明るい抹殺宣言に卯月は顔を曇らせる。さすがの那珂もやや気まずそうに苦笑いを浮かべる。

 

「沈んで深海棲艦に取り込まれるよりマシでしょ?」

「そうだけどさぁ……」

「それが嫌から頑張るしかないよー、なにかしたいことがあるから、ここに来たんでしょ?」

 

 ある。深海棲艦をぶちのめすこと。

 もとい仲間を殺した深海棲艦に報復することだ。

 艦娘の使命を忘れる気はないが、報復を捨てる気もない。記憶がなくても魂が覚えているのだ。

 

「ここはとても過酷だし、守る実感も得にくいから、なおのこと目的を強く持たなきゃいけないの」

「那珂ちゃんの目的は……」

 

 しまった、聞くべきではなかった。もう遅い。那珂の目は深淵の中で光だしていた。

 

「もちろんアイドル! なぜならば那珂ちゃんは──」

「あ、うーちゃんなんだか凄いやる気が出てきたぴょん!すぐにダンスをしたくなってきたぴょん!」

「そう?」

 

 あんな狂気はもうこりごりだ。

 無理やり会話を切り上げて、卯月と那珂は特訓へ戻る。実際問題時間はない。あと数日で死なないレベルにならなくては。

 

 

 

 

 

 ダンスという名目の体幹トレーニングは夜まで続いた。

 言動は極めて特異だが、那珂はかなりまともな教官だった。

 球磨のように気絶するまで走らされるわけでもないし、濡れマスクもない。休む頃に休ませてくれる。

 

 だが、楽ではない。

 例のダンスはかなりの集中力を必要とする。一瞬でも弛んだら即転倒だ。集中だけでもダメだ。艤装の重さも含めたバランスを常に考えないといけない。

 

 ヒィヒィと走っていれば良かったランニングとは違い、頭も使わないといけない。

 頭を使いながら踊りまくり、体に動きかたを覚えさせないと、とても那珂についてこれなかった。

 

「か、からだじゅうが、い、痛いっぴょん」

 

 卯月は悲鳴さえ上がらないほどの筋肉痛を味わっていた。

 

「にゅ、入渠したい……ぴょん」

「基礎体力を戻すわけじゃないんだからダメだよ」

「鬼!」

「それは那珂ちゃんのお姉ちゃんに言ってよ!?」

 

 自分の姉を何だと……と思ったが、あの『神通』では、まあ、止むをえないか。卯月は黙り込む。

 

 しかし那珂も十分その血を継いでいる。

 泣く子も黙る鬼の二水戦。その妹の訓練もやはり鬼のようだ。いくら仕方ないと割り切っても全身の激痛は誤魔化せない。

 

「とにかく入渠はダメ、かわりにお風呂に入ろう、疲れはとれるよ」

「ぴょん」

 

 濡れたからだを引き摺って風呂場まで直行だ。

 風呂にはすでにお湯が張られている。那珂が用意していたらしい。本当に気が利くというか、用意が良いというか。とにかくありがたい。

 

「っあ、あ゛~」

 

 湯船につかった途端、変な声が出てくる。

 入渠じゃないのに気持ちが良い。疲労し切った全身にお湯が染み込んでくる。体に力が入らず湯船に沈みそうになる。

 

「ちょっと、お風呂で轟沈とか末代の恥だよ」

「ご、ごめんぴょん」

 

 後ろに回った那珂が体を支えてくれる。情けない恰好だが、支えがないとホントに溺れそうだった。本当に良い人だ。

 ちょっと変だけど。

 

「……なんでバスタオルつけてるぴょん?」

「なんでって、撮影がある時はバスタオル必須でしょ?」

 

 撤回、だいぶ変な人だ。

 今日の疲労、このノリも原因じゃなかろうか。まあ良いんだけど。

 はーと溜め息をつきながら、那珂にからだを預ける。

 

「あらら、お疲れさまー」

 

 背中に柔らかい感触があった。

 卯月は自分の胸を触る。ちょっと柔らかいぐらいのまな板が装備されていた。

 

「なぜぴょん」

「駆逐艦……でも大きい子は大きいか」

「まだだ、うーちゃんは成長期だぴょん。これからぴょん」

「艦娘は成長しないよ」

「絶望したぴょん」

 

 今なら絶望で深海棲艦になれる気がする。冗談だが。

 艤装の重さに振り回されるのも、この少女の体の影響が大きい。文句言ったってどうにもならないけど。

 

「疲れたぴょん」

「よしよし、頑張った頑張った」

 

 那珂はわしゃわしゃと卯月の頭をなで回す。突然のことにからだが固まった。じゃっかん雑だが悪くない。

 

「ど、どーしたぴょん?」

「え?卯月ちゃんはとっても頑張ってるから、誉めてあげようと思ったんだけど。嫌だった?」

「嫌じゃないぴょん。けど……そんな頑張ってないぴょん」

 

 訓練もまだ完璧ではない。頑張ろうがなんだろうが結果が出なければ意味がない。

 ましてやわたしたちは軍人だ。頑張ったけど守れませんでした、なんて通じないのだ。

 

 だからこの程度は『頑張った』に入らない。そう考える卯月だったが、那珂はそれでも卯月をなでていた。

 

「いやいや、頑張ってるよー。だってさ、帰る場所がないって知って、まだ数日しか経ってないんだよ?」

 

 そういえば、そうだ。半年間寝てて、起きてからは色々あっという間だった。

 

「普通ならさ、まだ泣いてるよ。訳分かんなくて辛くて、心の整理がつかないよ」

「そういうもんかぴょん?」

「うん、そーゆー子は那珂ちゃんも見てきたから」

 

 悲しそうに那珂は呟く。前科戦線に来る前に見てきたのだろう。わたしより艦娘歴は長いのだ、一人や二人、仲間を失った艦娘だって見てるだろう。戦争なんだから。

 

「でも卯月ちゃんはもう歩いてる、これは凄いことなの」

「別に凄くないぴょん。復讐のための努力だぴょん。細かいことを覚えてないから、耐えれてるだけぴょん」

 

 艦娘の本分から外れている自覚はある。動機はあくまで復讐だ。しかも記憶はない。仲間を喪った瞬間が分からないから、悲しみも薄まっているのだろう。

 

「なら、なおさら凄いよ卯月ちゃんは」

「は?なんでぴょん?」

「誰かの助けがなくても、自力で立ち上がれるから。理由なんて復讐でもなんでも良いんだよ、それで前に進めれば」

 

 そう言って那珂はまた卯月の頭をわしゃわしゃとなでた。

 

「卯月ちゃんが認めなくても那珂ちゃんが認める。卯月ちゃんは頑張ってる。だから褒めてあげる!」

 

 わたしは頑張ってるのか。

 少しでもそう思ったからなのか、撫でてもらって気が緩んだからなのか。どちらが切っ掛けかは分からない。卯月のこころが決壊した。

 

「…………」

 

 涙が落ちる。

 一滴出たら止まらない。帰る場所がなくなってしまったと知ってから耐えてきた物が一気に溢れ出す。

 自覚はなかったが凄まじいストレスに晒されていたのだ。この少女の体には重すぎるものが圧し掛かっていた。困惑や怒り、悲しみがぐちゃぐちゃになって暴れ出す。

 

「……うっ……あ、あぁ……」

 

 喉が張り裂けるような声ではない。ボタボタと滴り落ちていくような静かな泣き声。

 那珂はなにも言わずに黙々と慰めていた。卯月もそれに甘えるように泣き続ける。突然冤罪を被せられ、仲間が死んだと告げられたのだ。辛くないわけがなかった。その全てを吐き出すように卯月は泣き続けた。

 

 

 

 

 どれだけ泣いてたのか分からないが、泣くだけないてスッキリした感じだ。のぼせてないから長時間叫んでたわけじゃなさそうだ。

 

「もう大丈夫?」

「……ごめーわくをかけたぴょん」

「うん、じゃあそろそろ上がろっか」

 

 ずっと付き合わせてしまったのに嫌な顔一つしない。結構変な人だけど優しい人だ。こんな人なのにどんな『前科』を犯してしまったのだろうか。聞かない方が良さそうだけど。

 

「お蔭で明日も頑張れるぴょん!」

「そっか、それは良かったよ、那珂ちゃん撫でてただけだけど!」

「う、うん」

 

 撫でられたんだった。思い返すと結構アレだ。卯月は撫でられた頭をなんとなく隠す。色々吐き出してしまったことが恥ずかしかった。でも、お蔭で気持ちがかなり楽になった。

 

「ありがとぴょん」

「ん?なにか言った?」

「なんでもないぴょん」

 

 また明日も頑張ろうという気持ちになれた。もはやどうにもならないのだから、いっそ前向きになろう。復讐は必ずするが後ろめたさなんて知らない。元気に報復を成し遂げてやるのだ。那珂が言った通り、今はとにかく前に進むべき──もとい生き残るべきだ。

 

「お礼なんて言われちゃった、那珂ちゃん恥ずかしい!」

「聞こえてんじゃねーかぴょん!」

「ほらほら、早く出ないとご飯冷めちゃうよ」

 

 なんとかやっていけそうだよ、神提督。遠くにいるであろう提督に卯月は伝える。また会える日を望みながら。




冷静に考えれば泣かぬはずがないこの状況。たまには年相応に泣いていただきました。実年齢は知らん。体に引っ張られたのでしょう。


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第15話 演習

 なぜこのタイミングなのか分からない。泣きまくったせいで枷が弛んだのかもしれない。埋没してた記憶が浮上してきた、半年前の出来事が唐突に過る。

 

 艤装を装備し海上に立つ。初陣に緊張しながらも心を踊らせる。元気いっぱいにわたしは叫ぶ。

 

「駆逐艦卯月、出撃ぴょん!」

 

 直後、視界が暗転する。

 

 

 

 

 前はここで終わった。しかし今回は()()があった。

 

 なにも見えなかった暗闇に光が差し込む。赤く熱い肌を焼くような閃光を目に浴びる。

 

 そうして開かれた視界は、尽くが真っ赤に染まっていた。

 

 目の前のあらゆる場所から火の手が上がっている。立ち上る黒煙で空は覆い尽くされる。

 執務室のある中央棟だけがなんとか原型をとどめていた。あれがなければ、ここが鎮守府だと分からない。

 

 わたしは一歩踏み出していた。

 足取りがおぼつかず、視界が右往左往と揺れる。夢だからか痛みは感じなかった。

 

 ふと、わたしが下を向いた。

 顔が転がっていた。

 ちぎれ飛んだ仲間の生首だった。苦悶の表情で息絶えていた。

 

 それもすぐ分からなくなる。あっという間に広がる炎に呑まれてしまう。辺り一帯には人の焼ける臭いが充満していた。瓦礫と肉片が混じって奇妙なモザイク模様を描いていた。

 

 死しかない。

 一歩歩く度に、新しい死体を見つける。進むたびに時間が進んで死体が増えているようだ。ありふれてしまった死体はもう印象に残らない。

 

 その時、また光が放たれた。

 顔を上げると目線のさきに()()()が立っていた。

 

 後光のせいでよく見えないが、人の姿に見える。しかし下半身が人ではない。巨大なスカートから直接人が生えているような印象だ。いや、巨大な獣に跨ってるようにも見える。

 

 ()()()がまた、大きな光を放つ。

 視界が潰され、轟音で耳がやられる。全身を大きな衝撃が貫いて、なんにも分からなくなってしまった。

 

 

 *

 

 

 再び目を開けた時、写っていたのは鉄製の武骨な天井だった。

 前科戦線の自室の天井だ。今のは夢だったのだ。同時に卯月は思い出してしまう。大量の生首や千切れたからだ、焼死体の臭いを。

 

「うっ……」

 

 ベッドから跳ね起きた卯月は走ってトイレへ駆け込む。便器へそのまま倒れ込み嘔吐する。

 夢のときは現実味がなかった。しかし起きた瞬間、実感になった。卯月の神経はあの地獄絵図に耐えられなかったのだ。

 

 全身が汗だくになっていた。寝てる間も油汗をそうとう掻いていたらしい。吐きまくったせいで涙や鼻水も出てくる。逆流した胃液に喉を焼かれ、何度も何度もせき込む。とても苦しく、とても辛い。

 

 それでも出す物を出せばある程度は落ち着く。一しきり吐いた卯月は便器にもたれかかったままぐったりしていた。

 

 あれは間違いなくわたしの記憶だ。

 今は忘れているけどわたしが経験し、視た記憶だ。そうでなければこんな実感は覚えない。記憶になくても体が覚えている。だから拒否反応が起きたのだろう。この吐き気もその一環に違いない。

 

 時間はまだ早かった気がする。こんな調子じゃ訓練もできない。やっと便器から立ち上がった卯月はシャワーを浴びることにした。

 

 しかし、あれはなんだったのだろう。

 最後に一瞬移った妙なシルエット。あんな姿の生き物は深海棲艦ぐらいだ。知ってるかもしれないけど、高宮中佐や不知火に話しておこう。

 

 卯月は汗だくのパジャマを脱いでシャワーを浴びる。朝から酷い夢を見た。最悪の目覚めだ。思い出すだけでため息が出る。

 

「朝シャワーなんて、贅沢なご身分ね」

 

 とっても嫌な声が聞こえた。

 とってもとっても嫌な声が聞こえた。ギギギと油が切れたロボットみたいに振り返る。やっぱりというか不機嫌な顔をした満潮が立っていた。

 

「てめーも朝シャワーじゃねーかぴょん」

「わたしは早朝訓練をしてきたの。ダラダラ寝てるアンタとは心構えが違うの、分かる?」

「ほう、寝る子は育つって言葉を知らないぴょん? 無知とは恐ろしいぴょん」

 

 卯月は驚愕する。満潮相手だと流れるように悪口が出てくる。まだまだ続けられる気さえする。しかしそんな体力は残ってない。卯月は諦めて深くため息をつく。

 

「うるさい溜め息ね」

「うるせーぴょん、ひっどい悪夢を見たんだぴょん」

「ああ、だからあんなにうるさかったのね。迷惑だったわ本当に」

 

 こっちが酷い目にあってたってのになんて奴だろうか。気の効く一言でも言って欲しい……いや、言われたら鳥肌が立つ。寒気と吐き気に襲われるであろう。

 

「寝れなかったのかぴょん、それは嬉しいことだぴょん」

「なにそれ、今日の事前工作でもしたつもり?」

「……事前工作? なんの?」

 

 単に嫌味で言っただけなんだが。ポカンとする卯月を見て、満潮もフリーズする。

 

「那珂から聞いてないの?」

「なんの話ぴょん?」

「嘘でしょ……今日わたしとあんたは演習で戦うの、あんたの今の練度を見るために。聞いてないの?」

「え、聞いてないぴょん」

 

 マジで聞いてない。満潮も嫌がらせで発言してる感じではない。となると可能性は一つ。那珂がわたしにだけ演習を伝え忘れていたのだ。

 満潮はわたしが演習に勝つため、あえて睡眠妨害を試みたと勘違いしたのだ。

 

「知ってたらもっと仕込んだのに……」

「ふざけるんじゃないわよ」

「ふざけていませーん、うーちゃん勝つ為には手段を選ばないぴょーん」

 

 わたしは圧倒的に弱いのだ。正々堂々とか戦士らしくとか言ってたら死ぬ。だからあらゆる手段で勝たなければならない。手段はまったくもってどうでもいい。勝てば良いのだ勝てば! 完全に悪役の考え方だけども。

 

「はっそんな小細工ならいくらでもやってみなさい。その程度でわたしは負けやしないわ」

「ほう、言うじゃないかぴょん。そのふざけた髪を焼きドーナツにしてやるぴょん」

「全身バラバラにしてウサギ鍋にしてやるわ」

 

 お互いに良い笑顔であった。この上なくほのぼのとしか牧歌的コミュニケーションであった。

 二人は同じことを思っていた。

 

 殺す! 

 

 もう一度言おう。牧歌的コミュニケーションである。

 

 

 

 

 朝食を済ませからだを慣らし、二人は工廠へ集まった。そこにいた那珂に、演習を伝えなかったことに文句を言っておく。

 

「泣いてるのなだめてたら忘れちゃった!」

 

 てへ。とのことであった。

 これではなにも言えない。となりで「泣いてたのアンタ、ハハハ」と煽る満潮に殺意が沸いてきた。知らない癖に言いやがる。

 

「で、具体的にどんな演習をするのよ」

「シンプルな一対一の演習だよ。砲撃雷撃なんでもあり、轟沈の判断は那珂ちゃんがやりまーす」

 

 まあ、シンプルだな。これぐらいの演習なら神鎮守府でもなんかいかやっている。頭部や心臓といった急所に当たったらだいたい一発で轟沈判定だ。注意しなければ。

 

「ひいきしないでよね」

「ひっどーい! 那珂ちゃんは公平公正なアイドルだよ!」

「そうだぴょん、ひいきするなら満潮にしてくれぴょん。それぐらいのハンデは必要ぴょん」

「あ゛あ゛?」

 

 睨みあう二人を見て那珂は「とっても仲良しだねー!」と言った。

 いや本気でそう思ったのか。二人は顔を見合わせる。那珂の瞳に曇りはない。心の底から仲良しと思ってるみたいだ。

 

「……那珂ちゃんて大丈夫なのかぴょん」

「かなりヤバイって前不知火は言ってたわ」

 

 小声で話す。いよいよ那珂をどう評価すれば良いのか分からなくなっていた。

 でもそんなことはどうでもいい。今は演習のことを考える。如何にして満潮をボコボコにしてギャン泣きさせるかが至上命題だ。

 

 卯月たちは海上に移動し、指定されたポイントで待機する。

 

 地平線の遠くに相手が見える距離だ。

 実際の艦と比べると艦娘も深海棲艦も遥かに小さい。これぐらいの距離でないとまともに当たらないからだ。

 

「演習、スタート!」

 

 那珂の声が聞こえる。

 先手をとったのは意外にも卯月の方だった。

 要因は『軽さ』だ。単装砲と連装砲では前者の方が軽い。それが構えまでの速度に影響した。

 

「死ねぴょん!」

 

 演習というには物騒な言葉と共に砲撃が飛ぶ。しかし狙いは単純だ。満潮は回避しながら主砲を撃ってくる。

 

「そっちが死ね!」

 

 向こうは連装砲。その分攻撃範囲が広い。けれどもまだ距離が遠い。当たるまでに時間がある。まだ余裕をもって回避できる。

 

 最初はお互いに似たやり取りだ。交互に主砲を撃ち合いながら相手の動きを見定めていく。相手を知ることこそ戦いにおいては重要なのだ。

 

「遅い、やっぱり『最弱』ね」

 

 先に見定めたのは満潮の方だった。場数で勝る分早かった。今まで慎重だった砲撃が変わる。畳みかけるように次々に撃ちだしてくる。一気に上がった攻撃密度。それでも卯月はなんとか追従できていた。

 

 那珂の特訓がちゃんと生きている。キツイが昨日より動けるようになっている。急制動や無茶な姿勢をしても動くことができている。あのダンスちゃんと効果あったんだな。卯月は内心そう思っていた。

 

「どーしたどーした、最弱に全然当たってないぴょーん」

「よく喋る奴ほど早死にするって知らないの?」

「知らねぇなそんなの──ぴょんっ!?」

 

 足元が爆発した。雷撃だ。攻撃されていたのだ! 

 ペイントが飛び散り片足が真っ青に染まる。演習でなければもう轟沈していた。いつ発射したというのだ。満潮の姿はずっと見てたのに。

 

「……水柱か?」

 

 それしか考えられない。砲撃でできた水柱に隠れた瞬間に魚雷を撃っていた。だから見えなかったのか? 

 わたしは馬鹿か。ただ漠然と見てるだけでは意味がない。見えないところまで視ないといけないのだ。

 

「気づいたみたいね、でも無駄。それだけでどうこうなると思った大間違いよ!」

 

 満潮からの攻撃が一気に激化する。

 砲撃は絶え間なく降り注ぎ、その全てがわたしの逃げ道を塞ぐように狙っている。回避するにも大幅な動きを強要され、刻一刻と体力を奪われていく。

 

 その弾幕の分水柱も増える。卯月にはその全てに魚雷が潜んでいるように見えた。まだ見破るための観察眼ができていないからだ。

 

 万遍なく警戒を()()()()()()()()。そうなれば見落としも生まれる。警戒網を潜り抜けた雷撃がまた足元に迫って来ていた。

 それでもマシだ。今回は雷撃に気づけたのだから。

 

 砲撃と雷撃、どちらも当たらない場所を探して卯月は方向を変える。あそこしかない──のか? 

 なんであそこが空いている? 

 嫌な予感に駆られた卯月は気づく。安全地帯だと思った場所にも魚雷が放たれていたのだ。

 

「やば……!」

「これでトドメね」

 

 誘導されていた。既にチェックメイトに嵌っていた。ここまで誘導するのが満潮の狙いだったのだ。

 だが諦めはしない。気づけたのなら被害を最小限にだってできる。

 卯月は主砲を構えて飛び込む。狙ったのは()()()()()()だった。

 

「ぴょん!」

 

 判断が遅かったせいで爆発は至近距離で起きた。

 飛び散ったペイントがいくつか体に掛かる。実戦なら破片が刺さったとかそんな感じだ。だが直撃は免れた。

 

「ッチ、殺しそこなった!」

「今度はこっちの番だぴょん!」

 

 このままでは埒が明かない。卯月は主砲を構えて一気に距離を詰めにかかる。懐に飛び込めば魚雷は使えない。そこで勝負に持ち込む寸法だ。

 

 近づけさせまいと満潮も主砲を乱射するが、卯月も見定めていた。回避運動が上手くいくようになっている。仕掛けてくるフェイントもなんとなく分かってきた。

 

 それでも地の実力差がある。発射した砲撃が体を掠めていた。模擬弾と言えども速度が速度だ、激痛は免れない。こんな戦い方は実戦ではできない。だが、今は一発でも満潮に叩き込んでやりたい。

 

「ぜってぇ当ててやるぴょん!」

「うっとおしいのよ、雑魚!」

「雑魚雑魚言うなぴょん!」

 

 距離を取ろうとした満潮に向かって卯月は魚雷を全弾放つ。当てる気はない。元々威力がないから当てる意味がそんなにない。

 これは退路を断つためだ。背後を大きく覆うように撃った魚雷で動きを封じる。それだけが狙いではない。

 

 卯月は主砲で、自分の撃った魚雷を撃ち抜いた。

 当然爆発が起き、大きな水柱が立つ。何発か誘爆したせいでより大きなものとなっていた。退路を断ち、かつ目晦ましの雷撃だ。

 

「これで、どうだぴょんっ!」

 

 その隙を突き、卯月は水柱を突っ切る。

 どこから撃つのか分からないだろう。確実に当てることができる。歓喜に満ちた顔でトリガーを引き、主砲を放つ。

 

 爆発が起きる。その衝撃で水柱が弾ける。

 

 満潮はいなかった。

 

 影も形も──否、影はあった。

 影しかなかった。なら満潮は。卯月は影と光の間を探す。()()()()先に満潮はいた。

 

「度胸だけは認めて上げるわ、でも最弱よアンタは」

 

 真上からの砲撃が脳天に刺さる。

 重力加速も乗った一撃に卯月は海面に叩き潰される。首を大きく揺さぶってしまい激痛が走った。

 

 水柱で逆に、宙に飛んだのだ。

 那珂の『勝負ありー』という声を聞くまでもない。というか意識が飛んで聞こえていない。完全に負けた。

 ちくしょう。そう言い残して卯月は意識を失った。




R3.6.3 訂正
アーケード見て気づきました。
「こいつ一本足じゃなかったのか!?」
というわけで内容を訂正しました、ごめんなさい。


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第16話 反則

6月6日6時6分投稿にしても良かったかもしれない。


 満潮にこれでもかというほどボコボコにされ、卯月は演習に負けた。最後に頭部を強くうったせいで気を失ってしまう。

 気づいたら上から那珂が心配そうに見下ろしていた。

 

「……え、演習は?」

「分かるでしょ?」

「完全S勝利かぴょん」

「いやD敗北だよ」

 

 駄目だったか。勝つつもりだったが現実は甘くない。場数も実力差もある。気合だけでうまくいけば、戦争はとっくに終わっているだろう。

 

「雑魚ね、雑魚雑魚」

「うるせえ、次はうーちゃんが勝つぴょん」

「はいはい満潮ちゃんも煽らない!」

 

 満潮に思いっ切り睨みをきかす。と同時に顔が痛みだした。反射的に両手で顔を覆う。

 

「顔を思いっきりうっちゃったけど、痛むところはない?」

「鼻が痛いぴょん」

 

 鼻を中心に顔全体がじんじん痛む。いったいどうなってるんだ。漫画みたいに『*』に潰れてはいないだろうか。

 

「あー、鼻の骨が折れてるみたいだね」

「まじかぴょん」

「さすがに鼻で息ができないのは困るねー」

 

 本当だ、鼻が潰れている。口で息はできるが不便だ。

 いったん入渠してからまた演習だな。基地はどこだっけか。卯月が周囲を見渡す。すると那珂が手招きしてきた。

 

「ちょっとこっち来て」

「ぴょん?」

「えい」

 

 鼻を掴まれる。『ボキ』と音がした。

 

「ギャー!?」

「よし」

 

 なにが「よし」だよ馬鹿野郎!? 

 しかし痛くて声も出ない。アホのようにのたうち回る。涙まで出てきた。ホントになんなんだ。

 

「息ができるようになったね」

「にゅ、入渠じゃ、駄目だったのかっぴょん」

「なに言ってるの、戦場じゃ入渠なんてできないんだよー?」

「そうだけど、そうだけどぉー……」

 

 外れた関節を無理やり戻すのとはわけが違う。確かに呼吸はできるようになったが代わりに激痛が顔を襲う。

 一応演習が終わったら入渠は行けるが、それまではこのままと那珂は言った。鬼だった。

 

「那珂さん、まだこいつと演習しなきゃ駄目なの?」

「駄目だけど、どーしたの?」

「こいつ見込みないわよ、時間の無駄だわ。わたしにとってもこいつにとっても」

 

 本当にこいつは一々言うじゃねぇか。こめかみに血管が走ってくる。

 で、また顔が痛くなって卯月は蹲る。しまらないなぁと心の中でため息をついた。

 

「うん、その通りだと思うよ」

「うんうん……ちょっと那珂ちゃん!?」

「え、だって卯月ちゃん弱いし」

 

 まさかの肯定であった。真正面から弱いって言われたら流石に傷つく。それと同じぐらい腹が立つ。

 

「そんな、那珂ちゃんは味方だと思ってたのに、裏切り者だったかぴょん!」

「フッフッフ、芸能界は真っ暗なんだよぉ……」

「殺してやる、殺してやるー!」

「茶番は良いから。なら、わたし帰っていいわね」

「駄目だけど?」

 

 突発的に正気に戻った那珂は告げた。満潮は驚いたあと露骨に不満な顔を浮かべた。

 

「満潮ちゃんの言うとおり卯月ちゃんは弱いよ。でも演習しない理由にはなんないよね」

「なによそれ、先輩だから面倒見ろってこと?」

「違うよ。弱いからこそ戦わないといけないんだよ。たかが駆逐艦って侮って沈んだ戦艦が何隻いることか」

 

 駆逐艦だって戦艦を殺せる。魚雷にピンポイントの主砲。方法はいくらでもある。でもそれは『睦月型』のわたしにも可能なのだろうか。自分でも疑問だ。

 

「卯月ちゃんもそうだよ。弱いよ。でも弱いことは、『勝てないこと』じゃないんだよ」

「なるほど、ぴょん?」

「分かってないよねその反応」

 

 分かってないというか、顔が痛い。

 こんな状態で戦えるのかが一番不安だ。これぐらいの痛みになれなきゃ実戦にならないってんならしょうがないけど。

 

「ああそう、分かったわ。その雑魚が指一本動かせなくなれば終わりで良いのよね」

「心停止まで許すよ!」

「ちょっと!?」

「大丈夫、アイドル式心臓マッサージがあるから!」

 

 ヤバイ。本気でやらないと不味い。三途の川から菊月が手を振っている。

 

 少し喋って体力も回復させたところで、演習再開となった。

 ルールは先程と同じ、那珂が轟沈判定を下すまでは続行になる。使っていい武器もさっきと同じだ。

 

 しかし卯月は負けまくった。

 どんなに頑張っても負けまくった。主砲で撃たれ雷撃に巻き込まれ、木枯らしのように宙を舞う。

 

 そうこうしてる間に太陽が真上にやってきた。このままではボコボコのまま演習終了になってしまう。焦ったっていいことはないが、気分が落ち着かない。

 

「時間も時間だね、じゃ、次の一戦で最後ね」

「さっさと終わらせましょ」

 

 満潮はもう勝つ気でいる。自分が負けるだなんてこれっぽっちも考えてない。なんて腹が立つ! なんとかして吠え面かかせてやりたい。

 

「二人とも、用意は良い?」

 

 余裕の笑みさえ浮かべている満潮。全身痣塗れで息を荒くする卯月。

 どっちが有利かは一目瞭然だ。それでも卯月は元気に声を張り上げる。気持ちでは負けないつもりだ。

 

「演習、開始っ!」

 

 合図と同時に卯月と満潮が同時に砲撃する。

 何回も何回も撃ち合ったせいで、お互いのクセはだいたい分かっていた。初発から動きを予想して狙い撃つ。

 

 卯月も最初と比べてはるかに動けるようになっていた。

 動きも複雑になり簡単に予測できなくなっている。急カーブやブレーキ、旋回を合間合間に挟みながら、満潮に砲撃を浴びせていく。

 

 だが、それでも経験の差は埋めがたい。

 卯月が必死に狙った砲撃も、満潮からすれば馬鹿正直な一撃でしかない。余裕をもって全て回避されてしまう。

 

 どうすればいい。このままではまた負ける。

 艦のスペックも経験の差もどうにもならない。その差を埋めるためには考えなきゃいけない。息を荒くし、体中から汗を流す。筋肉が悲鳴を上げても考えるのは止めちゃだめだ。

 

 一瞬、満潮の姿が水柱で隠れた。

 と同時に卯月は()()()を凝視する。そこには魚雷の軌跡がわずかに残っていた。やはりそうか、このタイミング。

 

 急カーブで逃げてもその先にはきっと砲撃が来る。

 魚雷を排除するにはわたしの練度が足りない。複数の雷撃を撃ち抜けるような訓練はしていない。逃げ道は潰された。

 

「さっさと負けを認めなさいよ」

 

 満潮の挑発に、反論する余裕もなかった。

 そうしている間にも魚雷が来る。余裕の勝利宣言に怒りが頂点に達しそうだ。

 

 そうだ、余裕なのだ、あいつは。

 卯月は不意に冷静になる。あの油断は隙にならないだろうか。わたしのような弱者でも隙を突ければ、強烈な一手にならないだろうか。

 

 隙を突くためには、確実に逃がさないためには。

 

「……やってみるかっぴょん」

 

 これは演習だ。失敗したって死にはしない。

 卯月は不敵に笑うと、魚雷の迫る『前』に進んだ。

 

 あれはなんだ? なんの笑いだ? 

 不気味な笑みに満潮は卯月を観察する。そして()()()()、浅はかな策に失笑した。

 

「馬鹿なの? 雷撃を見て回避する気なのあんた?」

 

 卯月はなにも言わない。満潮は肯定だと受け取った。

 確かに航跡を見れば回避はできる。だがそれは机上の空論というものだ。常に波打つ海上では見失いやすいし、そもそも魚雷は見つかりにくくできている。

 

 だが油断は禁物だ。回避されたら一気に接近される。満潮は卯月に向けて連装砲を乱射していく。

 

「──ッ!」

「これでどう、これでも魚雷を見る余裕はあるの?」

「てめぇっ!」

 

 砲撃の回避に気を取られ魚雷を見失っただろう。

 砲撃の水しぶきが視界を塞いだだろう。

 これで卯月は逃げ惑うことしかできない。右往左往するぐらいで逃げれるような雷撃はしていない。

 

「じゃあね」

 

 鬼のような面構えで睨む卯月を嘲笑う。

 そして雷撃が到達した。次々と爆発が起き、卯月の姿を覆い隠す。ペイント塗れの卯月が横たわっているはずだ。満潮はそう考えた。

 

 だが、動く物が見えた。

 満潮は反射的に主砲を構える。視線を上に動かす。

 

 水しぶきで細かく見えないが、水柱のうえに『なにか』があった。

 

「わたしのやり方の真似……?」

 

 最初の演習で、あえて水柱に打ち上げられた戦法を真似たのだろうか。馬鹿馬鹿しい。あんな遠くで空に飛んでなんの意味がある。ふざけているか。

 

「戦場を舐めてるの? いい加減くたばりなさい!」

 

 満潮は迷うことなく『なにか』を砲撃する。

 だが満潮の予想に反することがおきた。

 

『なにか』は卯月ではなかったのだ。水柱を吹き飛ばすほどの大爆発が起きたのだ。

 

「なっ……!」

「バカめ! そっちは囮だぴょん!」

 

 あいつはなにをした。卯月を見た満潮は絶句した。

 卯月は『魚雷発射管』を装備していなかったのだ。じゃあ、いま爆発したのは……搭載してた魚雷全部か! 

 

 爆炎に隠れて卯月は突っ込んでくる。満潮は砲撃で牽制する。しかしどれも当たらない。

 

 速度が変わっているからだ。魚雷がないぶん軽くなっている。速くなっている。だから今までの『読み』が通じない。

 

 魚雷で牽制しようにもたった今発射してしまった。次の発射準備がまだ整わない。

 

「接近戦ならどうだぴょん!」

 

 まごついてる間に卯月は距離を詰めていた。あと数秒で砲撃もできない距離に持ち込まれる。格闘戦だ。それなら勝てると卯月は考えているのだろう。

 

 これ以上近づかれてはならない。満潮は再び砲撃を放つ。もう動きは見切った。あんな単純な動き、読めないわけがない。砲撃は卯月に吸い込まれるように飛んでいく。

 

「当たってたまるかっぴょん!」

 

 卯月からすれば、すでに引けない状況だ。

 ここで接近に失敗すれば、性能で上回る満潮に潰される。なんとしてもここを突破する。そのためならどんな荒業でも構わない。

 

 魚雷発射管はない。だから卯月は爆雷を全て投げ飛ばした。

 

 ありったけの爆雷がまるで盾のように展開される。何発かは水中に落ちる。砲撃と魚雷が爆雷に触れ、また爆発が起きる。

 

「痛いぴょん!」

 

 爆雷も模擬だ。怪我は負わない。しかし爆発の衝撃は起きる。片腕で防いだものの片手はズタボロだ。残った片手でなんとか突破するしかない。

 

「ああもう、うっとおしいわね!」

「一発はくらわせる、絶対に当てるぴょん!」

 

 腕を犠牲にした甲斐あってか、卯月はついに接近戦の距離まで到達した。もうこれはいらない。動きの邪魔だ。卯月は主砲を上空へ投げ飛ばす。

 

 ぶん殴ってやる。そう腕を振りかざす。

 

 だが、満潮がにやりと笑った。

 

「あんたはやっぱり雑魚よ」

 

 振りかぶった腕は、気づかない内に掴まれていた。

 

「なんでわたしが、格闘戦をできないと思ったの」

 

 ベキと、一瞬で手首を折られてしまう。激痛に顔を歪める卯月だが、彼女はまだ諦めていなかった。まだ策は残っている。

 

「なんで、わたしが、うえのあれに気づけないと思ったの!」

 

 しかし、それも読まれていた。

 満潮は主砲を上に向け、一発撃った。その先に会ったのはさっき卯月が投げた主砲だ。卯月は投げた主砲を、投擲武器にして当てるつもりだったのだ。

 

 だが見破られた。卯月の単装砲は破壊された。卯月が絶望の表情を浮かべたのを見て、満潮は勝利を確信した。

 

「はい、お終い!」

 

 トドメに強烈なケリを腹に叩き込む。ぐしゃ、と嫌な音がしたが気に留めない。どうせ入渠すれば治るのだから。

 

 吐血した卯月に砲撃を浴びせ、思いっきり吹っ飛ばす。腹も顔もペイント塗れだ。誰がどう見ても轟沈判定だ。

 

「満潮ちゃんの勝利!」

 

 那珂が勝利を宣言する。これで演習は終わった。わたしは勝ったのだ。こんな雑魚に付き合う時間は終わりだ。

 

 勝った。終わった。だからもう卯月を見なかった。心配して見た那珂は気づいた。

 

「……卯月ちゃん?」

 

 だから気づけなかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「え?」

 

 那珂の声に満潮も卯月を見る。ぶっ飛んだ卯月が海面に叩きつけられた、まさにその瞬間。

 

 満潮がぶっ飛ばされた。

 

「!?」

 

 顎の骨が砕けた激痛だ。

 なにが起きたのか分からない。アッパーカットのような攻撃を受けた。真下から強烈な一撃が飛んできたのだ。

 

 しかし卯月は離れたところで倒れている。魚雷も主砲もない状態で、あいつはなにをやったんだ。

 

 満潮には分からない。だが遠くから俯瞰的に見ていた那珂は気づいていた。

 

「碇を振ってたんだ」

 

 その正体は『碇』。船を固定する時に使う重しだ。

 

 最初の時、魚雷と砲撃に挟まれたときに仕込みは始まっていた。

 水柱に紛れて碇を投下し、卯月はそれを引き摺って突っ込んでいったのだ。

 

 主砲を投げたのも、魚雷発射管を捨てたのも、水中に意識を向かせないためだ。

 最後に満潮にぶっとばされるのも計算の内。チェーンハンマーを引き摺るような形になっていた碇は、()()()のように水面に打ちあがった。最後に腕で引っ張って位置を調整していた。

 

 しかし、いまの攻撃は勝利判定のあとに起きた。卯月の敗北は変わらない。今のはなんだったんだろう。那珂の疑問はすぐに解けた。

 

「当ててやったぞ! どーだざまーみろだぴょん!」

 

 それだけ、それだけだったのだ。

 演習の結果とかはどうでも良く、一発を叩き込むのが全てだったのだ。だから演習終了後の油断したタイミングで、碇を引っ張ったんだ。

 

「さ……」

「ん?」

「最低だよそれは、卯月ちゃん!?」

 

 しかしこれではルール違反だ。演習もへったくれもない。高らかに笑う卯月に那珂は突っ込んだ。

 

「負けても別に、出撃許可は出すつもりだったんだよ!」

「んなこたどうでもいいぴょん、あの満潮に吼えづらをかかせるのが重要だったんだぴょん。ついにやってやったぴょん」

 

 フハハハハと笑う卯月。顎を砕かれ気絶する満潮。喚きたてる那珂。たまたま通りかかった球磨が絶句していた。

 

「手段なんて、どうでもいいのだーっぴょん!」

 

 その後内臓が破裂した卯月と顎を砕かれた満潮は揃って入渠ドックへ。ドックを出た後球磨にこれでもかと怒られることになる。「そんなに演習が好きだったとはクマ」と言われ、休憩なしの訓練を深夜三時まで強要されるのであった。

 

 この一件によって卯月と満潮の溝はより深まったのである。




???「勝てばよかろうなのだーっ!」
???「過程や方法なぞ……どうでもよいのだぁ!」
???「結果だ!この世には結果だけが残る!」
卯月「グレートな思想だぴょん」
満潮「クソめ!」


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第17話 休日

休日回でち。たまにはね。


 深夜三時を越える演習合戦を乗り越えた卯月と満潮は修羅となっていた。

 目に光はなく汗と血で顔は染まり、息を荒くしながら前科戦線へ帰投する。疲労がぶっちぎっていた。

 

「て、てめぇのせいだぴょん」

「ざっけんじゃないわよこの雑魚」

 

 悪口はまだ出るが手が出ない。指一本動かせない。

 あいつのせいで酷い目にあった。二人はお互い同じことを思いながら入渠ドックへ飛び込んだ。

 

 

 

 

 気がつけば朝になっていた。

 ドックから出た二人は絶句する。疲労困憊過ぎて朝まで寝てしまっていたのだ。ドック内の時計は朝十時になっている。

 

「朝ごはんが!」

「早朝訓練が!」

 

 大切な時間を逃してしまい絶望する卯月と満潮。二人は頭を抱えたあとお互いを睨み付ける。

 

「死ね!」

「死ね!」

 

 まるでモノラル放送のような一致っぷりであった。

 しかし泣いても仕方ない。軽食ぐらいならあるかもしれない。満潮がどうするかは知らん。なにか食べたいと卯月は食堂へ向かう。

 

 食堂へ入ってみるも、さすがに誰もいない。

 机の下で大の字になっている裸体のナマモノはどうでもいい。洗い物をする音が聞こえるぐらいだ。

 

「飛鷹さーん、いるぴょーん?」

「あら、うーちゃん、だいぶ寝坊したのね」

「満潮が悪いぴょん」

 

 全ては満潮が悪い。諸悪の根源だ。あいつがこっちを挑発しなければこんなことにならなかったのだ! 

 と、無念の声を上げるも飛鷹さんは苦笑いするだけだ。

 

「で、なにか用があってきたんでしょ?」

「あ、そうだったぴょん。なにか食べれるものないかぴょん?」

「食べ物? 朝ごはん温め直せば食べれるけど……」

「ありがてぇぴょん!」

 

 入渠では腹は膨れない。あんまりにも栄養が枯渇してると入渠もうまくいかないらしい。冷めてようがなんだろうが、あるだけでも十分だ。

 

「じゃあちょっと待っててね」

「わーいぴょん、うーちゃんの味方は飛鷹だけぴょん」

「それとあとで会えたら、満潮ちゃんにもこのおにぎり渡しといてね」

「お前も敵だぴょん!」

「はいはい」

 

 渡すけどね。別にそれぐらいわ。

 椅子に座りウキウキしながらご飯を待っていると、食堂の扉が開く音がした。こんな時間に誰だろう。満潮ではないな、あいつご飯面倒がってるし。

 

「失礼いたします」

「なんだ不知火かぴょん」

「なんだとはなんですかなんだとは」

 

 そう言われても困る。だって「なんだ」って感じだし。卯月の不条理な感想に不知火は顔を顰める。

 

「あら不知火? あなたも食事?」

「ええ、受け取りに来ました」

「不知火と高宮中佐のご飯かぴょん?」

「ええ、そうです」

 

 前もそうだったな。卯月は思い返す。業務内容はまったく知らないけど提督や秘書艦業務は大分忙しいらしい。大変そうだと卯月は思う。

 

「卯月さんは……球磨さんの演習で疲れていたんですね。お疲れさまです」

「御迷惑をおかけしたぴょん、主に満潮が」

「……卯月さん」

「ごめんなさい」

 

 不知火はじっと見つめてくるだけ。それがとてつもなく恐い。まるでシリアルキラーのような瞳だ。震えあがる卯月は素直に謝った。

 

「入渠もタダではないんです。もう少し考えて演習を行ってください」

「了解だぴょん」

「ああそれと、ちょうど良いので伝えておきます」

 

 卯月は小首を傾ける。なんの話だ? わざわざ不知火から伝えるということは結構大事な話っぽいけど。

 

「演習の様子は那珂さんから報告を受けました」

「ああ、なるほど、うん、察してるぴょん」

 

 一発当てたものの演習そのものは敗北で全敗だ。卑怯な手段をとったのも聞いているだろう。良い話にはなりそうにない。きっと今日も死ぬ気で特訓しなきゃいけないのだ。出撃はもう明日なんだから。

 

「中佐から、『合格』とのことです」

「へ? 合格?」

「ええ、我々の要求する最低の練度は満たしていると中佐は判断されました。特に最後の不意撃ちの評価が高かったようです」

「まじかよ」

 

 評価が下がると思っていたが、まさか上がるとは。でもなぜだろうか。不思議そうにしている卯月に不知火が理由を述べた。

 

「どんな手段でも当てた方が勝ちです。逆に喰らう方がアホ。とのことでした」

「おお、高宮中佐は分かってるぴょん!」

「ですが資材を無駄にしたことについては大変ご立腹です」

 

 菓子折りでも持っていくべきか。いや次同じことをしなければ大丈夫だ。そう納得する卯月の笑顔はちょっと震えていた。

 

「えーと、で、合格だとどうなるぴょん」

「今日は訓練をしないように、という通達です」

「訓練をしない?」

「明日出撃です。なので今日は体を休めるようにと」

 

 なるほど、そういうことか。数日前に目覚めてから、ずっと動きっぱなしだった。でも及第点まで行っててもわたしの練度は低いままだ。休むのは大事だけど、特訓しなくて良いのだろうか。

 

「簡単な走り込みぐらいならして良いですが、それ以外の訓練は全面的に禁止です。球磨さんや那珂さんにも通達してあります」

「そんなに休んで良いぴょん?」

「絶対に休んでください。どれだけ無茶な追い込みをしたかお忘れですか」

 

 気絶するまで走ったり、身動きが取れなくなるまで踊ったり、流血沙汰になるまで演習したり。

 

「いっぱいお休みするぴょん」

「そうしてください。ただし今日の夕食後にブリーフィングを行うので、忘れないように」

「了解だぴょん」

 

 不知火は飛鷹さんが持ってきた二人分の朝食を持って執務室へ戻っていった。その後わたしも遅めの朝食をとった。

 

 さて、どうしよう。

 食堂でひとり、わたしは呆然としていた。休みっていきなり言われてもなにをすれば良いかさっぱり分からない。

 

 ボケーっと寝てるのもアリかもしれないけど、それはなんだか勿体ない気がする。貴重な休みなのだ最大限有効活用しなければいけない。

 

 うんうんと頭を悩ませていると、机の下からガタンと音が聞こえた。机の下に転がっていたナマモノが突如動きだしたのだ。

 

「くぁぁ……あ、Buongiorno(おはようございます)~卯月さん~」

「うげ、ゲロ野郎だぴょん」

 

 まあポーラなんだけど。さっきから机の下にいたけれど。

 彼女を見て卯月は露骨に顔を顰める。卯月にはもうゲロをぶっかけられた記憶しか残っていなかったのだ。

 

vomito(ゲロ)は酷いですよぉ」

「うるせーぴょん、あの屈辱は忘れてないぴょん」

「わざとじゃないんですってぇ」

 

 わざととかわざとじゃないとかそういう問題ではない。しかし言っても多分無駄だ。げんなりとした気分になってくる。

 

「あの~、さっき聞こえたんですけど、卯月さん今日はVacanza(休み)なんですって~?」

「そうだけど、それがどうしたぴょん」

「ならポーラといっしょにお酒を飲みま」

「おバカ」

 

 焼酎瓶でぶっ叩かれて、ポーラは地面にたおれ伏す。

 

「か、かんむすにはadulto(成人)とかないんですけどぉ~?」

「それでも常識ってもんがあるでしょ!」

「で、ですけどー」

「ですけどもなにもない! 掃除するからいい加減出ていきなさい!」

 

 瓶でガンガン背中を叩かれてポーラは食堂を追い出された。あんまりな空気に卯月もついでに出ていった。

 

「実際艦娘って、酒どうなるんだぴょん?」

「鎮守府次第みたいですよ? まあここは前科戦線、懲罰部隊なので……規律が乱れるようなことはNon desiderabile(好ましくない)ですね~」

「あ、そう」

 

 お酒か。興味こそあれど好んで飲もうとは思わない。明日出撃なら尚更だ。機会があったらで良いだろう。ポーラといっしょは御免だけどな! 

 

 これ以上一緒にいるとさらにげっそりするので、卯月はポーラと別れる。

 かといって行く場所があるわけでもない。卯月は歯だけ磨いて適当にブラブラと前科戦線を歩き回っていた。

 

 建物を出ると、やはり武骨なコンクリートの地面が広がっている。周囲は高い壁に覆われて、外のようすは伺えない。

 

 唯一入口がある場所には武装した人間が立っていた。その光景を見るとここは牢屋と変わらないと実感が湧いてくる。

 

 こんなところばかり見ても味気ない。卯月は反対側へ歩く。そっち側からなら海を臨むことができるからだ。

 

 球磨と一緒に散々走りこんだ砂浜に、卯月はペタンと座り込んだ。

 天気は晴れ。季節のおかげで直射日光も熱くない。ポカポカと良い陽気だ。昼寝でもしたらさぞ気持ちいいだろう。

 

 遠くまで広がる海を視て気づいたが、視認できる範囲に陸地が一切見当たらない。脱走阻止のためだ。この前科戦線が、どの座標にあるのか一切分からせないために、こんな設計になっているのだろう。

 

「ヒマだぴょん」

 

 一しきり歩き回り出た結論。見るところがない。

 資料室や酒保もあったが意味がない。資料はつまらないし酒保で買う交換券もない。そりゃ懲罰部隊なんだから娯楽があってもアレだが、それにしても少なかった。

 

「……走るかぴょん」

 

 本当にそれぐらいしかやることがなかった。軽い運動なら良いって不知火も言ってたし、体力が落ちない程度にはやっといた方が良いだろう。

 

 時間的にも丁度良かったので、食堂でお昼を済ませた。その後自室でジャージに着替え、砂浜ランニングを始める。タイヤも濡れマスクもなしだ。あんなのしたら怒られる。

 

 走りながら卯月は、回復を実感していた。

 最初は走るどころか歩くのもいっぱいいっぱいだったのに、今はどうということはない。走っても体力が尽きる気配もない。

 

 この調子で訓練を積んでいけば、那珂みたいに強くなれるのだろうか。特訓はしんどいし面倒だけど、強くならなければ深海棲艦は殺せない。

 

 不意に思い出したのは、昨日見た悪夢だ。

 燃える鎮守府にいた、巨大な深海棲艦。鎮守府を襲ったのはあいつだけなのか、集団でやってきたのか。なんにせよ、きっとあいつが仇だ。必ず殺さないと。

 

 そこでまた思い出す。

 あの夢のこと中佐に言い忘れていた。襲撃のことがどれぐらい知られているか知らないが、言うに越したことはないのに。

 ……ま、まあ言う機会はあるさ。卯月はランニングを再開した。

 

 

 

 

 小腹がすいてきたタイミングで、卯月はランニングを止めた。

 前科戦線の時計は三時過ぎだ。おやつタイムだ。といいたいが前科戦線でそんな贅沢は認められていない。欲しければ交換券で買え。そういうルール。

 

 しかし卯月は交換券を持っていない。ゆえに小腹を空かせながらのたうち回るしかない。しかたないけど辛い。

 こんな状態で走るのはもっと辛い。これぐらいで終わりにしちゃおう。

 

 ランニングを終えた卯月はシャワーを浴びる前にと、海岸線をブラブラと歩き回る。さっきの探索ではこの辺りまで歩いていなかった。

 

「なーにかー、愉快なシロモノはー、なーいかっぴょーん」

 

 まああるわけないんだけど。そう思いつつも気分転換に歩く。適当にあるいたらシャワーを浴びて晩御飯までぐっすりだぜ。

 夕食のメニューを考えてニヤニヤする卯月だったが、彼女は気がつく。

 

「いま、なにかあった?」

 

 建物と壁、その間に隠れるように、なにかのスペースが一瞬見えた気がした。

 違和感の場所を凝視すると、確かになにか、妙な空間がある。窪みの中に埋もれているように見えるが、何だろう。

 

「よし、行ってみるぴょん」

 

 ほとんどコンクリートだが、少しは植樹された場所もある。

 そこは木々の量が多めだった。なのに真ん中だけなにも植えられていない。見つけにくくなっている空間を、卯月はたまたま見つけたのだ。

 

 そこは、不思議な場所だった。

 芝生の中にはいくつか花が咲き、うえからは木漏れ日が刺している。武骨で無機質な基地にはてんで似合わず、だからこそ神聖さも感じさせる場所。

 

 そう感じるのは、真ん中のこれが理由だとすぐに悟った。

 

「お墓?」

 

 誰がどう見ても、墓と分かるものが置かれていた。

 しかし誰の墓かは分からない。名前が書かれていないのだ。代わりに文字が書かれているわけでもない。なにもない黒い石。下手をしたらお墓だと分からない。

 

 場所的に前科戦線の誰かの墓なのは間違いない。荒れている様子もない。定期的に手入れが入っている。飾られた花もまだ新しかった。おおかた前科戦線で殉職した誰かのお墓だろう。

 

 捨て駒上等の前科戦線にこんなものがあるのは驚きだった。お墓なんて用意されないとてっきり思い込んでいた。

 

 どうせなら、そう思い卯月は手を合わせた。

 

「新人のうーちゃんです。明日初陣ぴょん、頑張ってくるぴょん」

 

 誰かも知らない墓石へ卯月は告げた。

 冥福を祈ることや、見守ってほしいとお願いすることもできたが、卯月は自分のことを語った。

 

 それが一番だと思った。

 理屈ではなく直感でそう思った。わたしのことを語った方が、先輩たちが退屈しないんじゃないかと思ったからだ。

 

「じゃ、生きてたらまた来るぴょん!」

 

 墓石に手を振って、卯月は前科戦線へと戻っていく。

 上からの目線には気づかずに。

 この墓石は、中佐の執務室から見える位置にあったのだ。



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第18話 片鱗

イベントが終わらねぇ。


 走りこんでシャワーを浴びたあとのお昼寝は最高だったと言っておこう。

 というか前科戦線に来てからお昼寝とかまったくしてなかったので余計に気持ちよかった。後悔はしていない。

 

「ああああ寝坊したぴょんっ!」

 

 後悔はしてない。

 

 だが絶望はしている。

 遅刻するなと不知火に言われたばかりなのにこの醜態。恥ずかしくて死にそうである。

 

 いや恥ずかしいぐらいならまだマシだ。もしかしたら拷問にかけられるかもしれない。こうなればまず命乞いをしなくては。部屋に突っ込みながら土下座をすることで誠意を表すのだ。

 

 パニックになってるせいで思考が変な方向に飛んでいる卯月は食堂へ向けて全力疾走。球磨のスパルタ特訓の成果が今実っていた。最悪の実り方だった。

 

「……卯月さんがいませんが、知っているかたはいませ」

「遅れたぴょんごめんなさいーっ!」

 

 土下座のままスライディングの要領で突っ込んできた卯月に、不知火は絶句する。

 

「どうか命だけは! 命だけは!」

「いやなんの話ですか!?」

「お慈悲を! うーちゃんにお慈悲を!」

 

 土下座のまま不知火に縋りつくという器用な真似、不知火はドン引きした。パニックの卯月は気づかずに命乞いを続ける。

 

 混乱した空気を、教鞭の音がパシンと打ち消した。顔を上げる。冷たい目線でわたしを見下ろす高宮中佐がいた。

 

「卯月」

「はい」

「静粛に」

「はい」

「あとで罰を与える」

「はい……え?」

 

 流れるような懲罰命令。わたしはつい了承してしまった。なんてこった。唖然とするわたしを満潮がクスクス笑っていた。

 

「満潮も同室だ、同罪」

「え?」

 

 ざまぁ見ろ。そう心の中で嘲笑いながら卯月は着席する。

 しかし所長、じゃなかった高宮中佐のすがたを見るのはちょっと久し振りだ。

 

「飛鷹以外は全員揃ったようだな」

 

 飛鷹さん以外? 言われてみれば飛鷹さんがいない。厨房にもおらず、弁当タイプの夕食が人数分用意されているだけだ。聞きたいけどやらかしたあとなので聞きづらい。

 

「ではこれより、明日行われる作戦のブリーフィングを始める。尚卯月は初めての参加故に、終了後追加で説明をおこなう。不知火」

「かしこましました」

 

 不知火はテキパキと機材を用意していく。スクリーンに映像を投射する奴だ。基本価値観が軍艦のころと変わらないわたしにとっては全部が新鮮。時代は進んだなぁと感じる。

 

「映像を流します」

 

 不知火がボタンを押す。

 

『ニャー』

 

 子猫が写っていた。

 小さい毛玉が短いおててでテチテチと歩いている。コテっと転んだ瞬間、画面を流れる文字が阿鼻叫喚の断末魔に変わる。

 そこで映像が突如切れた。

 

「……不知火?」

「不知火になにか落ち度でも?」

「……いや、別に」

 

 周りを見る。誰も動揺していない。高宮中佐も眉一つ動かしていない。いつものことらしい。

 おい大丈夫かこの秘書艦。

 そう思っている間に、不知火は正しい映像をセットし直していた。

 

「映像を、流します」

 

 今度はちゃんと画像が写る。

 どこかの海域が描かれた地図だ。陸地が近くにあるあたり、そう遠い場所じゃなさそうだ。ならそう過酷な戦いじゃないかもしれない。

 

「この海域は現在、全面的に深海棲艦の支配下にある」

 

 前言撤回全然そんなことありませんでした。というかこんなに陸地に近いところが制圧されてて、大丈夫なのかよ。

 

「幸いにして半年間は沈黙を保っていたが数日前より『浸食』が活性化、これ以上の静観は危険と、大本営が判断。大規模な海域奪還作戦が組まれることになった」

 

 大丈夫じゃないらしい。まあそりゃそうか。

 

「我々第零特務隊は強行偵察部隊として、この海域を支配する『姫』へのルートを探すことになる」

「よーするに、いつも通りってわけね」

「満潮さん、静粛に」

「間違ったこと言ったの?」

「いいや、満潮の言う通りだ。普段と同じ我々の任務となる」

 

 満潮、あいつ結構言いまくるんだな。

 別に優等生とかそういうタイプでないのは意外だった。余計に鼻につくけど。

 

 それはさておき、満潮は『いつも通り』と言った。

 つまり強行偵察が前科戦線の主任務ってわけだ。確かに危険だが、それがどうして死亡率七倍に繋がるのだろう。

 

 でもわたしは聞かない。満潮と違ってわたしは優等生、質問タイムまで余計なことはしないのだ。

 遅刻? あれはノーカンで。

 

「そしてこいつが、今回の『姫級』だ」

 

 中佐が言うと同時に不知火が映像を変える。あの海域を支配する姫級深海棲艦、こいつを沈めれば海域は奪還できる。

 

 どんな姿だろうか。卯月は興味津々だった。話では聞いていたが、実際に『姫』を見たことは一度もなかったからだ。

 

 そんな感情が、簡単に消し飛ぶとも知らず。

 

「え?」

 

 映像を見た卯月の第一声がこれだった。

 

 深海棲艦の群れの最深部に居座っているのが、鮮明に捉えられている。

 白髪から二本の黒角が生えている。肌は真っ白で死人のようだ。対照的に服は黒で統一されており、巨大なスカートからは獣型の艤装が見える。

 

 というより、スカート型の艤装、もしくは獣型の艤装から直接姫が生えているような見た目だ。

 

 その姿が、卯月の記憶と重なっていく。

 わたしはこいつを、()()()()()()()

 

 燃え盛り、死体に溢れる神鎮守府。一人炎を背に立っていた、唐笠お化けのようなシルエット。昨日夢で見た『仇』にとても良く似ていた。

 

 卯月は恐る恐る、高宮中佐に尋ねる。

 

「中佐、あの、こいつは」

「識別名は『泊地棲鬼(ハクチセイキ)』、該当する艦種は『航空戦艦』。そしてこいつの支配する海域は、元々鎮守府があった。やつはそこを壊滅させ根城にしている」

 

 高宮中佐が教鞭を鳴らしながらわたしに歩み寄る。震えながらも泊地棲鬼の写真をじっと見つめるわたしに、中佐はそっと呟いた。

 

「神少佐の鎮守府を破壊したのは、この泊地棲鬼だ」

 

 夢で見た姿が完全に繋がった。

 わたしの、神提督の鎮守府を滅ぼしたのがこいつなのか。こいつが神少佐と間宮さん、わたし以外の仲間を殺した敵なのか。

 

 息が荒くなっていく。

 心拍数が上がっていき興奮が抑えられなくなっていく。からだも熱くなってくる。こころの奥底から暴力的な衝動が込み上げてくる。握りしめる拳か血が滲み始める。

 

「中佐? いま卯月になに言ったの?」

「姫級の恐ろしさを言っただけだ。油断しないようにな」

 

 高宮中佐は嘘を言っていた。わたしに『仇』を教えてくれてたのだ。なのにどうして嘘をついたのか。

 

 今更──本当に今更だけど、ここの人たちはわたしがどういった経緯で前科戦線行きになったのか知らない。

 前科について聞いてはならない、のルールがあるからだ。中佐はそれに気をつかってくれたのだ。

 

 まあ、わたしの態度や練度のせいでワケアリとは勘付いているのが大半だけど。

 ともかく満潮もその説明で納得したようで、「ふーん」と言って引き下がった。高宮中佐はまた教鞭を鳴らして、話を戻す。

 

「細かく説明する。質問も許可する。泊地棲鬼は半年前、ここにあった鎮守府に奇襲攻撃を仕掛けた。結果鎮守府は壊滅し近海は奴のテリトリーと化した」

「半年間もそいつを放置してたクマ?」

「そうだ。幸いかは分からないが……泊地棲鬼は半年間、姿を隠したまま目立った行動をおこさなかった」

 

 やはり、わたしがいたことは隠してくれている。

 気をつかってくれてるのは間違いない。この状況だとありがたかった。あの話はされるだけで辛くなる。

 

「しかしそのせいで発見もできなかった。だが数日前に活動再開が確認された。陸地近くでの侵略行為だ、火急対処しなければならない」

「すぐ出撃しなかったのってー、もしかして卯月ちゃん?」

「そうだ、大本営と交渉し、最低限度の練度に到達するまで粘って貰ったのだ。そのリミットが明日だ」

 

 なるほど、出撃の日程が二転三転してたのはそれが理由か。大本営に無理言って待っててもらってたのだ。なんだか申し訳ない。迷惑かけた分頑張らなきゃ。

 

「我々の主任務はいつも通り強行偵察だ、さっきも言ったように、卯月にはあとで補足説明をおこなうので残るように」

「了解ぴょん!」

「それと重要事項だが──」

 

 なんでもこい! 卯月はやる気に満ちていた。

 ついにこの時が来たのだ。みんなの仇をとって復讐を成し遂げる絶好のチャンスが。

 

 勝てるかは正直分からないが、やれるだけやってやる。この渦巻く破壊衝動を叩きつけてやるのだ。どす黒く渦巻く感情をなんとか抑えながら、卯月はフゥフゥと息を荒くしていた。

 だからこそ、耳を疑った。

 

「──泊地棲鬼との交戦は()()()()

 

 中佐の言葉が信じられなかった。

 卯月には今の発言がまるで、死刑宣告のように聞こえた。「仇討ちをするな」と言っているようだった。

 

「任務はあくまで強行偵察、それだけだ。泊地棲鬼の撃破は本体の仕事だ、くれぐれも交戦は避けるように」

「あ、あの、高宮中佐……?」

「卯月も同じだ、泊地棲鬼との交戦は禁止する。我々の戦力を不必要に晒す理由はどこにもない」

 

 言っていることは分かる。

 強行偵察で撃破まで行ったら偵察ではない。戦うということは戦力を晒すということだ。必要以上に戦う理由はどこにもない。

 でも。

 

「でも、中佐、うーちゃんは、うーちゃんは」

「卯月、大規模作戦には各々役割があるのだ。それを乱せば失敗に繋がる」

「それは、分かってるぴょん、でも……」

 

 なんで、そんなことを言うんだ。卯月はわなわなと震えだす。

 もしかしたらわたしの勘違いだったんじゃないか? 中佐が気を使ってるなんて思い込みだったんじゃ? 

 

 分からない、なんでだ? 

 理屈は分かる。無駄に戦力を晒すのはアホのすることだ。不要な戦いは避けるべきだ。

 

 でも泊地棲鬼は違うだろ。あいつを殺す戦いは『必要』だ。中佐はなんでそれを否定するの? 

 

 中佐は再び卯月に近づく。

 真剣な様子でわたしだけに聞こえるよう、小声でハッキリとこう言った。

 

「仇討ちなどという行為は無駄だ、命令違反は許さん」

 

 

 殺す。

 

 

「死ね!!」

 

 そうか、高宮は敵だったのだ。

 直感で確信した。深海棲艦と結託する裏切り者だ、だからわたしの復讐の邪魔をしている。

 

 世界に仇成す害獣は速やかに殺さないと。速く殺さないと、今すぐ殺す絶対に殺す。

 

 怒りに満ちた絶叫を上げ、高宮の首を締め付ける。

 驚いた顔を見ると更に怒りが沸き上がる。腕に限界以上の力が漲る。

 

「う、卯月……!」

「最初からこうすれば良かったぴょん、泊地棲鬼もお前も、復讐の邪魔者は皆殺しだぴょん!」

 

 艤装がなくても全体重をかければ首は折れる。後悔しながら死んでしまえ。

 

 絶句する艦娘どもの顔が見えた。次はこいつらだ。こんなところに放り込みやがった神躍斗も殺す。

 

「沈めェ!」

 

 止めをさそうと、渾身の力を込める。その瞬間、わたしと高宮に誰かが割り込んできた。

 

「失礼いたします」

 

 不知火がわたしの手首を掴んできた。引き剥がすつもりだ。

 邪魔者め、こいつも殺してやる。

 みぞおちに蹴りを食らわせるため、わたしは足を振り上げた。

 

「失礼いたしました」

 

 蹴りは宙を切った。

 

 不知火は遠くに移動していた。

 

「え?」

 

 不知火だけではない。いつのまにか高宮も遠くへ移動していた。ゲホケホとむせこみながらこっちを見ていた。

 

 いや他もだ。他の艦娘も全員移動している。全員が一斉に移動したのか。なんの意味もないぞ。

 

 なら、これは。

 

 そこでわたしはやっと気づく。

 移動──吹っ飛ばされたのは()()()()()ということに。

 

「がっ……!?」

 

 自覚した瞬間、背中に凄まじい衝撃が走る。

 なんだ今のは、なにも知覚できなかった。不知火がなにをしたのだ、何一つ分からなかった。

 

「ころ、して、や……る……」

 

 手を伸ばしても意識が消えていく。それだけのダメージをあの一瞬で受けたのだ。こんなものじゃないのに、この程度の怒りじゃないのに。無念と悔しさが止まらない。

 

 不知火に支えられる高宮を睨み付けながら、卯月の意識は暗闇へと転がり落ちる。

「殺す」、と言って卯月は気絶した。

 

 

 *

 

 

 気絶した卯月を運びだし、ブリーフィングは再開された。

 とはいえ必要なことは説明済み、数分も立たずにブリーフィングは終了、前科戦線のメンバーは出撃に備えて帰っていく。

 

 食堂に残ったのは不知火と高宮中佐だけだった。空気を読んだのかポーラも自室へ戻っていた。

 不知火は心配な顔で中佐を見つめる。

 

「大丈夫ですか」

「このていどは問題ない」

「しかし……」

 

 卯月に絞められたクビには青紫の痣ができていた。見るからに痛々しい、実際痛みはとれていない。いまも鈍い痛みが続いていた。高宮中佐はそれを表に出さないだけなのだ。その意を汲んで不知火は言葉を呑み込む。

 

「卯月はどうするのですか」

「予定に変更はない、入渠もすぐ終わる、明日が初任務に変わりはない」

「そうですか」

 

 首を絞められたことを、高宮中佐はほとんど気にしていなかった。それでも不知火は言わずにいられなかった。

 

「中佐、あのような無茶はおやめください。不知火が間に合わなかったらどうするつもりだったのですか」

 

 数秒遅ければ首を折られていた。そうなれば取り返しがつかない。不知火が確実に間に合う保証はどこにもないのだ。

 しかし高宮中佐は、無言で首を振る。

 

「そんなことは考えたこともない、お前は必ず間に合うと信じていた、わたしの秘書艦なのだから」

「え? あの、それはつまり?」

「全面的に信用している、という意味だ」

 

 発言の意味を理解した不知火は、資料で顔を隠す。真っ赤になった顔からは湯気でも出そうだった。

 

「なによりもあれは、無茶でもなんでもない」

「……やはり、そのおつもりで?」

「そうだ、あそこまで怒るのは意外だった。だが()()()だ」

 

 首の痣を摩りながら、中佐は不知火に背を向けて立ち上がる。

 

「全ては予定通り進んでいる、全てわたしと大将の予測通りだ。卯月の激昂もおなじ、なんら問題はない」

 

 食堂から二人は出ていく。その表情を伺うことはできない。任務前夜の前科戦線。しかしその夜は、卯月が来てから初の土砂降りだったのである。




NGシーン
「仇討ちなどという行為は無駄だ、命令違反は許さん」
「なんだぁ? テメェ……」
卯月、キレた!

尚返り討ちに合う展開は同じ模様。


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第19話 謝罪

今回と次回は説明回。長いのであとがきでちょっとまとめてあります。


 頭が痛い、からだが痛い。

 全身に響く鈍い痛みにわたしは起こされる。重たい目蓋をなんとか持ち上げると、真っ白な天井が見えた。

 

 首を動かし周りを見る。清潔なカーテンに囲まれたベッドで寝ていた。ここは前科戦線の医務室だ。最初の目覚めもこの部屋だった。

 

 しかし、なぜわたしがここに? 

 しかもからだが痛い。目立った外傷こそないが鈍痛が酷い。なんでこんなダメージが? 

 

「起きましたか」

 

 カーテンを開けて不知火が入ってきた。

 

「……あ」

 

 わたしは思い出した。わたしがなにをしたのか。

 

 わたしはしでかしたのだ。

 泊地棲鬼と戦うことを禁止されて怒り狂ったわたしは高宮中佐に飛びかかり、その首をへし折ろうとしたのだ。

 

「え……な、なんで……?」

「その様子、覚えているようですね」

「うーちゃんは、うーちゃんはなにを……」

 

 頭を抱える、震えが止まらない。

 わたしはなにをしたのだ、いくら腹が立ったからって高宮中佐を殺そうとするなんて。

 

 高宮中佐だけじゃない、皆殺すつもりだった。

 そんなつもりないのに、あの時は全員が死ぬべき敵としか思えなかった。

 

 苦しい、息がうまくできなくなってくる。からだ全部が痛い、押し寄せる罪悪感で気が狂いそうだ。わたしが分からない、恐くて仕方がない。

 

「落ち着けますか」

「こ、これが落ち着けると、思うがぴょん」

「それもそうですね」

 

 と、不知火は黙ってしまった。

 おい納得するなよ。思わず突っ込んでしまう。だがそれも一瞬、また体が震えだす。

 

「うーちゃんは、どうなっちゃったぴょん」

 

 自分が自分でなかった。全く別の激増した誰かに変わってしまったような気分だ。わたしは壊れてしまったんだろうか。

 

「どうもありません、異常なしです」

「は?」

「予定通り明日は出撃してもらいます、不知火はその説明のために来ました」

 

 こいつ本気で言ってるのか、誰がどう見ても異常だろう。いくら懲罰部隊といっても、後ろから撃ちかねない危険人物を投入するはずがない。

 わたしの困惑を知ってか知らずか、不知火は淡々と説明してくる。

 

「まず卯月さんの暴走、あれはPTSD、トラウマの症状だと思われます」

「トラウマ、それで、ああなるのかぴょん」

「なるでしょう、トラウマの症状は多岐にわたると言います。

 卯月さんの場合は『泊地棲鬼』というトラウマに対して、攻撃的な防御反応が起きたと考えられます。脅威になるものを排除しようと、過激な反応が起きたのです」

 

 そうなのだろうか。

 疑問に思ってもわたしには医学的知識はない。不知火がそうだと言えば、「はい」と答えるしかない。それでも戦いとなれば話は別だ。

 

「そんなやつを前線に出して良いのかぴょん。足を引っ張るぴょん」

「問題ない、というよりも……あとで説明しますが、卯月さんが出撃しなければ、作戦は失敗してしまいます」

「どういう意味だぴょん」

「あとで説明します。とにかく多少の危険があっても出撃すべきと、中佐はお考えです」

 

 まったく分からないが、説明すると言ってるならそれに従おう。何度も聞くのはアホのすることだ。

 

「あと、あまり気に病まないでください」

 

 不知火は気を使ってか、そう慰めてくれた。かなり無理があると分かってても。わたしは守るべき人間を殺しかけた。罪悪感は全然消えてくれない。トラウマのせいでトラウマが増えるなんて。

 

 とシクシク悲しんでいたのが、次の一言でバカバカしくなった。

 

「襲撃未遂なんてここではよくあった話なので」

「いま何て言ったぴょん?」

「前科戦線の乗っ取りを画策したクーデターなんてよくあった話です。まっすぐ襲ってくるだけまだ可愛げがあります」

 

 なんてマッポーめいた部隊だ。

 今の世代で良かったと卯月は安堵した。

 

 不知火曰く、今のメンバーはかなり大人しいらしい。一番酷い時期は常に奇襲の脅威に注意しなければならないレベルだったと言う。死の危険もあったとか。

 

「なので高宮中佐も気にしてません、必要以上に気に病むことないように」

「あ……そうかぴょん。でもあとで謝りに行くぴょん」

「行くのですか?」

「そりゃそうだぴょん、ケジメは必要だぴょん」

 

 理由がなんであれわたしは人を殺しかけた。なあなあで済ませることは許されない。なにより()()()()()が許せない。それは『卯月』に泥を塗る行為だからだ。高宮中佐が気にしてなくても、ここは譲れない。

 

「良かった、安心しました」

「なにが?」

「卯月さん、不知火は中佐の忠実な秘書艦です、故に」

 

 不知火の姿がブレた。気づいたとき、持ってたペンが首に当たっていた。

 あと数センチ深ければ頸動脈を貫通していた。

 

「こうならなくて良かった」

「お、おう、それはなによりぴょん」

 

 不知火はとんでもない殺意を放っていた。うっかり漏らしそうだった。背筋をぶっこ抜かれたようだった。

 

「許されることではない」。不知火はそう言ったのだ。高宮中佐が許しても、決してやっていいことじゃない。

 できるか分からないけど、自分を律しないと。でないと殺されかねない。

 

「では中佐に謝罪に、と言いたいですが時間がありません。さきに説明をしましょう」

「うぇー、申し訳ないぴょん」

 

 わたしが気絶してたせいだ。ホントに自分が嫌になる。でもウジウジしたって戦いは待ってくれない。空元気でも良いから頑張ろう。

 

 

 

 

「羅針盤とはなにかご存じですか」

「艦隊を悩ませる至上最大の敵ぴょん」

「違います」

 

 バカな、不知火はウソをついている。だってみんなそう言ってたし。神鎮守府にいたどの艦隊も「羅針盤は敵」と言っていた。

 

 その原因は羅針盤の意味不明な仕様にある。

 なんとこの羅針盤、()()()()

 

 妖精さんがまるでルーレットのようにクルクルと回し、止まった方向に行くというシロモノ。絶対に羅針盤ではない。それは運任せと言うのだ。

 

 なので狙った場所に行けない。迷子になる。作戦がうまく立てられないetc……故にみんな言うのだ、羅針盤は敵だと。それが違うとでも言うのかこの不知火は。

 

「それは先人の偉業を知らない愚か者の考えです。卯月さんは愚か者ですか」

「うーちゃんは賢いぴょん」

「では羅針盤は敵ではありませんね」

「はい」

 

 即答であった。自分がアホ呼ばわりされるのが嫌だった。アホだのザコだの言ってくるのはフレンチクルーラー1人で十分だ。

 

「でも、ならなんで羅針盤はあんな仕様なんだぴょん?」

「簡単な話です、深海棲艦の前では、普通の羅針盤が意味を成さないのです」

「ほう、なんでぴょん」

「深海棲艦は『海』そのものだからです」

「なるほ……なんて?」

 

 言ったことの意味が分からなかった。深海棲艦が海そのものってなんだ。あいつらはどう見ても実体を持ってるぞ。

 

「深海棲艦の中枢は確かに『姫』です。ですが……海もまた深海棲艦なのです」

「分からんぴょん」

「やつらの支配海域が赤く染まるのは知っていますよね。ああなると海はやつらのテリトリーと化します。どういう意味か分かりますか」

 

 わたしは首を傾げる。やっぱり分からないからだ。赤くなったからなんだというのか。

 

「端的に言えば、海が『体』になります」

「か、からだ?」

「そうです、海が深海棲艦の手であり足、目や耳になってしまうのです。そんな状態で飛び込めばどうなるかは……分かりますよね?」

 

 そりゃさすがに分かる。一挙手一投足全部監視されてるのと同じだ。どんどん追い詰められてじり貧になる。勝ち目はゼロだ。絶対に勝てない戦いに挑む羽目になる。

 

「そのままでは『脳』足る姫は叩けない、なんとかしてこの監視網を越えなくてはならない。その為の道具が」

「羅針盤っぴょん!」

「そうです。妖精さんの技術の粋を集めた決戦兵器、それが『羅針盤』です。これだけが監視を抜ける道を示してくれます」

 

 だからルーレット式なのか。監視網は一定ではなく変化する。それに合わせて羅針も変化するのだ。いやそれにしてもルーレットはないと思うけど。

 

「ちなみに無視すると?」

「よくて深海棲艦の大群百隻に包囲、運が悪いと奴等の世界に取りこまれて魂ごと帰ってこれなくなります」

「こっわ!」

 

 魂もろとも帰れないってなんだよ。オカルトにもほどがある。決して逆らわないでおこう。卯月は強く誓った。

 

「ですが、この羅針盤がどう動くのか見極めなければ作戦は立てられません。艦種、編成、部隊、または(えにし)、すべてが羅針盤の要因となりうる。

 言い換えれば、どういう編成なら中枢に到達できるのか、を確かめる必要があります。前科戦線の主任務はまさにそこなのです。

 羅針盤がどう動くのか、実際に戦場へ赴いて調査する。無論誤った編成により恐ろしいほどの敵に包囲されることもありますが、それも含めて調べ尽す。羅針盤を真の意味で完成させるる、そのための強行偵察部隊が、我々なのです」

 

 なるほど、理解できた気がする。多分だけど。

 でも死亡率が高いのは理解できた。事前情報ゼロの海域に真っ先に突入するからだ。しかも()()()を引く可能性もある。

 

 そりゃ死亡率は高くなる。でも必要な仕事だ。わたしたちがやらなかったら他の鎮守府で被害がでるだけだ。

 着任直後に高宮中佐が言っていた「危険な任務……しかし誰かがやらねばならない任務」の意味が理解できた。

 

「一応聞くぴょん、時間かければ安全に調査できるんじゃないのかぴょん」

「深海棲艦が大挙しているのに悠長にしてる時間があると思っているのでしょうか?」

「意外とあるかも」

「ありません」

 

 バッサリ切られた。酷い反論に卯月は深く傷ついた。

 

「一秒遅れたら人が一人死ぬかもしれません、我々にそれは許されない。だからこそ強行偵察により、速やかに作戦成功をしなければいけないのです」

「うーちゃんたちが、艦娘が死んでもかぴょん?」

「なによりも重要なことは国家を護ること。次は人々、艦娘の命は三の次、それが中佐のお考えです」

 

 前科戦線が出るのは、今回のように大規模作戦をするときが主なんだとか。

 作戦をする理由は色々だが、失敗は許されないものばかり。頑張ったけどダメでしたなんて通用しない。その先にあるのは虐殺なのだから。

 

 それでもちょっと面食らう。

 どの鎮守府でもまず「轟沈してはならない」と教わる。卯月もそうだった。沈めば深海棲艦に取りこまれるからだ。それを承知で高宮中佐はさっきの主義を掲げているのだ。

 

「まあ、死ななければ済む話です」

「それもそうかぴょん」

 

 言う通りだ。第一死ぬ気はない。

 死亡率七倍を承知のうえでわたしは前科戦線に着任したのだ。今更危険とか国家優先とか言われたって意味がない。

 

 それに誰かを護って死ねるなら、それはそれで本望だ。無価値に生きるより圧倒的にマシな道に違いない。

 

「それともう一つ、前科戦線には任務があります」

「まだあるかのぴょん、こんな説明回っぽい展開は飽きたぴょん」

「これで最後ですので」

 

 もう飽きた。いい加減高宮中佐に謝りにいきたい。ブーブー不満を言いたくなってきた。

 

「むしろ、こちらの方が重要かと」

「こっちの方が?」

「前科戦線の任務にもう一つ、『特効』の検証があります」

 

 特効、座学で聞いたことがある。

 出撃した艦娘が普段以上の力を出せたり、やたら上手くいくという現象だ。ここを上手く利用するかで作戦成功率は大きく変わるらしい。

 

「深海棲艦は海そのものになっている、と言いましたよね」

「言ったぴょん」

「ですが、この力を利用できるケースがあります。深海棲艦が支配する海から、艦娘のためのエネルギーを引き出すことができる。縁、史実、トリガーは色々ありますが。それが『特効』です」

 

 ありえなくない。いやむしろ自然な理屈だ。

 なにせ艦娘と深海棲艦は同じ存在、同じ化け物だ。艦娘は所詮深海棲艦を人寄りにしただけ、暴走する荒神を正常な付喪神に戻しただけだ。

 同じ存在なんだから同じこともできるって理屈だ。

 

「総括すれば、不知火たち前科戦線の仕事は『羅針盤』と『特効』、この二つを特定し効率的な作戦立案に貢献することです。いかなる犠牲を払ってでも」

「分かりやすい総括ありがとうぴょん」

「いえ、仕事ですから」

 

 と言っていた不知火のまとめた髪が、ピコピコ左右に振っていた。

 犬かな? 艦娘は未だに摩訶不思議な存在である。アホ毛が犬の尻尾みたいに動く場合もあるんだとか。

 

「今回も同じです、泊地棲鬼のテリトリーにはどう到達するか、誰が特効を持っているかを調べる為の出撃。なので()()()()()()()()()()()となります」

「ああ、うん、そっかぴょん」

 

 戦うなだって、今なんて言ったこいつは。

 プチッとなんか音がした。拳が全力で握られていた。いつでも殴れる状態にスタンバイされていた。すんでのところで抑え込む。

 

「またですか?」

「メッチャ腹立ってるぴょん」

「予想はしてましたが長丁場になりそうですね……まあご安心を、抑え役は頼んであるので」

「誰?」

「満潮さんです」

 

 まじかよ最悪じゃねえかなんだ満潮なんだ。怒りを抑えられなかった場合は満潮にボコボコにされるのだ。なんたる屈辱、考えたくもない。絶対に暴走するものかと強く誓う。満潮にやられるのだけは嫌だ。

 

「もっとも、怒る余力があればですが」

「へ?」

「交戦が禁じられているのは、辿り着く頃に戦えば全滅しかねないからですよ。まあ思い知りますよ、死亡率七倍の戦場を」

 

 そして卯月は思い知る羽目になるのである。今日までの訓練は全て茶番でしかなかったと。底の底前科戦線、そこから更に穴を掘って卯月は地獄へ向かうのである。




艦隊新聞小話

Q難しいよ、深海棲艦って結局なに!?
A整理すれば簡単ですよ、そう難しくないです(多分)

 ①姫級=これが本体、心臓です。叩けば支配海域は解放されます! でもその力は海全体に及んでるので、ただじゃ会えません。羅針盤はこの突破用です。

 ②海=深海棲艦に支配されたせいで、深海棲艦の手足になっちゃってます。このままだと姫には絶対つけないです。でも条件を満たせば、海のエネルギーを得ることもできます。

 ③他イロハ級=全員姫の眷属(一部例外アリ)です。怨霊の塊、付喪神の成り損ないです。基本姫を叩かなければ無限発生します。細胞みたいなものですかね>

 以上①、②、③全部ひっくるめて深海棲艦と呼びます。
 他深海棲艦と艦娘の設定はありますが、一気に言ったら絶対に飽きるので言いません。必要に応じてご説明します!
 しかしこちらは随分とオカルトで、虫で出来てるって方がよっぽど……あ、こちらのお話です!


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第20話 始動

イベントは突破したが宗谷がこないコナイコナイコナイコナコナコナ……


 不知火から前科戦線の任務の説明を受けた卯月は大あくびをしていた。

 長かった。深海棲艦は海そのものであること、だから羅針盤と特効を調べないといけない。わたしたちはそのための強硬偵察部隊なのだ。

 

 それにしても長かった。卯月はまた大あくびをしていた。

 それもその筈、時間帯はもう0時を回っていた。食事中に暴走して気絶し、目覚めたのは23時ぐらいだったからだ。

 

 だがまだ寝れない。卯月は不知火と一緒に高宮中佐の執務室へ向かっていた。理由は一つしかない。襲い掛かったことを謝るためだ。わざとでなくてもケジメをつけないといけない。

 

「失礼のないように」

「もうとびっきりの失礼しちゃったぴょん」

「そういうところです」

 

 不知火が扉をノックする。

 

「不知火です、卯月さんを連れてきました」

『入れ』

 

 執務室に入ると真正面に仕事している高宮中佐がいた。そのとなりでは飛鷹さんがいた。なにやらお札とか巻物を使って作業めいたことをしている。

 

「うーちゃん!?」

 

 先に反応したのは飛鷹さんだった。作業と止めてわたしに駆け寄ってくる。

 

「もう動いて大丈夫なの、変なところはない?」

「うん、大丈夫だぴょん」

「そう、それは良かったわ」

 

 飛鷹さんまで心から心配しているのが分かった。出撃前夜なのに本当に余計な心配をかけてしまった。申し訳ない。

 

「心配をかけて申し訳ないぴょん」

「良いのよ、事情はあらかた聞いたから。でも……その状態で出撃できるの?」

「できる、できないではない。卯月の出撃は決定事項だ」

 

 仕事をしながら高宮中佐が言った。こちらを見ないままだった。不知火から聞いた通りだ。わたしが暴走する可能性を考慮しても、出撃する予定は変わらないと。

 

 なお暴走したら満潮にボコボコにされる。絶対に暴走するものかと強く誓っている。

 

「そうなると、やはり『羅針盤』ですか?」

「そうだ」

「……ぴょん?」

 

 会話の意味が分からなかった。羅針盤の完成が出撃の目的だ。それがどうしてわたしに関係してくるのだろう。

 

「羅針盤を動かす要因は多い。艦種、速度、海域、姫、それらが複雑に絡み合っている」

「知ってるぴょん」

「そのうちの一つが『縁』だ、縁を辿ることで中枢足る『姫』に付きやすくなる」

「いやだから知ってるぴょん」

「失礼です」

「あいたっ!?」

 

 不知火に丸めた資料で叩かれた。痛い。でも実際知ってることなんだからしょうがないじゃないか。高宮中佐は少し黙って、また話し続けた。今度は要約してくれるだろう。

 

「今回我々が目指すのは泊地棲鬼、必要なのはやつとの『縁』、それがあれば到達確率は上がる」

「……あ」

「そうだ、()()()

 

 泊地棲鬼に壊滅させられた基地の、数少ない生き残り、それがわたしだった。神提督は出撃できない、間宮さんは戦闘艦じゃない、だからわたししかいないのだ。

 

「お前の縁を使い、泊地棲鬼への羅針を開く。そのためにお前を組み込んだのだ」

「あのー、ちょっと良いですかぴょーん」

「なんだ」

「うーちゃんをスカウトしたのって、も、もしかして……」

「泊地棲鬼を追い詰めるため……ではない」

 

 あ、違うのね。

 卯月はちょっとホッとした。もしそうなら戦いのあと用なしってことで捨てられるかもしれない。そんなことしないと思うけど不安は不安だ。そうじゃなくて良かった。

 

「じゃあなんでぴょん? なんで新人のうーちゃんを?」

「お前が来る一月前丁度駆逐艦が轟沈してな、駆逐艦の手が足りなかったのだ。

 そこにお前が罪を犯したと情報が入った。まあその穴埋めに丁度良かったのだ、多少練度が足りなくとも人手は大事だ」

 

 確かにわたしを除いたら満潮しかいない。不知火は秘書艦なので除外。偏り過ぎなのは確かだ。

 わたしが選ばれたのは完全な『偶然』ってわけだ。ちょっと運が良かっただけなのだ。偶然でも、生き残ったチャンスを捨てる気はないけど。

 

「神少佐からの依頼もある」

「うーちゃんを解体刑から助けて欲しいって、依頼ですか?」

「そうだ」

 

 飛鷹さんの問い掛けに高宮中佐は答えた。

 どうやら前科組ではない正規メンバーはわたしの冤罪を知ってるようだ。

 つまりわたしが生きているのは悪運と、神提督のおかげなのだ。ますます死んでいられなくなったと、卯月は思う。

 

「で、卯月、なんの用だ?」

「あ、そうだったぴょん。中佐に謝りにきたぴょん」

 

 完全に忘れてた。卯月は高宮中佐のまえに移動した。そして深々と頭を下げる。

 

「今回うーちゃんの自制心が足りなかったばかりにご迷惑をおかけしたぴょん。首を絞めたことは言い訳もないぴょん。本当にごめんなさい。二度とないようにするぴょん」

 

 これでも『ぴょん』は消えないのか。いい加減うんざりする。少しは空気を読めよ。

 それはさておき、言いたいことは言えた。

 これがわたしの本心だ。ウソは言わない。もし二度あるようなら、その時は。

 

「もしもその二度があったら、卯月お前はどうする」

「こうだぴょん」

 

 卯月は手刀で首を切るジェスチャーをする。言うなれば切腹だ、人を襲うとはそれだけ重い行為なのだ。

 

「……艦娘は『化け物』だ」

 

 高宮中佐が教鞭を叩いた。

 

「人の世に入ることは容易ではない。ここが世間の目に入らない場所だとしても、お前の行為はそれを脅かす」

「承知してるぴょん」

「一人の暴走が、艦娘たち全ての立場を危うくする。それを自覚してるのであれば、言うことはない」

 

 わたしが人を襲ったことで、艦娘全員が()()()()()()()と思われるかもしれない。自覚している。しているから、二度目は許されないのだ。

 

「だが自殺は許さん。お前はここで戦うと契約したのだ、契約の放棄は許されない」

「当然だぴょん、このうーちゃんを誰だと思ってるぴょん」

 

 わたしは『卯月』、睦月型四番艦の卯月だ。その名前に恥じるような生きざまは晒さない。

 ……まあ、泊地棲鬼への仇討ちは頓挫したが。

 やっぱり復讐はダメってことだろう。しょうがないしょうがない。

 

「明日は明朝から出撃だ、もう休んでいい」

「了解ぴょん」

「おやすみねうーちゃん」

 

 ヒラヒラと手を振る飛鷹さんに手を振り返す。飛鷹さんはまだ起きてるらしい。出撃に関わるのだろう。どんなのか分からないけど。

 

 キッチリ覚悟をキメてきてスッキリした。まだ罪悪感は残ってるがこれぐらいなら寝れそうだ。

 

 泊地棲鬼を殴れないのは残念だが、わたしの存在があいつの討伐に役立つならそれもいい。

 残念だが。自分の役目を果たそう。残念だが。

 

「声出てますよ」

「……おやすみぴょん!」

 

 卯月はダッシュで自室へ返っていった。聞かれた恥ずかしさで寝付けないかもしれない。

 なお布団に入って秒で寝た模様。

 

 

 *

 

 

 夜が明けたあと、卯月はまずシャワーを浴びに部屋を出た。

 満潮はもういなかった。朝のトレーニングにでも言ったのだろうか、気の早いことだ。まあ朝からあいつの顔を見なくてラッキーだけど。

 

 シャワーを浴びるのは、からだの汗を流すためだ。

 まあ要するにまた悪夢を見た。泊地棲鬼に神鎮守府を破壊される夢だ。虚ろな足取りで死体の山を歩く、最後に光とともに泊地棲鬼が現れて、夢が終わる。

 

 前と変わらない。辛さも変わらない。起きたら寝汗で全身ベトベトになっていた。そういえば昨日もシャワーしか浴びていない。お出かけまえ(出撃)には身だしなみを整える。どうせ女の子の体なんだから、そんぐらい気を使いたい。

 

 身だしなみも程ほどに、食堂で簡単な朝食を済ませて工廠に集まる。

 工廠には出撃メンバーの艤装が並んでいた。

 天井から下がる椅子に乗って整備してるのは北上だ。

 

「おはようぴょん、北上さん!」

「おー、おはよー」

 

 気の抜けた返事だけど忙しそうだ。決して暇ではないのだ。わたしたちの艤装を準備してるのだから当然だ。

 

「うーちゃんの艤装は?」

「そこにあるよ、整備は完璧、ご機嫌な自爆装置も登載済み、いつでも木っ端微塵」

「ジョークにもならねえぴょん」

 

 なんで朝から自爆の話をされなきゃならんのだ。どうせならもっと面白いジョーク言え。

 卯月はプリプリ怒る。だが北上は目を丸くしたまま硬直していた。

 

「……え、ジョークじゃないんだけど」

「え?」

「え?」

 

 え、まじで? 

 まじで自爆装置積まれてんのわたしの艤装? 

 一周回って冷静になる。北上さんが無断でやったってパターンはあり得ない。なら高宮中佐の命令だ。

 

「全員、揃っているようだな」

 

 高宮中佐の声が上から聞こえた。工廠の上にはタラップがある。中佐はそこに立ってわたしたちを見下ろしている。

 

 いつのまにやら全員揃っていた。いまここにいるのが出撃メンバー、というわけだ。

 いつ決めたんだ。

 いや、わたしが気絶してるときか。

 

「改めてだが、今回の泊地棲鬼の強硬調査のメンバーを呼ぶ。旗艦軽巡球磨」

「クマー」

「旗艦補佐航空巡洋艦熊野。軽巡那珂、駆逐艦満潮、駆逐艦卯月、そして特務艦飛鷹」

 

 特務艦? 聞きなれない言葉だ。飛鷹さんは軽空母じゃないのか。昨日夜遅くまで作業してたが、それと関係あるのかもしれない。

 

「以上六隻、続けて『首輪』装着、かかれ」

 

 首輪? また聞きなれない言葉だ。

 いや首輪は知ってるけど、そのまんまじゃないだろう。そのまんまだったら高宮中佐はS趣味の変態になってしまう。

 

「卯月もだ」

 

 高宮中佐がこっちを見た。まじで言ってるの? 

 よし逃げよう。変態趣味につき合うヒマラヤない。卯月は回れ右で工廠から立ち去ろうとした。

 

「ごめんね、でも中佐の命令なの」

 

 後ろから飛鷹さんに羽交い締めにされた。

 眼前にはやたらゴツい頚輪を持った不知火だ。

 まじで首輪だった。

 この流れ、神鎮守府に置かれてた薄い本で見たぞ。すぐ取り上げられたが知っている! あんな展開やそんな展開が来てしまう! 

 

「やめろー! うーちゃんはマゾじゃないぴょーん! どっちかってーとエスだぴょん!」

「そうですか」

「アーッ!!」

 

 ガッシャンと音を立てて、首輪が装着された。これでわたしは変態の仲間入りだ。

 

「でも、うーちゃん心までは中佐のモノにはならな」

「時間がないんだが、お前が気絶したせいで」

「ごめんなさい」

 

 首輪なんてものを嵌められて気が動転していた。冷静になった卯月は素直に謝る。

 本来なら昨日説明する予定だったのだ。わたしが暴走したせいで、出撃直前になってしまったのだ。本当に申し訳ない。

 高宮少佐はちょっとため息をつき、教鞭をパンと叩いた。

 

「その首輪は『自爆装置』だ」

「え゛」

「正確に言えば強制解体装置、作動した瞬間、お前の体と艤装をこの世から浄化する」

 

 首輪から、ボク・クラフト・スーツを着込んだ妖精さんがあらわれた。元気な顔でサムズアップ。役割を果たす準備は万全だ。

 

「我々の任務は轟沈率が高い、だが轟沈すれば深海棲艦の糧となる。それは許されない。それとも怨念に成り果てて味方に牙を剥くのが望みか?」

「だから、そうなるまえに、自爆しろってことかぴょん?」

「そうだ」

 

 死にたい、そう強く願えば妖精さんが自爆装置を作動させてくれるらしい。

 首輪と艤装の自爆装置は連動している。どちらも完璧にこの世から消してくれる。北上さんの言っていたとおりだ、本当に自爆装置だった。

 

「前科組は全員、出撃のときにこれを装備している。お前も例外ではない、良いな?」

 

 満潮も球磨も、この首輪をつけていた。

 これが()()なのだ。圧倒的轟沈率でも人を護るために戦うため。死んでも人を傷つけないための。

 

「つけるのは了承するぴょん、化け物になるなんてゴメンぴょん、文句は勿論ないぴょん、誰だってそーするぴょん、でも自爆する覚悟は()()()()ぴょん」

「要らない、だと?」

()()()()()()()()()()、このうーちゃんは無駄なことはしない主義なのだ──ぴょん!」

 

 決まった──! 

 内心そう叫ぶ卯月。実際本心だ、沈む気は全くない。こちとら生きて神提督に再開する予定なのだ、こんな人生の墓場で死ぬ気は全然ない。

 

「そうか、つければそれで良い」

 

 しかし高宮中佐はほとんど反応してくれなかった。

 ちょっと、いやだいぶ寂しかった。スルーされた気分だ。しょぼんとした気分と恥ずかしさが混ざってくる。

 

 必要な説明は全て聞いた。

 任務は羅針盤と特効の調査、わたしは泊地棲鬼へ到達するための鍵、首輪は死んだときのための自爆装置。

 

「時間だ」

 

 あとは出撃するだけだ。艤装を装備した卯月は海へ向かい合う。前科を負った二回目の人生、二度目の初陣が今から始まるのだ。

 

「駆逐艦卯月、抜錨ぴょん!」

 

 そして、視界が黒く染まった。

 

 

 

 

「え?」

「各自搭乗せよ」

 

 視界が黒く染まったのは、目の前に大きな物が現れたからだ。

 工廠の前に着水したのは、巨大な飛行機だ。これは輸送艇というやつだろうか。唖然としていると、コックピットから誰かが現れた。

 

「お待たせかもー!」

 

 艦娘とは? 

 輸送艇へ乗り込んでいく艦娘を見て、卯月は思った。




前科戦線の任務は、『先行勢』の方々がモデルです。
先行勢の方々がいなかった、イベント海域攻略はどうなるか。
それを想像すれば、今作での前科戦線の重要性が分かると思います。


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第21話 降下

宗谷は出た。フーミィが出ぬ。


 出撃はどうやってするか? 

 当然海から出撃する。船なんだから当たり前だ。

 しかし前科戦線はそこから違う。

 

「吐きそう」

 

 遥か上空、曇を突き抜けた大空に卯月はいた。

 

『ちょっと止めてかもー!』

「んなこと言ったってぇ」

 

 気持ち悪いのはどうにもならない。

 こっちは飛行機に乗るなんて初めてだ。慣れない動きに完全に酔ってしまった。

 

「さっさと慣れるクマ、球磨たちはずっとこうクマ」

 

 球磨の言う通りだ。これが前科戦線の出撃なのだ。

 

 確かに不思議だった。

 辺り全部が機雷で塞がってて、どう出撃するのか。

 

 答えがこれだ。海路じゃなくて空路だったのだ。

 輸送艇に乗って作戦海域へ、それが前科戦線の出撃方法だった。

 

「なんで、こんなやり方なんだぴょん……」

「脱獄防止の一環ですわね」

「どーゆーこと?」

「普通に出撃したら、近海の様子が分かるでしょう? 地形が分かったら脱獄しやすくなりますもの」

「……ああ、なるほど。周りが見えないようにするために」

 

 これなら近海の様子は分からない。

 窓は全部塞がれてるから外は見えない。音も聞こえない。近海の様子は絶対に分からないってわけだ。

 

「あとは、前科戦線の場所を隠す目的もあるそうで」

「そこまでやんのかぴょん」

「一応わたくしたち、第一艦隊所属の特殊部隊なんですよ。お忘れで?」

 

 そういや、着任直後にそんなことを言ってた気がする。戦略的には結構大事な部隊なのだ。だから出撃ポイントも頻繁に変えるらしい。

 

『その子が新人かも?』

 

 コックピットから放送が流れた。若い少女の声だ、多分艦娘だ、そうじゃなきゃ若すぎる。

 

「そうだぴょん、睦月型の卯月、うーちゃんと呼ぶぴょん」

『卯月ちゃんね、分かったかも』

「……かも?」

 

 どっちやねん、ハッキリしろよ。

 てかまたうーちゃんと呼んでくれなかった。なんなんだ呪われてるのか、そんなにうーちゃん呼びが嫌なのか。

 

『わたしは水上機母艦の秋津洲、よろしく』

「よろしくぴょん、秋津洲も前科持ちぴょん?」

『前科持ちじゃなくて、中佐からの依頼で働いてるかも』

 

 ワンマンアーミーとはちょっと違うか? 正規部隊でないのは確かだ、こんなものを飛ばす艦娘はいない。

 

『そしてこの子が秋津洲自慢の二式大偵ちゃんかも!』

「え、いや輸送艇ぴょん?」

『違うよ、二式大偵ちゃんかも!』

 

 どう見たって輸送艇だ。二式大偵ではない。しかし秋津洲は二式大偵だと言い張る。わけが分からない。まともなのはうーちゃんだけか? 

 

『二式大偵ちゃんかも!』

「分かったぴょん! 落ち着くぴょん!」

『ヨシ!』

 

 狂人の相手は疲れる。卯月は深くため息をついた。

 

『まあ今後はお世話になるかもー』

「毎回かっぴょん……」

 

 飛行機酔いにもなれなきゃいけない、大変なことだ。

 ヒーヒー言いながら酔いに耐える。少し経つと格納庫内のランプが光った。出撃の合図だ。

 

『準備かもー、みんなスタンバイかも』

 

 全員立ち上がる。

 わたしも真似て立ち上がる。

 みんななにか準備をしている。小さい機械を腰や背中につけたり、手で持ったり。

 

 全く解らん。なにも教わってないから当然だ。

 

『卯月ちゃんやり方知らないの!?』

「知るわけねえぴょん、空路ってこともさっき知ったぴょん」

「大丈夫よ、わたしが手伝うから」

 

 飛鷹さんがわたしの分の装備を持ってきてくれた。助かった、本当に助かった。

 

「ごめんね、本当は事前に教えるのだけど、うーちゃんの場合時間がなくて」

「全然いいぴょん、やっぱりうーちゃんの味方は飛鷹さんだけぴょん」

 

 背中に周りが、なにかの装備を取り付ける。

 わたしはされるがままだ。しかしこれ、なんの装備なんだろう? 

 

 急にガタンと飛行機が動いた。

 凄まじい勢いで降下しているようだ。水面に接近しているらしい。わたしたちを水面に下ろすためだろう。

 

「ねぇうーちゃん」

 

 飛鷹さんがぎゅっと手を握ってくれた。

 

「ここはもうテリトリーの境目、対空砲火も激しくなるわ」

 

 揺れが更に激しくなる。とんでもない急降下だと分かった。

 

「だから降下は、ほんとうに一瞬で済ませないといけないの、素早く着水しないと」

「なるほどー、納得の理屈だぴょん」

「気圧差って知ってる?」

 

 そりゃ知ってる。

 気圧は高い方から低い方へ向かう、その時突風が発生する。

 

 あとだいたい、飛行機の中の気圧は高く、外は低い。それも知ってる。この時点で卯月は察した。なぜこんな質問を今したのか。

 

「あー分かったぴょん、気圧差でぶっ飛んで出撃するってことだぴょん」

「その通り、これなら一瞬で出撃できるわ」

「素晴らしいプランだぴょん、うーちゃんが死ぬってトコを除けばだけど」

 

 卯月の顔は真っ青だった。飛鷹さんは笑顔だった。

 

「マジ?」

「マジよ」

『ハッチ解放かも!』

 

 ハッチが解放される。

 瞬間内外の気圧差が凄まじい突風を巻き起こした。わざわざ強風にするために飛行機内の気圧は高めに調整されていた。

 

 卯月たちは爆風に巻き込まれたような、凄まじい速度で『射出』された。

 

「ふざけんなぁーっ!」

 

 だがそれだけでは済まされない。

 同時に真下から、夥しい量の対空砲火が放たれたのだ。

 

「死ぬ死ぬ死ぬギャーッ!」

 

 と叫んだものの、対空砲火は全部外れた方向へ飛んでった。

 

「アレ?」

「そりゃ常識外の速度で出てったんだもの、簡単には当たらないわ」

 

 あの無茶な出撃は無駄ではなかったのだ。

 たまに当たりそうな弾が来るが、それは正確に迎撃したり、身をよじって回避していた。

 

 その光景を見てる間に、もう水面が近づいていた。秋津洲はかなり水面ギリギリで下したのだ。凄い腕前だ。

 

「パラシュート開くわ」

 

 着水直前に『装置』をいじると、パラシュートが展開される。あの装置はこのためか。パラシュートのおかげで速度が落ちて、安全に着地できた。

 

「……あっと言う間だったぴょん」

 

 無茶苦茶だが、それだけ不意は突ける。

 しかしなにも知らずにこれは酷い。帰ったら高宮中佐に文句を言ってやる。強く決意して顔を上げる。

 

 深海棲艦が三隻、並んでこっちを見てた。

 並び順はこうだ。

 ル級、ル級、ル級。

 

「ぴょっ」

 

 そして砲撃が放たれた。

 

「ギャーッ!」

 

 死ぬ! 

 と叫びながら、卯月は跳び跳ねて回避する。那珂の特訓は無駄じゃなかった。

 

 しかし、素人の動きでかわし続けるのは、やはり無茶がある。

 相手は『戦艦』だ、火力も弾幕も段違い。

 それが三隻もいる。のっけからこれ、どんな悪夢だ。

 

 ル級も弱いやつに気づく。

 怪我したやつ、子ども、弱いやつから仕留めるのが狩りの鉄則だ。ル級たちの照準が卯月へ向かう。

 

「シャレにならんぴょん!」

 

 多少でも気が逸れれば、マシになる。

 卯月はダメ元で、単装砲を発射する。それは偶然にもル級に直撃した。

 

「やったか!?」

 

 爆発の煙が晴れる。

 ル級が五体満足で立っていた。

 

 目と目が合う。

 ル級はか弱い子どもを見るような、慈悲深い目をしていた。

 卯月の笑顔はひきつっていた。

 

 また砲撃が放たれた。

 

「傷一つなしかよ、クソゲーぴょん!」

 

 そんなことは分かっていた。

 満潮に言われるまでもない、わたしは()()だ。

 お世辞にも強いと言えない睦月型、その中でもダントツで弱いのが、わたしなのだ。

 

 無茶な特訓のおかげで、まだ生きている。

 しかしこの砲撃密度、すぐに回避できなくなる。

 

 焦る卯月を、ル級たちは笑いながら見ていた。

 ル級たちからすれば、これはハンティングなのだ。

 

 徐々に追い込んでいき、動けなくなった瞬間仕留める。一番楽しい時間だ。戦闘でさえないのだ。

 

「クソどもが……!」

 

 遊ばれている、卯月自身も気づいている。無茶苦茶腹が立つ。

 こいつら、ふざけてんのか。

 怒りと殺意が、腹のそこから込み上げてくる。

 

 その怒りには、戦略的価値はない。それにも苛立つ。怒りのあまり、顔に血管が浮かび出した。

 

 その時、ル級が一隻、砕けた。

 

「……?」

 

 正確には、艤装が砕けた。

 砕けたル級も、周りも、なにが起きたか分かっていないようだ。もちろん卯月も分からない。

 

「那珂ちゃん、一番のりー!」

 

 那珂は砲撃をしただけだった。

 ただし、装甲の合間を狙った。そこはちょうど、主砲の真裏だったのだ。

 誘爆により、装甲は砕けた。

 

 予想外の一撃に、ル級は怒る。

 狙いを卯月から那珂へ変え、砲撃のラッシュを叩き込む。だが一発も当たらない、掠りもしない。

 

「声援ありがとう! お礼のファンサービスだよ☆」

 

 踊るような動きで全弾回避、どころか追撃も浴びせている。ル級の苛立ちはピークに達した。多分あの言動も一因だ。

 

 瞬間、魚雷が直撃した。

 装甲を砕かれて、耐えることもできない。勝負は決した。

 

「那珂ちゃん、完璧!」

 

 ル級の爆発をバックに決めポーズ。

 やはりアイドルではない。絶対に違う。ツッコミたかったが抑えた。

 

 ともかく助かった。安心したせいで、膝の力がガクッと抜ける。とても疲れた。

 

「大丈夫だった、うーちゃん?」

「熱烈な歓迎だったぴょん、うーちゃん困っちゃうぴょん」

「軽口が言えるなら大丈夫ね……」

 

 呆れる飛鷹さん。彼女は巨大な巻物を広げていた。滑走路を模した模様から、これまた飛行機を模した紙が飛んでいく。

 

 空中で紙は燃え、一瞬で艦載機に変身した。

 これが彼女の発艦方法だ。やはり艦娘は摩訶不思議である。

 

「ごめんね、随伴艦の始末を優先してたから」

「……ん? 随伴艦はどーしたぴょん?」

「もう沈めたけど」

 

 え、もう? 

 わたしが逃げ回ってる間に、随伴の深海棲艦はやられてた。早い、全然気づけなかった。

 

「あ! ヤバいぴょん、せ、戦艦がまだいるぴょん!」

 

 悠長に会話してる場合じゃない。仲間をやられて怒り心頭のル級が二隻残ってる。

 那珂は半ば、不意打ちで倒した。

 真っ向勝負は無茶だ。戦艦の仲間がいれば話は別だけど、前科戦線に戦艦ないない。

 

「ああ、もう終わるんじゃないかしら」

「ぴょん?」

 

 大爆発、爆風が二回放たれた。

 振り返ると、ル級二隻が沈んでいた。降下してから数分も経ってないのに、もう倒したのか? 

 

 

 

 

 那珂がル級へ攻撃し始めた頃、他のメンバーも動き出していた。

 降下のとき見えたのはル級三隻と、駆逐艦──ロ級の深海棲艦が三隻。

 

「飛鷹は駆逐艦を、那珂は自由に、球磨たちは陽動しながら潰すクマ!」

「うーちゃんはどうするの」

「ほっとけクマ、数分なら逃げれるクマ!」

 

 あの訓練をこなしたのだ、生き残ることはできる。

 球磨の指示に従いそれぞれ動き出す。球磨、熊野、満潮はル級を抑えにかかる。

 

「魚雷発射、クマーッ!」

 

 三隻分の魚雷が、広範囲に放たれる。

 戦艦でも魚雷は侮れない。攻撃を察知したル級たちは、襲ってた卯月から目を離して回避する。この時点で二隻、旗艦のル級から引き剥がされた。

 

 お返しにと、激しい砲撃を浴びせる。

 しかし、砲撃はどれも当たらない。

 当然動きは予想している。逃げ場を塞ぐように撃っている。

 

 だが、どうしても隙間は生まれる。

 球磨たちはそこを正確に見極めて、回避しているのだ。

 

 いや回避だけではない、こちらに突っ込んできている。

 超至近距離からの砲撃が、やつらの狙いだ。近づかれては厄介だと、二隻は砲撃の密度を高めた。

 

「──遅いのよ、グズ!」

「バカめ、ですわ」

 

 瞬間、満潮と熊野が二方向に別れた。

 中央に集中していた砲撃はまったく当たらない。攻撃範囲から外れた二人は一気に距離を詰め、両側から挟み込んだ。

 

「沈みなさい!」

 

 満潮の砲撃は致命打にはならない。

 しかし、どの攻撃も装甲の隙間を正確に射抜いてくる。無視できない攻撃だ。

 対する熊野の攻撃は高威力だ、あたりどころによっては大ダメージ、やはり無視できない。

 

 二隻のル級は互いに背中合わせになろうとした。

 砲撃範囲は広い、そうすれば死角はなくなる。

 最初の雷撃で距離を離されている。二人は牽制しつつ、背中越しに接近しようとした。

 

 一隻が気づく。

 アホ毛の艦娘は、どこへいった? 

 

「背中ががら空きだ、クマ」

 

 耳元で、球磨が囁く。

 振り返った顔面に砲身が突き刺さる。

 トリガーが引かれる、顔面が砕ける、さすがに顔に装甲はない。一撃でル級は葬られた。

 

 最後の一隻は、その場で固まっていた。

 ここで振り返れば、今度は熊野に背中を晒すことになる。振り返らなくても球磨に背中を晒す。

 

 どうすればいい? 

 再び爆音が轟く。那珂が旗艦を沈めた音だ。残っているのは私だけ? 

 ル級はだから気づかなった。足元に迫る魚雷も、自分が沈む瞬間さえも。

 

 

 

 

 一瞬。

 一瞬でル級三隻の艦隊が葬られた。戦艦も正規空母もいない編成で。

 全員無傷で、あっと言う間に。

 

「……すげぇぴょん」

 

 これが前科戦線か、これが前科持ちのエリートか。

 素人目でも分かる、この部隊はとんでもなく強い。その分場違い感が酷い。練度的に言えばまだレベル20にもなってないわたしっていったい。

 

「終わったクマ」

「上手くいかなかったわ、最初から魚雷を撃っちゃった」

「那珂ちゃんのライブ、見てた?」

「知らないわよそんなの」

 

 逃げるだけで精一杯だったわたしと違い、息も整ってる。わたしもここまで行かなきゃいけないのか。実力がかけ離れててうまくイメージできない。

 前科戦線として初の出撃。

 それは、自分の力不足を痛感させるものとなったのである。




艦隊新聞小話

この秋津洲には、自分の動かすものすべてが二式大偵だと認識してます。
戦車でも輸送機でもヘリでも。
二式大偵を使う機会があんまりにもなさすぎたからですね!基地航空隊から早急の返却を艦隊新聞も望んでます!


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第22話 羅針

加古の梅雨グラを見た瞬間心停止をおこしました。


 秋津洲の輸送艇から降下したわたしたちを出迎えたのは、ル級三隻の艦隊だった。

 しかし前科戦線は数分足らずで敵を全滅させる。唖然とする卯月だが、作戦はまだ始まったばかりだった。

 

「あたりに敵は?」

「水偵で見ましたが、いませんでしたわ」

 

 水上偵察機を帰還させた熊野が報告する。とりあえず安心していいってことだ。戦闘の緊張が抜けて、卯月は大きく息を吐く。

 

「こんなので疲れるの、やっぱり雑魚ね」

「ああ?」

 

 満潮を殴りたくなるが、あいにく本当に疲れている。殴るのはまた今度にしてやろう。

 

「秋津洲さんの二式大偵もいませんでしたわ」

「了解クマ」

 

 上を見てもコンバットタロンはいない。あのままいても対空砲火の餌食だ、さっさと撤退したんだろう。

 というか、あそこまで接近しといて無傷。あいつはどんな操縦技量を持ってるんだ? 

 

「で、どうすんの?」

「当然、『進撃』クマ」

 

 球磨が懐から取り出したもの、それはまさに『羅針盤』だった。

 

「お願いクマ」

 

 羅針盤の妖精さんたちは敬礼すると、羅針を回し始める。

 まともな光景ではない。

 言っちゃ悪いが、羅針盤を敵視する人の気持ちが分かる。ふざけてるようにしか見えない。いや妖精さんたちは大真面目なんだろうけど。

 

「出たクマ」

 

 羅針が止まり、方向を示す。

 

「なるほど、効果は出てるクマ」

「どゆことぴょん?」

「卯月を連れてきた意味があった、中佐の狙いは当たってたってことクマ」

 

 球磨は事前に、この海域の資料を読んでいた。

 以前の偵察では羅針盤は逸れ、泊地棲鬼に会えないまま終わっていた。だが今回、羅針はまったく別の方角を向いた。()()が起きたのだ。

 

 以前の偵察と違う要因、それは卯月を除いて他ならない。

 

「ってか、資料は卯月にも渡したはずクマ」

「忘れちったぴょん!」

 

 舌を出しながら明後日の方向を向く。テヘペロというやつだ。

 

「訓練がお望みクマ?」

「まことに大変申し訳ございませんどうかご無礼をお許しください」

 

 訓練は嫌だ。死んでしまう。

 まあ、ブリーフィング中に暴走して資料を読むどころじゃなかったってのも大きいが、言い訳にはならない。

 

「ハァ、とにかく新しいルートが開けたってことクマ。その分なにが出るか分からないクマ、気を引き締めてかかるクマ」

「了解ぴょん」

「それと、ここからは飛鷹さんは全力を出せない。念頭に置くクマ」

「迷惑かけるわ」

 

 なんだろう、なにが事情でもあるのだろうか。

 まあなんでもいい。今はとにかく生き抜くことだけを考えよう。卯月たちは羅針盤に従って動きだす。

 

 パッと見の見た目は、どこも変わらない。

 たまに陸地が見えるぐらいで、あとは地平線が見えるだけ。昔から見てきた海の景色だ。戦争は変わり過ぎたが、戦場は変わっていない。

 

 しかし、近くで見れば異常が分かる。

 海が少しずつ、赤く変色してきている。始めは違和感ぐらいだったのが、赤い絵の具をひっくり返したように赤く、紅く、赫く染まってくる。

 

 威圧感、とでも言えばいいのだろうか。ねっとりとからだに纏わりついてくる。敵意や悪意、怨念や悦楽。とてもじゃないが、良い気分になれない。ここはもう、泊地棲鬼のテリトリーなのだ。

 

「ちょっと、あんたなにしてんのよ」

「は? なにもしてねぇぴょん、言いがかりは止めろぴょん」

「いやホントになにしてんの、隊列よ隊列」

 

 満潮が突っかかって来てるのかと思ったが違った。

 わたしは真ん中ぐらいにいる。そこが一番護りやすいからだ。球磨にそう指示された。しかし今のわたしは、飛び出して最前列に行きかけている。

 

「あ、やべ」

 

 やっぱり苛立ってるのだろう。泊地棲鬼の気配を感じるだけでもストレスが凄まじい。殺意がこころにどんどん根を張っている。自覚し切れてないだけで、そうとうな恨みを抱いているようだ。仲間を皆殺しにされたらそうなるか。

 

「いい加減にしてよ、わたし、あんたを護るなんて絶対嫌なんだけど」

「……あー、悪かったぴょん」

 

 今回はわたしが悪い。素直に謝ることにした。ベロを出して目線を明後日へ向け、首を傾けながら謝る。最上位の謝罪だ。

 満潮の顔に血管が走る。謝るだけマシだと思え。

 

「あんた……」

「メンゴ」

「もういいわ、だけどね、これだけは言っとくわ」

 

 満潮はわたしの方を向き、敵意に満ちた顔で指を突き立てる。

 

「あんた、絶対に出しゃばんないでよね」

「どーゆー意味ぴょん」

「まんまよ、泊地棲鬼が『仇』だからって、過ぎた真似は許さないわ」

 

 なんだとテメェ、お前なんぞに言われる筋合いはない。殴ってやる。

 いや待て。『仇』って言ったのか? 

 なんで満潮は、泊地棲鬼が仇だと知っている。

 

「その話、誰から聞いたぴょん」

「不知火からよ、というか全員知ってるわよ」

「え、なんでぴょん!?」

 

 勝手に前科を漏らさないのがここのルールじゃなかったのか。秘書艦の不知火がルール違反してたら駄目じゃないか。

 

「なんでって……ブリーフィングであそこまでやって、なにも説明しないで済むわけないじゃない」

「あ……」

「あんたの暴走について、不知火から説明して貰ったのよ」

 

 極めて遺憾だが満潮の言うとおりだ。

 突然暴走する輩と一緒には戦えない。せめて暴走の理由が分かっていなければ。だから不知火は全員に説明したのだ。

 

「ってことは、うーちゃんが冤罪だってことも?」

「ええ、ま、ホントかウソかはどうでもいいけど」

「このうーちゃん、嘘はつかないのが信条だぴょん」

「どうだか」

 

 本当だ。冤罪を負わされてなお、嘘つきでいられるほど図太くはない。嘘についてはだいぶ嫌いな性格だとわたしは自負している。

 

「まあそんなこはどーでもいいのよ」

「よかねぇぴょん」

「高宮中佐がどう言ったかは知らないけど、あんたはあくまで、泊地棲鬼に辿り着くための(えにし)でスカウトされただけなの」

「知ってるぴょん、で、なにぴょん」

「だから()()()()()()って言ってんの。あんたはそこにいれば良い、戦力にはならない足を引っ張るだけ、だから()()()()()()

 

 言うだけ言って、満潮は自分の場所へ戻っていった。

 卯月は怒りと怨念に満ちた目で満潮を睨む。だが反論は一切しなかった。すべて事実だからだ。あくまで縁、戦力としては計算外、そんなのさっき自覚した。

 

「……この卯月を舐めるなぴょん」

 

 ボソッと呟く。

 その通りだ、わたしは泊地棲鬼に縁があった、だから命を拾われた。

 高宮中佐はそれだけじゃないと言ったけど、本心は分からない。

 

 だけどわたしは生き長らえた。

 チャンスが来るかは運だ、重要なのはその運を逃がさないか。わたしは逃がさない、運ばれた命を物にしてみせる。

 

 

 

 

 とか言ってたけどさっそく死にそうなうーちゃんでございます。

 

「もうイヤっ!」

 

 頭を掻きむしりながら、半泣きで砲撃を撃つ。とにかく撃つ、牽制にさえなればそれで十分だ。

 

 卯月たちは遭遇した敵艦隊と戦っていた。それだけなら別に問題じゃない。さすがに駆逐艦だけの水雷戦隊にぼろ負けする気はない。

 

 ただ量が多かった。

 今戦ってる艦隊で、もう八戦目だった。遭遇する敵の数が尋常じゃなかった。とにもかくにも戦闘回数が多過ぎた。

 

「敵艦全滅、勝ったクマ」

 

 球磨の言うとおり周囲には残骸しかない。卯月は逃げ回ってるだけ、戦闘は球磨たちがしてくれていた。

 つまり逃げるだけでこの疲労なのだ。出しゃばるどころの話じゃない、そんな余裕はどこにもなかった。

 

「生きていますか、卯月さん?」

「てきが、てきが、多いっぴょん」

「それがわたくしたちの任務ですから」

 

 羅針盤を完成させるのだから、あらゆる場所へ無情報で突撃しないといけない。戦闘回数も増える。当たり前だが、実際やってみるとかなりキツイ。体力が持ちそうにない。ちょっと本気で不味くなってきた。

 

「球磨さん、卯月さんが限界の様子ですわ」

「敵は?」

「いませんわ」

「なら休むクマ、休める時は休むクマ」

 

 助かった。というわけで休憩だ。

 といっても近くに陸地はなかった。岩礁の隙間に身を隠しながら軽食をとる。体感的にはお昼ぐらいか。小腹も空いていたので丁度良い。

 

「つ、疲れたぴょん」

「お疲れさまですわ、まだまだこれからですけれども」

「ひぎぃ」

 

 本命の泊地棲鬼に遭遇してもいない。熊野の言う通りだ。

 

「でもまあ、以前よりマシなのは確かなようですわね」

「ねぇ熊野さん、泊地棲鬼ってそんなに見つからないのかぴょん」

「ええ、とんでもなく見つからない姫でしたの」

 

 前科戦線が出る前にもなんどか偵察隊は送られたが、ことごとく遭遇できなかったとか。

 羅針盤が思い通りにならないのはよくあることだが、ここまで上手くいかないのは初めてなんだとか。

 

「そもそも泊地棲鬼じたい、発見例がほとんどなかったような……何回でしたっけ那珂さん?」

「え? えーと……たしか、に、二回じゃなかっけ」

「へー、じゃあそれだけ強いってことかぴょん」

 

 数が少ない方が強い。定番の設定だ。

 ほかの姫級が弱いとは言わないが、泊地棲鬼はそいつらより強いのだ。たった二回しか出てないなら。

 

「なんて殺しがいのあるやつだぴょん」

「いえ、むしろ最弱だった気が」

「ははは、冗談は嫌いだぴょん」

「本当ですわ、十中八九もて余すかと」

「まったく手応えないらしいよ? 那珂ちゃん当時建造されてないから、言伝てだけど」

 

 嘘だろ。卯月は口をあんぐりあけて崩れ落ちた。

 

「そもそも泊地棲鬼は世界で初めて観測された『姫・鬼級』、当時こそすごかったですけども、今となっては……」

「弱すぎて使えないから、全然現れないって話も聞いたよー」

 

 所詮パワーインフレである。泊地棲鬼が弱いのではなく、後続の姫が強すぎたのだ。

 深海棲艦の出現メカニズムには謎が多いが、泊地棲鬼の個体数が少ないのには、そんな仮説がある。

 

「……待って、じゃあ、なんでそんな最弱の姫にうーちゃんの鎮守府は滅ぼされたぴょん」

 

 神鎮守府にはベテラン艦娘も大勢いた。最弱の姫に一方的に蹂躙されたなんて納得できない。

 

「ですから、完璧な奇襲が成されたと、中佐もおっしゃってたではありませんか」

「うーん、釈然としないぴょん」

 

 こんな言い方アレだが、どうせ仇なら強くあってほしかった。

 あっさり終わったら、この報復心の行き場がない。たっぷり痛め付けたいから、簡単に死なないで欲しがった。

 

 まあ良いけど。強すぎたらそれはそれで問題だ。

 その辺のSFが可愛く見えるモンスターが出たらたまったもんじゃない。あくまで個人的要望に過ぎない。

 

「全員、食事中断、見つかった!」

「え!? まだ食べきってな」

「ではわたくしが」

 

 パクっと一口で持ってかれた。熊野がごちそうさまとお礼を言った。

 じゃあこっちはお礼参りだ。

 

「ゆるさん!」

「ふざけたらぶっ飛ばすクマ!」

「そんな!」

 

 悲鳴をあげるわたし。満潮と目があった。

 

「はっ」

 

 失笑、軽蔑、侮蔑。やはり満潮は殺さねば。場合によっちゃ泊地棲鬼より優先度は高い。

 

 と、その奥敵艦隊が見えた。

 空母棲姫、空母棲鬼、空母棲鬼が並んでいた。見間違いではない。制空権は死んだ。

 

ハズレの海流(お仕置きマス)だったかクマ」

「よくある話かぴょん?」

「この海域全部回らないと、羅針盤は完成しませんのよ」

 

 よくあるというか必然、必要なこと。

 熊野は暗にそう告げる。まず生き延びなければ話にならない。ならないが、わたしはダメかもしれない。

 

 

 

 

 空母棲姫の艦隊は数分で吹っ飛ばされた。信じがたい光景だった。わたしたち前科戦線は、さらに奥の海域へ進んでいた。正午は超え、夕方が近づきつつある。

 

「う、卯月ちゃん大丈夫?」

 

 そしてわたしは死んでいた。

 

「…………」

 

 言葉も出ない。

 ゾンビというのは、死後も働かされる一種の懲罰と聞いた。そんな気持ちだ。生命維持の限界を超えても、止まることを許されない。

 

「ホント足手まといね」

「う、る、せぇ、ぴょん……」

「それでもぴょんはとれないのね」

 

 なんなんでしょうねこの口癖。わたしが聞きたいぐらいだ。まあそんな余裕があるんだから、まだ動けるとは思うけど。でもやっぱり辛い。

 

 当然だった。空母棲姫の群れのあとも深海棲艦は次から次へと襲ってきた。かれこれ七連戦はしたんじゃないだろうか。戦艦部隊水雷戦隊潜水艦部隊と種類も豊富。死に方を選ぶにはきっと困らない。いや死なんけど。

 

「ねー、あとどれぐらい。もうじき夜になっちゃうけど。ちょっと那珂ちゃんピンチだよ?」

 

 夜戦になることを、那珂ちゃんは警戒しているようだ。

 夜戦は危険だ。問答無用で接近戦になるし、その分誤射も至近弾も増える。強硬偵察でやっていい戦いじゃない。

 

「あと少しクマ、予定通りなら、もうじき見えるはずクマ」

「見えるって、なんのこと……ぴょ……」

 

 ああ、本当だ。見えた、確かに()()()。地平線の彼方に僅かだけと見えた。

 

 海が真っ赤なせいで違って見えるけど、あの形は忘れられない。

 訓練から帰った時、皆と帰った時、なんども視た建物の姿。わたしはこの光景を覚えている。

 

「飛鷹さん、もしかして」

「ええ、そうよ、あそこが『神鎮守府』、元だけどね」

 

 帰ってきたのか、わたしの鎮守府に。

 複雑な思いが胸を過る。いったいどれだけの仲間があそこに埋まってるのか、わたしが生き残ったことをどう思ってるのか。無駄なことを考えずにはいられない。

 

「警戒するクマ、ここはもう、泊地棲鬼の本拠地クマ」

「やっと到達したってことね、あいつの中枢に」

「うーちゃんの『縁』が役立ったってことかぴょん」

「ああ、そうだクマ。これで任務は一つ完了クマ。あとは特効の調査だけクマ。遭遇する前にとっとと撤退クマ」

 

 今まで誰もこれなかった場所に、わたしがいたおかげで来れた。

 任務の目的は中枢への到達ルートを発見すること。これで羅針盤は完成だ。あとは『特効』だが、そっちの調べ方はどうするんだろうか。

 

 まあなにか方法があるのだろう。それは他に任せよう、指示があったら従えばいい。

 もう少し見ていたい。誰もいなくても、わたしが始めて暮らした場所を。卯月はまた神鎮守府を眺める。

 

 地平線の鎮守府が夕日に照らされている。夢幻のように陽炎で揺れる。

 

 陽炎の中に、黒点が見えた。

 

「ん?」

 

 黒点が消えた。いや黒い影だったような。もう見えない、見間違いだろうか。

 

 

 

 

「マサカ、我ガ領海ニ、『到達』スルトハナ」

 

 

 

 

 背後から耳打ちしてきた。エコーのかかった不気味な声。

 わたしは覚えていない。でもこころが覚えていた。この声をわたしは、わたしは知っている。忘れるはずがない、この声は! 

 

「コノサキヘハ、通サンゾ、侵略者ドモ。コノ『泊地棲鬼』ガ沈メテヤル」

 

 殺意が爆発する。頭が突沸する。巨大な獣に跨る泊地棲鬼が、背後でわたしを見下ろしていた。




参考:泊地棲鬼到達までの交戦記録
1:徹子の部屋
2:PTの群れ+戦艦部隊
3:空母おばさん軍団
4:レレレ
5:イ級×50+渦潮
6:潜水幼女×5
7:空襲+レーダー射撃マス
8:ボスマス
ここまで中破以上なし。ただし卯月は赤疲労。


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第23話 泊地棲鬼

泊地棲鬼がどれぐらい弱いのかあんまり知らないんですよね。着任したの二期以降なので……


 卯月の理性は、塵も残さずにぶっ飛ぶ寸前だった。

 身体中を怒りと憎悪が暴れまわる。あまりの激情で頭が痛い、体が熱い、不快感が押し寄せてくる。

 

 わたしが壊れそうになる。怒りに飲まれてなにも考えられなくなる。狂いそうだ、狂いたい、壊したい、泊地棲鬼をこの世界から消したくてしょうがない。

 

 すぐそうしないのは、『体力』が残ってないからだ。

 体力がないから衝動的に、感情的に動けなくなってる。不知火の言ってたとおりだ、暴走する余力がない。

 

 理由はもう一つある。とても遺憾だが。

 

「分かってんでしょ、卯月……!」

「うっせえ、ぴょん」

 

 最悪だが満潮のおかげだ。

 わたしが暴走したら満潮がボコボコにする約束になっている。そんな屈辱は耐えられない。ほかなら良いが満潮なんてやつに殴られるのだけは絶対に嫌だ。

 

 だから、暴走せずに耐えている。

 泊地棲鬼を殺せなくても、満潮に殴られるよりマシだ。満潮に殴られるんなら泊地棲鬼に殺されるほうがマシだ。

 

 満潮と体力切れ。このおかげで暴走せずギリギリで踏みとどまっている。

 

「いったい、どっから現れたクマ」

「分かりませんわ、まるで虚空から現れたようにしか」

「酷い、那珂ちゃんより目立ってる!」

 

 球磨たちを泊地棲鬼は見下ろしている。

 夢で見たのと同じ、四足獣に跨ってるような姿だ。獣型艤装の背中から本体が生えている。これだけの巨体が、突然現れた。

 

 さっきまでは地平線の彼方に、ちっちゃな点にしか見えないぐらい遠くにいたのに。まるで瞬間移動じゃないか。

 

「ココハ、コノ泊地棲鬼ノ領海ダ」

「……あ?」

「領海ヲ侵シタ不届キ者ニハ、死アルノミダ」

 

 ニタァと、邪悪な笑みを浮かべる泊地棲鬼。それを見た瞬間卯月はプッツンした。

 

「自分勝手な理屈を言ってんじゃねーぴょん、このアホが!」

「ナニ?」

「テメーはただの押し入り強盗だぴょん! 強盗風情がデカい顔してんじゃぁねーぴょん!」

 

 まごうことなき侵略者だ。鎮守府だけじゃない。神提督たちが護ってきた海の平和全部を奪ったのだ。

 

「違ウナ、『王』ハ侵略ニヨッテ領土ヲ広ゲル存在。コレコソ『姫』ノ振ル舞イダ」

「だったら、クーデターを起こされても文句はねぇなぴょん!」

「身ノ程ヲ知レ、矮小ナ艦娘メ!」

 

 泊地棲鬼の肩に装着された、身の丈ほどもある巨大主砲がこちらを向いた。

 砲撃音とともに、火ぶたは切られた。

 邪悪な笑みを浮かべ、泊地棲鬼は次々に砲撃を乱射する。

 

「ちょっと球磨さん、交戦は禁止じゃないの!?」

「現状撤退するほうが危険クマ、やるしかないクマ、泊地棲鬼は、ここで沈めるクマ!」

「了解っ!」

「ああもう、しょうがないわね!」

 

 泊地棲鬼に抵抗し、球磨たちも一斉に砲撃を放つ。卯月も合わせて砲撃する。敵は一人だ、いかに姫級でも数の暴力には勝てない。次々に直撃、巨大な爆炎が泊地棲鬼を包み込む。

 

「姫ニハ、臣下ガイルモノダ」

 

 だが、泊地棲鬼は無傷だった。

 砲撃は周囲の、なんかフワフワした丸いのに阻まれていたのだ。なんだあれは、あれも深海棲艦なのか。

 

「やはりいるわね、浮遊砲台」

「これまで確認できた泊地棲鬼と、基本はおんなじみたいクマ」

「なら、やりようはありますわ」

 

 他のメンバーは知ってるらしい。ならなんとかなるか。そう思った卯月を更なる攻撃が襲う。

 

「ドウシタ、攻撃シナイノナラ、コチラカラ行クゾ!」

 

 泊地棲鬼が手をこちらに向けると、そこからなんと艦載機が放たれた。そうだこいつのカテゴリは航空戦艦だ、砲撃だけが攻撃手段ではない。

 

「行かせないわよ」

「お手伝いいたしますわ」

 

 しかしこっちにも航空戦力はいる。

 飛鷹さんと熊野が、一気に艦載機と水上戦闘機を発艦させた。二つの艦載機群は夕日をバックに激しく衝突し合う。

 

「爆撃はさせないけど、制空権までは無理よ!」

「……ダソウダゾ、艦娘ドモ?」

「ふん、制空権が取れなくても、お前なんぞ一ひねりクマ」

「そーだぴょんそーだぴょん!」

 

 乗ってみた。ちょっと悔しそうな顔してた。ざまあみろ。

 

「イマイマシイ、艦娘ドモメ!」

 

 こっからが、本格的な戦闘だ。

 泊地棲鬼が手をふるい、浮遊要塞に指示を出す。浮遊要塞もただの盾ではない。計六隻分の砲撃がわたしたちに降り注ぐ。

 

 球磨たちはそれらを回避しているが、さすがに密度が高い。今までのように全弾完全回避とはいかない。何発か掠ってしまう。痛みに顔を顰めていた。

 

 それでも隙を見て、砲撃を撃ちこんでいる。しかも装甲の継ぎ目を狙い確実にダメージを通しているのは、流石としか言いようがない。

 

 球磨たちでこれなんだ。わたしはもっと悲惨だった。

 そもそも体力がもう残ってない。怒りだけで動いてるような状況だ。いつ砲撃が直撃してもおかしくない。それでも生きているのは、仲間のおかげだ。

 

「卯月さん横から魚雷来てますわ!」

 

 熊野が大声で伝えてくれた。僅かに魚雷が見えた。すぐ急加速をして回避する。しかし、回避した先には砲撃が迫っていた。

 

「させないわよ!」

 

 今度は飛鷹さんが爆撃をして、砲撃を叩き落としてくれた。爆炎を突っ切ったせいで卯月はせき込む。

 

「アレダケ言ッテオイテ、オンブニダッコトハ、恥ズカシクナイノカ?」

「えぇ……お姫様を自称する精神異常者と比べられても、困るぴょん」

「ソノ口ニ砲撃ヲ叩キ込ンデヤル」

 

 精神異常者が砲撃をわたしに集中させる。たまったもんじゃない、おちょくってみたけど状況は悪化した。バカにできたから後悔はしてない。

 

「逃ゲラレハシナイ、オ前ハココデ死ヌノダ」

「誰が死ぬかバーカ!」

「クソガキメ……!」

 

 と言うが、不味い、浮遊要塞までこっちを狙ってる。狙いはわたしの退路だ。

 そこを断たれたら死んでしまう、せめて一体、動きを止めなければ。

 

「当てる、ぴょん!」

 

 ヤケクソ気味に砲撃を放つ。狙いは浮遊要塞だ。たいしたダメージにもなんなくても、邪魔できれば良い。

 

 だが、そこで予想外のことが起きた。

 

 卯月の砲撃が、浮遊要塞を()()したのだ。

 

「え?」

 

 浮遊要塞が爆発した。

 倒したのだ。ラッキー……なのかこれは? 

 わたしの単装砲じゃ、あれの装甲は貫けない。なのにできた、どうなってんだ? 

 

 おかげで退路を確保できた。間一髪攻撃範囲から逃れる。助かったけど不思議だ。

 

「何故ダ、何故矮小ナ駆逐艦ガ、何故奴ガ……?」

「隙だらけよ!」

「チィッ!」

 

 動揺する泊地棲鬼に満潮が突っ込んでいく。反撃に砲撃を撃つが、満潮は全部回避していた。

 いや、そもそも狙えてない。満潮は常に複雑な軌道を描いてる、動きが予想できてない。

 

「どこ狙ってんのよ、さすがは最弱のお姫様ね」

 

 煽りに眉がピクピク動く。効果は覿面だ。殺意が滾る、泊地棲鬼の巨大な主砲が狙いを定めた。

 だが、満潮はそれを狙っていた。

 

「隙だらけって言ったでしょ」

 

 撃ったのは、主砲の砲身そのものだった。

 衝撃で弾き飛ばされ、狙いが逸れる。いま満潮を狙う攻撃は一つもない。

 

「トドメ!」

 

 装甲の継ぎ目へ正確な砲撃が撃たれた。

 だが、それでも相手は『姫』だ。

 攻撃は通らなかった。

 

「ウザい真似を……」

「コレガ格ノ違イダ」

 

 満潮の砲撃は、獣型艤装の剛腕に防がれていた。

 獣型艤装が腕を振りかぶり、満潮を叩き潰そうとする。そこへ砲撃を一発撃ち、速度を削いで回避する。

 

 今まで動かなかったのはなんだったのか。泊地棲鬼は暴れ馬を従えるジョッキーのように、縦横無尽に動き出す。そこへ追従できる満潮もさすが……いま満潮を誉めたのか!? しまった! 

 

『卯月さん、聞こえてますか?』

「く、熊野?」

『いえちょっと、そろそろ仕掛けようと思いまして』

 

 無線で話しかけてきた。泊地棲鬼にトドメを刺すのか。砲撃から逃げながら耳を傾ける。

 

『ジョーカーは卯月さん、あなたですわ』

「うーちゃんがジョーカー?」

『泊地棲鬼の目線を、チラッと見てください』

 

 見てみる。泊地棲鬼は満潮を殺すのに夢中に見えるが。

 

「ん?」

 

 違和感に気づく。いま一瞬、こっちを見たような。

 

「んん!?」

 

 気のせいではない、また目が合った。あいつチラチラとわたしを見ているのか。キモイ悪いと率直に感じる。

 

『気づきましたね』

「あいつ見てるぴょん、でもなんで」

『『特効』、ですわ』

 

 特効だって。それを聞き思い浮かんだのはさっきの一撃。本来ダメージの通らない浮遊要塞を貫通した、わたしの一撃だ。

 

 本来ならあり得ない威力が出せる。それが特効だ。いまのわたし攻撃はあり得ない威力だった。

 

「まさか、うーちゃんに特効が」

『そう、だから泊地棲鬼は卯月さんを警戒している。これは大きなチャンスですわ』

「でも、どー動けばいいぴょん」

『ご安心を、そう複雑なことは言いませんわ』

 

 

 

 

 泊地棲鬼と満潮は一進一退の攻防を繰り広げていた。本来姫と駆逐艦単体じゃ話にならない。満潮がそれだけ強いということだ。だが強いだけでは勝てない。

 

「ドウシタ、少シ、動キガ鈍ッテイルゾ?」

「うるさい化け物ね、頭の栄養全部口に回ってんのかしら」

「好キナダケ喚ケ、状況ハ、変ワナライ」

 

 言う通りだ、満潮は遅くなってきている。当たり前だ。この辺りの海域全部調査した直後に戦闘、体力は多く残ってない。

 

 加えて厄介なことに、姫の体力は『無限』だ。

 姫は本体だが、海もまたこいつの一部。消費したエネルギーは海から補充されてしまう。自己再生しないだけマシだが、体力勝負じゃ絶対勝てない。

 

「イヤ変ワルカ」

「なに?」

「ワタシノ流レダ、包囲網ハ完成済ミダ」

 

 いつの間にか、浮遊要塞に包囲されていた。

 包囲網に気づかれないために、泊地棲鬼は激しく動いて気を引いたのだ。逃げ場はなかった。

 

「だから、これがなに?」

「ナンダト」

「撃ってみなさいよ、あんた自慢の包囲網ってハリボテを」

「イイダロウ、ソノ傲慢ヲ深海デ嘆クガイイ!」

 

 怒りに呼応して浮遊要塞が赤く染まる。大気が震える殺意が、泊地棲鬼の命令で爆発した。

 かに見えた。

 

 爆発したのは、浮遊要塞のほうだった。

 

「ナッ!?」

「満潮、こっちに!」

「分かってるわよ!」

 

 泊地棲鬼は空を見上げる。そこには無数の艦載機が、ところ狭しと爆撃をばら蒔いていた。

 

「わたしの全火力よ、浮遊要塞ごときじゃ止められないわ」

 

 飛鷹はすべての艦載機を、浮遊要塞へ集中させていたのだ。

 だが泊地棲鬼も航空戦力を放っている。これでは止めることはできない。

 

 やつらは自分の首を絞めた。艦載機がなければ爆撃は止められない。護衛がいなくなった軽空母を殺すのは簡単だ。泊地棲鬼は愚行を嗤う。

 

「バカナ艦娘ダ」

「バカ? それはお前だクマ」

 

 球磨が、主砲と機銃をうえへ向けた。

 ボッ、という破裂音が響く。

 数秒で終わった。泊地棲鬼の艦載機は全て迎撃された。浮遊要塞の分もまとめてやられた。

 

「全滅ダト!?」

「空母棲姫たちのほうがよっぽど強かったクマ」

「本当に最弱ね、あ、頭のほうよ?」

 

 これは、不味い。

 わたしを守る浮遊要塞は爆撃で動けない。航空戦力はアホ毛の艦娘にやられた。いまのわたしは無防備だ。

 

 なら、仕掛けてくるのは! 

 

「殺す殺す殺すぜってぇに殺してやるぴょん泊地棲鬼!!」

「貴様カ、ソコマデ恨マレル覚エハ無インダガ」

「うるせぇ、もう分かってんだろぴょん!」

 

 血走って赤く染まった目はうさぎのようだ。機関出力は最大限、ここで力尽きても構わない。こいつを殺すのが至上目的だ。

 

「死ね! 死んでなお死ね!」

 

 ド直球、真っ直ぐに砲撃を叩きこむ。

 不意をつかれた泊地棲鬼は獣型艤装の腕でガードする。しかし、ガードはできたがヒビが入った。

 

「ワタシニ対スル特効、貴様、ヤハリソウカ」

「そうだぴょん、てめーに壊された神鎮守府の、生き残りだぴょん!」

「提督ト間宮ハ以外生キ残リガイタトハ、『憤怒』ノ理由ハ仇討チカ、納得デキタ」

 

 立て続けに二発目。だが今度はガードではなく、剛腕で弾かれた。ノーダメージだ。

 

「ナラバ此処デ、今度ハ確実二沈メヨウ」

「こっちの台詞だぴょん」

「卯月さん突っ込んで、満潮さんはサポートを!」

「最悪だわ最悪」

 

 更に突っ込んで、残った弾を惜しみなく乱射する。反撃も激しいが、満潮が直撃を防いでくれている。

 

「さっさと決めてよ、あんたの護衛なんて吐き気がするわ!」

「は? 護衛されてあげてんだぴょん。うーちゃんは満潮の見せ場を作ってあげてる。この気遣いが分からないとは!」

「……ワタシヲナメテイルノカ?」

 

 罵倒合戦に苛立ったらしい。獣型艤装が咆哮を上げて走り出す。爆撃にさらされても止まらない。わたしたちを全力で潰す気だ。

 

「そんな動きは、予想してんのよ!」

「全員一斉射、あいつの動きを封じるクマ!」

「了解ですわ」

 

 激しく動きだしたタイミングに合わせて、球磨たちが魚雷を大量にばら撒く。幅広く、逃げ場を塞ぐように。泊地棲鬼はハイスピードで動いていた、それ故にブレーキが効かない。どこかの魚雷に当たる筈だ。

 

「コノ艤装ヲ、舐メテイルナ」

 

 だが、獣型艤装がまた咆哮した。

 強靭な四肢に支えられた獣型艤装はすさまじい機動力を持つ。軽快なステップを刻み、泊地棲鬼は魚雷を回避する。

 

「え」

「舐メテイル、ソノ報イヲウケルガ良イ」

 

 回避しながらも、泊地棲鬼は距離を詰めていた。卯月は完全に不意を突かれてしまった。真後ろに主砲を構える泊地棲鬼がいた。

 

 そして、即死の攻撃が放たれ──なかった。

 

「理解、できていますわ」

 

 主砲を撃とうとした泊地棲鬼に、熊野の砲撃が直撃した。

 完璧すぎるクリーンヒット。最初からここに来ることが分かってたような一撃だった。いや、分かっていたのだろう。

 

「周囲には大量の魚雷、動けないのは卯月さんも同じ。つまり確実に抹殺できる。この状況を利用しよう。そう考えたのでしょう?」

「ナ……!」

「当然ですわ、それが当然の『理』ですもの」

 

 熊野は主砲を構えて、獣型艤装の()()に狙いを定めた。

 

「ですが、『理』においてこのわたしくしに、勝てるとは思わないでくださいな」

「貴様、ワタシヲ、誘イ込ンダノカ!」

「あら、あなたが入ってきただけでしょう」

 

 熊野の主砲が直撃する。獣型艤装の『口』が、その衝撃で無理矢理開かれた。

 口の中、内部機構が、わたしの眼前で剥き出しになったのだ。これが熊野の狙いだった。

 

「今ですわ!」

「よく噛んで食べるぴょん!」

 

 全部の魚雷を、獣型艤装の()()()()投げ込む。特効つきの魚雷だ、爆発すれば艤装もろとも大ダメージ確定だ。

 

 しかし泊地棲鬼も足掻く。まだ回避できる。魚雷は完全に口の中に入っていない。至近距離で魚雷の爆発は受けるが、口の中で喰らうよりマシだ。

 

 

 ところで、誰か忘れていないだろうか。

 

 

「どーも泊地棲鬼さん、艦隊のアイドル那珂ちゃんです!」

 

 獣型艤装に、那珂が乗っていた。

 泊地棲鬼は眼をひん剥いて絶句する。気づかなかったに違いない。わたしは勿論まったく気づかなかった。

 

「ナンダオ前ハ!?」

「知ってるー? 艦娘ってー、意外と重いんだよー!」

「マサカ……!」

 

 那珂は獣型艤装の『上あご』に、踵落としを叩き込んだ。華奢な足。しかしそこには艤装分の重量全てが乗っている。

 

 超重量の踵落とし。獣型艤装の口は力づくで閉ざされた。中には魚雷が入っている。蹴りの衝撃で魚雷をかみ砕いたのが致命打だった。

 

 爆発が艤装を伝わり、本体の泊地棲鬼を襲う。

 悲鳴も上がらない。艤装はあちこちが爆散し、大量の血をシャワーのように撒き散らす。装甲はないも同然、丸肌になったのだ。

 

「くだばれぴょん!」

 

 卯月の砲撃を先頭に、全員分の砲撃が泊地棲鬼を包み込む。彼女の絶叫は、爆音の中に掻き消されて行った。




うーちゃんの嫌いレベル。
満潮>>>(越えられない壁)>>>泊地棲鬼>深海棲艦ども>ポーラ
そんな感じです。満潮とはもう徹底的に合わないです。


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第24話 帰還

ついに……ゲッターが……来るぞ…


 卯月の眼前で、泊地棲鬼が炎に包まれていく。

 燃料に引火した炎が、砕けた装甲の隙間から溢れ出す。高熱に晒された血は気化して、赤い水蒸気に変わる。

 

 ひしゃげた装甲は機能を失い、逃がすべきエネルギーが逃げなくなる。内部爆発の衝撃をモロに受けて、花火のように泊地棲鬼の体が弾け飛んでいく。

 

「きたねぇ花火ぴょん」

 

 しかし、塵一片の同情も湧かなかった。

 

「ワ、タシガ、コノヨウナ、雑魚ニ……」

「さっさとくたばれぴょん」

「ガハッ!?」

 

 燃える体に爆雷を投げつける。引火して爆発すると、泊地棲鬼の体が抉れた。死体蹴りというやつだ。

 とても()()()()()()()行為だと自覚している。

 でも関係ない。こいつは泊地棲鬼だからだ。

 

 どれだけ痛めつけても足りない。殴っても蹴っても、暴力的衝動が止まらない。一方的になぶっても満足できない、嫌悪感がむしろ膨れ上がってく。

 

「……ク、クク」

「笑ってんのか? 気でも狂ったかぴょん?」

「ソレデ、仇討チノ、ツモリカ……?」

 

 燃えてんのによく喋れるな。いっそ感心できる。嫌悪感はより増えたけど。早く死んでくれないだろうか。

 

「イイダロウ、今回ハ、ワタシノ『敗北』ダ……ソノ報酬ニ、『警告』ヲヤロウ」

「『警告』ぅ?」

「ソノ仇討チノ、果テニアル、『敵』ハ……」

 

 なんだ、果てだと? 

 泊地棲鬼では終わらないって意味か? 顔をしかめる卯月を見て、泊地棲鬼は、もっとも邪悪に嗤った。

 

「ソウダ、『敵』トハ──」

「うーちゃん、危ないわっ!」

「ッ!?」

 

 飛鷹さんが、とつぜんわたしと泊地棲鬼に割り込んできた。同時に大量の爆撃を、泊地棲鬼に浴びせたのだ。

 

 凄まじい爆炎だった。泊地棲鬼はいっさい見えない。衝撃波に転んでしまう。

 

「なにすんだぴょん!」

「いま、泊地棲鬼は雷撃を撃とうとしてたわ。うーちゃんあなたに向けて」

「……まじかぴょん」

 

 ということは、最後のアレは、()()()()だったんだ。

 

 意味深な言葉で気を引いて、雷撃を確実にぶち当てようとしてたってわけだ。最後までクソみたいなやつだった。

 

 そう、最後だ。

 

「……終った、ぴょん?」

 

 わたしの仇討ちは、これで終った。

 神鎮守府を襲った泊地棲鬼はどう見ても沈んだ。突然の戦いは、もう終った。

 

「いいや、まだクマ」

 

 独り言を聞いてた球磨が否定した。

 

「まだ、海が赤いクマ」

「……で、まだってのは?」

「泊地棲鬼はまだ健在だクマ」

「出てきやがれクソ女! 首をぶっこぬいてやるぴょん!」

 

 言ってみたけど出てこなかった。そりゃそうだ、さすがに分かる。これで出てきたら苦労が台無しだ。

 

「中枢の姫──今回は泊地棲鬼を沈めれば、海は青に戻るクマ」

「でも、赤いままぴょん」

「そう、だから泊地棲鬼は生きてるクマ」

 

 嘘だろ。あんな派手に燃えたのに生きてんのかよ。なんて意地汚い奴、早く死ねばいいのに。

 

「まあ、姫はだいたいそうクマ。なんどもなんども、何回も何回も叩いてやっと『浄化』できるクマ」

「なんでそんなしつこいんだぴょん」

「死んでも、支配してる海のエネルギーで復活しちゃうんだクマ。それが枯渇するまで沈めないと……」

 

 姫は『心臓』であり、海は『体』だ。

 けど、そこには怨念が『血肉』として循環している。それがこの巨大な怪物の生命を維持しているのだ。

 

「じゃあまた殴りにくるぴょん」

「いや、こっからは本隊の仕事クマ。今回はなし崩しで戦ったけど」

「……もう殺せないぴょん?」

「球磨たちの任務は、あくまで強行偵察クマ。仇討ちはこれで打ち切りクマ」

 

 ダメってことだ。

 なんとの歯がゆい。仇がすぐそこにいるのに帰るしかないとは。いや、本来戦えなかったのが、なし崩しでも戦えただけマシと考えるべきか。

 

「いまの状態で復活されたら、勝ち目がないクマ。目的は達成、今日は帰投クマ」

 

 全員ヘロヘロだった。予期せぬ戦闘に体力も燃料もギリギリだ。かくゆうわたしも全部限界だ。気を抜いたら気絶しかねない。もう一戦、なんて力は残ってなかった。

 

 しかし、やりたいことが、もう一つだけあった。

 

「あの、球磨、ちょっとだけなんだけど……」

「どーしたクマ」

「鎮守府、寄っちゃダメぴょん?」

 

 できれば行きたい。あそこで大勢の仲間が殺されてしまった。近くでその跡を見て、こころに刻みたい。みんなの平穏を祈りたかった。

 

「……あいにく、それは不可能クマ」

「……不可能? 『ダメ』じゃなくて?」

 

 妙な言い回しが引っ掛かる。規則が理由ならダメとか、許可できないって言うもんだ。

 なのに不可能と言った。どういうことだ。

 

「あれを見るクマ」

「あれって、鎮守府を?」

「そうクマ、どう見えるクマ」

 

 渡された双眼鏡で見てみた。鎮守府は鎮守府だろう。廃墟だけど。けど、その実態を見た。

 

「ひっ!?」

 

 生理的嫌悪感が、込み上げる。

 

 鎮守府は『真っ赤』だった。

 どういえばいいのか。案外建物とかの原型は保ってる。でも真っ赤だった。

 

 全部が全部、赤錆に覆われている。もしくは剥き出しの腐った肉片に変わってる。悪性の腫瘍が、全身に転移したように。しかも蠢いてる。ウネウネニチャニチャと。

 

 こんなんじゃ、ない。

 わたしのいた場所は、絶対にこんなところじゃなかった。どうしてこんなホラーな光景に。

 

「これが、深海棲艦クマ」

「ど、どーゆーことぴょん」

「深海棲艦に侵食された海は赤くなるクマ、陸地は()()()()クマ」

「そんな、あんなことに」

「浄化できても、人が住めるまでには……早くて半世紀かかるクマ」

 

 核汚染のほうがまだ早く除染できるのに。あんまりな光景に絶句するしかない。

 

「艦娘もヤバいクマ、あそこはいま、ありとあらゆる呪詛の温床クマ」

「トンでもねえクソ生物ぴょん……歩く核汚染って……」

「と、言うわけで、いま鎮守府跡地は重汚染立入禁止区域、入ったら即死……できりゃ幸福クマ」

「運が悪いと?」

「深海棲艦に変異するか、半端な状態で永遠に辺獄をさ迷うか、あっちに連れてかれるか……」

 

 エクストリーム過ぎる。ヤバすぎるだろ深海棲艦。土地を汚染しただけでこの被害って。これを相手に人類は戦ってきたのか。色んな意味で感心する。

 

「不可能って意味が、分かったクマ?」

「ショボーン、だぴょん」

「こっからでも冥福は祈れるクマ、しょうがないクマ」

 

 その通りだ、このさい距離は関係ない。卯月は目を閉じて、みんながせめて、穏やかに眠れることを祈った。

 

「さて、ちょっと、いやだいぶ急がないとヤバいクマ」

「……げ、これかなり不味いわよ!?」

「泊地棲鬼と戦ったロスタイムが、響いてるクマ」

 

 満潮が時計を見て声を荒げた。アレが焦るのは珍しい。しかし、戦いが終ったのになにを急ぐのか。

 

「全員急いで撤退クマ、このままじゃランデブーポイントまで間に合わないクマ!」

「あ、ちょっとだけお待ちを!」

「待たんクマ、追ってくるクマ!」

 

 熊野を置いて、球磨が動き出した。満潮や飛鷹さんも同じだ、かなりヤバそうな顔をしてる。わたしも合わせて、機関出力全開で走り出す。

 

「お待ちくださいなー!」

 

 遅れてた熊野もすぐ追い付く。なにしてたのか知らないが。

 

「熊野、なんでこんな、急いでるぴょん」

「え? ああ、わたくしたち帰るときも、秋津洲さんに回収していただきますの」

「へー」

 

 そりゃそうだ。直で帰ってもお迎えは機雷だけ。お帰りの代わりに爆発を浴びる羽目になる。

 行きと同じく、空路で帰るって訳だ。

 

「で、回収時刻は事前に決まってますの。その時間が迫ってるから、急いでるのですわ」

「なるほど」

「ただ、秋津洲さん、一分でも時間過ぎたら、行ってしまうんです。わたくしたちを置き去りにして!」

 

 酷ぇ! 

 と思ったけど、しょうがないんじゃないか。秋津洲が飛んでるのは危険な空域だ。のんきに飛び続けて撃墜なんて方がシャレにならない。

 

「言っときますけど、安全が確保されたエリアでも、あの人帰りますからね!」

 

 そう思ってた時期がうーちゃんにもありました。

 

「なんで!?」

「知りませんわよ! 『大偵ちゃんを危険に晒すことは許せない』とか言ってましたが!」

「だからあれは大偵じゃないぴょん!」

「知りませんわ、とにかくそういう理由ですの! 前置いてかれて、酷い目にあったんですのよ!」

 

 あとで聞いたが、その時は三日三晩深海棲艦に追い駆けられた末に、近くの陸地に這い上がって生き残ったらしい。食料もなくなり、その辺の無人島にいた虫とか鳥とかを喰う羽目になったとか。

 

「ちなみに遅れた理由は?」

「ポーラさんが泥酔して迷子になったのを探したからですわ」

「ポーラァ!」

 

 またポーラの知らないところで評価が下がった。すべて自業自得であった。

 ちなみに今現在ポーラは浴場で酒を呷りながらお昼寝タイムである。緊急入渠となったのはもはや言うまでもない。

 

 更に速度を速め、秋津洲とのランデブーポイントが見えた。しかし、輸送艇は既に上昇を始めていたのだ。

 ギリギリ間に合わなかった。具体的には50秒の遅れである。周囲に敵はいないが、秋津洲は躊躇なく帰ろうとしていた。

 

「やばい! 秋津洲ちゃん離陸してるよ!」

「全員碇を投げつけるクマ! 絶対に逃亡を許すなクマー!」

「うおおお!」

 

 下手すりゃ泊地棲鬼戦より鬼気迫る様子で、秋津洲を引き摺り降ろそうとする面々。卯月も半ばノリで碇を投げる。

 とても復讐を終えたとは思えない、グダグダな空気を背負い、初陣は終わった。

 

 

 *

 

 

「気持ち悪いぴょん」

 

 秋津洲の輸送艇で、卯月は顔を青くしていた。行きと同じだ、そう簡単に慣れない。

 

「早く帰りたいぴょん、全然進んでない気がするぴょん」

「けっこう進んでるけど」

「下痢気味のお腹を抱えて電車に乗るサラリーマンの気分だぴょん」

「やけに細かい例えだね……」

 

 どうすることもできない。那珂に膝枕をしてもらってるが、それでも吐き気は収まらなかった。

 

 なにか、なにか気をまぎらわすものはないのか。卯月は周囲を見渡す。

 

 球磨は寝てる。熊野はなんかソワソワしてる。那珂ちゃんは膝枕、満潮は知らん。飛鷹さんは──折り紙みたいなものを飛ばしていた。

 

「ひよーさん、なにしてるぴょん」

「お仕事」

「へー」

 

 会話は終った。短い会話だった。

 

「えいっ」

 

 飛鷹さんが指を動かすと、人形の紙が飛んだ。わたしのおでこにぶつかった。微妙に痛い。

 

「痛いぴょん」

「どう、わたしの『式神』は」

「し、式神?」

 

 式神ってのは、たしか使い魔みたいな存在だ。細かいところは知らないけど。

 

 意外……ではない。そもそも艦娘がオカルト極まってる。使い魔なら妖精さんがいる。そういうのもあるか。というのが正直な感想だ。

 

「これが一番大事な仕事なのよ。わたしたちはこれで『特効』を調べてるの」

「なるほど、分からん」

「例えばね、これを見て」

 

 式神は何体かいた。そのなかでも一番光ってるのがいる。キラキラしてるようにも見える。

 

「これはうーちゃんよ」

 

 飛鷹さんはどうしたんだ? さっきから変なことばかり。飛鷹さんが狂ったらわたしは誰を頼りにいきればいいんだ。危機感が溢れだしてきた。

 

「飛鷹さん、ごめんぴょん、うーちゃんもっとちゃんとするから、お願いだからまともでいてぴょん」

「うん、まずわたしの話を聞いてね?」

「……ぴょん」

 

 流された。ちょっとつまらん。プーと頬を膨らませて不満を表現した。それも流されたけど。

 

「『特効』を確かめるって言っても色々あるわ。姫の大元、戦場になった海域。それらを調べれば、誰が特攻持ちかはおおむね分かる。

 でも、実際に行ってみないと確証は得れない。だからって大艦隊で押し掛けるのも難しい。

 そこで、この式神の出番ってこと」

 

 式神は光ってたり、光ってないもの、光り具合の違うものなど色々あった。一番輝いてるのは、わたしこと卯月の式神だ。

 

「こうやって、特効候補の艦娘の因子を、式神に宿らせる。それを持ち込めば、特効の度合いも分かるってわけ」

「なるほど、ついでに特効艦が誰か敵には隠せる。一石二鳥ってやつぴょん」

「できるのは一部の艦娘しかいないわ、これは自慢よ」

「凄い! 天才! エリート! オカルト! 奇っ怪! 面妖!」

「後半誉めてないわよね」

 

 手を叩きながら激しく煽てる。実際凄いんだから誉めても問題ない。言い方は知らぬ。

 

「この情報を持ち帰るために、前科戦線はあらゆる犠牲を払うわ。最悪死んでもいいけど、情報を持って帰れるように」

 

 聞いた話だ。前科戦線はそういう部隊だと。死んでも構わない実力者による懲罰部隊。飛鷹さんはこの部隊で一番重要な役柄だったのだ。

 まあ確かに、前科持ちに大事な役を任せるわけはない。納得の人選だ。

 

「ちなみに、うーちゃん以外の特効艦って、誰かいるぴょん?」

「そうねぇ、この人かしら……」

 

 特徴的な式神だ。弓矢をもってるような見た目をしてる。

 

「空母かぴょん」

「ええ、『翔鶴』に、姉妹艦の『瑞鶴』、五航戦の縁で『朧』や『秋雲』……大きな特効持ちはこの辺ね」

「翔鶴かあ、なんか泊地棲鬼と因縁あるぴょん?」

「泊地棲鬼を撃破したとき、翔鶴がドロップしたらしいの。その繋がりかもね」

 

 当然、()の泊地棲鬼ではない。それ以前の別の泊地棲鬼だ。同じ見た目の深海棲艦が現れるのはよくあることだ。

 

「本体は、彼女たちを中核にした艦隊で泊地棲鬼を叩きにいくはずだわ」

「その中心にいるのが、一番の強特効を持つうーちゃんとゆーことだっぴょん!」

「え、ええ、そうね」

 

 きっとではない。絶対だ。

 最弱最弱と呼ばれる『卯月』に突如として舞い降りた強特効。これぞ神のおぼみめし。わたしが行けなくても、別の卯月が泊地棲鬼を殺してくれるなら気も晴れる。

 

 なんと装甲を抜ける。同じ卯月があいつをボコボコにしてくれる。そう考えればちょっとは嬉しくなる。

 

 なので飛鷹さんの曖昧な返事は聞こえていない。きっと無数のうーちゃん軍団がMVPを増産してくれる。

 

『そろそろ着陸かも、全員シートベルトをしめるかもー』

 

 秋津洲のアナウンスに従いベルトを締める。卯月が活躍できる。嬉しさで酔いも収まった。泊地棲鬼も殺せたし(一回だけど)、今日はなんだかんだで良い日だった。グッスリ眠れるに違いない。

 

 なお、卯月が艦隊の中心になったかは、言うまでもないのであったとさ。




改めて書いても、深海棲艦とデスストの親和性は高いと思う。


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第25話 形見

 輸送艇だけど、今回は別の場所に着陸した。どこかの飛行場らしい。別の鎮守府なのか、陸軍、空軍のところかも分からなかった。とにかく、前科戦線とは別の場所だ。

 

 ここからトラックに乗って前科戦線に帰投するらしい。とりあえず陸地でよかった。あと数分着陸が遅かったら、口からレインボーがスプラッシュしてた。

 

 なぜ、直接帰投しないのか。どうしてこんな回り道をするのか。ちゃんとした理由がある。

 

 それは行きと同じ、隠匿のためである。

 前科持ちに位置情報を知られない目的以上に、戦略上極めて重要だからだ。

 

 羅針盤と特効。海域攻略に必要不可欠の要因を、前科戦線は最大効率で調査できる。彼女たちがいなければ支配海域攻略はままならない。

 

 もしも、その拠点が知られれば致命的なダメージとなる。

 だからこそ大本営は機雷、空路、回り道。あらゆる手段で前科戦線の基地を隠匿するのだ。

 

 しかし、どんな理由があっても回り道は回り道。人目につかない道を走るトラックは暴れまわる。

 

「あ、これダメだぴょん」

 

 卯月の吐き気は限界を超えた。

 荒れた路面、トラックの中。トラウマを刺激したのもまずかった。

 

 そして卯月は、こころに大きなキズを負ったのであった。

 

 ただし、満潮の真ん前にスプラッシュしていた。狙ってやった。

 

「もう立ち直れないぴょん」

「人にかけといてその言いぐさはなに!?」

「かかったぴょん? それはラッキーだぴょん」

 

 わたしだけが傷つくのは苦しいので、満潮にも浴びせておいた。満潮が喚くのを見ると、こころが優越感でいい気分になる。最悪の所業であった。

 

「……そろそろつくわよ」

 

 かなーり呆れたようすで、飛鷹さんが教えてくれた。そんなに酷い行為だろうか。卯月にはよく分からない。

 

「覚えてなさいよ……」

「え、満潮の体臭がゲロ臭いことかぴょん?」

「よーし分かったわ、絶対に許さない」

 

 はて、わたしがなにをしたのか。すべて満潮の言いがかりに違いない。

 

「二人とも、このあと罰則があるの、忘れてないわよね」

「……あ゛」

 

 二人揃って思い出す。そうだった、ブリーフィングに遅刻したこと完全に忘れてた。

 満潮は同室なので連帯責任だった。まあこいつはどうでもいい。

 

 罰則、なにをすることになるんだ。せっかく泊地棲鬼を焼いたのに、アゲアゲだった気持ちが急降下した。

 

 大きな音を立ててトラックが止まった。扉が開くと見慣れた光景が広がってる。前科戦線だ、帰ってきたのだ。

 

「お疲れ様でした」

 

 出迎えたのは不知火だ。高宮中佐はいない、忙しいのだろう。

 

「いつもどおりになります。負傷している場合は最優先で入渠を、旗艦と飛鷹さんが最優先、負傷の高い方が次点です。旗艦と飛鷹さんは入渠後に報告を」

「了解クマ」

「それと卯月さんと満潮さんは明朝、告知していた懲罰をおこないます。寝坊しないように」

「りょうかいぴょーん……」

 

 罰則からは逃げられない。がっくりと肩を落とす。無事に帰ってこれたことがそんなに嬉しくない。罰則で全部チャラになってしまった。

 

「以上になります」

「あのー、不知火ちゃん。ポーラちゃんの姿が見えないけど」

「ポーラさんなら、あちらに」

 

 ポーラ? そんな艦娘はいただろうか。

 砂浜に全裸狗神家で突き刺さっているナマモノはある。『罰則中』という旗はあるが、意味は分からない。那珂も不思議なことを言う。幻覚でも見えてるのか? 

 

「入渠中に飲酒など、しないように」

「アイドルはお酒飲まないから!」

「そうですか」

 

 ナマモノは無視した。記憶から消しといた。

 

 

 

 

 これは全国どの鎮守府でも決まっているが、けがをした艦娘は早急に入渠しないといけない。それが()()になっている。神鎮守府でもそうだったし、前科戦線もそこは変わらない。

 

 ただ怪我を治すためだけではない。『穢れ』を落とすという意味もあるのだ。

 

 深海棲艦は全身が怨念に満ちている。

 その攻撃一つ一つが、必殺の呪詛になる。同類である艦娘でなければ即死の一撃。掠り傷はやがて取り返しのつかないことになる。

 

 だから入渠が必要なのだ。

 風呂の形をしてるのは慰安目的だけではない。洗い清めるためでもある。小破のまま放置していた結果、突如全員が深海棲艦に変異し壊滅した事件もある。黎明期の痛ましい記録だ。

 

「んほぉ~」

「気持ち悪い声をださないで」

「ぴょーん! ぴょーん! ぴょぉぉぉん!」

「うるさい声も出さないで!」

 

 気持ち悪いのも大きいのもダメ。細かいやつだ。そんなんだから嫌われるのが分からないのか。

 

「とぉぉぉぉうっ!」

「熊野さんは乗らないで! もう休まらないんだけど!?」

「ノリが悪いですわね」

 

 はぁぁぁとドッグ中に響き渡るため息をはく。

 わたしたちは負傷しているが軽傷だ。修復材をちょっと混ぜた風呂で十分回復できる。

 

 ただ、あまりの気持ちよさに、全身の筋肉が弛緩している。あやうく溺死しそうになる。初訓練あとと同じだ。

 

「おっと、危ないですわよ」

「すまないぴょん」

 

 今回は熊野がからだを支えてくれている。

 那珂よりも身長は大きい。つまり『あそこ』はちょうど、わたしの後頭部に当たる。

 

 自分の胸をさする。一瞬ナイアガラの大瀑布が見えた。落涙の幻覚であった。

 成長してくれないだろうか……どうせなら。

 

「あら、卯月さん髪が荒れてますわ」

「そりゃそーぴょん、潮風と爆炎に晒されてきれーなわきゃないぴょん」

 

 背中から熊野が髪の毛を擦ってくる。毛先に枝毛とか、焦げあとがあった。

 わたしの髪の毛はけっこう長い方だ。戦闘に巻き込まないのは不可能だと思う。

 

「ダメですわ、どうせ女の子なんですもの、身だしなみはしっかりしませんと」

「そーゆーもんかぴょん」

「ちゃんとした、髪の手入れを教えますわ。というか艦娘でも剥げる時は剥げますわよ」

 

 恐ろしい。この見た目でハゲとかなんの悪夢だ。深海棲艦だって裸足で逃げ出すぞ。

 

「バカバカしい、そんなのしてる暇があったら、武器の手入れでもしなさいよ」

「お前、剥げたいのかぴょん」

「そうは言ってないわよ」

 

 剥げた満潮を想像してみた。さながら日輪の耀きを放つ満潮。最高にざまぁみ……素晴らしい光景だ。絶対に笑える。

 

「いやごめん、そのままの満潮でいてくれぴょん」

「……すごくバカにしてないアンタ?」

「なんのことぴょん?」

 

 可愛らしく小首を傾げてみる。うーちゃんなにも分かんない的な感じで。

 満潮がとっさに口を抑えた。顔色は真っ青だ。

 

「失敬ぴょん!?」

「アンタが言うな!」

「仲良いですわね」

「「どこが!?」」

 

 こればかりは意見が一致した。熊野の目は腐ってしまったのか。

 

「み、満潮さん? も少しは気を使った方が良いですわ。髪が武器に絡まったら死にますわ」

「……そうね」

「入渠は、髪や肌のケアまでしてくれませんわ」

 

 素直な満潮にすごい違和感を感じた。

 荒れた髪の毛はたしかに絡まりやすい。爆雷が引っ掛かって爆死したら末代の恥だ。

 

「入渠も万能じゃないってことかぴょん」

「逆にそれ以外はだいたい治せますわ、精神的なダメージは無理ですが」

「内臓が全部弾けても、間に合えば治るのには、むしろドン引きしたけど」

 

 こう言うと、やっぱりわたしたちは『化け物』の類いだ。深海棲艦とそんなに大きな差はない。

 護るためか、壊すためか。そんな小さい違いしかない。

 

「スゴいのは修復材か、うーちゃんたちか……」

「深海棲艦の体液さまさま、ですわね」

「ええ、そうね」

 

 まったくだ、深海棲艦の体液さまさま、ホント感謝しかない。

 

「なんだって?」

「え、深海棲艦の体液と」

「修復材ってまさか」

「知りませんでしたの? 深海棲艦の体液が由来ですわ」 

 

 速やかに風呂から出なければ。

 しかし熊野にガッチリ抑えられて出られない。疲れすぎて力も入らない! 

 

「座学で学んだはずですが」

「寝てたぴょん、多分!」

「死ねばいいのに」

 

 満潮の言うことはスルーに限る。

 

 深海棲艦最大の特徴は、圧倒的な再生能力である。この特性故に人類は多大な損耗を強いられた。

 

 例え核攻撃をおこなったとしても、細胞一片から復活できる。姫級なら秒で完全再生できてしまう。

 

 この再生能力を支えているのが修復剤だ。深海棲艦はまるで血液のように、全身に修復剤──の原液が流れている。

 

 再生を食い止め、有効打を与えるには『同類』の力をぶつける他ない。だから艦娘は深海棲艦に近い存在になっている。深海棲艦を解析することで生まれた艦娘だけが、有効打を出せるのだ。

 

「で、どうせなら再生能力を利用しよう。そうやって作られたのが『修復材』ですわ」

「スヤァ……」

「寝るな! 熊野さんがわざわざ話してるのに!」

「叩くなぴょん、睡眠学習ってやつを知らんのかぴょん」

「嘘ついてんじゃないわよ!」

 

 失敬な、ちゃんと聞いている。これだから満潮ってやつは。眠たい眼を擦って満潮を睨んでおいた。

 

「当然体液そのものを使ってはいません。浄化やら加工やらしてるので、安心と信頼の高速修復材ですわ」

「それ胡散臭い商品の常套句だぴょん」

「ま、戦争してるのに四の五の言ってられませんから」

 

 深海棲艦の体液で傷を癒して、深海棲艦を狩る。まったく世も末だ。大きなため息が出る。

 

 しかしまあ、ある意味感心するのは『人間』だ。

 細胞一片からでも再生、海が本体、浸食したら半世紀は死の土地になる。そんなエクストリームな存在を前に、よく持ちこたえたものだ。

 

 わたしたちが現れるまで、人間たちはどうやって戦ってきたのだろうか? まあ、今更知ったところでなんにもならないが。

 

 

 

 

 時間も遅め、あまり長くは入渠していられない。

 怪我が治ったところで、わたしたちは風呂から上がる。脱衣所に置かれた衣類は綺麗に現れている。穢れは服にも溜まる。着替えも洗濯も大事。

 

「いったい誰が」

「妖精さんですわ、ほらそこにおります」

「まじか」

 

 本当に妖精さんは万能だ。艦娘よりも重要なんじゃないか? 

 

「ありがとぴょん、お礼を申すぴょん」

 

 指先でおでこを撫でると、目を細めて気持ちよさそうな顔をする。洗い立ての服は気持ちがいい。

 

 懲罰部隊なのに、こういったサービスが充実してるのはちょっと不気味だ。あくまで雑に扱っていいのは戦場だけってことか。

 

「じゃ、わたしさきに寝てるわ。おやすみ熊野さん」

「おやすみですわ」

「……あいつ、意図してうーちゃんを呼ばなかったぴょん」

 

 わざわざ『熊野さん』と呼んで、わたしは呼ばない。これは嫌味だ、嫌がらせだ。悪意に満ちた行為だ。

 

「呼んで欲しかったのでしょうか?」

「まさか! そんなことされた日にゃ気絶しちゃうぴょん」

「いったいなぜそこまで」

「生理的嫌悪?」

 

 なんていうか、全部が嫌だ。

 満潮の見た目から一挙手一投足、性格言動全てに嫌悪感がある。逆に満潮が苦しんでるのは最高にすがすがしくなる。これを生理的嫌悪と言わずしてなんというか。

 

 理由については今更だけど、あの一言だ。『最弱』などと侮辱されたのは忘れてない。侮辱に対しては殺人だって許されるって漫画のギャングも言ってたし。まあ、命まで侮辱されたわけじゃないから殺しはしないけど。

 

「ところで卯月さん。ちょっと聞いてもよろしいでしょうか」

「なんだぴょん」

「卯月さんが元々いた鎮守府ですが、あそこの提督、『ハチマキ』を渡してはおりませんでした?」

「え、渡してるぴょん、でもなんで熊野が知ってるぴょん」

 

 わたしが貰ったやつは、泊地棲鬼に襲われた時に無くしてしまった。今は持ってない。そもそも熊野はその情報を、どっから仕入れたのだろか。

 

「不知火秘書艦から教えて頂きましたの、()()()いったい、なんなのか」

 

 熊野は、とても奇妙な言い方をした。

『これは』なんなのか。

 まるで実物を手に持っているような言い回しだ。卯月の違和感は徐々に確信に変わる。まさか熊野は。

 

「熊野、まさか」

「そのハチマキは、わたくしが回収いたしました」

「おいおいおい、『マジ』かっぴょん!」

「神鎮守府近海の岩場に引っ掛かってたのを、たまたま見つけましたの」

 

 泊地棲鬼との戦闘後、ちょっと寄り道してたのはそれか。

 

「付着してた細胞片も調べたので、卯月さんのものなのは間違いありませんわ」

「ありがとう、本当にありがとうぴょん」

 

 もう戻らないと思っていたのになんたる奇跡だ。熊野の観察眼には感謝しかない。神提督や仲間たちとの貴重な思い出が戻ってくるのだ。

 

「それで今ハチマキは?」

「今夜廃棄するらしいので工廠で保管されてますわ」

「へー……なんだって?」

 

 聞き捨てならない一言が聞こえたぞ。廃棄って言ったか今。

 

「いえ半年以上あの浸食海域に放置されてた代物、ズブズブに呪われた物ですし」

「え……廃棄……聞いてないぴょん」

「知らなければ、最初からなかったも同然ですわ」

 

 信じられない。どうしてこうなった。唖然としてしまう。だけど不意に気づいた。熊野はなぜ、わざわざ教えてきたんだ。

 

「しかし使えるかな、そう思って拾った物を一方的に廃棄するかもしれないと……腹は立ちますわね」

「なにが言いたいぴょん」

 

 ニッコリと笑う熊野は、とびっきり悪そうな顔をしてこう言った。

 

「『泥棒』をしましょうか」




艦隊新聞小話

 高速修復剤について知りたい? 分かりました!
 深海棲艦の体液がオリジナルなのは説明した通りですね。深海棲艦は常に体内を修復剤が巡ってるので、同じ力で中和しないと、ダメージが通らない仕掛けになってます。

 ……え、そっちじゃない?どう作られてるかって?
 そりゃ決まってるじゃないですか。鹵獲したイ級に汚染浄化要因の妖精さんにお願いして栄養を流すチューブとオクスリ……げ、憲兵隊!ここは直伝のステルス技術で逃げるとしましょう、去らば!


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第26話 泥棒

ゲッターは良いぞ。


 熊野の言ったことに、卯月は絶句する。ハチマキを取り返すにはそれしかないけど、だからって泥棒はないだろう。

 

「おいおいおいおいマジかぴょん、前科に前科を重ねるつもりかぴょん」

「マジですわ、それに今更前科が一個増えたところで大したことじゃありませんわ」

「まあ……確かに……」

 

 密造に鎮守府爆破を重ねたポーラ(アホ)もいる。でも、そもそもわたしは『冤罪』だ。そんなことしたら本当の前科持ちになってしまう。

 

「良いのですか、形見の品物が無残にも焼却処分されても、卯月さんはよろしいのですか?」

「いや、良くはない。だけどこれはとてもうーちゃんにとって、危ない行為だぴょん」

 

 ついでに、明日不知火から遅刻の懲罰が言い渡されている。ただでさえキツイ罰がいったいどうなってしまうのか。考えるのも恐ろしい。

 

「てゆーか、熊野になんのメリットがあるぴょん。その時点でかなり疑わしいぴょん」

「わたくしにメリットはありますわ、ですが言いません。言う意味がありませんもの」

「へー」

 

 熊野は更に疑わしいことを言う。言い訳や方便さえ言わなかった。熊野に対する疑惑は更に深まっていく。

 

 こんなやつの言うことに乗せられて良いのだろうか、それはアホの行為だ、賢い選択ではない。

 

「でどうしますの」

「乗った! このうーちゃんに任せるぴょん!」

「……えぇ」

 

 だが、それが良い! 

 如何にもイタズラって行為がなんだか無性に良い。

『本能』に刺さる感じがする。

 

『卯月』という艦娘はどれもいたずらっ子なのは、資料で読んで知っていたが、こういうことだったのか。

 

 真面目な話、思い出の品物が焼却処分されるのは耐え切れない。さすがに呪われてたら捨てるしかない。でもそれは、自分で確認してからにしたい。

 

 中佐や不知火に直接言えば良いだって? 

 ならとっくに話している。現時点で言わないってことは、()()()()()()()()ことだ。

 

「良いんですの、卯月さんそれで」

「ノープロムレムだぴょん、この大怪盗うーちゃんに頼ると良いぴょん」

「そうですか……」

 

 熊野は微妙な目をしている。自分から言い出したのに変なやつだ。

 

「えー、では計画についてお話しますね」

「りょーかいだぴょん」

「これで良いのでしょうか……」

 

 ばれて罰を受ける羽目になったら仕方ない。全部熊野に脅されたとか言って切り抜けることにしよう。

 

 

 *

 

 

 深夜──とは言っても、明け方に近い。

 泊地棲鬼との戦闘を終えた時点で日没直前、前科戦線に帰ってきたのが丑三つ時。風呂から上がって夜食を取ったらこんな時間だ。

 

「誰にも見つかっていませんね?」

「フッフー、バッチリだぴょん」

 

 熊野と二人で工廠を覗き込む。いるとすれば北上さんだ。帰ってきてからすぐに艤装のメンテナンスをしてくれている。まだ寝てない可能性がある。

 

 パッと除いた限り北上さんは見あたらない。奥にいるかもしれないがここからじゃ見えない。見つかるかもしれないから、懐中電灯とかは使えない。

 

「工廠の内図はさきほど見せた通り、焼却施設は一番奥にありますわ」

「そこへうーちゃんが行く、と」

「わたくしは敢えて別の場所へ行き、囮になります」

「ホントに囮してくれるかは知らないけどぴょん」

「そこはわたくしを信用してくださいまし」

「分かったぴょん、信用しているぴょん」

 

 ワッハッハと小声で笑う二人。暗闇で見えなかったが、お互いの目は全く笑っていなかった。

 

「裏切ったらゆるさんぴょん」

「ご健闘をー」

 

 先に工廠内部へ入ったのは熊野だった。目立つように、少し足音を立てながら歩いている。わたしが見ている間は、囮の仕事をこなすつもりらしい。

 

「さて、行くかぴょん」

 

 逆にわたしはゆっくりと、静かな足取りで侵入する。

 誰もいない工廠はさすがに静かだ。その分小さな音も目立つ。風で扉が揺れる音にも、びくっと反応してしまう。

 

「今更だけど、本当にハチマキあるんだよね」

 

 これでなかったら流石に切れる。人の思い出の品物まで利用したジョークはいくらなんでも許せない。

 熊野もそのデッドラインは守る筈。ここは信用だ、結局はそれしかない。

 

 一番警戒してるのは『上』だ。北上は工廠天井に設置されたレールを使って、ロープウェイみたいに移動する。上から見られたら隠れる場所がない。

 

 とは言っても真っ暗闇だ。別にステルスの心得があるわけでもない。おっかなびっくり歩き回るしかない。

 

「どーか、見つかりません、よーにぴょん」

 

 せめて足音だけは消しとこう。抜き足差し足忍び足、コソコソと焼却施設に歩いていく。

 

 チラチラと辺りを見渡す。北上や監視カメラがないか探しているのだ。その分保管されている艤装が目に入る。

 

 パッと見ただけでも、艤装の数はかなり多い。ここのメンバー以上の数が置かれている。

 

 中にはわたしの艤装そっくりの物も置いてあった。暗くて良く見えないが、良く似ている。同じ睦月型の、誰かの艤装だろう。

 

 予備パーツの控えとして保管してるのだろうか。まあなんでもいいけど。それよりもハチマキだ。卯月はなんとか、焼却施設の前までついた。

 

 さすがに強烈な火を使う区画なので、扉で隔てている。開けたとき音がなんなきゃいいけど。ゆっくり開けようと、ドアノブに手をかける。

 

 回そうとした、その瞬間だった。

 

 呼吸音が聞こえた。

 

「ッ!」

 

 反射的にドアノブから手を離す。誰かが息をしている。この扉のすぐ後ろで呼吸をしている。すぐそこに誰かがいる。

 

 それも扉のすぐ後ろだ。まるで待ち伏せじゃないか。まさか最初から、誰かが忍び込むのは想定してたのか? 

 

 どうすればいい。扉を開けなきゃ入れない。開ければ見つかる。しかし、時間的な余裕はそうないぞ。

 なら、一択だ。卯月は扉をゆっくりと開ける。

 

「……誰か、いるのかな」

 

 顔を覗かせたのは北上だった。彼女は扉の隙間から周囲を伺う。恐ろしい、扉越しに気配を察知していたのか。

 

 けど、北上はわたしを見つけられていない。二、三回周囲を見渡すと、すぐに警戒を解いてくれた。

 

 北上は風で揺れる窓ガラスを見て、納得したように頷いた。

 

「なんだ、風かぁ」

 

 風の音を、侵入者の音と間違えていたらしい。北上は大きな欠伸をすると、車椅子に座ったまま出て行ってしまった。

 

 出ていく時もやっぱり、天井から吊るされた車椅子に座っていた。ホントどういうしかけになっているんだろうか。

 

 とにかく、これで北上はいなくなった。なんとか見つからずに済んだ。わたしの作戦は成功したのだ。

 

 扉の真上の壁に張り付いた卯月は、プルプルと震えていた。

 

 さながらヤモリのように壁に張りつく。ここが北上の死角かつ、同時に扉を開けられるポジションだったのだ。

 

 しかし腕が物凄く痛い。音を立てないよう着地したあと、何度も肩を動かして呼吸する。とても苦しかった。

 

 だが勝った。わたしは北上を出し抜いたのだ。これで完璧だ、あとは顔を上げれば、わたしのスカーフがすぐそこにある。

 

 さあどこにあると、わたしは顔を上げた。

 

「こんばんは、卯月さん」

 

 不知火がいた。

 

「……えーと、これは、つまり?」

「バレバレです。それでステルスのつもりなのでしょうか」

「最初から?」

「ええ、工廠に立ち入った時点で、北上さんは卯月さんを探知していました」

 

 なるほど、最初から詰んでたってことだ。これは駄目だ、わたしの負けだ、潔く徹底するとしよう。

 

「うーちゃんの完全敗北だぴょん、ここは戦略的撤退を」

 

 背中を向ける。襟をガシッと掴まれる。

 

「逃げれるとお思いで?」

「ノーッ! これは違うぴょん、全て熊野の陰謀ぴょん!」

「お話はゆっくり聞きましょう、不知火の部屋で」

「殺さないでーっ!」

 

 卯月の悲鳴もむなしく、不知火に引きずられていく。

 

「バカなぁぁぁ! このうーちゃんがぁぁぁ!」

 

 悪役じみた絶叫を残して、工廠からは、誰もいなくなった。

 

 

 

 

 かに聞こえた。

 そうではなかった、まだ二人、暗闇の中に残っていた。

 

「あら、卯月さん見つかったようで」

「まぁね、工廠はあたしの『領域』だし」

「その能力、羨ましい限りですわ」

 

 熊野と北上は、まだ工廠内部にいた。ちょうど卯月が通った道。睦月型の艤装が置かれた場所で、二人は向かい合う。

 普段とは違う、異様な緊迫感に満ちていた。

 

「まったく酷いやつ、あんたが潜りこむための、()()にするなんて」

「あらあらー、これは合意の上ですわ」

「へー、じゃあ、しょうがないねぇ」

 

 あっはっはと笑うが目は笑っていない。お互いに警戒を緩めない。

 

「悪いけど、今回はちょっと、アウトだよ?」

「存じておりますわ、卯月さんの加入……あまりにも、奇妙ですもの。まあ、もう()()()()()()()

「ああそう。やっぱ外に情報源があるのは早いねぇ。他のメンバーには言ってないよね?」

「一銭にもなりませんもの、むしろ言ったら、損しそうですし」

 

 熊野にとって重要なのは『金』になるかどうかだ。損するか得するかだ。今回の行動も、その行動原理に基づいている。

 

「あんたは本当に金が好きだねー」

「ええ、この世は金が全て。お金があれば化け物を人間にすることも、人間を道具にすることもできますわ」

「いや、あんたの思想は聞いてない。重要なのは──なにを、したいのか。答えによっちゃぁ、直々に始末しなきゃいけなくなる」

 

 北上の目が鋭く光る。と、同時に、工廠が大きな音を立てた。

 次の瞬間、工廠のあちこちに設置された銃火器が、一斉に照準を合わせた。ターゲットはもちろん熊野だ。

 

「恐らくは、わたくしの予想では」

「……予想では?」

「この後、前科戦線は、大本営さえ騙して戦わなければならなくなる。しかしながら、その後は……逆になる。

 その時、この熊野を優先的に使っていただきたい。その確証を得るために、今宵、侵入させていただきました」

「あんた、まさか、()()()を見てそこまで理解したの、専門家でもないのに」

「全ては『理』、確率の高い方、自然な選択を突き詰めただけですわ」

 

 沈黙が少し長引いた。北上が指を鳴らすと、工廠の武器が仕舞われる。交渉はとりあえず決着したのだ。

 

「中佐には、伝えておくよ」

「できれば『大将』にも、お願いいたします」

「そりゃー、あたしの一存じゃあ、なんともね?」

 

 熊野と北上は、工廠の暗闇に姿を消した。

 

 

 

 

 密会があったことなど知らず、卯月は不知火の自室でプルプルと怯えていた。

 しかし、恐怖による震えではない。言うなればギャップ、ショック症状に近い。あまりの落差に感覚が混乱しているのだ。

 

 まずピンクのカーペットが目に付く。壁には可愛らしい装飾がいっぱいだ。家具も小物も愛くるしいデザイン。小さい動物のぬいぐるみも置いてある。総括するとファンシーグッズで埋まっていた。

 

「……卯月さん?」

 

 しかし真ん中にいるのは眼光で深海棲艦を殺せそうな、不知火秘書艦である。ギャップが酷過ぎる。落差でショック死しかねない。

 

「か、かわいい、お部屋だぴょん」

「そんなことはどうでもいいのです、なぜ、不知火の部屋にいるか理解できているのですか。できてなければ理解させるまで……」

「できてるぴょんできてるぴょん!」

 

 手にはポン刀が握られている。シンプルに恐い。だが周囲はファンシーグッズ。これは悪夢だ、わたしの招いた悪夢なのだ。

 

「まったく、なにを考えているんですか。罰則が決まっているのに、更に重ねるなんて」

「いやぁ、ちょっと、まあ、理由が」

「『形見』が目的なのでしょう、知っていますよ」

 

 知っているのか、いや、工廠に入る時点で目的は限られる。そこから推測したのだろう。しかしこれで焼却処分は確定だ。仕方ないとはいえ残念極まりない。

 

「熊野さんが回収したハチマキはすでに調査しました、結果、海域攻略には一切役立たないことが分かりました」

「ぴょん……」

「その上、凄まじい呪詛に汚染されていました」

 

 やっぱりか、熊野の言った通りだ。呪詛塗れで役立たない。廃棄一択だ。なんのために忍び込んだのか。そういえば熊野はどうなったんだろう、無事に脱出できたのか? 

 

「なので、お返しします」

 

 不知火がクリアケースを渡してきた。中にはハチマキが入っていた。見間違えるはずがない。わたしのだ、神提督の『形見』だ。

 

「え?」

「お返しします。卯月さん、あなたのものです」

 

 嬉しい──けど、分からない。なんでだ、汚染された物は廃棄するしかないんじゃなかったのか。困惑しているのを見た不知火は溜息をつく。

 

「最初から返す予定だったんですよ」

「え、でも、汚染があるぴょん」

「浄化技術は確立されています。飛鷹さんが浄化してくれました、あとで礼を言っておいてください。不知火たちも、勝手に廃棄するほど鬼ではありません」

 

 なんだって、そうだったのか。嬉しさよりも驚きの方が勝っている。見てみると、確かにハチマキはとても綺麗になっている。傷ついた場所も綺麗に治っていた。

 

「なのに、卯月さん、あなたと来たら……」

「ま、待って不知火。だったらなんで、『洗って返す』って言ってくれなかったぴょん!」

「仇討ちをしてまだ一日も経っていません。疲れていると思ったので、気を使ったんですよ。それが誤りだったとしても、不法侵入はないでしょう!」

「ででででも焼却処分って、熊野が!」

 

 焼却処分されるって言ったのは熊野だ。嘘の情報を教えたのは熊野だ、非はあいつにある。この言い訳で押し切るしかない。

 

「熊野さん、恐らくは焼却処分『になる』とは言っていません。『かも』とか『おそらく』と言っていた筈です」

「あ゛」

「仮の話を信じて、暴走したのは他ならぬ卯月さん、あなたになります」

「だ、騙されたのかうーちゃんは!?」

「というか今更騙されたとかは関係ありません。あなたは遅刻に加え、夜間外出に不法侵入を犯した。ついでに不知火たちの親切心を裏切った」

 

 不知火が、笑った。

 

 初めて見た笑顔には死神が宿っていた。手に持った鎌が首元に当たる。てかちょっと喰い込んで血が流れ出す。

 

 ぐにゃあと視界が歪んだのは涙だろうか、不知火のプレッシャーだろうか。

 

「お覚悟くださいね?」

「熊野めぇぇぇぇ!」

 

 その頃熊野は、目的を達成し一人悠遊とベッドで寝ていた。穏やかな眠りだったという。ハチマキは帰ってきた。代償に卯月は地獄を見る羽目になるのであった。




このハチマキですが第5話 「泥酔」の冒頭に登場したのと同じアイテムです。神鎮守府の艦娘は全員これを身に着けていました。


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第27話 罰則

 またかよチキショウめ。

 トラウマの悪夢も三回目になると飽きてくる。慣れはしないが、いい加減別バージョンぐらい披露しろってんだ。

 

 と、まあ、わたしはまた悪夢を見ていた。

 いつもの悪夢、神鎮守府が深海棲艦に燃やされていく光景だ。

 

「うーちゃん、抜錨ぴょん!」

 

 直後視界が暗転する。

 視界が戻ると、目の前には地獄絵図が広がっている。

 

 わたしが一歩歩く度に、新しい死体が見つかる。

 みんな同じハチマキをつけてたから分かった。原型を留めないほどグシャグシャだけど。

 

 見えるのは炎と、瓦礫と、肉片ばかり。血肉で塗装された道をわたしはフラフラと歩く。

 

 やがて、強い光りが差し込んだ。

 眩しさに目を細めると、そこには巨大な深海棲艦が立っていた。今なら誰か分かる、泊地棲鬼だ。

 

 そこから、()()が始まった。

 

「ソコカ、逃ガサン」

 

 泊地棲鬼は突然振り返ると、顔色を変えて走り出す。

 わたしも同時に走る。きっと逃げた泊地棲鬼を追っているのだ。景色が線のように見えた、とても早く走っていた。

 

 崩落しかけた建物に入っていった。泊地棲鬼はバリケードを無理矢理破壊しながら突き進む。

 

「ミツケタゾ」

 

 ニタァと笑う。視線の先にいたのは、神提督と間宮さんだった。

 

 不思議なことに神提督は笑っていた。絶望的な状況なのに、いやだからこそ、諦めまいと笑っているのだ。そうに違いない。

 

「君は……」

「是非モナシ、沈メ!」

 

 だが、泊地棲鬼は待ってくれない。巨大な主砲の照準を神提督に合わせた。

 

 すぐに発射された。

 

 わたしも主砲を構えてたけど、多分間に合わなかった。

 

「提督危ない!」

「間宮!?」

 

 だが、主砲は当たらなかった。

 間宮さんが身をていして、提督を守ったのだ。

 しかしノーダメージは無理だ。間宮さんは半身を抉られた。提督は後ろの瓦礫に吹っ飛ばされた。

 

 全身から、血飛沫が舞う。砕けた肉片がこびりつく。死んでいないが、絶対に致命傷だ。

 

「無駄ダ、貴様ハ死ヌ運命二アル」

 

 泊地棲鬼が止めを刺そうとする。わたしは動けない、なぜか動こうとしない。

 

 けど助かった。

 泊地棲鬼に砲撃が浴びせられたのだ。

 現れたのは見知らぬ艦娘たち、救援に来てくれたのだ。わたしの視界は、そのまま爆炎にのまれていった。

 

 

 *

 

 

 目が覚めた。最悪の目覚めだった。パジャマは脂汗でびっしょりだし、息も絶え絶え。トラウマをほじくり返されたら、こうもなる。

 

 泊地棲鬼を直で見たから、記憶が刺激されたんだろうか。まあ悪夢の理由はどうでもいい。

 

 気にくわない、わたし自身が。

 

「うーちゃんは、なにをしてたぴょん」

 

 悪夢が正しいのなら、わたしは見てた。

 神提督が、泊地棲鬼に撃たれるところを。あの現場にいたのだ。

 

「なんで、なにもしてないぴょん!」

 

 しかし、なにもしていなかった。

 動くことも、助けることも、逃げることもしなかった。どんなアクションもしなかったのだ。

 

 理由は想像できる。怖かったのだ。

 仕方がない、まだ着任一ヶ月でいきなり鎮守府を滅ぼされたのだ。恐怖と混乱で動けなくなる。

 

 でもだからって、なんにもできないなんて。

 

 結果、神提督と間宮さんは撃たれた。

 死んでないけど、とんでもないダメージを負った。申し訳なくて、情けなくてしょうがない。

 

「クソ、クソ、クソッ!」

 

 あれで、救援部隊が遅れてたら、本当に死んでた。わたしが動けてれば、もう少しマシだっただろう。

 

「クソォ……」

 

 あと後気絶して、救助されたんだろうか。

 この醜態は多分見られてた。提督の危機を前に棒立ち、その上無傷。そりゃ離反行為を疑われる。

 

 で、あとは鎮守府壊滅の責任を押し付けられて解体コースへ。

 でも神提督はこんなわたしを助けてくれた。前科戦線行きだけど、生きれるようにしてくれた。

 

「頑張る、ぴょん、提督、うーちゃんは頑張るぴょん」

 

 流れかけた涙を堪える。頑張れわたし、頑張れうーちゃん。悔しいけど、それでも神提督は託してくれた。なら一生懸命頑張るしかないのだから。

 

 

 

 

 ただ冷静に考えたら、わたしの出番はほぼないわけで。

 

「え、死んだ?」

 

 食堂で間抜けな顔を晒す。持ってたお椀が傾く。中身はアチアチの味噌汁だ。

 わたしの膝にかかった。

 

「ギャア!」

 

 小破判定だ。こんな理由じゃ入渠できないけど。

 

「良い声だね、卯月ちゃんもアイドルにならない?」

「ならない……じゃあねーぴょん!」

 

 バタバタしつつ、火傷を氷で冷やす。溢れた味噌汁を片付けて、改めて椅子に座った。

 信じられない一言に耳を疑う。

 

「だからー、泊地棲鬼、さっき沈んだってー」

 

 そんなバカな。あいつを見つけたのは昨日の夕方だ。まだ一日も経ってない。こんな早く沈むとは思えない。

 

「早すぎるっぴょん」

「それぞまさに、『最弱』の姫ってことだね」

「釈然としないぴょん」

 

 生きててほしかったなんて思わない。

 ただ、できる限りの粘って欲しかった。長い時間苦しんで痛めつけてから死んでほしかったのだ。

 

「最短ルートかつ特効艦マシマシ編成でリンチにしたんだって」

「結果、ほぼ即死かぴょん」

「そもそも、わたしたちってそーゆー部隊だし」

 

 そうだった。

 羅針盤と特効を調べることで、姫を最大効率かつ最速で倒せるようにする。前科戦線はそのための部隊だ。わたしたちの目的は達成できたのだ。

 

「うぇー、でもびみょーな気持ちぴょん」

「ありゃー、ドンマイだねー」

「ぴょーん」

 

 やる気なく項垂れる。こんなにもあっさり仇討ちが終ってしまうと、なんか不完全燃焼って気分になる。

 

「一応聞くけど、死んだのは間違いないぴょん?」

「うん、派手に燃えて沈んだって」

「ふん、ざまぁ見ろだぴょん」

 

 できる限りの苦しみ抜いて死んだと、切に祈る。是非とも地獄へ堕ちてください。

 

 そういえば、あいつが死んだってことは、神鎮守府に近づけるようになったのか? 汚染は残ってるだろうけど、ちょっとは変わってるかも。

 

 ご飯を再開する。今日はシンプルな鮭定食だ。よく焼けた身が旨い、油の乗ったパリパリの皮はビールに合う……と思う。飲めないから分かんないけど。いつか飲めるようになるのだろうか。

 

「シャケ、お米、お味噌汁。とても良いMattina()ですねー!」

 

 またかよあのゲロ助。ホント朝からうるせえな。シャーと威嚇しながら睨み付ける。

 

 テーブルに酒はなかった。

 

 また飲んでやがる、飛鷹さんにボコボコにされれば良いのだ。ご飯を再開しよう。

 

「ファッ!?」

 

 いま、てっきり飲んでると思い込んでいた。わたしはもう一度振り替える。

 見間違いじゃない、ポーラは酒を飲んでいない。

 

「バカなっ、これは、いったい!?」

「嘘でしょ、ポーラちゃんが飲んでない!? 雨でも降るの!?」

「雨どころじゃあねーぴょん、槍、いや、きっと天変地異の前触れぴょん!」

「やだ、那珂ちゃんまだ死にたくない!」

「全部ポーラのせいだぴょん!」

「ポーラちゃんのバカー!」

 

 そうだ全部ポーラのせいだ。わたしが前科戦線送りになったのも味噌汁で火傷したのもポーラが悪い。

 

「……あの、ポーラも、人並みに傷つくんですけど」

 

 なんか言ってるが聞こえない。ゲロが耳に詰まったのかもしれない。やはり諸悪の根元はポーラだった。

 

「いったい、朝から、なにを騒いでるのですか」

「不知火、ポーラが壊れたぴょん」

「それは最初からです卯月さん」

「なるほどぴょん」

 

 そういやそうだった。

「酷い!」という声が聞こえた気がする。最近幻聴が酷い、疲れてるのだろう、早く休まなければ。

 

「で、どーしたぴょん?」

「二点、連絡があります。満潮さんは?」

「すぐ食べて自主練に行っちゃったよ」

「では、卯月さん伝言をお願いします」

「なんでうーちゃんが!?」

「同室だからです」

 

 嫌がらせだ、同室だからってあの満潮に会いに行けなんて。泊地棲鬼に殺される方がまだマシだってのに。

 仕方ない、話だけは聞いてやる。

 

「まずお二人のお仕置きについてです」

「お仕置き? うーちゃん悪いことなにもやってないぴょん」

「不知火の笑顔がそんなに見たいのですか?」

「心の底より反省しております」

 

 またあのスマイルを見たら、今度こそショック死だ。慌てて謝罪する。

 

「お二人には今夜、『哨戒任務』をしていただきます」

「哨戒任務? 前科戦線は通常任務を一切しないんじゃなかったぴょん?」

「ええ、そうです」

 

 前科戦線の任務はとても過酷だ。その代わりとして、普通の鎮守府がやる任務は全て免除される。物資の輸送や近海哨戒、深海棲艦の掃討とかだ。なのに哨戒任務とはどういうことだ。

 

「それをあえてするからお仕置きなんですよ」

「……さいでっか」

「さいです」

 

 とても納得できた。素晴らしい理由だ、納得せざるをえない。

 

「でもぶっちゃけ、そんなにお仕置きになるのかぴょん?」

 

 前科戦線がとても隠蔽された基地なのは、この数日間でよーく分かった。

 ということは、深海棲艦からも発見しにくいってことだ。近海に現れる深海棲艦はごくごく少数だろう。過酷な戦闘の確率は低い。これでお仕置きになるのか疑問だ。

 

「なりますよ、絶対に」

 

 不知火は自信満々に答えた。普段ならポカやらかして落ち度案件だが、今回は失敗してない気がした。確実にわたしを苦しめる一手を撃たれた気がした。

 

 まあ、普通に考えれば普通の哨戒任務だ。真面目に粛々とこなせば問題あるまい。そうに違いない。

 

「このうーちゃんに任せるぴょん!」

「ええ、お任せしました。色々」

「……色々って?」

 

 不知火はなにも言わなかった。昨日と同じような微笑を浮かべるだけだった。恐い、超恐い。本当に今晩生きて帰れるのかわたしは。

 

「もう一件、泊地棲鬼について報告が」

「あ? あいつは死んだろぴょん、死んだやつがなんだってんだぴょん」

「はい、泊地棲鬼は、死にました」

 

 ならなんなのか、あいつの話は嫌いだからさっさと終らせてほしい。

 

「しかし海域は解放されませんでした」

 

 目をパチクリ、どういうことだ。

 中枢の姫を倒せば海は解放される。そのはずだ。でも海は赤いまま、侵食されたままだと言う。

 

 しかし泊地棲鬼は死んだ。轟沈したことも、遺体が消滅する瞬間も確実に見たらしい。

 落ち着けわたし、冷静に考えれば可能性は一つだけだ。

 

「泊地棲鬼は、中枢の姫じゃあなかった?」

 

 不知火が頷いた。正解ってことだ。

 

「じゃあ、中枢の姫は誰なの?」

「現在調査中です。判明後には再び強行偵察任務が発令されます、事前周知で、お伝えしました」

「りょーかいだっぴょん」

 

 仕事ならしょうがない。

 なんにせよ、泊地棲鬼が実は生きてましたーなんて展開じゃなければ良い。

 

 そんな大した連絡じゃなくて安心した。お仕置きの方がよっぽど恐ろしい。あの不知火の笑みはヤバい。

 本能が『警告』している。

 

 ふと、気がついた。泊地棲鬼の『警告』に。

 

「……あ、『警告』って、そういう?」

「どーしたの?」

「泊地クソ鬼の断末魔を、思い出しただけぴょん」

 

 『仇討チノ果テニアル『敵』トハ──』、あいつはそう言ってた。

 まだ終わりじゃない、復讐の果てはわたし(泊地棲鬼)じゃない。あの断末魔は、まだ敵がいるという意味だったのだ。

 

「よほど、苦しんで死にたいみたいだぴょん、深海棲艦って連中は」

 

 自分でも、声が上がってるのが分かった。

 なぜか、決まってる、復讐が()()()()()。不完全燃焼だった復讐をまだ続けられる。深海棲艦に恨みつらみをぶつけられる。それが嬉しかった。とんでもなく不謹慎と自覚している。でも、嬉しいことはどーにもならない。

 

「……復讐ばっかりは、良くないよ?」

「分かってるぴょん、そんなので人生フイにしないぴょん」

「なら良し!」

 

 那珂の言う通りだ、復讐だけに生きるつもりは毛頭ない。あくまでわたしは艦娘だ、護ることが最優先。前科持ちでもそこは変わらない。

 手段と目的を取り違えるような愚行はしない。なにかを護らなくなったら、忌み嫌う深海どもと同じになってしまう。

 

「伝えることは以上です、哨戒任務は夜の九時から行います。遅刻したらまた罰則です。満潮さんにも伝えておくように」

「了解だっぴょん」

 

 もちろん満潮には伝えない。一人だけ遅刻してお仕置き追加コースにしてやろう。わたしを怒らせたことを後悔するがいい。

 

「満潮さんが遅刻したら連帯責任になるので、そのつもりで」

 

 考えを見抜いたように、不知火が警告した。

 そんな、満潮を嵌めることができないなんて。心の底からガッカリする。仕方がない、伝えてやるか。深い深い深ーい溜め息を吐きながら了承する。

 

 しかし、改めて思うが、これのどこがお仕置きなんだろう。

 深海棲艦が滅多に出てこない海域での、夜間哨戒。無意味とまでは言わないが、やる価値はあるのか。

 

 なんにせよ、楽な任務になりそうだ。ゆるゆるとこなして終わらせよう。

 そして、卯月は思い知る。

 この任務の過酷は、まったく別のところにあることを。

 

 内一つは、不知火の想定外であることも。



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第28話 強襲

昨日投稿し忘れました。ごめんなさい。

それはそれとしてナイツ&マジック参戦ですよ。やりましたよ。でもボトムズは続投シナカッタ……。


 昨日丸一日出撃したばかり、まだ疲れは抜けきってない。なので夜までは徹底的に寝まくった。

 

 自室の部屋に立て籠り、お昼の時以外はとにかく寝た。布団にくるまって寝つづけた。

 

 悪夢を見た反動か、今度は変な夢も見ず、じっくりと寝ることができた。夕方、晩御飯頃に目が覚める。寝まくったおかげで、シャキーンと目が覚める。今度は遅刻はなしだ。

 

 晩御飯もたっぷり食べたいけど、あんまり食べると気持ち悪くなる。ほどほどで済ませた。飛鷹さんも気を使ってくれた。味噌汁とかお粥とか、胃に優しいメニューを出してくれた。

 

 気分はなかなか良い。満潮が一緒の時点で凄まじい拷問になってるけど、現状まだプラスだ。

 

 よほどのことがなければ、まあまあの気分で哨戒任務に挑めるだろう。

 

 だけど、あの不知火のスマイルで気づくべきだった。

 不知火が用意したのは、間違いなく『お仕置き』だってことに。よほどのことが、起きてしまった。

 

「今日の旗艦は、このポーラが、務めます~」

 

 もう駄目だお仕舞いだ。わたしは今日死ぬのだ。遺言状を書いとけば良かった。

 

「ポーラ、卯月さん、満潮さんで、哨戒任務をしま~す。良いですね~」

「良いわけないぴょん」

 

 そういうことだった。お仕置きってのはつまり、ポーラのお守りだったのだ。

 

「こんな、こんな最後なのわたしは?」

 

 満潮も絶望した顔で天を仰いでいた。

 普段なら『ザマーみろ!』って気分だけど、今回ばかりは同情する。足の小指の爪先ぐらいには。

 

 それでも僅かな希望を抱いていた。

 出撃の時ぐらい飲酒はしてないって。朝飲んでなかったのも、今晩任務があると知ってたからだって。

 

「迎え酒~」

 

 ワインをラッパ飲みした。今、目の前で。

 

「神は死んだぴょん!」

「高宮中佐は正気なの!?」

「Buono!」

 

 もうやだコイツ。満潮とは別ベクトルで疲れる。

 というか、コレの同伴を許可した高宮中佐も中佐だ。

 

 いくら危険度が低くても任務は任務、真面目に行かないとダメだ。なのにポーラのこの態度。とても正気とは思えなかった。

 

「諦めな二人とも」

「北上さんからもなにか言ってよ!」

「しがないメカニックには無理だねぇ」

 

 工廠から艤装を持ってきた北上さんは、諦めた目をしてた。

 

「本気でコイツを連れてくの……?」

「諦めな、それがお仕置きってやつだよ。まー死んだら線香ぐらい上げてあげる」

「願い下げだぴょん」

「はいはい、あとこれもね」

 

 艤装とともに、『首輪』も渡された。

 轟沈しかけた時用の自爆装置だ。やっぱりつけなきゃいけないのか。

 

 ガチリ、と音が鳴りロックがかかった。これで帰ってくるまで外れなくなった。自爆装置なんて代物だ、否応なしに緊張が走る。

 

「やっぱこれ、つけなきゃだめぴょん?」

「深海棲艦になっていいなら良いよ」

「……ぴょーん」

 

 仕方がないか、今日も沈まないよう頑張るしかない。

 例えゲロ助同伴のベリーハードモードでも、頑張るしかない。

 

「哨戒だけど、この辺で深海棲艦の目撃情報があったの。どーもイ級とかそんぐらいのザコだけど」

「それを見つけてこいってこと?」

「違うよ、『本隊』がいないかの哨戒。あのイ級がただのはぐれならいい。けど偵察の可能性は捨てきれない。万一に備えての、哨戒任務ってわけ」

 

 あ、百パーセントお仕置きって訳じゃないのね。

 真面目にやらないといけない任務ってことだ。

 だとすると余計分からない。なんでポーラが来るんだ。

 

「じゃあなんでこんなアル中がいるのよ」

 

 さすがのわたしも同意見だ。あいつのせいで沈んだら化けて出てやる。

 不満を分かってるのかそうでないのか、うんうんと北上は頷く。

 

「卯月も満潮も知らないと思うけど、実はね」

「実は?」

「ポーラ、あんたたちより強いよ」

 

 そうなんだ。わたしたちはポーラを見た。

 

「きもちわるいです、いっきにのみすぎました」

 

 わたしたちは北上を見た。

 

「あれが?」

「うん、マジにマジ」

「へぇ」

 

 なんか、もう誰も信じられなくなってきた。この時ばかりは満潮とこころが一致した。

 

「……なあ満潮、こいつ後ろから撃っちゃダメぴょん?」

「やめなさいよ、それはしでかした時だけにしときなさい」

「うん、そうするぴょん」

 

 そうこうしてる間に、出撃時間になってしまった。

 わたしは最後に、ポケットからハチマキを取り出した。そう、『形見』のハチマキだ。

 

 首には首輪がある、額につけると髪に絡まりそうだ。手首には長過ぎる。

 

 あと満潮もハチマキをつけている。ハチマキにしてはやたら長いけど。あいつとお揃いみたいになるのはとても嫌なのだ。

 

 なので髪の毛につけた。

 ウサギの髪飾りと合わせて、髪止めみたいに結びつけた。ほどけないようしっかりと。

 

 これで準備完了、出撃あるだけ。今回も同じく、必ず生還してやろう。足手纏いがいたとしても。

 

 

 

 

 前科戦線周辺には、脱走防止用兼侵入防止用の機雷が撒かれている。

 それがあるから、出撃は空路じゃなきゃいけない。そう思っていたけど、実は機雷源を突破することも、可能なんだとか。

 

「良いですか~、この機雷源には安全なルートが、()()だけありまーす。そこを通ってSotome(外海)へでまーす」

 

 よく考えたら、安全ルートがなきゃおかしい。外海と完全に隔絶されてたら、色んな不便が起きてしまう。

 

 ただし安全と言っても、かなりギリギリだ。

 航路が一メートルでも逸れたら機雷に接触してしまう。しかも安全ルートは固定されていない。定期的に変更されている。

 

「安全ルートは不知火から教えて貰ってるので、ポーラについてきてくださーい」

 

 大丈夫、なのか、これは。

 先導役がポーラって時点で、死ぬ予感がプンプン漂う。

 かといって一人で行ったら百パーセント機雷とごっつんこだ。ついていく以外の選択肢はない。

 

「……酔っぱらってるぴょん」

「あいつの巻き添えで死ぬのだけは御免だわ」

 

 フラフラと、ポーラの足元はおぼつかない。選択肢はないと考えても不安がぬぐえない。本当に機雷に触れないで外海へ出れるのか。

 

 深夜の暗闇のせいで、機雷を見ることもできない。いや元々見えるもんじゃないけど。止まらない冷や汗をなんども拭いながら、ポーラの後ろをついていく。

 

 あまりの緊張に時間間隔が飛ぶ。長いか短いか、それぐらいの時間が経った後、ポーラが急に動きを止めた。

 

「はーい、機雷源は突破しまーしたー」

「え、まじかぴょん」

Davvero(本当)ですよー、ポーラ、お仕事は真面目にこなしますからー」

「酒は良いのかぴょん」

「良いお酒はですね~、体にも良いんですよ~」

 

 駄目だこりゃ。もうそれしか言えない。

 こんなんでもかなり強いと北上は言ったけど信じがたい。この酔いどれはどうやって戦うつもりなのか。

 

「帰りもポーラが先導するので、絶対に迷子になららいでくだひゃい」

 

 もう呂律も回ってないじゃないか。ホントヤダこいつ。

 わたしも人のことは言えないが、出撃前に迎え酒をするバカじゃない。なんかもう、いっそ解体した方が良いように思えてきた。

 

「では参りまひょー」

 

 夜間の海は、また一味違った。

 夜戦の訓練は神鎮守府でもやっていたけど、訓練と実戦は違う。恐怖に近い緊張が背中にへばりついて離れない。

 

 暗闇のベールは敵も味方も覆い隠す。いつどこから、突発的に敵が現れるかも分からない。瞬きした後には、口を開けたイ級が待っているかもしれないのだ。主砲を握る手が力んでいくが分かる。

 

 これが夜、これが夜戦。駆逐艦の戦場か。

 そして、この暗闇のどこからにイ級──もしくは『本隊』が潜んでいるかもしれない。そう思うとなおさら緊張する。

 

「あぁ~夜風が気持ち良いでふね~」

 

 台無しだった。前言撤回緊張感の欠片もない。メンバーが悪すぎる満潮とポーラのダブルタッグなんて。

 クソの相手と酔いどれの介護。

 お仕置きだ。間違いなくお仕置きだ。これで沈む羽目になったら化けて出てやる。

 

「なあ満潮」

「なによ話しかけないでよこのザコ今イライラしてんだから」

「ポーラ後ろから誤射しちゃダメかぴょん?」

「帰れなくなるからダメ」

 

 二人揃って大きくため息だ。早く任務を終わらせて帰りたい。

 けど、任務の終了条件は厄介だ。

『ハグレ』か『偵察』、どっちなのかは、目撃されたイ級を調べないと分からない。この暗い海でイ級一匹を発見しなければ終わりようがないのだ。

 

「レーダーとかは持ってきてんのかぴょん」

「当たり前でしょ、あんたやポーラみたいな馬鹿じゃないんだから。わたしが持って来てるわよ。わたしは馬鹿じゃないの」

「へー、レーダーを持ってきたぐらいでそんなに自慢できるなんて羨ましい限りぴょん」

「ええ、まともなレーダーも詰めない低スペック艦のアンタとは違うの」

 

 ポーラといっしょに満潮も沈めるべきだろうか? 

 なんてことを考えてたら、うっかりポーラにぶつかってしまった。冷たい海水に尻もちをついてしまう。

 

「スカートが濡れた、最悪だぴょん」

「ふん、その程度気にするなんてザコね」

「え、じゃあ満潮はパンツが透けて見えてても気にならないのかぴょん? ド変態ぴょん!」

「誰が変態よ!?」

「うーちゃんをひん剥いて幼女の肌を勝手に触ってたのはトラウマぴょん」

「半年間寝てた奴の世話してただけって、前言ったでしょ!」

 

 なんて言い訳をするのだ満潮は、見苦しいったらありゃしない。

 

 と、アホな言い争いにキレたのだろうか。

 わたしと満潮は、二人揃ってポーラに投げ飛ばされた。

 

「なにすんだぴょん!」

「なにすんのよゲロ女!」

 

 ポーラを睨み付けた。

 しかし、わたしと満潮は押し黙った。

 彼女の様子が、今までとまるで別だった。緩まった眼が鋭く締まり、暗闇の向こうを見つめている。

 

「ポ、ポーラ?」

 

 そして、爆発が起きた。

 今さっきまでわたしたちがいた場所だ。魚雷が来てたのだ。ポーラが投げてくれなければ直撃だった。

 

 どうやって気づいたのか。この暗闇でどうやって魚雷を発見したのか。そんなことはどうでもいい。

 

 魚雷が放たれた、意味することは一つしかない。

 

 敵がいる。

 

「この魚雷の威力、イ級のそれじゃない」

「『本隊』がいたってことか、クソだっぴょん!」

 

 わたしと満潮はそれぞれ、背中合わせになって周囲を警戒する。いったい敵はどこに潜んでいるのだ。

 自覚したせいで、暗闇全てが殺意を放っている錯覚に陥る。突然の襲撃にこころが追いついていないのだ。

 

「ちょっとポーラ、なにじっとしてんの!」

 

 ポーラはただ、真っ直ぐに一つの方向を見続けていた。

 満潮が叫んでも目をそらさない。なにかいるのか、そこに敵がいるのだろうか。

 真似をするように、そちらへ意識を集中させてみる。

 

 風の音、波と水しぶきの音、海の中の音が徐々に鮮明に聞こえてくる。

 くぐもってまじりあった音の反響。

 ()()()()。水を切る音──魚雷の音が。

 

「満潮飛べぴょん!」

「なによ急に!」

 

 文句を言いつつも満潮も飛ぶ。わたしは反対へ飛んだ。

 直後魚雷の爆発が起きた。聞こえた、魚雷の音が、聞こえなければ喰らっていた! 

 

「……あの~、もう、見つかってますよ?」

 

 ポーラが暗闇へ話しかけた。

 わたしたちもその先をじっと見つめた。

 闇から溶け出すように、『敵』が現れた。

 

「ダカラ、何ダトイウノ……私ヲ見ツケタカラ、何ダトイウノ……」

 

 絶句した。その外見に。

 

 ()()()()()()。いや足らしき部位はあるけど、太ももの真ん中から完全に途切れている。千切れてしまったように。

 

 その途切れた足と艤装で浮かんでいた。歪で不気味な幼げな少女の姫だ。外見の雰囲気で言えば駆逐艦に近い。

 

「なるほどー、あなたが本隊、ですねぇ」

「貴女ニ興味ハ、ナイノ。用ガアルノハ貴女ヨ」

 

 少女の姫が指差す。その先にいたのはわたしだ。

 

「え、うーちゃん?」

「ソウ、貴女ニ会イニ来タ」

「う、うーちゃんに、なんで」

「ソレハ……」

「あ、いやちょっと待つぴょん」

 

 わたしに会いに来たってことは……わたしの熱烈なファンってことか。でなけりゃこんな所まで来たりはしない、きっとそうだそうに違いない間違いない。

 

 元々老若男女大人気のわたしだけど、まさか深海棲艦にまでモテるとは。

 那珂ちゃんじゃないけどアイドルを目指していいのかもしれない。泊地棲鬼も死んだことだし、その道も中々魅力的だ。

 

「何笑ッテルノ」

「いや、大丈夫、お前の気持ちはよーく分かったぴょん」

「ハ?」

「さあ色紙を見せるぴょん、うーちゃんの最高にイカしたサインをプレゼンツするぴょん!」

 

 結果、とーっても冷たい風が吹いた。まだ冬でもないのに。

 

「あれ、違ったぴょん?」

「死ネ」

「ちょ、待っ!」

 

 問答無用で砲撃が飛んできた。満潮を足場にして大ジャンプで逃れる。満潮の悲鳴が聞こえたが、これは事故だ、悲しい事故なのだ。沈んでしまってもしょうがない。

 

「おいこらクソ卯月なにすんの!」

「チッ生きてやがるぴょん」

「敵がいんのにふざけてんじゃないわよ!」

 

 失敬な、攻撃回避はふざけてない。たまたま満潮が良い場所にいたから蹴っただけなのだ。

 

「それにふざけてんのはあっちだぴょん、うーちゃんに会いたいなんて紛らわしいこと言うから!」

「ふざけてんのはアンタの脳味噌でしょ!?」

「……貴女タチデショ、フザケテルノハ」

 

 静かな、ドスの聞いた声だった。

 威圧感が激増する。これは不味い、ボケをかます雰囲気じゃない。

 なぜだか分からないけど、あいつは明確に『わたし』を狙っている。

 

「泊地棲鬼ガ沈ンダ」

「あ゛? お前、泊地クソ鬼の関係者か?」

「ソウ、彼女ハ私ノ上官ダッタ、大切ナ仲間ダッタノ」

「御冗談を! 化け物に仲間意識があるわけねえぴょん。アリとかハチの方がきっと仲間意識があるぴょん、虫以下の深海魚どもめ」

 

 音がまた聞こえた。

 ブチブチブチって音だった。

 あ、やべ。挑発し過ぎた。

 

「ちょっと卯月!?」

「いやだって、泊地クソの仲間なんていうからつい」

「……フ、フフフ、ハハハハハ!」

 

 少女の姫が狂ったように笑い出す。不味い、これ絶対不味い流れだ。

 

「モウ分カルワネ、駆逐艦卯月、私ハオ前ヲ殺シニキタ。泊地棲鬼ヲ苦シメタ元凶ノオ前ニ、罰ヲ与エニキタ!」

「罰ぅ? あれはな、自業自得って言うんだぴょん」

「減ラズ口ハ十分ダ、私ハ『駆逐棲姫』──水底ニ、オトシテヤルヨ……ッ!」

 

 一瞬刺し込んだ月明かりが戦場を照らす。

 復讐などというふざけたことを抜かす姫に、殺意を滾らせる。

 なにも関係がない。泊地棲鬼の関係者なら殺すだけなのだから。




第二のボス的、駆逐棲姫出現。
ポンデリングとゲロ重巡を抱えながらの戦闘、うーちゃんには地獄を見て貰いましょう。


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第29話 夜戦

昨日は球磨の進水日だクマ。
おめでとうだクマ。
球磨は作者の初めての嫁艦だクマ。改二実装時は卒倒したクマ。めでたいクマ。


 戦闘開始の合図は、駆逐棲姫の魚雷で始まった。

 一瞬で大量の魚雷が展開された。泊地棲鬼のものとは比較にならない。とんでもない密度の攻撃に回避だけで手いっぱいだ。

 

「どーするのよこの状況、撤退!?」

「ダメです~、撤退して後をつけられたら、それこそ前科戦線の位置が特定されちゃいます」

「簡単だぴょん、殺せばいいんだぴょん、今此処で!」

 

 ブチブチと、血管の千切れる音がする。

 わたしのキレた音だ。泊地棲鬼の部下って時点で、あらゆる怨嗟をぶつけるに十分な敵だ。

 

「殺ス? 私ヲ? ヤッテミルト良イ……ヤレルモノナラ」

 

 また魚雷が撃たれた。同じぐらいのとんでもない高密度、回避するには更に距離をとらなきゃいけない。

 

 昼なら、それで良い。

 だけど今は夜だ。距離を離せば姿を見失う。

 

「逃ゲロ逃ゲロ、ソレダケ私ハ有利ニナルノ」

 

 駆逐棲姫がまた夜の帳に隠れてしまった。

 一度見失ったが最後、なにも見えない。どこから攻撃が来るのか分からなくなってしまった。

 

「てか満潮、お前レーダー持って来てんじゃぁねーのかぴょん」

 

 よく考えたら、最初の奇襲の時なんで満潮は反応しなかったんだ。

 さぼってたとしか考えられない。何て奴だ任務もまともにこなせないとは。真の敵は味方にいたってことだ。

 

「サボリか!」

「サボってないわよ、今はちゃんと捕捉してるわよ!」

「じゃあなんで最初の奇襲に気づけなかったぴょん!」

「レーダーの射程距離外から魚雷を撃ってたのよ、それしかないわ」

 

 嘘だ、こいつは嘘を言っている。

 夜間でレーダーもなく、あんな正確に魚雷を当てられるものか。そんな遠くから撃っても外れるだけだ。

 

「今捕捉できてるんだから良いでしょ!?」

「許してやらないこともないぴょん」

「ああ、そう、感謝するわ!」

 

 満潮が耳に手をあててレーダーに集中する。これで居場所が分かる。なんとかなりそうだ。

 

「そこ、三時の方向よ!」

Ricevuto(了解)、では~Fuoco!」

 

 三人揃って、レーダーの方向へ一斉射。当たるかどうかは分からないが、牽制ぐらいにはなる筈だ。

 

 と、油断していたのは確かだ。

 わたしが相手しているのは、泊地棲鬼よりも遥かに格上の姫、それを失念していた。

 

「嘘、全弾ハズレ!?」

「はぁ!? この無能ポンデリング!」

「言ってる場合じゃないですよ~雷撃が来てます~」

 

 また回避、しかもさっきより魚雷が増えてる。どうなってんだこれは、さっきのは全力じゃなかったってことか。

 いや違う、例え姫でもこの量はおかしい。

 

「ヤバい……これは」

 

 満潮の顔が蒼ざめていた。ちょっとこれはふざける場合じゃなさそうだ。

 

「どーゆことだぴょん」

「駆逐棲姫は、先行していたんだわ」

「先行?」

「そう、先に来てたのよ。そして今、後続の『本隊』と合流した!」

 

 戦場に、奇妙で不気味な音が響き渡った。

 ()()()()()()だ。重なり合って混ざり合った、寒気を感じさせる狂った声が反響する。

 

「最悪だわ、なんで夜に、こいつらが」

「戦闘トハ、ソウイウモノデショウ」

「ッいつの間に!?」

 

 背後に駆逐棲姫が現れた。移動速度も折り紙付きってわけだ。

 さっきと違い、駆逐棲姫は随伴艦を連れていた。満潮の言う通りだ。そして随伴艦は、この夜戦で最悪の敵だ。

 

「PT小鬼群っ!」

「行キナサイ、私ノ可愛イ子供達」

「え、その年で子持ちって、お前どんだけお盛んなんだぴょん、ドン引きぴょん」

「ミンナ、夜食ハ兎鍋ヨ」

 

 PTの殺意が全部わたしに向いた。

 

「しまった」

 

 異常な機動力で小鬼群が包囲してくる。そこら中出鱈目に砲撃をして牽制する。しかし小鬼群はあっさりと回避してしまった。牽制にもならない、このすばしっこさがこいつらの特徴だ。

 

「なんであんたは無駄に煽るの!?」

「いや、つい、泊地の仲間だと思うと!」

「バカなの?」

 

 なんも言い返せない。満潮は文句を言いながらも手伝ってくれてるが、小鬼群には中々当たらない。

 

 最悪だ、この機動力と小ささに、夜まで味方している。

 一番当てられるのは、小型主砲とレーダーを持ってる満潮だが、如何せん数が多過ぎる。

 

「卯月さ~ん、手伝いまーす」

「貴女ノ相手ハ、私ヨ」

「あ~、ダメみたいです、In bocca al lupo(頑張ってください)

 

 駆逐棲姫とポーラが仲良く夜へ消えた。緊張感のない喋りかたに脱力しそうになる。

 

「ボサッとするなアンタも戦いなさい!」

「うるせーぴょん!」

 

 幸いなことに攻撃は通る。わたしの貧弱な武器でもPT小鬼群の装甲は抜ける。当たりさえすれば倒せる。

 

 しかし、そんなことは小鬼たちも自覚している。

 当たれば終わり。()()()()()当たらない。背水の陣ってやつだ。回避にかける覚悟が違う。

 

 小鬼は焦っていない。時間をかけて確実に仕留めようとしている。攻撃は確実に回避、当たる確率が高い時だけ攻撃する。そんな厄介なのが15隻もいる。面倒なことこの上ない。

 

 だが時間をかけることは、危険な行為でもある。

 相手に動きのクセを見る時間を、たっぷり与えてしまうのと同じなのだから。

 

「いつまでもチョロチョロと、鬱陶しいのよザコども!」

 

 満潮の機銃が、一隻の頭部を貫いた。

 脳漿が飛び散る。子供のような見た目のせいだ。ただでさえエグい光景が悪化している。

 

「悪趣味ぴょん」

「それは同感するわ、さっさと片付けるわよ」

「へいへいぴょん」

 

 一隻が爆発すれば、爆風が起きる。その風圧でよろめいてしまうのがPT小鬼群だ。その隙を見逃さず、姿勢を崩した他二隻もいっきに撃ち抜く。

 

 流れが変わった。良くも悪くも。お互いに動き方を理解してきた。こっちの攻撃も、小鬼の攻撃も命中率が上がってきている。

 

「隙ありぴょん!」

「バカ後ろ!」

「ぴょんっ!?」

 

 撃とうとした、その瞬間を狙って魚雷が来ていた。体を捻って回避するが、こっちの主砲が変な方向に行ってしまった。

 

 代わりに満潮がカウンターを放った。見事命中、更に煽りを受けた個体も破壊。これであと9隻だ。

 

 喜んだのも束の間、満潮が怒りに満ちた目で睨んでくる。なんだコイツは喧嘩を売ってんのか。

 

「でしゃばりすぎよ、自分がトーシローって自覚を持ちなさい!」

「なんだと、このうーちゃんは泊地棲鬼のキルスコア持ちぴょん!」

「特効のおかげでしょうがそれは!」

 

 ぐうの音も出ない。

 とても悔しいが全く持ってその通り。まだまだ『改』にもなってない素人だ。やれることに限界がある。

 

 だが、なにもしない選択肢は選びたくない。

 だって相手は、あの泊地棲鬼の仲間だ。わたしが仇を打たなくて誰が打つというのか。

 

 不甲斐なさをぐっと飲み込む。

 だからって沈んだら元も子もない。今できる戦いをやろう、満潮に言われたのは特に悔しいが事実だ、堪えよう。

 

「もうお仕舞いよ、見切ったわ」

 

 満潮が機銃と主砲を構えた。打ち漏らすかもしれない、そのサポートをしよう。わたしも武器を構える。

 

 しかし聞こえてしまった。

 

 とんでもない速度で迫る、風を切る音が。

 

「引っ込め満潮!」

「は? うるさいわねザコのクセに」

「おいバカ!」

 

 信じられない。制止を聞かず、主砲を構えた! 

 そんなにわたしが嫌いか、わたしも嫌いだけどさ。そんなこと言ってる場合じゃないのに。

 

 もう遅い、手遅れだ。

 満潮の足元に、一瞬で魚雷が現れた。

 声を上げる暇もなかった。爆発が視界を覆い尽くしてしまった。

 

「満潮!?」

「私ノ子供ガ……6隻モ沈ンダ……ヨクモヤッテクレタワネ!」

 

 駆逐棲姫が再び現れた。

 加速しながら魚雷を撃って、到達速度を速めたのだ。

 暗闇のせいで満潮は確認できない。

 

「あ、ああ……そんな……」

「少シハ理解デキタ、大切ナ仲間ヲ失ウ悲シミヲ。ダケド許サナイ、貴女ハ確実二殺ス。コレハ決定事項ナノヨ」

「うあ、あぁ、あああ……」

 

 うめき声を上げてうずくまるわたしを見て、駆逐棲姫は真底嬉しそうに笑う。途方もない悲しみと絶望で動けなくなったと思っているのだ。

 

「フフ、ザマアナイワ。大丈夫ヨ、直グニ後ヲ追ワセテアゲ」

「あーっはっはっはー!」

「!?」

 

 だからこそ駆逐棲姫はフリーズした。泣いてたんじゃなく、笑いを堪えていたのだから。

 

「エ?」

「よくやったぴょん駆逐棲姫、表彰モノぴょん。あの! 悪き淫売満潮が! 遂に今宵沈んだぴょん! こんなに嬉しいことはないぴょん! ありがとうありがとう!」

「仲間ジャ、ナイノ?」

「は? あんなポンデリングは魚の餌がお似合いぴょん。いやもうホント最高、これから駆逐棲姫はうーちゃんのベストフレンドぴょん」

 

 紛れもない本心であった。

 いやぁ沈んでよかった。もうあいつに会えないと思うと心が踊る。最高の気分だ。

 

「……あれ、どしたぴょん」

 

 なんか駆逐棲姫がプルプル震えている。呆れるか唖然とするか、どっちかと思ってたがこれは予想外だ。

 

「卯月、私ハオ前ヲ侮ッテイタヨウダ」

「へ?」

「マサカ、コレホドマデニ憎イトハ思ワナカッタゾ!」

 

 声を荒げて主砲を構えた。

 怒っていた! 

 なぜだ満潮が死んだのを喜んだからか?

 深海棲艦らしくない反応だ。化け物らしくしてれば良いものを。

 

「モウ容赦シナイ、絶対ニ殺シテヤルゾ!」

「なぜぴょん、仲間が死んだのを喜んでそんなに悪いかぴょん」

「外道メ!」

「てめぇらに言われる筋合いはねーぴょん」

 

 煽られた駆逐棲姫は更に怒る。周囲のPT小鬼群も呼応する。今のあいつは釘付けだ。わたしを殺すこと以外、考えられなくなっている。

 

 理想どおりだ、とても良い流れだ。

 

 駆逐棲姫に合わせて、カウンターのように主砲を発射した。二人分の爆音が響く。

 

「ソンナ豆鉄砲無意味ダ間抜ケメ」

「バーカ! 間抜けはてめーだぴょん!」

「ナニ?」

 

 わたしの主砲はあっさり弾かれた。しかし無意味ではない。

 

 駆逐棲姫は気がついた。わたしがどこを見てるのか。

 わたしが見てたのは『後ろ』だ。あいつの背後だ、このタイミングで、あいつも動く。

 

 振り返った先には、満潮がいた。

 

「生キテ──」

「死ぬもんですかあんなんで!」

 

 満潮は生きていたのだ。

 わたしが囮になっている間に死角へ回り込む。そういう作戦だ。アドリブだったけど、上手く意図を汲んでくれた。

 満潮にしてはやるじゃないか。

 

 そう思ってました。

 

「卯月もろとも沈め!」

「ちょ、おま!?」

 

 だがあいつは、わたしも巻き込む攻撃をした! 

 駆逐棲姫もわたしも纏めて殺すつもりだ。あの目はマジだ、殺意しかない。

 

 発射された魚雷を回避する暇はない。

 瞬間、駆逐棲姫は爆発と立ち上る水柱に呑み込まれた。

 

「バカヤロー!」

 

 叫びながら、どうにか回避する。

 駆逐棲姫が盾のようになってくれた。おかげで逃げる時間ができた。

 

「なんてことするぴょん!」

「あああんたなら回避するって信じてたから無事でなにより良かったわー」

「コノヤロウ」

 

 清々しい棒読み。いっそ感心する。今すぐ殴りたい。けどまだ戦いは終わっていない。まだあいつの動く音が聞こえる。満潮のレーダーもあいつを映してる筈だ。

 

「コノテイドデハ死ナナイ、コンナモノデハ……!」

「……あんま効いてないぴょん」

「小鬼が盾になったみたいね」

 

 とはいえ小鬼はあと6隻。この調子なら……と、上手くいくなら苦労はない。

 子供を殺されたせいで、駆逐棲姫の怒りはピークになっていた。

 

「殺ス殺ス殺ス殺ス……」

「こわっ」

「道ヅレニシテデモ……!」

 

 ホント、なんであそこまで怒ってる。

 泊地棲鬼を殺したことがそんなに憎いか。ふざけてる。存在ごとふざけた連中だ、嫌悪感しかない。

 

「イクゾ」

 

 目と鼻の先に駆逐棲姫が現れた。

 

「え」

「死ネ」

 

 死が見えた。

 有言実行だ。

 特攻だ。

 本気で動いたらこんなに早かったのか! この速度でぶつかられたら、全身が砕けて死ぬ! 致命打を覚悟した、その時だった。

 

「ダメですよ~それは~」

 

 ポーラが助けてくれた。

 わたしと駆逐棲姫の間に砲撃が刺し込まれた。突っ込んだら自爆する。駆逐棲姫はブレーキをかけて回避し、すぐさま距離をとった。

 

「なにしてたぴょん!」

「ごめんなさい~様子を伺ってました。でもじゅーぶん見れたので、働きます~」

 

 ポーラが敵に向き直る。全ての主砲を動かし狙いを定めた。

 得体のしれない不気味な仕草に、駆逐棲姫は身構える。こっちも思わず唾を呑む。北上はポーラが強いと言ってたが、本当なのか。

 

「では行きますよ~それぇ~」

 

 主砲が一斉に火を吹く。

 駆逐棲姫たちを狙った攻撃は、まるでクジャクが羽を広げたように飛んでいった。

 大きな扇状に飛んでいった。

 

 具体的に言えば1()8()0()()()()に飛んでいった。

 

 うち一発はわたしの鼻先を掠めていった。わたしポーラの真横にいたんだけど。

 

 改めて言うまでもないが、駆逐棲姫たちは『真正面』にいた。

 

 そう、当たってない。

 一発も当たってない。掠りもしてない。

 全弾明後日の方向へと飛んでいった。かなりの至近距離だったのに、真っ直ぐ向かう弾は一発もなかった。

 

 超絶的なノーコンであった。

 

「……ぴょん?」

「……は?」

「……ナ?」

 

 わたしも満潮も。それどころか駆逐棲姫まで固まっていた。

 

「何カノ作戦カ?」

 

 あまりの惨劇に、駆逐棲姫があらぬ警戒心を抱いている。なんか申し訳なくなってくる。これはどういうことなのか、ポーラを睨み付けた。

 

「あら~やっぱり、此処だと調子が悪いですね」

 

 ポーラはおもむろにワインを取り出し、ラッパ飲みで呷る。

 プヒャーと叫び顔を真っ赤にした。主砲を降ろし、酔っぱらった足取りで歩きだした──前科戦線の方向に。

 

「良い気分ですのでぇー、ポーラはAndare a casa(帰ります)

「ぴょん?」

Buona fortuna un po'(ちょっと頑張ってください)!」

 

 と言い残して、ポーラは暗闇へ消え去った。

 あっと言う間にレーダーの索敵圏外まで消えた。かなり早いので後を追跡される恐れはない。でもそういう問題ではない。

 

「満潮、これは?」

「帰ったみたいね、マジで」

 

 え、帰った? 

 本当に帰ったのあいつ? 

 すんごいノーコンを披露して帰ったの? 

 

 圧倒的放心状態。酒だけ飲んで帰っていった。

 その事実を理解し、現実を直視する。オーケー理解した、もう大丈夫だ混乱していない。

 

 だけど言わせてほしい。

 

「なんじゃそりゃあぁぁぁっ!?」

 

 どうすんだコレ。絶望的な戦況を前にわたしは叫ぶしかなかった。




今気づいたけど、この卯月全然ぷっぷくぷーって言わないですね。いや言ってる状況じゃないですけど。
でもアーケードのうーちゃんはとってもあざとくて可愛いと思います。ぴょん。


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第30話 敗北

 わたしたちは絶句していた。駆逐棲姫も含めてだ。

 超絶ノーコンを披露して、ポーラは帰ってしまったからだ。本当に帰ったのか。後はつけられてないが信じられない。

 

 ただの酒クズじゃなかった。

 真正のクズ野郎だったのだ。戦略的撤退とかなら話は違うけど、だったら酒を呑んだりしない。

 

 戦場に二人取り残されて、わたしたちは立ち尽くす。どうするのだこの状況。

 

「ナンテコト、信ジラレナイ。コンナコトガアルナンテ」

 

 馬鹿にした笑みを張り付けている。

 ポーラの行為を嘲笑い、そして仲間のわたしたちを笑っている。

 

「マサカアンナノガ仲間ダッタナンテ。イッソ同情デキルワ。可哀相ナ卯月」

 

 なにが悔しいかって、一言も反論できないことだ。

 こいつの言う通りだ。

 わたしだって信じられない、まさか見捨てて逃げ出すなんて。

 

「デモオ似合イカモネ。貴女ミタイナ外道ニワ」

「なに言ってんだぴょん」

「分カラナイ? 貴女ハ、仲間ニ捨テラレテ当然ノ人間ナノヨ」

 

 言ってる意味が分からない。なんでわたしが外道なんだ。見捨てられて当然だって? そんな行為したこともない。意味不明な世迷いごとだ。

 

「アホかぴょん、このうーちゃんは清廉潔白、常に睦月型として誇り高くあるぴょん」

「ウソついてんじゃないわよ」

「ポンデリングはお口チャックぴょん」

 

 やかましいな満潮は。

 今言った言葉にウソはない。というか冤罪でこんな目にあってるので、嘘は嫌いになってる。

 

「──貴女、ヨクモソンナ事ガ言エタワネ!」

 

 しかし、いや理由は分からないが、この反論は駆逐棲姫の『逆鱗』に触れた。

 

「地獄へ落チロ!」

 

 駆逐棲姫が消えた。

 ということは、もう加速は終わっている。

 懐から攻撃が来る! 

 

 姿を見てからじゃ間に合わない。すぐさま横へ飛び退ける。横目で見るとさっきいた場所に駆逐棲姫がいた。

 セーフ、と思ってしまった。

 

「逃ガスカッ!」

 

 また、姿が消えた。

 訳の分からない超加速は連発できたのだ。いくら自爆覚悟の無茶だからって、ここまで速くなるとは。これが姫級の力か。

 まずい、いまわたしは宙に浮いている。逃げられない! 

 

「ならば、こっちも相討ちぴょん!」

 

 とっさに、残っていた魚雷を全てばらまく。魚雷の弾幕だ。触れれば爆発する。真っ正面からの突撃は阻止できた。さらに背後には爆雷、これで簡単には接近できまい。

 

 かに見えた。

 だけど、甘く見ていたのかもしれない。

 駆逐棲姫は本気の本気で、わたしを憎んでいたのだ。

 

「コノテイド!」

 

 魚雷を回避せず、突っ込んできた。

 

「嘘ぉ!?」

「言ッタハズダ、貴様ハ、殺ス!」

 

 魚雷の爆発が駆逐棲姫を直撃する。

 けど本来魚雷は刺して使う兵器だ。ただの爆風じゃ効果は薄い。それは分かってた。

 

「ソモソモ効カナイワ、コンナ威力デハ」

 

 だが、火傷さえないとは! 

 原因は知ってる、()()()だ。

 わたし自身の攻撃力が低すぎるのだ。睦月型の中でも特に弱いわたしの火力では、こいつにダメージを通せない。

 

「捕マエ……タッ!」

「うげぇっ!?」

 

 駆逐棲姫はわたしの首根っこを掴んだ。自爆用の首輪を上手く避けて掴んできた。

 途端に、骨が折れかねない衝撃が走る。喉にダメージを受けて息が上手くできなくなる。凄まじい加速の乗せた掴み技は、それだけで大きなダメージになった。

 

「コノママ、圧シ折ッテアゲルワ」

「なにやってんのよザコ卯月!」

「邪魔ハサセナイ!」

 

 近づこうとした満潮を、主砲と魚雷で牽制する。残ったPT小鬼群も一斉に攻撃を仕掛けた。満潮は全て回避しているが、わたしには近づけなくなっている。

 

 それでもチャンスだ。ここしかチャンスはない。満潮へ意識を向けた今しかない。艤装の出力を最大へ上げる。

 

 一瞬の隙を突き、卯月は『鎖』を振り上げた。

 

「このうーちゃんの罠が、これで終わると思ったかぴょん!」

 

 鎖は、()()()繋がっていた。

 わたしはそれを引き上げたのだ。魚雷の爆風を目隠しに、事前に下ろしておいたのだ。無理矢理突破された時の保険として。

 

 沈めておいた罠、それは。

 

「ッガ!?」

「錨のハンマーだっぴょん!」

 

 それは船の『錨』だった。

 事前に沈めた錨は勢いよく引き上げられ、そのまま水上へ飛び出した。

 引っ張られた『錨』は、駆逐棲姫の後頭部を直撃したのだ。

 

「貴様……!」

 

 それでも姫は死なない。この程度では少しのダメージにしかならない。それは承知している。攻撃はまだ終わっていない。

 

 錨を喰らい、駆逐棲姫は隙を晒した。

 この至近距離、動きの止まった相手なら外しはしない。

 首を掴まれ、酸欠にあえぎながらも主砲を構える。

 

 狙いは、こいつの『眼球』ただ一つ。

 

「くたばれぴょん!」

 

 砲弾が向かっていく。眼球に吸い込まれるように。ダメージの残る駆逐棲姫には回避できない。

 

 回転する砲弾が眼球を抉り取り、頭蓋骨に突き刺さる。

 爆発の放ったエネルギーは、駆逐棲姫の頭の中を焼き尽くす。逃げ場のない衝撃は、致命的なダメージを与えた。

 

 爆発の炎と煙が視界を塞ぐ。沈んだか確認できない。

 

「やったか!?」

 

 いや、やったに決まってる。

 姫がどれだけ固くても、柔らかい場所は絶対に存在する。

 例え化け物でも、人の体をしてる以上は、必ず弱点がある。

 

 だから眼球へ砲撃を当てたのだ。目だけじゃない、脳味噌にもダメージがある。もうまともには戦えまい。

 

「ゲホッゴホッ、ちきしょう、ゴリラみてえな力で、握りやがったぴょん!」

 

 とても首が痛い。後少しでヒビが入って、折られていた。改めて姫級の凄まじいパワーを思いしった。

 

 しかし、あの高速移動はヤバかった。

 わたし自身の練度不足もあるが、ほとんど見えなかった。自爆上等なら、あそこまで加速できるとは。

 

 まー死んだからどうでもいい。無念に満ちた顔を拝んでやろう。そろそろ煙も晴れてきたし。

 

 その油断が命取りと知らずに。

 

 ()()()()()()()()()()

 

「え」

 

 再び首根っこを捕まれる。

 渾身の力だ、さっきの予想通りになった。

 ピシリと、亀裂が走る。まずい本当にまずい、だいたい──なんで生きてるこいつ! 

 

「痛イジャナイ……デモ、コレジャア死ナナイ」

「う、うそぉ……」

 

 片眼は爆散していた。

 片眼を中心に顔半分も消し飛び、頭蓋骨が一部剥き出しだ。

 それでもこいつは生きてる。信じられない。無茶苦茶過ぎる。

 

「貴女ノ主砲ジャ、私ノ装甲ハ抜ケナイノ」

「装甲……どこが……?」

「全部ヨ、姫級ハ、『骨』モ鋼鉄デデキテイル。ダカラ効カナイワ」

 

 絶句するしかない。

 なんだそりゃ、骨まで装甲になってるって? 酷い、こんな理不尽が許されるのか。

 

「トイウカ、コレハ座学デ習ウヨウナコトヨ。コノ戦争ノ常識ヨ」

 

 ……そう言えば神鎮守府で習った気がする。しまった、忘れてたぜ。

 

「ドウセサボッテトカ寝テタトカ、ソンナトコロネ」

「やかましいぴょん、この化け物」

「化ケ物? ソレハ、貴女デショウ!」

 

 また逆鱗に触れたらしい。首を締める力が強まる。骨の亀裂がどんどん大きくなっている。

 それでも、今のには言い返したい。

 

「このうーちゃんの、どこが、化け物だぴょん。お前になにが分かるぴょん!」

()()()()()私ニハ。人ヲ人トモ思ワナイ化ケ物、ソレガ貴女!」

「んなこと何時やったぴょん!?」

「知ラナイワ、デモ確信シテイル。本能デ理解デキル、オ前ハ私達以上ノ下衆野郎ダ!」

 

 本当に分からない。意味不明だ。

 本能で確信? 言ってることが滅茶苦茶じゃないか。正気とは思えない。いや深海棲艦にまともさを求めること事態、間違いだろうけど。

 

「無駄話モコレデ終イ、地獄ヘ堕チテイケ」

 

 止めを刺そうと、一層力が強まった。

 息が完全に止まる。酸欠で視界が暗くなり体の感覚が消えた。満潮は間に合わない。なんてこった、こんなところで死ぬなんて。

 

 がむしゃらに暴れてみるも、駆逐棲姫はびくともしない。駄目だ、わたしの力じゃ何も通じない。主砲も魚雷も効かないなんて。

 

 骨の亀裂が大きくなった。ベキベキと砕ける音が聞こえる。もうダメだ。どうにもならない。わたしは死を覚悟した。

 悔しいけど、無念ばっかりだけど、これがわたしの限界だったのだ。

 

 死ぬ寸前、最後に聞こえたのは、誰かの撃った砲撃音だった。

 

 

 

「ギャッ!」

 

 

 

 悲鳴が聞こえた。

 誰のだ、これは駆逐棲姫の声だ。

 なんで悲鳴を上げている? 

 

 酸欠で消えてた視界が戻ってくる。駆逐棲姫は手を放していた。わたしは海面に倒れ込んでいる。なんで手を放したんだろうか。

 

 理由はすぐに分かった。

 駆逐棲姫の両目が、潰れていたのだ。

 

「誰ダ、クソ、見エナイ!」

 

 片目はわたしが潰した。ならもう片目を潰したのは誰だ。さっき聞こえた砲撃音なのか。

 

 困惑している間に、また砲撃音が鳴る。

 今度は連続で、三発発射された。視界を潰された駆逐棲姫も、音で砲撃を警戒している。

 

 しかしそれでも、警戒してても、弾は当たった。

 

 駆逐棲姫の左足に一発当たる。よろめいた先で二発目が、転倒した先で三発目が当たる。

 

 全てが直撃弾だ。姿勢が崩れるのを見越して、狙いを定めていたのだ。

 

「馬鹿ナッ、何ダ、コノ命中率ハ!?」

 

 狙撃主の姿は見えない。

 暗闇の中でこの命中率。どういうスキルを持っていれば、こんなことができるんだ。

 

 更に六発、砲撃音が響く。

 今度のターゲットは駆逐棲姫ではない。満潮を包囲するPT小鬼群だった。

 

「ピギィッ!?」

 

 爆発が起きる。

 瞬殺だ、牽制さえない。

 暗闇の中、動き回る小鬼群を、六隻全てを一撃で撃ち抜いた。

 

「シ、沈ンダノカ? 全員?」

 

 駆逐棲姫が震えた声で呟く。

 両目が潰されたせいで、小鬼が死んだか確認できない。悲鳴だけが聞こえて混乱しているのだ。

 

 そこでわたしは理解した。

 いまの狙撃は『フェイント』だ。PT小鬼が死んだことで、奴は隙だらけだ。

 

 ズドン、最後の一撃が放たれる。

 

 最後のターゲットは、駆逐棲姫の主砲だった。

 

 稼働部位の隙間を抉り、主砲が中の砲弾ごと爆発する。

 ついでに魚雷にも誘爆。連鎖爆発で駆逐棲姫は派手に吹っ飛ばされていった。

 

「殺ス、殺ス! ヨクモ子供達ヲ、卯月ダケジャスマサナイ、全員沈メテヤル!」

「し、しつけぇぴょん!」

 

 信じられない、まだ生きてる。

 木の葉のように宙を舞いながら呪詛を吐いている。タフ過ぎる。そんなにわたしが憎いのか。いっそ感心できる。

 

 だが、それ以上呪詛は続かなかった。

 

 駆逐棲姫が海面に着地した瞬間、謎の大爆発が起こったのだ。

 

「ナッ!?」

 

 ぶっ飛んだ先でまた爆発が起きる。主砲や魚雷を上回る大火力に、からだがどんどん千切れ飛ぶ。

 

「そうか、あの位置は」

「なんだぴょんさっさと言え」

「うるさい、あそこは『機雷源』よ!」

 

 そうか、あれは機雷か。

 前科戦線の防衛兼逃亡阻止のための機雷源だ。駆逐棲姫はそこへ突っ込んだ──否、突っ込まされたのだ。

 

 最初からあそこへ追い込むために、攻撃をしていたのだ。

 

 ゾーッと鳥肌がたつ。

 じゃあわたしもすぐそばにいたってことか。気づかない内にそんなところまで。下手したら巻き添えだった、運が良い。

 

「沈マナイ、マダ、殺スマデワ……!」

「ってまだ生きてる!」

「だぁぁもう、いい加減沈めっぴょん!」

 

 ここまでボロボロなら、わたしの攻撃も通る筈だ。

 満潮とともに、頭部へ狙いを定める。首の激痛を気合いでこらえ、トリガーを引き絞った。

 

「終ワラナイ、マダ、私ハッ!!」

 

 そして、頭部が弾けた。

 

 

 

 

 頭を丸ごと失い、残った身体が倒れる。

 また機雷に接触し、爆発に呑み込まれる。闇夜が明るく見える程の炎、バラバラになる駆逐棲姫が確認できた。

 

「勝った、わね……」

 

 周辺を警戒しながも、満潮が膝をつく。

 無理もない。ダブル足手まといを連れての戦闘だ、とても疲れたに違いない。

 

「根性なしぴょん」

「あ゛あ゛!?」

 

 でも嫌いだから労ったりしないもんね! 

 

 と緊張が抜けた瞬間、とんでもない激痛が全身を貫いた。

 

「!!!?!?」

 

 言葉にならない。背骨を裂けるチーズのように千切られる痛みだ。

 首の骨がもう限界だった。粉砕骨折一歩手前の極限状態。痛すぎて涙が出て来る。やばいよこれ死んじゃうよ。

 

「あ~、卯月さんに満潮さーん、大丈夫ですか~」

「大丈夫なわけないでしょこのド阿呆沈んでしまえ」

「酷いです」

 

 今更になってポーラが帰ってきた。ホントだよこのドアホ。今までなにやってたんだ。

 と文句を言いたいが、口を動かすこともできない。マジで痛すぎる。激痛でショック死しかねない。

 

「ま、まーまー、卯月さんがかなーり危険ですし、帰投しましょー」

「卯月はアンタが背負いなさいよ」

「かしこまりました~」

 

 ということで、ポーラにヨイショと背負われた。

 とんでもなく酒臭い。ワイン一気飲みが後を引いている。

 こいつホント何の役にも立たなかった。なんで前科戦線にいるんだよ。真面目に疑問だ。

 

「……アレ?」

 

 一つ気づいてしまった。

 さっきの狙撃手は、駆逐棲姫を機雷源へ誘導して倒した。

 

 でも機雷源の位置は誰も知らない。わたしも満潮も知らない。分かったら脱走防止にならない。

 機雷源を知ってるのは一人しかいない。

 じゃあ、まさか。

 

「さ、さっきの……狙撃って……」

Giusto(そうですよ)、ポーラが撃ちました~」

 

 開いた口が塞がらない。

 え、じゃあなに。重巡級の主砲かつレーダー無しで見張り員なしで夜のPT小鬼群六隻を瞬殺したのこいつ? 

 

「ポーラはCecchino(狙撃)が得意でしてぇ、それで、高宮中佐に拾われたんですよ~」

「嘘言わないでよ、酒飲んでたじゃない。あのノーコンはなんだったのよ」

 

 隣で聞いてた満潮も突っ込んだ。その通りだ無茶苦茶だ。まさか酔ってる方が調子が良いなんてこと言うんじゃねえぞ。

 

「適度に酔ってた方がCondizione(調子)が良いんですよ~、あと距離が遠い方が良く当たるタチなんです」

「……なによそれ、ふざけすぎでしょ」

「い、インチキだぴょん」

「えへー、良く言われます~」

 

 朝呑んでなかったのは、酔い方を調整してたってことか。

 そして、命中率と距離が()()()してるってことだ。なるほど納得いった。

 

 んな訳あるかい。

 

 自分で自分に突っ込む。しかし実際そうなってるのだから認めるしかない。

 

 ただ、ポーラが狙撃手だった以上、一つの事実が浮き彫りになった。

 今回一番役に立ってなかったのは誰か。

 

 わたしだ。このうーちゃんが一番足を引っ張っていたのだ。

 

「……ちくしょう」

 

 駆逐棲姫は倒した。

 けどわたしは負けた。なんの貢献もできなかった。装甲も抜けなかったし行動の妨害もできなかった。何一つ活躍できず、むしろ足手纏いになっている。

 

 仇討ちの続きを成し遂げたにもかかわらず、胸の奥には敗北感が渦巻いている。

 完全敗北。

 わたしの二戦目の結果は、凄惨たるものだった。




艦隊新聞小話
今日は姫級の基礎スペックについて纏めてみました!

・筋肉はしなやかかつ強靭、力を入れれば機銃ぐらい弾けちゃいます。
・骨格は頑強な合金と同じ硬度、貫通は超困難です。
・起動力も高い。自爆を覚悟すれば目視困難な速度で動けますよ。
・火力と雷装、動体視力は言わずもが。
・途方もない再生能力持ち。体内を高速修復材が循環してるから。艦娘の攻撃は有効――ってか、艦娘が運用されてる理由はこれしかありません。通常兵器の傷じゃ秒で再生しちゃうとか。
・海そのものを汚染する能力持ちです。一度死んでも海のエネルギーを糧に復活できます。
・陸を汚染したさあ大変、核汚染が自然に治るよりも尚長い時間、土地を蝕み続けます。

以上です、ちょっと設定盛り過ぎじゃないですかね!


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第31話 寝坊

 夜間哨戒中に駆逐棲姫の襲撃を受けたわたしたち。

 ポーラの凄まじい狙撃力でなんとか勝利をもぎ取ることはできた。しかし、私自身は足を引っ張ってばかりだった。

 

 ポーラに担がれながら、どうにかこうにか前科戦線に帰還する。

 顔を上げようにも、首が痛すぎて動かない。いや動かしてはならない。あとちょっと動かしたら折れてしまう。

 

「お帰りなさい、まずはお疲れさまでした」

 

 見えないけど不知火の声が聞こえた。

 戦闘があったことは知っているだろうに、相も変わらず冷徹な声だ。ここまで冷静だといっそ安心できる。

 

「まずは卯月さんを急いで入渠させます。ポーラさんドッグまで運搬をお願いします」

「了解です~」

「高宮中佐への報告は一旦満潮さんが行ってください。細かいところは後からポーラさんにしていただきます」

「ちょっと、待ってよ」

 

 苛立った様子を隠すことなく、満潮が不知火を睨み付けているようだ。不知火はなにも言わず、足も止めない。

 

「わたしたちとんでもなく危なかったんだけど、なにか言うことないの?」

「なにもありません、仕事をしてください」

「ッあんたね、こっちをなんだと思ってんのよ!」

「ですから、()()()

 

 満潮が切れそうになっている。気持ちは分かる。あんな目に遭わせておいて労いの言葉一つないとは。

 と、言いたいけど、それどころじゃない。

 

「あの、にゅ、入渠させてぴょん」

「あ、ごめんなさい~、今行きますね~」

「満潮さん、報告を、お願いします」

 

 チッと思いっ切り舌打ちしていた。

 不知火とポーラに運ばれ、わたしは入渠ドッグへ叩き込まれる。

 入渠時間はそれでも一時間ぐらい。短いなぁ……と思った瞬間、体が一気に重くなった。

 

 治療は関係ない。

 疲労だ。途方もないぐらいの疲労がたまっていたのだ。ドッグに入り、お湯に浸かったことで、緊張が抜けた。疲労が一気に噴き出したのだ。

 

「あ゛~ダメだっぴょん……」

 

 もういいや、我慢する必要もない。寝よう。

 決めたら早い、瞼を閉じる。意識が一気にまどろみへ落ちていく。弛緩する体に身を委ね、わたしは小一時間の眠りについた。

 

 

 

 

 ピーっと音が鳴り、目が覚める。

 入渠の終わった音だ。ドッグの扉は空いている。体を起こし首をコキコキ鳴らす。痛みは取れた、完全回復だ。

 

 ドッグから出る。傍に人がいた。

 

「し、不知火?」

 

 確かに不知火だ。ドッグ近くの椅子に座っていた。なんでこんなところにいるんだ。

 けど不知火は動かない。なんか変だ。良く見ると不知火は寝てしまっていた。

 

「寝てる、しめた、職務怠慢で高宮中佐にチクってやるぴょん!」

「寝てませんよ」

「ぴょんっ!?」

 

 不知火が喋った。

 ヤバイ聞かれてた今度はどんな罰則が言い渡される。恐怖に震えながらその場に座り込む。

 

「寝て、ま、しぇん……」

「って寝言かぴょん!」

 

 なんだよ寝言かよ無駄に器用な真似しやがって。

 しかし、なんで不知火はここにいたんだ。服に着替えながら疑問について考える。

 

 起こして聞くか。シンプルな解決方法を思いついた。

 

「おーい、起きろっぴょん」

「ん……え、ハッ!」

「おはようぴょん」

 

 寝ぼけた瞳が、わたしを見た瞬間見開く。自分が寝てたことに対してとても驚いている。

 

「不知火は、寝てましたか」

「寝てたっぴょん」

「そうですか……さすがに、徹夜は響きますね」

「徹夜? なんのために?」

「いえ、貴女たちが心配で……」

 

 え、今何て言ったこいつ。

 わたしたちが心配で、眠れなかったって言ったのか? 

 不知火はまだ寝ぼけていた。ぼんやりとしていたから口が滑ってしまった。

 言ったことを理解した途端、顔を赤面させながら慌てだした。

 

「へぇー、そっかー、うーちゃんたちが心配で、不知火は夜更かしをしちゃったのあぴょん」

「い、言わないで、くださいよ、誰にも!」

「ヘーイぴょん」

 

 これ以上からかうのは止しておこう。ちゃんとこっちを心配してくれる人を笑うのは良くない(満潮を除く)。

 着替えを再開させると、背中を向けた不知火がポツポツ話し出した。

 

「ごめんなさい、まさか、敵艦隊の本体があそこまで接近しているのは想定外でした」

「別に気にしてないぴょん、予想外なんて戦場じゃ日常茶飯事だぴょん」

「『罰則』だとしても、これは行き過ぎていました。立場上、表立って不知火の非を認めることはできません」

 

 まあ、悪いのは確かにわたしたちだ。

 罰則になるようなことをしなければ、駆逐棲姫と遭遇することも避けれた。遭遇したとしても、もっと準備をしてから戦うことができた。

 

 だから不知火が謝罪する必要性はない。元凶はわたしたちだ。これで沈んでもわたしたちの自業自得でしかない。それでも不知火は、判断ミスを気にしているのだろう。

 

「ですが、それでも不知火の過失はあります。必要以上の危険に晒してしまい申し訳ありませんでした」

「ふっふーん、まあ、そこまで言うなら、許してやらんこともないっぴょん」

「あまり調子に乗らないでくださいそもそも遅刻した卯月さんが原因なのですから」

 

 ぐうの音もでなかった。

 この機会にギャフンと言わせたかったのに。

 しょうがない。不知火の謝罪を見れただけでも良しとするか。

 

「首の調子はどうですか?」

「んー、まあまあぴょん」

「それなら良かったです。入渠とて万能ではありませんから」

「そうなのかぴょん?」

「所詮、自然治癒力を高めているに過ぎないので。治癒で無理な怪我や疲労困憊の時は、入渠も無力です」

 

 北上を思い出す。入渠が万能なら両足を失うはずがない。入渠があるから大丈夫、と思うのは危険な考え方なのだ。

 

「卯月さん、今から3時間休憩とします。その後執務室に来てください」

「……え、執務室?」

「あらかたポーラさんから聞いていますが、卯月さんからも事情を聞きたいと、高宮所長……ゲホン、中佐から」

「おい今『所長』って言ったぴょん」

「不知火になにか落ち度でも」

 

 落ち度しかないよ。上司を所長呼びって。

 いやまあ確かに、『所長』って言い方が似合う場所だけど。実質監獄みたいなノリだけど。でも秘書艦が言うなよ。

 

 そうだあとで中佐に陰口しておこう。絶対に面白い。

 その為に、この話をこころへ仕舞いこんだ。

 それとは別に、執務室に呼ばれるとは。

 

「うーちゃんまで呼ぶなんて、そこまでするのかぴょん」

「はい、理由は二つ。ポーラさんが当てにならない点」

「おい」

 

 言いたいことは分かるけど。あそこまで酔っぱらってて記憶は定かなのか分かったもんじゃない。

 

「もう一つは、それほどまでの緊急事態、ということです」

「駆逐棲姫が、近海に現れたことが?」

「怪我の功名と言うべきでしょう、早期に発見できなければ、中々面倒なことになってました」

 

 今の時点では首を捻るばかりだ。

 まあいいや。細かいところは所長違った中佐が話してくれるだろう。

 ぶっちゃけまだ眠い。せっかくくれた休憩時間だ、たっぷりと休ませて貰おう。

 

 

 

 

 またやっちまったよコンチキショウ! 

 

「ギャァァァァ寝坊したッ!」

 

 フルダッシュで執務室へ走り出す。前よかマシだけど遅刻は遅刻だ。二度目はヤバイ。懲罰どうこうじゃない。周りからの目線が痛い! 

 

「申し訳ございません駆逐艦卯月ただいま参りましたっ!」

「部屋のノックがない」

「申し訳ございませんっ!」

 

 ああもうヤダッ! 

 予想通りというか、高宮所長の目線がとっても冷たかった。背筋が凍りそうだ、不知火そっくり、それ以上に鋭い眼光に鳥肌が立つ。

 

「もういい、今はそれどころではない。そこに座れ」

「了解しましたぴょん所長」

「……所長?」

 

 あ、ヤベッ。

 

「まままま待って待って待って高宮中佐これはそのとても深い訳がありましてのだぴょん」

「決めた、不知火、お前後で卯月の面倒みてやれ」

「ぴょんっ!?」

 

 面倒って何。単語だけで恐怖を感じる。

 

「了解しました」

「面倒ってなにぴょん!? なんの!?」

「卯月、そこへ座れ、二度も言わせるな」

 

 死ぬかもしれない。率直にそう思った。

 なんてこった早々に二度目のお仕置きを受ける羽目になるなんて。

 気分がアゲアゲならぬサゲサゲじゃないか。しょぼくれた顔でわたしは席に座り、出された緑茶をチビチビ啜った。

 

「ポーラから、概ねのことは聞いている。だがポーラはあのザマだ。戦闘能力は前科戦線最強格だが、他は微塵も役に立たん」

「あ、ポーラってマジで強かったのかぴょん」

「歴代着任艦娘の中でも間違いなく最強だ、奴に並ぶのは球磨しかいない」

 

 あいつそんなに強かったのか、あの酔いどれが! 

 にわかには信じがたい、あのゲロ野郎が! 

 あれだけ強いから、呑んだくれでも許されてるのだ、あのアル重裸族は! 

 

「……なにか、失礼なこと考えてませんか?」

「考えて問題なのかぴょん」

「失礼しました」

 

 不知火はすんなり引き下がった。わたしの考えは正当だった。

 いや、それでいいのか不知火。

 こんな評価をされているポーラっていったい。わたしが言うのもなんだけど。

 

「呑んだくれはどうでもいい、卯月、お前の罰則の話だ」

「ぴょえん」

「内容は今回ほど危険ではない、今回だけは、我々にも落ち度があるからな」

「あのぅ、そろそろ内容を……」

「不知火から聞け」

 

 だろうと思いました。

 不知火直々のお仕置きって、なにが待ち構えているのか。

 恐ろしくて夜も眠れない。

 

 きっと夜の11時から朝の7時までたった8時間しか熟睡できまい。なんてことだ。

 なんてけっこう呑気してたことを、わたしは後で心底後悔する。

 

「改めて聞くぞ、今回現れた駆逐棲姫は、お前を狙って現れた。そう言ったのは確かか」

 

 確認って、それか? 

 変なことを聞くな。答えるのは簡単だけど。なんでそんなこと聞くのやら。

 

「そうだぴょん、泊地棲鬼の仇だのぬかしてたぴょん」

「口先だけではないんだな」

「同じぴょん、全力でうーちゃんを何度も殺しにきてたぴょん。人のことを外道だのクソ野郎だの、失礼な奴だっぴょん」

「ああ、それはどうでもいい」

「ひでぇぴょん」

 

 しかし、なんであんなに、人のことを憎んでたのか。

 わたしのことが直感だの本能で分かる、なんつう世迷いごとを言う奴が、まともな奴な訳ないが。

 

「そうか……なんにせよ、事態は至急を要する」

「その様ですね、面倒なことになりました」

「いや、考えようによっては僥倖かもしれん。無駄骨かもしれないが」

「あのー、勝手にお話進めないでぴょん」

 

 ついていけない。なんの話をしてるんだ、ハブられてるみたいでとても傷つくんだぞ。

 高宮中佐は椅子をこっちに向けてきた。

 やっぱり顔が怖いと思った。

 

「駆逐棲姫がお前を狙ったことは、さしてどうでもいい。問題なのは近海に現れたこと、それ自体だ」

「そりゃ分かってるぴょん、敵にあんなに接近されたらシャレにならないぴょん」

 

 普通の鎮守府で言えば、絶対防衛線の一歩手前だ。ここを突破されたら民間人に被害が出てしまう。それほどの状況だ。

 前科戦線は町から、かなり離れた場所にあるから良いけど、常識に合わせると中々に()()()状態だ。

 

「いや、それも比較的どうでもいい」

「またかよ!」

「そもそもだ、駆逐棲姫だけではない。深海棲艦は基本、鎮守府近海に()()()()()()

「来れない? 現れないじゃなくて?」

 

 高宮中佐はゆっくり頷く。

 

「深海棲艦のテリトリーに入るには、羅針盤や縁を駆使しなければ突入さえままならない。

 それと同じ『術式』が、鎮守府には組み込まれている」

「……え、深海どもの技術を、使ってるってことかぴょん」

「連中は未だ未知の存在だが、解明は進んでいる。羅針盤、特効、高速修復材──それらを活用する技術も。姫級のテリトリーに容易に到達できないように、連中も我々の領海には、容易く侵入できないのだ」

 

 マジか。人間やべぇな。素直な感想はそれだった。

 

「うーちゃん初耳ぴょん」

「当然だ、この結界も絶対ではない。突破されることもある。入れないから大丈夫などという慢心は許されない」

「あーはい、いつもの情報制限ですねぴょん」

 

 突破されたらお終い、という緊張感を持たせるために、この情報は伝えていないのだ。いつもと同じ必要の原則ってやつだ。

 

「でも駆逐棲姫は近海まで現れたぴょん」

「そうだ、それが問題なのだ」

「前科戦線の位置まで把握しているわけではないようでした。それでも駆逐棲姫は、機雷の敷かれた防衛線ギリギリまで接近しました」

「さっき言ってた、『稀』なことが起きたってことかぴょん?」

 

 高宮中佐と不知火が、揃って頷いた。

 

「結界が突破されるケースはいくつかある。単純に艦娘が減り過ぎたり、弱り過ぎて基地の力が弱まっている場合。発信機や追跡等によって基地の存在を『認識』した時……もっとも忌むべきケースとしては、内部からの裏切りもある」

「あ、あったのかぴょん、そんなこと」

「昔の話だ、今はない。深海棲艦と手を組んだとて最後には全員殺されると全員知っている。奴等への裏切りは一時の得にもならん」

 

 それでもいたのか。あんまり知りたくない事実を知って、気持ちがちょっと暗くなる……と思ったけど、深海棲艦のエクストリームっぷりを思い出して納得しちゃった。あんな超生物軍団を前に絶望しない方が難しかった。

 

 ホントぱねぇな人類、改めてそう感じる。

 

「だが、我々前科戦線には当然何れも該当しない」

「じゃー、なんで駆逐棲姫は接近できたっぴょん。まさか『勘』とか?」

「……情けない話ですが、現状可能性が高いのは、まさにそれです」

 

 駆逐棲姫が本能とか、直感とか言ってたのを思い出す。

 あれはあながち間違いじゃなかったのかもしれない。あいつは野生の本能じゃなく、怨念の本能でわたしを──わたしの居る前科戦線を突き止めた、のかもしれない。

 

「お前を呼んだのは、この危機を認識して貰いたかったのもある。近々駆逐棲姫に対処することになるだろう。前科戦線は第一艦隊所属の重要部隊だ、基地に攻め入られることなど、あってはならない」

「え、でもあいつポーラが沈めたぴょん」

「一度沈めたぐらいでは死なん。今頃は奴の領海で復活し、またこちらを目指しているところだろう」

 

 つまり、また戦うことになる。

 今度こそキッチリ殺して仇討ち完遂といこう。そう意気込む自分の手は、プルプルと震えていた。

 気合か緊張か、もしくは恐怖か。

 どちらかと言えば。

 それは言うまでもない。

 

「あ、そうだ。さっき不知火も『所長』って言ってたぴょん」

「卯月さん!?」

「……そうか、不知火、残れ」

「では失礼いたしますぴょん」

 

 これは譲れなかった。やったぜ。

 

 

 

 

 部屋へ帰る途中で、話を思い出す。

 深海棲艦は基本、鎮守府へ侵入できないと中佐は言った。

 

 じゃあ、わたしの神鎮守府(古巣)にはどうやって攻め込んだんだ。

 

 後をつけたのか、発信機でもつけられたのか。

 

 穴あきチーズのような記憶では、思い出せる筈もない。無理に考えると怒りで頭がおかしくなってくる。

 

 考えるだけ無駄だ、過ぎたことはどうにもならない。浮かんだ疑問を脳裏へ追いやり、ベッドへと潜りこんだ。




艦隊新聞小話
よく深海棲艦が束になって攻め込まないのはなんでだって話、良く聞きますけど、こんな理由があるんですねー。
とはいっても、中佐さんも全部は言ってないですけど。
これも機密事項、あくまで一例ってことですね。決して妖精さんの技術だから良く分かってない、なんてことはありませんよ!

あ、それと不知火秘書艦が、高宮中佐の前で『所長』呼ばわりしたのは、これで13回目らしいです。うっかりさんですね!


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第32話 悔恨

 執務室を出た頃にはもう朝ごはんの時間だった。

 ご飯を逃してはならない。すぐさま食堂へ向かう。近づくといい香りが漂ってきた。

 

 食堂のテーブルには、だいたいのメンバーが集まっていた。那珂や熊野とか。逆にポーラと満潮はいない。昨日の哨戒メンバーは来ていないのだ。

 

 どこへ座ろう。考えてると那珂が手招きしてた。誘いに乗り、彼女の向かい側に座る。

 

「哨戒任務お疲れ!」

「マジで疲れたぴょん、着任から一週間ちょっとで味わう量じゃないぴょん」

「そういえばそうだったね」

 

 泊地棲鬼を撃破したのが数日前だ。すぐに駆逐棲姫と交戦。

 こちとら基礎訓練しかできてないのに、姫級二隻と戦う羽目になった。

 とんだ地獄だ。

 

「まあ、生きてたんなら全部チャラだよチャラ!」

「戦わなかったからって、適当なこと言いやがるぴょん」

「だって夜寝なきゃお肌荒れるし」

「軍人の発言じゃねえぴょん」

「軍人じゃないよ、軍人だとしても軍人という名のアイドルだよ!」

 

 戦場のアイドルってか。

 前も言っていたな。他の那珂とは違うアイドルになりたいと。

 言ってることはまともなんだけどな。

 

「そんなことより、どうだった駆逐棲姫は?」

「どうだった……って?」

「那珂ちゃんの歌を聞かせるに相応しい相手だったか」

 

 やっぱりまともじゃないよこいつ。言ってることが意味不明だ。

 

「強かったか、そう聞いてるんでしょ?」

 

 お茶を持ってきてくれた飛鷹さんが翻訳してくれた。が、翻訳しても理解できない。

 

「つまりね、すぐ沈んだら那珂の歌はフルで聴けないでしょ? 聴き終わるまで沈まない強い相手の方が良い。相応しいって言うのはそういう意味よ」

「そうそう、そうとも言うね!」

「そうとしか言わねえぴょん! なんで分かるんだぴょん!」

「一応そこそこの付き合いだから……」

 

 飛鷹さんの目は遥か彼方。那珂の言語が分かるようになるまで、長い苦労があったのだ。

 

「で、実際強かった?」

「フッ、雑魚に決まってるぴょん。このうーちゃんを視界に入れた瞬間、恐怖に頭を垂れたぴょん」

「そうなの?」

 

 そうなのだ! 

 あの時の駆逐棲姫の顔といったらケッサクだった。

 嗜虐心がゾクゾク刺激される良い顔だった。

 ちょっと脚色されてるが、おおむねそうだった気がする。

 

「中佐からはボコボコにされたって聴いたけど」

「知ってんじゃねえかぴょん! いや、その話したのは誰ぴょん、満潮か!?」

「ポーラよ」

「あんのアル重め!」

 

 いらんこと言いやがって。これだからアル中は。もっと気を使ってほしいものだ。具体的にはわたしの評価を良く報告して満潮は下げるとか。

 

「恥かいたぴょん」

「こらっ嘘はダメだよ、アイドルに嘘は厳禁!」

「いつからうーちゃんはアイドルに……?」

「駆逐棲姫にサイン渡そうとしたって聞いたけど」

「全部報告してんじゃねえかぴょん」

 

 疲れた。息が切れてきた。

 当然だ、入渠して仮眠したからといって、疲労は残ってる。体力以上に精神的に。

 その最大の原因は、自覚している。

 

「それでー、ボコボコにされて、どーだった?」

「……これ言わなきゃダメぴょん?」

「言わなくても良いよ?」

 

 なら言わなくていいや。

 こんなこと言っても何にもならない。

 なによりも情けないし、恥ずかしい。こんなことわざわざ話したいと思わない。

 

「……くやしいぴょん」

 

 しかし、口が勝手に動いてしまった。

 

 慌てて口に手をやる。なんてこった、そんなに溜まってたなんて自覚してなかった。

 

「やっぱり、ま、そうよね」

「ほらほらー、ポロッと言っちゃったんだから、全部話しちゃいなよー」

「え、そう言われると何だか……」

「天の邪鬼じゃないんだから」

 

 これはダメなパターンだ。那珂の前に座った時点で詰んでいた。話さないと解放されないだろう。

 ハァと息を吐き、腹をくくる。

 

「なーんもできなかったぴょん。砲撃も魚雷もな──んにも効かなかったぴょん。足を引っ張ってばかりだし、ポーラの助けがなかったら首を折られてたし、もう散々だったぴょん」

 

 それに尽きる。

 とにかく情けないと思う。

 自分が、かなり弱い艦という自覚があっても、なお無力感が苛んでくる。

 

「しかも相手が駆逐棲姫ってのが最悪だぴょん。泊地の仲間にやられるなんて屈辱の極みだぴょん」

「あー、そういやそうらしいね。泊地棲鬼の部下だったとか」

 

 敵討ちの仲間なら、そいつも怨敵だ。確実に抹殺しなくてはならない相手だ。

 が、このザマだ。

 敵討ちどころではない。その前に死んでしまう。力不足過ぎる。

 

「強くなりたいぴょん……」

「そうだよね、悔しいよね……」

「できる限り楽して」

 

 話を聞いてた那珂が、顔面をテーブルにぶつけた。後ろの飛鷹さんは滑って転びかけた。

 

「なんだぴょん、そんな変なこと言ったかぴょん」

「台無しよ、色々と」

「効率主義と言って欲しいぴょん」

 

 楽をしたい……その本音を隠す建前はいくらでもある。言葉とは便利なものだ。

 

「確かに、強くなるなら、急がないといけないけど」

「駆逐棲姫、いつ来るか分からないんだよね。楽しみだなー……じゃなかった、大変だね」

 

 本音を漏らした那珂はどうでもいいが、急ぐ必要はある。

 さすがに今日はないだろうが、駆逐棲姫の襲撃が次何時来るか分かったもんじゃない。備えは必要だ。

 

 決して楽したいとか辛い訓練なんてやってらんないとか、そんなんではないから誤解しないで欲しい。

 

「訓練はするんでしょ?」

「いや……不知火に呼ばれてるぴょん」

「ああ、高宮中佐の前で所長呼びしたって話ね」

 

 とんでもないうっかりで地獄になった。いったいなにをやらされるのか皆目検討もつかない。

 

「変なのー、ここの皆、ちょこちょこ所長って呼んでるのに」

「それは影でコソコソ言ってるんだぴょん」

「ううん、目の前で。罰則とか聞いたことないよ。注意はされるけど」

 

 は? どうなってる? 

 皆目の前で言ってるのになにもなし。わたしだけ罰則あり。

 意味が分からない。

 

 これは差別か、それともいじめか? 

 許せぬ、怒りの炎がどんどん燃え上がっていく。不知火め覚悟するがいい。

 

「口実なんじゃないかしら」

 

 飛鷹さんが、少し考えて呟いた。

 

「口実? うーちゃんを虐待するための?」

「ええ、ウサギの踊り食いでもするのかもね」

「ぴょん!?」

「冗談よ。なんなのかは分からないわ、想像でしかないし」

 

 そりゃそうだ。飛鷹さんだって全部は知らない。

 または知っていて言わない可能性もある。飛鷹さんはいわば看守だ。必要以上の関わりは『馴れ合い』になる。

 

 結局、行かなければ分からないのだ。

 若干涙の味がするコーンスープを飲み干して、わたしは不知火という名の死地へ向かった。

 

 

 

 

 執務室前で待っていた不知火は、出会うなり襲いかかってきた。

 

「ナンデッ!?」

 

 返事はなかった。

 いくらなんでも予想できない。

 瞬く間に目隠しとずだ袋を被せられて、拘束されてしまった。なにも見えない。

 

 続けて猿靴まで噛まされる。声も出せない、助けは呼べない。そのまま担がれて運ばれていく。

 

 徹底していていっそ感心できる。なんて素早い拘束、わたしじゃなきゃ見逃しちゃうね……アホなこと思ってる場合じゃない! 

 

「ムーッ!」

 

 ハッキリ言って、かなり辛い。

 この状態は『トラウマ』を思い出す。

 全身拘束されてトラックに押し込まれた。あの痛みと恐怖は拭えない。

 本当に怖かったのだ、あの経験は。

 

「ムゥ、ムー……」

 

 だんだん言葉が出なくなってきた。息もうまくできない。トラウマにわたしが食われかけた時、不知火が拘束を解いた。

 

「お待たせしました」

「…………」

「いかがされましたか」

「バカーッ!」

 

 すぐ襲いかかったわたしは絶対間違ってない。かわされてしまったが、すぐにまた飛びかかった。

 

 で、わたしの視界は()()()になっていた。

 

 知覚できない速度で投げられたのだ。

 うん、そうなると思ってた。前もそうだったし。

 

「なぜ襲いかかるのですか」

「普通怒るぴょん! てかうーちゃんのトラウマを忘れたかぴょん!?」

「あ」

 

 不知火は突如咳き込んだ。

 

「覚えています」

「おいコラ」

「不知火になにか落ち度でも」

「落ち度しかねーぴょん! あーっ!」

 

 頭をガシガシ掻き毟る。ほんとうに不知火は、まじで忘れてやがったなこいつは。

 

「さすがのうーちゃんも怒っちゃうぴょん、ぷっぷくぷー」

「それは不知火のセリフです、高宮中佐のまえで不知火の落ち度を、よくも暴露しましたね」

「うーちゃんは事実を言っただけだっぴょん」

「おかげであの後、不知火の体は大変なことに……」

「え?」

 

 今、なんか、とんでもない単語が聞こえた気がするが。

 これは大スクープの臭い!

 某重巡じゃないけど飛び付かなければ後悔する特大ネタだぴょ──

 

「それを、言ったら、不知火は怒りますから」

「アッハイ」

 

 改めて、不知火に連れてこられた部屋を見る。

 妙な部屋だ。窓は全くない。いくつか換気扇があるだけ、明かりは照明だけだ。

 

 扉も一つだけ。なのに部屋は無駄に広い。殺風景極まりない。基地のどこにこんな部屋があったんだろうか。

 

「ここどこぴょん」

「基地の地下室です。万一の時のシェルターでもありますが、今回は別の目的で」

「秘密の部屋ってことかぴょん」

「ええ、本当に緊急用の部屋なので。ですが今回は特例で使います」

 

 なにをするんだ。見たかんじ防音、防諜もしっかりしてる。わたしがどれだけ泣き叫んでも、すすり泣き一つ外には聞こえないだろう。

 

 やっぱり拷問か? 拷問なのか? 

 

 恐怖に震えるわたしを他所に、不知火はその場に正座した。手招きで知覚に来るよう誘ってくる。

 

「な、なにをする気だぴょん」

「卯月さんには、訓練をしてもらいます」

「……訓練?」

「ええ、実益と懲罰を兼ねた、『訓練』です」

 

 なんだ、拷問じゃなかったのか。

 とりあえずホッとする。安堵もつかの間、別の不安が押し寄せる。やっぱりおかしいぞ。

 

「訓練を、こんな部屋で?」

「はい、この部屋でなければ、高宮中佐の許可が下りないからです」

 

 いまいち話の要項が掴めない。

 懲罰も兼ねてる以上、三途の川を覗き込むような、地獄の特訓なのは察した。

 それでも、緊急用のシェルター内でやる意味は分からない。

 

「卯月さん、まず始めに、とても重要なことを言います」

「うーちゃんは今から壮絶ないじめに合うってことぴょん?」

「卯月さん、真面目にお願いします」

 

 不知火の顔は真剣そのものだった。

 わたしの冗談に怒りさえしなかった。こんなのは始めてだ。かなりガチな話ってことだ。

 

「この訓練は、とてつもない危険を伴います。下手を打てば、冗談抜きで『即死』します」

「死っ!?」

「はい、死にます」

 

 嘘だと思いたかった。しかし不知火はそんな上手いジョークを言える奴ではない。

 まじで死ぬ危険があるのだ。どんな訓練だよオイ。

 

「なので、外に影響が出ないように、このシェルターで行います。分かりましたか」

「分かったけど到底納得してないぴょん」

「一番の注意点は説明したので、本題に入ります」

 

 無視された。悲しい。ここに人権はないのか──懲罰部隊だったことを思い出して諦めた。

 

「卯月さん、不知火たち駆逐艦では、戦艦クラスの装甲は到底貫けないことは分かりますね」

「とーぜんだぴょん。だから魚雷とかをぶちこむんだぴょん」

「しかし、雷撃さえ通じない場合もあります」

「う……」

 

 昨日の戦いを思い出してしまう。

 そうだ、『特効』でも乗らない限り、卯月が敵にダメージを与えるのは困難だ。

 

 下手すりゃイ級も一撃で倒せない。そんなわたしじゃ姫級には到底かなわない。

 こればかりは無理だ、どうしようもない。生まれつきの特性は変えられない。

 

「普通の鎮守府なら、そのような艦は戦闘へ出しません。輸送任務にあたらせます。昔と違い極端な戦力不足ではないので。ですが此処では事情が違います」

 

 前科戦線は全部が特殊だ。

 任務の特性上、前科持ちのエリートでなきゃいけない。当然メンバーは簡単に集まらない。

 どうやっても、慢性的な戦力不足に悩む羽目になる。

 

「例え駆逐艦であっても、姫級と単独で戦わなければならない時もあります」

「どんな時だぴょん」

「羅針盤がそれて一隻だけ姫級の群れに放り込まれた時ですね」

 

 具体的過ぎて嫌になる。過去にそういうことがあったって訳だ。

 

「駆逐艦が単独で戦艦級、姫級を相手取る時。どのように戦えばいいか分かりますか」

「関節技を決めるとか」

「卯月さんには不可能ですね」

 

 バッサリと否定された。

 そんな馬鹿な、真面目に考えたんだぞ。

 姫級は人型だ。間接や可動域の概念がある。それゆえの弱点がある。だから関節技が効くと思ったんだが。

 

「姫級の身体能力は規格外です、戦艦ならまだしも、駆逐艦ではどうやっても押し返されます」

「えー、じゃあどうすんだっぴょん」

「本来なら、時間稼ぎの仕方をお教えする筈でした。倒せなくとも、行動を制限することはできますから」

 

 目潰しとか、その他色々ってことか。それならできる。実際駆逐棲姫の片目は潰せたし。できてることなら、教わる必要ないんじゃないか。

 

「言っておきますが、如何なる状況下でも確実に、相手の弱点部位を狙撃できるという意味ですからね」

「できるわけねえぴょん、そんな超人技」

「ここのメンバーは全員できますが」

「嘘ぴょん」

 

 そんなことできる奴、神鎮守府にもいなかったぞ。

 深海棲艦は小さいし動き回っている。そんな相手の目や耳を正確に砲撃するなんて不可能だろう。

 

 でも前科戦線のメンバーはできると不知火は言う。改めてみんなの基本技量の高さを思い知った。やっぱりわたしは、まだど素人なのだ。

 

「しかし、それを会得するには時間がありません」

「駆逐棲姫かぴょん」

「推測では、あと一週間以内に再襲撃があるとのことです。それまでに卯月さんを使()()()()()()()()のが、不知火の仕事です」

 

 これは、喜ぶべきなんだろうか? 

 駆逐棲姫を確実に抹殺できる力が欲しいとは思ってた。

 でも地獄を見たいとは言っていない。不知火は間違いなく修羅のような訓練を課すだろう。わたしの心境は複雑だった。

 

「でも、どーするぴょん。うーちゃんいきなりそんな強くなれないぴょん」

「承知しています。なのであまり望ましい方法ではありませんが……ズルをします」

「ズル?」

 

 不知火は持ってきたカバンから、厳重に密閉された瓶を取り出した。無色透明の液体には、大量の警告マークが刻まれていた。

 

「艦娘が現れる前、人々はこれで戦っていました」

「えーっと、これって」

「『毒』、と呼ぶべきでしょう」

 

 本当にどうなっちゃうんだろうか、わたしは。

 こうして駆逐棲姫襲撃までの間、不知火によるハードな訓練が幕を上げたのである。




艦隊新聞小話
不知火さんがなにをされたのかというと、高宮中佐の手料理(カロリー重点)を夜食に、大量に食べさせられたそうです。
結果不知火秘書艦の体重はうなぎ登り!
体が大変ってのは、体重的な意味合いだったんですね。
ん?おや、こんな時間に誰でしょあちょまヤバ――




次回の艦隊新聞小話は急遽休刊となります。ご了承ください。


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第33話 疑惑

 わたしことうーちゃんは、また不知火に拘束されて運ばれていた。

 シェルターに行くときと同じだ。あそこの場所は隠されている。どこにあるか分からないよう、目隠しと耳栓をつけられた。

 

 また蘇るトラウマに震えてると、不知火が立ち止まった。

 

「お疲れさまでした」

 

 拘束が解かれ、その場に下ろされる。

 行きと同じ、執務室の前に戻された。

 

 窓から見える外は赤く染まってる。夕方だ。朝からずっと訓練してたのだ。

 

 窓のない部屋だったから、時間感覚が狂ってた。何時間連続で訓練してたんだ。

 

「日中訓練は終了です」

「……ぴょん」

 

 まともな返事ができない。呂律が回らない。足から脳天まで全身の筋肉が疲労してる。

 

 過酷な特訓だった。

 けどやっと終わった。ホッと胸を撫で下ろす。今日はよく眠れるだろう。

 

 などと、悠長なことを考えてたわたしに、不知火が宣告する。

 

「入渠後及び食事後は夜間訓練です」

「……ぴょん?」

「ご安心ください、入渠ドックは空いています。中佐からの許可も得ています」

 

 連続訓練による、疲労蓄積の心配はなかった。

 確かに入渠すれば疲労はとれる。駆逐艦のわたしなら数時間で入渠も終わる。短い休憩でトレーニングを継続できる。

 

 でもわたしが心配してるのは、そこじゃあない。

 

「や、夜間訓練ぴょん?」

「はい」

「何時から何時までぴょん?」

「8時から翌日5時までです」

 

 えーと、つまり、9時間訓練ってことだ。

 

 うん、死ぬぞこれは。

 入渠があっても限界はある。生命の危機を感じて、不知火に抗議する。

 

「無理だぴょん、もたないぴょん」

「倒れたら高速修復材で復活させます。お忘れですか、このトレーニングは『罰則』も兼ねていると」

「罰則じゃなくて死刑だぴょん!」

「駆逐棲姫に勝ちたくないのですか」

 

 意地悪な言い方だった。

 そう言われたら黙るしかない。

 だってその通りだ。駆逐棲姫はどんな手段を使ってでも、殺したいと感じてる。

 

「生半可な鍛え方では間に合いません、仇討ちを人任せにしても問題ないなら、構いませんが」

「ざけんなぴょん、あいつを殺すのはこのうーちゃんだぴょん」

「では、分かりますね」

 

 分かりたくないが、納得するしか道はない。

 せめて『改』にならないと話にならない。本懐を遂げるには、地獄を見なきゃいけない。

 

「納得いただければ以上です、十分に休憩をとってください」

 

 不知火が執務室へ消えた。

 

「あひん」

 

 緊張が解けた途端、膝から崩れ落ちた。

 思い出したように、全身に筋肉痛が襲いかかる、痛くて中々動けない。

 

 トレーニングは、本当にキツかった。

 それ以外の感想はない。キツい、超辛い。これで全部が説明できてしまう。何度も死ぬかと思った。

 

 これでちゃんと強くなれるんだよな。なれなかったらただじゃあおかないぞ不知火め。

 

 力が足に入らず立ち上がれない。壁を支えにフラフラしながら食堂へ向かう。体のダメージよりもお腹のダメージが深刻だった。

 さっきからお腹が鳴ってる。グーなんてなまっちょろい音じゃない。グギョメグゴゴって感じで鳴っている。

 冗談じゃない。

 

「何の音クマ!?」

 

 ほら、反応した。

 廊下から現れたのは球磨だった。警戒心マックスだ。わたしの胃の音はそれだけ非常識な音色だったのだ。

 

「って、卯月かクマ。今の音はなにクマ」

「お腹が空いた音だっぴょん」

「あんな音なるわけないクマ」

 

 と言った途端、またグギョメギャギギギゴと鳴った。

 

「鳴ったぴょん」

「……どんだけお腹空いてるんだクマ、てかなんだクマその歩き方は」

「まともに立てないぴょん、助けてぴょん」

 

 これはマジだ。この歩行速度で食堂へ辿り着ける気がしない。

 球磨は呆れた顔をする。大きくため息を吐いて、目の前でしゃがんでくれた。

 

「ほら、背負ってやるクマ」

「ありがとぴょん、訓練で苛めるドSベアーとか思っててごめんぴょん」

「は?」

「なんでもないぴょん」

 

 一瞬すっごい殺意が出てきた。超恐かった。でも実際あの訓練はやばかった──いや、不知火のしごきの方がヤバかった。

 なにがヤバいって、不知火の訓練はガチで生命に関わるのだ。一瞬の不注意で死にかねない。毒を使うんだから、しょうがないのかもしれないけど。

 

「いったい、何をしてたんだクマ。不知火の罰則がそんなにハードかクマ」

「そうだぴょん、うーちゃんを使い物にするって言って、クソハードな訓練をしてるぴょん」

「訓練? 不知火がクマ?」

「そうだっぴょん」

 

 球磨の顔が少しだけ、訝しんでるように見えた。すぐに戻っちゃったけど。なんか変なこと言ったっけ。

 

「で、今日は終わりかクマ」

「ううん、ご飯を入渠の後、徹夜で朝まで訓練ぴょん。助けてくれぴょん」

「球磨にはどうにもならないクマ、ドンマイクマ」

 

 慰めるぐらいなら代わってほしい。強くなりたいけど苦労したいとは言ってない。限界まで楽をしてたかった。

 と思ってる間に、食堂の前まで来ていた。

 

「ここまでで良いかクマ?」

「うん、ありがとぴょん」

 

 お礼を言って下ろして貰う。食堂へ入ろうとするが、球磨は別の方向へ向かっていく。

 

「あれ、食べないのかぴょん?」

「他の用事があるクマ、それを済ませてからクマ」

「そっかー、じゃ、またぴょん」

 

 ヘロヘロの足取りで食堂へ入る。まだ人はまばらだ、ちょっと来るのが早すぎたらしい。

 でも支度はできている。カウンターで飛鷹さんが世話しなく動き回っていた。

 

「あら、お疲れうーちゃん」

「死にそうぴょん」

「あはは……不知火の特訓よね」

 

 乾いた笑いには多分に同情が混じってる。飛鷹さんは知ってたみたいだ。高宮中佐から聞いたんだろう。

 言い方からして、不知火の訓練を知ってそうだった。

 

「不知火の訓練を知ってるのかぴょん」

「ええ、わたしも一度、受けたことがあるから」

「へー、飛鷹さんでも仕出かすことがあったんだぴょん」

 

 お仕置きと称した訓練を受けたってことだ。

 つまり、なにかやらかしたってことだ。

 とても好奇心が沸いてくる。是非知りたい。それをネタにして弄びたい。

 

「いや、単にわたし、不知火の後輩だから」

「なんだつまんないぴょん」

「ちょっと」

 

 飛鷹さんの突っ込みはスルーした。

 つまらんものはつまらん。不知火よりあとに着任したってのは意外だったけど。

 

「あーあ、せっかく良いものあげようと思ってたのになー」

「はーん、そんな見え見えの罠に引っ掛かるうーちゃんじゃな」

「取り寄せた間宮アイスなのに」

「ぴょんっ!?」

 

 振り返った作業、飛鷹さんの手には確かに、あの光輝く間宮アイスが握られていた。

 

「初給料もまだなのに頑張ってるから、少し誉めてあげようって、思ったのにねー」

「ごごごごめんなさいだぴょん!」

「冗談よ、ほら、みんなが来ない内に食べちゃいなさい」

 

 目の前に置かれた間宮アイスは、冗談抜きで光を放っていた。キラキラしたものが本当に見える。昔食べた間宮パフェに乗ってたアイスも、そうだった気がする。

 

「ぴょぇぇん」

「どういう声よ」

「言葉にならない旨さぴょん……あ、飛鷹さんのご飯もおいしいぴょん!」

「フォローありがと」

 

 やはり女の子のからだには甘いものだ。細胞一つ一つに染み渡って行く。高揚感に疲労までぶっ飛んでいく……気がする。気分の問題だけど。

 

「あ、でもそれ給料一月分だから味わって食べたほうが」

「ぴょん?」

「手遅れだったわね……」

 

 もう食べきっちゃったよ。

 給料一月分の味は一瞬で溶けて消えた。アイスだけに。

 

 それだけ高いのは、やっぱり輸送コストがかなりかかるからだとか。

 

 こんなド僻地にある基地にアイスを運ぶのは、それだけでも手間だ。その上作り手も『間宮』じゃなきゃいけない。単価がうなぎ登りになる訳だ。

 

「ごちそーさまぴょん、また食べたいぴょん」

「次は自分で買いなさいよ」

「ありがとぴょん、でも良いのかぴょん、こんな高いもの」

 

 親切にしてもいきすぎじゃないだろうか。

 ここまでしてもらうと、逆に気まずい感じがする。

 わたしの問いかけに、飛鷹さんは背中を向けながら答えた。

 

「良いのよ、ただでさえ辛い目にあってるんだから。泊地棲鬼だけじゃなく、そいつの仲間とも戦わなきゃいけない。なら良いじゃない」

「じゃあ不知火の特訓をなんとかしてくれぴょん」

「無理ね頑張ってる応援してるわ」

 

 実質の死刑宣告だった。

 まさかこのアイス最後の晩餐じゃなかろうな。

 懐かしい味が、惨たらしい思い出にならなきゃいいが。

 

 

 

 

 高宮中佐のいる執務室だが、秘書艦の不知火はいない。

 夜間訓練に備えて、彼女も仮眠をとっているのだ。

 

 無論、数日間寝なくても戦える訓練はしている。しかし卯月に課したトレーニングは極めて危険な内容だ。

 

 特級の『毒物』を用いた訓練。事故死のリスクは極限まで減らさないといけない。卯月をここで失ったら大きな損害だ。その為に高宮中佐は、仮眠を指示したのだ。

 

「失礼しますだクマ」

「入れ」

 

 ドアをノックして、球磨が入室した。

 礼儀正しくお辞儀をして、高宮中佐の前まで歩いてくる。中佐はペンを止めて、顔を上げた。

 

「なんの用だ?」

「駆逐艦卯月について、意見申し上げるクマ」

「必要ない、帰れ」

 

 中佐は気づいていた。

 礼儀正しくしていても、負の感情が一切隠せてないことに。

 いいや、隠す気がないのだろう。

 

「いいえ、申し上げるクマ。前科組として言いたいクマ」

「不知火の、訓練のことだろう」

「はい、そうですクマ」

 

 予想はできていた。不知火の行動が何名かの反感を買うことは。だがそんなことは承知している。その上で高宮中佐は、不知火に命令したのだ。

 

「卯月の特別扱いが、気にくわないようだな」

「……承知のうえですかクマ、でも言わせてもらうクマ」

「いいだろう、認める」

 

 かなり無理をしてる自覚はあった。

 だから高宮中佐はある種の『上官批判』を認めた。

 

「なぜ、卯月を特別扱いするのですかクマ」

「必要だからだ。知っての通りやつの練度は低い。いずれ死ぬだろう。そうならない為には集中的な訓練が必要だ」

「……そもそも、なぜ、あんな練度の低い艦娘をスカウトしたクマ」

「知っての通り、今の特務隊には駆逐艦が少なすぎる。ちょうどそのタイミングでスカウトできるのが、卯月しかいなかった。それだけだ」

 

 冤罪によって処刑されそうな駆逐艦がいる。

 その情報は渡りに船だった。だから不知火と飛鷹を向かわせ、強奪させた。

 

 表向きの理由だ。

 

 だが真実を語る理由はない。高宮中佐は口を閉ざし、カバーストーリーを語る。

 

「おかしいクマ」

 

 しかし球磨は納得しなかった。

 

「球磨はここに来てから一番長いクマ、多少練度の低い艦娘も来たクマ。でも、卯月ほど過保護じゃなかったクマ」

「過保護? どこがだ」

「最初に球磨と那珂で訓練したこと、仇討ちのチャンスを与えたこと、不知火が専属でついた訓練、『毒物』の使用許可……中佐は、卯月になにを期待してるクマ」

「訓練は必要だからやっている、仇討ちのチャンスは、奴が羅針盤を動かす因子になりえたから。それ以外の理由はない」

 

 タイミングが良かったので拉致した艦娘が、たまたま次の任務に役立ったに過ぎない。

 高宮中佐の説明に、球磨は露骨に苛立っている。

 

「そうじゃないクマ、卯月を特別扱いするのはなぜですかクマ。使えない新人の面倒を見てるのに、その上特別じゃ、不満が溜まるクマ」

「そうだろうな」

「なら……」

「だがそれのどこが問題なのだ?」

 

 ピシャリと、教鞭の音が鳴った。

 

「前科持ちのお前たちに、それが言える立場なのか?」

「それは……」

「卯月が弱いままで被害を被るのはお前たちだ、不知火が鍛えるのが悪いことか?」

「秘書艦直々に鍛える必要は、ないクマ」

「ならお前が鍛えればいいだろう」

 

 その一言は、禁句だった。

 球磨は固まり、顔を青くしながら脂汗を流し始めた。

 まあ、こうなるだろうな。中佐は球磨を睨み付ける。

 

「格上に勝てるよう、やればいい。不知火が訓練する必要はなくなる。それなら納得するが、どうだ」

「…………」

「特別扱いしているのは確かだ、だから今回のことは不問とする」

「……申し訳、ありませんでした、クマ」

 

 球磨は震えながら執務室から出ていった。

 その背中を見て、高宮中佐は深い溜め息をつく。

 

「まだ、奴に死んでもらっては困るのだ」

 

 一人呟く。

 利用価値を終えるまでは、少なくとも生存してもらわないといけない。特別扱いはやむを得ない。

 

 そうだとしても、この状況は中々難しい。

 部隊内の空気が悪くなることは、基本避けるべきなのだから。

 しかし、卯月の特別扱いは、球磨の思っている以上に複雑だ。

 

「北上が間に合うか、真実が暴かれるか」

 

 提督の独り言は、誰にも聞かれることはなかった。




『毒』の正体がなんなのかは、実践までお預けにしちゃいます。


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第34話 改装

 不知火の訓練はやっぱり壮絶極まったものだった。

 地獄というのも生ぬるい、裸で煉獄に燃える針地獄を歩かされるような拷問と形容しても足りない気がする。

 

 だが、わたしはそれを乗り切った。

 生まれたての小鹿のように歩いているが生きている。

 わたしはお手洗いに向かっていた。鏡が見たかった、生きている確証が得たかった。

 

「うわ、ひでぇ顔ぴょん」

 

 鏡を見て開口一番、そんな感想が出た。

 

 睡眠不足に酷いクマができ、頬は痩せこけている。急激に体力を消耗したせいで全身や顔面の骨が浮き上がっている。

 

 まるでデスマスクを張り付けているようだ。ちゃんと生きてるのか不安になっている。ひょっとして死んでいて、その自覚がなかったりして。

 

 阿呆みたいだが、そう思わざるを得ないレベルで酷い訓練だった。

 酷いっていうか、スパルタって言うか、命の危険があるって言うか……ともかく尋常じゃなかった。

 

「卯月さん、まだですか」

「あ、いま行くぴょん」

「さっさとしてください、時間がもったいない」

 

 反論する余力もない。フラフラと不知火の後をついていく。

 大変な訓練だったけど、おかげで一つ、良いことがあった。

 ()()()()()()()()()()()()らしいけど、ほぼ確定だと不知火は言っていた。

 

 二人揃って向かった先は、北上のいる工廠だ。

 朝早いのに、もう働いている気配がする。出撃がなくてもやることはあるってことだ。

 

「北上さん! 不知火です!」

「はーい、待ってたよー」

 

 全方向ロープウェイに乗っかって北上さんがやって来る。目にちょっとクマがついていた。もしかしたら、事前に準備をしてたのかもしれない。わたしの為にありがたい限りだ。

 

「このうーちゃんの為にここまでしてくれるなんて、北上さんは最高だぴょん」

「え? ああ、うん、まあね」

「お疲れさまです北上さん」

 

 この時北上さんはこっそりと「忘れてんの不知火……?」と呟いてたらしい。だが疲れ切ったわたしは気づかなかった。

 

「準備はできていますか?」

「連絡を受けてから急ピッチでやったからね、万全だよ」

「卯月さんもよろしいですか?」

「万事オッケー絶好調ぴょん、今ならなんでもできる気がするぴょん。泊地棲鬼も駆逐棲姫も小指一本でドギャーンだぴょん!」

 

 この状態を俗に深夜テンションと言う。自覚していなかったが。一晩起きてたせいでネジが飛んでたらしい。

 

「まあ、良いならそれで良いや」

「不知火は高宮中佐へ報告へ参ります、あとは宜しくお願いします」

「任せておきなー」

 

 不知火を見送って、わたしと北上さんは工廠の奥へ向かう。

 案内された先には、小さな機材が置かれていた。北上さんはパッパと機械を操作して、装置の一つを手渡してくる。

 

「はい、これを腕につけて、これで『練度』を測るから」

「了解ぴょん」

 

『練度』というのは、艦娘の戦闘能力を示す指数だ。

 まあ、どうやってカウントしているのかは誰も分かっていない。何故ならこれも羅針盤と同じ、妖精さんの不思議技術の賜物だからだ。

 

 訓練の数なのか敵艦を沈めた数なのか、だーれも分からない。でも信用できる代物らしい。まあ、妖精さんのやることなので、考えるだけ無駄ってことだ。

 

 そして、これを測るということは、意味することはただ一つ。

 腕にはめて、北上さんがモニターを見る。画面には色んな数値が目まぐるしく回り、やがて計算が終わった。

 

「どうぴょん」

「うん、数値は『25』だったよ」

「じゃあ!」

「おめでとー、『改』への改装ができるよー」

 

 良いこととは、このことだ。

 練度の一番大きな役割は、改装ができるか否かの指数だ。

 わたしは昨日の特訓によって、改装レベルを超えた。大規模な改装が可能になったのだ! 

 

「わーい、やったぴょん」

「不知火から聞いたと思うけど、もう今からやっちゃうからね」

「バッチコイだぴょーん!」

 

 練度を図る装置を片付けた後は、別の大きな装置をセッティングしていく。

 若干暇だけど、嬉しさの方が圧倒的に勝っている。ウキウキした気持ちが止まらない。こんなに嬉しいのは久し振りかもしれない。

 

「やっぱり姫を直接沈めたのが大きかったんだろーね」

「しかし面倒な仕様だぴょん、レベルを上げなきゃ改装できないなんて」

「そりゃそーでしょ、下手に改装したら深海棲艦になるし」

「ぴょんっ!?」

 

 思ってたのよりも遥かにヤバイ発言が飛んで来た。

 なんていった、改装したら深海棲艦に変異する!? まったくもって意味が分からない。

 

「当たり前でしょ、わたしたちは『間』の存在なんだから」

「あいだ?」

「人と艦の狭間って意味。ちょーどその中間が、わたしたち艦娘なの。まさか忘れたの……?」

「まさか、うーちゃんそんなアホじゃないぴょん」

 

 そもそも深海棲艦を解析して生まれたのがわたしたちだ。

 艦の魂に、人のこころ。

 どっちかだけでも成り立たない、複雑な存在ってことだ。

 

「艦娘のバランスはとても繊細なの。改装は『艦』の魂を強化する行為、『人』の魂が力不足だと、そっち側に引きずり込まれて──」

「……鬼になる」

「そういうこと」

 

 こころのない、艦の記憶と無念だけで暴れ狂う。無様で醜いクソの深海棲鬼に成り果てる。

 絶対にごめんだ。考えるだけで吐き気がする。

 

「だから練度が大事なの。昔これを無視してガンガン改装した結果、内部崩壊起こした事件もあるからね」

「こわっ」

「黎明期の悲しい事件だよ、あ、これ機密事項だから漏らしたら解体だからね」

「そんなことシレッと教えんじゃねーぴょん!?」

 

 改装のはずがなんで解体へ一歩近づかなきゃいけない。

 慌てるわたしを見て、北上さんはケラケラと軽く笑う。冗談と分かってても、心臓に悪い。

 

「まったくイタズラするなんて最低ぴょん、外道め!」

「あんたが言えること……?」

 

 なにを言うか、わたしことうーちゃんはとっても優等生なんだぞ。

 前科? あれは冤罪だからノーカン。

 

 とまあ、アホなやり取りをしてる間に、機材の準備が終わった。

 

「これが、改装設備かぴょん」

「そうだよー、寝心地は良いらしいよ」

 

 パッと見鉄製のベッドだ。

 寝心地は微妙に見える。素直に言って固そうだ。

 神鎮守府にもあったんだろうけど、改装する前に壊滅したので、見たことはない。

 

 工廠のどこにもなかったから、かなり奥で保管されてたんだろう。まあ改装なんで、頻繁にあることじゃないし。

 

「これに寝転んで、起きる頃には終わってるよ」

「もう寝ちゃっていいぴょん?」

「良いよー、準備はできてるからー。あ、でも服は脱いでね」

「お前も変態かぴょん!」

「違うよ」

 

 良かった。満潮のような変態が二人もいたら耐えられない。

 言われた通り服を脱ぎ、装置の中で横になる。

 

 風呂でもないのに裸体を見られるのは、何だか妙な気分だ。同性だけど、くすぐったい感じがする。

 

「で、どーするぴょん?」

「装置の機能でその内眠くなるから、そこで寝たら後はやっとくよ」

「ぴょーん」

 

 少し待ってると、確かに段々と眠くなってきた。

 でも無理やりな感じじゃない。散々遊び倒して、シャワーを浴びた後のお昼時のような眠気だ。

 

「いやぁ、でも卯月にはちょっと感謝してるよ」

「ぴょん?」

「改装やるのわたし初めてなんだよね、貴重な経験をありがとう」

 

 爆弾が投下された。

 言葉の意味を理解した瞬間、眠気が木っ端微塵にぶっ飛んだ。

 安心感は虚空へ消えた。

 

「なんでぴょん!?」

「だって前科戦線、改装済みのベテランしか来ないから」

「だからってそりゃなグウ」

「……寝るの早」

 

 装置の効きには個人差がある。

 卯月には抜群に効いていた。特に理由はない。先天的なものであった。

 

 卯月が熟睡したのを確認し、北上は改装を()()()()()()

 

 体を触診したり、改装とは関係ない機材を繋いでいく。

 コードの繋がった画面には、色々な数字が並んでいく。心拍数、脳波、血中の成分一覧など。

 

「じっくり見る機会はないからねー、でも騙してはいないからねー」

 

 子供のように、無垢に眠る卯月を見て、北上は呟く。

 その顔にはなんの表情も浮かんでいない。

 浮かばせないように、仮面を張り付けているのだ。それが正しいかどうかは、誰にも分からない。

 

 

 

 

 改装だ改装だ、とウキウキしたわたし、うーちゃんだったが、襲来したのは例の悪夢だった。

 

 寝たからか? 

 改装して、からだに変化が起きてるからか? 

 どっちにしても不愉快極まりない。

 

 また、燃える鎮守府が広がっている。

 わたしが一歩歩く度に、新しい死体を見つけてしまう。どれも見知った仲間だ。昨日まで笑顔だった顔は絶望で固まっている。

 

 その中には、一番仲の良かった、菊月もいた。

 

「……う、卯月……」

 

 菊月が助けを求めるように手を伸ばす。

 だけど、次の瞬間顔が千切れ飛ぶ。半分ぐちゃぐちゃになった菊月が、ボールのように遠くへ飛んでいった。

 

 遠くに、主砲を放つ泊地棲鬼がいた。

 あいつが殺ったのだ。

 そう理解した時、わたしは頭がおかしくなった。

 

 菊月が死ぬ瞬間が、走馬灯のように何度も繰り返す。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も繰り返して、わたしは壊れてく。

 

 自分から沸き出る怒りが、わたしを壊していく。全身の血液が沸騰して弾けてく。

 止められない、止める理由なんてない。アイツを、殺さないと。早く壊してグシャグシャにしてやらないと。

 

 だけど、今どんなに思っても、これは夢だ。悪夢はシナリオを変えずに進んでく。

 

「ソコカ、逃ガサン」

 

 泊地棲鬼が、神提督に気づき走り出す。わたしも追いかけるが、中々追い付けない。

 

「見ツケタゾ」

 

 バリケードを破壊して、泊地棲鬼は神提督と間宮さんに照準を合わせる。

 

「君は……」

「是非モナシ、此処デ沈メ!」

 

 主砲が発射される。

 間宮さんが身を呈して庇ったせいで、体が砕ける。

 提督も衝撃に、全身から血を吹き出す。

 

 泊地棲鬼が二射目を撃とうとした時、救援の艦娘たちが雪崩れ込み──悪夢が終わった。

 

 

 

 

 目が覚めた。言うまでもなく最悪の目覚めだった。

 悪夢が終わっても、あのシーンが網膜から離れない。焼けついて何度も繰り返している。

 

 最初に出迎えてくれた、妹が、菊月が殺された。無力感も悔しさも絶望も怒りで塗りたぐられていく。狭い改装ドッグを壊さん勢いで、暴れ狂う。

 

「がぁぁああぁっ!?」

 

 炎に燃料をくべ続けてるような感覚だ。わたしが怒りに食われていく。わたしがわたしじゃなくなる。怒りそのものへ変貌していっている。

 

 だけど、ぶつける相手はもう殺されている。

 分かってても、暴力的衝動は止まらない。殺したい、いっそ誰でも良い。早くこの感情をどうにかしたい。

 

「卯月! しっかりしな!」

 

 両方の頬を、強くビンタされた。

 

 そのまま顔を固定され、無理やり北上さんの方へ、目線を固定される。

 

 何で止めるんだこいつは敵だったか殺すか。

 力ずくでほどこうとしたが、北上さんの力は想定以上に強かった。下手に暴れたら、また首が折れる。

 

「深海棲艦になりたいの!?」

 

 質問の意図が分からない。

 しかし、それもアリだと思った。いっそ魅力的にさえ思える。

 

 深海棲艦になれば、この貧弱な、睦月型の軛から解放される。艦娘の務めもいらない。思う存分深海棲艦を殺して回れる。なんだ最高じゃないか。

 

「二度と、神提督に会えなくなって良いの!?」

「……アエナイ? 二度ト?」

「そりゃそうでしょ、深海棲艦になるってのは、そういうこと、分かってんなら早く戻りな!」

 

 もう一度、頬を強く叩かれた。

 

 その衝撃は、今度こそわたしを、正気へ戻してくれた。

 

 わたしは、なにがしたかった。復讐以上に神提督に再会したいんじゃなかったのか。

 

 怒りに壊されてた思考が正常に直る。怒りのあまりとんでもないことまで考えていた。

 一瞬とはいえ、深海棲艦になることを望んだのだ、わたしは。あれだけ嫌う深海棲艦に堕ちようとしていた。

 

「はぁぁぁぁー……落ち着いた?」

「わ、わたしは、なにを」

「いやぁびっくりした、まさか寝ぼけた子に殺されかけるとは」

 

 北上さんはそう言いながら自分の頬を摩る。

 青い痣ができていた。出血もしている。ついさっきできた怪我だ。だれが負わせたのかは、わざわざ言うまでもない。

 

「ごめんなさい、ご、ごめんなさいぴょん」

 

 怒りは消えた。

 代わりに自己嫌悪と罪悪感が胸を満たす。

 またやってしまった。怒りに我を忘れて、今度は北上さんを傷つけてしまった。二度と暴走しないと誓ったのに、どれだけ重い行為か分かってたのに。

 

 自分で自分が嫌いになる、吐き気までしてきた。なんなんだわたしは、どうして感情をコントロールできないんだ、泊地棲鬼のことになると、毎回そうだ。嫌過ぎて泣きそうになる。

 

「安心しなさいな、別に所長には言いやしないから。戦闘中の暴走ってわけでもないし」

 

 北上さんが、背中を優しく摩ってくる。

 いつ殴ったのか覚えてないが、かなりの力で殴った筈だ。痛くてたまらないだろうに、それをおくびにも出さない。わたしを安心させるために。そのことが余計罪悪感を刺激する。

 

「なんで、き、気にしてないぴょん」

「まあビックリはしたけど、別にこんなダメージで喚く程やわじゃないし。改装は深海に近づく作業だ、暴走ぐらいあるって」

「そ、そうかぴょん」

「むしろレアケースの経験できてラッキーって感じだから、大丈夫だよ」

 

 なんて強い人だろう、それに比べて私ときたら。

 戦闘力もない、感情の制御もできない。子供の体だなんて言い訳にもならない。なんて情けないことか。ホントに自分が嫌になる。自分で自分が分からない。

 

「うーちゃんは……」

「それ以上は、言わない方が良いよ」

「ぴょ、ぴょん?」

 

 自虐の一言を、北上さんは止めた。

 

「口に出したら、ホントになっちゃうから止めときな」

「でも、恥ずかしいとは思うぴょん、こんな醜態晒したら」

「わたしたちだってさ、一日二日で感情のコントロールができるだなんて思ってないよ。ましてやPTSDじゃ尚更だ」

 

 頭をワシャワシャなでつつ、わたしをドッグから出して、服を着させる。その作業をしながら北上さんは慰めてくれた。

 

「時間をかけて構わない、最終的に強くなれば良い。不知火も所長も、そんなことは承知で、あんたをスカウトしたんだから」

「……迷惑、絶対かけまくると思うぴょん」

「アンタぐらいの迷惑なら、可愛いものだよ」

 

 北上さんが『ヨシ』と呟く。

 鏡の前には、綺麗な服を着直したわたしがいた。心なしか少し身長が伸びた気が──しないまでもなくもないような。

 でも変化は感じられた。前よりも強くなっている気がする。

 

「第一改装完了、お疲れさま、卯月」

「うん、ありがとうだっぴょん、北上さん!」

「頑張りなさんな、応援してるから」

「ぴょん!」

 

 まだ罪悪感はくすぶっているが、ここまで言ってくれてメソメソしてたら、睦月型の名が廃る。もう立ち直らないといけない。

 少し流れた涙を拭って、わたしは決意を新たにした。暴走はしちゃいけない、自分を強くしなきゃいけないと。

 

 こうして、一波乱あったけど、わたしの改装は終わったのであった。




34話目にしてやっっっと改装完了。
この物語完結までにうーちゃん改二は実装されるのか。
実装されたら作者は喜びにむせび泣きをします。


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第35話 近代化

ちょっと説明回気味かもです。


 改装とはより深海へ近づく危険な強化だった。

 同時に悪夢まで見たせいで、わたしは完全に怒りに呑まれ、北上さんを殺しかけた。

 

 そのせいで落ち込む気持ちを、気合いで叩き直す。

 色々あったけど、改装は無事──誰がなんと言おうと無事だ──完了した。卯月改、ここに爆誕である。

 

「で、調子はどう?」

「うーん、良く分かんないぴょん。具体的にどう変化したんだぴょん」

「基本だけど火力や雷装、装甲とかの強化だね。他特殊な能力はなし」

「なんだつまんねぇぴょん」

 

 どうせなら甲標的が積めるとか、大型主砲を撃てるとか、エキセントリックなのが良かった。無茶とかは知らん、ロマンの問題なのだロマンの。

 

「そーゆーのは改二に期待だねぇ」

「大本営はなにしてるぴょん! 職務怠慢だぴょん!」

「はっはっは、あたしには絶対分からない気持ちだ」

「改二ハラスメントは止めるぴょん」

 

 冗談じゃなくてマジで問題になっている。

 改二がある艦娘とそうでない艦娘の格差は深刻だ。

 とは言っても、何が切っ掛けで『改二』が実装されるのかは誰も知らない。また妖精なのか。

 

「ま、持ってないものはどうにもなんない。あとはアンタの努力次第だ」

「後で慣らさないと、ダメだぴょん」

()を使うんなら、不知火の監視下だけだよ?」

 

 北上さんも、()のことは知ってたみたいだ。

 当然だった。アレは元々工廠由来の兵器なのだから。前科組ではない正規艦娘は全員知ってるのだろう。

 

「大丈夫だぴょん、今回はふつーの武器だけでトレーニングだぴょん」

「そっか、艤装はあっちに置いてある。正面の海域は許可とってあるから、自由に使いな」

「いやぁありがとぴょん……本当に」

「暗い暗い、だから良いってば」

 

 親切にして貰うと、余計にやらかしを思い出す。

 もはやフラッシュバックに近い。望まなくても記憶がリフレインする。ぶん殴ったであろう右手が、じんじんと痛む気がする。

 

 いけない、また良くない考えになっている。

 わたしは首をブルブル降って、邪念を頭から追い出す。

 

 艤装と接続すると、いつもと違う感覚がした。

 言いにくいけど、より一層、艤装と一体化してるような、距離が近くなってるような感じだ。

 

「卯月が寝てる間に、艤装も改装しといた。前感じた違和感もマシになってるよ」

「言われてみれば、確かに」

「あの違和感、さすがに消えたでしょ?」

 

 今となっては懐かしい。

 前科戦線に着任直後、装備した艤装に違和感を感じていた。

 でも、もう感じない。

 やっぱりアレは、半年間昏睡してた影響だったんだ。考えてみれば当然だった。

 

「ああ、そうだ、最後にやっとくことがあったんだ」

 

 思い出したように手を叩くと、北上さんは工廠の奥に向けて、()()()()()()()

 

「ぴょん?」

「それー」

 

 間の抜けた掛け声に応じて、工廠奥で物音が鳴った。

 天井に張り巡らされたレールをたどり、厳重に密閉されたケースが運搬される。

 

 北上さんは動いていない。手を突きだしたままだ。

 やがてケースは此処まで来て、北上さんの手にスッポリ収まった。

 

「どやぁ」

「おー、念動力みたいだぴょん」

「凄いでしょ」

「いや別にそこまででは」

「アンタ結構酷い奴ね」

 

 多少驚いたけど、視覚的に派手な訳じゃないので。項垂れる北上さんを見ても、なんとも思わなかった。

 

「でもどーやって動かしたぴょん、手も触れずに」

「えーとね、此処、わたしの艤装なんだよ。だから動かせる」

「なんて?」

 

 此処って、工廠のことか? 

 工廠そのものが、北上さんの艤装だと言うのか? 

 分からない、北上さんは軽巡か雷巡だろう。工作艦の艤装は持ち合わせていない。

 

「例えるなら、そうだね、基地型深海棲艦の原理に近い」

「ますます分からないぴょん」

「あいつらは基地それそのものを、触れてなくても動かせる。それと同じく、工作艦なら工廠の全てを操れる。給油艦なら食堂関係全てを操れるってこと」

 

 鎮守府の所属艦娘は、多いと数百人を超える。人間を加えたらもっと増える。

 そんな大所帯の食事を、一人から二人で回せる理由がここにある。

 

 食堂の装置全てを、触れずとも並行してコントロールできる。だから食堂を切り盛りできるのだ。

 

「あんたんとこ、確か間宮さんいたよね。見てない?」

「……そういえばそうだったような」

 

 大分怪しい記憶だけど、確かに手を振れずに鍋の火加減とか食洗器を動かしてたような気がする。北上さんはそれと同じ能力を使ったってことだ。

 

「それでも北上さんは工作艦じゃないぴょん」

「どれぐらい能力があるかは、そいつ次第ってこと。本職の明石なら、もっと工廠全域を制御できる筈さ」

 

 生憎、神鎮守府に明石はいなかったのでイメージできない。

 

 しかしちょっと思ったが、この能力敵にいたら恐ろしいな。

 制御できるエリア全てが手足のように動き、目であり耳になる。こっちが見えないところから一方的にやられかねない。

 

 そして、その力を持っているのが、例えに出した陸上型深海棲艦だ。連中と戦う時があったら、それを考慮しなきゃいけない。大変な戦いだろうと思った。

 

「で、そのケースはなにぴょん」

「これはねー、艦娘の魂だよ」

「へー……なんで?」

 

『魂』を持ち運べることにはもう突っ込まなかった。代わりに、なんで魂を持ちだしたかに突っ込んだ。

 

「近代化改修用の魂だよ、こいつを卯月の艤装に突っ込んで、一気にブーストアップってわけ」

「な、なるほどぴょん?」

「分かってないよねアンタ」

 

 失敬な近代化改修ぐらい知っている。

 あれだ、艦娘と艦娘がグワーってガシャンし、強くなるアレだ。

 うん、わたしは十分知っている。

 

「なら良いけど」

「でも教えてぴょん?」

「アンタ……」

 

 後学の為にも学んでおこう。復習も兼ねて学んでおこう。決して忘れてたわけじゃないからな! 

 

「早い話が艦娘同士の合体だよ」

「合体、アッハンでウッフーンな」

「そういうのは良いからね」

 

 止められた。無反応だった。哀しみが込み上げた。

 

「単純だよ、魂同士を結び付けて、より強い力を生み出す技術。確立したのは特効が分かったのと同じぐらいだったかな」

「そんなことして、うーちゃんたち大丈夫なのかぴょん?」

 

 ワーオな展開じゃないけど、魂同士を融合させるってのは、良い言い方ではない。

 嫌な予感が拭いきれない。自我が混ざったり、精神がおかしくなったりするんじゃないか。結構不安になる。

 

「ああ、普通にやると危険が高い。だから魂()()をくっつけるのさ。魂だけの存在に自我はない。だからくっつけても混ざったりしないってこと」

「へー、そっか、ぴょん」

 

 すっげえ難しい話だった。技術的な話じゃなくてオカルト的な考え方だ。かなりスピリチュアルなセンスがないと話を理解できない。

 

「建造やドロップが上手くいかず、魂だけが手に入ることがある。そういった魂を近代化改修の素材に使わせて貰っているってわけ」

「それホントに自我ないのかぴょん」

「まあ実際は分かんないけど、現状悪影響が出たって報告はないから平気でしょう」

 

 それで良いのかそれで。

 ちなみに、魂だけが建造・ドロップされる原因だが、これは『認識』が関わっているらしい。

 

 先に卯月が着任したとして、あとから卯月がドロップする。

 どちらも『卯月』だけど、先に来た卯月の方が、皆と関わっている分、世界に『認識』される。

 

 後からきた卯月は、相対的に認識が薄くなる。

 だから実態を持てず、魂だけになりやすいらしい。でもこの理論も絶対ではない。別の鎮守府なら同じ艦娘はいるし、同じ鎮守府でも同じ個体がいるケースもある。

 

「じゃあ改修するね」

 

 わたしの意思確認を待たず、北上さんはケースに入った魂を『艤装』の方へ突っ込んだ。

 

「あ、そっちかぴょん」

 

 わたし自身に直接突っ込むのかと思ってたから、ちょっと驚いた。

 

「いや艦娘に入れても良いんだけどね、さっき言った、()()()リスク軽減のためだよ」

 

 直接突っ込むよか、間接的に入れた方が衝撃は緩和されるからだ。

 艤装に魂を入れられるのは当たり前だ。だって艦娘は付喪神なんだから。

 

 魂を入れられた艤装が、一瞬、ドクンと輝いたように見えた。気のせいだろうか、改めて確認しても変わってない気がする。

 

「え、終わった?」

「終わったよ、近代化改修は手軽さが売りだからね。これで艤装側のパワーアップは完全に終わり……あとはアンタ次第だ」

「そっかぴょん、じゃ、訓練行ってきますぴょん。改修ありがとうぴょん!」

 

 あんまり変わってない気がするが北上さんが言うなら間違いあるまい。

 元気よくお礼を言って工廠から飛び出す。この時点で出力が上がってるのが分かった。移動速度が今までより上がっている。

 

 ってことは、まだ速度に慣れてないってことなので。

 

「あぎゃーっ!」

 

 盛大に水面に顔を突っ込むのであった。

 

「……観たなぴょん」

「うん、バッチリカメラにも取っといたよ」

「バカな、カメラなんてどこに!?」

「工廠の監視カメラ、今遠隔で起動させたの。さっき言った能力だよ」

 

 最悪だった。こんな醜態を録画されるなんて。悪夢と言わずしてなんと言う。

 

「じぁ、ダミーは自動で動くようにしといたから、頑張ってねー」「ぴょーん」

「あと今夜出撃だからほどほどにねー」

「ぴょんっ!?」

 

 聞いてないぞそんなこと。突然の情報に愕然とする。駆逐棲姫との戦闘から二日しか経ってないのに、もう再戦とは。

 

 こうなりゃしょうがない。さっさと慣らして寝よう。新品の艤装を背負いながら、わたしは演習海域へ繰り出した。

 

 

 

 

 穴だらけになったダミーを睨みながら、わたしは息をゆっくり吐く。主砲を下ろして、からだの力を抜く。

 

 辺りはもう真っ赤だ。

 昼過ぎからずっと練習してたら、夕方になってしまった。

 かなり長い時間練習してた。一気に疲労がやってくる。

 

「なんとか、形になったかぴょん」

 

 それだけやったおかげで、かなり慣れた。

 強化された主砲や魚雷、装甲の重さ。変化した重量バランス、からだの動かしかた。どれも違和感なく実行できる。

 

 ただそれでも、絶対的な火力不足は解消できなかった。

 ダミーも一発じゃ破壊できない。二、三発撃ち込んでやっとだ。こればかりはもう、『卯月』としての運命と受け入れるしかない。

 

「あとは実戦で、ぴょん」

 

 正直まだ不安は拭えない。

 まともな戦闘経験はまだ二回だけ。泊地棲鬼と駆逐棲姫。序盤の雑魚敵にまじってラストダンジョンのモンスターに遭遇した気分だ。

 

 だからって退く理由は微塵もない。

 目を閉じれば、殺される仲間たちが鮮明に浮かぶ。肉塊になったみんなの、冷たい手触りが思い出せる。

 

「よくも、よくもよくもよくも……」

 

 すぐにまた、臓物が焼ききれそうな怒りが沸き上がる。

 どいつもこいつも深海棲艦は、あんなに殺戮を楽しめるのか。殺戮を正当化できるのか。

 

 腹が立つ。やつらの存在そのものが許しがたい。殺した数を自慢しあってるようなクズどもが、この地球上で息をしてることに吐き気がする。

 

 この怒りに比べれば、わたしの恐怖なんてなんの価値もない。怒りに身を任せれば、果敢に戦える。

 

「なんて、する気はないけどね……」

 

 だが、それは諸刃の剣だ。

 暴走した挙げ句仲間を傷つけかねない行為だ。

 感情をコントロールしないといけない。後遺症だからしょうがないなんて、戦場では通じない。

 

『怒り』は忘れない、でも呑まれちゃいけない。

 駆逐棲姫を殺すのは復讐と、世界を護るためだ。この二つを両立させなければ、わたしの居場所は今度こそなくなる。

 

「よし、頑張るぴょん!」

 

 北上さんに言われたことを思い出す。そしてトレーニングを終えた。

 

 基地に帰投すると、なんとなく慌ただしい音が聞こえた。いつもより話し声や走る足音が多く聞こえる。

 防波堤には不知火がいた。わたしを待ってたのだ。

 

「卯月さん、聞いていますね」

「駆逐棲姫は、本当にやって来るのかぴょん?」

「確率は高いでしょう、奴は今、追い詰められていますから」

 

 どういう意味かというと、駆逐棲姫にはもう、後がないらしい。

 わたしたちが戦ったデータを元に、駆逐棲姫の領海が特定されたのだ。すぐさま水雷戦隊が突入し、複数回撃破に成功した。

 

 あと一回で、完全撃破が可能なレベルに追い込んだのだ。

 

「次死ねば、駆逐棲姫は完全に消滅します。故に彼女は最低限の目的を果たそうとするでしょう」

「うーちゃんを、殺すこと」

「今夜、再び出撃します。メンバーは以前より増やしたのでご安心ください」

 

 それは嬉しい。満潮とポーラのタッグは死ぬかと思った。あいつら以外なら誰でも大歓迎だ。

 

「くれぐれも無理はしないように、不知火が教えた『毒』は味方さえ危険に晒しかねないので」

「分かってるぴょん、さすがのうーちゃんも注意するぴょん」

 

 今度こそ確実に抹殺しなければ。

 泊地棲鬼の仲間は全員死ぬべき敵だ。いたぶりも苦しめもしない。兎にも角にも殺せれば良い。

 仇を討つため、そして世界を護るために、絶対に始末するのだ、今度こそ。




艦隊新聞小話
 近代化改修ですが、実は艦娘よりも、深海棲艦側の生態に近いところがあります。
 元々姫級の不死性――沈めても、海のエネルギーを取りこんで復活しちゃう点――を模したかったらしいんですが、上手くいかなかったんですね。
 ですが、そのデータを元に、エネルギー=同種の魂=艦娘の魂を恒常的に一体化させる技術が生まれたって訳です。
 ただ流石に自我を持ってる存在同士の融合は危ないので、自我のない純粋な魂を、自我のない艤装に加えるのが現在の主流なやり方ですよ。


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第36話 駆逐棲姫

モンハンやることがないよ。ストーリーズ買おうかな……ともかく、卯月にとって三戦目のボスバトル開幕です。


 深夜の海へ、わたしたちは出撃していた。

 わたしにとって通算3回目の出撃、駆逐棲姫を確実にぶち殺すため、ヒーヒー言いながら訓練に耐えたのだ。

 

 駆逐棲姫は、前回自力で近海まで現れた。

 どうして来れたのかは分からない。私が原因という可能性もあり得る。

 どっちにしても、次は、基地内へ侵入する可能性が高い。ならば先に迎え撃って出る。その為の出撃だ。

 

 メンバーは合計5隻。

 球磨、熊野、ポーラに満潮、そしてわたしこと卯月だ。

 前回いた飛鷹さんは夜戦なので休み。那珂ちゃんもなぜか休みだ。

 

「なんで那珂ちゃんは来ないぴょん?」

 

 当然の疑問だった。

 駆逐艦や軽巡にとって、夜戦こそ本領発揮の時。一番活躍できる時間帯だ。出ない理由が分からない。

 

「那珂は、「お肌が荒れちゃう」って言ってたクマ」

「おい」

「冗談クマ、万一の為に控えてるんだクマ」

 

 万が一、ありえないが万が一わたしたちが負けたら、基地が襲撃される。その時戦える人がいなかったら、時間稼ぎもできない。その為に那珂は残っていた。

 

「不知火と飛鷹さんがいるけどぴょん」

「不知火は所長の護衛、飛鷹さんは夜は戦えないクマ」

「なるほどぴょん」

 

 納得したところで、近海の機雷エリアを抜けた。

 今回も機雷の配置は変わっている。抜け道を知ってるのは旗艦の球磨だけだ。

 

 今回は気を付けないと。

 前回うっかり機雷源に踏み込みかけたことは、忘れてない。場所を覚えて、近づかないように立ち回るのだ。

 

「球磨さん、駆逐棲姫は本当に現れるの?」

「絶対に、此処へ来る。所長がそう言ったんだクマ、球磨たちは信じるだけたクマ」

「所長には、襲撃ポイントが分かっているのですわね」

 

 わたしたちが居る此処に、今からまさに現れるだろう。

 そう高宮所長は予想しているらしい。

 どうやってあたりをつけたのか。鎮守府近海はかなり広い。それに襲撃のタイミングも分からないのに。

 

「ついたクマ、所定位置で待機クマ」

 

 此処が近海のどのあたりなのか分からない。

 真っ暗闇に加えレーダーも持っていない。周辺の地形が分かったら脱走のヒントになる。旗艦以外は持たされていないのだ。

 

 全員静かに待っていた。

 緊張しているのだろう。夜戦は恐いものだ。どこから何時なにが来るか検討もつかない。慣れても慣れてなくても、この緊張は変わらない。

 

 本当に、来るのだろうか。

 駆逐棲姫がどこに来るか、何時来るか、どうやって来るか分からないのに。

 所長は『絶対に』と言ってたが、実際はどうだか。

 

 無駄だなこれは。わたしは考えるのを止める。

 仮説が──わたしを探知して、接近したんじゃないかという──合ってるなら、奴は現れる。そうじゃないなら、仮説が違ってたってだけの話だ。

 

 来たら、殺す。それで良い。それで十分過ぎる。

 

「来やがれぴょん」

 

 どうせ目視は意味がない。目を閉じて静かに待つ。

 波しぶきの音、みんなやわたしの呼吸音。神経が研ぎ澄まされていき、血液の音や心音までもが聞こえる様だ。

 

 聞こえた、()()()()()

 

「雷撃ぴょんっ!」

Guardato(視えました)!」

「レーダーに反応クマ!」

 

 三人がほぼ同時に叫んだ。全員で一気に移動し、雷撃を回避する。以前と同じような音、他の個体の攻撃も混じっているが、奴で間違いない。

 

「7時の方向、全員一斉射クマ!」

 

 指示に従い、全員で砲撃を放つ。

 爆発が真っ暗闇を眩しく照らす。光の中に小さな影がいくつか浮かび上がってきた。

 砲撃の爆発があったが、敵の爆発はなかった。運よく当たってくれれば良かったんだが。

 

 爆炎を切り抜け、一隻の姫が現れる。

 そいつは言うまでもなく、駆逐棲姫だった。

 

「アラ、随分ト……大勢デ出迎エテクレタノネ」

「礼儀がなっていませんね。歓迎のプレゼント(砲撃)はお気に召しませんでしたか?」

「イラナイワソンナモノ、特ニ卯月ノモノハ」

 

 まただ。またこいつはわたしを毛嫌いしている。

 いくら泊地棲鬼を殺したからといって、ここまで憎まれるとは。なんだかムカムカしてくる。

 

「言いがかりもいーかげんにしろぴょん。泊地棲鬼はなぁ、ゴミだったんだぴょん」

「……ゴミ、デスッテ?」

「そう! ゴミはゴミ箱へ。うーちゃんは懇切丁寧に廃棄処分をしてあげただけ。なのにお前と来たら。はぁーあこれだから異常者は」

 

 駆逐棲姫の血管が千切れる音が聞こえた。

 開幕の挑発としては中々なんじゃないか。ただし嘘は言っていない。全部本心から言っている。わたしは嘘が嫌いなのだ。

 

「アレダケ痛メツケテ、全ク懲リテイナイナンテ。驚キダワ。相当物覚エガ悪イノネ」

「脳味噌腐ってるお化けに言われたくないぴょん。あ、腐ってるから理解できないのかぴょん。ごめんぴょん配慮が足りなかったぴょん」

「イイワヨ、ドウセ、死ヌンダカラ」

「はん、あと一回で死ぬ奴がなーにいってるぴょん!」

「ソウヨ、ダカラ貴女ダケデモ、殺シテヤルノ!」

 

 駆逐棲姫が雄たけびと同時に、主砲を発射した。

 奴に合わせて随伴艦も一斉に砲撃を放つ。負けじとこちらも、一斉射を放った。

 

 凄まじい爆風に闇が掻き消える。一瞬だけど敵編成が見えた。

 

「姫一隻、PT小鬼三グループ、重巡ネ級elite二隻、中々えげつない編成ですわね」

「PTはポーラが始末するクマ!」

Inteso(了解で~す)

 

 ポーラは距離をとらないと狙撃ができない。あっと言う間に背を向けて、夜闇の中へ逃げ去って行く。

 

「奴ハ逃ガスナ、狙撃ヲ阻止シテ!」

 

 しかし、前回の戦いで駆逐棲姫も学習している。重巡ネ級が二隻ともポーラの逃走経路を塞ぐように砲撃する。

 

「あー誰かー、aiuto(助けてください~)

 

 ポーラは迎撃しない。分かっているのだ。下手に砲撃したら味方へ当たると。近距離では物理法則を無視したノーコンなのだから。

 

 即座に反応したのは満潮だ。砲撃をネ級に当てて注意を引く。続けて雷撃をばら撒き、回避行動を強要させた。

 昼間ならまだ、雷撃を撃って除去できる。けど夜間戦闘じゃ無理だ、回避しかない。

 

 発射直前に動きを変えたせいで、ネ級の砲撃は逸れた。

 だが、それでも()()()()()()。照準が逸れたのに何発かはポーラの近くへ降り注いだ。

 

「わたしがポーラにつくわ」

「頼むクマ、残りは駆逐棲姫、奴一隻を狙うクマ!」

「殺してやるぴょん!」

 

 敵艦隊の旗艦は言わずもが駆逐棲姫だ。

 奴が沈めば戦局は変わる。敵は瓦解する。人数でも劣っているわたしたちには、これが一番確実な勝ち方だ。

 

 となれば、使う時が来る。

 わたしは腰回りのポーチに手を伸ばし、武器の準備を密かに整えておく。

 チャンスは多くない。何回も使えるものじゃない。

 

「隙アリ」

 

 だが、その一瞬の隙を駆逐棲姫は突いてきた。

 自爆上等の超加速、目の前に現れた。まだ準備はできていない。

 

 そうだ、こいつの殺意も本物だ。

 見当違いとか意味不明とかはさておき、確実に殺す気迫で来ているのだ。振り上げた右腕で、力任せに腸を抉り取ろうと手刀が迫る。

 

「それはさすがに、予測済みですわ!」

 

 わたしと駆逐棲姫の間を通るように、砲撃が刺し込まれた。

 突然の攻撃を駆逐棲姫はバックで回避する。反射神経もイカれた次元だ。

 助かった。熊野が助けてくれたのだ。

 

「チィ!」

「ド単調な動き、視なくても予想できますわ」

「……ソウネ、コレハ私ガマヌケネ」

 

 熊野は予測済みだった。ほんの一瞬の隙を突いて卯月を殺すことを。まっさきに殺そうと加速することも。

 だから事前に、砲撃を撃っておいたのだ。

 

 しかし、熊野の頬を冷や汗が流れた。

 回避されるとは、思っていなかった。あそこで命中しないにせよ、掠るぐらいはすると思って居たからだ。

 

「今だ撃て、考える時間を与えるなクマ!」

 

 球磨の指示に従い、また砲撃を乱射する。

 駆逐棲姫もPT小鬼も即座に反応し、細かい動きで回避し続ける。

 練度の足りてないわたしのはともかく、球磨や熊野の砲撃は当たっている。だけど装甲で的確に受け止めているのだ。

 

「今度ハ、私達ノ番ネ」

「まずい、止めろクマ!」

「サセルワケナイデショウ」

 

 全九隻のPT小鬼群が、雷撃体勢に入った。

 阻止しようと砲撃するも、駆逐棲姫が全て、自分の体で防いでしまった。回避をしなかった分、小鬼の狙いは正確だ。

 

「ヤリナサイ、子供達!」

 

 耳障りな奇声を上げて雷撃が発射された。どう回避しても、どこかしらに雷撃が飛んでくる。挙句逃げ場を塞ぐように、駆逐棲姫が砲撃を連発してきた。

 

「回避クマ!」

「無理無理無理当たっちゃうぴょん!」

「うるさい躱せクマ!」

 

 いやできねぇよ! 

 と思っていたら、熊野と球磨は雷撃を回避して逃げ切ってしまった。

 これぐらい回避できないと、前科戦線の及第点にはいかないようだ。

 

「ナンデスッテ」

「鍛え方が違うんだクマ」

「ダガ、卯月ダケデモ」

 

 全員逃げきった。つまり残ってるのはわたしだけ。

 さながら群れからはぐれた子ウサギ、格好の獲物だ。

 だがなめて貰っては困る。ウサギとは逃げることに特化した生物なのだから。

 

「こっちだってぇ、練習してんだぴょんっ!」

 

 夜で雷撃は視認困難だ。しかし見えないわけじゃない。そういう訓練だってやっている。

 意識を尖らせ雷跡を凝視する。見逃したらジエンドだ。死と隣り合わせの緊張感が力を引き出す。

 

「逃ガサナイワ……」

「おっと、ダメクマ」

 

 逃走妨害に砲撃を撃とうとしたが、球磨の牽制に阻まれる。その一瞬の隙を突いて、わたしは攻撃範囲から脱出した。

 駆逐棲姫へ向かって。

 

「ナッ」

「こんにちわ死ねぴょん!」

 

 急旋回と同時に、至近距離から魚雷を飛ばす。

 駆逐棲姫は持ち前の反応速度で見極め、逆に超加速で殴りかかる。魚雷の爆発地点を越えて、拳が迫る。

 

「またこれかぴょん、やっぱり脳ミソ腐ってるぴょん」

 

 だが、予想できている! 

 腰だめで主砲を、やつの顔目掛けて撃った。

 駆逐棲姫が苦い顔をした。目潰しの一撃を思い出したのだ。

 

 致命傷にはなり得ない。それでも視界は狭まる。前回と違いこっちの方が数は多い。無茶なアクションは行わない。顔で受け止めるには危険が多い。

 

「ナマイキネ」

 

 やむを得ず砲撃を防御した。装甲に覆われた腕部での防御、かすり傷が──できた。

 そうだ、腕を使ったのだ。これで殴っての攻撃は中断された。

 

「ダメージダト、ソンナ、前ハ」

「こっちは成長してんだぴょん、てめぇらを皆殺しにするためにぴょん!」

「ホザケ、タカガカスリ傷デ、図ニ乗ラナイデ!」

 

 苛立つ駆逐棲姫は主砲を構える。

 しかし卯月は、目の前からいなくなっていた。卯月を探す駆逐棲姫を見て、卯月は嗤う。

 

「やっぱバカだぴょん、このうーちゃんが! 脅かすために懐へ潜ったとでも!?」

 

 背後からの声に駆逐棲姫は振り替える。

 卯月の足元には、踏みつけにされるPT小鬼群がいた。

 

「子供達!?」

「これだけ魚雷を撒いといて、再装填の隙を見逃すうーちゃんじゃないぴょん」

 

 何隻かは再装填を終えていたが、一斉射でなければ回避はできる。目障りなPT小鬼群から仕留めると、最初から決めていた。

 

「臓物ぶちまけろ汚物どもぴょん!」

 

 全てを回避へ振り切った小鬼群では、駆逐艦の砲撃に耐えられない。主砲の接射をくらい、小鬼が内臓から弾けとんだ。

 

「アアアアッ!?」

「はーっはっはーザマァねぇぴょん!」

 

 卯月はなんとも思わない。こんな海産物なんて、何匹死のうとも構わない。なんなら惨たらしく死ねと思っている。

 厄介な敵の除去兼、駆逐棲姫への嫌がらせ。そのための攻撃だったのだ。

 

「貴様ァァァッ!」

「叫んでろ、まず小鬼どもから殺すぴょん」

 

 この行動が、駆逐棲姫の怒りを買うことは予想している。それはしょうがない。深海棲艦が仲間──そんな概念があること事態びっくりだが──に怒ることは、実に不可解だが。

 

「駆逐棲姫は任せろクマ!」

「その間にPTをお願いしますわ!」

 

 夜戦とは至近距離の戦い。予想以上に近くにいた球磨と熊野の攻撃は無視できるものではない。

 駆逐棲姫は憎悪に顔を染めながらも、二人の相手をし始めた。

 

「卯月ノ仲間、当然、貴女達モ殺スワ」

 

 不意打ち気味に超加速、速攻で勝負を決めにかかってきた。だが突撃直後、目の前に重巡級の主砲が置かれていた。事前に発射していた、予想されていた。

 急カーブで回避したところには、球磨の雷撃が発射されていた。

 

 逃げ場がない、足を一瞬止めてしまう。結果主砲と雷撃、両方に当たってしまった。

 

「いつものセリフですわね」

「深海の連中は同じことしか言わないクマ」

 

 駆逐棲姫は健在だが、ダメージは通った。卯月がつけている以上の傷が体に刻まれている。

 一瞬で傷を負った。その事実に彼女は認識を改める。卯月を殺すにしても簡単にはいかないと。

 

「コノ駆逐棲姫、コノ程度デハ、沈マナイワ……!」

「だったらガッツを見せるクマ、駆逐艦を、名乗るなら」

「言ワレナクテモ!」

 

 こいつらは卯月とは比較にならない。

 怨念を纏いながら構える駆逐棲姫。

 夜の海はまだ、燃え始めたばかりなのだ。




艦隊新聞小話

 駆逐棲姫さんはPT小鬼群のことをしょっちゅう子供と言ってますが、あながち間違いじゃないんですよね。
 姫級深海棲艦は、部下になる深海棲艦を自力で作ることができちゃうんです。上位個体になれば姫級も想像できるとか……?
 とはいっても、作るのに手間もエネルギーもかかるので簡単じゃないですが。
 それなりに苦労してPT小鬼群を生んでるので、愛着はあるようですよ。その『愛着』が人間と同じとは限りませんが。


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第37話 毒薬

なんかスムーズに書けたので早めに投稿しちゃいます。


 高宮中佐の予想は当たった。中佐の言った通り駆逐棲姫が出現したのだ。狙いはわたしこと卯月。奴は残った力でわたしを殺そうとしている。

 

 そっちがその気なら容赦はいらない。こっちだって殺す気で来てるのだから。前回より人数は多い、負ける理由は一つもない。夜の海で戦いは始まった。

 

 わたしがPT小鬼群の始末をしている間、駆逐棲姫は球磨と熊野のクマクマコンビが引き受けてくれた。

 

「いまなにか、妙なあだ名をつけられた気がしますわ」

「どうでもいいから敵に集中するクマ!」

 

 艦娘と深海棲艦には愕然たる差がある。わずかな油断が即死に繋がりかねない。姫は決して侮っていい相手ではない。例え今まで、何度と同タイプの姫と交戦していても。

 

「ドキナサイ、私ハ卯月ヲ殺スノヨ」

 

 駆逐棲姫の姿が消える。

 超加速によって、二人を正面から突破する気だ。

 

「同じことを……」

「スルトハ、思ワナイコトネ」

「クマっ!?」

 

 球磨はまた主砲を先に撃って、進路を阻もうとした。

 だが主砲を上げた時には、駆逐棲姫の砲撃が目の前にあった。超加速する彼女の主砲は、球磨の速度を上回った。

 

 しかしデメリットはある。

 球磨は駆逐棲姫の姿を完全に捉えていた。

 砲撃をすれば反動が来る。高速砲撃の代償に移動速度が落ちていた。

 

 それでも駆逐棲姫の主砲が先に来る。

 球磨はそれに対し、姿勢を一気に屈めることで回避した。

 

 屈むといっても、並みのものではない。

 顎が水面ギリギリに触れるほど、四足獣のような姿勢に一瞬で移行したのだ。

 

「クマッ!」

 

 獣の姿勢から、一気に駆逐棲姫へ飛びかかり、横腹に回し蹴りを叩き込もうとした。

 しかし、加速を強めて回避される。球磨の足は虚空へ空振る。

 

「野蛮ネ」

「だからなにクマ?」

「ケダモノニ用ハナイノヨ……!」

 

 球磨を突破した駆逐棲姫は、今度は熊野を振りきろうと、再度加速を始めた。

 熊野は同じく、進路を阻むために主砲を放つ。

 

 また同じかと駆逐棲姫は呆れ果て──考え直した。

 おかしくないか、こんなに同じことを何度もするものか。

 違う、なにか、仕掛けてくる。

 

 警戒しきった駆逐棲姫は熊野を凝視する。不審な動きは見逃さない。超加速を身に付けている彼女は、動体視力にも自信があったのだ。

 

「雷撃カ!」

 

 一瞬だが見えた、見ていなければ気づけなかった。

 飛行甲板に隠れて、魚雷が発射される瞬間を見落とすところだった。

 しかし、分かってしまえばただの子供だまし! 

 

「回避ナンテ、簡単ダワ」

 

 駆逐棲姫は体勢を変え、()()へ再び加速する。雷撃が到達しきる前に射程外へ逃げきった。

 熊野は苦虫を潰した顔をした。いい気味だ。彼女は優越感に浸っていた。

 

 そのまま卯月目掛けて突っ走ろうと試みる。

 だが、それを許すほど二人は弱くない。ため息をつきながら、熊野が叫んだ。

 

「ごめんなさいね、後で回収しますから!」

 

 そう言って、飛ばしたのだ。

 水上爆撃機を、この真っ暗な夜の海で。

 信じがたい暴挙に、駆逐棲姫は目を疑う。

 

 水上爆撃機に限った話ではないが、艦載機は基本昼間に飛ばす兵器だ。夜では狙いも定まらず母艦に戻ることもままならない。

 

 深海棲艦の一部個体ならともかく、艦娘で夜間戦闘ができる空母は稀だった。ましてや航空巡洋艦でなんて聞いたこともない。

 

「頭デモオカシクナッタノカシラ」

 

 嫌味とかそんなのではない。

 素直な感想だ。そうとしか駆逐棲姫には思えなかった。あらゆる意味でありえない行動を選択していると思い込んだ。

 

 空爆が、至近距離に降り注ぐまでは。

 

「ナンダト!?」

 

 とっさに回避行動をとるが、逃げた先にも空爆が襲い掛かる。

 水上爆撃機の爆撃なんて大した威力じゃない。そう知っていても驚かざるをえない。この暗黒の中でこいつらは、正確に攻撃をしてきているのだ。

 

「隙ありだクマ!」

 

 その空爆を貫くように、球磨が鋭い砲撃を放つ。

 牽制の必要はない。駆逐棲姫の動きを予想した正確な一撃だ。空爆に誘導されるかのように、駆逐棲姫は砲撃へ突っ込んでいくだろう。

 

 普通なら。

 

「無駄ナノヨ、貴女達ノ攻撃ハ!」

 

 空爆も砲撃を置き去って、駆逐棲姫が加速する。一瞬で攻撃範囲から離脱した。

 これだ、この、全てを投げ打つ超加速がある限り、駆逐棲姫に有効打は与えられない。余裕の笑みを浮かべる彼女を見て、球磨は舌打ちした。

 

「かすっただけか、クマ」

「……エ?」

 

 つう、と、頬から血が流れ落ちる。

 球磨の装備した機銃から煙が上がる。加速した時、どこまで移動してどこで止まるか──球磨たちは少しずつ、動きを見極めつつあった。

 

「次は命中クマ」

 

 掲げた主砲には、異様な圧があった。

 球磨の言っていることは真実だと信じ込ませるような圧。彼女の放つ自信と、ダメージを負った自身が、そう言い聞かせてくる。

 

 球磨の挑発は、駆逐棲姫のプライドを深く傷つけた。それこそ手段を問わなくなるほどに。

 

「沈ミナサイ!」

 

 今まで回避に使っていた超加速を、積極的に攻撃に使い始めた。目視困難な速度で球磨の周囲を走りながら、中央へ追い込むように砲撃をばらまいていく。

 

「雑な狙いクマ」

「ええ、ですが少々厄介ですわね」

 

 命中率だけで言えばさっきより下がっている。

 だが、瞬き一瞬の間に背後に回られるのが厄介だ。常に死角から狙われ続けているのだ。

 

 熊野の爆撃も依然続いているが、駆逐棲姫はダメージを無視する。最重要部位以外への傷は無視するつもりだ。

 

 それでも球磨と熊野には当たらない。

 死角から攻め立てているのに、ギリギリで回避される。歯痒さに駆逐棲姫が苛立つ。

 

「ナラ、複数ナラドウカシラ」

 

 口笛と同時に、レーダーの反応が増えた。この小ささはPT小鬼群だ。

 

 遠くを見ると、やはり小鬼群の影が見えた。追いかける卯月の姿も見えた。

 

「……減ッテイル、ヤッテクレタワネ」

「ごめんぴょん、削り切れなかったぴょん!」

「いや、十分ですわ」

 

 8隻残っていた小鬼は、4隻まで数を減らしていた。狙いが絞られただけでも、大きなメリットになる。

 そして増援を呼んだことは、もう一つ利点を生んだ。

 

「……ソウイウコトカ、小細工ヲ!」

 

 駆逐棲姫が艤装の裏側を見つめる。

 そこには眩しく輝く探照灯がつけられていた。最初に球磨が格闘戦を仕掛けたあの時に仕込まれたのだ。

 

 こんなものがあったら、そりゃ良い的だ。駆逐棲姫が探照灯を破壊した瞬間、爆撃が止まった。

 

「あ、やっと気づきましたか」

「モウ無意味ヨ、爆撃モ通ジナイ」

「はぁ、今さら自信満々に言われましても」

 

 どいつもこいつも挑発口調だ。駆逐棲姫の苛立ちはピークへ達した。

 

「キメテヤルワ」

 

 PT小鬼群と合流し、駆逐棲姫は即座に雷撃を一斉射した。追いかけてくる卯月を完全無視し、球磨たちを先に殺すために。

 

 回避ルートも作らせない。

 わずかな隙間には、駆逐棲姫自身が雷撃を放つ。逃げ場を喪った球磨たちは、魚雷そのものへ攻撃を加えだす。

 

 直接魚雷を破壊して、逃げ道を確保しようとする。

 夜戦にも関わらず二人は正確に魚雷を処理する。誘爆により次々に水柱が立ち上る。

 

「ソレヲ、待ッテタワ!」

「クマッ!?」

 

 それが狙いだった。

 水柱を立てて、自ら視界を狭めること。

 雷撃処理に集中して、わずかでも意識が、駆逐棲姫から逸れること。

 

 水柱に隠れて駆逐棲姫が攻撃を仕掛ける。

 なにをするのか。

 なにが来ても良いように二人は警戒する。しかし、それでも予想外の一撃が放たれた。

 

 砲撃が飛んできた。

 だが砲撃に、PT小鬼群がへばりついていた。

 

「これは!?」

 

 砲撃は回避したが、そこから飛び付いてきた小鬼は回避できなかった。熊野の飛行甲板に張り付いた小鬼は、笑い声のような悲鳴を上げる。

 

 小鬼はボロボロになっていた。

 駆逐棲姫でなければ耐えられない速度を加えた砲撃に、無理やり乗せられたのだ。

 

 全身から血を吹き出しながらも、懸命に熊野にしがみつく。その姿を見て熊野は一瞬同情した──のもつかの間。

 

 PT小鬼が、飛行甲板に魚雷を捩じ込んだ。

 

「自爆、ですか!」

 

 熊野は即座に飛行甲板を投棄する。直後自爆による爆風が襲いかかる。

 緊急回避したせいで不安定な姿勢だった。そこへ風圧、熊野の姿勢は崩れた。

 

 駆逐棲姫はそれを狙っていた。チャンスを掴んだ彼女は既に、熊野の眼前に現れた。

 

「子供、ではなかったんですか」

「子供ヨ、子供ハ親ノ為ニアル。私ノ為ニ死ネタ事ヲ、アノ子ハ感謝シテル筈ヨ!」

「悪趣味なことで」

「言ッテナサイ、モウ、口モキケナクナルワ!」

 

 軽口を言ってる場合ではない。今の熊野には逃げる方法がない。球磨は張り付いた小鬼の対処にいっぱいだ。

 誰かが助けなければ、熊野がダメージを負う。

 

 そして、いま動けるのは、このわたししかいない。

 

「そこを、どけぴょん!」

 

 主砲を乱射しながら、卯月が突っ込んでいった。

 背中に装甲はない──が、装甲と変わらない硬度の服と、背中の骨格が攻撃を弾く。

 

 なんでもいい、かすり傷でも構わない。少しでも奴の注意をこちらに向けさせる。

 

「……貴女」

 

 卯月の目論みは、上手く言ったと言えた。駆逐棲姫の敵意は卯月へ移った。

 

「ダメですわ卯月さん!」

「え?」

 

 誤算があるとすれば、それは。

 

「ヤッパリ、馬鹿ハ、貴女ノ方ダワ!」

 

 駆逐棲姫は未だに、卯月抹殺を至上目的にしていたことだった。

 

 すでに手遅れになっていた。

 気づいた時にはもう、PT小鬼群が放った四方からの雷撃に包囲されていた。

 逃げ場は、ほとんどない。

 

「最初カラ、貴女ガ狙イ。何度モ言ッタデショウ!」

「ウソぴょん!?」

「イイエ本当ヨ、此処デ死ヌノガ、貴女ノ真実!」

 

 だからって諦める訳にはいかない。

 高密度の雷撃だが、わずかに隙間はある。そこを潜り抜ければ逃げきれる。

 

 そうして、隙間に踏みいったと同時に、駆逐棲姫が目の前に現れた。

 

「アリガトウ、誘イニ、乗ッテクレテ」

 

 声も出ない。

 隙間は()()()だ。

 ここしか逃げ場がない。絶対に来る。駆け引きに勝ったのは駆逐棲姫だ。

 

「逃げろクマ!」

「いやムチャぴょんヘルプミー!」

 

 球磨は小鬼群の対処をしている。でなければ雷撃が止まない。熊野は砲撃をしているが、この距離では間に合わない。

 卯月の攻撃では、有効打にはならない。誰が見てもチェックメイト。『詰み』に嵌まったのだ。

 

 駆逐棲姫の主砲が、卯月へ向けられた。

 

 しかし、卯月の目がギラリと光る。

 危機だ、ピンチだ、だからこそチャンスだ! 

 予定と違うが、今やらなきゃ死ぬだけだ! 

 

「ぴょぉん!」

 

 腰のポーチへ手を突っ込み、全速力で腕を振るう。意外な反撃に駆逐棲姫は反応が遅れる。

 構えていた主砲で、攻撃を受け止めてしまう。

 

 今の攻撃はなんだ。

 駆逐棲姫は主砲を横目に確認する。

 砲身に、鋭い切り傷が刻まれていた。

 

 ナイフの、傷痕だった。

 

 卯月が振るったのは、普通の軍用ナイフだった。

 切れ味は凄い。駆逐棲姫の主砲に傷をつけたのだから。刀を使う艦娘もいる。珍しくはない。

 

 だがそれだけだ。砲身は傷がついただけ。切れていない、発射に問題はない。

 

 熊野の主砲到達までまだ僅かに時間はある。卯月を殺すには充分な時間が。

 哀れな足掻きをバカにしながら、駆逐棲姫は今度こそトリガーを引いた。

 

 その時、『毒』が回った。

 

 砲身の切り傷を中心にして、主砲が()()()()()()()()

 

「ナッ……!?」

 

 駆逐棲姫からしてみれば、なにが起こったのか理解できない事態だ。

 理解が追いつかない間にも、砲身の膨らみ一気に増えていく。まるで水膨れが密集しているような見た目だった。

 

 そして砲身にできた水膨れは、一斉に弾け飛んだ。

 

 砲塔は半ばから溶け落ち、砲弾が発射される場所は途中で溶けて、塞がってしまっていた。

 

「ナンダ!?」

 

 ここまでほんの一瞬の出来事だ。

 卯月がナイフで傷をつけた一瞬後に、傷口から腫瘍(のようななにか)ができ、砲身が溶け落ちてしまった。

 

 本来砲弾が飛び出る穴は、溶けて塞がっている。

 そして駆逐棲姫は、もうトリガーを引いてしまっている。

 

 発射された砲弾はエネルギーの行き場を失い、砲塔内部へと逆流していく。

 卯月の殺す筈の一撃が駆逐棲姫へと襲い掛かる。

 

「ナンダ、コレハッ!?」

 

 駆逐棲姫の砲塔が、艤装の一部もろとも大爆発を起こした。

 

 内部の弾薬庫にも連鎖爆発を起こし、駆逐棲姫は初めて大ダメージを負う。装甲が剥がれ落ちる。ダメコンを想定していても、到底無視できない大打撃を、自分の一撃で負ってしまった。

 

 なぜだ、なぜ、ナイフで切られただけで砲身が溶けたのだ。

 

「フハハハハッ! やったぴょんざまぁねーぴょん!」

 

 一方卯月は、これでもかと高笑いを見せつける。

 

「見たか、これが『毒』……『修復誘発材』の恐ろしさぴょん!」

 

『毒』の滴るナイフを駆逐棲姫に見せつける。

 想定外ってか、だいぶ不味い展開になったけど構わない。駆逐棲姫の絶句する顔が見れたならむしろお釣りがくる。

 

 自分の思っていた以上に効果を発揮した『修復誘発材』。

 その力を見ながら、卯月は不知火との訓練を思い出すのであった。




毒の正体、修復誘発材の説明は次回。


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第38話 修復誘発材

ストーリーズを買いました。クルルヤックにはGB時代から伝わる由緒正しき名前をつけました。
よろしくね『どろぼー』。


 卯月の一撃により、戦局は変化した。

 ただのナイフの一撃が駆逐棲艦の主砲を溶解させた。ジャムを起こし砲塔が艤装ごと爆発する。

 

 大ダメージを負い、絶句する駆逐棲姫。

 そして、それを成功させた卯月は無様な敵を嘲笑い、勝利者の態度をとっていた。

 

 ──やばい、やっちまった。

 

 だが、内心は冷や汗ダラダラであった。

 

 こんなタイミングで使う予定ではなかった。もっとギリギリ、際の際、ここぞというチャンスで食らわせるつもりだったのだ。

 

 なんてことだ。頭を抱えながら、卯月は不知火のレクチャーを思い出していた。

 

 

 *

 

 

 前科戦線の地下シェルター内で、卯月は不知火の特訓を受けることになった。

 実践で使えるようにするのが不知火の仕事だ。

 しかし、その為に費やせる時間はかなり少ない。

 

 だから不知火は『ズル』をすると決めた。

 

「……毒?」

「ええ、毒です」

 

 不知火が取り出した小瓶には、無色透明な液体が入っている。これが毒なのか。

 

「この毒を使い、卯月さんを使えるように、一旦仕上げます」

「はぁ、でもまず深海棲艦どもに、毒が効くのかぴょん?」

「普通の毒は効きません、深海棲艦は異常な再生能力を持っていますから」

 

 毒による細胞破壊より、再生速度の方が早いのだ。結果的に無意味になってしまう。

 

 深海棲艦最大の強みがそれだ。

 『対』である艦娘以外の、通常兵器の攻撃を受けてもすぐ再生してしまう。

 

 血液のように、全身を高速修復材の原液が巡っているせいだ。

 

「しかし、艦娘の力を宿した毒でもありません。毒なんてものを使える艦は存在しませんから」

「聞いたことないぴょん」

「九十九神故の、縛りです」

 

 あくまで艦娘は軍艦の化身である。

 色々混ざっている深海棲艦と違い、その性質から外れすぎた武器は、艤装として使えないのだ。

 

「ですからこれは、艦娘の武器ではありません」

「じゃあ誰の武器ぴょん」

「人間の、武器です」

 

 それが意味することを察し、卯月は押し黙った。

 

「名称は『修復誘発材』。

 まだ艦娘がいなかった頃、人間が深海棲艦と少しでも渡り合う為に作り上げた物です」

「修復、誘発材……」

「体内を循環する修復材を()()させ、崩壊させるという毒です」

 

 分かりやすくしましょう。

 そう言って不知火は、丸くて黒い物体を置いた。

 

「実験用に加工したイ級です」

「実験用マウスみたいに言うなぴょん」

 

 深海棲艦は嫌いだが、これは酷い。ちょっとだけ同情心が沸いた。

 

「これに誘発材を垂らします」

 

 スポイトに吸わせて、一滴垂らす。

 そこからは一瞬だった。

 再生能力が暴走し、垂らした場所が肥大化していく。形状を維持できなくなった時、弾けとんで崩壊した。

 

「す、すげぇぴょん。装甲まで砕けたぴょん」

「深海棲艦の場合、修復材は艤装や装甲にも通っていますから」

 

 その辺も艦娘と深海棲艦の違いである。

 人と艦が別れた存在と、混じった存在。結果、つけ入る隙が生まれたのだ。

 

「でもなんで、これ普及してないぴょん」

 

 強烈な砲撃も魚雷も使わず装甲や肉体を破壊できる。とても便利な武器だ。広まっていないのには、なんらかの理由がある。

 

「見れば分かります」

 

 不知火は実験用イ級を指差す。

 卯月は理由を理解した。誘発材が浸透しなかった理解を。

 

「再生しだしているぴょん……」

 

 溶けていたイ級の装甲は、ゆっくりだが再生を始めていた。艦娘が持つ再生阻害が働いていない。

 いや、最初からないのだ。

 だってこれは、艤装の武器ではないのだから。

 

「これは、あくまで人間の武器。艦娘の武器ではありません。一時的にダメージを与えたとしても、再生は防げない、無意味になってしまいます」

「だから普及しなかったのかぴょん」

「艦娘が現れてからは、尚更無用になりましたから。反艦娘テロリストにでも渡ったら一環の終わりですし」

「って、これ艦娘にも有効なのかぴょん」

 

 不知火は頷く。しょっちゅう高速修復剤を浴びている以上、影響は免れない訳か。

 艦娘と比べて有用性は低く、奪われた場合のリスクは大きく、毒だから管理は面倒。だから廃れたのだ。深海戦争黎明期の遺産って訳だ。

 

「人間が、ほんの僅かでも深海棲艦と渡り合うため。僅かでも時間を稼ぐための毒です」

「なんでそんな物が此処に」

「さあ、不知火は知りません」

 

 おいそれでいいのか。まあいいや、大したことじゃないし。

 

「ともかくこれをメインに戦うことはできません、メインでは」

「……サポートなら」

「そう、その為に、これをお渡しします」

 

 誘発材の入った小瓶と、それを塗るための武器をいくつか手渡される。

 

「イロハ級でも数秒で再生、姫級では瞬きの間に再生されます。

 ですがその間は確実に無力化できます。目をやれば視界を、装甲を、主砲を一瞬だけでも無力化できます」

 

 戦いは一瞬の判断、刹那の隙が運命を分ける。その一瞬を能動的に作ることができたのなら、仲間と一緒なら、強力な切り札になる。

 

「使い方を間違えれば卯月さんだけでなく、他の方々も深刻なダメージを負うでしょう。それに敵も二度目以降は警戒します。可能なら初発、確実に勝負を決められるタイミングで、使って下さい」

 

 どう使うか──どこに仕込むかは使い手次第だ。

 昔の人間が、護るために生み出した苦肉の切り札。手に取ると、その願いを託されているような気持ちになってくる。

 

 『最弱』のわたしが渡り合うために必要な武器、人のための武器。まずこれを使いこなして戦えるようになろう。

 それが、深海棲艦どもに報復するための、第一歩にもなる。

 私怨と願い、両方とも感じながら、不知火による地獄の特訓へ身を投じるのだった。

 

 

 *

 

 

 そう教わっていたのに! 

 卯月は内心頭を抱える。

 チャンスの時使う筈が、自分を守るために使ってしまった。やっちまったぜなにをしてるんだこの私は。

 

「馬鹿ナ、コンナコトガ!」

 

 唯一幸いと言えるのが、弾詰まり(ジャム)を起こして自爆したところだ。

 駆逐棲姫は自分の砲撃の暴発で、艤装を傷つけた。だからあのダメージは再生しない。深海の力も()()だから、再生阻害ができる。

 

「フハハ、二度と完治しない深い傷ぴょん」

 

 勘違いを利用して、シレっと嘘を吐いておく。

 わたしに傷つけられたら、簡単に深手を負うと勘違いしている。自爆で再生できなくなってるのを、毒によるものと間違えているのだ。

 

 しかし、駆逐棲姫はわたしを警戒してしまった。

 警戒されていない時こそ、決定打を放てた。今はもう無理だ、真正面から挑む以外に方法がなくなってしまった。

 

「油断シタワ……モウ、油断ハシナイ……!」

「前もそんなこと言ってたぴょん。頭悪い奴ぴょん」

「……ッチ!」

 

 舌打ちと同時に駆逐棲姫が襲いかかる。

 わたしと球磨、熊野は一層激しくなる攻撃に、身を晒し始めた。

 

 

 

 

 一方、狙撃を試みるポーラと護衛の満潮は、ネ級eliteと交戦していた。

 ポーラの狙撃は距離と反比例する。一定の射程距離を確保しなければ、ほぼ使い物にならないからだ。

 

「ああもう! うっとおしい!」

 

 急接近してくるネ級に向かって、満潮は砲撃する。

 しかし、満潮も駆逐艦。重巡級の装甲を突破することは簡単にはできない。

 装甲の繋ぎ目や隙間を狙っているものの、相手もeliteクラス。易々と突破させてはくれなかった。

 

「ポーラも手伝っちゃいま」

「あんた誤射するでしょさっさと距離とって!」

「ありゃ~」

 

 というか、緊張感ゼロのポーラに苛立っていた。

 卯月は一番嫌いである。虚弱貧弱脆弱の癖に態度はデカいからだ。それに次いでポーラも嫌いだった。

 

 なんてことを言っている間にも、ネ級二隻が急速に距離を詰めてくる。

 特に厄介なのがあの尻尾だ。

 主砲と装甲全てを内包した頑強な尾、あれを盾にされたらほぼ無敵だ。

 

「固い……いいわ、やってやろうじゃないの!」

 

 ネ級は本命ではない。本命は駆逐棲姫だ。こんなのにずっと構ってはいられない。

 夜戦で、駆逐棲姫なら、接近戦こそ花形だ。

 なによりも、夜戦なら経験がある。

 

 牽制の機銃を撒きながら、満潮は一気にネ級へ近づいていく。

 

Pericoloso(危ないですよ)!」

「うっさい、わたしに命令しないで!」

「そうですかぁ」

 

 ポーラを拒絶して、満潮はネ級目がけて主砲を発射する。

 夜戦故に、ネ級の姿はちゃんと見えない。そこは経験値でカバーする。二隻は動き回りながらも、満潮を包囲するように動いている。

 

 挟み撃ちにする気か、一方をポーラへ向かわせるつもりか。

 どちらにしても阻止しなければ。距離なら主砲もダメージに成り得る。

 

 二隻分の砲撃が、満潮に集中して降り注ぐ。

 ただ本能で撃っているだけではない。回避方向を予想し、二隻で協力し、思考して動くeliteクラスの動き。

 なんということはない、この程度は何度も戦ってきた。

 

「当たる訳ないでしょ!」

 

 尻尾を振り回り、不規則に撒き散らされた砲撃を、満潮は全て突破した。

 特別なことはしてない。経験だ。ネ級に限らず尻尾に主砲を持つ個体は、だいたい似た()()()をする。

 

 結果覚えてしまったのだ、振った時どう飛んでいくか。

 砲撃を抜けて、満潮は跳躍した。

 そして、ネ級の尻尾へ着地した。

 

「マヌケな顔してるわね」

 

 驚愕に染まる顔の眼球へ主砲のトリガーを引いた。

 ネ級は反射的に腕で庇い、振り払おうと尻尾を振り回す。さすがに乗っていられず飛んで逃げた──もう一隻の、ネ級目がけて。

 

「どうしたの撃ってみなさいよ!」

 

 満潮の挑発にネ級は反応した。

 尻尾を蹴って飛んだから、逃走方向は分かる。視認の必要はない。ネ級はありったけを満潮へ撃ち込んだ。

 

 だが、満潮が逃げた方向に撃ったのなら、射線上には二隻目のネ級もいる。

 

「引っ掛かったわね」

 

 撃った後、目を開けて気づいた。自分の攻撃が片方のネ級に大ダメージを与えてしまったことを。装甲に亀裂が入ってしまった、攻撃が通り易くなってしまった。

 

 だが、満潮も殺せる。

 そう思ったが、ネ級は絶望に包まれる。

 同じ射線上にいたのに、満潮は無傷だったからだ。

 

 やったことは簡単だ。自分に当たりそうな砲撃を、全弾撃ち落としただけだ。超絶技巧でもなんでもない。前科戦線のメンバーは全員できる。できないのはエコヒイキの無能雑魚艦娘卯月ぐらいだ。

 

「その装甲でどれだけ持つかしら!」

 

 亀裂の入った装甲では、役割の半分も果たせない。

 ダメージに混乱している間に、満潮の砲撃が当たる。防げていた攻撃が防げない。一発ごとに装甲が剥がれ落ちていく。

 

 このままでは、やられてしまう。

 生命の危機に陥ったネ級はターゲットを変える。狙ったのはポーラだ。幸いというべきか、まだ視認できる。暗闇の中に人影が見える。

 

 その場に留まりながら、狙撃のチャンスを窺っているのだ。

 まだいける。狙撃されても、内骨格の装甲がある。ポーラを殺すには充分と判断した。

 

「そっちにいくわよ!」

 

 狙いに気づいた満潮が止めようとするが、無傷のネ級が背後から迫る。

 

「クソッ、間に合え!」

 

 大声で叫びながら、ポーラを追うネ級へ魚雷を放つ。

 装甲破砕はできている。当たれば確実に沈む。だがそれまでにポーラがやられてしまう。

 

 満潮は振り返り、ネ級と相対する。すぐそこまで迫っていた。主砲を上げるより早く尻尾の殴打がくる。

 距離をとろうとしても、長い尾はまるでとぐろを巻く蛇みたいに動き、満潮を逃がさない。

 

 ネ級が、ポーラの元へ到達した。

 駆逐棲姫からの情報で、至近距離ではまともな狙撃はできないと推測している。この距離なら確実に倒せる。

 

 ポーラの顔色を確認さえせず、即座に尾と共に、砲撃を叩き込んだ。

 

 大爆発が起き、反動で装甲が更に傷つく。だがやった、こいつは沈んだ。

 赤く染まる爆炎の中に、ポーラの肉片が──なかった。

 

「あんたたち、バカね」

 

 いや、あるにはあった。

 ゴムの切れ端が、なぜか舞っていた。

 

 ネ級は気づいていなかった。さっき見えたのはポーラではなく、ただのダミー人形だったことに。

 

「……夜だと皆さん、けっこー引っ掛かりますねー」

 

 狙撃地点についたポーラが呟く。そして、主砲をターゲットに合わせる。

 

 目の前のはダミー人形だった、ポーラではなかったことに、ネ級は動揺して動きを一瞬止めた。

 

 それと同時に。満潮の魚雷が突き刺さった。

 

 動揺していなければ、まだ対処できたかもしれない。しかしもう完全に手遅れだ。

 

 砕けた装甲では耐えられない。状況を理解する暇もなく、ネ級は爆発し海の藻屑と化す。

 

 状況を理解できていないのは、もう一方のネ級も同じだ。

 満潮と戦っていたせいで、ポーラが偽物だったと気づいていない。

 今の爆発もポーラが沈んだものと間違えている。

 

 結果、狙撃の警戒を放棄してしまった。

 それが命取りになる。

 満潮に止めを刺そうと、主砲の尻尾を突き立て、照準を合わせた時、砲撃音が轟く。

 

 ターゲットは、ネ級の『主砲』だった。

 ほぼ同時に、全ての主砲の、全ての砲身に、ポーラの砲弾が()()()()()

 

さようなら~(Arrivederci)

 

 能天気な幻聴が聞こえた。それが最後に聞こえた音だった。

 こうなればダメコンは意味を成さない。

 全ての主砲が弾詰まりを起こす。内部装置に引火する。弾薬庫も燃料も燃え上がる。

 

 二隻目のネ級も、爆発し海の藻屑と化した。

 

「雑魚が!」

 

 深海棲艦の残骸を一瞥した満潮は、球磨たちの方向へ急ぐ。ポーラはそこで待機し、狙撃タイミングを再び狙いだす。

 残るはPT小鬼群と駆逐棲姫のみ。決着の時は、迫りつつあった。



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第39話 素人

 満潮とポーラが二隻のネ級を撃破した頃、わたしことうーちゃんは、駆逐棲姫と激闘を繰り広げていた。

 ただしやや優勢だ。修復誘発材により主砲が一つ破壊されたアドバンテージが働いている。

 

「卯月、貴女ダケデモ道ヅレニシテアゲル!」

 

 駆逐棲姫の姿が消える──そう予測できた。

 動きは見えていない。でも、何度も何度も味わえば、発動の予兆が分かるようになってくる。

 

 卯月は先んじて魚雷を撒き、進路方向を妨害する。これで真正面からは来れなくなる。

 

「ナメルナ、ソンナ脆弱ナ魚雷ナンゾ!」

 

 しかし、駆逐棲姫は躊躇なく、超加速を発動させた。回り道はしない。真っ直ぐに、魚雷源を突っ切って来る。

 

 魚雷は前よりも効果を発揮していた。前はろくなダメージも通らなかったのが、明確な外傷を与えられていた。

 

 それでも駆逐棲姫は停止しない。言葉通りわたしだけでも殺す覚悟なのだ。

 そして爆炎から、奴の手が首に伸びる。

 

「舐めてるのはてめーぴょん!」

 

 これは二度目だ、一度味わった攻撃だ。二度も引っ掛かるようなバカじゃない。

 

 駆逐棲姫の伸びた手に向かって、爪先を蹴り上げる。艤装のブーツの先端には隠しナイフが仕込まれている。無論誘発材の塗られた、毒ナイフだ。

 

「イイエ、ソッチヨ、舐メテルノハ」

 

 言うないなや、駆逐棲姫は加速を停止させた。

 わたしの蹴りは、狙いが逸れて宙を切る。片足だちのわたしは絶好の獲物だ。

 

「いーや、やっぱそっちぴょん!」

 

 たが、わたしは単独で戦ってるのではない。

 

「照準よし、いきますわよ!」

 

 駆逐棲姫が止まることを予測していた熊野が、停止地点めがけて砲撃する。

 夜戦、視界不良、当然至近距離、食らえば駆逐棲姫もただでは済まない。

 

「遅イ、再加速ノ方ガ先ヨ!」

 

 発言の通り、駆逐棲姫が一瞬で距離を詰めた。瞬間的、超短距離での超加速、熊野の砲撃は外れた。特攻紛いの戦法は、かなりの厄介さだ。

 

 また、首をへし折る剛腕が伸びてきた。食らえば即死だ、すぐさま殺される。掴まるわけにはいかない。

 

 ──が、その腕は、卯月の背後から伸びた腕に掴まれた。

 

「隙だらけクマ」

「邪魔ダ!」

 

 恐るべき剛腕を、卯月ではなく球磨に向け、力ずくで振りほどこうとする。

 しかし球磨は間髪入れずに距離を詰め、駆逐棲姫の真横へ回り込む。

 

 主砲の破壊された側、砲撃はできない。卯月の小細工さえなければ! 駆逐棲姫は怒りを募らせる。

 

 それでも、主砲がダメでも雷撃はできる。魚雷をゼロ距離でぶつけようと試みる。

 

「遅いクマ!」

 

 だが、球磨の方が何倍も早かった。

 側頭部を主砲で殴り付け、怯んだ隙に卯月を連れて離脱しつつ、剥き出しの魚雷発射管へ砲弾を叩き込んでいた。

 

「バカナ!」

「左側の武器は全部壊れたクマ、死角から行く、これで畳み掛けるクマ!」

「ざまぁ、年貢の納め時だぴょん!」

 

 三人が一斉に、左側へ回り込もうとする。死角というだけではない。左側は装甲が砕けている。ここへもしも、魚雷でも喰らおうものなら。

 

「アリエナイ……ワタシハ駆逐棲姫ナノヨ、矮小ナ艦娘トハ違ウ。ワタシハ、強クナッテイル!」

 

 頭をかきむしり、最悪の考えを叩き出す。なにかの間違いだ、こんなことは偶然に過ぎない。

 

「まあ、強いのは確かクマ」

 

 不意に、球磨が呟いた。

 

「ハ?」

「でもお前は、『素人』クマ」

「……素人?」

 

 駆逐棲姫の顔が、今まで見た中で、一番醜く歪んだ。

 

「反応が遅い、艦隊の統制がしきれてない、不意の事態に弱い。お前深海棲艦になってから、そう時間が経っていない。そうだろクマ」

 

 歯を食いしばりながら沈黙する。それがなによりの肯定だった。こいつは素人だ、深海棲艦の素人なのだ。

 しかし、指摘する人がいなかったに違いない。

 だから自前の強さだけで戦うこと以外できない。経験が少ないせいで、自主的に気づく機会も得られなかった。

 

「うちの卯月の方が、まだ使いものになるクマ。弱い部下を持った泊地棲鬼も不幸な奴クマ」

「ウルサイウルサイウルサイ!」

「そう錯乱するのが、素人の証拠クマ!」

 

 球磨に図星を突かれ、動揺した隙に、球磨は再び砲撃する。回避できる筈の攻撃を回避し損ね、砕けた装甲が更に抉れる。もう装甲どころか、肉片までも飛び始めた。傷口からは鋼鉄の骨が見え、血と修復剤が流れ出す。

 

「……ッ!」

 

 再生能力があっても痛みはある。苦痛に顔を歪めた駆逐棲姫へ、一気に攻撃を畳み掛ける。

 

「フザケルナァ!」

 

 左側を見せないようにしながら、残った主砲と魚雷を狂ったように乱射しだす。

 狙いもクソもない。だから回避が難しい。不規則に降り注ぐ雨粒から逃げ回るようなものだ。

 

「私ハ強イ、誰ヨリモ……負ケテタマルカ!」

 

 それだけではない。超加速を組み込んで、移動しながら乱射してくる。

 位置はずれ、砲弾の速度は変動する。そしてわたしはかすったら一撃死だ。

 

「ど、どーすんだぴょん」

 

 近づけない、わたしでは突破方法を見いだせない。困り果てた卯月は、仲間を頼る。

 

「どうするか? どうもしませんわ」

 

 その声に熊野は余裕の笑みで返す。

 

「もう充分、もうたっぷり時間を頂きました」

「と、いうと?」

「駆逐棲姫の動きは理解しました」

 

 熊野はおもむろに主砲を放つ。卯月には適当に撃ってるようにしか見えない。あそこには誰もいないじゃないか。

 そう思った瞬間、そこへ駆逐棲姫が現れた。

 

「予測通りですわね」

「ナニッ!?」

 

 ちょうど、加速を止めたタイミングだったのだろう。再加速が間に合わず、熊野の主砲が直撃した。

 左側でないから即死じゃないけど、充分ダメージは稼げている。

 

「どんなに不規則を意識しても、癖はなくならないものですわ。貴女の理は、もう理解しましたの」

「聞こえたなクマ、ここでトドメを刺すクマ、油断するなクマ!」

「了解ぴょん!」

 

 駆逐棲姫は同じように、加速を繰り返しながら攻撃をばら蒔く。しかし、停止タイミングの度に、正確無比な熊野の砲弾がくる。動きは明らかに鈍っている。

 

 あとは、装甲の砕けた左側へ攻撃するだけだ。なんとかして回り込むか、方向を変えさせるか。

 

「よし、決めたぴょん」

 

 熊野が動きを抑えていても、あの量の弾幕は簡単に抜けられない。いや他のメンバーならいけるんだろう。追い詰められるだろう。そうなった時、あいつの行動は一つしかない。

 

 なら、先に仕掛けてやろうじゃないか。

 込み上げてくる怒りを、即死の恐怖と理性で押し止める。少し息を吸い、卯月は大声で叫んだ。

 

「無様な姿ぴょん、無抵抗のまま殺されるなんて……見てて最高の光景ぴょん。間抜け面晒してくたばるぴょん、泊地クソ鬼みたいに!」

 

 駆逐棲姫が卯月を憎むのは、彼女が泊地棲鬼を殺したからだ。なら、それをダシにして煽ればどうなるか。

 

「──ッッ!」

 

 もはや言葉になっていない。

 空気が震えるほどの怒りを噴出させる。駆逐棲姫のターゲットは、卯月ただ一人に変わった。

 

 左側は向けないままだが、砲撃や雷撃が卯月に集中した。更にちょこまかと逃げ回っていたPT小鬼群の雷撃を混じる。誘発材を知られた今、彼女は必要以上に卯月を警戒している。

 

 奴の懐に潜り込めない。向こうからの接近は見込めない。

 今は、まだ。

 まだ撃つ余裕があるからだ。更に追いつめられた時、駆逐棲姫はどうするか。

 

 卯月は予測し、攻撃を回避して堪える。駆逐棲姫もまた球磨や熊野の攻撃を耐えて堪える。

 我慢比べだ。どっちが先に怒りを抑えられなくなるかの勝負。

 

 そして、駆逐棲姫の右側装甲にも、亀裂が走った。

 

「ウヅキィッ!」

 

 駆逐棲姫が、消えた。

 卯月の予想通りになった。最低限の目的を達成しようとしている。砲撃や雷撃を確実に当てるべく、接近戦で。

 

「来た来た来た!」

 

 近づいてくれれば、毒ナイフで切りにいける。

 艤装に突き立ててれば、数秒間は動けなくなる。卯月はそれを狙っていた。

 

 だが、駆逐棲姫もそれは知っている。

 だからナイフを振る暇も与えまいと、最後の猛攻に打って出る。

 

 卯月の目の前に、駆逐棲姫が現れ──なかった! 

 

「また小鬼かぴょん!」

 

 高速で投げ飛ばされた小鬼が、卯月の視界を塞ぐ。けどこんな二番煎じ、対応できる。卯月は小鬼を回避しようとした。

 しかし、駆逐棲姫は、更なる攻撃をした。

 

「役ニ立チナサイ、最後マデ」

 

 駆逐棲姫は、自分の主砲で、PT小鬼群を撃ち抜いたのだ。

 

「てめ、自分の子供を!?」

 

 さっきは、砲弾にくくりつけて撃った。

 今度は自分で撃ち抜いた。

 これで母親面をするのか。やはり深海棲艦は邪悪な害虫だ、駆除しなければ。

 

 爆風に耐えながら卯月は思う。魚雷も無理やり持たせていたな、爆発の規模が大きい。かなりの勢いに、姿勢を維持できなかった。

 

 それが、駆逐棲姫の狙いだ。

 姿勢を崩したところで確実に止めを刺す。

 どうやっても止まらないだろう、卯月は判断する。

 

 主砲を喰らおうが何だろうか、自爆に巻き込む勢いで来る筈だ。唯一警戒するのは、動き自体を封じてしまう修復誘発材だけだ。

 

「コレデ、オ終イヨ!」

 

 球磨と熊野は、残った最後のPT小鬼群が懸命に攪乱している。二人は動けない。一瞬、コンマ数秒だけの隙。卯月を殺すには十分な時間だ。

 

 だが、その隙は、駆逐棲姫に与えられなかった。

 

 ズドン、ズドン──聞き覚えのある砲撃音が、PT小鬼群の数だけ響く。

 

 瞬間、張り付いていたPT小鬼群が、木端微塵に消し飛んだ。

 

 駆逐棲姫はなにが起きたのか理解した。

 狙撃手だ、ポーラだ、ネ級二隻は足止めに失敗したのだ。役立たずのイロハ級め。しかし事実は変わらない。残っているのは駆逐棲姫ただ一隻という事実は。

 

 それでも、卯月を殺すには十分だ。いや、絶対に殺す! どんな妨害があろうとも、振り下ろす手を止めることは誰にもできない。渾身の殺意を込めて、駆逐棲姫は肩から心臓を割くように手刀を振り下ろす。

 

「お終いはてめーぴょん」

 

 だが、駆逐棲姫は未だに舐めていた。

 卯月の強さではない。

 駆逐棲姫の恨みよりも、卯月が抱く深海棲艦への怒りの方が、強かったことを。

 

「捨て身なのが、お前だけだと、思うなぴょん!」

 

 そう言って卯月が、振り下ろした手刀へ──自分自身の左手を突っ込ませた。

 

「自分カラ!?」

「つ、か、ま、え、たぁ!」

 

 駆逐棲姫の手は、卯月の左手を中央から真っ二つに引き裂いた。

 逆に言えば、左手全体に絡み取られたとも、言い換えることができる。姫級の剛力を使えば力ずくで振り解けるが──その隙は、あまりにも致命的だった。

 

「正気カ!?」

「どうせ修復剤で治るぴょん、貴様等を殺すためなら、腕一本なんて惜しかねぇぴょん!」

「無駄ナ足掻キヲ……!」

 

 すぐさま主砲の照準が卯月をとらえる。

 卯月はそれを無視して、誘発材ナイフを構える。狙いは一つ、駆逐棲姫の脚部艤装。

 

 超加速さえ止めれば殺せる。最悪わたし以外のメンバーが殺してくれる。まあ死ぬ気なんてさらさらない。こんな奴を倒すのに命をかけるのは、アホのやることだ。

 

「死ねぴょん!」

「死ネ!」

 

 身体能力の差か、駆逐棲姫がトリガーを引く方がわずかに早い。その砲身から砲弾が飛び出る。

 

 直後、その砲弾が、弾かれた。

 

 誘爆もしていない。側面をかするように撃たれた砲弾が、照準を曲げたのだ。

 

「よしクマ」

 

 球磨の攻撃だった。卯月を貫くはずだった攻撃はあらぬ方向へ飛んでいく。駆逐棲姫の渾身の一手は、呆気なく阻止されてしまった。

 

 それでも、彼女は殺意を緩めない。自分自身の魚雷を爆破し、自爆へ巻き込もうと試みる。

 卯月だけは殺す、その言葉に偽りはない。

 実現できるかは、別問題だが。

 

「もう終わり、諦めることですわ」

「そーですよー、動くと痛いですよー」

 

 からだを動かし、熊野とポーラの攻撃を回避しようとする。だが、動きを完全に見切った二人には無駄な足掻きだった。右側の亀裂は大きくなる。姿勢維持さえままならなくなる。

 

「マダ、マダダ、私ハ、コイツヲ!」

 

 ここまでやっても諦めないとは。

 つくづく度しがたい化け物だ。卯月は嫌悪感を露にしながら、誘発材ナイフを、艤装へ突き立てた。

 

「地獄へ落ちろ、化け物が!」

 

 駆逐棲姫の脚部艤装が膨れていく。再生能力が暴走し、艤装の形状を維持できなくなっていく。

 

「マダダァァァッ!!」

 

 化け物が、最後の力を振り絞る。

 艤装が崩壊するコンマ数秒、駆逐棲姫は超加速を試みた。卯月は手刀が刺さったままだ。加速に巻き込めば、致命傷を与えられる。

 

 駆逐棲姫も無事ではいられないが、一切構わない。

 本望だ、こいつを殺して死ねるなら。ここまで思わせる憎悪が、駆逐棲姫にはあった。

 

「いいや、とっくに、終わってるクマ」

 

 しかし、それは敵わない。

 

 駆逐棲姫の()()に、大量の魚雷が突き刺さった。

 

「ザコね」

 

 気づかれないように、ぐるりと大回り。

 そうして左側へ潜り込んだ満潮が撃った雷撃は見事全弾直撃。装甲のない、剥き出しの内骨格へ抉るように刺さる。

 

「おやすみなさーいー」

 

 一瞬絶句した隙に、ポーラの狙撃が腕を吹き飛ばした。手刀で拘束していた卯月は一目散に逃げ出し、自爆の射程距離から脱出した。

 

 普段なら加速で回避できた攻撃。平静を失った彼女に回避は無理だった。その時点で駆逐棲姫は敗北してたのだ。

 

「じゃあなくたばれゴミ虫ぴょん」

 

 あっかんべーでバカにしてくる、忌々しい卯月の顔が、網膜にこびりつく。

 誰よりも憎む艦娘の顔が、駆逐棲姫の見た光景だった。

 

 誰にも届かない断末魔を轟かせ、駆逐棲姫は爆炎の中へ姿を消した。




艦隊新聞小話

 修復誘発材についてちょっと纏めておきましょう。長いですが勘弁下さい!

 むかーし昔、まだ艦娘が現れる前、人間たちは自力で深海棲艦と戦っていました。
 そんな中で、深海棲艦の再生能力を逆に利用してやろうっていう兵器が開発されました。それが修復誘発材です。当時は銃弾とか大砲に入れて使ってたみたいですね。
 その効果は覿面で、時間稼ぎにはとても効果を発揮しました。

 とは言え人間の武器なので、再生能力そのものを止めることはできません。つまりトドメは絶対に刺せないんです。
 だったら酸素魚雷とか強力な主砲を積めばいいとか、そもそも艦娘の艤装に組み込むと艤装が溶けるとか。人間なら使えるけど人間を戦線に出したらダメだとか……色々あって運用されなくなりました。
 そんな危険物が前科戦線にあった理由は、わたしにも分かりません!


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第40話 開放

 なにか、駆逐棲姫が叫んでたような気がする。

 爆音でまったく聞こえなかったけど、途方もない怨念と無念、怒りにまみれた呪詛なのだろう。

 

 まあ、まったくもってどうでも良い。

 

 卯月は燃える残骸へ唾を吐く。

 こんな汚物に敬意なんていらない。無様かつ惨たらしく死んで、誰の記憶からもなくなってしまえばいい。

 

「勝ったクマ、任務達成クマ」

 

 旗艦の球磨が勝利宣言をしたことで、メンバーの緊張がほどけていく。

 

 前科戦線のメンバーからすれば、この程度は弱い部類に入る。とはいえ命のやり取りをしてるのは変わらない。戦いが終わり、誰もがホッとしていた。

 

 新人の卯月はもっと酷い。緊張が抜けすぎて立っていられない。その場にヘナヘナと座り込んだ。

 

「ぴょー……疲れたぴょー……ん」

 

 しかし、卯月はなぜか上手く座れない。

 どうもからだのバランスが悪い。重心が安定していない。不思議だと首を傾げて、裂けた片手が目に入った。

 

「大丈夫ですか?」

「え、腕が裂けてるぴょん」

「これはだいぶ重傷ですわね」

 

 腕の骨は剥き出し、筋肉を突き破っている。滝のように血が流れて足元が真っ赤になっている。

 

 そういえば、駆逐棲姫の手刀を受け止めたんだった。

 卯月は今更思い出す。

 気にならなかったのは、大量のアドレナリンが出ていたからだ。戦闘が終わり、それも止まった。

 

 つまりどうなるかと言うと。

 

「なんじゃこりゃぁぁぁ!?」

 

 目ん玉が飛び出るほどの叫び声を上げる。

 全身の神経に棘をねじこんだような激痛に、グロテクスな腕を見たことによる精神的ショック。それがが重なった結果、卯月は泡を吹いて卒倒したのであった。

 

「卯月さーん!?」

 

 走馬燈のように熊野の声が聞こえる。なんとも締まらない決着だ。そう自嘲しながら卯月は意識を手放した。

 

 

 *

 

 

 無機質な機械音が入渠完了を告げる。

 意識が覚醒させられ、入渠ドックの蓋が開いた。ゆっくりとからだを上げて、片腕を確認する。裂かれていた腕は、傷一つ残さずくっついていた。

 

「あー、びっくりしたぴょん」

「呑気してんじゃねえクマ」

「痛い!」

 

 不意打ち気味に、後ろから球磨に叩かれる。軽い一撃でも不意打ちだけけっこう痛くなる。ちょっと涙目になりながら、卯月は球磨を睨み付ける。

 

「なんだクマ」

 

 お返しと言わんばかりに、球磨も目元を尖らせる。巨大なヒグマに狙われた野兎の気分になれた。死の予感がした。

 

「なんでもございませんですぴょん」

「そうかクマ」

 

 生命の危機を回避し、卯月は胸をなでおろす。

 落ち着いたところで記憶を思い出す。確か駆逐棲姫との戦いでダメージを負って、戦闘終了後に卒倒してしまったんだ。

 

「あのー、今なにがどうなってるぴょん?」

「ああ、伝えるクマ。でもその前に着替えるクマ」

「はーいぴょーん」

 

 妖精さんが渡してくれた制服は、こざっぱりとして気持ちが良い。返り血やら塩水やらも全部落ちている。

 制服に着替えた後、二人揃ってドッグの脇にある椅子に腰かける。

 

「ほれ、お茶だクマ」

「おお、ありがたいぴょん」

 

 入渠中は餓死したりしないよう、必要な栄養素と水分が補充される。だから水は足りている。しかしこの喉を通り抜ける冷たいお茶の苦みには変えられない。人間の体様様だ。卯月は満足げにニンマリ笑う。

 

「ともかくお疲れクマ、作戦は成功、駆逐棲姫は完全撃破されたクマ」

「ッシャ!」

 

 憎い敵が無様に死ぬ様を直に見れるのも、人間のこころのお蔭だ。卯月は邪悪にゲヒヒと嗤う。

 

「だから、呑気してんじゃねぇクマ」

「痛い! また殴ったぴょん!」

「どついただけクマ」

 

 プーと頬を膨らませて不満を主張する。さっきからなんでぶつんだ。卯月は不機嫌になっている。

 

「球磨は今、かなり怒っているクマ」

「え、マジぴょん?」

「マジだクマ」

 

 マジで? 卯月は呟く。

 外から見ると、いかんせん怒っている感じがしないのだ。無表情ではないが、言葉や雰囲気に抑揚がない。卯月はまだ半信半疑でいた。

 

「ウソじゃ、ないぴょん? うーちゃんウソは嫌いぴょん」

「ホントに怒ってるクマ」

「なんでぴょん?」

 

 嘘ではない。しかし理由が分からない。球磨を怒らせるようなことはしていない。卯月はハテナマークを出して、首を傾げる。

 分かってないのか、といった呆れ顔をして、球磨はため息をついた。

 

「その、片腕クマ」

「……まさかうーちゃんの封印されし左腕が、球磨を殴り付けたとか?」

「一生封印してやろうかクマ?」

 

 あ、やばい、冗談ダメなやつや。

 そう言いつつも、冗談なのは()()だ。改装してる間に悪夢を見た卯月は、寝たまま暴走し、北上を殴り付けたことがある。またそのパターンか不安になったのだ。

 

「駆逐棲姫との戦いで、卯月はその手を使い捨てたクマ」

「えっ、怒ってるって、それぴょん?」

「そうだクマ」

「……なんで?」

 

 考えてみたが、理由は分からなかった。

 駆逐棲姫は負け犬の遠吠えを晒して永遠にさようなら。片腕も入遽して完全復活。なにが不満なんだ。

 

「卯月、今後、そーゆー戦い方は止めるクマ。フツーの鎮守府でもアウトだけど、前科戦線では完全にアウトだクマ」

「駆逐棲姫は殺したぴょん」

「それは結果論クマ、球磨は今後の話をしてるクマ」

 

 並んで歩いていた球磨は卯月の前に移動する。進めなくなり卯月は立ち止まる。球磨は怒りながらも、真剣そのものだ。

 なぜなら、本当に卯月の今後に関わることだからだ。

 

「この前科戦線での任務は、なんだクマ」

「深海棲艦どもを殺すこと。その為に敵海域に突入し、攻略ルートを確立することぴょん」

 

 卯月はどや顔だ。対して球磨はムッツリだ。まだ怒っているのだ。

 

「そうだクマ、だから球磨たちは『確実』に敵中枢へ突入し、『確実』に情報を持ち帰らないといけないクマ」

「知ってるぴょん、最初に聞いたぴょん」

「分かってないから言ってるクマ。なら、なんで片手を犠牲にしたクマ」

 

 それが怒ってる理由か? 首を傾げながら、卯月は淡々と説明していく。

 

「あの時、確実に動きを止められる方法だったからぴょん。基地も近いから入渠も間に合うって判断したぴょん」

「その判断が、間違いクマ。撃破し損ねて、()()()()()()()()()()どうするつもりクマ」

「あ!」

 

 卯月はやっと、自分の判断ミスを理解した。

 

「傷がなければ助けを待てるクマ、でもあの怪我があったら一刻と持たないクマ」

 

 想定仕切れていなかったのだ。余計で無駄なリスクを背負った。球磨が言いたいのはこのことか。

 確かに、これはミスだ。卯月は自戒する。

 

「戦場では想定外のことが起きるクマ。敵の奇襲にあって時間通りの帰投ができないことも、嵐の中に隠れなきゃいけない時も、数時間連続して戦わなきゃいけない時も……その負傷で、戦えるのかクマ」

 

 できる訳がない。答えは明らかだ。

 駆逐棲姫には勝った。しかし前科戦線の仕事として見たら失格。それが今回の卯月の戦闘記録。

 

「球磨たちを見るクマ、奴等と戦っても傷一つとて負っていないクマ。リスクを徹底的に避けるようにしているからクマ」

「え、マジかぴょん。あんだけ戦っといて……」

 

 駆逐棲姫に重巡ネ級二隻にPT小鬼群3部隊を夜戦で相手どって無傷。対して卯月は事実上大破同然のダメージ。ここでも意識の差が現れていた。

 

「深海棲艦が憎くてしかたないし、ちょっと後遺症的なものがあるってのも理解してるクマ。だが、その戦い方してたら、いずれ死ぬのは明確だクマ」

 

 返す言葉が出てこない。全て事実だからだ。

 復讐心を否定された訳でもないから怒りは湧かない。ただただ自分の未熟さを痛感する。

 

「艦娘として生きるのを止めて、逃げ出して人間に紛れるのも一つの生き方クマ」

「それは嫌だぴょん! うーちゃんは深海棲艦を殺し尽すんだぴょん!」

「だったら、迷惑をかけるなクマ」

 

 前から服の襟を掴まれ、顔を無理やり寄せられる。

 怒っている、ここまで怒る理由は良く分からないけど、多分わたしを心配してくれているんだ。卯月はそう感じた。

 

 本当は別の理由かもしれない、実は出て行って欲しいと思っているかもしれない。

 

 だけど出ていくつもりはない。

 目的がある、深海棲艦への報復と、神提督への再会だ。まだ前科戦線から出ることはできない。

 

「前科持ちの球磨たちにとって、自分の意思は二の次だクマ。なによりも任務達成が優先、それを忘れるなクマ」

「……分かったぴょん、頑張るぴょん」

「なら、良いクマ。説教は終わりクマ」

 

 冷静になってみれば、あれは賢い戦い方ではなかった。

 

 球磨が言った通り、戦場は予測不能だ。

 ましてや羅針盤の出す『外れ』まで調べ尽くさないといけない、前科戦線なら、より戦場はカオスと化す。

 

 徹底的にリスクを減らすこと、冷静さを失わないこと。

 それはできる筈だと、卯月は考える。

 どれだけぶちギレて、怒りに染まろうとも、客観的な自分を持つこと。それはできる筈──できなきゃ、いずれ死ぬ。

 

「とは言っても、感情のコントロールなんて、どうやれば良いんだぴょん」

「うーん、分からんクマ。球磨はそういったことで悩んだことがないクマ」

 

 忌々しいことだ。これが天才肌ってやつか? 卯月は吐き捨てる。

 

「ぶっちゃけ、球磨は指導者には向いてないクマ。他の奴に頼ると良いクマ」

「えー……しょうがないかぴょん」

 

 卯月の感情の問題は、一旦後回しとなった。

 そもそもからして、卯月のは心のキズが原因になっている。トラウマがそう簡単に治る筈がない。

 

 それでも卯月は、戦線に立つこと望む。なら感情を制御する必要がある。戦闘能力以上に厄介な問題に、卯月はぶち当たっていた。

 

 

 

 

 球磨と並んで歩きながら、卯月は食堂へ向かっていた。

 提督から直々に説明することでもないので、ご飯を食べながら、現状について話すと球磨は言った。

 

 しかし、食堂には飛鷹さんも誰もいない。作りおきのご飯があったので、それをレンジでチンし、二人でテーブルを囲む。

 

「まず、朗報クマ」

「ぴょん?」

「神提督の鎮守府だけど、汚染が僅かに和らいだクマ」

「まじか!」

 

『ぴょん』さえつけ忘れる衝撃。卯月は椅子から転び落ちる。

 まさか、帰れるのか、わたしの鎮守府に。

 帰っても誰もがいないのは分かっている。神提督と間宮さんは別の場所にいる。

 

 けれでも、思い出ぐらいなら残っている。

 菊月や仲間の遺品もあるかもしれない。なにもなくても、みんなを弔うことができる。

 やりたくてもできなかったことが、やっと叶うのだ。

 

「ご飯食ってる場合じゃねぇ! 今すぐ出発だぴょん、うーちゃんは今最高の気分だぴょん!」

「へぇ、球磨のご飯を食べないつもりかクマ」

「……このご飯って」

「球磨が作ったクマ」

 

 目の前にあるのはシンプルなチャーハンだ。細かく切ったベーコンにネギに卵。ちょっとお米がくっついた、典型的チャーハン。不味くはない、むしろ美味しい。

 

「イメージと違う……」

「なんか言ったかクマ?」

「言ってないぴょん! とれたてのシャケとか狩りたてのジビエとか作りそうだなんて思ってないぴょん!」

「目潰しだクマ」

 

 球磨のアホ毛が蠢き、卯月の目を刺突した。

 

「ギャー!?」

 

 なんだ今の攻撃は!? のたうちまわる卯月を無視して、球磨は話を再開する。

 

「あの海に駆逐棲姫は影響を与えてたみたいだクマ。それが死んだことで、汚染がマシになったクマ」

「えー、で、立ち入りは?」

「まだダメクマ、許可が必要だクマ」

 

 許可ってお前、前科(冤罪)持ちのわたしに許可が下りる訳がないだろう。

 要するに無理ってことである。卯月はがっくりと項垂れる。期待していた分ショックが大きい。

 

「まあいつかは帰れるクマ。長い目で頑張るクマ」

「他人事だと思ってるぴょん、酷いやつだぴょん」

「で、もう一つ、駆逐棲姫を沈めて変わったことがあるクマ。海域が変化したクマ」

 

 深海棲艦のテリトリー内には、未知の法則が無数に働いている。殆どが艦娘の侵入を防ぐために張られた『結界』だ。

 結界の多くは、エリアを統括する姫・鬼級によって作られている。逆に言えば原因になっている深海棲艦を沈めれば、この結界を破壊できる。

 

 今回も同じケースだったと、球磨は説明する。

 泊地棲鬼を沈め、更に駆逐棲姫を倒すことで、海流──羅針盤の挙動に変化が発生した。今まで示さなかった方向を、羅針が示すようになったのだ。

 

「言うなれば、駆逐棲姫を倒したから、ルートが開放されたってことクマ」

「ゲームみたいな言い方ぴょん」

「分かりやすさ重点クマ。ともかく、この新ルートの奥にいる深海棲艦が、テリトリーのボスだと大本営は考えているクマ」

 

 そのボス個体を倒せば、神鎮守府の海域は、完全に開放される。赤く染まった海域は正常な青色に戻る。

 

「鎮守府の汚染も今よりマシになる筈クマ、そうなれば、立ち入り許可も緩まる。帰れる確率は跳ね上がるクマ」

 

 落っこちていた期待が、また高まっていく。

 同時に駆逐棲姫を殺して落ち着いていた殺意も、腹の底から再燃していく。

 あのテリトリーのボスということは、泊地棲鬼の関係者だからだ。殺さない理由がない。仇討ちと鎮守府の解放が両方できる、これぞ一石二鳥だと卯月は笑う。

 

「で、そのボスってのは誰だぴょん」

「当時の攻略部隊がたまたま見つけたクマ。過去にも発見例がある、強力な鬼級深海棲艦だクマ」

 

 球磨は卯月に写真を見せる。

 以前戦った戦艦棲姫(卯月自身は逃げ惑っていただけだが)を、より巨大に、より強靭にしたような、片角の深海棲艦。写真越しでもその威圧感が伝わってくる。

 

「戦艦水鬼。それがこの海域の、最後の敵だクマ」

 

 復讐劇は、これで一旦幕を閉じるのだろうか。憎悪に身を焦がしながら、卯月は戦艦水鬼を睨み付けていた。




この戦艦水鬼撃破を以って、第一章は終わりです。


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第41話 居残

ちょっと幕間じみた回。


 駆逐棲姫を倒したことで、敵海域の親玉がついに明らかになった。

 その名は戦艦水鬼。名前の通り戦艦の姫級であり、その中でもかなり上位の個体だ。

 

 こいつを倒せば、神提督の鎮守府を敵の支配から解放できる。

 帰投が叶う。仇討ちも叶う。待ち望んでいた時が近づき、卯月は期待に目をきらめかせていた。

 

 新しい敵が現れたということは、前科戦線の出番が来る。

 新しい海域の羅針盤や特効を調べなきゃいけない。その過程で、戦艦水鬼と交戦することもある。

 それこそ、仇討ちのチャンスだ。

 

 とはいえ、チャンスが来るかは運次第だ。

 前科戦線の任務はあくまで偵察、交戦したとしても、威力偵察をして即撤退が原則。泊地棲鬼は例外だ。逃げ切るのが難しかったから戦っただけ。

 

 それでも、一度でも殺せる可能性があるのは嬉しいことだ。

 ダメだったらしょうがないが、もしもチャンスが来たら、逃さないようにしたい。この手で絶望を味わわせてやりたい。

 

「出撃はいつぴょん?」

 

 卯月は球磨に聞く。チャンスを手にするためには訓練が必要だ。戦艦級と戦うための訓練をできるだけしておきたい。どれだけ時間があるかがカギだ。

 

「今朝クマ」

「なるほど」

 

 食堂の時計を見る。現在時刻は正午をちょっと過ぎたぐらいだ。

 

「訓練に使える時間はマイナス半日ってところかぴょん」

「まあ、そうだクマ」

「いやそこは突っ込んで欲しいぴょん」

 

 リアクションのつまらない奴だな。卯月はそう愚痴ったあと、改めて時計を見る。

 どう見ても正午。

 出撃したのは朝方だと球磨は言った。

 

 色々言いたいこと、叫びたいことはあったが、まずこれは言いたい。卯月は深く息を吸い込んだ。

 

「早くね?」

 

 駆逐棲姫と交戦してからまだ12時間も経っていない。なのにもう、戦艦水鬼の調査に赴いたというのか。

 

「いつもそんなもんクマ、連続出撃はザラにあるクマ」

「うっそぴょぉぉぉん……」

「ドンマイだクマ」

 

 チャンスは手から零れ落ちた。

 入渠している間に、みんなもう出撃してしまったのだ。調査は一回で全て済ませる。二回目はない。戦艦水鬼と戦う機会はもう得られない。

 

「よくも……仇討ちの、チャンスを……」

 

 どうしてこうなった。卯月は頭を抱える。

 そもそもなんで、わたしが目覚めてないのに、高宮中佐は艦隊を出撃させた。半日ぐらい待てるだろうに。

 

 わたしの復讐の邪魔をしているんだろうか? 

 そんな考えが脳裏を過った。あり得ないと否定し切れない。高宮中佐がなにか隠してるのは察している。でも復讐ができるから前科戦線に入った。

 

 艦娘の務めは、なにかを護ること。

 復讐と並立させると決めたことは、頭になかった。卯月のこころは怒りで染まりつつあった。

 

 邪魔しているに決まっている。そうだ、なら殺さないと。それが一番良い。

 

「落ち着け、話は終わってないクマ」

「いでっ!」

 

 額をデコピンで叩かれた。指先だけなのに椅子から転げ落ちるぐらい痛かった。痛くて涙まで流れていた。

 

「今のはあくまで、仮定の話だクマ。大本営の予想であって違う可能性もあり得るクマ。戦艦水鬼以外のなにかが出て来るパターンも有り得るクマ」

「そ、そうだったのかぴょん」

「威力偵察も二回やることもある、早とちりするなクマ」

 

 全くもって球磨の言う通りだ。仮定の話で大暴走してマヌケを晒すところだった。卯月はしょんぼり項垂れる。

 

「ホント、この感情のコントロールどうすりゃ良いんだぴょん」

「だから球磨にはどうにもならないクマ」

 

 なんか、だんだん悪化している気がする。良くなる環境にいないんだから当然か。

 一番の解決策は泊地棲鬼や、やつに関係することと関わらないことだ。でもそんなの認められない。復讐を諦めるなんてあり得ない。

 

「いっそ、薬に頼るとかはどうクマ。取り寄せることもできるクマ。事情が事情だし」

「薬かあ、あんまり使いたくないけど」

「背に腹は代えられないクマ」

 

 ちなみに取り扱い免許は存在しない。

 通常の医師免許や薬剤師免許は人間に適用されるものであって、艦娘に対しての制度ではない。

 

 妖精さん印の艦娘の薬品はある。修復誘発材もその一つだ。それらの取り扱い免許は現状ない。まだ法整備の真っ最中であるが、やっぱり後手に回っているのが現実だ。

 

「誰に言えば良いんだぴょん?」

「飛鷹さんクマ、飛鷹さんは基地外からの物販購入も担当してるクマ」

「……いないけど」

「特効の調査で出撃中だクマ」

 

『式神』をもっとも使えるのは飛鷹だけである。不知火も使えるが、一度で調べられる量はどうしても劣ってしまう。よほどの事情がない限り、飛鷹は調査任務に出ることになっていた。その間の食事は、残ったメンバーの持ち回りである。

 

 ちなみに持ち回りをした時、一番の当たり枠は熊野、ハズレ枠は不知火秘書艦、ジョーカーはポーラである。

 

「しょうがない、帰ったら言ってみるぴょん」

「そうするクマ、帰ってくるのは明日の朝ぐらいと聞いてるクマ」

 

 正午から数えて、一日半ぐらい。その間なにをして過ごせば良いのか。

 まあ、対戦艦水鬼の訓練だろう。北上に頼めばなんか良いトレーニング装置をセットしてくれるかもしれない。

 訓練したところで、活かすタイミングがあるかは分からない。でもやらないよりマシだ。

 

「……そーいえば、球磨以外に残ってるやついるのかぴょん?」

「熊野と北上ぐらいだクマ、不知火は出撃だクマ」

「珍しいぴょん」

 

 基本人員不足に悩まされているので、場合によっては不知火も出撃する。無論かなり稀なことだが、無いことも無い。

 

「まあ、球磨からは以上だクマ。好きに過ごせば良いクマ」

「りょうかいぴょん、ご飯ごちそうさまだぴょん、うまかったぴょん」

「次はウサギ鍋を振るまってやるクマ」

「じゃあうーちゃんはクマ鍋をごちそうするぴょん」

 

 ワハハと笑う卯月と球磨。二人の目は笑っていない。物騒なだけのジョークなのか本気で思っているのか。それを知る必要はないのである。

 ないのである。

 

 

 *

 

 

 日が沈み、夕焼けの残り火が空を赤く染めるぐらい。

 ジャージ姿の卯月は砂浜を汗で濡らしながら、長時間のランニングに勤しんでいた。そのジャージも汗でベタベタになって気持ち悪くなっている。

 

 ランニングだけではない。この時間まで色々な訓練を自主的に行っていた。

 砲撃回避に、雷撃の回避。

 北上に教わったところ、駆逐艦が覚えるべき対戦艦用戦術は一つしかないらしい。

 

 当たるな、逃げるな、生き残れ。

 

 以上が戦術の全てだ。

 戦艦の火力は重巡級とは比べものにならない。例え掠り傷であっても、砲弾のエネルギーは体内を駆け抜けていく。やわらかい駆逐艦には致命傷になってしまう。

 

 装甲は堅牢極まる。例え装甲の繋ぎ目を正確に狙えたとしても、一発二発では到底破砕できない。雷撃を打ちこんだとしても、巨体故にすぐには沈まない。

 

 できることには、できる。

 駆逐艦が戦艦級を沈めた事例は確かにある。

 だが、卯月が今からその戦い方を覚えられるとは、卯月自身を含めて誰も思わなかった。

 

 なので北上は、兎にも角にもなんにせよどうであろうとも、生き残れと言ったのだ。

 

 幸い卯月には、修復誘発材という特殊武器がある。それを使えば戦艦水鬼が相手でも十分サポートはできると北上は踏んだ。

 生き残れればの話だが。

 なので、回避訓練を徹底的にするようにアドバイスしたのである。

 

「はぁ、はぁー……キッツぴょん」

 

 では、逃げ続けるのに必要なのはなにか。

 簡単な話だ、『体力』だ。

 結果、より強靭な体力をつけるために延々と走り込みをしていた。

 

 明確な終了条件はない。あてなく果てなくやるから訓練になる。棒立ちになって息を荒くする。とてもキツイ訓練だと卯月は後悔する。

 

「楽して強くなりてぇぴょん」

「まだ言ってるんですかそれ」

 

 どうしようもない愚痴を発する卯月を見て。通りかかった熊野は呆れて言った。

 

「飲みますか?」

「どうもぴょん」

 

 渡されたスポーツドリンクを一気飲みする。わざわざ持って来てくれたのか、ありがたい、良い奴だと卯月は思う。

 

「あとで交換券300円分お願いしますね」

「有料かぴょん!」

 

 空のボトルを衝動的に叩きつけた。なんて無茶を言い出すんだこのクマ野郎。事前に確認しなかったわたしもわたしだが、このやり方は悪質だ。

 

「だいいち給料まだ出てないうーちゃんにどう払えと?」

「前貸ししますよ? 金利は年2000%ぐらいですが」

「暴利!」

「冗談ですわ、スポーツドリンクぐらい、()()()タダで良いですわよ」

 

 もう安心して熊野から物を貰えない。いや貰ってはならない。卯月は強く思った。

 

「冗談でもやめろぴょん、そんなできもしない話。金融会社を運営してるわけでもないんだから」

「いやしてますが?」

「……なんだって?」

「なんでもいいじゃありませんか、そろそろお夕食のお時間、わたくしの担当ですわよ」

 

 なんでも良くない。

 今なんて言った? 

 『していますが』って言ったのか? 

 

 どうなっている。前科戦線にいるのになんで闇金なんて運営できているんだ。高宮中佐はこのことを知っているのか。

 

 しかし、考えたって意味はない。

 仮にこれが事実でも卯月にはなんの関係もない。

 ただ一つ、卯月は強く誓う。こいつに貸しを作るのは絶対にやめておこう。

 

 

 

 

 かなりの汗をかいてしまったので、先にシャワーを浴びてから晩御飯にする。

 元々少人数だが、更に少なくなった食堂は静かなものだった。にぎやかなのは好きだけど、たまには落ち着いた食事も良い。

 

 しかし、熊野の用意したラインナップはえげつないものだった。

 悪い意味じゃない。気おくれするというか緊張するとか、そっち方向の意味合いである。

 

 明らかに色合いの違う魚介類、乗ってる霜の量が違い過ぎる牛肉。眩しい位に輝いている白米。どう見ても最上位クラスの食材がズラっと並んでいた。

 

「……最後の晩餐?」

「なにをおっしゃっているんですか」

「気持ちは分かるクマ」

 

 熊野が当番の時はだいたいこうなる。絶対に前科戦線では手に入らない高級食材のオンパレードと化すのである。

 美味い、言葉にならないぐらいに美味い。

 

 だが慣れない。具体的に言うと、食料品の入手方法への不信感がヤバイ。あとなにか対価を要求される気がする。

 毎回異様な緊張感とともに食事をするのである。この空気に慣れるのは不可能だろうと、球磨は卯月を憐れんだ。

 

「ご、ごちそうさまぴょん」

「うふふ、たまの料理もやぶさかではございませんね」

「確かにクマー」

 

 卯月と球磨は苦笑いである。コメントに困っていた。

 

「ところで、卯月さんに聞いてみたいんですが」

「うーちゃん一銭も持ってないぴょん!?」

「わたくし、貧乏人から搾取する趣味はなくてよ。大して取れないので」

 

 緊張の度が過ぎて変なことを言ってしまったが、よりアレな回答が返ってきた。

 つまり金持ちから搾取するって意味かよ。まったくフォローになっていない。当然口には出さなかったが。

 

「駆逐棲姫と、お知り合いだったんですか?」

「……はぁ?」

「いえ、どうにも駆逐棲姫の執着が凄かったので」

「知るかぴょん、泊地棲鬼を殺した主犯格ってことで、目の敵にされてただけだぴょん」

 

 改めて考えても、駆逐棲姫の思考回路は、理解困難なものだった。

 泊地棲鬼を殺したために卯月を狙っていたが、殺したのは前科戦線メンバー全員である。卯月には『特効』が働いていたが、あくまで全員の連携で撃破したのである。仇は『全員』でなければならない。

 

 しかし駆逐棲姫は、卯月ただ一人に執着していた。

 他のメンバーも殺そうとしていたが、卯月を最優先にしていた。

 そこがどうしても理解できない。卯月の中でずっと引っ掛かっていたことだった。

 

「そもそも……なんで、前科戦線近海まで接近できたんだクマ?」

「それも謎なのですわ、ちゃんと結界や認識阻害の術式も張られていましたし」

「確かに訳の分からない奴だったクマ」

 

 それも不可解な謎だった。高宮中佐と不知火はこの原因を調べている。また同じ事態が起きたら、今度は最悪の事態、直接襲撃に繋がりかねない。

 

「もう死んだからいいじゃないかぴょん」

「そうもいかないでしょう、人数少なすぎて、わたくしたち防衛線は苦手なのですわ」

「やっぱり、卯月がなにか絡んでるんじゃないかクマ?」

 

 ふざけたことを言うんじゃない。

 卯月はそう言いかけて、言葉を呑み込んだ。確かに一理ある。現状それしか考えられない。駆逐棲姫とはなにか繋がりがあり、それを辿ってきた。

 

「どっちにしても、うーちゃんはなにも知らないぴょん。頭のおかしい海産物の言葉なんて、あてにすると馬鹿を見るぴょん」

「それもそうですわね。あ、卯月さん洗い物お願いします」

「え、まあ良いけどぴょん」

「言質は取りましたわ。朝昼おやつ夜分全部残ってますが、願いしますね」

「なんでやってないぴょん!?」

「面倒だったので」

「同じくクマ」

 

 戦略的にはともかく、卯月個人単位で見ればどうでも良い話題だ。考えたって意味がない。死んだ奴のことはどうでもいい。今考えるべきは、戦艦水鬼のことだけだ。

 

 戦う機会が来るかは別にして。

 褒められた考え方ではないが、できるなら、一回ぐらい戦う機会が巡って来てほしい。

 押し付けられた洗い物を片付けながら、卯月は願っていた。

 

 なお、洗い物には油汚れや米がこびり付いて全然取れなくなってた。熊野に『スポーツドリンク代払いましたよね』と言われたらなにも言い返せなかった。タダなのはお金()()だった。

 

「くそだぴょん!」




駆逐棲姫が前科戦線近海まで到達できた理由は明確に存在しますし、今後のお話で明らかになります。
忙しくて艦隊新聞を書くヒマがないでござる。


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第42話 来客

ここから数話の間、一部の艦娘に対して良くない描写が続きます。ご了承ください。


 熊野の不穏なフルコースを震えながら堪能したおかげか、豊富な栄養をとれたおかげか。卯月はその日、とても良く眠ることができた。

 

 実のところ、こころからリラックスして眠る機会はそう多くなかった。

 何回かに一回、鎮守府壊滅の悪夢を見てしまうからだ。

 傷は浅くない。その話題になると、仲間を即座に敵認定してしまう程だ。卯月が自覚している以上にトラウマは深く刻まれている。

 

 久しぶりにたっぷり寝ていた卯月だが、朝5時ぐらいになると、自然と目が覚めていく。

 からだどころか、精神にまで染み付いた軍人の習性だ。

 寝ぼけ眼でパジャマからジャージに着替えた。

 

「……満潮は、そうだ、出撃だった」

 

 いたのなら、まぶたにカラシでも塗って優しく起こしてあげたのに。卯月は肩を落とす。

 ちなみにそれをした場合、食材を無駄にしたことで、飛鷹から恐るべき制裁を受けることになった。卯月は命拾いをしていた。

 

「そろそろ、帰ってくるって言ってたけど。早すぎかぴょん」

 

 帰ってきてたらもう少し騒がしい。基地全体から足音や話し声が聞こえてくる。

 それがないから、まだ帰投していない。

 

「走り込みでもするぴょん、メンドイけど」

 

 めんどくさいので、自分にそう言い聞かせた。

 ジャージ姿のまま顔を洗い髪の毛を入念に整え、ポニーテールに纏めていく。

 

 なんでこんなに長いんだろうか。

 卯月は自問した。ぶっちゃけ戦闘においては若干邪魔である。

 とは言っても、整えない理由もない。

 

 卯月は熊野に言われたことを覚えている。せっかく女の子になったのだから、綺麗にしなきゃいけない。

 

 その通りだと卯月は考える。

 おしゃれも、綺麗にするのも、復讐と同じぐらい重要だ。長い髪の毛も楽しむ気概でいよう。

 

「完了ぴょん!」

 

 鏡の前で一回転、頭頂部のアホ毛を除いて寝癖はない。

 

「なんという美少女ぴょん……」

 

 ジャージは見なかったことにした。いやジャージさえ映えるのが美少女というものだ。

 ならばわたしはどうだと、卯月はまた鏡を見る。

 

「あ」

 

 とてもとても冷たい目つきの球磨が鏡の中にいた。つまり卯月の真後ろにいた。

 

「おはようクマ、起きてるなら構わないクマ。艦隊は7時に帰投クマ」

 

 卯月を起こしに来た球磨は、そう捲し立てててドアをそっと閉じた。

 

「いっそ殺せぴょん」

 

 ここに満潮がいたら『言質とったわ!』と叫びながら飛びかかっていた。

 しかしいない。

 生き恥を晒した卯月は顔を真っ赤にしながら、ランニングへ繰り出すのであった。

 

 

 

 

 ランニングは程ほどにし、シャワーを浴びて食事に向かう。

 

 だが、食堂は地獄だった。

 熊野も球磨もことあるごとに『おはよう美少女の卯月』とか言うのである。そこまで言うなら『うーちゃん』って言えよ。

 

 とうとう妖精さんにまで『美少女?』とか言われ、卯月は倒れ伏す。ここのプライバシーはどうなってんだと叫ぶ。

 そんな肩身の狭い食事を終えた頃には、艦隊が帰ってくる時間になっていた。

 

「満潮に言いましょう、絶対に面白いですわ」

「勘弁してくれぴょん」

「冗談ですわよ、九割ぐらいは」

 

 それ絶対信用できない九割じゃんか。

 卯月の嘆きを他所に、何人かが埠頭へ集まる。

 出迎えて労ってあげよう──とかではなく、暇なのである。高宮中佐はいない。執務室へ相変わらず立て籠っている。

 

「見えた……クマ?」

「なんで疑問系ぴょん」

 

 双眼鏡で覗いていた球磨は首を傾げていた。

 もう少し艦隊が接近すると、卯月たちも疑問の理由を理解した。

 

 出撃した調査隊は、飛鷹、不知火、ポーラ、那珂、満潮の五隻である。

 

 しかし今見えている艦隊は、『十隻』いたのである。

 

「多いぴょん」

「多いクマ」

「多いですわね」

 

 見た感じ艦娘だ。艤装も装備している。

 まさか敵を引き連れてきたなんてことはあるまい。だが味方だろうか。

 卯月が訝しむ理由は、彼女たちがやたらとビクビクしているところにあった。

 

 首を傾げている間に、艦隊は埠頭までやってくる。先頭にいるのは旗艦の不知火だ。知らない艦娘はともかく、前科戦線のメンバーは()()無傷だった。

 

 卯月はそのことに驚く。ここに着任してから誰かがダメージを受けるのを見たことがなかったからだ。それだけの激戦だったということか。

 

「不知火及び艦隊帰投しました」

「お帰りなさいぴょん、その人たちは誰ぴょん?」

「客人です、丁重に対応してあげてください」

 

 と、不知火が言った瞬間、彼女たちはビクンと肩を揺らした。この中で一番大きいフレンチクルーラーを装備した大人の女性もだ。

 

「球磨たちに説明は?」

「行いますが、まずは中佐への帰還報告が優先です。説明は本日10時から行いますので」

「分かったクマ、報告の間彼女たちは球磨が対応するクマ」

「お願いします」

 

 不知火はいち早く執務室へ向かう。

 残された卯月たちと来客たち。妙な緊張に満ちている。

 

 やはり慣れない場所では、こうなって当然だ。ここはこのうーちゃんの出番である。卯月は一歩踏み出して握手を試みた。

 

「なにをする気だ」

 

 ガシャンと主砲を向けられた。向けてきたのは三隻の駆逐艦の内、ショートヘアーでホットパンツを履いてる艦娘だ。

 

「まじか」

 

 あんまりな事態に卯月は絶句する。わたしがなにかしたか。

 ただの緊張ではない。戦闘時と同じ緊迫だと卯月は理解する。そんなものが起きてる理由は分からないが。

 

「球磨たちについて、どーゆー印象を持ってるかは知ってるクマ。だけどこれが、初対面の相手への態度かクマ?」

「こんな態度は当然だぜ、そいつが()()()()()ってことは知ってるんだぞ」

 

 その一言で、卯月は現状を理解した。

 いや、思い出したのだ。

 自分達が『前科持ち』であることを。外の艦娘からどう見られているのか。

 特に卯月は『造反』だ。冤罪でも変わらない。仲間を深海棲艦に売り飛ばした外道として認識されている。

 

「だからなんだクマ。前科戦線のやり方にケチをつけにきたかクマ」

「竹、言い過ぎよ」

「……分かってるけどさ、でも松姉、こいつらは」

「ヘーイ、そこまでデース」

 

『竹』という艦娘は、『松』の制止にも納得していない。そこへ出てきたのは、一番大きい艦娘だ。

 

「Sorry、許してくれマスカ?」

 

 悪気がないことは分かる。外部の人からしたら凶悪犯罪者を収監する刑務所にお邪魔した気分だろう。警戒しない方が無理だ。

 

「許すぴょん、うーちゃんの寛大さに感謝するぴょん」

「Thank you! 私のnameは金剛デース!」

「睦月型の卯月ぴょん、気軽にうーちゃんと呼ぶぴょん!」

「よろしくネ、卯月!」

 

 またかよ。なんでだよ。どうして誰もうーちゃんと言ってくれないんだよ。

 

 卯月の悲哀はどうでもいい。ともあれ金剛が空気をマシにしてくれたお陰で、他の艦娘たちも少しずつ話し始める。

 しかし、卯月はこの辺りから違和感を持ち始めた。

 

「まずはわたしです、金剛お姉さまの妹分の『比叡』です!」

「わたしは『松』、で、この二人が妹たちよ」

「『竹』だ」

「水雷戦隊のアイドル、『桃』だよ!」

 

 その時、那珂に電流走る。

 

「アイドル……だって……?」

「まさか、貴女も……?」

「とりあえず建物に入らない?」

 

 飛鷹の一言で金剛たちは建物へ向かっていく。

 まずは基地のトップである高宮中佐に挨拶をしにいく。卯月が同伴する必要はない。迎えも終わったので、ちょっと部屋でゴロゴロしようかと思っていた。

 

 しかし金剛が卯月を引き留めた。

 今回金剛たちがやってきたのには、卯月も関わっているからだ。なんのことか分からないままついていき、執務室の前で待つことになる。

 

 旗艦と旗艦補佐の金剛と比叡が中佐と話している間、卯月は松たちと一緒に座っていた。

 やっぱり妙に緊張する。一回砲身を突き付けられたからだろう。それをやった竹は、まだ卯月を睨み付けていた。

 

「気まずいぴょん、刺すような視線が痛いぴょん」

「ならわざわざ口に出すなよ」

「聞こえるように言ったんだぴょん、分からないのかぴょん」

「止めなさい竹、金剛先輩の顔に泥を塗る気?」

 

 そこまで言って、竹は睨むのは止めた。

 しかし威圧感は無くならない。ここまで嫌悪されているとは。わたしの評判はいったいどうなっているんだ。卯月は震えあがる。

 

「ごめんなさいね、でも余計なこと言った貴女も悪いから」

「お、おう、大丈夫気にしてないぴょん。ルームメイト(満潮)の殺意の方がよっぽど強烈ぴょん」

「そう」

 

 違和感が、確信へ変わった。

 話しかければ反応してくれる。挨拶もしてくれる。

 だけど()()()()()()()()()()()()。それが違和感だった。

 

「これって、うーちゃんの前科が原因がぴょん」

 

 造反が知られてしまっているのだろうと、卯月は推測する。

 その予想は概ね当たっていた。

 深海棲艦に変異してもいない。艦娘のまま仲間を売り飛ばしたことじたい前代未聞だ。もっとも実際には冤罪だった訳だが。

 

 冤罪かどうかなんて、外の艦娘には関係ない。仲間を売り飛ばした外道。それが今の卯月の評判だ。

 

「そうよ」

「どんだけ酷いんだぴょん」

「仕事じゃなければ、貴女みたいな艦娘の恥さらしとは会いたくもなかった」

「そ、そこまでかぴょん」

「だから話しかけないで」

 

 竹ほど露骨な敵意ではない。関わることそのものを否定している。

 大本営や神提督の名誉の為、背負った冤罪とはいえ、かなり辛いものがある。卯月は胸が締め付けられる思いだった。

 

「シャァァァァ……」

「グルルルル……」

 

 廊下の端で威嚇しあっている二人のアイドルは無視した。アイドルというか女の子が出して良い声ではない。構ったらシリアスが崩壊する。

 

 右には睨んでくる竹。左にはアイドルどもの縄張り争い。高宮中佐、早く呼んでくれ。卯月は心の底から懇願した。

 

 

 

 

 それから十五分ぐらい経った後、執務室の扉が開いた。

 しかし室内には呼ばれなかった。代わりに金剛と話していた比叡だけが出てきた。

 

「金剛さんは?」

「提督を挟んで、高宮中佐と話すそうです。比叡は卯月への説明をするため、出てきました」

「うーちゃんへの説明?」

 

 比叡は卯月の方を向くと、こめかみにシワを寄せながらジロジロ見始める。

 観察されている。あんまり良い気分ではない。

 

「いやらしい目付きは辞めるぴょん」

「……話したくないって思っているの、分かってないんですか?」

「ヒエー、これはキツイ流れぴょん」

「黙っててください、話だけ聞いてその返事だけで結構ですから」

 

 比叡(ヒエー)だけに、と続けられる空気ではない。隠す気もないのか嫌悪感が全身にグサグサささっている。

 

 自分が前科持ちなのは重々承知している。嫌われて当然なのも理解している。でも()()()()()? 

 直接金剛たちに被害を出したわけじゃないのに、どうして蛇蝎みたいに嫌うんだろう。

 

「戦艦水鬼が発見されたのは知っていますよね?」

「当然ぴょん、駆逐棲姫を沈めたことで、道が開けたって聞いたぴょん」

「なので、戦艦水鬼討伐部隊が編成されました。比叡たちはその主力部隊として動いています」

 

 大規模作戦の時、艦隊は色々な鎮守府から選抜されて選ばれる。

 ただ、運用上の観点や土地勘から、戦場付近の鎮守府から選ばれる傾向が強い。金剛たちの鎮守府は、戦艦水鬼の出現エリアに相対的に近い場所にあった。

 

「前科戦線の協力のおかげで、昨日中に戦艦水鬼に接触することができました。一度だけですけど撃破もできました」

 

 前科戦線の任務はルート及び特効の調査である。この部隊がいるおかげで本隊は消耗を抑えながら中枢までつくことができるのだ。

 

「悶え苦しんで沈んだかぴょん?」

「沈んだ方がいいのは、卯月貴女でしょ」

「その無駄口潰していいか?」

 

 本当にヤバイ空気になってきたので素直に黙っておく。これ以上余計なことを言ったらリンチに遭いそうだ。冗談ではなく命の危機を感じる。

 

「ただ、倒したんですが、問題がありました。こちらも大被害を受けてしまったんです。金剛姉さまとわたし以外は大破してしまいました」

「松たちは無事に見えるぴょん?」

「俺たちは後方支援だったんだよ、だけど大破艦を先に帰らせたから、代わりにここまでの護衛をしてたんだ」

 

 本来の艦隊メンバーは鎮守府で入渠している。用事があった金剛たちだけが、無事だった松型に護衛してもらい前科戦線に立ち寄っているのである。

 

「そんなに強かったのかぴょん」

「……ええ、特に随伴艦が固くて、苦戦しました」

「なるほど」

 

 概ね理解できた。金剛たちは戦艦水鬼の討伐部隊であること。しかし想像以上の強さに苦戦し、無事なメンバーだけで前科戦線に来たこと。

 

 だが、だからなんだというのか。卯月は思う。

 ルートと特効の調査が終わった以上前科戦線の仕事は終わりだ。戦艦水鬼撃破は金剛たち主力艦隊の仕事である。

 苦戦こそするだろうが、卯月たちにはもう関係ない。

 

 なのに前科戦線に立ち寄った。そこには相応の理由があった。

 

「ですが、飛鷹さんが、特効を見つけてくれたんです。比叡たちはその為にここに来ました。お願いをしにきたんです」

「金剛さんが、うーちゃんが関わってるって言ってたけど、それって」

「……本当は、こんな言葉言いたくもないんですけどね」

 

 流れが分かってきた。期待に満ち溢れていく。海域調査が終わったから前科戦線は出撃しない。戦艦水鬼を殺す機会は巡ってこない。その絶望に一筋の希望が刺し込んだ。チャンスがやってきた。周りの空気は最悪だけど。

 

「特効を持っている卯月、あなたに戦艦水鬼討伐の手伝いを依頼します」

「うーちゃんが、特効持ち!」

「はい、戦艦水鬼……の随伴艦に特効を持っている、造反者の卯月さんに」

 

 いやなんか違うっぽいぞ。期待に満ちた卯月の眉がハの字に曲がった。

 というか、この嫌われっぷりでまともに戦えるのか。

 期待と不安が混在した状態のまま、卯月は立ち尽くすのであった。




艦隊新聞小話

 前科戦線の中にいるので忘れがちですが、卯月さんの造反はかなりの()()()()として有名になっています。
 艦娘なのに深海棲艦の味方をして鎮守府壊滅!
 おかげで艦娘の世間イメージが一時期は最悪に! やはり艦娘は全員解体すべきだ! 反艦娘テロリストはこれぞ好機と、卯月さんをやり玉に声明を出しています。いくつか見てみましょう。
A「諸君、私は戦争が好きだ」
B「お前(卯月)を殺す」
C「やって見せろよ卯月!」
 ……ソースを間違えちゃったみたいです、ごめんなさい!
 まあ世論がこんなんなので、松さんたちの態度もしょうがないってことですね。
 それでもちょっと、過激な気はしますが。


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第43話 蛇蝎

なんであの眼鏡HPが4800もあるんだよ基地が回避するなよふざけんなよチクショウめ。


 卯月はもう戦艦水鬼と戦えないと、仇討ちのチャンスはないと思っていた。前科戦線は海域調査も特効調査も終わらせてしまったからだ。出撃の機会はないのだ。

 

 しかし、その『特効』が光明だった。泊地棲鬼に続き卯月は特効を持っていた。

 戦艦水鬼本人ではなく、随伴艦に対してという特殊な形ではあったが。

 

 なんであれ報復のチャンスは巡ってきた。わたしの時代が来たと喜んでいただろう。

 普段ならば。

 

「なに見てんだよ」

「見てないぴょーん、自意識過剰だぴょん」

「無視しなさいよ竹」

 

 食堂の空気は今世紀最悪だった。施工当時の加賀の方がまだマシと断言できるレベルで酷かった。

 

「水雷戦隊のアイドル? 随分スケールがちっちゃいね!」

「もう、不相応な夢を抱いたらダメでしょ、那珂おばさん!」

「あっはっは、生意気な小娘ね!」

 

 アイドル(自称)の血みどろの争いはなんかベクトルが違うが、ヤバそうな雰囲気だ。

 

「なんでお姉さま食堂に来たんですか?」

「一緒にティータイムでもすれば、少しは良くなるかと思いまシタ!」

「さすがお姉さま、でも判断ミスだと思います! 卯月と同室でリラックスとか比叡には無理です!」

 

 ギロリと敵意に満ちた視線が突き刺さる。卯月がいるから空気が悪い。出ていけと言わん勢いだ。

 あげく相席は松と竹だ。なんでやねんと内心突っ込む。

 こんな空気では、報復のチャンスも喜べない。

 

「あんたなんでこの空気で出ていかないのよ」

「満潮にしてはまっとうな質問だぴょん、理由はシンプルぴょん」

「なによ」

「負けたみたいで腹が立つからだぴょん」

 

 隣の席の満潮は心底呆れる。

 この状況下で怒る余裕があるとは。無神経というか図太いと言うか。

 

「誰が無神経だぴょん」

「あ、言ってた? 当然あんたのことよ」

「よっしゃ殴るぴょん」

「二人ともうるさいから黙ってて欲しいんだけど」

「やだね! 黙れと言われたら騒ぐのがうーちゃんの生きざまぴょん!」

「……オウ」

 

 このお茶会を言い出した金剛は頭を抱える。

 かなり無茶な試みだったのは知っていた。やらかした前科持ちといきなり仲良くなるなんて不可能だ。

 それでも一緒に戦うのだから、最低限コミュニケーションがとれて欲しい。

 

 結果は失敗だった。他の前科組以上に、卯月への嫌悪感が高すぎる。

 卯月がいなければ、もう少しスムーズに進んだ。しかし卯月は今回の作戦のキーファクターだ。外すなんてできない。

 

「なんでよりにもよって、卯月が特効持ちなんですかね」

「それは戦艦水鬼にListenしないと、分かりませんネー」

「時間もないですし、どうしましょう」

 

 金剛と比叡は揃って頭を抱える。比叡の気持ちは良く分かる。松たちが卯月を徹底して嫌う理由も納得できる。

 ただそれを作戦に持ち込まないでほしい。

 軍艦なら、そんなことはなかった。感情を持つ艦娘ゆえの弊害だ。

 

「もう少し様子を見まショウ、同じ基地で一緒にいれば、関わる機会はありマース」

「余計悪化しなければ良いんですけど」

「それはノーセンキューデース」

 

 お茶会は完全に失敗に終わる。再出撃の時間は確実に押し迫っている。まったく連携できない状態で勝てる程戦艦水鬼は甘い相手ではないのだ。

 どうすればいいのか。誰にも分からないまま、来客初日は終わった。

 

 

 *

 

 

 金剛たちが来てから二日目の朝が来た。寝ぼけ眼で卯月はベッドから起きる。満潮は既にいない。トレーニングに行ったのだろう。朝から満潮の顔を見なくて良かったと卯月は安堵する。

 

 今日の卯月はやる気に満ちていた。戦艦水鬼と戦えると分かれば訓練にも身が入る。身支度を整えてジャージ姿になった後、いつも走り込みをしている砂浜へ向かった。

 

 だが、やる気は一瞬にして霧散する。

 

「なんでお前たちがいるぴょん」

 

 砂浜にジャージ姿の松と竹がいたのだ。二人も走り込みに来ているのは明らかだ。このままいくとこいつらと仲良く並走することになる。

 卯月としては構わない。だが松と竹からすれば。

 

「……最悪ね」

「ああ、早く帰りたいぜ」

「なるほど、このうーちゃんの美しさに耐え切れないと」

 

 松と竹は卯月に対して完全無視を決定した。ポツンと置いていかれる卯月。酷い連中だ、無視するなんて許せない。頭に血が昇った卯月は二人を追い駆けて走り出す。

 

「無視すんじゃねーぴょん! このうーちゃんをなんだと思ってるぴょん!」

「造反者卯月」

「裏切り者の卯月」

「言いたい放題か!」

 

 卯月のツッコミは間違っていた。前科戦線に引き籠っているから知らないだけだ。艦娘のままの裏切り。前代未聞の事件に酷い二つ名がいくつもついている。松と竹が言ったのはその一例に過ぎない。

 

「こいつ、追い付いてきてやがる!」

「うわははは! 前科持ちのエリート集団に囲まれてんだ、否が応でも強くなるぴょん!」

「来ないでよ、気持ち悪い……!」

 

 今の卯月の練度は40ぐらいだ。あくまで目安でしかないが、数日前まで25だったことを顧みれば急成長と言っていい。駆逐棲姫と戦ったことで大きく成長しているのだ。

 

 松と竹、金剛たちの練度も低くない。むしろ高い方だ。最低でも練度70はある。作戦部隊の中核なのだから当然だ。

 ただ、情報がまったくない海域に突撃しなければならない前科戦線とは任務の過酷度が違いすぎた。部隊の編制目的が違うと言ってしまえばそれまでだが。

 

 卯月自身も、二人に追いつき始めていることに驚いていた。

 自覚している以上にパワーアップしている。戦いの経験は無駄になっていない。強くなればその分深海棲艦を殺せる。喜ばしいことだった。

 

「このままぶっちぎってやるぴょん、やーいノロマー」

「裏切り者の癖に、なんでこんな態度なんだ」

「こんな性格だから、仲間を売ってもなんとも思わないんでしょうね!」

 

 艦娘としては後輩。仲間を撃った艦娘以下のド外道。そんな奴に負けたら恥だ。提督に合せる顔がない。松と竹は卯月に追いつかれないよう必死で走る。

 卯月も卯月で、嫌悪感をぶつけられ過ぎて頭に来ていた。追い抜いて馬鹿にしてやると誓い全力疾走。

 

 ただ、その速度はランニングで出して良い速度ではなかった。全力疾走し過ぎた結果、三人は仲良く入渠ドックで緊急回復する羽目になったのであった。

 

 

 

 ドックに入っていたせいで、朝ごはんに来るのが遅れてしまった。卯月は慌てて食堂へ向かう。しかし同じドックから出てきた松と竹は、なぜか別方向へ向かって行った。あっちは確か割り当てられた客室のある場所だ。

 

「食堂いかないのかぴょん」

「ああ、昨日は金剛姉さんの顔を立てたが、お前と同じ飯なんて喰いたくない」

「持ってきた食料があるから、自室で食べるの。お願いだから顔を出さないでねさようなら」

 

 冷たく突き放し、二人は自室へ向かう。ちょっとしょぼくれた気持ちになったが、飛鷹さんのご飯を食べれば元気になるさ。卯月はテンションを戻して、食堂の扉を開いた。

 

 同時に、ナイフのような視線が突き刺さる。

 

 卯月以外のメンバーはほとんど食堂にいた。まだ朝食途中の人もいる。しかし卯月を見た途端、箸の動きが止まってしまった。

 

「うぇー、最悪ー、朝から虫けらが視界に入ったー」

Sopravvalutazione(言い過ぎ)ですよ~」

「飛鷹さんにも失礼ですわ」

「うーん、ごめんねポーラさん、熊野さん。でも桃も、あんなのと一緒にいたくないから。二人とはお喋りしたかったけどアレは無理」

 

 ポーラと話しながら食事をしていのだろうか。楽しそうな雰囲気だった。那珂がいなければ暴走しないようだ。だが卯月が来たことで空気が一変してしまった。残った食事を一気に掻っ込み、席から立ち上がる。

 

「卯月がいないときに、また話そうね!」

「わ、分かりました~……」

「ええ、よろしくてよ……」

 

 ポーラに笑顔を向けた後、扉に立っていた卯月を蹴り飛ばした。

 

「ちょっとジャマ」

「いたっ!?」

 

 なにすんだと言おうとした時には、桃はもういなくなっていた。

 

「なんなんだぴょん」

 

 ここまでされる筋合いはないんだが。てかなんでアル重(前科持ち)のポーラと仲良くしてたのに、わたしには冷たいんだ。罪の重さが違うと言っても、ポーラだって鎮守府爆破というヤバイことをしてるのに。

 

 ため息をつきながら席に座る。誰かと一緒の席はなんか嫌だった。一人でテーブルに座ると、目の前が暗くなった。

 なんだと思い顔を上げると、険しい顔の比叡が睨んでいた。

 

「松と竹はどうしましたか」

「え、あの二人なら」

「あなたと一緒にランニングしてましたよね、なんでいないんですか、まさか殺したんですか?」

「おいおいおい早とちりは勘弁してくれぴょん! 松と竹は自室だぴょん!」

 

 いくらなんでも思考が飛躍し過ぎている。いないからって即私が殺したと言わないでほしい。さすがのわたしも傷つくんだぞ。卯月は内心で文句を言う。

 

「そうですか、飛鷹さん、ご飯ごちそうさまでした!」

 

 比叡は卯月から目を背けた後、こころからの笑顔で飛鷹にお礼をいった。偽りの感情ではない。卯月と他とで態度が違い過ぎる。卯月も飛鷹も違和感しか抱いていない。

 

「そ、そう……まだ残ってるわよ?」

「すいません自室で食べます、二人がこいつに殺されてないか、心配なので。本当にごめんなさい!」

 

 トレーを持って比叡は食堂から出ていこうとした。途中でまた卯月の傍を通りかかる。

 その時小声で、『出て言ってくれませんかね』と確かに言った。

 卯月は俯いたままだった。比叡は荒々しい音を立てて出て行った。

 

「美味しそうなスメルデース!」

 

 入れ違いで食堂に入ってきた金剛だが、食堂の異様な雰囲気に口を閉ざした。

 卯月は俯いたまま動かない。ポーラと熊野、飛鷹は困った様子で固まっている。一部始終を見ていた満潮も首を傾げている。

 

「エー、アー、成程」

 

 金剛は理由を察した。自分の仲間がやらかしたのだ。

 俯いている卯月は食事をとる気配もない。旗艦である自分の責任と考えた彼女は卯月の傍に近づいた。

 

「一緒に食事、ドウデスカ?」

「いや、遠慮しとくぴょん。そんな気分じゃないぴょん」

「そうですか……ソーリー」

「金剛さんが謝ることじゃないぴょん」

 

 金剛の好意はありがたいけど、比叡とかその辺りに恨まれそうなので止めておいた。

 居心地も悪い上に食欲もなくなっていた。卯月は席を立って自分の部屋へ戻ることにした。

 卯月の背中を金剛が心配そうに見ていたが、引き留めることはしなかった。

 

「どうするおつもりですか?」

「ワッツ!? 不知火!? いきなり背後から現れないでクダサイ!」

「それは失礼しました、しかしこの流れは、貴女方にとっても望ましくはないでしょう?」

 

 不知火の問い掛けに金剛は眼を閉じる。

 金剛の目的は卯月と同じ。戦艦水鬼の撃破だ。多少空気が悪くても仕事とあれば割り切れる。しかしここまで仲が悪いと問題だ。

 

 仲間の問題だ、旗艦である金剛が責任をとらねばならない。卯月に責任がない以上はなおさらだ。

 

「なんとかしないと、不味いデース」

「お願いします、貴女も同じ気持ちだと思いますが……」

「ノー、私は卯月を嫌ってはいまセン」

 

 不知火は目を丸くした。『事情』を知っているからには、金剛も卯月のことを嫌悪しているかと思っていたからだ。

 金剛は意を決したよう、不知火に伝える。

 

「話しても良いデスネ?」

「やむを得ないでしょう、提督には不知火から伝えておきます」

「Thank Youデース」

 

 この異様な嫌悪の原因は言わなければならない。言って悪化する可能性はあるが、このままでは悪くなるばかりだ。

 

 

 

 

 食堂から出ていった卯月は、一人自室で座り込んでいた。表情は伺えない。泣いているのか、体を小刻みに震わせていた。電気もつけていなかった。

 

「いんの卯月、入るわよ」

 

 入ってきた満潮が部屋の電気をつける。項垂れている卯月を見て蔑む目をぶつける。

 持ってきたトレーには飛鷹に頼まれた食事が乗っていた。嫌だったが飛鷹の頼みでは断りづらい。

 

「食い物持ってきてやったわよ、食べなさい」

「毒とか入ってないぴょん?」

「こんな軽口言えるなら、いらなそうね」

「待ってぴょん食べるぴょん」

 

 正直に言えば良いものを。なんでいちいち一言多いのか。ブーメラン発言に満潮は気づいていない。

 卯月は顔を上げて食べ出す。目が若干赤く腫れていた。

 

「ざまぁないわね、普段の行いが帰ってきてるのかしら」

「バカな……うーちゃんはとても良い行いばかりしているのに……」

「復讐鬼が言っても説得力皆無なんだけど」

 

 まあ、これには、反論できなかった。

 しょぼくれながらもご飯は食べる。飛鷹さんが持ってきてくれたのを残すなんてできない。

 

「ごちそうさまぴょん、飛鷹さんにお礼を言っといてぴょん?」

「嫌よあんたが言いなさいよめんどくさい」

「ぴょぇん」

「あいつらに会いたくないのは分かるけど、わたしの知ったことじゃないし」

 

 だが、不可解だ。

 ポーラや熊野には普通の態度なのに、卯月にだけあの露骨な嫌悪。同じ前科持ちなのになにが違うのか。

 

 どれぐらいって、松と竹以外は食堂以外で会ってさえいない。会いそうになると回避してしまう。それぐらい嫌悪されている。

 卯月がどうなろうがどうでもいいが、作戦進行に支障がでるのは認められない。

 

 卯月も同じことが疑問だった。理由が分からないので余計気落ちしてしまうのだ。

 彼女たちが来てからまだ一日も経っていないのにこのザマ。協力できなければ勝てないと知ってる分、余計に辛い。

 

 なにが原因なのか。二人揃って首を傾げる。その時、扉を誰かがノックした。

 

「金剛デース、卯月サン、いますカ?」

 

 来訪者は金剛だった。




比叡松竹梅の態度が尋常じゃなく酷いですが、相応の理由があります。造反者って以外にも理由があります。それは次回ということで。


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第44話 居所

なんか書くペースが良い感じなので早めに投稿します。


 理由は分かるが納得ができない。他の前科組と比べて異様に嫌悪され続けた卯月は、さすがに気分が落ち込んでいた。

 あまり顔を合せたくなくなり、部屋に立て籠もっていたところに、金剛がやってきた。

 

 卯月たちは金剛とテーブルを挟み、カップに入ったお茶をグイっと呑む。

 

「どうですかMade in the UK(英国製)の紅茶のTaste()ハ?」

「砂糖とミルクマシマシが良いぴょん」

「わたしコーヒーの方が好きなんだけど」

「ワッツ? 泥水が好きとかありえな──コーヒーもナイスネ!」

 

 今しがた英国面が垣間見えたが見なかったことにする。満潮の顔は引きつっていた。

 

 と、まあ。やってきた金剛が振る舞ってくれた紅茶を、卯月は堪能していた。食事を運んで来ていた満潮も流れで参加している。

 

 食堂とかではなく、卯月&満潮の自室でやっている。

 三人は狭いし、来客をこの殺風景極まった部屋に入れるのは無礼だと卯月は言ったのだが金剛がそれを断ったのだ。

 

 もちろん理由はある。でなければクソ害獣の卯月となんぞお茶しない。金剛がやってきたのには理由がある。彼女がこの部屋に拘ったのも聞かれたくない話題だからだ。満潮はそう踏んだのだ。

 

Apologize(謝ること)がありマス、私の仲間がゴメンナサイネ」

 

 金剛はテーブル越しに、深々と頭を下げる。客人でしかも相手方の部隊の旗艦。さらに卯月たちは前科持ち。そんな相手に頭を下げる。金剛の謝罪は本気だ。

 

「別に、蔑まれるのはとーぜんだぴょん。うーちゃんだって逆だったらそーするぴょん」

 

 そりゃ仲間を撃ったクソったれと仲良くしろってのは無茶だ。卯月もそれは理解していた。納得できないのは、なぜ卯月だけが、突出して嫌われているかだ。前科持ちは他だって同じなのに。

 

「それについて、説明をしに来たんデース。あの態度にはCircumstances(事情)がありマース」

「なんでそんなことを? 説明する理由なんてあんの?」

「謝罪だけじゃ十分ではないのデース、迷惑をかけたことへの、対価と思って貰えれば十分ネ」

「対価ねぇ……なんの問題解決にもならないんじゃないの」

 

 痛いところを突かれた金剛が、ばつの悪そうな顔をする。満潮の言う通りだと卯月は思った。嫌悪感の原因を知ったところで、それが自力でどうにかなる問題とは思えなかった。時間の無駄と言っても良い。

 

「いいや、教えて欲しいぴょん」

「良いんデスカ?」

「うん、まずうーちゃんは『納得』したいぴょん。それが優先だぴょん」

 

 今一番こころに引っ掛かっているのは、理由が分からないからだ。納得できればまた感情や状況が変わるかもしれない。

 まあ、それ以外に選択肢がないってもの大きいが。

 

Thank you(ありがとう)but(けど)、かなりショックな内容になるかもしれないヨー。心の準備は良いデスカ?」

「構わないぴょん」

「私たちのテートクは、『藤 江華(ふじ こうか)』と言いマース。一年前にテートクになったばっかりのRookie(新人)ネ」

 

 藤、藤提督か。当然知らない名前である。

 しかし金剛はルーキーと言ったが、着任一年目で大規模作戦の中枢戦力を任せられているのだ。ルーキーでもかなりのやり手なのは間違いない。

 

「ただ、新人のテートクには、Assistant(補佐)がつくようになっていマース。仕事を学ぶ間に、艦娘が沈んだり、基地が壊滅するリスクを減らすためデース」

「んで、それがどう関係しているのよ?」

「この補佐ですガ、主に引退した元テートクがつくケースが多いんデース」

 

 引退の理由は様々だ。怪我や個人的事情、年齢によるものなど。しかし長い間経験を積んだ人材を遊ばせるのはもったいない。新人提督からしても先人の知恵を直接学ぶことができるメリットがある。

 

「卯月が嫌われているのは、この補佐がCause(原因)ネ」

「ワッツ? なんでだぴょん」

 

 卯月は首を傾げる。

 引退した提督が新人の補佐をした結果、凄まじいヘイトを浴びる。

 意味不明とはこのことだ。まさか金剛が嘘を吐いているわけでもあるまい。補佐の人がわたしを嫌ってるから、連鎖してるとかだろうか。

 

 ()退()()()()()()、卯月を、()()()()嫌っている? 

 

「まさか」

 

 金剛はとても話しにくそうだった。それでもなんとか、苦しそうに口を開いた。

 

 

「藤提督の補佐は、()()()元提督ネ」

 

 

 卯月の目的は達成された。

 嫌悪されている理由について『納得』することができたからだ。

 しかし同時に、卯月のこころは深く抉られた。

 

「て、提督が、いるのかぴょん」

No doubt(間違いなく)、卯月の知るテートクだワ」

「なるほどね、合点がいった。つまり比叡や松たちは、卯月の犠牲者から直接話を聞いていた……だから嫌う」

「Yes」

 

 神提督は重傷から助かった、後遺症で提督業への復帰は困難だった。間宮越しとはいえ、泊地棲鬼の主砲を受けたのだ。余波でも人間には致命的だった。

 

 しかし経験はある。神元提督は新人の藤提督のところへ、補佐として着任したのだ。

 鎮守府壊滅という悪評はすべて卯月が背負ったので問題にはならなかった。

 

「神テートクは、卯月の造反をResent(恨んでいる)と言ってたヨー」

「そんな」

「当たり前でしょ、でなけりゃ他人に話したりしないわ」

 

 他人に言わざるをえないほど、神補佐官は卯月を憎んでいる。その憎しみは話した人にも感染する。

 

 ニュースや連絡で聞くのとはわけが違う。

 惨劇の当事者から直接聴いたのだ。伝わり方が違う。

 結果、比叡や松たちは神提督をそんな目に合わせた、卯月を徹底的に忌み嫌うようになった。

 

「けど話を直で聞いたとしても、随分な影響力ね」

「元々大本営お墨付きのテートクとして、有名でしたカラ。Assistant(補佐)としての実力もありマス。私も彼を信用してるデース」

「そっかぴょん」

 

 神補佐官が信頼されていることは、ちょっと嬉しかった。わたしへの態度以外は、昔とそう変わっていないと卯月は思う。

 

「ん? 金剛もうーちゃんがなにしたか聞いてるぴょん?」

「聞いてるケド?」

「じゃぁなんで、ふつーに接してくれるぴょん?」

 

 金剛だけは普通の態度だ。卯月の前科(冤罪)を知っていたら、松たちのような態度が普通だ。

 当然冤罪については話せない。言ったところで大本営が絡んでるので無駄だが。

 

「ワタシは直接saw(視た)コトシカ、信じないからデース」

「直接?」

「造反と聞いてるケド、やむにやまれない事情かもしれないネ。大本営がでっち上げたFalse charges(冤罪)の可能性もありマース」

「!!」

 

 金剛の一言に卯月は目の色を変えた。まさか、その可能性を考えてるとは思っていなかった。

 

「結果はNot guilty(無罪)、卯月は悪い子じゃないって、私は決めたネ。Rebellion(造反)は事実かもしれないケド、本当に悪い子なら、食堂であんなにLooks sad(悲しそうには)しないヨー。まあ今のところは……だけどネ」

「どうせなら金剛も嫌ってくれれば良いのに」

「うるせぇぴょん、紅茶飲んだらさっさと立ち去れ部外者」

「は? わたしの部屋よ忘れたのド腐れ脳味噌?」

 

 いかん、満潮なんてカスカスのカスに構うのは無駄な行為だ。

 なんであれ、金剛の接し方はとても嬉しいものだった。

 この状況は全て仕方のないものだ。全て承知で前科戦線に来たのだ。それでもキツイものはキツイ。だから金剛の態度が救いになる。

 

「あの、神提督はほんとにうーちゃんを憎んでるぴょん?」

「分からないネー、そうかもしれないケド、冤罪の可能性を考えると、話が別デース」

 

 本気で判断がつかない様子で、金剛は頭を捻る。

 

「卯月の冤罪を『磐石』にする為、誰もそれが冤罪だと疑わないように、あんな言動をしてるかもしれないデース」

 

 それしかない。卯月は信じる。

 卯月の造反は冤罪だ。神補佐官のミスを擦り付けるためだ。だが負い目を感じた神補佐官は、卯月が前科戦線で生きられるよう取り計らった。それが真実だ。

 

 これを誰かが疑い、冤罪だと露見した時、神補佐官は今度こそ失脚する。大本営の信頼は失墜する。

 どんなに完璧な奇襲で、神補佐官に落ち度がなくても責任をとらなければならない。その展開は誰も望んでいない。卯月自身もそうだ。

 

 だから神補佐官は、偽のエピソードを広めたのだろう。卯月は推測する。

 偽のお話でも、大多数が信じればそれは『真実』になる。

 それは嘘だと誰かが言い出しても、大半は信じなくなるだろう。神補佐官及び大本営は、その為に卯月の裏切りを話し続ける気だ。

 

 未来永劫裏切り者として語り継がれるのだろう。仕方ないけど気が滅入ると言うのが正直な感想だった。

 

「はー、そーゆーことかぴょん」

「言ったからといって問題が解決する訳じゃないケドネー」

「そうよ、どうすんのよ、あんた旗艦でしょなんとかしなさいよ。こんな面倒な空気が続くのは御免だわ」

 

 問題は解決していない。嫌悪感の理由が分かったし納得できたが、空気の悪さをなんとかしないと作戦に影響が出る。

 

「そもそも神って奴が口を滑らせたのが原因じゃない」

「まさか神テートクも、前科戦線、卯月とJoint front(共同戦線)を張るなんて、想定してないワ」

「口は災いの元って言っときなさいよ」

 

 かといってどうしたもんか。困ったものだと卯月はうめき声を上げる。

 誰が悪いとかそういう問題ではない。

 松たちに真実を伝えれば、神補佐官の行動は無駄になる。それ以外の方法を考えるしかない。

 

 三人とも頭を捻りながら妙案がないか考える。卯月も頭から煙を出しながら思考し続ける。

 

「うん、ギブ、わたしには無理」

「ヘルプミー! 私も限界デース!」

「知らないわよ!」

 

 全員関係改善に必死だった。作戦遂行に関わることだから、本気で悩んでいるのだ。

 

 その光景を見た卯月は、ふと思った。

 

 

「なんか、イライラ、してきたぴょん」

 

 

 理由を知り、卯月は納得した。

 それによって感情の整理ができた。結果浮かんできた感情は、松たちへの『苛立ち』だった。

 

「は?」

「いや、ムカムカしてきたぴょん。なんでうーちゃんたちがここまで悩まなきゃきけないぴょん」

「まあ、そうだけど」

 

 松たちがやって来たのは、卯月に協力を仰ぐためだ。前科戦線の任務外の要望を出しているのは松たちの方である。

 迷惑、面倒をかけると、申し訳なさそうにするのが普通だ。協力してくれてありがとうと言われるべきだ。

 

 だが、なんだこれは? 

 頼んできたクセになぜここまでコケにされなければならない? 

 前科持ちのグズなのは認める。ここはそういう場所だ、間違っても尊敬される部隊ではない。

 

 それでもだ、最低限の礼儀があるだろう。頼む側としての礼儀が、艦娘のクズだとしても。あの態度はなんだ、ふざけている、なめている、コケにしている! 

 

「いや! ガチギレぴょん! なんだぴょんあいつらは! なにしに此処に来たんだぴょん、任務と私情も分けられねーのかぴょん!?」

「卯月!? どーしたんデース!」

「やかましいぴょんポンデリング二号!」

「二号!? ポンデリング!?」

 

 頭をガシガシかきむしりながら、卯月は怒鳴り散らす。冷静になって気づいた。こんな不条理あってたまるか! 言ってるだけならともかく、頼んでる立場であれはない。

 

「金剛、一応聞くぴょん! 金剛が言ってあいつらは態度を改めるかぴょん!?」

Sorry(ごめんなさい)、比叡は私が強く言えば従うネ。でも松sisters(姉妹)は難しいデース。あの子達は神補佐官に懐いてるネー」

「よっしゃ、決定ぴょん!」

 

 こめかみに血管を何本を浮かばせて、卯月は廊下へ駆け出した。なにをする気だと満潮と金剛は追いかける。

 卯月が向かった先は、松たちの部屋だった。中から活動音が聞こえる、中にいると卯月は判断した。

 

「仕返しの時間ぴょんオラァ!」

 

 卯月は怒りに駆られるまま、松たちの部屋の扉を全力で蹴破った。

 

「痛ぁ!?」

 

 丁度扉に寄りかかっていた松が、派手に吹っ飛ばされた。

 

「松姉!?」

「あ、ごめん、予想外ぴょん」

 

 本当に予想外だ。不測の事態だわたしは悪くない。卯月は軽く謝って済ませようとした。

 

「ごめんじゃねぇ、いきなりなにしやがる!?」

「あ゛あ゛!? なにしやがってんのはてめーらだぴょん分かってねーのかこのタコッ!」

「意味分からないわよ!?」

 

 松と竹は当然憤慨する。奇襲攻撃をしかけた上因縁をふっかけているようにしか見えない。しかし卯月からしたら事情が違う。

 

「このうーちゃんに協力してと頼みにきたのに、ふざけた態度とるからぶっ飛ばしにきたんだぴょん」

「ふざけてんのか、お前みたいな裏切り者に頼むなんて本当なら願いさ」

「やかましいッ! だったら最初から頼むんじゃねぇぴょん! 協力してもらうが礼儀は払わねぇってか、都合の良いこと言ってんじゃねぇ、うーちゃんはプッツンしてるんだぴょん、理解したかこの脳味噌雑木林!」

 

 さりげなく松型そのものを侮辱する卯月。意図してのことだ。ぶっ飛ばすと言ったが、正当なルールに沿っていなければならない。そのルールに引き摺りこむ為の挑発だ。松に扉をぶつけたのはラッキーだ、竹がより怒るからだ。

 

「うーちゃんは、てめぇら雑木林に『演習』を挑むぴょん!」

「演習だと?」

「そうだ、負けたら勝った奴に絶対服従、恨みっこなしのルールに沿って半殺しにしてやるぴょん!」

 

 それは口実でしかなかった。もはや関係改善など微塵も考えていない。ボコボコにしてやる。そうすればスッキリする。卯月はそうしたかっただけだった。

 無論、負けたら松たちに絶対服従だ。それもそれで、自分を納得させられるからヨシ。あとはこいつらが乗ってくれるかだ。

 

「待って竹お姉ちゃん、これは挑発だよ?」

「悪りいな桃、俺は我慢できない。裏切り者にしては良い提案をする。神提督と仲間を殺した痛みを、味わわせてやりたかったんだ」

「そうね、どうしたって一緒に戦うんだもの、お互いの手の内は知っておくべきだわ」

 

 松は最もらしいことを言うが、内心は竹とそう変わらない。桃も一応諫めはしたが、卯月をギタギタにしたい気持ちは同じ。強くは引き留められない。

 

「待ちなさいよ、そんな私怨での演習、高宮中佐が認めな──」

「良い、提案ですね」

「不知火!?」

 

 突然背後から現れた不知火に、満潮と金剛は驚く。

 

「中佐には不知火から伝えておきます、ルールに沿って誠実に、『演習』を行いましょう」

 

 こうして、ルールに沿う半殺しを目的にした演習のゴングが鳴らされたのであった。




松たちからすると、人を後ろから撃つような輩に背中を預けなければならず、挙げ句その蛮行の被害者一号から詳しく話を聞いているという状況。
これで警戒するなという方がムチャという。

藤 江華提督の名前の由来は……

言えません。
ある種のネタバレなので。
本人が登場したらお話しましょう。


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第45話 故障

 卯月が松たちに不条理な扱いを受けていた原因は、彼女たちの鎮守府に補佐官として復帰していた、卯月の元提督神躍斗が原因と判明した。

 

 しかし、卯月の前科が冤罪だと思われてはいけない。そのために必要な行動だったと、卯月は自らを納得させた。

 

 だが、それでも松たちの態度は許せなかった。完全にプッツンした卯月は松たちに演習という名目の『決闘』を挑んだ。

 

 ほぼ思い付きの行動だったが、意外なことに不知火が認めた。不知火の意思は高宮中佐の意思。彼女の許可がとれたことで、準備はトントン拍子で進んでいった。

 

 そしてその日の午後、演習の準備が整った。卯月は艤装を受け取りに北上のいる工廠を訪れていた。

 

「北上さーん、いるかぴょーん?」

「いるよー」

「やっぱ上かぴょん」

 

 工廠のリフトに乗って北上が現れた。卯月の艤装も同時に運んでいた。

 

「いやぁビックリした、いきなり演習なんて」

「うん、うーちゃんも驚いてるぴょん」

「いやなんで言い出しっぺが……ああ不知火?」

 

 コクリと卯月は頷く。不知火の許可は嬉しいが理由が全く分からない。風紀が乱れそうな戦いなんてむしろ拒否しそうだが。

 

「最初から軽く演習するつもりだったんじゃないの? 卯月のを口実にしただけとか」

「まあ、なんでも良いぴょん。ボコボコにしてくるぴょん」

 

 卯月的には松たちを痛め付けることができれば良い。生意気な態度を後悔させてやる。

 

「いや、もしかしたら……不知火も、キレてるかも」

「へ? 不知火が? なんでだぴょん?」

「あいつらは卯月を侮辱している。分かる? 間接的に前科戦線を、即ち中佐を侮辱している」

 

 そう、なんだろうか? 

 理屈は合っていると卯月は思うが、だからってキレないと考える。仮にキレても演習に乗ってきたりしないだろう。仮にも中佐の秘書艦なんだし。

 

 

 

 

 なんて考えていた時期が卯月にもあった。

 

「なんであんたいるの」

「不知火も参加するからですが」

「その心は?」

「よくも中佐を侮辱しましたね八つ裂きです」

 

 こいつ秘書艦に向いてないんじゃね? 

 卯月はそう思ったが、怒りの矛先が変わりそうなので黙ることにした。

 

「なんでもいいわ、さっさと始め」

「なんで!? なんで那珂先輩がいないの!? 桃、あいつを叩き潰したいのに!」

「駆逐同士の戦闘に軽巡がいたら、戦力が片寄るからです」

 

 松型三隻に対して、前科戦線は卯月、満潮、不知火の三隻を演習相手にした。駆逐同士の戦いにするためだ。これで一隻軽巡ではバランスが崩れる。

 

「それに軽巡を入れたら勝負にならないので」

「へぇ、そう」

「ハンデは必要です、これは演習ですから」

 

 やっぱり不知火も頭にきてるじゃない。

 怒り心頭の他人を見て、卯月はちょっと冷静になる。

 挑発された松たちも、明らかに苛立っていた。血生臭い戦いの予感が充満していた。

 

Referee(審判)は私がやりマース! Favo(贔屓)rは当然ナッシングネー!」

 

 演習エリアの中央を挟み、それぞれ指定の位置に移動する。主砲や魚雷は全てダミーだ。それでも痛めつけることは可能だ。卯月はそのつもりだ。

 

「スタート!」

 

 金剛が信号弾を撃った瞬間、二つの駆逐隊は相手目掛けて突撃していく。

 

「撃て!」

 

 旗艦の不知火の合図に合わせて、砲撃戦が始まる。

 どちらも砲撃だが傾向は違う。卯月たちは広範囲に、松たちは一か所に集中して弾幕を張る。スペックの差によるものだ。

 

 卯月が足を引っ張っているが、不知火と満潮は二連装の主砲を使う。対して松たちは単装砲、弾幕の密度に限界がある。ならば一か所に絞り、確実に撃破を狙う方が良い。

 

 そして、松たちが集中砲火をするのは卯月──では別になかった。

 演習中に私情を挟むほど、松たちは馬鹿ではない。

 卯月はそのことに安堵した。実戦でわたしに攻撃することはないと分かったからだ。

 

「クソッ近づけないぴょん!」

 

 なので自分を囮にする戦法は使えない。

 松たちは卯月たちが近づくルートを潰すように弾幕を張る。ルートを変えれば即座に砲撃を変えてくる。三隻が一斉に、同じ狙いで動ける。徹底した連携に卯月たちは阻まれる。

 

 不知火たちも砲撃はしているが、松たちとはベクトルが違う。

 前科戦線の戦い方は、とにかくリスクを減らすやり方だ。当たらなければいつか勝てる。掠り傷は敗北に繋がる。その為に広範囲に砲撃を行い、行動の選択肢を狭めていく。

 

 逆に言えば、弾幕が広がる分回避し易くなる。松たちは砲撃を見て確実に回避していた。お互いに膠着状態、様子見のような状態が続いていた。

 

「今です、突撃を」

 

 それを変えたのは、不知火の一声だった。

 彼女に従い卯月と満潮は主砲を撃ちながらも、松たちに向かって突撃する。その直後さっきまでいた場所に松たちの主砲が一斉に着弾する。

 

「外れた!」

 

 不知火は自分を含めて、自分たちが一か所に集まるタイミングを意図して作っていたのだ。それは攻撃を誘発するためだ。全員が一斉に撃てば、再装填のラグが生まれる。安全に突撃できるようになったのだ。

 だが松たちも素人ではない。一瞬で再装填を終え、迎撃の弾幕を張る。

 

「反撃がくるわ!」

「このままいきます、お互いに援護してください」

「難しいことを言うなぴょん!」

「不知火に追従すれば突破できます」

 

 松たちは再び進路を塞ぐような集中砲火を張る。卯月たちはその中へ飛び込む形になった。回避できる量ではない、そう思った。

 だが不知火は、弾幕を全て回避していた。ほんの僅かな砲撃の隙間を縫うように、しかし速度は落とさずに突っ切っていく。

 

 艦娘三隻分の集中砲火を浴びたにも関わらず、不知火は一切の無傷だった。その後ろを通った卯月と満潮も同じだ。

 接近に成功した三人は、松たちの側面に向けて砲撃を放つ。松たちも即応し反撃を撃ちながら回避する。

 

 それでも、主砲の掠り傷が確認できた。ここまで近づけば命中率は相当上がる。逆もそうだが、不知火と満潮はそう簡単に被弾しない。

 卯月だけがダメだった。

 

「当たった!?」

 

 回避運動が甘かったのだ、主砲を撃つことに集中し過ぎていた。誰かの攻撃が肩を掠ってしまっていた。小破判定を受けている。三人の中で卯月だけがダメージを負ってしまう。

 

「……どちらにしても、狙いはあいつね」

「なら俺がやる、援護してくれ!」

 

 二人の会話は卯月にも聞こえていた。同時に竹の主砲の照準が卯月に合わさる。一番弱いわたしから確実に落としていくつもりだ。

 竹の主砲が発射された──あとにはもう眼前だ。この距離だと到達までが数秒しかない。これが本来の速度なのだ。

 

 顔面クリーンヒットをギリギリのところで回避する。お返しと言わんばかりに卯月も竹へ攻撃するが、既に竹はやや後方へ下がっていた。

 どういう動きなんだ。遠くからわたしを狙い撃つつもりなのか。と考えている間に、松と桃が卯月に主砲を合せていた。

 

「ボサっとしてんじゃないわよ!」

 

 すかさず満潮が援護に入る。松が主砲を撃とうとしたタイミングに合わせて、満潮は攻撃していた。松は回避しつつ攻撃しようとしたが、不知火が回避後の位置を狙っているのに気づき、攻撃を中断する。

 

 だが、桃は誰の妨害も受けていない。彼女の攻撃は卯月が自力で回避しなければならないのだ。

 

「くたばっちゃえー!」

 

 狙いが一人なら狙いはつけやすくなる。回避困難な場所へ次々へと攻撃が撃ち込まれる。なんとしても竹のところへ行かせないつもりだ。

 竹はなにかを目論んでいる。その前に阻止する。卯月は弾幕へ飛び込んでいく。

 

「バカ卯月! 行くんじゃないわ!」

「当たらないぴょん、竹は任せるぴょん!」

 

 これぐらい突破できなければ訓練の意味がない。機関出力を上げて、卯月は正面から走り抜けていく。

 回避、できる。隙間が見えるようになっている。着実に成長していると、卯月は実感した。

 

「違う、誘き寄せてんのよ!」

「へ?」

 

 だがそれは罠だった。卯月は、自分が満潮たちと分断されてることに気づいた。竹との一対一に持ち込まれた。桃の攻撃は『近づかせたくない』と思わせるブラフだった。

 

「かかった、くたばれ造反者!」

 

 まだだ、一対一ならなんとかなる。包囲されてるわけじゃない。卯月の考え方は紛れもなくフラグだ。

 

 竹は卯月を包囲するように雷撃を放った。だが、数が尋常ではなかった。

 

「なんだぴょんこの数は!?」

 

 竹の搭載している魚雷の数は、普通の駆逐艦を凌駕していた。北上の属する雷巡クラスの雷装が積まれていた。

 それが一斉に、卯月一人に襲いかかる。

 

 逃げるには竹に近すぎる。魚雷の射程距離外へ逃げるのは不可能だ。相討ち覚悟で竹に襲いかかるか、頑張って回避するかの二択。

 

「当たるかぁーっ!」

 

 卯月は回避を選んだ。球磨からの説教があったからだ。自分を犠牲にする戦い方は避けるようになっていた。

 

 ただ回避するだけではたりない。主砲や爆雷を叩き込み魚雷を処理しながら、ほんの僅かな隙間を掻い潜る。それに集中させまいと、竹が狙いを定める。

 

「逃がすかよ!」

「そうですか、不知火も同じです」

「じゃあ桃が活躍するよー!」

「あんたの出番はないわ」

 

 卯月を支援しに不知火が現れた。松と桃は一時的に満潮が押さえ込んでいる。短時間だが、卯月が生き延びる時間は稼げる。

 

 竹からの妨害がなければ、なんとかなりそうだ。卯月は一層集中し、魚雷の処理速度を上げていく。

 あと少しで、逃げ道が作れる。

 

 安堵したその瞬間、予想外の事態が起きた。

 

 誰も予想できなかった事態だった。

 

 ()()()()()()()()()()

 

「ぴょん?」

 

 なにかのスイッチが切れたかのように、卯月は一歩も動けなくなった。

 

 正確には足は動く。

 しかし艦娘のように、船のように海上を走れない。

 艦娘の機能が喪われたような感覚だった。

 

「動かない? 俺をバカにしてんのか?」

「いやいやいや違う違う違う待ってちょっと今それどころじゃな」

「トドメを刺してやる」

 

 竹は主砲を撃った。真っ直ぐで、回避は簡単な一撃。しかし今の卯月は動けないわけで。

 

「あじゃぱーっ!?」

 

 顔面にペイント弾丸が直撃し、頭から真っ赤になり、卯月は倒れた。轟沈判定であった。

 

 

 

 

 そのあとの演習結果は、卯月的にはどうでも良かったが、前科戦線の勝利だった。

 卯月が回避さえしなかったことに首を傾げた竹が、不知火の不意打ちをくらい轟沈判定。松と桃はダメージあり、その差で前科戦線が勝利となった。

 

「そんなことはどうでも良いぴょん!」

 

 と、演習結果を説明する金剛に怒鳴る。松たちの卯月への好感度はまた下落した。いやもう底辺だが。

 

「Yes、卯月になにか、Accidentがあったみたいネ」

「バカにしてたんじゃなかったんだな」

 

 金剛だけではない。間近で見ていた竹も同じ意見だ。卯月になにがあったのか。この異常事態を見極めるべく、全員が工廠に押し掛けていた。

 

「てか竹はなんで気にするぴょん」

「あんな演習の終わりかた認めるわけないだろ。やりなおして、お前をちゃんと潰したい」

「おお! 始めてうーちゃんと思いが一致したぴょん」

 

 竹は卯月を無視した。卯月はやはりショボくれた。茶番を他所に北上は艤装を解体していく。眉間によるしわは深くなっていく。

 解析は進んでいる。しかし解決への糸口は見えてこない。

 

「どうだぴょん」

「内部に不調は見られない、異常も起きてない、なんだこれ」

 

 卯月が海上で動けなくなったのは、間違いなく艤装側の不調だ。卯月自身に問題が合ったら動けないどころでは済まない。卯月の成長についてこれなくなってオーバーヒートしたのかも、そう思い調べたが、故障はただの一か所もない。

 

「これは、アレかなぁ」

「アレ? ワッツ?」

「卯月ー、ちょっとさー、艤装装備してみてくんない?」

 

 北上は分解した艤装を組み直して台座に置いた。卯月は言われるまま背中を艤装に押し付ける。接続ユニットとかはない。摩訶不思議なパワーで磁石のように艤装と背中がくっつく。それが艤装の装備方法だ。

 

 当たり前の方法で装備してなにがしたいのか。卯月はその理由を思い知る。

 

 背中をくっつけた後、膝を立てて立ち上がる。

 

 だが、艤装は台座に置かれたままだった。

 

 卯月の背中に艤装はくっつかなかった。

 

「えっと?」

 

 卯月だけではない。金剛や松、満潮も目を丸くして、この異常事態を見ていた。

 

「もう一度やるぴょん」

 

 背中を艤装の接続面に押し付けて立ち上がる。今まではこのやり方で艤装との接続ができた。同じやり方を卯月は何度も試した。

 

 それでも艤装は、卯月に繋がらなかった。こうなれば卯月でも誰でも、なにが起きているのか理解できる。

 

「艤装に()()()()()()ぴょん!?」

「そういうことだね。艤装に接続できなかったら、とーぜん動かせない。海上で止まった時点で、リンクはほとんど切れてたんでしょう」

「いや、なんでだぴょん!?」

 

 そういうことじゃねぇと卯月は叫ぶ。なんだ接続できないって、そんなことどうやったら発生するんだよ。

 卯月の考えている通り、艤装の接続ができなくなるなんてことは、今まで確認されていない。前代未聞の事態だった。

 

「分かんない、艤装だって謎技術が多いからね。まあ沈まなかっただけマシだよ。演習の時完全に切れて、艤装の力がゼロになってたら」

「戦闘中でなかったのは、不幸中の幸いネー」

「そうだけど、本当に原因は分からないのかぴょん?」

 

 このまま艤装と接続できなかったら、わたしはどうすれば良い。どうやって戦えば良いんだ。報復の機会が完全に消えかけている。予想だにしなかったラストに、卯月は泣きそうにさえなっていた。

 

「やっぱり、アレだよねぇ」

「原因があるのかぴょん!」

 

 なら原因を解決すれば良い。そうでなければわたしは終わりだ。卯月は北上の次の言葉を待った。

 

「不知火、言っていいのコレ?」

「……止むを得ないでしょう。言わなければ卯月は今後、戦えなくなってしまいます」

「そうだそうだー、なんか分からんが言えぴょーん」

 

 なにを隠してるのか知らないが、戦えないのは困る。不安から早く解放されたいと卯月は喚きたてる。その様子を見て北上は、とうとう観念し重い口を開いた。

 

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

「…………ぴょん?」

 

 想定外どころか天をぶち抜く一言が、卯月の脳天に叩き込まれた。




第12話 訓練
「……北上さん、これって、ホントにうーちゃんの艤装かぴょん?」
「どういうことさ」
「なんか、なんというか、パワーが出きってない感じがするぴょん」

↑これが艤装が他人のものという伏線です。


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第46話 艤装

 松たちとの演習中に卯月の艤装は機能停止を起こした。一歩間違えれば大事故に繋がりかねない緊急事態だ。原因を突き止めるべく、北上による解析作業が行われた。

 

 解体しても問題はなかった。それでも機能停止は実際に起きている。なんらかの原因は存在する。

 北上は、原因の正体がなんなのか、予想できていた。

 

 しかしそれは、とんでもない内容だった。

 

()()()()()()()()()()()()

「…………は?」

 

 北上の言ったことを、卯月はたまらず聞き返す。

 

「いやだから、他人の艤装なんだって」

「他人のって、誰のが?」

「卯月の艤装が」

「うーちゃんの艤装が?」

 

 困惑する卯月。北上はそうなるよなと納得する。こんなことを聞いて驚かない奴はいない。

 

「卯月が今まで使ってた艤装は、()()()()()()()()()。それは()()()()()なの」

「それが、機能停止を起こした原因かぴょん?」

「それしか考えられない。他人の艤装を無理やり繋げて動かしてたけど、とうとう限界が来たってことだね。今このタイミングで限界になった理由は分からないけど」

 

 練度が上がり過ぎて艤装側がついてこれなくなったか。もしくは『卯月』として成長したせいで、艤装との縁が途切れてしまったのか。

 まあ今更理由はどうでもいい。北上にとっては、今後の方が重要だった。

 

「ちょっと待ってなー」

 

 と言って北上は腕を動かす。工廠内の機械が遠隔操作される。大きな音と共に、機械に乗って一つの艤装が運ばれてきた。

 

 ランドセル型の主機に、単装砲と魚雷発射艦。卯月が今まで使っていたものと違わない。標準的な睦月型の艤装だ。

 

「これ、確か、工廠に置かれてたやつぴょん」

 

 卯月は形見のハチマキを奪還すべく泥棒をした。その時一瞬だけ見たことがあった。艤装の予備パーツと思っていたものだ。

 

「これが、卯月の()()()()()だよ。装備してみな」

 

 卯月はさきほどと同じように、艤装へ背中を押し付ける。瞬間、ピリッと電流の走る感覚がした。いつも感じている艤装と繋がる感覚だ。

 そっと立ち上がると、今度は背中にくっついてくれる。問題無く艤装とリンクできた。

 

「どう?」

「違和感が全然ないぴょん、全身にパワーが巡ってくるぴょん」

「そりゃー、良かったねぇ。じゃぁ今後は本来の艤装を使うってことで、話は終わりー」

「んなわけないでしょこのアホ」

 

 満潮はうやむやな終わり方を許さなかった。隠し事隠蔽工作陰謀。目的のためならバッチコイが前科戦線のスタンスだが、目の前でこんなことされて、見て見ぬふりは流石に無理だった。

 

「えー、言わなきゃダメ?」

「言えぴょん、うーちゃん場合によっちゃ溺死だったぴょん」

「じゃあしょうがないか」

 

 危うく死ぬところだったのだ。曖昧なまま流すのは卯月としても許せない。北上は若干面倒だったが、話すつもりだった。

 

「いい、不知火?」

「問題ありません、隠していた理由もなくなったので」

「じゃあ言うけど、そんな大した理由じゃないよ。ただ単に、卯月の艤装が完璧にぶっ壊れてたから」

「え、なんで壊れてるぴょん」

「いやあんた、なんで前科戦線行きになったか忘れたの」

 

 そうか、あの時か。卯月は思い出す。

 半年前卯月のいた神鎮守府は泊地棲鬼の襲撃を受け壊滅した。その時卯月も多大なダメージを受けてしまった。

 

 結果前科戦線に運び込まれてから、覚醒まで半年もの時間がかかったのだ。本体がそれだけのダメージを受けたのだ、艤装も同じだ。それどころか本体以上の損傷を受けたのだ。

 

「あの汚染エリアからなんとか卯月の艤装は回収した。したんだけど損傷が激しくて、修理と浄化には時間が必要だった。でも修理完了より前に、卯月が起きちゃった」

「ってことは、修理が完了するまでの繋ぎってこと?」

「そゆこと、で、別の艤装のガワだけ卯月のに変えて、あんたのだよーってしたわけ」

「隠す必要あったの?」

「あるよー、艤装とリンクするのに、『自分のじゃない』って思ってたら支障が出かねない。他人の艤装と接続するんだから、不確定要素は減らさないと」

 

 卯月は最初の頃を思い出していた。

 艤装を最初に装備した時のことだ。あの時体に違和感を感じた。今思えばあれも『他人の艤装』だったからだ。

 違和感がなくなっていったのは、卯月自身がその違和感に慣れていったからだ。

 

 その時北上が嘘をついたのはさっき言った通り。他人の艤装を認識したら、リンクができなくなる危険があるからである。

 

「ま、本来の艤装の修理の最近終わったし、遅かれ早かれ交換しよーと思ってたの」

「そもそもだけど、良く他人の艤装をリンクさせられたわね」

「いやぁ普通は無茶だよ? 一部のパーツをニコイチするのはあるけど、他人の艤装はそうそう上手く繋がらないよ」

 

 艦娘は艤装と一緒にこの世に顕現する。一心同体だ。それを他人に繋げようとしてもうまくいく筈がない。

 しかし稀に上手くいくケースがある。今回のもそうだ。だから北上は()()()()と言ったのだ。

 

「なんでうーちゃんは繋がったぴょん」

「近かったからだよ、他人つっても赤の他人じゃない。付き合いもあったし、身内のものだ。だから繋がった」

 

 つまり、面識のある身内(睦月型)の誰かということだ。

 卯月は少し考えて、ハッと気づいた。該当するのはたった一人しかいなかった。北上は少しだけ言い難そうに、艤装の元々の持ち主の名前を告げた。

 

「卯月が今まで使っていたのは、()()の艤装だ」

「……あいつの、か」

「神鎮守府跡地から菊月の艤装も、回収できたんだ。そっちは損傷が軽くてさ、卯月の艤装の修理が終わるまでの間、繋ぎに使えないかって話になったの」

 

 うんともすんとも言わなくなってしまった、元の艤装(菊月の形見)に目をやる。なぜ気づかなかったのか、ガワは変わっていても、菊月の艤装の名残があった。

 

「ついでに聞くけど、同じ艦(卯月)の艤装はなかったの? こいつとは別の卯月もいる筈でしょ?」

「ないんだよー、そもそも艤装だけ残ってるケースは稀なんだよ。沈んだ艤装をサルベージしてもだいたい重度の汚染が残っているし」

 

 卯月が菊月の艤装を得たことは、とてつもない幸運だったのである。

 同型艦の艤装が無事な状態だったこと、汚染も少なかったこと、無事リンクできたこと──全てが起こったからこそ、卯月は初めから戦えた。

 

 その事実を理解した卯月は、少し泣きそうになった。まるで菊月が応援してくれているような気がしたからだ。

 艤装が繋がらなくなったのは、自分の艤装が使えるようになったからだろう。それまで支えてくれていた。死んでも尚、傍にいてくれた。

 実際は偶然なんだろうが、卯月はそう信じたかった。

 

「お前、泣いてんのか?」

「はぁ? このうーちゃんは涙を流さないぴょん。んなカッコ悪いことする訳ないぴょん」

「お、おう、そうか」

 

 嫌悪感を抱く竹も、卯月の様子には若干引き気味だ。

 ただ、卯月の前科に僅かな疑問が芽生えた。

 松たちは卯月の前科が冤罪とは知らない。実際にやったと思っている。けれども友人の艤装を前に、目を腫らして泣きそうになっている卯月が造反者には見えなかった。

 

 が、そこはやはり卯月なのである。

 

「よし、改めて雑木林をぶっ潰すぴょん」

「なんだって?」

 

 振り返った卯月の顔からは、涙の跡があった。あったんだが、顔が邪悪に嗤っていた。自らの艤装を得た今、敵はいないと確信していた。

 

「オイオイオイこのうーちゃんはお前たちからの侮辱は忘れてないぴょん、今度こそ白黒ハッキリさせて絶望に落としてやるぴょん」

「こいつ、やっぱ、叩きのめさねぇと」

「そうね竹、雑木林って何度も何度も、侮辱してるのはどっちよ」

「勿論お前らぴょーん」

 

 卯月は案外──いや泊地棲鬼に対してあれだけ怒っているので意外でもないが──執念深かった。一度受けた屈辱はまず忘れない性格だった。

 折角芽生えた疑問は霧散し、松たちの嫌悪感は再び跳ね上がる。

 

「疲れた……」

「頑張れ頑張れ、あたしは応援してるよ」

「北上さん……」

「あんたが勝つ方に熊野と賭けてんだから、負けたら承知しないよ」

 

 クズしかいねえよこの前科軍団。その一因の満潮も例外ではないのだが、自分を棚に上げて満潮は嘆いた。

 

「あ、そうだ北上さん!」

「どうした卯月?」

「お前全身全霊で呪うから覚悟しとけぴょん」

 

 マジトーンで卯月は告げた。そういえば艤装の不調について聞かれて嘘を言った時、『嘘だったら呪う』と言われた気が。そのことを思い出した北上は、引きつった笑いを浮かべるしかなかった。

 

 その後、メンバーを入れ替えながら演習を行っていった。

 卯月が混じった途端殺意マシマシになってしまうが、それでもお互いの動きを理解し、把握することはできた。

 色々アレだったが、演習の目的は達成できたと言えよう。

 

 

 

 

 午後中は全て演習に費やした。その疲労を抜くため夕食後は完全なフリーになった。

 とはいえ、特にやることもない。

 これが普通の鎮守府同士ならコミュニケーションもあったが、如何せん前科戦線ではやりにくい。

 

 松たちは前科持ちに対して距離があり、前科組もわざわざカタギに関わろうとはしない。

 

 例外は那珂と桃ぐらいだが、あれは例外中の例外である。

 そんなことから、だいたいは風呂にのんびり入り、翌日の出撃に備えて早々に眠っていた。

 

 卯月も同じだ。前科組の中でも特に悪印象なので、かなり距離を置いている(卯月主観で)。

 演習でも割りと殴ったりぶったりできたのでうっぷんも晴れていた。またストレスを溜める理由もない。

 

 他のメンバー同様準備を終わらせて、ベッドに潜り込んでいた。潜っていたのだが。

 

「寝れんぴょん」

 

 意識が冴えてまったく眠くならない。このままでは絶対に寝れない確信があった。

 

 原因は自覚している。今日一日で感情が動きすぎたからだ。神元提督が松たちの鎮守府にいたこと、今まで使ってた艤装が菊月のものだったこと。更に明日は戦艦水鬼との戦い。

 

 どれも感情が激しく揺さぶられるものばかり。それを引きずっているのだ。

 

「だーめだぴょん、どーにもならないぴょん」

 

 仕方がないのでベッドから起きる。向かいのベッドには当然満潮が寝ている。近づいても起きる素振りはない。

 

「そうだ、ワサビをとってくるぴょん」

 

 満潮の目蓋に塗ってやるのだ。

 卯月は素晴らしい目論見を実行へ移すべく、夜の廊下へ繰り出した。調味料なら食堂に置いてあるはずだ。

 

 と、卯月は思ったものの、そう上手くいくものではない。

 

 食堂は開いていた。閉まってはいなかった。しかし人がいた。

 

「演習の様子は、こんな感じネ」

「ああ、このレベルであれば、戦艦水鬼討伐も問題なく達成できる」

 

 高宮中佐と金剛だ。明日の出撃について話し合っているのだ。よりにもよって中佐かよ、絶対に入れないじゃんか。卯月はガックリ項垂れる。

 

「ちょっと心配なのが、卯月のことデース」

「だろうな、奴の練度はまだまだ下だ。もっとも実戦経験が足りていない以上、やむを得ないが」

「演習の時もだけド、足を引っ張る事の方が多いネ」

 

 話は卯月のことへシフトする。聞き耳を立てていた卯月はまた項垂れる。

 知ってらぁ、練度が足りてないのは。

 

「艤装をチェンジした後は良くなったケド、まだまだって感じデース」

「大きな問題ではない。取り巻き撃破において卯月の支援は我々で行う。だが水鬼に狙われたらただでは済まない」

「オーケー、分断するよう徹底するネ」

「取り巻きは全面的に我々に任せろ……お前も分かったな」

 

 卯月はフルダッシュで逃げ出した。振り返らずがむしゃらに走り抜けていった。

 バレてました。ヤバイかも。

 

 と、逃げ出してもまだ眠気はやってこなかった。気づけば外に出ていた。どうせ眠れないんだしと、卯月は夜風に当たることにした。

 

 ブラブラと基地内を適当に歩き回る。

 そういえば、泊地棲鬼撃破からあまりのんびりする暇がなかった。なんやかんやでドタバタし続けてた。

 

 ちょっとだけだけど、こうなにもしない時間も大事だ。だからって報復心は消えないし、癒すは欠片もない。ただずっと怒ってたら疲れてしまうと卯月は知っている。

 

 気持ちの良い夜風に当たりながら歩いていると、ふと、見覚えのある場所に踏みいった。

 

「ここは……久々、でもないかぴょん」

 

 泊地棲鬼前日に発見した、誰かのお墓が安置された場所だ。相変わらず誰のかか分からないけど、もしかしたら墓じゃなくモニュメント的な何かかもしれない。

 

 卯月は少し考えて、正体不明の象徴に向かって手を合わせた。

 

「明日、みんなを殺したクソカスの親玉と戦うぴょん。とりあえず決着だぴょん。菊月が、うーちゃんの友達が託してくれたんだぴょん。仲間もできたぴょん、クズが多いけど……みんなと一緒に行ってくる、だから、見ててくれぴょん」

 

 誰だか知らんけど、多分良い人、良い何かだ。でなければお墓は残らない。

 残したいものがあるから、それはあるのだから。

 

「なにしてんだお前」

「びょぇあぁっ!?」

「うるせえ」

 

 後ろから突然声をかけられ卯月は前のめりにスッ転んだ。そして墓石に顔をぶつけた。

 

「ぎゃぁっ!?」

「あ、悪りぃ」

「殺してやるぴょん」

 

 振り返りながら卯月は竹を睨み付けた。なぜこんなところに竹がいるのか。出撃前夜はもう少しだけ続くのである。




艦隊新聞小話

 艦娘の使う艤装は建造もしくはドロップした時に、艦娘と一緒に顕現します。艦娘は単体では人間ですし、艤装は単体ではただの鉄塊。艦娘と艤装が接続することで初めて妖精さんたちが動きだし、『艦娘』として戦えるようになる――即ち一心同体ってことですね。
 ただこの艤装との繋がりも、特効や羅針盤と近い技術、つまり『縁』によって成り立っています。
 なので駆逐艦は戦艦の艤装は動かせませんし、逆もしかり。同じ駆逐艦同士なら多少はいけますが、それでも稼働率はガタ落ちします。唯一無二の例外は武蔵さんぐらいらしいです!

 あ、沈んだ艤装の再利用とか絶対ダメですよ?
 繋いだ瞬間深海棲艦化して鎮守府が壊滅した事例があるので。


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第47話 共闘

ラスダンなにあれ……先制雷撃四本……?


 戦艦水姫討伐任務前夜。感情が入り混じって寝付けなかった卯月は夜の鎮守府をウロウロする。その時久々に墓石を見つけ、明日の出撃を話していた。

 結果、石に向けて話すかなり恥ずかしい行為を、竹に見られてしまった。ついでにおでこをぶつけた。痛い。

 

「こんな時間になにしてるぴょん、夜間外出は違反だぴょん」

「お前は良いのかよ」

「道連れにしてやるぴょん」

 

 竹は心底めんどくさそうな顔していた。

 卯月は嬉しかった。

 やった嫌いな奴を不快にしてやったぜ。模範的深海棲艦の思考パターンである。

 

「で、なんか用かぴょん」

「お前が廊下をダッシュしてっから起こされんだよ間抜け」

「そりゃ悪かったぴょん」

 

 さすがに睡眠妨害は悪いことだ。素直に謝る。なお満潮にわさびを塗ろうとしてたのは例外だ。だって満潮だし。

 

「なにしてんだ? つーかこれはなんだ? 墓……にしちゃ名前がねぇな」

「なにかは知らんぴょん、なんとなく祈っているぴょん。見ててください頑張りますーって感じぴょん」

「なんなのか分からないのに、良くそんなことができるな」

「分からなくても良いんだぴょん」

「そうか」

 

 別にこれが何だって卯月からすればどうでもいい。雑に扱ってるわけでもないんだし。このお墓にどんな意味を見出すのもわたしの自由だ。

 

 卯月と竹は、二人揃ってそれを見ていた。いったいいつまでいるんだうっとおしいな。そう卯月が思い始めた頃、竹が口を開く。

 

「神補佐官は、お前を相当憎んでいる。当たり前だよな、お前のせいで仲間は死んで、補佐官も出世コースで転んじまった」

「ふーん、そっかぴょん」

 

 反応してはいけない。これが冤罪だと竹には知られてはならないのだ。卯月は無関心を貫く。

 

「だが、本当にそうなのか、分からなくなってきた」

「はぁ? お前バカかぴょん? うーちゃんは造反者。それが真実だぴょん」

「かもな、だけどよ、戦友の艤装を前に泣く奴が、根っからの極悪人とは思えねぇ。さっき祈ってる姿を見て、余計そう感じた」

 

 卯月は割と露骨に冷や汗をかき始めた。ここに来てから余り嘘をついていないせいだ。本来『卯月』が得意な嘘が苦手になりつつあった。

 

「まああれが演技で、俺たちの同情を引くためだってんなら、俺達がマヌケだったって話だ」

「へー、で、なにが言いたいんだぴょん」

「松姉や桃とも話した。で、お前を一旦、信用すると決めた……だがな」

 

 竹は卯月に顔を近づけ、脅すように告げる。

 

「後ろから撃ってくるような奴に、俺たちは背中を預けるって決めた。どれだけの覚悟かは分かるよな?」

 

 そんなの、言われなくたって分かっていた。

 

「もしもそれで、裏切ってみろ。その時は神補佐官に変わって、俺達がお前を八つ裂きにする」

「はん、裏切る? それは深海棲艦の仲間になるってことぴょん、絶対にありえないぴょん」

 

 妄言もいい加減にしてほしい。わたしが深海どもの下僕になるなんて天地が引っ繰り返ってもあり得ない。もしそうなったら自決するだろう、即座に。

 

「仮に深海棲艦になったとしても、この怒りで変異したとしても、うーちゃんは深海棲艦を殺すぴょん。深海棲艦を殺す深海棲艦だぴょん!」

 

 それはそれでカッコいいかもしれない。卯月は割とのんきしていた。

 

「何とでも言え、行動で確かめさせてもらう」

「どーぞどーぞご自由に、だぴょん」

「じゃぁな」

 

 竹は言うだけ言って、さっさと立ち去っていった。しかし演習以前のような、接触その物を否定する強い拒絶はなかった。ある程度は信用されたのだろうか? まあなんでもいいか。

 と思いつつも、卯月は少し嬉しかった。

 

 少し話して気が紛れたからか、一気に眠気が湧いてきた。明日も早いし寝よう。卯月は自分の部屋へ戻っていった。

 

 

 

 

 翌朝、まだ日も昇っていない早朝から艦隊は広間に集められていた。中央には少し大きなモニターが設置されており、海域のマップが表示されている。

 それを挟み込んで、高宮中佐と不知火、金剛が立つ。出撃直前のブリーフィングだ。

 

「どのような作戦かは概ね聞いていると思いますが、改めて周知させていただきます」

 

 カンペを見ながら不知火が話し出す。

 内容は本当に知っていたものだ。泊地棲鬼、駆逐棲姫のいた海域の『ボス個体』、戦艦水鬼の討伐を目的とした出撃。

 

 ただ、随伴艦の戦闘力が想定以上だったため苦戦が想定されていた。そこで随伴艦に()()特効を持つ卯月及び、前科戦線の参加を求めてきた。

 

 高宮中佐はこれを了承、海域調査は終わったが、引き続き出撃することに決まったのである。

 

 不知火はそこで話を区切る。球磨が首を傾げながら手を上げた。

 

「随伴艦が強いって言うけど、そんなに強いのかクマ? 金剛たちだけじゃ対処できないのかクマ?」

Unreasonableness(無理)ネ、だから頼んだんデース」

「それもそうかクマ」

 

 不知火がスクリーンの画像を変える。海域図から深海棲艦の写真に変わった。金剛たちが撮影した戦艦水鬼の随伴艦だ。写っているのはどれもイロハ級。姫個体はいない。

 

「見た感じだと、強そうには見えないけど?」

「強かったの! ホントだよ那珂先輩、桃たち以外のみんなはそいつらにやられたんだから」

「随伴艦に? 水鬼じゃなくて?」

「いえやったのは水鬼です、ただ随伴艦の妨害が激しかったのが一因です」

 

 桃の話を比叡がフォローする。直接ではないが、間接的に艦隊がやられる原因になったのだ。

 

「具体的に言うと?」

「まあ固くて早いのはともかく、なんか、やたらと攻撃が当たるんです」

「あんたらの練度不足じゃないの?」

「おいコラ満潮」

 

 あんまりな発言に卯月が突っ込んだ。ただその可能性は否定しない。言い方が悪すぎるだけ。それが致命的なんだけど。

 

「ありえないデース」

 

 満潮の考えは金剛が否定した。絶対にありえないと強く確信している言い方だ。自分の仲間にかなりの自信を持っているからだ。

 逆に、それだけの自信があっても、特効持ちに頼らないといけない敵なのか、卯月は少しだけ怖くなる。

 

「イロハ級ナノニ、alignment(連携)tactics(戦術)が高度に組まれてましタ。それにやられたんデース」

「その、金剛さんのお仲間は来れるのですか?」

「イエス、と言っても、水鬼までのルート確保までですガ」

 

 前回の戦いでのダメージがまだ尾を引きずっていた。戦いへの本格参戦はできない。

 それでは戦力不足ではなかろうか。不安そうな空気が立ち込めた。

 

「まあそこはNo problem! 最大戦力の私と比叡がいるデース!」

「その通りです! お姉さまと比叡がいれば、水鬼は恐るに足らず!」

「随伴艦がいないっていう前提条件つきだけどね」

 

 満潮はなにか言わないと気が済まないのだろうか。いやこれは満潮なりのジョークではないだろうか? 気づかなかったわたしが悪い。卯月は心から後悔する。

 

「ごめんぴょん、満潮」

「は?」

「大丈夫、お前のギャグセンスを分かってくれる人はいつか現れるぴょん」

「あんたわたしをバカにしてるでしょ」

「はいそこ私語禁止」

 

 不知火に言われて卯月は口を閉じた。哀れな満潮を見ると優しい気分になれる。露骨な見下しである。最低のメンタルをしていた。

 

「水鬼はすでに一度は撃破しています。また他鎮守府の部隊も多大な損害を追いながらも何度か撃破しています。あと数回沈めれば討伐できるでしょう。速やかな作戦遂行のため、不知火たち特務隊はあなた方を全力でサポートします」

「一つだけ、良いか?」

 

 竹が手を上げる。彼女は一瞬卯月を横目で見た。前ほどの嫌悪感はやはり感じられなかった。

 

「もしも、卯月が前科を繰り返しそうになったら、あんたらはなにか対処してくれんのか」

 

 とんでもない質問に場が凍りつく。

 卯月には信用するといったものの、無意識レベルで信頼できるとは限らない。心のどこかで警戒していたら上手く動けなくなる。

 竹は背中を『安心』して預けたかった。だから安心するための保険が欲しかった。卯月に対して信じると言ったのとは別問題である。

 

「この不知火が、監視としてつきます。万一貴女方に危険が迫った時には、不知火が対処します」

「できるのよね? 返り討ちにあったりは……」

「ありえません、不知火は圧倒的に強いので」

 

 卯月と満潮は顔を見合わせた。『ホントか?』という思いが滲み出ていた。無論戦闘力は分かってるが、ちょこちょこ高頻度で披露されるポンコツ具合を思い返すと、なんとも言えなくなる。

 

「わたしが保証する」

 

 不知火の発言を、高宮中佐が支持した。

 

「不知火であれば卯月だけではなく、前科持ちは全員対処できる。不知火だけではなく飛鷹も出撃する。二人がかりなら一切の不安はいらない」

「それでも、もしもが起きたら、なにか手はあるのでしょうか?」

「自爆装置を全員つけている。お前たちは先の出撃でこいつらの『首輪』を見ただろう。あれがそうだ。起爆装置は不知火が握っている」

 

 正規メンバー二人に加え自爆装置。前科組は信用されにくい。造反者の卯月は一層難しい。高宮中佐はその中で安心して戦ってもらうために、可能な対応は全てしていた。

 

 ここまで言わせといて、なお不安だというのは過剰だ。全く信用してないのと同じだ。

 金剛たちだけの問題ではない。彼女たちの提督の問題にもなる。

 

「我々の目的は、化け物の残滅だ。この部隊の存在自体に言いたいことはあるだろうが、その目的は変わらない」

「ここまで言わせちゃって、sorryネ。でもThank You。これでみんな安心して戦える」

 

 金剛に全員が同意した。

 疑惑はなくならないが今は信用できる。同じ目的のために戦える。それで彼女たちは自分を納得させた。

 

 過剰に見えるが、これが外から見た前科戦線の評価だ。

 どんな犯罪行為をしても、艦娘どころか人道に外れた行為をしても、実力があれば平然と免除する。そう見られているのである。

 

 むしろ、手伝ってほしいと言ってくるだけ、まだマシだ。本当に嫌悪する鎮守府などは会話さえ完全に拒否する。

 

「良い戦果を期待している」

「任せるネー!」

 

 高宮中佐と金剛の握手で、ブリーフィングは締め括られた。

 泊地棲鬼から続く戦いにケリがつく。卯月の体は震えていた。緊張か武者震いか。

 それとも、体に収まらない程の憎悪か。

 

 

 

 

 前回は緊急事態だったので、基地から直接出撃したが、今回は別に緊急ではない。

 なので泊地棲鬼の時と同じ、いつも通り(前科戦線限定)の出撃方法が採用された。

 

「いつもありがとうございます秋津洲の二式大艇へようこそかも!」

 

 ヘリからの空中降下である。

 輸送艇の格納庫に秋津洲の元気な声が響く。コンバットタロンは二式大艇ではないが、口に出すと狂気めいた目で詰め寄ってくるので、誰も言わないのである。

 うっかり口に出した金剛が犠牲になったが。

 

「コンバットタロンは二式タイテー? でも秋津洲のタイテーはコンバットタロンじゃないネ。タイテーって?」

「お姉さま、気を確かに!」

 

 狂気に当てられたのだ。可哀想に。そんなアクシデントがあったものの、移送は問題なく順調に進んでいた。

 

 だが、空中降下が無事にいくかは分からない。

 卯月にとっては久し振り……どころか二回目の空中降下。やり方はほとんど覚えていなかった。艤装にくっつく特殊なパラシュートを使うところまでは覚えているが、からだの使い方とかはもうサッパリである。

 

『今日はお客さん一杯で嬉しいかも!』

「まさか秋津洲さんの飛こ二式大艇に乗れるなんて、桃感激!」

「え? そうなの桃ちゃん」

「えー? 那珂先輩知らないのー? 遅れているなぁ」

「流行ばっかに乗ったアイドルってー、すぐ廃れるんだよー?」

 

 もはやこの二人のバトルには誰も関わろうとしない。別の世界が展開されている。勝手にやってくれと全員考えている。

 

「ねぇ松、秋津洲って有名なのかぴょん」

「外の鎮守府じゃ有名よ秋津洲さん。操縦技量が凄いから、大本営のお偉いさんや政治家の御用達らしいわ」

「へー、あんな狂人でも、凄いとこあるぴょん」

『狂人言わないでー、聞こえてるよー』

 

 そう何てことない話をしている内に、作戦海域が近づいていた。秋津洲の連絡を合図に各々準備を始める。

 

 卯月は、改めて自分自身の艤装を見つめた。

 まさか今までのが菊月の艤装とは思わなかった。あれにも愛着はあったが、自分のものとは違う。艤装は艦娘の半身と言える。ほかより愛着が沸くのは当然だ。

 

「卯月さん、これもお忘れなく」

「……自爆装置かぴょん、分かってるぴょん」

「万一の時は、不知火は躊躇なく起動させます。お忘れなく」

 

 ありえないが、そうしてもらえるとありがたい。深海棲艦側につくぐらいなら死んだ方が何億倍もマシだ。

 

「それと、今更ながらこれを」

「薬?」

「注文した向精神薬がギリギリで届いたので、今使えば、水鬼との交戦時に丁度効果を発揮するとのことです」

 

 あくまで気休めなので、効果の弱い薬らしい。それでも十分だ、多少でも怒りにくくなればそれで良い。

 卯月は自分の艤装をつけ、自爆装置の首輪を装着する。最後に神提督から貰ったハチマキで髪の毛を纏めて、準備完了だ。

 

「金剛さんの仲間が、戦艦水鬼までの道は拓いてくれています。一気に中枢まで突入、速やかに水鬼を叩きます」

「場所はわたしが探るから、皆お願いね」

 

 飛鷹の索敵なら心配いらない。空母の索敵能力を疑う者は誰もいない。

 前科戦線はほぼフルメンバー。ポーラ(酔いどれ)だけお留守番である。もしもの為の防衛戦力は一隻は必要である。

 

 更には金剛たちもいる。水鬼に負けるイメージは全くない。

 必ず勝つ。絶対に殺す。

 仇をとったら、神提督は喜んでくれるだろうか。再会も難しい身だが、そう思うと気合が上がっていく。卯月のやる気は最高潮になっている。

 

「時間です、各員降下!」

 

 不知火が合図を出し、次々とヘリから降下していく。降下経験のない金剛たちには前科戦線のメンバーが助けていた。

 やり方をほぼ忘れていた卯月だけ、格納庫に棒立ちだった。

 

「あれ、うーちゃんは? 誰か手伝ってくれないぴょん? これで二回目なのに」

『一度経験してれば十分かも、秋津洲離脱時間だからさよならかも』

「え、なんで急に上昇するぴょ──」

 

 コンバットタロンが急激に傾いた。卯月は格納庫から落下した。秋津洲はタイムスケジュールに厳しい性格なのを、卯月は忘れていた。

 

「ああああ糞だっぴょおぉぉぉん!」

『がんばるかもー、狂人秋津洲が応援してるかも』

「根に持ってたチクショウぴょん!」

 

 悲鳴と涙を空にばら撒きながら、卯月は水鬼の海へまっしぐらに落下していくのであった。




艦隊新聞小話

 前科戦線もとい第零特務隊ですが、そのルーツはかなり初期……艦娘出現からの黎明期にまで遡ります。
 当時はまだ、艦娘の運用方法が全く確立されていませんでした。
 食事を与えなかった場合の影響は人間とどれぐらい違うのか? どれだけのダメージを負えば轟沈するのか? 轟沈したらサルベージはできるのか? 痛みへの耐性はどれぐらいか?
 黎明期の戦争は悲惨そのものでした。大本営はいかなる犠牲を払ってでも、艦娘の確実な運用方法を確立させなければならなかったのです。
 そんな非人道的実験を行う場所として、人目につかない場所が選ばれた……前科戦線の使っている基地は、その為の場所だったようです。
 やがて運用方法が確立し、実験の必要がなくなっていき、前科戦線としてのひな型が当時の責任者主導で作られて行ったとか。あ、高宮中佐より前の人ですからね。


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第48話 顔無

 戦艦水鬼のすくう最終海域へ卯月たちは突入を仕掛けた。

 だが突入方法はヘリからの降下。二回目で慣れていない卯月は情けない悲鳴を上げながら落下していた。

 

 からだを広げれば速度は落ちるが、そんなことをすれば対空砲火の的になる。ギリギリまで速度を落とさずに、速やかに降下しなければならない。

 

 顔が変形しそうな風圧に耐えながらも、海上の敵に狙いをつけ、主砲を放つ。

 空中からの奇襲にあった深海棲艦は混乱している。降下しながらでも狙いやすい。

 

 敵艦隊の牽制に成功したメンバーは、無事海面へと着水した。

 

 卯月は無事ではなかった。

 

 着水だけ失敗して、頭から水面にめりこんでいた。見た深海棲艦が動きを止めるほどに無様な姿である。

 

「はは、笑える」

 

 前科メンバーに手伝ってもらったので、無事着水した竹が卯月を見て笑った。

 

「なんつったぴょんてめー!」

「うるさいです二人とも、敵はまだいますよ!?」

 

 不知火の言葉に卯月と竹は意識を改める。空中からの攻撃で結構減ったが、まだまだイロハ級は大勢湧いていた。

 幸い包囲されてはいない。しかし時間の問題だ。

 

「強硬突破するのよね」

「No、急いでdamageを受ける方がdangerデース! 水鬼までは傷を抑えて行くネ!」

「なら球磨たちの仕事だクマ」

「お願いしマース!」

 

 前科戦線と金剛たち。役割は決まっている。

 前科戦線が取り巻きを始末し、金剛たちが水鬼を叩く。重要性が高いのは金剛たちだ。彼女たちを極力水鬼戦まで温存することが作戦成功に繋がる。

 

「イロハ級ごときが、邪魔するなクマ」

「ですわね、とぉーう!」

 

 熊野と球磨の二人が、最奥に陣取っていた戦艦級に狙いを定める。有効打を与えるべく、敵艦隊を掻い潜り接近していく。イロハ級は挟み撃ちだと猛攻を加えるが、二人には一発も当たらない。

 

「短絡な連中ね」

「お、自己紹介かぴょん?」

「全員死になさい」

 

 満潮の一言はイロハ級か卯月、どっちに対してか。

 熊野たちを狙うイロハ級は無防備そのもの。満潮と卯月は横腹へ砲撃を次々に撃ち込む。回避運動をしてはいるが、単純な動きでしかない。

 

 しかし、少し戦えばイロハ級でも理解する。

 あの戦艦たちを守りたいのだ。ならそれを攻撃すればいい。

 砲撃の雨から辛うじて脱出した個体が、金剛たちに狙いをつけた。その時、周囲に影がかかった。

 

「ダメよ、甘いわね」

 

 その個体の上空には、飛鷹の艦載機がひしめいていた。逃げ場も助けてくれる仲間もいない。

 砲撃の雨を抜けた敵は、飛鷹が始末していた。また一隻深海棲艦が沈んでいく。

 

 ただの一隻も、金剛たちに傷はつけられない。有効打を撃てる戦艦クラスも、クマクマコンビに次々と殺られていく。

 

 なお不知火は万一に備え、金剛たちの側にいる。そこまで接近できる敵はまったくいないが。

 

 かといってこの状況は望ましくはない。

 水鬼の随伴艦と戦う力を残しておきたい前科戦線としては、こんな雑魚とは戦いたくないのだ。

 使う弾は最小限にしているが、減ることに変わりはない。

 

 その状況を好転させる一言を、金剛が叫んだ。

 

「もうAlright(大丈夫)デース!」

 

 イロハ級の群れに、誰かが放った雷撃が突っ込んでいった。桁外れの量。雷巡の攻撃だ。

 

「遠くに人陰を確認したわ、金剛、これはそういうこと?」

「Yes、私たちの友軍ネ!」

「少し、遅れていたようですね。まあ許容範囲内です」

 

 金剛たち、藤鎮守府の艦隊が遠くに見えた。誰なんだか分からないけど味方だ。

 はるか遠距離から次々と撃ち込まれる攻撃に、敵艦隊は身動きがとれなくなった。離脱の最大のチャンスだ。

 

 支援艦隊は砲撃を繰り返しながら距離を詰めていく。その最中、卯月はたまたま友軍の顔が見えた。

 

 彼女たちは卯月には気づくな否や、露骨なまでに嫌悪感に満ちた顔に変わった。

 

「はー、またかぴょん」

 

 ホント、どんだけ嫌われてるんだわたしは。

 しかし、卯月の造反(冤罪)は艦娘の世論そのものに無視できない影響を与えている。

 深海棲艦に変異しなくても、裏切る可能性が証明されたのだから。

 艦娘の社会参加そのものへの致命的影響。まっとうに頑張ってる人からすれば、最悪以外のなにものでもない。

 

 さすがに作戦遂行中なので、卯月を後ろから誤射する人はいなかった。

 そんなことをすれば裏切り者の卯月と同じだ。そう考えているのだ。同類にはなりなくない。そう考えているのだ。

 

 ここまで続くとうんざりしてくる。卯月は深く深くため息をつく。神提督はどんだけおぞましい作り話を披露したんだ。仕方ないけど。仕方ないけど! 

 

「ホントにSorryネ……」

「気にすんなぴょん、このうーちゃんが造反しないことは、この戦いで証明されるぴょん」

 

 裏切る素振りを一切の見せず、仲間のため作戦成功のため戦えばあの友軍もわたしを認めるだろう。

 要はちゃんと働けば良いのだ。やることは簡単だと、卯月は気合いを入れる。

 

「金剛の仲間が抑えてる内よ、速攻で戦艦水鬼まで突撃するわ!」

 

 羅針盤の針が、一方向を刺して激しく揺れる。強力なエネルギーに引っ張られているかのように。この羅針の先には水鬼がいると、誰もが予感した。

 

 

 

 

 金剛たちの友軍が敵を抑えている隙をつき、戦艦水鬼の領域まで前科戦線は走る。

 度々敵に横やりを入れられたが、さっきの方が多かった。あそこが事実上の最終防衛ラインだったのだろう。群がるザコもなんなく始末し、卯月たちは奥へと進む。

 

「なんか攻撃が弛いぴょん」

「前もそうだったのよ、あそこを越えると、もう殆ど敵が出てこなくなる」

「不思議だぴょん」

 

 異様な静けさだ。嵐の前の静けさでもある。

 服の裏を蛇が這っているような、嫌な圧迫感が強まる。奥に行くほど海域は赤黒く染まっていく。肌を突き刺す敵意も強まっていく。

 

 最初は軽口を叩いていたものの、次第に少なくなっていき各々警戒に全力を注ぎだす。そして、索敵機を飛ばしていた飛鷹が『敵』を見つけた。

 

「敵がいたわ、水鬼も随伴艦もいる。もうこっちに向かってる」

「気づかれてしまいましたか、前と同じですね」

 

 比叡が言った通り前回も同じだった。比叡達が発見するよりも早く敵艦隊がこちらを捕捉した。先制攻撃をとられたのも、大打撃を受けた一因だ。

 今回は違う。軽空母がいる。だから先──とまではいかなかったが、同時にお互いを認識できた。

 

 しかし隣で見ていた卯月は気づく。飛鷹の顔色がなんだか良くない。

 

「空母込みのイロハ級……なのかしら、これは」

「どうしたんだぴょん、イロハ級はイロハじゃないのかぴょん」

「見れば分かりマース、もう来ますヨー!」

 

 金剛が戦闘態勢に入った。その時にはもう敵艦隊が視認できる範囲に来ていた。恐ろしく速い。駆逐棲姫のような瞬間加速ではなく、基本の速度が速い、だいたいの駆逐艦より上の速度を持つイロハ級だ。

 

「って、は!?」

 

 速度なんぞどうでもよくなる特徴を、そのイロハ級はしていた。卯月だけではなく初見メンバー全員が絶句していた。

 

 

「顔が、ない」

 

 

 例えイ級でも上位クラスの個体でも、深海棲艦には顔がある。

 だが目の前のイロハ級には『顔』がなかった。目も鼻も口もない。のっぺらぼうと言う他ない。

 

「気持ち悪いわね……」

「あのFaceに怯んだのも、Damageの原因デース」

「やだー、桃あの顔見たくなかったのにー、二回も視るなんてー」

 

 別に桃じゃなくても、その顔は見たくないだろう。

 顔がないからってどうということはないが、不気味なことは変わらない。てかキモイ。そういった要素も時に戦局を左右する。油断してはならない。

 その証拠に、顔無しのイ級はもう目の前に到達していた。

 

「早いっ!?」

 

 満潮の顔に、口内の主砲が突き付けられかけていた。

 寸前に満潮は顔無しの腹を力づくで蹴り飛ばす。姿勢が上に逸れ砲撃が虚空へ飛んでいった。反撃の攻撃を試みた時、今度は別の顔無しが満潮を挟みこもうと迫っていた。

 

 そして、砲撃が放たれる。

 この距離なら回避可能と踏んだが、砲撃速度そのものもかなり早まっていた。計算を間違えた満潮は回避しきれず、服の端っこが千切れた。

 

「満潮さん!」

「掠り傷よ、心配要らないわ!」

「敵空母艦載機を発艦……してるクマ! 飛鷹!」

「もう上げてるわ!」

 

 この動きに対応すべく、飛鷹はすでに艦載機を発艦。敵空母と激しい制空権争いを繰り広げる。熊野も支援するため水戦を飛ばす。

 

「よし、うーちゃんは水鬼をメタメタにするぴょん!」

「不知火と対空砲火をしつつ前衛を援護する役です今度はどんなお仕置きがお望みですか」

「顔無しどもかかってこいぴょん!」

 

 卯月は泣く泣く顔無しの相手をすることにした。本当は水鬼を殺したかったけど。仇討ちしたかったけど! 

 でも仕事だから我慢します。卯月は名残惜しそうにしながら、不知火とともに対空砲火を始めた。

 

 顔無しの放つ艦載機。その物量は普通のイロハ級を凌駕している。ヲ級一隻が空母棲姫クラスの艦載機を保有している。

 それに対してこちらは飛鷹一隻。熊野が水戦を飛ばしているがとてもじゃないが手数が足りない。球磨も水戦を飛ばすが、焼け石に水でしかない。

 

「数が多いからって、慢心しないでよね」

 

 飛鷹の航空機はそのどれもが熟練だ。深海の有象無象とは力量が違う。まるで後ろに目でもついているような動きで、着実に艦載機を撃破していっている。

 だが数の減りが遅い。

 艦載機を操りながら、飛鷹は違和感に気づく。簡単に落とせるのと、そうでないのが入り混じっているのだ。

 

 なぜ練度が一律ではない? 極端にぶれている? 

 違和感を感じながらも飛鷹は攻撃を続行する。不知火と卯月の対空砲火のおかげで、制空権は徐々に奪いつつある。

 

「フッフーン、オニューの艤装はご機嫌ぴょん! 菊月には悪いけど!」

 

 前々とは艤装の馴染み方がまるで違う。

 自分の動きと艤装の動きに時間差がない。わたし自身も艤装の力をより引きだせている。敵艦載機の空爆も今まで以上に回避できるようになっていた。

 

 なにより敵艦載機の動きが読める。

 直感的に、どこへ行くのか勘で分かる。特効が強く働いている証拠だ。なぜ随伴艦にだけ特効があるのかは分からないが、敵を倒せるなら何でもいい。

 

 

 

 

 一方、顔無しを前科戦線が引き受けたおかげで、金剛たちは容易に戦艦水鬼に接近することができた。

 最奥に陣取っていた水鬼は、金剛たちが近づいても迎撃も逃亡もせず、そこで待ち構えていた。

 

「アノ赤毛ノ駆逐艦、彼女ハ特効ヲ持ッテイルノネ」

 

 特効艦のせいで、水鬼は不利になっている。

 しかし彼女は動じる様子を見せない。怒っていもいないし苛立っても、卯月を憎む様子もない。

 深海棲艦としては珍しい個体だと金剛は思う。前回交戦した時ももそうだったが、ここまで落ち着いている個体は余り見ない。だいたい怨念の化身なので、恨み節や呪詛を吐く個体が圧倒的に多い。

 

「Yes、文句は聞きませんヨ?」

「文句ナンテナイワ、殺シ合イダモノ。手段ヲ選バナイノハオ互イ様ヨ」

Means(手段)? 貴女もなにか、してるんですカ?」

「顔無シヨ、見レバ分カルデショ?」

 

 顔無しは手段を選ばなかった結果なのか。顔無しはそんな兵器なのか。ただの高性能なイロハ級にしか思えないが。

 しかしその高性能ぶりは、金剛たちの艦隊の大半を大破へ追い込むほどである。とっておきの兵器であることは間違いなかった。

 

「どーゆー兵器かは」

「言ワナイ。ソコマデ、オ人好シジャナイノ」

「そーなりますネー!」

 

 水鬼が淡々と腕を上げる。すると背中の艤装が動き出す。耳をつんざく絶叫を放ちながら獣人型の艤装が主砲を掲げた。

 水鬼が落ち着いている分、荒々しい部分は全て艤装が持って行ったかのようだ。

 

「沈ミナサイ」

 

 戦艦の主砲は高威力だ。姫級の主砲は超威力だ。その中でも最上位に近い戦艦水鬼の砲撃はほはや異次元の威力だ。

 発射されるだけで、空気が爆発し海面がはじけ飛ぶ。直撃も掠り傷もやばい。傍を通っただけで衝撃波が撃ち込まれる。

 

 それでも、一度は交戦した相手だ、戦い方は分かっている。金剛は主砲をギリギリで回避し、衝撃波を装甲で受け止める。

 

Air superiority(制空権)がとれるまで、確実に耐えるネー!」

「とれたら、比叡とお姉さまで決めます。なので空母を倒してください!」

「分かりました、松たちに任せてください!」

 

 空母群は水鬼の更に背後から、艦載機を飛ばしている。飛鷹たちが抑えている間にそれを叩かなければいけない。

 水鬼の脇を潜り抜けて、松たちが空母群へ接近する。

 水鬼はそれを、別に止めなかった。

 

「見逃した、とかじゃないですネ」

「旗艦ハ貴女デショウ、貴女カラ殺スワ」

「やらせるわけないでしょう、比叡たちを舐めないでください」

 

 戦艦同士の激突が始まった。空気が弾け海面が揺れるほどの、凄まじい攻撃の応酬。その衝撃は前線を越え、卯月たちのいる後方にまで聞こえていた。轟く轟音を聞き、卯月は身震いをしながらも、一層やる気を滾らせた。




 一回目の交戦時、前科戦線は戦艦水鬼とはほとんど交戦せず一撃だけ入れて立ち去ってます。なので顔無しの存在には気づいていません。
 前作では不死身のレ級(スペクター)を出しました。今作もなんか特殊部隊的なのを出したかったので出しました。
 顔無しがどういった兵器なのかは、次回、少し分かります。


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第49話 宣言

 金剛たち藤提督の艦隊と手を組んだ前科戦線は、戦艦水鬼の支配海域に突入する。そこで待ち受けていたのは水鬼と、異様な強さをもった『顔無し』のイロハ級だった。

 

 金剛たちが水鬼の相手をしている間に、顔無しは前科戦線が引き受けている。しかしその強さは今まで交戦したイロハ級とは比較にならなかった。

 

「どうなってんのよこいつら!」

 

 顔無しの攻撃を回避しようとするも、回避した先に砲撃や魚雷が置かれている。ギリギリで方向を変えて逃げ切るが爆風が服を焼く。

 

「さっさと沈みなさいよ!」

 

 満潮は反撃の砲撃を撃ちこもうとする。だがそこに別個体が妨害に入った。その隙に瞬間にもう敵は逃げ切る。射程距離外になってしまい、満潮は舌打ちをする。

 さっきから、こんな状況の繰り返しだ。

 この顔無しは連携がうまい。味方の隙はすぐさまフォローに入り、逆の時は一斉に攻撃を畳みかけて来る。

 

 連携の基本だが、それが難しいのが戦場だ。顔無しはそれを平然と、言葉も交わさず実行してくる。事前の報告通りだった。厄介極まりない。

 

「満潮ちゃーん、だいじょーぶ?」

「そう見えるんなら、アイドルの引退考えた方が良いわよ」

「むっ失礼しちゃう。那珂ちゃんまだ後輩には、負けないんだからー!」

 

 後退した満潮に変わって那珂が突撃する。満潮はその後ろから援護。更に後ろからは不知火の卯月の援護射撃が飛ぶ。

 顔無したちが砲撃を撃ちこむ。那珂は砲撃を踊るように回避し、奥へ奥へと突っ込み、距離を詰めていく。

 

 その間にも、満潮たちの援護射撃が顔無しに降り注ぐ。

 しかし全く当たらない。

 牽制で撃ってるとは言え一発も当たらないとは。満潮はまた舌打ちをした。回避性能も反応速度も、イロハ級の数倍はあると満潮は見立てた。

 

 だが、一発だけ直撃弾があった。

 

 卯月の主砲だ。

 

「よっしゃぁ、脳髄をさらけ出すぴょん!」

 

 元の威力が低いので致命打には至らないが。それでも装甲の一部が完全に破壊された。顔無しは不規則かつ素早い動きをする。だが卯月には、どう動くのか直感的に予想できていた。卯月は特効艦の力をいかんなく発揮していた。

 

「チャンスターイム!」

「まず一隻、確実に仕留めるわ」

「デュエットだね、那珂ちゃんに注目ー!」

 

 満潮と那珂が攻撃を密集させた。

 残りの顔無しはその個体を庇うように陣形を組み直す。輪形陣となり中央の個体を護ろうとする。

 しかし、那珂たちの方が早い。陣形の隙間を突くような攻撃が放たれる。

 

「どっかーんっ!」

 

 装甲を抜かれ、軽巡クラスの砲撃を喰らい、顔無しの一隻が海中に沈んでいった。

 

「やったぁ、那珂ちゃん大活躍ー!」

「ちょっと、このうーちゃんの活躍によるものだぴょん!」

「どっちでもいいわ」

 

 卯月たちは、顔無しの特性をなんとなくだが理解した。

 言葉も交わさず連携ができる、強化されたイロハ級。厄介だがそれだけだった。戦術の立て直しや行動の後は、普通に隙ができる。顔無しは決して無敵の敵ではない。

 所詮はやはり、イロハ級でしかない。勝ち目は十分ある。卯月はニヤリと笑う。

 

「どんどん行くぴょん、さっさと金剛たちの援軍に向かうぴょん」

「は? あんたいつから旗艦になったのよ」

「なってないぴょん、満潮お前どうしたぴょん。記憶障害でも起こしたかぴょん」

「攻撃来てますよ卯月さん」

 

 軽口を叩いた瞬間、再び攻撃が再開された。

 さっきよりも威力などが上がっている。特効のおかげで狙いは分かるが、掠っただけでも死ぬと確信できる。

 仲間がやられて、怒っているのだろうか。くだらない。深海棲艦の癖に。

 徹底して逃げ場を塞ぐように、顔無したちは連携してくる。不知火は熊野の分析が終わるまで耐える気だ。

 

「分析は」

「あと数分かかりますわ、耐えて下さいまし」

 

 その時、また一隻に卯月の攻撃が直撃した。武装の一部を破壊し、無力化に成功する。

 

「ざーこざこざこぴょん!」

「油断しないでください、来ますよ」

「来ます?」

 

 武装がないのに? 

 しかし、武装がなくてもできる攻撃はある。

 自爆だ。

 卯月はそのことに気づくと、慌てて主砲を連射する。

 

 だが顔無しは、限界以上の力で突っ込んできた。主砲は回避され、顔無しは卯月の懐に潜りこむ。その体が光り出す、自爆の予兆だと理解できた。

 

 やはり早い。基礎スペックが高いのは厄介だ。けれども今の卯月には近接用の兵装があった。

 

「仲間の仇討ちのつもりかぴょん!」

 

 組み付こうとした腕を、受け流すように払いのけ、首元を誘発材の塗られたナイフで切り抜いた。

 鮮血が飛び、泡が湧き出る。再生能力が暴走し、顔無しの首が半分千切れる。

 卯月はすぐさまに、そこへ砲撃を撃ちこんだ。

 

 半分千切れた首吹っ飛ばすのはなんてことはない。特効も相まって、卯月は簡単に顔無しを撃破した。息絶えたことで自爆もさせなかった。

 

「気持ち悪いぴょん」

 

 これで二隻沈めた。順調に作戦は進んでいる。顔無しは確かに強いがそれだけだ。化け物がわたしたちに勝てる道理なんてない。

 だからさっさと沈め。

 卯月は願いを込めて、沈む死体を見た。

 

 千切れた首の切断面から、なにか、布状のものが伸びていた。

 

 ()()()()のようだった。

 

「…………え」

 

 卯月の全身に悪寒が走った。

 鳥肌が立ち吐き気が込み上げてくる。一瞬想像が過っただけで、それだけの拒否反応が出た。

 だが、卯月は確かめずにはいられなかった。

 

「ちょっと、なにしてんの卯月」

 

 卯月は沈みかけた死体を掴み、首元の切断面から伸びる布を凝視した。蒼くなっていた顔が、更に蒼ざめる。油汗を流しわなわなと震えだす。

 

「どうしたの、戦いに集中しないさいよ!」

「待てぴょん、ちょっと待って!」

 

 満潮から見ても、卯月の態度はただごとではなかった。まだ周囲に敵がいるのに、それをそっちのけで死体を凝視している。

 

 そして卯月は、ナイフで顔無しの体を抉り出した。

 

 あまりの行動に、満潮も不知火も動きを止める。ただならぬ気迫と焦燥感に威圧されていた。

 

 体を掻っ捌き、心臓が剥き出しになる。

 

 卯月は心臓を取り出す。そこには、()()()()()()()()

 

「し、心臓に顔!?」

 

 苦悶の表情で固まった顔に、卯月は言葉を失う。

 

 顔がない理由が、ここにあった。

 生物の顔は一個体につき一つ。大半がそうだ。人間も艦娘も、深海棲艦もそこは変わらない。

 しかし、顔無しは最初から心臓に顔を持っていた。『顔』は二つも要らない。だから頭部に顔が現れなかったのである。

 

 しかし満潮が気になったのはそこではない。どうして急に、心臓を抉る真似をし出したのか。

 

 卯月はもう、正気には見えなかった。

 血管が何本も浮き上がり、瞳は血走り紅く染まっている。瞳孔は収縮を繰り返し、息を荒げながらハチマキを凝視していた。

 

 そのハチマキの形状や模様は、卯月がつけている物と完全に一致していた。

 

 卯月の想像は現実だった。

 

 

「うーちゃんの仲間が、神鎮守府のみんなが、つけてた、ハチマキだ、ぴょん」

 

 

 まさか。満潮は呟く。

 神提督は自分の艦娘に、お守り代わりのハチマキを配っていた。そのことは知っていた。卯月にとっては思い出の品であり、形見の品だ。

 満潮も、形見の品を見間違えたとは思わなかった。

 

 それがなぜか、顔無しの体から出てきた。そして心臓には顔が刻まれていた。その顔はよく見たら、艦娘のような顔つきをしていた。

 

「この顔も知ってるぴょん、神鎮守府にいた、仲間の顔だぴょん」

 

 あり得ないと、満潮は思った。

 艦娘には同じ見た目の別個体がいる。卯月の知っている顔があったとしても、それが神鎮守府の仲間だったとは限らない。

 神鎮守府の艦娘()()持っていない、ハチマキが出てこなければ。

 

 証拠があり過ぎた。悪夢の想像が現実だと、卯月も満潮も認める他なかった。

 

「神鎮守府の艦娘の遺体が、イロハ級に取りこまれているってことなの」

「はは、特効がある筈だぴょん」

 

 特効は『縁』によって成り立つ。史実や艦同士の関わりなどが縁になる。

 同じ鎮守府で、一緒に暮らした仲間──その遺体を取りこんだ敵。とても強い縁だ。特効が働くのは当たり前のことだった。

 卯月が殺したのは、仲間の遺体だった。

 

「どうして、こんなことを……!」

 

 満潮は憤りを感じる。だが卯月は、ヤバイ状態になっていた。

 

「許せない、許せない許さない許さない許さない……」

「って、卯月!」

「卯月さん、落ち着いて下さい。暴走したらどうなるか忘れたわけではないでしょう」

 

 満潮の言葉も、不知火の呼びかけも、卯月の耳には入っていなかった。誰が顔無しを建造したのか。どうやって遺体を回収したのか。

 

 卯月にはもう、全てがどうでも良かった。

 

 わたしに仲間を殺させたこと。仲間の死体を弄んだこと。

 卯月はそのことへの怒りで染まる。憎しみが腸から溢れ出す。激情に全身が火傷のように熱くなっていく。

 許せない、なにもかも。深海棲艦の存在全てが……世界にいることが、許せない。

 

 今までの全てを越える程の激情が、理性も記憶も焼き尽くしていく。

 

 卯月の心に、亀裂が走った。

 

 

 

 

 

 戦艦水鬼と金剛たちの戦いは、壮絶極まったものだった。

 戦艦同士の壮絶な撃ち合いが繰り広げられる。戦場が爆炎と無数の水柱で埋まっていく。それさえも吹き飛ばすように砲撃が放たれる。

 

「バーニング、ラァーブッ!」

「比叡、行きまーっす!」

 

 二人がかりの砲撃が、水鬼に向けて放たれた。

 

「狙イガ甘イワ」

 

 しかし、水鬼はあっさりと砲撃を回避してしまった。そもそもの狙いが甘かったのが原因だ。

 

 制空権がとれなければ、弾着観測はできない。命中率は下がる。しかし今の戦艦水鬼に無策で接近するのは自殺行為に等しかった。

 

「オ返シヨ」

 

 獣人型艤装が咆哮する。主砲に黒いオーラが集まっていく。異常な破壊力を纏った攻撃が、嵐のような勢いで放たれた。高密度かつ超速度、金剛たちが離脱できる時間はない。

 

「直撃ダワ」

「いいえ、当たりませんよこの程度!」

 

 比叡は金剛の前に立つと、副砲と機銃を一斉に撃つ。それらは水鬼の砲弾に当たり、軌道を反らした。

 

「アラ、ヤルワネ。デモ、結果ハ変ワラナイ」

「比叡、大丈夫ですカ!?」

「問題ありません、かすり傷です」

 

 全ては反らせなかったのだ。艤装にかすっただけで、そこが赤熱し融解していた。直撃すれば命の保証はない。

 

「安心シテ、苦シメル気ハナイ。殺スダケダカラ」

「もう勝ったつもりネ?」

「ソウ、一歩ズツ確実ニ追イ詰メル。着実ニ殺シテイク」

 

 水鬼が再び主砲を構えた。そこに向けて大量の雷撃が迫っていた。背後に回っていた竹が不意打ち気味に撒いたものだった。

 

「雷撃カ」

 

 水鬼は金剛たちを一瞥した。

 雷撃の回避は容易い。しかし逃げた先を金剛たちが狙っている。無駄なダメージは控えるべきと水鬼は判断した。

 そして水鬼は、指を下に向けて動かした。

 

「なにを」

「竹お姉ちゃん、上だよ!」

「艦載機なの!?」

 

 顔無しの空母が放っていた艦載機が、水面に向けて飛び込んでいった。それらは肉盾となって水鬼を守った。

 

「特攻じゃない、なんてことを」

「手段ナンテドウデモイイノ、大事ナノハ、確実ニ艦娘ヲ殺スコト……ソレダケヨ」

 

 水鬼の副砲が松たちを狙っていた。主砲は金剛たちへ放たれていた。牽制によって接近できない間に松たちを沈める算段だ。

 

「させないデース!」

 

 だが金剛たちは、牽制を全て回避して、水鬼に距離を詰めていた。

 高速戦艦だから出せる速度だ。戦艦水鬼は松たちへの攻撃を中断し、金剛たちに集中しなければならなくなる。

 そのお蔭で、松たちは空母の顔無しに接近できるようになった。

 

「全員突撃、空母の撃破を狙うわよ!」

 

 さっき艦載機を特攻させたせいで、再発艦が間に合わない。あっと言う間に松たちは空母の懐へ飛び込んだ。

 

 松たちの攻撃が始まったせいで、空母ヲ級は発艦がままならなくなっていく。

 その分、飛鷹が制空権をとりやすくなる。

 飛鷹はこのチャンスを見逃さなかった。コントロールに集中し、一気に制空権を取りにかかる。

 

 しかし、『顔無し』のヲ級は耐える。主砲や雷撃を喰らっても、簡単に沈んでくれない。性能だけでなくタフさも上がっている。

 

「厄介な相手だぜ」

「ええ、でも二回目なら、やりようはあるわ!」

「センターは松お姉ちゃんに任せたよ! 突撃ー!」

 

 それでも、初見と、二度目では勝手が大きく違う。

 逃げられないような攻撃をすれば良い。一度見た攻撃なら回避もできる。竹と桃の雷撃で逃げ道を塞いだ後、松は目の前まで接近した。

 ここでなら、確実に撃破できる。装甲を貫ける。

 

「まず一隻!」

「イイエ、二隻ヨ」

「え?」

 

 背後から様子を伺っていた水鬼が呟いた。

 

 顔無しのヲ級は、発光しながら、溶けだしていた。

 

「松お姉ちゃん伏せて!」

 

 桃は松に飛びかかり、その勢いで松を顔無しから引き剥がそうとした。

 

 その直後だった。

 

 顔無しが、青白い閃光を放ちながら、大爆発を起こした。

 

「うぁッ!?」

「松姉!? 桃ー!?」

 

 爆発の威力は常軌を逸していた。青白い閃光を纏った爆発は距離を取った二人も巻き込み、海面が全部めくれ上がるほどだった。

 

「自爆!? 水鬼、貴女は自爆命令をしたんですカ!?」

「エエ、ダッテソノ方ガ、有効活用デキルシ。実際ニ効果ハアッタミタイダシネ…………」

「大丈夫か二人とも!」

「なんとか、でも、桃が……!」

 

 松と桃は生きてはいた。しかし大ダメージを負ってしまっていた。松は中破だが桃は大破だ。松を庇って爆発を直で受けてしまったのだ。致命傷ではないが、もう一発喰らえば轟沈の危機である。

 

「貴女達ガ悪イノヨ」

「ワッツ?」

「私ヲ沈メタカラ。ダカラ『油断』ガ消エタ。貴女達ガ私ヲ殺サナケレバ、自爆命令ナンテ、出サナクテ良カッタノニ」

 

 なんだ、その理屈は? 

 私達が水鬼を本気にさせたのが悪いと言いたいのか? 

 実際はそうではない。水鬼の言葉は挑発だ。戦闘を有利に進めるため。その為に水鬼はあらゆる手段を実行する。ある意味では戦いに誠実とも言えた。

 

「私ハ何デモスル、貴女達ヲ殺シ尽スマデハ」

 

 挑発と分かっているから、誘いには乗らない。金剛は冷静なままだ。怒りを抱えつつも冷静さを維持していた。

 

「そうですか、やれるものなら、やってみると良いデース」

 

 どっちみち顔無しは一隻沈んだ。制空権はこちらに傾きつつある。金剛は水鬼に向けて、主砲を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なにしてんだぴょん」

 

 金剛の主砲に、『卯月』が照準を合わせていた。

 

「え」

 

 決して見間違いではない。

 

 悪意に満ちた顔で、()()()()()()()()()()()()()()

 

「水鬼()()の邪魔をすんじゃねぇぴょん、英国かぶれが!」

「卯月!?」

「伏せて下さい金剛さん!」

 

 金剛と卯月の間に不知火が割り込んだ瞬間、主砲が発射された。

 不知火は艤装でガードしたが、直後蹴りをみぞおちに喰らう。

 不知火はうめき声をあげ、海面を転がっていった。

 

「おお、跳んだ跳んだ! 無様そのものぴょん」

「貴女、なにをしてるんですか!」

「お、比叡だぴょん。シスコンぴょん、キモイぴょん、さよならだぴょーん」

 

 主砲の速さが違った。いつものよりも何倍も早い。

 予想以上の速さに、ガードが間に合わない。

 直撃しそうになった寸前で、不知火の撃った主砲が軌道を逸らした。

 

「また不知火かぴょん、中佐の犬風情が」

「お前、卯月、なにをしてやがる!」

「おいおい竹、見て分からないのかぴょん? バカぴょん? アホかぴょん? マヌケぴょん?」

「どうしちゃったネ、卯月!?」

 

 金剛の絶句する顔を見た卯月は、心の底から楽しそうに邪悪に嗤う。

 

 その目は深海棲艦と同じ──いやそれよりも激しく、赫く光り輝いていた。

 

 ただの造反ではない。なにか、異常なことが起こっていると全員が感じていた。

 

「うひひ、笑える顔ぴょん。じゃあ教えてあげるぴょん」

 

 卯月は戦艦水鬼のところへ近づいていく。水鬼は卯月の接近を拒まなかった。

 戦艦水鬼を見上げる卯月の顔は、紅潮していた。目はとろんと溶け、心から心酔している様子だ。

 そんな自分の姿に、金剛たちが絶句しているのを卯月は楽しむ。そして見せつけるように、水鬼の足元に傅いた。

 

 

「うーちゃんは艦娘なんてくっだらない愚行は止めて、戦艦水鬼さまの為に尽くすぴょん。頭のてっぺんから爪先まで全部水鬼さまのモノ。うーちゃんの全ては水鬼さまの喜びのため。命令してくだされば、艦娘も人間も、うーちゃん自身も、全部捧げると誓うぴょん!」

 

 

 反吐が出そうな程甘ったるい声で、卯月は『造反』を宣言した。




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第50話 堕落

節目の回がこれってどうなのさ日向。


「うーちゃんは艦娘として生きるなんてくっだらない愚行は止めて、戦艦水鬼さまの為に尽くすぴょん。頭のてっぺんから爪先まで全部水鬼さまのモノ。うーちゃんの全ては水鬼さまの喜びのため。命令してくだされば、艦娘も人間も、うーちゃん自身も、全部捧げると誓うぴょん!」

 

 とんでもないことを言ってしまった。

 卯月は全員が聞いている中で、恐ろしい宣言をした。深海棲艦への裏切りを告げてしまった。これでもう本当に取り返しがつかない。卯月は仲間の元へ帰れない。

 

 なんて、最高なんだろうか。

 

 自然と口元が緩んでいく。裏切ることが、こんなにも気持良いことだなんて知らなかった。仲間を裏切った背徳の快楽に、卯月は酔いしれる。

 

「あはっ……」

 

 例えようのない快楽だ。罪悪感なんて微塵も感じない。取り返しのつかない凶行、二度と艦娘には戻れない。そう実感する度に解放感に身も心も軽くなる。もう、艦娘なんて存在には煩わしさしか感じない。

 

 今までの卯月が壊れていく。壊れるのが気持ちいい。堕ちていくことが嫌ではない。もっと堕ちたい。昏い快楽に卯月は溺れ、自分自身を侵食させる。

 

 卯月は、自分が変わってしまった瞬間を思い出していた。

 

 

 *

 

 

 撃破した顔無しから出てきたハチマキ。心臓に浮かぶ顔。

 卯月は、それがかつての仲間だと気づいてしまった。

 どうして、こんなことをする。なんの意味があるのか分からない。

 

 でもどうでも良い。

 

 体の奥底からドス黒い感情が爆発した。

 止めようと意識する間もなかった。仲間を殺すだけじゃない。遺体まで弄んだ。そんな奴は死ねば良い。許せない許せるわけがない。

 

 満潮や不知火がなにか言ってるが、耳に入らなかった。

 

 あいつらを、戦艦水鬼をコロス。

 もうそれ以外考えられない。怒りの感情が身体中を暴れまわる。息が苦しくなり、身体が熱くなっていく。自分自身の激情で燃えている錯覚を覚える。

 

 激し過ぎる怒りは、卯月の理性を完全に越えてしまっていた。卯月自身の記憶が、思い出が、怒りの感情に焼き払われていく。こころに亀裂が走り、崩壊に近づいていく。

 

 死んでしまう。

 

 そう呼んでも良いほどの激情。

 艦娘ではなく、怒りそのものへ変わるような。自分が焼け尽くされる感覚を卯月は味わう。理性が壊れる、自分が壊れる。制御できない憎悪に卯月の心が悲鳴を上げる。

 

 怒りは、卯月を復讐へ駆り立てようとする。

 

 痛い、苦しい、辛い。この激痛から早く逃れたい。その原因は深海棲艦だ。奴等を殺さなければならない。

 

 仲間を殺した奴等を、弄ぶ奴等を、わたしを苦しめる奴等を! 

 

 しかし、次の瞬間、変異が起きた。

 

 

「……っあ!?」

 

 

 

 背筋に電流を流されたような感覚に、卯月は背筋を仰け反らせた。

 不快感はないが、なんだこれは。予想外の感覚に思考が一瞬止まる。

 

「卯月!?」

 

 端から見ても、異様な様子だ。満潮はなにごとかと声をかける。

 

「あ、あ……ひゃぁぁ……」

 

 満潮の声は耳に入っていない。

 卯月は未知の感覚に振り回され、それどころではなかった。

 背筋から、くすぐられているような感覚が、全身に広がっていく。時折強い感触が流れ、卯月は矯声を漏らす。

 

 ここまでくれば分かった。今全身に巡っているのが、『快楽』であると。

 

「が、あっ!?」

 

 自覚した瞬間、快楽は激増した。

 なにが起きているのか微塵も分からない。しかし、恐ろしいことだと本能が叫んでいた。

 

 気持ちの良い、ゾクゾクとした快楽が走る度に、得たいの知れないモノが流れ込むのが分かる。

 理性を押し退けて、無理やりわたしを気持ちよくさせてくる。なのに抵抗できない。しようとする嫌悪感が、とろとろに溶かされていく。

 

 快楽を凝縮した、泥のようなナニカに、呑み込まれていく。細胞一つ一つが丁寧に汚染されていく。

 わたしが、おかしくなる。さっきまで荒れ狂っていた怒りが、快楽に押し流されて分からなくなる。

 

 代わりに溢れてくるのは、甘ったるい悦楽に満ちた暴力衝動だ。こんなの望んでないのに、なにもかも壊したくなってくる。気持ちの良いことを望むよう染められる。

 

「なんて声上げてんのよ、水鬼があっちにいんのよ!?」

「す、水鬼……?」

 

 怨敵の名前を聞き、卯月はやっと返事をした。顔を傾けると、かなり遠くだが金剛たちと戦う戦艦水鬼が見えた。

 

 その瞬間、卯月の胸は一層高鳴る。

 

「んぁ、あぁっ!?」

 

 なんだ、この感情は。

 水鬼の顔を見た途端、胸の奥が締め付けられた。甘酸っぱくて切ない思いが湧く。心臓がキュンとしてくる。

 

 ──あの人に従いたい。

 

 バカな、ありえない。そう思うのに、もう水鬼になにもかも捧げることしか考えられなくなる。

 深海棲艦に従い、艦娘を殺して、人間も殺す光景は悪夢でしかない。その筈だった。

 

 なのに、それが悪夢とは露ほどにも思えない。切ない情動が満たされる。感じたこともない充足感と幸福感が卯月を誘惑して逃がさない。気持ちよくなるよう、無理やり変えられている。

 

 嫌だ、変わりたくない。けど理性はさっきの怒りで壊れてしまった。

 

 自壊しかけた心の前に吊るされた快楽は、甘過ぎる誘惑だ。危険な媚毒と分かっていても抗えない。怒りの苦痛から逃れるために、本能が堕落を望む。

 

 怒りと快楽。矛盾する感情に心が更に壊れる。

 壊れたところに深海棲艦への情愛が染み渡り、気持ちよさが弾けた。

 代わりに、今まで大事にしてた思いが、色褪せていく。どうでもよくなっていく。

 わたしがぐしゃぐしゃになる。侵されているのに、幸せにされる。

 

「や、や……だ、幸せに、な、嫌ぁ……あっ」

 

 常軌を逸した多幸感に、頭がおかしくなっていく。ドス黒い悦楽に呑まれていく。なにも考えられない、わたしだったものが霞んで消えていく。

 

 変わる、変えられるのが気持ちいい。許容量を越えた多幸感。卯月は虜になる。

 

 トドメを刺すような、一際強い快楽が全身を突き抜けた。

 

「あああーっ!?」

 

 断末魔の矯声を上げて、卯月はへたりと膝をつく。

 

 頬は紅潮し、焦点の合わない眼はトロンと酔うように溶けている。ビクンビクンと涎を滴しながら、快楽の余韻に浸る。頭の中は真っ白になっていた。

 

 どれぐらい快感に震えていたのか分からない。とても長い時間にも、一瞬にも思えた。

 

「う、卯月……?」

 

 満潮が視界に入った。心配そうにこちらを覗き込んでいる。あの満潮がこんなことをするなんて、余程の醜態をさらしてたんだろう。満潮にもそんな感情があったのかと、卯月は嬉しくなった。

 

 その顔を歪ませたくなる。

 

「ああ……わたし、わたしは……」

 

 ダメだ、満潮は味方だ。そう理性は訴えるのに、心と体が気持ちよさを求めてくる。

 

 もっと壊したい、壊しちゃいけない。

 殺して蹂躙して、無様な姿を見て悦に浸りたい。

 

 ダメなのに、ダメと思えない。

 深海棲艦に全部捧げたい。

 服従したい、ありえない憎くない、好きだ、姫様が水鬼さまが、愛おしい。

 

 この幸福感に屈したい。

 

 気持ちよくなりたいけど我慢しなきゃ、抵抗しな……抵抗……抵抗をする? 

 

 なんでだっけ? 

 

 抵抗する理由が全く分からない。もっと気持ちよくなりたい。堕落することへの抵抗感が急激に色褪せる。精神が凍りつき、他が全部どうでもよくなる。

 

 もう手遅れだった。さっきの強い快楽。あの時もう……屈服しちゃってたんだ。抵抗するだけもうムダなのだ。認めてしまえば後は楽だった。折れた心が、真っ黒な悦楽に染め上がる。

 

 残ったのは、気持ちの良い欲望だけだった。

 

 

 

 

 卯月は満潮のみぞおちに、アッパーカットを捩じ込んだ。

 

「なっ!?」

「あはっ!」

 

 勢いよく飛んだ満潮に、追撃の主砲を撃ち込む。

 卯月自身が驚くほど、発射速度が上がっていた。空中にいた満潮には回避できない。

 

「嘘っ……!?」

 

 爆炎の中に満潮が消える。直撃だった。煙が消えたあと、満潮の姿は影も形もなくなっていた。

 

 満潮を殺した。わたしが、この手で。

 

 その事実に卯月は打ち震える。命を奪い、存在を蹂躙する快楽を堪能する。

 

「……うーちゃん、変わっちゃったぁ」

 

 屈してしまった。快楽に身を委ねてしまった。

 なんて、気持ちが良いんだろう。

 生まれ変わったような気分だった。こころが軽い。身体中に力が溢れている。

 自分を縛っていたくだらない価値観を棄てたおかげだ。解放感が胸一杯に広がっている。

 

 不知火や熊野、みんなの視線が突き刺さると、裏切ったことへの背徳感に震えた。

 

「気持ちいい、最高の気分だぴょん」

 

 卯月は、自分がどうなったか、具体的に理解してはいない。けど艦娘でなくなったのは自覚できた。

 

 あれだけ憎かった深海棲艦が愛しくて仕方がない。水鬼さまに従いたい。今以上に多幸感が得られるだろう。全部捧げて尽くしたい。それがわたしの存在意義だ。こころからそう思っていた。

 

 折れて良かった。屈して良かった。この快楽をどうして拒絶してたんだろうか? 直前までのわたしは余程のバカだったらしい。深海棲艦を殺そうとしてたなんて、とんでもない愚か者だ。

 

「そうだ、まず挨拶だぴょん!」

 

 しまった。気持ちよすぎて忘れてた。水鬼さまはわたしの心変わりに気づいていない。ちゃんと口に出して忠誠を誓わないと。

 卯月は遠くで戦う水鬼を見つける。

 

 その時戦艦水鬼は、金剛と比叡の同時攻撃を受けようとしていた。

 

「は? あいつら、ざけんじゃねえぴょん!」

 

 なんて連中だ、水鬼さまを傷つけようとするなんて。心から怒りが込み上げる。

 金剛たちへの感情は憎悪に掻き消された。愛しい水鬼を殺そうとする『敵』でしかない。金剛を止めようと卯月は動きだす。

 

 彼女のスペックでは間に合わない。しかし()()()()確信が持てた。今ならなんでもできる。全能感に駆られるまま、卯月は海面を蹴り上げる。

 

 一瞬の間に、卯月は金剛の隣へ辿り着いた。

 

 この全能感は気のせいじゃなかった。スペックも滅茶苦茶上がってる。艦娘を辞めたおかげだ。ホント、なんであんな弱い存在に固執してたのか。まあどうでもいいか今更。不知火が追従してるようだが、問題じゃない。

 

「なにしてんだぴょん」

 

 卯月は金剛の主砲に向けて砲撃をしかける。武器の威力も跳ね上がっているだろう。戦艦クラスの主砲も破壊できるに違いない。

 驚く金剛を見ると、嗜虐心がくすぐられる。殺したらもっと楽しくなれる。

 

「え」

「水鬼()()の邪魔をすんじゃねぇぴょん、英国かぶれが!」

「卯月!?」

「伏せてください金剛さん!」

 

 割り込んできた不知火を吹っ飛ばし、更に比叡に攻撃を仕掛ける。それも不知火に防がれたが、わたしがもう、味方でないことは伝わっただろう。

 卯月は戦艦水鬼に傅き、忠誠を誓うのであった。

 

 

 *

 

 

 傅く卯月を、水鬼はジッと見つめていた。

 水鬼は卯月のことをかなり疑っていた。

 なんだこれは。気配が深海棲艦のそれに変異した。さっきまで、遠くからでも分かるぐらいの激しい怒りをぶつけていたのに。

 

「不知火、なにやってるクマーッ!」

 

 この状況を見ていた球磨が、耐え切れずに叫ぶ。満潮を撃った時点で造反は確定していたにも関わらず、不知火は自爆装置を作動させなかった。なにかを観察している様子だ。そして今も自爆装置を使うそぶりを見せなかった。

 

 しかし、不知火自身が攻撃を受けたこと。金剛たちに襲い掛かったことで、やっと動き出した。

 

 首輪を作動させるため。卯月を自爆させて抹殺するために。

 

 戦艦水鬼に悟られないよう、艤装内部に厳重に隠した起動装置に触れる。卯月の装備している首輪を作動させようとする。

 その時、卯月も自爆装置の存在を思い出した。作動させようとする不知火と眼が合う。

 

「不知火、てめぇ!?」

「誰も殺させはしません、貴女には」

「クソ、こんな物!」

 

 とっさに首輪に手を伸ばすが、パワーアップした身でも、力づくで引き千切れない。前のわたしはなんて物を装備してたんだ! 

 後悔しても遅い。あんな宣言しといてなにもできず死ぬ。そんなカッコ悪い死にざまだけは嫌だ。せめて一隻だけでも、自爆へ巻き込めれば。

 

 ごめんなさい水鬼さま。

 覚悟を決めた卯月は、一番近くにいた竹に突っ込もうとした。

 だが、その肩を水鬼が掴んだ。

 

「水鬼さま?」

「ジットシテテネ」

 

 自爆装置が作動する。首輪が閃光を放ち爆発しようとする。

 水鬼は狙いを定め、首輪に手刀を叩き込んだ。

 

 海上の艦娘を、強制的に解体する装置が起爆する。

 だが、戦艦水鬼は爆発の直前、それを力ずくで、引き千切ってしまった。捨てることは間に合わない。

 

 自爆装置の爆発に、水鬼が巻き込まれた。

 

「そんな……って、あれ?」

 

 予想に反して、爆発は起きなかった。激しい閃光が放たれただけだった。水鬼は首輪を握りつぶすと、手を何度か握ったり開いたりする。

 

「コレ、電流ネ」

「で、電流ぴょん?」

「彼女達ハ、貴女ヲ殺ス気ハナカッタミタイ。気絶デ留メルツモリダッタヨウネ」

 

 水鬼の言葉が比叡たちにも聞こえていた。

 殺す気がなかった、気絶だけだっただって。約束と違う。比叡は不知火を睨み付ける。

 

「不知火、これはどういうことですか!?」

「自爆も気絶も変わりません、考えてください比叡さん、これが単なる造反に見えますか!?」

「それは……見えないですね、すみません!」

 

 異常事態だとは比叡も分かっていた。

 ただの造反ではない。異常なことが起こっている。あの卯月の様子、()()()が起きたのは明らかだ。殺せばその()()()諸共水底へ消えてしまう。

 最初からこれが予定通りなのか、想定外なのかは比叡には分からないが。今は自爆させなかったことを、責める時ではなかった。

 

 一方卯月は、困惑した顔つきで戦艦水鬼を見上げていた。

 

「ど、どうしてうーちゃんを助けてくれたんだぴょん」

「ドウシタノ?」

「だって、もしそれが自爆装置だったら、水鬼さまは……」

 

 自分のせいで、水鬼さまを危険に晒してしまった。卯月は罪悪感にガタガタ震えだす。だが水鬼は責めたりせず、卯月の頭を撫でた。

 

「モウ一度沈ンデモ、私ハ復活デキル。ソレニ……卯月ダッタワネ。私ノ為ニ戦ッテクレルンデショ?」

「はい、勿論だぴょん!」

「ジャアココデ沈マセル訳、ナイジャナイ。私ノ為ニ戦ッテクレル子ニ、ソンナツマラナイ死ニ方ハサセナイワ」

 

 自分が沈む危険があったのに、その為に水鬼は助けてくれたのだ。私が誠心誠意尽せるようにしてくれた。

 

 そう理解した途端、嬉しさが止まらなくなった。

 

「あ、あああ! 水鬼さまぁっ!」

 

 ダメだ、堪らない、矯声が抑えられない。

 卯月は体を抱きしめ、ビクンビクンと震える。なんて素晴らしい深海棲艦なんだろう。姫は他にもいるが、この方は特別だ。忠誠を誓ったのが水鬼さまで本当に良かった。心も意志も体も全部捧げたい、この御方の為に尽くせるなんて、わたしは世界一の幸せものだ。

 

「ありがとう、ありがとうございますぴょん!」

「一応聞クケド、アイツラハモウ、イイノネ?」

「どーでも良いぴょん! うーちゃんは、水鬼様に奉仕するために、この世界に生まれたんだぴょん!」

 

 卯月は本心からそう思った。

 それに比べたら今までのことは尽く無価値だ。無駄な時間を使ったことへの苛立ちしか沸いてこない。さっさと堕ちれば良かった。

 忠誠の言葉を綴る度に、多幸感が溢れてくる。この人の道具という時間が沸き、愛おしさがとろけていくようだ。

 

「ジャア、分カルワネ?」

「はいだぴょん!」

 

 卯月は、敵意を艦娘たちに向ける。

 あいつらを殺せば、水鬼さまが喜んでくれる。深海棲艦のためになる。高宮中佐や神提督を殺せば、もっと貢献できる。気持ち良くなれる。

 隷属の幸福を噛み締めながら、それを邪魔するクズどもを睨み付ける。

 

「死ね、艦娘が」

 

 赫い閃光が迸る眼光を持った、深海棲艦が動き出した。




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第51話 卯月壊

BGM:青いジム頭の陸ガンが大暴れしている時のアレ


 自爆装置を、ただの気絶装置に変えたことは誤りではないと不知火は考えていた。

 卯月を自爆させる訳にはいかない。まだ彼女には使い道がある。金剛たちが危険に晒される可能性があったとしても、殺す選択肢はあり得ない。

 

 絶対に生きて連れて帰る。それが高宮中佐から受けた密命だ。その為には不知火が卯月の相手をしなければならない。他のメンバーでは殺す危険が残る。

 それに、卯月の危険性を承知で出撃を許可したのは高宮中佐だ。正規メンバーの不知火と飛鷹が率先して卯月と戦わなければ、メンツが立たない。

 

「アハハハ! 死ね死ね、ぜーいん、沈めっぴょん!」

 

 欲望の赴くまま攻撃を乱射する卯月。主砲が掠めた箇所が燃えている。速度が速すぎる。摩擦熱だけで着火していた。すぐに海水で消火した後、不知火は全員に一斉に指示をだす。

 

「卯月さんは不知火と飛鷹が止めます、金剛さんたち元々の指示通り、前科メンバーは顔無しの始末を優先!」

「平気なんですカ!?」

「問題ありません、不知火たちが責任をとる。出撃前にそう言いました」

 

 卯月は、体中に溢れる力に酔いしれていた。全能感のまま主砲をやたらめったら乱射する。

 こんなに強くなれるし、気持ちよくなれるなんて。艦娘止めて良かったと心の底から思う。こうしてくれた水鬼さまには感謝の気持ちしかない。

 

「不知火、相手は任せたわよ!」

「当然です」

 

 暴走する卯月を不知火は直接止めにかかる。飛鷹は逆に被害が出ないよう立ち回る。無差別に乱射される主砲を艦載機で攻撃し、金剛たちや球磨たちに当たらないよう妨害をしていく。

 

 その光景を見て、面白くないのは卯月だ。

 

「このうーちゃんを、二人で押さえるつもりかぴょん、バカだぴょん」

 

 水鬼に忠誠を誓った卯月は、とにかく敵を多く沈めることを目的としていた。一隻沈めれば水鬼に貢献できる。そして卯月自身も裏切りの背徳感を味わえる。だから、不知火と飛鷹の相手を馬鹿正直にする理由はない。

 

「抑えられるなら、抑えて見ろだっぴょん」

「抑えますよ、必ず」

「へぇ、でも満潮はもう、死んだっぴょん。もうできてないぴょん」

 

 と言って、卯月は一瞬で姿を消した。

 あらゆる身体能力が上がっている。溢れる力に卯月は興奮していた。

 卯月の狙いは、金剛たちだ。

 不知火や飛鷹が守る対象である、金剛たちを沈めた方が、より絶望させられる。楽しめると考えたのだ。

 一番近くにいた、比叡の近くへ着地する。

 

「やっほー、うーちゃんでーす」

「な、いつの間に──」

「死ぬのだぴょん!」

 

 比叡の首元に主砲を突き付けた。一瞬でこんなに接近できたことに卯月自身驚いていた。

 卯月はじゅるりと舌なめずりをする。絶望に染まった比叡の生首が転がる様子を思うと、更に興奮できた。

 そして、トリガーが引かれた。

 

「させませんから」

「って、また不知火かよ!」

 

 不知火は軌道を予測していた。発射された後の砲弾を阻むように攻撃していた。それでも完全回避はできなかった。逸れた砲弾が比叡の艤装を掠める。そこは一瞬で赤熱し融解した。速度と摩擦熱だけでこうなった。

 

「駆逐艦の威力ですか、これが!?」

「もうザコなんて言わせない、水鬼さまの下僕になれたおかげぴょん。感謝してもし足りないぴょん」

「哀れな」

 

 攻撃する不知火から、卯月は距離をとる。不知火や飛鷹がいる限り他の連中は殺せない。しかし前科戦線で一番強い二人を殺すには時間がかかる。どうしたものかと、卯月は苛立ちを募らせた。

 

 そう思った時、背後から大量の艦載機が現れた。発艦させていたのは、顔無しの空母だった。気づけば卯月の周囲に顔無しが集まっている。指示を出したのは戦艦水鬼だ。水鬼は卯月を見ると、優しく微笑む。

 

「使ッテイイワヨ」

「良いんですか!?」

「確カ貴女ノ仲間ダッタンデショウ、ソノ方ガキット良イワ」

 

 水鬼さまが、また気遣ってくれた。頭が真っ白になりそうな多幸感と同時に、手を煩わせた申し訳なさが沸く。ここまで頼って下さってるのだ、応えたい。大好きな水鬼さまに、もっと喜んでもらいたい。それがわたしの幸せだ。

 

「ふふ、また一緒だぴょん……」

 

 顔無したちを見た卯月は、懐かしい感覚を覚えた。

 まさか、また神鎮守府の仲間たちと一緒に戦えるとは。しかも水鬼さまの為に。二度と会えないと思っていた仲間に再開できた喜びで胸がいっぱいになった。

 

「みんな、飛鷹を抑えるぴょん!」

 

 顔無しは返事をしない。まあ口がないから当然だが。でも指示は聞こえたのか、飛鷹に攻撃を集中し始めた。

 これで、思う存分殺していける。わたしを邪魔する存在はいない。

 

「うーちゃんの本当の力、見せて上げるぴょん!」

 

 卯月は全員に攻撃を始めた。飛鷹がいなければ攻撃を止めることはできない。不知火一隻では全ては止めらない。

 回避はできるが、しかし金剛たちの前には水鬼がいる。回避だけに集中できないのだ。彼女たちの顔は間違いなく焦りに染まって来ている。

 

「ああっ、楽しい! 楽しいよぉ……アハハハ!」

 

 その様子を見ていると、また気持ちよさが弾ける。

 今まで守ろうとしてたもの。大事だったものが壊れていく。台無しになる。それも自分自身の手で。

 

 背徳感が堪らない。ゾクゾクしてしまう。それに、昔の自分を否定すればする程、水鬼さまの道具という実感が強くなっていく。身体も記憶も、全部あの御方の色に染まりたい。足りない、もっとそうなりたい。

 

 艦娘だったら、罪悪感で潰れていただろう。でももうそんなの止めた。侵略者としての悦楽を、心の底から楽しむ。艦娘の心が壊れていく。

 

 そうすると、更にこころが真っ黒に染まっていく感覚がした。力も増していく。快楽がますます溢れだす。多幸感に卯月は狂い続けていく。

 

 その猛攻に、不知火は卯月から離れてしまっていた。今の卯月は完全なフリーだ。誰でも自由に狙うことができる。

 

 卯月の赫い眼光は、桃を捉えた。

 

「満潮の次は、お前だぴょん」

「桃狙いなの!? 嘘ーってか本当にピンチなんだけど!?」

「大丈夫だぴょん、すぐに死ぬぴょん!」

 

 バカなのかな? 可哀想に。卯月は侮蔑の愉悦を味わいながら、桃へ急速に近づいていく。

 前の卯月を圧倒的に越えた攻撃速度に、桃は対応できていない。金剛たちも同様だ。無理に動こうとすれば、水鬼がその瞬間に砲撃するだろう。

 

「桃逃げろ!」

「む、竹かぴょん、雷撃ぴょん?」

「妹に近づくんじゃねぇ!」

 

 竹が、残る全ての雷撃を放つ。

 演習でも追い込まれた大量の雷撃だ。逃げるルートそのものが殆どない。あるにはあるが、距離を取られてしまう。

 

 けど、今のわたしなら行ける。

 

 全能感に任せて、卯月は──跳躍した。

 

「……ウソだろ」

 

 無数に撒かれ、隙間の存在しない雷撃。

 だが、波の動きやそれによる速度の差で、一瞬隙間ができることはある。

 卯月はそこ目掛けて、跳躍を繰り返していた。

 

「おーい、逃げないのかぴょーん」

 

 超人技を披露しながら、更に砲撃を畳み掛けていく。空中で撃っているのに姿勢が崩れない。身体能力が()()()()()()上がっている証拠だ。

 そして卯月は竹の前に着地した。魚雷を撃ち切った竹の方が殺しやすい。大破した桃はいつでも殺せる。

 

「ごめんぴょん、約束破っちゃって」

 

 と、卯月はとびきり申し訳なさそうな顔をした。その口角は上がりきっていた。

 

「でも、しょうがないぴょん。こんな気持ちの良いこと知っちゃったら、使命とかそんなのどうでも良くなっちゃったぴょん」

「てめぇ、あの怒りはどうしたんだ!」

「あーあれ? アッハッハ、そんな黒歴史忘れたぴょん」

 

 愚かにも深海棲艦、水鬼さまを殺そうとしてた記憶なんて、一刻も早く消したい。これまでのわたしが残した証拠を全部なくしておきたい。だから竹も殺すのだ。

 強化されてなくても、外さない距離。

 この後起きる惨劇を思いながら、卯月はトリガーを引く。

 

 

 その時、卯月の死角から攻撃が放たれた。

 

 

「卯月ぃぃぃぃ!!」

 

 

 目を血走らせ、殺意を滾らせながら現れたのは、満潮だった。

 卯月は攻撃を跳躍して回避する。竹へのトドメを刺し損ねた。楽しみを邪魔された怒りより、生きてたことへの衝撃が勝る。

 

「満潮!? 生きて」

「死ぬわけないでしょうがあんなもので! そんなことよりも良くもやってくれたわねこのクソザコのウジ虫が! 絶対に許さない今殺す!」

 

 あまりの剣幕に卯月は若干引いた。目は血走り口から血が流れ、あちこちに火傷を負っているのに凄い迫力だった。

 

「満潮! 殺すのはダメです! 回収をし」

「やかましいわどいつもこいつも役立たずの上隠し事なんてしやがって!そんな奴が命令するんじゃない!この裏切り者は今日今地獄のふちに沈めるのよ!!」

 

 不知火の制止さえガン無視。命令違反を躊躇なく実行する姿に、卯月は苦笑いを浮かべた。

 

「は、はは、まあちょうど良いぴょん。今のうーちゃんなら、一切の躊躇なくお前を殺せるぴょん」

「こっちのセリフよ。なにがなんだか分からないけど裏切ってくれてありがとう、あんたを抹殺する大義名分ができたわ!」

「お前については水鬼さま関係なしだぴょん、殺す!」

 

 満潮だけはある種の例外だ。痛めつける想像をしても、殺す瞬間を思い浮かべて、嫌悪感しか湧いてこない。最初から大嫌いなので背徳感とかそういうのもない。卯月は主砲を撃ちこんでいく。

 

 かすっただけで装甲が融解するような破壊力。満潮は激昂しながらも、回避を優先せざるをえない。その状況でも反撃していくが、卯月は全て回避していく。

 

 有利なのは卯月の方だ。一発だけでも当てれば勝てるのだから。

 

 だが、先に当てたのは、満潮の方だった。

 

「はっ!? なんでだぴょん!?」

「動き方が変わってないのよ、速くなっただけで、わたしに勝てるか!」

 

 方向転換の一瞬の隙を正確に狙われた。当たる直前腕で弾いたので、ほぼノーダメージだ。

 それでも満潮は回避しながら、着実に攻撃を当てていく。少しずつだが、ダメージが累積していっている。

 

顔無し(みんな)、あいつをやってくれぴょん!」

 

 卯月の命令に従い、残る顔無し全てが満潮へ殺到する。他の艦娘がフリーになるのは承知していた。それよりも前に決着をつければ良いと卯月は考えた。

 

「そいつら、あんたの仲間だったんでしょ、なにも思わないの!?」

「急になんだぴょん」

「聞いているのよ、答えなさい」

 

 なんでそんなどうでも良いことを聞く? 卯月は首を傾げたが、冥土の土産に教えてやってもいいかと思った。

 

「顔無しに加工されたことを心の底から感謝してるに決まってるぴょん」

「なんでよ」

「深海棲艦さまに殺されたこと自体、最高の幸せだぴょん。しかも死んだ後も、水鬼さまに使って頂ける。今は仲間だったうーちゃんの為にも戦える。天国さながらの気分を味わってるに違いないぴょん」

 

 今の卯月にとって、艦娘や人間の命は全て深海棲艦への捧げ物だ。深海棲艦の為なら全てが幸せになれる。殺されることさえ気持ちが良い。それが彼女の常識だった。さっき私が殺した個体も、あの世で喜びに震えているだろう。

 

「という訳で、お前も命を捧げろぴょん!」

「誰がっ、ざけんな!」

「可哀想だぴょん……この幸福を知らないまま死ぬなんて」

 

 そう思うと、やはりわたしは幸運だ。この快楽を知れたのだから。水鬼さまに選ばれたことへの優越感。選んでくれた甘美感が合わさり、底なしの情愛へ変わる。

 

「見下げた奴、そこまでクズに堕ちたのね! 戦艦水鬼なんてのアバズレの奴隷に!」

「違うぴょん、生まれ変わったんだぴょん! てか水鬼さまになんつった!?」

「アバズレよ、それとも淫売? ビッチ? いずれにしても変態に違いないわ」

 

 落ち着け、あんなのは断末魔でしかない。実際満潮はほとんど動けなくなっていた。顔無しの砲撃に空爆、それでも回避しているが、時間の問題だ。

 

 満潮は、それらを回避し、迎撃しながら突撃してきた。被弾面積を最小限に抑えているが、ダメージは深刻になってきた。それでも来る。何発か確実に当ててくる。

 

「悪あがきも、これで仕舞いぴょん」

 

 そこへ卯月は、大量の雷撃を放った。

 わずかな逃げ道全てを塞いでやった。遂にあの満潮に止めをさせる。やっと顔を合わせなくて済むと、卯月は安堵した。

 

「それは貴女の方です」

 

 不知火が、大量の雷撃の中へ割り込んできた。不知火は雷撃に向けて、砲撃と爆雷を一気に叩き込んだ。

 魚雷が爆発させられ、大量の水柱が立つ。卯月は一瞬不知火を見失ってしまった。

 

「そこかぴょん!」

 

 すぐに発見し、主砲を撃ち込む。

 だが、それらは、更に上からの銃撃に軌道を逸らされた。上を見上げた時、空を飛ぶ水上戦闘機が目に入る。

 

「熊野と、球磨かぴょん!?」

「そうです、卯月、あなたの動きはもう見極めています」

「くそ、でもうーちゃんには顔無し(仲間)が」

「ムダですよ、見てみなさい」

 

 呼んでも顔無しが来ない。満潮を襲っていた顔無したちが、那珂一隻に押さえ込まれていた。顔無しの動きも読み終わっていたのだ。空母の顔無しは飛鷹に抑えられている。時間があれば突破できるだろうが、それじゃ間に合わない。

 

「チッ、役に立たない連中だぴょん!」

「もうお終いです、この悪夢は」

「ふざけるな、私は睦月型駆逐艦四番艦の卯月だぴょん、お前なんかに負けるものかぴょん!」

 

 妨害がなくなり、不知火は悠然と卯月に接近する。卯月はまだ諦めない。不知火は卯月を捕獲するつもりでいるので、殺す気がない。そこにつけいる隙があると卯月は考える。

 

「溶けてなくなれぴょん!」

 

 卯月は誘発材の塗られたナイフで切りかかる。目視さえ困難な速度を出せている実感があった。

 しかし、不知火の方がなお早かった。

 

「その戦い方を教えたのは、不知火ですよ」

 

 身体能力では勝ってる筈なのに。

 ナイフを持った方の手首を掴まれた。すぐ振りほどき、もう一度切りかかるが、それも対処される。

 やること全てが、完全に対応される。卯月の余裕が消えて、焦りが募る。

 

「な、なんでだぴょん!?」

「不知火が、不知火たちの全力が、あの程度と思っていたんですか?」

「舐めプをしてたのかぴょん!?」

「戦術です。卯月さんを確実に仕留めるための。そして気づきませんか……貴女の速度も落ちてることに」

 

 不知火の拳が、鳩尾にねじ込まれた。

 

「が……!?」

 

 連撃が身体のあちこちに叩き込まれる。あまりのダメージに意識が失われていく。逃げようとしても、身体のどこかしらを掴まれる。

 

 卯月は間違えた。不知火の強さを見誤った。

 後悔しても、もう遅い。

 一方的に殴られながらも、卯月は呪詛を吐き捨てる。

 

「あり得ない、水鬼さまの為に戦ううーちゃんが、こんな連中に負けるなんて!?」

「それは単に卯月さんが弱いからです、前の方がまだ強かったですよ」

「嫌だ! まだ、私は、水鬼さまのお役に立てていないのに! 誰も殺せないなんてやだぁ!?」

 

 なんの貢献もできなかった。誰も殺せなかった。あんなに優しくして貰ったのに。

 悔しさと罪悪感に涙が溢れ、卯月は泣きじゃくる。汚く、ぐしゃぐしゃになった顔面に、不知火がストレートを叩き込む。それが止めになった。

 

 全身の感覚が薄れる。身体が冷たくなり、意識が暗闇へ消えていく。

 

「ごめんなさい水鬼さま、ごめんなさい……ごめんな……さ……」

 

 水鬼への懺悔を叫びながら、造反者卯月は意識を失った。




 不知火の全力戦闘はまだ未解禁。正規メンバーなので、その気になれば前科組を全員ねじ伏せられるのは間違いないですけど。
 暴走卯月はとりあえず気絶。目を覚ました時正気に戻っているかは分からない。戻ってたら戻ってたで、メンタルぐしゃぐしゃ待ったなし、大丈夫かコレ。


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第52話 回歴

ある意味、ここからが本当のスタートです。


 鈍く重い、頭の奥底から響く痛みに、卯月の意識は覚醒した。

 ただ、目の前が見えなかった。なにかを巻かれているんだろうか? ぼんやりした意識で、卯月は思う。

 

「卯月どの、聞こえておりますか?」

 

 知らない声が聞こえた。

 

「聞こえているのなら、首を縦に振ってください」

 

 卯月は言われるがまま、首を縦に振る。声の持ち主は満足げに『ふむ』と呟いた。

 

「話せるのでありますか、そうであれば、なにか話してください」

「……ぷ、ぷっぷく、ぷー」

「話せるでありますね、了解したであります」

 

 これはなんなんだ。なんでわたしは目隠しをされているんだ。加えて口も上手く動かない。卯月はなんとか、無理矢理声を搾り出したのだ。

 

「ここは、どこだ、ぴょん」

「第零特務隊、前科戦線の地下シェルターの一角、拷問室であります」

「拷問……」

 

 拷問とは相手を痛めつけることで、情報を聞きだす行為である。

 

「拷問!? うーちゃんを!?」

「おお、いきなり叫ぶなであります」

 

 あんまりな事態に、卯月の意識は一気に覚醒した。と同時に、背筋に熱した鉄を流し込まれたような、形容し難い激痛が全身に走った。椅子が固定されていなければ、卯月は転げ落ちていた。

 

「あ、がっ!?」

「だから叫ぶなと言ったであります」

「な、なんでだぴょん、てか、お前は誰だぴょん!?」

 

 痛みを堪えながら卯月は問う。

 

「私でありますか、私は憲兵隊所属の『あきつ丸』と申します」

「あきつ丸、憲兵隊!?」

「今日は高宮中佐の要請により、貴君に質問をしにきたであります」

 

 あきつ丸の言葉は、ほとんど卯月には聞こえていなかった。拷問部屋に憲兵隊の兵士。拷問されるのだと、卯月はパニックに陥る。拷問される理由にまったく心当たりもなかった。

 

「どうしてだぴょん、中佐はなんで、それにうーちゃんは──」

「卯月どの卯月どの卯月どの、これはまだ、『質問』であります。まだ、ではありますが」

「ま、だ?」

「そう、これが『拷問』に転じるかは、卯月どの次第であります。質問はあきつ丸の問いの後、受けるであります。なぁに簡単な質問でありますよ」

 

 卯月はコクコクと頷いた。これで反論すれば本当に拷問が始まると思った。

 

「卯月どのは、さっきまでなにをしてたでありますか?」

「さっき……戦艦水鬼を沈めるために、金剛たちと出撃してたぴょん」

「具体的に、どこまで覚えていますか」

「えっと、輸送艇から降下して、水鬼と遭遇して……遭遇、して……?」

 

 そこで、記憶がパッタリなくなっていた。

 

「そこまででありますね?」

「うん、そうだぴょん」

「一切覚えていないで、ありますね?」

「だからそうだぴょん」

 

 何度も同じことを言わせないでほしい。記憶はないが、戦いはちゃんと終わった筈だ。そうでなければ前科戦線に帰還できていない。

 

「では、卯月どのは、金剛どのや不知火どのを襲ったでありますか?」

「ありえないぴょん」

「そうですか、そうでありますか」

 

 冗談にしても趣味が悪い。卯月はあきつ丸を睨んだ。卯月が深海棲艦に対して覚える感情は全て悪感情だ。

 

「質問は以上であります」

「じゃぁまず、目隠しをとるぴょん。辛いぴょん」

「了解であります」

 

 あきつ丸は素早く卯月の目隠しを取った。拘束は取らなかった。卯月は首を傾げた。

 

「なんで拘束を解かないぴょん?」

「色々あるのであります」

「……てか、なんで中佐や不知火がいるぴょん?」

 

 拷問室にいたのは、あきつ丸だけではなかった。高宮中佐や不知火もいる。三人が卯月を見ていた。

 

「偶然では、なさそうですね」

「なんの話だぴょん? ところで水鬼はどーなったぴょん? ちゃんと沈めたのかぴょん? ちゃんと話して欲しいぴょん」

 

 恐らく、初手で敵の攻撃を喰らって気絶したのだろう。情けない話だが、そうでなければ記憶はなくならないだろう。でも金剛や不知火たちなら、水鬼は倒してくれた筈だ。

 

「了解であります、では説明を──」

「いや、いい、あきつ丸。これは私から話さなければならない」

 

 あきつ丸を止めて、中佐が卯月の前に出てきた。妙に神妙な顔をしているのが気になったが、卯月はそれより、戦いの結末を気にしていた。

 

「中佐ー、拘束解いてぴょーん」

「言った後でだ」

「ほーいだぴょん、で、うーちゃんの記憶がない間、なにがあったぴょん?」

 

 卯月は楽観的だった。もしくは本能的に深く考えることを避けていたのかもしれない。

 

 話せば、卯月の精神が持たないのは、誰の目にも明らかだったから。

 

 高宮中佐は、()()を話した。

 

 

 *

 

 

「…………え?」

 

 卯月は半笑いのまま、硬直していた。

 

「あ、はは、冗談上手いぴょん。でも言っていい冗談があるぴょん」

「事実だ、お前は突如我々を裏切り、水鬼に──」

「それ以上は卯月も怒るぴょん! 『卯月』を侮辱しないでほしいぴょん!」

 

 卯月は怒り狂う。しかしその顔からは、脂汗が大量に流れている。本能ではもう、分かりつつある。

 

「よく思い出せ、冷静に、一つずつ」

 

 高宮中佐は、卯月の行動を全て正確に説明していた。外からの刺激に、卯月の記憶が復元されていく。

 

 まず思い出したのは、戦艦水鬼に傅いた時の記憶だった。

 

「卯月は、戦艦水鬼に、忠誠を」

「そうだ、お前は、我々を裏切った」

 

 あとは芋づる式だ。次々に記憶が蘇る。ジグゾーパズルのように埋まっていく。

 ()()()()()()()()──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()どうして忠誠を誓ったのかは経緯は思い出せない。逆に、それ以降の記憶は全て思い出していた。忠誠を誓って以降は覚えていた。

 

「え、な、なんで、嘘だぴょん、なんで、うーちゃんは……」

 

 誘惑的な暴力衝動に呑まれ、それの赴くまま仲間を殺そうとしたこと。裏切った瞬間、心の底から悦んでいたことも。全員を殺す気だったこと。すべて自分が望んだ行動として、実感を伴って覚えていた。

 

 どうして、そんなことを望んでしまったのか、理解ができなかった。望むはずがないのに、あの時だけは、戦艦水鬼にために尽くすことを心から望んでいた。

 

 わたしが、みんなを殺そうとした。

 

 後悔と罪悪感に、卯月は震えだす。

 

 だが、事はそれだけでは終わらない。

 

「卯月どの、気づきませんか?」

「き、気づく? なにを?」

「同じく、記憶がなぜか消えている。そういう出来事を、卯月どのは経験していることに」

 

 卯月は、気づいてしまった。

 

 高宮中佐から言われるまで、卯月は造反の記憶を失っていた。裏切っていた間の記憶だけ、すっぽりと抜け落ちていた。

 

 神鎮守府にいた時と同じだった。

 初陣した時も、同じように記憶がなくなっていた。

 

 それが意味することとは、つまり。

 

 初陣の直後記憶をなくした間、卯月がしていたことは、今回と同じように。

 

「ね、ねぇ、中佐……うーちゃんの初陣と、今回のは似てるって……出撃した後の記憶がないことが」

「そうだな、聞いていた」

「でも、記憶はないけど、その間に起きたのは……冤罪だよね。なんども、冤罪って聞いたぴょん。うーちゃん、嘘は嫌いって言ったぴょん……中佐、うーちゃんが、神提督の鎮守府を襲ったのは、大本営が被せた『冤罪』だよね? 嘘じゃないよね?」

 

 卯月は涙目だった。震えた声で中佐に問いかける。水鬼に忠誠を誓ったのは真実だ。しかし神鎮守府を襲ったのは冤罪だ。何度もそう聞いた、卯月はそう信じていた。

 高宮中佐は少し目を閉じる。

 そして目を開くと、いつもと同じ、淡々とした口調を意識して──告げた。

 

「あれは嘘だ」

 

 愕然と固まる卯月へ、高宮中佐は冷静さを取り繕う。

 

「じゃあ、神提督を、菊月を、みんなを、こ、殺した奴って、まさか、まさか……!?」

 

 心が壊れていく。怒りではなく、純粋な絶望で。高宮中佐はそうなることを察してた。その上で目的のため、告げた。

 

 

「鎮守府を襲撃したのは、間違いなくお前だ」

 

 

 その一言をトリガーに、あの日の記憶が蘇った。

 

 

 *

 

 

 卯月の目の前に広がっていたのは、死体の山だった。

 初陣に付き合ってくれた、仲間たちが死体になって転がっていた。

 その中には菊月もいた。卯月の主砲から煙が出ている。殺したのは卯月自身だ。

 

「ドウダ、仲間ヲ殺シタ気分ハ?」

「……最高の気分だぴょん、こんな幸せな気持ちは始めてだぴょん」

 

 しかし、後悔も罪悪感も湧かない。禁忌を犯したことへの背徳感に、卯月の口角は自然と緩んでいく。両手で体を抱え込み、全身を走る快楽に震えていた。

 生まれ変わってしまった、変わっちゃった。楽しくて仕方がない。

 

「卯月、神躍斗ノ所ヘ案内シロ」

 

 泊地棲鬼の声に、卯月は顔を上げる。

 顔を見た瞬間、卯月の胸はときめいた。天に昇るような尊敬の気持ちが溢れ出す。卯月はとびっきり甘い声で返事をする。

 

「はぁーい、了解ぴょん!」

「ククク、遂ニ、コノ時ガ来タ」

「うひひ、楽しみだぴょん、きっとビックリするぴょん」

 

 泊地棲鬼と一緒に行動している。そのことが嬉しくて仕方がなかった。好きな人と一緒にいれば、それだけで楽しくなれる。同じ感情を卯月は泊地棲鬼に対して抱く。また、泊地棲鬼に貢献できている事実も、悦楽に繋がった。

 

「視えました、あれが鎮守府だぴょん!」

「アア、ソウダナ。間違イナク、神躍斗ノ鎮守府ダ。ヨクヤッタ」

「あはっ、うーちゃんも嬉しいぴょん」

 

 本来鎮守府というものは、高度な術式によって守られている。深海棲艦に位置を悟られないような工夫がされている。

 しかし、内通者に案内されれば意味がない。卯月の案内によって、泊地棲鬼たちは容易く、神鎮守府へ雪崩れ込んだのだ。

 

 突然の襲撃に、対応できる者は誰もいなかった。泊地棲鬼と空母群が放った空襲に、鎮守府の建物が次々と破壊されていく。上陸されたことで、深海の呪いが急速に浸食していく。基地はあっと言う間に真赤に染まった。

 

 混乱と浸食で、碌に動けない艦娘たちは、格好の獲物だ。

 

「どうしたぴょん、反撃しないぴょん? うーちゃんを撃てないかぴょん、うひひ、バカな奴等だぴょん」

 

 深海棲艦に混ざり、卯月は次々と艦娘を虐殺していった。直接主砲で撃つだけではない。動けなくなった艦娘を見れば、口に魚雷を捻じ込んだ。手足を一本ずつ引っこ抜いたりしながら。卯月は殺戮の快楽に打ち震える。

 

「ああ、気持ちいいぴょん……」

 

 爆発と砲撃に、血しぶきと内蔵のシャワーが降り注ぐ。卯月はそれを全身で浴びながら、夢心地で呟く。

 

「もっともっと殺すぴょん! うーちゃんを楽しませろぴょん!」

 

 卯月が一歩歩くごとに、新しい死体が増えていく。卯月自身が増やしていく。

 背徳感が止まらない、こんな気持ちの良いこと、止められるわけがない。楽しくて仕方がない。

 

 新しいおもちゃを見つけた子供のように、色々な殺り方を卯月は堪能する。主砲で全身をバラバラに砕き、素手で顔の皮を剥ぐ。気絶した駆逐艦を叩き起こし、仲間を撃つように無理矢理脅して、最後はどっちも殺した。

 

 死体の顔はどれも、無念と絶望に染まっている。卯月はわざわざ近づき、その顔を力いっぱい踏み抜いた。そうすると、その艦娘の全てを壊した気分になれた。深海棲艦らしさが高まり、気分が高揚していくのが自覚できた。

 

 艦娘だけではない。卯月は鎮守府そのものも破壊していく。かつての自分が護ろうとした場所を、他ならぬ彼女ががその手で破壊していく。

 卯月の暴力衝動が満たされる。人の倫理観に縛られていたら、永遠に得られなかった充足感だ。

 

「う……卯月」

「およよ、この声は、菊月かぴょん? 死んだフリでもしてたかぴょん?」

「どうして、こんな、ことを」

 

 菊月は一度、他の出撃メンバーと一緒に殺されていた。しかし死んだフリをしてなんとかやり過ごし、鎮守府まで戻ってきたのだ。

 だが圧倒的戦力差になにもできなかった。他の深海棲艦に撃たれたところを、卯月に見つかったのだ。

 

「どうしてって、決まっているぴょん。うーちゃんはぁ、泊地棲鬼さまの奴隷になるために、生まれてきたんだぴょん」

「嘘だ……そんな馬鹿なことが」

「へっへー、じゃーあ、証明してあげるぴょん!」

 

 卯月は、菊月の首筋へ主砲を当てた。

 

 恐怖と絶望に塗られた顔に、卯月の興奮は最高潮を迎える。

 

「う、卯月……」

 

 助けを求める手ではなく、姉の凶行を止めるように、菊月は手を伸ばす。卯月は煩わしそうに、その手を押しのけた。

 

 主砲のトリガーを引いた。

 

 菊月の顔が千切れ飛ぶ。爆風にぐちゃぐちゃになった体も飛ばされて行き、菊月の顔と体は海中へ落下した。

 凄い面白い死にざまだ。おかしくって、卯月は腹を抱えて笑う。

 

 地べたに転がる死体を蹴り飛ばしながら、卯月は奥へ進む。鎮守府にいる奴は皆殺しだ。内部構造を知っていた卯月は、容易くシェルターな内に侵入した。そこに立て籠もる()()の姿を一瞥する。

 

 護るべき対象、艦娘という存在を作った人達。

 

 殺すと気持ちよくなれる、肉塊だ。

 

「ただいまー、アーンド、さよならぴょーん!」

 

 卯月は躊躇なく、人間も撃ち殺した。艦娘よりも遥かに脆く、死体は簡単に破裂して千切れ飛ぶ。阿鼻叫喚と化し、逃げ惑う人間たちを、群れた深海棲艦が食い殺していく。

 

「うふふ、深海棲艦の餌になれるなんて、お前達には勿体ない死に方ぴょん」

 

 きっとあの世でむせび泣いていることだろう。もっと虐殺をしたい。そう思いながらシェルターから出た時、遠くで主砲を乱射する泊地棲鬼が目に入った。

 

「ソコカ、逃ガサン」

 

 泊地棲鬼は、神提督の元へ走り出した。卯月はシェルター内に提督がいなかったことに気づいた。提督が死ぬところを見逃すわけにはいかない。卯月も慌てて走り出す。さすがの速さに中々追いつけない。

 

「ま、待ってくださいぴょーん!」

「見ツケタゾ」

 

 強大な主砲が、バリケードを破壊する。その先にいたのは神提督と間宮だった。

 

「君は……」

「是非モナシ、此処デ沈メ!」

「お世話になりましたっぴょん!」

 

 泊地棲鬼が主砲を撃つと同時に、卯月も主砲を撃った。

 神提督を間宮が身を挺して庇う。泊地棲鬼と卯月、二人分の砲撃に間宮の体が砕け散る。部屋が鮮血で染まる。

 後ろにいた神提督も、衝撃波に耐え切れず、全身から血を噴き出した。

 

「泊地棲鬼さまに出会うまで、うーちゃんの面倒を見てくれて、ありがとうだぴょん」

 

 泊地棲鬼と一緒に、卯月が二射目を撃とうとした時、救援の艦娘たちが雪崩れ込んできた。その内一人の攻撃が卯月に直撃する。

 

「なんで、艦娘が!?」

「後回しだ、まずは提督と間宮を!」

「クソが、邪魔な連中ぴょん!」

 

 最悪だが、どうとでもなる。卯月は救援も殺し尽そうと、主砲のトリガーを引こうとして──その場に倒れた。

 

「え?」

「チッ、仕留メ損ネルトハ!」

「ちからが、抜けて」

 

 泊地棲鬼はその場から撤退していった。無事なことは嬉しいが、わたしはどうなる。なんとか立ち上がろうとした瞬間、増援の艦娘の攻撃が殺到した。

 

 卯月は意識を失った。

 

 

 

 

 その後卯月は回収され、『造反』の容疑で解体を言い渡されたのであった。

 

 造反は冤罪ではなかった。

 

 卯月は間違いなく、前科持ちだった。



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第53話 装置

 卯月は、思い出した。

 戦艦水鬼に忠誠を誓い、殺そうとした記憶を。

 だがそちらは、まだマシだった。結局のところ、誰も殺さずに済んだのだから。

 

 しかし、もう一方は。

 

 神提督や間宮に重傷を負わせ、仲間を虐殺し、鎮守府を壊滅させた記憶は。マシなどでは済まされない。

 

 今の今まで完璧に忘れていた反動が、卯月に襲いかかる。

 

「卯月が、う、卯月が……みんな、を……?」

 

 目の焦点が合っていない。身体がガタガタと震え、卯月は歯を打ち鳴らす。息ができず、過呼吸のように喘ぐ。あまりのショックに、卯月の精神は崩壊寸前に追い込まれた。

 

 頭のなかで、狂った自分の矯声がリフレインする。仲間の断末魔が響き続ける。耳を塞ぎたいが、卯月はまだ椅子に拘束されたまま動けない。

 

「嘘だ……う、嘘……なんで、卯月は、提督、を」

 

 卯月は、悪夢を振り払おうと、全身をかきむしろうとした。肌を傷つけ、血が溢れだすほどに。自分で自分を痛めつけようとする強迫観念が芽生えていた。

 

 そうなるから、高宮中佐たちは卯月を拘束していた。暴走した時の保険的意味合いもある。おかげで卯月は、自分を傷つけないで済んでいた。

 

 それでも、自傷行為への衝動が止まらなかった。

 卯月はからだを捩りながら暴れる。拘束具に肌が何度もこすれ、そこが赤く擦れていく。手首からは僅な血が流れていく。

 

「落ち着いてください卯月さん、暴れないで」

「う、うう……みんな、て、提督……!」

「卯月さん、しっかりしてください!」

 

 見かねた不知火が強く呼び掛けても、卯月には届かない。罪悪感と怒りでなにも聞こえない。

 

 今の彼女は、殺意に溢れていた。

 

 自らに対する殺意だ。

 自責の念が止まらない。いつも深海棲艦に抱いていた怒りを、自分自身に向けていた。けれども拘束具のせいで、自殺はできない。

 

 なぜ自殺させてくれない。

 

 卯月は一瞬、高宮中佐たちに殺意を抱いた。

 

 卯月の意思に呼応するように、また幻覚が見えた。

 紅潮した顔つきで、戦艦水鬼と泊地棲鬼に、中佐の首を捧げていた。誉められた時、幻覚の卯月は幸せそうだった。

 

「い、嫌ぁ!? 止めて、やだっ、こんなの……違う、卯月は、卯月、は……」

 

 また心が壊れていく。

 卯月は、泊地棲鬼の断末魔の真の意味を理解した。復讐の先にあるのは駆逐棲姫でも戦艦水鬼でもなく、卯月だったのだ。

 

 気づかなかった自分が許せない。忘れていた自分が許せない。以前敵は絶対に許さないと誓った。その誓いは今、卯月を殺そうと責め立てている。

 

 だが卯月は、必死で正気にしがみついていた。

 

「卯月さん、貴女は悪くないんです!」

「……し、知って、ます」

「え?」

 

 その気になれば舌を噛みきることができる。そうしなかったのは、自分が無実だからだと考えていたからだ。

 

 自分のせいだと完全に認めたら、心が砕けると察しているからだけではない。

 冷静に考えて、異常な何かが起きたのが、暴走の原因だと卯月の()()は考えていた。罪悪感で壊れそうだが、一方で冷静な部分も残っていた。そこが卯月を、正気に繋ぎ止めている。

 

「卯月じゃない。卯月は、あ、あんなこと、絶対にしません……だから、あれは、う、卯月じゃない、別の誰か……です」

「そうです、卯月さんは無実です。あの暴走は、『敵』の攻撃によるものです」

「だよね、『敵』がいるんだよね……誰が、やったんだ」

 

 それでも、卯月の精神は憔悴している。頭は無実だと考えていても、実際自分がやったものとして、造反の記憶は残っている。()()()()()()()という実感は消えない。

 無実と不知火が言っても、罪悪感は消えはしない。仲間を殺めた触感に催した吐き気を、必死に卯月は堪え続ける。

 

「中佐は、知ってるんですか……『敵』が、誰なのか」

 

 掠れて消えそうな声を、卯月は搾り出す。確証が欲しかった。『敵』がいるという確証が。わたしの意志ではないという証明が欲しかった。高宮中佐は卯月を見下ろしながら、背中を向ける。

 

「ああ、知っている」

 

 その一言に、卯月は眼を見開いた。

 誰かが、わたしを狂わせた。仲間を殺すように仕向けた奴がいる。狂気を孕んだ激情が膨れ上がる。圧し掛かった罪悪感に比例するように、敵への怒りが暴れ出した。

 

「誰、誰なんですか! 誰が卯月にこんなことを、こんな、屈辱を! 早く教えて!」

「まずは、その口を閉じてからだ、分かるな卯月」

「う、うぅ」

 

 高宮中佐の勿体ぶった言い方に、卯月は苛立ちを募らせる。自我が崩壊しそうな罪悪感と、理性が焼き切れそうな怒りが同時にぶつかり合う。早く『敵』を知って、怒りで心を埋め尽くしたい。そうしないと、自責の思いで潰れそうだ。

 

 卯月は歯を食いしばり、唸り声を上げながら、全部を堪える。罪悪感に潰れるなんてあり得ない。だが『敵』が誰なのか知らずに、怒り狂うのはカッコ悪すぎる。せめて、知るまでは壊れたくない。

 

「説明は、上の工廠で行う」

「拘束具は、つけたままにしてください。どうなるか、卯月も分からないんです」

「ああ、そうしよう。不知火、卯月を」

 

 拘束具をつけたまま、車椅子で運ばれていく。

 暴走したのは敵の策謀である。しかし原因は分からない。今の卯月は、なにを切っ掛けに爆発するか分からない不発弾だ。怒りが抑えられず暴れ回るか、再び堕ちるのか。そうでなくても罪悪感で自傷行為に走るか。なんにしても拘束は必須だったのだ。

 

 

 *

 

 

 拷問部屋のある地下エリアから地上へ出る。外はまだ真っ暗だった。戦艦水鬼と戦った時は昼間。まだそんなに時間は経っていないと、卯月は勘違いをしていた。実際はそんなものではなかった。

 

「四日後です」

「よっか!?」

 

 不知火に撃破されたあと、四日間に渡り昏睡し続けていたのだ。卯月は愕然とする。どうしてそんなに。

 

「半年間昏睡していた時よりマシです」

「いや、そ、そうだけど……」

「暴走した後の卯月さんの体内は大破同然の状態でした。入渠が遅くなっていれば、また半年間昏睡してたでしょう」

 

 どうしてそんなにボロボロになってしまったのか、心当たりはあった。堕ちていた時、限界以上の力を出せていた。あれは本当に、卯月の身体の限界を超えていたのである。結果身体が追いつかず、過度な負荷に体内組織が壊れてしまったのだ。

 ただの暴走では、こうならないだろう。いったい何があったのか、これから分かる。卯月の息が荒くなっていく。

 

「北上さん、いますか!」

「いるよー、準備もできているよー」

「失礼します」

 

 工廠の奥に、高宮中佐やあきつ丸が入っていく。卯月と不知火もそこへ続く。

 最深部の小部屋中央には、卯月の艤装が置かれていた。無数のコードが機材へ繋がり、様々なデータがモニターに表示されている。

 

「……まさか、艤装?」

「お、勘が良いねぇ」

「いや、この状況なら普通そう思います」

「……語尾変わっているし」

 

 北上の感想はともかく、さすがに勘付く。

 卯月は、工廠と中佐が言った時点で、機械関係のなにかだと考えていた。そして露骨に鎮座されている艤装を見て、ほぼほぼ確信したのである。艤装のどんな話かは、あまり分かっていなかったが。

 

「卯月、あんた、神鎮守府のところで艤装の構造は学んだ?」

「え、はい、まあ……少しだけですけど。最低限の整備は、できるようにって」

 

 工作艦や整備士が主に調整するのは当然だが、さすがに単独でなにもできないのも問題だ。どの鎮守府でも一般教養として、自分の艤装のメンテナンスぐらいはできるように教育がされる。一ヶ月しかいなかった卯月も例外ではなかった。

 

「なら見れば分かるでしょう、ホイ」

 

 北上は艤装に機材を取り付け、それをパソコンへ繋げる。スクリーンに卯月の艤装の内部構造が表示された。

 パッと見普通の艤装だ。動力源や艦娘との接続回路、弾薬庫や妖精さんの活動領域。そして中枢であるコアブロックなどだ。

 

「これは?」

「良く見て、コアブロック周辺を」

「えーと、コアは」

 

 さすがに、自分の艤装の内部構造は知っている。コアブロックもすぐ見つかった。普通の構造をしているだろうと、卯月は思っていた。

 しかし、卯月の艤装は、普通では無かった。

 

「え、なに、これ」

 

()()()()()()、存在していた。

 

 研修や勉強で、戦艦や駆逐艦など、一通りの艤装は見た。ざっと学んだだけなのでうろ覚えだ。それでも異常だと分かった。

 

 素人の卯月でも分かるのである。かなりの異常だった。

 こんな機構は知らない。なんの為の装置か、内部構造も良く分からない。得体の知れない機構が、コアブロックと同化する形で内包されていたのである。

 

「これが、中佐の言っておられた物でありますか」

「あれ、あきつ丸さん知らなかったの?」

「当然でしょう、あきつ丸が此処に着いたのは、夕刻頃でありますよ」

 

 彼女たちはほとんど耳に入っていない。卯月は正体不明の機構を凝視する。

 

 直感的に分かった。この機構が、私を狂わせたのだと。

 

「これが、こいつが……!?」

 

 これが、艤装でなかったのなら、卯月はすぐさま小部屋へ突撃していた。そして暴走の原因を徹底的に破壊し尽くしていた。それだけの怒りが蓄積されていた。到底理性で抑えられない、自分を壊すかのような激情だ。

 

 しかし、艤装を壊したら、卯月は戦えなくなる。また都合良く、代えの艤装を回収できる保証もない。堕落の原因はあるのに破壊できず、卯月は唸り声を上げる他ない。拘束されているので、暴走は元々できない訳でもあるが。

 

「もはや分かるだろう、そう、『ブラックボックス』だ」

 

 卯月自身の艤装を封印し、代わりに菊月の艤装を使わせていた理由が、このブラックボックスだった。

 

 

 *

 

 

「全ての嘘は、このシステムを調査するためにあったものだ」

 

 高宮中佐は、そう前置きをして語り出した。

 

「半年前のあの日、我々は上からの命令に従い、お前を強奪する極秘任務を負った。それと同時に、『艤装』の回収任務も命じられた。お前の解体が決まった時点で、艤装も破棄される予定だった。それを強硬手段で回収したのだ」

 

 卯月を護送していた解体施設行きの護送車は、不知火の襲撃に合った。それより少し前に飛鷹が破棄されかけていた卯月の艤装をこっそり回収したのである。無論非合法な方法だ。しかし高宮中佐は、非合法な命令を遂行したのだ。

 

「どーして、卯月を……」

「その時は我々にも分からなかった、なぜズブの素人を、危険まで冒して回収しなければならないのか。第零特務隊にスカウトしなければならなかったのか。だがその答えは、艤装を調べた時に分かった」

「ブラックボックスが、あったからですか」

 

 極論、卯月に用はなかったのだ。だが艤装を動かすには、『卯月』が必要だった。ただそれだけの話なのである。

 

「半年間、お前が昏睡状態の間、我々はこのブラックボックスの解析を試みた、が……」

「が?」

「正直に言うと、ほぼ分からなかった」

「オイ」

 

 半年間かけて分からないのかよ。卯月は文句を言いそうになる。しかし、分かっていれば、今回のような暴走は防いでいた筈だ。分からなかったから、こうなってしまった。第一悪いのは『敵』だ。卯月は文句を我慢する。

 

「分かったことに一つは、これが一種の──それが本質なのかは分からないが──強化システムだということだ」

「強化システム?」

「卯月、はい、こっち見てー」

 

 北上が指差す方には、艤装の稼働状態を表すデータが写っていた。出力や色々なステータスが、相対的に出されている。

 片方は『作動前』、片方は『作動後』と書かれていた。

 データは、『作動後』の方が全てにおいて上だった。ブラックボックスの作動前後で、艤装の出力が跳ね上がっていた。

 

「ブラックボックスで強化されるのは艤装だけじゃない、卯月もだったの。身体能力、反応速度、全部が……ざっとでも、3、4倍まで跳ね上がってた」

「そんな……ん、待って、そのデータはいつ取ったの」

「あ、ごめん。戦艦水鬼と戦った時にとったの」

 

 卯月に無断でデータ収集用の機械を仕込んでいたのであった。ブラックボックスの調査のためと言われたら、文句は言えないが。卯月は若干微妙な気持ちになる。パシンと教鞭を叩き、中佐が説明を再開した。

 

「データを取る前から、強化システムだというところまでは分かっていた。今回ので裏付けもとれた」

「そう、でもどうやって強化されるの」

「それが問題なのだ、根本的なところは、まさにそこだ」

 

 艦娘を強化するブラックボックス。しかしその正体は、誰が聞いても危険視するパンドラの箱だった。

 

「深海棲艦のエネルギーを取り込むことで、艦娘を強制的に強化するシステムだったのだ」

「なっ……!?」

「だが、それと連動して、心までもが深海の意志に呑まれる。それが、お前が暴走した原因だったのだ。もっとも、強化システムの欠陥として洗脳されるのか、洗脳の副次効果で強化されるのかは分からないが」

 

 システムがなんなのかは分かっている。しかし作られた目的は分からない。強化のためだったのか洗脳のためだったのか。

 分かっている事実は、この一つのみである。

 

「力不足で言葉もないが、半年間かけて分かったのはこれだけだ。いかなる手段を用いて、深海のエネルギーという不確実なものを取り込んでいるかも分からない」

「なんでなんですか、やる気あるんですか」

「卯月さん、その言い方はなんですか!」

 

 感情がぐしゃぐしゃで、何に対しても苛立ちやすくなっている。敵でもないのに、中佐に対しても物言いがとげとげしくなってしまう。あんまりな言い方に、不知火が卯月を睨み付けたが、中佐が制止する。

 

「ああ、言い訳をする気はない。だが……お前が昏睡している間、このシステムは一度も起動できなかったのだ。ずっと沈黙を続けてきたせいで、内部解析が進まなかったと言う一因があるのは理解したまえ」

 

 それでも苛立ちはあるが、卯月は中佐の言葉で引き下がった。艤装に全然詳しくないのは自分も同じだ。自分ができない癖に文句を言うのは間違っている。むしろ深海のエネルギーを取りこむと分かっただけでも御の字なのだ。

 

 その時、卯月は、あることに気づいた。

 ブラックボックスを仕込んだ誰かが、『敵』だ。それは間違いない。しかし問題がある──いったいどうすれば、()()()()()()()()()()()()()()。艤装をいじくり回せるタイミングなんて、限られていると言うのに。

 

「……え、これ、どこで?」

「簡単だ、艤装をいじるのに、一番適した場所は何処だ」

 

 卯月の顔に、ぶわっと脂汗が噴き出した。深海棲艦による攻撃だと思っていた。だが、この場合、敵の正体として可能性が高いのは。

 

「他の可能性もあるが、我々はこう考えている」

 

 そしてここから、卯月と前科戦線の、真の戦いが始まるのである。

 

 

 

 

「敵は、神提督の鎮守府にいた、誰かだ」



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第54話 危機

しばらく説明回。次回までには終わらせないと……


 ブラックボックスによって暴走したと知った卯月。しかし、艤装にどうやって仕込んだのかという問いかけをした時、高宮中佐はどんでもない答えを言ったのであった。

 鎮守府内にいた、誰かだと。

 しばし、口を上げて呆然とする。卯月はその意味を理解した瞬間、叫びだした。

 

「がぁぁぁぁっ! 誰だ、敵はぁぁぁぁ!」

 

 罪悪感で苦しんでいた時とはまったく違う。『敵』に対する激しい怒りで、卯月は暴走してしまった。

 

「卯月さん?」

「殺すっ、殺させろ、誰が神提督を、殺そうとした!? わたしを嵌めたのはどこのどいつだ、身体中引き裂いてやるっ!」

 

 ただ、怒り狂っているのとは違った。

 充血した目は深海棲艦のように真っ赤になり、焦点が全く定まっていない。拘束しているロープを千切りそうな勢いで、卯月が暴れ回る。食い縛った歯からは、何度も亀裂の走る音がした。

 

「落ち着け卯月、話は終わって──」

「落ち着けるかこれが! クソが! 深海棲艦め、よくも……害獣どもが! 死ね! 死ねよ! とっとと全滅しろ! させてやるっ!」

「聞こえないのか、落ち着け!」

 

 高宮中佐は呼びかけて来るが、卯月には全く届かない。むしろ、ただ煩わしいだけのノイズとして認識されていた。

 

 敵が、誰かは分からないが、深海棲艦なのは確かだ。

 陰湿さに吐き気がする。狡猾さに胃がよじれてくる。自分でも信じられないほどの怒りが噴き出していた。今まで感じた中でももっとも強い、怒りの炎だ。

 

 脳裏に、仲間の悲鳴が響き渡る。死ぬ瞬間の顔がこびりついて離れない。全ての記憶が、思い出が、卯月を憎悪へ駆り立てる。ベキベキと心が焼け落ちていく気分だ。理性で抑えられるレベルを超えている、怒りで全部が埋め尽くされる。

 

「拘束を解け、殺させろ、殺させろ殺させろ殺させぉぉぉぉ!」

「するわけがないだろう、今のお前を」

「うるさいんだよ! ジャマするのか!? 敵か!? 害獣どもの仲間だったのか!? そっかだからジャマすんだな、死ね、殺してやる!」

 

 何もかもが憎しみに染まっていく。そんなこと思う筈がないのに、今の卯月にはそうとしか思えなかった。強過ぎる怒りは深海棲艦だけに留まらず、自分以外全ての存在に飛び火する。敵を根絶やしにしなければ収まらない怒り。それを邪魔する存在も例外ではなかった。

 

「殺す? 誰が、誰を」

「卯月が、お前を、中佐を! ……中佐、を……?」

「それは、お前が後悔している行動だろう」

 

 だが、中佐に言わされて気づいた。中佐を殺すことは、神鎮守府の仲間を殺したことと、全く同じであることに。

 

「あ、あぁ……う、卯月は、なにを……!?」

 

 怒りの感情は一切落ち着かなかった。理性を焼き切りそうな憎悪は止まらない。なのに、同時に罪悪感までもが噴出してきた。

 中佐を殺した自分の姿が垣間見える。無念の顔で、動かない瞳孔がこちらを見つめていた。

 

「嫌! 違う、卯月は、そんなの、そんな、つもりはぁ!?」

 

 大切な人を、殺そうとした。実際はしてないが、錯乱した卯月にはそうとしか思えなかった。だけど中佐は、復讐を邪魔しようとした憎い敵だ。

 違う敵じゃない、でも邪魔をしている。憎いのに、殺してしまった。分からないなんで殺したんだ、恩人なのに、どうして、私は。

 

 憎しみと罪悪感が同時に沸いたことで、二つの感情が真正面から激突し合う。矛盾する感情に卯月は一瞬で錯乱し出した。死んでいないのに、中佐を殺したと思い込んでいる。みっともない自分の姿、そして中佐を殺した自分。

 怒りの矛先と、自責の念が、卯月自身へ向けられた。

 

「卯月さん、死んでいません! 拘束されている状態で、どう殺したっていうんですか!」

「ううう……卯月、は、が、殺して……?」

「前を見てください、あそこにいるのは中佐です、死んでいないでしょう」

 

 涙で紅く腫れた顔を上げると、無表情でこちらを見つめる高宮中佐の姿が見えた。

 死んでいない、邪魔者が、殺さなければ。

 だが、それでも一度沸いた怒りが止められなかった。卯月はまた唸り声を上げながら、錯乱し苦しみ続ける。

 

「……酷いな、これは」

 

 深海棲艦への怒りが限界を超えている。それだけならまだ殺戮マシンとして使えたが、同時に罪悪感まで沸いている。

 

 高宮中佐たちは、嘘を言っていないところもあった。

 それは卯月が始めて暴走した時の説明だ。トラウマを刺激されたことによる、防衛的な攻撃行動ではないかと。トラウマを遠ざけようと過度に攻撃的になっていると。恐らくそれは正しかった。

 

「うぅー……うー……」

「そう、ゆっくり息をして、少しずつ、落ち着いて……」

「う、卯月は……なんで……」

 

 しかし卯月の精神構造は、見た目相応の物である。例えそれが敵の策謀だとしても、仲間を自分の手で殺した罪悪感は、絶対に消すことはできない。敵が憎いが、敵は卯月でもある。矛盾した構図に精神が耐えれていない。

 

 本来なら、メンタルケアのできる施設で、治療してもらうのが先決だ。だが高宮中佐にとって、それはもっとも愚かな選択肢だった。

 例え更に壊れようとも、何度も錯乱し発狂しようとも、前科戦線で戦って貰わねばならない。目的のためにも、卯月の安全のためにも。

 

「不知火」

「はい、いかがされましたか」

「卯月は今後、何度も錯乱するだろう。襲撃事件や、敵のことについて触れる度に、剥き出しの地雷を踏み抜くように──怒りと罪悪感で暴走するだろう」

「ええ、不知火に任せてください。中佐の手は煩わせません」

「そうしてくれ」

 

 不知火は中佐の意図を汲んで、先に返事をする。その会話が終わるころには、卯月の発作はかなり落ち着いてきていた。怒りによる暴走な分、落ち着くのも割と早いのである。その分短期間の負荷が激しい訳だが。

 

「ご、ごめんなさいだぴょん、説明を中断しちゃって」

「構わない、だが今言っておくが、今後お前は、その感情に否応なしに付き合わなければならないだろう。それは覚悟しておけ」

「了解ぴょん、なんとかカッコ悪いトコは見せないよう、頑張るぴょん」

「折を見て、他のメンバーにも事情は説明しておこう」

「申し訳ないぴょん……」

 

 今までも激昂して暴走しかけることはあったが、ここまで酷くはなかった。こんなにも酷くなるとは、全部敵のせいだ。

 と思った途端、また激情が噴き出しそうになった。卯月は慌てて首を横に振り、敵のことを頭から叩きだす。重症だった、怒りを抑えておく理性の蓋が、ボロボロに焼け落ちてしまったようだ。

 

 それでも、その感情を捨てたり否定する気は全くなかった。誰が何と言おうとこの怒りは『正当』だからだ。正しい怒りをなぜ否定しなければならないのか。罪悪感もそうだ。それは私が人らしい心を持っている証明に他ならない。

 

 何度も何度も発狂するだろうが、感情を否定はしない。それは『卯月』らしくない行為だと、卯月は誓う。

 

「話を再開してほしいぴょん」

「良いんだな?」

「が、頑張るぴょん」

 

 そうとしか言えないのである。また錯乱したら、不知火とかに助けてもらう。申し訳ないとか思うと罪悪感が噴出するので、気にしないようにした。

 

 

 

 

 話を元の内容が戻る。中佐が言っていた言葉を、卯月は改めて問い直した。

 

「それで、敵が、神鎮守府にいるってどういうことだぴょん。深海棲艦じゃないのかぴょん」

 

 ブラックボックスを仕込んだのは、深海棲艦だと卯月は考えている。深海棲艦でなければ、深海のエネルギーを取り込むシステムなんて、作れるとは思えなかったからだ。しかし中佐は首を横に振る。

 

「確かに、深海棲艦が黒幕である可能性はある。深海のエネルギーを取り込む方法、お前の暴走、お前が泊地棲鬼に従ったこと。全て人類を窮地に追いやっている。深海棲艦の『侵略』の一環と考えるのも、不自然ではない。だが」

「だが?」

「いずれにせよ、実行犯は、鎮守府内部にいなければおかしいのだ」

 

 その内容に、取り敢えず卯月はホッとした。まさか黒幕が──『人間』だったら、もう最悪だったからだ。

 

「艤装に対して、鎮守府の()でシステムを組み込める可能性はゼロではない。ドロップをおこす前のイロハ級に組み込む。ドロップ艦を強奪して組み込んだ後放流する。出撃していた艦娘を拉致して組み込んで流す方法。もしくはそのどれでもない、我々の予想だにしない手法。できなくはないが、どれも運任せだ」

 

 イロハ級に仕込んだとて、必ずドロップをおこすとは限らない。

 ドロップ艦を待つにしても運要素が強い上、ドロップは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、かつ()()()()()()()()()()()()()()()()()()。つまり深海棲艦は殲滅され、艦娘しかいない特殊な状況(A勝利以上)でしか発生しないのだ。そんな状態で攫えるとは思えない。

 出撃していた艦娘を拉致して送り返したとしても、帰還時に精密検査が行われる。その時気づいて当たり前だ。そもそも、卯月はあの暴走が初陣である。その時点でこの可能性は消えていた。

 

「故に、外で仕込める可能性は、かなり低くなる」

「だから、鎮守府の中だって、言うのかぴょん」

「そうだ、鎮守府の中なら、お前の艤装を狙って確実に組み込むことができる」

 

 全くもってその通りだ。卯月は納得するしかない。しかしそれでも、かなり分からないところが多くあるのも事実だ。

 

「でも、なんでうーちゃんに仕込んだぴょん」

「分からん、誰が、何の為に、何故卯月を標的にし、如何なる理由で神躍斗の鎮守府を狙ったのか……」

「いくつかは偶然じゃないのかぴょん?」

「いいや、全ての事柄には理由がある。必ずそうした理由が存在する」

 

 高宮中佐は強く断言した。言う通りだ、謎ばかりだ。この襲撃事件は何を目的にしてたのか、なにをするためのシステムだったのか。卯月も高宮中佐も、未だに分からないことだらけなのである。

 

「『敵』の正体にしても、そうだ」

「敵? 敵は深海棲艦じゃないのかぴょん?」

「いや、人間の可能性もある。むしろ人間の可能性は高い」

 

 人間が、敵って言ったのか? そんな馬鹿なととっさに否定する。人類を護る鎮守府を壊滅させて、どこの誰が喜ぶと言うのか。

 

「忘れたか、神躍斗は提督の中でも、特に上層部から目をかけられていた男だと。いわばエリート。ならば、引き摺り降ろしたいと思う人間がいても、おかしなところはない」

「嘘だ、まさか、そんな、下らないことの為に!?」

「そうだ、それが人という生物なのだ」

 

 嘘だろう──卯月はそう信じたかった。まさか、深海棲艦という脅威を目の当たりにしても、我欲に走る奴がいると言うのか。

 

「……まあ、ありえそうだぴょん」

 

 と思ったのは一瞬、卯月はすんなり納得した。

 中佐の言う通りだ、生き物はそういう風にできている。まずは自分の利益を優先させる。生き物は普通、そうできている。例え自らを犠牲にする責務を持つ軍人でも、そういう奴はいるだろう。

 

「実際は分からない。人間がシステムを仕込んだのか、潜伏していた深海棲艦が仕込んだのか。実行者に指示を出したのは人間なのか、深海棲艦なのか。実行者と黒幕が同一人物なのか……」

「でも、なんで人間の可能性が高いぴょん」

「艤装は艦娘側の技術だ、深海棲艦がそう好き勝手にいじれるものではないのだ」

 

 言われてみれば、確かにそうだった。まあ艤装に詳しい深海棲艦が居れば話は別だが。そういった個体がいる可能性は否定できない。今まで人類の前に姿を現していないだけかもしれない。結局のところ、分からないのである。

 

「人間だとしたら、容疑者はいるのかぴょん?」

「それを調べるために、このあきつ丸がいるのでありますよ」

「なるほど、てか、あきつ丸はなんで来てんだぴょん?」

「む、あきつ丸でありますか?」

 

 憲兵隊のあきつ丸はなぜこんなところに来ているのか。まさかわたしに質問する為だけに来た訳じゃないだろう。

 

「一つは、卯月殿が敵かどうかの判断です。敵だと断定した場合は、質問を拷問へ変える必要がありましたので。あきつ丸は拷問のプロフェッショナルであります」

「ってことは、うーちゃんは敵じゃないって判断したんだぴょん」

「ええ、拷問はできなくなりました。残念であります」

「おい今なんて言ったぴょん」

 

 さりげなく危険思想が垣間見えたぞ今。もし答え方を間違っていたらスプラッターな光景が広がることになっていた。卯月は今更ながらゾッとする。

 

「二つ目は、今後の対応を中佐殿と相談する為。憲兵隊としても今回の事案は、緊急事態と捉えています」

「緊急事態かぁ、まー、そうだけど」

「甘いであります卯月殿、システムの存在がどれほど恐るべきことか、理解していないであります」

「顔近いぴょん」

 

 鼻先が当たるぐらいの至近距離から、あきつ丸は顔を覗き込む。その瞳に光は無かった。闇も無かった。淵源へと続く奈落が広がっているだけだった。とても怖い。卯月は冷や汗を流しながら震える。

 

「おお、怯えているであります。愉悦愉悦」

「ねぇ中佐こいつ憲兵隊で良いのかぴょん?」

「安心しろ、味方を病院送りにはしない。せいぜい四肢と五感が一時的に無くなるぐらいだ」

「それ人間なら死ぬ!」

 

 場合によっちゃ艦娘でもショック死である。

 

「で、本当に分からないでありますか卯月殿」

 

 首を傾げる卯月を見て、あきつ丸は呆れる。気づいていないのか、精神のストレスを増やさないよう、意図して気づかないのか……どちらでも同じ。卯月も知っておくべきことだ。高宮中佐も同じ考えだった。

 

「艦娘を、突如洗脳し、暴走させるシステムが、いつ何処で誰に仕掛けられたか分からないのでありますよ。

 同じシステムを搭載した艦娘が、他にいたら?」

 

 卯月は言葉の意味を理解する。

 いつ、誰が、私のように暴走しても、おかしくない。

 全ての鎮守府が、その危機に晒されているのである。

 

「まさか、同じシステムが!?」

「そう、誰が洗脳されてもおかしくない! 常に背中から狙われているも同然、この恐怖に耐えれる艦娘は多くはありますまい。恐怖は疑惑を呼び、疑惑は敵意を呼ぶ! 互いが互いを疑う。隣人を密告し合う古き時代の再来となりて、深海どもはここぞとばかりに攻め込んで来るであります!」

「……なんか楽しそうに話してるのは気のせいかぴょん?」

「相手を陥れるのは楽しいに決まっているであります」

 

 おしまいだよコイツ。憲兵隊はもうダメに違いない。関わったらまたメンタルブレイクしかねない。卯月はあきつ丸について色々諦めた。

 バシンと教鞭を叩き、中佐がゴホンと咳ばらいをした。

 

「まあ、そんな疑心暗鬼の軍隊が機能する筈もない。システムの存在を放置しておけば、鎮守府どころか、あらゆる国家の艦娘システムが崩壊する。即ち人類の死滅だ」

「人類の、死滅……」

「そうだ、これは世界的危機なのだ。その最前線にいるのが、お前だ」

 

 高宮中佐は、教鞭を卯月へ向けた。

 

 卯月も理解した。この戦いは単に、個人的な復讐に収まっていないのだと。前科戦線が協力してくれたのは、そこに理由があるのだと。




 うーちゃんのメンタルは当分ガッタガタです。しょうがないです。

 艤装に仕込まれたシステム。解析すれば分かるけど、そもそもどのタイミングで仕込んだのかさえ分からない現状。対策らしい対策が打てない訳ですね。
 造反を冤罪と偽った理由は、次回で説明します。


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第55話 幻聴

 なんでうちのネルソンにH部隊札がついてるのん。
 ウォースパイトにもタシュケントもフレッチャーもH札なのん。これは悪夢なんな。(丁でクリアしました)。

 作者のやらかしはともかく、今回ちょっと長いです。良いところで区切れなかった。


 ブラックボックスが、卯月以外に組み込まれている可能性がある。誰が何時、どんな時に暴走するかも分からない。この事件は、ただ卯月が裏切っただけに留まらない。世界的な危機ということを、卯月は知った。

 

「そうだ、これは世界的危機なのだ。その最前線にいるのが、お前だ」

 

 高宮中佐が教鞭を卯月へ向ける。卯月はごくりと唾を呑んだ。

 

「一つだけ分かっていることがある、それは、お前の生存が『敵』にとってイレギュラーだということだ」

「卯月の、生存が?」

「お前を運んでいた護送車を覚えているな。あの護送車だが、お前を奪取した後、何者かに爆破された」

「爆破!?」

「運転手や、搭乗していた兵士は皆死んだ。解体施設へ辿り着く前に、お前は()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 まさかの情報に卯月は言葉を失う。あの時の記憶はほとんどないが、誰かが乗っていたのは感じていた。

 不条理な解体だったけど、彼らは職務を遂行していただけだ。死んでいいはずがない。誰がそんなことを。

 

「クソが、それも、敵の、陰謀かぴょん……!」

「そうだ、だから敵にとっては、お前が生きていること自体が脅威となる。卯月、お前は生きなければならない」

「うーちゃんが生きていれば、敵を追い詰められるってことかぴょん!」

 

 こうして生きているだけでも、敵は焦り追い詰められる。そう考えれば暴走しそうな怒りを多少は発散することができた。

 

「これまで虚偽を述べたのもそれが理由だ。敵を倒すためにお前を『生かすこと』。そしてシステムを『解明すること』が必要だったからだ」

 

 虚偽とはつまり、卯月の造反を冤罪と偽っていたことである。

 

「最初から真実を伝えれば、お前は壊れただろう」

「別に最初から言ってても良かったぴょん」

「そうか? 最初から言って、お前は正常な精神を維持できたか?」

 

 そう言われると、自信がなかった。着任直後は、仲間を失ったショックや冤罪の悲しみ、提督と離れ離れになった寂しさで、かなり堪えていた。そんなところに、真実を言われたら発狂してたかもしれない。

 

「お前には、出来る限りお前には前線にいてもらいたいのだ。戦場に立てば敵の目につく機会が増える。敵からリアクションを引き出せる。その為には壊れていない方が良い。狂った兵士を前線へ置くのはリスクが高い。だから真実を我々は隠した」

 

 実際、どうなるかは高宮中佐たちにも分からなかった。あとで言った方がリスクが高かったかもしれない。だから伝えない方が良い。そちらに賭けたのである。

 

「艤装を菊月のものと偽ったのは単純に、ギリギリまでシステムの解析をしたかったからだ。かと言って解析している間、お前を一切戦場へ出せないのも問題だった。そちらは結局無駄になったがな……」

「ごめんよう中佐、卯月ー」

「いや、北上さんは責めてないぴょん。ん、でも嘘を言った理由は?」

「前言った通りだよ、自分の物でないと思っちゃうと、菊月の艤装を動かせなくなるかもしれなかったから」

 

 その点で言えば、北上は嘘をついていなかった。本当にその点だけだが。

 

「さて、まだ話したいことはあるが……これ以上は、お前への負担が激しい」

「へー、優しいぴょん」

「さっき言った通りだ、敵を倒すためには、お前が()()()()()()()()望ましい。それだけの理由に過ぎん。優先順位の問題だ」

 

 最悪私は、壊れても構わないということだ。至上目的は敵を倒すことだ。

 何ら問題ない。卯月は納得する。むしろ本望だ、敵を倒すほうが、わたしの精神なんかより遥かに優先なんだから。

 そう考える卯月の思考は、既に狂っているのかもしれなかった。

 

「今後の話は、また後日としよう。今日のところは自室で休め」

「了解ぴょん……ねぇ、中佐」

「なんだ」

 

 卯月は、少し笑いながら口を開いた。

 

「ありがとぴょん、うーちゃんを、助けてくれて」

「……勘違いをするな、我々はあくまで敵を」

「うん、だからだぴょん。うーちゃんに復讐のチャンスをくれて、ありがとう」

 

 そう、言い残して、卯月は不知火に運ばれて行った。

 あきつ丸と北上も、自分の仕事があると戻っていく。工廠に残された高宮中佐は、鎮座する卯月の艤装(ブラックボックス)を睨んだ。

 

「……大将、あなたの気持ちが、少し分かった気がします」

 

 その意味を卯月が知るのは、まだ、先の話である。

 

 

 *

 

 

 卯月は不知火に運ばれて、自室へ戻っていた。拘束は既に外して貰っている。艤装を装備しなければ、まず暴走しないのは明らかだからだ。

 だが卯月の気分は微妙だった。なぜならば、自室へ戻るということは。

 

「起きたのね、あんた」

 

 一度殺したと思った満潮が、ベッドからこちらを見ていた。

 

「自力で動くのは困難です。お手洗いや他諸々について補助を頼みます。これは命令です、拒否権はありません」

 

 言うだけ言って、不知火は卯月と満潮の部屋から出ていった。不知火が立ち去っても、満潮はだんまりとしたままだった。

 

 こんな態度の理由は一つしかない。わたしに殺されたかけたことで、満潮は怒っている。それ以外にあり得ない。だが謝ろうとは思わない。悪いのはブラックボックスと敵なんだから。卯月はなんとかベッドへと移動する。どっと疲れが押し寄せてきた。

 

「あんた、なにか、言うことないの」

 

 その時、やっと満潮が口を開いた。卯月に背を向けたまま、目線を合わさないまま。

 

「なにかって?」

「ふざけないで、あんたに何が起きたのかは不知火から聞いたわ」

「そっか、前科組は全員知ってるってことかぴょん」

 

 不知火は前科組全員にもブラックボックスのことを説明していた。そうでなければ納得が得られないからだ。前科持ちに全てを言う必要はないが、通すべき筋はある。また、巻き込んでしまった金剛たちにも説明していた。

 

「私たちに言うことなんかあるでしょ」

 

 満潮は苛立っていた。頭の上では、あれは卯月の意志ではないと理解できている。だがそれでは認められないのである。満潮は不意打ちによって間違いなく死にかけていたのも事実だからだ。

 

「なにもないぴょん」

 

 だが、回答は、満潮を裏切るものだった。

 

「なんて言った」

「二回も言うのは嫌だぴょん、二回も言うのはお前がバカってことだぴょん」

「屁理屈もあんたの持論もどうでもいい、今なんて言った」

「なにもないって、言ったんだぴょん」

 

 満潮は歯を噛み締め、卯月を般若のような顔で睨みつけた。

 

「ふざけんじゃないわよ、なにもない訳がないでしょ、なにをしたか自覚してんの」

「みんなを殺そうとした、お前については撃ち抜いたぴょん」

「ええそうよ、死ぬところだったわ」

 

 満潮も卯月は嫌いである。

 初対面のことは満潮型とか言われたこともあり、もう生理的にアレなレベルだ。卯月もそうだと理解している。心からの謝罪は期待していない。だがケジメは必要だ。だから満潮はわざわざ問いかけたのだ。

 

「で、それがなんだぴょん」

「わたし死にかけたのよ。金剛さんたちも、誰もが危険だったのよ」

「そう、でも別にうーちゃん悪くないし」

 

 卯月の答えは、満潮を激怒させるに十分過ぎた。

 

「あんた、自分がなに言ってるのか、分かってんの!?」

 

 ベッドから跳んだ満潮は、卯月のベッドに飛び乗り服を掴む。逸らしてた顔をこちらへ向けさせる。目を合せない卯月に、更に怒りを募らせる。

 

「分かってんのよ、悪いのはブラックボックスを仕込んだ輩だってのは。でも、それとこれとは話が別でしょ! あんたは私たちを殺そうとした。それに向き合う必要がある!」

 

 どちらが正しいという問題ではない。どちらも正しいのだから。洗脳されていた、自分の意思でないのも事実。しかし卯月が彼女たちを危機に晒したのもまた事実。

 

「……少しは、ごめんって思わないの」

 

 満潮にとって大事なのはそこだった。この暴走について、卯月がどう思っているか。仲間に対して──仲間として、正しい感情を抱いているか。

 だが、卯月は裏切った。

 

「微塵も」

 

 満潮の平手打ちが、卯月の頬を叩いた。歯を食い縛り、目を泪で潤ませながら。失望の怒りに震えていた。

 

「最低よ、あんたは」

 

 二度と仲間とは思わない。暗にそう吐き捨てて、満潮は自分のベッドへ潜り込んだ。

 卯月は叩かれた頬を擦り、ベッドへ潜った。重苦しい沈黙に耐えながら、二人は眠りへ落ちていった。

 

 

 

 

 異変に気付いたのは、満潮だった。

 

 異様な音が聞こえていた。加えて不快だ。不快感に満潮は目を覚ます。どっからこんな音がと周囲を見渡す。

 

「……う、うぅ……ぁぁぁ」

 

 卯月の呻き声だった。恐らく悪夢で魘されているのだ。悪夢として見るぐらいの罪悪感はあるらしい。だが、こいつが認めないなら、感じていないのと同じだろう。満潮は舌打ちをする。

 

「なんで睡眠まで妨げられなきゃいけないの」

 

 机の中から耳栓を取り出し、卯月の呻き声が聞こえないようにした。これで寝れると、満潮はまたベッドに潜る。

 

 呻き声はほぼ聞こえなくなった。だが、ほんの微かに聞こえている気がする。気のせいだと満潮瞼を閉じ、睡眠に集中しようとした。

 

 だが、卯月の呻き声が脳裏から離れない。耳栓を強く押し込んでも、幻聴は強まるばかり。イライラしてくる、考えたくもないのに、聞こえてしまう。

 

「あぁもう! クソが!」

 

 満潮はベッドから飛び起きて、卯月のベッドを睨み付けた。

 

「起きろ! 寝てても喧しいとか嫌がらせでもし……て……」

 

 怒声を上げながら、満潮は毛布をひっぺがした。だが、そこにいた卯月を見て、満潮は言葉を失う。

 

「ぁ……ぁぁ……う、う」

 

 苦しみ方が普通ではなかった。

 

 顔が真っ青だ、顔面蒼白どころではない。血の気が感じられず、まるで死人のようだ。布団がずぶ濡れになる程の脂汗が止まらない。呼吸も上手くできていないのか、か細い呼吸音が僅かに聞こえるだけだ。

 

 想像を越えた姿に、満潮は立ち尽くす。常にガタガタと震え、弱々しく身体を抱き締めながら、必死で息をする。

 

 唖然としている間に、呻き声が聞こえなくなっていた。

 

「……卯月?」

 

 ヒュー、ヒューと、微かな呼吸音が聞こえるだけ。卯月は過呼吸を起こしていた。酸欠に苦しみだし、傷跡が残る勢いで、首を爪先で掻き毟り出す。

 

 ヤバい、満潮は卯月を叩き起こしにかかった。

 

 さすがに無視できない。寝る前の怒りはどっかへ消え、満潮は卯月を必死で揺り動かす。

 

「起きなさい卯月! 死ぬわよ!?」

 

 大声で怒鳴り散らしたおかげか、卯月はゆっくりと目を覚ました。

 これで悪夢は終わりだ、じき落ち着くだろう。

 しかし満潮は、すぐにそれが、甘い考えだったと知る。

 

 虚ろだった卯月の瞼が、突然開かれる。

 

「あ、ああ、あ……!?」

 

 卯月は突如、顔を青ざめて叫びだした。

 

「いやあぁぁぁぁ!?」

 

 喉が割けんばかりの悲鳴を上げて、卯月は錯乱する。腕と足を無茶苦茶に振り回す。ベッドの柵に身体をぶつけ血が飛び散る。力の加減が微塵も出来ていないのだ。満潮も巻き添えで殴られるが、怒っている場合ではなかった。

 

 

「あ、あ゛あ゛あ゛あ゛!! 痛い痛い痛い痛いぃ゛だぃ゛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いや゛だやだ嫌だ嫌だ止めて止め゛ぇ!?!?! でお゛願い゛だから゛ぁぁいぃや゛ああああ、い゛ぁあ゛ぁ゛あ゛ぁあ゛あ゛!!!!」

 

 

 そこにいたのは、悪意の犠牲者の姿に他ならなかった。

 

 虚ろな目は満潮を見ていない。ボロボロと涙を流し、吐しゃ物を撒き散らしながら、身体中を掻き毟る。肌が割け、爪がはがれてても、卯月は泣き喚きながら暴れ回る。卯月のベッドは彼女の血で真っ赤に染まっていた。

 

「落ち着きなさいよ! クソ、どっからこんな力が出てんの!?」

 

 この惨状を無視できる訳がない。自傷行為を止めようと卯月を押さえつけるが、凄絶な抵抗に苦戦する。

 暴走する卯月に何度も殴られる。体格もほぼ同じ、背中から羽交い締めにして、床に押し付けるので精一杯だ。

 

「やだやだやだやだやだあ゛ぁ゛ぁ゛!? 見ないでよ来ないでっ()()! 嫌だ菊月止めてぇ!?」

「菊月!? 幻覚見てんの!?」

「違うの! あれは卯月じゃ、わたしじゃ、あ、あああああ!?」

 

 そんなものまで見ているとは、今の卯月はどうなっているのか。だが考える余裕はない。押さえつけるので精一杯だ。

 

「ひっ……あ、あぁ……!? 止めて、死んじゃう、死にたくない、死んじゃダメなの、だから、止めて、そこはダメ、卯月が戦えなく!? 嫌だ嫌だ嫌だ潰さないでぇぇぇぇ!」

 

 卯月は震える指先を、自分自身の眼球に伸ばした。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

「バカ!?」

 

 間一髪、満潮は卯月の手を押さえ込んだ。まさかと思ったが、本当に抉るつもりなのか。

 

「誰なの止めて痛いぃ゛ぃ゛ぃ゛もう抉らなぃでぇぇぇぇ゛!!」

「止めるかっ! クソ、なんでわたしが!」

「うぁぁぁぁっ!!」

 

 壊れきった眼からは、とめどなく涙が溢れる。なにを見ているのか。その時、卯月が凄まじい力で腕を引っ張った。突き飛ばされ、壁に叩きつけられる。その隙に卯月は指先を眼もとへ突き立てた。

 

「ヤバい!?」

 

 部屋の扉が、乱雑に破られた。

 

「なにやって……なにしてるクマ!?」

 

 卯月の悲鳴は、基地中に聞こえていた。目を覚まして駆けつけた球磨が、卯月の様子を見て、すぐさま身体を抑え込んだ。

 

「大丈夫かクマ!?」

「そんな訳ないでしょ!? この惨状見なさいよ!」

「来ないでぇぇぇ!?」

 

 依然卯月は錯乱し、自分を壊そうと暴れまわる。だが体格でも力でも勝る球磨に、完全に拘束されていた。球磨だけではなく、なにごとかと部屋の前に、金剛たちを含めた全員が集まっていた。

 

「いったいなにが起きたクマ」

「こっちが聞きたいわ……幻覚を見てるみたい」

「幻覚だって」

 

 もし、この幻覚が一生続くものだったら、球磨たちにもなす術がなかった。

 その心配は杞憂に終わる。力ずくで押さえ込み、身体で暴れられなくなったからか、少しずつ卯月は落ち着いていった。

 

「うぅ……今の、は」

「聞こえてるかクマ」

「球磨……? あれ、身体が、ある……なんで……う、うぇぇ……」

 

 多少は落ち着いた。しかし眼は虚ろなままだ。幻覚を思い出したせいで、またベットに吐瀉物を撒き散らす。

 

「嫌だ……嫌……卯月じゃ、ない……」

 

 頭を抱え、震え声を漏らす。吐しゃ物塗れになっても涙が止まらない。弱々しく、悲惨過ぎる姿に誰もが口を閉ざす。

 

 それほどまでに、心の傷は深かった。

 どれだけブラックボックスのせいと思っても、仲間や提督を殺した感覚は全て覚えている。裏切りの背徳に酔いしれた快楽も。

 

 かける言葉がなかった。前科持ちのメンバーも同じだ。こんな状態の卯月を、どう慰めれば良いのか。

 

 だが、一人だけ違う者がいた。

 

「ざけんじゃないわよ」

 

 満潮は、怒りに顔を歪ませていた。

 

「満潮?」

「ふざけるんじゃないわよ!」

 

 膝を抱えて震える卯月だが、満潮は胸ぐらを掴み、無理やり上を向かせた。

 

「み、ちしお……?」

「なんで、謝んないのよ。どうして……どうして、そこまで後悔してんのに、頑なに謝らないの! 幻覚まで見て、自分を痛め付けなきゃ気が済まないのに、なんでそれだけはしないの!?」

 

 微塵も、ごめんとも思っていないなんて、嘘でしかない。謝りたいのならそうすればいい。それをわざわざ我慢する理由が満潮には理解できなかった

 

「……だ、って。悔しい、ん、だもん」

「く、悔しい?」

「どういう意味よ」

 

 虚ろな目だった。満潮の質問をちゃんと理解してたかさえ分からない。それでも卯月は言葉を紡いでいく。

 

「『敵』が、喜んでるなんて、許せない」

 

 卯月は涙目だった、声は震えて怯え切っていた。だがその上で、怒りを滾らせていた。

 

「こんなシステムを、組み込むような輩だ。そ、そんな奴が、今の卯月を見たら、嗤うに決まってる。人が、苦しむ姿を見たいから……システムを組み込んだのかもしれない。じゃなきゃ、こんな悪趣味なモノ、作んない」

「あんたの妄想じゃない」

「そう、想像だけど……そう思うと、怒りで、頭がおかしくなってくる! 泊地棲鬼はそうだった! 卯月が真実を知った時の絶望を、楽しむつもりで、嗤ってたじゃないか!」

 

 自責の念で苦しむことは、嫌なことではなかったのだ。人間らしさの表れだから。だが『敵』は、罪悪感で苦しむ姿を見て笑うだろう。嫌なのはそれだった。満潮も僅かながら同意する。泊地棲鬼がそういう奴なのだから、敵も同類の可能性は高い。

 

「卯月は、思い通りになんて、ならない。何一つ敵の思うようにはならない。そんなの『卯月』の、誇りが、許さない。だから謝らない……罪悪感で苦しまない、自分を責めたりもしない!」

「それが、理由……」

「贖罪がいるなら、謝罪じゃない。敵を、叩き潰すことを、卯月の贖罪にする……!」

 

 その態度が、罪悪感からの『逃げ』とは思わなかった。

 謝るということは、ある種の免罪符だ。謝ることは罪悪感の軽減になる。幻覚を見るほど苦しんでいる卯月に必要なのは、その為の謝罪だ。

 

 しかし、卯月はそれを拒絶した。

 自分が悪いと一切思わない。罪悪感で苦しむ姿なんて見せない、一つもお前の思い通りにはならないと、宣言する。その為だけに。

 心の傷を癒すよりも、誇りを貫くことを、卯月は選んでいたのだ。

 

「……バカよ、あんたは」

 

 満潮には、そう呟く他なかった。




 本当なら、罪悪感で泣きながら謝るのが普通ですし、筋なんでしょうけど。卯月が悪くないのも確かなので。
 謝ったり、自責の念で苦しんだら、敵の思う壺だという考えをうーちゃんは貫きます。結構悩みましたけど、この生き様で良いんじゃないかなって作者的には思います。
 ……結果、幻覚を見る程苦しむ訳ですが。


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第56話 傷跡

れんごくさぁぁぁぁぁん!!(無限列車の感想)

しばらくの間はうーちゃん慰めパート。なんとかメンタルを回復させないと、出撃がヤバい。


 真っ暗闇の中、規則的な機械音が聞こえてくる。音はだんだんと大きくなり、煩わしさが増していく。沈んでいた意識が起こされていく。

 

「……んぁ?」

 

 卯月は、入渠ドックの中で目を覚ました。機械音はドックが動く音だった。入渠が終わったことで、卯月は眠りから覚めたのだ。

 

 裸のままドックから身体を起こし、卯月は首を傾げた。なんでわたしは、こんなとこにいるんだろう。

 思い出そうとうんうん唸っていると、隣のドックが開いた。わたしだけじゃない。もう一人入渠してたのだ。

 

「げぇっ、満潮!」

 

 なんということか。隣にいたのは満潮だったのだ。驚く卯月を見て満潮は心底不機嫌になった。

 

「朝から満潮の顔を見るなんて、この世の終わりだぴょん」

「誰のせいでこんな目にあったと思ってるの今度こそ殴るわよこのタコ」

「誰のって、まさかこのうーちゃんが?」

 

「そうよ」と満潮は言った。そんなバカなと思いつつも、卯月は記憶を辿っていく。

 

 瞬間、卯月は思い出しかけた。

 

「ヒッ、嫌ぁっ!」

 

 頭を抱えて、卯月はその場に崩れ落ちる。とても立っていられない。恐ろしさに震えが止まらない。弱々しく震えながら、うずくまるしかできない。

 

「思い出したようね」

「う、うぅ……」

 

 なんとなくだが、卯月は状況を理解する。

 昨日の夜、わたしは悪夢を見た。鎮守府を壊した悪夢だ。そこから覚めたら、幻覚に、幻聴に、幻痛に襲われたのだ。

 

 錯乱仕切ったわたしは、止めようとする満潮に気付けずに暴れまわった。自傷行為が止められなかった。結果、二人揃って入渠することになったのだろう。

 

 それだけの幻覚だった。しかし卯月は、幻覚を()()()()()()と必死で堪える。思い出したが最後、また発狂すると確信できる。

 

「はー、はー、はー……」

 

 しばらくそうしていると、少しずつ落ち着いてくる。息を整えながら、卯月はゆっくり立ち上がる。

 

「酷い顔ね」

「……お、鏡だぴょん。なんて醜い顔ぴょん、うーちゃんの顔とは思えないぴょん。ポンデリングまで生えてるし」

「誰のことを言ってんの」

 

 とりあえず満潮をおちょくっておく。それぐらいの元気は出てきた。しかし、到底本調子ではない。満潮が投げてきた手鏡を見て、そう思った。

 

「うわぁ……」

 

 目のクマが酷い。悪夢と幻覚で寝不足だ。拭く暇もなくドックへ放り込まれたので、口回りに吐瀉物が残ってこびりついている。やつれた雰囲気が駄々漏れだ。

 

「この世紀の美少女うーちゃんが台無しぴょん」

「それだけ言えるなら平気ね……ある意味、昨日言ってた通りね」

「なんのことぴょん」

「……え、忘れてんの?」

 

 信じられない、このクソが。とでも言いたげな顔をして、満潮は着替えだした。いつまでも裸というのもアレなので、卯月も着替えていく。誰かが洗ってくれたのか、綺麗なパジャマが置かれていた。

 

 元々着ていたパジャマは、ゲロや血で汚れ、自傷行為で何ヵ所も破れていたのである。飛鷹が替えを置いていってくれていたのだ。

 

「ホントクソね」

 

 呆れか失望か、どっちもか。深い溜め息を吐いて、満潮はさっさと入渠ドックから出ていった。

 

「覚えてんだけどねー」

 

 実のところ、卯月は昨晩言ったことを覚えていた。

 謝らないのは、腹が立つからだと。罪悪感に苦しむ姿を見て、敵が喜んでいると思うと、腸が煮えくり立つからだと。

 

 そんな屈辱は、『卯月』のプライドが許さない。だから謝らない。自分のせいだと一切認めず、なにも気にしてませんと開き直る。『お前の思い通りにはならない』と見せつけるために。

 

 しかし、これが正しいのかは分からなかった。満潮が言ってたとおり、謝った上で、復讐を決意する方が本来の道筋だと卯月は思う。

 

 けれども、それは誇りが許さない。謝れば自分が悪いと認めることになる。それは『卯月』を乏しめることになる。本当に自分自身の過ちならいざ知らず、敵が悪いのに、なんでそんなことしなきゃいけないのか。

 

 だが、誇りもプライドも、所詮は自己満足だ。卯月が侮辱されるから謝らないなんて、満潮や中佐には関係ない。昨晩は憔悴していたので、つい喋ってしまったけど、自信満々に話せる理由でもないのだ。言わなくて良いなら、その方が良かった。

 

 それでも償いが必要だとしたら、謝罪ではない。謝罪ではなんの意味もない。

 

 昨日宣言した通りだ。償いの必要があるのなら、敵をぶち殺すことで懺悔としよう。

 

 涙を拭って、卯月も工廠ドッグから出て行った。

 

 

*

 

 

 出ていったものの、どうすれば良いか卯月はさっぱり分からなかった。続けて腹がグーと鳴った。緊張感の欠片もない音色であった。色々台無しである。

 

「お腹空いたぴょん」

「飛鷹さんのところ行けば良いじゃない。夕食の残りぐらいあるわよ」

「それもそうかぴょん」

 

 満潮も朝ご飯を食べれていない。腹が空いていた。やることはあるがその前に腹ごしらえをしよう。栄養補給をいちいちしないといけないのは面倒だと満潮は呟く。

 

「……ご飯、くれるかな」

 

 ボソッと、卯月が呟く。

 これで気にしてないと言うのだから、呆れる他ない。とんだ強がりだ、思いっきり気にしてるじゃないか。

 満潮は苛立ったものの、口には出さなかった。どうせ否定される、言う必要はない。

 

「飛鷹さん、いるの?」

「いるわよ、満潮と、うーちゃんね?」

「入りますぴょん」

 

 卯月は周りを少し伺いながら、食堂へ入る。時間的には少し遅めだったので、あまり人はいなかった。

 いたのは……よりにもよってポーラだった。

 

 半裸で机に突っ伏すポーラと目が合った。

 

「うへぇへぇへぇ、あ、卯月ちゃ~ん、ボンジョルノぉ」

「うわぁ……」

「酒臭いわね」

 

 二人揃って顔をしかめた。なんで朝から飲んでんだよ。非難めいた目線を飛鷹に向ける。しかし飛鷹は黙々と片付けと、二人の分の料理に勤しんでいた。

 

「これからゴハーンですか~、お寝坊さんですねぇ~」

「四六時中白昼夢同然の奴に言われたくないぴょん」

「卯月に同意するわ」

 

 これでゲロられたら心がマジで折れる。満潮もゲロ浴びはごめんだ。二人はポーラから離れた席に陣取った。

 二人して向き合うが会話はなかった。話す内容もなかった。少し経つと、飛鷹がご飯を運んでくる。

 

「昨日の残りとか、適当なものしかないけど」

「なんでも良いわ」

「全然オーケーぴょん! 頂きますだぴょん!」

 

 すっからかんになった胃に、味噌の匂いが染み渡る。火傷しないように、卯月はゆっくりと味噌汁を啜っていく。

 昨日、吐き散らして疲れた内臓が、癒されていくのが分かった。

 

「はー、落ち着くぴょん」

 

 身体が暖まってきたところで、ご飯の方に箸を伸ばす。食欲が次第に増していく。疲れはてていた心身が活力を取り戻していく。暖かい味を、卯月は堪能する。

 

「ほらアンタも、味噌汁だけでも飲みなさいな」

「ミソスープ、飲んだ胃が休まりますね~」

「じゃあここらで終わりに」

「休まったのでもう一杯~」

 

 飛鷹に間接技を決められて、ポーラは泡を吹く。

 あいつさえいなければだった。

 なおポーラは、本日非番である。出撃の予定はない。なので飲んだくれてても許されていた。限界はあったが。

 

「あ、うーちゃん、不知火からの伝言があるの!」

「ぴょん?」

「例の件については、午後から聞く。午前中は休めって言ってたわ」

 

 不知火は卯月が食堂に来ると思い、飛鷹に伝言を頼んでいたのだ。卯月は意外だった。なにを聞かれるのか覚悟をしてたのに、それが先伸ばしになってしまった。

 

「休めっていったって、状況は逼迫してるんじゃないのかぴょん。その……戦艦水鬼もあるし」

「確かに手詰まりになってるけど、一日二日はしょうがないわ。気にすることないわよ」

「そうでふよ~、気楽でオーケーでぇ~……オロロロロ」

「ポーラッ!」

 

 見なきゃ良かった。卯月は後悔した。満潮と肩を並べて食堂から出ていく。飛鷹の悲鳴は無視した。御愁傷様である。

 

 歩いている途中で、満潮は別の方向へ向かっていった。『じゃあ』とか一声もない。無言でさっさと別れた。自主トレーニングでもするのだろう。

 

 いつも通りだ。卯月と満潮が仲良く挨拶したり、一緒にいることはあり得ない。並んで歩くのは、行き先が同じ時ぐらい。無言で会って無言で別れるのが、この二人だ。

 

「……ホント、いつもと同じだぴょん」

 

 ポーラは……なんというか……論外だ。

 けど飛鷹さんはいつも通り、変に気を使ったり、逆に距離を置いたりもしなかった。ポーラも(一応)そうだった。満潮はさっきの通り、あいつもいつも通りだ。

 

 それが、彼女なりの気の使い方だと、卯月は感じる。造反したことを意識させないようにしているのか、それとも、昨日の宣言が聞こえてたから、合わせてくれてるのか。

 

 どっちにしても、気遣ってくれてるのは確かな気がした。卯月は複雑な気持ちだった。

 

 

*

 

 

 不知火から午前中は休めと言われたが、かといってなにか趣味がある訳でもない。

 卯月は堤防の先で、ごろんと寝転んでいた。

 

「そーいや、うーちゃん趣味とかなんにもないぴょん……」

 

 今更ながら気づいた。

 神鎮守府にいたのは一ヶ月だけ、趣味なんて見つけてる暇はなかった。前科戦線に来てからは復讐やらなんやらで、そんなの考えてる余裕もなかった。

 

「はっ、これで人らしくとか、よく言えるぴょん」

 

 自虐的に卯月は笑った。

 復讐もする、人の人生を謳歌する。両方やるのが彼女の決めた生き方だ。しかし現状、人らしさはあまりできてない。復讐の相手に至っては自分だった。

 

 根本的な『敵』はブラックボックスを仕込んだ奴だと理解してるが、自分への敵意は依然燻っている。気を抜くとすぐに、自己否定に走ってしまう。

 

 これでどう気晴らしをすれば良いのやら。お昼寝は正直避けたい。また悪夢を見そうだった。

 

 悪夢は、どうしよう。卯月は気付く。このまま毎晩悪夢で目が覚めてたら、身体が持たない。あまり頼りたくないが、催眠剤とかがないか飛鷹に相談した方が良いかもしれない。

 

 と、ぼんやりしてると、足音が近づいてくるのに気付く。顔をそちらへ向けると、歩いてくる比叡と目が合った。

 

「そんなところで、なにをしてるんですか?」

「……海岸線に打ち上げられた水死体ごっこ」

「じぁそのまま海に蹴り落として、証拠隠滅と行きましょうか。比叡、行きまーす!」

「まてまてまて!」

 

 蹴りを叩き込もうと助走つきでダッシュする比叡を見て、卯月は飛び起きる。

 

「冗談ですよ」

「いや分かってるけど、心臓に悪いぴょん。たちの悪いジョークはやめろぴょん」

「水死体ごっこしてた奴のセリフですか」

 

 茶番劇をこなして、比叡はガシッと卯月の手を掴んだ。

 

「金剛お姉さまがお呼びなので、来てください。卯月さんとティータイムをしたいとのことです」

「は? なんでうーちゃんと?」

「知りません。でも金剛お姉さまの意思は絶対です。拒否権はありませんから!」

 

 掴んだ手から、比叡は卯月を持ち上げて肩で担ぐ。抵抗は許されなかった。なんたることだ、卯月は強い危機感を抱いた。

 

「やだー! 拉致だぴょん、幼女誘拐だぴょーん!」

「ハイハイそうですねぇ」

「クソッ、無視してやがるぴょん!」

 

 悪態が条件反射で出てくる。だが比叡は全て無視して卯月を運搬する。途中で前科戦線メンバーに合っても、誰も卯月を助けようとしない。

 卯月は、あっという間に金剛の仮部屋に担ぎ込まれた。

 目の前には、立派なティーセットがズラリと置かれていた。全て金剛が私物で持ち込んだ物である。

 

「ようこそデース!」

「拉致ってきた癖になにがようこそだぴょん! このうーちゃんを舐めるなぴょん!」

「お菓子もあるネー」

「金剛お姉さま最高だぴょん!」

 

 酷い掌返しに、比叡は呆れ果てていた。卯月自身も単にふざけてただけだった。実際美味いお菓子を食えるのは、とても良いことだ。堪能させて貰おう、と思っていた。

 

 同席の松、竹、を見るまでは。

 

「あ……」

「……よっ」

「よ、よーぴょん」

 

 こちらを見ながら、竹が手招きする。彼女の隣しか空いてる場所がない。偶然ではない、意図して空けておいたのだ。だが、なんのつもりだ。本気でヤバいパターンか。

 

「今から、卯月の分入れるから、待っててネー」

「了解ぴょん、そのあいだお菓子食べてるぴょん」

「どうぞ、遠慮はナッシング!」

 

 アレな空気から意識を逸らそうと、卯月はテーブル上のお菓子に手を伸ばす。クッキーやスコーン、チョコレートにミニサイズのケーキなど、鎮守府では余り見ないお菓子ばかりだ。

 

「美味い!」

 

 卯月は正直に答えた。気まずい空気だけど関係ない。美味いものは甘かった。お菓子は間宮さんのところで何回か食べたけど、洋風のものは始めてだった。

 

「金剛お姉さまの手作りですよ、心して味わってくださいね」

「手作り!? マジかぴょん!」

「いやぁ、前のティータイムでは用意できなかったケド、今回は作れて良かったデース」

「前はキッチン使うのも微妙だったわね……」

 

 主な原因は卯月である。卯月の前評判が酷すぎて、前科戦線への態度もかなりキツイものになっていたからだ。もっとも、全員本当に前科持ちなので、それぐらいの態度は良くあることだ。

 

 ただ一人例外と言える、卯月を除いて。

 

「なんで、うーちゃんを連れてきたぴょん」

「前はEnjoyできなかったティータイムを、ちゃんと楽しんで貰うためネー。それと、言いたいことがあるからデース」

「言いたいこと?」

 

 金剛の顔の先には、冷めた紅茶を持つ竹がいた。つまりはそういうことだ。

 卯月は、内心項垂れる。

 出撃前の約束を破ったことを、責めるのだろう。言われても仕方のないことだ。むしろ空気が重くなりすぎないよう、金剛はこの場所を選んだのだろう。

 

「悪かった」

 

 けど、竹の言葉は卯月の予想しないものだった。




幻覚の内容についてはどっかで触れておきますが、R—18G一歩手前ぐらいのを書ければ良いなぁ。

※投稿時間を間違えた

いや別に大したことじゃないけど……


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第57話 茶会

サンブレイク楽しみ。
でもマエストラーレは拾えなかった。悲しい。


 ブラックボックスによる暴走から目を覚まし、更に次の日。卯月は午前中は休むよう命じられた。しかし特にやることもなく、ブラブラしていると、比叡に攫われ金剛のお茶会に参加することになった。

 

 そこには金剛や比叡だけではなく、松や竹もいた。

 竹は卯月に対して言いたいことがった。二人っきりでは空気が重くなりすぎる。なので金剛が、お茶会という場所を用意したのだ。

 

 一方卯月は、なにを言われても仕方ないと思っていた。約束を反故にしただけではなく、ゴミのように捨て、挙句竹を殺そうとまでした。彼女が割り込まなかったら、大破していた桃を殺していた。責められて当然だろう。

 

「悪かった」

 

 竹の一言に、卯月はポカンと口を開いたまま固まった。

 

「え、なにに?」

 

 卯月に謝る気は欠片もない。あくまで悪いのは敵だと頭の中では割り切っている。悪いことをしていないのだから、謝る理由がない。しかし、殺そうとしたのも事実だ。

 どちらにしても、竹が謝る理由がない。なにに対しての謝罪なのか。卯月は困惑していた。

 

「お前に対して、今までさんざん罵詈雑言を飛ばしたことだ」

「え? あ、あぁ……そっちかぴょん」

「仲間を深海棲艦に売り飛ばした造反者だと思って、酷いことばかり言っちまった」

 

 確かに、酷いことを言われまくった記憶がある。態度も相当なものだった。竹たちはその時、卯月の造反が『冤罪』だとは知らなかった。本当に造反者だと思っていたから、軽蔑していた。

 

 しかし、実際は冤罪でさえなかった。

 何者かにブラックボックスを組み込まれたことによる暴走だった。卯月が望んだ訳はない。望んでいなかったのに、仲間を殺すよう()()()()()()()

 

「高宮中佐から、説明してもらったんだ。お前が暴走した理由も、神補佐官の鎮守府を、襲った理由も……造反は事実だけど、お前の意志じゃないって知った」

「別に気にすることないぴょん。冤罪だって偽ってたのはうーちゃんの方だし、ブラックボックスのことなら、うーちゃんだって知らなかったぴょん」

「それでも、卯月を苦しめたのは事実だから。私もごめんなさい」

「比叡も、すみません」

 

 立て続けに謝られて、卯月は何も言えなくなる。正直、本当に気にしていない。確かに鬱憤は溜まっていたが、それはプッツンした時の演習で発散できている。卯月自身としてはもう問題はなにも残っていない。そもそも最初から、普通の艦娘たちから軽蔑されるのは覚悟していた。

 

「卯月、そーゆーことですケド、許してくれますネ?」

「許すもなにも、最初から気にしてないぴょん。まあ、今後普通に接してくれれば、うーちゃんからいうことはないぴょん」

Do you get it(分かりました)、じゃあ、ティータイムを再開しましょう! 竹のティーもRebrew(入れ直さないと)いけないデース」

 

 と言って金剛は席を立つ。彼女の一言を皮切りに、比叡たちがお茶菓子に手を伸ばしだす。確かに、謝罪の機会をここにしたのは正解だ。普通の場所だったら、ただ謝るだけという、微妙な終わり方だっただろう。

 

「こんな呑気なことしてて良いのかな」

「なんでだ?」

「いや、水鬼。まだ倒せてないぴょん」

 

 四日間寝てたが、金剛たちがまだ帰っていないということは、戦艦水鬼は倒せていない。一日でも早く討伐すべきなのに、お茶会なんてしていて良いのだろうか。

 

「良いんだよ、たまには。海域攻略だって連日連夜ぶっ続けでやる訳じゃないし」

「ええ、それに前科戦線の協力で、予定自体は早く進んでる。これぐらいの余裕はまだあるわ」

「ふーん、なら良いけど」

 

 気にしなくて良いなら、お言葉に甘えさせて貰う。卯月はこれまで以上に遠慮なく、金剛の用意したお茶菓子をパクパクと食べていた。

 

「甘いぴょん、上品な甘さだぴょん。こんなの始めて食べたぴょん」

「そんなバカな、クッキーぐらいならありますよね?」

「ここがどこか分かってんのかぴょん、クッキー一袋さえ有料だぴょん」

「給料ないんですか」

「……そういえば、いつ出るんだぴょん」

 

 給料ではないけど、交換券がある。しかし未だに貰えていない。前科戦線に着任してから約一ヶ月経つ。そろそろ貰えてもおかしくないんだが。艦娘として、使命感を持って戦ってるが、報酬がないのは嫌だ。娯楽もタダならともかく、金がないと嗜好品さえ買えない最前線である。

 

「ヘーイ、ティーが入ったネー」

「ありがとう、いただくぜ」

「およ、うーちゃんの分もかぴょん」

「Yes、Milk teaにしてみましタ」

 

 熱すぎず、ヌル過ぎず、丁度良い温度になっている。ミルクティーなんて呑むのも初めてだ。好奇心に駆られるまま卯月はグイっと呑む。すると、口の中にまろやかな甘みが広がっていった。だがクッキーやケーキの甘さを潰すような味ではない。上品さもある。

 

「うまーい、あまーいぴょん!」

 

 さっきから美味いとか甘いとかしか言ってないが、実際そうなんだから仕方がない。どれも始めて感じる味ばかりだ。こればかりは鉄の身体では味わえない。人間の身体に生まれてホント良かったと卯月は感じる。

 

「焼きたてのスコーンもAddition(追加)デース!」

 

 更に卯月の前にお菓子が置かれる。卯月はそれにも手をつける。美味しい物を食べると、気分が楽しくなってくる。比叡に拉致された時の不安は消し飛んでいた。口の中に幸せがいっぱいに広がる。卯月の頬はすっかりと緩み切っていた。

 

「鎮守府なら、もっと材料色々使えたんですけどねぇ」

「それはしょうがないデース」

「もっと色んなお菓子……」

「そう、シュークリームとか、もっと凝ったケーキとか」

 

 じゅるりと音がした。露骨な食い意地に金剛と比叡は苦笑いをした。知らないお菓子、食べてみたい。金剛の提督──藤江華のところでなら、それは味わえる。食べたい、超食べたいが、楽しめるかは別問題だ。

 

「ま、遠慮しとくぴょん。歓迎されないだろうし」

「え、そんなこと……ありますね」

「神補佐官、このこと、知ってんのかな」

 

 卯月の造反が、ブラックボックスによるものだと知っている人間は限られている。藤鎮守府の艦娘たちは当然知らない。だが、神躍斗については分からない。しかし、多分、知らないだろうと卯月は考えた。

 

 不知火や高宮中佐は、神提督についても、嘘を吐いている筈だ。

 最初着任した時は、卯月が解体されるのを阻止するために、前科戦線に送られるよう取り計らってくれた、そう中佐は説明した。護送車を襲撃できたのも、神提督からのリークがあったからだと。

 

 しかし、それはきっと、嘘なのだろう。

 法廷で神提督は、卯月が鎮守府を壊滅させた造反者だと、明確に証言したのだ。それが決定的となり、わたしは解体されることになった。これが真実の筈だ。

 

 憶測が真実か、中佐たちには聞いていない。だが、概ね合っている筈だ。聞く気はしなかった。聞くのもバカバカしいし、何よりも聞くこと自体だ、とても辛かった。到底真実を聞く気にはなれなかった。

 

 場の空気が少しばかり重くなった。本当に卯月は悪くない。完全な被害者だ。彼女のために少しはできることがないのか。そう考えた竹が口を開く。

 

「中佐の許可があればだけど、俺たちでも、ブラックボックスのことは伝えてみる。お互い生きてんのに、神補佐官とずっと疎遠ってのは嫌だろ?」

「……ありがとぴょん」

「お礼なんていらないわ、ずっと卯月が嫌われるのなんて、わたしたちも気分が悪いから」

 

 卯月は顔を俯けながら、コクリと小さく頷いた。

 同時に、気を使わせてしまって、申し訳ない気持ちになってきた。このお茶会もそうだ。造反の真実を知り、心に傷を負ったわたしを少しでも癒そうとしてくれているのだろう。作戦が遅れて大変になっているのに。

 

「そっか、なら頼むぴょん! 神提督とちゃんと会える日を、うーちゃんは楽しみにしてるぴょん!」

「ええ、任せといてください! 許可が下りればですけど!」

 

 だが卯月は、その好意に甘えることにした。

 本当に精神がすり減っているのは自覚している。ただでさえ、敵や深海棲艦で激昂し易くなっているのだ。余計なところで無理をすべきではない。心が壊れたら、敵や深海棲艦を殺せなくなる。下手したら深海棲艦と化す。そんなのはゴメンだ。

 

 

 *

 

 

 ヒマだった午前の間、金剛たちが誘ってくれたお茶会のおかげで、卯月の顔色は大分良くなっていた。完全回復には程遠いが、かなり癒された。足取りもマシになっている。

 だが、この後わたしはどうなるんだろうか。ブラックボックス共々どういう扱いになるのか。不安を抱えながら、執務室を訪れる。

 

「遅刻はしなかったようですね」

「いや毎度毎度遅刻するようなバカじゃないぴょん」

「すみません、すっかりそのイメージが」

 

 酷いヤツだと不知火を睨み付ける。午前が終わった。午後からは昨日の続きだ。昨日は卯月が疲れ過ぎていて、途中で止めたが、高宮中佐からも、卯月に聞くこと、伝えることがまだ残っていたのである。

 

「少しは休めましたか」

「おかげさまで、ゆっくりできたぴょん」

「それなら良かったです」

 

 卯月は執務室のソファーに座る。対面に不知火と高宮中佐が座る。いったいなにを聞かれ、なにを聞かされるのか。緊張してくる。卯月はごくりと生唾を呑み込んだ。

 

「まず、お前が思い出した、神躍斗の鎮守府襲撃について、全てを話して貰う」

 

 ビクリと、卯月は一瞬反応した。

 目線は下を向き、握った手が震えだす。次第に汗が流れ出し、顔色が悪くなっていった。

 当然だろうと不知火は考える。そう簡単に開き直れる訳がない。聞くのは時期尚早だったか。だが卯月は、トラウマに苦しみながらも顔を上げた。

 

「分かったぴょん」

「話せるんですか」

「……正直、凄い辛いぴょん。話してる最中に吐くかもしれないぴょん。でも話さなければ、『敵』に迫ることができないぴょん……そっちの方が、イラつくぴょん!」

 

 卯月の目は、怒りと罪悪感で淀み切っていた。

 罪悪感が増せば増す程、そうさせた敵への怒りが増幅する。怒りの矛先は仲間を殺した自分にも向き、罪悪感という形で痛めつけてくる。負の感情が連鎖する、卯月にも制御できない。だが、その膨大な負の感情が、卯月をある意味で繋ぎ止めていた。

 

「中佐、良いのでしょうか」

「良いも悪いもない、我々に必要なのは情報だ。それにこれは奴が望んだことだ、望むのであれば、拒絶する理由はない」

「不知火、心配はいらないぴょん、うーちゃんは、大丈夫だぴょん」

 

 しかし、この精神状態は果たして良いことだろうか。

 わずかでも、敵についての話題になれば、怒りと罪悪感が溢れ出す。自責の念に耐え切れず発狂するよりマシだが、艦娘として、これは正しいのか。不知火は判断に困る。

 

「では話してくれ、全てを」

 

 卯月は、震える声で、全てを話し始めた。

 

 

 

 

 話終わる頃には、卯月の精神は摩耗し切っていた。話していた時間はせいぜい30分ぐらい。それでも、仲間を殺した記憶を、丁寧に語るのは凄まじいストレスだ。怒りと罪悪感に耐えられない。全てを語り切った瞬間、卯月は体を抱えてうずくまってしまう。

 

「フゥーッフゥーッ……!」

 

 頭を抱え、息を荒げながら、口から涎が垂れる。目は血走り、こめかみには血管が何本も浮かび上がっていた。話す程、思い出す程、敵への憎悪が止められなくなる。頭が痛い、身体全部が燃えるように熱くなっている。

 今すぐ殺しに行きたい。どこにいるか分からないなら、手当たり次第に殺してでも。無関係な人が死んでも、敵が殺せるならどうでもいいとさえ、考えていた。

 

「不知火、傍にいてやれ」

「分かりました」

「殺す……殺してやる……すぐに殺してやる……」

 

 うわごとのように、殺すと連呼する卯月の隣に、不知火が座り込む。不知火は卯月を落ち着かせるように、背中をゆっくりと摩り出す。一瞬ビクッと震えたが、大人しく撫でられていた。理性的な部分はなんとか残っている。

 

「大丈夫です卯月さん、不知火たちも、敵を倒すために尽力します」

「今が、良い。すぐに殺したい……!」

「ダメです、敵は狡猾です。下手な手を打ったが最後、雲隠れされるか……不知火たちが嵌められます。分かりますよね。確実な一手で、追い詰めなければならないことは」

「そうだけど、そうだけど……!」

 

 そんなことは分かっている。分かっていても、怒りが抑えられないからこうなっている。だが暴走して醜態をさらすのは、『卯月』のプライドが許さない。頑張って堪えて、落ち着かせていくしかない。不知火に助けられながら、卯月は徐々に息を落ち着かせていく。

 

「……ハァー、あー、クソだぴょん」

「落ちついたようですね」

「ああ、ごめんぴょん。面倒なのに巻き込んで」

「いえ、これぐらいは面倒に入りません」

 

 数分後、やっと感情が落ち着いた卯月は顔を上げる。不知火はそう言うが、一々面倒をかけてしまうのは、何だか申し訳なかった。などと思うと、また罪悪感が刺激されるので、あまり意識しないことにした。

 

「……中佐?」

「む、ああ、話は聞かせて貰った」

「なにか、分かったことはあるのかぴょん」

「分かったことはないが、推測できることはある。お前の話した内容が事実なら、不審な点が幾つかある」

 

 なにか、あるのだろうか。卯月は自分でも考えようかと思ったが、止めた。思い出すたびに怒りと罪悪感が暴走しそうになる。妙なところを考えてられる余力は、今の卯月にはなかった。中佐や不知火に任せるのが賢明だ。

 

「が、話そうとは思わない」

「その方が良いぴょん、変な予想を知ったら、信じ込んで暴走するかもしれないぴょん」

 

 その予測が合っているとも限らないのに、怒りのあまり信じ込む危険があり得る。今の卯月は自分があまり信用ならなかった。その程度の自制心はまだ残っていた。いつ崩れるか分かったのもじゃないが。

 

「さて、では、今度は我々が話す番だ。卯月、おまえが気になっていることを話そう」

 

 中佐は椅子から立ち上がり、背中を向けながら教鞭を叩く。話したいこととはなんだろう。不知火に背中を摩ってもらいながら、次の言葉を待つ。

 

「明日、戦艦水鬼の討伐を再度試みる。そこにお前も参加してもらう。ブラックボックスを持った状態で」

 

 卯月の脳裏に過ったのは、水鬼に忠誠を誓う自分の姿だった。

 水鬼の元に赴くということは、その光景が再現されるかもしれないということ。ブラックボックスを持っていったら確実にそうなる。

 中佐は、わたしをどうしたいのか。卯月は若干困惑していた。




艦隊新聞小話

 さて、高宮中佐さんは卯月さんに嘘を吐いていたわけですが、色々言い過ぎて何が嘘で何が本当なのか、こんがらがってはいないでしょうか。なので、このわたしが纏めておきました。後追加で、偽っていた理由についても纏めてあります!

・卯月の造反は、冤罪である。
 →造反は事実だが、システムによるものである。
・解体を防ぐため、神躍斗が前科戦線に依頼。卯月を強奪するようにした。
 →神躍斗は依頼していない。むしろ法廷で造反者だと証言を行い、解体刑への決定打を打った。
・卯月を前科戦線が強奪した理由は、神躍斗からの依頼が主な理由。
 →高宮中佐の上官からの、直属の命令。

・菊月の艤装を、卯月のものだと偽っていたのは、システムを解析する時間を少しでも延長するため。結果として無駄に終わった。
・そもそも冤罪と偽り、事実を教えなかったのは、卯月のメンタルが崩壊する可能性が高いと判断した為。

 ……どんだけ誤魔化してたんですかね!
 あ、ちなみに護送車の爆発で、人間の方が犠牲になったじゃないですか。
 あれ、卯月さんの前科にカウントされています。
 前科戦線で匿える年数を伸ばすために、罪をより重くしたみたいですよ! 勿論卯月さんの了承はありませんが!


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第58話 在方

 高宮中佐の言葉に、卯月は困惑していた。

 戦艦水鬼討伐任務に卯月も参加する。それは良い。しかしブラックボックスを積んだままで、出撃しろと中佐は言った。

 卯月の脳裏には、水鬼に忠誠を誓う自分の姿が浮かんでいた。

 間違いなく暴走するだろう。そんな命令を出す理由が分からなかった。

 

「あの、中佐。ブラックボックスを外して出撃することは、できないのかぴょん」

 

 最低でもブラックボックスがなければ暴走する心配はない。随伴艦の始末をすることはできる。

 

「外すことはできる、だが、ダメだ」

「なんでだぴょん」

「これは、お前が寝ている間、出撃しなかった理由でもある。現在我々は、水鬼の元に到達できなくなっているのだ」

 

 水鬼の元に、辿り着けないだって? バカな、金剛たちだけでも水鬼のところには到達できていた。なにが起きれば、そんな異常なことが起こるのだ。

 

「飛鷹に再度、海域調査を命令した。その結果、羅針盤の制御に、必要な『因子』が増えていることが分かった」

「増えてるって、誰かが、追加で要るってことかぴょん」

「そうだ、ルートが変化したのだ」

 

 羅針盤の制御に関わる要因は様々だ。特定の艦種、特定の誰か、艦の速度に輸送装備に索敵能力の有無など。

 ルートが変化して、今までの編成では到達できなくなったということだ。ルートを制御するための『誰か』が要るのだ。

 

「ん?」

 

 中佐は、『お前が寝ている間、出撃しなかった理由』と言った。卯月は因子が誰なのか気づいた。

 

「まさか、うーちゃん?」

 

 高宮中佐は、「そうだ」と頷いた。ルート制御に必要な新たな因子とは、『卯月』のことだった。

 

「……なんで?」

 

 しかし、卯月にとってはまだ不可解だ。卯月と戦艦水鬼の間にはなんの縁もなかった。泊地棲姫の時とは違う。どうして自分がルート制御要員になるのか分からない。

 

「十中八九、ブラックボックスだろう」

「……ま、まさか、あの時、『縁』が?」

「だろうな」

「嘘だろ、まじかぴょん」

 

 卯月は頭を抱えた、そうか、そういうことか。あの時だ、水鬼に忠誠を誓った時だ。

 あの時、まるで水鬼に魂が染められていくような快楽を感じていた。その上忠誠を誓ったことで、わたしと水鬼の間に『縁』が紡がれてしまったのだ。

 

「忠誠と支配、それにより生まれた縁が、ルートを変えてしまったのだ」

「クソだぴょん、こんな面倒なことをするなんて、敵め!」

「そうだな、敵のせいだ」

 

 頑なに自分のせいだとは認めない。あくまで敵が原因である。卯月はこのスタンスを変えようとはしなかった。中佐も不知火も、その姿勢にある程度の理解を示しているから、なにも言わない。

 

「そんな理由であるが故に、ブラックボックスを積んだ卯月でなければ、水鬼の元に到達できなくなったのだ」

「積んでないうーちゃんじゃ、ダメって訳ね」

「飛鷹の式神で実証済みだ、間違いないだろう」

 

 それなら仕方がない、と卯月は諦めた。ただそれはそれとして、不安なことはある。

 

「あの、でもうーちゃん、本当に出ていいのかぴょん」

「出撃したくないのか」

「違うぴょん! 出撃はしたい、水鬼はこの手で殺したいぴょん!」

 

 直接手を出せなくても、間接的に抹殺の手伝いができればそれで良い。泊地棲鬼の親玉という時点で万死に値する。挙句わたしを洗脳しやがったのだ。卯月の怒りは振りきれている。

 

「なら、なんだ」

「……また、暴走するかもしれないぴょん」

「そうだな」

 

 正直、自信がなかった。また洗脳されるかもしれない。二度目はもう、正気に戻れないかもしれない。そうなったらまた、みんなを殺そうとする。仲間に殺意を抱いてしまうかと思うと、手が震えた。

 

「それについては既に結論が出ている」

「どんな?」

「むしろ好都合」

 

 中佐のまさかの発言に、卯月は絶句した。

 

「ブラックボックスが作動してくれれば、データを収集できる。システムの解明により近づける」

「いや、確かにそうだけど」

「システムの解析は、極めて重要な案件だ。それはお前にも分かるだろう」

 

 現状ブラックボックスは、『敵』へと繋がるただ一つの手掛かりだ。そもそも卯月が生きていることが想定外。システムが誰かの手に渡ることもまた、想定外だ。解析を進めれば、『敵』への手掛かりになる。また追い詰めることでリアクションを引き出せる。

 卯月も、それは理解していた。ただ、それで仲間に一々襲い掛かるのはいかがなものか。

 

「暴走への対策も検討している。システムの解明が進めば、洗脳のデメリットそのものも解消できるかもしれん」

「……システムが解明できるまでは、システムを積んだまま出撃するってことかぴょん?」

「それしか方法がない、時間もない」

 

 システムの解析は半年間もやってきたが、ダメだったのだ。これ以上同じ方法で調べるのは時間の無駄でしかない。

 戦闘時なら、作動することがある。

 作動時に解析すれば、新たに分かることがあるかもしれない。今はそれを頼りにして調べていくしかない。

 

「デメリット改善まで、何度も洗脳されろってことかぴょん?」

「そうなる」

「それじゃあ、うーちゃん、壊れちゃうぴょん」

 

 一回洗脳されただけで、あのザマだ。何度も価値観をおかしくされ、正気に戻される。二度目や三度目を耐えれるとはとても思えなかった。システムの解析は重要だが、わたしが発狂するのは嫌だ。卯月は不安な顔で訴える。

 

「そんなことはどうでもいい」

 

 中佐のまさかの発言に、卯月はまた絶句した。

 

「お前の正気よりも、システムの解析の方が重要だ。最悪お前は生きてさえいればいい。廃人でも構わん。廃人には廃人の使い道がある」

「で、でも中佐は、嘘を吐いてたぴょん。うーちゃんが壊れない為の嘘を」

「昨日の話か」

「造反を冤罪って偽ったのは、うーちゃんが、壊れないための嘘だって言ってたぴょん。なのに、今は、壊れていいのかぴょん」

 

 矛盾しているじゃないか。壊れないために嘘を吐いたのに、今はもう、システム解明のためなら壊れていもいいだなんて。

 中佐はただ淡々と、事務的に理由を説明する。

 

「優先順位の問題だ」

「優先順位?」

「壊れているより、壊れていない方が良い。だがシステム解明のためなら壊れても良い。システムが水鬼の前で作動した時点で、優先順位は変わったのだ」

「どういうことだぴょん」

「敵が、お前の生存を確信したということだ」

 

 卯月の生存が、『敵』にとって想定外なのは確かである。

 しかし、今までは、卯月が生存しているかどうか、敵から見ると定かではなかった。それらしき個体はいるが、システムを搭載した卯月なのかは分からない。同じ見た目の別の卯月の可能性も否定できない。反応を引き出すため、全く別の卯月を生き残りに仕立て上げていた可能性もあった。

 

 だが、システムが作動した今では話が違う。

 敵は、前科戦線の卯月が、生き残りの卯月だと確信できたことになる。そうなれば、唯一の手掛かりを始末するため、動きだすのは必然だった。

 

「敵は、すぐにでも追手を差し向けて来るだろう。お前が殺される可能性を考慮すれば、時間的余裕はない。火急速やかにシステム解明に尽くさねばならない」

「そういう理由ならしょうがいないぴょん」

「とは言え、壊れない方が良いのも事実。さっき言った通りできることはやる」

 

 あくまで、中佐の目的は敵の打倒だ。卯月の救助ではない。

 理由も正当性のあるものだった。どっちもできれば良いんだろうけど、この世の中はそんな都合よくできていない。優先順位を設けて、低い物を切り捨てなければいけない。

 見た目は子供でも、卯月は駆逐艦『卯月』でもある。中佐の理屈は納得できるものだった。

 

 それに、敬意もあった。

 洗脳のデメリットの解除とか言うけど、本当にできる確約はない。それでも『やる』と言ったのは、強烈な負担を強いるわたし(卯月)への敬意だ。そうされては、頷くしかない。けどもう一つ、言って欲しいことがあった。

 

「ねぇ、中佐。バカバカしいけど、約束をしてもらってもいいかぴょん?」

「なんだ?」

「卯月が壊れても、絶対、絶対に、敵を殺してね」

 

 仮に自分が死んででも、敵を倒す。この怒りを晴らす。道連れになっても構わない、死なば諸ともの精神。艦娘よりも深海棲艦に近しい感情だ。だがそれが、今の卯月を支えるのに必要なのだ。

 

「当然だ、約束なぞ、するまでもない」

「ははは、だからバカバカしいって言ったんだぴょん」

「私からの話は以上だ、明日にはもう出撃する。なるべく休むことだ」

「了解ぴょん」

 

 話は終わり、卯月は執務室から退室する。

 明日、わたしは洗脳せずにいられるのだろうか? 壊れても、敵は殺すと約束してくれたが、この手で殺せるなら、それに越したことはない。

 

「……クソ、クソッ、イライラする!」

 

 こんな目に遭わせた敵に苛立つ、思うようにされてる自分に苛立つ。怒りが瞬く間に溢れ返り、抑えられなくなりそうだ。物でも人でも、当たり散らさないとおかしくなりそうになる。洗脳で壊れる前に、怒りで壊れるかもしれなかった。

 

 

 *

 

 

 高宮中佐との話を終えた卯月は、当てもなく鎮守府を彷徨っていた。あそこでじっとしていたら、無差別に暴れ回りそうだった。動いてた方がまだ気晴らしになる。凄まじい怒りを抱えながら、息を荒らげてウロウロしていた。

 

 そんな歩き方をしていたから、周囲に一切意識が向いていなかった。やっと感情が落ち着いた頃には、夕方になっていた。

 中佐と話し終わった時は昼下がりだった筈。どんだけ歩いてたんだと卯月は驚いた。なので数時間は歩いていたことになる。冷静になったことで、疲労感が押し寄せてきた。

 

「お腹空いたぴょん」

 

 休めたのだろうか、これは? 

 散々イライラしたり、感情のふり幅が大きすぎる。肉体的には休めたが、精神的には全然休めていない。仕方ないけど。まあしょうがない。今からでも休めるだけ休んでおこう。そう考えて卯月は食堂へ向かおうとする。

 

「ん?」

 

 聞き覚えのない音が聞こえて、立ち止まる。

 地面を何度も踏み鳴らす音と、話し声のような音。しかし、音程があって声の感覚が規則的に並んでいる。

 

「歌かぴょん?」

 

 誰かが歌っている。なんとなく物悲しいメロディーだ。いったい誰が歌っているのか。卯月は歌のする方へ向かっていく。発生源は海岸線の方のようだ。ここからも近いのは楽で良かった。

 

 そこで、卯月が見たのは、那珂と桃の二人だった。

 二人はジャージ姿で、音楽プレーヤーに合わせて汗をかきながら踊って歌っている。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……」

「どうしたの桃ちゃん! 動きが止まってるよ、そんなキレの悪さじゃみんな呆れちゃうけど!」

「動けるもん! まだまだ、全然平気なんだから!」

「よーし、じゃあTAKE48回目、いくよ!」

 

 なにやってんだあいつら。明日また出撃があること忘れてんのか? 

 卯月は呆れながら突っ込んだ。TAKE48回目ってなんだよ、どんだけ練習してんだよ、アイドルの前にお前ら軍人だろ。

 心の中のツッコミは止まないが、彼女たちは真剣そのものだった。

 

 しかし、なぜ妙に哀しそうな曲なんだろうか。アイドルに詳しくないけど、こういう歌はあまり似合わないんじゃないだろうか。

 そう考えていると、那珂と目線が合った。

 

 那珂が硬直したことで、桃も目線の向かう先に気づく。「しまった」とでも言いたそうに、口に手をやって桃は絶句した。

 

「いやーっ! 見られてたー!」

「あー、まあ、ここそんな広くないから……」

「秘密にしておきたかったのにー!」

「な、なんか済まないぴょん」

 

 本気でしょぼくれる桃に、気まずい気分になった。隠れる意味はない。卯月は二人の傍に近づいていく。

 

「いったいなにしてたんだぴょん」

「言っちゃって良い?」

「駄目! それは、桃から言いたい」

 

 砂浜に凹んでいた桃は立ち上がり、真面目な顔で卯月を見た。

 

「あのね、桃、卯月ちゃんに歌を送りたかったの」

「……歌? 卯月に? なんで?」

 

 話の方向性が見えてこない。なにがどうしてどうなってわたしに歌を送る話になったんだ。

 

「松お姉ちゃんと竹お姉ちゃん、卯月ちゃんに謝ってたでしょ」

「え、ああ、まあそうだけど」

「だから、桃も謝るべきなの。桃も結構、酷いことしちゃったから」

 

 謝らなくて良い、騙してたのはこっちだから。卯月はそう言おうと思ったが、止めておいた。松たちと同じように、そう言っても謝ってくるだろうから。ただ、そっからどうして歌になるんだ。

 

「でもただ言葉で言うのは簡単でしょ、だから桃は、桃なりのやり方で、ごめんなさいって伝えようって思ったの」

「それが、歌かぴょん?」

「うん、歌は万能だから」

 

 さっぱり理解できない、そう言いたげな卯月を見て、桃は慌てる。傍から見れば意味不明なことを言ってるのは自覚していた。そこで那珂がフォローに入る。

 

「卯月ちゃん、さっき歌聞いてたでしょ。悲しそうだなーって思わなかった?」

「思ったぴょん、アイドルらしくない雰囲気だなって」

「そこだよ、そこ。桃ちゃんは、自分を一番表現できる方法で、感情を伝えようとしてたの」

 

 言われてみれば、確かにそうだった。あの悲しさは、申し訳ない気持ちや、自分への不甲斐無さ、酷い言葉を浴びせたことへの後悔──そういった全てを内包していたのだ。歌詞もそんなフレーズだった。

 

「不誠実って言われるかもしれないけど、桃はこれが一番得意だから……だから、那珂先輩に手伝って貰ってたの」

「明日もし水鬼を倒せれば、桃ちゃんたちはそのまま帰投だろうからねー。聞かせる機会がないって焦って他の」

「まだ未完成だから、聞かれたくなかったのにー!」

 

 と、桃は恥ずかしそうにまた蹲った。

 気持ちだけで十分、などと言う気は全くなかった。桃自身が納得できるかどうかの問題だからだ。

 

「……那珂ちゃん」

「ん? どしたの?」

「こんな方法も、あるのに驚いたぴょん」

 

 謝罪と言えば、頭を下げたり文書を送ったり、そう言うのが一般的だし、常識的だ。こんな伝え方もあることに、卯月は驚いていた。

 那珂は同意するように頷いたあと、笑って答えた。

 

「方法なんでも良いんだよ。その人らしいやり方ならなんでも」

 

 那珂に、そんな意図は多分なかった。

 しかし卯月は、自分の在り方が認められたような気分になった。敵の思い通りになるものかという、誇りを貫く在り方。謝罪ではなく、敵を倒して仇をとるやり方。

 

 罪悪感と怒りが酷過ぎて、段々それが正しいのか自信が持てなくなっていた。

 けど、正しくなくても、良いのかもしれない。このやり方が、わたしが一番納得できる在り方だから。

 

 那珂の意図しない励ましに、卯月は救われたような気分だった。水鬼を殺すための気力を、少し取り戻すことができたようだった。




お茶会に桃だけいなかったのは、歌の練習をしてたからです。

卯月への態度がかなり軟化してますが、割と当たり前です。
全員ブラックボックスの真相を聞いた上で、悪夢を見た卯月の錯乱も知っているので……あそこまで疲弊しきった人に、これまでのような態度を貫けるかと言うと。


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第59話 咖喱

比叡が来ている以上は、書かねばならない。
しかし第一章の日常パートは、これでお終いです。


 桃の練習光景を意図せず見てしまった卯月。彼女なりの謝罪方法としてそのやり方を選んでくれたのは嬉しい。しかし、やり過ぎだった。時間がないとしても、出撃前夜に練習し過ぎだ。

 

「えー、そう?」

「そうそう、水鬼倒してからでも時間はあるぴょん。桃の気持ちは分かったし」

「むー、そーゆーなら、まあ」

 

 不満そうにする桃をなだめ、練習を一先ず止めさせた。ただ、卯月が見た時点で、躍りも歌もほぼ完成されていたように見える。あれじゃダメだったのか。那珂に聞いてみたところ。

 

「アイドルに100パーセントはないんだよ」

 

 と返された。なにも言えなかった。アイドルとは別の世界の住人らしい。

 

 桃と別れた後、卯月と那珂は揃って食堂へ向かっていた。無論夕食のためである。

 歩きながら話すのは、自然とさっきの話になる。

 

「いやぁ、歌って凄いもんだぴょん」

「でしょー、歌は良いよー、ダンスも良いよー、だからアイドルはとても良いものなんだよ!」

 

 よくよく考えてみれば、歌も躍りも『卯月』の頃から知ってはいた。だけど、ただの音としてしか認識していなかった。そこに意味合いを見出だせるのは、人の特権かもしれない。

 

「歌ってのはねえ、全部を詰め込めるんだよ。楽しいことも、悲しみも喜びも、怒りも、全て歌にできる。だから那珂ちゃんはアイドルが好きなの!」

 

 那珂は、わたしよりよっぽど『人らしい』のかもしれない。未だに人間のからだをエンジョイできてないわたしより、何歩も先を行っている。

 だからこそ、ふとしたことに気づいた。

 

「そーいえば、那珂ちゃんは歌わないのかぴょん?」

 

 曲に合わせて踊ることはあったけど、アイドルらしい活動は見たことがない。前科持ちのアイドルなんて世間一般では認められないから、今は自粛してるのだろうか。

 

「うん、アイドルやるのは好きだけど、そっちは趣味に留めてるんだ」

「……え、あれで?」

「ちょっとどういう意味?」

 

 アイドルという単語に反応して発狂する様を見た卯月には信じられなかった。アイドルというかアイドル信者ということなのか。「アレ」呼ばわりされて、那珂は顔を引くつかせる。

 

「本業のアイドルは、他の『那珂ちゃん』がやってくれる。でもみんなと同じことやってちゃつまんないじゃない。だから那珂ちゃんは、違うことをするの」

「アイドルは全部同じじゃないかぴょん」

「那珂ちゃんは、アイドルはアイドルでも、『戦場のアイドル』を目指すことにしてるの!」

 

 自信満々に宣言する那珂を前に、卯月はポカーンとしていた。

 ちょっと、いや大分理解できない。戦場のアイドルとはなんぞや。まさかスピーカーをマシンガンで撃ち込みながらゲリラライブで走り回る訳じゃあるまいし。

 

「どういう意味だぴょん」

「戦場のアイドルはつまり戦場のアイドルだよ、味方にとっても敵から見てもアイドルだから戦場のアイドルになるってわけ」

「アッハイ」

 

 聞かなきゃ良かった。心底後悔する。アイドルについて触れたらこうなるのは分かってたのに。アイドルのいう単語がゲシュタルト崩壊しそうだ。

 

「……本当に分かったの?」

「ももも勿論バッチグーだぴょん!」

「じゃあ水鬼倒した後テストやるね! 大丈夫赤点とっても入念に補習をしてあげるから!」

「え、いや遠慮す」

「そんなの要らないよー、那珂ちゃんと卯月ちゃんの仲じゃない!」

「誰かー! 殺されるー!」

 

 卯月の悲鳴はどこにも届かなかった。アイドル狂信者に迂闊に関わった対価は想像以上に大きい。水鬼を倒しても更なる地獄が待ち受ける。卯月は未来に絶望していた。

 

 

*

 

 

 こうなればもう、食事しか生きる楽しみがない。心底やつれた顔の卯月が食堂に入ろうとした時、突如食堂を扉が開かれた。血相を変えた仲間たちが飛び出していく。

 

「艤装の整備があったクマ!」

「気持ち悪いのでポーラトイレ行きます!」

「不知火は、不知火は……なんか用事がありました!」

 

 なにが、起きた。

 呆然と立ち尽くす。気付けば那珂も姿を消していた。本当になにが起こったんだ。

 

「よう卯月」

「た、竹?」

「ほら、こっちに座って」

 

 竹と松が異様に親切だ。不気味な感じがする。逃げたくなったが、二人に腕を掴まれて逃げられない。二人はニッコリと微笑む。ホラー映画のワンシーンがなぜか浮かんだ。

 

 食堂には味わい深いスパイスの香りが漂っていた。

 

 そう、卯月は、着任早々前科持ちになったせいで、全艦娘が知るアレを知らないのである。

 

 厨房にいたのは、飛鷹ではなかった。

 

「気合い! 入れて! 作りました!」

 

 比叡カレーが、湯気を昇らせ卯月を待ち構えていた。

 

「アカン」

 

 卯月の本能が生命の危機を感じとる。カレーを食べればわたしの生命はない。逃げようにも、両手を拘束されている。

 

「大丈夫だよ卯月ちゃん、他の比叡さんのとはだいぶ違うから」

「ああ、慣れたらすぐ旨くなる」

「ほほほ本当かぴょん、このうーちゃんは嘘が大嫌いだぴょん」

 

 比叡カレーがいかなる現象か、卯月は知らないが、球磨たちの慌てようから、かなりヤバい物と考えられる。そうでなくとも本能が悲鳴を上げている。

 

「明日また出撃なので、作らせていただきました! 何故かみんな逃げましたけど!」

「あの事件の傷は癒えないネー……」

「カレーの話なんだよね?」

 

 良く見たら、食堂の隅で飛鷹さんと満潮が死んでいた。今日を持って前科戦線ウヅキは終わりとなるのか。

 卯月の前に、比叡カレーが置かれた。見た目は普通だった。だがスプーンを持つ手が震える。

 

「食べないんですか?」

「いや、食欲が……」

「そうですか、辛いのはダメでしたか。まあ子供の身体じゃしょうがないですね! 今甘口に変えてきま」

「このうーちゃんを舐めるなぴょん!」

 

 しかし卯月はカレーを口に突っ込んだ。ちなみに別に比叡は煽っていない。本当に気をつかっただけである。扉の影から見ていた球磨たちが「南無阿弥陀仏」と冥福を祈る。

 卯月はカレーを咀嚼し、カッと目を見開いた。

 

「美味しいぴょん」

「そうでしょう!」

 

 期待を裏切るものであった。

 平然とカレーを食べる卯月に、球磨たちはドタドタと倒れ込む。

 球磨たちは、なんであいつらは慌ててたんだろう? 

 30年前の惨劇を知らない卯月は、ピュアな目で球磨たちを見下ろす。

 

「いやぁ! これでも元々御召艦でしたから! これぐらいできないと、『比叡』の名折れですよ!」

「うまいぴょん! でも間宮さんの方がもう少し旨かったぴょん」

「そんな!?」

「あ、いや、これもとても美味しいぴょん」

 

 モグモグしながら、卯月は間宮の作ったカレーを思い出す。かなり辛口のピリ辛だったけど、その奥に深い味わいがあった。一口食べれば、また一口食べたくなる。美味しさに意識がとろけ、気付けば空になっていた。

 

 ただ、そう頻繁には作ってくれなかった。金曜日限定というわけではなかったけど、毎日ではない。毎日食べても飽きない味だ。皆あの味が好きだったのを覚えている。

 

「なんだ……食べれるのかクマ」

「さすがに失礼だよ。いや、桃も気持ちは分かるけど」

「あれは先天性の災いと思ってましたが、改善するものなんですね」

「言いたい放題ですねぇ! いや仕方ないですけど!」

 

 半泣きになりながら、比叡はカレーを装っていた。ホントなんなんだ、比叡カレーって。あの事件って。

 知らない方が良い気がしてきた。卯月は無心でカレーを味わう。そこへ、カレーを持った不知火が目の前に座る。

 

「ねえ不知火、なんで飛鷹さんと満潮は死んでるぴょん」

「辛いの苦手だからですよ、あの二人。ほら、ここでカレー出たことないでしょう」

「そんな理解かぴょん!?」

 

 前科戦線でカレーが出されない、極めてしょうもない理由である。

 

「そんな辛いかぴょん……」

「いえ、確かに比叡さんのは、割かし辛口だと不知火も思います」

「間宮さんの方がスパイシーだったぴょん」

 

 本当に辛かったけど、慣れればどんどん食べれた。真に美味しい味付けとは、ああいった料理を言うのだろう。

 

「……また、食べたいぴょん」

 

 ボソッと、思わず呟いてしまった。

 誰にも聞かれていないだろうか、卯月は慌てて周囲を見渡す。気づいていない。相席している不知火以外は無反応だ。

 

「彼女たちの鎮守府に、間宮さんはいますよ」

「作ってくれるかは別問題だぴょん、うーちゃんは他人から見れば、依然造反者だぴょん」

「そうですね」

 

 不知火はただ肯定するだけだった。希望的観測をする気も、悲観的な思い込みをする気もない。

 

「……神提督も確か」

「ええ、いるそうですね」

 

 今までは再会したいと思っていた。わたしが解体されるのを阻止するため、前科戦線に送られるように取り計らってくれた──そう思っていたから。

 しかし、実際は違うのだろう。神提督の証言が決定打となり、わたしは解体されることになったのだ。中佐には聞いていないが、ほぼ間違いない筈だ。

 

「考えても無駄なことは考えない方が良いです、食事を楽しんだ方が得ですよ」

「そうだね、うん、そうだぴょん!」

 

 気持ちの切り替えが重要だ。感情が追いつかなくても、そう思うだけで大分違ってくる。卯月は頭を振って、カレーをもしゃもしゃと食べ始める。脳裏からは間宮の作った料理の思い出が、離れてはくれなかった。

 

 

 *

 

 

 カレーの晩餐が終わり、各々が寝る為の支度に入り始める。卯月も一度出て行ったが、人が出払ったのを確認して、また食堂に入る。足音に気づいた飛鷹が驚いたように振り返った。

 

「あれ、うーちゃんどうしたの?」

「ちょっと、相談があるぴょん」

「そう、じゃあちょっと待ってて、あと少しで片付けも終わるから」

 

 残っていたのは拭き掃除ぐらいだった。数分とかからず作業を終わらせた飛鷹は、二人分のお茶を組んでテーブルまで持ってきた。

 

「はいどうぞ」

「ありがとぴょん」

「で、どうしたの?」

「実は……薬のことで」

 

 話題が話題なので、だいぶ気まずい雰囲気になる。どんよりした顔つきで、卯月は話し始めた。

 

 昨晩見た悪夢は、壮絶としか言いようがなかった。神鎮守府を壊滅された記憶と、水鬼に忠誠を誓った記憶を延々とループしていた。しかしそれ以上に酷かったのが、目覚めた直後の幻覚や幻聴だった。卯月は思い出すのも嫌だった。思い出した瞬間、すぐにでもフラッシュバックを起こしかねない。

 

 だが、今夜また、悪夢を見る予感があった。結局心の傷が原因なのだ、当分は見続けることになる。悪夢にうなされ、起きれば幻覚に魘される。こんな状態では到底休むことはできない。悪夢も見ないクラスの、強力な睡眠薬が欲しかった。

 

「なるほどね、一応聞くけど。また悪夢を見たら服用するってのじゃ、ダメなのかしら?」

「ダメだと思うぴょん、明日出撃なんだから、今日は確実に寝たいぴょん。また悪夢を見るのは明らかだぴょん」

「それもそうね、そういう話なら、薬はあるわ」

 

 どの鎮守府にも最低限常備されている程度の薬だが、トラウマを負った艦娘も問答無用で熟睡させる強力なものだ。卯月にも効果はあると飛鷹は見込む。ただそれでも、薬を処方するのにはためらいがあった。

 

「うーちゃん、この間、向精神薬を処方したじゃない。あれとの兼ね合いはどうするの」

「……あ、しまったぴょん」

「忘れないでよ。でも、睡眠薬と向精神薬と同時服用は、ヤバいんじゃない?」

 

 強力な睡眠剤と、精神の興奮を抑制する薬のダブルパンチ。安らかに永眠する未来しか、卯月には見えなかった。向精神薬を貰ったのは、戦場でブチ切れて暴走するのを防ぐためだった。結局、システムにより暴走しているが。

 

「ど、どうすれば良いんだぴょん」

「うーん、服用する量の調整はわたしにはできないし。現状はどっちかを止めるってのが現実的ね」

「どっちか、かぴょん」

 

 卯月と飛鷹は揃って首を傾げて、どちらが良いか考える。数秒後二人は眼を開いた。答えは似たようなものだった。

 

「まあ、睡眠剤の方よね」

「うーちゃんも同意見だぴょん」

「決定ね、今持ってくるわ」

 

 寝なければストレスがたまる、余計キレやすくなる。しかし十分寝ていれば激昂する危険性は下がる。どちらか一方なら、良質な睡眠を確保する方が重要だ。

 向精神薬の方も捨てがたいけど。水鬼との戦いでは、()()()()()()()()()()()。卯月はそう思った。

 飛鷹は食堂の端の戸棚の鍵を開け、薬を取り出す。錠剤の物を袋に入れて、卯月に手渡す。

 

「服用する量は袋に書いてあるわ、ちゃんと容量を守ってね。悪夢で寝れなくても、大量に服用するのは厳禁よ」

「分かってるぴょん、うーちゃんそんなにマヌケじゃないぴょん」

 

 艦娘なのに、陸で、しかも自殺するとかカッコ悪すぎる。そんな死に様は御免だ。仮に死ぬとしても、わたしはカッコ良く死ぬと決めている。

 

「うーちゃん、無理はしないでね」

「心配してくれてるのかぴょん?」

「ええ、中佐も、不知火も。目的の方が大事だけど、その次に大事なのは貴女。中佐だってちゃんと『提督』なんだから。貴女が死ぬのを望まない人は大勢いるわ」

「……うん」

 

 卯月は、基本開き直ったつもりでいる。

 しかし感情は全く追いついていない。菊月を殺したのは事実、仲間を殺した造反者には変わりない。そんな奴に、生きる資格はない。

 そう後ろ向きになってしまう感情へ、投げかけられた飛鷹の言葉。生きて良いのかと卯月の感情は戸惑いを見せた。

 

 けれども、決して悪いものではない。




艦隊新聞小話

 Q:比叡カレーってどんなのなの?
 A:比叡カレーは全ての比叡が先天的に保有する異常性によって齎される、異常物体の総称です。『料理』ではありません。個体によっては料理以外の事象が発生します。主に心身への深刻なダメージ・変異、周辺環境、空間へ不可逆的影響をもたらします。
 比叡本人の料理スキルの向上によって、異常性が無くなるケースはありますが稀です。指導を行う際はミーム汚染への対策を必ず実施してください。場合によっては憲兵隊の出動が要請されます。
 また、『調理』のプロセスを一切挟まず、発生するケースもあります。この為完全な収容は不可能です。万一発生した場合は、直ちに基地の放棄・自爆を実施してください。

 尚、比叡カレーを戦略兵器として海に投入するのは軍規で禁止されており、即座の終了措置が実施されます。
 以前○○提督により投入された結果、接種したイ級が40メートル級の黒い龍型生命体へ変異。日本全土を飛翔しながら、比叡カレーのブレスを一週間に渡り放出しました。
 武蔵により狩猟されましたが、大本営は壊滅寸前に陥り、空はカレー色に染まり太陽光が遮断されました。武蔵がいなければ空は永遠にカレーでした。
 
 また、これは30年前の悲劇ではありません。
 30年前の悲劇は日本だけではすまず、【アクセス権限が制限されてます】となりました。()エーの七日間は繰り返してはなりません。







 単なるギャク回だと思いますよね?


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第60話 幻影

 再び悪夢を見る可能性を危惧した卯月は、飛鷹から睡眠薬を貰った。明日出撃なのに、体調を万全にできないのは不味い。既に薬は服用済。あとは寝るだけだ。

 それでも、悪夢を見る可能性は依然高い。薬どうこうでなんとかできるとは、あまり思えなかった。

 

 大きい不安を抱えたまま、浴場から部屋へ戻る。室内には仏頂面の満潮がいる。と思ったが、満潮以外にもう一人、来客がいた。

 

「こんばんわ、卯月さん」

 

 熊野がヒラヒラと手を降っていた。卯月と満潮のベッドの間だのスペースに、自分の布団を持ってきていた。ここで寝るつもりなのは間違いなかった。

 

「熊野? なんでうーちゃんの部屋に?」

 

 当然、熊野には熊野の部屋がある。なぜ自分の部屋で寝ないのか。卯月は尋ねる。

 

「卯月さんが、暴れた時の為の人員ですわ」

「わたしだけじゃ抑えきれないのよ。だから、手伝って貰ってるわけ、分かる?」

「うん、満潮が睦月型の腕力にさえ勝てないザコって分かったぴょん」

「水鬼に会う前に死にたかったのね」

「はいはい二人ともそこまでですわ」

 

 満潮がザコなのは事実であった。

 それはさておき、わたしが暴れた時のためか。卯月は途端に暗めの表情になる。

 

 幻覚を見た時、凄まじく暴れたのはなんとなく覚えていた。あの時は球磨に抑えて貰った。一歩遅ければ眼球をえぐりだしていた。今更ながら、恐ろしい状態だったと卯月は震える。

 

 だから、熊野がいてくれるのだ。自主的になのか、不知火とかに命令されたのか、どちらかは分からない。でも、ありがたいのに変わりはない。

 

「まあ、見ないに越したことはないんですが」

「……うん」

「その様子だと、厳しいでしょうね」

「本当に迷惑な奴」

 

 満潮の暴言にも言い返せなかった。昨晩は錯乱した叫び声で、全員を叩き起こしてしまった。さすがに二度目なら、メンタルへのダメージは少なくなると思うが。

 

「さて、明日のこともありますし、早く寝ましょう」

「そうね」

「睡眠不足で撃破スコアが減ったら、お給金が減りますし」

「……そんな理由?」

「それ以外に理由が?」

 

 前科戦線送りになっても、艦娘は艦娘だ。もう少しマシな理由で戦えよ。そう満潮は冷たい目線を向ける。熊野はニッコリ笑ってスルーした。

 

「あ、そうそう、卯月さんに朗報が」

「ぴょん?」

「卯月さんのお給金の出る日が決まったそうですわ」

「え! 本当かぴょん!」

 

 出なさすぎて誤魔化されてるんじゃないか。そう思い始めていたが、違ったのだ。高宮中佐も鬼ではなかった。卯月は途端に上機嫌になる。

 

「明後日ですわ」

 

 つまり、水鬼との戦いの翌日である。死んだら無論、一銭も出ない。

 

「……狙って?」

「でしょうね」

「クソだっぴょん! 絶対に死ぬかぴょん!」

 

 とんだ理由で死ねなくなった。システムのトラウマで壊れてもアウトである。これもわたしが壊れない為の、中佐の作戦なのだろうか? なんにせよ、割りと酷い行為には変わりなかった。

 

 

 *

 

 

 深夜、満潮も熊野の熟睡した頃。部屋の中に卯月の呻き声が聞こえ始めていた。催眠剤を飲んだ直後は効果が強かったが、服薬して数時間足らずで、効果は切れつつあった。

 

「……む、不味いですわね」

 

 即座に反応した熊野が、布団から起き上がる。

 熊野は実のところ、悪夢で起きるとは予想していた。寝れなくても問題ないように、昼間の内に寝溜めしていたのだ。

 

 ベッドのシーツを剥ぐと、卯月は苦しそうに息をしながら、汗を流して悶え苦しんでいた。

 

「さて、どうしましょう。ドックの使用許可は貰っていますが」

 

 また暴れたら、大なり小なりダメージが残る。念のためにドックを使えるようにはしておいた。それにしても、こうも簡単に使用許可がとれるとは。

 誰が見ても明らかな特別扱い。やむを得ない、現状唯一の、敵への手がかりなのだから。

 

「見るに堪えませんわね……」

 

 しかし、この苦しむ姿は悲惨である。最初から思うつもりはないが、特別扱いを微塵も羨ましいとは思えない。

 

「あ、あぁ……や、だ」

「やむを得ないですね。卯月さん、起きてください」

 

 このまま寝かせておいても、また呼吸困難を起こすだけだ。そう判断した熊野は、悪夢から目覚めさせるため、卯月をかなり強く揺さぶる。

 辛い夢を見て、覚醒寸前だったのか、卯月はあっさりと眼を覚ました。

 

「うぅ……く、まの?」

 

 トラウマを抉られた卯月は、弱々しい声で名前を呼ぶ。涙で潤んだ眼の焦点は、まだ合っていない。意識もまだ朦朧としている。しかし、熊野は警戒を緩めない。昨日と同じなら、ここからがヤバい。

 

「……ひっ!?」

 

 突然、卯月が怯えた。

 周囲に卯月が怯えるような物はなにもない。だが、なにもない虚空を見つめて、震えている。

 

「幻覚ですわ卯月さん! 落ち着いて!」

「げ、幻覚? そ、そうだ、卯月は……あ、あああッ」

「卯月さん!?」

 

 熊野の声は、少しだけ聞こえた。しかしもう、叫んでも卯月には聞こえない。熊野がなんど呼び掛けても、卯月は反応しなかった。けれど、昨晩のように錯乱し、暴走してはいない。

 

 ただ、壊れた瞳で、呻き声を上げながら、踞っていた。そのまま固まっていた。

 

「収まってはいませんね……卯月さん、聞こえてますか」

「……う……う」

「卯月さん……」

 

 幻覚を堪えているのか。熊野はそう判断した。何度呼び掛けても聞こえてる気がしない。それでも、声を掛け続ける選択しかない。

 

「大丈夫ですわ、大丈夫」

 

 無駄かもしれないが、熊野は卯月を抱きしめ、励まし続けていた。

 

 

 

 

 熊野が懸命に呼び掛けている間、卯月は必死で幻覚に堪えていた。頭を抱え、全身を蝕む幻触に耐える。耳を塞ぎ、目を閉じても、彼女たちは消えてくれない。

 

 手のひらの菊月が呟く。

 

『う 月、なんデ?」

 

 身体から生えた手足が、身体を這いずり、爪をたてて傷を作る。誰の手足かは分からない。

 

「助けて」

 

 耳を塞いでいるのに、四方からそんな声がする。「助けてよ」血を吐く音助けを「助けてって!」乞う音悲鳴の音が止まら「助けてなんでなんでなんで!!」

 

 目を閉じているのに、みんなが見える。皮膚が剥げて、手足が千切れ、砕けた頭蓋骨から脳味噌を溢した艦娘が、人間が、部屋の中にビッシリひしめいている。卯月を取り囲んでいる。満潮も熊野もいなくなった。

 

 身体のあちこちに、深海せいかんの歯や目が生えてる。かきむしったところで無駄だから、頑張って無視する。腫瘍みたいに大きくなる、気持ち悪い、吐きそうになる。

 

「よくも殺したな」「裏切り者」「死ねよ」「早く消えて」「沈め」「沈め」「沈め」声が止まらない、どんどん大きくなる。鼓膜が破れた。でも聞こえる。脳内に直接響く。

 

 生首になった菊月が見てる、全身火傷の高宮中佐が、蛆虫まみれで見てる。身体が半分消えた間宮さんが内臓を引きずって睨んでる。上から下から口の中から視線が突き刺さる。

 

 やがて卯月の身体にも蛆虫がたかる。身体がくさる。激痛が内蔵を抉る、皮膚のしたはもう虫まみれだ。植え付けられたたまごが孵化して、にくがくわれる。

 

 みんながからだをちぎる、てあし、が、消えた。内蔵をひきずりだされた。狂いそうに、なる、いたい、はきそう、だ。なのに、まだ、なきごえが、止まらない。『あ゛あ゛あ゛あ゛止めて狂う狂う狂うあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ誰の声かわからない゛あ゛あ゛あ゛あ゛絶叫だで悲鳴でむねんのさけびあ゛あ゛あ゛消えるわたしが消えるこわれるあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛』止まらない止まらない止まらない。

 

 もはや、五感の全てが狂い果てていた。

 

 昨晩見たものよりも、幻覚は悪化していた。

 

 幻覚だけではない。幻聴、幻触。卯月はそれら全てに、同時に襲われていたのだ。

 

 それでも、卯月は自分を見失わず、ギリギリの崖っぷちで堪えていた。

 

 幻聴でなにも聴こえなくなる寸前、熊野の声が聞こえていたのだ。それで思い出せた、これは『幻覚』だと。

 

 全ては幻だ。卯月はそれだけを頼りに耐える。だから錯乱せず、絶叫せずに済んでいた。

 

 しかし、狂った五感はこれが現実だと金切り声で主張する。痛みも、突き刺さる視線も、蛆虫にたかられる痒みも、卯月にとってはすべて『現実』のそれだ。

 

 いったい、いつ終わるのか。気が遠くなり、狂気に心の全てが蝕まれようとする。狂気のみならず、誰も感じられない孤独が襲う。

 実際は熊野と満潮がいるのだが、幻覚と幻聴で分からなくなっている。

 

 それでも、耐える。堪えるための最後の一線は、やはり卯月自身の報復心だった。

 ここで壊れたら、水鬼を殺せなくなる。仇をうてなくなる。だから壊れてはいけない。

 

 だから、お願いだ、消えてくれ。

 

 強く祈ったその時、幻聴が消えた。

 

 

 

 

 恐る恐る、卯月は顔を上げる。皮膚が焼けただれた仲間はいない。骨や内臓をひきずった人間はいない。先程まで、足の踏み場もないほどひしめいていた幻たちは、消え失せていた。

 

 ようやく卯月は、正常な感覚を取り戻した。室内にいるのが、熊野と満潮だけだと気づく。あれはやはり、幻だったんだと、やっと安心できた。

 

「卯月さん、ご機嫌は?」

「……最悪だぴょん」

「お疲れさまですわ、戻ってきてくれて、熊野も安心しました」

 

 熊野はずっと、卯月を抱き締めていた。震えを止め、安心させるために。なので今もまだ、抱き締められたままである。途端に恥ずかしくなり、熊野の手を退けようとする。

 

 しかし、手にまったく力が入らない。身体が上手く動かず、かなりの疲労がのし掛かっている。挙げ句、まだ震えていた。幻の恐怖はまだ抜けていない。

 

「……あー、ダメだぴょん」

 

 色々考える余力さえない。卯月は疲弊した心が求めるまま、熊野の胸元に身を預けた。

 熊野は少し驚いたが、振り払おうとはせず、そのまま抱き締める。

 

「どれぐらい?」

「……震えなくなるまで」

「分かりましたわ」

 

 壮絶。そう呼ぶ他ない幻に、卯月の心はボロボロだ。とにかく何でもいい。誰かの温もりを求めずにはいられない。卯月は胸に顔を埋めて、体温を感じていく。

 

 熊野もまた、慰めてあげようと、卯月の頭をゆっくりと撫でていた。

 自分のためという、利己的な理由はある。だが、それを抜きにしても、卯月には落ち着いて貰いたかった。

 

 顔を埋めてるので、卯月の表情は分からない。ただ頭を撫でる度に、小さな嗚咽が溢れる。

 

「我慢は、良くないですわよ?」

「……うーちゃん我慢してないぴょん、なにも、辛くなんてないぴょん」

「あら、そうですか」

 

 なわけないでしょ。熊野には分かっていた。だが感情を溢れされる真似は、卯月のプライドが許さない。

 人のことは言えないが、中々面倒な性格だ。しかし我慢は良くない。熊野はゴホンと、咳払いをする。

 

「満潮さんは寝てますわ、この熊野も、ちょっとこのまま寝ますので……なにも、聞こえないということですわ」

 

 卯月の震えが止まった。

 

「……ウソついてないぴょん?」

「嘘はつかないと約束したのをお忘れでは? この熊野、約束には誠実ですの」

「……そーいや、そうだったぴょん」

「では、お休みなさいまし」

 

 着任直後のやり取りを、卯月は思い出す。

 気をつかってくれてるのが痛いほど分かった。プライド優先のめんどくさい思想ばかりに、こんなことをさせている。

 

 けれども、限界はとうに越えていた。

 錯乱して泣いたが、正気のまま、感情を溢れさせたことは、まだ一度もしていなかった。

 熊野の優しさが、温かさが、心を解いていく。

 

「うっ……うぁ、ぁぁぁ……」

 

 前科戦線に来てから、二度目の落涙。怒りも悲しみも後悔も自責も、すべてがひっくるめて、涙とともに溢れ落ちていく。その声を聞いている者は、誰もいなかった。

 

 

「……バカ卯月」

 

 

 実は起きていた満潮も含めて。

 

 

 *

 

 

 散々泣き腫らした後、卯月はよろよろと廊下を歩いていた。約束通り熊野は寝たまま、一切動かなかった。まあ、実際は起きているんだろうけど。

 

 満潮は……起きていたのだろうか? まあ、あいつはどっちでも良い。聞かれていたとしても、特段なんとも思わない。そんなことより、シャワーを浴びたい。

 

 壮絶な幻のせいで、身体中が汗まみれだった。これで寝たら汗臭くなる。それは乙女的にアウトなのだ。寝るにしても、汗を流してからだった。

 

 お風呂の扉に手をかけ、さあ入ろうと卯月は戸をひく。

 

 瞬間、戸の隙間から、真っ白な手が現れ、卯月の手をガシッとわしづかんだ。

 

「ギャア!」

「こんな夜更けになにをしてるでありますか!」

「って、てめぇかぴょん!?」

 

 なんということはない。バスタオルをまいたあきつ丸であった。心臓が飛び出て死ぬかと思った。腰を抜かした卯月は、へなへなと地面に崩れる。

 

「いやはや、足音が聞こえたもので、つい扉を開けてしまいました。とても良い反応で、あきつ丸は大変愉悦であります」

「ざっけんなぴょん。第一こんな時間になにしてんだぴょん」

「風呂でありますが」

「それは分かるぴょん」

 

 ホカホカ湯気を立たせてれば、風呂上がりとは分かる。ただこんな時間に風呂のいうのが不思議だった。仕事が忙しかったのだろうか? その予想は、概ね当たっていた。

 

「ああ、もう部隊に帰るのでありますよ」

「……え、こんな時間に?」

「此処の位置は基本秘蔵ですから、夜に外へ出る方が、足がつかないのです。で、それならシャワーだけでも浴びていけと、中佐殿が進めてくださったのです」

 

 それにしてもこの時間から戻って仕事とは。高宮中佐だけではない。憲兵隊も『敵』の特定に全力を出しているのが感じられた。わたしのためとかではないだろうが。

 

「同じ敵を追う身、生きていれば、また会えることもあるでしょう」

 

 卯月は微妙な表情を浮かべた。

 こいつと再会かぁ……素直に喜べなかった。いや、死に別れるよりマシだけども。

 

「このあきつ丸、卯月殿の復讐を応援してるでありますよ」

「そりゃどうもぴょん」

 

 拷問マニア(疑惑)の危険人物と話すことはない。入れ替わりに風呂場へ入ろうとする。

 だが、あきつ丸は言う。

 

「しかしそれでは、復讐は叶わないでしょう」

 

 まさかの一言に、卯月の怒りは突沸しかけた。しかしあきつ丸は、気にせずに告げた。

 

 

「怒りが、足りない」

 

 

 どういう意味だ。

 だが、振り返った時、あきつ丸は消えていた。もう影も形もなかった。

 残された卯月は、呆然とする。

 

 怒りが、足りない?

 怒りの余り、周りが見えず暴走しそうになっているのに?

 なぜ、そんなことを言われなきゃならないのか。卯月にはまだ分からなかった。




うーちゃんの幻はパプリカの夢の中とサイレトヒルの裏世界が悪魔合体したような状態と思えば、イメージしやすいかもです。

あきつ丸のアドバイス(?)。
愉悦部的な助言なのか、それとも真面目な助言なのか。


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第61話 雪辱

 悪夢と幻に苦しめられたものの、感情をぶちまけたことで、かなりスッキリできた。シャワーを浴びて二度寝をしたが、また悪夢を見ることはなく、熟睡することができた。

 

「……くぁ」

 

 しかし一度起きたせいで、やや睡眠不足だ。万全ではないが、もうしょうがない。いっそこのイライラごと、水鬼にぶつけるつもりでいよう。

 

「水鬼……よくも、殺してやる、殺してやるっ!!」

 

 暴力衝動が一瞬で膨れ上がった。布団をかきむしり、毛布を何度も殴り付ける。それでも足りず、手元の枕を乱雑に投げ飛ばした。枕は勢いよく飛び、満潮の顔面を直撃した。

 

「がはっ!?」

 

 意識外からの攻撃に、満潮は、即覚醒した。

 

「イライラする……あぁっ、深海魚風情が!」

「わたしに言うことないの!?」

「苛ついてるって言ったぴょん! でもすまんぴょん! これで良いなぴょん!」

「ざけんな! 一発ビンタさせろ!」

「やってみろよ満潮!」

 

 ちなみに熊野はもう部屋を出ていた。出撃前のおしゃれ、もとい準備で忙しい。ストッパーはいない。出撃に支障が出るので殴ったりはしないが、激しい闘いとなった。

 

 結果、準備の時間がなくなり、二人は大慌てで食堂へ向かうことになった。

 

「おはよううーちゃん、満潮……え、どうしたの頬」

「なんでもないぴょん」

「なにも問題ないわ」

 

 寝癖つき、かつ頬は赤くちょっと腫れている。お互いのビンタが直撃したダメージである。

 二人は会話せず、黙々と食事を済ませ、最後の準備に取りかかる。

 

 満潮は継ぎ接ぎのスカーフを首に巻き、自爆装置の首輪を取りつける。

 

 卯月は形見のハチマキを髪の毛に巻き付け、気絶装置の首輪を取りつけた。

 

「卯月」

「なんだぴょん」

「あんたの仲間だから、確認しておくわ。『顔無し』は容赦なく沈めていいのね?」

 

 顔無しの戦闘力は厄介だ。だが無視はできる。ハードな立ち回りになるが、無視しながらでも闘える。満潮だけではなく、前科組全員がそうだった。

 

「ああ、殺してくれぴょん」

 

 卯月は、躊躇なく断言した。

 

「迷い、ないのね」

「あれは死体だぴょん、敵でしかないぴょん。むしろ、殺してあげるべきだぴょん」

 

 存在自体が哀れだ。これ以上尊厳を弄ばれる前に、完璧に終わらせなければならない。

 

「中から回収して、サルベージできる可能性だって……」

「満潮、いいか、みんなは死んだ。殺したぴょん、うーちゃんがこの手で。サルベージだって? また、みんなの命を侮辱しろって言うのか?」

「生きてれば、それで良いとは思わないの。また新しい一歩を踏み出せるとは」

 

 満潮の言うことは一利ある。そりゃ死ぬより生きてる方が良い。生きていれば可能性は開ける。それでも、卯月は、サルベージなんて考えられない。

 

「終わった物は戻らないんだぴょん」

 

 それは不可侵領域だ。わたしたちだからこそ、一層犯してはならない禁忌なのだ。

 だからこそ、正さなければならない。確実に破壊しなければならないのだ。

 

「ホント、あんたとは合わないわね」

「今更なにを言うかぴょん」

「それもそうね。今度は顔無しの中身を見ても、暴走しないでよ」

 

 満潮は部屋を出ていき、工廠へ向かった。出撃の時間は迫っていた。卯月ももう出なければならない。だが彼女は不思議そうに立ち尽くす。

 

「顔無しの中身なんて、うーちゃん見たっけ」

 

 顔無しが、仲間の死体を材料にしていることは認識している。しかし、どうやってそれを知ったのか、いまいち良く覚えていなかった。これは話しておくべきことなのか。卯月は戸惑いながらも、工廠へ向かった。

 

 

 *

 

 

 工廠にはもう、全メンバーが集結していた。出撃メンバーは前回と僅かに違う。那珂とポーラが交代だ。那珂は不満そうにしながら不知火に訴えている。

 

「那珂ちゃんお留守番なのー!?」

「ええ、夜戦が想定されているので」

「ならむしろ、那珂ちゃんのステージじゃん!」

「卯月さんがいるのをお忘れですか」

 

 卯月的にも那珂の方が良かった。酔いどれのへべれけと一緒とか嫌で嫌で仕方がない。

 

「なにを飲みましょー、うへへへへ」

 

 ポーラは泥酔している時が最も強い。だから酔いのタイミングを調整するため、艤装内部にワインを詰め込んでいた。クソみたいな光景だ。

 

 だが、そんなのを気にしてる心の余裕はなかった。卯月の目線は、彼女自身の艤装へ──ブラックボックスへと向けられている。特級の爆弾を抱えたまま、行かなきゃいけない。

 

 緊張と恐怖が入り交じり、脂汗が額に浮かぶ。心臓がバクンバクンと音を立ててうるさい。息が荒れる。

 そこへ、北上が声をかけた。

 

「おーい、卯月」

「な、なんだぴょん」

「……大丈夫?」

「だいじょばなくても、行くしかないぴょん」

 

 ブラックボックスを積んだ卯月がいなければ、水鬼へは到達できない。選択肢はない。

 

「まあ、そうだしね。一応さ、暴走への対策はやっておいたよ」

 

 北上が手を動かすと、クレーンに載せられて、卯月の脚部艤装が運ばれてきた。

 パッと見普通に見えるが、良く見ると色が違う。脚部艤装全体が、ラバーのような物でコーティングされていた。

 

「これは?」

「このシステムは、深海のエネルギーを取り込む機能がある。てことは、それを遮断しちゃえば良い」

「……そうすれば、洗脳されないのかぴょん」

 

 北上は「そうだよ」と頷いた。仮説段階だが、価値観が変わってしまうのは、深海のエネルギーに呑まれるからだ。だからエネルギーを取り込まなければ、わたしは変わらずに済む。

 

「深海の力って言うからには、エネルギーは()から来てる。だから海に接触してる、脚部艤装にコーティングを施した。実験も済ませてるから、効果はあるよ」

 

 なおこれらは全て、大本営が元々持っている技術である。北上はそれを応用して組み込んだ。

 

 卯月は加工された艤装を眺めて、息を吐く。

 心から安心、とまではいかないが、大分心が楽になった。あんな辛い思い、しないに越したことはない。

 

「でも気をつけて、外から加工してるだけだから、艤装のダメージが酷くなったら防げなくなる」

「分かった、気をつけるぴょん。ありがとう北上さん」

「良いんだよ。あたしがさっさと解析できてれば、こうはならなかったんだから」

「いや、悪いのは『敵』だぴょん。北上さんが気に病むことはなんにもないぴょん」

 

 北上が気にするのを、卯月は止めた。そんな態度は『敵』を喜ばせるだけだ。そんなことは許されない。憎しみが止まらなくなる。だから、気にしちゃいけないのだ。

 

「そうだね……わたしができるのは此処まで。あとは、卯月自身が頑張るしかない」

 

 言われずとも、分かっている。

 この復讐は、わたしのものだ。怒りも憎しみもわたしだけのものだ。誰にも譲るつもりはない。

 

 まあ、戦闘力的に、水鬼に止めを刺すことは不可能に近いけど……間接的に手伝いができれば良いことにする。

 水鬼を見て、殺意が暴走しなければの話だが。いや、暴走しちゃいけない、感情を抑えなきゃいけない。

 

 その時、あきつ丸の言葉が脳裏を過った。『怒りが足りない』と、あいつは言った。

 足りたら、どうなるのか。余計暴走しやすくなるだけじゃないか。なんであきつ丸は、あんなことを言ったんだ。

 

 よく分からない思考に陥りかけた時、高宮中佐の教鞭の音が鳴り響いた。意識が切り替わり、余計な考えが意識の外側へ追いやられる。

 

 全員が揃っているのを確認した高宮中佐が、話し始めた。

 

「事前に通達してある通り、今回、駆逐艦卯月にはブラックボックスを積んだまま出撃してもらう。当然暴走のリスクは承知の上だ。だが今回は対策を行った。暴走した場合は即座に気絶装置を作動させる。破壊されるよりも前に。藤艦隊所属のお前たちは、気にすることなく戦闘に集中してほしい」

 

 前回、卯月の暴走で作戦は大混乱になった。それを踏まえた発言だ。

 

「だが、今回の作戦。刺客の襲撃が想定されている。そうだ、あの襲撃の生き証人である、卯月を抹殺するための刺客だ。仮に刺客が現れた場合は、我々特務隊を殿として、撤退を行う。ただし、刺客が出現しても、水鬼は必ず撃破する。既に作戦期間の猶予はないのだ、その上で、作戦の成功を命令する」

 

 前回組は慣れた表情で頷いた。水鬼の撃破が至上目的、金剛たちの生存はその次、前科組の優先度は最下位に位置している。卯月も文句なんて言う気はない。

 要するに、死ななければ良いだけの話なのだから。

 

「秋津洲が外で待機している、これより、水鬼討伐作戦を開始する」

 

 ブラックボックスの謎は残る。『敵』との闘いも続く。けど、これで一つの戦いが終わる。泊地棲鬼の一派は、戦艦水鬼の死を以て決着となる。

 この怒りを、必ず思い知らせてやる。

 淀んだ瞳には、あらゆる負念が渦巻き突発しつつあった。

 

 

 *

 

 

 コンバットタロンに乗って、飛んでいった卯月たちを、高宮中佐が執務室から眺めていた。

 顔にこそ出さなかったが、内心、かなりの不安が渦巻いていた。

 あらゆることが、イレギュラー過ぎる。ブラックボックスしかり、刺客の可能性しかり。

 

 だが、これしか方法がないことは、彼自身が一番理解していた。

 なにせ、半年間だ。

 一定の技術力がある北上が、半年間調べて、ほとんど分からなかったのである。文字通りの『ブラックボックス』だ。

 

 たった一つの進展が、水鬼との戦いで、システムが作動したというだけ。亀の方がまだ早い。

 それでも、進展だ。

 戦闘下であれば、作動する可能性が高い。卯月を戦線に出したのは、それが理由である。

 

 作動しなくても、顔無しの露払いや、ルート固定に貢献できる。作動すれば、なお良しだ。

 

 しかし、洗脳されるだろう。対策はしているが、焼け石に水だと、中佐は思っていた。だが、それはもはや、問題にならない。たかが一個人の精神を気にする段階は過ぎている。

 

 壊れて、システムを作動させるだけの道具になるか。それとも『卯月』として報復を成し遂げるか。

 

 それは、卯月次第だ。『地獄でも良い』と了承したのは、間違いなく卯月なのだから。

 

 もっとも、これで壊れるようなら、今壊れた方が幸福に違いない。

 

 これからの戦いは、心身ともに過酷なものになる。卯月は今のままでは生き残れない。

 

 どう転ぶか、中佐には分からない。どちらでも構わない、どうなっても使い道はある。

 正気のほうが、望ましいというだけの話だ。

 

「行ったか」

 

 コンバットタロンが、完全に地平線の彼方へ消えた。最後まで見送り、緊張がほどけた高宮中佐は、不知火が淹れておいてくれた、コーヒーを口につけた。

 

「……ッ」

 

 凍りついている中佐の表情筋が、激しく歪む。ゆっくりコーヒーカップを起き、こめかみを指で抑える。

 口の中に残った液体を飲み干し、カップを睨む。

 

「なぜ、コーヒーとめんつゆを間違える……」

 

 落ち度の化身であった。

 しかも砂糖とミルクは忘れていない。もう最悪の気分である。ただこれでも、昔と比べれば、発生頻度は七割ぐらい減っている。

 

「中佐ー! いるー!」

 

 挙げ句やかましいのが乱入してきた。那珂である。中佐は心底げんなりした。

 

「ノックはどうした」

「この那珂ちゃんはノックなんてしなくても十分存在感があるもん!」

「……そうか」

 

 お勤めの期間をなんとか延長できないだろうか。高宮中佐は割りと真剣に、そんなことを考える。

 

「で、なんの用だ」

「那珂ちゃんお仕事ダメ?」

「ダメだ」

 

 中佐は躊躇なく自室へ戻ろうとした。

 

「待って待って! 早いよ!?」

「お前のアイドルごっこに付き合う気はない」

「酷い!?」

 

 しかし那珂は、中佐の裾を掴んだまま離れない。無理やり振りほどくことはできる。しかし、口内のめんつゆがやる気をかなり削ぎ落としていた。

 

「出撃はダメだ。説明した筈だぞ、敵襲があった場合に備えなければならない」

「そうだけどぉー」

「貴様、なぜ此処に来たのか忘れたのか?」

 

 その一言に、那珂は顔を暗くさせた。

 

 だがすぐに、いつもの明るい顔に戻る。

 

「でも、今の卯月ちゃんなら大丈夫だと思うんだけど」

「ダメだな、むしろ、今までで一番危険だ。あの精神状態は理解しているだろう」

「そんな状態で出撃命令出した人に言われた!」

 

 那珂の突っ込みは完全に無視した。中佐は執務机に座り、資料を広げていく。あきつ丸のレポートや、一緒に寝た熊野からの報告書である。那珂は覗き見する程、非常識ではない。ブーブー言いながら、ソファーに座った。

 

「……まあ、お楽しみは、那珂ちゃん後に取って置く主義だから良いけど」

「お楽しみか、良くそんなことを言える」

「だって、那珂ちゃんはアイドルだからね」

 

 アイドルが何を指示しているのか、中佐は正確に理解していた。伊達に前科戦線の責任者をやってはいない。その分、那珂の(さが)にも、頭を悩ませることになる。

 

「うふふ、感じるよー、観客さんの視線を!」

 

 彼女の発言に、中佐は資料を読むのが止まった。

 

「理解しているのか?」

「何度も言わせないでよー、だって那珂ちゃんは、アイドルなんだよ?」

「……ならば、この話は」

「勿論! アイドルには秘密が付き物だからね!」

 

 卯月たちはまだ、水鬼のところに到達していないだろう。だが、これで、一つの推測が完成される。

 高宮中佐の手元に置かれた、大本営に提出する作戦資料。

 

 そこの出撃日時は、()()()となっていた。




 基地が直接襲われた時のために戦力は残していますが、基本一隻で事足ります。前科戦線は大本営からしても、かなりの重要拠点なので、位置を特定されないための術式を何重にも張っているからです。
 なので、現れるのは、偶然迷い込んだ野良が数隻。一隻で十分、撃退できる範疇なのです。


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第62話 壊

 秋津洲の操縦する輸送艇の中は、緊張に静まり返っていた。戦艦水鬼との決着、泊地棲鬼から始まる大規模作戦の締めくくり。金剛たち、藤提督の艦娘たちにとっては、初めてのイベント海域である。

 

 成功しなければ、藤提督の地位に関わる。逆に成功すれば、提督の昇進も夢ではない。ある意味で運命のかかった一戦。昇進目的で戦ってるわけではないが、緊張は途切れなかった。

 

 前科戦線メンバーも、緊張していた。だが金剛たちとは理由が違う。大規模作戦は慣れきっている。ではなぜ、緊張しているのか。

 目線の先には、目を血走らせた卯月がいた。

 

「卯月さん……大丈夫なんですよね?」

「そんなのも分かんないのかぴょんこのバカ」

 

 バカ呼ばわりされ、熊野の顔はひくついた。

 卯月は始終、こんな状態だった。誰がみても分かるほど、苛立ちを溢れさせている。

 

 理由は言うまでもない。戦艦水鬼だ。彼女に接近するにつれ、卯月の『怒り』は際限無しに高まっていく。それを発散できず、ストレスになっていた。

 

「バカがバカって言うんじゃないわよザコ」

「うるせぇぴょんカレー食えないザコの癖に」

「感情のコントロールもできないのはザコの証拠じゃないの?」

「おいおいお前鏡を見たらどうだぴょん」

 

 その卯月にあてられ、苛立つ満潮は暴言を放つ。暴言同士の殴り会いに、周囲は辟易としていた。少しでも落ち着いて貰おうと、卯月を抱き締めていた熊野の目は死につつあった。

 

「冷静になってくださいな……」

 

 うんざりした様子の熊野を見て、卯月は少しだけ冷静になる。だが、怒りは収まらない。ささくれだつ感情に、心身が振り回されている。

 

「くそぉ、まだ、まだつかないのかぴょん!」

『まだかもー、それとマナー違反の人には降りて貰うかもー』

「うーちゃん、秋津洲はマジよ。前ポーラがこの高度から叩き落とされたから」

 

 理由はまあ、言うまでもない。コンバットタロン内でポーラが一切酒を飲まないのはトラウマが理由だった。

 さすがに、そんな脅しを言われたら黙るしかない。怒りよりも恐怖心の方が、僅かに上回った。

 

「ホント、暴走して迷惑かけるのは止めてよね。ただでさえ弱いんだから」

「満潮は煽らないの」

「フンッ」

 

 卯月は黙っているが、心の中は落ち着かない。怒りで煮えたぎっている。

 それは、単に仇というだけではない。

 システムにより、隷属されられた屈辱が、忘れられないからだ。

 

 基地にいた時は、まだ気を紛らわすことができた。しかし水鬼に接近するにつれ、その記憶が呼び起こされる。心を折られ、優しく甘く、快楽で侵される悦楽が、忘れられない。

 

 この度に、屈辱への怒りが噴き出す。そんなものに屈服した自分が許せない。

 だが、また、そうなるのではないかと、恐怖もある。今度は恐怖している自分に苛立つ。

 

 感情どころか、まるで、心がバラバラになったようだ。深い傷を更に深く抉られて、砕けそうになっている。気持ちが纏まらず、滅茶苦茶に暴れまわる。

 

 そんな精神状態だからか、視界の端に、チラホラと幻が見えている。半透明でうっすらとだが、血と蛆にまみれた仲間が、私を覗き込んでいた。

 

 こんなんで、水鬼に勝てるのか。

 もう、なんだか、勝つとかがどうでも良くなっていた。とにかく、この怒りを叩きつけたい。

 わたしはどうなっても良い、自分の命への興味がなくなる。死んでもいい、水鬼を殺せればそれ以外要らない。

 

 死んだら、ブラックボックスが失われるが……そんなのは中佐たちの都合だ。そうだ、なんでここまで、生きることを強要されるのか。わたしの命だ、どう使おうが、わたしの自由だろ。

 

 憎い、水鬼が憎い。

 思うように復讐させてくれない、中佐たちが憎い。システムを仕込んだ『敵』が憎い。弱い自分が、なによりも憎い。全部が恨めしい、壊したくて堪らない。

 

 だが、それで暴走するのは『卯月』のプライドが許さない。誰かに迷惑をかけたくないし、無様な姿を晒すのは嫌だ。

 相反する考えがぶつかり合い、頭が痛くなる。

 

 これで、戦艦水鬼を目の当たりにしたら、どうなってしまうのか。システムに洗脳された屈辱で、怒り易さに拍車がかかっている。暴走が目に余ったら、不知火が気絶させてくれるが、面倒をかけたくはない。

 

『作戦海域間もなく、降下準備開始!』

 

 頭を抱えて苦しんでいる間に、そんな時間が経ってしまっていた。もう考えたってどうにもならない。卯月は意を決して、立ち上がる。

 やる以外の道はないのだ、それを選んだのは、他ならぬ私なのだから。

 

『ハッチ解放、頑張ってかもー!』

 

 眼下に広がる赤い海を見下ろし、唾を呑む。形見のハチマキを握りしめて強く思った。必ず、仇を討ってきますと。

 それが、皆を殺したわたしが、唯一できることだから。

 

「駆逐艦、卯月、出撃っ!」

 

 輸送艇から、卯月は真っ先に飛び降りていった。

 

 

 *

 

 

 水鬼により支配されている海域。だが、数度に渡る撃破で、その力はほぼ失われている。轟沈から蘇るたびに、海のエネルギーは消費されていく。ここが腸に溜めていた怨念は、残り僅か──その筈だった。

 

「赤い……」

 

 前回来た時よりも、海が更に赤く、朱く、緋く染まっている。追い込んでいる筈なのに、侵食は高まっているように見える。

 

「簡単な話です、呼応しているんですよ、水鬼にこの海域が」

「水鬼に?」

「追い詰められ、怒り狂う水鬼に呼応し、海もまた激昂しているんです」

 

 海と姫級は一心同体だ。身体となる海と、心臓である姫。侵食を浄化しきるまでは、依然、口の中にいることに変わりはない。逆に言えば、海を見れば姫のようすもわかる。

 

「そっか、死ぬ前の、最後の輝きかぴょん」

 

 いわば断末魔、最後の足掻きなのだと、卯月は考えた。

 反吐が出る、化け物なら化け物らしく、最後まで惨めに惨たらしく死ねばいいものを。

 

 そう思うということは、つまり、この輝きを卯月は、()()()と思っている。水鬼の輝きに魅せられていると自覚し、すぐさま自分を否定した。

 

「敵が、辺りにいないデース」

「いま、索敵するわ」

「前来た時は、もう敵がいた気がするけど」

 

 しかし、索敵を行っても、周囲に敵影は確認できなかった。艦載機を飛ばした飛鷹は、不思議そうに首を傾げる。松たち駆逐隊が潜水艦を疑うが、それもいない。

 

「水鬼のところに全員集まってるのでしょうか」

「桃のファンが押し寄せてるってことだね……こわ」

「纏めて殺せるなら楽で良いぴょん」

 

 羅針盤を見ることなく、卯月は勝手に進みだした。

 満潮は舌打ちをする。そんなことをしても、水鬼には到達できない。怒りで頭がおかしくなっているのだ。

 

「迷子になって死ぬわよ」

「こっちで、あってるぴょん」

 

 それは本当なのかと、不知火に向けて振り返る。

 

「合っています」

 

 羅針盤を見ながら答えた。

 理由は、卯月と水鬼の縁であった。彼女たちが思う以上に、卯月と水鬼は強い縁で繋がっている。だから方向が分かった。

 

「うーちゃんには、分かるぴょん」

 

 だが、卯月にも分かるということは、水鬼にも分かるということ。

 

「聴こえるぴょん、あいつの、足音が!」

 

 足音が、戦場に響き始める。卯月だけじゃなく、他のメンバーも、迫り来る殺気に顔を上げる。

 空気を貫く、巨大な爆発音が轟いた。

 

 その砲撃は、卯月の髪の毛を突き破り、艦隊の目の前に着弾した。

 

 焼けた髪の毛をたなびかせて、卯月は地平線を睨み付ける。

 

 その姿を見た時、彼女の心はほんの一瞬だけ高鳴った。だが直ぐ様、溢れる屈辱に顔を歪ませた。高鳴る想いを否定するかの如く。怒りで心を染め上げる。

 

「フフフ……ソウ、態々来テクレタノネ」

「戦艦、水鬼ッ!」

 

 現れたのは、間違いなく、戦艦水鬼だった。

 ありったけの敵意を込めて、その名を呼ぶ。

 水鬼の後ろから、わらわらと敵艦隊が現れる。どれもこれも、卯月の仲間を混ぜられた『顔無し』だ。

 

「フッー……フッー……!」

 

 卯月は自分の胸ぐらを掴みながら、必死で暴走を堪える。暴走したって勝てないことは、頭では理解している。それでも堪えがたい。心を焦がす激情が、あいつを殺せと暴れ回っている。そんな、彼女の思いを知ってか知らずか、水鬼は挑発的に嗤う。

 

「ヘーイ、誰を見てるネ。貴女の相手は、私達デース!」

 

 金剛と比叡が先頭に立ち、水鬼と卯月の間へ割り込んだ。そうすれば、卯月は突撃できなくなる。それに、戦艦と正面から戦えるのは戦艦だけ。金剛と比叡は、最初から水鬼の相手をするつもりだった。

 

「アッソウ」

 

 だが水鬼は、お前らなど眼中にはないと、適当にあしらう。彼女がジッと見つめているのは、金剛の後ろで息を荒らげている卯月だった。

 

「私ガ用ガアルノハ、卯月ナノヨ」

「は? なんで卯月に、用があるんですか」

「決マッテルジャナイ」

 

 比叡の問いに、水鬼は邪悪な笑みを浮かべて答えた。

 

「卯月ハ、私ノモノダカラヨ」

 

 その発言に、後ろにいた卯月は戦慄と屈辱を覚えた。

 

「戦力的には期待できねぇぞ、こいつ」

「エエ、ソウネ。目的ハソレジャナイ。『縁』ヲ奪ウ為ヨ」

「縁、そういう目的ね」

「どういうことだぴょん、飛鷹さん!」

 

 水鬼からすれば、卯月は取るに足らない駆逐艦の筈。なにが目的なのか、飛鷹は理解できていた。

 

「水鬼へ到達するには、うーちゃんが必要……戦艦水鬼は貴女を奪って、誰も自分のところへ到達できないようにするつもりよ」

「正解、ソウスレバ、私ヲ止メラレル者ハイナクナル。私ノ殺戮ハ達成サレル」

 

 誰にも襲われない、討伐しようにも、見つけることさえできない。それは無敵に他ならない。水鬼は自分へ繋がる縁を全て手に入れ、独占しようとしている。その為に、卯月を奪おうとしていた。

 

「別ニ殺シテモイイノダケド、ドウセナラ、戦力ニシタ方ガ、効率的ジャナイ?」

「なにが言いたいんですか?」

同胞(艦娘)ヲ迷イナク撃テル艦娘ハ、何人イルノカシラ。ネエ卯月」

 

 わざわざ卯月に問いかけたのは、卯月がその答えを知ってるからだ。

 そうだ、水鬼に忠誠を誓った時。泊地棲鬼に従った時。卯月が襲った艦娘は……誰も即座に反撃できなかった。仲間を即座に撃てるほど冷酷になれる艦娘は、いなかった。黙り込む卯月を見て、水鬼は満足げだ。

 

「冷酷ニナレルノハ少数、動揺シタ艦娘ナンテ只ノ的。ソレダケデモ、戦力ニスル価値ハアル」

「外道ですわね、反吐がでますわ」

 

 熊野の言葉を、水鬼は一笑した。

 

 

「過程ヤ方法ナンテ、ドウデモイイノ。重要ナノハ自分ノ()()。正シイ意志ガアレバ、行クベキ道ニ、迷ウ事ハナイ。ソレガ、ドンナ手段デモ、冷徹ナ殺意ヲ持ッテ戦エル……サア卯月、私ガ使ッテアゲルワ」

 

 

 重要なのは過程でも、結果でもない。根底にある『意志』と、水鬼は持論を展開した。

 身勝手なことを。

 なによりも、最後の一言が、卯月の理性を破壊──しかけた。

 

「うるせえ、そんな、見え透いた挑発に、乗る訳ねえぴょん!」

 

 顔を真っ赤に、目を血走らせ、口から涎を垂らす様はどう見ても正気ではない。挑発に乗るのが屈辱的だから、暴走してないだけ。精神は着実に壊れていく。

 

「顔無しも、お前も、ここで死ぬんだよ!」

「ナラ、ヤッテミナサイ……二度目ノ、仲間殺シヲ」

「だまれぇぇぇ!」

 

 絶叫しながら、主砲を放つ──顔無しの方に。

 水鬼に撃っても、駆逐艦の攻撃ではさしたダメージにならない。顔無しの数を減らす方がマシだ。まだ、それぐらいの理性は残っていた。

 

「卯月に続くね! 主砲一斉射、ファイアー!」

 

 卯月の一撃を皮切りに戦いは始まった。

 降り注ぐ大量の砲撃を、顔無したちは素早く回避する。襲いかかる反撃の合間を縫って、松たちが雷撃を射し込んだ。

 

 あわよくば、水鬼を巻き込もうとした攻撃だが、海面をひっくり返すような砲撃で破壊される。戦艦水鬼の一撃で、すべての魚雷が破壊されたのだ。

 

「卯月ヲ渡シテクレレバ、今回ハ見シテアゲルノダケド」

「なにバカなこと言ってやがる、死にすぎて頭が腐ったか?」

「腐ルノハ貴女達、水底デ藻屑ニ成リ果テル……魚ノ餌ニシテアゲルワ」

 

 水鬼が小声で、指示を出した。

 顔無したちは散開し、卯月の方へ襲いかかる。元仲間をぶつければ、心を揺さぶることができる。精神的に不安定な兵士は、簡単に殺せるからだ。

 

「チャンス、喰らえっ!」

 

 その、指示を出した一瞬を、比叡は見逃さなかった。

 魚雷の爆炎に隠れ、死角から砲撃を撃つ。威力も速度も、駆逐艦の砲撃とは比べ物にならない。

 水鬼が気づいた時には、既に、主砲が腕にめりこんでいた。

 

 だが、主砲は逆に、弾かれた。

 

「なっ」

「隙アリ」

 

 動揺すると確信していた水鬼は、既に攻撃していた。爆炎を突き破って、眼前に砲弾が現れる。

 

 比叡の生首が宙を舞う──そう思われたが、真横からの攻撃に、水鬼の砲弾は破壊された。

 

「大丈夫ですカ、比叡」

「だ、大丈夫です、お姉さま」

「油断はダメ、今日のあいつは、一番Dangerousデース」

 

 主砲を弾いた水鬼の腕は、かすり傷しかついていなかった。

 艤装ではなく、柔らかい生身を狙ったというのに。いくら内部骨格が鋼鉄でも、固すぎる。

 

「感謝シテイルワ、貴女達ガ追イ込ンデクレタカラ、私ハ『壊』ニナレタ」

 

 深海棲艦は怨念の化身と言われている。なら、死に瀕した時こそ、更なる力を発揮できる。それは『壊』と呼ばれた。

 

 戦艦水鬼壊は、赤黒いオーラを纏い、艦娘の前に立ち塞がる。それだけで、全身をナイフに刺されたような錯覚に陥る。足が重くなり、四肢が動かなくなる。

 

「強がってんじゃねえよ」

 

 だが、威圧されながらも、竹が一歩、踏み出した。

 

「アラ」

 

 興味深そうな態度に、竹は怒気を強める。

 

「俺たちは何度もお前を沈めてる、今更、『壊』ぐらいで怯むと思うな」

「ヒョットシテ、怒ッテルノ?」

「当たり前だ、同じ仲間が、あんな目に遭わされて、怒らねぇ訳がねぇだろ!」

 

 金剛も、松たちも、竹と同じ思いだった。『敵』に怒っているのは卯月だけではない。皆が怒りを抱いている。人の尊厳を侮辱するようなやり方を、認めようとする者は誰一人としていなかった。

 

「ソウネ、竹の言う通り! 人の心を踏みにじるようなCowards(卑怯者)を恐れる私たちじゃないデース!」

 

 震えを抑え込み、金剛たちが再び闘志を燃やす。

 戦艦水鬼はその光景を見て、金剛たちが気づかない一瞬の間、複雑そうな顔を浮かべた。

 

「何度デモ言ウワ。手段ナンテ、ドウデモイイ。何ヲドウ利用シヨウトモ、艦娘ヲ滅ボス。ソレガ私ノ()()

「だったら、その思想諸共、叩き潰します!」

「行くよ、竹、桃!」

「了解、松お姉ちゃん!」

 

 再び砲火が交差し、爆音が海上に轟く。

 

 これが、最後の戦いになり得るか。




重要なのは、意志か、過程か、それとも結果か。
そもそも意志とは……ゲッターとは……そうか、そうだったのか(アニメ終了によるゲッター線欠乏症)
なお、水鬼のこの思想、前回登場した時に、すこーしだけ語ってます。

戦艦水鬼改壊はいても、水鬼壊は確かいなかったので、少しオリジナルということになりますね。


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第63話 積怒

15日はうーちゃんの進水日!
遅れたけどおめでとうございます。
折角なので、こっから連続投稿しちゃいたいと思います。


 金剛たちと戦艦水鬼が戦いを繰り広げる裏で、卯月たちと顔無したちが激突していた。中口径主砲と小口径主砲が飛び交い、大小様々な水柱が乱立される。

 

「そこだ! 死ね、沈め!」

 

 卯月の攻撃が、偶然死角から放たれた。

 反応が遅れた顔無しが、攻撃をくらう。装甲で防いだものの、亀裂が入った。

 

 特効は健在だ。前の出撃と同じ、顔無しに対して『特効』がある、威力が何倍にも上がる。

 

 だが、まったく嬉しくない。仲間の死体を媒介にした繋がりなんて反吐が出る。

 

「待ってて、すぐに殺してあげるぴょん」

 

 顔無しに対して、卯月ができることは、それだけだ。一刻も早く沈めて、解放しなければならない。

 視界に入れてるだけで、発狂しそうになる。主砲を握る力が強くなる。

 

『お前 が殺した のに』

 

 幻が、耳元で囁いた。

 

「──うるさいっ! 全部、水鬼のせいだぴょん!」

 

 悪夢を振り払おうと、更に攻撃を振り撒く。卯月は一瞬錯乱しかけた。隙を見せた獲物に、顔無したちが一斉射を放つ。

 

 雨霰のような砲弾が迫る。

 爆音に気づき、背筋が凍った。回避できない。隙間がない。

 その弾幕へ、球磨が主砲を向けた。

 

「卯月、そこを、動くなクマ!」

 

 言われるがまま立ち止まる。その攻撃が、弾幕の一部を弾き飛ばす。

 そこが隙間になった。弾幕に穴が空き、潜り抜けることができた。

 仕留め損ねた顔無しは、すぐに追撃をしかけようとする。

 

「させないわよ、全機爆装、さあ、飛び立って!」

 

 リロードの隙を突かれた顔無しは逃走する。しかし、艦載機がしぶとく追い回す。

 前科メンバーで、最大火力を出せるのは飛鷹だ。顔無しでも耐えられない。

 

 だから、庇うように、戦艦の顔無しが現れた。

 

「ル級flagshipかクマ!」

「普段はただのイロハ級、だけど……!」

 

 そもそも戦艦だ。それだけで強い。それが顔無しに変異している。

 ル級の攻撃は、ほんの一瞬で飛鷹に迫った。

 すぐに身体を捻り回避する。風圧で艤装が軋む。

 

「凄い、威力ね!」

 

 制空権を担う飛鷹が、一番危険と判断したのだ。ル級が次々に砲火を浴びせかける。

 視界が埋まるような弾幕を掻い潜り、艦載機を飛ばし続ける。長年戦ってきた彼女にとっては、ありふれた芸当だ。

 

 だか、そうなれば、他の顔無しが動き出す。

 戦艦の砲撃が作る爆発や水柱を盾に、砲撃を放ち、魚雷を密かに放つ。

 

「戦艦級は、前はいなかった気がしますが!」

「水鬼に呼応して、イロハ級も強化されているのでしょう」

Sul serio(本気)ってことですか~」

 

 いつだって戦艦は面倒な相手、内部にダメージを与えても、大きいせいで中々沈まない。狙撃手からしたら最悪だ。ポーラはやる気なさげにぼやいた。

 

 だが、やることは変わらない。頭数を減らすのは戦いのセオリーだ。攻撃から逃げつつ、顔無しを沈める。できないことはない。

 

 爆炎で視界不良なのは相手も同じ。熊野とポーラは狙いを絞り、追い込むように砲撃を重ねる。より飛鷹に近いところへ、より弾幕が激しいところへ──誘導されていると気づき、向きを変えた時だった。

 

「手遅れなのよ、アンタは」

 

 満潮が現れ、主砲を突き付けた。

 

 向きを変える為、速度を落としていたから、回避できない。トリガーが引かれ、爆炎が視界を覆った。

 

「なっ!?」

 

 その顔無しは死ななかった。

 満潮の前には、ダメージの入った、別の顔無しが立ち塞がっていた。攻撃から庇ったのだ。

 

「仲間を、守ったって言うの!?」

 

 二隻の顔無しが、逆に攻撃を仕掛けてきた。逃げながら、満潮は気持ちの悪さを感じる。

 深海棲艦が仲間を護るなんて。

 艦娘を取りこんだ影響なのか。そんなものは仲間意識ではない。ただの真似事だ。

 

 そして、満潮以上に、キレているのが、卯月だった。

 

「ふざけんなぴょん」

 

 満潮に気を取られていた隙を突き、卯月の攻撃が、守った側の顔無しに直撃した。

 傷が重なり、装甲が砕ける。

 距離を離そうとするが、ダメージのせいで速度が落ちる。攻撃を更に重ねる

 

 しかし、それ以上は破壊できない。内部骨格が前より強化されている。

 

 だから背中を、誘発材ナイフで切り付けた。

 

 傷口が泡のように膨れ上がる。再生能力が暴走して、爆発する。剥き出しになった体内へ、主砲を捻じ込む。

 

「お前が、お前達が、化け物が、艦娘らしく、すんなぴょん!」

 

 体内に直接撃たれたら耐えられない。火を噴いて沈むところに、更に攻撃する。

 

「死ね、死ねっ、死ねっ!」

 

 何度も何度も撃たれ、自爆する暇もなく、木端微塵になった。残骸も沈んで、やっと攻撃を止めた。

 

 息を荒らげながら、怒りと憎悪に表情を染め上げる。

 

 ここまでキレるのは、艦娘らしい行動が、認められないからだ。死んだはずの仲間が、艦娘のように、庇ったり助け合うのが許せない。まるで、生前の仲間を侮辱しているように、思えるから。

 

 実際は、取り込んだ艦娘の行動パターンを、模倣しているだけだろう。それでも侮辱に変わりはない。そうに違いない。憎悪に壊れていく思考では、そうとしか考えられない。

 

「無駄弾を使わないで」

「うるさい、半端な殺し方じゃ、自爆するだろぴょん」

 

 可能性はある。満潮は、卯月の行動を否定できない。

 だが、これで、暴走していないと言えるのか。

 満潮はそうとは思わなかった。こんな不安定な兵士は普通死ぬ。特効の補正で、助かってるようなものだ。

 

 警戒する満潮を他所に、卯月は、戦艦の顔無しを睨む。

 

 そいつは爆撃から仲間を庇うように、強烈な砲撃を浴びせかけていた。満潮にも、仲間を()()()()()()()()見えた。

 

「まさか」

 

 卯月は、突撃をしでかしていた。

 

「満潮、行って下さい」

「わたしが!?」

「命令です」

 

「クソが」と叫びながら、満潮は卯月を追い駆ける。いくら特効持ちでも、戦艦の攻撃を喰らったら死ぬ。護衛として付いていけということだ。

 なんて面倒な。耐えかねた満潮は叫ぶ。

 

「あんたなんかが突撃して、どうなんのよ!」

「戦艦を殺せば、飛鷹さんが動けるぴょん! 特効があるから、殺せる、これが最適解だぴょん!」

 

 仲間に迷惑をかけたくない──その思いは、とっくに憎悪に塗り潰されていた。

 なぜ、ここまで怒り狂えるのか。

 命令を聴かない奴なんて、邪魔なだけだ。

 ()()()()()()()()、満潮は愚痴った。

 

 

 *

 

 

 戦艦へ襲い掛かる卯月を眺め、水鬼は呆れかえる。

 

「ヤッパリ、アノ子ハ、私ニ隷属スベキヨ」

「世迷い事を!」

 

 駆逐隊総がかりで、雷撃を放つ。金剛たちの砲撃で逃げ道は塞いである。

 だが、艤装の剛腕が海面を叩き付け、小規模な津波を起こした。魚雷が引っ繰り返り、竹たちの方へ進路を変えた。

 

「嘘ー!?」

「デタラメか!?」

 

 まさかの反撃に逃げ惑う松たちを、狙い撃とうとする。それを金剛と比叡が止める。今、彼女達がやられるのは不味い。身を挺してでも、駆逐隊を守らなければならなかった。

 

「残念、失敗ネ」

「仲間はやらせません!」

「ソレハ、夜戦ノ為?」

 

 比叡は言葉を詰まらせた。答えを言っているようなものだった。

 

「ソウヨネ、壊ヘ至ッタ私ヲ沈メルナラ、ソレガ一番、確実ダモノ」

「私たちのAttack(攻撃)は、不確実なんデスカ?」

「実際、ソウジャナイ」

 

 何発か当たっていた。さすがに戦艦の速度では、回避できない攻撃がある。

 しかし、艤装にも本体にも、掠り傷しかない。金剛たちの攻撃では、トドメを刺せないと、証明されていた。

 

「ツマリ、彼女達ヲ片付ケレバ、私ノ勝チ」

「貴女なんかに、私たちは沈められません!」

「ソノ台詞ハ、生キ残ッテカラ、言ッタラドウカシラ?」

 

 戦艦水鬼の艤装が、唸り声を上げて動き出す。

 主砲、副砲、機銃の全てを動員した一斉射。やっていることは前と変わらない。だが、密度が桁外れに上がっている。

 

 金剛たち藤提督の艦娘は、大規模作戦への参加が初めてだ。

 つまり、追い込まれた姫級──『壊』との交戦は、初めてだった。提督を含めて、まだ、戦い慣れていないのだ。

 

 それでも、普段通りなら、最悪撤退でも構わなかった。また来れば良いのだから。しかし既に、作戦のリミットタイムは近づいている。もう一度来るだけの、時間的余裕はない。

 

 失敗したって、提督が首になる訳でも、鎮守府が解体される訳でもない。だが、初参加の作戦が失敗するかもしれない。そのプレッシャーは、確かに彼女たちの動きに現れていた。

 

「ソコヨ」

 

 金剛の動きが、ほんの一瞬、プレッシャーで鈍った。

 砲撃が叩き込まれる。足が固まり、咄嗟に逃げられない。装甲を正面に回して、防ぐしかない。

 艤装が変形し、巨大な盾が形成された。

 

「ぐうっ……!」

 

 だが、防ぎきれるような威力ではなかった。踏ん張りきれず、紙切れのように吹っ飛ばされる。

 

「お姉さま!」

「比叡、Look forward(前を向いて)!」

「余所見ハ禁物」

 

 動揺した比叡が狙われた。一撃で死を齎す攻撃が、真正面から飛来する。

 バルジで防いでも、衝撃波は防げない。ダメージは不可避だ。

 

 ならば──()()()()()

 

 居合い切りのように、艤装に手を添える。

 

「これが、比叡の、隠し玉!」

 

 手を振るうと、艤装が分離し、一振りのブレードが『抜刀』された。

 

 その一振りが、迫る砲弾を、見事に切り落とした。

 

「切ッタ。ソンナギミックガ」

 

 まさか切られるとは。

 想定外の攻撃に水鬼は驚く。

 

「追撃、行きます!」

 

 立て続けに砲撃が放たれる。水鬼は冷静に後退しながら、攻撃を叩き落とす。

 砲弾が爆発し、視界が塞がれる。

 

「更に! 一撃です!」

 

 視界不良を突いて、比叡が懐に潜り込んだ。高速戦艦の速度だから、後退する敵に追従できた。

 ブレードが()()に増えていた。比叡は全質量を乗せて、獣型艤装の剛腕に刃を叩き込む。だが直ぐには切れず、刃が腕に喰い込んで一瞬止まる。

 

「ヤルワネ、デモ、無防備ヨ!」

 

 殴り飛ばそうと片腕を振り上げる。そこへ金剛の砲撃が命中した。

 

「命中デース……!」

 

 金剛の艤装からは黒煙が上がっている。中破以上の損害がある。そんな状態でも正確に当ててきた。ダメージはないが、動きを止めるには十分だった。

 

「でりゃぁぁぁぁ!」

 

 比叡が、更に、渾身の力で叫ぶ。

 ザンッ──と、鋭い音が鳴る。

 丸太よりも太い、獣型艤装の剛腕が、両断された。

 

「コレハ……」

 

 切断面から火花が飛び散り、オイルがポタポタと零れる。いつ引火してもおかしくない危険なダメージ。しかも内部構造が剥き出し、狙われたら不味い。万一夜戦に成った時、かなり不利になる。

 

「やりましたよ、お姉さま!」

「Nice! このまま、一気にAttackネ!」

 

 ここぞと言わんばかりに、金剛たちの攻撃が激しくなる。反撃をしても姿勢が崩れ、狙いが定まらない。片腕を失ったせいで、バランス感覚が変わっている。

 

「仕方ナイ──再生シマショウ」

 

 水鬼の声は、金剛たちにも届いた。

 なんて言った──再生? 

 艦娘の攻撃なら、簡単に再生できない。だができないことを言うような相手ではない。嫌な予感が駆け巡る。

 

「自爆」

 

 戦場が、突然輝いた。

 

 

 

 

 二隻の戦艦級と交戦していた卯月は、意外に善戦していた。砲撃をギリギリで回避し、特効付きの攻撃を浴びせる。その度に装甲は砕け、着実にダメージが累積する。そうなったら、満潮の攻撃も通る。

 

 少なくとも、卯月が攪乱しているおかげで、後方の飛鷹は楽になっていた。

 だが、それでも、これが良いとは、満潮には思えない。

 

「うがぁぁぁ!」

 

 知性の欠片もない絶叫を上げて、卯月は突撃を繰り返す。艦娘とは呼べない。いや深海棲艦とさえ呼べない。これではただの獣だ。

 

 それでも戦えているから、文句も言えない。こんなのと一緒に戦わなきゃいけないのか。嫌な現状に苛立つ。そのストレスは敵にぶつけた。

 

 突如、背後から、爆風が押し寄せた。

 

「ぴょんっ!?」

「なに、今のは!?」

 

 二人同時に振り返ると、後ろが、目が潰れそうな程の光に包まれていた。

 あの閃光、この衝撃。

 まさか、自爆したというのか。

 

 と、言うことは。

 真正面にいた、戦艦が、急速に光り出す。

 

「ざ、ざっけんな!」

 

 すぐに全力で逃げ出した──直後、二隻のル級は自爆した。

 

 ただの自爆とは訳が違う。威力の範囲も、桁外れだ。明らかに別の力が働いているとしか思えない。

 

 直撃こそ免れたが、爆風に吹き飛ばされた。海面を何度も転げまわったせいで身体が痛い。

 

「なんで、自爆を……」

 

 今、自爆する理由はなんだ。水鬼が命令したのは確かだが。

 

 戦艦水鬼を、遠くに見つけた。艤装の片腕がなくなっている、深刻なダメージに、卯月は喜んだ──のも、つかの間だ。

 

 紅く染まった海面が波打ち、水鬼を中心にして波紋が浮かぶ。纏う赤いオーラが強まる。

 

「フゥー……ハァッ!」

 

 艤装の腕が、ズルリと生えた。

 

 再生しない筈の腕が、あっさりと再生した。

 

「……なに、今の」

 

 満潮は絶句する。戦闘中にも再生する姫級なんて、聞いたことがない。

 しかし、卯月は、その所業を理解していた。

 

「取り込んだんだ」

「吸った? なにを……いや、まさか、あの自爆」

「みんなの命を、取り込んだんだぴょん……!」

 

 バカな、そう否定しかけるが、そうとしか考えられない。

 破壊された腕部再生のために、配下の力を取りこんだのだ。

 荒唐無稽極まっているが、そもそも連中は、沈んでも海のエネルギーで復活する連中だ。あり得ない話じゃない。

 

「やりやがったな……良くも、良くもッ! また、皆を、弄んで、命を侮辱してっ!!」

 

 心にヒビが入った。理性の壁が壊れる、卯月が破壊される。今までとは比較にならない憎悪が溢れ出す。

『水鬼を殺す』。

 それ以外の感情が塗り潰される。

 

「──殺ス」

 

 機械のような声に、仲間である筈の満潮は、戦慄した。

 

「満潮さん!」

「不知火!? 大丈夫なの!」

「そんなことよりも、()()()()()()()!」

 

 取り付けておいたセンサーが、確かに反応を示していた。

 ブラックボックスが、たった今、起動したのだ。

 不知火の叫びに、卯月は立ち止まった。

 

「大丈夫、分かってるぴょん、敵は、水鬼だぴょん」

 

 仲間を安心させるために、卯月は答えた。脚部艤装のコーティングは機能している。深海に意識を蝕まれずに済んでいる。しかし、今の一言は、最後に残った、僅かな『心』だった。

 

 艦娘としての心が消える、誰かを思うが破壊される。

 

 そして、憎悪だけが残った。

 

「沈メ」

 

 感情を全部破壊するような怒りが、身体を勝手に動かす。限界を超えた怒りに、肉体も限界を超える。

 凄いパワーだ、この力なら、あいつを殺せる。

 あきつ丸の言った通りだったと卯月は納得する。確かに怒りが足りなかった。

 

 自分を根こそぎ破壊する程の、狂った怒りが、必要だったんだ。

 

 だが、その姿は、到底艦娘のそれではなかった。




 Gガンダムで言うところの()()()スーパーモードに覚醒。主人公なんだからパワーアップイベントがなくっちゃね。
 勝ったな、風呂入ってくる。


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第64話 殺意

 両断したのに、その腕を再生させた戦艦水鬼。他のダメージも回復している。金剛たちのダメージは回復していない。振り出しどころか、マイナスからのスタートだ。

 

「嘘でしょう」

「流石に、Shock(ショック)ネ」

 

 諦めないが、精神的なダメージは大きい。苦労が水泡に帰した。顔つきが暗くなる。

 

「でも、これで顔無しは全滅したわ」

「ってことは、あいつらが、来れるのか」

 

 顔無しがいなくなり、前科メンバーも水鬼と戦える。全員で叩けば、倒せる見込みはある。

 

「あ、来たみたい!」

 

 遠くの方から、水しぶきを上げて接近するのは、卯月だった。

 続いて他のメンバーも来る。だが、卯月の姿を見た桃は悲鳴を上げる。

 

「ひっ!?」

 

 まるで、修羅のような、表情だった。

 味方さえ威圧する怒気に、桃は恐怖した。悍ましい何かを纏う姿に、声をかけるのも躊躇う。

 

「う、卯月、どうしたんだ!?」

 

 このまま行かせていいのか、いや、絶対にダメだ。

 憎悪にあてられ、震えながらも、竹は卯月の前に立ち塞がる。水鬼に無防備な背中を晒しているが、それでも、止めないといけない。

 

 その竹に、卯月は主砲を突き付けた。

 

「邪魔」

 

 迷いなくトリガーを引いた。

 回避したが、その隙に卯月は行ってしまう。

 

 照準はずれていた。当てる気は流石になかった。

 しかし、実弾入りの武器を向けられた。それだけでショックだった。変わり果てた卯月に絶句する。

 

「そんな場合じゃないよ! 援護しないと!」

「え、ええ、そうね!」

「単身突っ込むなんて、なんて無茶を!」

 

 呆然としている場合ではない。放って置いたら水鬼に殺される。それならまだ良い方で、最悪また()()される。解放できても、正気に戻った時、精神崩壊してしまう。

 

 支援砲撃をしている最中に、後方の不知火が呼びかけてきた。

 

「金剛さん、聞こえていますか」

「不知火! 卯月はどうしたネ!」

「憎悪のあまり発狂したようです、システムも作動しています。ですが、洗脳は防げています」

 

 全く安心できない。卯月をあのまま戦わせていいものなのか。

 

「卯月はどうするデース!」

「彼女は特効艦です、このまま戦わせます。無理矢理止めるのも、無駄な労力です。それにシステムのデータ収集のチャンスです」

「マジかよ」

 

 無情な判断に愕然とする。その通りなのだが、それで良いのか。

 ブラックボックスごと沈まれたらシャレにならないから、最悪の事態は阻止するだろうが。

 とにかくやるしかない、竹も背後から、砲撃を加える。

 

 金剛たちの一斉射、雷撃、空爆の全てが、水鬼へ殺到する。

 

 

「私ガ、再生ノ為ダケニ、取リ込ンダトデモ?」

 

 

 だが、全て、撃ち落とされた。

 

 開いた口が塞がらない。

 対空砲が火を噴き、主砲が海面を吹き飛ばし、剛腕で砲弾を叩き落とした。

 当たっていても、掠り傷──もつかなくなっていた。

 

 再生の為だけではない。身体能力も、反応速度も跳ね上がっている。夜戦突入までに、全員を抹殺する為のブーストだったのだ。

 金剛たちは怯む。前科組は、どう攻めれば良いかと立ち止まる。

 しかし、全て無視して突っ込む影があった。

 

「真似事ダケド、マア、手段ハドウデモイイシ」

「てめぇ、良くもっ!」

 

 激昂した卯月だった。

 全てが怒りに振りきれているから、恐怖もなにも感じない。怯むことなく攻撃を浴びせかける。

 

「卯月の仲間を、まだ、弄ぶのか!」

「ダカラ、言ッタデショ。貴女達ヲ殺ス為ナラ、ナンデモイイッテ」

「なら、今死ね!」

 

 攻撃を敢えて、何発か受けた。

 

 僅かだが傷がついた。すぐに再生するが、確かにダメージはあった。やはり強力な特効が働いている。

 これで、卯月の脅威が確認できた。

 装甲を問答無用で破壊する誘発材もある。逆転される危険性を持っている。その確認のために、わざと喰らった。

 

「どうだ、見たか、卯月の力!」

「エエ、見タワ……全然、大シタコト無イワネ」

「ざけんなぴょん、嘘吐くんじゃねぇ!」

 

 ダメージがあったのに、大口を叩いていやがる、強がっているだけだ。

 より一層激しく攻め立て、怒りを燃え上がらせる。しかし、水鬼は、回避も迎撃もしなくなった。

 

「は?」

 

 全ての攻撃を、ノーガードで受けながら、卯月に向かって歩いてきた。

 

「馬鹿か、お前は、死にたがりだったかぴょん!」

 

 ここぞとばかりに、何度も攻撃を繰り返す。主砲だけではなく雷撃も浴びせる。再生能力を超えて、ダメージが累積する。

 なのに、水鬼は一歩も怯まず、不敵に笑いながら、迫ってくる。

 

「な、なんで、なんで来るんだぴょん!」

 

 消えていた筈の恐怖心が、湧き上がった。そんなことないと否定し、また攻撃をする。しかし、攻撃が当たらない。近づいていて、当てやすくなっているのに、照準が定まらない。腕が勝手に震えていた。

 とうとう、卯月は一歩退いた。

 その瞬間、水鬼の接近を、許してしまった。首根っこを掴まれ、持ち上げられる。

 

「うぁっ!?」

「ソレジャア駄目ヨ、ダッテ、貴女ノ『怒リ』ハ、タダノ『恐怖』ジャナイ」

「!!」

 

 本心を覗き込むような目線から、目を逸らせない。

 

「堕トサレルノガ恐イ、仲間ガ道具ニサレタ、ソノ切欠ヲ作ッタ。ソノ現実ヲ直視スルノガ恐イカラ、怒リデ誤魔化シテルンデショ?」

「違う、違う! 卯月は……!」

「ジャア何デ、目ヲ逸ラスノカシラ?」

 

 何故かって、言うまでもない。全部、戦艦水鬼の言う通りなのだから。

 

「卯月を放せ!」

「邪魔ヲシナイデ」

 

 攻撃が卯月に当たらないよう、攻撃を防いでいく。

 

「ソンナノハ、『怒リ』トハ言ワナイ……ヤッパリ貴女ハ、私ニ隷属スベキダワ」

「やだ、やめて……」

「何ヲ言ウノ、仲間ニ主砲ヲ向ケテ、復讐ヲ優先シタ貴女ハ、立派ナ深海棲艦。大丈夫ヨ……モウ怖ガラナクテ良イノ」

 

 水鬼の爪が、脚部艤装の一部を、切り裂いた。

 

「私ガ、幸セニシテアゲル」

 

 拘束が解かれ、海上に下ろされる。

 

()()()()カラ護ッテアゲルワ」

 

 そして、海から快楽が、流れ込んできた。

 

「ひっ……あ、あぁ!?」

「ヤッパリ、ソコガ、邪魔シテタノネ。勘ガ当タッテ良カッタ。次ハ気絶装置ネ」

 

 勘でコーティングを見抜いたのか、などと驚く余裕はない。ドス黒く染められる快楽が、脊髄を突き抜けていく。

 

 とろんと蕩けた視界に、水鬼が映る。()()()()()()()()()()()()()()

 

 考え方が、もう変わっていた。

 敵意を抱けない。心が折れたせいで、前以上に抵抗できない。禁忌の快楽に、一気に引きずり込まれる。

 

「バカがぁぁぁぁ!」

 

 そこへ、満潮が乱入してきた。

 首輪を破壊されるより前に、横から突っ込み、卯月を奪い去る。

 

「みち、しお」

「あんた、後で絶対ぶちのめすから」

「早く、わたしが、消える──た、助けてぇ!」

 

 もう時間がない、満潮も、誰もが煩わしい。

 ただただ、多幸感だけが溢れだしていく。心が真っ黒に染まる。

 そして、みんなへの殺意が芽生えた時。

 

「気絶装置、作動」

 

 卯月の意識は、奈落の底へ落とされた。

 

 

 *

 

 

 奈落で、卯月は目覚めた。

 

 辺りは真っ暗だ。闇の中に浮かんでいるような感覚、深海のようだ。けど轟沈してない。じゃあここは、どこなんだ。

 

 確か、そうだ、私は不知火に気絶させられ、意識を失ったのだ。

 

 忌々しい記憶に、卯月は瞳を赤く光らせて、苛立つ。

 

「不知火め、良くも」

 

 卯月は、堕落していた。快楽に狂い、奴隷に成り果てていた。

 しかも気絶したのに、洗脳が維持されている。前と同じく気絶したのに、忠誠心が消えていない。

 

 なぜ、消えないのかは分からない。だがそんなことはどうでもいい。

 気絶して解除されないなら、起きてもきっと、支配されたままだ。目覚めてもずっと奴隷でいられる。たまらない気持ちになる。

 

「あぁ、もう戻れない……嬉しいぴょん!」

 

 目覚めて、支配されたままの私を見て、気絶装置が無駄だったって気づいた不知火は、どんな顔をするだろう? 

 想像するだけで、多幸感に包まれる。頬が紅潮して、身体が震えてしまう。

 

「あぁんっ!」

 

 これが良い、これだけあれば後は全部どうでもいい。

 この快楽を忘れていた私は馬鹿だったのだ。甘ったるい欲望を、また堪能したい。

 

「早く目覚めないと。でも、ここ何処だぴょん」

 

 まともな空間でないのは確かだが。プカプカと、闇の中に浮かびながら、考える。

 

 その時、背後から、大きな砲撃音が轟いた。

 

「なんだぴょん!」

 

 振り返ると、闇の中に、光が見えた。

 そこに映っていたのは、戦う戦艦水鬼だ。

 だが、何故か血を流し、ボロボロになっている。

 

「水鬼さま!?」

 

 誰にやられたのか、金剛か? 

 とにかく助けようと、光の中へ突っ込む。

 しかし、卯月は光をとおり過ぎただけだった。

 

「ただの映像かぴょん?」

 

 しかし、水鬼さまがここまでボロボロになるなんて、なにがあったんだ。こんなことをした狼藉者は、徹底的に潰さないと。

 

 光の中の映像に、人影が増えてきた。こいつがやったのかと、睨み付ける。

 

「え?」

 

 無数の影は、深海棲艦のイロハ級だった。

 深海棲艦に、戦艦水鬼が襲われている。同胞を襲っているのだ。

 イロハ級の戦闘に、旗艦が居座っている。

 その人物が、最も不可解だった。

 

「か、艦娘!?」

 

 イロハ級を率いているのは、艦娘だった。

 

 映像が荒くて良く見えないが、紛れもなく艦娘だ。

 

 艦娘がなんで、深海棲艦を率いているのか。意味が分からない。

 

 ただ、お蔭で、艦娘を恨む理由が、少し理解できた。ここまでボロボロにされたから、憎んでいるのだ。

 

 理由の一端に過ぎないが、それで十分だ。

 今の映像を見たおかげで、ここが何処か、理解できた。

 

「水鬼さまの、心の中かぴょん」

 

 今のは過去の記憶だ。私は今、水鬼の心の中にいる。

 

 滅茶苦茶な話だが、あり得なくもない。例のシステムは深海のエネルギーを取り込む。そこに、水鬼さまの力も混じり、その魂に包まれた。つまり心の中にいるのと、変わらない状況になっている。

 

「じゃあこの黒いのは……あぁ、やっぱり!」

 

 ドス黒い闇は、水鬼さまの感情そのものだ。

 怒り、憎悪、悪意、怨念。負の感情が重なっている。

 自分を呑み込むような邪悪な感情に、全身がゾクゾクする。

 

「ステキだぴょん」

 

 悪意に陶酔する。特に怒りは凄まじい。

 これに比べたら、わたしの怒りなんてカスだ、チンケなものだ。こんな怒りで、水鬼に逆らおうとしてたなんて……後悔しながら、更に魅了される。

 

「もっと、もっと染まりたい、沈みたい……うふふ」

 

 そう願うと、更に沈む。

 纏わりつく悪意はどんどん濃くなり、心地よくなる。

 心も身体も蕩けそうだ、いやもう溶けていい。自我が消えて取り込まれたって構わない。

 

 顔無しが取り込まれたように、私も水鬼さまに喰われ、糧になる。なんて素敵なんだろう、幸せなんだろう。

 

 わたしは、辿り着く。

 一番暗くて、悪意の濃い奈落に、水鬼の心の奥底に──だが、卯月の期待するものは、そこになかった。

 

 

「……へ?」

 

 

 なにもなかった。

 

 地面以外、何一つなかった。

 

 虚無の地平が広がっていただけだった。

 

「な、なんで、怨念は、憎悪は!? あれだけあった負念は、どこへ行ったぴょん!?」

 

 あれだけの怒りがあって、根底には何もない? 

 まさか、虚無とでも言うのか。じゃあ、感情の全てが演技なのか。

 だが、虚無の地平に、一つだけ何かがあった。

 

 中央に、黒く輝く球体が浮かんでいる。

 

 自然とそこへ引き寄せられる。

 

「これが、根底?」

 

 とても、黒かった。

 しかし、さっきまで浸かってた闇とは違う。

 透き通り輝くような暗黒、黒曜石のような『漆黒』の輝き。

 それを手にとった時、卯月は腰を抜かした。

 

「さ、殺意だ……とんでもない殺意だぴょん」

 

 水鬼の根底は、殺意そのものだった。

 

 だが、そんなことがあり得るのか。

 

 普通逆だ、先に感情があって、そこから殺意が生まれる。心の根っこにあるのが、殺意だけなんてことが、あり得るのか。

 

 ──いや、そうではない。

 半ば、同化していたから、理解できた。

 感情が先で正しい、憎しみがあって、そこから殺意が生まれている。順番は間違ってない。

 

 ただ、憎しみが()()()()

 

 あまりにも憎しみが強過ぎて、感情を越えて、殺意そのものへと昇華されている。絶対に相手を殺すという殺意、それはある種の『意志』だ。全ての感情がそこへと研ぎ澄まされてた。

 

 卯月より巨大な怒りを持っているのに、常に冷静なのは、それが理由だ。

 手段を選ばないのも、敵である卯月を即座に受け入れたのも、同じ理由だ。

 

 艦娘たちを殺すという、意志のため。

 その為ならば、手段も個人的感傷も一切関係ない。

 意志を貫くことが、なによりも、優先すべきことだった。

 

 そんな精神だから迷わない。常に殺すための最善を選択できる。

 

 殺意からは、色んな負念を感じた。だが、決してそれに振り回されない。折れることもない。

 

 完全なる殺意。憎しみの究極。

 

 それが、あきつ丸の言いたいことだったのだ。

 

 現物を目の当たりにした卯月は、瞳を輝かせながら、一つの感情を抱く。

 

「凄い、カッコ良い」

 

 それ以外の言葉が出なかった。

 黒曜石のような輝きには、醜いところなんて何処にもない。

 きっと洗脳されていなくても、同じことを思った。

 

 だからこそ、思わずにはいられない。

 

 じゃあ、わたしは? 

 

 快楽に溺れ、元々の意志を踏みつけ、仲間を裏切ったわたしは? 

 

 罪悪感に振り回され、怒りに暴走して、仲間に砲を向けたわたしは? 

 

 そんなわたしは、カッコ良い水鬼さまの従属に、相応しいか? 

 

「いや、絶対に違うぴょん」

 

 こんなダサい部下がいたら、水鬼さまの顔に泥をぬる。

 あの方に相応しい従属になりたい。

 

 殺意と化すほどの強い感情を、意志として貫ける、迷わない在り方。そんな存在になりたいと、強く願った。

 

 暗闇に、漆黒の光が刺す。

 

「わたしは、卯月は」

 

 快楽が霧散していく、どうでも良いと、切り捨てたわたしが、反ってくる。

 貫くべき、わたしの思いを思い出す。

 

「うーちゃんが、憎いのは、殺したいのは」

 

 仲間を殺した奴が憎い、システムを仕込んだ奴が憎い、それを邪魔する奴が憎い。

 なにより、そんな連中に、好き放題される、弱いわたしが憎い。

 

 なぜなら、そんな私は『卯月』に誇れないからだ。

 

「そうだ、うーちゃんは、カッコ良くなりたい!」

 

 『卯月』に誇れる生きざまを。

 

 人らしく生きることも、仇を討つことも同じ。その思いこそ、わたしの意志。

 

 それを邪魔する奴は、()()()()()()()全て、殺す。

 

 成すべきことに気づいた時、視界の全てが光に包まれた。

 

 

 *

 

 

 目を覚ました時、行動を終えていた。

 水鬼に撃ち抜かれそうだった竹を、助け出していた。

 

「大丈夫かぴょん」

「あ、ああ、だけど、お前」

「うん、本当に心配をかけたぴょん」

 

 卯月の目は、紅く輝いていた。

 赤いオーラを纏い、深海棲艦のような気配を放つ。

 しかし瞳はハッキリと、敵を見据えている。金剛たちも、不知火たちも、その様子に驚愕していた。システムが作動してるのに、正気を保っていたのだから。

 

「まだ、健在かぴょん」

 

 水鬼を見て卯月は思う。カッコ良いと。頭を垂れてつくばって、一生を尽くしたいと。

 その思いを、否定する気はない。だって実際、素敵な方だし。

 

 ただ、それよりも、殺るべきことがあるだけだ。

 

「ヘェ……」

 

 変化に気づいた水鬼は、嬉しそうな様子で、問いかける。

 

「貴女ハ、誰?」

「わたしは卯月、前科戦線の卯月」

「貴女ハ、何者?」

 

 敬愛する宿敵からの問いかけに、卯月は、迷いなく即答した。それが水鬼に似合うような従僕(宿敵)の姿だから。

 

「お前の、敵だぴょん!」

 

 敵意──否、純然足る意志。

 

 完全なる殺意を燃え上がらせた存在同士が、相対した。




憎しみや怒りを制御するには、どうすれば良いでしょうか。
 ×憎しみを捨て去って戦う。
 ×あらゆる感情を捨て、機械のようになる。
 ×それよりも大切な物を見つける。
 ×仲間と協力し、友情で乗り越える。
 ×明鏡止水の境地に至る。

 ○むしろ憎しみを徹底的に極め抜いて漆黒の意志に進化させる。


 ……主人公とは?


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第65話 戦艦水鬼壊

 卯月の瞳が、紅い鬼火を宿す。

 

 夕焼けの中でも鮮烈に輝く、探照灯のような眼光。陽炎のように揺らめく、赤いオーラ。

 

 艦娘に擬態した深海棲艦、そう呼んだ方がしっくりくる。

 だが、卯月は間違いなく、水鬼へと砲身を向けている。今までの狂ったような怒りは消え、静かな、ナイフのような殺意を纏っている。

 

「素晴ラシイ」

 

 水鬼の言葉が、静寂に響いた。

 

「私ニ隷属スルニハ、相応シクナクナッタ。ケド、仲間トシテハ、相応シクナッタ」

「それは、光栄だぴょん」

「デモ、ソノ気ハナイノヨネ」

 

 回答は分かりきっていた、それでも聞くのは、それだけ感慨深かったからだ。

 

「みんなを見殺しにするなんて、そんなカッコ悪いことは、できないぴょん。勿論、それを強要してくる奴は、殺すぴょん」

 

 水鬼は拍手をしていた。艦娘が困惑するのも気に止めず、称賛を送る。

 

「初メテダワ、欲望ト背徳二壊レズ、意志ヲ貫ケル艦娘ハ」

「初めてって」

「エエ、他ハ皆、醜イモノヨ」

 

 嫌悪感たっぷりに吐き捨てる。卯月は記憶の中で見た、深海棲艦を率いる艦娘を思い出す。

 

 そんなクソに、蹂躙されたことが、腹が立つ。だから水鬼は、手段を選ばなくなった。

 

 前の戦いで言っていた、『貴女達ノオカゲ』という言葉の意味が、察せられた。

 

「ありがとぴょん」

 

 水鬼は驚くこともなく、続きを待つ。

 

「あなたじゃなきゃ、ダメだった。もしも、あなた以外の深海棲艦と共鳴してたら、うーちゃんは戻ってこれなかった」

 

 誰が何と言おうが、水鬼は格好いい。

 迷わない姿が。常に冷静なところが。手段をまるで選ばないことが。なによりも自分の意志を貫くところが。黒曜石のような殺意が綺麗だった。

 

 怨念と欲望に操られるだけの姫じゃ、道具にされて終わりだった。それだけで十分だと思わされた。

 

 思わず、憧れてしまうような、戦艦水鬼だったから。

『ああなりたい』と思える人だから、わたしは、貫くべき『殺意』を思い出せたのだ。

 

「ダメジャナイ、敵ニ、オ礼ナンテ」

「うーちゃん、嘘は嫌いだぴょん。ま、二度は言わないけど」

「ソウ、ジャア、話ハ終ワリネ」

 

 穏やかだった海が、戦場へ戻る。

 卯月の分も加わって、息が苦しくなるような殺意が充満する。憎しみも、愛もない。ただただ殺すという、完全なる殺意が激突する。

 

「シズミナサイ」「沈めだぴょん」

 

 冷酷な抹殺宣言を皮切りに、決戦が始まった。

 

 先手をうったのは、射程に勝る戦艦水鬼だ。瞬く間に、回避困難な密度の弾幕が降り注ぐ。戦艦では不可能、駆逐艦でも、射程外に行けるかギリギリの範囲。

 

 だが、卯月は容易く消え失せた。彗星のような軌跡を描き、高速で海上を駆け巡る。最も驚いているのは卯月本人だ。

 

 なんて速度なのか。

 機関出力も身体能力も、桁外れに上がっている。

 洗脳の万能感が消えた分、性能アップの感覚がダイレクトに伝わる。

 

 システムが万能でないことも、伝わった。

 

 移動先に、砲弾が叩き込まれていたからだ。

 

「チィッ!」

 

 速度を落とすと、目の前を砲撃が通り過ぎる。だが、それを見越した第二射が、もう迫って来ていた。

 

「舐めるなぴょん!」

 

 強化された反射神経で、砲撃を放ち、軌道を逸らす。至近距離を掠めていき、衝撃が身体を突き抜ける。

 

 あくまで性能等が上がっただけ。先読みされたり、不意を突かれたら意味がない。

 

 しかも、それだけでは済まないと、卯月は自覚している。

 システムの強化は、凄まじい負担がかかる。

 限界を越えたら動けなくなる。

 神鎮守府を襲った時も、水鬼との一戦目も、それで負けた。

 

 ただ、身体が限界を超えたから、システムが強制停止したという可能性もある。

 洗脳解除のトリガーは気絶じゃなく、稼働限界かもしれない。だから時間制限があるのは、悪いこととは思わなかった。

 

 何れにせよ持って数分。それまでに決着をつけられなければ、卯月の負けである。

 

「接近ナンテ、サセナイワ」

「は、ビビってんのかぴょん」

「システム、特効、二重ニ強化サレタ貴女ノ攻撃ヲ喰ラウノハ、トテモ危険ナコト」

 

 水鬼からすれば、システムの停止まで持ちこたえれば済むだけの話。有利なのは彼女の方だ。

 接近されないよう、延々と砲撃を浴びせ続ける。なんとか隙間を見つけ、潜り抜けようとするが、先読みされてルートを塞がれる。

 

 たが、決して焦ることはない。殺すと決めた、だから殺す。焦れば殺せなくなるから、焦る必要ははい。煮え繰り返る激情と、冷静さが並立している。

 

 だから、水鬼以外も、ちゃんと認識できていた。

 

「主砲、一斉射、バーニング・ラアアアブ!」

 

 金剛のシャウトと同時に、戦艦級の砲撃が放たれた。

 耳をつんざく音量に、水鬼は一瞬気をとられる。

 まだ、直撃しても問題ない、多少のダメージを無視して、攻撃を食らう。

 

「直撃です!」

「イエス! でも、多分ノーダメージネ!」

「ソノ通リ……ソシテ、狙イモ分カル」

 

 爆煙に覆われて、視界が塞がれた。狙いはそれだ。予想通り、煙の中から黒い影が現れる。先んじて副砲を回し、煙幕ごと吹き飛ばした。

 

 その中にいたのは、ダメージを負った卯月……ではなかった。

 

「クソが!」

 

 バルジを殆ど破壊された、満潮だった。

 

 入れ替わっていた、一瞬の間に。だがどうやって。いやもうどうでも良い。無駄な思考を捨て、相手を即死させる剛腕を振るう。副砲で傷も負っている、あと一撃だ。

 

 いや、卯月はどこにいる? 

 

「隙ありぴょん!」

 

 背後からの声に、水鬼は即応した。

 片腕を真後ろに向けて、乱雑に振る。微かだが、手応えがあった。だがその隙に、満潮には逃げられた。

 

「失敗かぴょん!」

「わたしを投げといてふざけないで!」

「メンゴ」

 

 要するに、近くにいた満潮を凄い力で投げたのである。満潮の安否は割りとどうでも良かった。

 

「一瞬、目ヲ離シタダケデ……ヤハリ、ソノ力ハ危険ネ」

 

 ガゴン、と主砲の全てが卯月を捉える。

 瞬く間に形成された弾幕に、卯月はまた、押し返された。

 金剛たちが、近づくチャンスを作ってくれたのに。相手は最上級の姫クラス、簡単にはいかせてくれなかった。

 

 しかし、負けたとは全く思わない。ニヤリと卯月は笑った。

 

「フッフー、やっと、通せたぴょん」

 

 艤装が、一部欠けていた。

 弾幕に晒されながらも、反撃していた攻撃が当たっていた。

 至近距離では、避けきれなかった分。それが確かな傷を作った。

 

「ヤルワネ、デモ、マダマダ私ニハ届カナイ!」

 

 また、嵐のような砲撃が降り注ぐ。卯月を近づけさせないように、集中して放たれる。他の攻撃は、どうせ効かないから受け止めた。

 

 ダメージは累積するが、システムが停止するまでの時間は持つだろう。

 だから、ここからが勝負だ。全員がそう認識していた。視線が自ずと地平線に向かう。

 

 太陽が沈んでいく。オレンジ色の空が暗闇に覆われていく。どうやっても、接近戦を余儀なくされる時間が来る。勝敗はこの時決する。

 

「夜のうーちゃんは、凄いぴょん!」

 

 卯月の声と共に、日が沈んだ。

 

 

 *

 

 

 夜の海上に、無数の光が灯る。砲撃の閃光、燃える炎、作動する機関、そして卯月の眼光。夜になったことで、その輝きはより彗星のように見える。戦艦水鬼の眼光とそっくりな紅い目が、激しく燃えた。

 

 夜戦になったことで、戦いは激しく荒れた。艦載機の発艦はできなくなり、視界不良のせいで、距離は近づいていく。暗闇から突然砲撃や雷撃が出現する恐怖は、昔と変わらない。

 

 しかし、システムの恩恵か、夜目が効く。さすがに探照灯には劣るが、それでも助かる。攻撃に早く気づけるから、回避がしやすい。

 

 それでも、戦艦水鬼に、少しも接近できない。砲撃密度が濃すぎる。人一人分入る余地もなく、高密度高精度の砲撃が集中して降り注ぐ。

 

 徹底して接近させないつもりだ、これを必ず突破しなければならない。単独では無理だ。

 

 だからこそ、艦娘は、徒党を組んで戦うのだ。

 

 水鬼が卯月に集中している間に、満潮や熊野──必殺の雷撃を放てるメンバーが、死角に回り込んでいた。

 

 声なんて出さない、暗闇に紛れて、密かに魚雷が発射される。だが命中する直前、水鬼の眼光がギロリと動いた。

 

「ソンナ、小細工、無駄ヨ」

 

 昼間の時と同じように、獣型艤装の剛腕が、海面を全力で殴りつけた。小規模な津波が発生し、雷撃が引っ繰り返され、逆に熊野たちへ飛んでいく。

 

 攻撃面では主砲だ、しかし、防御面では、あの剛腕が猛威を振るう。どんなパワーがあれば、津波何て起こせるのか。

 

 これでは埒があかない。徹底的に破壊して、攻撃を通せるようにしなければ、意味がない。

 その為の一手は、浮かんでいた。

 下手したらただの自殺だが、シンプルで、一番可能性が高い──殺意の化身となった卯月は、迷わない。

 

「みんなーっ! 水鬼の砲撃を撃ち落としてぴょん!」

 

 その要請に、すぐ呼応する者は()()()()いなかった。

 それはできる、あの弾幕を抑えれば、卯月は懐へ潜り込める。一度潜り込めれば、修復誘発材や特攻で攻撃できる。

 

 だが、水鬼の砲撃はほぼ全て、卯月へ集中している。それを撃ち落とそうとすれば、必ず卯月も巻き添えになってしまう。

 その危険性を、承知で、卯月は頼んでいた。

 

「巻き添えでも構わない、もう時間がな──」

 

 呼応する者は、()()()()いなかった。

 

 つまり一名だけいた。

 

「喰らえ!」

 

 満潮だけは、一切迷わずトリガーを引いた。

 砲弾が飛んでいく。狙いはつけていない。卯月も水鬼も動き回るのでつけようがない。結果その一撃は、卯月の後頭部へ迫った。

 

「あ、当たるクマ!?」

 

 顔面蒼白で叫ぶ球磨。しかし卯月は紙一重のところで、砲撃を回避した。

 満潮の砲撃は二射目、三射目と続くが、どれもすんでで躱す。偶然でないと、理解していく。

 

「ソレハ、何?」

「言わないぴょん、知りたいなら砲撃を止めるぴょん」

「止メタ瞬間、砲撃スル癖ニ」

「てへ」

 

 顔を赤らめながら、全力の殺意で襲い掛かる。

 

「早く、もう時間がないんだぴょん!」

「了解しました」

「良いんですか、不知火!?」

「見ての、通りです」

 

 卯月を信じると、不知火は決断した。それに呼応して、全員が砲撃を浴びせる。砲弾と砲弾がぶつかり、爆発が吹き飛ばし、海面が荒れ狂い、火の海に呑まれていく。

 

「うおおおおおおーっ!」

 

 地獄絵図さながらの煉獄を、卯月は突っ切った。

 目の前からの砲撃、背後からの砲撃、その境目を、限界まで上げた身体能力で走り抜ける。

 爆炎の中でも、ハッキリと鮮光が見え、紅い鬼火が走る。

 そして、五体満足の卯月が、水鬼の前へ、躍り出た。

 

「入った!」

「叩キ出ス」

 

 水鬼の武装が一斉に襲いかかるが、更に懐へ、心音が聞こえるほど近くへ潜り込み、それを避ける。空を切った砲撃が、海面を大きく吹き飛ばす。

 

「もうここなら、主砲は向かないぴょん!」

 

 主砲は獣型艤装の肩に搭載されている。それ以上は仰角が届かない。水鬼自身が邪魔になり、狙えないのだ。

 

「イイエ、向クワ」

 

 ブチッと、なにかが千切れる音がした。

 

 音の元を見てみると、水鬼の背中から伸びていたチューブが、切れていた。

 あれは、なにと繋がっていた? 

 

「おいまさか」

「コレガ私ノ、隠シ玉」

 

 獣型艤装が、水鬼と分離して、襲いかかってきた。

 

「グォォッ!」

「行キナサイ」

 

 それは、横に回り込もうとしている。

 分離して離れてるから、主砲を卯月に、合わせることができる。

 

 普段なら「ギャー!」とか叫んでたが、それでも、卯月は冷徹さを保つ。

 

「まずは、あいつからっ!」

 

 卯月は、獣型艤装へ狙いを定めた。水鬼本体は武装がない、殴ることしかできない筈だ。まず攻撃手段を持ってる方から潰す。

 

「間違ッタワネ、選択ヲ」

 

 しかし、なにも装備していなかった水鬼は、手の甲から主砲を()()()()

 

 恐らくは、取り込んだ顔無しのもの。無茶苦茶な芸当だが、これで攻撃が可能になった。

 

「き、聞いてないぴょん!?」

「ソリャソウヨ、最終的ニ、艦娘達ヲ、鏖殺デキレバ、ソレデ良イ!」

 

 隠し玉を、最後まで残してた水鬼の勝ちというだけの話だ。

 だが、卯月にはそんなつもり微塵もなかった。

 

 単独で戦っている訳ではない。

 

 水鬼の攻撃で上がった水柱。

 その裏側に、巨大な影が見えた。柱を両断し、それは現れた。

 

「覚悟ぉぉぉぉ!」

 

 二本のブレードを構えた、比叡だったのである。

 

「ソンナ小細工!」

 

 水鬼の主砲が、至近距離で比叡を襲う。近すぎて回避はできない。切り落としたら、その直後を撃つ。

 

「だけど、対応できるネ?」

 

 しかし、入れ替わるように現れた金剛が、巨大なシールドで防いだ。緊急で生成した主砲では威力が低い、姿勢を崩せない。

 

「今度こそ、切りますよっ!」

 

 あれは、防げない。だが回避も間に合わない、なら掴んで、破壊する。振るわれたブレードに合わせ、片手を構えた。

 掴める──だが、その試みは失敗する。

 

 突如、視界が、閃光に包まれた。

 

「──ッ!」

 

 考えなくても分かる、探照灯だ。目眩ましだ。この時の為に、とっておいたと言うのか。

 

「決まった! 桃の! 一撃!」

 

 目を潰され、ブレードが見えない。やむを得ず勘で掴みにかかる。直前までの光景で、推測はできた。比叡は止まらず、剣を振り抜いた。

 

「はぁっ!」

 

 水鬼の勘は、半ば当たった。

 ブレードが砕け、破片が比叡に突き刺さる。

 だが、破壊できたのは一本だけ。

 

 もう一本は、主砲の生えた片腕を、完璧に切断した。

 

「今だ、今しかない!」

 

 獣型艤装と相対する卯月は、そう確信した。

 主を傷つけられ、怒り狂う艤装が、莫大な砲撃を浴びせてきた。だが、彗星のような速さで、卯月は潜り込む。

 

 即座に、艤装の足元へ、砲撃を浴びせる。

 特効とシステムの上乗せが、本来以上の破壊力を生む。脚部装甲が破損し、ほんの僅かだが、亀裂が入る。

 

 ここを、完璧に、正確に撃ち抜けば、動きを止められる。

 

 それは間違いなく、ポーラの役割だった。

 

「とりゃ~」

 

 気の抜ける声と裏腹に、砲弾は寸分のズレもなく、亀裂を抉った。恐ろしいのは狙撃能力より、瞬時にこれが、自分の仕事と識別できるところだ。

 

 あとはメイン武器、主砲の無力化だ。

 卯月は飛び上がり、主砲にナイフで切りかかる。主砲を撃っても、剛腕が防いでしまう。

 艤装は卯月を掴みにかかるが、ポーラの援護射撃が腕部に着弾、腕の動きが抑えられた。

 

 その隙に、ナイフで主砲に、傷をつけた。

 再生能力が暴走し、主砲が泡となって弾ける。二、三秒で再生してしまうが、それでいい。

 

 数秒間だが、獣型艤装は、無力化できた。

 

 艤装を蹴りあげて、卯月は、水鬼の元へ跳躍した。

 

「来タワネ、卯月」

「終わりだ、戦艦水鬼!」

 

 獣型艤装が、残った副砲や機銃を放つが、熊野や満潮の妨害を受け、狙いが逸れる。卯月は飛んだ勢いのまま、水鬼目がけて、ナイフを構えて飛び込んだ。

 

「今ネ、松、竹! Torpedo(魚雷)!」

「「了解!」」

 

 これで、卯月が、装甲を溶断すると同時に、松と竹の雷撃が突き刺さる。

 溶断できなければ、獣型艤装が復活する、システムも作動限界を迎える。

 

 必ず、切らなければいけない。

 主砲の生えた腕は、比叡が切り落としている。迎撃手段はない。

 だが相手は卯月同様、殺意の化身となった相手。どんな手段を編み出してもおかしくない。

 

 殺意が高まる、集中力が極限まで上がり、余計なものが全て、意識の外へシャットアウトされた。

 

 ガゴン──知らない音が、()()()()

 

 強いていうならば、主砲の基幹部分が、旋回する音に思える。

 

 主砲が、もうないのに? 

 

「ぴょん!!」

 

 殺意を信じ、何も無い虚空へ、砲撃を放った。

 

 直後、そこに、()()()()()()()()()

 

 砲撃同士が激突し、爆発が起こる。

 その砲撃は、()()()()()()()()()()()()から、発射されていた。

 死角から発射された物。比叡にも誰にも気づかれなかった一撃。

 

 卯月に、直撃していた筈だった。

 

 だが、最後の不意打ちは、卯月の勘により、迎撃された。どこから、どう飛ぶのか見えていなかったのに、正確に撃ち落とされた。

 

 勘なのか、なにか不意打ちへの確信があったのか。それは分からない。あるのは事実だけ。

 

「──見事!」

 

 誘発材ナイフが、水鬼を一直線に切り裂く。

 そして、溶断された肉体へ、大量の雷撃が捻じ込まれる。

 

「さようなら、水鬼さま!」

 

 ダメ押しに、卯月までもが、雷撃を捻じ込んだ。

 瞬時に、離脱した直後、夜の帳も吹っ飛ばす閃光が、戦場を覆い尽した。




次回、第一章、完結。


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第66話 名称

完全なる殺意、という単語の元ネタはボトムズの次回予告見れば分かります。
あと今更ながら、あらすじの内容が本編に則してない気がしたので、変えました。


 戦いが、終わった。

 赤い海が青色に戻っていく、浄化された証拠だ。

 全ての負念が、中枢だった水鬼の討伐により、解放されていく。海の中から、遥かな空へ、無数の光の粒子が上っていった。怨念が浄化される光景だ。

 

「綺麗デース」

 

 初めて見る光景に、金剛たちは見とれる。

 前科メンバーも似たようなものだ。大規模作戦に参加こそしたが、こうやって、最後まで立ち会うのはとても稀だ。

 

 青色に戻った海に浮かぶ、光の粒子。さながら、星の海に浮かんでるような光景である。

 

 そんな光景そっちのけで、卯月はじっと、水鬼を眺めていた。

 システムの反動で、全身が痛い。立っているのもやっとだった。

 

「残念ネ」

 

 殺意の化身、と言う割には、未練もなさそうだ。ただ、残念そうな顔つきだ。

 

 水鬼の肉体は崩壊していた。身体中に亀裂が入り、修復材の原液と血と油が、ダラダラ流れている。獣型艤装はまだ無事だが、本体の消滅に伴い消えるだろう。まだ動けるのに、じっと水鬼の傍で佇んでいた。敗北を理解してるのだ。

 

「敗因は、その艤装だぴょん」

 

 勝ち誇った顔つきで、卯月は告げる。

 

「お前は艤装と自分を分けた。でも、うーちゃんは仲間と力を一つにした。それが、明暗を分けたんだっぴょん」

「……ソレ、戦イヲカッコ良ク締メル為ニ、今適当ニ考エタダケデショ?」

「そうだぴょん」

 

 しょうもない理由に、水鬼は呆れかえる。

 卯月はどや顔を見せつける。そこにもう、殺意はなかった。間もなく死ぬ、無駄な殺意を、抱く理由がない。

 水鬼も、殺意は抱かない。

 悪足掻きをしても、誰かにかすり傷をつけるぐらいしかできない。無様な姿を、無駄に晒す理由はなかった。

 

 水鬼のそんな姿は、やはり素敵だ。

 

 迷わず、潔く、そしてカッコ良い。自らの意志を誇れるその生きざまは、卯月にとって理想そのものだ。

 

 なによりも、『卯月』に誇れるわたしでありたい。

 卯月の意志とは、その思い。

 それを自覚させてくれたのは、間違いなく彼女だ。

 

 憎い敵、仇の一人、滅ぼすべき深海棲艦。だが、それと同時に、同じぐらいの敬意があった。

 

「……ありが」

「駄目ヨ」

 

 水鬼が、続きを止めた。

 

「貴女ハソッチデ、私ハコッチ。艦娘ト、侵略者。ソレハ、二度モ口ニシテ良イ言葉ジャナイワ」

 

 あくまで、戦艦水鬼は敵である。憎しみを意志として、艦娘と人類に仇を成した存在だ。

 近くても、似ていても、越えられない一線がある。

 卯月が、卯月である限り。護る存在である限りは──越えてはならない。そう水鬼は諭す。

 

「うん、分かったぴょん」

 

 なら、すべきことは一つだ。

 主砲を向けた。止めを刺すために。

 他の仲間たちは、静かに見守る。これは、卯月に任せることだから。

 

 仇討ち、復讐に一区切りがつく。

 しかし、今となっては、恩人殺しにもなる。

 気高い精神で、洗脳から目覚めさせてくれた恩人を、これから殺すのだ。

 

 躊躇いはない。それこそ、彼女を侮辱することになる。敬意を払うからこそ、迷いなくトリガーを引かなければならない。

 

 卯月は、主砲に指をかけた。

 

 

 

 

 どこかで、砲弾が装填される音が聞こえた。

 

 

 

 

 卯月ではない。

 

 水鬼ではない。

 

 獣型艤装でもない。

 

 仲間の誰かでもない。

 

 だが、どこかで誰かが弾を装填していた。

 

 そう気付いた時には、頭上がもう、大量の砲撃で溢れ返っていた。

 

「逃げてください!」

 

 不知火が叫ぶが、とても間に合わない。それでも逃げなければ。

 

「がはっ!?」

 

 しかし、システムの反動で動けない。

 力を入れた途端、四肢を激痛が貫く。内臓までも悲鳴を上げ、あちこちの血管が破裂した。

 

 駄目だ、逃げ切れない。

 こんな死に方なんて。

 悔しさに顔を滲ませた──その時、水鬼が、動いた。

 

「水鬼さま!?」

「『サマ』ナンテ、ツケチャ駄目デショ……!」

 

 血塗れの身体を動かして、水鬼は卯月を庇った。

 その姿に、悲鳴を上げそうになる。

 あり得ない威力の砲撃を受けた水鬼は、全身穴だらけになっていた。

 

 比喩表現などではない。文字通りの穴だらけ。空いた風穴から、向こう側が見えるようだ。

 

 その先に、人影が見えた。

 

 

「なぜ、艦娘を、庇っているのですか?」

 

 

 声に、エコーはかかっていない。

 肌色も白くない。

 生体兵器のような艤装もない。

 その姿は、艦娘のものだった。

 

 だが、その瞳は、鬼火のように紅く輝いていた。

 

「貴女もなぜ、深海棲艦の心配を、しているのですか?」

「しちゃ、ダメなのかぴょん!」

 

 敵意をぶつけると、そいつは心底気持ち良さそうに身震いする。

 

「ダメですよ。敵とは、いっぱい甚振って殺す『モノ』。わたしたちが楽しむためのオモチャ」

「その目の輝き、まさか」

「ええ、そう、貴女と同じ、主様に選ばれた奴隷です」

 

 意味することはただ一つ。

 

 卯月と同じ、ブラックボックスを組み込まれた存在だ。

 

 水鬼の記憶の世界で見た、深海棲艦を率いる艦娘。

 あれが、こいつなのだ。昔の水鬼を蹂躙した存在だ。

 

「しかし、敵の心配をするなんて。やはり水鬼ではダメですね」

「どーゆー意味だぴょん」

「染めていただく相手を、間違えたということですよ。主様に染められてたなら、そんな、下らない思想にならなかったのに」

 

 敬愛する水鬼を侮辱され、腸が煮え繰り返る。しかし、システムの反動でやはり動けない。無様な卯月を嘲笑しながら、『敵』は主砲を向けた。

 

「卯月、今からでも、主様の奴隷になりませんか? とても気持ちのいい日々が送れ──」

「死ね!」

「……折角選ばれたのに、それを捨てるなんて、愚かですね。同胞なので、助けてあげようかと思ったわたしがバカでした」

 

 そう笑いながらも、『敵』はイラつく。提案を蹴られたことで、プライドを傷つけられたからだ。

 

「裏切り者も含め、貴女たちは皆殺し。それが主様の意志……うふふ」

 

 瞳の鬼火が燃え上がる。悍ましい威圧感を放ちなから動き出す。

 高宮中佐の言った通りになった。

 本当に──卯月を殺すための、『刺客』が現れた。

 

「秋月型防空駆逐艦、一番艦、『秋月』、抜錨します。長10cm砲ちゃん、やっちゃって!」

 

 誰も、まともに戦えない中、秋月との戦いが始まる。

 そう思った。

 秋月の近くに、巨大な砲撃が着弾した。

 

「ダメヨ」

 

 彼女を止めたのは、ボロボロの戦艦水鬼だった。

 

「なにをするんですか?」

「コイツラヲ殺スノハ、私ヨ。ダカラ……貴女ニハ殺サセナイ。私ハ、艦娘ヲ、皆殺シニスル。マズハ、貴女カラ……!」

「あははは! 秋月たちに従っておいて、今更なにを言っているんですか?」

「ソノ屈辱ヲ、今、晴ラス……!」

 

 水鬼は攻撃を始めたが、身体の限界を超えていた。反動に耐え切れず、砲撃の度に、全身から血を溢れさせる。それでも、攻撃を止めようとしない。一撃で装甲を抉る秋月の方が、圧倒的に有利……どころか、ただの負け試合だ。

 

「金剛さん、先に離脱を!」

「りょ、了解ネー!」

「前科戦線は警戒しながら離脱、今しかタイミングはありません!」

 

 不知火の指示が飛び、まず藤鎮守府の艦隊が離脱。その背中を護るように前科戦線が徹底していく。

 最初に中佐が指示した通り、刺客が現れたら、前科戦線を殿にして撤退。水鬼が同士討ちをしている今なら、前科戦線も離脱できる。

 

 しかし、卯月は命令を無視した。

 加勢しなければならない。

 立ち上がろうとするが、力を入れた途端、節々が悲鳴を上げ、崩れ落ちる。力を入れた場所から血が溢れ出す。

 

 でも、このまま殺されるのを見過ごせない。

 殺す相手に変わりはないが、こんな終わり方、()()()()()()。殺意を高め、身体の悲鳴を無視して、立とうと試みる。

 

「なにしてんのバカ、逃げるのよ!」

 

 しかし、現れた満潮が、卯月を引っ張った。無理やり卯月を肩に乗せて、一気に戦場から離脱していく。

 

「待って、水鬼さまが!」

「あれは敵よ! 敵同士の潰し合い。第一アンタ、中佐の指示を忘れたの!?」

「で、でも! だって、あの人は!」

 

 満潮から逃げようとするが叶わない。大声を出すと同時に、吐血までしてしまう。

 

「あ、ああ!」

 

 戦艦水鬼の身体が減っていく。

 肉を抉られ、装甲を溶かされ、全身から炎と煙を上げながら、水底へと沈んでいく。

 それでも、艤装に支えられながら、攻撃を止めない。その場から決して動こうとしない。

 

 自分の手で殺すから、殺させない? 

 そんなの方便だ、誰だって分かる──水鬼は、私たちを逃がすために、戦っているのだ。あんなに憎い、艦娘を生かすために。

 

「水鬼、さまっ! やめ……て、そんな、水鬼さまぁ!?」

 

 吐血しながら、水鬼の名前を叫び続けても、戦いを止めてくれない。

 

 分かりきっていた、止める筈がないことは。

 

 更に遠ざかり、次第に見えなくなる。完全に消える直前、彼女と卯月の目が合った。

 

「……フッ」

 

 彼女の笑う声が聞こえた。

 

 そして、水鬼の姿は、完全に見えなくなった。

 

「水鬼さまぁぁぁぁ!」

 

 泣きじゃくる声が、夜の海に轟く。

 水鬼の砲撃音は、止まなかった。秋津洲の輸送艇に乗り込み、戦線を離脱する最後の瞬間まで、聞こえ続けていた。

 彼女たちは、離脱に成功した。他ならぬ水鬼の殿によって。

 

 海域は解放された。一人も欠けることなく、システムの解析もできた上で帰還できた。

 

 泊地棲鬼より始まった大規模作戦は、完全勝利で幕を閉じたのである。

 

 

 *

 

 

 艦娘も人間も憎かった。

 

 特に、秋月に仲間諸共蹂躙され、無理矢理従わされた屈辱は、到底忘れることはできない。

 

 挙句、仲間は拉致された……戻ってきた時には、『顔無し』になっていた。鏖殺すると決めたのは、その時だった。

 

 だが、その憎悪に身を焦がすのは、みっともなかった。

 一時の感情を満足させるために、必要以上に痛めつけたり、非道な方法をとることはできる。けどそれは、ただの下賤な欲望だ、なんの価値もない。

 

 憎しみが極まった時、私は目的を得た。人も艦娘も死んだ未来を目指すという、『殺意』が生まれた。決してブレないその殺意は、私の『意志』そのものになった。

 全ては皆殺しのため。

 迷うことも、感情に振り回されることもなくなった。

 

 しかし、その価値観に同意する同胞は少なかった。

 

 深海棲艦は怨念の化身だ、知性がある方が稀な生物だ。仕方ないとは思う。けど、知性がある奴さえ『意志』もなく、欲望を満たすことを優先する。憎いから殺す、必要以上に痛めつける、苦しむさまを楽しみ、無駄な戦闘を繰り返す。

 

 どいつもこいつもそうだった。イロハ級も、姫級も──システムに呑まれた艦娘たちも。

 

 あいつらは、背徳の快楽を味わうことしか考えていない。

 誰かを護り、未来を残す──そんな意志を持つ艦娘たちの方が、遥かにマシだ。

 

 だから、卯月も嫌いだった。

 

 システムに呑まれて、媚びを売られた時、頭を吹き飛ばしたかった。

 エネルギーを取り込み過ぎて、深層意識まで視られた時は吐き気がした。

 

 しかし、そうやって手駒にした方が、合理的と分かっていた。

 艦娘を殺すにせよ、秋月どもに反旗を翻すにせよ。

 システムを持つ卯月がいるなら有利になる。より心酔してくれるなら仕方がないと、心を覗かれることを我慢した。

 

「マサカ、カッコ良イトワ……」

 

 完全に、想定外だった。

 私に憧れた挙句、洗脳を乗り越えてしまった。

 始めて殺意を肯定してくれたのが、憎き艦娘になるとは思わなかった。皮肉と言う他ない。

 

 だからだろうか、思わず庇ってしまった。

 卯月が、あんなクソ(秋月)に殺されるなんて、到底許せない。気づけば身体が勝手に動いていた。

 

「ドロップハ、シナサソウネ」

 

 艦娘はやはり憎い、そんな存在へ変わるのは絶対に嫌だ。幸い変異の兆候はない。心の底から安心しながら、自分の行為を思い返す。

 

 この結果でも、後悔はなかった。

 最後まで、自分の意志を貫くことができた。自分に誇れる一生だったと自負できる。艦娘を皆殺しにできないのは未練だが、『意志』は残った。

 

 完全なる殺意は、継承された。

 あの卯月は必ず、秋月たちを倒してくれるだろう。この殺意が正しかったことを、連中を倒すことで、証明してくれるだろう。

 そして、何時の日か、この世界(現在)を滅ぼしてくれる筈だ。

 

 この私が、意志を継ぐだなんて、人間のような考え方をするとは。自虐的に笑いながらも、水鬼は思った。

 

「中々、良イジャナイ」

 

 戦艦水鬼は泡となり、消滅した。

 

 

 *

 

 

 その夜、卯月はまた悪夢を見た。もちろん泊地棲鬼の手先になり、神鎮守府を襲撃する夢。

 

 殺したくないのに、卯月は喜々として撃ち殺していく。嫌でしょうがないのに気持ちよくされ、頭がおかしくなりそうだ。何度見ても、決して慣れない地獄絵図に苦しむ。

 

「……ん?」

 

 なにやら、悪夢がおかしくなってきた。深海棲艦が誰かに次々と吹っ飛ばされ、倒されていく。

 

 挙句、泊地棲鬼までも、誰かに叩きのめされた。その人影は、卯月のところに現れる。

 

 それが誰なのか気づき、唖然とした卯月は、簡単に身体を抑えられる。

 

「戦艦水鬼、さま?」

 

 獣型艤装を纏ったその姿は、紛れもなく水鬼のものだった。

 

「ミットモナイ姿ヲ、晒サナイデチョウダイ」

 

 水鬼は拘束を解除する。強めに喉を抑えられてたせいでむせ返った。まさかの再会に胸が高鳴るが、同時に困惑する。

 

「なんで、水鬼さまが」

「『サマ』付ケハ、止メナサイ。私ハ敵ヨ」

「……なんで、水鬼が?」

 

 ここは、卯月の悪夢の中。神鎮守府襲撃の記憶、水鬼はいない。

 なのに彼女は現れ、悪夢その物を叩きのめしてしまった。

 燃える鎮守府も、泊地棲鬼も、死体もなくなり、静かな青い海に変わっている。

 

 しかも、目の前の彼女は、夢の産物ではなく、本人のように思える。共鳴している時に感じた、水鬼本人の気配がしていた。

 

「残留思念ヨ」

 

 あっさりと、水鬼は答えた。

 

「私ハ、貴女ノ深層意識ニ残ッタ、水鬼ノ残リカス」

「そうだったのか……って、なんで残留思念が、うーちゃんの中に」

「アンダケ人ノ力ヲ取リ込ンデオイテ、今更、何言ッテルノ」

 

 システム作動時に、卯月は水鬼のエネルギーを大量に取り込んだ。吸収し過ぎて、水鬼の心に呑まれかけ、深層意識まで見えた。余りにも深く潜り過ぎて、逆に水鬼の欠片が、取り着いてしまったのだ。

 

「マ、ダカラ、ジキニ消エルワ、安心シナサイ」

 

 そうは言うが、全然嬉しくない。

 敬愛する水鬼の欠片が残ってたと知って、むしろ嬉しかった。消えてしまうと知り、寂しさが込み上げる。

 

「チョット、コッチ来ナサイ」

 

 卯月の様子を察した水鬼が手招きする。近くに寄ると、卯月を獣型艤装の上に座らせ、彼女自身も上に座る。

 座り心地は案外良い。水鬼は普段から、艤装を簡易ソファーとして使っていた、座らせる為の姿勢に慣れているのである。

 

「えーと、何をする気ぴょん」

 

 水鬼は背中から、卯月を抱きしめた。

 

「……コウイウノ、恥ズカシイワネ」

「じゃ、なんでやってんだぴょん」

「シタカッタカラヨ」

 

 ストレートな理屈である。敵と味方の区別はどうしたのか。

 しかし、悪い気はしない。

 むしろ、とても心地いい。

 深海棲艦だから体温は冷たいが、悪夢で憔悴した心が、落ち着くようだ。

 

「一ツ、教エテアゲル」

「え?」

「連中ノ情報ヲ」

 

 穏やかな声色で、驚くべきことを言い出した。

 

「な、なんでだぴょん」

「貴女達ハ私ヲ倒シタ、ダカラ教エル。デモ『一ツ』ダケ。一人倒シタノダカラ、『一ツ』ダケ……ソレニ、アイツ(秋月)ガ嫌イダシ」

「……後半が本音じゃ?」

 

 べしっと頬をはたかれた。聞くなという意味である。痛がる卯月を見て、水鬼は軽く笑った。

 

「名前ハ、D-ABYSS(ディー・アビス)

 

 確かに聞こえた。

 

「システムノ名前ヨ」

「で、でぇ? アベ?」

D-ABYSS(ディー・アビス)ヨ」

 

 とても重要な情報を、水鬼は伝えてくれた。

 

「一度ダケ聞イタワ。マア、貴女ニマデ積マレテルトハ、知ラナカッタケド。ソレ以上ハ知ラナイシ、知ッテテモ、モウ言ワナイ。艦娘ハ嫌イダモノ」

 

 実際水鬼は、それ以上知らない。エネルギーを取り込むことで洗脳するシステムということは、初回の感覚で察しただけだった。

 

 卯月にとっては十分だった。

 

 話すことがなくなり、卯月は黙り込む。沈黙が流れるのが心地よい。洗脳の快楽とは違った、温かさを心で感じる。

 

 しかし、やがて、終わりが近づいてくる。これは夢、何れは覚める運命なのだ。

 

「卯月、自信ヲ持チナサイ」

 

 別れを察した水鬼が、最後の言葉を伝える。

 

「貴女ハD-ABYSS(ディ・アビス)ヲ越エ、私ヲ倒シタ。貴女ハ強イ。悪夢ニモ、秋月達ニモ、必ズ勝テル……貴女ミタイナ、強イ子出会エテ、良カッタワ」

「そういう慣れあい、駄目なんじゃ?」

「私ハ死ンデルカラ良イノヨ」

「おい」

 

 酷い理屈だった。

 だけど、それが愛おしい。お礼を言いたいのは卯月の方だ。彼女のおかげで、自分の意志を、取り戻せたのだから。

 

「なら、見届けるがいいぴょん。うーちゃんの潔く、カッコ良い生き様を!」

「エエ、見サセテ貰ウワ」

「じゃあ、さようなら!」

 

 とびっきりの笑顔を見せて、眼を閉じた。

 意識が消えていく、夢の時間が終わりを迎え、心が現実へと帰還する。閉じた瞼を、大きな光が照らしていく。

 

 

 

 

 瞼越しに、朝日が突き刺さる。あまりの眩しさに眼を覚ます。

 いつもの、満潮との共同部屋の天井が見えた。あの戦いの後、ちゃんと基地に帰還できたことを思い出した。

 

「……水鬼さま」

 

 久々に、良く眠れた。あの人が悪夢を叩き潰してくれたから、安心して眠れた。

 

 けど、残留思念は、消えてしまった。寂しいけど、受け止められた。

 

 もう会えないけど、消えてはいない。

 私を作る一部として、あの人はいてくれる。そう思うと、心から落ち着ける。抱きしめて貰った温もりが、まだ残っていた。

 

D-ABYSS(ディー・アビス)……まず中佐に報告しないと!」

 

 カーテンを開けて、ベッドから飛び出した。ブラックボックスの名前から、色々なことが追跡できる。

 

 復讐は終わらない、まだ『敵』は倒せていない。だからと言って、人らしさを捨てる気はさらさらない。

 

 どっちもやる。仇も討つ、人も護って、自分を貫く。

 

 あの人が気づかせてくれた、私の意志を、完全なる殺意で貫いて見せる。

 

 駆逐艦『卯月』に、誇れる生き様をするために。

 

「ぎゃんっ!?」

 

 ただし、それは、システムの反動が治ってからの話。全身の激痛に卯月は引っ繰り返って気絶した。

 

 

 *

 

 

 かくして、卯月の戦いは、一つの区切りを迎えた。

 

 だが、本当の戦いは、ここから始まる。

 ブラックボックスの正体、D-ABYSS(ディー・アビス)。突如として襲撃してきた、駆逐艦の秋月。

 彼女が呼ぶ主とは誰なのか? 

 D-ABYSS(ディー・アビス)を組み込んだのは、誰なのか? 

 更なる淵源へと、彼女たちは戦いを挑む。その過程で暴かれる、前科メンバーの過去。

 

 そこが如何なる悪夢であろうと、完全なる殺意に目覚めた卯月は止まらない。水鬼への憧れを胸に、卯月は走る! 

 

 前科戦線ウヅキ、第二部、『堕落冷獄葬操曲』。

 

 しかし、その果てにあるものは。




艦隊新聞小話

以前発生したデータについて、一部解析が完了しました。現在最新のデータを上げさせて頂きます。

 『開発報告第』蠑千分

 螢ア蜿キ讖溘′驕ゅ↓『完成した。今後はこれを使い』繧ィ繝阪Ν繧ョ繝シ蛻カ蠕。蜿翫?繝上?『ドウェアの完成を目指していく』縲ゅ@縺九@縲√%縺ョ縺セ縺セ縺ァ縺ッ驕主臆『スペックだ。D-AYBSSの制御する』繧ィ繝阪Ν繧ョ繝シ縺ョ螳夂セゥ縺後?取э蠢励?上↓縺セ縺ァ蜿翫s縺ァ縺?k縺ィ縺ッ縲よэ蠢励r『取りこみ、意志』繧帝?√j霎シ繧?縲『時空』髢薙↓騾√l縺ー縺昴?豕『則を自らの意』蠢励〒荳頑嶌縺阪〒縺阪※縺励∪縺??らゥコ髢薙r謾ッ驟阪☆繧九?ゆサ翫?莠コ鬘槭↓縺ッ『過ぎた装置だ。だが新たに開発する』莠育ョ励?『ない。既存の壱号機を改造』縺励せ繝壹ャ繧ッ繝?繧ヲ繝ウ繧偵☆繧九%縺ィ縺ィ縺吶k縲

『――開発主任。千』螟懷鴻諱オ蟄

以上となります。現時点ではほとんど解析が進んでおりませんが、ご了承ください。




以上で第一部は終了です。しまらない終わり方ですが、この方がうーちゃんらしいと思います。
プロットとかが終わったら、第二部を再開します。
次章からは、予告通り他の前科メンバーの過去話がやっと始まります。また、楽しんでいただければ幸いです。


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第二部 『堕落冷獄葬操曲』
第67話 発作


再開しますが、しばらくは平穏な日常パートでいきます。


 まどろみの中、卯月は誰かの声を聞いていた。

 知らない声だ、聞いたことのない、不思議な声。それがぼんやりと、頭の中に反響する。ふわふわとしてくる。

 

「ねえ、どうするの、どうするのですか!?」

 

 心の底から楽しそうだ。

 

「どうするのですか、どうすれば、良いのですか」

 

 心の底から悲しそうだ。

 

「行こうよ! Dに憑かれた艦娘同士の戦いだよ? いったいどうなるんだろう、わたしは楽しみ!」

「行こうよ……準備なんてしてる場合じゃない。こんなの悲しいだけ……」

 

 やかましい笑い声と、耳障りな泣き声。ほとんど同じ声をした二人の少女が、誰かを囲んで跳ねまわる。

 誰かは、杖を持ち、遥か上を見上げた。

 

「いいや、まだだ」

「ええ!? 行きたいです主様!」

「そんな、主様」

 

 主様──その単語で思い出すのは、秋月が言った『主』の存在。主様は冷静かつ不思議な声で、別の方へ向き直る。

 

「世界は『自由』でなければならない、だからこそ、鎖は磨かれる。わたしたちはそうだった」

「そうでしたね、そう、自由!」

「自由……」

「だが、鎖は繋がってなければ、鎖ではない」

 

 卯月の意識が消える寸前、別の誰かの声が聞こえた。すすり泣きながらも、ハッキリとした言葉が響く。

 

「そう、人の行く末なんて、些細なことなの」

 

 あまりにもおぼろげな意識で見た夢。その記憶は残らなかった。

 

 

 *

 

 

 泊地棲姫を発端とする大規模作戦は成功した。侵食されていた海は解放され、深海棲艦は生まれなくなった。

 しかし、それは一時的なもの。艦娘たちが四六時中警備しなければ、やがてまた汚染される。定期的に巡回と争闘をすれば、海は守れるが、広大な海全てを網羅できるほど、艦娘はいない。

 

 とはいえ勝利は勝利。一時的だろうが、深海棲艦の増殖を止められたことは、戦略的に大きな価値がある。作戦を成功させた藤提督は昇格が決まり、それを知った金剛たちは浮き足立つ。

 

 だが、前科戦線は。

 

「報酬なし!?」

 

 卯月の嘆きが、医務室に響く。叫びすぎて傷口が開いた。

 

「うぎゃぁ!?」

「バカなの?」

 

 ベッドで悶える卯月を、冷ややかな目で見下す満潮。その態度に腹が立つが、更に傷が開きそうなので、頑張って感情を抑える。気持ちが落ち着くと、痛みがぶり返してきた。

 

「……いてぇぴょん」

「叫ぶからでしょ、バカなのね」

「バカバカ喧しいぴょん」

 

 しかし言い返す気力も中々湧かない。

 戦艦水鬼討伐から一週間、ずっと医務室暮らしでは、気が滅入ってしまう。いい加減出歩きたいなと、卯月は露骨なため息をつく。

 

「ってそうじゃない、なんで報酬がないんだぴょん。今回うーちゃんは、水鬼()()を倒したMVPだぴょん」

 

 採用しているところと、そうでないところとまちまちだが、戦果による報酬制を認めている鎮守府はいくつか存在している。あまりに傾倒し過ぎると、裏方の駆逐艦がなおざりになるので、大本営が認める範囲での話だ。

 

 そこまでやらなくても、大物を仕留めた時、なんらかの良い事が用意されてる時もある。神鎮守府にいた頃、そういう話は良く聞いていた。所属人数が多いせいで、MVPのチャンスは少ないと、菊月が言っていた。

 

「いや、報酬なくても、戦果を上げたら、大本営からボーナスとか出るって聞いたぴょん。そっちは?」

「あんたやっぱ大バカね」

「どーゆー意味ぴょん」

「懲罰部隊が戦果上げたらダメじゃない」

 

 数秒沈黙、目をパチクリさせた後、「あ」と卯月は気づいた。

 

「じゃあ、水鬼さま討伐の戦果って」

「全部金剛さんとこの鎮守府の戦果、あたしたちはゼロ」

「嘘ぴょん……」

 

 罪を犯した償いの代わりに戦っているのだ。償いで報酬は出ない。出るとしても、最低限の対価として。戦果を上げても手柄にはならない。

 普通の鎮守府のように戦果を上げて、それで名誉を受けることは許されない。それでは懲罰部隊にならないのだ。

 

「今更思ったんだけど、特効や羅針盤の情報を、前科戦線が集めてるってことは」

「直接関わった奴以外知らないわ」

「外の人からのうーちゃんたちの認識って」

「出撃も警備も護送もなにもしないクソ集団」

「うっそぴょん……」

 

 懲罰部隊は嫌われ者でなくてはならない。一緒に作戦参加すると、金剛たちのように認識が変わることもある。だが、世間の大半は前科戦線を忌み嫌う。

 なにをしても認められず、報われない。だからこそ懲罰部隊として成り立つのだ。

 

「まあ、それじゃあんまりだから、お金代わりの券が多めに配給されるわ」

「おお、つまりうーちゃんは!」

「水鬼との一戦目で裏切ったツケがなきゃ多めだったかもね」

「あぎゃー!」

 

 なんで一戦目で洗脳を克服しなかったんだわたしは。

 叫んだせいで、また傷が開く。もんどり返ってベッドで痙攣する卯月を、満潮はとても冷ややかな目で見降ろしていた。

 

「うう……辛いぴょん……身体も心も苦しいぴょん」

「あっそ」

「取り敢えずミチミチと離れれば元気になるかもぴょん」

「誰がミチミチよ、だったらさっさと治りなさい」

「できりゃ苦労しないぴょん」

 

 なぜ、医務室暮らしなのかと言えば、強化システムの反動である。

 神鎮守府壊滅から数えると、通算三度目の起動。それでも反動が緩和されることはなかった。

 

 限界を越えた動きのせいで、体内は大破同然の状態。骨はひしゃげて砕け、筋繊維は無数に断裂。脳や内蔵から出血し、大動脈は破裂。

 結果、入渠しても完治せず、絶対安静が命じられたのである。

 

「高速修復剤でもなんでも使えば良かったじゃない」

「『なぜ作戦中でもないのに、貴重な修復剤を使用しなければならないのですか』って不知火が」

「じゃ、仕方ないわね」

「良くねーぴょん」

 

 卯月は再び、大きなため息をついた。

 

「あー、せっかく洗脳克服したのに」

「その度に身体がシェイクされてちゃ意味ないわね」

「ぷぅ……」

 

 言い返すこともできない。いくら能力が数倍に強化されても、その度入渠沙汰ではどうにもならない。メリットとデメリットがプラマイゼロ。いやマイナスだ。

 

「ホント、なんなのかしら、D-ABYSS(ディー・アビス)って」

「知らないのか、はぁーあ、バカな奴だぴょん」

「じゃあんたなんか知ってんの」

「知らないけど?」

 

 満潮が頬をつねる。全力で引っ張ってくるので千切れそうだ。「いひゃい」と卯月は言うが、抗議は受け入れて貰えなかった。

 離した頃には、頬が赤く腫れ、ジンジンと痛む。涙目になりながら頬を擦る。

 

「でぃー……なんかの略語かしら」

「ドロップ・アビスで深海堕ちとか?」

「どう転んでも、ろくな名前じゃなさそうね」

「いや実際ろくなモノじゃないぴょん」

 

 莫大な快楽と多幸感で頭をおかしくさせるシステムがまともである筈がない。どんだけ悪意にまみれた奴が、こんな物を作り上げたのやら。正直、考えたくもない。

 

「けど使いこなさないと……どーにかして、身体への反動を減らさないと」

「嘘、あんた、それまだ使う気なの」

「とーぜんぴょん」

 

 あっけらかんとした態度、満潮は信じられないと言わんばかりに、眉をひそめる。

 D-ABYSS(ディー・アビス)のせいで、卯月は造反者となった。仲間も護るべき人間も殺してしまった。全ての原因、忌むべき装置だ。使いたいなんて、間違っても思わない。

 

 もし満潮が同じ立場だったら、存在を許せず艤装ごと破壊していた。敵への手がかりがなくなると理解してても、衝動的に叩き壊していただろう。命令違反だろうが構わないとさえ思った。

 そんな代物を、卯月は今後も、使い続けるつもりなのだ。満潮には理解できない。

 

「敵への手がかりだから、バンバン使えって中佐も言ってるぴょん」

「そんなの無視すれば良いじゃない、半年かけても解析できなかった北上が無能なのが悪いのよ」

「んなこと嘆いたってムダぴょん、使って、より解析が進むなら、うーちゃんは喜んで協力するぴょん。それにどうせ使うなら、使いこなさないと」

 

 理外の方法で洗脳は克服した。あとは身体への反動だけ。これを克服すれば、戦闘能力向上と解析がどちらもできる。結果だけ見れば、良いことずくめだ。

 

「うーちゃん、ただでさえ弱いんだし……」

「ならちゃんと訓練しなさいよ」

「辛くて苦しい訓練は嫌だぴょん」

 

 楽して強くなりてぇ、と言い出す卯月を、満潮は殴りたくなった。

 

「それに、これを使いこなさないと、多分……勝てないぴょん」

「……秋月ね」

「水鬼さまの、仇だぴょん」

 

 満潮の背筋にナイフが突き立てられた──と、錯覚した。

 卯月の殺意が、満潮を恐怖させたのだ。

 水鬼を殺されたことの憎しみは、凄まじく大きかった。俯く卯月の瞳には、黒く煌めく殺意が見える。

 

「その為には、こいつを使いこなさなきゃ話にならないぴょん」

「確かに……あの高角砲の威力は狂ってた」

 

 いくら大破してるとはいえ、戦艦水鬼を発泡スチロールみたいに破壊できる威力だ。風穴だらけになった水鬼の姿を、満潮も覚えている。駆逐艦が出していい火力ではなかった。火力だけではない、他全ても異常強化されてるかもしれない。

 

 だが、そんなことは些細な問題だ。

 前科戦線の任務は常に過酷極まっている。敵が誰か不明、本拠地不明、到達条件不明で殴り込みをかけ、偵察を一回で成功させねばならない。敵が秋月と分かってるだけマシと言えばマシなのだ。

 

 問題なのは、艦娘と戦わなければならないという一点に尽きる。

 

「……あ」

 

 卯月の様子が急変する。おちゃらけてたにやけ顔が青白く染まり、目の焦点が一瞬で定まらなくなった。ガタガタと震えだし、両手で体を抱え込む。

 

「あ、ああ……!?」

「卯月?」

「うぁ、あ、アアアぁ!?」

 

 虚ろな瞳で、恐怖の叫び声を上げた卯月は、衝動的にベッドの上でうずくまる。耳を塞ぎ、目を布団に押し付け、何も見えないように、聞こえないように、自分を閉じ込めた。突然の豹変に、満潮は一瞬呆気にとられる。

 

「って、窒息するでしょ!」

 

 布団に顔を押し込み過ぎて、息ができなくなっている。慌てて布団から引き剥がすが、震えが収まる様子はない。むしろ、過呼吸を起こして悪化している。息苦しさに更に苦しむ卯月を抱きしめ、背中を摩る。効果があるか分からないが、これしかできない。

 

「止めて……来ないで……殺さないで……」

「誰もいないわよ……って、聞こえてないか」

「嫌だ……やだ……う、うう……」

 

 目を閉じていても、瞼の裏側から幻覚が現れる。耳を塞いでも幻聴は止まない。満潮の声も温もりも、狂い果てた五感には届かない。

 それは、全て幻でしかない。そう自分に言い聞かせ、独りで耐え続ける以外の方法を、卯月も満潮も知らなかった。

 

「哀れ、ね」

 

 卯月は嫌いである。死んだらラッキーだと思うだろう。だが、それを踏まえても、卯月の有様は悲惨だった。

 悲しみも怒りを殺意で纏めても、心の傷は消えない。仲間を喜々として手にかけた記憶は、卯月のメンタルに致命傷を与えていた。

 

 水鬼との戦いの後、ある程度は吹っ切れたのか、悪夢を見る頻度は減った。

 だが幻に襲われる頻度は全く減らなかった。

 いつ、どこで、どれぐらいの幻を見るのか分からない。なにかしら切っ掛けがあれば、すぐに錯乱する。発作と言う他ない。

 

 卯月は決して、どんな幻かは話さない。彼女のプライドが絶対に許さない。

 しかしうわ言を聞いてる満潮は、だいたい察している。血塗れで、ウジ虫塗れの艦娘や人間が、呪詛を吐きながら、彼女を抉り、四肢を千切っていくのだ。

 

 全て幻だが、見てる当人には本物だ。罪悪感と激痛で発狂しかけ、ボロボロと涙を流しながら、震えて耐えるしかない。これが悲惨でなければなんだと言うのか。

 数分経った頃、卯月の震えが少し収まってきた。閉じていた目が開く。虚ろなままだが、満潮は認識できている。

 

「……み、みち、しお……?」

「終わったんなら、さっさと離れてちょうだい」

「……分かってる、ぴょん」

 

 卯月は離れようとするが、身体が上手く動かせない。四肢を千切られ、内臓を貪られた幻痛を引きずっている。まだ、感覚が現実に戻れていない。満潮に身体を預けながら、戻るのを待つしかない。満潮も無理矢理引き剥がそうとはせず、自主的に離れるのを待つ。

 

「あんた、窒息しかけてたわよ」

「マジ、か、ぴょん。ごめんだぴょん」

「少しは気をつけてほしいものね、こんなことで死なれたらこっちが迷惑」

 

 なんで満潮が世話をしているかと言うと、卯月が死ぬからだ。

 五感全部が幻に襲われるせいで、平衡感覚も全部が狂う。その場で転倒して頭を打つぐらいならマシ。下手をすると入浴中に溺死しかねない。結果、同室だからという理由だけで、面倒を見るよう言われたのである。実際ベッドの上で窒息死しかけた。

 

「うー、キツイぴょん。全部敵のせいだぴょん」

 

 ようやく落ち着いた卯月は、怒りを顕にしながら、満潮から離れる。そう言って、自分を責めないよう言い聞かせているのだと、満潮は最近気づいた。実際悪くないので、なにも言う気はないが。

 

「戦えんの、アンタ、そんなんで」

「分かりきってるぴょん」

「だって、相手は秋月よ。艦娘と戦う羽目になってんのよ」

 

 艦娘を快楽目的で虐殺した卯月にとっては、トラウマを抉るような戦いになる。

 しかもD-ABYSS(ディー・アビス)まで作動させて戦うのだ。シチュエーションまで当時の再現。相当来るものがある。

 

「秋月と戦うことを想像しただけで、発作が起こんのよ。そんなんでできるの?」

 

 それでトラウマを刺激したから、発作が起きたのだ。満潮にはまともに戦えるとは思えなかった。無駄なことだと知りながら。

 

「ふん、お前はバカかぴょん」

「はぁ?」

「やる以外の道は、ないんだぴょん」

 

 卯月の言うことが全てだった。仮に戦わずに逃げ回ったとしても、『敵』は必ず卯月を見つけだして殺すだろう。自分へ繋がる手がかりを、放置してくれる筈がない。卯月もまた、『敵』を許すつもりはない。

 

「襲ってくるなら好都合、迎え撃ってやるぴょん」

「なら尚のことシステムに頼らず強くなりなさいよ、基礎戦闘能力虚無なんだから」

「めんどい」

「最低、死んで」

 

 しかし、現状はかなり芳しくない。主に卯月のメンタル的に。秋月がどれだけの戦闘力なのか底も見えていない。戦いこそ終わったが、油断ならない緊迫が、前科戦線を支配していた。




秋月と戦うには、D-ABYSS(ディー・アビス)を使いこなすことが必須条件。とりあえず反動に耐えられる体作りですね。


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第68話 警告

 大規模作戦終了に伴い、前科戦線は──表向きの話だが──長い休暇に入っていた。元々特務隊は大規模作戦をスムーズに進めるための、特効や羅針盤の調査任務を主とする。なので作戦がない時は、特にやることがない。

 

 通常の鎮守府なら海域警備や船団護衛等があるが、それも免除されている。というか禁止されている。一般市民を護り、良い印象を抱かれてはならないからだ。よっぽどの緊急事態なら例外だが。

 

 当然、この特別措置のおかげで、特務隊は更に嫌われている。近海で深海棲艦が出たり、輸送船団が襲われていても、近くの鎮守府に通達する程度。前科戦線はより嫌われる。嫌われることで、懲罰部隊の存在意義を達成する。

 

 なので、前科持ちたちは各々、好き勝手に過ごしていた。部屋で延々とゴロゴロする者や、生真面目に自主訓練に勤しむもの。尚ポーラは平常運転なので普段と変わらず酒浸りである。

 

 そして肝心の卯月はというと、ずっとベッド暮らしだった。暇で暇で死んでしまいそうだった。大きいところなら入渠施設という名のリラクゼーション施設があるが、こんな地獄にある筈もなく、頻発する発作に苦しみながら寝るだけだった。

 

 しかし、今日はようやく変化が起きた。

 

「はい口開けてー」

「ぴょあー」

「はーい変な声出さないでー」

 

 開いた卯月の口の中を、ライトで照らしながら北上が観察する。奥底まで覗き込み、ライトを消して「閉じていいよー」と言う。手に持ったカルテを一読して、「うん」と頷く。

 

「どこにも異常なし、一週間かかったけど、完治だよー」

「つまり自由かぴょん!」

「一応ねー、あーでも、単独行動は控えてねー」

 

 北上の注意を受け、卯月は口を横一文字に結ぶ。この間もそうだったが、幻に襲われる発作はまるで予測不能だ。精神的に緩んだり、ショックを受けると起きやすいが、なにもない時でも起きることもある。

 

 ただ、単独行動が駄目ということは、常に満潮(怨敵)と一緒にいなければならない。不倶戴天のルームメイトに付き纏われなきゃいけないのだ。考えただけで食欲がなくなり気が滅入り腹痛が止まらなくなる。

 

「満潮以外がついてくれないのかぴょん」

「その質問何度したのさ。ダメだよムリだよ不可能だよー、中佐が許可する筈ないでしょー」

「おのれぇぇぇぇ」

 

 同じ部屋だから連帯責任。軍隊じゃ良くあるシステムだ。だからってメンタルケアまで連帯義務にすることないだろ。卯月は嘆くが、結局どうしようもない。延々とため息を連射するほかなかった。

 

「吐きそう」

「そりゃこっちのセリフよ」

「げぇ、満潮!?」

 

 卯月の診察を待っていた満潮はなぜか、卯月の背後に立っていた。あまりの衝撃に心臓が飛び出そうになった。なんて酷いやつだ、わたしをショック死させるつもりに違いない。卯月は両手を振り回し憤慨する。

 

「うーちゃんを殺す気かぴょん、人殺し!」

「アンタが言えたセリフ!?」

「ぐあ、満潮のせいで、発作が!?」

「死んでろ!」

「ここで騒がないでくれない?」

 

 北上の冷めきった一言が、ナイフのように突きつけられた。二人は揃って背筋を伸ばす。視線はお互いを睨んでいた。

 

「で、満潮は?」

「待ちくたびれたのよ」

「じゃあもう直ぐ終わりだよー……ただ、ちょっと、一言だけ」

 

 義足をカチカチ打ち鳴らし、カルテを机に置く。

 ゆるゆるとした雰囲気が消えた。妙にシリアスな口調で、まっすぐに卯月を見つめる。卯月も満潮も、不思議そうな顔で首を傾げた。

 

「戦艦水鬼との戦いで、システム解明はまた進んだ。洗脳機構の解除もなんとかなりそう」

「おお、マジかぴょん、ありがとぴょん」

「だから、『殺意』を使うのは、控えた方が良いよ」

 

 彼女の一言に卯月は固まる。北上が殺意という単語を使ったからだ。

 

「洗脳を打ち破るためには、しょーがないってのは理解けど、それはかなり危ない力だからね。頼るのは完全にアウト、やむを得ない時だけにしなきゃ」

「……そうなのかぴょん?」

「理性も感情も全部殺意になるような精神状態だよ、まともな訳ないじゃん」

 

 感情から意志が生まれる。その意志をなんとしてでも遂行する境地──と言えば聞こえは良いが、言い換えれば、それ以外何も見えない状態とも言える。他人が見えないどころか、自分さえ見えなくなる危険がある。

 

「手段と目的が入れ替わったらおしまいだよ、気をつけなー」

「うん、でも……」

「ん?」

「北上さん、なんでそんな詳しいぴょん?」

「知り合いにいるから、そういう奴が」

 

 いるってのはつまり、完全なる殺意を備えた艦娘という意味だ。

 

「いるのかぴょん」

「いるのだよ」

「そっかぁ、いるのかぴょん」

 

 完全なる殺意は特別なものではなかったのだ。多くはないが、同じ境地に行きついてしまう個体は、確かに確認されている。北上の言う知り合いもその一人だ。

 

「完全なのかは、分かんないけど」

「どういう意味ぴょん」

「……完全ってことは、とても不安定ってこと。さ、私も暇じゃないからねー、出てけ出てけー」

 

 追いやられるような感じで、卯月と満潮は工廠から出されてしまった。二人して棒立ちになった後、お互い向き合う。

 

「誤魔化されたぴょん」

「誤魔化してたわね」

「なんで?」

「知るわけないでしょ、知り合いに嫌な思い出でもあるんじゃないの?」

 

 知り合いの話題の時、北上は少し俯き気味だった。その誰かは殺意を制御できず、暴走したのかもしれない。警告したようななにかが起きたのかもしれない。

 

 そんな光景を二度も見たくないから、卯月へ忠告したのだろうか。真意は分からない。だが、納得できる話だった。北上の言葉には説得力があった。

 

「満潮は、深海棲艦殺すの楽しい?」

「あんたと一緒にいるよか楽しいけど……まあ、楽しくはない。ウザいだけよあんな化け物」

「……うーちゃんは、どうだろ」

 

 現状、深海棲艦への感情は、怨念1000パーセントである。そこに快楽が入り込む余地はない。とにかく憎い、とにかくさっさと死んでほしい。特にシステムを組み込みやがった連中は臓物ぶちまけて欲しい。

 

 だが憎悪が、なにかをトリガーに、楽しい殺戮に変異する可能性を否定できない。自覚さえできず、カッコ悪い化け物へ壊れてしまう。この殺意はそういう側面もあるのだ。

 

 完全であるが故に、些細なことで瓦解する。目的を失った殺意なんて、深海棲艦と同族だ。

 

「大丈夫よ、卯月」

 

 不安げな卯月の肩を、優しい笑顔の満潮が叩く。

 

「ミッチー……」

「そうなったらあらゆる理由にかこつけて紅葉おろしにして溶鉱炉へ叩き落とすから」

「遺体も残さねえ気かぴょん!」

「嫌ならそんなクソくだらない悩みをやめて、鬱陶しいから」

「酷い、もっと優しみを」

「そんな態度を私がしたら、アンタどうすんの」

「生理的嫌悪で吐くぴょん」

 

 心の底から侮蔑して、満潮は立ち去ろうとする。単独行動が許されない卯月はついていく他ない。大声で叫びながら、卯月は追いかける。

 

「待つぴょん、まだ用事が!」

「なによ」

「松や金剛たちの所に行きたいんだぴょん!」

「はぁー……さっさとしてよ……わたし自主練したいんだから」

 

 Uターンし、二人揃って歩きながら、卯月は思い直す。

 満潮の言う通りなのはシャクだが、その通りだ。起きてもいないことで不安になってどうする。

 

 それにわたしは、カッコ良く在りたいのだ。それを忘れなければ、殺意に狂うことなど早々ない。あんだけ大口叩いて発狂したら、水鬼さまに会わせる顔がない。

 

 警告そのものは胸に刻み、いらない不安は一旦忘れる。北上の忠告はちゃんと覚えて意識する。それで良いのだ。

 卯月は一先ず、そう割りきることに決めた。

 

 

 *

 

 

 大規模作戦が完了しても、金剛たちはまだ前科戦線にいた。それにはやや厄介な理由が絡んでいる。しかし、目的を持つ卯月にとっては好都合だった。若干フラフラしながら、金剛たちに割り当てられた私室をノックする。

 

「金剛、いるかぴょーん」

『いるデース、卯月ですカ?』

「入るぴょん」

 

 扉を開くと、金剛と比叡が二人でティータイムをしていた。室内を見渡すが松姉妹はいない。別の場所にいるのだ。

 

「どうかしたんですか?」

「いや、松たちもいれば、好都合だったんだけど」

「松シスターズなら、工廠で艤装をAdjustment(調整)してたネー」

「ああ、もうすぐ帰投だもんねアンタたち」

 

 帰投となれば、基本的に海上経由の可能性が高い。前科戦線の場合は基地の秘匿のため、陸路や空路のケースもあるが、普通の鎮守府でそれは稀だ。

 

「満潮、それマジかぴょん」

「マジよ、不知火に聞いたもの、知らないの? バカなの?」

「こっちゃ寝たきりだぴょん!」

 

 寝っぱなしでどう情報を仕入れろというのか。バカにしてくる満潮の顔面を殴りたくなるが、そこまでの気力が湧かない。なんなら、立って動いているのも結構辛い。

 その原因に、金剛は気づいてしまう。

 

「卯月、Seizures(発作)をおこしたんですカ?」

 

 図星である。しかし気づいて欲しくなかった。卯月は気まずそうに顔を伏せる。

 ここに来る途中で、卯月はまた発作に見舞われていた。平衡感覚を失い、壁に頭をぶつけるところだった。何とか復帰したものの、ショックで体が疲れていた。

 

「ぷっぷくぷー」

「誤魔化すの下手すぎない……?」

「嘘嫌いだぴょん」

 

 嘘は嫌いだから言えない。だが言うのも嫌だ。結果黙るか妙な誤魔化し方しかできない。実質『発作起こしました』と言ってるようなものだが。

 

「余り我慢しちゃダメデース」

「そうですよ、たまには気持ちをドバーってださないと。比叡もたまに、お姉さまに思いっ切り甘えますし!」

「そうネー、私もそろそろ、テートクとバーニングラブしたいネ」

 

 途端に甘ったるい空気になった。卯月は無表情だが隣の満潮がヤバい。「チィッ!」って露骨に不機嫌になっている。

 ただそうは言っても、あまり露骨に感情を出したくない。ダメとまでは言わないが、余りカッコ良い姿じゃないからだ。

 

「あー、うん、たまにはそーするぴょん」

Promise(約束)ですヨ、溜め過ぎて壊れたら、復讐できないデース」

「……うん、ありがとぴょん」

 

 金剛の言う通り、溜め込み過ぎる気はない。壊れてしまって復讐できないのは嫌だ。そんなに我慢するのは返って無様だ。

 

「ああ、話を遮ってごめんネ。松たちに用事だったネ」

「いや、金剛さんたちにも用事ぴょん」

「どうかしたんですか?」

 

 卯月はとても気まずい気持ちになる。恥ずかしさもある。しかしやらなければならない。有耶無耶にして終わらせたら後悔する。だから来たのだ。

 

 背筋を伸ばし、足を揃え、真っ直ぐ金剛と比叡を見る。そして頭を深く下げて、大声で告げた。

 

「ごめんなさい!」

 

 紛れもなく、謝罪だった。

 

 水鬼との一戦目の時、システムに洗脳され、彼女たちを殺そうとした。卯月はそれについて、初めて謝った。

 

 卯月は頭を下げたままピクリとも動かない。金剛か比叡が言葉を出さない限り、永遠にこの状態を維持するつもりだった。

 

「どういう、心変わり?」

 

 金剛は不思議そうに首を傾げる。卯月は自分が悪いとは認めないと思っていた。

 悪いのは洗脳した奴、わたしは悪くない。だから誰にも謝ったりしない。始めて悪夢を見た時のうわごとを、金剛たちも覚えていた。だが卯月は目の前で謝罪していた。

 

「あの一件が卯月の意志じゃないのは、承知してますが」

「それはそう、うーちゃんは無罪だぴょん。悪いのは敵、それは変わんないぴょん」

「ならどうして?」

 

 比叡の質問に、顔を上げて答える。

 

「フェアじゃないから」

「……フェア?」

「みんながごめんって言うのに、うーちゃんが言わないのは……なんか嫌だぴょん」

「ごめんって……卯月が冤罪とは知らず、酷い態度だったことを、謝ったアレですか?」

 

 コクリと頷く卯月。アレかと二人は思い出す。

 

「みんな、うーちゃんに謝ってくれたぴょん。でも、本当なら謝る必要なんてなかった」

「いや、深く知ろうともしなかったのは比叡ですし」

「ううん、冤罪なのを隠してるのはこっちの方、知らないのは当然だぴょん。だから悪くない……なのにごめんって。根本的に悪くないのは同じなのにうーちゃんは謝んない。それは気持ち悪い感じがするぴょん」

 

 水鬼との戦いを通じ、トラウマのショックや自責の思い、憎悪でいっぱいだった感情が、殺意に収束された。

 落ち着いた気持ちで考え直してみたら、こちらが謝罪しないのに向こうだけ一方的に頭を下げることは、とてもみっともなく思えたのだ。

 

「今更だけど、ごめんぴょん」

「卯月ってさ、思ったより、めんどくさい性格だね」

「ぴょ!?」

 

 呆れる比叡に卯月は絶句する。

 めんどい? 

 めんどくさい!? 

 本気の謝罪に対しても感想がめんどくさいとは、どういう了見だ。

 

「ですから、気にしなくて良いって、言ってるじゃないですか」

 

 比叡は立ち上がり、卯月の頭をポンポン叩いた。痛くない、なでるような優しい叩き方に恥ずかしい気分になる。

 

「比叡は気にしてません。それでこの話は終わりです」

「でも、フェアじゃ」

「良いんですよそんな細かいトコ気にしないで! 昔とは違って、卯月は今、見た目相応の子供なんですから!」

「や、やめろ、わしゃわしゃすんなぴょん!」

 

 恥ずかしい上に照れくさい。抵抗するものの駆逐艦のパワーでは戦艦に勝てない。なすがまま、卯月は存分に頭を撫でられる。

 

「松や竹も、桃も同じデース。気にしてない筈ネー」

「これから更にキッツイ戦いになるんですから、余計なことは気負わないで。当人が良いって言ってるんだから」

「ぴょん……」

 

 けど、それではプライドが許さないから、松姉妹にも謝りにいくつもりだ。だとしても金剛や比叡の言葉は、ボロボロになった卯月を慰めてくれた。

 今はそうでなければならない。

 これから、もっとボロボロになるのだから。



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第69話 報酬

 フェアではないと、洗脳され味方を襲ったことを、謝りに行った卯月。しかし比叡に「めんどくさい」と言われ、割とショックを引きずっていた。

 

「うーちゃんはめんどくさい女だったのかぴょん……?」

「意味の方向性が違うでしょ」

「でも竹にも言われたぴょん」

 

 あの後松姉妹に会いに行き、同じように謝ったのだが、竹から「お前案外めんどくさい性格だな」と同じことを言われた。気にしてないから大丈夫、という意味だと分かっているが、なんかスッキリしない。やはり謝罪は必要だと思う。金剛たちが謝らなくていいと言うのは、彼女たちが優しいからだ。

 

「今回は正しいと思う、味方に砲身向けて、あっさり許してくれる人の方が貴重だわ」

「うーん、なんであんなに優しいのか」

 

 そりゃ、あんな錯乱っぷりを見せつけられたら、責めることなんてできないわよ。

 責めた側が逆に罪悪感を覚えてしまう。自覚してないのかよコイツ。

 そう思ったが満潮は口をつぐむ。言う義理なんてない。

 

「みんなうーちゃんの美貌に魅せられてるからかぴょん」

「あんな錯乱っぷりを見せつけられた、責めることなんてできないわよ。呆けたこと言ってんじゃない!」

「なるへそ」

 

 バカなこと言いだしたので突っ込んでしまった。卯月は納得してポンと手を叩いた。

 

「だいたい、普通自分から謝るわよ。頑なに謝んなかったアンタが一番異常」

「うーちゃんは悪くない、悪いのは敵、ファッキューだっぴょん」

「めんどくさい性格で間違いないわね」

 

 開き直ってるというのかこれは。さっさと謝罪すれば話はシンプルなのに。やっぱりこいつ面倒だわ。理解しがたい思考回路に満潮の頭痛は止まらない。

 

「いったいいつまで一緒に……?」

「そりゃうーちゃんが知りたいぴょん、ストレスで尻に穴があきそうだぴょん」

「なにも言わないわよ」

「そうかぴょん、ついでに中佐に聞いてみるかぴょん」

 

 卯月が向かっているのは高宮中佐のいる執務室だ。大事な用事がある。ベッド生活の時もずっと我慢していた。なんならこの一か月間ずっと我慢していた。

 執務室の扉をノックし、元気いっぱいに叫ぶ。

 

「卯月です! 失礼します!」

『入れ』

 

 勢いよく扉を開け、ズンズン近づいて敬礼する。座っている机から数ミリまで接近した。鼻息が掛かるぐらいの距離。

 いや近すぎる。満潮の胃が軋む。

 

「近い」

「受け取りにきたぴょん!」

「近いぞ」

「受け取りにきたぞっぴょん!」

「だから近い距離を取れ」

「ぴょん!」

 

 数ミリが数センチに伸びた。ほぼ誤差だった。

 話を聞いていない。注意しようと思ったが、高宮中佐は面倒になり諦めた。机の端に置いておいた封筒を持ち、卯月に手渡す。

 

「お、おお……これが!」

「この一ヶ月の報酬だ、戦果ボーナスはあったが、裏切りの罰とで帳消しになっている」

「あ、うん、やっぱり?」

 

 満潮が言ってた通りになってしまった。とても悲しくなるが仕方がない。極刑になってないでマシだ。

 それはさておき、報酬である。初めての報酬だ。色々あり過ぎて心が砕けそうな一ヶ月だったが、そんなことより報酬だ。

 

「現金ではない、ここでしか使用できない。また現金を支給してないことを外部に漏らせば即解体だ、心得たまえ」

 

 かつて、炭鉱札というものがあった。正確には貨幣類似物と言う。

 文字通り炭鉱でのみ通用する通貨で、現金への換金も可能(一応)なシロモノだ。しかし実際に交換は中々できず、また生活費etcを理由にした天引きもあった。要するに給与の体裁をとった、逃亡阻止システムである。

 

 なので現代では禁止されている。しかし前科戦線ではまかり通っている。前科持ちの逃亡を阻止するためだ。

 卯月は鎮守府にいた時の漫画で、地下の工事現場で独自紙幣が使用されているのを見たことがあった。まるでそれのようだ。外部へリークすれば中佐は軍事裁判行きだろう。上層部が絡んでなきゃ。

 

「了解ぴょん」

 

 しかし卯月は気にしなかった。そんなことより敵ヘの復讐だ。第一前科戦線が解体になったら、わたしはどこへ行く羽目に。D-ABYSS(ディー・アビス)なんて爆弾を積んでるのだ、まともな場所へは行けない。

 

「購入諸々は飛鷹が請け負っている。以上だ」

 

 卯月は鼻を鳴らしながら、その場で小躍りしてワクワクしている。あまりの純真さに、高宮中佐の胸が傷む。蚊に刺されたぐらい痛かった。

 その横で、満潮はげんなりしている。卯月に振り回され疲れていた。直視したくないので、室内へ目線を向ける。

 

「うん? 不知火はどこ?」

 

 この時間帯だと、不知火はいつも中佐の傍らにいた。少なくとも満潮が配属されてからはずっとそうだ。いないのは珍しい。

 満潮は警戒した。不知火がいなくなった後には、必ずなにか起きる。卯月が来たときもそうだった。陸でもないことの前触れなのだ。

 

「不知火は、いま、陸にいる」

「おか? 内地でなんかやってんのかぴょん」

「金剛たちの帰投ルートを確保している」

「へー」

 

 なるほどー、と、純朴な卯月とは反対に、満潮は更にピリピリしだす。考えづらいことが起きているからだ。

 

「普通、海路じゃないの」

「周辺に機雷が敷設されているのを忘れたか」

「だとしても、ルート確保ってなに。まさか敵襲があるっていうの?」

「そうだ」

 

 卯月もその一言はスルーできなかった。

 理解するにつれ、笑顔がひきつっていく。満潮も、考えたくなかった理由に、二の句が継げない。

 

「……陸で、敵襲って、まさか、来るのって、『人間』かぴょん」

「そうだ、人間からの攻撃が予想されている」

「ウソでしょ、なんでそんなことに」

 

 察したのは、当事者の卯月だ。

 D-ABYSS(ディー・アビス)は卯月の艤装に組み込まれていた。鎮守府内部に深海棲艦がいるとは思えない。人間の裏切り者がやったかもしれない。

 敵の正体は、人間なのかもしれないのだ。

 

「うーちゃんを殺したい人間がいるってことでしょ」

「待ってよ、帰投するのは卯月じゃなくて、金剛じゃない」

「知る奴は皆殺しかぴょん、分かりやすいぴょん」

「そういうことだ、大本営内部でも、妙な動きがあるらしい……この辺りは憲兵隊の仕事だが」

「あいつかぁ……」

 

 マントを翻しながら、奈落のような目で嗤うあいつ。殺意のアドバイスを貰ったが、ぶっちゃけ恩人とは思えない。それは水鬼さまで十分なのだ。

 

「ルート確保は憲兵隊にも協力してもらっている」

「懲罰部隊なのに、優しいのね」

「目的が一致しているだけだ」

 

 陸軍と海軍の仲は、つまりいつも通りだ。ただ流石に共通の敵を前にして、足を引っ張り会うほどバカではない。卯月はこっそり安心する。

 

「てか、内通者なんていんの? なんの得があるのよ、破滅主義者でもないのに」

「確かに……敵国に与するのとは訳が違うぴょん」

 

 深海棲艦は侵略者である。卯月が敬愛してやまない戦艦水鬼もそこは変わらない。そのような存在の手助けをしたところで、なんの得もない。利害関係を決して築けない相手だ。なのに裏切る者がいるのか。

 

「破滅主義者はいる、深海棲艦を神と崇める連中や、艦娘抹殺を目論むテロリストだ。内通者がどれなのかは、分からないが」

「いるんかい」

 

 いたよ、破滅主義者。

 もうおしまいだ色々と。なんか頭が痛くなってきた。

 そんな連中なんて考えない方が良い。人間の対処は人間に任せよう。適度な忘却が重要だ。

 

「なんにせよ内通者の存在は、以前の戦いでほぼ確定した」

「以前って、水鬼さまとの戦いかぴょん」

「そうだ、あの時わたしは、出撃時刻を実際と半日ずらして大本営に報告した」

「え? 軍規違反じゃないの、それ?」

 

 大本営に偽りの報告をした。どう捉えてもアウトな行為だ。しかし高宮中佐はなにも言わない。

 

「報告通りに出撃していた場合、水鬼と秋月、二人同時に遭遇していた」

 

 中佐の言葉に、二人は固まる。

 

「報告を偽ったから、片方だけに遭遇できた。挟まれずに済んだ。

 先に会ったのが秋月ではなく、水鬼だったのは、卯月との『縁』だ。それに引かれ、先に水鬼にのみ遭遇したのだ」

 

 一方縁のない秋月は、予定通り移動していた。途中で砲撃音に気づき急いだが、着いた頃には戦闘はほぼ終了していた──というのが、中佐の見立てだ。

 

「挟み撃ちって……」

「誰かしら沈んでいただろう。あの海域を調査隊が調べているが、報告書によれば、秋月の移動経路は作戦要綱と一致する。海域に到達した頃に遭遇する。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 もう驚いたりしなかった。ここまで言われれば、伝えたいことは分かる。

 

「大本営に内通者がいる。秋月に情報を流す誰かが」

 

 背筋に銃口を突き付けられたような、寒気が走った。

 

「故に金剛たちの帰投にも細心の注意が必要だ。大事にはできん。貴様たちも同乗して貰う。だから伝えたのだ」

「その言いぶりだと、目処は立ってそうね」

「明後日の深夜に、陸路で護送を始める。特に卯月、お前は体が鈍っている。必ず元に戻すことだ」

 

 中佐の鋭い目線が突き刺さる。背筋が伸び、気合が入る。

 護衛だ、戦艦の、しかも金剛たちの。

 駆逐艦と言えば護衛、護衛と言えば駆逐艦。昔から生業としてきた任務に、否応なしに気合が入った。

 

「了解ですだぴょん!」

「では、もう良いな」

「あ、ごめんなさいついでに」

「なんだ」

「……水鬼さまが、秋月を連れて現れなかったのは?」

「それはお前が一番分かるだろう」

 

 無線とかができなかった可能性はある。通信している暇がなかったのかもしれない。

 ただ卯月は、別の可能性を信じていた。

 戦艦水鬼は秋月が嫌いだった。だから、卯月を見つけたことを言わなかった。

 多分、それが正解だ。

 

 秋月から護ってくれただけではない。見つけたことを言わなかったことで、挟み撃ちを阻止してくれた。

 二度も救われている。そう思うとなんだか幸せな気持ちになれる。心が落ち着いてくる。

 だから卯月は、それを信じることにした。

 

 

 *

 

 

 近日中に金剛たちの護送が始まる、それに参加する。緩んでいた心が引き締まる。

 しかし、まずは報酬だ。

 貰った封筒をホクホク顔で見つめ、スキップで跳ね回る。

 

「そんなに嬉しいの? 所詮カネじゃない」

「なにを言うぴょん、カネがあるからこそ、やる気がでるのだぴょん」

「カネがなくたって、やる気はでるでしょ」

「あればもっと出るぴょん」

「金目当ての連中が湧くだけよ」

「それが問題なのかぴょん?」

 

 金目当てとか愛国心とかは、ぶっちゃけおまけだ。

 重要なのは結果だ、結果的に国を護れれば、動機なんてどうでも良いのである。

 ただ手段は選ぶ。なんでもアリでは別の問題を生まれてしまう。

 

「誇りとかはアンタにはないのね……」

「誇りでメシが食えるか!」

「最低、本当に最低、死ね」

 

 満潮が蔑むが、卯月はなにも感じない。むしろ「なんで理解できないの?」と小馬鹿にするように小首を傾げた。満潮の血管がプチプチ鳴る。

 

「離れたい、一人でいたい」

「それは同感ぴょん、でも中佐がダメって言った以上仕方ないぴょん」

 

 さっき中佐に、卯月と離れられないか尋ねた。

 ダメだった。

 発作で死んだらどうするんだと、一瞥されて終わった。満潮は絶望した。

 

 その時の表情はとても愉快だった。思い出しただけでも笑いそうになる。嫌いな奴が絶望してるのを見ると心が踊る。

 一応、面倒をかけてる自覚はあるので、笑わないよう頑張って我慢している。

 

「まあ、うーちゃんの用事はほぼ終わったぴょん!」

「……まだ、なんかあんの?」

「飛鷹さんトコで、お金を使うぴょん」

 

 せっかく得たお金だ、使わなきゃ損だ。

 というか、このタイミングを逃したら、永遠に使えない気がしてならない。今使わなきゃダメなのだ。卯月は小走りで食堂へ向かう。

 

「飛鷹さーん、いるかぴょーん?」

「いるわよ、どうしたのうーちゃん?」

「お金を使いに来たぴょん!」

 

「ああ」と察した飛鷹は、食堂の奥からカタログを持ってきた。商品名に写真、横には値段のラベルが貼られている。薬や包帯はない。嗜好品のタバコや一世代前のゲーム機、キンキンに冷えたビールなど、色々載っていた。

 

「うひょー、どれにしようかぴょん。やっぱ食べ物かぴょん」

「早く決めて」

「まあまあ、初めての報酬なんだし」

「炭鉱券じゃないの、なにが報酬よ」

 

 満潮がなんか言ってるが知らん。

 ペラペラとページをめくる。嗜好品の食べ物はやっぱり甘味が多い。中でも一番金額の高いのは、間宮製のアイス。以前飛鷹がおごったものだ。

 

「……間宮さん」

 

 ページをめくる手が止まる。

 あることに気づいてしまったから。

 金剛たちの護送をする。藤提督の鎮守府まで行くということは、二人にも会うということだ。

 視界が少し揺らいだ。一瞬だが、幻が見えた。

 

「うーちゃん?」

「……ごめん、また、後でお願いするぴょん」

 

 まるで逃げるように、卯月は食堂から立ち去っていく。

 不安が止まらない、恐くてしょうがない。

 神提督と間宮さん、二人に再開した時、なにが起きるのか。考えるだけで発作が起きそうになる。

 こんなメンタルで大丈夫なのか、卯月は自信が持てなかった。




艦隊新聞小話

 艦娘の給与体制諸々は、おおむね鎮守府に一任されています。何故かと言えば、どんな運営方法が最適なのか、大本営にも判断できないからです。
 前科戦線の場合は貨幣類似物で代替してますがこれは犯罪ですね。一応出所時には全額現金と交換できるそうですが。
 一般的なところだとちゃんと給与体制を取ってたりしますが、後衛組と前衛組での調整に苦労されているとか。
 他は現物給付とか、地域のみで通じる貨幣とか、あれこれやってるとか。酒保もあったりなかったり。思考錯誤の繰り返しなのです。
 但し、報酬なしは完全に違反です。
 お給金なしがバレた時は憲兵隊が責任者やグルだった連中のところへ押しかけて、毛の一本まで差し押さえていくとか。恐いですねぇ!


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第70話 買物

 高宮中佐から報酬を受け取り、それでなにかを買おうとした卯月。しかし途中、間宮のことを思い出したせいで、一気に気分が悪くなり、飛鷹のところから逃げ出してしまった。

 

 逃げるといっても、行き場がある訳でもない。気分はどんどん悪化していき、寒気と吐き気が込み上げてくる。歩くのもままならなくなり、卯月は壁へもたれかかる。

 

「うるさい……黙れぴょん……」

 

 両耳を抑えて、ズルズルと床に座り込む。

「許さない」「なんで生きている」「よくも殺したな」──とうとう、幻聴が始まった。血塗れの犠牲者に取り囲まれ、全身を引き裂かれる。

 

「あ、アア……ッ!」

 

 皮膚の下を這いずる虫も、血塗れの自分の身体も、千切られる四肢も激痛も。見てる本人からすれば本物だ。卯月はひたすら、幻を否定しながら震えて堪える。

 

「うう……違う、敵は、敵は……!」

『殺したのは卯月ちゃんじゃない』

「ひっ……!?」

 

 幻が、間宮の姿で現れた。

 神提督を庇ったせいで、半身が砕けた間宮が、内蔵を引きずって迫ってくる。目を閉じても、瞼の裏側に幻覚が映る。

 

『中佐も許してない、わたしも許さない……殺してあげる、殺してあげる殺してあげる』

「止めて、ヤダ、ヤダ……!」

『死ンデ』

 

 仲間に押さえつけられて、動けない。振り下ろされた包丁が、顔面に突き刺さった。眼球から脳味噌まで掻き回され、激痛に狂わされる。

 

「ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!?」

 

 我慢できなかった、幻だと理解してても、耐えられなかった。激痛から逃げるように卯月は暴れ出す。

 だが、やはり動けない。馬乗りになった間宮に押さえつけられて、メッタ刺しにされる。

 

 死んでしまう、殺される──そう覚悟した瞬間、幻が終わった。

 

「ア……あ、お、終わった……?」

「ええ、終わりましたわ」

「……くまの?」

 

 誰かに抱かれていたことに気づく。ゆっくり顔を上げると、熊野が見ていた。頬に傷がある。錯乱した卯月がつけた傷だ。少し痛そうにしていた。

 

「流石に子供の身体でも、全力で暴れられること堪えますね」

「……ごめん」

「いえ、お気に召さらず。立てますか?」

「……もうちょっと、このまま」

 

 幻は綺麗さっぱり消えた。しかしまだ痛みが残っている。ある筈の腕が千切れたように痛む。幻肢痛の逆バージョンみたいだ。息も落ち着かず、すぐには立ち上がれない。仕方なく、熊野の胸に身体を預けた。

 

「なんで、熊野が」

「通りかかったら、頭を掻きむしっている卯月さんが見えたので」

「そう、助かったぴょん」

 

 暴れた時動けなかったのは、熊野が押さえつけてたからだ。そのお蔭で自分を傷つけずに済んだが、代わりに熊野を殴ってしまった。悪いことをしたと、一瞬落ち込む。

 

「満潮は……どこ行ったぴょん」

「さあ、見てませんが」

「そう、まあ、良いぴょん」

 

 熊野の胸に顔を押し込むと、心臓の音が聞こえた。彼女の体温と合わさって、少しずつ気持ちが落ち着いていく。熊野は抵抗せず、発作が収まるのを待っていた。

 

「うん、もう大丈夫だぴょん」

 

 胸から顔を外して、立ち上がる。まだちょっとフラフラするが、十分回復したと言える。

 そんな卯月を熊野は心配する。虚ろな目だし、顔色も悪い。大丈夫と言うが、強がりにしか思えなかった。

 

「どこか行くのですか?」

「飛鷹さんのところに、報酬を使うのだぴょん」

「ああ、そう言えば初めてでしたわね。ではご一緒しましょう、私も買い物をするので」

「奇遇だぴょん」

 

 半分本当、半分方便である。注文をする予定はあったが今ではなかった。しかし、短時間で発作が再発する可能性があった。五感を失ってる間に窓から転落死、なんて展開があり得るのが今の卯月だ、目を離せない。満潮がいない以上、誰かが見てないと危なくてしょうがない。

 

「今日、何度目ですの?」

「二回目だぴょん」

「……それは、辛いですわね」

「辛いぴょん、でも、それがよりうーちゃんの怒りを強くするのだぴょん」

 

 こんな幻を見てしまうのも敵が原因だ。絶対に許せない、なんとしてでも殺す。敵が仮に人間だったとしても、迷いなくトリガーを引くことができる。なんら躊躇なく実行できる気がした。

 

「そうですか、ムリはなさらずに」

 

 熊野は少し怪訝そうな顔をしていたが、穏やかな笑顔に戻り、卯月をそう励ました。

 話している内に、二人は飛鷹のところまで戻ってきた。卯月に気づいた飛鷹が心配そうに駆け寄ってくる。

 

「うーちゃん、大丈夫なの?」

「まずまずぴょん、美味い物を食べたら、元気になるぴょん!」

「そ、そう」

 

 じゅるりと唾を呑み込む卯月だが、飛鷹からすると、空元気にしか見えなかった。

 

「本当に大丈夫なの、だってさっきショックを受けたのって」

「うん、間宮さんに再会することを、思い出しちゃったからだぴょん」

「……そういうことでしたの」

 

 間宮と神提督は、卯月の襲撃からの生き残りだ。しかし無事ではない。間宮は知らないが、神提督は二度と提督業ができない程の重傷を負っている。そんな目に遭わされて、卯月を恨んでいないのか。

 

 否、あり得ない。絶対に恨まれている。卯月はそう考えた。

 D-ABYSS(ディー・アビス)に洗脳されていた事実を知ったとしても、はいそうですかと、割り切ってくれるとは思えない。

 

 卯月だってそうだ。口先では、わたしは悪くないと言うものの、罪悪感は消えてくれない。悪夢や幻の形で、卯月自身を責めたててくる。理性と感情を完璧に分けることなんて、できやしないのだ。

 

「きっと、酷い言葉で罵倒してくるぴょん、殺しにかかってくるかもしれない」

「いや、そこまでは……」

「あるかもですわ」

「でしょ、そう思ったら、発作が起きちゃったぴょん」

 

 どうやっても、造反した記憶が掘り起こされる。それが発作のトリガーになった。

 どうしても重い話になってしまう。熊野と飛鷹は気まずそうにする。しかし卯月は他人事のような態度で、カタログのページをめくっていた。

 

「でも、考えたってムダぴょん、会った時に考えれば良いぴょん」

 

 卯月はあっけらかんと語る。事実その通りだ。予想できないことで悩んでも時間の無駄だ。余計なストレスを増やすだけ。だから考えないようにする。それは間違った考えではない。

 カタログを持つ手が、震えてなければの話だが。

 

「……溜め込み過ぎるつもりはないから、大丈夫」

 

 二人の視線に気づき、卯月は呟く。カタログを見てるのもその一環だ。なにもしてないと、無駄なことばかり考えてしまう。折角報酬を得たのだから、なにか気晴らしをしたかった。一番興味が持てるのが、食べ物関係だった。

 

「ムリしちゃダメよ、ハッキリ言って、本来なら軍病院に即入るレベルなんだから」

「え、そんなに?」

「幻の発作抱え込んどいて自覚してなかったんですの?」

 

 五感全てが狂う幻が、不定期に襲いかかる。それによる溺死や転落死の危険性大。どう考えても入院コースだ。ただ今それをやると、内通者に殺される危険が大きい。高宮中佐からしても、苦渋の判断だった。

 

「というか、満潮さんはどこへ行ったんですの? 卯月さんの面倒を命じられてたのでは?」

「満潮ちゃんなら、うーちゃんを追い駆けていった筈だけど?」

「すれ違いませんでしたが……」

 

 卯月がいた廊下までは、いくつか脇道がある。会っていないなら、脇道のどれかを使って去っていったことになる。

 つまり、あいつ逃げやがったのか。

 卯月は途端に不機嫌と化す。頬杖を立てながら悪態をつく。

 

「ケッ、任務放棄かぴょん。流石はド淫売の腐れ虫だぴょん」

「口が汚いですわ、下品」

「素晴らしい至上のお変態様ですわぴょん」

「言い方の問題じゃないでしょ」

 

 飛鷹のツッコミを無視して、卯月はカタログに集中する。

 それ以上満潮を罵倒する気はない。看病のために数日間も拘束してしまった、そのことに、少し負い目を感じていた。あとこれ以上満潮と一緒にいたくない。

 

 しばらく、のんびりとカタログを眺める。

 だいたいは食べ物の項目だ。どれもこれも、美味しそうな物ばかり。間宮関係のページは、手が震えるので飛ばさざるをえなかった。

 大半を見終えた後、卯月は決めた。

 

「よし、飛鷹さーん、交換したいぴょん!」

「はいはい、分かったわ、どれを?」

「これと、それと、あれと……」

 

 事前に見ていた通り、ほぼ食べ物関係だ。甘いシロップ漬けの桃缶やカステラ、高級そうなお菓子等。中々の値段だが、初給料だから奮発していた。なにかを買う行為自体初めて。それだけでも楽しく、気がまぎれる。

 

「最後に、これで」

 

 卯月が指差したのは、食べ物のページとはまったく別だった。あまり注文されない筆記用具関係のところ。白紙のノートを注文していた。

 

「食べれないわよ?」

「うーちゃんを馬鹿にしてんのかぴょん……?」

「あ、ごめん。ノートねノート」

「心外だぴょん」

 

 人をなんだと思っているのか。ギロリと睨みつける。しかし威圧感は全くない。小動物の威嚇以下である。

 

「なにに使うんですか?」

「日記」

「……日記?」

「そう、ちょっと日記をつけたくなったのだぴょん」

 

 カタログに日記は乗ってなかった。代わりにノートを頼むことにした。

 

「今のうーちゃんは、いつ死んでもおかしくない状況だぴょん。本当に殺される可能性が高いぴょん」

 

 発作を繰り返し、深海棲艦のエネルギーを取り込みながら、洗脳された秋月と戦わなければならない。しかも味方の大本営には内通者がいる。下手したら暗殺されるかもしれない。そんな状況で、死を間近に感じ始めた。

 

「だから、生きた証を残すおつもりなのですね」

「……そういうことだぴょん。死ぬのは構わないぴょん、戦争なんだし。でも、何一つ残していけないのは、申し訳ないぴょん」

「なるほど」

 

 幸福な未来なんて、望んではいない。そんなものを求めて戦ってはいない。しかし、なにも遂げることができないのは無念だ。生きてる内に、やれることはやりたかった。

 

「ですが、書く内容には気をつけたほうが良いですわ。機密事項を書いたら出所の時に回収ですわ」

 

 懲罰部隊での日々を綴った日記なんて、表に出せる物ではない。D-ABYSS(ディー・アビス)も含めて機密事項のオンパレード。出所時に焼かれるのがオチだ。

 

「わはは、こんな地獄を書く気はないぴょん」

「地獄ですか、なら良いですけど。カタログ頂いてよろしいかしら?」

「あ、どーぞだぴょん」

 

 欲しい物を頼み終えたので、カタログを熊野に渡す。パラパラとページを捲り、飛鷹を呼んだ。

 

「どれ?」

「そこからそこ全部、以上ですわ」

「分かったわ」

 

 飛鷹はカタログを回収した後、注文書類を作るために出ていった。ジュースを飲む熊野を見つめる卯月。

 彼女の思考はフリーズしていた。

 

「……え、なに、今の」

 

 ページ指定で丸ごと買っていた。値段を見てもいない。いくらになるのか考えただけでも恐ろしい。

 

「化粧品とかそういった物ですが?」

「いやいやいやそうじゃないぴょん、どんな買い方してんだぴょん!?」

「一気買いですわ」

「どんだけ報酬を得てんだぴょん」

 

 やはり長年前科戦線にいると、稼ぎ方も分かってくるのだろうか。羨ましい限りだ。

 

「いえ、報酬は卯月さんとあまり変わりませんわ。真面目に戦って、相応の報酬を得ているだけです」

「またまた、なら、どうやってそんな大人買いをしてるぴょん」

「闇金とか、闇賭博とか、闇購買とかですわ」

「はっはっは、ここ(前科戦線)にいて、どーやって運営するんだぴょん。つまらんジョークだぴょん!」

 

 外部との接触がほとんど断たれた場所だ。そんな状態で施設運営ができる筈がない。稼ぎ方を知られたくないから、適当な嘘を言ったのだ。

 卯月は笑い飛ばす。熊野は返事をせずニコニコ笑ってるだけ。

 

「え、嘘だぴょん?」

「本当ですわ」

「どうやって運営を?」

「なにも、わたくし()、運営していませんの」

 

 熊野はニコニコしている。悪魔の笑みにしか見えなくなってきた。

 熊野が運営せずとも、賭場や闇金が運営できる。熊野の代わりに、働いてくれる部下がいるからだ。それだけ大きな組織ということ。

 それに気づいた卯月は、席から立ち上がる。

 

「いや、なにやってんだっぴょん!?」

 

 軍人でありながら副業って時点でダメ。闇金で更にダメ。前科持ちがやってることでもうお終いである。

 

「そんなに問題ですの、誘惑に耐えられないクズから巻き上げるのが?」

「そこじゃないぴょん、中佐は知ってんのかぴょん。こんな暴挙、許されるはずが!」

「ああ、中佐。彼とは良い関係を築いておりますわ」

 

 グルであった。卯月は絶望する。

 怒る気はしなかった。発作を起こした時、何度も面倒を見て貰っている。優しいところもある。性根が腐った下種ではない。

 

 ただ、癒着関係に頭を抱えてるだけだ。

 

「軍に報告できない作戦をする時とかは、積極的に融資をさせていただいていますわ。今回もそうなりそうです」

「聞いちゃいけない話な気がしてきたぴょん」

「綺麗ごとだけでは世の中回りませんの」

 

 そうだけど、軍人が言ったらお終いだろ。口には出さない。もう突っ込むやる気も失せた。

 

「それに、お金は溜めなければなりませんわ」

「出所に備えてかぴょん……」

「いえ、生きる為に」

 

 卯月に目線を合せて、熊野は淡々と告げる。

 

「戦争が終わった時、私たちが生きられる確証が、どこに?」

 

 言葉に詰まった。答えがすぐに見つけられなかったから。いや、答えが出せないことは分かっていた。

 

「……って、意味深くすんなぴょん! 違法は違法だぴょん!」

「バレなければ違法ではありませんの」

「うぴょぉぉっ!」

 

 納得できない、してたまるか。熊野が言ったことは事実だが、だからって許されはしない。前科戦線に集まっているのがどういう連中なのか、久し振りに思い知る。

 

「常識人は、うーちゃんだけかぴょん!」

「え?」

「ぴょーん!」

 

 深海戦艦に心酔して殺意に目覚めた艦娘が常識人なのか。その答えは言わずもがな。自覚のない嘆き声が食堂に響いた。



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第71話 安寧

 注文した物が届くまでは、どうしても時間がかかる。人目を避けるため、隔絶されたところに基地があるせいだ。一般の運送会社には任せられない。なので届くまでは暇だった。

 

 いや、正確には暇ではない。暇とか言っていられる状況ではない。特訓をしなければならない。

 

 厳しい訓練を自らに課し、システムの反動に耐えられるようにならなければいけない。しかし卯月はそれを嫌がる。理由は単純明快。

 

「めんどくせぇ」

 

 以上であった。

 

「……キレそう」

「勝手に怒ってろぴょーん」

 

 満潮は苛立ちを隠さず舌打ちを繰り返す。

 いつの間にかいなくなっていた満潮だが、結局部屋へ戻っており、そこで筋トレに励んでいた。今も文句を垂れながら、トレーニングをしている。

 

「だいたいアンタ……仮にも軍人なんだから、真面目に訓練しなさいよ」

「それポーラに言うべきでは?」

「脳味噌溶けてる奴に言っても無駄」

「なるほど」

 

 アレと比べれば、まだ卯月の方が真面目にやりそうだから、満潮は声をかけている。

 彼女を思ってではない。力不足のせいで足を引っ張られるのを嫌がったからだ。

 

「というか、それしか手段がないのよ」

「……なんの話?」

「わたしが、外で訓練をする話。アンタが引きこもってたら、それに付き合わなきゃならないでしょうが!」

 

 ルームメイトというだけで、満潮は卯月の面倒を見る羽目になった。理不尽ではない。軍隊伝統の奥ゆかしい連帯責任である。

 

「勝手に消えた癖に、今更なにを言うかぴょん」

「熊野が見てたから良いと思ったのよ。とにかく、外で訓練するためには、アンタも出なきゃいけないの」

「……しんどい」

「よし分かったストレッチしてあげる」

「へ?」

 

 瞬間、満潮は跳躍、卯月を上から制圧した。

 

「ぎゃんっ!?」

「はい身体が固いわねー、ずっとベッドだったからねー、これは固いわねー」

「おれ、おれお、折れる折れる!」

「折れろやぁ!」

 

 竜骨が砕ける音──は、さすがにしないが、動力室が潰れる音はした。ずっと寝てて鈍った身体では、満潮を振りほどけない。

 このままでは、全身の筋が切れてしまう。泣き叫ぶが無視された。助かるためには、言うしかない。

 

「わ、分かった、出る、外出るから、勘弁してくれぴょん!」

「一分出て「出た!」はナシよ」

「……チッ」

「納得したようでなにより」

 

 満潮が離れる。その時こそ、卯月の逆転のチャンスであった。

 

「勝った! 死ねぃ!」

 

 満潮のひじうちが、鳩尾に直撃。言葉にならない悲鳴を上げて卯月は倒れ付した。

 

「さっさと立ってよ、そろそろ夕食なんだから」

 

 足蹴にされる卯月は、復讐を密かに誓う。このアバズレをいつか必ず泣かせてやる。心の奥にそう刻み込む。めんどくさがっていたのが原因なのは都合よく忘れていた。

 

 

 *

 

 

 まだ痛みが残っている。ズキズキする腹を擦りながら、二人で食堂へ入る。ちょうど良いタイミングだったのか、前科組も金剛たちも集まっていた。

 

「うーちゃん、松たちのトコ行くぴょん」

 

 満潮は返事をせず、一人で席につく。卯月もわざわざ呼んだりしない。できるなら一緒にいたくないぐらいなのだから。

 

「隣座るぴょん」

「どーぞどーぞ!」

「おう、卯月か」

 

 桃が一人分のスペースを空けてくれたので、そこへ座る。向かいには松と竹がいた。ご飯を見ると、なんだかいつもより、豪華そうに見えた。特に肉が違う気がした。

 

「なんか美味しそうぴょん」

「そろそろお別れだからって、良いお肉を仕入れてくれたの」

「へぇ、飛鷹さんかぴょん!」

「いえ熊野さん、神戸牛ですって」

 

 ギギギと顔を上げる。熊野はニコニコこちらを見ている。

 

「どうやって手にいれたんだろうな」

「卯月は知ってる?」

 

 熊野がジェスチャーを送ってきた。親指を首の前で、素早く真横に動かす。そして人指しを口先に当てた。

 言ったら、殺す。

 卯月は小動物のように震えた。

 

「……こ、答えられないぴょん」

「なんでだよ」

「ぷっぷくぷー」

 

 しかし卯月は嘘がつけない。そろそろこれ以外の誤魔化し方を考えなければならない。

 

「まあ良いか、お前も食べろよ」

「そうするぴょん」

 

 熊野の方向は見ないようにしながら、お肉を口に頬ばる。

 

「ッ!?」

 

 卯月の顔が溶けた。今まで想像したこともない旨さに、比喩抜きで表情が溶けてしまった。熊野への不信感とかは一瞬で霧散。一心不乱に肉を食らう。

 

「おーい、卯月?」

「ダメね、聞いてない」

 

 竹の呼び掛けにも応じない。肉を食べ、米で流し込む。更に肉を食らい米も食らう。高級食材の味に心を奪われていた。神鎮守府にいた頃でも、こんな食事は出されなかった。

 

「ひあわせ」

 

 心なしかキラキラ光っているように見える。生きてて良かった。卯月は大真面目にそう思った。

 

「飲み込んでから話しなさいよ、気持ちは分かるけど」

「確かに、こんな良いプレゼント貰っちゃって、良いのかなー?」

「お気になさらず、これから大変な目に遭うのは間違いないのですから」

 

 熊野が妙に物騒なことを言い出した。松たちは「なるほど」と言って、少し暗い顔になる。

 

「どーゆーことだっぴょん」

「『敵』との戦いに、巻き込まれるのは必然。藤提督も彼女の艦隊も無関係ではいられません」

 

 敵からすれば、金剛たちもD-ABYSS(ディー・アビス)を知る存在。口封じのために容赦なく殺しにくる。下手したら鎮守府への襲撃も考えられる。

 もっともそれは分かっていたこと。半ば巻き込まれた形だが、深海棲艦に与する奴は倒さなければならない。

 

「あれと戦うのかぁ……」

「まさか、俺たちが艦娘と戦うことになるなんてな」

 

 だからといって、割りきれるかどうかは別問題だ。同胞に砲身を向けなければならない。覚悟を決めても、実際に相対したら心が揺らぐかもしれない。

 

「ま、なので、今の内に良い気分になるべきですわ」

「……うん、そーだね! 楽しむ時は楽しもう! 悩むのはアイドルらしくない!」

「さすが桃ちゃん、那珂ちゃんが見込んだことはあるよ!」

「那珂ちゃん先輩!」

 

 なぜか那珂まで乱入してきた。

 

「歌えば元気になる、踊ればもっと元気になる、そうすれば悩みも解決する!」

「やっぱりアイドル! アイドルは全てを解決する!」

「もう皆でアイドルを──」

 

 全員速やかに退去していた。アイドルがゲシュタルト崩壊する。あんな所にいたら発狂待ったなしだ。夕食の乗ったトレーもしっかり持ってきた。離れたテーブルに座る。

 

「まあ、桃じゃないけど、楽しみましょう」

「あ、ああ、そうだな」

「すんげぇビミョーな空気だぴょん」

 

 まあ、神戸牛が美味しいからヨシとしよう。気を取り直してご飯を食べる。

 

「うまい!」

 

 何度食べても旨い。いくらでも食べられそうだ。しかし至福の時間は長く続かない。卯月は自分の分の神戸牛を食べ尽くしてしまった。

 

「あー、終わっちゃったぴょん」

「……やらねぇぞ?」

「うーちゃんそんな欲深じゃないぴょん。ただ見てるだけぴょん」

「余計悪質だわ」

 

 お座りをしながらこっちを見つめる犬のようだ。だが誰も上げなかった。全員神戸牛は惜しい。そこまでのお人好は誰もいなかった。卯月は泣きながら、残ったスープを飲み干す。それはそれでうまかった。

 

「御馳走さま、ありがとう熊野さん」

「いえ、お気に召さらず。喜んで頂けたらなによりです」

 

 どういった意図でこんな物持ち込んだのか知らないが美味しかったのは事実。卯月も「ありがとぴょん」とお礼を言った。最後にデザートのフルーツを食べながら、軽い雑談になる。神戸牛の感動が大き過ぎて、食べ物関係の話になっていった。

 

「鎮守府では、もっと美味しいご飯なのかぴょん」

「えー……難しい質問ね」

「メニュー自体は、飛鷹が作ってくれてるのとそんな変わんねぇぞ。味は……まあ、人によるってことで」

「間宮の方が美味いって言っても構わないわよ?」

 

 飛鷹の声が厨房の奥から聞こえた。会話を聞かれていた。だからと言って正直には言えない。食事を作ってくれてる人を貶めるようなことは言えないのだ。実際飛鷹はちょっと不機嫌そうだった。

 

「そっかぁ、やっぱ間宮さんのご飯か、専門職はさすがだぴょん」

 

 しかし空気を一切読まないアホがいた。

 

「確かに、思い出すとそんな感じだぴょん。神戸牛は美味しいし、飛鷹さんのご飯も美味しいけど、間宮さんのは別格だったぴょん」

「一ヶ月だけでしょ、間宮さんのを食べてたのは」

「うん、でも印象に残ってるぴょん」

 

 ただ美味しいのとは違う。フワフワするような、一口食べるとまた食べたくなる味だ。食べるだけで幸福感が湧いてくる。そんな不思議な美味しさだった。思い出すだけで涎が出て来る。

 

「……うーちゃん、明日からおかずナシで良いわね」

「ぴょんっ!? 何故っ!?」

「なんとなく」

 

 冗談だよな、冗談に決まっている。

 卯月は次の日の朝食まで、おかずなしの恐怖に怯える羽目になった。空気を読まなかったツケだ。

 

 しかしそれでも、間宮さんの料理は忘れ難い物だ。

 間宮には会える。藤鎮守府に行けば再会できる。しかし喜んでくれるとは思えない。包丁を投げつけられても不思議ではない。洗脳されてたとはいえ、それだけのことをしている。

 

 行ったときどうなるのか、あまり考えなくない。卯月はそれを思考の外へ追いやる。また発作が起きたら迷惑だ。なんとかして割りきろうとしていた。

 

 

 *

 

 

 夕食が終われば、消灯までは自由時間だ。もっとも風呂とか色々してたら、良い時間になってしまう。やれることはそう多くない。

 だが、卯月は特にやりたいこともない。

 なので、早々に風呂に入った。

 

「むむむ……」

 

 卯月は湯船に浸かりながら、深刻そうに悩む。卯月を抱き抱える満潮が突っ込んだ。

 

「なによ」

「今更だけど、うーちゃん、全然『人』を楽しめてない気がするぴょん」

「……本当に今更ね」

 

 復讐もする。人の身体を楽しむ。そう決めたのはいつだったか。

 

 復讐は少しずつだが、達成してきている。

 対して人らしさは全くできていない。趣味はない、遊んでもいない、仕事しかしていない。

 

 こういった自由時間に、なにもやることが思い浮かばなかった。そのことに強い危機感を覚える。

 

「そもそもこの僻地で人間らしさどうこうを言ってるのがアホじゃないの」

「いやまあそうだけど……ホントどうしよう、戦うだけの一生なんて願い下げだし」

 

 艦娘は兵器である。人に奉仕する存在である。だから人と共存できる。そうでなくては『艦娘』ではない。

 それでも、せっかく心を持って生まれたのだから、それを楽しみたい。卯月は素直にそう思う。

 

「それで十分でしょ、また戦えるんだから」

「いや、その程度で満足するうーちゃんじゃないぴょん。やりたいことは全部やるぴょん」

「復讐に専念しなさいよ、そっちの方が優先じゃない」

「えー、つまんねぇぴょん」

「このカスが……」

 

 満潮は相変わらず、理解できないといった顔つきだ。

 卯月も同じく、満潮のことがいまいち理解できない。する気もない。頑張っても疲れるだけだ。

 

 満潮の言う通り復讐はする。わたしたちをこんな目に合わせた奴が、のうのうと生きてるのは許せない。必ず殺す、ただ殺す、藁のように殺す。

 

 だが、それまでに死んでしまう可能性もある。人生を楽しむことなく終わる。卯月は受け入れられなかった。だから今楽しみたいと考えている。

 

「まぁいいや、その内、なんか見つかるぴょん」

 

 もっともこんな僻地でできる趣味は限られる。美味しいお菓子とか日記は買ってある。それが届いてから考えよう。

 これから更に過酷な戦いになる。余計なストレスは厳禁だ。卯月はリラックスし、満潮に身体を預けた。

 

「……ねえ、ちょっと」

「なんだぴょん、クッションの大きさは悪くないから安心するぴょん!」

「クッション?」

「熊野や那珂には劣るけど」

「……その貧相な小皿を窪地に変えられたい?」

 

 なんのことかって、まあ胸の大きさである。

 

「とにかくアンタ、いつまで私にもたれ掛かるつもりなの」

「だって一週間そうだったぴょん」

「それはまともに動けなかったからでしょうが!」

 

 浴槽で卯月は満潮に抱き抱えられていた。怪我が治るまではまともに動けなかった。座る姿勢を維持するのも困難という有様。下手したら倒れて溺死も有り得る。なので満潮が支えていたのだ。

 

 しかし、今はもう治っている。

 発作を起こす危険性があるので、誰かが傍にいなければならないが、支える必要はない。なのに卯月は自然に満潮にもたれ掛かっていた。

 

「えー、だって楽なんだぴょん」

「わたしは楽じゃないのよ」

「それは別に、どうでも良いぴょん」

 

 満潮はこれでもかという程、嫌そうな顔だった。卯月は反比例して良い笑顔になる。彼女が苦しむ様を見ると心が踊る。

「ハァ」とため息を吐き、満潮は諦めた。一々構うのに疲れてきた。諦める方が楽だと気づいてしまった。

 

「いひゃい」

 

 ただし、卯月の頬は全力でつねっていた。

 浴槽から出た頃には、彼女の頬は真っ赤に腫れていた。恨めしそうに睨みつける卯月。そのようすに満潮は満足した。卯月の苦しむ様はとても心地よかった。




作者は神戸牛を喰ったことがないので、味云々は妄想で書いてます。ご勘弁くださいまし。
日常パートもそろそろ終わりかな……。


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第72話 日課

 熊野に旨いご飯を食べさせてもらったその日、卯月はとても良く眠れる──訳がなかった。

 モゾモゾと気だるそうにベッドから起きる。卯月の目には軽く隈が刻まれていた。

 

「眠い」

 

 旨いものを食べようが、リラックスしようが、悪夢は関係ない。鎮守府を破壊し、虐殺を繰り返す悪夢を見て、夜中飛び起きてしまった。

 

 寝直すことはできたが、熟睡とは程遠い。以前のように、水鬼が助けに来てくれることもない。独りで悪夢に耐えなければならない。

 

「う……」

 

 悪夢を思いだして気持ち悪くなる。軽い吐き気が込み上げてくる。心が不安定になり、発作が起きる。

 さっき悪夢で殺した仲間が卯月を取り囲んでた。話したりしない。立っているだけ。幻覚だけだ。それでも、心が軋んでいく。

 

「……ん、卯月?」

 

 卯月が起きたことで、満潮も目覚めた。異様な雰囲気だとすぐに気づく。発作を起こしていると理解した。顔色が悪く、虚ろな目で震えている。

 

「ちょっと、聞こえてんの」

「幻覚だけ、だ、ぴょん」

「そう、悪夢のせいね」

 

 昨晩、悪夢で飛び起きたのは知っている。その時発作は起きなかったが、後からやってきた訳だ。

 

 幻聴とかがないだけ、マシといえばマシ。だが苦しんでいるのは変わらない。満潮は慣れた動きで卯月を抱き、自分の体温を感じさせながら背中を撫でる。

 

「止んだら言って」

「……ぴょん」

 

 一週間ずっとつきっきりだったせいで、すっかり慣れていた。最初は嫌悪感があったが慣れた。

 抱きしめるのは、体温を感じさせた方が、落ち着きやすいからだ。同じベッドで寝てるのも、対応しやすいからだ。

 特別な感情はない。上官から命じられた任務として、卯月を慰めていた。

 

「……ん、消えた、ぴょん」

「あっそ」

「ありがとぴょん」

 

 幻覚が終わると同時に満潮は離れた。卯月は頭を下げる。満潮は嫌いだ。だが、慰めてもらっておいて、感謝しないのは単なるクソだ。

 彼女の感謝になにも言わず、満潮は身支度を整えていく。卯月はその様子をぼんやり見つめる。発作が収まった直後で、意識がハッキリしない。

 

「ちょっと、なにボサッとしてんの」

「……なにか問題が?」

「アンタも出なきゃ朝練できないでしょ」

 

 そういえばそうだった。昨日満潮に暴力を振るわれて、自主練への参加を強要されたんだった。

 だが、この時間から行くのか。卯月は絶句する。ぶっちゃけ嫌だ。凄い嫌だ。二度寝したいのが本音だ。

 

「あー、そっか、じゃあ準備するぴょん」

 

 卯月は面倒そうにしながらも、ベットから降りて支度を始める。満潮は固まった。

 

「やけに、素直ね」

「いつもヘソ曲がりのミなんとかとは違うのだぴょん」

「やかましい」

「え、うーちゃん満潮のことだなんて一言も言ってないぴょん」

「じゃあ誰のことよ」

「満潮に決まってるぴょんバカかぴょん」

 

 机に置いてあった本が投げつけられた。しかも背中の硬い所から飛んできた。卯月は慌てて回避した。

 が、死角から飛んできた二発目が鼻先に命中した。

 

「酷い! 暴力反対!」

「やかましいっ! さっさと着替えなさいっ!」

「ぷぅー!」

 

 なんて野蛮な同居人だ。信じられない。卯月は憤慨する。自分の行動が原因だとは少しも思わなかった。

 

 

 *

 

 

 基地の外へ出るとまだ真っ暗だった。わずかな明かりもない。敵に見つかるのを避けるために、無駄な明かりは全て消されていた。機雷の防衛ラインを敷いても、空襲されたら意味がないのだ。

 しかし、ここまで暗いと歩くのも難儀する。

 

「うぉっとっと!」

 

 卯月はちょっとした段差につまずき、転びそうになる。すんでのところでバランスを取り直す。危なかったと胸をなでおろす。

 

「なー満潮、ホントこんな時間にやるのかぴょーん?」

「夜目が鍛えられるんだから良いじゃない」

「レーダー積めば良いぴょん、いつの時代の話だぴょん」

 

 見張り員の時代は終わった。時代はレーダーだ。しかし卯月の主張は、訓練を楽にしたいが為の言い訳でしかない。

 

「やっとくに越したことないのよ」

「むー、めんどいぴょん……いや、やるけど」

「一々うるさい奴ね」

 

 どうせ訓練するのだから、文句なんて言わなければ良いのに。卯月の行動はどれも苛立つことばかりだ。しかし一緒にいろと命じられているから、離れることもできない。満潮は文句の代わりに、深い溜め息を吐いた。

 

「で、なにからするんだぴょん」

「走り込み」

「ふーん、普通だぴょん」

「を、一時間」

「長いぴょん」

 

 まあ、走り込みならまあ良いか。一時間は長いができない程じゃない。埠頭の階段を下りて砂浜に移動する。

 

「距離が離れた時発作起こされても面倒だから、ついてきて」

「りょーかいぴょん」

 

 満潮が走り出すと同時に卯月も後を追いかける。

 しかし、開幕転びそうになった。なんとか姿勢を戻して走り出す。普通の地面よりも砂浜は走り辛い。足元が不安定なせいで、力を入れても滑ってしまう。普段よりも力を入れて踏み込まないといけない。それだけトレーニング効果は高い。

 

 卯月もこれぐらいは神鎮守府でやってきた。砂浜での走り込みは基礎訓練だ。卯月は結構呑気していたが、すぐに後悔することになる。

 

「うぉっっと!」

 

 また転びそうになった。今度は耐え切れず地面に顔から突っ込む。口の中に砂が入って気持ち悪い。

 

「うへぇ……って、満潮?」

 

 顔を上げる。満潮がいない。いや、いるにはいるが、暗闇のせいで、見えなくなるかどうかの距離まで離れている。

 

「あいつ、待たないつもりかぴょん!」

 

 酷い奴だ。いつ発作を起こすか分からないというのに。てっきりわたしにペースを合せてくれるかと思ってた。満潮は慈悲の欠片もない鬼畜だった。

 卯月は飛び起きて満潮を追い駆ける。満潮に置いていかれるのは嫌だった。敗北感を感じてしまう。許されることではない。

 

「う゛びょっ!?」

 

 と思ったらまた転んだ。今度は顔から血が出ていた。砂で皮膚が擦り剥けた。

 転び過ぎだ。どうなっている。なにかがおかしい。

 それは暗闇のせいだった。足元が見えないせいで、普段ならまず引っ掛からない砂に何度も足を取られてた。一週間ベッド暮らしで、身体が鈍っているのも原因だ。

 

 そうこうしている間に、満潮とどんどん距離が離れていく。卯月は憎悪を募らせる。だがすぐどうにかなるものでもない。

 

「クソがっ!」

 

 悪態をつきながら、卯月は再び走り出した。しかし、これだけ転んでいて、まともに走れる筈がない。

 

 満潮の背中が少し見えたところで、もう息が上がっていた。わき腹が猛烈に痛い。膝もふくらはぎも、足全部が悲鳴を上げている。着替えたてのジャージは汗まみれだ。

 同じ距離を走っている満潮は、安定したペースで走っている。姿は見えないが安定した呼吸音が聞こえていた。

 

 毎日真面目に訓練している満潮と、さぼりたい卯月。日々の積み重ねの差がそびえ立つ。今まで戦えていたのは、ほとんど艤装のパワーアシストがあったから。生身ではこのザマ。ふと時計を見てみたら、たった五分しか経っていなかった。

 

「がっ……あ、あと55分……!?」

 

 実のところ、満潮を追い駆けるのに必死なせいで、ペース配分を一切考えてないせいだった。満潮を打ち負かすことに全神経を費やしたせいである。嘆いても満潮は止まらない。というか距離が離れ過ぎて聞こえてない。

 

 トレーニングとして考えるなら、ここらで中断するのが普通だ。また次の日頑張ろうと、引き返しても問題ない。トレーニングで重要なのは日々の継続だ。

 

 しかし、それでは間に合わないことは、卯月本人が一番理解していた。

 秋月と相対するまで、後何日あるのか。

 もしかしたら、基地の場所が露見して、今日激突するかもしれない。その時D-ABYSS(ディー・アビス)を使いこなせなければ意味がない。荒業だろうがなんだろうが、さっさと負荷に耐えられる身体を作らなければならない。

 

「もうやだぁ、死ぬ!」

 

 だけど嫌なものは嫌なので文句は言う。転び過ぎて全身痛い。心臓も肺も痛くて仕方がない。足に至っては生まれたての小鹿のようにプルプル震えている。

 

「うるさい奴ね」

「み、満潮、今更戻ってきたのかぴょん!」

「折り返しよ」

 

 そう言って満潮は反対方向へ走り去っていった。卯月にはもう文句を言う元気も残っていない。グロッキーになりながら砂浜をフラフラと走り続ける。

 そして一時間経った瞬間、卯月は過呼吸で気絶するのであった。

 

 

 *

 

 

 無数の擦り傷に打撲、酸欠アンド極度の疲労。中破判定を受けた卯月は速やかに入渠ドッグへ叩き込まれる。最弱の駆逐艦故に治るのは早い。それでも終わったころには、朝食の時間を逃していた。

 

「あ゛ー!」

「な、なに!?」

「ごはんがー!?」

 

 出てきていきなり叫んだので、傍で待ってた満潮は驚く。てっきり発作が起きたのかと思った。

 卯月は絶望していた。

 ご飯が食べられないなんて。死ぬしかない。頭を掻きむしりながら絶叫する彼女へ、満潮がおにぎりを差し伸べる。

 

「貰ってきといたわよ」

「……毒とか入ってないぴょん?」

「一字一句違わず飛鷹さんに伝えといてあげるわ」

「やめて、本当にやめて」

 

 そんなことをされたら本当にご飯抜きになる。前科戦線でも数少ない快楽がなくなってしまう。発狂死する気がする。

 替えのジャージに素早く着替える。普段の制服だけじゃ流石に支障をきたすので、普段着や寝間着用に何着かジャージが用意されていた。

 

 おしゃれな服はない。それは交換券で買わないといけない。なお前科戦線設立以降、カタログで服を買った者はいない。着たところでお出かけできる訳でもないので当然だった。一日外出券でも買えば話は別だが。

 

「しかし、なんで持ってきてくれたぴょん。貸しでも作る気かぴょん」

「食べなきゃ持たないからよ、また倒れられたら面倒なのはこっち」

「ま、まだ訓練すんのかぴょん……」

「当たり前でしょ、私たち軍人なのよ」

 

 軍人は毎日訓練するものである。今の今までサボっていた卯月がおかしいのだ。ましてや卯月は素人。一番訓練しなければならない立場である。

 むしろなんで誰も面倒見ないんだ。満潮は内心憤慨していた。球磨とか那珂が見てやればいいのに。愚痴っても始まらないから仕方ないが。

 

「はぁー、で、次はなにすんだぴょん」

 

 おにぎりをもっちゃもっちゃ食べながら尋ねる。

 

「筋トレ」

「また武骨な、てか艤装のパワーアシストがあるのに要るのかぴょん」

「要るわよ、基礎値を上げればその分強くなる」

 

 主砲の反動に耐えるのにも、武装を振り回して疲労しにくくなるためにも筋力は重要だ。体力が上がれば長時間の訓練にも耐えれるようになる。そういった意味でも優先的に鍛えるべきだ。

 

「りょーかいだっぴょーん……頑張るぴょーん」

「嫌なら、私の傍で見てるだけで良いんだけど? そんなに文句言われていると凄い不快だから」

「嫌だけどやるぴょん」

 

 即答だった。彼女の言葉に目を丸くする。

 

「やらなきゃ秋月には勝てない、敵を殺せない。だからやる。それだけだぴょん」

「なら文句言わないでよ……」

「それは無理ぴょん」

 

 やはり、理解し難い。この口を縫い付けることはできないのだろうか。満潮は割と真剣に思った。

 食事を手早く終わらせた卯月を連れて、筋トレに励む。腕立て伏せとかスクワットとか、内容自体は基本的なものばかりだ。

 

 それでもサボっていた卯月にとってはかなり過酷な内容になる。奥底に秘めた殺意を原動力に耐えきるも、終わったころには疲労困憊だ。やっている最中に腕とか足からブチブチと嫌な音まで聞こえてた。

 

 それが終われば今度はストレッチ。入渠ドッグがあるとは言え筋肉痛は残ってしまう。使い込んだ筋肉をゆっくりと伸ばすと、心地良い感じがする。

 心配になるぐらい全身バキバキ言っているが、大丈夫だろう。多分。

 

「ちょっと卯月、伸ばし方足りないわよ」

「へ?」

「はい力抜いて」

 

 満潮が背中を押し込んだ。

 瞬間卯月の背骨が悲鳴を上げた。今まで曲げたことがない角度まで力任せにやられる。もはや折り畳まれているような感覚だ。

 

「身体柔らかくしないとダメだから」

 

 見た目通りの荒療治だった。本来ならこんな無茶はしない。しかし秋月との戦いが何時になるか分からない以上、卯月の能力向上は急がないといけない。幸い入渠ドックがある。やり過ぎで怪我を負ってもなんとかなる。

 

「痛いなら悲鳴上げて良いわよ」

 

 卯月は黙ったままだった。悲鳴を上げることもできなかった。それぐらい痛かった。

 

 全て必要なことは理解している。これぐらいしなければ秋月には絶対勝てないと分かっている。

 

 しかしこれは全て基礎訓練でしかない。砲撃訓練とか雷撃訓練は一切していない。なのにこの過酷さ。それを毎日継続しなければならない。嫌いな満潮と一緒に。

 

「ふ、不幸だぴょん……」

「なに山城みたいなこと言ってんの……」

 

 卯月はまだ知らない。この基礎訓練が今後更に過酷になることを。卯月の苦しみはまだこれからも続くのである。




まともに訓練していなかったツケが全部回ってくる。これぞインガオーホーなり!


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第73話 曹長

 卯月は死んでいた。

 筋トレとストレッチのあとは、また筋トレだったのだ。過度な運動と大量の汗で脱水症状気味。朦朧としながら昼食を済ませ、自室で倒れた。

 

「…………」

 

 もう本当に言葉が出ない。というか激しく息をすると肺が悲鳴を上げる。入渠ドックまで行く体力も残っていなかった。行っても怪我してる訳じゃないので、許可は下りないが。

 

 代わりに備品の塗り薬を貰い、使い込んだ部位に塗って湿布を張っておいた。やらないよりマシだ。

 昼食後は僅かながら休憩が許された。満潮も午前一杯訓練をして疲れていたからだ。

 しかし、午後の訓練が残っている。

 

「午後からは海上訓練だから」

「……ぴょん」

 

 満潮の機嫌は悪い。本来なら朝食までに走り込みと筋トレを終えていなければならない。卯月に合わせたせいで、ここまで遅れてしまった。

 本当なら自分一人のペースでできるのに、それが許されない。苛立つのは仕方がなかった。

 

 それでも、ベッド生活の面倒を見るために、外で訓練できないよりマシ。ストレスは多少軽減されていた。

 

「はっ、ざまぁないわね」

 

 あと無様な姿の卯月を見ると、スカッとした気分になれた。卯月は小声で抗議するが、満潮は聞かなかったことにした。

 

「……海上訓練って、なにを」

「砲撃とか雷撃とか、基本的な奴よ。ここじゃ航行訓練もできないし」

「……参加する奴が、いないぴょん」

「そんなの分かってんのよアホ」

 

 航行訓練をするには、ある程度人数がいる。さすがに二隻では無理がある。

 

 満潮は必要以上に強く当たらない。何故ならこれでもかなりマシだからだ。

 前科戦線は自主訓練をしない連中が多すぎる。

 那珂はダンスや歌の訓練をしている。熊野は怪しげな取引を、球磨は資料室でぼんやり。ポーラ? 聞くな。

 

 作戦が近づけば訓練をするが、恒常的にやる気はない。満潮はその態度が気に入らなかった。最初の頃は誘ってみたが、全員拒否するのでその内諦めた。

 

 これでいざ戦いになると、全員尋常ではない戦闘力を見せるのが一番気に入らないのだが。

 なので復讐目的とはいえ、訓練に付き合ってくれる卯月はマシだ。生理的に無理なだけでマシな奴だ。

 

「……これで愚痴さえなければ」

「なんか言った……?」

「なにも」

「愚痴さえなければ「キャーうーちゃん様カッコいいステキ惚れちゃう!」って言ってたのは気のせいかぴょん……」

「それ自分で言って気持ち悪くならないの」

 

 満潮が顔を赤らめて、うっとりと惚れながらすり寄ってくる。

 殺す。間違いなく衝動的に殺す。その後わたしもショック死。酷い未来が見えた。

 

「ごめん」

「二度と言わないで」

「うん」

「あと休憩終わり」

「うん……うんっ!?」

 

 事前に言われた時間より一時間短かくなっていた。

 

「バカげたこと言う元気も無くしてやる」

 

 口は災いの元と言う。満潮をバカにしなければこうはならなかった。

 しかし卯月は止めるつもりはない。

 この程度の嫌がらせで満潮に負ける訳にはいかないからだ。

 

「うーちゃんは、負けない!」

「まずその小鹿みたいな震えを止めてから言えば?」

「ぴょーん……」

 

 然もありなん。なにをするにも強くならなければいけない。瀕死の野兎のようにプルプル震えながら、満潮に襟首を掴まれて引きずられていく。

 

 

 

 

 海上で砲撃訓練をするために艤装をつけないといけない。二人は工廠を訪れる。事前に申請していたので、艤装は既に用意されていた。

 一週間前の激闘でダメージを負った艤装は、傷一つなく修理されていた。缶や主機も上機嫌だ。北上の整備には感謝しかない。奥に彼女がいたのでお辞儀をすると、ゆるりと手を振っていた。

 ただ、艤装をつけるのには若干戸惑いがあった。

 

「別に、即座に暴走しやしないでしょ」

 

 満潮の言う通りだ。装備した瞬間暴走することはない。でも自分の艤装内部にD-ABYSS(ディー・アビス)があると思うと、少し恐くなる。

 結局、未だに作動条件は分からない。戦艦水鬼と二度交戦しただけ。仮説はいくらでも立てられるが確証はない。知らない内に起動するかもしれない。

 

「心配なら気絶装置つければ?」

「……うん、そうするぴょん」

 

 リモコンは満潮にお願いした。彼女なら躊躇なく起動させてくれる。だから安心できる。こんな物がなければ安心して訓練もできないのか。仕方ないが複雑な気持ちになる。

 躊躇してても訓練できない。意を決して艤装を装備する。

 

 少しその場でじっとする。D-ABYSS(ディー・アビス)が起動したような、全身に快楽が走る感覚は起きない。ホッと胸をなでおろし、卯月は改めて訓練海域へ向かう。

 

 海上には満潮が用意した的がいくつも浮かんでいた。主砲に装填されているのは模擬弾。とはいえ反動や重さは本物と同じようになっている。

 

「とりあえずアレ撃って」

 

 いつもなら満潮一人で訓練を行う。しかし今回は卯月がいる。一緒にいないといけないのは、発作が起きた時のためだ。彼女が訓練に付き合う理由はない。なんなら陸地で放置しててもいい。いざというときに駆けつければ済む話だ。

 

 だが、そうなると暇で死ぬ。なら訓練してた方がまだマシだ。そう彼女が主張したので、一緒に訓練することになった。

 しかし卯月は全てが素人。自主練してもたかが知れてる。

 どうせ一緒にやるなら、そっちの面倒も見ろという中佐の命令であった。

 

「クソね……」

 

 筋トレやストレッチならまだしも、特訓の相手もしないといけないのか。満潮の機嫌はかなり悪い。

 

「ぴょーん!」

 

 手持ち式の単装砲を真っ正面に構えて一発撃つ。真っ直ぐ飛びそうだった砲弾だが、的を飛び越えて、やや後ろへ着弾した。角度が高すぎた。

 

「ぴょぴょーん!」

 

 今度は角度を下げて発射する。的を飛び越えはしなかったが、途中で落ちていき、的の手前に落っこちた。二発当たらなかったが問題ではない。むしろ良い。

 

「よし、夾叉だぴょん」

 

 一発目と二発目で的を挟み込めた。つまりその中間の角度で撃てば、ほぼ命中する。半分程度角度を上げて三発目を発射。卯月の攻撃は見事に的にペイントを塗りつけた。

 

「ヨシ!」

 

 指差し確認めいたポーズを取り、どや顔を満潮に向ける。

 とても調子が良い。いきなり夾叉できるのは久々だ。午前中のトレーニングが過激過ぎて、ハイになってるだけかもしれないが。

 どうだ凄いだろうと満潮へ伝えた。

 

「カスね」

 

 満潮はそう吐き捨てた。

 

「死ねぇ!」

 

 プッツンした卯月は殺意を込めて砲弾(ペイント弾)をブッ放つ。

 

「遅い」

 

 卯月の方が撃つのが遥かに早かった。満潮は遅れたにも関わらず、ほとんど同時発射だった。

 当たったのは満潮の砲撃だ。卯月の砲撃は満潮のやや隣へ着弾。対して満潮のは頭部へ一発命中である。

 

 ペイント弾と言えども着弾時の衝撃はある。吹っ飛んだ卯月は海面に叩き付けられる。顔から胸が塗料で真っ黄色になってしまった。痛みでクラクラする。なんてことをするんだと眼で抗議した。

 

「こうやんのよ」

 

 卯月の講義を無視して、満潮が的の前に立つ。

 主砲を胸の前へ構える。そして狙いを定めて発射するだろう。卯月はそう思った。しかし想像は違っていた。

 胸の前へ構えた、と同時に砲弾が発射された。

 

 満潮は狙いを定めずに砲撃していた。

 それでは当たる訳がない。卯月はそう思ったがその想像も違った。彼女の砲撃は的を一撃で撃ち抜いたのだ。

 

「普通の鎮守府なら、それで許されるでしょうね。何度か砲撃しながら角度を調整する。基本的なやり方……でもそれじゃ遅いのよ」

 

 狙いを定めて撃つのと、定めて撃たないの。どちらが早いかは一目瞭然。さっきの攻防が全てを物語っていた。

 

「沈められないための最適解は、先に沈めること。夾叉なんて悠長なことしてたらこっちがやられる。弾のムダだわ」

 

 弾切れになったら死ぬ他ない。前科戦線の任務は特殊だ。補給も受けられないまま未知の海域を彷徨うこともある。無駄弾を使っていられる余力は全くない。

 

「えーと、でも、狙いをつけずに、どう当てろと……?」

「感覚よ、練習してれば、どこへ飛ぶか分かってくる」

「どれぐらい」

「分かるまで」

 

 空いた口が塞がらない。今時の軍隊とは思えない発言に卯月は心から呆れ果てる。

 

「信じられんぴょん、なんて根性論だぴょん」

「殺意で洗脳乗り越えた奴が言えたことじゃないわね。とにかくやるわよ。最低限動かない的ぐらい、一発で撃てるようにならないと、いつか死ぬわ」

「マジかぴょん……」

「あと球磨も那珂も、これ全員できるわ」

「マジかぴょん……!」

 

 狙いをつけずに、かつ一発目から命中。それが前科戦線での最低ラインだ。卯月は全く満たせていない。

 そこまでいくのに何百発の砲撃をしなければならない。考えただけで意識が飛びそうになる。

 だが、できなければみんなの足を引っ張る。それはとてもカッコ悪いことだ。

 

「やってやるチクショー!」

「愚痴愚痴うるさい奴……」

「うぴょーっ!」

 

 若干涙目になりながら、卯月は主砲を構えて撃ち始める。何度も満潮に注意され、屈辱を味わう羽目になった。

 

 

 *

 

 

 満潮監視の訓練は数時間に及んだ。とにもかくにも弾道計算を感覚的にできるようにならないと話にならない。その為には何千発と撃つ以外に方法はない。

 ぼんやり撃ってても意味がない。一発ずつ計算して集中して撃つ。それを延々と続けることで、初めて使いこなせるようになる。なので、一日二日で身に付くものではない。

 

「ヒュー……ヒュー……」

 

 艤装のパワーアシストにも限界がある。主砲が持ち上がらない。腕に力が入らない、というか感覚がない。発射の反動で足腰が震えっぱなし。遠くを見すぎて目が痛い、砲撃音で耳鳴りがする。

 

 あまりの過酷さに何度も嘔吐した。気絶したら満潮に叩き起こされた。満潮が練習している間は休めたが、疲れは到底抜けきらない。半ば意識を失いながら、なんとか立っていた。

 

「もう無理そうね、今日はここまで」

 

 彼女の様子を見て、限界だと判断。

 満潮がそう言った瞬間、緊張の糸が切れた。膝から崩れ落ちて海面に倒れ込む。沈めたらコトなので、主砲はなんとか握り続けたが、それ以外はもう全部無理だった。指先一本動かない。

 

 いつ気絶してもおかしくない。そう思う程疲れた。ただ主砲を撃つだけで、ここまでボロボロになるとは。

 しかし、そこまでやっても砲撃精度は上がらなかった。

 そりゃ最初に比べてたら良くなっているが微々たるものだ。一発命中にはほど遠い。

 

「さっさと上達してくれないかしら……わたしの練習時間が減ったままじゃない」

 

 外で訓練できるが、卯月の面倒を見ながらだ。時間は限られてくる。満潮の不満は溜まる一方だ。

 そのストレスは、やはり修練にぶつけるに限る。

 倒れて動けない卯月を、牽引してきた大発動艇に乗せる。発作が起きた時対応できる距離を維持しながら、彼女は自主練を始めた。

 

「うう、おぇぇ……」

 

 肝心の卯月だが、発作なんて起こしてる余力はなかった。脳味噌も肉体も全部疲れ果てている。幻覚を作る力さえ使い果たした。大発動艇に置かれていたスポーツドリンクをジュルジュル啜る。一気飲みする元気もない。

 

 普段はしつこく感じるドリンクの甘さが全身に染みわたっていく。カラッカラに乾ききった喉に水が染み込み、心の底から生き返った気分になる。火照った身体も冷えて心地よさに包まれる。そうしながら満潮の訓練をぼんやりと眺める。

 

「……ん?」

 

 ふと、なにかの音が聞こえた気がした。いつも良く聞いている缶の作動音と推進装置の音。それが基地の方から近づいている気がする。

 卯月は周りを見渡す。地平線近くに人影が見えた。こちらに向けて手を振っている。誰なのかすぐに気づいた。

 

「不知火かぴょん」

「え、不知火?」

 

 満潮も不知火に気づいた。訓練を中断して彼女を出迎える。何故か息を荒げている。

 

「卯月さん、こちらにいましたか」

「久々だぴょん、調査は終わったのかぴょん?」

「ええ、おかげさまで」

 

 不知火は金剛たちの護送ルートを調べるために陸地にいた。戻ってきたということは任務が終わった、ルート特定が完了したのだ。護送は日程通り明日行われるらしい。

 

「ただ、卯月さん、貴女に聞きたいことがあるそうでして、来てください」

 

 拒否権もなにもない。言われるがまま基地へ戻る。そこへ満潮もついてきた。卯月は極めて不機嫌になる。不知火がいるんだから、発作の介護のためついてくる必要はない。

 

「なんでお前まで」

「なによ、聞かれたら不味いの、どうなの不知火」

「構いません、前科戦線に関わることですし」

「チッ!」

 

 ブーブー文句を垂れながら戻る。少し休んだおかげで、軽い航行ならできるようになっていた。やがて陸地が見えてくる。そこに誰かが待っていた。

 

「あれって」

「人間、かぴょん」

「客人です、彼が聞きたいと」

 

 その男性は憲兵隊の制服を着込んでいる。しかし口はやたらと高い襟で隠され、目元は深く被った帽子で隠れている。表情はほとんど伺えなかった。

 

「どうも卯月さん、憲兵隊曹長の波多野(ハタノ) 三月(ミツキ)です」

「あ、ど、ドーモ波多野サン、卯月だぴょん」

 

 腰を折り曲げて丁寧なアイサツがされる。卯月も慌ててアイサツを返した。

 

「それで、聞きたいことって……?」

「確証を得たい、それが内通者であるかどうかの」

「ど、どういう……?」

 

 

「お主にD-ABYSS(ディー・アビス)を組み込んだ人物が浮上してきたのだ」

 

 

 瞬間、卯月の瞳は真っ暗になった。怒りや悲しみが膨れ上がり、思考も心も殺意で満たされる。

 やっと分かるのか、殺すべき敵が。

 卯月は仇討ちの歓喜に冷笑を浮かべた。




艦隊新聞小話

Q 憲兵隊ってなんですか?
A 憲兵隊は陸軍によって作られた多目的部隊です。
 現代においての主な任務は四つです。
・鎮守府の軍規維持。
・暴走した艦娘の鎮圧。
・提督・司令官の不祥事の取り締まり&拘束。
・深海戦艦が上陸した場合の時間稼ぎ。

 この関係上、艦娘を制圧できるのは当然ですが、深海戦艦と戦える戦闘能力&精神汚染を跳ねのける意志力が求められます。

 今回登場した波多野曹長は、憲兵隊全体で言えば()()()()()()の戦闘力。
 チョップで空母棲姫の脳天を叩き割ったり(再生しますが)、高速回転からの四連撃で戦艦レ級の内蔵をシェイク(再生しますが)できます。あと100メートルまでなら海上走れます。
 その戦闘能力が今後披露されることはあるのでしょうか。作品が変わってしまいそうですが……


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第74話 容疑者

 満潮との訓練中に帰投した不知火。彼女が連れていたのは憲兵隊曹長の波多野という人物だった。彼に呼ばれた卯月はとある情報を伝えられる。

 それはD-ABYSS(ディー・アビス)を組み込んだ容疑者のことだった。

 

 立ち話もなんだということで、二人は執務室へ入る。勿論高宮中佐もいた。中佐への報告も兼ねた話になる。ソファーに座り、卯月は改めて聞いた。

 

「分かったのかぴょん」

「鎮守府に不審な人物がいないか洗い出した。記録は悉く焼失していたが……他からいたと突き止めた」

 

 それをやったのは洗脳されてた卯月だ。罪悪感が沸いてくる。同時に痕跡を消してしまった自分に苛立つ。どちらも表には出さなかったが。

 

「他の痕跡?」

「人がいる限り、痕跡は絶対に消せないのでありますなぁ」

 

 横から唐突に現れたあきつ丸。心臓が飛び出そうな程に驚き、椅子からひっくり返ってしまう。お前さっきまで執務室にいなかったじゃんか。

 

「痕跡?」

「例えば電力の使用量、使われた場所、食糧の発注履歴に水道代、人がいればその分増える。たかが現場を爆撃した程度では、我々は欺けないであります」

「そんなのどーでも良いぴょん」

 

 長々と話すあきつ丸の話を叩き切る。探し方なんて興味ない。肝心なのは誰が容疑者なのかだ。そいつを潰さなければ気が済まない。同意見だった高宮中佐も結論を促す。

 

「その通りだ、波多野、なにを卯月に聞くつもりだ」

「彼女がいたかの確認です。生き残りである卯月さんに聞く他ないのです」

 

 波多野曹長は卯月の方へ向き直り、話を切り出した。

 

「オヌシが神鎮守府に着任してから、鎮守府壊滅まで一ヶ月。その間に『退職者』の話を聞いたことは?」

「……退職者?」

「鎮守府から誰かが去ったという話を知らぬか?」

「え、ちょっと、うん今思い出すぴょん」

 

 首を傾げながら考える。殆ど昏睡状態だったが、鎮守府壊滅から半年近く経過している。細かい記憶は曖昧だ。でも、これが復讐に繋がる大事なこと。卯月は唸りながら必死で思い出そうとする。

 凄まじく苦しい行為と自覚しながら。

 

「う、ぁ……がっ……!?」

 

 仲間の顔一つ一つを丁寧に思い出す。

 神提督に間宮さん、菊月に仲間たち。部屋の清掃や警備、艤装の整備もしてくれた人間たち。

 同時に思い出されるのは、仲間の死ぬ顔だ。至近距離で堪能した虐殺の光景だ。

 

「ううう……」

 

 吐き気が止まらない。トラウマに引きずられて幻が見えだす。頭をかきむしりながら、嗚咽を必死で堪える。のたうち回りながらも思い出そうとする。

 此処で思い出せなければ復讐が遠退く。深い怒りと殺意を支えにして踏ん張っていた。

 

「……面倒な体質」

 

 こたあるごとに発作、錯乱、発狂。哀れというか、面倒な体質を抱え込んだことに満潮は呆れる。またかとうんざりしながら、卯月の背中を擦っていた。

 

 そのお陰かは分からないが、発作はそこまで起きなかった。狂いそうになりながらも、徐々に思い出していく。

 とりあえず艦娘でいなくなったのはいない。泊地棲鬼の襲撃があるまでは誰も欠けずにいた。

 

 いや欠けた艦娘はいる。神提督とケッコンカッコカリをしていた艦娘だ。けど、周りの反応からして、死に別れたのは比較的前のように思える。中佐か曹長は知ってるんじゃないか。

 

「……提督、神提督にはケッコン艦がいたぴょん」

「調査済だ。お前が着任する数ヶ月前に轟沈している。さすがに内通者ではないだろう」

「やっぱり」

 

 じゃあ誰だ。こうなると分からない。

 人間の転属関係は全く知らない。本当に噂話レベルになる。人間でも食糧班なら関わりがあるが、あそこは間宮さん一人で切り盛りしてたから、止める人がまずいない。

 

 あと関わりが深いのは整備班ぐらい。自然と顔馴染みになるから、いなくなればすぐに分かる。でも誰も退職したり、転属した人はいなかった。そもそも人間がいない。整備班は妖精さんだけだった。

 

「あ」

 

 だが、着任する直前ならいた。卯月は着任初日に菊月から聞いた話を思い出した。

 

「い、いた! 名前は分かんないけど、うーちゃんが着任する直前に、整備班の人が辞めたって!」

 

 本当に、本当にシレッと聞き流してたから、思い出すのに時間がかかった。そうだった。一番整備が上手い人で、そのせいで整備に時間がかかったとか、そんな話をしてた。

 

「そうか、感謝する卯月さん。これで確証が得れた」

「……ど、どうもぴょん」

 

 トラウマを抉ったせいで卯月は疲弊していた。ぐったりとソファーにもたれ掛かる。脂汗が額に滲み出ている。それをハンカチで拭きながら息を整えていく。

 

「我々の調査である人物が浮上した」

「それが、卯月の言う退職していた整備班の人物だと?」

「可能性は高い、時期も一致している」

 

 波多野曹長は懐から封筒を取り出す。中には顔写真付きの資料が入っていた。

 

「名前は『千夜(センヤ) 千恵子(チエコ)』。鎮守府の整備班にいた人物、女性、年齢は20代後半。以前は大本営技術研究局に所属していた」

 

 写真映りは悪くない。ぼやけて視にくいこともない。なんだかぼんやりとしたような、やる気がいまいち無さそうな、気だるげな眼付き。それ以外は至って普通そうな女性だった。卯月は見覚えがない。着任した頃にはもういなくなっていたのだろう。

 

「技研の人間か」

「そうだ、しかし数カ月前に辞職している。行方が分からなくなっていたが、どうも鎮守府に配属されていたようだ」

「だが、配属履歴はなかったと」

「技術者としてはとりわけ優秀だったらしい」

 

 あの時菊月が言っていた『彼女』とは、この千夜千恵子という人物で間違いない。妖精さん以外に人間の技術者が一人いたと確かに言っていた。理由は分からないが自主退職してしまい、提督が頭を抱えたと。

 しかし、書面上は着任さえしていなかった。配属命令さえなかった。彼女は存在しない人員として働いていた。

 

「かなり前の記録になるが、鎮守府に最も近い駅の監視カメラに映像が残っていた。それ以降では目撃情報は一切ない。潜伏している様子もなかったが、ずっと鎮守府内部にいたとなれば説明ができる」

「彼女の存在を、誰にも知られたくなかった訳か」

「そう考えていたのが、誰なのかは分からないが」

 

 書類の記録を残していなかったのも同じ理由。なんらかの理由で、千夜千恵子は内密に鎮守府で働いていた。しかも卯月の造反が起きる前に退職。偶然にしてはタイミングが良すぎる気がする。襲撃事件が起きるのを予想してたように見える。

 

 神提督が彼女を招き入れたのか、彼女が内密に潜り込んだのか。どちらが仕組んだのは分からない。いずれにしても、疑うには十分過ぎる。とんでもなく怪しい人物がいた。

 D-ABYSS(ディー・アビス)を私に組み込んでから、退職の名目でトンズラしたのか。なら今も生きている、あの襲撃を遠くから嘲笑っていたのか。

 

「……そいつ、生きてんのかぴょん」

「現在は消息不明だ、退職後の痕跡は欠片も掴めていない」

「チッ、役立たずが」

「ちょっと、卯月アンタ!」

 

 かなり失礼な発言を満潮が咎める。仇討ちの候補らしき人物が現れ、怒りのボルテージが上がり切っている。冷静さを失わないというだけで、人格さえ塗り潰すレベルの激情は全く変わっていない。卯月のその性質は彼女も理解できている、が、限度があるだろう。

 

「その通りだ、だが我々は必ずこの内通者を突き止める。突き止め然るべき処分を行う」

「本当かぴょん」

「嘘もなにもない。これが憲兵隊の仕事だ。化け物は死すべし、慈悲はない。それに与する者も同じだ」

 

 卯月は鳥肌が立った。それは波多野曹長が放った殺意によるものだった。卯月と同じく彼も激情を抱いている。しかし冷静でなければ戦うことはできない。強靭な理性で怒りを飼いならしているのだ。それは曹長としての責任感が成せる技。完全なる殺意を持っているかは知らないが、わたしと近いところがある。

 

「むしろ私は言っておきたい」

「なにが」

「再び造反しようものならお主を殺す。お主の意志は知らぬ。化け物は一切合切殺す」

 

 化け物──その言葉が大きく反響する。

 

 信用されていないのだ。D-ABYSS(ディー・アビス)で洗脳されたから──と言ってもそれは仮説。あの装置は洗脳装置ではなく、わたしの本性を引き出しただけかもしれない。自覚できてないだけで、心の奥底では侵略を望んでいるのかもしれない。わたしは深海棲艦の同類なのかもしれない。

 

 だから卯月は笑って答えた。

 

「是非頼む、化け物は鏖殺だぴょん」

 

 深海棲艦のような連中はみんな死ねばいい。勿論わたしもだ。そんな存在になり下がった私も死ねばいい。殺される前に自分から死ぬつもりだが。いずれにしても生き恥を晒す予定はない。カッコ悪い真似はしない。

 

「承知した、必ず殺そう」

 

 波多野曹長はそう言って頷き、殺意を納めた。卯月も剥き出しにしていた怒りを沈黙させる。

 

「で、その千夜はどうする気だ」

「現状、最も疑わしい人物。内通者でなかったにしても、なにかしら知っているのは確実だ。見つけだし質問をする。答えなければより一層質問を行う」

「楽しみでありますなぁ」

 

 じゅるりと汚い涎を垂らして嗤うあきつ丸。質問のルビは拷問で確定だ。

 

「ま、生きていればの話でありますが」

「お主の情報で、奴がいたことは分かった。卯月さん改めてだが感謝する」

 

 もう一度深々とオジギをした。過酷な記憶を呼び起こす羽目になったが、それは必要なことだ。悪かったと謝ったりしない。ただ感謝する。それが彼の礼儀だった。

 

 

 *

 

 

 卯月が呼ばれたのはここまで。千夜千恵子の情報の裏付けをとるために必要だったから。それが終われば用はない。卯月と付き添いの満潮は執務室から出る。

 

 後の話は金剛たちの護送について。安全なルートの目処が立ったのと、卯月への確認を兼ねて、前科戦線へ訪問したのだ。誰を護衛につけるか、何時出るか。そういった詳細を二人が詰めている。

 

 卯月たちはその間暇だった。満潮も訓練に戻るつもりはない。中途半端なところでトレーニングを中断したせいで、調子が狂っていた。

 

「さてさてさてさて、これからどうするでありますか?」

 

 親しい親友のように顔を近づけてくるこやつはなんなんだ。わたしとお前はそんな親しくないだろう。

 

「む?」

「な、なんだぴょん」

「ちょっと顔を拝見」

 

 あきつ丸は両手で卯月の顔を掴み、近かった顔を更に接近させる。ハイライトのない深淵のような瞳が覗き込んでくる。とても恐い。生理的に恐い。猛獣に睨まれた兎のように震える。

 

「おや? おやおやおや!」

 

 超至近距離で満面の笑顔。正直に言わなくても不気味極まる。あまりの恐ろしさに卯月は無理やり振りほどく。

 

「なんなんだっぴょん!?」

「おっと失礼、いやしかしこれは嬉しい、実に素晴らしい。このあきつ丸感激であります!」

「は?」

 

 一人はしゃいで拍手までしてくる。卯月と満潮はエイリアンでも見たような顔になる。

 

「まさか、あの程度の怒りから、『殺意』に至るとは!」

 

 そう、あきつ丸は卯月にアドバイスを送っていた。『怒りが足りない』という助言を。

 当時は意味が分からなかったが、戦艦水鬼と同調したことで、その意味を理解できた。卯月は完全なる殺意へ至り、怒りの感情を制御できるようになったのだ。

 

 そういう意味では彼女も恩人と言える。しかし、卯月には分からないことがあった。

 このアドバイス、本当に親切心で言ったものなのか。なんだか別の理由がある気がしてならない。てゆうかあきつ丸が信用ならない。

 

「そんなに嬉しいこと?」

 

 満潮が当然の疑問を口にする。完全なる殺意は真っ当な在り方ではない。発狂する程の激情を抱え込んで、それを意志へ昇華するための技法。

 それ故にある意味()()()()()と言える。理性が崩れる規模の感情を抱え続けられる人間はまともではない。誉められるような状態ではないのだ。

 

 本来ならメンタルケアでもなんでもして、落ち着かせるべき感情をむしろ突き抜けさせる。激情のまま暴走するよりマシだが、良い状態ではない。

 

「む、なにやら勘違いをしている様子」

「というと」

「あきつ丸は卯月殿が()()()()()嬉しいのであります」

 

 それ見たことかっ! 卯月は頭を抱える。

 卯月に怒りの制御方法を教えてあげようとか、そういった親切心は皆無だった。殺意に目覚めて、人として狂っていく様を愉しんでいただけだった。

 ホント、なんでコイツ艦娘やってんの? 憲兵隊は余程の人手不足なのだろうか。

 

「いやぁ、それにしても意外や意外。あの程度の怒りでは呑まれて暴走して、無様な死に様を晒すのが普通。いったいなにがあったでありますか?」

「誰がテメーなんぞに言うぴょん、この最低野郎」

「乙女にやろうとはなにごとでありますか」

「最低雌豚売女」

「うむ、そっちの方が良いであります」

 

 ケタケタ嗤うあきつ丸。こういうのを無敵って言うのだろうか。理解できない。理解したくない。満潮まであんまりな態度にうんざりしていた。出口を指さし帰宅を促す。

 

「こっから帰ってくんない?」

 

 指差す先は空いた窓。ちなみにここは三階だ。

 

「ではお言葉に甘えて」

「は?」

「卯月殿がより狂っていくのを楽しみにしてるであります!」

 

 そう言い残してあきつ丸は窓から飛び降りた。まさか本当にやるなんて。二人は窓から身を乗り出して下を見る。しかしどこにもあきつ丸はいなかった。遺体も怪我をした彼女もいない。消えてしまった。

 

「……妖怪の類かしら」

うーちゃんたち(艦娘)がそれ言う……?」

「うるさいわね……あれは妖怪よ、そうよ」

 

 自分たちとは別系統の存在と割り切ることで、満潮は正気を保とうとしていた。それはともかく、卯月は言いたいことがあった。窓から身を乗り出して、どこかにいる彼女に聞こえるように叫ぶ。

 

「誰が狂うかっ! この淫売ーっ!」

 

 前科戦線のどこかからか、奇人の嗤い声が聞こえた気がした。




第1話ですこーしだけ触れられていた人物。やっと名前が判明です。名前の元ネタはありますが、かなり無理があります……


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第75話 再動

 内通者の情報と、護送計画の話し合いのためにやってきたあきつ丸と彼女の上官、波多野曹長。卯月は彼から内通者についての情報を貰う。千夜千恵子という人間が、鎮守府で極秘裏に働いていたことを知った。

 

 しかし、それを思い出す過程で卯月はかなり消耗していた。午前中の満潮の鬼訓練が響いたせいでもある。肉体的疲労に精神的疲労も加わり、ほとんど身動きが取れなくなっていた。

 

 そのダメージは容赦なく幻になって現れる。

 四肢を捥がれた幻覚のせいで、立っていられなくなり、その場で転倒しかけたが、満潮がとっさに支えくれたので、怪我をせずに済んだ。

 

「…………」

 

 虚ろな瞳に移っているのは、血塗れの犠牲者たちだ。五感が狂い、正気をなくした卯月は廊下に蹲りながら震える。悲鳴も慟哭も、歯を食いしばり耐え忍ぶ。満潮はその傍で、発作が収まるのを待っている。

 

「……あ、お、おわ、った」

「やっと?」

「うる、せぇ……ぴょん」

 

 悪態を吐いているがフラフラだ。前を見てるようで前が見えていない。まだ正気に戻り切れていない。

 何度も何度も発作を起こしている。対応には慣れても、ダメージには慣れない。吐き気を堪える彼女を顔を、満潮は直視できなかった。

 

「……訓練は、どーするぴょん」

「もう今日は良いわ。結構良い時間になっちゃったし」

「ああ、もう夕方かぴょん」

 

 砲撃訓練を始めたのが午後。その後波多野曹長たちがやって来て情報交換をした。太陽はもう地平線に沈みかけている。窓から吹く風も肌寒い。こんな時間から、本格的な訓練をする気はない。

 

「軽い走り込みぐらいはするけど、それぐらい。どうせ明日には護送始まるんだろうし、休んどかないと」

「へー、お前護送役に任命される自信があるのかぴょん。大した奴だぴょん」

 

 前科戦線が護衛につくのかも未定だ。卯月個人としては護衛につきたい。藤鎮守府へ行って神提督に会いたいからだ。しかし護衛はあきつ丸や曹長だけで十分かもしれない。

 なのに、任命される前提で満潮は話している。ここぞとばかりに彼女をおちょくった。

 

「念の為よ」

 

 意外だった。満潮は特に言い返さなかった。予想外の反応に卯月は眼をパチクリさせる。彼女は顔を逸らして話題を変えた。

 

「とにかく訓練は終わり、自由行動」

「つったってうーちゃんお前と一緒にいざるを得ないんだど」

「……軽く走るわよ」

 

 舌打ちを一発。ジャージのままなので着替える必要なし。朝走った砂浜へ行き、またランニングに勤しむ。言っていた通り朝程過激ではない。それでも鈍りきった身体にはかなりの負担。文字通り血反吐を何回は吐きながら、卯月は走り回るのだった。

 

 

 

 

 ランニングを終え、疲弊しきった身体をお風呂で癒す。今回は怪我をしなかったので入渠の必要はない。満潮と一緒なのが気に喰わないが、仕方がないと割り切った。それが終われば、夕食まで本当に暇になる。

 

「どうするぴょん」

「勝手にすれば」

「いやだから一緒にいざるを得ないって」

 

 どこかへ向かって歩く満潮を追う。その先にあったのは資料室だ。中には戦術教本や武装の使い方とか、色々な資料が纏まっている。ちなみに卯月は利用したことがない。文字列を見てると眠くなるのだ。

 

 利用者一覧に名前を書き、慣れた足取りで資料を探す。目当ての本を見つけて取り出し、一人用の机に腰かけて読みだす。卯月もそれを真似、同じ場所にあった資料を引っ張り出そうとする。しかし身長が足りない。

 

「うぴょー!」

 

 とか叫んでも身長は伸びない。そう思ったら、急に身長が伸びた。

 

「ぴょ?」

「これで良いクマ?」

 

 のではなく、球磨が持ち上げてくれていたのだ。

 

「ありがとぴょん」

「どうもだクマ」

 

 お礼を言って、とった本を見る。背表紙には難しい漢字の羅列。文字から見て、護衛に関する本なのは分かった。

 

「護衛……?」

「内容を見ないで取ったのかクマ……?」

「いやぁ、そこのソレがなに見てんのかと思って」

 

 満潮が読んでいるのも、護衛に関する教本だろう。ただ内容は輸送船や戦艦、空母の護衛ではない。一人の人間を護衛する方法。つまるところボディーガードについての内容だった。

 金剛たちを護衛する可能性があるから、これを読もうとしたのだ。真面目な性格だと卯月は感心する。

 

「いや卯月も見ろクマ」

「挿絵がない本は眠くなるぴょん」

「仇討ちを遂げる気があんのかクマ……」

 

 それはそれ、これはこれ。どう言いつくろっても面倒なことは面倒なのだ。必要に迫られたらやるけどさ。能天気極まった卯月の態度に、球磨は溜息を吐く。

 

「無理は禁物だけど、もうちょっと真面目になれクマ」

「失敬な、うーちゃんはいつでも本気ぴょん! 見てろぴょん!」

 

 球磨の言いがかりに卯月は憤慨。手に取った本を開く。

 

「スヤァ」

 

 そして寝た。わずか数秒で熟睡であった。満潮も球磨も形容し難い表情を浮かべる。そして二人はアホを放置して、本を読み始めた。

 

「寝るの早いクマ、一日中訓練してたせいかクマ」

「見てたの?」

「卯月が常にギャーギャー喚いてた、普通気づくクマ」

 

 建物の中にいてもうっすらと聞こえる程、卯月の悲鳴は強烈だった。前科戦線メンバーも金剛たちも気づいていた。余程壮絶な訓練をしてたのだろう。球磨はそう思った。

 

「あまり無理させるなクマ、訓練で死んだら笑い話にもならんクマ」

 

 真面目な表情で忠告する。満潮は目を合わせず舌打ちする。

 

「だったらアンタが見てよ、嚮導艦やったことあんじゃないの?」

 

 駆逐隊には、彼女たちを指導するリーダーがいる。一般的には軽巡クラスの艦が勤める。駆逐隊を指揮して、水雷戦隊を組むことが多いからだ。球磨も軽巡クラスの艦娘。やらかす前に経験があるのは自然だった。

 

「どこで聞いた」

 

 しかし球磨は、顔を強張らせた。

 

「別に、予想しただけ」

 

 軽巡だから経験がありそうだ。そう思っただけだ。満潮の返答を聞き、球磨は首を降る。

 

「だったら球磨は不向きクマ、経験はあるけど、やらない方がマシだクマ」

「アホの相手を嫌がってるんじゃないでしょうね」

「お前が言うかクマ」

 

 ぐうの音も出ない。面倒を見てるのは中佐から命令されたのと、同室故の連帯責任。別室だったら絶対に放置していた。

 だが、駆逐艦のことは駆逐艦で解決する。その不問律は鎮守府でも懲罰部隊でも変わらない。

 

「時間がないのよ……詰め込めるだけ、詰め込まないと……」

「確か、前の鎮守府で訓練したのは……」

「一ヶ月、基礎訓練だけ、実戦経験なし」

「むしろそれで良く此処で生き残れてるクマ……」

「中佐の贔屓のお陰でしょ」

 

 D-ABYSS(ディー・アビス)はクソだ。それは共通認識である。しかしそれがなければ、中佐は卯月を助けなかっただろう。彼女は運が良い。もっとも悪運の方だが。

 

「球磨さんはなに見てんのよ」

「戦略教本、読んでると落ち着くクマ」

「そう」

 

 グーグー寝てるバカたれを放置して、二人は本に向き合う。たまに隣をチラ見すると、球磨は真剣な顔で教本を読み込んでいる。

 その真剣さで、嚮導が苦手なんてこと、あるんだろうか。

 仮にあったとしても、わたしのような素人に劣るなんて、あり得るんだろうか。

 満潮は本へ集中する。過去を聞かないこと。それが前科戦線の絶対的なルールだ。

 

 

 *

 

 

 夕食の時間、まだ寝てた卯月は満潮に殴り起こされた。半泣きになりながも食堂へ行き、飛鷹の料理を腹一杯に詰め込む。明日は出撃の可能性がかなり高い。それに備えるのだ。

 

 護衛に誰がつくかは分からない。ギリギリまで教える気がない。内通者の影が色濃い今、高宮中佐たちは情報漏洩を警戒している。漏洩を防ぐ一番簡単な方法は、知る人を少なくすることだ。

 

 なので食事中も、護衛メンバーは説明されなかった。もしかしたら選ばれるかもしれない。全員軽く緊張している。あの畜生以下の脳ミソアルコール女──もといポーラでさえ、酒を控えていた。

 

「酔いを調整してまぁ~す」

「あ、うん、そっすか」

 

 駆逐棲姫遭遇時もそうだったのを思い出す。卯月はポーラから速やかに離れた。君子危うきに近寄らずと言うし。

 

 夕食の後は入浴。疲労困憊の極地と化した身体が癒される。癒され過ぎて力が入らず、うっかり溺死しそうになったが、まあ些細なことだ。

 余りにも疲れ過ぎてるおかげか、発作が起きる気配もない。心から安心した状態で、卯月は床についた。

 

「……ねえちょっと」

「なんだぴょん」

「まだ一緒のベッドなの?」

「いや、発作に即応できるように、必要だからだぴょん」

 

 満潮と同じ毛布に包まって寝る。少しばかし吐き気がするがしょうがない。彼女の心底嫌そうな顔をしたが、無理矢理追い出しはしなかった。

 体格的には卯月の方が小さい。自然と満潮に抱きしめられるような形になる。気持ち悪いと思ったものの、疲労のせいか、二人ともすんなり眠りに落ちた。

 

 

 

 

 心地よく眠る卯月と満潮。しかし、部屋の扉が開かれた。音をたてないようゆっくりと、慎重に開ける。ギギ……と軋む音がするが、ごく僅か。

 

「……ん……?」

 

 だが、卯月は極小の音を聞き取った。物音のせいで眠りから覚める。ベッドの中で動いたせいで、一緒に寝ていた満潮まで起きてしまった。

 

「なによ……」

「音が、した気が……」

 

 身体を起こし室内を見渡す。

 

 部屋の端に()()()()がいた。

 

 あとはなにもない。今の物音はなんだったのか。

 

「ッッッ!?」

 

 思わず二度見する。やはり部屋の端にあきつ丸がいた。醜悪な微笑みを張り付けて立ち尽くしている。

 卯月は言葉もでなかった。満潮に至っては白目を剥いて気絶しかけている。彼女特有の色白な肌はホラー展開にベストマッチ。恐怖のあまり小便が出かけた。

 

「静かに、これはおふざけではありません」

「じゃあ、なんだってんだぴょん」

「これより護送を行うであります、お二方、お着替えください」

 

 どこから取ってきたのか、洗濯済みの制服が二人分渡される。しばしポカンとしたが、すぐに状況を飲み込んだ。気絶している満潮を叩き起こして着替えを促す。

 

「ではこれより工廠へ、艤装の用意はできてあります。他の方々に気づかれぬように」

「……なら悲鳴を上げるような現れ方しないでよ」

「失礼、趣味なもので」

 

 最悪である。任務に趣味を持ち込むな。

 しかし言ったとて無駄。言うだけ疲れる。卯月は賢い選択を行った。寝ぼけ眼を擦って工廠へ向かう。言われた通り、他のメンバーに気づかれないようゆっくり歩いた。

 

 工廠へつくと、北上が艤装を用意して待っていた。指示に従い艤装を装備。自爆装置──卯月のは気絶装置だ──入りの首輪をつける。

 

 これも忘れちゃいけない。卯月は形見のハチマキを使い髪の毛を纏める。満潮も似たような、かなり長いマフラーを巻き付けた。

 

「藤提督のトコに行くんだね」

「ん、そうみたいだぴょん」

「じゃ、機会があれば、宜しくね」

「……それ、どういう意味?」

 

『宜しく』とは誰に対してだ。

 満潮が聞いたが北上は笑ったまま答えない。追及する前に、不知火に呼ばれてしまった。彼女たちは首を傾げたまま、基地の入り口に誘導される。そこには一台の装甲車両が鎮座していた。

 

「あ、卯月」

「いよう、うーちゃんだぴょん」

「お前と、満潮か」

 

 車両の中には松と竹がいた。それに桃や金剛姉妹、藤鎮守府からの援軍が全員。

 

「お前が護衛なのか?」

「らしいぴょん、うーちゃんたち何も聞いてないぴょん」

 

 機密保持のためだから仕方がない。けど分からないとモヤモヤする。まあ構わない。必要なら説明がある。卯月はそう判断して割りきった。

 卯月と満潮を確認した不知火が、二人に向けて話し出す。

 

「中で説明します。乗ってください」

 

 言われるがままコンテナに入る。すると不知火が扉を即座に閉めた。ロックも掛かり内側から出られなくなった。そしてエンジン音が鳴り、車が走り出す。

 

「……動いてるわね」

「動いてるぴょん」

「今から、護衛開始ってことかしら」

「そうだ」

 

 男性の声にビックリして振り向く。金剛たちの後ろに波多野曹長が座っていた。彼が椅子に座るようなジェスチャーする。二人はおずおずと空いてる席に座った。広めの護送車だがこれで八人、内二人は艤装装備。結構圧迫感がある。

 

「突然で済まぬが、内通者を出し抜くための措置故、理解して欲しい」

「別にそれは構わないぴょん」

「ここじゃ何時のもことよ」

 

 内通者に気づかれないために、中佐たちはギリギリまで、情報を出さないことにした。だから誰が護衛するのか、いつ出発するのかも、事前に一切教えなかったのだ。金剛たちも眠たそうにしている。卯月たちと同じく夜中突然起こされたからだ。

 

 できる限りの準備はできている。不安はあるが、大したことはない。

 卯月にとってより不安なのは、鎮守府についた後だ。神提督になんと言われるのか。間宮さんにどう見られるのか。

 考えても意味がないと分かっていながら、不安を感じずにはいられなかった。




第2部、ようやくスタート。つまりうーちゃんには地獄の始まり。


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第76話 緊迫

 護送車両には窓なんてない。外の様子は一切分からない。振動があるから動いてるかどうかは分かるが、それぐらいだ。今どこで、どれぐらい進んでるのか。

 

 運転手はあきつ丸だが、彼女の姿は見えないようになってる。コンテナ内と運転席は厚い鉄で区切られている。搭乗員が反乱した時、運転手がやられるのを防ぐためだ。

 

 気になって仕方がない。加えて心がざわつく。卯月はしきりに身体を動かしたり、立ったり座ったり忙しない。出発して数分しか経ってないのにこれである。

 

「落ち着きなさいよ」

「そう言っても……護送車に良い思い出が」

「はぁ?」

 

 造反の罪で解体が決まったあと、卯月は護送車に乗せられて解体施設へ運ばれた。数ある前科の中でも最悪レベルの行為。扱いは雑そのもの。怪我まみれの身体が更に痛めつけられ、衰弱死寸前だった。最悪な思い出である。

 

「下手に動くと拘束することになる、大人しく座れ」

 

 卯月のトラウマなんて知る筈もない。波多野曹長が睨み付けてきた。目線だけで人を殺せそうな圧。すごすごと座席へ腰を下ろした。

 

「眠いネー……」

「比叡は……大丈夫……です」

「それは榛名の口癖デース……」

 

 夜間に突如叩き起こされた金剛たちは眠たげだ。松型姉妹に至ってはもう寝てる。

 勿論卯月たちも眠い。しかし護衛が寝るなんて言語道断。頬をつねったり叩いたりして頑張る。

 

「寝るなよ」

「分かってるわよ、うるさいわね」

「金剛たちは艤装を装備していない。万一襲撃があれば、お主たちが戦うことになる」

 

 ウトウトしてる金剛たちは、言葉の通り非武装だ。艤装はない。拳銃さえない。戦える道具は一つもない。

 なぜなら、ここが陸──人が住んでいるエリアだからだ。

 艦娘の兵装は軍艦と大差ない。そんなものが市街地で使われれば、大惨事になる。

 

 というかあった。

 ブラック鎮守府にキレた艦娘たちがクーデターを起こし、民間人を人質に。人質は全員無事だったが、軍艦の兵器が数十単位で使用寸前になった大事件。

 

 これ以降、艤装の陸への持ち込みは厳しく制限された。金剛たちの艤装は別ルートで藤鎮守府へ運ばれている。卯月と満潮だけは特別な許可を得ている。

 

「アンタたちはなにもしないの?」

「襲撃が人間なら我々が戦う。しかし深海棲艦や艦娘が来たら、どうしても後手になる。故にお主たちが必要だった。通常では考えられない、艦娘からの攻撃があり得るのだ」

 

 それは言うまでもなく、秋月を想定した発言だった。

 

「市街地へ艤装を装備した艦娘は立ち入れない。なんとか許可を得たが、それでも駆逐艦二隻が限界だった」

「万一戦いがあっても被害が少ない、アンド、曹長さんが制圧しやすいから……ぴょん?」

「肯定だ」

 

 反乱されても、戦艦や空母に比べたら、駆逐艦の方が抑え易い。襲撃に応戦しても被害規模が小さい。その二つの理由で駆逐艦になった。前科戦線に駆逐艦は二人しかいない。不知火は秘書艦なので除外。卯月と満潮が選ばれたのはそれが理由だ。

 

「説明としては以上だ、質問もないな?」

 

 二人は頷き肯定する。事情は分かった、あとはやるべきことするだけ。

 とは言っても、待つだけだ。いつ来るか、来ないのかも分からない敵襲に備え続ける。戦うだけとは違った緊迫感。話している内に眠気もなくなった。

 

「来るのか来ないのかハッキリして欲しいぴょん……」

「そんなの駆逐艦ならいつもやってることじゃない、タンカーとか船団護衛とか。あれも来るかも分からない敵に備える任務よ」

「やるまえに造反させられたんだぴょぉぉぉ……」

 

 普通の艦娘がやるような任務を一切やらず、轟沈上等の強行偵察部隊に強制配属。冷静に考えなくてもおかしい。基礎戦闘値が低いのは、基本的な戦いを一切できなかったせいもある。嘆いたところでどうにもならないが。

 

「前科戦線は、相変わらずなのだな」

 

 波多野曹長は懐かしそうに呟いた。卯月はその言い方に引っ掛かりを感じる。

 

「曹長さん、前科戦線を知ってるのかぴょん?」

「話はよく聞いている、怪しげな新人を迎え入れたという話も、中佐から聞かせて貰った」

「怪しげな、新人」

 

 卯月は満潮の方を向いた。

 

「こいつかぴょん」

「いやアンタでしょ」

「卯月さんのことだ」

 

 怪しげ呼ばわりされて軽くショックを受けた。そりゃ怪しいけど、それは状況的にそうなっただけじゃん。

 

「造反の罪を負っているが、明らかに怪しい、懲罰部隊配属の名目で保護をすると。もしそれが陰謀なら、我々の()()にできる」

「手柄って……」

「考えて見ろ、海軍と陸軍だぞ?」

 

 陸軍と闘いながら敵国と戦っていたとか言われるレベルで仲が悪い。それが海軍と陸軍だ。直接足を引っ張り合っていないだけマシと言えばマシだけど。なんであれ内通者を叩いてくれるなら構わない。

 

「随分色々知ってるみたいだけど、アンタ、高宮中佐と仲が良いのね」

 

 満潮のツッコミに、卯月は同意した。内通者の情報といい、卯月を保護したことといい、どれも機密レベルのことばかり。それを他の人間、ましてや他の組織に教えている。中々不味い行為じゃないだろうか。

 

「うむ、中佐は私の元上官だからな。その頃からの付き合いだ」

「元上官?」

「ってことは、中佐って元陸軍?」

「そうだ。陸から色々あって、海軍に転属したと聞いている」

「へー……」

 

 高宮中佐、元陸軍だったのか。それが何故か海軍へ。いったいどんな理由があったのか。少し気になってくる。

 

「だからって情報を漏らしていいものじゃないでしょ……」

「憲兵隊と密に連携した方が良いこともある。今回はそのケースだ。深海の化け物だけでなく、人間と戦う可能性もあるのだから」

「人間と、戦う、かぁ」

 

 実際に人間──テロリストや反社会勢力とか──が襲ってきたら、波多野曹長や車を運転しているあきつ丸が戦うのだろう。その後ろでわたしたちは金剛たちを護る。直接戦うことはしない。

 ただそれは理想だ。場合によってはわたしも人間と戦うかもしれない。

 

「……うぇ」

 

 寒気に鳥肌が立ち、吐き気が込み上げる。想像するのさえ辛い。泊地棲鬼に支配され、人間を虐殺したことを思い出す。

 護るべき人たちを、自分の手で殺すことに興奮し、酔いしれていた。実際はそう感じるようおかしくされてただけ。けど、殺した時の感触も感じてた快楽も、自分のものとして覚えていた。

 

 人と戦えば、そのトラウマが間違いなく抉られる。今も想像しただけで発作が起こりそうになっている。来るのが人でも、黙って襲われる気はさらさらない。しかし、まともに戦えるのか自信が持てない。

 

 満潮は勿論、波多野曹長も卯月の様子に気づいていた。だが慰めたり、励まそうとはしなかった。そんな言葉をかけられるほど、卯月と親しくない。

 それに彼女が開き直っているのを中佐から聞いている。罪悪感を感じているが、自分が悪いとは思っていない。なら慰める必要はない。満潮も概ね同じ考えだ。

 

 疲れていたのか、もしくは襲撃に備えてか、金剛たちは寝てしまった。話すこともなくなり、車内に静寂が満ちる。車を運転しているあきつ丸も少しは空気を読む。

 極論、誰も襲ってこなければ一番良い。それが平穏に終わる唯一の方法だ。どこかも分からない道を、護送車は走り続けていた。

 

 

 *

 

 

 どれぐらい走ったのか。藤鎮守府は神鎮守府と近い場所にあった。だから今回の大規模作戦で、中心部隊として選ばれたのだ。しかし卯月は神鎮守府の場所を知らない。なんなら前科戦線の場所も良く分かってない。徹底した機密保持の賜物だ。

 

 結局今どこなのか分からない。漠然とした不安を抱えているせいで、やたらと時間が長く感じる。かといって眠気もしない。嫌な感覚だ。

 

 ただ一人、波多野曹長は流石だった。常に戦闘態勢に移行できるよう、うっすらと殺意を纏い続けている。『殺意』はわたしも使えるが、あんな使い方はまだできない。完全なる殺意という力。どうせ得たのだから、使いこなしたいとは思っている。

 

『皆さま方、起きてるでありますか』

 

 車内のスピーカーからあきつ丸の声が聞こえた。声に反応して寝ていた金剛たちが目を覚ます。言い方から、どんな放送なのか、卯月は察することができた。

 

『そろそろ、藤江華殿の鎮守府につくであります。寝ている方がいれば、起きておくでありますよ』

「ンー、寝ちゃったデース……」

「しょうがないですよぉ、ふぁぁ……」

 

 寝ぼけ眼を擦る金剛と比叡。松型姉妹も似た感じだ。対照的に卯月たちは、疲れ果てた顔で椅子にもたれ掛かった。

 やっと、暇なのに緊張する護送が終わる。緊張の糸が切れかけていた。その様子に波多野曹長が苦言を漏らす。

 

「護衛はまだ終わっていない、気を引き締めろ」

「うぴょぉ……疲れたぴょん」

「知らん、気を引き締めろ」

 

 二回も言われた。アホと思われてんのかわたしは。ムスッと頬を膨らまし不満をアピール。曹長は無反応だ。

 

「引き締めろ、良いな?」

「アッハイ」

 

 ボケてられる相手ではないようだ。学習した卯月は言われた通り気を引き締める。もっとも後は、金剛たちを降ろすだけだ。手に持った主砲のセーフティを解除し、握りしめる。誰が来てもすぐ砲撃できるよう準備する。

 

「下ろした後は、向こうの憲兵隊に引き渡す」

「わたしたちはすぐ帰投って訳ね」

「いいや、少し向こうに滞在する」

「はぁ?」

 

 卯月たちの任務は護衛だ。引継ぎが終わったら役目は終わり。わざわざ鎮守府に滞在する理由はない。満潮は理解できないと眉を顰める。それが()()()()()だと知ってるからだ。憲兵隊も事情は知っている。なにか理由がある。

 

「なんかあんの?」

「単純な話だ。身体を休めてから帰投する。襲撃のリスクは我々にもある。疲弊した状態では戦闘に支障をきたす」

「……っていう建前?」

 

 曹長は「そうだ」と頷いた。

 

「卯月さんの要望を叶えるためだ」

「え、要望? うーちゃんの?」

「神提督に会わせてやれ──そう高宮中佐に言われている」

 

 彼の発言を聞き、卯月は固まった。目をパチクリさせ口を半開きにしたまま硬直する。

 

「ちょっと、どうしたの」

「あ、うん、ごめん、どう反応したら良いか……分からなかったぴょん」

「嬉しいんじゃないの?」

「嬉しいんだけど、その、なんだか……なんて言えば良いのか」

 

 ずっと神提督に会いたかった。あらゆる傷を負いながらも生きる気力を失わなかったのは、彼に会いたかったからだ。

 しかし、会った時、彼から何を言われるのかは分からない。神提督は造反の真実──D-ABYSS(ディー・アビス)による洗脳──を知らない。卯月が本心から裏切り、殺戮を齎したと思っている。

 

 恐らく、惨い言葉を浴びせてくるだろう。下手をしたら殺されるかもしれない。間宮も同じだ。仲間を売った造反者への態度だ。そうなると予想できている。だから素直に喜べなかった。

 

「なに言われても、構わない覚悟はしてるけど」

「ならグチグチ言わないでよめんどくさい。黙って上官の指示に従って」

「……一々腹立つ言い方だぴょん」

 

 だが満潮の言う通りだった。覚悟はもうできている。不満や不安を出すのはムダでしかない。そんなことは後で考えれば良いことだ。今は再会の機会を用意してくれた中佐や曹長に感謝しなければ。

 

「ありがとぴょん、曹長さん」

「私はなにもしていない。休息中にお前が勝手に神提督と接触するだけだ」

「うん、分かったぴょん」

 

 高宮中佐と波多野曹長が接触を指示したのではない。私が勝手に動いただけ。表向きはそうなる。

 私はあくまで前科持ちの造反者。提督という重要人物に会って良い立場じゃない。出会うよう指示したとなれば問題になる。こういのは体裁が重要なのだ。

 

「それと、お主が行動する間は、私がお前を常に監視する」

「別に暴走しないぴょん」

 

 勝手に動く(建前)のを除けば、鎮守府を出歩くつもりはない。そこまで子供じゃないと卯月は抗議した。

 だが、波多野曹長は首を振って否定する。

 

「そうではない」

「じゃどういうことだぴょん」

「お主が攻撃されるのを防ぐために他ならない」

「……攻撃って、誰に?」

「藤鎮守府所属の艦娘だ」

 

 まさかの理由に卯月は再び固まった。フリーズする彼女を他所に、話を聞いていた金剛たちが頭を抱えた。

 

「ちょっと、アンタたち、まさかありえるの?」

「……本当にソーリーネ」

「あり得ますね、殺したりはしないでしょうけど……」

「いや、絶対にやるな……」

「だねー、特に駆逐艦はねー」

 

 金剛姉妹、松型姉妹全員一致。問い詰めた満潮も「信じられない」といった様子で絶句する。理由は一つ。神提督が卯月の蛮行を吹聴したから。

 

「神提督は、駆逐艦の皆から特に好かれてるから……その分、彼の言うことを信じてる。来た直後のわたしたちもそうだったじゃない」

「あれが、更に悪化してるって言うの?」

「事情を説明できれば、話は別だけど」

 

 松は波多野曹長を見る。駆逐艦たちに卯月の事情を話して良いか確認する。

 

「これは機密事項だ、禁止されている」

「やっぱり……」

「藤提督と、神提督には話して良いことにはなっているが、他は駄目だ」

 

 下手をすれば卯月は駆逐艦から壮絶なリンチを受けかねない。そうでなくとも目を離した隙に殺され──はしなくても、重傷を負うかもしれない。波多野曹長が常に目を光らせていなければ命の危険があった。

 

「どうなるんだぴょん……」

 

 むしろ嫌な予感は増えた。護衛よりも緊張する羽目になる卯月。彼女を乗せた護送車は、ようやく鎮守府の門をくぐったのだった。




秋月やテロリスト共の襲撃は起こらず。しかし藤鎮守府の艦娘に卯月が襲われる可能性は大という。


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第77話 現実

書いてるこっちの胃が痛くなりそう。


「ハッチが開くぞ」

 

深夜遅くに出発したからか、藤提督の鎮守府へついたのは、丁度明け方になった。護送車両のハッチが開く。朝日が差し込み、眩しさに目を細める。眠気が払われていくようだ。

 

しかし油断しない。万一襲撃があったら即応できるのは卯月と満潮しかいない。握りしめた主砲のトリガーを冷や汗が濡らす。落ち着かずに周囲を見渡す。

 

護送車両から降りる金剛たちを、向こうの憲兵たちが出迎える。最後に桃が回収される。彼女たちは憲兵に護衛されながら、正面の大きな建物に入っていった。

 

そこまでくれば、一安心だ。まさか鎮守府内で襲われる筈がない。一人の憲兵がこちらへ敬礼する。波多野曹長とあきつ丸が敬礼を返した。卯月たちも真似て敬礼する。

 

金剛たちは無事鎮守府へ帰投した。卯月たちの護衛任務は完遂された。

 

「……終わったぴょん?」

「そうだ、終わった」

「無事終わって良かったじゃないの」

 

卯月は消化不良気味だ。ずっと襲撃に備えていたせいで、臨戦態勢が抜けてくれない。目はギラつき、主砲から手が離せない。金剛たちが無事帰れた事実を呑み込むのに、少し時間がかかった。

 

「で、わたしたちはどうすんの?」

「事前に言った通りだ。一晩だけ休息をとった後に帰投する。降りるぞ、艤装のセーフティーはかけ直しておけ」

「了解」

 

安全装置を外したまま歩く前科持ち。どう考えてもアウト。卯月は素直にセーフティーをかけ直す。持ちっぱなしも要らぬ警戒を呼ぶ。主砲から手を放した。そこまでやって、やっと緊張が抜けてくる。

 

藤鎮守府には、卯月たちと波多野曹長が休む為の個室が用意されているという。その前に艤装を工廠へ預けることになった。

知らない鎮守府に、あの艤装を――心配事はD-ABYSS(ディー・アビス)だ――預ける。不安しかないが、文句を言える立場でもない。

 

艤装を背負ったまま鎮守府内を歩く。予期せぬことが起きないよう、卯月と満潮の両脇はあきつ丸と波多野曹長が囲んでいる。常に薄気味悪い微笑みを張り付けているあきつ丸だが、今は真剣な顔。珍しいと思った。

 

けど、一番琴線に触れるのは、鎮守府の光景だ。

 

卯月は落ち着きなく、キョロキョロと辺りを見渡している。艦娘として産まれて二か所目の鎮守府。とても久し振りに見る光景に、色々感じる物があった。早朝でまだ人気もない。人の目を気にせず、自由に振る舞えた。

 

「アンタ、少しは落ち着きなさいよみっともない」

「いやぁ、懐かしくて」

「そう。私はとっくに見飽きてるわ。どこも大して変わんないもの。こんなので楽しめるなんて余程感性が貧相なのね」

 

なぜこいつはこうイラっとさせるのか。内心首を傾げる。しかし言われっぱなしは腹が立つ。卯月は両手を上げながらせせら笑う。

 

「ミッチー……哀れぴょん、感性が擦り切れてるとは。加齢のせいかぴょん。年は取りたくないものぴょん」

「進水日で言ったら私より年上なのに、若作りも大変ねぇ」

「あ゛あ゛?」

「やんの?」

 

眉間にしわを寄せて睨みあう。視線がぶつかり合い火花が散る。そんな二人の脳天に波多野曹長がチョップを打ちこんだ。

 

「はぐぁっ!?」

「痛いっ!?」

「お主等静かにしろ、もう工廠だ」

「もうちょっと見たかったであります」

「お主もチョップが望みか?」

 

曹長の脅しにあきつ丸は黙り込んだ。またまた珍しい。卯月はしげしげと彼女の顔を観察する。

バカな真似をしてる内に一行は工廠についた。

鎮守府の工廠は、前科戦線で北上が管理している場所とは大分違っていた。なによりサイズがかなり大きい。工廠妖精の数も比較にならない。

そこの奥に、艦娘らしき人影が見えた。

 

「……ん?」

 

ツナギを着たその女性は、卯月たちの存在に気づくと作業を中断し、そちらへ駆け寄ってきた。

髪の毛がピンク色だ。とても変わっている。自分のことを棚に上げて卯月は思った。彼女が工廠の管理者なのだろう。

 

「すいません、気づかなくて。特務隊の方々ですね?」

「そうだ、提督に話は通してある」

「はい、艤装はこちらで預からさせて頂きます。こちらにどうぞ」

 

女性の指示するまま、艤装を大掛かりな機械に置く。女性が目線を動かすと、機械が自動的に動きだし、艤装を工廠の奥へ運んでいった。手も何も使わず、サイコキネシスのような光景だった。卯月は眼を丸くして驚く。

 

「はぇー、凄いぴょん」

「……貴女が、卯月さんですか?」

「む、そうだぴょん。お姉さんは誰だぴょん?」

「工作艦の明石です」

 

なるほど、明石か。卯月は納得した。

前に北上が話していたが、工作艦にとって、工廠は巨大な艤装そのものだ。しかしどれだけ制御できるかは、その艦の『史実』に左右される。

 

工作艦の真似事しかしてない北上では、あれぐらいの小規模な制御が限界だ。けど明石ならばもっと大きな工廠を制御できる。

 

更に言えば、制御の力も強まる。北上は腕を一々動かさないと、クレーンとかを動かせない。だけど明石なら、視線や思考だけで済む。

改めて見ると、中々驚きの光景だ。卯月は感服していた。

 

「明石さん、一日だけどよろしくだぴょん」

 

ニパっと笑って卯月は手を出して握手を求めた。

 

「あ、結構です」

 

明石は困った笑みを浮かべて、それを拒否した。

 

「け、結構?」

 

意味が分からない。卯月は困惑する。明石は理解できていない彼女を見て、小さくため息をつく。

一瞬だけだが見えてしまった。明石の眼差しには、嫌悪感が溢れていた。

 

「すみません、私から話しかけておいて……でも、ちょっと卯月さんとは、関わりたくないので」

 

明石の言葉は卯月の心を容赦なく抉った。

理由は聞くまでもない。彼女が前科持ちーーその中でも最低最悪に属しているから。

 

卯月の造反の真実は、D-ABYSS(ディー・アビス)による洗脳。しかしその事実は機密事項。世間一般が知ることはない。

彼女の扱いは変わらない。()()()()()()()()()()()()()()()。そんな奴と仲良くしようという人はいない。

 

「しかしながら、仕事はして貰わねばなりませんなぁ」

「大丈夫ですあきつ丸さん、仕事はちゃんとやります。あくまで管理するだけ、弄ったりしませんから」

「ならば良い、よろしく頼む」

 

一同は工廠から出ていく。その間明石は卯月へ目線を一切合わせなかった。

『外』での扱いがどんなものか卯月は痛感する。覚悟はしていたが、とても辛い。

 

「……ぴょえん」

 

けどまあ、これぐらいは経験済みだ。金剛たちが前科戦線に来た直後も、かなりアレな態度だったし。

 

「卯月殿卯月殿」

「なんだぴょん、うーちゃんは今傷心モードなのだぴょん」

「いえ、一応言っておこうかと」

「言う?」

「あれはかなりマシな方であります」

 

足が止まってしまった。あきつ丸の言葉が信じられない。あの冷淡な態度で『マシ』だって。

 

「職業柄、他の鎮守府にも良く行くので知ってるのですよ。卯月殿は深海棲艦よりも憎まれている」

「あの海産物より……?」

「でありますよね、曹長殿」

 

波多野曹長は「そうだ」と同意した。

 

「お主を殺そうと息巻く艦娘を見たこともある。仲間を売り飛ばす輩への敵意は凄まじいものだ。ましてやここの艦娘たちは、犠牲者から直接話を聞いている……冗談ではなく、襲撃に警戒することだ」

 

二の句が継げない。卯月の顔は青白く染まっている。万一襲撃があればあきつ丸と曹長が護ってくれるが、そういう問題ではない。とんでもない所に来てしまったと項垂れる。

 

「鬱陶しい。全部覚悟して、その上で来たがったのはアンタじゃない」

「うるさいぴょん、分かってるぴょん」

「なら行くわよ、疲れたから早く案内して」

「うむ」

 

満潮も護送で疲労していた。早いところ休みたかった。波多野曹長たちに護られながら、割り当てられた部屋へ急ぐ。

 

人の気配が増えてくる。早朝から出撃する艦娘や、自主トレに勤しむ艦娘たちが動き出した。

 

鎮守府内の人間関係は否応なしに濃くなる。見慣れない者にはすぐ気づく。ましてや全身黒ずくめの揚陸艦と目付きがヤバい憲兵に挟まれてば尚更だ。

そして彼女たちは、一様に同じような反応を示した。

 

「……あれって」

「卯月って艦娘じゃない……?」

「まさか、別個体でしょ……」

 

卯月の外見は割りと特徴的だ。知ってる人が見れば即気づける。何人かは、どこかで別の個体を見たのか、歩いているのが『卯月』だと気づいていた。

 

ただ造反者の卯月とは分かっていない。同じ顔の別人の可能性を考えている。それでも異様な感じはある。卯月は目線を避けるように縮こまる。できれば前科持ちだと気づかれないで欲しい。

 

「裏切者の卯月、間違いありません」

 

誰かが断言した。空気が変わったのが分かった。疑惑の目線から明確な敵意に変わった。

 

「補佐官から聞きました。あの首輪は前科持ちの証、あの卯月は裏切り者で違いないです」

「じゃあアイツが……」

「なんで此処に来てるのさ……!」

 

そう話したのが誰なのか。考える間もなく空気が変わる。敵意が怒りになり、彼女の肌に突き刺さる。

別に大声でなじってくる訳じゃない。小声で喋ってるだけ。しかし卯月には聞こえていた。聞かないフリをしても、聞こえてきてしまう。

 

「あーあー、大変なことに」

「……さっさと部屋連れてってよ、私まで巻き添えくいそう」

「承知した」

 

波多野曹長がギロリと睨みを効かし、彼女たちを牽制する。だけと大半はむしろ睨み返してきた。彼女たちからすれば、曹長も裏切者を守っている敵でしかないのだ。

 

 

 

 

波多野曹長とあきつ丸が牽制してたおかげか、そこまで非常識ではないからか、艦娘たちから襲われることはなかった。傷もなく用意された部屋に辿り着いた。

 

「……もうムリ」

 

しかし卯月の精神は限界に近かった。靴を脱ぐ余力さえなく、畳へ倒れ付した。

 

「靴ぐらい脱いでよ……って、ちょっと?」

「うぅ……痛いよぉ……止めて、撃たないで……」

「発作起きてるじゃない」

 

涙目でガタガタ震えながら、うわごとを繰り返す。この一瞬で発作が起きていた。予兆さえなかった。余程参っていたのだろう。満潮は渋々靴を脱がしてやった。

 

「あ゛あ゛!?あ、ぐぅぅ……」

 

幻に腕でも引きちぎられたのか、激痛に悲鳴が漏れる。体育座りのように踞り、発作が収まるのを耐え続ける。万が一が起きないよう見張る。前のように、衝動的に目玉を抉り出さないとも限らない。

 

「……壮絶だな」

「うーむ、こういうのは不快であります」

「……心配してるのよね?」

 

曹長はともかくあきつ丸が引っ掛かる。「当然でしょう!」と抗議してきたが全く信じていなかった。

 

「こうなることは分かってて、こいつを連れてきたのよね」

「いいや、護衛の許可が下りたのが、駆逐艦二隻分だけだった。それだけの話だ」

「お題目は良いの、そうなんでしょ?」

 

遅かれ早かれ、卯月が造反者と露見する。そうなったらここの艦娘たちは、親の敵と言わんばかりの敵意を浴びせてくる。予想できたことだ。そのストレスで発作が起きるのも。

 

此処へ来るのを卯月は渇望していた。しかし、高宮中佐が護衛を命じた理由はそれだけじゃない。満潮も前科戦線でそこそこ長くやっている。中佐の人柄は分かっていた。そんな理由で動く人間ではない。

 

「答える義務はない」

「……そう」

「しかし私は卯月さんを護衛する。任務は遂行する」

「当たり前のこと偉そうに言わないで」

 

部屋につくまでに、無数の暴力を受けた。言葉の暴力だ。小声だったので満潮には聞こえなかったが、卯月は全て聞こえていた。噂はあっという間に広まる。あと数時間で卯月の来訪は知れ渡る。敵意はますます悪化する。

 

そうなることは分かっていたのだ。卯月自身も理解していた筈だ。来たところで、余計に傷つくだけだと。そうと知っていながら、それでも神元提督と会うことを望んだ。

 

「最低よ、どいつもこいつも」

 

疲労と重なり、発作が収まった卯月はそのまま眠りに落ちた。

 

 

*

 

 

気絶するように眠った後、目覚めた卯月は波多野曹長に連れられて、ある一室の前に来ていた。

 

「……はぁー、はぁー」

 

何度も深呼吸を繰り返す。心臓がうるさい、脂汗が止まらない。視界がぐらぐら揺れる。膝は笑ってる、腰は抜けそうだ。緊張のせいで落ち着かない。

 

「お主の事情は説明しておいた。お主の造反がシステムによるものだとは理解して貰った」

「あ、ありがとぴょん」

「わたしは部屋の前で待つ。危険と判断したら問答無用で突入するからな」

 

曹長は卯月の背中をポンと叩いた。

行くしない。行かない理由がない。ずっと待ち望んでいたことが扉の向こうにある。

卯月はゴクリと生唾を飲み込み、そして、扉を開いた。

 

部屋に夕方の光が差し込んでいる。それに照らされている人影があった。

 

車椅子に乗りながら、窓の外を眺めていた彼は、卯月に気づいて振り返る。傷の跡だろうか、顔や腕、あちこちに包帯が巻かれている。そのせいで顔が少し分かり辛い。けど、彼だと卯月は確信していた。

 

「神、提督……?」

「本当に、卯月なのかい?」

 

神補佐官は驚いた顔をする。彼女がここにいるのが信じられない様子だ。

声を聞いて、更に確信を得た。優し気な雰囲気の青年。最初に会った時と変わらないように見える。

 

彼だ。わたしの提督、神躍斗提督だ。

 

だいたいが昏睡状態とは言え、半年振りの再会。彼は生きていた。改めて事実を認識する。嬉しさが込み上げてくる。と同時に、提督をこうしたことへの罪悪感が込み上げる。何を言えば良いか分からない。感情がぐちゃぐちゃして、悲しくもないのに涙が出そうになる。

 

かなり混乱する卯月。彼女よりも先に神補佐官が口を開いた。

 

 

 

 

「よくも僕の前に出てこれたな、売国奴め」

 

 

 

 

現実がそこにあった。




Q 卯月は提督ではなく『司令官』と呼びます。なぜ神躍斗を司令官と呼ばないのですか?
A 某宇宙線研究所所長の呼び方と、もろかぶりになり、キャライメージが崩壊する恐れがあったからです。別の名前にすべきだっただろうか……


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第78話 拒絶

なんでうーちゃんって、二次創作とかだと酷い目に合いやすいんですかね?わたし艦これにハマったの最近なので、そのノリが分からないんですよ。まったく作者はどんな顔をしてるんだか。


 D-ABYSS(ディー・アビス)に関わる全ての事柄は、今現在機密事項となっている。内通者の存在、艦娘を深海に染め上げられるテクノロジー。うかつに世間に知られていい情報ではない。

 

 結果それに伴い、卯月の『造反』は真実として広まっていた。洗脳とか人質を取られたとかではない。自らの意志で仲間を売った外道。艦娘史始まって以来の大事件。

 

 自分が世間からどう思われているのか、前科戦線の外へ出て卯月は始めて痛感した。半ば覚悟していたことだった。それでも外へ出たのは、始めての提督である神躍斗に会いたかったから。

 

「よくも僕の前に出てこれたな、売国奴め」

 

 ほんの少しだけ期待していた。ちゃんと事情を説明すれば理解してくれると。卯月の淡い期待は、たった一言で砕かれた。

 

「え……あの、て、提督」

「僕を提督と呼ぶな! 提督業ができなくなる程の怪我を負わせといて、何様のつもりだっ!」

「な、なら神補佐官、な、なんで……」

 

 誰が見ても分かる。彼は怒り狂っていた。嫌悪感も怒りも憎悪も、擦れ違った艦娘たちの比ではない。それでも問いかけることを止めない。そう簡単に諦められない。その為にわざわざ来たのだから。

 

「なんで? なんのことかな」

「波多野曹長に、説明、受けたって聞いたぴょん……D-ABYSS(ディー・アビス)のせいだって」

「ああ、聞いたよ……で?」

「で……って?」

「だから? 洗脳されていたからなんなのかな?」

 

 質問の意図が理解できない──否、心が理解を拒んでいる。言いたいことは分かっている。

 造反したのは洗脳されていたから。そんなことは全く関係ない。彼にとっては、裏切ったことが全てだ。

 

「幻肢痛って、知ってるかな?」

「え、し、知ってるけど」

「そう、失った筈の腕や足が痛むこと。今僕が味わっている感覚のことだ!」

 

 神躍斗は突然顔の包帯を剥ぎ取る。卯月は包帯の下にあったものに驚愕し、同時に深い後悔に襲われた。

 

「君だ、君にやられた傷跡だ」

 

 包帯の下、顔の半分は筋繊維が半ば剥き出しなっていた。残った皮膚も焼かれたせいでケロイド状になり、不気味に盛り上がっている。治療の過程でそうしなければいけなかったのか、眼球は抉られなくなっていた。

 

 その大怪我の直接的な原因は、泊地棲鬼の砲撃によるものだ。直前に間宮が庇ったが、それでもここまでダメージが残ってしまった。同時に砲撃した卯月も同罪だ。しかしそれは洗脳によるもの。

 

「違う、卯月じゃ」

「ここだけじゃない、全身火傷塗れで痛み止めを呑まなきゃ激痛でショック死しそうになる。両足もなくなった。首にダメージが残ったせいで、身体が麻痺することもある!」

「違う! 私じゃ」

「黙れうるさい口を開くな……ゲホッゲホッ!?」

 

 大声を出し過ぎたせいか、神躍斗は激しくむせこんだ。心配した卯月は慌てて傍へ駆け寄る──が、その足を止めた。

 卯月へ拳銃の銃口が向けられていたからだ。

 

「じ、神補佐官……?」

「来るな、僕を殺すつもりだろう、分かっているぞ!」

 

 卯月は泣いていた。涙が流れるのを止められない。僅かな気遣いさえ、惨たらしい形で拒絶されてしまった。その場から動けなくなり、上唇を噛み締めて震える。

 

「喉も火傷でやられた、呼吸さえ難しい時の苦しみが君に分かるか! 失った目が、足が痛む幻肢痛が分かるか!? 分からないだろうね、君の様な売国奴には!」

「……だ、だって」

「洗脳って言い訳する気か? どうかな、D-ABYSS(ディー・アビス)で洗脳されたってのは仮説でしかないんだろう」

 

 D-ABYSS(ディー・アビス)はまだ未解明のシステムだ。洗脳効果があるのは中佐の見立てだ。否定できなかった。

 

「僕はそう思わない。君は少し快楽を与えられれば、簡単に深海戦艦に靡くような奴だったってことだ。もしくは最初から、裏切るつもりだったか……どっちにしたって同じだね。君は自分の意志で僕を裏切った。違うかっ!?」

 

 違う。そう叫びたいのに声が出ない。

 裏切ったのは私の意志なんじゃないか。システムが呼び起こしただけで、本来の私は、仲間を殺すことに悦楽を覚える下衆なんじゃないか。

 神補佐官に言われると、そう思えてくる。

 

「前科戦線に何年いるのかは知らないけど、それで許されると思わないことだ。僕は君を許さない。正式な軍属なんだから殺しはしない。だけども許さない認めない! どんな手段を使ってでも、地獄へ叩き落としてやるっ! あの世で『卯月』の英霊に殺されろ!」

 

 吐き捨てながら彼は部屋から出ていった。反論する暇もない。卯月は一人残される。

 

 追い縋ることもなく、なにかすることもなく。ただ立ち尽くしていた。

 

 彼の言うことが事実だった。洗脳もシステムも、被害者からしたら全く関係ない。理由がなんだろうと、やったのは卯月だ。

 部下の艦娘たちを殺し、人を殺し、彼に凄惨な後遺症を残したのは彼女だ。

 

 卯月は許されないことをした。永久に許されることはない。永遠に憎まれ続ける。

 それが現実だった。

 目を背けることはできない。目の前の現実に、卯月は打ちのめされていた。

 

 時間が止まったような感覚に陥る。なにも分からない、なにも感じられない。発作も起こらない。壊れてしまったのだろうか。それならそれで構わない気がする。

 

「……ダメ、だ」

 

 壊れるなんて許されない。簡単だ。壊れたら復讐できなくなる。だから壊れる訳にはいかない。

 だけど、どうすれば良いのか。どうすれば壊れないのかも分からない。呆然とすること以外に、なにもできなくなった。

 

 

 *

 

 

 卯月と神補佐官が話している間、満潮はゲストルームでぼんやり過ごしていた。普段なら自主訓練に勤しむところだが、さすがに疲れている。人目もあるからやりにくい。前科持ちに浴びせられる視線はどうしても厳しい物になる。全く無視できる程図太くない。

 

「暇ね」

「で、あれば、卯月殿の様子でも見てくるのはいかがですかな?」

「嫌よ、なんでわたしがそんなこと」

「感動の再会を台無しにしたいとは思わないのですか?」

「アンタと一緒にしないで」

 

 なんでこいつが同じ部屋にいるのか。憲兵隊は向こうの部屋が割り当てられている。あきつ丸は勝手に押し掛けてきたのだ。うっとうしさにげんなりする。卯月と同じぐらい苛立たせる存在だ。

 

 なるべく会話をしないに限る。話すことは徹底的に無視。壁の方を向いて横になり、寝て体力を温存することにする。あきつ丸も途中で諦めたらしく話さなくなる。これで休みやすくなった。やかましい奴はいない。静かで快適だ。

 

 何回かうつらうつらし、惰眠と覚醒を繰り返す。時計を見るとそこそこ時間が経っていた。周囲は静かなままだ。卯月はまだ帰ってきていない。アイツがいたら数倍喧しい。静かなのは良いことだ。満潮はもう一度寝ようとした。

 

「……ん?」

 

 気のせいか。しかし静かな分鮮明に聞こえた──気がした。

 

「怒声でありますな。男性の。大分苦しそうで、喉に怪我でも負っているのですかな?」

「解説ありがとう、お礼をあげる」

「おお! なんでありまボヘェアッ!?」

 

 あきつ丸の顔面にひじ打ち(お礼)を捻じ込んで沈黙させた。これで良し。しかし今の怒声はなんだろうか。周囲の様子を伺おうと扉を少し開ける。

 

 丁度その時、男性が部屋の前を通り過ぎていった。車椅子に乗っている。顔には酷い火傷、両足は義足だろうか。さっきの怒声はこの男だ。顔つきからして怒っているのが分かる。表情筋を動かすのも辛いのか、時折痛そうにしている。

 

「まさか、あいつ?」

 

 怪我の度合いから判断。彼が卯月の元提督、神躍斗補佐官なのだろうか。彼はドアの隙間から覗いている満潮に気づかず、どこかへ行ってしまった。部屋から出て彼の背中を眺める。

 

「……ま、どうせ怒らせたんでしょうね」

 

 再会の対話は決別に終わった。そう考えるのが自然だ。部下も仲間も殺されて、『洗脳だから私は無罪』なんて暴論、通る筈がない。仮に通ったとしても『納得』は得られない。

 

 大方、前のように無罪を主張し、一切謝ろうとしなかったのだろう。申し訳なさそうな態度さえ見せなかったのだろう。結果余計に怒らせた。

 だがそれが普通だ。普通の人間の反応だ。金剛たちが優し過ぎるだけ。神補佐官の反応は至って一般的。

 

 彼女たちの優しさに甘えたツケ。卯月の自業自得。良い気味だと満潮はせせら嗤う。今頃呆然と立ち尽くしているのだろう。勝手にすれば良い。反省して謝罪するも、敵の思惑を嫌って謝らないのもアイツの自由だ。

 

「ううむ、心配であります」

 

 隣にいきなり顔を出してくる妖怪。もう復活しやがったとげんなりした。

 

「なにが」

「卯月殿が壊れてないかでありますよ」

「だったらざまぁないわ」

「しかし、そうなると、満潮殿が更に大変になるのでは?」

 

 万一壊れていたらどうなるか。発作の頻度はこれまで以上になる。日常動作まで介護が必要になる。メンタルケアの仕事まで増えるだろう。

 無理だ、こなせる訳がない、絶対にやりたくない。

 これ以上プライベートを侵されたら発狂する。想像しただけでも鳥肌が立つ。壊れるのは勝手だが被害が及ぶのは嫌だ。

 

「……様子見て来るわ」

「お優しいルームメイトでありますな」

「絶望してる顔を嘲笑うだけよ」

「御謙遜を! このあきつ丸感動で涙が! うぅ……うひっ、うひゃひゃ……満潮殿?」

 

 彼女は既にいなかった。独り廊下で気持ち悪く笑う不審者Aでしかない。無視された悲しみにあきつ丸は打ちのめされていた。

 茶番を演じる妖怪は無視。満潮は小走りで卯月の元へ向かう。心配は一切していない。だが焦らずにはいられなかった。

 

 神補佐官が歩いてきた廊下を逆走する。それらしき部屋があった。乱雑だったせいで閉まり切ってない扉があった。多分ここだ。満潮は隙間から覗き見る。癖毛の多い赤毛の長髪の女。卯月だ。確信して部屋へ入る。

 

「ちょっと、生きてんの」

 

 声をかけても反応はなかった。ピクリとも動かず立ったまま。まさかショック死してるのか。それならそれで面倒が減る。確かめようと正面へ回りこむ。

 

「なんか言ったら、どうな……の……」

 

 満潮はこの時、『壊れている』者を始めて見た。

 一目見て分かる。卯月は壊れていた。まるで初めて発作を起こした時のよう。いやそれ以上に酷い。瞳の光は失われている。虚ろな瞳はどこも見ていない。口の端から涎を垂らしている。顔から血の気は失われ、死体のように真っ青だった。眼前の満潮も見えていない。

 

「……って、なにやってんの!? 卯月、起きなさい!」

 

「どうしたのか」なんてバカなことは聞かない。神補佐官に拒絶されたのだ。しかしそのショックが今までの比ではない。

 発作も悪夢も、所詮は幻だ。死人はなにも言わない。どれだけ罵倒してきても、殴ってきても、現実ではない。自分で「違う」と思えばそれまでだ。

 

 今回は違う。『現実』だ。都合よく自己解釈できやしない。

 卯月の精神は元からギリギリだった。謝らないのではない。謝ったら──自分が悪いと認めたら、心が持たない。そのことを本能的に理解していたから、あんな態度だった。

 だが、生き残りに。寄りにもよって一番慕っていた人間に、現実を突きつけられた。それが彼女に止めを刺してしまった。

 

「起きろ! 復讐できなくなって良いの!?」

 

 懸念していた通りになってしまった。このまま壊れたら私の負担が激増する。満潮は卯月を何度も揺さぶり、声をかける。それでもダメなら叩いて殴って頬をつねって暴力を振るう。目覚めればなんでも良い。

 

「……あ、満潮」

 

 その甲斐あってか、ようやく満潮を認識した。

 

「遅いわよ」

 

 まだ警戒は解かない。正気なのか判断がつかなかった。子供の様に無邪気な笑顔を浮かべている。正直まともな精神状態とは考えにくい。

 

「アハハ、ダメだったぴょん」

「でしょうね」

「うん、分かってたぴょん。まあ仕方がない、簡単に許してくれるとは思ってなかったし」

 

 会話も問題なくできる。それが返って不気味だ。満潮の不安は大きくなるばかりだ。

 

「その、大丈夫なの、アンタ」

「ダメかもしれないぴょん。なんか、なにも感じないんだぴょん」

「……ヤバイ状態じゃないの」

 

 どんな精神状態なのか、いよいよ分からない。即自我崩壊とかはなさそうだが、かなり危険な状態なのは間違いない。しかし、どう対処すれば良いかなんて知らない。メンタルケアなんて艦娘──ましてや()()仕事じゃない。

 

「……ダメ、だったぴょん」

「それはさっき聞いた」

「いや、違う。ダメだった、言い訳も……ごめんなさいって、謝る暇も……なかったぴょん」

 

 予想と違っていた。糞みたいな言い訳をして激昂させたのではなかった。

 卯月が目の前に、生きて立っている。

 あらゆる拒絶をするには、それだけで十分だったのだ。会話すら許さない。卯月が受けたのは完全なる拒絶だった。

 

「ずっと、許さないって……わ、分かってた。こうなったって、おかしくない……覚悟、してた、つもりだった……」

 

 話している内に、限界を超えたのか。語尾から「ぴょん」が消える。ヘラヘラした笑みが消えて、鼻水混じりの泣声になる。たどたどしく語りながら、身体を震わせていた。

 

「許して、貰えなかった。提督なら、優しいから、生きてたこと、よ、喜んでくれるんじゃないかって。悪口言ってたのも、仕方ない理由だから、だって、そうだったら……」

 

 神補佐官が卯月を憎んでいることは、予め知っていた。しかしそれは演技かもしれない。冤罪だと気づいていながら、政治的な理由があることを察して、そう振る舞っていたのかもしれない──余りに都合の良い可能性に賭けた。そして賭けに敗れた。

 

「……卯月が、甘かった」

 

 卯月は、目の前の満潮に倒れ込んだ。胸元に顔を埋めて動かなくなった。呻き声を漏らしながら、度々鼻水を啜る。

 

「うっ……うっ……」

 

 泣いているのだ。

 けど泣き声を聞かれるのは嫌。だから顔を押し付けて声を押し殺している。彼女を押しのける程の非情さは、満潮にはなかった。




艦隊新聞小話

神躍斗補佐官(現在)

 元鎮守府提督。D-ABYSS(ディー・アビス)に堕とされた卯月の造反行為により重傷を負う。ほぼ気合のみで、軍事法廷での証言をしたものの、提督業への復帰は不可能となる。
 その後、新人提督の藤江華の鎮守府で、補佐官として働くことに。間宮も同鎮守府に着任。
 しかし卯月への恨みは到底消えず、彼女のヘイトスピーチを繰り返していた。卯月以外への性格は以前と変わらず、松姉妹のように慕っている艦娘も多いので、彼女たちもまた卯月を憎んでいる。
 大本営的にも(表向き)は卯月は売国奴なので、ヘイトスピーチを止めようとはしていない。
 尚怪我としては、顔半分の皮膚が全焼、残り数割が火傷、全身にも火傷、砲撃時に折れた骨で内蔵のいくつかにもダメージ、眼球は片方切除、腕や脚部に欠損等である。間宮が庇ってコレ。直撃していたら間違いなく即死であった。


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第79話 握飯

 藤鎮守府にやって来た卯月は、ようやく念願の、神補佐官との再会を果たした。しかしその出会いは、最悪の形で終わりを告げた。

 言い訳、謝罪、一切の発言を認めない完全な拒絶。絶対に許さないと言い放ち、再会は終わった。

 

 精神崩壊を起こしていないか、心配してやって来た満潮に卯月は泣きついた。心底嫌いな相手にさえ泣き喚く程、卯月は大きな傷を負ったのだ。

 

 ゲストルームに戻った後、泣き疲れた卯月は気絶するように眠った。しかし安眠できる筈もない。最近余り見なかった悪夢に襲われた。

 

 泊地棲鬼に忠誠を誓い、裏切りの快楽に恍惚としながら、誰も彼も殺していく。最後に間宮ごと神補佐官を撃ち抜く。

 

 直後、場面が変わる。

 血塗れで、両足を無くした彼がいる。傍らには細切れになった艦娘がいる。皆一様に睨んでいた。

 口を開く。全て拒絶の言葉。憎しみと怒りと、悲しみにまみれた呪詛が浴びせられる。

 

 限界を迎えた。抑えていた罪悪感が爆発する。

 

「ああああ!?」

 

 気づけば、ゲストルームの天井が写っていた。夢から覚めた。悪夢が終わったのだ。

 

「夢……う、うっ!?」

 

 途端に凄まじい吐き気が押し寄せる。ヨロヨロ這いずりながら、どうにか洗面所まで辿り着く。

 流し台に顔を突っ込み、咳き込みながら嘔吐を繰り返す。途中食べた携帯食料は全部吐き出した。

 

「おぇ……」

 

 気持ち悪い、涙まで出てくる。最悪の気分。吐瀉物で喉が焼けて痛い。卯月は項垂れるように、流し台にもたれ掛かる。動きたくない。なにもしたくない。

 

「邪魔なんだけど」

 

 だから後ろに満潮がいてもどうでもいい。退く気分ではない。

 

「退いて」

 

 イラっとした彼女は、卯月の首根っこを掴む。

 

「痛いぴょん」

「ならさっさと退いて」

「やだ」

「そう」

 

 首根っこを掴んだまま、卯月は横へ力ずくで退かされる。痛みにリアクションを取るのさえ億劫だった。力なく壁際にもたれ掛かる。

 

 卯月の様子を見て、満潮は深く溜め息を吐いた。しかしそれだけ。なにも言わない。

 凄まじいダメージを心に負った。こうなっても仕方がない。掛けるべき言葉も思い付かないし、掛ける気もないから、黙ったまま放置しておいた。

 

「……辛い」

「でしょうね」

「凄い辛い」

「あっそう」

「なんで……こんなことに……」

「それが現実ってことでしょ」

 

 思いやりゼロ。無情な言葉に更に落ち込む。

 結局、わたしだけ無関係なんて理屈が無茶だったのだ。

 神補佐官の憎悪は、彼一人だけのものではない。殺された仲間たち全員分の怨念だ。

 部下思いな彼だからこそ、余計に怒りが汲み上げるのだろう。全てを拒絶されて、当たり前だったのだ。

 

「でも辛いよぉ……」

「だったら心構えでも変えたらどう?」

「それは、嫌だぴょん」

「……ま、マジで言ってんのアンタ?」

 

 満潮は心の底から驚愕した。

 ここまで、ここまで辛い思いをして、まだスタンスを変えないのか。信じがたい事態である。

 

「前言った通り。うーちゃんは悪くない。悪いのは敵……千夜って奴。なのにうーちゃんが悪いなんて、認められる筈ないぴょん。これ以上『卯月』を貶めることなんて、できないぴょん」

 

 虚ろかつ死にそうな眼なのに、そこだけは絶対にぶれない。性根が腐っているのか、頑固なのか、プライドが高いのか。なんにせよ呆れる。いっそ感服する。満潮は諦めたように首を振る。

 

「好きにして」

「そうする……」

 

 卯月の面倒を見てたせいで疲れた。満潮も横になり目を閉じる。静かな時間が流れる。しばらくすると遠くから一人分の足音がしてきた。

 

「お邪魔するでありまーす」

「帰って」

「いや昼食をお持ちしたでありますが?」

 

 心外! といった顔で震えるあきつ丸。食事とあれば逃せない。ボロボロの身体を突き動かして、なんとか立ち上がる。持ってきてくれた三人分のプレートの内、一皿を貰う。

 

「……毒とか入ってないわよね?」

 

 訝しむ満潮を、あきつ丸が笑う。

 

「はははご冗談を、いくら皆様方が前科持ち、嫌われ者の最低部隊だとしても味方は味方! そんな行為をすれば軍法に関わる大問題、そこまでの愚か者はいな──」

「ぴゃぁ!?」

 

 突如、シチューを食べていた卯月が悲鳴を上げた。何事かと二人が振り向く。

 

「う、う、うっそぴょーん……」

 

 指先で持ったスプーンの先端、そこに掬われていたシチュー。白いスープの中に異物が浮かんでいた。

 

 カミソリの刃だった。

 

 口に入れてたら口内が血塗れ。下手したら舌がザックリ。万が一にも飲み込んでいたら、死ぬ危険さえある。そんな危険物が卯月の食事に混在していた。

 

「……毒の方がマシだったかしら」

「ううむ、証拠を見つけるのが少し面倒なので、カミソリの方がマシで」

「どっちでも良いぴょん! なんだよコレェ!?」

「カミソリでありますが?」

「妖怪は黙ってろぴょんっ!」

 

 卯月は食事のプレートを端に寄せた。とてもじゃないが食欲が湧かない。

 

「あきつ丸は、こんなことをした愚か者を苛めてくるであります」

「苛めって、アンタ……」

「いやぁ、久々に腕がなるであります」

 

 物騒な言葉を残してあきつ丸は立ち去った。彼女のプレートの端には刃物の破片があった。満潮のプレートも同じだ。卯月がどれを取っても死ぬようになっていた。卯月だけじゃなく、全員纏めて死ぬようになっていた。

 

「わたしたちも、売国奴の仲間って訳ね。バカな連中が」

 

 無差別かつ悪質なやり方。ここまでするのか。こんなバカげたことを実行に移す程、わたしは憎まれているのか。真実がなんであれ、世間からは仲間も鎮守府も売った売国奴。裏切り者に対しては、どこまでも非情になれるということか。

 

 二人揃って不快感を味わう。その時、廊下から慌ただしい足音が聞こえてきた。

 

「卯月殿! 無事か!?」

 

 何処へ行っていたのか、波多野曹長だ。帽子とやたら高い襟で表情は見えないが、それでも焦っているのが分かった。

 

「大丈夫だぴょん……テンションは地の底だけど」

「申し訳ない、まさか、駆逐艦どもがここまで過激な行為に出るとは思わなかった」

「本当よこっちも迷惑よ勘弁してよ」

「本当に申し訳ない。私がいながら、不甲斐ない」

 

 心底後悔した雰囲気だ。下剤とか腐った牛乳とかのレベルを越えてる。殺す気満々の行為だ。仮にも国防に関わる存在が、そこまでの暴挙に出るなんて予想できなかった。曹長だけではない。卯月も満潮も油断していた。

 

「気にしないでぴょん……うーちゃんが、どう見られてるのか、よーく分かったぴょん」

 

 波多野曹長は顔をしかめた。絶望している。想像以上に酷い現実に、心が擂り潰されている。これで気にしない訳がない。しかし、癒す方法もない。

 

「二人とも腹が空いていると思い、軽食を貰ってきた」

「またカミソリ? それとも爆雷? まさか魚雷を直接齧れと言うのかぴょん」

「疑い過ぎよ。北上じゃあるまいし」

「……待って北上さん魚雷噛ったのかぴょん」

 

 満潮はなにも答えない。曹長も目線を反らしたまま軽食を出してきた。

 

 戦闘糧食……もとい大きめのおにぎりが二つ。あと沢庵。極めて典型的な軽食だ。まだ温かい。曹長の依頼を受けて、誰かがすぐに握ったのだ。

 

「調理過程は見ていた。毒味もした。それは安全に食べることができる。どうか安心してくれ」

 

 安心できるのは確かだ。しかし卯月は手に取れなかった。カミソリがかなりショックだったのだ。どうしても疑ってしまう。信じられない。曹長もグルなんじゃないか。そう考えてしまう。

 

 疑ってばかり。自分が嫌になる。かなりカッコ悪いと自覚していても、殺されかけた恐怖が拭えない。

 

 卯月は、それが罰だと思い始めた。

 仲間と思っていた奴に、殺されかけた恐怖。同じ恐怖を神補佐官と間宮さんは味わったのだ。こんな、カミソリ一つとじゃ比較にならない苦しみを。

 

「ふん、まあまあ旨いじゃない」

 

 満潮の一言に顔を上げる。出された軽食を、彼女は食べきっていたのだ。

 

「誰が作ったのコレ」

「間宮だ」

「ま、間宮さん……っ!?」

 

 あり得ない。心の中で否定する。神補佐官と同じように、間宮さんだってわたしを憎んでいる。わたしを殺せるなにかが入ってるに違いない。

 しかし、満潮は平然としている。どっちがどちらを取るかは分からない。ピンポイントで狙うことはできない。片方が無事なら、もう片方の軽食も『無事』だ。

 

「なんで、どうして……?」

「さっさと食べたら、冷めるわよ」

「……じゃあ」

 

 ハムっと、恐る恐る一口頬張った。

 塩加減が丁度良く、巻かれたパリパリの海苔が心地よい、定番の味だった。

 とても、懐かしい味だった。みんなを裏切るまでの一か月間で、何度も何度も食べた、思い出の味がした。

 

「グスッ、美味しいぴょん……」

「泣きながら食べないでよ、気持ち悪い」

「黙ってろぴょん!」

 

 満潮なんぞどうでもよい。毒も異物も入っていない。純粋に美味しさを味わえた。嬉しいのになぜだか涙が出てくる。裾で拭いながら、一心不乱に頬張っていく。

 

 言っても、大丈夫そうだ。少し落ち着いた様子の卯月を見て、曹長は口を開く。

 

「間宮さんは、お主には会わない」

 

 おにぎりを食べる手が止まった。

 

「なんで?」

「会ったら、殺しかねないそうだ。お主のことを話しているだけでも、気が狂いそうな程苦しんでいた」

「……やっぱり、そっかぁ」

 

 思った通りだ。心の底から落ち込む。神補佐官が憎んでて、間宮さんは憎んでない。なんて上手い話、ある訳ない。要するに顔も会わせたくない。ということだ。神補佐官と同じ拒絶。関わりその物への拒絶だ。

 

「だが、お主が『元凶』でないことは察していたようだ」

「……ん? アンタ、D-ABYSS(ディー・アビス)のこと話したの?」

「いや、間宮さんには話していない」

 

 神補佐官に話したのは、かなり例外的な対応だ。最大の被害者だから、精神的事情を考慮したまで。間宮はそこまでいかない。彼女に話すことは認めなかった。

 

 卯月は首を傾げた。ならなぜ、食事を作ってくれたのか。嬉しいが理解できない。

 

「彼女はお主を憎んでいる。だが、同時に違うとも考えている。『卯月はそんな子じゃない』と信じているのだ。しかし顔を会わせれば、受けた苦痛に耐えきれない」

「頭では、分かってるってことかぴょん」

「そこまでは知らぬ。わたしは間宮さんではない。その戦闘糧食が彼女の返答だ」

 

 食べきったおにぎりは、本当に美味しいものだった。それが全てだ。どんな意味が込められているのか、卯月には知るよしもない。卯月は間宮ではない。

 

 だから勝手に信じることに決めた。意味なんてないかもしれない。仕事の一環として、事務的に作っただけ。曹長に見せた態度は単なる社交辞令、かもしれない。

 けど、卯月はより良い方にすがった。心が持つなら、そっちの方が良いに決まってる。壊れたら元も子もない。それはとてもカッコ悪いことだ。

 

 

 *

 

 

 間宮の差し入れを食べた後、卯月たちは暇だった。やることがない。最大の目的だった神補佐官との再会は(最悪の形だが)済んだ。もうここに滞在する理由は、ないように思える。

 

 正確に言えば、やれることはある。

 訓練だ。彼女たちは軍人。身体が鈍って良いことはない。ずっと戦い続けて疲弊してる訳でもない。護送の疲れは取れている。自主訓練をすべき状況。

 

 面倒がる卯月はともかく、満潮は訓練がしたかった。やる気もある。実際食事後はトレーニングをする気だった。

 ここが、他所の鎮守府でなければ。

 

 前科戦線はとにかく嫌われている。懲罰部隊なのだから嫌われて当然。満潮は何度か外の鎮守府へ滞在したことがあったが、目線はいつも厳しかった。

 

 しかし、そんな目線には慣れてしまった。今更気にならない。満潮はいつも素知らぬ顔でハードなトレーニングを行ってきた。

 

 だが、ここはダメだ。

 

 この鎮守府では、殺される危険がある。

 

 卯月への態度が凄まじく厳しくなるのは予想していた。覚悟もしていた。けど、本当に殺しにかかってくると。まさか食事にカミソリを仕込むなんて。

 

 艦娘というか、軍人というか、人として完全にアウトな行為。いくら卯月が憎いからって、そんな艦娘の誇りを貶める行為をするとまでは思わなかった。

 

「前代未聞よ……まったく」

 

 一人愚痴る。神補佐官はどれだけ卯月の悪評を広めたのか。そりゃ裏切り者の売国奴は好まれない。それにしたって、殺しにかかるのは完全にやりすぎだ。何度か外の鎮守府に行ったことはあるが、殺害未遂は初めてだった。

 

 下手したら、満潮まで巻き添えで殺される。いやされかけた。満潮がカミソリを呑み込んでいてもおかしくない。

 

 今だって、部屋の真正面に波多野曹長が立って護衛してなきゃいけない。

 そんな緊迫し切った空気の中、訓練できる程満潮は図太くなかった。腹立たしいが卯月と同じく、暇を持て余すしかない。

 

 と、不意に扉が開いた。波多野曹長が顔を出す。

 

「卯月さん、満潮さん。良いか」

「……どーしたぴょん?」

「お主たちに、客人だ」

「殺しにきたっていうのかしら。返り討ちにしてやるって伝えて」

「違う。客人で間違いない。通すぞ」

 

 身体チェックは終わっている。曹長の監視の元、知らない艦娘が部屋の中に入ってきた。茶色のセミロング。クリーム色の服を来た女性。体格から見て、軽巡だろうか。彼女は卯月と満潮を一瞥する。

 

「卯月と、満潮ね」

「そうだけど、アンタ誰」

「重雷装巡洋艦の『大井』よ」

「大井……って、北上さんの妹の?」

「そうよ、ちょっと貴女たちに来て貰いたいの」

 

 球磨型四番艦。北上は球磨型の三番艦だ。そんな奴が何の用か。とはいえ暇で死にそうだったのも確か。周りの目線に怯えながらも、卯月はそれを了承した。




ハイパーズは前作から引き続き登場。わたしのお気に入りなのでしょうか……ちなみに大井の登場は48話で示唆してたり。


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第80話 三十駆

 卯月は想像を絶する程憎まれている。外出したら死ぬ危険がある。満潮も巻き添えになりかねない。ゲストルームで大人しくしていた二人を連れ出したのは、雷巡の『大井』だった。

 

 なんの用があるのか分からない。けど暇の度が過ぎた。二人は大井についていくことに決めた。

 その場合、心配されるのは卯月が殺される可能性だ。もう笑い飛ばせない。カミソリで殺されかけたのだから。

 

 部屋から出れば、当然人とすれ違う。早朝は人がまばらだったが、今は午後下がり。人通りの数は朝の比ではない。所属人数も前科戦線より遥かに多い。他人との遭遇は不可避だ。

 

 誰かとすれ違う。

 その度に卯月は憎しみのこもった視線に晒された。怨念が突き刺さっているようだ。

 神補佐官か、朝会った明石か分からないが、造反者の()()()がいることは、鎮守府中に知られているようだ。

 

 こいつが、裏切り者か。

 なんでのうのうと生きている。死ねば良いのに。なぜ誰も殺さない──あくまで小声だが、卯月には鮮明に聞こえていた。

 

「ぴょん……」

 

 神補佐官に拒絶された時よりマシだが、とても辛い。少しでも視線を避けようと、身体が勝手に縮こまる。本当に犯罪者になったような錯覚に陥る。

 なにも知らない──知る必要がないから──艦娘たちは、心ない言葉を容赦なく浴びせた。

 だが、一発の舌打ちが、罵倒を止めた。

 

「言いたいならハッキリ言いなさいよ卑怯者」

 

 大井を見て、卯月と満潮は戦慄した。

 

「この子たちは客人よ、文句があるなら、許可を出した提督に言ったらどう」

 

 部屋に来た時とは大違い。どこか見覚えのある、鋭い目線で艦娘たちを牽制していた。

 

「……水鬼さま?」

 

 それは、戦艦水鬼に酷似していた。

 否、水鬼と同じそれを放っている。見間違えやしない。大井が放っているのは殺意。『完全なる殺意』だ。

 

 大井に睨まれた艦娘たちは、殺意の圧力に怯み、卯月を睨み付けながら通りすぎて行った。

 

 その後も艦娘とすれ違った。例外なく卯月に憎しみの目線を向けてきたが、やり過ぎている連中には、大井が殺意を突き立てた。彼女は卯月を守っていた。

 

「悪いわね、普段はここまでじゃないんだけど」

「……なんで、うーちゃんを庇ってるぴょん。大井さんの立場まで悪くなるんじゃ」

「余計なこと気にしないで良いわ。わたしは、この程度で揺らぐような立場じゃないの」

 

 戦力的な意味合いか、別の意味かは、どっちでも構わないのだろう。「それよりも」と大井は話を続ける。

 

「彼女たちをあまり悪く思わないで。事情を教えてないのはわたしたちの方。知らないからしょうがない……とまでは言わないけど、できれば、憎まないで欲しい」

 

 大井は複雑そうに頼んできた。こんな扱いを受けといて、『嫌いになるな』なんて、無茶なお願いだとは、大井自身が一番承知している。

 

「うん、憎まないぴょん。悪いのは『敵』、殺さなきゃいけないのは、ソイツだけぴょん」

 

 しかし卯月は即答した。とても早かった。大井は呆気にとられる。

 

「これで艦娘を憎んで、わたしたち同士で殺し会う真似をしたら、それこそ『敵』の思う壺。うーちゃんは絶対にやらない。一つだって敵の思い通りにはならない。だから憎まないぴょん」

「敵の狙いって同士撃ちなの?」

「いや、知らんけど。勘だぴょん」

「……適当ね」

 

 まさかの回答に大井は呆れるが、卯月は真面目だ。艦娘を洗脳するシステムなんて代物を使っている連中だ。同士撃ちを見たら手を叩いて喜ぶに違いない。勘だが、全く見当違いでもないと思う。

 とは言え憎まないと回答は得れた。大井は内心、ホッとする。

 

「憎まないってことは、()()ってことで良いのね」

 

 満潮の指摘に、卯月は顔を背けた。『憎くない』ではなく、『憎まない』。少し違った言い方に、彼女は気づいていた。

 

「ぷっぷー」

「……まさか今のって」

「それで誤魔化しのつもりみたいよ」

「うるさいぴょん」

「もうちょっと上手い誤魔化しあるでしょ」

 

 内心、艦娘が少し嫌いになりそうだった。しかしそれを言ったら敵の思う壺。だからと言って嘘は言えない。嘘は嫌いだ。だから下手な誤魔化しをする他ない。あんまりな下手さに、大井は再び呆れた。

 

「大井さん、でもコイツの思ってる通りだから。あれだけやられて、苛立たない方がおかしいわ」

「承知してる。だから()()()()って言ったでしょ」

「そうね。でもカミソリで殺されかけたのは、絶対に許さないわよ」

 

 ギロリと満潮が睨み付ける。卯月もその点は同意だ。冗談抜きで死にかけた。なにかしらのケジメが必要だと思える。勿論大井はそれを分かっている。

 

「落とし前を、今からつけるのよ」

「まさか、やったのって」

「わたしじゃない。でも無関係とは言えない……ついたわ」

 

 やって来たのは、鎮守府の地下室だった。日の光は届かず、照明も薄暗い。あえて暗めにしているように思える。

 奥には鍵のかかる扉がある。前にはなぜか、あきつ丸が立っていた。

 

 あきつ丸はこちらに気づくと、ヒラヒラと手を振ってくる。あいつはなにをしているのか。そもそもここはどこなのか。

 

「あきつ丸が見張ってたのよ。逃げないように。信用されてないわね」

「逃げる?」

「ここは独房よ。まあ、反省室とでも言えばいいのかしら」

 

 独房、つまりあきつ丸は独房の仲間の誰かが逃げないか監視してたのだ。鍵はかかってても、万一のことはある。まあ逃げたところで、罪が重くなるだけだが。

 

 この中にいるのが誰なのか、察していた。やらかさなければ独房へは入らない。

 

「カミソリを入れたクズがいるってことね」

 

 かなり、いや相当気まずそうに、大井は頷いた。鍵を取り出して、扉を開ける。中には四人の駆逐艦がいた。その面々を見て、卯月は心の底から絶望した。ショックを受ける卯月を見ながら、大井は呟く。

 

「……わたしが、あの子たちの、教導艦なのよ」

 

 大井は責任を感じているのだと、理解した。

 

 

 *

 

 

 あきつ丸がキモい目付きで睨んでるから、扉が開いてても、犯人たちが逃げ出すことはない。そもそも鎮守府内で逃げる場所なんてない。前科戦線より大きいが、神躍斗の鎮守府より小さいと感じた。

 

「で、この状況でどうしろっての」

 

 凄まじく険悪な空気。耐えきれなくなった満潮がぼやく。卯月も同意だ。こんな所へ連れてきて、どうしろというのだ。黙りこんだままの駆逐艦を見て、大井は舌打ち。

 

「なにか、言い訳は?」

 

 問いかけに対しても、無言だった。卯月とは目線も合わせようとしない。特に強く()()()()()一人は、完全に背中を向けている。徹底した拒絶に気持ちが暗くなった。

 

「そう、分かった。じゃあわたしが言うわね」

「待って! 大井さんが言うことないよぉ!?」

「貴女たちが言わないからでしょ」

 

 彼女の訴えは無視。大井は卯月の方へ向き直ると、膝を床につき、両手を地面につけようとした。

 

「ダメ! そこまでしないでください!」

「や、止めてよ大井さん。あたしが悪かったよぉー」

 

 彼女たちが止めたことで、大井はギリギリでそれを止めた。額を地面にこすりつける寸前の正体、なにをしようとしたのか、卯月にだって察しが付く。

 大井は土下座をしようとしていた。 

 そこまでされるなんて完全に想定外、卯月は固まりながらも、何とか声を搾り出す。

 

「うーちゃんも要らないぴょん、そんなの、大井さんは別に」

「隊員の責任は旗艦の責任よ。わたしがしっかりしていれば、こうはならなかった。この子たちが謝罪しないのなら、尚更わたしがしなきゃいけない」

 

 後ろの駆逐艦たちは、色々な反応をしていた。項垂れる者、慌て続ける者。プラスの反応は誰もいない。

 当然だ。駆逐艦にとって、軽巡とは本来、絶対的な存在である。畏怖の対象であり、敬愛の対象。恐ろしくも勇ましく、誇るべき先輩。それが軽巡だ。普通の鎮守府での経験がほぼない卯月でも分かっている。

 

 そんな軽巡に頭を下げさせる寸前だった。自分たちのせいで。彼女の行為は駆逐艦たちにかなりの罪悪感を与えていた。大井がわたしを独房まで連れてきたのは、これが目的だったのだろうか。

 

「大井さん……」

「貴女たち、話すべき相手はわたしじゃないわよね」

「およぉ……」

 

 四人の中で、茶髪のショートヘアをした駆逐艦が、卯月の前にやって来た。複雑そうな顔をしている。続けて栗色のロングヘア―の、最後に緑髪のロングヘア―に、メガネをかけた艦娘。三人とも全員、卯月と同じ()()()()()()()()()()()を身に着けていた。

 

「まず名前ぐらい名乗ったら。わたしアンタたちが誰か知らないんだけど」

 

 空気を一切読まない満潮の発言。余計なことをと内心呟くが、そのおかげで、会話が繋がった。

 

「睦月型駆逐艦、一番艦の、『睦月』です」

「妹の如月よ。よろしく……で良いのかしら」

「望月ー、よろしくー」

 

 独房に入れられていたのは、他ならぬ卯月の姉妹艦たちだった。

 

「…………」

「後ろのは」

「知ってる、弥生で合ってるぴょん?」

「合ってるにゃしぃ」

 

 薄紫色の髪をした、一番知ってる艦娘だけは、背中を向けたまま動かなかった。それが弥生だ。そして彼女こそが、早朝に訪れた時、わたしが『造反』の卯月だと、確信していた駆逐艦だった。

 

 睦月たちは名乗った後、また口を閉ざした。

 口をモゴモゴさせて話そうとしてはいるが、強い戸惑いがある。堪えられなくなった卯月が、先に喋った。

 

「睦月お姉ちゃん、その」

「止めてよ、それは!」

「えっ」

「あっ……」

 

 睦月は目線を合せてくれない。暗い表情で下を向いたままだ。

 

「ごめん卯月ちゃん。カミソリなんて入れた以上、謝るのはしょうがないと思ってる。でも、お姉ちゃんって呼ばれるのは絶対無理」

「私もよ。分かってくれるかしら」

「あたしは……どうでもいいかなー。関わってさえこなければさー」

 

 全員が全員、彼女と必要以上に関わることを否定した。菊月以外では初めて会った姉妹艦たちさえこの態度。自分が外ではどう思われてるのか痛感する。

 

「でも悪かったよー、さすがにやり過ぎだ」

「……まあ、そう、そうよね」

 

 謝ろうとはしている。しかしそれは、大井に恥をかかせたことを、申し訳なく思っているから。最大の理由はそっちだ。卯月にカミソリを食わせたことは、そこまで重要ではない。

 

「ごめんにゃしぃ、もう二度と絡まない」

「皆で、うーちゃんを殺そうとしたのかぴょん」

「ううん、睦月たちは連帯責任。実行犯は……弥生なの」

 

 彼女たちは同じ駆逐隊のメンバーだ。誰かがやらかしたら、責任は全員で負う。軍隊はどこもそういうものだ。

 しかし、一番謝らなければならないのは、間違いなく弥生だ。彼女がケジメをつけなければ、この話は終わらない。

 

 弥生は背中を向けたまま微動だにしない。睦月たちが声をかけても、一切反応しない。

 それだけ、卯月と関わりたくないのだ。下手に声をかけるのも戸惑われる。卯月はオロオロと立ち尽くす。

 

「ダメよ弥生ちゃん、気持ちは分かるけど、あんなのが妹だなんて……大井さんに迷惑がかかってる」

 

 如月が肩を叩きながら、動かそうとする。それでも弥生は動かない。殺そうとしたことに、責任を感じている可能性は低いだろう。

 

「弥生は……正しい」

 

 こんなことを言うのだから、間違いない。睦月たちは苦しそうな顔をする。気持ちが痛いほど分かるからだ。売国奴を認めなきゃいけないことが、悔しいのだ。

 

「弥生……そう言ったってさぁ」

「おかしいのは……大井さんの方です……なんで、そんな奴を庇うんですか……」

「前科戦線のお陰で、今回わたしたちは大規模作戦を成功させられたから。こいつらは大本営に必要な存在なの」

「だからって……こいつがなにをしたか、知らない訳じゃないのに! 神補佐官から、聞いてますよね……!」

 

 弥生が声を荒げて訴える。睦月たちは驚いていた。弥生がこんなに大声を出すところを、初めて見たからだ。彼女自身も感情が爆発したせいか、涙目になっている。

 

「聞いてる、でも彼が、卯月を殺せって言ったの?貴女たちに命令したの? だったら彼も処罰対象ね、あきつ丸さん?」

「了解! 仕事に赴くでありま」

「おいバカ止めろぴょん!?」

 

 このもののけが神補佐官になにをするのか、恐ろしいことに違いない。心底から嫌われてても、彼は卯月の提督だ。心の支えであり続けている。殺されてはならない。

 卯月と同じ思いを抱いた弥生と、顔を青ざめ叫んだ。

 

「独断! 弥生の、独断です……補佐官は、関係ありません……」

「なんだ、残念」

「でも、でも……こんなのは、おかしい……卯月のせいで、全部メチャクチャになった……!」

「ぜ、全部? うーちゃん、弥生にはなにもしてないぴょん?」

 

 これは本当だ。卯月は弥生たちにはなにもやっていない。D-ABYSS(ディー・アビス)に洗脳された時、彼女の仲間の金剛を殺そうとはしたが、その事件は秘匿されている。都合が悪いから、一部の人たち以外には知らされていない。

 だが、卯月のその一言が、弥生の逆鱗に触れた。

 

「……なにも、知らないの?」

「だからなんのことだぴょん」

「……卯月のせいで、みんなが迷惑した……今まで、みんなが培ってきた『信頼』が、全部水泡に帰した……それを、分かってないなんて」

 

 弥生がやっと顔を上げ、卯月と眼を合せた。しかし彼女の表情は憎悪に染まっていた。

 少し前までの卯月のようだった。深い悲しみと怒りを抑えきれず、憎悪として発露している。弥生は卯月を憎んでいた。殺したいと心の底から思っていたのだ。

 

「『化け物』呼ばわりされたのは、お前のせい……!」

「ば、ばけもの……?」

「出て行って、この鎮守府から……弥生は、弥生は嫌だ。こんな奴のために……謝る必要なんてない。私たちも、大井さんも! じゃなきゃ……今度こそ……!」

 

 その後のことは、正直細かく覚えていなかった。

 姉妹艦との出会いは、下手をしたら、神補佐官との再会よりも卯月を傷つけた。実の姉妹からも、本気の殺意を抱かれている。軍規も常識も、上官の命令さえ上回る程に憎まれている。

 よりにもよって、弥生が殺しにきた。

 仕方ない──今すぐそう納得するのは、卯月にはできなかった。




艦隊新聞小話

・前科戦線の扱い
 特効とルート調査のため重要視されている特務隊ですが、懲罰部隊としても側面も存在しています。
 その役割とはズバリ、『嫌われ役』です。
 罪を犯した艦娘はああなるんだぞ――と、身を挺して証明してもらうことで、他の艦娘が違反行為を起こさない為の抑止力になる、という役割があります。
 なので、前科戦線に対する犯罪行為は、一部を除いてだいたいが黙認されるようになっています。今回弥生ちゃんが剃刀をぶち込むという殺人未遂をやりましたが、解体刑にならず独房送り程度で済んでるのは、これが理由です。
 惨いですけど、このシステムを考えたのは、前科戦線の初代提督らしいです。なに考えて懲罰部隊なんて作ったんでしょうか。青b……わたし興味があります!




ああそれと唐突ですが、この作者、睦月型駆逐艦12隻を全員出すと唐突に決めたようです。

……ん、12隻?


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第81話 台無

 卯月の造反は表向き、なかったこととして扱われている。艦娘が人類に牙を剥いた。これがどれだけ恐ろしい事態を呼び込むのか、大本営も憲兵隊も理解していた。

 

 艦娘は人類の守護者である。しかしその力はとても恐ろしいものだ。

 人型サイズ故に隠密性も高い。どんな湾岸部からでも、砂浜からでも断崖絶壁の壁からでも。ヘリを使えば空からでも、最低駆逐艦級の兵器を投入可能な、一種のステルス兵器。それが兵器としての艦娘だ。

 

 そうでなくとも、入渠さえすれば大概の傷は完治。老化も殆どない。つまるところ艦娘と深海棲艦の違いは一つしかない。

 

 人類に敵対的な化け物か、友好的な化け物か。

 

 万一、艦娘が人類にとって脅威と見なされれば、人は艦娘を絶滅させにかかる。深海棲艦を倒した後は、艦娘が倒される運命にある。

 

 艦娘が現れた当初から、それはかなり懸念された事態だった。多くの軍人や関係者は、そんな終わり方を望まなかった。当事者である艦娘たちも同じ思いだ。護るべき人間に殺されるなんて嫌だった。

 

 そうならないよう、長年に渡り努力が続けられてきた。

 人権がどこまで有効か考え、艦娘用の軍規や罰則──前科戦線もその一環と言える──定められた。艦娘たちも鎮守府を解放し、イベントで民間人と接し、友好さをコツコツと広めてきた。世論を艦娘寄りへ傾けるためには、手段を選ばなかった。

 

 結果今の世論がある。だいたいは艦娘に友好的だし、純粋な人類の味方だと認識している。また別の問題を生むかもしれないが、艦娘を『敵』

 と見なす流れは、今はない。

 

「けど、卯月、貴女のやらかしで、それが台無しになったの」

 

 大井の自室で話を聞いていた卯月は動けなかった。出されたお茶はとっくに冷めていた。

 

 弥生を筆頭に、睦月型の姉妹たちから拒絶された後のことだ。卯月は弥生の言ったことが引っ掛かっていた。『信頼』が失われたと言うが、なんのことなのか。

 

 『後悔するけど良いの』

 大井に聞いてみたらそう返された。卯月はそれでも、言葉の意味を知ろうとした。ゲストルームより近いと、彼女の自室へ招かれた。

 

 彼女は事の子細を説明してくれた。全く外の世界に関わったことがない卯月に、世界情勢とかその辺の段階から教えてくれた。おかげで卯月は話をちゃんと理解できた。

 

 洗脳された自らが、どれだけ大変なことをしたのかも。

 

「過程がなんであれ、結果が全て。『艦娘が深海棲艦と共謀して人類を襲った』。艦娘が深海棲艦と変わらない化け物って可能性が、示されてしまった」

「うーちゃんの、せいなのかぴょん」

「まあそうね。貴女が洗脳されたせいで、長年の信頼に亀裂が入ったのは確かよ」

「でも、こいつの造反は表向き秘匿されてるんでしょ」

「鎮守府が一個完全壊滅したのよ。ある程度は隠せても、隠しきれるものじゃないわ」

 

 秘匿されてるのも一般社会に対してだけ。軍内部(機密事項なのは変わらないが)では知れ渡っている。完璧に隠しきるには被害が大きすぎる。細かいところは知られてないが、そういった()()()()が現れた噂は浸透してしまっていた。

 

「少し前に、鎮守府祭ってのをやったのよ」

「なにそれ」

「民間人との交流イベント、アンタやったことないの」

「……ああ、あのくだらない行事」

「ええ、でも重要な行事。そこに来ちゃったのよ、どっかから噂を聞き付けたクズが」

 

 ため息を吐く大井は、平静を装っているが、静かに怒りを燻らせていた。

 

「『こいつらは化け物、深海棲艦と変わらない。あの卯月と同じだ、いつ裏切るが分からないぞ!』……って、とんでもない大演説をしたの」

「頭おかしいんじゃないのそいつ」

「憲兵隊にトッ捕まって精神鑑定受けたら、ネジが飛んでたらしいわ」

 

 一意見としてはあり得る。けど軍隊のイベントのど真ん中でやるか普通。尚そいつは今、憲兵隊によって入念な『研修』を受けさせられているとか。

 

「反艦娘組織の工作員の疑いもあるけど、それは今は関係ないわね」

「弥生が言ってた『化け物』ってのは、そういう意味ね。くだらない。狂人の戯言を真に受けてんの?」

「問題はそこじゃない。そいつが叫んだ後よ。かなりの来訪者がそそくさと帰っちゃったの」

 

 さっきまでの怒りと同時に、悲しさも混じった表情を浮かべる大井。年長者の彼女でこれなら、幼い弥生たちは。

 

「本当なのかぴょん」

「帰ったのは本当。でも理由は分からない。狂人のいない日に出直そうと思ったのか……内心燻ってた恐怖心が溢れたのか。ここは神補佐官の鎮守府に近い。裏切り者がいるって噂は、他所以上に広まってたのね」

「そんな、悪いのは、敵なのに」

「その敵に、『艦娘』も含まれるかもしれない。そのトリガーを貴女が引いたかもしれない。貴女たち(前科戦線)は嫌悪されるのが仕事みたいなものだけど、卯月の憎まれようは過去最大よ」

 

 洗脳されていた事実があっても、そこはもう揺らがない。卯月は先人たちの積み重ねた努力を壊してしまったのだ。わたしは悪くない。責任を否定し続ける彼女でもショックを隠し切れない。顔を俯かせたまま動かなくなる。

 

「あの子たちにとっては、初めての鎮守府祭だったの。皆の期待に応えようと任務もこなしながら必死で準備して、出店も頑張って……」

「もう、言わなくて良いぴょん。だいたい察したぴょん」

「……ごめんなさい。わたしもまだまだだった。あの子たちがどれだけ恨みを募らせてるか、推し量れなかった」

 

 大井は、卯月と直接会わせれば少しは印象が変わるんじゃないかと期待していた。真正面からちゃんと話せば分かる。仲間を快楽目的で売り飛ばすような輩ではない。姉妹艦なら尚更通じ合える筈。自分たちがそうだから。

 だから会わせた。結果は見ての通り。むしろ状況は悪化した。上官の土下座を臭わせても、弥生は決して譲らなかった。

 

「で、あの弥生って奴はどうなんの。まさか無罪放免で釈放?」

 

 この空気に耐えかねて、満潮が湯呑をテーブルに叩きつけた。話題を変えて、暗い雰囲気をマシにしようとする。

 

「いや、さすがにそうはならない。一ヶ月ぐらい出撃・外出禁止。鎮守府の全雑用従事ってトコじゃないかしら」

「それは軽いのかぴょん、重いのかぴょん」

「殺人未遂でコレよ?」

 

 言うまでもなく軽い。滅茶苦茶軽い。

 本来なら軍事裁判行きor即強制解体でもおかしくない。そうならないのは、被害者が前科持ちだからだ。

 

「まあ流石に黙認にはならない辺り、マシっちゃマシね」

「……ん、待って。じゃあ普段は黙認ってことかぴょん?」

「そうだけど。忘れたの、私たちは懲罰部隊。()()()()ことも仕事の一環。後遺症が残るとか、任務に支障をきたすレベルでない暴行は黙殺される。それが暗黙のルールなの」

「く、黒過ぎないかぴょん」

 

 差別が容認されている現実に困惑する卯月。満潮は面倒そうにしながら説明した。彼女も卯月同様、差別に伴った扱いを受けた経験がある。

 わたしはもう慣れたが、慣れるまでは辛い。卯月にとっては苦しい時期になる。

 

 ザマァ見ろと満潮は思った。言葉に出さないだけ慈悲があった。ここまで来ても罪悪感を認めない卯月の姿は、とにかく癪に障る。酷い目に遭っても、あまり哀れとは思わない……実の姉に殺されかけたのは、少し同情するが。

 

「これで以上。卯月が誰からも徹底的に嫌悪される理由よ」

「理解したぴょん。うーちゃんは皆が作った過去も、夢見てた未来も壊したってことだぴょん。そりゃ恨まれるぴょん」

「……憎まないでって言葉、撤回しておくわ」

 

 ここまでされて恨みの欠片も抱かないのは無理だ。大井が同じ立場だったら誰かしら恨む。迂闊な発言を後悔した。

 しかし卯月は突然、ヘラヘラしながら笑い出した。

 

「ははは、そんな必要はないぴょん。『納得』は得られたし、相応の罰を受けるってんなら、うーちゃん文句はないぴょん」

「そう?」

「うんうん、こんなことで憎むなんて無様過ぎるぴょん。それに」

 

 スウッっと息を吸い込んだ。一拍置いて、卯月は──絶叫した。

 

 

 

 

「ざぁぁぁぁっけんじゃねぇぞッ!?」

 

 

 

 

 軽巡寮中に響いているんじゃないか、と疑う程の怒声が吹き荒れた。

 

「よくも、良くもこの『卯月』を、ここまでコケにしたなッ! 許せん、ますます許せない。覚悟してろよ『敵ィ』! 地平線まで追いかけてでもテメェを見つけ出して、内蔵引き摺り出しシズメテヤルゥゥゥゥ!!」

 

 気のせいだろうか。卯月の瞳が()()()()()()()()()()()()()

 そんなのは些細なこと。

 大井はあっけに取られていた。

 あれだけの扱いを受けていて、尚、憎むべき対象を見誤っていない。全責任は『敵』にあると考えている。

 

 プライドが高いのも理由の一つだが、その反応は卯月自身が壊れないためのやり方だ。わたしのせいだと認めてしまえば、心が押し潰されてしまう。卯月は認めない。徹底的に認めない。卯月のせいでも、ましてや神補佐官でも誰でもない。『敵』が全部悪い。実際そうなのだから。

 

 彼女の反応。満潮は既視感を感じていた。まだ事情を知らなかった松型姉妹に迫害されていた時も、突如としてプッツンした。

 ストレスを表に出すのはカッコ悪い。しかし溜め過ぎるのもカッコ悪い。だから一定のラインを越えると、噴火する。そういうやり方で、彼女は精神を安定させていると、満潮は気づいた。

 

「ぜぇー、ぜぇー、ファッキューだぴょん……だから、ぜーいん、黙ってろぴょん!」

「……ん、卯月?」

「これ、発作起こしてるわね」

 

 キレ散らかしてて気づくのが遅れた。卯月の目は真っ黒だ。光を宿していない。あらぬ方向を向きながら、いない人に向けて話している。

 どんな幻を見ているのか。恐らくは恨みつらみの言葉。卯月が無視している罪悪感が形になって襲い掛かっている。

 

「うーちゃんは、違う……仇は、わたしが、討つから……黙っていろ……!」

 

 だが、幻の犠牲者たちにも同じことを言い続けていた。前に言ったのと同じ言葉。もし仮に贖罪が必要なら、それは『敵』を打倒することで成すと。五感が狂い、畳に倒れ込んだ卯月を介抱しながら満潮はうわごとを聞いていた。

 

「これが、例の発作なのね……」

 

 突然発狂した卯月を、大井は心配そうにのぞき込んでいる。悪いヤツじゃない。人を普通に心配できる。前科持ちでも安直に恨まない。むしろ良い人だ。それはそれとして、気になることが一つあった。

 

「大井さん、()()()()()?」

D-ABYSS(ディー・アビス)のことなら、そうだけど」

「どうして知ってんの。金剛が漏らしたの?」

「え、北上さんから聞いてないの」

 

 北上というのは、当然前科戦線でメカニックとして働いている、義足の北上のことである。

 

「事情は聞いていると思うのだけど」

「はぁ? 北上ってこっちの北上? ならなにも聞いて……」

「あった筈だけど」

 

 そういえば、バスに乗り込む直前、言われた気がする。『宜しくね』と確かに言っていた。満潮は思い出した。あれはつまり『大井に宜しくね』という意味合いだったのだ。分かりにくいはバカと内心罵る。

 

「北上さんから面倒見て欲しいって連絡あったの。立場上大変になるから、少し気を使ってあげることにしたの。北上さんの頼みを断る理由なんてないし」

「北上が言ってなけりゃ、アンタも私たちを迫害した訳ね」

「まあ、前科持ちに思う所はあるけど、北上さんの仲間。真正面から侮辱しやしないわ。思う所はあるけど」

 

 二回言いやがった。好んではいないのだ。卯月は納得する。違法賭博開いている奴とかアル重を好きになる奴はいない。

 

「……そもそも、知り合いなのかぴょん」

「卯月、起きたの」

 

 発作から復旧した卯月が、疲れた声でそう聞いた。もう介抱の必要はない。満潮は卯月を膝から叩きだす。卯月はヨロヨロちゃぶ台にしがみつき、なんとか顔を上げた。涙目だし目は虚ろだが、多少は回復した様子。怒りをぶちまけたお蔭だった。

 

「どうなんだぴょん」

「そうよ」

「北上の出身地って、この鎮守府だったのね」

「違うわ。わたしと北上さんは別の鎮守府にいたの。新しい鎮守府が出来るっていうから、移籍してきただけよ」

「移籍って、珍しいわね」

「そーなのかぴょん?」

「常識よ知らないのバカなのアンタ?」

 

 艦娘の移籍はあまり多くはない。今回金剛たちが前科戦線に派遣されたように、短期間の貸し借りぐらいならあるが、完全な移籍は珍しい。

 何故かと言えば、下手をしたら人身売買の温床になりかねないからだ。鎮守府の間にも強弱関係はある。資材提供の見返りに優秀な秘書艦を──なんてことも黎明期にあった。この反省を踏まえた結果である。

 

「それ、北上の足がないのと関係あんの?」

「……あるわ、ええ、あまり言いたくないけど」

「おい、あまり聞くなぴょん」

 

 明らかに大井は辛そうな顔をしていた。迂闊に聞くバカを卯月はどついた。傷口を抉るような趣味はない。

 

「構わないわ、悪いのは私なんだから……と言ってもありきたりな話よ。戦闘中ピンチに陥った私を北上さんが庇った。そのせいで両足欠損、北上さんは引退。わたしは負い目を感じて、自主的に転属ってこと」

「なるほど、確かにありきたりぴょん」

「当時の北上さんは最強に近かった。私からしたら、武蔵や雪風より強く感じた。そんなあの人を引退に追い込んじゃったの……今も後悔してる、責任も感じてる。今更どうしようもないって、割り切ってはいるけどね」

 

 どことなく影を感じる物言いだが、引き摺っている訳ではなさそうだった。実際そうだろう。本当に引き摺ってたら、連絡を取り合ったりはしないから。傷は深いが、それでも今はこうして生きている。

 

 大井のその姿を、羨ましく思った。何時か──何時か私も、もう少し明るく生きられるのだろうか。いいや、そうなるべきだ。以前そう誓ったのだから。過去の傷を引きずり続けるのは、カッコ悪いから。




艦隊新聞小話

 現役時代の北上様は、艦娘の中では上から三番目ぐらいに強かったらしいです。夜戦カットインで無数の姫級を葬り去ったそうですよ。大井さんは相棒として活躍されていたとか。
 二番目は立ってるだけで炎の雨、嵐、雷、吹雪などの天変地異が起きて、敵が滅亡する雪風。一番強いのは基地型深海凄艦を、素手オンリーで島諸共沈めた逸話を持つ武蔵と言われています。

 うーん、一番と二番は、艦娘なのでしょうか?


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第82話 嚮導

 藤鎮守府にいた睦月型の姉妹と出会い、ますます心に傷を負った卯月。大井と話した後、敵への怒りをぶちまけて多少スッキリしたが、やはりナイーブになっていた。

 

 しかし、気晴らしをしようにも、迂闊に出歩けば殺される。大井の私室の入り口には波多野曹長がいるから安心だが、外は危険まみれ。いきなり襲われやしないだろうが、怖いものは怖い。

 

 結果、卯月たちは筋トレをすることになった。

 

「なんでっ!?」

 

 練習嫌いの卯月が泣き叫ぶ。

 

「訓練をサボると身体が鈍るから」

「嘘だっ、うーちゃんは信じないぞ!」

「この子、いつもこうなの?」

 

 大井は呆れ返っている。満潮もだ。だがそんなことは知らん。出先でぐらい休ませろ! 

 真面目な訓練は一日しかやってない分際で、彼女は正統性を訴える。

 

「それに、大井さんの迷惑だぴょん!」

「相部屋でもないから好きに使っていいわよ」

「ぎゃぴょん!」

 

 奇っ怪な悲鳴を上げて卯月は気絶した。満潮による速やかな踵降ろしが腹へ直撃。

 

「あ゛ーっ!」

「ありがとう大井さん」

「本当よ、北上さんの知り合いだから、ここまでするんだからね」

 

 激痛にひっくり返ってる卯月を叩き起こして、満潮は筋トレを始めた。ヒンヒン泣きながら卯月も参加(強制)していた。大井は自前の本を読んで時間を潰す。

 

 腕立て伏せにスクワット、腹筋にブランク。満潮は余程暇なのか、思い付く限りのトレーニングを片端から行う。最初はともかく、少しやっただけで腕も足もプルプル震えだす。息が持たない。ついていくので精一杯だ。

 

「マゾなのかなぁ……」

「なんか言った?」

「満潮はマゾなのかぴょん?」

 

 満潮はニッコリ笑った。

 

「セット数倍ね」

「ナンデ!?」

「イラついたから」

 

 なんて奴だろうか。彼女の脳内辞書には『気遣い』という単語がないに違いない。深海棲艦なんて比じゃない邪悪な存在だ。なんて呪っても訓練が優しくなる筈もない。卯月は死んだ目でトレーニングを再開しようとした。

 

「待って」

 

 本を読んでた大井が、怪訝そうな顔でこっちを見ていた。

 

「なに?」

「アンタたち、ずっとそうやって訓練してたの?」

「そうよ、大体自主練。それがなに」

「前科戦線って、北上さん以外に、球磨姉さんと那珂がいたわよね。教えてもらわないの」

 

 二人は顔を見合い、頷いて答えた。

 

「まったく」

「うーちゃんは着任した頃ちょっとだけ」

「……そう」

 

 大井は奇妙な顔をしながら唸っていた。困っているような、怒っているような、色んな感情が混じっている。なんとも困惑した様子で、しばらく俯いていた。

 

「あなたたち、それじゃ強くなれないわね」

「「……あ゛?」」

 

 二人の表情はまったく同じ。いきなりとんでもないことを言われ、頭にきていた。「弱い」と言われて喜ぶ駆逐艦なんて、この世に存在しない。

 とはいえ、罵倒してる訳ではない。

 思いっきり睨み付けながらも、冷静に次の言葉を待つ。

 

「ハッキリ言って非効率極まりない。見てないから断定しないけど、どうせ力尽きるまで走り込むとか、そんなことばかりやってるんじゃない?」

「やらされたんだぴょん!」

「アンタはそれ以前の問題でしょーが!」

 

 訓練をサボり続けた怠け者が卯月だ。まず腐った性根から叩き直さなければならない。満潮はそう考えていた。しかし大井は冷静にそれを否定した。

 

「根性は必要よ、でも、時間がないんじゃないの。北上さんから聞いたわ、いつ戦いになってもおかしくないって」

「そ、そりゃそうだけど」

「卯月、貴女、今ので秋月に勝てると思うの?」

「善処します」

「しばくわよ?」

「ごめんなさい……ぶっちゃけ分かんないぴょん」

 

 秋月とはまともな戦闘をしてない。卯月はD-ABYSS(ディー・アビス)の反動で動けなかった。戦艦水鬼を蜂の巣にしたが、彼女は卯月たちの猛攻で瀕死だった。

 どちらも万全の状態で交戦した時、どうなるかは全くの未知数だ。

 

「じゃあ答えを言う。勝てない。絶対に。生きて帰ることさえ不可能よ」

「むぅー、うーちゃん、そこまで弱くないぴょん!」

「なら実証しましょうか」

「へ?」

 

 大井は椅子から立ち上がり、部屋の外へ出ていく。ついてくるよう卯月たちへ促す。これはつまり、そういうことか。『演習』をするという訳か。

 

 けど、そこまで私は弱いか? 特効とかシステムとか要因はあるが、姫級三隻と戦ってまだ生きてる。言われるほど戦力外ではない筈だ。認められていないようで、なんか腹が立つ。

 

「いい機会だわ、酷い目にあってきなさい」

「いや満潮貴女もだけど」

「は?」

「貴女も死ぬわよ。その内」

 

『なに言ってるんだコイツ』とでも言いたげな顔でフリーズする満潮。大井の言葉の意味を理解した途端、怒りが吹き荒れた。

 

「侮辱は、許さないわよ」

「事実を言ったまで。違うのなら、実証できるわね」

「下らないけど付き合ってあげる、その舐めた態度、後悔させてやるわ」

 

 満潮と一緒に演習。凄いやる気が薄れていく。けど一利ある。侮辱されたまま黙ってはいられない。大井はボコボコにすべきだ。否、しなければならない。

 

「じゃあ行くわよ」

「このうーちゃんに戦いを挑んだことを、後悔して泣き叫んでわめき散らしながら平伏するがいいぴょ」

「大井さんもう行ったわよ」

「……チッ!」

 

 まあいい。奴の運命は決まっている。この卯月の勝利が揺らぐ可能性は微塵もないのだから! 

 

 

 

 

 卯月が自信をつけたことは、自然な流れだった。

 本来『姫級』とは、極めて撃破困難な相手である。砲撃、雷撃、装甲、どれ一つを取っても規格外なモンスター。間違っても素人が倒せる敵ではない。

 

 しかし卯月は倒した。倒してしまった。

 仲間の助けや、特効の作用、D-ABYSS(ディー・アビス)の解放。特殊な要因はあるが、結果として勝ってきた。それも三隻もの相手に勝ち残って()()()()

 

 だから無理もない。本来の実力を越えた、蛮勇を覚えてしまうのも。

 

 特殊なことが起きない、普通の戦闘を、初めて行った。結果は分かりきっていた。

 

「このうーちゃんの勝利だぴょんっ!」

「敗北よこのアホッ!」

「いやだ、認めんぞっー!」

 

 卯月は海面に倒れ付し、全身ペイント弾でカラフルになっていた。塗られていない所がない。一ヶ所もない。実戦だったら肉片さえ残らず沈んでいる。

 

 認めようとしないが見ての通り。完全敗北だ。一緒に戦った満潮も似たようなもの。卯月より被弾してないが、七割ぐらいが色まみれ。敗北だった。

 

 ちょっとワーワー喚き、敗北の屈辱を発散して、気持ちを落ち着けさせる。

 

「……まあ、うん、ここまで酷いかぴょん」

「そうよ、実証されたわね」

「……かすり傷もないなんて」

 

 見下ろす大井は無傷だ。ただの一ヶ所も被弾していない。二人がかりで戦ったのにこのザマとは。流石に泣きたくなる。増長気味だった自信は見事にへし折られていた。

 

 まず卯月の攻撃は一つも通じなかった。砲撃も雷撃も射線を見極められて回避、どころかギリギリのところを突かれ接近を許し、逃げ場のない大量の雷撃でやられた。

 

 満潮はもう少しマシだがそれだけ。腰だめからの速打ちも、すぐにその速度に対応された。ある程度は持ちこたえたが、その回避行動は誘導されたもの、見事に作戦にド嵌まりしてやられた。

 

 連携をしてみても、意志疎通のタイムラグを突かれて終了。悉く通じず、ボロ負けであった。

 

「昔、練巡もやってたことがあるから分かったの。たかが雷巡一隻にコレじゃ、死ぬわよ、本当に」

「うー……」

「まあ、まともな指導役がいなかったんじゃ、しょうがないとは思うけど」

 

 結局のところ、卯月たちの訓練は素人の猿真似でしかない。特に卯月だ。神鎮守府で基礎訓練しか終えてないせいで、そういった練度が欠如している。ここまで生きてることが半ば奇跡に等しい。

 

「貴女たちいつ帰るの」

「明日って聞いてるぴょん」

「じゃあ半日はありそうね」

 

 不可解な発言に、卯月は首を傾げた。今は三時ぐらい、もう夕方に差し掛かる頃。そんな時間がどこにあるんだろうか。

 

「まさか」

「感謝しなさい、不眠不休で手伝ってあげる」

「御遠慮するぴょん!」

 

 卯月は背中を向けて一心不乱に走り出した。今まで生きていて最も速い速度が出ていた気がした。

 しかし軽巡からは逃げられない! 

 

「駄目よ」

 

 一瞬で真正面に回りこまれ捕縛。疲弊した身体で逃げられる訳がなかった。ならば命乞いだ。きゅるんと最大限愛くるしい小動物的瞳で許しを請う。

 

「キモイわね」

 

 大井の一言は卯月のメンタルを粉々にした。ハイライトの消えた目で倒れ伏す卯月。満潮は平静さを装っていたが、内心震えていた。一晩中って、あり得ない。きっと冗談に違いない。しかし彼女は知っている。こと訓練関係で虚偽を述べる軽巡なんていないことを。

 

 

 *

 

 

 満潮の懸念してた通りになった。夕方からぶっ続けて、一切休息なく訓練が行われた。撃たれ転ばされ沈められ。ボロ雑巾よりも酷い有り様になっている。

 

 死ぬか否か。いややっぱり死ぬんじゃないか。もう生きてるんだか死んでるんだか分からないぐらい疲労して、ようやく訓練から一時的に解放された。

 

 足取りも覚束ない。埠頭へつくと同時に倒れこむ。上陸する気力さえ残ってない、滑り落ちて溺死しないよう、もう少し奥まで這いずったが、それが限界だ。

 

「はい、これでも齧ってなさい」

 

 大井はビニール袋を渡す。中には二人分の最中とボトルのお茶。お菓子を独占しようとする元気もない。無言で最中に食らいつき、血と汗と餡でベタつく口内をお茶で洗い流した。

 

「あ、あ、うぁー、美味かったぴょん」

「そうね……」

「伊良湖の最中。感謝しなさい」

 

 甘いものを食べると元気が出る。ましてこの身体は乙女。甘味に目がないのは当然だ。ちょっとだけ元気が出た。話すエネルギーは取り戻せた。動く力は足りないが。

 

「休んだらまた再開」

「寝ていいかぴょん……」

「良いわよ」

 

 月明かりが見える。時間は丑三つ時に近い。本来なら寝る時間。日中ほぼ寝てたとしても体力が持たない。幸いそんなに寒くない。卯月は丸まって目蓋を閉じた。

 疲労極まっている。悪夢を見て、発作を起こすことはないだろう。

 

「おやすみぃ……」

「本当に寝た、信じられない」

「満潮も仮眠して良いのよ」

「そんなヤワじゃない」

 

 事実、卯月より疲れてはいない。休んではいるが寝たりはしない。大井は「そう」と呟くと、満潮の隣へ座った。埠頭に並んで腰かけてる状態になる。

 

「卯月はともかく、どうして私がこんなに」

「弱いから」

「……チッ」

 

 全身ペイントまみれ。ここまでボコボコにされた。認めるしかない。屈辱に顔を歪ませながら舌打ちをする。不満そうな様子に大井は苦笑いだった。

 

 なにより腹立たしいのは、それで強くなっている実感があったからだ。砲撃を回避できることが増える。より正確な位置に雷撃を叩き込める。大井は体力の限界ギリギリを見極めて、自分は息切れ一つせず指導を続けていた。満潮には体力の限界を見極めることができていなかった。

 

 どこまでできるか。最大の負担をかけられる適切な訓練。元練習巡洋艦は伊達ではない。それが苛立つ。わたしの自主練はなんだったのか。まるで今までの努力を否定されている気がする。歯ぎしりの音がギリギリと響く。

 大井は満潮を見て、少し戸惑った後口を開く。

 

「満潮……貴女」

「大井さーんっ! 緊急事態キタコレェーっ!?」

「な、なにごとだっぴょん!?」

 

 大井の発言は大声に遮られた。余りの大声に卯月も飛び起きる。遠くの方からこっちに走ってくる艦娘。息を荒げながら全力疾走。焦っているのが一目で分かる。ピンク色の髪の毛にメイド風の制服──ウサギ(?)めいた小型不明生物を肩に乗せた駆逐艦だ。

 

「どうしたんですか」

「む、おお、特務隊の方々。ここにいたんですね、手間が省けた。ぜぇ、ぜぇ……」

 

 夜なのにやかましい。大井は文句ありげだ。しかし大井は()()で彼女に話しかけている。どういう立場の艦娘なのか。

 その艦娘は息を整えると、卯月と満潮に向けて手を伸ばす。握手を求めていた。卯月はその手をすぐ取れなかった。睦月たちに拒絶された傷が後を引いていた。

 

「おっと、握手してる場合じゃなかったです!」

 

 と言って彼女は手を引いた。気を使ってくれたのだと卯月は気づく。

 手を握ることに抵抗感を覚えてしまった私が悪くならないように、向こうから方便を使って引いてくれた。気づいてしまったばかりに、申し訳ないと思う。だけど心の傷は深い。言葉に出さず、気遣いに甘えさせてもらった。

 

「初めましてお二人方、綾波型駆逐艦、九番艦の『漣』です。ご主人様の秘書艦をやらせてもらってます!」

「御主人……そーゆープレイかぴょん」

「そうそうセクハラスレスレのメイド服を夜な夜な着せられて、女同士の濃厚なネチャンネチャ──って言ってる場合じゃない!」

「やかましい奴」

 

 秘書艦だったのか。道理で大井が敬語で話す訳だ……だがこの話し方。彼女のノリは卯月に近かった。うるさいのは卯月だけで十分だ。満潮は心の底からげんなりした。何でコイツ来たんだよと目線で大井に訴える。

 しかし、大井の顔つきは真剣なままだった。

 

「漣さん、なにがあったんですか」

「そうです、ヤバいんです。本当に申し訳ないですけど、皆様方には直ちに出撃をお願いしたい!」

「サッパリ分からんぴょん」

「金剛さんたちの艤装、アレ海路で別途輸送してるの知ってますよね」

 

 緊急出撃があるのは分かる。軍事施設なんだから。けどなぜわたしたちが出ないと行けないのか。自分たちの鎮守府の危機ならば、自分たちが始めに動くべきではないか。若干冷酷だが、卯月はそう考える。

 漣も可能ならそうした。それができないから、卯月たちに頼み込んでいる。卯月たち以外が戦ってはならない相手が、現れたのだ。

 

 

 

 

「護送隊が()()に襲われてるんです!」

 

 

 

 

 復讐劇の第二ラウンド。その幕開けは余りにも突然だった。




藤提督の秘書艦は漣。ちなみに作者の初期艦も漣。肝心の提督は何時になったら出せるんだ。
大井は練巡の経験があるから、きっと指導は得意。
ずっと訓練を受けられれば順当にパワーアップできるんでしょうが……大井が鎮守府を離れられるかと言われると。


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第83話 救出

 夜間演習の最中に突然現れた藤提督の秘書艦の漣が告げたのは、金剛たちの艤装を運ぶ護送隊が、秋月に襲われているという緊急事態だった。

 予想だにしない事態に満潮は硬直する。まさかこんなタイミングで秋月が現れるなんて思っていなかった。疑問符しか浮かばない。なぜこうなっている。

 

「なんで護送隊が襲われてんのよ。どんなルートを通ったら秋月に発見されるのよ!」

「普通の安全なルートですよ。でも襲われてんです。だから緊急事態って言ったっしょ!」

「そんなのあり得ない。第一護送部隊がいるんでしょ。なにしてんの!」

 

 主不在の艤装の輸送なんて、深海棲艦からしたら絶好の獲物だ。だからこっちも航路は吟味するし、選りすぐりの護衛をつける。そいつらはなにをしているのか、精鋭部隊をつけなかったのだろうか、満潮には不可解でしかない。

 しかし、そんなこと気にしてる暇はない。どうでもいいことばかり言う満潮を、卯月はグーで殴り飛ばした。

 

「うっとおしいぞこのダボッ!」

「ぐぅっ……なにすんの!?」

「喧しいぴょん!」 

 

 護送部隊が襲われている、危機に陥っている、それだけで十分事足りる。重要なのは金剛たちの艤装を死守すること、こうなった原因なんて後で考えれば良い、考えている時間が惜しい。

 だが戦力は必要だ。卯月は確認を兼ねて漣に問いただす。

 

「漣、出れるのはうーちゃんたちだけって言ったけど、それはシステムのせいかぴょん?」

「そうです、申し訳ねぇ。あれはまだ軍事機密扱いでして、存在を知っていい面々は限られてんです」

「『納得』したぴょん、今すぐ行くぴょん!」

 

 D-ABYSS(ディー・アビス)は未だに未知のシステムだ、なにがどうなってあんなのが作動してるかは誰にも分からない。

 

 分からないから、好き勝手に解釈できてしまう。

 

 大本営が危惧してるのはそこだった。

 艦娘を洗脳する装置として解釈するならまだマシ。

 人によっては艦娘の『本性』を暴き出す装置と思うかもしれない、そうなったら魔女狩りの始まりだ。

 艦娘の強化装置と思われたら、システムを使おうとする連中が必ず現れる。どう転んでも録なことにはならない。

 

 だから誰にも知られてはならない。卯月の造反が噂で広まっているように、隠しきれる内容でないとしても。知ってしまった人はともかく、システムの正体が暴かれるまでは極力隠し通した方が世のためになる。

 

 代償として誰の助けもなく、二人だけで秋月に立ち向かわなければならないとしても、その方が世のためになるのなら、卯月は迷いなく動くことができた。

 

「待ちなさい!」

「どうしたぴょん大井さん」

「燃料と弾薬は補給していきなさい。これは軽巡としての命令よ。工廠はあっち」

「明石さんには話通してありまっせ、補給の準備は済んでます!」

 

 手際が良い、ふざけた態度だが、秘書艦としてのスキルは十分あるということだ。

 卯月と満潮は急いで工廠へ向かう。幸い演習エリアと工廠は近かった。中へ飛び込んだ途端、無言で明石が艤装を回収し、すぐさま補給に取りかかった。

 

 明石はチラリと卯月を見る。今朝と同じように軽蔑と不信感が入り混じっている顔つきだ、本当に護送部隊を助けてくれるのか、信じていない様子。ほぼ諦めてるが辛い気持ちになる、どれだけ経ってもこの視線には慣れそうにない。

 

 顔を伏せた卯月に変わって、満潮が明石を睨みつける。

 自分たちにここまで悪感情を抱いているような奴に整備を任せていいのか、満潮は不安だった。見た感じ手抜きはしてなさそうだが、素人目では分からない所もある、不安はぬぐえない。

 だから、工作艦に対しては侮辱に等しい言葉でも、言わずにはいられなかった。

 

「アンタ、ちゃんと整備してよね」

 

 そこまでクソだとは思ってないが、整備不良で轟沈とか死んでも死にきれない。

 満潮の侮辱に対し、明石は一目で分かる程苛立っていた。しかし声を荒げることはなく、補給作業を進めながら淡々と答えた。

 

「仕事に私情を挟むほど腐っちゃいません。無礼な連中ですね」

「無礼で結構よ、さっさと終わらせて」

「言われなくてもやってます。貴女たちと同じ空間にいるのは、正直嫌なので」

「アンタの作業効率化に貢献できるなんて、前科を背負って良かったって初めて思ったわ、感謝しなさいよ」

 

 気まずい、なんてことを言いやがるこのバカは。

 被害が及ばないように、端で縮まりながら補給が終わるのを待っていると、工廠の外から慌ただしい足音が複数聞こえてくる。

 飛び込んできた艦娘たちは、松型姉妹たちだった。卯月たちが出撃すると聞いて、慌てて飛び出してきたのだ。

 

 金剛たちも本当は駆けつけたかったが、彼女たちまで動いたら()()になりかねない。どの鎮守府でも戦艦の存在は、良くも悪くも大きいから、騒ぎにならないよう我慢していた。

 

「ごめん、狙われてるのは私たちの艤装なのに、私たちが動けないなんて」

「いや別に、松たちがなにかした訳でもないぴょん」

「せめて、これを持っていって」

 

 松は持ってきた手提げ袋を渡してくる、お握りやパン、小さい水筒に入ったスープ等が中に入っていた。どれも片手で食べれるラインナップ。護衛部隊のところへ向かいながら食べれる、機能的なメニューだ。

 出来立てなのか、ほのかに暖かい。訓練のやりすぎで、腹が減って死にそうだった身体には、本当にありがたかった。

 

「だいたいは間宮さんが急いで作ってくれたんだ。一応言っとくが毒はない。剃刀もだ。俺たちで見てたから安心してくれ」

「間宮さんが……こりゃ、負けられないぴょん」

「間宮さんが伝言もあるよー、『お願いします』だって。やっぱり会うのはツラいみたいだった」

 

 それはもうしょうがない。

 自らが悪いとは一切認めていないが、ここに来たことで、他の人々がどう感じているかは理解した、わたしは誰にも許されやしないのだと。

 しかし諦めたりはしない、そんなことで無気力になるなんて、『卯月』のプライドが絶対に許さないからだ。気持ち的には辛いが、成すべきことは、成さねばならない。

 

「金剛さんたちも、『助けて欲しいデース』って言ってたぜ」

「素直ね……助けてって、別の言い回しがあるでしょ」

「建前を口に出す性格の人じゃないだろ?」

 

 確かに。卯月と満潮は頷いた。そうやって話している間に補給が終わった。

 明石から艤装を受けとる。少し休んだからか、多少は身体が軽くなっている、貰った食事を取れば、訓練で消耗した体力はかなり戻る筈だ。秋月相手でも、勝てなくても時間稼ぎならできる、時間稼ぎで良い、目的は護衛部隊を無事に帰投させることなのだから。

 

「ありがとう卯月、こんなことになったのに、戦おうとしてくれて」

「お礼なんていらねーぴょん、艦娘ならば、こんなことはジョーシキだぴょん!」

 

 仲間が危機に陥っている、それも一緒に戦い、背中を預けた仲間だ、助けない理由がない。ここで動かなきゃ、最悪なレベルでカッコ悪くなってしまう。

 

「行くわよ、二人とも」

 

 既に準備を終えていた大井が工廠の入り口で待っていた。

 

「あれ、大井さんは行くのかぴょん」

「わたしは事情を知ってる側だから、高宮中佐の了承は、波多野曹長経由でとってる」

「漣も行って良いッスか?」

「漣さんは多分提督が暴走すると思うので、それを止めといていください」

 

 暴走ってなんだよ。そう聞く暇はなかった。

 

「護衛部隊の場所まで案内するわ」

 

 秋月の戦闘能力は未だ未知数。戦力が多いに越したことはない。満潮は気に入らない様子だが、大井の参戦を拒否したりはしない。

 目にも止まらぬ速さで大井は出撃、卯月たちもそれに追従する。松たちは彼女たちを見送った。あっと言う間に遠のき、夜間ということもあり、その背中はすぐに見えなくなった。

 

 

 *

 

 

 深夜の海を、三隻の艦娘が走る。

 護衛部隊が襲われている地点は、大井によれば藤鎮守府からそう遠くない場所、鎮守府近海とも言うべきエリア。鎮守府ができた頃から何度も掃討が行われ、今では安全が確保され、輸送船や漁船が活動可能になっているような場所だった。

 

 ここで言う安全は、単に敵がいないという意味には留まらない。深海棲艦の侵入が()()()()()()という意味だ。

 深海棲艦が根絶され、艦娘が定期的に哨戒できるエリアは、鎮守府の『領域』と化す。艦娘たちを起点とした結界が構成され、深海棲艦は入ろうとしても、羅針盤が狂うように、あらぬ方向へ弾かれるようになる。レーダーや索敵機で基地を捕捉し辛くなる効果もある。

 これを繰り返し、深海棲艦から海を奪還していくのが、鎮守府の役割の一つである。

 

 そんな、安全が確約されたエリアに秋月は現れた。

 確かに、どれだけ結界を張っても、深海棲艦の侵入を完全に防げる訳ではない。それでもこれまで有効とされてきた護りが突破されてしまったことは、それだけ秋月──D-ABYSS(ディー・アビス)に呑まれた艦娘の脅威を意味している。

 

 鎮守府の結界が防げるのはあくまで深海棲艦だけ、艦娘は弾けないし、弾いたら帰投できなくなる。そもそも弾くことが前提になっていない、だから深海に支配されていても、艦娘である秋月は結界内に潜り込めた。

 この仮説が正しければ、これまで大本営が行ってきた海域解放の戦略は瓦解する。日夜本土爆撃が起きる暗黒時代復活待ったなし。

 

 最悪の事態を避けるためには、やはりD-ABYSS(ディー・アビス)を解明する以外に方法はないが、その為に必要なのはより多くの『サンプル』だ。卯月のシステムだけでなく、他のも調べないといけない。

 

「満潮、もし可能なら秋月を捕縛しようぴょん」

「はぁ? なんでよ、叩き潰して沈めれば良いでしょ。アンタそうしたいんじゃないの」

「うん、できれば生まれたことを後悔させてやりたいぴょん。水鬼さまをあんな風に殺したクズは許さない」

 

 わたしたちを庇って風穴だらけになった戦艦水鬼の姿が頭から離れない。心の底から敬愛する人を惨たらしく殺されて、怒り狂わない人はいない。しかしそんな個人的感傷を表に出してたら、本当の願いが叶わなくなってしまう。

 

「だけど、秋月も被害者かもしれない。何にも分からないから断定できないけど、もしもそうだったらうーちゃんは自分が本当に許せなくなる。本当に造反行為をしちゃったうーちゃんを拾ってくれた中佐に会わせる顔がないぴょん」

 

 卯月も秋月と同じだ、いや彼女より酷い。鎮守府の艦娘と人間を殺し回り、数十年培ってきた信頼を壊してしまった。弥生だけじゃない、卯月を憎む人は無数にいるにも関わらず、高宮中佐は卯月に生きられる道──地獄だったが──を提供してくれた。

 そのお蔭で助かったのに、似た立場の秋月に手を差し伸べない。

 そんな理屈は認められない、同じように助けなければならない。本心では殺したいが、最悪それは助けた後でもできる。まずは艦娘の本分を全うする。他は後で決めれば良い。

 

「中佐の意向はどうなってんのよ」

「そんなのうーちゃんが知る訳ないぴょん。大井さん、曹長経由で中佐と話した時、なんか聞いてないかぴょん」

「聞いてるわよ、『絶対に救助しろ轟沈させたら問答無用で解体する』って言ってたわ」

 

 思ったより過激であった。卯月と満潮は口角をヒクヒクさせながら苦笑い。勿論秋月に死んで欲しくないから、ではなくD-ABYSS(ディー・アビス)を搭載した貴重なサンプルだから。撃ち殺すなんて言語道断なのである。

 

「目的が護送部隊のしんがりってことを忘れないでよね」

「むー、分かってるぴょん!」

 

 間宮がくれた差し入れを食べきり、口を拭きながら答える、任務を忘れて私情に走るバカと一緒にしないでほしい。少し前に泊地棲鬼の単語を聞いただけで大暴走したことは綺麗サッパリ忘れていた。

 

「あと少しで、作戦海域に入るわ」

 

 大井の一言で空気が引き締まる、そこに入ったらいつ襲撃があってもおかしくなくなる、油断した艦娘が潜水艦の一撃で即死なんてのは良くある話だ。ましてや夜の海、奇襲の危険性が跳ね上がる時間帯、この辺りがまだ安全だと分かっていても緊張してしまう。

 

 それが功をなした。

 

「ん?」

「どうしたの」

「今、なにか、爆発したような……」

 

 立ち止まり、耳に手を当てて周囲の音をよく聞きとろうとする、夜の暗闇のせいでなにも見えない、音に頼った方がまだマシ。

 気のせいだと思うが、思うのだが、嫌な感覚が拭えない。

 

 

 

 

 瞬間、一寸手前が爆発した。

 

「なっ」

 

 紛れもなく、砲撃の一撃だった。当たれば即死レベルの威力に戦慄する。

 大井と満潮も卯月に合せて立ち止まっていたから助かった、進んでいなかったら直撃していた。

 死の恐怖に満潮は、反射的に数歩さがろうとする。

 その手を大井が掴んだ。

 

「そっちじゃない!」

「は!?」

「砲撃はまだ続いてるぴょん!?」

「前進して!」

 

 卯月が聞いたのは砲撃音。

 それも一発二発ではない。何十発分もの音が聞こえた、ほんの一瞬でそれだけの数の砲撃をしたのだ。

 大井の指示に従い、さっきのでできた水柱へ突っ込んでいく。

 

 直後、背後に無数の砲撃が降り注いだ。

 後ろに数歩でも下がっていたら直撃、全力で後退しても直撃だ。

 一発目が直撃すれば良し、運よく助かっても、竦んだり後退したところに直撃する。確実に仕留められるような、二段構えの攻撃だった。

 

「もう嫌、どうなってんの、安全って言ったでしょアンタ!?」

「ごめんなさいね、撤回する」

「この砲撃、間違いない、水鬼さまを殺した時の!」

 

 敵の姿は影も形も見えないが、奴はこの先にいると、確信が持てた。この砲撃は紛れもなく秋月のものだ。

 

「どうすんの、ここはもう、秋月の『射程距離内』ってことじゃない!」

 

 暗黒の中、異常な正確性で、雨霰のような砲撃が迫りくる。それを突破しなければ護衛部隊とは合流できない。

 その背中さえ確認できない中、秋月との戦いが始まる。

 降り注ぐ砲火の中へ、三人は飛び込んだ。



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第84話 突破

 金剛たちの艤装を運ぶ護送部隊が、秋月の襲撃に遭っている情報を聞き、夜の海へ卯月たちは緊急出撃。しかし作戦海域に入る手前で、いきなり秋月からの攻撃を受けることになる。

 

「護衛部隊ってどこにいんの!?」

「まだ先、急ぐわよ」

「急ぐって、これを突っ切るの!?」

 

 秋月の攻撃は一回では終わらない、ここで潰さんとするように、絶え間なく砲撃が降り注ぐ。夜戦なのに狙いも正確、高性能な電探を持っているのは間違いない。

 暗闇のせいで、目視も着弾寸前までできず、ギリギリのところで回避し続けるしかない。距離が遠く、撃ってからのタイムラグのせいで、狙いが少しだけずれるのが救いだ。

 

「どうなってるの」

「大井さん、どーしたぴょん!?」

「護衛部隊が今いる位置からここまでの距離は、戦艦の主砲でやっと届く距離なのよ」

 

 ありえないことが起きていた。

 秋月が護衛部隊のすぐそばにいたとしても、駆逐艦の主砲では射程距離が足りていないから、卯月たちの所まで砲撃は届かない。電探も同じだ、駆逐艦に乗る小型電探は策敵範囲外の筈。

 しかしこの砲撃は間違いなく秋月のもの、届かない筈の攻撃が届いている。狙いも正確、本来搭載できない大型電探クラスのレーダーが、どういう訳か使用できている。

 

「これも、D-ABYSS(ディー・アビス)の力ぴょん……?」

「確かに、深海棲艦の姫級って考えれば」

「戦艦級の射程距離に、大型電探が乗る防空駆逐艦……ふざけてんの!?」

 

 無茶苦茶なチート振りに満潮が悲鳴を上げた。卯月も大井も似た気持ちになるが、だからって退くつもりは微塵もない。ここで退くような奴は駆逐艦ではない。

 

「でも行くしかないわ」

「不幸! 不幸だぴょん!」

「クソが! クソが! クソが!」

 

 クソみたいな状況に変わりはないので、散々悪態をつくが、彼女たちの瞳の闘志は揺るがない。大井の気合いの入った指示と同時に、前へと踏み込む。

 

「総員突撃ッ!」

 

 視界を塞ぐような、怒涛の弾幕に身を投げ出す。

 喰らえば重傷間違いなしの攻撃、こんな攻撃にずっと晒されていた護衛部隊は、間違いなく大ダメージを受けている、轟沈者が出ている可能性さえある。怯んでいる場合じゃない、一刻も早く行かなければならない。

 

「速度を上げて、その方がまだマシ」

 

 大井の指示に従い速度を上げる。どうせ砲弾はギリギリまで目視できない、一々気にしてたら、いつまで経っても進めない。速度を上げて、狙いを外しやすくした方が幾ばくかマシになる。距離がまだ離れているお蔭で、弾幕の密度も回避できない程濃くない。

 

 しかし、距離が詰まっていくに連れて、それも困難になる。航行速度を速めたら、その速度を元に移動先を予測して砲撃が飛んでくる、タイムラグは縮まっていき、何度も砲撃が掠りそうになる。最大船速一辺倒という訳にはいかない、速度を変え、ジグザグに動き、狙いをつけられにくくするのが精一杯。

 

「ぐっ!?」

「大丈夫!?」

「だ、大丈夫、鼻血だけぴょん!」

 

 掠ってさえいない、鼻先ギリギリを通り過ぎただけ。それでもダメージが入る、砲撃に伴う衝撃波だ、至近距離を通過するだけでも攻撃になるのか。想像以上の威力に卯月は戦慄する。

 だが本当の恐怖は、ここからだった。

 

「熱っ!?」

「満潮が死んだやったぴょん!」

「こんな時に冗談ぬかすな、火傷だけ!」

 

 卯月と同じように満潮の傍を砲弾が通過し、衝撃波が制服の一部を焼き払う、ついた火は海水で直ぐ消化したが、装甲を兼ねた服が一部燃え尽きてしまう、その下の皮膚は軽く火傷を負っていた。滅茶苦茶である。

 その直ぐ後、大井にも攻撃が迫った。運悪く直撃コースを取っている。

 

「当たりませんよ」

 

 目視してから、瞬時に主砲を放ち、秋月の砲撃に砲弾をぶつける。軽巡級の主砲と駆逐級の主砲。サイズは軽巡の方が大きいので、普通なら秋月の砲弾が砕け散るが、大井はそう思わなかった。

 

 予想は当たる。砕けたのは大井の、軽巡クラスの砲弾だった。

 

 しかしそれを前提に大井は動いている、迎撃できなくても、当てれば軌道は逸れる。

 直撃する筈だった砲弾は、大井の足元近くに着弾し、海面を大きく揺らす。あらかじめ構えていなければ、足を掬われそうな程大きな波が発生した。

 

「大井さん、また砲撃音が!」

「ええ、聞こえているわ」

 

 ギリギリでも、目視できるなら迎撃できる。大井はそう考えた──だが、すぐに考えを改め、卯月たちへ指示を飛ばす。

 

「二人とも真っ直ぐ、五秒後に分散して秋月を目指して」

「え、あ、ほ砲撃音が!」

 

 もう砲撃されている、このまま行ったら直撃だ。卯月は大井の指示に戸惑うが、満潮が無理やり手を引っ張る。

 

「指示に従いなさい、アンタより戦闘経験ある人よ!」

「そうだった!」

「オイ」

 

 大井さんはわたしが気づいていない何かに気づいている、さっきもそうだったから信頼して良い。卯月は冷静になり、彼女の指示に従った。

 

 言う通り速度を緩めず、恐怖に内心震えながらも、真っ直ぐに突っ込んでいく。完全なる殺意があれば恐怖を感じても、揺らぎはしないが、まだそこまで高まらない。だから恐怖は、度胸で圧し殺す。

 

 卯月たちが突っ込む後ろで、大井は立ち止まり、二人が向かっている方の海面を凝視する。

 四秒経過。

 その時、大井が主砲を構えた。

 

「そこね」

 

 発射されたのは数発だけ。少ない砲弾は、卯月と満潮の間を掠め、その先の海面に着弾した。

 大井はなにをしている、当たりそうだった、なんで立ち止まってる──そんな疑念は、次の瞬間消し飛んだ。

 

 卯月たちの正面が大爆発を起こした。

 砲弾が落ちた衝撃ではない、ならば、正体は一つしかない。水面下だ。

 

「ら、雷撃ぴょん!」

 

 さっきの大井の砲撃が、雷撃を破壊してくれたのだ。助かったと気を緩めた時、卯月たちの両側面に、砲弾の雨が降り注いだ。当たらなくても、衝撃波と津波に足を浚われそうになる。

 

「なにが、ぴょん!?」

「五秒経過ッ、分散するわよ!」

「ぴょぇー!?」

 

 満潮は、秋月の狙いと、大井の狙いを理解していた。

 ここまでずっと主砲ばかり乱射していたことが一つの罠だ、秋月は駆逐艦、当然魚雷を使える。派手な乱射も威力も、それから意識を反らずためのもの。

 

 食らえば死ぬ、そう気づいたら、慎重にならざるをえない。主砲の音に怯み、回避行動を取ったら両側面の砲撃が当たっていた。

 降り注ぐ砲撃を抜けようと、速度を上げ真っ直ぐ行ったら雷撃の餌食。

 距離を取っても、速度が落ちた所に、回避不能の一撃が来ただろう。

 

「クソ、苛立つわね!」

 

 一人満潮は愚痴る。彼女自身も、雷撃のことが頭から少し抜け落ちていた。大井が雷撃を破壊するまで、秋月の狙いに、自分自身が気づけなかったこと自体に腹が立つ。

 しかし大井は重雷装巡洋艦、魚雷のスペシャリスト、比較すること自体間違っているのだが、満潮には艦種の違いなんて、どうでも良い、言い訳にしかならない。

 

「卯月、一気に距離を詰めるわよ!」

「言われなくても、やってるぴょん!」

 

 秋月の放った雷撃が、大井に破壊されたことで、巨大な水柱が何本も乱立し、卯月たちの姿を隠していた。電探を使われたらすぐ気づかれるにしても、少しなら位置を誤魔化せる。二人は水柱を突っ切った後、大井の指示通り二手に別れる。

 両方向に撃った砲撃の水柱に紛れ、一気に回りこむ。秋月は電探で位置を捕捉し、再度砲撃を繰り出すが、水柱で一瞬見失った遅れは大きかった。

 

 更に左右に別れたことで、狙いを集中できなくなる。卯月と満潮、両方に夥しい量の砲弾が撃ち込まれるが、さっきのような集中砲火と比べたら、まだなんとか回避できる範疇だ。速度を限界ギリギリまで上げて、狙いをつけさせないよう一気に突っ込む。

 

 近づいてきている、秋月もターゲットを絞る。

 二兎を追う者は一兎をも得ず。無理に二人同時に狙うより、一隻ずつ潰した方が確実、秋月が狙いを定めたのは、卯月だった。

 D-ABYSS(ディー・アビス)を乗せている卯月は、最大の手掛かりそのもの。卯月が死ねば、『敵』の追跡は困難になる。それに卯月は最弱の駆逐艦、仕留めるのは容易いと考えるのは必然だ。

 

 秋月は電探を使い狙いを定める。人一人分の逃げ場さえない弾幕が降り注ごうとした。

 

 しかし、それを阻むかのように、足元に無数の雷撃が迫っていた。

 雷巡である大井の放った牽制の雷撃である。

 

 防空駆逐艦の秋月には、即座に処理することができない。回避するために後退した結果、卯月たちへの弾幕が、一時的に緩和した。更に十分近づくこともできた。大井の情報が正しければ、この先に護衛艦隊がいる。

 

 チャンスは今しかない。大井が叫ぶ。

 

「卯月、満潮! 護衛部隊はその近くにいる筈よ! 貴女たちが探して!」

「秋月は!?」

「わたしが引き受ける!」

 

 大丈夫なのか、狙いが三人に分かれててあの猛攻、それが一人に集中したら、無事でいられるのか。不安でしょうがないが、卯月は一瞬目を伏せて、自分に言い聞かせる。

 

 そんなのはどうでも良いと。

 

 重要なのは、護衛部隊の救出、それが目的だ、結果を出せなければ意味はない。目を上げても不安は残っているが、心は落ち着いた。返事をするのも無駄、すぐさま護衛部隊の捜索を始める。

 

 満潮とアイコンタクトを取り、二手に別れて探し始める。夜で探しにくいが、五人分の艤装を運んでいたのだ、かなり大きい筈、大発動艇とか、それに近いものが浮かんでいる。見つけるのはそう難しくない。

 

 しかし、安全に探せるとは限らない。

 

「どわっ!?」

 

 卯月の足元に、高速の砲弾が飛来、海面がひっくり返り動きが乱れる。追撃を想定し主砲を構えた途端、礫のように攻撃が降ってくる。

 だが、狙いが甘い。どれも卯月の近くに落ちるが、命中しそうなものはない。誘い込まれている雰囲気もなさそうだ。卯月は一人礼を言った。

 

「そうか、大井さん、ありがとぴょん!」

 

 宣言通り、大井が秋月をおさえこんでくれている。砲撃が来ているので、完全に封じられてはいなさそうだが、護衛部隊を見つけるには十分、最低限度の警戒だけ残して、意識を集中させる。

 

 一刻も早く見つけないといけない、どんな状況なのか、そもそも生きているのか。護衛はもういなくて、水底で嘆いているのではないか。今にも死にそうな重傷で潜んでいるのか。考えるほど焦りが増していくが、頭の中は冷たく、落ち着ききっている。

 

「落ち着け……艤装はきっと無事だぴょん……」

 

 卯月は逸る気持ちを制御し、同じ所を二回も見て、時間を浪費しないよう、丁寧に探す。

 最悪護衛が死んでいても、艤装は無事だ。死ぬもの狂いで護ってくれた筈だ。そりゃ護衛にも生きてて欲しいが、優先順位は低くなる。

 

 しかし、時間はどんどん過ぎ去っていく。意識外へ追いやっても、降り注ぐ秋月の攻撃は集中力を削り取っていく。体感時間が長い、実際の時間はどれぐらい過ぎている。まだ見つけることができない。

 

「卯月、そっちにいたの!?」

「いないぴょん、いなかったのかぴょん!」

「だから聞いてんのよノロマ!」

 

 満潮にも発見できていない。

 卯月の焦りはどんどん高まっていく。緊張感が張り詰め、心臓が破裂しそうだ、死んでしまってるんじゃないかと、絶望感が膨れ上がる。

 なにか手段はないのか、なんで発見できない、大発動艇は結構大きいのに、やはり艤装諸共沈んだのか。

 

「どこ! どこにいるんだぴょん!」

「叫んでも意味ないでしょ、この砲撃で音なんて掻き消されている!」

「で、でも……返事してぴょん!」

 

 冷静さを維持するのも限界だ、敵を目の当たりにした時なら、殺意に収束させられるが、救出任務ではそうもいかない。自分自身が抱え込む、緊張と焦りとの戦いになる。卯月はそれに負けそうになっていた。

 

 砲弾は降り注ぎ、安否は全く分からず、視界不良で、大井がどれだけ持つかも分からない。

 初めて経験する救出任務としては過酷極まる。

 救助に向かえるのは、卯月と限られた人員だけ、わたしがやらなきゃいけない、その責任感だけで持たせていた──が、限界だった。

 

 その時、叫び声が聞こえた。

 

「……え?」

 

 砲撃の爆音を突き抜けて、ハッキリと聞こえた。ほんの一瞬だったが、卯月には誰かの叫び声が聞き取れた。

 卯月の思考は、今まで全く聞こえなかった音が聞き取れた衝撃で、困惑しきった。満潮は卯月が絶望して棒立ちしたと思った。

 

「なにボサッと突っ立ってんの!」

「み、満潮。今の聞こえたかぴょん」

「寝ぼけてんの、声なんてなにもないわよ」

 

 満潮には、聞こえていなかった。卯月にだけ聞こえていた。幻覚幻聴幻痛の持病持ちだ、また幻の可能性は否定できないが、それでも今の叫び声は、幻ではないような気がする。どうせ時間を使うなら、賭けてみるのも一つの手段だ。

 

「あっちから聞こえたぴょん」

「……そっちね、砲撃はわたしが警戒しているから、見てきて」

 

 卯月の話し方に妙な感覚を覚え、満潮も一旦協力した。

 航行速度を抑え、ゆっくりと、声が聞こえた方向へ舵を切る。どこまでも暗闇が続いているだけ、大発動艇の影も形も見えない。

 

 やはり聞き間違いだろうか、幻聴の症状が、戦闘中も出るようになってしまったのか。そう疑い始めた頃だった。

 

 足元に、なにか、柔らかい物が当たった。

 

 脚部艤装のスクリューが少し当たってしまい、抉れる感覚もした。なんだと足元を見て、卯月は言葉を失った。

 

「いた」

 

 水面下あったのは、ほぼ沈没寸前の大発動艇と、頭部がはじけ飛んだ艦娘の遺体、それが卯月のぶつかった物の正体。抉ったのは遺体の肉片だった。

 周辺にも同じように、原型を留めていない艦娘の肉片が浮かんでいる。艤装を守ろうと秋月と交戦し、そして敗れたのだ。

 

「なんで、声が」

 

 既に、絶命していたように見える。死ぬ間際の叫びだったのか、なら何故満潮には聞こえていなかった。とにかく大発動艇を回収しないと、中の艤装が無事か確認しなければ。満潮もすぐに動こうとする。

 

 そこへ、衝撃波と共に、砲弾が飛来した。

 

 視界を埋め尽くす程の水柱が起き、動きを封じられる。視界が開けた時、砲撃のダメージで大発動艇は更に沈んでいた。

そして、艦娘たちの遺体が跡形もなくなっていた。

大発より、遺体すら消し飛ばされたことがショックだった。

 

 

 

 

「久し振りと、言えば良いんでしょうか?」

 

 

 

 

 深海棲艦のような鬼火を瞳に灯して、秋月がほほ笑んだ。



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第85話 化物

 秋月の猛攻をどうにか突破し、護衛部隊を探した卯月は、謎の叫び声に導かれ、護衛を見つけた。しかし彼女たちは細切れの肉片と化し、既に息絶えていた。卯月たちは間に合わなかった。

 

 艤装は、恐らく無事だ。

 大発は半分以上水没している、艤装も水に浸かってしまっているが、沈没も想定して、ある程度の耐水性は確保されているだろう。今すぐ引き上げて、持ち帰れば大事にはならない。

 

 最優先目的は概ね達成できた、なにも心配することはない。だが卯月は体の震えが止まらない、ショックを隠し切れない、艤装は無事でも、それを護ろうとした艦娘たちは、海の藻屑になってしまった。

 

「どうかしたんですか、ひょっとして怯えているんですか?」

 

 瞳に、深海棲艦の鬼火を宿した秋月が、背後に立ち塞がる。

 卯月と同じ、D-ABYSS(ディー・アビス)を宿し、それに呑み込まれ堕落した、深海棲艦の尖兵と、二度目の邂逅を果たした。

 

 震える声で、秋月に問いただす。分かりきったバカな質問だった。

 

「お前が、やったのかぴょん」

「ええ、殺しました」

 

 秋月は、息をするのが当然であるように、あっさりと告げた。ニヤニヤと笑いながら、卯月の反応を見て楽しんでいる。

 大井はどこか、無事なのか、暗闇のせいで分からない。分かるのは大井と戦った秋月は、未だに無傷ということだけだ。

 

「良い顔ですね」

「なに?」

「さっきの皆さんも、似たような顔だったので。絶望に塗れた、面白い表情でした」

 

 それは挑発ではなく、紛れもない本心から発言だ。同じ艦娘に襲撃を受けた。まともな抵抗もできない。増援も間に合わなかった。海面に浮かぶ焼けただれた生首には、絶望の顔が断末魔のように張り付いている。

 夜闇でも見える、無念の表情を見て、卯月の身体がより一層震えだす。

 

「貴女たちがもう少し早ければ、こうならずに済んだんでしょうね」

「アンタ……ッ!」

「いいんだぴょん、満潮、残念だけど事実だぴょん」

 

 本心からの発言だろうが、作戦としての挑発だろうが、どっちでもどうでもいい。秋月の言うことは確かに事実かもしれない。もう少し早く、あとちょっとだけでも、勇気を持って加速してれば、間に合ったかもしれない。もしもの話だが、可能性としてはあり得る。頭ごなしに否定はできない。

 

「うーちゃんたちの力不足、かもしれないぴょん」

「随分と素直ですね」

「ああ、だから正直に言っちゃうぴょん」

「なにが?」

「秋月、お前はおバカだぴょん」

 

 突然の罵倒に、秋月は面食らう。そんなもので激昂したりしないが、唐突だった。

 

「意味が分かりませんが」

「なら大バカぴょん、この人たちのお蔭で艤装は無事、戦力ダウンを狙ったんだとしたら、お前はもう、敗北してんだぴょん」

「はぁ、バカは貴女では? なんで生きて、艤装を持ち帰れると思っているんですか?」

 

 さっきまで震えていたのはなんだったのか、毅然と指を突き刺し、敗北宣言を突き付ける卯月に苛立つ。冷静さは失わない。しかし、自らが生還できると疑わない様子が、残酷な侵略者の秋月には気に喰わなかった。

 

「帰るっ! それ以外の選択肢はない。勝負は決まっている、この人たちとうーちゃんたちの勝利だぴょん!」

「好きなだけほざいてください、現実を突きつけて上げます」

「え? 現実? アレェ? どー見てもぉ、時間稼ぎ成功はしているぴょーん? おーい現実はどこだぴょーん?」

 

 指で眼鏡を作り、『見えてないんですか?』的ジェスチャーで、徹底的に茶化す。向こうは狂人だ、まともに付き合う気は全くない。

 卯月は、心の底から怒り狂っていた。

 会ったことはないが、金剛たちの艤装を守ろうとした彼女たちも卯月たちの仲間だ。仲間を殺されて、怒りに燃えない艦娘なんていやしない。

 

 怒りに支配された卯月の心は、漆黒の殺意に彩られる。洗脳されてるとか、浸食されてるとか、今現在気にする必要のない情動が封じられ、『敵』の抹殺に、理性が、感情が、感覚が動き出す。全てが合理化され、秋月抹殺マシンに変貌する。

 

 身体が震えているのは、『完全なる殺意』として昇華しきれていない、内なる怒りの余剰部分だ。怒り狂ったとて、すぐに『殺意』に至れるほど、卯月はまだ経験を積めていないし、そこまでも激情を秋月に抱けていない。だが戦うには十分。

 

「満潮、大発を、艤装をお願いするぴょん」

「分かってるわそんなこと」

 

 この場で大発を運用できるのは満潮だけだ。艤装は耐水処理されているが、長時間浸かってて良いことは一つもない。満潮はロープを水面から出てる部分に接続させて、大発を引き揚げていく。力任せにやってはならない慎重な作業、秋月が見逃す筈がない。

 分かりきっている、だから、卯月が立ち塞がった。

 

「卯月さんが、わたしを、止めるということですか?」

「そーゆーことだっぴょん」

「愚かですね、たかが姫級を数隻下したぐらいで、そこまで慢心するなんて。それにD-ABYSS(ディー・アビス)も『解放』されてない。勝てる筈がないというのに」

 

 それは、卯月も気にしていた。

 なぜかD-ABYSS(ディー・アビス)が作動していない。そもそも、なにがトリガーなのか良く分かってないのだが。これまで二回作動させてるが、なにが切っ掛けかは分からない。というか、発動前後の記憶が曖昧だ。

 

「ふははは、システムがなくても、うーちゃんはお前に負けない、いや、既に勝っているのだぴょん!」

「負けですよ、すぐに後ろの満潮ごと、そこの雷巡ごと──」

 

 秋月が唐突に、横の方向へ主砲を一発撃った。

 たった一発だが凄まじい威力がある。爆炎と衝撃波が海面を揺らし、暗闇の中に、大井の姿を暴き出す。

 

「撃ち落としてあげます」

 

 宣言を終えた瞬間、秋月の艤装──連装砲ちゃんという愛称がある半自律兵器だ──の、瞳のような部分が紅く燃え、無数の砲弾が四方八方に放たれた。

 

「チッ」

 

 必殺の雷撃を狙っていた大井は、秋月の弾幕に引き剥がされ、チャンスを逃す。完全な死角から動いたのに発見された、やはりレーダー装備で間違いない。これだけでも、夜戦の利点が潰れてしまう。大井は舌打ちをしながらも、更なるチャンスを作ろうと砲撃を繰り出す。

 

「海の藻屑となりなさいな」

 

 僅かな隙に、何発も砲撃が放たれた。命中弾と、両脇の逃げ道を塞ぐ弾。前後に逃げれば雷撃の餌食になる。

 

 雷巡だから、大井の砲撃はそんなに強くない。それを正確な狙いで補っている。有効打となるコースを描き、回避や迎撃を余儀なくさせ、魚雷を叩き込む機会をこじ開けるという、シンプルだが効果的な攻め方。

 

「言いましたよね、撃ち落とすと」

 

 しかし、秋月は大井が主砲を撃つよりも早く、かつ多くの対空砲を放ち、全ての砲弾を文字通り撃ち落としてしまった。それでも大井は止まらず、途切れないよう攻撃を続け、満潮が大発を回収する時間稼ぎに徹する。

 卯月もタイミングを見計らって、その応酬へ紛れ込み、手に固定された単装砲を叩き込む。相手は一人、大井と挟み込むように立ち回り、前後左右全方向からの攻撃で、押し込もうとする。

 

「無駄弾を増やすだけですよ」

 

 だが、それも全て、秋月は迎撃していた。

 電探を使って、全方向を知覚しているのはまだ良いとして、同時迎撃とはどういうことか。砲撃の威力も速度も異常だが、再装填速度も異常なことになっている。こちらが一発撃つ間に、秋月は数十発の砲撃が可能、後ろから来ようが、おかまいなしに叩き落とされる。

 

「当たらないぴょん!」

「ええそうです、空を飛んでいる物については、全て迎撃します。秋月は防空駆逐艦ですから」

「防空駆逐艦ってそんなんだったかぴょん」

 

 少なくとも至近距離からの砲撃を高角砲で撃ち落としたりはしない。卯月の突っ込みは意に介さず、迎撃が続く。

 

「ならこっちはどうなのよ」

 

 大井が呟いた時、攻撃は既に完了していた。

 名前に偽りなし、全身に取り付けられた魚雷発射管から、少し前に雷撃が放たれていた。大井が口を開いた時には、秋月に到達する寸前だ。

 対空砲で迎撃はできない、幾らなんでも、横から下へ砲身を向けることは、射角上不可能、当たる可能性は高いが。

 

「こうすれば良いんですよ」

 

 だが、秋月は全く予想できない方法で、迎撃した。

 

「こう、すれ、ばぁっ!」

 

 思いっ切り足を振り上げて、海面へ踵卸を叩き込み、小規模な津波で海面そのものをひっくり返してしまった。

 

「はっ!?」

 

 引っ繰り返った魚雷は、そのままそっくり卯月たちの方向へ。大井も予想していなかった迎撃方法に驚き、雷撃の処理が一瞬遅れてしまう。

 秋月は絶句する二人を見て、邪悪に口角を上げて微笑み、連装砲の照準を二人に合せ、弾幕を張った。

 

 D-ABYSS(ディー・アビス)の恩恵は、身体スペックにも及んでいた。一介の駆逐艦だった秋月の身体能力は戦艦──それも、姫級の戦艦と同じ次元まで引き上げられていたのだ。

 

 幸いか、津波などという方法でのカウンターだったので、精密性には欠ける。迫る秋月の砲弾から逃れるため、連装砲を必死で注視しながら砲撃。何発かが砲弾を掠め、直撃コースを逸れていく。同時に魚雷にも意識を向けて、当たらないよう動き回り、かつ秋月も狙っていく。

 

「精度が足りてないわよ!」

「うるせーぴょん言ってる場合か!?」

「練度不足には何度でも言うわ」

 

 大井の特訓の成果は、ある程度発揮されている。

 戦場では、あらゆる方向から攻撃が飛来する。砲弾、雷撃、空爆、果ては格闘から予想外の攻撃まで。

 駆逐艦にとってはどれもが命取り、ましてや姫級の攻撃を食らえば遺体も残らない。

 

 だから大井は、とにかく生存の為の第一歩として、全てを並行する手法を叩き込んだ。

 常に、全方位に、最大限注意を払えば。意識だけでも向けられれば回避率は向上する。

 どれかに意識を向けすぎたら、他のを喰らうような演習を繰り返し繰り返し、吐くまでやった。

 

 目的に対して、適切な仮想敵として立ち回れる、それが練巡である大井のスキル。ひたすら基礎的なスペック向上を行う満潮とはそこが違う。満潮は良い演習相手を演技できない。

 

 そして卯月は、秋月に運良く追従できている。あれだけの砲撃を裁きながら、当たるような砲弾を撃てている。

 とはいえ、卯月は一夜漬けどころか半日漬けのハリボテ、狂った砲撃を繰り返す秋月相手に、長時間持つとは思えない。

 

「どうしました、雷撃はもう終わりですか、他に出せる手はありませんか?」

 

 ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて挑発してくるが、大井は特に反応せず淡々と返す。

 

「貴女に見せる物は、特にないけど」

「全てってことなんですか、それで終わりなんですね」

「答える義務はないわよ」

「そーだそーだ! 黙秘権を行使するぴょん!」

 

 戦場にそんな権利はない。よく分からないことを宣う卯月はスルーされた。

 

「そうですか、ないんですね。それで終わりで良いんですね」

 

 秋月は愉しそうに話しかけてくる。卯月たちは不快感しか感じない。こちらを心の底から見下し、ゴミ同然と思っているのが伝わってくるからだ。そう思ってるのを隠そうともしていない、余裕丸出しなのも腹が立つ。

 

 というか、なんでそんなこと聞いてくる。

 

 

 

 

「では、ここからは秋月が、攻撃させてもらいます」

 

 

 

 

 秋月と連装砲の鬼火が、一際強く燃え上がった。

 

 二人の背筋が悪寒に震える。先ほどのカウンターの比ではない。凄まじい死の予兆を本能が感じ取る。

 

「連装砲ちゃん、やっちゃって」

 

 ケタケタ笑い声が聞こえた気がする。秋月の主砲が煌めいた。

 

 その瞬間、足元に砲撃が着弾した。

 

 二人は『ゾッ』とする。生命の危機が迫る。

 何故なら、発射から着弾までの時間が一秒もなかった。否、コンマ一秒もなかったからだ。

 

 秋月の本気の砲撃は、発射と着弾が『同時』だった。

 

 それはつまり、照準を合わせられた被弾が確定するということ。

 

「退避っ!」

 

 言われるまでもない、言うのを待っている暇がある訳ない。すぐさま全速力で逃げ出す。砲弾を乱射し、少しでも軌道を逸らしながら全力で逃げ回る。

 戦艦水鬼でさえ穴あきチーズにしてしまうデタラメ火力の上、照準が一致したら間違いなく命中、挙句速度向上に伴い威力が更に上がっており、トドメに連射力は据え置き。

 理解の彼方だ、D-ABYSS(ディー・アビス)とはなんだ、ここまで狂ったスペックになるものなのか。

 

「あは、ははっ、ははははは!」

 

 とても愉しそうに笑う秋月。彼女の目的は最初から、いやいつもそうだった。

 まず受けに徹する。なにが来ようがどんな策を記して来ようが全て撃ち落とし、打てる手が全部なくなったところで、攻めに転ずる。

 相手はもう、なにもできないと自覚している。その上で本気でなかったと気づかせた時、『絶望』の表情を見せてくれる。

 

「攻撃はどうしました、逃げてばかりじゃないですか!」

 

 卯月と大井には反撃する余力もない。逃げるのに全ての意識を傾けなければならない。照準が一致したらお終いだ。音速も越えた速度の攻撃に、ソニックウェーブの余波まで襲ってくる。

 

 しかも、これで、尚秋月は手加減している。

 一気に仕留めてはつまらないと、じわじわとなぶり殺しにするつもりだ。接近さえままならない、打つ手がない。絶望する気なんて全くないが、打つ手がないのも事実。こんな攻撃、時間稼ぎも限界がある。

 

「まだか、満潮ーっ!」

 

 卯月は成す術なく、確実に追い詰められていた。




アイザイアン・ボーン・ボウみたいな速度と、ベヘモスの16インチ(40.6cm)大型砲級の威力と、デモリッションガン・ガン・ハウザーモード並の射程距離と、ガトリング砲並みの連射力を持ってる10cm高角砲+高射装置×2門を装備した駆逐艦。

艦娘基準なので射程距離諸々は変わってるかもしれないですが、だいたいこんな感じですね。

どうやって倒すんだコレ。


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第86話 最悪

 D-ABYSS(ディー・アビス)を解放した秋月の戦闘力は卯月の想像を遥かに上回っていた。レーザービームもかくやという超高速の砲撃、姫級戦艦に匹敵する身体能力、どれもこれも化け物染みている。

 

「ふふ、いい表情。もっと見せて下さいね?」

 

 時間稼ぎどころか生存さえ怪しい、必死に生命にしがみつく卯月の形相を見て、秋月はとても愉しそうに嗤う。

 どうすれば勝てるのか、全く思いつかない。分かるのは掠めただけでも死ぬこと。未だに全力を出してないこと。それだけだ。分かったところで打開策も浮かばない。

 

「落ち着いて」

「これが落ち着けるかぴょん!」

「落ち着きなさい、時間稼ぎができれば良いのを忘れないで」

「んなこた分かってるぴょん!」

 

 任務内容は、金剛たちの艤装を無事送り届けること。満潮は既に大発動艇を引き上げ、鎮守府へ運搬している最中だ。

 しかし安心できない、秋月の砲撃は戦艦級の射程距離を誇る、大発を運びながらあんな弾幕に晒されたらひとたまりもない。秋月の注意がそちらへ向かないためにも、此処で戦わなければならない。

 

「残念ですけど、貴女たちの苦労は、徒労に終わっていますよ」

「戯言ね」

「本当ですよ、嘘を吐く理由なんてないじゃないですか。満潮さん……ですっけ? 彼女今どうなってると思います?」

 

 今秋月の攻撃は卯月たちに集中している、満潮が攻撃されていることなんてないと思うが。

 なにも分かってなさそうな卯月に、秋月は嗤いを堪えるので精一杯だ。言葉がしっかり聞こえるように、わざわざ砲撃を一旦止めて、口を開いた。

 

「今満潮さんは、イロハ級の群れに、袋叩きにあってます。私の電探がしっかりと捉えていますから」

 

 卯月の表情が確かに絶望の色に染まる。それを見た秋月の興奮は最高潮に達する。

 これが好きなのだ、必死に戦う艦娘の希望を踏みにじり、壊れている様を見ると、相手の全てを支配した気分になれる。心の底から幸せを感じることができる。連装砲ちゃんも主に呼応し、手をパタパタさせて喜びをアピールした。

 だが、卯月の近くにいた大井が、幸福感に水を刺す。

 

「分かった、貴女、弱いわね」

 

 なに言ってんだコイツ。

 秋月だけでなく卯月も同じことを思った。

 駆逐艦にあるまじき超スペックに始終翻弄されている、掠り傷一つつけられていない、これでなぜ強気な発言ができるのか。

 

「なにを」

「言うけど戦力的なことだけじゃない、頭もよ」

「わたしが、バカだと?」

「事実でしょ。貴女最初から『卯月』を狙って襲撃を仕掛けたのね」

 

 その時、連装砲ちゃんが、勝手に大井に向けて対空砲を叩き込んだ。

 

 目にも止まらぬ早打ち、発射と着弾がほぼ同じの、レーザーのような攻撃が無数に打ちこまれ、大井はたちまち爆炎に呑み込まれていった。

 しかしその行動は、大井の発言が事実だと証明しているようなものだ。

 

「大井さん!?」

「連装砲ちゃん、余計なことをしないで欲しいんですが」

「部下の制御も満足にできなかったの、人望もないみたいね、まあそんな性格なら当然でしょうね」

 

 大井の声に秋月は反応、彼女は爆炎から離れたところに、五体満足で立っていた。回避できない筈の攻撃が回避されていることに、秋月は平静を装いながらも、内心動揺していた。余裕を見せつけながら大井は告げる。

 

「貴女のレーダー、凄い索敵範囲ね。それで護送部隊を探知し、襲撃を仕掛けた──ってのは事実の一部分だけね」

「ど、どーゆーことぴょん」

「簡単な話、こいつはね、『内通者』が情報提供したんだって思って欲しくなかったの」

 

 内通者がいることは、既に確定している。D-ABYSS(ディー・アビス)を仕込んだ誰か──現状は千夜千恵子が容疑者だ──がまだ生きて活動している可能性も否定できない。

 しかしそれは諸刃の剣だ。内通者が動けば動く程、憲兵隊に察知される可能性は跳ね上がる、動くにしても何らかのカバーストーリーが必要になってくる。

 

「だから、あくまでこいつが勝手に電探で気づいて、襲ってきたって体にしたかった。そんなストーリーにしたもんだから、イロハ級を本命の卯月(あなた)に集中させられず、護送部隊に回す羽目になってんの」

「よくもまあ、推測だけでそこまでの作り話を」

「それ、推理モノで容疑者が最後に言うようなセリフなんだけど。ずっと侵略者してたから分かんないわね、ごめんなさい」

 

 それは全て事実であった。

 確固たる証拠こそないが、内通者は、卯月たちの来訪を敵へ伝えていたのだ。秋月たちにとって、金剛たちの艤装は二の次だ、ついでに破壊できればまあ嬉しい程度の価値しかない。

 艤装を襲い、卯月を単独、または少数で戦域に誘い出すこと。それが目的、卯月を抹殺できれば、内通者の身バレは些細なことなのだから。

 

「あと貴女弱いわね、戦闘力が」

「なにを根拠に」

「その策敵能力なら、護送部隊を追跡して、鎮守府をイロハ級たちと一緒に攻めることができる。なのにしない。秋月貴女、数の暴力には勝てないんでしょう。弱点は『継戦能力』ね」

 

 舌戦ではもう、大井は完全に勝っていた。絶対的な無力感を味わわせる筈が、逆にこちらの全てを見透かされている。

 少し考えれば分かることだ、あれだけ乱射すれば、どんなオーバースペックにしたって、()()()は早くなる。

 鎮守府を襲えば、そこにいる艦娘全員が迎撃に出てくる、敗北の可能性は高くなる。だからこんな演技をして、卯月だけを誘い出した。

 

「え、まじか、セコいやり方ぴょん」

 

 なんとか平静を装っていた秋月に、卯月の一言が止めを刺す。

 D-ABYSS(ディー・アビス)により、歪んで肥大化したプライドに、その一言は致命的だった。

 

「勘違いを正しておきましょうか。イロハ級を卯月さんへ集中させなかったのは、この秋月一人で十分だからなんです。それぐらいの足枷がなければ、戦いにすらならないんですよ」

「へー、やっさしーって、何言ったって戦力の逐次投入ぴょん。ハテ、やはりお馬鹿では?」

「喋るなと言った」

 

 醜悪な笑みは止み、無表情になる。これ以上話すことはないと。同時に砲撃が再開する──狙いは卯月だ、目的がバレたからこそ、隠す必要がなくなり、本命に狙いが定まる。

 

「ぎゃぁー!?」

 

 大井に分散してた攻撃が一点集中した上、なぶりごろす余裕もなくなり、全力で砲撃が降り注ぐ。

 合間を縫って攻撃するなんて余力は全くない、回避で精一杯、いやそれさえ不可能に等しい。

 

 恐れていたことが起きる、捌ききれなくなり、砲撃が身体を掠めた。とっさの判断で、なにも装備してない左手を犠牲にして、他を庇う。

 

「がはっ!?」

 

 しかし、それだけで、十分致命傷に足るダメージになった。

 砲撃が左腕を一撃で抉り飛ばし、彼方へ飛んでいった。衝撃波が全身を駆け巡り内臓へ到達、骨も左側を主に砕け、口から吐血してしまう。

 

 激痛に意識が飛びかけた、だが卯月は痛みを意識の外へ追いやり、航行を続行する。予想通り倒れそうだった場所に追撃が飛来した。大井に散々しごかれたお陰だ、意識が飛んでも何度も叩き起こされたおかげだ。

 

 だが左手が千切れたのが痛かった。卯月の身体はかなり小柄だ、数分と経たずに死に至る。

 

「黙らないから、こうなるんです。これで放置しておけば、出血死ですね」

 

 戦況が秋月側に一気に傾いた。卯月をここから数分間逃がさなければ、勝ちが決まったのだから。それにより優先順位が変化する。秋月の殺意は大井に向かう。鬼火を宿した眼光が、ギョロリと睨み付ける。

 

「次は貴女です」

「卯月より私を優先って、やっぱりバカじゃない」

「問題ありませんよ、どちらも死んで頂きますから」

 

 あれだけコケにされて、黙っていることはできなかった。任務上は卯月が優先だが、既に目的は達成したも同然。秋月は卯月などという、D-ABYSS(ディー・アビス)を使いこなせていないザコより、大井の方を殺したいのだ。

 

「もしくは、卯月に使う分の弾がもうないとかかしら。二人分を殺し切るだけの弾がもう残っていないとか?」

「貴女も黙らないんですね」

「可哀想な駆逐艦に付き合ってあげてるのが分からないのかしら?」

「余計なお世話ですよ」

 

 しかし大井の指摘はまた事実、大井を集中砲火し出したが、一発も卯月の方には行かなくなっていた。その隙を使って卯月はハチマキを解き、傷口を力いっぱい締め付けて止血する。それでも血が止まらない。どう動くべきか卯月は戸惑う。

 

 このまま大井の援護を行って役に立てるのか、さっさと逃げた方が良いんじゃないか。逃げ切れば秋月の目的は失敗に終わる。けど、それは大井を見捨てることに他ならない。仲間を見捨てる。『卯月』としてあり得ない行動だ。

 

「どうすれば……うぐっ……」

 

 最悪の選択肢だが、逃げる他なさそうだ。卯月はそう考え、撤退しようと試みる。

 

「逃がしません」

 

 だが秋月はそう甘くなかった。逃げようと後退した途端、すぐそこに砲撃が撃ち込まれた。大井と闘いながら、やや狙いが甘く命中しなかったが、衝撃波に吹っ飛ばされる。

 逃げることさえままならないと痛感する、後少しで弾切れに追い込めるのに、それまで私の命が持たないかもしれない。

 

 となれば、選択肢は一つしかなくなる。

 

「やるしか、ねぇって、ことだぴょん!」

 

 攻撃しまくって、弾切れを少しでも早める。それ以外に取れる手段はない。

 

 激痛を堪えて動き出す。気を抜いたら一瞬で意識が飛ぶ、脂汗が止まらない、身体が冷たくなってく感覚がする。歯を食い縛り、それら全てを堪えて砲撃を繰り出す。

 

「悪足掻きですか、フフッ、それもそれで良い表情ですね」

「余所見してる暇あるの」

 

 一瞬意識が卯月へ向いた隙を突き、大井は秋月の懐へ飛び込み、無防備な懐へ主砲の照準を向ける。

 秋月は気づいてる、気づいていながら、回避行動をとろうとしない。嫌な予感に駆られながらも、大井はトリガーを引いた。

 

「沈みさない」

 

 至近距離からの砲撃が、秋月の横腹を抉った。それは確かなことだった。

 

 だが、爆炎が晴れた後に立つ秋月は、軽い火傷しかダメージを受けていなかったのだ。

 

 艤装部分ではなく、生身の部分を狙ったにも関わらず。雷巡とはいえ、中口径主砲を撃ち込んだにも関わらず、まともなダメージになっていない。大井でさえ驚愕を隠せていない。

 

「驚いている暇があるんですか?」

 

 即座に秋月が、高速の砲撃を放つ。弾薬節約のために一発だけだが食らえば死ぬ。

 しかし大井も、こうなることは多少予想していた、想定していれば素早く動ける、照準が定まる前に距離を取り、致命傷を回避する。それでも衝撃波は防げない。

 

「くっ……」

「さあどうします? 次はどうします?」

 

 再び優勢に立ち、気分が高揚したのか、愉しげに挑発を重ねてくる。そうしながらも、二人への攻撃は忘れず、特に大井を殺すように砲撃を重ねている。

 逃げながらも大井は攻撃するが、狙いがつかずまともに当たらない。秋月の正面付近に散らばるだけだ。当たりそうな砲弾は、例外なく撃墜されてしまう。

 追い詰められている、しかし大井は真顔のまま呟いた。

 

「勿論、雷撃よ」

 

 その時秋月は、自分の正面が、雷撃に包囲されていることに気づいた。

 いくら電探を持っていても水中は探知できない、更に大井は視覚的に確認されないよう砲撃を放っていた。それは雷撃に当たらないよう、信管を刺激しない絶妙な位置取りでなければ、できない技だった。

 

「小細工ですか、それは無駄だって、わから、ないん、ですかぁ!」

 

 しかし、秋月には異常なフィジカルがある。小規模な津波を巻き起こさんと、再び片足を高く振り上げる。また雷撃が引っくり返されてしまう。

 

「自滅しなさい!」

 

 津波が起きる、魚雷が跳ね上がり、進路が大井の方へと変わろうとした──その時既に、大井は懐にいた。

 

「喰らいなさい」

 

 魚雷に砲身を定めた。魚雷の場所は秋月の眼前。

 撃ち抜き、爆発に巻き込もうとしたのだが、その目論見は秋月のデタラメなスペックに阻止される。大井が撃つより早く、秋月が撃ち抜いてしまった。より早く撃つために接近したのだが、それでも秋月の方が上だ。

 至近距離で爆発が起き、爆風も起きる、しかし秋月の主砲の衝撃波は、爆風をも弾き飛ばしてしまう。巻き込まれたのは大井だけだ。

 

「だから無駄だって言ったのに」

 

 爆炎の中に消えた大井を見て、秋月は呆れたように呟いて、眉を潜めた。

 

 まだ、電探に反応がある、それは彼女の背後にあった。あの爆風を、秋月の主砲を回避して、尚潜り抜けていたのだ。

 

「しつこいですね」

「振り返っても、ムダよ」

「無駄なのは、大井さん貴女の全てでしょう」

 

 その秋月を心から軽蔑している声が、彼女の背後から聞こえた。

 振り返るより先に、連装砲ちゃんが一瞬で旋回、大井を確認し即座に発射体勢に、多少距離は離れているが、既に回避不能。大井はあろうことか、そんな状態でもう一度突撃しようとしている。また至近距離でも雷撃を狙っている。

 

 照準が定まる、定まってしまう。強襲は間に合わない。

 大井の上半身が千切れ飛ぶ未来が、卯月には見えた。助かる算段はつけているのか、そうだとしても無事なのか。

 

「させるかぁっ!」

 

 大井が攻めてから、じっと様子見をしていた甲斐があった、危機に気づくことができた。旋回する連装砲の主砲前に置くように──それは駄目だ、威力で絶対に負ける。思考が早まる、どうすれば良いか、手段なぞどうでもいい、助けられれば。

 卯月の瞳が、黒く燃えた。

 

「受けてぴょん大井さん!」

 

 卯月が狙った先は、()()()()()だった。

 

「ありがとう!」

 

 大井は卯月の意図を察し、砲弾の前に、魚雷をばら撒く。砲撃は魚雷を破壊し、魚雷は更なる爆発を起こし、大井と秋月の砲撃両方を僅かにだが吹っ飛ばした。

 それ以外に方法はなかった、卯月の攻撃単体ではなにもできない、なら大井の魚雷発射管を撃ち、爆発を起こして、全部飛ばした方がマシだった。

 

 それでも全ては消せない、掠った砲撃は片手を容赦なく抉り、衝撃波が内部を傷つける。軽巡の意地でどうにか着地したが、たった一発で大破寸前の大ダメージを負ってしまった。

 しかしマシにはなった、本当なら、片手の魚雷発射管を犠牲に、爆発を起こして相殺する予定だ、卯月が撃ったお蔭で、まだ軽傷になった。

 

 そしてそこまでして、大井がやりたかったことは。迎撃不能な角度かつ距離からの雷撃だった。

 

 秋月のすぐ足元に、雷撃が迫っていた。

 

 気づいた時には遅い、魚雷を撃ち抜き、爆炎をスモークに背後に回り込んだ時点で、雷撃は発射されていた。視界に身を晒したのも、突撃姿勢を取ったのも、至近距離の爆炎も、眼下の魚雷から意識を逸らすためなのだ。

 

 高角砲の角度はこれ以上下がらない、津波は間に合わない。今まで余裕だった秋月の顔が、とうとう苛立ちに変化した。

 

 巨大な水柱が立ち昇り、秋月が爆炎に呑まれる。ちょうどそのタイミングで、吹っ飛ばされた大井が海面に叩き付けられた。

 

「大井さん!」

 

 秋月はともかく大井が心配だった。役に立てるか分からないが、せめて応急処置だけでもしたいと思う。

 

 近づこうとして、踏み出した足元に──()()()()()()()()()()()()

 

 新たな敵かと、卯月は足を止め、その先を見る。

 

 ここで、冷静になってほしい。

 この光景はどう見えるのか。卯月が大井を砲撃し、その直後秋月が水柱に包まれた。

 秋月の見た目は、ただの艦娘に過ぎない。ならば、敵対行動を取っているように見えるのは。

 

 その先にいた艦娘とは。

 

 

 

 

「少しだけ、信じたいと……思ってました……!」

 

 

 

 

 

 憎悪、失望、悲しみ。

 

 本当に裏切られたと思い、あらゆる負の感情を込めて、弥生が主砲を突き立てていた。

 

 それは、最悪に他ならなかった。




『内通者』は活用したいけど、活用させすぎるとボロが出る。
なので疑いが内側へ向かいにくくなるように、秋月が独力で電探で護送部隊を探知した――って体裁を取ったせいで、卯月を集中砲火できなくなる羽目に。
まあ、本人が言う通り、秋月単体でもやり過ぎなぐらい過剰戦力なんですがね。


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第87話 屈辱

 卯月はその場で固まり動けなくなった、どうすれば良いか、なにを話したら良いか分からなくなってしまった。

 卯月は大井に向かって砲撃することで、彼女を秋月の攻撃から護った。それは確かだ。しかし第三者から見たら、ただ大井を攻撃したようにしか見えない。

 ましてや、卯月を信用せず、悪逆無道の造反者と思っている人からしたら尚更だ。

 

 弥生はそうした内の一人だった。

 

 何故弥生がいる。彼女を含めて、秋月の襲撃は機密事項だから、だれも知らない筈なのに。

 

 とにかく誤解を解かなければ不味い、卯月はしどろもどろに話し出す。

 

「や、弥生、これは、その」

「動かないで……動いたら、すぐに、頭を撃ち抜く……」

「違うぴょん! うーちゃんは大井さんを」

 

 爆音が響き、卯月を髪を砲弾が貫き、ロングヘアーに風穴が開く。一歩も動けず固まる。弥生は更に敵意を滲ませている。

 

「次は……ないです」

 

 弥生は本気だった、喋ったり動いたりすれば、確実に当ててくる。本当に卯月を殺そうとしている。死の恐怖ではなく、姉にそんな感情を向けられたショックで動けない。

 

 しかし、怯えている場合ではない、そんな個人的感傷はどうでもいい。

 問題は奴だ。

 雷撃が直撃したようだが、秋月がどうなってるかまだ分からない。もしも生きて大井の近くにいたとしたら、弥生が危ない。

 

 動かなければならないが、迂闊に動いたら撃たれる。

 ホールドアップを続けながら、弥生は大井に近寄ろうとゆっくり航ている。応急処置をするつもりだ、その心は別に問題ない。しかし、その行為は最悪の選択だ。

 

「大井さん、大井さん……!」

「や、弥生!?」

「今行きます……動かないでください……!」

 

 大井も彼女の登場は予想外だ、悲鳴にも似た驚愕の声を上げる。

 近づいたことで、弥生は大井のダメージを把握し、焦りだした。それでも照準は卯月へ合わせたままだ。大井に鍛えられているのが分かる、今の状況だと最悪でしかないが。

 

「離れて、今直ぐに!」

「早く彼女を助けてください、弥生さん!」

「だ、誰……!?」

 

 卯月は最悪の光景を見た。大井の少し後ろから、()()()()()()秋月が現れた。あの近距離から雷撃を叩き込んで、尚無傷だったのだ。

 分からない、ダメージを通す方法が思いつかない。

 

 それよりも、なによりもヤバいのは弥生の安全だ。

 

 知らない艦娘に戸惑う弥生に、秋月は焦りながら叫んだ。

 

「わたしは秋月、艦娘です!」

 

 罠だと分かった。しかし止める手立てがなかった。

 

「大井さんは貴女を逃がそうと嘘を言ってるんです、早くそこの裏切り者から、彼女を助けてあげてください!」

 

 なんてことを言っているんだこいつは。絶句している間に、状況が進んでしまう。

 

「わたしが卯月を食い止めます、だから!」

「……うん」

 

 秋月は卯月が敵であり、自分が味方だと弥生を騙そうとしていた。これを言ってたのが深海棲艦なら騙されはしなかった、しかし秋月の見た目は艦娘と変わらない。唯一違う瞳の鬼火は、一時的にハチマキを下ろして見にくくしていた。

 

 宣言通り、卯月へ砲撃が降り注ぐ。しかも見えにくいが、同時に雷撃を発射して、大井が大きく動けないようにしていた。このままでは、弥生が接近できてしまう。

 

「弥生違う、そいつは」

「こい裏切り者、沈めてあげます!」

 

 頭に血が昇り血管が千切れそうだ、泊地棲鬼も駆逐棲姫もクソだったが、こんなことはしてこなかった──できるシチュエーションでないだけかもしれないが──初めて味わう、醜悪な戦術に、卯月の理性がブチブチと千切れていく。

 

「弥生! 違うって言ってるでしょ!?」

「ムダムダ、秋月の砲撃音で、大井さんの音は全て掻き消されてますから」

「逃げて、来ないで!」

 

 誰が弥生をけしかけた、自分から命令を無視して来てしまったのか。しかも秋月は無傷だ、絶望なんてするつもりはないが、焦りを止めることができない。

 

 弥生もまた、冷静さを失っている。卯月が本当に造反者だったことの怒りと、傷だらけの大井を見て。

 

 止めようと卯月は走るが、出血し続けた身体は満足に動かず、秋月の主砲に阻まれてしまう。

 

「捕まってください大井さん……今……治療を!」

 

 大井の声が聞こえる距離に到達した頃にはもう。

 

「敵は秋月よ!」

 

 弥生の位置は。

 

「残念、罠です」

 

 秋月の射程距離内に踏み入れていた。

 

「止めろぉぉぉ!」

 

 悲痛な叫び声は秋月には聞き入れられず、連装砲の全力砲撃が弥生と大井を呑み込んだ。誰が見ても回避できないと分かる至近距離、卯月は力なく、その場に膝をつきそうになるが、足を踏ん張る。この目で見るまでは信じない、沈んだなんて信じたくない。

 

「あははは! こ、こんな演技に引っ掛かるなんて。ふ、ふふふ、笑いが止まらないです!」

「秋月……ッ!」

「卯月さんも見ましたか? 貴女の姉は、とんでもない大バカだったみたいですよ?」

 

 秋月は腹が痛くなるほど笑い転げる。絶句する卯月がおかしくて仕方がない、撃つ寸前の呆けた表情に、背筋がとろけるような快楽が走る。何度やっても堪らない、何にも代えられない虐殺の心地よさに、秋月は頬を緩め恍惚とする。

 

「……う、うう」

 

 しかし、弥生の声が聞こえたことで秋月は動きを止めた。

 卯月もまた、弥生が生きていると気づく。朦朧とする意識を繋ぎ止め、煙幕の向こうにいる二人を凝視した。

 その時、弥生を抱えた大井が煙幕を突き破り、主砲を乱射しながら現れた。二人とも無事なのだ、少しだけ安堵した卯月は、すぐ後悔した。

 

 卯月は、自分の目を呪った。見間違えていた。無事などではない。弥生はほぼ無傷だ。しかし大井は大破──否、轟沈一歩手前のダメージを負っていたのだ。

 火傷だけだった身体には、砲弾の破片が肌や頭、首筋に眼球など、あちこちに突き刺さり出血している。片腕は衝撃波で折れて使えない、艤装のパワーアシストで動いているが、足の骨にも亀裂が走っていた。

 

「なに、やってんの……アンタ……!」

「大井さん……なんで……!?」

「なんではこっちよ……懲罰房に……帰ったら、本気で……怒るから……」

 

 未だに状況を呑み込めていない弥生は、ひたすら戸惑い続けている──その顔は、卯月に裏切られた時の菊月や仲間の顔に酷似していた──大井は怒りながらも、弥生を庇って逃走を図っている。弥生を庇いあの傷を負ったのだ。

 

「帰れる訳ないでしょう」

 

 目撃者を生かす予定はない、二人に追撃を浴びせていく。大井の反撃もあの重傷のせいで機能していない。

 

「特に弥生さんは死んだ方が良いのでは? バカな真似をして、先輩を危機に陥れるような無能は」

「……ッ!」

 

 ようやく状況を呑み込んだ弥生は、とんでもない過ちをしたと気づき、小さく震えていた。その様子を愉しみながら秋月は更に心を抉ろうとする。

 

「貴女のせいなんですよ、責任を取って、死なないと」

 

「ダマレ」

 

 電探が今までにない速度で飛来する砲弾を捉えた。

 

 すぐに意識を切り替え迎撃する。

 

 飛んできてたのは卯月の砲弾、撃ち合えば勝つのは秋月の方だ、威力が違う。

 だが、結果は想定を外れた。

 卯月の砲弾は多少だが拮抗した。砕かれず、射線がぶれただけ。卯月の攻撃は秋月の頬を掠めていった。

 

「オイ、オ前、今ナンツッタピョン」

 

 やたらとエコーのかかった声、そう、深海棲艦のような声を卯月が発していた。

 

「耳ガ死ンデンノカ、マアイイピョン。オ前今、『貴女のせい』ッテ言ッタヨナ?」

「……ええ、そうですからね」

 

 この場にいる全員が確かに聞き取った。脳の血管が千切れる音が間違いなく卯月から聞こえた。

 

 卯月は、少し懐かしい感覚に浸っていた。

 艤装との接続箇所から、得体の知れない泥のようなナニカが流れ込み、心が黒く染まっていく。

 怒りが止まらない、弥生に誤解されたショックが収まらない。

 激情と、混乱が抑えきれず、理性に入った亀裂にそれが染み込み、充足感と幸福感が自我を溶かそうとしてくる。

 

 だが、卯月はそれらを一切意に介さなかった。

 仲間を今すぐ殺し、人間も艦娘も欲望の赴くままに殺すために今まで生きてきた、やっと本当の自分になれたと分かっている。

 

 だがどうでもいい、そんなことは重要じゃない。

 わたしが成すべきことは、『敵』に復讐を遂げること。

 溢れ出す怒りが、一つの形へ収束されていく。熱く血の昇った頭が、冷たくなっていき、『殺意』が生まれた。

 

 快楽も、欲望も、動揺も、怒りも、『完全なる殺意』へ統括された。

 

 意志は確立された、蝕まれることはない。

 

「ヨクモ、弥生ヲ、睦月型ヲ侮辱シたな」

 

 卯月は顔を上げる。

 

 彼女の瞳には、D-ABYSS(ディー・アビス)の解放を意味する紅い鬼火が宿っていた。

 

「……う、卯月……なんなの、それは……深海棲艦……!?」

 

 弥生は混乱し切っている。卯月にはそれが理解できた、見た目だけだと、艦娘に擬態した深海棲艦にしか見えないからだ。自覚している。

 しかし、万一邪魔されたら溜まったものじゃない。申し訳ないが、リスクは排除すべき。肉親の情はあるが目的優先だ。

 

「ごめん弥生、寝てて」

「ッ!?」

 

 首筋に手刀を叩き込む。身体能力は上がっている。その一撃は弥生を一撃で気絶させた。絶望しきった顔をしていたが、仕方ないと割り切った。

 

「大井さん、お願いするぴょん」

「……生きてても、後が大変そうね、同情するわ」

「言わないで欲しいぴょん……」

 

 この後どうしよう。マジで説明する方法が思いつかない。まあ後で考えるしかないか。卯月は鬼火を燃え上がらせて、改めて秋月を睨んだ。

 

「死ねぴょん」

 

 足に力を入れ海面を蹴る。卯月は瞬きする一瞬で秋月の懐まで飛び込んだ。

 

D-ABYSS(ディー・アビス)が、なぜ今!?」

 

 驚愕する秋月には目もくれず、迷いなく主砲のトリガーを引く。秋月は身体をねじって寸でで回避するが、艤装に掠ってしまい、そこが赤熱し融解する。摩擦熱による現象に、秋月は顔を顰めた。

 

「通じる、通じるなら、殺せるな!」

 

 攻撃の手を緩めず、すぐさま二発目を顔面に合せ撃とうとするが、秋月は先手を打って連装砲の照準を二体とも卯月へ合わせた。

 一体だけなら相殺できたかもしれないが、二体分の攻撃では、どちらかが直撃する。連射し牽制しながら、後ろに跳躍。さっきまでいた場所を秋月が吹き飛ばす。

 

「その力、D-ABYSS(ディー・アビス)に選ばれているのでしょう、どうして忠誠を誓わないのですか」

「うーちゃんが忠誠を誓うとしたら超カッコ良い戦艦水鬼様だけ、間違ってもテメーみてーなダッサイ下品な雌豚にはならねぇぴょん!」

「戦艦水鬼? あの、使えない屑鉄がカッコ良いと?」

「貴様は水鬼様も侮辱した!」

 

 更に怒りがブーストする。心なしか瞳の鬼火が激しくなる。

 身体が軽い、痛みは感じているが『苦痛』にはならない、そんな感覚は戦闘に邪魔だからと、『殺意』が感じるのを遮断している。

 怒りの感情も殺意に制御され、底力を引き出すために使われる。全身に滾る力は、敵を殺すために動きだす。

 

 身体能力が上がったせいで、左手からの出血は更に悪化しているが気にならない。ただハチマキが血塗れになるのは嫌なので解いた。

 

「死ぬほど痛めつけてやるからな、覚悟しろぴょん!」

 

 秋月に向けて、矢継ぎ早に主砲を浴びせかけた。連射速度もまた上がっている。秋月は連装砲で迎撃するが、今までのように破壊はできず、弾かれ軌道が変わるのみ、お互いにノーダメージ。だが、焼けて砕けた破片が、秋月に降り注ぎ不快感を与えていく。

 

「もう一回!」

 

 再び踏み込み距離を詰めようとする。秋月はすぐに反応し迎撃するが、同時に卯月も砲撃。牽制弾の何割かが防空に割かれ、隙間が出来、そこへ卯月は一瞬で飛び込む。再び懐へ飛び込むと、先程と同じように顔面へ砲撃を叩き込もうと主砲を向けた。

 

「二番煎じなんて、この秋月に通じると」

「それは見てから判断しろぴょん」

 

 主砲を向けながら卯月は、千切れていた左手を全力で振るい、出血していた自身の血液を飛ばした。

 

「──見れればなぁ!」

 

 秋月は反射的に機銃で迎撃するものの、血は液体、弾くことはできない。

 

 飛び散った血液は、狙いを定めるため見開かれていた彼女の眼球へ直撃した。

 

「ぐっ!?」

 

 目に液体が入り、本能的行動で秋月は眼を閉ざしてしまった。

 

「どーだっぴょん! この血の目潰しは!」

「本当に、小細工ですか!」

「勝った、死ねぇい!」

 

 主砲は顔面へ合わさっている、トリガーを引けば相手は死ぬ──殺害禁止ということを思い出す──本当に少しだけ照準をずらした。

 その時だった。

 気のせいだと一瞬思ったが、そのもしもをスル―できなかった。

 

 連装砲ちゃんが、卯月を凝視している気がした。

 

 懐から前へと踏み込み、背後へ回りこもうとした。しかし連装砲ちゃんは二体とも卯月へ照準を合わせ続けている。しかも砲弾が装填される音まで聞こえる。

 卯月は確信した、連装砲ちゃんも、独立した視覚能力を持ち合わせている。目潰しはできていない。

 連装砲が火を噴いた。

 

「嘘ぴょん!?」

 

 発射体勢に入っていて幸いした、すぐに迎撃することができた。だが近すぎた、砲撃を弾いて軌道を逸らしても掠ってしまう。しかも迎撃しきれず、何発かが身体を抉っていった。

 痛みが苦痛にならず、D-ABYSS(ディー・アビス)で装甲も向上したとはいえ、出血が更に激しくなる。

 

「よくも、つまらないことを」

「沈まない……ぴょんっ!」

「沈むんです。D-ABYSS(ディー・アビス)に選ばれながら、主様に隷属しない貴女は、死なないといけないんです」

 

 秋月が追撃を仕掛けようとし、卯月は再び突撃しようとする。

 

 だが、足に力が入らなかった。

 

 先ほどの砲撃で、脚部が一部抉れていたのだ。

 

「あっ」

 

 力の入れようがなければ身体能力強化も意味がない、勢い余って転倒しかけた卯月を見て、秋月は勝利の笑みを浮かべた。

 

「造反者の卯月さん、さようなら!」

 

 

 

 

 それを待ちわびた卯月が邪悪に嗤った。

 

「なーんて、嘘ぴょーん」

 

 卯月が手を引っ張ると、秋月の足が掬われた。

 

「なっ!?」

 

 卯月に手に握られていたのは、彼女の錨の鎖だった。

 それが秋月の脚部艤装に引っ掛かっていた。

 連装砲ちゃんから逃れようとした一瞬で、卯月は自身の錨をそこへ浮かばせておいた。そして秋月が発射体勢を取った瞬間引っ張ったことで、碇が引っ掛かり、秋月を転倒させたのである。

 

「目潰しは無駄じゃなかったみたいだぴょん」

 

 血の目潰しを喰らっていたせいで、碇が置かれていたことに気づけなかったのだ。そしてこのアクションにより、連装砲ちゃんの視界はそこまで高くないことが証明された。

 

 卯月が突貫する。連装砲ちゃんの砲撃は秋月が仰向けに転倒しかけたせいで、卯月の頭上を通り抜けていく。

 

「貰った!」

 

 距離が近く主砲の爆発を浴びる危険があったので、砲撃はせず、手を伸ばして秋月の足を掴み──足首を、強化された握力で()()()()()()。砕きやすくなっていたのが幸いした。大井の雷撃は装甲に亀裂を入れていたのだ。

 骨と肉が潰される激痛に、秋月は喉から叫ぶ。

 その叫び声が、黒く汚染された心に心地よく響いた。

 

「が、ああああっ!?」

「ざまーねぇぴょん、両足とも砕いてくれるわ!」

 

 もう片足にも手を伸ばした瞬間だった。

 

「下がりなさい、卯月!」

「は、え、み、満潮かぴょん!?」

「下がれ、早く!」

 

 突然声が聞こえ振り返る。

 その先にいた人物は、ここにいない筈の満潮だった。大発動艇も牽引していない。

 どうなっている、なぜ満潮が。彼女を襲っていたイロハ級はどこへ行った。

 

「おま、なにを」

「甲標的が、そこにいる!」

「ぴょん!?」

 

 瞬間、秋月の周囲を巨大な水柱が覆い尽した。

 砲撃の爆発ではない、かなり強力な、雷撃の爆発だ。この威力は艦娘には出せない、秋月の雷撃はここまでではない。深海棲艦またはD-ABYSS(ディー・アビス)艦娘によるものだ。

 更に、畳みかけるように、頭上に無数の爆撃機の影が見えた。卯月も秋月も、二人とも爆撃範囲へ捉えている。更に後退して逃げる他ない。

 

「な、なんだぴょん今の」

 

 安全圏へ退避した直後、爆発は止んだ。

 

 その後に秋月はいなかった。残骸もない。負けそうになった彼女を始末した、なんて雰囲気でもない。

 

 逃げられてしまったのだ。

 

「……え、逃げたの?」

 

 まさかのオチに、唖然とする。色んな感情が込み上げてぐちゃぐちゃになり、卯月はわなわな震えながら叫んだ。

 

「ひ、卑怯者ーッ!」

 

 その絶叫が卯月の体力に止めをさした。

 

「ごふっ」

 

 口から大量の血が流れ出す。艤装の生命維持装置があっても、持たないと確信できる量の血を流してしまった。

 ここまでやって殺せなかったことが悔しい。しかし死ぬわけにはいかない。滾る殺意は死への恐怖を踏み潰す。

 絶対にやってやる、逃すものか。強く誓いながら、卯月は海面に崩れ落ちた。




通算三度目となるD-ABYSS(ディー・アビス)の解放。いい加減作動条件も明らかになる頃でしょうか。
弥生がなんで、どうやって来たのかは、今後説明されるでしょう。


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第88話 輸血

ストーリーズ2クリアしたぜ。ばんじゃーい。


 D-ABYSS(ディー・アビス)の解放により、戦局は卯月側へ傾いたように見えたが、何者かの妨害により秋月を逃がしてしまい、卯月は悔しさに絶叫する。

 

 しかも、卯月と大井は大破どころか轟沈寸前の大ダメージ。秋月は脚部艤装に亀裂が入ったぐらい。引き分けのように見えて、実際は完全敗北(D敗北)だ。それが余計悔しくなる。

 

「く、くそアマがぁ……逃げやがった、ぴょん」

 

 甲標的による雷撃と、空爆の奇襲に耐えられなかった。伏兵に気づけていなかったことにもまた腹が立つ。

 だが追撃する気にもなれない。金剛たちの艤装は死守できたのだ、本当に腹立たしいが、ここで執着する理由はない。目的は達成できている。

 

 少しばかり安堵した。そこで卯月は限界を迎えた。

 

「う……が、ぉげぇ……!?」

 

 激しく何度も何度もむせ返り、まだ死んでないのか不思議な程の大量の血を吐き出す。千切れた左手からも、抉れた場所からも止めどなく血が溢れ、海面が真っ赤に染まっていく。

 

 視界が霞んでくる、手足が痺れて感覚が消えていく、全身を苛む激痛さえ分からなくなり、ただ冷たい死の実感が、じわじわと侵食してきて、恐ろしさが止まらない。

 

 ただでさえ深刻なダメージを受けたところに、D-ABYSS(ディー・アビス)による酷使。限界を尚越えてしまった卯月の身体は、秒刻みで崩壊へと向かっていた。

 

「卯月! 意識はあるの!?」

「……満潮、なんで、お前が……艤装、は?」

「睦月たち三十駆と一緒に持って帰った! 事情は後で説明する!」

 

 敵は撃退できた、あとは卯月と大井を連れて撤退すれば良いだけだ、ここまできて轟沈なんて後味が悪すぎる。

 大井は問題ない。ダメージはかなり大きいし、出血しているが、大量出血はしてない。外からでは分からない怪我の可能性はあるが、今すぐに死ぬことはなさそうだ。

 問題なのは卯月だ。

 このまま出血し続けてたら、鎮守府まで持たない。止血にだって限界がある、満潮には彼女を無事帰投させる方法が思いつかなかった。

 

「どうすれば、どうすれば……このままじゃ、死んじゃう……()()……!」

「落ち着きなさい満潮」

「お、大井さん!?」

 

 いきなり隣に出てきた大井に驚く。あの重傷で自力で動いてくるとは。かなり無理をしているのは確かだ、無茶をしたら大井まで死んでしまうのではないか。

 

 途端に満潮の頭の中は真っ白になった。

 

「動かないで、わたしが何とかするから、お願いだから動かないで!」

「静かに、これは軽巡からの命令よ」

「駄目、聞けない、無理をしないで、だから何もしないで!」

「満潮ッ!!」

 

 大井は満潮の顔を掴み、力ずくで目線を合わせ、その様子に内心驚く。

 満潮は力なく震え、今にも泣き出しそうな様子だった。

 心配してるのだろうか。しかしどうでもいい、動けないのなら邪魔なだけ、大井は満潮の頬を全力で殴り飛ばした。

 なにをされたのか分からず、満潮は呆然とする。

 

「そんな状態でなにができるの、できないでしょう、わたしの指示に従うこと、良いわね!」

「そんな、状態じゃ」

「異論は認めない」

「ッ!?」

 

 首筋にナイフを添えられたような、冷たい感覚に背筋が凍る。半ばパニックになっている満潮を力ずくで黙らせるために、大井は『殺意』で圧をかけていた。

 本当はこんな手段使いたくないが時間がないので、乱暴な手段をとった。殺意にあてられ満潮は固まり、そのおかげで一応冷静に戻る。

 落ち着いたのを確認して、大井は卯月の側に座り込む。

 

「大井、さ、ん……」

「聞こえているわね。わたしの指示に従いなさい、良いわね」

 

 他に頼れる人もいない。卯月は小さく頷いた。

 

「まずD-ABYSS(ディー・アビス)を解除せずに維持してちょうだい。意識が失われたら間違いなく解除される。わたしにはどうにもならない、死ぬ気で踏ん張りなさい」

 

 そもそも任意で解除できるものか知らないが、卯月の瞳の鬼火は徐々に、命の灯火のように弱まりつつある。放置してたら数秒で解除されると、大井は勘づいている。

 

 大井の見立てでは、卯月はとっくに失血死していた。

 艤装の生命維持装置で賄える範囲を、完全に越えた出血量だった。しかし、彼女はまだ生きている。

 

 卯月を生かしているのは、D-ABYSS(ディー・アビス)だと大井は考えていた。

 身体能力強化に伴い出血量は上がってしまったが、同時に血液の精製速度も上がっており、流れ出た分を補填してたのである。

 

 逆に今解除されれば、反動で血液精製速度も下って卯月は死ぬ。だから解いてはならない。

 卯月はよく分かってないが大井を信じた。こんなところで死ぬなんて無様な姿は晒したくない、舌を力一杯噛み、激痛で意識を繋ぎ止める。

 

「満潮、応急処置をするから手伝って、セットは持ってる?」

「ない、出撃なんて、想定してないもの」

「じゃあしょうがないわね」

 

 海上ではどんな怪我をしてもおかしくないため、どの艦娘も最低限度のメディカルキットは持っている。卯月と満潮が持ってれば三人分を使えたのだが、無い物ねだりをしても意味はない。大井は自身のメディカルキットを取り出し、治療に取りかかる。

 

「まず左腕の止血。患部を圧迫しながら冷却すれば、だいぶマシになる。速度勝負よ急いで」

 

 時間がかかる程卯月は死へと近づく。満潮は両手が震えそうになりながら、必死で作業を行う。

 包帯と冷却シートを取り出し、患部周辺へ巻き付け切断面ごと覆い尽くす。触れるだけでも相当な痛み、苦しそうに卯月は呻いている。

 

「締め付けるわ。痛みで気絶しないで、体力を消耗するから叫ばないで。行くわよ」

 

 耐えることは卯月自身が自力で頑張る他ない。合図と同時に二人がかりで包帯を引っ張り、患部を締め付けて止血を行う。それぐらいしないと、出血を抑えられない。

 ここまでやると壊死の可能性があるが、その前に失血死したら元も子もない。

 

「ぎぃっ!?」

「叫ばない」

「が、ぐがっ、あ゛あ゛……う゛う゛……!?」

 

 大井は凄まじい無茶を要求していた。卯月は涙目になりながらも、呻き声を上げて耐える。

 剥き出しの筋肉を力ずくで圧迫されている、激痛どころの話ではない。一瞬で意識が飛びそうになり、出血も相まって顔色は真っ青だ。

 満潮は卯月が嫌いである。しかし、ざまぁみろだなんて思えない、凄惨過ぎる。

 

「満潮、わたしの制服千切って噛ませて。衝動的に舌を噛み千切ったら死ぬ。ナイフは医療キットの中にある」

「包帯あるじゃない」

「勿体ない」

「……わたしの切るわ」

 

 大井の現状はヘソ出し&ミニスカ&大破と、どこを切っても恥ずかしい感じ――と言いたいがそこら中血塗れだ。傷口を風に当てるのが良いとは思えない。満潮は自分の上着をナイフで切断し、丸めたものを猿轡のように卯月へ噛ませる。卯月も悲鳴を堪えるように、それを強く噛み締めた。

 これで舌を噛みきったり、歯が砕けるリスクはなくせたが、何度も吐血してるため、口を塞ぐとそれが気道に入り窒息する危険が出てくる、油断はできない。

 

「次、抉られた場所の縫合をする。麻酔はないからこれも耐えて。満潮は左腕の圧迫を続けてて」

「……ッ!!」

 

 宣言通り麻酔なしで針と糸が、抉られた場所へ突き刺さる。卯月は一瞬白眼を向いたが、満潮が力を強めた時の痛みで踏み留まる。二人が必死で助けてくれようとしてるのに、呑気に気絶なんて許されない。体力も気力もない、死力を振り絞り、猿轡が千切れそうな程食らいつく。

 

「……大井さん、顔色が」

「気にしないで、すぐ死ぬ訳じゃないから」

「……そう」

 

 死力を振り絞っているのは大井もだった。

 卯月よりマシだが彼女も重傷だ、常に痛みが走り、力を入れたら悲鳴が出そうになる。顔色は青く、脂汗が常に流れ続けている。

 だが態度には出さない。

 軽巡の彼女が心配されたら、卯月たちまで不安になる。この状況では許されないのだ。

 

「大丈夫、血は流れてるけど卯月より身体は大きい、帰投するまで持つから」

「……おお、確かに……大きいぴょん……」

「ちょっと黙ってなさい」

「ぐぎぃっ!?」

 

 どこを見て言ったのか。傷口に縫合針が食い込んだ。喘ぐ卯月を無視して治療が続く。

 抉れた箇所全ての縫合が終わった時、疲労しきった大井は転倒しかけた。重傷を負いながらの慎重な作業に、心身ともに磨り減っていた。

 

 しかし、まだ終わりではない。まだ卯月の命を紡げていない。ここから鎮守府への帰投まで持たせなければならない。

 卯月の様子を見た満潮は、『持たない』と思った。

 

「卯月、しっかり、意識を保って!」

 

 呼び掛けても反応がほとんど帰ってこない、出血し過ぎたのだ。意識が混濁しきっている。かなり急いで応急処置を施したがそれでも限界だ、これで鎮守府まで持つとは到底思えない。

 せめて、どうにかして、失った血を賄いたい。けどどうすれば良いのかパニックを起こしている満潮には思いつかない。

 そんな彼女を置いて、大井は輸血用器具の準備を黙々と始めている。大井はそれを一瞥すると、冷徹に指示を飛ばした。

 

「そこで気絶してる弥生を叩き起こして。わたしはこれ用意してるから」

 

 と、言った時、弥生がムクリと起き上がった。

 

「……起きてます」

「あ、アンタ何時から起きて」

「満潮静かに、なら弥生はこっち来て」

 

 満潮は大井がなにをしようとしてるのか気づく。同時に不安に襲われる。

 彼女は弥生の血液を卯月に輸血しようとしてるのだ。しかし弥生はカミソリを使って殺そうとした前科があるし、今も卯月が死にそうなのに寝たフリをしてた疑惑がある。

 そんな奴が輸血を了承するのか、したとしても、血液になにか仕込んであるんじゃないかと不安になった。

 

「……分かりました」

 

 予想に反して、弥生は卯月へ近づき腕を差し出した。大井は迷いなく機械を突き刺し、二人を輸血用チューブで繋いだ。チューブの中を弥生の血液が流れていき、血が補充されていく。

 

「ぐっ……」

 

 輸血もまた負担がかかる。出血の苦痛に顔を歪ませていたが、特に文句もなく、ただ黙って血液を卯月へ提供している。突っ込む余力もないので何も言わないが、満潮には不気味で不自然な光景に見えた。

 

「これで卯月を運ぶから、満潮が背負ってちょうだい」

「大井さんは」

「わたしは自力航行できるから」

 

 嘘を言ってはいない、大破しながらも真っ直ぐ航行できている。気合か熟練によるものか、いずれにせよ感服する。

 指示通り卯月を背負う。揺らし過ぎると負担が増大するが、ゆっくりしてる暇はない。卯月には痛みに堪えてもらいながら、最大船速で鎮守府へ向かった。

 

 満潮は背負いながら左腕を締め付けている。輸血を継続しなければならないから、弥生は卯月の近くをピッタリ並走している。傍から見ると不自然な光景だ、満潮も弥生も動きにくさを感じる。

 

「卯月は……どうですか」

「顔色は、マシになってきてるみたいだけど」

「そう……」

 

 蒼ざめて死人みたいだった肌色が、血の気を取り戻しつつある。朦朧としていて悲鳴さえ出せなかった意識も、ハッキリとしてきている。

 同時に痛覚といった感覚も戻り、卯月はまた苦痛にあえぎ出す。

 

「あがぁッ……ぎい……!」

 

 激しく揺れているせいで痛みが増し、辛そうに猿ぐつわを噛み締めているが、その痛みが卯月の意識を繋ぎ止めていた。

 これ以上は応急処置のしようがない、どれだけ早く帰れるかが重要だ。

 

 しかし、満潮の速度は低下していた。

 人一人を背負って航行している以上、それは免れない事態だ。そんなことは分かっているので大井は一々文句を飛ばしたりはしない。

 だが満潮本人からしたら関係ない。少しだけ安定してきた心がパニックに近づいていく。満潮が早く運べなかったばかりに、卯月が死んでしまったら。

 

「焦らないで、痛みが増すだけ」

「は、はい」

「……満潮さんだけの……責任じゃ、ないですから」

 

 大井と弥生は、満潮が責任感で潰れないよう各々のやり方で励ましてくれる。大井はまだしも、艦娘歴がそう長くない弥生まで、満潮の不安に気づいていた。それだけ顔にも雰囲気にも不安がにじみ出ていた。

 その光景を卯月は不思議そうに眺めていた。

 

「……弥生、お前、うー……ちゃんには、死んで、欲しいんじゃ」

 

 カミソリを放り込んで殺されかけた。再会しても罵詈雑言をこれでもかと浴びせられた。D-ABYSS(ディー・アビス)のせいだとしても、それだけ憎まれることをしたと、今の卯月は自覚している。

 危機に陥っても助けてくれない、ざまぁみろと捨て置かれるのがオチだと思っていた。

 なのに弥生は、輸血をしてくれている。なぜなのか全く分からない。

 無駄に喋ると体力を消耗する。会話は控えて欲しいが大井は止めない。弥生と話し続けることが、意識を繋ぎ止めるのに重要なことだから。

 

「……死んで欲しかったです……けど、分からなくなったんです」

「ど、どーゆー……ことぴょん?」

「色々です……大井さんを撃ったのに大井さんは卯月を恨んでない……満潮さんは卯月を心配してる。艦娘が深海棲艦みたいなのも、卯月が急にそうなったのも……分からないことばかりに、なってしまったから……」

 

 知らない人からしたら意味不明な状況だ。深海棲艦みたいな艦娘が艦娘を襲い、襲われていた艦娘が突然深海棲艦みたいな艦娘に変貌。弥生の混乱は仕方ないことだ。

 

「だから……一度、保留にしようかと……」

「ぬぅ、許しては……くれないぴょん……?」

「首へのチョップ……あれ、少し間違えてたら……弥生死んでいたんですが……」

 

 首チョップで気絶なんてのはフィクションのアクションである。現実でやったら危険な行為だ。

 ごもっともな指摘に、卯月は目を逸らした。

 

「死んだら……保留もなにもないので……今は助けます」

「……ありがとぴょん」

「お礼は……言わないでください。信用なんてしてないので……」

 

 言葉通り一時保留ということだ。卯月にはそれで十分だった。荒んだ心が少しだけ癒された。

 

 その時、卯月の身体がビクンと震えた。

 

「卯月?」

 

 満潮が振り返った時眼にしたのは、瞳の鬼火が消えて、呆気に取られている卯月だった。

 

 D-ABYSS(ディー・アビス)が解除された証拠だ。しかし卯月の意識は失われていない。

 

 意識を保っていたのに、システムが解除されたのである。

 

「助け――」

 

 そう呟いて、卯月は口から、耳から、目玉からも激しく血を流して、意識を失った。

 

「反動が、解除の反動がくる!」

「急ぐわよ!」

「う、卯月……死んじゃ、まだ、ダメ……!」

 

 白眼を剥き、血と涎の混合物を撒き散らしながら、激しく痙攣し続ける。背負う満潮には心音が弱まるのが聞こえている。

 

 なぜ解除された、その疑問を突き詰めている暇はない。

 

 弥生の呼び掛けは、卯月にはもう聞こえていなかった。



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第89話 雪解

 藤鎮守府の入渠ドックは、機能性だけを突き詰めたせいで殺風景な前科戦線よりも明るく、広々としている。入渠待ちの艦娘や、仲間が出てくるのを待っている人の為のスペースまで用意されている。

 以前はここまで広くなかったが、戦艦水鬼撃破の報酬として、大幅な改築をしたのである。

 

 そんなドックだが、今は空いていた。大規模作戦直後なので、資材の備蓄が心もとなくなっている。その為出撃が控えめになり、怪我人も減ったので、利用機会が少なくなったからだ。

 

 規則的に並べられたドックの内、一つだけが光りながら稼働していた。中に浸かっているのは、今も尚血を流し続けている卯月だ。

 入渠時間は駆逐艦としてはあり得ない時間を表示している。身体の内外で大きなダメージを負った代償だ。

 

「……長いですね」

「そうね」

 

 弥生と満潮は、入渠し続ける卯月の側に居座り、修復が終わるのを待っていた。

 

 あの後、応急処置を施した卯月を運んでいた時、突然D-ABYSS(ディー・アビス)が解除されてしまった。

 血液精製ができなくなったのと、システムの反動で卯月は死ぬかどうかの一歩手前に陥った。

 

 しかし艤装を置いた後、すぐさまUターンして来た睦月と如月に合流できたのが幸いだった。

 二人が持ってきた大発の上で治療を続け、睦月と如月二人がかりで大発を牽引したことで、早く帰還することができ、入渠が間に合ったのだ。

 

 とはいえ相当な重傷に変わりはなく、今もまだ入渠は終わっていない。ドリンクサーバーとか雑誌とか、暇を潰せる物は色々置かれているが、それでも長い。

 

「……なんで、こんなに時間がかかるんですか」

「さぁね」

「大井さんは……もう、入渠を終えたのに……」

 

 大井も大破していたが、既に入渠を終えている。

 卯月は大破した軽巡よりも治療に時間がかかっているのだ。

 D-ABYSS(ディー・アビス)はパワーアップをもたらすが、その度に大破し、軽巡以上の治療時間がかかるのでは代償が大き過ぎる。

 

「……これも、その、システムの……影響なんでしょうか」

「そうかもね、卯月(こいつ)が貧弱過ぎるのが原因かもしれないけど。反動がない奴もいるみたいだし」

「あの秋月(艦娘)も……システムを……?」

 

 肯定するように首を縦に振る。秋月は何度もD-ABYSS(ディー・アビス)に選ばれたと言っていた。そんな言い方をするぐらいだ、搭載されているとみて間違いない。

 しかし秋月は卯月と違い、システムの反動を受けているようには見えなかった。

 

「システムの性能が違うのか、秋月が違うのか……どう見ても卯月の上位互換には違いないわね」

「……そんなに戦ってはいませんが、同じ艦娘とは思えなかったです」

「それについては同感」

 

 何から何まで規格外極まっている、化け物と呼ぶ他ないと満潮は感じる。本気になった状態は大井から聞いただけだが、それでも十分異常だと感じられた。発射と着弾が同時とか深海棲艦でも聞いたことがない。

 

 そう話していても、中々入渠は終わらない。満潮と弥生では話す話題もない。それどころか剃刀で殺されかけている、良い空気になる筈もなく、気まずい空気が立ち込めていた。

 

 満潮からはなにも話さない。

 弥生が暗い顔つきでやって来た理由は察しているが、こういう気まずい空気に慣れているので、彼女から動くことはない。

 

 睦月や如月、望月たちも来たがってたのだが、あまり騒ぐと戦闘があったことが他の艦娘に気づかれる恐れがあったので、自室で我慢してもらうことになっている。

 

 弥生は黙りこんだまま、傷だらけの卯月を見つめて、度々泣きそうになっては顔を俯かせ、小刻みに震えている。

 それでも卯月が起きるまで離れる気はない。満潮は発作が出たときに備えて居座っている。

 

「……何を」

「なに?」

「いえ……起きたら、なにを言えば」

 

 不安そうだが、怒っているようにも見える。弥生という艦娘はかなり無表情だ。満潮には彼女がどういう感情で、なにに悩んでいるのか分からない。満潮は適当なことを言える性格ではない、感じたままに伝える。

 

「さあ、知らない」

「……う、うん、そうですよね」

「さっき、私に言った感じで、言いたいこと全部言えば良いんじゃないの。姉妹艦だからって仲良しする必要はないんだし。仲直りしたいんなら話は別だけど」

 

 カミソリを入れた件について、弥生は既に謝罪している。半日以上懲罰房に入れられて、冷えた頭で考えてみれば、あれはやり過ぎだ。いくら懲罰部隊に配属されるような、まっとうでない艦娘だとしても、殺して良い理由にはならない。

 

 しかし、相手が卯月だと話が違う。

 間接的だが、弥生は──藤鎮守府の艦娘全員がそうなのだが──卯月の造反による、信用失墜の被害を受けている。

 更に、実際に殺されかけ、部下を皆殺しにされた神補佐官と間宮(人たち)の気持ちを知っている。

 

 卯月だけは死んでも良い。懲罰如きで許されて良い筈がない。

 この場にいない睦月たちも概ね同じ意見だった。秋月の襲撃を受け、艤装を守って重傷を負った卯月を見るまでは。

 

 気持ちがまだ整理しきれていないから、何と言ったら良いのか分からなくなっていたのだ。

 

「ん、終わったみたいよ」

 

 入渠終了のタイマーが鳴った。待っていた満潮も俯いていた弥生も、ドックの中を覗き込む。

 パッと見た感じ怪我はない、左腕も再生している。体内にダメージが残ってることもあるから安心するのは早いが、無事な様子に二人は胸を撫で下ろす。

 

「卯月……起きてください……」

 

 肩を叩きながら呼び掛けると、卯月は呻き声を上げながらゆっくり目を開けた。

 

「助かって……良かったです、本当に」

「そうね、さっさと起きなさいよ」

「……卯月?」

 

 話を聞いてるような感覚がない。

 弥生は違和感を覚え、また名前を呼んで肩を揺らす。しかし卯月の瞳の焦点は、あらぬ方向を向いたままだ。それどころか顔が青ざめ、震え出している。

 

「あ……あ、なんで、なんで……卯月は……!?」

 

 涙眼になりながら、ガタガタ激しく震え出す。卯月は『発作』の幻に襲われていた。

 そのことに気がついた満潮は、卯月をドックから引っ張り出し、身体が冷えないようバスタオルを巻き付けた上で、彼女を抱き締めた。

 

「ちょっと退いて」

「は、はい……」

「面倒な奴ね、本当に面倒だわ」

 

 満潮にしか聞こえないような小声で、卯月は悲鳴を溢す。幻の犠牲者たちが、彼女を痛めつけているのだ。秋月(艦娘)と戦ったせいでトラウマが抉られたのか、かなり重たく発作が起きていた。

 

 その推測は正しく、入渠している間卯月は悪夢に苛まれていた。起きがけに発作に見舞われたせいで、現実と幻の区別がつかなくなり、パニックに陥ったのだ。

 

 満潮が抱き締めてなければ、幻と罪悪感に狂わされ、ボロボロの身体を自傷行為で更に痛めつけていた。

 打てる対策は多くない。抱き締めて自傷行為を押さえながら、人肌の体温で落ち着かせていくしかない。

 

 発作を初めて見た弥生は、妹の悲惨な有り様に言葉を失い、立ち尽くす。

 

「……それは」

「知らないわよ。コイツが殺した仲間の幻が襲ってきてるみたい」

「……どうして」

「トラウマらしいけど、細かい所は知らない」

 

 トラウマでここまでなるものなのか。

 パニックになるどころか、幻が見えて聞こえて襲われる幻痛まで味わうものなのか。弥生には信じられない。

 しかし、卯月は現にそうなっている。そこまで行ってしまう程、卯月の心は傷ついている。

 

 弥生にできることは、卯月の発作が落ち着くまで、凄惨な姿を瞳に残すことしかなかった。

 

 

 *

 

 

「いやー、見苦しいところを見せちゃったぴょん」

 

 数分後、発作が収まり落ち着いた卯月はあっけらかんとしていた。

 

「……気にしてないです」

「そうよ弥生、この狂人の言うことは九割聞き流さないと」

「やかましいぞビッチ」

 

 流れるような罵倒、どう反応すれば良いのか弥生は困惑する。

 と、元気そうな態度をしているが、実際のところ卯月は全身の痛みに苦しんでいる。喋ったり息をしても痛い、動いたら更に激痛が走る。

 前D-ABYSS(ディー・アビス)が作動した時と同じ。入渠でも取り切れないくらいダメージが累積していた。

 それでも明るく振る舞っているのは、これ以上暗い空気が嫌いだからだ。

 

「……卯月」

「どーかしたのかぴょん」

「卯月は……後悔しているの。仲間を殺したことを……」

 

 しかし、明るい空気でやっていける仲でもない。

 卯月が入渠している間、満潮からD-ABYSS(ディー・アビス)について聞いた。それにより洗脳され、造反行為に至ったことを知った。悪逆無道の造反者という認識は間違っていると気づいた。

 

「ミッチーが説明したのかぴょん」

「そうよ、関わってしまった以上は、説明した方がマシって。中佐からの許可はあるわ」

「余計なことを、死ねぇ!」

 

 核心を突く弥生の質問に、卯月は気まずそうに頭を掻きながら答えた。

 

「うーちゃん嘘が嫌いだから正直に話すけど、後悔は()()()()()ぴょん。うーちゃんは被害者だぴょん。卯月自身の意志でなんにもやってないのに、後悔ってのはおかしな話だぴょん」

 

 ここまで来ても、姉に殺されかけても、そこは変えない。意固地な卯月に、弥生は顔を顰めた。

 だが、神補佐官との再会や、弥生との接触で、学んだことはあった。

 弥生の威圧に臆することなく、粛々と気持ちを伝えようと、誤魔化さず真っ直ぐ目を見て話す。

 

「けど、うーちゃんが絶対に許されないってのは分かったぴょん。金剛さんや松たちがとびきり優しかっただけって、痛感したぴょん。だから……うーちゃんは、受け入れるぴょん。罵倒されても殺されかけても、文句言ったりしないぴょん」

 

 いつもより小さな声で、しかし一言を強く言い切りながら、卯月は心境を話す。

 非を認めて謝らないなんて、実際に被害を受けた人たちからしたら、独りよがりの理屈でしかない。

 卯月なりに考え、出した結論がコレだった。自分を否定しないが、他人の感情も否定しない。否定するのはあくまで元凶である『敵』だけだ。

 

「だから、別にうーちゃん怒ってないし、弥生もそんな気まずそーにする必要もないぴょん。弥生や皆の反応は当然のそれだぴょん。洗脳されてたとか言い訳にしかならない、同じ立場だったうーちゃんだってそーする、誰だってそーする筈ぴょん」

 

 関係ないのを憎んでいるのは卯月も同じだ。敵だけじゃなく、深海棲艦全てを憎んでいる。なのに自分がされるのは嫌だなんて身勝手過ぎる。余りにもカッコ悪い。

 自分の行いに対するケジメの付け方は、それしかないと卯月は思っていた。

 

「でもうーちゃん以外を巻き込んだら怒るから。それは許さんぴょん」

「カミソリの件なら、謝って貰ってるわ」

「満潮は例外ぴょん。むしろ殺れ」

 

 満潮が睨みつけてくるが何時ものこととスルー。こいつについては死んでも特に問題ではない。お互いそう思ってるだろうし。

 

「と、まあ、うーちゃんはそんな感じだぴょん。弥生がどう感じてもそれを受け入れる。殴っても良いし、罵倒しても構わないから。それだけのことをしでかしてるぴょん」

 

 拳を強く握りしめながら、静かに卯月は言いきった。罪を半ば認めるような物言いになってしまい、悔しい気持ちが沸き上がるが、これは言わなければならないことだ。

 怒りを表に出さないよう堪えながら、弥生に向けて気持ちを吐き出した。

 

「……そうですか」

 

 弥生は一言呟くと、俯いて黙りこんでしまう。

 しかし、今までのような関わることを拒否するような沈黙ではない。なにを言うべきか考えているような感じ、話し出すのをゆっくりと待つ。

 

 どれぐらいだろうか、感覚では計りかねる時間が経った後、弥生が顔を上げた。

 

「……ごめん、弥生は……許せない」

 

 複雑な表情だった。D-ABYSS(ディー・アビス)の真相を知り、卯月の事情を知って、戦っているところを目撃しても、それでも尚卯月を心から許せない。

 そんな自分が情けないが、嘘をつくのはダメだからと、弥生も本心を吐露する。

 卯月は宣言通り、怒らずに耳を傾ける。

 

「卯月を信用しきれないの……本当に裏切って、今度は藤提督を、殺すんじゃないかって……思ってしまう。頭では分かったけど……気持ちが全然、追いつかない。神補佐官と一緒……事情を知っても、感情が、どうにもならない……卯月が嫌いでしょうがない」

 

 嫌いと面と向かって言われるとやはりショックだが、それも受け入れるものとして、卯月は黙って堪える。仕方ないことだ。そんなシステムがあり、被害者だといきなり言われて、全て納得できる人はそう多くない。神補佐官だってそうだった。

 

「神補佐官も、卯月を許してない。あの人は昔のことを話す時……とても辛そうな顔をする。そんな顔をさせる卯月を許せない……本当に悪いのが、卯月じゃないって、分かっていても……」

「そっか、神補佐官が、かぁ」

「うん……」

 

 神補佐官は、弥生たちから慕われているのだろう。

 艦娘から好かれる良い人だったと思い出す。

 敬愛する人が痛めつけられて、怒らない人なんていない。だから一層私が許せないのだ。

 

 裏切りの記憶を思い出し、暗い顔つきになる卯月を見て、弥生は決意を固めた。言おうと思っていたことを、言うと決めた。

 

「……その顔です」

「え、顔になんかついてるぴょん?」

「違います……本当に裏切りを愉しむ外道が、そんな顔をするとは思えない。秋月さんとの戦いも……弥生が侮辱された時怒ってくれた。もしかしたら全部演技かもしれませんが……艤装を命懸けで護ってくれたのは、その傷が証明してくれてます」

 

 輸血しながら運んでいる時、近くにいたからこそ、卯月の命が消えていくのが感じられた。こちらを騙そうとしている者が、そこまで身体を張るのだろうか。これでもし演技なら相当なものだ。

 

「……今は信じられないけど、弥生は卯月を信じたい。今は、それが限界です」

 

 嫌悪感と信じたい思いがせめぎ合い、心との折り合いがつかない中で、拳を握りしめながら声を絞り出す。辛すぎる事情を理解した上で、何とかして関係を前へ進めるために、弥生も溢れそうな嫌悪感を押し殺していた。

 拒絶する理由はどこにもない。卯月は少し涙目になりながら、「ありがとう」と呟いた。

 

 

 

 

 ただ卯月は思った。

 

 あそこまで身体張ったんならもうちょっと良い思いしても良いのでは? 

 

「頑張ったから許して欲しいぴょん!」

「首に手刀を叩き込んだ件があるので、許しません」

「あ」

 

 邪魔になりそうだからと、手刀で気絶させた一件である。

 

「首が折れて死んでたらどうするんですか……」

「え、神鎮守府の漫画で読んだんだけど」

「あれは創作です……」

 

 あの動きはフィクションのものだ。現実で素人がやったら大事故必須の愚行。

 

「だから……許すのは、また今度で」

「嘘だぴょーん!」

「ホント馬鹿ねアンタ……」

 

 殺意に駆られ、余計な真似をしたせいで、最後の最後で許されなくなった現実に崩れ落ちた。

 

 結局、卯月が受け入れる決意を固めたぐらいで、二人の関係は然程進歩してないように見える。しかし絶句する卯月を見て、苦笑する弥生の顔つきは柔らかい物になっている。懲罰房で会った時の様な、拒絶しかない関係性ではなくなっていた。




やっとこさ姉妹との和解成立。
許した訳じゃないですけど、十分大きな進歩でしょう。神補佐官や間宮さんとも和解させたいけど、流石に困難か。

何故弥生が戦場に現れたのかについては、次回説明いたします。


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第90話 独断

「……今更だけど、迷惑をかけてごめん卯月」

 

 少しだけ関係が前進した卯月と弥生。お互いの気持ちが落ち着いたところで、弥生が改めて謝った。秋月との戦闘中、意図したことではなかったとはいえ、利敵行為に至ってしまったことについてだ。

 

 本当なら、起きた時すぐに謝罪すべきだったのだが、許せるかどうかも分からない相手に謝る気持ちがどうしても起きなかった。対話を通じて、今の卯月になら、謝罪しなくてはならないと思ったのだ。

 

「すぐ謝りたかったけど……先に、卯月の思いを聞きたくて……」

「あー、いいぴょんいいぴょん気にしてないぴょん。ありゃ誰だって間違えるぴょん」

「ダメです……ごめん、ごめんなさい……」

 

 秋月は瞳の鬼火が見えないようにしてた、その状態で大井を砲撃する瞬間を見たら、誰でも卯月が敵だと勘違いする。もし立場が逆だったら、卯月も同じことをしていた。

 だから仕方がない。気負いすぎないようちょっとおちゃらけた様子で言ってみたが、弥生は深刻な顔つきのまま、首を横に振る。

 

「弥生が……もう少し考えてれば……」

「そんなんケースバイケースだぴょん。熟考してたら手遅れになることもあるんだし、後悔するのはムダぴょん」

「……それでも、弥生は……卯月と大井さんを……死なせかけたんです」

「ちょっと、弥生?」

 

 弥生は利敵行為を悔やんでいた。大井の名前を口にした途端泣き出してしまった。

 秋月に騙された弥生を庇い、大井は大破する重傷を負った。卯月はより怪我を深めてしまった。

 助けるつもりだったのに、浅はかな考えのせいで逆に危機に陥れたことを、痛いぐらい後悔している。

 その後悔度合いは、卯月の想定を遥かに超えていた。

 思いつめ過ぎて、下手をしたら心が壊れるぐらいに。今まで卯月への嫌悪感で堪えていた感情が、嫌悪がなくなり、爆発してしまった。

 

「今更、謝って許されることじゃないですけど……ごめんなさい……信じきれなくて……」

「いや、だからうーちゃんは気にしてないぴょん。重傷を受けたのは弥生が乱入する前だったし、弥生のせいでどうこうなった訳じゃないぴょん」

 

 泣いてる姉に戸惑いながらも、悪くないと慰めるが、その言葉はほとんど聞こえていない。気持ちが落ち着かず、俯きながら泣いていた。バカなことをした自分が嫌で仕方がない。自己嫌悪が止められなくて、謝ることしかできない。

 

「弥生が……バカだったから……」

「あの、うん、バカじゃないぴょん。違うぴょん、泣くなぴょん」

 

 もしも、卯月がD-ABYSS(ディー・アビス)を解放していなかったら、みんな殺されていた。

 自分がどれだけの間違いをしたのか痛感する。「こいつは信じられないから」と溜め込んでいた気持ちが、口に出したせいで溢れてくる。両手で口を覆い、震えながら悔やむ弥生に──卯月はイラッときた。

 

「いい加減にするぴょん」

 

 両手を掴み引き剥がし無理やり顔を合わせる。卯月は怒った顔をしていた。

 

「お前は『弥生』を侮辱するつもりかぴょん。それでもこの『卯月』の姉かぴょん」

「侮辱って、そんな……つもりじゃ。弥生はただ間違ってたってだけで……」

「それ以上侮辱を重ねたら殴るぴょん」

 

 いよいよ本気で怒り狂いそうな気迫に、弥生は圧倒されて押し黙る。より顔を近づけて、こめかみに皺を寄せながら卯月は捲し立てていく。

 

「うーちゃんは気にしてない、状況も仕方がない、誰も死ななかった、そもそも秋月の策謀。謝る必要性は高くないけど、弥生は謝った。それでもう終わり、十分だぴょん。必要以上の謝罪は、自分を貶める行為、『弥生』への侮辱だぴょん」

 

 卯月はプライドが案外高い。それは同じ姉妹や仲間にも向けられている。それらを侮辱する者には怒る、姉妹でさえ例外ではない。『弥生』を侮辱しかねないその態度に、卯月は少しだけだが殺意さえ灯していた。

 

「……と、ゆー訳ぴょん。お話は終わりだぴょん!」

 

 気負わせない筈だったが、なんか重くなってしまった。卯月はおちゃらけた笑顔に戻り、両手を叩いて話題を終わらせた。

 

「色々言ったけど、気負い過ぎて良いことは何にもないぴょん。もうちょっと気楽でも良い筈だぴょん」

「アンタは気楽過ぎんのよ」

「真面目過ぎるとこんな頭ガチガチのつっまらない艦娘になるから注意ぴょん」

 

 頬をつね合うアホ二名。

 弥生は俯いたままだったが、少し経つと顔を上げた。口は一直線に結んだままで、涙の跡が残っているが、自虐的な態度は鳴りを潜めており、落ち着いた様子に変わっていた。

 卯月の言う通りだ。

 自分を貶めてはいけない、二人を殺しかけた後悔は全く消えないが、向こうが許してるのにいつまでもいじけているのは、相手にも失礼だと、弥生は納得していた。

 

「……また迷惑かけてごめん」

 

 少し困ったように眉をひそめながらだったが、その謝罪に自虐のようなものは感じられなかった。

 

「まーた謝ってるぴょん」

「アンタは謝らなさ過ぎよ。弥生間違ってもこんなのになっちゃダメよ」

「は? 死ねぴょん」

 

 爪先を踏んづけ合う愚か者が二名。ことあるごとに突っかかる二人を見て、弥生は無表情のまま呆れ返っていた。

 

 

 

 

 しかし、ここまで後悔する理由はなんだろうか。なぜ弥生はあの戦場へ現れたのか。あの時は瀕死で聞く余力なんてなかったが、今になってまた気になってきた。

 

「てか、なんで弥生が来てたんだぴょん。懲罰房に入ってたんじゃ?」

「いえ……限定措置ということで、三十駆全員出てたんです」

「睦月や如月、望月もかぴょん」

 

 弥生は頷く。限定措置とはなんのことか。満潮が首を傾げる卯月に対して説明する。

 

「わたしがイロハ級に襲われてたのは知ってんの?」

「ああ、秋月が自信満々に説明してたぴょん。その割に大井さんは余裕そうだったけど」

「イロハ級の出現が予想されてたから、睦月たちが後から援軍でやって来てたのよ」

 

 大発を装備して撤収した後、満潮は敵襲にあったが、援軍として駆けつけてくれた睦月たちのお陰で、その場を切り抜けることができた。秋月の目論みは看破されていたのだ。

 

「へー……でも懲罰房にぶちこまれてたのに、よく出撃許可が下りたぴょん」

「わたしに万一のことがあった時、大発を引き継げる要員が必要だったの。ここで大発を使えるのは睦月と如月だけだから、懲罰房から一時的に出された。それに加えて護衛ってことで、弥生と望月が選ばれたのよ」

「……そうです」

 

 イロハ級を撃退した際、満潮は簡単な説明を受けていた。事情を知ったら納得できた。

 だが、弥生が現れた理由はまだ分からない。今更怒ってないが、死にかけたのだ、理由ぐらい知りたがって良いだろう。

 

「その戦闘が……一段落つきそう時……弥生が、卯月のとこへ行ったんです」

「ええ、突然飛び出して行ったわ……まさか利敵行為してたとは思わなかったけど」

「ど、独断専行かぴょん」

「はい……あの時は、裏切り者と本当に思ってたので……」

 

 うっかりその話になってしまい、弥生はまた落ち込んでしまう。吹っ切れるには時間がかかりそうだが、さっき程酷くはないから、慰めなくても大丈夫そうだ。

 

「艤装を守ってくれてるとは聞いたんですが……大井さんが後ろから撃たれないか心配で……恐いのを、抑えきれず」

「うーちゃんたちが出撃してたのも知ってたんだぴょん」

「いえ、それは……聞いたんです」

「聞いたって、誰に」

「……神補佐官です」

 

 意外な人物が登場したせいで、卯月は叫びそうなぐらい驚く。

 

「満潮さんの救援に……姉さんたちを推薦したのは補佐官です。大発を運用できるというのもありますが……いつもの駆逐隊を変えたら、逆に危険だと言ったので、弥生と望月も……出撃できることに」

 

 イロハ級の迎撃を誰に行わせるかは、藤提督と神補佐官が話し合って決めていた。卯月への憎しみはまるで消えてないが、私怨を優先して金剛たちの艤装を沈める愚行はしない。仕事と割り切り、友軍の選定は真剣に行い、結果三十駆が選ばれた。

 

「ただ、そう言ってましたが……補佐官は、弥生と卯月のわだかまりが溶けるのを、期待してたようにも……見えました」

「ほ、補佐官が? 本当かぴょん、嘘じゃないぴょん?」

「それは分からないですが……そうでないと、金剛さんたちの艤装を護ってくれてることを、わざわざ説明してくれた理由が分からないので……」

 

 D-ABYSS(ディー・アビス)及びそれに関わる情報は全て機密事項だ。関係ない人は知ってはならない。なので卯月たちが出撃していたことさえ秘匿されている。

 弥生たちは微妙なところだ、艤装奪還作戦に参加したが、秋月と遭遇した場合のみ関係者になる。卯月たちの出撃を知る必要のあるメンバーではないが、無関係という訳でもない。

 グレーゾーンな状態なのに出撃していた情報を与える。神補佐官は中々危ないことをしていた。

 

「……補佐官自身が、気持ち的に関われないから……せめて姉妹では仲良くなってもらいたい。というのは、弥生の願望でしょうけど」

「いや、良い解釈だぴょん。ご都合主義万々歳だぴょん」

「そう、ですね……」

 

 どうせ考えたって分からないんだから、好意的に解釈した方が心に良い。笑いながら手を叩く卯月の様子に、弥生も嬉しそうな顔をする。彼女もその解釈を信じた。

 敵のせいで歪まされただけで、神補佐官はやはり良い人だ、昔と変わってない。卯月はそのことが嬉しく、けど自分はその時に戻れない現実に、寂しさを感じた。

 

「……待って、ということは、アンタが来たのって」

「はい、独断専行です……」

「まじか」

 

 懲罰房から出てきたのは、藤提督と神補佐官の共同判断によるものだ。しかし、許可されたのはイロハ級の迎撃及び艤装の護衛。卯月たちへの加勢は含まれていない。

 イロハ級が概ね撃退でき、鎮守府へ急いで帰投しようとしたところで、弥生だけが突撃をかました──というのが、真相だった。

 

「睦月たちは止めなかったのかぴょん」

「止めてたけど微妙だったわよ。三十駆全員が、卯月(アンタ)が大井を後ろから撃たないか不安だったみたい」

「真っ先に行ったのは弥生ですが……」

 

 真相と卯月の覚悟を聞いたことで、だいぶ緩和されているが、剃刀の一件通り、元々卯月を一番嫌悪してたのは弥生だ。卯月と大井が共同戦線を張っていると聞いた結果、突撃を辞さなくなる程大井が心配になったのだ。

 

「……裏切っていなかったら、加勢しようと思ってたんですが」

「うーちゃんが大井さんを撃った時に、奇跡的なタイミングで来ちゃったと」

「あれは本当に偶然なんですよね……?」

 

 やっぱり卯月は大井を殺すつもりだったんじゃね? 

 そう未だに思うほどタイミングが悪すぎた。弥生の態度に卯月は頬を膨らませるが、あのシーンだけだと、自分が悪役に見えるのは自覚してる。

 してるが、しているのだが……卯月は唸り声を上げる。

 

「え、うーちゃんの運値低すぎ?」

「当然の報いじゃないの?」

「ひでぇ」

 

 計測してる訳じゃないが、なんかそんな予感がした。艦娘のパラメーターには『運』がある。文字通りの意味合いだが馬鹿にはならない、戦場では運が明暗を分けることはいくらでもある。ちなみに計り方はいつも通り妖精さんの謎技術だ。

 その数値がなんか、異常値を示している気がならない。弥生も同じ予感がしたのか、困り果てた様子で首を傾けた。

 

「……明石さんに計ってもらうのは……どうでしょう」

「良いのかな、うーちゃん機密まみれだけど」

「高宮中佐に確認とれば?」

 

 その明石は今、卯月の艤装を直している最中だ。D-ABYSS(ディー・アビス)のデータを抜かれたりしないよう、波多野曹長の監視つきである。

 

「じゃあ……卯月が起きたので……弥生はそろそろ、懲罰房に戻ります」

「あら、長居していいのに」

「……弥生はやらかしました。剃刀だけじゃなく、二人を危機に晒しました……罰は受けないと」

 

 卯月の意志に関係なく弥生は懲罰を受ける。既に決まったことだ。いくら相手が前科持ちでも、ここまでやらかして無罪放免とはいかない。前科戦線送りまでいかなくても厳罰になる。それは仕方のないことだった。

 

「どんな懲罰なんだぴょん」

「さあ……でも、大井さんに徹底的にしごかれるんじゃないかと」

「確かに言ってたわね」

 

 憂鬱そうな足取りで入渠ドッグから出て行こうとした弥生は、入口で立ち止まり振り返ると、ほんの僅かな笑みを浮かべて小さく手を振った。

 

「……またね」

 

 卯月も笑みを浮かべながら手を振り返し、弥生は去っていく。また会えるかなんて分からないが、次会えた時には、もうちょっと姉妹らしくできたら良いなと卯月は思う。

 ならば、尚の事死ねない。

 こんな糞面倒な関係にしやがった奴がなおのこと許せない。

 卯月は、『敵』への殺意を、笑顔の裏でますます滾らせるのであった。



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第91話 藤江華

 弥生が入渠ドックから立ち去った後、入れ替わりで明石が入ってきた。入渠が終わったとはいえD-ABYSS(ディー・アビス)の反動は大きく、なにか異常がないかの検査が必要だった。

 

 ついでに運とか色々測って欲しいと頼むと、明石は舌打ちしつつも承諾してくれた。身体を張ったことで弥生は態度を軟化させてくれたが、それでも認めない人が大多数だ。

 

 色々な機材を取り付けて、一通りの検査を行った後、結果が出るまでしばらく待機となった。まだ早朝だがこれ以上時間がかかると、他の艦娘が動き出す。弥生たちと違い彼女たちは戦いがあったことさえ知らないので、卯月が造反者だと思ったまま。

 厳しい目線に晒されるのはうんざりだ、早いところ戻りたかった。

 

 反動のせいで、歩くことさえままならない。以前同様車椅子での移動だ。ただ前と違って椅子に乗るまでは体が動いた。もっとも乗ってからは指先一本も動かない、ここまでが限界だが、進歩している。

 

「なあ、どれぐらい入渠してたんだぴょん」

「数時間ぐらい。今は秋月(アイツ)と戦った日の翌日よ」

「よし、短くはなってるぴょん」

 

 以前D-ABYSS(ディー・アビス)を解放した時は日をまたぐ長期間昏睡していた。身体を鍛えたお蔭で多少は反動への耐性がついたようだ。昏睡時間も短く、身体も動く。特訓の成果が出ていることは素直に嬉しい。

 

 誰かと会うのはゴメンなので、満潮に車椅子を押してもらいさっさとゲストルームへ戻る。入口には見張り役として波多野曹長が立っていた。

 曹長は卯月に気づくなり姿勢を正し敬礼を取る。反射的に卯月も敬礼しかけたが、激痛のせいでできなかった。

 

「無理は厳禁だ卯月さん」

「そ、そうみたい……ぴょん……」

「布団が敷いてある。暫くは寝ていることだ」

 

 言う通り扉を開けると卯月と満潮二人分の布団が敷いてあった。卯月は入渠を除くと、昨日から一睡もできていない。満潮は入渠している卯月を見ていたため余計に寝ていない。お互いに大きな欠伸が出てしまった。

 

「卯月さん、満潮さん」

「ぴょん……眠いぴょん、なんだぴょん」

「今回の戦い、見事だった」

 

 突然褒められたせいで、卯月は眼をパチクリさせながら固まってしまった。卯月の反応を気にせず波多野曹長は背中を見せたまま続けようとしたが、満潮がそれを止めた。

 

「なんで褒めてんの。護衛の艦娘は全滅したわ、最低限度の目的しかできなかった」

「そのようなこと、護衛達は皆了承している。全員沈む覚悟はできている。死の覚悟なく戦に赴く者はいない」

「知り合いだったのかぴょん?」

「私の部下だ」

 

 卯月はその質問を後悔した。背中しか見せないのは顔を見せたくないからだ。悲しんだり憐れんだりするのはある種の侮辱だから、態度に出さないよう努めている。同じ考えを秋月の前で告げた卯月にはそれが理解できた。黙って話を聞くことに勤めた。

 

「皆、艤装を護り抜いた。その艤装をお主等が鎮守府まで護衛してくれた。彼女たちの任務は完遂できた。無念とはならなかったのだ」

「……任務がなによ、死なない方が優先でしょ」

「そうかもしれない。だが彼女たちは務めを全うした。それが水泡に帰さなかったのはお主たちのお蔭だ、それは確かなことだ」

 

 曹長は振り返り、帽子を取って深々と頭を下げた。

 

「感謝と、敬意を」

 

 そこまで言われてしまうと満潮はなにも言えない。間に合わなかったせいで助けられなかったのにお礼を言われてしまった。むしろ不甲斐無さを痛感してしまい、情けない自分に満潮は苛立つ。

 

 言うだけ言って波多野曹長は扉を閉めた。部下が全滅した話なんてそうしたくはないだろう。遺体が回収できたのかさえ不明だ。卯月たちもこの話を続けたいとは思わず、無言で布団へ潜り込んだ。

 

 

 *

 

 

 穏やかな気分で寝ている卯月だったが、ドアをノックする音で目を覚ます。時間はお昼過ぎ頃、所属艦娘たちは食事に行っている時間だ。

 卯月はお腹が空いたと思いながら、布団から這い出て扉を開けた。

 

「どなたぴょん?」

「金剛デース!」

「ギャア!」

 

 金剛の大声を至近距離で聞き、塞がりかけてた鼓膜がダメージを受けた。卯月は悲鳴を上げて部屋を転げ回り泣き叫ぶ。その途中でうっかり満潮に肘が当たった。

 

「ぐべぁっ!?」

「う゛あ゛ーっ!」

「Oh……sorryデース」

 

 やっちまった。そう思いながら金剛は立ち尽くす。どうにか痛みが収まった頃、二人は涙目になっていた。

 

「痛いぴょん」

「本当にsorry、まさか、そこまでserious(深刻)だったなんて」

「気をつけてぴょん……」

 

 本当に死ぬところだった。こんな死に方真っ平御免だ。

 なんとか息を整えて、改めて金剛は話し出す。

 

「まず、わたし達のship's outfit(艤装)を護ってくれてThank Youネー!」

「うむ、うーちゃんを褒め称えるのだぴょん!」

「比叡は?」

提督(テートク)request(頼み)ネ。戦艦二人が、前科持ちのところに行くのはrefrain(控えて)欲しいみたいデース」

 

 卯月は納得する。戦艦二隻が動いて騒ぎになって、また白い目で見られるのは疲れる。その気遣いは素直にありがたかった。あの目線はだいぶ堪える。

 

「それで、その提督(テートク)が、二人を呼んでるノ」

「誰だっけ」

「藤江華提督でしょうが忘れるなよアンタバカなの」

 

 忘れているので言い訳できず、卯月は見るも恐ろしい形相で満潮を威嚇した。

 

「……それはなんでショウ?」

 

 心に深い傷を負った卯月。彼女は車椅子に乗せられて執務室へ連行された。人目につかないルートを通ってくれた。その気遣いに感謝する。

 提督、という存在に会うのはこれで二人目だ。提督によって鎮守府の雰囲気はだいぶ違うと聞く。どういう人なのか興味が沸くのは自然と言えた。

 

「どーゆー人なんだぴょん?」

「……アー、そうネー、悪い人じゃあないヨー」

「待って言い方がすっごい不安だぴょん」

 

 金剛がこんな言い方をするなんてどんな人物なんだよ。会って良いのか逃げた方が良いんじゃないか。

 なんとも言えない不安を感じながら、一行は執務室の前に着く。金剛はゴホンと咳ばらいをして扉をノックした。

 

「テートクー、卯月たちを連れてきたヨー」

『ああああッ! 待って金剛さん入らないでくださいマシ!』

『ダメ漣ちゃん! わたしはこうしなきゃ──』

 

 向こう側から秘書艦の漣と女性の声──そっちが多分藤提督だ──が聞こえた。うるさいぐらいの物音が鳴りまくっている。向こうでなにが起きているのか。金剛だけが察したように引きつった笑みを浮かべていた。

 

「待っとくかぴょん」

「はぁ? 呼んだのはあっちでしょ。そんな事情知らないわよ」

「ダメ満潮! 今Open(開ける)dangerous(危ない)! 二人のmental(精神)ガ!」

 

 制止もむなしく満潮は執務室の扉を開けた。

 

 そこにあった光景に二人の思考は停止。

 

 どういう光景かと言うと、『土下座』であった。

しかしただの土下座ではない。

 藤提督は紅く赤熱した巨大鉄板の上に座り、おでこを押し付けながらの土下座を慣行しようとしていた。

 

 もう一度言うと、焼けた鉄板に土下座をしようとしていた。

 

「止めないで漣ちゃん!」

「止めるに決まってんでしょーがっ! ナニコレこんな暴挙聞いたことがないッスよ!?」

「わたしがどれだけ卯月ちゃんたちに迷惑かけたか分かってるでしょ、ただの土下座じゃ足りないの!」

「そりゃ分かりますがこれは不味いでしょうが! この作品がR-18Gになっちゃいますって!」

「それがわたしへの罰ってことよ!」

「なーにが罰ですか! 第一こんなでっかい焼肉プレートどっから持ってきたんですか!」

「あきつ丸がくれたの、最大級の謝罪にはコレが一番って!」

「どこのあきつ丸ですかどこの! ええいこうなりゃ実力行使!」

「ギャー!」

 

 そっと扉を閉じた。

 焦げた肉の臭いがまだ鼻に残っていた。

 金剛は謝罪する。誰も責めない。

 あれは焼肉プレートだ。そうに違いない。

 

「ごめん」

 

 満潮を責める者はいなかった。優しい世界がそこにはあった。

 だがあきつ丸、お前のやらかしは波多野曹長に言っておくからな。

 皆の心が一つになった瞬間だった。

 

 

 

 

 改めてノックをすると、向こうから漣が返事をした。部屋へ入ると、黄色とも茶色ともつかない色合いの髪の毛をした、人間の女性が椅子に座っていた。

 彼女が藤江華提督だ。

 その顔は「*」マークになって潰れていた。漣がぶん殴ったせいである。

 

「前が見えねぇ」

 

 知らねぇよ。全員が同じことを思った。

 

提督(テートク)、話が進まないデース」

「あ、ごめんね金剛、連れてきてくれてありがとう、下がってて大丈夫だよ」

「また暴走したら大戦艦パンチを食らわせるデース」

「うう……ごめんって」

 

 しょんぼりするその姿は、とても提督には見えなかった。

 前科戦線の協力ありとはいえ戦艦水鬼を撃破しており、しかも轟沈艦もいない(秋月に殺されたのは憲兵隊の艦娘だ)。無能ではない筈だ。

 

「という訳で、コレが漣たちのご主人様です」

「どうも初めまして、挨拶が遅れに遅れてごめんなさい、藤江華提督です。よろしくね二人とも」

「今日帰るけどね」

 

 容赦ない一言に藤提督は倒れ伏す。

 ここまで挨拶が遅れる気はなかったのだが、初日は神補佐官との再会に気をつかい、夜は秋月の襲撃があったせいで、落ち着いて話せるタイミングがなかった。

 

「あのー、うーちゃんたちに、どういうご用件ですぴょん」

「謝罪したかったの。二人にはとんでもない迷惑をかけちゃったから」

 

 心の底から申し訳なさそうにしながら、机に頭がつくぐらいに頭を下げた。

 

「色々あり過ぎるけど、全部引っくるめてごめん。提督として謝ります」

 

 なんだそんなことか。

 大したことじゃない──と卯月が言い掛けた時、満潮が「ドン」と大きく地面を踏み鳴らした。

 満潮の顔は不満で一杯だった。

 

「なによ今更。殺されかけたのよ、謝って済むの?」

「うーちゃんもう気にしてないけど?」

 

 卯月の意見は聞いていない。

 頭を下げたままの藤提督に満潮は苛立つ。剃刀を仕込んだのは弥生だ、卯月の姉だ。姉妹の問題だからとあまり口を出さなかった。

 しかし提督が出てくるなら文句を言う権利はある。

 

「済むなんて思ってません。この場で殺されても文句は言えない立場です……でもわたしは、殺される訳にはいかない」

「殺そうとしてたのに、されるのは嫌だって? ふざけてんの?」

「はい、私は提督なので」

 

 提督だから殺されるのは嫌だって? 

 偉い立場だから死ねないとでも言う気なのか。

 あり得ない、部下のやらかしは上官の責任だ、連帯責任は軍の基本だ、そんな言い訳認める訳にはいかない。

 満潮の怒りが膨れ上がる。だが、藤提督はそれを制止する。

 

「部下がやらかしたら責任を取る、確かにそれは提督のお仕事です」

「だったら」

「でもそれは、それで問題が解決すればのお話です。今回はそうじゃない、私が自決したって解決しない。根本的な解決になりません。むしろ悪化しちゃうと、わたしは思っているんです」

 

 藤提督は満潮を刺激しないように、ゆっくりと言葉を選んで、考えが伝わるように話す。

 満潮の言う通り、責任は藤提督にある。

 しかしその上でも尚、辞職したり自殺したりする手段はとれないのだ。納得しなくて良いが、そのことは分かって欲しかった。

 

「ここの子の大半は卯月ちゃんを嫌ってます。この空気のままで、わたしに何があれば、みんなは真っ先に卯月ちゃんを疑うと思います。卯月ちゃんがまた何か仕組んだんじゃないかって考えて、下手をしたら、誰かが間違った仇討ちを始めるかもしれない」

 

 造反者の卯月が来訪し、立ち去って暫くしてから、もしも藤提督が辞職または自決したら。

 必ず直前まで居座っていた卯月を怪しむ艦娘が出てくるだろう。

 考えたくもないが、藤提督を慕っていた艦娘が復讐に動きだすかもしれない。

 そうなったら、どう転んでも悲惨だ。

 卯月たちにも、鎮守府の艦娘たちにも、碌な未来がなくなってしまう。

 

「皆、そこまでしないって、わたしは思ってはいるよ。でもその()()()が起きるのは死ぬより恐い」

 

 流石に反省しているが、実際弥生はやらかしている。()()()の片鱗は十分あった。

 まるで、部下を信じてないような言い方になることに、胸が締め付けられる。だが盲目になってはいけないのだ。

 都合よく信じて、流血ざたになったら、本当に『首』だけでは済まされない。

 

「だから、わたしが責任をとったって、何の意味もないの。それじゃあダメなの、『敬意』を払ったことにならない」

「ならどうするの、何もせず終わるの?」

「根本的なところは、卯月ちゃんが嫌悪されている所にある。それがあるから、殺人未遂さえ起きてしまった」

 

 藤提督の話を聞いて、満潮の苛立ちは多少軟化している。彼女もやらかすまでは普通の鎮守府にいたのだ。軍隊の理屈は分かっている。首になるとは思ってないし、ましてや自決しろなんて考えてもいない。

 

 だがなにもしない選択肢は許さない。

 

 D-ABYSS(ディー・アビス)に洗脳された卯月が、謝りもしなかったことにキレた時と同じ。

 満潮が求めているのは、ケジメのつけかた。誠意と言うべきものだった。

 

「提督のお仕事はみんなを護ることにある」

 

 申し訳なさに、提督は少し震えていた。

 しかし、背筋を伸ばし、真っ直ぐに満潮を見て、卯月を交互に見て、ハッキリと答えた。

 満潮はその態度に怯んだ。

 

「優先順位はあるけど、わたしは、全部を護りたい」

「……ぜ、全部?」

「国も人も貴女たちも未来も。わたしが死んだら貴女たちの未来が死んでしまうから……その、殺しかけた癖に、ご希望に沿えませんって感じで、不満ばかりだと思うけど……ごめんなさい、責任はそれ以外の方法で、必ずとる。納得できなくて良い、貴女たちへの『敬意』は必ず払うから」

 

 一切の淀みのない、光るような眼差しに満潮は黙り込んだ。全部を護りたいと言われて反論できなかった──からではない。

 その瞳が、眩し過ぎて今の満潮には直視できなかったからだ。

 目線を逸らしながら、か細い声を搾り出す。

 

「死ねだなんて思っちゃいない」

 

 弱々しい様子の満潮を、隣の卯月は訝しむ。

 キレ散らかして、偉そうに納得して出ていくかと思ったが、なぜこんな萎れた態度になっているのか。

 その理由を知る時は、まだまだ遠い。




艦隊新聞小話

 やぁぁぁぁっと、出てきましたね藤江華提督。名前の通り女性の提督さんです。
 轟沈艦はまだ一隻も出しておらず、かつ戦艦水鬼の撃破も成功させているので、大本営からは中々の評価を貰っているそうです。ただ、鎮守府内の空気がああなっているので、リーダーとしてはまだまだでしょうか。

 そんな藤提督ですが、中々に奇妙な髪色をしています。
 黄色のような、茶色のような髪色――要するに『カレー色』ですね。
 どうしてこんな奇怪な色になったかというと、比叡に料理の練習として、散々カレーを食べさせられたのが原因だとか。
 つまるところ人体実験!
 練習のおかげでカレーは美味しくなりましたが、何度も劇物を摂取した代償か、提督の髪の毛はカレー色に。
 染めても何故か一日でカレー色に!
 もうカレーは一生食べたくないと言い張り、間宮さんのカレーであろうが一口も食べていません。完全にトラウマですねコレ。

 ……比叡カレーを食べてこの程度で済んでるのは、マシっちゃマシですけど。


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第92話 日誌

 秋月との戦いから一夜明け、回復した卯月たちはやっと藤提督と会うことができた。

 そこで満潮は殺されかけたことへの怒りを顕にした。

 藤提督はそれに対して、悪かったと認めながらも、辞職したりましてや自決したりでしないと告げた。

 

 この状況で藤提督になにかがあれば、また卯月が疑われる。そしてまた卯月たちが酷い目に合う。それをしかけた艦娘もただでは済まない。

 そんな、誰も得しない展開は望んでいない。

 だから死ねない。責任感に苦しそうな顔をしながらも、藤提督はハッキリとそう言いきった。

 

「死んだり辞めたりする以外の方法ってことね」

「うん、そうだよ」

「なら良いわよ、ケジメをつけてくれるんなら、文句はないわ」

 

 そっぽを向いたままの満潮はなんなのだろうか。

 さっきまであんなに怒ってたのに、どうして急にしおらしくなったのか。卯月は首を傾げる。

 まあ問い詰めるつもりもなければ興味もない。今度は卯月が尋ねる。

 

「方法って、どうするんだぴょん」

「根本的原因は、卯月ちゃんの悪評があまりにも酷すぎること。それをなんとかするよ」

「うーちゃんの評判って……上げて良かったっけ?」

 

 前科戦線の仕事の一つは、()()()()ことだ。あえて迫害される部隊を作ることで、「あそこに配属されたくない」と強く思わせるのが、懲罰部隊のありかただ。

 藤提督もそれは承知している。

 ただ、今は嫌悪され過ぎている。完全に『敵』と見なされている。それは改善しないといけなかった。

 

「ぶっちゃけるとね、卯月ちゃんの悪評の原因は、わたしにもあるの」

「それは、責任者的な奴じゃなくて?」

「実行犯的な方です」

 

 悪評を吹聴していたのは、神補佐官だけではなかったのだ。

 

「波多野曹長からD-ABYSS(ディー・アビス)のことを教えて貰うまで、わたしも卯月ちゃんが、ガチの造反者だと思ってて。その……嫌悪感の余り……なんて悪い奴だって、周知してました。率先して」

 

 最高責任者までがそんなことをしてたら、部下に影響が出るのは当たり前だ。

 いくら神補佐官が慕われているからといって、所属艦娘のほぼ全員が卯月を嫌悪していたのは、それが理由だ。

 提督も嫌っていたから、神補佐官と親しくない艦娘たちも、嫌悪するようになっていたのである。

 

「あーあーあー、訂正訂正、ご主人様言い過ぎです」

「あれ、そうだっけ?」

「直接言ってはいないでしょうが」

 

 罪悪感の余り、余計なものまで背負おうとした提督を、漣が制止する。

 藤提督は率先してた訳ではなかった。

 だが、神補佐官が悪評を広げるのを止めなかった。艦娘たちが卯月の罵倒をしているのを見たら、本来止める立場なのに止めず、それどころか彼女自身も参加していたのだ。

 結局真相を知ったことで、ここまで悔やむ羽目になっているのだが。

 

「これって、直接言いふらすより性質が悪いんじゃ」

「あ、やっと気づきました?」

「うああ、わたしは卑怯者だぁ……」

 

 当事者にならず、周りに乗っかって責任を負わずに誹謗中傷を繰り返す。そんな行為だったと気づいた藤提督は、もう卯月の顔を直視できなかった。両手で顔を覆いながらその行いを後悔する。

 

「……こういうことなので、私が悪いの」

「でも、その責任は取ってくれるんでしょ? そうしてくれれば、構わないぴょん」

「ありがとう卯月ちゃん」

 

 グスグス泣き腫らしながら藤提督は頭を下げた。

 

「どんな手段が取れるかはこれから考えるけど。何とかして卯月ちゃんの悪評を極力なくしていくよ。最低限殺しにかかる子が出ないようにはする。もしも……真実を語って良い時が来たら、卯月ちゃんの名誉回復に協力するよ」

 

 それは本当に頑張って欲しい。卯月はそう思う。

 ただでさえ眼前の敵はヤバい連中ばかりなのだ。後方からも狙われていたら身が持たない。嫌わるのはもう仕方ないとあきらめ気味だが、殺されるのは不味い。

 しかし、名誉回復にまで触れてくれたのは意外だった。

 

「波多野曹長から、聞いただけなのに、良くそこまで信じてくれるぴょん」

「曹長さんだけじゃないよ、金剛たちや、松ちゃんたち、睦月ちゃんたちからも色々聞いて、きっと信じて良いって思っただけ」

「何言ってんスか。そもそもご主人様が神補佐官の言うこと鵜呑みにしてのが発端でしょ」

「だってぇ……被害者本人からの言い分だよ、信じちゃうよぉ……」

「それを最高責任者がやったらアウトでしょーがっ!」

 

 どこからともなく取り出したハリセンに叩かれる。提督と威厳なんてあったもんじゃない。この鎮守府では、提督と秘書艦の力関係が逆なのだと卯月は理解した。

 

「ま、止めなかったって意味では漣も同罪ですので……責任は、ご主人様と一緒に取らさせて頂きます」

「名誉回復かぁ、いつになるか分からないけど期待してるぴょん」

「そこは期待してて下さいよ」

 

 しかし、藤提督でもどうにもならないこともある。

 藤提督は困った様子で唸りながら、なにか方法はないか考えるも思い付かず、また申し訳なさそうにしょぼくれた。

 

「できれば、神補佐官もなんとかしたいな」

「……それは、無理しなくて良いぴょん」

「でも卯月ちゃんだって、ずっと嫌われっぱなしじゃ辛いでしょ?」

 

 その通りだ、なんだかんだ言いながらも、神補佐官との再会を願って戦ってきた。だが、やっと再会したのに、彼からは拒絶の言葉しかなかったのだ。

 弥生と和解する切っ掛けを考えてくれたが、神補佐官自身の恨みはまだまだ残っている。和解には到底至っていない。

 辛くない筈がない。本当なら昔のように戻りたい。

 

「ダメだぴょん、それはしなくて良いぴょん」

 

 首を横に振る卯月の顔つきは、心境を表すように暗かった。それでも卯月は手助けを断った。

 

「あれは、うーちゃんが受け入れるべきものだぴょん。心配は嬉しいけど、他人に介入してもらいたくない。うーちゃんの力で、関係を直さないと、ダメなんだぴょん」

 

 神補佐官と間宮だけは、卯月により殺されかけたのが発端だ。藤提督がどれだけフォローしても、抜本的解決にはならない。

 卯月自身が動かなければ、誰も納得してくれないだろう。だから卯月は断った。

 

「そっか……ごめんね力になれなくって」

「いや、真相を信じてくれただけでも十分だぴょん」

「なら良かった」

 

 卯月はこの鎮守府に来たことで、置かれている現実と世論を思い知った。

 今までになく傷ついたが、それだけではない。弥生とは多少仲良くなれたし、金剛たちの艤装も護れた。大井さんに特訓して貰うこともできたのだ。

 嫌なことばかりではない。それだけで十分だった。

 

「内通者なんて奴がいて、どうなるか私も分かんないけど……まずは、卯月ちゃんの身体が第一だから。貴女を大切にしてね」

 

 ふにゃ、と柔らかい笑みを浮かべる藤提督。卯月も照れ臭そうに笑い返した。

 その間、満潮はそっぽを向いて黙り続けていた。藤提督の一言を忘れようとするように。

 

 

 *

 

 

 藤提督と話した後は、一気に慌ただしくなる。最後の用事が終わったので、急ぎ帰投しなければならない。前科持ちがいつまでもシャバにいるのは許されないのだ。

 しかし卯月はD-ABYSS(ディー・アビス)の反動のせいで動けず、片付け諸々は全部満潮がやる羽目に。

 

「やったぜ」

「死ね」

「ざまぁねえぴょん」

 

 怪我人を更に痛めつけることはできまい。

 卯月は車椅子の上から勝利者の笑みを浮かべ、満潮を見下す。

 満潮はドロップキックを放った。顔面に直撃した。怪我人への配慮とかはなかった。

 

「たわばっ!?」

「ざまぁないわね」

「……満潮さん、早く作業を。卯月さんは余計なことを言うな」

 

 引っ繰り返って伸びている卯月に、波多野曹長の言葉は届いていなかった。くだらない諍いを何度かしながら、部屋の片づけを済ませ、憲兵隊の護送車に必要な物を入れていく。

 その中には卯月たちの艤装もある。

 考えたくないが、帰投の最中に襲撃を受ける可能性はある。深海棲艦だけではなく人間に襲われるかもしれない。自衛のためには艤装がどうしても必要だ。

 

「艤装はまだなの?」

「いや、もうじき明石さんが、持ってきてくれる筈だ」

「メンテナンスはバッチリってことね」

 

 対秋月戦で出撃した時、艤装に不調等は出なかった。明石の整備のお蔭だ。

 明石は仕事は真面目にやると言っていたが、その通りだった。前科組を嫌悪していてもメンテナンスはちゃんとしてくれた。

 私情を職務に持ち込まない人は信頼できる。満潮はそう思った。

 

 そう喋っていると、艤装を運ぶ専用車両がやってきた。運転しているのは明石だった。

 

「波多野曹長、お待たせしました」

「どうも明石さん、そこに艤装が?」

「はい、卯月さんのも、満潮さんのも、しっかり整備しておきました」

 

 憲兵隊の監視の元、お試しで艤装を接続してみる。缶も主砲も、魚雷発射管の調子も良好だ。

 良い仕事振りに満潮は一応お礼を言う。

 彼女たちを嫌っている明石は、軽く相づちを打つだけで済ませた。

 

 また、この整備の際色々データを計測したが、それらは全て削除されている。憲兵隊が確認済みだ。

 D-ABYSS(ディー・アビス)は、まだ機密事項扱いだ。そのデータが抜き取られて悪用されない確証はない。藤提督がやらなくても、悪意を持った誰かが盗む可能性はある。内通者までいる現状で、情報を残していくのは危険だった。

 

「ねぇ波多野曹長、秘密にしないで、明石さんにもシステム解析に協力して貰った方が良いんじゃないかぴょん。明石さんだって調べてみたいぴょん?」

「……まあ、正直解析したい気持ちは結構ありますね。これでもメカニックなので」

「ほらー、こう言ってるぴょん」

 

 このシステムが機密事項扱いになっているのは、あまりにも分からないことが多過ぎるからだ。深海のエネルギーを取り込み、艦娘を強化するシステム──または洗脳するシステム。という所までは分かるが、他が不明だ。

 作動条件も不明、どう作るのかも不明、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そんな状況なので、早いところ解明したいと思っている人は多いのだ。

 

「その権限はわたしにはない」

「えー、じゃあ誰にあるんだぴょん」

「お主が知ったところで、意味はないだろう」

 

 まあその通りである。ぶーぶー文句を言いながらも、卯月は反論しなかった。

 しかし、前科戦線だけでは解析に限界がある。必要に迫られれば他鎮守府の協力も仰ぐことになるのは間違いない。

 その時はその時、ということだ。当面の間は独力で解析を進める。そういうことで決まりだった。

 

「ああ、満潮さんに卯月さん。お二人に渡すものがあります」

「私たちに?」

「うーちゃんにも? は! まさか熱烈なラブレターとか!?」

「渡すもの焼却処分してきます」

 

 解体用の溶鉱炉へ歩いていく明石へ、卯月は泣きついた。

 

「まったく冗談も分からんのかぴょん……で、いったいなんだぴょん」

「まず満潮さんから、大井さんからこれを預かってきました」

「大井さんが、いったいなにを」

 

 渡された物はノートだ。しかし何冊にもなっており、さながら国語辞典めいた分厚さとなっている。

 パラパラ中身を見る。

 そこには、訓練についての情報が記録されていた。

 

 満潮は舌を巻く。とんでもない量だ。

 いったいこの情報を何年間積み重ねてきたのだろうか。大井が艦娘として生まれてから、費やしてきた修練の全てがそこに記録されているのだ。その辺の指南書よりもよっぽど実用性に特化している。

 

 これを使って訓練しろということか。

 自主練の精度があまりにも低かったから見かねたのだろうか。これから生き残るために活用しろと大井は言いたいのだ。

 

 あの訓練だって頑張って考えたのに。

 今まで考えてきたことを否定された気持ちになり、満潮はあからさまに不機嫌になったが、それでもノートは仕舞いこんだ。

 使えるものを個人的感情で無駄にするほど、満潮は愚かではなかった。

 

「それで、こちらが卯月さんに」

「なにこれ、日誌かぴょん?」

「ええ日誌です。弥生さんが渡してくれと」

 

 弥生が、なぜ、日誌なんか? 

 首を傾げながら日誌の一ページ目を開く。そこに書かれていたのは、これまでの暴言への謝罪と、これからよろしく、といった趣旨のメッセージが綴られていた。

 

「これはいったい?」

「交換日記ってヤツでしょ、まさか知らないなんて言わないでよね」

「ゴメンマジでなに?」

「……私が悪かったわ」

 

 ほぼ前科戦線でしか暮らしてないのでそういった文化知識が皆無の卯月。満潮は溜息をつきながら、それがどういったものなのか説明する。

 前科戦線と鎮守府、気軽に行き来することはできない。だから代わりに、これを使って関係を作っていこう。弥生はそう言いたいのだ。

 と、わざわざ満潮が説明する羽目に。

 

「なるほどなるほど、オーケー完全に理解したぴょん。でもそもそも手紙のやり取りなんて、うーちゃんたち許されてんのかぴょん?」

「刑務所の囚人だって手紙のやり取りは許される。検閲は入るが問題はない」

「それは良かったぴょん」

 

 勿論日誌を出す。返ったら早速出そう。弥生だけじゃなく睦月たちもこの日誌を見る筈だ。簡単にはいかないけど、少しでもいい関係になれたら嬉しい。卯月は嬉しそうにしながら日誌を大切に仕舞いこんだ。

 

「あ、そうだ、最後に……これ、計測した各ステータスの一覧です。護送車の中で見ておいてください」

「ありがとぴょん」

「お礼は要りませんよ、では私は仕事へ戻ります」

 

 やっぱりそう関わりたくないからか、明石はさっさと立ち去っていった。

 練度の書かれた紙を持って、憲兵隊の護送車へとと乗り込むと、外の音を遮断する分厚い扉が閉まり、車が動きだした。

 

 金剛たちも、松たちも、誰も見送りには来てくれなかったが、それは仕方のないことだ。別に永劫の別れになった訳じゃない。悲観する必要はどこにもなかった。

 卯月にとって初めてとなる、外の鎮守府来訪は、まあまあと言ったところで終わりを告げたのであった。




やっと藤鎮守府から帰投。金剛たちが来てから長かった。


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第93話 不運

 行きと同じではあるが。

 護送車のカーゴの中からだと、外の様子は全く伺えない。窓もない。防音効果のせいで音も聞こえない。

 ()()()()()()()()()()()()()、ノイズのように掠れていて、なんの音かは分からない。

 

 勘の良い艦娘だと、曲がった回数やエンジンの音等で今いる場所が分かってしまい、そこから前科戦線の位置も探り当ててしまう。

 特務隊の基地の場所は秘匿されている。

 そこがどこにあるのか、地図で指差せる人がいてはならない。例外は正規艦娘と、高宮中佐だけだ。

 

 もっとも、そんなデタラメな感覚器官を持つ艦娘なんて、この世にどれぐらいいるのやら。

 卯月は、硬い椅子に横たわりながら、そんなことを思った。

 D-ABYSS《ディー・アビス》の反動が抜けきっておらず身体が怠い。座るのさえ億劫だ。

 

 あとどれぐらいで基地につくのか。

 それも教えては貰えない。移動時間だけでも、基地の場所の絞り混みはできる。そうさせない為に、回り道とかをしている。余計に時間をかけている時もある。

 

「ねー、波多野曹長」

「何用か」

「あきつ丸はどーしたぴょん、運転手?」

 

 こんな時、弾けた言動で場をおかしくするあきつ丸がいない。

 というかカーゴの中にいない。運転手でもしているのだろうか。行きの時もそうだったし。

 

「いや、あきつ丸さんはいない。運転手は別の者が担当している」

「じゃああいつはどこに?」

「藤鎮守府の砂浜に顔だけ出して埋めてある」

 

 ちなみに後数分で満潮になる。あきつ丸は溺死するだろう。

 

「ナンデ?」

「危険物持ち込みと自殺補助の罰だ、慈悲はない」

「ああ……」

 

『謝罪がしたい? ならばこれがオススメであります!』とか宣い、巨大焼き肉プレートを贈呈したことへのお仕置きである。

 こんな物をプレゼントした結果、波多野曹長の怒りを買ったのである。

 

「万一生きていたら、入念な『研修』が奴を待っている」

「なんの研修だぴょん」

「機密だ。しかし、研修を終えたのなら、あきつ丸さんは実際模範的な憲兵に生まれ変わっているだろう」

 

 その『研修』絶対人格的に危険じゃねぇか。

 

「安全な研修だ。いいな?」

「アッハイ」

 

 憲兵隊の深淵を見た卯月はこの話題を取り止めた。

 

「暇だぴょん」

「明石さんから貰った奴見れば良いじゃない」

「あ、忘れてたぴょん」

 

 本当にうっかりしていた。果たして今のわたしはどうなっているのだろうか。ちょっとウキウキしながら、封筒からその用紙を引っ張り出す。

 満潮は大井から貰った教本を読んでいたが、一旦中断してそれを覗き込む。興味というか、卯月の練度は気になる。まさか抜かされてないとは思うが。

 

「えーと、練度は……60かぴょん」

 

 俗に言えばレベル60。まあまあと言った数値だ。

 真面目に練習をしないでこの練度。予想以上の伸び具合に満潮の機嫌は悪化した。

 それだけ、卯月の戦いが過酷極まっていたのだ。

 むしろ、実践経験皆無の状態から姫クラス三隻との戦いに駆り出されたのだ、生きているだけでも大したものだ。

 

 なお、真面目に練習していれば、レベル80ぐらいにはなっていた。

 

「で、運の値は。それが気になってたんでしょ?」

 

 他のステータスと違い、運の値は訓練では変わらない。鍛練で運が上下するなんて、意味不明なので当然だ。

 その値は大規模改修や、近代化改修により、存在そのものが変質することでしか変化しない。

 

 故に、卯月の運の値は、D事案により生まれ落ちた時──または、駆逐棲姫戦で近代化改修をしと時から、変化していない。

 

 普通ならば。

 

「は?」

 

 その数値を目にした卯月は、見間違いかと思い、目を擦った。もう一度見る。数値は変わっていない。

 

「……計測ミス?」

 

 覗いていた満潮は明石のミスを疑った。しかし他のパラメーターに異常値はない。運の計測だけ間違えるなんて考えにくい。

 

「これ、間違ってるかぴょん?」

「いえ、合ってるみたい」

 

 お互いの認識が一致しているか確認した。そこに相違がないのが分かり、二人はもう一度値を見る。

 

「えーと、卯月、アンタの運の初期値って」

「確か、『10』だったぴょん。改改装で『14』ぴょん」

「……ど、どうなってんの」

 

 その数値は正に異常だった。

 

 『-10』と書かれている。

 

 マイナスと間違いなく書かれていた。

 そんな数値はあり得ない。だが、計測は嘘をつかない。本当にマイナス10なのだ。

 こんな数値は、艦娘の歴史が始まって以来、一度も記録されたことがない。

 

「そうはならんでしょ」

「なっとる! やろぴょん!」

 

 あり得ないのだが、なってるものはなっている。

 それにしたって信じがたい。なんだよマイナスって。

 不幸で有名な某違法建築戦艦だって『5』である。マイナスなんて滅茶苦茶だった。

 満潮もひきつった笑みを浮かべている。

 

「まあ……納得できるけど……その境遇を見てたら……その運も」

「やめてマジやめてお願い」

 

 洗脳させられ仲間を殺して前科持ちになって、冤罪だと思ってたところに真実だと知らされ悪夢と幻に苛まれる体質になり、外では迫害される。

 不幸である。

 間違いなく不幸。マイナス値でも違和感はない。

 

「うん、卯月……ドンマイ」

 

 よりにもよって、満潮に心から同情された。

 卯月は本気で泣きそうだった。

 運が低いからといって、戦えなくなったり、生活に支障が出たりはしないが、でもマイナスはねぇだろ。

 

「不幸だぴょん……」

 

 とりあえず思うのは、これ以上不幸が加速しないことだけだ。これ以上行ったら、なんか周りまで巻き込みそうだから。

 

 その願いが聞き取られることはない。

 

 それどころか、この程度はまだ序の口なのだと卯月は思い知る。

 

 この直後に。

 

 

 *

 

 

 想定外の運の値に、思わず精神に傷を負った卯月は、しょぼくれながらふて寝を決め込んでいた。

 満潮も眠い眼を擦る。鎮守府で仮眠したが、まだまだ眠い。休める時は休むべきだと、目を閉じた。

 

 ガタゴトと心地よい揺れに身を委ねて二人は微睡む。

 どれぐらい時間が経ったのか。

 とても小さな話し声が耳に入り、卯月は目を覚ます。目線を動かすと、波多野曹長が無線機を口に当てて、小声で話していた。

 

「……曹長、なに話してるぴょん?」

「ッ! 起きていたのか、卯月さん」

「いや、話し声で。聞こえない方が良いぴょん?」

 

 卯月に気づかれたことに、波多野曹長は心の底から驚くも、すぐに平静を取り戻す。

 その会話は、あまり聞かれたくないものだった。

 しかし、気づかれては仕方がない。無関係でもない、話しても大きな問題にはならない。

 

 あるとすれば、それは心へのダメージだ。

 

 卯月は、遅かれ早かれ、()()に気づくだろう。曹長は溜息を吐いた。誰にも聞こえないような小さな音だった。

 

「溜め息? 疲れてるぴょん?」

 

 しかし卯月は気づいた。曹長が驚いているのに、卯月は気づいていない。

 

「……聞こえているのか」

「え? うん、てかなんだぴょん……みょーに煩いぴょん。渋滞にでも引っ掛かったかぴょん?」

 

 もう遅くない。卯月は気づいてしまった。話す以外の選択肢が消えた。

 こうなったら満潮も無関係ではない。

 聞いて貰うために、満潮をゆっくり起こす。

 

「なによぉ、眠いんだけど」

「満潮さん、静かに、重要な話だ聞いて欲しい」

「……どうかしたの」

 

 ただならぬ様子の波多野曹長に満潮も覚醒する。二人とも起きたのを確認してから、曹長は口を開いた。

 

()()()()()()()

 

 その言葉を聞いた瞬間、いつでも戦闘態勢に移行できるように、艤装を温め始めた。

 

 どういうことか、即座に理解できた。

 この護送車を何者かがつけている。憲兵隊の護送車をつける奴なんて、まず間違いなく碌な奴じゃない。

 

 しかし、それは向こうにとっても危険な行為だ。そんなことをわざわざしてくる。そこまでする理由がある。

 賊の狙いは明白。

 全員の視線が卯月へ集まった。

 

「うーちゃんの命か、D-ABYSS(ディー・アビス)か」

「どっちでも大差ないわね」

「ふーん、まったく人気者で困っちゃうぴょん。熱心な深海の蛆虫どもには砲弾をプレゼントしちゃうぴょん」

 

 ニコニコ笑ってはいるものの、その目は全く笑っていない。僅かな光さえ許さない暗黒の殺意で満ちている。隣で見てた満潮さえ、背筋が凍るような恐ろしさを感じた。

 だが、やる気に満ちる卯月を、波多野曹長が制止した。

 

「卯月さん、深海の化け物どもではない」

「へ?」

「ここは内地だ、奴らが入り込んでいれば、もっと大事だ」

 

 深海棲艦が、そのままの姿で上陸すること。

 それは、辺り一帯の滅亡を意味する。

 核ミサイルを撃ち込んだ方がまだマシと断言できるレベルの厄災が来る。

 そうなっていない今、深海棲艦は現れていない。

 

「じゃあ、追跡しているのって、誰だぴょん」

「……最悪ね」

「ミッチーに先に気づかれた。悔しいぴょん」

 

 ふざけたことを言っている場合ではないが、満潮への暴言は脊髄反射で出てくるので仕方がない。

 しかし、卯月も追跡者がなんなのか勘づきつつあった。

 

 

「つけているのは、『人間』だ」

 

 

 人が、護るべき人間が、敵意を以て追いかけてきている。卯月の思考が少しの間止まった。

 ただ、それは少しの間だけ。

 すぐ意識を取り戻し、深く溜め息を吐いた。

 

「……マジか、ぴょん」

「どうすんのよ曹長。出て戦うの?」

「た、戦うのかぴょん……」

 

 抹殺するつもりなのか、D-ABYSS(ディー・アビス)を取り返すつもりなのか。

 どう転んでも録なことにはならない。

 しかし、人間と戦うのは若干の抵抗があった。

 

 あくまで艦娘は人々を護るために在る。ロボット三原則に近い概念はあるので、自己防衛を非難されたりはしない。けど、存在意義と矛盾する行為はメンタルに来る。

 嫌そうな雰囲気を見て、満潮が苦言を呈する。

 

「なに怯んでんの。相手は敵よ。殺しに来てるのよ」

「は、びびってなんかいないぴょん。無抵抗なんてヤダぴょん……でも殺すのは」

「落ち着け。こちらからは仕掛けない。向こうから手を出して来た時だけだ」

 

 まだなにもしていないのに、こちらから襲ったら、敵は『善良な一般市民に一方的に襲いかかった前科持ちの無法者部隊』というレッテルを嬉々として張り付けてくる。

 

「……そっか、安心したぴょん」

 

 仕掛けないことに、卯月は胸を撫で下ろす。

 卯月には大きなトラウマがある。神鎮守府を壊滅させた時、艦娘だけじゃなく人間も殺してしまった。

 戦闘が避けられないなら諦めるけど、敵だったとしても、できれば戦いたくないのだ。

 

「仕掛けるとしても、それは最後の手段だ」

 

 ただし、黙って追跡されたままもアウトだ。基地の場所を特定されたら、秋月達の拠点襲撃が繰り返される。いくら機雷を巻いていようが、何度もそう耐えれる設計にはなっていない。だからどこかで撒かないといけない。

 しかし、それを手伝うことはできない。この護送車を運転している誰かを信じる他ない。

 

 緊張感に身体が強張っていく。そもそも誰が運転しているのか。ドライブテクニックは卓越しているのか。考えたってどうしようもない不安が浮かんでは消えていく。緊迫した空気に気を緩めることもできない。

 そうして耐えている時、波多野曹長が呟いた。

 

「傾くぞ、備えろ」 

 

 傾くって──まさか。

 振り落とされないようとっさに椅子にしがみ付いたその直後、車体がほぼ90度傾いた。

 地面に対してほぼ垂直の片輪走行を、護送車でやっているのだ。

 車の運転をしたことなくても、とんでもない荒業だと理解できる。

 

 それが一回では終わらない、右へ、左へ、急ブレーキやドリフトで宙を飛ぶ。

 撒こうとしているのは分かるが、どんな運転をしているんだ。外はどんな状況になっている。様子を伺いたいがそんな余力はない。

 椅子から手を放したら全身をあちこちにぶつける。

 

 造反の罪で、解体施設へ運び込まれる寸前だった時も、身体をあちこちにぶつけた。そのトラウマがフラッシュバックを起こし、吐き気が込み上げてくる。

 顔色が不味いと気づいた満潮が、振り回されながらも卯月を抱きかえる。

 

「こんな所で吐くんじゃないわよ!?」

「近くに来てくれ……お前にぶっかけるぴょん」

「止めい!」

 

 なんて、アホなことを言ったのが悪かったのだろうか。

 

「まずい伏せろ!」

 

 焦った大声で波多野曹長が絶叫する。

 

「ロケットランチャーだ!」

 

 その言葉よりも早く、ミサイルの衝撃が車を襲った。



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第94話 襲撃者

 護送車に乗って前科戦線へ帰投する途中で、人間たちの追跡にあった卯月たち。

 彼らの狙いはD-ABYSS(ディー・アビス)の確保。または卯月の捕縛。そのどちらかだ──そう思っていた。

 

 彼らは殺すつもりだ。そうでなければ、ロケットランチャーなんて撃ったりしない。

 

 直撃を受けた護送車は大きく転倒してしまう。動けなくなった車のハッチを特殊な道具で開けて、彼らは入り込んできた。

 全員マスクを被っていて、素顔は分からない。しかし、底無しの殺意は遮られずに突き刺さる。

 

 彼らの動きに迷いはなかった。

 卯月の姿を確認した瞬間即座に銃撃姿勢に入る。

 艤装を装備しているから、普通の兵器は効かない筈だ。けど向こうもそれは分かっている。

 それでも襲ってきた。艦娘にも効くなにかを持っているとしか、考えられない。

 

 殺される。

 

 そう分かっても身体が動かない。主砲を持ち上げることもできない。

 

 無抵抗に抹殺されかけた。

 

 だが、トリガーを引くよりも早く動いた影があった。

 

「イィヤァァァァッ!」

 

 瞬きをするよりも早く、波多野曹長が跳び蹴りを放った。

 それは一番近かった敵へ叩き込まれた。突然接近してきた誰かを葬るために敵も動く。

 

 しかし、誰も波多野曹長より早く動けない。

 

 ライフルを構えようとした瞬間、手首にチョップが撃ち込まれ手の甲が砕かれる。照準を合わせている隙にひじ打ちが顔面にねじ込まれる。その衝撃で取りこぼしたライフルを掴むと無造作に投げ、距離を取ろうとしていた敵の視界を塞ぐ。

 その一瞬で、曹長は射程距離内に到達した。

 

「イヤーッ!」

 

 腰だめの姿勢から鋭く突きだされた手刀が、敵兵の腸を()()()()()

 純粋な膂力のみで、人体に風穴を開けたのだ。

 常軌を逸した戦闘力に、卯月たちはあっけにとられる。目をパチクリさせている間に、全員地面に叩き伏せられてしまった。

 

 カーゴから這いずり出て周囲を確認する。

 場所は、森林地帯だろう。色々な木々が広がっている。

 あまりやりたくないがもし戦闘になったら、市街地では民間人が巻き込まれる。それを回避するため此処まで来たのだ。

 

「油断禁物だ。アンブッシュがあるかもしれぬ」

 

 まだ敵方の乗ってきた車が遠くに見えた。そこから増援が現れてもおかしくない。カーゴの中に身を潜めたまま、周囲を警戒する曹長を見守る。

 あんな力を持っていても、深海棲艦には無力だ。万一連中が出現したら、卯月たちが対応しないといけない。反動による痛みは忘れることにした。

 

 しかし、卯月はこのタイミングで漸く、装填されるライフル弾の音に気がついた。

 

 音のした方向を振りむくと、森林の奥に、キラリと光るものが見えた。

 

 それはスナイパー・ライフルのスコープが反射した光だったのだ。

 

「ぴょ──」

 

 悲鳴を上げる暇さえ与えて貰えなかった。サイレンサーに抑えられた発砲音が聞こえ、卯月はきゅっと目を閉じる。

 次の瞬間には、もう、脳天に風穴が空いている筈だ。

 死の恐怖を感じる卯月だが、どんなに待っても、その瞬間は来なかった。

 

「ぴょ、ぴょん?」

「わたしの手助けは不要だったようだ。さすがは高宮中佐だな」

「うーちゃん生きてるぴょん……?」

 

 卯月が殺されていなかったことに、満潮が舌打ちをしていたが聞こえないフリをしておく。

 全員の視線は森の奥に集まる。

 さっきまで狙撃銃を構えていたスナイパーが、逆に脳天をぶちまけて死んでいた。狙撃手が狙撃されたのである。

 

 森の奥からガサガサと歩いて来る音が聞こえる。

 聞こえる、のだが、なんか不安定だった。歩き方もペースも不安定。まるで倒れそうな様子。()()()のような音だ。

 そこで卯月は、助けてくれた人に気づいた。だが全く嬉しくない。

 

Ben tornato(おかえりなさい)~、うえへへへ~」

 

 クソッタレのアル重女(ポーラ)が、へべれけになってお出迎え。

 卯月たちは心底うんざりした。

 酔っぱらっているせいで千鳥足だ。持っている人間用の狙撃銃が暴発しないか心配になってくる。助けてくれたのは良いが、こいつは……こいつだけはちょっとアレだった。

 

「ポーラびっくりしましたぁ、まさか、Attaccato(襲われてる)なんてー」

「助かったポーラさん」

「急だったので、殺しちゃいましたけど~、まー、ti ho ucciso(問題ない)ですよねー」

 

 と、ポーラは言った。

 まさか殺したのか。

 卯月を狙っていた敵はポーラの狙撃を脳天に受けていた。風穴から脳味噌が溢れるのを見てしまい、一気に吐き気が込み上げる。

 

 瞬間、卯月の視界は真っ黒になった。

 視界も聴覚も、すべて幻に塗り潰される。身体が強張り、肌を裂かれる痛みが走る。

 

 無惨な姿になった人間の死体。それが卯月のトラウマを抉ったのだ。パニックに陥り発作が起きる。

 立つこともできず、その場へ頭を抱えて崩れ落ちた。

 

「あ、がぁっ……う゛う゛……ッ」

 

 またか、と面倒そうに満潮は卯月を抱き抱える。人肌の温もりを与えれば多少は落ち着く。身体を抑えれば自傷行為も止められるからだ。

 

「もしかしてポーラやっちゃいました?」

「コイツのメンタルが弱いせいでしょ」

「それも違うよーな」

 

 人間を殺して、死体を晒したのが原因だが、あそこで撃っていなかったら間に合わなかったかもしれない。誰が悪いとも言い難い。ただ気まずさは残る。

 

 満潮は、地面に転がる敵を見下ろす。

 彼らは気絶しているだけだ。内臓がちょっぴり破裂していたり鼻が潰れて呼吸困難になっているが気絶しているだけだ。

 波多野曹長が素早くロープで拘束したから、もし目覚めても動くことはない。

 

「こいつら、なんだったのかしら」

「内通者が仕向けた敵なのは確かだ。正体については、後で入念なインタビュー(拷問)をする」

「そう、徹底的にやってちょうだいね」

 

 ただでさえヘロヘロだったのに、襲ってきやがった連中だ。どんな経緯で雇われたか──そもそも傭兵なのかも不明だ──知らないが、念入りに痛めつけて貰わないと。

 

 そう話している間に卯月がモゾモゾ動き出す。

 目の焦点が合っている。発作が収まったようだが、だいぶ憔悴しており、一人では立てそうにない。満潮は引き続き卯月を支えていた。

 

「……アル重がいるってことは、ここは、前科戦線の近くかぴょん?」

「さー? ポーラも目隠しされてー、運ばれてきたので~」

「曹長に聞いても……機密でダメだぴょん」

 

 ポーラが現れたのは単純な理由だ。

 敵の追跡にあった。もしかしたら襲われるかもしれない。そう報告を受けたからだ。

 波多野曹長の護衛があっても万一はあり得る。それをカバーするために、高宮中佐が狙撃手(ポーラ)を送ったのだ。

 

「ポーラは、ここで待ってて狙撃してーって言われただけですよ。もーずーっと待ってたので、酔いが覚めそうでした~」

「そのまま待ち続けて干からびてれば良かったのに」

「酷いですよぉ~」

「……あの、うーちゃん、帰りたいぴょん」

 

 発作も相まって意識が朦朧としてきた。本気で倒れそうだ。気分も悪い。早く帰ってベッドで寝たい。

 幸い車本体へのダメージは殆どなかったので、艤装をつけた満潮が車体を元に戻し、一同は再び護送車に乗り込んだ。

 

 波多野曹長はまだ息がある敵が逃げ出さないか見張る為にその場へ残った。卯月たちの護衛にはポーラを送った憲兵隊の隊員がついてくれた。

 また襲撃されるんじゃないか。

 そんな恐怖があったが、流石に二度目の襲撃は起きない。

 

 カーゴのハッチが開いた時、目の前に広がっていたのは殺伐とした特務隊の基地の光景。

 見慣れた景色だったことに卯月は心の底から安堵した。

 

 

 *

 

 

 秋月襲撃から、弥生と話して、帰投中に襲撃を受け──ハッキリ言って息を吐く暇は全くなかった。

 戦闘の連戦で身体もちょっと汚い。入渠ドックはあくまで修理施設なので、肌の汚れとかは完全に落とせない。

 前科戦線のお風呂へ沈んだ瞬間、身体が溶けだしていく。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛~……」

「おっさんみたいな声ださないで……ふぁぁぁ……」

「人のこと言えねえだろが……」

 

 二人とも疲労困憊、気持ちの良い温かさに腑抜けた声が止まらない。全身が弛緩していく感覚がとても心地よい。

 なお、やはり卯月は満潮に抱き抱えられたままだ。発作を起こして溺死したら不味い。

 

「や……やっと、一息つけたぴょん。超疲れたぴょん」

「情けない奴。あのぐらいで疲れるなんて、艦娘としての自覚あるのかしら」

「眠たそうな顔で言われても説得力に欠けるぴょん」

 

 強がりを言っているが満潮も疲れている。

 水面に映る彼女の顔は指摘された通り。半ば船を漕ぎ、目蓋はほとんど閉じかけ。眠気をこれでもかと訴えている。

 ここで寝たら風邪を引く。

 お湯をバチャバチャ顔にかけて、寝オチしないように踏ん張る。

 

「あ゛ー、ダメ、もう本当に疲れたぴょん」

「うるさいわね……」

「やだ、髪が痛んじゃってるぴょん」

「知らないわよ……」

 

 こっちも疲れてんだから黙ってろよ。

 強がりを言ってた癖にそんなことを思う満潮。鬱陶しいのだが、その愚痴を止める気は起きなかった。

 背中から抱き抱えているから分かったことがある。

 とても小さいが、卯月はまだ()()()()()

 

「いやぁ、でもまあ行った甲斐はあったぴょん。神提督……じゃない補佐官とも話せたし」

「拒絶してたのに?」

「話せないまま死に別れるよりマシぴょん。弥生たちとも仲良くなれそうだし、これで良かったんだぴょん」

 

 その発言の半分ぐらいは本心なのだろう。

 つまりもう半分は嘘、もしくは強がりだ。

 会わないより状況が進展したのは確かだ。行かなければ一生弥生たちとは仲違いしたままだった。

 

 しかし、その対価は高過ぎるのではないか。満潮は内心そう考える。

 

 神補佐官には拒絶された。間宮は会ってさえくれなかった。弥生には殺されかけた。

 そして艦娘(秋月)と殺し合い、人間に殺されかけた。

 どれもこれも、卯月のトラウマをピンポイントで抉っている。かなりキツイ思いをしている。

 最終的にまあまあな所に行けたとしても、この過程は過酷だ。

 

 そんな感情を卯月は一切表に出さない。

 限界極まれば、何度かあったように怒りをぶちまけるだろうが、そうなるまでは隠し倒す。

 

 カッコ悪いのが嫌と言うのか、無様な姿を見せたくないのか。卯月はそういう奴なのだ。疲れてるのに喋るのを止めないのは、辛い感情を誤魔化しているに過ぎない。

 

「……アンタは」

「ぴょん?」

「いや、なんでもないわ」

 

 なにを言おうとしたのか、小首をかしげる卯月。

 満潮は眼を逸らす。

 誤魔化していることを、わざわざ指摘する理由はない。

 我慢のし過ぎて、こっちに迷惑がかからなければそれで良い。満潮はそう思い、出かけた言葉を呑み込んだ。

 

 

 *

 

 

 卯月たちが前科戦線に帰投し、風呂に入ってベッドで眠った頃。

 深夜の執務室に、光が灯っていた。

 室内では高宮中佐が電話をかけている。不知火はその隣で黙々と書類整理を行っていた。

 

「わたしだ、高宮だ。波多野曹長、今回はご苦労だった」

『お礼は要りません。仕事です』

「お前は昔から変わらないな」

 

 それは褒め言葉だ。平和維持の為には、手段を()()選ばず、粛々と任務をこなす姿勢。それは中佐が憲兵隊に居た頃からまったく変わっていない。

 

『彼女たちに汚れ仕事はさせられない。汚れ仕事は人間の仕事です』

「そうだ。お前の言う通りだ」

『……例外もいますが』

『おや、これは夜分遅くに、どうもあきつ丸であります。中佐どのも元気でありますか?』

 

 砂浜に埋められていたあきつ丸は満潮の中取り残されていた。

 つまり水中で数時間生存していたのである。

 何故なのかは、曹長にも分からなかった。

 

「お前は変わらなさすぎる。多少は成長したらどうだ」

『無理でありますなぁ、むしろ、昔よりも欲望を制御できるだけ、マシと思って欲しいであります』

『あきつ丸さん、不要なことは話すな。良いな?』

 

 こんな雑談のために電話をしているのではない。(当たり前だが)真面目な話をしたいから電話をしているのである。

 ゲホンと咳ばらいをして、中佐が切り出した。

 

「藤鎮守府は、『クロ』だったか」

『証拠はありませんでした。卯月さんが去った後に、通信等をするかと考え網を張りましたが、引っ掛からず』

『いやぁ、なーんにもなかったであります』

 

 尚あきつ丸が砂に生き埋めにされた件とは関係がない。あれは本当にただのお仕置きである。

 

『藤提督や神補佐官が内通者であるとは断定できません』

「そうか、卯月を送り込んだことで、反応を見ようと考えたが……なにもなかったか」

『未知の方法で、情報を外へ流している可能性もあり得ます。引き続き防諜は続けます』

 

 深海棲艦の一番厄介なところはそこかもしれない。兵力でも呪いでもなく、『未知』なところ。どんな手段を使ってくるのか予想もつかない。それでもやれるだけやる他ない。

 

『それと、もう一つ、例の件について』

「ああ、藤鎮守府でのイベントに現れた、狂人だな。奴は確か今……」

『本部でインタビューを行って()()()()

 

 卯月の造反を引き合いに出し、艦娘の危険性を訴えていた輩である。こいつのせいで弥生たちの楽しみが台無しにされたのだから、今回の一件の元凶と言っても良い。

 

『素正はやはり、反艦娘テロリストの一員でした。もっとも末端も末端。使い捨ての輩でしたが』

「だろうな……で、なぜあのような行為を。テロにしては非効率的過ぎる」

『その件で、信じがたいことが起きたのです。インタビューの最中に』

 

 そのテロリストの身に起きたことを聞いた高宮中佐は、己の耳を疑った。

 

『死にました』

「なに?」

『インタビュー中、突然意識を失い死にました』

 

 そんなことがある筈がない。こんなタイミングで都合よく突然死する筈がない。それとも任務失敗に備え、体内になんらかの爆弾が入れられていたのか。

 

「死因は」

『体内にできた腫瘍によるものです。司法解剖の画像データをお送りします』

「頼んだ」

 

 少し待つと、中佐のパソコンにそのデータが送られてきた。体内を切り開かれたテロリストの画像がモニター一杯に移る。

 腫瘍は大きかった。素人でも一目で分かるものだった。

 だが、それは異常にも程があった。

 

「……なぜ」

 

 敵はなにを考えているのだ。

 

 

 

 

 腫瘍は駆逐イ級の形をしていた。

 

 人間の体内に駆逐イ級が生えていた。



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第95話 欠落

やっとこさうーちゃんとケッコンカッコカリしました。やったぜ。後はお願いします改二を下さい。

青葉にも改二をください。


 卯月たちが藤鎮守府から帰ってきたことで、前科戦線はようやく通常運営に戻った。

 しかし、戦いはまだ終わっていない。

 D-ABYSS(ディー・アビス)を仕込んだ内通者の特定に、秋月の潜んでいる場所の調査。その調査をするための名目作りなどやることはいくらでもある。

 

 ただそれらは高宮中佐たちの仕事。前科組には関係ない。命令が来るまでは各々やりたいように過ごしている。彼女たちの任務は過酷極まる。死のリスクは普通の艦隊の比ではない。だからこそ、平時は自由が保障される。

 

 そんな中、同じように自由が保障されている卯月はと言うと。

 

「あばばばばば!?」

「んんっ、堪らない嬌声でありますな! はぁー……もっと痛めつけるでありますぅ!」

「ぐげぇぇぇぇ!?」

 

 あきつ丸に拷問を受けていた。

 

 内容としては電気を使った拷問だ。

 医療用ベッドに似た機械に大の字になって拘束され、四肢から電流を流し込まれる拷問。抵抗しようと思っても、しようない部類の痛み。

 

 内蔵が爆発し、血液は沸騰する。頭の中がミンチになるようにシェイクされ、穴と言う穴から液体を噴き出す。

 卯月にできることは、悲鳴を上げることだけだった。

 

「おっと、ここらで停止」

「あ、あぐ……」

「からの再起動っ!」

 

 また電流が流れ出して卯月は死にそうになる。

 なぜ、こんな目にあっているのか卯月はまったく分かっていない。理由を聞かされてもいない。呼び出されたらいきなり拘束されて拷問にかけられている。理由を考える余力はなかった。

 

 あきつ丸は首を傾げ、拷問を見ていた不知火に話しかける。尚電気は流しっぱなしである。

 感覚が遠ざかっていき、痛みも消えて、全部が冷たく分からなくなっていく。

 

 死ぬ。死んじゃう。

 

「むぅ、脈なしでありますな。いかがいたしましょう不知火殿」

「まず機械を止めては?」

「おお、申し訳ありませぬ卯月殿」

 

 言われて気づき、電気を止めた。それと同時に拘束も解除された。

 

 消えかけていた意識が戻り、また激痛に苛まれた。

 身体のあちこちから肉の焦げた不快な臭いが立ち上る。起き上がろうにも、電撃に狂わされた感覚では立つこともできず、無様に地面に落っこちてしまう。

 惨めにのたうち回る卯月を、あきつ丸は心底楽しそうに見つめる。

 

「どうでありましたか、このあきつ丸得意の拷問その一の素晴らしさ、楽しんでいただけましたでしょう!」

「死ねっ!」

「けっこう元気が残っているでありますな」

 

 悲鳴で掠れた声だが、本気の激昂だった。

 拷問で喜ぶかバカ。水鬼さまに首を締められるのは堪らないが、こいつのは苦痛しかない。

 

 今の卯月は、仇について触れられた時のように怒り狂っていた。目の瞳孔は限界まで開き、理性の欠片も感じられなくなっている。拷問は卯月の理性も削いでいたのだ。

 

「殺す、殺してやるっ、どういうつもりだ!いやっ、お前が内通者だったってことかそーだな!?」

「このあきつ丸が内通者と? 今更気づいたんでありますか? うわははバカでありますなー」

「シネ」

 

 怒りも殺意も臨界点まで振りきれた。

 こいつは敵だ。敵は殺す。こいつを囲っていた憲兵隊も全て殺す。憲兵隊を管轄してる陸軍も全員殺す。

 だが、電流の流れた身体は思うように動かない。指先一つを動かすので精一杯で、どうしようもない。激情を発散できず、卯月は叫びのたうち回る以外にできなかった。

 

「まあ嘘でありますが」

「……あ゛?」

「あきつ丸さん、もう良いですデータは十分取れました。これ以上は趣味と見なしますよ」

 

 いったい何だったんだ。まあ殺せば全部解決するか。そう思ったがやっぱり身体が動かない。

 卯月はあきつ丸に抱きかかえられ普通のベッドへ戻される。殺したい相手に介抱される屈辱に血管がプチプチ千切れていく。

 

「ぐぎぎぎ、悔しいぴょん悔しいぴょん。いったい何だってんだぴょん」

「何かと言いますと実験です。D-ABYSS(ディー・アビス)の作動条件の」

「作動条件だって?」

 

 これまでD-ABYSS(ディー・アビス)は三回作動に成功している。戦艦水鬼との一戦目、二戦目。そして秋月との交戦。

 この起動にデータを集めることができ、作動条件についていくつか仮説を立てることができた。

 考える作動条件として上がったのは、『死』であった。

 

「死ぃ?」

「ええ、卯月さん貴女この三回全部で死にかけたり、死人を間近で見たりしてましたね」

 

 一回目は顔無しの死体、二回目は首を締められて死にかけ、三回目は失血死寸前だった。

 艦娘は沈んだり、死にかけると深海棲艦に変容する。D-ABYSS(ディー・アビス)は深海棲艦へ近づくシステム。何らかの関係性を不知火や北上は見出していた。

 

 ところが、卯月の返事は予想外のものだった。

 

「……そうだっけ?」

 

 キョトンとして首を傾げる。

 卯月は不知火がなにを言っているか分からなかった。

 そうだったんだろうか? 

 D-ABYSS(ディー・アビス)が解放された時、何が起きていたのか全く思い出せない。

 

「まさか覚えていないのですか」

「そのまさかだぴょん」

「くだらない冗談を言ってはいませんよね」

「失敬な、うーちゃんは嘘が嫌いなんだぴょん!」

 

 失礼しちゃう。と卯月はプリプリ怒る。不知火はそれをスルーして考え込む。

 なに考えてんだろ。

 そう思いながら待つ。そう長く待ったりしないだろう。

 

「一先ず、話を進めますが」

「いや分かったぴょん。要するに『こいつを半殺しにして作動すっか試してみようぜ!』ってゆー試みだぴょん?」

「流石は卯月殿話が早いであります、素晴らしい実験だとは思いませぬか?」

「はっはっは、死んで?」

 

 こいつ何言っても胡散臭いんだよな。

 てか見込んだって、それは玩具としての意味合いではないか? 

 卯月はそう思った。

 その考えは概ね合っていた。

 

「で、結果はどうなんだぴょん?」

「もう一度データを取ったらもっと楽しめ間違えた、もっと確実なデータが」

「黙っててくれませんか?」

「嫌であります!」

 

 不知火があきつ丸に近づいた。

 

「データは取れました、十分な量です」

 

 あきつ丸は地面に頭から埋められていた。物理的に静かにさせられていた。

 

「結果は残念ながら、相関関係ナシと出ました」

「無駄に苦しんだだけかよチクショウ!」

「無駄ということが分かったのだから有意義な実験です」

 

 その対価は卯月の悲鳴。

 この結果に比べれば安い。

 卯月以外は全員そう考えた。納得できないのは卯月だけだが、彼女の意見が聞きいられることはあり得ないのである。

 

「接続されていた卯月さんの艤装、もといD-ABYSS(ディー・アビス)にはなんの反応もなかったので」

「原因が別だったんじゃないのかぴょん?」

「はい、もう一つ仮説はあります。『死』ではなく『怒り』の感情です」

 

 三回の起動の際、死に間近で接触していたが、同時に卯月は激烈な怒りを抱いていた。それが起動キーの可能性もあり得る。

 なので、理不尽な拷問を受けて、怒り狂っている最中も実は実験が続いていた。

 何をするか何も教えなかったのは、事前に知ってたら実験に支障がでるかもしれなかったからだ。

 

「ただこちらも相関関係ナシでした」

 

 本当に、わたしは、なぜ拷問にかけられたのか? 

 ただ痛めつけられただけの現状に、釈然としない思いを抱く。いやD-ABYSS(ディー・アビス)の調査には必要とは分かっているけど。

 不知火の言った通り、無駄と判明した成果が得れた。そうとしか言いようがない。

 

 しかし、不知火は無駄だった実験より気になることがあった。

 

「それで卯月さん、貴女D-ABYSS(ディー・アビス)の発動前後の記憶を全く覚えていないというのは、本当なんですね?」

「何度も言わせんなぴょん、そーだぴょん!」

「そうですか」

 

 覚えていない物は覚えていない。一々聞かれてもどうしようもない。それがいかに異常であるか、卯月は自覚できていなかった。

 

「おかしいとは思わないのですか。発動前後の記憶が、三回とも飛んでいることに」

 

 一回ぐらいならまだあり得る。あれだけの強化を齎すシステムなのだ、身体への反動以外にもデメリットがあってもおかしくない。記憶が飛ぶのも考えられる。

 それにしても三回とも同じように、()()()()()()飛ぶというのは都合が良すぎる。

 初めから()()()()()()()()()()になっているとしか思えない。不知火はそう考えていた。

 

「記憶を飛ばす設計になっている?」

「偶然だとしたら『バラつき』がある筈。穴あきチーズのように作動中の記憶がまばらに飛んでいるというのなら分かります。ですが、忘れているのは作動前後だけ。これが偶然なんですか」

「偶然、にしては、できすぎでありますなぁ」

 

 あきつ丸の言う通りだ。記憶がなくなるという曖昧なことが、三回も同じように連続起きた。これは偶然ではない。何者かがそうなるよう仕組んでいるのだ。

 

「なんでそんなことを?」

D-ABYSS(ディー・アビス)の作動条件を知られると、不都合がある。そう考えるべきかと」

「卯月殿、卯月殿は、最初の作動を覚えているでありますか?」

 

 神鎮守府の壊滅に繋がった最初の起動。

 そのことはよく覚えている。泊地棲姫に忠誠を誓い、仲間も人間も殺した。そのことに心の底から喜んでいた。

 最悪の記憶を思い出したせいで顔色が悪くなる。発作が起きそうだ。こんな記憶、忘れたくても忘れられない。

 

「なぜ、作動したでありますか?」

「なぜ……なにが、うーちゃんは……あの時……?」

「それも、やはり記憶が飛んでいるようですね」

 

 菊月たちと一緒に初陣を飾り、海に出た所で記憶は終わっていた。それ以降は分からない。そこから泊地棲姫に従うまでの間がすっぽり抜け落ちている。

 四回の起動全てで、その前後が消えている。

 

 不知火はただ、D-ABYSS(ディー・アビス)について細かく調べられれば。そう考えていただけだった。

 しかし、そこについて調べることは、敵のより深いところにまで繋がるのかもしれない。

 

 

 *

 

 

 あきつ丸たちによる拷問から解放された卯月は、ただちに自室へ転がり込んだ。

 いくらなんでも拷問された直後に動き回る元気はない。そんな化け物人間にだっていない。

 そう思いながら固いベッドに倒れ込む。フカフカの布団が良かったがそんな贅沢品ここにはない。カタログで買えばあるが卯月には手が届かない。

 

「痛い、これは死ぬ。あーっ死んでしまうぴょんダメだぴょん」

「そのまま死んでも私はなんら構わないんだけど」

「お前が先に死ねぴょん」

 

 満潮より先に死ぬなんて屈辱は許されない。歯を食い縛り苦痛に耐える。

 

「てゆーか満潮、お前、拷問見てたんなら止めろぴょん!」

 

 先ほど拷問を受けていた時、満潮は近くの部屋で待っていた。同じ部屋なので連帯責任。万一発作が起きたら行くためだ。なぜわざわざ別室なのかと言うと、満潮に拷問光景は刺激が強いからである。

 近くにいたのに止めてくれなかったことに文句をつける。

 満潮はバカにしたように笑い飛ばす。

 

「良い気味だわ」

「ゲスカスアバズレ燃えるゴミー!」

「はいはいそうね。ああ夕方からは訓練するから」

 

 こんなくだらない悪口、一々腹を立てても時間の無駄だ。満潮は自分の机に向き教本を読み始めた。

 大井から貰った訓練教本だ。せっかく貰った物を無駄にするつもりはない。暇さえあればそれを読み込んでいた。

 

「クソが……」

 

 話を聞くつもりがない。言うだけこっちが疲れる。

 卯月は卯月で自分の机に座り、一冊のノートを引っ張り出した。軽い装飾がつけられたそれは、弥生から貰った交換日誌だった。藤鎮守府から戻ってから結構忙しくて中々書く暇がなかったのだ。

 

 日誌の一ページには、綺麗な文字で『こんな形からですがよろしくお願いします』と書かれていた。間違いなく弥生だ。

 中身が短いのは、卯月が出立するまでの間に慌てて書いたからである。

 

「なにを書こうかなー、睦月や如月、モッチーも見る筈だぴょーん、悩んじゃうぴょん」

 

 ぶっちゃけ、長々と書く程話題に富んでいない。

 自分の身の周りの話を書くと、ほぼクソみたいな内容になるのがネックだ。『今日は拷問を受けましたあきつ丸は死ねって思いました』など書きたくもない。

 

「ぬぬぬ、マジで何を書けばいいぴょん」

 

 卯月は悩む。しかしそれは苦痛ではない。造反者になってからは、考え事と言えば辛いことばかりだった気がする。

 最近カタログ選びで悩んだがあれは楽しかった。それに近い感じがする。嬉しい悲鳴とはこういうことを言うのだろうか。

 

 夕方の訓練開始まで悩みに悩んで日誌を書く。過酷な戦いから別の方向へ意識を向けられる貴重な時間だ。大切にしなければならないものだ。




泊地棲鬼に忠誠を誓った時、いったいなにが起きていたのか。


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第96話 聴覚

 D-ABYSS(ディー・アビス)を仕組んだのは何者なのか、内通者はどこの誰なのか。

 現在憲兵隊や大本営の一部を中心に調査が進められている。

 それと並行して、前科戦線では秋月と戦うための準備が進んでいた。

 

 秋月の狙いは以前の戦いで明らかになっている。

 D-ABYSS(ディー・アビス)を搭載している卯月を始末し、敵へ繫がる証拠をなくすことだ。

 その為に秋月はあらゆる手段を講じて襲いかかってくる。基地の結界を破り直接攻め込んでくるかもしれない。

 

 だが逆に秋月を捉えることができれば、彼女のD-ABYSS(ディー・アビス)を解析することができ、更に奥へ踏み込むことができる。

 再戦のチャンスは必ずやってくる。その時決して負けないように徹底的な訓練が続いていた。

 

「嫌だー! もう動きたくないぴょーん!」

「やかましい! また大量出血で迷惑かけたいの!?」

「それも嫌だけど訓練も嫌だぴょん!」

「ならここで死ね!」

 

 徹底的な訓練であった。

 隙があったら即逃げようとする卯月を掴まえるという押収が繰り広げられていた。

 

「掴まった……ぴょん」

「逃がす訳ないでしょ、アンタについてはドック行きでも良いから鍛えろって言われてんのよ」

「高宮中佐、恨むぴょん」

 

 根を上げようが吐こうが発作を起こそうが関係なく、過酷な訓練が続けられている。

 敵の狙いは卯月だ。しかし秋月に真っ向から戦えるのも卯月だ。卯月が戦力にならなければ、この戦いは不利になる。なんとしても強くなってもらわないといけないのだ。

 

「ううう……いつまでうーちゃんは訓練するんだぴょん」

「艦娘やってる限り永遠でしょ。ほらさっさと動き回りなさい!」

「鬼畜!」

 

 満潮は卯月へ砲撃(模擬弾)を放つ。対秋月用の訓練をする前に、卯月は基礎能力を上げなければならない。いつまでも素人では本当に困る。

 次の秋月との戦いまでに、前科戦線の標準スペックまで上げる必要がある。体力が尽きたら入渠で無理矢理復活させる。その繰り返ししかない。

 

 そうする為に、前科戦線では珍しい光景になっていた。

 

「スナイプしま~す」

「とぉぉぉおおぉう!」

「クマー」

 

 普段、好き勝手に過ごしている他の前科組も訓練に協力していた。熊野が砲撃し、球磨が雷撃を放つ。その隙間をポーラが狙撃で潰していく。

 逃げ場などない。普通に動くだけでは押し潰される物量だ。卯月は生き残ろうと必死で走り回る。

 

 前科戦線の艦娘として求められるのは戦闘技術よりも生存技術。駆逐艦が生き残るのに必要なのは、当たらない技術だ。

 

 まず死なないこと。

 言う必要もないような基本を、今になって身につける羽目になっていた。

 前の戦いのように、片手を失って戦闘に支障をきたすのはもう許されない。

 

「反撃がないですわ」「回避行動が大き過ぎるクマ」「逃げ方がー、分っかり易いです〜」

「一斉に喋んなパニックになるぴょぐべぇっ!?」

「余所見すんな!」

 

 満潮の攻撃が顔面に当たり海面を転がる。受け身を取り損ねて痛い。それでも誰も攻撃を緩めてくれない。

 酷い奴等だ惨い奴等だ。

 ここまでボコボコにする必要ないじゃないか。

 なんて言っている暇があったら、さっさと立ち上がって逃げた方が良い。また被弾するのは屈辱だ。

 

 ヒイヒイ言いながら逃げ惑う卯月。身体を動かせばその分体力がついてくる。何事もまずは体力をつけなければいけない。

 身体が頑丈に成れば、その分D-ABYSS(ディー・アビス)の反動に耐えられるようになる。そういう意味でも基礎訓練は重要だった。

 

 なおこの訓練、終了条件は一応設定されてる。

 

 それは、演習艦隊全員をダウンさせること。

 

 無理だった。

 

 こっちは逃げるので精一杯、必死で狙いを定めて砲撃しても簡単に避けられる、当たりそうになっても他の奴がカバーしてしまう。どうすれば倒せるのか考えても、疲弊した頭はまともに回らない。訓練を終わらせない為に不可能な条件にしているとしか思えない。

 

「クソゲーだぴょん!」

「何をおっしゃっているのでしょうか。さっさと倒せばいい話ではないですか」

「できねぇから言ってえ゛ヴぉあ!?」

「余所見!」

 

 攻撃が当たってダウンしたところに攻撃が殺到する。

 絶対にダウンさせてやる。

 そんな気迫が伝わってくる気合の入った攻撃だ。訓練に集中してくれている──普通ならそう思う。だけど、このやる気の理由を知っているせいで、ただ腹が立つだけだ。あいつらのキラキラした目を見ると憎悪さえ湧いてくる。

 

「畳みかけるクマ絶好のチャンスクマ!」

 

 普段好き勝手な前科組が何故こんなにやる気なのか。

 

 

「お給金アップのチャンスですわ!」

 

 

 最低の理由だった。

 

「こいつをダウンさせた分給料が増えるから頑張って」

 

 全員のやる気に火がついた。情け無用で攻めたててくる。殺気さえ感じられる。

 卯月は願う。この銭ゲバ共め地獄に落ちてしまえ! 

 その願いは届かない。なぜならここは既に地獄だからである。

 

 協力を募るために、満潮は波多野中佐に報酬アップの約束をとりつけていた。卯月の成長は前科戦線存続に関わる重要事項。また卯月だって貴重な戦力。これ以上遊ばせておく余裕はない。中佐は快く提案を了承した。

 

 提案しといてなんだが、認めてくれるとは思っていなかった。それだけD-ABYSS(ディー・アビス)の一件が深刻ということなんだろうか。

 

「まあ、上手くいってるから良いけど」

 

 周りに聞こえないような、小さな独り言だった。

 

「良くねぇんだよこのクソカスが!」

「暴言吐いてる余裕があるクマ?」

「あ゛ーっ!?」

 

 距離を詰められてからのベアハッグに卯月は倒れ伏す。トドメをさそうと砲撃が集中。重い身体に鞭打って立ち上がりまた逃げる。叫ぶ余力もなくなってきたのか、無言かつ真顔のままだ。

 

 しかし、体力はもう底をつきつつある。

 砲撃が掠める回数はどんどん増え、あちこちがペイントに染まっている。足取りもおぼつかない、視界も揺らいでいる。

 そんな状態で長く持つ筈もなく、ポーラの狙撃を受け、卯月の意識は撃ち抜かれた。

 

 ここまでが卯月にとってのワンセットである。無理矢理詰め込む非効率なやり方だ。大井にまた非難されそうだが、時間がないんだからしょうがない。

 

「さっさと復旧してくださいまし。もっとダウンして給与アップに貢献するのですわ」

 

 ドックへ引き摺られていく卯月。

 特に可哀想とかは思わない。ざまあみろとは思う。いい気味だとも思う。訓練をサボり続けたツケだ。

 そんなことより気になることがある。

 

「……今の独り言、あいつ聞こえてたの?」

 

 わざと聞こえないよう言った訳じゃない。本当にただの独り言だから小声になっただけだ。たまたま風に乗って聞こえたのかもしれない。

 それでも、聞かれるような大声だったろうか。

 高速修復剤で強制復帰させられた卯月を眺めながら、拭えない違和感を覚えていた。

 

 

 *

 

 

 訓練開始から数時間。まだ訓練は終わらない。

 

「ヒュー……ヒュー……」

 

 過呼吸で死にかけてるが訓練は止まらない。給与アップに目が眩んだ熊野たちの一方的な暴行に晒される。

 ダウンする度に入渠しているので体力は回復している。持たないのは気力の方。今日一日で何回臨死体験をしてるんだわたしは。

 助けを求めたところで、誰も助けちゃくれない。涎と涙でぐちゃぐちゃになりながら、這いずるように逃げ惑う。

 

「まだ訓練を終わらせるつもりはないのかクマ?」

「当然でしょ。もっともっと苛め抜かないとダメよアイツは。というか球磨さん貴女は参加しないの?」

「小休止。ちょっと休むクマ。ずっと撃ってて疲れたクマ」

 

 球磨はそう言って満潮の隣へ座り込んだ。

 疲れた、とは言うものの、球磨は午後過ぎから日が暮れるまでずっと訓練につきあっている。それだけ動き回ってほとんど息が上がっていない。恐ろしい体力である。呼吸困難になっている卯月とは雲泥の差だ。

 

「球磨さんから見てどう。ちょっとはマシになっている?」

「……普通?」

「どういう評価よ。いや言いたいことは分かるけど」

 

 卯月の成長度合いは、ざっくり言えば普通だった。

 無能ではない。半ばパニックになりながらも言われた指摘は直そうとするし、逃げ惑いながらも、どう逃げるべきか常に考えている。酸欠で頭は回ってないようだが、重要なのは思考を意識することだからそれで良い。

 だが、それでなにか、一気に成長している訳ではない。少しずつ動きは良くなっているが……良くなり方が普通だった。

 

「別に突出したところもないクマ。回避練度、反撃の精度、不意を突かれた時の立て直しも、悪くはないけど平均的クマ」

「睦月型ってスペックを念頭に置いたら、むしろマイナスかしら」

「なんというか、尖ったところが見当たらないクマ」

 

 散々言うが悪くはない。むしろ良い方だ。何だかんだで戦闘を積んだ経験も活きている。成長は早い方だ。

 なのだが、普通なのである。

 指導する側から見るとどこを伸ばせば良いかさっぱり分からない。どこをどうすれば良いんだコイツ。球磨と満潮は若干困る。

 そこで、先程感じた違和感を満潮は思い出す。

 

「……そういえば、アイツ、変なところがあったわね」

「どうかしたのかクマ?」

「いえ、大したことじゃないんだけど」

 

 普通なら聞こえないぐらい小さな声を、卯月が聞き取っていたことを球磨に伝える。

 満潮は気づいていないが、こういったことは一度ではない。前の方だと──戦艦水鬼の、千切れた腕からの砲撃に気づいたこと。最近だと──波多野曹長の小さな溜め息に気づいたこと。

 

「耳が良いってレベルの良さじゃあなさそうだクマ」

「風に乗って聞こえたって可能性もあり得るけどね。きっとそっちじゃない?」

「じゃあ試してみるかクマ」

 

 試すってなにを。

 満潮がそう思った直後、球磨は唐突に主砲を構えた。

 そして演習中の卯月目がけていきなり砲撃を放つ。他の人の砲撃と混じったせいで、その炸裂音が()()()()聞こえない。

 死角から迫るそれは完全な不意打ちになる。だが、球磨の考えが正しければ。

 

 砲撃が、卯月の後頭部まで迫る。

 

「どわぁっ!?」

 

 直撃のギリギリで卯月は気づいた。

 だが、目視してから回避しようとしたせいで一手遅れて顔面に被弾。顔が真っ黄色に染まってしまった。

 しかし、卯月は確かに、気づきようがない砲撃に気がついた。それが証明された。二人は卯月の異能を察する。

 

「どうやって、気づいたのかしら」

「音が絡んでるとは思うけど……聞いてみるクマ。向こうから来ているし」

「あー、怒ってるわね。良い気味」

 

 遠くからあからさまに怒った様子で近づいてくる。頭の上から蒸気を噴出させて「なにさらすんじゃボケナスが!」と叫んでいるが、極めてどうでもいい。なぜ気づけたのかを確かめるのが先だ。

 面倒なことを言い出す前に球磨が、なぜ分かったのか聞きだす。

 

「さっきの不意打ちが、なんで分かったのかかぴょん?」

「そうだクマ。何か聞こえたのかクマ?」

「えーと、あれだぴょん。風を切る音が聞こえたんだぴょん!」

 

 ごく当たり前のように言い放つ卯月。

 球磨と満潮は、それが異常だと理解していた。

 これが、静かなところで起きたのなら普通だ。砲弾が風を切る音ぐらい聞こえるだろう。

 だが、卯月は演習をしていた。

 周囲には絶え間なく激しい炸裂音が鳴り響いている。無数の砲弾の風切り音もしている。球磨の砲撃の放つ音は他の音に掻き消されていなければならない。

 

「な、なんだぴょん。なんで皆フリーズしているぴょん」

「……これでしょうね」

「ああ、ここを徹底的に強めるべきだクマ。尖った所があって良かったクマ」

 

 爆音と炸裂音に塗れた戦場でさえ、全ての音を正確に聞き取ることができる。レーダーには劣るが、全方位が見えているのと同じことだ。

 鍛えれば攻撃だけでなく、死角に回り込む敵の存在が、密かに発射された雷撃にも気づけるようになる。

 

「てかアンタ、耳が良い自覚なかったの」

「………………特技ってのはここぞって時まで隠しとくものだぴょ」

「嘘嫌いなんじゃ」

「すいません嘘です自覚していませんでした」

 

 あからさまに間が長かった。

 

 ともかく伸ばすところが見つかったのならそれで良い。これでこの話はお終いだ。

 

 そうしたかった。しかし満潮は思い出してしまう。もう一つ聴力関係で引っ掛かることがあったことを。

 

「待って卯月。アンタ、金剛さんたちの艤装を見つけた時……何の声を聞いたの?」

 

 藤鎮守府で艤装の護送を頼まれた時、暗闇の中で卯月は、何かの声を聞いて艤装を発見した。しかしあの場にいたのは卯月たちを除けば死人だけ。

 声を発せられるような存在は、どこにもいなかった。

 なのに卯月は、誰かの『声』を聴いていた。これはただ耳が良いで片付けていいことではない。

 

「……わ、分からないぴょん」

 

 卯月の聴力が高いのには、なにか理由があるのではないだろうか。パッと思い当たるのはやはり例のシステムだ。

 この長所は、果たして手放しで喜んで良いのだろうか。

 どう考えても、『怨霊』の声を聞いたとしか思えない。

 僅かな不安が一同の間に流れた。




卯月=卯=兎=耳=聴覚。という安直極まった発想。伏線は張っておいたぜ。


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第97話 戦術

 気絶寸前ってか気絶するまで訓練。気絶したら入渠させて強制復帰。それを丸一日続けて、たらふくご飯を食べてたっぷり寝る。次の日も同じように馬鹿みたいな訓練をこなす。

 それが卯月にとってここ数週間の日常だった。

 最初こそゲロを吐き根を上げて泣き叫んでいたが、やってれば慣れていくもので、最近はかなりマシになっていた。

 

 訓練開始数日は数分で全身くまなくペイント塗れ。三十分以上動き回ったら体力切れ。それ以上行くと気力も切れて気絶。

 そんな状況だったのが、気絶は数時間に一回。一時間は動き回れるように。最終的にペイント塗れだが、そうなるまでに三十分以上はかかるようになった。

 

 そして今日に至っては、数時間戦闘を続けて、全身がペイント塗れに()()()()()()()()()

 

「むー、いい加減ダウンしてくださ~い」

「やなこった!」

「意見はぁ~聞いてませ~ん」

 

 球磨の砲撃と、熊野(軽空母版)の空爆でできた死角からポーラが狙撃する。しかしその狙撃音は卯月に聞こえていた。だからって簡単に回避できやしないが、攻撃を把握して回避行動に移ることができる。

 しかも、振り返らないままだ。

 まるで後ろに眼玉がついているような動きで狙撃を回避。反撃に砲撃をおみまいしようとする。追撃をそれで止めるのだ。

 

 だが、それは卯月の隙になる。

 球磨がその隙を突いて魚雷をばら撒こうとした。それに気づいた卯月はポーラへの追撃を即諦め──ず、適当に一発撃って魚雷から逃げる。

 あてずっぽうで撃った砲撃はポーラには当たらないが、多少の牽制にはなる。少しだけ狙撃が止まった間に雷撃を回避。

 

 回避運動中にも忘れずに空爆への対空砲火を行う。勿論それも()()()()()()。プロペラの音が聞こえている。見なくてもどこをどう飛んでいるかが卯月には分かった。

 

「ふははははは見える、見えるぞ、もはやこのうーちゃんに敵はいな」

「この動きの予想ができますか?」

「あ、無理だわこれ」

 

 けど、それと艦載機の動きの予想は別問題。

 数週間努力しただけの奴に負けるのはプライドが許さない。熊野もまた、卯月にはまだ予測できないであろう動きで艦載機を操作する。

 場所は分かるが対空砲火が当たらない。と、そのことに戸惑った時には、ポーラが再び狙撃体勢に。そして球磨が見当たらない。

 

「あ、死んだぴょん」

 

 意識が逸れたせいで近づく音を聞きそびれた。球磨の最接近を許したせいで一気にベアハッグを喰らう。動きを封じられた顔面にヘッドショットまで喰らう。熊野の爆撃が殺到。

 

「ぐぎゃぁ!」

 

 少し油断したせいで卯月はまだ全身ペイント塗れたになってしまった。爆撃の衝撃で海面をゴロンゴロン転がっていく。

 勿論球磨たちは容赦なく追撃をかける。

 分かっている、何回も同じことをやられたのでもう慣れた。痛みを堪え直ぐに受け身をとり体勢を立て直す。

 

「次は殺してやるぴょん!」

 

 そう息巻いてまた突っ込もうとする。

 しかしそこで、満潮からのストップがかかった。

 これからわたしの大逆転劇が始まるところだったのに。嫌がらせで中断しているに違いない。ならこっちにも考えがある。

 

「貴様から死ぬぴょ!」

「もう夜になるから訓練終了よ球磨さんたちもお疲れさま」

「がぁぁぁっ!」

 

 卯月の不意打ちは分かりきっていた。「貴様から~」と言い出した時にはもう反撃をしていた。

 その砲撃を頬に喰らい飛んでいく卯月。

 彼女を無視して球磨たちは少し疲れた様子で陸に上がる。風呂に入ったりご飯を食べて、プライベートタイムを過ごすのだ。

 

「うう、まだやれるぴょん」

「どこがよ。私の砲撃音聞こえてなかったでしょ。だって回避行動もできてなかったじゃない。そんなんでもう演習は無理よ」

「やだー、まだやれるー!」

 

 子供のようにダダを捏ねる卯月。満潮は汚いモノを見る目で一瞥。卯月は深く傷ついた。

 満潮は許さんいつか泣かせてやる。

 至極どうでも良い誓いをしながら、渋々立ち上がり満潮と並んで陸へ向かう。

 

「しかし珍しいわね。まだやりたいだなんて。アンタの性格上「ヤダヤダヤダもう帰りたいぴょん!」って言いそうなのに」

「「ヤダヤダヤダ」が下手。12点」

「物真似コンテストしてんじゃないんだけど?」

 

 しかし私の真似をしてヤダヤダ言う満潮は見ものだった。録音機を持ってこなかったことが悔やまれる。

 それはまあどうでも良い。

 確かにわたし自身珍しいとは思う。訓練は苦しいから嫌いだが、今は続けたいと思っている。その理由はちゃんと自覚している。悔しいからだ。

 

「さすがにさー、ここまでぼろ負けしておいて、一回も勝てないのは悔しいぴょん」

「驚いた。アンタに悔しいなんて感じるプライドがあったなんて」

「お前はうーちゃんをなんだと思っているぴょん?」

 

 本当に失礼な奴。

 見て分からないのか。わたしはどこからどう見ても気高く美しく愛らしい誇りの化身みたいな生き様を貫いているじゃないか。

 満潮の目は節穴だ。もしくは脳味噌が爆発しているに違いない。

 

「可哀想な奴だぴょん」

「なんかとんでもなく失礼なこと思っていない?」

「頭が腐って蛆虫の巣窟になっていると思ってるぴょん。む、腐敗臭が」

 

 脳天に強烈なチョップが叩き込まれ卯月は倒れた。無造作に首根っこを掴まれて陸へ運ばれる。

 

「悔しいってアンタ、その鬱憤は秋月にぶつけなさいよ。敵はあっちでしょ」

「うーちゃんを侮辱する連中は全員敵だぴょん。例外は水鬼さまだけだぴょん……ああ水鬼しゃま」

「気持ち悪い顔……」

 

 戦艦水鬼を思い出し恍惚としている表情は、ぶっちゃけ直視したくなかった。

 

 引き摺られて陸地へ。そこで入渠する前に北上さんへ艤装を預ける。

 この演習の目的には卯月の艤装を調べる目的もあった。数日前の拷問による『死』と『怒り』のテストは失敗した。なら原因は他にあるか、または複合的な理由か。そのどれかになる。

 起動条件を確かめるには、結局D-ABYSS(ディー・アビス)を何度も使ってデータを集めるしかない。

 

「はいお疲れさまー、でどーお、起動した?」

 

 卯月と満潮は首を揃えて横に振った。

 結局、数日間演習を続けても、その過程で瀕死に追いこんでもD-ABYSS(ディー・アビス)は解放されなかった。

 思ったような成果が得られなかったことに、北上は露骨に落胆。自分たちのせいではなないが、卯月たちも気まずそうにしていた。

 

「別の条件なのか、それともまだ見落としている条件があるのか。やっぱりデータが全然ないのがネックだねぇ」

「むー、力になれず申し訳ないぴょん」

「いや良いよー、下手に起動してまーた暴走されてもアレだし」

 

 また黒い欲望に呑まれて狂い、悍ましい醜態を晒すのは断固御免だ。このシステムの起動実験はいつもそことの隣り合わせ。今更ながら中々危険なことをしていると思う。

 まあ万一暴走したら首の強制気絶装置が作動する訳だが、それはそれで辛い。暴走しないのが一番だ。

 

「卯月の記憶が完全に飛んでんのが一番キツイんだけどねー、ない物ねだりしたって意味ないけどさ」

「アンタ本当に記憶ないの?」

「何度も何度も何度も言ったぴょん無駄な会話は嫌いだぴょん」

 

 毎度言うがその通り。D-ABYSS(ディー・アビス)解放前後の記憶は思い出せない。過度な精神ストレスで、消えてしまっているのかもしれない。理由はどうでも良い。結局記憶を思い出せないのは変わらない。

 

「やっぱし……何かあるよね……」

 

 北上が唸る気持ちは理解できる。

 もやもやしているのは卯月も同じだった。何かあるのは確実なのだが、その取っ掛かりが何処なのかが分からない。現状推測に推測を重ねている仮説とさえ言えない状態だ。さっさと真実を明らかにしてスッキリしたい。

 

「うん、引き留めてゴメンゴメン。入渠してきて良いよ」

「そう、じゃあ行くわね」

「あー、そうだ、もう一つ言うべきことがあったんだ、良いでしょ?」

 

 言いたいって何のことだろうか。卯月は北上の顔を見る。そして身が何故だか引きしまった。ちゃんと真剣に聞かないといけないような、そんな雰囲気を感じた。

 

「艤装にしても、卯月自身にしても、最初よか大分ダメージが少なくなってる。演習の成果は出ているから安心しな」

「……言いたいことって、それかぴょん?」

「うんそうだよ? 駆逐にとっちゃちょっとした被弾が命取りだからねぇ、これであたしも少しは安心できる。言うこと以上!」

 

 と言い切って北上は工廠の奥へ行ってしまった。

 成長を喜ぶ先輩。

 そういった感じだが、それわざわざ言うことか? 

 不思議だが気にすることないか。そう考えた卯月はそそくさと入渠ドッグへ向かった。

 

 

 *

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛~」

 

 肌に優しい丁度良い温度に温められたお風呂へ卯月は足から沈んでいく。極限まで酷使した身体が弛緩する。海水を浴びて冷え切ったのが温まる。あまりの心地よさに吹抜けた声が漏れてしまう。

 こうしてたっぷりに休んだ後は飛鷹さんの美味いご飯に舌つづみを打つ。この過酷な訓練漬けで唯一の楽しみはこれだ。

 今日はどんなご飯が出るのだろう。考えただけで涎が止まらない。

 

「てめバッチィ! 涎かけやがったわね!」

「あ、ごめん」

「クソが!」

 

 風呂に卯月の涎が若干入ってしまった。どうせ薄まるとしても生理的に嫌だ。この馬鹿なんてことしやがる。

 満潮は卯月を睨み付けた。

 相変わらず卯月は、満潮に半ば抱きかかえられた状態で入渠していた。

 

 お互いお互いが嫌いなのに、肌を密着させなくてはならない。最悪である。

 しかも卯月の頭は満潮の『胸』に当たる。否応なしにサイズ格差を思い知らされる。それもあって余計嫌だった。

 とは言え何度もこうして風呂に入っているので、一連の動作は慣れたものだった。

 

「ふぃー、疲れたぴょん」

「この程度で疲れないでよ。ザコ、ペイント塗れ、攻撃能力皆無」

「ぐぐぐ、やかましいぴょん」

 

 腹が立つが、涎をぶっかけた手前あんまり強く言えない。悪態を吐いて卯月はお風呂の心地よさに身を預ける。

 満潮も同じく温かさに身を任せる。

 少しの間静かな時間が流れる。穏やかでリラックスできる。

 こいつが傍にいなければな。

 二人は全く同じことを考えていた。

 

「……あー、卯月」

「なんだぴょんポンデリング、ツンデレ女、淫売」

「淫売じゃないんだけど」

「わざわざそれだけ否定した! つまりミッチーは淫b」

「話が進まないでしょうが!」

「たわば!」

 

 また脳天にチョップが叩き込まれた。頭部が捻じれて爆発しそうな悲鳴を上げる。

 

「要らないかもしれないけど、北上さんの為に言っておくわ」

「……北上さんがどうかしたのかぴょん?」

「工廠で最後に言ってたでしょ、それについて」

 

 工廠の去り際、被弾が少なくなっていることについて言及した件についてだ。

 あれは、演習でちゃんと成長できていることを自覚させるための褒め言葉だと卯月は考えていた。それ以外の理由を見出すことができなかった。しかし、実際はやや別のところに理由があった。

 

「ここ数日、アンタに回避特化の指導をしてるけど、それを言い出したのは北上さんなのよ」

「へー、そっかぴょん……えーとで、それが?」

「アンタのことをかなり心配してたからよ。ほら藤鎮守府に行く前もアドバイスしてたじゃない」

 

 そういえば、殺意の扱いどうこうで助言を貰っていた。ぶっちゃけその後、メンタルに来ることが多過ぎて忘れ気味だった。

 殺意の扱いを間違えれば、逆に自分が窮地に陥る。概ねそういった内容だった筈だ。

 

「要するに、アンタが()()()()みたいにならないか心配してんのよ。自分が傷つくのも厭わない戦い方を身に付けないように、気を使っていたの。ちょっと大井さんの戦いを思い出してみなさいよ」

 

 対秋月戦で大井は全身から出血するような、大破寸前のダメージを受けていた。それは弥生を庇ったためだが──その前も、卯月が機転を利かせなければ、至近距離で雷撃の爆発を浴びるような真似をしていた。

 

「どう思う」

「うーん、ちょっと無謀? まあ肉を切って骨を断つとも言うぴょん。軽巡の体格なら多少は持つし」

「でもアンタ、身体が抉られるのも構わず突撃したらしいじゃない。それで、その後出血で死にかけたじゃない。あれ鎮守府周辺だから良かったけど、外洋だったら死んでたわよ」

 

 完全なド正論。いかに満潮の言うことでも黙り込む他ない。大変不満そうにしながら卯月は無言となった。

 

「そういった戦い方はダメなのよ。北上さんが、人が心配するような戦い方は──それカッコ良いの?」

「……その言い方はずるいぴょん」

「だから回避特化の演習をしてたのよ。もう少し、『殺意』の扱い方を考えた方が良いとは私も思うわ」

 

 あの時は、秋月を殺すことしか頭になかった。

 結果殺せず、死にかけて周囲に迷惑をかけた。しかし……最弱であるわたしが勝機を掴むにはリスクを払わざるを得ない。

 だが満潮の言う通り。それで要らない心配をかけるのはプライドが許さない。

 

『完全なる殺意』に呑まれかけていたことに、北上は既に気づいていたのだ。



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第98話 痕跡

 卯月が球磨たちにボコボコにされている間、高宮中佐たちによって秋月との戦いの準備が進められていた。

 前科戦線は任務の特性上、わざと羅針盤のハズレに踏み入るせいで、ヤバい敵と遭遇し易く、姫・鬼級とも何度も交戦している。その為普通の鎮守府と比べれば、『攻め』については圧倒的に勝る。

 

 しかし、その前提を置いても、対秋月戦は苛烈極まると予想されていた。

 秋月のスペックは狂っていた。

 戦艦級の射程距離、大型電探同様の索敵範囲、逃げ場がなくなる弾幕・連射速度、戦艦の装甲を一撃で抉る火力、目視困難な超高速砲撃。

 どれを見ても狂っている。駆逐艦の皮を被ったナニカとしか思えない。

 

 しかもこれは、随伴艦がなく、夜戦だった時のスペックだ。

 普通の駆逐艦なら、昼間の方が弱くなるが、あんな相手だとどうなるかまるで予測できない。下手したら余計に強くなっているかもしれない。随伴艦の妨害も出て来るだろう。

 

 挙句、最大の問題として、()()()()()()()()()ところがある。

 高宮中佐と、その上官の意向でもあるが、秋月は捕縛する予定だ。卯月以外のD-ABYSS(ディー・アビス)を解析することで得られる物があるかもしれない。憲兵隊の拷問にかければ、新たな情報があるかもしれない。

 そのメリットを考えると、殺す選択肢は絶対にあり得なかった。

 

 こんな化け物を殺さずに捕縛しなくてはならない。出現場所によっては、深海棲艦の巣窟から持ち帰らなければならない。

 どう転んでも楽にはならない。

 過酷な任務になることは分かりきっている。今までにない敵との交戦。高宮中佐の内心は平常通りとはいかなかった。

 

「秋月は……普段何処にいるのでしょうか」

 

 莫大な資料を読み漁っている不知火が、隣の机に座っている高宮中佐に声をかける。

 中佐の机にも莫大な資料が山積みになっていた。

 

「これが深海棲艦ならば、認識外のどこかと言うことができる。連中は正確に捉えることで初めて現界する。何処にでもいて何処にもいない、文字時通りお化けのような存在だ」

「ですが秋月は深海棲艦ではありません。『艦娘』です」

「そうだ、お前の言う通りだ。絶対に『基地』がある。でなければ運用は不可能だ」

 

 艦娘は深海棲艦とは違う。明確な実態を持っている。制御された付喪神である彼女たちが、物理的実体を持っていないなんてあり得ない。

 だが、だからこそ制約がかかる。化け物を人に近づけたせいで、食事も要る、睡眠も要る、そういった存在として制御されている。

 

 つまり、そういった物を供給するための拠点がある筈なのだ。秋月が普段いる場所はそこで間違いない。

 

「……と言いたいが、D-ABYSS(ディー・アビス)があるとなると話が変わってしまう。深海のエネルギーを取り込むことで、食事や睡眠が不要になるとしたら」

「それでも基地はあると思いますが……D-ABYSS(ディー・アビス)の整備もありますし、ずっと海上で活動しっぱなしとも思えません」

「そうであっても、食料の大本とかを追えないのは痛い」

 

 拠点まで調べることができれば、襲撃計画なりなんなり練ることができるのだが、現実はそう甘くない。

 今持っている情報でどうにか作戦を組み上げるしかない。時間だって無限にある訳じゃないのだ。

 

「やはり、あの海域の更に奥へ行くしかないようだな」

「あの海域……戦艦水鬼が居座っていた場所ですね」

「秋月が唯一現れた場所だ」

 

 その海域は中枢となっていた水鬼討伐によって解放された。しかしそこから更に奥はまだ浸食されてままである。

 解放された直後、大規模作戦の直後ということもあり、その海域調査はほとんど行われていない。多少はされているが、その中に秋月との遭遇報告は上がっていない。

 

「元々特務隊は海域調査の目的にした強硬偵察部隊です。行かせても問題ないとは思います。近づけば向こうから来てくれるでしょうし」

「罠に飛び込むような真似はしたくないが……」

「その時は、卯月以外のメンバーに犠牲になって貰うしかないです」

 

 不知火の意見は、非道ではない。

 ハナから特務隊はそういうところだ。情報を持ち帰れれば死んでも良い。死なない方がより良いというだけ。

 卯月が死なず、秋月の情報が手に入るならば、犠牲は厭わない。

 

 犠牲は悪いことではない。必要な犠牲はある。しかしそれを当たり前と捉えてはならない。

 それは『敬意』に欠ける。彼女たちへの『侮辱』になる。

 そうならない為にも、二人は作戦の成功確率を上げるために尽力しているのだ。

 

「『敬意』を払え、か」

「なにか言われましたか?」

「いいや、なにも」

 

 昔と同じだ。やれるだけの最善を成して、それでも出てしまう犠牲を踏み越えなければならない。

 全ては『化け物』を一掃するため。

 それが高宮中佐たちの理念なのだから。

 

「それと不知火、奴についてはどうだ。検討はついたか?」

「……奴?」

「奇襲してきた奴だ。そのせいで秋月を取り逃がしたと聞いているだろう」

 

 D-ABYSS(ディー・アビス)を解放した卯月は、一度秋月を追い詰めた。

 だが突然の空爆と甲標的の奇襲によって取り逃がしている。

 あの時、奇襲してきたのは何者なのか。それも調べないといけない。無策で突っ込んでまた奇襲されるのは危険だ。

 

 あの時、大井が持っていた電探には何の反応もなかった。空爆と甲標的ならば、索敵範囲外からの攻撃が可能だ。

 このどちらかを運用できる存在はそれなりにいる。代表格は戦艦レ級elite。イカれた威力の水上爆撃機と甲標的が使える。

 

 そして、艦娘にもいる。

 

「秋月が返り討ちに合うのは想定外だったんでしょう。本来なら残すはずがなかった爆撃機の破片が、僅かですが残っていました。夜間かつ無理に至近距離で爆撃をしたせいで一部が破損したのでしょう。解析は北上さんにして頂きました」

「その残骸は、()()()()()

「威力が異常になっていますが、間違いなく『瑞雲』の残骸……艦娘の装備です」

 

 某航空戦艦が愛してやまない水上爆撃機、瑞雲である。そんなものを運用する深海棲艦はいない、というか深海棲艦には運用できない。

 

 瑞雲を飛ばせる艦娘と、甲標的を扱える深海棲艦又は艦娘がタッグで奇襲してきた可能性もある。

 だが、どうであろうと、瑞雲を使っていた存在は特定できた。

 残骸に残っていたカタパルトの痕跡から、北上はそれが誰なのかまで調べ上げたのだ。

 

「流石です、長年前線にいただけあります」

「なにを今更、それぐらいの奴でなければ、わざわざ負傷兵を雇ったりしない」

「それでも、知らない装備がないというのは尊敬します。年期は訓練では身につかないですから」

 

 ここ前科戦線で一番長く戦っているのは北上だ。武蔵、雪風に次いで最強格と呼ばれた艦娘、蓄えた知識量も膨大だ。それがあるから整備の仕事もできる。

 そんな彼女がいたから、瑞雲の残骸から、使用されたカタパルトの特定まで素早くできた。不知火は感服する。

 

「それで、秋月の援護を行ったのは誰だった」

「最上型航空巡洋艦の『最上』と思われます」

「……熊野の姉、か」

「改二であれば、甲標的も運用できます。そしてあの威力、最上もD-ABYSS(ディー・アビス)を搭載しているでしょう」

 

 秋月と、最上。

 その二隻に挟まれて、果たして生きて帰れるのか。

 漠然とした不安を拭い去ることがどうしてもできなかった。

 

 

 *

 

 

 地獄めいた訓練を終え、入渠を済ませた後はお楽しみの夕食タイムである。

 

「ここにはこれしか快楽がないぴょん……」

「カタログで買い物できるでしょ」

「もう金が殆ど……」

 

 前回美味い物をアホ程買ったせいで絶賛金欠中です。その商品が届くのは明日ぐらいになる模様。なんか、注文してからすっごい時間がかかった気がする。気のせいだろうか。その間の出向が濃すぎたからだろうか。

 

「はい今日も訓練お疲れさま、お腹空いているだろうから、ガッツリしたメニューにしといたわよ」

「ふおお! 一段と美味しそうだぴょん、ありがとぴょん!」

「肉ばっかね」

 

 全力で身体を動かした分、エネルギーを補充しなくてはならない。その為のメニューということでお肉一杯の晩御飯である。しかもハンバーグとか唐揚げとか、卯月(子ども)が好みそうなラインナップで固めてある。

 しかしハンバーグにニンジンが突き刺さっているのは何なのだろうか。卯月だからか、ウサギだからか? 別に良いけど。

 

「もぐもぐもぐ」

「おかわりもあるわよ!」

「うめうめうめ」

 

 肉とお米のエンドレス。それだけ身体を酷使した証拠だ。付喪神の癖に腹が減るとかよく分からないが、減るものは減る。

 やはり食事は良い。卯月はそう感じる。

 この感覚があるだけでも、人間の身体として生まれて良かったと心の底から思える。この快楽を知ったら鉄の身体になんて戻れない。

 

「そんなバカ丸出しで食べてたら、喉に詰まるわよ」

「よく噛んでるからノー問題だぴょん」

「あっそ」

 

 満潮はたいして食べていない。程々食べて、もう食後のお茶を飲んでいた。

 私ほどじゃないが満潮だって動いていた。あれだけの量で足りるのだろうか。

 

「……早く食べ終わってよ。アンタが食い終わるの待ってんだから」

「お前はもう良いのかぴょん」

「栄養補給は十分よ」

 

 栄養補給って、別の言い方があるだろ。わざわざ突っ込む気もしないが。

 満潮は食事に興味を示さないのだろうか。人生半分以上損しているのを自覚してないのは、なんだか哀れだ。

 良いから食え、と強要する趣味はない。卯月は自分の食事を再開させる。

 

「あー、本当にこの為に生きている気がするぴょん」

「そこまで言う?」

「だって基本録なことないし」

 

 クソみたいな出来事を思い出してしまいどんよりしてしまう。半ばヤケ食いだ。それぐらい許してほしい。誰かに迷惑かけてるわけじゃないんだし。

 

「ぷふー、いっぱい食べたぴょん。ご馳走さまぴょん」

「お茶飲む?」

「とびきり濃いやつ頼むぴょん!」

 

 食べるだけ食べたらなんだか眠くなってきた。お茶を飲んでたら更に眠くなってくる。疲れきった身体が休息を欲しているのだ。

 デザートタイムまで持ちこたえようとするが、意識は半ば飛んでおり、グラグラと船を漕いでいる。

 危なっかしい。面倒かけるなよ。

 そう思いながら、自室へ連れ帰ろうと満潮が立ち上がる。しかし、それを熊野が制止した。

 

「置いていかれても大丈夫ですよ。卯月さんの面倒はわたくしが見ますから」

「……は? なに急に」

「いえ、最近ずっと卯月さんに付きっ切りでしょう? たまには一人の時間も必要。ご安心ください、ただの親切心ですわ」

 

 本当に急に何を言い出すのか。とても怪しい。なにか弱みを握って金を毟りとろうとしているのではないか。この銭ゲバはやりかねない。

 だが、熊野の言うことも確かだ。

 正直疲れている。同じ部屋ってだけでも気が滅入るのに、四六時中くっついているのだ、精神的疲労はかなり溜まっている。

 後から請求されるのは危険だ。先手を打つ。満潮は熊野のポケットに交換券を数枚捻じ込んだ。

 

「無償ってのは気持ちが悪い。明日の朝まで、これで頼むわ」

「あらあら、お気持ちだけで十分ですのに。ですが折角なので受け取っておきますわ」

「お礼は言わないわよ、対等な取引なんだから」

 

 その取引が若干人身売買めいているのには目を背けた。

 ともあれ運よく取れた一人の時間だ。全身全霊で有意義に使わなければ。満潮はダッシュで自室へ戻っていく。

 満潮から貰った交換券をヒラヒラさせる。あのうかれよう、本当に疲れてたんだな。熊野はちょっと同情した。

 

 いつまでも食堂にいたって、やることはない。卯月を抱きかかえて熊野は自室へ入り、自分のベッドへ卯月を寝かす。

 熊野の部屋も、卯月たちのと対して変わらない。金に執着している割には、無駄な装飾品や調度品もない。それどころか満潮の机以上に、必要最低限の物しか置かれていなかった。

 

「むにゅ……うーちゃん……寝ちゃって……?」

「あら、起きちゃいましたか?」

「……キャーケダモノッ!」

 

 絶対に間違った認識の元、顔を赤らめて悲鳴を上げる卯月。

 

「ううううーちゃんの貞操が、水鬼様に捧げたかったのに、良くもっ!」

「ぶちますわよ?」

「さーせん、てかなんでうーちゃんこの部屋に?」

 

 第一その水鬼お前が殺したじゃねぇか。その突っ込みは喉元で止めた。卯月にとってはデリケートな話題なのだろう。多分。

 そして熊野は、卯月が交換券で売られ、一晩この部屋で過ごすことになったことを説明した。

 

「やっぱりうーちゃんの貞操は売られたんじゃないかぴょん!」

「ご安心ください。その貧sお子様体形では需要は大してないので、売る気はありませんわ」

「胸のなさはどっこいだぴょん!」

「本当にマニアに売ってもよくてよ?」

 

 マジギレトーンに卯月はおののいた。

 まあ、考えようによっちゃ、うっとおしい満潮と一晩離れることができるのだ。ゆっくり羽を伸ばすチャンスと思えば良い。

 卯月はポジティブに考え、のんびり過ごそうと決めていた。




二隻目のD-ABYSS(ディー・アビス)艦娘。それは果たして最上なのか。


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第99話 資金

 卯月と満潮はずっと一緒に行動していた。

 突発的に起きる卯月の発作に備えるためである。しかしそのせいで、お互いに多大なストレスが溜まっていた。

 それを見かねた──ではなく、目をつけた熊野により卯月は買い取られ、彼女の部屋で一晩を過ごすことになる。

 

「殺風景な部屋ぴょん。愉快なものはなんにもないのかぴょん」

「わたくし無駄な物は買わない主義ですので」

「つまんないぴょん」

 

 満潮の机以上に何もないのには驚いた。

 それでも満潮と離れられたのはラッキーだ。滅多にないチャンスとして寛がせて貰う。

 卯月は大きな欠伸をしながらベッドに倒れ込む。布団も普通だ。てっきり高級な布団でも買っているのかと思ったが。

 

 まあ、ゴロゴロすると言っても、特にやることがある訳ではない。注文した嗜好品が届くのもまだ先。もしくは簡単な筋トレとか……到底やる気は出てこない。

 

 唯一、先に届いたのは、日記代わりに頼んだノートだけだ。弥生との交換日記には書けないようなこと、もっと些細なことを書く用に使っている。

 とりあえず、これに今日の分を書いておくことにする。

 

「何を書いているんですの?」

「えー、内緒だぴょん」

「見られたくないようなことを書いているのですね、理解しましたわ」

「変な憶測は辞めろぴょん!」

 

 こっちの日誌には平凡なことしか書いていない。日記というよりも、淡々とした報告書のように書いている。大して意味がないような内容でも、記録しておくことで意味が生まれるかもしれない。だから何でも書くようにしているのだ。

 

 でもそれはそれとして、見られるのは恥ずかしい。嫌なものは嫌なのだ。熊野もそれを察したのか、それ以上見せろと言ってはこなかった。

 

 まあ、それでも書く内容はそう多くない。少しの時間で今日の分は書き終えてしまった。さっきまで寝てたので、あまり寝る気も起きない。微妙に目が覚めてしまった。

 そんな様子の卯月を見て、熊野は戸棚からお菓子を取り出す。

 

「卯月さん卯月さん、ちょっとお茶でもしませんか?」

「お茶かぁ、じゃあするぴょん!」

「砂糖とミルクはたっぷり。寝る前なので温かいのにしておきましょうか」

 

 殺風景と言ったが、湯沸かし器ぐらいはある。

 お湯を沸かしている間に熊野は戸棚からココアを取り出す。インスタントではなく純ココアだ。

 その粉をコップに入れ手際良く水に混ぜる。とろみがついたところにミルクと砂糖をたっぷり投入。ティースプーンがコップに当たり、鳴る音が心地良い。

 

「お待たせですわ」

 

 ココアから立ち上る甘い匂い。カカオの香ばしさが鼻をくすぐるようだ。火傷に気をつけて、舌先をつけたり離したりしながら啜る。舌の上から喉の奥まで、優しい甘みが抜けていく。卯月の顔はすっかり溶けきっていた。

 

「ぴょぉぉ……ん」

「そこまで喜ぶとは、意外ですわね」

「なんで甘いものを食べると、幸せな気持ちになるんだぴょん……」

 

 ぬるま湯に浸かっているような、心が落ち着いていくような、はういった気持ちになる。無茶苦茶な特訓で荒んだ心身が、ゆっくりと解されてるようだ。

 想定よりも喜んでいる卯月を見て熊野は少し笑う。ここまで喜んで貰えれば、悪い気はしない。

 

「このココア後、まさか有料じゃないぴょん?」

「タダですわ」

「怪しい。お金の代わりになにかとっていくつもりかぴょん」

「人をなんだと思っているんですの?」

「銭ゲバ」

 

 ドストレートな暴言に熊野は傷ついた。言われ慣れているが、だからって言われたいとは思っていない。

 

「客人に飲み物ぐらい出すでしょう。それに卯月さんはわたくしにとても貢献してくださっているので、そのお礼ですわ」

「あー、特訓で倒したらお給金アップってやつかぴょん。酷い目にあったぴょん、二度とやらんぴょん」

「いえあんなのは端金ですわ。卯月さんが来たことで、D-ABYSS(ディー・アビス)に関わる戦いが始まった。そのお蔭で儲けさせていただいていますの。内通者に気づかれないよう、極秘裏に行われる資材調達、そこに一枚噛ませて頂いています」

 

 さらっと言っているが、熊野はあり得ないことを言っている。

 なんで一介の艦娘が、資材調達に関われるんだ。ましてや前科持ちの艦娘が、それでどうして利益を上げることができる。意味が分からない。

 

「うふふ、わたくし、外にも()()()が大勢いまして……こうして檻の中にいる間も、残してきた会社を回してくださっていますの。わたくしは只それを仲介しているだけ。別に積極的に動かずとも、お金は入ってくるのです」

 

 そういえば前もそんなこと言っていたような。あの時は冗談の類だと思っていたが、どうやら本当だったようだ。

 

「待て、マテ、まて、会社ってなんだぴょん」

「会社? ええ株式会社のことですわ。株式を発行してそれを元手に資金を得ますの」

「株式についてじゃない! なんで会社運営してんだぴょん!」

「利益を上げること以外に会社を作る理由が?」

 

 マジかよコイツ。卯月は心の底から呆れる。

 お金が欲しいってのは理解できる。しかしその為に会社まで作るなんて常軌を逸している。地下で行われる受刑者同士の違法賭博の方がまだ現実味がある。

 いや、会社を作るのはおかしくない。

 それを艦娘がやってしまうところが異常だ。公務員の副業は禁止されているんだぞ。

 

「まあ会社以外にも、違法賭場とか色々元締めでやっていますの」

「……ひょっとしてうーちゃんは聞いてはならないことを聞いているんじゃ?」

「おほほほほ……ココアのお蔭でそろそろ眠くなってきたのでは?」

「寝れる訳ねーぴょん!」

 

 こんな話を聞いた後でどうして安眠できると思うのか。むしろすっかり目が冴えてしまった。少し覚めてきたココアをちびちび飲みながら、それでも時間つぶしにと、熊野とアレなガールズトークを続ける。

 

「しかし、わたくしとしては、むしろ何故皆さま方がそんなにお金に興味を抱かないのかが不思議ですわ。給料制を採用している鎮守府がそう多くないからなのでしょうか」

「え? 戦っても給料ないトコあんのかぴょん」

「その辺りは鎮守府によりますし、大本営も非人道的行為さえしていなければ、大体スル―ですわ」

 

 給料制を採用しないのは、無駄な諍いや争いを避けたいとか──給料計算年末調整etcが嫌だったりとか、理由は色々だ。

 給料がないからといって、娯楽までない訳ではない。何らかの代替措置が取られている。その方が上手くいっている場合もある。

 それでも卯月にはちょっと信じられなかった。戦って金が得られないと、ぶっちゃけやる気が削がれる。

 

「戦った分、それなりの報酬が欲しいのは分かるぴょん。でも──会社運営をしてまで、お金を掻き集める気持ちは分からんぴょん」

「んん、理解して貰う気はありませんわよ」

「……理解できないにしても、理由はあるってことかぴょん」

 

 そこを指摘すると、熊野は「よくぞ聞いてくれた!」という感じで話し出す。

 

「わたくし、一つ信じていることがありまして。いつかこの戦争が終わった時──艦娘(わたくし)達は滅ぼされると思っていますの」

「……人間に?」

「ええ、人類に味方しているか否か、というだけで艦娘も『化け物』に代わりはありませんから。仮に滅ぼされなかったとしても、人間扱いされる可能性はとても低いでしょう。良くて代理戦争の道具ですわ。でもわたくしそんなの嫌ですの」

 

 熱弁する熊野に卯月は若干引いていた。

 言わんとしていることは理解できる。

 正論だ。わたしも人生を楽しめないで死ぬのは嫌だ。だけど共感はできない。艦娘(屍者)はあるべき場所へ還るべきではないか。そう思っている所があるから。

 

 卯月の微妙な反応に、熊野は気づいてはいたが、さして気にせず熱弁を続ける。

 

「ですがお金は天下の回り物。お金があれば人権さえも買える。いつか来る時代の時、人としての尊厳を守るための盾になってくれる。実際、お金を生み出せれば艦娘でも企業経営ができますから、わたくしのように」

「はぁ、だから、お金を集めてるって訳かぴょん」

「ええそうですわ。なので幾らあっても足りないので、此処にいる間もちょこちょこ小銭を稼いでいますの」

 

 と言うが、そう上手くいくものなんだろうか。そりゃお金持ってない奴よりとれる選択肢は多いだろうが。人間と化け物の隔たりは、それでどうにかなるものなのだろうか。ただ今の時点で、艦娘たちに待ち受ける運命を考えている点は素直に凄いと思う。

 深海棲艦を倒したところで、満足できるような報酬が得られる保証は、どこにもないのだから。

 

 最も卯月自身はその未来に然程興味がない。若干冷めた気持ちで話を聞き流していた。

 

「と、話がちょっと長引いてしまいましたね」

「流石に眠くなってきたぴょん……」

「そうですわねぇ、明日も訓練、一杯でしょうし」

「死んでしまうぴょん」

 

 これがまだ続くのかよ。

 しかし訓練は決して終わらない。如何せん卯月はまだまだ弱いし、敵が秋月だけとは限らない。D-ABYSS(ディー・アビス)から始まる全てに決着がつくまで特訓は続くのだ。

 どうしてこうなった。これも運値-10の賜物か。

 卯月は敵への憎悪をますます深める。

 

「ちゃんと歯磨きしてから寝るんですよ」

「ガキじゃないんだから、分かってるぴょんそんなこと」

「なら良いですわ。わたくしもそろそろ寝ましょう。夜更かしはお肌の天敵ですし」

 

 歯磨きや呑んだココアの片づけを行い二人はベッドへ入る。発作が起きた時即対応できるように、一緒のベッドで寝ることになる。

 満潮の時と同じだ。

 当然と言うか、満潮と同じ布団で寝るのとは感覚が違う。少し緊張していたが、極度の疲労の前にはあってないような物だった。

 

 人肌の温かさに触れながらまぶたを閉じる。睡魔に揺らぐ意識の中、一つの疑問が脳裏を過っていた。

 なぜだろうか、勘と言う他ない。

 熊野がお金を集める理由は──それだけなんだろうか? 

 お金は人権を買える程万能なのだろうか、別の用途のために集めているのではないか。

 

 しかしそれを聞こうとは思わない。ここ前科戦線で、人の過去──つまり前科に触れること──を聞くのはタブーだ。

 その疑問を早々に忘れ、卯月は眠りについた。

 

 

 *

 

 

 卯月と熊野が眠った頃、満潮はまだ起きていた。

 久々に一人の時間がとれたのでゆっくりしようと思ったのもある。あと一人なのが久々過ぎて寝付けなくなっているのもある。

 寝れないなら寝れないで、やれることはある。

 ──と言っても、満潮の性格上、任務関連のことになりがちだが。

 

 だと言うのに。

 

「やっほーこんばんわ! 那珂ちゃん夜ライブの時間だよ!」

「帰って消えてさようなら」

「酷いよ!?」

 

 扉をノックして出てきた那珂を即締め出す。

 だが那珂は扉の隙間に足を突っ込んで無理矢理入ってきた。これがゲリラライブというヤツだろうか。ただの不法侵入だろ。

 アイドルとは不審者の意訳だったのだ。

 

「何の用よ、私とアンタ何の関わりもないじゃない」

「ないけど良いじゃんアイドルなんだから! ところで卯月ちゃん何処?」

「熊野に売り飛ばした」

「ナンデ!?」

 

 事実だが説明を端折り過ぎである。那珂は混乱するが咳払いで平静に戻る。

 

「まあ良いけど。それで何の用。用がないなら帰ってよ」

「ヤダ……てゆーのは冗談で、明日の哨戒、満潮ちゃんの担当だからその連絡だよー」

「最初からそう言いなさいよ」

「キャハ☆」

 

 両手Vの字サインを見て、滅茶苦茶苛立つ。

 那珂のノリは割と卯月に近い。それにアイドルの狂気を混ぜ合わせたのがコレだ。

 関わりたくない。さっさと終わらせよう。那珂が持っていた引き継ぎ書を奪い取り目を通す。

 

「……やっぱり卯月と一緒なのね」

「発作あるしね。でも訓練があるから、時間は少し短めにしてあるよー!」

「でも面倒よ」

 

 普段、前科戦線は近海哨戒なんて行わない。

 周囲の鎮守府による防衛ライン、秘匿された基地の情報、幾重にも張られた結界が深海棲艦の侵入を阻むのだ。

 

 しかし、今回は相手が違う。

 相手は深海の力に支配されているが『艦娘』なのだ。故に結界は簡単に突破できてしまう。藤鎮守府にあそこまで近づけたのもそれが理由だ。

 加えて内通者の情報提供もある。考えたくもないが基地の場所が露見しているかもしれない。

 実際駆逐棲姫は基地ギリギリのところまで接近してきていた。

 

 万一が起きてからでは手遅れだ。前科戦線が壊滅すること。卯月が殺されること。どれも許されない。

 

 その為少し前から、交代で近海の哨戒をすることが決まっていた。今日は一日那珂の担当だった。明日は満潮&卯月の担当である。

 気休めにしかならないかもしれないが、少しでも早く敵を発見できるなら、それに越したことはない。

 

「大丈夫大丈夫、そう簡単に来れたりしないから大丈夫!」

「フラグ立てないでくんない?」

「本当に大丈夫だよー、超大声で歌いながら哨戒してたけど、誰も気づかなかったから! でも緊張感があると良い歌が歌えるね。那珂ちゃんまだテンション上がり気味なんだ。そうだ満潮ちゃんちょうど良いまだ起きてるんなら那珂ちゃんの歌を」

「寝る!」

 

 力づくで部屋の外へ叩きだし、なんとか追い返した。

 とても疲れた。

 満潮は布団の中へ倒れ込む。引き継ぎ書に目を通すのはもう明日でいい。

 

「……どうして?」

 

 何故こうなった。独りでくつろぐ筈が何故。まさか私も卯月の運値-10の影響下にあると言うのだろうか。

 そうに違いない。良くもやってくれたな卯月。訓練は更に厳しくしてやる。

 預かり知らぬ間に何故か更に嫌われる卯月。それもまたド不幸の一端なのである。



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第100話 姉妹

 卯月が熊野の部屋で寝てから一夜明けた。ベッドから起きて身体を伸ばす。

 とても良く寝れた。幸い発作も起こらず熟睡できた。疲れもすっかり取れている。ここまで寝れたのは久しぶりだ。

 

 気持ちのいい朝日を浴びながら卯月は思った。

 たまには満潮と離れて寝ることにしよう。あんなのとずっと一緒にいたらストレスで死んでしまう。

 少なくとも胃に穴が空くと思う。何故満潮と同じ部屋なのか改めて疑問に思った。

 

 同じベッドで寝てたが熊野はもういない。既に出かけたようだ。朝食にはまだ少し早いが、朝から用事でもあるのだろうか。別に興味はないけど。

 

 もう一眠りする時間はあるが、流石に人のベッドで二度寝する気はしない。

 顔を洗い身支度を整えて部屋から出ていく。

 やることはない。

 た、泊めてくれたことへのお礼ぐらい言いたいので、ブラブラしながら熊野を探す。

 

「うー、寒いぴょん」

 

 僅かに朝日が差し込んでいるだけ、冷え切った空気が肺に突き刺さる。その分眠気覚ましには好都合。しかしこんな寒さだと、熊野は外にはいないかもしれない。

 と、思った矢先に、防波堤に熊野を発見。手を振りながら近づく。

 

「おーい、熊野ー」

「あら卯月さん、もう起きたんですの?」

「なんか目が覚めたぴょん。昨日は泊めてくれてありがとぴょん。ミチミチがいなかったからよく寝れたぴょん」

「それは何よりですわ」

 

 卯月と満潮はリラックスできる。熊野は交換券をゲットする。これぞWin-Win関係だ。

 理想通りの結果。熊野はニッコリした。

 なお、満潮は那珂の突入で寛げなかったことを二人は知らない。

 

 なお卯月は知ったとて「ざまぁねえぴょん!」と嗤うだけである。

 

「こんな時間からなにしてるぴょん? こんなバカみたいに寒い所にいなくても」

「そうなんですけどね、ちょっと海が見たくなりまして」

「……艦娘なのに?」

「良いじゃないですか、じっくり眺めるぐらいは」

 

 四六時中海にいる艦娘が、海を見ていたいだって? 

 なんとも奇妙な。

 そりゃ作戦行動中はのんびり見てはいないけど、海になんて見飽きているだろう。

 

「変わった奴だぴょん」

「語尾にぴょんぴょんつける珍獣に言われましても」

「む、好きでつけてんじゃって誰が珍獣ぴょん!」

 

 これは侮辱に違いない。

 頬を膨らませ、眉を潜め、両手を上に掲げて身体を大きく見せる。

 紛れもなく威嚇のポーズ。

 それは熊野への警告だった。

 

「……オオアリクイの真似?」

 

 だが小動物がやったところでなんの危険もない。オオアリクイ扱いに心が折れた。

 それはどうでもいいのだ、話を戻さねば。卯月はわざとらしくゲホゲホ咳き込む。

 

「そいでもって、なんで海を見てるぴょん?」

「……まあ、誤魔化す必要性は低いですわね」

「ウソついたぴょん!? うーちゃんが嘘が嫌いって知ってるのに!」

 

 と憤慨するも、黄昏れている理由を知って即後悔する羽目になる。

 

「秋月を仕留めかけた時、爆撃と甲標的で邪魔されましたよね。その妨害をした敵がどうやら分かったらしく、わたくしに教えて下さったんです」

 

 その時殺意が噴出した。

 秋月抹殺を邪魔した敵を許すつもりはない。今すぐ殺しに行けと心が暴れ出す。

 こめかみに血管を浮かばせながら、熊野へ詰め寄る。

 

「誰だぴょん!」

「わたくしの姉、最上ですわ。D-ABYSS(ディー・アビス)を搭載してる可能性も高いそうで」

「……お姉ちゃん?」

 

 最上って、確か、最上型重巡一番艦の。

 つまり熊野のお姉さん。それが敵だって。熊野は実の姉と殺し合わなければならない? 

 

 それがどれだけ過酷なことなのか。

 

 理解した瞬間殺意が引っ込んだ。こんな話だから嘘で誤魔化そうとしてたのだ。

 

「ごごごごめんなさいだぴょん」

「お気にめさらず、偽ってたのはわたくしの方ですので。まあそういう訳で、ちょっと落ち込んでましたの」

「……戦えるぴょん?」

 

 実の姉と殺し合わなければいけない心境は知らない。だが、その感情は知っている。

 最初にD-ABYSS(ディー・アビス)が作動した時に知った。

 

 洗脳されて、菊月を殺してしまった記憶を思い出す。

 

 菊月は妹として、暴走する私を止めようとしてくれた。望んでないのに戦うことになってしまった。

 

 姉を殺そうとした菊月の気持ちは、あの時の表情から想像するしかない。

 その時の菊月の表情は、ひたすらに苦しそうだった。

 裏切りを信じたくないのと、でも鎮守府が破壊されている現実。それでも艦娘として戦わなければならない。

 

 覚悟と言うには悲惨すぎるものを抱え込んでいた。そんな顔つきだった──それを心底面白がっていた自分が今更ながら嫌になる──熊野も似た心境だろう。

 

「辛くないのかぴょん」

「少しやりにくいだけで、辛いとまでは思わないですね。実の姉でも敵は敵です。それに今更気にすることないですわ。仲間殺しなんて、みーんなやってますもの」

「は? 仲間殺しを、みんながやってる?」

 

 意味不明である。

 そんなわけないだろ、お前は艦娘っていうか軍隊をなんだと思ってるんだ。

 

「だって、深海棲艦倒したら艦娘に変わるじゃありませんか。アレが仲間殺しでなくてなんと?」

「いやそれは、救出って言うんだぴょん」

「言い方を濁してるだけ、殺しは殺しではないでしょうか」

 

 深海棲艦を倒すと、怨念に汚染された魂が解放されることで、艦娘が現れることがある。

 ドロップ現状と言うものだ。

 当の卯月も、ドロップにより生まれ落ちて、神鎮守府に拾われている。

 

 それを熊野は殺しと言った。

 卯月は否定できない。

 殺したのは深海棲艦であって艦娘ではない。そう割り切れれば良いんだろうけど、その艦娘の、『怨念』という一側面を殺しているのは確かだ。

 

「所詮は化け物同士の殺し合い。人間に良いように使われるのが、わたくしたちですわ」

「だから、最上と戦うのも躊躇しないのかぴょん?」

「そんなところですわ」

 

 卯月は思った。

 なんか、誤魔化されている気がする。

 しかし、姉妹殺しの気持ちをこれ以上掘り下げるのは失礼が過ぎるし気分が乗らない。

 なので追求を諦めて、「なるほどぴょん」と納得した。

 

「……ちょっと話が逸れてしまいました。深海棲艦との戦いがなんなのかなんて、人によって違いますから。卯月さんも気にしなくてよろしくてよ」

 

 熊野自身も言い過ぎたと思ったのか、少し無理矢理この話を終わらせた。

 その方が良い。こんな話は哲学者に任せておけば良い。

 

「なんにしても仕事ですから。そこに私情を持ち込むほど、この熊野は甘くありません。思う所はありますが、忠実に任務をこなすだけ、誠実な勤労こそお金儲けへの第一歩ですわ」

「むー、でも、殺すのは……」

「殺すとは決まってませんわよ。秋月同様捕獲任務でしょうし、そもそも敵が最上と確定してはいません」

 

 確かに、これで全然別の奴だったら拍子抜けも良いところ。覚悟を決めたのはなんだったのかと落胆間違いなし。

 

「もし別人だったらどうするぴょん」

「不知火さんをボコボコにします、ええ絶対に、こんな気分にさせたツケは払っていただきますとも」

「おう……」

 

 まあそうなっても知った事ではない。敵を間違えた不知火の責任だ。黙ってぶん殴られて貰いましょう。

 

「それでも少しスッキリしましたわ、こんな話に付き合ってくれてありがとうございます。お礼はしませんけど」

「別に、うーちゃんから聞いたことだし、お礼は恐いからいらないぴょん」

「あらあら」

 

 お礼は本当に要らない。こんなのから下手にお礼を受け取ったらどんな貸しを押し付けられるか予想もつかない。それにお礼を求めるような行為もしてない、何となく話を聞いてみただけなんだから。

 

「愚痴ぐらいならいくらでも付きあってやるぴょん、メンタル崩すのだけはやめとけぴょん」

「ええ勿論、反面教師が目の前にいますから」

「……誰もいないぴょん?」

「いや貴女でしょう」

「……あ」

 

 不定期に発作を起こして周囲に迷惑をかけている奴。紛れもなく卯月であった。一瞬フリーズした卯月はすぐに再起動。

 

「とととととと兎に角溜め込むのはダメだぴょん、メンタル崩して戦えなくなったらおじゃんだぴょん」

「その言葉そのままそっくりお返ししま」

「あ゛ー! 朝ごはんの時間だぴょん急がなきゃ急がなきゃーぴょー……」

 

 これ以上突っ込まれるのを嫌がった卯月は逃げ出した。ちなみにまだ朝食まで三十分はある。極めてアレな態度に熊野は呆れて笑うしかない。

 愚痴を言う相手を間違えたかもしれない。今更ながら熊野はそう思った。

 

 嘘は──吐いていない。どれも本心だ。

 相手が最上でも、多少気持ちは揺らぐが、任務は遂行する。その程度で動けなくなるような柔な人生を送ってはいない。

 無力化して、回収すれば良い。それだけの話だ。

 

「……あり得ませんわね」

 

 戸惑うことなど決して。

 

 

 *

 

 

 熊野と話し込んだせいで中々の時間になってしまった。もう朝ごはんだ。遅れたらなくなってしまう。卯月は自室で慌てて着替えて食堂へ走る。

 

「ごはん、まだ、あるかぴょん!?」

「あるから安心してちょうだい、あと廊下走らない!」

「ごめんなさいぴょん!」

 

 ペコリと誤ってカウンターを見る。焼き立てのパンとかコーンスープ、フルーツやコーンフレークを盛れるヨーグルト。実に洋風って感じのメニューに卯月は唸る。

 

「珍しいぴょん、でも美味しそうだぴょん」

「いっぱい食べておいた方が良いわよ、うーちゃん貴女今日は哨戒任務でしょ?」

「……初耳ぴょん」

 

 昨日の担当の那珂は問題なく引き継ぎをしている。だが卯月は昨日一晩自室にいなかった。そのせいで満潮から内容を聞けなかったのだ。

 だったら、熊野の部屋に来てくれれば良かったのに。卯月は満潮を睨む。

 

「はっ」

 

 せせら笑う満潮。

 わざとだった。

 いきなり哨戒任務を言い渡されて、困惑する卯月を見たいがための、ささやかな嫌がらせだ。

 こめかみに浮かんだ血管が、ブチブチ千切れる。

 

「……殺す、いつか絶対殺す」

 

 本気の殺意を滾らせながら、山盛りのコーンフレークを貪る。毎日たっぷりをシリアルを食べれば、それはもう紛れもなく強くなれるのだ。そして満潮を泣かせてやる。

 絶対に間違った決意を抱く卯月。

 それはそれとして、ご飯は美味しかった。今日の日誌にはこれを書くとしよう。

 

 しかし、哨戒任務とは。

 いったいどこまで行くのだろう。前みたいにいきなり駆逐棲姫とか、姫クラスと遭遇するのは勘弁して欲しいが。

 

 ここには、基本敵は攻め入れないと聞いたが、例外はある。駆逐棲姫がそうだった。D-ABYSS(ディー・アビス)の艦娘たちが例外でない保証はどこにもない。

 

 飛鷹さんの言う通り、ガッツリ食べておかないと、体力が持たないかもしれない。吐き戻さないギリギリまでは食べておくべきだ。

 そういう訳で食事を続行。バターをたっぷり塗ったカンパーニュとか、チーズと目玉焼き、ハムが乗ったトーストを頬張る。

 

 思う存分食べて、食後のコーヒー(砂糖&ミルクましまし)を飲んだ卯月はホッと一息。

 

 お腹を撫でながら呟いた。

 

「お腹痛い」

「バカ……」

「気持ちも悪いぴょん」

 

 吐きそうだった。

 調子に乗って喰い過ぎた。

 吐き戻さない程度にしようとか誰が言い出したんだよ。

 後悔しても遅い。腹は痛いし顔は青い。これは間違いなく体調不良だ、今日の哨戒任務は直ちに取りやめなければ。

 

「うーちゃんはもうダメだぴょん、ベッドでお休みなさいをしてくるぴょん。という訳で任務は一人で頼むぴょんミッチー!」

「ええ、そうね、哨戒終わったら良いわ」

「待って、マジでぽんぽん痛いぴょん、シャレにならないぴょん!」

「だから言ってんの、分かんない?」

 

 満潮はニッコリと笑った。

 こいつはわたしが苦しんでいるのを楽しんでいるのだ。

 なんて外道だろうか。

 人の不幸を嘲笑うだなんて。わたしはそんなこと一回もしたことがないのに! 

 

「じゃあ飛鷹さん御馳走さま、行ってくるわ」

「あまり無茶させちゃダメよ」

「いざとなったら下剤でも飲ませて無理矢理スッキリさせるわよ」

 

 卯月は首根っこを掴まれて工廠へ引き摺られていく。

 だが抵抗する元気もなかった。てかなんでこんな不機嫌なんだ。いつもムッツリフェイスだが、目の隈が一段と深いような気がする。寝不足っぽい。理由は知らないが、八つ当たりは勘弁してもらいたいものだ。

 

「あー、マジでお腹痛いぴょん、せめてお手洗いに行かせろぴょん!」

「哨戒終わったら良いわよ」

「お魚さんに餌を撒けっていうのかぴょん」

「そうだけど」

「正気かお前!?」

 

 戦場で死ぬ前に社会的に死ぬかもしれない。そんな光景見て得する奴この世の何処に居る──―まさか、こいつ初めからそういうつもりで? 

 

「誰かーっ! 変態が! とんでもねぇ性癖にうーちゃんを巻き込もうとしているぴょん!」

「バカ!? 私にだってそんな趣味ないわよあってたまるか!?」

「だったらトイレ行かせ、あ先っちょが」

「止めろ私が悪かったから!」

 

 グダグダ極まりない朝となった。ぐっすり寝れた筈なのにとても疲れた。こんなんで哨戒任務できるのか。万一遭遇した時秋月や最上(仮)に勝てるのか。

 不安で仕方がない。

 その感情も腹痛に掻き消される。二度と喰い過ぎまい。卯月は強く誓ったのだった。




第100話がこんなグダグダ&下ネタで良いんだろうか。


































開発報告第肆番
研究は完全凍結とされた。表向きの開発目的が終了したことによるものだろう。実際は開発継続だ。当然のことだ。化け物を殲滅することができなければ、人々の未来に影を落とすことになる。もっともそれは、核抑止のような机上の空論かもしれないが。あって悪い物じゃない。そう信じて開発を続行する。


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第101話 呼声

 極めて汚らわしい朝であった。

 それでもどうにかお手洗いから脱出。出す物を出したから多少はスッキリしたが、まだお腹がムカムカする。げんなりした表情のまま卯月は工廠へ入る。

 

「おー、やっと来……どしたの?」

「喰い過ぎで下痢」

「辛いぴょん」

「なにしてんのさ、体調管理は軍人の基本でしょ……」

 

 なんの反論もできない、おっしゃる通りである。北上は呆れながら艤装の準備に取り掛かる。

 卯月と満潮が出撃なのは分かっていたので、大体の準備は終わっている。取り付け作業を少しするぐらい。形見のハチマキは朝着替えた時に、髪の毛を纏める形でつけてある。

 それだだけではない、首輪の取り付けもある。

 

「あー、また首輪だぴょん」

「そっちは気絶装置なんだから良いじゃない。私たちは本物の自爆装置よ」

「こっちはD-ABYSS(ディー・アビス)って言う爆弾抱えてるぴょん……」

 

 下手に起動させたら深海棲艦に堕とされる特大級の爆弾だ。しかも起動データを集めないといけないので撤去もできない。考えようによっては自殺装置の方がまだマシ。満潮は気まずそうに黙り込む。言った卯月も後悔した。

 

「えーと、何処を見て回るんだぴょん」

「基地周辺よ、細かいトコは移動しながら説明するわ」

「もちっと丁寧に解説しろぴょん」

「アンタが腹下したからその時間がなくなったのよぉ……!」

「サーセン!」

 

 目線を斜め四十五度に向けつつ、舌をちょっと出しながら謝る。誰がどう見ても誠心誠意の謝罪だ。

 そし満潮は卯月をグーで殴った。

 鼻血を出して、綺麗に弧を描いて卯月は飛んでいく。当然の報いであった。

 

「ぎゃんっ!」

「じゃあ行ってくるわ」

「あいよー、気をつけてー」

 

 痛みを堪えて飛び起きる。さも当然の如く置いていこうとするなよアイツは。内心そう憤慨しながら満潮の後をついていく。

 外海へ出ようとするには、満潮の後を()()につけなければならない。でなければ死ぬからだ。

 

「なにすんだぴょーん!」

「なにも、昨日はよく寝れたみたいじゃない」

「ハッハー、その通り、それともうーちゃんがいなくて、寂しかったかぴょん?」

「……死ねばいいのに」

「お前、昨日何があったぴょん」

 

 那珂の大乱入により全然寝付けなかっただけである。やること成すことが満潮の癇に障るのも原因ではあるが、卯月への態度はほぼほぼ八つ当たりであった。

 しかし、いつまでも苛立ってはいられない。任務は任務だ。満潮は一回深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

 

「はい、これ飲んどきなさい」

「……毒薬?」

「胃腸薬っ! 腹痛いって言ってから、トイレ行ってる間に飛鷹さんから貰ったの! 下剤飲ませるわよ!」

「おお! 感謝するぴょん」

 

 腹痛抱えたまま哨戒任務に行くのは流石に辛い。満潮のくれた薬を卯月はありがたく飲み干す。外海に出た頃に効き始めるそうだ。これで安心して戦うことができる。

 

「しかし、満潮が親切なのは不気味ぴょん」

「アンタね……こんなくだらない理由で、足を引っ張られたらこっちが迷惑すんのよ」

「ぴょん? うーちゃんお前が死ぬのは気にしないぴょん?」

 

 満潮は嫌いである。わたしが足を引っ張ったせいで死ぬのなら、それはとても愉しいと思う。

 アレな返答に満潮は口角を痙攣させながら、外海への『壁』を指さす。

 外海からの侵入者を防ぐ為の、分厚い機雷原だ。

 

「そこへ突っ込むわよ、事故死に見せかけて」

「そんときゃ道づれぴょん!」

「……本当に殺した方が良いかしら」

 

 だが、そんなことをした場合、D-ABYSS(ディー・アビス)搭載艦を殺したとして不知火に殺される。

 尚そっちはマシな方。最悪あきつ丸におもちゃにされて死ぬことになる。卯月がどんなに気にくわなくても、連れていくしかない。

 胃に穴が空きそうだ。わたしも合わせて胃腸薬を貰うべきだった。今更後悔する。

 

「行くわよ、機雷原の突破ルートはわたしが聞いてる。前と同じだけど、少しでも踏み外したら死ぬから」

「りょーかいぴょん」

「じゃあついてきて」

 

 深海棲艦さえ一撃で致命打を与える代物。直接突っ込んだら姫級もただでは済まない。駆逐棲姫もその方法で撃破(一回目)した。そんなところを通っているのだ、流石にふざけたりはしなかった。こんなんで死んだらあの世の仲間にどんな顔をすりゃ良いのか。

 

「今日の哨戒任務だけど、この辺り近海を注意深く探るわ」

「……って言うと?」

「こいつらを使って、徹底してってことよ」

 

 満潮の艤装の中から妖精さんたちが顔を出す。

 熟練見張員に、対空電探、水上電探の妖精さん、アクティブソナーの妖精だ。

 空に偵察機がいないか、潜水艦が潜んでいないかを探る。それが今回の目的だ。

 

 昨日は那珂が哨戒した。水上偵察機やソナー、電探で一通り調べてくれたが、今日もいない保証はない。『結界』もあるし、『情報統制』もされている。

 前科戦線の位置は味方にも秘匿されている。当然卯月たちも知らない。内通者に位置を知られる可能性は低い。

 

 それでも絶対はない。

 高を括って、油断したタイミングで責められたらシャレにならない。できるだけ警戒の目は増やした方が良い。

 それに部隊全員にある程度の緊張状態を作る意味でも、この任務は重要だった。

 

 そう説明を聞いている間に機雷原を抜けて外界へ出る。

 以前基地近海へ出た時は、二回とも夜だった。昼間の近海は初めてだ。波は穏やかだ、普段からこんな感じなんだろうか。

 

 しかも快晴、ピクニック日和だ。お弁当でも持ってお昼寝しに行くのも良い。

 ここに敵が現れる可能性がなければだが。

 なんでこんな日に仕事なのか。ぶっちゃけ遊んでいたかった。しょうがないけど。

 

「行くわよ、わたしは装備を使って探る」

「うーちゃんは? 寝てれば良いぴょん?」

「あんたは肉眼とか生身で索敵。敵を探す練習とでも思ってやってて」

「了解、ぴょん!」

 

 前科戦線は(一応)第一艦隊直属の特殊部隊だ。だから良い装備も優先的に回される。死なずに帰ってくるプロ集団でもあるので試作装備のテストを任されることもある。

 

 しかし、そうでない場所だとレーダーやソナーが行き渡らない場合もある。そんな鎮守府だと敵は肉眼で探すしかない。そんなことは良くある話だ。

 

 戦闘中、咄嗟に判断する時も、レーダーより肉眼の方が良いケースだってある。装備に頼らずに敵を探すことも重要なのだ。

 

「敵さんはいるかなー、いたら即刻ブチ殺だゴラァ!」

「うるさい、敵に気づかれる」

「そんな耳の良い奴早々いないぴょん」

 

 機雷原周辺を移動して、定期的に立ち止まる。

 満潮は電探や見張員、ソナーを使って、誰が潜んでいないか、それだけではなく痕跡がないかも含めて、慎重に確認していく。

 

 隣で卯月は、遠くや水面下を見渡す。

 波はまだ穏やか、地平線は真っ平ら、視界を遮る物はない。つまり敵はいない。

 水は澄んでいて深くまで見えるが、奥深くまでは流石にムリだ。

 

「敵影だけじゃない、潜水艦の潜望鏡がないかも注意して」

「ぴょっぴょん」

「……それは返事なの?」

 

 言われた通り注意してみる。

 やはり見当たらない。この辺に敵は来ていないということで良いのだろう。

 装備を使っている満潮も敵はいないと判断して、次のポイントへ移動する。

 

 そんなことを数時間続ける。

 卯月はすっかり飽きていた。満潮と違って、卯月は普通の任務経験がない。だからこういう任務の重要性がいまいち感覚的に分からない。

 だからといってサボったりしないが、しょっちゅう欠伸をするようになってしまっていた。暇で暇で仕方がないのだ。

 

 こういうつまらない作業を延々と続けるのが哨戒任務なのだが。不真面目な卯月の態度に満潮はあからさまに苛立つ。

 だが、口を挟む前に天罰が訪れた。

 ボケーっとしていた卯月が、突然目を見開いて叫ぶ。

 

「──はッ!?」

「どうしたの」

「は、腹が、い、痛いっ!?」

 

 紛れもなく天罰であった。

 最低な天罰だったが。

 場違い極まる発言に、満潮はとうとう卯月に平手打ちを叩き込む。

 頬が痛い。腹も痛い。卯月は泣きだしそうになっていた。

 

「なんで、お薬はどうなったぴょん!?」

「……腹痛薬も効かない程食べてた訳ね。このバカ」

「き、帰投! 一刻も早く!」

「ムリ」

 

 正午頃まで哨戒を行うこと。それが任務だ。命令違反は許されない。嫌がらせとかじゃなくて本当に帰投は無理なのだ。

 例え腹痛で死にそうになっていたとしても。海上でお魚さんに餌を撒くことになったとしても。

 

 この状態から脱出する方法はただ一つ。

 出す物を出す他なかった。

 つまりはそういうことであった。

 卯月はただでさえ失っていた尊厳を、更に失う羽目になるのであった。

 

 

 *

 

 

「なんでぇ……ヒック、薬飲んだのに、こんなのってないぴょん……」

 

 人としての尊厳を失い涙ぐむ卯月。さすがの満潮もかける言葉がない。しかもキッチリ魚共が寄ってきてるんだから最悪だ。

 最低な気分から目を背けようと卯月は周囲の警戒に勤しむ。今までになく真面目に取り組んでいた。

 腹をさすりながらだが。

 

「あー、そろそろ終了時間よ。帰投するわよ」

「ぴょん……」

 

 弱々しく頷く卯月。帰る時も機雷原の隙間を通らないといけない。慎重に行かなければドカンで一撃死だ。

 卯月は少し可哀想に思うが、構っていられる余裕はない。

 頭に叩きこんできた機雷の配置図を思い出しながら、その隙間を潜り抜けていく。

 

 結局、敵は出てこなかった。

 それで安心、とはいかない。

 基地の位置が特定されていないと判断するのは迂闊だ。今回はたまたまいなかっただけかもしれない。攻められてからじゃ遅いのだ。

 

 それでも、誰もいなかったことに一安心はできる。機雷原を抜けたタイミングで満潮は警戒心を解く。

 卯月も続けて警戒を解除しようとした──その時だった。

 

 信じがたい声が聞こえた。

 

「ぴょッ!?」

 

 卯月は眼を見開く。慌てて海面に耳を押し当てて、その声を探ろうとする。

 

「ど、どうしたの急に」

「ちょっと、ごめん、静かにして」

 

 尋常ではない様子に押し黙る。卯月はいったいなにを聞いたのだ。ここは機雷原の内側だ、誰かが入ってくる可能性は、ゼロに近いのに。

 冷や汗を流し、息さえ止めて、聴覚に意識を集中させる。

 しかし、聞こえる音はない。海の中で水が動く時の、くぐもったような音しか聞こえなかった。

 

「……聞こえない」

「ちょっとどいて、ソナーを使うわ。向こうが音を控えててもこれなら探知できる」

 

 入れ替わりに満潮がソナーを動かす。

 持ってきたのはアクティブソナーだ。相手が音を出さないよう息を潜めていても関係ない。逆探知されるリスクはあるが止むを得ない。

 それでも、何の音も捉えることはできなかった。既に索敵範囲外へ行ってしまったのだろうか。

 

「卯月、アンタ何を聞いたの?」

「……なんなの、今の」

「ちょっと大丈夫なの?」

 

 まるで発作の予兆のように卯月は錯乱気味だった。目の焦点は合ってない。しゃがみこんで耳を塞いだまま小刻みに震えている。心底恐ろしい何かを聞いてしまったように。

 声をかけてもダメ。肩を叩いてようやく反応する有様だ。

 

「なにを、聞いたの。言いなさい」

「……聞き間違い、だと、思うぴょん。ひょっとしたら緊張が解けて、発作が、幻聴だったのかも」

「そんなの判断するのはこっちよ。言いなさい」

 

 問い詰める満潮。

 卯月は言い難そうにしていたが、観念して口を開いた。

 

「卯月って、聞こえたぴょん」

「……どいういうこと?」

「だ、だから、『卯月』って、うーちゃんを呼んでいる声が聞こえたんだぴょん」

「アンタの名前を呼ぶ声が?」

「そうだぴょん、水中から、確かに音が……た、多分」

 

 聞き間違いだ。

 しかも卯月は幻覚、幻聴、幻触の持病持ち。言う通り緊張が解けたタイミングで、軽い発作に襲われたと考えるのが自然だ。

 

 しかも、現に水中には誰もいなかった。

 そもそも、この辺りはまだ機雷原が近い。すぐに逃げ出そうものなら、即機雷に引っ掛かる。

 やはり幻聴を聞いたのだ。満潮はそう考えた。

 

 考えたのだが、気のせいだと一瞥できなかった。

 

「……き、聞こえる、また、声が、う、うるさいっ! 止めて、叫ぶな!?」

「チッ、今度は本当の発作か!」

「うううう!?」

 

 本当の発作に襲われた卯月を、すぐさま機雷原から引き剥がす。哨戒任務は無事に終わったが、果たしてこれは無事に終わったと言っていいのだろうか。

 何にせよ、この機雷原の下には、なにかがあるのかもしれない。

 それは調査しなければいけない。

 この戦いは、何が起きるか分かったものじゃないからだ。




艦隊新聞小話

 艦娘って一応付喪神の扱いなんですが、その存在についてはまだまだ未知のところが大きいんですね。
 半霊的存在なのに、卯月ちゃんのように腹痛になったりもしますし、風邪を引いたりもします。でも深海棲艦由来の病気には感染しない、といった感じなんです。
 でも艦娘のDNA配列って人間とは違ってるんですよね。なのに人間の病気にも感染する。大本営の研究者たちはこのふわっとした基準に頭を悩ませているようで。
 そんな訳で、艦娘に効く薬と効かない薬もまばら。胃腸薬一つでもドラッグストアで買って終了って訳にはいかないのが、まだまだ難しいところのようです。

 ……毎回、バラムツとかフグを丸食いして『うますぎる!』って言いながら死にかけてる内のボスへの特効薬はできないですかね。ええオツムの方ですよ。


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第102話 連携

実質一日とちょっとで2-5、5-2、5-5、6-4行けって正気なのでしょうか?


 腹痛やらなんやらで苦しみながら行われた哨戒任務。それは無事終わった。しかし、帰投しようと機雷原を抜けた所で問題が発生した。

 そこを抜けた瞬間、卯月がなにかの声を聞き取ったのだ。

 

 『卯月』と、彼女を呼ぶ声が。

 余程恐ろしい声だったのか、卯月は腰を抜かして動けなくなってしまった。

 しかもそれが銃爪になって発作が起きる。自分を抱えながら震えることしかできない。

 

 このザマだ。幻聴に違いない。

 そう思いながら満潮は卯月を抱きかかえる。何度も何度も卯月の面倒を見ているので、介護の仕方は慣れている。

 嫌悪感は一切消えないが。

 今更だが、何故わたしは、こんな奴の面倒を見ているのだろうか。

 

 考えると胃に穴が空きそうなので止めておこう。無心で卯月を前科戦線まで運ぶ。

 

 緊張が解けない。

 卯月があんなことを言い出したせいで、この安全地帯にも何かが潜んでいる気がする。

 

 嫌な汗を流しながら、満潮はなんとか施設まで辿り着く。真っ先に工廠へと向かった。

 入ってくるのに気づいた北上が、二人に向かって手を振る。

 

「おー、お疲れ様ー……って、感じじゃなさそうね」

「ええ、そうよ、このバカのせいでね」

「うーちゃん、バカじゃ、ないぴょん……」

 

 ここまで運んでくる間で発作は収まっていた。とはいえ壮絶な感覚を味わった直後、まだメンタルは不安定なままだ。顔は青ざめているし、目の焦点はあまり合っていない。

 

「バカはバカでしょ、あんな妄言でわたしを惑わせて」

「妄言、なにそれ?」

「水中から声が聞こえたって言うのよ。機雷原の内側、ありえないでしょ」

「うーちゃん嘘は嫌いぴょん。聞こえたから聞こえたって言ったんだぴょん!」

「あー、落ち着いて二人とも、どーゆーことなのさ」

「聞く必要ないわよ」

「満潮ー、それを決めんのは、わたしの方だよー」

 

 満潮はただの前科持ち。北上は非戦闘員だが正規艦娘。どちらの方が権限があるのかは言うまでもない。

 意見を黙殺されて満潮は機嫌を悪くする。

 その辺でふてくされている間、北上は卯月からことの詳細を聞き取る。幻聴かなにかと思っていた北上も、異様な話に顔を曇らせていく。

 

 そのことを話し終わった後、北上は困ったようにうめき声を上げていた。

 幻聴と片付けるには、色々と妙だった。満潮のソナーにも何かがいた記録はない。それでも尚疑ってかかるのは、卯月にはそういう事象の『前例』があるからだ。

 

 数日前、藤鎮守府で行われた、金剛たちの艤装の回収作戦。

 襲撃してきた秋月の弾幕と、真っ暗闇という環境のせいで艤装捜索は難航を極めると思われた。しかし卯月の活躍により、かなり早めに発見することができた。

 その時も、卯月は『声』を聴きとっていた。

 悲鳴とも、うめき声ともつかない、異様な声を聞いた。その音源を辿っていったら艤装を発見したのだ。

 

 卯月の聴力が優れているのは、ここ数日の特訓で明らかになっている。それでもこれは耳が良いとかそういうレベルの話ではない。

 明らかに、聞こえてはいけない部類の音が聞こえる。

 何故そのようなことが起きているのか。疑わしいのはやはりD-ABYSS(ディー・アビス)だが、このシステムにそんな力があるのか。

 

「何にしても、前の艤装の時みたいに、何かがあるかもしんないねぇ」

「ど、どうするぴょん。もう一回出撃するぴょん?」

「いんや、卯月はまた訓練しなきゃいけない。所長──間違えた中佐に頼んで、対潜が得意な人たちに捜索して貰うようにするよ」

「フン、随分そのクソガキに優しいのね。特別扱いってことかしら」

「ガキって、お前も十分子供ぴょん」

「お子ちゃまと比べないでくれる?」

 

 卯月は直ちに飛びかかり攻撃を始めた。馬乗りになり頬を全力で引っ張る。

 子供扱いした罰だ。痛い目見せてやる。

 しかし満潮もカウンター。逆に卯月の頬っぺたを掴み、同じく全力で引っ張った。頬が伸ばされ痛むが、お互い引く訳にはいかなかった。

 どっちもどっちだった。二人とも子供そのものだ。

 

ふぁいっふぁふぁ(参ったか)!」

ふぉういうふぉころよ(そういうところよ)!」

「何してんの二人とも」

 

 このままでは話が進まない。北上は工廠の機械を使い、卯月を掴んで持ち上げる。結構持ち上げたので中々の高さにぶら下がる形になってしまった。

 

「下ろすぴょん!」

「暴れると落ちるよ」

「下ろしてくださいなんでもするぴょん」

「はいはい」

 

 クレーンをゆっくり動かして地面に下ろされた。

 いきなりでちょっとビビったが、良く考えれば大した高さじゃなかった気がする。

 膝が笑っているのは気のせいだ、見間違いに違いない。

 

「満潮の意見に関係なく哨戒はしとくよ。どっちにしても午後もしなきゃいけないんだから」

「ああ、それもそうね」

「入渠の準備はできてるから入ってきな。お昼の後は、また特訓だからねー」

 

 特訓、なんと恐ろしいな響きか。

 ここ最近の過激な練習のせいで、特訓という単語を聞くと身体が震えるようになっている。特訓アレルギーになってしまったに違いない。

 サボりたい。滅茶苦茶サボりたい。

 いやまあ、強くなってる実感はあるから、それは嬉しいんだが……でも辛い。

 

「あ、そうだったぴょん! うーちゃんお腹の痛みがまだ収まってないから、特訓はムリだぴょ」

「いや、そういうの関係ないよ?」

「……ガチで体調不良なんだけど?」

「うん、だからやるんだよ?」

 

 戦闘中に体調が悪くなっても、敵は攻撃を緩めない。

 ましてやここは前科戦線。

 人権とかは基本二の次。腹痛だろうがなんだろうが、卯月の特訓が免除されることはあり得ない。

 

 むしろ逆。体調不良の状態でも戦えるようにする目的で、更に苛烈な訓練が行わることになる。

 ……根本的な話、実戦で体調を崩すような、自主管理のできてない卯月がアホな訳だが。

 

「……マジか、ぴょん」

「発作がまだ後を引いてると思うけど、同じ理由で配慮はしないよー、ドンマイ」

「酷すぎる、どーしてうーちゃんがこんな目に!」

「暴飲暴食以外のなにがあるのよ」

 

 卯月は満潮を指差す。

 

「ストレスとか」

 

 満潮の華麗なフックが腹を抉る。

 

 胃に穴が空く激痛(物理)を味わった卯月は、海面へ叩き込まれて沈んでいった。

 

「ちょっと、工廠の機械に傷がついたらどーすんのさ」

「ごめんさない、北上さん」

「誰かうーちゃんの心配をしろっ!」

 

 満潮は首を傾げる。

 する必要があるのだろうか。そんな時間があったら腕立て伏せでもしてた方が有意義ではないか。

 

 頭からびしょ濡れになってしまった。

 卯月はプリプリ言いながら立ち去ろうとする。

 不快感はマックス、相変わらずお腹も痛い。さっさとお風呂入ろう。

 

「あ、ちょっと卯月」

「なんだぴょん」

「満潮から貰った胃薬は飲んだんだよね?」

「アレ? とーぜんだぴょん、それでも痛いんだぴょ……あ、やばい、また、ひぎいいい!」

 

 おおよそ女の子が出してはいけない声を上げてお手洗いへダッシュする卯月。

 要件があったのだが、流石に引き留めるのははばかられた。あの必死な形相を見たら、とてもそんなことはできない。

 

「……おっかしいなぁ」

 

 頭をポリポリ掻きながら、北上は不思議に思った。

 飛鷹から聞いた話だが、彼女が卯月に渡した胃腸薬は、かなり強力なものだった筈。効かないなんてことがあるのだろうか。

 

 

 *

 

 

 風呂に入り昼食を取り、一休みしたら大分お腹の痛みが治まってきた。腹をさすりながら卯月はホッとする。この痛みが一日中続いていたら、本当にショック死してたかもしれない。秋月よりも強大な敵だった。

 こいつを倒したわたしにもう敵はいない。全てに勝ったも同然だ。

 

「でも午後からも訓練よ」

「ちくしょう!」

 

 特訓という最も強大な敵が立ち塞がる。倒しても更に強くなって蘇る恐ろしい敵だ。なぜこんなのと戦わなきゃいけないのか。

 ぶっちゃけ逃げたい。

 しかし満潮に首根っこを掴まれているので逃走不能だ。そんなにわたしが逃げると思っているのか。

 

 尚この訓練が始まってから、逃亡を試みた回数は既に二桁に到達している。勿論全て失敗済である。

 こいつ本当に仇討ちする気があんのか? 

 全員が抱く至極当然の疑問であった。

 

「あ゛ー、で、今日もボッコボコにされんのかぴょん」

「ちっっっがぅよ──!」

「ギャア!」

 

 突然耳元で超がつく程の大声。

 聴力に優れている卯月にとっては、紛れもない致命傷である。耳から血を噴き出して白目を剥き死にかけた。

 ギリギリでこの世に帰ってくる。卯月はこんな大声を出した那珂にキレた。

 

「いきなり大声だすなぴょん、死んじゃうぴょん!?」

「ごめんごめん、だって那珂ちゃんアイドルだから!」

「理由になってねぇぴょん」

 

 アイドルといえば歌。歌といえば肺活量。つまりそういうことだった。卯月は微塵も理解できなかったししたくなかった。

 

「……他の連中はどうしたの?」

「球磨ちゃんは、飛鷹さんと一緒に近海哨戒。海中を調べるとか言ってたよ」

「あの二人になったのかぴょん」

 

 卯月が聞いたという水中からの声。それをきちんと調べるために対潜能力を持ってる二人が選ばれたのだ。

 

 実のところ、対潜能力が一番高いのは那珂だ。

 那珂が出撃するのが一番良いのだが、彼女は卯月を鍛える仕事が入っていたので、そちらまでムリ。

 なので、次点で能力の高い球磨に仕事が回った。加えて空からの目も加える為に飛鷹も参加している。

 

「それでもなんでポーラとか熊野がいないのよ」

「今日のはね、タイマンでやった方が良い内容だからなの!」

「……どんなんだぴょん?」

「久々の奴だよー、これです!」

 

 じゃじゃーん、と言いながら取り出したのは一振りのナイフ。それと小さな小瓶だ。

 取り扱い注意を示す警告色のラベルが貼ってある。

 これは知っている、確かに久々だ。

 

「修復誘発材、かぴょん」

「そう! 二人が藤鎮守府に行ってる間に、再発注ができてねー、届いたってこと」

「また使えるのは、心強いぴょん」

 

 生憎というか、もうそういう艦なので諦めるしかないのだが、卯月は弱い。滅茶苦茶弱い。陣形によってはイ級の撃破に手間取る程に弱い。

 

 これで相手が姫クラスになると悲惨だ。

 よっぽど良い所に当たらなければダメージにならず、弱点に当てても、掠り傷ぐらいの損耗しか与えられない。

 そんな有様。攻撃しても有効打を与えられないから牽制にならない。無視されて終わりだ。

 

 しかし、修復誘発材があればそれが変わる。

 この誘発材では、絶対に止めを刺せない。ただ数秒だけ装甲を解かしたりできるだけ。

 

 それだけだが、相手に大きなプレッシャーをかけることができる。

 下手をしたら、その数秒が致命傷になりかねないのだ。警戒を余儀なくされる。それだけで十分な価値が生まれる。

 

 駆逐艦の装甲で、ナイフを突き立てられる至近距離まで迫らないといけない。

 危険なリスクを払わなければならないが、そうでもしないと、牽制さえできないのだから仕方がない。

 

「……これを使うのは分かったけど、なんでタイマン?」

「えっとね、卯月ちゃんには、この修復誘発材を徹底的使いこなせるようになってもらうの。その使い方を教えます! 皆と戦って実戦で使えるようにするのはその後です!」

「訓練ってか、授業に近いわけね」

「そーゆーことだよ!」

 

 まず使い方を教える。その段階からの話なのだ。複数人数で関わる価値が余りないから、タイマンでの特訓なのだ。

 ここで満潮が気づく。

 じゃあわたしも要らないじゃん。よし帰って自主練しよう。発作の面倒? 那珂に任せればいいじゃない。

 

「じゃあわたし帰るわね」

「へ? 満潮ちゃんも参加するんだよ?」

「わたしは修復誘発材使わないわよ、参加してなにをどうすんのよ」

「何を言ってるの? 満潮ちゃん帰ったら卯月ちゃんとの連携誰がやるの?」

 

 場が静まり返った。

 卯月と満潮は眼を合せる。

 連携って、戦闘的な連携か。それを誰とやるって、こいつとやる? 

 二人は全く同時に叫んだ。

 

「「何言ってんの」ぴょん!?」

「あれ? 言ってないっけ?」

「聞いてないぴょん、連携って単語自体初耳ぴょん!」

「そっか、じゃあ今話しとくね。卯月ちゃんが修復誘発材で戦っても、攻撃する誰かがいなかったら効果は激減。だから、ちゃーんとそれを活かそうって訳!」

「それがどうして私になるの!」

「そーだぴょん、満潮じゃうーちゃんの足を引っ張るだけだぴょん!」

「アンタでしょーが!」

 

 こいつと一緒に生活しているだけでも死にそうなのに、今度は戦闘もタッグを組んでやれだって。中佐は何を考えている。ストレスで本当に死んでしまうぞ。

 本当にタッグは嫌だ。

 なので卯月と満潮は全力で抗議する。しかしその意見が聞きいられる筈もない。

 

「だって二人とも駆逐艦じゃん。武装の射程距離、航行速度、基本となる戦術も一致しているんだから、満潮ちゃんと組むのが一番簡単だよ。だいいちそれができなかったら、那珂ちゃん達と組んでも上手くいかないよ?」

 

 ド正論で言い返されて、卯月と満潮は黙り込んだ。

 

 どうしてこんなことになってしまったのか。そもそも卯月がここに来る原因になった『敵』が全部悪い。このストレスも全部そいつにぶつけてやろう。

 そう思わなければ、とてもじゃないがやっていられなかった。



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第103話 欠片

 再入荷した修復誘発材を使った訓練。

 それは良い。

 しかし、満潮とタッグを組む羽目になったのが辛かった。

 理屈では分かっているのだ。

 修復誘発材が効果を発揮するのはほんの数秒、その間に有効打を撃ち込めなければ意味がない。それを実行するにはソロよりタッグの方が良いことは。

 

 でも満潮とは嫌だった。どうしてこんなことに。卯月は天を仰いで泣き叫ぶが、生憎ここは地獄だった。

 

 と、心底イヤイヤ始まった訓練だが、それはもう熾烈極まったものになった。

 具体的に言うと、那珂の鬼教官ぶりが以前より悪化していた。

 着任当初のように、ミュージックに合わせて踊らされるとか、そういうのはない。

 シンプルに訓練が過酷だった。

 

 訓練の大きな目的は二つ。

 誘発材を効果的に撃ち込む手法を身につけること。当たらなければ意味がないのだから当然だ。

 もう一つは、満潮と連携できるようにすること。

 卯月が溶解させた瞬間に、砲撃や雷撃を叩き込めるようになるのが目的だ。

 

 そのためか、基本的には反復練習ばかりだった。

 まず撃ち込み方を教えてもらい、その動きをとりあえず覚えたら、那珂を仮想敵にして、実戦で使いこなせるように身につけていく。

 

 その繰り返しだ。だが、それが最も困難だった。

 

 動きを間違えると、即座にゴム弾が叩き込まれるのだ。

 

 訓練開始から数分で卯月の顔面は形の整っていないジャガイモのようになっていた。満潮も例外ではなく、顔面が熟れたトマトのようになっていた。

 

 何故ここまでやるのかと言えば、それは修復誘発材が極めて危険だからに他ならない。

 

 深海棲艦は自前の超再生能力があるから、装甲を溶かされようが腕が融解しようが、数秒で元に戻る。

 だがこの誘発材は、艦娘にも有効なのだ。

 

 そして艦娘に再生能力はない。

 

 いつでも入渠できる基地内ならまだしも、遠く離れた戦場で誘発材を浴びてしまったら、取り返しのつかないことになる。最悪敵の目の前で航行不能に陥りかねない。

 

 更に誘発材を最大限活かそうとしたら、誰かとの連携が前提。どちらかが動きを間違えたら、仲間が誘発材を頭から被る可能性さえある。

 

 そうなれば頭が溶けて即死だ。

 だから異常なまでに厳しい訓練を課す、劇物を扱っているのだから、那珂はそういう態度をとる。

 

 訓練する側の卯月たちも、その危険性は承知している。一滴でも浴びたら危険だ、どうしても動きが強張る。

 だが強張った動きでは戦えない。

 自然体で、かつ安全に使えるまで、身体に叩き込む他なかった。

 

 ただ、どれだけ過激にやっても、一回二回で身につくものではない。

 疲労がレッドラインを超えそうなタイミングで、那珂がホイッスルを吹いた。

 

「うーん、ちょっと休憩しよーか」

「……ッ!」

「少し休んだら再開だからねー」

 

 もう声も出ない。卯月と満潮は白目を向いて倒れ込んだ。

 

 身体が動かない。ミスったら自爆する劇薬を使っているせいで、普通の訓練の何十倍も緊張する。

 

 以前はナイフに塗って振り回すだけだったからそこまで気を使わなかったが、今回覚えようとしている新しいやり方はそうもいかない。

 

 タイミングを間違えたら、敵じゃなくて満潮が溶けて死ぬ。犠牲になるのが自分だけで済まない点が、緊張を加速させていた。いや満潮は死んでも良いんだけど。

 

「こ、こ、こんなの、使いこなせんのか、ぴょん」

 

 思わず口にしてしまう、弱気な言葉。

 数時間だけの訓練だったが、身についている実感がまるで感じられなかった。

 そう思っているのは卯月だけ。冷静に観察していた那珂からの評価は違っていた。

 

「いやいや、少しずつだけど良くなってるよー」

「だと思ったぴょん、この天才うーちゃんを崇め讃えるのだぴょん!」

「キャーッ! 卯月ちゃんカッコイー!」

「ぴょーぴょっぴょっぴょ!」

「なにこれ」

 

 酷い茶番だ、つきあっていられない。

 卯月が良くなっているのもお世辞だ。あいつがそう早く成長する筈がない。

 バカバカしいと呆れる満潮。

 

「で実際どうなんだぴょん」

「本当に上達してるよ、本当に少しずつだけど」

「うへへ、やったぴょん」

「てゆーか、うーん、ぶっちゃけ……むしろ」

 

 なにやら言い淀む那珂。

 うんうん唸った後目線を向けたのは、満潮の方だった。

 なんの用だ。

 そこへ那珂が爆弾を放り込んだ。

 

「満潮ちゃんが殆ど上手くなってない」

 

 こいつは、なにを言っている? 

 満潮は理解できずに啞然とした。

 そんなことあり得ない。ましてや卯月よりも成長していないなんて。もし事実ならプライドがボロボロになる。

 

「なんだろ、卯月ちゃんにちゃんと合わせようって感じが、あんまりしないんだよねー。元々の経験値があるから、アドリブで行けてるんだけど、細かい所が目についちゃうかな」

 

 満潮のプライドはボロボロになった。

 

「ぷっぷくぷー! このうーちゃんよりも成長がないだって? いんやぁ才能のない奴は哀れだぴょん! おやおやおや普段の自信はどうしたぴょーん」

 

 今こそ好機、偉そうな満潮をコケにするチャンスだ。

 卯月はここぞとばかりに猛攻を仕掛ける。下卑た笑みで頬ずりしながら肩をポンポン叩く様は、まさに外道──というかハイテンション過ぎて妖怪のそれである。

 

 あんまりな姿に見かねた那珂が助け舟を出した。

 

「卯月ちゃんもそう成長してないよ? 少しずつってだけであって、才能ある人より遥かに劣るよ?」

「がっはぁ!?」

「あ、死んじゃった」

 

 卯月のプライドもボロボロになった。

 

 二人揃って心を砕かれ(一名自業自得)その場に蹲る。腫れ上がった顔面も相まって酷い光景が広がっていた。

 

「うーん、落ち込んじゃった……そうだ! こんな時こそ那珂ちゃんスペシャルライブでみんなを元気に」

「逃げるわよ卯月っ!」

「おうっ!」

 

 なんという抜群の連携であろうか。

 満潮が声をかけた瞬間卯月も走り出し、まさしく脱兎の如く逃げ出した。

 「酷いよー!」という嘆き声が後ろから聞こえるが知らん。あのライブか始まったが最後、彼女の自室に監禁されて延々とライブを堪能させられるのである。

 

 何故そんなことを知ってるのかというと、那珂から訓練を受ける際に飛鷹からガチの警告を受けてたからだ。

 あの時の飛鷹さんは、全く笑っていなかった。

 逃げ遅れていたらどうなっていたか。その未来を知る必要はない。

 

 卯月は置いていっても良かったがこれ以上発狂されても困る。最低限度の慈悲が満潮にはあった。

 

「あー、危なかったぴょん」

 

 最悪の未来から逃げおおせてホッと一息。胸を撫で下ろす卯月。満潮も逃げれたことには安堵してたが、その心中は穏やかではない。那珂に言われた指摘が引っ掛かっている。

 

「いやぁ、それにしても、お前がうーちゃんより劣っているってのは笑えたぴょん」

 

 その傷を喜々として抉っていくのが卯月である。慈悲の心とかは特になかった。悪意に満ちた指摘に満潮は苛立つが、事実なので反論もできず、歯を食いしばりながら黙り込んでしまう。

 

「まっ気にすることないぴょん。新人のうーちゃんと満潮じゃあ、成長速度に違いがあるのは当然だぴょん」

「うるさいわよ、いい加減黙ってなさいよ、うっとおしい」

「うぷぷ、それは嬉しいぴょん」

 

 満潮に被害を与えることができると、最高に愉しい気分になれるのだ。

 最低の感性であった。

 もっとも満潮も同じだからお互い様だ。

 不満しか溜まらない現状に、満潮はとうとう黙っていられなくなる。

 

「……なんで、アンタと連携なんかしなきゃいけないのさ」

「そうしなきゃうーちゃんが活躍できないからだぴょん、お前とコンビしたくないのはこっちだって同じぴょん」

「なら、コンビの必要ないじゃない」

「……うん?」

「わたしは、コンビなんて組まなくても戦えんのよ。アンタが足を引っ張る分まで含めて戦える」

 

 満潮と卯月がタッグで戦うよりも、満潮が単独で戦った方がより強い。だからこんな訓練をする必要はないのだ。

 なのに無理矢理連携の練習をさせられている、それが不満で仕方がない。こんなのは時間の無駄でしかない。満潮はそう考える。

 

「いや何言ってんだオメー二人の方が強いに決まってんじゃん」

 

 しかし卯月からしたら、満潮の言い分の方が遥かに意味不明だった。

 

「なにを」

「常識で考えろぴょん。どうやったって単独じゃ限界があるぴょん。それを補うためのタッグじゃん」

 

 気合とかそういう問題ではなく、物理的な問題だ。

 一人では、左に撃ちながら右に撃つことはできない。しかしタッグなら可能になる。連携とはそういうものだ。

 一人で二人分働けるからコンビは不要? 

 あり得ない、尚更連携してより強くなれと言われて終わりだ。まだまだ弱い卯月とでも、コンビネーションができればより戦える。

 

「アンタとじゃ足を引っ張られて終わりよ」

「ぬぐ、まあそれは……これから頑張るぴょん。でも連携した方が良いのは確かぴょん。所詮は一介の駆逐艦、できないことはできないぴょん」

 

 駆逐艦じゃ戦艦の装甲を抜くことはできないし、制空権争いに参加することはできない。逆に戦艦は潜水艦と戦えないし、空母は砲撃戦ができない。それぞれにできることとできないことがあるから、連携が必要になる。

 それをしなくていいのは、一部の深海棲艦だけだ。

 その深海どもだって、艦種の限界は越えられない(一部例外アリ)。

 

 と、卯月は話してみるも、満潮はなんだか納得してなさそうな顔だった。

 

「どうしたぴょん」

「いるわよ」

「なにが?」

「全部できる奴は、確かにいるのよ」

 

 どういう意味なのか。妙な言い方なせいで理解しにくい。

 

「戦艦でも、全部できる奴はいるのよ」

「ああ、戦艦でも対潜戦闘ができるとか? そりゃ一部にいるけど、深海棲艦の一部個体だけ──」

「艦娘よ」

「んんんっなんだって?」

「対潜も、空爆も、制空権争いも、艦種の限界を超えて、なんでもできる奴はできるのよ」

 

 あり得ないことを言っていた。

 

「おいおい嘘吐くなぴょん、うーちゃん嘘が嫌いだぴょん」

「嘘だったらどれだけ幸福だったのかしら……」

「え、いんのそんな化け物」

 

 マジでいるらしい。

 全部できる戦艦の艦娘が。

 嘘だと思う。でも死んだ目で語るその話は真実めいている。

 満潮は一体何を見たのだろうか。

 

「そんなんと比較するのが間違いじゃない?」

「……そうね」

「っておい、どこ行くぴょん」

「訓練再開、そろそろ戻るわよ」

 

 機嫌が治った、ようには全く見えないが、それでも訓練は真面目にやる模様。

 内心助かったと卯月は思う。

 これで満潮にボイコットされたら、まともに前線で戦えなくなる。D-ABYSS(ディー・アビス)解放までただのお荷物になってしまうところだった。

 

 訓練や嫌だし満潮はもっと嫌だが、これ以上足を引っ張るのもプライドが許さない。しょうがないから頑張って強くなろう。卯月もふてくされている那珂の所へ戻っていく。

 しかし、満潮の言った『誰か』。

 戦艦なのに、なんでもできてしまう艦娘、そんな奴本当にいるのだろうか? 

 

 

 *

 

 

 戻ってきた後の訓練は更に地獄だった。

 那珂の機嫌を損ねたのが原因だった。

 不格好なジャガイモとかトマトとかじゃなくて、もう全身にモザイクをかけなければいけない程ボッコボコにされた。

 超がつく危険物を扱うのだから厳しいのは当然だが、ここまでされる言われはあるのだろうか。

 

 そんな重傷を負ったので、訓練終了後は即入渠ドッグ行きとなった。入渠後は晩御飯、その後少しだけ自由時間になったが、日誌を書いたりする余力はなかった。少しでも寝て体力を回復させようとする。

 

 だがそれもダメだった。

 

「どうも不知火です」

「うーちゃんただいま就寝中です話しかけないでくださいぴょん」

「おはようございます」

 

 扉を開けて突入してきた不知火に問答無用で連れ去られる。

 酷い睡眠妨害を受けて卯月の機嫌はド底辺。眠たい眼を擦りながら廊下を歩かされる。勿論付き添いで満潮も連行された。

 これで大した用じゃなかったら殴ってやる。

 

 不知火は執務室へと卯月たちを通す。部屋の中には中佐と飛鷹さんが神妙な表情で待っていた。なんだか異様な空気で満ちている。

 

「飛鷹と球磨に哨戒任務に行って貰った、その結果について伝えておく」

「……なんかいたのかぴょん?」

「いや、いなかった」

 

 大した用では無かった模様。

 直ちに不知火へ殴りかかる。

 瞬間卯月の視界が暗転。

 卯月は執務室の床に狗神家状態で突き刺さっていた。

 

「落ち着け、発見はあった」

「発見?」

「なにが、あったんだぴょん」

 

 床から頭を引っこ抜く。誰かがいたんじゃなくて何かがあったということか。

 

「それがこれだ、お前が声を聞いたという場所でこれを見つけたのだ」

 

 飛鷹さんがそれを机の上に置く。やたらと頑丈そうなクリアケースに入れられていて、慎重に扱われている。

 これが、そんなに大切に扱う物なのだろうか。

 首を傾げる卯月だが、その鉄屑の正体を知った途端、理由を理解した。

 

 

 

 

「駆逐棲姫の残骸だ」



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第104話 生存

E-2は突破した。E-3は甲で行くべきか乙でアイオワを掘るべきか。


 卯月が聞いたと言う謎の言葉、その正体を確かめに行った飛鷹と球磨。

 声を聞いたという場所の近くで二人がみつけたのは、パッと見古びた金属の破片。

 その正体とは卯月たちが以前撃破した駆逐棲姫の破片だった。

 

「……えー、で、それが?」

 

 しかし卯月はそんなに驚かなかった。

 遺体がまるまる転がっていたらそれなりに驚いたけど、その一部が残っていただけだ。不自然なことでもないし、生理的嫌悪が沸くわけでもない。

 

 なのに、なぜこんなに異様な雰囲気なんだろうか。理由が分からず卯月は困惑していた。

 

「それが問題なのよ」

 

 頭を悩ませながら飛鷹は呟く。

 

「深海棲艦が、どういう生物か分かる?」

「塵虫、害虫、産業廃棄物だぴょん」

「うんそうじゃなくて」

 

 深海棲艦と艦娘は、生物的にも概念的にも似た存在だ。しかし両者を分ける決定的な点がある。

 

「深海棲艦って、艤装そのものとも言えるの」

「オーケー、分からんぴょん」

「艤装と生身が一緒ってこと」

 

 彼女たちの骨格が、強靭な鋼鉄で構成されている理由にも繋がることだ。

 深海棲艦──一般的な仮説という前提だが──は、軍艦の怨霊と考えられている。

 故に人型を取っているが、その実態は軍艦と何ら変わらない。

 簡単に言えば、生身に見えている部分も、『艤装』とまったく同じなのである。

 

 厳密に言えば、生身の場所は、生体部位と機械部位が細かく入り混じって構成されている。艤装も同様。機械でもあり生身でもある、それが深海棲艦という存在だ。

 

 対して艦娘は、生身と艤装が明確に別れている。

 そこが大きな違いだ。

 ちなみに何故別れているのかと言えば、『人』と『艦』を明確に切り分けることで、付喪神として制御し易くするためである。

 

「イ級とかって、生身と艤装の違いなんてないじゃない。パッと見人型になってるヲ級やレ級、姫たちも、それと変わらないってこと」

「本体も艤装も、生体部分と機械部分が入り混じってるってこと?」

「そういうこと、それも細胞単位でね」

 

 なるほど理解した。それでそれがどうやって駆逐棲姫の艤装の欠片に繋がってくるのか。

 

「あいつらを捕獲して研究しようって試みが難航してる原因だけど、深海棲艦は死ぬと水になって消えるの。戦闘中に分離した部分や砕けた場所を含めて完全に」

 

 死ぬと全部が消える。残骸もなにも合切を残さず消滅する。遺体が残る艦娘とは違う。

 

 卯月は異常性に気がついた。

 

「え、待って、その欠片駆逐棲姫のって言ったぴょん?」

「ええ、言ったわ」

「なんで残ってるんだぴょん。駆逐棲姫は死んだはずだぴょん」

 

 深海棲艦は死ぬと全部消える。欠片も残さず消える。

 確かに駆逐棲姫は抹殺した。それは間違いない。

 なのになんで、そいつの欠片が消滅せずに残っているのか。その答えは一つしかなかった。卯月は震えながら呟く。

 

「まさか駆逐棲姫、あいつ、生きてんのかぴょん」

 

 どう見たって死んだと思った。しかし証拠はそうと告げていた。

 

「可能性は高い」

「嘘だぴょん、あの状況からどうやって……まさかうーちゃんが聞いた声って」

「駆逐棲姫の声を聞いたのかもしれん」

 

 瞬間、卯月の瞳孔が収縮。

 こめかみに血管が走った。

 傍にいた満潮には彼女の歯を食いしばる音が聞こえる。

 あの、泊地棲鬼に忠誠を誓っていた怨敵の一人が死んでいなかった。その事実だけでも、気が狂いそうになる。

 

 久し振りに身を焦がすような激情を感じる。声が聞こえたということは、奴はまだあの近くにいるのか。なら殺さなければ。あんな存在が地上で同じ息を吸ってることが許せない。

 

「基地が見つかったらヤバい。すぐ見つけ出して、磨り潰してなぶり殺すべきだぴょん」

「そうしたいが、無理だ」

「ええ、そう思って近海を徹底的に探ってみたけど、駆逐棲姫の痕跡は一切見当たらなかったわ」

 

 駆逐棲姫は一応駆逐艦だ。深海棲艦とはいえ長時間海底に潜み続けることはできない。近くに痕跡がないとなると、遠くで力を蓄えているということか。遠征でも何でもして見つけたい、そして殺したい。

 

 だが、効率的に考えれば、それは無意味だと分かっていた。

 こんな広い海から奴一人を探すのは困難、前科戦線は人員も少ないから、人海戦術で探すことも不可。だいいち手掛かりも何もない。

 

「……資源を無駄に食うだけかぴょん」

「理解が早くて助かる、今は何もしない。秋月撃破に総力を告ぎこむ方針に変更はない」

「了解、今は待って、力を蓄えるぴょん」

 

 今探しに行くのは非効率的。生きているなら何れまたやって来る。その時に備えて訓練を行い、確実に殺せるようにするほうが確実だ。

 卯月は『殺意』に至っていた。

 より確実に抹殺するにはそれが最善。そう理解したことで、卯月の激情はかなり収まる。今怒り狂っても無駄だと本能が判断した。

 

「あーイライラする、めっちゃ腹が立つぴょん、当たり散らしたいぴょん」

 

 もっとも怒りは消えない。発散できなかった分ストレスに変わりとにかく苛立つ。そうなることは全員分かっているので、ほぼ相手にしなかった。

 そんな中、満潮が疑問を抱いた。

 

「……痕跡がなかったってことは駆逐棲姫は近くにいないんでしょ。じゃあこいつが聞いた声ってのはなんだったの?」

「分からないわ、もしかしたら、この欠片の残留思念とかだったのかも」

「ちょっと卯月、耳を澄ましてみてよ。なんか聞こえるんじゃないの」

 

 卯月は耳に手を添えて聴覚に意識を集中させる。僅かな音でも聞き逃さないよう細心の注意を払う。しかし、暫く待ってみても何も音は聞こえてこない。背筋を貫く様な『ゾッ』とする声は響かない。

 

「聞こえないぴょん」

「やっぱりこいつのは聞き間違いよ。偶然残骸があったってだけね、はい決まり」

「やかましい、殴るぞ醜女!」

「五月蠅いわね、アンタの勘違いのせいで休憩時間がなくなったでしょ!」

「だったらハナから止めてれば良かったんだぴょん、今更蒸し返すなゴラァ!」

 

 罵り合いからシームレスに殴り合いに移行。溜まったストレスをぶつけあう馬鹿二名は不知火により執務室から叩きだされる。偶々部屋前にいた那珂に、悲鳴と共に連れ去られていった。同情は全くしなかった。

 部屋に戻った不知火は、飛鷹と中佐に目線を合せる。

 

「勘違い、じゃないと思うんだけどね」

「だが、現に駆逐棲姫は近海にいない。あるのは欠片だけだ」

「そう言っても、本人が生きてるのに残留思念……生きているから、思念が連動している……?」

「そもそも卯月さんが聞いたのは、本当に駆逐棲姫の声なのでしょうか」

 

 考えても分からない。どれもこれも状況証拠ばかり。確かなのは駆逐棲姫がどこかで生きているという一点だけ。

 結局先ほどと同じ、備える他ないという結論に一端落ち着いた。今何か行動することは不可能だった。

 

 

 誰もまだ知らない。

 

 

 これこそがD-ABYSS(ディー・アビス)が齎す『淵源』の一端であるとは。

 

 

 *

 

 

 駆逐棲姫健在疑惑という、卯月からしたらストレスフルなトラブルこそあったものの、那珂ちゃんによる地獄めいた訓練は大きな問題なく続いていた。

 嫌な指摘を受けた満潮だったが、何度も何度もやっていく内に慣れていき、中々のコンビネーションができるようになっていた。

 

「まあまあだね、漸く実戦で使えるかな!」

 

 那珂の評価は割と辛辣だった。

 数日間やってこれだ、もうちょっと良い評価をくれよ。

 それでも最初から比べれば遥かにマシ。最低限これで戦えると保証されたのだから。それとタイミングを同じして、中佐たちの仕事が一段落した。

 

 対秋月戦のために、出撃ができるようになったのだ。

 

「明日は休みだって?」

「ええそうです」

「……めっちゃ怪しいぴょん、何か企んでるんじゃないのかぴょん」

 

 夜練習が終わった頃、声をかけてきた不知火。割と酷い発言は気にせず、淡々と事務的に内容を説明してくる。

 

「威力偵察任務により、卯月さんたちは出撃します」

「どこに?」

「以前、戦艦水鬼が現れた海域。あれの更に奥の未解明エリアです」

 

 水鬼が倒されたことにより、奥の海域に行くことができるようになった。姫級が現れた海域でもないので、調査は前科戦線の手ではなく、各鎮守府により比較的緩やかに実行されていた。その中には藤鎮守府も含まれている。

 

 しかしどの鎮守府も、有力な情報を上げることができなかったのである。別に調査慣れしていないとかではないにも関わらず。

 この為埒が明かないということで、前科戦線に命令が下った。

 

 というシナリオに仕立て上げたのである。

 

 実際は違う。

 有力な情報は幾つかあったが、中佐は憲兵隊を抱き込んであらゆる裏工作を行い、その情報を回収、どの鎮守府もまともな報告ができない状態に追いこんだのであった。

 

 別に悪意はない。

 D-ABYSS(ディー・アビス)が未知である間は、他の鎮守府を関わらせることはできない。

 だから関われないようにしたまでだ。

 

 アウトローにしたって限度があるだろ。やっぱこの部隊ヤバいよ。

 卯月はそう思う。

 しかし内通者の焙りだしも終わっていない今、クリーンな手段には限界がある。そんなのを待っている時間はないという極めて合理的な判断だ。

 

 ちなみにこれが露見したら前科組含めて全員首が飛ぶが、卯月はそのことを知らない。

 

「ここ数日間あらゆる海域の情報を集めたが、秋月の活動した痕跡はなかった。この未解明海域も例外ではない。それどころか敵が殆どいなかった」

「敵がいない?」

「この海域の数少ない情報だ、深海棲艦との遭遇確率がやたらと低い」

 

 そもそも敵と遭遇しなかった艦隊もある。本当に深海棲艦の支配エリアなのか疑う人もいる。

 

 だがその代わりとして、遭遇した時の危険度は凄まじかった。

 参考までに述べると、藤鎮守府の艦娘たちはレ級elite四隻に会敵。ボコボコにされ命からがら帰投したらしい。

 

 幸い遭遇せずにいた艦隊も、何か目立った物──姫クラス個体や陸上基地、補給拠点などだ──は見つけられず、羅針盤に振り回されて帰投する羽目に。

 

「敵はほぼいないが、稀にいるのは強靭な個体。それを突破しても何もない。姫級の痕跡もほぼ皆無。そういう海域らしい」

「妙な海域ぴょん、でもそこにも秋月はいなかったんでしょ? 行く意味あるのかぴょん」

「痕跡はない。だが奴は間違いなくあそこにいる」

 

 強く中佐は断言した。けど痕跡はないのだ、どうしてそんなに自信があるのか卯月は不思議に思う。

 

「単純な話だ、なにも痕跡がないということは、誰かがそれを消していると言うこと。しかしだ、普通の深海棲艦がそんなことはしないし、できないのだ」

「できない?」

「深海棲艦は、居るだけで呪いを撒き散らす。どうやってもその痕跡は残る。対存在たる艦娘の協力者がいちいち浄化でもしてない限り。もう分かったか」

 

 例えD-ABYSS(ディー・アビス)に侵食されていても艦娘は艦娘。怨念を浄化する力をデフォルトで備えている。

 その協力者がいるから、『誰か』は存在を隠すことができるのだ。

 

「この時点で敵の性格も垣間見える。秋月がいる証拠を対価にしてでも、自身の存在を隠すような輩だ。そもそもこんなシステムを使っているのだ、腐った性根の持ち主と見て違いない」

「だろうね、うーちゃん知ってるぴょん」

「一応、敵も自らの痕跡を完全には消さないようにしていた。秋月がいることを悟られない為のフェイクだろう」

 

 呪いが全くないと艦娘がいると証明できてしまう。しかし半端に残しておけば、浄化ではなく、脆弱な個体か、一部が流れてきただけと誤認させられる。

 普通の鎮守府では、まさか艦娘が協力しているとは思わないから、尚更引っかかる。

 

「しかし我々はそういうことのプロフェッショナルなのだ」

 

 何人死のうが絶対に海域の情報を持ち帰らないといけない、そこに失敗は許されない。

 騙されて偽の情報を持ち帰ったら切腹ものだ。

 絶対に真実を持ち帰る。開戦当初から特務隊はそうやってきた。小細工は通じない。

 

「……んで、深海棲艦が少ないのはなんでなの?」

「それを調べてくるのがお前たちの仕事だろう何を言っている」

「バーカバーカ」

「うざいわね」

 

 でも分からないものは分からないので、卯月たちは現地捜査に行くのである。

 不自然に少なく強靭な深海棲艦。

 なにかがある。

 秋月発見&捕縛も大事だが、それも任務の一つである。

 

「今回は海域調査がメインだ。地の利がある状態で戦いになれば勝ち目はない。秋月については、もし倒せたら運が良かったぐらいに思っておけ、卯月」

「どーして名指しなんだぴょん、そんなに暴走すると思ってんのかぴょん」

「お前私に襲いかかったこと忘れたのか」

 

 前泊地棲鬼の話をした時、卯月は暴走して高宮中佐を殺しかけていた。

 確かにあんなことしてたら、暴走しない保証は得られない。

 嫌な記憶を思い出して、卯月はしょんぼり項垂れた。

 

「出撃は明日の夜からだ、メンバーはその時告げる。以上だ、下がれ」

「了解です」

「了解、ぴょん!」

 

 色々不穏な空気は漂っているが、それでも遂に秋月を抹殺するチャンスがやってくる。

 溜まりに溜まったフラストレーションを発散しつつ、秋月の後ろにいる『敵』に報復を成し遂げるのだ。

 その時敵が浮かべる絶望の表情を夢想して、卯月は邪悪な笑みを浮かべるのであった。




深海棲艦は死ぬと艤装諸共消滅→けど駆逐棲姫の艤装の欠片が残存→駆逐棲姫は生きている?しかし確かに爆発四散した筈。果たしてどうなっているのか。


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第105話 嗜好

 秋月がいると予想される海域への強行偵察が決まった。それに備えて、一日完全な休みになる。ゆっくりと休んでおけということだ。

 

 長い訓練から解放された卯月は、久しぶりの休みを堪能する。なにをしても怒られない、多少寝坊しても同居人以外は文句を言わない、朝練もない。

 

 なんと素晴らしい気分だろう。

 それを後押しするように、以前から注文していた物が届いた。給与の殆どを使って買い漁った高級な食べ物の数々である。

 誰にも見られまいと、自室でコソコソと中身を開けた。

 

「ふあ、あ、あああ!」

 

 お菓子にお肉、何ランクも上のジュース。

 どれもこれも輝いているようだ。そしてこれを全部独占できる。そのことが嬉しくて堪らず、矯声めいた悲鳴が溢れる。

 

 テンションは天井知らず。

 まさに『ハイッ』て気分だ。

 どれからどう手をつけようか、選り取り見取りとはこのこと。つい迷ってしまう。

 

 そりゃ飛鷹さんのご飯はとびきり美味しいが、それとこれとは別問題。しかも初給料での買い物だ。興奮しない訳がない。

 

 と、ぴょんぴょん騒ぎ立てる卯月を冷え切った目線で見る者がいた。満潮である。

 

「よくもまあそんなので、バカみたいに喜べるわね。人生幸せそうで何よりだわ」

「持たざる者の嫉妬は醜いぴょん」

「健康に悪そうなものばかり、そんなの欲しいって思わないから」

「お前はバカぴょん、身体に悪いから美味しいんだぴょん」

 

 トンデモ理論を展開する卯月に満潮は呆れ返る。一応明日出撃なんだが。自己管理の意識はあるのか──いやある訳ないか。

 満潮は頷いた。

 しかし言わねばならないことはある。

 

「食べ過ぎはもうやめてね」

「はい、二度としないぴょん。全部は食べないから」

「なら良いけど」

 

 あんな惨劇はもう二度とゴメンだ。

 万一秋月や最上(仮)の前でやらかしたら、間違いなく恥ずかしさで精神崩壊を起こす。冗談ではなく。

 プライドもお腹ごと爆散だ。絶対にやらないと誓っている。

 

「念の為胃薬も持ってくぴょん……」

「そう」

「本当に……二度としません……」

 

 基本おちゃけてる卯月がこの態度。

 あの餌やり(比喩表現)は、余程のトラウマを刻んだらしい。

 まああれでトラウマを負っていなかったら、それこそ本当にヤバい奴だったけど。

 反省しているなら良いか。満潮はそう思うことにした。

 

「じゃあ、頂きまーす! ぴょぴょーん!」

「そ、自主練してるから」

「へいへい、邪魔しないでよねー」

 

 卯月がモキュモキュ食べだすすぐ横で、満潮は平然と筋トレに勤しんでいた。

 満潮がいる理由はいつもと同じ。発作の際に対応するため。

 それともう一つ、連携度合いを少しでも高めるため、なるべく一緒にいろと那珂より命令があったからだ。

 

 お互いにそれは分かっている。

 今更筋トレしてようが、お菓子を食べてようが、気にするような関係ではない。

 と言うより話してストレスを溜めて、リラックスタイムを邪魔されたくない。

 

 そう満潮は思っていたのだが、どうも何かがおかしい。

 さっきから卯月が、チラホラと満潮の方を見てくるのである。しかし無視だ、構うとめんどうくさい。

 そこで卯月は、場所を変えた。

 

「じー」

「真正面ッ!」

「あ、気づいたぴょん、目ン玉腐ったのかと思ったぴょん」

「なによ一体、自主練の邪魔は許さないわよ」

「いんや、これ、食べる?」

 

 と言って差し出してきたのは、個別包装されたイチゴ大福だった。

 

「……貸しでも作る気?」

「おま、一応うーちゃんにも同族意識があるんだよ!?」

「それは悪かったわね」

 

 他の人がいるのに、一人バクバク食べるのは何だか──少しだけ──満潮相手なのでミジンコぐらい──いけない感じがした。

 癪だけど、今生きているのはこいつの助力もある。

 だから癪だけど、これ一つぐらいなら、上げるべきと思ったのだ。本当に癪だけど。

 

「今アンタ何回癪だと思ったのよ」

「三回だけど、で、食べるかぴょん? べらぼうに美味しいぴょん。時代の進歩を感じるぴょん」

「……確かに新鮮ね」

 

 卯月たちがまだ『卯月』だった頃は、輸送技術は未発達だった。採れたての果実を冷凍して、新鮮なまま運ぶことはできなかった。

 しかし艦娘に生まれたお陰で、それを堪能できる。

 やっぱり艦娘に生まれて良かった。つくづくそう思う。

 せっかくだから味わわせてやろう。卯月は再度大福を差し出した。

 

「要らないわ。そんな体に悪い物」

 

 言っていることは合っている。

 これはお菓子だ、食べれば太る。こんなの食べるぐらいなら別の物食べた方が良い。軍人は身体が資本なのだから。

 でもその言い方はないだろ。卯月はムッとする。

 

「ふーん、そっかー、じゃあやらないぴょん!」

「ええどうぞ」

「人が珍しく親切にしてるのに。味覚なくしてしまえっぴょん!」

 

 そして美味い食事ができなくなった時、自らの行動を後悔するといい。フレッシュな苺の甘酸っぱさとアンコのハーモニーを堪能しつつ、そう毒づいた。

 

 

 *

 

 

 お菓子といった嗜好品を食べるだけ食べたかったが、また腹痛になったら本当に死ぬ。仕方なくほどほどに済ませておいた。食べ過ぎたら晩御飯も入らなくなるし。

 それと同じぐらいのタイミングで、満潮も自主練を終えた。

 明日出撃なのだ、疲労が残らないぐらいの軽い訓練にすべきだった。

 

「……どうするぴょん?」

「寝てれば?」

「そう眠くないの。暇だぴょん。なんか面白いこと言えぴょん」

「死んで?」

 

 二人揃ってやることがない。

 身体を動かさなくても大井から貰った教本を読んだり、やることは色々あるのだが、多分それをしてもまだ時間が余る。どう時間を潰すべきか。然程趣味が多くない二人は揃って首を傾げた。

 

「行動別々にする訳にもいかないし、アンタの勝手にして良いわよ」

「そう言われても、うーん、しょうがない散歩でも良くぴょん。ジッとしてるのは性に合わないし」

「じゃあ付き添うわ、面倒くさいけどね」

 

 こいつから発作がなくなれば、一緒に行動しなくて良くなるのだろうか。

 いやダメだ。

 連携を少しでも鍛えろと言われてしまっている。もっと高度なコンビネーションができるまでは別行動の許可は下りない。以前のように売却でもしない限りは。

 本当に面倒だ、精神系の薬品とかで、抑えられないものだろうか。

 そう思いながら卯月と並んで歩く。その顔からは嫌そうな感情がにじみ出ていた。

 

「どこ行くの」

「別に……あーいや、一か所だけ行こうと思ってるぴょん。でも多分満潮も知ってる場所ぴょん」

 

 大事な出撃の前、何だかんだで毎回立ち寄っている場所がある。

 今回もそうだ。もしかしたら秋月と決着がつくかもしれない。願掛けという訳でもないが、言っておこうと自然と思う。

 宿舎を出てから割と離れた場所、基地内でも端っこと言える所まで歩く。

 

 そう時間もかからない。数分歩くだけで目的の場所へつく。

 

「……これって」

 

 木々に囲まれて、静寂さを感じさせる場所に、小さく黒い柱が鎮座していた。

 

「なんかのモニュメントだぴょん!」

「なんかって、何よ」

「さあ?」

 

 未だにこれが何なのか卯月は知らない。

 とは言えただの置物には見えない。お花が献花されている辺り、慰霊碑やお墓の類に見える。置かれている花は新しい。誰かがお手入れしているのだ。

 

 卯月はそれに向かって手を合わせて、お祈りではなく報告をする。

 

 秋月との決着がつくかもしれないこと。

 そいつを殺したいほど憎んでいるけど、被害者かもしれない可能性があって、殺すには躊躇があること──そんな覚悟じゃ勝てない相手だと分かってることも。

 というか、D-ABYSS(ディー・アビス)のサンプル確保のために、抹殺は禁じられていること。

 卯月は満潮が聞いている隣で、そう話しかけた。

 

「艦娘同士で殺し合うのは嫌だぴょん。凄い辛いぴょん。でもそれじゃあ何にも変わらないし、何の為にもならない。泣き喚いているだけじゃカッコ悪いだけだぴょん。だから、ちゃんと殺してくるぴょん。あの『秋月』を抹殺してくる」

 

 殺す覚悟はできている。但し秋月ではない。D-ABYSS(ディー・アビス)の『秋月』だけを殺す。

 

 ここで殺したらきっと『敵』の思うツボだ。

 仲間同士で戦い合う様を、敵は心から楽しむだろう。ただの予想でしかないけど、きっとそういう奴だ。そうに違いない。

 

 そうはいかない。何一つとて『敵』の思い通りにはいかせない。

 そう決めているからこそ、秋月は必ず救出する。深海棲艦としての秋月だけをピンポイントで殺す。

 救うに足る人間かどうかはその後考えれば良い。

 

 カッコ良い卯月は、一時の憎悪に駆られて仲間を殺す存在じゃない。

 

「敵としての秋月は必ず殺す。そこだけを殺して、秋月は助けるぴょん」

「……ほとんど屁理屈のそれじゃない」

「五月蠅いぴょん、それで救出と殺意全力の戦いどっちも並立できるんだから、良いんだっぴょん」

 

 殺意が臨界状態でなければ、多分勝ち目はない。

 でも殺したら救出できない。

 だから卯月は秋月は憎まない。洗脳された彼女にだけ本気の殺意を向ける。以前のわたしと同じく、殺戮や悪行を、心から()()()()()()()()()()だけだ。

 

「まあ、実際に相対して、洗脳されてるアイツとそうじゃないアイツを、別人として見れるかは分かんないけど……でも頑張ってみるぴょん。そういうことで、明日行ってくるぴょん。吉報を持ち帰れるようにするぴょん」

 

 そう穏やかに笑って卯月は立ち上がる。報告と言っていたが実際は自分自身に言い聞かせるために話していた。

 語り掛けてる最中は殆ど黙っていた満潮が、終わったのを見計らって疑問を口にする。

 

「これなんなの、初めてみたけど」

「うえ? 満潮も知らないのかぴょん。うーちゃんより長く前科戦線(ここ)にいるのに」

「こんな何にもない場所に来る程暇がなかったのよ

 

 ついでに興味もない。

 ここに来たころから、どこに何があるかなんてどうでも良かった。ましてや探索しようだなんて思わなかった。そのせいで、少し隠れた場所に鎮座しているモニュメントに気づけなかった。

 

「お墓……それとも慰霊碑かしら、でもそうなら、何か説明してる物が置いてありそうだけど」

「なんでも良いぴょん、現状報告したって(バチ)が当たるような物じゃない筈だっぴょん。多分だけど」

「アンタ、これが何か知らないで祈ってたの!?」

「そうだけど何か問題が?」

「いや……別に」

 

 それで良いのかそれで。能天気極まった卯月の態度に心底呆れ返る。

 

「モニュメントに求める意味なんて、個々人で違って良いんだぴょん!」

「でも何のために建立されたか知らないのは不味いでしょ……常識で考えれば分かるでしょ」「説明の一つも置いてないのが悪いっぴょん」

 

 説明が何もないんだから、どんな意味を見出すもこっちの自由だ。

 侮辱する真似してる訳じゃないし。

 卯月はこれを昔ここにいた誰かの墓だと思っていた。だから自分のことを話すことにしている。多分それで良い気がする。

 

 でも満潮の言うことも一理ある。

 建立理由、誰かが知っているのかもしれない。お手入れしている人がいるのも確か。不知火や飛鷹、高宮中佐辺りなら何か知ってそうだ。今日の晩ぐらいに聞いてみよう。

 

 

 *

 

 

 モニュメント、またはお墓、または慰霊碑に現状報告を済ませた卯月。

 満潮も流石に思う所があったのか、お祈りを行った。

 その後二人はまた基地内をブラブラ散歩していた。しかしすぐにやることがなくなった。弥生との交換日記は返信待ち。日誌は夜に書く。

 

 暇だった。暇になってしまったので、卯月は埠頭で寝ることにした。風はなく日当たりも良い。絶好の昼寝日和だ。

 

「こんな良い天気に昼寝だなんて罰が当たりそう」

「適宜な休息こそ成長に必要なんだぴょん」

「アンタが言うと全部屁理屈に聞こえるのよね……胡散臭いったらありゃしない」

「うーちゃん嘘嫌いでっす」

 

 実際そうだろう。ここ数日は止むを得ず詰め込んでいたが、本来は適切に休みながらやった方が効率的に決まっている。

 などと話している間に眠気が押し寄せてきた。

 グチグチ言ってた満潮も結構疲労が溜まっていたのか、欠伸が止まらなくなる。

 

「お休み……晩御飯の時間には起こして……ぴょん」

「自分で起きなさいよ……」

「やだ……」

 

 一度目を閉じたら後は速い。背中合わせで寝ころんだ二人はすぐさま眠りに落ちた。

 

「あら、あれは?」

 

 少し時間が経った後、たまたま二人がいる埠頭を熊野が通りかかった。

 

「随分仲がよろしいことですわね」

 

 背中合わせだったのだが、寝ている間に二人は、軽く抱き合う形で寝ていた。

 二人とも熊野から見たら子供だ。微笑ましい光景に優しい気持ちになる。

 だがそれは一瞬だけ。

 返って辛い気持ちが、胸の内から溢れ出した。

 

「……懐かしいですわ」

 

 起こしても悪い。熊野はそこから足早に立ち去った。まるで逃げるように。

 

 

 しかし、いきなり戻ってきた熊野はカメラを取り出し、サイレントモードでシャッターを切った。

 

「後で脅しとかに使えるかもしれませんわね」

 

 この仲良さげな写真を見せれば、二人は恥ずかしさに悲鳴を上げるだろう。普段嫌い合っているから尚効果的だ。

 

 最低な笑みを浮かべながら熊野は立ち去っていった。




食い意地が張っているシーンが多いというか、食べることぐらいしか楽しみがないと言うべきか。どこぞの地下帝国じゃあるまいし。


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第106話 調査

 深夜の海の空を輸送艇が飛行する。

 ライトなんてつけたら狙われる。光源一切なしでのフライト。普通なら自殺行為もいいところだが、秋津洲はそれを可能としていた。

 

 飛行機の飛ばし方なんて知らないが、とんでもない無茶苦茶をしてるのは分かった。

 ここまで操縦技術が突出していれば、艦娘としての能力なんて問題にならない。

 

『今日はお客さんがいっぱい! 大艇ちゃんも嬉しそうかも! わたし特製の機内食もあるから堪能するかも、残したら大艇ちゃんから蹴り落とすかもー!』

 

 これさえなければ。

 

 格納庫一杯に響き渡るハイテンションボイス。

 二式大艇に機内食なんてあっただろうか? 

 そもそもこれはコンバットタロンではなかろうか? 

 

 時間は深夜。そして大好きな二式大艇。俗に言う深夜テンションに秋津洲は突入している。

 ただでさえ酷かった大艇への狂気は留まることを知らず、むしろ加速していた。

 

『深夜のフライトはヒヤヒヤするけど、この二式大艇ちゃんと秋津洲がいるからご安心ください! なんなら零戦も目を剥くアクロバティック飛行をお披露目するかも、いやします! まずバク転からゴー!』

「全員どこかに捕まって!」

「ぎゃーっ!?」

 

 二式大艇で変態マニューバーをする秋津洲。止める暇もない。

 というかこれは輸送艇だ、輸送艇で戦闘機ばりのアクションをするんじゃねぇ。

 そんなこんなで、目的地近くに来た頃には、全員疲労困憊になっていた。

 

『秋津洲の安全安心のフライト、楽しめたかも?』

 

 機内から怒涛のクレームが噴出。

 

『そんなに感激してるなんて……二式大艇冥利につきるかも!』

 

 駄目だコイツ会話が成り立たない。秋津洲の狂気を知ってる飛鷹さんは死んだ目で全て諦めきっていた。

 

「よ、夜明けだぴょん……」

「こんなんで戦えるの私達……疲れた」

「うーちゃん頭ぶつけたぴょん、痛いぴょん!」

 

 バク転の時掴まるのが間に合わず、輸送艇の中を転がったせいだ。こんなんでダメージとか勘弁して欲しい。

 

 そんな状況だが、一応作戦通りには進んでいた。

 戦艦水鬼より更に奥の海域だ、距離は結構遠い。その上夜間突入は危険度が高い。

 第一夜間では見通しが効かず、海域調査は難しくなる。昼間の方が遥かに良い。

 そのため前日の夕方から、早めの出撃となった。

 

 お陰で予定通り、夜明けと同時に作戦海域付近に到着。日没まで長い時間調査ができる。

 

「じゃあ行くわよ、総員降下!」

『星になってくるかもー!』

「それを言うなら鳥だぴょん! お星さまじゃ死んでるぴょん!」

 

 ツッコミへの返事はなかった。

 星ではなく鳥になって落っこちていく卯月たち。

 これで卯月も、通算4回目のパラシュート降下。最初は散々だったが流石に慣れた。

 適切な高度になった後に装置を起動。ちゃんと整備してたので故障もない。

 

 でもやっぱり緊張はする。艦娘を空から突っ込ませることが非常識ってのもある。

 水面にちゃんと着地できたことに、卯月は胸を撫で下ろして安堵する。

 

「ぷぁー、無事降りれたぴょん!」

「油断しないで。降下直後に潜水艦にやられた子も昔いたんだなら」

「もちろん、この耳を澄ませているぴょん!」

 

 耳が良い、という卯月の特性は対潜戦闘でもっとも役に立つ。ソナーがなくても、装備している時と同程度に水中の音を聞き取ることができるからだ。

 但し向こうから音を発してくれなければ分からない。その穴を埋めるためにアクティブソナーも装備してきている。

 今日の卯月の担当は、潜水艦の奇襲を防ぐことだ。

 

 全員が降下し終えると、空高くにいた輸送艇が去っていく。回収しにくるのは日没直前。海路で帰ったら基地の位置を捕捉されるリスクがあるから、それまでは泣いても撤退は許されない。

 

「じゃあ早速海域調査を始めるわ。と言ってもやることはいつも通りの威力偵察だけどね」

 

 羅針盤の向いた先、向かなかった先に片っ端から出撃して、そこへ至るための条件を調査。同時に『特効』が働いている艦を特定し、中枢となっている姫級の場所への、最短ルートを特定することだ。

 

 その為に必要な、色々な艦の破片を内包した式神も持ってきてある。前科戦線の任務には必要不可欠だ。

 

 一回で全部できれば理想形だが、今回は今まで調べた海域の中でも特に未知の要素が多い。場合によっては複数回の出撃も考えられる。

 

 そういう大義名分は用意されている。

 

 この複数回の任務の間に秋月を発見、捕縛することが最大の目的だ。

 

「こちらから極力仕掛けられるようにしたいけど、秋月は艦娘だから、羅針盤の予測から外れた動きをするかもしれない。それに向こうはうーちゃんの命を狙ってる、どこかで必ず、最大戦力で仕掛けてくる筈よ」

 

 羅針盤で検知できるのは深海棲艦だけ。悪意を持った艦娘が接近してきても迂回ルートを示したりはしてくれない。いつ向こうから奇襲されてもおかしくない。

 

「報告で聞いただけだけど、秋月の戦闘力は姫級以上よ。本格的に艦隊を引き連れて襲ってきたら勝算は薄い。出撃前にも説明があったけど、今日はあくまで地形や海流、羅針盤調査がメイン。もし戦闘になったら時間稼ぎを徹底して、秋月の情報を集めてちょうだい」

 

 秋月と相対したら発狂しそうな怒りが湧き上がるだろう。けどそれで暴走するのはゴメンだ。カッコ悪い姿を晒すのはもう嫌だ。

 殺す為の最善をしよう。

 卯月はそう、自分へと言い聞かせた。

 

 飛鷹が話し終わると同時に、一行は羅針盤を頼りに海域の奥へ進み出す。

 

「偵察機は私が飛ばしておきますわ、飛鷹さんは特効を調べるのに集中してて良くてよ」

「いや、わたしも索敵はしておく。秋月の索敵範囲は大型電探並みらしいわ。そうだったんでしょ?」

「そうだぴょん、戦艦と同じ索敵能力と射程距離がある相手だぴょん」

 

 夜間であれだけ見渡せるということは、昼間なら更に見渡せる。こうしている間にも、もう電探に引っかかってるかもしれない。

 飛鷹と軽空母の熊野。空母二隻が常に索敵していても尚先手を取られる危険性は高い。だから偵察の出し惜しみはしない。使える『目』は全て使う。

 

 二人がかりの偵察機が周囲を見渡す中、卯月たちも周辺の状況に気を配りながら、奥へ奥へと進む。

 

「敵影はないわ、うーちゃん水中はどう?」

「なにも。うーちゃんの耳にもソナーにも反応なしだぴょん」

「よし、次に行くわ」 

 

 今回の参加メンバーは多め。

 卯月に満潮、熊野に飛鷹、那珂にポーラ。球磨は留守番。適正人数最大の六隻編成だ。

 

 警戒陣を維持しながら早めの速度で航行を続ける。のんびりゆっくりなんてしてられない。秋月に遭遇したら調査は即終了で戦闘開始。そうなるまでになるべく情報を集めたい。

 

 またできればだが休憩できそうな陸地も見つけたい。そこをベースキャンプにできれば調査できる期間を伸ばすことができる。

 あんまり何回も偵察してたら余計に警戒される。少ない回数で多く調べられるのが理想。今回は数日分の食糧を持ってきてないから日帰りしかないけど。

 

 そこを探す目的も兼ねて、卯月たちはより深い場所へと潜っていった。

 

 

 *

 

 

 度々立ち止まり偵察機がうろついてないか確認。

 卯月はソナーを駆使して水中を調べる。

 他のメンバーも水上偵察機を飛ばしたり、潜望鏡がないか、敵影がないか、見逃さないように注視。

 

 安全が確認できたら、再び羅針盤の方へと向かう。その度に、どの艦種、誰の因子が反応していたか確認。勿論それだけじゃなく地形や海流も調べる。

 そうやって、後続の部隊が攻略しやすくなるようにする。これが前科戦線本来の仕事だ。

 

 時には羅針盤の挙動を無視するので、阿鼻地獄のような場所へ放り込まれることもある。

 今回もそうなるだろう。前もそうだったし。卯月だけではなく全員が身構えて突入した。

 

 だが、行き着いた先に敵はいなかった。

 

「またかぴょん」

「またぁ?」

「これでぇえー、確か〜4回目でしたっけー?」

 

 ワインを煽りながら呟くポーラ。

 そうこれがもう何回も続いていた。羅針盤の挙動を無視しても、その先になんにもない。

 行ってはならない場所を避ける為なのに、そっちには何一つない。

 

 戦闘狂って訳じゃないけど肩透かしを食う。

 こっちは命を賭けるぐらいの覚悟をしてんのにコレだなんて。満潮はポーラも微妙な気持ちになっていた。

 

「奇妙を通り越して、不気味ですわね」

「誰も那珂ちゃんを見てくれないなんて、まさかもう死んじゃってるとか?」

「深海の蛆虫どもが何人死のうが知らんぴょん」

「はいはいそうね」

 

 敵が少ないのは良いことだ。

 しかしここは敵の中心。そこに誰もいないなんてあり得ない。熊野の言う通り不気味な気配がする。

 

 誰もいない何もない。所せましと深海棲艦がひしめきあっている筈なのに誰もいない。稀に強力な艦隊と遭遇するだけ。

 敵の領域なのに敵がいない。

 事前の情報通りだが、いざ目の当たりにすると困惑する。

 

「でも本当に、敵はどこに行ったのかしら」

「最初からいない──はないか。逃げてるか隠れているか、はたまたやっぱり死んじゃっているとか?」

「死んでるって、誰が殺すのよ」

 

 海域解放が成されていない時は誰も立ち入れなかった。解放されてもこの状態なので、どの艦隊もまともな戦闘はしていない。

 解放前に、艦娘が立ち入ることは不可能だ。

 例外はD-ABYSS(ディー・アビス)の秋月や最上(仮)だが、彼女たちにイロハ級を虐殺する理由はない。戦力低下を招くだけだ。

 

「もしかして、アレかっぴょん」

「何か分かったんですの?」

「顔無しを作る材料集めに殺しまくっていたとか」

 

 戦艦水鬼との戦いで現れた、顔の無い深海棲艦だ。

 その実態は深海棲艦に艦娘が混ぜ込まれているという悍ましい兵器。こいつらを作る為の材料集めに、イロハ級を殺し回っていた。

 そして狩り尽してしまったから、個体数が極端に少ない。卯月はそう予想する。

 

「バカ言ってんじゃないわよ。そもそもあの顔無しはD-ABYSS(ディー・アビス)以上に何なのか分かってないのよ?」

「知ってるぴょーん、予想として言ってみただけだっぴょーん。なーに真に受けてんだぴょんおバカかぴょん」

「何の根拠もない予想で皆を混乱させてるのは何処のアホかしら」

「お゛お゛ん゛?」

 

 頬をつねり合う愚者二名を放置して飛鷹たちは来た道を戻る。

 

 敵とは中々遭遇できないが、それでも海域の調査そのものは進められている。はなから戦闘目的で来てる訳じゃない。

 ただこうなると、敵の罠の可能性を警戒しなければならない。

 呑気に進んでいたら、何時の間にやら機雷原に誘い込まれていたとか、空爆から逃げられないキルポイントまで誘導されてた、なんてこともあり得る。

 

 それを未然に防ぐ為に、しきりに偵察機を飛ばしたりしているのだが、未だに敵影の一つも捉えることができない。

 いつ敵襲があっても良いよう身構えているが、緊張を緩めることはできない。早朝からこんなことをやっている、集中力は限界に近づいた頃、偵察機が小さい諸島を見つけた。内一つは木々に覆われうっそうとしている。

 丁度良い、ここにしよう。飛鷹はそう判断した。

 

「ここらで休憩にしましょう」

「休憩? どこでだっぴょん」

「ここから先のところに諸島がある、そこの一つに隠れるわ」

 

 油断は禁物だ。そういう所に限って島と島の間に機雷とかが敷設されてたりする。偵察機と卯月のソナーに肉眼。全部を使って警戒しながら、目的の孤島へ接近していく。電探への反応は島々の物しかない。

 

 目視できる範囲まで接近したら、その島々が()()()()か確認する。

 昔の話だが、今回のように適当な島で休憩しようと思い上陸したら、そこが木々等で偽装された陸上型基地だったなんて恐ろしい話がある。

 そうならない為にも確認は必須。幸いこの諸島のはどれも陸上型ではなかった。

 

 だが、それとは別の問題が発生した。

 

「……これは」

「どーしたぴょん、飛鷹さん?」

「戦闘の痕跡がある、無数の弾痕が島中に刻まれているみたい」

「敵がいるってことかぴょん! よっしゃ皆殺しにしてやる!」

「いえそれはないわ、結構前のみたいだし。ちょっと調べてみても良いかもしれないわね」

 

 この海域に入ってやっと見つけた戦闘の後。多少古くても関係ない。どっちにしても休憩はしたいので、一同はその島々へ近付く。

 目視できる範囲に入ると、飛鷹の言っていることが分かった。

 確かに、無数の砲弾や爆撃の後が残っている。しかしその上には新しい砂や草が乗っかっていて、パッと見ではもう痕跡とは分からない。確かに昔できたものだった。

 

「安全なのは確かね、上陸して休みましょう」

 

 休憩できるのは良いが、これはいったいなんなんだろうか。痕跡も色々だし大きさもまばら。ここで一体何が起きたのか。

 休むついでに、それも調べなければならなかった。



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第107話 禁足地

 秋月が潜んでいるとされる海域調査へ赴いた卯月たち。

 しかしそこは、探せど探せど敵の影も見当たらない不気味な場所だった。

 そんな中、休憩場所に使おうとした孤島にやっと敵の痕跡を見つける。休憩兼ねそれの調査のため、卯月たちは島へと上陸する。

 

 休むといっても、海岸でのんきにピクニックなんてやらない。

 見当たらなくても、空から見つかる危険性がある。島の奥にある鬱蒼とした森へと進んで、その中に身を隠すことになった。

 

 ずっと動きっぱなしで疲れた。やっと休める。

 地面が湿気っていることなんて気にせず、卯月は地面へ腰を下ろす。

 

「ぷいー、疲れたぴょん」

「お昼持ってきてあるから、全員食べてていいわよ」

「ぴょーい!」

 

 冷めても美味しいように作られた飛鷹さんのお弁当だ。実に素晴らしい。水筒に入れられたお茶と共に塩付の強いサンドイッチを口いっぱいに頬張る。

 疲れた身体に濃いめの味付けが良く染みる。量は少ないが高カロリーに作られているから、お腹も満足だ。

 

 しかしそうゆっくりもしていられない。調査に使える時間は有限。多少談笑していたが、他のメンバーはさっさとそれを食べきる。皆の様子を見て卯月もサンドイッチを口に放り込み、お茶で流し込んだ。

 

「むむ? 飛鷹さんは?」

「さっきの砲撃跡を見に行ってるわ。交代で警戒するからアンタ寝てなさい」

「眠くないぴょん」

「寝かせて上げるわ、さあその首を出しなさい」

「スヤァ!」

 

 満潮に任せてたら永遠にグットナイトである。しょうがないから寝ころんで目を閉じる。疲労と食後のお蔭で眠気はすぐに訪れ卯月は眠りに落ちた。

 球磨や那珂も寝ている。

 その中で満潮は周囲の警戒を行う。

 

 ジャングルの中は薄暗く日が刺し込まない。背が高い植物が無数に生え、様々な生き物の声が常に鳴る。隠れる側としては楽だが、周囲を探るのには最悪の環境だ。周囲に地平線しかない海で警戒するのとどっちがマシと聞かれたら回答に困るが。

 

 暫くそうしていると、海岸の方から足音がしてきた。一応警戒するが、やって来たのはやはり飛鷹だった。

 攻撃跡を見てきたのだろう、サンドイッチを頬張って戻ってくる飛鷹に満潮は問いかける。

 

「どうだった、やっぱり攻撃跡よね」

「ええ、遠くで見た通り最近できたものじゃなかったけど、間違いなく砲撃の跡よ」

「この島で戦闘があったってことね」

「茂みに隠れているけど、そこら中に跡がある。というか満潮ちゃんたちが座ってるそこもそうよ」

 

 言われて見ると確かにそうだ。土が抉られてクレーターの形になっている。周囲より植物の量が少なめなのは、最近また生えたからだ。

 見渡すとそれらしき跡が幾つもある。海岸だけじゃなくこの諸島全体で戦闘が起きていたということだ。

 

「ここで休憩とって良かったのかしら」

「戦闘が起きたのは長くて半年前。それ以降の新しい跡はない。用事があるならもっと人の痕跡がある筈。それがないってことは、敵はここにはもう用がないってことよ」

「それもそうね」

 

 しかし敵は、何の戦闘をここでしていたのだろう。陸上型の基地って様子でもない。追いこまれた深海棲艦──または艦娘──が此処へ逃げ込んで、更に徹底的な追撃を仕掛けたのだろうか。

 

「ただ、ちょっとだけ」

「なに?」

「砲撃の跡だけど、あれは駆逐クラスだけじゃない。重巡級のや戦艦級のヤツも混じっているわね」

 

 これが何を意味するか。

 この砲撃跡を作ったのがD-ABYSS(ディー・アビス)の艦娘だとした場合だ。駆逐クラスのは秋月、重巡は最上(仮)だろう。

 それだけではなく、戦艦級の誰かもいるということになる。満潮はそれに気づきうんざりとした様子で呟いた。

 

「駆逐艦でさえあの強化度合なのに、戦艦がD-ABYSS(ディー・アビス)の恩恵受けたらどんな化け物になんのよ……」

「砲撃で発生したソニックブームで周囲の艦隊が全滅するとか」

「止めて本当に、止めて」

 

 ありそうなのが困る。どう転んでも異次元の強さには違いない。こんな頭おかしい化け物との交戦が確約されてしまったことに、満潮はげんなりした。これ以上考えるともっと疲れそうだ。

 

「あー、わたしもそろそろ寝ていいわよね」

「良いわよ、代わりに私が見張っておくわ」

「頼むわ」

 

 こっちだって眠いし頭も痛い。土や葉っぱで汚れた地面だろうと気にならない。満潮も目を閉じて休みだす。

 

 全員が一先ず寝静まったのを確認して、飛鷹は頭を抱えた。

 その原因は島に残る砲撃跡──ではない。

 もっと、もっともっと恐ろしく、異様なモノを飛鷹は見つけてしまっていた。

 

 周囲の島にも痕跡がないか探しておこう。そう思い敵に発見されないよう偵察機を飛ばした。

 その判断を後悔する程に、恐るべき何かがあった。

 どうすれば良いんだ。判断に迷い飛鷹は小声でぼやく。

 

「言わない方が良いわよね……」

「なにが?」

「ッ!!」

 

 突然声をかけられて驚く。

 振り返ると卯月が起きていた。眠たそうにしているが、今の一言はバッチリ聞かれている。

 寝てても聞こえていたのだ。卯月の地獄耳は相当なものだった。

 

「なんでもないわよ、気にしなくて良いわ」

「なんでもないなら話しても大丈夫っぴょん。嘘は嫌いだけど隠し事も好きじゃないぴょん」

「困ったわね……」

 

 ぶっちゃけ見せても大きな問題にはならない。ただ卯月のメンタルがまたゴリッと削れる危険がある。一発で発作のトリガーを引くかもしれない。

 

「飛鷹さーん、どーしたっぴょーん」

「しょうがないか……悲鳴を上げたりしないでね、みんな起きちゃうから」

「小声だぴょん安心するぴょん」

 

 しつこく食い下がってきてもそれはそれで厄介だ。飛鷹はため息をつくと、懐から式神の一つを取り出してみせた。

 

「これは?」

「これは艦載機の視界と連動してるの、ある程度近くないと駄目だけどね。これをおでこにつけると、うーちゃんでも光景が見られるわ」

「へーってなにを見てんだぴょん」

 

 艦載機は一定の距離を維持しながら()()を監視し続けている。諸島の一つを今見ていると説明してから、飛鷹は式神を卯月のおでこに貼り付けた。

 

「目を閉じれば見える。けど、驚くのは仕方ないけど……悲鳴は堪えてね」

「ふぅん、このうーちゃんに今更怖いものなんて存在しないぴょん。ドッキリさせようたってそうはいかないぴょん」

「……本当に見るのね」

 

 しつこいな、見ると言ったら見るんだよ。

 卯月はちょっと機嫌を悪くした。

 自分から見るって言ってるんだから、何があっても後から文句なんて言わない。

 しかしそこまで言うとは。本当に何があったんだ? 

 

 卯月は興味本位で見たことを心の底から後悔した。

 

「……は?」

 

 悲鳴はなかった。混乱もしない。驚かない。頬を一滴の汗が流れ落ちる。

 

 これはなんだ。

 

 分からない。何故こんなものが出来上がっている。理解できなくなり卯月の思考は停止した。

 

 飛鷹の偵察機が映す別の孤島にあったものは、大きな『池』だった。

 

 だが『池』を満たすものは水ではなかった。

 

 それは無数の『肉片』だった。

 

 卯月にはそれが『死体』とは思えなかった。肉屋に無造作に置かれた肉のパークにしか見えない。

 砕かれた艤装、折られた四肢、砕かれて破裂した頭部、磨り潰された砲弾──そういった状態になった深海棲艦の残骸が、池のように積み上がっていたのだ。

 

 これ以上の直視に耐えられない。卯月はおでこの式神を剥がす。理解できない光景を前に崩れ落ちる。

 

「これ、は、なんだぴょん」

「……まず、遺体が消えてないのがおかしいのよ。死んだ深海棲艦は消えるのに」

「あれで生きてる、訳がないっぴょんね」

 

 あんなんで生きてたら別の意味で理解できない。そして自己再生する様子もない。肉片たちは間違いなく死んでいた。なら何故消えないんだ。分からない。

 

「考えない方が良いわ、だから言ったでしょ。周囲の警戒はわたしがやっておくから安心して寝ててちょうだい」

「ごめんなさいだぴょん……うええ」

 

 完全にR-18Gなスプラッター画像を見てしまったせいで顔色は真っ青だ。こんな状態で寝れる自信がない。そう思いつつも卯月は横になった。寝ころんでいるだけでもある程度は体力回復になる。見なきゃ良かったと本気で後悔した。

 

「全くこの子は……」

 

 げっそりしている卯月を憐れみながらも、飛鷹は思う。今度は口には出さない。また卯月が聞くかもしれないから。

 

 あの死骸、引き千切られたり砕かれたり削がれたりしていたが、火傷のような傷跡はなかった。

 砲撃も雷撃も爆撃も使わずに殺されたのだ。

 

 代わりに刻まれていたのは──そうだ、あれは間違いなく()()()だ。

 

 ならあの死骸は喰い残しなのか。

 

 艦娘や深海棲艦の主武装が使用されていない。

 

 そして無数の捕食痕。

 

 これらに符合する深海棲艦を飛鷹は一隻だけ知っていた。

 

 

 *

 

 

 それぞれ仮眠をとった所で部隊は再び調査へ赴く。時間にして数分ぐらいだがそれでも休まったしお腹も膨れた。

 立ち寄った諸島についても調査は完了。あのクレーターはやはり多様な艦種による攻撃だった。

 このことから、敵は秋月や最上だけでない可能性が浮上。より警戒度を上げることになる。

 

 この孤島をベースキャンプに使えないか。

 そういう意見が上がったものの、流石に戦闘が起きた場所を拠点にしたくない、という飛鷹の意見によりお流れになった。

 

 それが表向きの理由だ。

 本当の理由はあの死骸の山にあるのだろう。卯月は勘付いていた。しかし追求はしない。思い出すだけで吐き気のする場所の近くに二度も来たくない。

 

 他に使えるベースキャンプがないか。それも含めて再び未解明の海域を捜索する。

 相変わらず敵は出てこない。偵察機もレーダーも総動員している。見落としは考えづらいし隠れてる可能性も低めだ。

 

「ホントーに敵さんいないねー、那珂ちゃん結構ショック」

「どうなってんのよコレ」

「わたしに言われても困るんだけどね」

 

 これでは調査にならない。

 というか秋月をギタギタにできない。

 卯月としてはそこが不満だった。せっかく奴を死に目に合わせられると思ったのに。

 

「油断は禁物ですよ〜、こーゆー時こそ、敵さんは仕掛けてくロロロロロ……」

「こっちに来んじゃねぇっぴょん!」

「最低、本当に最低」

 

 たまにまともなことを言ったかと思ったらこれだよ。バカは死ななきゃ治らないという。本当にコイツ一回死んでくれないか。卯月は割とマジで考えた。

 

「みんな注意して」

「敵かぴょん? 殺すぴょん!」

「いえ、渦潮が発生してるから。足を取られないようにね」

「なんだ……ガッカリだぴょん」

 

 しかし、この瞬間に敵が攻撃──は、流石に考えづらい。今の所周囲に敵はいない。それは明らかだ、間違いない。

 潜水艦がエンジンを切って隠れていても、こっちにはアクティブソナーかある。それも無反応ということは、そういうことだ。

 

 だが戦場に絶対はない。卯月も一応警戒しながら渦潮近くを行く。近くを通るだけでも引き込まれそうになる。卯月は使用燃料を増やして速度を上げて力押しで進む。それでも波は荒れて不安定だ。

 

「おっとと、ぴょん!」

「アンタ! わざとぶつかってくんじゃないわよバカ!」

「オイオイ、満潮の下手くそ操艦を人のせいにすんなぴょ──」

 

 じゃれている場合じゃない。本当にこの子達は仲が悪いんだから。呆れながらも飛鷹は二人を止めようとする。

 

 

 瞬間、事態が動きだした。

 

 偵察機の視界が暗転し、そして見えなくなった。

 

「やられたっ!?」

 

 何が起きたのは気づいたのは飛鷹だけだった。次に気づいたのは熊野だ。

 

「どうしたぴょん!?」

「ヤバイですわ、()()()()()()()()()()()!」

「は!? 何やってんの間抜け!」

「違います、周囲にはいなかった、何かに襲われた、どうなっているんですの、何も見えなかった!?」

 

 飛鷹と熊野の偵察機は、左右上下全てを警戒していた。何かが接近すれば必ず気づける。しかし現実はこうだった。一切気づかれず接近され、視界に収めることもできずに、一方的にやられてしまったのだ。

 

「どうやってそんな真似を」

「今はもうどうでも良い! とにかく警戒して、目をやられた、攻撃が来るわ!」

「どこぴょん、何処から来る、秋月ぃ!」

 

 偵察機を落とされた。すぐさま再発艦を行うが、飛び切るまでは見える範囲が大幅に狭まる。敵はこの隙を見逃さない。すぐにでも攻撃が来るだろう。厳戒態勢に移行、全員が主砲を構えて神経を尖らせる。

 

「砲撃! 秋月が来──ッ!」

 

 地獄耳が砲撃音を捉える。超高速の砲弾が卯月の大声を吹き飛ばす。秋月との二戦目は、再び先手を許す形で始まった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 秋月との交戦が始まった頃。

 卯月たちが休憩していた孤島。その中にあった残骸が積みあがった死体の池。

 

 そこへそれは()()()()()

 

 着陸の衝撃で残骸が吹き飛ばされる。

 

 あまりの質量に地形が粉砕される。

 

 地盤が引っ繰り返り島全体が地震に襲われる。

 

 舞い上がる砂埃の中に()()はいた。

 

 

「ギャォォォオオオンッ!!!」

 

 

 金色を纏う三本首のような『何か』が、天に向かって咆哮した。




金色と言えばflagship級のオーラですが、果たして。


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第108話 再戦

 周辺の警戒はこれでもかと言うほどやっていた。守りは万全だった。それは間違いない。

 しかしそれは慢心だと卯月は思い知らされた。

 警戒の要だった偵察機がナニカに落とされた。何にやられたのかも分からない。空からの目を潰された隙を突かれ、秋月の攻撃が始まった。

 

 以前と同じ。駆逐艦にあるまじき超射程・超威力・超密度の高角砲が降り注ぐ。卯月の主砲では到底迎撃できない、威力が違いすぎる。射線を逸らすので精一杯だ。

 

 しかも回避も困難。巻き起こる渦潮が動きを制限する。不安定な波でも動ける訓練はしているが、普段よりどうしても鈍くなる。秋月に対してそれは致命的だ。

 割とヤバい状況。なのだが、そういった状況とかまるで関係ない奴もいる。

 

「キタキタキタ! 遂にお客さんが! こんなに歓迎してくれるなんて感激!」

 

 那珂である。こいつには弾幕が七色のペンライトにでも見えているのか。いや考えてはいけない。卯月は努めて那珂を意識の外へ追いやる。そんなことより秋月だ。そして──空からの敵だ。

 攻撃が砲撃だけな訳がない。

 夥しい量の深海艦載機が、魚雷や爆弾を抱えて突っ込んでくる。その中にはやはり、艦娘の水上爆撃機──即ち『瑞雲』がいた。最上(仮)も来ている。

 

「どっからでもかかってきなさい……今度はこっちが屈辱を味わわせる番よ!」

「満潮! うーちゃんと一緒に対空をお願い!」

「チッ、さっさとやるわよ!」

「貴様! このうーちゃんに何の権限があって命令をするぴょん!」

 

 返事はなかった。

 つまんない奴と吐き捨てた。

 満潮と肩を並べて、機銃の狙いを上へ定める。

 そっちだけじゃなく、秋月の砲撃や、潜水艦の奇襲にも警戒しながらだ。ソナーと己の聴覚に警戒を何割か割り振っておく。

 

 だが、そのままでは勝てない。遠くからの砲撃に磨り潰されるだけ。

 遥か遠くに陣取る秋月へ攻撃を仕掛けなければならない。

 向こうもそれは分かっている。砲撃も爆撃も、まるで壁のように、進むのを阻むように展開されている。

 

 今回の目的は勝利ではない。情報を持って帰ることだ。海域の情報はだいぶ集まった。秋月がいることも分かった。後は限界まで秋月に()()を切らせて、次へ繋げることだ。

 そうするためには、こちらから仕掛けなければならない。

 

 接近していない今、攻撃が仕掛けられるのは、この中には一人だけだ。泥酔気味だったポーラが狙いを定める。

 

Cecchino(狙撃)は~、ポーラも得意なんですよね、fuoco!」

 

 気の抜けた叫び声と共に砲撃が放たれた。秋月の弾幕を潜り抜けて飛んでいく。

 だが速度が違い過ぎる。

 狙われていることに気づいたのだろう。ポーラの砲撃が撃ち落とされてしまった。重巡クラスの攻撃をもってしても、尚秋月の方が強力だ。正面からぶつかり合ったら負けるのはポーラの方だ。

 しかし、そこで攻撃は終わらない。

 

「ありゃりゃ……ちょっと甘いんじゃないですか?」

 

 ポーラは二度撃っていた。

 

 全く同じ場所へ、同じ軌道同じ速度で二発目を発射していたのだ。一発目の後ろに隠れていたそれが、爆炎の中から姿を現す。

 その爆炎が目晦ましとなり、秋月の懐まで一気に迫る。

 だが、それもギリギリのところで迎撃されてしまう。

 

 それで良い、それが良い。ポーラはニンマリと笑みを浮かべる。

 

Cecchino(狙撃)、荒くなりましたね~?」

 

 狙撃への迎撃を優先したせいで、動きを阻害するための弾幕が僅かに手薄になってしまったのだ。それを見逃す彼女たちではない。誰が合図するまでもなく、一気にポーラと飛鷹、熊野以外の三人が距離を詰めた。

 勿論秋月もバカではない。すぐさま体勢を立て直して迎撃を再会させるが、一瞬の間に卯月たちはかなり迫っていた。

 

「聞こえてきたっぴょん、まだ見えないけど、もう近くに秋月がいる!」

 

 遠くで秋月の舌打ちが聞こえた。とにかく接近しなければ話にならない。

 低空を飛び交う艦載機が、主砲の弾幕を霍乱。飛鷹たちの一時的な援護を受けて、更に速度を跳ね上げる。

 そして、卯月たちは秋月を視界に収めた。

 水鬼を殺された時の絶望が、怒りへ──殺意となって燃え上がる。撤退を頭に入れつつも、ここで()()()()()と、決意が滾る。

 

「今日がテメェの命日だぴょん、地獄を見せてやらぁ!」

「秋月を視界に入れただけで何を言っているんですか」

「ハッ、ポーラの砲撃に騙された奴が何言ってんのかしら。バカなので、可愛そうに」

 

 前回撤退した屈辱がある満潮も、ここぞとばかりに煽る。否定できない一言に苛立っていたが、秋月は冷静なままだった。実際有利なのは秋月の方なのだから。

 

「接近はさせませんから」

 

 距離が縮まったのは向こうも同じ。秋月の攻撃が変化する。纏っている赤いオーラが激しくなる。

 連装砲の艤装が動くのに合わせて、卯月と満潮は砲撃した。

 

「そこで沈んでください」

 

 砲撃が放たれた──と同時に着弾した。

 

 だが直撃ではない。ギリギリのところを掠めて遥か後方に着弾。発射される寸前の攻撃が照準を反らしたのだ。それでも着弾の衝撃だけでひっくり返りそうになる。

 

 秋月の目視困難な超高速砲撃は一発では終わらない。当たれば即死する砲撃が、雨どころか暴風雨のように突っ込んでくる。

 卯月と満潮は、すぐさま二手に別れて回避運動をとる。真反対の方向へ別れたことで、弾幕の密度は僅かに落ちる。

 どちらかに火力を集中させたのなら、その隙に片方が突撃できる。

 

「ちょこまかと動いたところで、無意味ですよ?」

 

 しかし、秋月の弾幕は想像以上に激しかった。

 以前は夜間、いくらレーダーがあるといっても、秋月にとっても視界不良の中での戦いだった。

 今回は違う、昼間だ。目視でもしっかり見える。ましてや秋月は防空駆逐艦。空の小さな艦載機を見なければならない分、普通の艦娘より視力は良い。D-ABYSS(ディー・アビス)の強化も合わさったその動体視力は、僅かな予備動作も見逃さない。

 

「だぁぁぁ! なんつー密度だぴょん、化け物め!」

 

 狙いの精度が高すぎて近づけない。一定の距離を保って逃げ惑うのでいっぱいいっぱい。

 ここから攻撃を仕掛けても無駄だ。途中で撃ち落とされるだけ。後方したら振り出しに戻る。どうにかして接近しなければ、いずれスタミナ切れになる。

 

「気合を入れなさい! こんな弾幕長くは展開できない、いずれ弾切れを起こすわ、その時まで耐えるのよ!」

「ムリだっぴょん死ぬっぴょん!」

「腹下した時のことを弥生に言いつけて良いのね!?」

「ヤメロー!」

 

 逝くも地獄引くも地獄。なぜこんな酷い目に合うのか。こんなに良い子にしてるのに。

 卯月のふざけた会話が、ちょっと気に入らなかった模様。秋月の視線が鋭くなる。

 

「ムダ話をしてる余裕があるんですか」

「は! 余裕しかないわよ、アンタこそ、ここまで追い詰められてどうしてそんなのんきにしてんの? 深海の力に汚染され過ぎてんのね。脳味噌がフジツボ塗れなのかしら」

「そうなるのは貴女方でしょう、これから沈む、貴女たちの」

 

 罵倒しながらも攻撃、罵倒されながらも攻撃。そうしている間にも秋月の残弾は減っていく。その為の時間稼ぎの為の罵倒だ。

 

「分かってないのね、頭腐ってたとは驚きだわ。D-ABYSS(ディー・アビス)はこっちにある、アンタらが此処にいることも分かった、内通者の存在も知ってる。じきに『チェック・メイト』って訳、分かる? 分からないわよね、侵食の快楽にアヘアヘ言ってる淫乱雌豚じゃあ無理だったわね!」

 

 しかし満潮は時間稼ぎとか関係なく苛立っていた。秋月に実質負けるわ、四六時中卯月と一緒だわ、色々なことで満潮はストレスを溜めていた。

 その鬱憤を、手頃な敵に全部ぶつけていたのだ。実際八つ当たりのそれである。

 

 その罵倒で暴走するなんてことはなかったが、秋月はこめかみをヒクヒクさせていた。

 

「そんな下手くそな罵倒で、この秋月が動揺する訳ないでしょう。本当に愚かね」

「へえ、そお」

「ぶっちゃけ、前ひぃひぃ言いながら逃げ帰った輩に何言われても恐くないぴょん。悪口合戦以前の問題ぴょん」

 

 便乗して卯月も突っ込みを入れた。

 最上(仮)の介入がなかったら秋月はあそこで撃破できていた可能性が高い。ただしその場合卯月は大量出血で絶命していた。逆にそのリスクを払えば倒せてたということ。勝ち目がゼロの相手ではないのだ。

 

「あれは偶然でしょう、D-ABYSS(ディー・アビス)を使いこなせていない貴女が何を言うんですか」

「うぐっ、それを言われると弱いぴょん」

「否定しなさいよ、そこは!」

「だってうーちゃん嘘嫌いだしっ!」

 

 事実は事実、敵が言ったことでも否定はできない。現に今もD-ABYSS(ディー・アビス)は解放される気配もない。

 実のところ、作動条件がなんなのかは、薄々察しつつあるのだが……予想が合っていたとしても、そこまで持っていける自信はない。

 

「でもノープロブレム! D-ABYSS(ディー・アビス)なんてなくても、このうーちゃんはテメェなんぞに負けな」

「いつまで、喋ってるんですか」

 

 いい加減喧しくなってきた。別の意味でうざく感じた秋月の無情な砲撃が襲い掛かる。卯月は慌てて回避運動。危うく掠めるところだった。背筋がゾッとする。

 

「ぎぉあ! なにするぴょん殺してやるッ!」

 

 怒りのままに砲撃を放つ。撃ち落とされて終わった。無駄弾を使っただけだった。

 何がしたかったんだろうか。

 満潮どころか秋月も首を傾げた。

 

「ふっ、中々やるぴょん」

「……そうですか」

「だが、既に貴様はうーちゃんの術中にハマってるのだっぴょん、上を見よ!」

 

 卯月が指差す上を見て、秋月は顔を少し歪ませた。

 

 そこには無数の艦載機がひしめき合っていたのだ。

 

「どうやって……」

 

 飛鷹と熊野はイロハ級たちの空襲で動きを封じている。制空権争いで手一杯の状態だ。これだけの艦載機をどうやってこっちに回してきたのか。

 秋月は遠くを見つめ、同時にレーダーに意識を回す。

 その答えはかなり単純だった。いやバカと言って良かった。

 

「なるほど、制空権を捨てた訳ですか」

 

 制空権争いそっちのけで、全部秋月の方へ飛ばしたのである。この状況まで持ってくる為の罵倒も交えた時間稼ぎだったのだ。

 当然、制空権は敵側に。飛鷹たちは激しい空爆に晒されることになる。

 しかし、そんなもの当たらなければどうと言うことはなかった。

 制空権を取られても、被弾しなければ問題にならない。

 

「ふん、この程度の弾幕ではかすり傷にもなりませんわよ……とりゃぁ!」

 

 卯月からしたら、何処に逃げ場があるのか分からない。そんな弾幕の中を飛鷹たちは紙一重で躱していく。狙いを定めた機銃が正確に艦載機や爆弾を破壊していく。

 ルート調査の関係で、制空権なしで空襲を受けることなんてしょっちゅうあった。この程度は()()なのだ。

 

 しかし、それでも秋月には一発も届かない。

 

 殺到する艦載機は、ただの一機の例外もなく叩き落されていく。高角砲のリロードタイムが殆どない。残弾無限のガトリング砲めいた連装砲ちゃん×2の防空性能は異常そのものだ。

 それでも、残弾が無限ということはあり得ない。深海棲艦でさえ成し得ない事だ、D-ABYSS(ディー・アビス)の恩恵があってもそれは無理だ。

 

「しつこいですよ、全部撃ち落とされるだけなのが分かりませんか」

「それだけに専念する余裕があるのかしら!」

「横槍だっぴょん!」

 

 もう一つ、限界がある。

 それは主砲の耐久限界だ。本来主砲は撃つたびに赤熱する。それが再度冷却されてから再発射が可能になる。

 だが秋月は、そんなことお構いなしに連射を続けていた。

 艦娘のものより耐久性は上がっているのだろうが、もうじき限界の筈。

 

 そして砲身が赤熱し、使えなくなった瞬間卯月たちは強襲を仕掛けたのだ。

 

「愚かですね」

 

 だが、秋月の身体能力は、信じがたい次元まで上がっていた。

 

 瞬きした一瞬で、赤熱した主砲が元に戻っていた。

 

「は!?」

 

 何が起きたか分からず、満潮は絶句する。

 

「早すぎっだろ、インチキもいい加減にするぴょん!」

 

 そうでななかった。秋月はただ主砲を換装しただけだった。

 但し、目視できない速度で。

 冷却が瞬時に終わったと誤認するような速さで、四本ある砲身全てのリロードが済んでいた。

 

「これが、D-ABYSS(ディー・アビス)の、主様から授かった力なんです。卯月さん貴女はそれを知ってるでしょう」

「知るかそんなもん!」

 

 与えられた力を自慢する秋月を心から軽蔑する。そんなのと同類だった自分に怒りを覚える。卯月は大声で叫ぶ。

 

「うーちゃんが知ってるのは、ドチャクソカッコ良い水鬼さまの生き様だけだぴょん!」

「そうですか、その割に何もできていませんが」

「これからするんだぴょん!」

 

 ここで秋月を倒さなければどこかで更に犠牲者が増えるだろう。藤鎮守府で沈んだ憲兵隊の人たちのように。撤退は考慮に入れているが、なんとかして殺さなくては。卯月は静かに殺意を研ぎ澄ましていく。



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第109話 跳弾

 秋月の奇襲により始まった戦闘。卯月たちは飛鷹たちのバックアップを受けて、先んじて秋月の懐へ飛び込んでいた。あの異常な対空砲火。遠くから撃つより接近した方がまだ勝ち目がある。

 彼女たちの支援のためには、艦載機を向こうへ送り続けなければならない。無防備な状態で飛鷹たちは激しい爆撃に晒される。

 

 制空権を失った状態で空襲を受けるのはしょっちゅうあることだ。慣れている。しかしずっと耐えることはできない。現に飛鷹も熊野も掠り傷レベルだが被弾してしまっている。

 

 もっとも、空爆は秋月の砲撃に比べれば常識の範疇に収まっている。掠っただけで致命傷を負うような威力ではない。機銃で迎撃することもできる。

 その中で、絶対に当たってはならない物が混じっているのを飛鷹たちは見逃さなかった。

 

 それは瑞雲であった。

 

 瑞雲の抱えていた爆弾が頭上に落とされる。飛鷹は急ブレーキをかけ軌道変更を行い回避する。

 

 爆弾が落ちた場所は、視界全部が埋まってしまう大爆発を巻き起こした。普通ではない威力が起こすソニックブームに飛鷹は晒される。焦げ付いた臭いが鼻についた。

 

「こんな威力ではなかったような気が致しますが」

「本人だけじゃなく、艦載機もパワーアップするってことでしょ、このD-ABYSS(ディー・アビス)は」

「これがあるということは、最上さんも近くに……姿は見えませんけど」

 

 以前秋月の援護を行った時は夜だった。本来瑞雲は夜間飛ばせない。それなのに飛ばせている時点で普通の瑞雲ではないと思っていた。そして予想通り威力も普通ではない。

 他の爆撃も危険だが、これと()()()()は絶対に喰らってはならない。当たれば即死すると本能が叫んでいる。

 

 なら爆弾を落とす前に撃墜すれば良い。そうしたいのだがそれさえ許されない。というかできない。

 飛鷹は熊野と連携し、挟み込むような形で機銃を撒く。射線上の瑞雲に逃げ場はない。上下左右真正面全てを包囲した。

 

 そして瑞雲は『後退』して、逃げおおせた。

 

 物理法則さえガン無視した挙動にいっそ感動さえ覚えた。

 

「迎撃も、ままならないとはね!」

「ズイウーンって、あんな、ぐにゃぐにゃしたOrbita(軌道)なんですか~? ポーラ混乱してます」

「してたらこの世の終わりですわ」

 

 深海棲艦の艦載機ならこういったことは良く見る。翼もなく四方八方に飛び回り、中々迎撃させてくれないインチキ兵器だ。

 それでも、完全な『後退』をするところは見たことがない。だがこの瑞雲はやってのけた。あれは瑞雲ではない。瑞雲のガワを被せただけの何かだ。

 

 更に行動を制限しているのか、()()()()奇妙な艦載機があることだ。

 

「──ッ熊野四時方向から!」

 

 爆弾投下、直撃まであと一秒未満、といった状態で、飛鷹は熊野の背後に艦載機が迫っていることに気づく。

 声を聞いた熊野はすぐさま姿勢を屈め、跳ねるようにしてそこから離脱。虚空を焼くことになった爆弾。しかしその加害範囲は、先程の瑞雲を大きく上回っていた。

 

 なにせ、その衝撃波だけで、熊野一人を宙へ浮かせてしまうのだから。

 

「飛鷹さんも! 六時方向、ですわ!」

 

 飛鷹はその方向を振り返らずに、機銃を撃ち込み逃げた。

 その判断は正解だった。爆撃機は飛鷹の後ろ髪に接触寸前の距離。悠長に振り返っていたら爆弾の餌食になっていた。

 機銃が当たった感覚はあった。すぐさま距離を取る。それでも熊野と同じように、爆発の衝撃波に吹っ飛ばされ海面を転がる。

 

 攻撃寸前の艦載機はポーラにも迫る。同じくギリギリで破壊。

 

 全員対応するのがギリギリになった。

 

 それが異常だった。

 

 三人いても尚接近に気づけないなんてこと、あり得るのだろうか。

 

「……ポーラのトコにも来てますね。なんでしょうquesto(これ)

「分からないけど、瑞雲同様、当たってはいけない類の攻撃ですわね。威力がおかしい」

「お互いに気をつけるしかなさそうね」

 

 こいつが敵の本命か分からないが威力も段違いだ。

 気づけない艦載機と瑞雲。それが普通の艦載機に混じって襲い掛かってくる。判断ミスをしたら直撃して死んでしまう。艦載機がないから反撃もできない。そのせいで更なる援護ができないでいた。

 

 飛鷹たちにできることは、卯月たちが少しでも早くケリをつけてくれるのを祈るだけだった。

 

 

 

 

 飛鷹たちの援護を受けて攻撃を続ける卯月たち。

 効果的云々は置いておいても、空襲がある分火力の一部を防空へ割かねばならなくなっている。卯月たちの攻撃は通りやすくなっている。

 それでも尚、一発も届いていない現状に卯月たちは苛立ちを隠せなかった。

 

「もうやだぁ! こいつ何時弾切れおこすんだっぴょん!」

「おこすまでやるしかないでしょ!」

「その前に死ななければ良いんですけどね」

 

 防空の合間を練って秋月が攻撃を仕掛ける。こっちに使える火力は減っているにも関わらず、放たれる弾幕は殆ど変わらず、まともに近づけない。

 つまり、さっきまではまだ余力を残していたということだ。あの態度からしてまだ余力があるのだろう。

 だが、弾切れを起こせば余力もクソもなくなる。そう信じて卯月たちは休みなく攻撃を叩き込んでいく。

 

 そして、時が来た。

 

 秋月の主砲から、砲弾が発射されなくなった。遂に弾切れを起こしたのだ。

 

「今よ殺せ!」

 

 もう攻撃は来ない。卯月と満潮はすぐさま最大船速で突貫する。しかし秋月は見下した態度を一切崩さなかった。

 

「本当に、貴女達は、バカなんですね」

 

 卯月の耳に何かが聞こえた。急速に何かが近づいて来る音が『水中』から聞こえてきた。しかも速い。このままだと正面衝突だ。

 

「止まれ満潮ッ!」

「な、何!?」

「なんかが上がってくるぴょん!」

 

 隣の満潮の首輪を掴んで、背後に錨を投げ飛ばす。その重みでブレーキをかけながら急旋回。激突寸前のギリギリを通って、二人は秋月から距離をとる。

 浮上した際の水柱が収まる。

 そこにいたのは、顔のない深海棲艦たちだった。

 

「こいつら、顔無しか!」

「久々に見たけどキモイぴょん!」

「……そこ?」

 

 そんな会話を一切意に介さず、顔無したちが襲い掛かる。秋月の護衛の役割なのか、戦艦や空母クラスの個体はいない。駆逐艦から重巡級の個体だけだ。

 卯月たちもすぐ反応し砲撃を撃つ。だが顔無したちは即時散開し狙いを定まらせない。何体かは秋月の前に立ち、盾として動いている。

 

 こいつらがいる状態ではどうにもならないが──相手している暇はない。無理矢理にでも突撃するしかない。

 

 その判断を加速させる事態が目の前で起きていた。

 顔無しの中に一隻だけ非戦闘艦が紛れていた。輸送ワ級、名前の通りの輸送艦である。深海棲艦の中でも特に異様な風体をした個体だ。言い方は悪すぎるが……変なのに寄生された妊婦のようなビジュアルだ。

 しかしそんな嫌悪感は、次の瞬間吹っ飛んだ。

 

「あっ……んんっ」

 

 その妊婦のような腹が粘性の体液を垂れ流しながら開き、秋月へ触手を絡ませに来たのである。

 

「ファッ!?」

 

 ネチャネチャと水っぽい音を立てながら触手は秋月を取り込んでいく。

 

「ひゃっ……はぁぁん!」

 

 秋月は嫌がるそぶりも見せない。むしろ身を委ねて全身に触手を絡め、ワ級のお腹へ取り込まれていく。

 

「何やってんだお前!?」

「ふふふ、分からないんですか? あんっ」

「触手プレイ&母体回帰なんてプレイ分かりたくもないっぴょん!」

「なんでアンタはそんな用語を知ってんの!?」

「神鎮守府にそういった薄い漫画が……」

「アイツかぁぁぁ!」

 

 言うまでもなく某夕雲型っぽい陽炎型が溜め込んだ憲兵案件の代物であった。尚その彼女も卯月の造反の際死亡している。今頃は顔無しの材料に成り果てているだろう。

 

 そんなこと言ってる間に秋月は取り込まれていく。何故か連装砲までジタバタと身をよじっている。一体どんな感覚なのか想像したくもないし絵面が最悪だ。こんな光景だが何をしようとしているのか卯月たちは勘づいた。

 

「アレ補給かぴょん!? あのビジュアルで!?」

「今すぐ止めないと振り出しに戻る!」

「うげぇぇぇ! きっもち悪い、どんな補給方法だぴょん、戦場を何だと思っていやがる!」

 

 D-ABYSS(ディー・アビス)起動時に毎回痴態を晒しているのは誰だっただろうか。そう思っても口に出さない優しさが満潮にあった。

 顔無しに包囲されながらも、どうにか砲撃や雷撃を輸送ワ級に浴びせる。しかしその時にはもう秋月はワ級に取り込まれていた。放った攻撃は全て装甲に阻まれた。

 

 しかもこのワ級flagshipクラスの個体だ、高い装甲を持っている。駆逐艦の攻撃ではビクともしない。魚雷も図体が大き過ぎて効果が薄い。飛鷹たちの空爆ならまだ通るが、それは他の顔無したちがキッチリ防いでいる。秋月本体を狙おうにも、ワ級の装甲がそれを防いでしまう。

 

「固すぎだっぴょん!?」

「あんな見た目でも、安全に補給できる良いやり方ってことね!」

 

 これ以上の攻撃は無意味だ。D-ABYSS(ディー・アビス)が解放されていれば、強化された膂力を持って秋月を引きだせたが、未だに解放はできていない。任意で使えないことに卯月は怒りを覚える。

 顔無しを攻撃しても無意味だ。どれだけのダメージを負っても防空を優先させるだろう。顔無しを倒してからワ級を襲ったのでは手遅れになる。

 結局、この状況になった時点でダメだった。ワ級を即時撃破できなかった卯月たちの失敗だった。

 

「……んっはぁ」

 

 ワ級の腹がまた開くと同時に秋月が排出される。無防備な秋月よりも、内部が剥き出しのワ級を狙って攻撃する。もしまだ補給物資が残っていたとしたらとても不味い。また補給のチャンスを与えることになる。

 手遅れだと分かっていても。

 焦る二人を見て、秋月は色っぽい笑みを浮かべた。

 

「残念でしたね」

 

 秋月の対空砲が火を吹く。一瞬で卯月たちの攻撃は迎撃された。ワ級への攻撃も防がれた。

 展開されていた装甲が閉じてしまう。再び水中へ潜りだす。振り出しどころかマイナスからのスタートになる。一気に全滅へ近づいてしまう。

 だがどうにもならない。何もできない悔しさに震える二人を見て、秋月は幸福感に包まれる。

 

「その顔のまま、是非死んでくださ──」

 

 直後だった。その幸福感をふっ飛ばされたのは。

 

 一瞬だった。無数の金属音が重なって聞こえる。

 

 音が終った時、装甲が閉じたワ級が大爆発を起こしたのだ。

 

「な……!?」

 

 今何が起きたのか。正確に認識していたのは敵である秋月ただ一隻。ワ級は沈んでこそいないが、装甲は亀裂と穴まみれ。補給物資も燃えて使い物にならない。

 秋月は、犯人を睨みつけ、空気が震えるような怒りをぶつける。

 

「やってくれましたね。確か、貴女は……!」

「わ~い、当たりました当たりました〜、上手く行きましたザラ姉さま褒めて〜」

「酔い過ぎですわよ」

「……何こいつ」

 

 震える空気が何だというのか。酔い過ぎて姐の幻覚を見てふにゃふにゃ笑うポーラこそが、この狙撃の実行者だった。

 本当にこいつがやったのか? 

 緊張感絶無の彼女を見て、秋月は首を傾げる。ついでに卯月たちも首を傾げる。

 しかし確かにこいつの攻撃だ。

 

 ポーラが遠距離から狙撃したのは見えていた。観測手(スポッター)に熊野がついていたのも気づいていた。それでも迎撃はできる──筈だった。

 しかし、秋月の認識が正しければ、ポーラは信じがたい技巧を見せたことになる。

 信じたくない、そんなことできるのか分からない。

 

 砲弾を壁代わりに跳弾させて命中させる。

 

 そんな芸当一介の艦娘ができることなのか。

 

「わたくしに感謝してくださいまし、この熊野が砲弾の動きをキッチリ『観察』してたからこそこれが成立し」

「あれぇ~ザラ姉さまがDue persone(二人)に~?」

「ダメですわこれ」

 

 というかこんなのに一泡噴かされたとか屈辱でしかない。

 

「なんなんですかあの酔いどれは! 戦場をなんだと思っているんですか!」

「テメーが言えたことかっぴょん!? 同意はするけど」

「ホント何なのかしらあの酔っぱらいは」

 

 敵も味方も理解できないのがポーラという艦娘なのである。いや理解したくもないのだが。

 

 ポーラは熊野の援護の元、卯月と満潮、秋月三人分の砲撃の軌道を予測、それを元に瞬時に三発砲弾を発射し、跳弾の末にワ級の体内に入るようにした。更にはその砲撃が弱点である弾薬庫や燃料タンクに命中するように狙ったのだ。

 

 その異常としか言いようのない超絶技巧を目にした秋月は、言葉にこそ出さないが優先して殺す相手を、卯月からポーラへと切り替えた。

 あいつを放置していたら、また不意打ちを叩き込まれるかもしれない。それが致命傷でない保証はどこにもない。

 

「狙撃だろうと何だろうと、撃たせなければただの案山子でしょう」

 

 秋月が再び、嵐のような弾幕を形成する。しかもさっきまでとは違い顔無したちの援護つき。器用なことに(当然だが)友軍の顔無しへの誤射をせず、隙間を掻い潜って迫りくる壁の如き砲撃を乱射する。

 それらは全て、発射と着弾が同時の高速弾だ。

 ワ級こそ沈めたが、補給は結局許してしまった。不利であることは以前変わらない。

 

 徐々にだが悪化してく戦場。未だ秋月から新しい()()は引き出せていない。更に追い詰めなければ次に繋げることもできない。

 ここからが正念場だ。卯月は口をキュッとしめ、殺意を更に研ぎ澄ました。




艦隊新聞小話

 深海棲艦の艦載機は基本物理法則を無視してます。いやそもそも艦娘や深海棲艦だって『物理法則もあったもんじゃねぇな』って存在ですが、それでも艦載機は群を抜いておかしいです。
 だって羽がなかったり、推進機関っぽいのが見当たらなくても飛びますし。そんな存在なので、普通の艦載機では不可能な動きもできます。真上に飛んだり、いきなり横に言ったりと、ビットかオメーはって動きをします。
 でもバックできるのは私も見たことないです。だってビットだってバックできる奴は滅多にないじゃないですか。
 だからバックもできる最上(仮)の瑞雲はとんでもない化け物なんです。本当に瑞雲なんですかねコレ?


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第110話 成果

 ポーラの超絶技巧により、秋月がこれ以上補給をすることはなくなった。しかし状況は以前不利。卯月たちは秋月へ一歩も近づけず足止めを食らう。攻撃も例外なく迎撃される。

 緊張が途切れない、常に動いていなければ死ぬ。プレッシャーに押し潰されそうだ。

 

「マズい、これは本格的にマズいぴょん」

 

 言うならば、ガトリングガンの弾幕を常に浴びているようなものだ。数秒ならともかくこんな長時間この恐怖に晒されていた精神が持たない。

 少しずつだが卯月たちの動きは鈍ってきている。対して秋月は一切疲労を見せない。ちょっとずつ、だが確実に敗北へ追い詰められている。

 

「ちょこまかと、逃げ続ける分苦しみが増すだけなのに」

「バーカ! 苦しくても我慢するのがカッコ良いんだぴょん! ぜぇ、ぜぇ……」

「そうは見えないですね」

 

 秋月の余裕は崩れない。

 さっきのように弾切れを狙うのももう無理だ。飛鷹たちは軽空母──決して搭載数は多くない。それを撃墜上等で使ってしまった。

 だからもう、飛鷹と熊野には攻撃機が殆ど残っていない。数少ないそれも秋月と顔無しに防がれている。

 

 その二人も、空襲から逃げ回っているが、いずれ限界が来る。そうして全員動けなくなったところで、味わうように一人一人殺していくつもりだ。

 接近のチャンスは失われてしまった。もう一度作れるとすれば、ポーラの狙撃なのだが、秋月もそれは警戒している。

 

 秋月の目が、ギラリと光った。

 

「させません」

「わー!? 危ないです〜!」

「ふざけた態度でも、油断はしません」

 

 あの攻撃を受けた秋月はポーラをもっとも警戒している。防空網を真正面から潜り抜けて来たのだ。油断できるわけがない。ポーラがなにか動こうとした瞬間、決して攻撃させないよう即座に妨害を行う。

 発射と着弾が同時だ。迎撃しようとしているモーション中にやられてしまう。射線が分かってても迎撃は困難だった。

 

「……ダメだわ、これ以上は飛ばせない!」

 

 悔しそうな顔つきで、飛鷹は艦載機を戻す決断をした。あまりにも落とされすぎた。これ以上は制空権を奪還するための戦力まで使ってしまう。

 秋月の対空砲火は、本来撃墜できない筈の戦闘機まで叩き落としていたのだ。

 

 指示に従い艦載機たちは引き返していく。卯月たちは空爆に襲われたら間違いなく死ぬ。消耗したとは言え戦闘機はある程度残っている。空襲を抑え込む程度のことはまだ可能だ。

 

 だがそれは、攻撃機の援護無しで、顔無しと秋月に相対することを意味する。

 

「ふふふ、本当にバカですね。秋月の長10センチ砲ちゃんを突破できると本気で思っていたのでしょうか」

「……うぜぇぴょん」

「そうですか、それは何より」

 

 まともに動けず押され続け、その様子を嗤われる。

 殺意の下で怒りが累積されていくのが分かった。あの秋月への苛立ちもある。

 それ以上に自分の無力感に怒りが溜る。あれだけ頑張って訓練したのに、その成果を出せない自分が──カッコ悪い自分が腹立たしい。

 

 卯月はそれを圧し殺す。

 これじゃ駄目だ、まだ駄目、こんなんじゃ駄目だ。半端な怒りでは動きが雑になるだけだ。

 もっと強く、余計な感情も全部巻き込むような、嵐のような積怒でなければ意味がない。

 

「じっとなんてさせません、無様に駆けずり回ってくださいね」

 

 補給直後だからか秋月は余裕だ。どれだけ乱射しても弾切れは起きない当分先だ。しかも随伴の顔無したちも攻撃してくる。

 常軌を逸した特訓と、砲撃の音が聞こえているお蔭で回避はできるが、攻撃するところまでいけない。せめてどっちか一方だけでも無力化しないと。

 

 そう思った時、突如那珂が秋月に向かって怒りだした。

 

「ちょっと秋月ちゃん! 少しはこっちのことを考えてよ!」

「は?」

「せっかく卯月ちゃんと満潮ちゃんが特訓してきたのに、これじゃあ披露する機会がなくなっちゃうじゃん! 可哀想だとは思わないの!?」

「いきなり何を?」

 

 砲撃を続けながらも首を傾げる秋月。

 突然何を言っている。秋月は敵である。そんな事情考慮する必要性は全くない。なのに顔を真っ赤にして怒る那珂は理解不能のそれだ。

 隣で聞いてる卯月たちにも理解不能。どういう怒り方なのか全く分からない。

 

「と、いう訳で那珂ちゃんちょっと頑張りまーす! 本当は夜の方が素敵なんだけどしょうがない! 聞いてるの卯月ちゃん!」

「え、その、どうした?」

「これから顔無したちぜーいんを、那珂ちゃんが釘付けにしようって言ってるの!」

 

 ビシッと効果音つきで卯月を指差し、囮になると宣言する那珂。自分からわざわざ囮になると宣言するなんて。傍から見ればただのバカである。

 秋月は不思議そうにしながらも、照準をキッチリ那珂に合わせた。

 

 だが、その瞬間をポーラが狙った。

 

「届きませんよ、そんなものでは」

 

 しかし秋月は即座に迎撃。跳弾を利用していないただの砲撃なんて的同然だ。

 無論、その最中も那珂は意識していた。

 この狂人がどんな行動にでるか分かったものではない。とはいえ迎撃する一瞬は意識から外れた。

 それはコンマ数秒間という瞬きにも満たない刹那。

 

「それでどう囮をする……と……」

 

 

 その刹那で、那珂は姿を消した。

 

 

「どこへ行」

「酷い! 人がまだ喋ってるのに非常識だよ!」

「った……!?」

 

 那珂はいた。

 振り向けばそこにいる真後ろから、那珂が話しかけてくる。

 秋月は絶句する。何が起こった。

 コンマ数秒意識を反らしただけなのに、何をされたのか。まるで瞬間移動だ。

 

 意識を反らしたとしても、どうしてここまで接近に気付けなかったのか。気配の欠片もなかった。レーダーは那珂を探知していた。それはつまり、秋月自身がレーダーの反応にも気づけていなかったことになる。

 

 寸分も理解できない。

 だが、理解できなくともやることは同じだ。秋月が動けなくても、連装砲が自動で動いて迎撃してくれる。

 二機の連装砲が急旋回し、背後の那珂を撃ち抜く。

 

 しかし那珂は秋月の肩に手を掛けて、逆立ちすることでそれを回避した。その姿勢のまま今度は脳天に蹴りを叩き込んでくるが、秋月は強化された身体能力で無理やり振りほどく。

 

「なんなんですか、貴女は」

「身体の柔らかさはアイドルの基本だよ?」

「そんなことは聞いていません!」

「そうだっけ? まあ良いや、ほら卯月ちゃん満潮ちゃんチャンスだよー?」

 

 一連の動きのせいで、完全に那珂に気をとられていた。いや、卯月たちが近づいているのは気づけていたが、そこまでやれる余裕がなかった。

 

「射程距離内、到達だっぴょん!」

「やっとここまで来たわ……沈めてやる」

「じゃっ那珂ちゃんは邪魔が入らないよーにしてくるから、頑張ってー!」

 

 手を振って顔無しへ突っ込んでいく那珂。顔無しが迎撃し爆炎に包まれるが、次の瞬間那珂は顔無したちのど真ん中に降り立っていた。

 本当にどうなっているのだアレは。味方の筈の卯月も分からない。満潮は察した様子だがげっそりしてるのは何故だ。

 

「さっさとケリつけるわよ、那珂も長くは持たないわ」

「やはりあの瞬間移動には限界が」

「いや、昼間じゃ()()()()らしいわ。短い間ならテンション上げれるけど、昼間じゃダメだとかなんだとか」

「……味方に殺意を覚えるうーちゃんはおかしいかっぴょん?」

 

 酔わなきゃ狙撃できない奴に、昼間だと気が乗らないというだけで全力が出せない奴。

 満潮は黙り込んだ。卯月は察した。

 そして秋月が凄まじい怒気を放ちながら襲いかかってくる。

 

「連装砲ちゃん、あいつら全員皆殺しにしようね」

「……これ八つ当たりかぴょん!?」

「知らないわよ」

 

 なんか釈然としないが、射程距離に接近できた。那珂の援護を無駄にはできない。二人は一気に踏み込み、その懐へ飛び込んでいく。そこへ連装砲が照準を向けた。

 

「どこから来ても無駄だと、まだ分からないんですか」

 

 発射と着弾は同時、砲塔の旋回速度も異常、秋月を出し抜いても連装砲ちゃんがフォローする。秋月の言うとおり何処から攻めても砲撃の壁が迫る。

 ならもう、力任せに道を作るしかない。満潮が前に出て卯月を庇うように突っ込んでくる。

 

「さぁ行け満潮!」

「なんでアンタが命令すんの!」

「なにを」

 

 肉盾にでもするつもりなのか。それも無駄だ。秋月の砲撃は戦艦並。駆逐艦一隻が盾になったところで後ろの奴ごと貫通できる。二人諸共抹殺するつもりで秋月は必殺の砲撃を繰り出した。

 しかし、同時に巨大な何かが、水中から一気に浮上──否、召還された。

 その巨大な影を盾に満潮が叫ぶ。

 

「特大発動艇よっ!」

 

 大発動艇より更に大きい特大発動艇が、秋月の攻撃を阻んだ。

 当然防ぐことはできない。秋月の砲撃の威力が高すぎて、大発は一瞬で風穴塗れになる。目隠しににも使うことはできない。卯月たちがどこにいるかはレーダーで正確に把握されていた。

 

「こんな子供騙ししかできないとは、ガッカリしましたよ!」

 

 何発か無駄弾を使ったが問題ではない。一瞬で再装填を済ませて再び斉射。今度は卯月や満潮を狙って放つ。

 強化された砲撃は、大発を貫いても威力を落とすことなく、最高速度を維持したまま卯月たちへ飛んでいき、彼女たちを肉塊へ変えるだろう。

 

 その秋月の考えは外れた。

 

「かかったぴょん!」

 

 何故ならば、大発動艇が大爆発を起こしたからだ。

 

「爆発!? 爆薬を仕込んでいた!?」

 

 かなり至近距離での爆発に秋月が巻き込まれそうになる。しかしすぐさま砲撃を行い、その衝撃波で爆炎諸共叩き返した。

 自爆と砲撃のダメージで大発はほぼ轟沈。目の前には爆発で咳き込む二人の姿。まだ何か来るかもしれないと、秋月は油断なく構える。

 

 盾に使う筈だった大発を失った二人は、二手に別れて飛び込んでくる。満潮は水面を駆って接近、卯月は大ジャンプからの砲撃を狙う。

 秋月は当然、空から迫る卯月を迎撃しようとした。

 

 そして意識が水中から逸れた瞬間、卯月と満潮の三手目が起動した。

 

「倍返しよ、砲撃じゃあないけどね!」

 

 予想通り攻撃が来た。

 だが攻撃が来た方向が予想外だった。半ば沈んだ大発動艇から──無数のロケット弾が襲い掛かってきたのだ。

 

「ミサイルですか」

 

 それはWG42というロケットランチャー。今だと陸上基地相手に用いられることが多いが、本来は対地対艦兼用、更に水中発射可能な代物だ。

 だからこそ水没した大発からも発射できた。時間差で作動するように事前にタイマーでセットしておいた。

 

「だから言いましたよね、こんな子供騙ししかできないんですかと」

 

 ロケットランチャーに多少驚いたが問題なく対処可能。秋月は以前卯月の雷撃を叩き返した時のように、片足を高く掲げて海面を蹴り飛ばし、力任せに津波を起こした。

 

 打ち上げられた高波がロケット弾を飲み込み、その勢いを大幅に減衰させる。水中でも進めるから止まりはしないが、だからって津波を突き破れる威力はない。

 

 その勢いに押し切られ、ロケット弾の軌道が狂う、秋月には一発も届かない。

 その間攻め込もうもする卯月たちは高角砲で牽制。

 何の防御手段もなく正面突破は不可能。不利になると分かっていても、後退する他ない。

 

「もう十分です、貴女たちには十分楽しませて頂きました」

「ぴょっ!?」

 

 これ以上逃がす理由はない。

 満潮との間に砲撃を集中させ卯月を孤立させる。立て続けに砲撃で左右を包囲し、逃げ場をなくす。

 逃げるには後ろしかないが、下がっても秋月の攻撃は卯月を捉える。どうすれば良いか分からなくなり、卯月は青い顔で立ち尽くす。

 

「残念でしたね。これで漸く分かりましたか、貴女たちのやることは一切通じないと」

「……そんな、あり得ない」

「ふふ、現実逃避ですか、それも良いですね」

 

 俯きながら敗北を認める卯月。その発言に秋月は興奮する。

 あらゆることが通じず、絶望に立ち尽くす様はいつ見ても良いものだ。そこへ死の絶望を叩きつける瞬間はもっと良い。

 

「これでおしまいです、さようなら裏切り者」

 

 左右に展開していた弾幕を、挟み込むように卯月へ近づけていく。身体の左右から削ぎ落とすように殺すため。現実として無視できない痛みを与えて、嬲り殺しにするのだ。

 

「あり得ない、嘘だっ、そんなことって!?」

「好きなだけ喚いてください、無様な姿を晒して、秋月を楽しませながらバラバラに──」

「なんで努力が実を結ぶんだっぴょん!?」

 

 慌てふためく卯月は、明らかにおかしなことを言った。

 今何て言った。

 絶望しているとは思えない発言に不意を突かれる。

 

 魚雷はもう眼下数センチまで迫っていた。

 

「あー嫌だ嫌だ、努力がキッチリ成果を結ぶなんて。うーちゃんは楽して強くなりたいのに、これじゃあまた訓練させられる。まったく腹立たしいぴょん!」

 

 卯月は秋月をチラリと見て、それはもうわざとらしくクスクス笑った。

 

「荒れ狂う津波の中でも、魚雷を真っ直ぐ飛ばす訓練。あー上手く行っちゃったぴょん残念だぴょーん」

 

 ロケット弾を叩き返した時の津波。卯月はそれを逆に目眩ましとして利用し、不意を突いて魚雷を発射していたのだ。

 本来なら津波に巻き込まれて押し流される筈のそれは、必死の訓練のお陰で、見事秋月の足元まで到達したのだ。

 

「こんなもの、もう一度叩き返してあげます」

「させるわけないでしょ、そのままくたばってなさい!」

「邪魔を、しないで欲しいですね」

 

 秋月はもう一度足を高く振り上げ、二度目の津波を起こそうとする。そうはさせまいと満潮が砲撃を乱射する。しかし秋月の砲撃がそれを撃ち落とす。

 

「ならばうーちゃんも参戦、ここで絶対当てるぴょん!」

「二人がかりだろうが意味はありません、ムダなんですよ」

「やってみなきゃ分からんぴょん!」

 

 もう後がない。全ての残弾をここで使い切る。卯月と満潮はそのつもりで乱射する。魚雷を迎撃されないように、振り上げた脚部を狙う。その尽くが迎撃されるが、僅かな隙間を突いて撃ち込み続ける。

 

 しかし全て無駄。秋月の砲撃は正確全てを撃ち抜く。再装填速度も異常。普通なら押し切られる弾幕を逆に押し返していく。どれだけ撃っても意味がない。

 

 そんな無駄な行動を何故続けるのか? 

 秋月は不意に疑問を抱いた。

 D-ABYSS(ディー・アビス)に選ばれた()()と比べれば遥かに劣るとは言え、ここまでバカなのだろうか。

 

 少し周囲に意識を向けて、秋月はそれに気づいた。

 

「……なるほど、そういうことでしたか」

 

 秋月は『真上』を見上げる。

 

 遥か上空から、秋月の脳天目掛けて、魚雷が落下してきていた。

 

「ちょっと卯月、バレたみたいよどうすんの!?」

「おおおお落ち着けみみみ満潮! どうせ、高角砲はあそこまで動かないぴょん!」

「そうですね、確かにそうです」

 

 長10センチ砲は真上までは向けるが、それ以上内側には向けない。そうなると艤装の構造上、秋月本人の真上には撃てない。長10センチ砲ちゃんを内側に旋回させれば撃てるが、さすがにそれは本体が危険になる。

 

 あの弾幕が唯一届かない死角、そこへ卯月は魚雷を投擲していたのだ。

 

 大発の爆発もロケット弾も、それに気づかせないためのブラフ。気づかれたことに卯月は舌打ちをするが、あそこまで近づけばもう迎撃は困難だ。

 

 片足を上げた姿勢ではすぐ逃亡できない。長10センチ砲ちゃんを内側に向けたら、その隙に突撃できる。足を降ろして逃げ出せば魚雷が刺さる。

 どの対処方法を選んでも卯月たちの一手に繋がる。

 

 卯月たちは主砲が焼け付くのも気にせず、秋月の脳天目掛けて撃ちまくる。

 

 その必死な姿を見て、秋月は失笑した。

 

「ですが、貴女はバカです」

 

 この状況で秋月は、一切動かなかった。空から魚雷が落ちているのに、逃げようとしない。それどころか卯月たちへの攻撃を更に強めた。

 

 魚雷が秋月の脳天にぶつかった。

 そして、鈍い金属音を立てて、魚雷が落っこちた。

 魚雷は爆発しなかった。

 絶句する卯月に、秋月は語りかける。

 

「だって魚雷ですもの、こんな方法では起爆しません。だからその砲撃で誘爆させようとしたんですよね? 秋月の迎撃もこれ(魚雷)に驚いた時には緩むと踏んでいた……甘い考えです」

 

 頭部から、肩、艤装の長10センチ連装砲ちゃんと魚雷が転がっていく。魚雷は本来水中から突き刺す兵器、秋月の言う通りこんな方法では起爆しない。

 

「その考えを後悔することですね」

 

 二機の連装砲を卯月へ向けてトドメを刺そうとする。

 

 

 

 

「知恵比べはこのうーちゃんの勝ちだぴょん」

 

 秋月は、卯月の奇策に敗北していた。

 

 長10センチ砲ちゃんの片側が卯月の方へ旋回してくれない。なぜならば接続ユニットが()()していたからだ。

 

 その隙間には魚雷からはみ出たナイフが突き刺さっていた。



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第111話 奥手

 真上から魚雷を投下し、当たる直前に砲撃で起爆させるという卯月の奇策。それは秋月の圧倒的砲撃により阻まれ失敗に終わった。全ての希望を失った卯月へトドメを刺そうと、長10センチ砲ちゃんを動かす秋月。

 

「知恵比べはこのうーちゃんの勝利だぴょん」

 

 しかし、長10センチ砲ちゃんの片方一機が旋回せず卯月へ狙いを合せられない。艤装との接続ユニットが融解していたからだ。

 

 その繋ぎ目に突き刺さっていたのは魚雷ではなく、ナイフだった。

 

「いったい何時うーちゃんが魚雷を刺すって言ったんだぴょん?」

 

 投げていたのは魚雷ではなく、修復誘発材が塗られたナイフだった。

 正確には、細いワイヤーで卯月の『錨』と繋がったナイフだ。それが入った魚雷が秋月に当たった後、良いタイミングで錨を卯月の真下へ投下すれば、重さで引っ張られて──艤装の何処かへ食い込む。

 

 深海のエネルギーを宿した艦娘という特殊な存在故に、修復誘発材が効果を発揮するかは微妙だった。D-ABYSS(ディー・アビス)が作動できなかったので卯月自身での人体実験もできず、効くか不安だったが、結果は見ての通りだ。

 

「いやぁしかし、まーさかそこに刺さるとは思いもしなかったぴょん、うーちゃんとってもラッキーだっぴょん!」

「溶けて、これは、戦艦水鬼が喰らっていた」

「驚いている暇なんてやるもんですか!」

 

 満潮は事前に砲撃していた。

 卯月がダミーの魚雷を使ってナイフを刺すと考え、刺さるであろう場所に砲撃を行っていた。

 そしてその砲弾は、もう当たる直前の距離に在る。那珂にボコボコにされながらも、必死で連携の訓練をした成果が出ていた。

 

 このままでは直撃する。これしか対処手段はない。

 秋月は体の向きを変え、動く方の長10センチ砲ちゃんで迎え撃った。撃ち落とされる砲弾。だがそれに気をとられている間に、二人は秋月の死角へ移動、砲撃を撃ちながら、再び魚雷をばら撒いた。

 

 秋月はすぐさま迎撃の弾幕を撒き散らす。

 しかし、片方が一切旋回できなくなっているせいで弾幕を集中できない。秋月自身が回らなければその方向へ攻撃できなくなっている。

 更に、最初津波に紛れて撃たれた魚雷がまだ生きている。悠長にその場で回っている暇がない。

 

「そんなにうーちゃん絶望している風に見えたかぴょん? うっそぴょーん騙されてやがんの。あーんな自信満々に言ってた癖に。なんだっけ、『甘いです』だって? 何がどう甘いと、教えてぴょん!」

「こいつ……」

「どーも、演技派のうーちゃんでーす。うぴょぴょぴょん」

 

 徹底的におちょくり倒しているが、それは相手から余裕を奪うためだ。

 

 まだ、確実ではない。

 

 あのナイフだが、ワイヤー経由かつ錨の重さで喰いこませるなんてやり方のせいで、刺さり方が甘い。直接触れるなり砲撃するなりして、深く抉らせなければ融解しきらない。余裕はまったくないのを隠しているのだ。

 

 秋月はまだそのことに気づけていない。

 長10センチ砲ちゃんが機能不全に陥るなんて考えたことがなく、対処がどうしても遅れる。

 

「こんな物、クソッ!」

 

 このままでは不味い。

 秋月はやむを得ず片足を叩き降ろし津波を起こした。それにより、津波を越えた雷撃が今度こそ叩き返される。

 

 だが卯月たちはもう一度魚雷を放っていた。勿論津波を起こされても秋月に刺さる撃ち方だ。

 秋月に第二波が迫る。しかもその一瞬を突いて、二人がかなり距離を詰めていた。

 

 迫る卯月たちに対応してたら雷撃を喰らう。雷撃に対処していたら卯月たちが来る、そもそも蹴りの津波では対処不能。砲撃で牽制しても片門だけでは押し切られるし、よしんば止めても後続の満潮が来る。両方対処するのも片門では困難。

 

「ここで殺してやる、ブッ潰れろっぴょん!」

「貴女、躊躇はないんですか、これで溶けたのが治らなかったら、貴女のせいですよ」

「知るかそんなこと。生きてさえいれば、四肢が千切れてようが二度と戦場に立てなくなってようが関係ない。つーかむしろスカッとするぴょん!」

「なんて奴……!」

 

 卯月は嘘が嫌いである。即ち今の発言は本心からのものだった。

 秋月を殺すつもりはない、貴重なD-ABYSS(ディー・アビス)のサンプルを持ち帰れと中佐から命令されているから。

 

 だが、無傷でとは言われていない。

 

 ならどんなに痛めつけても死にさえしなければ問題ない。相手を傷つけることへの嫌悪感なんて皆無だった。

 

「死ねーっ!」

 

 ナイフを食い込ませるために卯月が主砲を放つ。迎撃しようと攻撃するが、満潮が動く方の長10センチ砲ちゃんに向けて攻撃してくる。それに対処したせいで卯月を止めることができなかった。

 

 それでも壁の如き弾幕が張られるが、散々訓練した成果は出ていた。

 迎撃を潜り抜けて正確な一発が届く。ナイフに砲撃が当たればより食い込み、完全に溶断できる。

 

 秋月の顔が醜悪に染まる。見下しきっていた相手に──しかもD-ABYSS(ディー・アビス)を解放できていない奴に追い詰められた事実に、腸が煮えくり返る。

 

 

 奥の手を使わなくてはならないなんて。

 

 

「これ嫌いなんです。秋月も制御しきれないので」

 

 そう言って秋月は突然屈み、力一杯海面を蹴り飛ばす。

 そして()()()()

 蹴りだけでも津波が起こる秋月が、約8メートル近く全力でジャンプした。結果今まで以上の津波が巻き起こる。

 それでも魚雷は津波を越えた。しかし秋月は空中、魚雷は当たらない。魚雷同士でぶつかり何もないところで爆発してしまった。

 

「何メートル飛んでんだ、なんてジャンプ力だぴょん!」

「でもチャンスよ、アイツも空中じゃ動けない。今ならどんな砲撃だって命中するわ」

「なるほど、うーちゃんも当然気づいてたっぴょん!」

 

 空中の秋月に照準を合わせる二人。だが秋月も無策で飛んだ訳ではない。

 

「秋月だって駆逐艦なんですよ、これをお忘れではないですか」

 

 空中で秋月は回転。そして背中に搭載された魚雷を卯月たち目がけて一気に発射した。

 砲撃に意識が向きがちだが魚雷の数も威力もD-ABYSS(ディー・アビス)により増大。砲撃ではなく魚雷の壁が展開された。

 

「ぴょん!?」

「アンタは魚雷の処理をして、わたしがアイツを撃つ!」

「手柄取られたぴょん悔しいぴょん!」

「黙ってなさい!」

 

 それでも以前秋月は空中、自由に動ける状況ではない。溶けた主砲も治っていない。卯月たちの有利に変わりはない。

 安全確保のための魚雷処理を卯月に任せて、満潮が秋月に狙いを絞る。

 動けない相手など的でしかない。身をよじって融けた場所を狙いにくくしているが、満潮の技量なら確実に命中できた。

 

「当たるものですか」

 

 しかし、満潮の砲撃は当たらなかった。

 

 動けない空中にいるのに当たらなかった。

 

「は!?」

 

 その挙動を見た二人は言葉を失い絶句する。こんな方法アリなのか。無茶苦茶は承知だが限度がある。

 

「さ、さっさと追撃するぴょん、まぐれだぴょん!」

「うるさい命令すんな!」

「それも、当たりません」

 

 満潮が砲撃を放つ。同時に秋月が空中で砲撃。その威力から齎される圧倒的な反動によって秋月は()()。攻撃は宙を切った。

 二回続いたということは、偶然ではない。

 

 秋月は、砲撃の反動で空中を()()()()()()()()()

 

「そんなのアリかっぴょん!?」

 

 異常な威力の主砲を、駆逐艦が持っているからこそ成立する荒業。D-ABYSS(ディー・アビス)の恩恵はここまでのものなのか。卯月は苛立ちを通り越して呆れ返る。

 

 一方満潮は思考停止していたがすぐに正気に戻った。

 

「驚いたけど逃げる機動は単純、どっちにしても的、コケ脅しの大道芸でしかないわ!」

「まだですよ、秋月の攻撃はここからです」

「何をする気」

 

 無事な長10センチ砲ちゃんを海面に向ける。息を吸い集中力を高め、紅いオーラを燃え上がらせる。

 

「撃ち方……始めっ!」

 

 秋月は撃てる最大まで砲撃を海面に叩き込む。砲身が焼けつき溶けて潰れるまで、一気に一瞬で全てを撃ちこんだ。

 限界を超えた乱射に、長10センチ砲ちゃんの砲身が赤熱して溶け落ちる。

 

 しかし、その砲撃は誰も撃たなかった。真下付近に撃っただけで誰も被弾していない。これが齎したのは何だったのか。

 

 満潮は卯月の悲鳴でそれを理解した。

 

「ぴょあー!? なんだっぴょんこれぇ!?」

 

 卯月は引き続き魚雷を処理しようとしていた。その瞬間、魚雷群の中に空中からの砲弾が降り注いだのである。

 高度も加わった秋月の砲撃威力はそれまでの比ではない。着弾した場所の海流を滅茶苦茶に変えてしまう。

 

 そして海流が変われば魚雷の動きも変わる。

 

「ぜ、全然読めない……ってか魚雷はどこだぴょん!?」

 

 乱された海流のせいで魚雷の動きは一気に複雑化。魚雷同士の激突による誤爆は起きているが、それでも数の暴力により大半は卯月たちへ突っ込んでいく。

 更に砲撃による水しぶきと誤爆によって、雷跡が視認不能に陥った。どこへ行くかどこにあるかも判別不能。卯月は魚雷に対処できなくなっていた。

 

 魚雷に対処できなければ、そこから距離を取る他ない。

 

「く、くそぉぉぉぉ!」

 

 やっと近づけたのにまた離れる羽目になった。折角ナイフを突き立てたのに無駄になった。連携もできてたのに、それでも押し切られた。

 悔しさに絶叫する卯月。叫びこそしないが顔を歪ませる満潮。

 離れていく二人を尻目に秋月は着水、刺さったナイフを引き抜き投げ捨てた。

 

「まだよ、まだ誘発材が残って──」

 

 言いかけたその瞬間、まるで時間が遡るかのように、溶けた艤装が修復された。

 

「良かった、治るんですねこれ。安心しました」

 

 深海棲艦に通常兵器による攻撃は効かない。効いたとしても瞬時に再生される。有効なのは対の力を持ち、再生阻害をすることができる艦娘の攻撃のみ。

 D-ABYSS(ディー・アビス)に浸食された秋月もまた、同等の再生能力を保有していた。修復誘発材はあくまで通常兵器、融解させられるのは一時的なのだ。

 

 救出した後、溶けた部分が治るのかどうかの心配は要らなくなった。しかしそれどころではない。救出どころか勝算の方が融解してしまったのだから。

 

 長10センチ砲ちゃんが復活。二機の主砲が卯月と満潮に狙いを定める。そして弾幕が爆発した。

 

「中々面白い大道芸でした。楽しませてくれてありがとうございます。最近はヒヤっとする戦いがなかったもので、良い緊張感でしたよ」

 

 口調こそ穏やかだが全くそんなことはない。

 こんな格下に、あんな小技で奥の手を出させられたことへの怒りしかなかった。だがこれでもうあいつらに出せる手はない。心置きなく蹂躙を楽しむことができる。

 フラストレーションが溜まった分、より心地よい気分になれる。秋月は乱射する、海面が蒸発しそうな勢いで乱射し、逃げ場を塞ぐ。

 

 逃げ道を失った二人に、処理しきれなかった魚雷が突っ込んでいく。左右と正面には弾幕、後方からは魚雷。主砲ばかりが印象に残るが、あの雷撃も恐らくは必殺級、喰らえば即死だと察せられた。

 

 秋月の考え通り二人は本当に手を出し尽してしまっていた。相変わらず魚雷の軌道は乱れたままで予想できない。どうすることもできず、心を絶望が塗りたぐる。

 

 しかし、卯月はそこで折れなかった。

 

「こいつ……こいつ、調子に乗りやがって……!」

 

 むしろ逆に殺意が噴出していく。あのインチキ振りに苛立つ、特訓を生かせなかったことに腹が立つ。

 迫る死の恐怖に黒い感情が溢れ出す。怒りが恐怖が憎悪が──爆発する。

 

「が、あ、あぁぁぁ!」

 

 凄まじい感情の奔流が、抑え込んでいた『発作』まで引き起こす。幻覚の死人に罵倒され、身体中に爪を突き立てられる。目が抉られ、鼓膜を千切られる。幻に振り回された卯月は金切り声を上げながら、自分の顔面を掻き毟る。

 

「死を前にして、壊れましたか。ううん……良い悲鳴です。見直しましたよ卯月さん」

 

 なぜこんな辛い目に合うのか。どうして発作に襲われるのか。わたしが皆を殺したせい? だから呪われて、死ぬことを願われるのか? 

 否、断じて違う。

 全部秋月(あいつ)のせいだ。

 

「……コロシテヤル、秋月!」

 

 発作の苦しみが逆に怒りを加速させる。燃え上がる憤怒がますます膨張する。迫る『死』を前にして、卯月の冷静な部分は『これで良い』と考えていた。

 目的達成のために、思考も感情も、全てを効率化させる『完全なる殺意』。卯月の『殺意』はD-ABYSS(ディー・アビス)作動の条件に勘付いていた。

 

 それは安直かもしれないが、『怒り』だ。

 

 D-ABYSS(ディー・アビス)が作動した瞬間は覚えていないが、周りから聞いた作動時のシチュエーションから予想した。理性が崩れ落ち、人格に亀裂が入った時、このシステムは解放されるのだ。

 

 このシステムを任意で解放できるようにするのが、目的達成に一番貢献できると『殺意』は判断。それに従い卯月はこのタイミングまで怒りを溜め込んだ。いざという時に一気に解放し、そのまま解放まで持っていくために。

 

 時は来た。発作も呼び込んで怒りを爆発させ、すべてが殺意に収束される。理性が千切れる感覚に卯月は歯を食いしばる。

 

D-ABYSS(ディー・アビス)ッ解放!」

 

 だが、しかし。

 

「……ぴょん?」

 

 作動時のあの激しい感覚が来ない。背筋からやって来て、脳髄がとろけそうになる快楽が全然来ない。快楽に慣れて感じなくなった? いやそんな温い快感ではない。快楽からの嬌声を耐えるために歯を食いしばったのは何だったのか。

 

「おーい、解放、解放だってば、ちょっとー?」

 

 卯月の背筋が凍り付いた。

 

 快楽が来ないということは、そういうことだ。

 

「どうしましたか、バカにしたからなんだと?」

 

 D-ABYSS(ディー・アビス)は解放されていなかった。怒りが臨界点を越えても、システムは起動しなかった。

 

「なんで」

 

 システムの解放条件は怒りではなかったのか。そんな馬鹿な、わたしの『殺意』が間違っていたのか。そんなことって。

 

 疑問への答えを待たずして、卯月の視界は真っ白に染まった。




戦艦級の火力と弾幕と射程距離を持っていて、蹴りで津波を起こせて、しかも空を飛べる駆逐艦。
駆逐艦の軽さで、戦艦以上の主砲というアンバランスがあるから実現する荒業……駆逐艦とは一体?


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第112話 光球

 D-ABYSS(ディー・アビス)の解放条件は理性を壊す程の『怒り』だと、卯月は考えていた。

 そして追い詰められ、死が目前に迫ったことで、卯月の怒りは臨界点を超えた。

 

 だが、しかし、システムは解放されなかった。

 

「なんで」

 

 解放条件は怒りではなかったのか。問いへの答えを待たず秋月の攻撃が飛来する。

 地鳴りのような爆音と共に、視界の全てが真っ白に染まる。

 卯月は、大爆発の中へと姿を消した。

 

「卯月ーッ!」

「はははっ! 死にましたか」

 

 爆炎に包まれた卯月を見て秋月は嗤う。だが油断せずレーダーを使って生きていないか確かめる。

 

「……チッ」

 

 それを見て秋月は機嫌を悪くした。卯月を示す光点がまだ動いていたからだ。

 

「どうなってんだぴょん!」

「無事だったのね!」

「あたぼうよ、このうーちゃんは不死身だぴょん!」

 

 爆炎の中を突き抜けて脱出する卯月、顔や剥き出しの手足に火傷を負っているものの、それ以外は無傷だった。

 秋月はそこへ砲撃を放った。

 どこから出てくるかはレーダーで分かっている。爆炎から出て視界が開けた所に不可避の攻撃を撃ち込むのだ。

 

 しかし爆炎から出た瞬間、卯月はひらりと身を翻しそれを躱した。卯月には迫る砲弾の風を切る音が聞こえていたのだ。

 耳が良いのは自覚しているが、殺意が高まったせいか、より鮮明に聞こえてくる──気がした。

 

「本当にしぶとい奴」

 

 砲撃を回避され苛立ちを募らせる秋月。たかが睦月型の雑魚一隻を未だに落とせないことが、彼女の怒りを加速させていく。

 憤怒に駆られた弾幕は更に激しさを増す。

 

 道標が逃げ惑いながら卯月へ向けて叫んだ。

 

「大丈夫なのアンタ!」

「はっはー、これが大丈夫に見える訳ねーだろこのタコっ! 痛くて泣きそうだぴょん!」

「大丈夫そうね心配して損したみたい」

 

 しかし、なぜD-ABYSS(ディー・アビス)は解放されなかったのか。満潮は解放の瞬間を毎回間近で見ていた。故に卯月と同じく『怒り』が鍵ではないかと推測していた。なのに現実として解放されていない。

 

「そろそろいい加減に死んでくれませんか?」

 

 危機を味わった秋月からは僅かな慢心も消えていた。もう手を出し尽くしてようがいまいがどうでもいい。少しでも早く、確実に、こいつらを殺すと決めている。

 

 今までの甚振るような攻撃ではなくなり、精度が跳ね上がる。動いた方向に限って砲撃が来る。

 砲弾にホーミング機能でもついてるんじゃないか? 

 卯月は訝しんだ。

 

「どーする! どーすれば良いっぴょん!?」

「うるさい、今考えてる……ってかアンタも考えなさいよ!?」

「ムリムリムリ逃げるので限界だぴょん! あ、ダメ、死ぬー!?」

 

 心底喧しい卯月の奇声に、秋月も満潮もイラッとした。

 だが、そんな卯月に一発も当たらない。まるで飛んでくる場所が分かっているように、卯月はすんでの所を避けていく。

 偶然なのだろうか、ならば、逃げ場がなくなるように圧殺するだけだ。

 

 それを試みようとして、秋月は砲塔を隣へ旋回させた。照準を合わせた先には、回り込んでくる那珂がいた。レーダーがその姿を捉えていた。

 

「わ、バレちゃった!?」

「貴女も接近させません、得体が知れない」

「アイドルに対して何てこと言うの!? 酷い、秋月ちゃんはそんな子じゃないのにー!」

「……不気味、いや面妖な」

 

 卯月たちとやりあってる最中もずっと意識を向けていた。見落した瞬間にまた接近される気がしたからだ。

 勿論、卯月たちへの砲撃も緩めない。ここで潰さなければ『主様』に合わせる顔がない。

 

「卯月ちゃん、満潮ちゃん、撤退するよ!」

「クソ、そうなんのね」

「あ゛ー、殺せると思ったのに!」

 

 那珂の指示に従うしかなかった。主砲も魚雷も残弾は僅か。秋津洲と合流する時間も迫っている。この状態では倒し切ることは叶わない。悔しさに叫ぶも二人は撤退を決めた。

 しかし、秋月が簡単に逃してくれる筈もなかった。

 

「こちらの残弾はまだあるので、お付き合い願います」

「あ、遠慮しとくぴょん」

「拒否権はありませんから」

 

 逃げる先を塞ぐように弾幕が突っ込んでくる。戦艦クラスの超射程から逃げ切るのは至難の技。しかも途中には渦潮まであって足止めされるのは確実。

 それでも逃げなくては。生還しなければ()()()()()()()()()()()

 

「確実に沈める、ここで。顔無しさんたちお願いいたします」

 

 敵は秋月だけではない。那珂と交戦していた顔無しがまだいる。

 こちらを確実に沈めるべく近づいてくる。間近に迫るのっぺらぼうはかなりの恐怖であった。

 

「ヒィ! 顔無しが突っ込んでくるぴょんキモいぴょん!」

「さっさと撃ち殺せば済む話よ」

「上手くいくとお思いで?」

 

 顔無しが集中しているにも関わらず秋月は主砲を乱射。砲撃が降り注ぐが顔無したちは怯まない。悍ましい改造を施された改造たちは恐怖を感じないようにされているのだ。

 かつての艦娘を侮辱しきったその兵器に、卯月は怒りを顕にする。

 

「よくも……!」

「行っちゃダメだよ卯月ちゃん!」

「分かってるぴょん、けど、あれはうーちゃんの仲間だったんだぴょん!」

 

 なによりも、顔無しの材料はかつて神鎮守府に所属していた、卯月の仲間なのである。

 わたしに殺されて、更には死体さえ玩ばれる。

 これで頭に来ないわけがない。それでも卯月はあくまで冷静だった。暴走しても勝ち目がないと分かっていた。

 

「そうですよ、貴女が殺した貴女の仲間です。殺されるのは道理ではないでしょうか」

「世迷言も大概にしろ、うーちゃんは誰も殺してない。みんなを殺したのは『敵』だっぴょん!」

「なにを、やったのは貴女でしょうに。世迷言を言っているのは誰ですか」

「勿ろ──」

 

 と会話をしていたのは卯月の隙を伺うため。

 殺意によって感情をコントロールする卯月は、煽られて冷静さを失うことがない。

 それでも、僅かながら隙はできる。

 数秒に満たない時間だが、秋月の砲撃速度ならば狙うことができる。顔無しをダシに挑発した瞬間、その砲撃が放たれた。

 

「勿論、お前ぴょん!」

 

 しかし、卯月はそれを回避した。

 最初から砲塔は向いていた、砲塔が回転するのを見てから回避したのではない。

 砲撃を見てから? それは不可能だ。秋月の砲撃は発射と着弾が同時。回避はあり得ない。

 

「さっきから貴女、なにを?」

「……なんのことだぴょん?」

「そうですか」

 

 秋月が弾幕を集中させる。それでも卯月は紙一重で回避していく。さっきもそうだった。見て対処されないように、爆炎から出た直後を狙ったのに回避された。

 いったいコイツは、何を感じて回避しているのだ。

 

 その正体は、『音』である。

 

 殺意に至ったことで卯月の聴覚は更に研ぎ澄まされ、砲弾が風を切る音、砲弾が送り込まれる音まで知覚していたのだ。

 だが、理由はそこだけではない。

 卯月はまだ自覚できていない──自覚できる程に鮮明に聞こえていないが、それ以外の音を無意識化で認識し、回避精度を跳ね上げていた。

 

「まあ問題ではありません。いずれ潰れるのは必須」

 

 秋月の弾幕だけではなく、顔無したちの攻撃も加わっている。回避はどんどん困難になる。これ以上の交戦はもう無理だ。

 逆に秋月からすれば最大のチャンス。最後の猛攻を仕掛けてくる。

 

「せめて、数を減らさないと……!」

「援護してやるぴょん、感謝するぴょん!」

 

 接近してくる顔無しは堅牢だが、駆逐艦ならまだ仕留めやすい。魚雷はもう使い切ってしまっている。砲撃しかない。確実に沈めるために二人は連携する。

 

「せーので!」

「…………」

「合わせろや!」

「声に出すバカがいるの!?」

 

 と言いながらもタイミングは一致。二人の砲撃が同じ駆逐艦に同時に命中。二人分の火力が集中したことで、その装甲に亀裂を入れることに成功。

 

 死ぬ物狂いで回避を続けながら有効打となる攻撃を撃ち込む。弾薬はもうない。火傷の痛みに歯を食いしばって、血の混じった汗を流して駆け回る。

 

 那珂もいるが彼女は突っ込んで来る重巡級を抑えながら、秋月の猛攻を牽制するので精一杯だ。

 

「なんで全員突撃してくるんだぴょん、秋月の砲撃に晒されるって言うのに!」

「自爆に巻き込むためでしょ!」

「悪趣味だっぴょん!」

 

 顔無しの自爆は高火力、巻き込まれれば死ぬ。 

 だがそれなら、近づかれる前に倒せば良い。

 今は一隻でも倒して逃げやすくしなければ。

 焦る二人だが、必死の砲撃が実を結ぶ。駆逐艦の装甲が破壊されたのだ。

 そのことに危機感を抱いたのか、その顔無しが無謀にも突っ込んでくる。しかし良い的でしかない。満潮が主砲を掲げた。

 

「よしっ、沈みなさ──」

「満潮さんストップ! 撃ってはダメです!」

「は!?」

 

 突如、熊野がその攻撃を止めろと叫んだ。熟練の艦娘である満潮はその指示に即座に反応。引きかけたトリガーから指を放す。

 

「いいえもう手遅れです」

 

 秋月はトリガーを引いていた。放たれた砲弾が満潮を貫……かなかった。

 

 秋月の砲撃が貫いたのは、卯月の近くにいた()()()だった。

 

「……誤射?」

 

 死んだ顔無しは高火力の自爆をする。しかし卯月たちは自爆の範囲外にいる。卯月たちを巻き込んで死ぬのは不可能だ。

 

 そう全員考えていた。この時まではまだ。

 

 予想通り顔無しが自爆――しない。爆発はせず、その肉体が急速に()()()()()()

 

 

 そして小さな紅い光球が生まれた。

 

 

「ぴょ?」

 

 光の玉が閃光を放ちながら爆発した。

 

 

 *

 

 

 熊野が違和感を感じたのは、色々な要因があった。

 こちらが逃げているのに砲撃を繰り返す秋月。突撃してくる顔無し。最もおかしいと感じたのは、どの顔無しも突っ込んできていることだった。

 

 駆逐艦が来るのはまだ分かる。駆逐艦の主砲の威力は小さい。有効打を与える為にはできる限り近づかないといけないから。

 

 だが、重巡まで来る必要があるとは思えなかった。

 重巡なら、遠距離でもダメージを与えることができる。わざわざ近づいて、危険に身を晒す理由はない。

 

 考えられるのは、満潮が推測した通り、『自爆』に巻き込むため。顔無しの自爆力は普通ではない。巻き込まれれば命はない。そんな攻撃に巻き込むために接近してきている。

 

 秋月が動かず砲撃に徹っしているのは──これの理由はもう理解できている──自爆に巻き込まれないためだろう。

 

 ならば来る前に破壊するだけ。最悪足止めだけでも十分。

 現に卯月たちはそう判断した。

 

 しかし、熊野は嫌な感覚が拭えなかった。

 なぜ突っ込ませる。既に秋月の『観察』は終わっている。砲撃精度も理解した。

 

 そこがおかしい。

 秋月の砲撃精度なら、顔無しに当たることなく、砲撃を繰り出すことができる筈。

 なら何故当たりそうになっている? 

 

 ──当てようとしている? 

 

 満潮が主砲を掲げた瞬間、熊野は答えに行き着いた。

 

「満潮さんストップ! 撃ってはダメです!」

 

 しかしその時点で、秋月は二人を『射程距離内』に納めていた。

 

「いいえもう手遅れです」

 

 秋月の砲撃が顔無しを貫く。

 普通の深海棲艦なら爆発して沈む。爆発しなくても浮力を維持できなくなり沈む。

 しかし風穴が空いた顔無しはどちらでもなかった。

 

「ぴょ?」

 

 肉が溶け出したかと思うと、肉片が輝き出し、甲高い音を放ちながら一箇所に集束され、小さな紅い光球に変わった。

 それは、自爆する直前とは思えないほど綺麗で、禍々しい光を放っていた。

 

 予想通り、自爆は起きた。

 

 秋月が顔無しを突撃させたのは、自らの砲撃に巻き込んで自爆させるためだったのだ。

 

 予想できなかったことは、その自爆力だった。

 

 光球が輝いたその瞬間、戦場を衝撃波が貫いた。

 

 爆風に耐えきれず熊野も飛鷹もポーラも姿勢を崩す。卯月たちは完全に爆炎に呑まれ、影も形も見えない。地鳴りのような轟音が全てを掻き消す。

 

 ドーム状の爆炎は全てを消し飛ばしたのだ。

 

「これが、自爆ですって」

 

 漸く爆炎が収まり、顔を上げた熊野は言葉を失う。

 

 まだ炎が燻っている。海水は真っ赤に染まり煮えたぎっている。爆発による加圧と加熱によって、水蒸気爆発が引き起こされたのだ。

 その中に、卯月たち二人の姿はなかった。

 

 その爆破範囲は大発動艇程度なら軽く呑みこめる程。威力は大和級の主砲を越えて列車砲に匹敵する。

 

「『顔無しelite』と聞きましたが、とても素晴らしい破壊力ですね。秋月感動しました」

 

 前回の戦闘から、顔無しもまた改良されていた。

 基本スペックもそうだが一番向上したのは自爆力。人一人巻き込むのが精一杯の時よりも、破壊力破壊範囲ともに大幅強化。

 

 かつての卯月の仲間たちは、沈む度に列車砲と同等の破壊を撒き散らす自立型特攻兵器へと生まれ変わらされたのである。

 

「卯月! 満潮! 生きてるの!?」

「生きてる訳ないじゃないですか。この秋月のレーダーに反応はないですし、あの爆発で生きているとでも」

「アンタちょっと黙ってなさい」

 

 静かな威圧を、飛鷹が放った。D-ABYSS(ディー・アビス)によっておかしくされていると分かっていても、目の前でこんな兵器を見せられて頭に来ている。秋月を今すぐ叩きのめしたいと拳が震える。しかし、それよりも卯月たちの安否が先だった。

 

「仲間が心配ですか。気持ちは分かります」

「分かって欲しくないんだけど」

「いえ分かりますよ、心配していることは。だって……見ててとっても愉しいから」

 

 もう死んでいるというのに、それでも生存を諦めきれない。自分が殺されそうな状況で、必死で仲間を助けようとしている。

 なんて哀れで、いじらしいんだろう。

 いっそ愛おしさが湧いてくる。艦娘は皆似た反応を示してくれる。頑張って仲間を助けようとする。全部無駄だというのに。

 

「仮に無事だとしても……どの道秋月が全員殺すんだから、変わらないじゃないですか。そんなことも分からないんですね。バカですね」

 

 でも、そこが良い。この愚かさがおかしくて仕方がない。そして、最後に死ぬ寸前の絶望し切った顔が堪らない。

 

 誰かを護ろうとする心を、護る対象ごと踏みにじるのは本当に気持ちが良い。これだから艦娘を殺すのは止められない。

 余りの心地よさに、顔が紅潮してくる。興奮が止まらない。舌なめずりしながら秋月は飛鷹たちに、一歩ずつ接近する。

 

「さあ、秋月を存分に楽しませて、そして死んでくだ」

 

 顔無たちと共に、主砲を構えた。

 

「──そりゃお前だこのアバズレがぁ!」

 

 その攻撃は、水中から足を掴んできた卯月によって、遮られた。




フェストゥムがやられるとワームスフィア出すじゃないですか。顔無しeliteの爆死もそんなイメージです。流石に空間ねじ切ったりはしませんけども。


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第113話 執念

 秋月にとって艦娘とは塵芥でしかなかった。等しく無価値、生きている意味がない。正義だの守るだの仲間だの、バカバカしい感情にしがみつく愚か者。

 かつては自分もそうだった。くだらない価値観に縛られていた。

 だが、主様によってそこから解放された。本当の自分になることができた。

 

 そうやって、昔の自分を踏み躙るように、艦娘を殺し回るのは途方もない快楽を与えてくれた。

 こいつらは、わたしを気持ちよくするために存在しているのだと、秋月は理解した。

 

 なのにコイツは。

 

「何なんですか貴女は、何故大人しく殺されてくれないんですか!」

 

 水中から足を掴んできた卯月に秋月は罵声を飛ばす。

 

 卯月は一体何をしたのか。

 彼女は顔無しが自爆する瞬間、艤装に注水し敢えて『沈没』。水中に潜ることで自爆を回避したのだ。

 そして爆発が収まった後、秋月が接近してきた瞬間、艤装の出力を臨界状態に。限界まで上昇させたパワーアシストによって、力技で泳いで一気に浮上し、秋月の足を掴んだのだ。

 

 そんな無茶をしたので、会話している余裕はない。すぐさま行動に移る。

 

「どりゃー!」

 

 卯月は秋月の脚部を力いっぱい引っ張った。D-ABYSS(ディー・アビス)は解放されていない。通常の膂力だけで引っ張った。

 本来であれば、そんなものでは秋月は転倒しない。

 

 しかし今の秋月は、たったそれだけで容易く転倒した。

 

「ぐぁっ!」

 

 引っ繰り返った秋月を支えによじ登って水中から完全に浮上。同時に卯月の胴体に掴まっていた満潮も浮上した。

 更に卯月は秋月に馬乗りになって拘束。後ろの満潮は関節技で足を抑えにかかる。

 

「長10センチ砲ちゃん! こいつらを殺して!」

「無駄無駄ァ! お前まで巻き添えだっぴょん!」

「自爆する覚悟は、アンタには無いようね!」

 

 懐どころかほぼ密着状態。今の卯月と満潮を撃ったら間違いなく秋月自身も巻き添えに。自律判断できる長10センチ砲ちゃんたちも、主が死ぬリスクを前に動けない。手をパタパタさせて慌てるだけ。

 

「やっぱりそうか、お前の弱点は、足だっぴょん!」

「……ッ!」

 

 黙り込んで睨み付けてくる秋月。その態度が答えを饒舌に告げていた。

 

「あんな馬鹿威力の砲撃、反動を耐えるのに足の力を殆ど使っているんだぴょん。だからちょっと外から押せば、簡単に引っ繰り返るって訳だっぴょん。攻撃をぜーんぶ撃ち落としていたのも、そういうことだっぴょん?」

 

 空中移動を実現する程の反動を齎す砲撃。その反動を耐えるには相当な力が必要となる。秋月はシステムによる強化された膂力を持って堪えていたが、それでもかなりの負担があった。

 

 結果秋月は、砲撃中一歩も動けないという弱点を抱え込む羽目になっていた。

 

 それどころか、砲撃直後に足を叩かれると容易くバランスを崩すという弱点まで存在。だから秋月は接近されないような戦いをしていた。全て撃ち落としてきたのは、回避運動が碌にできないから。卯月はその砲撃直後の隙を突いたのだ。

 

「空中砲撃なんて大道芸しているから、そういう弱点を見抜かれるんだぴょん。やーいバーカバーカ!」

 

 引っ繰り返した秋月を支えに卯月は水中から浮上。卯月の足には満潮が捕まっている。彼女も同じ方法で回避したのだ。

 卯月はそのまま秋月を押し倒し馬乗りに。

 懐どころか、ほぼ密着状態。これでは秋月本体を巻き込んでしまう。長10センチ砲ちゃんたちは動けなくなった。

 

「あり得ない、どうやって浮上したんですか、注水して沈没したのに、何故浮上してきたんですか!」

 

 注水すれば確かに沈む。だが浮上できる筈がないのだ。

 艤装の重量は並大抵のものではない。パワーアシストを全開にしたところで、どうにかできるものではない。しかも胴体にしがみ付く満潮も浮上させなければならなかったのだ。

 D-ABYSS(ディー・アビス)が解放されていれば、力押しもできたかもしれないが、今は未開放。どうやって海面まで泳いだのかが分からない。

 

「うーちゃんは艦娘、つまり半分は人間、だから泳げて当然だったぴょん」

「ふざたことを言わないでください!」

「酷い、うーちゃんは何時だって真面目ちゃんだったぴょん!」

「うるさい!」

 

 無茶苦茶なことを当然のように告げる卯月に、秋月の苛立ちはピークを迎えた。

 

「艦娘は秋月を愉しまながら死ぬ為に生きている、なのに、卯月さん貴女はどうしてそう、秋月を不愉快にするんですか!」

 

 前の戦いからそうだった。卯月は何度も秋月の予想を超えていた。

 それが気に食わない。

 多少の抵抗なら刺激として楽しめる。掌の上で無様にもがくのを見るのが好きなのに、卯月の行動は秋月の想定を完全に突き抜けていく。

 更には、こんな奴が、元々は同じD-ABYSS(ディー・アビス)に選ばれた同胞(はらから)だというのが腹立たしい。

 

「この、裏切り者が。さっさと死んでくださいよ!」

「やってみろぴょん、できるもんならな。オラァ!」

「くっ……!」

 

 卯月の主砲はもう使えない。殆ど弾切れだった上、さっき水没したせいで残弾もオシャカになった。

 なので主砲は鈍器にした。

 思いっきり振りかぶって脳天に叩き込む。しかし秋月は片腕でガード。それならそれでダメージになるのだが、D-ABYSS(ディー・アビス)の強化は外皮にも及んでいる。傷一つついてくれない。

 

「硬った! 生身なのにカチコチだぴょん!」

 

 仕方がない、少しでも傷を与えられれば良い。卯月は何度も主砲を叩き付けた。

 相手が固すぎて逆に主砲に亀裂が走るが、そんなのは些細なことだ。主砲が砕けるまで殴り続けてやる。

 

「蹴り飛ばしてあげます」

 

 ダメージはないが流石に邪魔。秋月は卯月を蹴り飛ばそうとする。その殺人キックを満潮が防いだ。

 

「させるか!」

「貴女は引っ込んでてください、只の艦娘風情が!」

 

 彼女も卯月同様パワーアシストを全開に。機関部分から火が吹き出しそうになる。全身を使って秋月の足を抑え込む。

 

「邪魔です」

「がはっ!」

「満潮!?」

 

 しかし完全には封じられない。

 一度艤装が水没したせいで、パワーアシストが上がりきらない。

 殺人級の威力を誇る足が暴れる。それを抑える満潮は、手にも足にも内蔵にも深刻なダメージを受けた。

 だが満潮は秋月を放さない。

 放せば卯月が殺される。死んでも放す訳にはいかなかった。

 

「わたしを、舐めないでよね……!」

「しつこい駆逐艦ですね!」

「さっさと決めてよ、このノロマ!」

 

 そう言われても上手くいかない。卯月はこの状況で決定打を放てずにいた。

 満潮と同じように水没したせいで艤装が機能不全を起こしているからだ。殴り倒すにはパワーが足りない。

 

 けど、今から艤装の復旧なんて不可能。この状態で叩き潰す他ない。

 幸いと言うべきか、この状況に周囲の顔無しは動けない。撃っても自爆しても間違いなく秋月を巻き込むから、助けに入れなくなっている。

 

「だりゃぁぁぁぁ!」

「バカの一つ覚えみたいに、主砲ばかり振り回して、あの世で撃ち方を覚え直してきてください!」

 

 タイミングを見計らい主砲を振り下ろす腕を掴もうとしてきた。

 予感がした、直接掴まれれば、こっちの腕が捥げると。

 その手を引いて、手首ではなく砲身を握らせる。それだけで一ミリも動かせなくなる。戦艦級の膂力はその腕を完全に捉えたのだ。

 なら今度は逆の腕がある。予備の誘発材付きナイフを振り下ろす。

 

「ナイフだぁぁぁぁ!」

「それはもう、喰らいません!」

 

 払いのけようと秋月の片腕が迫る。喰らえば腕が千切れ飛ぶ。すぐさま錨を引き上げて鎖に絡ませて防いだが、このせいでナイフを落としてしまった。

 

 片腕は主砲でガードする為に、もう片腕は錨の鎖で絡めとる為に。これにより卯月も秋月も両手が使えなくなる。

 だがD-ABYSS(ディー・アビス)の恩恵がある秋月の方が有利。対して卯月の艤装はもう限界。水没した直後に出力を上げ過ぎた弊害が来る。残り数秒でオーバーロードだ。

 

「このまま押し切ってあげましょう、これで本当に最後です、死になさい裏切り者が」

「戦場では良く喋る奴から死ぬって言うぴょん」

「貴女人のこと言えるんですか!?」

 

 両足は秋月を押し倒すために、両手は攻撃を防ぐ為に、満潮は暴れる足を防ぐので精一杯。顔無しも飛鷹たちも巻き添えを恐れて攻撃できない。

 ならば、使える攻撃手段は、後一つだけ。

 卯月は歯を剥き出しにして、その顔を振り下ろす。

 

「その目玉噛みちぎってやる!」

 

 本当のバカだと秋月は呆れた。

 そっちがそうするなら、こっちは頭突きをしてやろう。システムにより強化された頭蓋骨による頭突きだ、一撃で卯月の頭部は爆散する。

 タイミングを違えない為に、秋月は卯月の顔面を凝視する。

 

 しかし、頭部が激突する直前、卯月は大きく開いた口を閉じ、頬を膨らませた。

 

「プッ」

 

 唾を吐くように何かを噴き出す。

 

 それは極めて細く鋭利な『針』だった。

 

「含み針!」

 

 頭突きを喰らわせてやろうと、卯月の動きを注視していたせいで反応が遅れた。反射的に瞼を閉じるが間に合わない。

 瞼が合わさる寸前、含み針が秋月の目玉に突き刺さった。

 

「がっ……!」

 

 眼球に今まで感じたことも無い激痛が走り、秋月は悶絶する。しかし苦しみはまだ終わらなかった。

 

 眼球が、悪性の腫瘍のように膨らみ始め、次の瞬間──眼球が爆発した。

 

「ぐあああ!?」

「騙されたなマヌケ! 噛みつくなんて嘘だぴょーん! 誘発材が塗られた、含み針だっぴょん!」

「こ、こんな、のって!?」

 

 卯月の狙いは最初から噛み付き等ではなかった。

 噛み付くと発言することで、その攻撃が来ると意識させる。その意識の不意を突いて本命の含み針を撃ち込むのが目的だったのだ。

 那珂から満潮との連携以外に、修復誘発材の活かし方を色々教わった。これがその一つの方法だった。

 

「あ、あああ゛ああ゛!?」

 

 眼球が爆散するという経験は秋月にとって初めてだ。

 感じたことも、想像したこともない激痛にのたうち回る。立ち塞がる敵をほぼ無傷で倒してきたせいで、激痛への耐性を殆ど持ち合わせていない。

 激痛に転げまわるので精一杯。卯月と満潮の攻撃に意識を割く余裕はまったくない。ただ暴れ回るせいで、脚を抑えている満潮への負担は激増した。

 

「うーん、心地よい悲鳴だぴょん。良い気味ぴょん」

「卯月、さっさと止めを、耐えられないわ!」

「合点承知!」

 

 爆散したせいで片目は見えていない。いやもしかしたら長10センチ砲と視界を共有しているかもしれないが、余り関係ない。相変わらず距離が近すぎて長10センチ砲ちゃんは身動きがとれないのだから。

 主砲はヒビが入ってアウト。魚雷は使い切った。ナイフは落とした。だから卯月は交換用の砲塔を引き抜き、それを構えた。

 

「とーどーめーだー、ぴょぉぉぉん!」

 

 卯月は最後の力を振り絞り、腕から出血しながら、砲塔を爆散した眼孔後へ突き立てた。

 

「ギャ!?」

「わぉ酷いケガ、消毒しないと!」

 

 と言って卯月は『海水』をぶっかけた。綺麗な海水ならば生理食塩水と変わらない。傷口を洗うのには最適。だがただの海水では雑菌塗れである。

 

「じ、塩水(じお゛み゛ず)が、()み゛い゛い゛ぃ゛い!?」

「おおっと、ちゃーんと塗ってあげないと。うっかりだっぴょん」

「──ッ!!」

 

 果てにはその砲塔で眼孔をグリグリ抉る。最早秋月は言葉も出せない。一番近くで見ていた満潮はあんまりな光景に目を背けた。

 

「このまま痛みで気絶させてやるぴょん! くたばれー!」

 

 その時、秋月のもう片方の目が見開いた。

 

「ざぜる゛が!」

 

 その手を砲塔を突き立てる卯月の片手に伸ばし掴み取る。システムにより強化された握力が、卯月の腕を一発で握り潰した。

 だが卯月は悲鳴を押し殺し、無事な片手を添えて更に押し込む。

 秋月はそれに抵抗し、砲塔を押し戻そうと渾身の力を込める。

 

「いい加減くたばれ、くたばれってんだぴょん!」

「がああぁぁぁ!」

「びょぉぉぉお゛お゛お゛!」

 

 どちらも血塗れ。地獄のような絵面。身体の奥底からの絶叫が響く。しかしD-ABYSS(ディー・アビス)による膂力強化は圧倒的。拮抗したのは僅か一瞬。卯月の腕が押し戻されていく。そこで満潮が動いた。

 

「しつこいのよ、アンタは!」

 

 助力せんと、満潮が身体を伸ばす。二人掛かりで押し込めばあるいは。そして卯月の両手に満潮の手が重なろうとした──その時だった。

 長10センチ砲ちゃんがいる艤装から、何か音が聞こえた。『メキメキ』、あるいは『ミシミシ』と言った音が。

 これはいったい。

 

 

「二人ともーッ! 避けてーッ!」

 

 

 飛鷹の絶叫に二人が顔を上げる。そこに突然、艦載機が現れた。

 

 考えている暇はない。二人は一気に飛び退く。秋月への追撃は断念する他なかった。

 回避直後、秋月周辺が激しい爆撃に見舞われる。激しい攻防はしていたが、周囲も警戒していた。何故艦載機に気づけなかったのか。

 

 まだ攻撃は終わらない。

 更に顔無したちが割って入ってくる。

 自爆の射程距離内、今度喰らえば本当に死ぬ。更に距離を取らなければならない。けれども二人はもう動けなかった。

 

「何が!?」

「ってアンタ艤装溶けてるわよ!?」

「そういうミッチーも艤装が燃えてるぴょん!」

「ど、どうすんの!?」

「……詰みでは?」

 

 原因は明らか。背中の艤装が黒い煙を噴き、そこら中から火災が発生し、一部はオーバーロードで溶解。

 自爆から逃れるため水没して、その後臨界作動させたツケが来たのだ。

 

「何でこんな時に! おのれ北上め適当な整備しやがったな!? このポンコツめ!」

「アンタが水没させたからでしょうがこのバカ!」

「言ってる場合かって嫌ぁーダメ間に合わないー!? 死ぬぴょんぬぎゃ―!?」

 

 こんなところでお終いなのか。顔無したちの身体が小さな光球へ収束される。自爆が起きる。満潮は眼をキュッと閉じる。卯月は血走った眼で奥の秋月を睨み付けた。

 だが、卯月たちは助かった。

 突然現れた浮遊感の直後、一気に上空まで持ち上げられた。自爆の爆風が襲い掛かり身体が焼けるが、自爆本体から逃れることに成功した。

 

 何かに持ち上げられているのは分かったが、いったい何が。振り返った卯月が見たのは、急上昇していく『輸送艇』だった。

 

『間一髪かもー!』

「秋津洲かぴょん!?」

『あんまり遅いからここまで来たかも! 遅刻するなんて非常識過ぎるかも、罰金一杯毟ってやるから覚悟するかもー!』

 

 艤装さえ持ち上げる強力なワイヤーに引っ張られ、卯月たちは戦域外まで一気に離脱していく。急激なGで吐きそうになるというか、実際に吐く羽目になった。

 しかし、それをタダで逃がす秋月ではない。

 

「逃がす、もの、ですか……!」

 

 長10センチ砲ちゃんの狙いを定める。あんな大きな的外す訳がない。これで終わりだとトリガーを引くも、砲弾は発射されなかった。このタイミングで漸く秋月は二度目の弾切れを起こしたのである。

 

「撤収ーっ!」

 

 飛鷹たちも一気に撤収していく。追撃されないようスモーク弾を撒き散らす。その大半は顔無し自爆の余波で吹っ飛んだが、その後に飛鷹たちの姿は確認できない。上空の輸送艇は信じがたい挙動を繰り返し、爆撃を回避し切って消えていった。

 

「……はぁ、はぁ、ふふふ」

 

 誘発材ではなく艦娘の武器(砲塔)で抉られたせいで、片目は治癒していない。痛みはまだ続いている。息も絶え絶えだったが、秋月は立ち上がり嘲笑する。

 逃げ切ったと思っているのがとても滑稽だった。ここまでやられたのは屈辱だが、あの逃走は無意味だ。

 既に別働隊が、向こう側で待機しているのだから。

 

「はははは……直接、手を下せなかったのは残念ですが、お終いです」

 

 しかし秋月は、運が悪かった。

 

 色々な意味で悪かった。

 

「ん、雨?」

 

 何やら黄色い液体が身体に付着する。秋月はふと気づいた。さっき輸送艇に引き上げられた時、身体に掛かったGで卯月たちが嘔吐していたことに。

 つまり、この液体は。

 しかも細菌塗れのそれが、剥き出しの眼光にちょっと掛かった。

 

「……いやぁぁぁぁ!?」

 

 D-ABYSS(ディー・アビス)に浸食されていても、その辺の感性は普通と変わらない。秋月の戦略(メンタル)的敗北という形で、今回の戦いは終結した。

 

 

 *

 

 

 秋月は別働隊を配備していた。

 勿論自爆力強化型の『顔無しelite』。それらが連合艦隊で待ち受けていた。海からでも空から逃げても、必ず殺せる布陣──だった。

 

 しかしそこには、もう誰もいない。

 

 あるのは顔無しの残骸だけ。

 死ねば自爆して消滅する筈なのに、そうはならず、無残に抉られ千切られた艤装の破片に肉片が散らばっている。

 その実行犯ももう立ち去っている。

 

 秋月は運が悪かった。

 

 卯月たちが禁足地へ侵入し、機嫌を損ねたのが原因なのか。

 

 黄金の暴風雨は全てを破壊し尽くしていた。




艦隊新聞小話

実際潜水艦以外の艦娘って、海の中に潜れるんでしょうか。あ、いや注水すれば一応潜れますね。沈むって方が正しいですが。
では、潜った艦娘は泳いで浮上できるのでしょうか。卯月さんは『人だから』って理由で泳いでましたが、可能なのでしょうか。
これについては興味深いレポートがありましてね……そのまま抜粋しちゃいます。

M:『いいか、艦娘とは何だ?
付喪神か、それは確かに正しい……だが私はそう思わない。そうだろう?何故軍艦の付喪神だからといって、艤装を背負った女性体である必要がある。ならばなぜこの姿になっているのか。それが艦娘として降霊する時の契約であり、大勢の共通認識だからだ。
即ちそれを上回れば良い。常識を常識だと思わず、自分の考えを当然のものだと考えること、それが重要なんだ』

ぶっちゃけ私には理解できなかったです。つまり意志が重要ってことでしょうかね!


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第114話 悔恨

タイトルの2文字制限撤廃しようかな……もう作者の語彙力が限界でち。


 秋月との戦闘は、結果的に戦略的勝利に終わった。

 空中砲撃というとんでもない隠し玉を出させることもできた。他にも察知できない艦載機や、異常な挙動をする瑞雲を確認した。それ以外にも地形把握、強化された顔無しelite。

 更に秋月に大きなダメージを与えることができた。それだけでも十分な戦果と言えよう。

 

 ただし、仕留めきれなかった当人たちの心境を除けばだが。

 

「んがー! 悔しいぴょん!」

 

 秋津洲の操縦する輸送艇の中、腕を治療を受けながら卯月は不満全開で叫ぶ。あれだけ追い詰めておいて、結局叩き切れなかったことが悔しくて仕方がない。

 

「仕方ないでしょ、あの状況じゃ秋月を倒していても私たちが死んでいたわ」

 

 満潮が助力してくれれば気絶まで持っていける。

 そう思った直後、卯月たちも察知できない艦載機の奇襲を受け、顔無しeliteの追撃もあり、攻撃を断念せざるを得なかった。

 

「んなこた分かってんだぴょん。こんな所で命を張るつもりはさらさらないぴょん」

 

 それに対する文句はない。秋月を殺すために一切の手段は選ばない。卯月の持つ『殺意』は命を捨てることに躊躇しない。

 しかし、今捨てるのは合理的ではない。

 秋月は過程に過ぎない。最終目的はD-ABYSS(ディー・アビス)を作った『敵』の打倒にある。此処で死んだら意味がない。

 不満があるのは、もっと別の所だ。

 

「でもこれで、また秋月の犠牲者が出続けると思うと、頭がおかしくなりそうだぴょん」

「……それは、そうだけど」

「誰も殺されなければ良いんだけど、そう上手い話があるとは思えないぴょん」

 

 あの言動から察するに秋月はかなりの数の艦娘を沈めているだろう。今回卯月たちが倒し切れなかったせいで、更に犠牲者が増える。それを止められなかったことが悔しくて仕方がない。

 満潮も同じ気持ちだった。あそこまでやって倒せないなんて。自分たちに存在価値はあるのか分からなくなってくる。

 

「……意味ないわね、私たち」

「いや意味はあるぴょん」

「は?」

「悔しいけど、最善は尽しているぴょん。出し切るものは出し切ったんだから、恥じる要素は何処にもないぴょん」

 

 教わったことは全部出し切った。連携も不意打ちもやった。それでもダメだったのだから、今回は仕方がなかったのだ。

 故に、他の誰もこの撤退を非難することはできない。()()()()も含めて。この撤退を無意味として捉えることは何人たりとも許されない。虚勢を張ってでもそこは肯定しなければならなかった。

 

「うーちゃんたちの頑張りを、うーちゃんたちが否定してどうすんだぴょん。私たちの『誇り』はどうなるんだぴょん」

「でも敗北じゃない。努力したって結果が出なきゃ意味がないのよ」

「そりゃ結果は全てに優先されるけど、自己否定するトコまで行っちゃダメだぴょん!」

「任務を達成できない艦娘には価値なんてないわ」

 

 何なんだコイツは。卯月のこめかみがピクピク震えだす。わたしはそんなに気に障るようなことを言ったのか。しぶとく自分を無価値と言い張るのは何でなんだ。わざわざ誇りをけなしていく満潮の思考が全くもって理解できず怒りが募る。

 

「いい加減にするぴょん。無価値だのなんだの。うーちゃんプッツンしてやろうか?」

「……勝手にしなさい」

「よし、死ねッて(い゛だ)い!」

 

 殴ってやろうと腕を振り上げた。よりにもよって秋月に破壊された方の腕だった。本気で攻撃された結果筋肉も骨もメチャクチャ。間接に至っては骨が砕け、その一部が皮膚を突き破り複雑骨折となっている。

 激痛に引っ繰り返る卯月。戦闘のアドレナリンが引いた今、卯月は全身の痛みをモロに受ける羽目になっている。良く考えれば最近戦闘直後はシステムの反動で気絶していた。意識のある状態で帰還するのは久々だ。

 

「何やっているんですの、傷口が開いて死にますわよ」

「だってー、満潮がー、クソみたいなこと言うんだぴょーん」

「考え方は人それぞれですわよ」

「ぬぐぐぐ……」

 

 それを言われてしまうと何も言いようがない。これ以上痛むのも嫌だ。腹の虫はあんまり収まってないが、グッと堪えることにする。良く考えたら満潮のことは割とどうでも良いんだし、一々突っかかる必要性は薄い。無駄なことは止めておこう。

 

「これ、そのまま帰投するのかぴょん」

「ええ、でも行きより時間はかかる見込みですので、寝ていた方が良いですわ」

「痛くて寝れないぴょん」

「備え付けの睡眠薬と痛み止めがあったと思いますので、それを持ってきますわ」

「法外なお金は請求しないで欲しいぴょん」

「人を何だとお思いで?」

深海金金棲姫(しんかいかねかねせいき)

「押し入り強盗がお好みで?」

「サーセンぴょん」

 

 これ以上話すと余計に痛みそうだ。満潮と阿呆な論争したって意味はない。熊野が持ってきてくれた薬を痛みに堪えて胃へ流し込むと、卯月は背中を向けて瞼を閉じた。今はまだ痛いがその内眠くなってくるだろう。

 

 

 *

 

 

 出撃の時は深夜に出て早朝到着。6時間ぐらいかかっている。帰りも同じぐらい、夕方離脱したので帰投するのは深夜頃になる。時間は7時ぐらい。まだ時間は掛かる。

 

 疲労のあまり卯月と満潮は寝たまま動かない。加えて卯月は片腕が潰れる重症、無理に起こす必要はない。起きている面子だけで簡単な夕食となった。

 

 もっとも談笑はおろかブリーフィングもできない。こうしている間にも追撃部隊が迫っているかもしれないのだ。残り僅かな偵察機を飛ばして、各々が警戒を維持している。

 

『ふっふふーん、敵さん来ないかなー、偶には二式大艇ちゃんも思いっきり飛びたいだろーし』

「怪我人いるのにそんなことしたら叩くわよ」

『分かってるかも、でも敵さんが来たら実行するかもー!』

 

 むしろ敵襲を望む狂人が一名。しかし秋津洲の言うとおり、本当に追撃部隊が来たら、アクロバティックな飛行もやむを得ない。

 来ない、と思いたいが、そうとも思えない。

 あれだけ悪辣な存在と成った秋月が、別働隊を用意してないとは思えない。挟み撃ちを狙っている可能性は高い。

 

「いつになっても撤退戦は慣れませんわね……」

「否応なしに、背中を向けるしかないんだから、慣れる方がおかしいわよ」

 

 何時の時代も、最も難しいのは撤退戦と言われる。何世紀戦略が進んでも、被害を限界まで減らして逃げることはそれ程困難なことなのだ。

 生きて帰ることについては、どんな部隊にも追従を許さない前科戦線だが、犠牲者が出るときは何時も撤退の時だった。

 

「今回は誰も死なないと、那珂ちゃん嬉しいな」

「そうね……って、那珂大丈夫?」

「だいじょばない」

 

 那珂の目は疲労で混濁して……いなかった。むしろ深海棲艦めいて真っ赤に血走り、瞳孔が限界まで開かれている。客観的に言ってアイドルの目ではない。

 

「夜のライブを寸止めされて、アドレナリンがヤバい」

「寝なさい。索敵はわたしたちでやっておくから」

「ごめんなさーい、那珂ちゃん休憩入りまーす……スピー」

 

 と言って秒で眠りに入る那珂。どんな緊張状態でも即座に眠れるのは優れた兵士だ。もっとも彼女は兵士ではなくアイドルだが。

 

「寝て良かったですわ。本当に良かった」

Giusto(その通りです)ね~」

「アンタたち……気持ちは分かるけど」

 

 那珂が大人しく寝たことに心の底から安堵する二人。言葉に出さないが飛鷹も似たような気持ちだ。この前科戦線でもっとも制御不能になる()()()()彼女だが、寝ている時は流石に暴走しない。このまま朝まで寝ててくれれば良い。

 

「うん、でも安心しないで、那珂が寝ている分索敵の目は減っちゃう、気張るわよ」

Capito(了解です)~、任せてください~」

「当然ですわ」

「よーし、偵察機は飛ばせないから目ん玉開いて頑張るぴょん!」

 

 四人はそれぞれ輸送艇の窓に張り付き外の様子を伺う。偵察機の目だけではなく目視も重要だ。撤退戦で慢心したら絶対に死ぬ、油断してはならない。見えない敵に注意を払い続けるという、異様な緊迫感が機内を覆う。

 

「……って卯月さんなんで起きてるんですか!」

「ぴょん?」

 

 緊迫感は熊野の一声で霧散。その突っ込みにいつの間にか起きていた卯月はキョトンと首を傾げる。

 

「なんでって、寝れないからだぴょん」

「寝なさいって、その片腕見えてないの。骨出てるわよ」

「それが痛すぎて寝れないんだぴょんッ!」

 

 当たり前だろ察しろよと言わんばかりの態度で憤慨する卯月。何せ骨が皮膚を突き破る複雑骨折だ。枕で穏やかに寝れるようなダメージではない。

 だから、それを抑える為に鎮痛剤と睡眠薬を処方したのだ。なのに眠たげな様子もない卯月に熊野は首を傾げた。

 

「お薬はどうしましたの」

「ぜんっぜん効いてないんだぴょん! だから眠くならないし、痛みも治まらないし! 寝たフリも飽きたぴょん……」

「そうですか……まあお薬には効く効かないもありますからね」

 

 根本的には違う生命体だが、人間に近い存在だからだろう。効果の大小こそあれど人間の薬も艦娘には効く。卯月に処方されたのは有効性が十分確認された薬品だ。それでも個人差はある。卯月には効かないレアケースだったということだ。

 

「うーん、どうしても痛みが我慢できないなら、麻酔を注射でブスっとすることもできますが」

「……ここ麻酔置いてあるのかぴょん」

「ええ、使い道は多いので」

 

 例えば入渠が間に合わず、外科手術を強行しなくてはならなくなった時。その際の痛みをマシにする為に使うこともある。もしくは今回のように、飲み薬や塗り薬では手に負えない激痛を抑える時。そして手遅れの時、安楽死を行う時用に。

 

「いや、我慢できるぴょん……注射は嫌だぴょん」

「我慢できずにショック死されても困るので、辛かったら言って下さいまし」

「心配してくれてるって思っておくぴょん……」

 

 痛み故に卯月はかなりのローテーション。秋月を仕留めきれなかったことも絡んでいるのだろう。今更どうにもならない訳だが。

 飛鷹から簡単な夕食として受け取ったブロック型の食糧をモソモソ齧りながら、卯月は死んだ目で周囲の警戒を続けた。

 

 

 *

 

 

 更に時間は進み、深夜と言うべき時間に差し掛かった頃、輸送艇の機内に秋津洲のアナウンスが鳴り響く。

 

『はーいみんなお疲れかもー、二式大抵ちゃん、無事に危険空域を抜けて安全地帯に戻れたかもー』

 

 その声に全員一斉に安堵した。慣れてはいるがずっと緊張状態を維持するのは疲れるのだ。最低限度の警戒心は残しているが、ようやく肩の力を抜くことができる。中でもこういったことに慣れていない卯月は特に疲労が酷い。

 

「ぴょぁぁぁぁ……あっ!?」

 

 気の抜けた声を出しながら床に崩れ落ちる。と同時に腕の痛み。卯月は悶絶した挙句、そのショックをトリガーに『発作』まで起きた。全身を引き千切られ侵される幻に正気を失い、頭を抱えて蹲る。

 

「卯月さん?」

「ぎっ!? あっ、が……う、う……」

「発作ですわね」

 

 熊野も一度これに対応したことがある。自傷行為を抑えるのが優先だ。腕がぐしゃぐしゃなのにそれで暴れたら余計に酷くなる。変な細菌が入る可能性もある。背中に回り込んで四肢を拘束するように、かつ優しく抱きしめる。

 

「卯月さん、大丈夫ですわ、誰も襲ってきませんから」

「……うぅ」

「落ち着いて下さい、ご安心を」

 

 幻聴があるので聞こえているか分からないが、それでも声をかけておいた方が良い筈。熊野はそう信じて耳元で語り掛ける。その甲斐かどうかも分からないが、卯月の震えは少しずつ収まっていく。このまま抱きしめていれば落ち着きそうだ。

 

「……卯月、また、発作?」

「あら満潮さん。起きてしまいましたか?」

「発作起こしてんでしょ……貸しなさいよ……私が面倒見るから……」

「満潮さーん?」

 

 満潮は熊野に割り込むようにして、卯月を背中から抱きしめていく。熊野の言葉が聞こえている様子はない。寝ぼけているのは明らかだった。僅かな卯月の呻き声に反応して、殆ど条件反射で動いていたのだ。

 卯月も卯月で、対応しているのが満潮になった途端、一気に落ち着いていく。発作が収まるのに安堵したのか、満潮は抱きしめたまま二度寝に突入。

 

 自分が面倒見た時と反応が滅茶苦茶違う。

 熊野は若干微妙な気持ちになるも、二人揃って眠る姿を微笑ましく見ていた。その方が良いなら文句を言う理由はない。

 

「これは良い傾向、なのかしらね」

「……それは満潮さんのことですの?」

「熊野、詮索はタブー、暗黙の了解を忘れちゃダメよ」

「ならば今のは失言では?」

「……ま、結構長いこと、満潮ちゃんは見ているからね」

 

 前科戦線において、何をしでかしたか探るのはタブーとされる。しかし正規艦娘の飛鷹は個々人の前科を知っている。

 満潮の前科を思うと、卯月に心を許していそうなことは、飛鷹にとって喜ばしいことだった。

 

 

 

 

「ぎゃあ変態だぴょんッ!」

「ギャッ! 何すんのこのバカ!」

「ゴッペバ!?」

 

 尚、目が覚めた時の卯月のやらかしで、微笑ましい光景は爆散した。




黄金の三本首にはエンカウントせず。運はマイナスだけど悪運に限ってはプラスということでしょうか。


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第115話 愚痴

ありがとう……本当にありがとう。それしか言葉が出ない(春グラを拝みながら)


 深夜零時を回った頃、卯月たちは前科戦線へと帰投した。

 まず卯月や満潮といった重傷の人から入渠、それ以外の人は怪我の度合いに応じて順次入渠、それまでは入浴で残った()()を落としながら順番を待つことに。

 

 卯月は片腕が重傷、全身のあちこちに火傷。満潮も同じく自爆に巻き込まれた際のダメージに、秋月に蹴られたことによる打撲や骨折。それぞれ大破と中破ぐらいの怪我だ。

 

 二人とも駆逐艦なので入渠自体は早く終わるが、かなりの怪我を負ったのも事実。あまり気に留めていないが、熊野や那珂たちは、入渠しながら彼女たちを心配していた。

 

Stai bene(大丈夫)でしょうか~」

「平気ですわ。艦娘ですもの、入渠すれば元通りです」

「そういうproblema(問題)じゃー、ないんですけどねー……特に卯月のspirito(精神)が、ポーラ心配でーす」

 

 身体の怪我は入渠で治るが、心はそうもいかない。ポーラが心配しているのは卯月の精神。かなりショックな光景を至近距離で見ている。全く平気な状態とは考えずらい。

 

「顔無しって子の、自爆のことだよね」

Giusto(そうです)、あれって確か、元々卯月ちゃんのcompagno(仲間)なんでしたっけ」

「みたいだねー」

 

 その証拠はやや曖昧だが、可能性は高い。

 以前卯月は、顔無しの体内に、知っている艦娘の『顔』を見つけている。そこには卯月が普段身に着けている、神提督に貰ったのと同じハチマキが巻かれていた。

 即ち、神鎮守府の艦娘が、顔無しの材料にさせられていることに他ならない。

 

「誰だか知らないけど本当に酷いことするね。お客さんのことなんだと思っているんだろ」

 

 那珂の言うお客さんとは深海棲艦のことである。彼女にとっては敵こそお客さんなのだ。その思考回路は常人には理解し難い。ポーラも熊野も九割九分聞き流した。

 

「でも……本当に、卯月さんの仲間なのですかね」

「へ? どゆこと?」

「神鎮守府の所属艦娘ですが、新人提督にしては多いですけど、そう大勢いる訳ではないんです。せいぜい……50人そこらだった筈」

 

 大本営上層部から直接目をかけられ、鎮守府壊滅という大失態を侵しても除籍とならず、補佐官という立場だが軍属を認めて貰える。それだけの有能な人材が神躍斗だ。その為、鎮守府にいた艦娘もそれなりの数になる。ただし新人は新人、横須賀や呉のような大所帯という訳ではない。

 

「片っ端から顔無しに加工していたら、材料としてはすぐ尽きてしまうのではないでしょうか」

「確かに、量産型兵器にするには、素材が少ないね……って言うか、それしか材料がないのに、自爆特化ってもの変だね」

「数十隻分しかないのに、使い捨て前提の兵器に改造する。妙だと私は思うのですが」

 

 材料が貴重なら、消費しにくい物に加工するのが普通だ。しかし敵はそれをせず、むしろ自爆力を強化するという、斜め上の方向に強化してきている。そんなことが行えるということは、前提が違っているということだ。

 

「じゃあ~、materiale(材料)が、貴重じゃないってことですか?」

「それしか考えられない。貴重でなければ使い捨てて問題ないですから」

「でも、神鎮守府の艦娘しかいないんじゃ」

「それ以外にも、敵は素材(艦娘)を安定して補充する方法があるのではないでしょうか」

 

 顔無しを作っている連中にとって、艦娘は貴重な素材ではないということだ。幾らでも補充できれば、自爆前提の使い捨て兵器にしても問題はない。しかしそうなると入手方法に問題が出る。

 

「待って待って、そんな方法深海棲艦が持ってる訳ないじゃん。建造ドッグがある訳じゃ……ある、まい、し……」

 

 逆に言えば、建造ドッグがあれば艦娘を安定して建造できるのである。嫌なことに気がついた那珂。彼女は笑顔のまま硬直した。

 

「ドッグってー、深海棲艦も運用できたっけー?」

「ムリですわ。あれはある種の術式、深海の領域では動きませんし、深海が動かすこともできません」

 

 深海棲艦は建造ドッグを操作できない。しかし建造ドッグを使わなければ艦娘は安定供給できない。

 だが顔無しは、明らかに安定供給が前提の運用をされている。

 これが意味することはつまり。

 

「こっち側の誰かが艦娘を売ってる!?」

 

 誰かがそうしていれば、建造ドッグを使えなくても艦娘を安定して手に入れることができる。しかしそれは造反行為に他ならない。那珂は芝居がかった仕草で頭を抱えた。

 

「その可能性は高いですわね」

「うわー、信じられなーい! 今時深海ちゃんに下る奴がいるなんてー!」

「損得勘定のできないアホか、狂人のどちらかでしょう」

 

 戦争初期なら兎も角、現在深海棲艦に裏切ろうとする人間はいない。何故か。簡単な話だ。何の得もないからだ。深海棲艦は人類を滅ぼすことしか頭にない。裏切ったところで何れ殺されるのは必須。一時的な安全の保障はある……と言いたいが、その保障も当てにならない。とどのつまり圧倒的にデメリットの方が大きいのだ。

 

Molto(本当に)、何の得があるのでしょうか~」

「……さあ、分かりませんわ。そもそも前提ではありますが、顔無しの素体が神鎮守府の艦娘だったというのも、確証はありませんもの」

「そーいえばそうだね。卯月ちゃんが見たのは、あの一件だけだもんね」

 

 戦艦水鬼戦中に、顔無しの中に知っている顔を一度見かけただけ。全員が彼女の仲間だった証拠はない。現状机上の空論としか言えない。

 ただそれでも、何か内通者がいる可能性は疑うべきだ。卯月にD-ABYSS(ディー・アビス)を組み込んだ何者かの存在もある。誰も裏切っていないなんて、楽観的に考える者はどこにもいなかった。

 

 

 *

 

 

 一方その頃、入渠を終えてドッグから出てきた卯月たちは、ぼんやりした様子で着替えをしていた。単純に眠い。それと疲労。もうベッドまで待てないその辺で寝てしまいたいが、グッと堪えて自室までフラフラと向かう。

 

「眠い眠い眠い眠いぴょーん」

「あっそう……」

「突っ込みが来ないぴょん……眠いのかぴょん」

「見りゃ分かるでしょこのド腐れ女……」

 

 いつもの悪口にもキレがない。幾ら入渠してもこういった疲労までは回復しない。凄まじい激戦に心身ともに疲れ切っていた。その証拠か卯月がフラッとよろめき、倒れかける。咄嗟に反応した満潮が彼女を支えた。

 

「……ぴょっ」

「てちょっと、倒れないでよ」

「すまんぴょん……本当に疲れました」

 

 満潮は帰投中仮眠をとっていたからマシだが、激痛で寝れなかった卯月は特に疲労が酷い。真っ赤に染まった顔のマークがこれでもかと浮かんでいるだろう。実際意識を保つだけで精一杯だ。

 このまま転ばれても面倒だと、満潮はそのまま、卯月を支えながら歩き出す。

 酷い屈辱だと卯月は思ったが、振り解く力も気力もない。成すがままにもたれかかり、おぼつかない足取りで自室へ辿り着く。

 

「あ、もうダメお休みなさ」

「ダメ歯磨きしなさい」

「むりぃ、満潮磨いてぴょぉん」

「分かったわ口開けて、喉に歯ブラシ突き刺すから」

「あ゛ー」

 

 死んでしまうので卯月は自力で立ち上がり、さっさと歯磨きを済ませる。心なしか片手がまだ痛い気がする。幻肢痛擬きだろうか。最低限度の適当な歯磨きを終わらせ、寝間着姿にさえならずベッドへ文字通り倒れ込んだ。

 尚前科戦線のベッドはかなり固い。重力に任せて突っ込んだので結構な痛みが卯月を襲うが、もうそんなの気にする余力もない。

 

「なんだってこんなボロボロにぃ」

「アンタがD-ABYSS(ディー・アビス)起動できなかったからでしょうが。あそこでできてれば、倒せたかもしれないのに」

「できたぴょん……うーちゃんは間違いなくできたぴょん」

「どこがよ。アンタバカなの」

 

 しかし、実際解放できていれば秋月を倒せた見込みは高い。

 撃破できれば儲けもの、あくまでメインは海域調査……だったが、それでも悔しいものは悔しい。水鬼戦後、艤装回収、これで通算三回目近くだが、それでもまだ仕留めきれないことへの苛立ちは強かった。

 

「実際、解放できたと思ったんだけどぴょん」

「そんな気になるなら、飛鷹さんに聞けば良いじゃない。システムの起動を探知する機械持ってきてるでしょ」

「……そんなのあったかぴょん?」

「起動して暴走した時の為に不知火が前持ってたじゃない忘れるんじゃないわよこのバカ」

「バカバカやかましいぴょん」

 

 その機械の存在をすっかり忘れていた卯月。

 依然として、システムにより洗脳・暴走するリスクは抱え込んでいる。いざという時力づくで止めるためにも、探知機を持っているのが普通だ。

 後で飛鷹さんに聞いてみよう。卯月はそう思いながら布団を頭から被る。

 

「勝てるのかな、こんなんで」

 

 我慢していた言葉が出てしまった。こんな弱気な発言何の意味もないと分かっている。けど、つい漏れてしまった。

 

「……何言ってんのアンタ」

「うっかり出ちゃったぴょん。うーちゃんらしくもない発言ぴょん」

「全くね、そんな下らない単語が出てくるなんて。明日は槍でも降るのかしら」

 

 満潮の暴言もあまり気にならない。流石に三回連続で実質負けたことは、卯月のプライドを大きく傷つけている。

 当然頭では分かっている。そう簡単に勝てる相手ではない。ましてやわたしは睦月型でも最弱の『卯月』。あんな化け物に勝とうと考えること自体、凄まじい無茶だということは。

 

 しかし卯月は、そういった気持ちを戦場では完全に押し隠している。

 自覚していない訳ではない。

 ただ、そんな感情は戦場では邪魔。非効率的。故に『殺意』の元、それで情動が乱されないように割り切って動いている。

 

 その反動として、戦場から帰ってきて『殺意』が収まると、人一倍不安を感じるようになってしまう。それでも元々のプライドの高さ故に、中々態度に現れなかったが、三回も負けたのを契機に出てきてしまったのだ。

 

「あんな化物相手に、完全勝利できる自信がある奴なんて、ごく一部の『天災』しかいないわよ」

「『天才』ならうーちゃんそうだけど」

「『天才』じゃなくて『天災』よ……ああもう別に良いわ」

 

 どちらにしても卯月は絶対天才じゃないのは確かである。この状態でこの自信。どっから湧いてくるのか。

 

「……そういう人、ミッチー知ってるのかぴょん?」

「知る訳ないでしょそんな人」

「うーちゃんは嘘が嫌いなんだけど、お忘れかぴょん?」

「じゃあノーコメント。はい終わり。良いわね」

「アッハイ」

 

『天災』とは、ある艦娘を意味している。

 彼女ならば秋月如き何の問題もなく倒せるだろう。砲撃も雷撃も空爆も一切合切を必要とせず、ジャブの一突きで海域諸共爆発四散できるだろう。

 だが絶対に協力して貰いたくない。アイツには二度と会いたくない。変に興味を誘うこと言うんじゃなかった。満潮は無理矢理その会話を切り上げた。

 

「はぁ、参ったぴょん。こんな気持ちは始めてだぴょん……D-ABYSS(ディー・アビス)も起動できないし」

「……アンタ黙ることできないの? 寝れないんだけど」

「人の悩みに文句しか言えないなんて。何て心の狭い艦娘だっぴょん。およよよ、うーちゃん不幸だぴょん」

 

 はぁ、と満潮は一層大きなため息を吐いた。

 

「分かりきったことを何度もグチグチ言わないでちょうだい。答え何てとっくに出てるじゃないの」

「知ってるぴょん。不安でも恐くても、秋月に地獄を見せなきゃ気が済まないんだから……()()()()()()ことぐらい。敵は全員殺して、仇討ちを遂げるって決めたんだから、迷う理由はない。自覚できてるぴょん」

 

 最初からそうだ。仲間を殺したのみならず、洗脳されて、誇りを侮辱された。そのことが絶対に許せないから、真相を知った後も前科戦線で戦うことを選んだ。今も思い出すだけで気が狂いそうになる。敵を全員殺しても消えない傷を負わされた。

 どんなに気持ちが揺らごうが、敵は、全て殺す。どんなに時間がかかっても殺し尽すと決めた。だから迷いは無駄なのだ。

 

「ならなんで愚痴言うのよ」

「え、スッキリしたいからだけど?」

 

 まるで爆雷を投げる動作のように投擲される時計が、卯月のおでこを貫いた。

 

「ヒギィ!」

 

 更に時計の角が直撃。痛みに悶絶する卯月はベッドから転げ落ち、落下の痛みにのたうち回る。

 

「死んでしまえばいいわこんなボケナス。お休み」

「あががが、ち、血が出ているぴょん」

「唾でも付けときなさい」

 

 ヒンヒン言いながら絆創膏を取り出す。泣いても満潮はもう反応しない。ガチで返事をしないつもりのようだ。これしきのことで怒り過ぎだ、心の狭い奴。卯月は心の中でそう罵りながら、ボソッと小声で呟く。

 

「ありがと、お蔭さまで少しスッキリしたぴょん」

 

 話すだけでも気持ちは違ってくるものだ。こういった感情は溜め込み過ぎてはいけない。最後は怒ってしまったけど、真面目に聞いてくれた満潮にお礼だけは言っておく。

 そうしておでこに絆創膏を張ってから、卯月も同じように眠りにつく。疲労のせいだろう、数秒も待たずに夢へと落ちていった。



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第116話 未作動ではなく

前も言ったんですが、もう作者の語彙力が限界なので、二文字制限を撤廃していこうと思います。


 秋月との戦いがあった翌日、お昼ぐらいになって卯月は漸く目を覚ました。若干寝すぎた気もするがまあいい。入渠した上でたっぷり寝たおかげで、疲れはすっかりとれた。軽くなった身体を動かして、卯月はまた布団に入った。

 

「さあ二度寝の時間だぴょん」

「許すか」

「あ痛たっ!?」

 

 布団ごと引っ繰り返されて床に叩き付けられる卯月。おでこをさすりながら満潮を睨み付ける。

 

「ぷー、何すんだぴょん」

「何時だと思ってんの、散々な戦いの翌日だからって、二度寝はないでしょうが」

「ダラダラ気だるさが残るぐらい寝るのが二度寝の醍醐味だぴょん」

「よーしそこにいなさい、今永眠させてあげ」

「おはようございます、良い朝だぴょん!」

 

 真上を向いて輝く太陽に向かって挨拶する卯月。満潮は呆れてかける言葉もない。

 いつになれば起きるのか。発作に備える必要があるので碌に部屋も出れず自主練もできなかった。食事も全部この部屋だ。やっと起きたと思ったら二度目。いい加減にしてほしい。

 

 そんな満潮の気持ちを考える筈もない。さっさと着替えた卯月はお腹が空いたと訴え食堂へ向かう。

 対して腹も減っていないが、付き合わざるをえない。多分な不満を抱えながら満潮も食堂へ向かった。

 

「おはようだっぴょん!」

「はいこんにちはうーちゃん、お昼できてるわよ」

「ひょぉ、流石は飛鷹さんだぴょん!」

 

 さぁご飯タイムだ。適当な席に座ると、飛鷹がプレートを置いてくれた。

 ただし、何故か『ガチャン』と凄い大きな音が鳴るぐらい勢いよく。なんか威圧感がある。

 卯月はそっと顔を上げる。飛鷹は笑顔だが若干こめかみがピクピクしていた。

 

「私も昨日出撃だったけどキッチリ人数分の朝食用意したわ、昼ごはんもね。流石でしょ、うーちゃんどう思う?」

「ひょっとしなくても怒っていらっしゃる?」

「うふふ」

 

 飛鷹は何も言わない。ただ微笑んでいるだけ。卯月は首元に鎌を添えられているような恐怖を覚えた。

 

「ごめんなさいだっぴょん」

「寝坊するなとまで言わないけど、朝ごはんの時間ぐらいには起きて欲しいわ。せっかく温めて用意してるんだから」

「ぴょえん」

 

 丹精込めて作ってくれたご飯が冷めるのは確かに勿体ないし、作ってくれた人に失礼だ。卯月は自らの行いを反省した。

 反省したのでもう食べても問題あるまい。卯月は『いただきます』と言うと間髪入れずに食べ始めた。

 

「こいつ反省とかしてないわよ絶対」

ふぉんなふぉとふぁいふぉん(そんなことないぴょん)

「呑みこんでから話しなさよ!」

「ダメだわコレ」

 

 苦笑いする飛鷹。

 ハテ私は何かしたのだろうか。ちゃんと反省したし何も変なことはしていない。じゃあ気のせいだな。卯月は再び昼食を胃の中へ流し込んでいく。

 散々酷使して、かつ睡眠をとったせいで全身が栄養不足だ。

 食欲が止まらない──が、食べ過ぎまい。前の悲劇を繰り返してはならないのだ。

 

 満腹になった時点でそれ以上のお代わりを止め、残った漬物をポリポリ齧りながら緑茶を啜る。

 

「うひゃー、やっぱり日本人は緑茶だぴょん」

「それは、まあ、同意するけど」

「よし砂糖を入れよう」

「何でよ!」

「あら、海外では緑茶にもお砂糖を入れるって言うけど」

「本当なのそれ、飛鷹さん騙されてんじゃないの……?」

 

 本当である。緑茶は海外の人にとっては渋いため、砂糖を入れてそれを和らげることがあるのである。

 

「保守的なお頭だぴょん、そんなんじゃ錆びてっちゃうぴょん。いやでもそのツインフレンチクルーラーは先鋭的か……?」

「そう言ってたって金剛さんにも言っといてあげる。古ぼけた屑鉄ツインフレンチクルーラーって」

「やめてください死んでしまいます」

 

 と他愛のない雑談をしている最中、卯月は一番聞かないといけないことを思い出す。そもそもこれを聞くために食堂へ来たようなものなんだから。ゴホンと咳払いして、真面目な空気にして話題を切り出す。

 

「あのね飛鷹さん。ちょっと聞きたいんだけど」

「どうしたのうーちゃん」

D-ABYSS(ディー・アビス)、あの時、作動してたか、分かるかぴょん?」

 

 少し意外な質問だったのだろうか。飛鷹は眼を丸くして固まる。そして目を伏せたあと、一言を端的に告げた。

 

「作動していたわ。間違いなくね」

「そっか、良かったぴょん!」

「逆にあの時、何か自覚はあったの? なんか掛け声的に作動条件を分かっていたような雰囲気だったけど」

「あ、うん。うーちゃんあの時、溜め込んだ怒りをドバーっと解放したんだぴょん。それで解放されると思ったから」

 

 逆に、作動して良かったと卯月は胸を撫で下ろす。あれだけドヤ顔で『解放っ!』と言っておいて、作動していなかったら色々とカッコ悪すぎる。

 これで一つ答えが出た。

 D-ABYSS(ディー・アビス)の解放条件は『怒り』だ。

 理性を打ち壊す程強い憤怒、それがトリガーになっているということ。それで間違いなさそうだ。

 

「ふふふー、これでいよいよ、このスーパーモードを使いこなせるようになるぴょん」

「でも全然こいつ強化されてなかったわよ」

「そうね、それが謎なのよ」

「もしや話を聞いていない?」

 

 無論誰も聞いていない。卯月の妄言に付きあっている程暇ではない。

 

 しかし実際謎ではある。

 飛鷹の持っていた計測器は、確かにシステムの作動を検知していた。だが誰が見てもシステムによる強化はされていない。卯月の動きは平時のままだった。作動しているのに効力を発揮していないという矛盾があった。

 

「立て続けに悪いけど、何か変わった感覚とかなかった?」

「ええ……分かんないぴょん。あれかな、いつもより音が良く聞こえた感じはあるけど、単に集中力が高まってただけかもしれないし」

「音、ね」

 

 優れた聴覚を卯月は持っているが、あの時はいつも以上に良く聞き分けることができた気がする。ただしその程度。気のせいかもしれない。調子が良かっただけかもしれない。システム解放との因果関係までは導き出せない。

 

「それ以外には、なさそうね」

「なんかゴメンだぴょん」

「全くよ、あれだけ調子に乗って『解放っ!』とか言ってたのにこのザマだもの。ふざけるのもいい加減にしてほしいわ」

「貴様、良くも一番言われたくないところを!」

「何よ、事実じゃない!」

 

 二人揃って頬を引っ張り合う。どうしてこいつはこう癪に障ることばかり言うのか。いっそ死んでくれないか。二人は同じことを思った。

 

「本当に仲が良いわね」

「「どこがだ!」」

「ふー、そろそろお終い、メッ」

 

 そこそこの所で喧嘩を(物理的)に諫められる。二人は頭にたんこぶを作った状態で、残ったお茶を啜った。

 結局、この辺りの謎は北上に一任するしかない。今こうしている間にも艤装のデータを漁り、ブラックボックスの解析をしてくれている。

 少しでも良い情報が得られれば良いな。卯月は北上に期待を寄せていた。

 

 

 *

 

 

 丁度、北上のことを考えていたからだろうか。二人は基地内通信で工廠へ呼ばれる。急ぎ足でそっちへ行ってみると、卯月の艤装の前に座り込む北上が二人を待っていた。座っているといっても、工廠の天井からぶら下がるクレーンに座っている訳だが。

 

「おー二人とも来たかー」

「なんか用事って聞いたけど何だぴょん」

「私まで来る必要あったの?」

「……保護者枠?」

「ふざけないで吐きそうになる」

 

 なんてことを言うんだ満潮は。隣の卯月は目一杯睨み付ける。満潮はまったく気にしていない。

 

「用事はあるけどさ、ま、秋月との戦いお疲れさまー、かなり大変だったみたいだねぇ」

「かなりじゃ済まないわよ、とんでもない強さだったわ」

「完全に化け物の類だぴょん、満潮といい勝負でモンスターだったぴょん」

 

 ドゴッと鈍い音が鳴る。

 垂直に地面に突き刺さる卯月を放置して会話は進む。

 秋月の戦闘力は狂っていた。高速砲撃はまだしも、空を飛ぶとかもう軍艦の括りさえ超えている。あんなのどう勝てば良いのか。

 真の『化け物』を知っているお蔭で、満潮は絶望こそしなかったが、頭を抱える羽目になるのは変わらない。

 

「それでも生きて帰ってこれたんなら上々さ、後がない訳でもあるまいし……相変わらず卯月は無茶をしたみたいだけど」

「ああ……片腕がミンチだったわ」

「前よりマシだと喜ぶべきなのかなー、分からん」

 

 殺意に引っ張られて、自分の身を顧みないのを北上は心配していた。

 全身の穴という穴から血を噴出して、骨も筋肉も内蔵もぐっちゃぐちゃ。応急処置をしなければ直ぐにでも死ぬ。前回の出撃ではそうなった。今回は片腕が木端微塵に潰れただけ。

 改善していると言えばしている。

 しかし、そもそも砲塔を突き刺して痛めつけようとしなければ、ああはならなかった。現場にいない以上断定できないが、もう少し良くなって欲しい。未だに心配で仕方がない。

 

「魚雷……は切れてたし、そもそも起爆したら秋月の頭部が爆発するし。あそこで突き刺せるのは代えの砲塔しかなかったって思うわ」

「やっぱりそっか。でもやっぱ、あとちょっと引き際を弁えてくれれば良いのに」

「北上さん、あんなの良くそこまで心配できるわね」

 

 満潮的には北上が何故ここまで気を遣うのかいまいち理解ができない。いや、理由については察しはついている。

 今現在、藤提督の元にいて、その時にお世話になった彼女だ。彼女もまた自分を顧みない戦い方をしていた。北上は大井と似た戦闘をする卯月が心配なのだ。

 

「大井さん、いったい何があったの?」

「そりゃノーコメントだよ満潮。アンタだってそうでしょ?」

「……そうね、悪かったわ」

 

 聞かれたくないことがあるのは満潮も同じ。この話題は早々触れないことに決めた。

 

「まー、でも結局、卯月がもっと強くなる他ないんだけどねー」

「そうね。弱い奴は何もできないものね。そこのソレみたいに」

「さっきから好き放題! いい加減にするぴょん!」

 

 埋まっていた地面から顔を出して卯月は憤慨する。

 もう少し安全に戦えだの、もっと強くなれだの、必死に頑張ったのに酷い言い草だ。卯月は腕を組み、頬を膨らませてプリプリと怒る。

 

「でもそうでしょ。もっと強ければ、身体を張る必要性はなくなってくるんだから」

「身も蓋もないこと言うなぴょん」

「それに、もっと回避特化にならないとヤバいんじゃない。わたしはそう思うよ」

「どゆことぴょん?」

 

 確かに片腕が死んだりと、身を削る戦い方をしているが、一応どうにかなっている。何故更に攻撃を捨ててまで、回避に専念しなければならないのか。

 北上の回答は完結で、もっともなものだった。

 

駆逐艦(秋月)でアレだよ?」

「うん」

「もし戦艦クラスのD-ABYSS(ディー・アビス)艦娘がいたら、どんな威力になると思う?」

 

 卯月はちょっと顔を上げて考える。

 秋月の時点で直撃=即死の次元である。これが元々の威力が高い戦艦だったら。

 掠っただけ。否至近弾で破片が当たっただけ。否、近くを通った際の風圧だけで全身がミンチになるのではなかろうか。

 兎肉のネギトロと化す自らの姿がありありと想像できる。掠めるぐらいならまだどうにかなる──のは、今の内の可能性は高い。

 

「うん、頑張るぴょん。そんな死に方嫌だぴょん。うーちゃんはお布団で大往生を迎えると決めているのだぴょん」

「艦娘って寿命ないわよ」

「先のことは分からんぴょん」

 

 どっちにしたって、そんなグロテクスな死骸になるのはゴメン被る。まだ安全な今の内に、本当に一発も当たらないような立ち回りを意識しなければ、この先ダメかもしれない。本格的な危機感を抱いた卯月は、珍しく真面目にそう決意した。

 

「なら良かった、回避力アップってことは、筋力と体力向上だからねぇ」

「また筋トレと走り込みかぴょん」

「いんや、もっと普段から恒常的に鍛えられる奴を作ったからさ」

 

 北上が手を動かすと、クレーンに乗せられて何かが運ばれてくる。それを手に取り広げる。彼女が持ってきたのは服だった。

 

「黒い、全身タイツ?」

「これ渡したかったのが呼んだ理由の一つなの。いやー泣き叫んでも着せるつもりだったけどね、どうせならやる気ある方が嬉しいじゃん。その気になってくれて良かったよ」

「あの、回避特化頑張るとは言ったけど、それ着るとは」

「おお、直ぐにでも着たいって? よし此処で着替えて良いよー、男の目なんてないからさー」

「はぁ」

 

 気の抜けた声を出しながら卯月はそれを受け取る。

 

「はぐぁっ!?」

 

 瞬間、それを持った手が地面に減り込んだ。

 

「なっ、お、重!?」

 

 重い。余りにも重すぎる。

 油断していたのもあるが、力を入れなければとても持ち上げることができない程、とんでもなく重い全身タイツだ。

 というか、手触りが布じゃない。

 

「これって鉄!? 金属の触感だぴょん!?」

「そりゃ繊維一本一本が針金だからねー」

「鎖かたびらじゃねぇか!」

 

 バシーンと卯月はそれを地面に叩き付けた。そして北上を見て突っ込む。

 

「え? 着るのコレを?」

 

 北上はニッコリして頷いた。つまりはそういうことであった。色々言いたいことはあるが――卯月は思う。

 こいつ思った以上に脳味噌筋肉だ。

 今日こそ死ぬかもしれない。

 そう察しながら服を脱がされる卯月へ、満潮は合掌したのであった。




亀仙人の修行で甲羅背負うのあるじゃないですか。でも乙女に甲羅背負わせるのはどうかと思うんです。なので全身黒タイツにしてあげました。金属アレルギーとかは妖精さんの謎技術でどうにかしたってことで。


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第117話 伝説の金色

 もっと鍛えて上げると言われて受け取った全身タイツ。それは繊維一本一本が針金で出来ているという頭のおかしい代物であった。

 ぶっちゃけ着たくない。しかし貰ってしまったし、強くなりたいと意思表示をしちゃった以上着る他ない。

 

 で、そんな物を着てしまった卯月は死にかけていた。

 

「あががががが!」

「ちょっと大丈夫なのアンタ!?」

「足が、ひ膝が砕けりゅぅぅぅ!」

 

 生まれたての小鹿のようにプルプル震える卯月。針金一本の重量は大したことないとしても、それが丁重に編み込まれて全身タイツの大きさにまでなっているのだから、かなりの重さになっている。

 要するに、肩から爪先まで鉄塊を乗せられたのとほぼ同義。卯月は全身の骨が砕けそうになっていた。

 

「短期間で鍛えるには荒療治しかないから頑張れぇ」

「これ訓練じゃない拷問だぴょん!」

「そうとも言う」

「そうとしか言わねぇよ!」

 

 と叫んだのがいけなかったのだろうか。力の入れ加減を間違えてしまい、卯月のひざが砕け散る。地面に倒れ伏す卯月には立ち上がる気力、否、筋肉がない。

 

「もう小鹿じゃなくて芋虫ね」

「ざけんなぴょん! だったら満潮も着てみるぴょん!」

「は? 嫌よ」

「北上さーん!」

 

 訓練しなければならないのは満潮も同じ。しかしこの鎖帷子を着る羽目になっているのは卯月だけ。これはおかしい納得できない。卯月は声を張り上げて抗議する。

 

「いや満潮はアンタより装甲あるし、卯月より練度も上だし、こんな拷m訓練する必要性があるかと言うとね」

「今拷問って言った、拷問って言ったぴょん! あきつ丸じゃあるまいし!」

「あ、編んだのは私だけどこれ考案したのはあきつ丸で合ってるよ」

「蚊トンボめぇぇぇぇ!」

 

 下衆い笑顔でこっちを嘲笑うあきつ丸の幻が間違いなく見えた。これは発作ではない。

 何て物作りやがったあの狂人は。

 あまつ被害者はわたしかよ。

 艤装を背負ってたらD-ABYSS(ディー・アビス)が解放されていたに違いない。それ程までに憤慨する。

 

「とゆーわけで今後はそれを着て生活してね、じゃ」

「用事それで終わりかぴょん!?」

「そうだけど。システムはもうちょっと調査に時間かかるし。それに慣れながら時間潰しといて」

 

 と言い切って『さあ解析解析』と北上は工廠の奥へ潜っていってしまった。取り残された卯月は、呆然と地面に潰れる。

 待っても卯月は動く様子がない。本当に立てなくなっているのではないか。少し不安になった満潮が肩を叩いた。

 

「……で、どうすんのそれ。着るの?」

「着る」

「意外、脱ぐかと思った」

「こんな屈辱を味合わされて、逃げるよーな真似はできないぴょん」

 

 脱ぐのは、『逃げ』になる。

 それは『卯月』の敗北を意味する。

 誰も何も言いやしないだろうが、あきつ丸だけは間違いなくおちょくってくる。あんな奴に誇りを馬鹿にされるなんて認められない。

 

 着こなしてやる。果たしてカッコ良いのか分からないが、この卯月の本気を見せてやる。卯月はこの不条理に立ち向かうと決めた。

 ただ唯一謎なことがある。

 こんなんで、本当に強くなれるのだろうか。筋力は上がるが。

 

「これは、試練だぴょん。あの陰険サイコとんぼ女からの試練だぴょん。あの陰険な面を逆に屈辱に染めてやるぴょん!」

「そう。死なないでね迷惑だから」

「……冗談抜きで確約できないぴょん」

 

 そう言っている今も膝がガクガク言っている。何なら全身が軋んでいる。それもその筈。一件普通の服に見えて、実態は一本一本が針金。

 針金は簡単に曲がるが、力が入れなければ曲がらない。そんなものが数十本束に。

 結果、腕や腰を曲げるのさえ全身全霊。筋肉が持たなければ骨にまで負荷がかかる。ついでに指まで覆うタイプのタイツだから、指先も曲げられない。

 

「……頑張って」

「おう」

 

 最初はいつも通りの悪態をついていた満潮もとうとう同情。真面目に訓練しなかったのが原因の自業自得とは言え、こんな超暴力的訓練を課されるとは。

 でも助けるつもりは一切ない。だって嫌いだし。

 卯月を放置してさっさと自主練に向かう満潮。卯月は這い蹲りながら必死で彼女を追い駆ける。

 尚今日が終わった後、卯月がどうなったかは言うまでも無かった。

 

 

 *

 

 

 その日の晩、高宮中佐と飛鷹は地下室にいた。

 かつて卯月が修復誘発材の訓練を行った、完全防音、防諜の地下シェルターである。飛鷹はわざわざそこへ中佐を呼び出していた。

 普通の話なら執務室で十分。それをしないということは聞かれてはならない話ということ。呼ばれた時点で重要な話だと察した中佐はすぐに地下室へ来た。

 入口は念のため不知火が見張っている。万が一にも備えてある。

 

「ごめんなさい高宮中佐、こんなところに呼んじゃって」

「構わん。それだけ機密性の高い話なのだろう」

「ええ、前科組は勿論、内通者にも漏れちゃいけない、大本営への報告にさえ気を使わなきゃいけないことだから」

 

 しかし、中佐は違和感を覚える。

 防諜を行う理由は概ね内通者に悟られないためだ。大本営にだって裏切り者がいない保証はないから、大本営への報告までD-ABYSS(ディー・アビス)関係は封印している。情報を抜き取られても致命傷にならないように。極限られた、信頼できる一部の人にだけ伝えている。

 

 過激かもしれないが、戦力の絶対数が少ない前科戦線は攻められること自体が死に直結する。ここを護るためなら手段を問わないつもりだ。

 だが飛鷹の言い方だと、大本営全体に報告そのものは上げるつもり。そう聞こえた。中佐はそれを口にする。

 

D-ABYSS(ディー・アビス)関係のことか」

「違うわ、別の件」

「なんだそれは」

「これを見れば分かるわ」

 

 飛鷹が手渡しで数枚の写真を取り出す。ただの地形の写真に見えたが、そこに映っている物に気づくと、途端に中佐は顔を歪めた。

 それは無数に詰みあがった深海棲艦の残骸の山。秋月と戦う前、休憩に立ち寄った小さな群島にあった、大量の凄惨な死体のことだ。

 

「……気取られてはいまいな」

「うーちゃんには気づかれたけど、これが何を意味するかは分かっていない様子だったから大丈夫よ」

 

 誰にも話すなと口止めもしている。卯月はお調子者だが嘘はつかない。だから約束も破らない。約束を破れば嘘になるから。ふざけることが多くてもそういうところはちゃんとしている。

 

「違う。ヤツにだ」

 

 しかし、高宮中佐が気にしているのは、そこではない。一番この情報を知ってはならない人物が、前科戦線にはいる。

 

「勿論。あの子──球磨ちゃんには一切知られていない。安心していいわ」

「本当なんだな?」

「これは幸運だけど、出撃メンバーにいなかったから絶対知らない。それに万一気づいてたら、もう何らかの反応があるでしょ?」

 

 それもそうだ。球磨の過去──即ち前科──を知る高宮中佐は納得した様子で頷く。

 だがそれはそれとして、新たな懸念事項が出てきてしまったことに溜息が出る。システムと裏切り者だけでも大変なのに。つい呟いてしまう。

 

「まさか『三つ首』の根城が、あの海域だったとは……」

 

 中佐もまたその存在を知っていた。

 砲撃、空爆、雷撃を殆ど使用せず、純然たる暴力だけで悉くを滅ぼす存在。同胞でさえも残滅する狂戦士。

 あの死骸の山につけられた、削岩機で削られた跡のような傷跡がその証明。

 

「秋月たちと、三つ首は仲間なのかしら」

「いや、それはない。あれは同胞にさえ牙を突き立てるモンスター。深海もどきの艦娘も敵と見做すだろう……それに」

「それに?」

「あれにそんな知性があるとは思えない。あれにあるのは飢えた本能だけだろう」

 

 とはいえ中佐もそう多くは知らない。大本営のデータや球磨といった、僅か数人しかいない生存者の話から、イメージを作り上げただけ。

 それでも飛鷹は「そうね」と言った。

 彼女も大本営のログまでしか知らないのもあるが、それ以上に、化け物同士が結託してる可能性を否定したかったから。

 

「三つ首については大本営に報告せざるを得ない。あの諸島周辺を進入禁止地帯として指定して貰わなければ犠牲が出る」

「当然、私たちもよね」

「そうだ、大本営から、あの三つ首に対してどんな指示が出ているか知っているだろう」

 

 深海棲艦と会敵した場合は可能な限り撃滅セヨ。大本営の基本方針だ。一隻でも減らしておけば撒き散らされる呪い等を抑えることができる。

 しかし、この三つ首に限っては違う。

 

「遭遇次第即時撤退、無断交戦は即命令違反となり鎮守府解体。提督は懲戒免職……滅茶苦茶だけど……それ程の奴ってことよね」

 

 到底大本営が出して良い命令ではないのだが、こいつに限ってはそれが成立する。

 

「我々は様々な深海棲艦と交戦してきた。そのデータは全て大本営に保管されている。だがただ一隻、討伐記録のない怪物がいる。ただ一隻、たった一隻で、真正面から大本営へと殴り込んできた、全てを滅する者。それが(三つ首)だ」

 

 飛鷹の渡した写真を中佐は懐へ仕舞う。これを信頼できる大本営の上司に渡せば、上手く動いてあそこへの立ち入り禁止命令を出してくれる。あれに関わってはならないのは前科戦線も同じ。

 

「飛鷹、今後の出撃においても、あそこ周辺には決して立ち入るな」

「分かってるわよ、そんな自殺行為しないわ」

「特に球磨には悟られるな。このことを知ったらどう暴走するか見当もつかない。最悪誰かが死ぬことになる」

 

 この時高宮中佐は言葉を一部省略した。誰が誰を殺すのか、そこを言わなかった。お互い前科を分かっているとはいえ言える筈もない。

 球磨が、誰かを殺すかもしれないなんて。

 かくして、三つ首の情報は、極秘裏に大本営へと通達されることになる。

 

 それ以外にも、他の誰かに聞かれてはならない話が幾つもあった。誰も彼も前科持ち。しでかしている連中だらけ。どこまでを教えてどこまでを隠すか。それだけでも高宮中佐たちは大変な労力を強いられるのであった。

 

 

 *

 

 

 北上より金属製黒タイツを渡されてから数日、卯月はどうにかこれを着たまま毎日を過ごすことに成功していた。

 最初の数日こそ全身筋肉痛で歩くことさえできなかったが、人間やろうと思えば慣れるものだ。こんなのに慣れていること自体どうかと思うが。卯月は自らに突っ込みを入れる。

 

 勿論ただ着ているだけではない。これを着ながら普通の訓練をこなすことに意味がある。心底面倒だと思いながらも、満潮と一緒に特訓に勤しむ。

 但し以前よりは真面目な態度だ。秋月に三回も退けられた屈辱をバネに、卯月はやる気を燃やしていた。

 

 そんな訳で、今日は対空襲訓練。艦載機を飛ばせる熊野(軽空母)が付きあってくれることになっている。山盛りの朝ごはんをたっぷり食べて腹を膨らませてから、演習海域に行こうとした時だった。

 

「おーい、ちょっと二人ともー」

「ぬ、球磨さん?」

「何の用?」

「いや、二人に用はないクマ。聞きたいことがあるクマ。ポーラ見てないかクマ?」

「あの酔いどれかぴょん?」

 

 あんな酔いどれにいったい何の用があると言うのだ。卯月は訝しむ。少し頭を捻って記憶を搾り出してから答えた。

 

「知らないぴょん」

「わたしも、あいつに何の用なの」

「ちょっとあいつと一緒に、対秋月戦の練習をする予定だったんだクマ。でもどこにもいないクマ……ってかここ数日いないクマ」

 

 言われてみれば確かに、秋月戦から帰ってきてからポーラの姿を見かけていない。とはいえ相手はポーラだ。酷い二日酔いでずっと部屋に引き籠っている可能性は高い。なので今まで全く気にしていなかった。

 

「飛鷹さんか不知火に聞いたら?」

「その方が良さげだクマ。ありがとクマー」

 

 手を振って去っていく球磨。二人は彼女を見送る。

 

「満潮も知らないかぴょん」

「知らないわよあの酔いどれなんて。吐く時ミスって便器で溺死しているんじゃないの。さっさと特訓行くわよ」

「あり得そうなのが困るぴょん……」

 

 まあ確かにあんなのの生死はどうでもいい。時間も勿体ないので訓練エリアへ行く。工廠で艤装を受け取ってから、海上へと抜錨だ。

 と、思っていた矢先に、出鼻をくじかれることになる。

 

「え、熊野いないよ?」

「なんだって?」

「いやだから、熊野は艤装取りに来てないよ」

 

 北上から驚きの一言。証拠に熊野の艤装は航巡用、軽空母用、どちらも工廠に残されたままだった。わたしたちが先に来過ぎたのかもしれない。そう思って待ってみるも、何時まで立っても熊野は現れない。

 

「……どーするぴょん」

「どうって、空母がいなきゃ空襲の訓練はできないわよ。探すしかないじゃない」

「えー、飛鷹さんか不知火に聞こうぴょん」

 

 先ほど球磨にしたのと同じ提案をして、二人は不知火がいるであろう執務室へ。ノックをして部屋へと入り、予想通りいた彼女へ質問をする。

 結果、返ってきた回答は、完全に想定外のものだった。

 

「熊野なら、一日外出をしています」

 

 即ち熊野は今日一日基地内にはいないのである。演習の約束をしておいたにも関わらずブッチしたのである。

 

「ざけんなあの守銭奴!」

 

 基地内を何往復もする羽目になった満潮の絶叫が執務室へ響いた。




艦隊新聞小話
A氏「何故こんな大リーグ養成ギブスめいた代物を思いついたんですか?」
A氏「亀仙流で甲羅背負って修行する奴あるじゃないですか。でもあれを乙女に背負わせるのはビジュアル的にないと思うんです。そこでこのあきつ丸!レディース用としてこの鋼鉄全身黒タイツを閃いた訳であります! これならパッとみちょっと黒光りしているだけのタイツ。あの見た目ですが着脱にも苦労しない使用となっております。後隠し機能で、首元のチャックを動かすと、より服が締め付けることができまする。最大で全身に50キロ分の圧力に! 人体は思いっ切り締めた風船のようにパァン! 修行用、修行兼ファッション用、更には拷問にも使える一品……ンンンンンンン!あきつ丸自分の才能が恐いで有ります!」
A氏「とのことでした! 理解できませんでした! 誰か助けてください!」


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第118話 誤認

 秋月戦の時厄介だったのが、絶え間なく降り注ぐ空爆である。制空権を完全確保できれば良いのだが、これ以上空母を増やす余力はない。

 飛鷹と熊野、水戦が積めるポーラと球磨。

 彼女たちだけではどうやっても、制空拮抗が限界だった。

 

 そうなれば後はやれることをやる他ない。そんな理由で卯月と満潮は空爆の訓練をしようと思っていた。防空と回避の訓練をすればマシになる。だが、訓練相手をしてくれる予定の熊野はいなかった。

 

「熊野なら、一日外出をしています」

 

 そもそも基地内にいないというオチがついた。約束を反故されたことに卯月はキレた。

 

「つーか、そもそも一日外出なんてできたのかぴょん」

「できます。給料代わりの交換券ありますよね。あれの最上位グレードの商品として設定されています」

「ますます炭鉱券めいてるぴょん……」

 

 勿論有事の時は金があっても許可は下りない。全員外出してて防衛戦力がゼロとかあってはならない。

 今は秋月戦の直後で、すぐには戦闘状態にならないと、不知火と中佐が判断したので許可が下りた。

 それでも緊急事態があった時の為、行き先と連絡先とGPSは必須となっている。

 

「いったいどこ行ってるぴょんあの成金は、ぶってやるぴょん。不知火どこだぴょん」

「個人情報なので回答は拒否します」

「ファッキンだっぴょん!」

 

 当然である。例え前科持ちのクズ集団でも基本的人権は(一応)ある。結局基地を彷徨って疲労しただけ。歩き損。卯月はやり場のないイライラに叫び散らす。

 「ただし」と不知火が言った。

 

「外出の理由は漏洩しても良いと、この不知火は思います」

「へ、なんでよ」

 

 さっき個人情報とか言っておいて何を言うのか。満潮の突っ込みに対して不知火は答える。

 

「約束を反故したのですから、それぐらいはあって良いかと。でなければ不満でしょう」

「さっすが不知火話が分かるぴょん!」

「それで良いの……?」

 

 後ろで執務をしている中佐を見る。彼は一切反応しない。即ち知らぬ存ぜぬを通してくれるという意思表示。

 でもまあ、約束を一方的に破られたんだから良いか、と考える満潮もいたので、それ以上突っ込んだりはしなかった。

 

「今から独り言を話します。熊野さんですが、彼女はある人物の行方を捜しに外出しました」

「……ある人物? それってだムグ」

「卯月独り言って言ったでしょアホ」

 

 独り言に返事をするバカがどこにいるのか。卯月の口を物理的に抑える満潮。

 

「名前は『鈴谷』。彼女がまだ前科持ちでなかった頃、同じ鎮守府に属していた艦娘。熊野さんから見れば一番近しい姉妹艦です。しかし現在は所在不明と()()にはなっています」

 

 話を聞いている二人はふと思った。

 『アレこれ聞いたらヤバい話じゃない?』

 公的、と言っていることは、表ざたにはできない状況下にあるという意味だ。そんなこと知ったらかなり不味いのでは。

 

「おおーっとうーちゃん用事を思い出したぴょん忙しい忙しい」

「奇遇ね私も仕事を思い出したわ」

「そうでした危険な独り言なのでドアロックをかけなければ」

 

 不知火が謎のリモコンをピッと押す。するとなんということか、扉が内側からも開けられなくなってしまった。ドアノブをガチャガチャしてもビクともしない。ちなみに本来は対侵入者用の緊急装置である。

 

「ねぇ満潮危険な独り言って」

「止めて、勘づきたくない」

「続けますね」

 

 既に手遅れである。二人は自分たちの無謀な好奇心を呪った。

 

「今鈴谷は、大本営技術研究局……技研にいるとされています。当然表面上はいませんが、いるのは確かです。熊野さんは外にも多くの部下を持っていますが、彼女についてだけは、自分自身で動かねば気が済まないようです」

 

 鈴谷が姉妹艦、姉妹のことだから他人任せにはできないのだろうか。卯月は以前、同じ姉妹艦の『最上』について熊野と話したことを思い出す。

 秋月と同じD-ABYSS(ディー・アビス)を搭載した艦娘。最上(仮)との激突は不可避だ。

 姉妹同士の戦いは苦しいものだが……決して動揺したり迷わないと、熊野は言っていた。実際相対したらどうなるか分からないけど。

 

「そして、何故今、その鈴谷さんを捜しに行ったのか」

 

 不知火は懐から写真を取り出し、卯月たちの方へ投げる。それをキャッチして写真を見る。画像はかなり荒い上ピントをずれている。

 

「航空機越しに撮った写真かしらね。それも戦闘中っぽいけど」

「ピントなんて調整している暇なかったのかっぴょん」

「でしょうね」

 

 そりゃ戦っている真っ最中にのんきにピント合わせしている暇はない。プロのカメラマンならできるかもしれないけど。

 写真に写っていたのは一人分の人影だった。

 画像が荒く細かい判別はつかないが、おおざっぱな外見的特徴や装備の判別はできる。

 

「なるほど全く分からんぴょん」

 

 尚卯月は艦娘への知識が乏しい(懲罰部隊暮らし&怠慢)せいで、それが誰だか皆目見当もつかない。

 逆に色々な鎮守府に在籍しており、艦娘として暮らした期間も長い満潮はそれが誰なのか気づいた。

 

「この写真は秋月から撤退する寸前に、飛鷹さんが撮影したものです。あの戦闘海域の近くにこいつがいたんです」

「……全然気づかなかったぴょん」

「不意を突いて撮影できたものの、即座に艦載機を落とされてしまったようで。画像の荒さはそれも原因です」

 

 ならこいつが最上(仮)なのか。あの戦闘海域に無関係な奴がいる筈がない。秋月以外に近くにいる敵としたら、もう最上(仮)以外には思い浮かばない。

 

「──待って、おかしいでしょ」

「何がだっぴょん?」

 

 卯月は全く分かっていない。鈍感さに苛立つが無視して話す。

 

「最初の、そう私たちが秋月と戦った時は、瑞雲と甲標的の妨害が入った。今回も瑞雲の妨害があったって聞いた。その二つを使える特性から、秋月以外にも、最上が付近にバックアップとして潜んでいるって話だったじゃない」

 

 そういった話だった。卯月もそう覚えている。しかしこの写真に写っている人物はそれをひっくり返すものだった。

 

「こいつは、最上じゃない」

 

 卯月は知らないが、最上という艦娘は、()()()()()()()の制服を着ており、航空巡洋艦の艤装を装備している。

 しかし写真の人物はその特徴と合致しなかった。

 

「え、最上ってこの写真の、()()()の髪の毛をした奴じゃないの?」

「断じて違う」

「そういうことです、近海に潜んでいた、秋月のサポートをしていたのは最上ではありません」

 

 ()()()の髪の毛で、()()()()()の制服を着こみ、航空巡洋艦の艤装を装備している艦娘だった。

 

 その特徴を持つ艦娘は、現状一隻しかいない。

 

「こいつ『鈴谷』じゃないの!」

「…………ホワイ?」

「だから鈴谷! 最上型の三番艦の鈴谷よコイツは!」

 

 こいつは鈴谷? 

 最上じゃなくて? 

 薄緑の髪の毛は最上じゃなくて鈴谷? 

 秋月のバックにいるのは最上じゃなく鈴谷だって? 

 

「にゅ、そーいえば、最上って予想したのは、不知火だったよね」

「そうですが」

「予想外してんじゃねぇかこのマヌケ!」

 

 これで最上じゃなかったらぶってやる──卯月はその決意を忘れていなかった。決断的に飛び上がり飛び蹴りを叩き込む。黒タイツの重量が乗ったその一撃は、艤装未装備の艦娘ならば一撃で大ダメージだ! 

 

「イヤー!」

 

 しかし視界が暗転。

 

「確かに予想を外したのは、申し訳ないと思っています」

 

 天井に頭から刺さった卯月。不知火は手に付いた汚れを落としながら謝罪した。

 謝罪相手は天井に刺さっているのだが、わたしに言われても。でも突っ込むのも面倒だったので満潮は「ああうんそう」と誤魔化す。

 

「ただ画像が荒く、おおざっぱな特徴しか分からないので、これが『鈴谷』と断定できないのが残念なところです」

「変装……つったってそんなことする意味ある?」

「事前の対策を無駄にできるのであれば、戦略的価値はあるでしょう」

 

 同じ航空巡洋艦にしても、『最上』と『鈴谷』ではかなりの違いがある。二隻とも熊野や球磨のようなコンバート改装ができる艦娘だが、改造先は『特殊改装航空巡洋艦』と『軽空母』と、全く違ってしまう。

 特にD-ABYSS(ディー・アビス)はデタラメに強い。対策を誤っただけで致命傷になりかねない。そういった意味では変装も有効だ。

 

「特に彼女が『鈴谷』だとすると、卯月さんに攻撃を仕掛けた甲標的が誰のものだったのかが分からなくなります」

「そうよね、鈴谷は甲標的運用できないし……」

「別に潜水艦が潜んでいた、という可能性が高いかもしれませんが」

 

 以前の戦闘時は夜だった為、潜水艦を探知できなかった。けど鈴谷以外に甲標的が運用できる艦は限定される。あの時一番いた可能性が高いのは潜水艦である。

 しかし相手は荒唐無稽を地でいくD-ABYSS(ディー・アビス)。秋月が戦艦級の破壊力を持たされているように、搭載能力のない艦に甲標的の運用能力が持たされているかもしれない。

 

「で、話を戻すけど……こいつが最上じゃなくて鈴谷だったから、熊野は外出して行ったってことなのね」

「そうです」

「まさか、熊野は、この鈴谷が熊野の知っている『鈴谷』だって、思ってるのかぴょん?」

「それ以外に、所在を確かめに行く理由があるとお思いで?」

 

 何故離れ離れになったのか、片方は前科持ちへ、片方は技研に行く羽目になったのかは卯月には分からない。

 けど、再会した生き別れの姉妹が、虐殺を喜び侵略に悦楽を感じる深海棲艦そのものに成ってしまっている。

 それは間違いなく、最悪と言って良い。

 

「独り言はここまでです。ああ二人とも空襲の練習相手が欲しいんですね。では不知火から飛鷹さんに言伝しておきますので、演習エリアで待っていてください」

「助かるわ」

「あ、ちょっとミッチー!」

 

 満潮は卯月を引っ張り執務室から退室する。無理矢理連れていかれた卯月は文句を言う。不知火に聞きたいことがまだ合ったからだ。ただ、彼女はそれに対して首を振る。

 

「これ以上はダメよ。この話は私たちが勝手に深入りしちゃダメな話」

「そういうもんかぴょん?」

「アンタね……一言も話してないのに、自分の過去を全部知られてたら、良い気はしないでしょ」

 

 艦娘がそんなこと言うのはちょっとおかしな話だが、それでも満潮はそう考える。ここにいるのは全員何か過去に傷を負った面々ばかり(一部例外あり(アル重))。聞くのさえタブーなのに、勝手に嗅ぎまわるなんて持っての他だ。今回不知火が話したことだって本人に知られたらどうなることか。

 

「いや別に。聞かれて恥ずかしい生き方してないぴょん」

 

 ところが卯月はこの調子。満潮は空いた口が塞がらない。

 

「やらかしてるけどうーちゃんの場合は、敵のせいだからなー。第一艦艇としての史実が知られてんのに、過去過去言うのってナンセンスだぴょん。いや無理くりほじくり返す気はないけど。でも()()()()()()()()()()()()()()()()()()だぴょん」

 

 所詮過去なんぞ個人的感傷に過ぎない。それで本来の目的──人類や仲間たちを護ることだ──がおろそかになったら意味がない。自分から話さなくても良いけど、作戦に支障がでるなら問答無用。過去でもトラウマでも暴きだして、どうにかしなければならない。

 

 だから卯月は、勝手に訓練を放棄した熊野に苛立っていたのである。最も今回の場合は、不知火に事情を聞き、多少気持ちは収まっていた。でも未だに釈然としない感情もあった。

 

「だからって、アンタだって、神鎮守府の虐殺について触れて欲しくはないでしょうが」

「だからあれは敵の作戦だぴょん。うーちゃんは何にも負い目を感じてない、本当、だぴょん……!」

「軽く発作起こしながら言うセリフじゃないわね」

 

 強がりだとは知っている。その証拠に卯月の目の焦点が合わなくなっていた。発作により何らかの幻を見ているのだ。転ばれても面倒なので身体を支える。初期段階で対処できたお蔭で、深刻化する前に発作は落ち着いた。

 

「うーちゃんは、意見は変えないぴょん。個人の意志なんて優先順位は最低。結果を残せなければ艦娘失格だぴょん」

「……洗脳された姉妹とかを前にして、同じことが言えるならね」

「それは分かんないぴょん」

 

 裏切った時の菊月の顔は知っている。もし敵が鈴谷だったのなら、今度は熊野が同じ顔をしなければならないのだ。任務優先。それは理解している。だが辛いことに変わりはない。

 

 満潮もこれ以上、この件について言及するのは控えた。

 意味もない上に罪悪感がある。

 『敵』が最上ではなく鈴谷だと知った時、確かに胸を撫で下ろした。

 仲間だった彼女でなくて良かったと思ってしまった。

 そんなこと思ってしまった自分に嫌気が刺す。 




艦隊新聞小話

 前科戦線では給料の代わりに交換券が使用されています。はい完全に炭鉱券ですね、違法の代物ですね!
 まあそれはさておき。
 この紙幣のデザインですがどうなってると思います?
 なんと高宮中佐の顔が描かれているんですよ! 1円基準で横顔が、10円基準で正面、100で全身。更に1000円になると前科戦線の創設者の顔が書かれていてですね!
 高宮中佐はきっとこれを国中に広めて、『円』を乗っ取るつもりではないかと私は疑っています。
 これは一大事! 早急に広めなくてはnピンポーン
 「どうも青葉さん。波多野曹長です。低俗なフェイクニュース摘発すべし、慈悲はない」
 「アイエエエエ! 憲兵!? 憲兵隊ナンデ!?」

 ……ニュース記事はここで途切れているようだ。


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第119話 三隻目疑惑

わぁいデボルーション参戦だぁ……俺の知らないスコープドッグだとぉ!どうしよ、買おうかな、どうしよ。


 訓練の約束をしていたのにそれをすっぽかしてしまった熊野。しかしそこには深刻かもしれない事情があった。

 秋月の他に潜んでいるD-ABYSS(ディー・アビス)の艦娘。それが最上ではなく鈴谷である可能性の浮上。

 熊野は、その『鈴谷』が自分の知る『鈴谷』と同一でないか確かめるために出かけていたのだ。

 

 そんな事情を知ってしまったので、これ以上責めたてることができなくなってしまった二人。

 ただ卯月はちょっと責めるつもりだ。

 どちらにしても、このままでは訓練ができない。不知火の口添えで飛鷹に手伝って貰うことになった。

 

 この訓練は飛鷹にとっても望ましいものだった。

 敵が最上であれ鈴谷であれ、デタラメな瑞雲を操ることは変わらない。一切の旋回運動なしで前後左右上下に、ドローンめいたモーションをする化け物瑞雲。しかも火力は超一級品。

 

 更には()()()()()艦載機の存在もある。

 何故だか分からないが、襲い掛かってくる寸前にならないと気づけないという奇妙な艦載機。アレにも苦しめられた。

 

 次の戦いでもその化け物艦載機は襲ってくるだろう。卯月たちだけではダメだ。自分自身の練度も上げて、それに対処できるようにしなければならない。

 

 そんな事情があったので元々練習する気だった。そこへ卯月と満潮の申出。渡りに船ということで、喜んで訓練を手伝うことにしたのである。

 

 訓練を続けている間に、二人の練度は確かに上がっていく。さっきまでの動きでは撃ち落とされていく。飛鷹自身も常に制御を意識し、より複雑な、より正確な動きでコントロールするように成長を試みていく。

 

 結果、主に卯月への負担がえげつないことになっていた。

 

 最大の原因は北上に着させられた鎖帷子だ。つま先から指先まで鋼鉄で包まれているせいで、迎撃のため主砲や機銃を上に向けるのさえ、通常の何倍も筋力を使う。

 

 トリガーを引くのも辛い。指先まで包まれているせいで、指の関節にも莫大な負荷がかかる。

 何せ針金だ。

 針金は簡単に曲がるが、力が必要だ。

 少し考えれば分かること。指間接の力だけで針金数十本を曲げようとしたら、どれだけの力が必要か。

 

 同じことが全身の関節にも言える。まるでオイルを一切刺さずにほったらかしにした機械のよう。腕を曲げるにも走るにも、とにかく力を入れなければならない。

 お蔭でここ数日ずっと筋肉痛。ちゃんと入渠してマッサージをしているにも関わらず。負荷が回復力を越えてしまっているのだ。

 

 卯月はこの仕打ちに対して、常に文句を言っていた。そのお口にチャックがかかることはなかったが──でも特訓をボイコットしたり、適当に済ませようとはしなかった。

 

 次で秋月と接触するのも四回目。恨みと言うより、流石にうんざりしてきていた。

 もうあいつの醜悪なニヤケ面を見るのも飽きた。いい加減次でお終いにしたい。だから確実な決着をつけるべく、真面目に訓練に勤しんでいるのである。

 

「でももう嫌だ脱ぎたいこの拘束具!」

「バカ余所見したら!」

「隙あり」

「あー!?」

 

 油断した瞬間飛鷹の艦載機が殺到。嵐が過ぎた後、卯月は全身ペイント塗れとなっていた。

 

「一旦、休憩にしましょうか」

「お願いするぴょん限界だぴょん辛いぴょん苦しいぴょん苦行地獄悪夢で苦行だぴょん」

「黙って訓練できないの?」

「真面目にやると反動が来るんだぴょん」

 

 訓練の過酷さ故にむしろいつもより愚痴が酷い。飛鷹は苦笑いする程度だが、傍でずっと聞いている満潮は心の底からうんざりしていた。しかし訓練自体は珍しく真面目なので、正面切って非難もできず。

 

「一日訓練だから、お弁当持ってきたわ」

「食堂の仕事は良いの」

「今日一日訓練するって不知火に言ってあるから大丈夫。みんなの分のお弁当と晩の下ごしらえもすんでるし」

「流石飛鷹さん仕事ができるぴょん!」

「褒めてもなにもでないわよ」

「使えねぇなテメーデザートの一つでも用意してけってんだっぴょん!」

 

 スッと取りだされた小さな重箱に詰められた甘いオバギ。卯月は深刻な中毒患者の瞳でオハギを凝視した。

 

「何か言うことは?」

「ごめんなちゃい」

「よし満潮全部食べて良いわよ」

「やったわ」

「あああああ!?」

 

 この後ちゃんと謝ってオハギにありついた卯月。その甘さは正に麻薬的。血液にまでアンコが溶けだしそうな甘い恍惚感に卯月は蕩けた顔を晒す。疲れた身体には尚強烈だ。後勿論お弁当も食べた。そっちも美味しかった。

 指先に残ったアンコも残さず舐める。甘い物を食べると疲労が吹っ飛ぶ──と言いたいけど午後も同じ訓練をしないといけないと考えるとげんなりする。

 

 食後の冷たいボトル茶を飲みながら、もう少しだけ休憩時間を堪能する。それでも化粧だのファッションだと、そういった会話とは無縁。結局戦闘関係の会話になってしまうのはなんと言うか。

 

「飛鷹さん、気づけない艦載機とか言ってたけど、それって本当なの?」

「本当よ、わたし自身信じがたいけどね」

「単に死角を突かれてたってだけの話じゃないの。私にはそう思えるけど」

 

 三人分の視界を突くことができるか、と言われれば『不可能ではない』。理論的には実行可能だ。

 しかしそれはとても難しい。

 ただ死角を突くだけじゃダメ。空母の二人は艦載機の視界も持っている。そちらの『目』も掻い潜らなければならない。それだけの視界を完全にすり抜けるのは不可能に限りなく近い。

 だが、敵は実際すり抜けている。

 そうなったらもう本当に、気づけない()()()があるとしか考えれない。

 

「とは言ってもうーちゃんたちはそれ見てないからなー、飛鷹さんを疑う訳じゃないけど」

「……それに襲われたら、私たちなんて一撃で死ぬわ」

「言わなくても分かってるぴょん。だから飛鷹さんと一緒に、そういうタイプの対策も頑張ってるんだっぴょん!」

 

 気づけない艦載機の対策訓練は卯月たちも行っている。あれも瑞雲同様、異常な破壊力を持っている。軽空母の二人でさえ直撃すれば死あるのみ。より装甲の薄い卯月たちが喰らえば結果は明らか。

 幸い飛鷹はとても技量が高い。

 卯月と満潮、二人の視界の穴を潜って艦載機を接近させることで、ステルス艦載機の疑似シミュレーションをすることができた。

 

 直前までどうやっても勘付くこともできない以上、撃ち落とす訓練は碌にできない。それよりもギリギリで気づけた時に対処できるよう、瞬発力や一瞬で照準を合わせるような訓練を並行して行っていた。接近される前に撃ち落とすのが本来の理想だが、気づけないんだから仕方がない。尚、気づけたら意味がないので当然電探はなしだ。

 

「そもそもこんなことしなくても、気づけないカラクリさえ分かれば、どうとでもなるのにって思うぴょん」

「そりゃそうだけど。それができないのよ」

「少し考えれば分かるでしょド低脳」

「分かっているけど言わずにはいられないだけだぴょん。ホント最上、じゃない鈴谷か。鈴谷はどんな艦載機を使ってんだぴょん」

 

 悪態をたれる満潮だが、卯月の気持ちが分からないこともない。

 常識的に考えて、あそこまで気づけないことなんてあり得ない。空気も乱れもあれば、接近に伴う音もある。全部攻撃寸前になって気づくなんて。

 しかし何か原理があるとすれば、それはなんだんだろう。別に技術者でもない満潮には一切分からない。飛鷹も卯月も同じ。

 

「……まさかとは思うんだけど」

「ぴょん?」

「あ、いや、ごめんねなんでもない」

 

 ただ逆に戦士だから気づけることもある。

 

「飛鷹さん言って。うーちゃん嘘は嫌いだけど隠し事も嫌いだから」

 

 ヘラヘラした笑顔が消える。代わりにハイライトの消えた瞳となる。その表情で顔を近づけて卯月は問いかける。異様な圧迫感に飛鷹は唾を呑む。

 

「うーん、証拠はないわよ」

「別にいいぴょん。隠し事が嫌いってだけだから」

「……今回は同意。ただでさえわっけ分かんない敵なんだから、推測でも情報は欲しい。何に気づいたの?」

 

 満潮からまで同意が来てしまった。余計な心配をかけそうだから胸の内に仕舞っておくつもりだったけど、ここまで言われたら仕方がない。推測の情報だけ、暴走はしないだろう。飛鷹はそう信じることに決めた。

 

「あの艦載機、気づけない方を制御しているのは、多分鈴谷じゃないわ」

「え、じゃあヲ級とかその辺ってことかぴょん?」

「いいえ、それでもない」

 

 何故断定できるのか。その答えも飛鷹は続けて説明してくれた。

 

「こんなこと言うのはアレなんだけど……()()()()って言うのかしら。艦載機の飛び方には必ず飛ばす側の癖がで出てくるんだけどね」

「クセ、かっぴょん?」

 

 艦載機を飛ばしているのはAIとかではなく、意思を持っている艦娘(もしくは深海棲艦)だ。特に熟練されればされる程、分かる人には分かる()が現れてくる。自意識が希薄なイロハ級でさえ、飛ばし方は少し違ってくる。

 もっともそれは素人の卯月には分からない話。理解できるのは空母だけ。水偵を飛ばせる艦娘も多少は分かるだろうが、それもできない卯月と満潮にはさっぱりだ。

 

「で、その飛ばし方の()が違って見えたのよ」

「瑞雲とその……気づけない方で?」

「ええ。ああでも、気づけない方は飛ぶとこまともに見れてないから、何となくって話になっちゃうけどね」

 

 存在に気づいてから攻撃されるまでのコンマ数秒しか飛ぶ所を見てない。判断材料としては心もとなかった。

 逆にそれしか見てないのに、違和感に気づける方が凄いではないか? 

 卯月はそう思った。

 

「あんな特殊な艦載機を使うイロハ級や姫級って」

「聞いたことないわよ、長いこと艦娘やっているけど、ただの一度も」

「やっぱり鈴谷なんじゃ。それぞれで、癖が違ってるとか」

「あり得るけど……根本的な話、鈴谷でも最上でも、『瑞雲』と『艦載機』を同時に運用できる筈がないのよね。艦種が違うから」

 

 鈴谷は熊野同様、航空巡洋艦と軽空母のコンバート改装ができる。故に水上爆撃機も艦載機も使用できる。しかし()()にはできない。

 だがあの戦場では、確かに両方が、同時に襲い掛かって来ていた。

 システムにより、同時に使用できるよう強化されている可能性はあるものの、D-ABYSS(ディー・アビス)はあくまで強化装置。艦種の括りを越えるような力は、現在確認できていない。

 

「まさか、()()()?」

 

 同時に飛ばす方法はそれ以外に考えられない。

 秋月、鈴谷(仮)に続いて、三人目のD-ABYSS(ディー・アビス)の眷属がいるかもしれない。

 

「次は、確実に殺しに来るために、三人でくるかもしれないわ」

 

 考えたくもない悪夢に二人は天を仰ぐ。

 

「いや死ぬ、ムリムリ、絶対殺されるっぴょん」

「アンタ、何てこというのバカ」

「バカはお前だぴょん、現実的に何処にどう勝算があるんだぴょん無理ゲーだっぴょん!」

 

 卯月はプライドが高い。だがそれで目を曇らせたりもしない。その上でD-ABYSS(ディー・アビス)が三隻同時にエントリー。勝ち負け以前に生存の可能性がゼロに等しくなる。次がそんな戦いになるかもしれない。クソ極まった未来図に卯月は頭を抱えた。

 

「だから言いたくなかったのよ。こういう空気になるから」

「納得したわ……頭が痛い」

「うーちゃん頭痛で病欠します」

「はい頭痛薬」

「ちくしょう、用意周到だっぴょん!」

 

 実際に軽い頭痛がしてたのでそれを飲んでおく。

 

「その可能性、不知火とか中佐には言ってあるの?」

「当然でしょ」

「有効な対策を立ててくれることに期待するしかなさそうだっぴょん……」

 

 そもそも実在さえ不明な三人目。現れてしまったとしても、打てる手は限られてくる。それを考えるのは中佐たちの仕事。卯月たちが生き残るためには、今やれることをやる他ない。即ち特訓である。

 ここらで秋月を仕留めて、少しでも戦力を削らないとエライことになる。色々な意味でも次が重要な局面になるだろう。

 

「今更言うのも何なんだけど」

「む? どーしたぴょんアバズレ」

「『敵』は、なんでD-ABYSS(ディー・アビス)なんて物を使ってるのかしらねって思ったのよクソガキ」

 

 息をするように罵倒しながら、「確かに」と卯月は思う。

 あれは艦娘の洗脳装置──もしくは強化装置だと予想されている。だがだ、何故そもそも、洗脳なんてする必要があるのだろうか。

 ドロップ艦を捕まえて洗脳してから工作員として送り込むとしても、艤装を調べたら一発でアウトだ。

 

「友軍のフリして接近して、ズドンッ! ってのはどうだぴょん」

「もう私たちにD-ABYSS(ディー・アビス)知られている時点で意味ないじゃない。第一そんなことしなくても、ヲ級とかレ級に適当な変装させれば十分よ。態々システムを詰め込む手間暇をかける意味はないわ」

 

 だとすれば、このシステムは何の為にあるのか。

 

 その答えが出るのはもう少し先のこと──しかし、『真相』が暴き出されるのは、まだまだ遥か先のことなのだ。




ファンネル瑞雲と、ステルス擬き艦載機を操っているのは別人の可能性が浮上しました。軽空母のパワーを同時に振るえる『鈴谷』という可能性もありますが、果たして。


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第120話 秘密裏

刀鍛冶の里を楽しみに生きていこう。


 飛鷹との対空訓練、その途中の会話で浮上してきた三隻目のD-ABYSS(ディー・アビス)艦娘の可能性。

 まだ増えるのか。

 内心そう辟易しつつも、その日の訓練を終わらせた卯月たちは、夕食前にゆっくりと湯船に浸かっていた。

 

「ひょえぇぇえぇん……」

「どういう声よ」

「酷使された筋肉細胞に染み渡るぴょん」

 

 言わずもが例の黒タイツである。あれのせいで全身が悲鳴を上げていた。主砲を持ち上げるのもトリガーを引くのも過酷。あれじゃ大リーグ養成ギブスという名目の拷問衣装、コンパクト鉄の処女(アイアンメイデン)だ。

 尚、ホントに拷問にも使えることは知らない。知らない方が間違いなく幸福である。

 

 と、気が緩んだのがいけなかったのだろう。久し振りの『発作』が突発的に現れた。

 

「あー、あ、あ゛ぁ……う゛う゛ぅ」

「ん、発作ね」

「……いたい、いたいよぉ……やめ、て……」

 

 卯月はかつての仲間に、目玉をほじくり返そうとする幻に襲われていた。欠けた爪が瞼を裏返し、隙間に丁重に入れてくる。

 それを引き剥がそうと目に手をやる。

 現実でそれは、卯月自身が眼球を抉ろうとする行動となっていた。

 

 そんなことをすれば流血沙汰だ。満潮はすっかり慣れた所作で背中から羽交い締めにして、卯月の暴走を抑制する。

 幻でも本人にとっては本物。全力で暴れる。最初は抑えるのに苦労したが、こう何度もやってると慣れてくる。負担が少なく抑え込める形で、卯月を護っていた。

 

「中々大変そうだクマ」

「なによ、見てるなら手伝ってよ」

「下手に突っ込んだら暴発しそうだから遠慮しとくクマ」

 

 と言って隣に球磨が浸かってくる。

 ここまで来たのなら手伝って貰いたい。一々面倒を見るのはめんどくさい。しかし球磨の言う通り、勝手が分かってない奴に乱入されるのも面倒の元。ここまできたら自分一人で抑えた方が楽なのは確かだ。

 

「ところで満潮、ポーラ見なかったかクマ?」

「アル重なら見てないけど。というかこの質問、今朝もしてなかったかしら」

「そういえばそうだった気がするクマ」

 

 間違いなく同じことを聞かれている。同じ質問を繰り返す球磨に訝し気な目線を飛ばす。

 

「まさか、一日探しても見つけられなかったの?」

「一日探してた訳じゃないクマー。そこまで球磨だって暇じゃないクマ。空いた時間にちょこちょこってぐらいだクマ」

「あっそう」

 

 どう探したとかは興味がなかった。あんなアル重がどこで死んでようが割と本気で興味がない。

 しかし、空いた時間のみとはいえ、一日ポーラを探して見つからないとはどういうことだ。前科戦線の基地はそう広い訳ではない。しっかり探せば十分発見できる。

 

 ましてや相手はあのポーラだ。いる場所は酒を飲める場所か酒を戻せる場所に限定される。自室とか食堂とかお手洗いとか。

 

「行きそうな場所は、探してるわよね。それでもいなかったんなら、不知火とかに聞けば良いじゃない」

「聞いたクマ。基地内にいるって言ってたクマ」

「……妙な話ね。まさか脱走したとか」

「ここがそんな作りにだと思っているクマ?」

「ないわね」

 

 前科持ちの連中を閉じ込めておく基地だ。警備は普通の鎮守府より厳重。一切の隙間なく憲兵隊が監視を行っている。脱走しようとしたら絶対に気づかれる。

 

 昔脱走を何度か試みた満潮は、その警備の重厚さを身をもって知っている。

 あんな酔っぱらいでは脱獄不可能だと理解している。

 

「待って。じゃああいつ何処にいんのよ」

「だから聞いてんだクマ。でもその様子じゃ本当に知らなそうだクマ……ちょっと腹立つクマ。訓練ボイコットされたクマ」

「ああうん」

 

 熊野に訓練の約束を反故された満潮。その苛立ちに同感できた。

 

「でもこの狭めの基地で見つからないなんて、本当に脱走してんじゃないの。不知火に言ったのそれ」

「言ったクマ。だけど、『どこに居るかは分かっているので大丈夫です』って返されたクマ」

「そうなると、どうしようもないわね。ご愁傷さま」

 

 根本的な話、ポーラが脱走する奴とは思えない。あれは重度のアル中。故に酒が確実に確保できる場所にしかいない。ここは前科持ちの危険人物を閉じ込めておく場所、街中から離れた場所にあるのは確か。

 酒を手に入れる為に脱走しても、どこに街があるかは不明。というか交換券しかないので購入不可能。

 脱走するメリットが、まるでないのである。

 

「……まさか不知火が嘘を吐いている?」

 

 そうなると、信じがたいがその可能性しか思い当たらない。何かの理由があって、ポーラがこの基地内にいないことを隠匿している。

 

「いや、まさか。ありえないクマ。あんな酔っぱらいにどんな仕事を任せるっていうんだクマ。満潮もそう思うクマ?」

 

 と言いつつ球磨もその可能性を疑っていた。しかし嘘を吐いた。

 もしこの仮説が真実だとしたら、この件について考えるのは不味いことになる。態々隠していることを掘り下げようとしている。その行動は不知火たちにとってかなり不都合な事だ。

 だから球磨は、適当な理由をつけて、この推測を否定した。このことを満潮も察する。

 

「そうだったわね。当たり前のことを見落としてたわ」

「え、そうとはうーちゃん思えないぴょん」

「うわっ、アンタ何時起きたの!?」

「さっきから」

 

 だが空気を一切読まずに卯月が口を挟む。卯月は嘘が大嫌いになっている。不知火たちが虚偽の説明をしたとなれば、見過ごす訳にはいかない。

 これは面倒なことになる。違いない。満潮は嫌そうな顔で身構える。ところが卯月は、やれやれといったジェスチャーを披露する。

 

「なーんて、冗談だっぴょん。うーちゃんは何にも聞いてない。ポーラはこの基地内にいる。間違いないっぴょん」

「……アンタ嘘嫌いだったんじゃないの?」

「え、誰が何時どんな嘘を言ったんだっぴょん?」

 

 嘘は嫌いだ。間違いなく嫌いだ。だが『嘘も方便』という言葉もある。不知火たちが何か企んでいて、嘘を吐く必要があるならば、そこは()()()()()と割り切れる。偽の情報を流した方が、より秋月討伐に繋がるならそれで良い。

 それに今回は卯月自身に直接関係ない。だから尚更良かった。故にそもそもそんな推測聞いていないことにした。

 

「じゃあ何でこの会話に反応したのよ」

「そりゃお前がめんどそーな顔をして、困るのを嘲笑する為だぴょん。他になにが?」

「…………」

 

 改めて言うが今卯月は満潮に背中から抱きしめられている。満潮はその体勢のまま、回していた腕の力を更に高めた。

 

「あががが! さ、鯖折は止めてー!」

「仲が良いことだクマ」

「は!? 冗談でも止めてよ球磨さん! こんな馬鹿のアホのクソゴミ女と仲良いなんて!?」

 

 と興奮したせいで力がグッと入る。『バキッ』という音が卯月の背中から聞こえた――ってか背骨が折れた。

 

「あ」

「メディーック!」

「このまま不運の溺死ってことに」

「できねークマ!」

 

 卯月は直ちに入渠ドッグへ搬送。やらかした満潮と煽った球磨は、不知火に正座の上でお説教を喰らう羽目になったとか。

 しかし実際ポーラは何処へ行ったのか。その疑問は拭えなかった。

 

 が、『まああんなのどうでも良いか』と、次の日には全員忘れていた。

 

 ポーラの扱いはこんな感じなのである。

 

 

 *

 

 

 ポーラの所在とかはどうでも良くなる少し前のこと。

 

 具体的に言えば秋月との交戦から帰投した日の早朝。

 

 卯月たちに続いて熊野たちも入渠ドッグに入ってそこから出た頃。戦闘直後の疲労で誰もが眠りについていた時、あの出撃メンバーで一人だけ起きている者がいた。

 

 それこそが、ポーラであった。

 

 まだ全員が寝ている朝の前科戦線に、彼女の悲鳴が響く。

 

Assonnato(眠い)Assonnato(眠い)Assonnato(眠ーい)!」

「うるさいですポーラさん。皆さんが起きてしまうので小声、または黙って下さい」

「うう~、静かにしま~す……」

 

 ポーラだって帰投直後で疲れている。できるなら今すぐ一杯煽ってから熟睡したい気分だ。でも任務があるからしょうがないと諦めて、瞼を何度も擦り欠伸を乱発しながらも、意識を保ち続けていた。

 

 何故そんなことをしているかと言うと、()()()()()()()()()()()()()()。勿論、艦隊などではない。ポーラ単身で再びあの海域へ突入を仕掛けるのである。不知火もその準備で駆けずり回っていた。

 

「時間がないので念のため確認します。秋月の砲撃性能や反射速度、索敵範囲はこれで間違いありませんね」

「ええ~っと。うん、これで合っていますね~」

「飛鷹さんの見解とも一致。良さそうですね。ありがとうございます」

「ホントに眠いので、寝てきて良いですよね?」

「……作業の邪魔にならない場所でなら」

 

 ()()の説明は既に済んでいる。ポーラ自身へ用事はないから、多少寝てても問題はない。疲れたと愚痴りながら近くの石垣に腰かけて寝始める。抱き枕代わりにワインボトル。ビジュアルがお終いであった。

 うん気にするのが間違っている。

 不知火は今の光景を記憶から消して作業に戻る。今度は彼女の進捗確認だ。その足で向かった先は北上の工廠だ。

 

 工廠内部では、深夜にも関わらず光が灯っておりフル稼働。工廠妖精さんたちもエナジードリンクを飲みながら走り回っている。

 作戦立案から準備まで、一日も猶予がない突貫工事だ。かなり無理をさせている自覚はあるが、勝つためには止むをえない。

 

 でも頑張って貰っているのは変わりない。不知火は一匹の妖精を呼び止めると、小さな──妖精さん基準なら結構大きい──袋を渡す。

 

「皆さんでどうぞ。独り占めはダメですので」

 

 中身を妖精さんが覗き込む。入っていたのは星粒の様な砂糖菓子。金平糖である。受け取った妖精さんは全身を使ったボディランゲージで喜びをアピールし、仲間の元へと走っていった。

 

 可愛い。超可愛い。なんだあの生物愛くるし過ぎる。

 

 そんな小さい存在を眺めている不知火の顔は、絶対人に見せてはいけないそれと化している。

 

「はぁ……」

「なんて顔してんのさ不知火」

「!!!」

 

 上から声をかけた北上に不知火は心臓が飛び出るほどに驚き、その勢いで引っ繰り返ったついでに地面に置いてあったボルトが後頭部に突き刺さった上、痛みで暴れた挙句積まれていた鋼材へダイブし、その雪崩に呑まれた。

 

 さながらカートゥーンめいたネズミにハメられたネコ。もしくはピラゴ○スイッチめいた自爆劇。北上は無言でカメラを回していた。

 

「不知火に何か落ち度でも?」

「いや落ち度しかないじゃんか」

「くっ殺しなさい!」

「別に、不知火がちっちゃいモノが好きだなんて、皆知ってるし」

「殺して……」

 

 超小さい声で懇願する不知火。

 沽券に関わるので絶対に知られてはならない軍事機密だったのに。

 今更、満潮や卯月にまで知られている秘密(公然)を見られたことに、不知火のメンタルはボロボロだった。

 

「って、そんな会話してる場合じゃないでしょ」

「そうでした。進捗はどうですか。遅れは許しませんが」

「えー、ちょっと遅れても良いじゃん。さっきの動画、ばら撒いちゃおっかなー」

「進捗の遅延とは関係ありません。どうぞご自由に」

「ちぇ、冗談だってばー」

 

 公私は完全に分ける仕事人間だ。そうでなければ高宮中佐の秘書艦は務まらない。例え生き恥を晒されたとしても。

 まあその生き恥とは、さっき撮影した動画なのだが。

 冗談はここまで。

 北上は工廠の奥のライトをつけて、調整を行っている()()を見せる。

 

「やっぱ無茶があるよコレ。本来艦娘へ装備させる物じゃないでしょ」

「いえ……作った本人曰く艦娘用装備だそうです」

「どっかのマッドな明石が作ったんだっけ? よくもまあ、こんなゲテモノを……」

 

 呆れ半分、驚愕半分、と言ったところだ。

 北上は結局工作艦ではない。どれだけ努力しても、身に付けられる技術に限界はある。工作艦との差は埋めがたい。

 今更嫉妬する程の情熱は持っていないが、それでもこういう物を見ると、羨ましい気持ちは湧いてくる。こんなゲテモノを作る発想と技術力を持つ艦娘が少し妬ましい。

 

 尚、これを作ったのは藤鎮守府明石ではない。それは言っておく。

 

「本来の規格を越えた違法兵器ですからね。性能は折り紙付きですが……如何せん実用性が死んでいるというか。まあだからこそ、密かに不知火たちの方で回収することができたんですが」

 

 違法兵器の開発だ、持っていたら捕まる。密かに処理できる方法をマッド明石のいる鎮守府の提督は渇望していた。そこへ目をつけて、格安で買い取ったという訳だ。勿論売買の履歴は裏帳簿である。

 

「それを引っ張り出している不知火も大概なんだけどねー」

「必要だからです。秋月撃破の為には、これとポーラさんが必須だと、不知火は考えています」

 

 しかし送り込むのが遅くなれば、その可能性が消えてしまう。一刻も早い準備が必要だ。

 

「ポーラさん、秋津洲さんの準備は概ね完了しています。これを輸送する専用装備もできています。後は」

「はいはい、分かってますよー。艤装との調整作業をもっと巻けば良いんでしょ」

「無茶は承知ですが、夜明けまでには此処を立ちたい。お願いします」

 

 これ以上交戦を重ねれば、こちらの手の内を更に晒すことになる。秋月は次で必ず仕留める必要がある。その為なら手段は問わない。




卯月たちの知らないところで勝手に進む対秋月作戦。内通者がいるからしょうがないね。


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第121話 殺した側

 卯月は基本、秋月に対して憎悪しか抱いていない。

 D-ABYSS(ディー・アビス)に洗脳されたわたしと同じ被害者、という認識こそあれど、それとこれとは話が別。

 敬愛する戦艦水鬼を殺された。どれだけ痛めつけても足りない。殺意のまま戮しても何も後悔はない。

 

 なのに、三回も取り逃がしていることのストレスのせいだろうか。

 

 卯月は久し振りの悪夢に苦しめられていた。

 

 地獄のような光景は変わらない。

 人の死体、艦娘の死体、瓦礫に埋もれて燃える鎮守府。それを実行した血塗れの自分自身と、溺れるような幸福感。

 

 ふと目線を逸らせば、親友だった菊月が絶望した様子で、こちらを睨み付けている。

 

 狂ってしまった親友を止めようと必死なのだろう。健気なことだ。愛おしいとさえ思える。

 

 けれども全部無駄。

 泊地水鬼さまから頂いた力を振るい、一瞬で菊月をバラバラにする。もの言わぬ顔には絶望の表情が張り付いている。

 堪らない。とっても愉しい。

 

「あはっ、あはははは!」

 

 裏切られた絶望、姉妹にそんな思いをさせた事実は、卯月を更に興奮させる。何もかもを踏みにじって蹂躙することは、とても心地よいことだと、卯月は知った。

 

 菊月に留まらず、短い間だったが、一緒に過ごした人たちを片っ端から潰していく。

 裏切られたことへの反応は様々だ。

 怒り、絶望、拒絶──昔の自分だったら罪悪感で狂っていたけど、そんなゴミみたいな感情はもうない。

 

「死ね死ね! みーんなブッ潰れろっぴょん! きゃははは!」

 

 悲鳴のような嬌声がリフレインする。自分であって自分でない幸福感が収まらない。頭がおかしくなる。これは夢なのか、今までのが夢なの。分からない。嫌だ見たくない、止めて、夢なら覚めて。

 

 

 

 

「卯月起きろって言ってのよッ!!」

「あっ……」

「ふぅー、やっと起きたわね、クソガキが」

 

 今までのは悪夢だったのか。しかし、起きたことで正気に戻ってきた心に虐殺の事実が圧し掛かる。

 卯月の精神が一瞬で瓦解する。当然同時に発作も起きる。卯月は幻覚の仲間たちに、すぐさま襲われた。

 

「い、いやぁぁぁぁ!?」

 

 普段なら、『これは幻に過ぎない』と、発作が収まるまでジッとしていられた。だが今回のはかなり酷い。悪夢で憔悴した直後に襲われたせいで、冷静に判断する余裕がない。

 瞬く間に正気を失い、幻に壊されていく。眼球は抉られ、耳が千切られ、全身が焼かれながら串刺しにされて、バラバラに千切られて、痛覚が残ったまま潰されていく。

 

「ヤダ、ヤダヤダヤダ!? 止めて、うあああ!」

「あーもう面倒なヤツ……クソッ、暴れるんじゃないわよ馬鹿卯月。落ち着けって言ってんでしょうが」

「こ、殺さないで……殺さないで……」

 

 悪態を吐きながらも、ここまで酷いのは久々だと満潮も思っていた。だがやることは普段と変わらない。四肢を拘束して、自傷行為に走らないようにしながら、声をかけ続ける。それ以外の方法を満潮は知らない。

 

「大丈夫よ、ここに敵はいない、殺しはしないから。だから安心しなさい。そんでさっさと起きなさい」

「……うう、あ、あぁ」

「……落ち着いたみたいね」

 

 錯乱し切って、自傷行為をする状態は脱出した。まだ幻は続いているが、一段落と言って良い。満潮は拘束を解除して、ゆっくりと背中を摩っていく。そのお蔭で卯月の呼吸は徐々に落ち着いていく。

 もう少し時間が経つと発作は完全に収まる。興奮でゼイゼイ言っているが、呼吸も落ち着いた。

 

「た、助かった、ぴょん」

「水よ、呑みなさい」

「うん……」

 

 渡された水を呑み込む。吐き気がないのは幸いだが、気持ち悪い感じは残っている。

 

 悪夢に魘されて発作に狂わされたせいで、パジャマが汗でびっしょりだった。このまま寝たら冷えて風邪を引いてしまいそうな感じだ。

 

「着替えるか、拭いた方が良さそうね」

「あ、ごめん……じゃあ着替えちゃうぴょん」

「そう。着替えはそっちよ」

 

 別に今日という訳ではない。発作が酷い時に備えてタオルと着替えは毎晩用意してある。とは言え、着替えなければならない程酷いのは稀だ。今回はその稀にあたってしまったのだ。

 

 まだ発作のせいで震えている。身体が上手く動かせない。満潮に手伝って貰いながら替えのパジャマに袖を通す。パリッと乾いた気持ちの良い肌触りがした。最近は黒タイツ(鎖帷子)ばかり着ているから尚のこと気持ちが良い。

 

「うう……痛いぴょん、気持ち悪い……うーちゃんの身体、ちゃんと繋がってるよね……?」

「……大丈夫、不細工な顔以外は全部大丈夫」

「なんて奴ぴょん」

 

 鏡を見る勇気はなかった。自分の目が信用ならない。鏡越しでも幻覚を見るかもしれない。また幻を見たら持たない。

 

「どうする、寝るの。アンタが決めてくれなきゃ私も寝れない」

「……ムリ、すっかり目が覚めちゃったぴょん」

「面倒なクズね死ねば良いのに。しょうがない、何か飲みに行くわよ。暖かいものでも飲めば多少眠くなるわよ」

 

 一々一言多いが迷惑をかけている自覚はあるので黙っておく。まだ一人では足が震えて上手く立てない。満潮に手を引いて貰いながら深夜の基地を歩く。すっかり丑三つ時だ。多分中佐とかも寝てるんじゃないか。

 あんな幻覚を見た後なので、暗闇とか静寂が恐く感じる。卯月は無意識の内に満潮の手を握る。満潮も意識してかせずか、強く握り返してくる。

 そうしていれば食堂までは直ぐだった。

 

 しかし何故か、食堂に明かりが灯っていた。

 

「……誰かいるぴょん」

「わざわざ言わなくても分かるのよ、わたしを馬鹿だと思ってんの」

「うん」

「くたばれ」

 

 と言ってデコピンをおでこにお見舞いする満潮。

「痛い」と訴える卯月を無視して食堂の様子を伺う。こんな時間にいるとは誰なのか。わたしたちと同じように夜寝付けなくなった輩なのだろうか。

 壁の端から顔を覗かせる二人。

 そこにはやはり人が一人いた。背中を向けているからこちらには気づいていない。ゆっくり歩いて接近してもまだ気づかない。

 

「熊野……?」

 

 卯月が声をかけて、やっとその存在に気がつき振り返る。食堂にいた人影の正体は一日外出から帰還した熊野だったのだ。

 

「あら、卯月さんに満潮さん。こんばんわ」

 

 しかし、その様子はどうにもおかしかった。目の隈は酷いし顔色も悪い。テーブルに置いてあるホットミルクはとっくに冷めている。

 普段のような、お金に執着する貪欲な感じはまるで見つけられない。いったいどうしたんだろう。卯月は心配になってきた。

 

「……どうかしましたかお二人とも?」

「アンタ何してんのよ。そんなひっどい顔色で。まるで病人よ」

「……そこまで、酷いですか」

「うん一目で分かるぴょん。深海どものお肌の方が、まだ生気を感じられるっぴょん」

 

 満潮も気づいていたらしい。深海どうこうの下りは余り冗談ではない。深海棲艦の方がまだ生き生きしている。

 二人に直ぐに気づかれてしまう程、顔に出ていると自覚した熊野は、露骨に大きなため息をついて机に突っ伏した。

 何故、こんなことになっているのか。その理由の検討は大体ついている。

 

「アンタ、一日に出かけてたのよね」

「ええ……あ、ごめんなさい。訓練の約束を反故にしてしまって。この埋め合わせはいずれ必ず」

「そんなことはどうでもいいのよ。()()()には会えたの?」

 

 その一言で熊野は『知っている』と理解した。

 

「……ハァー、誰がしゃべったんですの」

「不知火だぴょん。テメーが訓練すっぽかしたからそのペナルティぴょん」

「あー、そういうことですの。釈然としませんが、自業自得ってことですのね。不知火さんめよくも」

 

 悪いのは熊野自身だ。それは自覚しているから強く言いはしないが不愉快だった。前科戦線で過去を漁るのはタブー。あろうことか管理者側がそれを踏み抜いたのだから。いや約束を破ったのはわたしだけど、そこまでしなくても。

 そう逡巡する思考を、卯月が頬をつねって中断させた。

 

「痛いんですけど」

「寝てるかと思ったぴょん」

「寝ていませんわ」

「ならば、どーだったか白状するぴょん。飛鷹さんが観測した鈴谷と、熊野の親友の『鈴谷』はイコールなのかぴょん?」

 

 結構容赦のない卯月の問い掛けを喰らった熊野。彼女は目線を二人から逸らすと、机に突っ伏してしまった。

 突っついても何も話さない。無反応だ。

 卯月と満潮は顔を見合わせる。そして熊野を放置してホットミルクを入れ出した。満潮は紅茶(砂糖ミルクマシマシ)だ。元々これを飲んで一服する為に来たんだからおかしいところは何もない。

 

「はー、甘くて美味しいぴょん。落ち着くぴょん」

「同意するわ……こんな物一々呑まなきゃ落ち着かないってのは、ホント人の身体は難儀ね」

「美味しさが分かるんだから、良いじゃないかっぴょん」

「その人の身体のせいで、アンタだって『発作』を抱え込む羽目になってんじゃない。嫌だとは思わないの」

「むむ……発作は嫌だけど、ご飯は好きぴょん」

 

 これで発作に苦しむのは何度目だろうか。

 絶対に口には出さないし認めないものの、それが卯月の罪悪感から生まれたモノなのは確か。人でなければ、罪悪感がなければ、ここまで苦しむことはなかった。

 しかし、それを放棄したら、ご飯が美味しくなくなる。

 

「味覚を得たことでの対価と思えば、まあ、納得できるぴょん」

「それでも尚食欲が勝つのね……」

「お二人ともよく私を無視したまま会話できますわね。ちょっと酷いですわよ」

 

 ずっと突っ伏したまま黙っていた熊野が漸く口を開いた。

 

「いや触れちゃいけないのかと思って」

「あそこまで突っついといて何を今更言っているんですか」

「じゃあ何で黙ってたのよ」

「そんな雑談するように言える話題じゃありませんの……最上さんが劣るという訳ではありませんが、これから私は『鈴谷』を……戮さなければならないかもしれないんですよ」

 

 卯月と満潮は、ホットミルクの入ったカップをテーブルへ置く。のんきに聞いていられるような話題ではなかった。

 熊野の一言で、『鈴谷』が今どうなっているのか察してしまったからだ。

 

「鈴谷って、大本営の技研にいたって聞いたぴょん」

「ええ、()()()()()

「過去形で言ったわね。じゃあ、今は何処にいるの」

「……不明、でしたわ」

 

 熊野は一日費やして鈴谷の所在について調べていた。彼女自身の繋がりやコネを使い情報を集めた。

 しかし、そこまでやって手に入れた情報は、鈴谷は技研にはいない。

 それだけだった。

 

「何処に行ったのかも分からないの?」

「裏ルートで得た情報ですと、技研から脱走した際に深海棲艦に襲われて、遺体も残らず沈んだとありましたが」

「すっごい嘘っぴょい話ぴょん」

 

 ワザと鈴谷を消したとしか思えない噂話だ。嘘が嫌いな卯月はそれだけで機嫌を悪くする。だが、そんなウソを吐くのには理由がなければならない。

 卯月は、察する。

 内通者がいることを、D-ABYSS(ディー・アビス)としての敵に鈴谷(仮)がいることを。

 何の根拠もない想定だが、妙にしっくりくる気がする。

 

「内通者が、鈴谷が沈むように仕向けて、誰かが回収して……仕込んだってこと?」

「……何の根拠もないじゃない」

「いやうーちゃんも同じこと思ったけど、でも」

「違和感はそんなにありませんの……根拠もないのに、だから余計に、頭が痛くて」

 

 と言って熊野はまた机に突っ伏した。こうなっているのはプレッシャーとかではない。答えが見つからないことへのストレスだ。

 敵が熊野の友人だった『鈴谷』かは分からない。

 唯一分かっているのは、もう技研にはいないという事実のみ。なら彼女はどこに。本当に敵に。それとも沈んだのか。

 漠然と不安だけが積み重なったせいで、こうなっていたのだ。姉妹殺しへの恐怖だけが肥大化していく。

 

「……姉妹を、殺すことに」

 

 卯月はさっきまで見ていた悪夢を思い出していた。以前も視た夢。わたしに裏切られた仲間たちの表情。

 けど、今回の悪夢は、その顔が良く見えた。

 こんな夢を見たのは、熊野に触発されたからなのかもしれない。

 けれどもどう言葉をかければ良いかなんて分からない。何せこっちは裏切った側なのだから。

 

「分かっていますわ、以前言った通り、戦うしかないことは」

「そうするしかないでしょ」

「仰っている通りなんですがね、まさか、此処まで踏ん切りがつかないとは思いませんでしたわ」

「……うーちゃんには分からないぴょん」

 

 裏切られて、これから殺す側の気持ちは分からない。察するなんて嘘だ。気持ちは本人にしか分からない。

 

「熊野も、鈴谷って人の気持ちも、分かんないぴょん」

 

 だから卯月に分かるのは、()()()()()の気持ちだけ。

 

「だから、その……うーちゃんがそこにいたなら」

 

 卯月は自分が分かっている真実だけを口にした。

 

「絶対に止めて欲しいって思う。例え殺されてでも……できれば、親しかった人に殺して貰えたら、嬉しいって思うぴょん」

 

 熊野が目を丸くしてキョトンとする。卯月は自分がだいぶアレなことを言ったことに気づく。

 

「……卯月さん、案外残酷なこと言うんですね」

「だ、だから鈴谷が、そう思っているかは分かんないぴょん……分かることを言っただけだぴょん!」

「ええ、そうです、分かっていますわ」

「ね、寝るぴょん!」

 

 これじゃヤンデレの類じゃないか。わたしはそんなキャラじゃないぞ。

 と混乱しながら自室へダッシュする卯月、それを追い駆ける満潮。

 食堂へ取り残された熊野は、放置された二人分のカップを見る。

 

「これ私が洗わなきゃダメなんですかね」

 

 ハァ、とため息を吐き、熊野は漸く立ち上がることができた。

 

 身内に殺された方が良い。

 

 鈴谷はどう思うだろう。私を前にして何を願うだろう。その答えは──




そろそろ秋月との第三ラウンドに入りたい。


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第122話 残渣

 熊野が帰ってきてから数日間、卯月たちは訓練に勤しんでいた。対空訓練も熊野が戻ってきたことで更に充実。ファンネル瑞雲とステルス艦載機への対策も、疑似的ながらどうにか積み重ねていく。

 

 当然、それだけではない。以前那珂に教えて貰った修復誘発材を用いた絡め手、それを活かす為の連携もより習熟させる。

 砲撃や雷撃、体力訓練、大井に貰った教本を参考にしつつ、できるトレーニングは全て行った。

 

 加えて卯月は、それらを黒タイツ(鎖帷子)を着ながら行った。動くのも重い。関節を曲げるのも重い。指先を曲げるのさえ重い。という大リーグ養成ギブスめいた拷問器具を着用しながら毎日過ごしていたお蔭で、今まで以上に体力が向上していた。

 

 もっとも毎日が忙しいせいで、自身がどの程度成長したか感じる暇は生憎ない。成長している感覚はあれど、実感は湧かなかった。

 まあ大丈夫だろう、多分! 

 そう楽観的に考えて、地獄を耐え抜くこと数日間。ある日卯月たちは北上に呼び出された。

 

「お邪魔しまーすだぴょーん!」

「あいよー、待ってたよー」

「アンタが呼ぶってことは、艤装のことについて何か分かったの?」

 

 急かすように問い詰める満潮。最近訓練が忙しく、無駄な時間を過ごしている暇はあまりないのだ。

 しかし逆に卯月は訓練が嫌なので、何としてもサボれる時間を増やさんと行動する。

 

「いやぁ訓練が大変だぴょん。お茶の一杯でも飲みたい気分だぴょん。この際水でも良いから一杯飲みたいぴょん」

「ラムネならあるよ」

「わーい、定番の品物だっぴょん!」

 

 キンキンに冷えたラムネが二本投げ渡される。一本は満潮の分だ。

 中の硝子玉を落としてラムネを中に流し込む。甘い味わいが炭酸の刺激と一緒に喉を突き抜けていき、潮風でベタベタになった口がスッキリしていく。

 

「あ゛ー! 最高だっぴょん!」

 

 あと時間を延ばすためにチビチビケチケチ飲んでいた。隣で見ていた満潮には目的がモロバレである。

 

「こんなの飲んでいる場合じゃないんだけど……まあ頂くわ」

 

 流石に貰いものを捨てるような真似はしない。そして卯月もどうせさっさと飲み切らない。溜め息を吐いて諦めて、満潮もラムネをちびちびと飲み始める。

 

「で、要件は。呑みながらでも話せるでしょ」

 

 隣で卯月が睨みをきかせてくる。サボる時間を減らす真似をする奴は敵なのだ。満潮は完全無視を決め込んだ。

 

「前の出撃で作動条件を満たしたのに、パワーアップがなかったって言ってたじゃん。それの原因が多分分かったから、その連絡だよー」

 

 システムの作動条件は──恐らくだが──『憎悪』である。卯月はそう見込み、作動に足る圧倒的な憎悪を爆発させた。

 結果、作動探知機は、システムの()()を感知した。卯月の予想は合っていた。

 にも関わらず、肝心の強化は起きなかった。

 北上は鎖帷子を編んで以来、ずっとこれを調査していたのである。

 

「とは言ってもねぇ……憶測に近いから、これが正解とは言い難いんだけど」

「そこはどうだって良いぴょん。うーちゃんこの件については北上さんに頼るしかないし」

「そうよ、早く言って」

 

 艤装の心得など全く知らない。最低限度の整備を行える程度の知識しか有していない。しかも特級の危険装置。大本営とか他の鎮守府に協力を仰ぐのは、情報漏洩的に危険過ぎ。だから北上だけしか頼れない。

 呼んだ以上話すつもりだったが、事の他頼られていることに、北上は一瞬だけ表情を和らげ、説明に入る。

 

「前調査した時だけどさ、D-ABYSS(ディー・アビス)は、深海のエネルギーを取り込んで、艦娘を強化するシステム……って説明したことは、覚えているよね」

「うん。その弊害で洗脳されるって聞いたぴょん」

「逆かもしれないともね」

 

 そのエネルギーを計測する謎技術もあると聞いている。妖精さん印の製品だ。

 

「で、この間の秋月との戦いね。ログに残った通りシステムは間違いなく作動していたよ」

「じゃあやっぱり条件は『憎悪』かぴょん?」

「だろうね、でも、深海のエネルギーは取りこまれていない」

 

 謎はそこだ。秋月が何か仕込んでいたんじゃないか。そんな気はするが、どうやったのかは検討もつかなかった。

 しかし、今の北上は気づけていた。故に朧げながら理解できていた。

 

「……という訳じゃなさそうだったのよね」

「ぴょん?」

「あのシステム周りを調べまくっている内にさ、見つけたのよ。何と言えば良いのかな。吸引口……かな。エネルギーを集積して、本体へ送り込む為の部分があった訳。まーそりゃあるよね、そういう所は」

 

 見えない力を取り込むというオカルトめいた代物だが、それでも機械だ。構造がある。エネルギーを吸収して本体へ還元する為の機構を北上は見つけた。

 

「でもってそこを調べたらさ、あった訳よ、()()が」

「残渣って、取り込んだ力の残差?」

「そう。前までの作動分の残りもあったから、調べるのは大変だったよー。時間経過によるこびり付いたエネルギーの劣化度合いを調べなきゃ、判別ができなかったからねー。勿論今は判別できてるよー」

 

 換気扇に汚れが付着していくように、このシステムも吸引口に力のカスが残るのだ。

 但しあくまでエネルギー、物理的な付着ではない。時間経過と共に空気中へ霧散していく──そんなレベルだから有毒性も皆無だ──どれぐらい消えているかを測定しなければ、そのカスがどの作動で付着した物か、判別はできない。

 

「で何が言いたいんだぴょん?」

「付着してたの、この間の戦闘時に作動させた時、取り込んだとみられるエネルギーの残りカスが」

「……取り込めてない筈ぴょん?」

「うん、そう思ってた。でも吸引の()があった。つまり、とんでもなく微量だけどエネルギーは取り込めてたのさ」

 

 となると……どういうこと? 

 作動してないと思ってたけど作動してた。取り込めてないと思ったら取り込めていた。ハテこれは如何なることか? 

 

「ここからはほぼ推測だよ」

「うん、この際なんでも構わないぴょん」

「多分、秋月に()()()()()んじゃないかって、アタシは思ってるんだ」

「……引き負けた?」

「エネルギーの取り合いになっちゃったって、アタシは思っている。あの戦場に最上……じゃない鈴谷が出てきた理由も、そこにある気がする」

 

 大前提として、エネルギーは有限である。

 海全域を領域とした莫大な負念の温床でも、それでも有限だ。取り続ければ枯渇する。そうでなくても一気に取り過ぎれば枯渇する。

 

「秋月も卯月も、同じ装置を積んでる。同じところからエネルギーを奪ってる。言い換えれば……」

「取り合い。ってことね」

「そゆこと。秋月はその取り込む出力を大幅に上げたんだよ。だから卯月の取り分がほぼなくなった。そーゆーことだと私は思うんだ」

「確かに、それなら鈴谷は来れないわね。来たらあいつまでエネルギーを取られるでしょうし」

 

 仮に同じ出力にしたら、今度はお互いの取り分が減って強化度が減る。良いことは何もない。

 つまり、この仮説が正しい場合、対抗策は割と簡単に見えてくる。

 極めて単純だが、危険な方法。

 

「出力上げれるけど、どうす」

「オーケーぴょん!」

 

 だが卯月は即答だった。しかも喰い気味だった。

 

「ってオイ、ちょっとは逡巡しなさいよ」

 

 卯月ではなく満潮が突っ込む始末だ。こいつはこの提案の危険さを分かっていないのか。どれだけ馬鹿なんだ。満潮は呆れ返る。

 

「何で迷うぴょん?」

「今の出力でさえ、心身ともにあんな負担がかかってんのよ。これ以上取り込んだらどうなるか分からないじゃない」

「そーだよ。試運転も多分できないだろうし、凄い危険だよ。もしかしたら深海棲艦に変異するなんて可能性も」

「でも動かせなきゃ意味ないぴょん?」

 

 そう真顔で告げる卯月に迷いはない。肝心な時に動かせないシステムには何の意味もない。あんな化け物を仕留めようとしているのだ、それぐらいのリスクは止むを得ない。殺すためには合切の手段を問わない卯月は、こういう時絶対に迷わないのだ。

 

「……うん、聞くのが早かったわ。もうちょっと色々試してみてから、改めてってことで。まー伝えたいことは伝えたよ」

 

 試運転もできるかもしれない。他の対処法があるかもしれない。卯月に大きなリスクを背負わせる判断をするべき状況ではないと、北上は判断した。

 心身の負担はどうでも良いが、深海棲艦化は困る。代替手段があるならそれに越したことはないから、卯月も頷いた。

 それでもダメならやるしかない。卯月は一切気にしない。その程度の覚悟はとっくにできている。

 

 これで話は終わり。そう思った。けどそこで満潮が首を傾げた。

 

「……ねぇ、ちょっといい?」

「どしたの満潮」

「アンタの推測だと、D-ABYSS(ディー・アビス)同士でエネルギーを喰い合うってことよね」

「そうだけど」

「じゃあシステムを積んだ艦娘は、二隻以上は同じ部隊に出せないってこと?」

「そうなるね」

「強化システムなのに?」

「あっ」

 

 そう、強化システムと考えると、これはとんでもない欠陥となる。

 システムを積んだ艦娘が二隻以上出撃した場合、お互いにエネルギーの取り合いになってしまう。十分な力を取り込めなければ碌にパワーアップできず、二隻との半端な状態で終わる。

 

 万全のパワーアップをしたいなら、システムを積んだ艦娘を二隻以上入れたらダメ。

 加えて相手側にも同じシステムを積んだ艦娘がいたらダメ。大幅な強化の代償として、艦隊の編成その物に縛りが出てしまうのだ。

 実際、これが原因で、鈴谷は前線に出てくることができなくなっている。

 

「なら、このシステムって……」

「量産する意味合いが全く持って皆無。そう私には思えるんだけど」

「そーゆーことだろうね」

 

 確かに単独でも馬鹿げたパワーアップができる。秋月を見れば一目瞭然。

 しかし戦場はあくまで数、数の暴力でごり押しされたらどうにもならない。なのに、一部隊に付き一隻しかD-ABYSS(ディー・アビス)艦娘は編成できない。

 

「……つ、使い辛いことこの上ないぴょん」

「本当にコレ強化システムなの? こんな有様で。本当は洗脳の為の装置なんじゃないの?」

「生憎目下調査中なので」

 

 量産価値があんまりない強化システム。思わぬ所でその存在定義が揺らぐ。このシステムは何の目的で作られた物なのか。

 卯月たちは全員、首を揃えて傾げる他ないのであった。

 

 

 *

 

 

 結局何だったんだあの装置は。という所で話は終わる。エネルギーの奪い合いに負けたことでの機能不全。それの解決方法は後回しとなる。

 しかし、北上は既にいくつか手法を考えていた。一番確実な一手を確かめる作業が残っているだけ。明日には結論が出ているそうだ。

 

 その日、卯月たちはそれ以上の訓練をしなかった。

 正式な命令が出ている訳ではない。だが不知火や飛鷹が、休めという感じの雰囲気を出していたからだ。

 

 間違っていたらアレだが、きっと明日が出撃になる。

 

 けど内通者がいるから、直前まで出撃の命令は出すことができない。だから直接の命令ではなく、()()()方向で休ませようとしてきたのだ。

 この空気に甘えて二人は最後の休息を取ることにした。特に何かやる訳でもない。せいぜい簡単なストレッチ程度。

 

 卯月も今まで日中はずっと着ていた鎖帷子を脱いで、久し振りに軽い身体を堪能する。今日はもう身体を全力で休ませるのだ。

 

 その為には飲まねばならない物がある。

 

「呑まなきゃ寝れないでしょ、飲みなさい」

 

 満潮が水の入ったコップと一緒にお盆に乗せて持ってきた物。それはお薬である。ついでに述べるととっても苦いお薬である。

 まさか無様に我儘を言う気はない。でも嫌だ。苦くて不味いのは嫌なのだ。

 

「……言われなくても飲むぴょん」

 

 実際飲まないとダメだったりする。

 どういう薬かと言うと、睡眠薬に加えて精神系の薬だ。以前も同種の物を処方して貰ったがいまいち効果がなかったということで、艦娘用に更に調整された薬を調達してくれたのだ。

 

 飲まないと余りにも悪夢が酷い。寝れても途中の発作で飛び起きてしまう。安定して一日寝る為にはどうしてもこれが必要だった。

 

 但し管理は満潮がしている。

 余りの悪夢に耐え切れなくなった卯月が、発作的に大量に飲まないようにする為だ。

 やり過ぎじゃないかと思ったが、あんな激しい発作を起こしている以上、そう文句も言えない。

 

 苦虫を潰したような表情になりながらも、卯月は薬を一気に飲み干した。これで大丈夫だ。安心して眠ることができるだろう。

 不味すぎて吐き気がすることさえ除けば。

 

「明日、出撃なのかなぁ」

「多分そうでしょ。寝て休むわよ」

「珍しいぴょん。お前だったら勝手に筋トレでもしてそうなのに」

「あんな化け物相手、一夜漬けでどうこうできる相手じゃない。万全の体勢で挑む方が優先よ」

 

 全く持ってその通り。どうなるか全く分からないが、今はとにかく心穏やかに眠ることにしよう。

 卯月と満潮は同じベッドに入り、いつも通りの体勢で瞼を閉じた。

 

 結局、その日も軽い発作を起こす羽目になったが。




深海のエネルギーなんてものを取り込みまくって身体に良い訳がない。うーちゃんの行く末は如何に。


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第123話 追加兵装

艦これ9周年ですね。バンジャーイ。


「ホント薬効いてんのかな……」

「飲んだだけでどうこうなる方がよっぽどレアケースでしょうが」

「そうだけどさぁ……」

 

 秋月との再々戦が近づいてきたその日の夜。発作を抑えて熟睡するために薬を処方して貰ったが、あまり効かず結局悪夢&発作で叩き起こされ、げんなりしている卯月。

 薬のお蔭で症状その物は軽めでおさまったが、夜中叩き起こされるのは堪える。付き添っている満潮もそうだった。

 

「ちょっと相談しとくぴょん……はぁ、お医者さんに行きたいぴょん」

「軍医なんていないからねここ。そもそも艦娘が風邪を引くこと自体稀だもの。だいいちいても精神科医はそういないわよ」

「でっすよねー」

 

 そもそも人間より遥かに強い艦娘だ。風邪を引いても持ち前の体力で、市販の風邪薬を飲んでいる内に治るケースが大半。ましてや精神系の軍医など少数派。こんな前科持ちの吹き溜まりに配属される筈もない。

 

「今まで通りだけど、飛鷹さんに聞いとくぴょん」

「そうしなさい。じゃあさっさと起きるわよ。今日出撃かもしれないんだから」

「へいへい、了解だぴょん」

 

 どちらにせよ近日中に出撃するだろう。十分回復できている。内通者がいる以上時間をかけるほど不利になっていくのはこちら側なのだから。急ぎすぎも良くないが、今は急ぐべき状況だ。

 

 その足で食堂へ向かい、朝食を流し込んでいく卯月たち。

 今日のメニューは炊き立てのごはんに生卵、納豆に味噌汁たくあん。といった具合に、ザ・和食のメニューだった。

 

 パンとか洋風の食事も美味しいが、やっぱり体に馴染むのはこういった和食メニューだ。こういう物を食べて数世紀生きてきたのだ。美味しいとかとは別で、とても安心できる味わい。

 悪夢と発作で消耗した体に、芯から染みわたっていく感覚。卵かけご飯をズルズル流し込み、たくあんをボリボリ齧って、温かい味噌汁の味わいを楽しむ。

 

「……はぁー、ほっこりするぴょん」

「それはどうも。美味しいなら何よりだわ」

「あ、飛鷹さん! 今日も御馳走さまだぴょん、いつもありがとぴょん!」

「気にしないで、仕事だから」

「いやいや、ホント感謝してるぴょん!」

 

 飛鷹はそう言って謙遜するが、仕事でも関係ない。美味しい物を作ってくれる人には敬意を表する。これをまた食べようと思うと、生還への力が湧いてくる。大げさかもしれないが命の恩人と言っても良い。

 

「まだ食べ終わらないの?」

「む、味わいつつよく噛んで食べているんだぴょん。ご飯ぐらいゆっくり堪能させろぴょん」

「ここは軍隊よ。そんなマイペースは許されないわ」

「前科持ち共のゴミ捨て場に今更何を言ってるぴょん……」

「それでもよ」

 

 そう言っている満潮は既に食べきっていた。彼女自身が言っていたようにさっさと食べてしまったらしい。あれで味わったのだろうか。美味しいと感じたのだろうか。気にせず食べるのは飛鷹さんに失礼ではないか。

 何故そんな行動を平然と取れるのか。

 卯月にはその心境がさっぱり分からない。ただ機嫌が悪くなる一方だ。

 

「まー良いぴょん。うーちゃんは自分流でやるから、お茶でも飲んで待っててくれぴょん」

「チッ……のんきな奴、理解できないわ」

「おお! うーちゃんも同じ気持ちだぴょん。これは相思相愛という奴では……オエエエエ!」

 

 自分で言って吐き気が込み上げた。いや実際は吐いていないからご安心ください。

 満潮はそうしている間に、お茶を飲みに席を外していた。

 

「別に気にしてないわよ、食べ方のスタンスなんて人それぞれだしね」

「飛鷹さんがそういうなら良いけど。でも楽しもうと思わないのかぴょん」

「人と軍艦がごっちゃになってるのがわたしたちだからね。それはとても難しい問題よ」

 

 物に人の感性を持たせればそれは人に成るのか? 

 その答えを卯月は知らない。だいいち卯月は自分自身を人と認識していない。

 あくまで別種、あくまで『艦娘』。

 しかし、折角持って生まれた感性だ。楽しまなければ損だと思う。

 

「ふぅ、ミッチーを気にするなんて時間の無駄だぴょん。ご飯食べるぴょん」

 

 無駄な悩みだと捨て去り、卯月は愉しい食事へ神経を集中させる。もっとも殆ど食べていたので、食べきるまでにそう時間はかからなかった。

 朝食が終わった所で、卯月は飛鷹に声をかける。別の強めの薬がないかという相談だ。

 

「薬って、うーちゃんに処方した睡眠薬と、精神安定の?」

「うん、そうだぴょん。あんまり効いている気がしなくて、もう少し別の物があれば嬉しいぴょん」

「そう気楽に言わないで欲しいんだけどね」

 

 薬なんてそうホイホイ処方できる物ではない。能天気な卯月に飛鷹は溜息をついた。

 

「……まあ、用意はあるから良いけど」

「じゃさっそく」

「ダメ、それは帰ってきてから。出撃中に副反応があったらヤバいでしょ」

「ぶー、しょうがないぴょん」

 

 飛鷹の言うことももっともだ。戦っている最中に中毒症状でも起こしたらひとたまりもない。全く効いていない訳じゃないんだから、とりあえず前の薬を飲んで暫くはしのごう。そう判断して卯月は食事を終わらせた。

 

「……うーちゃん」

「ぬ、どうしたぴょん?」

「そんなに効いていないの?」

「うん、体感的には殆ど効果なさげぴょん」

 

 発作は弱めになっていたから全然効いてないってことはないんだろうけど。

 飛鷹の質問はそれだけだった。多分、薬が上手く作用してないことを心配しているのだろう。

 そんなの気にしなくていいのに。

 卯月はそう思いながら、満潮と一緒に食堂を後にした。

 

 

 *

 

 

 その日、前科戦線はやはりどことなく慌ただしいように感じられた。誰かが出撃準備をしている訳ではない。それでもそれなりに長く暮らしているから、空気の違いは分かる。

 情報を隠匿するため、出撃のタイミングでいきなり招集がかかるに違いない。いつそうなっても良いように、心構えだけはしっかりとしておく。

 

 適度な緊張感を保つ。

 その足で向かったのは北上の工廠だ。昨日の件──どう秋月のシステムと拮抗するかという問題──について、答えが出たそうなので、それについてで呼び出されていた。

 工廠に入った二人は、卯月の艤装を前にして、北上の言葉を聞く。

 

「いくつか方法はある。そう言ったと思うけど」

「うん、結局どれになったんだっぴょん」

「全部」

「ワッツ?」

 

 ともすれば適当と捉えられかねない発言に、二人は耳を疑った。当然北上はそういった意図で言った訳ではない。

 

「元々あんなこと言ってたからさ、どこをどう弄れば、システムの出力を上げられるかは分かってたんだ。やっぱりそれが一番シンプルなやり方だと思ったから、まずそれにした。艤装はもう調整済みだよー」

「つまり?」

D-ABYSS(ディー・アビス)の出力を上げさせて貰った」

 

 卯月と満潮は二人揃って「やっぱりか」と頷いた。

 

 システムが起動できなかったのは、大本のエネルギーを秋月に全部取られていたからだ。逆にこちらも出力を上げて取り込む力を強めれば、それに拮抗することができる。むしろ上手くいけば相手を弱化できるかもしれない。

 

「ただ昨日も行った通り、これは結構危険なやり方だ。それも分かってるよねー?」

「……取り込み過ぎて、戻れなくなるって話よね」

「そう。秋月と引き合いになるだろうから、予想される程取り込むことはない。向こうと良い感じに拮抗するよう出力は調整したからねー……でもさ、万が一はある。例えば秋月を倒した直後、とか」

 

 深海の力を取り込んで自己強化をするシステムだ。最初からまともじゃない。力に侵されて深海棲艦に成り果てて戻れなくなる可能性はあり得る。

 気をつけるとか、注意するとか、そういうレベルの問題ではない。D-ABYSS(ディー・アビス)を使うのであれば、そのリスクを抱えざるを得ない。

 

 その危険を除いても、身体の負担は今までの比ではない。危険性は絶対に残り続ける。その上で決断をしなくてはならない。

 

「保険はあるよー。そうなりそうだったら、例の気絶装置を飛鷹か不知火が作動してくれれば良いしねー」

「戦闘中に卯月の異常に気づけるの。後、前はその装置を破壊されたから、大変なことになったんだけど」

「それもまたリスクの一つ。絶対的な安全は確約できないの。任意でシステムを停止できるようにできれば良いんだけど……まだ、そこまで私じゃ行けなくて、ごめんね。今ならまだ出力戻せるけど、どうする?」

 

 卯月は首を傾けて少しの間だけ悩んだ。そして目を開ける。現実時間にしてほんの数秒で彼女は決断していた。

 

「上げておいて。いざという時起動できるようにしておいて欲しいぴょん」

「……良いんだね?」

「秋月討滅が至上目的、その為ならば、多少のリスクは止むをえないぴょん。だからお願いするっぴょん」

 

 リスクは大きい。しかしこれ以上交戦を重ねて、こちらの手の内を知られる方が危険。卯月はそう判断した。

 実際の所もう秋月のニヤケ面を見たくない。いい加減今回で終わりにしたいという思いも相当に強い。昔の自分を見せつけられているようで、結構精神は削られていた。

 

「そう言うならしょうがないね。オーケーこのままで行こうか」

「ちょっとそれで終わりなの。他に手段とかはなかったの。アンタさっきそう言ってたじゃない」

「あるとも。でもこれが一番確実だから」

「口出しは結構、うーちゃんは覚悟ガンギマリなのだぴょん!」

 

 まあ死んでも良いとまでは思っていない。散々苛立っているが秋月は所詮前座だ。あんなので死んでたらキリがない。

 死なないけど、死ぬぐらいの覚悟で臨もう。

 前座だけど半端な気持ちで勝てる相手ではない。卯月は今までの戦いで理解していた。

 

 そんなことを言っている卯月を不満極まった目線で睨む満潮。わははと笑っている卯月は気づいていなかった。

 

「んじゃ他の対抗策も少しだけあるしね、そっちもやろっか」

「やるって、どゆこと?」

「試運転もなしに実戦投入する訳ないじゃん。接近戦をすることになるのは二人でしょ。だから慣れてもらわないとね」

 

 

 *

 

 

 秋月のD-ABYSS(ディー・アビス)に対する対抗策。それは何かしらの武器になっているらしい。それを実戦でも使えるようにするため、使い方のレクチャーをしてもらうことになった卯月と満潮。

 但し北上は足が不自由だ。海上で動き回ることは不可能。代わりの先生が教えてくれることになる。

 

「不知火です。宜しくお願いします」

 

 何故不知火なのか。

 それは駆逐艦だからである。

 北上の提供した武器は、いずれも接近しての使用が前提。その為卯月たちと同じ駆逐艦の方が教えやすいからだ。

 

「前置きは良いぴょん。そう時間もないんでしょ? 早く教えてくれぴょん」

「焦らないでください。これを教えるぐらいの猶予はまだありますから」

「……やっぱりそうなのね」

 

 今の発言、逆に言えば出撃そのものは確定しているという意味だ。推測してただけだったが、本当に出撃が近いと知り満潮は緊張する。

 

「北上さんが用意してくれた、システム阻害の兵装は二つです。生憎数が揃えられなかったので、一人一つでどうぞ」

 

 差し出された武器は二つ。

 片方はロケットランチャーのような大型兵装。もう片方はハンドガンのような小型兵装だった。

 

「って言ってるけど、満潮どっち取るぴょん?」

「別にどっちでも……じゃあこっちを」

「ならばうーちゃんはそれを奪い取るぴょん!」

 

 満潮が選ぼうとしたものを敢えて横からかすめ取っていく。何故こんなことをするのか。当然嫌がらせの為である。

 どっちでも良いが、まるで子供めいた悪戯にイラっとする満潮。構うのも面倒なので別の武器を選んだ。

 

 結果取ったのはハンドガンの方だった。

 

「……なんかカッコ悪いぴょん。やっぱランチャーに」

「コレで殴るわね」

「良く考えたらハンドガンも中々オツだぴょん、スパイっぽいし!」

 

 清々しい手のひら大回転。満潮も不知火ももう何も言わなかった。

 

「これで撃つの?」

「はい、ですが満潮さんの中身はミサイルではないので」

「これでミサイルじゃないって、じゃあなんなの」

「だから使い方を教えないといけないんです。貸してください、試射するので」

 

 ランチャーを手に取る不知火。彼女は的に狙いを合せてトリガーを引く。動作そのものはイメージ通りの発射方法だ。

 そして弾丸が発射される。中々の速度で飛来する黒い塊。パッと見砲弾に見える。

 しかし、着弾寸前になって、黒い塊が変化した。

 

 広がったのである。

 

 一気に開いたそれは、的に覆いかぶさると、一瞬でキュッと閉まり的を縛り上げた。拘束具のようだが拘束は緩めだ。

 

「これって……布?」

「はいそうです。黒い球体に丸めた布です」

「……これで秋月を拘束しろと? こんなので? こんなもので?」

「プークスクス、オメーにはお似合いのおもちゃだぴょん!」

 

 数秒後変死体と化した卯月。それを無視して不知火が説明を行う。

 

「以前、卯月さんの脚部艤装に纏わせたコーティングを覚えていますか」

「ああ……エネルギーの吸収を阻害するって言ってた奴。結局戦艦水鬼に破壊されてたと思うけど」

「構造はあれと同じです。それを大きな布状にしました。これを秋月の脚部艤装に上手く絡ませることができれば、彼女の強化を阻害できる筈です。直接撃っても良いですし、海面に置いて罠として使っても構いません」

 

 海面に浮かばせたそれを不知火が踏むと、その振動に反応して、食虫植物のように足を縛り付ける。やはり拘束は緩めだが、早さは中々のもの。不意を突かれたらそう反応できない。すぐ破壊されるだろうが、一瞬でも阻害できるのは心強い。

 

「ただ布なんて飛びにくい物を飛ばそうとしているので、ランチャー並みの大きさになってしまいました。それと艦娘の艤装でもありません。攻撃を喰らえば一撃で爆散しますので、運用にはくれぐれもご注意を」

 

 開発にかけられる時間がなかったのが主な原因である。持ち運びのし難さは気になるが、まともな対抗策があるだけマシだ。

 満潮はそう納得して、命中率を上げるための軽い練習を始める。

 次に説明するのは卯月の選んだハンドガンである。

 

「ねーねーねー、うーちゃんのハンドガンはじゃーなんなの?」

「卯月さんのはウイルスです」

「へー。なんて?」

 

 なんか艦娘としては明らかに聞きなれない言葉が聞こえたんだけど。もう一回言ってと卯月は耳を澄ます。

 

「コンピューターウイルスみたいなものです」

「あー、うん、オーケー理解できたぴょん!」

「それが入った弾丸が装填されています。中を見れば分かるかと」

 

 中ってなんだよ。

 マガジンを取り外して妙に大きい弾丸を手に取る。パカッと開く形状になっていた。その中には小さな妖精さんが、スパイっぽい服を着て敬礼していた。

 

「……これを艤装にぶち込んで、システムを狂わせると?」

「おや察しが良いですね」

「こんなのウイルスじゃない! ただの砲弾型カタパルトだぴょん! まともなのはうーちゃんだけかっぴょん!?」

 

 敵艦へ工作員を送り込むのに、カタパルトで直接叩き込む頭の悪い映像が脳裏に浮かぶ。こんなもんに詰められた妖精さんが哀れだった。確かに効果的だろうけど。これで良いのか艦娘。お前は良いのか妖精さん。

 

「この関係で口径が大きいです。反動も違います。弾丸の装填方法も独自規格です。今の内に慣れておいてください」

「ぴょーん……」

「お願いしますね」

 

 布をぶっ飛ばすロケットランチャー。ハンドガン型工作員射出機。正攻法が困難とは言えこれで良いのか。何とも締まらない秘密兵器二つを前にして、卯月の気合はゴリゴリと削り取られていくのであった。




艦隊新聞小話

対深海棲艦用に、人間の武器って使わないの?
という疑問、あるかと思います。実際私の知り合いで、ハンドガンとナイフで片っ端から沈黙させる人いましたし。
でもまあ、ぶっちゃけるとまず使わないですね!今回のような例外を除くと絶無です!
まず砲弾や魚雷の方が射程距離も火力も高いですし、人間の武器を使わなければいけないような至近距離での戦いなんてまずないですし!
そもそも人間の武器じゃ、再生されてお終いですからね!以上!終わり!取材終了!

……と言いましたが、まあ真面目な話、深海棲艦は全員呪いの塊みたいなものなので、触れないに越したことはないんですよ。でも呪いなんて概念じゃお偉方納得しないんで、そーゆーことにしてあるそうな。
呪いの強さ?
一隻につき、暗殺されたモフモフ獣神の1000分の1以下ぐらい?海とかの環境適正もあるので、一概には言えませんけど。


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第124話 三度目の激突

 北上より供給された対秋月用の秘密兵器──というよりビックリドッキリメカ的な代物。エネルギー吸収を阻害する布を発射するランチャーに、友人(妖精)ハンドガンを貰った卯月と満潮。

 

 二つの武器はどちらも最大射程が短い。至近距離での使用が望ましい。否応なしに接近することになる卯月たちが使い手としては最適だった。

 

 出撃までの残された時間を使って、照準合わせやリロードの練習を行う。こういう練習をしておかないと、いざという時に失敗する。その隙が命取りになる。武器を使うアクションに慣れなくてはならなかった。

 

 普段使っている主砲や魚雷に比べて反動がかなり小さい。そのせいで感覚が違い思うように当てられなかった。

 とは言え、感覚の違いが埋まれば習熟は速い。

 ある程度の練習でそれなりに狙いを合せられるようになっていた。後は接近すれば当たるだろう。そう思うぐらいには上達した。

 

 しかし卯月には、未だに心に残る気がかりがあった。

 

「やっぱり作動しないぴょん……」

 

 それはD-ABYSS(ディー・アビス)の解放についてである。

 

 システムは『憎悪』により作動する。卯月はそう推測し、作動記録からもそれは合っていると証明された。

 だから強烈な憎悪があれば、基地周辺(ここ)でも解放できると思った。普段から運用できれば、システムを使いこなす為の訓練が可能になる。

 

 なのだが、結果はご覧のとおり。憎しみで心を埋め尽くしても上手く作動してくれない。

 

 今回の出撃は秘密兵器の訓練のためだけではない。システム解放のテストも兼ねてだったのだ。

 

「謎ですね。条件は満たしていると思うんですが」

「何故だぴょん。推測が間違っていたとか?」

「だとすれば、作動記録が残る筈がありません。トリガーは憎悪で間違いないかと」

 

 だったら原因は何なんだ。二人揃って首を傾げる。

 

「もう一度だけやってみましょう。卯月さんの憎悪が不足しているのかもしれません」

「は? テメーなんて言ったぴょん。うーちゃんの憎悪がぬるいだって?」

「敵を前にした時と比較してみてはいかがですか」

 

 あまり指摘されたくないことに顔を顰める。

 言っている通りだからだ。

 いやだって実際そうだろう。思い出したりするだけで憎悪を理性が焼き切れるまで吹き上がらせるのは困難だ。

 

「とにかくもう一度。どうぞ」

 

 駄目元でもう一回挑戦してみる。

 卯月は眼を閉じて、記憶を掘り起こしていく。それはD-ABYSS(ディー・アビス)に浸食され、仲間たちを虐殺した記憶。

 敬愛し心酔していた戦艦水姫が塵のように壊された記憶。暗闇の中聞こえてきた波多野曹長の部下たちの悲鳴。

 

「う、うう……ううッ!」

 

 どれもこれも例外なく最悪の記憶。思い出すだけで罪悪感に吐き気がする。同時に噴出する怒りの感情。

 何故。こんな目に合わなければいけないのか。どうして皆が死ななければならなかったのか。

 不条理で、邪悪な敵への憎悪が滲みだす。怒りが理性を焼き、憎しみが心を真っ黒に塗りたぐる。

 

「もっと、もうちょっと、どんどん怒り狂ってください」

 

 身体が熱い、頭が割れそうだ。何本も欠陥が浮かび上がり、瞳孔が収縮していく。暴力衝動が暴れ狂い、気が狂いそうになる。心がシンプルになる。殺すこと以外考える必要がなくなり──『殺意』へと……至らなかった。

 

「ダメですね。未作動です」

「──ッああ、ダメかっぴょん、チクショウ!」

「御愁傷さまです」

「心にもないことを言わんで欲しいぴょん」

 

 理性が焼き切れる寸前までは持っていける。が、そこまでだ。その先、理性も感情もいっしょくたに呑み込んだ『完全なる殺意』へはそう簡単に辿り着けない。

 その証拠にD-ABYSS(ディー・アビス)も未解放。無駄に怒りを高めた弊害で、卯月はかなりイライラしていた。

 

「役立たずで悪かったぴょん」

「お気に召さらず。仇を前にせずに、殺意を高めることができる人は稀です。卯月さんは稀な方ではなかったというだけのお話。気に病む必要はありませんよ」

「それはそれで腹が立つ言い方だぴょん」

 

 才能ないんだからしょうがないね、気にしなくて良いよ! と言われたも同義。

 これでもプライドが高い卯月は、イライラと合わさって更に機嫌が悪化する。しかしこんな理由で怒り狂うのもプライドが許さない。結果ムスッとした仏頂面になっていた。

 

 しかし、何故憎悪をそこまで持っていけないのか。

 卯月は疑問に思うが、それは当然のこと。敵を前にしていない状態で、怒りを限界まで溢れさせられる人間はまずいない。思うように制御できたらそれはもう感情ではないからだ。

 前提として、無茶なことをやろうとしているのである。

 

「解放できないのであれは仕方ありません。普通の練習に集中しましょう。結局のところ解放せずに討伐できれば、それに越したことはありません。無駄なリスクを負う必要はありません」

 

 不知火は正論を言ってくれた。使わずに勝てるならそれが一番。

 けど、そんな理論が通じるような相手ではない。

 なのに解放できないから練習できない。今の身体ならどの程度の運用に耐えられるのか、どれぐらい強化されているのか。どれも確かめられないまま出撃というのは、卯月に大きな不安を残してった。

 

 

 *

 

 

 残された少ない時間で、できる限りの訓練を行った卯月と満潮。

 そろそろお昼。休憩の時間だ。そう思った所で訓練を見て貰っていた不知火に呼び止められ、「休憩は30分だけです」と言われた。

 二人は思った、「来たか」と。

 その予想は当たった。既に基地の湾岸部には見覚えのある二式大抵が停泊していたからだ。

 

「あれが止まっているってことは、そういうことかっぴょん」

「そうです。休憩後直ぐに出撃になります」

「予想通りだったわね」

 

 つまり特殊兵装を練習できるのはこれでお終い。後は実戦でどうにかする必要がある。もう少し練習していたかったが、元々再出撃までの余力はそうなかった。仕方がないと諦める他ない。

 

 それから暫くして、休憩を終えた仲間たちが続々と集まってきた。

 既に全員艤装装備済。卯月と満潮も装備済みだ。かなりの少数部隊だから、緊急の連絡でも直ぐ部隊を組むことができるのは前科戦線の強みでもある。

 

 しかし、卯月は周囲を見渡して呟いた。

 

「不知火、ポーラはどこいったぴょん?」

 

 数日前から姿を見かけなかったポーラだが、ついぞ影も形も見つからなかった。この出撃メンバーの中にさえ見当たらない。

 

「ポーラさんは那珂さんと一緒に鎮守府の防衛に当たります」

「へー、まさか嘘じゃないぴょん? うーちゃん嘘は嫌いだぴょん?」

「当然、真実です」

「へぇぇぇぇ……」

 

 いや絶対嘘だろが。卯月は思った。

 だが以前推測した通り、今はポーラが基地内にいると思わせる必要があるのかもしれない。

 その為の工作かは分からないが、部屋の電気が灯っていたり、酒を飲んだ跡があったりと、いると思わせる為の工夫も見受けられる、

 そんな理由が考えられる以上、余計な口出しは作戦失敗に繋がりかねない。極めて訝しむ目線をぶつけながらも、それ以上は追及しなかった。

 

「皆さん既にご存知だと思いますが、敵は秋月以外にももう一隻。もしかすれば更に一隻、合計三隻存在する可能性があります」

 

 秋月で一隻、瑞雲を扱う鈴谷(仮)、ステルスの艦載機を扱う何者かで三隻だ。

 

「秋月一隻でのあの戦闘能力。D-ABYSS(ディー・アビス)には『共食い』の特性があるので考えにくいですが、同時に出てこられたら勝算は皆無です」

 

 共食いとは、システム同士によるエネルギーの奪い合いのことを示す。相手が三隻まとめて来たら卯月と併せて計四隻での取り合いと化す。そうなったら殆ど強化はされないだろう。不知火の言う通り可能性は極めて低い。

 だが、何事にも例外は起こり得る。ましては敵は未知も未知、警戒するに越したことはない。

 

「今回の目的は秋月の捕縛です。繰り返します、捕縛です。撃破ではありません。貴重なシステムのサンプル、決して殺してはいけません。艤装だけを持ち帰るのもダメです。秋月自身と一緒に研究する必要があるからです。困難は承知ですが、何としても秋月を連れ帰って下さい。それ以外の敵が現れても、余程のことがない限りは無視してください」

 

 今の戦力であんな化け物たちと同時に撃ちあう予定はない。狙いは秋月一隻。その為の対策も練習もしてきた。

 

「鎮守府の防衛は那珂さんとポーラさんに任せます」

「勿論! 那珂ちゃんがバッチリ護っちゃうからねー! でもホントのところ那珂ちゃんも夜戦に参加したかったかなー!」

「夜戦の予定はないので見送りです、また次の機会を待ってください」

 

 どうして那珂は夜戦狂なのか。川内型の血でも騒いでいるのか。まあどっちでも良い。ポーラと二人……とか言っているが、多分ポーラは基地内にいない。だから防衛は実質那珂単独となる。

 

「ん? どーしたの卯月ちゃんそんな顔して」

「いや、一人で防衛って、大丈夫なのかぴょん。いくら敵が殆ど来ないって言っても……」

「全然大丈夫! 夜の那珂ちゃんはキラッキラだからね!」

 

 桃の口癖がちょっと移っていた。それはさておき。少し不安になる卯月の肩を球磨が叩いた。

 

「本当に大丈夫だから安心するクマ」

「ホントかぴょん?」

「事実だクマ、夜戦の那珂は本当に()()だクマ。安心して良いクマ」

 

 無敵だと球磨は告げる。ここまで強い言葉を聞くのは初めて。その発言をこの場の全員が肯定している。

 そこまで強いのか。

 よく考えれば、卯月は那珂と一緒に夜戦をしたことがない。駆逐艦や軽巡は夜戦こそ本番だと言う。なのに一回も共闘したことがないのは作為的なものを感じる。

 

「卯月ちゃん早く()()()()()()、那珂ちゃん、卯月ちゃんと一緒に夜のライブをしたいから! それに新人ちゃんにも見て貰いたいしー、絶対生きて秋月ちゃんを連れて帰ってね、那珂ちゃんとの約束だよ!」

 

 約束をしない理由が特にない。卯月は差し出されたその手を強く握り返した。

 ──でも、一緒の夜戦をするのに、どうして強くなる必要が? 

 その疑問を言う時間はもうなかった。輸送艇から『早く乗り込むかもー!』と秋津洲の声が響いてくる。

 

「ちょっと卯月、薬は飲んだの」

「一々うるさいぴょん。効果は知らんけど飲んだぴょん。戦闘中に発作は起きない……筈だぴょん」

「起こしたら気絶させて良いわよね?」

「オーケーぴょん。起きる訳ないけど」

 

 精神安定剤は服薬済み。戦闘状態に突入すれば、安心して戦える筈だ。

 艤装は装備した。貰ったハンドガンも腰のホルダーに入れた。首輪型の気絶装置もキッチリ装備。最後に欠かせない物。形見のハチマキで髪を纏めて準備完了。

 満潮もまた、マフラーのような長い布を首元に巻いた。これで全員準備完了だ。

 

「では出撃致します。皆さまご尽力を」

 

 淡々とした不知火の一言と共に、卯月たちは輸送艇へと乗り込んだ。

 

 

 *

 

 

 輸送艇で送られている間、不知火により簡単なブリーフィングが行われた。

 秋月のいる位置は既に絞り込みが完了しており、確認でき次第そこへ降下するということ。以前交戦することになった渦潮のある海域は避け、戦い易い場所での接触を予定している。

 

 また前回同様、多数の顔無しが出現すると想定されている。空母級も出る上に、索敵外の場所から鈴谷(仮)が空爆を仕掛けてくるのは明白だ。

 まず相手取るのを秋月一隻にしなければならない。その為に、迅速に顔無し共を始末するのが重要だった。

 

 勿論顔無しはそう簡単に始末できる相手ではない。だが、数回の交戦を得て大まかな動きは把握できている。

 

 問題はそれが終わるまで、秋月を抑えることができるか否かだ。結果、かなり苦しい選択をせざるを得なくなる。

 

「卯月さんと満潮さん、二人で秋月の注意を引いてください」

 

 あのバケモノをたった二人で抑えなければならない。秋月の戦闘力を知る卯月たちは、その任務の困難さに黙り込む。下手に『はい』と言えるような相手ではない。だが、『いいえ』という選択肢は最初からない。

 

「秋月と最も戦闘しているのはお二人方、囮として動けるのは貴女達だけです。良いですね」

「無茶言うわね。了解するけど」

「うーちゃんも了解だっぴょん」

 

 何も撃破する必要はない。時間を稼げば良いだけの話。貰った対策武器を使えばそれなりに戦えるだろう。

 でも、それなりでは満足できない気分でもある。

 

「……殺したいぴょん」

 

 聞かれないよう小声で呟く。戦艦水鬼を殺された時から秋月への憎悪は高かったが、何度も退けられたせいで、屈辱による怒りまで上乗せされていた。捕獲任務だから殺す気がないだけ。そうでなければ殺す道以外考えられなかった。

 

 以前と比べれば卯月は成長しているように見える。前の卯月だったら秋月の名前が出ただけで怒り狂い暴走していただろう。殺意が剥き出しになるのは秋月を目の前にした時だけ。感情のコントロールが上手くいくようになっていた。

 

 しかし、これは成長なのか。

 普段は表に出さないだけで、その実、一応は被害者の秋月を、救おうとする気が絶無となっているのは、艦娘としてどうなのか。

 

 この疑問に答える者は、この場にいる筈もなかった。



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第125話 物量降下作戦

 秋津洲の操縦する輸送艇に乗せられて秋月の潜伏する海域に挑む卯月と満潮。同時に出撃していたのは、前回から引き続き熊野と飛鷹。加えて前回いなかった球磨と不知火。計六隻が狭いカーゴ内に詰め込まれていた。

 

 全員戦場には慣れているが緊張している。秋月と正面戦闘しないといけない卯月と満潮はかなりこわばっている。だが一番緊張しているのは他の誰でもなく、熊野だった。

 

「熊野さん、めっちゃ動揺してるよね……」

「……当たり前でしょ。もしかしたら実の姉と戦わないといけないのよ。どれだけ苦しいかアンタ分からないことはないでしょ」

「だよね……」

 

 彼女に聞こえないよう小声で喋る。原因は満潮が言っていた通り。秋月の後方にいる鈴谷(仮)が出てきて交戦する可能性があるからだ。

 システム同士で()()()をする以上、出てこれない可能性は高い。しかし既に敵がこの欠陥に対処してしまっていることはあり得る。

 

 それが、早めに決着をつけなければいけない理由だ。あんなレベルの怪物二隻に挟まれたら勝ち目がない。生還の可能性さえ激減する。基本は各個撃破。それを最速でやる。時間経過と共に成功率は下がっていくのだから。

 

「……出てきたら、熊野戦えるのかしら」

「それは心配してもどうにもならないぴょん。でも大丈夫。前聞いた時戦えるって言ってたから」

「そんなの、実際相対しないと分からないじゃない」

「うーちゃん散々嘘は嫌いって言ってるぴょん。熊野さんもそれは知ってる。だから嘘は吐かない。戦えるって言った言葉に嘘はないんだぴょん」

「そんなメチャクチャな」

 

 むしろこれで嘘だったら殴ってやる。グーでぶっ飛ばしてやる。私の前で嘘を吐いたのだからその代償は大きい。

 ましてや熊野とは以前()()()()()()と約束までしているのだ。絶対に虚偽は言わない。言わせない。

 そう話している時、不知火がゴホンと咳ばらいをした。

 

「お二人ともそろそろ戦闘準備に入って下さい。お喋りは終わりです」

 

 もう秋月のいる海域が近づいていた。しかし不知火の言い方に卯月は疑問を覚えた。

 

「はーい、降下準備に入るっぴょん」

「いえ戦闘準備で」

「……ぴょん、なんで?」

 

 降下ではなく戦闘。これはどういうことか。ふと嫌な予感がして卯月は窓から外を見た。空はもう夕焼けに染まっている。地平線に沈んでいく太陽がかなり眩しい。加えてかなりの高高度を飛んでいるようだ。

 そして眼下の海域は紅く染まっている。深海棲艦の支配海域となってる証拠だ。とはいえ周囲に敵影はまだ見えない。

 

「この先に秋月の率いる艦隊がいるわ。偵察機を出して確認してある。もう撃墜されちゃったけど」

「えっ、じゃあこの輸送t……二式大艇も不味いんじゃ」

「ギリギリ秋月の索敵範囲外です」

 

 一応セーフ。しかしいつ戦闘状態に入ってもおかしくない状況だ。

 

「良いですか、まずはあの取り巻きの空母を沈めます。イロハ級の空爆に構っている余力はありません。目一杯の火力を叩き込んで下さい」

「……一応聞くけど、どうやって?」

「奇襲です」

 

 と言った途端、突如輸送艇にあるまじき爆発的な加速が起きた。いきなりの勢いに卯月は輸送艇の後方へ叩き付けられる。

 何をしたのかと言うと、機体を一気に下へ向け、重力加速を行ったのである。同時に秋月の射程距離内に入る。攻撃が始まったことを示す閃光が煌めく。

 

 あり得ないと卯月は叫ぶ。

 いくら秋津洲が天才的なパイロットでも、輸送艇で防空駆逐艦に接近するのは自殺行為でしかない。これでは奇襲が成り立たない。

 だが、そんな心配は杞憂だった。加速をかけたのは輸送艇を接近させる為ではなかったからだ。

 

「総員戦闘準備、パラシュートは合図があるまで解放禁止!」

「まさか!」

『行ってらっしゃいかもー!』

 

 輸送艇が突然180度ターンを描き、遠心力で更に吹っ飛ばされ──同時にカーゴが解放された。

 

 加速と遠心力がかかった状態で、そのまま遥か上空に放り出されたのである。

 輸送艇を加速させたのはこの為。

 中にいる卯月たちを高速で撃ち出すための加速。本当ならカタパルト等があれば良かったのだが、残念ながら用意できる時間がなかった。

 

「おぁぁぁぁ!?」

 

 この前科戦線に来てから何回も空中降下をさせられた。そのどれよりも速い高速降下を受けて卯月の顔面が酷いことになる。

 しかしそんなことを気にしている暇はない。

 この一瞬で卯月たちは秋月の射程距離内に入ってしまったのだ。

 

「敵の対空砲火来ます! 備えてください!」

「空中でどうやれとっ!?」

「砲撃すれば多少は動けます! やってください!」

 

 空中なら踏ん張ることはない。反動で動くことはできる。だが秋月のようには動けない。あれは主砲の威力が異常だったからできた芸当だ。一二発なら回避できるが、それ以上はムリだ。無茶振りに卯月は泣き喚く。

 

「総員、斉射準備! 合わせて一斉射、空母を纏めて沈めます!」

「いやー!?」

「卯月さんいい加減静かにして下さい! 給料減らしますよ!」

 

 強烈な脅しに卯月は沈黙した。

 ただそれでも、無防備な状態で秋月の防空網に突っ込むのは自殺行為でしかない。そんなのは不知火たちも理解している。無策で突撃をしかけるつもりは毛頭ない。既に戦術は構築されていた。

 

『この秋津洲からプレゼント・フォーユーかもー!』

 

 秋月とは反対方向へ撤退していく輸送艇から、秋津洲の快活な声が響く。同時に輸送艇後方からミサイル弾が高速で撃ち出された。尚艦娘の兵装ではない。ただのミサイル、けれども本物のミサイル。

 自由落下する彼女たちを余裕で追い抜き、ブースターを吹かしながら真っ直ぐに飛んでいく。

 

『これが二式大艇ちゃんの力! 思い知るかもー!』

「ミサイルを発射できる二式大艇なんぞある訳ねーだろっぴょん!」

「舌噛みますよ卯月さ」

「ひぎぃ!?」」

 

 遅かった。思いっ切り舌を噛んだ。痛みで卯月は涙を流す。でも突っ込まずにはいられなかった。秋津洲はあれでまだ輸送艇を二式大艇だと思っているのか。狂人ここに極まり。

 しかし、それでも秋月には届かない。

 本来ミサイルは目視で迎撃できるような代物ではない。だがD-ABYSS(ディー・アビス)により超強化された秋月は、動体視力のみで補足してくる。

 

 馬鹿ですね──とでも言うように高角砲が火を噴く。次の瞬間ミサイルが全て撃ち落とされた。一瞬で無力化されてしまう。

 だが秋月は油断しない。この程度の兵器迎撃されると分かっている筈。更に何かを仕掛けてくる可能性は高い。

 

 秋月の考えは当たっていた。予想可能だった。

 

 しかし回避不可能なものだった。

 

 迎撃されたミサイルから()()が飛び出してくる。中に爆発物はなかった。三式弾のように代わりの物が詰め込まれていたのだ。

 入っていたのはスモークグレネードだった。

 ──但し、それこそ、三式弾の如く、無尽蔵に突っ込まれていた。

 

「在庫処分も兼ねてますから。どうぞお気遣いなく堪能ください」

 

 深海棲艦との戦争が始まり、すっかり消費量が落ち込んだスモークグレネード。故に安価で仕入れることができ、贅沢に使うことができた。

 秋月の砲撃は精密。掌サイズのグレネード弾でさえ、正確に撃ち抜き次々に迎撃する。しかし、それでも多過ぎた。技量云々の問題ではない。物量的に押し切られてしまう。

 

 嵐のような防空網をゴリ押しで突っ切り、グレネード弾が着弾する。次々に湧き上がる煙幕があっと言う間に秋月達の視界を覆い尽した。

 これで視界は封じられた。

 対空電探を持っている秋月は例外だが、他の空母たちの行動は制限された。上空から見ていた卯月たちには、直前の位置が頭に叩き込まれている。

 最早良い的でしかない。

 

「総員、撃ち方始めッ!」

 

 不知火の号令と同時に、この戦闘において最大火力を全員が叩き込んだ。

 

 主砲、機銃、艦載機、挙句空中から魚雷を投げつける。それでも秋月は迎撃してくる。高性能な電探のせいで、視界が使えなくても狙いが正確だ。

 だから、更に物量を増やしにかかる。

 

「軽巡以下はWG42、熊野さん三式弾、飛鷹さん三号爆弾投下!」

「了解……潰れなさい!」

「たっぷりとお浴びなさいな!」

 

 ロケットランチャーに、内部に大量の弾子が詰め込まれた三式弾。更に三号爆弾を投下できる艦爆が突撃。秋月がそれを迎撃した瞬間、爆発と同時に弾子がばら撒かれる。

 秋月の電探は、それら全てを正確に捕捉してしまう。

 敵影の大きさで、弾子か砲弾かは判別できる──しかし、物量が酷過ぎた。結果、レーダーは弾子を示す光点で埋め尽くされてしまった。卯月たちの光点はそれらに紛れて分からなくなってしまった。

 

 そもそもの話、弾子や機銃なんて本来なら捕捉しなくて良い存在である。

 だが秋月はそれら全てを迎撃する戦術を取っていた。

 それを成立する為、砲弾や機銃も捕捉できる程レーダーの精度を上げていた。それが仇になったのだ。

 

 だったら視界を開けば良い。目視で迎撃すれば良い。

 

 秋月は砲撃の風圧でスモークを払おうとする。そこへ追加のグレネードが突っ込んで来る。三式弾と三号爆弾の中にもスモークグレネードが紛れていたのだ。

 

「追いグレネードはいかがですかー!」

 

 卯月の奇怪な叫びに苛立つが、実際打つ手がない。次々と撃ち込まれるスモーク弾のせいで視界を確保できない。レーダーもばら撒かれた弾子のせいで役に立たない。防空もクソもない。いくら秋月と言えども捕捉できていない状態での砲撃は、低精度にならざるを得ない。

 

「パラシュート開放! 減速したら落とされる前に着地、視界を確保される前に降りて下さい!」

「サーイエッサーっぴょん!」

「いい加減叩き潰してやるわ、秋月!」

 

 その勢いのまま一同は降下しようとする。しかし、そこで秋月が動いた。パラシュート解放により減速した。つまり他の弾子と違う動きになる。そこを見破られた。秋月は卯月たちを捕捉してしまった。

 

「見えました。全員空で散って下さい!」

 

 卯月の地獄耳がその一言を捉える。自由に動けない空中で、しかも至近距離で砲撃が来てしまう。回避は不可能だ。

 逃げられない、死んでしまう! 

 大慌てで卯月は不知火目がけて叫んだ。

 

「ばばばバレたっぴょんどうするぴょん!?」

「問題ありません、熊野さん!」

「お任せくださいまし。主砲一斉射、とぉぉぉうッ!」

 

 その合図と同時に、熊野が主砲を秋月周辺へ放つ。しかしどれも当たらなかった。

 今のは一体。何故一発も当たらなかった。

 肌を撫でるだけに終わった爆風を受けて疑問を覚える秋月。だが答えは、直ぐに現れた。熊野の砲撃がスモークを吹き飛ばしたからだ。

 

 これにより秋月の視界が確保された。命中精度は更に上がる。

 これで確実に仕留められる。

 そう考えた秋月は、照準を上空の卯月たちへ向け敵を凝視した。それが仇になるとは知らずに。

 

 次の瞬間、秋津は何も()()()()()()()

 

「な!?」

 

 確かに熊野はスモークを吹き飛ばした。秋月は視界を確保できた。

 だが、卯月たちの背後には──強烈な光を放つ『夕日』があったのだ。視界不良の状態からいきなり強力な光源を直視したせいで、秋月の目は一瞬だけ潰されてしまったのだ。更には卯月たちの影が夕日に覆い隠され、更に視認困難となる。そのショックで電探を確認する余力さえなくしてしまった。

 

「着地成功!」

「戦場へ到達だクマ!」

「ふう、一仕事完了ですわね」

 

 秋月を無力化した一瞬を突いて一気に着地。秋月の防空網を物量のゴリ押しで正面突破してしまったのである。

 見事な三転着地を決めた不知火は、頭をゆっくり上げながら彼女に話しかける。

 

「何事も戦いは物量です。強力な個は、物量で圧殺するに限ります。そうは思いませんか、秋月さん」

「……タイマンでは私に勝てない。そう認めたってことですか」

「はい。戦場ですから。タイマンなんて考えはイ級に喰わせました」

 

 着地の衝撃も加わって、広がっていたスモークが完全に晴れる。

 大量の弾幕を用いた空中からの奇襲作戦。

 その前までは、空母のイロハ級がかなりいた。正面からぶつかれば確実に制空権まで奪われた。しかし今ここにいる空母は、たったの2隻だけだった。

 

 空母だけではない。空中からの攻撃をまともに受けて、連れてきた顔無したちもかなり沈められてしまった。戦いが始まってさえいない時点で、戦力を大幅に減らされた秋月は、苛立ちを隠そうともしない。

 あろうことか、その残骸へ、主砲を向けた。

 

「なんてザコ、汚物共が、こんな奇襲でくたばるなんて、地獄へ落ちて下さいよ」

 

 残骸の顔無しを撃ち殺そうとした瞬間、満潮が走りだそうとした。卯月は無感情にそれを眺める。いずれにせよ間に合わない。一歩踏み出した瞬間、その顔無しだった残骸は塵芥へと帰ってしまった。

 

「ああちょっとスッキリしました……おっとお待たせしました、少し掃除をしてまして」

「掃除って……仲間でしょ、それでも」

「は? 満潮さんこそ何を言っているんですか。こんな物のは手足の生えた特攻兵器です。突撃して自爆もできないんじゃ、死ぬしかないですよね? むしろわたしを少しスッキリできたんですから、ソレも本望でし」

「隙ありぃぃぃぃ!」

 

 と卯月がいきなり主砲をぶっ放す。同時に魚雷も放つ。ついでに機銃も一斉射。

 構えるまでの動きが見えていたから秋月はすぐ反応、砲撃は迎撃、魚雷は踵卸からの津波で無力化、機銃は回避するまでもなく艤装で受け止める。当然無傷だ。

 

「いきなり何するんですか。秋月は満潮さんと話していたんですが」

「満潮オメーバカかっぴょん!?」

「な、なによ」

「今更対話の余地なんてあるか! 雑談はもう十分してきたぴょん。こいつがクソ下衆ビチグソ女ってのも分かりきったこと、なのに何悠長に馬鹿な会話してんだぴょん!」

 

 凄まじい暴言の嵐に呆気にとられる満潮だが、確かにと自戒した。

 この秋月がクソなのは今に始まったことではない。言葉で確認しようとした私は確かに愚かだった。会話の必要性は全くない。

 

「もういい加減たくさん……今日でお終いだ、ケチョンケチョンにしてそのニヤケ面をデスマスクにしてやるぴょん! 顔無しも、お前も、全員皆殺しだぁ!」

「それはこちらのセリフです、裏切り者は今日こそ始ま」

「ファイヤァァァァ!」

「ああもう!」

 

 宣言通り。聞く気ゼロ。秋月の妄言なぞに耳を貸す必要は絶無。奇襲は成功、しかしまだ航空戦力が潜んでいる可能性は大。

 油断ならない状況下の元、秋月との三度目の戦いが幕を開けた。




三式弾+三号爆弾+WG42+スモーク弾+砲撃+魚雷+機銃+爆雷+艦載機の機銃アンド爆弾アンド魚雷の一斉投下。
ここまで一斉に放り込めばレーダーなんてないも同然。
戦いは数だよ兄貴!

……秋月のレーダーが鈍感だったら詰んでたのはナイショ。


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第126話 秋月壊①

 空中からの奇襲を成功させ、航空戦力を大幅に削ることに成功した卯月たち。しかし更に奥に控えているであろう鈴谷(仮)は健在。後方に他の空母がいる可能性も大。顔無しもまだまだ健在。油断ならない状況の中、卯月の砲撃を合図に戦闘が始まった。

 

「脳漿弾けて、くたばれぴょん!」

 

 殺意を抑える気はゼロ。

 任務だから救出はする気はある。逆に言えば死なない程度なら何をしても良いということ。洗脳されている被害者だとか、そんなことはどうでもいい。徹底的に痛めつけなければもう気が済まなかった。

 

 しかし、憎悪だけで勝てるのなら苦労はない。

 正確に秋月を狙った砲撃は、逆に軌道が読みやすい。あっさり迎撃されてしまい、一発も届かなかった。

 

「何度も何度も何度も、そんな半端な速度の砲撃が、この秋月に当たる訳ないでしょう。学習能力のない馬鹿ですね」

「そのバカを三度も殺しそこなってるのはどこの誰だったかしら」

「減らず口を!」

 

 立て続けに満潮も砲撃戦に参加。二人掛かりで攻撃して注意を引き付けてる。その間に飛鷹たちは、事前の作戦通り顔無し掃討のため動きだす。それまではたった二人で秋月を引き付けなければならない。

 できるかどうか不安は大きい。それでもやらなければならない。僅かな不安を満潮は呑みこんだ。

 

「アンタ程度に勝てなきゃ、私の存在意義がないのよ……!」

「存在意義とかいきなり何言ってんだぴょん」

「独り言に一々突っ込むな!」

 

 卯月の恐るべき地獄耳にキレる満潮。その一瞬、卯月は満潮の方を向いていた。

 

「慢心していますね貴女」

 

 視界に入っていない状態から放たれる超高速の砲撃。もう見てからでは間に合わない。

 しかし、卯月は最初からそれを捉えていた。

 砲弾が給弾され、装填される音が完全に聞こえていた。態々見なくても反応可能、卯月は余所見したまま攻撃を回避した。

 

「このうーちゃんの地獄耳を忘れたのかぴょん! お前の攻撃なんて、もう当たんないぴょーん!」

 

 何も聴覚だけではない。鎖帷子を着込んだ他、地獄のような訓練を潜り抜けた成果か、卯月の動きは以前よりも格段に良くなっている。まさに兎のようにちょこまかと跳ねまわり、狙いにくい動きとなっている。

 良い感じに攪乱できていることに卯月は調子に乗り、秋月をおちょくっていく。

 

「ホレホレ砲撃が止まってるぴょん。まさかうーちゃんの美貌に見惚れて……!? キャ! 照れちゃうー」

「ふざけないでくだ」

「隙ありじゃ死ねー!」

 

 反応した途端コレである。そもそも会話しているようで、卯月は会話なんてしていない。今更秋月と話すことなんてない。頭の中にあるのはどうやって叩きのめして、痛めつけて、叩きのめすか。それしかない。ふざけた態度もその一環でしかない。

 

「やりにくい。ですが、その程度では」

「私を忘れるな! 今日を命日にしてやる! そのニヤケ面を恐怖に染めてやるわ!」

「戯言は止めて下さい。殺す気もない癖に」

 

 その一言に満潮は少し顔を顰めた。

 卯月とは違い、満潮は()()()にはなれなかった。殺すつもりでは戦えても、本気の殺意を持っては戦えない。あくまでD-ABYSS(ディー・アビス)による犠牲者、その認識が強かった。

 

 だが、それを改めるつもりは毛頭ない。

 

「殺さないわ。だから死ぬ寸前まで痛めつけるのよ、こっちだっていい加減苛立ってんだから!」

 

 何度も何度も負けて撤退する羽目になった。満潮も相当なストレスを溜めていたのだ。殺意はなくとも敵意はある。今更傷つけることに抵抗なんてある筈がない。

 その叫びと同時に満潮も砲撃を放つ。前の戦いで挟み込んでも大して意味がないのは分かっている。なら火力を集中させた方がマシ。卯月と同じ方向から、砲撃を重ねて放った。

 

 二隻同時かつ着弾箇所はほぼ同じ。風の動きが悪ければ、お互いの砲撃がぶつかり合ってしまうような距離。

 だが、嫌というほど訓練したのは無駄ではなかった。

 卯月と満潮の砲撃は、お互いにぶつかることなく、全弾同時に秋月の元へと殺到したのだ。

 

 だが、それでも所詮は駆逐艦二隻分の砲撃でしかない。

 

「長10センチ砲ちゃん、やっちゃって、いい加減ここで殺しちゃって、秋月だってうんざりしてるんですから」

 

 主と同様、悪意に満ちた光が超10センチ砲ちゃんの目に灯る。次の瞬間、強烈な爆風と共に砲撃が全て破壊された。

 今までと同じだ、圧倒的連射速度による対空砲火。それによって二人の砲撃は全部落とされてしまう。

 

 しかし撃つのは止めない。砲撃すれば迎撃してくるが、その際反動で動けなくなる。回避行動ができなくなったところへまた攻撃を浴びせ、迎撃を誘発する。そうすればいずれ弾切れに追い込むことができる。

 

 今までの戦いでは隔絶した能力差のせいでそれができなかった(主に卯月)が、度重なる戦闘で動きに慣れたのと、練度向上が相まって、対応できるようになっていた。僅かな砲身を動きを頼りに射線から逃れ、再度狙いを合わされる前に攻撃を仕掛け、それを抑え込む。

 

「……なるほど、強くなっていますね。無駄な戦いをしに来た訳ではな」

「喋っている暇はねえぴょん!」

「いえありますよ」

 

 奇襲気味に放たれた雷撃だったが、回し蹴りで海面を叩かれた衝撃で軌道が逸れてしまう。分かりきっていたことだが話している最中の奇襲は何度も通じない。ただの嫌がらせだったが、効かないのはそれはそれでイラっとくる。

 今の宣言通り、二人の攻撃を捌きながら秋月は口を開く。

 

「前より勝率は上がっている、そう見込んでいるんですね。ですが甘い。努力とかそんなものでどうにかなると思っているんですか?」

 

 明らかに小馬鹿にしている様子に、卯月は更に怒りを高める。

 

「喧しいダラダラ話すなバカ纏めろぴょん!」

「パワーアップしているのは、秋月も同じということですよ」

「……ぴょん?」

 

 瞬間、秋月の纏うオーラが、一段と強く輝き──赤色が()()へと変色した。

 

 不味い。絶対に不味い! 

 

 これまでの秋月と違うと本能的に理解する。背筋が冷たくなる。生存本能が警鐘を鳴らす。卯月たちは攻撃の手を一時中断し、一気に距離を取る。

 その判断は正解だった。

 しかし、それは無傷で済むという意味合いではなかった。逃げないよりマシという意味合いしか持たない。

 

「一網打尽です!」

 

 秋月が砲撃を連射した。今までと同じことだった。だがその規模が今までと比較にならない。

 

 それは最早砲撃ではなく、巨大な()だった。

 

「がっ……!?」

 

 正確には壁ではない。壁と同然になるまで高密度と化した砲撃の塊だ。最も喰らう側からしたら壁と変わりない。

 瞬きする一瞬で何十発放てばこうなるのか。既に秋月の砲撃能力は人間が近くできる領域を越えてしまっていた。

 どう回避すれば良い。回避なんてできるのか。卯月は必死で対処方法を考える。そうしている間にも壁が迫る、既に数センチの距離である。

 

「喰らってたまるか! こんなインチキ攻撃、私は認めないわ!」

 

 先に動いたのは満潮だった。

 満潮は壁の中央に狙いを済ませ、砲撃を立て続けに()()発射した。その狙いに気づいた卯月は二発目に重ねて同じ場所目がけて砲撃を放つ。

 一発目の攻撃が当たるが、異常な速度と威力に弾かれる──だが、鉄塊同士の正面衝突、僅かながら亀裂が入る。

 

 その亀裂に二発目が直撃した。

 

「密集体形なんて、全部誘爆させればお終いでしょうが!」

 

 壁のように密集させている。つまり一発が爆発すれば誘爆を狙える。そうでなくとも、爆発の衝撃で陣形が崩れる。砲弾同士がぶつかり合って逃げる隙間が生まれる。見た目はえげつないが冷静になれば対処できる。

 

 予想通り、砲弾が破壊され爆発が発生、周囲の砲弾は壊れなかったが陣形は崩れた。黒煙に隠された僅かな安全地帯へ二人は非難する。

 そのほんの一瞬、卯月たちの視界は黒煙で塞がる。耳も爆発で隠されてしまう。

 秋月はその瞬間を見逃さなかった。

 

「これが一回しか撃てないとお思いで?」

 

 その安全地帯目がけて二射目の『壁』が発射された。発射音は爆炎で聞こえていない。黒煙で視界は阻害。これが来ていることに気づけず、卯月たちは潰されることになる。秋月はそう思った。

 なのに卯月たちは、再び主砲を同じ場所へ構えた。

 

「えー聞こえてるぴょーん。カッコつけちゃって、キャー恥ずかしいっぴょんー」

 

 秋月は卯月の地獄耳を、少しばかり舐めていた。

 

 爆炎の中でも、その激烈な壁弾幕の発射音はしっかりと聞こえていた。音さえ聞こえていれば大まかな場所は分かる。卯月の至近距離にいるおかげで、満潮もだいたいの動きが察せられる。再び息を合わせて、二射目目がけて攻撃を二重で撃ち込む。

 

 一つの砲弾を破壊できれば連鎖爆発を起こせる。二射目も破壊に成功した。黒煙の中からでも卯月の地獄耳は攻撃を正確に捉える。

 

「それが何時まで持つか見ものです」

 

 しかし、秋月の攻撃はこの程度では終わらない。パワーアップに応じて残弾数まで増えている。こんな大量砲撃を行っても尽きる気配がまるで見えてこない。

 挙句、元から酷かった砲撃速度まで上がっている。密度が高すぎて隙間を潜ることも不可能。人一人分の隙間もない。

 

「ヤバイヤバイヤバイ! こんなの何時までも持たないぴょん!」

「耐えるしかない、残弾が増えてるっぽいけど、向こうだってこんな攻撃長時間はできない筈よ!」

「はいそうです。なので改良しました。()()()()

 

 パチンと指を鳴らす。海中から何かが浮上してくる。

 それは前の戦いでも見た輸送ワ級flagshipだった。以前は触手を使って内部へ取り込み安全な補給を可能にしていた個体だ。

 

「何をするきだぴょん、また変態行為に及ぶ気か!?」

「放置する理由はない! 今すぐ潰さないと……!」

「できるとお思いで?」

 

 満潮の言う通り今潰さないと確実に面倒なことになる。何とか攻撃を通したい。だが防壁と化した高密度砲撃がそれを許さない。次から次へ。即死トラップの迫る壁めいて矢継ぎ早に飛来する攻撃を捌くので精一杯。

 

 そうこうしている間にワ級が動きだしてしまう。ワ級は艤装にくっついている腕を外す──それは腕ではなく触手だった──そして、その触手を、秋月の艤装へ繋げた。

 接続時に何かがあるのか、秋月はビクンと身体を震わせる。

 

「んあっ!」

 

 嬌声を放った後も秋月は心地よさに浸っていた。強烈なものではないが、ぬるま湯に浸っているような心地よさが続く。魂の奥底まで深海に染め上げられた秋月にとっては、そのエネルギーを注ぐ補給行動そのものが、快楽として感じるよう調()()されていた。より自ら堕落を望むように。

 

「がーイライラする! 戦場でどこまでもふざけやがって!」

 

 卯月の発言に信じがたい顔をする満潮だが突っ込んでいる暇はない。あの触手はなんなのか。何故艤装に繋がっているのか。少し考えれば分かること。単純だが故に恐ろしいことが起きていた。

 

「あいつ、戦いながら補給してる!?」

「はっ!?」

「あれじゃ弾切れなんて起こせないわよ!?」

 

 言わずもがだが補給は本来安全な場所で行うものだ。補給船が極めて脆弱だから。更にどちらかが動いていたら補給作業が行えない。

 

 しかし、この秋月の場合は例外が成立する。

 まず秋月の防空能力が異常であること。補給艦への接近・攻撃を全て阻むことができる。更に秋月がその場からまず動かない戦術を取ること。お蔭で安定して作業ができるのだ。

 

「どうしましたか。補給艦の残弾も無限じゃありません。弾切れは起きますよ。それまで頑張って耐えて下さいね!」

 

 狙っていた作戦がほぼ不可能になったことが嬉しくて仕方がないのだろう。珍しく声を上げて下衆な笑顔を浮かべる秋月。

 追い詰められる程卯月の激情は膨れ上がっていく。秋月への怒りに加えて自身への不甲斐無さも加わっていく。

 

 今しかないのか。ギリギリで一瞬迷う。一度解放したが最後、体力の限界を超えるまで任意解除はできない。

 

 しかし今のままでは、耐えきることができない。残念ながらこの砲撃を捌き切れるだけの火力が絶対的に足りていない。

 

「満潮」

「なに!?」

「今から、キレるぴょん」

 

 鬱憤はもううんざりする程溜まっていた。何度も撤退する羽目になったせいでストレスはたまり続けていた。今もそうだ。ふざけたチートで暴れ回り、貰った力で得意げになっているのが気に入らない。

 何よりも、ここまで一方的にやられている、自分自身が許せない。

 耐えて、耐えて、今まで耐え続けた激情を、卯月はこの瞬間──爆発させた。

 

「が……ああアアアアッ!」

 

 身体が一気に熱くなる。自分自身が燃え尽きそうな程、怒りと憎悪が溢れ出す。一度開けたそれはもう止まらない。人格も記憶も、何もかもを根こそぎ呑み込んで、全てを怒りで塗り潰されていく。

 

「アっ!? が、んあ!?」

 

 同時に流れ込んでくるのは、今度は気がおかしくなりそうな快楽だ。出力の強制向上のお蔭だ。秋月のものと拮抗する出力によってエネルギーを取り込むことに成功したのだ。

 だがそれは、深海の悪意が流れ込むことを意味する。

 怒りとないまぜになり、黒い感情が無理やり流し込まれる。怒りで自壊しかけた心が一気に浸食される。

 わたしが消えそうになる。怒りと快楽で壊れる。

 

「さっさと制御しなさいよノロマ! 気持ちの悪い嬌声なんて聞きたくないのよ!」

「……ッ!!」

 

 それら何もかもが、殺意へと収束されていく。怒りも快楽もどうでも良い。全ては目的達成の為。秋月抹殺のため。目の前の浸食された奴を殺すことが全て。

 感情を満たすため目的が生まれる。目的達成の為感情が統率される。目的──即ち意志。その究極系である『殺意』が生まれた。

 

「──D-ABYSS(ディー・アビス)解放!」

 

 ブワッと衝撃波が戦場を突き抜けた。

 

 一瞬だけだがそれに怯んだ秋月。作動できなくした筈のシステムが動いていることに、少なからず衝撃を覚える。

 

 紅い眼光、紅いオーラ。深海棲艦の如き気配と、重苦しく鋭い殺意を全身に纏う卯月がそこにはある。

 

「お待たせぴょん!」

 

 しかし口調だけはいつも調子で、卯月は二パっと笑っていた。




卯月「しかしシステム解放の度に快楽が走る仕様はなんとかならないのか。毎回毎回艶めかしい嬌声が響いたら、皆うーちゃんに魅了されちゃうぴょん。うふっ」
満潮「耳が腐る声ね」
卯月「シヌガヨイ」

しかし敵からしたら、相手がいきなり嬌声を上げたら、直後殺意の化身が立っていたとか、そんな感じの恐怖映像に。ある意味有効か。代償はうーちゃんの評判。


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第127話 秋月壊②

 深紅のオーラを纏い、深紅の眼光を光らせ、漆黒の殺意を纏い、秋月と相対する。

 D-ABYSS(ディー・アビス)を解放させながらも悪意に呑まれず、全ての感情を糧として殺意その物と化した卯月がそこに立っていた。

 砲撃の手が一端止まる。油断ではない。秋月自身が極めて不快だったから。

 

「……気に入りませんね」

「なにがだぴょん? テメーと同じD-ABYSS(ディー・アビス)。それを使っていて、何が不満だぴょん?」

「卯月さんのような裏切り者がその力を振るっていることにですよ」

 

 秋月からしたらD-ABYSS(ディー・アビス)()()である。幸運にも『主様』に選ばれた自分たちに与えられた、至高の幸福と圧倒的な力。何物にも代えがたい快楽を得ることができる素晴らしいモノ。

 なのに卯月は違う。それを『主様』を抹殺するために使っている。一度は忠誠を誓った癖に尚裏切って牙を剥けている。頂いた力をくだらないことの為に使う裏切り者だ。気に入る訳がない。

 

「違うね、嘘を吐いたなお前」

「は、なにを」

「もう一つあるでしょ。使えない筈のD-ABYSS(ディー・アビス)を使えている。それがまた気にくわない。そうでしょ?」

 

 その指摘に秋月は口を閉ざした。それは肯定しているのと同じ。まさしくその通りだった。所詮は最弱の駆逐艦、システムを使ったとてたかが知れている。と言いたいが、それでもシステムの力は強烈。実際それで片足を潰されている。

 だから、作動できないよう対策をして貰った。周辺海域のエネルギーを全て取り込むことで、作動できないようにしたのだ。

 北上の予想通りだったのである。しかし気づかれるとは思ってもいなかった。こんなザコたちに気づかれたことも怒りの一つだった。

 

「嘘はいけないなぁー、嘘なんて吐かれるとねー、このうーちゃん……ますます殺したくなっちゃうな!」

 

 殺意に従い卯月が砲撃を放つ。たった一発。だが速度も威力も今までの比較にならない。秋月は即座に迎撃。撃ち落とすことはできたが、砲弾越しでも威力の違いが感じられる。システムの恩恵を存分に受けている。

 

「だからなんですか。知っているんですよ、秋月とは違って卯月さんのそれ、時間制限があるんですよね。水鬼を倒した時血を噴いて倒れてましたからね。所詮は一時的な力でしかな」

「その通り故に時間がないからもう殺すからね死ねっぴょん!」

「またですか!」

 

 またである。むしろ時間制限ができたことで余計に話しを聞かなくなっていた。

 

 秋月の基本戦法は変わらない。とてつもない密度の砲弾を一斉射、文字通り5~6平方メートルの疑似的な『壁』を作り上げ、それを相手が死ぬまで続ける。常に補給艦と繋がっているから弾切れの心配はない。

 

 だが、卯月のパワーアップは確実に戦局を一転させていた。

 

「どーしたどーした! さっきまでのエラソーな口ぶりはどうしたぴょん! ホラ言ってみろ、効きませんよーってな!」

 

 分厚い砲撃の壁が一撃で破壊される。連射速度が上がったせいで後続の『壁』も対処されてしまう。秋月も大概だから攻め込まれはしないが、押し込むことができない。それでも卯月だけなら現状維持ができる。向こうだっていずれは弾切れだ。

 

「私を忘れないでって、言ったでしょうが!」

 

 そこへ満潮のサポートが加わる。システムがない以上戦闘力は劣るが、経験は彼女の方が圧倒的に上。卯月が破壊した隙間から砲撃を突っ込み、秋月の行動を阻害する。雷撃による不意打ちを抑え込まれる。

 連携の習熟度も比較にならない程上がった。そこへシステムの強化。少しずつだが卯月たちが押しつつあった。

 

 何故そうなっているのか。いくらシステムの恩恵があってもあり得ないことだ。訝しむ秋月は不意に気づいた。

 自分の弾速そのものが、僅かに低下している。

 だから卯月たちに、対処され易くなっていたのだ。その原因は明らかだ。

 

「これは……力を奪われている……引き負けている……!?」

 

 卯月がエネルギーを取り込めているということは、秋月は取り込めなくなっているということ。取れる力が少なくなればその力は低下していく。一方卯月は強化されていく。アドバンテージが消えていく。

 

「このまま一気に叩き潰してやるぴょん! 行くぞ満潮!」

「わたしに命令すんなクズ!」

「……調子に乗らないでください!」

 

 押し込まれている。その事実が認められない秋月は吼える。

 

「仕掛けが分かったから何だと。そんな小手先がこの秋月に効くとでも!」

「いや効いてんじゃん」

「黙りなさい! すぐ引っ繰り返してあげます、このように!」

 

 秋月の身体が──纏うオーラが一層強くなる。同時に卯月は身体から力が抜けていく感覚を味わう。システムの出力を上げて押し返そうとしているのだ。

 それに対抗したい。しかし卯月は出力を自在にいじれない。艤装本体はできるがシステムのはできないのだ。

 しかしながら、その動作中は僅かながら動きが鈍る。秋月も秋月で自分の限界を越えないよう慎重にやらなければならないからだ。

 

「させるかぴょん!」

「援護する! さっさと始末してきて!」

「アイアイサー! 全てを出し切るっぴょん!」

 

 残ったエネルギーを燃やし卯月は最大加速で突撃する。追いつけない満潮はその援護に回り、迫る壁や雷撃を出来る限り減らしていく。全部は到底無理だが何度も戦った経験と培った連携で、必要な分は排除できる。

 そして出来上がった場所を駆け抜け、一気に距離を詰める。今まで取り込めていた力全部を出し切っただけあり、あっと言う間に秋月の眼前に迫った。

 

「取られる前に、その心臓もぎ取ってやるぴょん」

「減らず口を叩く口ごと頭を撃ち抜いてあげましょう」

「え? 鏡見たら?」

「……死ね」

 

 もうまともに取り合わなかった。一言殺意をぶつけて砲撃を放つ。無理矢理エネルギーを取り込んだお蔭で元の力に戻った結果、その破壊力は凄まじいモノへと変貌する。頬を掠めるだけで衝撃波が走り意識が飛びそうになる。

 

 だが飛ばない。卯月は気を失わない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。異常なまでの殺意は人体構造すら超えていた。

 脳が揺さぶられようがどうでもいい。主砲を秋月の目玉へ合わせて即発射。卯月の火力ではそういった場所にしかダメージが通せないのだ。

 

 その一撃が懐に入る前に長10センチ砲の片方が迎撃する。砲弾同士の爆発に吹き飛びそうになるも、殺意で堪えて突っ込む。黒煙の中、もう片方の長10センチ砲が旋回する音が聞こえた。そこ目がけて爆雷を投擲、その直後砲弾が発射された。

 卯月への直撃コースだったが、爆雷に当たったことで爆雷が爆発、その衝撃により軌道が逸れていった。

 

 この時点で、もう片方の長10センチ砲はリロードを終えていた。だからこそ卯月はそこへ魚雷を投げ飛ばした。

 秋月は受けてもダメージにならない。深海棲艦同等の外皮を持っているから。

 だが以前発覚したように、秋月の姿勢は極めて不安定だ。発射直後は反動に耐えるせいで余計不安定に。そこへ何か受ければ、即姿勢が崩れる。

 

 故に秋月は、取るに足らない魚雷でも迎撃せざるを得ない。迎撃自体は容易だがそのせいで一瞬、両方の長10センチ砲を使うことになってしまった。

 卯月はリロードしない。その時間が惜しい。武器なら主砲以外にもあるのだから。流れるような動作で()()()を取りだし切りかかる。狙うは眼玉。

 

「ショック死させてや……いや死ぬのはダメだったぴょん。死ぬほど苦しめてやる!」

 

 しかし、その一撃は届かなかった。

 

 ナイフの刃に触れないよう、腹の部分を手の甲で押しのけていたからだ。

 

「二度もやられませんよ! あんなのは御免です!」

 

 以前のアレ──目玉を爆発させて海水をぐりぐり練り込んだこと──は凄まじいトラウマになっていた模様。その分警戒している。同じ手は何度も通用しない。

 そして、そこで時間切れとなった。

 卯月から赤いオーラが失われた。エネルギーが全て尽きたのだ。もう強化されていない只の艦娘に戻ってしまった。

 

「残念でした」

 

 秋月は焦っていたが余裕のある下衆な笑みに戻る。長10センチ砲は両方もう使える。

 

「何か企んでいるようですがムダでしたね!」

 

 そして後方から満潮が迫っているのも電探で気づいていた。何を目論んでいるかは知らないが、ただの卯月と満潮なら、この距離からでも始末可能だ。長10センチ砲が対処してくれる。

 しかしまずは卯月から始末しようとする。何故ならばD-ABYSS(ディー・アビス)を勝手に使う裏切り者だからだ。

 

 が、その時秋月は見た。

 

 腰の懐に二本目のナイフが煌めいているのを。それのグリップを握る卯月を。秋月は警戒を何段階も跳ね上げる。

 だが片腕はまだフリーだ、振るわれても対処可能だった。

 それこそが卯月の目論見とは気付けずに。

 

「うーん、実に理想的反応ぴょん」

 

 それを見た時点で、卯月の策に嵌っていたのだ。

 

 突如、卯月は持っていた主砲を手放した。そして流れるような動きで制服の内側から拳銃を取り出した。妖精さんが搭載された拳銃を。

 

 迷いはない。即座に発砲された。

 

 秋月はその拳銃が只の銃でないと気づいていた。

 しかし気づけても対処できない。秋月の目線はナイフへ集中していた。そのせいで拳銃に気づくのがコンマ数秒遅れてしまったのだ。

 

 もっとも、そう反応すると卯月は予測していた。前回ので秋月はナイフにトラウマがある。取りだせば必ず警戒するし見逃さないだろう。

 逆に言えば、絶対にナイフ側に注意を逸らせるということ。

 

「迎げ──」

「間に合う訳ないだろぴょん」

 

 長10センチ砲は背後に満潮に、片腕はナイフを押しのけ、もう片腕は二本目にナイフ用に残していたせいで、咄嗟に動きを変えられない。

 間に合うとすれば長10センチ砲。だが、そうなれば背後の満潮が何かを仕掛けてくる。そうして見てしまったのはロケットランチャーを構える彼女の姿。

 

 あれは何だ。あのランチャーはなんなんだ? 

 

 武装を理解しようとしてしまう。疑問を抱いてしまう。それは当然致命的な隙となる。

 

 もう間に合わない。拳銃の弾丸が、秋月の艤装の隙間に挟まった。

 

「チッ!」

 

 何故人間体でなく艤装を狙ったのか。分からないが嫌な予感しかしない。秋月はすぐ弾丸を摘まんで取り出す。しかし手遅れだ、妖精さんはもう艤装内部へ突入してしまっていた。

 妖精さんは予め与えられていた任務に従いシステム内部へ一瞬で侵入する。艤装の構造自体は艦娘と変わっていないのが仇となる。

 

「なにを──!?」

「その残念なオツムで考えたらどーだぴょん?」

 

 秋月は少しだけだが、力が抜け落ちていくのをまた感じていた。それと同時に卯月の目に、僅かながら閃光が灯る。

 その時点で何が起きているか理解した。

 怒りが一気に噴出する。主様から頂いた祝福が内部から犯されている。怒り狂わない理由がなかった。

 

「よくも、主様の下さった祝福を、よくも!」

「ダメ押し、行くわよ!」

「このっ、近付かないでください、長10センチ砲ちゃん!!」

 

 背後から突入する満潮へ長10センチ砲による砲撃を仕掛ける。しかしシステムの恩恵が下がっている状態ならば、卯月にもギリギリ対処可能。立て続けに主砲を連射し撃ち落とす。むしろ爆炎を作り視界を妨害する。

 

「発射!」

 

 射出された特殊弾頭が、秋月の頭上目がけて飛来。一端回避する他ないと後退しようとした。そこへ卯月が仕掛ける。

 

「逃がすかー!」

 

 卯月はその弾頭を蹴っ飛ばし、着弾箇所を、秋月の()()()()へ変えた。

 そうなったら当然当たらない。逃げる方向へ落っこちて終わり。直撃を警戒していた秋月は拍子抜けした様子で、こちらへ向き直る。

 だが、逃げようとした時の加速がまだ残っていた。急に止まることはできず、着弾した後を踏み抜いてしまった。

 

「良い場所ね、褒めてあげるわゴミ卯月!」

「誰がゴミだこのノーコン!」

「まさか!?」

「そのまさかだぴょん。マ、ヌ、ケ!」

 

 気づいた時にはもう遅い。システムをハッキングされ冷静さを欠いたのが仇となる。満潮の発射したランチャーに入っていたのは、エネルギー流入を阻害する『布』。それが一瞬で脚部艤装へ巻き付く。

 纏っていたflagshipのオーラが薄くなる、弱体化しているのが一目で分かった。逆に卯月の紅いオーラが再び激しくなる。

 

「さて、ここからが第二ラウンドだぴょん」

「……この程度で勝った気に」

「え、聞こえないぴょーん? どうしたどーした、さっきまでの自信満々な笑みはどこへいったぴょん? ほらお前強いんだろ、だったらもっとドヤ顔で笑ってみろっぴょん。そんなんじゃ、ご主人様まで弱く見えちゃうぴょん?」

 

 作戦が上手くいき調子に乗っている卯月。とは言え油断はない。秋月から更に平静さを奪うべく挑発を重ねていく。

 その最中、戦場そのものが静かになったのに気づく。

 遠くへ目線を向ければ、散々響いていた爆音がなくなっていた。顔無しが掃討されたのだろう。

 

「お? 向こうから音がしないなー、顔無しが全滅したみたいだぴょん。一体多数が成立だぴょん。でも秋月ちゃんは強いからね、リンチでも問題ないぴょん?」

 

 このまま向こうの仲間と合流し、秋月を文字通り押し込めば、勝ち筋が見える。余裕をぶっこいているがシステムの作動限界も迫っている。急いでケリをつけなければ一瞬で逆転されてもおかしくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう、秋月ったら何やってるのさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 その音を聞き取れたのは卯月だけだった。恐らくは独り言。本当に呆れて呟いただけ。だがそんなことは問題ではなかった。

 

 卯月の知らない声だった。即ちそれが意味することは、ただ一つ。

 

 近海に潜んでいるであろう、もう一隻が動きだしたということ。その証拠にこちらへ急速に接近してくる音まで聞こえてきた。

 

 卯月は喉が張り裂けんばかりに叫んだ。

 

「みんな急げっ! 二隻目が動きだしたーッ!!」

 

 追い詰めたのか追い詰められたのか。戦闘は一気に決着へ転がり出す。それが勝利か敗北なのかは、まだ分からない。




鈴谷(仮)到達までのカウントダウンスタート。


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第128話 秋月壊③

色々言われているけど私はセルレギオス好きだよ?


 特殊兵装を用いて秋月のD-ABYSS(ディー・アビス)を弱化させ、こちら側のD-ABYSS(ディー・アビス)を作動させることに成功した卯月たち。戦況はこちら側に傾いたと誰もが思った。

 

 卯月の地獄耳がその独り言を聞くまでは。

 

「みんな急げっ! 鈴谷が動きだしたーッ!!」

 

 鈴谷(仮)と思われる独り言を卯月は聞き取った。その絶叫を聞いた瞬間真っ先に熊野が偵察機を飛ばした。僅かに遅れて飛鷹も偵察機を飛ばす。

 現状鈴谷がどこにいるかは分からない。

 独り言が聞こえたということは、近くに潜んでいる。そう考えたいが、たまたま風向きが良く、風に乗って聞こえただけという可能性もあり得る。

 

 奴が到達するまで何分かかるのか、二人が鈴谷を捕捉するまではその焦燥感に駆られる羽目になる。

 

「クソ! 折角圧勝ムードになってきたのに! なんてことだぴょん!」

「バカな理由をほざいてる場合じゃないでしょ焦んなさいよ!?」

「だってアイツ見て見ろ! ぜったいまたむかっ腹が立つ顔してるに決まってるぴょん!」

 

 神経を苛立たせる笑みを浮かべているに違いない。調子に乗った姿をまた見ないといけないのはかなりイライラする。

 卯月はそう思っていた。だが実際は違っていた。

 

「……な、なん、で」

 

 秋月は硬直していた。一目で分かる程顔は青ざめ震えだす。ガチガチと歯の音が止まらず、離れている卯月や満潮にまで聞こえてくる。どこをどう見ても増援を喜んでいる様子ではない。

 

「……ど、どしたっぴょん?」

「不味い、不味い、不味い不味い……急がないと、早く、早く! 始末しないと、殺しますから、直ぐに! 直ぐに! あああア゛アアアッ!?」

「バグってるー!?」

 

 悲鳴とさえ呼べない絶叫を上げて、秋月の猛攻が始まった。

 いったい秋月と鈴谷(仮)はどういった関係なのか。それはあの恐怖に駆られた顔を見れば大体察しがつく。

 だがそんなことは今現在全く関係ない。卯月は内心かなり焦っていた。

 

 残念ながら、卯月と秋月の力量差は未だ隔絶している。どれだけ特訓を積んでも、睦月型と秋月型では性能差があり過ぎるのだ。その差を埋めるには相手の油断を突くほかない。

 

 そう考えていたのに、秋月はいきなり本気になってしまった。

 

「ああ、あアアア!! 早く死ね、死んでえええ!?」

「どうなってんのアイツ!? 発狂してんじゃないの!? アンタ何かやったの!?」

「やってないし、うーちゃんに分かる訳ないぴょん!」

 

 文字通り嵐のような怒涛の砲撃が降り注ぐ。秋月自身を一切考慮していない自壊上等の猛攻撃。無茶な連撃に艤装が悲鳴を上げている。砲塔は赤熱し、亀裂が走り、一部からは火災が見える。

 妖精さんのハッキング等の阻害がある中で、D-ABYSS(ディー・アビス)の出力を強制的に上げているのだろう、その反動が襲い掛かっているのだ。

 

「不味い、あのままじゃアイツ、自爆するクマ」

「自爆したら寧ろラッキーじゃ」

「アンタ馬鹿! 捕縛任務ってこと忘れたの!?」

 

 色々な意味で止めなければならない。あいつを生かさなければならない。なんという状況か。卯月は頭を抱えて叫ぶ。

 

「ふ、不幸だぴょん!」

「喧しいですわ! さっさとアイツを止めますわよ!」

「ラジャー!」

 

 先ほどまでと違い、顔無したちを相手どっていた熊野たちがこちらへ合流している。数的には勝っている。

 とにもかくにも、攻撃しなければ始まらない。熊野の叫びを合図に一斉に砲撃を始める。五隻分の砲撃密度は先程までとは比較にならない。

 

 だが、暴走しかけた秋月の抵抗は凄まじかった。

 

 喉が割けそうな絶叫を続けながら、無茶苦茶な密度の砲撃を飛ばし続ける。システム出力は抑えられているのに、未だに壁のような弾幕を張り続けることができている。

 無茶をしているのは客観的にも分かる。未だ背後で繋がっている輸送ワ級まで火を噴き始めている。心なしか悲鳴まで聞こえてくる。

 

 どう押し切るべきか。そこへ不知火が叫ぶ。

 

「卯月さん、システムはまだ作動していますか!」

「え! あ、うんしてるっぴょん!」

「なら秋月へ接近してください。援護は不知火たちでどうにかします。満潮さんも行ってください!」

 

 指示が出たらもう迷うことはない。卯月と満潮は猛攻撃の中へ飛び込んでいく。

 

「卯月、貴女が死ねば! 秋月は!」

 

 卯月は秋月にとって最大の敵だ。彼女を視認した瞬間、攻撃が卯月へと集中する。

 壁のような砲撃が一人に向けて何重にも形成される。しかし卯月もシステムで強化されている。瞬間的に砲撃を連射して弾幕に道を作り上げる。

 

 爆風で視界が封じられるが、居場所は『音』で分かる。秋月目がけて尚進む卯月だが、その足元へ秋月は魚雷を発射した。

 壁の対処で精一杯の卯月には魚雷にまで対応する余裕がない。だからこそ満潮がいる。壁の側面から隙間を狙える場所に満潮はいた。

 

「冷静さは欠片もないわね、最初からあってないような物だったけど!」

 

 その側面から、眼下の魚雷目がけて砲撃を撃ちこむ。爆炎で視認できなくなっているが、直前の動きを注視していれば、十分予測可能な範疇。秋月の異常性は砲撃だけ。言ってしまえば魚雷は()だ。

 秋月だって、その妨害をそのまま放置したりしない。魚雷に集中する分他の警戒が薄くなる。そこを狙われた。

 

「邪魔です! 卯月の金魚の糞があアアあ!」

「誰が誰の糞よ!? ふざけんじゃないわよ!?」

「こっちのセリフぴょん!」

 

 と叫んでいる間に、満潮を狙った砲撃が飛来しかけた。だがそこに向かって爆撃が降り注ぐ。後方から艦載機を飛ばしていた飛鷹と熊野の援護だ。

 それが直撃しても、秋月は即死しない。しかし隙は晒す。それは危険だと、長10センチ砲の片割れを上空へ向け、対空砲火を放ち無力化する。

 まだ片方が動ける。満潮へはそちらを向け、即座に砲撃を行う。本体狙いに加えて回避しても当たる場所へ──が、満潮に当たる前に爆散してしまった。

 

「なっ」

「軌道が単純すぎます」

 

 結果的には満潮を狙った攻撃だ、回避場所を想定したら、撃つ場所は限られる。同じことを想定すれば、狙う箇所は分かる。不知火は予めそこへ砲撃を撃ちこみ攻撃を相殺したのだ。そうしている間にも卯月はどんどん距離を詰めてくる。怒りと焦り、更に数も増え、交戦のやり過ぎで手の内の殆ど読まれた。

 既に、ここに単独で追い込まれた時点で、秋月は途方もなく不利な状態なっていたのだ。

 

「さっさとケリつけてやるぴょん!」

 

 爆炎を割き再び眼前に現れる卯月。秋月は全ての射線を彼女へ集中させた。卯月だけでも排除しようと考えたのだ。

 

「貴女だけでも殺さなければ、秋月は、秋月は!」

「叫んでろ!」

 

 秋月の意識を逸らすべく、卯月は持っている武装全てを一斉に展開する。誘発材が塗られたナイフを片手に、ハンドガンを片手に握りしめ突貫する。

 それを相打ち覚悟で殺さんと、一斉に砲撃する秋月。砲弾の爆発に巻き込まれる射程だが気にしない。殺せればその方がまだマシだからだ。

 

「それで良い、良い反応ぴょん」

 

 しかし卯月は、要は済んだと言わんばかりに後退した。狙いをギリギリまで絞っていたせいで、砲弾は海面を撃つだけで終わる。

 秋月は追撃を試みる。ここで卯月を仕留めると決めたから意識がそっちへ引っ張られてしまったのだ。

 その上空を、大量の爆撃機が通り過ぎていった。狙いは秋月の背後、即ち補給ユニットである輸送ワ級だ。

 

「御愁傷さま、全部嘘だっぴょん」

 

 初めから狙いは秋月ではなく、背後にいた輸送ワ級だったのだ。しかしその為には秋月の対空砲火を一瞬でも止めなければならなかった。その為に、あたかも秋月を狙っている体を装ったのである。

 それでも秋月は諦めない。即座に砲塔を回転させて上空へ向ける。

 

「この程度十分間に合います! 主様から頂いた、この力なら!」

 

 更に全方位へ雷撃を放つ、これにより卯月や満潮は牽制され接近困難に。処理するにも時間はかかる。その間に爆撃は十分対処可能だ。

 その予測通り、秋月が砲撃した瞬間、空中の艦載機は軒並み爆散してしまう。対空砲火については、本当につけ入る隙がない。

 もっともそれは予想していること。卯月たちの目的はそんなことではない。だが気づかれてはならない故に、更なる追撃をかける。

 

「しつこい! 早く諦めて! さっさと死んでください! 秋月のためにも!」

「うるせー先にお前が死ねか降参しろっぴょん!」

「うるさい……うるさいっ!」

 

 今度発射されたのは、卯月、満潮、不知火、球磨四隻がかりの魚雷包囲網だ。そのままでは対空砲の射角処理外。秋月は足を振り上げて、津波によって対処しようとする。

 だが、その方法はもう通じなくなっている。

 発射された魚雷は特殊な技術で撃たれている。津波を越えることができる魚雷だ。ついでに今度は到達速度にも差をつけておいた。タイムラグをおくことで対応を困難にした代物だ。

 

 それらを処理しつつ、迫る卯月を迎撃することは秋月にも困難だった。だから彼女は選択肢を減らせる方法を選んだ。

 

 魚雷を気にしなくて良いエリア。即ち()()へ。

 

「一網打尽にします……長10センチ砲ちゃん! いくよ!」

 

 思いっ切り屈んでから、小規模な地鳴りが起きる程、強烈なジャンプを秋月が繰り出す。空中へ移動すれば魚雷は無視できる。今迫っている艦載機よりも先に、奥にいる空母を始末できる。こうなったら優先順位を変えるべきだ。秋月はそう判断して、跳躍した。

 

 しかし、その判断が誤りであったことを、秋月は思い知る。

 

 気づいた時には既に手遅れだった。

 

 卯月が球磨の主砲の()()に足を置いていた。

 

「狙いはワ級だと言ったな」

「──は?」

「あれは嘘だっぴょん」

 

 球磨がトリガーを引く。主砲が発射される。

 

 卯月はその主砲を加速器代わりにして、全力で()()へ跳躍──否、射出された。普通は砲弾の爆発に巻き込まれる。だがD-ABYSS(ディー・アビス)による強化を持って、卯月は加速された砲弾を足場代わりにしたのだ。

 

「でりゃぁぁぁぁ!」

「があっ!?」

「吹き飛べ、くたばれ、臓物ぶちまけて、星になれー!」

 

 予想外、かつ凄まじい速度に反応しきれず、秋月はその突進を腹で受け止めてしまった。挙句空中にいたせいで踏ん張れず、勢いのまま吹き飛ばされてしまう。卯月はそのまま腹に主砲を突き付け、風穴を空けようと試みる。

 重傷確定だが入渠させれば治るから一切問題はないと卯月は判断した。

 

 それでも、秋月も強化されている。

 そのフィジカルを持って卯月を蹴り飛ばし、反対方向へ長10センチ砲を発射、その反動で急制動をかけ着水する。

 顔を上げた秋月が目にしたのは、遠くで爆発する輸送ワ級。距離を離されたせいで護衛できなくなった以上、輸送艦なんて的でしかなかった。

 

「はぁ、はぁ、驚きましたが、この程度で秋月が!」

 

 秋月は未だ止まる気配はない。補給がなくなったのなら、残弾切れになるまでに殺すまで。そう言わんばかりに邪悪な殺意を滾らせていく。

 再び遠距離から近づいてくる卯月たちへ照準を合わせる。じきに卯月のD-ABYSS(ディー・アビス)にも限界が来る。そろそろ限界の筈。

 時間をかけるほど、勝ちに近づくのは、秋月の方なのだから。

 

「……やっとだ」

「は?」

「やっと、ついたぴょん」

 

 何かを呟く卯月を訝しむ秋月。その行動自体が、秋月の動きを少しでも止める為のもの。狙いやすくするためのもの。

 

 ()()()()()するためのものだった。

 

 

「射程距離内に! 到達したっぴょん!」

 

 

 瞬間、秋月は全身に強い衝撃を感じる。それが起きた場所に目線を向ける。視界に映った光景に言葉を失う。

 

 右側の長10センチ砲を収める固定ユニットに、綺麗な風穴が空いていたのだ。

 

 それだけならまだ良い。本当の問題はこの後に起きた。

 

 風穴がいきなり膨れ上がり、腫瘍が膨張していき、膨れ切った風船みたいに爆発した。

 結果、固定ユニットが完全に融解してしまい、長10センチ砲が一切旋回できなくなってしまった。

 

「溶けた!? 修復誘発材の、狙撃弾!?」

 

 今向いている方向は真正面。その状態で右の長10センチ砲が旋回できなくなった。それが意味するところは只一つ。

 右方向への攻撃手段を失ったということ。

 右後ろや、真横に直接攻撃ができなくなったのだ。

 

「バカな、どうやって!? 秋月の電探から、いったいどうやって!?」

 

 狙撃されたのは理解できる。

 だが、ただの狙撃なら電探で察知できた。それができなかったということは、索敵範囲外から撃たれたということ。

 それが分からない。大型電探の索敵範囲の更に外から、どうやって狙撃できたのかが一切理解できない。

 

 理解できなくとも攻撃は続行される。

 

 卯月以外の全員が右側に一斉に回りこむ。死角から攻撃するのは当然のことだ。秋月自身が回ればそこへ攻撃できるが、それを止める為に卯月がいる。真正面から攻撃を仕掛けて、射線を向けられないよう妨害していく。

 

「最大出力、トドメだぴょん!」

 

 艤装本体の出力を最大まで上げて秋月に掴みかかる。無防備な側面から砲弾の雨嵐が飛んでくる。蹴りも抵抗も、卯月に抑えられていてできない。

 文字通り全力で動きを抑えられている。ここから抵抗しても、どうやっても間に合わない状況に追い込まれた。

 

「あ、ああ、あああアア!?」

 

 打てる手が全て封じられた。もはや絶望するしかない。秋月が断末魔を上げるがそれさえも、爆音に呑み込まれた。

 

 かと、誰もが思った。

 

 たった一人を除いて。

 

「──ダメですわ、間に合わなかった!」

 

 熊野が喉が張り裂けんばかりの絶叫を上げる。次の瞬間、右側面に回り込んでいた熊野たちの頭上から、無数の爆弾が降り注いだ。

 瞬時に対空砲火に切り替えようとする、だが直後、足元に甲標的と魚雷が撒かれていることに気づく。

 秋月以上の高密度。熊野たちは距離をとって回避するしかなかった。卯月もまた、その隙に秋月の抵抗を許し、大きく吹き飛ばされてしまう。

 

 一体何が起きたのか。それは言うまでもない。熊野が叫んだとおり間に合わなかったのだ。

 

 瑞雲による爆撃の中から、鈴谷が姿を現す。

 

 そう、とうとう鈴谷がここまで来てしまったのだ。折角狙撃が成功したのに、間に合わなかった。悔しさに顔を歪める卯月。

 そんな感情露知らず、鈴谷が呆れた様子で呟いた。

 

「あーあ、ここまで追い詰められるなんて、何やってんのさ。怪我は大丈夫? あ、治ってるね。良かった良かった」

 

 報告通りだ。航空巡洋艦の装備をした()()()の艦娘。セミロング……よりミディアムぐらい、鎖骨ぐらいまで伸びた髪の毛が特徴的だ。

 こいつが鈴谷なのか。卯月は身構えた。

 卯月は気づいていない。その異常性に。知っている人からすれば、明らかな異常事態が起きていることに。

 

「……ちょっと。冗談でしょ」

 

 満潮は絶望していたが、混乱が勝っていた。

 

「満潮?」

「違う……絶対に、あれは、髪色だけじゃない!」

「な、なんだぴょん。どーしたぴょん!?」

 

 状況が呑み込めていない卯月が叫ぶ。理解できていないことに苛立ちながらも叫びながら説明した。

 

()()()()()()()()()()()()!」

 

 卯月には言っている意味が分からなかった。

 

「……は? だって、薄緑色の艦娘が、鈴谷だって」

「そうだけどそうじゃない! 艤装は鈴谷っぽいけど……でも、何なのアイツ!?」

「何だっていいから説明してぴょん!」

「あの艤装、あの外見は、鈴谷とは違う!」

 

 そして遂に、二隻目の刺客が正体を現した。

 

「あれは()()!髪が薄緑色になってる()()よ!」

 

 髪の毛や艤装だけが鈴谷の最上。最上なのだが一部分だけが鈴谷。

 

 以前撮影した写真は、直後撃墜されたこともあり、画像解像度が良くなかった。艤装の大まかな形状と髪色しか分からず、故に細かい判別ができなかったのだ。

 

 言葉の意味を呑み込んだ卯月は、漸く納得して、叫んだ。

 

「そんなパターンアリかっぴょん!?」




最上(仮)→鈴谷(仮)→最上(正解)というオチでした。上空からの荒い画像+髪色と艤装だけじゃ間違えてもしょうがない。
ところでボーイッシュなキャラが悪堕ちするのって良いですよね。筆者的には大好物です。


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第129話 秋月壊④

 秋月を追い詰めたと思ったのもつかの間。とうとう鈴谷が到達してしまい状況をひっくり返されてしまう卯月たち。

 しかし実際に増援として現れたのは鈴谷ではなく最上、髪色だけが鈴谷の最上だったのである。

 以前、飛鷹の撮影した画像は画質は荒く、髪色以外は正確に特定しきれず、故に鈴谷と誤認したのであった。

 

「も、最上さん……」

「治ってるってことは、これってアレかな、修復誘発材ってやつかな。始めて見たけど本当に直ぐ治っちゃうんだ、へー」

 

 最上は興味深そうに艤装の弾痕を眺めている。時間が経ちすぎたせいで、融解した艤装は元に戻ってしまっている。ここまで苦労してつけたダメージが水泡に帰した。

 最悪のタイミングで現れた最上に苛立つ。同時にチャンスを生かせなかった自分にも苛立つ。

 

「あ、あの、大丈夫です! 秋月に任せてください、こんな連中、最上さんが出る必要ないですから!」

 

 なのだが、やはり様子がおかしかった。秋月の様子がおかしい。とても増援を喜んでいる様子には見えない。

 だいたい予想はできる。仲は良くないのだろう。そりゃ深海の力で洗脳されただけの仮初の味方だ。歪になって当然だと卯月は思う。

 

「秋月」

 

 歪な関係だった、だが、その歪さは常軌を逸していた。

 

「僕喋ってって言ってないよね?」

「ッご、ごめんな」

「ねぇ秋月僕は話すなって言ったじゃないかたった今分かんないのかな!?」

 

 突如怒声を上げた最上。彼女は秋月の頭を掴み、そして。

 

「この口要らないね」

 

()()()()()()()()()()()()()

 

「──ッ!!」

「ふー、良し、これで言う事を聞く良いことなったね。良し良し!」

 

 航空巡洋艦の出力がD-ABYSS(ディー・アビス)で強化されている。だとしても異常な行為。

 最上は力任せに顎を引き千切った。骨も筋肉もくっついている。それを強引にねじ切ったのだ。

 当然、大量に出血してしまう。幸い(なのか全く分からないが)能力強化の恩恵で、血液の生成速度も上がっているから、失血死する様子はない。

 

 だが無事である筈もない。想像さえできない激痛に苦しみ蹲っている。下手をしたら気道に血が入って窒息してしまうだろう。最上はそんなことも考えていないのか。つい敵の心配をしてしまう、それ程卯月は混乱していた。

 

「な、なにをしてんだぴょん、お前!」

「え、僕?」

「一応仲間だろそいつ、何で戦力を削ぐ真似すんだぴょん、バカなのかお前!」

「いやだって、上官の命令を聞かないんだよ? そんな子は要らないじゃないか」

 

 最上はとても綺麗な、ドス黒い瞳でそう笑った。

 

「……は?」

「軍隊はそういうものじゃないか。上官には絶対服従! それが基本。そっちだってそうでしょ。僕の言うこと間違ってる?」

「言ってること()()合ってないんだぴょん!」

「えー、むしろ僕は優しい方だよ。直ぐ殺したりしないんだから。秋月だって心から感謝しているし。ね?」

 

 返事はない。秋月はまだ顎を捩じ切られた激痛に苦しみ蹲っている。

 

「秋月僕返事をしろって言ったよね喋れなくても頷くぐらいできるじゃんか秋月!」

 

 腸に、航空巡洋艦全力の蹴りが直撃した。

 折れた肋骨が皮膚を突き破る。内蔵にも何本か突き刺さっている。D-ABYSS(ディー・アビス)がなければ完全な致命傷だ。

 最上は今度は秋月の耳を掴む。そこを千切るつもりだ。

 

「耳も不良品みたいだ」

 

 秋月は許しを乞い、必死で首を横に振る。今までの邪悪さはまるで感じられない。

 

「痛い? うんそうだよね、でも頑張れ! 秋月がバカなのが悪いんだから、大丈夫頑張れば立派な深海棲艦になれるから。じゃあ次は耳だね──」

 

 と、力を込めた瞬間、最上と秋月の間を砲弾が突き抜けた。

 

「おっと!?」

 

 回避した結果二人は強制的に引き剥がされる。お蔭で秋月は耳を千切られずに済んだことになる。それでも半分程千切れていた。

 砲撃したのは熊野だった。

 しかし、声をかけることができない。今まで一度も見せたことのない、凄まじい形相をしていたからだ。

 

「ちょっと何すんのさ、今は上官の部下の教育って奴を」

「動かないでくださいまし」

 

 最上の話は一切聞かず二射目を発射。今度は足元へ着弾した。

 

「なんて奴! 僕が話してるって言うのに……ん、あれ、その顔は、どっかで見たことがあるような」

「貴女のような輩は知りません」

「いやいやどっこかで見たよー、間違いないさ。あ、そうだ思い出した、君は熊野だよね?」

「だから何だと」

「やっぱりそうだ!」

 

 敵意をどれだけぶつけても最上は怯まない。飄々とした態度を続ける。無邪気な笑顔で微笑みかけた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 その質問がどんな意味なのか卯月には分からなかった。ただ唯一分かることがある。熊野の表情を見れば誰でも察せられること。

 最上の言葉は、熊野の触れてならない場所を抉ったのだ。

 能面の如き無表情。呼吸が苦しくなるような怒気を放つ。目を血走らせながら熊野は叫ぶ。

 

「鈴谷を、何処へやった!!」

「え? 鈴谷? 僕は最上だよ、どうしちゃったのさ熊野」

「だったらその髪の毛はなんだ、お前は何処の誰だ!!」

「僕は僕さ! 主様の艦娘の、最上だよ。でも嬉しいなー熊野が生きててくれて……あ、でも敵だなぁ、困ったなぁ」

 

 最上の態度に嘘偽りは感じられない。全部本心に聞こえる。それが余計に不気味だった。秋月と余りに違う異常性。卯月は本能的な恐怖を抱く。

 

「そうだ! 熊野、顔無しになろうよ!」

 

 とんでもないことを言い出す最上。熊野は無言だ。恐ろしくて誰も彼女の顔を見れない。

 

「主様は優しいから、きっと僕たちの再会を祝ってくれるさ。それに顔無しになれば、ほら死んだら死んだで、僕の『糧』になれるし。それが良いね。さ、こっちに来なよ熊野!」

「不知火さん」

「……どうしました」

 

 冷え切った声。別人のような口調で熊野が確認する。

 

「あれはわたくしに任せて貰います」

「……くれぐれも沈まないように。生還しなければ報酬は一切なしです」

「分かりましたわ」

「ねー熊野、早く来なよ。どうしたのさ、また一緒にいられるんだよ?」

「ええ、そうしますわ。貴女を潰した後で」

 

 まるで早打ちをするガンマンのように、主砲を腰だめで放つ。構える動作がない分発射は速くなる。無茶な姿勢なのに狙いは正確だ。しかし最上は、なんてことないように、それを飛行甲板で弾いた。

 

「……え、なんで?」

「ご自身の胸に聞いてみたらどうですか」

「僕はこっちに来なよって言ったのになんなのかなその態度は!? そっかこんな連中とずっと一緒だったから頭が腐っちゃのか! じゃあしょうがないね! うんうん大丈夫だよ! 今から首を千切って脳味噌を詰め直してあげるから安心して欲しいなだから動かないでね熊野!」

 

 壊れているのは誰なのか。そんなこと言うまでもない。無邪気なのは間違いないが、代わりに狂気が詰まっている。

 秋月なんて比較にならない二隻目の乱入を持って、第二ラウンドが始まった。

 

 

 *

 

 

 戦域から遥遥か離れた孤島。艦載機を飛ばしたとしても到達までに時間がかかる遥か遠距離。誰もいない筈のその孤島からは、うっすらと水蒸気が確認できた。

 発生元は、パッと見なにもないように見える。

 しかし、集中して凝視すれば、それはカムフラージュだと分かる。ギリースーツのような迷彩で巧妙に隠されている。

 

「ど、どーなってるんですか~……ポーラ混乱してますよ~」

 

 そこに潜んでいた狙撃手こそがポーラであった。無論、秋月を狙撃したのも彼女。何故こんな所にいるのかは数日前にまで遡る。

 

 秋月と二回目の戦闘を踏まえ、中佐たちはこう考えた。

 秋月相手に正面から戦いを挑むのは無謀だと。

 デタラメな防空性能。どうにか潜り抜けても無茶苦茶な方法で押し戻される。惜しい所まで行くがそれ以上は非常に困難。

 

 中佐たちは結論を出した。だったら土俵外からぶん殴れば良い。つまり『狙撃』である。

 

 その場合最大の問題になるのは、秋月の索敵範囲だった。

 戦艦クラスの長射程を生かすべく、秋月は極めて高性能な大型電探を装備している。生半可な距離では気づかれてしまう。

 空爆は最初から選択肢にない。あの防空性能に阻まれるのが目に見えていた。

 

 結果引っ張りだされたのが、今ポーラが装備している艤装──とは名ばかりのナニカだ。

 

「うう~、早くcaricare(チャージ)終わってください~」

 

 艤装としてはあり得ない単語。チャージという言葉。

 ポーラが装備している艤装はただの艤装ではない。どこかの鎮守府の明石が大暴走して作り上げた違法兵器。

 艤装本体は戦艦棲鬼の生態艤装四隻分。重量に地面は陥没。装備した艦娘はその場から移動不可能。近くにいたら耳が潰れる程の轟音。砲塔は円柱状ではない。長方形の板を二枚重ねたような形。

 

 要するにレールガンであった。

 

 艦娘にあるまじき兵装だが紛れもなくレールガンである。

 

 秋月の射程距離外から攻撃でき、かつ迎撃不可能な弾速を叩きだせる兵器はこれ以外に存在しなかったのだ。

 

 しかし、こんな代物がリスクなしで運用できる筈もない。

 

 欠陥は多数に及んでいたが。装備した艦娘は重量のせいで移動不可能に。艤装本来の機能を越えた性能のせいか、再発射までに5分も必要。

 その中で最大の欠陥が、深海棲艦に止めを刺せないというものだった。

 レールガンなんて代物に改造した結果か、この艤装からは艦娘の兵器という概念が失われていたのだ。そうなれば深海棲艦を再生能力を突破できない。

 

 その解決法として、弾頭を修復誘発材に変えたのであった。ただしその為、秋月へのトドメは現場にいる卯月たちがやらなければならない。ポーラは援護することしかできない。

 撃てば絶対に当てることはできる。

 

「頑張ってください、五分間、なんとか耐えてくださいよ~」

 

 一発目がダメなら二発目を撃つのみ。スコープ越しに混沌としていく戦場を見つめながらポーラはトリガーに指をかけた。

 

 

 *

 

 

 そもそもの作戦の要はポーラにあった。

 レールガンなら秋月の索敵範囲外から撃てる。と言ってもそれはギリギリ。数メートル程度の差しかない。何かの間違いで察知される可能性は十分ある。撃つ前に気づかれれば一巻の終わり。

 

 その為狙撃直前まで気づかれないように、卯月たちはレールガンの射程距離外から戦闘を開始した。ポーラに気づきかねない空母は先に始末。

 最後に秋月を()()()()()()()()()()()()()()()()。これなら気づくより先に狙撃ができる。それが作戦の第一段階だった。

 

 第二段階は長10センチ砲を片方無力化して袋叩きにする。単純な作業になる筈だった。

 しかしその全てが最上の乱入で引っ繰り返されてしまった。一度失敗したら再発射までに5分近くチャージが必要。それまで耐えなくてはならない。勿論ただ時間を稼げば良いものでもない。

 

「──ッ!!」

 

 秋月は既に狙撃手(ポーラ)の位置を掴んでいた。

 狙撃のあった方向。電探の索敵範囲外ギリギリの場所。その二つでどこにいるのか概ね分かる。再チャージが必要だとは知らないが、何れ二発目が来る。飛んでくる弾丸に一切反応できなかった。迎撃は不可能。だったら先に狙撃手を始末すべきだ。

 

 そして秋月は、ポーラから離れるように動きだす。逆に長10センチ砲はポーラの方へ向けられていた。

 

 電探の索敵範囲から外れてしまうが、どの島にいるかは検討がついている。細かく探知できなくても問題無い。島ごと沈めれば良い。それができるだけの火力が秋月にはある。射程距離外から一方的に沈めるつもりでいた。

 

「逃がすか撃たせるか生かしてたまるものかっぴょん!」

 

 ポーラは今一歩も動けないと聞いている。直撃コースだと逃げれない。あちらに向けて撃たせてはならず、引かせてもならない。

()()しかない。この場に五分間釘づけにしなくてはならない。

 それができなければ敗北なのだ。

 

「オオオ゛オ゛ォォォオオオ!!」

 

 下顎を千切られたせいで会話不能。獣同然の悲鳴を上げて秋月は抵抗する。やっていることは今までと同じ。全方位への超弾幕と壁の生成。しかし速度も量も今までの比ではない。代償に艤装から吹き出す火は更に激化。

 自死をも厭わない、暴走と言っていいような状態。そこまで必死になる気持ちは分かる。できなければ、また最上に暴力を振るわれるのだろう。

 だが、故に卯月はより殺意を顕にする。

 

「テメェ! 自分の番は嫌って言うのか、ふざけんなぴょん!」

「ウ゛ウ゛ウ゛……!」

「文句があんのか。糞か! お前どれだけ艦娘を殺してきたんだぴょん。水鬼さま以外にも犠牲者はいるんだろ。そいつら殺しといて、自分が痛めつけられるのは嫌だって!?」

 

 もっとも気にくわないのはその態度だ。抗議するように睨んでくるのに殺意が沸く。これまでの態度で分かる。恐らく自分たち以外の犠牲者はいる。少なくとも艤装奪還作戦の際、憲兵隊の艦娘は犠牲になった。

 極論、殺すのは大した問題ではないのだ。洗脳されていようといまいと戦争なのだから。

 だが一方的な虐殺をしておいて、やられるのは嫌だ。そう言わんばかりの秋月の態度こそ、卯月のプライドを逆なでする。

 

「お前は死ね。いっぺん死んでしまえ」

 

 殺意が頂点に達する。纏わりつく赤いオーラがより激しく波打つ。卯月は殺意の意志のまま秋月へと突撃していった。

 

「卯月!?」

「みんな援護をお願いするぴょん、こいつは、うーちゃんが此処に抑え込むぴょん!」

「分かりました。総員援護を続行。攻撃を封殺してください」

 

 卯月の接近を妨害するため何十発もの壁を撃ち出す秋月。しかし秋月が限界以上の挙動をしているように、卯月も限界を超えていく。砲撃も交え、回避しては一気に接近する。雷撃や通常の雷撃も交えるがそれも強引に回避される。

 

 狙いを更に集中させようとするが、全方位から飛んでくる不知火たちの攻撃がそれを阻む。空からの空爆も全て撃ち落とせるが、その分卯月への注意が削がれていく。

 こうなれば止むを得ない。秋月は腹をくくる。そして卯月への砲撃を一端止めた。卯月を懐へ迎え入れた。

 卯月への注意を一度止める。そうすることで、他の連中を始末する時間を作り上げた。

 

「回避運動開始」

 

 不知火はあくまで冷静にそう告げる。全員秋月の攻撃に慣れてきたのもあり、致命傷は避け攻撃をいなす。その隙に卯月は懐まで飛び込む。そのまま誘発材ナイフを喉元へ突き立てようと振るう。秋月はそれを見て、ナイフの側面を指先で掴み、指の力だけで圧し折ってしまう。

 

「チッ! しつこいぴょん!」

 

 それでも懐へ入れた。このまま戦闘を続ける。秋月の速度に追従できる私が、零距離で格闘戦を仕掛け続けて抑え込む他ない。

 だが、戦闘開始直後からの無茶が、いよいよ迫ってくる。

 一瞬、視界が黒く染まる。すぐに復旧したが、異常なことが起きているのは理解できた。

 

 突然、とんでもない量の鼻血が出だしたのだ。身体への負荷が限界を超えだしたのだ。

 

「大丈夫かクマ!?」

「大丈夫じゃないけど、やるっきゃないぴょん!」

「アアアア゛ア゛ア゛!」

 

 それを見てチャンスを判断。猛攻を仕掛けだす秋月。卯月も殺意を研ぎ澄ませる。鼻血どうこうなんて言ってられる状況ではない。

 後数分、最後の決闘が幕を上げる。

 誰もがそう思った瞬間だった。予想外のことが起きた。

 戦場一帯が巨大な地響きに襲われたのだ。直後、強烈な衝撃波が駆け抜けていく。

 

「クマ!?」

「何なの今のは!?」

「……自爆、顔無しの自爆だわ、ほらアレを見て!」

 

 その方向には、顔無しが自爆した証拠である、巨大な光球が大量に出現していた。場所は熊野と最上が戦っている周辺だ。

 

 ここにはD-ABYSS(ディー・アビス)艦娘が三隻もいる。不足しているエネルギーを無理やり補うために、最上が呼び出して自爆を命令させたのだろう。卯月はそう予想した。だが本当の予想外はこの後に起きた。

 

「誰か―っ! パスですわ──っ!!」

 

 熊野の絶叫が響く。

 直後砲撃音が響く。熊野が最上の砲撃に巻き込まれていた。

 

 だが同時に『何か』を投げていた。

 

 上空に何かの影がある。投げる直前に砲撃を喰らったせいで、狙った場所へ投げれなかったのだ。満潮たちもキャッチしに行こうとするが、最上が妨害してくるせいで行けない。動けるのは卯月だけだった。

 

「卯月! さっさと行きなさいよ!」

「うるせーぴょん満潮。クソっ、折角懐まで行ったのにー!」

 

 こんな状況で投げたのだ。余程重要なものに違いない。

 卯月は仕方なく秋月への攻撃を中断し、強化された脚力で一気に跳躍、投げられたそれをキャッチした。

 

 いったい熊野は何を投げたというのか。それを見た卯月は言葉を失った。

 

 深海棲艦だったが()()()()

 

「……なんでこんな顔無しを投げつけてきたんだぴょん!?」

 

 微塵も理解できない。熊野の行動に疑問しか浮かばなかった。しかし卯月は何故か――重巡ネ級の顔無しに奇妙な親近感を感じずにはいられなかった。



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第130話 秋月壊⑤

シンウルトラマン見てきた。面白かった。ちなみに初めて見たウルトラマンでち。


 卯月たちと秋月が決死の時間稼ぎを慣行している最中、熊野は最上と一騎打ちで交戦していた。

 しかし、駆逐艦の秋月であの戦闘力だったのだ。航空巡洋艦である最上の強さはそれを遥かに上回る。

 

「どうしたのさ。さっきの強がりは何だったのかな? その程度で僕を倒すつもりだったなんて信じられない。熊野は頭が良かったじゃないか。鎮守府での勝負事でも負け知らずだった。分の悪い賭けはしないタイプだった。なのにどうして僕と戦うの? やっぱり首を取り変えなきゃダメみたいだね。でも誰の首を変えようかな。うーん」

 

 狂気しかない妄言を吐き散らしている。そんな姿に吐き気を覚える。しかし最上はそんなことを話しながら熊野を圧倒していた。砲撃を撃っても意味がない。全て飛行甲板で防がれる。予想しようがしまいが全部ガードされる。傷一つつかない。

 

「だったら……これならば!」

 

 熊野は最上に向けて瑞雲を飛ばす。火力は期待していない。ある程度注意を向けられれば十分だ。

 

「瑞雲対決だって! 良いよ、僕の瑞雲は凄いんだから。知っているかもしれないけど。じゃあ発艦させるね、行けー!」

 

 飛行甲板から瑞雲が数十機発艦される。搭載数は常識の範疇らしい。だが機動力が常軌を逸している。

 

 最上の瑞雲の動きは、最早艦載機の動きでは無かった。

 前後、上下、左右、全て自由自在。

 現在にある物で最も近いのは()()()()。それも戦闘機級の速度を叩きだすドローン。それが最上の瑞雲だった。

 

 こんな化け物にただの瑞雲で拮抗できる筈もない。瞬く間に全滅させられてしまう。

 

「ちょっと熊野! 手を抜かないでよこれじゃ勝負にならないじゃないか! 戦場でふざけるなんて最低だよ!?」

「黙ってくださいまし……!」

「えー、感動の再会なのに黙るなんて嫌だよ僕」

 

 そう言っている最上が一番ふざけている。なのにチート級に強い。放った瑞雲は殆ど効果がなかった。だが、目的通り注意を逸らすことはできた。

 

「当たれ……!」

 

 その間に発射していた魚雷が、最上の足元へ到達していた──だが、直前で存在に気づかれる。

 瞬間、瑞雲が正面を向いたまま一気に後退。魚雷目がけて爆弾を落とし処理してしまう。

 

「うわわ! 危ないなぁ……もう、海水で髪がヌメヌメになっちゃったよ」

 

 聞き覚えのある口調でそう文句を言う最上。熊野は怒り狂っていた。それを表にあまり出さないだけ。とても冷静でなんていられない。

 最上はそれを一切意に介さず、「そうだった!」と言って手を叩いた。

 

「ごめん熊野、紹介するのすっかり忘れてた!」

「……何がですの?」

「熊野の()()だよ、おーい皆、こっちこっちー!」

 

 遠くへ向かって手を振る最上。地平線から人影が接近してくる。その正体を見て熊野の激情は更に膨れ上がる。

 最上が仲間と言ったのは、顔無しに他ならなかった。

 

「……それが、仲間?」

「うん! 熊野はこれから皆の仲間になるんだから、自己紹介はしておかないとー」

「不要ですわ。ここで全員殺しますので」

「酷いよ熊野! それが仲間への態度かい!?」

 

 問答すらしたくない。熊野は無言で砲撃を叩き込む。最上でも顔無しでも当たれば構わない。

 その内一発が、たまたま最上へ直撃した。結局飛行甲板で防がれたから意味がないと思った。

 

「……あれ?」

 

 しかし、実際は違った。今まで一切ダメージがなかったのに、今回は亀裂が走っていたのだ。

 

「あーそっか! 僕と秋月と卯月がいるから、エネルギーの取り合いが深刻なのか。そりゃそうだよね。うんうん」

 

 最上の気づいた通り。D-ABYSS(ディー・アビス)搭載艦が三隻。二隻だけでも取り合いが酷かったのに、最上が現れたせいで、余計に枯渇が悪化していたのだ。

 だが、熊野はチャンスと思わなかった。

 今までそれを警戒して接近してこなかったのに、今更そのデメリットに気づいただなんて、あり得ない。

 

「……なーんてね! ちゃんと僕は対処方法を用意しているのさ! まあ、緊急的なものだけど」

「だったらさっさとやったらいかがですか。最上さんの与太話に付きあう気はないんです」

「冷たいな。良いよ、秘策を見せて上げる!」

 

 パチン、と最上は指を鳴らした。それを合図に連れてきた顔無したちが、熊野目がけて突撃する。

 何を目論んでいるのか、熊野はすぐに気がついた。

 

 自爆だ。

 

「気づいた? 間に合うかな? そらっ!」

 

 顔無しの自爆力は熊野も知っている。無茶でも構わない。出力を最大まで上げて全力で距離を取る。

 

 しかし間に合わない。顔無しは既に光球へと変化していた。そして──輝きが破裂する。瞬間熊野の視界は真っ白に染まった。

 

「──ッ!!」

 

 瑞雲を飛ばすための飛行甲板を盾にして少しでも衝撃を減らす。それでも自爆力は凄まじかった。木の葉のように宙に打ち上げられ吹き飛ばされていく。海面に何度も叩き付けられる。肺から空気が押し出される。

 

「がはっ……!」

「おお生きてる。火傷塗れだけど、凄いね熊野。僕の顔無しに相応しいや!」

「……どこまでも、ふざけたことを!」

 

 さっきまであれだけ仲間仲間と言っておきながら迷いなく自爆命令。その為の兵器だとしても無慈悲過ぎる。そんな顔無しの一員になれと言ってくる。

 よりにもよって彼女が。

 怒りが止まらない。止められる訳がない。

 

 しかし、それでも熊野は冷静だった。必死で冷静でいた。だから異常事態に気づくことができた。

 

 自爆による爆炎の中に人影が見えた。

 

 そこにいるということは、当然顔無しの一体だ。

 

 だが最上は自爆命令を出していた。全員自爆している。立っている筈がない。それでもあそこに顔無しはまだ存在している。

 

 どういうことか。単純なことだ。

 

 自爆命令が効かない。または自爆機能に不具合がある。

 

「さてと、これで準備は完了だ! 顔無しが自爆したから、皆のエネルギーが撒き散らされた。顔無しはストックとして優秀だからねー、これで僕も力を取り込めるよ! ありがとう顔無しの皆、助かった……よ……」

 

 振り返った時、最上も自爆していない顔無しを認識した。

 

 そして最上は()()した。

 

 熊野はその硬直に()()を得た。一目散に走り出す。先に気づいていたから、一手早く動きだすことができた。

 

「皆殺しにしますわ!」

「熊野!?」

「──その反応、あれ、殺されたら不味いようですわね」

「うわ、バレた!?」

 

 煙の中にいる人影を目指し走る。

 

 自爆命令を出したのに生きている。自爆しない(もしくはできない)不良品だ。だが熊野はそう思わない。

 

 何故なら最上の反応がおかしいから。

 

 所詮は不良品だ。最上だったら興味も示さないか、『役立たず!』と言って破壊しただろう。しかしどれもしなかった。最上は本当に自爆していないのか確かめるようにジッと見つめていた。

 

 それで熊野は確信する。あの自爆しない顔無しは、とても重要なものだと。

 

「ダメだよ熊野、あれは、君には渡せないんだ!」

 

 最上は内心焦っている。まさかほんの数コンマ凝視しただけで見破られるとは思っていなかったのだ。それでも深刻な問題ではない。スペックが違う。先に動かれたがすぐに追いつける。最上は十機以上の瑞雲を解き放った。

 

「止まった方がいいよ、痛い目にあうよ!」

 

 言う通り、瑞雲は凄まじい速度で飛来してくる。偵察機の彩雲よりも明らかに速い。だが、あの顔無しを確保することの方がきっと大事だ。

 絶対に確保しなければならない。

 熊野は覚悟を決め。そして、主砲を投げ捨てた。

 

「えっ、なにしてるのさ!」

 

 最上などと話している余裕はない。

 主砲を捨て、魚雷を捨て、焼け焦げた飛行甲板も捨てた。主機以外の全ての武装を捨て去った。

 これで速度が出せる。

 熊野は再び機関出力を最大まで上げて、一気に走り抜けていった。

 

「……あああもう! いい加減止まれってば! 僕の言ってることが分からないのかな! どうしてそう僕を苛立たせるようなことばかりするの! 怒るよ! うっかり殺しちゃうかもしれないぐらいに怒るよ!?」

 

 聞く必要はない。熊野はただ走る。防御も攻撃も捨て去って走る。頭上に瑞雲が現れても気に留めず。

 そこまで身体を張ったことで、熊野は駆けに勝つ。

 

「取りました!」

 

 瑞雲が急降下する直前、その顔無しの腕を掴むことに成功したのだ。しかし最上の悪意はすぐそこまで迫っていた。

 

「その手を今もぐから動かないでね熊野ォ!」

 

 頭上から瑞雲、背後からは主砲が突き立てられている。一刻の猶予もない。熊野に取れる選択肢はそう多くはない。

 視界の端に仲間たちの影が見える。熊野は歯を食いしばり、腕が千切れんばかりの力で、顔無しを投げ飛ばした。

 

「誰かー! パスですわーッ!」

 

 そしてそれを卯月がキャッチした直後、熊野は最上の攻撃に一瞬で呑み込まれてしまった。

 

 

 *

 

 

 顔無しをキャッチした直後、卯月が目撃したのは、爆炎に包まれる熊野の影だった。

 

「どうなってんだぴょん!?」

 

 理解が追いつかない。何故熊野は顔無しを投げてきたのか。爆発に呑まれたが無事なのか。しかし迷っている暇はない。

 

「次は卯月君だよ! さようなら!」

 

 ニッコリ笑顔で主砲を向けてくる最上。トリガーに指がかかっている。卯月の殺意はこの顔無しを()()すべきだと判断した。

 

 顔無しを盾にした。

 

「ちょ、なんてことを!?」

 

 そのままでは顔無しを巻き込んでしまう。最上は発射直前で軌道を変えた。砲弾は卯月と顔無しを掠めて、遥か後方へ着弾した。

 

「なるほど、そういうことかぴょん」

「どういうことよ!」

「この顔無しは重要な何かがあるってことだぴょん。でなきゃ、巻き添えを避ける筈がない……ってうぉ!」

 

 熊野の狙いに辿り着いたのもつかの間、卯月から逃れようと暴れ出す。顔無しからしたら卯月たちは敵なのだから当然だ。力で抑えることはできるが、それをしながら戦うのは難しい。

 

 大人しくする必要がある。だから両手で顔無しの頭を掴んだ。

 

「めんどくさいぴょん」

 

 グリンと首を捩じった。絶対に首から出てはいけない音がする。顔無しは暫く痙攣した後、動かなくなった。

 

「よし。大人しくなったぴょん」

「なんてことをするのさ!?」

「安心するぴょん。心臓は動いているから大丈夫だぴょん」

 

 いったい何を持って大丈夫と言うのか。90度以上捻じれた首を見て誰もがそう思う。無力化する為とはいえ酷い。「人の心がない」と満潮は思った。

 

「なんてこった。しょうがない、秋月、二人でどうにか顔無しを取り戻すよ!」

 

 怯えた目でコクコクと頷く秋月。その宣言通り、顔無しを確保した卯月を殺そうと二人分の攻撃が集中する。

 秋月が回避不可能な弾幕を注ぎ、その中を最上が突っ込んでくる。あっと言う間に逃げ場を断たれ、最上の接近を許す。

 

「はや──!?」

「そらっ!」

 

 最上は指先を鉤爪のように構え、卯月の顔目がけて振るってきた。砲撃では顔無しを巻き込む恐れがある。だから接近戦を仕掛けてきたのだ。

 

「やらせるかクマー!」

 

 だが、最上がそうすることは予想できていた。狙いを済ませていた球磨の砲撃が、最上の手の甲に直撃する。

 そのお蔭で手の機動が逸れる。首を抉る筈だった一撃は、指先が肩をひっかけるだけで済んだ。

 

「よし、当たった!」

 

 だが、それで十分だった。

 

「ぎぃっ!?」

 

 肩に激痛が走る。掠っただけなのに、意識が飛びそうな痛みがくる。何が起きたと目線を傾ける。

 

 信じがたい光景が見えた。

 

 肩の肉が抉り取られていたのだ。

 

「嘘だっぴょん!?」

 

 ちょっと引っ掛かっただけ。指が少し掠っただけ。それだけでこの大怪我。まるで豆腐を指で抉るように、簡単に肉が抉られてしまった。もし顔だったら即死。そして即死攻撃が再び振るわれようとする。

 

「そーら、二発目、行くよー!」

 

 今度は両手を振るってくる。砲撃で逸らせるのは片方だけ。しかも速い。今からでは間に合わない。顔無しを抱えたままのせいで戦いにくくなっているのだ。だが、この顔無しは()()として使える。

 

「これを、抉れるかっぴょん!」

 

 再び顔無しを盾代わりにして掲げる。それも軌道上に首元が来るように。直撃すれば即死。更に体の隙間から片手でも使える拳銃を撃った。妖精さん入り弾頭の一撃である。

 

「またかよ、もう!」

 

 最上はまた、顔無しを抉らない選択をした。拳銃は飛行甲板で中の妖精諸共破壊したが、顔無しを抉ろうとした腕は虚空を切った。

 

「殺しても不味いってことか。理解できたぴょん!」

「……ちょっと、調子に乗り過ぎじゃないかな、君はァ!」

「うわ急にキレたキモいぴょん」

 

 さりげなく煽っておく。どうやら最上たちは顔無しを死なせずに持ち帰りたいらしい。ならば全力で有効活用すべきだ。この顔無しを使って現状を打破すべきだ。

 

 卯月は顔無しを持ち直した。足元を掴んだ。まるで棍棒のように。

 

「……ラストスパートだぴょん!」

 

 走り出す。目の前の最上を無視して。狙うべきは当初の目的通り──秋月ただ一隻だ。

 

「秋月! そいつを止めて!」

「ムダムダ! あいつの砲撃の威力じゃ、顔無しは絶対に殺しちゃうぴょん。撃ちたくても撃てねーぴょん!」

「秋月砲撃するんだ! 顔無しは殺さないで威力を調整して卯月だけ殺すように砲撃! できなかったらおしおきだからね!」

 

 脅しに震えなが必死で攻撃する。しかしダメだ。卯月の言う通り。秋月の砲撃では確実に殺してしまう。艤装出力をオーバロードさせたのも仇となった。細かい調整が効かなくなっているのだ。

 

「使えないなァ! だったら、僕が!」

「これ以上、行かせる訳がないクマー!」

「ああもう! 何なのさ皆、寄って集って僕を苛めて! 僕が何をしたっていうのさ!」

「自分の胸に聞いたらどう?」

 

 球磨が立ち塞がり、上空からは飛鷹の艦載機が突っ込んでくる。展開していた瑞雲を押しのけて突破してきたのだ。仮想とはいえ、異次元の挙動をする瑞雲相手に訓練を積んだ経験が生きている。数機だけだが逆に瑞雲を撃墜している。

 

 最上が抑え込まれている内に、卯月は一気に秋月の懐に飛び込んだ。砲撃では顔無しを巻き込む恐れがある。一番安全なのは格闘戦。それを分かっていたから、顔無しを武器のように振り回す。

 

「さあ撃ってみろっぴょん秋月! 殴っても良いぞ、この顔無しちゃんの頭が弾けるかもしれないけど。なおうーちゃんは一向に構わん。顔無しだし死んでも問題ないっぴょん!」

 

 格闘戦をしかけようにも顔無しが邪魔で上手く殴れない。そもそも秋月自身の格闘能力が高くないのだ。秋月は所詮D-ABYSS(ディー・アビス)で強化されているに過ぎない。本人の力はかなり低い。

 挙句、顔無しが殺される危険を卯月が一切気にしてないのもあった。死んでも気にならない。だから躊躇なく武器として扱える。

 

「逃げてばかりじゃどうにもならないぴょん! 前見たいにあれやこれや喋ってみたらどうだぴょん。それとも深海の力を取り込みすぎて、脳味噌赤ちゃんになっちゃったでちゅか? バブー!」

 

 喋れないのを良い事に言いたい放題。秋月は屈辱に震える。それを分かっていて挑発している訳だが。実のところ今まで受けた屈辱への報復も結構あった。

 

 それでも暴走せず秋月は堪える。

 卯月の猛攻にどんどん押されていく。

 再びポーラの射程距離内に踏み込み始めてしまう。

 待っていれば何れ()()チャンスが来ると分かっていた。そして、その時は来た。

 

「何をじっとして──ッ!!?!」

 

 卯月の動きが止まる。次の瞬間、彼女は全身から一気に血を噴き出した。恐れていたことが起きる。システムの負荷が限界を超えだしたのだ。

 

「こんな、タイミング、で……!?」

 

 身体中から血と共に力が抜けていく感覚がする。反動で出力が下がっていくのが感じられる。激痛と脱力で立っていられなくなり、海面に膝をついてしまう。

 

 秋月はそれを待っていた。いずれ肉体が限界を超えると分かっていたのだ。ずっと待っていた時が訪れる。予測していただけ行動が速い。長10センチ砲が二門とも牙を突き立てる。相手が動かなければ狙いはつけられる。

 

「そこを退いて卯月!」

 

 その攻撃を止めようと満潮が主砲を向ける。だが秋月は即座に長10センチ砲で迎撃。秋月も限界寸前だが未だ圧倒的だ。

 ただ撃つだけじゃ無理。だから卯月は賭けに出ることにした。

 

「違う、もっとこっち側に撃つんだぴょん!」

「は!? いや、そっちね!」

「そう、そこ!」

 

 そこは秋月に当たらない場所、卯月にも届かない場所、無意味な場所。しかし秋月は警戒する。何かを狙っている。それを止めない理由はない。秋月は指定された場所へ飛んで来た砲撃を迎撃する。

 

「ナイスな角度だぴょん……ありがとう秋月!」

 

 だがそれが卯月の狙いだった。

 

 満潮が撃った砲撃へ、秋月の砲撃へ、卯月はそれぞれ、修復剤ナイフを投げつけた。ナイフに砲弾が当たり、刃が砕け散る。激しく飛散した欠片は卯月と秋月、ついでい顔無しに降り注ぐ。

 

 秋月はそれを無視した。目や間接といった危険な部位を避ければ、誘発材により溶かされても致命傷にはならない。どうせ再生できるのだから。顔無しも同じく再生するから気にする必要はない。

 しかし、同じく喰らった卯月はそうもいかない。

 

「ぎぃい!?」

 

 目とか危険な場所は避けたが、破片の刺さった場所が融解し炸裂する。凄まじい激痛に悲鳴が漏れる。

 どうにかD-ABYSS(ディー・アビス)は作動しているが、出力が下がりつつある今、傷が再生する保証はない。

 

 愚かだと秋月は嘲笑う。

 砕けたナイフで目や耳を潰したかったのだろうが、そう上手くいく筈がない。卯月はもう痛みで一歩も動けない。システム出力も風前の灯。満潮は防空網で近づけない。最後の悪足掻きだったのだ。

 

 漸くこいつとおさらばできる。秋月は嬉しくて仕方がなかった。散々屈辱を味合わされてきた卯月を殺せる時が来たことに歓喜する。

 

 完全なる止めを刺すべく、好き勝手使ってたことへの報復も兼ねて、秋月はD-ABYSS(ディー・アビス)を出力を全力で引き上げた。

 

 

 それが秋月を終わらせる最後の一手と気づかずに。

 

「……これだからチーターはダメなんだぴょん」

 

 瞬間、秋月の身体を食い破り、黄金色のオーラが暴走し出した。




自爆不全を起こした顔無し。これが意味することとは。

次回、対秋月決着……なるか?


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第131話 秋月壊⑥

 卯月が限界を迎えたのを見て、確実なるトドメを刺すべくD-ABYSS(ディー・アビス)を全力解放させた秋月。しかしそれこそが秋月を敗北へ追いやる最後の一手となった。

 

「──ッ! 、ッッ!?」

 

 身体を食い破りflagshipのオーラが吹き荒れる。全身の肉が爆発していく。艤装からの出火が止まらない。どうしてこうなったのか秋月には理解できない。

 

「ぷっぷくぷー……ざまぁねぇぴょんこのマヌケ。抑止がかかってんのを忘れていたな?」

 

 判断ミスは正にそこだった。

 秋月のシステムは、内部に入り込んだ()()()()()()()と脚部に絡んだ()()()()()()()()()()()により、吸収効率が低下していた。

 

 これを補うために暴走寸前まで出力を上げていた。

 つまり、元々限界を超えて動かしていたのだ。

 その状態で、更に出力を上げた瞬間、吸収効率が戻ればどうなるか。

 

 答えが秋月の惨状である。

 

 ナイフを砲撃で砕いたのは攻撃のためなどではない。飛び散った破片で脚部艤装の布フィルターを破くためだったのだ。

 

「妖精さん、もう脱出して良いぴょん!」

 

 大声を出す卯月の声を聞き取った妖精さんが、艤装に空いた穴から脱出する。同時に吸収効率が完全に戻る。しかし今の秋月にはダメージを深くするだけ。

 

「あ、アアア゛アア゛!?」

 

 身体中の激痛と同時にエネルギーが漏れ出していく。見ての通りの暴走状態。

 

「これでホントに最後の最後だぴょん……!」

「ウウウ゛……ォオオォオッ!!」

「五月蠅い!」

 

 そんな瀕死を突き抜けた状況でありながらまだ秋月は戦闘を続行する。尋常ではない。しぶと過ぎる。だがもう今しか撃破のチャンスはない。

 

 

 

 

 援護しなければならない。横目で卯月たちを見る不知火達はそう思っていた。しかし最上はそれを許さない。

 

「ダメじゃぁないか、戦闘中に、余所見だなんて!」

 

 こいつを抑え込まなければ援護には行けない。余所見しながらどうこうできる相手ではない。

 

「駄目じゃないですか。戦闘中に、無駄口だなんて」

 

 だからこそここで彼女は現れる。

 

 撃とうとした主砲が受け止められ、ひっそりと動いていた甲標的は爆雷に動きを止められる。生きていた彼女に最上は顔を顰めた。

 

 最上を止める為に熊野が復活したのだ。

 

「……申し訳ありません。捨てた艤装を回収するのに、少々手間取ってしまいました」

「大丈夫なのかクマ。その艤装使えるのかクマ」

「時間は稼げます、あと少しでポーラさんが再度狙撃できます……それまでなら」

「感謝します熊野さん!」

 

 指示を出す必要もない。不知火と共に一斉に卯月の元へ増援へ向かう。一方最上は顔こそ明るいが苛立ちが隠せていない。自分にあてがうのがボロボロの艦娘一人だけなのが気にくわない。舐められている。

 

「生きてたんだね、僕は嬉しいよ、でも空気を読もうか熊野ォ!」

 

 熊野へ殺意を向けて躊躇なく襲い掛かる最上。そうしながらも新たな甲標的や瑞雲を飛ばし、秋月を援護しようと試みる。熊野の艤装はもうボロボロ。まともに戦えないと踏んでいた。

 

 それは誤りだと最上は知る。

 

「……私が、ヤケクソで主砲を捨てる訳ないでしょう」

 

 攻撃が行われ最上を妨害する。見た目はズブ濡れで故障しているのに問題無く使えていることに驚く。

 確かに熊野は艤装を捨てた。だがそれにしても注意を払った。ある程度は使えるように、完全に壊れないよう注意していたのだ。

 

 

 

 

 熊野が最上を相手どってくれたおかげで、他のメンバーも秋月撃破へ集中できるようになる。

 

 狙いは一つ。どうにかして再びポーラの射程距離内へ押し込むこと。彼女なら再び艤装を狙撃してくれる。長10センチ砲を片方無力化してくれる。そうしなければ勝ち目がない。

 

 秋月は力づくで逃れようと魚雷を撒き散らした後にしゃがみ込む。跳躍と砲撃による空中移動で無理矢理逃れようとする。

 

「逃げることなんてできないわよ、この空爆なら!」

 

 同時に飛鷹の艦載機が大量の爆弾を投下する。防空能力は健在。ボッと破裂音が鳴った瞬間爆弾も艦載機も消滅。一瞬で大量の弾幕を張ったのだ。しかしその一瞬、長10センチ砲の照準が逸れる。

 

「今だ、発射だクマー!」

「援護します」

 

 無防備な本体へ球磨が砲撃を撃ちこむ。逃げ道を不知火の魚雷が塞ぐ。更に球磨が放った甲標的が水面下から魚雷を放つ。

 秋月はまず魚雷を排除しようと、脚を高く振り上げ、津波を起こそうとした。更には津波の壁で砲撃を阻もうとする。

 

「何度目よそれ。もう見飽きたわ、そんな一発芸は!」

 

 そこへ満潮が砲撃を放つ。狙いは顔面だ。抉れた下顎へダメージを入れようとしている。それでも足を振り下ろす方が速い。秋月は更に力を込めて津波を起こそうとして──転倒した。支えにしていた片足に、何かが激突した。

 

「満潮のに集中しすぎたのかクマ?」

 

 当たったのは球磨の水上戦闘機。いつの間にか飛ばしていたそれを、姿勢を崩す弾丸代わりにしていたのだ。

 

「──ッ!!」

 

 片足を救われ転倒。だがまだ諦めない。少し時間が経った結果長10センチ砲が再発射できるようになった。転びながらも砲撃をしようとする。

 

「うりゃぁぁぁぁ!」

 

 そこへ卯月が()()()を投げ込んだ。

 このまま撃てば顔無しが爆散。秋月は砲撃を止めるしかない。攻撃できず、無防備に宙に浮く形になった彼女。

 そこへ球磨と満潮が狙いをつける。

 

「さあ、これで、最後よ!」

「助けてやるから感謝するクマ!」

 

 二人の砲撃が、頭部に、胸部に、脚部に直撃する。空中コンボのような連撃に肉片を散らせながら吹っ飛ばされていく。未だ人の形を保っているのは流石だが、いずれにせよ、これで秋月は射程距離内に入った。

 

『チャージ完了、Fuoco(フォーコ)~!』

 

 遥か遠くのポーラがトリガーを引いた。

 

 艤装の限界を超えた電力が放出されプラズマが迸る。その轟音よりも早く弾丸が発射される。戦艦を越えた射程距離でありながら、瞬きするより早い。

 一瞬視界が白く染まり、それが収まった時、左側の長10センチ砲の固定ユニットに、綺麗な風穴が空けられていた。

 

 修復誘発材が暴走する。風穴を中心に『融解』する。そして左側の主砲が旋回できなくなる。左側が死角となった。

 

 そして吹っ飛ばされた先には、もう卯月が待っていた。

 

「ハイクはあるかぴょん。秋月」

 

 予めそこへ突撃していた卯月がナイフを振るう。防御しようにも、後方から左の死角へ移動する不知火たちに気を取られ即応できない。

 

「あっても言わせないけど」

 

 目が切られる。誘発材が塗られる。

 

 以前と同じように、秋月の眼球が破裂した。

 

「これ以上の抵抗は許さない。お前には何も見せない、地獄だけ味わって貰うぴょん」

 

 視界があれば照準をつけることができる。左側に回りこまれないよう動ける。数秒耐えれば怪我は治り逆転できる。

 秋月の考えは、卯月には分かりきっていた。それじゃ駄目。確実に仕留めるためには一切の抵抗も許してはならない。

 

 だから視界を潰した。降下した時を再現する為に。

 

 そして卯月が左に回りこもうとする。

 

 それを許してはならないと、秋月は必死で狙いを合せる。電探でまだ捕捉はできる。しかしそれも無駄な抵抗。

 

「総員一斉射、一発も残さないで構いません、撃ち尽くしてください」

 

 不知火の指示で一斉砲撃が放たれる。

 文字通りの全て。主砲、魚雷、機銃、三号爆弾、三式弾全てが降り注ぐ。最上を抑えている熊野も遠くから三式弾で援護してくれている。

 

 秋月の電探は全てを捕捉してしまった。電探上が光点で覆い尽される。回り込んで来る卯月の位置が分からなくなる。視界も切られて見えていない。ヤケクソ気味で撃ってもそれなりに当たるのが恐ろしいが、卯月はそれを冷静に回避していた。

 

「さあ、お休みのお時間がやってきたぴょん」

 

 死角へ到達した卯月。今の秋月に彼女を止める方法はない──だがそれでもまだ強化された膂力で暴れる恐れはある。

 

 だったら近づかなければ良い。そう考えた卯月は『錨』を投げつけた。

 

 狙い通りに飛んだ錨。その鎖が秋月の首に絡まった。

 

「窒息と溺死。好きな方を選ぶと良いぴょん」

 

 そう言って卯月は錨を海底へ沈めた。

 

 本来、軍艦一隻を固定できる錨。それが首に絡まま沈んでいけばどうなるか──鎖が閉まるに決まっている。

 

「ガッ……!?」

 

 重量に従い沈んでいく錨。鎖が絡まった首がそれに引っ張られ、海面に顔から引き摺りこまれる。

 

「────ッ!」

 

 顔が水面に沈む。更に絡んだ鎖が首を絞めつける。卯月の言った通り窒息死と溺死の危機に陥る秋月。両手で踏ん張り沈まないよう堪える。だが錨はどんどん沈んでいき、首もどんどん締め付けられていく。

 

「さっさと、意識を手放しやがれッ!」

 

 手元に繋がっていた鎖を引っ張る。卯月が引っ張り、沈む錨が引っ張る。両方から引かれたせいで秋月の首が更に絞まっていく。

 

 それでもまだ意識を失っていない。がむしゃらだが砲撃を続け、左側以外からは誰も近寄らないよう足掻いている。

 

 手だけでは駄目だ。卯月は背負い投げのような体勢をとって、全身で鎖を引っ張る。鉄の鎖が千切れてしまうんじゃないかと、不安になるぐらい力一杯に。あと数秒もない。融解した艤装が治る。その前に倒さねば。

 

 その時音が聞こえた。

 

 『メキメキ』と言うような、鉄が千切れるような重い音が。

 

 そして『ブチリ』と千切れる音が聞こえた。

 

「まさかッ!?」

 

 鎖が千切れてしまったのではないか。顔を青ざめて振り返る卯月。しかしそれは杞憂に終わる。秋月の首を絞めつけている鎖は無事だった。

 

 じゃあ今の音は何だったのか。

 

 振り返った卯月はそれを見てしまった。顔面蒼白になる。絶望に心が折れそうになる。

 

 そこに立っていた存在。それは──

 

 

 

 

 長10センチ砲ちゃんだった。

 

「…………」

 

 だが考えて欲しい。

 

 秋月の長10センチ砲は、島風の連装砲ちゃんとは違い、艤装に固定されるタイプ。自分で立つことなんてできない。

 

 だが、確かに長10センチ砲ちゃんは、秋月から離れて立っていた。

 

 艤装の搭載ユニットは融解したままだが、長10センチ砲ちゃんがいた場所はもぬけの空。

 

 つまり今目の前で立っているのは、融解させ旋回を封じた左側の個体。

 

「……ぴょ」

 

 それは秋月の最後の奥の手。

 

 この長10センチ砲ちゃん。()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そうすれば接続ユニットが溶けてようが関係ない。自力で卯月の方を向ける。

 

 さっきの音は、融解した接続ユニットから分離した時の音。

 

 勿論砲弾は搭載済み。発射までコンマ数秒。

 

「ぴょぎゃぁぁぁぁ!?」

 

 生まれてから最大級の悲鳴を上げる。死ぬ。間違いなく死ぬ。鎖を全身全霊で引っ張っていたせいですぐ動けない。だいいちもう動ける体力が残っていない。

 

 砲塔から輝きが見える。死の予感が襲い掛かる。だが諦める必要はない。再び背中を向けて死ぬ物狂いで首を引っ張る。持っていた顔無しを一端投げざるを得ない。両手で全力で首を絞めていく。

 

 秋月の意識が、失われる直前、ついに長10センチ砲から砲弾が飛び出た。

 

 それとほぼ同時に。

 

「しつこいって、何度も何度も、言ったでしょうがぁ!」

 

 満潮が主砲で秋月の頭部を殴りつけた。高高度から振り下ろした、重力も乗せた渾身の一撃が、頭蓋骨に亀裂を入れる。

 

「──ッ」

 

 その一撃と酸欠溺死のパニックで意識を一瞬奪われる。

 

 その一瞬全ての迎撃ができなくなり、秋月はあらゆる攻撃を無防備な全身で受け止めることに。

 

 それら全てと、D-ABYSS(ディー・アビス)暴走の反動を受けた秋月は、血を噴き出しながら泡を吹き、白目を剥いて、力なくその場に崩れ落ちる──漸く、その意識を完全に奪い取ったのだ。

 

 

 *

 

 本当にギリギリの決着だった。秋月が意識を失ったことで、長10センチ砲ちゃんも機能停止する。

 だが、ほぼ発射された主砲は止まらない。

 機能停止と同時に転倒したことで、数度だけ射角がずれたが、それでも砲弾は卯月の首元を軽く抉っていった。

 

「ごばぁっ!?」

 

 やはり全身に衝撃波が走る。最後っ屁で大ダメージを負う羽目になる。しかしこの程度で済んだのが幸い。あとコンマ1秒遅れていたら。

 卯月は考えることを止めた。そんなことより秋月だ。

 

 意識を失ったのか。倒れる秋月を見ても信じられない。これまでもしぶとかった。まだ意識があるかもしれない。近づいて確かめるべきか卯月は迷う。

 だが今迷うのはとても危険な行為で看破できるものではない。不知火が即座に指示を飛ばす。

 

「卯月さん顔無しを回収してください、早く!」

「りょ、了解ぴょん!」

「満潮さんは秋月捕縛、他メンバーは熊野さんのところへ!」

 

 さっき投げ飛ばしたままだった。そう遠くない場所を気絶した顔無しが漂っている。卯月はそれを回収しようとする。

 手を伸ばして腕を掴んだ。その瞬間。

 

 目の前に艦載機が現れた。

 

「え」

 

 周囲は警戒していた。なのに気づけなかった。

 

 これが気づけない艦載機なのか。そう驚く時間はない。

 

 もう爆弾が切り離されている。思考している暇もない。反射的に腕を引っ張り顔無しを手繰り寄せる。

 

 しかし爆弾の直撃を回避するには遅すぎた。

 

 閃光を放ち炸裂する爆弾。卯月は木の葉のように吹き飛ばされていく。蓄積したダメージも相まって意識が消えかける。そんな状況でも掴んだ顔無しの腕は絶対に放さない。自爆不全の(この)顔無しは重要な何かを抱えている。敵に破壊される訳にはいかないのだ。

 

 あちこちを抉られた状態で海面を転がる。くすむ眼を開ける。顔無しの手はどうにか握ったままだ。

 

「……せ、せーふ、だぴょん」

 

 とりあえず破壊されて無くて良かった。けれども無事ではなかった。その腕を引っ張った時、爆発から逃げきれなかった箇所なのだろう。

 反対側の腕がまるごと消え去っていた。

 

 爆発で消滅したのか? 

 

 その考えを否定する声が聞こえる。

 

「その重傷具合でその反応速度。意外にやるんだね、卯月!」

 

 声の主は最上。彼女の手には今爆発で千切られた、顔無しの片腕が握られていた。

 

 そう戦いはまだ終わっていない。最上がまだいる。間違いなく秋月より強いであろうこいつがほぼノーダメージで健在だ。

 

 最上は「あーあ」と呆れたため息をついて秋月を見つめる。その秋月は戦闘終了直後、素早く満潮が確保していた。

 もし確保が遅れていれば、最上は先程の顔無しと同じように、『処分』しにかかっていただろう。

 

「しっかしまあ、結局やられちゃったんだね秋月。無様というか何というか……同胞(はらから)として僕恥ずかしいよ。生き恥ってヤツだね。そんなもの晒すぐらいなら、死んだ方が良いよね、秋月の為にも!」

 

 そう言った瞬間、秋月と彼女を確保している満潮の周囲を、艦載機が包囲した。

 

 一瞬で現れた。としか言いようがない。虚空から出現したとしか思えない。

 

 それでも誰も怯まない。爆弾が落とされようとしたのと同時に、飛鷹たちの援護攻撃が艦載機を叩き落とす。

 

「うわっ、破壊されたの!?」

「そうですわ。どこへ出てくるのか分かっていれば、予測して砲撃するなど簡単なのですわ」

「流石だね熊野。昔と同じだ。でもその身体で何ができるのかな。僕が合図を出せば、後方に控えている援護部隊がどどーって出てくるんだよ?」

 

 誰も彼もボロボロだ。特にD-ABYSS(ディー・アビス)をずっと使った卯月、最上を単独で相手していた熊野が重傷。こんな状況で戦えば死人が出る。

 

 けどそれで良い。生還を軽視するのがこの前科戦線。

 

 今重要なのは顔無しと秋月の回収だ。その意志を不知火が伝える。

 

「問題ありません」

「へ、そうなのかい?」

「ええ、唯の一つとて」

 

 何人かがしんがりと務めれば撤退まではどうにかなる。ズタボロの身体を叩き、熊野と卯月は立ち上がる。

 

 卯月たちと最上が睨み合う。

 

 長い時間が流れた気がして、最上の溜め息でそれは終わった。

 

「分かった。撤退するよ」

 

 と言って主砲を降ろす最上。彼女は手に持った『顔無しの片腕』を大事そうに持っていた。

 

「顔無しも秋月も確保されちゃったけど、僕的にはこの『片腕』だけで十分だからね。今日の所はこれ(片腕)の回収を優先させて貰うよ。帰投中、万一があるかもしれないから。うん君達の予想通り。この顔無しはとっても大事なサンプルなのさ。そっちで解析してみても良いよ、絶対分かんないと思うけど。だって僕も知らないし!」

 

 最後の一言に突っ込む気力などある訳がない。

 

 隠れる気も皆無。顔無しの片腕を持ったまま、最上は遥か遠くへ去っていった。

 

「飛鷹さん、追跡は」

「生憎だけど偵察機も全滅、無理よ、ごめんね」

「いえ、仕方ありません」

 

 秋月は確保、重要そうな顔無しも確保。更に全員生存。戦果だけ見れば間違いなく完全勝利。

 

 しかし卯月は到底そうは思えない。

 

 特に異様な雰囲気になった熊野を見ていたら、尚のこと思えなかった。




艦隊新聞小話

 補足というか実際のところと言いますか、最上さんが言った通り、後方には追撃のための顔無し部隊がまだいました。これを投入すれば前科戦線に大ダメージを与えることは可能でした。
 ですが、最上さんの優先目的は、顔無しの腕を無事持ち帰ること。
 帰投中、襲撃がある可能性もありますからね。なのでその顔無し部隊を、自分の護衛にして、安全を確保する方を優先させたんです。
 ……え?最上さんを誰が襲撃するのかって?
 ハハハ、『黄金の暴風雨』をお忘れで?


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第132話 遺恨引く決着

『ありったけをすべてぶっ放す常軌を逸した技』と言うけれど実際はどうなんだろう。嘆くガンランサーでございます。


 秋月との戦いは最上の乱入こそあったものの、卯月たち前科戦線の勝利で終わった。

 

 とりあえずポーラと合流しないといけない。捕虜を連れた卯月たちはポーラの潜伏していた島を目指す。

 

 目的通り秋月は確保。更に自爆しない顔無し──これは何が重要なのか不明だが──も確保。戦果だけ見れば大勝利。

 

 しかし、この現状では誰もそう思えなかった。

 

「痛い……痛いぴょん……涙が出てくるよぉ」

 

 まず卯月だ。

 D-ABYSS(ディー・アビス)を限界以上に使ったせいでボロボロ。前のように死ぬではないが全身から出血。十分致命傷。

 

「…………」

 

 更に熊野。

 最上を単独で足止めした結果、彼女もかなりダメージが大きい。あちこちに痣ができている。吐血もしている。腕も折れているし歩き方もおかしい。

 

 それ以上に雰囲気がヤバい。最上と関係があるのは察しているが聞ける空気ではない。

 

 そして最も危険なのが秋月だ。

 

「……ねぇ、こいつ死なないわよね。大丈夫なの」

 

 満潮が心配そうに顔を覗き込むが、目を背けたくなった。

 修復しきる前に意識を奪われ。D-ABYSS(ディー・アビス)が停止したせいだろう。破裂した眼球が再生していない。

 

 千切られた顎も治っていない。肋骨は皮膚を突き破ったまま。その他打撲に内出血、出血に火傷。

 トドメに長期間システムを使い続けたせいだろう。体内の全てがボロボロだ。

 

「……酷いわね。これじゃ轟沈寸前よ。特にシステムの反動が酷い。身体の中は()()()()()も同然」

 

 簡単な検診でさえこの有様。ちゃんとした検査をしたらもっと酷い結果になる。今まで敵だったとはいえ、ここまで艦娘を使い潰すことに飛鷹は嫌悪感を表す。

 

 一番体格が良いということで、秋月は飛鷹が運んでいた。しかし不安が収まらない。心音が弱まっている。

 飛鷹は仲間の死を何度も経験している。

 けれども慣れたことはない。不安を隠せなくなってきた飛鷹を気遣い、不知火が声をかける。

 

「ポーラさんのいる孤島へ急ぎましょう。そこへ上陸すれば応急処置ができます」

「道具はあるの?」

「ポーラさんをあそこへ送った時、念の為医療道具も置いてきました。充実していますから大丈夫です」

 

 辿り着きさえすれば、一先ずの延命措置はできる。それを聞いて飛鷹は安堵した。

 

 本当のところさっさと帰投したい。最上はああ言っていたが、あれが嘘でUターンしてくるかもしれない。

 だが、ここまで重傷人がいたら、治療をしなければ帰投まで持たないのが事実。御くびにも出さないが不知火は密かに焦っていた。

 

「いったいポーラはどこまで遠くにいたんだぴょん……まだつかないの……?」

「大型電探の射程よりも外ですから。ですがもう直ぐです。既に島影も見えていますよ」

「え、あ、本当だ……やっと休めるぴょん……疲れた」

 

 とりあえず休める。空気が少し緩んだ。

 

 その瞬間、空気が震えた。

 

 ポーラのいる孤島に稲妻が走る。そしてレールガンが発射された。

 

「え」

 

 突然の事態に誰も反応できない。プラズマ化した大気とソニックブームの轟音が吹き荒れる。

 

 しかし、その弾丸は誰にも当たらなかった。全く見当違いの方向。遥か上空。卯月たちの真上へと飛んでいった。

 

 不知火も知らなかったのかポカンとしていた。ポーラは何をしたのか。誰も分からず呆然とする。

 

「……な、なんだったの?」

「さあ、分かんないぴょん……上に何かいたんじゃないの?」

「対空電探でも何も感知できない。何もいないわよ」

 

 それはそうだろうが、だがポーラが何の意味もなく狙撃をするだろうか。

 

「それはあり得ないわ」

「……そうなの、飛鷹さん」

「ええ、あいつは呑んだくれでバカで露出狂で変態で反省しないクズオブクズの酒乱だけど──」

 

 これ弁護してるんだよな? 

 溢れ出る罵詈雑言に困惑する卯月たち。しかし飛鷹は『だけど』と信頼を口にする。

 

「狙撃はちゃんとやる。それは確か、あの先には何かがいる」

 

 そう語る飛鷹の顔は自身と信頼に溢れていた。自分たち以上に付きあいの長い彼女が言うのだから、信じて良いだろう。

 

「でも酒乱じゃない。酔ってうっかりトリガー引いててもおかしくないわよ」

「まあね」

「オイ信頼はどうしたぴょん……」

 

 だがポーラ自身のクズさが全てを帳消しにした。それはさておき本当に何かを撃ったのか──その答えは空から降ってきた。

 

 太陽の光に照らされてキラキラ光る物が落ちてくる。気づいた不知火は全員に回避指示を出す。

 各々その場から離れて、遠巻きに落下するキラキラを見る。大きな水柱を立てて着水するそれの正体は。

 

「……偵察機の、残骸?」

 

 真っ先に気づいた飛鷹が呟く。そう言われて見ると確かに艦載機の破片に見える。ポーラが撃ち落としたのはこれだったのだ。

 

「どういうことよ。対空電探に何の反応もなかったのに。こいつどっから現れたの」

「違う。こいつは電探でも感知できない高度にいたのよ」

「それって、つまり……」

「高高度爆撃機……ならぬ、高高度偵察機と言ったところかしら。それを使ってずっと私たちを監視していたみたいね」

 

 高高度爆撃機。

 名前の通り、通常の艦載機では到達困難な高高度から攻撃できる爆撃機である。今落ちてきたのはその偵察機バージョンと言ったところ。

 

 現状これが確認されているのは深海棲艦の爆撃機だけ。艦娘が運用できる艦載機では存在していない。しかし落ちてきた物は紛れもなく艦娘用の偵察機。

 こんな物普通は運用できないが、艦娘を普通で無くす技術を卯月たちは知っている。

 

「最上なのかっぴょん……?」

「さぁ、分からないけど、これを飛ばしてた輩は間違いなくD-ABYSS(ディー・アビス)艦娘ね」

 

 最上なのか。最上でないとすれば可能性だけ存在する『三隻目』なのか。

 

「一先ず撃墜できたから良いとしましょう。島に上陸して応急処置を行います。休憩時間は少しだけです。しっかり休んでください」

 

 考えたって仕方のないことだ。不知火の言う通りもう高高度偵察機はいない。これ以上つけられることはない。そう長い時間ではないが、やっとこさ心から休める時間を卯月たちは手に入れた。

 

 

 *

 

 

 島に上陸してそうそう目に入ったのは酒盛りをするポーラの姿であった。

 

 彼女を無視してまず応急処置が行われる。不知火の言っていた通り、ポーラが潜伏していた場所には、多くの医療道具も保管されていた。

 

 大ダメージを負った内蔵等も簡易ながら縫合できる。出血を止めることもできる。輸血パックもあった。他ギブスや包帯でこれ以上重傷化しないよう措置を行う。治療の過程で細菌は入ってくるが後で入渠すればそこはどうにかなる。

 

 その次には卯月の治療だ。D-ABYSS(ディー・アビス)の反動を受けた卯月も体はボロボロ。散々訓練を積んだというのに、長時間使い過ぎたせいで消耗具合が前回と変わらない。秋月同様包帯でグルグル巻きになってしまった。

 

「動きにくいぴょん」

「そのまま未来永劫動かなくても良いんだけど。いっそミイラらしく封印されてくれないかしら」

「ミイラなんて豪勢な扱いうーちゃんには勿体ないぴょん。よければ代わってやるぴょん。主砲を口内に撃てば一発だぴょん」

 

 暴言を吐きあう二人だが、戦闘での疲労が酷く長続きしない。砂浜にぐったりと寝そべったまま動けなかった。

 

「お~い、生きてますか~?」

「うるさい引っ込め酔いどれが」

「酷いですよ~、心配してるのに~」

 

 にゅっと覗き込んでくるポーラもうっとおしい。今は静かに休ませて欲しいのが本音だ。しかしポーラは卯月の心境を無視して隣に座り込んだ。

 

「ねぇ大変だったんですよポーラ。本当に提督さんが無茶を言うから~、ポーラ疲労困憊です~」

 

 酒を煽りながらメソメソ泣くポーラ。

 どこがだ。一歩も動いていなかっただろお前。狙撃に集中してたのは分かるが特にダメージもない。わたしの方がよほど重傷だと卯月は思った。

 

「あ~、一週間飲まず食わずは過酷でした~」

 

 とんでもない一言に卯月は噴き出した。

 

「一週間!? 飲まず食わず!?」

「そ~なんですよ~」

「嘘とかじゃないのかぴょん!? 嘘は嫌いだぴょん!」

「ホント~です。だって、狙撃手が狙撃体勢から動いたら~、ダメじゃーないですか~。それにいつ卯月さんたちが来るか知らなかったし……待つ他ないですよね~?」

 

 言っていることは理屈に合っている。敵が何時来るか分からない状況だと狙撃手は待つことしかできない。食事も何もできずに待つしかない。それを一週間も続けられるものなのか。卯月には眉唾ものだ。

 

「信じてませんね? でも~、人間の狙撃手だって、一週間飲まず食わずで過ごせる人もいるんですから~」

 

 卯月は顔を動かしてポーラの艤装を見る。本当にレールガンになっているのを見て絶句する。

 

 そもそもどうしてポーラがいるのかと言えば、秋月を狙撃する為だった。

 

 作戦開始の一週間前、中佐たちは一つの結論を出していた。それは『秋月相手に正面対決を挑む方が間違い』というもの。真正面からではなく、致命的な隙を作り出した方が勝率が高いと判断したのだ。

 

 その為に持ち出されたのが、このどこぞの明石が作り上げたレールガンである。重すぎて一歩も動けないし再発射までに時間はかかるが、秋月の射程距離外から狙撃するにはこれを使うしか方法はなかった。

 

 しかし、射程距離外と言ってもかなりギリギリ。少しの誤差で秋月に逆探知されてもおかしくないぐらい。

 そこで高宮中佐たちは狙撃の射程距離外で戦闘を始めるようにした。

 お互い射程距離外の探知できない場所で戦い始め、徐々にポーラの射程距離に追い込んでいき、踏み入った瞬間『ズドン』──そうすれば絶対に先手が取れる。実際先手は取れた。最上の乱入で失敗したが。

 

 問題はそれだけではない。艤装を運び込む方法、気づかれず海域に潜り込む方法、潜伏を内通者に気づかれない方法。

 

 課題は山積みだったが全て解決済みだ。

 

 艤装は細かく分解した上で輸送し、ポーラの手で現地組み立て。

 戦闘直後という警戒の薄いタイミングなら気づかれず潜り込める。その為一週間前から潜伏し、かつカムフラージュも実施。

 更に部隊が動きタイミングを秘蔵し、ポーラが不在であることも隠匿することで内通者への露見も阻止。

 

 最後に、一週間の潜伏をポーラが飲まず食わずで耐えきり、ベストタイミングで狙撃したことで作戦成功になったのである。

 今回の秋月討伐作戦のMVPは間違いなくポーラと言えよう。

 

「まーポーラの場合、お酒思うように飲めない方が大変でしたけど~。でも今は飲み放題です~うへへへ~」

 

 なのだが肝心のポーラがこの始末。一週間微動だにできなかった苦労も何も一切語らず、ひたすらワインを煽りベロンベロン。服もほぼ脱ぎ散らかされている。ブラジャーやパンツはどこへ行ったのか。色気などはなく恥しかない惨状。

 

「……へー、そっかー、凄いぴょーん」

 

 なので卯月はまともに会話することを諦めた。疲れ過ぎて突っ込む気力もない。一週間狙撃体勢をとっていたことは凄いのだろうが、感心したり感謝しようという気持ちが微塵も湧かない。そう思う程酷い酔いどれっぷりだった。

 

「うひゃ~、ポーラ自由です~、飲んで飲んで飲んで~、吐いて吐い……オロロロロロロ」

 

 何をトチ狂ったのか卯月の真上で虹色を放出するポーラ。卯月は痛みも忘れて叫ぶ。

 

「あ゛あ゛あ゛!? 顔に掛かる掛かる掛かギャー!?」

「もー一本開けちゃいましょアバッ!?」

「いい加減にしてください」

 

 鋭い手刀を叩き込まれて強制気絶。卯月は心の底から不知火に感謝した。

 

「労おうとかそういった気持ちは不要です卯月さん。コイツに情けは要りません。狙撃を頑張ってくれたとしても無用です」

「そ、そう……」

「豚に真珠、猫に小判、暖簾に腕押し……狙撃以外の全てがロクデナシです」

 

 そこまで言うか。卯月は思考する。そこまで言うな。卯月は納得した。

 

 ポーラを仕留めた不知火だが、彼女は他の動けるメンバーと一緒にポーラの艤装の解体作業を行っていた。

 

 今後の話だが、このレールガンを使用する予定は当分ない。今回は異常極まった秋月の防空網を突破するのに止むを得ず使用しただけ。こんな運用が難しく致命打を与えられない兵器を積極運用するほど暇ではない。

 

 かと言って放置していく訳にもいかないので解体するしかない。細かく分割したら大発動艇(これもポーラ潜伏時に持ち込んだ)に乗せて持ち帰ることになっている。重傷人の秋月も大発の端っこに乗せられる予定だ。

 

「もう少しで撤収準備は完了です。卯月さんや秋月さんの応急処置も終わったので、それが終わり次第帰投に入ります」

「秋津洲が迎えにくるの?」

「いえ、今回は来ません。海路で帰投します」

「……こういう時に何で来ないのよ。疲れ果ててんのに」

 

 疲労の極地なのに楽して帰れない。満潮は不満そうな態度を取る。ぶっ倒れている卯月も概ね同じ意見だ。

 

「秋月さんや、そこの顔無しが『呪い』を持っている可能性があります。承知して貰います」

 

 深海棲艦の捕虜を得たのは良い。しかし輸送する場合そこがかなりの問題となる。手順を一つ間違えたが最後、基地全滅も在り得る。輸送艇に乗せるなんて行為はできないのだ。

 

「はぁ、分かってるわよ、常識ぐらい分かっているわよ」

「なら問題ありません」

「……全く面倒な輩だぴょん。一々言わないとジョーシキが分からないだなんて。阿保潮に改名したらどうだっぴょん?」

「……じゃあアンタ分かってんのよね?」

「ははは、うーちゃんが知ってるわけないじゃん」

 

 満潮の鋭いキックがみぞおちに直撃する。その衝撃で骨が折れ内蔵にダメージが入った。

 

「深海棲艦は『呪い』を持っています。連中が陸地等……()()()に現れた場合、一気に呪いによって浸食されます。輸送艇も例外ではありません。秋月さんも『呪い』を持っている可能性があります。だから輸送艇は使わない。理解できましたね」

「ひゃい……」

「……座学もやらないとダメじゃないコイツ?」

「筋トレに注力し過ぎましたかね……」

 

 艦娘と深海棲艦についての一般常識が思っているより欠けている。普通の鎮守府で受けるような一般教養を学ぶ暇がなかったのは確かだが、ちょっと見逃せなくなってきた。

 今後はいつものハードなトレーニングに加え。座学も加わることになるだろう。更に惨たらしくなっていく現実に絶望する。

 

「ふ、不幸だぴょん……」

「自業自得って言うのよ」

「あ゛ー!」

 

 勝ったのに何故絶望しなきゃいけないのか。卯月の泣き声が無人島に響いた。




第一章とほぼ同じだけの話数をかけて漸く決着。幾ら何でもしぶとくし過ぎただろうか。今更だけど。


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第133話 念には念を

 ポーラと合流し応急処置を済ませた後、卯月たちは無事鎮守府近くまで戻ることができた。

 最上がUターンしてくることもなかった。本当に来てたかは不明だが追跡の意志はあった。途中でポーラに撃ち落とされたが、偵察機が後を付けていたのがその証拠だ。

 

「や……やっと、ついた、ぴょん」

 

 鮮明には見えないが基地の近くという感覚は持てる。心の底から安堵した卯月は力尽き海面に座り込む。

 追撃部隊がいる可能性があったせいで、止まっている暇がなかった。重傷を負っているのに休憩なし。夜風に体温を奪われ、痛みで泣きそうになりながらの帰路。

 

 それがやっと終わった。あと少しでも気を抜いたら気絶しそうだ。しかしそれはちょっとカッコ悪い。何とか基地までは持たせる。機雷原を抜ければもう少しだ。

 

 前科戦線は侵入防止のため周辺海域が機雷源に覆われている。無事に抜けられるルートは一つだけ(海流により時間変動)。ふぬけた気持ちで行ったら自爆するので油断は厳禁だ。

 

「卯月さん、まだです」

「へ?」

「まだ帰投はできません。此処で待っていてください」

 

 絶望が突き抜けていく。

 不知火はどうしてそんな命令を出すのか。嫌がらせの類か。しかし一々意見する余力もない。力なく頷いた。

 

「やらなければならない作業があります。あと少しの辛抱です……来たようですし」

「来たって……誰が」

「北上さんです」

 

 不知火の目線の方を視る。人影が近づいてくる。それこそが北上だった。だが彼女は脚部に障害を負っている筈。無事に来れるのか不安になる。

 

 その不安通り、北上の動きはぎここちない。あんな動きじゃ機雷に接触してしまうんじゃないか。そう思うような挙動だ。

 しかし予想に反し、北上はふらふらしているのに、機雷に一切触れずこちらまで到着した。

 

「あいよお待たせー、皆お疲れさまー」

「……北上さん、航行できたのかぴょん」

「できるよ? まー見ての通り、ゆっくりでフラフラしているから、実戦では駄目だけど」

 

 確かにと卯月は思う。大分ゆっくりとした航行だった。これでは咄嗟の回避運動なんてできないだろう。不安定過ぎて味方の足を引っ張るかもしれない。

 それでも機雷には一切接触しなかった。スローというだけで、航行能力自体はかなり高い。昔は凄まじく強かったらしいが、その経験は生きているということだ。

 

 ただ、不安定だった原因はそれだけではない。持ってきた物にも一因がある。

 

「……北上さん。その大きいのは何?」

 

 北上は異様に巨大な何かをロープで牽引していたのである。人間一人は余裕で入る大きさの箱。大発ではない。それは北上は運用できない。艦娘の兵器ではない何かだ。こんな大きな物運んでいたら不安定にもなる。これは何なのだろうか。

 

「棺桶」

 

 真っ先浮かんだ疑問は、『誰の?』というものだった。

 

「……へえ、良かったわね卯月。疲れが完全にとれるぐらい寝かせてくれるって言ってるわよ」

「そりゃ凄いぴょん! 折角だから満潮に譲って上げるぴょん。うーちゃんには勿体ないぴょん。さあさあ遠慮はいらないぴょん」

「一番ダメージが酷いのは卯月でしょ。遠慮とかじゃなくて優先順位の問題。ほら入んなさいよ」

「いっそ二人で入れば?」

 

 北上はふざけたことを言い出した。二人は激しく咳き込んだ後、彼女を睨み付けた。

 

「何てことを言い出すんだぴょん! コレとこんな密室でだなんて腐って死ぬぴょん!」

「私に精神崩壊を起こして死ねっていうの!?」

「あ゛あ゛!?」

「何よ!?」

「お二人とも話が進まないので静粛に。北上さんも煽らないでください」

 

 実際こんな狭い棺桶で一緒とか耐えられない。体裁をかなぐり捨てて自死を選択するだろう。割とマジで。でなければ精神崩壊で死ぬ。間違いなく。

 それは兎も角、この棺桶は誰の物なのか。

 

「で、これ何なの」

「無線で聞いたけど、顔無し持って帰ってきたんでしょ?」

「うん……じゃあ、顔無し用かぴょん?」

「そうだよー、じゃ動ける人は手伝ってー」

 

 多少は動けるとはいえ、脚が不自由なことは変わらない。手伝いが必要だ。動ける球磨は熊野に補助して貰いながら、気絶しっぱなしの顔無しを棺桶に入れる。

 蓋が開いてみて分かったがかなり厳重な作りだった。死人を入れるような棺桶ではない。もっと別の用途だろう。

 

「これはねー、捕獲した深海棲艦を、封印するための装置なのさ」

「捕獲で……封印? 何のために?」

「そんなの、呪いを封じる為に決まってんじゃん」

 

 深海棲艦はその身に大量の呪いを抱え込んでいる。ひとたび陸地へ上がれば凄まじい勢いで土地を侵食してしまう。だが陸地へ持ち込めなければ、折角捕縛した個体を調べることもできない。この棺桶はそれを封じた状態で回収するための装置なのだ。

 

「まさか卯月、そんな一般常識を知らないの?」

「ははは……知りませんでした。はい」

「素直で良いけど……それを知らないのは、不味いよ?」

 

 嘘は良くない。素直に白状する。北上はちょっと呆れた。

 

 棺桶に収められた顔無し。装置が起動し四肢を拘束してから、厳重な作りの蓋が閉じ、如何にも固そうなロックが施される。

 

 この棺桶にはそれ以外に結界としても機能もある。内部から破壊されない為に、深海棲艦の艤装展開を封じ、力を抑圧することができるのだ。

 但し、艦娘の兵装ではないので、()()からの攻撃にはとても弱い。封印作業にも一定の時間と手順が要るので、実戦では使えない。

 

「……ところで、この顔無し片腕千切れてたけど、どーかしたの?」

「最上に回収されました。腕一本でも、重要なサンプルらしいです。何のサンプルかは分かりませんが」

「そっかー……こいつらは、ただの特攻兵器じゃなかった訳ね」

「ええ、そうなります」

 

 今まで不知火達は顔無しを悪趣味な兵器だと思っていたがそれは違った。

『敵』はずっと、自爆しない顔無しを求めていたのだ。その成功例がこの顔無し。ただ自爆時の力が高かったから、実験ついでに戦線投入してたのだろう。

 自爆しない成功例が出て来たら、腕一本取れれば良い。D-ABYSS(ディー・アビス)搭載艦娘がいれば回収は容易だ。実際最上に回収された。

 

 もっとも、自爆しない個体が、一体全体何を意味するかはさっぱりもって不明。これから解析することで調べる他ない。

 

 最上は分かる訳がないと言っていたが、誰もそんなことは思っていない。何としても突き止めなければならない。自身で戦線に出ることができない北上は、あまり表情には出さないが人一倍強く思っていた。

 

「さてと、次は秋月だ。私は作業するね」

「了解しました。球磨さんと熊野さんは、北上さんの護衛をお願いします。卯月さんと満潮さんは帰投します。棺桶を持って私についてきてください」

 

 後必要なのは作業中の北上を護る人員だけ。他は要らない。棺桶を早急に持ち帰る必要もあるし、卯月については早めに入渠する必要もある。秋月の様子は気になるが、正直怪我がかなり辛い。入渠を優先することに決める。

 

 熊野たちに秋月を任せ、棺桶を引きずりながら、不知火の案内で機雷源を抜けていく。こうしている間に秋月が衰弱死してなければ良いが。

 貴重な情報源だ。死なれては本当に困る。

 仲間という認識はまだ皆無。それぐらいの思いしかなかった。

 

 

 *

 

 

 卯月たちが去った後、その秋月は更なる地獄を見る羽目になっていた。

 

 何をされているのか。

 

 端的に言えば()()()()()()()

 

「うーん、どうだろうな……」

 

 北上は海上でありながら、手際よく秋月を解体していく。マグロの解体ショーのように皮膚が開かれ、内蔵が一つずつ丁寧に切開されていく。そのままだとショック死するので麻酔は使っている。並行して高速修復剤を使用しているから、それで死にはしない。

 

 だが瀕死の秋月からしたら地獄も地獄。覚醒と気絶を繰り返しながら、今まさに発狂しようと苦しんでいた。

 

「流石に同情するクマ。でもしょうがないクマ。頑張るクマ」

 

 言葉も発せない。発する気力がある訳ない。どうしてこんな目にあっているのか秋月には理解できなかった。

 しかし、この作業は絶対に必要ことだ。だから誰も止めない。これをしなければ前科戦線が壊滅の危機に陥る可能性もある。

 

 そして解体作業の末、それが見つかった。

 

「……あった」

 

 秋月の股間付近にそれは埋め込まれていた。それを確認した後、北上はメスで素早く切り離し、修復剤で傷を塞ぐ。

 目的の物を発見し、北上は一息つく。

 

「やっぱりだ。発信機が埋め込まれてたよ」

 

 場の空気が静まる。予想していた物の登場。掌に収まるくらい小さいそれは、間違いなく発信機だった。

 

「まあ、考えることが分かりやすいのは、良いことですわ」

 

 最上が秋月奪取をスル―したのは()()()だ。

 奪取されて持ち去られたらそれはそれで、発信機により前科戦線の位置を特定できる。そこへ戦力を投入し押し潰すつもりだったのだ。こちらが秋月を殺さないと分かっていたらこんなことができる。

 しかも埋め込まれていた場所が場所だ。ボディチェックぐらいで気づけるものではない。こんなのを仕込んで良い場所ではない。熊野たちは揃って嫌悪感を顕にする。

 

「危なかったクマ。基地が特定されたらおしまいだったクマ」

「それを分かってやっとしたら、こっちの情報は結構漏れてるってことになんのかなー」

「徹底した情報規制が生きたクマ」

「まるで嬉しくありませんが、確かにそうですわね」

 

 前科戦線の戦力は少ない。前科持ちと正規艦娘を合せても(北上は除く)合計で七隻しかいない。

 何故こんな少ないかというと、全員犯罪経歴アリの危険集団ということで、万一の時でも他鎮守府が制圧できるよう保有数を制限されている為だ。

 数で押されると簡単に潰されてしまうのが特徴。だから基地の場所が露見しないよう、友軍にさえ基地の位置は秘匿されている。知っているのは大本営の限られた一部の人員だけ。

 

「……で、その発信機、どうするんですの」

「とりあえずこうする」

 

 北上は予め電波類を遮断する物を持ってきていた。それは水筒だ。それでも内部の水で電波類は遮断される。更にブイを付けた状態で水底へ沈めておく。海水によって重ねて電波は遮断される。内部へは持ち込まない。ここまでやっても、電波ではなく未知の方法で探知しているかもしれない。

 

「壊さないのですね」

「そう、何かに使えるかもしれないからねー」

「……最上と、戦う為に?」

「そうだよ」

 

 その名前を出す時、熊野は重苦しい雰囲気を隠せていない。だが周囲は何も言わない。過去に触れることは『ダブー』なのだから。

 

「じゃあ、これで秋月は回収かクマ?」

「そうなるかな……流石に発信機が二つ以上ついてるとは思えないし。念の為機械で調べてみるけど、多分大丈夫だと思う。それにこれ以上は秋月が持たない」

「……今更何を言ってんだクマ」

 

 今の彼女はD-ABYSS(ディー・アビス)によって延命している状態。しかも原因不明だが作動率がどんどん低下している。停止していないがエネルギー吸収率はほぼゼロ。

 全身のダメージや出血によって死亡一歩手前(耐久残1)。何度も心停止しては、電気ショックで強制蘇生されている壮絶な状態だった。

 

「ここで外したら、艤装の生命維持装置が機能しなくなって即死だ。基地の入渠ドッグ前で接続を解除したら即入渠。その後艤装内部にあるD-ABYSS(ディー・アビス)の精密調査を行う感じになるかな。疲れてる所申し訳ないけど、そこまではお付き合い願うよ」

「了解ですわ」

「同じく、だクマー」

 

 その後、機雷原を抜けて基地へ帰投した北上たち。艤装を外した瞬間全身が爆発せん勢いで出血し、内蔵まで飛び出てくるアクシデントこそあったが、絶命する前にドッグへ入渠。大量の高速修復剤に浸すことで、どうにか繋ぎ止めることに成功。

 機雷原を抜けて何者かが接近することもなく、近海に敵影もなし。無事追跡も阻止できたところで、今回の秋月討伐戦は幕を閉じるのであった。

 

 そして戦いは次の敵へと向かっていく。鈴谷のような緑髪を持ち、顔見知りのように熊野に接する最上。まだ仮定段階の『三隻目』。

 

 この戦いにより熊野は、否応なしに自分自身の過去へ向き合わざるを得なくなるのである。



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第134話 異常聴覚

 激闘を制した前科戦線だが、落ち着く間もなく次の業務が始まる。

 秋月の艤装からD-ABYSS(ディー・アビス)を分離させることはできた。卯月のものとは違う可能性もあるので、北上は解析作業へ入る。

 棺桶に封印された顔無しは別の処置の準備中。

 秋月は現在入渠中だが、途方もないダメージを全身に受けている。回復するには数日単位でかかると見込まれる。

 

 そして卯月たちはというと、入渠の後疲労困憊により、気絶同然の勢いで眠りについていた。

 

 そのまま朝──どころかその日の夕方まで熟睡。疲労し過ぎているから発作の可能性も低い。するだろうと、気絶寸前の卯月自身思っていた。

 

 だがそうはならなかった。

 

「……うみゅ?」

 

 どこかから聞こえた物音で目が覚める。外を見るがまだ真っ暗。深夜真っ只中だ。

 こんな時間に何の音か。気になって起き上がる。

 相変わらず満潮に抱かれる形で寝ていたが、その腕をどかす形になってしまう。けど彼女は起きない。満潮も疲れ果てているのだ。

 

「どこからの、音だぴょん……?」

 

 耳を澄ますとその音の()()が聞こえる。機械の作動音、唸り声にも似た振動音。若干トラウマを抉るが、なんなのか気づく。

 

「エンジン音……でも、誰だぴょん」

 

 車のエンジン音だ。昔トラックで解体施設へ連れていかれかけた時聞いた嫌な音。だから良く覚えていた。しかし前科戦線は基本出入り禁止。人の入れ替わりも稀。ましてはド深夜。こんな時間に何故エンジン音がするのか。

 

「……なんか気になって寝れなくなってきたぴょん」

 

 夜風で冷えないよう上着を一枚だけ羽織り、音の大本へ歩いていく。なんとなくだが、どこの音なのか感じ取れる。それを頼りに歩いていく。

 その最中、卯月は違和感を感じていた。

 気のせいかと思ったが、段々スル―できなくなってきた。

 

「此処ってこんな五月蠅かったっけ」

 

 妙に雑音がする。人数が少ないので昼夜問わず静かな基地だが、今は妙に五月蝿い気がする。

 だがそれは卯月の勘違い。前科戦線は深夜の軍事施設らしく静寂を保っている。五月蠅いのは別の要因。卯月もすぐに気づく。

 

「いや違う、もしかして、耳がますます鋭くなってる?」

 

 気のせいだろうか。確かめる為更に意識を集中させる。

 

 暫く目を閉じて周りの音を聞き取る。そして卯月は更に聴覚が鋭敏になったのを自覚した。

 

「……これまさか、満潮の寝息?」

 

 後方を振り返る。今いる場所は外。満潮が寝てる自室は屋内。そっからの静かな寝息が知覚できた。

 

 流石に鋭すぎないだろうか。聞こえ過ぎだコレ。

 

 まさか、まだD-ABYSS(ディー・アビス)を使いまくったせいだろうか。それぐらいしか理由が浮かばない。

 より探知能力が上がったと歓迎すべきなんだろうが、何だか嫌な感じがする。でも現状異常は起きてない。

 

「ま、いいや。ヤバかったら相談しよーっと」

 

 様子見で良いか。それより物音の所へ行こう。更に鋭くなった聴覚を頼りにしながら、目的の場所へ辿り着く。

 

 そこにいたのは一台の護送車だ。エンジンもかかっている。これから何処かへ出発するのだ。そして誰かがやってきた。慌てて隠れて物陰から覗き込む。その人影は憲兵隊に拘束されていた。

 護送車のライトに照らされて顔が浮かび上がる。卯月の見知った顔だった。

 

「……熊野?」

 

 と、物凄い小声で呟く。反射的行動だった。

 

 だが憲兵隊は感知した。

 

 熊野を拘束していた憲兵の一人が残像を残して消滅する。次の瞬間背中に拳銃を突き立てられた。

 

「ぴょっ!?」

 

 言われてもいないのにホールドアップしてしまう。何で一瞬で消えるんだ何で一瞬で背後に回り込んで来るんだ。とても怖い。小動物のようにプルプル震える卯月。

 

 そこで遠巻きに見ていた熊野が卯月に気づく。

 

「何してるんですの卯月さん」

「助けてー、熊野ー、うーちゃんは無罪だぴょーん」

「……皆さま方、この卯月は此処の艦娘です。ホールドアップは解除してよろしくてよ」

 

 熊野がそう言ったことで納得したのか憲兵隊は離れていく。拳銃も背中を離れる。緊張から解放されて大きなため息をついた。

 

「で、何してるんですの卯月さん」

「寝てたら、車のエンジン音で起きちゃって、何だろうって思って来てみたんだぴょん」

「エンジン音で?」

「そう」

「……此処のエンジン音が、卯月さんの自室まで聞こえたと?」

 

 そうだと頷く。実際聞こえていた。だがそれは異常なこと。熊野はかなり怪訝そうな表情になってしまう。

 

「私はこれから少し出かけるのです。但し内密で。だからこんな時間に車を用意して貰ったの。起こしちゃって申し訳ありませんわ」

「別にそこは。てか。また一日外出券なのかぴょん。贅沢なヤツだぴょん。羨ましいぴょん」

「いえ、仕事の一環ですわ」

「仕事って、外に?」

「ええ、それも内密に」

 

 何の用事なのか。パッと浮かぶのはやはり『最上』の存在だ。

 熊野、鈴谷、最上、この三人に何かがあるのは間違いない。そこを突き止めれば『敵』の実態に近づけるかもしれない。

 

 実際の所、卯月の予想で合っている。

 熊野はこれから大本営へと赴き、高宮中佐の上官、『大将』に話をしに行くのだ。重要機密の情報だ。必要の原則が要る。熊野外出の事実は誰にも知られない筈だった。卯月がここに来るまでは。

 

「察せられるでしょうけど、わたくしが出かけていることはくれぐれも内密に」

「アイアイ任されたっぴょん」

「それともう一つ。北上さんでも誰でも構いません。一度その聴覚のテストをした方が良いと思います」

「……やっぱり?」

「ここからエンジン音が聞こえるなんて普通じゃありませんわ」

 

 薄々勘付いていたがやはりそうなのか。客観的に異常と言われ落ち込んでしまう。でもこれで戦闘は日常生活に支障をきたすほうが余程不味い。

 

「熊野は、すぐ帰ってくるのかぴょん」

「ええ、あの最上を……なんとかしなければなりませんから。必ず戻ります。ご安心くださいな」

 

 微笑みを浮かべながら熊野は護送車に乗り込み去っていった。固く閉じられた門。夜間外出なので憲兵隊はこっちを睨んでくる。下手に目をつけられたら堪らない。言われた通り自室へ戻る。満潮はまだ熟睡だ。

 適当に歩いたお蔭か、卯月もまた眠くなってきた。疑問は色々あるが全部明日以降に持ち越そう。もう単純に眠い。満潮の腕の中へ潜りこんでから二度寝へと突入した。

 

 

 *

 

 

 翌朝、朝日が昇り出した時間。飛鷹は既に朝食の用意を済ませている。たっぷり休んだから今度は腹が減った。我先にと食堂へ突撃する。卯月は満潮も例外ではなかった……いつも通りなのであれば。

 

 卯月は食堂にはいなかった。いや()()()()()()()のだ。

 

 代わりに朝食の乗ったプレートを持って、北上のいる工廠へお邪魔していた。昨日から調査尽くしで寝ていないにも関わらず来訪を快諾してくれた。本当にありがたいと卯月は思う。

 

 そして卯月が何故食堂に居られなかったのかというと、原因は昨日熊野に指摘された『異常』が原因。

 

 即ち聴力である。

 

「どうだったの」

 

 あれこれ検査を済ませ、結果を纏める北上。それを見る彼女の顔は芳しくない。頭をボリボリ掻きながらどうしたものかと頭を悩ませる。

 

「取り敢えず結果から言うよ」

「お願いしますだぴょん」

「卯月、アンタの聴覚、幾らなんでも()()()。これヤバいよ……ってかヤバイからアタシに検査して欲しいってことなんだよね?」

 

 何故食堂に居られなかったのか。

 

 五月蠅すぎたのだ。

 

 食堂に入った瞬間、卯月は大量の『音』を知覚した。

 呼吸音、会話音。包丁がまな板に当たる、鍋を煮る、ガスを燃やす、あらゆる料理音。お皿がぶつかる音──そういった普通なら『雑音』として処理される音を、全て正確に聞いてしまったのだ。

 

 体感的に言えば、耳元で全部の楽器がフォルテッシモで鳴らされるオーケストラ。

 そんなものをまともに聞いたせいで卯月は即気分を悪くし、満潮に介助されながら、この工廠まで避難してきたのだ。

 

 尚、工廠内部も機械音が凄まじい。音を遮断できる実験用の部屋に卯月たちは居る。

 

「で、結果はどうなのよ」

「予想通りで合ってるよ。聴覚が更に鋭くなってるみたい。ただ、これはヤバイよ……良くなり過ぎだ。半径4キロの音が聞こえるようになってる」

「……なによそれ」

「でも卯月の感覚がついていけてないから、聴覚過敏の症状が出てる」

「治るのそれ」

「分かんない。慣れと共に改善するのか、ダメなのか。てゆーか何で急に聴力が上がったのかも不明だもん」

 

 原因不明の病と大して差がない。状況的にD-ABYSS(ディー・アビス)が関わっていそうな感じはあるが証拠もない。

 

「と言うか聴覚過敏だなんて……アタシはメカニックであって医者じゃないのに」

「明石は医者擬きの仕事もしてるじゃない」

「本職の工作艦と一緒にしないでよー、しょうがないからやるけどさぁ……しっかしどうしたもんか。アタシだけじゃ無理だ。色々ツテを頼ってみるしかないかぁ」

「うーちゃんはどうすれば」

「暫く地下シェルターで暮らした方が良いと思う。あそこなら余計な音は一切遮断されるから」

 

 別に何にも悪いことしてないのに地下暮らしに。地下が悪いとは言わないが良い感じはしない。どうしてこうなった。卯月は頭を抱える。

 

「地下まではアタシが案内するよ。はい目隠ししてね。卯月は耳栓も追加」

 

 前科戦線の地下シェルターは機密区画として扱われている。前科艦娘は許可なくば立ち入り禁止。許可があっても有事でなければ目隠しや耳栓等が必須。行き方を知っているのは正規艦娘だけだ。

 

 さすがに耳を完全に塞いでしまえば何も聞こえない。耳の中が炎症を起こしている訳でもないので、痛みも走らない。義足の足音も届かない。二人の間には満潮が立ち、北上に引っ張られながら逆に卯月を引っ張っていく。

 

 暫く歩いた後目隠しと耳栓を外される。卯月たちは以前利用した地下室にいた。前と変わらない辛気臭い場所である。

 

「どう。ここならかなり静かでしょ」

「あー、ホントだぴょん。ありがたい、助かったぴょん」

「なら良いけどさ。うんでもこんな所長居してるのも健康に悪いし、なる早でなんか対策してあげるからさ」

「ホント感謝するぴょん。うーちゃん感激だぴょん」

「そんなことないよー」

 

 謙遜しなくても良いのに。こういった心遣いが傷ついた心に染みるんじゃないか。

 

「こういったことを調べればD-ABYSS(ディー・アビス)の正体に近づけるかもしれないじゃん。そりゃやる気になるよ」

「……それは言わないでおきなさいよ」

「いやだって卯月は嘘が嫌いだし」

 

 そうだけど。確かに私嘘嫌いだけど。でも本人の真ん前で言うのかよ。直前までの嬉しさが色々台無しだった。

 

「WinWin関係ってことで、勘弁してやるぴょん」

「ありがとねー、んじゃアタシはお暇だ。研究を急がないといけないから」

「ぷっぷくぷー」

 

 返事のような鳴き声を出す。北上は地下室のどこかへ去っていった。どこかにエレベーターとか階段があるのだろうが、そこさえ隠されている。誰かが来なければ二人は永遠に閉じ込められたままとなる。

 地下シェルターなんだから食料や水はある。常識の範疇で飲み食いしても良いと言われている。餓死とかはあり得ないが、それはそれとして、暇であった。

 

「はぁぁぁぁぁー……、折角、飛鷹さんのご飯とか、勝った美味しい良い物を、たっぷり食べようと思ったのに」

 

 まさかこんなことで出鼻をくじかれるとは思ってもいなかった。秋月を倒したら楽しもうと決めていたのに。鼻先のニンジンを取られた気分。ガックリと項垂れる。そこへ満潮がドサッと袋を置く。

 中に入っていたのは、キラキラと輝く食べ物の山だった。

 

「此処に来る時、持ってきといたわよそれ」

「わぁい満潮ちゃん大好きぃッ!?」

「自爆してどうすんの……」

 

 感極まって大声を上げた結果、自分自身がダメージを負う形に。あまりの大声は厳禁となった。

 

「ミッチー……なんて優しい子」

「端っこでグチグチ言われてもうっとおしいから持ってきただけよ。親切心とかそんなものは皆無よ皆無」

「これがツンデレってヤツか」

「何も聞こえないよう風穴空けられたい」

「ジョーダンだぴょんジョーダン」

「後は飛鷹さんが心配して差し入れてくれた物。アンタが苦しんでんのが不安だったみたい。物好きなヤツね」

 

 皆の温かさ(満潮除く)が身に染みる。かなりキツイ状況だった反動で軽く涙まで出てきた。でも満潮の前で絶対泣きたくない。背中を向けながらモソモソと作ってくれたサンドイッチ&紅茶を味わう。

 地獄の戦い以来、体感的にはとても久し振りの愛情弁当が身に染みる。今後どうなってしまうのか。その不安が和らぐようだった。




サイボーグ004級の聴力が生身の人間に&常時作動中。004でさえ常時は機能をオフにするのに、それが作動しっぱなしじゃ……気は狂いますね。


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第135話 顔無しの感覚

 果たしてD-ABYSS(ディー・アビス)の影響なのか、元々鋭かった聴覚が鋭敏になり過ぎ聴覚過敏となってしまった卯月。半径4キロ全てが聞こえてしまうストレスに耐え切れず、暫く音のない地下シェルターで生活する羽目になってしまう。

 

「割と快適だぴょん」

 

 だというのにこの態度。広々とした湯船に浸かりワイングラスに入ったぶどうジュース(買った品物)を堪能。深刻さの欠片もない。なんか心配したのが阿呆になってくる。満潮は結構イラっとしていた。

 

「……施設が充実してんのは確かね」

「ドッグあり、ベッドあり、食べ物あり。不自由なのはミケランジェロの壁画が見れないのと、お日様の光がないことぐらい?」

「日光浴できる部屋あったわよ」

「嘘だっぴょん……」

 

 本当になんだこの充実具合。いったいこの地下シェルターは何の為に作られた物なのか。

 

 実際のところ、全て必要だから用意されているだけだ。

 食糧がなければシェルターにはならない。寝心地の良いベッドがなければ体力回復もままならない。風呂は入渠ドッグも兼ねている。サプリメントはあるが日光浴がなければビタミンが枯渇する。

 

 このシェルターは戦闘目的で建造されている。万一地上拠点が破壊された時、籠城しながら救援を待ったり、戦闘を続行する為の施設。しかも対深海棲艦だけでなく、対艦娘も想定している。

 

 何せ前科持ちばかり集めた無法者集団。卯月たちの代では起きてないが、内部反乱はしょっちゅう。知らぬ間に恨みを買った他鎮守府に狙われることもある。艦娘と戦う可能性はむしろ高い。

 

 だからこういう施設が不可欠。故に大本営も地下シェルターは把握してない。言わずもがな違法行為だが今更気にする人はいない。まともな人材は此処には不要なのだ。

 

「詮索したら始末されそうだから止めとくぴょん」

「そうね」

 

 異様な充実具合に後ろめたい物を感じたのか、二人はそう結論づけた。君子危うきに近寄らず、というやつだ。

 

「そんなことより、どうなの調子は」

「ハッハッハ絶好調。完全防音なのに微かだけど外の音が聞こえるぴょん。マジで勘弁して下さい」

「ハァ……また難儀な病気を抱え込んだわね。流石に同情するわ。つま先の爪のささくれ一本ぐらい」

 

 酷い言いようだが同情しているのは確かだ。トラウマによる発作だけでなく聴覚過敏も追加。前者に至っては明確な治療法無し。運の値がマイナスだとしても、かなりの不幸っぷり。満潮さえ心配させる程のもの。

 

「いっぱい休めるのは嬉しいけど、早く解決して欲しいぴょん。秋月とか顔無しの様子も見に行けないぴょん」

「は? あ、アンタあいつらのこと心配してたの?」

「そりゃそーだぴょん」

 

 むしろ心配して当然だ。快楽で意志を捻じ曲げられ、艦娘としてあるまじき蛮行を強いられていたのだ。

 

「ハッキリ言うけどあれは強姦だぴょん。心への強姦だ。許す必要性はなんにもない」

「……そう、そうね、アンタが正しい」

「そんな状況下に秋月はどれぐらい居たんだぴょん。うーちゃんより長いのは確かなんだよ?」

 

 極論を言えば卯月の洗脳は短い。

 神鎮守府壊滅の時と、水鬼により作動させられた時の二回だけ。どちらも短めで終わっている。

 たったそれだけで、卯月は幻を患う程の傷を心へ負った。

 ずっと洗脳され続けていた秋月が正気に戻った時、どれ程のダメージなのか想像もできない。下手したら発狂か、自殺し出してもおかしくない。

 

「せっかく助けてあげたのに、そんな最後じゃ救いがないぴょん。できるか分かんないけど、極力支えて上げたいよ」

 

 同じ犠牲者として、卯月はかなり秋月を気にかけている。仲間意識のようなものが芽生えている。

 

「てか、これで死なれたらそれこそ敵の思う壺じゃん。認めがたいんだぴょん」

 

『敵』は人の不幸を喜ぶ輩に違いない。秋月が絶望して自殺したら、それを愉悦の表情で堪能するだろう。

 そんなの許せない。

 

 考えただけで頭に血が上り、目が真っ赤に染まる。

 

 だからこそ、敵の思うようにはなりたくない。その為にも秋月に死んで欲しくないのだ。

 

「一応聞くけど、ぞれぞれ何割」

「秋月の心配が五割、敵への怒りが五割」

「……まあ良いわ」

「いや何が」

 

 秋月を純粋に心配している気持ちもちゃんとある。だが憎悪も強い。卯月が『敵』へ抱く怒りは並大抵のものではない。敵を完全に葬り去るまで絶対に消えることはないだろう。

 

「敵敵言うけど、実際、何処のどいつがこんなことしてんのかしら」

 

 散々戦いを続けているが、『敵』の姿は影も形も見えない。それらしき存在は上がっているが決定的な証拠は皆無。加えてこんなことをしている目的も理由も不明。艦娘の強化システムを使って一体何がしたいのか。

 

「全く分からんぴょん。秋月が知ってれば良いんだけど」

「その為に苦労して捕まえたのよ。知ってなかったら困るわ」

「同感ぴょん」

 

 知ってない可能性も十分ある。なんともむずがゆい感覚だ。さっさと目覚めて情報を吐いて貰いたい。その場に立ち会うためにも聴覚過敏をどうにかしないといけないが、卯月には何もできない。

 それが気になり、心からゆっくり休むことはできなかった。それでも肉体的に十分休息できたのだから、結果オーライと言った所だ。

 

 

 *

 

 

 卯月と満潮が地下シェルターに籠って数日、久し振りに彼女たちは地上へと出てきた。つまり聴覚過敏への対策ができたということ。

 結論から言えば抜本的治療はできなかった。原因が不明だから無理もない。なので外から対処することとなった。

 

 聞こえ過ぎるのなら届く音を弱めれば良い。

 

 ヘッドフォン型の遮音装置をつけた卯月に、北上は使い心地を問う。

 

「どう、それの調子は」

「バッチリだぴょん! 音の聞こえ方も、殆どいつもぐらいになってるぴょん……いやちょっと弱い?」

「強過ぎたか。後で調整しとくね」

 

 構造的にはかなりシンプル。耳を防音壁に近い物で覆っただけ。狙撃手が使用するサプレッサーマフに近い構造だ。中々の効果を発揮したことに北上は一先ず安堵した。後は卯月の感覚に合せて微調整するだけで事足りる。それだけで終わらせず、こうなった原因も追究していく予定だが、今はこれで良い。

 

「ちなみに協力してくれたのは、藤提督のトコの明石だよー」

「え゛」

「あの明石が……どうして?」

「協力依頼を出しただけだよ、ちゃんとお礼付きでね。あの明石は仕事に私情を挟まない良いヤツだからさ」

 

 確かにそうだった。卯月へはかなり敵意を向けていたが仕事は一切抜かりなく行っていた。防音壁を転用する発想はあったが小型化する技術が北上にはなかった。そこを手伝ってくれたのである。お礼は資材の提供(裏帳簿)等である。

 

「後一応、艤装を頑張って回収してくれたことのお礼もあるってさ。これで貸し借りナシだって言ってたよ」

「別に貸し借りのつもりなんて無かったんだけど」

「チッ……折角の貸しが」

「卯月?」

「ぴょ? なんだっぴょん?」

 

 聞き捨てならない下衆発言が聞こえた気がした。卯月はお目めクリクリで惚けた。シンプルに腹が立ったので、満潮は向こう脛―—弁慶の泣き所だ──に蹴りを撃ち込んでおいた。悶絶する卯月を置いて二人はスタスタ歩く。

 

「……で、卯月のが解決したけど、わたし達はこれからどうすれば」

「間もなく次の作戦が立案されるでしょう。それまでは待機。そう言いたいですが、卯月さんも満潮さんも、気になっているでしょう、()()()()

 

 言わずもが秋月と顔無しのことだ。実際その通り。特に卯月は秋月のことを気にしている。

 

「顔無しは兎も角、秋月とは会っていただきたいと思っています。システムによる被害者同士。不知火達が担当するより情報は引き出せるかもしれません」

「……素直に口を割らないって思ってんの?」

「そうです」

 

 正直まだ信用していない。システムは分離したが、未だに洗脳されっぱの可能性はあり得た。

 

「何れにせよ最初は不知火達で対応します。その後状況次第で卯月さんに引き継ぎます」

「なんでだぴょん、最初からで良いじゃん」

「卯月さんの存在がトラウマになっている可能性を否定できないのですよ」

「え、うーちゃん何にもしてないのに?」

 

 眼玉を破壊して眼孔を抉った。片足を握りつぶした。首を全力で締め上げた。

 

 トラウマ案件ばかりであった。しかし卯月は分かっていない。これもD-ABYSS(ディー・アビス)の悪影響なのではないか? 満潮と不知火は訝しんだ。

 

 ともあれそんな理由があるため秋月への対応は一端保留に。代わりに気になるのは顔無しの現状だ。

 

「今どーなってんだぴょん?」

「呪いの浄化は完了しました。今はウイルスや細菌の除去を行っています」

「……へー、そーなんだ」

 

 何故そんな必要が? 

 しかし卯月は口に出さない。また自らの無知を晒す羽目になる。ここは知ってるフリで切り抜けるべきだ。

 しかし不知火は容赦がなかった。

 

「では必要性を答えてください」

「ぴょんっ!?」

「卯月さんの知識レベルを知る必要があります。今後の座学の為にも」

 

 追い詰められた卯月は脳味噌をフルスロットルで回転。何とかしてそれっぽい理由を導き出す。

 

「な、なんか意味不明な深海由来の疫病とか持ち込んでくるかもしれないから!」

「そうですか」

「で、合ってるぴょん……?」

 

 不知火の訝し気な目線が突き刺さる。卯月は脂汗が止まらない。やがて不知火がハァとため息を吐いた。

 

「まあほぼ正解としておきます」

「や、やったぴょん!」

「正確な知識は後程座学でお伝えします。知らないのは事実みたいですので」

 

 上げて落とすとはこのことか。ガックリ項垂れる卯月であった。尚、何故こんな作業が必要なのかと言うと、卯月の予想は間違いとも言い切れない。

 

 深海棲艦は再生能力がとても高い。艦娘の攻撃以外ではまず殺し切れない程に高い。その再生能力があるせいで、『抗体』がまるで機能しないのだ。

 細菌やウイルスによってダメージを受けても、再生できるから病気にならない。わざわざ抗体を作る必要性がない。だから生成機能はあるのに抗体が生まれない。

 

 それ故、体内から細菌類は駆逐されず、どこまでも増え続ける。結果深海棲艦はあらゆる病気のキャリアーと化しているのだ。

 ペスト、天然痘、マラリア、SARS、存在未確認の古代ウイルス──駆逐した筈の病気さえどこからか引っ掛けてくる。こんな連中が陸地へ上陸すればどうなるか言うまでもない。

 

 深海棲艦を絶対上陸させてはならないのにはこういう理由も存在する。艦娘としてそれを知らないでは許されない。

 

「作業自体は自動で行われていますが、見ていきますか」

「良いのかぴょん?」

「はい。顔無しの反応を確認したいところもあります。今の所何事にも無反応なので」

 

 無反応という言葉に満潮が反応する。

 

「どういうことなのよ。普通暴れたりするもんじゃないの」

「それがどういう訳か大人しくしています。不知火にも理由は分かりません」

「えー、そんな状態のに会いに行くのかぴょん」

 

 会った途端こっちを殺しにかかってくるのではないか。顔無しにどれぐらい知性があるかは分からないが、可能だったのなら私を最優先殺害対象にしている筈。目にした途端殺意全開になるかもしれない。

 

「そういった諸々を確かめるんです。卯月さんだって気にしているのでしょう。来てください」

「了解だぴょん」

「ま、良いけど」

 

 そっけない態度だが満潮も思う所がある。分かりにくいが顔無しも『敵』の犠牲者。深海棲艦の体内に艦娘を組み込むという狂気の被害者だ。酷過ぎて悲しい気持ちになってくる。心から今の状態を心配していた。

 

 居場所は工廠だ。そこの最奥で封印されている。誰もが無言のまま。言葉を発する気にはなれない。

 

「……これは」

「当然の措置です。捕縛した深海棲艦はこうするのが義務付けられています」

 

 感染を防ぐ為に滅菌室へ完全隔離。暴れないよう拘束具と椅子で固定。口内に主砲を持つ個体もいるので口も拘束。その状態で除菌をする為に、透析機と数十本のチューブで繋げられている。怪我とかは全くないのに痛々しい光景が広がっていた。

 

 その時、ふと視線を感じた。

 

「ん、今こっちを見たぴょん?」

「顔無いのに何言ってんの」

「だよね、気のせい?」

 

 そう思ったがやはり視線を感じる。眼玉がないのに見られている感覚。意識をこちらへ向けているのだ。やっぱり私を殺すよう命令されているのか。卯月は少し警戒度を上げた。その瞬間、顔無しが激しく暴れ出した。

 

「ちょっと、大丈夫なのコレ」

「問題ありません。この程度で破壊される拘束はしていませんから」

「フラグかしら……?」

 

 と言うが実際壊れる気配はない。大丈夫だろうと満潮は安堵する。しかし隣にいる卯月は無事ではなかった。

 

 ドサリ、と音がする。

 

 卯月が耳を抑えながら倒れていた。

 

「あ、あぁあっ、あ゛……!?」

「卯月さん!?」

「また発作!? このタイミングで!?」

 

 いつもの発作かと思った。しかし違っていた。目元を隠していない。錯乱してもいない。何時もと症状が違う。

 最初苦しんでいたが、段々と表情が変化していく。敵を目の当たりにした時と同じ憤怒の形相に変わる。

 

「これ、まさか……、ふ、ふざけんなぁ……!?」

「どうしたっての卯月!?」

「―—ッ!!」

 

 一層激しく痙攣して卯月は気を失った。何が起きたか分からず混乱する満潮。顔無しも気を失ったのかぐったりとしていた。

 

「どうなってるの……?」

「この反応。仮説がもしや合っていたのでは」

「仮説……何よそれ」

「顔無しについて調べている内に、一つ仮説が浮かんでいたんです。もし不知火の予想通りであれば……」

 

 不知火は突如壁を殴打した。

 全力で殴ったせいで手から血が流れ、赤く腫れあがっている。その顔は能面のような無表情。抑えきれない怒りに、拳が動いたのだ。

 

「組み込まれた艦娘、()()()()()()()()()

「……顔無しの艦娘って、確か、全身を」

「バラバラにされていて、尚、痛覚が残っています。これがどういう意味か分かりますか」

 

 言うまでもない。気づけば満潮も不知火と同じように、全力でガラスを殴りつけていた。




艦隊新聞小話

捕獲した深海棲艦の浄化マニュアル 必ずこの手順を守って下さい。
①棺桶に入れて鎮守府まで護送します。
②サークル上に四つ配置された大型集光機の中央に固定します。
③ダンディーなボイスの妖精さんに頼んで起動して貰いましょう。
④収束された太陽光を数日間照射し続けます。棺桶に生命維持装置があるので絶命の心配はありません。
⑤強力な個体はエクトプラズマで反撃してくるので注意が必要です。
⑥数日だったら呪いの浄化は完了です。今度は隔離できるエリアに移送し、血液を全て透析し、除菌を徹底してください。
⑦最後に内蔵を掃除して病原菌を排除したらお終いです。お疲れさまでした。
⑧一つでも手順を破ったら誰であろうが十傑集裁判です。


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第136話 犠牲者達

 顔無しと接触した際、謎の発作を起こして気絶してしまった卯月。幸いにも気を失っていたのは数分だけ。直ぐに目を覚ましたが念の為医務室へ連行されることに。

 

「身体的には異常なしだねー」

 

 北上の言う通りの診断結果。だがあんなことがあって異常ナシはあり得ない。満潮も不知火も信じていない。

 

「では卯月さん。先ほど何があったのか説明してください」

「そう言われてもうーちゃんにも何が何だか」

「うっさい。何だって言いから話なさい。何かあったのは確かなんだから」

 

 正直卯月も、自分に起きた事を理解しきれていない。それを説明しようとしたせいで、かなりたどたどしい説明になってしまう。

 

「えっと、『声』が聞こえたんだぴょん」

「声、ですか。どのような声でしたか」

「獣の咆哮みたいな凄い声だった。ギャオーとか、オ゛オ゛オ゛ーとか、そんな感じ」

「それだけですか。それは『咆哮』だと感じたんですか」

 

 記憶を辿って少しの間思案。卯月は『やはりそうだった』と思った。

 

「咆哮、みたいだったけど……あれは『悲鳴』だったぴょん」

「悲鳴、ですか、どういった意志を感じましたか」

「こ、細かいぴょん! えーっと……本当にうーちゃんの感じたままになっちゃうけど」

「構いません」

「……苦しい、助けて、殺してって、言ってた気がするぴょん」

 

 飛び出したのは、とてもまともとは思えない言葉。卯月は確かにそう感じた。そして流れからいって、その言葉が顔無しの声であることは明白。あの意志のなさそうな化け物が、そんなことを言ってたこと自体に驚く。

 

「で、それが聞こえて、すっごい大声になって、耐え切れなくなってバッターンって倒れたんだと、思うぴょん」

「それで終わりですか」

「……あの、これはうーちゃんの直感的な予想なんだけど」

「どうぞ」

「中の艦娘、痛覚残ってるのかぴょん」

 

 不知火は長い溜め息をついた。この現実を認めたくなかったが故に。しかし現実は現実。諦めた様子で頷いた。

 

「御存じの通り、顔無しとは、艦娘を深海棲艦に組み込んだ兵器です。今回の解析によって、どう吸収されているか分かりました」

 

 とても聞きたくない。碌な予感がしなかった。そして予想は的中する。

 

「簡潔に言います。バラバラ死体で同化していました。腕部、脚部、胸、頭部、首、手、腰、内蔵に至るまで、艦娘一人分の身体部位が余さず中に残っています」

「何だよ、そ」

「しかし問題はここからです。バラバラでしたが神経接続だけは維持されてしました。切断されていない状態で、ちゃんと脳まで繋がっていたんです。加えて艦娘側の各五感も活きています。それらを維持させる血液循環は……深海のでしたが」

 

 神経は残っている。内臓器官も問題なく稼働中。深海棲艦のだが血も巡っている。

 

「つまり、組み込まれていたのは、死体じゃなかったってこと」

「そうなります」

 

 だが誰も喜ばない。喜べる訳がない。確かに生きているだろうが、それはあくまで肉体的な意味合いになる。人間的に生きているか、と言われたら。

 

「生きたまま、バラバラにされて、痛覚残したまま埋め込まれてる。それでも死ねなくて生かされている……って認識で合ってるぴょん?」

 

 不知火は無言で頷いた。

 

 全身を千切られて、そのまま別の肉体に埋め込まれる。

 これがどれだけの苦痛を齎しているのか。それは卯月が聞いた、死を望む悲鳴が物語っていた。

 

 あの時卯月は直感的にその可能性に気づいた。故に殺意が吹き荒れたのである。

 

「なんで、こんなことするのよ」

 

 震える声で満潮が呟く。艦娘を何かの実験材料にしたのはまだギリギリ理解できる。だがこれは分からない。何故痛覚をわざわざ残したままにするのか。徹底的に苦しめて使い潰す為としか思えない。死ぬか発狂するまで終わらない拷問と変わらない。

 

「分かりません。そもそも解析はしましたが、この顔無しがどういった意味を持つのかも未だ不明。その為痛覚を残した理由も……力及ばず申し訳ありません」

「謝る必要ないぴょん。解析の専門機関って訳でもないんだから。不知火は悪くないよ」

「……そうですね」

「理由がなんであれ『敵』は殲滅するんだし」

 

 卯月はニッコリと笑っていた。目は笑っていない。ただ口角が上がっていただけ。医務室全体が埋め尽くされるような、重苦しい殺意を卯月は笑顔で放つ。

 

「こんな所でそんな殺意出さないでよ、ムダでしょ」

「んあ、それもそうだぴょん」

 

 殺意は無限ではない。出せる時に出せるよう我慢しておくのも重要だ。卯月は殺意を引っ込める。

 そうできるんなら初めから出すなよ。

 満潮はそう思ったが言わなかった。指摘するのが面倒だった。

 

「この顔無しはどうするの。調べ終わったら殺すの?」

「未定です。解体するのが妥当ではありますが。こうなっても深海棲艦。生かしておいて良いことはありません」

 

 今はまだ良い。血液中の細菌類は現在除去中。細胞単位で染みついた呪いも浄化し終えた。しかし呪いの復活は時間の問題。そうでなくとも身体が深海棲艦である以上、人類に襲い掛かってくる。

 

「ただ、これが敵にとって重要な『何か』であることも確か。それを踏まえて最適な行動を中佐と協議しています」

「やっぱりそれしかないのね……」

「可哀想だぴょん。こんなのにされた挙句、解体で死ぬしかないなんて」

 

 深海棲艦は嫌いだがこれは例外だ。ここまで尊厳を弄ばれて死ぬ他ないのは悲惨過ぎるが、それが唯一の救いなら、もう諦める他ない。そうなったらそうなったでより『敵』を戮す理由が強固になる。殺意はますます膨れ上がるだろう。

 

「もしも可能ならば、不知火たちとしても、保護の方向で持っていくつもりです。貴重なサンプルを理由なく排除する必要性はありません。できればの話ですが……」

 

 自信のない口調だ。不知火も北上もこれをどうにかできる方法が分からないのだ。艦娘に襲い掛かる激痛、復活するであろう呪い、襲い掛かってくる深海棲艦の本能。立ち塞がる課題は余りにも多かった。

 

 

 *

 

 

 顔無しの対応については、もう直ぐどうこうできるものではない。結局北上に任せるしかない。今更悔やんでもしょうがないが、こういったことへの知識がないのが悔やまれる。あったところで付け焼き刃にしかならない気もするが。

 

 それから次の日、卯月が関わることができる問題が現れることになる。

 

「秋月が起きた?」

 

 夕食をとっている最中、いきなり現れた不知火がそう告げた。

 

「ええ、夕食の前頃に覚醒しました」

「マジか」

「調子はどうなの、正気に戻ってんのよね?」

「そこ()()はご安心ください」

 

 まただが、まるで素直に喜べない。正気に戻ったら、今までの記憶が一気に圧し掛かってくる。短かった卯月であの苦しみよう。もっと長い期間洗脳されていた秋月は比較にならない苦しみを味わっているだろう。

 だから行かないといけない。比較できないけど、同じ苦しみを味わっている被害者仲間として。必要なら助けなければならない。卯月は強くそう思った。

 

「行っても良いよね」

「問題ありません。懸念していたトラウマもなさそうでした。寧ろ秋月さんも卯月さんに会いたいと」

「待ってて、今食べるぴょん」

 

 勿体ない気もするが飛鷹さんの夕ご飯を一気に食べて席を立つ。ちなみに満潮はとっくに完食していた。秋月の居る場所は独房だ。そこを生活できる部屋に模様替え(家具職人妖精さんによる)したんだとか。

 

「この部屋に秋月さんがいます。余り人数が多いとプレッシャーになるので外で待ちます。何かあれば呼んでください」

「了解だぴょん」

「それともう一つ。途中でショックを受けるかもしれませんが、卯月さんが原因ではありません。気に病まないように」

 

 どういう意味の発言なんだ。話してもいないのに嫌な感じに囚われる。けどもう臆してても仕方がない。扉をノックしてドアノブを捻った。

 

「……お邪魔するぴょん」

「入るわよ」

 

 部屋は確かに独房だった。一室がこちら側とあちら側で、柵により隔離されている。音は通すが強化ガラスの仕切りもある。本当に安全か確証が得れるまではここに隔離だ。

 そしてそこに、ベッドで布団を被る秋月がいた。まずは私からと、卯月は意を決して声をかけた。

 

「秋月……来たぴょん。呼んでたって聞いたから。うーちゃんだよ?」

 

 毛布がビクッと震えた。恐怖なのか罪悪感なのか判断がつかない。いずれにしても良い感情ではない。卯月は柵ギリギリまで近づき彼女の反応を待つ。無理に引っ張り出すより向こう側のアクションを待つ方が良い気がする。

 黙ったまま待つ。本当にゆっくりだが毛布の隙間から、秋月の顔が見えた。

 

「……う、あ」

 

 酷い顔だった。散々泣き腫らしたせいで目元は真赤。まるで寝れていないのかクマも酷い。表情は怯え切った幼子のように弱々しい。

 

 刺激しないよう注意しながら、卯月はひらひらと手を振ってアピールする。言葉は発しなかった。何を言ったら良いか分からなかった。

 

 だが、秋月は全く反応しない。

 

「秋月……?」

「だ、誰か来たんですか。もしかして……卯月さんですか」

「そうだぴょん。うーちゃんだぴょん」

 

 様子がおかしい。会話は成り立っているが()()()()()()()()()()

 

 違和感の正体を考える前に秋月がベッドから降りた。彼女は手で床をペタペタ触りながら、這いずって卯月の前まで移動する。部屋を隔てるガラス板を触れて確かめながら立ち上がった。

 

「そこですか、目の前にいるんですか」

「……ううん、うーちゃんは、もうちょっと右の方だぴょん」

「ご、ごめんなさい」

 

 またガラスに触れながら右へ移動。今度こそ卯月の真正面に立つ。それでも目線を合せない──合せられないのだと卯月は気づく。

 もし、そうであるならば。

 卯月は震えた声で問いかけた。

 

「秋月、お前、目は」

「……見えていません。何も、見えないんです」

 

 秋月の目は黒く、しかし光なく濁っていた。卯月は自らの攻撃を思い出す。修復誘発材で眼球を爆発させ、焼け付いた主砲で眼孔を抉っていたこと。視力へのダメージを与え続けていたこと。

 それが『全盲』を齎したのではないか。これは私のせいなのか。最悪の可能性が脳裏を過る。

 

「卯月忘れんな。不知火が言ったじゃないの、アンタが原因じゃないって」

 

 これはそういう意味。秋月が視力を失っているのは卯月のせいではない。その言葉でハッと冷静に戻る。ショックの余り忘れかけていた。

 それでも罪悪感は残る。自分の行動が一因な気がしてならない。

 あれだけしなければ勝てなかった敵だ。戦術への後悔は一切ない。しかしもっと上手く立ち回れたんじゃないか。ついそう思ってしまう。

 

 だがどれも無駄な悩みだ。

 

「……うん、生きてただけでもめっけもんだぴょん」

「何か今呟いた?」

「いんや、何も言ってないぴょん」

 

 取り返せないことを悔やみ続けるのはカッコ悪いことだ。そう割り切る方が余程良い。第一此処に来たのは秋月の為。わたしの後悔など心底どうでもいい。

 

「秋月の視力は治るのかぴょん」

「……いえ、入渠や外科手術でも、不可能だと……えっと、技術者の方はおっしゃっていました」

「北上さんがか……それは残念だぴょん」

 

 この言い分から考えて『原因』は分かっているのだろう。それが治療困難なものということだ。防空駆逐艦なのに一番重要な視力が失われてしまった。戦線復帰は著しく困難になる。それ以前にメンタル面が心配だ。

 

「その、う、卯月、さん……」

 

 秋月は、今まで以上に震えた声でポツリポツリと話してくる。

 

「ご、ごめん、なさい……私、なんで、あんなことをしたのか……わ、分からなくて。酷い言葉を、酷いことを……いっぱいしてしまって。卯月さんも殺しかけて……」

「殺しかけた? あ、あれか」

 

 艤装奪還戦の時のことだろう。確かに輸血やら止血やらで、死ぬかどうか一歩手前の状態だった。秋月と何人も交戦したが、本当に殺しかけたのは卯月だけだ。一番気に病んでいたのだろう。

 

「皆、片端から殺しました。艦娘も、深海棲艦も、関係なく。秋月が愉しむためだけに。何の理由もないんです……それが気持ち良くて、心地良くて。何で、秋月は……うう……うぇぇ……」

 

 語っている内に耐え切れなくなり嘔吐する。隔てるガラス板に吐しゃ物が張りつく。よく見たら部屋中に汚れが点在している。何度も何度も、自己嫌悪で嘔吐していたのだ。激しく咽返りながら、うわ言のように呟く。

 

「なんで……私が……なんで……」

 

 かける言葉がない。少しでも落ち着くよう背中でも摩って上げたいがガラス越しなのでムリ。今何かできることはないか考える。

 だが、秋月の容態はその猶予も許さない。

 突然のことだった。秋月が蹲ったまま、激しく痙攣し始めたのだ。

 

「あ゛、あ゛ぁっ!? アァア゛ア゛ァッ!?」

「なっ、なんだっぴょん!?」

「失礼します。卯月さん満潮さん、本日の面会は終了です。退室をお願いいたします!」

 

 扉を開けてきた不知火に半ば無理矢理追い出される。代わりに不知火が慌ただしく入室していった。

 

「……あの様子。全盲以外にも何か後遺症が?」

「そんな。全盲だけでも酷いってのに、まだあるって言うの?」

「……あの重傷度合だったのよ」

 

 どれ程の後遺症があってもおかしくない。薬などで一時的に抑え込んでいたのかもしれない。不知火からの説明を待つしかないのが歯がゆいが──間違いなく感じたことがただ一つ。顔を背けながら卯月は呟く。

 

「ねぇ満潮。今更だけど言って良い」

「良いわよ。予想できるけど」

「生まれ落ちたことを後悔させてやるぴょん」

 

 更なる激情が、静かな言葉に宿っていた。




艦隊新聞小話

深海棲艦捕縛用棺桶型封印装置について

 深海棲艦はそのまま陸地に持ち込むと大量の呪いと疫病を蔓延させます。でも持ち帰らなきゃ研究ができません。そういう時の為開発されたのがこの棺桶だそうです。
 弱らせてから入れれば封印完了、呪いも疫病もシャットアウト。この状態で鎮守府まで持って帰れば、鎮守府の持つ『艦娘側の力』と『日光』で浄化ができます。
 ちなみに厳密に言うと艦娘の艤装ではないので、人間だけでも運用可能だそうです。しかも最大出力にすれば魂の根源諸共完全浄化可能。今後同型個体が蘇る可能性も閉ざすことができるんですね!
 なんでこれが流行ってないかと言いますと、姫級を中に入れると、それが誘蛾灯めいた状態になっちゃうので、撤退中に大量の深海棲艦が追撃をかましてくる上、鎮守府にも押しかけてきちゃうんですよね。そんな状況で護送~浄化まで出きるかって言うと……まあ無理ですね。あ、浄化は専用施設が必要なので鎮守府以外じゃ無理ですから。
 現在では、どうしても、完全な滅却をしたいという時だけ、万全の体勢で行われるらしいです。

 ※技研による開発はダミー。先史文明の遺産から発掘された遺物である。棺桶はバイク型に変形可能?構造は不明。艦娘の技術転用により妖精さんを召還し、運用方法を編み出している。


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第137話 後遺症

トップガンは面白かった。戦闘機の爆音が鼓膜から離れない。


 ある程度状態が落ち着いたと言う事で、顔無しと秋月に面会しにいった卯月。しかしそこにいたのは、かける言葉もない程ボロボロになった二人の姿であった。

 

 顔無しは埋め込まれた艦娘が苦痛に悲鳴を。秋月は罪悪感だけでなく全盲プラスなんらかの後遺症に苦しんでいた。

 当然ながら、卯月は医療関係者ではない。こういったことにできることは何もない。

 

 次の戦いまで訓練を積みながら待機、それが最適だ。だがそんな事では我慢できない。心配する気持ちを抑えきれない。数日経った後とうとう我慢の限界を迎えた。

 

「こんばんはー、うーちゃんだぴょん!」

 

 なので卯月は秋月の部屋に通い詰めることにした。

 

「え?」

「寝るまで此処で過ごすことにしたから。不知火の許可はとってあるから安心するぴょん」

「はぁ……」

「世話になるわ……悪いわね本当に……」

 

 罪悪感を感じる暇もない。いきなりの来訪者に困惑する秋月。

 後ろからげっそりした顔の満潮も現れる。「迷惑だから止めときなさい」と静止したのだが、ダメだったのである。せめて卯月が暴走しないよう──発作の看護も兼任だ──ついてきたのだ。

 

 尚、こちらとあちらを隔てるガラス板と檻は撤去されている。数日間の観察や尋問をえて、敵意はないと中佐やその上の人間が判断したのだ。

 それでも、念の為部屋の鍵は外から締められている。扉も金庫のように厳重だ。

 そこは仕方がない。秋月は自嘲気味に諦めている。

 

「……突然、笑いながら、対空砲ぶちかますかもしれない危険人物ですから」

 

 相変わらずかける言葉がなかった。それでも卯月は傍にいる方がマシだと思い、時間がある時はずっとピッタリひっついていた。

 

 その中で、秋月の抱えるもう一つの『後遺症』を知ることになる。

 

 何度も何度も面会に訪れる中、「もう知ってた方が良いでしょう」と不知火に教えて貰ったのである。

 

 秋月の部屋に通い始めて数日目。毎日来るたびに聞いていることを卯月はまた尋ねた。

 

「今日の調子はどう? お薬効いてる?」

「はい、痛みは……だいぶ、や、和らいでいます……」

「なら良かったぴょん。でもムリしちゃダメだからね。目の前でショック死とか勘弁だぴょん」

 

 秋月の抱える後遺症。それは『感覚過敏』と言うべきものだった。卯月が発症した聴覚過敏と異なり、皮膚への刺激に異常に敏感になる症状。酷い場合だと服がこすれるのさえ激痛に感じる病気。

 

 どうしてかは未だに分からないが、秋月はどうもそれらしき後遺症を患っていた。

 服の感覚どころか風さえ苦痛。挙句最悪なことに秋月型の服はスーツ型に近く、()()()()()()()()()

 

 そのままでは生活どころか狂死は確実。

 一時的な対処方法として、触覚を鈍化させる薬を定期的に投与することで、誤魔化していた。

 

「本当なら専門の治療機関に行かなきゃいけないんだろうけど、うーちゃんもだけど、でもそこに内通者がいたらヤバイし」

「い、いえ……大丈夫、です……マシだと思います。面倒、を、見てくれるだけでも」

 

 尚、薬の副作用で身体全体が麻酔にかかったような状態になっている。口が上手く回らず、ちゃんと動くことができない。言葉がたどたどしいのも、床を這ってしか動けないのもそれが理由。

 

 これに加えて全盲の症状も相変わらず。口には出さないが──余りにも惨い。何故秋月がこんな目に合わないといけないのか。敵への憎悪は募る一方だ。

 

 それより秋月を支える方が優先だから、顔には出さないが。

 

「そー言えば、ご飯は食べられるのかぴょん?」

「食べれ、ます。ゆっくりとですが……点滴だけでは、足りないと、言う事なので……」

「生きる気力はあるのね」

 

 こっそり呟く満潮。卯月も同じく同意する。罪悪感の余り死を渇望しても不思議ではない。そうはならず、生きることを諦めていない。そこは本当に安心できた。

 

「んじゃ、これ食べる?」

「え?」

「うーちゃんが苦労して買ったご褒美を分けてあげるぴょん!」

「ちょっと。勝手にあげて大丈夫なの」

「実は許可を得てるぴょん」

 

 賢い私は無許可なんてマヌケなことはしない。自慢げに鼻を鳴らしながら満潮に嗜好品を渡す。りんごジュース(高級品)だ。感覚過敏の人間にラムネは渡せない。卯月はグイッと一気飲み。秋月も戸惑いつつもそれを飲んだ。

 

「どう?」

「……お、美味し、しいです」

「そうだろー! うーちゃんが大金叩いて買ったジュースだもんね!」

「私の分は?」

「そこにあるじゃん」

 

 卯月は水道管を指さした。満潮の分を何故用意しなければならないのか。

 

「正直安心したぴょん。食べたり飲んだりするのにも、感覚過敏が起きてたらどうしようって思ってたぴょん」

「……食道を通る分には問題ないのね」

「は、はい。固形物は、む、難しいですけど。食事はか、可能です」

「本当に安心だぴょん。折角人の身体なんだから、美味しい物をいっぱい食べなきゃ大損だぴょん。どこぞの満潮みたいにつまらない生き方はダメだぴょん。覚えておくぴょん」

「人の脳味噌があるんだから。本能しかない野蛮人になっちゃダメよ。注意しなさい」

「は、はぁ……」

 

 気がつけば何時もの煽り合いに。秋月はどう反応すれば良いか分からず困惑。流石に殴り合いはしなかった。

 

「早くまともに動いて貰いたいぴょん。そうなったらもっと、あれこれ楽しいことができる……と思うぴょん」

「此処にそんな娯楽はな」

「ヘイ満潮、シャラップ」

 

 そういうことは言ってはならない。例え事実だとしても。多少でも構わないから前向きに成って貰うことが重要だ。

 正直これがどれだけ効果があるかは分からないが、一人にしておくより遥かにマシだと思う。卯月はそう考えて行動していた。

 

「……あ、あの、卯月さん」

「ぴょん?」

「どうして、あ、秋月に、ずっと……か、構うんですか」

「心配だからだけど」

 

 隠す理由もない。嘘も嫌いだ。卯月は正直に答えた。秋月に構い続ける理由の大半はそれだ。

 

「薬漬けで、ベッドから動けず、ずーっと医務室でじっとしてるなんて、うーちゃんからしたら地獄だぴょん。だから少しでも気が紛れれば良いなって思って、ひっついてるんだぴょん。後、自殺防止も兼ねてるぴょん」

 

 卯月がとんでもない理由をぶちまける。満潮は口を開いて絶句した。それは言ったら不味いことだからだ。

 

「卯月アンタッ!?」

「いやだって嘘嫌いだし。隠すようなことでもないぴょん。不知火に止められた覚えもないし」

「一般常識だからよ!」

 

 普通言わないだろう。自殺防止も兼ねて見張っていますとは。

 

「あ、そうだった。この部屋監視カメラがあって、自殺しようとしたら、誰かが飛んでくるから。そこは覚えておくぴょん」

「……アンタ、何考えてんの。本当に」

「隠し事は良くないぴょん。いやぁ、話すタイミングがなくて悪かったぴょん」

 

 秋月は絶句した表情で会話を聞いていたが、次第に納得した様子で頷く。

 

「そ、そうです、よね。秋月は貴重、な、じょ、情報源ですか、ら」

「む、何か勘違いの気配。うーちゃんが来てるのは、あくまで秋月が心配だからだぴょん。監視カメラあるんだから、自殺防止の為なら態々来る必要ないし。監視ってのはついでだぴょん」

 

 そりゃカメラがあれば安心できるが、一々自殺を中断させて治療させるのも面倒。傍に居続ければまず自殺しないと踏んだ側面も、面会を不知火が許可した一因だ。

 

「……秋月、自殺すると、お、思われているんですね」

「そりゃそうだぴょん。そのメンタルだし。思ってなくても、衝動的に死ぬかもしれないぴょん。あんまり言いたくないけど……気持ちはちょっと分かるから」

「……そう、です、か」

 

 仲間殺しの罪悪感はそれ程酷い。プライドが許さないので絶対口には出さないが、卯月も死んだ方がマシと思うことはある。

 もっと長い期間洗脳されてた秋月はもっとだろう。本当に、突然発狂して自殺するかもしれない。卯月のような『発作』の衝動のまま死ぬかもしれないのだ。

 

「てゆーかあれだぴょん。いきなり死んじゃうかもしれなくて、それが恐いから、なるべく傍に居たいとも思ってる。秋月の傍にいる理由はそんなところだぴょん。気分を悪くしたら御免だぴょん。止めないけど」

 

 まあそれはそれとして傍にはいる。一人よかマシなのは確かだ。今の彼女を孤独にはできない。

 

「卯月、熱弁してる所悪いけど、面会終了の時間よ」

「あらもう? 時間が経つのは早いっぴょん。んじゃお休み秋月。また時間があったら否応なしに押し掛けるからねー」

「……おやすみなさい」

 

 と言って卯月は部屋から退出する。一人残された秋月は顔を俯かせながらベッドへ潜り込む。薬の効果がなくなりだし、全身を走る感覚過敏に耐えながら、次第に眠りに入っていった。

 

 

 *

 

 

 一方卯月たちは、不知火にあいさつをしてから自室へ向かっていた。満潮と並んで歩いている途中、卯月はいきなり笑顔になった。

 

「返事、してくれたぴょん!」

 

 俯きながらだが返事はしてくれた。大きな進歩だ。最初の頃は返事どころか相づちもできなかった。少しだけど心を開いてくれたのだろうか。嬉しさに表情が綻ぶ。鼻歌を歌いながらスキップまで踏んでしまう。

 

「うっとおしいから止めて」

「チッ! 水を刺すなっぴょん!」

「……言おうと思ってたけど、その行動迷惑だとは思ってないの。毎日毎日押し掛けて。かなりのストレスになってる筈だけど」

 

 秋月の精神はまだかなり憔悴している。ただ話しかけられることさえキツイかもしれない。そっとしておくのも一つのやり方だ。それを一切やろうとしない卯月に、満潮は不満のような感情を抱いていた。

 

「ぶっちゃけ分からないぴょん」

 

 結果身も蓋もない回答が返ってくる。満潮もこれには困惑した。

 

「分からないのに、通い詰めてんの?」

「だってうーちゃんカウンセラーでも何でもないし。最適解なんて分かんないぴょん。良いかなって思ったことを実行してるに過ぎないぴょん。考えてみてよ、あんな狭い部屋で一人だったら、何について考える?」

「……そりゃ、トラウマでしょうね」

「これが良い事とは思えないぴょん。だったら無理にでも絡んで、そこから目を背けさせるのも一つの手だぴょん」

 

 そう語る卯月は、自分自身の体験を思い出していた。秋月への接し方は卯月自身のトラウマを踏まえてのことなのだ。

 

「大前提として、くよくよする理由が本来無いんだぴょん」

「『敵に利用されていただけだから』って言いたいんでしょ。アンタがしょっちゅう言ってるように」

「そゆこと。目を背けたって、誰も文句は言わないぴょん。それに……」

「それに?」

「ゴメンなんでもない。これはちょっと『侮辱』に近いかもしれないから」

「……よく分からないけど、言いたくないなら構わない。アンタの言語なんて少ない方が世の為なんだし」

「喉に寄生虫埋め込んでやろうか」

 

 実は秋月に対して思うことがある。しかし今言った通り『侮辱』に成り得る考え方だ。だから自主的には言わないでおく。嘘は嫌いなので聞かれたら言うしかないけど。

 

「まあ、一日でも早く元気になるのが一番だぴょん」

「それはそうね」

 

 身体が弱っていると心も弱る。逆もしかりだ。だが秋月の身体は多くの問題を抱えている。感覚過敏に視力障害。どちらか一方でも治ればまだマシ。

 そう思うと、向かう先は決まってくる。幸いまだ自由時間はある。自室へ帰る予定だったが変更。二人揃って北上の工廠へ向かった。

 

「北上さーん。お邪魔するぴょん!」

「あいよー、って、そろそろ消灯時間じゃん。大丈夫なの二人とも」

「治療に目処がついたのかが気になって眠くないんだぴょん」

「あっそう。ま、不知火にキレられない程度にね」

「アイアイサーぴょん。で、調子は?」

「さっぱりだ」

 

 あんまりな一言に二人は固まる。だが一番申し訳なさそうにしているのは北上だ。長い溜め息を吐きながら、力なく椅子にもたれかかる。

 

「まさかねー、こっこまでダメだとは思わんだ」

「そんなに分からないの?」

「全盲になった理由も、感覚過敏の理由も……何となく察しはついてる。そこは良いんだけど、治療方法が見つからない。どーすりゃ良いのかね……ホント参った」

 

 卯月はその態度に驚いた。飄々としているが確固たる自信がある。北上はそういう人だと思っていた、今の彼女はイメージと全然違う。そんな態度になってしまうほど難しい患者なのだ。

 

「やっぱ退役した雷巡じゃ、工作艦の真似事も限界があるってことだよねー……」

「……ちょっと北上さん。それは嫌だぴょん」

「嫌だって、何が?」

「他の明石は知らないけど、うーちゃん達の工作艦は北上一人だぴょん。D-ABYSS(ディー・アビス)の解析をずっと頑張ってくれたんだ。限界はあったとしても、真似事とは言わないで」

 

 着任してきてからずっとお世話になったのは明石ではない。北上だ。糞システムに振り回されながらも、制御するためにあれこれ考えてくれたのは北上だ。自分を卑下することは言わないで欲しい。卯月は真剣な表情で訴える。

 

「……むぅ、ちょっとアタシらしくないこと言っちゃったかな。ごめんね不安にさせちゃって」

「気にしてないぴょん。なんか手伝えることあったら何でも言ってぴょん。今のうーちゃんはやる気に満ちているのだから!」

「座学は?」

「―—っと消灯時間が迫っている急がなければ」

 

 まさに脱兎のごとく。基本教養や戦術・戦略の座学で最近死にかけている卯月。座学がすっかりトラウマワードとなっていた。

 それを追い駆け去っていく満潮。北上は呆れていたが顔は笑顔。悪くないと思いながら見送る。そして遠まわしなエールを糧に、もう一度パソコンに向き直った。



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第138話 敵の名は

「卯月さん尋問を手伝っていただいても良いですね?」

「なんだって?」

 

 自主訓練中の卯月へ不知火はそう告げた。全く意味が分からず卯月は困惑する。訓練に付きあってくれていた那珂も不思議そうにしている。言葉足らずにも程があった。

 

「いやどういうこと?」

「すみません。秋月へ尋問を行いますのでそれを手伝ってください」

「お、お前、あんなボロボロの人に尋問すんのかぴょん!?」

 

 非人道的極まる行為だ。視覚障害と感覚過敏、トラウマで精神はボロボロ。これに精神攻撃も加えると言うのか。

 

「間違えました。ただの事情聴取です」

「紛らわしい言い方すんなぴょん!」

「……という冗談なのですが」

「うん全くそう聞こえないからね?」

「なんですって」

 

 原因は能面のような真顔だ。とてもジョークを言う顔には見えない。

 

「本当に暴力はないよね?」

「ご安心下さい。本当にただのインタビューです。なので手伝って頂きます」

「なら良いけど……」

 

 何故だろうか。不安でしょうがない。不知火が言うインタビューには、インタビュー(拷問)とルビが振ってある気がしてならない。

 

「那珂ちゃんは行かない方が良いかな?」

「そうしてください。満潮さんも来なくて大丈夫です。人数が多いのはまだ酷なようなので」

「別に良いわ。特訓に集中できるんだからむしろラッキーよ」

 

 二人はいかず自主練を続行。卯月は不知火の後ろを追い駆け秋月へ会いに行く。その途中で気になることを尋ねた。

 

「なんでうーちゃんなんだぴょん。うーちゃんをご指名でもしたの?」

「ずっと一緒にいて、面倒をみているお蔭でしょう。卯月さんと一緒の間はストレスが減る様子でした。その方がインタビューも受けやすいと判断した為、及びしました」

「ふーん。ま、そういうことなら良いけど」

 

 卯月は鼻をフンスと自慢げに鳴らす。しつこく話し続けていたが、これで良いかどうかの確証がずっと持てなかった。それが今回正しかったと証明されたのだ。つい嬉しくなってしまう。

 

「本当なこの尋問、もう少し後だったのです」

「そうなの?」

「精神状態の改善が予定より早かったんです。なので尋問にも耐えれるだろうと、予定を繰り上げることができました。卯月さんと満潮さんのお蔭ですよ」

 

 直々のお褒めの言葉みたいなものだった。毎日お話をしていたことがそこまで効果を発揮していたことに卯月自身も驚く。

 

「それに、同じ被害者として秋月さんにも仲間意識があるのでしょう。一緒の方が話しやすいと考えたのも卯月さんを呼んだ理由になります」

「ん、構わないぴょん。うーちゃんも結構気になってたし」

「……でしょうね」

 

 今言った通り卯月と秋月は同じ被害者。その心理として『敵』は何をしようとしているのか、早く知りたいと思っている。秋月への質疑応答でそれが知れるなら、同行はむしろ望ましいことだ。

 

 

 

 

 そうこう話している間に一行は秋月の部屋の前に。

 中に入ると不知火はテキパキと三人分の椅子を用意し、そこに座るよう促す。服がこすれ、座る時の衝撃が痛かったのは動きはぎここちない。反対側へ不知火が座る。卯月は秋月の隣へ座った。

 

「では、これから尋問を始めます」

「じ、尋問、ですか……!?」

「ただの質疑応答だからビビる必要はないよ。もし不知火がとんでもないこと言い出したら止めるから、安心するぴょん」

「……冗談なのですが」

「だからマジに聞こえんだっぴょん!」

「いえ秋月さんの緊張を和らげようと」

「いらないぴょん!」

 

 そういうのは不知火の仕事ではない。なんで急にそんなことを考えてるのか。

 まあどうでもいいことだ。

 それより質問の方が先。秋月の体力限界だってある。長時間の事情聴取はムリ。早く済ませるべきだった。

 

「……秋月の、か、過去とかを?」

 

 秋月はとても辛そうにする。トラウマを自主的に抉る羽目になるからだ。だが今の卯月たちには情報が必要だ。

 

「不知火たちは鬼ではありませんが、必要であれば行います。かなり辛い思い出を掘り返しますが、質問は全てご回答ください」

「……そう、で、です、か」

「気が進まないのは重々承知。しかしこれが、秋月さんを貶めた敵を追い詰める為に必要だと理解してください」

 

 秋月の意見は実質無視される。可哀想だとは思うが止むをえない。彼女の精神衛生より敵の特定の方が優先だ。

 

「まずですが。秋月さん貴女は何処の出身ですか」

「……ドロップ艦、だと思います。め、目が覚めたら……海の上に立って、いたので」

「次です。その後、どういった行動を?」

「鎮守府を、探して……近海をウロウロと、していました。そうしたら……か、かの、女と、で……でっあ、あ、ぁあ!?」

 

 その質問は秋月の()()を抉り出した。

 まともに呼吸ができなくなり、恐怖にガタガタと震えだす。涙を流しながら頭を抱え、悲鳴を上げ続ける。

 突然のことに卯月と不知火は反応できなかった。

 

 だが、秋月が何に怯えているのかは察しがつく。

 

「彼女と、出会ってって言ってたけど」

「十中八九、最上でしょう」

「最上か……アレと遭遇しちゃったってことなのか」

 

 D-ABYSS(ディー・アビス)に支配された最上だが、その狂い型は常軌を逸していた。常に笑顔なのに突然キレて、滅茶苦茶な暴力を振るう。

 そんな危険人物と、ドロップしたばかりの秋月は遭遇してしまったのだ。

 

「う、あ、ぁあぁっ!」

 

 それより今は秋月だ。最上のことを思い出したせいで恐慌状態になっている。

 

「……どうするべきか」

 

 不知火は直ぐには動けなかった。普通なら手を握ったり抱きしめたりして、落ち着かせるべきだが、秋月の感覚過敏が問題だ。抱きしめる行為はプレス機で潰されるぐらいの激痛に変わってしまう。

 代替手段はないのか。

 考えているその時、卯月は動いていた。

 

「落ち着いて秋月。大丈夫、ここに最上はいないから」

 

 そう優しい声で語り掛けながら──卯月は秋月を()()()()()。どれだけ優しくやっても感覚過敏の前では痛みに変わる。

 

「ぎぃっ!? あ゛アア゛ッ!?」

 

 恐怖に激痛が加わり更に発作が激しくなる。今すぐ止めるべきだ。だが卯月は意に介さない。抱きしめることを止めない。

 

 結果、変化が起きた。

 

 しかし若干予想外の変化が起きた。

 

「―—あがっ!?」

 

 なんと卯月が激痛にひっくり返ったのだ。

 

「は?」

「な、なにが、起きぃイイイ゛ッ!?」

「え、え、な、何……?」

 

 反対に秋月の発作は止まった。激痛に苦しんでいる様子もない。トラウマに苦しんでもいない。秋月も何が起きたのか分かっていない。呆然としている。心配そうに卯月を見下ろしている。

 

「……不知、ぬい、さん。何が?」

「全くもって不明です」

「あがががが、うーちゃんは生きてるのかっぴょん……」

 

 時間が経つと痛みが引いた。なんとか動けるようになる。起き上がった卯月自身も何が起きたのか全く理解できていない。

 ポカンとしている卯月へ不知火が小声で耳打ちをする。

 

「こうなると分かって、抱きしめたんですか」

「違うぴょん。感覚過敏だけど、優しくずーっと触ってれば、その、慣れてきて、ハグの安心感が伝わるんじゃないかと」

「そうですか……」

 

 熱い物や冷たい物も、長時間触れていれば慣れてくる。その効果を期待していただけ。今起きた謎の現象を狙ってはいない。

 三人とも疑問しかなかったが、それは後。何であれ秋月は落ち着いた。聞き取りが再開できる。こっちの方が優先だ。

 

「話を戻します。秋月さん……話しやすい所からどうぞ」

 

 またトラウマを踏み抜いて発作は不味い。傷口に触れないように気を遣う。秋月は少し考えてから話し出した。

 

「……秋月は、その後、鎮守府に、連れていかれました」

「鎮守府?」

「はい。でも、途中で……おかしいのは、気づいたん、です。だって、秋月と……以外誰もいないなんて」

 

 今良い淀んだ部分があった。それは最上のことだろう。名前を口にするのも恐ろしいらしい。

 

「脱出とか、そういうのは考えなかったの?」

「ムリだったと、思い、ます。そこら中が、深海棲艦の巣窟、だった、気がするので……脱出しても、こ、殺されていたと」

「何れにせよ、まともな基地ではなさそうです」

 

 全包囲が敵に囲まれている鎮守府なんてあり得ない。その状況が成立している所を見ると、やはり敵は深海棲艦に関係する者と考えられる。今更と言えるが。

 

「そこで……秋月は、ひたすら、深海棲艦を沈めていました。そう、命令されたので……ただ、あ、あの、人と……一緒でした」

「ず、ずっと? アレと?」

「そうで、す」

「マジかよ……発狂するじゃん……」

 

 四六時中最上と一緒とか発狂待ったなしだ。考えるだけでゾッとする。事あるごとに滅茶苦茶な理由で暴力を振るわれたのだろう。

 

「理由も、分からず、ただ、彼女に殴られながら、深海棲艦を毎日、ま、毎日殺してきました。その頃には、あそこが、まともじゃないって分かって、いたんですが……脱出なんて、で、できませんでした」

「深海棲艦を毎日、ですか。理由は本当に分からないんですね」

 

 秋月は力なく頷いた。不知火は不思議そうに首を傾げる。秋月の背後にいる『敵』は深海の関係者。なのになぜ自ら戦力を減らす真似をするのか分からない。

 

「それ、で、気が付いたら……何もかもが、心地よくなっていて……深海棲艦だけじゃなく、遭遇した艦娘も、こ、殺す、よう、に、なって、まし、た。殺す理由なんて、ど、どうでも良くなって……皆を」

「不知火、これってつまり」

「そういうことでしょう」

 

 わざわざ言わなくても分かる。どこかのタイミングでD-ABYSS(ディー・アビス)が解放されたのだ。そして悪意に呑まれ、虐殺の快楽に堕落させられたのだ。

 

「酷なことを聞くようですが、具体的に、何があってシステムが起動したんですか。卯月さんはその辺の記憶がなくて役に立たないんです」

「そういうこと言うなぴょん」

「静粛に。それでどうなのですか」

 

 D-ABYSS(ディー・アビス)は現状敵に繋がる唯一の手掛かりだ。このシステムを解明することが敵へと繋がる。秋月を捕縛したのも半ばその為なのだから。

 ところが肝心の秋月の回答は、期待と違ったものだった。

 

「お、覚えて、いません」

「……本当に? 嘘とかではなく?」

「嘘? 嘘は嫌いだぴょん。どうなんだっぴょん」

「本当、です。何にも、覚えていないんです……何が起きて、あ、秋月がおかしく、なったのか、ちっとも分からないん、で、す」

 

 卯月と同じ答え。同じ状況。システム解放前後の記憶がさっぱり抜け落ちている。これを偶然と片付けられる人はこの場にいない。

 

「卯月さん」

「なんだぴょん」

「先ほどの戦いで、どう起動したのかは覚えていますか」

「殺意を一気に爆発させて、怒りで解放させたの。記憶もしっかりあるぴょん。まあ初作動時の記憶はないけど」

 

 一部訂正。神鎮守府を壊滅させた時の作動記憶はない。戦艦水鬼で作動させた記憶は曖昧。それ以降はしっかり覚えていた。

 

「作動前後の記憶が二人とも飛んでいる。これもしかして、記憶が飛ぶのが『仕様』になっているのでは」

「というと?」

「単純な話です。D-ABYSS(ディー・アビス)の作動条件を知られたくないから、作動前後の記憶が飛ぶような設計になっている。そうは考えられませんか」

「じゃあなんで作動条件を知られたくないの?」

「不都合があるからでしょう」

 

 その不都合が何なのか知りたいのだが。と言っても不知火だって分かっていない。卯月自身もうんうん言いながら頭を捻る。

 

「そもそも、回数を重ねて以降、卯月さんの記憶の損耗がないのかも謎なんですよね。どうなっているんでしょうか。さっきの現象しかり」

「うるさいぴょん。なんか思いついたのかっぴょん?」

「……確か卯月さん、始めにシステムが作動したのは、出撃中の時でしたよね」

「そうだぴょん」

 

 記念すべき初出撃。その時に(卯月は覚えていないが)システムが作動。味方を皆殺しにし鎮守府も壊滅させたのだ。

 状況証拠的に『泊地棲鬼』に遭遇してから作動したのは確かだと思われる。記憶がないからどうしても断定できないが。

 

「…………」

「不知火?」

「この件も保留ですね。質問に戻りましょう。秋月さんそれ以降はなにを?」

「え、えっと……そ、それ以降も、やってることは、同じでした……快楽の、まま、虐殺をしてました。そんな中、あの、卯月さんを、殺せと……()()()()()が下って……それで、戦艦水鬼を見て、ました」

「命令? 最上の?」

「いっ、いえ、違います。気持ち良くなって以降は、監視は、なくなってました」

 

 システムが解放されるまでの見張りだった。ということだろうか。それより気になる言葉があった。

 

「直々の命令、とは?」

「……な、名前だけです。直接は、会ってません、指示もその、一回だけでした」

「構いません。名前をお願いします」

 

 最上より更に上。『敵』そのもの──もしくはより近い存在なのは確実だ。そうして卯月たちは遂に敵の名前を知る。

 

「彼女、は」

 

 しかしてそれは。

 

 

「泊地水鬼と名乗っていました」

 

 

 泊地棲姫(最初の敵)に余りにも似た名前だった。




またうーちゃんに妙な気配が。
それはそれとして、第一部二つ分の話数をかけて、漸く敵の名前が発覚。本当に長かった。


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第139話 非常事態

頼むから納刀しても地烈斬の砲撃バフは消えないようにしてくださいうーちゃんが何でもしますから!


 秋月から情報を聞きだす卯月たち。その中で彼女に指示を出していた『敵』の名前が遂に発覚した。

 

 その名前は『泊地水鬼』。卯月は顔を顰めた。

 

「泊地棲鬼の親戚かなにかですか?」

 

 名前だけだが良く似ている。一番最初に交戦し、神鎮守府を壊滅させた姫級『泊地棲鬼』に。というか一文字違いだ。何らかの関係性を疑ってしまう。しかし不知火は否定した。

 

「いえ……外見は僅かに似ていますが、全くの別個体です。泊地水鬼は『基地型深海棲艦』。艦種さえ違っています。流石に関係性はありません」

 

 基地型深海棲艦。それは深海側にしか確認されていない艦種(?)カテゴリー。文字通り基地そのものとして顕現し、辺り一帯の海域を支配できる強力な個体。

 基地そのものなので火力も航空戦力も桁違い。巨大なので仕留めるのも簡単ではない。

 

 代償として基地は動けず──移動できる基地とか前代未聞だ──姫自身も海上を移動することはできないが、それを差し引いても十分強力。そういう個体群である。

 

「ちょっと画像をお見せします」

 

 不知火はタブレットをいじり、過去確認された泊地水鬼の画像を見せてくれた。確かにほんのちょっとだけ似ている……かもしれない。左右に伸びる二本角。下半身が艤装と同化したビジュアルは同じ。けどそれ以外は似ても似つかない。

 

「なんで大本営はこう紛らわしいことをするんだぴょん。あの塵芥が蘇ったのかって、ちょっと身構えちゃったぴょん!」

「はい。戦闘能力も泊地棲鬼とは雲泥の差です。もし交戦するのであれば相応の準備が要るでしょう……とは言え、ある意味朗報ではありますが」

「何が?」

()()()()()んですよ。普通の姫より遥かに」

 

 少し考えれば簡単なことだ。動き回る水上艦と、移動できない基地。羅針盤や因子によりブレは発生するが、どちらの方が見つけやすいかは言うまでもない。

 

「秋月さん」

「は、はい」

「何処か拠点にしていた場所はありますよね。システムの影響下と言えども艦娘。何の拠点も無しに活動はできません」

「……あり、ます。出撃も、き、帰投も、そこを拠点に、していました」

「場所は分かりますか」

「……ごめん、な、さい。分かりません」

「謝罪は不要です」

 

 また忘れているが仕方のないことだ。作動時の記憶がないことからそれは察せられる。

 D-ABYSS(ディー・アビス)には、不都合な記憶を選択して消せる機能がある──可能性が高い。

 基地の情報も不都合な記憶ということで、消えるようになっていたのだろう。

 

「ですが一つだけ分かったことはあります。卯月さんも分かりましたね」

「ぴょん?」

「……あの海域は深海棲艦が殆どいませんでした。そして秋月さんがやらされていた虐殺。これはつまり」

「秋月が深海棲艦を殺しすぎて個体数が減ってたってことだね、

 もちろんうーちゃんは分かっていたぴょん!」

「……そうですか」

 

 凄い冷たい目線が突き刺さるが卯月は意に介さない。

 

「っていうか、あんなにいなくなるまで殺してたのかっぴょん」

「……そ、そうなります。秋月以外の、艦娘も……も、最上さんも含めて、虐殺をして、たので」

「泊地水鬼はバカなの?」

 

 周辺海域から深海棲艦が消える程殺し尽くすとか何を考えている。せっかくの防衛戦力をなんだと思っているのか。こんなことをする理由が本気で分からない。

 

「理由は、推測はできますが……」

「できるの?」

「はい。ですが言いません。推測でしかないので。もう少し……証拠が欲しい」

 

 暗に、最上も捕縛する。と言っていた。口に出さないのは秋月を刺激しかねないからだ。

 不知火は聞いたことを記録していたパソコンを閉じる。目を少し閉じて、秋月の方を向く。

 

「不知火が確認したいのとは概ね終わりました。秋月さんから、何かありますか」

 

 秋月は何もないと首を振る。息がだいぶ荒く疲労した様子。体力の限界が近い。

 

「うーちゃんからも特にはないよ」

「ではこれで終了とします。大変お疲れ様でした。ご協力感謝致します」

「お疲れぴょん!」

 

 礼儀正しく一礼をして、二人は部屋から出ていった。

 卯月の聴覚は扉越しでもそれを捉える。

 長いため息とうめき声を上げて、その場へ崩れ落ち、泣きじゃくる秋月の声が聞こえた。

 この質疑応答で、多くのトラウマを抉られたせいだろう。

 

「どうしよ。うーちゃん行ってあげた方が……」

「……そうして貰っても。卯月さんにはまだ心を開いている様子なので」

「うん。行ってくる」

 

 踵を返し秋月の所へ行く卯月。不知火はその背中を見届けて去っていく。

 

 扉の前まで来ればもう苦しむ声が鮮明に聞こえる。居ても立ってもいられず卯月は扉を開ける。

 

「大丈夫かっぴょん」

「…………」

「ダメか」

 

 反応はない。秋月は部屋の隅っこに蹲りながら、苦しそうに呻いている。さっきの質疑応答で相当トラウマを抉ってしまった。必要なことだったからしょうがないが、申し訳ない気持ちになる。

 できることは多くない。卯月は先程と同じようにした。

 即ち身体を引き寄せて、多少強引に抱きしめた。安直だがこれが一番落ち着くと身を持って知っている。

 

「よーしよし、ごめんだっぴょん、嫌なこと聞いちゃったぴょん」

「……ぅ、あ、う、卯月、さん?」

「そう、うーちゃんだっぴょん」

「顔、離して、ください。その、色々つい、て、しまいます」

「うんどうでも良いぴょん」

 

 鼻水とか涙とかが服につくが、まあどうでも良い。そんなことは些細なことだ。力づくで抱き寄せて、顔を胸に埋めさせる。余計なことを話さないようにしてしまう。ついでに心音を聞かせて落ち着かせることも可能だ。

 

「……お胸がもっとふくよかから効果倍増だったのに」

 

 卯月は自らの幼女体形を呪いつつ、秋月の背中をさすり続ける。まだ苦しそうに痙攣している。落ち着くまではこうするつもりだ。

 

「ほらもっと泣いちゃえば良いぴょん。ここにはうーちゃんしか居ない。ご希望なら何も見てないことにもできるし」

「……そんな、資格は」

「あるよ。秋月にはギャン泣きする資格がある。むしろ堂々と泣くべきだっぴょん。つまり、今の秋月がまともだって証拠なんだから」

 

 まともになっているからこそ、今までの行為に嫌悪感と後悔を抱き、泣くことができるのだ。自らが正気に戻ったことの証明になる。恥ずべきことは何もない。

 

「う、卯月さん、も、泣いたん、ですか?」

「泣いたけど泣いてないよ」

「は?」

「生理的反応として泣いただけであって、後悔とかで泣いてないぴょん。だってうーちゃん()何もしてないし。被害者だし。なんで後悔すんだぴょん。プライドが許さないぴょん。オーケー?」

「ええ……」

 

 但し自分は例外扱いだったりする。泣くということは罪悪感を認めるということ。何故持つ必要さえない罪を認めなければいけないのか。『卯月』への侮辱でしかない。卯月はそう考えているので、一切悔いないよう──実際は罪悪感を悪夢で見る程感じているのだが──意識している。

 

 それに泣いて後悔したところで、殺してしまった人達には何の意味もない。ムダな行為でしかない。死人は誰も許せない。

 涙で救えるのは自分だけ。だからこそ秋月には泣いて欲しい。彼女は救われなくてはならないのだから。

 

「でもこれはうーちゃんが……うん、面倒な性格だからであって、秋月が泣かない理由にはならないぴょん。だから泣け。恥も外見もなく泣き喚くんだぴょん」

「ええぇ……?」

「何故困惑してるんだぴょん」

 

 これで困惑しない方がムリである。だいぶ飛躍した卯月の持論に涙が引っ込む。結果的に震えは収まった。

 

「……あの、う、卯月さん」

「なんだぴょん」

「……どうして、あ、秋月に、優しく、してくれるんです、か」

「理由が必要なのかっぴょん?」

「秋月は、卯月さんにも、酷いことを、惨いこと、ばかりをしてきました……なのに、どうして。怒ってないの、ですか」

 

 洗脳されていたから──で済むと秋月は思っていない。洗脳されていても自分がやったことだ、責任を取らなければならない。そう考えていた。なのに憎悪も嫌悪も一切なく普通に慰めてくれる卯月が不思議で仕方がない。

 卯月はその問いに、不思議そうに首を傾げて答えた。

 

「もう殺したから」

「こ、ころ?」

「あのクソ淫売ド腐れ女(秋月)は徹底的に痛めつけた上で殺したぴょん。それでスッキリしたから終わり。今の秋月には怒りもなーんにもないの」

 

 まあ、だからと言って、あの秋月とこの秋月を完全に別人扱いできる訳ではない。僅かに苛立ちは残っている。けれどもそこは我慢する。そんな理性的でない振る舞いは卯月的にはアウトだ。

 

「優しくしているのは、色々あるぴょん。さっさと立ち直って貰わないと敵を喜ばせるだけだし。でも一番は秋月が心配だから。勝手な自負だけど、今秋月の気持ちを分かってやれるのは、うーちゃんだけだと思ってる。なのに遺恨を引きずって何もしないのは()()()()()()ぴょん」

 

 要は『カッコ悪い』のだ。

 そんな自分は許せない。誇りに反さない為に卯月は秋月に対し優しく接しているのだ。単純に心配している部分もあるが、大きな所はそういった考えが占めている。

 

「……まあ、秋月の為になってるかは正直分かんないけど。でもアレだよ、ここでじっとしてても何もできないでしょ? だったらもう思いっ切り泣いて、スッキリするってのも良いんじゃないかと、うーちゃんは思うぴょん」

 

 卯月は両手を開きハグの体勢をとる。ここで泣けと伝える。秋月は恥ずかしいのか申し訳ないのか、大分逡巡していたが、最終的にこっちへ来た。

 

「……ッッ!!」

 

 再び未知の現象が起きる。正気が吹っ飛ぶ程の激痛が全身を襲う。まるで秋月の感覚過敏を自分も感じているような感覚だ。

 だがそれが何だと言うのか。所詮は幻覚だ、無視しようと思えばできる。そう気合でねじ伏せ、ひたすら泣きじゃくる秋月の頭を撫で続けた。

 

 慟哭の内容は、どれも許しを請うような、ただ謝るような、そういったものだった。D-ABYSS(ディー・アビス)に呑まれてから、どれだけの艦娘や深海棲艦を殺してきたのか。

 

 恐らくは覚えていない。数える意識が存在しなかったのだから。それでもどうしようもない後悔が止まらない。

 それは何にもならない。吐き出す以外にできることはない。謝罪の相手はいないのだから。

 

 でもそれで良いと卯月は思う。今救われるべきなのは、間違いなく秋月だ。

 

「大丈夫、泣いて良いんだよ。バカにするような奴はうーちゃんが心臓引っこ抜いてきてあげるから」

「い、いや、そこまで、しなくても」

「アッハイ」

 

 でもそれぐらいのつもりでいます。卯月はそう思いながら秋月を慰め続けた。これで少しでも前向きになってくれれば良いと思って。

 

 

 *

 

 

 卯月が秋月を慰めている頃、同時刻、別れた不知火は工廠に居ながら、監視カメラの映像を見ていた。隣には北上もいる。二人とも深刻な表情だ。

 

 彼女たちが見つめているのは、ガラスケースで隔離された二つの艤装。

 卯月のものと、回収された秋月のもの。どちらも内部にD-ABYSS(ディー・アビス)が組み込まれている。

 

 ケーブルで繋がれたモニターには、システムの出力や作動履歴が表示されていた。何時起動したのかもキッチリ表示されている。不知火はそれと合せて、監視カメラの映像の時間を見ていた。

 

「で、どうよ」

「まず顔無しと顔を合わせた時、卯月さんは身体を抱えて卒倒しました」

「なるほど、次は?」

「秋月さんをハグした時。激痛を感じてひっくり返っていました。この時と顔無しの時は不知火も同伴しています」

「……そして、今か」

「またハグしています。痛みはどうやら我慢しているようですね」

「うん。それで、時間を比べてどうなのさ」

 

 卯月がそういった行動をした時の時間と、D-ABYSS(ディー・アビス)の作動時間を比べた時、そこには信じがたい結果が現れていた。とんでもない異常事態としか言い表せない。下手をしたら非常事態。

 

「一致しています」

「……マジかぁ」

「到底信じがたいですが事実です」

 

 眉間を指で抑えながら不知火は半ば吐き捨てるように呟く。

 

「卯月さんに異常が起きた時、D-ABYSS(ディー・アビス)が作動しています……()()()()()()()()()

 

 原因不明。遠隔か勝手にシステムが動いているのか。どちらにしても普通ではない。

 

「しかも、秋月のシステムも同じタイミングで作動か」

「卯月さん側のシステムが、何か影響しているのは確かですが」

 

 口にしなくても良かったが、そうしないと何だか受け入れられなかった。遠距離からでも艤装が動いている──いや動いていると言えるのか。

 

 これは一体何を意味するのか。

 

 あまりに不可解な挙動に、不穏な予感を止めることができなかった。




艦隊新聞小話

基地型深海棲艦について

 深海棲艦は海を母体として現れる怪物――の筈なんですが、どうもかつての戦争も触媒になってるようでして、基地そのものが顕現することが稀に良くあります。
 流石に土地そのものなので、自由自在には動けません。
 その代わり、支配海域は普通の姫個体の何倍、生成できるイロハ級も激増、砲撃火力、航空戦力も強烈無比と豪勢なスペックに。
 耐久値も折り紙つき。中枢である姫級を仕留めるか、基地を制圧するか、基地自体を破壊するか――いずれかでなければ絶対に無力化できません。
 ただし三式弾といった対地兵装や、弾薬庫がある関係上、突く所を突けば、景気よく燃える某メガネのように別の弱点があるケースも。

 後、噂なんですけど、どこかの鎮守府に、拳だけで基地型を土地ごと消滅させた艦娘がいるらしいですよ。
 誰なんですかね、そんな噂が立つ時点で、私興味があります!


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第140話 糧

感想:メルゼナはスタンド使いだった。
四人がかりで何とか狩ったゼ。


 鳥の鳴き声が聞こえる。カーテンからの木漏れ日が心地よい。窓から吹いてくる風も気持ちが良い。ベッドもふかふか──とは言い難いがまあ良い。とにかく良い気分で卯月は眠っていた。

 

「……え゛?」

 

 だがおかしいことに気づく。卯月は秋月をハグしながら慰めていた筈。それがどうして自室のベッドで寝ているのか。混乱しながら起きると満潮が怪訝な顔つきで見ていた。

 

「なにガン飛ばしてんだぴょん!」

「秋月のところで卒倒しているアンタを此処まで運んだのは誰だと思ってんのよ!」

「少なくともお前以外の誰かだけど……」

「死ねっ!」

 

 分厚い辞書の背中が鼻先に直撃。卯月はしめやかに倒れ込んだ。奇跡的に鼻血はでなかった。

 

「……真面目にうーちゃん何があったぴょん?」

「知らないわよ。むしろどこに気絶する要素があったの。秋月が心配してたわよ」

「いったい何が……あ」

「あ?」

「いやなんでもな」

 

 満潮が更に分厚い辞書を構えて投擲体勢に。眼が笑っていない。卯月はスッと正座する。そして心当たりを説明した。感覚過敏によって苦しんでいる秋月をハグしたら、自分にもその激痛が感じられたことを。

 

「……ど、どういうことなの?」

「うーちゃんにもさっぱりだっぴょん。限界を超えて倒れちゃったんだと思うけど」

「身体に異常は」

「ないけど……他が異常と言うか」

 

 何となくだが、何が起きているかは分かる。

 多分秋月の痛みがこちら側に移動しているのだ。だから逆に秋月は痛みを感じなかった。感覚を引き受けているのだ。

 

 というのは分かるが、理屈が微塵も分からない。どうなればそんな超常現象が起きると言うのか。

 

「不知火に言ったのそれ」

「言ってないけど、察してはいるよ。あの部屋だって監視カメラとあるんだし」

「何も言ってこないってことは、安心して良いのか保留中なのか……どう転んでも碌な予感はしないわね」

「全くだぴょん」

 

 心配してもどうしようもないのだが、流石に不安になってくる。わたしは何処へ向かっているのか。

 

「……そういえば秋月は?」

「知らないわ。部屋でおとなしくしている。というかそれしかないでしょ。全盲なんだから」

 

 全く見えない状況下では基地の中を歩くのもままならない。かえって危険だ。身体も回復しきってはいない。暫くは療養、できてリハビリ程度になるだろう。

 

「また行くの?」

「いや、大丈夫だと思うぴょん。当分は一人で考えとか纏めた方が良いと思う」

「そう、あの状態よりマシになったってことね」

「そゆこと」

 

 散々出し切った後は考えを纏める必要がある。今後どう生きていくかだ。当分は前科戦線で匿う必要があるとしても、その後は違う。幾つかの道を選ぶことができる。

 そこに口出しはできない。秋月自身で決めなくてはならないことだ。

 

 そして卯月の回答に満潮も内心安堵していた。あの酷い精神状態が多少でも良くなったのだ、喜ばしいことである。

 

「うーちゃん達も、そろそろ訓練しなきゃダメだろうし……あー嫌だ。特訓は心底嫌だぴょん」

「そう言えば前の戦いの反省もしてなかったわね。やるわよ」

「うえぇぇあ゛ぁぁ」

 

 おおよそ人とは言い難い呻き声を上げる卯月。しかし次の戦いは着実に迫ってきている。最上の全力は分からないが、慢心して勝てる相手でないのは間違いない。

 文句こそ漏らしているが、以前とは違い訓練には積極的に参加するようになっていた。

 

 

 

 

 朝食を取った後、工廠へ向かい艤装を借り、訓練用の海域へ移動。そこでいつものように訓練を始める。

 

 ただ何時もと違って、明確な教官がついていた。D-ABYSS(ディー・アビス)の危険性を考慮し、いざと言う時誰かが止められるようにしているのだ。今回の教官は北上だった。

 

「そんじゃビシバシ行くからねー、頑張れー」

 

 因みに那珂や球磨だったこともある。熊野は未だ外出から戻ってきていない。他のメンバーも訓練に参加する頻度が上がっていた。システム搭載艦の異常な戦闘力に危機感を抱いているのだ。あのポーラでさえ偶に顔を出すのだ。前科戦線に流れている危機感は相当なものと言えよう。

 

 戦闘要員ではないが北上もそれは感じている。特に同じシステムを搭載した卯月と、相方である満潮の成長が重要だ。システム搭載艦に真っ向から対抗できるのか彼女だけだ。それ頼りなのも良くないが訓練は必要だ。

 

 難点は、D-ABYSS(ディー・アビス)を用いる訓練が不可能だということだ。

 

「体力もだいぶついてきた。体つきも良くなってきた」

「……嘘ついているぴょん!」

「どこ見て言ってるのよ」

「お胸」

 

 そこではなく、異常な挙動に耐えうる強靭かつ柔軟な間接、それを保護する筋肉である。決して胸ではないし、そもそも艦娘なのだから成長の見込みは虚無に等しい。

 

「ただねぇ、結局システムを任意で作動できないから、ちゃんとした訓練ができないのがねー……」

 

 秋月のものを調べてみたものの、起動条件は明確にはなっていない。

 ()()()はつきつつあるが、ハッキリとはしていない。

 その内一つが『怒り』であることと、作動に足るエネルギーなのは確定済みだ。

 それでも以前敷地内で試した時は作動しなかった。

 

「ダメ元でやってみるかぴょん?」

「変な暴走の仕方したらどうすんのよ」

「そうしたら躊躇なく首のコレを作動させれば良いぴょん」

 

 高圧電流と激痛により即気絶させる首輪である。訓練中でも爆弾(システム)を積んでいるのは変わらない。安全装置は必要だ。

 

「早く試してみてよスイッチ押したいんだから」

「満潮はただうーちゃんを苦しめたいだけじゃん。くたばれや」

「うっさい。やるならさっさとやってよ。時間のムダ」

「ぷぅー」

 

 目線を北上へ向けて許可を取る。彼女も頷いてくれた。卯月は二人から距離を取ってから意識を集中し始める。

 

「じゃ、作動実験をするっぴょん」

 

 理性が消し飛ぶような激情が必要だ。それは(少し時間はかかるが)何時でも呼び覚ませる。洗脳された時の快楽から、鎮守府を壊滅させた時のトラウマ。それを命じた泊地棲鬼の顔。一つずつ思い返すだけで、理性が一本一本、ピアノ線みたいに千切れていく。

 

「うぉ、お、オオオオオ!」

 

 怒りのボルテージが頂点へ達した瞬間、理性が消え失せて──心も感情も塗り潰された。何もかもが意志という名の殺意へ収束した。

 

 そして同時に、全身を強い()()が突き抜けた。

 

「―—ッ!」

 

 つい漏れそうになった嬌声を歯を食いしばって抑え込む。

 今確かに快楽が走った。身体に力が漲っている。絶え間なく悪意が流れ込んで来て、心が真っ黒に塗り潰されそうなこの感覚。

 ではつまり。卯月は水面に映る自分を見つめた。

 

 そこには赤いオーラを纏う卯月が立っていた──そして数秒後赤いオーラは消失した。

 

「ぴょ?」

「え」

「あれ」

 

 三者三様。多少違えど不可解な表情でお互いを見合う。

 

「……今解放、されてたわよね」

「うん、間違いない。D-ABYSS(ディー・アビス)が解放されてたぴょん」

「今まで解放されたことなかったのに。しかも、一瞬だけって。何コレ」

 

 これまでは起動すらしなかった。だが今回はできた。但し一瞬だけだった。意味が分からない。

 

「どゆこと」

「さあ……どうなの北上さん」

「アタシにもさっぱりだけども。いやでも、今までと違う要因がある筈。そうじゃなければこうじゃならないよ」

 

 何かが変わった。だから変化が起きた。以前試してみた時と今回で違っていることはなんなのか。最近は変化が多かった。少し考えれば何が違うのか簡単。ほどなくして三人とも共通の結論に辿り着く。

 

「……顔無しじゃね?」

 

 そう口にした時、北上の持っていた無線機に通信が入る。基地と訓練海域はそこそこ離れているため、業務連絡用に持っているのだ。無線を耳に当て話し始める北上。相手は不知火か飛鷹のどちらかだろう。

 

「は? 顔無しがぶっ倒れた?」

 

 卯月と満潮は「まさか」と言う顔で互いを見合う。

 D-ABYSS(ディー・アビス)とは、周辺の海域に満ちる深海のエネルギーを取り込む装置である。そうすることで対象者が強化される。

 

「もしかして、いやもしかしなくても。この装置エネルギー源がないと動かない?」

 

 最初に作動させたときは基地の中だった。深海棲艦の支配海域ではない。だから取り込む為のエネルギーがなかった。

 今回も同じだが、エネルギー源は近くにいる。()()()()()()()()が基地内に保護されている。そこが違っている。

 

 と言いたいが、結論はまだ早い。

 卯月の様子が以前よりおかしくなっている点。秋月を保護した点も以前と違う。エネルギー源(顔無し)がいるから作動できたと結論づけるのは早い。

 

 取り敢えず行かなくては。三人は訓練を中断し工廠へと向かった。

 

 

 

 

 身体調査も兼ねて顔無しは工廠の奥に隔離されている。卯月たちは艤装を外しそこへ来ていた。

 見てみると確かに顔無しが気を失っている。白目──は眼がないのであり得ないが、白目を剥いてそうな雰囲気はある。

 

「どうしたのさー、これ?」

「いや、わたしに聞かれても困るわよ」

「飛鷹さん、顔無し見てたのかぴょん?」

「ええ、まあ監視カメラ越しだけど。自分の仕事もあるし」

 

 北上が訓練に出ている間、誰かが念のため見ておく必要がある。なので食堂からカメラ越しに監視していた所、突然苦しんだかと思ったら倒れてしまったらしい。

 

「倒れる寸前から見てたけど、様子のおかしな所はなかったわ。本当に急に倒れたの」

「なるほどねー、所でその映像ある?」

「あるわよ、ほら」

 

 カメラの映像を再生する。それを横から卯月たちも見つめる。

 確かに飛鷹の言った通り。普通に拘束されてぼんやりしていたが、ある時刻になった瞬間唐突に暴れ出している。

 そしてその時刻に、卯月たちは覚えがあった。

 

「これさぁ……間違いないよね……因果関係疑うアタシはおかしくないでしょ」

「間違いないって言うか確定よ確定。原因間違いなくアンタじゃない。何をしたのか白状しなさい卯月」

「こっちのセリフだぴょん!」

 

 そう、その時刻とは正に、卯月がD-ABYSS(ディー・アビス)を解放させたタイミングと一致していたのだ。

 

「原理は未解明だけども、流石に決まりだねこれは。卯月は経った今、顔無しの力を取り込むことでシステムを起動させたんだ」

「でも直ぐ切れちゃったぴょん」

「……そこはなんでだろうね。いや、知ってそうなヤツがいたか」

「ああ、秋月」

「んじゃうーちゃんが聞いてくるぴょん」

 

 戦艦水鬼と違い、秋月は顔無しがどういう兵器か理解していた様子だ。聞いてみれば分かるかもしれない。覚えていればの話だが。

 何せ艦娘を洗脳する危険装置が起動したのだ。直ぐ調べなくてはならない。集団で押しかけるのもアレ。今一番心を開いてくれている卯月が直接聞きに行く。そうすれば訓練を合法的にサボれると思ったからだが。

 

「……サボったわねアイツ」

「だね」

「そうね」

 

 尚バレバレであった。帰って来たら訓練は数倍になることが決定した瞬間だった。休んでいるのも暇。飛鷹は自分の仕事、北上は工廠の仕事を始め、満潮は自主練へと励む。

 

 

 

 

 それから数十分後、卯月は戻ってきた。話を聞いただけにしては遅い。どうせサボっていたのだろう。満潮は苛立ちを隠さず文句を飛ばす。

 

「ちょっと卯月、人を待たせ過ぎじゃないの」

「……うるさい」

「なによその言い方」

「うっさい、うるさい、黙っとけ……」

 

 しかし何やら様子がおかしい。その理由は何となくだが察しがついている。顔無しが何だったのか、秋月は覚えていたのだろう。そして今までのように碌でもない吐き気を催すような理由だったのだ。

 

「深海棲艦め、深海棲艦めっ、深海棲艦めぇっ!」

「ちょっと、本当にどうしたって言うの!?」

「クソが、あああ゛っ! どうして、さっさと、絶滅しねぇんだぴょん!」

 

 腕や足を力任せに振り回したかと思えば、乱暴に頭を掻き毟る。激情を制御できていない。こんな卯月を見るのは久し振りだった。

 満潮が唖然としている中、卯月はそう怒り狂い感情を発散させることで、冷静になろうとしていた。

 

「あー、ホント、下衆過ぎて、頭おかしくなりそうだぴょん!」

「……どうだったの、秋月は知っていたんだよね?」

「うん、顔無しの存在意義は知ってた。それを思い出したせいで、また錯乱してたけど……その介助で遅れたぴょん」

「そういう理由だったね、悪かったわ。で、何だったの顔無しは」

 

 その単語が出た途端卯月はまた不機嫌になる。苛立ち交じりのため息を吐いた後、吐き捨てるようにそれを伝える。

 

「前言ってた通り。あれはD-ABYSS(ディー・アビス)作動の為の()()だ。でもそうする為に工夫がされている」

「工夫?」

「システム作動には深海のエネルギ──―つまり怨念といった『負念』が必要。顔無しはそれを効率的に生み出せる工夫がされていたんだぴょん」

 

 全員が硬直する。理由を察してしまったから。

 

「組み込まれた艦娘に感覚があるのは()()()だった。そうやれば終わらない苦痛を与えられる。負念を永遠に生み続けることができる。システム作動の補助動力兼戦力。それが顔無しの正体……秋月はそう言ってたぴょん」

 

 ただその為だけに。感覚を残し、死にたくても死ねない兵器に仕立て上げたのである。余りにも非人道的な扱いに、誰も言葉が出なかった。

 

 しかし北上はそう思いながらも、内心疑問を感じていた。

 

 ()()()()()()()()()。だったら、今ここにいる顔無しは何なのか。疑念はまだ残ったままだった。




説明回。ちょっと忙しい回だったかも。


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第141話 欠陥品

 訓練中に起きたD-ABYSS(ディー・アビス)起動というアクシデント。状況から考えて要因は顔無しにあると卯月たちは判断。実際その予想は当たっていた。秋月にも確認を取り裏付けも取った。

 

 だがそれは吐き気を覚える程胸糞悪いものだった。

 

 顔無しに艦娘が痛覚を残したまま茎こまれている理由。それは中の艦娘を死ぬまで苦しめることで、システム作動の為のエネルギーを永遠に生み出すためだったのだ。

 

 しかし──まるで嬉しくないが──これでD-ABYSS(ディー・アビス)をより解明することができた。

 顔無しを調べれば、連動してシステムの解析もできる。

 

 北上は回収した秋月のシステムと併せて更なる解析を開始。

 その結果が出るまでの間、卯月はいずれ来たる最上への戦いに備え、訓練をしたり秋月の所へ行ったりしながら過ごしていた。

 

 尚、D-ABYSS(ディー・アビス)が作動状態になるのはほんの一瞬だけだった為、システムを使い熟す為の訓練はできなかった。なのでそれ以外の所を集中的に鍛えていた。

 

 今までので卯月の基本戦術は決まっている。敵への決定打を持たない代わりに、敵の至近距離で霍乱を行い、修復誘発材によって隙を誘発させる。チャンスがあればシステムを作動させる。

 

 危険極まりない戦い方だが、睦月型最弱と呼ばれる彼女がまともに戦うにはこれぐらいしか方法がない。

 勿論攻撃を喰らえば即死。なので回避運動の訓練を満潮と一緒に行っている。調査の気晴らしとしてたまに北上も来てくれる。

 特に卯月は、怒りのまま冷静に自分を犠牲にすることがままある。そこは直さなければならない。

 

 そうして日々を過ごして数日、漸く北上の解析にケリがついたということで、卯月と満潮は工廠へと呼び出されていた。

 

「呼ばれて来たけど、分かったのかぴょん?」

 

 勿論D-ABYSS(ディー・アビス)のことだ。二つのシステムを解析したのだから、今までより進んでいなければ困る。

 

「大丈夫、そこんところは安心して良いよ」

 

 卯月の心配は無用なものだった。北上はしっかりと調査を終えていた。とは言え正式な報告は提督へ済ませてある。卯月たちへの連絡は口頭のみ、簡易な形で済まされる。単純に書類を用意するのが面倒というのもある。

 

「じゃあ早くしてよ。私たちだって暇じゃないんだから」

「へいへいっと……さとて、どっから話そうか。逆に聞いてみよう。何から知りたい?」

「結局作動条件は分かったの?」

 

 ズビシと手を上げて質問する卯月。北上はちょっと自身なさげに頷いた。

 

「多分、分かったよ」

「待ってよ、多分って何よ、どういうこと」

「ほぼ確定に近いって話。確定じゃないのは念頭に置いといてね。だってさ、秋月ので作動実験試してないじゃん」

 

 卯月のシステムを作動させる際、『怒り』がトリガーになるのは確定済み。では秋月はどうなのか。同じく怒りなのか別の感情か、全く別の何かなのか。

 それはまだ──当分実施できない。秋月のメンタルもフィジカルも余りにボロボロだ。強行したら本当に死にかねない。

 

「まーそれでも十分だぴょん。北上さん、お願いします!」

「あいよー、ゲホン、じゃあ良いねー?」

「だから早くして」

「ノリが悪いなぁ……」

 

 教師めいたノリで北上は話し出す。現時点で判明した作動条件を。

 

「起動条件一つ目、『怒り』の感情。だと思われる。但しこれは仮だ。さっき言った通り秋月のパターンを確認できてないからねー」

 

 但し正直推測はできている。恐らく怒り()()()()()()。ただ証明できないので言わないだけである。

 北上は続けて次の要因の説明に入る。

 

「この間、卯月のD-ABYSS(ディー・アビス)が起動した時、顔無しが気絶した。それは秋月の証言から、エネルギーが取りこまれたのが原因だと推測された。そん時の顔無しのデータを見たら、確かに力が大幅に減衰してたよ」

「ってことは」

「作動条件二つ目、射程距離内にエネルギー源が存在すること。深海の力がないと起動できない」

 

 前々から訓練した際、卯月のシステムが作動しなかった理由がコレである。あくまで深海のエネルギーを取り込む装置。取り込む物がなければどうにもならない。そんなある意味単純な理由だったのだ。

 

「エネルギーって言うけど、具体的には何を刺すの?」

「代表的なのはそりゃ深海の領域だ。あれは要するに()()()()()()()()だからね。十分なエネルギーがある筈だよー」

 

 忘れがちだが、深海棲艦の本体は海その物である。姫をコア、海を在り代として発生する現象とも言える。

 

「後は海域の中枢である姫個体。実際泊地棲鬼や戦艦水鬼が近くにいる時にシステムは作動してたしね。残るは顔無し。秋月が言ってた通りあれはエネルギータンクとしての役割もある。ただ、さっきのに比べると劣るみたい」

 

 あくまで補助タンク。卯月が一瞬しか作動できなかった通り、十分な量は確保できない。

 

「顔無しだけど、幾ら補助と言っても、数秒も維持できないんじゃ意味ないでしょ」

「いや、それは多分、基地内に入れる時に浄化しちゃった弊害じゃないかなー。それで深海棲艦としての力が大幅に削られちゃっただろうし。薬で極力感覚も抑えているから、尚更負念が生まれないんだろうねー」

「……やっぱ、何度聞いても胸糞悪くなるわ」

 

 深海棲艦の中に感覚を維持したまま艦娘を組み込む。そうすると相反する存在が力ずくで同化させられている為に反発が起きる。これが地獄のような苦しみを呼ぶ。それがシステムの燃料となる。この痛み自体が抑制されれば、生まれる苦しみも減る。北上はそう推測する。

 

 尚、顔無しをどうしていくかは、未だに結論が出ていない。中の艦娘には悪いが現状殺す予定はない。敵にとって重要なアンプルでもある自爆不全の個体だ。処分できる訳がない。例え死ねない地獄が続くとしてもそれはできないのだ。

 

「エネルギーエネルギーって言うけどさぁ、あの、こんなクソ単純な理由が、今の今まで分かんなかったのさ」

 

 卯月的には不思議でならない。分かってしまえば簡単な答えだった。皆どうして気づけなかったのだろうか。

 余りに単純すぎる。気づきが遅れたことに苛立ちさえ見せる卯月。北上は困った様子で頭を掻く。

 

「いやー、だってさー、そうなると……このシステム、意味不明になるんだよ?」

 

 意味不明とは何なのか。卯月は不思議そうな顔をする。

 

「考えてもみなよ卯月、このD-ABYSS(ディー・アビス)は何の為の装置なのさ」

「艦娘強化装置の出来損ない。もしくは艦娘洗脳装置のどっちかだぴょん。それがどうしたんだぴょん」

「じゃあ強化装置として考えよっか」

 

 それ以外の何だと言うのか。卯月は首を傾げる。

 

「これを作動させられるエネルギーは、深海の領域か、姫級もしくは顔無しが近くにいるか。そのどれかが必須だ」

「うん」

「ってことは、敵海域でしか作動できないから鎮守府内で動作確認等ができない。そして暴走のリスクは多大。その上一隻しか持ち込めない。作動後は反動で大破確定。後遺症の危険度も大。感情で起動するから制御困難」

「……うん?」

 

 まともな動作確認は基本不可能。

 悪意に呑まれる可能性は極大。

 エネルギーの食い合いが起きるので投入できるのは一隻だけ。食い合いを出力向上で解決すれば暴走の危険性増大。

 

 身体的ダメージ必須。場合によっては後遺症まで追加。

 これらを承知で必殺のタイミングで使おうにも、起動条件的に制御はムリ。というか起動条件が『怒り』という時点で、暴走しろと言ってるも同然。卯月はあくまで例外だ。

 

「それでもこれは技術だ、何れ解決できるものだとしよう……そこまでやんなら最初から特効艦持ってきた方が良くね?」

 

 吹雪が吹きすさぶ。二の句が仰げない。

 事実を淡々と並べただけでコレだ。卯月は必死に頭を回転させる。まだ見落としている物があるかもしれないからだ。

 

「うんゴミだわコレ」

 

 見落としはなかった。理解不能という困惑だけが残った。

 

「そうなる」

「ひ、酷過ぎない幾ら何でも……強化度合は凄いけど、これじゃ使えないわ。兵器として失格でしょ」

「そりゃ強化は凄いよそこは確か。だけどここまでのデメリットしょってまで使いたいかって言われると。正直欠陥直している間に戦争が終わる気がする」

「で、でも改善する可能性はあるわよ」

「エネルギー源が近くにないと作動できないのは欠陥じゃなく『仕様』。基地内では絶対に動かせない。安定した整備や訓練はできないだろうねー。そんな兵器使うヤツ居ると思う?」

「居る訳ないぴょん……」

 

 まさか基地内に姫級を複数その為だけに保管し続ける訳にもいかない。かかるコストに反してメリットが少なすぎる。艦娘強化装置として見た場合──使()()()()()()()()というのが評価になる。

 特にエネルギー源を必須とした結果、整備できない問題が大きすぎる。ただでさえ暴走のリスクが大きいのに整備負荷とか欠陥でしかない。

 

「だから、その可能性は低いって思ってたのさ……そのまさかとは思わなかったけど。これ考えた奴は余程の阿保なのかなぁ」

 

 本当に阿保なのかもしれない。卯月は割とマジでそう思う。

 

「あ、そうだ、じゃあ洗脳システムとしてはどうだぴょん。洗脳した艦娘を鎮守府にでも潜ませておけば惨劇を起こせるぴょん」

 

 そこで卯月はもう一つの可能性に思い至る。だが北上は深くため息を吐いた。

 

「姫級が近くにいないと作動できないのに?」

 

 まさか姫級が鎮守府まで同伴する筈もない。保護者同伴の工作員とかふざけているにも程がある。

 

「そもそもシステム作動中、赤いオーラはギラギラしてるし目は真っ赤に光ってるし、バレバレじゃんか」

「せやねー、そやねー……」

「じゃあコレ何に使えるのよ?」

「さあ?」

 

 満場一致でガラクタ判定だった。全てを解明しきれていないのに欠陥ばかりが見えてくる。自らを散々苦しめてきたシステムの正体は只の屑鉄だった。あんまりな事実に卯月はどう反応すれば良いのか困り果てる。

 

「って言うのが、今の所分かってるD-ABYSS(ディー・アビス)の詳細だよー。引き続き調査は続行するけどねー」

「いや必要あるの。こんなの即廃棄処分しかないじゃない」

「待って。こんなんでも、うーちゃんが戦う為の貴重な道具だから。まだ勘弁してくれぴょん。こんなんだけども!」

 

 二回も言った。駄目装置なのはもう自覚していた。艦種的な宿命もあるがそれを差し引いても卯月は弱すぎた。

 

「いや、使い続けては貰うよ?」

「……本気で言ってんの?」

「うん。マジだよ。まだまだ調べることはあるしサンプルは必要」

「これ以上何を調べろと?」

「一々うるさいぞ満潮。使って良いって言ってんだからそれで良いじゃん!」

「アンタ馬鹿? こんな危険で役立たずなゴミを使い続けて、良い事がある筈ないじゃない。それより地力を鍛えなさいよ」

「そんな時間ある訳ないぴょん!」

 

 危険性しかない装置に頼るよりも素直に訓練を積んだ方が良い。満潮の意見は正論だ。しかし時間は有限。限られた時間で確実に敵を倒さないとならない以上、手段は多い方が良いとも言える。どちらも正論だ。

 それに対して、北上は少し申し訳なさそうにしながら呟く。

 

「生憎だけど、卯月の安全は一切保証してないよ。前言った通りアタシ達が求めているのは敵の打倒。卯月の心身は二の次だ。むしろ──更に危険な領域に踏み込むことになるのは間違いないの」

「……まだ何かあるのかぴょん」

「ある。碌でも無いのが」

 

 これ以上クソみたいな要素が増えるのか。まさかまだあるとは思っていなかった。げんなりとしながらも卯月は腹を括る。北上もうんざりしながら答えた。

 

「卯月のD-ABYSS(ディー・アビス)だけど、何故だか分からないけど、遠隔で動いてた」

 

 とんでもない爆弾が投下された。

 

「……はっ!?」

「顔無しや秋月に接触して、激痛とかにひっくり返った時あったじゃんか。あの時装備してないのに、システムが確かに作動してたの。これと関係するかは分かんないけど卯月のは秋月のと比較して、作動効率―—吸収効率がかなり高かった。深海のエネルギーとの()()()()()()って言っても良いかな」

「待ってどういうことなの意味分かんないわよ!?」

「うん、アタシも」

 

 肝心の北上も困惑気味。当然だ。装備していない状態で艤装が動いたなんて前代未聞の事態だ。原因も未だに不明。

 吸収効率の高さ、つまり親和性の高さが何かシステムと関係しているのでは。

 北上はそう考えているが、子細は不明だ。

 

「強化システムとしてはクソ、洗脳装置としてもクソ。じゃあこの装置は何の為にあるのかなって話だけど、逆に考えれば単純。これ以外の『何か』の為にある。まだその為に付き合って貰わなきゃいけない。望む望まないに関わらずね」

 

 自分で言っておいてなんだが。

 

 わたしはとんでもない地雷原でタップダンスを踊ってるんじゃないか。

 

 卯月は引きつった笑みを浮かべる他なかった。




あらゆる創作物の強化システムのデメリットだけを煮込んだような代物。こんな物何に使うのでしょうか。


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第142話 買収

 D-ABYSS(ディー・アビス)は何の為にあるのか。

 分かってることを並べるとゴミでしかない、強化装置としてもクソ、洗脳装置としてもクソ。

 ガラクタではなかろうか? 

 そんなアレな結論が出てしまったが、それでも敵は来る、卯月たちは再び訓練に勤しんでした。

 

 適度な休憩を挟みつつも、相変わらずのハードスケジュール。

 卯月の練度が未だ高くない上、時間も残されていない。

 基地の位置はかなり隠匿されているので、直接襲撃の可能性は低い。

 しかし時間を与えたら敵はより強くなるかもしれない。

 なるべく早く、万全の姿勢を整えるため、詰め込みまくったトレーニングになってしまう。

 

「はーい、じゃあもうワンセット行っくよー!」

「ちょ、ま、待って、キツイ!」

「まだ行けるよね?」

「オ゛ァァ」

 

 あとこれもだが例の鎖帷子も装備中。

 手足どころか主砲のトリガーを引くにも尋常ではない負荷がかかる。

 前より体力はついた。

 なので先輩たちは増えた体力を根こそぎ削る勢いで訓練を課す。

 

 なんだかんだ言っても、卯月もかわいい後輩だ。

 死なないようにしてあげたいという気持ちは強い。

 決して後輩が強くなれば、自分たちが楽したいとか思ってない。

 

「真のアイドルを目指して頑張ろー!」

「目指してないっぴょん!」

「叫ばない方が良いわよ。疲れるだけよ」

 

 約一名狂気に侵されているが気にしてはいけない。

 

 そんな感じで訓練に勤しんでいる時、卯月がふと立ち止まった。基地の方から航行音が聞こえきたからだ。

 

「誰だぴょん」

 

 卯月の聴力を疑う者はいない。サプレッサーマフ越しでも数百メートルまでは知覚範囲内。

 しかし、この時間訓練するのは自分たちだけ。交代時間は早い。用があれば無線が入る。

 

「……誰かしらね」

 

 少し緊張が走る。持ってきているのは訓練用の模擬弾しかないのだ。

 

 やがて人影が見えてくる。その姿を見て卯月は胸を撫で下ろした。

 

「なんだ熊野じゃない」

 

 こちらに来てたのは熊野だったのだ。味方だったことに一先ず安心する。

 ただ険しい顔なのが何だか気になる。思い当たるフシがあるから尚更だ。

 

「うーん、何の用だろ? ちょっと聞いてくるねー。訓練はしてよね」

「酷い」

「当然でしょ」

 

 向こうの方へ行き熊野と話し出す那珂。

 言われた通り訓練は続行。

 砲弾の炸裂音が響き渡るが、卯月はそんな状態でも、二人の会話を聞き取れていた。

 

「……ぴょん?」

 

 その中で気になる言葉があった。だがこれで集中できるはずもなく。

 

「隙しかないわね」

「ぴぎゃっ!?」

 

 顔面に模擬弾がダイレクトアタック。

 完全無防備で喰らい数メートル飛ばされる。

 

 だけでは済まされない。

 

 サプレッサーマフで()()()()()()緩和しているが聴覚過敏は健在。

 

 では()()()()()()どうなるのか。

 例えば砲弾を食らった時。

 その衝撃音は体を通って中から響く。よりにもよって強烈な爆音を喰らえば。

 

「ひぎぃぃぃ!?」

 

 耳が力強くで引き裂かれ、杭でも捩じ込まれたような激痛が、鼓膜から脳髄を走る。

 立つこともままならない。

 正気も失う。

 涙や涎を垂らしながら、ガクガク痙攣する。

 

「ほんっとうに面倒な体質になったわね……」

 

 それを気まずく見つめる満潮。

 このように、さらなる聴力を得た代償がこれだ。

 

 攻撃が当たればその衝撃音が耳を破壊する。

 

 砲弾どころか機銃、どころかパンチすら即致命傷。

 絶対に攻撃を食らってはならない。聴力の代わりにそんなリスクを負う羽目に鳴ったのである。

 

 だが訓練を止める理由にはならない。

 

「ほら次行くわよ」

 

 再び主砲を構える。

 追撃の準備は整っている。

 攻撃されたら詰み。ではダメなのだ。

 痛みが避けられなくとも、即リカバーできなければならない。だから何度でも攻撃し続ける。

 卯月もそれは分かっているから、すぐ復帰しようと足掻いていた。

 

「はいストーップ、レッスン中断だよ満潮ちゃん!」

 

 那珂が大きな声で指示を出す。

 何故止める必要が? 

 不満な満潮だが上官命令は絶対。とりあえず突き付けた主砲を下ろす。同じ頃卯月も立ち上がった。

 

「どういうことよ?」

「いやちょっとねー、訓練海域の使用だけど、熊野ちゃんと交代することになったの」

「はぁ?」

「さ、撤収撤収、引き上げるよ!」

 

 有無を言わさない雰囲気で去っていく那珂。

 何が起きたのか良く分からず満潮は立ち尽くす。

 だがボサッとしてても意味はない。

 フラフラしている卯月の手を引いて、その海域から立ち去っていく。

 

 一瞬、振り返って熊野の方を視たが、こちらとは眼も合せなかった。

 ただならぬ雰囲気で一人訓練を始めていた。

 

「……な、なんて、奴だぴょん」

「アンタ何か聞こえてたの」

「うん」

 

 衝撃音で引っ繰り返っている最中でも、音で周囲の認識はできていた。二人の会話も拾えていた。

 

「信じられない。那珂のヤロー買われてたぴょん」

「買われてたって、まさか、訓練海域の使用権を売ったって言うの」

「マジだぴょん」

 

 何てことをしてんだあの熊野は。

 二人とも揃って絶句していた。

 海域使用順の売買など聞いたことがない。突然帰ってきたと思ったら前代未聞の蛮行を金に任せてやっていた。

 というか札束に負ける那珂も那珂だろ。

 

「まあでも休めるなら結果オーライだっぴょん!」

「基地内でできる訓練するからねー」

「よし死のう」

 

 木霊する言葉に首を捥がれる。

 精神的ショックで項垂れる卯月を引き摺りながら、満潮はとりあえず基地へと戻っていく。

 その間も熊野は、一切見向きもせず訓練を続けていた。

 

 

 *

 

 

 訓練は中断、基地へ引き返した卯月たち。

 そこで別の特訓再開──とはならず、那珂に連れられて卯月たちは食堂にいた。

 具体的にはあの間宮アイスをごちそうになっていた。

 

「ぴゃぁぁ!」

「変な声出すな静かに食えないのこのガキ」

「ムリぃぃぃ!」

 

 一口食べた瞬間舌が絶頂する。

 もう本当に美味しい。

 色々取り寄せて食べたがこれを越える物はない。

 疲れて火照った体に冷たい甘味──しかもおごりだ。美味しくない筈がない。

 

 それでも奇声を出すのはアレなのだが。

 満潮は突っ込むのも諦めて黙々と食べる。

 美味しいかどうかはともかく疲労回復効果は確かだ。悪い物ではないとスプーンを口へと運ぶ。

 

「ふふーん、どう二人とも、美味しいでしょー!」

「美味いぴょん! 実質熊野のおごりだと思うと特にね!」

「ぐっ」

「誤魔化されたりしないわよ。食べるけど」

「ううっ」

 

 海域使用を熊野に売ったことを悪いとは思っていた。

 なのでお詫びとして、そのお金(交換券)で間宮アイスを奢ったのだ。

 もっとも二人にはバレていたが。

 

「お金でどうこうできるアイドルとか夢もへったくれもないぴょん」

 

 卯月の一言がトドメを刺した。

 

「はぐぁっ!?」

「ちょっと食堂で血を吐かないでよ!?」

「メディーック!」

 

 死体と化した那珂を椅子に寝かせる。

 そしてポケットから交換券を抜き取りアイスを追加注文。

 腹を下さないよう、程々にしておいた。

 

 追加分を食べ終わった頃、那珂がどうにか蘇生する。

 

「で、何なのよアイツ。いきなり海域使用するって、しかも買収してくって……」

「全くだぴょん。第一仕事の成果はどーなってんだぴょん」

「……仕事って何の?」

「あ゛いや何も言ってないぴょん」

 

 熊野が外出していた理由は、仕事のためだ。

 あの正体不明の最上、その正体を確かめるべく、高宮中佐の上官と話をしに大本営へ向かったのである。

 細かいことは知らないが、卯月も仕事だとは知っていた。

 

 だが口止めされていたことを失念していた。

 

「卯月?」

「ア、アイドントノウ。うーちゃん何もワカリマセーン」

「卯月?」

「ノノノノーコメントで」

「……卯月?」

「ピョエ」

 

 凄まじい剣幕。小声で震える卯月。那珂は見ているだけ。

 しばし睨まれていたが、やがて満潮が折れた。

 

「チッ、まあなんでも良いわよ。あいつが滅茶苦茶してんのが気にくわないってだけだから」

「本当にねー、何があったんだろ熊野ちゃん」

「アンタは知らないのね」

「うん、すごい勢いで海域を使わせてくれって頼まれただけー。断ろうかなって思ったんだけど、ポケットに一杯捻じ込まれて……ないっ!?」

 

 さっき伸びてる時に奪っていったのだ。

 それにやっと気づく那珂は絶叫する。

 得た経緯が経緯なので、卯月たちに返せとも言えず打ちひしがれている。

 

「金でどうにかされたらダメでしょ。アイドルとして」

「しょうがないじゃん! アイドルお金かかるんだから! 化粧品も、お衣装も! 基本那珂ちゃん金欠なんだよー!」

「うわガチ泣き……哀れだから返金してやるぴょん」

 

 まず無断で奪う方がアレなのでは? 

 思ったが面倒なので満潮は言わなかった。言うだけ疲れるだけなのだ。

 それはさておき話が戻る。

 

「訓練そのものの目的は、分かりやすいんだけどね」

「……最上に決まっているぴょん」

「あの狂人ね」

 

 だが最上について、意味不明な所が存在する。

 

「でも熊野の旧友は鈴谷だぴょん。最上じゃないぴょん」

「でもアイツは、友人みたいな言動してたわよ。狂ってたけど……」

「那珂ちゃんそこにいなかったからねー、コメントし辛いや。話自体は聞いたけど。ホントなんだろうね最上ちゃん」

 

 まったくもって那珂の言う通りだ。

 どこをどう見ても狂気しか感じない。

 D-ABYSS(ディー・アビス)の洗脳ってあんなんだっけ? 

 自分と比べても理解不能。正直関わりたくない。

 それが卯月の感想。他二名も似たものだ。

 

「熊野ちゃんが話してくれれば分かり易いんだけど」

「こっちからは聞けないわよ。それは『タブー』じゃないの」

「分かってるよー!」

 

 明らかに触れてはいけない過去だ。それを突っつくことは前科戦線のタブーとなる。

 誰もそれを率先して起こそうとはしない。

 というか聞いて素直に話してくれるとは誰も思っていない。成果は出ないだろうにリスクは負いたくない。

 

「いやどうでも良いぴょん」

 

 しかし卯月はそれを一蹴して椅子から立つ。

 

「は?」

「聞いてくる。訓練の埋め合わせは後でやるぴょん」

「ちょ、ちょっと……ああもうごめん那珂、わたしも行くわ」

 

 スタスタ歩いていく卯月。

 彼女を一人にはできない。満潮も慌てて付いていく。

 隣から顔を覗き込むと明らかに苛立っている。

 

「急にどうしたのよ。熊野の何がアンタに関係あるの」

「何でもかんでもお金でどうにかなると思ったら大間違い。それをヤツに教えてやるんだぴょん!」

「場所は……聞こえてんのね」

 

 基地内全域に意識を回したので、熊野がどこにいるか検討はついている。

 さっきの訓練海域でまだ特訓している。

 あの辺りで熊野らしき航行音が聞こえている。

 卯月は工廠で再び艤装を借り訓練海域まで行こうとした。丁度その時、熊野が戻ってきた。

 

 その熊野を見て卯月はぎょっとした。

 

「……あ、卯月さん。お久しぶりですわ。先ほどは海域を取ってしまってごめんなさいね」

 

 流石に艤装は無事。

 だが、熊野自身が入渠を要する程にボロボロになっていた。

 熊野が何をしていたのか、それは、機関出力を限界以上にした、無茶な特訓を自らに課していたのである。

 

「海域は空いたの」

「いえ、入渠の後また使いますので」

「おい熊野」

「ごめんなさい、海域はまだ使いますの。ご不満であれば──これで」

 

 と言って札束をポケットに入れようとする熊野。

 その手首を卯月は掴み取り、ギロリと睨み付ける。

 

「そういうのがムカつくんだぴょん!」

 

 そして熊野が持っていた交換券を奪い取り、ポケットにねじ込んだ。

 

「でもそれはそれとして貰う!」

「ド阿保ッ!」

 

 鋭い満潮のビンタが飛ぶ。

 ギリギリでそれを回避。

 また鼓膜が破れるのは御免だった。

 

「……漫才を見る暇はないので入渠してきますわね。失礼いたします」

「ちょっと待つぴょん。仕事の結果はどうだったの。その為に数日間も基地を開けてたんじゃんか」

「卯月さんに関係ないことでは?」

 

 かなり拒否してくる。余程話したくないことなのだ。

 それでも構わず卯月は食い下がる。

 それに関係無い話ではない。下手したら卯月が一番関係あるかもしれない。

 

「最上の打倒はうーちゃんだけじゃない。前科戦線共通の課題だぴょん。あいつが何だったのか仕事で分かったんなら、教えてもらわなきゃ困る。だから言って。正体は突き止めたんでしょ」

 

 正体が分かれば対策ができる、戦術を練ることもできる。

 確実に勝つ為にはそういう情報が不可欠だ。

 一人で抱え込むことは許されない。

 だから卯月は知ろうとしている。

 

「必要ありません」

 

 しかし熊野はため息交じりに言った。

 

「最上さんはわたくし一人で打倒しますから」

 

 こいつ今、何て言った? 

 とても冷静とは思えない、信じがたい発言。

 そんなことをよりにもよって熊野が言ったことに、卯月は驚きを隠せない。

 

「ちょっと、熊野行っちゃったわよ」

 

 呆然としている間に熊野は入渠しに行ってしまった。もう姿は見えない。流石にドッグにまで押しかける気はなかった。

 

「……何考えてんだアイツ」

 

 だが分かることはあった。

 

 この出張で熊野は最上の正体──あるいはそれに繋がる何か──を掴んだのだ。

 同時にそれは、熊野から冷静さを根こそぎ奪い去るような、知りたくもない禁忌だったのだろう。

 

 ならばこそ、それを知らなければならない。

 

 絶対聞きだしてやる。私には『切り札』がある。卯月はそう強く決意した。



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第143話 最古参

「熊野に会えねぇ!」

 

 食堂の机をドンと叩く。

 厨房から飛鷹が睨んできたので、即大人しくなる卯月。

 しかし怒りは燻ったまま。

 不満げに頬を突きながらデザートのプリンを食べる。

 

「……急にどうしたっての」

「熊野に会えないんだぴょん」

「いやそれは分かるけど、それが何でイラついてんのよ」

 

 熊野に訓練海域を買収されてから丸一日、なんと卯月は熊野に遭遇できないでいた。

 

「あぁ、あの買収の理由を知りたいってヤツ?」

「そうだぴょん。原因が最上なのは察してるぴょん。でもどーしてそんなことすんのか、知らなきゃいけないんだぴょん!」

「知らなくても戦うぐらいできるでしょ」

「憂いはなくすべきだぴょん」

 

 探している理由は以前と同じ。

 出張から戻ってきた熊野は、仕事の成果も話さずに単独訓練に没頭していた。

 金を使って訓練海域の使用権を買っていく有様だ。

 

 別に海域を取られたことには怒っていない。

 しかし、何も話そうとしないのは気に入らない。

 まず間違いなく、最上は秋月より強い。

 秋月であれだけ苦戦し続けたのだ、最上はもっと酷い戦いになるだろう。

 

 少しでもマシにするには情報がいる。

 様子から見て最上に関する情報を掴んだのは間違いないが、それを何故言わないのか。

 

 その理由はとんでもなく非常識なもので、卯月は更に憤慨していた。

 

「良いじゃないの。単独で戦うって言ってんだから」

「それが問題なんだぴょん! 頭おかしくなったのかアイツは! うぴょー!」

 

 言うまでもないが、最上は単独では勝てない。

 卯月自身は直接交戦してないが、秋月より強い時点でそれは確実。勝つためには全員で叩かなければならない。

 なのに熊野はそんなことを言っている。それが信じられず、同時に腹が立っていた。

 

D-ABYSS(ディー・アビス)艦娘は一人残さず叩き潰s―—救出するのがうーちゃんの復讐だというのに!」

「……あっそ」

「殺す気はないからね。ホントだぴょん」

 

 まあ四肢を捥いだり、臓物を引き摺り出したり、顔面をもみじおろしにするかもしれないが、入渠で治るから誤差だ誤差。

 殺意をアレな理屈で正当化する卯月。

 満潮の白い目線が突き刺さる。

 

「あーそんなんどーでも良いぴょん! 熊野のやろー、これ以上言及されないように、うーちゃんを避けて回ってんだぴょん!」

「アンタ聴力あるじゃない。探知できるんでしょ」

「できるぴょん。でも訓練してたり入渠中とかで、会うことはできないんだぴょん」

 

 卯月にだって用事はある。

 入渠や艤装の整備を待っている間に、彼女の方の入浴時間や訓練時間が来てしまう。

 恐らくそれも見越して、遭遇しないよう動いている。

 妙に計画的に動いていることが、余計に卯月を苛立たせていた。

 

「うごごごご本当にどーするぴょん、このままじゃ埒が開かないぴょん」

「本当にどうでも良いんだけどね私にとっては……実際どうにかして捕まえて、尋問する他ないじゃない」

「そうだけどもー」

 

 掴まえさえすれば、吐かせられる自信はある。

 性格上、飲まざるを得ないような『切り札』を卯月は持っている。最もそれさえ無視されたら詰みだが。

 ただ熊野も、それを承知で逃げ回っている。

 

 どうにも良いアイデアが浮かばない。二人は机でうんうん唸っていた。

 

「あら~、二人とも、何悩んでるんです~」

「よしそろそろ訓練を再開しましょう」

「おおっ、丁度思ってた所だぴょん。今日のうーちゃんは絶好調だぴょん!」

「ひ、酷いです~。ポーラが何したって言うんですか~」

「その手のワインに聞け!」

「え、はーい、分かりました~」

 

 と言ってポーラはワインのコルクを開けて、景気よくラッパ飲み。

 

「最高で~す!」

 

 最早二人はいなかった。回れ右で訓練場へ向かっていた。

『冗談ですよ~!』と泣き喚くポーラが、二人の足を掴んで引きずられる。

 あまりのうっとおしさに話だけ聞くことにした。

 だがコレが良いアドバイスをくれるとは思えない。半分以上聞き流すつもりでいた。

 

「えーっと、熊野が、仕事の内容を言ってくれない~ってことですね~」

「まあ、おおざっぱに言えば」

「なるほど~、うーん……捕まえたとしても、ダメだとポーラ思いますね~」

 

 何故ダメなのか。掴まえさせすれば会話ができるのに。卯月は首を傾げる。

 

「今の熊野さんだと~、黙秘すると思います」

「黙秘?」

「はい~、本当に、他に人には話たくないことなら、きっと無言になりますよ~」

「ぬぅ、ならどうしろってんだぴょん!」

 

 掴まえられない。

 掴まえても黙秘。

 ならどうしろと。

 卯月は頬を膨らませて抗議する。

 

「正直ならところー、ポーラ的には聞く必要ないんじゃないかって、思うんですよね~」

「はぁっ?」

 

 前提から崩壊するような身もふたもないことをポーラは言い出した。

 何言ってんだコイツ? 

 話を理解できていないのかと卯月は訝しむ、だが、決してそんなことはない。

 ポーラはそこまで阿保ではない。

 

「仕事だったってことは、高宮中佐に報告してるじゃないですか~。本当に必要な情報だったら、中佐から周知されますよ~。それで最上さんへの対策はできる。そーは思いませんか~?」

「……それは」

「最上さんを倒す他に知りたいって言うなら、ポーラは、熊野さんから聞く必要はないって思います~。ましてや、触れて欲しくない過去なら」

「アンタ、ポーラの偽物じゃないの。あいつがそんなまともなこと言う筈ないわ」

「酷いです」

 

 偽物ではない。正真正銘ポーラである。

 ぐうの音も出ない正論に卯月は押し黙る。

 彼女の言う通りだ。

 熊野から聞く必要はない。

 熊野から聞きだそうと拘っていた理由は、また別のところにあるのだ。

 その理由までポーラは見抜いていた。

 

「ま、どっちにしても~、正面からじゃ上手く行かないですよ。熊野さんは結構な秘密主義者ですからね~。やるなら、絡め手を使わないと~」

「絡め手ってどんな」

「ふふふ~、良し、このポーラが一肌脱いであげましょ~」

 

 いや、しょっちゅう脱いでんじゃねぇか。

 その突っ込みは呑み込んだ。

 今頼りに(なるのかはサッパリ分からないが)なるのはコレだけなのだから。

 

 

 *

 

 

 その日の夜。

 熊野は寝付けず外の埠頭に座り込んでいた。

 

 言うまでもなく夜間外出、見つかれば罰則だ。

 だがそれは面倒。

 回避できるように、交換券を何枚かポケットに入れてきてある。

 

 見つかったらこれで口止めをするつもりなのだ。

 どうせもう無用の長物。

 持っていても仕方がない。使える内に使い切ってしまうつもりでいた。

 

 そんな彼女に、後ろから近づいている人影があった。

 

「ポーラさん」

「わっ、なんで気づいたんですか。足音しか出てなかったのに」

「そんな千鳥足のステップ踏んでるのはポーラさんしかいないでしょう」

 

 振り返る熊野はその姿に呆れる。

 顔はもう真赤。

 ワインの瓶は半分空、ここに来るまでに相当飲んだ模様。

 こんな酔っぱらいの足音、気づかない方が難しい。

 

「……ま、良いですけど。それで何の御用で。まさか卯月さんたちのような要件ではありませんわね。だったらお引き取りください」

「ぬぬ~、似てるって言うんですかね~。ちょっとしたことです」

 

 熊野の隣に座り込む。その手にはワイングラスが二つ握られていた。

 

「たまには一杯飲みましょ~!」

 

 というのがポーラからの提案だった。

 

 何故いきなり飲みの誘いを? 

 怪しいと熊野は思っていたが、飲むぐらいなら良いかとそれを承諾した。

 酔わない程度に、程々に飲めば良いと思っていた。

 こんな性格の輩だが持ってくるワインは中々の物。あまり味は意識していないが──美味い一品だと感じる。

 

「うーん! 夜風を浴びながらのワインを、たまには良いですね~。でも風邪は引かないようにしないと~」

「そうですわね」

「悩み過ぎるのは良いですけど~、それで寝れなかったり、夜風で病気になるのはアレですからね~。注意しなきゃダメですよ~?」

「……やはり、そういう要件ではありませんか」

 

 酒にかこつけて、話を聞きだそうとしているのだろうか? 

 ポーラの癖に小癪な手を思いつく。

 しかし、気づいたらもう意味はない。

 だいいち、この程度の手で、情報を引き出されるつもりもない。

 

 だがポーラは首を横に振る。

 

「いえ~、だから違うんですよ」

「では何の用で」

「周りを巻き込まないのは、もう無理ですよ~。最上さんはもう、前科戦線共通の問題なんですから~」

 

 その指摘にワインを飲む手が止まる。

 

「最上さんの問題は自分の問題、だから迷惑はかけたくない──って、そう思ってるんですよね~。気持ちは分かりますよー」

 

 ポーラは気づいていた。

 何故、そう思い至ったかは知らない──察しはついているが流石に言わない──が、訓練場を独占してまで特訓していたのは、自分一人の手で最上を仕留める為だと。

 そしてもう一つ。

 

「で、いけそーなら相打ちで、お互いに死のうってつもり?」

 

 その指摘に、熊野はワイングラスを落としかけた。

 

「……どうやって、それを?」

 

 誰にも話していない。

 卯月たちは勿論、不知火にさえ。

 話せるわけがないから。

 

 なのに知っている。どういうことなのか熊野は動揺する。

 

「これでもポーラ、前科戦線でかなりの古株ですからね~、勘って言います? 鍛えられてるんですね~。でもまー、本当だったのは驚きです~」

「そんなのに気づかれたという訳ですか、私は……なんか癪ですわ」

「えへへ~照れちゃいます」

「褒めてません」

 

 よりにもよってこの酔いどれに心境を言い当てられた。

 複雑な気持ちになる熊野。

 もしくは、こんなのにさえ気づかれる程、分かり易く思いつめていたということか。

 どちらでも変わらない。

 熊野は大きくため息をついた。

 

「それで、それを確かめて、わたくしをどうしようと。最上さんの作戦から外すんですか。自殺できないよう監禁するんですか」

「まさか。ポーラにそんな権限はありません。ただ、熊野さんの口から、言って貰うことが重要なんです」

「……誰かが聞き耳を? いえ、彼女ですね」

 

 周囲に人がいないことは事前に確認済み。

 その更に外から聞くことができるのは、彼女以外にはいない。

 そして、この会話を聞いた彼女が間もなくやってくる。

 役目は終わったと言わんばかりに、ポーラはワインを一気飲みして立ち上がる。

 

「でもポーラ、熊野さんのそーゆー所は、好きですよ」

「は? なにを?」

「……死さえ渇望するような、一途な所は、とっても人間らしい。ポーラは肯定します。まー、あの子は怒るでしょーけど。じゃ、頑張ってくださ~い」

 

 千鳥足で去っていくポーラ。

 それから数分後、予想通り彼女がやって来た。

 相変わらずというか、同伴者もいる。

 熊野は振り返らず、ワインを飲みながら、名前を呼んだ。

 

「いったい、どこで聞き耳立てていたんですの?」

「自室からだぴょん」

「……それ、耳大丈夫ですの?」

「大丈夫じゃないわよサプレッサーマフが生活必需品よどうなってんのよ」

 

 現れたのは卯月と満潮。聞き耳を立てていたのはこの二人だった。

 

 二人はムスッと不機嫌そうにしながら、熊野の隣へ座る。

 ついでにどこから取ってきたのか、ワイングラスにぶどうジュースを注いで飲み始めた。

 通販で買った物を態々持ってきたのである。

 

「死ぬ気って、熊野、それマジかぴょん?」

 

 恐る恐る──と言うよりは、今にも噴火しそうなマグマを抑える雰囲気で、卯月が問いかけた。

 

「マジですわ。私は最上さんを殺して、その後死にたいと思っています」

「一人で戦いたいってのは、自分で抱え込もうってんじゃなくて、その方が相打ちで死ねるからって意味なの?」

「いえ、皆様を巻き込みたくないのは同じですわ」

「……どっちにしても迷惑千万ね」

「申し訳ありません」

 

 心の籠っていない謝罪に満潮は呆れる。

 何故、最上相手にこうなるのかは分からないが、これはないだろう。

 

 満潮は苛立ちながらも、かなり心配していた。

 あいつを殺して私も死ぬなんて、どう考えてもまともじゃない。

 そう思い詰める程の何か。

 一体何があったのか、不安で仕方がなかった。

 けど、具体的にどうすれば良いかは分からず、戸惑う他ない。

 

「お二人はわたくしをどうするおつもりで?」

 

 ただ話すだけなら時間のムダだ。

 最上を倒すための訓練の時間が惜しい。

 黙り込む二人。

 熊野は溜息をついて、椅子から立ち上がる。

 

「首は突っ込むから」

 

 背中から、卯月の声がぶつけられた。

 

「……つまり?」

「死ぬ予定ならしょうがない。止める権限なんてないぴょん。必要なことは中佐から聞けるだろうから、もう熊野と鈴谷のことは聞かないよ」

「それは──」

「でも、最上討伐は、絶対に一人でなんかやらせない。ぜーったいにうーちゃんも乱入させれ貰うぴょん」

「わたくし一人で倒せるなら、それが良いのでは」

「いや、それはどーでも良いぴょん」

 

 卯月は振り向かない。

 背中合わせのまま、言葉をぶつける。

 憎悪と殺意に溢れた、呪詛に値する言葉を。

 

「秋月を痛めつけた。洗脳されてたとしても、報復に値する。熊野に()()()()なんてさせないから」

 

 熊野を心配した発言―—なのかこれは。

 戸惑う満潮を置き去りにして、熊野はその場から立ち去っていった。

 残された卯月は、渦巻く怨恨を隠そうともしない。

 握りしめたワイングラスは、とっくに割れて、彼女の手を血塗れにしていた。




艦隊新聞小話

Q ポーラは前科戦線の最古参ですが、何故なのでしょうか?
A 実は本来のお勤め期間はとっくに終わっているんですよね。
ただ飲酒行為によって、刑期が延々と積みあがっていて、結果的に最古参になっちゃってます。
出撃中の飲酒も、ぶっちゃけ違反行為扱いになってます。狙撃が安定するとか言ってますけど全く認められてません。
今の刑期は1050年でしたでしょうか……文明が滅んでそうですね!


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第144話 強制合同練習

次話投稿時は、遂に、モンハンが……!


 ポーラの手引きでやっと叶った熊野との会話。

 しかしそれは、成功だったのか失敗だったのか、何とも判断し難い結果で終わっていた。

 

 その会話を終えて自室へ戻ってきた卯月と満潮。

 そして、結果報告をそこで(当然の如く酒を飲みながら)待っていたポーラ。

 満潮は返ってくるや否や、疲れ果てた様子でベッドへ倒れ込んだ。

 

「疲れたわ」

Buon lavoro(お疲れさま)で~す」

「帰って余計疲れる」

「先にParlare()を聞かせてくださいよ~、折角良いposto(場所)を用意してあげたんですから~」

 

 ポーラ的もある程度考えていた。

 その一つが『酒』だ。

 人間だろうが艦娘だろうが、アルコールの影響は大なり小なり受ける。

 酔った状態なら、頑なな熊野の口も開けやすくなる。

 

 あえて席を立ち、卯月が来るまで時間を作ったのも、アルコールを全身に回すための時間作りだったのだ。

 

「会話ねぇ、まあ、成立はしたわよ。前よりマシだったわよ。でも成功とは到底言えないわ」

「でもお話はできたんですね~、じゃ、successo(成功)ですね!」

「耳までアルコールに浸かってんの?」

 

 そして満潮は、結果を掻い摘んで話した。

 最終的に、卯月が勝手にあれこれさせて貰うと、言い放って終わってしまった。

 ただの一方的な宣言。

 これで成功とはとても言えない。

 

「本当に何考えてんのよ卯月アンタ。話し合いする気あったの。熊野死ぬのよ?」

「いや……それはうーちゃんにはどうしようもないじゃん。それとも無理くり過去を穿り返す? そこに理由はあるだろうけど、できるとは思えないぴょん」

 

 卯月の言う通りではある。

 今の熊野から、過去の話を聞きだすのは至難の技だ。

 そもそも、どんな過去なのか分からない。

 聞きだせた所で、過去の問題を解決できるかも不明。

 悪戯に傷を深くして、終わる可能性もある。

 

「熊野のことは心配だけど、うーちゃんが首を突っ込める内容じゃない。だから、突っ込めるトコから行く。それがベストだぴょん」

「それが、秋月のことって言うの」

「実際、ぶっ飛ばさなければ気が済まないし」

 

 秋月とずっと一緒に居たので、かなり情は移っている。

 その分最上を許さない気持ちも強まっていた。

 洗脳されているのは百も承知。

 だが殴る。

 瀕死の重傷まで追い詰めなければ『殺意』が収まらない。

 

「最上は叩き潰す。掴まえてから情報も引き出す。その為に必要な情報は吐いて貰うぴょん。もしかしたら、中佐にも隠してるかもしれないし」

「誤魔化されるんじゃないの」

「つけないから大丈夫ぴょん」

 

 何故か自信満々に言い放つ卯月。満潮は不思議そうに首を傾げていた。

 

「うん、ま~そこそこの所に着地できたんじゃないかって、ポーラは思いますよ~」

「本当にそう思ってんのアンタ」

Conversazione(会話)すらないままよかマシですって」

「そうだけど……」

「良いぴょん。手伝ってくれてありがとぴょん。そこの交換券持ってって良いぴょん」

「感謝で~す」

 

 と言われ、報酬を受け取るポーラ。

 そして部屋から出ていく──かと思ったら、満潮の方へ近付いていった。

 急に何なのか、不思議そうにする二人へ、ポーラは話しかけてくる。

 

「一応ですけど~、満潮さんのも、errore(間違い)じゃないですからね~」

「……急に何?」

「何も言えなかったこと、気にしてますよね~?」

 

 それは、図星だった。

 最上と死にたいと、とんでもないことを口にした熊野に対して、満潮は碌に話すことができなかった。

 卯月はアレな内容だが話した、その違いを引きずっていたのを、ポーラは見抜いていたのだ。

 

「ムリに言わなくたって、良いこともあります。熊野さんが、どんな過去なのか、どれ程の物を抱えてるのか──そーゆーことを、その気持ちを考えたら、迂闊に話せなかった……」

「……そうよ、ダメなヤツよ」

Sbagliato(違います)~、それは、相手を傷つけたくないってことだと、ポーラは思います」

 

 決して悪い事ではない。

 もっとも効率的な意見を言うことが、常に正しい訳ではない。

 自分が傷つくのを恐れている訳でもない、あくまで相手のことを気遣っている。

 その優しさはむしろ誇るべきだ。

 ポーラはそう諭してくる。

 

「なんで、分かるの、そんなこと」

「熊野さんにも言いましたけど~、ポーラこれでも、此処の最古参ですからね~、年の甲羅? ですっけ?」

「年の功でしょ」

 

 今更日本語に不自由する筈がないだろう。

 くだらないボケを一蹴する満潮。

 ポーラはエヘヘと間の抜けた笑みを浮かべていた。

 

「大丈夫です~、その優しさは、人間らしい良いcuore()です。捨てたりしちゃーダメですからね?」

「……あっそう」

「ねぇねぇうーちゃんは? コレで高評価ならうーちゃんはより素晴らしい心を持ってるでしょ?」

 

 対抗心をむき出しにして、しょうもないことを問い詰める。しかしポーラは何故か、引きつった笑みを浮かべたまま沈黙。

 

「ポーラ?」

「……卯月さんも、良いと思いますよ~」

「お前嘘吐いてる? 嘘吐いたら殴るぴょん?」

「大丈夫ですから、Vera intenzione(本心)ですから~!」

「そう」

「じゃ、お休みなさ~い」

 

 まるで信じていない、疑いの眼差しを回避するように、ポーラはそそくさと部屋から退散していった。

 

「……ぬぬ」

 

 そして卯月に聞かれないよう、心の中で思い浮かべる。

 

 卯月のも悪いとは言わない。だが、あの物言いは──どうなのだろう。疑問が燻る。

 

 きっと彼女は()()()()()()()()()()()

 

 それが殺意として顕現できる分かるように、卯月は感情も欲望もねじ伏せて、すべき事に全力を尽くせてしまうのだ。

 

 個人的感情を殺す──のではなく、それはさておき任務を遂行できる。

 そういう心。

 軍人としてはとてつもなく優秀だろうが、人間としてどうなのかと言われたら。

 

「……吉ですかね、それとも、邪でしょうか」

 

 判断しかねる。だが、とポーラはそれでも笑った。

 

「ああ、でもそれも良いです」

 

 人間らしくても、らしくなくても、それもアリ。どちらにしてもポーラにとっては好ましい存在なのだから。

 

 

 *

 

 

 翌日、満潮の様子が少し良くなったことに卯月は気づいた。

 ポーラの言う通り、あの時熊野に何も言えなかったことを気に病んでいたのだ。

 けど彼女の助言で、少し救われたのだろう。

 昨日までと比べて顔色が良い、食事量も多く、元気そうな様子だった。

 

 それはさておき、卯月は早速行動を開始することにした。

 具体的に何かと言うと、熊野に引っ付き続けることにしたのである。

 首を突っ込ませさせて貰う。

 つまり、あらゆる訓練に、勝手に参加するという意味だ。

 

 基地内に耳を澄ませて、熊野の位置を特定。

 居場所は工廠。恐らく艤装を受け取って、訓練海域に行くつもりだ。

 一人では行かせない。

 卯月と満潮もダッシュでそこへと向かう。

 

「おはようだっぴょん熊野!」

「……卯月さん?」

「一緒に訓練させて貰うぴょん。異議は認めないぴょん!」

 

 その言葉で、熊野も卯月がしようとしていることを理解した。だがとても認められない。誰も巻き込みたくないのだから。

 

「すみません北上さん訓練海域に使用許可はキャンセ」

「お金で使用順奪い取っておいて都合が悪くなったとかあり得ないでしょ? 幾らアタシでも二度も賄賂は通じないよ。まさか体調不良なんて言わないよね、朝ごはんちゃんと食べてたことも把握してるからね。で、何かい言う事はある? ないよねはいお終い分かった?」

「ル……」

 

 ぶっちゃけた話、この熊野の暴走に、北上も思う所はあった。

 親友関係のことを、自分だけでどうにかしたい。

 その思いは理解できる。

 しかし、相手はD-ABYSS(ディー・アビス)の最上だ。絶対単独では倒せない。それに秋月の件もある。一人の問題ではなくなってる。

 

「返事は?」

「……はい」

「卯月と満潮も使って良いからね~、艤装は整備済みだよ。あ、でもD-ABYSS(ディー・アビス)作動は控えといてね」

「分かりましただっぴょん!」

 

 ぶっちゃけ、もう一人で抱え込む所とか、最上と一緒に死のうとしている所を、変えようとは思っていない。

 だが倒せないまま死なれるのが一番困る。

 だから、一緒に訓練をすることにした。

 そうすれば自ずと連携もできる、熊野のやっていることを真似れば、きっと最上への対策にもなる。

 

 この考えには(一応だが)満潮も概ね同意。

 熊野の考えをどうにかしないといけないが、考えている間に作戦決行となったら意味がない。

 それはそれとして考えながら、訓練をしていくことになる。

 

 熊野はかなり嫌だったのだが、北上の圧もあり断れなかった。

 二人が勝手にいるだけ、訓練は別々―—とはならない。

 何故なら訓練海域は見た目程広くない、魚雷や主砲の射程距離は広く、隣同士でやってても射程に入ってしまう。

 それが誤爆しないよう気遣うとなると、実質同じように訓練しているのと、同じような感じになってしまうのだ。

 

 最もそれが卯月の狙いなのだが。

 

「……ねぇ卯月こんなんで良いの」

「何もないよりマシだぴょん」

「そうじゃなくて、対最上用のノウハウ、盗み見れてるのかって話」

「ふははは、まるで分かんない」

「阿呆ォ!?」

 

 だがそれをするには、卯月の経験値が悲しいぐらい不足していた。

 多くの実戦を経験したが、それでもギリギリ新兵卒業か否かと言ったレベル。

 結局、経験が多くある満潮が、隣で熊野の挙動を観察し、対最上の動きを身に着けていく羽目になったのであった。

 

 *

 

 

 その後も卯月たちは勝手に熊野について回り、盗み見兼自主訓練に励んでいた。そしてその様子を、上から不知火たちが眺めていた。

 

「……気になるのか?」

「ええ、結構」

「そうか」

 

 と言いながらも仕事の手は休めない。

 既に作戦は次のステージへ移行している。

 標的は言うまでもない。

 最上だ。

 

 今回も同じように、敵を知る為の重要な手がかりであることから、抹殺ではなく捕縛を目的として作戦は練られている。

 北上からも、後一つで良いからD-ABYSS(ディー・アビス)のサンプルが欲しいと要望も受けている。

 

 しかし最上の戦闘能力があれだけとは思えないのも事実。

 ドローンのような挙動をする瑞雲、甲標的も複数運用できるかもしれない、人肉を容易く抉る全身の力、全てが前代未聞だ。

 

 幸いにして、熊野から『鈴谷』に関する情報は得ていた。

 彼女自身の考えは兎も角として、戦いの為に絶対必要な情報だ。

 それはしっかりと話して貰っていたから、問題はない。

 

 だがそれはそれとして、熊野の状態は問題視されている。

 

「どうすれば良いのでしょうか。熊野さんは……」

「どうもこうもない。奴は前科戦線に必要な人材だ。自殺も決して許さない。既に対策はできている。奴の首輪は交換済みだ」

「高圧電流が流れる物に、ですか」

 

 万一自殺や相打ちを狙おうとしたら、旗艦or正規艦娘がスイッチオン、高圧電流を持って意識を奪う。

 

「一応なんですが、その、メンタルケアなどは」

「必要ない。ここは療養施設ではない、前科持ちに対する懲罰部隊だ。自死は決して認めない。命令違反や任務に支障をきたすなら、厳格に対処する。最上との交戦前に解体を言い渡すことも辞さん」

「そうですね、分かりました」

 

 卯月に対しても、特にケアをした覚えはない。

 その方が利用価値が高かったこと、代替の効かない存在だったら、壊れないよう注意しただけ。

 裏帳簿に多額の出資をしてくれている恩こそあれど、熊野自身にそれ以上の価値はない。

 もし死んでも、死んだ事実を隠匿して、資金を回収し続けるだけだ。

 どれも表に出せないアングラな企業だ、憲兵隊の協力もあれば潰すのは簡単。

 

 勿論権力の氾用だ。

 だから何だと言うのか。

 前科戦線の維持、及び、深海棲艦殲滅の為の手段を選ばないのが、此処のやり方なのである。

 

「もし露見しても問題はない。私の首が消えるだけだ。いや……せめて内通者を特定できるまでは、生き延びなければならないが」

「滅多なことを言わないでください中佐。それが仕事とは承知していますが、不知火は悲しくなります」

「落ち着け、実際起きるとは言ってない、もしもの話だ」

 

 中佐は責任者、不祥事が起きれば首が飛ぶ。

 しかもやっている事が事、物理的にも首が飛んでしまう。

 そんな結末は見たくないと、不知火は辛そうな表情を浮かべる。それを見て内心慌てた中佐は彼女を慰めていた。

 

 その時、外部からの内線が鳴る。中佐は不知火から離れて受話器を取った。

 

「……波多野曹長か?」

 

 憲兵隊の波多野曹長、あきる丸の上司からの直電である。

 会話は聞こえないが察せられる。

 憲兵隊に頼んでいた、D-ABYSS(ディー・アビス)に関係あると思われる人物──千夜千恵子についての調査報告だろう。

 

 仕事をしながら会話が終わるのを待つ、だがそれは、中佐の声に遮られる。

 

「―—なに?」

 

 深刻極まった表情を浮かべながら、中佐は受話器を置いた。そして不知火の方を視て、信じられない、といった様子で口を開いた。

 

「千夜千恵子だが」

「はい」

「恐らくだが、()()()()()()とのことだった」

「……え?」

 

 ならば誰が。その疑問への答えは、まだ先となる。だが憲兵隊の動きにより、手掛かりはそこまで近づいていた。



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第145話 模倣

モンハンのやり過ぎで前回投稿し損ねましたすみません


 D-ABYSS(ディー・アビス)に関わっているとされる千夜千恵子──彼女が死亡しているのではないか、という情報は、関係が深い卯月にも伝えられた。

 

「え゛? 死んでる?」

 

 思わず箸を落としてしまい硬直。

 当然の反応だ。

 今まで彼女が生きていて、どこかに身を潜めている前提で卯月は考えていた。

 その前提が崩れてしまったのだ。

 

「……どうして、そうなったのよ?」

「憲兵隊の方々が、それらしき証拠を見つけてくれたからです」

 

 数年前、千夜博士が姿を眩ませてから、憲兵隊は追跡できるだけの記録を徹底的に追った。

 その結果、ある場所で痕跡が途切れていることが判明した。

 

「切り立った崖が、荒れる海に面する場所。そこの近くで彼女のものと思われる車両が発見されました。尤も経年劣化で草や埃塗れでしたが」

「それで」

「近くに、彼女の髪の毛がありました。それ以外の痕跡は皆無。時間が経ちすぎていて、足跡の痕跡も殆ど辿れなかったそうです。どうにか解析できたものが正しければ、足跡は()()()()()()いました」

 

 沈黙が流れる。

 その崖の先は断崖絶壁に荒れ狂う海、落ちたら絶対に助からないと不知火は言う。

 

「落ちた。じゃあ……自殺なの」

「えー、そんなオチは勘弁ぴょん。うーちゃんをこんな目に合わせておいて自殺とか、絶対絶対ぜーったいに許さないぞ」

 

 一瞬瞳が赤く染まった──気がする。

 眼の前で見ていた満潮は自身の目を疑った。

 勿論それは気の所為、二度見した時には、元の瞳になっていた。

 

「いえ、自殺ではありません。他殺かと」

「え゛っ?」

「足跡は()()()ありました。尤も偽装されている上時間経過もあり、誰の足跡かは特定できなかったようです」

 

 改めて沈黙が流れる。

 千夜博士は、何者かに殺されたということなのか。

 状況証拠は『そうだ』と説明している。

 だが誰が、何の為に。

 これ以上のことは不明、憲兵隊も合法・非合法な方法を駆使して、絶賛調査中とのことだった。

 

「なんか、振り出しに戻された気分だぴょん」

「我慢してください。今卯月さんがすべきことは、最上さんを捕縛することです。D-ABYSS(ディー・アビス)の訓練はあれ以降できているんですか」

「たった数秒しか起動できないんじゃしようがないぴょん」

 

 ついでに起動すれば、エネルギーを奪われた顔無しが卒倒するおまけ付き。

 いくら深海棲艦は全員死ねと思っていても、一々気絶して苦しめとは思えない。ましてや顔無しは被害者だ。

 結局、システム関係でやれることはかなり限られる。

 以前と同じよう、必死で体力をつけ、感情を制御し、起動時間を少しでも延長することだ。

 

「それはもういい。それより聞きたいんだけど、熊野のアレ大丈夫なの?」

「と言いますと」

「対最上の訓練よ。あいつがだんまりなせいで、ちゃんと対策できてる気がしないんだけど。わたし達は熊野の真似をして、多少身についているけど……」

 

 それでもこれが正解か判断できない。

 これで正しいのだろうか? 

 満潮はそんな不安を抱きながら訓練をしていた。

 確かに尤もな意見。不知火は困った様子で唸り出す。

 

「とりあえず満潮さんたち以外は問題ないです。それぞれにとって頂きたい対策は伝達してあるので」

「……うーちゃん達何も聞いてないけど」

「熊野さんにずっとついてたので、必要ないと思ってました」

「オイオイオイ不知火ーッ!」

 

 卯月の叫びをスルーして不知火は淡々と続ける。

 

「現状最も厄介なのは二つ。対空と雷撃です」

「瑞雲と、甲標的かしら」

「見えない艦載機も忘れてはダメです。仮定段階ですが、恐らくステルス機を運用できる『三人目』も現れるでしょう」

 

 そう、最上だけに集中すれば良いという話ではない。

 攻撃直前まで、誰も近くできないステルス機。

 最上が使っている可能性はあり得る。

 しかし、それにしては、瑞雲とステルス機で動きのクセの違いが大きかった。

 

 別人ではないか。

 そう感じたのは満潮だけではない。

 あの場にいた(卯月以外)の全員が、三人目の存在を感じ取っていた。

 まだ敵が潜んでいる可能性は非常に高い。

 次の戦いで出てくる可能性も。

 

「引き続き対空戦が想定されます。最上と空母系の何者か。飛鷹さんには制空権を確保する為に尽力して貰います。甲標的対策は那珂さんに。彼女は対潜戦闘が得意です。甲標的も近い特徴はありますから」

「……ちなみに格闘戦とかは?」

「卯月さん貴女でしょう。システムで強化された動きに追従できる人は少ないです」

 

 卯月は安堵した。

 具体的に言うと自分の役割がちゃんと用意されていることに安堵した。

 

「わたしは」

「卯月さんの援護を中心としつつ、対空、対潜、臨機応変に動いて貰います。ちなみに熊野さんも同様です」

「あっそう……ま、良いけど」

「ただ、接近戦を挑むのが、卯月さん単独は望ましくありません。秋月さんとは比較にならない。非常に危険と言えます」

 

 この点も不知火の言う通り。

 何せ指が引っ掛かっただけで、人肉が豆腐のように抉られていくパワーだ。

 秋月とは雲泥の差。

 身を持って思い知っている卯月はブルリと震える。

 

「なのでそこについては、球磨さんが援護につきます。二人掛かりならだいぶマシでしょう」

「……球磨って格闘できたっけ?」

「卯月さんより遥かにできますよ?」

 

 そうなのか、と卯月は思った。

 不知火が言ってるなら事実だろう。こんなことで嘘吐く理由はないし。

 しかし──それでも不安は拭い切れない。

 

「でもなぁー」

「まだ何か不安がおありで?」

「いや、格闘戦って言っても、熊野そこんところは全然やってくれてないんだぴょん」

「……成程」

 

 熊野は色々な訓練をしている。

 それは良く観察すれば、どれも対最上を想定したものだと察することができる。

 だが、何故か接近戦の訓練だけやらない。

 やれないのか、やらないのかは不明だ。

 航巡でも軽空母でも、接近戦はあまり縁がないからしないのか──何れにしても、見るしかできない二人からしたら、ちょっと不便さを感じてしまう。

 

「なら、演習でも挑めば良いのでは」

「……逃げ出すんだけど。高確率で」

「なら不知火から厳命しておきましょう。ただでさえ事情説明をしてないんです。それぐらいして貰わなければ」

「やったぜ」

 

 ガッツポーズをする卯月。これでより最上をボコボコにできると喜ぶ。一方満潮は『こんなやり方で良いのだろうか?』と、頬杖を突きながら悩むのであった。

 

 

 *

 

 

 不知火の提案で、熊野と模擬演習をすることになった卯月たち。

 予想通り、と言うかやはり熊野は逃げそうになったが、不知火及び高宮中佐からの勅命により逃走不能に。

 そして大変不機嫌な状態で、演習に参加してくれたのである。

 

「いやぁ感謝感激だっぴょん、熊野はとっても優しいぴょーん!」

「……どうも」

「どこが優しいのよどこが」

 

 演習の目的は、格闘戦だ。

 最上との接近戦を有利に進めるため。

 但し──接近戦に持ち込むまでの流れも、演習に含まれている。

 だから砲撃も魚雷も使用可能。

 当然、使用しているのはゴム製の模擬弾である。

 

 だが卯月にはゴム弾さえ致命傷。内部で爆音が反響し、聴覚過敏を抱えた鼓膜が内側から破裂する羽目になる。決して油断はできない。

 

「はぁ、時間のムダなので、早く始めさせて頂きますわ」

「バッチコーイ! だぴょん!」

「では遠慮なく」

 

 そして、前触れなく砲撃が放たれた。

 発射体勢を取っていない。

 腰溜めのような姿勢での高速砲撃。所謂早打ちだ。

 

 不意打ち気味の攻撃に、二人は体勢を崩される。

 そこへ絶え間なく、瑞雲が突撃してくる。

 何時発艦させたのか? 

 最初からである。

 二人がこの演習場に来るより前から、既に攻撃は始まっていたのだ。

 

「こ、これが鈴谷のやり方なのかっぴょん!」

 

 卯月は、最上と鈴谷に、何かしらの関係があると思っている。

 最上はまるで鈴谷のように振る舞うし、身体的特徴にも鈴谷らしきものがある。

 熊野も熊野で、最上に対し、異様な反応を見せている。

 これで関係性を疑わない方が無理難題だ。

 だからこそ、熊野は鈴谷の動きを知っている──したがって最上対策もできるのでは。そう思っていたのだ。

 

「一度痛い目に合いなさい」

 

 だが、卯月の一言は熊野の何かを踏み抜いた。

 

「ぴょ、ぴょーんっ!?」

 

 突如、卯月に殺到していた瑞雲の数が激増したのだ。

 何かと言うと、満潮へ回していた機体を、全て卯月の方へ差し向けたのである。

 瑞雲、しかも航巡の搭載数。

 そこまで多くはない、対処可能だ。

 

 しかし、それは熊野の技量が許さない。

 瑞雲は複雑な──最上のドローン瑞雲は異常だが──機動を描き、対空砲火を華麗に回避していく。

 卯月の行動を予想し、計算しつくされた動きだ。

 要するに何時もの熊野の行動。

 それに気づいた卯月は憤慨する。

 

「ちょっと何で熊野が動いてんだぴょん! 最上とか鈴谷の行動を取れよ!?」

「チッ……了解ですわ」

「不満タラタラじゃない」

 

 これでは訓練の意味がない。

 流石に熊野もそれは自粛し、彼女が知っている鈴谷の動きへシフトする。

 瑞雲の動きが変化する。

 計算し尽されたものではない、軌道が読みにくいものになる。

 パッと見ただけでは、誰の何処を狙っているのか判別がつかない。

 

 どう動けば良いのか──そう悩んだ瞬間、瑞雲が爆撃を仕掛けてきた。

 

「やべっ! 来るぴょん!」

 

 聴覚でいち早く気づいた卯月が指示を出し、迎撃体勢へと移る。

 だがそこに向けて、熊野は容赦なく砲撃も浴びせてくる。

 だが、その狙いは正確ではなく極めて不規則。

 なのに、動きを止めた瞬間、意識を逸らした瞬間に、攻撃が飛んでくる。計算はしてなさそうなのに、動きが読まれているような感覚。

 

「これは、やっぱりか……鈴谷はそーゆータイプなのかっぴょん!」

「みたいね、糞が、物真似でこれなら、本物はどうなんのよ!」

「知るか!」

 

 今まで熊野の動きを見ていた経験と、今の戦い。

 それらを通じて二人は、鈴谷がどういった艦娘だったのか、朧げながら理解する。

 彼女の戦法は、相手を観察し分析する熊野とは真逆。

 

「直感、で、良いのかしらね!」

 

 細かい計算は存在しない。野生の動物のような、瞬間的な判断に基づく戦い方だ。

 

「当たり、ですわ」

 

 熊野がそれを肯定した、その時にはもう、二人の足元に魚雷が放たれていた。

 ジャンプで回避すれば瑞雲と砲撃の挟み撃ち。

 逃げ回ろうにも砲撃と瑞雲が広範囲を塞ぐ。

 僅かな逃走ルートがあるが、そこに逃げれば間違いなく撃ってくるだろう。そう予想できる──だから、二人は、そこへ逃げ込んだ。

 

 こんな所に逃げ込んだのだ、どこへ撃つかは限られる。

 場所が分かっていれば迎撃も対処も可能。

 そう見込んで動いたのだ。

 

 ただ、これが通じるのは『熊野』の話。

 

 『鈴谷』ならばどうするかと言うと。

 

「それはハズレですわ」

 

 あろうことか、瑞雲と雷撃の中に、熊野自身も飛び込んできたのだ。

 

「いっ!?」

 

 熊野は深く考えていない。

 それは鈴谷の戦い方ではないからだ。

 良くも悪くも直情的、考えるより前に身体が動く。

 今回もそう。

 砲撃しても、対処されそうだったから、突っ込んだ方が良いと判断したのだ。

 

 当然、自分がばらまいた魚雷と瑞雲を回避するのは前提。

 その上で距離を詰めて、至近距離から砲撃を浴びせかける。その方が勝てると思ったから、そうしたのだ。

 

「な、めるなーっ!」

 

 だが卯月も負けてはいない。

 針の穴を縫うような、ほんの僅かな隙間を潜り抜け、熊野の懐へと迫っていく。

 一発、否、機銃一発が掠るだけでも、致命傷を受けるのが今の卯月。

 逆にそれにより、彼女の神経は、更に研ぎ澄まされていたのだ。

 常に背水の陣を敷いてるも同然の状況だ。

 

 満潮も、その後を追う形でどうにか追従している。

 卯月程回避し切れていないが、そこは砲撃で逸らしたりと、カバーできていた。

 そして、先に卯月が熊野の懐へ飛び込む。

 

 ここからは格闘戦だ。卯月にとってはこれが最も重要。砲撃にせよ絡め手にせよ、ここから始めて攻撃が成立する。

 

 主砲を打撃武器にして殴りかかってくる、それを受け流す──のさえ禁物、完全に回避してから、ナイフを急所目がけて突き立てる。

 更に後方から満潮が援護をし、砲撃や魚雷で、行動の選択肢そのものを狭めていく。

 

 そして数秒経った時、ナイフは熊野の首元に突き立てられていた。

 

 卯月は少し苛立った様子で口を開く。

 

「……ねぇ熊野」

「何ですの」

「もしかしなくても、熊野ってか鈴谷って、格闘戦ができなかったの?」

 

 最上は接近戦も強かった──と聞いている。

 それにしては熊野との接近戦が一瞬で終わってしまった。

 本物であればこんな簡単には終わらない筈だ。

 卯月は何故こうなったのか疑問を抱き、その答えに行きついたのである。

 

「……さぁ、どうでしょう?」

「あの、誤魔化す理由は何かあるのかぴょん?」

「最初から始めますわよ。時間が惜しいので」

「あ、ちょ!?」

 

 と言い放ち、スタート地点へ戻っていく熊野。

 

「……何なのアレ?」

 

 行動の意味が分からない。と言いたげな様子で、卯月は首を傾げるのであった。



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第146話 遺伝子

エスピナスまでは撃破。早いところネタバレの恐怖から解放されたいでござる……


 ここ最近の卯月の機嫌はかなり悪くなっていた。

 余りのイライラに食事はモリモリ進み、一日八時間は熟睡。疲れ知らずで元気一杯になってしまう程苛立っていた。

 

「それのどこが苛立ってるって言うのよ!」

「イライラしてるって言ったらそうなんだぴょん!」

「二人とも静かに」

 

 不知火がチョークを投げる。

 あまりの速度にチョークが発火。その直撃を受け卯月は額に火傷を負う。

 熱さと痛みに涙を流す。

 最も、阿保なナレーションをしていたのが原因なのだが。

 

「誰の為にわざわざ座学なんてしていると思っているんですか。真面目に受けないと叩きのめしますよ」

「サーセンだっぴょん」

「いっぺん死にましょうか」

「誠に申し訳ございません」

 

 速やかに謝罪する。不知火は本気で殺す気だった。

 今卯月たちは、不知火による座学の講座を受けている。

 内容としては、艦娘としての一般常識や、戦術。戦略についてである。

 満潮は兎も角、卯月は経緯が経緯なので、まともな講座を受けずに前科戦線送りになってしまった。

 結果、致命的な知識不足に陥っており、そのフォローが必要だったのである。

 

「……実際、イライラしてんのは、確かだけど」

 

 小声で卯月は呟く。

 聞こえていたが満潮は知っててそれを無視した。

 卯月の苛立ちの原因は分かり易い。

 

 それは熊野だ。

 

 彼女の態度のせいで、イライラが中々収まらくなっている。

 

 以前熊野と行った合同訓練で、熊野は何故か、接近戦を真似することができないことを、最初から伝えてこなかった。

 訓練全体に大きな影響はなかったが──卯月は格闘戦の訓練を一番したかったのに、できなかったことになる。

 

 どうして最初から、できないと言ってくれなかったのだ。

 

 あくまで満潮の推測だが、卯月はその理由を聞いていた。その会話を思い出す。

 

『最上は、格闘戦できたじゃない』

『うん、肩抉られたぴょん。でも鈴谷はできないって』

『できたんじゃないかしら』

『は?』

『でもそうなると、最上と鈴谷は、ますます何か関係があるって思うじゃない。それを嫌がったんじゃないかしら』

『……ごめん満潮、理解不能だぴょん』

『戦艦水鬼と、他の侵略者の戦艦棲姫を一緒くたにされたら嫌でしょ。そんな感じ。あの最上を見て、鈴谷ってヤツはあんな感じって印象を、持たれたくなかったとか』

『そりゃ嫌だけど、それを訓練には持ち込まねーぴょん!』

『だから推測って言ったでしょ!』

 

 と、あくまで推測だが、熊野は卯月からすれば全く理解できない理屈で動いていた。

 結局その辺の釈明もないまま、訓練は終わってしまい今に至る。

 卯月は不機嫌なのは、そういった理由があったのだ。

 

「……ああ、全くどうでも良いぴょん」

 

 鈴谷がどれだけ大事だったのかは知らないし、彼女と最上の関係性も知らない。

 だがそんなことより任務の方が優先だ。

 何故それができず、意味不明な情緒に囚われるのか、卯月には微塵も理解できなかった。

 

「卯月さん、何か言いましたか?」

「いや何も。授業の続きを希望するぴょん!」

「……そうですか、では」

 

 こんなことで不機嫌になっているのも馬鹿馬鹿しい。まだ授業に集中していた方がマシだと、卯月は机に向き直る。

 

 一方、その不機嫌さを間近で感じていた満潮は、かなり複雑な思いを抱いていた。

 普段冷静な熊野が、あそこまで不安定になっている。

 この時点でただ事ではない。

 一体最上とは何なのか、鈴谷、熊野、最上の間に何があったのか、気になって仕方がなかった。

 

 しかし、こんな態度、授業をしている側からしたら一目瞭然。遂に持っていたチョークがベキっと折れた。

 

「二人ともそんなに気になることがあるんですか?」

 

 振り返った不知火は無表情だ。

 能面のようだ。

 鬼の仮面が張り付いているようだ。

 要するにキレていた。

 秘書艦の貴重な時間を使っているのに、注意力散漫な二人に怒り狂っていた。

 

「熊野のことに決まってるぴょん。どうなってんだアレ。戦線に出した時大丈夫なの」

 

 それに真正面からぶつかる、イライラしている卯月。

 若干だが『殺意』まで漏れ出している。

 不知火の気迫に、卯月の殺意がぶつかり合う。挟まれた満潮は困惑したまま固まった。

 

「大丈夫です。もし何かしたら、厳粛に対応するだけです」

「訓練に必要な情報を、個人的理由で言わなかったぴょん。もう何か起こってるぴょん!」

「その程度では事とは言いません」

 

 卯月の愚痴は無慈悲に切り捨てられた。

 

「……つっても実際どうするのよアレ。流石に迷惑よ。あんなんで戦場に立って役に立つの。問題しか起こさないわよ」

「そーだそーだ! ついでに隣の満潮も首に」

「あ゛?」

 

 茶番は兎も角満潮の言う通りである。

 今の熊野は精神的に不安定過ぎる。

 最上──つまり鈴谷だ──の動きを熟知している為、艦隊メンバーに編入される予定だったが、これでは返って足を引っ張りかねない。

 

 この戦いに負けは許されない上、これ以上戦闘回数を増やして、こちらの兵力を知られるのも不味い。

 可能なら、最上との戦いは『一戦』で終わらせたいのだ。

 なのにこのザマ。不安しか残らない。

 

「繰り返し申し上げますが」

 

 しかし不知火は、いつもと変わらない淡々とした様子で言葉を返す。

 

「熊野が不安定なのは承知しています。ですが問題は一切ありません」

「……マジで言ってるのかぴょん」

「はい。問題が酷過ぎた場合は、艦隊メンバーから外すだけですから」

「えっ」

 

 その発言は卯月にとって想定外のものだった。

 

「足を引っ張る存在は外すのが普通です」

「あの、いや、そうだけど……でも最上の動きを一番知ってるんだよ? それなのに、外しちゃって大丈夫なの?」

「全く問題はありません」

 

 卯月が望んでいる──そして一番良いやり方は、熊野のメンタルを回復させることだ。

 そうすれば足も引っ張らない、対最上として一番優れている戦力を活用できる。

 これが、一番勝率の上がる方法だ。

 なのに、不知火はそういった事を一切やらず、ただ艦隊から外すと告げたのだ。

 全く理解できず、困惑してしまう。

 

「勿論、言う必要性もありませんから、熊野さんの過去について、お話することもありません。いい加減座学に戻らせて頂きますよ」

 

 無理やり机に座らされる二人。

 これでは不満しかない。

 強制的にメンバーから外すとか悪手も良い所だ。

 しかし、苦情を言う権限がある筈もなく、結局余計にイライラを抱え込む羽目になるのであった。

 

 

 *

 

 

 座学から解放された後、卯月たちはいつも通り、熊野をストーカーしながら訓練をする予定だった。

 結局あれ以降、熊野との演習もやっていない。

 一回やったら十分でしょと、相変わらず滅茶苦茶な理屈で突っぱねられている。

 それならそれでしょうがない。

 やれることをやろう、そういう気持ちでいた。

 

「待ってください、午後の訓練について、一つやって頂きたいことがあるんです」

「なんだぴょん」

「昼食後、工廠へお願いします」

 

 詳細はそこで説明するとのこと。

 首を傾げながらも、従わない理由もない。

 言われた通り、食事の後、その足で工廠へと向かう。

 

「いったい何の用だぴょん」

「知らないわよ……でも、わざわざ工廠を指定したってことは」

「やっぱりD-ABYSS(ディー・アビス)関係かなぁ……」

 

 あれのシステム解析で、進捗があったとか、そんな内容だろうか。それならそれで(多分)喜ばしいことだ。

 満潮のその予想は、半分ぐらいは正解だった。

 システムにより、ある問題が解消されるかもしれないからだ。

 

「おう、待ってたよー二人とも」

「北上さんも。やっぱりシステムで何か用事なのかぴょん。訓練したいから早くして欲しいぴょん」

「卯月が訓練したいだなんて、嘘は嫌いじゃなかったの」

「最上相手に勝つには、しなきゃいけないんだぴょん! やらなくて良いならしたく無いっぴょん!」

「話進めて良いですか?」

 

 と言われて、全員で工廠の奥へと向かう。ここで卯月が、システムが目的でないと気づく。

 

「……顔無しが、どうかしたのかぴょん」

 

 工廠の奥の隔離された部屋には、拘束された顔無しが鎮座していた。

 以前会った時と変わらない。

 表情も、人間らしさも伺えず、死体のように沈黙し続ける犠牲者。

 

 これを見ると、どうしても虫唾が走る。

 システムの補助動力とするために、体内に生きたまま艦娘を埋め込んだ生体兵器。

 人を人とも思わない扱いに、卯月は露骨に嫌そうな顔をする。

 

「顔無しの体内には生きた艦娘があり、深海棲艦の細胞と反発し合うことで、常に激痛に晒されている。というのは以前説明しましたね」

「ああ、最悪な気分だぴょん」

「今は……麻酔とかで、感覚を鈍化させてたわね」

 

 細胞単位で麻痺させれば、拒絶反応も多少はマシになる。

 しかし所詮場当たり的な対処方法、根本的な解決にはならない。

 改善策が見つかるにしても、かなり時間がかかるだろう。

 卯月はそう思っていた。

 だが、今日此処に呼ばれたのは、それに進展があったからだ。

 

「この拒絶反応を大きく緩和させられるかもしれなくてねー、その手伝いをして貰いたい」

「……え、うーちゃんに?」

「そうだよー」

「いや、こう言っちゃアレだけど、うーちゃんに何ができるんだぴょん」

 

 医療知識なんて持っていない、最低限度の応急処置しかできない、ましてや専門的な医学知識なぞある筈もない。

 なのに呼ばれた、これはどういうことなのか。

 首を傾げる卯月の前に、北上はクレーンである物を持ってくる。

 それは、卯月自身の艤装だった。

 

「ここで、D-ABYSS(ディー・アビス)を解放して貰いたいの」

 

 ますます意味が分からない。何故拒絶反応改善の為に、システムを作動させる必要があるのか。しかしふざけている筈もない。

 

「取り敢えず、理由を聞きたいぴょん」

「勿論、結構な負担を強いるだろうからね。ちゃんと説明させて貰う。取り敢えずって話だけど……卯月について、問題? なのかなコレ、色々分かったことがあったの」

「うーちゃん自身の?」

「秋月と比較してって話。あいつ、ずーっとD-ABYSS(ディー・アビス)を作動させてた訳じゃない?」

 

 如何せん秋月自身の記憶が曖昧だから断定できないが、卯月のように一戦ごとではなく、相当長期間作動しっぱなしだったと思われる。

 秋月から外して解析したシステムの稼働履歴も、かなり長期間に渡っていたから間違いない。

 

「ってことは、ずっと深海のエネルギーに晒されてたってこと。これ顔無しの状態に似ていると思わない?」

「相反する存在が、ぶつかり合ってるってことでしょ」

「そう、それを証明するように、秋月の身体もボロボロだった。限界を超えた稼働や前の戦いでのダメージもあるけど、あの子がああなった原因の大半は、取り込み続けた深海のエネルギー、それへの反発だった」

 

 ある意味でそれは、大量の放射線を浴びたも同然の状態。

 長い間深海のエネルギーと強制的に同化させられ、秋月の細胞はほぼ崩壊一歩手前。細胞膜どころか細胞核内の遺伝子情報まで傷だらけ。

 入渠して回復させても、対処なしでは、大量のがん細胞に殺される。

 一人の艦娘をここまで追い詰めるのが、D-ABYSS(ディー・アビス)という強化システムの正体だった。

 

「顔無しは取りこまれた艦娘の肉片が、秋月は細胞そのものが、外部からのエネルギーとぶつかり合い、苦痛やダメージを残していた……ってのが、秋月の搭載してたシステムの話。ま、相変わらず何の為にそんなことするのかは、分からないけど」

 

 どちらにしても不快感しかない。卯月と満潮は嫌そうな顔をする。

 

「で、それとこれがどういう関係なのよ」

「うん、秋月がこうだからさ……卯月も、細胞とか遺伝子コードが傷ついてるんじゃないかって思って、検査させて貰ったの」

「待ってそんなの受けた覚えないんだけど」

「細胞サンプルを取るのに許可は不要です」

「えぇ……」

 

 ここは前科戦線、人権は基本二の次。プライバシーとかはタブーである『過去』を除いて存在しない。

 

 実際問題、遺伝子に傷──がん細胞化していたらかなり危険だ。入渠の度にがん細胞は増殖していく。一刻も早く対処しなければいけない。

 

「ということで検査しました」

「はい」

「何も異常はありませんでした以上」

「……それだけ?」

「それが問題なんだよ。あれだけ何度も深海のエネルギーを取りこんでんのに、卯月の細胞にはダメージの一欠けらもなかった。秋月はあれだけ細胞に傷を負ったのに、卯月は傷一つなかった」

 

 卯月にはそれが何を意味するかは分からない。だが、非常識的なことが発覚したのは肌で感じ取っていた。

 

「あ、あり得るのかぴょん。そんなこと」

「……ないと思うよ。艦娘と深海棲艦は対存在だ、絶対に反発し合う関係だ。ましてや疑似的な融合をしておいて、無傷なんてあり得ない」

「そのあり得ないのがそこにいるんだけど」

「うん、そうなのよ」

 

 何も分からない。

 言っていることがぶっちゃけ理解できていない。

 だが、何かただならぬことがこの身に起きている事だけは、全身で感じ取っていた。



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第147話 受難

ラスボスは狩ったけどその後の赤プーさんに半殺しにされました。なんだあの熊は!


 顔無しについて大切なことがある──と呼び出された卯月に知らされたのは、彼女自身が異常ということだった。

 

 D-ABYSS(ディー・アビス)は深海のエネルギーを取り込む。

 相反する力と同化するせいで、艦娘の肉体にダメージを与えてしまうのだ。

 細かい所は違うが、顔無しも秋月も同じ理論の元、全身がボロボロになっていた。

 

 だが卯月は違っていた。

 

 肉体、細胞、遺伝子単位で見ても、何ら異常が見られなかったのだ。

 

「ずっと発動してる訳じゃない。戦闘時に作動しているだけ。だから影響が少ないってことだと思うんだけど」

「考慮してるよー、実際細胞サンプルは、こないだ帰投した時のヤツを使ってるしねー」

 

 つまりD-ABYSS(ディー・アビス)作動直後、影響が残っている細胞である。

 

「ま、それでさえ無傷だったのよ」

 

 一番影響が残ってる筈のサンプルでさえ、この結果であった。

 

「放射線浴びたみたいなダメージが残るレベルのことやっといて、ゲノム情報まで無傷。いやー、さすがにおかしいでしょー」

「ぐごごごご、バカな、あり得ないぴょん。だってうーちゃんシステムの反動で、全身ボロボロになってたぴょん」

「ありゃあくまで身体能力を超えた挙動による反動。深海のエネルギーによる影響じゃないの」

 

 肉体的負荷と、相反する力による負荷は別問題なのである。

 反論をどちらも論破されてしまい、卯月はフリーズする。

 脳内で理解が及んでいない。

 北上の言っていることが、どういう意味なのか分からない。

 混乱が心を埋め尽くす。

 

「つ、つまり、どういうことだっぴょん」

「まー要するにだねー、卯月の細胞は……()()()()()()()()()()()()()()()ってこと」

 

 全く嬉しくない言葉を聞き、卯月は思考までフリーズしかけた。

 

「相性が良いって言うべきなのかな。反発する筈なのにそれが一切合切発生しない。細胞サンプルに顔無しから取った細胞くっつけてみても、なーんにも起きなかったし」

「どう反応すれば良いんだぴょんっ!」

「ちなみにどーしてそういう体質なのかは不明。生まれつきの特性なのかなー……」

 

 どういうことなのかさっぱり不明。

 何故親和性が高いのか、どうして高くなったのか──疑問と不安はエ年と湧き続けるので、キリがない。

 なので卯月は思考を止めた。

 

「よし諦めたっぴょん」

「ちょっと、アンタそれで良いの」

「だって分かんないし。分かったとしても今はどうしようもならないし!」

 

 不安になっても何もできない。

 ならそれは無駄な行為だ。

 そんなので立ち止まるのは、とてもカッコ悪い。

 やることをやる方が優先。なので卯月は話題を戻す。

 

「で、うーちゃんの体質がなんだってんだぴょん」

「艦娘のと、深海の。理由は分かんないけど、卯月は全く反発しない特性があった」

「うん」

「だからゲノム情報顔無しに組み込んでみて良い?」

「おおーっとなんでそうなるぴょん!」

 

 いきなり話がぶっ飛んでいったことに、反射的に卯月は叫ぶ。だが、その場の流れで、こんなことを目論む理由は分かっている。

 

 卯月は深海のエネルギーを取りこんでも──人間で言う所のアレルギー反応が発生しない。もしくは反応が小さい。

 

 ならば、そのゲノム情報を組み込めば、この特性を顔無しに付与できるのではないか。

 上手く行けば、顔無しを苛む激痛を取り除いたり、緩和できるのではないか。

 北上はその為の実験を行うために、卯月へ声をかけたのだ。

 

「……いや、別にそれは良いんだけど」

「卯月アンタそれで良いの?」

「顔無しの苦しみが多少でもマシになるなら、細胞の提供ぐらいどーってことないぴょん。でも、それで上手くいくのかどうかが疑問。そもそもゲノム情報の抽出・投与なんてできるの?」

 

 卯月はその辺詳しくないが、何となく、難しい技術だとは感じている。

 言うのは悪いが北上は本当の工作艦ではない。

 できるのかどうか不安になる。

 余計顔無しを苦しめる行為ではないか。

 それに対し、北上は自信と不安半々ぐらいで答えた。

 

「ゲノム情報絡みはできるよ。技術はもう確立されているから。最も基本的に禁止されてるけどねー」

「そうなの?」

「遺伝子単位の改造を目論む輩が絶対に出てくるからだってさ」

「ああ……」

 

 出る。絶対出てくる。

 艦娘の中で有用な遺伝子情報を組み合わせて最強の兵器を作ろうとするヤツは絶対に出てくる。制限されるのも納得である。

 尚、今回の件については、ちゃんと許可を取る予定である。

 

 内通者に漏れても困るので事後申請ではあるが。

 

「という訳で、やって良い? 上手くいくかは賭けに近くなるけど……ああそれと、その方がより深海側に近寄るから、D-ABYSS(ディー・アビス)作動中のを回収したい」

「……不知火」

「なにか」

「目的がなんであれ、顔無しを助けてくれるんでしょ?」

「結果的にはそうなります。生かすかどうかは、彼女の態度次第とはなりますが」

「なら文句はないぴょん。バンバンやって欲しいぴょん」

 

 より人体実験を進まるためか、苦痛が無い状態で観察するためか──理由はなんだって良い。

 卯月にとって重要なのは、『助かる』という結果のみ。

 結果が良ければ全て良し。

 彼女はそう考えていた。

 

 その後、D-ABYSS(ディー・アビス)を解放した状態で、細胞アンプルを回収した後、卯月のゲノム情報が顔無しに組み込まれる。

 今後は経過観察ということで、それが細胞の交換により、全身に行き渡るのを待つことになる。

 但し、入渠や高速修復剤を使用することで、作業はその日の内に完了する予定だ。

 

 卯月は数時間の間、良い結果になることを祈りながら過ごすことになるのであった。

 

「あ、後これ渡しとくね」

「なにを?」

「黒タイツ型鎖帷子ver2。厚さそのままに重量2倍マシにしてあげといたよ」

「要らない。本当に要らない。お願いします許してください」

「はいそいつ掴まえてー、じゃあ洋服脱ごうねー」

「らぁめぇぇぇぇぇ!?」

 

 ついで扱いで卯月の訓練は更に激しくなるのであった。

 

 

 *

 

 

 顔無しに対してゲノム情報の提供を行った後、卯月と満潮は激しい訓練を終え、夕食後の入渠を堪能していた。

 

「ア゛ア゛ア゛ァァ~」

「やかましい」

 

 おおよそ人とは思えない奇声を出す卯月。

 彼女は疲れ果てていた。

 球磨や那珂に訓練をつけて貰っていたが、内容がどんどん激しくなっていく。

 次戦う最上が、秋月より強いのだから当然だが、それにしても辛い。

 

「だってぇ、何でぇ、工廠寄ったら、鎖帷子が強化されるのぉ」

「それは……同情するけど」

「嘘を言うな! うーちゃんを寄って集ってひん剥いた癖に!」

「報復よ報復」

 

 重さは二倍。負荷も二倍。全身の筋細胞はこれでもかというほど痛めつけられた。

 黒タイツ鎖帷子に慣れたと思ったらこの仕打ち。

 正直言って泣きたい。

 どうしてわたしがこんな目に。

 それが彼女の心境だったが、当然と言うか、気を遣う者はいない。

 

 ともあれその地獄から解放された後の入浴ということで、卯月は全身が溶け切っていた。

 疲労が酷過ぎる。

 常に満潮に支えて貰わないと確実に溺死する。

 なので抱きしめられる形で、支えて貰いながら、二人はゆっくりと入浴を堪能する。

 

「本当になんで、急にこんな目にあったんだぴょん。やるならもっと計画的にやれっぴょん」

 

 あまりに急過ぎる。そう愚痴を言うと、どこからか声が聞こえてきた。

 

「そう何もかも上手くは進められないのよ」

「……飛鷹さんかぴょん?」

「ええ、そうよ」

 

 湯気で隠れていたが、飛鷹も同じく入浴していたのだ。

 

「珍しいわね。飛鷹さんがこの時間に入浴してるなんて。普段は夕食の片づけとかしてるじゃない」

「この後まだ予定があってね。先に入っちゃうことにしたのよ」

「そう……って卯月アンタ何睨み付けてんの」

「ホロビヨ……ホロビヨ……」

「うわキモ」

 

 卯月の視線の先は、飛鷹の胸部にあった。

 自分と比べたら信じがたいサイズ、あろうことか湯船に浮いている。

 ブイか何かかアレは。

 駆逐艦は大体子供体形──そんな法則を作った神を卯月は呪う。

 

「ちなみに予定って何。話せることなの」

「出撃の日程が決まったわ。明後日よ」

 

 爆弾発言が投下された。胸部を呪っていた卯月も含めて二人は硬直する。

 

「…………本当に急ね」

「ええ。あまり悠長な日程を組むと、内通者に気づかれる恐れがあるから。どうしても急なスケジュールになっちゃうのよ」

「それも内通者のせいかよ。ゴミが。さっさと死ねばいいのに」

 

 隠さずに悪態を吐く卯月。

 誰も文句は言わない。

 卯月はそれだけの目に合っている、内通者を殺す権利があるとさえ思っている。

 その内通者も、結局誰のか未だ不明だが。

 

 尚、突然卯月の訓練内容がハードになったのも、出撃前の最後の追い込みをかける為。戦闘能力が未知数である以上、鍛えるに越したことはないのだ。

 

「出撃メンバーは?」

「決まってるわ。流石にまだ公言しないけど」

「ふーん」

 

 とは言っても、大体は決まっているようなもの。

 まずD-ABYSS(ディー・アビス)で対抗できる卯月、相方の満潮。

 制空権争いが間違いないことから飛鷹、

 そして最後に、因縁を持っている熊野。

 これで四人まで決まっている、後は二隻が選ばれるだけだ。

 

「一応聞くけど、出撃前の休憩とかあるの?」

「殆どないわね。生憎だけど。ただ移動時間はかなり抑えてあるから安心して欲しいわ」

「お願いだぴょんまた空中降下とはもう嫌だぴょん」

 

 あれは何度やっても慣れない。

 パイロットの秋津洲は高確率で暴走するし、余計に嫌だ。あの狂人と一緒にいる時間は極力少なくしたい。

 但し、具体的な内容は出撃寸前まで機密となる。

 内通者を欺くためには必要な措置なのだ。

 

「……とうとう、最上との戦いね」

 

 緊迫した様子で満潮が呟く。

 明後日、よりにもよって最上と本気で殺し合わなければならない。

 その事実は大きなプレッシャーとなり、満潮に圧し掛かる。

 

 熊野程ではないにしても、満潮も最上と関わりがある。

 彼女が所属していた西村艦隊、そのメンバーの一人が最上なのである。

 

「最上との戦いだけど、大丈夫なの。仮に選ばれたとしても拒否権はないけど」

「拒否できないのによくそんなこと聞けたわね」

「一応よ一応」

「ハァ、そこは安心して構わないわ。熊野みたいに無様に喚きたてるつもりはないから」

 

 満潮は理解している。

 あれは自分の知っている最上ではないと。

 間違いなく別人。

 そう確信できるものがあった。

 だから、目の前にしても、躊躇したり暴走することはない。

 

「なら良いわ。でもムリしちゃだめよ。ただでさえどんなハチャメチャしてくるか分かったもんじゃないんだから」

「瑞雲が分離して最上と合体したりして」

「水上爆撃機のメリットを投げ捨てることする訳ないじゃないアンタ馬鹿?」

「秋月が砲撃で空を飛ばなきゃ、こんなことは思わないぴょん……」

「まあ……」

 

 飛鷹の言う通りであった。

 D-ABYSS(ディー・アビス)の強化は凄まじ過ぎる。

 砲撃で艦娘が空を飛べるようにしてしまうのだ、最上も何か、とんでもないハチャメチャをして来る可能性がある。

 秋月という前例を知っている以上、『ありえない』と一笑に伏すことはできなかった。

 

「―—っと、長風呂し過ぎちゃったわね。私はもう出るけど、貴女たちは?」

「もうちょっと入ってるぴょん……ってか筋肉痛で動けない」

「同じく。私も疲れてる」

「休む時はしっかり休むのよ」

 

 と言って浴場から出て行く飛鷹。

 これで今度こそ二人切り。

 卯月は大きなため息を吐く。そして力を抜き満潮にもたれかかった。

 

「合体、するのだろうか」

「いやないわよ。第一サイズが違い過ぎるわよ。やったとしても虫に集られているようなヴィジュアルよ」

「確かに」

 

 その上でやらかしかねないのが恐いところだ。

 熊野とあれこれしたお蔭で、『鈴谷』がどういった戦いをするのかは察しがついている。

 理屈どうこうではない、直感を主軸とした野性的な戦い方。

 勿論考え無し、という意味ではない。野生動物が持っている、野生のカンと言うべきそれを使ってくる。

 

 でも、それは演習で慣れたから良い。

 問題は最上本人が何をしてくるか。

 実際に戦ってみないともう分からないのだが、不安なものは不安。

 ましてや、一戦で終わらせることを厳命されている。

 威力偵察ナシでのぶっつけ本番は、中々精神に来るものがあった。

 

「……なんか不安が大きくなりそう」

「そろそろ出た方が良いわね」

 

 十分身体も温まったし、ここらで出てさっさと寝よう。そう思った矢先、卯月の聴覚が誰かの足音を捉えた。

 

「……ん?」

「どうしたの」

「誰かが、風呂場へ、走って来てる」

 

 それは少しおかしな事だ。この前科戦線には、入浴する為に全力ダッシュする者はいない。それに足音も余り聞きなれない。

 一体、誰が来ようとしているのだ。

 まさか──暗殺? 

 信じがたい可能性だが無視できず、二人は臨戦態勢へ移る。

 

 そして、足音の主は一切止まることなく風呂場の扉を──()()()()()

 

「えっ」

 

 扉を開けさえしなかった。

 だがそれは違う。

 彼女は扉という概念が分かっていないのだ。

 

 不意を突かれたせいで、対応が遅れる。

 勢いのまま乱入者がぶつかり、卯月は浴槽の中を吹っ飛ばされる。

 

「ぎぁぁああ゛!?」

 

 突然のダメージが、体内で反響し、卯月の鼓膜を破壊する。全身を駆け巡る激痛に悲鳴が止められない。

 だが、乱入者はそれ以上攻撃を仕掛けて来なかった。

 馬乗りになった状態のまま動かない。

 

 こいつは何をしようとしているのか、というかこいつは誰だ。

 

 激痛が収まり、顔を上げた卯月が見たのは、()()()()()()の顔。即ち顔無しだった。

 

「こいつ、顔無し!? なんで」

『―—ア、ア』

「しゃ喋ったわよコイツ!? どこで喋ってんの!?」

 

 眼も鼻も口もない顔なのに、顔無しはなんと声を発した。

 しかしそんなのは些細なこと。

 この後に起こる、凄まじい緊急事態に比べてばどうということはない。

 最も深刻な問題なのは、喋ったことでも、動けていることでもない。

 

『マ……』

「ま?」

 

 発した一言こそが、大問題だったのである。

 

 

 

 

『ママ!』

「…………エ゛?」

 

 卯月の受難がより深まった瞬間であった。



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第148話 旧知の彼女

サボりにサボっていたので、今回は二話連続で投稿致します。


 卯月は混乱の極地にあった。

 

『ママ……?』

「はいお母さんですよ。良い子でちゅねー」

「現実に帰ってこいこのバカ! いや気持ちは分かるけどっ!」

 

 ハイライトの消えた目で顔無しの頭を撫でる卯月。

 母性に溢れた振る舞いだが、そういう状況ではない。

 満潮が全力で頬をひっぱたたくと、卯月は正気へと帰還する。

 

「はっ、うーちゃんは一体」

『……アウ?』

「……がふっ」

「気絶したぁ!?」

 

 正気に戻ったら戻ったで、現実に耐え切れなくなり卒倒。

 同時に久々の発作まで起こり、瞬く間に気絶。

 危うく溺死しかけた彼女を、満潮は引き摺る羽目になる。

 

 そして近くの椅子に座らせている間に、卯月は眼を覚ます。

 

 すぐ傍には、心配そうな様子でこちらを見る顔無し。

 卯月は、今までのことが間違いなく現実だと理解し、顔を両手で覆いながら溜め息をついた。

 

「どーなってんだっぴょーん」

『ア、アー、アー』

「何言ってるのか分からないよぉぉぉ」

 

 全て理解不能。

 パニックになってる卯月を心配してか、顔無しは何かしらを喋る。

 まずこいつだよ。

 何でジーンセラピーの最中だった顔無しがここにいるのか──とその時丁度、満潮に連れられて不知火が走ってきた。

 

「不知火ー! どーなってんだよー!」

「すみません! 脱走されました! ここまで復活するとは想定外でした!」

「そっちはいい。何でママなんだぴょん!?」

「!?」

 

 呼ぶのを優先してたせいで、この珍事について満潮はまだ説明できていない。

 意味不明な単語が飛び出す。

 不知火まで混乱に突き落とされる。

 

 しかしこのまま大混乱してても意味がない。

 パジャマに着替え、その足で工廠へと向かう。

 途中、顔無しが暴れたりする危険性があったが、それは杞憂に終わった。

 

「そいつ滅茶苦茶懐いてるわね……」

「ええ、逃げ出さないのはありがたいですが」

「……分からない」

 

 顔無しは移動中、ずーっと卯月にくっつきっぱなしだった。

 方時も離れず、ずっと片手に抱き着いて、身体や長大な尻尾を擦りつけていた。

 まるで飼い主に甘えてくる犬のよう。

 お蔭で逃走の心配はないが、卯月のメンタルはもうパニックになっていた。

 

 工廠へ着くと、北上が焦った様子ですっ飛んで来る。拘束していた顔無しが突然逃げ出したのだから、当然の反応だった。

 

「顔無しはどう!?」

「卯月さんをママと呼んで安定しています。誰かを襲う予兆もありません」

「じゃあいっか」

「良くねぇんだよちゃんと説明しろっ!?」

「冗談だってば!」

 

 と、言う事で、この混沌へ至った経緯が説明されることになる。

 

「結論で言えば、治療は成功したよ」

「うん、知ってる」

「だろうね……卯月のゲノム情報を組み込んだ結果、顔無しに発生していた拒絶反応は大幅に緩和された。ゼロにはならないだろうけど、生活に支障をきたす激痛じゃなくなったよ」

「それは良かったぴょん。で、これは?」

 

 言うまでもなく、何故顔無しがママ呼ばわりしてくるのかだ。

 

「……理由か。幾つかの要因が重なった結果かも」

「例えばどんなのよ」

D-ABYSS(ディー・アビス)が解放されている状況下で、卯月は顔無しにトドメを刺したじゃん」

 

 熊野からパスされた後、首をグリッとやったアレである。

 

「これは、イロハ級からしたら、自分より上位個体と認識されてもおかしくない行為なの。それにシステム作動時に、エネルギーを奪っていったじゃん。これも上位個体としての振る舞いに該当する」

 

 力ずくで従える行為、意志を無視して力を奪う行為。確かにどれも姫級のやりそうな行為と言える。

 

「更に言えば、この顔無しを苦しみから救ってあげたのは卯月アンタだ。そういうのが分かるのかは不明だけど、中の『艦娘』が、このことに恩義を感じているかもしれない……後はまあ、うん、ゲノム情報を入れたのだろーね」

 

 色々な要因があり、それらが重なった結果、最終的に『ママ』判定に至ったのではないか。というのが北上の推測であった。

 

「うん、別に良いじゃん。卯月のゲノム情報を持ってるんだから、娘ってことでも大して問題はないでしょ」

「うーちゃんの精神衛生が問題なんだぴょん!」

「叫んでもママ扱いは変わらないわよ。諦めなさい卯月」

 

 そう話している間も、顔無しは顔をぐりぐりと胸元に擦りつけてくる。

 これが子供なら可愛いのだろうが、生憎相手は重巡ネ級、卯月よりも遥かに大きな相手が、膝枕とかをねだってくる光景は、色々とアレだった。

 

「何故こんな性格に……それが最大の謎だぴょん」

「そりゃまあ、単純に精神崩壊からの幼児対抗じゃないの? だって拷問されつつ、身体の自由を奪われて、艦娘殺しを強要されてりゃ、ねぇ?」

「うん成程壊れるわ」

 

 誰だっておかしくなる。わたしだってそーなる。卯月はあっさり納得した。

 

「ちなみに浴槽へ駈け込んで来た経緯は?」

「細胞投与して、安定したから、再度検査に駆けようと拘束を解いたら、一気に逃げられちゃった」

「ちゃんとしないさいよ……」

「ここまで早く効果が出るとは思わなくて。ごめんごめん」

 

 浴場に来るまでは減速一切なしの全力疾走だった模様。

 そんなことができるのだから、今までみたいな激痛は殆どなくなっている、と見て間違いない。

 それなりに広い前科戦線の中で、卯月が浴場にいるのが分かったのは、それこそ帰巣本能のようなものだろう。

 北上はそんな推測を述べた。

 

「健康状態に関しては見ての通り。細胞同士の反発が大幅緩和されたことですっかり元気。今までの問題はほぼ解決した筈だよ」

「体内の『呪い』は。深海棲艦なら呪いを抱えてるでしょ」

「前浄化してから、少しずつ累積してた……けど、それもなくなったよ。呪いの原因だった激痛がなくなったからだと思う。後は、主になってる卯月に合せているのかも」

「うーちゃんに?」

「一説によればだけど、深海棲艦の生み出す呪いは、本人や上位個体の意識で変わっていくらしい。こいつ自身に呪いを出す意志がなく、卯月にもその気がないなら、薄まって消えていくのが当然なんだろうね」

 

 理屈は兎も角、呪いが消えているならそれが一番良い。

 あんなのが残っていては、共存できるものもできない──いや顔無しと一緒に暮らしていくのを認めた訳ではないのだが。

 というか深海棲艦は生理的なレベルで嫌いだ。生活できる気がしない、というのが本心である。

 

「もっとも油断はできない、経過観察は続けていくよ」

「その方が良さそうね……で、こいつ自体は、今後どう取り扱うのよ。まさか味方って訳にもいかないでしょ」

「うーん、性格もこの調子だからねー、戦線参加は考えてない。ここで暮らして貰いながら、色々と観察させて貰おうかと」

 

 妥当なと言えよう。

 中身は赤子そのものだ、こんな状態では戦場へ出せない。

 後、深海棲艦に背中を預ける気になれない。

 卯月的にはそちらの気持ちが大きかった。

 

「あ、後もう一つ、分かったことがあるよ」

「何が?」

「中身の艦娘が誰だったのか。遺伝子コードまで継ぎ接ぎで特定大変だったけどねー」

「へー、誰なんだぴょん」

「古鷹型重巡洋艦、二番艦の『加古』だったよ」

 

 そして卯月は再び頭を抱える羽目になる。どうしてよりにもよって彼女なのだと。図っていなくても分かる。

 わたしの運の値は以前より低下しているだろう。

 工廠に、卯月の悲鳴が響き割った。

 

「不幸だぴょーん!」

 

 

 *

 

 

 その後の顔無しの処遇だが、検査が完全に終わり切っていないこともあり、引き続き工廠の一室で生活することになった。

 顔無し──否、加古的には母親と認識している卯月について行きたかったらしいが、それはどうにか阻止した。

 これ以上ママ呼ばわりが続けば、卯月の精神がマジで持たないのは明白だった。

 

「もうやだぁ。なんでママァ? 一体うーちゃんが何をやったって言うんだよー」

 

 既に胃に穴が空く寸前かもしれない。

 自室の机に突っ伏して、ありとあらゆる愚痴を飛ばしていく。

 あまりのうっとおしさに、同室の満潮は口を挟みたくなるが、今回は事情が事情、多少だが卯月に憐憫を感じていた。

 

「しかもよりにもよって、中身が加古ってお前……マジで呪われてるんじゃないか」

「……あんた、加古に会ったことあったっけ?」

()の話だぴょん」

 

 艦娘に成る前の、『卯月』だった時になってしまうが、『卯月』と『加古』はその頃から縁があった。

 その記憶は艦娘になっても残っている。

 場所によっては、改二になった時余ったヘアピンを、加古自ら卯月に上げたり──といったこともある。

 記憶の奥底に、お互いのことが残っているのだ。

 

 なのでこの卯月も、密かに加古との再会を願っていた。

 そして、多少変則的ながらも、その再会は果たされた──のだが、結果はご覧の通り、このザマである。

 

 辛い。率直に辛い。

 昔お世話になった人と、久々に再会したらママって呼んでくるって、どういう悪夢なのか。

 なんかもう情緒がぐちゃぐちゃ。

 卯月は机に突っ伏して、心の底からしょぼくれていた。

 

「……色々とドンマイ」

 

 満潮さえも同情する。

 あんまりにもあんまりだった。

 流石に哀れだった。

 

「でもどうするのよ。あの顔無しと関わらないでいくってのはムリよ。あんたを母親だと思っている以上、あんたが一番顔無しをコントロールできるんだし」

「うー、そんなこと分かってるぴょん」

 

 今後ともあの顔無しは、色々な実験に使われるだろう。

 それらはきっと、顔無し自身が協力してくれた方が、良い結果になると思われる。

 卯月には、そうするように命令が(多分)できる。

 なら、関わらない訳にはいかない。

 

「単純に頭がパニックなんだぴょん……なんだって、よりにもよって、中身が加古なんだよぉー、あ゛ー」

「……本当にドンマイ」

 

 満潮の目線から言えば、扶桑とか山城がママと懐いてくる光景になる。

 余程特殊な性癖を持ち合わせていなければ悪夢でしかない。

 何故強制的に逆バブみを体験しなければならないのか、これらも全て黒幕──泊地水鬼が原因と言えよう。

 

「ああ、でも、流石にあのまま放置はしないから、そこは安心して欲しいぴょん……ゲノム情報の提供を承諾したのはうーちゃんだし、取れる限りの責任はとるつもりだぴょん。気が滅入りそうだけど」

「やっぱり子供を放置するのは気分が」

「子供じゃないからやめようね?」

 

 だからといってあれを子供とは認識できない。

 そもそも体格差が違い過ぎる。

 あんまり言いたくないが、甘えられている最中、結構重かった。

 

「おかしいなぁ……最上との決戦前だから、ゆっくり休みたいと思ってたのに」

「アンタの運の値また下がったんじゃない?」

「マジでそうかもしれない。今度また図って貰おうかな……もう疲れたから、今日は寝るぴょん。お休みー」

 

 これ以上アレな現実を直視したくない。

 頭から布団をかぶり、逃げ出すように卯月は眠りにつく。

 もうじき出撃の時、休める時は休まないといけない、満潮も後を追うような形で、一緒に眠りについた。

 

 

 *

 

 

 凄まじい心労を抱えながらも、卯月と満潮が眠りについた頃、北上たちも同じように心労に悩まされていた。

 但しそれは、卯月に認知していない子供がいたことではない。

 というかそれはどうでもいい。

 

「……うーん」

「どうなっているんでしょうか」

「アタシに聞かないでよ」

 

 二人揃って大きなため息を吐く。

 顔無しの調子が戻ったのは良いのだが、それによって、また別の問題が見つかってしまった──言うまでもなく卯月のことだ。

 

「深海との親和性が高いんじゃないか……と、予想したんでしたよね」

「うん、あの時はね」

「今は違うと」

「ただ親和しているってだけで、上位個体として認識されるとは思えない。だとしたら、これまでの戦いで類似のケースがないのはおかしい」

 

 何も、深海と親和している艦娘は、卯月だけではない筈だ。

 実験をしてないから分からないだけで、そういう才能を持つ個体は絶対にいる。

 だが今まで、特定の艦娘に対し、イロハ級の攻撃が弱まったというような報告は存在していない。

 相手が誰であれ、敵が艦娘なら殺意全開で襲ってくる。

 深海棲艦とはそういうものだった。

 

「様々なケースが複合していますが、それでも考えにくいと?」

「……あんま言いたくないんだけど、昔の技研は、こういう実験やってなかった訳?」

「深海の力を、艦娘へ付与する実験ですか?」

「そう」

「ありましたよ。何れも最終的に中止ですが」

「その中で、イロハ級から姫級として識別されたって結果は」

「……あれは既に、実用化されているでしょう」

 

 今の今まで色々な研究をしてきて、今更初めてのケースが起きたこと自体、微妙に考えにくいのだ。

 

「本当に卯月は、ただ親和性が高いって話で、済ませて良いのかな……」

 

 顔無しだの泊地水鬼だの千夜博士だの、ただでさえ謎が多いのに、どうも卯月にまで謎めいた部分が出てきてしまった。

 これは、私も薬を飲んだ方が良いかもしれない。

 うっすらとうずく頭痛を味わいながら、北上はより一層大きなため息をつくのであった。



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第149話 出禁

 ゲノム情報の提供により、見事復活を果たした──のは良いが代償としてママ呼ばわりされてしまった卯月。

 強烈な胃痛に晒されながらも眠りにつき、目を覚ましたのは翌日。

 最上との決戦予定日の一日前、最後の休める日となった。

 

 とはいえ、今日の予定は決まっている。

 秋月以上に強力な存在が相手となる以上、特訓はどれだけしても足りない。

 なので午前中は最後の訓練、午後から出撃までは休憩だ。

 残された時間で、やれるだけのことはやろう、と言うことである。

 

 たっぷりと朝食を取り、お腹いっぱいの状態で訓練海域に赴く卯月たち。

 今日は珍しく熊野によって占領されてない、事前の約束通り、自分達だけで思うように使える。

 と、思っていたのに、ここぞとばかりにトラブルが入る。

 

「なんで顔無しがいるんだぴょん!」

 

 卯月の指さす方向、同じ訓練海域の一角に、艤装を展開した顔無しと不知火がいた。

 

「なるべく早めにリハビリを行いたかったので、急遽一角を使わさせて頂くことになりました」

「態々ここにしる理由あったの?」

「後顔無し……いえ、加古さんが、卯月さんの傍に居たいらしいようで」

 

 目が合うなり、加古は全力でこちらへ突っ込んで来る。

 パッと見母親に飛び付いてくる子供。

 しかしその実態は、大型の艤装を持ってラムアタックを慣行してくる重巡ネ級。

 正面から受ければ爆発四散、卯月はひらりと身を翻して回避する。

 

『ウー、ママ……!』

「あ゛ーも゛ー! ダッシュで突っ込んで来るな! もっとゆっくり! 速度を落とすぴょん!」

『アゥ!』

 

 子供のような返事を出して、言いつけ通り速度を落とす加古。

 その光景を見ていた満潮が、感心した様子で呟く。

 

「あれで、人の言ってることは分かってるのね」

「幼児退行を起こしているのはあくまで精神だけ。知識や言語はそのままなのでしょう。良かったですよ」

「確かに。あれで言葉を叩き込む所からなんて、まっぴら御免だわ」

 

 顔無しは嬉しそうな様子で顔やら尻尾を卯月に押しつけて、全力で甘えていく。

 卯月はそれを無抵抗で受け入れている。

 慣れた、というよりは、色々諦めきった表情であった。

 

 しかし、このままこいつと遊んでいる時間はない。

 ある程度甘えさせた所で、加古を引き剥がそうとする。

 なのだがパワーは向こうが上。

 力強くでは少し難しかったので、言葉を以って動かそうとする。

 

「加古ー、うーちゃんは暇じゃないんだぴょん。そろそろ退いて貰うとありがたいぴょん」

『……クー』

「寝たフリすんじゃねぇ!」

 

 卯月は知らないが、確かにこの顔無しは加古であった。とても加古であった。

 

 それはさておきこのままでは埒があかない。

 かといって、無理矢理引き剥がすのは少し可哀想。

 此処にくるまで、ずっと酷い目に合ってきたのだ。

 それが精神崩壊によるものだとしても、人に甘えるぐらいは、好きにさせて良いんじゃないか。

 

 そう思わなくもない不知火が、『良い事思いついた』とでも言いたげに手を叩く。

 

「そうだ、では、演習をしたらどうですか」

「……演習って、私たちと、加古で?」

「はい」

「相手深海棲艦なんだけど。実弾で殺されるんだけど?」

「ご安心ください。その辺は問題ないと、先程確認してあります」

「って言ってるけど、どーすんの卯月」

 

 声をかけられた卯月は少しだけ思考する。そして加古の頭を撫でながら結論を出した。

 

「よし、やろう。めんどくさいけど……深海棲艦そのものと演習できる機会は貴重だぴょん。最上戦の役に立たなくても、取り巻きの顔無し対策はできるかもしれないし」

 

 大本営広しと言えど、イロハ級とはいえ深海棲艦と訓練できる基地が幾つあるだろうか。

 その貴重さを見過ごす程卯月も阿保ではない。

 だけど心配ごとはある。

 

「でも、模擬弾とかはどーするんだっぴょん」

 

 実弾でのやり取りなんてNGだ。しかし艦娘用のゴム弾やペイント弾では規格が合わない。

 

「そこなんですが、深海棲艦も模擬弾を扱えるんですよね。加古さん、模擬弾を撃ってもらって良いですか?」

『ウー!』

 

 不知火の言葉も分かっている模様。

 加古はその指示に従い、まず──尻尾を水につけた。

 この時、海水が艤装内部へ組み上げられていく音を、卯月はしっかりと聞いていた。

 

 ああ、そういうことかと卯月は気づく。

 

「水鉄砲か」

 

 卯月の予想は正解だった。

 組み上げられた水は艤装内部で高密度に圧縮され、砲塔を通り勢いよく発射される。

 液体だからだろうか、レーザーのような軌跡を画き、水鉄砲は的へ直撃、木端微塵に粉砕した。

 

「そんなことができるのね」

「不知火も実際に見るのは初めてです。深海棲艦が模擬弾を撃ってくれる、なんてシチュエーション自体稀ですから」

「そりゃそうだぴょん」

 

 普通は出会いがしらに砲弾でごあいさつだ。

 実際、水鉄砲を撃つ機構が分かったのは、捕縛した艤装を調べた時だけ。発射光景が見られるのは本当に初めてのことだ。

 

「……でもこれ喰らったらヤバイんだけど」

 

 満潮は撃たれた的を見る。

 跡形もなく粉々。

 欠片も残さず木端微塵。

 そりゃ砲撃よりマシだろうが、喰らってタダで済むとは思えない。

 勿論不知火はそれも承知、危険性を分かった上でこう告げる。

 

「より実戦に近い演習ができます。良かったですね」

「そう言うと思わったわ」

「それはさておいても、重巡ネ級ではあるんです。普段と違う演習ができると不知火は思いますが」

「重傷を負わないように頑張るしかなさそうだぴょん……」

 

 明日出撃なのに怪我とか勘弁して欲しい。

 いくら入渠で治ると言っても、精神的な限界はあるのである。

 最も言っても意味はない、自分自身が注意して立ち回るしかない。

 

「でも、この威力なのに、実戦で使わないのは何でなのかしらね」

「射程が短かったり、余り多く装填できないからだと思われます。高圧縮していても所詮は水ですし、だったら実弾を使った方が良いのではないかと」

「そういうものかしら」

 

 深海棲艦の本体は海だと言う。

 そういった在り方から得た、おまけみたいなものなのだろう。

 何であれ、こちらの訓練に付きあって貰えるのはありがたい。

 怪我をするのは恐いが、頑張って付きあうことにした卯月たちであった。

 

 尚怪我をしたかどうかについては、言うまでもないのである。

 

 

 *

 

 

 結局、包帯グルグル巻きになって訓練を終える羽目になった卯月。

 あれだけ『ママ!』と懐いてくる割に、訓練だと一切容赦がなかったのである。

 と言うより、子供が加減なく親にじゃれてくる方が近い。

 

 入渠ドッグで怪我は治ったが、メンタルがちょっとやられてしまったので、夕食まで熟睡。

 その後のご飯はたっぷりと食べ、全力で身体を休めることに専念した。

 

 加古にママ呼ばわりされたダメージこそあれど、ある程度身体を動かしたお蔭か、良く眠ることはでき、身体に溜まっていた疲労は殆ど取ることができた。

 最上との戦いの準備は、十分整ったと言える。

 

 今回もだが、何時出撃になるかは誰も知らない。

 内通者を警戒して、必要最低限の人員しか作戦要綱を知らされていない。

 急な呼び出しがかかるのだろう、それまでは寝て体力を温存することになる。

 

 満潮と二人、ベッドで抱きしめて貰いながら眠る卯月。

 

 深夜二時を切った頃、突然、部屋のノックが鳴らされた。

 

 何だかんだで二人とも訓練された軍人。

 即座にベッドから飛び起きる。

 最初から制服で寝ていた。

 髪もハチマキで纏めてあるし、サプレッサーマフも装着済み。準備は万全だ。

 

 準備していた最低限の物を持って部屋から飛び出す。扉の先には、どことなく緊張した顔つきの不知火が立っていた。

 

「出撃の時間です。工廠へ集合してください」

 

 と言って不知火は別の人を起こしに移動。

 卯月たちは先んじて工廠へ向かう。

 他の人と違い、D-ABYSS(ディー・アビス)関係の調整が入るから、準備にどうしても時間がかかるからだ。

 

 但しそれも誤差程度。

 卯月たちが到着し、他のメンバーが準備を終える頃には、北上が素早く調整を終えてくれた。

 周囲を見渡すが、此処にいるのは今回の出撃メンバーなのだろうか。

 それにしては、引っ掛かる所がある。

 首を傾げている間に、不知火から説明が始まった。

 

「時間がありませんので、端的に説明をさせて頂きます。今回の出撃メンバーは此処にいる通りとなります。不知火に球磨、ポーラ、満潮、卯月。以上五名により、最上との戦いへ臨みます。場所と作戦要綱は現地で説明させて頂きます。それと卯月さん」

「え、はい?」

「今回から、『首輪』が変わります」

 

 首輪が変わる? 

 首輪って言ったら、あの気絶装置が組み込まれた首輪のことか? 

 それが変わるとはどういうことか。

 不思議そうにする卯月に、不知火が近づく。

 

 そして、あっと言う間に新しい首輪を装着させた。

 

「……ぴょん?」

「気絶装置入りの物から、自爆装置入りの物に換装しました」

「自爆」

「はい、自爆です」

「艦娘を一瞬で解体消滅させる、本来の方に?」

「そうです。苦痛を感じる時間は限りなくゼロです」

「なるほど」

 

 うんうんと頷く卯月。

 

「なんで?」

 

 至極当然の疑問が口から出てきた。今までは気絶装置だったのに何故急に自爆装置に変えられないといけないのか。

 しかもよりにもよって自爆装置。

 この瞬間より、不知火の意志一つで卯月は爆死させられるのだ。流石に恐怖が背筋を突き抜ける。

 

「今まで気絶に留めていたのは、卯月さんのD-ABYSS(ディー・アビス)が、不知火達が持つたた一つの貴重なサンプルだったからです。しかし秋月さんを捕縛し、二つ目のサンプルを手に入れた今、そこまでの貴重性はありません。むしろ敵に奪われることの方が懸念されます。なので万一の時、機密保持を実行できるようにさせて頂きます」

 

 そりゃサンプルが大いに越したことはないが、敵に奪われたら元も子もない。

 卯月が死んでも、最悪秋月のシステムを調査すれば事足りる。

 ここに来て前科戦線にとって、卯月を生かす必然性はなくなった。それに伴う処置なのである。

 

「納得いただけましたか。いただけなくても関係ありませんけど」

「いや……別に良いぴょん。死なないように頑張れば良いだけだぴょん。やることは今までと変わらないぴょん」

「理解が早くて助かります」

 

 ということで首輪の換装は完了。後のことは移動した後での説明となる。

 

 此処で卯月は、改めて周囲を見渡した。

 

 やはりおかしい。

 彼女がいない。

 これは何かの間違いではないか。この場に彼女がいないなんて考えられない。

 しかし、不知火たちは何も問題ないように、出撃しようとする。

 

 そこへ、踏み鳴らすような──激しい怒りを感じさせる──足音が奥から聞こえてくる。一気に工廠へ突入してくる。

 目立つ足音に、全員が振り向いた。

 

「……何か御用ですか」

「これは、どういうことですの!?」

「見ての通りこれから出撃です」

「分かっています。どうして、此処に私が呼ばれていないのですか!」

 

 現れたのは熊野だった。

 

 寝間着姿ではなく、いつも通りの制服だ。

 何時呼ばれても良いように準備していたのだろう。

 

 しかし、熊野の言った通り、この場に熊野は全く呼ばれていない。

 卯月が気にしていたのはそこだった。

 あれだけ最上に因縁があるのに、呼ばれていないとはどういうことなのか。

 

 卯月でさえ疑問に感じるのだから、熊野はもっとだ。

 彼女は最上と必ず戦う覚悟で、この数日訓練に励んでいた。

 なのにこの仕打ち。

 因縁も知っている筈なのにこの扱い、頭に血を上されて怒声を上げる。

 

「役に立たないからですが」

 

 不知火はそれを真正面から切り捨てた。

 

「役に、立たない、ですって?」

「まさか自覚がないんですか」

「どこを見れば、そんなことが言えるのですか。彼女のことを一番知っているのは私です。何故出撃させないのです。非効率的ではないですか!」

「感情が制御できていない兵士を出す必要はありません。加えて今の熊野さんは連携を乱しかねない。故に出撃は認めません」

 

 それじゃあんまりだ。因縁を晴らす機会を奪うなんて。そう言いたかったかれど、不知火の発言はどれも正論で、何も反論が浮かばない。

 

「これは命令です、熊野さんが何をおっしゃられようと関係ありません。そしれもう出撃予定時刻ですので、行かさせて頂きます」

「ちょっと不知火! 此処への献金を止めても良いっていうんですの!?」

「その時は熊野さんの『商売』について、然るべき機関を通じて根絶やしにします。では全員出撃です」

「待って! 待ちなさい……待ってください!」

 

 後半はもう、怒声ではなかった。

 縋るような懇願だった。

 それさえも不知火は完全に無視。

 卯月たちは、このまま放置しておいて良いのかと思いながらも、命令は無視できず、不知火の後を航行していく。

 

 かくして、対最上戦の作戦は、まさかの熊野抜きで行われることになるのであった。



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第150話 事前準備

 夜間、唐突に呼び出された卯月たち。

 それは最上討伐任務への招集だった。

 不知火の命令に従い、一同は真っ暗闇の海へと出撃する。

 

 ぶっちゃけ、秋月程因縁はない。

 敬愛する戦艦水鬼を直接殺した秋月と違い、別に最上にはどうこうされてはいない。

 だが敵だ、そしてD-ABYSS(ディー・アビス)を搭載したサンプルだ。

 意識せずとも気合が入る。

 こいつを捕まえれば泊地水鬼により近づけるのだから。

 

 しかし、そういう気分になる筈だったのだが、卯月たちは全然そういうノリにはなれなかった。

 

 原因は明らか。

 この決戦メンバーの中に、肝心要の熊野がいないからだ。

 

「これで良かったのかしら」

「いや、良かったとは思うぴょん……確かにあのメンタル状態じゃ、何をしでかすか、分かったもんじゃないし」

「そうだけど、でも、因縁の相手なのよ。その決着も許されないなんて」

 

 満潮の感じていることは、そう間違ったものではない。

 どういう内容かは知らないが、因縁があるのなら、その清算をしたいと思うのが自然。

 ましてや、出生からしてあらゆる因縁が付き纏う艦娘なら、尚更な感情だ。

 

「でもうーちゃん的には、黒幕を叩く方が優先だし、脚を引っ張りそうなら来ない方が望ましいぴょん。熊野には悪いけど最上はこのうーちゃんが倒させて貰うぴょん」

 

 最終的に卯月的にはそうなる。

 あくまで自分の事情が優先、他の仲間の事情は、無碍にはしないが二の次になる。

 それに足を引っ張りそうなのも確か。

 満潮も反論はせず、しかし不服そうな顔で唸る。

 

「……卯月さん満潮さん、喋っている暇があったら対潜警戒でもして頂きたいのですが」

「うっ、ごめんだぴょん」

「……了解」

 

 とうとう不知火に突っ込まれてしまった。言われた通り周囲を警戒。既に安全海域は抜けてしまっている。

 ただ、それでも満潮は不服そうな表情を隠せていない。

 

 今回について言えば、この因縁の気持ちが理解できるからだろう。不知火はそう考える。

 

 満潮もまた『最上』という艦娘に対して、関わりを持つ艦だ。

 それがD-ABYSS(ディー・アビス)によって、悍ましい化け物へと仕立て上げられている。

 思わない所が、ない筈がない。

 

 だからこそ、似た境遇の熊野の気持ちが理解できた。

 それを晴らす機会を奪われたことへの、憤りも理解できる──のだが、あの不安定さも理解しており、結果唸ることしかできない。

 

 しかし不知火は、そういった事情を承知で、彼女たちの感情を無視した。

 

「日が昇る前には目的地へ到着しなければなりません。全員速度を上げてください」

 

 満潮は早々感情に流されるタイプではない、余程のことがなければ自分自身を制御できる。

 熊野についても問題はない。

 提督はむしろ、それを承知の上で今回の作戦を組んだ。

 不知火は淡々と、命令通りに任務を遂行するだけだ。

 

 一同は、目的地へ向かって、なるべく見つかりにくい航路を進む。そもそもこんな時間に出撃している。隠密行動がメインなのはハッキリしている。

 だが、目的地へ近付くに連れ、卯月と満潮は困惑し始める。

 

「何処へ向かってんだぴょん……?」

「陸地が見えるんだけど、どうなってんのコレ」

 

 暗闇の向こうにうっすらとだが、陸地が見える。

 つまり、前科戦線から出て、大回りした後、また陸地へ戻ってきたのだ。

 何故か理解不能。

 ただ、他のメンバーはある程度察しているのか、冷静なままである。

 

「ねー球磨、うーちゃん達はどこへ向かってんだぴょん」

「口を閉じるクマ。隠密行動クマ」

「ぴょん……」

 

 着けば分かる、ということだろう。

 どうせ後少しで到着だ。

 卯月は気になる感情をぐっと堪えて、目的地への航路を急ぐ。

 

 やがて卯月たちは、完全に陸地へと接近した。

 

 そこまで近づけば、陸地の様子もハッキリと確認できる。

 

 辿り着いたのは、打ち捨てられて放棄された、鎮守府のような施設だった。

 

「全員上陸。艤装は装備したままで。直ちに作戦の説明を行います。手短にやるので集中してください」

 

 指示に従い鎮守府のような廃墟へ上陸。

 かつては、陸上基地もあったのだろうか。大型の滑走路が見えるが、どれも空爆による穴ぼこだらけ。

 工廠や、本庁舎と見られる建物もあるが、どれも崩れていたり焼けていたりと、廃墟とした言いようのない様子。

 

「ここは?」

「見ての通り、破棄された元鎮守府です。昔深海棲艦の上陸を受け、迎撃自体は成功したのですが、大量の呪いによって汚染されてしまい、最近漸く立ち入れるようになったんです」

 

 そんな状態では復旧もできず、建物等も壊されたまま放棄するしかなかった。

 言われてみれば確かに、結構な量の埃が積もっている。

 建物の中はもっと酷い筈、きっと汚い、余り入りたいとは思えない。

 

「それで、球磨たちは何をすればいいんだクマ」

「必要な物資は内密に運び込みました。ですが、配置するだけの人員は割けなかったので、これをお願いします」

「これを、基地内に、ですか~?」

 

 基地の端っこに置かれた大量の荷物。

 卯月はそれを見てギョッとする。

 その中身は大量の爆薬だったのだ。

 少なく見積もっても、建物一つは確実に木端微塵にできそうだ。

 

「こんなに用意して何に使うのよ。深海棲艦には効かないわよ」

「あ、それもそうだぴょん」

「仰る通り。攻撃目的では使用できません」

 

 仮にこれが、艦娘の武装から抽出した物だったとしても、深海棲艦への武器には成りえない。

 あくまで、艦娘が使ってこそ艤装は艤装足りえる。

 一時的に遠隔で使うならまだしも、完全に切り離してしまったら、もう別物だ。

 

「ですが、罠としては使えます」

 

 そう言って不知火は、爆薬配置の見取り図を全員に見せる。

 作戦内容は割とシンプル。

 まず──邪魔な取り巻き、確実に要るであろう周囲の顔無しを始末する為、飽和攻撃を行う。その為には動きを封じなければならない。

 

 だから、()()()()()()()()()()ことが目的だった。

 

「基地そのものを崩壊させ、無数の瓦礫の中に顔無しや最上を封じ込めます。身を隠せる遮蔽物がなくなった状態に加え、爆炎で視界不良になります。一気に面制圧をかけ顔無しを排除。その後孤立した最上を撃破。これが理想的な流れです」

「基地丸ごと囮って、そんなのアリかぴょん」

「……まあ考えようによっては、有効活用だクマ。元から取り壊す予定だったんだし。だけど、どうやっておびき出すクマ」

 

 確かにそうだった。

 この暗闇だ、明かりとかをつけておけば、多少は誤魔化せるだろうけど、そもそもどうやって此処に呼ぶのか。

 最上の現在位置さえ不明なのに、どう作戦を遂行すれば良いのか。

 当然、不知火たちはそこも手段を用意していた。

 

「この作戦は、夜の内に済ませなければなりません。昼になれば明るくなり、この基地がダミーだと露呈します」

「……それで?」

「既に、最上はこちらへ向かっているでしょう」

 

 そう言って不知火は、ある物を取り出した。

 

「なにそれ

「発信機です」

「……え?」

「秋月さんの艤装内部に隠されていた物です。これを利用させて頂きます」

 

 秋月の艤装内部から無理矢理取り出し、海底に埋めていたあの発信機である。

 ある程度解析が終わった時点で、この発信機を利用することは決まっていたのだ。

 そう使われていることに気づかれないよう、電波障害や機械の不調に見せかける偽装工作を行いながら、今日まで取っておいたのだ。

 

 それは今、何の妨害も受けずに、野ざらしになっている。

 

 位置情報を示す電波は自由に発信されている。

 

 この事実を認識した時、全員の顔が強張った。最上が既にこちらへ接近していることに他ならない。

 

「最上は、あと、どれぐらいで来るんだぴょん」

「先ほど此処にくるまでに周囲を警戒して、最上の痕跡はありませんでした。今すぐには来ないでしょうが……何時来てもおかしくないですね」

「……作業を急ぐクマ!」

「ちくしょうだっぴょん!」

 

 スピード重視の作業だ、それは確かだ、でもこんなケツの蹴り上げ方はないだろう。そう嘆いても時間は待ってくれない。

 卯月たちは(不知火も含めて)覆慌てで罠となる爆薬や、偽装工作の配置作業を急いだ。

 事前準備ができれば良かったのだが、やっぱり此処でも内通者の存在が足を引っ張る。そちらも早急に対処しなければならない。

 

 

 *

 

 

 なぜ、こうなってしまったのだろうか。

 一人取り残された熊野。

 彼女は埠頭で一人、うずまっていた。

 

 涙は流していない。

 ただ、絶望だけがあった。

 最上討伐に参加できなかったことで、熊野は最後に残された生きがいさえ奪われた。

 

 このまま自殺したとしても、何ら後悔はない。

 

 今の熊野はそう思っていた。

 

 そこまで思いつめる理由は──誰にも語っていない。

 一切語るつもりもない。

 これは私自身も問題だから。

 そうやって抱え込んだ果てがこの結果だ、もう自嘲するしかない。

 

 けれども、それでも、安易に語りたくなかった。同情されることさえ嫌悪した。最上、もとい鈴谷と熊野の関係は、彼女にとっての『聖域』なのだ。

 

「……わたくしは、どうすれば良いのでしょうか」

 

 何を今すべきは分からない。

 自殺しても良いが、流石に決着がついてもいないのに、一人逃げるのは憚られる。そういう訳で現在進行形で生き恥をさらしていた。

 

 何が悪かったのだろうか。

 

 今更意味のないことを、熊野は考えずにはいられない。

 

 そして、そんな彼女を流石に放置しておけない人がいた。ひっそりと近づき、驚かさないよう気を使いながら声をかける。

 

「どうしたの、そんな所じゃ、風邪引いちゃうよ?」

 

 那珂はホットミルクの入ったコップを二つ持ってきた。

 

「心配で、戻るつもりがないのなら、せめてこれ飲もうよ。冷えはお肌の天敵だよ」

「……今更、わたくし、美容を気にするつもりはありません」

「駄目だよー、女の子は、死ぬまで女の子なんだから。折角綺麗なのに、気を使わなくてどうするの! はい入れたんだから飲むの!」

 

 力強くで押し付けられてしまった。

 別に断るつもりはない、親切を突っぱねる程、ヘソを曲げてはいなかったのだが。

 まあそれはそれとして、貰ったホットミルクに口をつける。

 

「良い夜だねぇー、熊野ちゃんもそう思うでしょ!」

「それは川内の口癖では……それより周辺の警戒は、しなくて宜しいので?」

「電探とソナーは今も起動させているから大丈夫。というか、それを言ったら、熊野ちゃんだって警戒任務どうしたの?」

 

 墓穴を掘ってしまった。言い淀む熊野。

 

「……わたくしは」

「あー、分かった。気乗りしないからサボってるんでしょー」

 

 熊野は黙り込む。全く持ってその通りだった。本当は出撃したかったのにできず、余りに納得できないから、ボイコットしていた。

 言われたことで、熊野は更に落ち込む。

 散々大人な態度をとってきた自分が、こんな感情さえ制御できないのかと、自己嫌悪に陥っていた。

 

「うん、分かる分かる! 自分のキャラと違う仕事を押し付けられたら誰だって嫌だもんね。下積みじゃ文句は言えないけど、今の那珂ちゃんは自分のキャラをアピールしなくちゃいけないんだし、そんな時にイメージダウンしそうな仕事はちょっと、て思っちゃうよね! でもー、でもねー、あんまり断ってるとそれはそれで皆からの信頼を失っちゃうし按配って難しいよね……」

 

 一体何時誰がアイドルの話をしたのだろうか。

 その疑問は即刻捨て去る。

 那珂のこの話に正面から取り合っていたら、正気がどれだけあっても足りやしない。

 

「あ、ごめん。話逸れてた?」

「かなり。アイドル談義なら別の方にして頂けますか。生憎そういう気分ではありませんので……わたくしは、失礼させて頂きます」

 

 正直なところ、誰かと一緒にいるのも嫌だった。見つかったからには仕方がないと、その場から立ち去ろうとする。

 その背中へ、那珂は声をかける。

 

「本当に、良い夜だよ。那珂ちゃんのステージにはピッタリ」

 

 知らないのは卯月だけだった。

 

 しかし、最初に何とかしようとしたのは、熊野だった。那珂の『前科』に関わるその言葉を聞いた彼女は、脚を止める。

 

「此処じゃアイドルなんて、不可能だって思ってた。死にたいとさえ思ってたよ。でも、前科戦線もアイドルできるって証明してくれたこと。わたしは忘れていないよ」

「……何が言いたいんですの」

「もっと、やりたいようにやろうよ。どうせ皆前科持ちなんだから、好きなようにして、前科が一個ぐらい増えたって誰も気にしない。お礼もしたいから……やるなら、那珂ちゃんもサポート頑張るからね!」

 

 言いたいことは言い切った。

 那珂もその場から立ち上がり、警戒任務があるからと立ち去っていった。

 一人残された熊野は、那珂が眺めた海を見つめる。

 

 確かに、彼女の言う通り、普段以上にキレイな夜が広がっていた。



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第151話 最上改二壊①

 深夜、破棄された元鎮守府に辿り着いた卯月たち。

 彼女たちはド深夜かつ灯り一つもない中、スリル溢れる爆薬設置作業を強いられることとなっていた。

 幾ら内通者が恐いからといって、これはないと卯月は愚痴る。

 それでも何とか、設置作業を終えることができた。

 

 ギリギリかもしれないが、まだ最上は来ていない。

 卯月たちは艤装を身に着けて、鎮守府内部に建造した仮設トーチカ内で息を潜める。

 後は最上が来るのを待つだけだ。

 

 

『最上及び顔無しをおびき出した後、この基地諸共爆破します。しかし、全く抵抗がなければ逆に警戒されるでしょう。それまでの間、普段と変わらず──しかし全力を出さずに戦闘を行ってください』

 

 わざわざ深夜を選んだのも、この基地が罠だと気づかれにくくするため。

 稼働中の基地だと誤認させるために、明かりも点けている。ちなみにトーチカも分かりにくいよう偽装されている。

 秋月を探す時とは違う、来るのを待ち続けるという、別ベクトルの緊張感が込み上げてくる。

 

 どうせ来るなら、さっさと来て欲しい。

 

 その状況になるまでに、然程時間は掛からなかった。

 

 水上電探が感知するのと、ほぼ同じタイミング。卯月は()()()()()()()()を聞き取った。

 今までで、一度しか聞いたことのない艤装音。

 しいて言うなら熊野のが近い。音の主は言うまでもない。

 

「来たっぴょん、砲撃も、同時だぴょん!」

 

 間髪入れずに、基地を破壊する為の砲撃が放たれる。しかも複数発。最上以外の僚艦がいるのも確定した。

 

「まだです、合図が出るまで待機を」

 

 しかし、直ぐ飛び出していったら、『襲撃は予想されていた』と思われてしまう。出て行くタイミングは図らなければならない。

 爆音で揺れ、崩れていくトーチカ。

 

「まだ……」

 

 弾薬庫(に偽装した只のタンク)に着弾したのか、大きな衝撃波と轟音が走る。設置した爆薬の幾つかが衝撃と共に爆散していく。

 

「まだ、後少し……」

 

 卯月の耳には、凄い勢いで接近してくる最上たちの航行音が聞こえていた。水上電探を持っている満潮も同じ気持ちだ。トーチカは持つのか、後どれぐらいか。

 息を呑む、目を閉じる、汗が流れる。

 不知火が叫んだ。

 

「出撃ッ!!」

 

 バネのように身体を動かし、内部から飛び出たその直後、砲弾が直撃しトーチカが全壊した。

 だが気にはしない、顔を上げれば、煌々と燃えて崩壊した鎮守府──予定通りに壊れてくれた鎮守府。

 何処が崩れ、何処が炎上するかは、予め決められていた。

 そこから、海へ出るルートも決定済み。

 各々がその通路を使い、瓦礫や炎を抜けて、一気に海へと脱出した。

 

「迎撃っ! 総員迎撃を急いでください!」

 

 海へと抜錨した途端、眼前に広がっていたのは、いったい何処から調達したのか、夥しい量の大軍勢だった。

 連合艦隊で12隻、支援艦隊で12隻……どころでは済まされない。

 恐らく、三桁近くに昇る大部隊を、最上は引き連れていたのだ。

 

「いや多過ぎだっぴょん!?」

 

 おかしいどう考えたって異常だ。何だ三桁ってどういう数だよ。不知火も予想外だったのが目を点にしてフリーズしている。

 

「こんなか弱い駆逐艦一隻にこの数とか、恥ずかしくないのかぴょーん!」

 

 卯月の魂の叫びに最上が反応した。

 

「いやか弱いどかどの口で言っているんだい君は!」

「この愛くるしい唇」

「君なんなの?」

 

 珍妙な返しに最上は困惑気味。

 尚最上の言うことはやや正論だった。

 何だかんだでD-ABYSS(ディー・アビス)を使い熟し、連携込みとはいえ秋月を撃破している。流石にか弱いは嘘である。

 

「……うんまあなんでも良いか。とにかく主様からは、卯月さえ殺せれば何でも良いって聞いてるし。いやでもやっぱり前科戦線も潰した方が主様の為になるかな? なるよね? そうだよね! じゃあ全員皆殺しにしよう、なるべく苦しんで死んで貰いたいから頑張って抵抗しt」

 

 と、言い切ろうとしたその瞬間、最上の口元へ砲弾が叩き込まれた。

 

「あぶなっ!?」

 

 しかし、ギリギリで頭を動かし回避する。彼女は話を邪魔した張本人を睨み付ける。主砲を構えた不知火を。

 

「もう、急に何すんのs!」

 

 言い掛けた途端また砲撃。最上はたまらず回避する。

 

「話が長いので、さっさと終わらせようとしただけです。狂人の言うことなど聞くに値しません。速やかに無力化されて下さい」

「何て駆逐艦だ! 人としての常識がなっていないね!」

「艦娘です人ではないです」

「そういう話はしてないんだけど」

 

 真顔で主砲を連射する様は恐怖そのものだ。

 しかし、ただ狙いを定める程度では、最上には当たらない。

 動きを予測し、完璧な一手を撃っても、彼女は無茶苦茶な身体スペックで押し返してくる。

 

「全く、こんなのはムダなのさ!」

 

 鋭い主砲が、あろうことか、飛行甲板を振るった時の風圧だけで吹っ飛ばされる。勿論掠り傷もなし。密かに撃っていた魚雷も、素早く発艦された瑞雲が処理してしまう。

 

 今夜間なのに、何気に瑞雲を使っていた。

 以前もそうだったが、やはり、夜間航行能力を持つ瑞雲である。

 しかも厄介なことに、今回夜間でも使える航空戦力はいない。

 球磨やポーラは水戦を使えるが、あれは昼戦限定だ。

 

 そして瑞雲を使えるということは、他もそうだと言う事。

 

「君達とまともに戦うつもりはないよ。一網打尽にさせて貰うからね!」

 

 最上がカタパルトを掲げると、矢継ぎ早に艦載機が撃ち出されていく。

 水上機だけではない、通常の艦上機もまた、夜間航行使用だ。

 最初から、このつもりだったのだろう。

 夜、航空戦力を使用できない中で、一方的に空爆で蹂躙する。

 そういう算段だったのだ。

 

「……前科戦線は、常に人員不足でして」

 

 なのに不知火は、急に変なことを言い出した。

 

「うん? 急になに?」

「夜間戦闘機は保有していますが、空母の絶対数がどうしても少なく、有効的に運用できる機会は稀です」

「宝の持ち腐れってヤツだね。可哀想に」

「ですので、金に任せた物量で殴ることにしています。どうぞ」

 

 不穏な一言を告げ、指をパチンと鳴らした。

 

 その直後であった、後方の基地から地鳴りのような轟音が聞こえた。そこから──無尽蔵の煙が空へ向かって伸びていた。

 

「な──」

「空爆より更に高密度なロケット弾です。これなら大幅に被害を減らせます」

「ゴリ押しって、何て言うかまあ……」

 

 最上も手は出せない、出しようがない。

 火花を散らして爆散していく艦載機を、呆れた顔で見上げる他ない。

 だが、これで戦いが決することもあり得ない。

 やれやれと首を振り、最上纏う、D-ABYSS(ディー・アビス)のオーラが輝きを増していく。

 

「バカだな君たちは。せっかく皆で仲良く死ねる方法を提供して上げたっていうのに。なんでそういうことするかな? 人の心がないんだね、じゃあもがき苦しみながら死のうか! 感謝の気持ちがないヤツは死ぬしかないんだから!」

「……ぬ、台詞終わったのかぴょん?」

「良し卯月から死のうか」

 

 その発言が逆鱗に触れたのか、もしくは最優先目的だからだろうか。

 真っ先に照準を定めたのは、結構のんきしていた卯月にだった。

 すぐさま発射される砲弾、卯月は見るより早く、砲弾を装填する音で察知し、一気に加速して回避する。

 

 秋月とは違い、無茶苦茶な弾幕を敷いてくるタイプではない。今分かっているのは、異常な挙動をする瑞雲に加え、艦載機、甲標的といった各種兵装だ。

 極論、砲撃にだけ気を使っていれば概ね良かった秋月と違い、最上は警戒すべき事柄が非常に多い。

 どれか一つでも警戒が漏れれば、その瞬間死に至るだろう。

 

「貴様なんぞ、D-ABYSS(ディー・アビス)を使わずとも叩き潰してやるぴょん!」

 

 この後の為に温存しなきゃいけないからだ。

 重要なのは、後ろの基地が『罠』だと気づかれないこと。

 良い感じで必死の抵抗をしているように見せかけ、体力を残しながら戦う。

 既に球磨たちも、周囲の顔無しと交戦を始めている。

 卯月も主砲を掲げ、臨戦態勢へと突入した。

 

「生憎だけど、油断はしないよ。こっちへは来させない」

 

 最上は追加の瑞雲を、一瞬で展開した。

 艦載機を混ぜてこないのには何か理由があるのだろうか、兎も角瑞雲が迫る。先ほどと同じように、ドローンのように縦横無尽に動き回り、取り囲むように近づいてくる。

 

 搭載されている爆弾の威力も普通ではないだろう、卯月など、掠っただけで蒸発しかねない。全部そうだが喰らってはならない。

 であれば、近付く前に撃ち落とすしかない。

 主砲だけではなく、艤装に乗せた機銃も総動員、全てに同時に狙いを定める。

 

 そうなれば、最上への注意がどうしても逸れる。そこを見のがす彼女ではない。

 

「よし今の内に……」

「させる訳が、ないでしょうが!」

「だよね!」

 

 主砲で、ワンショットキルを狙った最上へ、満潮が強襲を仕掛ける。

 

 だが安直、動きは読まれていた。

 主砲の照準が変化、卯月から満潮へ変わり、すぐさま砲撃が放たれた。

 動いて回避するには、かなり早い、だが砲撃で弾いたら、何と卯月の方へ流れていく、絶妙に嫌な角度で放たれている。

 

 どう裁くべきか、もし悩んでいたら、最上はその一瞬で満潮へトドメを刺していた。だがそうはならない。満潮はすべき選択を一瞬で決めた。

 

「舐めないで!」

 

 満潮は最上の砲撃目がけて、主砲を放った。互いに激突した砲弾は軌道が逸れ、卯月の方へ角度を変える。

 そしてそこへ、二射目を撃った。

 

「うわマジか!?」

 

 一射目を撃ってから、目にも止まらぬ速さで二射目を撃ったのだ。それは砲弾の芯を捉え、起動を変えることなく誘爆させた。

 弾かれた後で、卯月の方へ行くとなれば、軌道は限定される。

 それでも、そこを瞬時に予想して、砲弾を置きに行くのは至難の技。満潮はそれを実行したのである。

 

「こんな小細工は通じないわ。にしてもセコイ真似をするのね。腹が立つ」

「テクニックって言って欲しいんだけどなぁ」

「つまらない手品以下のインチキよ。D-ABYSS(ディー・アビス)のチートに頼ってるだけのクズなんかに!」

「……むぅ、ま、良いさ。あっちは追い詰めてるし」

 

 何かが触れたのか、癇に障ったような表情を浮かべる最上。満潮に気にしている余力はない。動きを抑え込む為攻撃を続ける。

 その一方で、瑞雲に包囲されたかけていた卯月。

 彼女は対空兵装を総動員して、まだ瑞雲と戦っていた。

 

「滅茶苦茶な挙動だぴょん意味不明だぴょん!」

 

 ただ艦載機を迎撃するのとは訳が違う、挙動が意味不明過ぎる。右に左に自由自在、動きを予想するのが困難過ぎる。

 まともな艦載機の挙動ではない、全く読めない訳ではないが、どうしようもなく手間取ってしまっていた。

 

「チッ、ザコが、あのまま死ねば良いのに」

「……え、仲間じゃないの君達」

「アンタにだけは言われたくないわよ秋月をあそこまで痛めつけておいて」

「あれは指導だよ? 僕は親愛を持って接しているさ! なのに主様を裏切るなんて信じられないヤツだよ。満潮もそうだとは思わないの?」

「会話するのも嫌になってきたわ!」

「つまり肯定ってことだね!」

 

 話が通じない気持ち悪さを堪えながら、満潮は再び最上に主砲を向ける。

 フリであっても、今の内にダメージを通せるなら通しておきたい。幸い瑞雲は卯月に集中している。チャンスかもしれない。

 だが、そんなことは最上だって重々承知している。

 

「せっかくだから、満潮にも僕の親愛を見せて上げるよ!」

 

 と言った矢先、飛行甲板を構えながら一気に最上は接近する。

 

「って、来るな気持ち悪い!」

 

 条件反射的に主砲を撃つが、最上の飛行甲板も、異常な堅牢さを誇っていた。完全に直撃したと言うのに、掠り傷の一つもついていない。

 これも、D-ABYSS(ディー・アビス)の恩恵なのか。

 インチキ振りに悲鳴を上げる暇もない、主砲が通じなければ妨害はできない。

 

 ならばと足元目がけて魚雷を撃つが、最上は器用なステップを画き、雷撃の僅かな隙間を潜り抜けてしまう。

 

「来たよ! さあ、僕の指導を経験して貰おうか!」

 

 満面の笑顔を見せて、最上は腕を振るう。

 その指先は、鷹の爪のように、あるいはカギ爪のように構えられている。

 人肉を豆腐のように抉り飛ばす、恐るべき威力の攻撃に、満潮は生命の危機を感じる。狙いは首元とか腕でもない、頭部そのものを、抉り飛ばさんとしている。

 

「願い下げって言ってんでしょ!」

 

 ならばと、満潮は構えも取れていない体勢から、手の甲に向けて主砲を放った。

 

「わっ!?」

 

 直撃、されど傷はなし。

 だが、振るっていた腕の手の甲に当たったことで、加速し過ぎてしまう。

 速度を謝りカギ爪は空ぶる。

 至近距離で爆炎を浴びながらも怯まず、満潮は一気に距離を取った。

 

 しかし掠ったのであろうか、満潮は急に痛みを感じ、そこを触る。

 

 血が止まらない。耳たぶがごっそり抉れていた。

 

「……チッ」

「あーあ、半端なことするから、無駄な痛みを感じるんだよ。もっとちゃーんと僕の教育を受け止めるんだよ。良いね?」

「死ね!」

 

 こんな奴が最上だと認めたくない。確実にこの世から消さなければならない。満潮はそう強く決意し、再び主砲を構えた。



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第152話 最上改二壊②

 とうとう始まった前科戦線と最上との戦いは、正に一進一退を成していた。

 飛び交う砲弾に吹き荒れる爆炎は、夜の海を煌々と照らしていく。

 その最前線で戦う卯月と満潮は、最上の滅茶苦茶な戦闘能力によって、少しずつ追い詰められていた。

 

「チッ……卯月! 何チンタラしてんの! その瑞雲をさっさと排除しなさいよ!」

「キーキー五月蠅い! やれるならとっくにやってるぴょん!」

「言い訳は聞きたくないわ!」

 

 最たる原因は、やはり異次元の挙動をする瑞雲だ。

 排除しようと試みたものの、あっと言う間に取り囲まれてしまった。しかもドローンみたいな動きをするせいで、対空攻撃も簡単に当たらない。

 もう、防空どころの話ではない、自分の身を守るので精一杯。

 結果満潮の援護もできなくなっているのが、不利になっている原因だった。

 

「仲間同士で言い争いだなんて。僕は悲しいよ。そりゃ敵だけどさ……仲間同士でいがみ合って良いなんてこと、ある筈ないのに!」

 

 言っていることはまとも。

 だが言っている人がまともじゃない。

 秋月を狂った理論で、それこそ精神崩壊を起こすような次元で痛めつけた輩が言って良い台詞ではなかった。

 満潮は怒りを顕にして、攻撃を試みる。

 

「卯月のバックアップがなくたって、こんなヤツ!」

 

 苦戦しかしていないが、最上の動きは何となく分かってきた。秋月のように、接近さえままならないという訳ではない。

 加速し、距離を詰める満潮。

 対する最上は徹底して接近を拒絶し、遠距離を保とうとする。

 

「おっと、来ないで欲しいな!」

 

 折角砲弾があるのに、使わない理由はない。

 最上は矢継ぎ早に主砲を放つ、どれも狙いは正確だ、回避しても回避する先に攻撃が置かれている。

 どれも大ぶりな回避が強要される、そうして生じた隙を、海中の甲標的や空爆で仕留めるつもりだ。

 

「狙いが雑なのよ!」

 

 そこで、熊野との訓練が活きた。

 確かに狙いは正確だ。

 しかし、ち密な計算によるものではない。

 高度な『直感』によるものだ。

 事前情報の通り、理屈云々より本能で戦うタイプ。だからこそ、隙間がないような攻撃でも、僅かな空白が生まれる。

 

「訓練通り……こんな攻撃なら、幾らでもやりようはある!」

 

 満潮は主砲を構え、真正面から走り抜けていく。

 出し惜しみなしの全力疾走、彼女の狙いもまた正確、僅かな隙間を抜け、砲弾を弾き飛ばしながら一気に進む。

 予想外の動きに、不意を突かれた最上は硬直する。

 

「早い!? この砲弾の中を一気に!」

「熊野はいない。代わりに、私が引導を渡してやるわ。その首を寄越しなさい!」

「物騒なこと言わないでよ。満潮らしくもない!」

 

 だが、その至近距離こそが、最上最大の猛威となる。

 

「よしじゃあ僕は顔を捥いであげるよ!」

 

 判断が早い。主砲を下ろし、フリーになったカギ爪が振るわれる。不意を突かれたのに対応が早く、逆に満潮が不意を突かれる形になってしまう。

 回避を取る暇もなく、最上の指先が頬に引っ掛かる。顔の皮が剥がれかける感覚に鳥肌が立つ。

 

 だが怯まない。満潮は腰だめのまま、早打ちの姿勢を持って主砲を構えた。

 

 最上は、『バカなヤツ』だと思った。

 このまま撃てば、砲撃は確かに、自分の脇腹に直撃する。

 しかしD-ABYSS(ディー・アビス)で強化された身体には、大した効果はない。

 結局顔面を剥がされて殺されて終わりだ。

 

 主砲の砲塔に、妖精さんがちょこんと乗っているのが見えなければ。

 

「ッまさか!?」

「……隙を見せたわね!」

「うっ!」

 

 最上が思い浮かべたのは、前回の戦いで秋月に撃ち込まれた妖精さん入りの砲弾。艤装内部に潜りこんで破壊工作を行う特殊弾頭。

 そこの妖精さんは、見たことのない恰好をしている。

 

 まさか、これがそれなのではないか。

 

 だとしたら、撃たれるのは不味い。

 此処で満潮を始末できたとしても、その後の戦いでとても不利になってしまう。

 どうすべきか悩んでしまった一瞬、それは大きな隙となってしまった。

 

「なんてね、驚きはしたけどさぁ!」

 

 だが、それでも最上の方が早い。

 満潮の主砲目がけて、自分自身の主砲を投げ飛ばし、そのまま顔面を抉り飛ばしにかかる。

 隙が隙でなくなってしまったことで、満潮は止むを得ず、主砲を撃ちながら、反動で一気に後方へ離脱する。

 

 最上が主砲を投げたのは牽制の為ではない。確かめる為だった。

 

 満潮の砲弾が直撃して、ダメージを受けた主砲だが、何か構造的な異常は発生していなかった。それを見て最上はほくそ笑む。

 

「やっぱり、さっきのは思わせってやつだったんだね」

 

 もしこれが妖精さん入りの砲弾だったら、内部工作により何らかの異常が発生していた。

 だがそれが起きていない。

 つまり満潮のは只の主砲、工作員入りのと思わせ、無駄な警戒をさせるという作戦だったのだ。

 

 作戦を見破られた満潮は、不意に走った痛みに動きを止める。

 頬を手で擦ると、ベッタリと血が付着していた。

 攻撃は顔面を掠めていた、顔の皮が一部捲られていた。顔の皮を剥がされるという、今まで感じたことのない痛みだ。

 

 この動きを止めた一瞬を最上は見逃さない。

 

「どちらにせよ、もう満潮はさようならだね」

 

 このやり取りの間、ずっとタイミングを伺っている兵器があった。

 背後から、最上の甲標的が接近していた。

 音も立てずに移動するそれは、既に魚雷の照準を満潮に定めている。そして痛みに動きを止めた瞬間、魚雷を発射していた。

 普通では行われない至近距離からの発射、着弾までは数秒もない、が、満潮は呆れたような表情を浮かべた。

 

「どの口でそんなことが言えるの。慢心って言うのよ、それは」

 

 甲標的が、命を狙っているのは分かっていた。

 機動力を高めた潜水艦のようなもの、こいつらがいてはまともな戦いは不可能。

 だからまず、甲標的を始末できるタイミングを狙っていたのである。

 背中を取り、発射の為動きを止めた今こそ、待ち続けたチャンスであった。

 

 見えなくとも、大体の場所さえ分かれば対処はできる。満潮は無造作に、持ってきていた爆雷を、背中の方へ投擲した。

 

「海の藻屑となりなさいな!」

 

 攻撃を受け、甲標的は急遽動こうとする、本来ならもう間に合わない──だが相手はシステムにより強化されている。

 逃走可能な速度を叩きだすかもしれない。

 その予想は合っていた、甲標的は一気に加速し、爆雷の投下地点から逃げ出す。

 

「残念でした! せっかく顔に傷をつけてまで始末しようとしたのに。でもこういうのが実力差って言うんだよね。努力や小細工云々じゃどうにもならない。これで分かったかな僕と君とじゃ全然違うことが」

「アンタ何言ってんの。始末はもう確実よ」

「え?」

 

 甲標的は加速した、逃げるために全力で。

 そうなれば、元々の隠密性はどうやっても低下する。激しい音が発せられてしまう。

 此処には、その音を正確に探知できる艦娘がいた。

 

 爆雷の炎を突き破り、人影が現れる。

 

「呼ばれてないけどうーちゃんの出番だぴょん死ねー!」

「卯月だって!? そんな瑞雲はどうなって……うわぁ全部残骸になってるし!?」

「デュワハハハハ! この程度は容易いぴょん!」

 

 簡単な話だった、今まで卯月を妨害していた瑞雲は、全て始末されていた。いや、瑞雲と戦っていたこと自体が一種の囮。

 最初から、こうやって甲標的を破壊する為の準備だったのである。

 

 場所を特定されてしまえば、もう逃げることはできない。

 ジャンプして飛び込んで来た卯月は、ダッシュの勢いも加え、狙った場所へ加速をかけて爆雷を投げ込んだ。

 

 瑞雲とは違い、甲標的は急な方向転換はできない。進路上に投げ込まれた爆雷が直撃。水面にはその爆発を告げる水しぶきが上がる。

 

「甲標的がやられちゃった! 酷い! 僕の大切な仲間だったのに! しょうがない二個目の甲標的には頑張ってもらおうか」

「よくもまあ、ここまで腐れ果てた言葉が、口から飛び出してくるぴょん!」

 

 最上はすぐに二個目を投入しようとするが、砲弾とは違い、すぐに発艦できるものではない。僅かながら時間がかかる。

 視界に収まっている内にはそんなこと許さない。

 卯月と満潮は、展開され、潜航しようとする甲標的に砲撃を叩き込み、それを破壊した。

 

「あー……ダメかぁ、流石にこれは時間かかるなぁ」

 

 水面に下ろすのも、爆雷を投げるように飛ばす訳にはいかない。

 集中しなければいけない作業故に、飛行甲板を盾に攻撃を受け止めながら作業、というのは困難。

 そんな作業してたら、今のようにやってる間に破壊される。

 最上は唐突にキレた。

 

「使えない、使えないなぁ! 何てゴミだよこの甲標的って奴は。パッと展開できなんじゃ何の意味もないじゃないか! よくも僕に鉄屑なんて持たせたな、許さないぞ! でも主様には怒れないな。じゃあ君達今すぐ死んでね!」

「どんな理論よ!」

「話すだけ無駄だぴょん」

 

 狂人とまともに話そうとする方が間違いである。最初から取り合う気はない。しかしこんなのを眺めているのも不愉快極まる。さっさと死ねと言わんばかりに主砲を乱射。

 

「今度こそ沈めて上げるよ! しょうがないけど全力だ!」

 

 卯月の突っ込みにも腹が立ったのか、最上は再び瑞雲を展開し、卯月を沈めようとする。

 数が先ほどとは段違い、パッと見黒い塊にしか見えない程の物量、しかも不規則な軌道を画き、一気に取り囲もうとする。

 迎撃もクソもない、物力に押されてお終い。

 そうなる筈だと、最上は思っていた。

 

「あー、あー、やっぱりお前はおバカさんだぴょん……なーんでうーちゃんが、瑞雲の処理に時間をかけてたのか、何にも分かってないぴょん」

 

 そうほくそ笑んだ卯月が、主砲を全身の機銃を突き上げる。

 

 そして一斉射──そのどれもが、飛び交う不規則な瑞雲を、正確に撃ち抜いていた。

 

「僕の瑞雲が!」

「ぴょーっぴょっぴょっぴょ! 不規則つったって、所詮は人のやること! 必ず法則は存在する。それを見破れば、速度はない水上機なんて的同然だぴょん!」

 

 汚い高笑いに隣の満潮はちょっと引き気味。

 そんなことは気にせず、卯月は次々と瑞雲を叩き落としていく。

 無論、事前に熊野を筆頭に、対最上戦の訓練をしていたからできたこと。卯月は培われた力を存分に振るっていた。

 

 だが、状況が好転したとは言い難い。

 

「……でも良いのかな。僕だけに構ってて。あっちは大分大変そうだけど?」

 

 最上の指さす方向では、球磨たちが無数の深海棲艦相手に戦いを繰り広げていた。

 一人一人は一騎当千、しかし戦争は何時の時代も『数』、前科戦線側は圧倒的に不利な状況だ。

 

 もっとも、多過ぎる戦力が仇となり、フレンドリーファイアも多発中。

 数に見合った力を発揮しているとは言い難いが、それでも苦戦は免れない。既に被弾もしてしまっており、小破している者もいた。

 

「いやどうでも良いぴょん。あっちはあっちでどうにかするぴょん」

「そう、数を抑えている間に、僕を仕留めるって訳かぁ。妥当な方法だけど、それは不可能なのさ……そら、見て見なよ!」

 

 球磨たちが交戦している所より、遥か後方を見る。

 

「げっ、これは、ちょっと!?」

 

 卯月は聴覚で、満潮はレーダーでそれに気づく。

 

「うん、増援だよ。顔無しの」

 

 とんでもない数の深海棲艦だった。故にこれで全部かと勘違いをした。

 信じがたいことに、最上は()()()()()()()()()()()()

 やがて、交戦している最中の球磨たちも、増援に気づき、絶句する。

 

「まだ出てくるのかクマー!?」

「あ、うん、ポーラもうダメです。帰って良いですか~?」

「どうぞ。この状況で帰れるものなら」

 

 それでも撤退という選択肢は存在しない。この後ろには彼女たちの基地がある、防衛しなければならないからだ。

 必死なその姿が愉快過ぎて、最上は狂った笑い声を上げる。

 

「あはははは! 護るモノがあるって、どうしてこう弱いんだろうね!」

「……あ゛?」

「艦娘とかいっぱい沈めたけど、どいつもこいつも、仲間を庇って沈んだり、逃がそうとして首が飛んだり、気にかけている間に内蔵が引っこ抜かれたり! 本当に意味不明だね、いや僕も昔はそうだったけど……ああでも、やっぱりおかしいや!」

 

 今更ながら、当たり前ながら、今の発言で一つの事実が確定する。

 最上も、卯月や秋月と同類だ。

 D-ABYSS(ディー・アビス)で狂わされた被害者で間違いない。

 膨大なエネルギーによって、そういう価値観に捻じ曲げられてしまったのだ。

 

 その事実に満潮は、更に怒りを募らせる。よりにもよって最上がその犠牲になっていることが気にくわない。

 恐らくは卯月も似た感情──と満潮は思った。

 間違ってはいなかった、だが、正解でもなかった。

 

「お前、今、卯月を侮辱したな」

「えっ」

 

 一体どういう解釈が脳内で行われたのか、満潮には知る由もない。あるのは純然足る結果のみ。

 

D-ABYSS(ディー・アビス)、解放。死ね最上」

 

 卯月は激昂していた。一瞬で完全なる殺意へと至る程に。

 

 そして強化された回し蹴りが、最上の脇腹へと叩き込まれていた。



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第153話 最上改二壊③

 大量の増援に苦戦している中、更に追加で送り込まれた顔無し軍団に苦戦する球磨たち。

 卯月たちは最上相手に善戦しているが、その前に球磨たちが押し潰されかけていた。

 

「ヤバイ、流石にヤバイクマ。処理し切れない上、そもそも残弾の数が絶対に足りないクマ!」

「ポーラはワインが足りなくなりそうです。死活問題です!」

「そのまま息絶えて構わないクマ」

「酷い~!」

 

 ──と言いつつ、最終的に基地の爆破に巻き込む予定なので、押されているのは問題ない。

 ただ余りの数に、それを待たずにやられかねない状況。

 このまま罠に誘導するにしても、誘い込める数には、物理的な限度がある。そこまでは自力で減らさなければならない。

 しかも迅速に。

 

「……おかしい」

 

 だが、そんな中で不知火は疑問を抱き続けていた。戦いながらも、疑問を拭えずに、思考を続けていた。

 

 幾ら何でも、数が多過ぎる。

 

 顔無しではない。普通の深海棲艦の数が多過ぎる。

 艦娘とは違い、深海棲艦は『建造』できないとされている。

 自然発生するのを待つしかなく、それらが本能で、近くにいる姫に集まっていき、勢力を増やしていくのだ。

 

 そんな方法故に、極端な数は揃えにくい。

 時間をかけて待つ以外の方法がない。

 一応、他の姫に襲い掛かり、戦力を奪い取る方法もあるが──そんな行動してたら、偵察部隊が察知する。

 

 しかし、ここ最近、そういった接収の動きがあった情報はない。

 

 ならば、あれだけの数の深海棲艦をどう揃えたのか。パッと考えて浮かんでしまうのは二つ。

 

 何らかの力で、深海棲艦を強制招集できる。

 ただ、先程のように、それをしたら他海域の戦力図が変わる為察知できる。可能性は低い。

 

 もう一つは、考えたくもない可能性。

 艦娘を建造するように、『資材』が許す限り、幾らでも深海棲艦を建造できる術がある。

 

 元々顔無しを作る技術はある、専用の設備が泊地水鬼の元にある可能性は高い。

 それが事実なら大参事確定である。

 最も現時点で机上の空論、気にしたってどうしようもないことだ。

 

「不知火! 後、どれぐらい削れば良いんだクマ。球磨たちはそろそろ限界だクマ!」

「もう少しです、後もう少し削ります。全員奮起してください」

「了解、だクマ!」

 

 これ以上増援が増えたら不味い。その前に区切りをつけようと、不知火は主砲を掲げた。

 

 

 

 

 その必死で戦う光景を見て、最上は嘲笑っていた。

 余りに無駄な足掻きが愉快で、見ていて気持ちよくて、醜悪な笑い声を止めることができなかった。

 

 だがそれが卯月の逆鱗に触れた! 

 

「侮辱の前には、殺人も許されるのだぴょん」

 

 一体どういった思考が起きたのは検討もつかない。

 最上は唐突にD-ABYSS(ディー・アビス)を解放した卯月の強襲を受ける羽目になる。

 まさか、もう切り札を切るとは思わなかったのだ。

 

「くたばりやがれこの狂人が!」

 

 システムにより強化された肉体が、卯月を一瞬で加速させる。瞬きをする間に眼前へと到達し、加速の乗った状態で、主砲を放とうとする。

 本来なら掠り傷しかつけらないが、加速に、至近距離に、システムのブースト。

 喰らえば肉を抉られるのは必至。

 

「誰が狂ってるって、嘘は言っちゃダメなんだよ!」

 

 しかし相手もD-ABYSS(ディー・アビス)有り、しかも重巡クラス。保有するパワーは比較にならない。

 最上はあろうことか、飛んで来た砲弾を、素手で受け止めてしまったのだ。

 力任せに、鉄の塊である砲弾を握りつぶし破壊する。

 

「クソが、マジかっぴょん」

「いやー、危なかったよ。けど残念、奇襲は失敗だ。D-ABYSS(ディー・アビス)のカウントダウンは始まっちゃったね?」

「……で、何」

 

 卯月の表情は変わらない。理由不明の殺意がこれでもかと溢れ出ている。

 何故ここまで怒っているのか分からない、卯月を侮辱するようなことは言っていないのに。

 

「まっ、いっか」

 

 恐らく彼女は狂人なのだろう。可哀想な子供だと認定を下し、最上は砕いた砲弾の欠片を全力で投げ飛ばした。

 言ってしまえば石つぶて、しかし、最上のパワーで投げれば対物ライフル以上の破壊力へ変容する。

 

 回避ができる密度ではない、側面へと移動して攻撃範囲から逃れる。

 だが最上は更に、逃げる先へ魚雷を撃ちこんでいた。

 しかも至近距離、雷撃は既に卯月の足元へと迫っている。

 

 卯月は、更に横へと跳躍する、それが確実な回避方法、故に読まれやすい。

 

「狙い通りだね!」

 

 最上はその回避先へ、主砲をもう向けていた。トリガーを押すのは一瞬、もう阻止はできない。勢い良く跳躍しているせいでブレーキもかけられない。

 なのに卯月は回避を止めない、何故なら、その主砲は撃たれないと分かっているから。

 

「……うーちゃんも予想通りだぴょん」

 

 眼下に迫るそれを最上は見つける。

 

「―—魚雷か!」

 

 移動にせよ、処理にせよ、主砲を持ちながらでは不可能―—否、瑞雲を展開すれば同時に実行可能、飛行甲板を振るい瑞雲を展開する。

 加速もクソもなく、最初から最大速度で飛行し、雷撃の排除に掛かる瑞雲たち。

 しかし、今度はそこ目がけて、正確な狙いの砲撃が飛び、瑞雲の何機かがやられてしまう。

 

「誰!? って、君しかいないよねぇ満潮ぉ!」

「ざまぁないわ」

「よくも僕の邪魔を」

「余所見してて良いの」

 

 雷撃のない場所まで一気に迂回した上で、卯月は再び最大戦速で突撃を仕掛け、超至近距離から主砲を放とうとする。

 最上からしても、一発も被弾してはならない。

 それがそれなのか不明だが、秋月の時と同じ破壊工作弾を入れていたり、吸収阻害の武器を持ちこんでいる可能性も高い。

 

「ああ゛もうクソっ! うっとおしいなぁ君達は!」

 

 結果、卯月の排除よりも、回避を優先せざるを得なくなる。後方へと跳躍し、上から主砲を叩き込んで魚雷を処理。

 

 そこへ卯月も突っ込んできた。

 

「死ね、今すぐに死ね」

「何なの君!? 一体僕が何時卯月を侮辱したって言うのさ! 意味が分からないよ狂ってるのかい!?」

「やかましい、消え失せるぴょん」

 

 理解不能な狂人の言動に最上は混乱気味だ。

 それでも卯月を抹殺せんと、殺戮兵器と化した指先を振るう。

 空中だ、回避はできない。

 ──な訳がない、卯月は考え無しに跳躍したのではない。

 

「―—少しなら真似できるぴょん」

 

 そう言って彼女は後方へ砲撃を放った。

 D-ABYSS(ディー・アビス)により強化された砲撃は反動も凄まじく、僅かだが卯月の身体を前方へと押しやった。

 それは、秋月の模倣であった。

 

「なっ──」

「殺すッ!」

 

 そして胸元へ突き立てられるのは一振りのナイフ。修復誘発材が塗られた狂気。それが間違いなく胸元へ突き刺さった。

 だが、最上の反応も早い。

 胸部が融解していく感覚の中で、すぐさま瑞雲を再展開し、包囲したのである。

 

「僕は死なない、爆撃ぐらいじゃ、でも、君は死ぬねさようなら!」

 

 最上は迷うことなく、瑞雲から爆弾を発射した。

 

「うん、さよならだぴょん」

「……どういう意味」

 

 突然だった、卯月が『真下』へ急速に落下した。

 

 結果瑞雲包囲網の外へ脱出、置き土産に爆雷が放り投げてあった。

 

 だがいったいどうやって? 

 その答えは、卯月の艤装から伸びる『錨』にあった。

 艤装にくっついている筈のそれが、真下の海に向かって伸びていた。予め投下しておいたのだ。それを満潮が全力で引っ張ったことで、真下へ脱出したのだ。

 

「助かった感謝するぴょん満潮」

「私のアドリブ力に感謝しなさい」

「キャー天才! 美人、美女薄命! ステキー!」

「今なんか悪口混ざってなかった」

 

 取り残されたのは、胸部を溶かされた最上と、卯月が置いてった爆雷と、瑞雲が発射した高威力の爆弾たち。

 通常ならダメージにはならないが、胸部を溶かされた今であれば──外皮(装甲)はないも同然である。

 

「―—あ、あああアあ!?」

 

 目もくらみ、姿勢が保てないような大爆発が最上を覆い尽くした。

 

「うわー、ヤバいなアレ。直撃してたら死んでたぴょん」

 

 身体を伏せていなければ数十メートルは吹っ飛ばされていた。瑞雲が出して良い破壊力ではない。直撃しなくて良かったと心の底から安堵する。

 だが、これで終わったとは到底思えない。

 満潮と共に、爆発の跡地を注視する。

 やがて、爆炎の中に、一人分の人影を発見する。

 

「……痛いなぁ」

 

 言うまでもなく、最上であった。

 流石にノーダメージとはならず、融解した胸部を中心に、大きな火傷を負っており、出血もしている。

 しかし健在だ、致命傷には至らなかったのだ。

 いや死んでも任務失敗なのだが──それはそれとして、卯月は舌打ちをする。

 

 その時である。卯月は聞き覚えのない音を聞き取った。

 

「ここまで痛いのは久し振りだよ。主様にお仕置きされた時ぐらいかな。んんっ! でも主様が構ってくれたのは至福の時だったよ……あれ以来、苦痛を感じる度に、そのことを思い出しちゃうんだ……」

 

 涎を垂らしながら恍惚とする最上は狂人そのものである。

 だがそんなことはどうでもいい。

 今の音は何の音だ、聞いたことがない。

 耳が良いからずーっと音は聞き続けている、人間の体内の音もある程度認識できている。

 その上で知らない音とはいったい何なのか、警戒心が跳ね上がる。

 

「それに、あ、ああ、きた! これだよっ、あはっ、堪らないィィ!」

 

 嬌声を上げながら、腹部の傷が──高速で治癒していた。

 

「嘘でしょ!?」

「うわ、まじかぴょん」

「はぁぁぁぁんっ!?」

 

 最上は身を捩り、その顔を快楽に溶かす。

 戦場のど真ん中で、絶頂する声が聞こえ、別働隊の球磨たちまで『何だ今のは』と反応する。

 その時にはもう、傷は跡形もなく消え去っていた。

 

「自己再生……!?」

 

 あり得ない現象である。

 まず、艦娘は自己再生能力を持たない。入渠した時のみその特性が発揮される。

 深海棲艦は自己再生能力を持っているが、艦娘の武器で攻撃された場合は、その力が抑制させる。

 

 最上は確かに、艦娘の兵装でダメージを負った。最上が艦娘にしろ深海棲艦にしろ、簡単に治癒しない。

 なのに現実として、傷一つなく立っている。

 考えるまでもない、これもまた、D-ABYSS(ディー・アビス)が齎す『異能』の一つであると卯月は理解した。

 

「ふぅー……おっと、どうしたんだい皆、顔を赤らめて。ひょっとして僕が羨ましくなった? うん仕方ないよね、こんなに気持ちいいんだもん、可能なら分けてあげたいよ! まあ無理なんだけどさ」

 

 妄言を吐き散らす最上。会話する気はもうない。

 だが、どうすれば良い。

 ダメージを一切累積できないことが分かってしまった今、こいつをどう倒すべきが、この場で考えなければならない。

 しかし最上はもう、考える暇は与えなかった。

 

「だって、もう時間切れだし」

 

 指ぱっちんと共に、深海棲艦たちが殺到する。戦術、戦略もなし、物量に物を言わせた津波が押し寄せてくる。

 

「数が、また増えてる!?」

「うん、増やしたのさ! でも流石に建造に時間がかかるから、ちょっと遊びに付きあって上げたって訳。どう絶望したかい? そっかそれは何よりだ。再生する時の痛みはとっても気持ちい良いけど僕は人が絶望して死んでいくのも大好きで──」

 

 聞いている余裕は皆無。

 なんということか、最悪の予想が当たってしまった。不知火は内心頭を抱える。まだ増援は出せたのだ。しかも更に増える可能性がある。

 この際方法はどうでも良い、この状況から、時間まで持たせる方が最優先だ。

 

「全員撤退! 籠城に移行します、各々指定されたトーチカで戦闘を開始してください!」

 

 不知火が張り裂けそうな声で指示を飛ばす。

 全員すぐさま行動開始、敵に背中を見せて逃げ出し、基地内部に設置されたトーチカへ立て籠もろうとする。

 最上は一人も逃がすまいと、執拗に砲撃を加える。

 それの邪魔の為、ポーラが敵陣へ向けて、特殊弾頭を撃ち込む。

 

「うわっ、これ、この白い煙は」

 

 単純な目晦まし、スモーク弾である。

 だが一時的な妨害に過ぎない、最上側にはレーダーもあるし、そもそも最終的に物量で潰されるのがオチだ。

 でも待ってあげる理由もない。

 

「全員突撃してね!」

 

 視界が埋まるような大群で、スモークの中へ突撃。

 勿論味方同士でぶつかり合い、衝突事故が多発するが、最上には関係ない。死体が増えるならそれはそれで、D-ABYSS(ディー・アビス)に回すエネルギーが増える。

 

「よーしよし頑張ってね! 頑張って進んで進んで死んでね!」

 

 人を人とも思わない指示を飛ばしながら、自らも砲撃を出鱈目に撃ちこんでいく。トーチカは固いが、自分の砲撃を重ねて叩き込めば、何れは壊れる。

 その内、繰り返された爆発により、スモークが掻き消されていく。

 獲物をじっくり見つけ、1人ずつ殺してあげよう。そう舌なめずりした最上が見た者は。

 

「あれ?」

 

 人の住んでいる気配が欠片も見当たらない廃墟と。

 

「まさか──」

 

 閃光と轟音、衝撃波に破壊される自らの五感であった。



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第154話 最上改二壊④

艦娘に人権はあるのか、どう扱うべきか?

それは大本営どころか、どの世界でも未だ結論の出ていない難解な課題であった。

 

人として認めれば、幼子を戦場へ送り出していることになる。

何の試験、テストも受けていない人を、兵士として徴兵していることになる。

 

逆に人ではないとすれば、非人道的扱いが更に横行することになる。

大本営からしても、それだけは決してあってはならないこと。

『敬意』に欠ける、極めて危険な行為となる。

 

だから今だに答えが出ていない、()()()()()()。曖昧なまま運用していた方が、今の所都合が良いからだ。

 

前置きはここまで。

何が言いたいのかというのと、その曖昧さ故に、艦娘の扱いは鎮守府によって大分異なるということだ。

 

流石に看破できないほど非人道的扱いは別として、娯楽をどの程度許すのか、外出は、給与体系は――その辺りも、提督次第で幾らでもできるようになっている。

 

これはある種の実験でもある。

どういった扱いが最も望ましいのか。

無数のサンプルを通じ、大本営はそれを確かめようとしているのである。

 

様々な鎮守府の内、給与が一切支給されない場所があった。

 

 

そこが、熊野が最初に所属していた鎮守府であった。

 

 

ただ誤解しないで欲しいのは、だからといって非人道的扱いをする基地ではないということ。

 

給与がない代わりに、無料で使えるサービスがとても充実していた。

前科戦線のように必死で戦わなければ、娯楽用の交換券が手に入らないことはない。

予算内、という限度こそあれど、前科戦線以上に娯楽はあった。

 

食堂で色々な物は食べられる、某軽空母が切り盛りする居酒屋もあるし酒保もある。

少なくとも、一般的に考えられるような、人間らしい生活は不自由なく送ることが可能だった。

 

しかし、だからこそ、熊野はそれが気に入らなかった。

 

『何故、現金でないのでしょうか――』

 

熊野にはそれが理解できなかった。

今の生活に不満があるからではない、むしろ問題は、()()()()()()()になる。

 

もし仮に、この戦争が終わったとしよう。

その時、私たちの生活はどうなるのか?

熊野は、無条件に幸福な暮らしが保障されるとは、思えなかった。

 

むしろ、平和な世の中には不要な存在として、様々な方法を持ってこの世から排除される可能性の方が高いと見込んでいた。

 

人知れず殺されるか、もしくは、気づかれないよう安楽死させられて、大層豪勢なモニュメントでも建築するか。

どちらにしても、わたしは消えていなくなるだろう。

 

そして、そうならなかった場合でも、まともに暮らせるとは思えなかった。

 

『戦闘兵器でしかないわたくし達が、どう世間に馴染めというのでしょうか――』

 

前職艦娘、学歴皆無、一般常識は軍人基準。

こんなのでどう世間に馴染めというのか。

戦後直後な上、機密情報の塊、一生分の生活費も、護衛の予算も出せる筈がない。

社会に馴染むサポートはあろうだろうが、限界はある。

 

では頼りになるのは何であろうか?

 

即ち、金である。

 

万能ではないが、使い道は非常に多い。

金があれば、選べる選択肢はとても多くなる。

今必要なのではない、今後、もし戦争が終わった時、金は絶対に必要になる。

 

だが、熊野のその考えに取り合う人は誰もいなかった。

 

この戦いが終われば報われるだろうと――無料で何でもできる生活環境だからか――思っている、楽観主義者が大半を占めていた。

 

熊野自身、それで構わないと思っていた。

理解して貰おうとなんて思っていない、自分は自分で、色々な手段を使って、今の内から少しずつでも溜めて行けばいい。

 

それに幸いと言うべきか、一人だけだが理解者はいてくれる。

 

『鈴谷』がいてくれるから、少しだけ安心できたのだ。

 

あの日までは。

 

 

*

 

 

爆炎に包まれ、轟音が切れ目なく響き続ける。大量の煙幕だけでは済まされない。舞い上がった塵が触媒となり、粉塵爆発まで連発。火災は止まらず、夜の海はあっと言う間に炎に包まれる。

 

その中で卯月はザマ―見ろとゲラゲラ笑っていた。

 

「燃えろ燃えろー!魂諸共消し炭になってしまえー!」

「……そうね、あれは炎で浄化されるべきだわ」

「そうだなじゃあ満潮もダイブしてくるぴょん。腐った性根を焼却処分して来いぴょん」

「アンタの命を先にくべて上げましょうか」

 

としょうもない言い争いを繰り広げながらも、敵のいる場所目がけて砲撃を延々と叩き込む。

深海棲艦は艦娘の攻撃でしか殺せない。

今起きている爆発は、ただ敵の動きを制限する以上の役割を持たない。

瓦礫に埋もれ、炎で酸欠となり、煙で視界を封じられている間に、殺せるだけ殺し尽さねばならない。

基地内に残っていた墳進砲も使って、徹底的に敵の侵入エリアを焼き払い続ける。

 

「ここまで撃っててなんだけど、最上、死んでないわよね」

「大丈夫だと思うけど。再生能力もあるし、多分生きてるぴょん。死んでたら……まあ気にすることはないぴょん!」

「任務失敗だってのに、よくそんなこと言えるわね」

 

どう言われようが知ったことではない。

最上は嫌いである、敵でしかない、ならば死ぬべし。

実際の所、まず死んでいない。

この程度で殺せるのであれば、誰も苦労していないのだ。

 

その証拠を表すように、突然、衝撃波と共に炎が吹き飛ばされた。

 

「―—っ今のは、やっぱり」

「だと思ったぴょん」

 

風圧と共に、無数の死骸が宙を舞う。クレーターの中央に立っていたのは、当然最上であった。

 

「痛い、かな」

 

あれだけの集中砲火を叩き込まれたにも関わらず、小破程度の傷しかついていない。それどころか話している間に火傷も出血も治癒していく。

 

「そっか、この基地自体が罠だったんだ。うん、僕が迂闊だったよ」

 

話終わるころには、完全に治癒。掠り傷一つない状態に逆戻りだ。

それでも、イロハ級や顔無しは相当排除できた。

追加の増援さえ来なければ、最上だけを相手どれば良い状態に持っていくことができた。

 

「怒ったよ僕は」

「へー、今までは本気じゃなかったって?敵の戦力もまともに判断できないとは、およよ……システムの洗脳がこんな所まで響いているとは、うーちゃんは驚愕だぴょん」

「それ君も同じじゃないか」

「誰が阿呆だってオ゛オ゛ン!?」

「何だって良いよ。卯月、君は本当にイライラする奴だね!」

 

最上は笑顔だった。とても良い満面の笑み。しかし笑みとは本来攻撃的なもの、そこに親しみは一切感じられない。

そして、卯月は最上の本気を――厳密に言えば艦種の差を――痛感する羽目になる。

 

「満潮、あいつ突っ込んでくるぴょん!」

「言わなくても分かるわよそんなこと!砲撃するわ、合わせて!」

「命令するな!」

 

クラウチングスタートめいた姿勢を取る最上、最大船速で突撃してくるつもりだ。

だが直進と分かっているなら、対処は容易い。

進行方法へ、迂回して回避する先へ、予め砲撃を置いておくだけで良い。

 

当たっても再生されるが、流石に無尽蔵に自己修復できるとは考えにくい。無駄な被弾は避ける筈だ。

 

卯月の砲撃では、掠り傷にもならないが、今はD-ABYSS(ディー・アビス)作動中。威力も底上げされているから、有効打になってくれる。

最後に、ダメ押しで雷撃をばら撒いておけばヨシ。

再生能力頼りで突撃してきたら、それで逆に大ダメージを負わせられる。

 

しかしこの見込みは、甘かったと言わざるを得ない。

 

「じゃあ行くよ」

 

最上は地面を力強く踏み込み、加速した。

 

そして砲弾に真正面からぶつかっていき――砲弾が砕け散った。

 

「!?」

 

艤装部分を当てた訳ではない、撃ち落としてもいない。

間違いなく生身の部分でぶち当たりに行き、逆に砲弾を破壊したのである。

普通より強化されている卯月の砲弾でさえ簡単に破壊されてしまう、ばら撒いておいた雷撃にも被弾するが、一切ダメージはなし。

再生どうこう以前に、全く攻撃が通っていなかった。

 

「じゃあさようなら」

 

戸惑っている間に、最上は既に卯月たちの目の前に接近していた。

 

そして、突進の勢いを残して爪を振るう。顔の皮がはげる処ではない、上半身諸共消し飛ばされる。

迫る死の予感、卯月は殺意を巡らせる。

身体を逸らしての回避は、間に合わない。できたとしても、姿勢が崩れた瞬間を次が襲う。

 

選べる選択肢は多くない。

人を殺すために最適化された思考は、速やかに最適解を叩きだす。

危険な方法だが最も確実、それを躊躇なく実行へと移す。

 

「クソッ……!」

 

すぐさま使用できる、取り回しの良い武器は、ナイフだけ。その腹の部分で、一瞬だけ凶爪を受け止める。

修復誘発材に接触した爪が、僅かに融解し、速度が落ちる。

その一瞬で、卯月は攻撃の勢いを受け流した。

 

「おおっと!?上手いね、でも、無事じゃないみたいだね!」

「一々言わなくても良いぴょん」

「言うさ!弱い子がボロボロになっていくのは愉しいからね!」

 

何とか受け流す事は成功した、だが、完全にはできなかった。殺し切れなかった衝撃により、利き腕の骨に亀裂が走ってしまった。

痛みは無視できる、戦闘に邪魔なのであれば、殺意の元、意識から外すことはできる。

それでも、取り回しに支障が出るだろう。

 

だからこそ、これ以上危険に陥る前に、最上を無力化しなくてはならない。

 

「今度は、こっちの番だぴょん」

 

突進を受け流されたせいで、最上は姿勢を崩している。言うまでもなく最大のチャンス。満潮も見逃してはいない。

艤装等で防がれず、確実にダメージを通せる場所。

そこへ、二人分の攻撃を重ねがけすれば、どうにかなる。なってくれなければ困る。半ば縋るように、同時に砲撃を放つ。

 

狙う場所は、首筋だ。

 

「うぐぅっ!?」

「―—命中!」

「畳みかけるぴょん!」

 

背中はダメ、艤装で防がれる。

頭部もダメ、頭蓋骨はかなり頑丈。

手足はダメージを通せても、再生されるから意味がない。

だからこそ首だ、上手くいけば、そのまま意識を落とせるかもしれない。

 

下手をすれば、首ごと爆散しかねない危険な攻撃だが、構っていられない。砲撃や魚雷を正面突破された時点で、そういう情けはなくなっていた。

秋月以上に、手加減して勝てる相手ではなかった。

 

正確な砲撃が、首筋へ集中する。

最上は確かに呻き声を上げていた、ダメージを負っている証拠だ。このまま一気に畳みかけなければならない。

 

「あー、もう、本当に痛くて、ヤだなぁ!」

 

だが、それも最上は、艦種の差だけで正面突破してしまった。

飛行甲板の一振りで煙幕を全て吹き飛ばす、首筋にダメージはあった、肉は抉れ骨が剥き出しになっていた。

しかし、それだけだった。

瞬く間に再生が行われ、苦労して抉った傷は修復される。

 

「冗談かぴょん!?」

 

足を止めて、一切ズレなく集中砲火を浴びせてもダメだった。技術とか、そういう問題ではなかった。

 

「だからさぁ、格というかね、艦種が違うんだよ!」

 

最悪だが最上の言う通り。

D-ABYSS(ディー・アビス)は確かに艦娘を強化するが、それは元々のスペックに比例する。

駆逐艦と、改装型航空巡洋艦。

どちらの方が、より伸びるかは明白だ。

 

「所詮、チマチマと燃料とか運んだり、肉盾になるしか能がない駆逐艦!そんな連中が、僕に勝てると思ってただなんて……ウシシシッ、あー、愚かだなぁ、バカだなぁ、救いようがなくて、本当に!笑えてくるなぁ!」

 

強さに驕り、下衆としか言いようがない性根に貶められた、かつての仲間を見て、そんな奴に勝てない自分に満潮は心の底から苛立ちを覚える。

卯月は、更なる侮辱に殺意を噴き出しながら、どうすべきか思考を巡らせる。

 

攻撃が、全て通じない。D-ABYSS(ディー・アビス)のブーストでもまるで追いつけていない。ならどうすれば良いのか、答えは見つからない。

 

「必死で考えてるんだね、僕を倒す方法を。でもダメ、僕は怒り心頭なんだ。イロハ級が一杯殺されちゃったから、僕怒られること確定してるのさ。何でだろうね、勿論君達のせいだね?よし、責任を取って死ね」

 

そう言ってから。最上の行動は早かった。

さっきのアレでさえ、まだ手を抜いていたのだと卯月は痛感する。

だって、もう、最上の爪が、首元に食い込んで――

 

()()()()()()()

 

「わっ!?」

 

とても絶妙な角度で、どこからか砲撃が撃ち込まれた。

それが最上の手を弾き飛ばしたのだ。

最上どころか、卯月も驚愕、二人は揃って、撃ち込まれた方向を見る。

そこに立っていたのは、此処にいない筈の人だった。

 

「熊野……!?」

「お久しぶりですわね、鈴谷。今から殺しますのでお覚悟ください」

 

卯月とはベクトルが違えど、その形は同じ。訓練の時は見せなかった、静かな殺意を燃やしながら、熊野が乱入した。



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第155話 最上改二壊⑤

 ある出撃の日、とある不幸が熊野を襲った。

 大規模作戦の最中、敵の不意打ちを受け、致命傷を負ってしまった上、帰投が遅れた結果、入渠で治せなくなってしまったのだ。

 運が悪かったとしか言いようがない、誰にでも起こり得る、偶々な一撃が起きてしまった。

 

 だが、本当の不運はここからだった。

 入渠でダメなら、高速修復剤や外科手術等でどうにかする他ない。

 外科手術を行うだけの施設はあった。

 しかし、それを完遂できるまでの、高速修復剤が尽きていた。

 

 大規模作戦の最中故に、修復剤の備蓄は僅か。

 今後の作戦遂行を考慮すれば、熊野に回す分はなし。

 敵が眼前に迫っている以上、作戦放棄はあり得ない。

 

 尚、こうなった原因は、艦娘に給与を払っていなかったからである。

 給与がない故に、娯楽設備を充実せざるを得なかった結果、他の鎮守府より備蓄が僅かに少なかったのだ。

 

 提督を責めることはできない。

 そもそも艦娘の運用を、提督に一任している大本営が悪い──責任はとらされるが──なんであれ、熊野の治療ができないのが現実だった。

 

 だが、ご覧の通り熊野は生きている。

 即ち、治療ができたということである。

 それはつまり、鎮守府が修復剤を獲得できたということ。

 

 何があったのか。

 

 熊野は基本、他の艦娘から疎まれ気味で、心配する声こそあれど、身を削って助けようとする人はいなかった。

 

 たった一人を除いて。

 

 治療され、目覚めた熊野はその顛末を聞くこととなる。

 

『鈴谷が、自分を、売った……!?』

 

 熊野は提督を問い詰める、何処へ売ったのかと。

 

『技研に!? 人体実験の、被検体として!?』

 

 この時期丁度、技研は被検体不足に陥っていた。

 戦争状態が、多少小康状態へと変わり、入れ替わって艦娘への人権が意識された頃。

 あらゆる非人道的行為を是としてきた、技研の研究行為にも歯止めがかかっていた。

 

 だが、戦争に勝利する為、研究は継続されなければならない。

 彼らは被検体を欲していた、鈴谷はそこへ自らを売ったのだ。

 熊野を治療する為の、修復剤と引き換えにして。

 当然軍規違反の行為である。

 

 熊野は、どうにかして鈴谷を取り返そうとしたが、鎮守府には何もできなかった。

 

 そもそも、身売り行為自体が違反行為、露見すれば救出できても解体される危険がある。

 裏から奪還しようとしても、この提督にそんな権力はない。

 誰も助けられなかった、仲間も、提督も、熊野も。

 

 それでも諦めきれなかった熊野は、鈴谷を『金』で買い戻そうとした。

 

 人身売買の買戻し、相手は巨大組織、必要な金は莫大、普通に働いているだけでは稼げない。

 というか給料がない、巻き上げる金さえ持ってない。

 

 だから戦果を上げ、合同作戦でコネを作り、別の鎮守府移籍。

 そこで、艦娘、付近の一般人相手問わず、違法ギャンブル等あらゆる手段で金を稼いだ。

 

 全ては只一つの目的の為、技研に違法買収された鈴谷を買い戻す為。

 

 果たして、その取引を技研が持ちかけたのか、鈴谷が提案したのか、知る由もない。

 第一理由はどうでも良い。

 全身全霊で金を稼ぎ──遂に、露見した。

 

 その前科を持って熊野は、前科戦線送りとなったのだ。

 

 それでも諦めず、前科戦線でも金を回収し続けた。最上が目の前に現れるその時までは。

 

 

 *

 

 

 姉妹艦だからだろうか、長い間一緒に戦ってきたからだろうか。

 最上を見て、やはり気のせいでは無かったとため息を吐く。

 間違いなく、鈴谷と同じ気配がする。

 できるなら違っていて欲しかった、その望みを絶たれたのに、熊野は動揺せずにいる。

 

「あれ、熊野じゃないか。久し振りだね! 元気にしてた? 僕は見ての通りとっても元気さ! これからこの子達を抹殺してもっともっとご機嫌になるんだ。折角だから熊野も見てよ、君の仲間が無様な肉塊に変わるのを──アレ?」

 

 長々と話している間に、卯月は逃亡していた。

 あらゆるスペックで叶わないが、流石に逃げ足では勝てる。

 システムの恩恵全てを振り分けた全力疾走により、最上の射程距離からなんとか逃れる。

 

「熊野、出撃許可が出たのかぴょん!?」

「いえ出ていません」

「ぴょん!?」

 

 命令違反をあっさり白状する熊野に、卯月は絶句。遠くにいる球磨たちも同じ反応だ。違うのは満潮。彼女だけは不信感を顕にしていた。

 

「アンタ、何で来たのよ」

「何で、とは?」

「自分が役に立たないことぐらい自覚しているでしょ。まさか、私たちの足を引っ張りにきたって訳!?」

 

 最上に対して執着する余り、酷い暴挙を繰り返してきたことを満潮は忘れていない。

 あんな態度では、逆に足手纏いだ。

 執着する気持ちは理解できるが、それでは死ににくるようなものだ。

 

「決まっています。最上さんを止めるために参りました。で、あれば。鈴谷のことを最も知っているわたくしが来る方が、より確実でしょう」

「自分だけで戦うつもりかぴょん?」

「……今この状況では、不可能でしょう」

 

 あんまり心変わりしてなさそうだった。つまり、自分の関与しない中で、最上のアレコレが終わってしまうのが許せなかった模様。

 まあ、邪魔さえしなければ、卯月的には何でも良いのだが。

 ただ良くないのが一人いる。

 

「熊野さん、これはどういうことですか──いえそこは良いです。前科戦線の警戒はどうなっているのでしょうか。まさか」

「あ、大丈夫です。那珂さんにも高宮中佐にも言ってあります」

「中佐に? いったい何をしたのですか」

「予約購入したんですの」

「……予約?」

「はい、最上さんの命を」

「は?」

 

 なんか酷い発言が飛び出てきた。

 これに一番驚いたのは、遠くで話を聞いていた最上である。

 

「待って待ってどうして僕の命が勝手に売買されているんだい!?」

「だって、これからわたくしたちに敗北して、前科戦線の所有物になることは確定事項ですし。なら、予約は成立しますわ。実際できましたもの」

「君達の司令官どうなってるのさぁ!?」

「グゥの音も出ないクマ」

 

 まず人の命を金でやり取りするな。ということはさて置いて。中佐が認めたという点が問題だった。この作戦で最上をどうするかは、熊野の意志次第になったのだ──屁理屈極まってるが、中佐的には金が入れば何でも良いのである。

 

「なので、特に卯月さんには良く聞いて頂きますが……そもそもそういう命令でしょうが、最上さんの殺害を試みることはわたくしが許可しませんので、ご承知くださいな」

「……ぴょん」

「さては卯月さん割と殺す気でしたわね?」

 

 卯月は目線を逸らした。

 後方から飛んでくる不知火の目線からも意識を逸らす。

 殺意極まり過ぎて、前科が増えるの上等で殺す気だったからだ。

 

「殺すとか、捕縛とか言ってるけど、さっきから君達、そんなことできると思ってるの?」

 

 色々空気をぶち壊されて、怒り心頭の最上が睨みつけてくる。

 こちらを弄び、蹂躙しようとしていた楽しさはなく、楽しみに水を刺された苛立ちしかない。

 その威圧感だけで、押し潰されそうな錯覚を覚える。

 熊野はその中で、平然と立っていた。

 

「できるどうこうではなく、そうしたいから言っているだけですわ。ただの意志表示ですのでお気に召さらず」

「そっか、なら代わりに言ってあげるよ。『不可能』だってね」

「……ちょっと懐かしいですわね」

「うん?」

 

 熊野は何故か、苦々しい顔をしながら語る。

 

「違法賭博を運営していた時、絶対プレイヤーが勝てないゲームを仕込んだ筈が、偶に引っ繰り返される時があったんですわ。その一件が致命傷になって、わたくし前科持ちになってしまったんですが……」

 

 つまり痛い経験だった。だから嫌そうな顔つきだった。

 

「何の話かな?」

「痛い経験ですが、学んだこともあります。ゲームは──見せかけ上は少なくとも公平、戦争も色々ありますが基本公平、ならば、不可能はあり得ません」

「逆転を、見せるってことかい?」

「ええ、貴女の知らないわたくしを、見せてあげましょう」

 

 最上は『プッ』と噴き出し、大声を上げ、腹を抱えながら笑い出す。

 

「信じられない! ギャンブルと戦争を同じにするとか! ねぇ君達熊野は大丈夫かい!? 狂ってるよ! ヒーッ、僕は笑い殺されそうだ!」

「うわぁ……」

「あ、砲撃して良いですわよ」

 

 どっちが狂ってるかって、そんなのわざわざ言うまでもない。狂人に付きあっている暇はない、卯月は熊野の許可が出た瞬間、最上へ砲撃を叩き込んだ。

 だがそんなの効くはずもなく、片手であっさり弾く。

 

「うわぁ!? 何すんのさビックリしたじゃないか!」

「卯月さん満潮さん、申し訳ありませんが、もう暫く最上さんと交戦して頂いてもよろしいでしょうか。支援ぐらいならしますので」

「……時間を稼げってこと?」

 

 熊野は頷く。

 球磨や不知火は、基地爆破で始末しきれなかったイロハ級の対処で精一杯、こちらにまで手が回らない。

 ならば、選択肢はあってないようなもの。

 二人は顔を合わせて、再び最上に向けて突撃を開始した。

 

「あら、熊野は来ないんだね。後輩を盾にしようってことか、なるほど、とってもいい考えだと思うよ!」

「貴女と同類にしないでくださいまし」

 

 迫る卯月たちを妨害する為──秋月程ではないが──多量の砲撃が発射され、進路を塞ぐ。

 砲撃で迎撃・軌道変更は可能だが、それをしてる間に、次の攻撃が飛んでくる。

 だから、その役目は熊野が請け負った。

 

「どうぞ、行ってください」

 

 駆逐艦では無理でも、重巡級の砲撃なら、ある程度拮抗できる。

 D-ABYSS(ディー・アビス)があるから最終的に撃ち負けてしまうが、卯月たちがやるよりも強く押し留められる。

 直進ルートへ置かれた砲撃が破壊され、卯月たちは真っ直ぐ減速ナシで駆け抜ける。

 

「むっ、でもまだまだだよ!」

 

 次の妨害が迫る、回避するのであれば、熊野が援護をし、最速の為直進してくることは、十分予測できた。

 既に、進路上に魚雷がばら撒かれていた。

 一瞬で視認し処理するのは困難、やってる間は隙になる。

 

 しかし、卯月は例外だった。

 

「聞こえてるぴょん、魚雷の音ぐらいは、とーぜんに!」

 

 例え水中の、ソナーにかかるかどうかという音でも、この距離なら知覚できる。

 それができれば、速やかに処理するだけ。

 満潮を先に行かせ、卯月は爆雷や主砲で、満潮への雷撃をピンポイントで破壊していく。

 

「うっとおしいよ卯月!」

「おっとですわ、制空権も簡単には譲りません」

「あーもー邪魔だなぁ!?」

 

 だがそれらも越えて、上空から最上の瑞雲が爆撃を狙っていた──それも察知できること。

 性能差があり過ぎるから、稼げる隙は一瞬だが、それで十分。

 懐へ飛び込んだ満潮が、主砲を顔面へ向ける。

 

「ここで叩きのめしてやるわ、最上!」

 

 ここからは近すぎて援護の使用がない、ほぼタイマンで戦うことになる。

 纏わりつく敵を排除する為、凶器そのものと化した剛腕が、()()の形で繰り出される。

 予め、砲撃はしたのだが、躊躇なく砲弾ごと貫いて来る。

 爆発を至近距離で浴びても無傷、常軌を逸した頑強さに舌打ちが止まらない。

 

 それでも、砲撃を浴びせた意味はあった。

 爆発により僅かだが、突きの速度が低下。

 対処できる猶予が生まれた。

 と言うより、もう対処はしてある。

 

 最上の足元には、満潮の放った魚雷が犇めいていた。

 

「……ちょっとは、僕の動きに慣れてきたってことで、良いのかな!」

 

 だが、態々最上は対処しない。

 その考え通り、雷撃は次々に最上へ突き刺さり、装甲を抉って爆発をする。

 筈だった。

 満潮の攻撃でも結果は同じ、大半は装甲で受け止められる。

 装甲も超頑強、僅かな焦げ目してついていない。

 

「そんなことは分かりきってんのよ、学習能力のないアンタとは一緒にしないで欲しいわね!」

 

 それで良い、これで良い。

 熊野の命令は、もう少し戦うということだ、勝つ必要はない。

 多分熊野は、最上の分析をしている最中だ、だったら出来る限り手札を切らせるのが、私たちの仕事だ。

 

 反撃の攻撃を避ける為、爆発の煙幕に紛れて、左側面に一気に移動する。

 レーダーは持っているようだが、この距離なら視認する方が遥かに速い、だが爆炎のせいで、最上は反応が遅れてしまったのだ。

 

 その隙を身体スペックのみで埋めてくるのが、最上という敵だ。

 

「追いついたよ!」

 

 爆炎が収まり、いないと見るや否や一瞬で方向転換、資格から来る敵を始末せんと、再び弓矢のような突きが繰り出される。

 

 そのせいで、更に死角から来る卯月がおろそかになっていた。

 

「隙ありぴょーん! どこを見てるんだこのマヌケ!」

 

 先ほど、魚雷を処理していた卯月が、もうここまで接近してきていた。

 これもまた訓練の成果、最上対策だけではなく、こういった基本的な技術も十分磨かれていたのだ。

 対処を誤り、どちらからせめるべきか迷う。

 その一瞬が、この戦いでは『隙』になる。

 

 こちらに迷う理由はない、満潮の攻撃が飛来する。

 

 今度こそは本命―—工作員妖精さん入りの、致死性の毒を撒く砲撃が飛来する。

 

「―—ムダだってほんっとうに分からないんだね君達は!」

 

 それさえもスペック差で押し切られてしまう。

 敢えて傷等がない場所で攻撃を受け止めて、工作員が侵入した部位は即座に切り落ちす。

 

「だぁぁぁ! チートぴょん!?」

「そういうことさ、そして、これでもう君達とはさようならだね!」

「卯月上! 瑞雲が来るわ!」

 

 不規則な挙動で、束になって真上から突撃してくる瑞雲。

 

 熊野はただ一人、援護射撃を続けながら、敵としての最上を観察し続けていた。

 

 どこか、鈴谷の面影を探すようにして。



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第156話 最上改二壊⑥

モンハンのやり過ぎでちょっと遅れました


 熊野は、最上に対してどうすべきか、今の今まで決断し切れていなかった。

 表面上は、自身の手でケリをつけると言っている。

 しかし、そうしたいのならば、卯月や仲間たちに手伝って貰うのが最善。

 それをしなかったのは、彼女自身が迷いを抱いていたからだ。

 

 実際に最上と相対した時、本気で戦えるのか。

 手加減なんてして勝てる相手ではない、殺す気で挑まなければならない。

 だが、本気の殺意を抱けるのか? 

 高宮中佐の見立てはこうだった、『不可能である』と。

 

 その結果、返って足手纏いということで、戦力外通告を喰らったのである。

 

 最初こそ激昂したが、冷静になってみれば分かること。

 一人頭を冷やし、何故作戦参加が許可されなかったのか、その理由を理解した。

 

 確かに戦える自身がない。

 何故『鈴谷』が今、技研から所在不明になった挙句、『最上』になっているのか、あらゆるコネを駆使した結果、知ってしまったのもある。

 あの『最上』は、偽物などではない。

 そりゃ相違点はあるが、間違いなく『鈴谷』でもあった。

 

 けれども、それを自覚したところで、今更どうすれば良いのか。

 そう後悔していた所、那珂のアドバイスで吹っ切ることになる。

 

 好きにすれば良い──、一理ある、そう思った。

 

 どう転んだにせよ、あの最上を放置しておきたくない気持ちはある。

 あの傍若無人振り、あれは『鈴谷』を侮辱している。

 かつての親友として、許しがたい行為だ。

 

 それに今更前科の一つや二つ、増えたところでどうということはない。

 

 そう思ったからこそ、熊野のは命の予約という無茶苦茶までやって、この戦域までやって来たのである。

 

「ほらほらどうしたのさ! 特にそこで援護してるだけの熊野! まさか君、こんなことする為だけに、此処まで来たっていうのかい!?」

 

 最上はあらゆる面で卯月を上回っている。

 艦としても、D-ABYSS(ディー・アビス)の使い手としても。

 正面からのパワー勝負では、戦いにさえならない。

 大して最上は、一撃で致命打にならなければ、永遠に自己修復ができてしまう。

 満潮の援護も、火力的に援護にならない。

 多少でもダメージを通せなければ、援護は援護として成立しないのだ。

 

「どうする……どこをどう叩けば良いんだぴょん……」

 

 熊野の観察が終わるまでの時間稼ぎさえ怪しくなってきた。

 それどころか、卯月自身の作動時間の限界が迫りつつある。D-ABYSS(ディー・アビス)を維持できなくなれば、一瞬でこの世とオサラバしてしまう。

 

 そうこう手招いている内に、最上が卯月を抹殺せんと、猛攻を仕掛けてくる。

 

「さーて、卯月は生き残れるかな! ムリだと思うけど極力足掻いてくれると嬉しいな! 死ぬって分かってるのにありもしない希望に縋る虫けらって見てて楽しいんだよ? 可哀想にずっとこちら側だったなら卯月も楽しめたのになぁ」

「ベラベラやかましいぴょん! ちっとは黙ってろ!」

「嫌かな!」

 

 最上は主砲を上向きに構えて、扇状に放つ。

 卯月たちへの直撃コースではなく、その少し後方へ着弾するように、アーチを画いて発射される。

 立て続けに瑞雲を放ち、砲撃の僅かな隙間を補填。

 背後に、弾幕の壁が築かれようとしていた。

 

 これを阻止できなけば、後方への逃げ場が消えてしまう。

 だが最上を前にそんな余裕はない、悩んでいる間にも最上は一歩ずつ接近してきている。

 

 卯月は砲撃を撃ちこみ、発艦を阻止しようとする。満潮は発艦された瑞雲を排除しようとする。

 

 だが、ままらない。

 瑞雲はまだしも、最上は平然と、回避運動をしながら発艦を続けている。

 多少回避がおろそかになる筈なのに、動体視力と反射神経のみで、全て見切っているのだ。

 

「卯月! 甲標的が出る!」

「げっ!」

「気づくの遅いんじゃないかな」

 

 それどころか、こちらが気をとられている一瞬を突いて甲標的を展開、すぐ阻止しようとするも間に合わず、発射を許してしまう。

 けど、甲標的は音で探知できる。

 動きも素早くない、卯月なら素早く排除することが可能。

 

「満潮交代! 甲標的はうーちゃんがやるっぴょん!」

「了解──」

「ダメダメダメダメまず卯月から殺すんだからさ」

 

 まず最上が目の前に現れ、そこから遅れて、海面を踏み抜く音が来た。

 

 彼女の移動速度は音より早かった。

 

 直ぐブレーキをかける。後方は砲撃と瑞雲で逃げ場がない。横に飛び退こうと試みるも、それは移動の余波──ソニックブームに阻まれる。

 

「移動が攻撃とか冗談キツイっぴょん!」

「冗談じゃなくて現実だよ同じシステム積んでいるのにここまで差が出るなんて卯月は本当に可哀想だね」

「ッ熊野ー!」

 

 言われなくとも、と既に援護砲撃を行っていた。

 最上の進路を塞ぐ形で、砲撃が()()発射されており、丁度砲弾が間に挟まる形になる。

 このまま行けば加速している最上が激突することになる。

 もう少し加速すれば、この砲弾も破壊できる。

 だが、その爆炎の中で、卯月の持つ工作員砲弾が撃たれたらどうなるか。

 

「むっ……しょうがないか!」

 

 一瞬だけ悩み、最上は後方にいた瑞雲を手前に呼び戻し、砲撃を塞ぐ盾とした。

 結果、後方の弾幕が少しだけ薄くなり、卯月たちが距離を取る隙間が空く。

 今こそチャンスと、卯月は最大船速で逃げようとする。

 それを見た瞬間、最上は満面の笑みを浮かべる。

 

「良し引っ掛かった!」

 

 隙間はあったが、数が少なかった。

 故に、逃げ場は限られていた。

 狙いを簡単に絞ることができたのである。

 

 隙間の左右は弾幕、そして卯月が逃げ切るより早く最上は移動できる。

 再び力を込めて跳躍し、ソニックブームを起こしながら、その首を跳ねんと手を伸ばす。

 

「良し、掛かったぴょん!」

 

 だが狙っていたのは卯月の方だった。最上が飛び退いた、まさにその瞬間、卯月は弧を描いて急カーブしたのだ。

 以前も行ったのと同じやり方、予め錨を投下しておき、それを支えに最大船速のまま急旋回。

 それによって、最上の突撃を回避したのだ。

 

「うわっとっとっ!?」

 

 逆に、最大速度の突撃が空ぶったせいで、最上の体勢は不安定になる。

 そこへ卯月と満潮が狙いを定める。

 主砲に装填したのは、一発逆転の鍵となる一発。

 妖精工作員入りの、特殊弾頭。

 これが艤装内部に入り込めば、勝てるレベルに引き摺り降ろせる。

 

「発射、ぴょん!」

 

 一瞬の隙でありながら、卯月の狙いは正確だった。

 前々の卯月では駄目だった隙を逃さず、狙うべき場所へ確実に撃ち込むことができている。

 これが、最上でなければ、命中したであろう一撃だった。

 

「なんてね、残念でした!」

 

 それもまた身体能力のゴリ押し、最上は強靭過ぎる四肢を持って体勢を立て直し、砲撃の方へ向き直ってしまう。

 だが、まだだ、だから満潮と一緒に撃ったのだ。

 最上の眼前にあるのは、大量の砲弾、その内数個だけが工作員入り、他のは只の砲弾だ。

 

 全部を破壊することは不可能、どれか一発だけで当たればこちらの勝ちだ。

 

「―—適当に行こう、えいや!」

 

 だが最上は、その数発を『全て』撃ち抜いてしまった。

 

「がぁっ……!?」

「この様子、もしかしてこれが工作員入りの特殊弾頭かい? うわぁびっくりした、当たってくれて良かったよ!」

「嘘でしょ……!?」

 

 そんな偶然あって溜まるかと叫びたいが、これが現実。

 特殊弾頭以外の喰らってもいい砲弾は、そのまま全身で受け止めてしまう(勿論無傷)。

 何故、正確に見抜かれてしまったのか、外見上の差異はないのに。

 

 まさか、卯月の脳裏に嫌な予感が走る。

 

 思い出されるのは熊野から学んだ、鈴谷の特徴だった。

 

「まさか、勘!?」

 

 しかしそれが正解、最上はただ『嫌な予感がする』というだけで、特殊弾頭を正確に見破ったのである。

 考えたくもない事実に、殺意で冷徹になっている卯月の心が震える。

 ならば、どうすれば良い? 

 ほぼ予知能力に等しい直感相手に、どうやってやれば良い。

 熊野との模擬演習で、それらしきことはやったが──実際できるかどうかとなると、それは別の話だった。

 

「うん、良い顔だね、ふふっぞくぞくしてくる……漸く理解できたみたいだね、身体でも精神でも、僕には絶対に勝てない、ザコ集団だってことが」

 

 最上もある意味で、秋月に似た歪み方をしていた。

 どちらかと言えば、抵抗さえ許さない一方的な蹂躙が好きなだけであり、出すもの出し尽させて、無力感という絶望を見せつけるのも嫌いではないのだ。

 

 ただし油断はしていない、卯月と満潮が駄目になった今、彼女が出てくるからだ。

 

「お二人ともありがとうございました。ここからはわたくしが直接戦います」

 

 二人を庇うようにして、熊野が現れた。

 

「あれ、見学はもう良いのかい?」

「ええ、十分時間は頂きましたので」

「時間? あー、そうだった、熊野はそういうのが得意だったね、忘れてたよ!」

 

 やはり、鈴谷自身のように話す。

 しかし最上は鈴谷ではない、何故こんなことになっているのか理解できず、卯月は首を傾げる。これもD-ABYSS(ディー・アビス)の弊害なのだろうか。

 

「もう、貴女とお話しすることはございません。此処で倒させて頂きますわ」

「アッハッハ、熊野じゃムリだよ。だって僕は君の動きを良く知ってるんだよ? できないって、ムダだと知って足掻くのも結構オツだけどさ」

「そうですか、では」

 

 宣言通り、熊野はすぐさま攻撃を開始する。

 システムを積んでいないから、卯月のような速度では攻撃できない。

 だが、だからといって隙がある訳でもない。

 練度が違う、卯月よりも遥かに無駄のないモーションで、素早く攻撃ができる。

 だが最上は単純なスペックが狂っている、砲撃を目視でどうこうできるのだ。

 

「見えてるってば!」

 

 動体視力のみで砲弾を捉え、飛行甲板で()()()()

 更に、砕けた破片に向けて、甲板をバットのように振るい、破片を撃ち返す。

 弾かれた破片は摩擦熱で赤熱し、艦娘であろうと傷は避けられない攻撃と化す。

 

「そうするでしょうね」

 

 しかし、それは読んでいた。

 交戦開始前から予め飛ばしていた熊野の水上戦闘機が、真上から弾幕をばら撒く。

 軽い攻撃だが、軌道変更には十分。

 更に、飛行甲板を振るった際生じた死角から、雷撃を放っていた。

 

 それと合せて砲撃を繰り出す。

 砲撃と雷撃、両方に対処しなければならない状況を作り上げる。

 

「うん、真っ当なやり方だね、僕には効かないけど!」

 

 フィジカルにものを言わせたステップで、雷撃の隙間を跳躍しながら砲撃を回避。

 勿論、着地地点に予め砲撃をしてあるが、最上は絶妙に緩急を交えながら動き、予測を掻き乱していく。

 その上、最上自身も砲撃を織り交ぜ、熊野を妨害していく。

 

「それじゃあ今度は僕の番だ」

 

 最上は足を止めて、熊野へ向けて、集中的に砲撃を浴びせに掛かる。

 

 分厚い弾幕に、回避に集中せざるを得なくなる熊野。

 そのタイミングを使い、最上は再度、甲標的を展開しにかかる。

 簡易潜水艦みたいな兵器だ、再度出されれば厄介なことになる。

 それに対処するのは、援護役に回った卯月たちの仕事だ。

 

「させるかぴょん!」

「黙って見てるだけだと思ってたの」

「え、思ってないけど?」

 

 だが、最上は既に甲標的を展開し終えていた。

 

「早い!?」

「そうだよ、だってさっきのは、手を抜いていたんだからね!」

「嘘ついたのかっぴょん!」

 

 卯月たちの認識を誤魔化す為、二射目を確実に展開する為、一回目は敢えて遅くしていたのだ。

 テンポを読み間違えた卯月たちの砲撃は外れ、甲標的の発信を許す。

 まだ間に合う、そう思ったのもつかの間、彼女たちの頭上からは、不規則な軌道で瑞雲が迫って来ていた。

 

「駄目だ、止められない、ごめん熊野!」

 

 直ぐに抑えることができず、卯月たちは瑞雲の対処に取り掛かる。

 その間、熊野は甲標的に常に狙われ続ける形となる。

 面倒なことになったと、熊野は顔を顰め、最上は逆に嬉しそうな顔をした。

 

「うひひ、これで二人っきりで、殺し合えるね」

「気持ち悪い、さっさと倒れて下さいな」

「えー、冷たいこと言わないでよ、友達じゃないか、僕たちは!」

 

 その一言を聞き、熊野は更に顔を顰めた。

 

「貴女に友達などと、言われる筋合いはありません。鈴谷を返して頂きます」

「意味は分からないけど、怒ってる熊野は面白いね!」

「そうれはどうも」

 

 甲標的が撒かれた今、下手に距離を離すほうが危険だ。

 だが最上は分かってる、こちらを近寄らせず、砲撃や雷撃、甲標的にで仕留めにかかるだろう。ならこちらから接近するしかない。

 熊野は考え、残っていた水上機たちを片端から発艦させていく。

 

 最上もお返しと言わんばかりに、脚を止め、展開する暇がなかった艦載機を大量に展開してゆく。

 爆撃が及ばないのは、本人に被害が及ぶ最上周辺のみ。

 否応なしに、接近せざるを得ない状況ができあがっていく。

 

 そして、水上機を出し切った瞬間、熊野は最上に向かって一気に突撃した。

 

「来るよね、それしかないもんね、迎え撃ってあげる、そして死んじゃいな!」

 

 先ほども言ったが、熊野はシステムで強化されたようなスピードは出せない。

 だが、卯月より遥かに技量はある。

 そして何より、鈴谷の直感も癖も、全てを理解している。

 

 熊野は弾幕の嵐へ突撃した、そして、無傷で突き抜けた。

 

「―—嘘、越えてくるのかい!?」

 

 分かるのだ、何処へ爆撃してくるか、どんな緩急をつけてくるのか。後は回避不能な状況に追い込まれないよう、急制動や加速を繰り返すだけで良い。

 人間には、完全な乱数は作れない。

 絶対に一定の法則が存在する、ずっと一緒にいた親友の『法則』なんて、考える必要もなく身に沁みついてる。

 最上の方の法則は知らなかったので、そこの分析には時間を要したが。

 

 歪んだ自信を持たされた最上は、まさか突破してくるとは思っておらず、不意を突かれた形になる。

 

 そして、その事実を認識した瞬間、熊野は既に攻撃をしていた。

 必要最小限のモーションで、撃っていた事実にさせ気づかせないように。

 認識した時には、もう手遅れになっているように。

 

 そのように撃った──筈だった。

 

「残念、でした」

 

 手を伸ばしても届かず、主砲の射程の内側にまで迫った砲弾を、最上はその場でバク転することで、回避してしまった。

 空中にいる間に、予め撃っていた魚雷は足元を通り過ぎていく。

 逆に、回避しながら、逃げ場のない弾幕を一瞬で展開されてしまった。

 

「おしまいだよ。さようなら!」

 

 全力で踏み込んでいたせいで回避ができない、ブレーキが間に合わない。

 まさか読み間違えたのか、いや、確実に命中できる流れだった筈。

 ならば、それが不発に終わった原因は。

 

 それを考える暇もなく、熊野の視界は真っ赤に染まった。



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第157話 最上改二壊⑦

そろそろ決着にしたいかな……


最上への突撃が失敗に終わり、熊野の視界は真っ赤に染まった。

 

だがそれは、熊野の血飛沫ではなく、血でさえなく。

 

「卯月さん!?」

 

割り込むように突っ込んできた卯月の、真っ赤な髪の毛だった。

 

「ぐぎぎぎ……らぁっ!」

 

最大船速で真横から主砲を鈍器代わりにして突撃、砲弾を真正面から弾くのは不可能だが、横から軌道を逸らすことは可能。

無論、卯月本人も相応のダメージを喰らうが、砲撃を逸らすことには成功した。

代償はもう一つ、無茶な突撃により姿勢が崩れていたこと。

 

「邪魔しないでよ、だったら追撃を!」

「してあげようじゃない、私がね!」

「うわ、まだ生きてたんだ満潮。すっかり存在忘れてたよ、ごめんね?」

「くたばれ!」

 

卯月と熊野が息を整え直すまでの間、満潮が一時的に時間を稼いでくれる。

少し距離を取った熊野は、再び主砲に弾を込める。

もう一度、次こそはと、覚悟を決め、顔を上げた。

 

「死ねこのカスが!」

 

そこへ卯月のグーパンが飛び込んできた。

 

「がはっ……!?」

 

D-ABYSS(ディー・アビス)の強化も乗った全力パンチを顔面で受け止め、数十メートル吹っ飛ばされる熊野。

今何が起きた、どうしてわたくしは殴り飛ばされた?

疑問を抱いている間にも、卯月はこちらへ追いつき、胸ぐらを掴んでくる。

 

「どういうことだっぴょん、どーしてだぴょん。さっきのはうーちゃん達を舐めてんのかぴょん!?」

「何の話で」

「さっきの突撃、最後主砲を撃とうとした時、熊野は()()してたっぴょん!」

 

その言葉に衝撃を受ける。

手加減など、しているつもりはなかった。

しかし、そういうのは往々にして自覚のないもの。

この期に及んで、まだ覚悟が足りていなかったのだと、熊野は自戒する。

 

「すみません、わたくしの落ち度です」

「うるさい、もう良い、ちょっと信じたのがバカだった、引っ込めぴょん!」

「な、なぜ卯月さんにそんなこと」

「今戦闘中!こんな馬鹿なやり取りしてる暇はないっぴょん……ゴバッ!?」

 

怒声を上げた直後、卯月は大量の血を噴き出して倒れる。

 

「卯月さん!?」

「もう、ギリギリぴょん、D-ABYSS(ディー・アビス)の制限時間が、もう僅か……なのにお前は、舐め腐った戦いをしやがる!」

「そんな、わたくしは」

「ここは戦場、命懸け、お前を慰める余裕は誰にもない。友情だの何だの言ってて足引っ張るんなら、来るなってんだぴょーん!」

 

胸ぐらを掴み、システムの力を振り絞り、全力で彼方へ投げ飛ばす。

 

「何やってんのアンタ!?」

「足手纏いは不要だぴょん」

「あああもう……どうなっても知らないわよ!?」

 

確実に特効を持っている熊野が離脱(物理)。

システムの限界時間が迫る中、満潮とこの化け物をどうしかしなくてはならなくなる。

だが、それで良いと卯月は考える。

この状況下で、慰めている余裕はない。

 

そもそもの話、卯月には、鈴谷の為に戦う理由が理解できない。

 

何となくだが分かる、鈴谷は最上に取りこまれているのだろう。

 

なら、助けることはもうできない。

鈴谷という存在は、死んでいるのだろう。

そうだ、死人に対しては、誰も何もできない、助けることなど不可能だ。

 

「それが成り立つんなら、神提督たちは……!」

 

卯月がそのことを身に染みて知っている。

 

 

 

 

投げ飛ばされた熊野は、数百メートル離れた所へや着水した。

本能的に受け身をとったが、衝撃波殺し切れず、激しく咽返ってしまう。

しかし、苦ではない。

そんなもの感じている暇はない。

 

「……どうすれば」

 

そんなに悪い事なのだろうか、友情の為に戦うことは。

攻撃を躊躇したのは、友人を傷つけてでも、助ける覚悟が足りなかったということ。

否、仮に救助が不可能だとしても、最上は倒さなければならない。

『鈴谷』があのような形で侮辱されているのを、見過ごすことはできない。

 

だが、それは否定される。

 

先ほどの、卯月の全力パンチを喰らったせいで、ふと思ってしまった。

 

友人を痛めつけるのは、そんなに躊躇する行為なのか?

 

「あ」

 

阿呆なことをしているのを止める時、演習の時、殺意がなくとも暴力を振るう時はある。

その時、躊躇はない。

友人の為であり、お互いの為でもあるからだ。

 

だったらなぜ、自分は躊躇してしまったのか。

 

生憎、熊野は自己分析できない阿呆ではなかった。

気づいてしまえば、正確に分析できた。

 

「……なんて、単純な理由」

 

まるで子供の様な、酷い原因にいっそ嗤った。

 

「死んでいると、確信するのが、恐かっただけだなんて」

 

最上を殺せば、鈴谷は死ぬ。

捕縛して調べた時、鈴谷が生きているか死んでいるかがハッキリする。

どちらに転んでも、友人の『死』が目の前に出てくる可能性があった。

熊野はそれを恐れていたのだ。

 

そんなことを恐れていて、今の仲間を危機に晒すとか愚の骨頂。

 

だが、それでもまだ覚悟ができない。

 

「……でも、意味なんて、あるのでしょうか。鈴谷がいない世界に」

 

熊野は今まで、鈴谷を取り戻す為だけに生きてきた。

金を稼ぎ、前科を負うようなリスクを払い、それでも金を掻き集めて――全てが水泡に帰した。

唯一の理解者にして、友人はもう奪還できない。

戦う動機さえ失ってしまったのである。

 

もしかしたら、鈴谷はちゃんと生きているかもしれない?

そんな低すぎる可能性に賭けられる程、熊野は楽天家でもなかった。

どうすれば良いのか、いっそ何もしたくない。

 

だったら、どうしてこんな戦場まで来たのか。

わたしは何がしたい?

鈴谷を失い、動機の全てを否定された今、なんの為に此処にいる?

根幹は何なのだ、大本にある物は。

 

『凄いね熊野は』

『なにがでしょうか?』

『未来を考えられる所だよ!』

 

懐かしい、鈴谷の声が思い出される。

 

『そんなに、大したことではないと思うのですが』

『いやいや凄いって!だって、それって戦争が終わる前提じゃん?鈴谷はそこまで想像できないからさぁ……正直、皆と戦えている今の方が心地いいかもしんないし。けど熊野は……()()()()()()()()()()って思ってるから。あ、これ誰かに言わないでよ?』

『言いませんわよ、個人の思想を吹聴したりなんて』

 

命令に従い、昔から知っている仲間と一緒に戦う日々は、別に悪くはなかった。

けど、いつかは終わる。

絶対に何らかの形で終わる時が来る。

そして来る未来を、より良い形で迎えたかった――そう思うということ自体、迎えられると信じているということ。

 

誰にも分からない未知だらけの未来を、過去の存在である艦娘が信じられること。

 

鈴谷がそれを肯定してくれた。

 

「それが、嬉しくて、わたくしは……」

 

仲間と共に戦う今でも、過去できなかったことを拂拭する今でもなく、許されるかさえ分からない未来が、より良いものだと信じていた。

そのチャンスを絶対逃さない為に、金が必要だと思い至った。

けど、大切なばかりに、未来には『鈴谷』がいると無意識レベルで思っていた。

 

恐らく、もう鈴谷はいない。

自らの未来に彼女はいてくれない。

だけど、より良い未来を、掴み取れない理由にはならない。

 

なら、尚のことだ。

 

肯定してくれた『未来』を否定したら、それこそ彼女を否定する結果となる。

 

鈴谷が信じてくれた、より良い未来を、それを迎えられる可能性を、自分自身が捨て去る訳にはいかないのだ。

 

「……ありがとう、鈴谷、ごめんなさい、忘れていて。でも……そうなる程、鈴谷はわたくしの、未来にいて欲しかった」

 

戦う理由はできた、いや、とても嬉しいのが手元にあったせいで、見落としていた理由を思い出した。

 

 

*

 

 

最上との戦いは、既に限界を超えていた。

特に卯月が不味い、D-ABYSS(ディー・アビス)の稼働限界を超えたせいで、もう何度も吐血を繰り返している。

だが止めることはできない、此処で止めたら負けてしまう。

もっとも、どちらでも同じかもしれないが。

 

「喰らえッ!」

 

千載一遇のチャンスが訪れる、奇跡的に卯月は懐に潜り込めた、あらゆる反撃が間に合わないタイミングで、攻撃をすることができたのだ。

最大火力を出さねばならない。

魚雷を手に持ち、強化された腕力を持って、『口内』へそれを捻じ込む。

 

「ここなら、どうだっぴょん!」

 

装甲は存在しない、脳にもダメージがあるかもしれないが手段は選んでいられない。

どうやってもダメージが入る所へ魚雷を突っ込み、力ずくで信管を起動させた。

 

そして、卯月を巻き込み大爆発が起こる。

激しく吹き飛ばされ海面を転がる、右腕(利き手)に激痛が走る。見れば魚雷の破片が刺さり、使い物にならなくなっていた。

 

「また!?」

「まただぴょん、しょうがないぴょん」

 

秋月戦でも片腕がおじゃん、今回は怪我少な目で頑張りたかったが駄目だった。

でも殺されるよりマシだ、次の戦いに活かそう。

ただ油断は禁物、最上がどうなっているか、爆炎の中を注視する。

 

結論から言って、最上は健在だった。

 

「……冗談キツイっぴょん」

 

口内で魚雷を起爆させた、間違いなく命中した。

なのに、最上は下顎が焼け焦げたぐらいのダメージしか負っていなかった。

絶句している間に再生が行われ、瞬く間に無傷の状態へと戻ってしまった。

 

「あー痛かった。でも卯月の方がよっぽど痛そうだから、僕の勝ちってことだね!」

 

余りにも、絶望的なまでに『格』が違う。

主砲、魚雷、D-ABYSS(ディー・アビス)で強化されたのに、何も通じない。

原因は一つ、卯月自身のスペックが低すぎるだけ。

本人の努力ではどうすることもできない現実に、研ぎ澄まされた殺意が圧し折れそうになる。

 

「もういい加減理解できたかな、格が違うってことが。悲しい?悔しい?絶望した?それは何よりだ!誇っていいよ卯月、君は僕を存分に楽しませてくれたんだから!大丈夫安心して!死体になっても僕が飽きるまで遊んであげるし、飽きたら顔無しにして、細胞一片が朽ち果てるまで使ってあげるよ!ところで死体遊びは何が良いかな?」

「「死ねっ!」」

 

前言撤回格が何だこんなクソ下衆のカス女は倒さねば気が済まない。

 

と、突撃したいが、非情にも最上の発言は現実。

卯月と満潮では、如何なる手段を用いても傷一つつけることはできない。

一歩ずつ、最上が近づいてくる。

逃げられない獲物を、目一杯楽しんで殺そうというのだ。

 

下がろうにも、後方は瓦礫に埋もれた鎮守府。逃げ場などありはしない。

 

本当に、どうすれば良い?

思考の巡らせ過ぎて、頭が真っ白になろうとした。

その逡巡を、一発の砲撃音が打ち破る。

 

「何今の――」

 

音源の方へ目線を向けた、その瞬間、最上の足元が爆散した。

 

「とおおおぉぉぉぉうッ!」

「く、熊野――わぁぁぁ!?」

 

爆発した地面から、何がどういう訳か、煤塗れになった熊野が飛び出してきたのだ。

 

それも、かなりの勢いで突っ込んできた。

結果最上は一瞬宙へと浮かされる、立て続けに零距離から艦載機を発艦させ、その勢いで更に遠くへ――崩落した基地を飛び越え、海上まで叩き出される。

 

何が起きたのかと言えば、熊野は崩落した鎮守府の、『地下通路』を使用したのである。

基地はほぼ崩落したが、まだ使える通路が残っていたのだ。

艤装出力最大で走り抜け、地上の最上へ全力タックルをかまし、卯月たちから距離を取らせることに成功した。

 

「な、何すんのさぁ!」

 

しかし、空中にいながら、腕力だけで熊野を振り払う。

かなりの速度で海面に叩き付けられるが、直ぐ受け身を取り、衝撃を最小限に収める。

直ぐ立ち上がり、最上と相対する。

 

「また熊野か、もー、熊野じゃ僕には勝てないって。なんかさっき卯月にも怒られてたじゃんか。あ、それとも僕を愉しませに?うーん嬉しいけど、いい加減卯月を殺さないといけないし……」

「ちょっと熊野!」

「なんですか、卯月さん」

「あれ、僕の話聞いてない?」

 

後ろから走ってきた卯月が、苛立ちの含まれた声で叫ぶ。

あらゆる意味で時間がない、故に問答は端的に行われた。

 

「大丈夫かぴょん」

「ええ、わたくし、勝ちますわ」

「分かった、援護するぴょん!」

 

熊野が躊躇なく戦えるようになったのか、卯月に確信はない。

だが、それなくして戦場へ戻ってくるような阿呆ではない、それは分かる。

だったら信じる以外の選択肢はあり得なかった。

 

「いいのかい熊野、僕を殺せるのかい?君は親友を無情にも殺すの!?」

「……ええ、最悪そうなるかもしれませんね」

「だったら」

「で、それがどうだと言うのですか」

「へ?」

 

想定外の発言に、素っ頓狂な声を上げた瞬間、熊野は一気に踏み込む。

僅かに対応が遅れたせいで、飛行甲板同士のつばぜり合いが起きる。

金属同士の激突に、火花が散る。

お互い至近距離で顔を見合わせ、熊野は静かに口を開く。

 

「ま、細かくは言いませんが」

「何でさ酷いよ!」

「最上さん――いえ、阿呆に言ってもムダなので」

 

飛行甲板で視界から隠していた主砲を、胸に向けて発射する。

だが、最上は直感でそれに勘付いた。

飛行甲板から一機だけ瑞雲を出し、それを盾代わりにして防御する。

 

発射の反動で離れた隙を突き、熊野を蹴り飛ばす。

熊野は逆に、その足へ手を伸ばし、添うようにして掴み取り、蹴りの方向へ投げ飛ばした。

それでも、相当な衝撃が突き抜ける。

 

「ぐっ……!」

 

口から少し血が零れ出る、それだけのパワーなのだ。

しかし最上の体勢は崩せた。

蹴りの勢いが強過ぎた、その勢いを利用された。空中で半回転してしまい、上下が逆になっている。

そこに向けて、撃てるだけの砲弾を撃ちこんでいく。

 

それさえ、最上は勘だけで対応して来る。

平衡感覚を崩した状態でも、それだけで狙いをつけて正確に迎撃。

そして、立て続けに展開した瑞雲を足場に、海面へと着水――しようとして、最上は顔を青ざめた。

 

今着水しようとした場所に、魚雷があったからだ。

 

いったい何時撃ったのか。

それは最初、基地から最上を叩き出し、空中を飛んでいた一瞬の時。

丁度、このタイミングでこの位置に来るように、見計らって仕掛けていたのだ。

 

「わわわ回避回避回避――」

 

瑞雲の位置を変え、別の場所へ着水しようと試みるが、その瑞雲が次々と破壊されていく。

 

「がはっ……もう、マジヤバイっぴょん」

「何とか持たせなさい、気合入れなさいよ」

「うる、さい……!」

 

D-ABYSS(ディー・アビス)の反動で吐血を繰り返す卯月と満潮の、援護射撃だった。

 

足場を失った最上には、もう回避不能。

秋月のように軽くないから、主砲の反動で空中移動も不可能。

落下の勢いのまま踏んでしまい、全身が爆発に包まれる。

 

「やったぴょん!?」

 

無論、ここまでしぶとかった最上が、たかが魚雷でやられる筈がなく。

 

「……痛い、痛い痛い痛い痛い痛い!」

 

脚部艤装に亀裂が走り、見たことも無い憤怒の形相で、未だ健在で存在していた。

システムを積んでいない熊野の攻撃が通った、やはり『特効』があるのだ。

でもダメだ、雷撃の直撃でも、仕留めきれていない。

再生がされる、卯月はそう思ったが、すぐ様子が変だと気づく。

 

「やはり、ですわね」

「何が!?」

「わたくしには『特効』がある様子で、そのせいでしょうか。『再生』が遅い」

 

瞬く間に治る筈の、艤装の亀裂が、ゆっくりとしか修復されていない。

 

「どういう原理かは、何となく予想できましたが……帰ってからで良いですわね。ええ、これなら押し切れるかもしれません」

「もう君を親友だとは思わないことにする、僕の怒りを思い知るといいさ!」

「はぁ、ご自由に」

 

目の前の『敵』を排除すべく、覚悟を決めた熊野が動き出す。

戦いの終わりは、直ぐそこまで迫っていた。



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第158話 最上改二壊⑧

戦況はほんの僅かだが変化した。

どれだけダメージを与えても、即時再生されていたのに、熊野が与えた傷は別だった。

修復はされているが、()()()()だ。

見た目で考えると、完全治癒までは数十秒かかりそうに見える。

 

「では、行きます」

 

短い時間には変わりないが、とても貴重な数十秒。そのチャンスを無駄にしない為にも、熊野は動き出した。

 

「舐めないで、ほしいなぁ!」

 

その傷を負い、危機を感じ取ったのか、最上の様子が変わる。

余裕の笑みを浮かべていた時から一転して、分かり易く焦り、怒り狂っている。

漸く本気を出したとか、慢心を捨てたとかではない。

これが狂った最上なのだ、喜怒哀楽がとことん不安定、そういう奴と考えて良い。

 

故に、余裕を失った最上には、余力という出し惜しみはない。

 

「瑞雲、艦載機、全機発艦、磨り潰してあげるよぉ!」

 

いったい、どこにこれだけの量が残っていたのか。

はたまた自己再生の要領で、無限に生産していたのか。

最初に展開した時と変わらない、莫大な量の瑞雲と艦載機が上空を占領する。

 

「……なるほど、大した量ですわね」

 

途中で戦闘参加した熊野は、この莫大な艦載機を知らない。

だから、展開を許してしまったのだろうか?

否、そんな理由ではない。

 

「ですが、わたくしは別に単独で戦闘している訳ではありません。お願いしますわ、二人とも」

「りょ、了解、だぴょ……ん!」

「長引かせて良いからね!卯月が静かになるから!」

 

システムの反動で、血を噴き出しながらも、卯月と満潮は対空砲火を行いつつ前線へ合流する。

もう、弾幕だけで撃ち落とせる量ではない。

しかし、ここまで滅茶苦茶な量だ、本当に有効なものは限られている。

 

どれが最上にとっての本命なのかは、動きを見れば分かる、それも一目で分かる。

無数の爆撃、機銃の隙間を練って、熊野へ致命傷を与えようとしているのは、やはり縦横無尽に動ける瑞雲の方だ。

 

卯月と満潮は、それだけに狙いを絞って、正確に撃ち落としていく。

 

「あり得ない、簡単に落とされている!?熊野でもないのに、どうしてこんな正確性を」

「当然でしょう、さっきから、何度貴女の瑞雲を見たと思っていますの。もう動きは体に染みついています。慢心して手のひらを見せすぎたのではありませんこと?」

 

どれだけ複雑怪奇であろうと、何度も視れば、最上の動かす癖は分かってくる。

ましてや疑似とはいえ二人共、専用の訓練をやってきたのだ。

叩き落とせない道理はない。

 

「だから私は、貴女に専念できるのですわ!」

 

さっきも言ったが全ては撃ち落としていない。

結果、外れた爆弾が落下し、最上と熊野周辺に大量の水柱を作り出す。ダメージにはならないが、視界が塞がれてしまう。

 

今、この向こうから、熊野が何かしてくる可能性は高い。

 

距離を取るか、もしくは水柱を吹き飛ばし、視界を確保するか。

 

最上はどの選択肢もとらない。

 

「目晦まし程度で逆転なんて、笑わせないでくれよ!」

 

真正面に向かって、最大船速で突き抜ければ良い。

攻撃があっても、砲弾を逆に砕くことができる。雷撃も同様だ。そこに敵がいれば質量で押し潰すことができる。

煙幕を突き破る、予想通り眼前に熊野がいる。

 

「ええ、当然でしょう」

 

ただしそれは、『加速』ありきの話。

もし、静止している状態で、しかも亀裂の入っている脚部へ魚雷を受けたのなら、ノーダメージとはいかない。

熊野は、暴れ牛のように突っ込んで来る最上へ、主砲を向けた。

 

「ですので、受けて頂きます」

「ッ何かと思ったらただの主砲じゃないか、止まれないし止まらないよ、敷き潰してあげる!」

「ならば、()()()()()ですわ」

 

嫌な一言が聞こえた、その直後、主砲が発射された。

 

だが、弾丸は砲弾ではなかった。

 

色付きの水―—要するに大量の紅いペンキが、広範囲にわたってぶちまけられたのだ。

 

「うわぁっ!?」

 

砲弾だろうが魚雷だろうが、加速して破壊しようと考えていたせいで、急に止まれない。

まさかとは思うが、何か、毒液が入っている?

例えばこの液体が、修復誘発材なら、顔面で受けたら眼玉とかがブクブク膨張して爆散する?

 

しかし、こうなることはどこかで予想していた。

 

鈴谷が持ち合わせていた『直感』は、D-ABYSS(ディー・アビス)と組み合わさった結果、理不尽共言える、予知能力めいた状態にまで昇華されていたのだ。

 

「いや、うん!どうにかなる!」

 

更に踏み込み加速する、音速を越えソニックブームが発生する、その衝撃で液体を触れる前に吹き飛ばした。

散々味わったが、無茶苦茶な身体能力だと痛感する。

だからこそ不安になる。

秋月でさえあれだけボロボロだった、超スペックを発揮している最上はどうなる。

 

保護した後で、死んでしまうのではないか。

そういう不安が脳裏を過る。

それはダメだ、認められない。

 

だから此処で、今回の戦いで決着をつけなくてはならない。

 

「一瞬で良かったのです、ほんの一瞬視界を塞げれば」

 

熊野の一言を聞いた瞬間、最上の直感が働く。

()()()()()()()()()()と囁く。

しかし、既にどう動こうが手遅れの状態になっていた。

 

水面一帯が、一斉に爆発を起こした。

 

視界が塞がれた間に、発射していた熊野の魚雷が爆発したのだ。

だが直撃ではない、というかこの速度の最上に直撃は不可能。

けど、それで良い、当てるのが目的ではない。

 

「良い位置ですわ」

「―—あっ!?」

 

最上は蒼ざめた。

魚雷のせいで、足元の海水(地面)が爆散していたからだ。

つまり、今の最上は、数センチだけだが()()()()()()()のである。

秋月と違い、空中移動の力は持っていない。

直感だろうが何だろうが、回避行動そのものができなくなった。

 

「これなら、どうですか」

「……まだまだ、僕を舐めないで欲しいなァ!」

「舐めていませんわ」

 

しかし、浮いているのはコンマ数秒、主砲を発射して、到達するまでの間に、地面を踏めるようになる。

だから今の間に、滞空時間を長くしなくてはならない。

その為の準備は、とっくに計算済みだった。

 

不意に、最上の背中で爆発が起こる。

その衝撃で、もう数センチ宙へと打ち上げられる。

 

「ッぁ痛!?何を背中に―—瑞雲!?特攻させたの!?」

 

正体は瑞雲。

水面ギリギリを航行させ、背後から接近させていたのを、このタイミングで突撃させたのだ。

爆弾だけでは足りない、機体ごと爆発させる荒業で。

そしてもう少し時間を稼いだお蔭で、次のが間に合うようになる。

 

「今です、お願いします、卯月さん!」

「任せゴッバァ!」

「卯月さん!?」

「気にするなっぴょん……!」

 

吐血で全身血塗れになりながらも、突っ込んできた卯月が、最上に向けて錨と鎖を投げ飛ばし、全身に絡み付かせる。

卯月は叫び、D-ABYSS(ディー・アビス)の出力を最大まで引き上げる。

 

「これで最後ぴょん、最大出力……オオオりゃぁぁぁ!」

 

血管が千切れて血が噴き出す、筋繊維が何本も千切れる、骨に亀裂が入り砕けかける。

それにも構わず、渾身の力で、最上を――更に上へと投げ飛ばそうとした。

自死も厭わない力は、強烈な遠心力を生む。

突如掛かった強力なGに、最上は一瞬動けなくなった。

 

「こんなもので、ヌンっ!」

 

だがあくまで一瞬。

数秒もなかっただろう、鎖は力ずくで引き千切られた。

さっきよりも、数十センチ宙へ浮かせられただけに留まってしまう。

 

「あ、もうダメギブ。ぐふっ」

 

卯月は宣言通り、力尽きて倒れ伏した。

それを目撃した最上は、空中にいる状態から、卯月の抹殺を狙う。

 

「これはもしかして、チャンスタイム……じゃなさそうだね!」

 

直感が告げる、『全ての方向を警戒しろ』と。

大量の瑞雲を一気に展開する。

そこへ向かって来ていたのは、色々な方向から飛んできていた砲弾だった。

撃ったのは熊野だけではない、残党を抑え込んでいた球磨たちだ。

最上はほくそ笑む、強化された瑞雲の機銃は、砲弾さえ迎撃できる。

 

「ああやっぱり、ザコを相手しながら狙ってたってことだ。でも残念だったね無駄に」

「させると思ってるならアンタは大阿保ね!」

「え?」

 

機銃を発射する前に、飛び込んできた満潮によって、瑞雲の何機かが破壊される。

 

「当てやすいわよね、砲撃迎撃する位置に行くって分かってるなら」

「なんてことするのさ満潮これじゃ砲撃に防げないのが」

「出るでしょうね、無防備なまま喰らってなさい!」

「悪い子だ教育してあげる!」

 

魚雷が満潮へ目がけて発射される、至近距離へ飛び込んだ故に、それでも当たってしまう距離だった。

爆発すれば、確実に木端微塵。

しかし満潮は考え無しに飛んだ訳ではなかった。

手を伸ばし、下へ延びていた鎖を掴み、引っ張った。

 

「卯月の真似みたいで嫌だけど!」

 

予め、海底へ落とされていた錨は重しとなり、引っ張れば、下へ一気に移動できる。

それでも完全回避とはいかないが、直撃は免れることができた。

――免れて、大破同然の大ダメージを負うこととなる。

 

承知の上で飛んだのだ、熊野も声掛けはしない。している余裕がない。

 

だがお蔭で、何発か主砲を直撃させることはできた。

 

「ムダだけどねムダムダっ!僕は自己再生するんだから、こんな傷は!」

 

最上の言う通り再生してしまう、かと思われた。

だが異変が起きた。

再生が起きなかったのだ。

 

「え、なんで!?」

 

正確には再生しているが、()()()()()()()

 

「良かった、予想通りですわね」

「いったい何をしたのさ、熊野!言わないと承知しないよ!」

「最上さんのシステムでしょう、自分で考えられたらどうですか」

 

最上の再生原理は、外部からのエネルギー供給によるものだ。

取りこんだリソースの一部を、修復に割いているのである。

再生は無限にできる。

しかし、吸収速度に限界はある。

即ち、再生効率は有限だ。

D-ABYSS(ディー・アビス)の稼働原理から考えた予想だったが、見ての通り正解だったことになる。

 

「まだだ!再生を遅くしたぐらいで、僕を止められると思わないことだね!」

 

そう言い放つ最上の顔からは、明らかに余裕が失われていた。

今まで、最上は追い詰められたこと――どころか、まともな勝負は一度もしてこなかった。

死ぬか、生きるか、ギリギリのやり取りをする機会がなかったからだ。

この戦いで初めてそこまで追い込まれた。

 

「全部吹き飛ばす、そうすれば問題ないさ!」

 

手持ちの主砲に加え、太ももに装備された連装砲を、全員に目がけて発射。

『直感』に裏打ちされた攻撃は、回避コースも予知して飛んでいく。

止まれば直撃、逃げた先でも直撃、各々が別途対応を迫られ、一手遅れる。

その隙を突き、安全に着水する。

 

「おっと自由落下はしない、どうせ魚雷でも何でも仕掛けてるだろうし、さっき同じこと見たし!」

 

宣言通り、落下地点には、熊野の魚雷があった。

艤装に亀裂が入りっぱなしの今、喰らえばかなりのダメージとなる。

それを避ける為、瑞雲を発艦、一瞬で位置を固定し、空中での足場とする。

それも、多く、大量に。

何故なら熊野がいるからだ。

 

「させませんわ!」

 

予測攻撃までしたが、熊野はそれも含めて計算し、既に攻撃を始めていた。

発艦させた瑞雲は、また瞬く間に破壊されていく。

けれどもムダだと、最上は嗤う。

だから数を多くした、どれだけ早く精度が高くても、連射力は限界がある。

安全な場所へ、着水できる瑞雲の足場は残せる。

 

「凄いね、でも、全部は落とせないよね。その隙に着水だ!」

「その慢心を突っつくのがこのうーちゃんの仕事って訳だぴょんザマーミロ」

「!?」

 

声の方を向く。

そこには卯月がいた。

半壊していた最上の甲標的を抱えつつ、主砲を構えていた。

 

「力尽きたんじゃ!?」

「嘘だっぴょん」

「卑怯者ー!」

「褒め言葉に感謝だぴょん。死ね!」

 

と言って、主砲を最上の脚部に向けて発射する。

直感で分かった、あの弾丸は本命だ。

システムを狂わせる、工作員入りの特殊弾頭。

不味い、回避か迎撃をしなくては――そこで、甲標的を思い出した。

 

卯月は力尽きたと思わせといて、自分の存在を意識から外した。

その上で、最上が着水の為、瑞雲を大量展開した際の死角を使い、甲標的(半壊)を回収したのである。

 

もう一度、甲標的を凝視する。

 

在る筈の物がない。

 

魚雷がなくなっている。

 

「まさか」

 

予感がして上を見ると、こっちに直撃するように、魚雷が投げられていた。

 

あれは、甲標的の魚雷なのか?

だったら不味い。

艦載機がそうであるように、魚雷にもD-ABYSS(ディー・アビス)のパワーが詰まっている。

あれが、甲標的のなら、最上の装甲は破砕される。

 

ブラフかもしれない。

もう魚雷がない甲標的を担いで、卯月の普通の魚雷を投げただけかもしれない。

卯月のだったら無視していい。

どうやっても判断ができない。

止めに、最上は自らの魚雷の形状を余り覚えていなかった。

再生能力のせいで、根本的に自主的に整備する機会がなかったのである。

 

「いや、全部だ、僕にはそれができる!」

 

それでも、全てを驚異的なフィジカルで押し切ってしまうのが、最上の脅威足る所以。

逆に思いっ切り着水してやれば良い、そうすれば生じた衝撃波で、主砲は吹き飛ばすことができる。

その後、一気に加速し魚雷から離れれば問題はない。

 

「悪足掻きはここまでだ、所詮は、ザコの小手先の子供騙しなんだよ!」

 

予定通りに進む、強烈な踏み込みで衝撃波が発生し、工作員入りの主砲は弾き飛ばされる。

そして、熊野を殺す。

卯月の方が本来優先だが、特効がある熊野を放置する方が危険だ。

 

だが、知恵比べは卯月が勝った。

 

踏み抜いた結果、そこにあった魚雷を起爆させてしまったのだ。

 

宙へ投げていたのは普通の魚雷。

 

水面下を進んでいた物こそが、甲標的の魚雷だった。

 

「―—悪寒も、正しく読めなきゃ意味ないぴょん」

 

最上は誤認したのだ。

悪寒の正体は、主砲と同時に発射された甲標的の魚雷だった。

しかし、先に砲弾を見たせいで、『これが危険なのだ』と判断を急いでしまった。

焦りに焦った反動が、ここに現れた。

 

「ぐああああっ!?」

 

よりにもよって、亀裂の入った脚部に魚雷が直撃。

大爆発と共に、航行に支障をきたす程のダメージが発生する。

そこへ、爆炎を突き破り卯月が接近する。

 

「この距離なら外さないっ!」

 

さっきのはただの主砲、工作員入りに砲弾が、穴だらけと化した脚部へ撃ち込まれる。

 

システムを狂わせる必殺の一撃が命中した。

直ぐに自己再生に支障が出る、自慢のフィジカルが無力化させる。

その事実に、遂に最上は発狂した。

 

「―—この、ガキめぇぇぇっえええ!!」

 

瞬間、卯月は白目を剥いて、血を噴きながら卒倒した。本当の限界が来たのだ。

 

半狂乱と化した最上の剛腕が、首を跳ねようと振るわれる。

 

だが直撃の寸前で、卯月は飛び込んできた満潮に救助された。

 

「させるか!」

「お前、満潮……あああもう何なんだよぉぉぉおおお!!?」

「最上に、あんたに、これ以上人殺しはさせないわ!」

「あ、あああ゛!?」

 

効果は直ぐに出始めた、力が抜けていくのが分かる、自分を成り立たせていた物が無くなっていく。

そうして、ある種の『死』を目前にして、最上は獲物を絞った。

熊野へ殺意を突き立てた。

 

「殺す。残った時間で、お前だけでも、引き裂いて沈めてやらなきゃぁなあ!」

「望む所、さっさと終わらせましょう」

「がぁぁぁぁぁ!」

 

獣のような咆哮を上げ、竜巻のように瑞雲を纏いながら突撃する。

着水の安全性も無視し、残る甲標的も全て展開、空爆、砲撃、雷撃の包囲網によって仕留めに掛かる。

 

しかし、発狂した最上は致命的なことを失念していた。

今まで優位だった理由は、圧倒的なフィジカルだ。

それが半ば喪失してしまった今、どうなるかは明白。

 

「遅い、余りにも、遅いですわ」

 

瑞雲の飛行パターンは見破られていた。

正確に撃ち抜かれ、生じた隙間を砲撃が射抜く。

そして、修復しきれていなかった負傷箇所へ直撃する。

治り掛けが抉られ、より傷が深くなる。

 

「まだ、まだぁ――!」

「終わりです」

 

回避しようとしても、未来予知めいた正確性で砲撃が来る。

折角放った甲標的の魚雷も空爆も、パターンが見切られていて意味がなく、全部回避される。

そして反撃に砲撃が来て、別の傷がより抉られる。

 

「なんで、回避が、まだ、そこまで落ちてはいないのに!」

 

『直感』はまだ働いている、攻撃は察せられる、危険な攻撃は気づける。

なのに回避し切れない。

再生途中だった傷を尽く抉られてる。

理解できない事態に最上は叫ぶ。

 

「単純な話ですわ。気づけても身体が追いついていないのです」

「ふざ、ふざけるなぁ!」

「でしたら、最上さんは、此処までです」

 

何がだ、舐めるな、本気を見せてやる――そう怒り狂って、力を振り絞る。

こいつを殺す最後の力を引き出そうとした。

 

「―—あ゛っ?」

 

それは、叶わなかった。

 

「なに、が、起きて……」

「決着です」

「くらい、見え……ない。こ、恐いよ……あ、あ……」

 

最上が突然、海面に倒れ伏す。

抉られた箇所の再生が停止し、あらゆる場所から鮮血を噴き出す。

視界が消え、感覚が消え、最後に。

 

「どうか、ご無事で」

 

音が消えて、最上の意識は失われた。




最上戦はこれにて決着。
次のボス戦が、中盤最大の山場となるでしょう。
色々な人にとって。


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第159話 透明

 空を飛びながらモンスターの尻(闇討ち)に熱く熱された鉄の棒(爆杭砲or地烈斬)を捻じ込む怪人と化したガンランサー。
 ガンランスはどこへいくのでしょうか。誰か教えてください。


 満潮は首を傾げていた。

 負傷箇所が増えた最上が、全力で動こうとした途端、白目を剥いてひっくり返ったからだ。

 勝ったのか、何だ今のは。

 

「どうやって勝ったの、今ので」

 

 白目を剥き、海面へ倒れ伏す最上を見ながら、満潮は呟いた。

 

「なんと言いますか。少々語弊がありますが、自爆というのが一番適切ですわ」

「自爆って、どういうことよ」

「元々最上さんは、()()()()()()()()()()()も同然だったのです」

 

 最上の凄まじいフィジカルは、実の所再生能力によって齎されたものだった。

 踏み込めば音速突破、タックルで砲弾を粉砕。

 そんな滅茶苦茶な身体能力は、彼女の限界を超えており、一挙手一投足の度に肉体の崩壊を招いていた。

 

 それを端から再生させることで、帳尻を合わせていたのだ。

 戦闘中発揮された再生能力は、その一部分に過ぎなかった。

 

「言うなれば、修復しながら飛行機を飛ばしているようなものでしょうか。わたくしはその修復作業量を増やしただけです」

「で、飛ばす労力にまで手が回らなくなったってことね」

「そういうことですわ」

 

 しかし、それには限界がある。

 外部から損傷を受けた場合は、そちらへ再生のリソースが割かれる。

 その為、余りにも外傷が深すぎると、肉体強化へ用いていた再生力まで、そっちに回さざるを得なくなる。

 

 この間、最上の身体強化と再生の帳尻が合わなくなる。

 

 一時的ならまだしも、それが長時間続けば、明らかな形で消耗が現れる。

 挙句最悪なことに、最上は『加減』を知らなかった。

 堕ちてからずーっと、『強化』込みで暴れてきた為、それがない時の動き方を知らなかった。

 

 肉体の限界を超えた動きをしても、それが危険だと分からない。

 分かってもそれ以外の動き方を知らない。

 

 熊野により、最上は全身の傷を深く抉られた。

 結果、そちらに再生リソースが割かれ、肉体崩壊が始まった。

 なのに気づかず、同じ暴れ方を続けようとしたせいで、肉体崩壊が限界を超えて──意識を失ったのだ。

 

「とは言え、肉体限界を超えても、叩き続けるガッツの持ち主だったら、かなり不味かったので、運が良かったと思います」

「確かに、その状態になってから、直ぐに引っ繰り返ったわね」

「再生能力頼りで、限界を超えて戦うというシチュエーション自体、なかったのでしょうね」

 

 なんなら、追い詰められからの暴れ方は、秋月より大人しかった。

 

 というか秋月より根性ナシだった。

 

 限界を超えても再生するから、本人に負荷がかかならい。

 そんな状況を続けていたせいで、いざ限界を超えた負荷を感じたら、全く耐えられなかったのだろう。

 

「まあ、お蔭で秋月さん程、体内ダメージは大きくなさそうなので、そこは安心できるところですわ」

「……それは、そうね。こんなに苦労して死んでたなんて、目覚めが悪すぎるものね」

「ええ、本当に……思いますわ」

 

 熊野からしたら、良い事ばかりではない。

 これでとうとう、鈴谷の生死が明らかになってしまうからだ。

 真実が分かるのが恐い、生きている可能性がある状況で、留めておきたかったとは思う。

 

 だが、それは鈴谷への侮辱になる。

 絶対に口には出さない。

 満潮も何となく、そういう気持ちは感じた。

 複雑そうな表情にも、何も言わないことにした。

 

「……おおーい、決着は、ついたのか……っぴょん」

「うわ卯月、アンタ意識が戻ってたの」

「何度も気絶してるせいかなぁ……何か、あっさり起きれるようになってる気がする……ぴょん」

 

 それ結構ヤバイのでは? 

 良くない慣れをしている気がしてならない。

 今心配しても意味ないが。

 

D-ABYSS(ディー・アビス)の負荷には、随分慣れたようですわね……あまり喜べないですが」

「うーちゃんは良いっぴょん……決着、ついたんだよね?」

「ええ、ご安心ください」

「そう……」

「それと」

「うん?」

「叱咤して頂き、ありがとうございます。お蔭で目が覚めましたわ」

 

 吹っ切ることが出来たのは、卯月のお蔭と言っていい。

 お礼を言うのは当然だった。

 だが、卯月は不思議そうに首を傾げている。

 

「うーちゃん、ただ、本当にうっとおしかったから、イライラして怒っただけだぴょん。八つ当たりだけぴょん」

「卯月さんの意図がなんであれ、結果として良い状態なったと思います。お礼ぐらいは受け取ってくださいな」

「じゃ、帰ったら、間宮パフェ……お願いぴょん」

「かしこまりましたわ」

 

 話している最中、遠くの方から球磨たちも近づいてきた。

 

「そっちは終わったのですか?」

「そうだクマ、あらかた片付けたクマ。最上がやられたのを見て、残党は逃げて行ったクマ」

「成程」

 

 周囲を観察しても、敵らしき影はない。

 上空を警戒しても、艦載機の影はない。

 敵は全ていなくなったのだろう。

 これで戦闘は終わり、全員ホッと一息ついた。

 

「……で、どーして、熊野さんがいるんですか?」

「出撃許可は中佐から貰いました、高くつきましたが、こうして最上さんを倒せたのだから、安い買い物でしょう」

「そーでしたかそーでしたか、良い顔つきですね~、スッキリした感じ。ポーラそっちの方が好きですね~」

 

 まあ、ストレスや悩みでしかめっ面してる人より、好印象なのは確かだ。珍しくポーラの言うことが正論だ。

 何はともあれ決着はついた。

 後は最上をしっかり拘束して、帰投するだけ。

 

「……この音、大きな音、秋津洲の輸送艇……ぴょん?」

「そーみたいですね~、あーもーポーラ疲れました~、腕も足も棒みたいです。機内にワインはありますよね?」

「重油でも飲んでろクマ」

「……いけるかも」

 

 ダメだコイツ。全員色々と諦めた。

 

 そうしている間に、輸送艇が着水。

 太陽も昇ってきた、安全なフライトが楽しめるだろう。

 これでやっと、身を休めることができる。

 卯月は心の底から安堵した。

 

「いえ、搭乗は暫く待ってください」

 

 だが、それを不知火が止めた。

 

「どういうこと?」

「忘れているのですか。この戦い、いる筈の存在がいなかったことに、気づいていますか」

「……ステルスの艦載機?」

「それです。最上さんとの戦闘中、それに遭遇しましたか」

 

 卯月たちは遭遇していなかったので、首を横に振る。

 イロハ級と戦っていた球磨たちも同じだったので、同様に首を振った。

 秋月との戦いでは、ちょこちょこ妨害してきたアレが、最上との戦いでは出てこなかった。

 言われてみれば、違和感しかない。

 

「そもそも、来てないって可能性もあるんじゃないの」

「ええ、それも想定されていました。だから高宮中佐は、熊野さんの出撃を許可したのです」

「……わたくし?」

「許可の理由は、熊野さんが特効艦だからではありません。いいですか、残念ながら作戦は内通者の手により、どうしても一部漏洩してしまします。逆に言えば、敵はその情報を元に動くということ」

「そりゃそうね」

「では、情報と違う事態が起きたらどうなるか。現状確認を()()()()()()()()

 

 事前情報を貰って、行ってみたら想定外のことが起きていた。

 すぐに情報を更新する必要がある、動く必要が出てきてしまう。

 それは仕方のないことだ。

 

「この戦場は、そのステルス機──の使い手に、監視されていたんです」

「……え、待つクマ。じゃあこの待ち伏せ作戦自体、最初からバレてたってことになるクマ」

「そういうことになります」

 

 最も全部露見していた訳ではない。

 どの辺りの海域で待ち伏せしているかとか、何時頃に、何処を航行しているかとか──致命傷になりにくいが、作戦に支障をきたすぐらいの情報を、敢えて漏らしておいたのだ。

 

「でも最上さんは、そんなこと知ってそうではありませんでした」

 

 基地全体を用いた罠にも引っ掛かっていた。予め知っていたとは思えない。

 

「恐らくですが、全部囮だったのでしょう」

「全部って」

「大量のイロハ級も、最上さん自身も全てが囮。敵はきっと、不知火たちが輸送艇に乗り込み離陸する時を待っていたのだと、想定されます。疲弊して抵抗できず、空中で逃げ場もない中、最上さんごと不知火達を抹殺する為に」

 

 その為だけに、ステルス機を出さずに待機させていた。

 高くつくが、確実かつ纏めて殺す為に。

 あれだけの数のイロハ級でさえ、囮に過ぎなかったと言うのだ。

 

「故に、ステルス艦載機は近くで、動きを見ていると踏みました」

「ムリでは? だって、見えないんですよね~」

「ええ、ですが熊野さんが来たことで、観測ができました」

「……ああ、そういうことですの」

「情報になかった人が来たせいで、ステルス機を動かさざるを得なかった。しかも夜間、明かりがなければ正確な観測は不可能。ほんの一瞬ですが確かに見えました、艦載機の明かりが遥か上空に」

 

 これが意味することは一つ。その事実に臨戦態勢へ戻る。

 

「この近く、いるの、敵が」

 

 不知火は頷いた。

 

「けど……どこにいるんだクマ。さっきから偵察機は飛ばしてるけど、敵影なんて見当たらないクマ」

 

 戦闘が終わり、日が昇った頃、輸送艇の安全確保を兼ねて偵察機を飛ばしていたが、何も見つからなかった。

 本当に敵なんているのだろうか。

 だが、近くに敵の艦載機があったのは確かなのだ。

 

「マジで誰もいません。あるのはイロハ級の水死体ばかり。じきに消えるでしょうけど」

 

 もうじき泡になって消える。それが深海戦艦の宿命だ。

 

「でも、気のせいにするのは、ちょっと怖いですね~。戦闘中に巻き添えで倒してた~、とかどうでしょ~」

「そんなことで倒せるなら苦労はしてないクマ」

 

 全員敵を疑っている。目を凝らし、耳を澄ませても何もない。

 

『ちょっとー、迎えに来たのに何してるのかもー』

「敵がまだいるかもしれないんです。申し訳ありませんが、秋津洲さんも周囲を警戒してください」

『二式大艇ちゃんを沈めるつもり!? なんて奴見つけて殴ってやるかも!』

 

 しかし何も無い。レーダーにも、ソナーにも、目視でも偵察機でも痕跡一つ発見できない。

 

「……撤退した可能性もありそうですが」

 

 熊野の言う可能性が高そうだ。

 何時までも此処にいるのも、それはそれで危険。

 仕方なく、撤退の判断を下そうとする。

 

「……待って、おかしい、ぴょん」

「卯月?」

「艤装が、動いてる音が、()()()()()()()()

 

 卯月が指差したのは、イロハ級の死体の山だった。

 何割かは泡となって消滅し出している、間違いなく死んでいる。

 死んでるから勿論、艤装の機能も停止している。

 だから、音がする筈がないのだ。

 

「どれからですか」

「あそこ、頭部が半分砕けてる、空母ヲ級の死骸」

 

 頭部、というか頭蓋骨が半分捥げてなくなっている。

 どう見ても死んでいる。

 一目で分かる死体である。

 

 けど、卯月の聴力に疑う余地はない。

 

 警戒し、フォーメーションを組んで死骸へ接近する。

 

「撃ちますよ」

 

 宣言してから、不知火が主砲を叩き込んだ。

 爆発が起き、ヲ級の外皮が吹き飛ばされる。

 そして中身が顕になる。

 

「……空、ですわね」

 

 生きていれば機械部品や内臓等が詰まっていたのだろう。しかしこれは死体だ。既に内蔵は泡となって消えてしまっている。

 

「待ってよ。変よコレ……そういう風には見えない。中身が綺麗過ぎる気がするんだけど……アンタどう思う」

「球磨も同じだクマ。泡になって消えたなら、腐りかけみたいな感じになる。でもこれは……」

「予め、くり抜かれた様な?」

 

 つまり、このヲ級は最初っから『皮』だけだったのだ。

 誰かが潜んだ状態で戦線にやってきて、適当なタイミングで、死体の振りをしていた。

 ある意味理にはかなっている。

 正確な偵察をしたいのなら、最前線に潜んでいるのが一番だからだ。

 

「でも、中身ないですけど」

「皮を捨てて、もう逃げちゃったんでしょーか?」

「……まだ、音は、してるぴょん」

 

 今度こそ、異常であると把握した。

 中身がなく、くり抜かれた空洞のヲ級。

 ならば、どうして艤装の音がしてくるのか。

 

「まさか……カメレオンのように、透明になってるんじゃ」

 

 満潮の無茶苦茶な予想に、球磨が反論する。

 

「冗談は止せクマ。ステルス迷彩なんて、SFにしか出てこないクマ」

「じゃ目の前のこれ何」

「……クマ」

 

 ステルス艦載機の使い手なら、本人も透明になれるのではないか。その可能性は高い。

 

「……試してみます」

 

 砲撃や魚雷では、爆炎で見えなくなる。

 機銃の銃弾を一発取り出し、それをヲ級の死骸へ、放り投げた。

 

 弧を描いて弾丸が落ちる。

 

 それはカツンと音を()()()、透明な何かに弾かれた。

 

「誰だ! 動くなク──」

「ひゃぁぁぁぁぁ!?」

 

 誰が悲鳴を上げる。

 何も無かった空間から、突然艦娘が現れた。

 

 何と土下座をしていた。

 

Sorry(ごめんなさい)! Sorry(ごめんなさい)! いじめないでください! 殺さないで! 心の底からintrospection(反省)しています! なんでもしますから靴も床も舐めます! だからplease(お願い)どうか殺さないで! pleaeeeeeeeese(お゛願い゛じま゛ずう゛う゛う゛っ)!!!」

 

 金髪のツインテールで、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにさせながら、謝り倒すそれに変な恐怖を覚える。

 

 本当にステルス迷彩だったことにも驚いた。だがそれ以上に、この態度に衝撃を受けた。

 

「何、コイツ」

「……該当する艦娘は、います」

「誰なのよ」

「カサブランカ級護衛空母、19番艦、Gambier Bay(ガンビア・ベイ)ですね……」

「ヒィィィィ!」

 

 三隻目、ステルス機を操る存在との遭遇は、とてもグダグダなものとなった。




艦隊新聞小話(久々)

 艦娘強化システム(仮)のD-ABYSS(ディー・アビス)ですが、エネルギーを外部から取り込む、という特性上、いくつか副次作用を生み出すことができます。
 ご覧の通り、最上さんの場合は、外部からエネルギーを供給することで、高い自己再生能力を実現していました。
 まあ、肉体限界を超えた稼働の反動で、壊れていく身体を端から再生する使い方をしてた訳ですが。
 肉体が限界突破してたのなら、脳も崩壊&再生を繰り返してるかもしれませんね。直接調べてはいないので、わたしは分かりませんが。
 ガンビア・ベイも何かしらあるのでしょう。おおかたステルス能力に関係してそうですが。
 卯月さんは……あるんですかね?

 ちなみに、ここまで登場したD-ABYSS(ディー・アビス)艦娘、秋月、最上、ガンビア・ベイには一定の法則があるらしいですよ?


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第160話 騒音

 近海に潜み、輸送艇を最上ごと沈めようとしていた刺客を発見したことで、漸く帰投の道につくことができた。

 最上だけでなく、三隻目も確保できた。

 想定以上の戦果に、浮足立っている──ように見えるが、実際の所は。

 

Scared(恐い)! Scared(恐い)です……きっと凄惨なtorture(拷問)が待っているんです! 考えただけで身震いが吐き気が動悸が眩暈が止まりません! Scareeeeed(恐いよぉぉぉぉ)!」

「やかましいクマ! 静かにしろクマ!」

「ああああ怒られた!? Be killed(殺されてしまいます)!? 止めてください床でも靴でも糞でも何でも舐めますから! どうか殺すのも拷問もしないでくださいピエエエエエ!」

 

 ステルス迷彩を用いて、最前線でこちらを監視し続けていたガンビア・ベイは、尋常ではなく喧しかった。

 

 常にピーピー泣きながら、弱音を吐いている。

 今のように下手に声をかければ、それだけで恐怖が臨界点に達し、更に大声で泣き叫ぶ。

 

 決死の戦闘後なのにこの始末。

 卯月に限らず、全員げんなりとした表情を浮かべていた。

 

 口枷はとっくに試した。

 結果、喋れない代わりに全身で恐怖を表現。

 そこら中に身体をぶつけて暴れ回り、余計に酷くなったので早々に口枷は取られた。

 

「ガンビア・ベイ、貴女以外に艦娘は?」

「ヒィィィィ!」

「ステルス機をコントロールしていたのは、貴女ですね?」

「イヤァァァァ!」

「……会話する気あります?」

「ぐすっ、えぐっ、びゃぁぁぁぁ!」

 

 尋問してもこのザマである。

 何をしても兎に角、泣く、叫ぶ、狂乱状態で引っ繰り返る──と、まともな会話は一切成立しない。

 

 パッと見哀れな精神異常者に見えなくもない。

 

 だが、忘れてはいけない。

 ガンビア・ベイは、輸送艇を最上ごと破壊しようと画策していた敵であることを。

 泣いているのだって、演技かもしれないのだ。

 決して油断してはいけない。

 

 全身ガッチリ拘束している。

 かつて北上がつくった、吸収阻害の布を巻き付け、D-ABYSS(ディー・アビス)の稼働効率も下げた。

 その上で交代で二人見張りをつけ、妙なことをしないか警戒をする。

 

 その任務から外れているのは、重傷極まって動けない卯月と、最上にかかりっきりの熊野だけである。

 

「メッチャうるさいぴょん、全然休まらないぴょん……鼓膜が腐って死にそうだぴょん」

「御愁傷さまですわ……」

「ピャァァァァ!」

 

 サプレッサーマフ装備中なのに、それを余裕で貫通している大悲鳴。

 もう一種の音波兵器だ。

 卯月の顔は青ざめ、げっそりしていた。

 

「……最上は、大丈夫そう、なのかぴょん」

 

 これなら誰かと話してた方がまだ気が休まる。熊野へ声をかけた。

 

「ええ、限界を超える前に止めることができましたので。本格的な検査は帰投してからですが、秋月さん程酷い後遺症は残らないと思います」

「そう……なら、良かったぴょん」

「重ね重ねありがとうございます、卯月さんにその気がなくとも」

 

 後悔は残らず、最善を尽くすことができた。

 卯月が激昂してくれなかったら、こうはならなかっただろう。

 肝心の卯月的には、イライラしただけという認識だが。

 

「そういえば、少し気になることが。あ、話す気力大丈夫ですか?」

「喋る方が気が休まるぴょん」

「ヒィィィィ!」

「……あれだけ叫んで喉が潰れないのでしょうか?」

 

 敵に囲まれているのだから、恐いのは仕方ないがアレはない。ああいう手段で抵抗しているのか。

 

「質問と言いますか、卯月さん最上さんとの戦闘中、何かいきなりプッツンして、D-ABYSS(ディー・アビス)を解放させたらしいですわね」

「うん、誰かから、聞いたのかっぴょん……?」

「そんなところです。あれはどういう理由があるのでしょうか?」

「……何で、そんな質問を?」

「言いたくなければ大丈夫、暇つぶしの質問ですから」

 

 艦娘とは何かを『護る』存在である。

 最上はそれを否定した。

 そんなことをしているから、無様に死ぬのだと嘲笑った。

 直後、卯月はそれに怒り、システムを一気に解放させた。

 

「別に、大した理由でもないぴょん……あいつは、卯月の『責務』を侮辱した。存在を否定されたんだ、キレるのは当然……だぴょん」

「責務ですか。確かにそうですわね。大切なものを護ろうとする。それを嗤われるのは腹が立ちます」

「うん……」

「大切な人にしろ、思い出にしろ……」

 

 大切な人、大切な思い。

 それらを必死で護る姿を侮辱されたら、誰だって怒る。

 熊野もそうだった。

 鈴谷が肯定してくれた未来を否定されることは、決して許せない。

 

「うん? 人とか何だって?」

「え、大事な方を護るためとか、ですが」

 

 卯月は困惑気味、目をパチクリさせていた。

 

「うーちゃん、そういうことの為には、戦ってないけど……?」

「は?」

「そりゃ、護りたい仲間とかあるけど……別にその為には戦ってないっぴょん」

「では、何の為に? どうしてあそこまで激昂したのですか」

「そりゃ当然、自分の為だっぴょん」

 

 自信満々に、誇らしく卯月は答えた。

 

「うーちゃんは自分の為だけに戦ってる。誰かの為に戦う気は微塵もないぴょん」

 

 それは、どういうことなんだ? 

 艦娘は誰かを護る存在だ、そこに存在意義を見出す存在だ。

 それを侮辱されたから、怒ったのではないのか? 

 卯月は頻繁に誇りと口にしていたが、自分の為だけとは一体。

 

「……敵ヘの報復の為と?」

「それはあるけど、それはケジメと侮辱への報復。それはそれとして、自分の為に戦ってるつもりだぴょん」

 

 熊野は困惑していた。

 報復を望むなら、それこそ『自分の為』ではないのか。

 しかし、だいぶちゃらんぽらんなこの駆逐艦が、実際『完全なる殺意』を得てしまう程、強固な意志を有しているのは知っている。

 意味不明なことを言っているのではなく、ちゃんと意味のあることを言っているのは違いない。

 

「……一応言っとくけど、友達とか、仲間とかの為に戦うことは、当たり前だけど良いことだと思うぴょん」

「ええ、そうですわね」

「でもうーちゃん、そこに艦娘の価値を見出せない」

 

 冷徹な口調で、卯月は言い切った。

 

「自分自身の為に戦える存在が、『艦娘』だと思うっぴょん」

「エゴの為、ですか。いえ、どんな思想だってエゴは混じってきますが」

「そういうこと……色々あって、そういう結論に至ってるぴょん」

「色々ですか」

 

 こくりと頷く卯月。

 確かに、普通の艦娘では経験──したくもないようなことを、幾つも経験している。

 価値観が激変してしまうのも無理はない。

 自分から興味本位で聞いただけのこと、熊野はそこで会話を終わらせた。

 

「嫌!? 嫌!? いやぁぁぁぁ!」

「あ゛ーいつまで叫んだるんだクマー!?」

「頭が割れそうです」

「ポーラさんのはただの二日酔いでしょうが」

 

 というかこの状況で会話を続ける気力がもうなかった。

 

「本当にやかましいわね……どうなってんのよアレ」

 

 今まで黙っていた満潮も、ついに愚痴をこぼす。

 

「……そーいや満潮、怪我は」

「大破だけど、生命維持に関わる程じゃないから、アンタなんぞに心配される必要性はないからね」

「残念だぴょん」

 

 誰か耳栓をくれ。そして休ませてくれ。

 こんなの捕虜にしなきゃ良かった。

 疲弊しきった心身で、全員同じことを考えていた。

 

 

 *

 

 

 ガンビア・ベイの音波攻撃に耐えながら、輸送艇に揺られること数十分。

 どういう航路をとっているのか知らないが、前科戦線にはまだ帰投できていなかった。

 相変わらず鳴き声は続いているが、もう心を無にして耐えしのぐ。

 

 やっと慣れた頃、状況が急変した。

 

「何の音ッ!?」

 

 激しい高音、耳をつんざくサイレン、赤い光が機内を照らす。

 

『敵襲かもー!』

 

 誰よりも早く、秋津洲の機内放送が危機を宣言した。

 

「熊野さんと満潮さん、最上と卯月さんを! ポーラは狙撃体勢に、不知火はガンビア・ベイにつきます!」

「うーちゃんは!」

「卯月さん今役に立たないでしょう!」

「酷い!」

 

 しかし自力で立てないので全く役に立たない。泣き泣き熊野と満潮に護られる羽目に。

 

「無様ね」

「ぐぎぎぎぎ悔しいぴょん悔しいぴょん」

「だいぶ元気は戻ってきてますわね……」

 

 身体だけでも休めたおかげか、D-ABYSS(ディー・アビス)に慣れたおかげか、体力回復も早くなっている気がした。

 

「というか敵って誰なのよ、秋津洲!」

 

 空中で襲ってくる敵は限定的だ。

 地上からの砲撃か、艦載機の襲撃か、そのどちらしかない。

 だが、実際にはどちらでもなかった。

 

『戦闘ヘリかも!』

「……ヘリ? 護衛空母が積むような?」

『違うって、ガチの! 近代基準の、人間が乗るヤツかもー!』

 

 襲撃しているのは、『人間』だった。深海戦艦ではなかった。

 驚く間もなく、衝撃が輸送艇を揺らす。

 

『回避運動! 動きまくるから頑張るかもー!』

 

 秋津洲は輸送艇にあるまじき動きで敵の攻撃を回避する。

 バレルロールに、空中一回転、急降下──中の卯月たちはしがみ付くので精一杯だ。

 だが敵も手練れなのか、振りきれない。

 外からは激しい戦闘の音が聞こえてくる。

 そもそも、輸送艇で戦闘ヘリの追撃を振り切ることが困難なのだ。

 

『ヤバイ! 全員伏せて!』

 

 指示に従う、その直後ガトリング砲の連射が、機体を貫通して卯月たちを襲った。

 

「どわああああ!?」

『こんなもので、落とせると、思わないで欲しいかもー!』

 

 直ぐに射線から外れ、戦闘ヘリの死角へ回り込む。

 凄まじい操縦テクニックだが、いつか限界が来る。

 このままではやられてしまう。

 

 輸送艇内で砲撃なんてしたら、反動で機体が制御不能になるが、止むをえない。フラフラの身体を叩き起こし、主砲へ弾を込める。

 そして、視線を上げて、目に映ったのは、不知火の背後に立つガンビア・ベイの姿だった。

 首元へ手刀が放たれていた。

 

「不知火!」

「ッ!」

 

 不知火は卯月の目線で、危機を察知した。

 

 放たれた手刀へカウンターのナックルをぶつけ相殺した──ように見えた。

 

 いや、攻撃の阻止には成功した。

 

 だがノーダメージにはならなかった。

 

「ぐっ……!?」

「ひぃっ、prevented(防いだ)!?ありえないよ恐いよぉ!」

 

 あの不知火が激痛に顔を歪ませたのだ。

 見えるだけの卯月には、何が起きたのかは分からない。

 そんなことより、何故ガンビア・ベイが自由になっているのか。

 

 答えは割と簡単な所にあった。

 

 彼女の足元に、千切れた鎖やロープが散乱していたのだ。

 

「まさか、機銃で千切れたっていうのかぴょん!?」

「あああ……lucky(運が良い)です、まだ神様は、私をnot abandoned(見捨ててないんだ)! thank youuuuuuuuu(ありがとうございますぅぅぅぅぅ)!」

「逃がしません」

 

 運が良かったのか偶然かはどうでもいい、とにかく掴まえなければ。幸い狭い輸送艇内だ、直ぐに捕縛できるだろう。

 艤装もちゃんと外してある、装備している私たちとは身体能力が違う。

 だが、ここで失敗を犯すこととなった。

 

「早い!?」

 

 ガンビア・ベイは風のように早かった。

 此処の誰よりも早かった。

 状況を認識する頃にはもう、輸送艇の壁を突き破り脱出してしまっていた。

 

 姿は見えないが、落下していくガンビア・ベイの声だけが響いてくる。

 

「人でなし、heresy(外道)demon()! demon(悪魔)! devil(鬼畜)! 狂人たちめ! 何で私に酷いことをするんですかvillain(極悪人)め! 因果応報って言うんです! 絶対divine punishment

 

(天罰)が下ります! この卑怯者め死んで、死んじゃってください! 私を苛めた罰を受けるんですぅぅぅぅ!」

 

 落下しきったのか、声は聞こえなくなった。

 

 信じがたい発言内容だ。

 わたしたちが極悪人って、何様もつもりだ。輸送艇を、仲間(最上)ごと破壊しようとしていた奴の言うことか。

 けど、その妄言に絶句している暇はない。

 

「どうなってんだぴょん、艤装装備してないのにどうなってんだぴょん!?」

「目の紅い光もなかった、システムは作動していなかった……にも関わらずこの身体能力とは。油断しました」

「……ところでこの穴、大丈夫なの?」

 

 結論を言うと大丈夫ではなかった。

 

『今度は何かも大きな穴が空いて、衝撃でバランスがー!』

 

 機体がぐわんと大きく傾く、流石に艦娘と言えども、こんな状況での戦闘は想定していない。疲労の蓄積も相まって、振り落とされないようしがみつくおが精一杯だ。

 

 そうこうしている間に、ガンビア・ベイの開けた穴から、人間たちが突入してくる。

 

「本当に人間なのかっぴょん……!」

 

 少なからず衝撃を受ける、重武装に身を包んだ正真の人間だ。

 それらが深海棲艦の味方をしているなんて、余り信じたくない現実だ。

 人間たちは、卯月たちを銃で牽制しながら、機内に置き去りになったガンビア・ベイの艤装を、機内の傾きを利用して海面へ投下させた。

 

 間髪入れずに、人間たちも脱出。

 その際、手に持っていた『物』を放り投げようとする。

 一目で分かる、爆発物の類だ。

 輸送艇ごと、最上ごと全員殺すつもりなのだと理解した。

 

 こうなれば仕方ない、反動上等で主砲を撃とうとした──その時。

 

 人間たちが突然、機銃掃射で肉片と変わった。

 

 奥にいた戦闘ヘリにも誰かの艦載機が纏わりついている。機銃で穴だらけになり、やがて艦爆の爆弾投下で木端微塵に吹き飛んだ。

 

「今のは……」

『飛鷹さんからの増援かもー! 助かったかもー!』

 

 どうやら危機を察知してくれたらしい。

 飛鷹の攻撃により戦闘ヘリは爆散、人間も全員肉片へ変わった。

 卯月は張って、穴から空中を見下ろす。

 

 かなりの高度がある。ガンビア・ベイはここから落ちていった。しかも艤装ナシで。

 

「死んだか?」

「……そう思います?」

「だよね……またアレと、何時か戦うのかぴょん」

 

 あの人間たちは、ガンビア・ベイが失敗した時用の予備だったのだろうか。

 もしくは、捕縛された彼女を救出する部隊だったのだろうか。

 最低限、最上を奪われなかったのは良かったが、釈然としない気持ちが強い。

 

 最上を奪還できるチャンスだったのに、全くしようとしなかった。

 最上の犠牲も気にせず、輸送艇を沈めようとしていた。

 分かりきっていたが、そういう連中だと改めて痛感する。卯月は嫌な気分を抱えたまま、帰投につくのであった。



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第161話 艦種の壁

 折角捉えたガンビア・ベイだったが、人間たちの襲撃によって逃亡を許す。

 直ぐに捜索を行ったが、既に影も形もなかった。

 彼女はステルス迷彩を持っている、一度見失えば、再発見は不可能だ。

 

 空中で襲ってきたテロリストについては、既に飛鷹が殲滅した。

 本当は、一人二人生き残らせて尋問を行いたかったが、残念ながらそんな余裕はなかった。

 

 仕方ない事だと諦める。

 誰も死ななかったし、最上が奪われなかっただけマシだと気持ちを切り替える。

 

 再び帰投ルートへ舵を切った輸送艇の中、飛鷹もついでに乗り込んで帰還することになった。

 

「どうして、助けに来れたんだぴょん」

「ギリギリだったんだけど、テロリストが貴女たちを狙って動いてるって情報が入ってね。ただ襲撃ポイントを割り出すのに時間がかかっちゃって、少し遅れちゃったの。ごめんなさいね」

「別に良いわよ。来てくれなきゃわたし達全滅だったし」

 

 満潮の言う通りだ、むしろ情報を見逃さなかった分感謝したい。

 

「でも、飛鷹の航路から、前科戦線の位置特定されたりしないわよね」

「大丈夫、かなり迂回してきたから。そのせいで余計到着が遅れたんだけどね……」

「そうだ、飛鷹さんは、輸送艇から降下したガンビア・ベイを見なかったのかぴょん?」

 

 戦闘ヘリと輸送艇が目視できる範囲に飛鷹はいた。

 ならば、着水したガンビア・ベイを見ているのではないか。

 

「いえ、見てないわ。私が到着した頃には誰もいなかった。偵察機で探ってみたけど、周辺海域にも誰もいないわ」

「逃げ足は速いって訳ね。気に入らないタイプの敵だわ」

「ステルスかもしれないけど」

 

 ガンビア・ベイが降下してから、飛鷹が来るまでの時間は僅かだ。

 その間に、彼女は姿を消した。

 それだけの時間で、彼女は偵察機の索敵範囲外まで逃げ切った──または身を潜めたことになる。

 

 純粋に逃げたとしたら、いったいどれだけの速さなのか。

 

 参考になりそうなのは、輸送艇内に出来上がっていた。

 

『しくしくしくしく悲しいかも秋津洲の二式大艇にこんな大穴が空けられるなんて……』

 

 秋津洲が嘆いているのは、先の戦闘でできた幾つかの風穴。

 中でももっとも大きいのは、ガンビア・ベイが逃げた際、突き破ったものだ。

 

「ギャグマンガみたいな光景を見ることになるとはね……」

 

 まさに人型。

 輸送艇にはガンビア・ベイ型の大穴が空いていた。

 それも、ギャグ漫画で見るような、ある意味美しい大穴である。

 見る分には笑えるが、実際には全然面白くない。

 

「これを、艤装もナシでやったってどういうことなわけ」

「そんなことうーちゃんに聞かないで欲しいぴょん。むしろこっちが聞きたいぴょん」

 

 こんなこと言うまでもないが、艤装を装備していない艦娘は、人間と大差ない。

 そして人間は輸送艇の壁をブチ破れない。

 いや、できる変態はいるかもしれないが絶対少数派である。

 

 なのに、艤装ナシでガンビア・ベイは壁をぶち抜いて脱出した。

 それも、誰も目視できない程の速度で。

 意識できていなかったとか、死角だったとか、そういう次元の話ではない。

 

「何か、ガンビア・ベイから特異な音とか聞こえなかったの?」

「何も……というか、あいつの絶叫をずーっと聞いてたせいで、かなり麻痺ってたぴょん」

「ああ……うん、なるほどね」

 

 やっぱりあの泣き声は一種の音波兵器だったのではないだろうか。卯月は訝しんだ。

 

「音と言えば、思い出したんだけど」

「どうしたの」

「いえ、最初アイツを探そうとした時、レーダーにもソナーにも一切反応がなかったのよ」

「索敵範囲外だった可能性は?」

「無いわ。その後ヲ級の中から見つけたけど、そこレーダーの範囲内だったわ」

 

 不知火が『敵』の存在を示唆し、捜索した際、満潮のレーダーには確かに何も反応がなかった。

 物理的にもステルス、加えてデータ上でもステルス。

 信じがたいが、その可能性は十分あり得る。

 

D-ABYSS(ディー・アビス)って、そこまでできるの……?」

「そう考えるのは早いでしょう。これがシステムの力と分かった訳でもありませんし」

「……ぴょえん」

「卯月さん?」

「……聞かないでっぴょん」

 

 気のせいか、と見落とす性質ではない。

 飛鷹はしっかり見ていた。

 とても気落ちした様子でため息をつく卯月の姿を。

 

 だが、今は非常に疲れている。

 ムリに深堀して、ストレスを与えるべきではないし、無理に聞く状況でもない。

 

 一先ずはゆっくりと休んでからだ。戦いの後には絶対に休息が必要だ。

 

 輸送艇中に空いた風穴からは、冷たい風と朝日が刺し込んでいた。

 

 

 *

 

 

 前科戦線に帰還してから、卯月と満潮は真っ先にドッグへ叩き込まれた。

 最上は残念ながら、基地に入る前に、外で解体される羽目になる。

 重傷のところ申し訳ないが、秋月の時のように、体内に発信機やら爆弾やら仕込んでいる可能性がある。

 

 早朝からおよそ半日経過、昼頃になり、卯月と満潮はドッグから解放される。

 入れ替わりに、最上がドッグ内に担ぎ込まれるのを見届ける。

 その傍には、熊野がついていた。

 鈴谷──なのか何なのかまだサッパリだが、いずれにせよ姉妹艦、気になっている。

 

 彼女がついてくれるなら安心だと、卯月たちは入渠ドッグの外へ出た。

 

「これで、D-ABYSS(ディー・アビス)の艦娘は三隻目ね」

「うん、三隻目だっぴょん」

「秋月の時よりも、調査が進むと良いんだけど」

 

 またあんなドチートを相手するのはこりごりだ。

 幾つか対策手段はあるけど、どれも臨時的なもの。

 もっと抜本的な対策方法が欲しい。

 

「ガンビア・ベイはステルス迷彩持ちだし、それ以外にも色々隠してそうだし……あいつ以外にもまだ敵はいるのかしら。考えるだけで頭痛がしてくるわ」

「してくるぴょん、そうだっぴょん」

「……アンタどうしたの、さっきから妙な感じだけど」

 

 何だかんだ嫌々ながら、満潮はずっと卯月と一緒にいる。

 そのせいで、感情の機敏には割と敏感になっている。

 今の卯月は、いつもと比べて元気がない。

 返事こそしているが、空返事気味だ。

 

「疲れてるんだぴょん。ドッグで回復したけど、D-ABYSS(ディー・アビス)の反動で体内ボロボロだったんだぴょん」

「嘘ね。だったら即刻食堂へダッシュするか、寝るのが何時ものパターンよ。嘘嫌いなんでしょ」

「嘘じゃないぴょん……全部を言ってないだけであって」

「世間一般じゃ同じようなものよ」

 

 嘘を言って誤魔化すのと言うべきことを言わないで誤魔化すの。どちらも大して差はあるまい。

 

「チィっ、満潮の癖に察しが良い」

「あら事実だったのね」

 

 あからさまに機嫌を悪くする卯月。

 しかし彼女は嘘が嫌いだ、嘘を吐けない。

 此処まで指摘されてしまっては、白状する他道はない。

 

「さあさっさと言っちゃいなさい。そして悔しげで無様な顔を晒しなさい」

 

 ちなみに普段卯月に散々コケにされているので、満潮はとても機嫌が良くなっていた。

 卯月の悩みがマジな内容であっても、それはそれとして愉快と感じる。

 満潮は卯月がとても嫌いだったのだ。

 

「どういう態度だぴょん。いや良いけど、言うから良いけど」

 

 こんなこと話すことが恥、そう言いたげな態度で口を割った。

 

「……うーちゃん、何にも役に立たなかった」

「……さっきの戦闘での話?」

「そうだぴょん」

「一応役には立ってたと思うけど。熊野のサポートもできてたし」

「そういうんじゃないんだぴょん」

 

 深い溜め息をついて、卯月は自分の両の手に目線を落とす。

 

「同じ、システムを積んでるのに、最上に何にも通じなかったじゃん。格闘も砲撃も雷撃も、全部ダメだった……」

「確かにそうだったわね」

「……うぬぼれてたつもりはないけど。まさか、同じように強化されてんのに、ここまで『差』が出るとは思ってなかったんだぴょん」

 

 結局、先の戦闘において、卯月自身の攻撃は一つも有効打にならなかった。やったことと言えば最上の足を引っ張り続けることぐらい。

 

「これが昼間なら、まだそんなもっかって思えたけど、最上との戦いは『夜戦』だったぴょん。駆逐艦でも戦艦並に戦える環境だったのに、それでも無力だった」

 

 駆逐艦の本領発揮は『夜戦』時になる。

 昼戦とは比較にならないぐらい接近できるので、戦艦との火力差を埋めることができる。

 至近距離から雷撃を撃ち込めば、姫級だって一撃破壊できる。

 そんな有利な環境だったのに、それでも尚、卯月は無力だった。

 

「まあそりゃそうでしょ。あんたよりにもよって睦月型だし。夜戦であっても、睦月型に火力なんて求めてないわよ」

「酷い。惨い現実を叩き付けられたぴょん!」

「そもそも、アンタ達は前線で戦う艦種じゃないじゃない。昔みたいに艦が残ってないってんならしょうがないにしても、今は違うし。いえ、前科戦線は人手不足だから多少は止むを得ないわね」

 

 睦月型でさえ前線へ出なければならなかった昔と今は違う。最も常に人手不足である此処では、近い状態は起きるのだが。

 

「というか、駆逐艦が戦艦だの空母だのと正面からやり合うのが間違ってるのよ。夜戦なら兎も角、主力艦の援護をするのが仕事でしょ。そこをシステムの強化で勘違いしてるだけよ今のアンタは」

「ぬぬぬ、ド正論だぴょん。何も反論できないぴょん」

「考えなくなって分かるような、当たり前のこと言わせないで欲しいわね」

 

 しかし、気持ちが分からない訳ではない。

 D-ABYSS(ディー・アビス)による超強化、今まではまともに相手どれなかった大型艦でさえ、力押しで戦えるようになる。

 それはとても魅力的なことだ。

 とても、羨ましいことだ。

 強化元が睦月型最弱の卯月だからこの程度だ、もし別の駆逐艦なら──

 

「急に黙り込んでどうしたぴょん」

「別に、アンタと必要以上の会話をする理由はないでしょ」

「ふむ、ごもっともだぴょん。無駄な愚痴に付きあってくれたことには、礼だけは言っとくぴょん。どーもあざーっす」

 

 感謝の「か」の字もないお礼を受けて、満潮は分かり易く舌打ちを返した。

 

 

 *

 

 

 適当な会話をして、簡単に昼食をした後、卯月たちはベッドへ倒れ込み即熟睡し出した。

 当然の話だが相当疲れていたのだ、並大抵の疲労ではない。

 暫く作戦行動はない、寝かせておいても問題はない。

 だが、まだまだ寝れないメンバーも要る。

 高宮中佐と、正規艦娘たちである。

 

「…………」

「…………」

 

 高宮中佐も不知火も、仕事中にそう無駄口を叩くタイプではない。

 二人して黙々と仕事をこなす。

 飛鷹もつられて、無言のまま書類を捌いていく。

 

 戦闘詳報に最上の情報、新たに現れたガンビア・ベイ。周辺に呪い等が撒かれていたか否か、随伴艦の詳細等々。

 しかも、そこから内通者に()()()()()()()()と、そうでない情報を振り分け、安全に報告できるよう各所へ根回しと報告を行っていく。

 と言うか、業務量が増えている最大の原因は、その内通者のせいである。

 

「いつまで、内通者に気を使ってやらねばならないのでしょうか」

 

 何故、内通者に気を遣うような真似をしなければならないのか。考えると割と腹が立ってくる。不知火はイラっとした感じで呟いた。

 

「恐らくだが、もうじき一区切りつく予定だ」

「と、言いますと」

「日程は調整中だが、D-ABYSS(ディー・アビス)について、知っている人間が見つかった」

 

 不知火と飛鷹の顔色が変わる。

 時間はかかったが、戦艦水鬼からシステムの名前を教えて貰ったことは、良い方向へ転んだ。

 このシステム名に引っ掛かる人物がいないか焙り出す為、あちこちに情報を(名前だけ)流してきた。それに気づく人間が遂に現れたのだ。

 

「その人物が、此処に来ると言うことですか。ですが……」

「無論、途中襲撃を受ける可能性は高い。いやほぼ確実だ。だから日程を調整しているのだ……余計不安なのだが」

「どういうことでしょうか」

 

 唯一、飛鷹だけが何かを察した表情で硬直した。

 

「まさか、それって、護衛の日程ってこと?」

「そうだ。その人物は前科戦線に来る。護衛には『大将』がつく予定だ。つまり……大将殿が此処へくる」

「なるほど、理解しました」

 

 と冷静に返す不知火。何てことはない、いつも通りやるだけだ。取り敢えずボールペンをケースへ戻す。

 

「不知火、ペン立てじゃなくてコーヒーに突っ込んでるわ」

 

 全然冷静じゃなかった。大将が来ると知り動揺が隠せていない。

 中佐的には、大将の安全確保的に心配なのだろう。

 だが、飛鷹と不知火からしたらそっちは大したことではない。

 

 問題は、その大将の秘書艦だ。

 

 対応を間違えたら内臓を喰われて殺される恐れがある。

 

「……予め眼球抉り出した方がよろしいですかね」

「書類仕事が滞る、却下だ」

 

 果たして自分たちは五体満足でいられるのだろうか。不知火たちは不安を抱かずにはいられなかった。



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第162話 共喰

8/28 秋月が全盲である設定をすっかり忘れていたので、矛盾がないよう幾つか修正を行いました。


 ゆっくりベッドで寝ていたのに、何故か身体が重い。

 寝心地は悪いがここまで酷くなかった筈。

 魘されながら目を開けると、全身に長大な尻尾が巻き付いていた。

 

『ママァ……』

「なるほどそーゆーことかっぴょん……」

「うわ、凄いことになってるわね」

 

 いつの間にかベッドの中に顔無しのネ級──もとい加古が潜りこんでいたのだ。抱き枕のように尻尾が巻き付いている。

 艤装の一部でもある尻尾は、ガチガチに固くクッション性は微塵もない。寝心地が悪いのは至極当然だ。

 

 ついでに言うと、最初一緒に寝ていた満潮は、加古にベッドから押し出されていた。お蔭で一度目が覚めてしまい、熟睡できなかった。

 

「てか動けない。起きれないぴょん。何とかしてくれぴょん」

「無理ね。諦めなさい」

「そもそも何でコイツが自由に動けてるんだぴょん。独房にいた筈じゃないのかぴょん」

「別に良いじゃない。お似合いよ。そのまま授乳でもしたら起きるんじゃない?」

 

 満潮は卯月の胸元を見る。凪だった。

 

「無理だったわね」

「オ゛オ゛ン゛!?」

「じゃあ私食堂行ってるから」

「待て、そこに直れ、胸元抉ってやるー!」

 

 怒声を無視して満潮は去っていく。

 残された卯月は本気で困り果てた。

 起きない、マジで起きない。

 加古という艦娘自体、かなり寝るのが好きな存在だ。それが幼児退行した結果、まず目覚めなくなっている。

 

「誰かー、助けてっぴょーん……ぴょえーん」

「呼ばれましたか?」

「あ、助かっ──秋月ィ!?」

「はい、秋月です」

 

 扉が開いて入ってきたのは秋月だった。加古に続き意外な人物の登場に驚きを隠せない。

 

「どうなってんだぴょん。秋月も、独房で療養していた筈じゃなかったのかっぴょん」

「リハビリ程度ですが、外を歩くことを許可されまして。卯月さんを探していたら声が聞こえました」

「……ってか、お前全盲だったんじゃ」

「その数日で、基地内なら何とか歩けるようになりました」

 

 簡単に言うがそれは大変なことだったのではないか。五感のどれかが欠落すると、他の感覚が鋭敏化すると言うが、数日ではなるまい。秋月の努力の賜物だろうか。

 

「そっか。じゃあ助けてぴょん」

「はい」

 

 秋月は力強くで尻尾を引き剥がす。システムの強化がなくとも、秋月の方がパワーがある。苦労しながらだが、卯月が脱出できるぐらいには緩まった。

 

「ふいー、助かったぴょん。ありがとうだぴょん!」

「ッ!?」

「ぴょん?」

「ひゃ、ひゃいっ!」

 

 何故か顔を赤くして返事をする秋月。

 これはいったい。しかし気づいてはならないと本能が訴える。

 

「じゃあご飯行くぴょん。秋月は……食堂使って良いことになってるのかぴょん?」

「あ、はい、それも許可されています!」

「なら行くぴょん。うーちゃんお腹ペコペコぴょん」

 

 昨日ドッグから出て、軽く昼食を食べてから、結局次の日の朝まで熟睡してしまった。

 疲労が回復した反動で、とにかく腹が減ってしょうがない。

 消耗し切った筋肉がカロリーを求めて叫んでいる。

 いっぱい動いた後は、いっぱい食べる。これが鉄則だ。卯月はウキウキ気分で食堂へ向かった。

 ただし、ちゃんと秋月をフォローしながらだ。

 幾ら歩けると言っても、見えないんじゃ危険はある。介助者がいるに越したことはない。

 

 そこで出されたのは、朝から──というのを抜きにしても、珍しいメニューであった。

 

「カレーだぴょん!」

「カレー……なんですね」

 

 秋月には見えていないので、卯月の発言で認識する。

 

「凄い珍しいのが出てきたぴょん」

「そんなにですか?」

「うん。ここではカレーは滅多に出ないんだぴょん。だって飛y」

「熱いうちに食べてね?」

「アッハイ」

 

 ただ珍しいだけで特に理由はない。

 別に飛鷹が辛い物が苦手でカレーが出ないという理由は全くないのである。特に理由はない(二回目)。

 

「たまにはね。こんな所でも海軍な訳だし」

 

 理由がなんであれ、レアなメニューというのはそれだけで嬉しくなる。卯月はご機嫌でカレーを口へ運んでいく。

 

「ぴょあー、美味しいぴょん。個人的にはもうちょっと辛い方が好みだけど、飛鷹さんのもグッドだぴょん!」

「……結構辛口にしたんだけど?」

「飛鷹さん基準で?」

「何か言った?」

 

 卯月は速やかに黙り込んだ。賢い判断であった。

 

「うーん、でもやっぱり、間宮さんのカレーはもっと辛かったぴょん」

「秋月には分かりませんが……このカレーは、中々辛味があると思います。これ以上辛いのは珍しいのではないかと」

「そう?」

 

 艦娘の味覚は千差万別だ。辛い方に調整されているのは確かに珍しい。

 始めて食べたカレーが辛めのものだったので、好みが辛味になっているフシはある。

 

「でも飛鷹さんのも美味しいぴょん。おかわり!」

「はいはい、調子の良い子ね」

「あ、あの……秋月も、よろしいでしょうか」

「遠慮する必要はないわよ。はいどうぞ」

 

 どうしようもなくお腹が空いているので、出されたら出されただけ食べてしまう。

 それ程までに身体が疲れ果てていたのだ。

 入渠は傷は治せるが、消耗したエネルギーまでは補填できないのだ。

 

 と、夢中で食べている最中、ふと横を向く。

 

「どどどどうしたぴょん秋月」

「え?」

「泣いてるのはなんでだぴょん」

 

 秋月が泣いていた。カレーを食べているだけなのに、泣いてしまっていたのだ。

 

「まさかカレーが辛過ぎたのかぴょん!?」

「まさか、大丈夫秋月!?」

「い、いえっ、大丈夫です……辛すぎないです、問題は……ないんです。ただ、その……」

「その?」

「嬉しくて……」

 

 ポロポロ涙を落としながら、黙々とご飯を食べる。確かに泣いているが、悲しそうな様子ではなかった。

 

「前いた、あそこでは、食事は……食事はあったけど、こんな美味しいものじゃなかったから……ご飯って、こういうの、だったん、ですね……」

「そうか、嬉し泣きってことかっぴょん」

「良かった、安心したわ……」

 

 しかし、この質問をすべきなのだろうか。

 否、既に中佐とか、不知火辺りがしている筈だ。

 万一、質問の答えが最悪だった場合―—とても気まずくなってしまう。

 沈黙も時には重要なのだと、卯月は黙った。

 

 知る必要がないので、卯月は知らないまま終わる。

 

 ()()()()()()()()のだ。

 

 加えて秋月は、深海棲艦や艦娘も生きたまま踊り食いをしていたのだ。

 

 挙句D-ABYSS(ディー・アビス)の浸食により、それが極上の味だと、認識させられていたのである。

 

 何故そんなことをする必要があるのかは目下調査中だが、何かしらの理由があって、秋月はカニバリズムを強要されていたのだ。

 

 幸い、記憶が抜け落ちている領域であり、秋月は鮮明には覚えていない。

 だがそういうことをしていた自覚は残っている。

 当然酷いトラウマと化したが、そのお蔭で食事を拒否する程悪化はしなかった。

 

 お互いに腹一杯食べ終わり、食後のラッシーを堪能する。

 

「そういえば今更なんだけど、秋月、加古がうーちゃんのベッドにいた理由、知ってるのかぴょん?」

 

 起きた時、加古の尻尾が巻き付いていて起きれなかった。

 しかし加古は独房で管理されていた、どうして布団の中にいたのか、まるで理解できない。

 

「いえ、秋月と概ね同じ理由です。外を出歩ける程度には回復したので、軽いリハビリがてら、歩き回ることを許可されているらしいです」

「監視とかはいねーのかぴょん」

「どうせ卯月の所にしか行かないんだろうから要りませんね、と不知火さんが」

 

 不知火は殺しておこう。卯月は決意した。

 

 まあ、本当に自分のところへ来たのだから、予想的中な訳だが。

 

「こういうんのアレだけど、加古が暴れた時とか考えてないのかなぁ……」

「卯月さんへの懐き方を信頼しているということでしょうね」

「うーちゃん、猛獣飼育の国家免許は持ってないぴょん。軍事基地として良いのかさっぱりだぴょん」

 

 警備とかどうなってるんだ。自分の責任じゃないから知らないけど心配になる。

 最もその心配は無用なものだ。

 何故なら、基地内には全域に隠し監視カメラが配備されている。

 その上で、加古を解き放ったのだ。

 これは顔無しの研究ではなく深海棲艦の研究。顔無しとはいえ、今まで謎に包まれていた深海棲艦の生活行動を観察できるということで、実施しているものである。

 

「ふう、じゃあ御馳走さまでしただぴょん!」

「御馳走さまでした!」

「また遠慮せず、食べに来て良いんだからね?」

「―—はいっ!」

 

 声の通った良い返事。

 駆逐艦はこうでなければ。うんうんと一人頷いた。

 

 食事が終わったからといって特にやることも無い。

 最上の調査はまだ時間がかかるだろうし、熊野がついてくれているから、気にする必要も──と思い、はたと気づいた。

 

「熊野はちゃんとお休みできてるぴょん?」

 

 目が覚めて一段落するまで四六時中傍にいそうな気迫だった。

 まさか本当に寝てないんじゃないかと思うと、急に心配になってくる。

 

「できている、と聞きました。流石に付きっ切りではなく、交代制にしているらしいです」

「そっか、なら安心だぴょん。起きた時は顔合わせぐらいしておきたいですし」

「最上さん、とですか」

「それ以外に誰がいるんだぴょん」

 

 秋月の時と同じ理由だ。

 同じD-ABYSS(ディー・アビス)に滅茶苦茶にされた、同じ犠牲者同士。

 心に傷を負っているのなら、それなりに慰めることはできる。

 また秋月以上に黒幕の情報を持っているかもしれない。

 どうせ後から分かることだが、個人的に速く知りたい。

 

「……最上さんに、会いにいくのですね」

「嫌なの? いや、そりゃそうか。まあ別に見に行く必要はない筈ぴょん」

 

 顔を合わせること自体、避けるようなそぶりを見せる。

 無理もない話だ。

 秋月のシステム作動の原因は、最上の過度なパワハラにある。

 それこそ洗脳の手法のように、繰り返し暴力を与えられていた。

 存在自体がトラウマになっていてもおかしくない。

 

 出会ったら、発作が起きるかもしれない。

 漸く落ち着いているのに、わざわざ刺激する必要はなかった。

 

「でもだけど、遅かれ早かれ、一度ぐらい顔合わせはする羽目になるぴょん」

「え、何故ですか」

「此処がクソ狭いから。絶対どっかのタイミングで、廊下でバッタリってなっちゃうぴょん。遭遇は不可避だぴょん」

 

 ずーっと独房に籠っているならいざ知らず、いずれも最上も自由になる(仮定)。

 そうなれば、偶然出会う可能性は十分ある。

 その時発作を起こしたら目も当てられない。

 会わないままお互い生活できれば一番なのだが、不可能だ。

 

「……そ、そうですか」

「あー、安心できるかはサッパリだけど、顔合わせするのは一度ぐらいで大丈夫だと思う。狭い基地だから遭遇は避けられないけど、絶対仲良くしろってことはないぴょん」

「そうなんですか、秋月安心しました……」

 

 本当に安堵した様子で胸を撫で下ろす。

 あくまであの暴挙は洗脳されていたから、全て仕方のないこと。

 卯月はそう割り切れるが、秋月はそうもいかないらしい。

 難しいなと、卯月は軽くため息をついた。

 

「だから別に、うーちゃんが最上に会う時、ついてくる必要なないぴょん」

「すいません、それはちょっと嫌です」

「へ?」

「最上さんと会うとしても、ついていきたいと思います。そうなっても秋月迷惑をかける真似はいたしませんので」

「そ、そう。なら別に良いけど」

 

 不思議な言動だった。

 最上はかなりのトラウマ、できるなら会いたくない。

 その気持ちより卯月について行く方が優先されているのである。

 

 そんなに好かれる真似をした覚えがない、むしろ凄い重傷を負わせた覚えしかない。なのにこの慕いっぷり。

 ふと卯月は思い出した。

 最初の時や、泣いてる最中慰めた時──D-ABYSS(ディー・アビス)を作動させて、感覚過敏の痛みを受け取っていることに。

 

 顔無しに対してゲノム情報を組み込むより濃くないだろうけど、精神的に深い何かが行われている気がする。

 

「ねえ秋月お前うーちゃんのことどう思ってる?」

 

 また『ママ』と呼ばれるのではないか。卯月は密かに恐れていた。

 

「…………助けてくれた恩人ですが」

「待って秋月その長めの沈黙ななんだぴょんとても怪しいんだけど」

「…………」

 

 秋月は黙り込んだままだった。

 顔を赤く照れくさそうにしながらそっぽを向いているだけだった。

 誤魔化したままなら(精神的)傷は負わない。

 

「思うがままにうーちゃんを呼んで大丈夫だぴょん」

 

 だが卯月は嘘が嫌いだった。露骨な誤魔化しも嫌いだった。

 

「では卯月()()()()とお呼びさせて頂きます!」

「ほらね」

 

 例えこういうオチが待っていたとしても。

 お姉さまか、そう来たか。

 ママよりマシだって? 

 残念ながら卯月的には大差ない。

 前科戦線に『不幸だぴょーん!』と情けない悲鳴が響いた。




おめでとう!うづきは『ママ』から『おねえさま』にレベルアップした!

どちらかと言えばフォルムチェンジか?


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第163話 加害と被害

※秋月が全盲である設定をすっかり忘れていた為、前回の内容を矛盾のないよう訂正しました。申し訳ありません。


 満潮がどっか行ってしまったことで、一人ブラブラする筈だった卯月は、流れで秋月と行動を共にしていた。

 しかし、途中で違和感を感じ、質問をしてしまった。

 結果惨劇が生まれた。

 

「卯月お姉さま……」

『ママァ……』

「さぁこの状況を何とかするぴょん」

「いやそんなこと言われても困るよアタシ」

 

 わたしは何を間違えてしまったのだろうか。

 秋月はお姉さまと呼び、加古はママと呼んでくる。

 慕ってくれるのは嬉しい──いやナシ、この形はちょっと想定外だ。

 

 加古がママと呼ぶ理由は何となく判明している。

 ゲノム情報の提供や他諸々により、姫級個体として認識されている可能性が高い。

 加えて加古自身を救出した恩人でもある。

 そういうった要素が噛み合わさった結果、『ママ』化したんじゃないか。

 

 しかし、だったら秋月のは何なんだ。

 今も腕に全身を纏わりつかせ、目をハートにしながら色っぽい声で慕ってくる。

 

 違う、これ慕ってるってレベルじゃない。

 完全に百合の花が咲き乱れる方向ではないか。

 人の趣向に意見する気はないが、わたしはノンケである。こんなことされても困惑する他ない。

 

「それで原因は何なんだぴょん。何がどうなればこんな結果になるんだぴょん」

「余り急かさないでよー、最上の調査で疲れてるんだからー」

「うーちゃんは精神が折れるかどうかの瀬戸際なんだぴょん」

 

 一応わたしも幻覚、幻聴、幻触の発作持ちなんだが。

 アレなストレスは避けたいと思っているのに、どうしてこうなった。

 脳裏で頭を抱えて唸ってしまう。

 

「とは言え、ぶっちゃけ精神で起きていることだからねー、生憎あたしは精神の専門家じゃないし、推測による所が大きくなるけど、まあ良いよね?」

「秋月と卯月お姉さまの仲を否定するような内容ではありませんよね?」

「ははは安心しな、無理矢理引き裂く気なんて毛頭ないからさー」

「おい、うーちゃんの意見がおざなりぴょん」

「へー、じゃあ卯月は原因が分かったら、あっさり振って女の子泣かせるんだー、カッコ悪いー」

「問題が特殊過ぎるぴょん!」

 

 これが何らか──といってもほぼD-ABYSS(ディー・アビス)だが──異常に基づく物であれば、改善しなくてはならない。

 そのままで良い筈がない。

 だが、今現在、害あるものでないとしたらその時は。

 

「……仕方ないかぁ」

「今なんか言ったー?」

「いや何も、じゃあ見立てをお願いするぴょん」

「はーい。多分あれだ、秋月の『発作』を受け持ったのが原因なんだろうねー」

 

 やっぱりそれか。と卯月は頭を抱えた。

 秋月は後遺症により感覚過敏を患っている、その症状は時々激しくなり、発作の形で現れる。

 卯月はそれを和らげる為、秋月の感覚を一部()()()()していた。

 

 システム同士でそんなことができる理由は不明だが、実際できているのは間違いない。

 

「だけどね、これ単に痛みを肩代わりしてる……って訳にはならないじゃん。感覚過敏が起きているのは、神経や脳の過剰反応が原因だし、外部刺激が強過ぎるって訳じゃない」

 

 感覚過敏にも色々なパターンがあり一概には語れないが、秋月のはこちらに該当するらしい。

 恐らくは、最上からずーっと暴力を振るわれていた結果、外部刺激に必要以上に過敏になっているのだろう。

 

「これを肩代わりできるってことはだ、脳の錯覚やトラウマ──いずれにせよ精神と無関係じゃない所を、請け負っているってことになる。秋月の精神に接触しているのは間違いない。分かる?」

「完全に理解したっぴょん」

「流石です卯月お姉さま」

「……大丈夫かこいつら」

 

 知能指数まで卯月に引っ張られていないことを祈りつつ、説明を続ける。

 

「で、だけどさ、精神に依る要素を肩代わりしたってなると……秋月の認識が更におかしく……言い方が悪いな、変化しているのかもしれない。あたしはそう考える」

「変化、ですか」

「何だろうねー、ある意味、近代化改修に近くなっているのかも」

 

 近代化改修、漂白した艦娘の魂を取り込むことで、艦娘の力を強化するシステムのことだ。

 着任してから、駆逐棲姫と戦う前に施術したのを覚えている。

 

「かなり曖昧な状態とはいえ、卯月は秋月の精神的な何かを取りこんだ。吸収したのか、一時的に共有したのか、どっちにしたって魂を取りこんだ……という解釈になるのかな、ごめんねー、ふわっとした感じになっちゃて」

「構わないぴょん。だいたい言いたいことは分かったぴょん……で、現状改善できるの?」

「ムリだね」

 

 希望は潰えた。卯月はガックリと項垂れる。

 

「あの、お姉さまと呼ぶのが嫌なのであれば、今すぐ秋月は止めますが」

「その必要はないぴょん。かなーり複雑な心境だけど、折角慕ってくれてるんだし、止める気はあまりないぴょん」

 

 そりゃ止めてくれるならそれが一番嬉しいが、それで秋月が気落ちするのであれば、むしろ呼び続けてくれた方がまだ良い。

 ただでさえ、D-ABYSS(ディー・アビス)のせいで心に深い傷を負わされているのだ。

 余計なストレスは極力減らしてあげたかった。

 

 結果、お姉さまと呼ばれ、卯月も結構なストレスに晒される訳だが……我慢できない程ではない。

 

「精神的にヤバイような影響が出て来たら流石に対処せざるをえないけど、現状そんな感じはなさそうだしねー。秋月も卯月を襲うつもりはないんでしょ」

「襲う? 敵対する理由なんて」

「いや肉体的にな話で」

「ななななな何てこと言うんですか! 卯月お姉さまが望まないことは、秋月は絶対にしません!」

 

 顔を真っ赤にして叫ぶ秋月。

 でもそっちの否定はしないのである。

 北上は愉悦を感じた。

 卯月は貞操の危機を察知し秋月から距離を取った。

 

「冗談はさておき、現状どうこうする気はないし、経過観察に留めといて良いと思うよー。まー卯月にしろ秋月にしろ、定期検診は必須だけどさ」

 

 二人ともシステムにより深海のエネルギーに長く触れている。

 前例のない事態だ、身体にどんな影響が出ているかも想像できない。

 一番最悪な場合、ゆっくりとそちら側へ蝕まれていき、突然深海棲艦へ変異してしまう。なんて事態も想定できる。

 そうならない為にも、徹底した身体検査は必要だった。

 

「本当はさー、大本営にあるようなガチの施設で、細胞一片まで調べるのが一番なんだけど、下手に本部へ行ったら暗殺の危険性も出てくるし……」

「本当に内通者は邪魔なことしかしないぴょん」

「内通者ですか……」

「秋月、あっち側にいた時、なんか聞いてないのかぴょん」

「いえ、高宮中佐には話しましたが、生憎何も」

 

 秋月の指示役だった泊地水鬼だが、命令を出すだけであり、バックボーンとなる情報については一切語らなかったらしい。

 恐らくは、今回のような形で、敵艦娘が引き抜かれることを警戒した為だろう。

 

「最上なら知ってるのかなー」

「どうでしょうか。秋月は正直、殴られらた記憶しかなく……システムの解放に成功した後は、ほぼ単独行動でしたので」

「タッグとか組んでなくて本当に良かったぴょん。あいや、組めなかったのかっぴょん」

 

 D-ABYSS(ディー・アビス)を積んだ艦同士だと、エネルギーの食い合いが発生して、出力低下が起きる。

 なのでタッグ出撃は基本アウト。

 やるにしても、お互いに距離を取るのが前提──という艦隊とは何ぞやというオチがついてしまう。

 

「最上さんはどうなんでしょうか。何時頃目が覚めるのでしょう」

 

 話の流れで最上の名前が上がり、秋月は反応する。

 何時も通り、落ち着いた感じの言い回し。

 しかし、奥底の焦りにような感情があるのを、北上は感じていた。

 

「あたしの予想だと、今日の夜ぐらいには覚醒すると思う。熊野が本格的に暴走する前に止めてくれたお蔭で、体内へのダメージが少なかった──発信機とか爆弾切除する為に内蔵掻っ捌いたりしたけど──秋月の時より遥かにマシだ。そこそこ早めに目覚めると思う」

「そ……そうですか」

「だからあたし的に、準備の為に仮眠しとくのを推奨するよ」

 

 秋月もまた、最上の覚醒に立ち会いたいらしい。

 その理由は何だろうか。

 わたしと同じく、同じ境遇として、心配になっているのだうか。

 

「うーちゃんも賛成だぴょん。秋月だって体力とか万全に戻ってる訳じゃないんだし、ヘロヘロの状態で最上と話すってのも、何だか締まらないぴょん」

「そう、ですか……そうですね、会った時に発作起こしていたら、気まずいですものね」

 

 何だか自分に言い聞かせるようにして、秋月は椅子から立ち上がった。

 

「夜、目覚めてくれるかは分かりませんが、そうなったときの為に仮眠を取ってきます。ありがとうございました」

「待って、一人で帰れるぴょん?目見えてないんじゃ」

「数日で何となくは覚えましたし、壁伝いに行けば大丈夫です。本当に困ったら助けを呼びますので……」

 

 ぺこり、とお辞儀をして自室(独房)へ帰っていく秋月。

 

「その内、仮でもいいので秋月さんの部屋を作らないといけないねー」

「ってことは、此処で面倒を見る予定なの?」

「一時的な話。本来秋月は懲罰部隊(うち)で面倒を見るべき艦娘じゃない。適切なメンタルケアができる専門病棟に入れて、秋月の希望にそって配置すべきだからねー」

 

 部隊に復帰、と北上は言わない。

 心の傷が深すぎて戦線復帰できないケースもあれば、もはや生きていくのもままならないケースもある。

 そうなった場合後方配置や──もしくは解体も在り得る。

 艦娘が厳密な人権を得ていないからこそできる措置と言える。

 

「……うーちゃんそんなの受けた覚えがないぴょん傷心極まっている所にどスパルタな訓練を課された覚えしかないぴょん」

「そういった人権もゴミ箱行きになったのが此処のメンツだからねー、ってか卯月それ事前了承してなかったっけ?」

「瀕死の状態でまともな判断はできねーぴょん!」

 

 瀕死の状態で解体施設へ連れていかれた時に、不知火が強奪しにきてくれたんだった。

 今思えば、あれは詐欺同然なのではないか? 

 まあ今更なんでもいいのだが。

 報復のチャンスを欲していたのは確かだし。

 

「最も秋月にしろ最上にしろ、D-ABYSS(ディー・アビス)に関するあれこれが解明できなければ、外へは戻せないんだけどねぇ……難しいよ」

 

 現状、殆どなさそうだが、D-ABYSS(ディー・アビス)が単なるシステムではなく──例えば呪い等──を介して伝染したり、自覚なくシステムを組み込まれる可能性が高かった場合、魔女狩りめいた状況が生まれかねない。

 なので、解明されるまでは存在ごと伏せることになっている。

 尚、まだまだ分かっていないことの方が多い。

 外部機関の協力を殆ど得られない影響がモロに出ている。

 

「うーん、機械関係は良く分からないけどお疲れさまぴょん」

「ありがとねー、でも上手くいけば、大きく進展するかもしれない」

「どゆこと?」

「なんでも、不知火や憲兵さんたちの情報収集がやっと功を成したみたいでさ、システムについて知ってる人が此処に来るらしい」

「知ってる人って……まさか開発者、は、殺されてたっけか」

 

 開発主任だった千夜博士は殺害されている可能性が高い。

 

「いったい誰なんだぴょん」

「あたしも詳しくは聞いてないよ。千夜博士と同じ開発チームの人間だったのか、報告とか受けてた上官なのか……詳細が分かるなら誰でも良いよ」

「そうね」

 

 ごもっともだと卯月も思った。

 ただでさえワケが分からないシステムなのだ、現状頼ってる側面はあるが、解明されて欲しいと素直に思う。

 

「ま、その来客はもうちょっと先だから、今は最上だねー、秋月と仲良くできれば一番安心なんだけど……」

「ぴょん? 同じ被害者同士なんだから親しくできるんじゃ?」

「そりゃアンタに人の心がないからだよ」

「おい言い方」

「うんごめん、でも、卯月みたいに完璧に割り切れる人はそう多くないと思うよ。最上は被害者だけど秋月から見れば加害者なんだし」

 

 その暴力がトラウマとなり感覚過敏という後遺症さえ残る程。

 並大抵の傷ではない、下手をしたら、見た瞬間フラッシュバック等が発症しても不思議ではない。

 秋月はそれを自覚している。

 だからこそ、予め心を休めておき、それに備えようとしているのだ。

 

「あと、秋月の心配も良いけどさー、卯月アンタ自身も忘れちゃいけないよ。あんただって合併症の発作を抱えてること、忘れちゃダメだからねー」

「あー……なんか衝撃的なことが多過ぎて、忘れてたぴょん、気をつけるぴょん」

 

 ママとかお姉さまとか、それどころじゃないことが多発し過ぎていた。

 

「とにかくストレスを溜めると起きやすくなるもんだから、現状キツイかもしんないけど、極力リラックスすること、良いね」

 

 北上の注意に素直に頷く。

 現状起きていないが、溜め込み過ぎて戦闘中に発作なんか起こしたら、本当に命の危機に関わる。

 ガンビア・ベイという次の敵も現れた。

 それに備えて、身体も心も休めなければならない。



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第164話 慮外

リアルが忙し過ぎて遅れましたすみません。ついでに少し書き溜めようと思いますので、もう暫く投稿は遅れるかと思います、ごめんなさい。


 秋月と一緒に基地内を歩いたその日の夜、卯月は秋月を連れて医務室の前へと来ていた。

 恐らくだが、最上が目を覚ます。

 その瞬間に立ち会う為に扉を叩く。

 ところが、出てきたのは意外な人だった。

 

「おろろ、満潮? なんでいるんだぴょん」

 

 最上を見ていたのは熊野ではない。満潮だった。

 

「何よ、わたしがいちゃいけないって言うの?」

「え急になに、被害妄想は止めて欲しいぴょん。お前の場合はきもいだけだぴょん」

「くたばれ」

 

 頬を掴まれて激痛が走る。

 

「いひゃいひゃい」

「お姉さまに何を……いえ妥当でしたすみません」

「秋月貴様!」

 

 と言いつつ少し安堵していた。

 秋月が自分を崇拝するあまり、全てを肯定する狂信者になっていないか不安だった。

 この反応を見るに、良識はちゃんと残っている。

 でも味方してほしかった。

 卯月は少ししゅんとした。

 

「あの、話が進まないのでそろそろ離していただけると」

「喧嘩売ってきたのはこいつなんだけど……それもそうね。無駄な時間は嫌だから」

「クソ! 痣になってやがる!」

 

 赤く腫れた頬を摩りながら愚痴る。

 

「で、何してたんだぴょん」

「見ての通り見張り番よ」

「熊野がつきっきりだったんじゃなかったのかぴょん?」

 

 最上が心配という理由で、その面倒を申し出ていたと思っていたのだが違うのだろうか。

 

「何時意識が戻るかも分からないのに、ずっとつきっきりなんて無理でしょ。最上が起きて錯乱した時、止めるのが仕事だってんのに疲労で動けなかったら意味ないじゃない。だから無理やり交代したのよ。熊野は今自室で休んでる」

「それは、確かに……そうですね……錯乱ありえますものね」

 

 自分のケースを思い出し、同時に秋月にフラッシュバックが起きる。

 それに釣られて卯月も発作を起こしかけるが、秋月の前で醜態は晒せないと、プライドの高さだけで堪える。

 

 秋月の手を強く握り、崩れないよう安心感を与える。

 お姉さまと慕う卯月がそうしてくれたお陰で、秋月は落ち着くことができた。

 

「でも、それならそれで、熊野を起こしてきた方が良いと思うぴょん。北上さん曰く夜頃には覚醒するんじゃないかって言ってたぴょん」

「……もうそんな時間? しまった、気づかなかったわ」

「満潮さんも疲れているのでは、大丈夫ですか?」

「あんたに心配される程、自己管理のできてない奴じゃないから安心しなさい」

 

 そう言うが、満潮も長時間看護をしている。

 何時覚醒し、暴走するかも分からない。

 逆に何時目覚めてくれるかも分からない、同じ部隊の仲間がその状態のまま──というのは堪えるのだろう。

 

「じゃあそーゆーことだから、満潮は熊野を起こしてきて欲しいぴょん。最上の看護はそのままうーちゃん達が引き継ぐぴょん」

「……最上が暴走したら止められんの?」

「熊野とか力持ちが来るまでの時間稼ぎならどーとでもなるぴょん。正面対決するわけでもないし」

「秋月もいます。普通の駆逐艦より膂力はあるので、大丈夫だと思います」

「そう、ならお願いするわ」

 

 疲労が溜まっているのは、満潮も自覚していた

 彼女も最上の覚醒に立ち会いたいと考えている。

 けど、疲れたままでは危険の方が多い。

 

「起きた後会って良さそうなら呼んでちょうだい。まあ不知火か中佐の許可次第になると思うけど」

「ほいほい、かしこまだぴょん」

「一々苛立たせるわねあんたは……」

「えへへ」

「…………」

 

 突っ込みの代わりのグーパン。顔面が見事に凹むこととなった。

 

 激痛に涙を流したが、それはそれだ。

 満潮の代わりとして、中の様子を注意しながら医務室へお邪魔する。

 当然と言えば当然だが、医務室の中央には点滴付きのベッドがおかれている。

 

 そこに最上が眠っていた。

 

「落ち着いた状態で見るのは初めてな気がするぴょん」

 

 遭遇した時はどちらも戦闘中&奇襲のそれ。

 落ち着いて観察する暇なんて一瞬もなかった。

 改めて見てみても、やはり最上だ。

 鈴谷の要素は欠片も見られない。

 近代化改修したからといって、取り込まれた艦の影響が出る訳ではない、当然だ。

 

 そもそも、なぜこの最上が『鈴谷』のように振る舞うのか自体分かっていない。

 まあ必要なら中佐なり不知火なり、熊野から説明があるだろう。

 

「うーん、ちょっと安心したぴょん」

「どうかしましたか?」

「いや、外見的には変な後遺症は残ってなさそうだから。だからって安心はできないけど……」

 

 秋月がそうだったように、最上にも後遺症が懸念される。

 幸い──不幸中の幸いのそれだが──稼働限界を超えた時間は、熊野が早急に仕留めてくれたから長くないが、それでも何も障害ナシとは思えない。

 根本からして、相反する深海のエネルギーを取り込むという装置なのだ、どんな影響が出てもおかしくない。

 

 見た目には表れていない。

 しかし、秋月のようにトラウマに基づく感覚過敏と、脳の損耗による全盲といった障害も考えられる。

 決して楽観視はできない。

 

「どうなるのでしょうか……余りにも惨い障害が残っていなければ良いのですが」

「唸っててもしょうがないけどねー、分かってるぴょん、でもねー」

 

 心配で落ち着けない。緊張しながらも、覚醒を気長に待つしかない。

 

 そうして数十分過ぎた頃、医務室の扉がノックされた。

 

 そちらを見たら、「失礼致します」と言って彼女が入ってきた。

 

「熊野かぴょん?」

「あら、いらっしゃったの卯月さんたちだったのですね。最上さんを見ていてくれてたのでしょうか」

「気になるからね。休憩もう良いのかぴょん」

「快眠……という訳にはいきませんが、寝る前までより遥かにマシですわ」

「そう、あんま無茶しちゃダメだぴょん。うーちゃんじゃ抑えられないぴょん」

 

 秋月がいるが、より膂力のある人がいた方が安心できる。

 そう広くない医務室に三人、結構狭くなってしまったが、最上が気になるから誰も出ていこうとしない。

 

 しかし、熊野が来たからすぐ覚醒する訳もない。

 中々目覚めず、緊迫した空気が続く。

 気を紛らわしたくなり、卯月は熊野へ問いかけた。

 

「ねぇ熊野、聞きたかったことがあるぴょん」

「如何されましたか?」

「……最上は結局、どういう艦なんだっぴょん?」

「それは、つまり」

「前、休みとって大本営とか技研に行ったって聞いたぴょん。熊野、そこで最上がどういう存在なのか、聞いたんじゃないのかぴょん?」

 

 帰ってきてからあの態度、最上の正体について知ったのは間違いない。今までは熊野が荒れていたので聞けなかったが、今なら話してくれるだろうか。というよりも。

 

「あれだけ大迷惑かけといてまだ話さないとかナシだぴょん」

「うっ……それを言われると、とても辛いですわね」

「そうなのですか。卯月お姉さまは熊野さんに迷惑を、許せません熊野さんそこの病棟の裏へ来てください」

「秋月、ステイ」

 

 さて、話して貰えるだろうか。

 暫く熊野は考える。

 どこをどう伝えようか考えているのだ。

 やがて決まったのか、彼女は口を開く。

 

「最上さんは──あっ、え……最上さん!?」

 

 熊野が目を見開き叫ぶ。卯月は振り返る。秋月も雰囲気につられて振り向いた。

 

「……ぼ、僕……は、此処、は?」

 

 最上が目覚めていた。

 

 漸く目覚めてくれたのだ、しかもちゃんと話せている。

 言語中枢は壊れていない。一先ず安堵する。

 けど、一番喜んでいるのは熊野の方だ。

 

「最上さん、私が分かりますか?」

「……もしかして、熊野……久しぶり、だね。どうしてそんな、泣きそうな顔をしてるんだい?」

「……貴女が、ご無事だったからです」

「……そっか」

 

 喜ばしい状況だ。それは違いない。

 とりあえず二人でいた方が良いのだろうか、

 その最中、秋月が話しかけてきた。

 

「あの、熊野さんと最上さんはどういう状況で」

「あ、ごめん。見えないんだったぴょん。再開の感動に震えてる感じ……で良いのかぴょん?」

「……そう思うのですか?」

「む、気づかれたかぴょん」

「ええ、お姉さまの事であれば。見えない事柄は例外ですが」

 

 バツが悪そうな顔をして頭を掻く。団らんムードな所申し訳ないが、聞きたいことがあった。

 

「ちょっと失礼するぴょん」

「卯月さん?」

「最上、一つ質問をするぴょん」

「……どうしたんだい?」

 

 最上は横目で答えた。それにより確証を得た。

 

「身体動かせないぴょん?」

 

 最上は黙り込む。

 それは肯定だった。

 想定外の事態に熊野は絶句し、肩を叩いて問い質す。

 

「そうなのですか最上さん。身体が……動かせない……?」

「……うん、首から上ならまだ動くけど、それ以外は動かせない……っていうか、あるの手足?」

「どういう意味なのですかそれは」

「そのままの意味だよ。よく分からないんだ、僕に手足ちゃんとついているの?」

 

 想像したくもないような言葉が次々と出てくる。

 だが、現実逃避をする訳にもいかない。

 最上の言っている意味合いは理解できている。秋月とある意味真逆のそれだ。

 

「熊野が今肩触ってたんだけど、気づいたぴょん?」

「ごめん、全然分かんなかった」

「じゃあ悪いけど、えいっ……今抓ったんだけど」

「……分からない」

「これは、つまり……そういうことなのでしょうか」

 

 

 互換の内、全身に張り巡らされた触覚が機能していない。

 弱い刺激だけではない、抓るような強い刺激にも無反応。

 

 否、それだけではない。

 外部だけじゃない、中の触覚も失われているのだろう。

 一切の触覚が機能してないということは、手足の感覚もないということ。

 肌から、筋肉、おそらく内臓に至るまで──全ての感覚がない。だから動かすこともできない。

 

 一番馴染みのある言い方をすればこうなる。

 

「全身麻痺か……!」

 

 それが最上の後遺症だ。

 

 首から上は動くから厳密には違うが、こうなっては誤差だ。

 

「……ど、どうすれば良いんだぴょん」

「それは、この場で決められることではありませんわ……ショックですけども……」

「これ以上聞く……? 憔悴しきってるけど」

 

 想定より遥かに酷い状態。

 敵についての記憶があるか、どうして『鈴谷』のように振る舞うに至ったのか、聞きたいことは一杯あったが、聞ける状態ではなくなってしまった。

 どうしたものかと悩む二人。

 だが、それを無視して、秋月が口を開いた。

 

「最上さん、私のことを覚えていますか」

 

 秋月の声は震えていた。

 恐怖によるものだろうか。

 彼女は最上の暴行で感覚過敏になる程トラウマを抱えている。怖くて当然だ。

 それでも話しかけるとは、強い目的があるのだろう。

 

「どうなんですか、答えてください」

「……うん、覚えてる、覚えてるよ……秋月だよね」

「何をしたか、覚えていますか」

「当然だよ……酷いことをしたんだと、思う。何でか僕にも分からないよ……どうして君にあんなことを」

 

 それはD-ABYSS(ディー・アビス)による洗脳だと、卯月が答えようとした。だが次の言葉がそれを止めた。

 

「熊野にはあんなに親しくできたのに……」

「……ん? 何だって?」

 

 急に会話の脈絡が掴めなくなった。

 今秋月の話をしてたのだろう、急に何故熊野が出る。しかも優しくしてたって何だ。殺す気満々だったじゃないか。

 同じ違和感は秋月も覚えている。

 

「すみません今の言葉の意味が分かりませんでした」

「え……いや、だって……僕でも分からないんだよ。秋月はあんな苦しめたのに、()()()()()()()()()()()()()()熊野には、どうして親しくでき」

「お待ちください、最上さん、秋月に会ったのはつい最近でしょう?」

「え、熊野と会うより前でしょ?」

 

 おかしい、致命的におかしな事態が起きている。朧気ながら卯月はその正体に勘づいていた。

 

「……記憶の時系列が、崩壊している」

 

 なんと言えば良いのか。

 しかしそう言う以外に例えようがない。

 これがどんな悪影響を与えるかも分からない、未知の後遺症まで併発している疑惑が出てきた。

 

「……君達の反応はよく分からないけど、自分がやったらしいことは自覚してるよ。でもそんな感じだから実感がなくて。まあその、ごめんね秋月?」

「……ごめんって、そんなので済ませるつもりなんですか、そうですか、失礼しました」

「え、どうしたの?」

 

 音を聞くまでもなく秋月は怒っていた。話の続きを聞かず彼女は出ていく。

 

「あれ、僕何か悪いこと言ったかな」

「……熊野、記憶崩壊と触覚不全だけじゃなさげだぴょん」

「最悪の事態ですわ……」

 

 秋月以上の問題になりそうだ。今後待ち受ける困難に二人は大きなため息をついた。




艦隊新聞小話

暴走時間が短かったから後遺症が少ないなんて、現実はそう甘くありませんでしたね!
でも最上さんどうすれば良いのでしょうか、流石の青b違った私も心配です。

まあそれはさておき、艦娘の病気について話してみましょうか。
ご存じの通り艦娘は半人半神的存在なので、人間の病気にもかかる時はかかります。
普通の人間より耐性はありますが、酷過ぎる環境はトラウマで精神的な病気を患うこともあります。

ですがそれでいて船であり、神を兼ねているので、人知を超えた症状もあります。
フジツボが付いたり、錆たり、何か艤装と半分ぐらい融合したり、うっかり腕とか足を移植したら自我が見事に混ざって精神崩壊起こしたり――テセウスの船みたいにはいかないですからね。後は竜骨が折れて戦線復帰が不可能になったり。

神としては、記憶に由来する神なので、自分の記憶があいまいになったせいでこの世から消えたり、深海棲艦に変異したり、海水に還ったり、人でも艦娘でも深海でもなく、ガチの神に片足突っ込んでいっちゃったり……この辺は病気って言って良いんですかね?

まあ色々ありますが、現代では殆どに症例と治療法が確立されているので、極端に恐れる必要はないって言われていますね!
……なんでそんな症例があるのかって?
それはまあ、技研のマッドサイエンティストの尊い犠牲と言っておきましょう!


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第165話 副作用

 最上の後遺症は、そう深刻ではないと思われていた。

 限界突破していた時間が長くなかったからだ。

 実際、考えようによっては秋月よりマシかもしれない。

 感覚過敏と違い、ショック死とか生命に関わるような後遺症ではない。

 

 しかし、人として当たり前の生活を送る上では、最悪に近い後遺症が残ってしまった。

 

「さて、どーなってるんだかコレは……」

 

 覚醒した最上に対して、北上による診察が行われた。

 予め卯月たちに概要を聞いていたのもあり、問診は早く終わる。

 だからといって、簡単な訳もない。

 

「現状明らかなのは、一つ、触覚不全だね」

「全身麻痺ってことだぴょん」

「厳密に言えば違うけど、抱えてる問題はそれと同じだねー。ただ最上は麻痺してる訳じゃないんだよ。動かそうと思えば動かせる。ただ()()()()()()()()()()()()()()()()

「動かせないのと同義ですわ」

 

 麻痺のように、動かすことが『不可能』なのではない。

 だが、感覚がない。

 動かしている実感も持てなければ、動いている感覚も分からない。

 地面を踏んでも、踏んだ触感も感じられない。

 

 それではまともに歩けない。

 力の入れ方さえ分からないのだ。

 良くて転倒。

 悪ければ力の入れ過ぎで自壊してしまう。

 

「そして次が、なんというか、記憶の時系列の崩壊かぁ……まーたとんでもない後遺症が……」

「わたくし達の聞いた限りでは、秋月さんとわたくしに会った順序が狂っていましたが」

「熊野と初めて交戦した直後に、技研に身体売ったって言ってたよ」

 

 こんなこと解説するまでもないのだが、逆である。

 鈴谷は技研に自分を売った。

 その後何かが起きて、『最上』として秋月との決戦時に現れたのだ。

 逆な上に時間が飛んでいる。バグっていると言っていい。

 

「メッチャクッチャぴょん。何がどーしたらこーなるんだっぴょん。意味不明ぴょん」

「……いやまあ、これについては症例があるのよね」

「あんの!? こんなのに!?」

「マジよ」

 

 信じがたい、といった様子で目を見開く卯月。

 しかし同時に悪寒に襲われる。

 どう考えてもまともな症状じゃない。

 ケガとか記憶の混濁とか、そんなことじゃ起きないだろう。

 

 そんなものが症例として残っていること自体、只ならぬ予感がしてならない。

 

「聞きたい?」

「うん聞く。隠し事的なのは嫌いだぴょん」

「ってことだけど、熊野、良いね?」

 

 北上は話を熊野に振る。

 

「ええ、良いですわ」

「本当に? アンタこれを知られたくないから、散々アレなことしてたんじゃんか」

「はい、ですが考えが変わりましたので、卯月さんのお陰で」

「ぴょん?」

「知る権利はあります。いえもう隠す気もないですが」

 

 過去ではなく、これからの為に生きていくと熊野は考え方を変えた。

 なら隠し事は必要ない。

 これからの為に──黒幕を倒すため、これから艦娘として生きていく最上をサポートする為──プライドに拘って情報を隠すつもりはない。

 その意を汲んだ北上は「そっか」と言って、卯月の方を向いた。

 

「これはね、近代化改修の副作用だ」

「……近代化改修って?」

「オイ」

「駆逐棲姫との戦いの前、幾つかの魂を取り込んだじゃありませんか。覚えていないのですか」

「…………フハハ!」

「忘れてたねコレ。良し座学一コマ追加だ」

「ぴょーん!?」

 

 艦娘という存在は、魂に依って成り立つ存在である。

 雑な話、魂を強くすれば本人を強くできる。

 かつては、海のエネルギーを尽きるまで取り込むことができる姫級の半不死性再現の為の試みだった。

 それは近代化改修の技術となり、一般的な強化方法として知られている。

 

「でもうーちゃん、こんなことにはなってないぴょん。というか近代化してこれじゃ、どの艦娘も記憶崩壊塗れぴょん」

「やっぱり忘れているし。アタシ言ったじゃんか、くっつけるのは()()()だって。魂だけの存在に自我はないから、改修先にも影響は及ぼさないって」

 

 この時点で冷や汗が流れ出した。言いたいことはもう察した、これで分からない程卯月はバカではない。

 

「まさか、この最上は」

「まー予想できるよね。魂だけじゃない。最上に対して『鈴谷』が丸ごと近代化改修で取り込まれてる。自我がある存在同士をくっつけちゃったから、記憶が崩壊して滅茶苦茶な形で組み直された。そういういことだ」

「ヤバい。久々に殺意が噴き出しそうだぴょん」

 

 あの頃はまだ、ふとした切っ掛けで怒りが抑えきれなくなり暴走していた。卯月は今久しぶりにその気持ちを感じていた。

 

「……ちなみに技研は昔コレをしてたってこと?」

「うん、いっぱいくっつければ強くなるかもしれないって理屈で。だから症例があったの」

「んな強化パーツじゃあるまいし」

「自我とか記憶が崩壊した艦娘たちは、できる限り最大の支援がされてるから安心して良いよ」

「良かった。実験体にして失敗したらポイとかだったら、そいつらを鏖殺してたぴょん」

「……うんそうだねー」

「今の間は何ぴょん」

 

 実験体でも艦娘は艦娘、敬意は払われている。

 だから最大限の援助はされている。

 その中には、安楽死という手段もあったという話なだけだ。

 

「うん、そういう積み重ねがあったから、今安全に近代化改修ができるわけ」

「……でも、最大の謎が分かってないぴょん」

「そうだね」

「近代化された最上は、どうして深海棲艦側にいるぴょん」

 

 経緯はともあれ鈴谷は最上へ改修された。

 それがどういう流れで、D-ABYSS(ディー・アビス)を組み込まれ、深海棲艦側として暴れまわっていたのか。

 その流れが全く想像できなかった。

 

「熊野はそれ知ってるんでしょ? 教えて欲しいっぴょん」

「ええ、承知しています」

「……場合によっては、うーちゃんは今から技研へカチコミに行かざるを得なくなるぴょん」

 

 最も考えられるケースは、売られたパターン。

 技研の誰かが実験の失敗作を、金とか何か目当てで深海棲艦へ売り飛ばした。

 言うまでもない売国行為だ。

 即処刑案件だ。

 否、殺す即首を跳ねる。

 ……となりかねないので、卯月は真相を知りたがっていた。

 

「……裏ルートの情報だと、技研から脱走して海に出て深海棲艦に沈められたとなっていましたが、まあアレは嘘ですわ」

「でしょうねー真実は如何に?」

「他の鎮守府に譲渡されてましたわ。但しドロップ艦に偽装してですが。元々技研への身売りも違法行為でしたからね。徹底して表ざたにはしたくなかったのでしょう」

 

 技研だけではなく、鎮守府同士の艦娘の交換は禁止とされている。

 より強い鎮守府からの、引き抜き名目の強奪が絶えなかったからだ。

 しかし、規制の結果実験体の価値が上がった。

 鈴谷はそこに目をつけて自分を売ったのだ。熊野を助ける為に。

 

「まあ鈴谷さんは健在なのですが」

「何だって?」

「その後、ドロップ艦として鈴谷さんは鎮守府所属になり、今も活動中のようです」

「ワッツ?」

 

 意味不明と化した。

 なら最上に取り込まれている鈴谷は何者だ。

 

「ええわたくしも偽装工作か何かだと思いましたが事実です。轟沈に見せかけている間に、別の鈴谷を持ってきたとかではなく、わたくしの知る鈴谷が五体満足な形で、鎮守府所属となっています」

「良し誰か説明プリーズぴょん!」

「落ち着いてください。それを確かめるために、わたくしは数日間お休み頂いたのです」

「あの休みの時、その譲渡先の鎮守府に行ってたのかぴょん」

 

 熊野はコクリと頷いた。本人なのかどうかは話せば一番分かることだ。

 

「……艦娘の鈴谷さんではありました。しかしわたくしの友人の鈴谷さんではありませんでした。彼女は何一つ知らなかったのです。自分が身売りしたことも、私のことも。『熊野』としてはご存じでしたが、友人としての記憶は一切」

「ますます訳が分からないぴょん……」

「そう? 推測は簡単にできるじゃんか」

 

 嘘だろお前、そんな顔で北上を見つめる。

 

「だって、じゃああの最上は何だって言うんだぴょん」

「あれは最上プラス鈴谷だ。あの言動を見てれば間違いない。彼女には鈴谷の記憶がしっかり刻まれている」

「でも鈴谷は生きてるぴょん」

「記憶と分離してね」

「…………マジで?」

 

 バカな、いやしかし、そんなことがあり得るのか。

 

「うん、アタシだってこの事件に関わらなければ信じなかったさ。でも記憶をどうこうできそうな物を目の当たりにしちゃってる。D-ABYSS(ディー・アビス)がそうだ。あれは後遺症で記憶に損耗を与えるけど、秋月は敵に都合の悪い所ばかりが抜けていた。っていうことはだ、副作用でどの記憶をロストさせるかコントロールできる可能性がある。これは前言ったね」

「うん、聞いたことがあるぴょん」

「だったら、結構飛躍するけど、記憶だけを取り出すことも可能なんじゃない?」

 

 子細は不明。

 しかし敵側には記憶を操作する技術がある。

 それならば、記憶だけを抜き取ることも可能かもしれない。

 北上はそう考える。

 何らかの経緯で敵側に堕ちた鈴谷は記憶を抜き取られ、その部分だけが近代化改修に用いられたのだと。

 

「そんな滅茶苦茶な……いや、それは今更だったぴょん。それで、流れを聞くと譲渡先の鎮守府がかなり怪しいけどどーなんだぴょん?」

「生憎ですが『シロ』ですわ。わたくしの伝手を使って調べましたが、怪しげな部隊運営は全くしていないようです。その鈴谷も鎮守府で元気にやっているようでしたし」

「むむ、残念だぴょん」

 

 独自の伝手については言及しなかった。

 確実に闇賭博を運営していた頃の縁だ。

 突っ込んだら碌なことにならないのが目に見えていた。

 

「……でも疑問だけど何でそんなことするぴょん?」

 

 ここまで来ても敵の狙いがいまいち分からない。卯月は首を捻る。記憶だけを抜き取り近代化改修を行った。その仮説が事実だとしてそんなことをした理由がハッキリしない。

 

「そもそもの話、敵が艦娘にD-ABYSS(ディー・アビス)を組み込んでいる理由もハッキリと分かっていないんですよね」

「と言うか何の為の装置なんだぴょんコレ一体。ポンコツ仕様だし」

 

 近代化改修をして艦娘を強化したいのなら、態々記憶を抜いたりする必要はない。普通の近代化改修で事足りる。

 しかも見ての通り記憶の混濁で自我は崩壊気味だ。

 ここまでのことをする理由がある筈だ──これが敵の趣味とか嫌がらせとかそういう話でなければだが。

 

「何のためか。大方積んでるシステムの為なんだろうけど……でも最上がこの状態じゃ起動実験も聞き取りもままならないからなぁ……困った」

「困ったって……」

「まあ、実際困りましたわね」

 

 直接会話をしても記憶がぐちゃぐちゃだから正確な情報は得られない。しかも最上自身は悪くない。困ったものだと頭を抱える。

 

「ああそれと、これはそんな深刻なことじゃないけどもう一つ。あの後アタシの方でヒアリングして分かったことだけど。いや専門家じゃいないからあまりあてにしないで欲しいけど」

「どうかしたのかぴょん?」

「もう一個、後遺症っぽいのが残ってて」

「まだあんの!?」

 

 ここまでで全身麻痺と記憶混濁、これだけでも十分なのにまだあるのか。げんなりしながら身構える卯月。

 

「言うてもシステムのせいじゃなく、最上自身の在り方のせいなんだろうけどね。さっき言った通り最上は鈴谷の記憶を近代化させられた存在っぽいんだけど」

「うん」

「どうも、その改修はかなり低レベル──ってか生まれた直後に施されたみたい」

「そんなこと分かるの?」

「……症例でこれもあってね」

 

 また技研か。深海棲艦に勝つためとはいえやりたい放題。卯月は若干呆れていた。

 

「まあ分かると思うけど、艦娘は生まれた時点で記憶や一定の良識を持ってる」

「うん」

「でも生まれた直後に無理な近代化改修をすると、そこの時点から記憶がぐちゃぐちゃに崩壊する」

「うん?」

「こうなると、持ち合わせる筈だった良識とかはどうなるでしょうか」

 

 卯月は直前の、最上と秋月のやり取りを思い出していた。

 どこか他人事めいた雰囲気をしていた。

 秋月はどうもそれに怒りを覚えたらしい。

 もう一つの後遺症に気づいた卯月は、深いため息をつく。

 

「まさか罪悪感とかが全くない?」

「うん。根本的にそれを感じる為の下地が全くない。生まれた直後に記憶が混濁したせいで、()()()()()()()()()

 

 本来なら罪悪感とかは生まれつき持っている。

 人間ではなく、記憶を持って生まれる艦娘だからだ。

 しかし、基礎となるそれが破壊されたとしたら──知識だけあって、実感も何も分からなくなってしまう。

 

 だが、あれだけのことをしておいて罪悪感も何もないというのは。

 

 直接の被害者からしたら許せることではない。

 その厄介さを想像して、卯月は再び大きなため息をついた。



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第166話 着実な変化

 最上の後遺症は明らかになった。

 だが解決方法は分からない。

 艦娘の細胞と深海の細胞が反発してる訳ではないから、顔無し(加古)のように卯月の細胞を投与するのも意味がない。

 

 近代化改修の弊害。

 D-ABYSS(ディー・アビス)による過激な負担の弊害。

 どれも簡単に解決はできない。

 

 北上から聞いたことを、卯月は満潮へ説明していた。

 

「今は治せないって言ってたぴょん」

「そう……せめて全身麻痺だけでもなんとかならないの?」

「多分無理だって」

「その言いようだと原因は分かってそうだけど」

「何か、秋月の全盲に近いんじゃないかって言ってた。詳しいことはうーちゃん分かんないけど」

 

 以前秋月を検診した際は、全盲の原因は特定できなかった。

 しかし『予想』はできていた。

 ただ、サンプルケース一つだけで判断するのは迂闊だ。

 だから回答を保留にしていたのだ。

 

 今回、最上という二体目のサンプルを手に入れることができた。

 その症状を調べれば、秋月の症状解明にも繋がるだろう。

 

 繋がっても、治せるかは別問題だが。

 

「……それは残念ね」

「珍しい。うーちゃんと意見があったぴょん。悪いことの前触れに違いない。くわばらくわばら」

「殴る気力もないから黙ってて」

「ごめん」

 

 満潮も最上と『関わり』を持っている。

 かつて『西村艦隊』という部隊に編制されていた仲間同士だ。

 そんな旧友が全身麻痺&記憶混濁等で苦しんでいる。

 気になって当然だ。

 そんな気持ちを茶化す程、卯月だって非常識ではない。

 

「……お茶飲む?」

「貰うわ。変なの入れたら八つ裂きよ」

「しねぇぴょん」

 

 部屋に置いてあるケテル(交換券でゲット)でお湯を沸かし、インスタントのカフェラテ(交換券でg)を入れる。

 

 満潮のには食堂から拝借した塩を投入しようとした。

 

 満潮がその肩を叩く。振り返った顔面にグーパンがめり込んだ。

 

「おい」

「塩コーヒーは健康に良いって書いてあったぴょん!」

「どんな漫画よ!?」

「前の鎮守府に置いてあった漫画だぴょん!」

 

 神鎮守府にはある駆逐艦(オークラ)のせいで、漫画本が充実していた。

 冗談なのか本気なのか、満潮は判断に困った。でもカフェラテが無事だったからヨシとする。

 零さないよう気を使い、二人はベッドに腰かけた。

 

「まあ、うーちゃん達にできることは限られてるぴょん」

「秋月の時みたいに、つきっきりになるつもりなの」

「いや。会いに行くけど頻繁には。熊野の方がついていただろうし。逆に満潮はどーすんだぴょん」

「顔見せぐらいはするけど……あまりは」

「そうするの?」

「記憶の殆どが『鈴谷』なんじゃ出番がないわ」

 

 確かにそうだ。卯月は頷く。

 

「秋月の時みたいに激痛とかの肩代わりができれば良いんだけど。できなさそうだし諦めるぴょん」

「……あっさりしてんのね」

「ムリなものはムリだぴょん。助かれば御の字のノリだったし」

 

 戦闘中、殺す殺すと連呼していたがアレは本気だった。生かして助ける気持ちは殆どなかった。

 だが、殺したらそれこそ『敵』の思う壺。

 それが許せないから、頑張って殺さないよう努めただけだ。

 

「ただなー、今の空気が続くのはちょっとどーかと思うぴょん」

「秋月のこと?」

「うん。最上の態度にだいぶきてるみたい」

 

 近代化改修の弊害で良識や常識──それに伴う罪悪感が崩壊している最上には、自分が何をしたのか分からない。

 行動としては理解してるし、悪いこととは分かっている。

 だがそこに『罪悪感』が沸かない。

 理屈として知ってるだけで、人間的な理解ができていないのだ。

 

「子供と同じみたいなものだから、時間をかければそういった感情も分かってくるって。技研の症例でそれは分かってるって、北上さんは言ってたぴょん」

「時間って、どれぐらいかかるのよ」

「さあ。症例が少なすぎて不明だぴょん」

 

 記憶混濁が確実に起きる近代化改修実験を、立派な症例が出来るまで繰り返してるのもアレだが、こういう時は困る。

 接触しないようにすれば良い話だが、此処ではそうもいかない。

 狭いし、介護に割ける人員も多くない。

 

「というか、それが気になるならアンタが何とかしなさいよ」

「え、うーちゃんが?」

「そうよ」

 

 当然のことだろと言わんばかりの態度だった。

 

「だってアンタの言うことが一番聞いてくれそうだし。そうでしょ卯月()()()()

「グッバァ!? お前が言うな吐き気がする!」

「ええ私も後悔してる。吐きそう」

「それはそれで腹が立つぴょん」

 

 釈然としない気持ちだ。

 卯月は憤慨する。

 けど言ってることは確かだ、秋月を宥めるのは私が最適だ。

 明日起きたら声を掛けてみよう、上手く言い包める自信はないがやらなければ分からない。

 ちょっと温くなってきたカフェラテを一気に飲み干し、歯を磨いて眠りについた。

 

 

 *

 

 

 翌日の朝、用事や食事を済ませた卯月は早速秋月の部屋まで来ていた。

 しかし、独房を兼ねた部屋には誰もいなかった。

 

「……もぬけの空だぴょん」

「どうなってんのかしら。まさか脱走したとか」

「まさか」

 

 洗脳下ならともかく、今の秋月は脱走なんてやらない。だったら何処へ行ったのか。二人は首を傾げる。

 

「あら、お二人ともそこでどうなされたのですか?」

「あ、熊野。おはようだぴょん」

 

 立ち止まっていたところへ熊野が通りかかる。

 彼女は最上の乗った車椅子を押していた。

 こちらに気づいた最上が、目線だけで返事をする。

 全身麻痺のせいで首が回らないのだろう。

 

「最上も連れてんのね」

「あ、卯月と満潮だ。おはよー」

「おはようだぴょん。何してんだっぴょん?」

「散歩ですわ。動けなくとも気分転換にはなるでしょうから。基地が広くないのが辛いところですけどね」

 

 何であれ、ずっとベッドにいるのは不健康だ。車椅子でも良いから外へ連れ出した方が良い。

 最上自身がそれを望んだこともあり、熊野はそれに付き合っていた。

 

「広くない基地だけど、楽しいのかぴょん」

「うん! 初めて見る物ばかりで楽しいよ! 興味がつきないなぁ」

「お、おう……それは何よりだぴょん」

 

 嘘は吐いていない。

 最上は目をキラキラさせて、心から楽しそうにしている。

 恐らく、身体が動かないことを苦痛だと思っていない。彼女にはこれが()()()()だからだ。

 動くことを知らなければ、動かない苦しみは分からない。

 他人と比較して、自分が動けない事に悩むかもしれないけど、苦しむ感覚は育っていない。

 

 知識だけがある『赤ん坊』なんだと痛感する。

 

「それで次は何処へ行くの熊野?」

「落ち着いてくださいまし、時間はありますから」

「えー、僕待てないよ」

 

 卯月は横目で満潮を見る。

 予想通り複雑極まった顔をしていた。

 そりゃそうだ、西村艦隊からの旧友がこうなっていたら、困惑するに決まっている。

 ショックも受けてるだろう。

 敵のせいで、最上が此処までの後遺症を負わなければならなくなったことに。

 

「熊野と一緒に最上の面倒見てても良いよ?」

「……別に、見たところで何も変わらないし、やることないわよ」

「でも、現実は受け入れられると思うっぴょん。避けてばかりじゃ悶々とするだけだよ。最上がああでも、うーちゃんは気にならないけど……満潮は違うんでしょ?」

 

 正直、卯月的にはかなりどうでも良い。

 そりゃ無事とは言い難い。

 一人の艦娘をここまで弄んだことへの怒りは凄まじいものがある。

 だがそこまでだ。

 全然気に止まらない。他のことに手がつかないなんてこともない。

 

 けど満潮は違う。

 彼女が言った通り、熊野に同伴してもやれることはない。

 同伴して全身麻痺が治る訳でも、記憶障害が治る訳でもない。

 分かっているのに、気になって仕方がない。

 

 それは言い悪いで語れる問題ではない、だったら本人が納得できる方向にもっていくのが一番だろう。

 

「アンタ一人になったら、発作起きた時どうすんのよ」

「多分大丈夫。最近は発作起きてないし……万一起きても生命に関わることはないから。慣れた奴よりも、そっちを優先するべきだぴょん。最上だって何かしら発作が起こるかもしれないし」

 

 卯月はフラッシュバックによる錯乱、秋月は激痛による錯乱があった。最上だって発作を抱え込んでる可能性は十分ある。

 その時、対処できる人間は多いに越したことはない。

 

「そう、決して距離を置くための言い訳を考えたのではないのだぴょん」

「なら早くそう言ってよこっちだって距離取りたいんだから」

「お前酷い奴だな」

「お互い様でしょ。じゃ、せいぜい発作起こさないようにね」

 

 そう言って満潮は最上のところへ向かった。その背中を見送って一人秋月の所へ向かう。

 

「ふう、喧しい奴がいなくなってスッキリしたぴょん」

 

 一人になるのは久しぶりだ。

 満潮は言わずもが、最近は加古が勝手についてくることもしょっちゅうあった。

 急ぐ必要はない、のんびりと行こう。

 ゆったりした気分になる卯月──それが不味かったのかもしれない。

 

「……あっ」

 

 突然視界が揺らいだ。

 

 平衡感覚が失われ、ぐわんぐわんと耳鳴りが止まらない。

 

 不味い。そう気づく頃にはもう『発作』が始まっていた。

 

「あ、ア、アアア゛!?」

 

 殺してしまった人たちが、床や壁、天井や自分自身から生えてくる。

 罵詈雑言と呪いの言葉が浴びせられる。

 それしか聞こえない、切り裂く様な叫びに、耳から血が噴き出す、頭が割れる。

 血に塗れた指先が目玉を抉ってくる、内臓を体内から弄り引き千切られる。

 

 発狂しそうになる、いや実際発狂しているも同然だ。

 

 けど慣れてしまっていた。

 

 こんなの慣れたくもないが、何度も経験したせいで慣れてしまった。

 

 全て幻だと理解している、対処方法も覚えている。

 

「ぐぅっ……!」

 

 収まるまえで耐えればいい。それだけだ。

 全身の感覚が痛みで麻痺したせいで、動いてるか分からないが、それでも手足を動かし、丸まって目も耳も塞ぐ。

 

 幻を『現実』と受け止めた脳のせいで、ショック症状めいた状態にまで陥り、意識が消えかける。

 

 いや幻だ、気のせいだと必至で意識を繋ぎ止める。

 

 こうなってしまったのは、油断からだろうか、それとも『最上』を見たからだろうか。あまりに悲惨な姿を見て、心の傷が触発されてしまったのか──久々の発作故に、一人で耐えるのは相当な苦しさだった。

 腹を掻っ捌かれたせいで、吐き気が込み上げる。

 口を塞いで──塞げているのか分からないまま──嘔吐を耐える。堪えられているかも分からない。

 

「うぅう゛う゛! ぁ、ああぁあ゛……」

 

 終わらない。

 時間感覚も狂っている。

 どれぐらい経ったのか分からない。全身を蛆虫や寄生虫が集っている。

 心の限界は突然来た。

 幻だと分からないまま、幻影を引き剝がそうと暴れ始める。

 その一歩手前で、突然──本当に一瞬のことだが──視界が『移動』した。

 

「!?」

 

 卯月は、悶え苦しむ自分自身を見た。

 艦載機でも使わなければ、自分で自分を見るなんてできない。

 なのに一瞬見えた。

 今のは何だ、新手の幻覚か。

 想像を超える現象に卯月は一瞬正気に戻る。

 

 その間に、誰かが必死で呼びかけてくれているのに気付いた。

 

『ママ! マ、ママー!』

「か、加古、かっぴょん……?」

『──!!』

 

 肩を何度も揺らしながら、自分の名を呼ぶ声が聞こえる。

 

 そのお陰か、人肌のぬくもりを感じたからか、卯月の発作は落ち着き始めた。

 

「だ、大丈夫だぴょん……ごめん、心配をかけたっぴょん」

『……?』

 

 まともに話せない彼女はボディランゲージで感情を表現する。

 どうして申し訳なさそうにしているのか理解できない、といった感じで首を傾げている。

 だが、苦しそうな様子でなくなったのを、喜んでいた。

 

「うん、安心して良いぴょん。ありがとぴょん」

「──!」

 

 お陰で助かった。あのままじゃ自傷行為に走っていた。

 卯月は加古の頭を撫でる。

 彼女も気持ちよさそうにして、こちらへ頭を預けてくる。

 身体を擦りつけて甘えてくる犬とか猫みたいな雰囲気だ。

 重巡が、駆逐艦に甘えている構図でなければ。

 

「アンタ、これどういう状況」

「うお、満潮、どうしたぴょん」

「叫び声が聞こえたからすっ飛んで来たのよ……もう遅かったみたいだけどね。発作が起きたんでしょ?」

「うん……」

「ごめん。私も最近起きていないから油断してたわ」

 

 目を離した間、卯月は重傷を負いかけていた。

 嫌いだとしても責任は感じていた。

 けどまあ、最上の所へ行っていいと言ったのは自分なのだから。ある意味自業自得だ。

 とはいえ、ケガがなかった事については、心の底から安堵していた。

 

 しかし謎が残った。

 

 新手の幻覚と片付けるのは容易いが、あの一瞬、視覚が移動したのは何だったのか。別ベクトルの悩みが増えて、悶々とする卯月なのであった。




塩コーヒーの元ネタが分かる方はいるのでしょうか?


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第167話 どちらが死ぬか

 気が緩んだせいか最上に触発されたからなのか、久々に発作を起こしてしまった卯月。

 そこへ加古が来てくれたお陰で助かったのは良いのだが、未知の現象を体感する羽目になる。

 

 あれは何だったのか。

 

 加古の視点から、自分を見ているような気分だった。

 

 しかし一瞬だった。

 気のせいという可能性は高い。

 うん、きっとそうだ、そうに違いない。

 色々あったから疲れたのだろう。

 

「なんかまた変なことがあったの?」

「ななな何故分かったぴょん」

「何となく。そういう顔してる時は大体面倒ごとを考えてるから」

「えっキモ」

 

 考えが見透かされているようで気持ち悪い。こういう時は分かってて気付かないフリをしてくれるのが優しさなんじゃないか。

 

「秋月のが終わったら北上さんの所行くわよ」

「えー、面倒くさいぴょん」

「暴走の前科持ちだってこと忘れたとは言わせないわよ」

「うぐっ」

 

 反論できず言葉に詰まる。

 これがさらなる暴走の予兆かもしれない。

 あんな思いは二度と味わいたくない。

 

 既に二回やらかした。

 二度あることは三度あるとか止めてほしい。

 また造反してしまったら、本当にメンタルブレイクしかねない。

 

 ぶーぶー文句を交えながらも、後で報告するのは決まった。

 

 それについて話している内に、二人は秋月の所につく。

 部屋といっても、まだ独房を使い回している。

 彼女用の部屋が整っていないのだ。

 

 普通の鎮守府ならいる家具職人妖精は此処にはいない。

 

 機密保持の為妖精の人数さえ最小限となっている為だ。

 

 やむを得ず基地の増築工事をする時は、基地の場所が特定されないよう極秘裏に行われるし、何処の改修をしたのか妖精さんには分からないようにする。

 その担当した妖精から、基地の構造が漏洩しないとも限らないからだ。

 

「秋月ー、いるー?」

『卯月お姉さま? はい、いますが』

「入るぴょん」

 

 彼女の返事が帰ってくる。今日の散歩はまだのようだ。

 

 室内は殺風景、独房のまま。

 それも仕方のないこと。

 秋月は全盲だ、何か躓いて転んだら大事である。

 それでも、生活感が皆無なのは、何とも言えない気分になる。

 

「あの、何かご用でしょうか」

「最上について」

 

 雑談から始めるつもりは皆無。卯月はストレートに話題を切り出した。

 触れて欲しくない話をいきなり振られ、秋月はフリーズする。

 

「何か、症状が改善したとかそういう」

「いや秋月がモヤモヤしてるからその件で」

「お、お姉さま……これは秋月の問題です、お姉さまが態々関わる必要は」

「そういうのが長々と続く方がうーちゃん面倒くさいぴょん」

 

 正直言って、それしかなかった。

 秋月が可哀想だとか、仲良くして欲しいとか全く思ってない。

 ただ、自分の周りでギスギスした空気が続くのが非常にストレスだった。

 

「というか、それは正直、お姉さまに指摘されたくないような……その満潮さんとの」

「別にうーちゃんとこのカスはギスギスしてないぴょん」

「ええ、この汚物は心底嫌いってだけだから」

「……そ、そうですか」

 

 理解不足だった。そして理解は諦めた。

 

「うん、だからこういう感じでも良いんだぴょん。兎に角どー見ても鬱憤が溜まってるのに、溜め込んでブスブスしてるのは良くないぴょん」

 

 ある意味、二人の関係は健全と言える。

 お互い一切我慢することなく、思ったまま感じたまま暴言をぶつけ合っている。

 流石に良い関係とは言えないが、黙り込んだままよりマシである。

 

「とゆーわけで何とかしに来たぴょん。どうすれば良いのかまるで解んないけど!」

「本当にアンタ最低ね。いい秋月いくら尊敬しててもこういう所は真似ちゃダメよ。人間としてダメになるわよ。胸もペッタンコのままになるわよ」

「胸は関係ないぴょん!」

 

 話が進まないのでお互い自重した。改めて秋月に話を振る。

 

「んで、こういう聞き方アレなんだけど、どう思ってんだぴょん最上のことは」

「……その、ごめんなさい、自分でちゃんと解決しますので」

「許さん言え。お姉さま命令だぴょん」

 

 話すまで部屋から逃がす気はない。

 その威圧感に秋月は観念する。

 お姉さまに迷惑をかけるのが嫌だから黙ろうとしたが、卯月からの『命令』には逆らえない。

 

「……なんで、なんですか」

「……殺さず、生かしたこと?」

 

 それぐらいしか思い当たることがない。秋月は小さく頷いた。

 

「そう、そうです。どうしてあんな奴を、殺さなかったんですか。生かしておく価値ないじゃないですか」

「理由はあるけど」

「分かってるでしょ。秋月はそういうのを求めてるんじゃないのよ」

 

 最上を殺さなかった理由は、今更言うまでもない。

 あくまで彼女も犠牲者だ。

 救出できるならするに越したことはない。敵の内情を探れる可能性もある。

 

 何より、|D-ABYSS()()()()()()()の第三サンプルを獲得できる。

 最悪、殺しても回収できるが、殺した途端自壊する仕掛けとかあっても困る。

 殺さないのが一番安全なのだ。

 

 しかし満潮が言った通り、そんなことは秋月だって理解している。

 

「納得できません。お姉さまの態度もそうですし、熊野さんの態度も納得できません。記憶がぐちゃぐちゃで、自分がやったことの深刻さを自覚できていないから何だっていうんですか。それで許されると思っているんですか」

 

 いや許されない。

 卯月は客観的にそう判断した。

 許すとか、許さないとか、罰を望まれている状態だと、今の最上は理解できていない。

 だが、秋月にとってはそういう問題ではない。

 

「秋月は、こんな、こんなことに成りたかった訳じゃないのに……誰も彼も殺すことになってしまって……そうなったのは、最上さんのせいなんですよ。毎日毎日、訳の分からない虐殺を強要されて、少しでも気に食わなければ、いや気に入っても殴り飛ばされて……腕が折れて、肺に銃創ができているのに、苦しんでるのが面白いからってだけで、治療も許されなくて! 自覚は、しています。最上さんが本当に悪い訳じゃないって、でも無理です。ダメです、嫌です! 秋月は、あの人の顔を見れない、見たくない! 頭がおかしくなってしまいます。今も、考えているだけで、気が狂いそうに全身が痛くて、嫌だ、何で此処にいるんですか!? 追い出してくださいよ! あいつのせいで全部が怖い、お姉さまが助けてくれなかったら、全てが痛くて苦しいままだった! またそうなるに決まってるんです!」

 

 彼女の本心は、卯月の想像を超えていた。

 一息に話し切り、ゼイゼイと息を切らす秋月。

 

 卯月は、すぐに言葉を返せなかった。

 まさかそこまで苦しんでいたとは。

 会わなければ良い、という問題ではなかったのだ。

 同じ基地内に居るのが既に、耐えがたい恐怖だったのだ。

 

 彼女からしたら、獰猛な肉食獣と同じ檻に入れられたのと同じ気分なのである。

 

「……ごめんなさい、でも、そうなんです。怖くて……出歩けないんです。バカですよね、最上さんが目覚めるまでは、まだ決心ができたのに、いざ起きたって分かると……怖くて、息が詰まりそうで」

「気持ちは、分からなくもないぴょん。うーちゃんは逆だけど」

 

 秋月側ではなく、卯月は『最上』側だ。

 金剛達がいる藤江華提督の鎮守府には、かつて殺しかけた間宮と神提督がいる。

 あの時受けた拒絶は、未だにトラウマに近い。

 弁当の中に剃刀を入れられていた時の恐怖はとてつもないものがある。

 

「……あの、なので、秋月を解体して頂いて構いませんから」

「は?」

「ムリです、どんなに手を尽くして頂いても、最上さんが此処にいるだけで、無理です。碌な罰も受けずのうのうと生きていることが許せなくて、ま、また殺してしまいそうなんです……だから、どうか、秋月の方を解体してください」

「そこまで思い詰めてるとはね……」

 

 最上がいなくならなければ秋月は安堵して暮らせない。

 しかし、そんなことは、前科戦線の立場的にも、倫理的にも許されない。

 なら、自分がいなくなるしかない。

 

 無茶苦茶な結論だった。

 

 そんな答えに行きついてしまう程、彼女は思い詰めていた。

 

 だが卯月の返しは、意外なものだった。

 

「まあ別に構わないけどね」

「は?」

 

 卯月は秋月の解体を容認したのである。

 

「ねぇ満潮、解体するための希望ってどう出すんだぴょん?」

「そりゃ除籍申請書があって、希望欄に解体があるからそれ選択して、審査が通ればできるわよ。まあ私達前科組は申し込めないけど、秋月は違うからでき……ってそうじゃないわよ。アンタ何を言ってんのよ!」

「秋月の解体手続きについて」

「違う!」

 

 自殺しようとしている人がいたら止めるべきだ。なのに何故コイツはむしろ促しているのだ。意味が分からない。満潮は頭を掻きむしる。

 

「いやだって、態々止める理由がないぴょん。ねっ秋月」

「え……あ、はい、お姉さまのおっしゃる通りです」

「でしょ?」

「どこがよ! この状況下でふざけないでよ!」

「大マジなんだけどなぁ……」

 

 ボリボリと頭を掻く卯月。

 何て奴だ、信じられないと、満潮は絶句する。

 その態度に対し、不服そうな表情を卯月は浮かべていた。

 彼女は真剣に、解体は『アリ』だと考えていたのだ。

 

「真面目な話、死ぬって選択肢は存在すべきだぴょん。それ以外に救いがない時が来る時はあり得るぴょん。うーちゃんだって……死ぬことが素敵に見えたことがないなんて、言わないぴょん」

 

 卯月は死を望んだことが、何度かある。

 特に真相を知った直後、自分が全員を殺した張本人だった時は、本当に死にたくなった。

 だが、自分が自殺した後も、黒幕がのうのうと生きてるのは絶対に許せなかった。

 だから、踏み止まる事ができたのだ。

 

 別にふざけてない。

 真面目にそう考えている、満潮は誤解しているだけだ。

 

「なんで最初からそう言わないの。おちゃらけないで紛らわしいわね」

「五月蠅いぴょん!」

「……死ぬのは、アリ、なんですね」

「うん、アリっちゃアリ」

 

 本気で死にたいなら仕方がないと思う。卯月は秋月の意思を尊重するつもりだ。

 

「ああでも、D-ABYSS(ディー・アビス)のサンプルが減ることになっちゃうからなー、解体申し出は認められないかも。そうなったら隙を見て自殺するしかなぴょん」

「別に……それでも、構いません。流石に……お姉さまや皆様の手を煩わせるのも心苦しいので」

「うん、頑張れだぴょん」

 

 実際問題、自殺しようとしたら、監視カメラ越しに誰かが止めに来るだろう。

 首吊りとか、リストカットに使えそうな物は、彼女の部屋から排除してある。

 けど、自殺が可能か不可能か──それは重要なことではない。

 重要なのは()()()()()()()()()、その一点のみだ。

 

 故に確認も込めて、卯月は告げた。

 

「本当に死んだら、軽蔑するけどね」

 

 冷たい声でそう告げる。敬愛するお姉さまからの発言だ。自殺の決意を揺るがすには、十分な威力を持っていた。

 

「どういうことよ、散々自殺はできるできるって言っておいて」

「そりゃ当然だぴょん。自分がしでかしたことの清算をしないまま、死んで逃げるなんて卑怯だぴょん。誇りの欠片もない。艦娘どころか人として失格の行為じゃん。軽蔑するでしょ。まあ、そもそも清算の必要があるのかってのは置いといて……」

 

 卯月個人的には償いは不要だと思っている。

 あれは洗脳により()()()()()()()だ。

 そこに責任は生じない。

 だがそれは、事情を知る者の理屈だ。

 被害者にとっては、まるで関係のない事だ。

 

「ねぇ、最上は悪くないって分かってるんでしょ?」

「はい、それは当然……頭では」

「だけど、最上にやられたトラウマは無くならない。それと同じだぴょん。うーちゃん達に殺された皆からしたら、洗脳されてたとかそんな『事情』は関係ない。私たちに殺された。それだけが『事実』」

 

 頭で分かっていても感情は別だ。だから秋月は自殺を選ぼうとした。洗脳という原因があろうが無かろうが、最上から暴力を振るわれた事実は変わらない。

 

「責任を取るかどうかは人それぞれだと思うぴょん。だって実際悪くないし。けど『事実』に向き合わないのは違うぴょん」

「向き合う……?」

「うーちゃんは責任取らないぴょん。贖罪の為に戦うつもりは微塵もない。でも逃げないことにしてる。憎まれるのも受け入れるし、殴られるのも……殺されるの以外は全部受け入れる。それだけのことをしたのが事実だから」

 

 藤提督の鎮守府を訪れ、壮絶な憎悪を受けた時、卯月はそう在ることを決意した。

 シチュエーション的には、似た側面がある。

 だからこそ、それを秋月に語った。

 説得ではない。

 この惨劇に対しての、向き合い方を見せたのだ。

 

「まあアレだぴょん。軽蔑されてでも死にたいって言うんなら止めないぴょん。でもそれで……後悔がないとは思えない。死んだら死んだで、何か嫌な感じが残りそうだから、その辺ちゃんとしてから死ぬなり生きるなりしてくれぴょん」

「アンタ、説得してるつもりなの、それで」

「別に。個人的にこの状態が嫌だから首突っ込んだだけ」

「人でなし!」

「うるさい、気にはしてんだぴょん! まあそういうことで、辛い気持ちは分かるけど、『事実』をちゃんと見ることだぴょん。どんな選択をしても後悔を残さない為に」

 

 秋月は項垂れたままだった。

 元気に聞くような話ではないから当然だが、心配になる。

 ただでさえ深い心の傷を、必要以上に抉ったのではないだろうか。

 しかし、傷を治すには傷に触れなければならない。

 

 せめて、マシな方向に行くよう祈りながら、卯月たちは部屋を後にした。



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第168話 爆弾投下

「あんなんで説得になったとは思えないんだけど」

 

 自室に戻り、買った煎餅をボリボリ食べる卯月に満潮は愚痴る。

 

「まあ説得したつもりないし」

「冗談でしょアンタ何しに行ったのよ」

「人生相談?」

「体感時間二か月ちょっとしかない奴がよくまあそんなこと言えるわね」

 

 最上に対して確執を抱いている秋月。

 仲良くなれとは言わないが、限度はある。

 このまま悪い空気が続くのはよくないと、解決を図った卯月達。

 しかし、説得になったのか。

 満潮は至極疑問だ。

 

「誰も彼も、アンタみたいに折り合いをつけれる性格してないわよ。それができりゃ誰も苦労しないわ」

「んなこと分かっているぴょん。だったらうーちゃんを推薦したそっちが悪いぴょん」

「ぐっ……まさかここまで人でなしとは思わなかったわ」

 

 元々卯月は乗り気でなかった。

 だが、満潮に『アンタの話なら一番聞くじゃない』と言われたから。

 更に、嫌な空気が続くのは、面倒だと考えたからだ。

 

 というか根本的な所で、卯月は秋月の苦悩を理解できない。

 

 自分自身が大量虐殺を行い、同時に被害者でもある、という境遇は確かに同じだ。

 

 だが、卯月は全部『それはそれ』として割り切ることができる。

 本当は悲鳴を上げて泣き叫びたいし、心はへし折れそうになっている。

 だが、そんなことより、泊地水鬼への報復が最優先なのだ。

 その為には個人的感情はどうでもいい。感情を呑み込み、割り切れるのが卯月だ。

 

 なので、折り合いをつけられない秋月の心境は、理解仕切れないのである。

 

「とゆーか大体、解決方法なんてものは、秋月も理解してる筈だぴょん。感情とかどーでもいいことがそれの邪魔をしてるだけ。そういうのを気にせず、自分の望むまま行動すれば良いんだぴょん。まあそれで別の問題が発生するとしたら、また別の話になるけど」

 

 卯月は再び煎餅をバリバリ齧り、濃い緑茶を啜る。やはり煎餅とお茶の組み合わせは最高だ。能天気に舌鼓を打つ。満潮は苛立ちを募らせた。

 

「そう、でもまさかアンタ、このまま秋月に判断投げて終わらせるつもりじゃないでしょうね」

「え、ダメなのかっぴょん」

「駄目じゃないけど、何か起きたら責任取るのはアンタよ」

「うーちゃんにそんな能力ないぴょん」

「今後得られる予定だった報酬から全額天引きとかになるでしょうね」

 

 卯月はすくっとベッドから立ち上がった。

 

「ふぅ十分休憩できたでも心配だから秋月の様子もう一度見に行ってくるぴょん!」

「クズだわ」

 

 満潮の言葉は無視だ。

 そんなことより心配なのは秋月だ、首を突っ込んだのだから最後まで様子見ぐらいはしなくては。

 決して満潮に言われて気が付いたのではない。

 決して! 

 

 

 

 

 二人は秋月のいる独房の前へとやってきた。

 しかし卯月は一向に入ろうとしない。

 じっ……と扉に耳をつけて、中の様子を伺っている。

 

「何してんの何で入らないの」

「シッ……! 静かに、まずは刺激しないように、慎重に」

 

 あれだけ偉そうなことを言ったくせに、一時間足らずで戻ってくるのはちょっとアレだ。

 なので様子を伺い、良いタイミングでかっこ良くエントリーする予定だ。

 

 ぶっちゃけ恥ずかしいだけである。

 

 満潮は考える。

 わざわざ付き合ってるのに、そんな事を待つ必要はあるだろうか? 

 結論、必要ナシ。

 満潮は扉を蹴っ飛ばした。

 

「えいっ」

「はぐあぁぁぁああっぁ!?」

 

 扉に耳をつけてたせいで、衝撃音が耳に直撃。サプレッサーマフ有りだが大ダメージは不可避。目鼻口から鮮血が噴出し、奇怪な悲鳴を上げて卯月は卒倒。

 

「あら、秋月いないじゃない。どこ行ったのかしら。全盲なんだからあまり出歩いてると不安になってくるんだけど……」

「あ、が、がが、が」

「しょうがない、秋月探すわよ。さっさとついていらっしゃい」

「痛いぴょん……」

 

 首根っこを掴まれて引きずられていく卯月。基地が狭いのと、卯月の聴覚もあり、探すのにそう手間はかからなかった。

 

 そして秋月を発見した時、二人は何とも言えない光景に首を傾げた。

 

 秋月は隠れながら、じっと耳を澄ましていた。

 全盲なので直接観察はできない、だから彼女たちの会話を聞くのに専念している。

 誰を観察しているのかと言うと。

 

「ねぇ熊野、ぼんやり潮風を感じるのって、結構気持ちが良いね!」

「ええ、そうですわ」

「うーん、何だか眠くなりそうだなー」

 

 最上である。

 秋月は、二人をつけながら聞き耳を立てていた。

 

 ぶっちゃけ不審者である。

 卯月達の訝しむ目線に、秋月は気づいていない。

 他人に気づかれたら更に面倒になりそうだ。

 少し戸惑いながらも、秋月に小声で呼びかける。

 

「秋月、何してんだぴょん」

「あ、お、お姉さま……えっと、見ての通りと言いますか……」

「最上をストーキングしてんのかぴょん」

「いえ、いや、全く違う訳ではないんですが……その、最上さんを少し、観察してみようと思いまして」

「観察ですって?」

 

 観察という行為の是非はさておき、卯月としては彼女の精神が心配だった。

 秋月は、最上に凄まじいトラウマを抱いている。

 何せ、感覚過敏の後遺症が残る程のトラウマだ。

 目の当たりにしただけで、フラッシュバックが起きるのではと思ってしまう。

 

 そんな症状を背負いながら、ずっと最上を観察し続けること。

 それは間違いなく苦痛だ。

 更にメンタルに来るのではないか。

 小刻みに震える彼女の手は、実際にそれを証明していた。

 

「……私なりに、じ、事実と向き合おうと、思ったんです」

 

 しかし、彼女はそれを承知で、最上の観察を続けていた。

 

「そうです、今も、最上さんは怖いです。で……でも、ほら、秋月が今の最上さんをちゃんと見たのは、病室の一回だけじゃないですか」

「ええ、そうね、それだけね」

「たった……一回だけしか、見てないのに、怖いだの、許せないだの決めつけるのは、どうなんだろう、と……それじゃあ、逃げてるのと変わらないんじゃないかって。私にも、最上さんにも」

 

 卯月は『事実』と向き合えと告げた。

 同情も無し。

 救う気も余り無い卯月からすれば、ただ自分自身が意識している生き方を告げたに過ぎない。

 だが、その言葉のお陰で、秋月は少しなりとも意識を変えることができたのだ。

 

「……でも、とても、本当に怖いので……こう、隠れながら、会話に聞き耳を立てるぐらいしかできないですが」

「いやいや十分だぴょん。流石にそこまでやれとはうーちゃん言えないぴょん。見た目はすっごい怪しいけど」

「ああ……やっぱりそうですか」

「余計なこと言うな!」

 

 頭頂部にスナップの効いたビンタが被弾する。痺れるような痛みに卯月は引っ繰り返る。

 

「……まあ、それを続けてみるのが良いと思うぴょん。けど」

「ん、どうしたの、一瞬言い淀んだみたいだけど」

「……よし」

 

 痛む頭頂部を撫でながら卯月は立ち上がり、最上の方へ向かう。

 

「うーちゃんも最上の散歩につきあうぴょん! 満潮、秋月をお願いするぴょん」

「は?」

「え、何故、あんな奴の世話を!?」

 

 やっぱり言葉の節々から嫌悪が滲み出ている。まあそれは仕方のないことだ。

 

「大丈夫大丈夫、何かあってもうーちゃんはそう簡単にやられないぴょん!」

「お、お姉さま、あの、そういう心配では」

「秋月、もうあいつ行っちゃったわよ」

「あー!?」

 

 秋月は最上に嫉妬していた。

 万に一つの可能性だが、卯月が最上にかかりっきりになって、自分の方を向いてくれなくなるのではないかという不安を抱いていた。

 だが肝心の卯月は全く気付いていない。

 心配の理由を完全に誤解したまま、卯月は一人突っ走っていく。

 

 こうなったらもうどうにもならない。気を利かせてくれたのだ、ちゃんと最上を観察しなければ。

 

「……どうか、卯月お姉さまを、嫌いますように」

「何願ってんのよアンタ」

「いえ、卯月お姉さまが好きじゃないなんて不敬です不敬……好きでありながら、お姉さまに嫌われますように」

「…………」

 

 明らかに悪影響を受けている。

 具体的にどんなとは言えないが、絶対卯月の影響受けてる。

 どうやって責任をとらせるべきか、あのアホに。

 とりあえず、これで発作が起きたら、全力で嗤ってやろうそうしよう。

 呆れ切った顔で、満潮は秋月の面倒を見ていた。

 

 

 

 

 タタタと熊野の傍へ駆け寄る卯月に、足音で熊野は気が付いた。

 

「あら卯月さん。どうかされたのですか?」

「ご一緒しても大丈夫ぴょん?」

「良いですけど、そう面白くはないですよ?」

「構わないぴょん」

 

 新しい人が来てくれたことに気づくと、最上は嬉しそうな表情をする。

 

「わぁ、え……っと、卯月だったね! こんにちは!」

「ちわーだぴょん」

「人が多いと何だか楽しくなるね、うーん、テンションが上がってきた気がするぞ!」

 

 そんなに楽しいのだろうか。ただ傍にいるだけ何だが。

 しかし、今の最上の感性はほぼ赤子だ。

 知っている人が居ると、それだけで嬉しいように、大人からしたら些細なことでも、感情に響くのである。

 

「散歩ずっとしてるらしいけど、どうだぴょん。楽しいのかぴょん?」

「とても楽しいね!」

「……そっかー、それは良かったねー」

 

 曇りなき眼で告げる最上に、卯月は何も言えなかった。

 それでも、今の反応である程度推測できることはある。

 

 最初感じた通りだが、最上はやはり『罪悪感』を一切感じてない。

 

 自分がやったことが、許されざる行為だという認識はあるのだろう。

 けどそこに、罪の意識が付随しない。

 理性的には分かるが、感情的には何も分からない。

 

 最上が悪いとか、そういう話ではない。本来持ち合わせているべきそれが、近代化改修により壊されてしまったからだ。

 

「ああでも、秋月とかがいてくれたら、もっと楽しいんだけどなー、流石に厳しいかなー」

「あら、どうしてそう思うのですか?」

「いやー、僕がいっぱい殴っちゃったからさ、会うのが怖いって思ってるかもしれないし。ま、しょうがないんだけどね!」

 

 やはりそうなのだ。

 秋月にとっては、そんなレベルのトラウマでないことが分かっていない。

 単に自分が嫌われている程度だと思っている。

 まさか、殺しかねない程恨まれているとは、露にも思わないのであろう。

 卯月は深いため息を、最上に気づかれないよう押し隠す。

 

「……ねぇ熊野」

 

 卯月は小声で問いかけた。

 

「どうかされましたか」

「後ろ、気づいてるよね?」

「はい、アレな言い方ですが、下手な尾行でしたので」

 

 それも予想通りだ。

 熊野を見た時、そうなんじゃないかと卯月は感じた。

 彼女は最初から、秋月が後をつけていることに気づいていたのだ。

 

「いえ、全盲である以上、尾行が下手なのは仕方がないですが」

「その辺は割とどーでも良いぴょん。熊野から見て、最上の調子はどうだぴょん」

「卯月さんと概ね同じですわ。道中球磨さんや皆様に会いましたが、会いにくそうな様子は一切皆無です」

「やっぱりかぁ」

「ああでも、多少は成長しているかもしれません。自分の行為を気にしている素振りさえありませんでしたので」

 

 さっき最上は、自分の行為を気にしていたが……アレで成長した状態なのか。

 

 先の見えなさに唸り声を上げる。

 

「北上さんが仰っていたかもしれませんが、こればかりは時間をかける他ありません。記憶の矛盾が馴染み、人として情緒が成長するまでは。身体が大人なので、人間より早いとは思いますが」

「そこまで待てるかなぁ……」

 

 多分、無理だ。

 精神的に成長して、最上が罪悪感を自覚し謝罪できる頃には──秋月は限界の可能性が高い。この世にいないかもしれない。

 そうなった時、最上の罪悪感は一生涯解消されないままとなる。

 ケジメもつけられず、永遠に抱え込む羽目に。

 それは途轍もなく、面倒ごとになりそうだ。

 卯月は余計な面倒事を嫌悪していた。

 

「うん、そうだな……『事実』はハッキリしてなきゃいけないぴょん」

「卯月さん?」

「ねー、最上ー!」

 

 突然大声を出す卯月、最上は不思議そうに目線を向ける。そして彼女は口走った。

 

「秋月がお前のこと殺したいって言ってたけど、どうするぴょん!?」

 

 ドストレートな発言に最上はフリーズした。

 熊野は噴き出した。

 つけていた満潮と秋月はひっくり返った。

 目をパチクリさせながらも、最上は答える。

 

「秋月が、僕を?」

「うん」

「いっぱい痛い目に遭わせたから?」

「うん」

「そ、そっかー」

 

 流石に戸惑った様子の最上だが、「そっかそっか……」と何回か呟いて、納得したように顔を上げた。

 

「じゃあ仕方がないか。僕は殺されて大丈夫だからね。もし秋月に会ったら、好きに殺して良いって伝えて貰っていいかな?」

「……了解だっぴょん!」

 

 最上には迷いがなかった。

 自分が殺されようとしている事実を目の当たりにして尚、感情が動かなかった。

 冷静なのではない、現実を受け入れた訳でもない。

 むしろその逆、『死』を眼前にしても、未だその理由を理解できていなかったのだ。

 

「……さて、聞こえたと思うけど、どうかな」

 

 恐らくは聞こえている、その為に態々大声を出した。卯月は後ろで聞いているであろう秋月たちを横目で眺めた。



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第169話 己の事実

 卯月は最上に対して、ある事実を告げた。

 それは秋月が彼女を殺したがっているという内容だ。

 まともな性格をしていれば、絶対に言わないような事を卯月は敢えて告げた。

 

 当の最上は、「そっかー」とあっけらかんとしていた。

 

 彼女の感覚は幼子同然。

 だから、他人からの殺意も理解できないのである。

 

 確かめる事はこれで終わり。

 卯月は熊野達と別れて、後ろからつけていた秋月達の所へ戻る。

 

「ただいまア゛ッツ!?」

 

 出迎えたのは満潮渾身のアッパーカットであった。

 

 美しい軌道で顎に直撃。

 卯月は天井と地面をバウンドして転げまわった。

 

「何すんだぴょんッ!?」

「こっちのセリフよ! 頭沸いてんの!? 秋月がいるのに何てこと聞いてんのよ!? いなくても聞かないわよ普通!?」

「ふっ、このうーちゃんは常識に縛れるような女じゃないんだぴょん」

 

 ドヤァと勝ち誇った顔をする卯月。ストレートパンチが顔面にめり込む。

 

「ふざけないで。理由によっては目玉抉るわよ」

「痛いっぴょん。ふざけてないのに。うーちゃんはいつだって真面目なのに」

「…………」

「あ、ごめんなさい、言います言います」

 

 生命の危機を感じた卯月は真面目な対応を始めた。

 

「とは言っても、これはお前じゃなくて、秋月に聞くことだぴょん」

「その秋月はさっきから蹲って動かないんだけど。ショック受けてるじゃない」

 

 壁に寄りかかりながら、体育座りで顔を埋めている。

 自分の殺意を知られたくなかったのだ。

 あくまで最上は無罪。

 それを分かっているのに、殺したい程憎んでいるなんて間違っている。

 間違った思いを抱いている自分が許しがたい、だから知られたくない──と満潮は考えているのだろう。卯月はそう思う。

 

「うん、確かに。でも……満潮の想定してるショックとは違うと思うぴょん」

「どういうこと」

「これは、多分、痛感したというショックだぴょん」

 

 それはどういう意味なのか。

 満潮は首を傾げる。

 

「ほら、一回顔を見せてみるんだぴょん」

 

 卯月に腕を掴まれて立ち上がらされる。

 隠れていた秋月の顔が見えた。

 

 その表情に、満潮は驚きを得た。

 

「…………」

「やっぱり、めっちゃ怖い顔してるぴょん」

「……はい、そう、です」

 

 満潮は秋月が泣いていると思っていた。

 涙を堪えて震えているのだと。

 しかし、実際は違っていた。

 

 秋月は『憤怒』の形相を浮かべていたのだ。

 

「……なんで?」

「そりゃ最上の態度に更にプッツンしたに決まってるぴょん。そうでしょ?」

 

 秋月は頷く。そして叫びだしそうなのを抑えながら話し出した。

 

「ごめんなさい、本当に、でも、ダメでした。やっぱり秋月はあの人を、最上さんを許せません。殺したい思いを抑えられないです。あんなのってないです。殺されそうになってるって、知ってて尚、あんな態度を取るなんて。おかしいですよ、記憶が壊れて、情緒が幼いからって、それであれが許されるんですか! 謝るまでもないし、申し訳なさそうでもないですし……罪悪感がなくたってダメです、殺さないと、気が済まない!!」

 

 怒涛の剣幕に満潮は怯む。

 満潮は卯月を睨みつけた。

 どう見ても悪化している、一体お前は何をしたかったのだ、ただ状況を悪化させただけじゃないか。

 当の卯月は何故かドヤ顔だ。

 

「うん、それで良いと思うぴょん!」

「卯月!?」

「殺したいならしょーがないぴょん。誰だってそーするうーちゃんだってそーする」

「卯月ぃ!?」

「でもそれで満足かっぴょん?」

 

 指先を突き立てて、卯月は秋月に詰め寄った。薄っすらとだが、卯月は殺意を宿していた。

 かつて、自分へ向けられた殺気を前に、秋月は後ずさり。

 しかし、直ぐ後ろが壁なので叶わない。

 

「あの殺されてもなーんにも思わなさそうな最上を殺して、秋月は満足するのかぴょん?」

「……そ、それは」

「重要なことは『事実』へ向き合うこと。大義名分だとか常識だとか、良識とは置いといて、秋月の心はどう思っているんだぴょん。最上の現状──『事実』は見ての通り。後は秋月だけだっぴょん。そこを見て見なきゃ、抜本的解決は不可能だよ」

 

 どれだけ綺麗な言葉を並び立てても、心の底から納得していなければ意味ない。ましてや抱え込んでいるのは『殺意』だ。放置していたらいずれ爆発するのは確実。

 だから、そうなる前に適切な処置が必要だ。

 そういう物を抱え込んでしまっていると、認めさせ、それを肯定させることが重要だった。

 別に秋月の抱えている思いは、誤ったものではない。

 

 そして、殺意を満足させる方法は一つだけ。

 

 対象を戮す事。

 

 ただ、それならそれで満足できないといけない。

 

 しっかりケジメをつけられるような、充実した殺しでなければ意味がない。

 

 中途半端な事をしたら、殺意は燻り続け、いずれ自他共に悲劇を齎すだろう。

 

「……あ、秋月、は」

「あんな、酷い殺戮を強要された手前、『殺意』そのものに嫌悪感を持つのはしょうがないぴょん。だけども、それでもハッキリさせる必要はある。今の最上を殺したら、秋月は安心を得れるの?」

 

 秋月は沈黙する。

 卯月の指摘した通りだった。

 彼女には、『殺す』という手段そのものに、強い忌避感があった。

 

 だが、やはり最上は殺したい。

 理性と感情がごちゃまぜだ。

 感情を無視することも、理性を無視することもできない。

 両方共、容易く切り捨てられるものではない。

 

「北上さんが言ってた通り、いずれ最上の価値観は戻るぴょん。その時……初めて、罪悪感ってやつを理解する筈。うーちゃんだったら、その時に殺す。普通の生き方の幸福を知って、仲間を得て……自らの行いを思い知ったときにこそ、絶望の淵へ叩き落す『価値』がある!」

 

 力強く宣言する卯月。

 尚補足しておくが、卯月は秋月に対して、もう殺意は抱いていない。

 彼女との戦いで、散々痛めつけたから償いは済んでいる。

 それに、真に殺すべき相手は『黒幕』。

 憎悪は大切にため込んでおいて、そこでたっぷり叩きつけると決めてあるのだ。

 

「で、どう思うぴょん。秋月」

 

 卯月に言われ、秋月は吐き気を堪えながらイメージする。

 殺した時、どうなるか。

 間違いなく、最上は無抵抗に受け入れる。

 全身麻痺だから痛みを感じるかも不明、苦痛を感じず、赤子の様な笑みを浮かべたまま息絶えるかもしれない。

 

 何をされたのかも良く分かっていないまま死ぬだろう。

 

「うっ……!」

 

 更に吐き気が込み上げる。

 駄目だと秋月は心の底から理解した。

 こんなもののでは安心は得られない。

 怒りが払しょくされない。

 ただ、殺しのトラウマが抉られるだけで終わってしまう。

 

 何人も殺してきた。

 艦娘も深海棲艦も。

 

 ドロップ直後の艦娘も殺した。その時の表情を思い出す。

 何が起きたのか分からないまま、赤子のように死んでいく顔。

 

 きっと最上もそんな顔をして死ぬ。

 そっくりの顔を張り付けて死ぬ。私が殺した皆と同じ顔で遺体になる。

 

 心の傷が抉じ開けられた。

 震えが止まらない、吐き気が収まらない。

 頭が痛く、耳に釘を打ち付けられたような痛みがする。

 

「む、むり、で、す……秋月には、今の、最上さんは……殺せません……!」

 

 考えただけでこれだった。

 実際にやったらどうなるか。

 もっと酷くなるに決まっている。

 生理的に受け付けることができない。ストレートにトラウマを抉るような行為は、到底できない。

 

「じゃあ、殺しは諦める?」

「……それも、無理、です……でも、最上さんは許せない、な、なので……お姉さまの様にします、先送りに、します……我慢して、大切にして、最上さんが、()()()()()()を理解した時に……」

「オーケーだっぴょん」

 

 半ば発作も起きているのか、ガタガタ震えながらも、そう宣言する秋月。

 

 卯月は拍手を送った。

 

「偉いぞ秋月、良く頑張ったっぴょん」

 

 そう言いながらを抱きしめて、子供をあやす様に頭を撫でる。

 

 卯月は思う。

 実際、困難な事だった筈だ。

 怒りは制御できない、取り返した倫理観も捨てられない。その狭間で折り合いをつけなければならないのだから。

 

 あっさり折り合いをつけれる卯月に、その苦痛はぶっちゃけ理解不能。

 

 しかし、苦しい事だとは認識できる。

 だから褒めて、慰める。

 この決断がただ苦しいだけのものではなく、敬意を払われるべき、正しい選択だと思う事ができるように。

 

「と、なれば、このうーちゃんも単なる言い出しっぺじゃいられないぴょん……うんしょうがない。これをしないのは超ダサい」

「何言ってんのアンタ」

「はい満潮シャラップ。さてと秋月、でもそれはそれとして、最上を怖いとは思う。でしょ?」

 

 秋月は頷いた。

 殺意を抱いた理由は、最上を許せないから──だけではない。

 また殺されるのでは、暴力を振るわれるのではないか、という恐怖もある。

 始末しなければ、またこちらが痛めつけられる。

 

「満潮の手前言い辛いけど、全身麻痺が嘘で、また秋月を嬲る機会を虎視眈々と伺ってるんじゃあないか……と考えている。でしょ?」

「ちょっとアンタ、そりゃ幾らなんでも……」

 

 途中まで言って、満潮も押し黙る。

 あり得ない話だ、と思えるのは、自分達が被害者でないからだ。

 感覚過敏を患う程の暴力とトラウマだったのだ。

 そういった妄想を抱くのも止むを得ない。

 

「故に、うーちゃんは宣言を行うぴょん」

「宣言、です、か?」

「秋月の身の安全は、このうーちゃんが保証するっぴょん。この基地内にいる間、最上を含めた誰にも、秋月に傷はつけさせない」

 

 さながら、姫に忠誠を誓う騎士のように、秋月の前に跪いて卯月は告げた。

 

「まあ敵の襲撃とかは例外だけど。基地所属の連中には断じて手を出させない。これでちょっとだけでも、安心して欲しいぴょん」

「……ずっと、部屋にいてくださるのですか」

「いやそれはムリ」

 

 首を振る卯月は、「だけど」と続ける。

 

「このうーちゃんは知っての通り地獄耳。サプレッサーマフ越しでも十分聞こえる。態々悲鳴を上げなくたっていい。少しでも怯えた声が聞こえたらすぐ飛んでいくぴょん」

 

 卯月は彼女の手をより強く握りしめる。

 

「秋月の感覚過敏も緩和させたし、D-ABYSS(ディー・アビス)から解放することもできた。今までも助けることができたんだぴょん。それと同じことだぴょん」

 

 横目で見ていた満潮は、ある種の異様さを感じていた。

 危険な感覚はない。

 ただ異様なだけ。

 だからこそ余計、変な感じが止まらない。

 

 これは、卯月なのか? 

 

 その反応を知らず、二人のやり取りが終わる。

 

「お姉ちゃんを信じるぴょん」

 

 心から敬愛する『お姉さま』が、そこまで断言してくれた。

 秋月の抱えていた恐怖は霧散──はしない。そんな簡単に払拭できるものではない。

 だが、それ以上の安心感を得ることができた。

 

 明確な理由なんて必要ない。

 お姉さまが守ってくれる。

 そう宣言しているだけで秋月には十分だった。

 

「ありがとう、ござい、ます……!」

 

 嘘を吐いているだなんて思っていない。

 卯月が嘘を嫌悪するのは知っている。だから約束は絶対に守ってくれる。

 疑う余地はなかった。

 

 秋月がそう確信したのは、卯月の遺伝子を組み込んだ影響か、卯月に対する信頼が理由なのか。

 

 しかし、卯月にとって、理由はどうでも良かった。

 秋月が少しでも安堵できればそれで良い。

 それにより、秋月と最上の関係性が、多少で落ち着いてくれたのなら、今はそれで良いのだ。

 

 問題は、最上が行いを自覚した時だ。

 

 だが、北上の言う通り、まだまだ当分先のこと。

 この一連の戦いが終わる頃になるだろう。

 その頃には、秋月自身も成長し、殺意や理性との折り合いをつけれるようになる筈だ。

 

 場当たり的対処と言ったらそれまでだが、それで良い、今はこれで良いのだ。

 

「じゃあ、これで話は終わりで良いわね」

 

 満潮が突然、卯月の首根っこをガッと掴んだ。

 

「え」

「まさか忘れてないわよね。アンタ視界がどうこうって異常が起きてたじゃない。北上さんの所で検査して貰うって言ったわよね」

「いや今じゃなくてもほら秋月が不安がるし──」

 

 秋月を見て満潮が告げる。

 

「卯月お姉さまに異常が見つかったんだけど、検査必要だと思うわよね?」

「お姉さま今すぐ検査を。事があったら秋月は耐えられないです」

「そうね、聞いたわね、さっさと行くわよ」

「秋月貴様―っ!」

 

 検査したら絶対面倒なことが見つかるに決まっているのだ。

 できる限り後回しにしたかったのに、まさか秋月が裏切るとは! 

 素直な気持ちに従っただけの秋月へ叫びを上げる卯月は、そのまま医務室へと引き摺られていく。

 

 秋月は卯月に心酔している。

 だからと言って、命令しか聞かない奴隷とかではない。

 こういう時はお姉さまだろうと躊躇がなかったのであった。



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第170話 ジャック

 秋月をどうにか説得(?)した卯月だったが、今彼女は医務室へ連行されていた。

 瞬く間に身包みを剝がされ、強制的に検査を受けさせられる。

 全てが終わった頃、卯月はげっそりして椅子にもたれかかっていた。

 

「疲れたぴょん」

「終わったんだからいいじゃない」

「終わってない。この後、検査結果の説明があるぴょん。ぜーったい禄でもない内容だぴょん。今からヘロヘロだっぴょん」

 

 考えるだけで疲労する。

 

 検査を受けなければならないのは、また『異常』が見つかったからだ。

 発作を起こしていた最中の時だった。

 卯月は、発作で苦しむ自分自身を目撃したのだ。

 

 自分で自分を見ることは、鏡でもなければ不可能。

 だが確かに、自分を見下ろしていた。

 

 一体何があったのか? 

 

 その時、傍には加古がいた。

 その位置取りと、謎の目線は『角度』が同じだった。

 卯月はまるで、加古の目線から自分を見ているような感覚を体験したのだ。

 

 どう考えても普通ではない。

 なので卯月は、検査を受ける事になったのである。

 

「二人ともー、医務室入って良いよー」

 

 げんなりしている間に、検査結果は出ていた。

 北上は、いつの間にか、多くのD-ABYSS(ディー・アビス)を調査していた。

 経験を積んだ事で、速度が上がっていたのだ。

 

「聞きたくないぃー」

「うるさい」

「んあ゛ー……」

 

 首根っこを掴まれて医務室へ放り込まれる。

 露骨に嫌そうな表情を浮かべて、卯月は椅子に座った。

 隣へ満潮も座る。

 

「先に安心させとこうと思うけど、とりあえず命に別状とかはないから安心して大丈夫だよ」

「それ以外はどうなんだぴょん」

「わはは」

「オー・マイ・ゴッド」

 

 ダメらしい。卯月は天を仰いだ。

 

「いやぁ、秋月の感覚過敏を請け負うことができた時点で、只ならぬ状況だと思ってたけど……まさかって感じだね」

「もったいぶらないで。このアホは今どうなってんの」

D-ABYSS(ディー・アビス)が作動してた」

 

 沈黙が流れた。

 

「また?」

「そう、まただ。秋月の感覚過敏を請け負った時の様に、艤装を装備してないにも関わらず、システムが作動してた。まあ一瞬だけだけど」

「起動してたってことは、エネルギーは?」

「それも吸引反応があった。誰のエネルギーを取り込んでいたかは……ま、状況的に一人しかいないよね」

「加古だぴょん」

 

 しかし、以前の様に大量のエネルギーを取り込んだ訳ではない。

 その証拠に、加古は卒倒していない。

 秋月の『痛み』を請け負った時のように、起動するのに必要な分だけ吸収したのだ。

 何故そんな取り込み方をするのかは分からない。

 艤装を装備していない時という、イレギュラーな状態だからかもしれない。

 

「それでだけど、D-ABYSS(ディー・アビス)経由でまあ、エネルギーが卯月へ流れてた訳だけど」

「視界の異常はどう関係があるんだぴょん?」

「二度目だからね、流石に今回はちゃんと突き止めたよ」

 

 と言って北上は、パソコンに映像を映す。

 卯月の頭部を撮影した画像らしい。

 レントゲン写真に似ている。

 しかし、脳内を映した物ではない。

 

「前言ったかもしれないけど、深海のエネルギーは探知できる。戦闘の過程とかで、どれだけ汚染されているか調べる装置もある。それで()()を見させて貰ったよ。黒いのが濃い程、エネルギーが高いって事だからね」

 

 黒ければ黒いほど、エネルギーの汚染が酷いという事だ。

 その認識を持って画像を見る。

 

 視覚中枢の辺りが黒かった。

 それはもうすっごい真っ黒だった。

 漆黒であった。

 卯月と満潮はフリーズした。

 

「……えーっと、これって」

「深海のエネルギー、脳へ流れてたよ」

「大丈夫、じゃあ、ない、わよね」

 

 呪いの塊と言うべきエネルギーが脳へ集中している。

 どう考えても不味い。

 命に別状はないと北上は言うが、まるで安心できない。

 それ以外の、人格や記憶といった大切な物が、浸食されて腐り落ちているのではないか? 

 そんな恐怖に襲われ、卯月は身震いする。

 

「加古からの視界が見えたってことだけど、原因はきっとこれだろうね。眼球から脳に繋がってる視神経から視覚中枢が、特に黒いのが証拠。加古のデータが流入したんだろうね」

「データ?」

「視覚情報のこと」

 

 人間は、映像をそのまま見ている訳ではない。

 光を受け、その情報を脳内で組み上げる事で、映像になるのである。

 艦娘や深海棲艦でも、この仕組みは同じだ。

 人間と同じ機能を有している。

 

D-ABYSS(ディー・アビス)は深海のエネルギーを取り込む。その過程で……視覚情報が流入、卯月の視界に加古のものが映り込んだ……と、アタシは考える」

「そんなの……アリなの?」

「一回だけじゃ疑ったけど、秋月の痛覚を取り込んだ前例もある。この考え方はそう不自然なものじゃないと思うけど、どう?」

 

 どう、と言われても、卯月達は首を傾げる他ない。

 この場で一番詳しいのは彼女だ。

 彼女が分からなければ分からないし、仮説だったとしても信じる他ない。

 そのやり方が危険なのは承知している。

 平時なら、大本営の技研に意見を求めることで、リスクを回避する。

 だが、今は他所と連絡を取るのも危険な状況。

 だからできなかった。

 

「補足しておくけど、確かにエネルギーは取り込んでた。でも安心して良い。脳細胞とかに汚染や傷は一切ついてなかったから」

「そう、それは、まあ安心できるぴょん」

「別の意味で不安になるけどね」

 

 そんなのを取り込んで影響一つない。

 それはそれでどうなんだろうか。

 卯月は不安に思った。

 

「これ、戦闘中に起きたりしないぴょん。痛みにしても視界にしても、戦闘中にあんな状態になったら戦えないぴょん」

「大丈夫じゃないかな、今までのケースを見るに、艤装を外している時しか発現してないし」

「ハッキリして欲しいっぴょん」

 

 いきなり視界が変容したら、その間に殺されてしまう。

 卯月は不安になる。

 何故、今の所戦闘中は発生しないのか? 

 その条件も不明。

 ここまできても尚、未解明だらけである事には変わりない。

 

「ごめんねー、言い訳みたいになっちゃうけど、こうハッキリした意見しか出せない状況は、もうじき脱すると思うから」

「……例の、来客の事かっぴょん?」

 

 北上は頷く。

 以前、聞いた話だ。

 システムについて知っている人間が、前科戦線を訪れる予定なのだ。

 どの程度詳しいのかは不明。

 それでも、状況が改善されることは間違いない。

 

「でも、襲撃は大丈夫なの」

「内地通るから深海棲艦の襲撃はないよ」

「深海棲艦が突っ込んでくる可能性があるんじゃないかぴょん?」

 

 卯月が疑問を口にする。

 それに対して、北上は呆れたような笑い声を上げた。

 

「ハハハ、そうなったらそれどころじゃないよ」

「ぴょん?」

「……おっと何でもない。この質問を続けたら極刑だ」

 

 何故誤魔化すのかは分からない。

 しかし、これ以上聞いても、答えてくれなさそうな感じがした。

 気になる話題でもない。

 卯月に代わり、満潮が手を上げた。

 

「テロリストが潜んでるじゃない。この間だって輸送艇ごと襲われたし」

「大丈夫。超が付くほどの重要人物だからねー、ただの護衛じゃなくて、『大将』の護衛がついてる」

「大将かー、艦娘も強いのかぴょん?」

「強いよ、そりゃもう、特にアレはヤバいねー」

「アレ?」

「口を噤んでおくよ」

 

 元帥は、前線に出ない。

 戦闘の可能性がある役職としては、大将が最上位に位置する。

 故に、属する艦娘も、恐るべき戦闘能力を持っている。

 なのに、口を噤むのは何故なのか? 

 

 卯月は何故か、度し難い不安を感じずにはいられなかった。

 

「何にしても、アタシ達はその人の護衛には一切関わらないから、気にする必要性はないよー、訓練でもしながらのんべんだらりと待つのが一番良いよ」

「あ、訓練に引っ張り出しても大丈夫なのね?」

「異常はあるとしても、身体に影響が出てる訳じゃないから全然オーケーだよ」

「そんな!」

「ええ、分かったわ。忙しい所邪魔したわね」

「ヤダー! また訓練はもうイヤダーぴょん!」

「また、システム関係で変なことが起きたら、すぐ相談するんだぞー」

 

 しかし、卯月に拒否権がある筈もない。悲しい顔をしながらドナドナされていく卯月を北上は見送った。

 

 

 

 

 そろそろ離れただろうか? 

 地獄耳の卯月に聞かれないような小声で、北上は独り言を呟き始めた。

 いつもの気楽な感じは皆無。

 深刻そうな表情で、パソコンへ目線を向ける。

 

「深海棲艦の視覚情報が、脳へと無線で伝達されている……か。やっぱりこれ、アレと一致してるよな」

 

 パソコンの画像を変える。

 何枚か並んでいる、イロハ級に姫級の画像だが、どれも空母系の深海棲艦。

 それらの脳内の画像が表示されていた。

 

「空母艦娘が艦載機の視界を見れるのは、機械的処理に基づいた技術だ。逆に深海棲艦は艦載機の視界を、脳波のやり取りで認識している。ヲ級でも、空母棲姫でもそれは同じだ。無線のやり取りのように、脳波で情報を伝達している」

 

 脳内の画像の内、エネルギーが集中している場所は、卯月と同じ視覚中枢周辺だ。

 

「どうして、同じことが起きてんだろ……」

 

 これもまたD-ABYSS(ディー・アビス)の機能の一つなのか? 

 それとも──別の要因が存在するのか。

 知識を借りるのが容易でない状況下で、北上は一人、頭を悩ませるのであった。

 

 

 *

 

 

 それから数日の間、卯月達は概ね平穏な日々を過ごしていた。

 次の敵はガンビア・ベイ。

 しかし、所在が掴めていない。

 最上から摘出した発信機を用いて、誘き寄せる手段は取れるが──その手段は一度使っている。

 二度目に引っかかる程、敵もアホではない。

 

 それよりも、大将が護衛してくる来客の方が優先だ。

 この来訪により、システムの調査がどの程度進むのか。

 その方が遥かに優先。

 ガンビア・ベイ討伐作戦は練られているが、今は後回しになっている。

 

 作戦行動の準備もない。

 急な敵襲もない。

 

 来客が襲われる可能性はあるが、護衛艦隊がいるから問題ない。

 

 前科戦線が応援を出すこともない。

 そんなことをしたら、基地の場所が敵に露見するリスクを負ってしまう。

 敵の正体が殆ど分からない中、こちらの情報が洩れる危険は回避すべき。

 高宮中佐と大将の間で話はついていた。

 

 その為、卯月達は平穏な日々を過ごすことができていた。

 

 とは言っても、訓練嫌いの卯月からしたら、訓練漬けの過酷な日々になっていた……のは今までの話である。

 

「ぐぎゃぁ──っ!!」

 

 悲鳴は珍妙だが、訓練は真面目にやっていた。

 

『ママー!』

 

 スパーリングの相手は、顔無しこと加古である。

 秋月にしろ最上にしろ、後遺症でまともに戦えない。

 演習でさえ以ての外。

 

 戦闘できるのが、加古しかいないのだ。

 それに、幼児退行していても、加古は重巡ネ級(深海棲艦)

 生粋の深海棲艦だ。

 訓練用の仮想敵としては、極めて理想的と言える。

 

 ちなみにそれは卯月以外にとっても同じだ。

 コミュニケーションを兼ねて、加古は色々な相手とスパーリングを行っていた。

 

 なので、尻尾の直撃を受けて卯月が吹き飛ばされても、仕方ないことだ。

 

 万能戦艦もといレ級程強靭ではないが、ネ級の尻尾も相当太い。

 振り回された尾を食らい、卯月は吹っ飛んでいた。

 

『ウウー……』

「だ、大丈夫だぴょん。食らったうーちゃんが迂闊なんだぴょん。気にしなくていいぴょん」

『ウア』

 

 心配そうな()で加古は覗き込んでくる。

 

 そう、顔である。

 

 余談ではあるが、この度顔無しに『表情』がついたのである。

 

『いや流石に、不気味だし不憫だし』

 

 ということで、北上が仮面を作成したのだ。

 ただの仮面ではない。

 加古の感情パラメーターを測定し、それに応じた表情を映し出す優れものである。

 

 訓練が増え、コミュニケーションが増えた結果、問題が現れた。

 表情が分からず──というか存在しない──身振り手振りでしか意思疎通ができないのはキツイ。

 そういった意見が多く上がってきたのだ。

 元々、加古が加入した時点で、コツコツ作成していたので、完成は早かった。

 

 但し耐久性重視だ。

 その為、表示できるのは(●'◡'●)とか、(┬┬﹏┬┬)のような、簡単な顔文字だけである。

 それでも意思疎通には十分。

 それと、見た目の違和感軽減の為、フードつきパーカーも被って貰っている。

 

 レ級みが増したことについては、触れない事となっていた。

 

「随分とんでったわね。ざまあないわ」

「喧しいぴょん」

「あっそ。でも突っ込みすぎよ。あそこまで懐に飛び込む必要性は」

「いや、あそこじゃないと意味がないんだぴょん」

 

 卯月は悔しそうな顔をしている。

 満潮はそれを、珍しい事だと感じていた。

 

「あそこまで接近しなきゃ、カスダメにさえならないんなら、行けるように突撃能力を鍛えなきゃダメなんだぴょん……加古、もう一回だぴょん!」

『ウー!』

 

 演習を再開する二人。

 

 以前の最上戦の時、システムが作動してたにも関わらず、卯月の攻撃は殆ど有効打にならなかった。

 ダメージにならなければ牽制もできない。

 足を引っ張ったとまでは言わないが、明確に貢献したかというとギリギリである。

 

 致命的なまでのスペック差を痛感して、卯月はその差を何とか埋めようと、必死になっているのだ。

 

 やる気になってくれるのは良い。

 しかし、あれで良いのだろうか? 

 満潮はその疑問を否定した。

 

「人の事は言えないわね」

 

 あの気持ちは理解できる。

 無力感を思い知った時の、心の痛みは本当によく理解できる。

 だから止めない。

 止めても無駄だと分かっている。

 せめて、悪い方向に行かないようにと、満潮は祈っていた。

 

 

 だが、悪い方向を突き抜けて、遥か斜め上へぶっ飛んで行くとは、まだ誰も知らない。




艦隊新聞小話

 ちなみに北上さんですが、顔文字式以外にも、技研からの設計図を借りて参考にしていたみたいです。どんなのがあったのでしょうか、私調べてみました!
①月を落としたくなる仮面
②大穴から出土した黒い仮面
③腐食性の黒い粘液を出す仮面
 …………ちなみに今の所、①は盗難&所在不明、②は個人探検家に譲渡、③は収容中らしいです!
 何で処分できてないんですか!!!



追記 信じられない気持ちです。草田先生のご冥福をお祈りします。


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第171話 奮起

 数日後、D-ABYSS(ディー・アビス)について知る人が来訪する。

 これで得た情報を基に、対ガンビア・ベイ戦の戦略を組み上げていく。

 

 それまでは特にやることナシ。

 卯月達は一時的な平穏をそれなりに堪能していた。

 

 但し、珍しい事に、卯月はその間、真面目に訓練を行っていた。

 

「ンアー!」

「真面目な悲鳴を上げられないのかしらあいつ」

 

 見張りの満潮は、吹っ飛ぶ卯月を見て呟いた。

 

 演習相手は、変わらず加古である。

 

 殺される可能性は皆無に近い。

 しかし、幼児退行していても相手は深海棲艦。

 万が一の事故は考えられる。

 その為、自主練をしながらも、満潮が監視を行っていた。

 

「げふっ……くそ、水鉄砲なのに、凄い威力ぴょん」

『ウウッ』

「だから、大丈夫だぴょん。一々心配しなくて平気だぴょん」

 

 今吹っ飛ばされたのは、至近距離から主砲を食らったからだ。

 本物ではない、『水鉄砲』である。

 深海棲艦は実弾の代わりに、圧縮した水鉄砲を撃ち出すことができる。

 恐らくは──そんな事があるのか分からないが──深海棲艦同士の演習等で使用されるのだろう。

 

 だが、それでも深海棲艦の一撃に変わりはない。

 水は弱くない。

 消防車の放水を人が受ければ、ただでは済まないのと同じ。

 加古の一撃は、生身の人間が受ければ、全身粉砕骨折クラスの威力はあった。

 

 そんなものを食らい、悶絶する卯月だったが、構わず訓練続行を加古に頼む。

 

『……スン』

「お、落ち込むなっぴょん。うーちゃんは大丈夫だぴょん!」

 

 仮面に(´・ω・`)と浮かんでいる。

 大丈夫と卯月は言うが、誰が見てもそうは見えない。

 事実ダメージは入っている。

 骨も数本折れていた。

 だが、訓練を止めるつもりはなかった。

 

「よし、もう一回、だぴょん!」

 

 お互いに距離を取り、訓練再開の合図が鳴る。

 

 同時に卯月は最大船速で突撃を始めた。

 

 近づかせまいと、加古は広範囲に砲撃を叩き込む。

 進行を妨害するよう真正面に、回避コースを塞ぐように左右へ。

 加速して強行突破されても潰せるよう、真正面のその先にも発射。

 

 これにより、回避できる場所が大幅に狭まる。

 

 逃げられる場所は、その場で立ち止まるか、下がるか、左右に思いっきり飛び退くか。

 

 安全を取るのであれば、左右が良い。

 その場に留まれば次の瞬間、逃げ場のない密度で撃たれてしまう。

 

 しかし左右に飛ぶのもダメだ。

 かなり広く飛ばないと逃げられないし、確実にバランスを崩す。

 その時を狙われる。

 

 なら強行突破しかない。

 

「押し通す!」

 

 正面から飛んできた砲撃、限界まで姿勢を低くして潜り抜ける。

 その弾幕が視界を妨害する。

 そのせいで追撃がどう飛んできているのか把握できない。

 

 だが卯月には聴覚がある。

 音を頼りに位置を把握。

 爆炎の向こう側へ主砲を放つ。

 

 その狙いは的中する。

 加古が放った砲撃に命中し、爆発──はしない。

 ネ級の砲弾を破壊するには、卯月の火力は低すぎる。

 しかし、軌道を逸らす事はできる。

 

 と言ってもギリギリだ。

 卯月の顔面すれすれを突き抜けて後方へ着弾。

 爆発の衝撃で吹き飛ばされそうになる。

 

 加古はそれも狙っている。

 風圧で浮いたり、姿勢が崩れた所を仕留める為に、既に雷撃が発射されていた。

 

 爆風によって姿勢が崩れかける。

 

 本人の体幹の問題ではない。

 卯月自身が駆逐艦の中でも、群を抜いて軽いせいだ。

 それは訓練で直せる要素ではない。

 しかしそれは、対策をしない理由にはならない。

 卯月は対策を考えていた。

 

「えいやー!」

 

 爆風の反対方向へ爆雷を投げて、それを撃ち抜く。

 

 その衝撃で爆発が起きる。

 爆風が吹き荒れる。

 その風圧を使って、卯月は自分の姿勢を保った。

 爆風で爆風を相殺したのだ。

 

 勿論、火傷を負わないよう、起爆するタイミングは計っている。

 更にその衝撃により、下を通ろうとしていた魚雷の軌道が乱れた。

 

「道ができたっぴょん!」

 

 魚雷がなくなった所へステップ。

 安全地点を通り、真っ直ぐに加速していく。

 

 主砲は撃たない。

 魚雷も撃たない。

 無駄だからだ。

 この距離からでは、何を撃っても有効打にならない。

 掠り傷にさえならないのなら、撃つだけ無駄だ。

 

 だったら、掠り傷をつけられるまで接近する他ない。

 

 訓練目的はシンプルだ。

 ただ、敵に接近する。

 それだけであるが──卯月には重要な訓練だ。

 

 前回の戦いで、卯月は自らの火力不足を痛感した。

 掠り傷もつけられない。

 D-ABYSS(ディー・アビス)を解放させてもだ。

 牽制にもならなければ、仲間のアシストもままならない。

 

 今までは、ここまで酷い戦いはなかった。

 それなりに戦えていた。

 だが、最上との戦いではまるでダメだった。

 

 その理由は、今までの敵が()()()()だったからだと理解した。

 

 最上戦はどうにか切り抜けた。

 しかしこれからは、もっと厳しい戦いになるだろう。

 なのに、役立たずのままというのは、最悪でしかない。

 

 仲間の足を引っ張っているのも屈辱だった。

 自分の復讐なのに、殆ど仲間頼りと化しているのも悔しかった。

 

 だから卯月は、本気となって訓練に取り組んでいる。

 

「うおおおお!」

 

 今はD-ABYSS(ディー・アビス)は未開放。

 地力を強くしなければ、抜本的解決にならない。

 喉から咆哮を放ち加速する。

 

『……アー』

 

 しかし、気合だけでどうにかなれば、誰も苦労しない。

 

 加古はその様子を見て、卯月に気づかれないよう、ゆっくりと距離を縮め始めた。

 

 そして、最初と同じような、逃げ場を塞ぐ弾幕を展開。

 卯月はあの手この手で弾幕を回避、距離を詰めていく。

 

「後ちょっとで、射程距離内に到た──」

 

 再び脱出したその瞬間、彼女の視界を巨大な水柱が埋め尽くした。

 

「不味い!?」

 

 卯月の反応が遅れた。

 今の攻撃は、卯月に直撃するコースでなかった。

 その為、余り意識していなかった。

 注意すべき攻撃と、そうでない攻撃を見誤ってしまったのだ。

 意識外からの攻撃が、警戒網に空白を作り出す。

 

 予想外だ。

 視界が潰れた。

 いや、聴覚に集中すれば──そう逡巡している時間こそが致命的だった。

 

『アウ』

「あ」

 

 想像以上に接近していた加古が、照準を合わせていた。

 

『グルッ!』

 

 深海艤装の物量が展開される。

 何とか回避運動をとるが、砲撃で荒れた海流に足を取られる。

 そこへ、弾幕が叩き込まれた。

 足を崩した結果、体勢を維持できず、爆発(水鉄砲)の威力を受け流せない。

 攻撃を真正面から受けて、派手に吹っ飛ばされていった。

 

「ほあああー!」

 

 きりもみ回転しながら宙を飛び、頭から海面へダイブ。

 綺麗な垂直を描いて卯月は海面に突き刺さる。

 畑に生える大根とかニンジンめいたオブジェクトに卯月は成り果てた。

 

 演習結果は明らか。

 卯月の負けであった。

 

「無様ね」

 

 

 *

 

 

 頭部からタイブした卯月は、頭からびしゃびしゃになっていた。

 しかしそんなのどうでもいい。

 演習を再開したかったが、身体も拭かずにやったら風邪を引いてしまう。

 それに訓練海域を使える時間も限界だ。

 不服だが、今日の演習訓練はこれで終了となった。

 

「いたた……首がなんか痛いぴょん」

『クゥ……』

「平気よ。入渠すればこの程度の怪我は一瞬だわ」

 

 加古からしたら、母親をびしょ濡れにした事になる。

 結構な罪悪感があった。

 演習だから仕方がないのだが、幼子にそんな理屈は通らない。

 目をうるうるさせながら、卯月をゴシゴシと拭いていた。

 力加減が分かってないせいで痛い。

 でも文句は言わず、その親切心を受け入れる。

 

「遠巻きに見てて思ったんだけど」

「ぴょん?」

「加古、強いわね」

「やっぱりそう思う?」

 

 ネ級という深海棲艦が強いのもあるだろうが、それにしても加古自身がかなり強かった。

 深海棲艦相手の仮想戦闘になるかと思って始めたのだが、純粋な演習相手としてもかなり戦い甲斐があることに卯月達は驚いた。

 

 逃げ場のないように、砲撃を的確な所へ打ち込む技術も、身体裁きも、心理的盲点の突き方も上手い。

 精神性が赤子同然とは思えない程、戦闘力は成熟している。

 故に満潮は疑問を抱いた。

 

「加古は、どこでこんなに強くなったのかしら」

 

 純粋なイロハ級の戦い方とは違う。

 これは、明確な経験に裏打ちされた動きだと、満潮は感じていた。

 卯月もなんとなくだが、同じ事を感じていた。

 

「考えられるとしたら、顔無しになる前……普通の加古だった頃に身に着けた力だって思えるけど」

「まず顔無しの材料が、どこから調達されてるのかも明確じゃないのよね」

「前の仮説では、どっかの建造ドッグを占拠してるんじゃないかって話だったぴょん。不知火達は顔無しについてもちゃんと調べてるのかぴょん? 最近そっちの話は聞かないから、なんとなく不安になるぴょん」

 

 進んでいないのか、ちゃんと進んでるから話してないのか。

 しかしどちらにせよ、卯月相手に説明をする必要性はない。

 卯月はあくまで、彼女達の親切心で聞かせて貰っているに過ぎない立場だからだ。

 それでも、ちょっと気になるのである。

 

「期待できるのは、その……何だっけ、システムについて知ってる誰かさんが、来てくれた時かぴょん」

「開発主任って言われてた、千夜って人じゃあないのよね?」

「そいつは多分死んでるって聞いたぴょん」

 

 千夜千夜子についてだが、自殺の可能性は低い。

 黒幕に殺された可能性が大。

 犠牲になっているのは艦娘だけではない、人間サイドにも犠牲は出ている。

 千夜博士だけではなく、神提督の鎮守府にいた、人のスタッフ達も犠牲者だ。

 

「早く解明されて欲しいぴょん。ある程度でも分からないと、北上さんが過労死しちゃうぴょん。情報漏洩を警戒してるせいで、ずーと一人で調べてるんだぴょん。これじゃ流石にかわいそうだぴょん」

「本当に面倒なシステムね。性能どうこうより、存在自体が厄介って……」

「んな、戦略兵器かぴょん……」

 

 D-ABYSS(ディー・アビス)の恐ろしい所は能力強化ではない。

 洗脳できるという事。

 その一点に集約される。

 

 艦娘が誰も知らない内に、敵の手先へと変貌している。

 それを実現できる兵器が存在している。

 この『事実』だけで、鎮守府の活動は大幅に抑制される。

 

 艤装の点検回数を増やしたり、洗脳されてないかどうかの確認が増える──とかの、実務的問題ではない。

 

 味方を敵と疑わざるを得ない。

 そんな状況がずっと続く事になる。

 人間も艦娘も、そんな状況には長く耐えられない。

 

 何かを切っ掛けに疑心暗鬼へ陥り、内部抗争となるのは明らかだ。

 

 実際にはならないかもしれないが、可能性は十分あり得る。

 だから北上は誰にも知られないよう、全てを内密にし、オーバーワークを承知で、独り研究を行っている。

 この事態が起きないよう、関係者の誰もが神経を張っていた。

 

「実際の所、洗脳した艦娘を本土に送り込むことって、できるかぴょん?」

 

 それが実現できれば、国家転覆も狙えるかもしれない。

 洗脳されてたかどうかなんて、大衆には関係がない。

 

 艦娘が民間人を虐殺した。

 

 その事実が一つあればいい。

 

 それだけで、反艦娘感情を膨れ上がらせることができる。

 

 卯月はそれを身を以って味わっていた。

 藤鎮守府で受けたあの迫害。

 あれが、全鎮守府単位で起きる可能性があり得る。

 そう考えただけで、卯月は身震いが止まらなくなった。

 

「送り込めたとしても、目が真っ赤に光ってんのよ。すぐ異常だって気づかれるわ。それにシステム維持のエネルギーを、どうやって本土で確保するの。すぐガス欠になって洗脳が解除されるのが関の山よ。可能性はゼロに等しいわ」

「……数パーセントはあるってことかぴょん」

「まあね」

 

 しかし、それが起きれば国家転覆に繋がりかねない。

 例え1パーセント未満であろうと、備えざるを得ないのが現実だ。

 こればかりは高宮中佐達に頑張って貰う他ない。

 

「……まあうーちゃん的には、自分の身体が一番心配なんだけどね」

「ああ、うん、それは……」

「貞操が心配だぴょん。マジで。かなりマジで」

「……そっち?」

「それ以外に何があるんだぴょん!?」

 

 卯月は真面目に恐怖を感じていた。

 お姉さまと慕ってくれるのは嫌じゃないが、目にハートマークが浮かんでいる。

 絶対にヤバい方だと卯月は確信していた。

 それは流石に御免被る。

 卯月がそういう癖を持っていなかった。

 

 だが、満潮からしたら非常にどうでも良かった。

 

「どうでも良いわ。アンタの純潔とか野グソよりもどーでもいいんだけど」

「いいのか満潮。そうなった時、お前同じ部屋で寝てる事を忘れたのかっぴょん?」

「あ」

 

 ベッドで夜戦を受ける卯月。

 同じ部屋では満潮も寝ている。

 夜戦の叫び声を、満潮は夜通し聞く羽目になる。

 控え目に言って拷問(満潮主観)だ。

 

「ヤバいわね。ショック死しかねないわ」

「おい。そりゃどーゆー意味だぴょん。内容によってはうーちゃん必殺の耳削ぎチョップをお見舞いするぴょん」

「訂正するわ。耳が腐る」

「耳だぁぁぁぁ!」

 

 演習エリアで加古と戦っていた球磨は、汚い絶叫を上げて吹き飛ばされる卯月を見た。

 

「何やってんだあいつらクマ」

『……?』

「あー、あれは見ちゃダメだクマ。教育に悪いクマ」

 

 顔無しとなった加古。

 あの阿保二名を反面教師にして、ゆっくりと成長して欲しい。

 球磨は心の底からそう願っていた。



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第172話 緊急出撃

ここで、丁度第二部のターニングポイントです。
つまり、物語全体のターニングポイントです。


 ある日の夜、卯月は妙な気配に目を覚ました。

 

「今、なにか」

 

 言葉にはできないが、確かに何かを感じた。

 背筋を伝うような、とても嫌な感覚。

 とてもじゃないが寝てられない。

 卯月は、この感覚の正体を突き止めたくて仕方がなかった。

 

「んん……こんな時間にどうしたの卯月」

「何か、分かんないけど、凄い嫌な感じがするんだぴょん……あれだ、悪寒がする」

「悪寒って……ただ肌寒いだけでしょ。どうせ大した事じゃないんだから、起こさないでよ」

 

 満潮からしたらその程度の事。

 しかし、『発作』が起きる予兆という可能性はある。

 彼女の様子を確認する為に、部屋の灯りをつけた。

 

 そして卯月の顔を見た途端、満潮は悲鳴を上げた。

 

「うわっ!? どうしたの、その顔!?」

「え、どーゆーこと」

「鏡見て見なさい!」

 

 言われるがまま鏡を覗き込む卯月は、満潮が悲鳴を上げた理由を理解する。

 

「え……めっちゃ、真っ青だぴょん」

 

 顔が青い、とはよく言う言葉だ。

 だが今の卯月は、真っ青どころの話ではなかった。

 死人同然の青白さ。

 深海棲艦だってここまで青くない。

 どう考えても、単なる体調不良ではない。

 

「体調はどうなの」

「いや別に、むしろ元気一杯なぐらいだぴょん。嫌な感覚が消えないだけだぴょん」

「病気、とかじゃないわね……」

 

 何故ここまで真っ青なのか。

 

 卯月が今感じている悪寒が、この原因なのか。

 確証はない。

 証拠もない。

 だが、『絶対にヤバい』という確信だけがある。

 

 満潮も『何かがヤバい』と感じ始めていた。

 

「分からない、けど、何かとんでもなく大変な事になる予感がするぴょん……どうなってんだぴょん」

「アンタ地獄耳でしょ。何か聞こえてないの?」

「ちょっと、集中してみるぴょん」

 

 無意識レベルの音を聞いたせいで、悪寒が刺激されているのかもしれない。

 正体を確かめるべく、聴力に意識を集中させる。

 何も聞こえてこない──そんな筈がない。

 

 卯月は今一度、意識を集中させ、周囲の音を捉える。

 

 ただ聞くのではない、空気に乗ってくる僅かな音も含めて、周囲と感覚を同化させるように、音を感じてゆく。

 

 ──悲鳴が聞こえた。

 

 助けを乞う悲鳴が。

 

 だが、その声には聞き覚えがあった。

 

「ガンビア・ベイ!?」

 

 聞こえたのは悲鳴だ。

 だが、助けるべき叫びではない。

 被害者面したクソったれ、あいつの情けない叫び声が聞こえたのだ。

 

「何であいつの名前が出てくるの」

「いいい今、あいつの悲鳴が聞こえたんだぴょん!」

「はあ!?」

「まさか、もう近くに来てるんじゃ!?」

「落ち着きなさい、基地には結界があるのよ。単独で到達するのは不可能だってこと忘れたの?」

「じゃ、じゃあ、今のはどこから」

 

 ガンビア・ベイが近くいるなんてあり得ない。

 今言った通り、結界の防御がある。

 仮に来てたとしたら、もう基地内に警報が鳴っている。

 

 つまり、これは『幻聴』ではないか。

 発作の一環として、幻聴が聞こえているのではないか。

 ただ幻聴でも、彼女の心は抉られる。

 そのショックで、悪寒を感じたり顔面蒼白になっているのだろう。

 

 そうに違いない。満潮は確信した。

 

「はいはい。さっさとこっち来なさい。落ち着かせてあげるから」

「……聞こえたと、思ったんだけどな」

「何でも良いわよ。万一重要な案件なら、不知火達から連絡が来る。慌てる必要は全くないわ」

 

 それもそうか。

 と卯月は満潮のベッドへ潜り込む。

 体格差の関係上、満潮の胸に顔を埋める形になる。

 何時もはこれで発作を収まる。

 

 しかし、今日は様子が違った。

 

「ダメだっぴょん。全然落ち着けない。悪寒が全然消えないぴょん」

「ふーん。随分しつこいのね」

「あしらうなぴょん! うーちゃんは真剣に悩んでいるんだぴょん!」

 

 と、言われてもどうしろと。

 

 まだ悪寒があるとか言っている。

 ガンビア・ベイの幻聴が無意識下でまだ聞こえているらしい。

 今回の発作は中々面倒だ。

 狂乱こそしないが、変な症状が引っ付き続けている。

 

 これが続くのは苦しいだろう。

 何かできるならしてあげたいが、満潮にできることは限られていた。

 

「何かがヤバい……絶対にヤバい気がするぴょん」

「じゃあ原因突き止めに基地内歩き回るっての? 疲れるだけなんだけど」

「むむ、それしか方法はなさそうだぴょん」

「マジで?」

 

 冗談だろ。

 眠いのに。

 こんな時間から散歩を強要されるのか。

 満潮はうんざりした気分になる。

 

 しかし、卯月的にはお構いなし。

 収まる気配のない悪寒をどうにかする為、原因を突き止めようと、扉に手を掛けた。

 

 その時だった。

 

 確かに聞いた。

 

 空気が破裂するような、巨大な爆発音を。

 

「……今のは」

 

 花火の音とか、爆竹が破裂したとか、そんなチャチな音ではない。

 本当の爆発音だった。

 爆発性の兵器が発するような、殺意に満ちた音だった。

 

「聞こえた。かすかにだけど、私にも聞こえたわ。確かに爆発する音が! まさか本当に敵襲だったの!?」

「いや違うぴょん。これはそうじゃない」

「どういうこと」

 

 卯月は、より正確に爆発音を聞いていた。

 その音が、何処から発せられたのかも、しっかり識別できている。

 だからこそ、逆に焦りだした。

 

「音は、基地の『外』だぴょん」

 

 前科戦線の基地内ではなく、その外。

 爆発音はそこから聞こえた。

 

 確かにそうだ。

 満潮はそう思った。

 基地内で爆発が起きていたらもっと大きな音がする。

 僅かに、ではなく、完全に聞こえる筈。

 

「この前科戦線ってさ、場所が何処か知ってるかっぴょん?」

「知る訳ないでしょ」

 

 基地の位置が知られたら、脱走計画を練れるようになってしまう。

 それに万一位置情報が洩れたら、敵の攻撃の対象になる。

 この二点から、前科組には基地の位置は知らされていないのだ。

 

 ただ、想定はできる。

 少なくとも、人里離れた何処かなのは違いない。

 もし仮に前科戦線が戦場になった場合、民間人を巻き込むリスクを避ける為だ。

 

「まさか、人が近くに住んでるなんてことは」

「ないわ……仮にそうだったとしても、私達には関係ないことよ」

「マジかっぴょん」

「それで基地の位置が敵に知られる方が問題よ。もしやるとしたら、余程の時じゃなければあr」

『動ける戦闘要員は中庭に即時集合! スクランブル(緊急出撃)! 繰り返す! スクランブル(緊急出撃)!』

「……りえないわー」

 

 余程の事が起きたらしい。

 館内放送で不知火が声を張り上げる。

 異常事態が起きていた。

 元々部屋から出る気だったお陰で、準備は即完了。中庭までダッシュで向かう。

 

 外へ出てみて、卯月は異常が起きていると理解した。

 

「お空が赤いぴょん」

 

 火事が起きているせいで、そちら側の空が赤く染まっている。

 夜なのに、夕焼けのように煌々としてしている。

 だが、一番問題なのは『方向』だった。

 赤くなっているのは『海側』ではない。『内地』の方向。

 

 前科戦線の基地は人里離れた場所にある(多分)。

 それでも、内地へ向かって行けば、確実に住宅地等にぶち当たる。

 そして空が赤いのは『内地』の方向。

 

 炎上しているのは、大勢の人が暮らしている市街地の方だ。

 

「待ってよ。早とちりよ。向かい側が別の基地だって可能性もあるじゃない」

「どっちにしても、あの赤い空はヤバいぴょん!」

 

 燃えているのが人里だろうが、別の鎮守府だろうが、異常事態には変わりない。

 

「早いですね、助かります」

 

 二人の存在に気づいた不知火が、装甲車両を指さす。

 

「夜遅くすいませんが出撃です。艤装は既に装甲車両内に運搬してあります。自爆用の首輪も同じです。時間がありませんので一先ず乗車してください」

「待って、どういう事なの。さっきの爆発音は何、あの赤い空は何!?」

「乗車してください」

「そうだぞ満潮、さっさと乗車だぴょん、どうせ行けば分かることだぴょん!」

「その通りです。後ろがつっかえます至急お願いします」

 

 球磨やポーラ、熊野に那珂までやって来る。

 本当に珍しい。

 前科メンバーが全員集結。

 彼女達だけではなく、正規組の飛鷹まで現れた。

 

 一体、内地で何が起きているのだ。

 こんなことは、前科戦線に配属されてから初めてのことだ。

 

「満潮さん、早く」

「押さないでってば! 乗るわよまったく!」

 

 満員電車に押し込まれるサラリーマンのように、装甲車両へ突っ込まれていく満潮達。

 

 全員が乗り込んだ瞬間、アクセルが踏まれ車両は急発進。

 

「うげぇ……」

 

 途端に卯月の顔色が悪くなった。

 急加速、急停止を繰り返す護送車の中、シートベルトもなかったせいで、車内に身体をぶつけ続ける羽目になったトラウマが蘇る。

 あの頃と違って、解体施設へ行く訳でもないし、ベルトもちゃんとしているが。

 

「でも良いのかしら。これじゃあ、基地の場所が私たちに分かってしまう気がするけど」

「大丈夫よ二人とも。その心配はないわ」

「何でだぴょ、ん……」

 

 飛鷹はガスマスクをつけていた。

 不知火もつけていた。

 卯月と満潮は互いに顔を見合わせる。

 

 車内に睡眠ガスが放たれた。

 

「あ゛ー! やっぱりかぴょんっ!」

「別の手段はなかった……の……」

 

 確かにこれなら、基地の位置は分からなくなる。

 でももうちょっと良い手段は無かったのだろうか? 

 それはあるのかもしれない。

 しかし、前科組の為に態々検討する時間を作る理由は特段ない。

 

 

 *

 

 

 睡眠ガスを浴びせられて、ぐっすり熟睡する羽目になった前科組一行。

 ただ、到着次第すぐ出撃する必要がある。

 使用されたのは弱めのガス。

 目的地に到着する頃には、全員目を覚ましていた。

 

 ただ、乗っていた車が違う。

 寝ている間に、別の装甲車両へ移されたのだ。

 理由は勿論、車のルートから基地の位置を特定されない為だ。

 ダミーの車両も存在している。

 それらが、別々の方向から戦場へ向かえば、十分攪乱になった。

 

 しかし、普段であれば更に攪乱する為、空路も使って移動する。

 今回は陸路限定だ。

 それだけ、事態がひっ迫していることの証明だった。

 

「下り次第、即座に戦闘へ移行します。全員準備をしておいてください」

「ええ、するわよ。でも何故?」

「そーだぴょん。理由は後で説明してくれるって言ってたぴょん。今が後じゃないのかぴょん?」

 

 まあ、説明なくても戦うけど。

 命令なら仕方がない。

 でも、知りたがる事ぐらいは許されるべきだ。

 ところが不知火は、かなり不服そうな表情でこちらを睨みつけてきた。

 

「な、なんだぴょん。話したくないなら構わないぴょん」

「いえ話します。言った事は守ります。あと顔が怖いのは状況のせいですので」

「素で怖いような」

「……卯月さん。軽口を叩ける状況ではないんです」

 

 不知火の『圧』に、卯月は閉口した。

 今までとは違う、戦ってる最中も適当な冗談飛ばしてたが、今回はそれも許されない。

 と、言うことは。

 それどころじゃないと言ったということは、懸念は『事実』なのか。

 

「以前から説明してましたが、ご存じの通り、前科戦線にD-ABYSS(ディー・アビス)について知る方が、訪問する予定でした。それが今日です。彼は大将率いる護衛部隊に守られながら、いらっしゃる予定でした」

「大将の護衛艦隊?」

「要するに、大本営最強の部隊ってことクマ」

「表向きだけどねー!」

 

 エリート中のエリート、精鋭中の精鋭という事である。

 

「当然、要人護衛のプロフェッショナルでもあります。しかし今回、その想定を遥かに上回る事態が起き、護衛部隊は事実上、無力化されています」

Impotente(無力化)? それは、大変ですね~」

「超大変です。故に今回の目的は、大将及び護衛対象の確保、そして護送を完遂することです」

 

 異常過ぎる。

 全てがおかしい。

 卯月は悪寒に震える。

 何が起きれば、大将の艦隊が無力化されるのだ。

 前科組が護送を肩代わりしなければならないって、どんな状況だ。

 それに、あの赤い空は。

 

「敵は護衛対象を始末する為に、手段を()()()()()()()()()

「どういう事だぴょん」

「護衛対象のいる位置が正確に分からない時、どうすれば始末できると思いますか」

 

 正解は存在する。

 実行するのが、あらゆる意味で困難なだけで。

 

「……ちょっと、那珂ちゃん的も、これはアウトだよ」

 

 那珂が察する。

 否、もう全員察している。

 まともな神経をしてればまずやらない作戦を敵は実行した。

 倫理的にも、戦略的にも価値が低い作戦を。

 

 音が聞こえてきた。

 

「あ、ああ、まさか、そんな……あいつら……!?」

 

 それは悲鳴だった。

 

 爆発音に血しぶき、憎悪に狂気。空爆銃声。

 

 交じり聞こえるのは『人々』の燃える音。

 

 護送車の扉が開く。

 

 眼前の光景に言葉が出ない。

 

 一瞬でD-ABYSS(ディー・アビス)が作動しかける。

 憎悪を抑えきれない。

 殺意が爆発しないよう、抑えるので必死だった。

 理性なんて簡単に吹っ飛びそうだった。

 

 代わりに卯月は、絶叫した。

 

「……ふざけるなぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 それは全員の心の代弁。

 

 街が燃えていた。



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第173話 核

 異常な悪寒に、夜中卯月は目覚めた。

 もう一度寝付くこともできない。

 気のせいだと思う事もできない。

 震えが止まらず、吐き気が込み上げてくる程の悪寒が止まらない。

 

 堪らず外へ出た卯月達が目にしたのは、真っ赤に燃える海の反対側──即ち内地側だ──の空。

 

 基地内にスクランブル(緊急出撃)が発令される。

 

 前科組どころか、不知火と飛鷹まで装甲車両へ乗り込む。

 文字通りの総力が送り出される。

 

 辿り着いた先は、内地だった。

 

 住宅密集地だった。

 

 人々が暮らす安全な場所だった。

 

「なんでだぴょん?」

 

 全てが真っ赤に燃えていた。

 

 遠目でも十分見えた。

 無尽蔵に量産される惨劇が見える。

 親の帰りを待つ子供が、家財の下敷きになって死んでいた。

 

 その庭先で、鎖に繋がれた飼い犬が、黒焦げになって死んでいた。

 

 マンションも燃えていた。

 下層は全焼、屋上に住民達が避難している。

 だが、スペースが足りていない、今にも押し出され──

 

「あ」

 

 押し出された。

 

 落下して、ぐちゃっと潰れた。

 

 しかし生存者はいる。

 あの人には可哀そうだが、まだ生きている人がいる。

 

 まだ希望が残っていた。

 直ぐ砕け散った。

 

 不意に風を切る音が聞こえる。

 爆撃機飛んでいく。

 さっきのマンションに向けて。

 深海のではない。

『艦娘』の艦載機だ。

 

 爆弾が投下された。

 屋上にいた人も、上層にいた人達も、全員が爆発に巻き込まれた。

 バラバラの肉片になって死んだ。

 死ななかった人は、爆風で宙に投げ出されて、地面にぶつかって死んだ。

 

 河川は流石に燃えていない。

 代わりに、火の手から逃げようとした人で埋め尽くされていた。

 好きで飛び込んだのではない。

 建物の崩落や、火災から逃げられる場所が、そこぐらいしかなかったのだ。

 

 良い的でしかない。

 飛んできた敵艦載機による機銃掃射が始まった。

 頭が飛ぶ、潰れる、内臓が流れて死ぬ。

 人で埋まっていた川が、あっという間に人肉の濁流へ変わった。

 

 本来、避難所として機能する学校や体育館も瓦礫の山。

 瓦礫の隙間からは、湧き水みたいに血が流れている。

 中で何人が潰れて死んでるのか、分からない。

 

 燃えていない場所がない。

 死体のない場所がない。

 悲鳴のしない場所が、どこにもない。

 

 地獄が広がっていた。

 

 しかし、もっとも信じられないのは、この地獄絵図ではない。

 

『敵』がこの地獄を作った理由の方にある。

 

「不知火、今、何て、言ったんだぴょん」

「大将及び、護衛対象を確実に始末する為です。確かにこれなら、護衛対象を確実に始末できます。恐らくですが間違いないかと」

「一応、予想ではあるのね」

「ええ」

 

 不知火は頷いた。

 そりゃ敵に直接聞いた訳じゃない。

 あくまで予想に過ぎない。

 だが、確実にそうだと、卯月は直感していた。

 

 敵は、こういう手段を平然とやる奴だと信じていたからだ。

 

「不知火ちゃん。大将の護衛艦隊は今どうしてるの。無力化って言ってたけど」

「この近辺で即応できる艦隊がいなかった為、護衛を最低限残し、民間人の救助にあたっているようです。それでも人数が足りません。護衛メンバーも少なくなり過ぎています。それに洗脳艦娘を叩かなければ事態は収束しません」

「だから、球磨達が増援として呼ばれたって訳かぴょん」

「そうです」

 

 できれば、増援が到着するまで、戦力の分散を避けて欲しかった所だが……止むを得ない。

 待っていたら、その分被害が拡大する。

 事は一刻を争う。

 待機時間すら惜しい。

 

「メンバーは、ど~ですか?」

「護衛部隊への増援は、那珂、ポーラ、旗艦は私不知火。洗脳艦娘の撃破は卯月、満潮、熊野、球磨、飛鷹が旗艦です。飛鷹さんそれで良いですか」

「ええ、大丈夫!」

 

 討伐部隊は、主に航空戦力を使えるメンバーだ。

 卯月はD-ABYSS(ディー・アビス)を使える為、満潮は彼女のタッグだからだ。

 顔を上げても、一体何処に洗脳艦娘がいるかは不明。

 艦載機が飛んでいる辺り、ガンビア・ベイはいそうだが──この中から、ステルス迷彩の相手を探すのは骨が折れるだろう。

 

 だが、やらない理由はない。

 

「最後に、この状況はまだ『マシ』と告げておきます」

「これより最悪のシチュエーションがあんのかぴょん!?」

「あります。そうなった場合、この辺り一帯に対し()()()が行われます」

「核ぅ!??!!?」

 

 信じられなさ過ぎて、逆に素っ頓狂な声が出た。

 

 何故そんな状態になるのか理解できなかった。

 

 不知火も事細かに説明するつもりはない。

 しかし、それだけの危機意識を以って望まなければならない事態。

 だから告げたのだ。

 

「その状況になれば、同盟国から即座に核が発射されます。そうなる前に事態を収束を図るのが任務です」

「了解、だっぴょん」

 

 訳が分からないが聞く時間さえ惜しい。

 飛鷹を先頭にして、二部隊が燃え盛る市街地へと突撃した。

 

 

 

 

 不知火達と別れ、卯月達は敵──恐らくガンビア・ベイ──の捜索に向かう。

 その中で、できる限り民間人も救助するが、あくまで捜索が優先。

 一体、どういう状況になったら、核が発射されるかは分からないが、考えている時間は無駄でしかない。

 

 しかし、探し方が分からない。

 

「いったいどうやって探すぴょん。この燃え盛る街の中から、どーやってガンビア・ベイを」

 

 ガンビア・ベイはどういう訳だかステルス迷彩を持っている。

 動くと──状況から見ての推測だが──迷彩が解除されるデメリットはあるが、逆に言えば微動だにしなければ解除されない。

 艤装の稼働音等、手掛かりは僅かしかない。

 

「骨は折れるだろうけど、全く手掛かりがない訳じゃないわ。この大火災、発生している煙の量も相当。風も吹いてないから、全然飛んでいかない。艦娘でも大量に吸ったら命の危険があるわ。でも自爆するような真似はしない筈」

「つまり?」

「ガンビア・ベイは、煙が届かないような場所にいる筈よ。それに彼女のステルス迷彩は僅かでも動けば解けてしまう。人とか瓦礫にぶつかっても、解除のリスクが出てくる。だからそういったリスクの少ない所を選ぶわ」

 

 まず煙や火の手が届かない場所。

 更に、瓦礫等の落下物がなく、人が通ったり集まったりしないような場所。

 確かに、これならそこそこ場所を絞り込む事ができる。

 

「私達が目星をつける。ただ現場へは卯月ちゃん達が行って欲しいの」

「何でだぴょん。機銃でドガガーってやれば済む話だぴょん」

「予め足止めをして欲しいとか、理由は他にもあるけど……ちょっと二人とも耳貸して」

「ぴょん?」

 

 少し足を止めて、飛鷹の話を耳元で聞く。

 飛鷹が想定しているリスクを聞いて、卯月と満潮は絶句した。

 卯月に至っては、額に幾つもの血管を浮かばせている。

 あり得るのか? 

 いや、やりかねない、あの外道共であれば。

 

「だからお願いするわ」

「了解だぴょん」

「ええ、了解したわ!」

「じゃあまずあそこ」

 

 既に飛鷹の艦載機が指定の位置を指し示している。

 話している間に、目星をつけていたようだ。

 二手の方が効率が良い。

 卯月と満潮は、それぞれ別のポイントへ走り出す。

 

 全力疾走で向かいたいが、かなり広範囲を捜索しなければならない。

 極力スタミナ消費は抑えるべき。

 疲れない程度に、小走り程度を維持する。

 

「……クソが」

 

 向かっている最中も、惨たらしい光景が目に入ってくる。

 肉片が飛び散っているのには、早くも見慣れてしまった。

 逃げ遅れたのだろう、大勢の人たちが下敷きになって死んでいる。

 

 できれば助けてあげたかった。

 だが、不可能だ。

 もう、『心音』が聞こえてこない。

 

 これだけ人が倒れているのに、どこからも心臓の音が聞こえてこない。

 

 一人一人丁寧に頭部を撃ち抜かれている。

 救助が間に合わなかったとかではない。

 敵は『皆殺し』をするつもりなのだ。

 

 確かに、護衛対象が民間人に紛れている可能性はある。

 そいつを殺す為に、街全体を攻撃しているのだ。

 この手間を無駄にしない為に、ちゃんと一人残らず殺すのは理に適っている。

 最悪の理だが。

 

 ただ、全員死んでいる分、救助に時間を割かなくていいのは利点だった。

 勿論、最悪の利点だが。

 兎に角、今できることは、これ以上の犠牲を増やさない為に、原因を潰す事だ。

 ガンビア・ベイ以外に洗脳艦娘がいようが関係ない。

 

 皆殺しだ。

 

 この憎悪は必ず晴らす。

 

「待っていろ、ガンビア・ベイ!」

 

 歯ぎしりのあまり、歯に亀裂が走る。

 卯月は自覚していなかった。

 瞳が煌々と、赤黒く輝いている事に。

 

 

 

 

 吹き零れそうな憎悪を抑えながら、卯月は最初のポイントへ到達する。

 崩落したマンションの屋上だ。

 本来は十階ぐらいあったのだろうか、崩落のせいで、二階建ての住宅ぐらいの高さになっている。

 火災で崩れた訳ではないのか、火も煙も来ていない。

 これ以上崩れそうな感じもない。

 

 屋上には誰もいないが──奴がいるかもしれない。

 

 主砲を構えた状態で待つ。

 そして、上空で待機していた飛鷹の艦載機が、機銃掃射を行った。

 コンクリートが穴ぼこだらけになる。

 

「……何も出てこないっぴょん」

『外れのようね』

「残念ぴょん」

 

 渡された通信機から、飛鷹の声が聞こえる。

 ガンビア・ベイに当たっていれば、弾丸の当たり方が変な形になる。

 それが無かった、此処にはいない。

 無駄足になってしまった。

 チッと舌打ちをする。

 直ぐにでも次のポイントへ移動しなければ。

 

 そう思い背中を向けた。

 

「次は何処だぴ」

『背後!』

 

 背後を見ることなく、主砲を真後ろへと発射する。

 何かに当たる音が響く。

 獣の慟哭が聞こえる。

 艤装の動く音が聞こえる。

 

 主砲を構えながら卯月は振り返る。

 

「こいつは、駆逐ロ級、かぴょん!」

 

 先ほどの瓦礫の中から、ロ級が飛び出てきていたのだ。

 狙いをつけずに撃ったから、砲弾は装甲を軽く凹ませただけ。

 ロ級は即再起動、身体を器用に動かし、照準を卯月へ合わせる。

 だが、倒せない相手ではない。

 

「おめえらなんて、D-ABYSS(ディー・アビス)の化け物共と比べれば、どうということはないのだぴょん!」

 

 敵の狙いは正確だ、真っ直ぐにこちらを狙っている。

 と、いうことはだ。

 砲身も真っ直ぐになっているということ。

 撃った弾はぶれず、真っ直ぐに発射されるだろう。

 こちらの弾丸も同じように。

 

 訓練していた分、卯月の方が素早く撃った。

 

 放たれた砲弾が敵の砲身に吸い込まれて、砲口へ突っ込んでいく。

 その最奥、主砲の構造部まで到達する。

 炸裂の衝撃は、繋がっている弾薬庫まで到達する。

 

 口内が、主砲と連動して爆発した。

 

「命中ぴょん」

 

 装甲が捲り取られた所へ、卯月は攻撃を続行。

 無駄弾は使えない。

 一発だけを、丁寧に狙いをつけて叩き込む。

 それは、むき出しになった機関部へ着弾──連鎖的爆発により、ロ級は炎に覆われ絶命した。

 

「ヨシ!」

 

 砲弾二発でロ級撃破。

 わたしにしては中々良い戦果ではないだろうか。

 実際、駆逐艦卯月は貧弱だ。

 陣形によっては、イ級の始末にさえ手間取る事もある。

 それと比べたら、かなり良い戦果と言えた。

 

『……何てことなの』

 

 だが、一連の流れを見ていた飛鷹は、それどころではなかった。

 

「どうしたぴょん飛鷹さん」

『不味い。とんでもなく不味いわ! 今ので、状況になった!』

「……びょっ!?」

 

 条件って、まさか、まさか!? 

 気づいてしまった卯月は、悲鳴を上げる。

 

『内地に深海棲艦が侵入している──核攻撃の条件が満たされたわ!』

 

 卯月は思い出す。

 

 確かに、以前言っていた。

 

 深海棲艦を絶対に上陸させてはならないと。

 

『不知火から連絡が来た、同盟国が防衛準備態勢2(デフコン2)に移行、もう、何時発射されてもおかしくない!』

 

 そうなった時、何が起きるのか知らない。

 どうなるのか聞いても、全部はぐらかされたからだ。

 詳しい事は何も教えてくれず、『上陸だけは阻止しろ』と言われるばかりだった。

 

 だが、察することはできた。

 只ならぬ事が起きると。

 それこそ、核攻撃が容認されるクラスの事態が起きると。

 

『だけど、どうやって。幾ら何でも深海棲艦が来てたら、予め分かる筈……』

「ごめん飛鷹さん。うーちゃんはどうすれば良いぴょん! 深海棲艦の殲滅!? それとも敵の捜索!?」

「……敵の捜索を続行するわ! まだ、核攻撃が決定された訳じゃない。速やかに事態を収束させれば、まだ間に合う」

「ラジャッ!」

 

 卯月は知らぬことだが──実際、即座に核が発射されることはない。

 莫大な人数の民間人を巻き込む為、判断はギリギリまで保留にされる。

 ()()()()()()()()()()()()即時発射を決断したいのが、国際社会の本音だが、幾ら何でも憚られる。

 しかし、既に発射可能な状態に変わりはない。

 

 事は一刻どころか、一秒を争う事態へ進んでいく。

 

 敵は何を考えてここまでしたのか。

 大将を始末する為とは言え、ここまでのことをするのか。

 卯月の瞳が、赤黒く輝き出す。

 憎悪も殺意も留まることを知らない。

 

 そして、極限状態が過ぎたせいで、気が付けなかった。

 

 D-ABYSS(ディー・アビス)を解放している訳でもないのに、卯月の瞳が光り出しているという、異常事態に。



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第174話 救

 発令された緊急出撃。

 目的は二つ。

 大将率いる護衛艦隊の増援。

 そして、街を襲撃している敵の討伐。

 

 この内、討伐チームに割り振られた卯月だが、彼女は信じがたい光景を目の当たりにする。

 それは、一匹の駆逐ロ級だった。

 たかがロ級──そう思えるのは、海上で遭遇した時に限る。

 

 陸で遭遇してしまった時はどうなるのか。

 

『急いでうーちゃん。核攻撃の時間は間違いなく迫ってるわ!』

 

 核攻撃が起きるのである。

 

 今まで散々聞いてきた。

 上陸は、絶対に許してはならないと。

 その答えが今の状況だ。

 深海棲艦の上陸は、核攻撃をしなければならない程の事態なのである。

 

 何故そんなことをするのか? 

 逆にしなければ、どれだけ恐ろしい事が起きるのか? 

 どうでもいい事に変わりはない! 

 考える必要はないと、心の隅に疑問を追いやった。

 

「ふーっ、ふーっ!」

 

 無駄な言葉を発する体力も惜しい。

 卯月は無言のまま、飛鷹が示す次のポイントへ急行する。

 飛鷹だけではない。

 球磨や熊野、艦載機を使える人員が、敵の潜伏地点を示してくれている。

 

 卯月はそこへ向かい、敵が潜んでいるか現地確認。

 敵は恐らくガンビア・ベイ。

 ステルス迷彩で、火の手が届かない場所に隠れている可能性が高い。

 別行動だが、満潮も同じよう動いていた。

 

「急がない、と」

 

 深海棲艦が現れてしまった今、何時核攻撃が実行されてもおかしくない。

 だが、人道的側面から即時発射は行われない。

 それまでに敵を叩き、事態の収束を図らなければならない。

 

 だが、そんな危機感を煽るように、次々に敵が現れる。

 

『卯月横見て!』

 

 勿論それは深海棲艦だ。

 

「げぇっ、また深海棲艦が出たっぴょん!」

『あちこちから来てるわ、注意して!』

「ぴょーん!?」

 

 一体こんな大量に、何処にどうやって隠れていたのか、無数のイロハ級が次々に襲い掛かってきたのである。

 

「ファッキュー! どーなってんだぴょん! 大本営の警戒網はザルなのかっぴょん!?」

 

 卯月の考えは、ハズレだった。

 一体でも上陸したら、核攻撃が起きてしまうのだ。

 だからこそ、そうならないよう、蟻一匹通さない警備態勢をとってきた。

 

 なのに、現実はこうなっている。

 卯月達は大量の深海棲艦に道を塞がれ、思うように進めなくなっている。

 

『本当にどうなってるの。どうしてこんなに、大量の深海棲艦が侵入してきているの』

「分かんないぴょん! それより援護が欲しいぴょん!」

『……ごめん、爆撃で支援するわ。次のポイントへ急いで!』

 

 飛鷹は、一つ言わなかった事があった。

 

 イロハ級が大量に出て来る理由。

 

 その一つを知っていた。

 

 しかし口には出せなかった。

 それを言う為には、上官の許可が不可欠だ。

 機密事項を勝手に話す事はできない。

 加えて、言わないで済むのなら──それが一番だからだ。

 

 イロハ級を撃退し、幾つかのポイントを巡った卯月は、奇妙な光景を目撃した。

 

「……まさかあれ、人間ぴょん?」

 

 場所は、一般的な家屋の屋上だ。

 コンクリート製で、マンションより階層も少ない。

 既に全焼しているが、骨組みは崩壊していない。

 建物自体も安定している。

 その屋上に人が倒れていた。

 

『次のポイントはあそこよ。登れる卯月?』

「それは平気だぴょん」

『十分注意するのよ。()()()()()()、登り切った瞬間を狙ってくる筈だから』

 

 何故、態々現地確認が必要なのか。

 最大の理由が、こういったシチュエーションになった時の為。

 敵がいそうな場所に、人がいた場合だ。

 

 生きているかどうかを確認して救助すれば良い──なんて、簡単な話ではない。

 普段ならそれで良いが、この戦場には『ガンビア・ベイ』がいる。

 

 以前ガンビア・ベイは、轟沈したヲ級の皮を被る事で自らの存在を隠していた。

 

 今回も同じかもしれない。

 要救助者を装って、奇襲のチャンスを伺っているかもしれないのだ。

 機銃掃射で敵かどうか確認なんてできない。

 救助対象者を射殺するリスクがある。

 その為、現地で判断する人員が必要なのだ。

 

「じゃあ、登るぴょん」

 

 まず、周囲にイロハ級が隠れていないか、耳に意識を傾けて確認。

 何も聞こえない。

 敵はいないということだ。

 心置きなく接近できる。

 

 そして瓦礫を登っていく。

 何かがあった時に備えて、片手では主砲を構えておく。

 聴力もフル稼働。

 心音や呼吸音で生きているかを、艤装の稼働音で敵がどうかを感じ取る。

 

 そして、屋上に指先をかけた時、どちらなのか察っした。

 

 艤装の音がする。

 

 一気に屋上へ飛び出る。

 既に指先はトリガーへかかっている。

 直接目視して確信した。

 

「見つけたぞ、ガンビア・ベイ!」

 

 こいつは人間ではない。

 ガンビア・ベイだ。

 最悪の予想通り、人の皮を被って変装していたのである。

 そんな外道に慈悲はない。

 トリガーは既に半分程度引かれていた。

 

「ひ、ヒィィィィィ!?」

 

 本能的に危機を感じたのか、肉皮からズルリと透明な何かが這い出てくる。

 その直後、ステルス迷彩が解除され、姿が暴かれる。

 現れたのは、やはりガンビア・ベイだった。

 

「トドメだ、喰らえっ!」

 

 そして、激しい衝撃と共に吹っ飛ばされた。

 ()()()()()

 

「がっ!?」

 

 いったい何が起きたんだ。

 奴は何もしていなかった。

 なのに攻撃を食らい、今自分は吹き飛ばされている。

 ガンビア・ベイに集中し過ぎていたせいで、不意打ちを食らってしまったのか。

 

 だがこれは、奴が用いるステルス艦載機の攻撃ではない。

 

「砲撃、だって……!?」

 

 イロハ級の攻撃だろうか。

 いや、登る前、周囲に敵がいない事は確認していた。

 登っている最中も、誰かが接近する音はしなかった。

 だったら誰が。

 吹き飛ばされながらも、何とかその方向を向く。

 

 卯月は思った。

 

『何故だ』と。

 

 そこにいたのは、重巡リ級だった。

 

 信じられないと卯月は絶句する。

 足音はなかった。

 艤装の稼働音も聞こえなかった。

 

「どーして、あいつ、あそこに、いるんだぴょん!?」

 

 絶叫しながら、吹っ飛ばされて瓦礫の山へダイブ。

 頭から血を流しながら、卯月はどうにか立ち上がる。

 痛みよりも、疑問の方が多かった。

 注意が反れていたとしても、こんな見落としは考えられない。

 あのリ級は、どう近づいてきたのだ。

 

『うーちゃん。大丈夫!?』

「大丈夫だぴょん。直撃は回避したぴょん。それよりあれはどーなってんだぴょん。飛鷹さん何か見えたかぴょん?」

『ごめん。ガンビア・ベイの動きを注視してたせいで、わたしも見てなかったわ』

「そっか……」

 

 疑問が拭えないまま進むのは、大きな危険が伴う。

 しかし、時間がない。

 腹を括って進む以外の選択肢はないのだ。

 

『ガンビア・ベイが逃げた方向はどっちぴょん?』

「大丈夫。それはずっと監視してるわ。やっぱりステルス迷彩が起動してない。あれは静止状態でないと、難しいみたいね」

 

 飛鷹達航空部隊が、逃げるガンビア・ベイを補足していた。

 彼女の推測通り、ステルス能力を完全に発揮するには、『静止』している必要がある。

 透明な状態は、極めて精密なコントロールで成り立っている。

 ちゃんと止まっていないと、背景との同化が上手くできないのである。

 

『でも……こいつ、逃げ足がとんでもなく早いわ。もううーちゃんから500メートル以上離れてる』

「早!? まだ十秒ぐらいしか経ってないぴょん!?」

『うーちゃんが追いつくのは困難ね……うん、満潮の方が近いわ。あの子を先に向かわせる。挟み撃ちの形にしましょう』

 

 その提案に卯月は頷く。

 しかし、十秒足らずで500メートル以上とは。

 秒速50メートルって何なんだ、どういう健脚をしてるんだ。

 

 それはそれとして、改めて追撃を開始する。

 

『私たちは、満潮の援護に艦載機を回すわ。空を飛んでる艦載機で、場所は分かるわ。そこへ向かってちょうだい』

「了解、気をつけるぴょん。どんな姑息な事するか分かったもんじゃないぴょん」

『ええ勿論』

 

 艦載機が飛び立っていく直前、再び声が聞こえた。

 

『でもうーちゃん、あくまで任務は追撃よ。要救助者は大将の艦隊がやってくれるから。辛いと思うけど、いても無視するのよ!』

「ラジャーだぴょん!」

『無視するのよ! 良いわね!』

 

 そして、飛鷹の偵察機が飛び立つ。

 卯月はそれを追いかける。

 逃げ足は速いが、既に居場所は突き止めたのだ、逃がすことはない。

 注意すべきなのは、あの突然現れたリ級の方だ。

 どうやって、気づかれず接近してきたのか、分からない今は、最大限警戒すべきだ。

 

 その時、卯月は()()音に気付く。

 

「これは」

 

 聞こえてきた声は、『子供の悲鳴』だった。

 

 立ち止まざるを得なかった。

 しかし、優先すべきは任務だ。

 ここでガンビア・ベイを逃がせば、取り返しのつかない被害が出てしまう。

 

「よし、護衛艦隊を信じるぴょん!」

 

 卯月は無視して走り出した。

 そもそも、こういう時の為に役割分担があるのだ。

 大将の部隊があの子を救出してくれる。

 それを信じて、追撃に専念する事へ決めた。

 

 だが、どうしても心配で、もう一回だけ見ておこうと、つい振り返ってしまった。

 

 卯月は気づいてしまった。

 先程の重巡リ級の存在に。

 鳴き声に気づいたリ級が、子供の方へ向かっていることに。

 

「前言撤回じゃぁ!」

 

 その瞬間、迷いはなかった。

 助かる見込みがあるならまだしも、これでは生存率0パーセントだ。

 救出部隊が来る前に、あの子は殺されてしまう。

 

 見て見ぬフリはできなかった。

 任務が優先だとしても、こればかりは無視できない。

 ここで見捨てることは、誇りに反することだ。

 最低最悪にカッコ悪いことだからだ。

 

「このうーちゃんの前で、よりにもよって子供が殺されるなんてこと、あってはならないんだぴょん!」

 

 息切れしそうな勢いで全力疾走。

 だが走り出した時点で手遅れ。

 リ級は既に、子供を砲撃の射程距離に収めていた。

 

 子供は逃げられない。

 足が瓦礫の中に埋もれているからだ。

 

 必死で藻掻いているが、とても退かせそうにない。

 リ級も逃げられない事を分かっている、直ぐに主砲を撃たない。

 

 砲身をちらつかせながら、嬲るように接近している。

 

 明確な悪意に溢れていた。

 恐怖を堪能し、殺戮を楽しむ邪悪な存在だった。

 

 そのせいで、こんな隙を晒すのだから、もっと救いようがなかった。

 

「お前がクズで感謝だぴょん」

「──っ!」

「射程距離内、到達!」

 

 リ級が真面目な個体だったら、卯月は間に合わなかった。

 下衆な性格だったから、逆に間に合ったのだ。

 

 しかし、リ級は臆さない。

 

 駆逐艦の主砲では、私の装甲は貫けない。

 装甲で受け止めた後、その腸を抉り飛ばしてやる! 

 

 臓物をぶちまける卯月を想像し、リ級は舌なめずりをした。

 

 そして、卯月の砲撃が放たれた。

 

 だが、リ級には当たらなかった。

 

「!?」

「はいハズレだぴょんバーカ」

 

 卯月が狙っていたのは、子供が埋もれている瓦礫の方だった。

 

 予想外の所へ撃たれたせいで、迎撃が間に合わない。

 砲弾が瓦礫に直撃。

 瓦礫が爆散する。

 

 至近距離にいたリ級も巻き込まれた。

 装甲があるからダメージはないが、何発も飛び散る石礫は鬱陶しい事この上ない。

 

「!!」

 

 リ級は気が付いた。

 この瓦礫で視界を妨害するのが目的なのだと。

 

 しかし、リ級は動揺しない。

 この程度の眼晦まし力づくでどうにでもできる。

 それを証明するように、艤装に覆われた剛腕を振るう。

 

「だから、バカって言ったんだぴょん」

 

 瓦礫に交じって、爆雷が投げられていた。

 

 腕はもう止められない、爆雷を起爆させてしまうのは避けられない。

 

 だが、この距離なら子供も巻き添えにできる。

 護るべき対象を、目の前で死なせる事はできる。

 リ級は下衆な笑みを浮かべる。

 

 その考えは甘かった。

 子供は既に、瓦礫に中にいなかった。

 その子は、卯月に確保されていた。

 

「ねぇ今どんな気持ち?」

 

 瓦礫が吹き飛ばされた結果で、自力脱出が可能なレベルまで、重さが軽減されていたのだ。

 卯月は脱出した子供を、投げ飛ばした鎖でキャッチ。

 自らの懐まで一気に引き寄せて、爆雷の爆発範囲から救出したのである。

 

「保護対象の安全確保なんて、当たり前の事だぴょん」

「──!!」

「そして、これでチェックメイトだぴょん」

 

 止めは既に刺されていた。

 リ級の装甲が『融解』していた。

 自慢の腕部艤装に、修復誘発剤のナイフが刺さっていたのだ。

 そんな状態で、爆発を受ければどうなるか。

 

 リ級は爆散した。

 融解した所から爆発のエネルギーが押し込まれ、体内で一気に暴走したのである。

 炎と共に霧散する肉片。

 卯月はちゃんと、子供の視界を塞いでいた。

 こんなグロな光景、見せられない。

 

 子供は少し火傷を負っているが、目立った外傷はない。

 

「……良かったぁ」

 

 この時、卯月は多少ながら()()()()

 人を助ける事ができたからだ。

 誰も彼も虐殺してしまった卯月には、誰も救えないというトラウマが残っていた。

 それが今、子供を一人救助したことで、初めて癒されたのである。



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第175話 希望

 あくまで任務優先。

 一度は子供を無視しようとした卯月だったが、その子が深海棲艦に殺されそうな事に気づき、救出へ行動を変えた。

 重巡リ級を始末し、子供の安全確保に成功。

 最悪の事態は回避できた。

 

 だが、卯月は困り果てた。

 

「ご、ごめんねー、うーちゃんお仕事があるから行かなきゃいけないんだぴょん」

「…………」

「ほら、迎えも来るから、ちょっと待つだけだぴょん」

 

 どれだけ言い聞かせても、スカートの裾を掴んだまま離さない。

 涙を流しながら、力なく首を横に振るだけ。

 

 卯月は失念していた。

 救出した後、この子をどうするのか。

 差し迫った状況故に、考える暇がなかったのだが、困ってしまう。

 

「救出部隊は来るだろうけど、それまで置き去りってのも……でもそうなるとうーちゃんの任務が……これ以上遅れるのは流石に」

 

 上空を見ると、飛鷹達以外の艦載機がチラホラ見える。

 その場で旋回している機体もいる。

 ああやって要救助者の位置を示しているのだ。

 放っておいても、救助は来てくれるだろう。

 

 ただ、それができるかと言われると、困難としか言いようがない。

 

 こんな死体塗れ、炎塗れ、敵塗れな場所に放置とか、心境的にできるものではない。

 

「……お姉ちゃん?」

「む……ぬぬぬ、流石にヤバいぴょん?」

 

 そうこうしている間に、ガンビア・ベイとの戦いは進んでしまう。

 役に立てるか分からないが、人手が多いに越したことはない、参戦しない理由はない。

 結果、卯月はどっちつかずの選択をした。

 

「よし、うーちゃんの背中に掴まるぴょん」

「う、うん……」

「全力でダッシュするから。ちゃんと掴まんなきゃダメだぴょん。さあ行くぞ!」

 

 宣言通り、卯月は全力で走り出した。

 向かう方向は当然、ガンビア・ベイ──の居場所は飛鷹の偵察機が示してくれている──の方向。

 そっちへ向けて、子供をおんぶしたまま走り出す。

 

 気遣いはゼロ。

 そこまでの余力はない。

 子供の方も、必死で卯月へしがみついていた。

 

 その姿には悲壮感があった。

 こんな所で独りになっていた子供にとって、卯月は漸く見つけた希望だ。

 それを離したら死んでしまう。

 絶対に離せない。

 お願いだから見捨てないで──その思いが悲壮感を感じさせたのだ。

 

 卯月は分かっていたが、速度を緩めることはできなかった。

 

 このままガンビア・ベイの方へ向かう。

 その間、上空を見ながら、護衛艦隊へ引き渡すチャンスを伺う。

 上には──敵の艦載機とやりあいながらだが──要救助者を探している偵察機が飛んでいる。

 それの索敵範囲内に入れば、向こうが気づいてくれる。

 

 ただ、それなりに接近する必要はある。

 救助に専念できる状況なら兎も角、今は同時に敵艦載機との戦闘も行っている。

 同時にやってるせいで、普段より捜索の『目』が狭まっているのだ。

 少なくとも、そこまでは卯月が運ぶ必要がある。

 

 見つけるより先にガンビア・ベイに到達しかけたら、そこで今度こそ置いていく。

 

 置き去りにもできない。

 敵への追撃をこれ以上遅らせる事もできない。

 両方ともやれる方法が、これぐらいしかなかったのだ。

 

「グスッ、うう……」

 

 涙が出そうな顔で、卯月をぎゅっと握る小さな手は、余りにも弱々しい。

 どれだけ不安で、辛かったのかが伝わってくる。

 それでもダメだ。

 今、この子を護る事はできない。

 

 しかし、落ち着かせてあげることはできる。

 

 卯月は抱き着いている子供の手を、逆に握り返した。

 

「安心するぴょん。うーちゃん達はあの化け物共をぶっ飛ばす為に来たんだぴょん。ちょっと目を瞑ってたら、その間にぜーんぶ終わってるぴょん!」

「……本当、なの?」

「さっき見たでしょ? あいつをうーちゃんが叩きのめすのを! このうーちゃんは強いんだぴょん!」

「お空、飛んでたよ?」

「スミマセン嘘吐きました良くてそこそこです」

 

 何故カッコ良く決まらないのだろうか? 

 子供にすら突っ込まれる有様である。

 その目線は妙に冷たい。

 

「でも倒したのは本当だぴょん。倒した時、安心したでしょ?」

 

 それは事実。子供は小さく頷いた。

 

「それと同じだぴょん。君を怖がらせる奴は、さっきみたいに全員ぶっ飛ばす。だから安心して良いんだぴょん。逆に、安心してくれるなら……もっとパワーを発揮できるから!」

「……へー」

「あらヤダ疑いの眼差し!?」

 

 嘘は言っていない。これは本当の本心だ。

 小さな子供が、自分を信じて安心してくれる。

 これで力を発揮できない艦娘はいない。

 どんな艦娘でも、凄まじいパワーを発揮できる筈だ。

 

「分からないかもしれないけど、そうなんだぴょん。どうか信じて欲しい。そうしてくれれば、恐いのから守ってあげられる。絶対に!」

 

 返事はなかった。

 代わりに、握っていた手が、より強く握り返された。

 信用してくれたのだ。

 安心してくれたという事だ。

 

「ありがとう、だぴょん」

 

 卯月にとってそれは初めての経験だった。

 誰かを護るという事、こちらを信じて貰えるという事。

 普通の艦娘ならとっくに経験していた事を、卯月は今、初めて知ることができた。

 

 信じてくれる。

 たったそれだけで、何でもできそうな気がしてくる。

 勿論油断はできないが、勇気が湧いてくる。

 必ず護る。

 そう誓い、卯月は再び走り出した。

 

 

 

 

 子供を抱えながら戦場を走るのはかなり困難、な筈だった。

 しかし、勇気を貰った卯月は、普段以上の力を発揮できていた。

 何時もだと、一撃で処理できない相手でも、良い感じの所へ命中。

 一発の砲弾で爆散していく。

 

 心なしか、身体からキラキラしたものが出ている気もする。

 

 良く分からないが、とにかく調子が良かった。

 艦娘は一応、半神的存在だ。

 だからなのか、心の持ちようがコンディションに大きく影響するのかもしれない。

 まあ理由とかは何でも良い。

 ガンビア・ベイの所へ急げるなら、何だって良かった。

 

 勿論、救助部隊を探るのも忘れていない。

 幸いなのか、追撃ルート上に救助部隊の艦載機が見える。

 後少しで、索敵範囲に入れる。

 そうすれば、向こうが人員を送ってくれる。

 

「後少しで、安全な場所へ保護できるぴょん。頑張って!」

 

 背中でおんぶしている子供は、力なく頷いた。

 仕方ないとはいえ、かなりの速度で走り続けている。

 気分が悪くなってもおかしくない。

 しかしもうちょっとだ、耐えて貰うしかない。

 

 そのタイミングで、卯月は更なる『幸運』に出会った。

 

「……あ、ああ!」

「どうしたぴょん?」

「ママ!」

 

 卯月は、すぐさま辺りを見渡した。

 距離が近かったので、すぐ見つける事ができた。

 

 フラフラと、血を流しながら歩いている女性がいた。

 

 ガラスか何かで足を怪我したのだ。

 あのままでは出血死してしまう、卯月は慌ててそちらへ向かう。

 

「そこの人! 大丈夫ですかっぴょん!?」

 

 大声を出して呼びかける、女性もすぐ反応する。

 最初は敵かと思い怯んだが、背中でおんぶしていた子供を見て、その顔を綻ばせた。

 子供も背中から降りて、女性の所へ駆けていく。

 

 何たる幸運か。

 彼女は、この子供の母親だったのだ。

 

 お互いに抱き合い、涙を流す。

 感動の再会に卯月も涙した。

 

「ありがとうございます! ありがとうございます……!」

「お礼は早いぴょん。でも安心して、もう少し歩けば救助部隊の所へ行けるから! 後足怪我してるでしょ、二人ともおんぶするからハリーハリー!」

 

 ぶっちゃけ時間は全然ない。

 ガンビア・ベイは(多分)健在だし、核攻撃の時間は差し迫っている。

 だが、ここまでやったんだから、この親子だけはちゃんと助けないといけない。

 命令違反で懲罰を食らうかもしれないが、仕方がない。

 

 卯月はしゃがむ。そして二人をおんぶしようと待機した。

 

「会いたかった……会いたかったわ……!」

「ママ……ママ……」

「離さないから、もう、離さない、離さない……」

「ママ……?」

 

 まだかな? 

 感動の再会に水を差すのも気が引けるが、こっちは時間がない。

 急いでと、言おうとした。

 

 卯月は耳を疑った。

 

 どうしてこの音が聞こえてくるのだ? 

 

「離さない離さなイ離さナイ」

 

 なんで、後ろから、()()()()()()()()()? 

 

「離サナイはナサナイハナサナイナイナイナア゛ア゛ア゛!!!!」

 

 骨が軋んでいく音がする。

 肉が潰れる音がする。

 卯月は真正面を向いたまま、背後へ主砲を叩き込んだ。

 着弾の音がする。

 固い装甲に当たる音が聞こえた。

 

 振り返った時、そこにいたのは。

 

「バカな、どうなっている!?」

 

 戦艦ル級が鎮座していた。

 

 頭が混乱しきっている。

 さっきまでいたのは親だった、目を離した隙に、深海棲艦がいた。

 まさか、そういうことなのか? 

 いやそれよりも、子供は無事なのか。

 

「う、うぁぁぁぁぁぁ!」

 

 不幸中の幸いか、子供は無事だった。

 しかし、戦艦ル級に何かされたのか、胴回りに痣ができている。

 内臓へダメージが入っている可能性がある。

 だが、致命傷ではないなさそうだ。

 速やかに治療をすれば、助け出せる筈だ。

 

 このル級が何者なのかは思考の隅へと追いやった。

 

 子供を護る為に主砲を向けた。

 

「ごめんなさい、でも、この子は護るから!」

 

 戦艦クラスの敵だが、倒せない事はない。

 否、此処で倒さなければ子供が殺られる。

 

 ここで始末しなければならない。

 

 纏うキラキラが、更に激しくなる。

 トリガーを引けば、強烈な一撃がル級を貫くだろう。

 

 しかし、致命の一撃は『背後』から飛んできた。

 

 銃声が寒空に響き渡る。

 

「……えっ」

 

 首筋に痛みを感じ、そこを摩る。

 何かが突き刺さっていた。

 銃弾の先端のようなものが、そこへ突き刺さっていた。

 ル級と、子供の防衛に集中していたせいで、気づけなかった。

 

 致命の一撃を受けたのは、卯月だった。

 

「え? あ……うあ?」

 

 視界が揺らぐ。

 平衡感覚が崩れ、立つことができない。

 引っ繰り返り、頭部を地面に打ちつけてしまう。

 墜落するような感覚。

 

 敵の攻撃を受けたのだ。

 

 何を撃ち込まれたかは分からないが、麻痺毒とか麻酔の類だろうか。

 

 正体はどうでもいい。今はそれどころではない。

 

「い、まの……は……何処、から……?」

 

 しかし、何処から攻撃されたのか。

 ル級は動いていない。

 攻撃してきたのはこいつではない。

 だったら、一体何処の誰が攻撃してきたのか。

 

 ザッザッザ……と、足音がした。

 

 軽い。

 

 艤装を背負っていたら、もっと重い足取りになる。

 艦娘や深海棲艦ではない。

 じゃあ、誰なのか。

 

「……まさ、か」

 

 麻痺しかけた首をどうにか転がし、足音の方向へ向き直る。

 

「嘘、だろ」

 

 敵がいた。

 分厚いバトルドレスに身を包み、アサルトライフルと拳銃、防塵用のゴーグルを携えた──『人間』が、一歩ずつ接近していた。

 

 卯月は状況を理解した。

 

 以前も遭遇したあの連中だ。

 

 反艦娘テロリストが敵に協力していたのだ。

 

 敵が内地に潜り込めたのは、こいつらの手引きがあったからか? 

 その疑問は解決しない。

 意識が混濁しているせいで、物事を深く考える事ができない。

 

「ぐ、ぅ、うう……!」

 

 主砲を掲げるが、意識混濁及び麻痺により照準が定まらない。

 しかも、敵は一人ではなかった。

 複数人いる。

 その上接近してこない。

 ある一定の距離から、銃口を向けて取り囲もうとしてくる。

 

 忘れてはならないが、敵は人間だけではない。

 

「アアアア゛! ワたしノ、ゴドドォォォ!」

 

 ル級が、()()()()()()()()()()

 子供を見る目線は、親のそれではない。

 憎悪と狂気、悪意しかない──深海棲艦の赤い眼光だ。

 

 どうすれば良い? 

 この半ば麻痺した身体で、迫るテロリスト共とル級から、どう子供を護ればいいのだ? 

 切り札を切るしかないのか。

 しかし、D-ABYSS(ディー・アビス)を作動させても、麻痺が消える確証はない。

 

 それでも、それに賭けるしかない。

 

「あ、ああ、アアアア゛ア゛ア゛!」

 

 溜め込んだ憎悪を爆発させる、

 感情が巻き込まれ、殺意という意思へ集約される──その瞬間、システムが作動する。

 

 卯月のその姿を見た瞬間、敵がトリガーに指先を掛けた。

 作動が早いか、撃たれるのが早いか。

 その結果が露わになる。

 

 その博打の結果は。

 

「どうもはじめまして……憲兵です」

 

 憲兵隊──もとい、波多野曹長のエントリーだった。



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第176話 約束

 子供を救出しただけではなく、親を発見することにも成功した卯月。

 親子を連れて救出部隊へ引き渡せば、もう心配は何もない。

 そう思っていた。

 だが、それは想定外の形で裏切られる。

 

 親がいなくなっていた。

 

 代わりにいたのは戦艦ル級だった。

 

 親は何処へ行ったのか? 

 分かり切った問いに、敢えて答えを出さず、卯月はル級の排除を試みた。

 

 しかし、そこへ更なる奇襲を受け、卯月は動けなくなってしまった。

 

 深海棲艦ではない。

 人間の奇襲。

 反艦娘テロリストの不意打ちを受けてしまったのだ。

 

 万事休すかと思われたその時、『彼』の声が聞こえた。

 

「どうもはじめまして。憲兵です」

 

 憲兵隊、あきつ丸の上官──波多野曹長がテロリスト共の背後でお辞儀をしていた。

 

 何故こいつはお辞儀をしているのだ? 

 テロリスト達は疑問に思った。

 答えはでなかった。

 考える為の、頭が無くなっていたからだ。

 

「反艦娘テロリスト死すべし。慈悲はない!」

 

 槍のような手刀が頭部を跳ね飛ばす。

 既に波多野曹長は、敵の懐に入っていた。

 

 残るテロリストが銃口を向ける。

 

 その瞬間、曹長は直立姿勢から唐突にサマーソルトキックを繰り出した。

 手に持っていたアサルトライフルが持っていかれる――どころか、持っていた腕そのものキックの勢いで捥がれ、ショック死した。

 

「返却だ」

 

 足で奪ったライフルを、空中キックで叩き返す。

 銃弾ではなく、銃本体が撃ち込まれる。

 テロリストの一人はは、胴体に銃型の穴を空けられて絶命した。

 

「無抵抗の艦娘しか殺せないのか。それでよく艦娘反対とほざくことができる。イ級にすら劣る知能とは。いっそ関心したぞ」

 

 波多野曹長は風となって消えた。

 怯んでしまったテロリストにはもう何もできない。

 一方的な処刑を待つだけである。

 

 だが、敵はテロリストだけではない。

 

 卯月にとって目下の危機は、眼前の戦艦ル級なのだ。

 

「オアアアア゛ア゛ア゛!?」

 

 子供を護らなければならない。

 憲兵隊は強いが、深海棲艦には無力だ。

 人間の攻撃では、どれだけダメージを与えても、即再生してしまう。

 今、わたしがやらなければならない。

 

 なのに、思うように体が動かない。

 毒が効いてしまっている。

 主砲の照準が合わない。

 持ち上げる事すらままならない。

 

 まさか、護れないのか? 

 子供一人すら、私は護れないのか!? 

 

 絶望しかけたその時──ル級の動きが静止した。

 

「最適でありますな」

 

 彼女の声が聞こえた。

 当然だった。

 波多野曹長がいるなら、『彼女』だっていて当然だった。

 

「瓦礫が多数、突起物も多数。つまり、このあきつ丸に最適な戦場という訳であります」

 

 後ろの方から歩いてくる音がする。

 頑張って首を動かす。

 彼女は卯月に気が付くと、とても愉快そうに微笑んだ。

 

「あきつ丸……?」

「実に無様な姿でありますな……で、何故こんなところに? おっとそれは先にコレを始末してからでありますな」

 

 あきつ丸が腕を振り上げた。

 同時に、ル級の腕が千切れ飛んだ。

 

 一体何が起きたのか? 

 卯月は理解できなかった。

 ル級も理解できなかった。

 ただ激痛と怒りのまま、考えなしに主砲を放った。

 

 戦艦クラスの一撃が至近距離から飛来。

 なのに、あきつ丸はその場から動かない。

 

「流石にではありますが」

 

 動く必要がなかったからだ。

 

 砲弾は空中で静止した。

 

「陸地で、揚陸艦が敗北するなど、あってはならないのでありますよ」

 

 指先で、弾くような仕草を行う。

 静止していた砲弾が、ル級の方向へ跳ね返された。

 それの直撃を受け、ル級は爆発と共に燃え上がった。

 

「……終わった?」

 

 かなり早く危機から脱することができた。

 早すぎて、ちょっと呆気に取られていた。

 そこへ、テロリストの殲滅を完遂した波多野曹長がやって来る。

 

「あきつ丸」

「はい」

「苦しませるな。速やかに終わらせるべし」

「了解であります」

 

 波多野曹長が、倒れ伏している子供の前に立つ。

 それを確認してから、あきつ丸が指先を激しく動かす。

 

 燃えていたル級が、細切れになった。

 

 頭部も胴体も輪切りに──更に、みじん切りに。

 

 そして残骸は、光の粒子となって消えた。

 

「……あの、ル級は……まさか」

 

 まさか、も何もない。

 卯月は察していた。

 だが、心でそれを認めることができなかった。

 そんな訳がない。

 あんなのはただの見間違いだ。

 

 それが、都合の良い言い訳だと自覚していても。

 

「卯月さん。身体は大丈夫か」

「……曹長さん、来てたのか、ぴょん」

「テロリストがいるとの情報だ。まさかここまでやるとは想定外だったが」

 

 話しながら曹長は卯月を触診していた。

 懐から注射を取り出し、それをあきつ丸に渡す。

 

「頼んだ。わたしは子供を見る」

「了解であります」

「……それは?」

「解毒剤であります。テロリストが撃ち込んだ麻痺毒の。放っておいても解毒されますが、早いに越したことはありませんし」

 

 あきつ丸が卯月の首筋に注射針を打ち込む。

 鋭い痛みが走る。

 その後、直ぐに動けるようになった。

 

「おお、楽になったぴょん」

「かなり効きが早いでありますね。いや、問題はありませんけども」

 

 これはそんなに早く効果を発揮する薬ではない。

 しかし薬効には個人差がある。

 そういうものだと、あきつ丸はとりあえず思考を打ち切った。

 

 一方動けるようになった卯月は、ふらつく足取りを堪えて、波多野曹長の元へ──彼が今見ている子供の所へ向かう。

 

「……大丈夫かな」

 

 結局、あの子の前でル級を戮してしまった。

 あのル級が何だったのかは言うまでもない。

 きっとショックを受けている。

 そんなことできるか分からないが……できる限り、安心させてあげたかった。

 

 あの子とそう約束したからだ。

 

「卯月さん。どうした」

「その子が心配で、大丈夫かなって思ったんだぴょん」

「そうか。容態は……良くはない」

 

 子供の顔は青ざめ、脂汗でびっしょりとしている。

 弱々しく震え、息もかなり荒かった。

 

 何よりも、『声』が聞こえる。

 

「見ての通りだ。ル級に受けたダメージで相当ショックを受けている」

「思いっきり握られてたからね……ミンチにならなかった分、まだマシっちゃマシかっぴょん……」

「しかし、致命傷になるようなダメージはない。安心して良いだろう」

 

 治療をする必要はある。

 幸い彼らに会えたから、子供を託す事ができる。

 そして卯月はガンビア・ベイ追撃に向かう。

 これで一件落着だ。

 

「ところで波多野曹長」

「なんだ」

「その注射器、中身何だぴょん」

 

 『声』が聞こえていなければ。

 

「…………」

 

 波多野曹長は躊躇した。

 何故なら、それは本来、艦娘にしてはならない話だから。

 しかし、卯月──を含んだ前科組──は例外となる。

 彼女達は前科持ちであるが故に、そういう『配慮』が設けられていない。

 

 だから話せる。

 

 躊躇しているのは、偏に波多野曹長自身の良心によるものだった。

 

 これを卯月に話して良いのか。

 誤魔化す事はできる。

 だがそれは、『敬意』に反する。

 

「曹長、もう、()()()()()()()()()()()。聞こえる筈のない『鳴き声』が……その子から、聞こえ始めている」

「ならば、何故聞く」

「情けない話だけど、聞かなきゃ、心で認める事ができないから。聞いたり見たりしないと、現実を受け止める覚悟ができないんだぴょん」

 

 だが、だからと言って、卯月が受け止める事ができるのだろうか? 

 それは、話してみなければ分からない。

 波多野曹長は、『敬意』を払う事に決めた。

 

 『心』へではなく、『覚悟』に対して『敬意』を向けた。

 

「あきつ丸。私は触れる事ができない」

「良いんでありますね?」

「そうだ。その子を上着を脱がしてくれ」

「……了解であります」

 

 あきつ丸も、普段の愉悦さは一切表に出さなかった。

 心の奥底では色々思っているが、周りの気持ちが分からない狂人ではない。

 命令に従い、上着を脱がす。

 

「注射器の中身は、安楽死用の毒薬だ。これからそれを、この子に打ち込む」

 

 毒、という単語。

 卯月は意外とは思わなかった。

 

「毒を、この子に?」

「そうだ、この子供を殺す事こそが、私の仕事なのだ」

 

 親を失い、逃げ惑う子供を殺すと波多野曹長は宣言した。

 その理由は、現在進行形で進んでいる。

 

「……なんてこった」

 

 『イ級の顔面』があった。

 

 上着を脱がせた子供の身体から、『イ級』が生えつつあったのだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それが呻き声を上げる。

 さっきから聞こえていたと同じだ。

 

「聞こえてた、変な声は、これなのか」

 

 腫瘍のようにイ級が広がっている。

 その口から悍ましい声がする。

 何故こんな事になっているのか、分からない──等あり得ない。

 卯月は既に目撃している。

 人が消えて、代わりに戦艦ル級が現れた光景を。

 

 どうしても、心が認めようとしなかった。

 

 しかしこれは現実。

 

「この子は、深海棲艦になりつつある」

 

 卯月の心は奈落へ突き落とされた。

 

 

 

 

 深海棲艦は怨念である。

 その為、全身が呪詛の塊として存在している。

 しかし、艦娘は相反する存在の為、即汚染される事はない。

 

 全く呪われない訳ではないので、帰投後に入渠等で身体を清める必要はあるが、言ってしまえば()()()()で済む。

 

 では、人間が呪われた場合は? 

 

 答えが眼前の光景だった。

 

「『呪い』だ」

「呪いって、深海棲艦の……?」

「そうだ。それに感染した人間は()()()()()()()

「じゃあ、あの、ル級は……やっぱり、そうだったのか」

 

 見間違いではなかった。

 あきつ丸により処分されたル級もまた元人間。

 あの子の母親だった。

 再会した直後に、深海棲艦化したのだ。

 

「だが最大の脅威は、『呪い』の広がり方にある。この『呪い』は接触感染で広がっていく。深海棲艦に触れれば感染。深海棲艦化した人間に触れても感染する。ネズミ算式に無尽蔵に犠牲者が増えていくのだ」

 

 接触、という言葉で卯月は気が付いた。

 

「この子は、そうだ……触れられていた、お母さんに……」

「その時感染したのかもしれぬ。もしくは。逆だったのかもしれぬ。呪いの浸食速度には個人差があるのだ」

「母親と再会した時は、まだ『潜伏期間』だったのかもしれないであります」

 

 確かに、体調が悪そうな感じはした。

 まさかあの時点で既に?

 そう思った卯月は首を振る。

 今となってはどちらでもいい。

 重要なのは別のことだ。

 

「この子は、助けられないの?」

「……呪いは、()()()()()()()()()のどちらかしかない。浸食速度は確かに違う。だが最後は絶対に深海棲艦化する」

「呪いを、解く手段は」

「残念だが、今の私達には、その技術がない。だからこれを打つのだ」

 

 曹長は一瞬だけ目を伏せた。

 

 あきつ丸も、顔を見せないよう帽子を深く被ったままだ。

 

「……呪いが広がっている。変異まで後一分もない」

 

 子供の呪いは止まらない。

 拳大だったのが、もう身体全体の三分の一を覆っている。

 挙句、変異には恐ろしい苦しみが伴う。

 もう息もできず、か細い呼吸で震えている。

 

「打つぞ」

 

 防護服を着ていても、変異部位への接触は危険。

 まだ無事な部分に触れて、首筋に注射を刺そうとした。

 それを卯月が止めた。

 

「卯月さん。時間がないのだ。もう打つ──」

「貸してください」

「……何?」

「それ、打つので、ください」

 

 波多野曹長は耳を疑った。

 こんな業を態々背負うのは、自分達憲兵隊だけで良いというのに。

 何故、そんな事を言うのか理解できない。

 

「駄目だ。感染者の処理は我々憲兵隊の仕事だ。お主にさせる訳には」

「私とこの子の約束なんです。もう時間はないんでしょう……お願いします。私がやるべきことなんです」

 

 理由はあることは理解した。

 だが、彼女にこれをさせて良いのか。

 曹長はまだ決断できない。

 呪いを伝えた時の様に、また躊躇する事になる。

 

 その時、声が聞こえた。

 

「……助けて……お姉、ちゃん……」

 

 もう眼も見えてない。黒ずんだ腕を伸ばしながら、その子が助けを乞う。

 

「……曹長さん。どうかお願いします。護るって約束したんです。私は、この子との約束を破りたくない。最後まで……護りたいんです」

 

 波多野曹長には分からなかった。

 卯月に人殺しの業をこれ以上背負わせて良いのだろうか。

 それとも、この子供の望みを叶えるべきなのか。

 

「分かった」

 

 正しい選択は分からなかった。

 この場にいる誰にも、いない者にも決めることはできなかった。

 

 分かるのは一つの事実。

 艦娘という存在は、誰かを護る為にあるという事。

 

 注射針を受け取った卯月は、子供に膝枕をしながら、優しく頭を撫でる。

 

「どこ……見えない、よ……」

「ここだぴょん、お姉ちゃんは此処にいる。手を握ってあげるぴょん!」

「……お姉ちゃん」

「暖かい? 触ってるの分かる?」

「……うん」

「良かったぴょん。さ、そのまま目を閉じちゃって……そら、これで痛いのも消える」

 

 空の注射針が床に転がった。

 

「…………大丈、夫、なの……?」

「前言ったぴょん。君を恐い目には一つだって遭わせない。どんな苦しみからだって護ってあげるって。そう信じて良いんだぴょん。そろそろ痛みもなくなってきたでしょ」

「…………本当、だ……」

「でしょ? だから、安心して良いんだぴょん! 。恐い目に遭ったから疲れただけ。眠っている間に全部終わってる。起きたらママと一緒だぴょん!」

「…………ママ……だ……」

 

 もう子供は何も見ていない。

 何も感じていない。

 ただ、小さな手が強く握られていた。

 

「……お姉ちゃん、が、ね………………」

 

 言葉はもう発されなかった。

 しかし、高い聴力を持つ卯月には、ちゃんと聞こえていた。

 卯月は子供を抱えたまま、独り呟いた。

 

「……『護ってくれたんだ』。かぁ」

 

 卯月は約束を果たした。

 どんな苦しみからも護るという約束を、やりきったのだ。

 だが命は失われた。

 それが絶対の現実だった。



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第177話 逃げの一手

 約束は果たした。

 その場から動きたくなかった。

 蹲っていたかった。

 だが、時間が待ってくれない

 

「……ガンビア・ベイを、追わなきゃ」

 

 本来の任務はそちらだ。

 救助はついで。

 一刻も早く敵を始末し、核発射を止めなくてはならない。

 

「曹長、核は、今どうなってるのか知ってる?」

「同盟国からの核か。まだ発射されていない。無事な人間が避難し切れていないからだ。各省庁が工作を行い、発射をどうにか遅延させてくれているが、時間の問題には変わりない」

 

 一先ず卯月は安堵した。

 しかし時間の問題だ。

 このままでは、遅かれ早かれ核は発射される。

 

「この子は、どうすれば」

「私が預かろう。責任を以って弔う……元々、この子を終わらせなければならなかったのは、私なのだから」

「ありがとだっぴょん」

 

 こんなところに放置なんてできない。

 だから、曹長の申し出はありがたかった。

 

「……どうせだから聞きたいんだけど」

「なんだ、時間はないぞ」

「簡潔だから大丈夫。安楽死の薬なんて持ってたのは、()()()()()()()()()かぴょん?」

 

 曹長は頷いた。

 卯月は憲兵隊の仕事を理解した。

 掃討こそが、憲兵隊の任務なのだ。

 

「呪いの蔓延を防ぐ為には、感染者を全員処分する必要がある」

 

 もしも、感染者が一人でも封鎖区画の外へ出てしまったら。

 そこから深海棲艦が爆発的に増えていく。

 封鎖しきれないレベルで、被害区域が拡大していく。

 やがて、国が──そして世界が終わる。

 そうなる前に止める必要がある。

 

「掃討部隊……か。納得したぴょん」

「呪われてない人間は救助する。だが殺さなければならない時はある。これはその時の為にある」

 

 感染者も犠牲者だ。

 苦しめて良い理由はない。

 せめて安らかに死んで貰う。

 それが、今の大本営ができる精一杯なのだ。

 

「……敵は、ガンビア・ベイは、ここまでしてまで、大将達を殺したいんだね。感心できるぴょん」

「実際、時間さえ稼ぎきれれば、これ以上ない暗殺手段でありますからねぇ」

「どういう事だぴょん」

 

 あきつ丸は、指を三本立てた。

 

「直接、呪い、核。この三つ。さあ分かったでありますね?」

 

 卯月は十分理解した。

 子供を殺してしまった事で、蓄積されていたドス黒い感情が更に積み重なった。

 深海棲艦を出現させて、呪いを撒く事。

 そして核を発射させる事。

 その状況こそが、敵の目的だ。

 

「何人、どれだけの人を、巻き込んで……」

「……え、あの卯月殿!?」

「ありがとう曹長、あきつ丸、うーちゃん行くぴょん。助けれくれてありがとだぴょん」

「ストップストップ卯月殿!」

 

 あきつ丸は突然卯月を静止した。

 しかし、卯月はそれを無視して去ってしまった。

 敵の方向へ。

 ガンビア・ベイの方向へ。

 

「何故止めようとしたのだ。あきつ丸さん」

「曹長殿、見えていなかったのでありますか!? あ、なる程、角度的に見えたかったという事で……」

「何を慌てている。お主らしくもない。一体どうしたと言うのだ」

 

 普段のあきつ丸は、端的に言って外道である。

 人の不幸を心の底から喜び、愉悦を感じるド畜生である。

 その為、飄々とした態度を崩さない。

 

 そのあきつ丸が、脂汗を流し、顔を青ざめて動揺していた。

 

「……穴、でした」

「穴?」

 

 震えながら、あきつ丸は口を開いた。

 

「一瞬、穴が空いていました」

「どこにだ」

「艤装に」

「誰の」

「卯月殿の、艤装に……『穴』が」

 

 卯月の向かった方向を見る。

 もう見えない、炎の中へと消えている。

 真偽は確認できなかった。

 

「見間違いではないのか。艤装に穴など空いていたら、機能に支障が出ている」

「ええ、そうだと思うのですが……」

「気になってしまう、という事か」

「……分からないのであります。何故、穴如きで、ここまで身体が震えるのか。勝手に震えてしまうのであります!」

 

 あきつ丸だけでなく、波多野曹長も、得体の知れない悍ましさが、肌にべったりとへばりつくのを感じていた。

 しかし、そうしている時間はない。

 謎の感覚を抱えたまま、感染者の掃討の為、燃える街並みへと消えた。

 

 

 

 

 幸いと言っていいのか分からないが、波多野曹長と別れた場所と、ガンビア・ベイの場所は比較的近かった。

 然程走らずに目的地へと到達する。

 

 しかし、辿り着くまでに、何度も吐き気を堪えた。

 

 今までのように、次々と襲い掛かってくるイロハ級。

 さっきまでは、何とも思わなかった。

 躊躇なく抹殺していた。

 

 それが、発狂しそうな程の苦痛を齎す。

 殺す事はできる。

 襲ってくる以上、倒さない選択肢はない。

 

 だが、心の奥底が悲鳴を上げていた。

 この襲い掛かってくる敵の内、いったい何体が()()()なのか? 

 そう思わずにはいられない。

 

 核発射阻止の為、殺戮は仕方がないが、想像以上に重い感覚が圧し掛かる。

 

 呪われた人間は深海棲艦になる。

 卯月は大本営がこの事実を隠す理由を察した。

 

 大半が戦えなくなるからだ。

 

 艦娘は、誰かを護る為に存在している。

 誰かを護る為に、今まで沈めてきた敵の正体が、人間だったとしたら? 

 勿論、自然発生タイプの方が大半を占めているだろう。

 

 けど、やはり人間だったのかもしれない。

 

 そういう可能性があるだけで、心の持ちようは揺れ動く。

 

 真実を知っただけでも、艦娘の心に、大きなショックを残すだろう。

 個体によってはショックに耐え切れず、海に出られなくなるかもしれない。

 戦えたとしても──戦闘に確実に支障をきたす。

 

 だったら隠しておいた方が良い。

 

 大本営の判断は正解だと、卯月は思った。

 

 こんな思いを抱えながら戦える人は、多分多くない。

 今の卯月も、かなり辛い思いを抱えている。

 戦闘なんて辞めたいが、そうしたら核が発射されてしまう。

 

 それを止める為に、心に鞭を打ちながら、イロハ級を殲滅し卯月は進む。

 

 やがて、卯月はその姿を視界に収めた。

 

「見つけたぞ……ガンビア・ベイ……っ!」

 

 殺意を我慢なんて、もう不可能だった。

 目に()の──否、更なる殺意に煽られて、()()()炎が灯る。

 D-ABYSS(ディー・アビス)が解放された。

 

「卯月! 遅いわよ! 一体何やってたの!」

「うるさい、聞かないで欲しいぴょん! それよりそっちはどうなんだぴょん、ガンビア・ベイは始末できたのか!?」

「できればとっくにやってるわ!」

 

 先行していた満潮は無事だ。

 多少怪我はしているが、戦闘への支障はなさそうだ。

 あんなインチキスペック相手に、大きなダメージ無しで戦えているのは凄い事だと思った。

 しかし、手放しでは喜べない。

 

「ひぃ!? う、卯月、ま、また来たんですか……何で来るんですか、Did nothing(何にもしてないのにぃ)!」

「……殺ス」

「ひゃぁぁぁぁ!?」

 

 解放された殺意にあてられて、ガンビア・ベイが情けない悲鳴を上げる。

 

「一々癇に障る悲鳴だぴょん。キンキンうるさいし、黙らせてやる!」

 

 かなり遠方にいるが、システムで強化された身体能力があれば、この程度の距離は一瞬で詰められる。

 そう思い、足に力を込めて走り出す。

 主砲の射程距離に収める事ができれば、攻撃ができる。

 

「来ないでください! Help me(助けて)!」

 

 しかしガンビア・ベイは、飛行甲板のついた銃を構えた。

 

「LLLLLaunch(発艦)!」

 

 そこから多くの艦載機が発艦していく。

 ガンビア・ベイだけではなく、海外系列の空母に多く見られる、銃火器型兵装の発艦方法だ。

 弓や式神を介さない分、発艦速度では勝る。

 

「こんなもの、撃ち落としてやる。うーちゃんを止められる訳がな」

「違う卯月、あいつから目を離しちゃダメ!」

「え?」

 

 卯月の視界に艦載機が入り込み、それにガンビア・ベイが隠れ、見えなくなった──その直後の事だった。

 

「嘘!?」

 

 ガンビア・ベイが消えた。

 

 ステルス迷彩を起動させたのだ。

 

「いや! 確か、動いたら迷彩は解除される筈。あいつはさっきまでいた場所にいる。即ちバレバレって事だっぴょん!」

 

 先程までいた場所は覚えている。

 卯月はそこに主砲を叩き込む。

 距離が離れているので、威力は下がるが、牽制にはなる。

 

 ところが、砲弾は何にも当たらなかった。

 

「何でだぴょん」

「バカ! あいつはもう移動してる! 見失った時の一瞬で、とんでもない距離を移動してんのよ!」

「そうだ、あいつは、逃げ足が凄く早かったんだぴょん!」

 

 最初に交戦した時、ガンビア・ベイは信じ難い速度で逃げていた。

 その事を思い出し、舌打ちをする。

 卯月の考え通りではなる。

 ガンビア・ベイのステルス迷彩は、少しでも動くと解除されてしまう。

 

 だから彼女は、()()()()()()()()に移動していた。

 ステルス迷彩ではない。

 卯月達の視界が、艦載機によって塞がり、自分の姿が直視できなくなっている間に一気に移動。

 

 艦載機が移動し、再び直視できそうになった瞬間、ステルス迷彩を発動。

 そうやって逃亡を続けていたのだ。

 

「クソ、あいつは何処へ消えたんだっぴょん!」

 

 卯月は、面倒な事になったと焦る。

 原理は不明だが、ステルス迷彩中は、艤装の作動音といった音まで聞こえ難くなる。

 足音を追跡する事はできるが、予め集中していればの話。

 

 今この瞬間は、完全に見失ってしまっていた。

 

「このうーちゃんの地獄耳を舐めるなよ。頑張って集中すれば、ステルス中でも音は拾えるんだぴょん!」

「セリフが長い! 艦載機は防ぐから、さっさとしなさい!」

「酷いぴょん」

 

 卯月は耳に手を当て、ガンビア・ベイが消えた周辺を探る。

 そこへ、視界妨害を行っていた艦載機が襲い掛かる。

 ガンビア・ベイからしたら、卯月はステルス迷彩を、聴覚によって破ってくる天敵だ。

 

 その為、真っ先に狙われる。

 それを防ぐべく、満潮が対空気銃を乱射、空襲を食い止める。

 しかし、満潮の悪寒は止まらかった。

 違和感があるのだ。

 

「……これで抑えられるってところが不気味ね」

 

 一応、航空巡洋艦でしかない最上でさえ、あの規模の空襲ができた。

 軽空母に属するガンビア・ベイなら、もっと規格外の空襲ができる筈。

 駆逐艦一隻では、絶対に抑えられない規模の攻撃ができる。

 

 なのに、今は満潮一人で阻止できている。

 

 満潮は一瞬、上空を見上げた。

 高高度で確認しにくいが、飛鷹達の航空隊と、ガンビア・ベイの航空隊がぶつかりあっている。

 制空権は拮抗──否、ややこちらに優勢だ。

 

 お陰で空襲はマシになっている、一人の対空砲火でどうにかできるぐらいに抑えられている。

 

 だが、それでも、それだけとは思えなかった。

 

 手加減はあり得ない。

 別の目的があるのか? 

 目的が何であれ、見失ったらどうしようもない。

 今は卯月の防衛に専念すべき。

 

 激しい対空砲火が、大気を打ち鳴らす。

 

 その最中、卯月は()()()()()

 

「見つけた、そこだぴょん!」

 

 音が聞こえた場所へ砲撃する。

 だがそこは、先程までガンビア・ベイがいた場所より、50メートル以上離れた場所だった。

 そこに手ごたえを感じた。

 

「そんな! Be found(見つかるなんて)……私、こ、殺されてしまいます!?」

 

 卯月は絶句した。

 見失ったのは、コンマ数秒にも満たない。

 たったそれだけの時間で、50メートル以上の距離を移動してたのだ。

 

 もし『数秒』見失ってしまえば──卯月は戦慄した。

 完全な逃亡を許す。

 再発見までの猶予はない。

 核発射のスイッチが押される。

 

「卯月! 今度は見失っちゃダメ、絶対に目を離すな!」

「分かってるぴょん。もし、こいつが、この封鎖区画の外に出てしまったら、きっと核は一発じゃ済まなくなる!」

「……核? 核、ですって!?」

 

 卯月の言葉に、突然動揺しだしたのは、ガンビア・ベイだった。

 

「あ゛?」

「嘘嘘嘘!? どうして核が、Fired here(此処に撃たれるんですか)!?」

「お前、ふざけてんじゃぁねーぞ! お前が此処に、呪いをばら撒いたからこうなってんだろうが! 大将達だけを狙うならまだしも、民間人まで撒きこみやがって!」

「ち、違います! d、Did nothing(私は何もしていません)!」

「信じる訳ねーだろがっぴょん!」

Even though it's true(本当の事なのに)!?」

 

 どこまでクソなんだ? 

 秋月とも、最上との違うベクトルでのド外道。

 言葉を聞いているだけで神経が苛立つ。

 一刻も早く黙らせたい。

 

「ヤダ、Please don't bully meeeee(虐めないでぇぇぇぇ)!」

 

 再び距離を詰めて、至近距離から主砲を叩き込もうと試みる。

 軽空母は中波まで追い込めば無力化できる。

 そこまでできれば、十分だ。

 

 

 

 その時上から、『何か』が落ちてくる音が聞こえた。

 

 

 

「満潮アイツを監視してて!」

「良いけど、どうしたの急に!」

「何かが落ちる、微かだけど、音が聞こえたぴょん!」

 

 一瞬でも見失えば、ガンビア・ベイは隠れてしまう。

 だが見続けていれば、追跡できる。

 満潮に監視を頼み、卯月は上空のそれを排除しにかかる。

 

 此処まで、落下してくる音に気づかなかったという事は、来ているのはステルスの艦載機だ。

 あれは何故か、接近に伴う音まで減らす事ができる。

 ギリギリまで近づくまで、聞き取っての探知も難しい、厄介な敵だ。

 

 だが、所詮は艦載機、迎撃すれば問題ない。

 

 そう思った時、異変に気付いた。

 

 落下音が、今まで聞いてきた、ステルス艦載機の音()()ではなかった。

 

 それに加えて、もっと別の──体積が大きい『何か』が落下してくる様な、聞いたことのない音が混じっていた。

 

 卯月が顔を上げた瞬間、落下物のステルス迷彩が解けた。

 

「……は?」

 

 落下してきていたのは、ステルス艦載機だけではなかった。

 艦載機は、『それ』を爆弾の様に抱えながら、落下してきていたのだ。

 ステルス艦載機に運ばれていた『それ』も、同じように透明になっていたのだ。

 

 落下物が、卯月の眼前へ落ちてくる。

 

「どうして、何の意味が!?」

 

 それを見た卯月の殺意もまた、同じように『奈落』へ向かう。

 

「なんで『人』を落としてくるんだぴょん!?」

 

 艦載機に運ばれて、何十人もの人間が、地面へと叩き落された。



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第178話 人間爆弾

 子供を曹長達に託し、ガンビア・ベイの追撃に戻った卯月。

 満潮と合流し、戦闘を開始する。

 その最中、敵がとった戦術に卯月は『奈落』のような殺意を上げた。

 

「なんで『人』を落としてくるんだぴょん!?」

 

 落ちてきたのは、『人間』だった。

 それが卯月達の眼前へ、急降下爆撃のように、次々と()()してくる。

 

Don't be angry with me(怒らないでください)! 止めて、恐いです!」

 

 悲鳴は無視、耳障りなだけだ。

 それより分からない、何故人間を落下させたのか。

 

 その目的は、()()した時に理解した。

 

 人間が、次々と地面に叩きつけられる。

 高高度爆撃機が飛ぶ高度は約10000メートル。

 そんな場所から叩き落されたら、人間はどうなるか。

 

 激突した瞬間、あらゆる体液をぶちまけて破裂した。

 

 そして、飛び散った血肉が卯月達に降り注いだ。

 

 これこそがガンビア・ベイの狙いだった。

 

「視界が、血で埋まる!?」

「見えないぴょん!?」

「血の目潰しって事!?」

 

 飛び散った血肉が、赤いインクをぶちまけたかの様に、二人の視界を覆い尽くし、視界を塞いだ。

 

 こんなやり方は想定外。

 二人共、ガンビア・ベイを見失ってしまう。

 直ぐに砲撃を放ち、血肉を吹き飛ばすが、既にガンビア・ベイは消えていた。

 

「消えたわアイツ! やられた、直ぐに探し出さないと、また隠れられたら厄介だわ!」

「待って満潮、何か変だぴょん!」

 

 しかし、二人が本当に絶句したのは、この後だった。

 

「あ……あ……、あ」

「い、生きてるぴょん、この人達」

「嘘でしょ?」

「それも、全員生きてる。死んでる人は誰もいないぴょん!」

 

 信じ難い事に、全員生きていた。

 

 そう、ガンビア・ベイが落としたのは死体ではなかった。

 

 生きたままの人間を、爆弾代わりにしたのだ。

 

 しかし、高度10000メートルから落とされた以上、助かる訳がない。

 全員瀕死の重傷。

 むしろ、即死できなかったせいで、死ぬよりも苦しい責め苦を受けている、

 

「即死が、救いって事かぴょん……!」

 

 だが、地獄は終わっていなかった。

 

「え、なんで」

 

 生き地獄を味わっていた人間達の身体から、『呻き声』が聞こえた。深海棲艦の『産声』が。

 

「これは、まさか、全員呪われているッ!」

「何、何の話!?」

「構えて満潮、深海棲艦が現れる!」

 

 一人の人間が突然、イ級に()()()飛び込んできた。

 幸いイ級、口内の砲塔へカウンターを叩き込み、一撃で爆散させた。

 

「今のは何!?」

「説明は後、これはうーちゃんがやるぴょん!」

「わ、分かった、ガンビア・ベイは任せて!」

 

 生物を落としたのは、血の目潰しの為だ。

 

 だが生きた人間を使ったのは、増援を作り出す為だった。

 イロハ級で足止めができるし、その巨体で視界の妨害もできるからだ。

 

「ふざけてやがる、どこまでも」

 

 追跡は満潮に任せ、感染者の排除にかかる卯月。

 完全に変異する前なら、防御力は生身の人間と一緒だ、簡単に消し飛ばせる。

 数十人の──まだ息のある──人達を、砲撃で肉片へ変えていく。

 

「…………」

 

 皆、もう助からない。

 そう分かっていても、まだ生きている人を殺していく行為に吐きそうになる。

 洗脳された時にやってしまい、嫌悪してきた虐殺行為を、正気のままやらなければならない。

 戦闘中でなければ、即座に発作を起こし、発狂していただろう。

 

 だが、そんな精神状態でも、思考は止めなかった。

 

 どうして、生きた人間を落としたのか? 

 

 目潰しをしたいなら、イロハ級を落下させればいい。

 血肉も飛び散るし、生きていれば足止めもできる。

 感染者だらけのこの戦場なら、調達も簡単だ。

 

 なのに、態々生きた人を選んだ。

 

 調達の手間も、イロハ級より多いいのに、人を選択した。

 

 そこには、何か理由がある。

 そう考えながら、感染者を殺し切った時、ガンビア・ベイの悲鳴が聞こえた。

 

「ひぇっ!? あああ当たったぁ!?」

「運が良い、見つけたわ!」

 

 まぐれで当たったらしい、ガンビア・ベイが再出現している。

 

 だが、また距離が離されている。

 

 こいつを殺されなければ、核発射は阻止できない。

 なのに徹底して逃げの一手を打つ。

 逃げ中心故に、攻撃は苛烈ではないが、この状況においては最悪の敵でしかない。

 

 どう追い詰めれば良いのか。

 そう考えた時、とても小さな呟きが聞こえた。

 

Are you OK(大丈夫)……エネルギーは、一杯、です……」

 

 その時、卯月は自分自身のD-ABYSS(ディー・アビス)に、エネルギーが流れ込むのを感じた。

 

「システムが満杯になっていく。まさか」

 

 卯月に流れ込んできたのは、たった今死んだ人達の、負念そのものだった。

 

 

 

 元となった記憶が流れ込んだ。

 

 卯月は死者の記憶を垣間見た。

 

 

 

 ガンビア・ベイは、自身を救助部隊の艦娘と装っていた。

 そして、こういう救助方法だと偽り、艦載機で高高度まで拉致。

 

 そして、落下させたのだ。

 

 騙されたという絶望を与える為。

 死ぬ寸前まで、死の恐怖を味合わせる為。

 その為に、生きた人間が必要だった。

 

 そうした方が、D-ABYSS(ディー・アビス)のエネルギーをより多く確保できるからだ。

 

 落下の衝撃で、即死しないようにしたのも同じ理由。

 死んだら、イロハ級に変異しないのもあるが──それ以上に、死ぬギリギリまで絶望を感じさせたかったからだ。

 彼らは即死できなかったのではなく、即死させて貰えなかったのだ。

 

 具体的なやり方は分からないが、死者の記憶はそうだった。

 即死しないよう、気を使われて──地面へ叩き落された様に感じた。

 

 生きた人間を用いた理由は、補給の為だった。

 

 

 

「…………」

「卯月?」

「もう、いい」

 

 卯月はガンビア・ベイを()()()()()()()()だと認識した。

 

 敵。

 

 それだけだ。

 殺意が振り切れ過ぎた結果、逆に怒りが収まった。

 

「W、What is it(何なんですか)? そんなscary(恐ろしい)目で私を見ないで下さい!」

 

 ガンビア・ベイは更に遠くへ逃げようとする。

 卯月は全速力を出す。

 スタミナが尽きる様子はない。

 システムに、先程のエネルギーが充電されているからだ。

 

 しかしそれは卯月にも言える事。

 膨大な絶望のエネルギーは、卯月に強烈なフィードバックを齎していた。

 普段の何倍も早く走る事ができる。

 お陰で、ガンビア・ベイに振り切られずに、追跡ができていた。

 

「来てる!? Caught up(追いつかれる)!? 殺される!」

 

 上空へ艦載機を飛ばす。

 空爆は目晦まし程度、卯月達の周囲を飛び回らせながら、機銃を撒き散らす事で、視界の妨害を行うのが主目的だ。

 そして、視界から隠れた瞬間、一気に移動しステルス迷彩で隠れる。

 

 ガンビア・ベイは、まともに戦う気はない。

 

 と言うか戦っている自覚がない。

 

 この戦闘は、彼女にとってあくまで『自己防衛』。

 自分は被害者で、卯月達は理不尽に襲ってくる狂人。

 それが彼女の認識だ。

 

 狂人とまともに取り合う理由はない。

 だからガンビア・ベイは逃げ続ける。

 

 しかし、その戦闘スタイルは、時間経過と共に不利になっていく。

 逃げようと踏み出したその足先に、砲弾が着弾した。

 

「ひぃぁひゃっ!?」

「命中……ダメか、ダメージなしか。でもいいぴょん」

 

 卯月はガンビア・ベイの逃げ方を理解しつつあった。

 最上と同じ様に、上空の艦載機と視界をリンクさせる事で、自らの死角をカバーしている。

 その為、背後からの攻撃にも反応できる。

 

 だが、選択肢が『逃走』しかない。

 それが分かってしまえば、移動ルートは絞り込める。

 要するに、やる事が単純なのである。

 

 とはいえ火力が足りない。

 卯月の攻撃では、D-ABYSS(ディー・アビス)の補正を乗せても尚、掠り傷もつけられない。

 なら、ここからどう追い詰めるか。

 

「満潮、見失わないよう、サポートをお願いするぴょん」

「バカ言わないで、そんな事は同時にできる。アンタの狙いぐらい分かるのよ」

「そう、んじゃお願い」

 

 逃げられる場所をなくせばいい。

 満潮が機銃で、視界妨害の艦載機を撃ち落とす。

 その合間に狙いをつけて、ガンビア・ベイ本体──ではなく、周囲を砲撃する。

 

 アスファルトの道路が砕け散る。

 崩壊しかけの建造物が崩落し、安全だった道を塞ぐ。

 ガンビア・ベイが走れる地形が削られていく。

 

「うああ、は、走れない!?」

「だろうな。お前らは。システムを安定して動かせる所は海上だけだもんな。こうやって陸地を走った経験はどれぐらいあるんだぴょん?」

「酷い、酷い、酷いです! Bullying(虐め)です!」

 

 卯月の指摘の通り、ガンビア・ベイは殆ど海上で生きてきた。

 ずっと侵略行為ばかりしてきたせいで、陸地での活動時間は非常に短い。

 歩くのに不慣れという、何とも言えない弱点がある。

 

 対して卯月達は、嘔吐するような激しい走り込みをずっと行ってきた。

 地形は荒れ果て、どんどん走りにくくなっていく。

 だが、訓練に比べれば、どうということはない。

 

 逃走エリアを絞るだけではない。

 地形を有利なように作り替える事で、徐々に追い付き始めていた。

 更に、動きも理解し始めた。

 満潮の放った砲撃が、ガンビア・ベイの足元へ着弾する。

 

「嫌ぁ、また当たったぁぁぁぁ!」

 

 耳をつんざくような大声で泣き喚くガンビア・ベイ。

 だがダメージは通っていない。

 なのに、喚き立てる彼女に、満潮は苛立った。

 

「……あんな反応なのに、実際は傷一つないってのは腹立つわね。バカにされてるみたいで」

「同感だぴょん」

「アンタに同意されるのも腹が立つけど」

「あっそ」

 

 けどそれで良い。

 今はまだ、ダメージを与える事を目的にしていない。

 足元に砲撃が当たったのが重要なのだ。

 傷はつけられてなくても、着弾の衝撃で、逃走速度は一瞬落ちる。

 

 そうやって追いつけば、砲撃を至近距離から撃ち込める。

 魚雷を直接捻じ込むという戦法も──地上だから、魚雷を撃てないのだ──取れる。

 最悪、羽交い絞めにして拘束してもいい。

 

 そうすれば、上空で空戦をしている飛鷹達がチャンスに気が付いて、全力の空爆を叩き込んでくれる。

 勢いで殺してしまうかもしれないが、核攻撃の事を考えたら、止むを得ない。

 核による被害と、艦娘一人。

 背に腹は代えられない。

 状況は、僅かにだが卯月達側に傾いている様に見えた。

 

「あ、あそこまで……あそこまで、逃げ切れば……!」

 

 とても小さな独り言が聞こえるまでは。

 

「何だって。ガンビア・ベイお前今何て言った。『逃げ切れば』って言ったのか?」

「嘘、聞かれて……言ってません言ってません何にも私そんな事」

「そうか、急ぐぞ満潮!」

「一々命令しないで!」

 

 ガンビア・ベイは、時間稼ぎの為だけに逃げているのではない。

 何処かへ目的を以って逃亡していた。

 そこについた時、何がどうなるかは分からない。

 考える必要もない。

 到達前に、始末すれば良いのだから。

 

「どうして、どうして虐めるんですか……I'm not doing anything wrong(私、何も、悪い事、してないのに)!」

 

 返事はしない。

 

 それより、もっと警戒しなければならない事がある。

 

 徐々に有利──と言ったが、未だ警戒しなければならない事がある。

 

 それは一つの疑問。

 何故――ステルスなのか?

 

 ガンビア・ベイのステルス迷彩は、動くと解除されてしまう。

 理由は分からないが、そういうものだとは分かっている。

 なのに、これはどういうことなのか?

 

「あっち行ってくださいぃぃぃ!」

 

 上空からまた、人が落ちてきた。

 

「また、突然かぴょん!」

 

 疑問はそれだった。

 

 人間だけでなく、艦載機その物にも言える事だが、どうしてこいつらは、ステルスが解除されていないのか。

 動けば解除、それが原則。

 なのに、艦載機も、それが運んでいる人間も、ステルス状態を維持できている。

 

 急降下爆撃の様に迫ってきている――動いているのに、これだけは透明なままなのだ。

 ガンビア・ベイと艦載機は異なる法則なのか?

 それとも、もっと別の理由があるのか?

 

 艦載機の作動音も僅かにしか聞こえない。

 これに限って、不可解な所が多過ぎる。

 

「クソ……今は、対処するしかない!」

 

 兎に角、このままだと、また血の目潰しを食らい、奴を見失ってしまう。

 横から見てた満潮が、僅かに早く気が付く。

 

「卯月の真上よ! 激突するわ!?」

 

 一人の人間は、卯月の頭上に現れた。

 落下の高度が高度、当たれば艦娘でも只では済まない。

 故に()()()()()()()()得なかった。

 

「それしか、ないか」

「卯月?」

「ガンビア・ベイを見てて、見失わないで、視界は確保するぴょん」

 

 卯月は主砲の照準を、上から前へ変えた。

 

 人が落下し、地面に激突する。

 衝撃で破裂し、血肉が卯月達へ飛び散る。

 そうなる前に、卯月が人を撃ち殺した。

 

「え──」

「目を逸らさないで、瞬きもダメ、見続けてガンビア・ベイを」

 

 艦娘と違い、人は脆い。

 直撃しても砲弾は爆発せず、身体を吹き飛ばしつつ飛んでいく。

 だから、誘爆で視界を防ぐ事もない。

 血肉が飛び散って、目潰しをされる事もない。

 

 これが最適解だ。

 落下して激突する前に殺す。

 

 落ちても、どうせ、深海棲艦になる。

 今殺すか、後殺すかの違いしかない。

 

「卯月、アンタ」

「走って満潮、人はきっとまた落ちてくる。これはうーちゃんがやるから、満潮はあいつに専念して。お願い」

「……分かった」

 

 だとしても、人殺しだ。

 トラウマを抉りだす行為に変わりはない。

 

 そんな事をしている卯月を見れなかった。

 人殺しを肩代わりする勇気も持てない。

 だからせめて、仕事は全うしようと、逃げるガンビア・ベイを捉え続けた。

 

 この時、もし、卯月をもう少し見ていたら、気づけたかもしれない。

 

 小さな『穴』が、空いて消えた。



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第179話 逃走経路

 核発射発射前に、事態を収拾させなければならない。

 つまり、原因を排除しなければならない。

 卯月達は逃亡を繰り返すガンビア・ベイを追跡し続けていた。

 

「核発射まで、後、どれぐらいの猶予が」

「そういうこと考えている暇があったら、もっと早く走るぴょん」

「チッ!」

 

 少し会話をした瞬間、二人は悪寒を感じた。

 役割は決めてある。

 卯月が主砲を、満潮がガンビア・ベイを監視する。

 

 見失わない為に。

 

 そして悪寒は当たる。

 

 再び人が落下してきたのだ。

 

「卯月!」

「了解だぴょん」

 

 地面に落ちた場合、その衝撃で破裂。

 飛び散った血肉が、目潰しとなって降り注ぐ。

 これで一瞬、ガンビア・ベイを見失った場合、彼女はステルス迷彩でその身を隠す。

 

 再発見は可能だが、時間がかかる。

 その分距離を離される。

 再追跡の猶予は残されていない。

 次見失ったら──ゲームオーバーだ、核が放たれる。

 

「同じ手は何度も通じないぴょん」

 

 着弾前に人を撃ち抜き、纏めて吹っ飛ばす。

 それによって視界を確保。

 監視し続ける事で、ステルス起動の隙を与えない。

 

It's useless(役に立たないなんて)! 折角助けて上げたのに!」

 

 ガンビア・ベイはふざけた事をぬかす。

 助けてなどいない。

 落下させた人達は、彼女が騙して拉致した人達だ。

 

「……少なくなってきてる、と思うのはうーちゃんの気のせい?」

「いえ、私もそう感じた。落下物でしょ?」

「うん。落とされる人の数が、少なくなってきてるぴょん」

 

 考えてみれば当然だ。

 落下死させる為の人間は、拉致して確保しただけ。

 溜め込んだ『残弾』に底が見えてきたのだ。

 

 しかし、それが朗報とは思えなかった。

 

「気のせいじゃない。ガンビア・ベイのあの顔は何かを目論んでいる顔よ。ただ時間稼ぎの為だけに逃げている訳じゃない」

 

 時間稼ぎの為なら、もっと良いルートが存在する。

 ガンビア・ベイはそれをしない。

 多少ブレはあるが、ある一定の方向に向けて逃亡している。

 目的地があるという事だ。

 

「あの呟きは気のせいじゃないって事か……」

「もしくは、それも計算の内かも。あの汚い泣き顔も演技かもしれないわね」

「嘘吐いてんのかぴょん? だったら殺す他ないぴょん」

 

 目的地に到達させたら、碌な事にならないのは間違いない。

 それより前に仕留めなければ、更に厄介──ぐらいならマシで、手遅れになりかねない。

 

「追跡自体が罠って可能性はあるけど、それでも、行くしかないぴょん」

 

 卯月は上空を見上げた。

 飛鷹達の艦載機が、ガンビア・ベイの航空部隊と激しく戦闘しているのが見える。

 残念ながら、卯月達の火力では有効打を与えられない。

 何とか拘束して、航空隊の攻撃を浴びせるのが一番確実だ。

 

 その時、視界に邪魔者が映り込んだ。

 

「イロハ級か、時間稼ぎのつもりかぴょん!」

 

 人が変異したものではない。

 元々周囲に潜んでいた個体──元人間の可能性はあるが──だ。

 妨害の為、呼んだのだろう。

 

 だが卯月には意味がなかった。

 

 落とされた人間は、救助部隊と騙された人達だ。

 故に、死の間際に絶望を残す。

 それはD-ABYSS(ディー・アビス)にとって、強烈なエネルギー元となる。

 

 ガンビア・ベイはこれで無尽蔵のスタミナを得ているが、同じ事は卯月にも言える。

 通常の何倍もパワーアップをしており、稼働時間も延長できている。

 普通のイロハ級なら、簡単に排除できる。

 

「排除って言っても、この人達は……」

 

 満潮は、直ぐ攻撃ができなかった。

 元は人間だったのかもしれない。

 そう思うと余りにも辛く、一瞬だけ躊躇してしまう。

 

「どいて、邪魔」

 

 卯月は躊躇なく撃ち殺した。

 

「……迷わないのね、アンタ」

「元人間でも、殺すしかない以上、躊躇する理由はない。むしろさっさと殺した方が為になるぴょん」

「……そう」

 

 卯月は正論を告げた。

 彼女の思考は今、『殺意』で統括されている。

 目的達成の為なら、如何なる手段も躊躇しない。

 実際には迷っていても、()()()()()()()()()()()と、感じつつ割り切ることができる。

 

 まあ言ってしまえばいつも通り。

 

 D-ABYSS(ディー・アビス)解放中は、完全なる殺意へと至っているのだから、いつも通りだ。

 

 ──なら、この嫌な感じは何? 

 

 満潮は卯月の顔を覗き込む。

 何時もと変わらないように見える、しいて言えば、普段より目つきが冷たく見える。

 精々それぐらいだ。

 ガンビア・ベイがあんなんだから、より殺意が深くなってるだけだろう。

 

 なのに、どうにも嫌な感じが抜けなかった。

 

「満潮!」

「え、あ、ごめん!」

「何の話だぴょん! それよりヤバい、一匹が何か変だぴょん!」

 

 輸送ワ級が、何故かガンビア・ベイの所へ近づく。

 そしてガンビア・ベイも、その場から動かない。

 恐怖で身動きがとれなくなった、なんて理由ではない。

 

「ヤバい!?」

 

 手遅れだった。

 手が届く距離まで接近した輸送ワ級に、ガンビア・ベイは空爆を叩き込んだ。

 

 爆撃の炎が、多くの弾薬や燃料に点火。

 瞬間、ガンビア・ベイ自身を覆い尽くす大爆発が起きる。

 

「やられた」

 

 これは自爆ではない。

 爆風で飛んでいく彼女が見えた。

 

「どういう事なの!」

「逃走だ。あいつは自分を爆発に巻き込んで、その衝撃で一気に距離を稼いだんだぴょん!」

「自爆じゃない!?」

「それよりも、メリットがある逃走経路って事だぴょん」

 

 しかし、滅茶苦茶遠くまでは飛んでいない。

 全力で走れば追い付ける。

 二人は吹っ飛んでいく彼女を追跡する。

 

「ヒッ……ヒッ、ひぇん……」

「泣いてるわアイツ。爆発のダメージが入った……」

「ようには見えないぴょん。というか、掠り傷も火傷さえ負ってなさげだぴょん」

「嘘泣きって……」

It's not a lie(嘘じゃないです)!」

 

 至近距離で自爆を受けても、掠り傷すら追わない装甲だ。

 なのに、この憶病っぷり。

 バカにされた様な感覚だ。

 益々苛立ちを募らせる。

 

「高度が落ちてきた、落下するぴょん」

 

 積み重なった瓦礫の向こう側に、ガンビア・ベイは落下。

 自爆で飛ぶなんて無茶をしたのだ。

 そんな手段、目的が達成できる時にしか行わない。

 

 つまり、ガンビア・ベイは目的を達成した。

 

 今ので目的地に到達した。

 

「アイツは何処へ逃げていたの!」

「見れば分かる事だぴょん」

「もう時間がないのに……此処で、絶対に仕留める!」

 

 砲撃で瓦礫を吹き飛ばし視界を確保。

 ステルス迷彩は起動済みかもしれないが、着地の衝撃で多少()()が発生している、すぐ探せば発見できる。

 着地の衝撃で鈍った所を確保、空爆で一気に無力化を図る。

 

 そう思い、目にした光景は。

 

「ふえ?」

「……え、あれって」

「この形状って、これは、シェルターって場所かっぴょん?」

 

 具体的には知らないが、昔漫画で読んだような、核シェルターめいた外見の建物があった。

 これから実行される(であろう)核攻撃に備えて、生存者を保護する場所だ。

 卯月はそう思った。

 そう思わせる程、『警備』がしっかりしていた。

 

 そう『警備』である。

 

 警備している人と言えば。

 

「どうも憲兵です」

 

 大量の警備──憲兵隊に包囲されるガンビア・ベイがいた。

 

「あ、私、not the enemy(敵じゃなくて)!」

「情報伝達は完了しています。貴女は敵ですね?」

「無力化します」

「拘束します」

「拷問します」

 

 蹂躙が始まった。

 

「ひぃあああああっ!?!?!」

 

 波多野曹長はいないが、戦闘能力は大体同じ。

 下手な深海棲艦を鼻で笑う憲兵隊数十人に包囲されては、ガンビア・ベイでも逃げる手段は存在しない。

 

「……此処が、逃走経路?」

「何がしたいんだアイツ」

「さあ」

 

 顔が原型をとどめてない。

 秒で無力化された彼女を見た二人は、『バカだったのかアイツは?』と思った。

 

 

 

 

 袋叩きにあっているガンビア・ベイを遠巻きに見ながら、注意深く接近する。

 何故、こんな所へ逃げ込んだのか? 

 憲兵にボコボコにされる為だったのか? 

 それは考えにくい、何かがある、警戒するに越したことはない。

 

「あのー」

「どうも卯月さん。満潮さん。波多野曹長からお二人の事は聞いています。ここまでガンビア・ベイを追い込んでくださり、感謝します」

「油断しない方が良いわ。何か目論んでるかもしれないし」

「ええ、承知しています」

 

 彼女を捕縛している憲兵隊も、警戒は怠っていない。

 厳重な拘束を施し、複数人体勢で監視を続けている。

 

「シクシクシクシク」

 

 どうせウソ泣きだ。無視に限る。

 

「でもこれで、核発射の危機は去ったってことで良いのかぴょん?」

「どうかしら。私達じゃ何も分からないし。貴方分かる?」

「簡単な情報なら分かります。残念ながら核発射体勢は解除されていません。まだ事態は収拾されたと見なされていません」

「クソ、やっぱり深海棲艦を殲滅しきらないと、ダメって事かぴょん」

「まあでも、後は掃除みたいなものでしょ」

 

 逃げ続けるクソ虫を追うよりよっぽど精神的に良い。

 あの戦闘力を持つ憲兵なら、ガンビア・ベイも拘束できるだろう。

 後の事は憲兵隊に任せて、掃討へ移っても良かった。

 

 狙いさえ分かれば。

 

「……で、ガンビア・ベイは吐いたのかっぴょん?」

「いいえ。泣き言はほざいていますが、肝心の情報は一切話していません」

「そういう口は堅いって、ますますクソね」

 

 疑問は最初へと戻る。

 何故、大量の憲兵がいるシェルター前を、逃走場所として選択したのか。

 此処に何がある? 

 卯月はシェルターを見上げた。

 

「このシェルターって」

「これか? 無感染者用の核シェルターだ。見れば分かるだろう」

「……ねぇ、満潮」

「何」

「ガンビア・ベイの艦載機って、全滅してたっけ」

「爆撃が起きてないなら、全滅したって事じゃ……」

 

 どうだった? 

 憲兵による蹂躙から、艦載機は見ていない。

 しかし、だからって全滅した事にはならない。

 まだ残ってる可能性はある。

 

 あの、人を運んでいた艦載機のように。

 

「まさか」

 

 卯月は思い至ってしまった。

 四肢を拘束され、憲兵に包囲された状況から、一気に逆転する方法を。

 

 正気ならやらない、悍ましい手段に気づいてしまった。

 

「落とす気なの?」

「何を?」

「このシェルター内に、感染した人の死体を放り投げるつもりなんじゃ」

「は? え? いや、そんなまさか」

 

 確かに、それなら逆転が狙える。

 シェルター内の人間全てを、イロハ級に変異させられれば、一気に数的優位を得れる。

 憲兵は強いが、深海棲艦を殺す事はできない。

 そのまま物量で押し切る事ができる。

 

 だが憲兵は首を横に振る。

 

「いや、不可能だ」

「どうしてそう言えんのよ」

「あのシェルターは対核使用だ。ただの爆撃では破壊できない。人の死体をぶつける程度では不可能だ」

 

 憲兵の言う通りだ。

 その説明に卯月達は安心しかけた。

 

 敵は、そういった常識を嘲笑うような連中だと、一瞬忘れてしまっていた。

 

 轟いたのは、耳を劈くような、聞いた事のない轟音。

 

 遅れて放たれる衝撃波。

 

 一体何が起きたのか。

 

 卯月達が見た光景は。

 

「……ヤバい」

 

 風穴が空いた核シェルターだった。



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第180話 策謀へ

 卯月も、満潮も、憲兵隊も動けなかった。

 ガンビア・ベイは確保した。

 残る深海棲艦を殲滅すれば、核攻撃は止められる。

 

 なのにこれは何だ。

 

 核攻撃でも破壊できないシェルターの屋根が、破壊されていた。

 

「──戦闘態勢ッ!」

 

 真っ先に反応したのは憲兵隊。

 何処から攻撃が来たのは、そこからの追撃を警戒する。

 やや遅れて、卯月達も警戒する。

 但し、憲兵隊の見る周囲ではなく、『空』の方。

 

 そして見えた()()を見て、卯月はガンビア・ベイの作戦を理解した。

 

「やっぱりか! 落とす人間は減ってたんじゃない! 取っておいてたんだ!」

 

 落ちてくるのは、呪いに感染した人間爆弾。

 着弾地点は勿論、シェルターに空いた大穴。

 穴の先にあるのは、無感染の避難者達。

 

「ヤバい! 一人でも落ちてしまったら、無事な人達全員が、深海棲艦化してしまう!」

「何!? あれは呪われているんですか!?」

「そうだぴょん!」

 

 憲兵は戦慄しながらも指示を飛ばす。

 

「ガンビア・ベイの見張りは一人で! 残りは迎撃体勢! だが感染してはいけません! 接触せず全て迎撃しなさい!」

 

 憲兵隊は人間離れした動きで跳躍、超人的身体能力により、落下してくる人間をパンチやキックの衝撃波で破壊していく。

 

「もう良い! ガンビア・ベイを始末するぴょん!」

「ダメ、多分意味がない! こいつを殺しても消えるのは艦載機だけ、人は依然として落下するわ!」

「そうなのかお前!」

「ヒィっ!?」

 

 ガンビア・ベイはベソベソ泣いてて話にならなかった。

 

「どこまでクソ仕様なんだコイツは! じゃあいい対空砲火だぴょん!」

 

 卯月達も迎撃に加わる。

 幸いなのか、落下速度重視の為か、ステルス迷彩は機能してない。目視できる状態だ。

 全員でやれば、全て迎撃できる。

 

 その見立ては正しい。

 

 正しいからこそ、敵がそれを実現させる筈がなかった。

 

「あああもう! どうしてこんな事に……え」

 

 満潮はたまたま振り返っただけだった。

 結果、見てしまった。

 ガンビア・ベイが拘束具諸共忽然と消えているのを。

 

「ガンビア・ベイが逃げたっ!」

「嘘だろ!?」

 

 本当に影も形もない。

 横では見張りをしていた憲兵が、頸動脈を切られていた。

 

「本当よ! でも、そう遠くへは行っていない筈! すぐに見つけ出してや」

「必要ないです」

 

 満潮が感じたのは、真っ暗な寒さだった。

 

「え」

 

 ナイフが鳩尾に突き刺さっていた。

 

 痛みは感じなかった。

 疑問が勝った。

 どうして気づけなかった? 

 

 こいつは真正面から現れたのに。

 

「どどど、退いてください!」

 

 拘束具も消えていた。

 ガンビア・ベイは完全な自由。

 刺された鳩尾へ、回し蹴りを叩き込まれ、満潮は瓦礫の山へ吹っ飛ばされた。

 

「満潮!?」

 

 卯月も同じ疑問を抱いていた。

 ステルス迷彩は動いたら解除される、そういう能力だ。

 だが、今ガンビア・ベイは、透明のまま動いていた様に見えた。

 満潮の目の前に、突然出現した──様に見えた。

 

 動いたら解ける、という事自体、そう思わせる為の罠だったのか? 

 

 兎に角ヤバい。

 逃げられたら全てが終わる。

 

「ひっ、ひゃ……!」

 

 だが、ガンビア・ベイは逃げなかった。

 代わりに、その場で丸まって、一切動かなくなった。

 これは、何なのだろうか? 

 卯月は罠の気配を感じ、動けない。

 そこへ、隙を見逃さなかった上空の飛鷹達が、空襲を仕掛けた。

 

「C,Came(き、来た)……ッ!」

 

 飛鷹達の航空隊は、ガンビア・ベイの航空隊と戦っていた。その最中、彼女が止まったのを見て、攻撃を決断したのだ。

 この場で仕留めなければ、核が撃たれる。

 

 出し惜しみはない。

 残っていたあらゆる火力が、限界ギリギリの至近距離から叩き込まれた。

 艦攻、艦爆、致死レベルの火力が捻じ込まれる。

 踏ん張らなければ、卯月が吹っ飛ぶ程の衝撃。

 卯月はガンビア・ベイの死を確信していた。

 

「よし、うーちゃんは、落下物の撃破を優先し」

「う、うう……」

 

 その声に戦慄する。

 

「嘘だろ」

 

 爆炎が収まった。

 姿が見えた。

 ガンビア・ベイは無事だった。

 傷も火傷も、何一つ負っていない。

 

 前科戦線が出せる最大火力を叩き込んでも、一切のダメージを負っていなかった。

 

 卯月は絶望する。

 

 自分達の最大火力でもダメージを与えられなかった。

 ならどうやって倒せばいい? 

 どうやって無力化すればいい? 

 

 厳重な拘束も、手段は分からないが脱出された。

 

「止める手立てが、ない……!」

 

 それでも、諦める訳にはいかない。

 核攻撃を許す訳にはいかない。

 幾ら艦娘でも、核攻撃の直撃には耐えられない。

 絶対に阻止しなければならない。

 

 そう思っているのは、上空で戦っている飛鷹達も同じ。

 

 一度でダメなら、何度でも浴びせるまで。

 ダメージが通らなくても、爆撃でその場へ縛ることは可能。

 再攻撃の為、次々に急降下。

 

 

 

「──分っかり易い軌道ねぇ」

 

 

 

 微かな声が。

 瞬間、航空隊が蒸発した。

 真っ黒な暴風が、殴り込んできた。

 その正体は、暴風のような密度の航空隊の軍勢。

 

 暴風は艦載機を蹴散らすと、四方へ散り、各所へ攻撃を始めた。

 

 憲兵隊へと襲い掛かる。

 更に高高度へ飛翔し、ガンビア・ベイの航空隊へ加勢、制空権をひっくり返しにかかる。

 無論、呆然としてる卯月にも襲い掛かる。

 

「増援って、ふざけるなよ!?」

 

 悲壮な叫びが、寒空へ響く。

 更に絶望はもう一つ。

 さっきの急降下爆撃で、飛鷹達は殆どの火力を使い切っていた。

 そこへ横殴りの攻撃。

 今の航空隊にはもう、空爆できるだけの弾薬が残されていなかった。

 

「まだだ、まだ、人を、護らないと……!」

 

 それでも、それでも、絶望している暇はない。

 シェルター内の避難者達を護らなければ。

 核が落ちてしまえば、全て無駄になるが──放棄していい理由にはならない。

 それはプライドが許さない。

 

 しかし、敵もまた()()()()()

 この本土襲撃を、千載一遇のチャンスとして、最大の賭けをしていた。

 

 爆発と言っても良い様な、凄まじく激しい轟音が、空から聞こえた。

 それは、人の落下音ではない。

 人ならもっと小さい音がする。

 これは、もっと重い、かなりの重量物が落ちて、風を切る音。

 

 ──そう思考したから、対応が遅れた。

 

 それでも反射的に、空を見た。

 しかし、それらしきモノは何もない。

 変わらず、感染者が落ちてくるのが、()()()()()

 

「ステルスッ!?」

 

 違う、ステルスだ。

 今落下してきている、重いナニカは、ちゃんとステルス迷彩を起動しているのだ。

 そう気付いたと同時に、卯月は理解する。

 

 ()()()()()()

 

 ガンビア・ベイの目的は、感染者をシェルター内に落とす事ではなかった。落としたかったのは『本命』の方だ。

 人を落としたのは、途中ずっと落とし続けていたのは、思い込ませる為。

 ()()()()()()()()()

 そう先入観を与える事で、本命を落とした時の対応を遅れさせる為だったのだ。

 

 結果卯月達は、落下速度を読み間違え、迎撃の機会を逃す。

 

 もう間に合わない。

 

 そして、本命が着弾した。

 

「……そんな」

 

 凄まじい地響きが発生し、シェルター内から大量の粉塵が噴き出す。

 シェルター内に『本命』が落ちた。

 落ちたのが感染者なら、一気に呪いが避難者達に広がっていく。

 しかし、『本命』の正体が分からない。

 何をすべきか分からない。

 分かるのは、一つの事実。

 

「騙された、のか。私は」

 

 全ては、『本命』を落とす為の策謀だったのだ。

 

 先程卯月が気づいた通り、感染者を落としてきたのは、落下物は人間だと先入観を与える為。イロハ級の増産や、視界妨害といった目的もあるが、真の狙いはそちら。

 

 シェルター付近に来て以降、感染者をステルス迷彩無しで落としたのも同じ理由。その中の『本命』にだけステルス迷彩をつけて、投下したのを隠す為。全てを透明にするより、その内一つだけを透明にした方が、より存在を偽れる。

 

 ガンビア・ベイが蹲って動かなかったのも、自分を囮にし、飛鷹達の航空戦力を上空から引き剥がす為。そこへ今までずっと隠してきた、『伏兵』の航空戦力を叩き込み、制空権を奪い取れば、『本命』の投下を確実にできる。

 

 策謀は成功した。

 投下は成功した。

 

「……これは、呪いが生まれる、音か」

 

 シェルター内は、舞い上がった粉塵で直視できない。

 しかし、深海棲艦が生まれる音は聞こえていた。

 『本命』の正体は分からないが、呪いを撒き散らす物なのは確かだ。

 

「そうだ、みんな、殺さないと」

 

 うわ言のように、主砲を構えた。

 呪いは感染する。

 だが、感染してから変異までにはタイムラグがある。

 それまでに全員殺さなければならない。

 全員が変異したら──殲滅は不可能だ。核攻撃が実行される。

 

 卯月はもう、自分の生存は考えていなかった。

 せめて、核攻撃で、更なる犠牲者を増やさない為に、戦おうとしていた。

 憲兵隊も同じ。

 感染者の殲滅に動き出そうとしていた。

 

 

 

Now checkmate(これで、チェックメイトね)

 

 

 

 ()()()()()が聞こえた。

 それもシェルター内部から。

 つまり、『本命』の投下物の正体とは。

 

 送り込まれた敵はガンビア・ベイだけではなかった。

 洗脳艦娘は『三人』いた。

 同じ言葉を繰り返そう。

 敵もまた、千載一遇のチャンスに賭けていた。

 

 分厚いシェルターの壁が崩壊する。

 現れたのはイロハ級の軍勢。

 この数秒で、変異を終えた全ての避難者達。

 

「なんで」

 

 避難者達は変異を終えていた。

 

 

 

 

 そこからの展開は早かった。

 シェルター内にいた避難者の数は約100人近く。

 つまり、100隻の深海棲艦が現れたのと同じ。

 

 艤装と肉の濁流が押し寄せる。

 砲弾を撃っても、魚雷を撃っても、大火にじょうろで水をかけるのと同じ事。

 意味はなく、抵抗はできず、卯月は一瞬で押し潰された。

 

 誰も砲撃はしてない。

 攻撃はしてない。

 ただ行軍しただけ。

 それだけで、攻撃として成立する。

 

 人型に押し込まれていても、その実態は──最低でも一隻2000トン。

 それが100隻分。

 吹き飛ばされ、踏み潰され、蹴り飛ばされて……津波が引いた時にはもう、卯月は動けなくなっていた。

 

「う……あ、あぁ……」

 

 システムによる強化を以てしても、耐えられなかった。

 骨は砕け、内臓に何本も突き刺さり、濁流のように全身から出血。

 指先一本も動かせない、立ち上がる事さえ、できるかどうか。

 

「怯むな! 死んででもこいつらを排除するのだ!」

 

 憲兵隊達も戦っているが、勝ち目は皆無だ。

 人間の攻撃では、再生を阻止できない、絶対に殺し切れない。

 不意に食らった砲撃で砕けて死ぬ、機銃で穴だらけになって死ぬ、四肢を捥がれて死んでいく。防護服に穴が空き、呪いに浸食される。変異しきる前に自爆で死んでいく。

 

 それでもまだ、イロハ級だけなら、どうにかできたのかもしれない。

 

「卯月さん大丈夫か!」

 

 目の前に憲兵の一人が着地する。

 

「君だけでも救助をす」

 

 パン、と乾いた音が鳴った。

 頭部から、脳漿を垂れ流して死んだ。

 人の武器の音だった。

 周囲を包囲していたのは、イロハ級だけではない。専用防護服に身を包んだテロリストの軍勢もだった。

 

「増援も来てくれたわね。これで完璧だわ」

「ひっ……I'm scared(こ、恐いです)、私達、狙われないんですか」

「狙われたって、私達に勝てる訳ないけどね」

 

 アサルトライフルの音が鳴る。

 憲兵隊の断末魔が、途切れ途切れに響く。

 やがて、憲兵達の声は聞こえなくなった。

 

「さてと、これで形勢逆転って訳だけど……こいつ、死んでないわよね?」

Not dead(死んではいないわ)。まだ息はある。でもdying(瀕死)ね、脅威でも何でもない」

「こんな雑魚に秋月と最上は負けたの? まるで使えない連中ね。消えて済々するわね」

 

 第二、第三の声が聞こえる。

 軽空母以上の、超重量級の足取りが、こちらへ迫る。

 卯月は、立ち上がった。

 立たなければ殺されてしまう、倒れたままではいられない。

 

「ひぃっ!? まだ動けるんですか!?」

Calm down(落ち着きなさい)。もう戦えやしないわ。でもDon't let your guard down(油断は禁物ね)。これ以上は接近しない方が良いでしょう」

 

 一体は、玉座のような艤装に腰を掛けていた。

 もう一体は、和服めいた衣装に、巨大な弓、そしてカタパルトを構えていた。

 その後ろでガンビア・ベイがガタガタ震えて隠れている。

 

I will teach you(教えてあげる)。たった今、nuclear missile(核ミサイル)が発射されたわ」

 

 真っ暗闇に落ちていく感覚になった。

 

「このまま放置して、爆発で殺しても良いけれど……My lordは確実な抹殺をご希望。だからI will kill you directly(直々に殺してあげるわ)Traitor(裏切者)には過ぎた褒美よ。首を垂れて感謝しなさい」

「ねぇ、でも自己紹介は必要じゃない?」

Yes(そうね)。誰に殺されるか、理解して貰わないといけないわね」

 

 蔑み、嘲笑う視線を向けながら、誇らしげに宣言する。

 

「翔鶴型航空母艦2番艦、瑞鶴!」

Queen Elizabeth Class Battleship(クイーンエリザベス級戦艦) 二番艦、Warspite(ウォースパイト)

「これは、ご主人様からの寵愛を無碍にした罰よ」

Give despair(絶望を与えます)

 

 卯月はもう、全てを絶望に支配されていた。

 

 しかしそのせいで、聞きそびれた。

 

 艤装から、小さく『メキャ』と音がしたのを。




ここまで登場した洗脳艦娘。
秋月、最上、ガンビア・ベイ、瑞鶴、ウォースパイト。
実はある共通ネタからの採用です。
メッチャ細かいネタですけども。


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第181話 受胎

 卯月は敵の策謀に嵌った。

 満潮は腹部を刺されて重傷、吹っ飛ばされたまま戻って来ない。

 護る筈だった避難者達は、全員深海棲艦化した。

 憲兵隊はそのイロハ級と、突如現れたテロリストの増援に圧し潰された。

 

 残された卯月も大ダメージを負い動けない。

 

 その上で、包囲されてしまった。

 テロリストと、100隻を超えるイロハ級と、ガンビア・ベイと、新たに現れた──実際にはずっと潜伏してたのだが──二隻の洗脳艦娘、『瑞鶴』と『ウォースパイト』によって。

 

「ありがとう」

「……は?」

「貴女がバカだったお陰で、上手くいったの。ま、私もウォースパイトも運良い方だし、必然だったのかもしれないけどね」

 

 瑞鶴は卯月に礼を言った。

 当然、本当の感謝なんて欠片もない。

 蔑みと嘲笑に満ちた、悪意の礼だ。

 

「ズイカク。ちゃんとexplanation(説明)してあげなきゃダメですよ。卯月さんのお陰なんですから、それぐらいはしてあげないと」

「えー、私が説明するの?」

「……ズイカク」

「チッ、はーい」

 

 上下関係的には、ウォースパイトが上らしい。

 

「まあ、アンタがあの時、感染してた子供をどーにかしようとしたお陰で、時間が間に合ったの。お陰で主様を失望させないで済むわ」

「……それは、どういう」

「私達の標的は、卯月アンタだったのよ」

 

 どういう事だ。卯月は理解できない。

 狙いは大将と、その護衛人物。その人達を確実に抹殺する為に、ネズミ退治に山ごと燃やすような暴挙に出たんじゃなかったのか。

 混乱を分かってか、瑞鶴は楽しげだ。

 

「正確には、()()()に変わった。ね。護衛されてる奴から、アンタに変わったの」

 

 彼女達の標的は、確かに最初は護衛人物だった。

 しかし、卯月がこの戦場に現れた事で、優先順位に変化が生じた。

 『護衛や大将は取り逃がしても構わない、卯月を始末しろ』

 それが、主様からの命令だったのだ。

 

「取り逃がさず、一瞬で確実に始末する。大変だったわ。そういう作戦を、この現地で組み上げないといけなかったんだから。そういう訳で考えたのが、アンタが味わったこのシチュエーション。察知されず、一瞬でイロハ級で包囲して、逃げられない状況へ追い込む。見事に嵌ってくれてありがとね」

 

 即ち、最初にガンビア・ベイが姿を現した時点で仕組まれていたのだ。

 ガンビア・ベイは『囮』だったのだ。

 彼女を止めれば、核攻撃を止められるという状況が、囮としてのインパクトを強めた。

 そして避難所へ誘導し、そこの避難民を一斉に深海棲艦化させ包囲する。

 

 問題は、瑞鶴やウォースパイトの準備時間。

 それが、卯月の余計な行動のお陰で確保できた。

 そこについては運が良かった。だから礼を言ったのだ。

 

 尚、それが実現できたのはウォースパイトの能力のお陰だが、彼女が投入されたのは偶然ではない。護衛対象や大将がシェルター内部に逃げてしまった時、()()()()()()()()()()()()()暗殺する為に必要だったからだ。

 

「……嵌められたのか、うーちゃんは」

「そういうこと。絶望した?」

「いいや、この程度じゃ絶望しない」

 

 首を振って、卯月は立ち上がった。

 

「嘘、立った!?」

 

 悲鳴を上げるガンビア・ベイ。まだ立てる事に、瑞鶴達は警戒心を高める。

 

「うーちゃんが死んでも、任務は達成できる。護衛されてた人が無事なら、何一つ問題はないんだぴょん」

「いや、そいつも多分死ぬわよ。呪いで」

「あり得ないぴょん。護衛部隊がいる。深海棲艦との接触なんてさせる訳がないぴょん」

 

 呪いは接触によって蔓延する。

 しかし、大将の護衛がそれを許す筈がない。

 だから瑞鶴は出鱈目を言っているだけだ。卯月はそう決めつけた。

 

「……あれ、もしかして知らないの?」

「何が」

「その様子だとマジっぽいわね。ウォースパイト、どうする?」

「冥途の土産に教えてあげれば如何ですか?」

「それもそうね!」

 

 大分混乱している卯月へ、瑞鶴が告げた。

 

「呪いは接触感染する」

「そんなの、知って」

「土地も」

「……え?」

 

 一瞬、理解できなかった。

 

「呪いは生物だけじゃない。土地にも感染するわ。そうして地続きの所なら延々と蔓延していくの」

 

 じゃあ、何処に逃げれば良いのか? 

 結論は、逃げ場無し。

 途中で阻止できなければ、最終的に──国一つが滅ぶ。

 いや、滅ぶなら圧倒的にマシ。

 一国の総人口全てが、深海棲艦化するのだ。

 

「アンタ、可笑しいって思わなかったの? どうして核を撃つんだろうって。艦娘はまだしも、深海棲艦には効果薄いのに。あれはね、()()()()()を焼き払う為に撃ってるのよ。そうしなきゃ、被害が終わらないから」

 

 例えると、日本の総人口は約1億である。

 

 これが全員呪われる。

 

 深海棲艦が1億隻現れる事になる。

 

 それは最早、戦力アップという次元に留まらない。

 人型であっても、実態は艦艇と変わらない。

 実際に起きた所は──起きたら世界が終わるので当然だ──観測されていないが、重さに耐え切れず、地球が崩壊すると技研は提唱している。

 

 幸いにして、戦力アップに留まったとしても、世界滅亡は必須。

 だから、核を撃つ。

 そうなる前に、感染者を鏖殺し、土地を焼き払い、呪いを排除。

 残った深海棲艦をどうにかして掃討する事で、事態を収拾させる。

 

 生き残るのは、シェルター内部の無感染者だけ。

 

 それが、この世界での国家間協定なのだ。

 例え自国の核を自国に撃とうが、同盟国に撃ち込もうが、そうでもしなければ、世界が終わってしまうから。

 

「大量展開したイロハ級に殺されるか、土地へ広がる呪いで呪殺か、そうでなくても核の爆発で死ぬ。それでもシェルターに入って生き延びるかもしれないけど、その時は私達がシェルターの外から殺す。できる手段はあるしね!」

 

 当然護衛対象の位置は把握しているし、今も観測している。どのシェルターへ逃げ込んだか確認できる。

 むしろ、逃げ込むなら好都合。自分から逃げ場のない所へ行ってくれるのだから。

 直接殺されるか、呪いで死ぬか、核で死ぬか、その後瑞鶴達に殺されるか。

 いずれにせよ、生き残る可能性は皆無。

 

「……か、核で、お前たちも」

D-ABYSS(ディー・アビス)の祝福を受けた私達は、核如きじゃ死なないわ。まあ痛い目には合うと思うけど……その後、アンタの仲間とか護衛対象を殺すのに、支障はないわ」

 

 守ると誓った子供は、自らの手で終わらせなければならなかった。

 そんな状況を作り出した瑞鶴達を倒せる見込みは皆無。

 満潮も生きてるか、死んでるか分からない。

 任務さえ達成できない。

 瑞鶴の増援のせいで、飛鷹達の航空隊は動けない。

 大将の護衛部隊だって、こっちへ回す余裕はない。

 

「アンタが来なければ、被害はここまでいかなかったのにね」

 

 理屈はない。嫌がらせの言葉。

 

「…………」

 

 心に亀裂が走った。

 普段なら適当に流す暴言が、今は耐えられなかった。

 この状況でできる事がない。

 

「……あ、あぁ、う」

 

 発作が起きる。崩れ落ちる。

 私が来なかったら、大将を始末した時点で、攻撃を止めてたかもしれない。

 私がいなければ、こんな本土襲撃をしなかった。

 私がいたから、関係のない人たちが、死んでしまった。

 

「ごめん、なさい、ごめんなさい……ごめんな、さい……!」

 

 ボロボロと涙を流しながら、血が出る程深く、全身を掻きむしる。

 聞こえてきたのは、悲鳴、怨嗟、慟哭。お前のせいだと叫び、歯を、爪を、拳を突き立ててくる亡者の群れ。

 もう、目の前は見えていない。

 

 心の亀裂は、子供を殺めた時点で入っていた。

 それが、瑞鶴の一言で決壊してしまった。

 敵の言葉だ、嫌がらせの為の嘘だ──そう思う為の余力は、もうない。

 

 壊れていく卯月に分かるのは一つだけ。

 ──私が、みんなを殺した。

 トラウマに直結する、その妄執だけ。

 

 自己嫌悪が顕在化しただけだと、もう卯月には分からない。

 

「あ、あぁあぁぁああっ!?」

「あ、壊れた」

「時間稼ぎの必要、なかったかもしれないわね」

 

 これだけベラベラ喋っていたのは、卯月を追い詰める意味合いもあった。

 最初のダメージでの出血は、時間経過で更に悪化。

 もう、いつ死んでもおかしくない状況だ。

 

 後は、砲撃なりなんなりで吹っ飛ばして終わり。彼女達はそう考えた。

 

「……う、うぅ、あ゛」

「え、また立ったんだけど」

 

 しかし、卯月は再び立ち上がった。

 しかも、砲身をこちらに向けた。

 

「どういうこと。壊れた筈なのに」

「最後の執念とか、本能的なものでしょうか」

「……そ、そうでしょうか、何か違う気が」

 

 確かに心は折れた。

 だから『憎悪』だけが残った。

 殺意だ。

 それも、敵と()()()()殺意。

 こんな状況に()()()()()()した連中を、自他含め全てに報い()()()()を受けさせる。

 

「……ころ、す、やらない、と」

 

 殺()()()()()さないと。

 報いを受けさせる。

 護る筈だ()()()()()ったあの子を、殺した()()()()()

 だから私は()()、皆殺す。

 

 あいつも私も。

 

 こいつらは、私を()()()()()殺す為に、此処までやった()()()()のだ。

 だから、本質的には私のせい()()()()()じゃない。

 でも、皆、私の死も望ん()()()()()()()()でいる。

 

 だから、やる。やらないと。

 殺された痛みを、殺した痛みを、見捨てた痛みを、絶望した痛みを。

 全部、全部、全部全部全部全部全部全部全部全部全──

 

「……あ、あ」

「ん、何?」

「あの子を、殺させた、な」

 

 瀕死には変わりない。

 眼の焦点は会わず、ボソボソと、怨霊の様に呟くだけ。

 無様な姿に、瑞鶴は嗤った。

 

「はっ、何言ってんの? 殺したのはアンタじゃない。私達のせいにするなんて、責任って言葉を知らないのかしら?」

「やっと、再会、できたのに、私の、手で……」

「そう! 手に賭けたのはアンタ──」

「私の、あの子を」

「そう、アンタの子ど──え?」

 

 耳を疑う瑞鶴。

 しかし、ウォースパイトもガンビア・ベイも、同じ発言を聞いていた。

 

「今日、結婚する筈だった、のに……彼女を、俺、がちゃんとあそびたか、った。もっといっぱ何で、アタ、シパパヲ殺し、たの、わ」

「アンタ何言ってんの狂ったの」

「止めて、どうし、てお姉ちゃん僕、痛いよ分からな、とマラない。殺した、い殺したくて嫌じゃ儂は」

「誰なの、アンタ一体、何だっての!?」

 

 正体不明の悪寒を感じていた。

 D-ABYSS(ディー・アビス)の取り込む怨念が、フィードバックされている──と推測はできる。

 だがそれ以上の何かが起きる予感を感じる。

 

 『穴』が空いた。

 

「何、アレ」

 

 卯月の艤装に、くっきりと『穴』が空いていた。

 

 側面から側面へ、貫通している『穴』だ。

 

 だが、その穴からは、艤装の内部機関が覗けない。

 穴の反対側が見える事もない。

 ()()()()()()()()()()()

 

 そして、『奈落』が──

 

Get rid of(始末しなさい)──ッ!」

 

 瑞鶴は弓矢を放った。

 今殺さなければ、取り返しのつかない事になると確信していた。

 ガンビア・ベイも艦載機を発艦させた。

 

「──ア゛」

 

 艦載機に変化はさせず、弓矢がそのまま、卯月の胸部を貫く。

 

「まだ! 畳み掛けて! 絶命仕切るまで攻撃を止めないで!」

 

 ウォースパイトの激に、二人が猛攻を続ける。

 鋼鉄さえ穿つ弓矢が、卯月の全身を貫く──否、肉を抉り、吹き飛ばしていく。

 艦載機の機銃が、あらゆる箇所へ風穴を空けていく。

 その内の一発が、卯月の頭部を捉えた。

 

「死になさい化け物!」

 

 頭が半分消えた。

 

「これで!」

More(もっとよ)! 脳味噌がまだ半分残ってる、心臓も! 生命を維持する全てを破壊しなさい!」

 

 ウォースパイトは叫ぶ。

 

「……ぜ、んいん……ころ」

 

 卯月が一歩、踏み出した。

 足の肉は抉れて、折れた骨が何本も飛び出していた。

 その状態で歩き出す。

 

 艤装に空いた『穴』は、少し広がっていた。

 

「イヤァァァァ!? Why(何で)why(何で)why(何で)why(何で)why(何で)来ないで下さいよぉぉぉ!?」

 

 とうとう錯乱し出したガンビア・ベイが、なりふり構わず猛攻を仕掛ける。

 機銃だけでは済まさず、爆弾も投下する。

 

Wait(待ちなさい)! それでは、卯月のD-ABYSS(ディー・アビス)が」

「その命令聞けませんムリムリムリ絶対にムリ!」

「My lordからの命令を忘れたの!?」

「嫌ーっ!?」

 

 ウォースパイト達は、卯月の暗殺を命じられていた。

 但し同時に、卯月のD-ABYSS(ディー・アビス)の回収も命じられていた。

 瑞鶴が弓矢で攻撃したり、ウォースパイトが主砲を使わないのは、艤装を巻き添えで破壊してしまわない為だ。

 

 だが、ガンビア・ベイはそれを無視。

 彼女の憶病過ぎる気質は、よりハッキリと感じ取っていた。

 これから起きる事は、破壊だとか、蹂躙だとか、そんな次元ではない。

 

 何処へ逃げても無駄になってしまうような、そんな事が起きる。

 

 主からの命令だろうと、これは聞けない。

 此処で卯月を始末しなければ、全てが終わる。

 

「このtrash(クズ)が……でも私はダメ。瑞鶴早くしなさい!」

「分かってるわよ!」

 

 このままでは艤装諸共爆散する。

 だが、ウォースパイトが攻撃したら跡形も残らない。

 そんなリスクは犯せない。

 

 実の所、それが正解だった。

 

 命令には背くが、跡形もなく消滅させるのが最適解。正しいのはガンビア・ベイだ。

 

 しかし不幸な事に、憶病でないウォースパイトでは気づきようがなかった。

 

「え、ん、さ……統、塔、終わ、とき、来た……」

「いい加減に死ね! 死んで黙りなさい! 生き汚いガキが!」

「……れ、り」

 

 それが、断末魔になった。

 

 残っていた頭の半分が砕けた。

 機銃斉射を受けた四肢は、ミキサーにかけられたように千切れ飛んだ。

 艦載機を、胸部へ捻じ込んで自爆。

 心臓も、肺も、他の内臓も砕け散る。

 飛散した肉片や脳味噌は、砲撃で後も残らない。

 

 残ったのは、内臓を垂れ流す胴体と艤装だけ。

 

 ころころと、爆風で飛んできた心臓の残骸がウォースパイトの足元へ。

 

Mission accomplished(任務達成ね)

 

 それを踏み潰し、丁重に副砲で消し飛ばす。

 

 卯月は死んだ。




艦隊新聞小話
※機密事項案件、要注意
深海棲艦の呪いに関する纏め

 深海棲艦は全て、例外なく『呪い』を宿しています。この呪いは対存在である艦娘には大きな効果を及ぼしません。また海においても、強い効果は発揮されません。海は常に流動していて、その場で淀む事ができないからと推測されます。

 しかし、地上で呪いが放たれた場合は、例外なく非常事態宣言が発令されます。この呪いはあらゆる生物、及び土地に対し、接触感染により広がります。(虫やバクテリアは感染後即死)この為一度汚染されたエリアは、放置した場合一匹の微生物も存在しない死地と化します。

 感染者は、人間や犬猫であっても、深海棲艦へ変異します。現時点ではワクチンや解呪の方法はありません。殺害による処分以外の対処方法はありません。

 また、土地に対する感染速度は、エリア内の感染者数に応じて二乗されます。その為、数時間で国家全域が呪われます。土地は核攻撃で除染できますが、出現した深海棲艦は他の方法で処理するしかありません。

 初期段階での対応が失敗した場合は、核攻撃による事態収拾が国際条約により義務付けられています。核を保有していない国家の場合は同盟国が撃ちます。発射する核は取りこぼしのないよう、戦略核クラスの物が推奨されます。なお、有事の際に核を撃つ決断ができなかった国家は、国際的信用を失います。

 現時点での核は、既に20回近く発射されています。加害範囲を絞り、威力を高めた核開発が急がれています。

 ※呪いに関して、艦娘に周知するのは慎重に行ってください。全てのイロハ級が、元人間だったと思い込み、戦闘不能になる恐れがあります。対策なく周知をした場合は十傑集裁判が無告知に実行されます。
 
 この要綱を権限なく見た場合も同様です。
 というか今向かわせました。

A氏「 」


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第182話 蛹

 ころころと転がってきた脳味噌の残骸が踏み潰される。

 残されたのは、穴という穴から内臓を垂れ流す胴体と、それに繋がった艤装だけ。

 

「嘘」

 

 瓦礫の山から這いずり出てきた満潮は、膝から崩れ落ちた。

 

「あれは、何なの」

 

 腹部の出血は深刻だ。

 すぐ止血しなければ、生命に関わるような傷。

 しかし動けない。

 治療しようと思わない、痛みを感じてさえいない。

 

「まさか、卯月……なの」

 

 仲間が死んだ。

 あんなんでも、一応仲間として認識していた。

 その卯月が、ああなって死んだ。

 

「嘘よ、嘘、あり得ない、また、だ……なんて……」

 

 現実を受け入れない。

 それは起こりえない事。

 今の自分の前で、仲間が死ぬ事は、あり得ない。

 だが、現実は見ての通り。

 その矛盾に、満潮の精神は壊れ始める。

 

 戦闘できる状態ではない。

 壊れたオルゴールのように、うわ言を繰り返し、震えるだけ。

 

 強気さは失われ、別人の如く怯える満潮。

 

 しかし、彼女を放置してくれる慈悲深さは、彼女達にはない。

 

「生きてたのアンタ」

 

 近くからの声に、顔を上げる──頬を弓矢で殴られた。

 

「あぐっ!」

 

 ()()()によって強烈な威力を発揮。

 それは、駆逐艦を簡単に吹っ飛ばす。

 壊れた精神では、受け身も取れない。

 成すがまま、勢いのまま、アスファルトへ身体を打ちつける。

 

「アンタは変な事しなさそう……っね!」

 

 瑞鶴は口角を醜悪に歪めると、蹲る満潮を踏み潰した。

 

「まったくさぁ、なんだってのアンタの連れは! 最後まで気持ち悪い事をして、本当に不愉快! アンタの仲間よ、責任取って私を少しでもスッキリさせなさい、よっ!」

 

 背中を踏み、足を踏み、腹を蹴って、顔も蹴り飛ばす。

 殺す気はない。ストレス解消だ。

 それでも、D-ABYSS(ディー・アビス)によって強化された、正規空母の膂力が乗る。

 

「が、あ、ぁ。うぁ……」

「ふふっ、その悲鳴は興奮するわね。ほらほら、もっと泣き叫びなさい! オラッ、オラッ、オラァッ!」

 

 顎が砕けている。鼻は潰れて、口呼吸しかできず、その肺も損耗。内臓も傷が入り、鋤骨等が折れている。

 

 そこまでされても無抵抗。

 無様に、成すがままに悲鳴を上げるだけ。

 霞む視界で見るのは、卯月だった残骸。

 絶望と後悔で、何も分からなくなっている。

 

 このまま殺されても、どうでもいいと思ってしまう程に。

 

「反応が薄くなってきたわね。ここらで終わりかしら。そらぁっ!」

「──ッ」

 

 思いっきり腹を蹴り上げて、弓矢で叩き潰した。

 その勢いに、満潮はアスファルトへめり込む。

 もう虫の息だった。

 虚ろな目で、卯月の方を見ながら、それこそ虫のように痙攣する。

 

「はぁー、ちょっとはスッキリした。まったくどーして私が、こんな気分にならなくちゃいけないのかしら」

 

 瑞鶴は今まで、幸福に生きてきた。

 艦娘だろうが、深海棲艦だろうが、甚振って殺すと、ゾクゾクとした背徳感を味わえる。

 溢れんばかりの多幸感に酔いしれる事ができた。

 それに溺れて生きてきたし、一生そうしていたかった。

 

 だが、卯月は違った。

 殺したのに多幸感を得られない。感じたことのない、悍ましい感覚がこびりついたまま。

 満潮を甚振っても、尚解消できない。

 

「ズイカク。いつまでも遊んでないで。nuclear missile(核ミサイル)の直撃は回避しないといけないわ。上空のmonitoring(監視)も必要。大将の護衛がヤケになって襲ってくるかもしれないわ」

「ウォースパイトは心配し過ぎ。私達に勝てる奴はいない。ていうか、()()()()()()()()()じゃない」

「ズイカク」

「……ちぇっ、はーい」

 

 システムにより強化された肉体は、放射線如きではびくともしない

 だが、流石に爆発の直撃は不味い。

 砲撃等で塹壕を掘り、回避しなくてはならない。

 ウォースパイトの言う通り、遊んでいる暇はないのだ。

 

「ガンビア・ベイは卯月の艤装を回収しなさい」

「え、イヤです。i don't want to get close(接近したくないです)

「艦載機のmachine gun(機銃)で、接続ユニットを破壊すれば良いじゃないですか」

「ハァー……Confirmed(了解です)

 

 アイツはなんでああなんだ? 

 クソみたいな性根は、味方に対しても遺憾なく発揮されている。

 命令は一応聞くけども、面倒に変わりはない。

 命令通り、機銃で接続ユニットを破壊、落ちた艤装を艦載機で回収し、ウォースパイトの足元へ置いた。

 

 念のため確認する。

 

Hole()は空いてないわね」

 

 艤装側面に空いていた穴は、綺麗さっぱり無くなっていた。

 見間違いだったのか? 

 いや、それはあり得ない。

 三人とも確かに、『穴』を目撃した。

 あれはいったい何だったのだろうか? 

 

 いや、もう卯月は死んだ、大した事はない。

 そう思考を打ち切る。

 

 ──本能が勝手に打ち切ったのだ。これ以上考えるのは危険だと、本能が訴えていたのだ。

 

 艤装は回収した。

 さっさと撤退し、核を凌げる場所を作る。

 生き残りを始末してから。

 

「んじゃ、コイツ殺すわね」

「ええズイカク。ガンビア・ベイは上空を見ていてください。制空権を取られないように。勿論奇襲もさせないように」

「了解、です」

 

 倒れる満潮の脳天に、瑞鶴が弓矢(照準)を合わせた。

 超至近距離、絶対に外れない距離。

 満潮は抵抗しない。

 重症と、絶望と、後悔で、指先一本すら動かせない。

 

 弓矢が放たれた。

 

 甲高い金属音が響き、空気を震わす。

 

 『矢』が、別の『矢』に弾き飛ばされた音だった。

 

 放った矢が、別の矢で弾かれた。

 何者かが、奇襲を仕掛けてきたのだ。

 矢の飛んできた方向を見る為、顔を上げる。

 

「罠よ瑞鶴、下!」

「え!?」

 

 下を見た瑞鶴は、わなわなと震えだす。

 

「があ……っ!?」

 

 満潮が消えていた。

 

「マヌケ! 艦載機だわ! あそこ!」

 

 艦載機が、満潮を掴んで飛んでいた。

 飛鷹達の艦載機ではない。制空権は完全に支配していた。奇襲もガンビア・ベイに見張らせていた、見落としはあり得ない。

 なら、さっき弓を撃ってきた奴しかあり得ない。

 

 よりにもよって、同じ空母に出し抜かれた。

 ぞれを受け居られず、瑞鶴の額に血管が浮かび上がる。

 

「殺してやるわ! 何処の誰だか知らないけど私を舐めた報いを受けさせてや──」

 

 その瞬間、ウォースパイトが絶叫した。

 

「一体何をしてるの!?」

「見ての通り、アイツを殺」

「止めなさい今すぐに、Silly(ふざけた事)をしないでちょうだい!」

「は?」

 

 理解できない命令に、瑞鶴は反論する。

 

「バカな事言わないで。あいつを殺さなきゃ、撤退に支障きたすでしょうが!?」

Wwwwhy(ななな何で)、どうして、分からないです!?」

「今すぐ止めなければ、Get rid of(始末します)!」

「はぁ!?」

 

 ガンビア・ベイまで喚き出す。苛立つ瑞鶴は、大声で叫ぶ。

 

「だから! あの空母を! 殺すって! ことなのよ! これ以上叫ぶな喧しい!」

「違うわズイカク!」

「叫ぶなって、言ったで」

()()()!」

「……あっち?」

 

 さっきから、変だ。

 

 瑞鶴は顔を動かす。

 

 

 

 卯月の残骸を、チ級が()()()()()

 

 

 

「えっ」

 

 雷巡チ級が、卯月の遺体を、貪っていた。

 丁重に、欠片に至るまで。

 瑞鶴は漸く、異常事態を認識した。

 『止めろ』と言っていた相手は瑞鶴ではない。

 この雷巡チ級だったのだ。

 

「何してんのアンタッ!? 誰がそんな命令したの!? それを止めなさい!」

 

 チ級は耳を貸さず、一心不乱に食べ続ける。

 

「命令を聞かない!? どうして!? 止めろって言ってるのが、聞こえないの!?」

Enough(もういいわ)ズイカク。私も既に言ったわ。言って聞かないならuntil you kil(殺すまで)!」

 

 さっきの時点で、ほぼ捕食済み。

 後一口で完食。

 そうなる前に止めなければならない。ウォースパイトはそう確信していた。

 

「Fire!」

 

 躊躇なく、副砲を撃つ──主砲だと衝撃で、足元にある卯月の艤装を壊す恐れがある──システムで強化された戦艦の一撃が、チ級仮面に直撃。

 顔が粉砕され、吹き飛んでいく。

 死んだ。

 そう思えるのに、不快感が消えない。

 

「……今のは一体」

 

 どうしてチ級は、卯月の遺体を食べたのか? 

 もうチ級は殺した。

 大した意味はない──などと、片づけられない。

 

「ウォースパイト!? 待って、どうしたのそれ!?」

「急に何、それどころじゃ……」

()()! 卯月の艤装アンタの足元にあったじゃない。どこにやったの!?」

「え!?」

 

 足元を見る。

 艤装が、()()()()()

 システムを積んだ、最重要確保対象。

 それが、一瞬目を離した間に、何処かへ行ってしまったのだ。

 

What's the matter(どういう事なの)!?」

 

 艤装はそれなりの大きさ。

 持ち去ろうとすれば、途中で誰かが気づく、物音だっておきる。

 だが、何もなかった。

 煙に巻かれたように、どこかへ消えてしまった。

 

「あ、ああああ!!??!」

「今度は何なのガンビア・ベイ!」

「チチチチ級、か、かか、顔が、ななっ……!」

 

 ガンビア・ベイの指さす方向。

 そこには、吹っ飛ばしたチ級が立っていた。

 

 戦艦の副砲で撃ったのに、未だ健在。

 とはいえ、ダメージは通っている。顔面に直撃させたから、仮面が砕けていた。

 仮面の下が、剥き出しになる。

 

 だが、無かった。

 

 顔がなかった。

 何もなかった。

 顔も、肌も、肉も、骨も、脳も、機械もない。

 あるのは『穴』だけ。

 

「あれ、は」

 

 卯月の艤装に空いていたのと、同じモノが。

 チ級の顔に『穴』が開いていた。

 

「────ッ!」

 

 攻撃を命じ──ずとも、イロハ級が砲火を放つ。

 

 ()()()()()()()()

 

 その事を、誰もが確信していた。

 チ級へ砲撃が殺到する。

 地を揺らすような砲撃音、衝撃波で粉塵が舞い上がり、視界が埋まる。

 

 しかし、それまでだった。

 砲弾は全弾命中。地形を変えられる弾幕が、全て命中。

 なのに、爆発していない。

 

「なんで」

 

 撃たれた砲弾は、チ級を中心に、()()()()()()()()()()()

 ブドウのふさとか、数珠玉めいた状態。

 

 それだけならまだマシだった。

 くっついた砲弾が、生き物のように脈動し始めたのだ。

 

 一刻の猶予もない。

 だが、打つ手がない。

 砲撃では意味がない、またくっついてしまう、別の攻撃をするしかない。

 恐らく魚雷もダメ、空爆も無力化されるかもしれない。

 

 今、自分たちが出せる、最大火力を叩き込めば、どうなるだろうか。

 それはウォースパイトの砲撃でも、瑞鶴の空爆でもない。

 

「ウォースパイト!」

「準備はできている。全員critical state(臨界状態よ)!」

「お願い、これで、消え失せて!」

 

 腕を振り下ろす。

 イロハ級がチ級目掛けて、次々に飛び掛かって行く。

 総数100隻を超える深海棲艦。

 その機関部を臨界状態にしてからの、連続自爆攻撃。

 

 これが、今出せる最大火力だった。

 無数のイロハ級に飛びつかれ。鉄と肉のドームが形成され、全個体が自爆を遂げた。

 

 100隻分の油や弾薬、更にウォースパイトの『能力』も巻き込んだ爆発。

 その威力はまさに段違い。

 システムの恩恵を受けて、身体能力を強化されている彼女でも、吹き飛ばされかねないクラスの衝撃波。

 吹っ飛ばないよう、地面を踏みしめて耐え抜く。

 

 これなら、消えただろう。

 

 誰もが、そうあってくれと懇願していた。

 しかし、彼女達は、未だに理解できていなかった。

 D-ABYSS(ディー・アビス)の真の恐ろしさを。

 

 イロハ級は健在だった。

 

「……分かんない、自爆したでしょ、なのに」

 

 自爆したのに、生き残っている。

 100隻全員が、ドーム状のまま、そこに居る。

 既に事態は、超常の領域へと進みだしていた。

 

豁、蜃ヲ縺ッ遨「蝨

 

 イ級が嬌声を告げた。

 

「嘘。あり得ない。イロハ級が喋る筈がない」

 

 ドームを形成する、一隻のイ級が喋った。

 言葉を話さない筈のイロハ級が喋った。

 理解できない言語を。

 

縺励°縺怜スシ蟯ク縺ァ縺ゅj豬? 悄

 蜊ウ縺。螂郁誠縲

 

 ル級が悲鳴を告げた。

 

邨らч縺ィ縺ッ荳サ縺ョ蜈? ≠繧

 蜊ウ縺。逕溯ェ輔→遲我セ。蛟、縺ェ繧

 縺ェ繧後? 縲∵? 谺イ縺ォ萓昴▲縺ヲ貎ー縺医◆謌代i縺ッ雍

 

 ヲ級が祈を告げた。

 

 言葉が出なかった。

 もう事態を処理できていない。

 文字通りの思考停止。

 目の前の光景に絶句する他ない。

 

螂郁誠縺ョ邇九∈鬥ウ縺帛盾縺倥? ∬エ? →縺ェ繧九? 

 

 ツ級が祝福を告げた。

 

蜀・蠎

 

 ドームが()()()()()()()()()()()()()()()()()

 蛹が変化してくように変容していく。

 イロハ級の艤装と、生身の部分が、そのままの形で何かへと形成されていく。

 

譎ゅ? 譫懊※

 

 後足が生まれた。前足が生まれた。尾が生まれた。

 

蝗? 譫懷慍蟷ウ縺ョ逡ェ莠コ

 

 背中が生まれた。下半身が生まれた。

 

縺昴%縺ク縺ィ騾壹§繧狗ゥエ

 

 首と頭が生まれた。

 

蜊ウ縺。縲∵キア豬キ螂郁誠蟋ォ縺ァ縺ゅk

 

 リ級が降臨を告げた。

 

 それを以って戴冠が終わり、イロハ級は沈黙する。

 

「……何が、どうなって」

 

 それは、イロハ級の肉と艤装を、歪に継ぎ接ぎした、四足歩行の(ビースト)

 即ち、受胎した(ビースト)であり、目覚めの時を待つ『(PUPA)』。

 戴冠を終え、蛹から蛹へ、そして蛹から生まれ、玉座へ至る為の一つ目。

 数多の祈りを、奈落へ導く為の凱旋へ、目覚めながら獣は歩み出す。

 

「■……」

 

 宿望の時来たれり、念願の時は来たれり、奇跡は此処にあり。

 

「■■■■■■■■■!!!!」

 

 卯月は蘇った。




開発報告第伍番
 遂にハードウェアが完成した。長かったと我ながら思う。あの体育館級のサイズからよく艤装へ詰め込めるサイズへ小型化できたものだ。しかし慢心禁物。これでようやく第一歩といったところ。重要なのはここからだ。だが、ここから先の開発計画がどう進むかは私も子細を知らない。必要な部分だけしか知らされていない。仕方がない、軍隊とはそういうものだ。
 だが、気にくわない。全てを肯定するのに、知らないことがあるというのは矛盾する。わたしにだってコネがある。調べさせてもらおう。


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第183話 獣①:PUPA

追記:テロリスト達の動向について書き忘れていたので追記しました。


 天が割れ、月光が差し込む。

 それは漸く仮初の現身を、即ち幽衣を脱ぎ捨てた王への祝福である。

 生誕、再臨、目覚めの歓喜に喉を震わし、その威容に大地は震える。

 

 例え未だ(PUPA)であっても、彼女は王足るもの。

 既に、目覚めは成された。

 残る受胎を以って、座興が始まるのである。

 

 が、そんな超常現象を理解できる筈もなく、唖然と見ているしかないのが彼女達。

 

 この化け物まさか卯月なのか? 

 

 しかし、ウォースパイト達は奇妙な確信を得ていた。

 これは卯月だ。間違いなく奴だ。

 どうしてこうなったのかは、勿論欠片も理解できていなかったが。

 

「……これは、何?」

 

 やっと絞り出せたのは、その一言だった。

 

 状況が全く理解できない。

 自爆させようと飛び掛からせたイロハ級だが、自爆したのに自爆せず、何故か健在で、挙句未知の言語を話し出し、肉体を形成した。

 

 イロハ級の『艤装』と『肉』を継ぎ接ぎした、四足歩行の(ビースト)。醜悪の極致みたいな外見。

 

 勿論、ちゃんと合体させたのとは違う。

 未知のパワーによって、力づくで繋がった状態。整合性も何もない。少し身動ぎするだけで、艤装と艤装が干渉し合い、その摩擦で、獣の様な咆哮が響く。

 

 接続部位の隙間からは、漏れ出したであろう重油がボタボタと流れ落ちて入る。何処となく、腐りかけにも見えなくもない。

 何にせよ、絶対まともではない見た目だった。

 

 止めに、100隻分の深海棲艦で出来た巨体。

 頭頂部から尻尾先端まで合わせたら、40メートル以上は確実にある。

 非の打ち所がない化け物だった。

 

 しかし彼女達は、これからこれと戦わなければならない。

 

「■■■…………」

 

 獣──かどうか不明だがそう呼称する──が、瑞鶴達を睨み、唸り声を上げた。

 正確には、目も何も無い。

 代わりに肉体を形成するイロハ級全員が、こちらを見てきた。

 

「気持ち悪い」

 

 鳥肌が立ったのは、ただ気味悪いからだけではない。

 瑞鶴は気づいていないが、目の前にいるのは、遥かに深淵に近い存在。厳密には死人である彼女よりも、格上なのだ。

 

「たかが……たかが! イロハ級が纏まっただけじゃない! 怯まないわ、私は、その程度で! ご主人様への忠誠心を甘く見ないでよね!」

 

 そう自らを鼓舞し、本能的恐怖を追い払う。

 実際、言っている事は間違いではない。

 彼女達の力ならイロハ級なんて敵ではない。その塊だって同じ。吹き飛ばせる。

 

 矢継ぎ早に航空隊を繰り出し、一気に上空へ展開させる。

 

「貴方達のrole(役割)はもう終わりました。こいつ相手にはforce(戦力)になりません。此処から離れて、生存者の掃討や護衛対象の始末にでも向かってください!」

 

 動揺し切って、立ち尽くしていたテロリスト達へウォースパイトが声を飛ばす。それを受けて彼らは一斉に撤収した。

 これで良い。恐らくだが、この化け物相手では足手纏い。囮にさえならないと思った。

 

「急降下爆撃、開始!」

 

 一つ、瑞鶴の利点があった。

 避難者達を生け贄にして、イロハ級を大量に生成したが、実は『空母系』は一体も生成していない。

 理由は別の所にある──兎も角、それらを集結させた獣には航空戦力がないのである。

 

「やっぱり、私は運が良い!」

 

 予想通り獣は発艦してこない。

 空母を組み込んでいないから、航空戦力がないのだ。

 精々機銃や主砲による対空砲火ぐらい。

 

 それでも、取り込んだ100隻全てが、別々に対空砲火を行う。頭部から手足、尻尾に至るまで全身に機銃が埋め込まれているのと同じ。

 

 まるで、ご主人様のような──()()()を相手している気分。

 瑞鶴はそう感じる。

 しかし、それは普通の艦娘なら。

 システムにより強化された瑞鶴の艦載機に、その程度の対空砲火は通らない。

 

「行ける、行けるわ! ただデカいだけのウスノロだったのね。脅かしやがって!」

 

 対空砲火をしているが、獣は全然動かない。

 40メートルを超えた巨体を、四足歩行で動かすのはムリなのだろう。

 所詮は見掛け倒し、瑞鶴は嘲笑う。

 

 但し油断はしない。

 心臓が止まるような、凄まじい圧迫感が消えない。

 ──その警戒が勘違いでないと、直ぐに思い知る。

 

 獣が、一歩踏み出した。

 

「動けるのコイツ!?」

 

 一歩踏み出した後は、二歩、三歩。

 赤ん坊が成長するように、この姿での歩き方を学習した獣は、大地を踏み鳴らし、瑞鶴の方へ歩み寄ってきた。

 

 走ってはいない、歩いているだけ。

 だが、その一歩が全長40メートル級。

 人から見たら、走っているのと大して変わらない移動距離。

 迎撃できているが鬱陶しい。

 獣は、瑞鶴をその巨体で踏み潰そうと、足を上げる。

 

「ウスノロが、そんなすっとろい攻撃、当たる筈が──」

 

 瑞鶴は、一つミスを犯した。

 獣は遅くない、遅く見えるだけ。

 普通の四足獣とほぼ同じ速度で、四肢を動かす事ができる。

 それが、この巨体でとなれば。

 

「嘘、早い!?」

 

 前足がすぐそこまで迫っていた。

 普段──まず存在しないが──こんな巨大な敵と戦う機会がなかったせいで、そういう感覚を持ち合わせていなかった。

 結果、瑞鶴は逃げ損ねる。

 

 それでも、瑞鶴は諦めたりしない。この程度で諦めるなんて、奴隷としての矜持が廃る。

 

「舐めるな!」

 

 そう叫ぶと、弓矢を構え、大量に艦載機を展開。

 全てを真っ直ぐに飛ばし、落ちてくる脚部へ特攻させた。

 砂嵐に見える様な、大量の艦載機によって、獣の足は押し返される。

 更にそこへ、上空に展開していた航空隊も加勢。

 勢いは加速し、獣の前足は思いっきり跳ね返され、同時に体勢が崩れる。

 結果、腹がむき出しになった。

 

「ウォースパイト!」

「分かっています! 外しません、Fire、Fire、Fire!」

 

 多分腹の装甲は薄い。

 薄くなかったとしても、防御を崩したタイミングで攻撃はできる。何にしても攻撃のチャンス。見逃す理由はない。

 それを狙い、準備していたウォースパイトが、砲門を開く。

 

 ──これまで撃破した洗脳艦娘は秋月と最上、駆逐艦と航空巡洋艦。

 それでもあの砲撃威力を持っていた。

 これが戦艦になったら。

 戦艦がシステムの恩恵を受けたら、どんな火力になるのか。

 

 答えがこれである。

 一瞬だが、音が消失した。

 

 音を伝搬させる為の、空気が消えたからだ。

 砲撃の衝撃波が、周囲を空気を吹っ飛ばし、一瞬ではあるが真空状態を作り出したのである。

 威力は、言うまでもない。

 

「──―ッ!??」

 

 地形が丸ごと抉り取られる。

 空を覆っていた火災の煙さえ吹き飛ばされる。

 既に半壊状態だった核シェルターが、衝撃波だけで一気に崩壊する。

 衝撃波で大気が震え、獣は絶叫を上げながら、爆炎に飲み込まれた。

 姿が見えなくなった獣に、瑞鶴は歓喜した。

 

「やったわ!」

「静かにズイカク。油断してはダメ!」

 

 対してウォースパイトは冷静だった。

 未だに、『穴』を見た時の恐怖が染み付いていて、油断なんてとてもじゃないができなかった。まだ生きていると思ってしまうのだ。

 

 間もなく、爆炎が止んだ時、懸念は正しかったと思い知る。

 

「……いや致命傷でしょアレ」

 

 瑞鶴はそう思った。

 四肢でまだ立ててはいるが、腹部に穴が空いていたからだ。

 所詮はイロハ級の集合体という事か。

 『虚無』への穴とかではなく、普通のダメージとしての穴だ。

 そこからは、砲撃でスクラップになった残骸や、オイルが大量に漏れ出していた。

 

 しかし瑞鶴とは逆に、ウォースパイトはますます警戒を強める

 

「やっぱり……これは、かなり酷い目に遭うわ、私達」

「どうしてなの」

「私の砲撃を喰らって、あの程度なのがおかしいの。見て、胴体を貫通してない。ただお腹付近を抉っただけだわ」

 

 もっとも普通ならそれで致命傷。

 そうと思えないのは、眼前で起きている異常事態のせいだ。

 

「──―ッ」

 

 獣が、再び動き出した。

 ただ歩くだけではなく、先程よりも早く。

 

「来るわズイカク! 今度はcarelessness(油断)しないでくださいね!」

「分かってるわよ!」

 

 速度を見間違えて、攻撃されるなんてマヌケは一回で十分だ。

 

 しかし、獣もバカではない。

 前足を、後ろ脚を動かす度に、自分の動かし方を学習している。

 それも、一歩目を踏み出した赤ん坊が、歩き始めるぐらいに早く。

 

 このまま突撃してくるか──そう思った矢先、獣は前足の片方を、地面に深々と突き刺し、そのまま身を投げ出した。

 それだけで攻撃として成立するのが、巨体の恐ろしさだ。

 

「迎撃! 急いで!」

「わ、分かってる!」

 

 巨体相応の速度で歩いている最中に、前足を地面に刺した。

 その足が『軸』になる。

 勢いのまま、身を投げ出せば、身体は軸を中心に回るだけ。

 

 40メートル超の巨体の大半が、回転ゴマの要領で、瑞鶴達に突っ込んできたのだ。

 

 100隻分の重量に加速が乗った。

 直撃すれば死。

 D-ABYSS(ディー・アビス)の強化があっても、死を確信させるそれが迫る。

 

 回避は可能だ。出力に任せ、全力でジャンプすれば行ける。

 だが、その後の攻撃が来たら死ぬ。

 二人共、空中である程度動けるが、相手が相手。とてもじゃないが油断できない。

 

「押し返す、合わせて!」

「ええ、そうしましょう」

 

 選んだのは、火力に物を言わせ、巨体自体を押し返す方法。

 安全かどうかは微妙だが、その後臨機応変に対応できる。獣へダメージも与えられる。

 問題は、それが狙い通りになるかどうかで。

 

 砲塔を動かし、狙いを定め、引き金を引いた──獣は聞いていた。トリガーを引く音を。

 

 瞬間、獣は後ろ足を突き立てた。

 

 つまり、急ブレーキだ。

 突っ込んでいく筈だった半身は、その反動で、大きく上へと振れる。

 ウォースパイト達は止められない。砲弾と艦載機が飛び出すが、動きが変わったせいで空を切った。

 

 そして、その反動で動けない所へ、獣は『尾』を叩き付ける。

 

 遠目に見れば、振り子の様にも見える。

 最初に回転し、勢いをつけてからのブレーキ、その反動を利用し、より強く尾を振るう。

 完全な直撃コースへ乗った。

 しかし二人は、あくまで冷静に動く。

 

「案外、intelligence(知能)は残っているのですね」

 

 ウォースパイトは慌てず、砲塔を回転させ砲撃を放つ。

 直撃ではなく、尾の下部分へ向けて。

 押し返さない、軌道を逸らす。

 狙い通り弾かれた尾は、直撃コースからずれ、彼女達の頭上を通り過ぎる。

 

 その隙に、瑞鶴が弓矢を放つ。

 艦載機にせず、そのまま撃ち込み、尾へ楔として喰い込ませた。

 矢は、尾に垂直な形で、直線に並ぶ。

 

「今よ、発艦!」

 

 ここで、艦載機へ変化。

 するとどうなるか。

 それは、巨大な岩を砕くのと同じ要領。

 直線上に楔を打ち込むことで、一気に割るのと同じ仕組み。

 

 喰い込んだ矢が、一斉に変化。

 それと同時に、全て自爆した。

 

 狙い通りなら、獣の尾が縦に両断され、切断できる。

 この巨体だ、一か所ずつ破壊していくのが、良いのかもしれない。

 瑞鶴はそう考えていた。

 

 だが、そうはならない。

 

「■■■■■■!!!」

 

 尾は切断されていなかった。

 矢を刺したラインに従って、亀裂が入っているが、切断まではいっていない。

 その理由の答えは、『弾幕』が齎した。

 

 亀裂の入った尾から、分厚い弾幕が瑞鶴達へ襲い掛かる。

 小口径主砲から、大口径主砲から、機銃、副砲、高角砲に至るまで、あらゆる弾幕が吹き荒れる。

 それを見て、瑞鶴は理解した。

 

「全身が艤装、武装の塊……じゃあ、つまり、私のも押し返されたってことか!」

 

 獣は、駆逐艦から戦艦に至るまで──空母系は除く──あらゆるイロハ級で形勢されている。

 いわば、全身が隈なく武装されているのだ。

 尾を切断できなかったのは、自爆寸前にそこから弾幕を放ち、爆発のエネルギーを吹き飛ばしたからだ。

 

「ヤバい!」

 

 これは回避しきれない。

 尾からの砲撃が、瑞鶴を掠める。

 その瞬間、獣の全身から砲塔が現れた。

 

「しまっ──」

 

 察する暇もなく、砲火が切られた。向けられる砲門全ての一斉砲撃。

 逃げられず、瑞鶴はそれを全身で受け止めてしまう。

 

 ところが、彼女は余裕だ。

 爆炎で、獣からは見えないが、瑞鶴は無傷だったからだ。

 

 やっぱり、火力はイロハ級か。

 

 爆炎の中、瑞鶴はほくそ笑む。

 D-ABYSS(ディー・アビス)により、瑞鶴の装甲は強化されている。

 イロハ級の攻撃では、ダメージなんてまず入らない程堅牢。

 

 獣は巨体こそ恐ろしいが、それ以外は大した事はない。

 こちらにダメージが入らないなら、敗北は決してあり得ない。

 瑞鶴は、無造作に弓を振り回す。

 たったそれだけで、獣の砲撃は吹き飛ばされた。

 

「見た目だけって訳ね。まあ確かに驚いたけど……私達には敵わないってことね」

 

 抵抗されたことで、獣はより悍ましく咆哮。

 体勢を瑞鶴の方へ向き直し、より密度の高い弾幕を繰り出す。

 しっかり四肢で踏みしめ、反動を抑え、狙いも正確に。

 

 それでも、祝福を受けた洗脳艦娘(犠牲者)と、イロハ級の集合体ではスペック差が埋められない。

 

「アンタの力は理解できたわ。これ以上時間をかける必要はないでしょ」

 

 一撃で終わらせよう。

 瑞鶴は弓を限界まで引き絞る。

 通らないが砲弾は当たる。

 妨害のせいで、照準が少しつけ辛いが、時間の問題だ。

 

 その最中、獣が口を開いた。

 

「……ん?」

 

 攻撃だろうか、しかし、口内に砲門は見えない。

 まあ何であろうと、所詮イロハ級に毛が生えた一撃だ。ダメージはあり得ない。

 ──が、相手は超常の化け物。

 念のため、回避体勢に入れるようにはしておこう。

 

 そう思い、足を動かそうとする。

 

「え」

 

 思うように動かせなかった。

 何事かを足元を見る。

 

「あ!?」

 

 黒い液体──獣から零れ出ていた、重油が絡みついていたのだ。

 

「ズイカク前!」

「前って……ッ!?」

 

 ウォースパイトの声に前を向く。

 瑞鶴は生命の危機を感じた。

 これは、一体、何が放たれようとしているのか。

 

 獣の口内が、蒼く輝きだしていた。



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第184話 獣②:PUPA

 身体が重い、手足を動かすのさえ億劫。瞼を空けることも辛い。

 このままじっとしていたい。

 気怠さの中満潮はそう思っていた。

 

 しかしそれを許さない者がいた。

 

「起きてください」

 

 誰かの声がする。

 けどどうでもいい。

 

「起きてください。用があるんです」

 

 煩いな、鬱陶しい、あっちへ行ってくれ。

 

「起こします」

 

 しつこ……何だって? 

 直後、強烈な痛みが頭を貫いた。

 

「がっ!?」

「おはようございます」

 

 鼻先を思いっきり殴り飛ばされた。

 次第に思い出す──そうだ、わたしの鼻先潰れてたじゃん。そこを更に殴られた。どうりで痛い訳だ。

 満潮はのたうち回りながら、そんなことを考えていた。

 

「おはようございます。私の言葉聞こえてますよね。耳潰れてないですよね?」

「聞こえ、てる、わよ……快適な目覚めを、どうもありがとう」

「お礼には及びません。用があるので起こしただけですから」

 

 皮肉を言ったつもりなんだが。

 鼻先を摩りながら、自分を起こした人物を見据える。

 

「アンタは……」

「ああ動かない方が良いですよ。満潮さん酷い重症を負っています。ギリギリで助け出せたら良かったですけど、あのままだと死んでましたね。あ、応急処置もしてあります。でもあくまで応急です。動かないように」

「……そうだ、私は」

 

 だんだん思い出していく。

 瑞鶴、ウォースパイト、ガンビア・ベイに囲まれた上、憂さ晴らしのように散々甚振られた。

 けど無抵抗で受け入れた。

 卯月が死ぬのを、見てしまったから。

 

「私は……また、また……どうして、まだ、ダメなの……?」

 

 無力感が全身を支配する。

 トラウマが蘇り『発作』めいた状態へ陥る。

 自己嫌悪が止まらない、半ば錯乱、身動きがとれなくなる。

 

「何か辛い事でもあったんですか?」

 

 満潮の心境を1ミリも察してない横やりがなければ。

 

「アンタ、どうしてそんな事言えるの。と言うか見てなかったの、助けてくれた事には、お礼を言うけど」

「見てましたよ? ええ、卯月さん……でしたっけ。心臓潰されてましたね。生憎、私がお二人を発見したのがそのタイミングでして、卯月さんの救助は間に合わなかったんです」

「そう……」

 

 文句を言える立場ではない。

 卯月を助ける事ができたのは、自分だったのだから。

 後悔に、更にトラウマが抉られる。

 

「そろそろ私の要件聞いて貰っていいですか?」

「要件……っていうか、アンタ誰? 艦娘で、味方なのは分かるけど」

「私は大将の艦娘ですよ」

「大将の?」

 

 彼女は自慢げに飛行甲板を翻す。

 

「航空母艦、赤城です。これから貴女に尋問します」

「……えっ」

「尋問します」

 

 瞬間、弓矢が突き立てられた。

 その動きは高速。構えるところも、引き絞る瞬間も見えない。

 一瞬でホールドアップされた。

 

「説明の時間はないので省略します。もう核ミサイルは撃たれてしまったので」

「……嘘、でしょ」

「本当の話です。私は提督(大将)をシェルター内へ避難させたいんです。ですがそれより優先度の高い任務が発生したので、貴女を尋問しに来ました」

 

 赤城が満潮達を発見できたのは、避難者の捜索作業をしていたからだ。

 空母である彼女には、大将自身の護衛よりも、その任務が割り振られた。

 その途中、敵と交戦する卯月達が見えた為、加勢しようと──結果的には間に合わなかったが──したのだ。

 

「優先度って、どういう事なのよ」

「卯月さんは何者ですか?」

「は?」

「高宮中佐が提督に信頼されているのは知っています。でなければ懲罰部隊を任せたりしません。けど私は信頼しません。提督が信用していても、同じようにするのは慢心です。ましてやこの状況、万一の事は……」

「だから、何。何なの」

 

 言いたいことは分かったが、どうして卯月が出てくる? 

 卯月はもう死んでいる。聞いて何の意味がある。

 赤城は首を動かし、方向を示した。

 

「見ろってこと?」

 

 満潮はそっちを見た。

 化け物がいた。

 異形の怪物が、ウォースパイト達と戦っていた。

 

「……何なの……あれは……?」

「卯月さんです。多分」

「は!?」

「なので貴女に尋問します。ずっと同室だったと聞いています。何か知っていますよね。話して貰います」

 

 そんなこと言われても何を話せと。

 化け物と赤城を交互に見て呆然とする。

 今分かることは、壮絶な何かが起こっているという事だけだった。

 

 

 

 

 零れ落ちた重油に足を取られ、拘束された瑞鶴。

 そこへ獣が口を開く。

 その口内は蒼い輝きを放っていた。

 

 光が、中央へ集約されていく。

 藻掻くが狙いは正確、瑞鶴の動きを見逃さずに追尾。

 仮に拘束から逃れても、周囲の弾幕を受けて回避速度は低下、狙いからは逃げられない。

 

 光が放たれた。

 

 真っ直ぐに瑞鶴へ飛ぶ。

 艦載機よりも機銃よりも砲撃よりも早い速度で光が伸びる。

 

「うぉぉおおおお!!」

 

 攻撃の正体は掴めていない。

 しかし確信はあった。

 喰らったら死ぬという絶対的な確信が。

 

 だが重油の拘束や弾幕で直ぐに逃げられない。艦載機を盾にしても効果があるか不明。

 故に彼女は『能力』を発動させた。

 

「私を守れッ!」

 

 光が瑞鶴を貫く──その寸前、地面から『戦艦ル級』──が生えてきた。

 戦艦ル級が肉盾となり瑞鶴を防御したのだ。

 その隙に瑞鶴は射線上から離脱する。

 

 それが彼女の能力。

 瑞鶴はイロハ級を生成できる能力を持っていた。

 この襲撃において、呪いの発生元である最初の一体目は、外部から持ち込まれたのではなく、瑞鶴により現地生成されたのだ。

 

「なんてことなの、私が、能力を使うことになるなんて!」

 

 しかし彼女的には、能力は隠したかった。

 その方が戦略上有利だからだ。

 尤も悠長な事を言える状況ではない、仕方ないと割り切る。

 だが逆に、そうなるまで自分を追い詰めた『獣』に対し、怒りの感情が沸き上がった。

 

「しかも何よコレ、見かけの割に大した攻撃じゃないじゃない!」

 

 光はル級の装甲に阻まれていた。

 照射は続いているが、周囲にエネルギーらしき光が飛び散るだけ。

 ル級は前傾姿勢かつ、足に力を込めて耐えている。

 発射の勢いは高いが、それだけだ。

 

「本当に大したことなかったのね……このクソ餓鬼が、私を舐めやがって……」

 

 ほくそ笑み、内心で安堵。

 油断したら吹っ飛ばされてしまう。しかし装甲は抜けない。

 それにル級より瑞鶴の方が固い。もし喰らっても耐えれる。

 

 能力まで使ったのは間違いだった。能力が知れ渡るデメリットを背負っただけ。また怒りを湧き上がらせる。

 

「もーいい、その図体といい、コケ脅しはもう十分!」

 

 さっさと終わらせよう。

 獣の頭部へ狙いを合わせ、弓矢を発射。

 照射を続けていた獣では回避が間に合わない。側頭部へ矢が刺さり、怯んで横転する。

 同時に照射が途切れる。

 踏ん張っていたル級は、前のめりに倒れた。

 

「……支配されてはいないみたいね」

 

 見た感じ、自分の命令を聞いてくれている。さっきのように、勝手に動いて獣の肉体へ成るとかもなさそうだ。

 同時に飛び散った光に気づく。ル級の装甲へ弾かれ、飛び散っていたそれに触れる。

 

「これは水……ってことは、あのレーザーみたいな奴は水鉄砲だったの?」

 

 深海棲艦は模擬弾として、高密度な水を放つことができる。

 丁度、前科戦線にいる顔無し(加古)がやっていた様に。

 つまり獣が発射していたのはレーザーではなく、単に高密度の水鉄砲──水圧カッターが近い──を放っていただけ。

 

「深海棲艦なら誰でもできる、水鉄砲の模擬弾……そういう事だったの。紛らわしい」

 

 私はこんな攻撃にビビッていたのか? 

 そう思うと本当に腹が立つ。

 この鬱憤はキッチリぶつけてやろう。

 

「攻撃隊発艦、くたばれ!」

 

 次々と弓矢を放ち、切れ目なく攻撃機を突撃、巨大な空襲を作り出す。

 獣は全身の対空火器を総展開、高密度な弾幕を張り、接近を阻む。

 しかし空戦においては、瑞鶴の方が有利。

 

 艦載機を精密にコントロール、急加速、急上昇を織り交ぜ、相手の予測を攪乱。D-ABYSS(ディー・アビス)で飛行速度も強化済み。全て突破とはいかないが、何機かが対空砲火を抜け獣へ肉薄。

 

「そこよ、爆撃開始!」

 

 攻撃機が爆弾を落とす。

 だが一瞬で撃ち落とされた。

 艦載機と違い、爆弾は落としたら()()()()だ。軌道が分かり切っている以上、迎撃はされ易くなる。

 

 だから空母は、爆弾をギリギリの所で投下する。

 間に合わないよう、仮に迎撃できても、爆風に巻き込めるように。

 

 瑞鶴の攻撃機は、各機が違うポイントで急降下爆撃を実行。

 獣は本能的に、落とされた順に処理してしまう。その結果最後の一発がデッドラインを超える。

 迎撃はできたが遅かった。

 

「■■■……ッ!」

「命中!」

 

 身体の一部が爆風に呑まれる。破壊力は並ではない。吹き飛んだ部位がクレーターのように抉れていた。

 だがやはり大き過ぎる。

 複数人纏めて消せる大爆発なのに、大したダメージになっていない。やはり40メートル級の巨体は──

 

「ん……あ、あれ?」

 

 瑞鶴は獣を二度見した。

 

「ちょっとウォースパイト!」

「どうしたのズイカク」

「なんか、大きくなってない!?」

 

 攻撃のチャンスを伺っていた彼女は、大型電探を用いて、サイズを計測し直す。

 

「……巨大化している」

「どうしてよ!?」

「そんなの私が知りたいぐらいです」

 

 この短時間で、更に1、2メートル肥大化していた。

 あり得ない事態だ。

 イロハ級の肉体と艤装で生成されたのが獣だ、いきなり膨張する深海棲艦はいない。だからこれは起こり得ない事態。

 尤も相手が相手、何が起きてもおかしくない。

 

「来るわよズイカク!」

 

 再び巨体が迫る。

 大きくなった分、速度が増す。

 武装の数は増えてないが、弾幕密度は変わらない。砲撃をまき散らしながら突っ込んでくる。

 

「ええ、でも、やることは変わらない!」

 

 落とされた分を超える攻撃機を発艦、空襲を仕掛ける。

 獣も同じように、対空砲火で迎撃しながら、瑞鶴達の元へ突っ込む。

 

 このままでも問題はない。爆弾を落としてダメージは与えられる。

 ただ時間がかかりすぎる。核が落ちる前に戦いは終わりにしないといけない。

 

 その為には連携しなければならない。

 致命傷となる砲撃を叩き込むか、空襲を全て叩き込むか。

 どちらかでなければ早期決着は望めない。

 だから空襲を続ける。

 上へ気を取られている分、チャンスが増える。

 

「ガンビア・ベイ、ステルスはもういい、アンタも空襲を手伝いなさい!」

 

 よりチャンスを増やすべく叫ぶ。

 いつも通り、ステルスで隠れながら、奇襲を狙っているのだろうが、そういう状況ではない。手数が必要だ。

 しかしガンビア・ベイは現れなかった。

 

「……嘘!?」

 

 その時彩雲が衝撃映像を捉えた。

 

「今度はどうしたのズイカク」

「あ、ああ、アイツ、に、()()()()!?」

What's that(何ですって)!?」

 

 ガンビア・ベイは海に向かって全力疾走していた。

 とっくに戦線離脱してたのだ。

 何故だどうしてだ主様への裏切りではないか。

 直ちに通信を繋げ、ガンビア・ベイへ怒声を飛ばす。

 

『何やってんのアンタ、逃げてんじゃないわよふざけんな殺すわよ!?』

「好きにして下さい! I run away(私は逃げます)! こんな所で死にたくない! いや! 死ぬ方が数百倍マシです! Please(お願い)! だから! 私に! 逃げさせてくださいぃぃぃってかズイカク達も逃げた方が良いですから!? 私警告しましたからね! Good bye(さよなら)!」

『訳分かんない事言ってんじゃな』

 

 通信が一方的に切られた。

 

「あの下衆が!」

 

 どの口が、という話だが、確かに下衆だった。

 しかし、二人共もうじき思い知る。

 ガンビア・ベイの判断が正解だったと。

 

「ズイカク、来るわ!」

「アイツ後で殺してやる!」

 

 地鳴りを起こしながら突っ込んでくる。

 大量の砲撃に被弾するがダメージにはならない。

 水圧カッターもコケ脅し、警戒すべきは質量攻撃だけだ。

 

「■■■■■■!!!」

 

 悍ましい咆哮と共に口を開き、地盤を抉って突進。

 それを回避しながら、ウォースパイトが副砲を頭部へ集中発射、少しずつだが抉れ飛ぶ。

 しかし獣は意に介さず、彼女の回避先へ前足を振り下ろす。

 

 そこへ、ウォースパイトが主砲発射。

 勢いと爆発力に前足が押し戻され──なかった。

 獣は咄嗟に、肘辺りの主砲を一斉発射、反動で無理やり前足を振り下ろしたのだ。

 

「そういうusage(使い方)もあるのね」

 

 冷静にチャンスを伺う。

 何度でもやるまで。主砲を連続発射、再び押し返す。

 それと自分の砲撃の反動に挟まれ異音が響く。装甲に亀裂が走り、イロハ級の内臓がまろび出る。

 脚部が潰れる。そう判断した獣は前足を引っ込めウォースパイト──ではなく、その近くへ叩きつけた。

 

Aiming(狙い)がズレた……?」

 

 想定外地点への攻撃、迎撃が遅れる。

 その一撃が周囲を丸ごと破壊。

 足場を崩され、ウォースパイトの体勢が崩れる。

 その瞬間を狙い、獣が口を開く。

 

 再び水圧カッターを叩き込む為に。

 

「甘いわ。所詮獣なのね」

 

 そこへ、瑞鶴が生成した戦艦ル級が割って入る。

 瑞鶴の艦載機に放り込まれたのだ。

 ダメージはないだろうが、万一もある。直撃は避けた方が良い。そう考えた瑞鶴の支援。

 

 水圧カッターがまたル級に当たる。

 一回目と同じ。装甲を貫けず水が飛び散るだけ。

 効果は無し。目の前には、大口を開けた獣。

 

「体内へ直接Presentをあげる」

 

 主砲が口内へ叩き込まれる。

 それも一発では終わらない。

 盾になったル級を巻き添えに、水圧カッターを吹き飛ばし、撃てるだけ捻じ込まれる。

 体内から爆炎が溢れ出し、爆炎が獣を吞み込んだ。




前、加古(顔無し)が演習で水鉄砲模擬弾撃ってましたが、あれは獣に水圧カッターを撃たせる為だけの前フリです。
まあ、ル級の装甲も貫けないよわよわレーザーですけども。


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第185話 獣③:CHRYSALIS

 ウォースパイトの放った砲撃は、ル級を貫き獣の口内も貫いた。

 

「──────……ッ」

 

 悲鳴のような咆哮を上げ、獣が倒れた。

 身体を構成していたイロハ級の眼が、次々と光を失っていく。まるで一つの街が停電になったように。

 体内を貫く攻撃を何度もを受けて、無事な筈もない。

 

「終わった……と、carelessness(油断)しない方がよさそうね」

 

 しかしウォースパイトは警戒を続ける。何が起きてもおかしくない。

 だが迂闊に砲撃もできない。

 卯月が最初変異した時、砲撃が効かず、むしろ獣を構成する糧にされた。同じ事が起きるかもしれない。

 

「追撃しないの?」

「ええ、できれば、こうなったcause(原因)を特定したいわ。My lordへの報告もいるし、何も分からないままでの攻撃は恐いわ」

「成程ね、でも核ミサイル数分で来るわよ。多分5分もない」

「それまでには終わらせます」

「任せる。私は敵やミサイルの動向を見てるから」

 

 瑞鶴も同意見。

 結局獣の戦闘能力は大したことなかった。

 攻撃力、防御力共にイロハ級と同程度。水圧カッターはこけおどし。脅威になるのは質量攻撃だけ。

 しかし雑魚と片付けられない威圧感がある。

 艦載機を飛ばし周囲を警戒する。

 

「……これ、触って大丈夫なのかしら」

 

 獣を観察しながら呟く。触れた瞬間吸収とか恐ろし過ぎる。

 

「やるしかないわね」

 

 ウォースパイトは意を決し、そっと外殻に触れた。

 彼女の『能力』を応用すれば、触診めいた事が可能だ。

 

「なにかベタベタしてる。重油の残りかしら。それにしては変な感触……汚いわ……bad mood(最悪の気分)ね」

 

 外殻としては妙な触り心地。経年劣化で解けたゴムみたいな触感。

 嫌だがちゃんと見ないといけない。汚物に触る気分で、再び触れる。

 

「私、触る役じゃなくて良かったわ」

 

 そんな感想を抱いて、瑞鶴は周囲を警戒する。

 敵影はない。核ミサイルから逃げたからだ。

 残っているのは、散財した瓦礫や、獣の遺体、さっき巻き添えで木端微塵になった()()()()()()()

 

 水圧カッターは効かなかったが、ウォースパイトの砲撃はダメだった。

 ふと、疑問が芽生えた。

 

「……あの獣、どうして二度も水圧カッターを撃ったのかしら。一射目で効かないって分かってた筈なのに。一射目と二射目で、威力が変わってる感じもなかった」

 

 その疑問を、放置していいとは思えない。

 多分確かめた方が良い。

 そう思った瑞鶴は、近くに落ちていたル級の残骸へ手を伸ばす。

 

 それが光り出した。

 

「え」

 

 蒼色に光り出す。

 破壊かどうするか──その判断を下す間もない。

 その直後、残骸が()()()()()()

 

「え……え、え?」

 

 辺りに液化したル級の残骸が飛び散る。

 死んだ深海棲艦は、跡形もなく消滅するが、こんな形ではない。

 

「ウォースパイト……おかしい。変よ、どうなってるの!?」

「どうかしたんですか」

「ル級が、光って、液化して、弾けた!」

「……Shining(光った)?」

 

 連鎖的に、反応が起きる。

 全ての残骸が輝き、溶けて弾ける。

 ばちゃん、ばちゃん……と。

 そこら中に、元ル級の水たまりが出来上がっていく。

 

 獣がル級に何かをしたのだ。

 そしてやった事は一つしかない。

 

「水圧カッター……もしかして、それなの!?」

 

 ウォースパイトの悪寒がピークに達する。

 もう一度外殻に触れる。

 一気にD-ABYSS(ディー・アビス)を解放し、内部にまで感覚を到達させる。

 

 そして感知する。

 

Fetal movement(胎動)!?」

 

 まだ死んでいない。

 口から尻の穴まで貫いたのに絶命していなかった。

 飛び退き、距離を取り、主砲を展開。

 瑞鶴も艦載機を突撃させる。

 

 爆発が獣を覆い尽くす。

 残っていた建物や道路の残骸も吹き飛ばし、辺り一帯を更地へ変えていく。

 しかし手遅れだった。

 

 爆煙で姿が見えなくなる。

 一度、状況を確認する為、砲撃を止める。

 その中に、一体の巨影が見えた。

 ウォースパイトが、呟く。

 

「……蛹だわ」

「さ、蛹?」

「外だけじゃない。中も溶けていたんだわ」

 

 完全変態を遂げる生物は、蛹を形成する。

 その中はドロドロのスライム状になっている。そうやって肉体を再構成し、孵化を遂げるのだ。

 

 獣もまた同じ。

 外殻の内側でイロハ級達は溶けて混ざり合い、再構成されていた。外殻もその余波で溶けていたのだ。

 

 尤もこれも『蛹』。

 『(PUPA)』から『(CHRYSALIS)』へ変異しただけ。そして『(COCOON)』を超える為の中間形態に過ぎない。

 

 融解した外殻が剥がれ落ち、第二の蛹が姿を現す。

 

「……状況、悪化してない、コレ?」

 

 40メートル程度だったのが、44メートル相当に。

 第一形態と同じ四足歩行。

 溶けて混ざり合った結果、継ぎ接ぎではなく、一体の巨体へ変異。

 黒い装甲が積み重なり、隙間からは青い光が溢れ出す。

 そのせいで、ぼんやりと青黒く輝いているかのよう。

 

 何よりも目立つのが角だった。

 

 姫・鬼級個体は大体角を生やしている。

 この獣も角を生やしている。

 だが大き過ぎた。

 頭部の大きさとほぼ同じ。歪に捻じ曲がった一対の巨角を冠していた。

 姫・鬼級の格を示すかのように。

 

 首をもたげ、天を仰ぐ。

 獣の歓喜が、大地を揺るがす。

 

 

 

 

 更なる変容を遂げた獣に、ウォースパイト達は動けない。

 もう理解を諦めたい。

 イロハ級の合体だけでも大概なのに、今度は融合って。

 誰か説明してくれ。しかし、思考を止めては勝てるものも勝てない。

 

「どう見る。ウォースパイト」

「どうって言われてもね。ひょっとしてImmortality(不死身)なのかしら」

「止めて。本当にそういうの止めて」

 

 だが、彼女達には義務がある。

 主様の命令に従う義務。

 卯月を殺さずに逃げ帰る選択肢はない。

 例え、核ミサイルの着弾リミットが迫っていたとしても。

 

「やるしかないわ。最初っからこの作戦にescape(逃げ)はない。私達が死のうがどうなろうが、倒す以外にすべきことはない」

「いや、そうなんだけど……」

 

 見た所武装は減っている──どころか、一つも見当たらない。

 全身のイロハ級が全部溶けたせいで、無くなったのだろう。もしくは装甲の奥に格納しているか。

 

 相対する獣は、沈黙したまま。

 ウォースパイト達を見ながら、出方を伺っている。

 攻撃一辺倒だった第一形態と違い、妙に理性めいたのを感じる。それが返って不気味。

 

 先に仕掛けたのは獣だった。

 

 しかし、それは攻撃とは言えないアクション。

 前足を振り下ろした。

 ただそれだけ。

 それが(CHRYSALIS)の攻撃。

 

 踏みしめた場所が輝いた。

 

「光、が……来る、迫ってくる!?」

 

 真っ直ぐに光は地面を伝わり──瑞鶴の方へ迫る。

 

「来たわ! 攻撃よ、多分だけど!」

 

 何だか分からないが絶対に攻撃だ。

 左右に分かれ大きく跳躍。反撃として航空隊を上空ではなく、真っ直ぐ突撃。

 ウォースパイトは更に大きく跳躍し、背後へ回り込む。

 そうしながら光の軌跡を見続ける。

 何が起きるか確かめる為に。

 

 輝きが、瑞鶴達の居た場所へ到達。

 その瞬間、輝きが膨れ上がり、地盤が弾け飛んだ。

 砕けたのではない。

 溶けて、液状化して飛び散った。

 あのル級と同じように。

 

「また、液体に……!」

 

 確信する。

 戦艦ル級がああなったのは獣の力だと。

 攻撃を喰らえば溶けてしまう。

 確信はないが、装甲なんて関係がない。内部の骨や肉ごと溶かされて死ぬ。

 

 獣もまた、自身の力を理解したのか、次々に前足を叩きつける。

 新しいおもちゃを手に入れた子供のように。

 その全てが致死性の攻撃。

 瑞鶴は艦載機をコントロールしつつ、回避運動を続ける。

 

Oh my god(何てこと)。とんでもないmonster(化け物)が生まれてしまったわ」

 

 瑞鶴に注意が向いている隙に、背後へ回り込んだ。前後に分かれた方が、注意を分散させ易い。

 第一形態と違い、全身に眼球はない。頭部の二つだけ。

 レーダーがなければ死角がある。あったとしてもやりようはある。

 

 その時辺りが暗くなった。

 それは振り下ろされる尻尾の影だった。

 

「Fire!」

 

 すかさず尾へ砲撃。

 叩きつけを遅らせてから回避運動。

 直撃は免れたが衝撃波が飛んでくる──だが安心はまだ。

 そのままの勢いで、地面を擦りながら薙ぎ払ってくる。

 

 ウォースパイトは少し考え、地面に向けて砲撃。

 地形が抉られ、彼女の前に半ドーム状の壁が形成。

 力強さ故、尾は壁の形状に従い、上の方へ弾かれる。尾の下にいる状態となったウォースパイトが砲撃。

 

 勢いを利用され、砲撃を受けた尾はか上へ弾き飛ばされた。当たらなかったのを感知したか、首だけ曲げてウォースパイトを直視。

 

「狙い通りだわ」

 

 それをウォースパイトは待っていた。

 真っ直ぐ顔を狙えるタイミングを。

 砲撃は発射済み。

 これで直撃、相手の脅威度が図れる。そう彼女は考えた。

 

 獣が口を空けた。

 水圧カッターを撃つ気だ。

 触れた物体を融解させる攻撃。

 ウォースパイトの砲弾も破壊できるだろう。

 不可能という点を除けば。

 

Disappointing(残念)。貴女のそれはchargeが必要。もう間に合いませ」

 

 予想は前提から崩される。

 開くと()()()水圧カッターが放たれた。

 

「早──」

 

 一瞬の攻防が起きる。

 水圧カッターは一瞬で砲弾を液化させ貫通。その砲弾は勢いを残し獣に当たるが、溶けているのでダメージ無し。

 そして水圧カッターの射線上にはウォースパイトもいる。

 

 だが、砲弾を貫いた事で、僅かに軌道が反れたのが幸いする。

 上半身を屈め、ギリギリで回避。

 

「もう水圧カッターじゃない。これはlaser(レーザー)よ!」

 

 しかし攻撃は終わっていない

 辺り一帯が、急速に輝き出したのだ。

 レーザーも当たってなく、前足の叩きつけもなかったのに何故──ウォースパイトは速攻で理解した。

 

Tail(尻尾)も!?」

 

 物質を輝かせて、溶解させる。

 その攻撃を放てるのはレーザーや前足だけではない。『尻尾』も同じ。

 先程の薙ぎ払いで、尻尾が岸壁のドームを擦った。

 接触した場所全てが、溶解攻撃の対象となっていたのだ。

 

 光が伝搬し、ウォースパイトのいる場所も光り出す。

 溶解に巻き込まれればどうなる。

 分からないが、きっとただでは済まない。

 加えて獣の猛攻は止まらない。

 

「■■■■ッ!!!」

 

 後ろ足も地面へ叩きつけた。

 そこも光り出し、輝きがウォースパイトの方へ走り出す。

 

 彼女は理解した。

 この、地形を溶かす攻撃は()()()()()()のだと。

 少なくとも四肢と尻尾でやれる……全身と大差ない。

 光が弾けようとした、その時。

 

「ウォースパイト動かないで!」

 

 瑞鶴が高速で、『三本』矢を放った。

 その三射がウォースパイトの肩を掠め、服を貫いた直後、艦載機へ変異。

 意図を察した彼女は、小ジャンプから砲撃。

 

 それによって、ウォースパイトは砲撃の反動を受けながら、艦載機に引っ張られる形となった。

 二重の勢いによって一気に離脱。光に呑まれることなく回避成功。

 引き摺られているので、身体が地面にぶつかるが、こんなものは軽傷だ。

 

「一気に決めようウォースパイト、私達も時間がヤバい!」

「どこまで来てるの!?」

「すぐそこ、後2,3分程度しかない!」

「Ok!」

 

 獣の身体能力も向上していた。

 一瞬で身体を翻し、真正面へ二人を捉えながら、レーザーをチャージする。

 

「薙ぎ払う気だわ!」

「阻止するしかない……攻撃隊、発艦!」

 

 大量の艦載機が殺到、獣を爆弾の炎で包み込む。

 第一形態より弱体化した点が、一つあった。

 先程空襲を仕掛けたが、獣は一切無抵抗だった。第一形態で持っていた対空気銃や対空砲が、無くなっていたのだ。

 つまり、爆撃し放題──だと思われた。

 

 そうではない。

 対空武器がない理由はそこではない。

 ()()()()()()()()()()()()

 

「ダメ、通らない!」

 

 堅牢極まった外殻は、核シェルターさえ破壊する瑞鶴の爆撃さえ、尽く弾き返した。

 既に空襲でダメージは与えられなくなっていた。

 だが妨害は可能。

 瑞鶴は爆撃を、獣の頭部へ集中させた。

 

「ウォースパイト、斜め方向から、アイツの口内を狙える!?」

「行けるわ」

「視界妨害と牽制はやっとくわ。私じゃ直ぐにはできない。アンタの攻撃を体内に撃ち込むのが一番早い!」

 

 レーザーが、地殻を瞬時に溶解させながら迫る。

 盾代わりに生成した戦艦ル級やタ級も、一瞬で液化して使い物にならない。

 それをどうにか、爆撃で遅らせる。

 効かずとも炎が視界を遮る。

 いずれは被弾するが、とりあえず目晦ましができればそれでいい。

 

「これで!」

 

 その瞬間、獣が口を閉ざそうとした。

 口内に砲撃を叩き込んでくることを、獣は予測していた。

 だから一度口を閉じ、彼女を真っ直ぐに捉えてから、砲撃事撃ち抜こうと考えていた。

 

 だが口は閉ざせなかった。

 閉ざせない程、頬に艦載機がつっかえていたからだ。

 

「!?」

「所詮は獣、化け物、単細胞の畜生ってことよ!」

 

 爆撃の理由はもう一つ。

 口を閉じて防御されない為に。

 艦載機をつっかえ棒のように、口内へ叩き込む予兆を隠すためのカムフラージュ。

 

 否、こんなものは直ぐ噛み砕ける。

 獣はそう思ったが、それも叶わない。

 艦載機がイロハ級へ肥大化したからだ。

 

「──ッ!!」

 

 弓矢が艦載機に、更にそれを糧にイロハ級に。肥大化によって強制開口。

 咬合力やレーザーで破壊は可能。

 取りついたイロハ級は、もう獣の制御下。変貌した時のように吸収もできる。

 

 だがどちらも間に合わない。

 

「いい加減消えなさい、醜いmonster(怪物)!」

 

 ウォースパイトの砲撃は、見事口内へ叩き込まれた。



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第186話 獣④:CHRYSALIS

白黒ゴマに没頭した結果ストックがなくなった為、次回の投稿はちょっと遅れます。ごめんなさい。


 剥き出しの口内へ砲撃が入る。

 瞬間、辺りの空気を吹っ飛ばす規模の爆発。

 吹き荒れる砂嵐。しかし彼女と瑞鶴は、瞬きせず獣を睨み続ける。

 

「クソ、ダメね。Fatal wound(致命傷)になっていないわ!」

 

 ダメージは入った。

 しかし大量出血しているだけ。

 砲撃はちゃんと体内で爆発した。ただ、獣の体内防御力も尋常じゃなかったのだ。

 傷もみるみる内に修復される。

 

「自己再生能力もあるみたい。抜かりないわね」

「完全にチートじゃない……今更だけど、本当にコレ卯月なの」

 

 本当に今更な事を瑞鶴は呟く。

 如何なる現象が起きれば、一介の駆逐艦が、こんな化け物へ進化を遂げるというのか。

 

 答えは誰にも分からない。

 答えもしない。

 獣は只、敵を葬るために進むだけ。

 

「■■■」

 

 唸り声を上げ、迫りながら口を開く。

 喉が輝く、レーザーが放たれる。

 ウォースパイト達は、砲撃を当て、時に壁を作り、生成したイロハ級を盾にしながら、直撃を回避。

 

「ああもう、イロハ級どんだけ生成しても、キリがない!」

 

 妨害として作ったイロハ級。

 それらは獣に触れた瞬間、最初の変容時のように、ズブズブと体内へ取り込まれていく。

 レーザーで溶けていても、五体満足でも吸収される

 

「本当に続けて良いの、これ、あいつに力与えてるだけじゃない!?」

「私達の生存が優先です。Riskはありますが仕方がありません」

「つくづく化け物ね……!」

 

 生き延び、獣の分析する方が重要だ。

 

「とにかくfight(戦闘)を続行しましょう。それに、little by little(少しずつ)ですが動きを理解できてきました」

 

 レーザーの挙動は理解できた。

 曲がったり、ホーミングしたりだとかはない。

 頭部方向へ真っ直ぐ飛ぶだけ。

 加えて一々大振りなので、軌道を見るのは楽。

 但し攻撃はレーザーだけではない。

 

 咆哮と共に、前足を地面へ叩きつけ──岩盤深くまで抉り込ませた。

 地面が、円状に輝き出す。

 地殻深くまで入れた分──原理的に理由はそれだけではないが──射程が拡張。

 

「ここまで届くってことね!」

 

 光に接触しないよう、強化された身体能力を全開、一気に距離を取る。逃げながら戦うなんて余裕はない。

 輝きが最高潮に達した瞬間、小規模な噴火の勢いで地殻が弾け液化する。

 

「まだよズイカク、攻撃はこれで終わらないわ!」

「そうみたいね!」

 

 溶けた地面が雨のように降り注ぐ。それを目晦まし代わりにして、獣はレーザーを放つ。

 しかし、予め予想していたので、回避成功。

 それでも、着弾後の爆発に少し巻き込まれる。

 

「こんなの、掠り傷なんだから!」

 

 と言いつつ、当たった場所を確認。

 地肌が少し火傷している。

 溶ける気配はない。

 その事に心底安堵した。

 

「レーザーへの直撃、もしくは手足、尻尾に直接殴られなければ、Insoluble(溶けない)みたいね……」

「ええ、今の所はだけど」

 

 レーザーだけなら回避は容易。

 しかし地形爆破や、巨体による格闘戦がそれを許さない。逃げても振り切れない。

 どう攻めればいい? 

 火力と物量で再生能力を押しのけることは可能だが……もう時間がない。

 

 瑞鶴の偵察機が、時間制限を捉えた。

 

「──ヤバい、核、来た」

 

 それは着弾までのタイムリミット。

 それまでに仕留め切れる確証がない。

 

 だがその報告に、ウォースパイトは『可能性』を得た。

 

「それだわ」

「え……って、まさか」

 

 しかし砲撃がまともに通らない以上、その火力に頼るのが一番良い。

 

Nucleus()をぶつけましょう」

 

 現行人類が出すことができる最大火力。

 此処に飛んできている核ミサイルを、獣へ直撃させる。

 

「待って、深海棲艦には無駄だわ。ダメージは入るけど……直ぐ再生するから無意味になる」

 

 あれが艦娘か深海棲艦どちらに属するのかはかなり謎。

 それはそれとして、ウォースパイトも考えている。

 

「変異したての人間にはnucleus()が通ります。その理屈で言えばmonsterも同じ。死ななかったとしても深手は与えられます。そこで追い打ちをかければ、Reproduction(再生)よりも早く殺せるわ」

 

 幸いな事に、今来てるのは戦略級水素爆弾。

 火力は申し分ない。

 

「それだと、私達、水爆浴びるんだけど」

 

 その問題に対し、ウォースパイトは微笑みで返す。

 

「こういうwords(言葉)があるそうですね。『死なば諸共』。覚悟を決めなさいズイカク。My lordの為にも、このmonsterは命を賭して倒さなければなりません」

「……まあ、確かに。手遅れだし」

 

 核ミサイル着弾まで一分を切った。

 逃げる事はできない。

 水爆の直撃を受けて、自分たちは生きていられるのか。システムの恩恵を考慮しても、その保証はない。

 だが、やらなければならない。

 

Missile()の着弾地点の予想はできますね?」

「簡単よ」

 

 瑞鶴は艦載機を飛ばす。それが旋回している場所が、着弾地点。

 

「誘き出します」

「その後は」

「死ぬ物狂いでfoothold(足止め)です」

「ハァ……こんな戦い、主様に見初められて以来、初めてよ!」

 

 と叫び、背中を向けて走り出す。

 それを見た獣は、瑞鶴達が逃げ出そうとしていると思った。

 憎悪の呻きを上げて、獣が一気に迫る。

 

「近づくなっての、化け物が!」

 

 追い付かれては誘導にならない。

 しかし、ウォースパイトの攻撃は避けたい。

 砲撃をした分速度が落ちる。低速艦である彼女にとっては致命的。

 その穴埋めは、瑞鶴がしなければならない。

 

「ズイカク、お願いするわ!」

「さっさと走って足遅いんだから!」

「■■■ッ!」

 

 弓矢を構え、絶え間なく航空隊を突っ込ませる。

 もう爆撃なんてやらない。飛んでから落とす時間が勿体ない。

 真っ直ぐに飛ばし、真正面からぶつけて自爆させる。

 

 しかし、視界が埋まる爆炎が吹いても獣は止まらない。分厚い外殻は傷一つつかない。

 だがそれでいい。追いつかれなければ何でもいい。

 爆発の分僅かだが速度が落ちたのを確認した。

 

「このまま行け」

 

 爆炎の向こう側が蒼く輝く。

 

「る訳ないわよね!」

 

 爆炎をレーザーが貫いた。しかしそう来るのは予想済み。即座に回避行動に移る──それでもギリギリ。

 当たったら溶けて死ぬ。背筋を悪寒が撫でていく。

 

「今更だけど……アレどうなってんの。あれは、深海棲艦が出せる水鉄砲じゃなかったの。どういう力が込められてんのよ」

 

 疑問は尤もだが、答えてくれる者はいない。

 獣はレーザーを撒き散らし距離を詰めてくる。

 頻繁に手足を叩きつけ、地形を爆破しながら迫る。

 

 必死に、がむしゃらに──応戦するが、徐々に距離を詰められていく。

 このままではやられる。

 只の妨害ではダメだ、もっと効果的にやらなければ。

 

 となれば一つしかない。

 

「あまり使いたくないけど……!」

 

 瑞鶴が『能力』を行使する。

 その瞬間、周囲の地面がボコボコと盛り上がりイロハ級が生まれた。

 生成された個体は、どれも空母クラスの個体。

 

「艦隊総員、攻撃隊発艦、手足へ狙いを集中させて!」

 

 空母が、軽空母のイロハ級が、命令のままに攻撃隊を飛ばし、手足へ爆撃する。

 しかし、これでも攻撃は通らない。

 瑞鶴の爆撃でも無傷だったのだ、イロハ級程度では無意味。

 対空装備はない。全て直撃する。それでもダメージは皆無。

 

 獣は意に介さない。

 ダメージが通らないから。

 だが敵は皆殺し。

 生成したイロハ級が、レーザーで片端から溶殺。その度に瑞鶴は新たな手駒を生成する。

 

「第二航空隊発艦、頭部へ攻撃、相手の視界を奪ってきなさい!」

 

 更に増産した空母隊が、命令通りの攻撃を行う。

 頭部を覆い、手足を覆う爆撃。

 それを受けても尚、獣は止まらない。

 

 ただ、獣はこの爆炎を蹴散らそうと考えた。

 瑞鶴とウォースパイト。二人の位置は大体分かるが、ちゃんと認識しておきたい。

 再度口内からレーザーを発射。爆炎を吹き飛ばす。

 

 ついでに薙ぎ払う。

 魚雷より、砲撃よりも早いそれを、発艦しながら回避できる個体はいなかった。

 

 しかし、肝心の手応えが感じられない。

 瑞鶴に当たった感覚がない。

 あいつは何処に行ったのだ。

 その時、獣は自分自身の頭部に、何かがぶつかるのを感じた。

 

「この距離なら外さないから」

 

 弓矢を構えた瑞鶴が、獣の頭部へ立っていた。

 

「喰らいなさい!」

 

 高速で()()放たれる。

 二本の矢が獣の眼球を貫いた。

 

「■■■!!?」

 

 激痛に吠える。再生には多少時間が必要。暫く視界が潰される。

 それでも、獣は追跡を続ける為に動く。朧気だが彼女達を探知できる。

 進もうと一歩踏み出す。

 

「ウォースパイト!」

「ええ、As intended(狙い通りね)

 

 そこへ砲撃が撃ち込まれた。

 砲撃自体は、外殻に阻まれダメージにならない。

 

 それで良かった。

 前足が置かれた足場を崩すのが目的なのだから。

 

 踏み込んだ前足が地面深くへ埋没する。

 

「──ッ!?」

「かかった!」

「続けて行きます」

 

 ウォースパイトが四肢へ砲撃。更に埋没する。

 片足だけでなく、もう片方、後ろ足も次々に陥没。肩まで埋ってしまい、獣は動けなくなる。

 イロハ級達に手足の爆撃を命じた理由がこれ。

 地形を爆撃し、予め崩落し易くする為の下準備だったのだ。

 

「今がチャンスよ、死ぬ物狂いで走りなさい!」

「言わないで大丈夫ですから。この間に目標地点まで行きましょう」

 

 獣は藻掻き、四肢を動かして脱出しようする。

 簡単にはさせるものかと、また生成したイロハ空母隊により空襲再開。上から押し付ける形で穴に押し留める。

 

「どれだけ持つかしら」

 

 しかし、瑞鶴はぼやく。

 

 その予想は直ぐに当たった。

 獣がレーザーを、()()へ発射したのだ。

 レーザーが地面を貫く。

 それでも尚、同じ場所へ照射し続ける。

 

 何が起きる。

 何を起こそうとしている? 

 逃げながら偵察機で観測している瑞鶴が見たのは、地面一帯全てが光り出す光景。

 

 そして、光が爆ぜた。

 

 レーザーは触れた物を液化させる。

 それを照射し続けた結果、影響が周辺一帯へ伝播。

 

 獣は埋まっていた地形一帯全てを液化崩壊したのだ。

 

 それにより脱出成功。

 跡地にはクレーター。まるで巨大な爆心地。勿論獣には傷一つない。

 

「また迫ってくる。対象は健在、眼球も半分ぐらいは再生しているみたいよ!」

「時間稼ぎのroom(余裕)はもうありません。このまま突っ切りましょう!」

「それしかなさそうね」

 

 今のやり取りで更に怒りを買ったのか、獣の速度が跳ね上がる。

 叩きつけの爆破も、レーザーも勢いが上がる。

 此処で必ず殺してやる。

 突き立てられるような殺意に、ウォースパイト達の背筋は凍り付く。

 

 しかし後少し。

 もうちょっとで目標地点。

 低速のウォースパイトを瑞鶴が守り、着弾までの時間を意識する。

 生成しては尽く消され、数えるのが嫌になる程の艦載機を消しとばせれ──それでも尚走り続けた。

 

 そして時が来る。

 

「ここで良いのねズイカク!?」

「そこが良いの、それにタイミングもいい。着弾まで残り──10秒!」

 

 二人が上を見上げる。ミサイルらしき飛翔体が見えた。

 後は、決死の足止めをするだけ。

 逃げた所で爆発には巻き込めるが、直撃させた方がダメージは大きい。

 

 たった10秒。けど決死の10秒になるだろう。

 倒す為なら何でもやる。

 地盤沈下だろうが自爆だろうが構わない、全ては主様の為。

 卯月が死ねば、彼女のシステムは消滅する。命令に背くが仕方がない。この化け物は此処で殺さなければ。

 

「あ……?」

 

 振り返った二人が見たのは、異様な光景だった。

 獣は向かってくる核を凝視してた。

 

 破壊した眼球は完全再生済み──なのはどうでもいい。

 異様なのは、核を凝視していること。

 

「逃げようとしない……のはまあ良いとして。何でじっと見てるのよ」

「あれがweapons(兵器)だと理解できていない? いえ、そうだとしても、この様子は……」

 

 その時、獣が立った。

 尻尾を支えにして、後ろ足で立つ犬の様に。

 そしてフラフラと、核ミサイルに向かって歩き出した。

 

「何アレ。核ミサイルに当たりに行こうとしてるの……?」

 

 バカな、あり得ない。

 その考えを一度は否定するが、獣の動きはそうとしか見えない。

 

 だが、何のために? 

 理解できず立ち尽くす。

 元々ミサイルを直撃させる為に動いていたのだ。

 態々()()()()()()()()()()

 止める理由がなかったせいで、余計に動けなかった。

 

「■■■■──……!!」

 

 不気味な咆哮に我に返る。

 

「壁を作りましょう! 僅かでも直撃の威力を減らさないと!」

「ッそうね!」

 

 爆撃と砲撃を眼前へ集中。深い穴を掘る事で盾を形成し、その中へ身を隠す。

 焼け石に水だが、生きて主様の元へ帰る為に必死だった。

 

 そして、その瞬間が訪れる。

 戦略級水爆ミサイルが、獣の腹部へ直撃。

 起爆する。

 人類史最強の破壊が起こる。

 誰もがそう思った。

 

「……?」

 

 しかし、何も起きなかった。

 爆発の衝撃も、熱波も閃光も感じられない。

 

 今一体何が起きている? 

 ウォースパイトは即席の壁から様子を伺った。

 『異常』が広がっていた。

 

「……Wh,y(どう、して)

 

 ミサイルは爆発していなかった。

 獣の腹部に()()()()()()()()()()()()



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第187話 獣⑤:COCOON

 核ミサイルを獣へ誘導し、外殻を破壊してから叩く。

 作戦の第一段階は成功した。

 何故か、獣は自分から核にぶつかりに行ったが、成功は成功──その筈だった。

 

 ミサイルは獣に刺さったまま停止していた。

 

「どうして」

 

 何故爆発しない? 

 

「う、撃ち抜いてみる?」

「ダメです。その方法では破壊されるだけ、Detonation(起爆)にはなりません」

 

 地面にぶつかると起爆。ミサイルはそういう機構。外部からの攻撃では、核反応を引き起こせない。尤も、なら何故、獣に当たったのに爆発してないのか。

 

「だったら私達はどうすれば良いのよ!?」

 

 ウォースパイトは何も言えない。何も浮かばない。起爆手段を自分達は持っていない。外から刺激を加えても砕けるだけ。手詰まりだ。

 

 彼女達は、目の前の光景がアレ過ぎて、一つの疑念を失念していた。

 

「いえ、そもそも何故……?」

「どうかしたの」

「こいつは何故missileを自分で喰らったの。身を挺してnuclear explosion(核爆発)を止めようとした……ということなの?」

 

 爆発を止める能力を持っていて、それを自覚しており、核爆発を許せなかったから、こんな行動に出た、という推測。だが獣と対話はできない。真意を問い質す事はできない。

 

「……ウォ、ウォースパイト、あれ」

 

 そもそも、獣に対話の意思はない。

 彼女達を消す事以外考えてない。

 だから、『理由』は『行動』で示された。

 

 ミサイルが腹部へ沈みだした。

 

「し、沈んでいく……」

「いえ、沈むというより、それよりも……」

 

 吞み込まれながら、異音が響く。

 固い物がひしゃげて、砕けるような音。

 バキリ……バキリと、()()()()()()()音。

 

Nucleus(核を)……eating(食べてる)……?」

 

 数秒かからずして、核ミサイルが腹へ消えた。

 静寂が支配する。

 

 一瞬なのか、数十秒なのか? 

 時間感覚が消え、永遠に思えるような静寂。

 地獄の沙汰を待つような静寂。

 

 それが再び、音に破られた。

 

 今度は、固い物が割れるような音。

 

「背中が、割れた……」

「何か、出てくる」

 

 獣から溢れていた青黒い光が消えていた。赤い眼光も消えていた。

 

 音は、背中が割けた音だった。

 

 背骨に沿うように一直線の亀裂が走り、それを押しのけて中のナニカが盛り上がってくる。

 それは見間違えようがなく、第三の『脱皮』に他ならない。

 

「……Also(また)?」

 

 最後の『(COCOON)』へと脱皮する。

 

 全身の外殻は赤黒く。

 二対の角は更に成長、速度に耐えれず一部が割ける。

 44メートル相当だった巨体は47メートルに。

 

 更に背中には、何かが折り畳まれた様な、二対の機関が新たに生成。

 

 そして、脱皮してから初めての一歩目。

 それは『二足歩行』だった。

 但し前傾姿勢。人間のような直立二足歩行ではない。狼男のような、恐竜のような立ち方だが──二本足で一歩目を踏み出した。

 

「そういう事、理解できたわ……」

 

 彼女達は、本能的に理由を理解する。

 核ミサイルを喰ったのは、脱皮のエネルギーを得る為だったのだ。

 

 脱皮を終えた獣、次にやることは敵の抹殺。

 目の前にいるカス二匹だけではなく、この世界にあるあらゆる営みの消滅。疑問はない。自分はそういう存在だ。

 

 獣が口を開いた。

 ウォースパイトが叫ぶ。

 

「来るわ、警戒を厳に! 何が来るか予想もつかない!」

 

 レーザーが放たれた。

 威力も速度も格段に向上。

 ()()()()()だったレーザーが、地殻を深く抉り取り、瞬時に彼方まで到達する次元に。比喩でなく本当の『レーザー』に。

 

 付随する力は変わっていない。

 当たった物質を液化させる点は、第二形態と同じ。

 

 しかし『本質』が変わっていた。真の権能の片鱗だった能力が、真の力を宿していた。

 

「油断しないで、次の攻撃が──」

 

 核爆発に迫る衝撃が、彼女の声を呑み込んだ。

 

 

 *

 

 

 獣が第三の脱皮を終えた頃、シェルター内にいながら、赤城の艦載機により情報を聞いている者達がいた。

 大将と、護衛人物。彼らの護衛艦娘達だ。

 

 核ミサイル着弾寸前、周囲にいたイロハ級が消滅。

 安全にシェルター内に入れるようになった為、テロリストに警戒しながら全員避難。

 

 ちなみに、他の前科戦線メンバーも、イロハ級消滅のタイミングで、近くのシェルター内に避難した。卯月達の安否は心配だったが、核爆発からは逃げるしかない。

 

 しかし、避難したのに、核爆発は起きなかった。

 外で何が起きているのか。

 無線機越しだが、詳細は赤城から聞いていた。それでも尚、現実を受け止められなかった。

 

「それが私の姉って……冗談止めてください……」

 

 制服の襟に、三日月型のアクセサリーを付けた駆逐艦が呟く。

 全員同意する。

 意味不明、奇々怪々、超常現象──もう訳が分からない。

 獣に脱皮し、周囲を液化しまくり、核を受け止めた挙句、それを吸収、更に孵化。何もかもふざけている。

 

 が、残念ながら現実。今の卯月は完全な化け物だった。

 

「どうしてこうなったんですか。司令官」

 

 彼女は自らの司令官──大将へ問いかけた。

 

「分からん」

 

 なので大将は、彼へ──護衛対象へ問いかける。

 

「これはどういうことなのかね。あれは、君達が想定した、D-ABYSS(ディー・アビス)の発現でいいのかね」

「……分かりません、ですが」

「ですが?」

 

 彼にも、今起きている事態は分からない。

 しかし、思い至る点はある。

 D-ABYSS(ディー・アビス)開発に関わった彼には、引っかかる記憶があった。

 

「千夜博士と話したことです。いえ、真面目な内容ではなく、雑談同然だったんですが……彼女は意味深なことを言っていました」

「意味深、とは」

「正直な話、それがどういう意味だったのか、私には分からないんです」

「構わない。言ってみたまえ」

 

 彼はその時の記憶、千夜博士の微笑みを思い出す。

 

「彼女は……そう、こう問いかけてきたんです」

 

『──究極の艦娘とは何だと思う?』

 

 その時の彼は深くは考えなかった。

 最強は存在しない。

 実際の艦艇のように、それぞれ役割がある。

 深海棲艦も同じ。適材適所に過ぎないと。

 

『成程、まっ無難な考えだ……いや間違ってはいないさ。実際その通りだしね。けれども私はそう思わない』

 

 笑顔を浮かべて彼女は言った。

 

『究極の艦娘、深海棲艦とは、()()()()()()()()……』

 

 それがD-ABYSS(ディー・アビス)の目的なのか? 

 彼はスタッフでありながら、その時は、開発目標を知らされていなかった。

 結局、千夜博士はそれだけ言って立ち去った。

 

「システム開発の目的は後になって知りましたが、今にして思えば、そちらが真実なのかもしれない。今の卯月さんを見ると、そう思ってしまうのです」

「究極の艦娘を生み出す……」

「アレが究極? モンスターの間違いとかじゃなくて?」

 

 液化レーザー、耐久度、超常スペックなのは確か。

 しかし制空能力はない。弾幕を張ることも数の暴力もできない。戦術的に見れば無敵だが、戦略的には一兵器に過ぎない。

 千夜博士の発言と矛盾する。

 彼女は何を目指したのか。

 

「……支配とは」

 

 大将は赤城から、無線機越しに外の様子を聞いている。レーザーの跡地が、今どうなっているかも知っている。

 

 だから、彼女の発言の意味を、考える事ができた。

 

「支配とは、対象の全てを手に入れるという事だ。言い換えれば、自分が支配対象その物になるという意味も持つ」

「司令官、どうしたんですか?」

「海を支配するとは、自らが海その物に成るという事。しかし海は同時に、大地を生み出す源でもあり、万物が帰る場所でもある……確かに究極だ。適材適所も何もない」

 

 それは最早兵器ではなく、神、もしくは星の成せる所業。

 

「あの獣を放置すれば、どうなる」

 

 シェルター内からは出ようにも、二発目の核発射もあり得るので、迂闊には出れない。動けるのは外にいる赤城と満潮だけ。判断ミスと言ってしまえばそれまでだが、こんな展開幾ら何でも想定していない。誰も大将は責めなかった。

 

 

 だが、まさか、此処に更なる混沌が放り込まれるとは、誰が思っただろうか。

 

 

 大将の持つ、緊急回線用の無線が鳴った。

 赤城から連絡を受けているのとは別物だ。

 

「どうした」

 

 話し相手は大本営。それも国土防衛の最前線担当。

 話している間に、大将の顔色はどんどん悪くなる。

 

 護衛の艦娘達は只ならぬ気配を感じていた。

 

「何の連絡だったの」

「新たな本土上陸情報が入った。空から一匹の深海棲艦が侵入したとのことだ」

「空って、艦載機じゃなくて?」

「深海棲艦だ」

「……あっ、え、じゃあ、ま、ま、まさか!?」

 

 彼らには見えない。シェルターの外は。

 見える筈もない、大空を飛ぶその影は。

 止める事も叶わない。

 分かることは一つだけ。これから起こる事は、()()()()()()()()である。

 

 

 *

 

 

 第三形態へ到達した事で、最も変わったのはレーザー出力。

 液化速度が上昇しただけでなく、地殻を容易く貫通できる程の破壊力を獲得。

 

 液化による体積膨張、そこに破壊力という圧力。

 爆発の正体は、超大規模な『熱膨張』。

 それも、アスファルトや土、木々さえ吹き飛ばすという、通常では考えられない規模。

 

 また、水に対してレーザーを叩き込めば、液化よりも先、急激な気化による『水蒸気爆発』さえ引き起こせる。

 

 それを思うがまま振るった結果が、眼前の地獄。

 

「何なの……これは」

 

 直撃はギリギリで回避できた。

 状況確認の為、空に飛ばした偵察機から、地獄を見た。

 地獄を生み出したのは、この原理によるもの。

 

「これは、河なの、それとも、海なの」

 

 『運河』が生まれていた。

 

 深海の領域を意味する赤い水。

 横幅推定400メートル。地平線彼方まで続くそれが、大地を真っ二つに割っている。

 河というより運河と呼ぶべき大きさ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それが獣の能力──ではない。

 それは片方でしかない。

 

「でも、じゃあ、こっちは、どういう原理なの。アイツの能力は液化レーザーを吐けるってだけじゃなかったの」

 

 誰も聞いてないのに、うわ言の様に呟く。異常極まりない光景に、現実を受け止めきれない。

 

 運河創造は、液化能力の延長で説明できる。

 だが第三形態へ至った獣は、もう『片方』の能力も覚醒させていた。

 それが瑞鶴には理解できない。

 

「どうして、()()()()()()()()

 

 巨大運河の中には、幾つもの『島』が生まれていた。

 

 土でも木でも、アスファルトでもない。

 青白く輝くクリスタル状の物質が、針山のように集まって、島の形状を成している。

 

 絶対に自然には作られない異常な形状。誰かが作ったとしか思えない形。

 だから、こう考える他ない。

 大地を作ったのも、卯月だと。

 

「まさか、逆も?」

 

 液化能力も持っているのなら、反対もあり得るんじゃないか。最悪の推測に声が震える。

 

「固形も……作れる……そういう事なの?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 即ち、海と大地の創造。

 

 これが能力の正体。

 海を支配するという言葉の意味。

 

 それは最早、能力にあらず。

 思うがままに海と大地を作り上げる力。

 『天地創造』。

 それが獣の権能。

 

 瑞鶴の立っている場所も、獣が創造した大地である。

 

「■■■■!!!」

「ッ!?」

 

 レーザー音に、瑞鶴の意識が戻される。

 

 着弾地点に爆発が起こる。

 湖になる。

 

 海面を一歩踏みしめる。

 大地が隆起する。

 

 前足を叩きつける。

 光が走り、離れたマンションが爆発し、異形の山へ再構成される。

 

 また一歩歩く。

 光が広がり、海が広がる。

 

 一歩進むごとに、山が切り崩され、谷が埋め立てられ、新たな環境に上書きされていく。

 

 しかも、水が個体に変化した時も、何故か爆発が起きている。熱膨張でも水蒸気爆発でもない。まだ未知の何かがある。

 

「……は、はは」

 

 人類が長い時間をかけて築いた文明、街という構造。受け継がれてきた文化。

 それら全てが、一歩歩くだけで、別のナニカへ置き換わる。テクスチャが張り替えられていくみたいに。

 文字通りの破壊と創造。

 もう笑うしかない──だが、瑞鶴は頬を叩き、意識を戻した。

 

「ダメ、笑ってる場合じゃない。ウォースパイトを探さないと!」

 

 近くにいる筈だ。偵察機を飛ばし耳を澄ます。やがて弱々しい声が聞こえてきた。

 

「……ズ、ズイカク」

「その声、ウォースパイト? 何処にいるの!?」

「此処……Q,Quickly(は、早く)……」

「ここって、何処なの……よ……」

 

 それを見た時、中々見つけられなかった理由を理解した。

 

 両足が埋まっていた。

 

Help(助けて)……で、出れないの……力も、入らない」

「待ってよ、助けてって。どうすれば良いの」

 

 獣は物質を自在に再構成できる──このクリスタルが何なのかは分からないが──なら、それを引き起こす爆発に巻き込まれた場合、再構成にも巻き込まれる事になる。

 

 卯月が生成した大地に、ウォースパイトの足は埋まっている筈……だが、クリスタルの中に彼女の足が見えない。

 何故なら、地面と『同化』していたからだ。

 引き抜くとか、それ以前の状態だったのだ。

 

「自力で出れない!?」

「ダメ、力……が……」

「嘘でしょ!? 一体、どうやれば!?」

 

 此処は獣の領地。基地型の本陣と近い概念。許可なき上陸は許されず、むしろ力を奪われる。自力脱出は不可能。

 

「倒さないと……でも、分からない……攻撃は通らないし、いや先に救助……クソ、どうして、こんな状況になったの!」

 

 戸惑っている間に、事態は取り返しのつかない方向へ転がり落ちていく。

 

 突風が二人を襲った。

 只の風──とは、もう思えない。全てが厄災の前兆に思えてくる。

 

 実際その通りだった。

 

「…………」

 

 もう言葉も出ない。考えたくない。

 

 獣は二人を見下ろしていた。

 

 大空から。

 

「ああ、あの背中の、翼だったのね……」

 

 巨大な両翼を羽ばたかせ、対空する獣。

 その口内に、最も強い輝きを放ちながら、小さな光球が生成されていく。

 小さな蒼い星が煌めく。

 

 

 

 

 だが、まだこの場の誰もが気づいていない。

 

 更に上空で、()()()()星が輝いていた。




艦隊新聞小話

 獣の攻撃による爆発原理のレポート(本編に全く関係ナシ)

 前提として、この世界の物質は、『気体』→『液体』→『個体』の順番で、安定した状態――エネルギーの低い状態になる。というのを念頭に
置いてください。

 後の調査で分かる話ですが、獣は『深海のエネルギー』を直接操作する事ができます(原理不明)。

 霊的なモノですが、一種のエネルギー(熱量)には違いないです。
これを物体に強制的に捻じ込めば、物体は一気に高エネルギー(不安定)化して――『液体』、もしくは『気体』に変化します。
 その際、熱膨張か水蒸気爆発により、爆発が発生するのです。

 そして逆パターン。個体を形成する場合。
 この時は注入ではなく、大量の力をぶつける事で、液体や気体の持つエネルギーを強制的に()()()()事で、低エネルギー(安定)状態に戻しています。
 発生する爆発の正体は、この押し出されたエネルギーそのものなのです。
 
 ……なので実際は、そのエネルギーを集中させる事で、イロハ級を無限生成できたりするんですよね。今の卯月さんが気づいてないだけで。

 基地も、兵隊も、環境さえも自在に生成可能。
 言うなれば『城塞工作駆逐艦:深海○○姫』、それが今の卯月さんのカテゴリーです。

 ちなみに、乱射しているレーザーは、深海のエネルギーを直接封入しただけの、単なる水鉄砲です。勢いと密度がヤバいだけで。

 何?実際の物理法則?
 半分概念存在の私達に何を今更!

 ……これよりも数十倍ヤバい『艦娘』がいるのに、本当に何を今更。


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第188話 獣⑥:COCOON

 獣が、両翼を羽ばたかせ飛翔する。

 全長47メートルを超える巨体が飛んでいる光景は、非常識極まりない。

 だが現実。

 口内で生成される小さな光球は、逃げようのない『死』を、それを眺める全員に実感させる。

 

「凄い事になってきましたね」

 

 遠くの高台で、観察を続ける赤城は感嘆する。

 

 彼女は核が来た際、シェルター内に避難せず、戦場に留まっていた。そして第三形態へ移行した獣の観察を続行していた。

 

「満潮さん的には、アレどう思います?」

「拘束解け!」

「却下です」

 

 満潮は拘束用ロープでグルグル巻きだった。

 

「言う事言ったじゃない。私は何も分からないって、尋問は終わった筈よさっさと解放しなさい!」

「却下です。そうしたら満潮さん、卯月さんに突貫するじゃないですか」

「何が悪いのよ!」

「いや、流石に自殺しに行く人は止めますよ。それとも、今の卯月さんに勝てる策があるのでしょうか?」

「…………」

 

 沈黙が答えだった。勝てる見込みがないのに、卯月と戦おうとしていたのだ。

 

「……止めない訳にはいかない。勝てる勝てないの問題じゃない!」

「ああ、ミサイルが来そうな時、避難を促したのに従わなかったのは、そういう理由だったんですね。成程、つまり()()鹿()()()でしたか」

「何ですって!?」

 

 いきなりバカ呼ばわり。満潮は憤慨する。

 

「自分の命を粗末にする艦娘が、バカ以外の何だと言うのでしょうか?」

「シェルターに行かなかったのは、アンタだって同じじゃない」

「現地状況を、リアルタイムで提督に伝える人員が必要でしたから。それに私、核爆発を防御できるので」

「……冗談?」

 

 赤城は『当然でしょ?』的ニュアンスでにっこり笑う。

 

「本当です。私は生存方法を確立した上で留まっている。考えなしの満潮さんとは違います。勿論、あの卯月さんを止める事もできる見込みです」

「いや、だったら今止めなさいよ! あれ以上卯月の暴走を放置する理由ないし、それに、見るからにヤバい光球放とうとしてるじゃない、止めなくて言い訳ないでしょ!?」

「いえ放置です」

 

 惨過ぎる一言に、言葉を失う。

 

「これはチャンスです。謎が多いD-ABYSS(ディー・アビス)の深淵を除く最大のチャンス。きっとここまでの機会は巡って来ない。だから、本当に限界ギリギリになるまでは、『観察』に徹します。あ、ついでに瑞鶴とウォースパイトが死ねばラッキーですね」

「そ、それにしても光球は止めるべきよ、シェルターが無事な保証はない。内の人達死んだらどうすんの!?」

「そこは難しい判断でしたが、威力確認を優先します」

 

 満潮は絶句した。

 

「万が一の場合は、シェルター内の護衛艦隊が、大将や護衛人物を護るから保険はあります」

「一般の避難者はどうするの!? あの攻撃でシェルターが崩壊したら!?」

「各シェルターには憲兵がいらっしゃいます。可能な範囲で守ってくれます」

「守り切れるの、全員!?」

「それ以外は不幸な犠牲ですね。大丈夫、二射目以降は阻止しますから!」

 

 提督&護衛対象&避難者の命より、獣の権能を確認する方がちょっとだけ上。人命よりもそっちが重要だった。

 

「アンタ、最悪だわ」

「……提督と高宮中佐に確認した上での判断なんですが」

「どいつもこいつも最悪よ!」

 

 何かもう、全員敵にしか見えなくなってきた。

 

「とは、言え、そろそろ終わりですかね……」

 

 赤城は空を見上げる。口内でチャージしていた光球が一気に収束されていく。

 

「核爆発は防御できますが、あれはできるでしょうか……やる以外の選択肢はないですが、極力頑張りましょう」

「何が起きるのよ」

「うーん。辺り一帯の地形が熱膨張で大爆発して、水没するとか?」

「聞いた私がバカだった」

 

 本当に私はどうすれば良いんだ? 

 次々に起きる非常識な事態、対して無力極まる自分。

 もう涙も流れない。

 呆然と空を仰ぎ見るぐらいしかできない。

 

 下手したら、あの星が最後に見る光景。

 やたら綺麗な──『星』を眺めて呟く。

 

「金の星、か……」

「え?」

「は?」

「待って、満潮さん、今何て言いました!?」

「いや……金の星って」

 

 赤城の顔がいきなり顔面蒼白に。バッと空を見上げる。

 

「あ゛」

 

 それはどういう──聞いてみようとした時、光球が落とされた。

 言葉を交わす余裕はない。

 赤城に抱き抱えられた瞬間、全てが白になった。

 

 

 *

 

 

 光が爆ぜた。

 世界が白く塗り潰された。

 その光景を見下ろしながら、卯月はそれなりに満足していた。

 

 地面を這って、瑞鶴達を追い回すのはもう面倒。

 連中だけでなく、テロリスト共も消さなきゃならない。こいつらはまだ殺戮を続けようと、しぶとく生き残っている。

 しかも、あちこちに散らばっている。一人ずつ探すのは面倒。

 

 だから、纏めて消すと決めた。

 そうして放たれた一滴の光球は、視界の全てを灰塵に帰した。

 

 文字通りの全て。

 爆発に呑み込まれたエリアからは、()()()()()()

 建物も、山も、道路も、卯月自身が創造した海や大地も。

 

 射程距離内のあらゆる物質が、強制的に熱膨張──連鎖的に水蒸気爆発。

 すり鉢状のクレーターが残るだけ。

 核の爆発跡地の様な──グラウンド・ゼロと呼ぶべき、終末的光景が広がる。

 

「──―」

 

 封鎖区画一帯が吹き飛んだ。命あるものは全て消滅。テロリスト共も全滅。

 それでも尚、しぶとい連中がいる。

 遮蔽物が全部消えたから、直ぐに発見できた。

 

「が、ぁ……ッ」

 

 瑞鶴とウォースパイト。それに満潮と……誰だアイツ? 

 兎も角四隻。まだ生きている。

 いや、彼女達だけではなく、シェルター内に避難していた無感染者達も生きている。

 肝心のシェルターはボロボロ。一番重要な地下施設区画が剥き出し。亀裂が走り外壁は何か所も崩落。防御壁の体を成していないが、その中で息を潜めて生きている。

 

 卯月は溜息をつく。

 まだ結構生存者いるし。

 けどやり方は分かった。

 

 さっさと終わらせて、次の所へ行かなきゃいけない。

 

 この世で生きる全ての命を消す。

 

 それが私のお仕事。

 再び、光球のチャージを始まった。

 

「ズ……ズイカク、safe(無事)……!?」

「どうにか、ね……ッ!」

 

 この土壇場において、彼女達は正確な判断をした。

 落ちてくる光球、巻き起こる破壊。

 瑞鶴は、ありったけの艦載機を展開し、ボール状に密集させ盾を形成。

 続けてウォースパイトが、艤装のバルジを、()()向けた。

 

 獣の落とした光球だが、実は爆発性はない。

 射程距離内の物質を、熱膨張or水蒸気爆発により炸裂させる攻撃。つまり衝撃波は『下』から来る。直撃を避けるのなら、盾は下に向けなければらない。

 

 しかし、ウォースパイトの両足は大地と同化したまま。そのままでは向けられない。

 だから、自分で千切り飛ばした。

 自分へ砲撃を叩き込み、足を千切って自由になった。そしてバルジを真下へ構えた瞬間、爆発が起きたのだ。

 

 結果、真下からの直撃は防御。

 斜め方向から来る衝撃波は艦載機の盾で防御。

 見事、生存に成功した。

 

「……それで、よく、safe(無事)って言えるわね」

「アンタだって、人の事は、言えないでしょ……!」

 

 実際、無事ではない。

 飛び散る残骸、吹き荒れる熱量に晒され、瑞鶴の肌は9割形炭化崩壊。肉が剥き出し。眼球も焦げ付き、使えるのは片目だけ。

 ウォースパイトは脱出する為に両足を犠牲に。加えて砕けた地殻やアスファルトが、80箇所に及んで身体を貫き、文字通りのハチの巣。

 

 生存に成功しただけ。文句なしの完全大破。

 自己再生能力を持っているのに、中々回復できない。

 と言うか完治しても、勝てる見込みがない。

 

 何より、再生よりも、二発目が落ちる方が早い。

 

「次はっ……どう、防ぐの!」

「…………」

「答えて、ウォースパイト……っ!」

 

 獣は第二射の発射体勢、光球のチャージを開始。

 バルジは崩壊、艤装も大破。

 瑞鶴の艦載機も、再展開にそれなりの時間が必要。

 

「……撃つわよ、あの、light()を」

「それで、どうにかなるの」

「分からないわ。でも、どうなっても、I can't give up(諦める訳にはいかないの)……!」

 

 ズタズタの身体は主砲旋回の反動にさえ耐えられない。空いた穴から際限なく血が溢れる。強化された血液生成速度でも到底間に合わない。

 挙句、照準も定まらない。

 爆発で艤装がイカれた。砲身が固定できない。

 

「……Hurry(早く)Hurry(早く)っ」

 

 手間取っている間にチャージが進む。焦る程狙いがぶれていく。血反吐を吐く。視界が霞む。発射反動に耐えれなければ命中しないのに、その力も残っていない。

 もうダメなのか。

 絶望しかけたその時、瑞鶴が砲身へ身体を押し付けた。

 

「これで、固定、できるでしょ……!」

「ズイカク、でも、発射のimpact(衝撃)が……熱も、直接筋肉に」

「構わない……急いでッ!」

 

 瑞鶴の献身を無駄にはできない。ウォースパイトは歯を食いしばる。照準がブレないよう、瑞鶴が全身で砲身を支えてくれた。

 

「ちょっとだけだけど……ダメ押しよ……!」

 

 更に、少しだけ生成できた艦載機を飛ばす。砲撃と同じタイミングで頭部へ命中させる為に。

 

 ウォースパイトの照準が、怪物の頭部に固定された。間髪入れずトリガーを引く。

 

It finisheeeeeed(終わってぇぇぇぇっ)!!」

 

 ウォースパイトが叫ぶ。

 反動の衝撃波が二人を襲う。

 筋肉が潰れ、骨がひしゃげ、内臓が割ける。

 只でさえ致命傷だったのが、何時死んでもおかしくない次元に。それでも激痛を堪え、砲身を固定し続けた。

 

「当たれぇぇぇぇっ!!」

 

 瑞鶴が叫ぶ。

 まともに見えない視界の中、艦載機の爆弾を叩き込む。

 

 生成中の光球への、直撃ルートが確定した。

 彼女達の奮闘が奇跡が起こした。

 

 

 だが徒労だった。

 

 砲弾も爆弾も、軌道が歪曲し──光球を迂回、獣の頭部へ命中した。

 ()()()()()()()()()()()()

 顔に、砲弾が沈む、爆弾も爆風も取り込まれて消えた。

 

「嘘」

 

 核ミサイルを喰った時のように、頭部の中へ沈んで消える。

 内部から起爆させる、なんて都合の良い事はできない。砲弾も爆弾も、もう取り込まれて消えた。

 

 何故こうなったのか。

 それは、今の卯月が果ての化身だからだ。

 深海の根源、あちら側の現身となった卯月に、深海のエネルギーで攻撃しても無駄でしかない。

 水に水をかけても、何の意味もないように。

 

「……ごめんなさい」

 

 それは、瑞鶴への言葉でもあり、主様への謝罪でもあった。

 打てる手が一切無くなった。

 受け入れ難いが、もう認めるしかない。

 文句の言いようが無い完全敗北。

 ウォースパイトは屈辱に表情を歪ませる。悔しさの余り涙が出てくる。

 

「いいよ謝んなくて……いや主様には悪いけど。これじゃムリでしょ」

「ですがっ!」

「やるだけやったじゃん。うん、相当頑張ったんだから、ね?」

「……うぅ」

 

 もう、逃げる力も残っていない。

 あの一発を撃つので、全ての力を使い切ってしまった。

 

 時間があれば再生能力で復活はできる。

 時間があれば、砲弾や艦載機の補充もできた。

 

 それは、もう届かない未来。

 

「……ありがとね」

「ええ、せめて、My lordのhappiness(幸福)を祈りましょう」

「そうね」

 

 二人は手を取り合い、空を見る。

 チャージが最終段階へ到達。

 掌に収まりそうな小さな光球が、星の様な光を放つ。

 

 これが、最後に見る光景。

 空を飛翔する獣、輝く青い光球。その遥か上で輝く()()()()

 最後にしては、まあまあ綺麗な光景じゃないか──瑞鶴はそれを目に焼き付けようと、()()()()()眺めた。

 

 だから気づけた。

 

「……ん?」

「どうしたの、ズイカク」

「いや、見間違い……?」

 

 目をゴシゴシ擦り、もう一度空を見る。

 飛ぶ獣、収束される光球、そして()()()()

 

 星の輝きが、大きくなっていた。

 より大きく見えていた。

 見間違いではなかった。事態を把握した瑞鶴は絶叫した。

 

「星が、落下してる!?」

Star()!?」

「ほらあれ、あの金色の星が、こ、こっちに──」

 

 彼方大空から金色の星が落ちる。

 彗星の様に、隕石の様に軌道を描き、地上へ迫る。

 

 星が片翼をぶち抜いた。

 

「■■■ッ!??!」

 

 片翼に大穴を空けられ、飛行を維持できなくなり、地表へ落下。

 チャージしていた光球も、その衝撃であっさり霧散。

 落下した星は、羽をぶち抜いた勢いで地表へ激突。巨大なクレーターが生まれ、大量の粉塵が巻き上がった。

 

「……こ、今度は何が、起きたの……」

 

 隕石衝突の衝撃波で、二人は吹っ飛ばされていた。

 しかし、意地で意識を繋ぎ止めた。

 今のが何だったのか、確認の為に。

 獣もまた同じ。今の隕石は何だったんだと、頭を振って立ち上がる。

 

「あの、silhouette(シルエット)は、確か……」

 

 粉塵が収まる。

 クレーターの中央には、割と小柄な人影があった。

 見覚えのあるシルエット。

 

「……What?」

 

 しかしウォースパイトは、自分の眼を疑わざるをえなかった。

 彼女の知っている()()とは、明らかに異常。

 誰もが知っている個体でありながら異形その物。

 

「……Lie()でしょ?」

 

 黄金のオーラを纏っていた。瞳は青く燃えていた。黒い水着に黒いパーカー、フードを被った深海棲艦。

 

 それは戦艦レ級。

 但し()()()()()()()()()

 つまり三尾のレ級。

 顔付きの尻尾なので『三つ首』の戦艦レ級。

 

 単独で大本営を壊滅に陥れた怪物。

 

 数多の名を冠する怪物。

 『三つ首』。『羅刹』。『黄金の暴風雨』。『アルテミット・ワン』。『悪魔』。『飛翔棲鬼』。『謚第ュ「力』。

 しかして、その正式名称は──『戦艦レ級改flagship』。

 

 天地を震わす咆哮を上げ、最強のイロハ級が此処に降臨した。




実は前作で出したかったけど、結局その機会が無かった戦艦レ級改flagship。


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第189話 獣⑦:DETERRENCE

 獣による最終攻撃、それにより瑞鶴達も核シェルターも、避難者達も全てが消滅するかと思われた。

 

 だが、その時、遥か大空より乱入者が現れる。

 三尾──転じて『三つ首』のレ級。

 正式名称『戦艦レ級改flagship』。

 世界最強のイロハ級が、突如として降臨した。

 

「■■■……ッ」

 

 『三つ首』を前に、獣は唸り声を上げる。

 それは威嚇だ。奇襲とはいえ、片翼に風穴を空けられたが故の警戒。それも当然の行動。

 

 何故なら、既に異常事態が起きていたからだ。

 今の卯月には、深海の力を帯びた攻撃は効かず、一方的に吸収できる。

 

 なのに結果は御覧の通り。

 吸収できず、むしろ羽をぶち抜かれた。飛行能力は喪失、何故か再生も上手くできない。

 

 これで警戒するなという方がムリ。

 そして……予想通りだったが、威嚇は意味を成さなかった。

 

「────ッ!!」

 

 大地を揺るがす咆哮、宣戦布告の合図が響く。

 

 戦艦レ級とは、ある種の艦種詐欺として有名な個体。

 戦艦の癖に正規空母並みの航空戦力を有し、戦艦の癖に雷巡並みの魚雷を搭載し、戦艦の癖に対潜能力を持ちry。

 

 下手な姫級を遥かに凌駕するイレギュラー。それが戦艦レ級。

 しかも、現在存在を確認できているのは、『elite』まで。

 上位どころか一番飛ばしで『改flagship』。

 

 万能戦艦だったレ級の最上位個体。一体どういう戦闘を仕掛けてくるのか──卯月は警戒を厳とする。

 

 ところが、『三ツ首』はどれもしなかった。

 

「!?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 防御態勢ナシ、艦載機発艦ナシ、主砲展開もナシ。

 万能戦艦のアドバンテージを全て無視して、身体一本で襲い掛かってきた。

 

 しかしそれなら、正面から迎え撃つまで。

 飛べなくなったが、まだまだ力は溢れている。

 地殻を容易く両断するレーザーを発射。

 レ級は回避行動もとらず、真正面から突っ込んだ。

 

 言うまでもなく命中、それも頭部へ直撃。頭蓋骨が弾けるか、頭部が熱膨張で溶けるかの二択。

 勝負は決まった──そう思った卯月が見たのは、想像を絶する光景。

 

「■ッ!??」

 

 三つ首は()()()()()()()()()

 頭皮が割け、融解し、血は片っ端から蒸発、夥しい致命傷。

 だがそこまで。

 剥き出しの頭蓋骨で受け止めていた。

 それ以上貫けない、頭部を両断できない。

 

「……ッ、──ッ!」

 

 『三つ首』は一歩踏み出した。

 地殻を貫通するレーザーの勢いは言うに及ばず。なのに、それを正面から受け止めて、歩き出した。

 

「■■■──!」

 

 レーザー出力を更に上昇。直撃どころか余波の熱量で、周囲がドロドロに融解していく。

 人体どころか、骨まで溶ける温度。頭蓋骨だって溶けて消える。

 

 なのに止まらない。

 『三つ首』は、正面から押し切って来る。

 一歩ずつだったのが、二歩に、三歩に、『ダッシュ』に。

 気が付けば目前。

 

「ッッッ!」

 

 『三つ首』が、丸太の様な尻尾を振り上げた。

 しかし卯月は怯まない。むしろチャンスとさえ思った。

 体格も重量もこちらが上。格闘を仕掛けてくるなら返り討ちにしてやる。

 レーザーを中断し、全力で殴りかかる。

 対する三つ首も、尻尾をフルスイングでぶちかます。

 

 視界が引っ繰り返った。

 

「……ッ!?」

 

 吹っ飛ばされたのは、卯月の方だった。

 

 地面をゴロゴロと吹き飛ばされていた。47メートルの質量体が、2メートル以下との力比べて負けたのである。

 

 二転三転する視界の中、『三つ首』が見えた。三尾の内一本──今殴った尻尾は、装甲が砕け血が溢れていた。

 

 自壊する勢いで殴ったという事だ。しかし『三つ首』が気にする様子はない。

 

 卯月を見据えると、四つん這いになり──違う、四肢と三本の尻尾。()()()()になった。

 

 レ級が駆けだした。

 地面が爆発した。

 

 さながら、グリズリーめいた猛ダッシュで飛ぶ2メートルの砲丸。

 跳躍の度に地面が砕ける。それは『三つ首』の限界を超えた挙動。跳ねる度に四肢や尻尾が砕け、血が噴き出し、骨が筋肉を突き破る。

 

 なのに全く止まらない。

 自壊を一切厭わない、全速力の()()()()()が迫る。

 

 体勢を立て直そうとするが、上手く立てない。

 何殴られた片腕が捻じ曲がって砕けていた。

 核シェルターを破壊する瑞鶴の爆撃でも傷一つ付かなかった外殻が、ただの殴打で骨ごと崩壊。

 

 殴打でこのダメージ。

 ぶちかましを喰らったら。

 

 戦慄する卯月は、崩れた姿勢のまま無理やりレーザーを発射。狙いは頭部。出力は最大。自壊の影響で装甲はボロボロ、通じる見込みはった。

 

 だが今度は更に酷かった。

 

 通らないどころか、()()()()()()()()

 一射目の時、頭蓋骨の貫通はできなかったが、頭皮両断はできた。

 なのに今度は完全無効。

 頭蓋骨に届かない、額の薄皮一枚さえ破れず、血の一滴も流れない。

 

 同時に気付く。

 『三つ首』の頭皮が何時の間にか再生している事に。

 卯月はとうとうパニックに陥った。

 

 一体何時再生した!? 

 私の攻撃を受けた以上、こんな早く再生できない筈なのに! 

 というか、そもそもどうして液化しない。物理耐久力は関係ない攻撃なのに、どうして──

 

 ぶちかましが直撃した。

 

 

 *

 

 

「何なのこれは……」

 

 『三つ首』に蹂躙される獣を、何とか生き延びた二人が見ていた。

 多少時間が経過したことで、動ける程度に傷もパワーも回復。しかし目の前はこの状態。様子見に徹していた。

 

「あれは、レ級なのよね……ズイカク、あんな個体がいたなんて知ってた?」

「知る訳ないじゃない。何なのあの化け物。砲撃も何も使わないで、膂力だけで卯月を圧倒している」

「いや、それに、何故absorption(吸収)されないの。私達のbombardment(砲撃)は取り込まれたのに、イロハ級である奴のはどうして……」

「考えない方が良いんじゃない?」

 

 ぶちかましの直撃。それでも『三つ首』は止まらない。相撲の押し出しの様に卯月を叩き潰して進んでいく。

 堪らず獣が、無事な腕で地面を殴った。

 瞬間、光と共に爆発が起き、地形が変貌。

 

 爆発跡地が、断崖絶壁へと変化。

 どこまで続いているのか、底が見えないような巨大クレパス。

 『三つ首』から見たら、地面がいきなり消失したも同然。踏ん張る事はできず奈落の底へと落下。

 

「落ちた、いや落とした!」

「地面を丸ごとevaporation(蒸発)させた……What a bullshit(なんてデタラメなの)

 

 それでも追撃を緩めない。油断できる相手ではない。

 先程のぶちかましで、獣の身体はボロボロ。外殻は何十か所も亀裂が走り、隙間から血が湧き水みたいに零れ出る。

 

 怪物め、一刻も早く殺さなければ。

 そう考えた獣が、レーザーで左右の崖の断面を薙ぎ払った。

 固形から、液状へ、瞬間的にまた固形へ。

 つまり、クレパスを閉めた。

 

 地震等で発生した亀裂は、時間経過で閉じる事もある。それを地形操作で疑似再現。

 どれだけ頑丈だろうが、大地の質量で圧し潰せば関係ない。これで死んだ筈、いや頼むから死んでくれ。

 

 獣の考えは、そう悪いものではない。

 地形操作能力を活用した、極めて効果的な攻撃。一瞬で地面を消して、強制的に対空状態に。動けない所へ一撃必殺。大地の質量ならまず耐えられない。

 

 ただし例外はある。

 地面より敵が固い場合だ。

 

「ッッッッ──!」

 

 地面から『三つ首』が飛び出した。

 潰れていなかった。

 全身から夥しい出血をしているが無事。

 頑丈さのみで圧死を耐え抜き、身体一本で掘り進んで来たのだ。

 

 『三つ首』は、最大の特徴である『三尾』を伸ばした。

 矛先は獣の首。

 そこへ、尻尾先端の顎が喰らい付く。

 

 獣は咄嗟に地面を叩き、結晶体の壁を形成──が、パンチ一発で破壊。

 だが、その僅かな隙を使って、翼を正面へ展開しガード。

 

 尻尾の顎は首ではなく、翼を喰らう事になった。

 その翼も相当頑丈なのに、容易く食い千切られた。

 尻尾の顎は、食い千切った断片を呑み込んだ。三つ首本体も零れた欠片をバリボリと噛み砕き、咀嚼する。

 

 卯月は恐ろしい予感を覚えた。

 このレ級は、私を殺しに来たとか、そんなんじゃなくて、()()()()()()()()()()()? 

 でなければ、態々破片を呑み込む意味がない。

 

 ──グギュルルルル

 

 戦場にギャグみたいな腹の音が鳴った。

 『三つ首』は卯月をじっと見て、ポタポタ涎をた垂らして舌なめずり。

 

 卯月は全く笑えなかった。死刑宣告でしかなかった。

 本能的恐怖が全身を駆け巡る。

 

 ふざけるな、喰われて堪るか。

 獣が咆哮する、『三つ首』も呼応して咆哮する。巨大な化け物と小さな化け物が、再び衝突を始めた。

 

 

 

 

 衝突が起きる、地殻変動が起きる。

 山が生えては、崩落して海になっては、爆破してクレパスになっては潰れて、大地が生まれ──繰り返される熱膨張と水蒸気爆発。その高熱で海も空も真っ赤に。そんな怪物と正面衝突を繰り返し、むしろ押している戦艦レ級。

 

 まさに終末的光景。それ見続けていた瑞鶴達は、ある決断をした。

 

「……できると、思う?」

「やるしかない。このchance(チャンス)を逃したら、Never again(二度目はないわ)

「あの中に飛び込むしかないって事ね」

「──Let's support(援護をしましょう)

 

 『三つ首』に卯月を殺して貰う魂胆だった。

 卑怯だの何だのはどうでもいい。

 今一番獣を殺せるのは、間違いなく『三つ首』。あのレ級を援護する事が卯月抹殺に一番繋がる。

 

「でも、レ級の捕食を許すのも何だか不味い気が……」

「……Blocking(阻止)できそうならblocking(阻止)しましょう。本当は共倒れが一番嬉しいですが、正直レ級が負けると思えない」

「ええ、卯月抹殺を優先。当初の目標通りって訳ね」

 

 二兎を追う者は一兎をも得ず、とも言う。

 ウォースパイト達は、あくまで卯月の始末を優先した。主様からもそう命令されている。

 理由があるのだ。

 彼女達は知らないが、卯月を何としても殺さなければならない理由が、主様にはある。

 

「……最大の懸念はレ級がこっちに襲ってくるか、どうかね」

Hunting(狩り)の手伝いをするのです、No reason to fight(敵対する理由はありません)

 

 そう考える理性があればの話。咆哮を繰り返す三つ首に、そんな知能があるとは思えない。だが、もうこれしか手段がない。

 

「行くわよ、ズイカク!」

「了解、第三航空隊、発艦──」

 

 その時、彼女達の足元に一本の『矢』が突き刺さった。

 

「……まさかまさかの火事場泥棒。あれだけずーっとドヤ顔していたのに、ちょっとは恥ずかしいと思わないんですか」

 

 近くの岩場に、人が立っていた。

 

「アンタ……赤城……?」

()()をつけましょう七面鳥」

 

 目の前に赤城が立っていた。

 

「!?」

 

 突然のフックが瑞鶴を襲う。普段なら傷一つつかない──が、ズタボロの今は別。衝撃が軽く脳を揺らす。

 

「……そう、ミチシオを救助したのは、It's you(貴女なのね)

「そう言う貴女はウォースパイトさん。戦争を忌むもの……でしたか。まさか泥棒風情に堕ちるとは、主様も思っていなかったのでは?」

「……言わないで欲しいわ」

 

 残念ながら言い訳不可能。卑怯で姑息な戦い方。しかしこれしか戦闘方法がない。主様の為ならプライドだって捨てられる。

 

「それで、この状況下でwhat do you want(何の用なの)?」

「貴女達、卯月さんを殺そうとしてましたよね。『三つ首』に便乗して。それを止める為に参戦しました。足止めをさせて頂きます」

I was licked(舐められたものね)、空母一隻で、私達二人を相手できると思っているの?」

「え、貴女できないんですか?」

 

 煽ってい──ない。なんとこれが素。

 

「ああ……何て惨い事でしょうか、何て『主ナントカ様』はケチなんでしょうか。祝福だの何だの言っておいて、その程度の力しか与えないなんて。可哀想に、それっぽっちの力で傲慢ちきにされる精神構造に改造されてるとは。貴女のご主人様はとんでもないションベン垂れだったんですね。赤城、予想もしませんでした」

「…………」

「決めました。逃げて良いですよ」

「…………」

「大丈夫です、後ろから撃つなんてお二人の様な卑怯な真似しませんから、安心して回れ右して自宅に帰還なさってくださ」

 

 ウォースパイトは流石にキレた。無言で主砲を乱射した。

 

「ウォースパイト!?」

I'll crush it quickly(とっとと潰しますよ)、ズイカク。早く爆撃をしてください」

 

 爆炎の中から矢が一本飛来。ウォースパイトは顔を動かして難なく回避。

 空爆も混ぜて爆発が続く、赤城が退避した様子はない。

 所詮はこんなもの。今の弓矢の一撃は悪足掻き。そう思った。

 

「逃げないなら、仕方がありませんね」

 

 しかし声は背後から聞こえた。

 

「嘘っ……!」

「今まで、大して実戦経験もない新人を虐めてきたと報告を聞いています。大変嘆かわしい事です。しかし誤った後輩を指導するのは先輩の責務。お二人に特別指導をして差し上げましょう。ご安心ください、洗脳とか関係なくなるぐらいの本能的恐怖で服従させてあげますから!」

 

 既に空には、赤城の航空隊が現れていた。発艦した気配もない、音一つ無かったのに、もう大部隊が展開されている。

 

「──では、教育のお時間です」

What time(何時の間に)!」

「真の正規空母の戦いというものを、ご教示してあげましょう」

 

 瞬間、赤城がその場から()()。驚く声を上げる間もなく、上空から無数の急降下爆撃が降り注ぐ。

 爆炎が彼女達を覆い尽くす。

 赤城はそれを遠くから眺める。

 

「……さて、妨害が来ないようにはしました。防衛もして上げます。だから救助は満潮さん、貴女の仕事です」

 

 獣の羽が砕け、首が千切れる。

 地を揺るがす咆哮が響く。

 そこへ向けて、包帯を血で滲ませながら、満潮が走る。

 

「期待、してますからね?」

 

 満潮の手には、錆一つない()()()()()が握られていた。




※今作の赤城さんはサイコパス成分10割増しでお届け致します。


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第190話 獣⑧:CHAIN

『──流石、というべきなのか──まさか、というべきなのか……始まりを走る白い兎』

『赤では?』

『そういう話ではなくてね。しかし私達は、彼女の役割を些か甘く観測してたのは違いない』

『油断ですね! 慢心ですね! 私もですけど!』

『君の言う通りだ。何事においてもシナリオ通りはあり得ない……だとしても、進み過ぎだ。あの旅人が介在した以上、バッドエンドには至らなくなった……だが、君は……それを望まないのだろう?』

 

 暗闇がある。静寂がある。肯定する。

 

『……いいや、私達が壇上に上がるのは、早すぎる』

『……焦りすぎ、は、ダメです』

『時期尚早って事だよ!』

『それは、ペンを持った君が最も分かっている筈だ……一手、たった一手の間違いで、物語は終わる。今がその分岐点なのだろう。しかも、彼女は兎だ。走れば、世界は彼女を追い駆ける。今の彼女は……物語の望むままに進んでいる──それは、望ましくない』

 

 虚空に足音が響く、涙が落ちる、笑い声が聞こえ、誰かが懇願する。

 

『本来であれば、こんな事はありえないんだ。私達は単なる一観客、壇上に上がる事はない。退場した役者に肩入れする理由も──けれど、今回は例外だ。このままでは……『奈落』が開く』

『……恐ろしい穴、なんですよ』

『うん、超恐いよ』

『故に決めた、私達も穴に飛び込むと』

 

 その問いに、彼らは首を振る。

 

『……違う、さっきも告げた通りだ。今は早い……万が一、そう万一私達という例外を、奴が知った場合、もう、取り返しがつかないような、乱丁が起きるかもしれない──だが、手は出せる。こっそり栞を差し込むぐらいのね』

 

 その手には、白い鎖が握られていた。

 

『……これも運命なのか……まさか、再び君が、水底に迷い込むとは。物語を導くのは兎だが、鍵を握るのはアリスだ……だからこそ、これは僅かな可能性でしかない』

 

 白い鎖が手渡された。

 

『過去と現在(いま)……そして未来は、鎖のように繋がっている。それを織り成すのが人ならば……それも鎖で繋がっている。人から生まれた君たちも同じだ──これは、それを意味する』

 

 暗闇が濃くなる、静寂が掻き消えていく、光が溢れ出す。

 

『……申し訳ないが、君に託す……幸い旅人が来ている、最悪は免れるだろうが……それは、君の望まない結末の筈だ。今、君にしかできない事がある。あそこは──奈落だ。永遠の、入る穴を間違えた兎はそこだ。()()辿()()……そこからは、君次第。全てはやらないし、やる事はできない』

『お願いします……どうか、あの子を……』

『頑張ってねー!』

 

 最後の言葉が聞こえる。

 

『君達の物語は、君の力で進めなければならない……それが、鎖を磨き続ける事になるのだから──……』

 

 

 *

 

 

「──ッ!?」

 

 満潮は唐突に目を覚ます。奇妙な夢を見た。真っ暗闇の中で、誰かが会話をしている夢。中身はよく覚えていないが、不思議な感覚だけが残っていた。

 

「今のは……ッ!?」

 

 今度は激痛に目を覚ます。

 身体を見ると、酷かった身体がますますボロボロになっていた。

 あちこちに火傷、砕けた破片が肌を切り、肉に刺さっている。

 

「そうだっ……私、あのバカの爆発を喰らって」

「その通りです。話が早くて助かります」

 

 声に顔を上げる。赤城が見下ろしていた。

 今度は明確に思い出す。

 空を飛んだ卯月の最終攻撃、その爆発に呑まれかけた瞬間、赤城が助けて──どういう方法かは見てないが──くれたのだ。

 

「この傷、アンタでも完全に防御できなかったって訳?」

「ええ、そうです。恐らくは最初期の核爆発に匹敵するエネルギー。それも、艦娘や深海棲艦には飛び切り有効。普通の核よりタチが悪い」

 

 赤城が袖を捲ると、酷い火傷(ケロイド)になっていた。満潮を庇った彼女も無事ではいられなかったのだ。

 

「ま、死ななかったので、問題はありません」

「問題ないって……うんまあ、そうね。ありがとう赤城、助けてくれて」

「いえいえ、気にしないで結構」

 

 あのモンスターの攻撃を受けて、この程度で収められたのだ。むしろラッキーと考えるべきだ。

 

「……で、現状どうなってんの。卯月は、瑞鶴共は?」

「更に混迷してます。具体的に言うと戦艦レ級改flagshipが乱入して、彼女をボコボコにしています」

「は?」

 

 戦艦レ級改flagshipって何? 

 轟音が響く方へ顔を向ける。

 三尾のレ級が、獣相手に大暴れしていた。

 

「……何よアレ」

 

 本日二回目の台詞。赤城も同じ気持ちだった。

 

「レ級です。見ての通り。尤も単独で大本営を襲撃して完全壊滅させた経歴持ち、史上最強のイロハ級ですが」

「何で尻尾が三つ……じゃ、ない、不味くないのアレ!?」

「不味いですね。圧倒してくれてるのは良いんですが、このままだと()()()()()。卯月さん」

 

 洗脳艦娘二人掛かりでも敵わなかった獣が、たった一隻のイロハ級に蹂躙されていく。装甲は剥がされ、何故か再生は抑制され、骨格から致命的に破壊されていく。

 その光景はちょっとだけ胸がすく思い。

 

 しかし、殺されてはならない。

 あんな怪物に成り果てても、彼女は『卯月』。自分の仲間、暴走したと言うのなら、命に代えても助けなければならない。

 

 他の前科メンバーはシェルター。出てくるには時間が掛かる。

 今動くことができる満潮だけが、卯月を救い出せる。

 

「……どうすれば」

 

 けど、手段がない。

 そもそもあの中にいるのか、いたとして、どうなっているのか、物理的に引き剥がせばいいのか──何もかもが分からない。

 

「あの、満潮さん。それでちょっと聞きたいのですが」

「何よ」

()()、何ですか?」

 

 手元を指さす。そこには汚れ一つない真っ白な鎖が握られていた。

 

「これは……」

 

 少し思い出す。気絶している間に見ていた、不思議な夢を。

 鮮明にではなく、朧気に、雰囲気だけを半ば無意識に感じ取る。託されたような気分だったことを。

 

「これを、使えば、良いのかもしれない」

「使う……とは?」

「この鎖なら、あいつを、助け出せる気がする」

 

 満潮は失笑した。

 私はバカなのか。何時手に入れたとも知れぬ不審な道具にそんな感情を抱くなんて。

 

「よし、それで行きましょう」

「ええ、当然却下よ……は?」

「不審なアイテム大変結構、是非それを試してみましょう!」

 

 唖然、こいつ何言ってんだ。

 

「いやいやいやアンタバカなの正気なの何の根拠もないんだけど?」

「え、満潮さんは『行ける』と思ったのでしょう?」

「それは……まあ」

「じゃあGOです。卯月さんの仲間である満潮さんの意見と、全く関係がない私の意見、優先されるのはどちらなのか、明確です」

 

 そんな理由で作戦の許可を出すのか。満潮はまた唖然とする。

 

「と、言うか、不審っていうなら、私達の存在自体がそうです。そんな存在に人類は賭けている。だから大丈夫、同じ事するだけです。まあ、救助方法分かんないのですから、できそうなことは片端からすべきです」

 

 それで良いのか、そんなんで良いのか。

 だが、()()()()()思った。

 分からず立ち往生して何もしないままより、分からくても何かした方が後悔がない。

 もう二度とあんな思いは嫌だ。

 

「じゃあ満潮さん突撃してください」

「……一応、私で良いのね?」

「それが、満潮さんの手に握られていた。それにも意味を感じます。援護は任せてください、あらゆるフォローを保証しますよ」

 

 こいつのフォローとか欲しくないな。満潮はちょっと思ったが口に出さない。

 

「今失礼な事思いましたね?」

「満潮、突撃する!」

「──真っ直ぐに、何もせず、がむしゃらに突っ込むんですよー」

 

 赤城から全力で目を背けて、満潮は駆けていく。

 

「さて、ひたむきな少女へ茶々を入れる邪魔者には……お仕置きですね」

 

 そして彼女は、火事場泥棒を目論む卑怯者二人を見下ろす。そして弓矢を一本放ち──その場から消滅した。

 

 

 *

 

 

 

 そうして、満潮は単独で戦場を駆ける。

 

「糞がっ……」

 

 しかし、戦場はこの世の物とは思えない地獄だった。

 何度も何度も、何度も何度も熱膨張と水蒸気爆発を繰り返したせいか、地面から水、空気に至るまで灼熱地獄と化していた。

 

 呼吸で取り入れる空気さえ、熱湯を直接呑んでいるかのよう。人間だったら肺が焼かれて即死。艤装の加護が無ければ一秒とて生きていられない。

 

 勿論、それだけではない。

 陽炎と爆炎の奥が、一瞬キラリと光った。

 

「来る!?」

 

 それは獣のレーザーの光。レ級を狙ったものなのだろうが、運悪く満潮へ当たるコース。回避しなければ──そう思った矢先。

 

 赤城の艦載機が、目の前を爆撃した。

 地面が捲られ、坂が形成される。

 

「──真っ直ぐって、そういうことね」

 

 満潮は赤城に感謝した。

 そういう意味だ、()()()()()()()()()()()()、という事。満潮は援護に感謝し坂を駆けあがる。

 そのお陰でレーザーは回避。

 直後、地形変化を伴う爆発が起きるが、その衝撃波を利用して、一気に加速する。

 

 着地、否、『着水』する。

 今のレーザーの余波で、辺り一帯が『海』になっていた。

 これは僥倖だ、当たり前だが、陸より海の方が早く移動できる──なんて、誰かが有利になるような地形を獣は創造したりしない。

 

「違う、コレ、そこら中暗礁地帯じゃない!」

 

 しかも、大量の水蒸気と陽炎で、ぼんやりと確認できる程度。無策で突っ込んだら確実に座礁してしまう。

 

 だが、今は迷う時間もない。

 満潮を辿り着かせるため、彼女の顔を赤城の偵察機が横切る。

 そして、海面ギリギリを、ジグザグに飛行する。

 

 満潮も直ぐ理解する。今辿った道は、暗礁のない安全な道。疑う事もなくそれを辿り走り出す。情けないぐらいサポートされているが仕方がない、()()()()()

 

「おんぶにだっこで、イラっとくるけど……う、ぐぅっ!?」

 

 突然咽る。しかしそれを受け止めた掌は真っ赤に染まる。

 吐血である。

 彼女の肺が周囲の高熱で破壊されつつあった。

 

「……急が、ないと」

 

 時間がない、とはそういう事。

 瑞鶴とウォースパイトの攻撃により、艤装の機能に支障が出ている──というか、80度を超える外気に晒される事が想定外。

 

 それだけでない。通常では考えられない異常環境のせいで、艤装内部から火花が散り始めていた。

 この高熱で艤装がオーバロードしつつある。

 排熱機構が役に立てていない、冷却しようとしても、外気が高すぎて意味がない。

 

 だから、おんぶに抱っことか言ってる余裕はない。世話されっぱなしだろうが、急がなければならない。肺が壊れるか、艤装が壊れるか、その前に。

 

 ──そこへ、無数の砲弾が飛び込んで来る。

 

 満潮を戮そうとするウォースパイトの攻撃。全ての逃げ道を塞ぐように飛んできて──全弾赤城の矢に撃ち抜かれた。

 

「……信用には、応えなきゃいけないわよね!」

 

 最短ルートは赤城が護ってくれる。私はそれを信じて、全速力で突っ走る。天変地異の震源地へ、満潮は身を投げ出す。

 

 

 

 

 瑞鶴とウォースパイトは、正直嫌な予感がしていた。

 全てを圧倒し、一方的に蹂躙できる筈だったのに、意味不明な変貌を遂げた卯月にこれでもかとボコボコにされた。

 それでも、単なる艦娘一人なら、どうとでもなると思っていた。

 

 ならなかった。

 

「いけませんね。彼女の邪魔をするなんて」

What speed(どういう速度なの)……!?」

 

 砲弾と矢のどっちが早いかと言ったら、当然砲弾。

 なのに赤城の矢は、後から追い付いて、砲弾をぶち抜いた。

 意味不明だ。主砲よりパワーが出る弓とは一体? 

 

「出せない? この速度が? いえ出せますね空母なら。息を吐くように。ねぇ瑞鶴さん」

「…………」

「……ごめんなさい、弱い方への配慮が足らず」

 

 瑞鶴のこめかみが痙攣する。これで煽っている気はゼロ。瑞鶴は無言で航空隊を繰り出す──が。

 

「うーん。遅い」

 

 矢を撃ってから、艦載機になるまでに撃ち落とされる。

 やはり意味が分からない。

 というか矢を矢で撃ち落とすって何? 

 艦載機さえできれば、後は強化された爆撃で蹂躙できるのに、相手が許してくれない。

 

「ズイカク! Take off early(さっさと発艦しなさい)!」

 

 ウォースパイトはターゲットを切り替え、満潮ではなく赤城を狙う。

 主砲、副砲、機銃全ての集中砲火。逃げ場は皆無。

 その隙に発艦するよう促す。

 

 しかしそれでも、艦載機の弓矢が迎撃される。

 

 赤城は既に、爆撃とまるで関係ない場所へ移動──否、ワープしていた。

 

Impossible(あり得ない)……」

「マルチタスクは基本中の基本。回避運動中にも、そういった精度を下げない訓練は当然しています」

 

 やってるからって、実践でできるかは別問題。ただ赤城はできた。

 

「ふざけないで。何なのそのワープは。まさか貴女も……何か、D-ABYSS(ディー・アビス)の『能力』を」

「いえ……しいて言えば、技術?」

「技術って、これが!?」

「ええ、()()()に言えば、『重心移動』です」

 

 重心移動を極めればワープが習得できるらしい。

 ウォースパイトは考えるのを止めた。

 瑞鶴はキレた。

 

「ふざけるなぁぁぁ!」

「じゃ、そろそろ私も、攻撃を始めます」

 

 赤城が腕を下す。空に航空隊が無音で密集していた。

 急降下爆撃が一斉に始まる。

 

「踊りなさい。お二人もそうやって逃げ惑うのを楽しんできたのでしょう? やられて嫌な事はしていはいけない。小学校で習う当たり前の事ですが、中々難しい。ですのでまずは、被害者の気持ちになる所から始めましょう」

 

 流石に爆撃は普通だった。

 瑞鶴のような核シェルターさえ破壊する異常火力は有していない。

 しかし狙いが正確過ぎた。どの艦載機も数ミリのズレなく、艤装の同じ場所を狙っていた。それも接合部や獣に傷つけられ脆くなった場所を。

 

 まともに航空隊を出せてないせいで、制空争い自体できていない。逃げながら発艦を試みるが、先程同様に叩き落される。

 僅かな航空隊と、ウォースパイトの対空砲火でギリギリ持っている状態。

 

「踊るのが下手です」

 

 赤城が背後にいた。

 

「踊り方を教えてあげましょう」

 

 瑞鶴の手がそっと握られ、社交ダンスのようにクルリと回される。しかし瑞鶴はその速度に追従できず、結果──あらぬ方向へ捻じ曲がり、腕が千切れた。

 

「あぐぅっ!?」

「ああほら! 下手だからそうなるんですよ。ダメじゃないですか真面目に練習しなきゃ」

「ズイカク……!」

 

 そこへ、赤城の急降下爆撃が迫る。

 瑞鶴がやられる。ウォースパイトは赤城へ狙いを定める。瑞鶴の手を握っているいまなら、赤城の片手は塞がっている。だから弓矢は撃てない、砲撃を通せる。

 巻き添えになるが、瑞鶴は自己再生できるから問題ではない。

 回避不可能、密集しての弾幕を浴びせようと──

 

「片手になった時戦えない。その様な正規空母ではダメなんです」

 

 赤城は()で弦を引き、矢を撃った。

 

Joke(冗談)でしょ!?」

 

 驚愕するものの、ウォースパイトは即座に副砲を発射。幸い分かりやすい軌道だった為、迎撃に成功──していなかった。

 

 砲弾が一方的にぶち抜かれた。

 

「どうなっているの!?」

 

 足元は海化している。艤装のパワーで瞬間加速、横へ緊急回避。

 

「想定外の事態に弱い。これも直さなければなりません」

 

 ──()()から、袈裟懸けに刀で両断された。

 

「これが、正規空母の闘争です」

「あって堪るか!」

 

 瑞鶴の絶叫は遠吠えに等しい。こんな所で戦っていては、卯月の所には行けない。瑞鶴とウォースパイトの考えは同じだった。

 

「ウォースパイト……!」

「……ええ、There is no way(仕方ありません)。安全地帯からでは届かない。あそこへ行かなければならない。You should do(そうしなければ),Can't provide L-class support(レ級の援護はできない)!」

 

 遠くの安全地帯からレ級の援護をしたかった。しかし、赤城の妨害でそれは叶わないと思い知った。

 彼女達は決意する。再び獣とレ級の戦場へ戻るのを。

 赤城の妨害があっても、援護の手を伸ばすことができる程、地獄の近くまで。彼女達も満潮のように、震源地へ向けて走り出す。

 

「やっと気づいたんですね偉いですね。簡単には行かせませんけども」

「──走れ!」

 

 但し地獄の悪鬼に追われながら。




赤城さんがアーカードめいたノリになっていた。別にそんなキャラにするつもり無かったのに。


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第191話 獣⑨:ALICE

 獣となった卯月と、レ級改flagship(三つ首)との戦いは佳境に入る。

 卯月の敗北で。

 

「■、■……■■」

 

 瀕死、そう呼ぶ他ない。

 赤黒い外殻は破損してない箇所がない。手足は骨ごと砕かれ、立つ事もままならない。

 最初に破壊された羽の穴は空いたまま、片翼に至っては根本から食い千切られた。

 

 象徴的だった一対の巨角は途中で折られた挙句、骨のオヤツみたいに喰われた。

 目も潰され、尻尾も千切れる寸前。

 辛うじて、首だけ動かせる状況。

 

「──ッ!!!!!」

 

 天に向かって咆哮する『三つ首』は、対して全くの無傷。

 いや、厳密に言えば、何度もダメージを負っていた。

 攻撃を喰らった時だけでなく、自分自身の攻撃のパワーで何度も自壊を繰り返していた。

 

 だが、その毎に再生していた。

 それも()()()でなく、()()()()に。

 二度目は自壊しない、二度目の攻撃は効かない。

 

 より強固となった外殻による攻撃は、更なる攻撃力を宿す。

 

「■■■…………!」

 

 どうにか、口だけ開いた。

 追い詰められた獣は命の危機を感じる。死の淵に立った事で齎されるパワー。要するに火事場の馬鹿力。

 獣の放ったレーザーは、間違いなく、今までで最強の物だった。

 

 『三つ首』は真正面から超えてきた。

 

「──……ッ」

 

 多少、進み辛そうにするが、その程度。

 もう顔の皮一枚焼く事もできない。

 『三つ首』は体当たりをするでもなく、単なるダッシュで突っ込んできた。

 

「■、■■ッ」

 

 獣は飛んで逃げようとした。

 実の所、最後のチャンスを逃さない為、再生の為のエネルギーをずっと溜めていた。

 それを全て両翼に回し、一気に再生、飛んで回避、戦線離脱を試みた。

 

 羽が──ズズズ──と音を立て、生え出した。

 

 一気に再生すし、すぐさま離脱だ、これ以上戦えば捕食されてしまう。

 しかしそれが『罠』だった。

 確かに翼は再生していた。後コンマ数秒で再生するのも確かだった。

 

 爆散した。

 

「■■! ■!?!? ■──ッ!?!」

 

 再生しかけていた翼が謎の大爆発。

 翼の根本が見るも無残に抉られた。

 傷口には、見覚えのある鋭い欠片が何百と突き刺さっていた。爆発の衝撃で飛散して刺さったのだ。

 

 それは、『三つ首』の装甲の欠片だった。

 もう僅かな再生も叶わない。

 どうして爆発した、どうしてこれが刺さった。どうして全く再生しない。

 

 死が迫る。顔を上げる。

 もう全てが遅い。相手が悪過ぎた。

 相手は世界の頂点に立つ一角だったのだ。

 

 

 首に、三本の尻尾が絡まった。

 

 

 そして放たれたのは『背負い投げ』。

 47メートル以上の巨体を、2メートル以下で投げ飛ばす『背負い投げ』。

 掴んだ首を起点に、何度も何度も繰り返される『背負い投げ』。

 

 首が千切れた。

 

 だが『三つ首』は知っている。頭を破壊しても意味はないと。まだ死んでいないと。真のトドメはこれからだと。

 

 ここにきて『三つ首』は初めて、尻尾の口内にある主砲を展開した。

 それは最早、艦艇に乗せて良い代物にあらず。

 見る人が見れば、『バカなの?』と断言するゲテモノが──『三連装列車砲(80センチ三連装砲)』が顕れた。

 

 主砲を剥き出しにして、尻尾の顎が首の断面に喰らい付いた上で砲撃開始。

 

 接射だった。

 砲口とターゲットが密着した状態で、繰り返し接射。

 当然、行き場を無くしたエネルギーが暴走し、『三つ首』の尻尾が砕けていく。

 だが、やはりお構いなし。

 加速する再生で帳尻を合わせて、尚も砲撃を捻じ込み続ける。まるでドリルのように掘り進んでいく。

 

 首が砕けた、腕が砕けた、全身から爆発が噴き出す。

 

 そして本命──胸部の外殻が粉砕された。

 

 『三つ首』はそれを睨みつける。

 これが獣の本体。この中に核がある。

 顕れたのは、心臓なんて当たり前の物体ではない。

 

 そこには『奈落』が埋まっていた。

 

 心臓と同じ位置に存在。

 それは、終わりなき続く奈落。見た目だけを言うなら黒い球体。さながらブラックホールのような、底知れぬ暗黒球。

 

 一応砲撃を撃ってみる。

 虚無へ消えて終わった。

 何故なら奈落だからだ。

 暖簾に腕押しと言うが、この場合は虚空だ。何も無い所へ攻撃したてとて、まず当たる物がない。

 

 だが問題ない。想定済み。『三つ首』は怒りの咆哮を上げる。

 これでやっと目的が達成できる。最善を得れるかは賭けだが、兎に角やってみなければ分らない。

 暗黒球に対して、恐るべき剛腕を掲げる。

 

 横殴りの爆撃が横顔を引っ叩いた。

 

「…………?」

 

 多少しかダメージになっていない。速攻で再生するので結局意味はない。

 しかし『今のは何なんだ?』と、『三つ首』の意識を逸らすには十分。

 

 瞬間『三つ首』は、その場からずり落ちた。

 

 足場──破壊され尽くした獣の残骸だ──が崩れ落ち、巻き込まれていた。暗黒球から引き剥がされてしまう。

 瑞鶴のものではない艦載機が飛び交っていた。艦載機の爆撃で不安定化していた足場を崩したのだ。

 『三つ首』は、遥か遠方、気配のする方を睨む。

 

 空から、チラリと確認できた奴。赤い艦娘が弓矢をこちらへ向けている。

 成程あいつの妨害か。『三つ首』は獣を一瞥し、赤い艦娘『赤城』に対して咆哮。

 しかし距離が遠い。

 近づくのは簡単だが、これ以上獣と離れるのは嫌だ。

 

 『三つ首』は赤城に対して、主砲を向けた。

 三本の尻尾から、それぞれ三連装列車砲が展開。

 要するに九連装列車砲が、狂気が牙を剝き、集中砲火が始まった。

 

 そうして『三つ首』の怒りを買った赤城だが、それが狙いだったので特に気にしていない。

 重要なのは奴の注意を引く事。卯月のトドメを刺されない事。

 

 直ぐそこまで満潮は辿り着いていた。

 

 

 

 

 灼熱地獄、レーザー地獄、衝撃波地獄を──赤城の援護込みとはいえ──死ぬ物狂いで踏破した満潮は瀕死だった。

 とうに限界は超えていた。

 常に視界は揺らぎ、肺の殆どが焼け付いて、まともに息もできない。

 

 それでも辿り着いた、やっとここまでこれた。

 ぼんやりとした見えないし、意味が分からないが、本能的に理解できる。あの暗黒球の中に卯月がいるのだと。

 

 『三つ首』に気取られない様、慎重に獣の残骸を登り出す。

 普段なら簡単なジャンプであっさり行けるのに、もうその体力がない。何ならジャンプしたら衝撃で死ぬ気がする。

 

 しかし、何事もそう上手くいく筈がない。

 

 突然彼女を──周辺一帯が激しく揺れ出した。

 

 凄まじい勢いに、登りかけていた満潮は海面に投げ出される。

 だったらもう一度だ、何度でも登らなきゃいけないんだ。

 顔を上げた満潮が見た物は──

 

「え」

 

 海面が()()()()()()()()()光景だった。

 それは獣の最後の足掻き。

 最後の脱皮が叶わなくなったが故の、やけっぱちの暴走。

 残った力を使い、可能な限りの全てを、暗黒球へ引き摺り込もうとしていたのだ。

 

「これは……い、『引力』なの、どうして!?」

 

 満潮も引力に引っ張られ、浮かび上がってしまう。

 考えようによってはむしろ楽。何もしなくても、あの中へ飛び込めるのだから。

 だが当然そんな筈がない。

 

 引き摺り込まれ易い法則でもあるのか──満潮の背後から、瓦礫や巨大な岩判。へし折れたマンションや木々が飛んできた。

 

 ただでさえ瀕死の今、こんなものを喰らったら死ぬ。

 しかし宙に浮かんでるせいで回避行動が取れない。

 死ぬしかないのか。

 

『いいえ、むしろチャンス。その引力を利用して一気に接近しましょう』

 

 赤城の声が聞こえた気がした。

 飛来する物体が、赤城の爆撃で破壊される。

 

 更に『足場』が顕れた。

 暗黒球へ到達する為の足場として、艦載機が低速飛行していた。

 

 ハリケーンの真っ只中に居るような状態なのに、平然と飛行できるのは化け物とした形容できない。

 しかしこれで卯月の元へ行ける。

 そこへ最後の猛威が現れる。

 

「────ッ!」

「『三つ首』ッ!? 嘘、飛んでる!?」

 

 獲物を取られまいとする為か、『三つ首』が牙を剝きだしにして、この暴風の中を猛スピードで飛翔していた。

 回避なんて考えていない。瓦礫等に何度も当たるが、逆に全て砕いて真っ直ぐ迫って来る。

 

『満潮さん急いで! 追いつかれたら命はありません!』

「分かってる、わよ……っ!」

 

 その光景はさながら、猛吹雪の中慣行されるロッククライミング。

 飛び交う艦載機に、その度に命を懸けながら手を掛け、足を延ばす。吹き荒れる重力嵐に視界が乱れる。

 

 それでも必死に手を伸ばす。

 歯を食いしばり、肺を焼かれ何度も血を吐いても諦めない。

 

「できるか……諦め、られるか……!」

 

 できるできないの問題ではなく、最初から()()()()のだ。

 諦められない。

 だからやるしかない。

 狂気と呼ぶべきその執念で、満潮は手を伸ばす。

 

 そして、その手が獣に届き──『三つ首』が追いついた。

 

「そんなっ……!」

『不味い!』

 

 満潮の手を『三つ首』が掴んだ。

 

 危機を理解した赤城が矢を飛ばす。

 やはり回避行動は取らず、全弾胴体へ直撃。しかし『三つ首』は全く意に介さず、満潮の手を握り続ける。

 

 ──終わりだ。

 

 全てを察した満潮は悟る。

 認めたくないがこれが現実。受け入れるかない。

 

「嫌だ」

 

 叫んでも、泣いても、どうすることもできない。

 だが、そんなのは関係ない。

 

 満潮の何かが、決壊した。

 

「嫌だ……ヤダ、死ねない、こんな、こんな所で死にたくない! 私は、まだ、皆の為に、何もできてない! 止めろ、私を殺さないで! 見逃しなさいよっ、うぁ、あああああ!」

 

 まさかの号泣。恥も外見も投げ捨てた絶叫。

 涙で顔をぐしゃぐしゃにして、『三つ首』を睨みつける。赤く腫れた眼で懇願する。『殺さないでくれ』と。

 

 しかし無駄な事でだ。

 理性も何もない『三つ首』に、そんな命乞いは通じない。

 どれだけ懇願しても、彼女には通じない。

 

 と言うか根本的に間違っている。

 

「──え」

 

 『三つ首』は満潮の手を握ったまま、振りかぶる。

 そして一気に──投擲。

 満潮を暗黒球の中へ投げ飛ばしたのである。

 

「ああああああ!?」

『満潮さーん!?』

 

 余りの速度に、重力嵐も振り切って真っ直ぐ飛ばされる。

 だがその瞬間だった。

 獣の残骸から、満潮を包囲するように、無数のレーザーが放たれたのだ。

 

「──これは、まさか!?」

 

 さっきのように這っていたら全弾直撃していた。

 しかし、『三つ首』が投げ速度が増したせいでレーザーは空振り。

 満潮は無事──と言っていいのか分からないが──暗黒球の中へ呑み込まれた。

 

「助けてくれたって、言うの!?」

 

 一体、何の意図があってこんな事をしたのか。

 満潮の声は暗黒球へと消える。

 『三つ首』の眼には、満潮が大切に持っていた、真っ白な鎖が焼き付いていた。

 また、腹を空かせた音がした。

 

 

 *

 

 

 何故『三つ首』はあんな、私を援護する行動をとったのだろうか。

 それは分からない。

 けど一つ言いたいことはある。

 

「何処に行くのよ……これっ!」

 

 満潮は暗闇を()()()()()()()

 

 暗黒球へ突入してから、体感時間にして既に10分超。

 その間ずっと落下しているのに、未だに何処にも着地せず。延々と落下する。

 

 まず、暗黒球の中へ入る事が想定外。目の前で立ち止まり、卯月救出の為にどう動くべきか考える予定だった。

 とは言え、内部へ入らずに何とかなるというのは、甘い考えだと満潮自身自覚していた。

 

 だが待っていたのはコレだ。

 何れ何処かへ着地、最深部に卯月がいると思っていたが、まだ到達できない。

 

 幾ら何でもおかしい。

 只の落下ではない。注意してみると、ずっと落ちているのに速度が全く変化してないのに気付く。ずっと等速のままだ。

 そもそも、人一人分の暗黒球なのに、何処までも落下する事が異常。

 

「物理的に、落ちてるって訳じゃないって事?」

 

 だとすれば、待っていても意味はない。底はあるかもしれないが、満潮自身がそんなに待てない。単純に我慢の限界。

 

「この状態で、アイツを探し出すしかないって事か……」

 

 しかしそれはそれで困難だ。

 周囲は完全な暗黒。一切の光がない。この空間自体が完全な暗室。目が慣れるとかそういう状態でさえない。

 卯月を目視で探すのは不可能、けど、聴力や触覚で探せるような特殊技能を満潮は持っていない。

 

 できる手段はこれぐらいしか浮かばなかった。息を目一杯吸って、そして叫んだ。

 

「卯月! 何処なの、返事をしなさい!」

 

 声は暗闇へ消える。

 

「返事をしろ! アンタの耳なら、聞こえない訳がないでしょうが! 態々助けに来てやったのよ、少しぐらい答えなさいよ!」

 

 声は暗闇へ消える。

 

「……卯月! 無事なの、今どうなってんの! 呻き声でも何でも良いから、私に声を返し……ゲホッ、ガッ……!?」

 

 声は暗闇へ消える。

 

 返事も返ってこない。熱で焼かれボロボロだった喉が、更に使い物にならなくなる。

 それでも満潮の眼には『決意』があった。

 

「諦めるな……私は、諦められないんだ、こんな終わり方なんて、世界が終わったって認めてやるもんですか」

 

 正直絶望の方が大きかった。

 一切の光源がない世界、落ちているせいで探し回る事もできない世界。どうやって人一人を見つければ良いのか。

 

「卯月、卯月──ッ!」

 

 だが、諦めない。

 叫び続ける。

 此処まで来て諦めるなんて絶対に嫌だ。

 あの時とは違う、手を伸ばせば届く状況なのだ、尚更諦められない。

 

 ()()()()()()()()

 

「──え」

 

 ずっと持っていた白い鎖が、目も眩むような閃光を放ち始めたのだ。

 それだけでなく、カタカタと、意思を持っているかのように動き始める。

 

「…………」

 

 満潮は何かを感じ取り、鎖を虚空へ投げた。

 

 鎖は自ら動き、奈落の奥深くまで一気に落下していく。

 単に真っ直ぐではない。()()()()()()()()()()()()()して伸びていき……何かにぶつかった。

 

 この虚空で、ぶつかるような何かがある。

 そんなモノは一つしかない。

 

「誰だか分からないけど……感謝するわ。これが何なのか分からないけど!」

 

 満潮は鎖を掴み、引っ張る。

 逆に自分が引っ張れる感覚がする。

 間違いなく何かがいる。

 確信した満潮は、ロープを使って崖を登るように、鎖を辿って奈落を下る。

 

 白い鎖の輝きが、暗闇を照らしていた。

 道中も完全な暗闇。何もなく、底も見えず、挙句壁もない。

 どういう空間なのか理解は諦めた。

 重要なのは、卯月を助けるという一点のみ。

 

 やがて、鎖の道が途絶える。

 鎖の先端、錨が突き刺さっている『それ』が見える。

 

「見えた……っ!」

 

 若干遠く、朧気だが、あの顔は見間違えようがない。

 卯月がそこにいた。

 やはり自分と同じように等速で落下していた。

 同じ速さで落下してるのだ、道理で発見できない訳だ。

 

 しかし、相手は最後の脱皮をする筈だった獣。

 それを邪魔され、挙句中に入ってきた不届き物への容赦はない。

 傍まで行こうと、再び鎖を辿り始めた満潮。

 

「──邪魔」

「え」

 

 卯月から伸びた『真っ黒な鎖』が、満潮の身体を抉り飛ばした。



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第192話 獣⑩:ABYSS

 何故か分からないが『三つ首』の援護により、獣の体内にあった核──暗黒球の中へ突入に成功した満潮。

 永遠に落下し続ける奈落の中、やはり分からないが白い鎖の導きにより、同じく落下し続けていた卯月の元へ到達する。

 

「邪魔」

 

 しかし待っていたのは、黒い鎖による攻撃だった。

 

 卯月から何十本も黒い鎖が伸び、満潮へ突っ込んで来る。身を捩り回避しようとするが、運悪く一本に被弾。

 あろうことか、それだけで肉が抉れ飛んだ。

 

「ぐぅっ!?」

 

 肉を抉る勢いで迫って来る黒い鎖。全てを喰らえば肉団子確定。幸い此処でも武器は使える。主砲を乱射し鎖を迎撃。

 

「だから邪魔、うーちゃんの邪魔すんなっぴょん」

 

 しかし、鎖は無尽蔵に供給される。

 ある一定の本数以上が同時展開される事はないが、撃っても撃っても減る事はない。

 そして再び被弾。足の肉が抉れる。

 

「──ッ」

 

 既に満潮は瀕死。戦える状態ではない。どうやっても追い詰めらるのは必然。

 ──だとしても、ムリだ。

 此処まで来て『止まる』なんて選択肢はない。

 

「さっきから、何を、すんのよバカ卯月!」

「バカってなんだっぴょん。真理を何も分かってない輩が知ったような口を聞くんじゃぁない!」

「真理ぃ!? まさか、あの破壊行動が!? やっぱりふざけてんじゃない!」

 

 白い鎖が光っているとは言えまだまだ暗い。卯月の表情は伺えないが、呆れた表情のように思えた。

 

「ふぁー、ほら分かってない」

「煩い! 何だって良いからこの破壊活動を止めなさい。でなきゃ殴り飛ばすわよ!」

「ヤダ」

「殴る!」

「……できもしない癖に」

 

 白い鎖はまだ卯月へ繋がっている。此処まで来たのと同じように、鎖を辿って卯月へ接近していく。

 そこへ、また黒い鎖が伸びる。

 満潮はそれを迎撃し、被弾を僅かでも減らし、鎖を進み続ける。近くに行かなきゃ殴れない。

 

「別にこっち来なくていいのに。そりゃ最後は全員殺すけど、態々死にに来る必要はないぴょん」

「アンタが訳分かんない事しているからでしょうが! 何よ真理って。この破壊に何の意味があるの!」

「意味? 意味はないぴょん。それが意味だぴょん」

「は?」

「意味なく、世界を終わらせるのが、うーちゃんのお仕事だったんだぴょん」

 

 何の疑いもない。悟りにでも目覚めたような晴れやかさだった。

 

「何よそれ……アンタの仕事は『艦娘』でしょ。誰かの為に何かを救っていくのが、私達の仕事でしょうが!?」

「うん、だから、そうしてるぴょん」

「どこがよ!?」

「うーちゃんは分かったんだぴょん。皆が望んでる事を!」

 

 攻撃を受け、肉を抉られ続け、前へ進む。

 少しずつ卯月の姿が鮮明になる。

 しかし満潮は、何か、悍ましい気配を感じていた。

 

「皆、終わりを望んでたんだぴょん。こうなってやっと分かった。誰も彼もが終わりを望んでるって。理由も何もない、抗うも何もない、必然足る終わりが世界には必要だった。何がどうなって酷くなろうが、問答無用で全部終わる。悲劇も、絶望も、悪夢だって終わっちゃえば苦しくない。それが皆の願い」

「願いですって……?」

「そう。ほら、だから同じだぴょん。これは誰かの為の戦い。艦娘としての責務を全うしてるっぴょん」

 

 より鎖を進む。卯月へ近づく。姿が見える。満潮は悍ましさの正体を理解し、逆さ吊りの状態もあって、吐きそうになった。

 

「でもまあ、流石に誰もやりたがらないから……だから、うーちゃんがやるんだぴょん。それが私の役割だったから」

 

 卯月の身体を、夥しい量の鎖が貫いていた。

 同化、と呼ぶべきなのか。真っ黒な錆塗れの鎖が、体内へと潜り込んでいる。鎖そのものに卯月が呑まれている。

 

「何なのよそれは……」

「皆だけど?」

「意味不明じゃない! さっさと引き剥がせそれを! 見れば分かるでしょ、アンタおかしくなってんのよ、その鎖で!」

「…………」

 

 突然、爽やかだった卯月の顔が変貌。満潮への敵意を剥き出しに。

 

「自分でやらないってんなら、力ずく引き剥がす!」

 

 残弾は僅か。その主砲を卯月を縛る鎖へ向け、トリガーを引く。放たれた砲弾が鎖に命中。

 

「無駄なのに」

 

 しかし、砕けたのは砲弾の方だった。

 

「嘘っ!?」

「そりゃそうだぴょん。この鎖には、()()()()()()()()が宿ってるんだから」

 

 驚愕する満潮へ鎖が殺到。主砲で迎撃し直撃は回避するが、それで僅かな残弾も尽きてしまう。

 

「無駄だと理解できたら諦めるぴょん。満潮が何をどうしようが、この流れは止められない。世界はそう出来ている」

「訳が分からないって、言ってんのよ。終わりだの何だの。そんな自殺志願者みたいな連中の願いよりも、優先する事があるでしょうが!」

「ないよ?」

 

 再び鎖が殺到する。しかし迎撃する為の武器は──まだある。満潮は魚雷を投げ、それを機銃で撃ち爆発させる。

 

「この世界で一番強いパワーは、『未来へ進む力』だぴょん。うーちゃんはそれに乗っかってるだけ」

「だから意味が分からないのよ……そんな話はどうでも良い。今すぐこの破壊活動を止めなさい! これが、アンタのやりたかった事なの!?」

「そうだぴょ──」

 

 満潮はそれの『呪詛』を遮る。

 

「違う! 『報復』だったじゃない!」

「報復……」

「アンタを地獄へ堕とした『黒幕』への報復は!? それだけじゃない、折角得た人としての生を楽しむって言ってたのは何だったの!? 今更違うって言うの、それはアンタの嫌悪する嘘じゃないっ!」

 

 彼女は必死だった。必死で鎖を辿っているが、激しい抵抗に阻まれている。今この位置からできる事は、全力で呼びかけるだけ。

 

「……ああ、そんな事?」

 

 しかし届かない。

 

「大丈夫、報復はちゃんと成し遂げるぴょん。黒幕は世界の何処かにいる。だから世界を滅ぼせば、そいつの抹殺もできちゃうぴょん。楽しむってのは、もう達成済み。今こうしてるのがとっても楽しいぴょん!」

「これが!? どこが!? こんなのが、人の楽しみだって言うの!?」

「そうだけど?」

 

 尚も叫ぶ。

 

「頭の沸いた事言わないで! あれこれ食べ物買ってたじゃない。まだ食べてないの残ってんのよ、次の給料日でまた新しいの買うんでしょ!? それに……日記! 碌な内容書けてない、もうちょっとマシな内容書きたいんじゃないの、どうなの!?」

「いや別に……んな即物的な幸福、『真理』に目覚めた後と比べると」

「『誇り』はどうしたの」

 

 叫び続ける。

 

「今のアンタの姿が、今やってる事が、『卯月』に対して誇れると思ってんの。誰が見ても『流石』だって思える姿なの……!」

「誇れるけど?」

 

 だが届かなかった。

 

「これが一番誰かの為になる行動、世界の意思そのもの、と、なれば、こんなにも誇らしい事はないぴょん。口では否定するだろうけど、心は正直に感謝している。感じられる、分かるんだぴょん」

「……ふざけないでよ」

「ノンノン、絶対的な終焉を誰もが望んでいる。満潮もそうじゃないの?」

「煩い!」

「あ、そ」

 

 卯月の身体からまた鎖が伸びる。惨めに這ってくる満潮を叩き出す為に、それが突っ込んでいく。

 

「喚くのは終わりなら、こっちも終わらせるぴょん」

「──っ!」

 

 もう迎撃の為の武器はない。魚雷も爆雷も尽きた。身体を捩って致命傷にならないよう踏ん張るのが精一杯。

 

 心の中は絶望で一杯だ。

 そりゃ、親しかった覚えはない。むしろ鬱陶しいし邪魔だ。しかし声の一つさえ届けられないとは思わなかった。

 仲間一人、同居人の心一つさえ救えない自分が恨めしい、情けなくて仕方がない。

 

 しかし、卯月の理論は──言いたくないが完璧だ。

 狂っているが、間違った事は一つも言っていない。

 世界を吹っ飛ばせば、何処かにいる黒幕も消せる。人生の楽しみ云々は当人の主観でしかない。

 

 それでも、『卯月』に誇れるかは、否だと言いたかった。誰も感謝なんてしてないと、叫びたかった。

 

 できない、それが言えない。

 何故なら、()()()()()()()から。

 絶対的な終焉こそが、世界に必要なのだと、満潮自身が知っている。

 

 

 かつて、『終わり』を渇望していたから。

 

 

 『終わり』がどれだけ魅惑的なのか知っている。

 ましてや、理不尽な終焉だ。それが本当に来てくれるなら、これ以上嬉しい事はない。その気持ちを知っているせいで否定できない。

 

 表面上取り繕って言った所で、今の卯月は直ぐ嘘だと見破るだろう。言うだけ無駄だ。

 卯月の言う通り、本音を言えば卯月に感謝していた。理不尽な終わりを齎してくれる事を、本当に嬉しく感じていた。

 

 そんな心で、言葉を届けられる筈もない。

 『終わり』が欲しいと思っている奴が、それを否定した所で、そんな言葉が届く筈がなかったのだ。

 

「抵抗すれば、苦痛だけが増すだけぴょん。早くコレを受け入れるぴょん」

 

 鎖の一本が反撃を潜り抜け、満潮の身体へぶつかる。

 しかし身体は抉り飛ばなかった。

 代わりに鎖は、体内へ潜り込んだ。

 

「ひっ!?」

「んんっ……はぁ、ああ、そういう事。なーんだ満潮は()()()()()()だ。じゃあ……私達と一緒になるぴょん」

 

 卯月は鎖を通じ、満潮の気持ちと同化。心の奥底では『終わり』を欲していると気が付き、とても嬉しくなった。

 

「止めろ、止めなさいっ!」

「はははまたまた、そんな心地良さ気が顔じゃ説得力皆無だぴょん。はいもう一本追加」

「ひゃぅっ!?」

 

 また鎖が体内へ。皮膚の下をミミズが這いずっているような悍ましい感覚──が正常。なのにちっとも気持ち悪くない。鎖の冷たさが、無機質さが心地良い。それどころか気持ち良さまである。

 

「これが終わりだ」

 

 卯月の声が耳を撫でまわす。

 

「終わりは幸福なこと。他の人よりちょっと早くそれが来るってだけの話。何も分からなくなり、微睡んで行け」

「んあっ、ぁあ!?」

 

 意識が冷たさと快楽でぐちゃぐちゃになっていく。卯月のように鎖が何本も入る。鎖に取り込まれていく。

 傷だらけで疲れ切った身体は、抵抗の意思を見せない。

 深刻な闇を抱えた心も、それを否定できない。

 

 どうして、必死にこいつを助けようとしていたのか。こんなに自分に優しくしてくれるのなら、それで良いじゃないか。

 

「……う、づきぃ……」

 

 満潮は手を伸ばす。

 

「おねだりか。愛い奴め。勿論だ、終わりは平等に、誰にでも幾らでも与えられる」

 

 鎖が伸びる。貫く場所は頭部。自分と同じように真っ黒な終焉で虜にしてあげよう。

 そこに、邪悪な意志はなかった。

 100パーセント純粋な善意のみで、卯月は救済を望んでいた。

 

「ざけんな」

「へ?」

 

 しかしその伸びた鎖を、満潮が掴んだ。

 

「あの?」

「喋んな悍ましい何で終わりをこんな心地良くしてんのよ気持ち悪い最低最悪悪趣味ふざけんな大体何その喋り方まさか本気で救済だと思ってんの頭快楽で沸騰したのざっけんな何が幸福だ何が救済だ何が平等だ──っ!」

 

 何かと言うと、割かし単純な理由で。

 

「耐えれるか! アンタに救われるなんて! 気持ち悪い!」

 

 卯月への嫌悪の方が勝った。

 

「……え、あの、じゃあ何でここに」

「最初から、こうすれば良かった。これがアンタを狂わせてるってんなら、受け入れるのが一番近づける!」

 

 黒い鎖を握りしめ、力の限り引っ張り、一気に卯月の方へ加速した。

 

「まずい!」

「おおおおお!」

 

 全身を駆ける快楽を否定するように叫ぶ。自分の身体に繋がってしまった鎖も含めて、引っ張り、足場として蹴り飛ばし加速する。

 卯月は反射的に、鎖で迎撃を行う。

 しかし、此処に来て。『白い鎖』が動いた。

 

「弾いた!?」

 

 『白い鎖』が撓り、突っ込んできた黒い鎖を弾き飛ばした。

 

 そして満潮は、卯月の手を掴む。

 

「とりあえず──宣言通りに!」

 

 全力で顔を殴りつけた。

 

「ッ──無駄、だぴょん。うーちゃんを殴った所で、コレは止まらない。一度空いた『穴』は決して塞がらない。だから」

「知るかそんなの!」

 

 叫ぶ満潮。今度は卯月と繋がる鎖を掴む。そして力の限りを尽くして、鎖を引き千切ろうとする。

 

「これの、どこが、誇れるって言うの。こんな暴走のどこにカッコ良さがあるって言うの!? 頭おかしくなってんじゃない!」

「それについてはさっき言った。これこそが、『卯月』にも誇れる行為だって」

()()()()()()!!」

 

 その発言は予想外のものだった。

 

「何言ってんだぴょん。運命の正しさはうーちゃんにある。皆等しく死ぬのが、一番良い事、皆が望んでいる事。これは妄想とかじゃなくて、絶対的な『真実』だぴょん!」

「知ってる! そんなの!」

「……え」

「終わりが、一番の救いだって、理解してる!」

 

 満潮は知っていた。終わりが救済だと。満潮は渇望していた。不条理でどうしようもない終わりの到来を。

 正直に言って、卯月のそれは望ましい事だった。

 受け入れても構わないと心の何処かで思っていた。

 

「だけど! アンタが死ぬ!」

 

 たった一つの問題を除いて。

 

「……は、うーちゃんが?」

「そうよ、アンタも死ぬって事でしょ!?」

「まあ、そうだけど」

 

 卯月は正直に答える。嘘は吐けない。こうなっても尚、嘘を言う事はできない。

 その返答に満潮は顔を更に歪ませる。

 

「なら認められない……世界の誰もが望んでいても、これが正しい事でも、私の欲しかった事でも、逝かせる訳にはいかない!」

 

 満潮は鎖を引っ張る。傷が開き、奈落の中に鮮血が飛び散る。

 それでも止めない。これしか手段がない。

 理屈じゃ勝てない、終わりが救いというのが、正しいと思ってしまえるから──だから叫ぶのだ。感情のまま、心のままに。

 それ以外にもう、言葉を届かせる手段が分からない。

 

「私の前で、誰も死んでほしくないの! だから、誰だか知らないけど離れろ、気持ちの悪い鎖が! 卯月アンタも抵抗しろ、それをとっとと引き千切れ! 顔も見たくないのに、今更アンタのいない未来が想像できない、だから、私の手を取れ!」

「いや、だから……」

「煩い!!」

 

 卯月の顔に水がかかる。

 それは涙──なんて上等なヤツだけじゃない。涙に、鼻水に、叫びまくるから唾までかかる。汚いぐちゃぐちゃの顔だった。

 

「私に救われろ!」

 

 誰を救うのか? 

 それは自分自身の為。

 卯月の事など考えていない、自分の心を救うために、卯月を救う。

 終わりは欲しいが──誰かが死ぬのは耐えられない。

 

「黙って、この手を、取りなさい!」

 

 どうしてここまで泣く。

 終わりへつけば、そんな悲哀も全部無くなる。皆が救われる。満潮の嘆きに意味はない。なのに心が揺れる。

 ──私は正しいの? 

 そして、卯月の目の前は真っ暗になった。



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第193話 獣⑪:ABYSS

 今作のうーちゃん、しょっちゅう『カッコ良い』だとか、そういう事を言っているけど……その意味合いについては、一切説明していなかったと思います。
 今回、やぁぁぁぁぁぁっと、そこに触れます。


 『復讐』以外の全てを失った。

 

 それが卯月の自己評価だった。

 卯月の生きる意味は、生まれた直後に失われた。

 D-ABYSS(ディー・アビス)に洗脳されたとはいえ、仲間も人間も、誰も彼も殺し尽くした経験は、卯月のアイデンティティを根絶やしにしていた。

 

 『復讐』は絶対に必要だった。

 自分の中に燻るドス黒い憎悪、侮辱に対して、ケジメはつけなければならない。

 

 しかしあくまでケジメだ。生き方ではない。

 生き方が必要だった。

 だから卯月は、誇りに固執した。

 

 他の艦娘でも、多かれ少なかれ、『自身』への誇りを持っている。

 それは艦娘としてのではなく、かつてを生きた『艦艇』としての自分だ。

 

『『駆逐艦 卯月(わたし)』に、誇れる生き様を』

 

 しかし、具体的にそれはどういう生き方になるのか。

 誰かの為に戦う……のには意味を感じられない。

 

 何故なら、他人とは、自分が既に知っている『過去』だからだ。

 友情、愛、思い出、それらは過去に得た物。それを護るというのは、過去の為の戦いだ。終わった事の為に戦ったところで仕方がない。

 

 何より、大事な過去を虐殺をした彼女に、その道はもう選べない。

 

『……自分の為に戦おう』

 

 それは、目先の我欲を満たすという意味ではない。

 知らない誰かの為に戦う。

 つまり()()()()に戦うという事。そこには自分の知る過去は関わらない。

 

 誰でもない誰かの為の戦い──他者(過去)の意思が介在しない戦い、即ち()()()()()()()だった。

 

 言い換えれば()()()()()()()

 私を見た誰かが、カッコ良いと思ってくれるような生き様。

 それが、かつてを生きた『卯月』に対して、一番誇れるのではないかと……卯月はそう考えた。

 

『──だからこそ、黒幕に報復を』

 

 その生き方を、ちゃんと胸を張ってする為に、復讐はやはり必要だった。運命の決着をつけなければならなかった。

 

 果たして、それを選んだのか、それしか選べなかったのか。

 

 卯月はその誇りを胸に生きてきた。

 

 その結果、自らの手で護ると決めた子供を殺す事になった。

 悍ましい虐殺を目の当たりにした。

 

『──でもダメだ、未来の為でなきゃ』

 

 しかし、過去を()()にはできなかった。

 この死んでいった人達の意思が、無意味になってはいけないと、卯月は強く感じた。それは罪悪感故だったのか──卯月は壊れた。

 

 そして卯月は、未来の為の戦いを再開する。

 未来、果て無く未来、完全なる未来──それが行き付く先、『終焉』の為の戦いだ。

 全員死ぬ。

 しかし問題はない。

 自分の為の戦いだから、死者の意思を無駄にもしないから、恥ずかしい事は一つもなく『卯月』へ誇れる。

 

 

 だが、満潮の叫びが心を動かした。

 

 

 理屈で言えば、卯月が正しい。

 暴論の極致だが、世界が終われば全て救われる。ついでに巻き添えで黒幕も殺せる。

 しかし、あの満潮をあんなに泣かせるのが、本当に正解だったのか? 

 

 心が揺れる。何故、こんなに迷ってしまうのか。

 

『ソリャ、貴女ガ間違ッテルカラヨ』

『……え』

『貴女ハ正シイ……ケレドモ、ソレハ『結果』ダケ。未来ハ……『結果』ダケデ出来テハイナイ。ソレヲ見落トシタ結果ガ、彼女ノ涙』

 

 卯月は信じられない者を見た。

 終わりを知って冷え切った心でさえ、初恋のように燃え上がっていく。

 

『どうして、ここに』

()()()()()ヨ。私モ正確ニハ分カラナイケド……マアソレハドウデモイイワ。私カラ伝エタイノハ、タッタ一言』

「一言?」

『私ヲ侮辱スルナ』

 

 彼女の表情は、『完全なる殺意』で真っ黒だった。

 

『私ハ、ソンナ事ノ為ニ、戦ッテタンジャナイ。最後ニ行キ付クノガ、ソコダトシテモ……私ハ全力デ生キタノ』

「…………」

『貴女ノソレハ、諦観ノソレヨ』

「……で、でも、私は、何の意味を、持たせれば」

『救ワレルダケデ良イ。ソレデ、彼女ニトッテハ意味ガ生マレル』

 

 再び暗黒に、鼻水混じりの叫びが響く。

 どうやっても好きにはなれないが、今更、彼女ナシの未来が想像できない彼女の声。

 不倶戴天のルームメイトの絶叫が。

 それこそが、終わりへの道を、完全にするのに必要だったのだと、卯月は気が付いた。

 

「……どうして」

『ン?』

「また、助けてくれたんですか」

『礼ト、願イヨ』

 

 彼女は微笑む。殺意のない柔らかな笑みを。

 

『貴女ノオ陰デ私ハ意味ノアル最後ヲ迎エラレタ、ソシテ……貴女ノ歩ミハ、私ノ命ヲ意味アルモノニシテクレル。ソレガ続イテ欲シイ願イ』

 

 世界が再び真っ黒へ染まっていく。奈落が深くなっていく。

 

『デモ、コレデ本当ニ最後……奇跡ハ二度モオキナイ。私ヲ倒シタノヨ……モットカッコ良シナサイ』

「──はいっ!」

 

 声が消えた。

 卯月は確信する、もう絶対に奇跡は起こらないと。

 

「やっぱ、カッコ良いなぁ……」

 

 寂しげな呟きと共に、卯月は目を覚ました。

 

 

 *

 

 

 果たしてそれは何秒の間だったのか。

 暗闇から帰還した卯月は目を開く。

 眼前には目を閉じる前までと同じ、無限に続く奈落が広がる。

 

 満潮が必死で鎖を引き千切ろうとしているのも、前までと同じだった。

 

「満潮ー」

「何本あんのよクソが! ふざけんな、気色悪く纏わりついて……何なのよコレは、離れなさいよっ!」

「おーい、満潮ー」

「取れろ、取れろっ、取れ──え?」

 

 血塗れの手を止めて、涙&鼻水&涎でぐっちゃぐちゃの顔をこちらへ向ける。

 

「もう、大丈夫だぴょん」

「卯月?」

「大丈夫になったから、止めるぴょルボァッ!?」

 

 返事は右ストレートだった。

 

「私を油断させる気!? そうはいかない。騙されるものか!」

「いやあの、うーちゃん正気になレベァッ!?」

 

 左ストレートだった。

 

「こんな簡単に正気に戻る筈がない……これを、どうにかしなきゃ。私が、私がやらなきゃいけないんだ」

「み、満潮……あの……」

「……へっ?」

「正気、だぴょん。マジのマジで……」

 

 満潮が目をパチクリさせる。

 これ以上殴られるのは勘弁して欲しい。

 満潮は正気に戻った卯月を見て暫くフリーズ。そして状況を呑み込んで、卯月を睨みつけて、また殴った。

 

「死ね!」

「ぎゃんっ!?」

「なぁぁぁにが『大丈夫』よ! ここまで滅茶苦茶やっといて、そんな一言で済ませるつもりがざっけんぁぁぁぁ!」

「ちょ、あのまだ落ちてる最中だかギャァァァァ!?」

 

 これでもかと殴られた。

 顔面がたんこぶ塗れになるまで殴られた。

 

「ひでぇ……ぴょん」

「あれだけやっといて、これぐらいで済ませてるんだから、遥かに優しい方よ私は」

「そうですか……ハイ」

 

 文句の言いようが無かった。

 と、アレな時間はこれぐらいで切り上げる。

 正気になったのなら何時までもこんな所にいる理由はない。早く脱出しなくてはならない。しかし満潮にはまだ疑念があった。

 

「でも、その鎖繋がりっぱなしだけど、アンタ本当に大丈夫なの?」

 

 卯月を拘束していた黒い鎖は千切れていない。未だに繋がったまま。

 まだ狂気に侵されたままで、一時しのぎで正気のフリをしているだけなんじゃないか。満潮は

 そう心配していた。

 

「……これか」

 

 それを、卯月は何とも言えない視線で見つめる。

 

 この鎖の正体は結局の所──やはり鎖と言うのが一番最適だった。

 この戦場で死んでいった人達の無念。

 それを無駄にはできないという、呪いにも等しい卯月の重い。

 それが相互に合わさった結果、卯月を縛り続ける鎖として、顕れたのだ。

 

「さっさと千切るなりなんなりしなさいよ。全力で引っ張っても全然ダメだった。できるのはアンタだけだと思う」

 

 実際その通りだ。この鎖を構成している半分は卯月の意思。卯月が鎖の消滅を望めばその通りになる。

 奈落の底へ引っ張り続けるこれを、持ち続ける必要はない。

 しかし彼女は、鎖をじっと見つめたまま、中々動こうとしない。

 

「……早くしてくんない。ずっと落下し続けるのもいい加減キツイ。私だってダメージシャレにならないの。早く治療したい」

「ああ、うん。分かった」

 

 鎖を強く握りしめる。

 

「でも、千切らない」

 

 卯月は狂気に侵された歓喜ではなく、自分自身の意思でそう告げた。

 

「やっぱり無かった事にはできない。無駄にはできない、このまま奈落へ放置して、私だけ出てくなんて事はできない」

「……ならどうすんのよ」

()()()()()

 

 そう言って卯月は目を閉じる。

 次の瞬間、無数の鎖が──()()()()()()()

 繋がっていただけの鎖が、卯月自身に引き摺られるように、体内へどんどん呑み込まれていく。

 

 奈落の奥底にあった分も含めて、悍ましい量の鎖を卯月は飲み干していく。

 しかし、満潮に無理やり与えたような快楽はない。

 むしろ、絶望と苦痛に満ちた感覚。

 

 ──卯月は涼しい顔をして、それを全部受け入れる。

 

 実際の所、心の中に、途方もない数の人々が押し寄せている。

 自分と他者の境界線がなくなり、壊れていくのが確かに感じられる。

 しかし抵抗は許されない。

 憎悪に呑まれていた時は受け入れて、正気に戻ったらハイサヨナラなんて都合の良い事は、誰よりも何よりも、自分が許せない。

 

「全て……全部、引き摺っていく。無駄にはしない、いずれ消えて忘れ去られる呪いでも、せめて、私が生きている間ぐらいは……でも、その為には生きない。私は変わらない、私は、うーちゃんは自分の為に戦う」

 

 満潮は、驚愕していた。

 鎖をどれだけ飲み干しても狂っていく気配がない。

 様子がおかしくならない。

 しかし、彼女の外観が凄まじい変容を始めていた。

 

「これは呪いじゃない、祝福だ。そうしなきゃいけない。その為に『誇り』がある……」

 

 過去はもうやり直せない。

 過去(他人)の為に戦っても何の意味もない。

 けど、過去(思い出)がなければ人は自分を作れない。

 

 報復するのも、誇りを持つのも、過去があるから成り立つ事。

 でも、それが全てじゃ『呪い』にしかならない。

 

「過去を呪いじゃなく、祝福にする事。それこそが『誇り』……!」

 

 『祝福』に変えなければならない。

 それができるのは自分しかいない。

 先に『終わり』に至ってしまえば、意味も何もなくなってしまう。

 最終的に『終わる』としても、そこまでが重要なのだと、卯月は理解した。

 

「これが『誇り』なんだぴょん!」

 

 卯月の身体が、ドス黒い光で覆われた。

 

 四肢が空母棲姫を思わせるような、赤黒いガントレットとブーツで覆われる。

 そこから肌に、鈍く赤く光る亀裂が走る。

 目は一目で異形と分かる程赤く染まり、耳の付け根から後ろに向けて、一対の赤黒い巨角が生える。

 長く赤い髪の毛が、マグマのように赤く輝く。

 eliteクラスとも違う、眩く赤いオーラが全身を覆った。

 

「……赤い、深海棲艦?」

 

 そうとしか形容できない。

 赤い獣を人型に押し留めたような雰囲気。

 きっとこれが──孵化し切った姿なのだ。

 兎に角『赤』の印象が目立つ、駆逐艦の深海棲艦が目の前に立っていた。

 

「おまたせ、終わったぴょん」

「アンタ、大丈夫なのそれ」

 

 卯月は自分の身体ってか胸元を見た。絶望した表情で摩る。

 

「……大きくなってない」

「ああ大丈夫そうね」

 

 杞憂だった。極めて普段通りの卯月だった。心配した自分がアホだった。

 とりあえず、また狂っていない事に満潮は安堵する。

 本来の流れに戻す為、ゲホンと咳払いをする。

 

「んじゃ、此処から出るわよ。また外には瑞鶴とウォースパイトがいる。赤城さんが戦ってるわ、援護しなきゃいけない。『三つ首』の動向も気になるわ」

 

 赤城に助けがいるのかという話は置いておく。

 多分要らなかった。

 

「おう、じゃ、早く」

「え?」

「ん?」

「ええ、早くしてよ」

「何を?」

「いやだから、早くこの奈落から出してよって言ってんの」

 

 卯月の顔が真っ青に染まった。

 四肢や髪の毛、纏うオーラまで赤いのに、顔面だけ青いのは何だかシュールだった。

 満潮の顔も真っ青だった。

 

「……分からない?」

「それは、こっちの台詞だぴょん」

「……はぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 何と、どっちも脱出方法を分かっていなかった。

 

「ふざけんな!? 何でこの流れで分かってないのよ、この空間開いたのアンタでしょ!? 分かってなさないよバカなのアホなの!?」

「うっさいそんな精神状態じゃなかったぴょん! てかお前だって無策で飛び込んできたのかぴょん! 出口に鎖とか命綱的なヤツつけとけって話だぴょん!」

「やるも何も『三つ首』に投げ飛ばされたのよー!」

「この流れで出れないってヤダー! ダサ過ぎるってか此処でゲームオーバー嘘ぉぉぉぉ!?」

「嫌ー! こんな所で二人きっりとかぁぁぁ!?」

 

 阿鼻叫喚の地獄絵図だった。色々と台無しだった。錯乱する満潮の肩を誰かが叩いた。

 

「誰よこの状況下でふざけんな……」

 

 待て、誰が叩いた? 

 異常な悪寒の中、満潮は振り返る。

 『三つ首』がいた。

 

 繰り返す、『三つ首』が居た。

 

「…………」

「……え」

 

 何でこいつが此処に? 

 そんな事を考える暇もなく、『三つ首』が卯月と満潮を掴む。

 そして、三尾の内二本を翼へ変え、一気に飛翔。

 

「どわぁぁぁぁ!?」

「ギャァァァァ!?」

 

 パニックのどん底に叩き落される二人。

 特に『三つ首』にボコボコにされた卯月の悲鳴は酷かった。ぶっちゃけトラウマになっていた。

 しかしそんなの気にせず『三つ首』は飛ぶ。

 二人を抱えているのを感じさせない、軽やかな高速飛行──やがて、光が見えた。

 

「出口よぉぉぉぉ!?」

「あああわぁぁぁぁいっ!?」

 

 光を抜け、奈落から脱出した瞬間、満潮は無造作に放り出された。卯月は『三つ首』に掴まれたままだった。

 同時に暗黒球は閉鎖し消滅。

 巨大な獣の肉体も、光の粒子となって消滅していく。

 

「──ッ!」

 

 石畳へ投げられた満潮はギリギリで受け身を取って衝撃を逃がす。

 

「が……っ」

 

 そこで遂に体力の限界が訪れ、激しく吐血する。

 しかし、これで助かった。全てが上手くいった。卯月を正気に戻り脱出する事ができた。

 満潮は心の底から安堵する。

 

 けど、『三つ首』が分からない。

 どうしてあの空間に飛び込み、私達を救助してくれたのか。

 暗黒球へ投げ入れた時もそうだ、間違いなく『三つ首』は援護してくれた。

 

 ひょっとして、『三つ首』は味方だったりするんだろうか? 

 そう思い、顔を上げた満潮が目にしたのは。

 

 

「……あ゛」

 

 

 卯月の心臓を『三つ首』が貫く光景だった。




おまけ:この世界のパワーバランス

越者:武蔵、?????、三つ首
――越えられない壁――
最強格:卯月(完全体)、赤城、雪風、北上(全盛期)、ラスボス
準最強:卯月(獣)、カレー変異イ級、比叡カレー
まあまあ:D-ABYSS(ディー・アビス)搭載艦
例外:莨晁ェャ、遐エ螢、荳肴ュサ

ジョジョのスタンドパラメータ並の信憑性なので、あまり信じないようお願いします。


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第194話 顛末

今年の投稿はこれで最後になります。
ついでに、これで全体の折り返し地点を越えたので、暫く書き溜めに入らさせて頂きます。
皆様よいお年を。



 事の顛末を説明しよう。

 

 結論から言って、最悪の事態は免れた。

 核ミサイルが着弾し、死の大地になる事もなかった。

 深海棲艦の呪いが止まらず、日本全土が滅び1億隻の深海棲艦が生まれる事も無かった。

 

 それどころか、呪いは欠片も残っていなかった。

 あの戦場全域に蔓延していた呪いは、全て消滅していた。

 イロハ級も一隻残らず消滅していた。

 

 『獣』が全てを呑み込んだからだ。

 皮肉な事に、『獣』が全てを破壊し尽くしたからこそ、大地が浄化されたのだ。

 

 だからと言って、被害が無かったとは断じて否。

 『獣』による被害は甚大な爪痕を残した。

 

 地殻変動、天地創造により替えられた地形は元に戻らなかった。

 

 人が大勢住んでいた都市は消え、変わりに真っ赤な海が形成された。島の代わりに得体の知れないクリスタル状の陸地が幾つも形成。異界の様な、得体の知れない世界へ変わり果てた。

 

 ただ、そんな場所に成り果てても、人が住むことは可能だと、技研の調査チームは判断した。

 

 放射線汚染もない、呪いの汚染もない、有害そうな要素は何もない。

 ちょっと人類が知らない未知の物質でできているだけの、只の大地に過ぎない。

 

 このご時世住める場所は貴重という事で、大本営や政府機関は、居住地として戻るつもり満々だ。

 

 こんな所済む奴いるのか──割と居る模様。

 この土地が何なのか? 

 未知の物質を見れるなんて! 

 赤い海を、こんな至近距離で調査できるのは幸運極まる! 

 だと歓喜するマッドサイエンティスト共が、挙って入居希望を出している。

 

 尤も安全性の調査にはもう暫く時間が掛かる。本当に人が住めるかどうかの結論は保留だ。

 

 しかしそれは、物理的な被害の話。

 人的被害は計測困難な規模に広がっていた。

 瑞鶴、ウォースパイト、ガンビア・ベイによる掃討作戦、呪いの感染者による被害。

 

 トドメになったのは『獣』の最終攻撃だ。

 あの爆発により、安全地帯だった核シェルターまでもが被害を受けた。

 二発目が防がれたので、シェルター全壊は避けられた。

 

 だが犠牲者は出た。

 亀裂から入った爆発の衝撃で死んだ者。衝撃で次々に転倒し人の下敷きになって死んだ者。

 

 運悪く亀裂から海水が流入し、避難者全員が溺死したシェルターもあった。

 たまたま残ってた呪いのせいで、全員深海棲艦化して全滅したシェルターもあった。

 地形変化に呑まれ、全員が圧死したシェルターもあった。

 

 それでも最悪の事態は免れた。

 

 それが大本営の出した、被害に対する報告だった。

 

 

 

 

 ──以上が被害の説明。

 次は、人の説明に移ろう。

 

 まず、瑞鶴及びウォースパイトだが、彼女達は途中まで赤城と交戦を続けていた。

 しかし途中で防戦一方になった。

 『三つ首』までもが二人を襲いだしたからだ。

 

 満潮を暗黒球へ投げ入れた後、『三つ首』は赤城ではなく、二人にだけ攻撃を開始した。

 現場に居た赤城曰く、『援護してくれている、というより、餌を守っているとか、そんな感じでした』との事。

 

 後日受けた、暗黒球からの脱出を援護してくれた事も含めて、行動原理の調査は進められている。

 

 その後『三つ首』は卯月の心臓部をぶち抜いた後、空を飛んで戦線離脱。レーダーで捕捉はしていたが途中でロストした。

 

 そして瑞鶴とウォースパイト。

 二人は途中で戦場から姿()()()()()

 戦線離脱、ではなく、突如として消えたのである。

 その後、再び現れなかった事から、逃亡したと大本営は判断した。

 

 消滅した、という所から、ガンビア・ベイが逃亡を援護した可能性が高いと見込まれている。

 

 事の発端となった大将、護衛対象、他前科メンバーを含む艦娘達や僅かな憲兵隊は、無事なシェルター内に居続けたお陰で生存した。

 

 卯月及び満潮、赤城は最後まで戦場に留まっていたが、このような事態が起きた事で生存。

 

 

 

 

 ──最後に簡潔にだが、情勢の説明をする。

 結論から言って、何だかよく分からない事になった。

 

 事態を把握した大本営は当初、反艦娘活動が激化すると懸念していた。

 何故なら、事態が起きた当初、空を飛んでいたのは()()()()()()()()()()()のだ。

 

 瑞鶴は空母型のイロハ級を出さなかった。

 その理由が、そこにあった。

 

 封鎖区画の住民はともかく、その外から見た場合、無事な地区の人間が目にするのは、艦娘の艦載機だけなのである。

 

 燃える街、飛び交う悲鳴。

 そこで爆弾を落としまくる艦娘の艦載機。

 

 状況証拠だけ見たら、艦娘が街を襲っているとしか見えないのだ。

 

 揉み消そうにも既に手遅れ。

 艦娘の艦載機が、都市部を爆撃する映像は、インターネット経由で全世界へ拡散されてしまった。

 

 流石にかなり遠くからの映像故、画像は荒いが──艦載機の区別は簡単にできる。

 むしろ、態々映る様に飛んでいる瞬間もあった。

 二人には、反艦娘感情を高めるという目的もあったらしい。反艦娘テロリストが協力していた理由が垣間見える。

 

 艦娘が人を襲ったという事実だけが蔓延する。

 

 実際に、現地にいた工作員は、艦娘を『悪』だと断定する空気で満ちていたと語っていた。

 このまま、反艦娘へと世論が向かってしまう──と思われたのだが、『獣』が色々と滅茶苦茶にした。

 

 街を爆撃する艦娘の艦載機と、ビームを吐いて天地創造する『獣』。

 どっちが目立つかなんて、言うまでもなかった。

 挙句、空を飛ぶレ級のエントリー。

 最早、艦娘の艦載機に注目する人は殆どいない。

 

 結局この目的は、反艦娘テロリストの動機を一つ増やす程度で終わった。

 民衆への影響としては、微妙……というかグダグダなレベルに留まる。

 

 胸を撫でおろした大本営だが、高官達の胃痛は止まらない。

 国内に対する説明、核を喰った『獣』についての説明、核を撃ってくれた同盟国に対する釈明──当分家には帰れない。

 

 しかし、この反艦娘感情の被害を回避しきれなかったのが一人いた。

 

 まあやはり卯月なのだが。

 

 

 *

 

 

 あれから三週間が経過した。

 卯月は未だに目覚めない。

 点滴を打たれながら、医務室のベッドで静かに眠り続けている。

 満潮は非番の時は、ずっとそこにいた。

 

「今日も来たんですね。やっぱり心配なんですか?」

「今日どころか毎日いるアンタが言えた台詞じゃないでしょ。赤城」

「いえ、私はあくまで仕事。仕事でなければ司令官のお傍にずーっと居たいというのが私の本心です」

 

 恍惚とした顔で、艶めかしい溜息を吐く赤城。

 しかし、そうしながら、意識の何割かは常に卯月へ向けられている。

 

 赤城の任務は卯月の監視である。

 

 一応、卯月は元に戻っていた。

 満潮が最後に見たという、赤い深海棲艦ではなくなっている。

 勿論『獣』でもない。

 極々一般的な──いや結構変化したが──駆逐艦卯月に戻っていた。

 

 しかし、あれだけ規格外の暴走をした以上、人型に戻っていたとしても、その危険性は計り知れない。万一暴走した時、ある程度でも即時対応ができるよう、医務室には赤城が常駐していた。

 

「しかし満潮さんも飽きずによく毎日見舞いに来れますね。感心します」

「何よそれ。バカにしてんの」

「そんな事ありませんよ」

 

 慣れた手つきでリンゴの皮を赤城は剥いていく。

 

「やはり心配、という事ですか」

「……そうよ。心配に決まってるじゃない。デタラメな変貌をしたってだけならまだしも、最後に心臓を」

「ぶち抜かれた。『三つ首』によって」

「…………」

 

 獣の変貌から元(?)に戻り、暗黒球から脱出した直後、卯月は心臓を『三つ首』にぶち抜かれた。

 ──のだが御覧の通り生きている。

 

「まず生きている事自体驚愕ですけどね。えーっと、何でしたっけ、気が付いた時には、心臓の穴は塞がっていたと?」

「そうよ……あまり自信ないけど」

「え、そういうの困ります。ちゃんと見たかどうかってハッキリさせてほしいです」

「見たわよちゃんと。信じられないってだけで」

 

 心臓に大穴が空けられた。それは間違いない。

 だが、瞬き一瞬の間に穴は塞がった。

 心臓の音はちゃんと聞こえてくる。

 帰投後に取ったレントゲン写真でも、ちゃんと心臓は存在していた。

 ぶっちゃけ、信じ難い出来事である。満潮の反応もムリはない。

 

 ただし、明確な問題が一つ残っていた。

 

「……でも、刺が刺さりっぱなし」

「ああ、そうでしたね。正確には『三つ首』の装甲の破片ですが」

「ほぼ刺だったじゃない」

 

 ぶち抜いた時に残ったのだろうか? 

 卯月の心臓は、一本の巨大な刺が貫通した状態だった。

 まさか、心臓を捌いて中を見る訳にもいかない。

 予想でしかないが、その刺は砕けた『三つ首』の装甲片だと考えられている。

 

 心臓を刺が貫通した状態。

 それが今の卯月の容体。

 どういう訳か、奇跡的に心臓は鼓動しているが、ふとした拍子に停止するかもしれない。満潮はそれが不安で仕方がなかった。

 

「まあ、大丈夫ですよ。こんな状態で三週間も心臓止まってないんですから」

「何の根拠にもなってないじゃない」

「ええ、ですが、今後心臓が止まる根拠もない。三週間生存できている。その実績があるだけです」

 

 正直満潮の不安なんてどうでも良かった。

 そんな事より赤城の懸念は、『三つ首』の目的である。

 

 あの怪物は、破壊衝動のまま暴れるモンスターだと、大本営は考えていた。

 戦略も戦術もなく、単独で大本営を襲撃し、崩壊させた──戦略的敗北を与えた事が何よりの証拠。

 

 しかし、今回見せた行動は、それとはかけ離れていた。

 行動から察するに、獣を喰いに来たのかと思ったが、結局最後まで捕食はしなかった。

 それどころか、卯月を救助しようとする満潮の援護をしていたし、何なら暗黒球から出られなくなっていた二人の救助までしてくれた。

 

 だと思ったのに、最後の最後で、卯月の心臓をぶち抜いた。

 だが、それだけで終わった。

 追撃等は一切せず、さっさと飛び去って行った。攻撃を受けた卯月も心臓が復活していた。

 

 一連の行動は何の為にあったのか? 

 『三つ首』は何を目的として、今回の戦場へ飛来したのか? 

 今回の事件で一番意図が読めないのは、間違いなく『三つ首』だ。

 

 赤城は溜息を吐いて思考を止めた。

 アレについて考えるのは時間の無駄だと本能が言っている。

 目の前の敵について考えた方が有意義。

 赤城は剥いたリンゴをシャクシャク食べ始めた。

 

「色々言いましたけど、早く目覚めてくれるとありがたいですね」

「……自分で喰う用だったのね」

「何か?」

 

 満潮は呆れて返事もできなかった。

 

「……心臓だけじゃないわ。外見にも異常さが顕れてる」

「別に深海の細胞は検出されなかったのでしょう? で、あれば、問題ないと思いますが」

「精神がどうなってるかは、目覚めてみないと分からない」

 

 あまりの心配っぷりに赤城はつい突っ込んでしまう。

 

「……卯月さん、好きなんですか?」

「嫌いだけど……?」

「え、だって、そんなに心配してるじゃないですか。もっと二人っきりで愛し合ったりしたいとは思わn」

「止めて本当に止めて。言われるだけでも吐きそうになる」

 

 満潮は顔面蒼白になり、脂汗を流しながら口を押える。

 本当に吐く寸前の模様。

 流石に目の前で虹(暗喩)が放たれるのは見たくない。

 赤城はさっさと話しを戻す事にした。

 

「うん。何はともあれ起きて欲しいですね。まともな情報を聞き出せるかは怪しいですが、起きてくれれば早く司令官の護衛に戻れるので……」

「ふーん、そんな言うなんて、よっぽど立派な司令官なのね」

「敵ですね?」

「あぐぅっ!?」

 

 赤城は満潮を敵と認識した。不俱戴天の仇同然であると判断した。速やかに排除せねばと殺戮マシンが動き出す。

 

「何急に?!」

「立派な司令官……私の提督を渇望、私の提督を奪うつもりでしたか。そうはいきませんこの赤城が確実に始末します。覚悟をしてくださいこのド腐れビッチ!」

「本当に何の話!?」

「まさか純愛と偽る気ですか? 許しがたいですね」

 

 一つ残らず理解不能。突然全力の殺意を浴びせられたが、ぶっちゃけ混乱でそれどころではない。

 

「司令官の貞操は私が奪う予t……ゲホン、私のものなんですから」

「ちゃっかり既成事実化させようとしてる!?」

「知った以上やはり始末しなければ……」

「うわあああああ!?」

 

 詳細は後で知る事になるのだが、満潮はこの時点で察する。

 以前、大将の護衛は狂人だと聞いていたが、こういう事だったのかと。

 

 赤城は大将に好意を抱いていた。

 それもヤンデレの次元であった。

 なので、大将を狙っていると認識した場合、速やかに始末しにかかる悪癖を持っていたのである。

 

 好意カウントの基準は御覧の通り。

 他の事例で言うと、目が合ったとか雑談したとか、それでもう殺害ターゲットとして認識される。

 赤城としては何もおかしくない。

 愛とは往々にして狂っているものである。




開発報告第七番
 大変なことになった。なってしまった。とんでもない可能性を見落としていた。壱号機をグレードダウンさせて尚この欠陥が残っていたとは。欠陥というよりは、運用上の注意事項だ。
 『吸収』と『放出』、その根幹が『虚無』だった場合ヤバいことになる。
 何ということだ、子細を知っていれば、こんな運用リスクは残さなかったのに。いや、否定は駄目だ。あれは私の作った代物、だからその存在は、肯定しなければならない。それでも不味い。せめて使う人物を厳選するよう提言しなければ。


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第195話 獣の感性

ぼっちざろっくにヤバい次元でド嵌りしてしまった。
二期ハマダカ。
はい、一か月ぶりです。お待たせしてすみません。


 あの日、卯月達は『護衛対象』が護送されてくるのを待っていた。

 しかし敵はそれを阻止する為、街中で直接襲撃をかける暴挙に出た。

 撒き散らされる呪い、終わらない虐殺。

 その最中、『獣』へ変貌した卯月により混迷はピークへ到達。

 

 最終的に降臨した『三つ首』によって、事態は一応の収束を見る。

 

「…………」

 

 それから三週間、卯月は前科戦線の一室で昏睡状態にあった。

 今までは医務室で寝かされていた。

 しかし、今日は別の部屋。

 バイタルが変化し、目覚めが近づいたからだ。

 

「……ん」

 

 薄っすらと目を開ける卯月。

 彼女は思った。

 このパターン何度目だよ。

 手足が動くのを確認し、起き上がろうとする。

 

「……あれ、起き上がれない、ぴょん?」

 

 首も動かない。目線を動かしてみる。

 卯月は一瞬思考が止まった。

 手足が拘束されていたからだ。

 

「ぴょんっ!?」

 

 SFなんかで見かける、手足を拘束できるベッド。それだけでなく、腰回りから、首に至るまで、厳重に拘束されていた。

 

「拘束!? なんでだぴょん!?」

『それは、お主が危険視されているからだ』

 

 波多野曹長の声が放送で聞こえる。

 しかし、彼の姿は卯月には見えない。

 

 それどころか誰もいない。

 照明と監視カメラ、拘束ベッドだけ。

 不気味なことに壁は一面鏡張り。

 

 だが、卯月には分かっていた。

 

「……曹長は、うーちゃんから見て、左側の壁の向こうにいるぴょん?」

『……私の声が聞こえたのか』

「うん、唾を呑む音も聞こえたぴょん。ということは、これマジックミラーかぴょん」

 

 マジックミラーで覆われた部屋。

 その中央で卯月は拘束。

 部屋の外からは、曹長達が卯月を監視している。

 それが今の状況だった。

 

「──曹長だけじゃない。他にいっぱい人いるぴょん。これはどういうシチュエーションなんだぴょん。早く拘束を解くぴょん」

『それは安全が証明されてから、であります』

 

 今度はあきつ丸の声。

 どことなく楽し気な感情に、卯月は薄ら寒さを覚える。

 ──主にR-18G方面の。

 嫌な予感に思わず卯月は身体を捩る。

 

『おっと! 余り動かない方がいいであります。これは『警告』なのであります』

「警告?」

『今、この部屋は、波多野曹長直属の憲兵隊により包囲されているであります。対深海棲艦用非活性突撃銃を装備。flagship級を30分間に渡り無力化可能。曹長殿が合図を出せば直ちに発砲開始、卯月殿は廃棄処分。表上の記録には残らないのであります』

「ごめんよく分かんないぴょん」

『……ギロチンの前に立ってる罪人って訳であります』

 

 こういう長台詞が割と好きなあきつ丸。卯月の反応に『結構練習したのに……』と凹んでいた。

 

「理解できたぴょん。でもどうして?」

『まさか忘れたとは言わせないぞ。卯月殿、お主は何をしたのか覚えている筈だ』

「えーっと、確かうーちゃんは……」

 

 うんうん唸りながら、覚えている記憶を辿る。

 護衛対象を待っていて、本土襲撃があって、子供を助けて。

 そして瑞鶴達に遭遇して。

 

「ああ、殺されたんだった」

 

 あっさりと思い出す。

 

『……それから?』

「ああ、ちゃんと思い出したぴょん。沢山暴れて、あいつら(洗脳艦娘)も殺そうとして、何かヤベーのに襲われて死にかけたぴょん」

『最後まで話せ』

「はいはい。で、満潮に助けて貰ったら、レ級に心臓を……待って何でうーちゃん生きてんの!?」

 

 最後レ級に心臓ぶち抜かれた事を思い出す。

 言うまでもないが、心臓に穴が空いて死なない生き物はいない。艦娘も深海棲艦も例外ではない。

 慌てて目線を動かし、心臓を確認。

 

「……穴、ない」

 

 穴は無くなっていた。傷跡も残ってない。

 安心すべきか困惑すべきか、卯月は混乱していた。

 

『それは後。覚えているのはそこまででいいのだな?』

「アッハイ」

 

 そこを一番教えて欲しいのに。

 卯月は大分不安だった。

 

『記憶に影響はナシ、でありますね』

『次の質問だ。何故虐殺をした?』

「……ぎゃくさつ?」

 

 それは誰にとっても意外な反応。

 卯月はポカンとした様子で一瞬固まった。

 

「ああ! 虐殺! 、確かにした、沢山殺したぴょん。オーケーオーケー、拘束されてる理由も完全に理解したぴょん。そりゃこうなるぴょん!」

 

 本当に一瞬の硬直。

 波多野曹長達はそこに違和感──悪寒を感じる。

 彼らの反応に気付かず、卯月は()()()()()()()理由を話す。

 

「えっと、あの時は……って話になるけど。鏖殺するのが艦娘の使命だって思ってたんだぴょん。そうすれば誰かの為だし、皆救われるからね。でも満潮からの説得を貰って思い直したんだぴょん。あれは間違いだったって、今は反省してるぴょん」

 

 証言におかしなところはない。

 満潮から聞き取った当時の状況と一致している。

 虐殺が誤りだと言ったのも嘘ではない。

 あのベッドの下にこっそり設置した嘘発見器も反応していない。

 

 なのだが()()

 

『罪悪感、あるでありますか?』

「まったくないぴょん」

 

 取り繕う事もない。卯月はあっけらかんとしていた。

 

「ああは言ったけど、やったことが完全な間違いとも思えないし! まあ、呪いで死ぬよりマシな筈ぴょん」

『……呪われていなかった人間もいたのだが?』

「うーん、悪いことしちゃったぴょん?」

 

 その程度であった。

 幾つもあった避難シェルター、その人々を虐殺しておいて、この程度。

 これは何なのか? 

 波多野曹長は言葉に詰まる。

 

「あー……一応弁解しとくけど、何かヤバいってのは自覚してるぴょん。流石にね? でもメッチャどうでも良いってのが本音で、嘘吐くのはやっぱ嫌だから、言うんだぴょん」

『虐殺がどうでも良いと?』

「等価値、だぴょん」

 

 卯月自身、自分の精神を正しく把握できていない。

 目覚めてから五分と経っていないのに自覚するのは不可能だ。

 あくまで感じたままに口を開く。

 

「生まれるのも、死ぬのも、同じような出来事に感じるんだぴょん。だから死ぬ事に、そこまで悪い感情を抱けなくて……だから等価値」

『……そうか』

「いやー、上手く説明できなくて、申し訳ないぴょん!」

 

 なのだがやっぱり軽かった。

 猛烈な違和感を感じるが、波多野曹長に今できる事はない。

 人の理を越えた事が起きたのだから。

 

『成程、そういう動機、という事で。曹長殿記録は完了であります。次の質問に行くのではないのですか?』

「記録? 誰かに報告……するに決まってましたどうぞ続けるぴょん」

『……どうやって、『獣』になったのだ?』

 

 殺された卯月の残骸がツ級に喰われ、それにイロハ級が取り込まれて、『獣』へと変貌。

 どういう手順を踏めばああなるのか? 

 そういう質問だ。

 

『……さぁ?』

 

 質問終了。

 

「は?」

『あ違います。えっと、殺された後……何だかよく分からなくなって、でも、あいつらは絶対に殺さないと、子供の仇を取らないとって、憎悪が全部になったぴょん。身体動かないけど殺そうとしてたらツ級が寄ってきて、身体ができたぴょん』

「……死んだ後も、意識があったと?」

『多分』

 

 嘘発見器に反応はない。

 曹長の経験則でも、正直な話に聞こえる。

 あきつ丸も『虚偽なし』と首を振る。

 

 意識して『獣』へなったのではなく、死んで尚憎悪を抱いた結果『獣』になった。そう考えるべきか。

 曹長は答えを出さない。

 その分析は専門科に任せるべき事だ。

 

「……あのー、うーちゃんのボディはどうなってるぴょん。艦娘のまま?」

『そこは安心していい。艦娘のままだ』

「何故死んでないかますます疑問だぴょん……」

 

 それは全員共通の疑問だった。

 

『あきつ丸、終わったな?』

『記録は完了。報告は問題ないであります』

「じゃあ拘束解除を」

『私の一存ではできぬ。然るべき判断を仰いでから、お主の処遇が決定される』

「えー、じゃあうーちゃんが死んでない理由を」

『それを言うかも後日だ』

 

 判断が下るまではこの部屋で拘束されっぱなし。

 どれぐらい時間がかかるかも分からないのにこの扱い。

 流石に酷いんじゃないか? 

 卯月はブーブー抗議する。

 

『自分が行った行動の危険性を把握しろ。これほど警戒される暴走をお主はしたのだ』

「……真面目に尿意がヤバいんですが?」

『あきつ丸』

『はいであります、装置起動!』

 

 ボタンを押す音がした途端、ベッドが展開しトイレが出現。

 更にマジックアームが出現。

 卯月のスカートとパンツが脱がされた。

 

「……ぴょ?」

 

 尚改めて言うが、この部屋は憲兵隊に包囲されており、数十人が絶え間なく卯月を監視している。

 

『どうぞであります』

「おおおおむつとかなかったの!?」

『だって、その部屋に入れない以上、交換できないですし。それしかないのであります』

「だからって──あ、限界」

 

 羞恥に顔を真っ赤にして卯月は叫ぶ。

 

「拷問だぁぁぁぁぁぁッ!」

 

 しかし、忘れてはならない。

 これがついさっき、大量虐殺を思い出した人の言動であることを。

 証言通り、罪の意識をまるで感じさせない言動。

 

 波多野曹長達は、その変貌ぶりに改めて恐怖した。

 未知の装置、D-ABYSS(ディー・アビス)を。

 

 

 *

 

 

 結局波多野曹長の言った通り、卯月はその部屋から出られなかった。

 曹長とあきつ丸は、報告の為に何処かへ消えた。

 残された卯月は、全身を拘束されたまま、暇を持て余す羽目になる。

 

「……ねー、誰かいるんでしょ。ちょっとぐらい話しても良いと思うぴょん」

 

 返事は返ってこない。

 確かに人はいる。

 万が一の為に、憲兵隊が突撃銃を持って部屋を包囲している。

 

 しかし、彼らは任務に忠実だ。

 卯月の抱える危険性も把握している。その時即時発砲できるよう、トリガーに集中している。だから会話なんてしない。

 

「やっぱり、ダメかぴょん」

 

 何となくそんな気はしていた。

 会話は諦めるが、それでも暇は暇。

 たっぷり睡眠(気絶)していたせいで眠くもない。

 暇というのは、ある意味苦行にもなるんだなと、卯月は溜息を吐く。

 

 そう、憲兵隊は話さない。

 

 故に憲兵以外は会話ができる。

 

『卯月、起きてるの?』

 

 外から声がする。

 卯月の一番よく知ってる声。

 瞬間、卯月は機嫌を悪くした。

 

「え゛ぇー……よりにもよって満潮かぴょん」

『そうよ、私よ、だから何よ』

「もっと別の人が良かったぴょん。満潮とじゃ楽しい会話が呪詛合戦になっちゃうぴょん。憲兵隊のみんなもげっそりするぴょん」

『なら秋月連れてきてあげる。ナイフ片手に憲兵隊を刺しまわるでしょうけど、それでも良いなら待ってなさ』

「よく来てくれたミッチーウェルカーム!」

 

 憲兵に包囲され、拘束されてるこの状況。

 ついでに、排泄行動を見られたと知ったら、秋月の暴走確率は90%を超える。それぐらい慕ってるという事なのだが、流石の卯月もそれは困る。

 

「……ところで満潮、お前以外に誰か来たの?」

『監視の憲兵よ。私がアンタの脱走を手助けするかもしれないから、だって』

「納得ぴょん。んで、何か用なの?」

『別に何も。起きたって聞いたから、その顔見に来ただけよ』

 

 と言って、満潮はマジックミラーの壁に座り込む。

 

「はぁ、んじゃ勝手に喋ってるぴょん」

『好きにしなさい』

 

 その通り、卯月は適当に話しかけ続ける。

 大した内容ではない。

 寝ていた間、他のメンバーは元気にしていたとか、作戦行動はどうなっているのかとか──満潮も適当に相槌を返す。作戦等、禁止されてる事以外は答える。

 

 そうして数十分経って、卯月のネタが尽きた。

 

「ぴょん、久々に話して、喉が疲れたぴょん。ああでも退屈は凌げたぴょん。サンキューぴょん」

『あっそ、それはどうも』

「それじゃもう帰っていいぴょん。面会時間的なアレも迫ってるだろうし、結構夜遅いと思うぴょん。明日に備えてもう寝るぴょ──」

『……何でなの?』

 

 この短い会話の中で、満潮が初めて会話を切り出した。

 

「何の話?」

『状況、分かってない訳じゃないんでしょ?』

「うん。上の判断によっちゃ、うーちゃん今度こそ解体で、この世からグッバイするんでしょ? 雰囲気的に察するぴょん」

『なら、どうして、そんな気楽にしてんのよ』

 

 卯月は『ああ』と気が付いた。

 明日には、卯月はこの世にいないかもしれない。

 最後の機会かもしれなかったから、満潮は今此処へ、どうにか許可まで取って、面会に来たのだ。

 

「言うて、慌ててもどうしようもないし、現実問題解体されても文句は言えないぴょん。審議の時間作ってくれてるだけ親切だぴょん」

『納得、できるの……』

「できるぴょん。しょうがない、運命力が足りなかったってオチだぴょん」

『ふざけないで……死ぬのよ、死んじゃうかもしれないのよ!?』

 

 突然の大声に卯月は驚く。

 そして憲兵達が一瞬で臨戦態勢へ入る。

 

「ちょ、満潮?」

『あの戦場から、必死で()()()()()……助けてあげたのに、どうして、そんなに平然としていられるの……!』

「待って待って、この音、まさか泣いてんの?」

『……泣いてない! アンタの無神経さに怒ってんの!』

 

 一旦叫び倒した事で、僅かばかし落ち着いた満潮。

 しばしの沈黙の後、卯月が感慨深く呟いた。

 

「……そっか、怒るんだ」

『そうよ』

「ありがとう、それは、凄い嬉しい事だぴょん」

『?』

 

 満潮には、その意味が分からなかった。

 

『どういう意味よ』

「…………」

『ねぇちょっと』

「満潮さん。面会の終了時間です」

『この状況で? ちょっとぐらいおまけしなさいよ! あ、ちょ、引っ張るなって──』

 

 無理やり連行されていく満潮。

 波多野曹長の部下であれば、危険はあり得ない。

 やった場合は拷問のスペシャリスト(あきつ丸)がエントリーするから、万に一つもあり得ない。

 

「……今と成っちゃ、羨ましいや」

 

 また静かになった部屋で、卯月は一人目を閉じた。




艦隊新聞小話

 憲兵隊は何も、全員徒手空拳で戦う人外集団ではないです。
 ちゃんと、対艦娘&深海棲艦用の武器も持っています。
 その一つが、対深海棲艦用非活性突撃銃。見た目はアサルトライフルですが、発射機構に組み込まれた特殊術式により、激痛を与えつつ再生能力を抑える効果があります!
 え、トドメ?
 刺せないですよ?艦娘の武器じゃないですし。
 え、艦娘と共同作戦?
 どうやって憲兵隊を、海域最深部へ運んで護衛すると?
 え、艦娘を完全制圧できる?
 艦娘の艤装の機銃の方が射程距離圧倒的に上なんですが?
 まあ、やっぱり上陸時の時間稼ぎ、もしくは拷問用しかならないのが、辛いところなんですね。


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第196話 モニュメント

 前科戦線、執務室。

 高宮中佐と不知火の仕事場──だが、そこには今誰もない。

 彼らがいるのは、前科戦線の地下空間。

 昔、卯月が修復誘発剤の訓練を行った場所であり、最も防諜が施されている場所。

 

「──以上が、卯月さんより聞き取った情報です」

 

 波多野曹長の報告を聞き終え、中佐はタバコの煙を吐き出す。

 

「持ち合わせた倫理観、常識、価値観、それらへの影響はなし。だが……それは、知識や礼節として知っているだけ。『(さが)』としては致命的な変容が発生、か……」

「卯月さんも、それは自覚しているとのこと」

 

 命。その終わり。死に対する捉え方が、常人より遥かに軽い。

 誰かが死んでも、『あっそう』と済ませられる精神構造。

 ──何も問題はない。

 倫理的に表面上は動けるから、他所に見られても問題はない。

 

「ここでは致命的だ」

 

 しかし前科戦線では大問題。中佐は呟く。

 

「彼女は、元よりそういう人格の艦娘だったのかね?」

 

 初老の男性が問いかける。

 

「いいえ、ドライではありましたが、かなり感情的。人間的な艦娘でした」

「それがああも変容する。報告では聞いていたが、これがD-ABYSS(ディー・アビス)の影響ということか……」

 

 男性はもう一人へ向き直る。

 スキンヘッドで、袈裟を羽織った『護送人物』へ。

 

「君の所感を聞きたい」

「──私、ですか」

「そうだ、これは君の管轄だ」

「では、率直に申し上げます。凄まじく──()()です」

 

 そう言う『護送人物』自身は、信じられないといった顔をした。

 

「彼女は、最も深い領域まで踏み込んだ。で、あれば──あの程度で済む筈がない」

「本来の影響ではないと?」

「……よくて廃人、普通で深海棲艦化、最悪で終末思想の怪物に。そのどれに成っても暴走を始め、無差別虐殺を始める──私の知る人体実験の結果です」

「無差別虐殺……『獣』はそれをしていたが」

「戻った後は、そうではない」

 

 卯月はどれにも該当していない。

 死といった概念に対して、忌避感が消え去っているだけ。

 無差別虐殺は、ダメだと認識できてる。

 暴走もしていない。

 

「あの程度で済んでいるのは、奇跡と呼ぶ他ないと、私は思います」

 

 その上で、処遇を決めるのは高宮中佐の仕事。

 しかしそれでも、かなりの問題があった。

 

「……あの程度なのが、問題なのだ」

「君の悩みは分かる。今の卯月が前科戦線の『理念』に反している。それを気にしているのだろう?」

「そうです。貴方の『理念』こそが、この部隊を軍隊として成立させる最も重要な要。私はそれに従い、前科持ちを集めてきました。しかし、このようなケースは初めてなのです」

「だろうな。後天的に価値観が激変するなど、まさしく前代未聞だ」

 

 そう言って、『だが』と彼は──大将は続ける。

 

「しかし今は、君の部隊だ。それは分かってるだろう」

「…………」

「『理念』は大事だ。だが、時代が進めば過去へとなり、放置すれば腐り消えていく。変えないべきかもしれんが、変えなければならないかもしれぬ。それは結果論でしか語れない……私は君の判断を尊重する。そこも含めて、君を後任とした」

 

 大将は席を立ち、杖を片手に歩き出す。

 

「大将、どちらへ?」

「寝る。私はもう結構な年齢なんだ」

「では、部屋を用意してあります」

「不要だ。それは君の仕事ではあるまい。寝床程度自分で何とか……というより、判断を間違えると殺されかねない。寝床は彼女が用意してくれている」

「あっ……失礼しました」

「秘書艦が迷惑をかける。本当に迷惑をかける」

 

 今日一番げっそりした表情で、大将は出口へ去っていく。

 地上へのエレベーターの場所を、大将は知っていた。

 残されたのは高宮中佐と、『護送人物』の二人。

 

「……あの、あの方の秘書艦って」

「知らぬが仏、と言う単語を知っているか?」

「大変ですね……」

 

 大変なのだ。あの赤城を抑えるのはマジで大変なのだ。

 

「……悩みますよね、流石に」

「……だが、仕事だ。朝までに答えは出さなければならない」

 

 人でなしと化した艦娘一隻を、どうすべきか。

 解体か、存続か。

 

 存続の必要性は強い。

 専門家も異常と言う程、システムへの高い親和性を持つ。そして初めて起きた事件の重要参考人。

 

 だが、解体させる理由も強い。

 一人二人ではない、戦史以来、最も多くの虐殺をした艦娘だ。

 そしてそれを自覚して、後悔する素振りは皆無。

 

 まごう事なく危険。

 何時制御不能になるかも分からない。

 だが解体すれば、黒幕への道は間違いなく遠くなる。

 

「……始まりこそが、重要では」

「なんだ、急に」

「……提督業なんてやったことがないので、こんなのは、烏滸がましいとは分かっていますが……時間が許す限りは迷うべきです。それは、自分自身が後悔しない為に。その上で……基点に立つべきです」

「基礎」

「そう、私達、艦娘に関わる者全てが、最初に叩き込まれる基礎中の基礎です」

 

 そう言って、『護送人物』も席を立つ。

 無言のまま不知火に出口まで案内されていく。

 不知火も室内には入らない。

 高宮中佐は一人、朝日が昇るまで、机に向かい続けていた。

 

 

 *

 

 

 よく寝れたかそうでないかで言うと、固かったせいで殆ど眠れなかった卯月。

 と言うか、照明はつけっぱなしだし、時間も分からないので、寝るに寝れないのが本音。勿論ベッドに拘束されて寝返りもうてない。

 

 大変不機嫌な中、卯月は転寝から目を覚ました。

 

「寝る時ぐらい、別の方法にして欲しいぴょん……」

 

 愚痴りながらも、これからを思う。

 今日、卯月の処遇が決まる。

 存続か、解体か。

 卯月としては、正直どちらでも構わなかった。

 しかし、決定は早くして欲しい……また憲兵隊の前で放尿を晒す羽目になる。

 

『あら卯月さん、早めに起きてらしたんですね?』

「……どちら様? 聞いた事のない声だけど」

『初めまして。赤城と言います。大将の秘書艦を務めてます』

「ああ、護衛艦隊の……ってことは、赤城さんが処遇を伝えに来たのかぴょん?」

『違います、別件です』

「?」

 

 何だろうか、卯月がそう思った時、腕以外の拘束が解除された。

 そして、鏡張りの一部が開き──そこが扉だったのだ──赤城と突撃銃を構えた憲兵隊が入ってくる。

 

「……これはどっちだぴょん?」

「さぁ? 卯月さんの処遇は分かりませんが、これから伝えるとのことです」

「なら、これは何なんだぴょん?」

「大将がお呼びです。来て頂きます」

 

 と言って、背後に回り込んでいた憲兵が、耳栓を捻じ込んだ後、麻袋を被せてくる。

 地下空間の構造を、把握されない為の処置である。

 そのまま憲兵隊に抱っこされ、卯月は歩かされる。

 

「よく意味が分からないぴょん。そもそも、うーちゃん出しちゃっていいの?」

「その点はご心配なく。私はめっちゃくっちゃ強いので。暴走したてなら、卯月さんなんてちょちょいのちょい、です」

 

 赤城は、手刀を首元で振るうジェスチャーをする。

 そこの冗談めいた雰囲気は感じない。

 暴走すれば、自覚する間もなく、卯月は始末されるだろう。

 

「好きで暴走してる訳じゃないぴょん」

「ふーん」

 

 ヒュッ──と風を切る音。

 

 卯月の首が切られた音。

 頸動脈到達まで後数ミリまで、切断された音。

 寒気が走る。血が垂れる。

 

 抜かれた刀が、静かに鞘に収まる。

 

「私ですね……実は、とても怒っているんです。何故だか分かりますよね?」

「大将が避難していたシェルターを、うーちゃんが破壊しかけたから。そういう理由で合ってるぴょん?」

「正解です! よかった、これで小首を傾げたら、ついやっちゃうところでした」

 

 と言った直後赤城は抜刀。

 今度は、卯月の髪の毛──アホ毛が切り飛ばされた。

 

「あ」

「おい!?」

「すみません。つい。でも仕方ありません。卯月さんを殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて……堪らなくて」

「誰だ! こいつを迎えに寄越したのは!?」

 

 仕方がない。大事な提督を殺されかけたのだ。仕方ない。

 ──でもこれはなくない? 

 麻袋を被せられ、赤城の表情が見えないのが尚怖い。

 

「ええ、ええ! ご安心ください……その場の衝動で命令違反を起こす。そのような愚行、この赤城はしません」

「そ、そっかぴょん」

「やるなら誰にも気づかれず痕跡も残さないので」

 

 余計にタチが悪かった。

 そういえば、秘書艦はヤバいと前聞いたような……こういうことかと、卯月は内心頭を抱えるた。

 

 

 

 

 とかしている間に、赤城が足を止めた。

 風の音、潮の匂い。

 地下空間から何れかのルートを使い、彼女達は地上へ出ていた。

 

 赤城の案内はここまで。

 麻袋を取られ、卯月はぷはぁと息を吐く。

 

「ふぅー、いったいうーちゃんは、何処へ連れてこられたんだぴょん。基地内ではあるみたいだけど……ん?」

 

 目の前の光景──というより()()は見覚えがあった。

 最初の頃たまたま見つけ、何となく来ては、お参りめいた事をしていた場所。

 

「モニュメント……どうして此処に?」

「私が呼んだのだ」

 

 後ろからの声に卯月は振り向く。

 そこにいたのは初老の男性。

 

「貴方が、大将さん、ですかぴょん?」

「そうだ。私の名は坏土 譲(ハイド ジョウ)。君の事は高宮くんからよく聞いている」

 

 大将──坏土大将はそう言って、モニュメントの方へ向き直る。

 

「……あの、うーちゃんにどういう用事で?」

「君に少しばかし、聞きたいことがある。()()についてだ」

「その、モニュメントについて? うーちゃんそれは良く分かりませんだぴょん」

 

 何度か祈ったりしたが、これが何なのか卯月は知らない。

 知らないまま、勝手に報告とかしてみた。

 そういう事をすべき場所だと、何となく感じていただけだ。

 

「だからだ」

 

 坏土大将の質問は要領を得ない。

 卯月は頭上に『?』マークを浮かべている。

 

「君はこれを知らないまま、しかし通っていた事は、高宮くんから聞いている。だから聞きたい……何故、そういう行動をしたのか」

 

 それは完全に想定外の質問だった。

 てっきり、『獣』としての暴走について、また聞かれるのかと思っていたからだ。

 卯月は即答できず、少し悩んでしまう。

 坏土大将は急かすことなく、無言で返事を待つ。

 

「誰かのお墓だってのは察してたぴょん。でも冥福を祈っても、この人のこと知らないし。だったらうーちゃんの事話した方が良いかなって。その方が楽しく思えるんじゃないかなーって感じ」

 

 知らない人の冥福は──祈れないとは言わないが、卯月には余り価値を感じなかった。

 それより先の事を話した方が、彼女達の退屈しのぎにはなるのでは。

 

「返事をしない何かへ話して、心を落ち着かせるってのもあったけど……基本はそーゆー理由だぴょん。ぶっちゃけ、都合の良いモニュメントって認識してたのが、正直な所なんだけど……」

 

 誰の墓なのか? 

 そもそも墓なのか? 

 それも知らず、勝手に祈ったり自分語りしてた。

 怒られそうだが、それが卯月の正直な回答だった。

 

「十分だ」

 

 坏土大将はモニュメントに近づき、花の交換や掃除を始める。

 

「ここへは滅多に来れない。来た時ぐらい、私の手で手入れをしておきたいのだ」

「やっぱお墓ですか。でも、名前が刻まれてないのは何でですか?」

「名前はあるが」

「へ?」

「よく見てみろ」

 

 卯月は黒いモニュメントを覗き込む。

 そして気づいた時、思わず息を呑んだ。

 

「……これ、全部、名前だったのかぴょん」

 

 黒いモニュメントではなかった。

 全部が名前だった。

 夥しい数の名前が刻まれたせいで、真っ黒に見えていただけだった。

 

「そうだ……そうか、知らない者は、ただ黒いモニュメントと誤認するのか」

「これ、いったい何人分の名前なんだぴょん……」

「累計で815人分だ」

 

 それは何の冗談だ? 

 非現実的だと卯月は思う。しかし反論はできない。

 重みが、彼の言葉にはあった。

 

「開戦初期は……何もかもが手探りだった。建造において検証している暇などなかった。戦力を増強し、生存圏の奪取で精一杯だったのだ。ここに刻まれた名前の半数は、作戦も何もない特攻で散っていった」

「これは、何の慰霊碑ぴょん。前科戦線だけじゃないの」

「ここは、私の鎮守府だった」

 

 深海棲艦の進行を受けにくく、また差別・偏見・情報漏洩を警戒し、集目を避けられる場所。

 最初期の鎮守府は、どれもそういった所に建てられた。

 

「艦娘には一切の人権が無かった。それどころではなかった。深海棲艦の呪いで土地は腐り、浄化の為の核が何度も空を飛んだ……その中で、どうにか彼女達の名前を残そうとした結果がこれだ」

 

 その後、此処が前科戦線になった後も、名残りとして戦死者の名前が刻まれ続け今に至る。

 卯月は改めて息を呑んだ。

 気軽に語りかけたモニュメント、それの重さに改めて息を呑む。

 

「そういうものだとは、思わなかったのかね?」

「……うん、全く。知らなかったし。あー、機嫌悪くしちゃったぴょん?」

「言っただろう、十分だと。これは墓碑銘(エピタフ)ではなく、慰霊碑(モニュメント)であるべきだ」

 

 足が不自由なのに、それを感じさせず、坏土大将は手入れを続ける。

 ボーっと突っ立ってるのもアレだと、卯月も軽く手入れを手伝う。

 

「君の処遇は、高宮くんにより決定される」

「そっかぴょん」

「解体もあり得る。その前に話しておきたかった」

 

 手入れが終わり、坏土大将が背中を向ける。

 赤城に支えられ、今の帰るべき場所へ帰っていく。

 大将は言葉を残す。

 

「生きていればだが、そのモニュメントの手入れを頼みたい」

「……良いですけど、何でうーちゃんに?」

「彼女等に、未来を語ってくれたからだ。これに敬意を払い、君なりに意味を見出し、君だけの物語を語ってくれたからだ。それこそが、彼女等の生きた最大の証明になる」

 

 ただ、哀れみ、懐かしむだけでは、何の意味もない。

 彼女達の死を生かす為には、それが未来へ繋がらなければならない。

 

 亡霊の妄執などではなく、価値ある未来。

 とても小さなことだが、卯月はそれを未来へ活かした。

 明日の自分を頑張らせる為の、他愛のない話。

 

 このモニュメントが、卯月にとって特別な物に成ったのなら、それが最も良い。

 彼女達が一番救われる。

 

「君に感謝する」

 

 だから彼は『敬意』を払った。

 去っていく大将を見送りながら、卯月は思う。

 

「あー、ダメだわ……この流れじゃ、死ねる訳ないぴょん」

 

 解体にならないよう、ちょっとでも足掻いてみよう。

 卯月は迎えに来た不知火へ、両手を差し出す。

 再び手錠を掛けられ──中佐の元へ。




坏土大将の見た目は……軍帽を被って、グラサン付けて、白髪で仏頂面で、CV:大塚周夫さんってイメージです。
……ええ、高宮中佐のCVは池田勝さんですとも。
分かった人は惑星モナドへご招待!


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第197話 審判

 一度地上に出たので麻袋はナシ。

 大将が去っていった後、卯月の監視は不知火とあきつ丸が引き継いだ。

 卯月に暴走する気はないが、それはそれ、これはこれ。

 放置するには余りに危険。

 

 そんな危険極まりない存在と化した卯月の処遇が、言い渡される。

 執務室で、卯月は高宮中佐と向き合っていた。

 

「──処遇を言い渡す前に、一応だが聞いておく。お前は自分の行動を後悔しているか?」

「ノー、だぴょん。あの殺戮は人の倫理で言えば間違いだけど、完全な間違いじゃない」

 

 地下で波多野曹長に言ったことと同じ。

 人は死ぬ、何れ絶対に死ぬ。

 卯月はそれを早めて、早めての救いを与えただけ。

 ──だが。

 

「でも二度とはやらない」

「それは何故だ?」

「……私はまだ、艦娘でいたいから」

 

 卯月の感性は、ハッキリ言って壊れている。

 何の罪もない子供を殺しても、『不幸な事故だったぴょん』と済ませるだろう。

 しかし、そこには『誇り』がない。

 まだ、戦いは終わっていない。せめてそこまでは『誇り』を持っていたかった。

 

「あと、大将さんと約束しちゃいました。此処にある慰霊碑(モニュメント)の手入れをするって。だから余計に」

「…………」

「なので、まあ、解体しないで欲しいぴょん」

 

 ここまで来ても、解体への忌避感はない。

 死そのものへの恐怖まで壊れ切っている。

 ただ、それでは釈然としないから。

 そんな理由で、卯月は解体を拒絶した。

 

「以上だぴょん」

「そうか」

 

 高宮中佐はタバコを吸おうとして、ライターを寸全で止める。

 箱にしまい、席を立つ。

 そして、窓からそれを見下ろした。

 

「あの慰霊碑(モニュメント)は此処から見える」

「……へ?」

「お前が一人で話しかけてきたのは、度々見てきた」

 

 慌てて窓に駆け寄る。

 草木に隠れて見づらいが、確かに慰霊碑(モニュメント)が見下ろして見えた。

 最悪であった。

 恥ずかしさに、卯月は顔を覆って唸り声を上げる。

 

「オ゛ァ゛ーッ!」

「…………」

 

 本気で解体を拒絶してるんだよな? 

 高宮中佐はちょっと疑問を抱いた。

 ゲホンと咳ばらいをして、彼は話し出す。

 

「……前科戦線に招く条件は二つ。一つは強者であること。もう一つは前科持ちであること」

「知ってますぴょん。過酷な戦場だから、死ににくく、かつ死んでも問題じゃない人材が必要だって。うーちゃんは例外だけど」

「もう一つある」

「えっ」

()()()()()事だ」

 

 そんな条件は知らない、人ってどういう事? 

 卯月はポカンと首を傾げた。

 

「前科持ち、と言えども、その程度は異なる。止むを得ないものから、救いがたいクズまでいる……しかし、許容できないのは、心の方だ」

「心?」

「『感傷』だ」

 

 物事を感じ、心を痛めること。

 それだけでなく、誰かの為に、心を感じることができること。

 大事なのはそこだった。

 

「感傷すらない者には、()()()の資格すらない。そういう者は勧誘を装い、ひっそりと安楽死させている。前科持ちの部隊でも、性格がどれほどクズでも、我々は人々を護る部隊。そこだけは超えてはならない」

 

 尚、これを秘密にしているのは、言ってしまうと偽装する輩がいるからだ。

 嘘発見器はあるが、あれも万全ではない。

 だから余計、人材不足に陥る訳だが、こればっかりは仕方がなかった。

 

「特務隊の創設者、坏土大将が決めた理念だ」

「え、あの人、此処の創設者なのかぴょん?」

「そうだ」

 

 前科というだけで解体するのは勿体ない。

 開戦初期の、恐ろしいまでの人材不足により求められた『必要悪』。

 それが特務隊──前科戦線の原点だ。

 

「その観点から言えば……分かるな?」

 

 答えは分かり切っていた。

 感傷のない者に、艦娘の資格はない。ならば卯月は──紛れもなく失格。

 待ち受けるは解体。

 だが卯月は、中佐を真っ直ぐに見据える。

 

「しかし、今は私の特務隊だ。理念が絶対条件ではないと考える。感傷を欠片も抱かないロクデナシだとしても……それを自覚し、艦娘でいたいと思うのならば……『例外』足り得る。本当のロクデナシは自覚さえないものだ」

 

 高宮中佐は顔を上げる。

 

「──神鎮守府において『造反』、戦艦水鬼戦においても『造反』、そして『虐殺行為』。本来であれば、この場で処刑となる」

「はい」

「だが、私はお前を存続させる」

「つまり、解体は」

「行わない」

 

 卯月は歓喜の声を上げかけて、ちゃんと押し留めた。

 そんな事したらダメだ。

 一応、空気は読めていた。

 

「但し、これまでと同じは不可能だ。お前の行為は……歴史を塗り替えてしまった。艦娘単独により行われた虐殺としては、類を見ない規模。ぶっちぎりの被害となった」

 

 深海棲艦によるジェノサイドは起きている。

 だが、同じ規模のを艦娘がやったのは前代未聞。

 情報工作が上手くいかなければ、艦娘の社会的立場が本気で危うかったのだ。

 

「……まるで自慢にならない」

「艦娘戦史に、未来永劫刻まれることも確定している」

「マジかぴょん」

 

 どうして、こういう方向でばかり有名になるのか? 

 正直っていうかいい加減にして欲しい。別に望んで暴走してる訳じゃないのに。

 

「この基地内であれば、自由行動を認めていたが、それに大きな制限をつける。そして特務隊での活動期間を30年分延長する」

 

 30年──とても長い数字。

 しかし卯月のしでかした事から見れば、無期懲役でないだけ圧倒的にマシ。

 それは彼女も理解している。反論は行わず無言で頷く。

 

「私から伝えるべき事は以上だ。他細かい事は不知火か飛鷹に聞く事」

「あの、中佐、それはそれとして、お願いが」

「何だ」

「一回だけで良いので、あの戦場に行くことはできるぴょん?」

 

 外出許可そのものは、交換券で買う事ができる。

 但し現在、あのエリアは立ち入り禁止区域となっている。

 そこをどうにかできるかは、また別問題だ。

 

「何かするのか」

「自分のしでかしたことと、向き合いたいぴょん」

「……検討だ。追って伝える」

「ありがとうございます、だぴょん」

 

 深々と頭を下げて、卯月は部屋から退出。

 その瞬間、外にいた不知火が、卯月の手元へ手錠、首へ首輪、足へ足枷が、一瞬で装着された。

 

「……全部、爆弾入りぴょん?」

「はい。でも、これでも上からは足りないって言われました。上層部は貴女の体内に、核弾頭を埋め込まなければ安心できないと」

「えぇ……」

「核保有の為の方便です。気にしなくて良いですから」

 

 と不知火は言うが、半分ぐらいはマジである。

 実際問題、卯月が暴走した時、こんな爆弾で間に合うのか。

 

 尤も核が通じるかも怪しいが。

 この卯月が、核ミサイルを食べたモンスターであることは忘れてはいけない。

 

「ああでも、爆発したら数百メートルが焼土になります。卯月さんの周囲にいた人も巻き添えなので、ご注意ください」

「あー、その威力で、上を納得させるのかぴょん?」

 

 不知火は頷く。

 卯月の存続は高宮中佐の判断だが、これからそれを上層部へ通さないといけない。

 普段は独断人事で口出しはないが、今回は流石に例外。

 上を説き伏せる材料は多いに越したことはない。

 

 ただし、半ば茶番。

 坏土大将が、根回しや裏工作をしているからだ。

 多少議論はあるが、解体の心配はない。

 

「──卯月さんのあの暴走は、メリットもあったんです」

「……は? あれに?」

「『呪い』が消滅していました」

 

 深海棲艦が上陸した時、生命や土地、植物全てに伝搬してゆく、致死性の呪い。

 元を辿れば、それを無理やり()()にする為に、同盟国は核を撃ったのだ。

 

「『彼』曰く、『獣』が自らのパワーにする為、根こそぎ取り込んだのだろう、と言っていました。結果、呪いは綺麗さっぱりと」

 

 進行を食い止めた後、一番厄介な後処理は、呪いの対処だ。

 

 基本、自然消滅を待つしかない。

 その間、人間は一切近寄れない。

 かといって完全放置だと、何時の間にかイロハ級が生まれてる事もあり、定期的な巡視は必須。

 再侵攻の足掛かりにされる可能性もある。

 

 控え目に言って最悪。

 数十年に渡り国家予算を蝕む悪夢。

 それが、皮肉にも卯月のお陰で木端微塵になった。

 

「つまりうーちゃんは、この戦いにおけるMVP?」

「……ええ、まあ、核ミサイルを喰ったお陰で、放射線汚染もなかったですし。MVP、あながち間違いでもありせん。ですが代償に同盟国から凄まじい追及を受け、数十人の政治家が病院送りになりましたけど」

「そんなところにまで被害が……」

 

 出るに決まってた。

 結局、新手の深海棲艦という事で、どうにか押し切ったのだが……多くの政治家が病院、もしくは皮膚科(髪の毛)送りになったとか。

 

「あ、卯月さんの追加30年分、彼ら(胃と頭皮)への傷害罪も含まれてますから」

「マジかよ。そんな横暴中佐や波多野曹長が許したのかぴょん」

「『妥当』と、一言だけ」

 

 中年男性の髪の毛が如何に重要か、彼らは理解していた。

 悲劇的なことに、高宮中佐も波多野曹長も立派な中年だった。

 毛根へのダメージは重罪なのである。

 

 

 *

 

 

 ある程度の位置まで行った後、卯月は再び麻袋&耳栓を装備させられ、基地の地下エリアへ。

 一々上と下を行ったり来たりするのは面倒なのだが、危険な艦娘を隔離するということで、当分はこの対応になる。

 

「この間尋問を受けた、マジックミラーの部屋とは違うぴょん?」

「はい。但し部屋は憲兵隊により包囲されますし、監視カメラも設置されるので、プライバシーは無いと思ってください」

「覗きとはいい趣味してるぴょん」

「その耳、遂に腐ったんですか?」

 

 貧相なぺったんこボディーを見て、誰が喜ぶと言うのか。

 仮に居た場合、速やかに憲兵隊裁判(有罪率150%)に掛けられ、憲兵の憲兵が退役させられる。

 この世界の鎮守府は、駆逐艦や海防艦も安心して暮らせるのだ。

 

「と、言う訳で、当面の卯月さんの独房がこちらです」

「……ドアは普通だぴょん」

「代わりに小窓が鉄格子になっています」

 

 扉ではなく窓が鉄格子に。

 憲兵隊は此処から中を確認することができるのだ。

 後、天窓も設置してあり、病気にならない程度の日光も確保されている。

 

「うーん、実はこのうーちゃん、ちょっとウキウキなんだぴょん」

「は? 独房生活が?」

「ねんがんのプライベートをてにいれたぞ!」

 

 前科戦線──どころか、神鎮守府の頃から(確か)そうだし、大半の艦娘がそうだが、生まれてこのかた、一人でゆったりできる空間は無かった。

 例え独房と言えど、完全に一人になれるのは初。

 

「じゃ、もう入っていいんだぴょん?」

「……え、ええ、どうぞ」

 

 特に、喧しく鬱陶しく反りが合わないクソったれ同居人とおさらばできるのは、もう幸福と言う他ない。

 卯月は心の底からウキウキしながら扉を開けた。

 

「遅い! 何処で油売ってたの! ほっつき歩くのが許される立場だと思ってんの!?」

「まあまあ満潮さん、卯月お姉さまも三週間振りに動けて嬉しかったんです。そうですよねお姉さま! フォローしたので撫でて下さい!」

「ウ゛ー!」

「加古さんも『彼女を撫でてくれ』と言っています」

「人の発言を歪曲すんな!」

「あっ失礼しました」

 

 卯月は速やかに扉を閉じる。

 

「おっと部屋を間違えた。それでうーちゃんの独房は何処だぴょん?」

「そこです」

「ハァ?」

「そこです。というか、この地下に独房はそこ一つだけです」

 

 元より超少人数の特殊部隊の拠点。

 そんな、何人も独房へ放り込むケースは想定されていない。

 つまり、あのタコ部屋こそ卯月の独房に他ならない。

 

 プルプル震えながら不知火へ顔を向ける。

 不知火は諦観の表情で、首を横に振る。

 

「多いわ!」

 

 当然の突っ込みが不知火を襲った。

 

「何で三人も先客がいんだぴょん! 『独り』の『房』って書いて『独房』じゃん。三人いんじゃんどーなってんだっぴょん!?」

「まあ、色々と、ええ」

「説明を求めるぴょん、あんな居たら狭いぴょん! てゆーか喧し過ぎるしうーちゃんのプライバシーは何処へ!?」

「プライバシーは死にました」

「ダーイ!?」

 

 六畳間のボロアパートの方が、一人当たりの面積は大きい。

 それにさえ劣るって、いくら独房でも、軍事施設としてどうなんだ。

 叫び散らかす卯月。

 その気持ちは理解可能、しかし不知火は死んだ目で──

 

「事務処理の都合です」

 

 何かもう面倒になった。

 

「用があれば呼びますので、今日はお疲れ様でした、ゆっくり休んでくださいさようなら」

 

 単純にかったるい。

 不知火は背中を向けてさっさと逃亡。

 残された卯月は、憲兵に掴まれながら叫んだ。

 

「説明責任果たしやがれー!」

「卯月さん。独房へ入ってください」

「独房へ入れます」

「ごゆっくりとどうぞ」

「あ゛ー!?」

 

 抵抗も何もなく、憲兵に独房へ放り込まれる卯月。

 彼女を眺めながら不知火は思う。

 正直、こうなるとは思っていなかった。

 

 わたしはこれからどうなるんだ? 

 わたしのプライバシーはどうなるんだ? 

 今までと別方向の悩みに、卯月は一人頭を抱えるのであった。



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第198話 眼光

 卯月のプライバシーは絶命した。

 独りっきりの独房は、合計四人が詰め込まれたタコ部屋と化していた。

 どうしてこうなってしまったのか? 

 卯月は自分の運の無さを、呪いに呪う。

 

「あれは彗星…?いや…違うぴょん。彗星はもっとこう、バァーって動くぴょん!」

「卯月お姉さまが精神崩壊を!」

「叩きゃ治るわよ」

「分かりました!」

 

 流れるような回し蹴りが卯月の側頭部を貫く。

 卯月は真横へ一回転半、壁に衝突した。

 

「ハッ! うーちゃんはいったい……」

「治りました!」

「……冗談だったのに」

「え?」

「なんでもないわ、てか卯月アンタいい加減現実を直視しなさい」

「まずこのメンツが非現実的なんだぴょんッ!」

 

 現在の部屋の住民は四名。

 卯月、満潮、秋月、加古──常識的に考えて多すぎ。

 何故こうなったのか、突っ込むのは当然のこと。

 

「私は兎も角、そこの二人が情緒不安定になるのがメインの理由」

「……あ、そーゆー理由」

 

 秋月も加古も、卯月に対して精神的に依存している所がある。

 片方は『お姉さま』、片方は『ママ』。

 これを、殆ど接触できない状態にしたらどうなるか? 

 

 特にヤバいのが秋月。

 情緒が死ぬ前の卯月と同じく、自己嫌悪のせいで精神が不安定。

 それを更に悪化させたら危険だ。

 

 何かとは、中佐は言わなかったが、卯月のように『獣化』する可能性を彼等は恐れていた。

 

「申し訳ないですお姉さま……」

「アー、ウン、ショウガナイピョン。キニシテナイダイジョブピョン」

「目のハイライトが死んでいます」

「プライベートがそんなに楽しみだったのね。くだらないわ」

 

 なお結果論ではあるが、秋月や加古が依存してしまった遠因は卯月本人。

 ある種の自己責任、部屋から叩き出すことは不可能になった。

 

「……いや待て、じゃあ満潮は何なんだぴょん」

「は? 相方だからでしょ?」

「ぴょん?」

「いやだから、相方だからよ」

「???」

 

 言っている意味は分かるが、意味が分からない。

 相方というのは、戦闘におけるタッグって意味であり、四六時中くっついてるという意味ではなかった筈だが? 

 疑問符を浮かべる卯月へ満潮は畳み掛ける。

 

「だから相方はそういうものでしょ。元々部屋が一緒だったことの延長線よ。大体アンタが発作起こした時誰が対処すると思ってんの。秋月と加古じゃ共倒れの可能性ある以上私しかいないじゃない」

「あの最近は発作余り起きn」

 

 満潮の説得(物量)は止まらない。

 

「そういう理由があっての中佐命令で渋々此処に住む羽目になったの二度も説明しないわ返事は?」

「ハイ」

「という理由なの」

 

 釈然としない。凄く納得できない。

 でも今更何も言えない。

 中佐は承認済みだと言うが、ゴリ押しで押し切られた感じがどうしても否めない。

 

「──あと、抑止力」

「抑止力?」

「これについては冗談抜き。アンタがまた暴走しないための、精神への抑止力」

 

 と言って満潮は、首元を指さす。

 秋月は手首を、加古は尻尾で足元を。

 卯月は気づく。

 それが、自分に嵌められた、爆弾入りの『枷』を刺していると。

 

「暴走したら、爆発する、爆発の威力は百メートル超……」

「その説明、冗談じゃないから」

 

 そこまで言って察せない卯月ではない。

 分厚い壁に覆われた、六畳程度のこの小部屋。

 そこで爆弾が起爆すれば──

 

「みんな、うーちゃんの巻き添えで爆死だぴょん」

 

 故に『抑止力』。

 お前が暴走したら、仲間も巻き添えで死ぬからな、という精神へのプレッシャー。

 暴走した際、地下だけで封じ込められる保証もない。

 その側面もあり、高宮中佐はこの同居人達を許可したのである。

 

「無論、全員承諾済みだから、そのつもりでいてね」

「いや重い。色々と重すぎるぴょん。お前ら正気なのかっぴょん?」

「当然、正気です」

 

 秋月は胸を張る。

 結果的に卯月の為になるなら、命は惜しくない。

 卯月が死ぬなら自分も死ぬからだ。

 

「…………!」

 

 言葉は出ないが、加古も似たようなもの。

 仮面のモニターに顔文字は出てこない。そんなものでは表せない、覚悟の重さを現す様に。

 だが、肝心の卯月がダメなのだ。

 

「あのー、ごめん、どうでもいい」

 

 獣化の後遺症。卯月の倫理観はズタボロだ。

 命がまるでどうでもいい、自分の命も、他人の命も。

 仲間でも全く変わらない。

 

 不味いこと言っちゃったかな? 

 卯月は気まずそうにする。

 命を軽んじたことではなく、悪い空気にしたことに。

 

「……ごめんね?」

「ってのが今の卯月よ。事前に説明はしたけど、それでもアンタ達、ここに住むの?」

 

 満潮は知っていたが、秋月と加古は、此処で初めて知る。卯月に残された後遺症を、その深刻さを。

 

「今なら撤回できる筈だけど」

「満潮さんは……何を言ってるんですか。あの中佐さんが、今更そんなこと認める筈がないですよ」

「言ってみないことには分からないでしょ」

「いえ、この状態込みで中佐さんは上へ報告してます。それを急に変える事なんて、できないですよ──そして、私は、最初からそういうつもりです」

 

 秋月は、卯月へ目線を移す。

 そして手を取り、顔を覗き込んだ。

 

「『同棲』をしましょう」

「マジなの? どうして? 発作をマシにできるから?」

「それもありますけど、そういうんじゃないです。卯月お姉さまは……そう、なんていうか……『ファン』です」

「私は換気扇だった……?」

「真面目にやってくださいね」

 

 くだらない冗談を言う空気ではなかった。秋月の眼がちょっと怖かった。

 気を取り直して、秋月が話す。

 

「『ファン』だから、卯月お姉さまを追っかけますし、お姉さまのことをできる限り知りたいです。何なら運命共同体にまでなりたい……卯月お姉さまと一緒に死ねるなら、それはそれで()()なんです」

 

 冗談は言っていない──マジだ。

 秋月は本気で言っている。

 そう確信させるだけのパワーが秋月にはある。

 

 だが、そうしたのは他ならぬ卯月自身。

 止むを得ない状況であったとしても、間違いなく彼女が原因。

 

「これが俗にいうヤンデレというやつかぴょん……」

「重い女で済みません。でも原因お姉さまなので、責任はとってくださいね。今更とらないなんて言いませんよね。言ったら秋月は、秋月はウフフフフフ」

「ハイライト消すの止めて?」

 

 素直に怖い。

 どうしてこうなってしまった? 

 卯月は考える。

 

 自分が暴走したのが原因でした。

 頭を抱えて唸る。

 何で私は獣化したんだよこのバカヤロウ。

 

「──と、秋月は以上です。撤回はしないので、大丈夫です満潮さん」

「あっそう……加古はどうなの」

「って言っても、加古は……」

 

 顔無しである加古は喋れない。

 ってか話す口がない。

 なので身振り手振りで表現するしかない。

 

 彼女は両手で卯月の片手をホールド。

 更に尻尾まで巻き付けて、卯月を離すまいとする。

 

 卯月には、加古から『音』が聞こえていた。

 不安、焦り、依存、心配──離れたくない、離れて欲しくない、一緒にいたい。

 多分そんな感じの思い。

 これを力づくで引き剥がす事はできないし、する気もなかった。

 

「……んじゃ満潮は?」

「は? 私は言った通りよ、アンタと『相方』だからよ。他に説明いるの?」

「さいですかっぴょん」

 

 マジで『相方』だからで全部押し切るつもりだった。

 何か隠してない気がしないまでもないが……まあ良いかと、卯月は思う。

 それに何よりも──口には絶対出さないが──逆だ。

 

 満潮には傍にいて欲しい。

 そう強く思っているのは、他ならぬ卯月自身なのだ。

 

「んじゃまあ、『同居』ね。どうぞ。死んでもうーちゃん知らないぴょん」

 

 生き死にの興味は絶無だが、これで良いのかなぁ……とは思う。

 しかし下手なこと言ったらまたハイライトの消えた目線が突き刺さる。

 もう体力的にも限界、卯月が全て諦めることで、話は決着した。

 

「眠い。寝るぴょん……お水だけ飲む」

 

 眼を擦りながら、洗面所へ行く卯月。

 他同居人は待機。

 二人以上使えるスペースなんて存在しない。

 

「満潮さん」

「何よ」

「言わなくて良いんですか。何時死んでもおかしくないんですし、言える内に言った方が」

「嫌」

「い、嫌?」

「だってアイツ嫌いだもん」

 

 なのにごり押しで同居している満潮。

 嘘は言っていない。

 満潮は卯月が嫌いだし、卯月も満潮は嫌いなのだ。

 

 それが羨ましい。

 けど、私にその一線は超えられない。

 だから秋月は、自分を『ファン』と自称した。

 

「……あ」

「どうしたんですか?」

「言ってない、アイツに、自分の()のこと」

「あっ」

 

 実は獣化の後遺症は、精神だけではなかった。

 大したことじゃなかったのでスルーされてたが、肉体の方にも出ていたのだ。

 今まで、鏡とかを見なかったので気づかれなかったが、洗面所には鏡がある。

 

『ウ゛ッ』

「……卒倒しましたね」

「気絶したわね」

 

 二人はコクリと頷き、ぶっ倒れた卯月を布団へ運んだ。

 

 

 *

 

 

「なんじゃあこりゃああ!」

 

 両手を見ながら絶叫する卯月。

 天窓から太陽が見えていれば、そこに向けて吠えていた。

 腹を抑えた後に叫ぶまでが様式美である。

 

「なんで手を見てんのよ」

「いや……別に」

 

 ネタが伝わらない悲しみを卯月は背負った。

 

 と茶番はさておき。

 

「本当にどうなってんだっぴょん!」

 

 洗面所の鏡を見て、卯月は改めて絶叫。

 ここにきて初めて、獣化が齎した()()への後遺症を知る羽目になる。

 

「目が! 真っ赤!」

 

 艦娘、卯月の目の色は元々赤寄り。

 しかし、()()()()()()()()

 今の卯月の瞳は『深紅』。

 クリムゾンレッドとも良い、ワインレッドに近い文字通りの真っ赤。

 

「黒目だけじゃない! 白目まで!? どーいうことなのぴょん!?」

 

 黒目と白目の境目は、至近距離でギリギリ判別できる程度。

 充血どころの騒ぎではない。

 深海棲艦のような赤。

 知らない人が見ても、一発で『異常』だと分かる時点の赤さ。

 

「視界に異常はないんだから、気にしなければいいじゃない」

「そういう問題じゃあないッ!」

「あのー、お姉さま、言い辛いんですが、それだけじゃなくてですね」

 

 秋月が部屋の照明を消す。

 赤い光が、ぼんやりと部屋を照らす。

 まあ言わずもが、光源は卯月の瞳だ。

 

「冗談よして欲しいぴょん……」

「夜戦の心配なら不要よ。深海棲艦と同じ闇に紛れるような光だから。目立って集中砲火喰らう心配はないって北上さんが」

「だからそういう問題じゃあないッ! こ、これじゃ、人としての生活を楽しむって言う、うーちゃんの夢が、更に遠のくぴょん!」

 

 コンタクトとかで対応できるでしょ? 

 

「もう未来永劫叶わなくなってないその夢?」

「満潮さん言ってることと思ってることが多分逆です!」

「あ」

「ほぎゃぁ!」

 

 血を吐いて卯月は死んだ。

 

「ドウシテ……ドウシテ……」

「大丈夫ですかお姉さまー! 死なないでくだ──心臓止まってませんか!?」

「精神へのダメージで!?」

 

 心臓マッサージ&AEDで蘇生。

 何故、卯月の眼が真っ赤になったのか──ぶっちゃけた話、深海棲艦に寄ったからだ。

 

 eliteクラスの個体を見れば分かる通り、深海棲艦には瞳が赤い個体が存在する。

 獣化した卯月は、存在そのものが深海棲艦に寄った。

 結果、その因子が身体の一部に──『瞳』に出てしまったのである。

 

 それが北上と『彼』による分析結果だ。

 

「……すっげぇ今更なんだけど。うーちゃん、どうして人型の艦娘で、存在できているんだぴょん」

「それを私に言われても」

「秋月からしたら、流石お姉さまって感じですが」

「卯月全肯定マシンは静かに」

 

 と、秋月は言うが──『彼』曰く、これは凄まじいこと。

 |D-ABYSS()()()()()()()により、夥しい死にたての魂と一体化した。

 肉体はイロハ級を媒介に獣となり、深海棲艦として孵化。

 そこまでしておいて、艦娘に戻れている。

 

 変貌から──戻るまで。

 そのすべてを含めて凄まじい。

 

 まあ今の卯月からしたらどうでもいいが。

 それより、この瞳どうしようって思っている。

 

「マジでヤバいぴょん。前みたいに、他所の鎮守府行ったりする時ヤバいぴょん」

「確かにそうですね。出撃した時、他の艦隊に見られても、面倒なことになりそうです。毎回毎回接触しないよう調整するなんて、不可能ですし」

 

 極端な話、『深海棲艦が艦娘に擬態しているぞ!』と発砲されかねない。

 冗談ではない。

 それがあり得る程の深紅。

 

「……赤」

「赤? 赤いけど、どうかしたぴょん?」

「何でもない」

 

 満潮は思い出さざるを得なかった。

 獣から救出した時のあの姿。

 艦娘の身ではあるが──ある種の神聖さを感じさせる、鮮烈な光景。

 

 天へ向かう、赤黒い二本角。

 奈落より顕れたる、『赤い深海棲艦』。

 あれは、どういうものだったのか。

 それが分かるのは、まだ先の話。




身体に変化が~的な台詞が前あったと思いますが、それがこれです。
他作品で言うと、アー〇ードとか、アンデ〇セン神父の眼鏡並みに光ってます。真っ赤っかです。折角だから手袋も装備させようかしら。


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第199話 技術者

そういえば今年はうーちゃんの年でした。
今年もうーちゃんの活躍をお祈りしましょう(愉悦)。


 あれから数日間、卯月はその罪状の重さから外に出られず、孤独な地下生活を送っていた──なんてことは全く無かった。

 外に出てたし、全く孤独ではなかった。

 

 ただ、理由なしに外に出てる筈もなく。

 

「次ぃ! 鎮守府10周! 時間制限以内でなければ、腕立て伏せを追加するクマ!」

 

 訓練の為である。

 

「コヒャー……コヒャー……コヒャー……」

 

 ぐるんと白目を剝き、口からはドパドパと涎、文字通りの顔面蒼白。

 走る姿勢すらままならず、生まれたての小鹿も通り越し、折れる寸前の小枝みたいに足を震わしていた。

 

「うわぁ酷い顔。いっそ見てて笑えるわね」

「いやアレ大丈夫なんですの? 二日酔いのポーラさんと同じ顔していますけど」

「死んだら蘇生すればいいでしょ」

 

 満潮も大概酷い考えだった。

 

「まぁ仕方ないんですけどね。リハビリ急がなきゃいけませんし」

「……中佐、マジで作戦参加させる気なのね」

「何だかんだ言って、洗脳艦娘と同じ力で戦えるのは、大きいですから」

 

 卯月の醜態を見学する熊野。

 事情は彼女が言った通り。

 

 もう、次の出撃がすぐそこまで迫っていた。

 卯月も参加は決定済み。なのだが、三週間も寝込んでいたせいで、卯月の体力はボロカスと化していた。

 

 それを強制的に治すべく、球磨主導の元、修復材の使用もオーケーなリハビリが実施されていた。

 

「じ、時間内、走り切った、ぴょん」

「よーし! じゃあ腕立て伏せを100回だクマ!」

「エ゛ッ時間内に」

「誰が元々ないって言ったクマ。オーバーしたら100回に追加するって意味だクマ! さっさとやるクマ!」

「ピョェェェェェ」

 

 死にかけのヒナみたいな声だった。

 ──とは言え、本当に死なれるのは流石に困る。

 本当にギリッギリの所で、球磨は休憩を用意している。

 

「──―」

 

 最早無言。

 満潮の所まで来た卯月は、無表情で卒倒。

 言うまでもなく瀕死。

 その口を無理やり開け、スポーツドリンクを流し込んでいく。

 

「うわぁ……もうちょっと丁寧にやってあげては如何ですか?」

「面倒」

「そうでしたか……」

 

 要介護か何かにしか見えない光景。

 熊野はちょっと引いた。

 なお、熊野が此処にいる理由は、単なる暇潰しである。

 人のことは言えず大概だった。

 

「あ゛……熊野? どーして、此処にいるっぴょん」

「暇つぶしですわー」

「あっそう……」

 

 と言って、卯月は熊野から目線を逸らす。

 

「気にしてませんから、もういいですわ。事情も、謝罪も聞きましたし」

「バツの悪さは感じてんだぴょん。勘弁して欲しいぴょん」

「そういうことであれば」

 

 熊野を含め、他のメンバーも事の顛末を知っている。

 その事に対し卯月は謝罪した。

 罪悪感はない。

 ビームの着弾地が悪ければ、彼女達も死んでいたのだが、気にする様子も絶無。『迷惑かけちゃったな』程度の深刻さ。

 

 全員あっさりと許容した。

 許す許さないとかではなく、『別にいいよ』ぐらいで流してしまった。

 一番混乱したのは卯月本人。

 それこそ、親の仇のように責め立てられるのを覚悟してたのにこの程度。

 

『あははは~、そんな、殺されかけましたーってぐらいで怒ってたら、前科戦線(じぇんかちぇんちぇん)で生きていけません~』

 

 泥酔しながらポーラは言った。

 

『反乱計画企ててないだけ幾億倍マシだわ』

『同感です』

 

 飛鷹と不知火もその調子。

 一体昔の特務隊は、どれだけサツバツとしてたのか。

 兎も角、最古参の三人がこの反応。

 球磨や熊野、那珂も似たり寄ったりな反応、必要以上に卯月を責めたりはしなかった。

 

『死んでないし、顔に傷もついてないから、気にしてないよ!』

 

 傷ついてたら? 

 卯月は聞いてみた。

 

『もぐ』

 

 何を?

 答えはなかった。

 戦艦水鬼以上の圧倒的殺意に卯月はしめやかに失禁。

 その恥もあって、まあまあな感じで許されていた。

 

 ──そんな簡単に許していいのか? 

 未だにそんな疑問がある。

 けど、あまりくどいのは返って失礼。卯月はそれ以上、謝罪を口にはしない。代わりに出てくるのは訓練の愚痴だ。

 

「どーして、こんな急に訓練すんだぴょん……」

「そりゃ次の作戦が一週間後に迫っているからでしょ」

「スケジュールおかしいぴょん。考えた奴はおつむが爆発してるに違いない。きっと殺し屋みたいな目つきしてるに違いないp」

 

 ヒュン──と風を切る音。

 頬からツーっと血が垂れる。

 執務室から投擲された万年筆が、アスファルトに突き刺さっていた。

 

 やはり殺し屋では? 

 とか言ったら二射目が来る。

 命に執着はないが、こんなマヌケな死は御免である。

 

 だが敢えて卯月は、言ってやった。

 上手く誘導して満潮を盾にしてやる魂胆だった。

 

「やはり殺し屋だぴょん!」

「は!?」

 

 予想通り弾丸(万年筆)が飛来する。

 

「ふはは、だが喰らうのは満潮貴様だぴょギャア!」

 

 が、不知火の暗器(万年筆)は別の場所に着弾──折れた先端が、跳弾めいた動きで卯月の眼球に突き刺さった。

 

「あああああ!?」

「休憩終わりだクマ! 次はスクワットだクマ!」

「待って死ぬムリ医務室へ」

「死んだら使っていいクマ」

「悪魔どもめーっ!」

 

 目に万年筆が刺さったまま連行される卯月。

 それを見て満潮は呟いた。

 

「バカなの?」

 

 そうであった。

 ぐうの音もでないバカであった。

 

 

 *

 

 

 何故、出撃がたった一週間後になったのか。

 別に卯月への嫌がらせとかではなく、ましてや作戦決行を早めた訳でもない。

 このタイミング、この日以外に、できる時が無かったからだ。

 

「ターゲットは、ガンビア・ベイよ」

 

 卯月はその言葉に固まる。

 ……入渠ドッグに半ば転がされた状態でなければ、もうちょっとシリアスだった。

 

 兎も角、ガンビア・ベイ。

 ステルス迷彩を有し、ぶっちぎりの逃走能力を持っていた軽空母。

 ひとまずリハビリを終え、入渠しながら満潮の話を聞く。

 

「あいつか……でも、他の二人は標的にしないぴょん?」

「ええ、上層部はあいつらよりも、ガンビア・ベイの方が遥かに脅威であると認定している。何よりも最優先で仕留めろってね」

「何でそこまで」

「国防」

「こ?」

「国防が、崩壊するから」

 

 以前の戦いにより、瑞鶴の『能力』はある程度割れた。

 何かしらの怨念を媒介に、イロハ級を現地生成できる能力。

 推定段階だが、ウォースパイトも似たような『能力』を持っている可能性は高い。

 

「深海棲艦が上陸したら」

「呪いが撒かれる」

「撒かれた呪いへの対処は」

「感染者の掃討とか、核攻撃しかない」

「じゃあ、イロハ級を現地生成できる、瑞鶴の上陸は」

「絶対阻止しなきゃヤバい」

「ところでガンビア・ベイの『能力』は?」

「……あ」

 

 その問答で卯月は気が付く。

 自身の血の気が引いていくのを感じる。

 ガンビア・ベイはステルス迷彩を持つ。そして(恐らくだが)他人にもステルス迷彩を施せる。

 

「前の事件、瑞鶴とウォースパイトは、ガンビア・ベイの『能力』でステルス化されて、内地へ侵入したらしいわ」

 

 何時の間にか、気付きようもなく、全世界の何処にでも、深海棲艦を持ち込むことが可能。

 例えて言うなら、ある種のステルス核兵器。

 ガンビア・ベイが健在である限り、ずーっとこれを警戒し続けなければならない。

 

 だが、そんなことは不可能だ。

 デフコン(防衛準備態勢)2をずっと維持しているようなもの。

 精神も、国家の体力もそんなにもたない。

 

「そんなアイツが、内地近くに出現する情報を掴んだらしいわ」

「マジか。どういう?」

「詳細は知らない。作戦の時教えて貰えるかもね。まあアンタは立場上分からないけど」

「ぬぐっ」

 

 何も知らされないまま、作戦だけ参加──があり得るのが、今の卯月の立場というのを忘れてはならない。

 

「つーことは、ベイが内地に出てくるのが、一週間後ぴょん?」

 

 満潮は頷いた。

 それに卯月は納得する。

 なるほど、確かにわたしの都合なんて待ってる場合じゃない。

 

 そうなると……自分の用事を済ますのは困難か? 

 ある種のケジメとして、卯月はあの戦場へ行きたかった。

 しかし、そんな余裕はなさげ。

 ガンビア・ベイを始末してから行けばいいが、あんまり長引くの何だか。死ぬかもしれないし。

 

「あ、そうだった、明日、例の戦場にアンタ連れてくって」

「へ? スケジュール大丈夫かぴょん?」

「『全力で捻じ込めば行けるクマ』って言ってたわ」

「ざけんな。クマクマ言ってきゃわきゃわアピールでもしてんのかっぴょん」

 

 ぴょんと言うのはきゃわきゃわアピールでは無かったのだ。

 満潮は心の底から驚愕。

 が、リアクションは特になし。

 後ろの方に目が行った。

 

「あ゛」

「クマー」

 

 穴持たずという冬眠に失敗したヒグマがいる。

 それは、餌が少なく非常に獰猛なのだ。

 

「おおおおや球磨先輩いかがされましたでしょうか!?」

「クマー」

「え、あの、まだ入渠終わってないぴょん疲労が抜けきってないぴょ痛い痛い足掴まないで!」

「クマー」

「足が足が捥げちゃう引っ張らないでー!?」

 

 熊に取られたものは、決して取り返してはいけない。それはサバイバルの鉄則。

 大切なものだが、諦めるしかない。

 穴倉(訓練場)へ引き摺り込まる卯月。満潮は涙した。

 

「いやそんな大事じゃなかったわ」

 

 涙は引っ込んだ。

 誰かの断末魔が木霊した。

 残当だった。

 

 

 *

 

 

 地獄訓練は続く。

 午前は終わり、しっかりと昼食をとった後の午後も地獄。

 食べたお昼は殆ど吐いてしまいました。

 口端から虹色を垂れ流しながら、卯月はぜいぜい走り回る。

 

「ほらダメダメ! ちゃーんと声ださないと、立派なアイドルにはなれないよ!」

「ピョン! ピョン! ピョン!」

「腹式呼吸だよ、ほらっ!」

 

 那珂は思いっきり卯月のお腹を叩いた。

 腸内で消化中だった食べ物が体内を逆走。卯月の口からまた滝みたいに流れ出す。

 勿論那珂は浴びない。

 飛び散った虹は綺麗に回避していた。

 

「ピョンピョン!! ピョンピョン!」

「うん、声はちょっと良くなった。でも動きにキレがない! しかも笑顔もない! アイドル失格だよそれじゃ! いい卯月ちゃんアイドルって言うのは自分がどんな苦しくても笑顔で! 動きもキレッキレでカッコいい一面もあってそれからそれから」

「ピョンンンンンッ!」

 

 ホラー映画の一幕であった。

 

 訓練担当は、球磨から那珂に交代していた。

 深い理由はない。一日中卯月に付き合えるほど、球磨は暇ではなかった。

 だが、那珂には休憩という概念が無かった。

 あるのはアイドルに対する狂気的な熱量のみである。

 

 球磨よりヤバい。休憩があるだけあっちがマシ。

 人選ミスではなかろうか? 

 そう疑問符を浮かべられたのも遥か昔、今の卯月はトップアイドルを目指すダンシングマシーンに成り果てていた。

 

「さっきからぴょんとしか言ってないけど。アレ大丈夫なのかしら」

「さあ。口が動くんなら大丈夫じゃないの?」

「そして北上、どうしてアンタがいんの?」

()()さんの付き添い。お仕事だよー」

「ああ」

 

 アイドルをキメまくりトリップ状態の卯月。

 そこへ、名前を呼ぶ声が聞こえる。

 これは喝采に違いない! 

 もう手遅れに近かった。

 

「ワタシアイドルダピョン! オーエンアリガトー!」

「あの、違うんですが……」

「ウーチャンキライニナテモ、アイドルハキラ……っあ゛? 誰だぴょん」

 

 急に正気に戻るの恐いな。

 満潮は思った。

 卯月を呼んだ声は、今まで特務隊にいなかった者の声である。

 

 全く知らない声に、卯月の聴覚は強く反応する。

 そこに好奇心はない。

 あるのは、獣同然の警戒心。『奇襲』、『侵入者』、『敵』。脳裏に浮かぶ単語はそればかり。

 

 滲み出る殺意に、『彼』は両手を上げた。

 武器は持っていない。

 近くにいる満潮や北上も警戒していない──それを以って、警戒をある程度解除した。

 

「どちら様だぴょん」

「止めなさい卯月。さっきの醜態の後じゃ、何やってもシリアスにはなれない諦めなさい。アンタはもうお笑い枠よ。売れない方の」

「そういうノリじゃないんだけど?」

「えー、自己紹介、して良いでしょうか?」

 

 阿保なやり取りは程ほどにする。

 

「悪いぴょん。それで、どちら様だぴょん?」

「私は、かつて……D-ABYSS(ディー・アビス)の開発に関わったスタッフの一人なのです」

 

 D-ABYSS(ディー・アビス)

 その単語に反応した人がいた。

 大将護衛の元、前科戦線に移送しようとしていた人がいた。

 

 惨劇の発端。

 その一角となった『彼』は、無事ここに辿り着いていた。

 

 この名乗りを聞くために、多くの犠牲が出た。

 彼が死んでたら全部無駄死に。

 そうならなかったことに、卯月は少し喜んだ。

 

 

 でも何で数珠持ってんの? 

 

 

平須磨(ヒラスマ)僧正」と申します。見ての通り僧侶ですが、技術職も兼任しています」

 

 坊主の……技術者! 

 技術者でありながら、同時に僧侶。

 ──ナンデ? 

 卯月はキャパオーバー。宇宙猫めいた表情でフリーズするのであった。




ガンビア・ベイはかなりヤバいです。
どんな核兵器も、彼女が持つだけでステルス核に変貌した。
ウラン凝縮アーキア入りウォーカーギア全機が、ステルス迷彩を持っちゃった感じ(分かるかなぁ?)


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第200話 自壊の時

とうとう200話到達しちゃいました。何時終わるのでしょうか。折り返しは超えた……筈。


 艦娘という存在は、純粋なテクノロジーで生み出された存在ではない。

 陰陽道であったり、魔術的なもの──科学技術だけでなく、あらゆる『力』によって作られた。

 

 その為、戦争初期は技術顧問として、そういった人々が招かれた。

 そして技術確立から数十年。

 僧侶や陰陽師、魔術師は、大本営における技術職としての立場を確立する。

 

 つまり袈裟を着て数珠を持ったボウズがメカニックだとしても、何もおかしい所はないのである。

 

「なるほど……?」

 

 が、疑問符しか浮かばない卯月。

 現実を受け入れるには、もう少し時間が必要だった。

 

「なにか、混乱させてしまったようで、申し訳ありません」

「あー、別に構わないぴょん……む、ってことは、あの戦場でシェルター内にいたのかぴょん」

「ええ、坏土大将と一緒に」

「それは悪いことをしちゃったぴょん。殺しかけてごめんなさい」

 

 乱射していたレーザーは、運が悪ければそこへ直撃していた。

 さらっと言ってるところから察せられるが、罪悪感はない。一応次元で残った倫理観から言っただけ。

 

「気にしないで大丈夫。むしろ、あの状態から艦娘にまで戻れたことを、私は喜ばしく思います」

「がふっ!?」

 

 しかし卯月には致命傷だった。

 

「どうしたの」

「不味い、この吹き荒れる善人オーラ! 正面から浴びたら灰になってしまうぴょん!」

「なれ」

「ミ゛」

 

 満潮が退く。後光が直撃し卯月は灰になった。

 

「で、どうしたの」

「ちょっと、卯月さんに実験に付き合って頂きたく」

「そう、ホラとっとと動きなさい……ダメね、工廠まで運んどくわ」

 

 何処からか取り出したシャベルで、卯月(塵)を丸ごと掬い、運搬する満潮。

 

「……これも獣化の後遺症でしょうか」

「違うと思うよ?」

 

 北上がバッサリ切った。

 

 で、その卯月は工廠につくと蘇生。

 そこには卯月の艤装が置いてあった。

 勿論、D-ABYSS(ディー・アビス)は搭載されたまま。

 

「獣化により、D-ABYSS(ディー・アビス)がどのように作動するのか、確認しておきたいんです。疲れているとは思いますが、お願いしてもいいですか」

「断ってるよーな余裕はないんでしょ? 大丈夫ぴょん」

 

 艤装を装備し、海へ出る。

 そして何時ものように殺意を高め、一気に作動までもっていく。

 異変が起きたのはその直後だった。

 

「んぎっ!?」

 

 不意に激痛が走った。

 一瞬だが、全身を引き裂くような痛みを感じた。

 今のは何だと、自分の身体を確認する。

 

「──は?」

 

 その手は()()()()()

 手だけではない。

 足も、首も、服の下にも罅割れが。

 真っ赤に光る亀裂が、全身に刻まれていた。

 

「これは」

「……不味くない?」

 

 彼等が思い出すのは、全身に赤い亀裂がある中枢棲姫という個体。

 深海棲艦の中枢と噂される個体だが──目の前の卯月は違う。

 この亀裂は、そういうものではない。

 

「がっ」

 

 苦悶の表情を浮かべた直後。

 

「があああああ!?」

「卯月!?」

 

 卯月は崩れ落ちる。絶叫を上げながら。

 

「痛い痛い痛い痛いッ!!?」

 

 全身に激痛が走っていた。

 骨がひしゃげ、内側から爆発しそうな感覚だ。

 訓練どうこうで耐えれるタイプではない、生物として反応せざるを得ない痛み。

 

 発作でもないのに五感が狂う。

 まともに立っていられない。目の前が見えない。

 金切り声を上げているのが、自分だというのも分からなくない。

 

 特に『耳』が酷い。

 脳味噌まで砕けそうな痛みが、鼓膜から発せられている。

 しかし突然──痛みが消えた。

 

「──っ」

「しっかりしなさい卯月! 大丈夫なの!」

「キ……キツイ……ぴょん。何、今のは……」

 

 先程見えた亀裂は消えていた。

 しかし幻ではない。

 卯月の全身には裂傷が走り、大量の血が滲み出ている。

 それが、あの亀裂が齎したのは明らかだ。

 

「──予め、改造しといて、良かったねぇ」

「ええ、心の底からそう思います」

「流石は元関係者。褒めてしんぜよう。その前に卯月の応急処置だけどね」

「準備をしてきます」

 

 実験を見ていた平須磨僧正。

 彼の手にはシステム制御のスイッチが握られていた。

 

 今までD-ABYSS(ディー・アビス)は、自発的に解除できなかった。

 それを任意で解除できる装置。

 元開発スタッフだから作れた物。『実験は安全な方が良い筈です』と、三週間の間に作っていた物が、さっそく役に立ったのである。

 

 

 

 

 急遽ドッグへ運搬された卯月。

 何が起きるか未知数なので、高速修復材の使用許可は取得済み。

 直ちにドッグへ叩き込まれたお陰で、卯月は後遺症等もなく、直ぐ治ることができた。

 

「死ぬかと思ったマジで死ぬかと思ったぴょん」

 

 いつもの口調だが、冗談ではない。

 そう確信させるぐらいの酷い痛み。ショックのせいか顔色がまだ蒼い。

 

 一体あの時何が起きたのか? 

 その答えは、割とあっさり判明した。

 

「『限界』だ」

「限界……って?」

「卯月さん、貴女の肉体がもう『限界点』を越えたのです」

 

 よく分からない。が、いい内容でないのは確か。

 ゴホンと咳払いをして、平須磨僧正は説明をしだす。

 

「恐らくは獣化による影響でしょう。D-ABYSS(ディー・アビス)の作動効率が跳ね上がっていました。それによりエネルギーの吸収効率も向上。身体強化効果が今までより何倍も向上しています」

「それパワーアップしたんじゃ」

「ええ、但し『システム』は、です」

「……うーちゃん自身に問題が?」

 

 平須磨僧正は淡々とした様子で頷く。

 

「システムによる強化は力業なんです。エネルギーを無理やり取り込ませ、ドーピングをしているに過ぎない。秋月さんや最上さん……卯月さん自身のように、使用後は身体に深刻な負荷が掛かる」

 

 最初の頃は特に酷かったが──システム発動の度に、数週間寝込んでいた。秋月も最上も救助時はボロボロ。それを卯月は思い出す。

 

「回復力も強化されるので、誤魔化しは効きますが、『限界』はある。そして……言い難いことではありますが、卯月さん、貴女は『最弱』の駆逐艦です。誰よりも肉体が弱い。流石に海防艦には勝りますが……だから誰よりも早く『限界』が来た。貴女の身体はD-ABYSS(ディー・アビス)に耐えられない。先程の亀裂がその証明。文字通り()()()()()()のです」

 

 傷口が光っていたのは、溢れ出る深海のエネルギーの輝きだ。

 

「次に、このまま使えば死にます」

 

 二度と使えないという、死刑宣告。

 使っても死ぬという、死刑宣告。

 

 卯月は固まった。

 どう反応すればいいか分からなかった。

 あるのは不安。

 システム無しで今後の戦いを生き抜けるのか。そもそもシステムが無い私に存在価値はあるのだろうか? 

 

「システムの作動効率を下げることはできないの」

「ムリだねー、効率が上がった原因が獣化なもんだから、前みたいに調整ができなくなってる。上げる事も下げる事もムリ」

「……バクった?」

「そうとも言う」

 

 まあバグるよな。あれだけやらかせば。

 卯月と満潮は納得していた。

 

「う゛ー……嘘だぴょん、まさか化け物になったのが、こんな形で足を引っ張るとは。冗談キッツイぴょん」

「戦い方を変えていくしかないわね。今後はインチキに頼らずってことで」

「えー」

「文句があるの?」

「いや……今まで必死になって使いこなそうとしてたのに、今更『ダメです死にます』って言われると、色々思う所が」

 

 こんなイカれた装置無い方がいい。

 しかし、必死で使いこなす努力をしてきた。

 それを否定された気分。何となくだが。

 

「──いえ、使えますが」

「え?」

「は? 矛盾してんだけど。さっきのアンタの発言と」

「ですから、()()()()使()()()()()と」

 

 どういう意味なのか。卯月と満潮は首を傾げた。

 

「ですので『改修』を施します」

 

 それは……どういう? 

 卯月と満潮はまた首を傾げた。

 

 

 *

 

 

 卯月の艤装は平須磨僧正預かりとなった。

 システム作動による肉体崩壊。それに対する改善を行う為に。

 ただ、具体的な内容はまだ。

 終わってからのお楽しみ、という事である。

 

 艤装の調整には暫く時間がかかる為、僧正と北上は工廠へ閉じ籠っていた。

 その後、生身でもリハビリはできる為、那珂ちゃんによるアイドル訓練が続行。夜になっても終わらず、深夜になって漸く解放されたのであった。

 

「ギィ……」

「あが、がが、ぎごげぇ」

 

 疲労の極致。

 身体の輪郭が安定せず、作画崩壊した卯月を加古が心配する。

 まともな返事も出なかった。

 

「リハビリとは言え可哀想なお姉さま。秋月が慰めてあげます」

 

 と言って膝枕。

 ふっくらとした太腿。その他諸々もおっきい。

 同じ駆逐艦なのに、この違いは一体? 

 

「どうも敗北者だぴょん。ガクッ」

「うふふ、寝ちゃうほど心地よかったんですね。秋月は嬉しいです」

 

 絶対に違う。

 

 尚、秋月型自体、駆逐艦にしては発育が良い。

 満潮も少しじっとりした目線を向けていた。秋月は気づかなかった。

 

 ──改めてだが、此処は卯月の地下独房である。

 何故か満潮に秋月に加古と合計四人生息しているが、あくまで卯月の地下独房である。

 

 備え付けのベッドは二つ。

 四人には足りないので、ベッド一つを二人で使用。

 まあ寝る前は、互いのベッドを行ったり来たりしている状態だ。

 

「満潮さんは、次の作戦について何か聞いているんですか?」

「何も。まだ未確定情報が多いんでしょ。知らされるかも分からないけどね」

「そうでしたか」

「……過酷には違いないでしょうけど」

 

 過酷なリハビリを課している時点で、それは察せられた。

 それも当然のこと。相手はガンビア・ベイ。どれだけの攻撃を叩き込んでも、一切のダメージを負わせられなかった相手だ。

 

「アンタはガンビア・ベイ知らないんっけ」

「はい……一番下っ端だったからだと思います。最上さんなら知ってるかもしれませんが……あの調子なので」

「記憶の混濁、少しずつマシになってるって聞いたけど」

 

 最上はここにはいない。彼女は熊野と同じ部屋で生活中だ。

 というか、ここにいたら、秋月が衝動的に殺す可能性が高かった。

 

「……思うんですが」

「何?」

「懲罰部隊という割には、皆さん、とても優しいですよね」

「は? 頭爆発したの?」

「いえ真面目に。こんな秋月や最上さんを引き取って、人並みの扱いですし、卯月お姉さまにも、私刑とか拷問してないですし」

「意味ないことはしない性分ってことでしょ。中佐はそういう奴よ」

 

 高宮中佐の人となりをちゃんと知りはしないが、それぐらいは分かる。だが優しいとまではいかないだろ。満潮はそう考える。

 

「本当に普通の鎮守府なら、もっと娯楽あるし、人間らしい扱いになるわ。ちゃんと罪人扱いしてるって意味合いなら、人間らしいかもしれないけどね」

 

 それが、満潮の知る普通。

 幾つもの鎮守府を渡って来た──その度に追い出されてきた──満潮だから分かる。

 

「と、言いましても、此処が初めてですからね」

「……そうね」

 

 そして満潮は知っている。

 初めての場所での経験が全てだと。

 どれだけ時間が立とうとも、そこでの記憶は、自らを永遠に苛む。

 卯月のように、()()()()()

 

「……こんな風に、他愛のない話をするのも、初めてなんです。敬愛するお姉さまを撫でながら、こんな、中身のない会話するのさえ、嬉しいんです」

 

 秋月は、不幸極まることに、ドロップしたのを『黒幕』に回収された。

 そこで無限の虐殺を強要された。

 逆らえば、最上の暴力に晒された。逆らわなくても気紛れに晒された。

 

 理不尽に殴られない。

 たった、そんな当たり前極まることが、秋月にはひたすらに嬉しかった。

 

 色々あふれ出し軽く涙が出る。

 それを心配した加古が近づき、秋月を慰めようとアタフタしていた。

 満潮はハァと溜息を吐く。

 

「アホくさ」

 

 切って捨てた。

 

「なっ」

「そんな当たり前のことで一々泣いてたら身体持たないわ。此処にいるのは一時的なもの、いずれ普通の鎮守府に行くのよ。もっと貪欲になんなさい」

「貪欲、ですか」

「もっと『幸福』を追いなさい。そんなんじゃ他所行ったとき、そこのメンバーに要らない心配かけるわよ」

 

 秋月には──加古も最上も、幸福になる権利がある。

 どう見ても『黒幕』の被害者。

 その分、幸せになってほしい。そうでなければ不条理が過ぎる。満潮は純粋にそう思っていた。

 

「満潮さん……」

「何」

「満潮さんも大概面倒な性格してますね」

「思ったけどアンタ結構毒吐くわね」

「洗脳されたた時の後遺症では?」

 

 それも、仲間内の軽口。

 相手を軽蔑するものではない。

 只の他愛のない雑談。だからこそ良い。

 

 ──だからこそ、私はダメだ。

 

 私に『幸福』を追う権利はない。

 洗脳されて虐殺とかではない。『艦娘』として成すべきことができなかった私には、その権利はない。

 

 握り拳に爪が喰い込む。

 けれでも、その手は布団の中。

 気付かれる事さえ、あってはならない。満潮はそう自分を戒めた。



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第201話 巡礼

 ガンビア・ベイ討滅戦決行まであと三日。

 卯月はそこを訪れていた。

 満潮や秋月が来ることは、他ならぬ卯月自身が断固拒絶。

 

 そればかりはダメだ。

 誰が何と言おうと、他人を連れては来れない。

 目の当たりにして、罪悪感が無くても、慚愧が無くても、こればかりは私でなければ。

 

「…………」

 

 眼前には、死地があった。

 

 数日前までは、人の営みが感じられた都市。

 たった一晩で、あらゆる生命(GENE)を根こそぎ奪い去られた都市。

 刻まれた文化(MEME)を、丸ごと白紙化された都市。

 

 洗脳艦娘が引き金を引いた。

 『獣』が止めを刺した。

 卯月が()()を終わらせた。

 

 あの日の戦場を、卯月は見下ろす。

 

「放射線はありません。『獣』が核ミサイルを食べたので。『呪い』もありません。『獣』が全て喰らったので」

 

 最後辺りの大爆発により『海』は全消滅。

 巨大なクレーター内に、歪に『創造』された大地が乱立。

 人類文化の痕跡は、半壊したシェルターぐらい。

 

「『獣』による天地創造により、既存の街並み、建築物は消滅。活動できている生命体は、『呪い』の影響を免れた僅かなバクテリアのみ。虫一匹、雑草一つさえ存在はしていません」

 

 『異能』の痕跡を残す遺跡。

 人の営みは顧みられない。

 追加で乱立された、技研の調査用ベースキャンプは、何故だか残酷に感じられた。

 

「ありがとう。此処に来る許可をくれて」

 

 卯月はそれら全てを見続ける。

 瞬きさえ惜しい。一分、一秒でも長く見る。網膜に焼き付ける。

 ──面倒だなぁ。

 そう思っても、目を逸らすのはプライドが許さない。

 

 無価値だ、無駄だ、こんな感傷何も意味がない。

 そんなことは分かってる。

 この認識が間違いでないという確信まである。

 

 ならばこそ、この感傷は捨てられない。

 まだ艦娘でいたいなら、まだ此処に立っていたいなら──それさえ無くしたのなら、自死を選ぶ時だろう。

 

「こんな状況下で言うのは何なのですが」

 

 と、平須磨僧正が切り出す。

 

「敵の目的の一つは、達成された可能性が高い」

「目的? 暗殺は失敗してるぴょん」

「違います。艦娘を社会から追放する目的です。多分ですけど……あの戦場、深海の艦載機が無かったの覚えていますか」

 

 卯月は首を振る。

 瑞鶴は何故か、空母系のイロハ級を生成しなかった。

 空を覆っていたのは、瑞鶴とガンビア・ベイ、艦娘の艦載機だけ。

 

「あれは──街を襲っていたのが、艦娘であると、周囲への印象操作だったようです」

「は? ナンデそんなことすんだぴょん」

「社会が艦娘を迫害すれば、人間は深海棲艦への抵抗力を減らす。そういう高等な作戦の可能性がちょっと」

「いや、回りくどいぴょん」

 

 あんまり思いつかないが、それならもっとやり方あるよね? 

 卯月でさえそう思う。

 大本営の偉い人たちも、『頭悪いの?』と懐疑的。

 メインの目的は暗殺であり、ヘイト行為は()()()だったんだろう、というのが主な見方だ。

 

 そんな()()()をするなら、本命に集中しろよ。という見解が大半だが。

 

「あと結局、『獣』の暴れっぷりに印象持ってかれたので、ヘイト操作の影響力はカス同然だったようです」

「えぇ……」

 

 これだけの大惨劇なのに、これだ。

 こんなグダグダなオチを、神は許すというのか? 

 卯月は神を殴ると決意する。

 自分(付喪神)だった。

 

「せいやっ! ゴッパァッ!」

「何故突然自分の腹を殴ったんですか卯月さん! は、これが報告にあった幻覚症状!」

「違うピョン……」

 

 自分は何をしてるのやら。

 情緒は死んでるが、無意識レベルでは多少動揺してるのか? 

 だったら、少し嬉しい。

 

 殴った腹を抱えながら、平須磨僧正と一緒に、死地を歩く。

 技研の調査用ベースキャンプは避けていく。

 許可は取ってる、事前に通知もしてある。

 

 しかし卯月が不味い。

 

「ねぇ、僧正さん。これやっぱ目立つぴょん?」

「とてつもなく目立っています」

「ぴょん……」

 

 獣化の後遺症。深紅に輝く瞳。

 

 早とちりした技研が、『擬態型深海棲艦ヤッター!』と拉致しかねない。

 倫理研修は実施済み。

 しかし、時に好奇心は暴走する。卯月の身の安全は保障されていなかった。

 

 まあ、その場合憲兵の大群がエントリーするので問題はないが、面倒事は少ない方が良い。余計な警戒をさせない為、離れた場所を散策していた。

 

 尚、サングラスとかを試してみたものの、紅光は平然とぶち抜いてきた。無駄だった。むしろサングラス越しに光る眼が不気味。

 遮断するには専用のレンズが必要になるだろう。

 

「……一つ、訂正が」

「どーしたぴょん」

「敵のヘイト作戦ですが一部は成功しました。卯月さんです。何処からか漏れたのか、誰かが意図して漏らしたのか、獣となり街を滅ぼしたのは、()()卯月だと、軍内部・世間では噂になっています」

「あー、そうなっちゃったぴょん」

「そうなりました」

 

 元々、神鎮守府を壊滅させた『造反者卯月』として、卯月の存在は知られている。

 噂レベルだが、それ故に広まり易い。

 

 無論、大本営としては完全否定。

 あれはあくまで深海棲艦の最新兵器であって、艦娘とは全く関係がない──と主張。

 『じゃあ核ミサイル食える深海棲艦が出たって事じゃねぇか!』

 と、各国からの追及が強まったのは、政府官僚の犠牲(胃と毛根)で乗り切った。

 

「しかし、噂は誰にも止められない。流石に艦娘がああも変貌するのかと、懐疑的な人が多いですが、反艦娘派にしてみれば格好のネタ」

「つまり何が言いたいんぴょん?」

「──前科持ちは首輪がある。見られれば分かってしまう。今後他所の艦娘に見られた場合、卯月さんは暗殺を警戒しなければならないでしょう」

 

 卯月の評判は元々ド底辺だった。

 それが更にどん底地の獄、獄の獄まで落っこちた。

 

 以前のような、外部との協力は慎重にならざるをえない。

 場所によっては、鎮守府ぐるみで暗殺を決行、そのまま事実隠ぺいを図ってもおかしくない。

 やり過ぎだろうか? 

 卯月はそうは思わない。

 

「ああ、それで良いと思うぴょん」

「そうですか?」

「むしろ、何にも警戒してない連中の方が、返って不安になっちゃいぴょん」

 

 客観的に見て卯月は化け物だ。

 人の倫理は通じない。

 鎮守府一つ、街一つを滅ぼしといて、『正当性はある』と言う正真のモンスター。

 で、あれば、暗殺を想定に入れるのは妥当。

 

「──やはり奇跡だ」

「へ? 急に何?」

「あの状態から、此処まで戻って来れたことがです。人の形に戻り、人の言葉が通じる。通常では考えられない事です」

 

 平須磨僧正は、幾つもの実験を見てきた。

 艦娘が深海棲艦へ変異したり、もっと冒涜的なナニカになるのも。

 軽い変異なら兎も角、深い所からは誰も返ってこなかった。

 

 それだけに興味が沸く。

 技術職として、何故卯月は帰還できたのか。

 

「さぁ……帰投できたのは、まぁ、満潮のお陰だけど……うーちゃんにも分かってないことが多いぴょん。満潮が持ってた鎖とか、レ級とか」

「報告には聞いています。鎖は調査中ですが、レ級についてはとくには」

「ぴょん? 調べないの?」

「はい」

「なんでだぴょん。D-ABYSS(ディー・アビス)の怪物なら、調べるべきだぴょん」

 

 卯月はそう思っていた。

 『獣』を正面からボッコボコにする化け物中の化け物。

 間違いなくD-ABYSS(ディー・アビス)を乗せている。でなければあり得ない戦闘力。

 瑞鶴達にも攻撃してたのは謎だけど。

 強化し過ぎて暴走したのか? 

 何にせよ、放置はあり得ない。

 

 ──そう勘違いをしていた。

 

「ないですよ?」

「ない? 何が」

D-ABYSS(ディー・アビス)が」

「誰に」

「戦艦レ級改flagshipに」

「はっ?」

 

 ちょっと言ってる意味が分からなかった。

 

「いえだから、戦艦レ級改flagshipもとい『三つ首』は、D-ABYSS(ディー・アビス)とは無関係です」

 

 視界がキラキラと輝き、脳からは水蒸気が噴出する。

 そっか理解できたぞ獣化の後遺症で聴覚に異常が出てるんだそうでなきゃこんな幻聴聞こえる筈がないやちょっと待ってなんか別の声が聞こえるような──

 

「そうか……そうだったのか、死者とは……引力とは……」

「卯月さーん!?」

「はうぁっ!」

 

 卯月は現実へ帰還した。

 

「危なかった……宇宙の真理を理解しちゃうところだったぴょん……一足先に飛び級で進化しちゃうトコだったぴょん」

「話戻して良いですか?」

「アッハイ」

 

 だとしても信じ難い話だった。

 

「……マジ関係ないの?」

「はい。D-ABYSS(ディー・アビス)の開発開始が十年前。『三つ首』が初めて観測されたのは三十年程前です」

「時間が全然合わないぴょん」

 

 平須磨僧正の話は事実である。なお初観測されたのが三十年程前であり、大本営襲撃は十年程前になる。

 

「えぇ……じゃあ、アイツは『素』であの強さなのかっぴょん」

「そうなります」

「冗談キツイぴょん……」

 

 あんなモンスターがいるのかこの世界。

 天地創造如きで調子に乗っていた自分が、何だかアホくさくなった。

 ──卯月には酷な話だが、あのレベルの化け物はまだいる。少なくとも三匹と一人はいる。内一人は幸い人類の味方だ。

 

 とは言え、システムとは別の意味合いで、調査対象になっている。

 大本営襲撃以来、初めて能動的に動いたのだ。

 その行動原理を読み解けば、今度の対策、上手くいけば討伐の手掛かりになるかもしれない。

 

「できるなら、取り出したいのですがね……」

「取り出すって?」

「『三つ首』の刺ですよ。心臓に刺さりっぱなしになってる」

「──は?」

 

 一瞬、信じ難い話が聞こえた。

 

「あれ、聞いていませんか?」

「聞いてない聞いてない待ってどういう状態なの今のうーちゃんは」

「心臓ぶち抜かれたじゃないですか。結局、何故か心臓は無事だったんですが、貫通しっぱなしなんです。刺が。正確には『三つ首』の装甲片ですが」

 

 卯月は今度こそ言葉を失った。

 刺が? 貫通してる? わたしの心臓に? 

 で無事だって? 

 

「……ワッツ?」

「ええ、そういう感想になるでしょうね。私達も同感です」

「何で死んでないのうーちゃん」

「分かりかねます。ただ、刺さっている『刺』は、卯月さんの生命活動に支障をきたしていません」

 

 視界がグルグル回る。

 色々な情報を詰め込まれ過ぎて、いよいよ眩暈がしてきた。

 

「これも……調べてくれてるぴょん……?」

「それは、当然」

「なら良いぴょん……もう、満足できたから、基地に帰るぴょん……頭痛くなってきた」

「そうですか、では戻りましょうか」

 

 フラフラとした足取りで、卯月は回収地点に戻る。

 疲れすぎて思考を手放す。

 ぼんやりと、感じたことだけを考える。

 

 (自分)の手により崩壊した地形。エネルギーを直接操作したからだろうか。土でも木でもない、結晶みたいな物質で埋め尽くされている。

 その内一つを見ていると──風が吹いた途端、ガシャンと崩れ去った。

 

「崩れた」

「え? ああ、あの結晶体ですか……あれだけじゃありません。この辺りの地形は全て、通常より早く風化を始めています」

「ふーん」

 

 もうなんか何が起きても受け入れられる自信があった。

 超常現象を目の当たりにし過ぎたのだ。

 やったのは卯月自身だけど。

 

「絶対時間加速現象が観s」

「あーあーあー! 何も聞こえない何も分かんない疲れた脳味噌がオーバーヒートしちゃいそーだぴょーん」

 

 また超常現象か! 

 卯月は耳を塞ぎながら、横ヘドバンで解説を拒否。

 平須磨僧正は『しまった』という顔で、口を塞ぐ。

 

「……失礼しました」

「ううん、さあ、落ち着けやしないけど、うーちゃんの家に帰るぴょ」

「詳しい説明が必要でしたね」

「ちょ、ま」

「時間には絶対時間と相対時間という概念があるのですが、この辺り一帯は何故か絶対時間が加速状態にあり物質の崩壊が早まっているんです。しかし何故この様な現象が起きているのかは不明です。ですがずっと加速を続けている訳ではなく、徐々にこちらとあちらの絶対時間のズレは補正されつつあります。興味深いのは人間から見た相対時間はそのままという点なのですが、果たしてこれが絶対時間が通常通りの領域から来たからそうなのか、それとも」

「サヨナラーッ!?」

「卯月さーん!?」

 

 アワレ過剰な情報を詰め込まれた卯月の頭部は爆発四散! 

 卯月は認識を改めた。

 この僧正、一度話し出すと止まらないタイプだと。

 

 その後、騒ぎを聞きつけた技研が『擬態型深海棲艦ヤッター!』と押し寄せ、全員憲兵隊に確保。重点的倫理研修へと連行された。

 

 卯月は思う。

 真面目な顔で、自分の所業と向き合う予定だったのに何故? 

 原因は多分、運の無さであった。




シレっと流していますが、絶対時間加速現象は、D-ABYSS(ディー・アビス)の本質に関わる重大現象です。基礎原理は『獣』がやった天地創造の『権能』と同じです。


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第202話 命がけの茶番

 都市一つを壊滅させたあの事件。

 そこで何が起きたのか、平須磨僧正は卯月への説明を終えた。

 しかし、話してないことがある。

 卯月に関係ないからだ。

 

 それは決して無視できない内容。

 あの戦いにおいて、ただ一人、壇上に上がらないまま舞台へ干渉してきた何者か。

 

 ──いるのだろうか、そんな奴。

 証拠は残っていた。

 救助直後、救出隊は満潮が見慣れない物を持っているのを見た。

 

 白い鎖である。

 

「結局、あれ何だったのよ」

「満潮さんこそ、あれが何だったのか、分かってるんじゃないんですか」

「さぁ、全然」

 

 何が何だか分からないが、誰かに声を掛けられ、気付いたら手に握られていた──満潮はそう説明した。

 

 使い方は、()()()()()()と感じただけ。

 これがどういう物なのか? 

 どういう原理で動くのか? 

 それらは一切分からない。よって嘘は吐いていない。

 

「状況から推測するに、『縁』を利用して動く何かである可能性は高い。けど……中々に厄介な代物ですね」

「そうなの」

「ええ、機械的機構が一切ない。生物的機構もない。これはただの物質。純度100パーセント『神秘』のみで動いている。このような物質は、今の人類では作れないでしょう」

 

 平須磨僧正は興味深そうに眺めている。

 そういうことに興味がない満潮は、当時を振り返り空を仰ぐ。

 

 ──思い出しても、朧気だ。

 誰が、どうやって、話しかけてきたのか。あれは何者だったのか。気絶してた筈なのに、どうして聞こえていたのか。

 

「ホント何だったのかしら……」

 

 満潮の証言でしか存在しない誰か。

 しかし、白い鎖が存在の証明。

 満潮を助ける意図はありそうだが何故出てこなかったのか。鎖の調査と併せて大本営で捜索中だった。

 

 

 *

 

 

 かつての戦場を散策していた卯月達。

 しかし、平須磨僧正から送り込まれる大量の情報によって頭が爆発四散。

 少しばかし休んでから、もう帰る事になった。

 

 とは言え、やはり人の眼は避けたい。

 ちょっと遠回りをしながら、卯月と僧正は回収地点へと向かっていた。

 

 道中は無言。

 卯月は疲れ果てているので、全く喋らない。

 僧正も、卯月を爆発させた負い目があるので喋らない。

 

 幸い会話がないと気まずさを感じる正確でもない。早く帰って休もうと、卯月は呑気に構えていた。

 

 ──空気を切る音が無ければ。

 

 背後から音が迫る。

 早い、だが、位置は特定できた。

 私の頭へ直撃コース、回避運動を取らなければ、巻き添えもあり得る、僧正も助けなければ。

 

「伏せて僧正さん!」

 

 卯月の判断は早かった。

 振り向く動作もなく、僧正の手を引っ張り姿勢を低くさせる。

 卯月自身も併せて屈み、『攻撃』を回避。

 

「矢、空母か!」

 

 ガンビア・ベイは違う。という事は瑞鶴、もしくは新手の暗殺者。何にせよ始末すれば問題はない。

 

 矢の飛んで来た方向へ目線を向ける。

 更に殺意を一気に高めていく。

 艤装は装備していないが、今の卯月と艤装は()()()()()()()()。かなり離れていてもワンチャン起動できる可能性がある。

 

 反動で大ダメージを負うかもしれないが関係ない。

 どう転んでも、逃げる選択肢はあり得ない。

 

 だが()()遅かった。

 

「どこを見ているのでしょうか?」

 

 声は()()から聞こえた。

 さっき矢が飛んで消え行った所から、敵の声がした。

 脂汗を流しながらも、全力で回避運動を行う──が、間に合わない。

 

「ぐぁ!?」

 

 髪の毛の殆どが切り飛ばされる。ガードとして掲げた片腕は筋線維を少し残して両断。折れかけの枝みたいにぶらりとなる。

 

 何故、攻撃が来たのか。

 どうして接近を許したのか。

 足音一つ、何の音もなく出現したのは何故なのか。

 

 だが衝撃だったのは、暗殺者の正体だった。

 

「お前、赤城ッ!?」

「はい、赤城です。坏土司令官の優秀な秘書艦の赤城です」

 

 そう純心な笑みを浮かべる赤城。

 顔と服には返り血がベッタリと張り付いているが、気にする様子はない。

 卯月は疑問しかなかった。

 混乱しきっていた。

 

 しかし、妙な既視感を感じていた。

 

「すみません。一撃で始末するつもりだったんですが……」

「どういうことだぴょん。どーして、うーちゃんを攻撃するんだぴょん。つーか此処にどうしていんだぴょん!」

「落ち着いてください卯月さん。ちゃんと答えますから」

「なら刀止めろぴょん!」

 

 赤城の刀が脳天に迫る。

 卯月は決死の真剣白刃取りで受け止めた。

 必死の形相を、無機質な目が射抜く。赤城は攻撃を続けながら説明を始めた。

 

「元々、遠くから卯月さんを監視してたんです。そりゃそうですよね? 今の貴女を監視なしで自由にする理由はない。当然のことです──と、監視している最中に私気が付いたんです」

「何に!?」

「これ始末するチャンスだって」

 

 本当に誰なんだこいつを監視に抜擢したのは。

 迫りくる急所への攻撃を回避する卯月は、内心悲鳴を上げる。

 

「──元々、機があれば卯月さんを始末する予定でした。そりゃそうですよね? 私の坏土大将(司令官)の命を脅かしたんですから。ああ『結果的に死ななかったからいいじゃないか』等という戯言は受付けていません。あの人を殺しかけた。余りにも十分な理由。そうだとは思いませんか」

「思うかぴょんッ!」

「では始末します」

 

 流暢に喋りながら攻撃を一切止めない赤城は恐怖でしかない。少しでもマシにできないか。そう考えた卯月は発言を訂正する。

 

「いやちょっと訂正。多少は悪いって思ってるぴょん!」

「そうでしたか。それはすみませんでした。では始末します」

「会話ができない!?」

 

 赤城は狂っていた。

 

 しかし、こうなるのも当然だと、卯月は多少考えている。

 赤城の言っていることは『正論』に近い。

 死ななかったらいいじゃん、なんてのは、真っ当な倫理観からしたら正しくない。怒りは覚えるし、憎まれるのが『自然』だ。

 

 でも任務無視して始末しに来るのはどうなの? 

 内心そう突っ込むが、赤城が止まる筈もない。

 

「ざっけんじゃねぇぴょん。こんな所で、こんな下らない終わり方は御免だぴょん──艤装がないなら、勝算はある!」

 

 赤城は(卯月もだが)艤装を装備していない。

 持っているのは普通の弓矢とシンプルな刀だけ。艤装のパワーアシスト補正が無ければ、スペック差で押し切られることもない。

 

 チャンスを狙え。

 自分の殺意を高め、遠隔でD-ABYSS(ディー・アビス)を作動させる機会を待つんだ。

 そう信じ、卯月は攻撃を回避していく。

 

「ちょろちょろ逃げ回って。卑怯だとは思わないのでしょうか。潔く自分の罪を認めてその首を差し出す覚悟を見せては如何でしょうか。貴女の行動は『卯月』に対する侮辱でしかありません」

「あ゛?」

 

 その一言は、卯月の逆鱗に少し触れた。

 何故、こいつなんかに『侮辱』と言われなきゃいけないのか。

 ──それがチャンスだった。

 普段の何倍も『殺意』が跳ね上がる。一瞬でシステムの作動段階まで踏み込める。そうして卯月は『完全なる殺意』へ──

 

「隙です」

 

 至れない。ひゅるり、と一陣の風のように、首元へ刃が飛来した。

 

「──ッ!」

「隙だらけです。戦闘でそんな隙を晒すなんて、真面目にやる気があるんですか? 無いんですかそうですか。何と言う侮辱でしょうやはり始末します」

「誰か助けて! せめて通訳を呼んでぴょん!」

 

 泣き言を言えど、赤城の攻撃は止まらない。

 そして、卯月はある事に気付く。

 感じた既視感の正体。

 

「お前、まさか、殺意を」

 

 戦艦水鬼が魅せ、卯月自身が体得した『殺意』。

 赤城は、それを纏っていた。

 

 赤城は『やっと気づいたの?』と言いたげに失笑する。

 

「そうですよ。まさか使えるのが貴女だけと思っていたんですか。それは思い上がりというものです。これは『技術』。ある程度の素質と鍛錬があれば使えるもの。それは即ち『練度』があるということ。もう理解できましたね」

 

『殺意』を高める暇さえない。

 それさえ許さずに追い詰められている。

 できている。

 歯が軋む程に、理解させられてしまった。

 

「私の方が()です」

 

 ざっけんな──と反論できない。

 完全に思い知らされている。

 身体に向かって『格上』だと叩き込まれしまったからだ。

 

「それではさようなら」

 

 そんなことに気を取られていたからか。

 赤城が弓矢を一発撃つ。

 頸動脈を狙った一撃を、すんでの所で回避して──眼前から赤城が消えた。

 

 彼女の心音が()()から聞こえる。

 どうして背後に、いつの間に? 

 一瞬の逡巡が命取り。

 もうどんな回避行動を試みても間に合わない所まで、赤城の刀が振るわれ──

 

「そこまでです!」

 

 結晶が散らばる荒野に、甲高い声が響く。

 

 頸動脈まで残りコンマ数ミリで刀が止まる。

 緊張のあまり、卯月は動けない。

 

 何者かの足音が迫る。

 

「もう茶番は十分な筈です、赤城さん。演習はここまでです」

「ですが……」

「お遊びが過ぎるのであれば、私も動かざるを得なくなります。それは私も嫌なので、そういうことで」

 

 聞いたことのない声。

 けど、何故か何処かで──とても、とても昔に聞いたような。

 って待て、演習だと? 

 聞き捨てならない単語に、卯月は慎重に目線を動かす。

 

 そして目にする。

 制服の襟についた飾りを。

()()()()()()()()()()()を。

 

 卯月の脳裏に閃光が走る。

 

「…………三日月?」

「そうです。睦月型10番艦の三日月です。初めまして卯月姉さん」

「ぴょぴょん」

 

 奇妙な状況。感動(?)の再会。

 卯月は妙な声を漏らすのだった。

 

 

 

 

 つまるところ、この襲撃は茶番だった。

 三日月の言った通り単なる演習。卯月を始末する予定は皆無。ちょっと抜き打ちだっただけ。そういう話だった。

 

「まてまてまて嘘吐くんじゃぁないっぴょん。赤城テメー絶対うーちゃん始末する気だったぴょん」

「何の事でしょう心当たりが全くありません」

 

 卯月は驚嘆した。

 人はここまでツラツラと嘘を吐けるものだったのか。

 

「本気の『殺意』をぶつけといて何を言うか!」

「だって本気でなければ演習になりませんし」

「一応同じ『殺意』に至ってる。ガチかどうかの違いは分かるぴょん。お前は本気だった!」

「……チッ」

「おい舌打ちしましたぜどーなんですか三日月!」

 

 三日月はニッコリ笑い、正座する赤城に顔を近づける。

 何という事か、赤城は顔を青くしてガタガタと震え出す。

 この時点で分かるだろう。

 三日月の方がより格上なのだ。

 

「この茶番の必要性は、坏土司令官から聞いている筈ですね?」

「はい」

「復唱してください。どうぞ」

「卯月さんの強化です」

 

 それが茶番の正体。

 仕掛け人は、あの坏土大将。

 彼は──卯月をより強くすべきだと考えた。モニュメントの一件があったので、ちょっと肩入れしてるのかもしれない。

 

 その為の教官として、彼は赤城を差し向けた。

 卯月と同じ『殺意』へ至った者。

 彼女が一番教官に相応しいと、彼は考えたのだ。

 

 この強襲もその一環。

 本気で始末しようとすることで、現在の卯月の限界値を見定めるのが目的。

 なお、艤装のあるなしは関係ない。

 

 だったのだが、結果は御覧の通り。

 

 卯月の見立て的には赤城は本気。

 演習とかそんなの関係なく、ガチで殺しにかかってきた。

 

「じゃ何でですか」

「……だって」

「だって?」

「減るんですもの」

「減る?」

「秘書艦の時間が」

 

 三日月は一瞬硬直。直後納得した様子で溜息。

 

 つまり赤城は、司令官と一緒にいられる時間が減るのが不満だった。

 なので、原因の卯月に殺意を抱いていたのだ。

 常軌を逸している。

 卯月は絶句した。

 

「はぁぁぁぁ……赤城さん」

「はい」

「卯月さんに成長が見られなければ、戻ってきても、秘書艦の席はありませんからね」

「それは酷いです!」

「はい、そうですね。ではお願いします」

「待ってください弁解を」

「いえ、申し訳ありませんが、こちらとしてはこの対応を取らざるを得ませんので。ご了承ください」

 

 何たる模範的事務対応だろうか。

 有無を言わさぬ圧力に、赤城は膝から崩れ落ち機能停止。

 同じ睦月型なのにこの違い。

 一体三日月は、どれ程のパワーを持っているのか。卯月は戦慄する。

 

「うちのアホがご迷惑をおかけしました」

「あ、いや、大丈夫だぴょん。別に致命傷は負ってないし」

「そういう訳にはいきません。最低限の償いはしませんと……全くこのアホは」

 

 炉端に捨てられた吸い殻でも見るような目線だった。

 

「念のためということで、応急処置用品を持ってきています。こちらへどうぞ。平須磨僧正さんも、お怪我はありませんか?」

「私は大丈夫です」

「本当にこのアホがご迷惑を……命を危険どうこう言っておいてこの人は」

 

 恐いよこの子。

 本当に私の妹なの? 

 滲み出る殺意に赤城は震えっぱなし。

 

 しかし、その前に聞いておきたいことがある。

 赤城とは会話が成立しなかったが、三日月となら。

 

「ねえ、三日月」

「どうかされたんですか?」

「演習って、どゆこと?」

「それですか。司令官からの直々の命令でして。ざっくり説明すると、『使い方を学ばせてやれ』とのことでして」

 

 使い方。卯月は思う。

 私が使えるもの。

 そして教官役は赤城。

 共通するものは、とても分かりやすい。

 

「『殺意』を、より使えるようにとの命令なんです」

「……コレから教われと?」

「そうです」

 

 模範的事務対応は、実の姉でも例外はなかった。




第187話に出てきた艦娘が三日月です。
これで睦月、如月、弥生、卯月、菊月、三日月、望月が登場。やっと半分突破です。


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第203話 過酷な対価

 ガンビア・ベイ討滅戦まで残り──2日。

 僅か2日で赤城は、卯月を成長させる予定だった。

 というか2日以上あってもそうするつもりだった。2日より多く坏土大将と離れるのは許し難かった。

 

 こいつ長期作戦とかどうすんだろ? 

 そんなのを考える余裕があったのはだいぶ前。

 

 赤城の訓練は──命の危険を伴うものだった。

 

「あぐ……ぅ」

「次行きますね構えましたね行きます」

 

 ──これが訓練なのか? 

 偶々通りがかった満潮は、その光景に言葉を失った。

 事前に聞いていなければ、虐殺と勘違いして、止めに入っていただろう。

 

 目の前のはそういう光景。

 

 卯月の片目は潰れていた。

 喉は半分抉り取られ呼吸ができない。左手は切り落とされ、右足は踵から入念に砕かれた。

 

「回避してください」

「あ、あぁぁぁっ!」

「遅い」

 

 赤城の刀が、卯月を袈裟懸けに切り裂いた。

 夥しい量の鮮血が飛び散り、演習海域を真っ赤に染める。

 一目で分かった。心臓まで切られている。致命傷だ。

 

 確かに死にはしない。

 入渠さえ間に合えば、艦娘は回復できる。

 

 しかし、対処を間違えば即死する。

 赤城はそういった、本気の技──演習では使ってはいけない技ばかりを繰り出していた。

 

「……どうして、こんな演習を」

 

 必要性が分からない。

 本気の訓練ならば、多少の危険は不可欠だ。本当の戦場で死なない為に。

 だが、ここまでする必要性が感じられない。

 この訓練は何の為? 

 何の意味がある? 

 

「次行きます。反撃は……そろそろして欲しいものですけど」

「ぉおぉ……ぉぉおッ!」

「威勢だけですね」

 

 喉を潰されて、叫び声しか出せない。

 その攻撃は簡単にいなされ、カウンターでまた致命傷が増える。無事だった目が両断された。

 

 激痛にのたうち回る──赤城は追撃を止めない。

 

 恐ろしいことに、このやり取りは艤装未装備で行われている。

 お互いに生身。それでこの惨状。

 艤装の生命維持が働いていない今、卯月の生命は本気で脅かされている。

 

 満潮は今日、秋月や加古に謹慎命令が出ているのを理解した。

 こんなのを見たら、あの二人は間違いなく暴走する。

 

 分からない……けど、こんな暴挙、何の理由もなくする筈がない。

 やはり何か意味があるのだ。目的があるのだ。

 満潮は、そう無理やり納得する。

 

 ガンビア・ベイ討滅戦まであと2日。卯月に構っていられる程、満潮にも猶予は残っていない。

 

「よそ見してる所悪いけど、訓練続行していいクマ?」

「よそ見なんてしてないわ。気にせず続けなさいよ」

「今のでよく言えるクマ……」

 

 球磨は何を言っているのだろうか? 

 私は卯月を何となく見てただけ。よそ見には該当しない。満潮は嘘呼ばわりされて不満だった。

 

「まあいいクマ。けど珍しいクマ。満潮が訓練に付き合って欲しいなんて言い出すなんて。明日は雨クマ?」

「一々煩いわね。こっちだって偶にはやるわよ」

「そっかクマ。じゃ、再開クマ」

 

 以前の戦い──満潮も思う所はあった。

 戦術的にどうこうなる戦いではなかったかもしれない。しかしそれでも無力感に打ちのめされた。

 赤城がいなければ、何者かが手を貸してくれなければ(白い鎖)、卯月を助ける事は決してできなかった。

 

 それは、満潮にとって恐るべき現実だった。

 あってはならない、と言ってもいい。

 しかし過去は変えられない。せめて、二度と……否、三度と同じ過ちは繰り返してはならない。

 

 普段は自主練ばかりしているが、それでは限界を越えられない。

 だから屈辱を呑み、球磨に訓練をつけて貰うことにした。

 教えを乞う事自体、嫌悪しているが──まだ耐えれる。仕方ないと納得できる。

 

 満潮は過酷な訓練に追従する。

 卯月とは違い口は堅いので、文句を飛ばす事もない。

 アレよりやり易いかな? 

 付き合っていて球磨は思う。けど逆にデッドラインを越えているかも識別も難しい。

 

「──うん、いったん此処までにするクマ。休憩」

「もっとよ、こんなんで訓練終了なんて、認められないわ」

「いや休憩クマ」

「卯月のアホがあんなにやってるのに、私が休憩だなんて!」

「あれだけやりたいのかクマ」

 

 あっちを見る。

 

「あ」

 

 赤城が顔面蒼白で呟く。

 卯月の上半身と下半身がさよならしていた。

 

「…………休憩するわ」

「マジであれは何の訓練クマ」

 

 猛スピードでドッグへ担ぎこまれる卯月。とりあえず赤城は教官に向いていないのは分かった。

 

 しかし満潮は何故なのか。

 あれほどの訓練を……羨ましく見つめているのか。

 球磨には分からない。

 それに、絶対やれない。やりたくない。

 

 自分には不可能な訓練だ。

 球磨はそう自覚していた。

 

 

 *

 

 

 赤城の訓練は地獄であった。

 しかも球磨や那珂と違い、まともな説明が無かった。

 意図してなのか、単なる嫌がらせなのか、卯月には皆目見当もつかない。

 

 死なないよう頑張るのが精一杯、疑念を抱く余力さえ削られる。

 何にせよ、訓練が終わったら二度と会うまい……卯月はスライム状に崩れた身体で、そう心の底から誓う。

 

「北上さん。私は彼女をどうすればよいのでしょうか」

「プレス機で圧縮すれば戻ると思うからやってみよー」

「戻りました。ハイ」

 

 これ以上痛めつけられる言われはない。卯月は固形状に戻る。

 

「液体から固体への急激な変容、やはり獣の権能は少なからず卯月さんに残って──」

「ないと思うよ?」

「ですか」

 

 赤城の訓練は一旦中断。

 卯月は平須磨僧正と北上に呼ばれ、工廠に来ていた。

 理由は勿論、艤装だ。

 前からやっていた、D-ABYSS(ディー・アビス)の調整が終わったのだ。

 

 システムの作動効率が跳ね上がっていた。

 しかし、もう彼女の肉体が耐えられなくなっていた。

 作動すれば、身体が自壊するようになっていた。

 これを解決する為の調整である。

 

 卯月は思う。

 この短期間で終えるとは、これが元関係者の力なのか。

 

 どう変わったか、についての心配は殆どない。

 彼の人となりの良さは、数日の付き合いでも分かってる。

 余程酷いことにはなっていない。そこについては安心できる。赤城とは違って。

 

「まあ、知っての通り艤装の調整は終わったよー」

「システムを作動させても、うーちゃんは自壊しなくなったってことで、信じて良いぴょん?」

「大丈夫です。しかしどういう調整が行われたか不安だとは思います。万全を期して、私達もここで付き合いますし、直ぐ入渠ドッグへ移動行く準備もできています。極力リラックスした状態で実験に臨んでください」

 

 卯月は天使を見た。

 ここまで素晴らしい人間が居ただろうか? 

 否、いない。

 いるのはクソ同居人、狂人同性愛者、娘(非公認)。残るも概ねロクデナシ。

 

 自然と片膝をつき、首を垂れながら手を合わせる。

 それは、神に対する祈りのポーズだ。

 

「おぉ……平須磨天使様」

 

 卯月は救いを見た。彼こそが前科戦線唯一の癒し(常識人)なのだ。

 

「この愚かなうーちゃんの罪をお許しください……ボウズのフリをした胡散臭いマッドサイエンティストと思っていてごめんなさい」

「天使って、私仏門の方なんですが……って、卯月さん私の事そう思ってたんですか。いや技研が胡散臭いのは認めますが。ああ気にしなくて良いですよ、私はすべきこと、果たすべき責任を果たしてるだけです。あのシステムに関わった人間として」

 

 やっぱり天使じゃないか。

 卯月は平須磨僧正の背中に後光を見た。

 だが忘れてはいけない。

 今の彼女は、ぶっちゃけ『陰』側だ。

 

「ア゛ーッ!」

 

 太陽を浴びた吸血鬼……と言うより、夏のアスファルトに取り残されたミミズめいて干乾びていく卯月。

 

「何故ですか卯月さん! どうして、こんな死に方を!」

「良い人に……会えて……本当に……」

「卯月さーん!」

「ねぇ実験初めていい?」

 

 若干苛立ってきた北上であった。

 

 

 

 

 カピカピになった卯月に水をぶっかけ蘇生。

 調整が完了した艤装を装着し、工廠前の海上に立つ。

 彼女の傍らには、心配そうに見つめる『加古』がいる。

 システムの作動には、深海のエネルギーが必要。その供給要員である。

 

「ウー……」

「心配ご無用だぴょん。まあ、のたうち回るかもしれないけど、死にゃしないっぴょん」

「…………」

 

 仮面のディスプレイに(´・ω・`)と表示される。

 卯月はちょいちょいと、加古を呼びせ、彼女の両手を握る。

 体勢的にそうなってしまうのだが、卯月は上目遣いで、加古を見つめた。

 

「大丈夫。うーちゃんは加古を残して勝手に死なないぴょん。助けたんだからね、責任は取る。リラックスして、負担に備えてぴょん。その方がうーちゃんも安心だぴょん」

「……!」

 

 加古は激しく頷く。手を握って、体温を感じさせれば、本能的に安心するだろう。卯月はそう思う行動した。

 

「……ああいうところでは?」

「ああいうところだよ」

 

 そこの二人はシャラップだ。

 

「ええぃさっさと実験を始めるぴょん!」

「誤魔化したのかなー」

「誤魔化したんでしょうね」

「オイ」

 

 仲良いなあの二人。なんて言ってる暇はなかった。

 そうしてやっと実験開始。

 卯月は艤装を装備。そこには幾つかの計器が繋がれ、色々な数値を図れる状態に。エネルギー供給源である加古の精神も、先程ので安定している。

 

「では、お願いします」

 

 その声を合図に、卯月は目を閉じた。

 D-ABYSS(ディー・アビス)の作動領域まで、殺意を高める。

 

「?」

 

 ──それが、ほぼ一瞬で終わった。

 今までは、沸々とマグマが吹き上がるような感覚だったのが、変容していた。

 予め撒かれた油が、一気に燃え広がるような、奇妙な感覚。

 

 まさか訓練の成果が出たと言うのか? 

 卯月の疑問に答える者はいない。

 過程が何であれば、D-ABYSS(ディー・アビス)が作動する。

 

 激痛が来た。

 

「あぐぅぅぅぅッ!?」

 

 卯月は思った。『なんでだよ』と。

 前作動させた時と同じ、骨の中から引き裂かれるような、想像を絶する痛みが、肌の下をのたうち回る。

 とても立っていられず、膝からその場に崩れ落ちる。

 

「があああああッ!?」

 

 分からない。痛みで何も分からない。

 近くに加古が来ているようだが、それも感じ取れない。耳の底を針金で抉られているようで、頭が砕けそうだ。

 

 調整は失敗だったのだ。平須磨僧正め。よもや私を騙していたのか。

 本気の憎悪と殺意を、彼に向けようと、卯月は動き出す──その時、痛みは唐突に終わった。

 合切が消えた。

 

「……ぴょん?」

 

 ポカンと、卯月はフリーズする。

 

「成功、と言って良いのでしょうか」

「一応は成功でしょ。自壊もしてないし……別の問題が出てきたみたいだけど」

 

 卯月は自分の状態を確認する。

 身体中に力が満ちた感覚。システムは作動している。

 海面に映る瞳は、通常以上に、深紅に輝いている。

 

 だが全身には、裂け目が無数に開いていた。

 傷口も煌々と深紅に光ってる。

 

 けど、身体がダメージを負っている様子は感じられなかった。

 以前作動した時のように、身体が崩れる気配はない。

 ただ痛かっただけ。

 

「一体、何がどうなってんだぴょん」

「改修した点は──大まかに分けて、二つです」

 

 平須磨僧正が簡単な説明を始める。

 既に北上との間では、一体何が起きたのか、推測を終わらせていた。

 

「一つは予め説明した通り、身体強化能力の抑制。一定以上卯月さんの肉体が強化されないようにし、自壊のリスクを止めました」

 

 それは見ての通り成功した。

 卯月の身体は崩壊せず、安定している。

 

「もう一つは……えーっと、ちょっと言い難いんですが」

「快楽の除外だよー、勿論、何となくえっちい方のねー」

「ちょ、北上さん」

 

 北上の発言に、卯月は口を真っ直ぐにして硬直した。

 

「どういう?」

「その痛みが本来の反応ってことだよ。そりゃ相反するエネルギーを無理やり取り込んでんだから、拒絶反応が出るに決まってんじゃん」

 

 なら今まで作動時に流れてきた快楽は一体? 

 

「本当ならシステムには『激痛』が伴う。場合によっちゃショック死も想定される。それを防止しつつ──抵抗なく深海に染め上げる為だろうね。『快楽』を注ぎ込む所も、機能の一環だった」

「それを、外したってことかっぴょん?」

「そういうことー」

 

 今更なのだが──黒幕の性根の悪さに吐き気がする。

 そんな方法まで取って、艦娘を弄びたいのか。ショック死されたら困るのは分かるが──これでは麻薬と同じ。

 本来身体を壊すものなのに、快楽で染め上げ、かえって依存させる。

 全く同じだと、卯月は『殺意』を滾らせる。

 

「『快楽』があればショック死の危険は減らせる。だけど別の危険性が残る。深海のエネルギーにそのまま呑まれる危険性だ」

「暴走、いや、完全に洗脳されるって事かぴょん」

「そういうこと。卯月は凄い『殺意』によって、洗脳を抑えてるけど……まあ、その危険性は減らした方がいいし、それに」

「それに?」

「快楽流し込まれるより、こっちの方がマシでしょ?」

 

 北上の言う通り。無理やりキモチヨクされるより、死にそうな痛みの方がまだ良い。

 

「快楽は全面カット。但し今のように、作動の度に尋常ではない激痛に襲われます。少し経てば身体が()()()ので、痛みは無くなりますが……」

「大丈夫だぴょん。むしろ嬉しいぴょん!」

「そうですか、それは良かったです」

「……ただ、ちょっといい?」

「何か異変が?」

 

 と言われた卯月は、困惑した様子で首を傾げる。

 卯月自身にも、これが何なのか捉え損ねているのだ。

 

「……ねぇ、そこに加古いるじゃん」

「いるけど、どしたの」

「二人は……加古の艤装の、機関部の音って聞こえる?」

「は?」

「他に心音とか、呼吸音とか、肺の音とか聞こえる?」

 

 平須磨僧正と北上は顔を見合わせる。

 当然、聞こえていない。

 ならば異変が起きているのは、卯月自身に他ならない。

 

「まさか……身体強化を切った分が?」

 

 相手は未知を地で行くシステム。

 改修がどう影響するのか。それさえ把握困難な装置だと、忘れてはならないのだ。



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第204話 新能力(要勉強)

 工廠の一角で、平須磨僧正と北上が慌ただしく動き回る。

 艤装にはデータ取りの為のコードが多く繋がれている。卯月はその状態のまま、加古と並んでちょこんと椅子に座っていた。

 

「まだかなー、ぶっちゃけこうなると暇だぴょん」

「──―」

 

 同意する顔文字がモニターに表示される。

 今の卯月は、目が煌々と光り、赤い亀裂が全身に発生している状態。つまりシステムが発動状態。

 その状態のまま、現在のステータスを調査していた。

 

「…………」

「ん、キツいなら、こっちに寄りかかってて大丈夫ぴょん」

「アウ」

 

 D-ABYSS(ディー・アビス)作動中ということで、加古のエネルギーはずっと吸収されている。

 彼女の負担もそれなりに大きい。こっちの都合で負担をかけている。気遣いは当然だ。

 

 という事で、加古は卯月の膝に頭を置いた。

 

「え、そうなるぴょん?」

 

 膝枕の姿勢である。

 

「まあ……いいけど……」

「うわぁ見てよ僧正さん。卯月またあんなことして……」

「あれがハーレムのボスの風格ですか」

 

 じゃかあしい、と睨みを利かせる。

 二人は『何も見てません』と言いたげな勢いで作業を再開。この上ない白々しさに、卯月は深く溜息を吐く。

 

 それもこれも、D-ABYSS(ディー・アビス)に未知の挙動が確認されたのが原因だ。

 加古の頭を撫でながら、卯月はもう一発溜息を吐いた。

 

「また面倒なことになってなきゃ良いけど……」

「──?」

「む、何でもないぴょん。独り言」

 

 平須磨僧正主導の改修のお陰で、作動しても自壊は無くなった。ついでに鬱陶しかった『快楽』も無くなった。代償に拒絶反応として『激痛』が顕れたが、必要な対価だと受け入れる。

 むしろ、あれだけのパワーアップをするのだから、当然のデメリットと考えるべきだ。

 

 だが、『音』が聞こえるようになった。

 

 卯月の聴覚は、元々鋭敏だった。

 しかし今回、より一層──異常と呼んで差支えがない程、彼女の聴覚は敏感になっていた。

 

 特にエネルギーの吸収源になってる加古が凄い。

 彼女の心音から、艤装の作動音、肺の収縮──本当に一挙手一投足に係る音全てが識別できるのだ。

 

 尚、北上と平須磨僧正への聞こえ方は、普段と余り変わっていない。

 それ故に、自分の身に何が起きたのか、いまいち分かり難かった。

 尤も、それを調べる為に時間。

 二人の尽力により、調査時間は短く済んだ。

 

 声を掛けられ、姿勢を正す。

 

「エネルギーが……()()()()へ向かっていました」

「身体以外」

「そうです」

「成程、じゃ、何処に行ったんだぴょん」

「……脳?」

 

 今ぶっちぎりで不味そうな単語が聞こえたのだが? 

 

「私が行ったのは、D-ABYSS(ディー・アビス)のエネルギーが、身体へ向かわないようにする処置でした。そうすることで卯月さんの自壊を防ぐ為でした。なので『出力』は下げていません……いえ、下げられませんでした」

「下げられない?」

「イレギュラーを起こし過ぎたせいだろうね。壊れたのか、意図してそういう機能なのか──人為的に出力調整ができなくなってる」

 

 まず自分の意思で作動できるのがイレギュラー。

 作動しても、深海の意思に染まらないのもイレギュラー、『獣』へ変貌した挙句、戻ってきたのもイレギュラー。

 

「そういう訳で出力は弄れなかった。けど身体に流れないようにすれば、余ったエネルギーは排出される……って、僧正さんは見込んでた訳」

「ええ、開発時の実験がそうでした」

 

 過剰なエネルギーを入れればより強化──とはならなかった。

 スポンジに水が無限に入らないのと同じ理由。吸収しきれなかったエネルギーは漏れ出て無駄になる。

 身体に行かなければ、同じ事が起こせる。

 平須磨僧正はそう考え、改修を実行した──のだが。

 

「余剰エネルギーの内、何割かが体外へ行かなかった……残りは『脳』へ行ったようです」

 

 無言だった。

 卯月はフリーズする他なかった。

 どう考えたって()()()と察せられた。

 

「どう、なるんだぴょん、うーちゃんは」

「脳味噌が爆発するとか、そういう心配はないよー。言った通り身体強化機能は抑制してある。脳の回転率が速くなるとか、そういうのは無い。ただ、これはきっと……副次的な効果に違いない。エネルギーを媒介として、別のものが流れてる」

「別の?」

「……聞こえたでしょ?」

 

 眉を潜めながら、隣の加古をじっと見つめる。

 

「音、ってこと?」

 

 こうしている間にも、加古から色々な音が聞こえてくる。

 心音、肺の音、呼吸音──それ以外の全然分からない雑音も。

 聴覚が鋭い、では済まされないレベルで、精密に響いてくる。

 

「ええ、ただしあらゆる音ではない。恐らくはエネルギー、深海のエネルギーがある箇所の音。典型例で言えば……艤装の音でしょう」

「え、でも加古は心音とかも……」

「深海棲艦は全身艤装です」

「へ?」

「僧正さんダメだよ、この子勉強ロクにしてないから」

「ああ……」

「止めて。その視線はうーちゃんに効く」

 

 艤装と人間が分離しているのが艦娘。

 対して深海棲艦は、艤装と人間が融合している存在と言える。

 生体サイボーグが近い。

 艤装部位の音が拾える。深海棲艦は全身艤装。だから身体の音も聞こえる。

 

「……なら、仮にD-ABYSS(ディー・アビス)搭載艦と相対したら?」

「全身の音が聞こえる筈です。身体中にエネルギーが回っていますから。腕を曲げる音から、力を入れる音まで……聞こえる筈です」

 

 卯月は息を呑んだ。

 

「つまり、うーちゃんは未来予知を手に入れた……!?」

 

 相手の艤装の音、身体の音、それが分かるなら──先読みができる。

 身体強化は失った。

 けど代わりに、もっとカッコイイ能力を手に入れた。

 

「まあ、そういう事は可能だと、思いますが……」

「パワーゴリ押しの時代ではない! 時代は、テクニック系主人公を求めてる。うーちゃんはこのムーブに乗るのだぴょーん!」

「―! ―!」

 

 加古はよく分からないまま嬉し気に拍手する。

 有頂天になっている彼女だが、周りの視線は冷徹だった。

 

「卯月さあ、でも、どの音がそういう音かって、分かんの?」

「……あっ」

 

 音は存在する。

 艤装が動く時、身体が動く時、音は確かに発生する。

 だがどの音が何を意味しているのかは、『知識』として知っていなければならない。

 

 砲塔が旋回するとすれば、速度、回転する角度、主砲か副砲か機銃か──で全てが変わる。それを予め知っていなければ、卯月の言う未来予知はできない。

 

 ついでに付け加えると、戦場にいる敵は一体ではない。

 多ければ『音』も激増する。

 それらを敵ごとに振り分けた上で、分析をしなくてはならない。未来予知にはそれも必要となる。

 

「えっと……じゃあ、どうすれば?」

「どうすればって、艤装の音について知識を蓄えるなら……」

「艤装について知るしかないでしょ。良かったね卯月ー、大嫌いな勉強をしなきゃいけない理由が遂に生まれた訳だー」

 

 瞬間、卯月は膝から崩れ落ちた。

 顔のパーツは崩壊し、出来損ないのキュビスムが爆誕する。

 手に入れた希望(チート)は、その実真面目に学ばなければ意味がなかった。卯月の精神はその乱降下に耐えられなかったのだ。

 

「べべべ、勉kyoおおおお? GAGAGAGAGA!?」

「あ、壊れた」

「そんなに勉強が嫌なんですか。この子は……」

「勉強ってか、コツコツ積み上げる事自体が嫌いみたい。基本的に訓練とかもひたすらに面倒がってるし」

「本当に復讐望んでるんですよね?」

 

 しかし、これはある種仕方のない事だ。

 何故なら、卯月は虚無の果てを見てしまった。

 何を積み上げても、最後には消えて、何の意味も無くなると知ってしまった。

 本能でそれを分かったから、余計に積み上げる事に意欲が湧いてこないのだ。

 

 ──と、心の中で復唱。

 即ちこれは『獣』の後遺症であって決して私の落ち度ではない。別に努力が嫌いとかそういう訳ではなくて。

 

「どっちにしても次の戦いには間に合わないけどねー」

「ギャンッ!」

 

 北上の一撃により、卯月は絶命した。

 

「これ大丈夫なんですか」

「ほっとけば蘇生するから平気平気」

「そ、そうですか……」

 

 事あるごとにオーバーリアクションを取るのが卯月だ。一々真に受けていたら身体が持たない。北上達はとっくに慣れていた。

 

 ただ、ここに倒れたままは邪魔。

 軽い介抱も兼ねて、僧正は卯月を近くの椅子へ座らせる。

 その隣へ加古が座る。

 彼女は純粋に卯月を心配していた。

 

「ぴょん……うーちゃんの救い加古だけだぴょん」

「ママ?」

「がふっ」

「あらトドメ」

 

 純粋故に残酷だった。

 

「……ねぇ、僧正さん」

「どうしました」

「本人が気絶してるから、確認しときたいんだけどさー」

 

 おちゃらけた雰囲気は鳴りを潜め、北上は昔の気配を纏う。

 何度も修羅場をくぐってきた、戦士の気配だ。

 

「これが普通なの?」

 

 彼は即座に首を横に振る。

 

 平須磨僧正は言った。余剰エネルギーが『脳』に集中したと。

 それは起こり得る現象だ。

 但し起きた瞬間、普通は死ぬ。

 

「音も情報です。ましてやそれが脳内に直接送られている。エネルギーは聴覚野に集中しているのは、北上さんも見た筈です」

「そうね、正直ドン引きだった」

「エネルギーが鼓膜か、または電気信号の代替なのか、もしくは骨振動に近いのか……原理は分かりませんが……すみません話が逸れました」

 

 原理がどれであれ、結果は同じ。

 

「情報を処理しきれず脳が焼き切れる。まるでパソコンがオーバーロードするように。それが普通の反応です」

 

 しかし結果は見ての通り。卯月は平然としている。

 

「──今はまだ、余剰エネルギーの何割かが脳へ流れている状態。もし余剰分全てが脳へ流れたら、どうなるんだろうね?」

 

 どうなるか、分かってる部分はある。

 より精密に、より広範囲に『音』を拾えるようになる。

 より強力な未来予知が可能になる──かもしれない。

 

 だがその時、卯月が無事である保証がない。

 

 未来予知の可能性。それを卯月に与えていいのか。その判断をこの場で下すのは困難だった。

 

 

 *

 

 

 身体強化は頭打ち。しかし代わりに未来予知を獲得──は見送りとなった。

 音を聞いても、何が何の音か即断できないので、見送るしかなかった。

 エネルギーが一部脳に流れている事については、調べてもダメージ等が見られなかったので、一先ず問題ないと判断。

 

 強化改修、と言うより、若干弱化した感じに留まった。

 それでも卯月は上機嫌だった。

 今までずーっと、密かに煩わしく思っていた、作動時の快楽が除去されたからだ。

 

「あがががが!?」

 

 作動時、本来受けるべき激痛に晒されるとしても。

 

「何をボサッとしてるのですか。どうぞ殺して下さいと言ってる様なものじゃないですか。じゃあ殺しますねさようなら」

「ごげぇぇぇ!?」

 

 何であれ艤装の改修は完了。

 と、なれば、今度は艤装装備下での訓練に移行。

 何度も何度も、殺意の暴風に晒される訓練が、貫徹で続く。

 

「ガンビア・ベイを取り逃がす事態はあってはなりません。故に卯月さん、貴女を確実に仕上げなければなりません。取り逃がす不名誉を受けるぐらいなら、此処で殺してよいと、坏土司令官から許可は受けています」

「ファッ!? それは流石に嘘ぴょん!?」

「はい嘘です」

「おいゴラ」

「でも独断で殺しますので、結果的には嘘じゃない」

「誰か医者を! こやつの頭を診てくれぴょん!」

「え、私正常ですよ?」

 

 狂人の常套句であった。

 

 狂人は加減を知らず、艤装を装備してからも、何度も三途の川を渡りかけた。

 というか途中から赤城も艤装を装備したので、一層危険度が増した。

 

 刀だけでなく、弓矢も使用開始。

 直接叩き込むだけでなく、何と矢を艦載機に変異させる技まで使い、本気で殺しにかかってくる。

 

「……あれ、それって本来の使い方じゃ」

「あ、隙あり」

「ひぃっ!?」

 

 矢が頬を掠め回避──直後赤城の姿が消え、背後から刀が来る。

 ──おかしいだろ、やっぱコレ! 

 回数を重ね、異常な感覚が確信に近づいていく。

 

 赤城の必殺パターンは、かなりの割合が()()()

 まるで瞬間移動、何時の間にか死角に出現し、意識の空白目掛けて致死の一撃を振るってくる。

 

 最初は矢に意識を割かせ、その間に移動していると思ってたが、それでは説明できない挙動が何回もあった。

 まさか、そうなのか? 

 

 ──あり得ないと頭を振る。

 しかし、自分がかつて『獣』と成ったのを思い出す。

 艦娘は未だ未知の存在。

 既知で全てを語ろうとする方が誤りだ。

 

 なら、そういう前提で行くべきだ。

 赤城は瞬間移動ができる。

 疑似的じゃなく、本当にできる。

 

 一体どうやって? 

 原理はやはり分からないが──『音』は正直だ。

 脳に流れ込む方じゃない、冷静になって聞けば、明らかにおかしな『音』がする。

 

 矢が飛ぶ、矢を弾く、赤城の姿が掻き消える。

 

「そこ」

 

 卯月は()()()()()()()()

 

 そこにいたのは矢ではなく、砲弾を切り払った赤城が立っていた。

 卯月は数日間の訓練で、やっと初めて、赤城の致命打の阻止に成功したのだ。それを受けた彼女は軽く息を吐き、呟いた。

 

「合格です」

 

 卯月は漸く、死の暴風から解放されたのだった。

 

「ではその感覚をもうちょっと身につけましょう」

「え、ちょ、ま」

「さようなら」

 

 Uターンしてきた暴風に、卯月はまた吹っ飛んで行った。

 ぶっちゃけ赤城の鬱憤晴らしだった。

 職権乱用だった。

 卯月は赤城が心底嫌いになった。




艦隊新聞小話

卯月「ねー赤城さん。そーいや思ったんだけど」
赤城「何ですか大した様でないなら殺しますよ」
卯月「三日月って、そんな強いの?」
赤城「ヒィ!!?」
卯月「……睦月型だからスペック差は相当なのに、何がそんなに」
赤城「いえ……三日月さんは、強くはないです」
卯月「え?」
赤城「弱くはないですが、戦闘力では私が上です」
卯月「じゃ、ナンデだぴょん」
赤城「……うちの鎮守府の、筆頭事務官なんですよ、彼女」
卯月「あ(察し)」
赤城「事務関係の大ボスです。艦娘なんですが、そっちの方の才能があったようで、書類事務の元締めです。以前うっかり、必死で集めた節分の豆を私が食べた時……懲罰房から出た私の部屋が、未決済だったり、押印洩れだったり、期日が次の日の書類でいっぱぱぱPOPOPOP!!!!」
卯月「赤城が壊れた!」
赤城「ちなみにあだ名は総書記です」
卯月「不味いぴょん!合ってるけど!」
赤城「もしくは三日月(持ち手付き)です」
卯月「槌を加えろってか!?」
赤城「バレたら殺されます。秘密を共有する仲ですね。キャっ照れます」
卯月「誰か記憶を消してぴょんー!」


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第205話 被害者達

 ガンビア・ベイとの戦いまで──後一日となった。

 それでも卯月の訓練はギリギリまで続行。三週間昏睡した事での()()は大きい。

 

 とは言え、後一日で出来る事は多くない。

 最後の慣らしと、赤城に叩き込まれた『技術』の総ざらいがメイン。

 赤城の方も最低ラインに達したと判断したので、前程苛烈な訓練は課さなかった。

 

「休憩がこんなにも素晴らしく感じるなんて。赤城さんの訓練は誰にもできない素晴らしいものだぴょん」

「うふふ、そういう事言われると照れますねぇ」

「皮肉言ってんだよ」

 

 休憩なし。死亡・怪我の保証なし。食事の時間は──これはあったけど超短時間。

 何というブラック労働だろうか。

 これで遣り甲斐まで設定されてたらパーフェクト。

 

 次こんな目にあったら、絶対労働基準監督署に訴えてやる。卯月は心から決意する。

 まあやったとて勿論門前払いだ。

 そもそも雇用契約さえ無い。前科戦線はブラック故に前科戦線なのだ。

 

「飛鷹さんのご飯は美味しいですね。卯月さんに付き合わされたのはこの世の終わりでしたが、これについては中々。地獄に垂らされた蜘蛛の糸のよう。正に救済です」

「あー……それは確かに。飛鷹さんのご飯は美味しいぴょん。でもそう思うなら食事時間をもっと確保してくれぴょん」

「は? 教授される身で何を?」

 

 こいつは確実に人選ミスだ。

 坏土大将は良い人だが、人選においての才能はない。おのれこの恨み忘れてなるものか。

 と勝手な非難。

 大将はいい迷惑だ。

 

「──あ」

「む、どうしました。ひょっとしてお腹一杯ですか。ではそのご飯はこの赤城が頂戴しま」

「しませんッ!」

「そんな……」

 

 捨てられた子犬めいた顔、ウルウルする瞳。効果は抜群だ! 

 ……背中に山積みの弁当箱(空)が無ければ、だが。

 間違っても子犬ではない。

 子供だとしても蠅とか蛆の類であろう。卯月の目線は冷ややかだった。

 

「赤城という艦娘は大体腹ペコなんですよ……それは卯月さんも知ったじゃないですかぁ……」

「うるせー、そんな食べたきゃ、素潜りでマグロの一匹でも捕ってくるぴょん。それなら文句はないぴょん」

「その手がありましたか!」

「しまった。本当に食欲のバカだった!」

 

 流れるようなフォームで飛び込もうとする赤城を、火事場の馬鹿力で必死に止めた。

 何でこんな事で全力を出す羽目に? 

 卯月は一層赤城が嫌いになった。

 

 訓練は身になったし、『殺意』をよりものにできたから、そこは尊敬しているのだが、他で台無しだ。

 

「どうせなら戦艦水鬼様に教わりたかったぴょん……カッコ良いし、偶に優しくしてくれるだろうし、でもちゃんと厳しいだろうし」

「何だ私と同じじゃないですか」

「しばくよ?」

「事実を言っただけです。エヘン」

「一体何処から謎の自信が……もういいや疲れたぴょん」

 

 丁度弁当も食べ終わった。空の容器を端っこへ置き、埠頭へ寝っ転がる。

 

「……結局正体を掴み切れなかったんだけど」

「ん?」

「いや、分かってはいるんだけど、非現実的過ぎて確証が持てないというか……」

「何の話で?」

「あれは()()()()でいいのかぴょん?」

 

 訓練中何度も披露していた謎の高速移動。

 卯月は『矢』を媒介とした瞬間移動だと想像する。

 しかし、あり得るのか。

 原理は知っておきたい。今後同じ事ができる敵が出た時の為に。

 

「あれは……彼女曰く『重心移動』だそうです」

「じゅ、重心移動? それで瞬間移動ができるって言うのかぴょん。アホぬかすなぴょん」

「すみません。『重心移動』がどういう意味合いなのかは、彼女から聞いてないのです。彼女から教わった『技』ですが、生憎私は、完全にものにはできなかったので」

「あれで完全じゃない?」

 

 赤城は呆れ果てた顔付きだ。『彼女』はそんな顔をさせる程の奴なのだ。

 

「完全に使いこなせるのは、『武蔵』だけです」

「武蔵……?」

「ええ、有象無象の武蔵ではなく、『海上最強生物:武蔵』だけです」

 

 誰だよその武蔵。武蔵は全員武蔵じゃないのか。

 しかし冗談を言ってる様子はない。

 感じられるのは純粋な『畏怖』のみ。

 赤城にこう感じさせるとは、どんな艦娘なのだろうか。

 

「基礎原理の説明はできますが、今の卯月さんが会得すべき技術ではありません。あくまで知識として知っておく程度でお願いします」

 

 下手に習得しようとしたら、身体を壊しかねない。時間も無くなる。本来の才能を無駄なことに潰しかねない。

 赤城はそう念押しした上で説明を始める。

 

「まず矢は私です」

「???」

 

 卯月はもう挫折しそうだった。

 

「……あー、この『矢』、何だと思いますか?」

「……『艦載機』に変異できる『矢』だぴょん」

「それは()()?」

「な、何故?」

「あり得ないでしょう。艦載機に成るだなんて。けど成る。それは何故でしょう」

 

 卯月には分からない。

 陰陽? 式神? 多分そんなんじゃないかとは予想できるが、本当の原理は知らない。

 赤城は、その反応を見越している。

 

「つまりは概念です。矢でありながら、艦載機の概念が封入されている。逆説的に言えば概念は形に囚われない。(ガワ)を与えているのは、私達の主観なのです。ご存じの通り式神や、銃火器型の艦載機召喚方もある。(ガワ)が『矢』である必要性は無い。全てを決定しているのは──私達の認識です」

 

 もしかして私は、恐ろしい質問をしてしまったのでは? 

 頭部から蒸気を噴出させながら、卯月は後悔に打ち震える。

 

「で、あれば、艦載機に自在に皮を与えられるなら、同類の何にでも皮を与えられる。故に私はこうしました。『矢』は『私』であると。無茶苦茶だと思いますか? 私はそう思いません。『人型』に『軍艦』を封入できるのに、矢にはできない理由がない。『艦載機』を封入できるのだから、『軍艦』も封入できる」

 

 卯月はある過ちを自覚した。

 これはきっと、理屈で識別していいものではない。

 もっと根幹、もっと深淵。

 私達の存在証明に関わる原理を利用した、超技術だ。

 

「自己認識、その重心の変容、即ち『重心移動』……理解できましたか?」

「ウン、トッテモワカリヤスカッタピョン!」

「それは良かった! 私も正直、説明に自信がなかったので……いざとなれば理解できるまで説明を貫徹する予定でした」

 

 勿論理解は全然できていない。

 しかし、嘘を吐かなければ、確実に生命に関わる。

 もう二度とこれに関する質問はしまい。心に強く誓った。

 

「……と説明したんですが、まあ簡単ではなくてですね。そりゃそうですよね。ミスったら存在証明できなくなってこの世から霧散しますし」

「怖いなオイ」

「ええ、なので私では、矢に自分を封入するので精一杯。それも一瞬だけ。飛ばした矢に重心を移して、なんちゃってワープをするのが限界です」

「十分じゃ……」

 

 何だよワープって。恐いわ重心移動。

 ってかあれ、移動ですらなかったのかよ。マジでワープしてたのかよ。

 これを使い熟せる『海上最強生物 武蔵』とは一体。

 

「艦娘の外見してんのかな……」

「では私はお腹が空いたのでマグロを捕ってきます」

「あ」

 

 水泳選手のようなフォームで海へダイブする赤城。

 そして数分後、彼女は立派なマグロを矢でぶち抜いて見事帰還。

 マグロは晩御飯のおかずになった。

 美味しかったと卯月は語る。もう突っ込む気力もなかった。

 

 

 *

 

 

 それはある種のケジメ。

 こんな事態を招いてしまった者の一人としての責任。

 夕食が終わった後、卯月達は執務室へ呼ばれていた。

 

「……このメンツは」

 

 卯月と満潮、更に秋月。

 加えて最上と熊野。合計五名。

 

「……当事者と、付き添いって事ですわね」

「当事者って、ああ、システムを乗せてた当事者ってことかい?」

「最上さんの思う通りでしょうね」

 

 D-ABYSS(ディー・アビス)搭載艦──もとい被害者と付き添い。

 このメンバーで集められた。

 何の話がされるのかは明らかだ。

 そして、彼女達の向かいに平須磨僧正が座る。

 

「作戦直前に呼んでしまい申し訳ありません。しかしまだ生きている間に、説明責任を果たしたかったのです」

 

 執務室を選んだのは、地下施設同様、防諜設備が徹底しているからだ。

 高宮中佐に不知火もいる。

 話す内容が内容なので、責任者の同伴も必要だった。

 

「既に中佐には話してあります。皆様には初めて話します。これは私の贖罪です。あのシステムに関わってしまった人として……誠に申し訳ありません」

 

 平須磨僧正は深々と頭を下げた。

 握る手は震えている。

 不安か、悔いか、分からないが、彼の心音は不安定。

 分かる、これが罪悪感に震える音だ。

 

「話をお願いするぴょん」

 

 とりあえずは許す。暗にそう告げる。

 彼は良い人だ。自己保身の嘘を吐く可能性は低い。責める気は最初から無かった。

 

「では……」

 

 とお茶を一杯飲み、平須磨僧正は話し始める。

 

「関係者ではありますが、私は全てに関わっていた訳ではないことをご承知ください。私だけでなく殆どの人員がそうでした。自分に割り当てられた業務以上の事は教えられなかった。幾つかの情報は()で知ったものです」

 

 全てを知っている人は僅か。

 その内一人は──恐らく──

 

「計画主導者の政府官僚達、及び、開発主任であった『千夜千夜子博士』。全てを知るのはこの方々のみです」

「千夜博士……ですか」

「秋月さん、心当たりが?」

「いえ全く」

 

 当然の事である。敵に寝返る(洗脳解除)可能性がある者に、危険な情報を与える愚行は犯さない。

 

「その政府官僚とやらは誰なのですか?」

「私には……」

「調査中だ。流石に難航しているがな。だがある程度の絞り込みはできている。ある程度だが」

 

 執務をしていた高宮中佐が割って入った。

 

「ある程度、と言いますと」

「艦娘に対する考え方には『派閥』がある。システム開発に関わった連中は恐らく『艦娘擁護派』だ」

「よーご? よーごは何だっけ?」

 

 擁護とはかばいまもること。たすけまもること。という意味である。

 

「あれで!? 何処に!? 擁護要素が!?」

 

 艦娘を洗脳して深海棲艦化させる装置の何処に擁護要素があると言うのか。

 流石の卯月も突っ込まずにはいられなかった。

 

「卯月さん静粛に。平須磨僧正構わず説明を。朝まで掛かったら作戦に支障がでます」

「すみません不知火さん……話を再開します。これが艦娘擁護派主導という推測は、この装置の開発目的にあります。|D-ABYSS()()()()()()()は、後から聞いた所によれば、艦娘の強化を目的にしていたようです」

 

 艦娘の強化。

 僧正の言う事に矛盾はない。

 確かに強化はある。

 それもとびっきり強力なパワーアップ。今までの戦いを思い出せば分かる事だ。

 

「これは、あらゆる海域で、『特効』を得る為の装置でした」

「『特効』って……あの特効?」

「その特効です。これについては、特務隊である貴女方が最も詳しいと思います」

「最近その任務ないけどね。誰のせいかしら」

「……ぴょん」

 

 満潮の一言に、卯月はちょっと目線を逸らした。

 

 前科戦線──もとい特務隊の任務の一つは『特効』の特定。

 海域、敵の種類によって、特定の艦娘は『特効』を得る。

 その存在は作戦成功に大きく関わる。

 

 戦いは数と言うが、艦娘の場合数より質。それを跳ね上げられる『特効』は、戦略上非常に重要とされる。

 

「特務隊の方々は大丈夫でしょうけど、他の方は、特効の基礎原理は大丈夫ですか」

「えーっと、敵や海域。そこに生じる『縁』を利用して、海のエネルギーからのバックアップを受けてのパワーアップ……だったと思うけど。合ってるかい熊野?」

「その通りですわ」

「……秋月は初めて知りました」

「じゃあ今知ったって事だね。良かったね!」

「あ゛?」

 

 尚、秋月の最上に対する憎悪はまだ健在。同じ部屋にいるのもそれなりのリスクがある。卯月は溜息を吐いた。

 

「はい満潮、こっちへパス」

「めんどくさ」

「え……ひゃ、あああぁぁぁ」

 

 卯月は秋月を膝に乗せた。

 こうすれば暴走はしないと思ったからである。

 予想通り秋月は絶叫。

『ふぇへぇへぇ』と恍惚と腑抜けた。

 

「よし」

「秋月は嬉しそうだね。僕も嬉しくなるな」

「ええ、そうですわね最上さん」

「シリアスが持たない」

 

 満潮の愚痴は知らん。卯月は次の説明を僧正に求める。

 

「特効は強力です。それ故に発現は困難です。不確かな『縁』を媒介しなければ得られない。だからこう考えたのです……」

 

 一息吐いて、僧正は。

 

「あらゆる海域で、特効を得られないか」

 

 それが開発の始まりだった。

 

「『縁』の代わりに別のものを触媒にし、海のエネルギーを取り込めれば、この戦争に勝てる。しかし『縁』無しで、直で取り込むのは困難だった。『縁』は媒介だけでなく、『変換装置』も兼ねていたのです」

「変換装置?」

「海のエネルギーとは即ち深海のエネルギー。艦娘とは相反するパワー。そのままでは取り込めません。『縁』はこれを補正してくれていたのです。それを使わない以上、別の方法で補正するしかない。結果……誰が考案したか分かりませんが、()()()()()()()()になったのです」

 

 卯月には心当たりがあった。

 縁の代替となる、触媒となる概念。

 システム作動に必要なのは、何だっただろうか。

 その答えが、漸く明確に示された。

 

「『負念』です」

「…………」

「それも精神へのダメージを引き起こす程の、凄まじい負念。これを『種火』として、|D-ABYSS()()()()()()()は作動します」

 

 それは、姫級の原理。

 姫級は海域そのもの、海域のバックアップを受ける。海域のエネルギーが尽きない限り、何度も再生(ゲージ破壊)するのがその証明。

 システムは『種火』を用いて、それを一部再現したのだ。

 

「卯月さんが命を狙われる理由の一つが、此処にあります」




赤城さんの説明は聞き流しても大丈夫です。本編とは全く関係ないので。


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第206話 消された確証

 平須磨僧正が知っていた事実は以下の通り。

 D-ABYSS(ディー・アビス)は艦娘強化システムだったこと。

 特効をあらゆる海域で得る為だったこと。

 その為に、艦娘を深海棲艦側に()()()装置だったこと。

 このトリガーが、『負念』だったこと。

 

「負念……かぴょん」

 

 卯月は自分を見て、周りを見渡す。

 

「秋月さんは大量虐殺を強要されていた。最上さんは違法な近代化改修によって記憶を破壊された。それらは全て、この『負念』のトリガーを起こし易くする為だったのでしょう」

 

 各々(特に秋月)は、自分のトラウマを思い出す。

 背筋を針金で抉る様な激痛が走り、悲鳴を上げそうになる──が、察知した卯月が抱きしめ、『代替』して阻止する。

 

「──あ、お、お姉さま」

「む、大丈夫だぴょん。何か慣れたぴょん。ノープロブレム」

「す、すみません……」

 

 秋月は強がりだと思った。しかしそれを追求してたら話が進まない。罪悪感を覚えながらも彼女に甘える。

 

 が、肝心の卯月は、マジで慣れていた。

 快楽を消した、システム作動時の激痛を、繰り返し経験したせいか。人の倫理が死んでるせいか分からないが、そこまで苦と感じなかった。

 

「この点において、卯月さんが狙われる理由と、私が狙われた理由が浮上します」

「……そう、なの? 作動条件が分かった所で、黒幕へ繋がるとは思えないんだけど」

 

 満潮の反論に僧正は首を横に振る。

 

「秋月さんと最上さんが経験させられたことは、普通だと思いますか」

「思わないわよ何言ってんの」

「ええ、そうです。普通ではない。それは当然です。人の精神に亀裂を入れなければならないのですから。その為にこのような事をした」

 

 僧正は卯月を見る。

 

「では卯月さんは?」

 

 満潮は「あっ」と言わんばかりの表情で固まる。

 

「ぴょん?」

「卯月さんは如何なる経験をさせられ、精神に亀裂を入れられたのでしょうか?」

「そりゃ、水鬼様との戦いで、顔無しにうーちゃんの仲間が使われてたことにプッツンして」

「それは二回目の作動時。僧正が言ってるのは初めての時よ」

「じゃあ記憶にないです」

 

 これもシステムの利用法なのか分からないが、神鎮守府での初陣の記憶は皆無。あるのは泊地棲鬼に媚び諂いながら、鎮守府を破壊する自分の姿だけ。

 

「──っ」

 

 久々に思い出したせいか内臓が掻き回される。

 幻覚か何なのか、猛烈な吐き気に卯月は口を抑え込む。今吐くのはダメだ。秋月の後頭部に直撃してしまう。

 もう一回吐いたし、ぶっかけてるって?

 そういう問題ではない。

 

「ちょっと、大丈夫なのアンタ」

「……平、気。まだ……耐え、ら……れる」

「お姉さま……」

「僧正、話を続けて。その方がまだ気が紛れる筈だから」

「分かりました」

 

 背中を摩って貰いながら、耳だけは話へ集中させる。

 

「……少し思い出しただけでそうなる。卯月さんも例外なく、精神を壊されている。『初期型』の方なら尚更です」

「初期型?」

「あ、すみません。皆様が搭載しているD-ABYSS(ディー・アビス)ですが、少しづつバージョンアップされてました。敵方の方で改修しているのでしょう。その中で一番古い……原型に近いのが、卯月さんの『初号機』です」

 

 秋月のが二号機、最上のが三号機(仮称)。

 そっちが負念で作動するのに、初号機だけは別の作動条件。それは考え辛い。

 

「卯月さんが、システムを初めて作動させたのは、神鎮守府における初陣の時。これは間違いありません」

「ですわね」

「──普通、作動する筈がないのです」

「どういう事だい? 僕は分かんないけど」

「羅列すれば分かります」

 

 また息を整え僧正が口を開く。

 

「まず初陣です。当然卯月さんを護る為、サポートは万全です」

「うん。当たり前だね」

「出撃場所は鎮守府近海。初陣でそこ以外はないでしょう。実戦を経験できる海域としては一番安全ですから」

「出るのは、精々イ級止まりですわね」

「加えて鎮守府近海です。何かイレギュラーが発生しても、その辺りなら即時対応ができるエリアです」

「そう何ですね」

 

 案外単純な疑問なのだが、整理すると分かってくる。

 何より疑念止まりだったそれが、関係者の証言により、一気に確証へ迫る。そこが最大の成果。

 

「何故、精神が崩壊するんですか?」

 

 端的に言えば()()()()()事態が起きていた。

 

「万全の艦隊で、安全な海域で、想定外があっても対応できる場所で──この状況で何が起きれば、精神が壊れるような事態が起きるのですか?」

 

 ──可能性はゼロではない。

 この世に安全な海域はない。どこだって危険はある。

 しかし、それでも、おかしい。

 

「泊地棲鬼に半殺しにされた、とかは」

「そんなことしている間に、援軍がすっ飛んで来るわよ。普通なら。けど……」

「精神が壊れる程、か」

 

 壊れない。

 私は──昔の私であっても、それは考えにくい。

 死ぬ覚悟は(それなりだけど)できている。覚悟が出来ているのに、心が壊れるとは思えない。

 死にかけたのは精神崩壊の理由ではない。

 

「何が起きたのか」

 

 僧正の声を最後に、部屋が静寂に覆われた。

 安全な艦隊、安全な海域、援軍は直ぐ来る。

 その状況で何をすれば心を壊せる。

 ジェノサイドの強要、記憶の崩壊、それに匹敵する事を、どうすれば起こせる。

 誰にも分からない。

 

「だから黒幕は記憶を改竄した」

 

 ボールペンの動きは止まっていた。

 

「どう卯月の心を壊したのか。それは黒幕にとって致命的な情報なのだ。恐らく自分の正体に繋がる情報だ。平須磨僧正が来ればシステムの作動条件が明らかになる。作動条件が明らかになれば()()()()()()()

 

 それは同時に、もう一つ手掛かりを残す。

 

「黒幕は『憶病』だ。それも尋常ならざる次元で」

 

 記憶は消す、自分は徹底して表に出てこない。手掛かりを消す為街ごと消そうとする。

 間違いなく憶病。

 それも超病的かつ危険極まりない次元。

 

「故に、今回の作戦の目途が立った」

「え、何か関係あんの?」

「それは言えない。作戦当日に知らせる。内通者は未だに警戒せざるを得ない」

 

 得られたのは黒幕の情報。いるとされる内通者の情報は未だ皆無だ。

 

「──以上が全て。私の知る事です」

「あの、ちょっと、幾つか聞きたいぴょん」

「どうされました卯月さん?」

D-ABYSS(ディー・アビス)は強化システムだって言ってたけど、あれもそうなのかぴょん?」

「アレ」

「獣だぴょん」

 

 特効を模した強化システム。それは理解した。

 だが獣に成るのはまるで理解できない。

 自分の事だけど、何をどうすればあんなキング・オブ・モンスターになるのか理解不能。まさかあれが艦娘究極の姿とでも言うのか。

 

「…………さぁ?」

「さぁ、って分かんないのかぴょん!?」

「はい。幾ら深海のエネルギーが流れ込んだと言え、ああなるとは全くの想定外でした。私が、という話に過ぎませんが」

「私が?」

「開発主任にとっては、既知だったのかもしれません」

「……死んだっていう、千夜博士ですわね」

「言った通り、私は私の知る所までしか知りませんので」

「……本当に?」

 

 平須磨僧正は口を閉じる。

 卯月は()()を言いかけたと察知していた。

 しかし彼はもう話さない。

 予め、それ以降は言わなくていいと、中佐の間で口裏を合わせていた。

 

 ──海を支配すること。

 

 それは言わなくていいと。

 

「……まあ、いいぴょん。でもう一つだけ質問だぴょん」

「はい、言える内容であれば」

「何で結局開発中止になったんだぴょん?」

 

 洗脳されるという致命的過ぎるデメリットはあれど、強化システムとして成功はしてる。欠陥は改善するもの。開発計画を凍結させる理由が浮かばなかった。

 

 どれ程、闇が深い理由なのか。

 

 

「予算切れです」

 

 闇よりも惨たらしいのは現実であった。

 

「よさん」

「はい、予算切れです。欠陥を改善する前に……その予算が切れまして。一機あたりの開発費用もシャレにならず、凍結となりました」

「待ちなさいよ。予算切れって。どんだけ金を喰うのよ」

 

 このシステム開発計画、それなりの予算が投じられている。

 政府官僚も絡んでいるのだ、余程の事が無ければ計画凍結にはならない。一体どんなバカげた費用がかかるのか?

 

「大和型改二改修費用四隻分です」

 

 国家財政破綻レベルであった。

 バカ通り越して、新しいタイプのテロであった。

 

「不知火」

「はい」

「それって、幾らだぴょん」

「弾薬だけですが39600です」

 

 尚これに他諸々も必要である。

 

「……うん、中止一択」

「でしょう?」

 

 如何なる陰謀にもお金はかかる。

 深海棲艦と違って倒す事もできない。

 何て世知辛いのか。

 卯月は天井を仰いだ。

 

 

 *

 

 

 平須磨僧正の、ケジメという名の説明を聞き終えた卯月達。

 独房(部屋)に戻った彼女達は、明日の作戦に備え、早めに就寝の準備に入る。

 しかし寝れる雰囲気ではない。

 

 卯月と秋月のせいである。

 

「「ハァァァァ……」」

 

 僧正の説明は必要なものだった。

 アレを聞かないという選択肢はない。

 その結果、トラウマを穿り返されると分かっていても。

 

 幸い一度起こしかけたからか『発作』には至っていないが、凄まじく気が重い。ナイーブな気持ちに歯止めが掛からない。

 

「お通夜みたいね……」

『?』

「そう言うけど、お通夜の経験なんてあんのかぴょん」

「あるわよ」

「……ごめん」

「別に。長く艦娘やってれば、死に別れの一つや二つ」

 

 嘘ではない。モラルに欠ける発言だった。

 ただ死に別れはどうでもいい。

 満潮の言う通りだ。

 ここは戦場、やってるのは戦争、全くの死人無しなんてあり得ないし──あっていいとは思えない。

 口に出したりなんてしないが。

 

「むー、嫌な気分だぴょん……うーちゃんにこういう感覚が残ってた事に驚きだけど、嫌な気分は嫌なもんだぴょん……」

「……すみません、秋月までこのような状態で。そのせいで余計に悪い空気に」

「気にすんなっぴょん。正常な反応ぴょん」

「ありがとうございます……」

 

 と言うが秋月の暗い気配は払拭されない。

 卯月は問題ない。

 いざとなれば、『殺意』で迷いも何も封殺可能。

 だが秋月にそれはできない。

 

「…………」

 

 あくまで卯月の推測だが、明日の任務、秋月も駆り出される可能性がある。

 客観的にみて秋月のリハビリは完了している。

 D-ABYSS(ディー・アビス)なしでも十分戦えるよう成長した。

 出さない理由の方がないのだ。

 精神に配慮とかはあり得るが、前科戦線でそこまでの気遣いは期待できない。

 

 他人事ではない。

 戦力が増えれば、ガンビア・ベイ撃破の可能性は上がる。

 

 否、上げなければならない。

 かつての報復心は、未だに心の底で燻っている。

 

 だから、この状況は良くない。

 秋月がこのメンタルだと、明日の作戦に響くかもしれない。

 

「しなきゃダメかなぁ……」

「ん、何ブツブツ言ってんの」

「いや……」

 

 何か、ノリというか、雰囲気的に、わたしの仕事な気がする。

 秋月がこうなった根本的な原因は、卯月の迂闊なアクションである。

 責任は果たさなければならない。

 

「秋月、ちょっと」

「……どうかされましたか?」

「良いから、こっち」

「はい? 良いですが」

「よいしょ」

「は──……? へっ!?」

 

 秋月は卯月の膝を枕にしていた。

 膝枕である。

 敬愛するお姉さま直々の膝枕。

 え? 本当に今膝枕? あお姉さまの匂いがこんな近く──

 

「鼻血を出す前に言っておくけど」

 

 ギャグオチに転がる前にと。

 卯月はふわり、と秋月の頭を撫でた。

 

「ムリはしないで欲しいぴょん」

「……ムリだなんて、そんなことは」

「このうーちゃん嘘は嫌いだぴょん。自分のやったことを自覚して、無理やり立ち直って、機を紛らわそうと、何かに打ち込んでる。ガンビア・ベイの戦いが近いって知って、そう過ごしたんでしょ」

 

 何故分かったのだろうか。卯月は自分のリハビリで精一杯。こちらに気を向ける暇なんて無かった筈。秋月は不思議に思う。

 

「それは別に悪いことじゃないし、そういう気持ちは理解できるぴょん。そんな感じだった時期はあるし……だけど自分を無視しない方が良いと思う。向き合うのは苦しいし、吐きそうになるし、自分が嫌で仕方なくなるけど……()()()()()のが大切なんだぴょん」

 

 今の卯月にそれは無い。

 ゼロとまで言わないが、限りなく皆無。

 情緒の殆どが欠落している。それが今の卯月。

 彼女からしてみれば、秋月の動揺はむしろ羨ましいもの。それを敢えて無視しようと言うのは、返って良くない。

 

「でも一人で向き合うのは辛いから、吐き出せる内に吐いちゃうぴょん」

「……ですが、お姉さまも、辛いのに」

「普段あんなおねーさま言ってんのに、ここぞという時には頼んないのかぴょん。ぶっちゃけ今更ぴょん」

「……ズルいです、それは」

「手段は問わない性質(たち)なのだぴょん」

 

 卯月は少しだけ言っていないことがある。

 心から秋月を心配したと、彼女自身断言ができない。

 明日の出撃で、下手なリスクを抱えたくなかった。

 単にそれだけ。

 言ったら空気が悪くなるので、態々言わなかっただけだ。

 

「…………」

 

 そうする卯月を満潮がジト目で眺めていた。

 




D-ABYSS(ディー・アビス)一個に係る開発費用
①改装設計図12枚(勲章48個分)
②新型砲熕兵装資材12個
③戦闘詳報4枚
④新型高温高圧缶8個
⑤弾薬39600
⑥鋼材39200
⑦高速建造材200個
⑧開発資材200個
以上
勿論、開発なので一定確率でペンギンになります。
作る?


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第207話 呪詛

ぼざろの小説を書きたい衝動がヤバくなってきた。同時並行で執筆できる方を尊敬する。


 D-ABYSS(ディー・アビス)の実態を知った卯月達。

 しかし説明の過程でトラウマを思い出し、ナイーブな空気に。

 特に秋月の落ち込み方が酷かった。

 

 なので膝枕をし、頭を撫でて彼女を落ち着かせようとした。

 その効果は抜群。

 不安なんて何処へやら。安心しきった顔で寝息を立て始める。

 

 ちゃんと寝てる事を確認して、秋月を布団へ運ぶ。

 ちなみに加古はとっくに寝てる。

 ある種幼児退行している影響が、良い方向で働いていた。

 

「……ふぅー、一段落だぴょん」

「アンタはまだ寝ないの」

「それはオメーもだぴょん。うーちゃんは日課だけ済ませたら直ぐ寝るぴょん」

 

 と卯月は簡素な机に向かい、中から一冊のノートを取り出す。

 以前、日記として購入したノートである。

 

「……気のせいかしら。それすっごい久々に見た気がするんだけど」

「別に、毎日書いてる訳じゃないぴょん。紙代もタダじゃないし。書きたくなった時に書いてるぴょん」

「今日は書く日だってこと。そんなビックリするようなイベントあったかしら」

「出撃前だからだけど」

 

 日誌、とは称したが、半分くらいは遺書も交じってる。

 ガンビア・ベイ以降で特に感じたが、システム搭載艦の戦闘能力は異常極まる。その辺の姫級を相手取るのとは訳が違う。

 

 しかも固有の『能力』まで持ち始めた。

 ステルス化に、イロハ級の無限生成。今までより更に手強くなるのは必然。

 

 何時こっちが殺されても全然不思議じゃない。

 ここからはそういう戦いだ。

 

「遺書ねぇ……」

「満潮は書かないのかぴょん。書いてる艦娘はそれなりにいると思うんだけど」

「死ぬ前提で出撃する輩はいないわ。むしろ不吉がられる」

「そういうもん? 何も残さない方が後悔しそうだけど」

 

 この辺り、人の心が分からない。

 卯月は合理的に考えている。死ぬ可能性はゼロではない。なら遺書ぐらい残すのが妥当。

 それを残す、つまり死を前提に動く。

 これを嫌がる人の心理が、今の卯月には分からない。

 

「ま、何でもいいけど」

 

 分からないし興味もない。さっさと書いて寝よう。卯月は日誌に向き直る。

 

「…………」

 

 満潮は何とも言えない表情。

 人の心が分からないと言っておきながら、日誌はちゃんと書いている。

 一体どんな日誌を書いているのか? 

 案外、こいつの不安や絶望とかが吐露されてたりするんだろうか。

 

 卯月に気付かれない──は、聴覚によりムリなので、遠くから動かく覗き見る。幸い字が大きい方だったので、楽に確認できた。

 

『〇月〇日 今日は出撃前日。それの景気づけとしてこのうーちゃんが主役のパーティが開かれました。大御所艦娘も誰もが私を持ち上げ敬うのは最高です。夜になっても祝杯は終わりません。この私の武勇伝に誰もが耳を傾け』

 

 日記を読むのはそこで中断。

 速やかにコブラツイストを卯月に掛けた。

 

「急に何すんだぴょん!」

「台無しだからよ!?」

 

 ド正論であった。

 

「何もかもが吹き飛んだわ何を書いてんの!?」

「日誌を覗き見るなんて最低だぴょん!」

「三流妄想小説以下の代物じゃないのっ!」

 

 尚秋月達が寝てるので小声だ。

 

「まさか嘘八百を書いてるとは思わなかった! しかも何この内容! 今日の何がどうすればこうなるって言うの!?」

「そ、そこまで過剰反応することかぴょん!」

「するわよ! 半ば遺書とか言っといて内容コレ!? 黒歴史って単語知ってる!?」

「自分の鎮守府壊滅させた以上の黒歴史はないぴょん!」

「それは別ベクトルじゃない!」

「まぁ待て! それ以降は一気にマトモな方向へ転がるぴょん!」

「あ!?」

 

 コブラツイストを掛けたまま、腐れ日誌の続きを読む。

 

『──しかし! その時窓を割り、完全武装集団が私達を包囲したのだ! リーダーの赤城が言う。『この基地は我々が完全に包囲し』『イヤー!』完璧超人卯月は、卯月イヤーで襲撃を察知していた。くだらない口上を聞き終えるよりも素早く、テロリスト達を制圧! ピガーッ! ピガーッ! 次々に放たれるビームにより結晶化大爆発! 誰もが卯月を褒め称え』

 

 首を絞めるパワーを更に上げた。

 

「がががが何でだぴょん!」

「教室襲撃を夢想する中学生か! 赤城さん首謀者にすんなバレたら半殺しよ! それにビーム撃つな獣のパワー惜しいの!」

「いや……だって、ビームカッコ良いし……」

「シャラップッ!」

 

 ゴキッとヤバい音が鳴る。

 ぐりんと白目を剥いて、卯月は卒倒した。

 出撃前夜だと言うのに閉まらない主人公であった。

 半分ぐらい自業自得だが。

 

 しかし満潮は、再び日誌に目を通した。

 

 大半のページは同じ様に、超絶くだらない妄想小説で埋まっている。

 紙が勿体ないとか、どの口で言ってたんだろう。

 呆れ果てながらも、ページを捲る。

 予想が正しければ、多分──

 

「……やっぱり」

 

 最初の方のページ。

 初めて給与(金券)を貰い、この日誌を買った頃。

 まともな内容が書かれていた。

 

 つまり、カムフラージュである。

 まるでの嘘ではない。書きたいから書いている。

 けれども、妄想小説は、()()()()()()()を隠す意味合いが強かった。

 

 何故隠すのか。

 読めば理解できた。

 

 呪詛が綴られていた。

 

「……嘘つき……じゃないか、言わないだけか」

 

 それは、普段の様子からはとても考え辛い内容。

 しかし、冷静に考えれば、そう思って当然の内容。

 深海棲艦だけではない。

 人に対しても、艦娘に対しても、この世界の構造に対しても──執拗なまでの罵詈雑言。呪詛が書かれていた。

 

 口に出そうものなら(鎮守府によっては)不穏分子と解体処分されそうな文面。

 それを自覚してるから、こうやって日誌に吐き出したのだろう。

 

 けど、満潮はそこまで驚かなかった。

 当然だ、とさえ思った。

 あんな目に遭って、一切の不平不満が無い方がおかしい。

 

 満潮はその一ページだけ見て、日誌を閉じた。

 これ以上は見てはならない。

 本人が隠している事を、勝手に暴き立てるのは許されない。誰かに言う気もないし、心の中に留めておくつもりだ。

 

 それでも一ページだけ見た理由は。

 

「何やってんのかしら、私」

 

 満潮自身にも分からなかった。

 

 

 *

 

 

「何故か首回りが異常に痛むぴょん……何故だぴょん? 昨日はぐっすり眠れた筈なのに。何かの攻撃を受けたような」

 

 翌日、飛行艇のカーゴの中で卯月は唸っていた。

 ちょっと久々の登場。

 秋津洲ご自慢の二式大艇(輸送艇)である。

 日が昇る前に召集命令が下り、卯月達は目的地へと運ばれていた。

 

『特務隊の皆は久々かも! 秋津洲の二式大艇へようこそ! 短いけど快適なフライトを楽しむかもー!』

「ねぇ熊野。僕には輸送艇に見えるんだけど」

「シッ最上さん。考えてはいけません。正気を削られますわ」

 

 そこに触れてはいけない。共通認識である。

 

「秋月、ナンデそんな渋い顔してんだぴょん」

「……いえ、ちょっと、前の記憶が」

「前って、嫌な記憶あったっけ」

「ゲロ浴びさせた時でしょ」

「ああ」

「言わないで下さい……幾ら敬愛するお姉さまの物質とは言え、そういう趣味は……いえそれを越えてこそ」

「ヘイ秋月そこまでだっぴょん」

 

 頭をガクガク揺らし正気へ戻す。

 R-18Gタグは許されない。

 と、さっくり茶番を済ませた卯月は、改めてカーゴを見る。

 

「……全員ぴょん」

 

 卯月達前科組、秋月と最上、正規艦娘の不知火・飛鷹。

 前科戦線にいる全メンバーがカーゴ内にいるのは珍しく、錚々たる面々。

 更には──赤城までいる。

 

「……(ニッコリ)」

「遺書書かなきゃ」

「何で?」

 

 赤城に目をつけられた。条件反射的にそう思う。

 あの訓練で何回半殺しにあったのか。

 死の恐怖が本能まで叩き込まれた気がする。ぶっちゃけ仕事以外で顔を見たくない。

 

「まあ、うん、それだけ大事な任務って事でしょ」

「その通りです」

 

 スクっと不知火が立ち上がる。

 

「いつも通りになってきましたが、これから行われる作戦概要は今此処で説明します。ただ

 時間もそうないので、簡素に」

 

 理由の説明は要らない。防諜上とか、内通者を警戒したとか、説明の時間が惜しいとか、そんな理由だ。

 

「本作戦のターゲットはガンビア・ベイ。但し秋月さんや最上さんと違い、『撃沈』を裁定目的とします」

「捕獲じゃなくていーの?」

「はい。捕獲は余裕があったら。基本的に抹殺を想定してください」

 

 ガンビア・ベイの戦略的脅威度は尋常ではない。

 始末に失敗し、以降近海に出てこなくなったら、冗談抜きで国家転覆が想定される。

 大袈裟かもしれないが、それだけの敵だ。

 

「その上で本作戦は、他鎮守府との合同作戦となります」

「何処が参加するんだクマ」

「そこにいる通り、坏土大将の艦隊から赤城さんと三日月さん。あ、三日月さんは後で合流。憲兵隊からあきつ丸さん。藤鎮守府の全戦力です」

「え、ってことは、桃ちゃんにも会える!?」

「はい、会います」

「やったー! 久々にアイドル談義ができるよー!」

 

 遊びに行くのではないのだが? 

 と言いたいが、藤鎮守府のメンバーと会えて思う所があるのは卯月も同じ。

 嬉しいかもしれない、気まずいかもしれない。

 金剛達や松達は兎も角、殆ど接点のない面子も多い。

 

 神提督の話の結果、返って卯月を恨んでいるのもいる。

 睦月達なんかがそうだった。

 また顔を合わせた時、どういう反応が返ってくるか、不安なところがある。

 

「簡単な質問、いい?」

「どうぞ満潮さん」

「今まで、他部隊との連携はしてこなかったじゃない。何で今回はやるの?」

D-ABYSS(ディー・アビス)の正体が明らかになったからです。少なからず無差別感染するようなシステムではなかった。かつて警戒した様に、まるで知らない間に洗脳される事はあり得ない」

「後ろから~、撃たれないって分かったって事ですね~?」

「ポーラさんの仰る通りです。ただそれでも内通者を警戒するので、大規模作戦クラスはムリですが」

 

 なので参加しているのが、前科戦線を知る部隊だけなのだ。

 

 知ってるってだけで、敵視されてないかは別問題だが。

 ……まあ、会ってみなければ分らない。

 最悪作戦に支障をきたすことはないだろう。卯月は自分を納得させた。

 

 と決めた覚悟。

 直ぐに雲行きが怪しくなる。

 

「しかし作戦の第一段階は、貴女方前科組のみで行います。正規艦娘や赤城さん、藤鎮守府メンバーは非参加。状況によって憲兵隊を投入します」

 

 前科組だけでやれ。

 たったそれだけで、不穏さがビンビンになるのは何故か。

 この空気に相応しい爆弾を、不知火が投下した。

 

「まず鎮守府を制圧します」

 

 ほらね? 

 もしくはやっぱりね? 

 と全員思った。

 

「はい詳しい説明を求めるぴょん!」

「えー、時間ないんですが」

「いや流石にそれを説明なしはキツイクマ。こっちだって罪悪感があるクマ。特に卯月とかトラウマを踏んづけてるクマ」

「そうだぴょん! 厳重に抗議するぴょん!」

 

 マジで面倒そうな顔をする不知火。

 けどこれは譲れない。

 球磨の言った通りだ。鎮守府襲撃なんて卯月のトラウマを精密に抉り出す。戦ってる最中にフラッシュバックが起きかねない。

 

「分かりました。じゃあとりあえずこれ被って下さい」

「……ガスマスク、と、ローブ?」

「装備しなきゃ言いません」

 

 何でこんなのを付けるのか? 

 首を傾げながら装備する。

 顔がすっぽり覆われる。服もローブでぱっと見分からない。

 

「着たから説明するぴょん」

「その鎮守府が内通者である可能性を掴んだんです」

「今すぐ私を出せ! 艦娘だろーが人間だろーが関係ないね! 毛という毛を毟って殺してやる!」

 

 卯月の手首がドリルめいて大回転。

 そういう改造怪人っぽい。

 不知火は呆れた。

 

「……それマジなの」

「憲兵隊が必死で掴んだ情報です」

「あの~、それにどう、ガンビア・ベイが関わってくるんですか~?」

「胸糞悪くなりますよ?」

「構わないぴょん」

「『敵』に艦娘を売却しています。顔無しの原料として。その取引の回収役としてガンビア・ベイが現れる」

 

 今度こそは全員口を開いた。

 こういうのは何だが、前科組は全員最低限まともだ。

 

 底辺の倫理観。

 しかし、それでも分かる。

 単なる裏切りどころではなく、非人道的兵器に仕立てる為の人身売買。

 最低の行為だ。

 

「……ガンビア・ベイが?」

「獣の暴走で瑞鶴とウォースパイトは負傷しています。現場の痕跡から判断したのですが、あれは特殊な傷で、簡単に再生とはいかない。まだ治療に専念している筈。動けるのがガンビア・ベイしかいないのです」

 

 補足すると、万一の時ガンビア・ベイは最適である。

 何かあると即刻逃亡、逃げ足も速い、あまつ防御力も異様に高い。トドメにステルス迷彩装備。獣化しきる前に逃げたのもある。

 

 一番捕まりにくい。

 だから適任。

 

「敵は憶病です。取引がパアになるより、取引役が捕まり情報が洩れる方を恐れます。よって現れるのはガンビア・ベイ。しかも他二隻はなし。彼女を仕留める事ができる最初にして最後にチャンスが今です」

「……それは分かったんですが、何故前科組だけで?」

「そんなの万一失敗した時全責任を擦り付ける必要があるからですが?」

「いや酷くないですか?」

「秋月、気にしちゃダメ。これで通常運転ぴょん」

 

 元からして前科持ちだから問題ないね? 

 という理屈である。

 ちなみに憲兵隊は、『前科戦線が反乱したから制圧します!』という名目で乱入予定。現場からの逃亡者を抑えるのが仕事になる。

 

「一応聞くけど、最初から憲兵隊はダメなの」

「……考えたくないのですが、鎮守府内部に深海棲艦がいる可能性を否定できません。呪いを何かしらの方法で封じて、囲っている。そうだった場合憲兵隊は逆に足手纏いです。よって作戦の目的は二つ」

 

 不知火は指先を二本立てた。

 

「取引の首謀者である『提督』の確保。深海棲艦の有無を特定する為『鎮守府制圧』」

「提督は殺していいぴょん?」

「あまり良くないです。場合によっては尋問して取引場所を特定しないといけないので」

「……ん? 待つクマ。取引場所分かってないクマ?」

「はい。候補は絞りましたが、特定はまだです。鎮守府を制圧後、憲兵隊の捜索や尋問で確定させます。更にこの作戦は『時間』が鍵です」

 

 不知火は指先を三本立てた。

 

「制限時間は30分です」

「……ありゃ、なんか、短いですね~」

「内通者が一人だけとは限らない。この襲撃も黒幕に知られるでしょう。黒幕はガンビア・ベイに帰還命令を出そうとする……ですがそれは叶わない。自分に辿り着かれる事を恐れる黒幕は、逆探知のリスクがある無線ができない」

 

 勿論、それでもと無線した時の為、逆探知部隊が展開済みだ。

 

「無線が来ず、状況を知らないガンビア・ベイはそのまま来る。しかしその時迎撃体勢が出来ていなければ作戦は成り立たない。これまでの敵の出撃の出現タイミングから逆算した到着時間までの猶予が30分。その時間でないと準備が間に合わない……作戦第二段階は、第一段階が成功した時に説明します」

 

 その瞬間、カーゴが一気に傾きだした。

 非出撃組のシートベルトは締まったまま。前科組のベルトだけが外れる。

 あ、これ覚えがある。

 

「あ、そうだった。鎮守府にいる大半の艦娘や人間は、自分のところが内通者だと知らないと思うので、よろしくお願いします」

「それギリギリで説明する事!?」

 

 卯月の抗議は届かない。

 既に彼女達はカーゴから叩き出されていた。

 

 ガンビア・ベイ討伐作戦。

 第一段階。

 鎮守府制圧が始まった。



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第208話 耳塞

 ガンビア・ベイ討伐作戦。

 その第一段階、裏切者の鎮守府の制圧。

 

 事前に渡されていた装備は、正体を隠す為だ。

 すっぽり覆うガスマスクに、体型を隠してくれるローブ。

 あの卯月が鎮守府を侵略した! 

 何て噂が洩れたら、また悪評が深くなった。中佐の気遣いに卯月は心の底から感謝する。

 

 尚、支給品の理由はそれだけではない。

 敵が、もしくは必要に応じ、憲兵隊が毒ガスを使用する場合があるからだ。

 

 と思っている間に、鎮守府が近づく。

 彼女達は、輸送艇から叩き出される形で、空中降下をしていた。

 

「パラシュート展開クマ。ローブに絡まないよう注意クマ」

「ぴょん!」

 

 指示に従いパラシュート展開。

 速度が一気に減り、彼女達は中庭に着地する。

 時間は早朝目前の深夜。

 一番暗い時間帯だ。

 

「作戦開始前に編制クマ」

 

 起こさないよう小声で呟く。

 

「提督の確保は発見次第行うとして、鎮守府制圧に必要なのは、『艤装の制圧』と『電源の破壊』クマ」

 

 それでなければ、艦娘の無力化は困難だ。

 流石の彼女達も、艤装アリの艦娘数十人に、こんな所で囲まれたら詰む。電源施設もどうにかしないと、外部への通信等を許してしまう。

 

「卯月、電源施設の音とか聞こえるクマ」

「……ダメだぴょん。防音工事でもしてる? 聞こえるけど、位置が上手く特定できない。もっと接近すれば行けるかも」

「了解。卯月は特定を、満潮は護衛、特定時の破壊要員としてポーラ。それ以外で艤装制圧だクマ。任務開始」

 

 ひたすらに気乗りしない作戦は、静かな号令で始まった。

 

 兎に角ダッシュで鎮守府内を走る。

 静かに歩く方が良いんだが、時間が無い。制限時間は30分しかない。それを越えればガンビア・ベイは二度と倒せない。

 

 少なくとも、電源施設を特定するまではダッシュだ。

 

「電源施設って、普通何処にあんだぴょん。うーちゃん施設建築に詳しくないぴょん」

「そりゃ地下ですよ~、空爆とか警戒しなきゃいけません。軍事施設ですからね~」

 

 中庭に降下できたのは幸いだった。

 しかし、1Fでも位置が分からないとなると、施設は結構地下にあるのでは。下へ降りる階段を見つけなければ。

 

「あ、ポーラはちょっと距離取りますね。狙撃手なので~、離れてる方がズギューンっていけるので~」

「あ、うん、是非。酒臭いの嫌だぴょん」

「見えない距離まで行っていいわよ。遠慮しなくていいわ」

「ヒンッヤケ酒です~」

「…………」

 

 ポーラの狙撃技術は知ってるが、それでも評価が改善しないのは何故だろう。ひょっとしてこれが都市伝説というものか。

 人、それを普段の信用と言う。

 前科持ちに求める事自体、間違ってる気もするが。

 

「満潮、来るぴょん」

「ッええ」

 

 空気が緊迫する。

 誰かの走る音がする。

 重い足音。艤装を装備した艦娘。闇取引に手を染めた鎮守府だ。後ろめたさと露見する恐怖。それがこの警備に現れている。まだ見てないだけで監視カメラもあるだろう。

 

 曲がり角から、完全武装の艦娘が現れた。

 ダッシュの音を聞きつけたのだろう。

 

「──手を上げろ! 抵抗すれば砲撃する!」

 

 既に主砲がこちらを捉えていた。

 施設が壊れる事や、味方が巻き込まれる事を躊躇していない。

 訓練していた動き。

 こういうシチュエーションを想定していたのだ。

 事情は知らないかもしれないが――艦娘が制圧しに来る前提で、訓練を積んでいる。

 

 その警戒心、普通の仕事に生かしていたら良かったのに。

 卯月は──耳を塞ぎながら思った。

 

「う──アンタ?」

 

 名前呼びは不味いと、咄嗟に変えた満潮。

 主砲がこっちを向いているのに、何故耳を塞ぐ。最大の武器を無くす? 

 それを、敵は抵抗と判断した。

 

「撃たせて貰う!」

 

 トリガーに手が掛かる。

 相手は戦艦級。撃たれれば即死。

 不味い、と満潮は機銃を回し、撃とうとする。

 

 何も知らない同胞を撃つ。

 護り、救うべき相手を攻撃する。

 

 普段は問題にならない程一瞬。

 されど、極限状態では致命的な一瞬。

 満潮は躊躇した。

 

 それでもう、攻撃の阻止は間に合わなくなった──満潮はだが。

 

「え──」

 

 卯月は既に敵の眼前。

 ガスマスク越しの眼が、鮮血の様に光っていた。

 

 

 *

 

 

 何度半殺しにされただろう。いやマジで何回か殺された。

 鬼気迫る赤城を前に、卯月は憔悴していた。

 

「いい加減訓練に私怨を交じるの止めるぴょん!」

「失敬な混ぜてません。しかし卯月さんはそう捉える。これはつまり、坏土司令官を意識しているということ。何て自意識過剰なんでしょう。ああ恐ろしい! あの方はこうやってファンを無意識に増やしてしまう。それが魅力的なんですけどねえへへ、あ、殺します」

「もうヤダ」

 

 そんな地獄でも必要最低限の休憩はある。

 途中までは無かったが、矢を弾くのに成功した後は取って貰えた。

 死に過ぎて朦朧とする中、卯月はお茶菓子を死んだ目で貪る。

 出血し過ぎて血も何もかも足りてない気がする。

 

「冗談はさておき、死ね」

 

 突然だった。

 刀が首元に振るわれた。

 しかし、ギリギリで停止する。

 

 ギリギリの所だが、卯月はナイフで刀を受け止めていた。

 

「え、何今の」

「訓練です」

「休憩中に奇襲を仕掛けるのはどうなんだぴょん」

「仰る通り。ですがそうしないと、反応できるか確かめられないので」

 

 赤城はホッと息を吐き刀を下す。

 

「承知とは思いますが、殺意は危険な技術です」

「知ってるぴょん」

「しかし、それを使って戦っていくのであれば、飼いならさなければならない。私が坏土司令官から受けたのは、そういう命令でした」

「飼いならす?」

 

 卯月には分からない感覚だった。

 殺意とは言うが、殆どD-ABYSS(ディー・アビス)の作動・制御の方法として扱ってきた。

 単体の技術としては、意識してこなかった。

 

「『殺意』に慣れること。それが一番必要なこと。卯月さんを殺しまくったのはそれが理由です。内包する殺意は自覚し難い。外から浴びせられる『殺意』を感じる事で敏感になれる。内包する『殺意』にも」

 

 敏感、にはなったと彼女は思った。

 今もそう。

 油断していたタイミングでの奇襲に、一瞬で対応できた。

 無意識の次元に等しいが、条件反射で身体が動いた。

 

「そして自覚した次にすべきことは、完全にモノにすること」

「……うーちゃん、自発的に発動できるぴょん。もうそこはクリアしてると思うぴょん」

「あれだけ時間が掛かってて、何を?」

 

 『うっ』と呻き声を上げた。

 殺意に至るのに時間掛りすぎ。痛い指摘だった。前奇襲を受けた時も、殺意を高められず、システムを起動できず、追い詰められた。

 

「それに今まで相対してきた相手は、洗脳とかもありますが『敵』。卯月さんの報復対象。殺意を抱き易い相手。()()()()()()も現れてきますよ。その時、どう殺意を抱くのですか?」

 

 そうでない敵って何だそれ? 

 分かっていない卯月に、赤城は呆れる。

 

「利用されてるだけの敵です」

「…………!」

 

 それは洗脳されていた卯月自身であり、顔無しへ改造された仲間であり、冤罪の噂話に踊らされた人達でもあった。

 

「ただ事情を知らずに襲ってくる敵がいて、殺意を剥き出しにできますか。躊躇せず一瞬で──必要ならば始末できますか?」

「でき……」

 

 卯月は一瞬逡巡し。

 

「ないぴょん」

 

 答えは既に言ってるようなものだった。

 

「殺せはするぴょん。敵は敵だし、死ぬときゃ死ぬし。でも殺意は抱けないぴょん。恨みも何もない相手には」

 

 殺せるなら問題ない? 

 そうなら赤城はこんなこと聞かない。

 私にとって殺意を抱けないということは、()()()()()()()と同じだ。

 

「命の危機に晒されれば殺意も出てくるだろうけど、それじゃ意味ないぴょん。そういうことでしょ?」

「満点の回答です。花丸をあげましょう」

「はは、いらねぇ」

「ふふ、特訓ハードにしますね」

「!?」

 

 話を戻す。

 茶菓子を摘まみながら、赤城は真面目に話す。

 

「一々命の危機に瀕しなければ、本気になれないなんて馬鹿でしかありません。私達はそうではない。自らの意思で自在に『殺意』を使わなければならない。任意で出したり引っ込めたりできなきゃ、何れ死にます」

「死ぬって」

「冗談じゃありませんよ。『殺意』なんてものは、ほっといたら肥大化していきます。半端に殺意に至ったせいで戦死したり、酷いと突然深海棲艦化して、仲間に駆除される所、私は見てきましたから」

 

 本来、こんなもん無いに越したことはないのだ、と赤城は呟く。

 それでも──私には必要だ。

 卯月は身を乗り出す。

 

「どうすればいいんだぴょん」

「そこで特訓の最終段階という訳です。今までの訓練で卯月さんはより深く『殺意』を自覚できた筈。外からの殺意に反射で対応できた。後は中からです」

「中?」

 

 そう言うと赤城は刀に手を当てた。

 瞬間、一瞬で。

 殺意が噴き出した。

 

 

 *

 

 

 フラッシュバックというものがある。

 過去のトラウマが突然呼び起こされることだ。

 とはいえ、脈絡なく発症する訳ではない。

 何かのトリガーやショックで、突発的に起こるのが多い。

 

 卯月が学んだのは、それを()()()()引き起こす手法だった。

 

 何故なら、そこに卯月の基点がある。

 トラウマを思い出せば、連動して憎悪も膨れ上がり、殺意へ繋がる。

 その為には、トリガーを自主的に用意するのが良い、と赤城は言った。

 

「…………」

 

 卯月は敵を前に、耳を塞ぐ。

 当然音が絶たれる。

 一番強い五感が削れる──余計なことを考える余白が生まれる。

 

 そういう時、何時もフラッシュバックが起きた。

 何も考えない時こそ、トラウマが頻繁に蘇った。卯月は意図的に引き起こした。

 

 ゆっくり思い出すから、僅かながら発現に猶予があった。

 けどこれなら一瞬。

 フラッシュバックが起きるのは瞬間的だ。

 

「え──」

 

 目の前にいる戦艦艦娘。

 何も知らないのだろう、私達をただの襲撃者と思ってるだろう。

 だけど迷いがある。

 艤装を背負っているから艦娘と分かる。同胞を撃つのに──僅かだが躊躇がある。

 

 既にD-ABYSS(ディー・アビス)は作動した。

 『完全なる殺意』に一瞬で到達した。

 躊躇は絶無。

 その差で卯月は懐へ潜り込んだ。

 

「なるほど、これは良いぴょん」

「貴様ッ」

 

 戦艦艦娘は艤装のサイズ故に小回りが利かない。

 しかも完全に懐。密着と言っていい距離。艤装での攻撃は不可能。

 格闘戦一択の状態。

 先手を打ったのは卯月だった。

 

 主砲を振り上げ、敵の顎を打ち上げた。

 

「が──」

「悪いけど、始末、させて貰うぴょん」

 

 頭部を殴られ平衡感覚が不安定に。

 その隙に体重を掛けて脚払い。

 戦艦艦娘の体勢が崩れる。

 スルリと脇の下を抜け、背後へ回り込む。そして首をワイヤーで括り、一気に締め上げた。

 

「ッ!?」

 

 今、戦艦艦娘はまともに立てていない。

 そんな状態で首を絞められればどうなるか。

 ──彼女の全体重(艤装込み)が、首元一か所に集中する。

 

 ビキリ、と亀裂の入る音が聞こえた。

 

 首の骨にヒビが入った。

 もしくは折れた。

 ワイヤーから解放された彼女は、白目を剝きながら何度か痙攣して、動かなくなった。

 

「勝った」

 

 卯月は両手を握り拳で掲げる。

 

「……し、死んでないわよね?」

「心音はしてるから大丈夫。どうせ入渠すれば治るぴょん!」

 

 艦娘で良かったね? 

 卯月は朗らかに笑う。

 それを見た満潮は数歩引く。何故だ。笑ってんのに。

 

「あ~、でもヤバいです。D-ABYSS(ディー・アビス)が解放されてます。時間制限が」

「安心するぴょん、僧正さんが改修してくれたぴょん」

 

 肩の力を抜き、お腹の底から深呼吸のように息を吐き出す。

 胸に溜め込んだ殺意を、緩やかに解いていく。

 すると力が抜ける感覚がした。

 システムが『終了』したのだ。

 

「任意解除できるようになったの?」

「そゆこと。便利になったぴょん。必要な時、必要な分だけ解放できるぴょん」

「ああ……それは良かったわね」

 

 今までは、一度解放されたらぶっ倒れるまで作動しっぱなしだったが、漸くそれが解消された。出力制限は掛ったが、使い易さは向上した。

 

「喜んでばかりもいられませんよ?」

 

 ポーラが、ぴしゃり、と言い放つ。

 酒臭くだらしない態度。しかし眼つきは鋭い。

 その手は主砲に添えられ、狙いを定めている。

 

「さっき、そこの人大声出してましたからね、援軍が迫ってきてます~」

「げ、本当だぴょん。足音が沢山」

「それに、D-ABYSS(ディー・アビス)が作動したのも、よくないですね……うーん。考えたくない事態です」

 

 システムの作動条件は変わっていない。

 射程距離内に、エネルギーの源泉が存在していること。

 汚染海域内であるか。

 もしくは、深海棲艦が近くにいるか。

 

「いるの、この鎮守府のどっかに、深海棲艦が」

 

 呪いが広がり、人が次々に深海棲艦化していく光景。

 卯月は地獄を思い出す。

 この鎮守府には人間のスタッフもいる。

 それが変異すれば──殺すしかない。

 

 手を下すのが自分達ならまだしも、此処の艦娘が、やらなければならなくなったら。

 胸糞悪い想像を捨てる。

 敵は始末する。やれるだけやる。迷いは危険だ。

 

「ポーラ」

「ええ、勿論目標に加えて良いです~、電源施設を探しつつ、深海棲艦の撃破もしましょーねー。いたら憲兵さん、入りにくいですし~、よし景気付けでしゅ~」

「よしお前は囮だぴょん」

「賛成するわ」

「ありぇ~、二人が分裂した~?」

 

 アル重を放置し奥へ進む。

 あれで強いし、ちゃんと仕事はする。雑な扱いで十分だ。

 ──しかし、と思う。

 呪いを何らかの手段で抑止しているとしても、鎮守府内に深海棲艦がいるって、どういう状況だ。

 

 殺意による直感か、やけに嫌な予感が隠せない。




赤城さんから教わったのは、一瞬で殺意を臨界状態へ持っていく手法。イメージ的には鬼滅の反復動作。フィジカルではなく、メンタルを最大稼働に持っていく感覚。


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第209話 鎮守府強襲

 結論から言って、やはり強かった。

 卯月──ではなく、敵方でもなく、ポーラが。

 時間制限の中、発電施設を探して走り回る侵入者ご一行。

 

 当然、異変を感じた連中や警備とエンカウントする回数も増えるのが道理。

 なのだが、実際はそこまで増大しない。

 接触前に始末されるから。

 

「ストップ、だぴょん」

 

 音を聞く。

 左の曲がり角から誰かが走ってくる。

 それを卯月が告げた途端、ポーラが艤装を構えた。

 

「うー……手が震えてきました。Liquore(おしゃけ)の補給が必要です。忙しい時はコレに限ります。えへへパック酒~、陳腐な味がお腹に染み渡りますねぇ、あっそうだcecchino(狙撃)

 

 パック酒をストローで吸いながら、いきなり発砲。

 こう書くと、拳銃を片手に泥酔する危険人物にしか聞こえない。

 なのに、こんな態度なのに。

 

「……命中よ」

 

 狙撃については完璧だった。

 飛び出て不意打ちを決めようとしたのだろうが、逆にカウンター。出た瞬間、頭に攻撃を喰らい、意識を刈り取られる。

 

「……どうしてアレで、あんな強いんだぴょん」

「逆に考えなさい。アレが許されるぐらい強いから、アイツは解体処分されてないのよ」

「私は、酷い苦労してんのにぃ」

 

 そんな愚痴言っても意味ないんだけどさ。

 卯月は溜息を吐く。

 ポーラの狙撃技術のお陰で、妨害は殆ど受けていない。

 警戒を怠り、慢心して出てくる輩は。即座に無力化されていた。

 

 警戒し、慎重に出てくる輩もいる。

 そいつらもどっちみち、一瞬で無力化されていく。

 こっちはポーラの狙撃ではない。

 それを始末していくのは、目を光らせる卯月だ。

 

「恨まないでおくれぴょん?」

 

 ガスマスク越しでも分かる程目を輝かせ、敵に詰め寄る。

 艤装も背負っているので、こちらが艦娘なのは分かる。

 同じ艦娘に襲われている。

 多少なりとも戸惑いがある。訓練してもゼロにはできない。

 

 卯月はそれがゼロだ。

 赤城との訓練で、卯月は直ぐ『殺意』全開で戦えるようになった。

 逡巡が一瞬ある相手と、ないこちら。

 

 その刹那に満たない一瞬で、卯月は距離を詰める。

 まともに艤装を使えない距離まで迫る。

 そうして格闘戦をすべきか選択を迫り──選ぶ間もなく始末する。

 

「今更だけど、D-ABYSS(ディー・アビス)はやっぱり強いぴょん……相手も搭載艦だから、最近実感なかったけど」

「……そうね」

「む、どうしたぴょん。寂しい返事だぴょん」

 

 満潮は何も言わない。

 ポーラは……尊敬などしないが狙撃は凄い。卯月も凄い戦闘力になっていると思った。

 じゃあ、私は──満潮は首を振る。

 くだらない、そんな事を思うのは二流の証拠だ。任務中に余計な事を考えてはいけない。

 

「──聞こえた! 発電機の音だぴょん!」

 

 その声に浮いてた意識が戻される。

 何やってんだ、ぼんやりするなんて。

 満潮は首を振り、雑念を叩き出す。

 

「どっちなの」

「あっちだぴょん」

「あっち? Ricevuto(了解)~」

 

 違う方向へ駆けて行ったポーラは完全無視。音のする方へ向かう。

 少し走ると、そこへ辿り着く。

 当初の推測通り地下区画に設置されていたが、そこへ行ける階段はかなり奥まった所にあった。こういう時の為に隠しているのだ。

 まあ、裏切ってるのは、この鎮守府の方なのだが。

 

「満潮」

「……ええ」

 

 しかし直ぐに下りたりはしない。

 卯月は耳で、満潮は経験則で理解している。

 基地が襲撃された時、何処から制圧されるのか。敵もそれを分かっている。

 

 下り階段の踊り場まで下りた、その時。

 

 駆逐艦の艦娘が現れた。

 

 襲撃は流石に気づかれている──大事にしたくないのか、寝ている艦娘を起こす気配はない──巡回の艦娘は、出会った次第に無力化している。

 手練れと判断し、仕留める可能性を上げる為、待ち伏せしてたのだ。

 

 三隻、狭い通路だが小回りが利く。

 驚きはない。予想通り。

 こんな所で戦うなら、駆逐艦を運用するのが定石。

 

「解放」

 

 ボソリ、呟く。

 システムが作動する。

 目が光る。卯月は踏み込み階段下へ一気に踏み込んだ。

 

 いきなり目が光り出したのと、発電区画へ接近された焦り、包囲網を抜けられたこと。同じ艦娘が発していると思えない殺意。

 敵艦娘の意識は卯月へ向いた。

 その背中へ、満潮が主砲を向ける。

 

「接近!」

 

 リーダーが指示を出す。

 三人の内、二人が卯月へ追従する。

 卯月の方が危険であり、迫れば、満潮が巻き添えを恐れ、撃てなくなると判断。

 

 彼女達は、ミスを犯した。

 卯月は悪意を以って嘲笑する。

 

「残念、作戦通り、だぴょん」

 

 卯月が腕を振るう。

 その手にはワイヤーが握られていた。

 

 突如、空中にワイヤーが張られた。

 

 まあ空中と言っても、足元から数十センチ程度。

 しかし、敵の足を引っかけるには十分な高さ。

 

 卯月へ追従しようとした二人の艦娘は、見事それに引っかかった。

 

「!?」

 

 何が起きたのか、気付いたのはリーダーの艦娘。

 卯月が階段を下りる前に、既に仕込みはされていた。

 弾丸を杭替わりにして、ワイヤーを固定。留め具を作った状態で、それを持ち続けていたのだ。

 緩ませたそれを一気に引っ張れば、ワイヤーが張られる。

 

「騙しの手品……って程でもないけれど」

 

 卯月はナイフで一人目の首を切った。

 切ったと言っても掠った程度。そうしないと殺してしまう。

 切断箇所が融解する。溶けたそれのせいで気道が塞がり、呼吸が上手くできなくなり、一人目が無力化された。

 

 それとほぼ同時、満潮は砲撃をする。

 ワイヤーに引っかかり、空中に投げ出されていた敵には回避不能。

 間にいたリーダーは間に合わなかった。

 卯月が近くにいるので、巻き添えを恐れて撃たないと思っていたからだ。

 

 しかし満潮は撃った。

 砲弾はリーダーの脇を通り抜け、艤装へ直撃する。

 その勢いのまま地面に叩きつけられ、二人目は気絶した。

 

 だが卯月も巻き添えに──傷一つ負っていなかった。爆発に巻き込まれたのに。

 その答えは卯月の片手にあった。

 先に無力化された一人目が握られていた。

 

 卯月はそれを盾にしたのだ。

 重度の火傷、早く治療しなければ、後遺症もあり得るかもしれない。

 

「お前!」

 

 リーダーは、この襲撃者に激怒した。

 ──原因は自分たちの提督にある訳だが。

 知らないのは結構不憫だなと、卯月は他人事に憐れんだ。

 

 それと、既に詰んでいるのに気づいていないのにも。

 

「ずぎゅーん」

 

 気の抜けたポーラの声。

 聴覚が鋭い卯月にだけ聞こえたマヌケな声。

 対象には届かない死刑宣告。

 

 ポーラの狙撃が、リーダー艦娘の喉を貫いた。

 

 彼女に油断はなかった。

 それでも狙撃を喰らった。

 ムリもない、と卯月は思う。

 跳弾を繰り返し、階段の踊り場まで到達させた挙句、喉に命中とか、完全に頭おかしい芸当だ。

 

 とは言え、普通の狙撃銃を用いたことには感謝して貰いたい。

 艤装の主砲を使っていたら、今頃頭部が弾けていたのだから。

 

「がっ……」

「おっと後始末」

「──ッ」

 

 呼吸ができなくても戦闘は可能だ。

 憂いは絶たなければならない。卯月は主砲を頭部へぶつけ、彼女を気絶させた。

 死んではいないようだ。

 ちょっと呼吸困難で瀕死なだけだ。

 

「……気絶させたから、応急処置はしとくわよ」

「えー、いる?」

「いるに決まってんでしょ。こいつらに罪はないんだから」

「不幸な事故でしたで済ませた方が楽だと思うぴょん」

「運の値がマイナスの癖に何言ってんの」

「今関係ないぴょん!」

Velocemente(早く)、行きませんか?」

 

 何時の間にか戻ってきたポーラに正論を言われた。

 あのポーラにである。

 余りの屈辱に落ち込みながら、卯月達は地下区画へ向かう。満潮は応急処置が終わってから飛んで来る。

 

 目の前まで近づいた事で、音は鮮明に聞こえた。

 間違いない、この部屋が発電区画だ。

 ただ、分厚いシェルターで護られていて、入れそうになかった。

 

「封鎖されてるぴょん」

「ノープロブレムで~す、その為に火力要員で来てるんですから。えっと、ちょっと待っててくださいね~」

 

 ポーラはトコトコ扉へ近づく。

 艤装にくっ付いていた黒い粘土状の塊を大量にくっつけていく。プラスチック爆弾だ。そして離れてから、主砲ではなく機銃を撃つ。

 盛大な爆発が起きた。

 

Bene(よし)

「重巡とか関係ないぴょん!」

 

 ポーラが付いてきた意味ないじゃん。卯月は叫んだ。

 

「え? いや、無駄弾は嫌じゃーないですかー?」

「どうしてお前そういう時真面目になるの?」

 

 本当にこいつ何なんだろうか? 

 どこまでいってもポーラは理解できない。いや四六時中アルコール漬けの脳味噌を理解する方が間違ってるか。

 

「それに~、Proiettile()は、とっといた方が無難ですよ。あ~、でもこれは……ちょっとInaspettato(予想外)?」

「え……あ?」

 

 相当量の爆薬を使用したお陰か、扉はちゃんと破壊されていた。

 しかし卯月は違和感を覚える。

 何かが聞こえる。

 今まで扉で音が遮断されていた、それだけ弱い音。

 いやけど、()()()()()()()()()()()()

 

「この、流れは──」

 

 言いかけた瞬間、爆炎の向こう側から──ナイフが飛んできた。

 僅かに察知していたお陰で、首を動かしギリギリで回避。

 何だナイフか。

 と思ったのも束の間。

 後ろへ飛んでったナイフは、ぶつかった壁を砕いたのだ。

 

「何この威力!?」

 

 追い付いてきた満潮は、偶々それに巻き込まれた。

 霧散した壁の欠片に被弾、僅かながらダメージを負う。

 軍事施設の壁を砕くナイフ投擲。

 直撃したら……卯月は震える。そして、それを投げた奴と相対する。

 

「……こーゆーの、何て言うんですっけー、ええっと一石二鳥?」

「藪から蛇とも言うぴょん」

「蛇……マムシ酒ってどんな味なんですかね~、呑んだことないです~」

 

 飲んだくれは無視。問題は目の前の敵。

 

「何故だぴょん。どうして、提督がここにいる?」

 

 人身売買をした裏切り者。

 最低の提督が、発電区画内で待ち構えていたのだ。

 

「まさか、自分が最終防衛ラインのつもりなの?」

「違うぴょん。きっとこれは窓際属レベル100とかだぴょん。執務室にすら居にくいから、こんな所で寂しく業務を……うっ涙が!」

「それ提督って言えんの……?」

「人身売買をするクズが提督だって?」

「言わなかったわ」

 

 茶番は兎も角、提督がここにいるのは、偶然ではない。

 卯月達を待ち構えていたのだ。

 油断もならない。先程のナイフは強烈だ。被弾箇所によっては致命傷となる。

 

「けど、分からないのが一点ある」

「……」

「このわたし、ちょっとした経験のお陰で、うっすらとエネルギーの流れが分かる」

 

 自分の名前は言わない。そんなマヌケなことはやらない。

 

「深海のエネルギーが、流れが分かる。でも分かんない。どーして、そのエネルギーが、()()()()()()()()()()()()()()

 

 態々説明するまでもないが。

 深海のエネルギーは、支配海域か深海棲艦そのもの。後は怨霊とかその辺りに宿る。

 生きている生身の人間から発生するなんてあり得ない。

 

 眼前の敵はあり得ていた。

 

 今作動しているD-ABYSS(ディー・アビス)の供給源は、目の前の提督だったのだ。

 

「……死ね、侵入者、共が」

 

 問いへの返答は、再びのナイフ投擲。

 この提督が敵だという、決定的な証拠であった。

 

「裏切者の癖に、よくそんな事が言えるわね」

 

 ナイフであろうと油断はしない。

 投擲されたナイフは壁も砕く。砕けた破片も攻撃になる。満潮は正確な連続射撃でナイフを撃ち落とす。

 その時、懐に提督が踏み込んでいた。

 

「早い──けどぉ!」

「油断すんな満潮、絶対何かあるぴょん!」

「分かってるわ!」

 

 しかし迎撃しない理由はない。

 角度を変え砲撃を放つ。ただし直撃ではない。掠める軌道──それでも人間を気絶させるには十分な衝撃。

 

 そこで予想外のことは起きた。

 

 提督は素手で砲弾を弾いた。

 

「!?」

 

 あり得ない事態に満潮は硬直。その隙に提督が隠していたリボルバーを撃つ。脇腹に当たれば艦娘でもダメージになる。

 

「油断すんなって言ったっぴょん!」

 

 そこへ卯月が割り込む。まだ残っていたワイヤーを引っ張りピンと張らせる。

 弾丸を弾くことはできないが、軌道変更なら可能。

 銃弾は脇腹を掠め、少し出血させるだけに留まった。

 

「これで貸し一つだぴょん。後でとんでもねぇ生き恥命令を下してやる、感動に打ち震えるが良いぞよ!」

「ごめん被るわ! それより敵見なさい!」

「ふふーん見なくてもこのうーちゃ、私の聴力は全てを捉えているんだぴょん。見よこの圧倒的パワー!」

 

 名前言いかけたのは気のせいである。

 よそ見をしたまま、卯月は主砲を鈍器代わりに振るう。

 勿論システムは作動済み、制限は掛っているが、人間をミンチにするには十分な膂力。

 

 蹴り込もうとしていた提督の足が、風船みたいに弾けた。

 

「これでうーちゃんの勝利となった!」

「名前!」

「あ、でももう勝ったし関係な――」

 

 これでも油断はしていない。ぱっと見信じ難いが真面目。

 表面上の態度は兎も角、心根は冷え切っている。それが殺意の力だ。

 だから慢心はしていない。

 

 だとしても。

 

「は?」

 

 いっそ漫画みたいなノリで。

 敵の足が──即再生したのは、予想外でしかなかった。

 

「あ!?」

 

 ガードは間に合わない。勢いを残したままの渾身の蹴りが、卯月の側頭部へ迫った。



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第210話 鎮守府制圧

 卯月の思考は停止寸前だった。

 足をぶっ飛ばし、提督の蹴りを阻止したと思ったのに、その足が瞬時に再生した。

 どうなってんだ、提督は皆こんな能力を持ってるのか。

 無論、そんな訳がない。

 この裏切者が異常なだけだ。

 

「くらうかぁ!」

 

 殺意が、卯月を突き動かす。

 止まりかけた思考を再起動、生存の為の一手を試みる。

 いけるか? いや、やるしかない。

 と、卯月は大口を開き、顔面で蹴りを受けた。

 

「何!?」

ふぉめふぁ(止めた)

 

 システムで身体能力は強化されている。

 そこには、咬合力も入ってる。

 歯が何本か軋んでいるが、文字通り喰らい付いて、蹴りを食い止めたのだ。

 

 形勢逆転、片足を止められた提督は、此処から動けない。

 卯月は無防備なら鳩尾に、両足で蹴りを叩き込んだ。

 

「──ッ!」

ふぁいふぉうふぁひへほ(内臓弾けろ)!」

 

 肉に圧力が掛かり、ミンチにされる触感。骨が折れて内臓を抉る音。駆逐艦であっても、艦娘の人間の差は歴然だ。ましてやシステムで強化されているなら、尚更だ。

 

「かーッ! 汚ねぇ! おっさんの足喰っちまったぴょん!」

 

 ゲーッとジェスチャーしながら咽る。

 制服越しとは言え生理的に気持ち悪い。口の中に足毛入ってないよな? 気になってしょうがない。

 それと並行して、警戒は失わない。

 予想通りなら、()()()

 

「……化け物、が」

 

 内臓をシェイクされた筈の人間が、血を溢しながらも立ち上がった。

 

「どの口で言ってんの」

「人間の、口、だが」

「ふーん。人間ねー」

 

 これが化け物なのは確定。それはそれとして、卯月はそれを凝視する。

 

「ところでお腹から飛び出てるそれなーに?」

 

 蹴りの衝撃で制服が弾けていた。

 結構なパワーで蹴ったので、腹も少し破裂して、内臓がまろび出ていた。

 手加減? 

 脚が再生した時点で不要である。

 

 問題は、再生した腹部だ。

 再生過程で飛び出たのだろうか? 

 ちょびっとだが『触手』が見えた。

 

「……何となくだけど、カラクリが、見えてきた気がするぴょん」

 

 何故、再生するのか。

 何故、深海の力が、この提督から流れてくるのか。

 しかし今は、無力化するのが優先だ。

 できればだけど。

 場合によっちゃ始末するけど。

 

「……はい、ええ、そうですか」

「あ?」

「始末、する」

「何だコイツ急に」

 

 突然提督は戦法を変えた。

 懐に持っていた拳銃を滅茶苦茶に撃ちながら、距離を詰めてきたのだ。

 致命傷にはならない。口径が小さい。けど余計なダメージにはなる。

 

「シールド投げまーす、使ってください~」

「感謝だぴょん」

 

 後方にいたポーラが、プラスチック爆弾で破壊した扉を投げ飛ばす。前衛の卯月、満潮はそれに隠れながら、砲撃を叩き込む。

 回避するならするで構わない、流れ弾が発電設備を破壊してくれる。

 

「それは、阻止、する」

 

 提督は徒手空拳で砲弾を止める。時折骨肉が弾けるが、どうせ再生するからとお構いなし。

 改めて見て、やはり異常だと卯月は思った。

 憲兵隊でも此処までは早々やらない、いや、やれない。

 

「ムリしてでも、急ぐべきだと思うぴょん。ダメージ覚悟で!」

「ダメよ、この後も戦闘あるのよ!」

「違う、さっきの様子変だったぴょん。あいつ誰かと話してたじゃん!」

 

 突撃してくる前。独り言のように聞こえたが、そんな筈はない。

 ただの突撃じゃない。

 何かを目論んでいる。

 しかし、此処までの時間経過が、提督に味方した。

 

「後ろからnemico()、来ますよ~」

「げぇ、止めてくれだぴょん!」

「あの~、それが人間の皆様です。どーしますー?私的には、やっちゃって構わないですけど~」

 

 挟み撃ちは阻止しなければ。そう思ったのに、やって来たのは武装した人間達。

 それも憲兵には見えない。

 ツナギを着た姿といい、単なるスタッフにしか見えない。

 

 その彼らも、通路でドンパチ撃ち合っているのを見て、その場で止まってしまう。此処までは来ない。安全地帯から見ているだけ。

 

 提督が呼んだのだ、だが何故呼んだ? 

 戦力にもならない面子を、どうして此処へ? 

 

「射程、距離、内、だ」

 

 卯月に予感が走った。

 最悪過ぎる単語が脳裏を過る。

 

 ()()()()()()()()()()

 

「始末で決定だぴょん!」

「は!?」

 

 躊躇している時間はない。卯月は拳銃の前に現れ、大量の爆雷をばら撒き、そこ目掛けて主砲を叩き込む。

 事情聴取ができない、拷問もできなくなる、けどしないと()()()()()()

 予想通りなら、無力化しても意味がない。

 

 しかし卯月は出遅れた。

 

 大爆発の直前、卯月は見てしまった。

 

 提督の腹部が弾けるのを。

 

「伏せてッ!」

 

 満潮の叫びは、事情も知らない整備スタッフ達に向けられていた。

 悲鳴とも言える絶叫に、彼らは指示に従う。

 直後、爆雷を巻き込んだ爆風が地下区画一帯を揺らした。

 

「……やったの?」

 

 対ショック姿勢の満潮が頭を上げる。

 と言いつつ、死んだと思っている。あの爆発の直撃では、流石に死んだだろう。

 しかし、これで拷問ができなくなった。

 情報を得にくくなった事に、満潮は顔を顰める。

 

「ああ、やったぴょん。()()()

 

 爆炎が収まる。

 後には何も無かった。服の切れ端と、提督の肉片、後は触手の残骸ぐらい。

 発電設備は多少破損した程度。

 鎮守府のものとなると、相当頑丈に作られている模様。やはり重巡級の主砲でなければ破壊は難しい──とまで思った所で、気付く。

 

「触手……?」

「……あれ~、そのtentacoli(触手)、見覚えが……えーと、んーと、よいしょっと」

 

 強いゼロの缶をプシュっとあけ、一気に飲み干すポーラ。

 これが彼女にとっての景気付け。

 彼女(の肝臓)は狂っていた。

 アルコールでプッシュされたポーラの脳味噌が答えを導き出す。

 

「あ! Mio! 機雷です!」

「機雷って、あ、あの深海忌雷のこと!?」

「へー、そんなのあんのかぴょん」

 

 タコっぽい見た目だが、通りがかった艦娘を触手で拘束し、零距離自爆を慣行するという普通の危険兵器、それが深海忌雷だ。

 疑問が解決した二人は、表情をスッキリさせる。

 

「待って、どうして、それが?」

 

 提督の腹部から覗いていた触手は、深海忌雷のものだった。

 彼の体内には、最初から深海忌雷があったのだ。

 深海の力は、この機雷から流れていたのである。

 

「直前、見えたぴょん」

 

 卯月の眼は紅く光ったまま。システムを入れたまま。戦闘状態を解除しないまま。

 

「機雷は、提督ごと自爆したんだ。きっと証拠隠滅と、戦力増強……時間稼ぎが目的だと、思うぴょん」

 

 発電設備に背を向け、入口へ砲を向ける。

 

「機雷も深海棲艦。爆発したのなら、より飛び散るのは当然」

 

 耳に届いている。

 骨が軋み、魂が悲鳴を上げながら壊れていくのが。

 肉が歪んで変貌する異音は、二人にも聞こえた。

 

 振り返った時見えた。

 

 通路入口にイロハ級が犇めているのが。

 

「スタッフを呼んだのは、この為だ!」

 

 本気で吠えた。

 冷や汗が止まらない。

 卯月の叫びを引き金に、事態は動く。

 呪いに侵され変容した元人間達が、イロハ級になり果てて襲い掛かってくる。

 

「急げ! 『感染』が始まるぞーッ!」

 

 目の前でトラウマが再現されようとしている。

 

 

 

 

 卯月を敵とみなしたのは、イロハ級の一部だけ。

 何隻かは廊下を上がり、地上へ出ようとしていた。

 それは深海棲艦の本能的行動。

 より呪いを拡散させ、被害を広げようとする生態行動に基づく。

 

 それに気づいたポーラの判断は、酔ってるのに誰よりも早かった。

 

「行き止まりにしちゃいましょー」

 

 廊下の天井目掛けて連続砲撃。

 辺りの壁を破壊し、地上への通路を瓦礫で埋める。

 無論、何発も砲撃すれば突破される。けど時間は稼げる。

 

「システムのパワーを全開だッ! 援護お願いだぴょん!」

 

 本当に時間がない。変異したての今なら、駆逐艦のパワーで始末できる。

 そして確実に始末する。砲撃では一撃で始末できない。狙うは絶対的な『致命傷』。

 満潮の返事はない、する必要もない。

 両手で砲を握り、心臓や頭部目掛けて乱射、当たんなくていい、動きを妨害できればいい、そうして距離を詰めた所で、勢いのまま──ナイフを突き立てた。

 

 修復誘発剤により、胸部外殻が融解。

 卯月はそこへ手を突っ込み心臓を引きずり出す。更に握り潰した心臓を投げ飛ばし、血飛沫で目潰し。今度は真上へ飛び、全体重を掛けて頭部を捩じ切る。

 

 しかし空中にいる瞬間は無防備、他のイロハ級が狙ってくる。

 

 その為に満潮が援護してくれる。

 

 狙いを定めた所へ砲撃し弾道を逸らす。再発射までの隙が生まれた。卯月は再び距離を詰め、ナイフで脹脛を切りつける。

 脚の筋が溶け、姿勢が崩れた、そこへ回転蹴りを叩き込み頭蓋骨粉砕。

 

 これで、こちら側のイロハ級は排除完了。

 問題は上へ行こうとしていた連中だが。

 

「あ、終わりました~?」

 

 既に始末し切っていた。

 何なら卯月よりも早く排除できていた。

 

「釈然としないぴょん……」

 

 酔っぱらいの癖に。酔っぱらいだから躊躇がないのか? 考えるの止めといた方がいい気がしてきた。

 しかしまた事態は収束していない。

 あとちょっと、後始末が要る。

 

「でも……どうするの、イロハ級を倒しても、呪いは残るわ……」

「それについては、このうーちゃんに任せるのだぴょん」

 

 卯月は瓦礫の山も含め、地下区画の壁や床をぺたぺたと触る。

 やがて、ある場所を念入りに触り、「見つけた」と呟いた。

 

「もう、(ビースト)にはなれないけど、あの経験はちゃんとうーちゃんの中で生きている」

 

 システムの出力が上がっていく、高まる負荷に──今までは身体の崩壊だったが──脳味噌が悲鳴を上げだし、鼻から血が垂れてくるのを卯月は感じる。

 勿論、そんなのおかまいなしで続ける。

 

「深海の力とは、つまり深海の呪いでもある。呪いは強いパワーなんだ。だからこそ捕捉ができる……見つけたぴょん、中心を」

 

 それは視覚的には見れない現象。

 しかし艦娘という種族故か、体感的に感じることはできた。

 

「呪いが、卯月に集まっていく……」

 

 満潮には何となくだが見覚えがあった。

 この力が集まっていく様子、呪いまでもが吸収されていく様子。

 あの時のようだ。

 卯月が、獣に変貌した時のよう。

 しかし、変貌はしない。

 

「ぎ……が……」

 

 快楽装置を切ったから、今の卯月はすさまじい激痛を感じている。

 けれども、苦渋の表情で堪え、拡散しかけた呪いを、一つも余さず取り込んでいき──プツリ、と糸が切れたように倒れ込んだ。

 

「か、完了……ぴょん」

「……マジで、やりやがった、コイツ」

 

 地上へ出た呪いを消す方法は殆どない。あったとしても大火力兵器で土地諸共消すぐらい。

 それをせず、卯月は単独で浄化を成し遂げた。

 表沙汰には決してならないが、戦史が変わるレベルの偉業である。

 尤も方法が方法なので、参考にはならない。

 

 それに実行者がこの始末。実戦では役に立たない。

 

「気持ち悪い……すっげぇ吐き気がする。頭もガンガンして割れそう……寒気までするぴょん……」

「まるで二日酔いですねー、お味噌汁呑みます?」

「いらねぇ……」

 

 インスタント味噌汁(アサリ)がポンと置かれた。

 こんなの常備するなら酒控えろよ。そう突っ込む気力も湧かない。

 

「……信じられないわ」

 

 満潮は呟いた。

 それは、呪いが消えたこと()()ではない。

 呪いを一身に受けて、卯月自身が平然としている事。

 二日酔いめいた症状で収まっている。それが信じ難かった。

 

 

 

 

 卯月が倒れている間、満潮とポーラは協力して発電施設を破壊。

 それとほぼ同時に、艤装保管室を制圧したと連絡。

 そのタイミングで憲兵隊が殺到。非武装の艦娘や人間を制圧することは、彼らにとっては赤子の手をひねるのも同然。

 

 間もなくして、裏切者の鎮守府は制圧された。

 そのまま憲兵隊は資料を片端から引っ繰り返し、取引場所の特定を急ぐ。本当に時間がないので、卯月達も資料探しに参加。

 

 本当なら、提督を拷問して情報を得る筈だったのだが。

 

「──意味はなかった。そう思いますわ」

 

 一緒に資料を漁る熊野が言い切った。

 

「拷問途中であっても、体内に潜んでいた深海忌雷が起爆。拷問していた憲兵が犠牲になっていたでしょうね」

「うーん、気絶させるべきだったぴょん?」

「遠隔起爆できそうな気がしますわ。何となくですけど」

 

 油断してはならない。相手は証拠隠滅の為に街一個を消しにかかる輩。だからこそ、鎮守府のスタッフを贄にした。

 

「生存者からの聞き取りはできてるぴょん?」

「はい。あきつ丸さんが主導でやってるようです」

「……普通の聞き取りだよね?」

「まず普通の定義から議論しましょうね」

 

 ダメっぽい。まあ、私の悪評が広まらなければ良いか。卯月はドライだった。

 彼女は知らない。

 益々悪化している事は、まだ知らない。

 その時、扉が開いた。

 

「卯月、熊野! 資料集めは終わりだクマ!」

「特定できたのかっぴょん?」

「できたクマ。その現場へ一気に急行するクマ、マジで時間がないから急ぐクマ!」

 

 走り出す球磨、彼女につられ卯月も走り出す。

 

「…………」

 

 疑問は憲兵隊に任せてきた。

 だとしても、何故、あの提督は、体内に深海忌雷を抱えていたのか。

 あの再生能力は、システムの恩恵だったのか? 

 ただの人身売買斡旋糞野郎だったのか? 

 

 それだけとは思えない。吐き気に加え、胸が焼ける感覚。それを丸ごと吐き捨てる。

 けれども、喉に残って取れない。

 

「気持ち悪い」

 

 ただ、そう思った。



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第211話 陣地構築

 トラブル、と言うにはアレ過ぎる事態はあったものの、卯月達は無事鎮守府の制圧を完遂。取引場所の特定も完了。再び輸送艇に乗り込み、現地へ向かっていた。

 

「やあやあやあ! ご同伴預かるであります!」

 

 拷問キチ(危険人物)を連れて。

 

「なんで」

「と言われましても、このあきつ丸も現地へ行きますから。これが一番早いであります」

「だったら、せめてその赤いの流しなさいよ」

 

 一体あの鎮守府内で何をしていたのか。

 黒い制服の半分が、返り血で赤黒く染まっていた。血の匂いまで漂ってくる。気分がいい物ではない。

 

「え? どうして? テンション上がるでありますよ?」

「せめて言い訳をしろッ! 何人か怯えてんじゃないの!」

「成程、光栄でありますな!」

「ダメだわコイツ」

 

 知ってた。相変わらずの狂人だった。

 

「まあ、後で拭くぐらいはするであります」

「今拭けぴょん」

「やだ」

 

 もうヤダこいつ。卯月は会話を断念する。

 しかし、あきつ丸の方は許さない。

 

「ところで卯月殿、お腹から深海機雷を出産した提督と鉢合わせたと聞きましたが」

「お前はアレが本当に出産に見えたのか?」

「似たようなものでは? で、マジでありますか?」

「マジだぴょん。うーちゃんは嘘が嫌いだぴょん」

「うーむ」

 

 とあきつ丸は手を顎に添え、考え込む仕草をする。

 

「前例があるであります」

「前例……って、え、つまり、その提督以外に、深海機雷を出産した人がいたってこと」

「最上さん。出産は訂正を」

「いたであります。提督ではありませんが」

 

 制圧戦中、輸送艇で待機していた。

 その最上の質問を、あきつ丸は肯定した。

 

 彼女は話した。

 昔、藤鎮守府に乱入した男の事を。

 その正体は反艦娘テロリストだったこと。

 尋問の最中、突然死したこと、体内にイ級が出来ていたこと。

 

「憲兵隊としては、当然関係あることと考えます。更に不要な人間を始末するなら他に方法は幾らでもある。それをせず、こんな孕ませをしている。何か目的がある……と」

 

 気持ち悪い。卯月の率直な感想だった。

 目的が何であれ、そんな行為に及べることに、吐き気が止まらない。この戦いが始まってから何度も知った、胸糞悪さを覚える。

 

「ま、これについては憲兵隊で責任を以って調査するであります。対人間相手なのが業務でありますから。それよりも今優先すべきは、ガンビア・ベイであります」

「自分から話を振っといて、変えるんですか」

「作戦要綱を知りたいでありまーす」

 

 秋月の突っ込みは無視された。

 

「やること、ですか」

 

 しかし聞かれた不知火は、ちょっと困った様子だった。

 

「どうしたのー? 不知火ちゃん?」

「いえ、特にないんですよね。やること」

「へ?」

「あるにはあるのですが、普段前科戦線でそういう訓練をしていないので……邪魔にならない程度に、雑用を手伝うぐらいでしか」

 

 何だそれは。この鬼畜部隊でやらないことなんてあるのか。卯月は疑問に思った。けど直ぐに疑問は解消する。

 

「陣地構築です」

「……じんちこうちく?」

「以前授業でやった所です。覚えていないですか。帰ったら勉強量増やします。もういい加減逃げないように」

「え」

 

 突然の死刑宣告。卯月はショックの余り心停止を起こし卒倒。

 

「おお、なんということでありますか! 、ここは、このあきつ丸必殺の蘇生術、その一つ目を試す時が」

「来ないで、永遠に」

「えー、したいであります」

 

 必殺蘇生術という高速矛盾には、もう突っ込む気力もない。

 これからガンビア・ベイとの戦いなのに、どうしてこうなるのか。満潮は深い深い溜息を吐く。

 

「まあ、今までにない大掛かりな作戦になるって分かってれば大丈夫よ」

「無理くり纏めたクマ」

「はい静粛に。これ以上のグダグダは許さないわ。ほら誰か卯月をさっさと蘇生して……ところであきつ丸、真面目な話を聞いときたいんだけど」

「何でありますか?」

「結局、あの提督は、何で人身売買なんてしてたの?」

 

 根本的な、しかし解明しなければならない疑念。

 深海棲艦は対話不可能な化け物、それが世界の共通認識。余程の理由がない限り、向こうに与することはない。

 

 それを、ここの提督はしていた。

 挙句、顔無しの材料として、艦娘を売り払う外道行為を。

 そのリスクを知ってまで、裏切った『利点』は何なのか。

 

「一先ず、金ではないようであります。帳簿類を鎮守府から本人のまで調べましたが、金に困っている様子はなく。ただ」

「ただ?」

「どっちにしろ、この提督に未来は無かったであります」

 

 あきつ丸は押収した資料を投げる。

 そこには、提督の体調が細かく書かれていた。

 

「……健康診断……って、これ」

「ガン。それも末期。検査のタイミングが悪かったのか、既に手遅れ。いやぁ不幸であります。悲しいであります」

 

 朗らかな笑いだった。飛鷹はドン引きだった。

 

「……これが理由だって言うの? 身体の中に深海機雷がいた?」

「さぁ? 本人が既に爆死していますからなー。残念であります本当に至極残念でありますなー」

 

 その残念はどっちのことか。多分考えない方がいい。

 

「憲兵としては、卯月殿が呪いを取り込んでくれて、良かった良かったって感じであります」

「それは、そうね。下手したら憲兵も感染してたし」

「流石に元同胞となると、始末するのもちょっぴり躊躇するし、卯月殿には感謝しかないであります」

「躊躇? 熱でもあるの? 大丈夫? 薬飲む?」

「自分を何だと思ってるでありますか?」

 

 心外! といった表情。しかし、全面的にあきつ丸の自業自得であった。

 

「まあ、あきつ丸の事はどうでもいいであります。それより聞いておきたいのですが」

「何だぴょん」

「その二人。訳に立つのでありますか?」

 

 あきつ丸が、最上と秋月を指さす。

 全身麻痺と全盲。それぞれ重い後遺症を背負っている。

 戦えない筈だ。なのに戦場へ来ている。それが不可解だった。

 

「大丈夫です。とりあえずは、何とかなるようになりました」

「僕も戦力……になるかは微妙だけど、足は引っ張らないから平気さ」

 

 ちゃんと戦う手段を確保した上で来ている。

 

「感動したであります」

 

 だから言ってる意味が分からなかった。

 

「ただでさえ過酷な心身を更に痛めつける……素晴らしい光景であります。まさに眼福。生きてて良かったと思うでありますなぁ」

 

 普通に屑だった。最上はキョトンとした顔で首を傾げる。

 

「……熊野、この人は何を言ってるんだい?」

「いいですか最上さん。ああいうのは、人間の屑って言うんですわ」

「酷いであります」

 

 むしろ至極当たり前の感想だろうが。

 もう何回思ったか分からないけど、憲兵隊は大丈夫か? 

 波多野曹長の胃を心配しながら、輸送艇は空を飛ぶ。

 

 

 *

 

 

 輸送艇(二式大艇)を全速力で飛ばしたお陰か、数分掛からず卯月達は、作戦海域となる取引現場へと到着。

 そして例の如く、空中から放り出された。

 曰く、『着地時間が勿体ない』とのこと。

 

 ただ、卯月も慣れたもので、特に文句もなくパラシュートを開き、味方のど真ん中へ普通に着地していた。

 

「ヘーイ! 何者ですか、手を上げなサーイ!」

 

 代わりに味方にホールドアップされたが。

 ちょっと考えたら当然だった。まだガスマスクとコートを装備したまま。これじゃ疑われて当然。慌てて卯月達はそれを外す。

 

「へ、へい金剛さん、久々だっぴょん」

「…………え!?」

「あれ、えっと、藤提督のとこの、金剛さんで合ってるぴょ」

「ウヅキー! 久々ネー!」

「おわぁ!?」

 

 金剛はダッシュ、からの強烈なハグ。

 バランスを崩しそうになるが、金剛がそのまま抱き寄せる。その反応に、自分の知る金剛だったと、卯月は安心した。

 

「ギギギギギお姉さまのハグお姉さまのハグ」

 

 何か異音を放つ比叡と目を合わせてはいけない。

 

「金剛氏ー、久々の再会って所済まないけど、時間がないっスよ」

「あ、ソーリー。感極まっちゃったデース」

「……誰だぴょん?」

「漣だよ。秘書艦の、忘れないでよ」

「ああ、そういえば」

 

 ちょっと顔合わせしたぐらいだったので、余り覚えていなかったのだ。

 卯月は改めて周囲を見渡す。

 金剛と比叡だけじゃない。不知火の言った通りだった。藤鎮守府で見かけた人達。見覚えのある艦娘が大勢だ。

 

「っていうか何で特務隊一行が?」

「え、知らないのかぴょん」

「情報は極力絞るべきですから。特務隊も作戦に参加する情報も含めて」

 

 藤鎮守府内に内通者がいる可能性もある。不知火の言う通りだと卯月は思った。

 

「この人数。本当にそっちの鎮守府総出かぴょん」

「そっすよー。まあ多少だけど、例のシステムに関わっちゃった鎮守府だからねぇ。まるで無関係のトコよかやり易いっしょ」

「それはそう」

「っと、駄弁る暇はないんだった。そっちの方々も手伝ってくれるってことで?」

「問題ありません。こき使って下さい」

「だそーだよ、ご主人様ー」

「わーい人手だ!」

 

 漣の呼びかけに藤提督が気づく。

 彼女は嬉しそうな声を上げ、手を振りながら走ってきた。

 しかし冷静になってほしい。

 此処は戦場である。

 

「え、何で藤司令官居るんだぴょん」

「え? 迎撃設備を作るからだけど?」

「え?」

 

 何だろ。この会話が成立しない感じ。

 

「あー、卯月氏。このご主人様は、元々提督じゃなかったのよ。軍事施設の設計士って前職でしてね」

「え。何それ。普通に凄い職だぴょん」

「どや」

 

 態々口に出す辺り、余程自信があるらしい。

 

「で、こういう基地を突貫で作るのが得意だから」

「現場に出てきてるってことなの!」

「…………」

 

 矛盾はない。筋は通ってる。けどどっか狂ってる気がする。

 まさかこの藤提督も狂人枠なのか。そんなことないさ大丈夫。卯月は自分に言い聞かせた。

 

「責任感があるって偉いぴょん」

「自分が設計した建物が、ぐっちゃぐっちゃ崩れていくのってとっても楽しくて! 出てきちゃった」

「さぁ仕事だぴょん! 漣でも誰でも良いから仕事プリーズ!」

 

 どうして私の周りには狂人しか集まらないのか。

 卯月は全力で現実逃避に勤しんだ。

 

 

 

 

 先に不知火が言ってた通りになった。

 簡易とはいえ、迎撃拠点の設営なんて、訓練なしにできやしない。他の人の指示の元、資材等を運ぶ。それぐらいしか仕事はなかった。

 

 それでも向こう的にはありがたかった模様。

 それもその筈。

 とてつもない短時間で迎撃拠点を構築しなければならない。人手は幾らあっても足りない。荷物持ちだけでも助かる、というのが本心だ。

 

「なのに、何故皆、このうーちゃんに訝しげな視線を向けるぴょん?」

「そりゃガスマスク付けっぱなしじゃ当然だろ。外せよそれ。息苦しくねぇの?」

 

 竹の突っ込みが深く刺さった。

 あの後、卯月はガスマスクを被り直していた。

 その上で、松&竹の指示で働いていた。

 

「苦しくはないぴょん。ただ外したらそれはそれで、面倒なことになりそうで……」

「どういうことなの?」

「こういうことだぴょん」

 

 少しだけガスマスクを外す。

 卯月の瞳は、異形感を否応なしに感じさせる程、朱く光っていた。

 それを見た松と竹は、『ああ……』と微妙な顔で納得。

 

「あれから、また凄まじい事があったみたいね……」

「まあねぇ。でも無事生きてるから、特に問題はないぴょん」

「大アリよ糞ボケ。問題しかないじゃない」

「は? 満潮は何言ってんだぴょん。この身体の何処に問題が」

「そっちじゃない……ああもう、いいわよそれで」

 

 同じく荷物を運ぶ満潮は顔を背ける。

 意味が分からず、卯月は困惑気味だった。

 

 折角の再会、もっと話したいことはあるが、時間が無い。

 後数分も待たずにガンビア・ベイとの戦いが始まる。できる限り設営を終わらせる為、全員急いでいる。

 

 ただ、それを承知で、竹が話しかけてきた。

 

「……大勢を、殺したのか?」

 

 ああ、知ってるのか。

 卯月は驚くほど冷淡だった。

 彼女は自分が『獣』としてやった蛮行を分かってるのだ。

 

「うん。街一個分は殺したぴょん。それが?」

 

 松は話さない。

 呆れたのか、信じたくないのか、驚いているのか。

 一般的な感性を持ってるなら忌避感を抱く。近づきたくないと思われただろうか。そうだとしても仕方ないけど。

 何となく気まずさを感じ、卯月はさっさと荷物を運ぼうとする。

 その時、後ろから『卯月』と声が聞こえる。

 

「何でそうなったのか、分かんないけど……見捨てたりはしない。虐殺をした狂人とか決めつけて、目を背けたりはしないからな」

「話を聞くぐらいは、私達でもできるから」

 

 冤罪を着せられ、苦しんでいた卯月を知っている。

 今回もそうだ。噂とは言え、『獣』と化して虐殺をしたと誰もが知っている。事実かもしれないが、表面上の理由だけで納得してはいけない。

 隠された理由。その可能性を考える。

 そうして残ったのは、卯月を案ずる気持ちだった。

 

「ムム、真正面からそー言われると、流石に照れ臭いぴょん」

「そんな心配しなくて良いわよ。調子に乗った挙句付け上がるだけだから。放置するぐらいが丁度いいから」

「テメェ」

 

 折角心配してくれてるのに何てこと言いやがる。この機に応じて悪ノリ極まった要求をしまくってやろうって思ってたのに。

 

「満潮もだからね?」

「え」

「卯月をずっと心配してんだろ? 好きでやってんだろうけど、共倒れなんて目も当てらんないからな」

 

 ここでまさかの流れ弾。満潮は硬直。一瞬の後、頭部からボッと蒸気を噴出。

 

「は!? 嫌々に決まってんでしょ!? こんな大アホの面倒見たくないわよ!」

「じゃあ変わる?」

「任された仕事を投げ出す訳ないじゃない」

「……ふーん。そっかー」

 

 分かってるよ私は? 的な表情で松は笑う。

 卯月と満潮は、疑問符を幾つも頭部に浮かべる。二人揃って何が何だか分からなかった。

 

「話変えるけど、何なら一番気になってたことだけど」

「どうしたの?」

「……『提督』は、来てるぴょん」

 

 卯月は複雑な心境で聞く。

 困ったような、気まずそうな笑みを松は浮かべた。

 何となく察しはついた。

 

「神提督は来てないわ」

「いやそれが普通なんだけどな。内の藤提督がヤバいだけであって……」

「そっか。分かったぴょん」

 

 残念、だとか、安心、だとか、どうにもしっくりこない。

 来ていて、自分の戦いを見て欲しかったとか、ちゃんと安全地帯にいてほしいとか。

 色んな感情が浮かんでは消える。

 ガンビア・ベイとの戦いまで、後数分。




藤提督も変態の類でした。ご愁傷様です。
久々に金剛達に会ったけど、会話シーンは殆どないです。喋ってる暇ないので。感傷に浸るのはガンビーに勝った後で。


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第212話 ガンビア・ベイMk.II"D"①

 藤鎮守府の艦隊と合流し、高速で迎撃拠点設営を行った卯月達。

 彼女達は今、塹壕の中で息を潜めていた。

 拠点設営は完全には終わらなかった。流石に30分は無茶だった。しかし70パーセントは出来たと、藤提督(責任者)は言う。

 これから来る敵──ガンビア・ベイに対する、最低限度の迎撃態勢は整ったのだ。

 

 卯月達だけでなく、他メンバーも塹壕の中に隠れている。

 まだガンビア・ベイは来ていない。

 果たして、この作戦を察知されているのか否か。知らない筈だが、彼女は直感がやたらと鋭い。本能的に気づく可能性はあり得る。

 

 既に取引の予定時間は過ぎていた。

 たった数分だが過ぎた。

 気付かれてしまったのか。どうなのか。戦闘とは別ベクトル。待つしかできない緊張が走る。

 

 一分経過──一分半経過──とても長く感じる。

 

 だが、やがて時は来る。

 

「──ッ!」

 

 取引場所に、ガンビア・ベイが()()()()

 

 やって来た、ではない。

 虚空から突然、ガンビア・ベイが出現したのだ。

 ステルス迷彩だ。接触した事がある卯月は、即座に理解する。

 

 けどコレ、他の知らない艦娘は、対応できるのか? 

 卯月はそう思ったが、その心配は無用に終わる。

 

「遅かったようですが」

「す、すすすすスミマセン……ちょっと、普段より、警戒してまして。色々なことを」

 

 制圧した鎮守府から、取引の資料はある程度手に入った。

 引き渡し役は、何時も変装した提督自身だった模様。今更感が強いが、身バレの可能性は怖かったらしい。

 なので、艦娘の一人に同じ変装をさせた。ちなみに中身は比叡だ。

 

「じゃ、ちゃっちゃと、済ませましょう……えっと、ブツは?」

「ここです」

「何時も迷惑をかけます……中身確認して、回収しますね……」

 

 何か、低いな、腰が。

 いや救いのないド外道に違いない。ガンビア・ベイの性根が腐りきってるのは知っている。それにしても……なんか、敵っぽさが感じ難い。

 だが油断はならない。

 常に被害者面。そういうメンタル。性質の悪さはどの洗脳艦娘よりも上かもしれない。卯月はそう思った。

 

 事前情報で本性を知っている比叡も、眉一つ動かさない。ガンビア・ベイの言う通りに、ブツを並べていく。ぱっと見何だか分からないよう、白いシーツでグルグル巻きに。

 ガンビア・ベイはそれを詰め込む為に、何処かで待機していた輸送艇を呼び出す。

 このまま取引が成立、ガンビア・ベイは顔無しの材料を多く手にして帰投。それが何時もの流れだろうが、今回はそうはいかない。

 

「──え」

 

 中身を確認したガンビア・ベイ。

 彼女が見たものは、箱一杯にこれでもかと詰め込まれた、爆薬の山。

 比叡は既に離れていた。

 騙したな──と言いたそうな、非難の表情。

 それは、直後起きた大爆発に呑まれて消えた。

 

 爆発に呑まれて消える。待機していた輸送艇も呑まれて塵になる。深海棲艦にも有効なそれは、爆雷を回収したものだ。

 さながら、纏めて点火してしまった花火のように、絶え間なく爆発音が鳴り響く。

 

 しかし、これで終わるなら何の苦労もない。

 

「──いないっ!? Extinct(消えた)!?」

 

 比叡が叫ぶ。彼女の言う通り、ガンビア・ベイが姿を消した。

 視界を晦ませるような爆発の中、彼女はどう姿を消したのか。

 恐らく、奴は。

 

「比叡! その爆心地を、もう一度砲撃するんだぴょん!」

「え? んっ、分かった!」

 

 もう変装の必要はない。隠れている必要もない。卯月達が塹壕から飛び出ると同時に、比叡が何もない所へ砲撃。

 なのに、砲弾は()()()()()()()

 衝撃を受けて何かが動く。

 それこそがガンビア・ベイだった。

 

「あぁぁぁあ!? バレた!? どうして!?」

 

 やはり、ガンビア・ベイは爆心地に留まっていた。

 カメレオンのように体表の色を変え、さも消えたように装っていたのだ。

 だが問題はそっちではない。

 

「……傷一つ付いてないってのは、どういうことだぴょん」

 

 相当量の火力をぶつけた。しかも不意打ち。なのに彼女にダメージはない。せいぜい服の端が焦げてる程度。

 今もそうだ。戦艦主砲の直撃を受けたのにダメージが確認できない。

 

 これは、相当面倒な戦いになる。

 この戦いは総力戦、それだけの戦力をぶつけないといけない。高宮中佐達の判断は正しかったと、卯月は思い知る。

 

「に、にに、逃げないと……!」

 

 ガンビア・ベイが、文字通り脱兎の如く走り出す。

 戦いの火蓋が切れた。

 

 

 

 

 その速度は知識として共有されていた。

 しかし、実際に見た衝撃は、相当なものだった。

 

「どういう逃げ足なの……」

 

 まさに風。ガンビア・ベイは瞬きする間に地平線へ消えようとする。

 空母にしては珍しく、彼女は『低速艦』。システムで強化されているとはいえ、ここまで変貌するのか。松達は絶句する。

 

 だが、それを分かっていたからこそ、待ち構えていた。

 

「海域封鎖第一段階、実行、お願いするわ」

「了解にゃし!」

「任せてね!」

「……地味な仕事であります」

 

 安全地帯から、藤提督が無線で指示を出す。

 それを受けて、睦月達とあきつ丸、他何人かの駆逐艦が飛び出す。彼女達は外海との境界線辺りに潜んでいた。

 

 全員が大発動艇と、特二式内火艇を、引っ張っていた。

 

 そして、それを境界線の中央付近に()()()()()

 

 しかしこれでは、中央以外は、塞げていない。海域封鎖は成立していない。

 ガンビア・ベイは当然、左右へ逃れようとする。

 

「第二段階、実行」

 

 外海への境界線。

 そこは、切り立つ崖に挟まれていた。

 取引の現場を、物理的に、少しでも見えにくくする為に。

 それが、今回ガンビア・ベイには、仇になった。

 

「起爆装置、作動」

 

 仕掛けられていた爆弾が作動する。藤提督の指示の元設置されたそれは、崖を効率的に、狙い通りの形で崩落させる。

 大規模な土砂崩れが、流れ込み、海が埋め立てられる。

 大発動艇との組み合わせにより、出口が塞がれる。

 

 ガンビア・ベイの逃げ道が、無くされた。

 

Lie()、こんなの聞いてない!」

 

 と叫びながらも、ガンビア・ベイは逃亡を諦めない。

 陸地なら登ればいい。それに、大発動艇と土砂崩れで無理やり塞いだだけ。隙間はある。

 だが、多分ダメだ。

 逃亡のプロフェッショナルの彼女は、()()()()()()と気付いている。

 

「海域封鎖第三段階、基地航空隊、爆弾投下」

 

 藤提督の合図と同時に、空を航空機が覆う。

 

 それを見た卯月は戦慄する。取引場所の目星はついていたとはいえ、彼女はこの短時間で、航空基地まで設置していた。どういう手腕なのか。彼女の鎮守府の艦娘達は、どういう訓練を積んでいるのか。

 

 しかもこの航空機は、爆撃機ではない。爆撃機にしては速度が遅い。一体何をする気なのか。ガンビア・ベイは嫌な予感を覚える。

 これを何とかしないと、逃亡が極めて困難になる。

 

「何か、する前に、止めないと……止めます、来ないでーっ!」

 

 泣き叫び、金切り声を上げながら、空へ突撃銃を向ける。

 それが彼女の発艦機。

 銃に設置されたカタパルトから、矢継ぎ早に艦載機が繰り出される。

 

 瞬きする間に、艦載機はネズミ算式に増大、すぐさま空が暗雲に覆われる──前に止めなければならない。

 

「させないのねー!」

 

 海を塞ぐのに、特二式内火艇を使ったのは、数合わせではない。睦月、如月達、大発要員により、特二式内火艇(水陸両用戦車)の砲撃が始まる。戦車についてる機関砲も使い、艦載機を撃ち落とす。

 勿論、コントロールしている睦月達も、対空砲火を絶やさない。

 基地航空隊を、全力で支援する。本格的な戦いは、それからだ。

 

「ガンビア・ベイを行動させない! 砲撃を一発でも良いから叩き込んで! 兎に角動きを止めて!」

 

 ハッキリ言って、リンチだった。

 この海域に集結した全艦娘が、ただ一隻の艦娘へ砲撃を加えていく。駆逐艦から戦艦まで。対空戦力は非参加。そっちは彼女の艦載機を押し留めている。

 

 だが──誰も油断していない。

 僅かにだが、藤鎮守府の艦娘達も、D-ABYSS(ディー・アビス)の猛威を知っている。

 ()()()()()()()()()()()()

 

 その予想は、残念ながら、正解だった。

 

「……逃げたい、隠れたい、戦いたくない、何で、私に、構うの……あっち、行って下さいーっ!」

 

 ガンビア・ベイが()()()

 

「なっ……」

「またアレか!」

 

 卯月はもう何度も見ている。艦載機を足場にしての空中移動。

 

「艦娘の概念を何だと思ってんだぴょん!」

 

 しかし、分かっていても、空中へ移動するのは半ば想定外。射線を合わせ直す必要がある。その間にガンビア・ベイは、大量の艦載機を発艦させる──しかも、それを足場にして、海域封鎖を抜け出そうとしている。

 

 ついでに言うと、やはり傷一つ負っていない。あれだけの集中砲火を浴びておいて、焦げ目すらついていない。どうすればダメージを与えられるのか。卯月には全く分からない。

 

「不味い。航空隊の意味がなくなる。早く艦載機(足場)を崩して!」

「一々叫ばんでも、全員分かってますってご主人様! それよりさっさと作戦を進めてってば!」

「ごめんってばー」

 

 何だ、この、やる気の削がれる会話は。

 いや、高宮中佐みたいに、鬼畜シリアスなのもアレだけど……調子が狂う。

 尚、漣は万一の護衛として、藤提督の所にいる。

 

 各員が艦載機目掛けて集中砲火。足場にしているそれを破壊しにかかる。しかし彼女の逃亡への執念は想像以上。破壊されるよりも早く、次の足場へジャンプを繰り返す。艦娘と言うよりニンジャみたいな挙動だ。

 

 もっと対空砲火を強化しなくてはならない。誰かが声を張り上げ、弾幕密度を上げる。

 しかし、当然と言えば当然だが、ガンビア・ベイは『準備』をしていた。

 万一の場合に備えた『準備』。

 

 警戒されるのを嫌い、結構離れた場所に待機していた()()が、このタイミングで到着してしまう。

 

「──増援だ!」

 

 外海から、イロハ級の群れが殺到する。

 否、それだけではない。

 その中には『顔無し』まで混ざっている。

 援軍は一様に、ガンビア・ベイを助ける為、攻撃を開始する。

 

 これにより、艦隊は援軍の分の、攻撃や艦載機への対処を迫られる。ガンビア・ベイに回せる手は否応なしに削られる。

 尤も、彼女の狙いは、正にそれだ。

 

「このまま、このまま頑張れば、逃げられる、後、ちょっと、後少し……」

「な、わきゃねーだろぴょん」

「ひっ!?」

 

 ガンビア・ベイの眼前に、卯月が立っていた。

 即ち、艦載機の上に立っている。

 

「な、何で!?」

「何で? この曲芸を何度見せられたってんだぴょん。そりゃ覚えるわ」

「見ただけで……覚えられるものじゃ」

「それができるのが、このうーちゃんの凄い所だぴょん」

 

 嘘である。実の所『空中歩行カッコイイな!』、とド安直に思ったので、真面目に頑張ったのだ。まあ実戦で使うとは思ってなかったが。

 

「逆に利用されることまでは、想定外だったかなー……っ!」

 

 攻撃が始まる。艦載機を足場にしたまま、砲撃を繰り出し、ガンビア・ベイに近づいていく。この足場で、回避運動は困難なのか、普通に当たる。

 

 だが──なんかもう予想通りだけど──やはり傷一つ付かない。当然だ。戦艦主砲でダメなのに、駆逐艦でいける訳がない。

 

 それでも、この状況なら無意味にはならない。ダメージはなくても、衝撃はある。この空中から叩き落すことはできる。かつ、落下しても途中で留まれないよう、下の艦載機を機銃で破壊する。

 

「来ないで、来ないで下さい!」

 

 ガンビア・ベイはより逃亡する。下の艦載機が減らされた事で、より上へと昇る。ならば私も追撃を。そう動いた矢先、()()()()()()

 

「っ自爆か!」

 

 足場にされるぐらいなら不要、ということだ。ガンビア・ベイは艦載機を自爆させ、卯月から次の足場を奪った。

 爆発を避けたせいで、一気にバランスを崩す。足場もなかったせいで、卯月は転倒、一気に落下していく。

 

 その時初めて、ガンビア・ベイは敵意を向けた。

 

「消えて、ください!」

 

 空中では身動きが取れない。その隙を狙う。他の艦載機が殺到し、卯月へ大量の爆弾を叩き込んでくる。落下している卯月に逃げる手段はない。

 

 但し、足場があれば別だ。

 

 落下していた筈の卯月は、『瑞雲』へ着地、すぐさま跳躍し、爆撃を回避する。

 

「まさか──ぁあ、ええ!? Why(どうして)!?」

「む……あ、そう言えば、生きてること、知らなかったかぴょん」

「裏切ったんですか、最上さん!」

 

 ガンビア・ベイの目線の先には、車椅子に座った最上がいた。

 全身麻痺で、まともな戦闘はできない。

 だが、瑞雲のコントロールは別。少しでも航空戦力を稼ぐ為に、参加したのである。安全の為一番後方にいる。

 

 艦載機での空中歩行は、最上もできた。その彼女の支援は完璧、卯月の足場を即時構築する。

 だが、距離は離した。後は思いっきりジャンプすれば、逃亡は成功だ。

 ガンビア・ベイは、生の喜びを感じ……る直前、止まる。

 

 最上が、生きていた。裏切っていた。

 なら、()()もいるのなら。

 

「あ゛」

 

 瞬間、艦載機(足場)の大半が、蒸発した。

 

 その眼下、大発動艇と土砂によってできた仮の陸地。

 そこに、彼女はいた。

 

「漸く、やっと、お姉さまの役に立てる日が来ました。見てて下さいお姉さま。たかが軽空母一隻の艦載機なんて、あっという間に枯らしてみせます!」

 

 長10センチ連装砲ちゃんの眼が、ギラリと光る。

 防空駆逐艦(天敵)はそこにいた。



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第213話 ガンビア・ベイMk.II"D"②

掘りで完全にぬまった。ヤバいでち。


 艦載機を使い、空中から逃亡を図るガンビア・ベイ。

 しかし、その足場が一斉に破壊される。

 それは、彼女の天敵の仕業。

 防空駆逐艦、秋月が、対空砲火を次々に撃ち鳴らす。

 

「長10センチ砲ちゃん。頼りにしてるからね!」

 

 秋月の呼びかけに、彼(?)等は嬉しそうに腕をパタパタ振る。

 全盲となった秋月は、どう戦場で戦えばいいのか。

 

 答えは案外単純だった。

 視界を、長10センチ連装砲ちゃんに補って貰えば良かったのだ。

 

 元々彼らは自立稼働ができる。その稼働をする為に彼等は彼等で視力を持っていた。その情報を受け取れば、周囲の状況把握は可能。

 

 伝達のタイムラグこそ発生する。

 それでも尚、防空駆逐艦に恥じない対空砲火が実現した。

 

「ひぃぃぃぃッ!?」

 

 足場がなければ落下するのみ。空中にいたガンビア・ベイは、真っ直ぐに落下。しかも結構な高度から。海面に叩きつけられればダメージは免れない。

 

「ハッハー! 上へ逃げたのは判断ミスだぴょん!」

 

 卯月はこれを狙っていた。

 意図して、より高い位置へ逃亡させ、落下時のダメージを大きくするのが目的。

 狙った通りに事が動き、卯月はゲラゲラと大笑い。確実なトドメを刺すべく、落下地点で待ち構える。

 

 ちなみに邪魔なのでガスマスクは外した。事情をよく分かってない藤鎮守府の艦娘は引いていたが、前科持ちには今更という事でスルーされた。

 

「逃げないと逃げないと逃げないと逃げないと──!!」

 

 ガンビア・ベイは、落下しながらも艦載機を展開。新しく足場を作り、逃れようとする。

 しかし、艦載機は発艦した瞬間、破壊される。

 秋月の対空砲火だ。

 

「発艦直後で、貴女自身が空にいるのなら、迎撃は簡単です。お姉さまに良い所見せますから!」

 

 カタパルトから出た瞬間迎撃。出てくる場所が分かってるのだ、動きの予測の必要がない、狙いを合わせるだけでいい。

 それにしても百発百中。

 D-ABYSS(ディー・アビス)がなくても、今までの戦闘経験は活きている。そういう事なのだろう。卯月は一人納得する。

 

「う゛ー……traitor(裏切者)の癖に……!」

「直ぐ逃げる卑怯者に言われる筋合いはありませんね……お姉さま、今です!」

「よっしゃー!」

 

 すれ違い様に、その首元にナイフを突き立てる──卯月は跳躍し、ガンビア・ベイへ修復誘発剤の塗られたナイフを構える。

 自分が振るう勢い。彼女の落下の勢い。リミッターありだけどシステムの強化。

 三つのパワーが合わされば、外殻を貫き、傷つけられる筈だ。そういう算段だった。

 

 しかし、ガンビア・ベイも無抵抗ではない。

 咄嗟に腕でガードする。

 

 問題はない。それならそれで腕が溶解する。何かしらのチャンスに繋げられる。そう踏んで卯月はナイフを振るった。

 

 そして砕かれた。

 

「──は?」

 

 傷は付かなかった。()()()()()。逆にナイフが砕かれる結果に終わった。

 卯月は、逆に危機に陥った。

 ガンビア・ベイが突撃銃をこちらへ向けていた。

 

「喰らって下さい」

 

 放たれるのは弾丸か艦載機か。どちらにしても、この距離&システムの強化込み。喰らえば絶命は免れない。

 しかし卯月は冷静だ。予想していた展開だからだ。

 

「チッ、分かってるぴょん。そんな簡単にはいかないって」

 

 卯月は、予め投下しておいた鎖を引っ張っる。それにより一気に()へ移動。攻撃を回避し、海面へ着地する。

 それと同時に、味方の空爆が、ガンビア・ベイを捉えた。

 大量の爆弾に晒され、爆炎に彼女は覆われる。

 

 そう、爆炎でガンビア・ベイを見失った。なら次に起きる展開は決まってる。ステルスだ。

 

「また消えやがったぴょん……」

 

 ガンビア・ベイの基本戦術が分かってきた。兎にも角にも逃亡全振り。一瞬でも目線から外した途端、ステルス迷彩──もしくは体表の色を変えて、姿を消す。そうして探している間に戦線離脱。

 迷彩を活用して、暗殺とか奇襲をする様子はない。普通の戦闘ならありがたいが、追撃戦では最悪。それを承知でしてるのだろうが。

 

 しかし、謎なのは、何故『波紋』すらないのか。

 

 ガンビア・ベイは今、空中で空襲を受けた。その爆炎を利用し、ステルス迷彩で姿を消した。なら何処かに『着水』している。足場になる艦載機は秋月が全滅させた。空中にいられないのだから、『着水』しかない。

 

 なら、『波紋』が立つ。

 空から『着水』したなら、『波紋』が立つ。

 それが、ないのだ。

 

「……漠然と、戦うだけじゃ、ダメかもしれない」

 

 卯月は呟く。なら、それは私の役割だ。この中で一番システムを理解してるのは私だ。私がやらなきゃいけない。

 だが、此処から逃がしたら元も子もない。

 姿を消したガンビア・ベイを、再び探さなければならない。

 

 尤も、もう簡単には、逃げれないけど。

 

『第三段階、完了。とりあえず一段落、お疲れ様ー、海域封鎖は完了だよー』

 

 忘れてはいけない。今の空中戦も時間稼ぎに過ぎない。基地航空隊が任務を完了するまでの時間稼ぎだ。

 何が何でも、ガンビア・ベイを逃がさない。

 と、なれば、アレだ。

 海域封鎖と言えばアレ。かつての海軍──ってか、この国が苦しむ羽目になったアレ。

 

 基地航空隊は、アレを既に撒き切った。

 

 そして、封鎖エリアに、大規模爆発が起きる。そこに、爆風で打ち上げられたガンビア・ベイがいた。

 

「──何で、機雷が!?」

 

 『アレ』とは機雷のこと。

 接触した瞬間、大爆発を起こす兵器。それを基地航空隊を使い、外海との境界線上に投下したのだ──山程の量を。それに触れ、爆発により彼女は打ち上げられたのだ。

 

 大発動艇と、土砂崩れで物理的に封鎖。それでも残る隙間は機雷で封鎖。これで海域封鎖は成立した。もう簡単には逃げられない。

 

『今だよー! アイツをこっちへ引っ張って! 逃がさないでー!』

『その辺の指示は出さなくていいから大丈夫ですご主人様』

『あ、そう?』

 

 僅かに宙へ浮いたガンビア・ベイ。回避行動は一切取れない。そのチャンスを見逃しはしない。さっきの航空隊が現れ、矢継ぎ早に爆弾を投下。その衝撃で、彼女を『内地』に押し戻す。下からも砲撃で支援。このまま『内地』まで引き摺り込めば──

 

「痛い、です!」

 

 しかし、そこで抵抗が激しくなる。空中で転がされながらも、艦載機を発艦。その衝撃で纏わりつく爆発を吹っ飛ばし海面へ着水。

 尚、無傷である。

 相当量の攻撃を浴びせかけたが、無傷だった。

 

「……ちょっと、自信を無くすデース」

 

 金剛のボヤキに誰もが同意した。

 幾ら何でも()()()()。ここまで殴って掠り傷もつかないのは何なんだ。このまま砲撃や空爆で攻撃して、倒せるのか? 

 当然の疑問が、脳裏を過る。

 

「う、うう……酷い。何で、皆寄ってたかって、私を虐めるんですか……人の心がない。devil(悪魔)、そうです、全員devil(悪魔)です!」

 

 全員『は?』と言いたげな顔で固まった。

 その瞬間、機雷が次々と爆発を始めた。

 何事かと視線を向けると──想定される事態だが、起きて欲しくなかった光景が見えた。

 

 イロハ級が、特攻を仕掛けていた。

 

 一匹が封鎖海域に入る。回避運動はしない。当然機雷に触れ、爆死する。次の個体も同じ様に突っ込み、触れて、自爆。

 とんでもない方法で機雷掃海を始めた。物量ゴリ押しかよ。卯月は内心絶句する。

 

 だが手段はどうでもいい。

 問題は、タイムリミットが生まれたということ。

 機雷はアホ程撒いたが無限ではない。いつかは掃海が完了する。艦娘一隻が通れる隙間が生まれた瞬間、ガンビア・ベイは逃げ出す。

 

 そこまでがタイムリミット。

 正面から戦える時間制限。

 

「そんな、手段をしたってことは、戦う気になったってことでオーケー、かぴょん?」

 

 ガンビア・ベイの顔は青ざめていた。脂汗を絶え間なく流し、心の底から怯え切っている。卯月は苛立ちを抑えきれない。

 

「どうして、私がこんな目に合うの? とでも言いたげな顔だぴょん」

「そうです! は、恥ずかしくないんですか、こんな、か弱い私を、寄ってたかって、虐めて、騙して! 恥を、知りなさい。prideとか無いんですか!」

「安心するぴょん」

「へ?」

 

 卯月は満面の笑みを浮かべた。

 殺意全開。システム起動。こめかみに血管が浮かぶ。

 今更だが、卯月は彼女が嫌いだ。

 何なら、今まで会った敵の中で、ダントツで嫌いだ。

 

「これから、その性根が焼き切れるまで、虐め抜いてやるぴょん」

「ピエ」

 

 自分の行為を認めすらしない外道を、嫌悪しない理由はない。

 

 

 

 

 やっと、正面からの戦いが始まった──と思わせといて、そんな展開にはならない。

 ガンビア・ベイが正面戦闘をする筈がない。

 その点においては、謎の信頼がある。

 

「助けてぇぇぇぇ!」

 

 悲鳴そのもの。泣きながら絶叫する。

 同時に何かの作動音が聞こえた。

 今の悲鳴が、何かの合図になっていたのだ。

 

「──何か、来る、警戒を!」

 

 卯月は急いで音源を辿る。その先にあったのは──爆発で吹っ飛んだ輸送艦だ。

 それらが突然、カッと輝き、一斉に爆発した。

 

「目晦まし!?」

 

 複数隻あった輸送艦全員が、閃光を放ち自爆。

 アレは単なる輸送艦ではない。

 万が一の時、ガンビア・ベイの逃亡を援護する目的もあった。今の眼晦ましもその一環だったと、卯月達は理解する。

 

 再び目を開けた時、ガンビア・ベイは姿を消していた。

 だけではなかった。

 あの輸送艦が放ったのは、閃光だけではなかった。

 

「……煙幕まで兼ねてんのかぴょん」

 

 同じく戦場全域が、煙幕で覆われてしまっていた。

 どれも、ステルス能力を補強するものだ。面倒なことになったと、卯月は舌打ちをする。

 そうこうしている間にも、外からイロハ級は押し寄せる。機雷を除去する為の自爆を慣行し続ける。

 

『イロハ級の迎撃を優先! ガンビア・ベイへの攻撃は慎重にやって、下手にやったらフレンドリーファイアになるからー!』

 

 藤提督の指示が飛ぶ。その声通り、砲撃や空爆により、掃討部隊の迎撃が始まる。しかし、相手は命も顧みない自爆特攻。押し切られる可能性は高い。そうのんびりしている時間はない。

 

「本当に、正面から戦ってくれんのかぴょん……」

 

 このままずーっと隠れ続ける可能性も否定できない。それならそれで、しらみつぶしに探すだけだが。どっちにしても、彼女を探さなければ始まらない。卯月は聴覚に意識を集中させる。

 色んな音が聞こえるが、彼女らしき音は何もない。

 そんな筈はない、ステルスだろうが何だろうが、何かしらの音はあって然るべき。卯月はもっと、もっとと、集中していく。

 

 しかし、何も聞こえない。

 どれだけ集中しても、騒音以外聞こえない。

 そんなに集中していては、隙を晒すようなもの。

 

「…………」

 

 ガンビア・ベイは卯月の背後にいた。そして突撃銃を構えていた。近づかない。接近戦はリスクがある。ライフルで頭部を跳ねれば良い。

 

「……聞こえない、何も、何でだぴょん」

 

 トリガーが引かれた。

 薬莢の炸裂音さえ響かない。無音のままライフル弾が撃ちだされる。

 

「でも『殺意』は感じたぴょん」

「!!」

「見えないけど、そこにいるな、ガンビア・ベイ!」

 

 真っ赤な眼光がガンビア・ベイを射抜いた。

 ぐるりと上半身を回し、その勢いで主砲を振るう。幾ら艤装の補正があっても、ライフル弾と艤装では話にならない。

 頭部を跳ねる筈だった弾丸が、主砲に殴られ、弾かれる。

 

「パターンが単調なんだぴょん。後ろに回り込んでくるって予想してれば、察知するのは簡単だ。赤城のクソ訓練が役に立ったぴょん!」

 

 反撃の砲弾が迫る。ガンビア・ベイは思考する。当たってもダメージはない。だが、当たればいると確証を持たれる。まだ卯月は位置を完全特定できていない。それは避けたい。回避が望ましいが、大きく動けば『迷彩』がブレる。

 

 と、なれば、選択肢はアレだ。

 

「着弾! そこかっぴょん!」

 

 砲弾が当たり爆発が起きる。ガンビア・ベイがいるのはあそこだ。一点集中で砲撃する。ダメージは無くていい。奴が此処にいると、周りに気付かせるのが目的だ。次の砲弾を叩き込もうとして──手応えがない。

 

 艦娘を撃ったにしては、手応えが小さい。

 次の瞬間、卯月は判断ミスを理解する。

 

「違う、これ、艦載機だ、ステルスの!?」

 

 何度か彼女が用いた、完全ステルスの艦載機。動き出さない限りは、迷彩が解除されない、厄介な代物。

 卯月が撃ったのはそっちだった。

 予め上空に待機させていた一機を、ここを目標として、落下させたのだ。

 

 卯月に隙が生まれた。ガンビア・ベイは躊躇なくそこを突く。再び突撃銃を構え、頭に狙いを定めてトリガーを引く。

 今度は防御できない。艤装よりも奥。顔の前へ弾丸が迫る。

 

 けど卯月は別に、一人で戦ってるのではない。

 

「秋月! 最上! 助けてくれだっぴょんーッ!」

 

 その声を聞いてか、事前に察知してか、卯月の正面を機銃が薙ぎ払った。

 それは、上から降下してきた、瑞雲の機銃。

 更に、秋月の長10センチ高角砲ちゃんが、ガンビア・ベイを補足した。

 

「最初から、弾丸がどう飛ぶか見れば、透明でも位置は特定できます。後は隙間なく連射するだけです」

 

 卯月とは比較にならない。高密度の弾幕が、一帯を覆う。再びステルス艦載機でガードするも、防ぎきれない。一発がガンビア・ベイに着弾。

 その衝撃で迷彩が一瞬乱れる。

 ダメージはない。だが、秋月は目ざとくそれに気づく。

 

「発見しました!」

「よくやった秋月。後でよしよししてあげるっぴょん!」

 

 ガンビア・ベイの迷彩は直ぐ復元される──が、卯月はもう目の前にいた。そして、彼女がどう逃げても、問題ない戦法を取る。ナイフを振るうと見せかけて、卯月は、大きな風呂敷を宙へ投げる。

 

「エネルギー吸収阻害用のでかい布。これで、巻き取ってやるぴょん。最上、またもお願いしますだぴょん!」

 

 『任せてよ!』と声が聞こえる。

 投げた布を、瑞雲がフロートで上手くキャッチ。からの急降下で、周囲を一気に覆う。

 と、なればどうなるか。

 ステルスだろうが関係ない。ガンビア・ベイがそこにいれば、彼女の形が浮かび上がる。

 

 ガンビア・ベイの位置が完全に特定された。

 

 その瞬間を待っていた人達がいる。

 

 この場で最高火力を出せる二人組。金剛と比叡。

 金剛型改二丙二隻。かつ夜戦でのみ、出せる大技がある。

 

「これの直撃なら」

「どうです、カーッ!」

 

 僚艦夜戦突撃がシルエットに直撃した。



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第214話 ガンビア・ベイMk.II"D"③

シン仮面ライダー見てきた。カッコ良かった。

……とんでもないアイデアが浮かんだが……いけるか……?


 ステルス迷彩&カムフラ迷彩を駆使し、あの手この手で姿を隠すガンビア・ベイ。海上封鎖突破のタイムリミットが迫る中、卯月達はどうにか彼女の位置特定に成功する。

 

「喰らいデース!」

 

 その瞬間を逃しはしない。ずっとチャンスを伺っていた金剛と比叡が、一斉攻撃を叩き込む。

 戦艦二隻分の集中砲火。海面に張った布に浮かんだ、ガンビア・ベイのシルエットが、一瞬で粉微塵になる。

 

 しかし、粉微塵ではなかった。

 霧散しただけだった。

 

「これって──」

 

 おかしい。手応えがない。今撃ったのは本当に彼女なのか? 

 比叡の疑問は、直ぐ解消される。

 砲撃で破けた布から、出てきたのは、艦載機の残骸だけだった。その意味を卯月は理解する。

 

「違う! 当たってない! 騙された、艦載機で人型のシルエットを作っただけだぴょん!」

 

 布越しに居場所を特定しようとした。それを逆に利用された。彼女は布が人型に浮かび上がるよう、艦載機を使って、布の一部を持ち上げたのだ。

 なら、本体は今何処に? 

 卯月は布を凝視する。そして気づく。とても小さいが、布を押しのけて動く『何か』がある。

 

 理解した。ガンビア・ベイは艦載機を囮にした。その上で匍匐前進で逃げている。一手遅れたがまだ間に合う。

 

 金剛達はリロードタイムが必要だ。待ってたら逃がす。ダメージにならずとも、時間稼ぎはできる。

 卯月はナイフを構え、彼女の所へ飛び込む。渾身の力で振り下ろす。

 

 そして、布を割いたその瞬間。

 大量の黒煙に襲われた。

 

「うっ!?」

 

 同時に炎が噴き出す。

 

「何だコレ! まさか、燃えてんのかぴょ──」

「『二手』。遅れましたね」

「ッ!?」

 

 声が聞こえた瞬間、卯月はそこへナイフを振るう。しかし虚空を切る。もう彼女はいない。

 

 ガンビア・ベイは、何かの手段で布を燃やしていたのだ。改めて探そうとしても、大量の黒煙が邪魔をする。やむを得ず距離を取り、砲撃で煙を蹴散らす。

 

「お姉さま。これは……」

「逃げられ。あ、そこまでじゃない。けど、クソ面倒な。また探し出すトコからスタートかっぴょん!?」

 

 既に影も形もない。ガンビア・ベイは再び姿を消した。

 そして、再捜索の難度は間違いなく上がっている。卯月に対し攻撃するのさえ、慎重にやるだろう。

 その時、味方がやって来るのが見えた。アレは……満潮か。

 

「テメー、今更何の用だぴょん」

「ガンビア・ベイを探す目は、少しでも多い方がいいでしょ。私は此処からアンタを援護する」

「それ、何時通りでは?」

「そうなるわ。他の連中は、周りから捜索してる」

 

 この位置一点から探すより、多角的に探した方が、ガンビア・ベイは発見し易い──筈だ。多分だけど。

 そして、満潮は卯月の背中についた。

 

「背中合わせにして。お互いの背後を補って。全方位を見ないと、アイツには対応できないわ!」

 

 その指示に従い、この辺りにいる者達は、それぞれ背中合わせにくっつく。

 卯月は満潮、金剛は比叡、秋月は……卯月を暫く見つめた後、悲しい顔で桃にくっついた。桃は極めて不服そうである。

 

「……情報によれば、アイツがステルスになれるのは、動かない時だけって聞いたが」

「そうよ。だけど、カムフラージュなら動きながらでもできる。でも激しく動いたら、当たり前だけど見つけやすくなる」

「この煙幕がなければ、だけどね」

「ステルスじゃなくて十分なんだ。この煙があれば、カムフラでも十分姿は隠せるって訳だ」

 

 さっき布が燃えた分の煙も加わり、視界はより悪化した。

 声がするので、近くにいるのだろうが、松と竹の姿もぼやけてる。竹の言った通りだ。ガンビア・ベイの姿はまるで見えない。

 

「透明になってる訳じゃあない。動けば必ず痕跡が残る。注意深く観察して、見つけ出す。現状それしかないぴょん!」

 

 卯月は叫ぶ。実際それしかない。本来なら透明化の原理を突き止めないといけないが、今のままではそれさえできない。

 だけど、必ず仕掛けてくる。

 海域封鎖はまだ継続中。機雷は残っている。その間に少しでも頭数を減らそうとする筈だ。

 

「せめて、空爆の援護が加わってくれれば……!」

 

 チラリと、空を見る。

 飛鷹や赤城の航空隊は、ガンビア・ベイ&イロハ級の航空部隊と交戦中。

 艦載機のパワーアップも尋常ではない。ほぼ拮抗。ギリギリ優勢と言った所。爆雷を投下した基地航空隊が、補給を終え帰ってくれば、状況は変わる。

 

 逆に言えば、そこまでに仕掛けてくるということ。

 

 ……多分だが。

 

 逃げ特化のスタイルのせいで、向こうから攻めてくるイメージが皆無だ。本当に攻撃して来るよな。でないと困る。

 

「来るなら来やがれってんだぴょ──」

 

 その時、寒気を感じた。

 気のせいとか、第六感的なものではない。

 背中越しに感じていた、満潮のぬくもりが、消えた。

 

「な……」

 

 振り返る。

 脇腹から血を流し蹲っている。

 満潮が既に攻撃されていた。

 

「何でだぴょんッ!?」

 

 内臓に到達している可能性さえあり得る。深い傷を満潮は負わされた。

 それだけの攻撃なのに、発砲音一つしかなかった。

 艦載機の飛ぶ音もなかった。機体の影も見えなかった。

 なのに攻撃されていた。

 

「バカな、どうやって、何時、どう攻撃が来たんだぴょん!」

「大声出すな……傷に、響く……!」

「っだ、大丈夫かぴょん」

「節穴なの……眼球機能してんの……無事に決まってんじゃない」

 

 皮肉は言える辺り、一応大丈夫っぽい。しかし深い傷に変わりはない。卯月は周囲に警戒しながら、応急処置を始める。

 

 急いで傷を塞ぎながら、卯月は確証を持った。

 来る、攻撃が、今此処で来る。

 治療中の隙を突いて、必ずガンビア・ベイは仕掛けてくる。

 

 周りの仲間もそれを察知し、警戒心を一層高める。

 

 殺意を感じた。

 

「──ッそこか!」

 

 治療を中断し主砲を構える。やはり死角からの攻撃。真後ろから『何か』が来る。振り返った卯月が見たのは──無音で飛行する戦闘機。

 その機銃は、卯月へ向いている。

 

 予想はしていたが、こっちも無音。ガンビア・ベイ本体同様、艦載機まで音を消せる。一体どういう原理なのか。

 

「けど、撃ち落とせば、関係ないぴょん」

 

 この距離だ。狙いをつけるとかは要らない。撃てば終わる。

 トリガーを引く、その寸前。

 秋月が悲鳴を上げた。

 

「違いますお姉さま! そっちじゃない!」

 

 何を? その疑問は直ぐ解消される。

 

()()()!」

 

 そう言ってくれたから、卯月はギリギリで気づけた。

 今、撃ち落とそうとしていた艦載機。

 ──その隣に、もう一気に、透明な艦載機がいた。

 

 

 

 

 気付かなかければならなかった。

 ガンビア・ベイは、自分だけでなく、艦載機も透明化できる。

 

 同じ要領で、艦載機もカムフラージュできたのだ。

 

 透明って訳ではない。集中すれば見える。しかし、煙幕の中、縦横無尽に飛行する、小さな艦載機を補足し続けられるかは、全く別の問題。

 

 今、卯月の眼前にいるのは、正にそれだ。

 

「痛いぴょん……!」

 

 満潮のようなダメージは回避した。しかしノーダメージはダメだった。機銃をギリギリで防いだものの、跳弾に肩を抉られた。

 

「何てこと。これに気付けなかったなんて、防空駆逐艦失格です!」

「わー、これ、ヤバいね。でも、やるしかないよ……ね?」

 

 上空では制空権争いが続いている。

 きっと、それも囮だった。

 

 ガンビア・ベイはずっと、卯月達を艦載機で包囲しようとしてたのだ。

 それが今、完成してしまった。もっと早く気付くべきだったのに、策に嵌ってしまった。後悔しても遅い。

 

 ()()()()()()()()()()と意識して周囲を観察する。絶望的な状況に松は悲鳴を上げた。

 

()()()()()()! 透明な艦載機に!」

 

 それを合図に攻撃が始まった。

 不可視かつ、電探にかからず、かつ無音の艦載機が突っ込んでくる。

 咄嗟に金剛が指示を出した。

 

「注意して観察するネー! 完全なstealth(透明)じゃない。camouflage(擬態)してるだけ。集中すれば見えるカラ!」

 

 彼女の言う事は間違ってない。確かに見えるっちゃ見える。迎撃はできる。だが、とんでもなく見にくい。そこが問題だった。艦載機は手の平サイズしかない。それが周囲の色と同化した挙句、煙幕の中を飛翔する。

 見える訳がない。

 見えたとしても凄まじい集中力が要求される。

 

 しかしやらなきゃスクラップにされる。

 

 それを分かっているから悲鳴も上げず、全員が対空砲火を始めた。

 

 これもまたガンビア・ベイの狙いだ。対処困難だが不可能ではない攻撃を続け、集中力を削いでいく。そうしておけば海域封鎖が破壊された時、楽々と逃亡できる。殺すのは二の次。自分を生還させることが至上目的だ。

 

「秋月ちゃん……で、いいんだよね。もうちょっと狙いを定められない!? 正直、秋月ちゃんが頼りなの!」

 

 秋月は桃と背中合わせで戦っている。偶々そういう組み合わせになった。

 彼女は他の防空駆逐艦と会ったことがある。本来の性能を知っているが故に、もう少し何とかならないかと声を上げる。

 

「すみません。でも、全盲の身ではこれが限界で……」

「全盲かぁ……全盲!? 嘘でしょ!? それで戦闘に参加しちゃったの!?」

「はい、お姉さまの役に立ちたくて!」

「お姉さま?」

「あ、卯月お姉さまです」

 

 その瞬間、金剛達の意識が卯月へ向けられた。

 

「まあこういう空気になるわよね」

「何だこの空気。言いたい事があるなら言いやがれってんだぴょんッ!」

「あ、うん。後で聞くね」

 

 聞かれるんですか。そうですか。生き残っても地獄が確定した卯月。やけくそ気味に鬱憤を対空砲火へぶつける──が上手くいかない。

 実際問題、秋月が要になり得るのは確かだ。

 彼女は防空駆逐艦。空母の天敵。しかも包囲する為艦載機はかなり近くに降りている。上手くいけば一網打尽にできる。

 

 しかし全盲なのが此処で足を引っ張る。

 長10センチ連装砲の視界経由では、肉眼で見るより、余計にカムフラ戦闘機を見つけ辛い。対空砲火は中々当たらず、苦戦を強いられている。

 

 それを打開できるスペシャルな策が浮かべばいいのだろうが、そう都合の良い展開はあり得ない。卯月は思考を切り替える。秋月はあくまでサポート。やるべきことは艦載機殲滅ではなく、ガンビア・ベイの撃破。

 

 このままでは埒が明かない──その状況を認識したのは、卯月だけではない。遠くから状況を聞いている藤提督も同じ。

 戦場全域に彼女の声が響いた。

 

『追加の指示です! 今から少しの間、ガンビア・ベイ捜索を中断。戦闘部隊を包囲する艦載機の殲滅に集中してください! 全員です、イロハ級の迎撃や航空隊も全員です、よろしくお願いします!』

 

 ……それでいいのか? 

 疑問に思った卯月に向かって、意味ありげに金剛が目配せをする。

 そういうことか。

 何となくだが藤提督の意図を察する。

 

「対空戦闘へ突入だぴょん! でも、背中合わせは継続すべきだぴょん!」

「そうですね。奇襲への警戒は、怠ったら不味いですから!」

 

 わざわざそれを口に出した。そこがミソだ。

 藤提督は『嘘』を吐いた。

 艦載機殲滅に集中はする──但し私達以外。戦闘部隊である卯月達は、集中する『フリ』をしてるだけ。やってることは逆。ガンビア・ベイ補足に集中する。

 

 そうすれば、彼女は姿を現す筈だ。艦載機処理に集中する今を逃す手はない。

 

 重要なのは『殺意』だ。

 ガンビア・ベイであっても、攻撃には『殺意』が伴う。

 その瞬間カウンターを当てる……いや当ててもダメージにはならないが、策はある。

 

 卯月は懐にナイフを潜ませている。そこには、鎮守府攻略戦でも使った、細いワイヤーが通されている。攻撃と同時にこれを絡めれば、再度逃亡されても追跡できる。

 

 さっさと出てこい。

 攻撃を仕掛けてこい。

 

「ガンビア・ベイです!」

 

 だからその意味が分からなかった。

 声を上げたのは『弥生』だった。

 

「What!?」

「うーちゃんじゃない。弥生達の方に!?」

 

 確かにそこにガンビア・ベイはいた。見辛いが間違いなくいる。艦載機に集中していた弥生と望月の方へ出現したのだ。

 ガンビア・ベイがライフルを構える。攻撃の姿勢だ。

 

「まさか……倒しやすい方から、狙ってるってこと……舐められてるねー、アタシ達」

「だとしたら、弥生は怒ります。舐めるなと」

 

 艦載機の処理は中断を余儀なくされる。

 攻撃を仕掛けんとするガンビア・ベイに主砲と雷撃を同時に発射。更に二人が左右に分かれ、どちらへ逃げても追撃できる状況へ。

 

 それに対し彼女は──無防備に食らった。

 

「え」

 

 回避行動さえ取らなかった。主砲も魚雷も直撃。けどダメだ。駆逐艦程度の攻撃ではダメージにならない。

 そう思っていたのに。

 

「どうして」

 

 ガンビア・ベイの半身が千切れ飛んでいた。

 何なら頭部も半分消し炭だ。

 どう見ても、再起不能に陥っている。

 

 おかしい。卯月の全てが警鐘を鳴らす。明らかに何かがおかしい。

 

「……え、勝った、の、あた」

「『Victory(勝利)』を確信、しましたね。それが一番dangerous(危険)なのに」

「──っ!?」

 

 ここからがガンビア・ベイの攻撃だった。

 卯月達の眼前にある光景。

 それは、半身が千切れたまま動くガンビア・ベイと──血飛沫を上げて倒れる弥生の姿だった。

 

「弥生っ!!」

 

 更に攻撃は続く。次の標的は。

 

「自分への『殺意』じゃなきゃ鈍い。私のPredict(予想)は正解……あ、安心しましたよ」

「が……っ!?」

 

 卯月の艤装にライフル弾が撃ち込まれた。

 ──真正面から、脇腹諸共。

 彼女の視界が、鮮血と臓物で染まった。



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第215話 ガンビア・ベイMk.II"D"④

「何ィ──ッ!?」

 

 卯月の絶叫が戦場へ響く。全員の眼がそちらへ向かう。

 状況を認識する。

 卯月の目の前にガンビア・ベイは現れた。腹部を撃ち抜かれていた。

 そして思う──何故かと。

 

「漸くdamage(ダメージ)、ですね。疲れました。もう二度としたくないです、こんな怖い思いは」

「テメェ! だけど迂闊だな、姿を現したなら、逃がす道理はないぴょん!」

 

 激痛は気にならない。『殺意』とはそういう技術だ。すぐさま錨を取り出し、それを投げつけ、片手へ巻き付ける。

 凄い時間が掛かった気がするが、これで拘束できた。後は純粋なパワー勝負になる。

 

「逃げさない、絶対に!」

「ヒッ、腹を抉ったのに、動くなんてあり得ない。気持ち悪いです、この駆逐艦!」

「一々煩い卑怯者!」

 

 何とでも言うが良い。一時的だが拘束できた。これで漸く攻撃を叩き込める。既に周りも動き出した。

 いの一番に動いたのは──攻撃の機会を伺い続けていた、金剛と比叡。

 発射準備はできていた。

 

「お姉さま!」

「一斉射、受けるデーッス!」

 

 二回目の僚艦夜戦突撃がガンビア・ベイを捉える。

 卯月は鎖を離さない。

 爆発に巻き込まれようが構わない。此処で必ず仕留めると、覚悟を決め睨みつける。

 

 そして、気付いた。

 

 ガンビア・ベイの顔色が変わってないことに。

 

「着弾!」

 

 爆発が二人を包む。手応えがあったと比叡は手を握る。金剛は卯月が無事かと汗を流す。

 煙が晴れるのを待つ時間はない。

 二人は偵察機を飛ばし、その回転で煙を飛ばす。

 

 砲撃の結果に比叡は呟く。

 

「──嘘でしょ」

 

 ガンビア・ベイは無傷だった。

 

「痛ってぇ! こいつは無傷!? ざけんな!」

 

 拘束していた鎖はギリギリ繋がったまま。しかし卯月が片腕を負傷してしまっていた。

 結果は見ての通り。

 戦艦二隻の一斉射さえ、ガンビア・ベイには通らない。

 

『ぼんやりしない! 金剛達は再装填、空母たちは制空権の維持! 陸上砲台部隊動いて!』

 

 そう、まだこの場所での最高火力は叩き込めていないのだ。

 金剛と比叡ではない。

 即興の迎撃拠点に設置された──そんなものを数分で用意できるのが大概だが──陸上砲台。

 

 船に乗せる物ではないので、当然火力は更に高い。

 弱点として、狙いを定めるのに若干の時間がかかるが、今ガンビア・ベイは拘束中。命中させる最大のチャンスになる。

 

『卯月ちゃん巻き添えになるけどごめんね!』

「雑な扱いは慣れてるぴょん!」

 

 言ってて悲しくなるが事実である。

 そう言ってる間に、陸上砲台が狙いを定める。この瞬間の為発射準備はできている。声を上げる事さえなく、大口径砲弾が放たれる。

 

 誰もが願う。

 頼むからダメージになってくれと。

 これ以上の火力は、ここにはないのだから。

 

 しかし、結果は意外な所から齎された。

 

「それは、傷がつきます」

 

 ガンビア・ベイが口を開く。

 

「なのでescape(逃走)です」

「逃がす筈が」

「違いました、すいません、もう()()()()()

 

 何を言っている? 

 その意味を卯月は直ぐ理解した。

 

 鎖が()()()と抜け落ちた。

 

「な!?」

 

 ギチギチに縛っていたのに、蛇の脱皮みたいにズルリと抜けた。

 意味が分からない──理解する間もない。拘束から抜けた以上、ガンビア・ベイは逃げる。

 あっと言う間に煙幕の中へ消え、カムフラージュで景色と同化する。直ぐに音も何も聞こえなくなる。

 だが、だが、混乱している場合ではない。

 

『回避してぇ──ッ!!』

 

 卯月は分かっている。

 自分の目前に、放たれた陸上砲台が迫っているのを。

 ガンビア・ベイの拘束は失敗した。この場にいる理由はない。卯月はすぐ回避行動へ移る。

 

 だが動けなかった。

 正確には、身体が重くて動かなかった。

 絡まる鎖のせいで。

 

「錨!? 足元に、いつの間に!?」

 

 誰がやったのかは言うまでもない。ガンビア・ベイだ。彼女は何らかの方法で、卯月に気付かれず自身の錨を巻き付けたのだ。

 卯月は気づく。

 自分は捕まえたのではない、()()()()()()のだと。

 

 味方の砲撃が、卯月を爆炎で吹き飛ばす。

 そう誰もが思った。

 

 しかし爆発は、もっと後方で起きた。

 

「…………?」

 

 目を閉じていた卯月は、そっと目を開ける。

 

「未熟です。また特訓しますか?」

「……赤城さん? どうやって」

「切りました。まさか味方の攻撃の妨害をする羽目になるとは、思いませんでした」

 

 切ったって。砲弾を切るって、そう簡単に言って良いことじゃないと思うけど。

 いや助かったんだから文句はないけど。

 と、落ち着いたのが悪かった。

 激痛が走った。

 

「──っ!」

 

 抉られた脇腹が痛む。痛いどころじゃない。内臓まで少し飛び出てる。『殺意』で不快感を無視してるから、気絶せずに済んでる。

 

「治療が必要です。向こうで弥生さんが治療を受けています。一緒に応急処理をして貰いましょう。急いで下さい。こうしている間にも、彼女は追撃を試みてる筈」

「まだ、もうちょっと」

「ガンビア・ベイは逃亡しました。優先すべきは」

「まだ、逃がしてないぴょん……」

 

 卯月が手を開く。そこにはワイヤーがあり、何処かへ繋がっている。

 

「ナイフを投げたのは、鎖を絡ませる為の布石。だけど同時に、こういう意味もあったんだぴょん」

「あの時、ワイヤーを繋げていたと?」

「うん、この先に、あいつはいるぴょん!」

 

 まだ繋がってる感覚はある。辿れば攻撃ができる。痛みを堪えながら卯月は立ち上がる。

 

「……いえ、ダメでしょうね」

「何でだぴょん」

「引っ張ってみて下さい。それを、全力で」

 

 赤城の警告。『まさか?』と汗を流しながら、卯月はワイヤーを引く。

 結果、ガンビア・ベイを引き寄せ──無かった。

 ワイヤーは()()()()()()()

 引っ張った途端、引き寄せられたワイヤーによって、全身が雁字搦めにされてしまった。

 

「何で!?」

「気づいていたという事です。だから逆に利用した。引いた途端、私達に絡みつく形に再配置したんです」

「って事は、次に来るのは!?」

 

 一瞬の事だった。ガンビア・ベイはこれを何処かで待っていたのだ。カムフラージュを解除した爆撃機が、夥しい量の爆弾を、卯月達に向けて放り投げる。

 ワイヤーのせいで直ぐに逃げられない。

 

「大丈夫、解けます」

 

 赤城がそう言った途端、ワイヤーが『切れた』。

 細切れになって落ちていく。

 

「絡みつく前に、切っておきました。そして攻撃が来ることも予想済み。考え方が少し甘いですね、ガンビア・ベイ」

 

 赤城は跳躍、上から弓矢を放ち、一気に大量の艦載機を展開、爆弾を始末する。

 しかし爆撃機は健在、直ぐ次のが襲来するだろう。

 だが、それを許さない者がいる。

 鬼の形相で突っ込んできたのは、秋月だった。

 

「ちゃんと目視できるなら、こんなの落とせるんですよ!」

 

 長10センチ連装砲ちゃんが火を噴く。追撃を目論んでいた爆撃機は、あっという間に鉄くずへ成り果てる。

 

「助かった、ありがとうだぴょん!」

「お礼はいりません! お姉さまを助けられること自体が至福の極みなので! もっと頼っていただけると!」

「うん、でも無茶はしないで。秋月はとても大事だぴょん!」

「……ふぇ!?」

 

 そう、秋月は重要だ。

 防空駆逐艦である彼女がいなくなったら、戦いは更に不利になる。決して無理はして欲しくない。卯月のはそういう意味合いの発言だ。

 秋月はそう捉えなかった模様。

 

「へへ……大事? とても、うふ、ふふふ、えへへへへ」

「……秋月はどうしたんだぴょん?」

「卯月さん。生還したら、不知火に頼んで国語の授業もパワーアップしますから」

「ゑ?」

 

 自業自得であった。卯月はまた罪を一つ重ねた。

 

「とにかく治療をしましょう」

 

 ワイヤー作戦は失敗。そうするしかない。弥生の所へ行くと、秋月と望月が警戒する中、桃が弥生の治療を行っていた。

 

「桃さん」

「分かってる! 卯月ちゃんもね……って酷過ぎない!? 内臓出てるよ!? 何で動けてるの!?」

「気合」

「バカーっ!」

 

 桃に怒られながらも応急処理を受ける。

 そうしている間にも、ガンビア・ベイの攻撃は続く。機雷源は着実に削られている。ステルスとカムフラージュの戦闘機で負傷者は増えていく。

 何時も間にか形成された艦載機包囲網は、未だ健在だ。

 

「……ヤバくないですか、コレ」

 

 弥生の言葉が、状況を物語っている。

 

「……逆だったんだ。あたし達はあいつを誘い込んだと思っていた。けど、誘い込まれたのはアタシ達だった」

 

 負傷者を積極的に増やすのは、最後の準備。

 対空戦力を削り、体力を削り、気力を削り。

 機雷源を越えて突っ込んできた、イロハ級と顔無しの部隊で、一気に圧し潰す為の布石だ。

 

「狩られていたのは、あたし達だったのか」

 

 全員、反論できなかった。

 追い込まれているのは、間違いなく()()()()()

 

「いいえ、狩りをしているのは私達です」

「え?」

 

 赤城の否定に、気の抜けた返事をしてしまう。

 

「『狩り』とは知恵のある者達が『集団』で行うもの。ガンビア・ベイはせいぜい群れを率いているだけの『獣』。ちょっと知恵が回るだけの『獣』に過ぎません。ケダモノ風情に負ける道理はありません」

 

 それでも尚負けるバカはいませんね? 

 と赤城は挑発する。

 そんな言われ方をして、気合の入らない者はいない。言われてみれば腹が立つ。スペック差のゴリ押しで負けるなんて、屈辱でしかない。

 

「……でも、あの能力は何なんだぴょん。偽物が出てきたり、絡めた鎖がヌルって抜けたり。あいつの能力は『ステルス』と『カムフラージュ』。まさか、他にも隠している能力があんのかぴょん」

「それについて、熊野さんから伝言を預かってます」

「熊野から?」

「ええ、最上さんの傍を離れられないそうで。ですが、その状態で観察を続けていたようで。能力について……推測が」

 

 ガンビア・ベイに集中していて分からなかった。

 当のガンビア・ベイも卯月達に集中していて気付かなかった。

 弥生のところへ一瞬出現したタイミングからずっと、熊野は観察していた。最上が一気に動かした瑞雲の視界を借りて、『観察』していた。

 

「時間がないので簡潔に、全て『カムフラージュ』の応用です」

「……どこまでが?」

「全部」

「嘘だろ。いや、そうだとして、攻撃を受けて霧散したりは、どうやって」

「艦載機もカムフラージュができるのをお忘れで?」

 

 弥生の前に現れたのが、攻撃を受けた瞬間霧散した。

 その正体は『艦載機』だった。

 複数機を一か所に集め、カムフラージュで模様を描き、ガンビア・ベイに擬態していたのだ。霧散したのはその為。攻撃を受けた瞬間、艦載機を飛びだたせれば、そう見える。

 

 その隙に、カムフラージュで隠れていたガンビア・ベイが、別行動で攻撃を仕掛けてきた──という原理だ。

 

「カムフラってそこまでできるものだったっけ……」

「システム搭載艦に常識を求めないでください。卯月さんが獣化したのも、ご存じでしょう」

「あぁ……」

 

 その通りだった。

 

「……なら、腕がズルリと抜けたのは」

 

 あれもカムフラージュと艦載機の応用なのか。一体どうやって。

 

「説明していて何ですか、私は結構焦ってます。持ち場を離れてしまったので」

「持ち場? そういえば、赤城さん今まで何処に」

「藤提督の護衛です」

 

 彼女が前線にいたのは趣味(だけ)ではない。突貫工事で作った迎撃拠点を動かせるのは彼女しかいなかった。藤提督もこの戦いにおける要。故に赤城が直衛についていた。しかしこの膠着状態を崩す為に、前へ出ざるをえなくなった。

 

「まさか、司令官、危ない……!?」

「その通り。私は直ぐ藤提督の護衛へ戻ります。伝言はしましたので、ガンビア・ベイを仕留めるのはお願いします」

 

 弓矢を飛ばし、赤城はワープ。

 初めて見てしまった弥生達は、目を白黒させていた。

 

「考えたら負けだぴょん」

「世界って広いんだね。あたしは驚いたよ」

「むしろ極一部じゃないかな……」

 

 極一部の変態の挙動だ。まともに取り合ってはいけない。

 

「応急処置終わったよ! でも、その傷でまだ戦うつもりなの、卯月ちゃん!」

「当然だぴょん」

 

 きつく巻かれた包帯は、止めようがない出血で滲んでいる。

 どう見ても重症。

 その身体を押して卯月は立つ。

 

「この中でシステムを積んでんのはうーちゃんだけ。倒せるなんて思っちゃいないけど……何とか、良い感じにまでは、しなきゃいけないぴょん──ッ!」

 

 背中に『殺意』が走る。再び攻撃が迫る気配。卯月はその場からダッシュで離脱する。突然の動きに弥生が叫んだ。

 

「卯月!?」

「距離をとるべきだ、負傷者同士、纏めて始末しに来る筈。離れていれば同時は来ない、そっちはそっちで、何とか頑張ってぴょん!」

「……気を付けて!」

 

 一瞬弥生の方へ振り返り、Vの字サインを返す。

 純粋に嬉しかった。カミソリをぶち込む程恨まれていたのに、今は少しだけど、心配して貰える。そして嬉しいと思えることが嬉しかった。まだ『私』は死に絶えていない。そう実感できたから。

 

「来るなら来い……カムフラージュってことは理解した、やりようはある!」

「お姉さま、背中は秋月に!」

「……いや、秋月は少し離れてて。遠くからの方が対空砲火やり易い筈」

「でも、それでは背中が」

「大丈夫、アレが来てる」

「アレ?」

 

 指を刺した先にいたのは、満潮だ。

 

「卯月! その傷で、ムリしてんじゃないわよ!」

「はいはい。背中をお願いするぴょん。聞いてるかもしんないけど……」

「能力の秘密はカムフラ、聞いたわ!」

「ヨシ、秋月、頼む!」

「……はいっ!」

 

 こう言ってしまうと悪いけど、背中を合わせて安心できるのは満潮だ。なんやかんやで相方をやっていた事が大きい。

 

「で、どうすんの、策はあるの」

「フフフ……聞きたいかぴょん?」

「別に」

「……そう」

 

 背中預けるのやっぱ秋月の方が良かったかな。あっちの方が反応良さそうだし。卯月は少し悲しみに包まれる。

 

「真面目に作戦あんの」

「現状ないぴょん。どうにかして陸上砲台を命中させるのが、良さそうだけど……」

 

 カムフラ艦載機は相変わらず卯月達を包囲している。なのに中々襲ってこない。それがかえって不気味だ。無駄玉さえ嫌い、確実に始末できる瞬間を狙っている。そう思えて仕方がない。正に狩り。狩られる側の気持ちを卯月は味わう。

 

「……そもそも、何でカムフラができる。どうしてステルスが。D-ABYSS(ディー・アビス)をどう使えば……」

「う、卯月……!」

「出たか!?」

 

 遂に出たかと卯月は叫ぶ。

 しかし満潮の声は、驚愕に満ちていた。

 

「出た、けど、これじゃ!」

 

 その時、卯月も同じ光景を見た。

 

 ガンビア・ベイが立っていた。浮いていた。飛んでいた。

 前に、左右に、後ろにいた。

 大量にいた。

 全方位にガンビア・ベイが現れた。

 

「えぇ……」

 

 非常識極まった光景に、何かアレな声が漏れた。

 

「Logicには気づきましたか。なら……誤魔化しは不要ですね。Application(応用)で追い詰めます」

 

 無数のガンビア・ベイが卯月達を取り囲んでいた。

 その正体が、艦載機の塊に映像を映した虚像に過ぎなくとも──戦慄するには十分過ぎる光景だった。




航空戦とか、防空以前のシチュエーションに持ち込むスタンス。
ガンビア・ベイを端的に言えば。スケスケの実とナギナギの実を食わせた半天狗です。どうやって勝てばいいかな?


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第216話 ガンビア・ベイMk.II"D"⑤

 艦載機で作った虚像で攪乱する──そういう戦術だった。

 しかし奇抜なだけ。タネが分かればどうとでもなる。そう思っていた。

 甘い考えだったと卯月は思い知る。

 

「マジかよ」

 

 数を増やすだけでも、十分攪乱になったのだ。

 

 周囲の全てを虚像に囲まれた卯月は、内心頭を抱えた。多分だがこの中に本物はいない。本物はカムフラージュで隠れている。奇襲のタイミングを伺っている。

 

「攻撃しないんですか」「じゃあ、正当防衛を、こちらから」「させて頂きます」

「ええぃ四方八方から話しかけんじゃない! 気持ち悪いぴょん!」

「叫んでる場合か! 来る!」

 

 虚像がライフルを構える。弾丸が放たれる。ライフルを上へ構える。次々に艦載機が飛ばされる。

 正確には違う。ライフル弾に見せかけた戦闘機の機銃。

 喰らえばダメージに変わりはない。

 

「げ、迎撃で良いのかぴょん……いや撃つしかないけど」

 

 しかし嫌な予感は的中する。

 着弾した際、数機は落とせる。ただそれだけ。残りは一気に霧散し、別の場所で虚像を再構成。

 尤も最初から偽物、着弾も何もないのが事実。

 挙句、それだけではない。

 

「──お姉さまッ! 上から爆弾が!」

 

 少し離れた所にいた秋月が警告。顔を上げると、影も形もなかったのに、爆撃機が出現。超至近距離から爆弾を落としに来ている。

 そっちはカムフラではない。

 完全ステルスの爆撃機だった。

 

「どうして、カムフラは兎も角、ステルス迷彩はエンジンが動いてたら使えないって、事前情報で!」

「自由落下だ! うーちゃん達の頭上までエンジンを切って落として、ギリギリの所で動いたんだぴょん!」

 

 ガンビア・ベイは両方を織り交ぜて攻撃をしかけてくる。使えるものは全て使う。当たり前の事だが、やられる側になると堪ったものではない。

 しかし、爆弾は一瞬で消滅した。

 秋月の対空砲火だ。

 

「爆弾は任せてください。お姉さまと満潮さんは、本体へ集中してください!」

「助かるわ……でも、どう見つければ」

「…………」

 

 虚像を全力で迎撃しながら、卯月は考え続ける。

 

 何故、カムフラができる? どうしてステルスができる? それだけじゃない。何で音まで消せる? D-ABYSS(ディー・アビス)は言ってしまえば、エネルギー吸収装置に過ぎない。それがどう作用すれば、そんな能力が実現できるのか。

 

 彼女が、意識を削る様な攻撃をしてくるのは、考える余力を無くす為だ。つまり、能力の『種』に気付かれたくない。つまり、『種』が分かれば対策ができる。そういう事ではないだろうか。

 

 それに、もう一つ気になる点がある。

 

 ガンビア・ベイにまともな攻撃は効かない。金剛達の一斉射さえ無傷。恐らく傷がつくのは陸上砲台級の一撃のみ。それも、彼女の態度から察したに過ぎない。

 けど、それ、本当なんだろうか。

 卯月には、ある挙動が引っかかっていた。

 

 疑念が溶ける前に事態は動く。

 

 虚像達の動きが急に変化した。空を飛んだり──実態は艦載機の集まりなので飛べる──背後へ回り込んだり、攪乱だった動きが、攻撃メインに変化する。

 

 言ってしまえば、やってることはシンプルなのだ。

 所詮艦載機の集まり。機銃を撃ったり、爆弾を落とす。それぐらいしかない。だが見た目がガンビア・ベイなのが問題だった。

 棒立ちの姿勢のまま、全身から機銃が飛ぶ。ライフルを構えた姿勢から、腕(艦載機)が発射され爆弾投下。

 

 戦場では咄嗟の判断が必要だ。相手の構えから、次の動きを予想してしまう。艦載機の塊と分かっていても反射してしまう。

 構え自体がフェイクとなっている。それだけで普通に戦うより神経が磨り減る。ただの虚像なのに消耗が凄まじい。

 

「鬱陶しい!」

 

 一言で言えば、そんな感じだ。

 

 勿論、ただの虚像ではない。カムフラを適宜纏ってる個体もいる。ステルスのもいる。見落とせば攻撃が直撃。

 艦載機の群れを相手してる方がマシだ。心底そう思う。

 

 泣き言ばかり言っていられない。何か打開策はないか。どういう原理で迷彩は成り立ってる? 

『殺意』のお陰で、半自動的に戦闘はできる。思考する部分をフル回転させながら、主砲を撃ち、虚像を散らし続ける。

 

「この中に、本当に本体がいるの? それさえ疑わしくなってきたわ……!」

 

 カムフラを纏った艦載機や本体の接近を警戒し、満潮と背中合わせのまま戦闘続行。

 兎に角必死だった。特に卯月はそうだ。システムの強化があってもダントツの紙装甲。攻撃を喰らえば死が見える。必死にならざるをえない。

 

 ガンビア・ベイは正にそこを突いた。

 

「ええい、一体何隻吹っ飛ばせばいいんだぴょん!」

 

 水上に立っている虚像がいた。今しがた突撃銃を構えたばかり。先手で攻撃ができる。すぐさま主砲を放つ。

 砲弾は着弾した。

 

「え」

 

 但し『手前』だった。

 

 卯月の放った主砲は、ガンビア・ベイの手前で『何か』へ着弾し、止まってしまった。

 しかし、手前には何もない。何もない空間に着弾した。

 

 虚空から、血が流れ出す。

 何もなかった空間に、『それ』が現れる。

 

「……な」

「……お姉、さま、なんで」

 

 被弾したのは『秋月』だった。

 

「何だってぇ──っ!?」

 

 システムで強化された弾丸が肩を抉っている。

 夥しい出血で海面が染まる。

 何故こうなったのか、卯月はすぐさま状況を理解した。

 

 あのガンビア・ベイは虚像ではない。『本体』だった。

 しかし、姿を現したのは攻撃を誘う為。

 ガンビア・ベイは、背後から秋月に、少しだけ接触。『能力』により秋月にステルス迷彩を施し、()()()()とした。

 

 卯月はそれに気づかず発砲。ガンビア・ベイではなく、その前にいるステルス化した秋月に着弾してしまったのである。

 

「何で気づけなかったのアンタ! 殺意の感知とかあったでしょ!」

「うーちゃんに向いてたならできる、けど、秋月へのだ、他人への殺意は感知できないぴょん!」

「ええ、だから、こうしたんです」

 

 動けない秋月へガンビア・ベイが狙いを定める。

 

「気づけなかった、ステルスにこういう使い方があったなんて、うーちゃんは間抜けか!」

「それより秋月を、助けないと──」

 

 既に手遅れだ。

 

「天敵は、優先して、始末します。でも、私には天敵なので……別の人に、任せるのがoptimal solution(最適解)。そう思いませんか。Heart(心臓)とかに、当たって欲しかったですけど」

 

 あらゆる意味で隙が生まれてしまった。ガンビア・ベイは秋月の後頭部へ、突撃銃を密着させる。

 秋月は防空駆逐艦。見えさえすれば多量の艦載機でも一瞬で撃墜できる。

 ガンビア・ベイはそれを脅威とみなし、優先して始末しにかかったのだ。

 

「裏切者の卑怯者は、さよなら、です」

 

 トリガーが引かれた。

 瞬間、閃光が放たれた。

 

 

 *

 

 

 トリガーとほぼ同時に放たれた閃光。

 その正体は、『瑞雲』の爆炎だ。

 二人の間に割って入った瑞雲が、別の瑞雲の機銃で、自爆したのだ。

 当然、秋月を助ける為だ。

 

「熊野!? いや、最上!?」

「どっちでもいい、救助に行ける、援護頼むぴょん!」

「分かったわ!」

 

 ガンビア・ベイから殺意は失われていない。瑞雲の自爆程度では傷もついていない。ズレた突撃銃の照準を合わせ直している。

 その刹那、再び手が秋月に触れる。

 秋月の姿が、ステルス化する。

 

「照準を誤らないように、次誤射したら、死ぬかもしれないわ」

「言われなくても──あ゛っ!?」

「な、なに急に!?」

 

 その時、卯月は見た。

 自爆し燃える瑞雲。そこから放たれる炎。照らされるガンビア・ベイと秋月。海に映るガンビア・ベイの影。

 ──いや、今は良い! 

 思考を止める、秋月救助へ集中。できれば使いたくなかったが止むを得ない。少しでも威力を高める為、酸素魚雷を放つ。

 

「効かないのは、知ってると、思うんですが」

「でも、爆発で吹っ飛ばすことは可能だぴょん。違うか!?」

「いえ、Right(正解)、です……届かなければ、意味ないですけど」

 

 ガンビア・ベイが手を振り上げる。放たれた艦載機が、魚雷を処理しに突っ込んでいく──だが発艦した瞬間、撃ち落とされた。

 

「──私の目の前で発艦とは、天敵を甘く見てないですか。ましてやこの距離で!」

「秋月!? その傷で、動くんですか……ですけど結果は変わら」

「吹っ飛ばすことはできる。そう言ったぴょん!」

 

 魚雷が着弾する前に、起爆させる為、卯月が主砲を撃った。

 

「但し飛ばすのは秋月だぴょん」

 

 至近距離での爆発。ガンビア・ベイは当然無傷だが、同時にジャンプした秋月は、空中へ吹っ飛ばされた。

 

「まだ、射程距離内、ですよ……!」

「いいえ、逃走は、成功です!」

 

 秋月はそう言い放つと、『主砲』を撃った。

 その反動で、宙を飛んだ。

 システムで洗脳されていた頃、秋月が奥の手としていた、反動による空中移動。それを一瞬だけやってのけたのだ。

 

「まだです、ギリギリ射程距離内──む、あれは、瑞雲」

 

 最後の逃走は、熊野&最上の瑞雲が支援。秋月はギリギリだが逃走に成功する。しかし重傷を負ってしまった。

 ガンビア・ベイの攻撃だけではない。瑞雲の自爆や、魚雷の爆発のダメージもある。ざっくり診て見たが、戦える様子ではない。

 

「……逃げられました。でもsafe(大丈夫)。あの怪我なら……直ぐに始末できる。もうちょっと待って下さいね、秋月」

 

 ガンビア・ベイが再び消えた。カムフラかステルスか。どっちでも関係ない。

 

「すみません、お姉さま、役に立つどころか、足を引っ張ってしまって……」

「気にすんなぴょん。むしろ、撃っちゃって悪かったぴょん。てか、あの空中移動、まだできたのかっぴょん」

「一瞬だけです……連続は、不可能です。ここぞという時に使いたかったのですが」

「ウジウジ煩いわ。動けるなら、さっさと戦線離脱しなさい」

「いや、ムリだぴょん」

 

 卯月が顔を上げる。本物は再び姿を消した。虚像のガンビア・ベイがまだ大量にいる。深手を負った秋月を逃したりしない筈。絶対に始末しようとする。その上で逃げおおせる気だ。状況は依然彼女有利で進んでいる。

 

「どうすれば……」

「どうにかする……ことは、できるぴょん。多分だけど」

「え?」

「声出すな。ガンビア・ベイに聞かれたくない」

 

 卯月は、漸く『能力』のカラクリを見抜いた。

 さっき、瑞雲が自爆した時に、気付くことができたのだ。

 だが、戦闘への活かし方となると話が変わる。

 

「そういう意味でも、やっぱり、秋月は離脱させられない。最後まで防空駆逐艦として、活躍して貰わなきゃいけないぴょん」

「何言ってんの……目が見えないのよ、姿を消したり現わしたりする奴、どう撃ち落とすの」

「やり方は浮かんだぴょん。だけど、これは……うーちゃん単独じゃできない。味方全員が連携して、初めて成立する」

「何を言ってんの」

「艦載機を、全て、始末できるかもしれない。本体を特定できた上で、ステルスもカムフラも無力化できるぴょん」

 

 そんな作戦があるのか? 

 満潮と秋月は言葉を失う。

 しかし実現は困難。

 卯月自身が言ったように、連携が非常に重要だ。それを伝達しなきゃいけない。そうしている間に、ガンビア・ベイに聞かれてもいけない。

 

「それ、本当なの?」

 

 この会話を聞いていた艦娘がいた。

 

「……睦月、と、如月?」

 

 大発動艇で海域封鎖をしてくれた、睦月型の姉妹である。

 

「そして更に加わるはこのあきつ丸でありますッ!」

「何でアンタまでいんのよ」

「大発要員で組まされたであります。大発の機銃や主砲であれこれしてた折、藤提督より秋月を護られたしと、要請が来」

「来たから、助けにきたのよ。卯月ちゃんや、満潮さんも含めてね」

「……セリフ」

 

 項垂れているあきつ丸は無視だ。

 

「卯月ちゃん、今言ったの、本当なの? この状況をひっくり返せるの?」

「引っ繰り返せはしない。でも、ギャフンとは言わせられる。今より何倍もマシになるのは確約できる」

「卯月殿の読みが誤ってなければ、でありますが」

「一々煩いんだけど」

 

 とは言っても不安は大きい。

 本当に私の読みが合ってるのか? 

 しかも全容を突き止めた訳ではない。気づけたのは透明化の原理だけ。無音飛行やレーダー無効の原理は……多分レベル。

 間違っていたら、全員を危機に晒す事になる──背筋がゾっとした。只でさえ嫌われているのに、危機に晒すような作戦を立案したと知られたら。

 

 情緒は死んでる。死んでも罪悪感はない。

 けど、そんなことをしたら、自分のプライドが許さない。

 

「ぬ」

 

 手に、温かい物が触れた。それも二つ分。満潮と秋月が、卯月の手を握っていた。二人は真っ直ぐに卯月を見つめてくる。

 

「……手、震えてんだけど」

「怪我のせいです」

「アンタの手を握ってるから、嫌悪感のせいよ、指摘すんな気持ち悪い」

 

 何なんだろコイツ等。そっちから握ってきたくせに。卯月は呆れた溜息を吐き、やれやれと首を横に振る。

 そして、空いてる手を、睦月と如月に出した。二人がそうしたように真っ直ぐに見つめる。

 

 異常と分かる真っ赤な眼。あれから、どれだけ大変な目に合ってきたのか、睦月と如月は察する。その上で卯月の手を取った。

 

「聞かれないよう、伝達すればいいのね?」

「任せて頂戴。鎮守府の艦娘たちは、こういう行動をとる為に、毎日訓練してるんだから」

「そうだにゃしい! ワンマンアーミーじゃできない事を、見せてあげるぞよ!」

 

 一発逆転、その一手となるのか。

 ガンビア・ベイを『狩る』為の作戦が、再び始まった。

 

 

 

 

「あのー、あきつ丸には握手ないでありますかー?」

「拷問キチの手を取るのはちょっと……」



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第217話 ガンビア・ベイMk.II"D"⑥

 ガンビア・ベイの艦載機を一斉に叩き落せるかもしれない。

 その上、本体を炙り出すことができるかもしれない。

 それは、卯月の見立てが誤っていなければの話。ガンビア・ベイの『能力』の原理が、予想通りならの話。

 

 睦月と如月経由で、藤提督に話が伝わる。

 殆どノータイムで返事が返ってくる。

 

「オーケーですって」

「まあ、そう言うと思ったけどね」

「マジかぴょん……」

 

 自分で言っておいて、提案が通るとは思っていなかった。無意識レベルに近いが、自分が信用される筈がないという思い込みがあった。

 

「いえ、人情とか、そういうんじゃないわ。ただ言ってることに矛盾がないからよ」

「藤提督が、そう?」

「うん。あの人あれで……あんなんでも……うん……冷静だから」

「歯切れが悪すぎるぴょん」

「そりゃ陣地が崩壊するの見たさに前線出る輩でありますし」

 

 ごもっともである。『とにかく!』と睦月が手を叩く。

 

「卯月ちゃんのしたいことは、睦月達に任せるにゃしい……でも、その後倒せる見込みは、また別なんだよね?」

「ああ、あの装甲をどう突破するかは……」

 

 そこまでは仕方がない。ステルスを解除し正面戦闘に持ち込めば、つけ入る隙を見つけられるかもしれない。

 憶測が多いがそんなものだ。

 このままいってもジリ貧だ。やるしかない。

 

「如月達は準備に入る。その間、ガンビアはお願いするわ、ムリしちゃダメだからね」

「……それは聞けない相談だけど、善処はするぴょん」

「素直じゃないんだから──っ!」

 

 その時、不意に虚像が現れた。

 カムフラで接近された、それも複数体。

 棒立ちだが全員攻撃体勢。爆発のように全身から機銃・爆弾が放たれる。しかし、接触する前に全て迎撃。

 

「秋月!」

「まだ、これぐらいなら、できますから……!」

「油断しないで、また何か仕掛けてくるに違いないわ!」

「その通り」

 

 あきつ丸が、邪悪に笑いながら、手をくくる。その手からはワイヤーが伸びていた。

 勢いよく引かれたワイヤーが何かを捉える。

 

「ちょっと、接近し過ぎたでありますな」

「──うぁ!?」

 

 想定外の事態が起きたことで、カムフラがブレる。虚空にいたのはガンビア・ベイだった。

 ステルスは関係ない。張り巡らせていたワイヤーに引っかかっただけのこと。

 

「その艦載機ワイヤーを()()のに丁度良かったであります。いやぁ大助かり。感謝するであります。それではこれをより強く引っ張り輪切りのガンビーをいっちょ拵えるとするでありまーす!」

「ヒィッ!? 狂人!?」

「あらよっとー」

 

 どの口が──いや狂人だわ。卯月は初めてガンビア・ベイに同意する。

 ただ、輪切りのガンビア・ベイは出来なかった。

 

「むっ!?」

 

 ワイヤーで強く縛り上げていた。それは確かだ。なのに()()()と抜けだされてしまった。

 同じだ。卯月は気づく。

 鎖でガッチリ拘束してたのを抜け出された時と、同じ何かが、今確かに起きた。

 

「ややややっぱりscared(恐い)! 迂闊に近づくのは、愚かでした……何か目論んでるようですが……Carelessness(油断)はしません。遠くから、削らないと……うう、やだよぉ……やだぁ」

「はぅ! 泣き顔が……そ、そそるであります!」

「狂人だぁぁぁぁ!」

 

 こいつら二人だけで戦ってくれねえかな? 

 卯月は割と真面目に思った。

 糞みたいな考えは放り投げ、戦闘状態へ帰還する。ガンビア・ベイはまた消えた。

 

「ふぅ。これで接近することは、そうそうなくなるでしょう。威嚇は完了であります」

「アンタは……」

「秋月殿の護衛はお任せを。タイミングに備え、キッチリ護らさせて頂くであります。さ、ガンビア・ベイの追撃を」

「じゃ、睦月達は行くにゃしい!」

 

 と言って、彼女達は去っていく。

 残ったのは、卯月と満潮の二人だけ。ここから『準備』が完了するまでは……自分達だけで持たせたい。

 単純に、戦力は温存しておきたい。

 今からするのは逆転の一手なんかじゃない。ガンビア・ベイを土俵に引き摺り込む為の作戦だ。

 

「今の、おかしいと思ったの、私だけ?」

「……気づいた、ぴょん?」

「気づくわよ。何あの抜け方。油でも身体に纏ってるの。引っかかってる感じさえなかった」

 

 満潮も、縄抜けもどきの謎に気づく。しかしそのカラクリは分からない。卯月から『多分ステルスを活用してる』と言われたが、疑問が深まっただけ。ステルスをどう使えばこんなことができるのか? 

 

「……纏う……?」

 

 呟く。そうしている間に、再び包囲されていく。

 虚像は虚像だ。

 迎撃したように見えても、実際は艦載機が蹴散らされているだけ。何機かは撃墜しているが大半は無事。再集結すればまた『虚像』は生まれる。

 

「また来るわ! 私は見えてる虚像を迎え撃つ。アンタは見えないのに集中して!」

 

 二人は主砲を構える。全身の機銃を旋回させる。

 残弾は残り僅か。相手が見えないせいでかなり無駄弾を使ってしまった。まともに残っているのは爆雷と魚雷ぐらい。

 それを惜しみなく使っていく。此処で抑えられなければ全部パアだ。

 透明であっても、性格上砲撃は避ける。四方八方へ撃ってた方が、まだ動きを抑制できる。

 

「本体は、どこだぴょん……」

 

 やはり本体を抑えたい。それが一番良い。しかし見えず徹底的に隠れ続ける『本体』をどう特定すれば良い? 

 考えなければならない。システムの力でゴリ押しはできない。そういう敵ではない。

 いや、一つ方法はあるのだが、それは睦月達に任せた方。別の方法を模索する。

 

「急がないと……ヤバいわよね」

「どうした満潮、急に」

「きっと、少しずつだけど、離れて行ってるわよね。睦月達から、何を目論んでいるか調べ、阻止する為に」

「そりゃそうだぴょん。だから急いでんだぴょん!」

「ええ、それ、ダメだわ」

「は?」

「ごめん。()()()

 

 時間が止まったような感覚になった。

 何て言ったコイツ? 

 弾切れ、弾切れだと? 

 冗談じゃない──悲鳴を上げたくなった。戦力が一人分減ったも同然だ。

 

「だから、ちょっと、無茶をするわ!」

「何を!?」

「残ってる武器を使う。それしかないってことよ!」

 

 彼女が取り出したのは残る武器、『爆雷』だ。

 それを、辺り一面に、滅茶苦茶に投げ出した。

 次々に爆発が起きる。

 当然そんなんでは当たらない。爆雷は意味もなく消費されていく。こいつは何がしたいんだ。卯月は一瞬訝しむ。

 

 けど、満潮は何かを狙っている。

 そういう性格だし、そういう目をしている。

 けど、辺りが爆炎で更に見にくくなった。これに意味があるのか。危機に陥っただけじゃないのか。

 

「いいえ、これでいい」

 

 爆炎を背に満潮が立つ。

 

「こうだからこそ、ガンビア・ベイを見つけられる」

「……何を言ってるぴょん」

「透明、それがアイツの能力。音さえないから失念してた……『実態』が消えた訳じゃあない。移動するときは、実態が動く!」

 

 満潮は、爆炎ではなく、発生した黒煙を凝視する。探照灯を点火し辺りを観察している。それを見て卯月も観察をする。

 

「……あ!?」

 

 煙が動いた。

 ただそれだけだが、それが重要だった。

 

「実態が動けば煙も動く! 何もないのに煙が動いていたら……そこにガンビア・ベイはいる!」

「いや、待って、でも虚像もいるぴょん!?」

「プロペラで掻き回されるのと、人が動いてるの。煙の動き方は当然違う。仮に艦載機を纏ってたとしても、中に人がいれば違いは出る!」

 

 それはガンビア・ベイにとって予想外のアクションだった。卯月のしようとしている『策』に意識を向けていて、思考を巡らせ損ねていたのだ。動いてはいけない。その事に気付いた時には、もう補足されていた。

 

「──見つけた」

 

 主砲が放たれた。

 弾切れというのも嘘だった。

 予想外の重ね掛け。ダメージは一切通らないとしても──砲弾はガンビア・ベイに着弾。その衝撃でカムフラが剥げる。

 

「嘘です、こんな、Systemも積んでない、ただの艦娘に!」

「逃がさない。隠れさせないッ!」

 

 爆炎を突っ切り距離を詰める。

 そして満潮は、魚雷を握りしめた。

 駆逐艦が出せる最高火力は、これしかない。

 

「自爆、する、つもり……頭、おかしいですよ!?」

「冗談じゃない。くたばるのは、アンタだけに決まってんでしょうが!」

 

 突撃銃を構えるより早く、懐へ魚雷を捻じ込む。

 

「ヒィ!!?」

 

 金切り声を上げながら彼女は突撃銃でガード。

 瞬間、魚雷が作動。

 至近距離での爆発に二人共巻き込まれた。そう卯月は思ったが──実際は違っていた。爆発はただの眼晦ましだ。

 

「入った!」

 

 本命は『鎖』だ。スライディングの要領で足元を潜り、鎖を足に絡めたのだ。満潮は背中に火傷を負っただけ。

 更にスライディングの勢いで鎖を引っ張り、ガンビア・ベイを転倒させる。

 海面に俯せになった彼女へ、トドメが迫る。

 

「そして、魚雷はまだある!」

 

 予め放っていた魚雷が迫っていた。

 転倒している位置関係上、魚雷はガンビア・ベイの顔面に直撃する。

 

 この瞬間を卯月は見逃さなかった。

 金剛達の一斉射を受けても、陸上砲台に狙われても、眉一つ動かさなかったガンビア・ベイが、本気の恐怖に顔を染めた。

 しかし、それはつまり、絶対に回避しようとするということ。

 

「逃げられると思わないで、パワーの差が大きいとしても、この一瞬逃がさないぐらいの力はあるわ!」

「う、あ、ぁあぁっ!?」

 

 足元の鎖は依然拘束中。転倒した彼女を逃がさない。

 その姿勢で何とか突撃銃を構え、鎖を撃ち抜こうとするが、すかさず卯月が援護。銃を砲撃し、その照準を逸らす。

 

「そんな!?」

「させねーぴょーん」

「直撃まで、3,2,1……!」

 

 その時である。ガンビア・ベイは意を決した。

 

「……一手、遅れました……Mistake(不覚)です」

 

 鎖が抜けた。

 ガッチリ拘束していた筈なのに、足元に絡まっていた鎖がズルリと抜けた。

 一瞬で姿勢を立て直し、海面へ立ち直す。

 直後魚雷が直撃。

 しかし、結果は無常だった。

 

「着弾確認、けど損傷皆無、クソッタレ!」

 

 だけど、漸く良い結果を得れた。

 

「……分かった、なら、こうだ」

 

 そう呟くと、鎖とワイヤーを持ち、一気にガンビア・ベイへ肉薄。少しだけ立て直しに時間がかかってたお陰で、消える前に追いつく。

 

「ふぅん、すげぇ顔だぴょん」

「は?」

「まるで別人だ。予想外の危機に陥ったからかな、怒り狂った怖い顔。やはりビクビクしてるのはポーズだったっぴょん?」

 

 海面に映るガンビア・ベイの顔は、醜悪に歪んでいた。

 卯月の指摘通りの顔。

 隠しきれない憎悪が滲み出た顔。

 

「それが本性って訳だっぴょん。悲劇のヒロインの皮が剥げちゃったねぇ、もう誰も可哀想なんて、いや、元々思ってなかったぴょん」

「顔が剥げたから何だと言うんですか? 貴女達は全員hell(地獄)へ堕ちるんです。安心してください、Partsが残ってる方は丁重に活用させて貰います。取引先を潰された今、顔無しは貴重ですので。卯月さんも如何ですか。大切にしますよ?」

「返事はこうだ、fuck you(くたばれ)!」

 

 卯月は至近距離で魚雷を投擲。ガンビア・ベイの顔面を狙う。

 

「満潮さんのパクリじゃないですか」

 

 手早く艦載機を発艦。爆発の有効射程に入る前に撃ち落とす。直撃ではない爆風、ダメージは皆無。卯月は構わず爆雷を投げつける。結果は同じ。艦載機が撃ち落として終わる。無駄に黒煙が増えるだけ。

 

「……視界不良でも狙ってんですか、Uselessness(無駄)ですが」

「いいや違う。逃がさない方が優先だぴょん……満潮!」

「合図は送ってあるわ!」

 

 満潮が──探照灯を空へ掲げる。

 ガンビア・ベイは見た。

 陸上砲台の照準がこちらへ向いているのを。

 一門だけでなく、全てが、一斉に、ガンビア・ベイを補足している。

 

「あれは、効くんだよなぁ!?」

「──ッ」

「逃がすか、その為の準備は完了済みだぴょん!」

 

 そう言って卯月は手を引く。すると海中から鎖が現れ──ガンビア・ベイの足元を縛り付けた。満潮が戦っている間に、周りをグルグルしながら援護してると見せかけ、準備を整えていたのだ。黒煙が煙幕替わりになってくれた。

 

「いや、これも、二番煎じゃないですか」

 

 足元の鎖がズルリと抜けた。

 

「嘘!?」

Predict(予想)していれば、転倒なんてしませんよ……ああ、卯月さんの周り包囲してます。動けなくしたので、どうぞ陸上砲台の餌食になって下さい」

「満潮ーっ!」

「分かってる!」

 

 背後から強襲した満潮が、探照灯を照らしながら、鎖を投げつける。一瞬の眼晦まし。その一瞬で上半身を鎖で包む。

 

「これで道連れだぴょん!」

「……事前に、何かreserve(準備)してると思ってましたが、これですか……タイミング良く狙う為だけ……ああ、くだらない」

 

 上半身の鎖もズルリと抜けた。ガンビア・ベイの拘束は完全に解除された。

 そして卯月は笑った。

 

「嘘……だっぴょんッ!」

 

 卯月は再び手を引いた。

 その瞬間、ガンビア・ベイは──『ワイヤー』によって再び拘束された。

 また同じ拘束。

 爆雷を投げてるタイミングで張っていたのか。

 

 ──まさか卯月は。

 ガンビア・ベイは嫌な予感を感じながらも、()()()()()()で脱出を試みる。

 しかし、ワイヤーはズルリと抜けなかった。

 拘束から脱出できなかった。

 

「抜けない!?」

「……漸く理解できたぴょん。お前の縄抜けの原理が、それを利用させて貰ったぴょん。ワイヤーが絡まってるのは何か、()()()()、見たらどうだ!?」

「──最悪ですっ!」

 

 ガンビア・ベイは『能力』を解除する。

 その瞬間、顕れたのは『艦載機』だった。

 但し()()()()()()

 ベッタリと彼女の体表にくっついていた。それも夥しい量。全身にくまなく艦載機が張り付いていた。

 

「そんな活用方法思いつかなかったぴょん。お前は体表にカムフラ艦載機をくっつけていた。拘束してたのは本体じゃなくて、ひっついてる艦載機の方。その状態で発艦させれば、鎖もワイヤーもズルっと飛んでいく。ヤモリやトカゲの脱皮のノリで拘束を解いていた……利用されて貰った。もう艦載機は飛べない!」

 

 彼女は自分の艦載機を見る。

 

「プロペラの基軸にワイヤーが!?」

「これでも飛べるだろうけど……直ぐには不可能だぴょん」

 

 卯月は飛んだ艦載機へワイヤーを絡めていた。

 黒煙はこの為に広げた。

 拘束解除の際、飛び立った艦載機を、空気の動きで捕捉する為だった。

 プロペラ部分に絡め、動けなくした上で引っ張れば──艦載機諸共拘束できる。

 

「全力で締め付けてやる。逃げられないように……いい加減、直撃してしまえ、死ねとまでは言わないけど……ちょっと地獄の淵を観光してくるぴょん!」

 

 拘束されてない艦載機を外す。しかし拘束済みの艦載機が外れない。一瞬だけの全力。艦載機事の拘束が外れない。

 

「嘘、です、こんな展開!!」

 

 陸上砲台の一斉射が、漸く──直撃した。



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第218話 ガンビア・ベイMk.II"D"⑦

 漸くだ。

 この戦いに参加した艦娘達はそう思った。

 迎撃拠点に建設された陸上砲台が、漸くガンビア・ベイに直撃した。

 今自分達が出せる最大火力だ。これがダメだったら、『作戦』が上手くいっても勝ち目がない。

 

 お願いだ、どうか、ダメージがあってくれ。

 

 爆発の煙幕が晴れる。ガンビア・ベイのシルエットが見えてくる。果たしてその結果は。

 

「……痛い、よぉ……うぅ」

 

 ガンビア・ベイはまだ健在。死んではいない。だから歓喜の声は上がらない。けど小さくガッツポーズをとるぐらいは許される。

 ダメージがあった。

 全身から、決して少なくない量の出血をしている。止まる流れではない。

 

「有効だ。陸上砲台を撃ち込み続ければ、勝ち目があ──」

 

 満潮が叫んだ通り。

 これなら『勝てる』。追い込まれていた戦場に希望の糸が垂らされる。全員の顔に気力が戻っていく。

 

「は?」

 

 糸が切られた。

 

「痛かった……本当に、死ぬかと、思いました」

「嘘、何で、いや……早すぎる!?」

 

 何が起きている? 

 何人かの艦娘は遠くから覗き込む。

 そして絶望した。

 

「どうして、傷が、治ってんのッ!?」

 

 再生し終えていた。

 

「そりゃ……systemの基本性能も、updateされてますから……再生能力は基本ですよ」

 

 秋月にしろ最上にしろ、深海棲艦でも見られないような、強力な再生能力を持っていた。

 だがガンビア・ベイは早すぎた。

 瞬きしている間に、傷口が全て塞がってしまっていた。

 

「こいつは、無敵なの!?」

 

 あれだけ苦労して、やっとつけた傷が、一瞬で治療完了。

 ガンビア・ベイを倒すには、それを押し切って攻撃をしなければならない──不可能とは言わないが。

 余りにも困難だ。

 戦場に再び絶望が広がる。艦娘達はそれを意識して無視しながら、『作戦』の作業へ戻っていく。

 そのほうが、余計なことを考えなくて済む。

 

 しかし、その中で、目をギラギラさせる艦娘がいた。

 

「ビックリした。そこまで早いのは予想外ぴょん」

 

 紅い目を光らせるシステム搭載艦、卯月である。

 

「どうしますか。続けますか。勝ち目がないのは、理解いただけた。私はそう思ってますが……」

「んな選択肢、ある訳ないぴょん。ならばもっと拘束して、もっと火力を集中させる──だけだっぴょん」

「……あっそう」

 

 縄抜けの方法は見破った。少しずつだが勝ち筋が見えてきた。

 それに卯月にはまだ『疑念』があった。

 たった二回しか見ていない『疑念』。それがもしも正解ならば、勝算はまだ十分残っている。それまでに逃亡させないことが大事だ。

 

「でも、これが、最終roundですよ」

「何?」

 

 ガンビア・ベイはチラリと後方を見る。

 そこは海域封鎖の境界線。外界へ逃がさない為の機雷地帯。そこで起きている爆発の規模が、大分小さくなっていた。

 無尽蔵に特攻してくるイロハ級により、機雷は数を減らされていた。

 それがもう残り僅かだ。

 

「……では、始末します」

 

 満潮が作った黒煙が消えた頃、ガンビア・ベイがカムフラで姿を消す。

 卯月と満潮は、それぞれ姿勢を低くする。

 ハッキリ言って状況はヤバい。二人共受けた傷は回復しておらず、応急処置をしただけ。もう血が滲んでいる。

 尤も、その為のダメージだ。

 最後の最後で、動きを鈍くする為に、少しずつ負傷を増やす。そういう戦術だ。

 

「…………」

「…………」

 

 待つ、待つ、汗をにじませながら待つ。

 

「…………」

「…………あれ?」

 

 来ないんだけど? 

 まさか──と思った瞬間、夥しい量の爆弾が、頭上へ落下してきた。

 見えないので断定できないが、ほとんどの艦載機をこっちに回した。

 卯月達を集中して、しかも、自分自身は動かずに始末する気だ。

 

「マジか、このタイミングであいつ、動くことを諦めたのかっぴょん!?」

 

 卯月の予想通りだった。再生したとはいえ、自分に傷をつけられたことを、ガンビア・ベイは強く警戒していた。

 後少しで海域封鎖は破られる。

 それを踏まえ、彼女は、残り時間を隠れ続けることに決めたのだ。

 

「どうすんの、爆雷はもうない……というか、私はもう何も残ってない。攻撃も爆炎でのあぶり出しもできないわ!」

「そんなの、うーちゃんだって同じだぴょん」

「ヤバいでしょ……どうすんの、これは!」

 

 と、言ったその瞬間。

 

 海域封鎖エリアから、一際大きな爆音が轟いた。

 そこから──傷だらけのイロハ級と、顔無しの軍勢が殺到する。

 それが意味することはつまり。

 

「海域封鎖が……破られた……」

 

 時間切れ。

 海域封鎖の時間が終わった。

 これ以上、ガンビア・ベイがここに留まる理由はない。

 

「卯月!」

「うーちゃんに叫ばれても。慌てる理由が分かんないぴょん」

「は!?」

 

 ガンビア・ベイが逃亡するというのに何故必死にならないのか。満潮は思わず叫ぶ──だが彼女も直ぐ察した。

 卯月の目線の先。陸地の方の奥。

 そこで、探照灯が点滅していた。

 

「合図だ」

 

 本当なら、タイミングをみてやる予定だった。

 けどガンビア・ベイが逃げ出そうとする今、躊躇する時間はない。今こうしている間にも、脱出しようと走っている。

 今だ。今しかないのだ。

 

「そして、これも、合図!」

 

 卯月は空へ主砲を掲げ、ドン、ドン、ドン……と撃つ。

 ()()()を刻む。

 それが合図になる。

 そして、四発目が響いた時。

 

 夜の帳が下りた。

 

 

 

 

 カムフラ迷彩を纏い、ゆっくりだが確実に脱出へ向かうガンビア・ベイ。

 卯月達は追ってこれない。間もなく雪崩れ込むイロハ級の餌食になる。それを潜り抜けても今までも負傷がある。十分逃げ切れる。

 この状況へ持っていく為に、嫌々ながら戦闘していた。

 手間が無駄にならなかったことへ、ホッと胸を撫でおろす。

 

 その瞬間、夜の帳が下りた。

 

 ──この戦場は、夜でありながら、明るかった。

 常に大量の大型探照灯が光っていた。自動発射装置から定期的に照明弾も飛んでいた。藤鎮守府の艦娘たちも、各々探照灯を使っていた。

 

 陣地構築の一環で、藤提督が設置したものだ。

 態々設置したのには理由がある。

 飛び交う深海の艦載機へ対処する為、イロハ級へ正確な砲撃を浴びせる為、ステルスやカムフラで隠れるガンビア・ベイを発見する為だ。

 

 それが何故か全て消えた。

 一斉に、同時に、探照灯を含めたあらゆる光源が消えた。

 eliteやflagshipのオーラはあるが、光源と呼べるものではない。

 時間は夜。

 光がなくなれば、暗闇に包まれる。

 

 尤も見えなくなることはない。

 ()()()()()との兼ね合いもあり、ガンビア・ベイは暗黒の中でも、周囲を近くできる。周りが分からないということはない。

 

 だが、ガンビア・ベイの本能は、凄まじい警鐘を鳴らしていた。

 

「吸収だ」

「!!」

 

 暗黒に卯月の声が響いた。

 

「ステルスの原理は『吸収』だ。D-ABYSS(ディー・アビス)は……エネルギーと同時に別のものを取り込むことがある。うーちゃんの場合は『音』だった。で、気付いたんだぴょん。音が取り込めるなら……別のを取り込めてもおかしくない」

 

 死刑宣告のように卯月は確信へ迫る。

 

「『光』だ。吸収してたのは」

 

 返事はない。出せる訳がない。構わず卯月は続ける。

 追い詰められていると、確信しているから。

 

「厳密には吸収じゃない。その()()だ。それを細かく制御して……光の角度や、反射の仕方を変えたり、吸収しながら通したりして……ステルスや、カムフラを実現していた。人は……光で物を見る。それを変える事ができるから、擬態したり、艦載機を集めて虚像を映すこともできたんだ。うーちゃんの考えは、正解ぴょん?」

 

 ガンビア・ベイは汗を流していた。

 だから、正面戦闘は嫌なのだと、内心愚痴る。

 勘のいい奴はこうして気づくからだ。

 けど、今後は問題にならない。近海に二度と近づかなければいい。向こうから確実に見つける手段はないのだから。

 

「お前はこう考えてる。能力が割れても問題ない。どうせ見つけられない──と。その通りだぴょん。だからこそ、ここで確実に仕留めるぴょん!」

 

 卯月が再び、ドン、ドン……と主砲を撃つ。

 

「素直に凄いと思う。そんなことできるんだなって……でもさ、それ、かなり精密なコントロールで成り立ってるんでしょ?」

 

 リズムを刻み、ドン……と三発目。

 そして、四発目が撃たれたその瞬間。

 

 夜の帳が剥がされた。

 

「暴き出してやる、その本性を含めて!」

 

 戦場全域が光に呑み込まれた。

 

 消えた探照灯が、照明弾が、再び同時に点火する。

 更に──同時に、再出撃していた基地航空隊が、空中から照明弾を投下した。

 深夜から真昼間への急転直下。

 

 そこに見えたのは、カムフラ迷彩が剥げた艦載機たち。

 そして、丸見えのガンビア・ベイだった。

 

 

 

 

 重要なのはタイミングだった。

 全てが同時でなければ、恐らく失敗する。

 卯月はそう考えていた。だからこそ、睦月達だけでなく、藤鎮守府の艦娘全員の協力が不可欠だった。

 

『ステルスにしろ、カムフラにしろ、かなり精密な制御で成り立ってる。だから逆に、一瞬で強い負荷を掛ければ『エラー』を起こせる筈……だぴょん』

『つまり?』

『真っ暗闇の状態から、一瞬で、かつ同時に、過剰な光を浴びせるんだぴょん』

 

 何をするのか、どうタイミングをとるのか。予め周知しておかないといけない。第一段階で、光の消し忘れがあってもいけない。第二段階で点灯にズレがあってもいけない。しかし逆に、大規模艦隊を組んでるからこそ、この作戦が成立する。

 

 作戦は実行された。

 結果は見ての通り。

 ステルス迷彩は暴かれた。

 

「光を利用して迷彩をかけてるのなら、その光を過剰に浴びればエラーをおこす。予想通りだったぴょん!」

 

 ガンビア・ベイは丸見え。カムフラをかけていた艦載機も丸見えだ。こうなっては──普通の姫クラス一体と交戦しているのと変わらない。十分脅威だが『無敵』でも何でもない。()()()()だ。

 

「透明になれない、camouflageができない……っ!?」

「そして、予め伝達していた今、スムーズに第三段階へ移行する。対空砲火開始、見えてさえいればどーにかなるぴょん!」

 

 このタイミングまであきつ丸に護られていた秋月を筆頭に、全艦娘が対空砲火へ参加する。艦載機は悪足掻きに駁撃を繰り出すが、陣地構築で作られた即席トーチカの前に阻まれる。艦載機は膨大だが、卯月の言った通り、見えていればどうにかなる。

 

 ガンビア・ベイ(ついでにイロハ級の分)の艦載機が全滅するのに、時間はそうかからなかった。

 

「……信じられません。こんな……ことが」

「間髪入れずに第四段階だ、お前をぶっ飛ばしてやるっぴょん!」

 

 今までは見えなかったから苦戦を強いられた。見える様になった今、ガンビア・ベイの危険性は半分以下まで下がった。

 ──後は、あの超重装甲をどう突破するかだ。

 しかし彼女は背中を向けた。

 

「いえ逃げます。不利になったので」

 

 ガンビア・ベイは逃げ出した。海域封鎖は破壊された。逃げようとすれば逃げれる状態。ある意味で五分五分になっただけ。

 

「あああやっぱそうなるかっぴょん! 追撃を──」

「待って、でも、そうなると、あの雪崩れ込んで来るイロハ級へ突っ込むことになる!」

「んなこた承知だぴょん!」

「けど、手数が……!」

 

 逃がしてはならない。全員が承知していることだ。しかし雪崩れ込むイロハ級と顔無しの対処にも、人数を割かなくてはならない。

 ステルスをどうにかしたら、今度は戦力が分散。

 本当に……本当にクソ面倒な敵だと、卯月は今日何度目か分からない愚痴を溢す。

 

「とにかく攻撃だ、攻撃して、逃がさないよう留める他ない!」

「そもそも追いつけないんだけど!」

 

 だが、速度的問題があった。

 ガンビア・ベイの逃げ足は『能力』と言っていいぐらい早い。駆逐艦──それも負傷している卯月と満潮では追従できない。

 だから()()()()()()()()()()()()

 

「誰か、いる」

 

 逃げるガンビア・ベイは、イロハ級の群れの中に、艦娘が何隻かいるのに気付く。機雷除去部隊と戦っていた連中だ。消耗は激しい。無視しても良い。

 と思った瞬間。

 鼓膜をぶち破るような、大声が響いた──()()()

 

「酷いよ!!!」

「ヒッ!?」

 

 声の主は那珂だった。

 

「あの中から、抜け出て」

「何今の何今の何今のー! 真っ暗な所から、いきなり灯りを浴びて登場って!? アイドルじゃん、それアイドルじゃん!」

「え、え……え?」

「まさかガンビーちゃんも狙ってただなんて。アイドルの座を。でも艦隊ナンバーワンアイドルの座は渡さないんだからね☆」

「???」

 

 ああ狂人枠か。ガンビア・ベイは冷静だった。よし足止めから可能なら殺してとっとと逃げようそうしよう。

 突撃銃を構え、手早く艦載機を発艦させる。

 そのまま至近距離で、半ば自爆同然で爆弾投下。二人共爆炎に呑まれるが、ガンビア・ベイは無傷だ。

 

「何だったんですか……今の……scary(恐い)

 

 死んでないだろうが、どう転んでも回避の為距離は離れた。今の内にさっさと逃亡だ──とその時、肩を叩かれた。

 

 那珂が笑ってた。

 正面にいた那珂が隣にいた。

 

「え」

「ちなみに那珂ちゃんは夜戦専用のアイドルだよ。探照灯とかで明るいけど、夜は夜だからねー、はいどっかーん!」

 

 那珂は魚雷を持っていた。

 それをそのまま、ガンビア・ベイの耳に向けて叩き込む。

 半ば意識外からの攻撃。

 彼女の頭部は、見事爆炎に呑み込まれた。




暗闇の状態から、一気に照らして光学迷彩を破壊……これ元ネタあります。分かる人にはクリスマスにドリル処刑される権利をプレゼント!


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第219話 ガンビア・ベイMk.II"D"⑧

 誰もがその光景に面食らった。

 いきなりキャピキャピ、ハイテンションの艦娘が現れたと思ったら、ガンビア・ベイの顔面に魚雷を叩き込んだからだ。

 

 言うまでもないが、魚雷は海上に投下する兵器。

 打撃武器でも刺突武器でもないし、そもそも手に持たない。

 ……いや、確かに確実に命中するが。

 

 しかし、そんな狂人の暴走にも、ガンビア・ベイは冷静に対処した。

 

 僅かな時間で頭部を動かし、『顔面』ではなく『後頭部』で、魚雷を受けた。爆発が起きる。爆炎に呑まれる──間もなく、無傷のガンビア・ベイが飛び出た。

 

「あー! アイドルからの握手を断るなんて、ファン失格だよ!? 会員証没収しちゃうぞ?」

Scared(恐い)! 本当にscared(恐い)です! この人なんですかウヅキさん!」

「変なアイドル」

「答えになってないですッ!?」

 

 手に持って魚雷をぶち込んだので、那珂の手はボロボロだ。折れかけの骨と僅かな皮膚で繋がってるだけ。

 そんな状態で自分の返り血を浴びつつ、笑顔で迫る那珂。

 アイドルは笑顔が基本だ。しかし時と場合による。今の場合、普通に恐いだけだ。

 

「さぁ! 宣戦布告は受けたよ……もっとガンビーちゃんのキラッキラなところ見せて! 私も! 全身全霊で! 応えるから!」

「せ、せめてconversation(会話)を成立させて下さい!」

「一級のアイドルに言語は要らないんだよ。知らないの?」

 

 知る訳がないし世界の誰も知るまい。

 ガンビア・ベイは再び背中を向ける。構っていられるかこんな狂人。不意打ちは驚いたがガードできた。とっとと逃げてしまおう。全力で逃げれば追いつけない。

 ──判断ミスだった。

 

「余所見は、ダーメ、絶対にね☆」

 

 那珂はさっきまで正面にいた。

 ガンビア・ベイが振り返れば、真後ろにいることになる。

 なのに那珂は。

 真正面にいた。

 

「え」

 

 どうして前にいる。何時回り込んだ。どう気づかれず移動した──あらゆる疑念は那珂の笑顔に吹っ飛ばされる。

 

「乗り気じゃない? じゃ那珂ちゃんがサポートしてあげる! まずは基本のアイドルインタビューだよ! はい魚雷(マイク)ね! しっかり声を出していこー!」

 

 マイクみたいに握られた魚雷(マイク)が、ガンビア・ベイの口内へ

 迫る。腕──は間に合わない。彼女は苦渋の判断で、顔を横へ向けた。魚雷は側頭部へ直撃する。

 結果はさっきと同じ。那珂は大ダメージ。ガンビア・ベイは無傷。

 

「こらー! 顔を背けるインタビューなんて非常識だよ!?」

「不味い不味い不味い不味い……!」

 

 しかし、ガンビア・ベイは危機感を抱いていた。

 戦闘が不味いのではない。

 戦闘を続けること自体が不味い。

 彼女の目線の先には……

 

「……マジかぴょん」

 

 驚愕する卯月がいた。

 ガンビア・ベイは戦慄する。

 もうなりふり構っていられない。このままでは『敗北』する。全身全霊で逃亡しなくてはならない。

 

「そこを退いて!」

「キャー!? 顔は止めてー!?」

 

 突撃銃から艦載機を発艦させ、那珂へぶつけようとする。それを彼女が回避したと同時に、全力ダッシュで離脱を図る。

 しかし、数歩踏み込んだ瞬間、足元へ砲撃が『着弾』した。

 

「誰が砲撃を……見えない? じゃあ、ポーラさんですか!」

 

 隠れた所から狙撃してきたのだ。

 砲弾が足へ直撃する──ダメージはない──だが衝撃で逃亡速度が落ちる。

 

 そこを球磨と熊野が両サイドから挟み込んだ。

 既に砲撃もしていた。

 

「か、Avoidance(回避)……!」

 

 システム強化による身体能力で回避するが、密度が濃すぎて避けきれない。何発か着弾してしまう──尤もダメージはない──なのにガンビア・ベイは、動揺を隠せていない。

 

「何で、こいつら、イロハ級の雪崩に、潰れている筈じゃ!」

「雪崩? 何のことクマ。あれはせいぜい突風だクマ」

「!?」

 

 その時ガンビア・ベイは状況を呑み込んだ。

 イロハ級と顔無しの群れが、想定より遥かに少なくなっている。機雷への自爆で相当数を消耗したとしても、残っている数が少な過ぎる。

 何故なんだ、その答えは明らかだ。

 

「たかがイロハ級。砲撃も普通に通る。で、あれば……あれぐらい減らせて当然。でなければ特務隊は名乗れません……システムがないからといって、ちょっと、舐め過ぎてはありませんか?」

「つっても懲罰部隊だクマ。自慢できないクマ」

「そういうことは言わないのがマナーですわ」

 

 熊野はそう言うと、卯月の方へ目線を向けた。卯月と熊野。二人は同じ『疑念』を抱いていた。それをこの戦闘で証明するのだ。

 

「──っ!」

 

 もう、苛立つセリフを発する余裕もない。

 ガンビア・ベイは全てを放り出し、一目散に逃げだす。ポーラの狙撃が当たろうと、何が当たろうと、魚雷に被弾しようとお構いなし。衝撃でスピードが落ちようが、関係なしに逃げ続ける。

 

 実際ダメージが皆無なのだから、構う理由はない。最大スピードを維持しての逃亡故に、陸上砲台も中々命中しない。

 このままでは振り切られる。

 そう理解していても、熊野たちは追撃を止めなかった。

 

 だからガンビア・ベイはより恐怖した。

 

 愚行に思えない。何か策があるとしか思えない。

 実態の見えない恐怖に逃走速度は更に跳ね上がる。

 

 そしてあるタイミングで、ガンビア・ベイの悪足掻きが完成した。

 

「クマ!?」

 

 砲撃が艦載機に弾かれた。少しずつ発艦させていた艦載機を、盾代わりに大量密集させたのだ。天敵である秋月は射程距離外。これがある限り砲撃は通らない。せいぜい魚雷だけ。逃亡阻止は不可能だ。

 

「……なるほど、でしたら、こちらも同じ。まあ作戦と言っても天敵をぶつけるだけなんですけど」

 

 今あいつ何て言った? 

 その時、ガンビア・ベイに影がさす。

 

「わたくしの予想通りなら、『彼女』も天敵です」

 

 ガンビア・ベイは基本逃げる。背を向けて逃げる。

 だが、背を向けた時、最凶になる艦娘がいた。

 彼女は気づくべきだった──今の今まで、『那珂』はどこへ消えていたのか。

 

「どじゃーん!」

Up()!?」

 

 どうやって上から来たのか? 

 理屈は割と単純であった。

 今しがた作った艦載機の壁を()()()()()()()()。それだけの話である。

 

 問題は、気付けなかった点だった。

 そんなことしてれば流石に気づく。なのに察知できなかった。理解できない。何か『能力』を持っているのか。ガンビア・ベイは困惑する。

 

 ジャンプした那珂は、空中からありったけの爆雷を艦載機の壁を投下。

 艦載機にとって上は死角、折角形成した壁が破壊される──のも構わず尚逃亡。それだけガンビア・ベイは追い詰められていた。

 

 少し走り、また振り返る。

 せめて、敵との距離は把握しておかないと。

 そして彼女は再び恐怖する。

 

「──あの狂人、どこ!?」

 

 真後ろにいた筈なのに那珂が姿を消した。一瞬目を離した隙に何処かへ行ってしまった。消える素振りさえなかったのに。

 

「だーかーらー、目を離しちゃーダメでしょ!」

「ギャ!?」

 

 那珂が足元から現れた。

 しゃがんで、真下に潜んでいたのだ。

 意味が分からない、目を離すと消える──目を離すと? 

 

「まさか──いや、それは、もういい!」

 

 ガンビア・ベイは突撃銃で殴りつける、それをバックステップで回避する那珂──入れ違いに球磨が突っ込んでくる。艦載機の壁はさっき壊れた。熊野が少し脇から援護射撃を飛ばす。

 

「気づいたかクマ。ご褒美にレクチャーだクマ。()()()()()()()()()()

「……動揺が見られる。やはりそうなんですね。ちゃんと見続けることに、問題があるんですね?」

 

 背中を向けて逃げたい。

 それが重要なのにできない。那珂が問題だ。

 今いる場所は分かる、後方へ飛んだから、熊野の後ろにいる。

 目を離したら何処へ消えるか予想ができない。追い詰められつつある今、その不確定要素はあまりにヤバい。

 

「あれも……天敵!」

 

 天敵は二隻いた。

 

 球磨が砲撃を放つ、熊野が援護射撃を放つ。回避以外の選択肢がない。最悪当たらなければどうとでもなる。システムの恩恵を受けた身体能力ならいける。

 ──しかし彼女は見落としていた。

 那珂は、確かに天敵だった。

 

「コラー! 私のファンだよ、とっちゃダメーっ!」

 

 那珂が砲撃をぶっ放した。

 改めて言うが、ガンビア・ベイの前には球磨がいる。

 つまり巻き添え確定だ。

 

「Fiendly fire!? 嘘でしょう!?」

 

 那珂は躊躇なく球磨や熊野ごと砲撃。巻き添え上等の暴挙に、ガンビア・ベイは困惑の淵に叩き込まれる。

 その動揺が命取りとなった。

 突撃銃を持つ手が、球磨に掴まった。

 

「あ」

「掴んだク……マっ!」

 

 柔道の要領で、投げ飛ばされる。

 引っ繰り返され球磨と位置が逆転する──ということは、その位置に飛んで来た那珂の砲弾は、彼女が受けることになる。

 悪足掻きに体勢を捻じ曲げ、『側面』で受け止めようとした。

 

 しかし、やはり砲弾は飛んで来た。

 

「──ふう、セーフですわ」

 

 熊野が艤装で、自分への誤射を、弾いたからだ。それが直撃コースに乗った。

 

 そして、流れが傾く。

 

 

 

 

 『疑念』があった。

 ステルス絡みとは別に最初から『疑念』が渦巻いていた。

 艦載機の上で攻防を繰り広げていた時、ガンビア・ベイは卯月の攻撃を()()使()()()()()()

 

 最初は不思議には思わなかったが、戦闘が進むにつれ、『疑念』へ変わっていった。

 ──あれ防ぐ必要なかったよな、と。

 ガンビア・ベイはあらゆる攻撃に対して無敵だった。

 金剛達の一斉射も無効化。陸上砲台でやっと。それも多少だし爆速で治療されて終わり。

 

 なら、何で防ぐ必要があったのか。

 ていうか何なら回避行動さえ必要ない。無敵なんだから。けど以降も防御したり回避してたりした。ステルスを破壊してから疑念は更に顕在化。那珂の魚雷攻撃を、後頭部で受け止めた時、ほぼ確証へ変わった。

 

 防御しなくてはならないから防御していた。

 しかし防御行動をとることがそれの露見に繋がる。

 極力回避行動をとっていた理由はそこだ。

 

「……そ」

 

 けど、その『答え』を見て、卯月は困惑していた。

 

「そんなパターンありかっぴょん!!!」

 

 ガンビア・ベイの腹部が()()()()()()

 流れ弾で飛ばした軽巡クラス(那珂)の砲撃で。戦艦クラスでも傷一つつかなかったガンビア・ベイが、完全なダメージを喰らっていた。

 つまり、どういうことか。

 

()()です!」

 

 そういうことだった。

 

「重装甲なのは()()()だけ、弱点は身体の()()()、そこになら軽巡、いえ駆逐艦でも攻撃が通る!」

 

 熊野の叫びを聞いた大半の反応は困惑だった。

 固いのは背中? 正面は貧弱? ナンデ? でも確かに軽巡の砲撃が通った。跳弾だから威力更に低いのに。ってことはマジ? 

 

「身体強化もエネルギー吸収の産物。エネルギーには『量』がある。それを任意の場所に割り振れば、こういうこともできる……ムリだ予想できるかふざけてんのか!後ろはダメです顔と腹は和らないですって、どんな当たり判定なんだぴょん!!」

 

 普通ならその必要がないのだ。全身に隈なく張り巡らせ、万遍なく強化する方が汎用性が高い。

 しかしガンビア・ベイの場合は例外。彼女はすぐ逃走する。常に『背中』を見せているのと同じ。だからそっちに全リソースを注ぎ込む方が都合が良い。実際逃走している最中は無敵なのだから。

 

 故に那珂が第二の天敵だった。彼女と相対する場合は、常に視界に収めることを強要される。ガンビア・ベイは後ろ向きでの逃走──正面を敵に見せた状態──を強いられる。

 

「……あ、うあ……あうあうあうあ」

「あ、なんか壊れた」

 

 ガンビア・ベイは追い詰められた。本当の意味で追い詰められた。腹部の傷は再生能力でもう完治。しかし気づかれた今、この場にいる全員が腹部や顔面目掛けて攻撃してくる。背中の防御力とステルス頼りだった彼女に、全てを回避する技量はない。

 

「あーっ!」

 

 ヤケクソのように艦載機を展開する。それを突撃──させない。鎧のように全身へ纏う──纏う、纏う、残る全てを纏う。

 否、イロハ級が出していた分も含めて、全てを纏い集結させる。

 そうしてできた『鎧』は。

 

「──嘘、やめて」

 

 満潮が青ざめるのも当然。

 オリジナルより小さいが、『獣』の姿だったのだから。

 が、本物の『獣』が叫ぶ。

 

「コケ脅しじゃねえかっぴょん! 吹き飛ばしてやる!」

 

 ただのハリボテだ。脅かす為のパチモンだ。

 実際その通りであり、駆逐艦主砲で簡単に蹴散らされる。サイズ確保の為密度も薄い。卯月を含めた全員の砲撃で、ハリボテ獣はあっさり散った。

 

「──は?」

 

 だが()()()

 内部にいたガンビア・ベイが、跡形もなく消えていた。

 

「アイドル勝負の決着はついたのかな? 那珂ちゃんの勝ち?」

「……おいまさか、ステルス機能が復旧したんじゃ」

「ち、違う、違います、まさか、こんな!?」

「慌てんなクマ。説明するクマ」

「あれ! あの、水面!」

 

 熊野が指さした所を見つめる。そこに──チラッと靴底が見えて、水中へ消えた。

 ガンビア・ベイの脚部艤装である。

 それが、水中へと消えた。

 

 これが何を意味するか。

 

「潜ったぁぁぁぁ!?」

 

 ガンビア・ベイの最終兵器、潜水しての逃走が、解き放たれた。



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第220話 ガンビア・ベイMk.II"D"⑨

 ステルス・カムフラは無力化した。ついでに艦載機も大半を叩き落した。無敵装甲のカラクリも見破った。

 倒せるのか──その状況から一転、絶対に倒せる状況にまで持ち込めた。あとは逃がさなければ良い。

 

 しかし、追い詰められたガンビア・ベイは、信じ難い秘策に出た。

 潜ったのである。

 

「どうなってんだぴょん!? 最近の軽空母は、潜水艦の機能も併せ持ってるのか!? これが近代の軍艦ってやつかっぴょん!?」

「ないわよ! そんなの!」

 

 そんなことはない。

 言うまでもないが、潜水できる空母など、昔も今も存在していない──潜水空母というややこしいのはいるが規模が違う。

 

「わめいている場合ではありません。ヤバい、超ヤバいですわ。このまま泳がれたら、逃走を阻止できません!」

 

 熊野が叫んだ通り状況は深刻だ。

 ガンビア・ベイの堅牢さの実態は、()()()()()()という珍妙なものだ。だから逆。顔面や腹部は返って脆い。正面からなら有効打が狙える──というもの。

 

 しかし、潜水しているとどうなるか。

 今のガンビア・ベイは、潜りながら泳いでいる。泳いでいるのだから、うつぶせの姿勢になっている。

 つまり、水上にいる卯月達は、()()()()()()()()

 

 だって爆雷を落とすしか方法がないから。

 

 合切のダメージを弾いた背中しか狙えない。この時点でダメージを与えることは不可能と化した。

 

 ガンビア・ベイもただ逃げる為ではない。その為に潜水した。けど同時に切り札でもある。これ以上後がない。だから確実に逃げるために、最後の悪足掻きもする。

 

「伏せなさい卯月!」

「えっ」

「さっきの、獣の残骸!? カムフラ艦載機だわ!」

 

 時間経過により、少しずつステルス・カムフラ機能が復旧し出す。

 

「満潮もだクマ! 後ろに敵だクマ!」

「うっ!?」

「──残党が、最後に残ってた連中が、全部こっちに来てるみたいだクマ!」

 

 戦場に残されたイロハ級が卯月達へ集結する。即座に迎撃態勢に入る。ハッキリ言って雑魚だ、すぐ始末できる。

 だが、それにかかる時間が致命的だ。

 艦載機とイロハ級の処理が終わった頃には、ガンビア・ベイはいなくなる。私達の敗北だ。

 

「どうすればいいんだぴょん!?」

 

 何か作戦はないのか? 

 卯月は必死で脳を回転させる。

 しかし、敵の猛攻はその余裕も与えない。与えない為の猛攻。ガンビア・ベイも生き残るのに必死だ。生への執念に彼女達は押し切られようとしている。

 

 だが、必死なのは彼女だけではない。

 彼女たちだけでもない。

 

 抵抗する卯月達の横を、駆逐隊が突き抜けて行った。

 

「松、それに、竹や桃も!?」

「お前たちはそっちの注意を引いてくれ、後は俺たちに任せろ!」

「那珂先輩に負けない活躍、見せてあげるんだから!」

 

 二人だけでない、更に別方向から、弥生と望月も突っ込んでいく。

 

「対潜戦闘なら、むしろあたし達、活躍できっからねー……めんどくさいけどさー」

「……さぼるの?」

「違うから、恐いから睨まないで」

『そういうことなんです! 私の部下たちは、皆優秀なんですから。そして私もそれなりに優秀です、それをお見せしましょう!』

 

 パチンと、指を鳴らす音がした。

 

 水底から──地鳴りのような音が響く。

 眩い光が『水底』から現れた。

 卯月はそれを見て衝撃を受けた。

 

Searchlight(探照灯)!? 水中に!?」

『陣地構築は得意なんです。潜水艦が出た用に用意してました。まさかガンビア・ベイが潜るとは思いもよりませんでしたが』

 

 だとしても、何時の間に。

 此処はまだ陸地に近い方。人の手を使えば、海中設置が可能な深度だった。

 水中の暗闇は探照灯によって剥がされた。下からの閃光に海中が照らされ、水面に向かって影ができる。

 その中に、確かにガンビア・ベイがいた。

 

「見つけました!」

「うん……作戦通りに、仕留める」

 

 夜の潜水艦を仕留めるのが困難なのは、暗闇のせいで位置が分からないから。逆言えば特定できれば攻撃できる。

 探照灯だけではない。海底に仕掛けた複数のセンサーにより、位置だけでなく深度も特定。爆雷の深度調整は容易い。

 

「陣形配置完了、3、2、1……爆雷投下!」

 

 松の合図と同時に、四人が爆雷を一斉投下。

 逃走方向へ向けて全力で投擲。逃走経路を塞ぐ形で投下。だが意味がない。背面への攻撃ではダメージはない。仮に爆発が正面をとらえても、腕や艤装でガードされて終わりだ。

 

 しかし爆雷は、ガンビア・ベイを通り過ぎて沈んだ。

 

 直後、爆発が起きる。横から見たら()()()になる形になった所で、ピッタリ爆雷が起爆。それは攻撃の為ではなかった。斜め下から爆風を浴びせることで、水中から叩き出すための爆発だったのだ。

 

『…………』

 

 それをガンビア・ベイは鼻で笑う。

 海上で爆風をモロ浴びたのならともなく水中で? そんな軟な攻撃は通らない。顔や胴体への直撃は手足でガード。爆風で吹っ飛ばされもしない。僅かに速度が落ちる程度だ。

 

「成功だね、この、少しだけの時間が必要だった」

 

 桃が呟く。水上からなので聞こえてない。ただ呟いただけ。

 

『!?』

 

 直後、ガンビア・ベイに──『大発動艇』が衝突した。

 

『何が!?』

 

 困惑は当然だ。彼女がいるのは水中。大発動艇は動けない。しかし来た。大発動艇が水底を這うよう来た。交通事故みたいに衝突してきた。

 一体何をされた──疑問は直ぐに氷塊する。

 チラリと鎖が見えた。

 

「うおー! このまま、陸地まで引きずり出してやるのねー!」

 

 海上にいたのは睦月と如月だった。彼女達は水中に鎖を下ろしながら、内地へ猛ダッシュしていた。つまり()()()()()()()。海域封鎖崩壊時、海中へ没した大発動艇に、鎖を引っかけた。せり上がった壁のように突っ込ませたのだ。

 

 ガンビア・ベイはそれに巻き込まれた。爆雷は──囮だ。速度を落とすだけでなく、ガード体勢をとらせ、無防備なところで大発動艇を衝突させるのが、本当の目的だったのだ。

 

「んっ……ぐっ、やっぱり、辛いわね……!」

「泣き言は言わない! 距離的には直ぐだから頑張って!」

 

 とは言えまともな引っ張り方ではない。艤装にかかる負荷は深刻そのもの。機関部から火が出てくる始末。それでも止める理由はない。ここで仕留めなければ人間社会に未来がない。

 そして、その先では。

 金剛と比叡、更に陸上砲台部隊が、照準を合わせていた。

 

「……急ぐデース、みんな」

「大丈夫ですよ、全員最前線張れるぐらい強いです。比叡はそれを信じてます」

「……うん、その通りデース!」

 

 彼女達は信じている。必ずガンビア・ベイを水上へ叩き出してくれると。

 

『──こんな小細工で、私が逃げるのを、止められる筈が、ないでしょう!』

 

 しかしガンビア・ベイは止まらない。大発動艇を破壊──いや内部に何か仕込まれているかもしれない。一瞬だけ後退し深度を上げ、突っ込んできた大発動艇を回避。すぐさま逃走を再開。

 

「手ごたえが消えたわ!」

「逃走再開にゃしい! 逃がしちゃダメ絶対に!」

「でも海面近くなら私達でも狙えます!」

 

 準備していた金剛、比叡、陸上砲台部隊が、一斉に火を噴いた。海底探照灯のお陰で位置は特定。そこ目掛けて大量の砲弾が降り注ぐ。

 しかし意味がない。

 ガンビア・ベイはうつ伏せの姿勢で泳いでいる。上からの攻撃では、着弾箇所は背中。ダメージは一切ない。そもそも水面近くとはいえまだ水中、元の威力も減衰している。

 

 それでも『鬱陶しい』とは思った。

 ダメージはないが衝撃で水流は乱れ姿勢は崩される。大発動艇は超えた。水面に留まる理由は皆無。ガンビア・ベイはまた直ぐに水底へ潜ろうとする。

 

 それが、ガンビア・ベイの運命を分けた。

 

『起爆!』

 

 何て言った? 起爆? 何を──瞬間、海底が爆発した。

 

『──またSearchlight(探照灯)ですか!』

 

 海底に敷き詰められていた探照灯が一斉に自爆した。

 

『小細工、です!』

 

 一瞬だが判断を強いられる。()()()()()()()()()()。上からは砲撃の雨。下からは爆風が来る──砲弾をガードすべきだ。爆発でダメージは受けるが再生できる。それより水底へ潜る方が優先。

 そう判断をして、爆炎をかき分けながら、水底へ潜って。

 

『どうも赤城です』

 

 空母に会った。

 

『!!?!?!』

 

 思わず水を大量に呑みそうになった。凄まじい混乱に襲われる。どうして空母が水中にいる。何時どうやって水底にやってきた。

 

『さようなら』

 

 種明かしをすれば、ワープしてきたのだ。

 探照灯が自爆した時、それに紛れて、水上から『矢』を発射。海底に刺さったそれに対し重心を移動、瞬間移動をし、見事ガンビア・ベイを正面に捉えた。

 

 場所は正面。攻撃が通る箇所。赤城は居合の構えを取った。

 

『死なないぃぃぃぃ!』

 

 ほぼ絶叫。ガンビア・ベイは水中に轟く金切り声を上げ全力で浮上。背中に砲撃の衝撃が来るがどうでもいい。赤城から逃げる方が優先だ──赤城は落ちてきた爆雷の爆発に乗って跳躍、眼前へ迫った。

 

『逃がしません』

 

 殺される──ガンビア・ベイは、閃光のような一撃を、ギリギリ腕でガードした。水中で勢いが落ちてたこともあり防御は成功。逆に刃が折れる。

 なら、危機に陥るのは、赤城の方だ。

 

『ゴボッ……っ!』

 

 水中にもぐったせいで艤装が壊れる。浮上もできず溺れてしまう。それを見てガンビア・ベイは失笑する。尤も何も言わない。逃げる方が最優先。

 

『……それが、慢心と言うんです』

『は?』

『私は、マーカー、です。貴女を一瞬、この位置、この深度へ、固定するのが、私や砲撃部隊の、仕事です』

 

 瞬間、ガンビア・ベイは、足に何かが絡まったのに気付く。

 一本や二本ではない……七本だ。

 それは松達三隻に、睦月達四隻、全員が投下した鎖。彼女を完全拘束し引き摺り出す為の装備。一隻ではパワー不足だが、七人全員でやれば。

 

「これで、トドメまで、持っていく……!」

 

 弥生が呟くと同時に、全員が鎖を持って()()()()へ進みだす。当然ガンビア・ベイは牽引される形で引き摺られる。

 このままでは、陸地へ引き上げられてしまう。鎖を切らなければ──ここで何も考えず切っていれば、助かる道はあった。

 

『え?』

 

 移動方向がおかしいことに気がついた。

 睦月達はガンビア・ベイを、()()()へ運搬していたのだ。

 逃走し易い方向に運ばれていた。

 何故なのか、間違えたのか──違和感を覚えたその瞬間、突然鎖が巻き上げられた。

 

「──いや関係ない!」

 

 鎖程度なら力づくで切れる。無理やり切断。また水面まで引き上げられたが、潜り直せばいい。むしろさっきより外海が近くなった、脱出し易くなった──あの駆逐艦たちは何をしようとしていた? 

 

 そして、悪寒を覚えた。

 さっきまで、そこにいた駆逐艦達が、四方八方に逃げてたからだ。

 

 更に言えば()()()がしていた。

 何かがこちらへ突っ込んで来る音だ。

 潜り直せば問題ないが、一体、何が来て──

 

『最終兵器、最強の助っ人のパワー、思い知りなさい!』

 

 事情を知らない人は全員絶句した。

 ガンビア・ベイも当然絶句した。

 そして理解した。

 出口近くまで誘導したのは、高い威力のまま直撃させる為だったのだと。出口付近を狙えば、全部を直撃させられるからだと。

 

 海面を吹き飛ばしながら、来る。

 コークスクリューみたいに回転しながら、来る。

 ドリルみたいに回りながら、三つ飛んで来る。

 

 外海の方向。地平線から飛んで来たのは──

 

 

 ──護衛艦だった。

 

 

 近代部隊が使っていた、護衛艦そのものだった。

 

 対深海棲艦戦では役に立たず、埃を被っていた護衛艦が三隻、コークスクリューのように回転しながら、飛んできた。

 

『オーマイガ』

 

 と呟いた直後護衛艦が直撃した。

 海面を盛大に巻き込みながら飛んで来た。浅い水深も射程距離内。水面に誘導してきたのは、これを直撃させる為だと、ガンビア・ベイは気づく。

 

 巨大質量体三つ分と、投擲に伴う加速エネルギー。

 それを正面から喰らったガンビア・ベイは動けない。それどころか回転の勢いに呑まれ、海上に身体が出てしまった。

 致命傷は避けた。あれだけの質量体の直撃は危険だ。とっさに背中で受け止め、護衛艦ドリルは防御したが……ヤバい。

 

 護衛艦は、外海から飛んで来た。

 ガンビア・ベイは背中で受け止めた。

 

 つまり、弱点となる顔や腹は、内地側を向いている。

 内地側には──

 

「がっ……!?」

「遠くからじゃ、また逃げる……気がします、なのでぇ!」

「これで、Absolutely(絶対)、完全命中ネ!」

 

 金剛と比叡、二隻の砲身が、腹部へ突き立てられた。

 そして、護衛艦に押し込まれる。

 貫いてはいないが──串刺しだ。主砲で護衛艦に固定させられた。そんな状態。つまり『磔』である。

 

Lie()、こんな、System(システム)も載せてない連中に……」

 

 磔と化したガンビア・ベイは──もう、逃げられなかった。

 

「ズルをしたんだ、イカサマです! Cowards(卑怯者)! 地獄へ堕ちて! 弱い物虐めのゲスのクズの──」

「Firrrrrre!!」

「あ……あああぁぁぁぁぁ!!??」

 

 二隻分の砲撃が、接射で放たれる。

 但し──空砲で。

 されど空砲。無防備な腹部は、戦艦級主砲の衝撃を100パーセント全身へ伝達する。

 

 撃つ。

 撃つ。

 撃つ。

 空砲だから、弾切れの心配はない。

 気絶するまで、接射して接射して、接射し続ける。

 

 衝撃波が体内を駆け巡る。護衛艦に固定されてるせいで、ダメージを逃がす術さえない──そして、ガンビア・ベイは。

 

「…………ぁ」

 

 白目を剝き、泡を吹き、涙と鼻水を垂れ流し、全身を痙攣させて、やっとこさ崩れ落ちた。金剛と比叡はそれを見て、主砲を離そうとする。

 だが、声を掛けられた。

 あきつ丸だった。

 

「いやまだでありますな」

「へっ!?」

「いるんでありますよー、気絶したフリをして、拷問を回避しようとする輩が」

 

 護衛艦の上からシュタッと降りたあきつ丸は、ガンビア・ベイの背後へ回り込む。

 

「なので、チェックだけ済ませでも?」

「あ、はい」

「えーっと、ああ、ここ、此処が良いであります。背骨の……脊椎の此処。ここは人体の急所でありまして、此処をゴリっとすると」

 

 あきつ丸はそう言って、背骨の間辺りを、拳の骨で思いっきり押し込む。

 

「ギギェガッ!!?」

「ヒッ!?」

 

 絶叫を上げるガンビア・ベイ。

 そして、今度こそ崩れ落ちた。

 

「……気絶したフリ。だったでありますな」

 

 もし気絶したフリに気付いていなかったら……背筋がゾっとする決着を、卯月達は遂に迎えたのであった。




最後のは、烈海王が寂海王にやったアレです。
ガンビア・ベイ戦漸く決着。秋月よりマシだけど、長い戦いでした。
残る洗脳艦娘は後2隻。


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第221話 悪逆無道

 艦隊は夜明けを迎えていた。

 誰一人欠けることなく、無事に朝を迎えることができた。それはとても喜ばしいことだ。

 しかし、全員ある意味では死んでいた。

 

「あ゛ー……」

 

 死んだ目で砲台に寄りかかり、呻き声を上げている。なんと松である。他のメンバーも似たようなもの。死んだ目でぐったり力尽きている。

 

「びょびょ……ん」

 

 前科戦線のメンバーも例外ではない。その辺に横たわり、溜息を何度も繰り返しながらぶっ倒れている。

 動けなかった。動きたくても身体が動かないのだ。

 

 対ガンビア・ベイは、あまりにも神経をすり減らす戦いだった。

 見えない攻撃に対処する、のは分かる。視界外からの攻撃を警戒するのは当たり前だ。

 だが、見えてない攻撃に対処したことはなかった。見えてる光景を疑いながら、死角からの攻撃にも備える。

 

 ハッキリいって、滅茶苦茶神経がすり減った。今までにないとんでもない疲労感に襲われたのだった。

 

『はーい、疲れてるところ悪いけど、撤収作業早めにお願いすねー』

 

 それでも、疲れた身体を引きずりながら、作業ができるのは、流石と言ったところ。普段からこういう作業を行っている証拠だ。

 尚、卯月を含む何人かは参加していない。

 特別待遇、とかではない。負傷が重い者は、絶対安静が命じられている。

 

 暴れ回っていたので忘れがちだが、卯月だって脇腹を抉られ、内臓へ到達するダメージを負っている。戦いに勝ったのに、事後処理に耐え切れず絶命なんてこと、誰も許さない。

 

「……とはいえ、眺めてるだけってのは、暇だぴょん」

「暇、じゃあないの。一応ガンビア・ベイが逃げないか、監視するって名目があるんだから」

「名目は名目だぴょん……寝たい、眠い、休みたい……けど戦闘のテンションのせいで、寝れない、ぴょん」

「はぁ……だったらそれで起きてなさいよ」

「ぬぅ」

 

 ちなみに、秋月とか他の何人かは、疲労と緊張に耐え切れず寝落ちしてしまった。他のメンバーもうつらうつらとしている。まともに起きて、監視しているのは卯月と満潮ぐらいだ。

 

「仮に目を覚ましても、逃げられやしないぴょん」

「……であって欲しいわ。コイツのことだから、何か想像もできない奇天烈な方法で、脱出しそう」

「ああ、分かるぴょん……」

 

 最後、金剛と比叡により、気絶したガンビア・ベイ。

 彼女は──まあ当然拘束されている。

 ほぼ繭。手足も首も、思い当たる箇所全てが、鎖でぐるぐる巻きになって、拘束されていた。

 これでも尚、足りないと思わせる辺り、凄まじい性質の悪さであるが。

 

「ヘーイ、二人共、お疲れ様デース!」

「お、大声出すなっぴょん……脳味噌に負担かけないで、だぴょん」

「オウ、ソーリーネ」

「む! 折角お姉さまが飲み物を持ってきて下さったのに、その態度は何ですか!」

「頭ァ……止めて……マジでぇ」

 

 でも飲み物はありがたいので頂く。ストロー付きで飲みやすい。ボトルの中身はレモン味のラムネだ。しゅわしゅわとした味わいは、疲労回復に良い……気がする。

 

「アンタ達は撤収作業しなくていいの?」

「戦艦まで必要な場面は殆どないですから。なのでこうして、優しいお姉さまは、皆を労っているんです」

「労うって、そこまでのことじゃないネー。お疲れ様って気持ちデース」

「ふーん、そう、ご馳走様……美味しかったわ」

「……フフ、センキューデース」

 

 空の容器を回収した金剛は、そのまま卯月達の横に座り込む。飲み物も粗方配り終え、本当に暇になった。

 なので、雑談だ。

 久々の再会なので、色々話したいとは思っていた。さっきまではガンビア・ベイへの準備があったが、今は時間がある。

 

「最後、空砲だったけど、あれは指示があったのかっぴょん?」

 

 卯月はそれがちょっと気になっていた。当初の目的では、ガンビア・ベイの抹殺が最優先。生きて確保するのは()()()()()()。そういう指示だった。

 

「いや、私達の独断……って言うのも変?」

「咄嗟の判断、と言ってください。あの場でそう決めたんです。まあ空砲にした理由は、それなりにありますけど」

 

 絶対に逃がさない為、砲身を突き立てた。

 だが、この状態で砲撃してしまえば、砲身がぐちゃぐちゃになってしまう。杭替わりの砲身が砕ければ、逃げ出すかもしれない。砲撃だと弾切れの心配もあった。弾が足りてもガンビア・ベイを殺してしまう。

 

 けど、空砲ぐらいなら、砲身は持つかもしれない。気絶するまで撃つ──という調整が効くかもしれない。

 だから、咄嗟に空砲へ切り替えたのだ。

 結果として、殺害することなく、捕縛に成功。金剛達の独断は正解だったと言える。

 

「……で、こいつ、どうするんですか?」

「まあ、とりあえず艤装……か体内にあるシステムを取り除いて、洗脳から解放してから、情報をあれこれ聞き出す筈よ」

「情報残ってない気がするぴょん」

「だとしても、しないよりマシよ」

 

 |D-ABYSS()()()()()()()にはどうも、記憶を改竄する機能が備わっている節がある。卯月も秋月以降の艦娘も、『黒幕』にとって都合の悪い記憶は消されている。

 

「んー、でも、残ってたら……かなりラッキーな気がするネー」

「どゆこと?」

「秋月や最上より、ガンビア・ベイは格上。顔無しの原料になる艦娘の確保っていう、重要任務を請け負っていたんだから、より大事な情報を知ってる筈デース」

「……確かに」

 

 現状、『黒幕』──もしくはそれに近い標的は、泊地水鬼だ。

 しかし、それは一人からの情報。確実とは言えない。ガンビア・ベイから情報を得れれば、より最終目的がハッキリする。

 残る洗脳艦娘は、瑞鶴とウォースパイトの二隻。

 彼女達を倒しても、『黒幕』を始末しなければ何の意味もないのだから。

 

「ま、今できることはないぴょん……する気力もない」

「それは同感……疲れた本当に疲れた。もうダメ動きたくない」

「うん、ケガも酷いし、休んでてください」

「いや、それは微妙デース」

「へ?」

「おしゃべりしてた方が、痛みが紛れる筈デース。という訳で、私達は引き上げるデース」

 

 金剛達はそう言って、撤収作業や他の仕事へ戻っていった。それと入れ違いで、何人かの影がやってくる。誰が来たのかは察せられた。

 

「おう、お疲れさま」

 

 竹が声をかけてくる。彼女と一緒に松も来た。

 

「寝たいのに傷が痛くて寝れない。ヘルプミーだぴょん」

「諦めろ」

「即答しなくても……」

「戦場では、その傷で動き回ってたじゃない」

「痛みを殺す技術があるからだぴょん……非戦闘状態で使うもんじゃないぴょん」

 

 完全なる殺意があれば、痛みを無視できる。痛みを感じないのではなく、『苦痛』として感じなくできる。

 だが、普段使いするものではない。

 前に言われたことを、多少なりとも覚えている。『殺意』の乱用は危険だ。控える時は控えるべきだ。

 

 でもやっぱ使いたいです。お腹凄い痛い。

 

「内臓がちょっと飛び出るダメージで、そもそも動かないで……って言いたいけど、今更しょうがないか」

「このアホはそんな注意聞かないから大丈夫よ」

「何てことを言うんだぴょん!」

「じゃあ、聞くの?」

「あっところで桃は何処だぴょん。見当たらないけど」

 

 露骨に話を逸らした。満潮も松も文句を言いたげな顔だ。けどそれは無視させてもらう。自覚はしているのだ。

 

「桃なら、那珂さんとアイドル談義してる。関わらない方が賢明よ。多分死ぬ」

「死ぬって、具体的に」

 

 松は悲哀に満ちた目線を向ける。

 那珂と桃の間に、何故か大井がいた。たまたま巻き込まれた模様。

 

 ちなみに──今回の戦闘だが、大井は後方で砲座担当だった。

 ステルス迷彩装備の敵。しかも乱戦確定。雷巡が活躍できる戦場ではなかった為の処置である。

 

「北上さん……わたしを、わたしを殺してください……」

 

 いったい何時持ち込んだのか。飛鷹は着せ替え人形と化している。どうしてこんな事になってしまったのか。飛鷹の眼は死んだ魚のよう。

 

「魔法少女の衣装なんてどうやって持ち込んだんだ……」

「どう?」

「うん。死ぬぴょん」

 

 飛鷹が死ぬ度に、那珂と桃の体力はみるみる回復していく。なんかキラキラしたオーラまで見えてきた。特殊な吸血鬼か何かだろうか? 触らぬ神になんとやら。飛鷹は犠牲になったのだ……卯月は近づくまいと誓う。

 

「……那珂、で思ったんだけどよ。あいつ大丈夫なのか?」

「何の話だぴょん」

「アレだよ。ほら、球磨さんとかが射線上にいたのに、あの人気にせずに……」

「ああ、そっち」

 

 確かに、あれはビックリした。

 雰囲気で感じたが、作戦とかそういうのではなさそう。那珂は本当に味方を巻き添えにするつもりで攻撃していた。

 あんな彼女を見たのは、卯月は初めてだった……いや、奇怪な存在を見るのは、これが初めてではないけど

 

 この事から考えると、那珂の『前科』の想像ができる。

 けど、追及の必要はない。

 

「何かしら問題抱えてるんだろうけど、気にするような事じゃないぴょん。それにこっちのルールだけど、そういうのは禁止だぴょん」

「ルールって?」

「相手の前科を探るのは禁止っていう、暗黙の了解。そういうのが特務隊(うち)にはあんの」

「ああ、なるほど」

 

 その意を汲んで、竹もこれ以上、前科については聞かなかった。

 少しの間、沈黙が流れる。

 言おうか言うまいか、ちょっと悩んでそうな雰囲気だ。

 

「あー、身体、大丈夫なんだよな……?」

「身体?」

「ほら、あれ、何かドラゴンになってた時。後遺症とか、目の変化以外に、特にないよなって」

「大丈夫……な筈だぴょん」

 

 情緒が死んだぐらい。人間性まで失ってないから大丈夫。

 多分だけど。

 

「卯月さんはどういう方向へ向かってるのかな……」

「言い返しにくいこと言わないで欲しいぴょん」

 

 んなこた自分が一番分かってる。なあなあに受け入れてるけど、なんだよ獣って。なんだよレーダーって。艦娘どころかまともな生命体からも解脱してる気がしてならない。

 

「平気よ」

「……満潮?」

「あの程度じゃ化け物とは言わないから」

「あれで化け物じゃないって」

「断言する。化け物ってのは、もっとしっちゃかめっちゃかな奴のことを言うの」

 

 何だろうか、断言したのが気になる。

 慰めの台詞ではない。『本物の化け物』を知っているかのような発言だ。

 

「まあ、いいさ、無事だってんならそれで。顔見知りが消えるのは嫌な気分だからな。艦娘になってからは、幸い未経験だけどさ」

「状況的に仕方がないとは思うけど、ムリはしないでね」

「……うん、ありがとぴょん」

 

 今のわたしは、ちゃんと悲しめるのだろうか? 

 獣化する前は喜怒哀楽があった。昔の鎮守府の仲間たち──菊月とか──と会えないのは、とても哀しいと思った。

 しかし、獣化以降私の情緒は死んだ。誰かが死んでも悲しめるか自信が持てない。

 試してみようだなんて、思いさえしないけど。

 

 ふと気づく。松と竹がコソコソ話してる。

 

「……あとはアレだよな」

「ええ、どうしようか竹。言うべき?」

「言わなくても、どっかで知っちまいそうだが……でもこの状況でなぁ……」

 

 そういえば、私の異常聴覚って、説明してたっけ。

 コソコソ話が全部丸聞こえ。

 いったい二人は何について話し合っているのだろう。

 

 暫く待っても会議は終わらない。自分から聞こうとした時、足音が四人分聞こえた。

 

「……いた」

「あー、やっと、見つけた……」

「弥生、と、望月?」

 

 やって来たのは睦月型ご一行だ。

 

「戦闘お疲れだぴょん」

「あ、うん、お疲れ……じゃ、なくて」

「ちょっと、卯月ちゃんとも、お話をしたくてね。そんなに時間はないけれど」

「……ああ、大丈夫だぴょん」

 

 彼女達は、前藤鎮守府を訪れた時、食事にカミソリを入れやがった連中だ。裏切者のクズ認識されていたが故に、仕方のないことだ。

 ……何を言われるのやら。

 松達は、冤罪だと知っている。

 

 しかし睦月達は、冤罪だと知らない──真実かに疑いは持っているが──本当に虐殺をしたと認識している。

 

 前は、身を挺して戦ったお陰で信じて貰えたが、今回はどうだろうか。

 獣となって、大量虐殺を本当にしてしまった。取り返しがつかないことだ。カミソリを食わされやしないだろうが、もう本当に拒絶されるかもしれない。

 

「悪逆無道の卯月に聞きたいことがあって」

「待って待って待ってストップストップストップ」

 

 それどころじゃなくなった。今睦月明らかに変なこと言ったぞ。

 

「睦月お姉ちゃん、もっかい言って?」

「悪逆無道の」

「それはなんだぴょん! 悪逆無道!? どっからそんな単語が出てきたぴょん!」

「えーっと」

「卯月氏の二つ名でっせ」

 

 スタスタ歩いてきた秘書官:漣が、苦笑いを浮かべて教えてくれた。

 

「あ、俺たち仕事だわ」

「じゃねー」

 

 松と竹は仕事へ戻った(逃亡した)

 

「ふたつな……?」

「うん。卯月氏だけど、そこら中の鎮守府で名前知られてる。『悪逆無道の卯月』って……いやぁ、クールな称号ですな!」

 

 よし、どっかで運の値再計測しよう。

 漣にパイルドライバーを決めながら、卯月は強く決意した。



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