さよなら私のファンタジスタ (ベンチ街)
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1話

よろしくお願いします。


きっかけはインターネットで見た古い映像。そこには濃い水色のユニフォームに身を包む小柄な男が足で巧みにボールを操り、自身より一回りも大きい男たちを翻弄している姿があった。

 

前を向くためのターンで一気に2人躱し、そこからドリブルでさらに2人。終いにはキーパーまで抜き去り無人のゴールへボールを叩き込む。

 

ドリブルでも他の追随を許さぬほどの走力。DFを翻弄するボディフェイント、ボールが足許から離れない繊細なボールタッチ。何か一つでも欠けていたら存在しなかったスーパーゴラッソ。

 

どれを取っても超一流。

ディエゴ・マラドーナの伝説の5人抜きのプレーである。

 

そして、ここにそれに魅了された幼女がいた。瞳を輝かせpcの画面を食いつくように凝視している。

 

「………うわぁ」

 

瞳をキラキラと輝かせて周囲のことなど御構い無しに、そのプレーを何度も何度も画面に穴が空くほど見直した。

 

何度も何度も、何時間も画面の前に座り込んで取り憑かれたように繰り返しそれを眺める。だからこそ、何度見てもこのゴールが理解できない。

 

試しに両親に買ってもらったゴムボールを蹴ってみる。画面に映る男と同じように左足でボールを自分の方向に引き込んで、そのまま扇状に体を展開して左足でボールを逃す。

 

イメージは完璧であったが、素人である彼女に一流のプレーの模倣などできるはずもない。ボールを引き込み体を展開させる瞬間、バランスを崩してずっこけてしまう。

 

初めて目の当たりにした理不尽。

 

「うん、うん。やっぱできない」

 

楽しい。

それから彼女は何度も何度も庭で挑戦した。こけた回数はもう数え切れないほどで、洋服も顔も泥だらけ足には擦り傷がたくさんできている。

 

でも、やめられない。

 

やめたくない。

 

「もう、一回」

 

イメージは出来ている。あとは、体を理想に沿わすだけだ。イメージと違うのは、自身の利き足が右足であるという一点のみ。ゴムボールを体の方へ引き込み、そのまま扇状に体を反転させそのまま右のインサイドで逃す。

 

それは、ひどく不恰好で実戦では確実に通用しない。なにより、ビデオでこの姿を撮影されていたならまず納得できる品物ではない。

 

だが、出来た。

 

「で、できた!」

 

ひどく不恰好だとしても、実戦で通用しなくとも彼女は成功した。理想には程遠いかもしれないが、確実に一歩前進したのだ。

 

そして何より、その場にいた2人を魅了した。

 

「おねえちゃんどうやったの!」

 

「ミッちゃんどうやったの!」

 

「すごいでしょ、練習したの」

 

「「うん!」」

 

それからというもの、彼女の足元には十余年もの間ボールがあった。彼女がフットボールを愛すれば愛するほど、それは実力となって彼女に返ってくる。

 

彼女にはそれが嬉しくて嬉しくてたまらなかった。彼女の愛と同じかあるいはそれ以上、フットボールの神様も彼女を愛していたのだ。

 

ただ一点、彼女には不幸なことがあった。

 

世界的にも男子に比べて女子のサッカー選手人口は少ない。だからこそ、才能を生かす場所というのも限られてくる。

 

ただでさえ、日本はサッカー選手の育成には向かない国。それに、出る杭は打たれるということわざがあるほど国柄的に突出したものを嫌う癖がある。

 

 

 

彼女が中学時代に味わったものは孤独であった。

 

 

 

「………どうして」

 

誰も彼女に頼りパスを出す。

 

「違う、私じゃない。ちゃんと開けたスペースを感じてよ!」

 

だが、誰も彼女の話を聞かなかった。

 

エースだからと監督に言い聞かされた。チームの核なのだから、頼られるのは誇れる事だと。

 

同じ言葉を彼女は自分に言い聞かせた。

 

だからこそ、彼女はひとりで打開する力をつけようと努力を続けた。それに報いるようにフットボールの神様は彼女の望むものを与えた。

 

足元からボールを離さないテクニックや相手を抜き去るスピード、競り負けないボディバランスも必要なものを彼女は手にした。

 

だが、彼女を取り巻く環境はひどくなるばかりだ。

 

チームメイトのやりたい事を周りがわからない。同じ景色が共有できない。

 

「………ねぇ、どうして分からないの?」

 

そして、中学生最後の大会。

彼女達は、県大会の一回戦で敗れることになる。

 

誰も負けるとは思っていなかった。相手は無名のチームであり、彼女達は県下最強とまでいわれていたのだから。

 

結果は、2対3。

 

チームメイトの慢心。相手の執拗なマーク。その他もろもろ全てが噛み合い、彼女達は実力を発揮できないまま終わってしまった。

 

ボロボロに削られながらもボールを保持し、孤軍奮闘した彼女にかけられたチームメイトから掛けられた声は賞賛の声ではない。

 

虎に塗れたユニフォームが彼女が足掻いた証なのにも関わらず、周りによってそれが貶されていく。

 

『あんたの独りよがりのプレーのせいだ』

 

(お前らが私を頼ったんだ)

 

『周りを活かしてよ!』

 

(パスを出して走らなかった奴が言う台詞か!)

 

『サッカーは1人でやるんじゃないんだからさ!』

 

(………今まで私に頼ってきたくせに)

 

 

 

 

『君はエース失格だ』

 

 

 

 

 

(…………何かが崩れていく)

 

 

 

 

その日初めて、彼女越前美咲はサッカーに絶望した。

 

「………つまんない」

 

 

 

 

 

彼女、越前美咲は生まれてくる国を間違えてしまったのだ。

 

 

***

 

 

 

時は巡り季節は春、時期的にいえば入学シーズン。あの日、フットボールに魅せられた少女も今では高校2年生になっていた。

 

あの日サッカーに絶望してから、彼女の足元にボールが収まったことは一度もない。サッカー好きの妹である越前佐和でさえ、彼女の前でサッカーの話は避けるほどだ。

 

TVで試合が行われていればすぐにチャンネルを変え、SNSでは「サッカー」を除外ワードに登録するなどの徹底ぶりを見せた。

 

一時期彼女がTVに映っていたこともあり、サッカー部への入部を期待されたが彼女は頑なにそれを拒んだ。入学して3ヶ月が経つ頃には、彼女に勧誘をかけるものはほぼいなくなった。

 

だが、まだ一名ほど勧誘を続けてる者がいる。

 

「おはよう美咲」

 

「うん、おはよう田勢」

 

蕨の新キャプテン田勢恵梨子だ。

 

美咲が蕨青南に入学してから、学校に通う道中や休み時間にも田勢の勧誘は続いた。

 

『来たらこれから買い食い奢るから!』

『………要らない』

 

『絶対入って損はさせないからね!ね!!』

『……圧がすごい。ここ、トイレだよ?』

 

『越前さん、お願いッ!!』

『話聞いてよ田勢さん?ねぇ!そんなに頭下げないで!!カツアゲみたいに思われちゃうから!!!』

 

と、このような件がありながら約1年が経ち、彼女達は友人になった。話せば田勢の話題は1から10サッカーの話であるが、美咲にとってそれは不思議と不快にならなかった。

 

だが、美咲はサッカー部に入部はしていない。

 

「それで、新チームはどう?」

 

「うーん、どうかな?」

 

困ったような顔を見せる田勢に対し、美咲は先日聞いた試合のことを思い出してしまう。

 

(顧問が職務放棄して、三年が全員辞めちゃったらしいし失言だったわ。すまん田勢)

 

そう心の内で謝りつつ、みさきは校内で持ちきりの女子サッカー部の話題について触れた。

 

「バ………能見奈緒子が来てくれるんでしょ?チャンスじゃん」

 

「3年生辞めちゃったしピンチの方が多いよ!」

 

「あらら、じゃあ弱小ワラビーは健在か」

 

「でも、入部届にあの曽志崎緑の名前があったよ。ほら、全国3位の」

 

曽志崎という名を聞いて美咲の頭はフル稼働する。

 

 

ぽくぽくぽくぽくぽくぽく

 

 

チン!

 

 

 

「あ、一個下のちびっこボランチ曽志崎か」

 

 

美咲がまだ中学生の頃、何度も曽志崎がいた戸田北と戦ったことがある。

 

当時、美咲は14歳ながら飛び級でU17世代代表に選ばれており天狗であった。その鼻っ柱を叩き折ったのが戸田北中学校である。

 

一年の時からチームの中心として活躍していた美咲にとって、戸田北は特に眼中になかった。学年も上がり、代表にも選ばれた美咲にとって桐島しかいない戸田北など敵ではないと思っていたのだ。

 

結果は惨敗。

 

スコアは1-3。

 

なんとかロスタイムにこぼれ球を押し込めたが、美咲が桐島と曽志崎に封殺され流れを掴めずに敗北を喫した。

 

美咲の記憶では、ボールを追い回しハードプレスをかける桐島千花とはタイプの違い、パスの上手いゲームメーカーのようなボランチ。

 

桐島をダーヴィッツとするなら、曽志崎はブスケツのような選手だ。

 

「他にも上手い子がいるかもしれないし今年こそ」

 

「そ、頑張って」

 

「………美咲が入ってくれたら完璧なんだけどなぁ」

 

もじもじとしながら、去年と同じ様な事を言う田勢に少し呆れてしまう。だが、このしつこさが理由で友人になったのだ。

 

大袈裟にため息をついて、田勢の肩に両手を添える。「えっ」と戸惑う彼女に美咲は笑顔でこう言った。

 

「拒否する」

 

そして、すぐに学校へと足速に駆け出す。「もう、待ってよ美咲」と田勢の声が聞こえてくるが彼女は無視してそのまま加速する。

 

後ろから追ってくる田勢に彼女は少し大きめな声で、

 

「あ!そうそう、恩田希は上手いよ」

 

「え!なんて!?」

 

「あははは!なんでもなーい!!」

 

「教えてよー!」

 

 

 

 

***

 

 

 

 

美咲の妹である佐和とその友人の『恩田希』の入学してからおよそ2週間が過ぎた。美咲が2年に上がってからというもの校内では、あの能見奈緒子が女子サッカー部のコーチになるという話で持ちきりである。

 

だが、美咲にとって関係ない話だと思っていた。

 

そう、思っていたのだ。

 

 

 

ところ変わって、砂埃舞うグラウンド。

 

 

 

一つのボールの為に入り乱れる敵味方。敵味方関係なく、周囲に指示を出し自軍ゴールを守り相手ゴールを狙う。

 

緑色のビブスを着た美咲は、その中心地でぽつりと呟く。

 

「何故こうなった」

 

その呟きは、周りのコーチングによってかき消されるのだった。この原因を作ったのは他でもない。ニヤニヤとベンチの前に立つなまはげによって作り出されたのだ。

 

(あのババァ覚えてろよ)

 

時は、およそ5分前まで遡る。

 

 

 

 

 

「今日は軽くアップしてから、パス練して3対1の鳥籠そのあと紅白戦よ。それじゃあ田勢少しの間よろしく。私、ポカリ買ってくるから」

 

「はい、わかりました」

 

そう言って能見は、チームのキャプテンである田勢恵理子にホイッスルを渡す。母校である蕨青南に来てからはや数日、能見にとってチームの状況は思ったよりも良くなかった。

 

(はぁ、新入部員はほぼ素人………曽志崎と周防の能力は所々全国レベルだけどまだ粗いし。それに監督はあんなだし)

 

顧問である深津の方を見ると、競馬雑誌を頭の上に乗せベンチで居眠りしている。正直、聖職者あるまじき姿だ。

 

(あぁ、私のプランが)

 

能見の脳内にあった監督としてのキャリアプランがガラガラと音を立てて崩れていく。そう、蕨青南のチームの状態は弱小校そのものだ。

 

ここから、監督として名を上げるつもりの能見にとっては地獄以外の何者でもない。

 

(でも、なんとかなるでしょ。)

 

 

 

 

 

 

能見は、基本能天気だった。

 

 

 

 

 

 

 

(あの子たちも疲れるだろうし人数分買っていくか。あのヒゲには………要らないわね)

 

などと考えながらぼーっと歩いていると自動販売機前で1人の生徒にぶつかってしまう。

 

「「あ、すみません」」

 

お互い咄嗟に謝罪し、ペコペコと下げていた頭を上げた瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

「あっクソガキ!!」

「げっババァ!!」

 

 

 

 

 

 

そして、偶然か必然かそれとも運命の悪戯かどうかはわからないが、能見奈緒子(レジェンド)越前美咲(元至宝)は自動販売機の前で再会を果たした。

 

 

 

 

 

ニヤリと笑う能見に対し、美咲は冷や汗をだらだらと書いてしまう。

 

 

 

 

「新入部員ゲット!」

「嫌ァァァァア!!」

 

 

そして、物語は動き出す。




プロフィール
名前:越前美咲
ポジション:LWG
利き足:右
性格:気分屋
プレースタイル:典型的な10番タイプ。
好きな選手:マラドーナ、メッシ、ロナウジーニョ、ネイマール



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2話

オリ主は上手い設定ですが、最強ではありません。


サッカーの基本は大きく分けるとたった3つである。

 

『止める』

 

『蹴る』

 

『走る』

 

そこは、超一流でも素人でもやっていることは変わらない。技術に関係するのは『止める』と『蹴る』のたった二つのみ。

 

『走る』に関していえば、スポーツならどの競技でも必須と言って過言じゃないはずだ。

 

だからこそ、ボール触った瞬間に相手の技術が嫌と言うほど理解できる。

 

上手いのか下手なのか。

 

『全国3位』『完成されたボランチ』と今では多くの肩書きをもつ少女。曽志崎緑は、嫌でも彼女のことを覚えていた。

 

 

 

それも、苦い記憶として。

 

 

 

越前美咲、中学2年生にしてU17代表に選ばれた天才。

 

曽志崎の尊敬する先輩『桐島千花』曰く、彼女の世代でも得点感覚とドリブルはトップクラス。

 

(というか有名人じゃん。越前美咲って)

 

そう思いながら先日発売されたサッカー雑誌のあるコーナーに目を移す。そこには、デカデカと女子サッカーの実情が描かれていた。

 

伝説である能見奈緒子の引退からはや数年、日本女子サッカーは落ちるに落ちている。男子と比べ競技人口が少なく、人気もない。

 

過去にW杯をとったとは思えないほどの実情である。それは、日本女子サッカー界の象徴であった能見奈緒子がいなくなってから、勝てなくなったなでしこジャパンの人気は一気に暴落した。

 

今でも女子サッカーは、能見奈緒子に代わるNEWヒロインを求めている。そして、メディアが目をつけた新たな象徴が越前美咲である。

 

彼女は、男女にあまり差のない少年サッカーの全国大会で頭角を表した。いくら少年サッカーといえど、女子がスタメンのチームは上にいくほど少なくなっていく。

 

そのなかで、彼女は10番を背負っていた。周囲はお飾りの10番かと思っていたが、蓋を開けてみれば彼女は本物であった。

 

男子のフィジカルに飛ばされようとボールを離さず、体の強さがなくとも速さと技術でDFを翻弄する。

 

そして、何より弱さも活かす狡賢さも兼ね備えていた。

 

フィールドを駆ける姿はまさしく王様。

 

 

 

試合に出ればすぐに彼女が中心になる。

 

 

 

 

なによりも、越前美咲が女王であることをチームが歓迎していた。守備が軽い美咲の分も守りに走り、彼女にパスを集める。

 

そして、スペースへと走り込み。女王がタクトを振る。彼女は、ポジション関係なく居るだけで良かったのだ。

 

ジュニアチームらしからぬ統率された献身的なチーム。圧倒的な越前美咲()を活かすためだけに、彼らはプレーしていた。

 

 

 

 

 

彼女たちは、順当に勝ち進み結果は準優勝。全国大会で彼女は14得点6アシストを挙げそのまま得点王。そして、最優秀選手賞にも輝いた。

 

 

 

そのまま中学生に上がる頃にはU16代表になり、今ではU17代表の中心人物。

 

(なんか不公平に感じるなぁ、無名から一気に全国区の選手に………か)

 

笑いが出るほどのシンデレラストーリーである。

 

『次世代を牽引する若き至宝』

『女子サッカー界のメッシ』

『next能見奈緒子になれるか!?』

 

期待という名の重圧。

だが、それに恥じぬ実績を彼女は積み重ねている。もし、自分であれば考えるだけでも胃がキリキリしてしまう。

 

(………あの千花先輩が手も足も出なかった選手か)

 

「へぇ、面白そうじゃん!」

 

そして、試合当日。

 

拮抗するかも思われていた試合展開はその予想に反して、流れも全て戸田北が一方的に優勢だった。曽志崎緑は先輩である桐島千花と2人で執拗にマークし、越前美咲を試合に参加させなかったのだ。

 

だが、3対0で迎えたロスタイム。

 

逆転する見込みもなく、敵味方ともども足が止まる時間帯。もう勝ったと思ってしまっていた気の緩みからか、越前美咲にボールが渡ってしまう。

 

初のマッチアップ。

 

(……….なんつー圧力だよ)

 

曽志崎が抜かれても後ろには、桐島千花が控えている。そこを挟めば取れないことはない。こっちは2対1だ負けるわけがないと甘い考えが曽志崎の頭によぎる。

 

美咲がボールを細かく触りながら、少しまた少し間合いに近づいてくる。

 

 

 

 

 

キュッ!

 

 

 

 

 

美咲の左肩が右に入る。

 

(来る、右!………あれ動いてない!?)

 

 

 

 

大袈裟なただのボディフェイント。

 

だが、動いた様に錯覚してしまうほどの速さがあった。バランスの崩れた曽志崎の逆にボールを蹴り出しそのまま美咲は加速する。

 

「緑!」

 

そのまま軽く抜かれた曽志崎をフォローする様に千花が美咲とマッチアップする。

 

(大丈夫、千花先輩なら!)

 

その期待も千花への尊敬も蹴散らす様に2人のマッチアップは瞬時に決着がつく。

 

今覚えば美咲がボールを持った瞬間、リズムが他の選手とは少し違っていた。

 

普通なら足は、左右交互に出る筈だ。

それは、どの人間も基本変わらない。

 

彼女のドリブルを後ろから見れば、仕組みがよくわかる。

 

(………空踏み?)

 

千花を抜く瞬間左足が二度地を離れ、左によれた彼女を嘲笑うかの様に逆にボールを転がす。

 

言葉にするのは簡単だ。

 

(メッシかよ!こいつ!!?)

 

これをできる選手は、曽志崎緑の身近には存在しない。

 

千花をちぎったあと、得意の右足からのミドルはポストに直撃。そのこぼれ球をなんとか味方が詰まる形で美咲のチームは一点を得ることができる。

 

リスタートする間もなく終了を告げるホイッスルがフィールドに響き渡り、のそのそと選手たちが整列していく。

 

だが、美咲は一向に動こうとしない。呆然とゴールを見つめ、プルプルと肩を震わせていた。怒りからか悔しさからかは理解できないが、それでもその後ろ姿から放たれるオーラはどこか近寄り難いものがある。

 

ふぅと短めに息を吐いた後、切り替えた様に曽志崎たちの方へ振り返り、千花と曽志崎のふたりを指す。

 

「………桐島とマロマユちゃん次は勝つから」

 

たかが練習試合だ。

 

そう思っている者も少なくない。

 

だが、一流のアスリートは総じて負けず嫌いだ。そして、越前美咲も例に違わず負けず嫌いであった。

 

自分の中にあれほどのインパクトを残した存在が、自分よりもはるかに上にいる筈の相手が自分を指さし宣言してくれた。

 

曽志崎緑は、それに高揚が隠せない。

 

「わ、わたしたちが次も勝ちます!」

 

(あ、やっちゃった!)

 

慌てて千花の方へと顔を向けると彼女はやれやれと言った様子で、

 

「言いたいことは緑が言ったわ。次は、ちゃんと止めるわ」

 

「ふーん」と短く笑った美咲は、曽志崎の方へと近づいてくる。

 

(やっべー!調子乗っちゃたからボコられる)

 

ギュッと目を瞑る曽志崎に美咲はポンと肩に手を置き、

 

「桐島には別に言いたいこととかないけど、まろまゆちゃん名前教えて」

 

 

「えっ、そ、曽志崎緑です!」

 

 

元気いいね、とぽつりと呟きながら美咲は笑う。

 

 

「次は代表で待ってるから、2人とも」

 

ドヤ顔で語る美咲。

 

「うるせー!負けたくせに調子乗んな!!」

 

怒る千花。

 

「何よ!スルッと抜いたじゃない軽い守備だったし、それに私は負けてないわ!チームが負けたの!!」

「結果負けたんだろうが!」

「何よ!スルッと抜かれたくせに!!」

「ボールを触れなかった奴に言われたくないね」

「くっ、次は無理にでもボールに触るわ」

「やらせねーよ」

 

(………いいなぁ、こういうライバル。私にも出来るかな?)

 

その数ヶ月後、曽志崎緑は周防すみれと出会うことになり、彼女を一方的にライバルだと思う様になる。

 

2人のライバル関係を誰より羨んだ曽志崎は、その後の出来事を知らない。一つ上の代で全国への切符を掴んだのは、美咲でも千花でもなかったことしか知らない。

 

 

 

だから、彼女に起こった悲劇を曽志崎緑は知らない。

 

 

 

 

 

「越前さん私登りましたよ代表まで、

 

 

でも、でも………なんであなたがいないんですか越前さん」

 

 

 

 

 

 

桐島千花は県の最強王者浦和邦正に。

そして、越前美咲はサッカーを辞めていた。

 

 

次世代を率いるとまで謂れた才能が環境によって死んでしまったのだ。

 

 

だからこそ、曽志崎緑は周防すみれを戦犯扱いする川口伊刈の部員たちを責めた。もう二度と同じ悲劇は繰り返してはならないと、そういう思いからの行動だった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「はーい、それじゃあ新入部員を紹介します。ついさっき拾ってきた越前美咲ちゃんでーす」

 

「「「はい?」」」

 

「…………」

 

 

 

 

 

 

 

それが今、新入部員として青い顔をした美咲が能見奈緒子によって連れてこられていた。連れてこられたという言い方では語弊がある。

 

 

 

 

これは、俗に言う拉致である。

 

 

 

 

 

(えぇ!!何があって蕨青南(こんなところ)に!!?)

 

戸惑う曽志崎を裏腹に、新入部員の2人が美咲に絡みにいく。一人は、『越前佐和』美咲の妹である。

 

そしてもう一人は、『恩田希』

 

彼女を言い表すのに最も相応しいものは『ファンタジスタ』。

 

試合入りにムラはあるが、爆発したら止められない。中学まで男子サッカー部に混ざって練習し、弱点であったフィジカル(強さ)も克服した。

 

 

 

そして何より、才能だけなら美咲よりも上。

 

 

 

「お姉ちゃんサッカーまた始まるの!?」

「ミッちゃん練習付き合ってよ!」

 

きらきらと目を輝かせる二人に美咲はばつが悪そうな顔をする。そして、その元凶である能見を睨みつける。

 

自動販売機でお茶を買っていると勝手にぶつかって来て、そのまま拉致られ入るつもりもないサッカー部の部員たちの前で「新入部員」とまで言い出した。

 

「うっ、あんたら、私が拉致られてきたこと忘れてるでしょ」

 

「良いじゃんやろーよ」

「お姉ちゃん」

 

可愛い幼馴染と妹の頼みは断れない。それに、今思えば2人には気を遣わせ過ぎたかもしれない。

 

「………一回だけ、練習に参加するだけよ」

 

「「やったー!!」」

 

騒ぐ2人を尻目に美咲は、曽志崎と目があったような気がした。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「えっ!?ユニフォームもスパイクも無いの?

体操服にスパイク無いんだったら運動靴でやればいいじゃない」

 

 

 

(どこのマリーアントワネットだよ)

 

 

 

というわけで美咲は、体操服に運動靴という体育のような格好で練習なさるかすることになった。元々やる気など無かったが、特に田勢と希、その他大勢が美咲にパスを回した。

 

美咲にとっては1年と少しぶり、久しぶりにサッカーと向き合いだ。当然ボールコントロールは落ちているし、今の彼女がやれることといえばワンタッチでフリーの選手にはたくことぐらい。

 

(………でも、楽しい)

 

そう、久しぶりのサッカーは麻薬のようにポカリと開いていた心の隙間に溶け込んでいった。

 

 

 

 

 

(ピッチはやっぱり心地がいい。)

「ははっ」

 

 

思わず、笑みが溢れる。

 

もっと、ボールが欲しい。

次は、どう動けば点が取れる。思考は加速し、思い通りに動かない体に鞭打って絶好の場所を探す。たとえボールコントロールが衰えていたとしても、その匂いを体が覚えている。

 

得点の匂い。そして、それを今1番匂わせるのは美咲ではなく周防すみれ。白髪の韋駄天娘であった。

 

周防(あれ)をどう使うかで試合が決まるな)

 

そう美咲の本能が感じている。

 

「あ、すみません!」

 

おそらく新入生からの緩めのパス。

距離は少し短く、美咲のマークに付いている希と競り合う形。

 

(こいつカラダ強っ!)

 

一瞬でも気を抜けば好位置を持っていかれる。かと言って、足元でそのまま受けても体を当てられると振り向くこともできない筈だ。

 

「ふっ!」

 

腹筋に力を入れ、手を後ろにいる希の腹につけて軽く押し出す。軽く力を伝えるだけでいい、力強くやりすぎるとファールになりかねないからだ。

 

軽い力でも一瞬美咲と希の間に距離が生まる。

 

(ここでくるっと回る。タタッて感じに速く)

 

マルセイユルーレット。それより、少しばかり回転が早い。ほぼ同時に両足が宙に浮き体を反転させるターン。これにより、美咲と希の正面を向いたマッチアップの形が完成する。

 

(へぇ、やるなマルセロみてーだ。それに腕の使い方が絶妙だ)

 

これには思わず顧問の深津も感心してしまう。動いているボールにルーレットであればテクニックのある選手ならできるプレーだが、プレッシャーがかかる中その発想に至れるのは何人いるだろうか。

 

それに、ルーレットだけではないその前の手の使い方。そのまま受けると思わせるために手で希を抑え止まって受けるように見せかけ、ターンするタイミングで自分は加速する。

 

それを行うには、かなりの度胸と技術がいる。

 

(ま、女子じゃなけりゃあな)

 

そう思いながら、深津はまたも目の前の試合ではなく競馬雑誌に目を落とす。

 

 

「へへっ、久しぶりの1対1だ」

 

「……嫌よ」

 

今の美咲に希を抜ける確証はない。

 

「あっ!?」

 

だからこそ、フリーになった周防はとパスを出す。モーションに入った美咲を止める為に希が距離を詰めるがもう遅い。

 

ドッ

 

(あ、やば。ふかした)

 

 

ミスキック。キーパーと最終ラインの間に落ちたボールは、本来ならばラインを割る筈だった。そう、周防すみれ出なければきっとラインを割っていた。

 

一陣の風のように駆けた周防の姿を見て美咲は希と顔を合わせる。希にとっては見慣れている為か反応はない。

 

だが、すぐサイドバックに詰められてボールはラインを割ってしまう。ボールがもう少し手前で通っていたら絶好機だった。ラインを割るギリギリだったからこそ、周防は展開できずにボールを外に出されてしまったのだ。

 

左利きの俊足レフティー。代表に選ばれていた美咲でさえ、日本でここまで早い選手は見たことがない。5mまでなら食らいつけるだろうが、そこからは周防すみれには速さで勝てる気がしない。

 

「はっや!何あいつ!?」

「そうだねー」

「普通ライン割るでしょ何間に合ってんのアレ!」

「私からしたら、みっちゃんがあんないいパス出すとは思わなかったよ。てっきり足早いの知ってるのかも思ってた」

 

きらきらと流石などと尊敬の眼差しを向けられたら、プライドの高い美咲は「ミスキックだった」などと口が裂けても言えない。

 

 

「………まぁね」

 

 

と微妙な反応をとるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまで順調にきた紅白戦であったが忘れてはならない。ここは部活だ。そんなにぬるいサッカーでは無い。

 

さらに、コーチは鬼のナマハゲ。

 

 

 

「こらぁあ!クソガキ守備時に歩くな!ペナルティ腕立て20回」

 

(この感じも懐かしい)

 

「パスのあとはすぐにスペースに走りなさい!ペナルティ腕立て30回」

 

(うん、うん、この感じ)

 

「お前はいつからメッシ気取りだクソガキ!!ペナルティ腕立て40回!」

 

(………うん、このだるい感じも懐かしい)

 

 

 

 

「おらぁ!ちんたら走るな戻る時には戻る!!ペナルティ腕立て100回!!!」

 

(前言撤回、忌々しい慣習だわ。ペナルティなんてなくなって仕舞えばいい)

 

 

「なんか気に入らないから、次200回だちんちくりんども!!」

 

「「「ヒィィィイ!!」」」

 

(○ね○ね○ね○ね○ね○ね○ね○ね○ね○ね○ね○ね○ね○ね)

 

 

 

 

その後、ペナルティの疲労で動けなくなり0ゴール0アシスト。

 

最悪の復帰である。

 

 

 

 

 

「それじゃ、おつかれさま」

「「「ありがとうございました!」」」

 

ようやく練習が終わり、少女たちはわらわらと解散していく。制服が汚れるからとユニフォームで帰る者も、きちんと着替える者なども荷物のある部室後それぞれが向かっていく。

 

当然、美咲もその1人だ。

 

「あとクソガキアンタは残りなさい話したいことがあるから。そういや、アンタ歩きよね?遅くなるなら車で送っていくわ」

「……うっす」

 

しかし、回り込まれた。

 

美咲は一緒に帰るはずの妹と幼馴染は待ってくれていたが、能見との話は長引きそうなので先に帰るようにジェスチャーする。

 

「それじゃ、お姉ちゃん先帰るね」

 

「うん、気をつけてね」

 

「ばいばい、みっちゃん楽しかった!」

 

「うん!やっぱりサッカーやってる時のお姉ちゃんが一番好き!」

 

屈託のない笑顔を浮かべる2人に少し照れ臭くなってしまう。

 

「こ、今回だけって言ったでしょ」

 

「でも、やめられるわけないじゃん。ミッちゃんはフットボールに愛されてるんだから」

 

「……そんな臭い台詞どこで覚えたのよ」

 

「えぇ!いいこと言ったのに」

 

「ほら、さっさと行きな。私と話聞いてすぐ帰るから」

 

シッシと払うように2人をあしらう。

 

美咲、自身分かっている。辞めたくても、こんなに面白いもの辞められるはずがない。離れている間もずっと頭のどこかでサッカーがあった。

 

だから、田勢と友人になれたのだ。

 

 

 

(………最初は今みたいに楽しいだけだったのに)

 

 

 

そう最初は、楽しいだけだった。実力が評価されるたびに、期待というなの重圧がその小さな体にのしかかる。期待という名の鎖は、彼女失敗するまでがんじがらめになっていた。

 

中学最後の試合の後、美咲の評価は風向きが変わり始める。そして、プレッシャーによる代表でのミス。これまで持ち上げられ続けた彼女が、一度の失敗で期待外れだったとほぼ全てのメディアから非難を食らった。

 

『堕ちたNEWヒロイン』

 

『兵のいない女帝』

 

『越前ボール持ちすぎ、戦犯か!?』

 

『結局、期待外れだったか』

 

『次世代の象徴チームを救えずグループリーグ敗退』

 

今まで平気なふりをしてきた。

見えないふりをしてきた。

 

チームメイトに裏切られたのは、きっかけに過ぎない。本当はもっと前から、重圧に耐えきれなかった。

 

 

 

だから、気丈な王様を演じてきた。

 

 

 

だが、越前美咲はまだ大人ではないのだ。

 

弱い子供のままなのだ。

 

批判されれば傷つくし、泣きもする。

 

「………ほんと勝手が過ぎ、あのナマハゲババァ」

 

大人は勝手だ。

子供の考えや思いなどは気にしない。

 

越前美咲にとって、能見奈緒子もその1人だ。

 

あまり知られていないが、能見奈緒子と越前美咲はある種師弟関係のようなものである。これは本人たちに聞けば必ず否定するが、越前美咲の類稀なる得点感覚を開花させたのは他ならぬ引退間近だった能見奈緒子であった。

 

それは、美咲も理解している。決して師とは言わないが、越前美咲は能見奈緒子には返しきれない恩があるのだ。それはまだ、U16代表入りして間もない美咲が、キャリア晩年を迎えた大エース能見奈緒子に無謀にも勝負を挑んだことから始まった。

 

美咲は能見奈緒子を世界への物差しとして挑み続けた。世界を知る日本人に挑める機会などそう易々とあるわけが無い。生意気なルーキーが日本のレジェンドに挑む失礼極まりない行為ではあるが、能見奈緒子は彼女の挑戦を断らなかった。

 

時間がないにも関わらず歓迎さえした。

 

結果は当然美咲の惨敗。

美咲の何もかもが通用しなかった。

 

それ以降、能見奈緒子は美咲の前にたびたび姿を現し時間が許す限り美咲を叩きのめした。その無謀とも思える勝負は約1年半続いた。

 

 

戦績は、478戦477敗1引き分け。

 

 

最後の1対1は、タイムアップにより引き分け。能見には、美咲の勝ちでいいと言われたがそれはプライドが許さなかった。

 

今思えば引き分けたその時から、能見奈緒子は決めていたのだと思う。

 

 

 

後日、能見奈緒子は引退を表明した。

 

 

 

『クソガキ』と『ババァ』そう呼び合うのは、ある種師弟としての絆なのかもしれない。

 

 

 

 

「何があったか知らないけど、才能がある奴には試練が待ってる。

 

それは、アンタに散々言ってきたでしょ」

 

(………うるさい)

 

「諦めたんじゃねぇーよクソガキ。

メディアがクソなのは昔からそうよ。あたしがちょっと点を取れなかったら、非難してきたんだから」

 

「………14試合はちょっとじゃ無いでしょ。あのシーズンほぼ決めてないじゃん」

 

「うっ、そ、それにチームメイトがクソなんてのは海外に行けばどこも大体そう。パスくれないし、嫌われたらキープできないところを狙ってパス出してきたらね」

 

能見が「移籍当初はそんな感じだったわ」などと自慢げに話してくる。全く話が見えない。

 

(結局何が言いたいんだこの人?)

 

そう思っていた矢先、能見にがっしりと両肩を掴まれる。手には熱がこもっており、肩を押さえる手も痛いほど力が入っている。

 

「………アンタは間違ってない。

 

周りがクソなだけよ。天才は天才らしく背筋伸ばして堂々としてなさい」

 

言い聞かせるように引退した(終わった)能見奈緒子(センパイ)から越前美咲(未来ある後輩)に向けた言葉。

 

「十分過ぎるほど休んだでしょ。見返してやりなさい」

 

「4年前のクソガキは、私に勝ったら即A代表に入れろとまで言い出したわよ。

 

それぐらい傲慢な方がエースに向いてるわ」

 

 

 

 

 

 

(………ほんと、お節介が過ぎるでしょ)

 

 

 

 

 

今、覚えば能見奈緒子はいつも全力だった。

 

この下手くそな激励も100%美咲を思っての事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それに、アンタが活躍してこのチームが全国優勝でもしてみなさい。指揮した私の采配が凄かったって、もう戦術は能見以外とは言わせないわ。

『能見奈緒子監督としても一流か!?』なーんて見出して新聞に載るわね!!

よーし、アンタも私の監督としてのキャリアの為に頑張りなさいよクソガキ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………感動を返せクソババァ!!」

 

「あれ?送っていくわよ」

 

「い・ら・な・い!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぷりぷりと怒った様子の美咲の背中を見ながら、能見奈緒子はため息が漏れる。

 

「………まったく世話のかかる後輩ね」

 

 

「期待してるからね美咲」




「いや、まえがきで言うとったことと違うやないか!無双しとるやないか!!」

読まれているうちにそう思われた方もいらっしゃると思うので、次から諸々苦手なものとか出せて行けたらなぁと思ってます。



あと、ご都合主義ですねわかります。(白目)


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3話

リアルが忙しくて全然投稿できずにすみません。



美咲が練習に参加してから2日経った。練習の後は、幼馴染である希にしつこく自主練に付き合う。完全なオーバーワークである。

 

そして、翌日の学校では2年の女子サッカー部全員に囲まれ連行。またも、練習に参加。ここまで参加しているのだから体験入部など認めないと能見奈緒子が言い、無理矢理サインさせようとするが断固として拒否。

 

結果的には、まだ体験入部のままである。

 

(………あぁ、死ぬ。腕痛いし、足痛いし最悪)

 

パチン、パチンと足の爪を切りながら美咲は自身の傷ついた脚に目をやる。

 

(………生傷、増えたなぁ)

 

明日、能見が練習試合を組んだと言っていた。きっと、碌なところではない。どうせ自分のコネでも使ったのだろうと、美咲は勝手に考えてしまう。

 

(………浦和か久乃木のどっちかだな。浦和なら桐島、久乃木なら梶か。それに、確か久乃木は鷲津さんが監督やってるんだっけ?)

 

果たして止まっていた自分が久乃木に通用するのか?

 

そんな考えが頭によぎる。

 

(………世代No.1なんて言われてたけど今は違う。少しずつ戻ってきてるとはいえ、まだ試合感は紅白戦でしか分かってない)

 

サッカーは1人ではできない。

それが、暗黒期とも呼べる中学時代から学んだ美咲の答え。

 

スペシャルな1人がチームにいたとしても、それは数で潰せる。自分1人では勝てない。

 

(………あれ、勝とうとしてる?)

 

パチン。

 

「っ〜!!」

 

滲むような痛みとともに疑問が吹き飛ぶ。そして、切りすぎてしまった足の指へと視線を移した。

 

深爪。幸いにも出血はなく、痛みも軽い。明日になれば何も感じなくなる程度である。

 

「どうしたの!?」

 

少し騒がしくしてしまった為か、妹である越前佐和が美咲の部屋にノックもなく入ってくる。佐和は、心配そうにおろおろと美咲の様子を伺っている。

 

「ちょっと深爪になっちゃっだけよ。」

 

美咲は、自分を心配する妹の様子に少しだけ笑いそうになる。

 

「もぅ、心配したよ」

 

今思えば、佐和はいつでも美咲の味方であった。美咲がサッカーを離れることになっても、佐和はそれをよしとした。

 

本当は、続けて欲しかったはずだ。

 

(カッコ悪い姉ちゃんでごめんね)

 

「………でも、懐かしいなぁ。試合の前の日は今みたいにいっつも爪切ってたじゃん」

 

「そうだっけ?」

 

「うん、ルーティーンっていうのかな?それで、よく深爪になってた」

 

「ぜんぜん記憶にないんだけど」

 

「自分より他人の方が案外見てるもんだよお姉ちゃん」

 

「………そういうもんかな」

 

「お姉ちゃんがまたサッカーしてて私も嬉しいよ」

 

「………はぁ、佐和。私、楽しそうに腕立てしてた?あれはサッカーじゃなくて筋トレよ」

 

笑う妹、戸惑う姉。

 

ひとしきり談笑した後、佐和は美咲の部屋から出て行こうとする。

 

「………でも、ううん。なんでもない。明日、頑張ってね。お姉ちゃんおやすみ」

 

「うん、おやすみ佐和」

 

 

 

(姉妹だからなんとなくわかる。きっと、今の私は佐和に気を遣わせてる。理由は、なんとなくわかる。

 

 

 

今の私は、勝負から逃げてる)

 

 

 

 

昨日の紅白戦。以前の美咲なら仕掛けていた。比較的に守備の軽い希を抜いたあと、サイドから中に走り抜ける周防に渡せば一点取れていたはずだ。

 

きっと、周防もそうだと思っていた。結果的には追いついたが、ベストなタイミングであれば彼女のスプリントの破壊力はとてつもない。

 

「………って言っても、たらればなのよね」

 

前を向いた瞬間にパス。

 

間違っては無かった。

 

その証拠に攻撃は完結した。

 

 

 

だが、最適解では無かった。

 

 

 

「さてと、カッコいい姉ちゃんである為にも頑張りますか」

 

パチン、パチンと爪を整えながら、元至宝は静かに闘志を燃やすのだった。

 

 

 

***

 

 

 

翌日。美咲たちは久乃木学園にいた。彼女の予想通り練習試合の相手は久乃木学園らしい。久乃木学園とは、去年の春と夏を連覇した強豪。今、日本高校女子サッカー界で最も強いチームと言っても過言じゃない。

 

希は久しぶりの試合に胸を躍らせ、面子を知っている曽志崎は絶望し、美咲は近づいてくる少女に対して不敵な笑みを浮かべ近寄っていく。

 

近づいてくる少女の名は、梶みずき。

女子日本代表U17の主将。

 

曽志崎の代表時代の先輩である。

 

だが、ここでは曽志崎よりも美咲の方が因縁深い。彼女が飛び級で上の年代で呼ばれるまでは梶と2トップを組んでいた。

 

ピッチを出れば仲は悪くないが、一度笛が吹かれると彼女たちは豹変する。調和を重んじる梶と、個として確立されている美咲。

 

ハマれば手がつけられないほど暴れるが、一度でもリズムが狂うと途端に点が取れなくなる。代表時代『混ぜるな危険』などとコーチや監督から言われており、洗剤コンビなどと揶揄されていた。

 

「久しぶりね越前」

 

「…………なんだ梶か。ジジイだと思ったわ」

 

美咲がジジイと呼んだのは鷲巣兼六。常勝久乃木学園の監督にして、なでしこJapanを率いたこともある名将。コートの外から顔を真っ赤にして起こり続けることから、異名は『泣かない赤鬼』。

 

そして、美咲を世代代表に呼んだ張本人である。ちなみに、美咲は鷲巣のことが嫌いである。なんといっても顔が怖い。

 

「プハッ!それって鷲巣先生のこと?」

 

「それ以外誰がいるの?」

 

元なでしこの監督として名を馳せていた鷲巣は、今でも協会には太いパイプを持っている。その鷲津から、無理矢理世代代表にねじ込まれたのが美咲である。

 

全て実力で黙らせたわけだが、振り払う火の粉が多かったのは全て鷲巣のせいだと美咲は思っている。

 

「鷲巣先生が聞いたらきっとブチギレるね」

 

「ふっ、望むところよ」

 

「軽口は相変わらずね」

 

ひとしきり談笑した後、梶は真顔に戻り美咲に確かめるように問う。

 

 

 

勝てるのかと。

 

 

 

「あ?」

 

「サッカーから離れてたアンタに勝算はあるのかって聞いてるのよ」

 

「さぁね」

 

「1年前のアンタは、確かにウチらの世代で1番強かった。でも、今は私が1番よ」

 

「じゃあ、アンタぶっ倒して王位を簒奪することにするわ」

 

試合前、彼女たちにとって見慣れた応酬。

 

2人と共に代表を経験した久乃木の者ですら久しく見ていなかった為、少しだけ張り付いてしまう。

 

全く耐性のない蕨青南の面々は冷や汗が出でくるほどだ。

 

「「あっはははは!」」

 

 

2人は笑う。

 

 

「「はははははは!!」」

 

 

笑う。

目の前の相手に負けぬように。

 

 

「「はははははは!!!」」

 

 

笑う。

 

 

 

 

「「「………………」」」

 

 

 

 

「「やってみろ」」

 

2人は互いに背を向けて、お互いのチームメイトの方へ戻っていく。

 

 

 

「って、いう事だからよろしくね。ワラビーズ」

 

 

 

美咲が笑顔を向けるチームメイトはやや暗い表情である。約1名を除いてだが。

 

連携もまだままならない。このチームの本格始動したのは1週間前。そして、美咲が入ってから今日で3日目。とういうか、まだ入部届すら書いていない。

 

部長の田勢ですらこの状況に口を開かない。

 

(私たちは弱小なんだよ。それなのに勝つ気でいるの?)

 

そう、県内最弱である蕨青南が最強の久乃木学園に挑むのだ。どうしてそんなに強気でいられるのか田勢には分からなかった。

 

(チームの雰囲気は最悪ね。私が鷲巣監督と喋ってる間に何があったのよ。というか美咲でしょこれ!)

 

 

静まり返るチームを見兼ねた能見が鼓舞しようとした瞬間、曽志崎が口を開き美咲に詰め寄る。

 

「どういうことですか美咲さん!」

 

「どうって何が?」

 

「勝てるわけないじゃないですか!顔合わせから3日しか経ってないんですよ!!」

 

「そりゃ難しい敵よね」

 

「そうです!ほぼ世代代表の集まりですよ」

 

「ほへぇ、そういや知り合いいるわ」

 

「でも、燃えるっしょ。

勝ち目が少ないのはわかるよ。でもさ、ゼロじゃない。同世代だよ同世代。条件は一緒じゃん」

 

「え?」

 

「ぶっちゃけ私も昨日今日ボール蹴ってみて、感覚が戻ってないのは分かってる。でもさ、やっぱ思うんだよね。

 

………私が1番じゃないと気に入らない。

なんか、知らんけど県内最弱?上等じゃない、私がいるのよ。

 

県内いや、日本最強になるでしょ?」

 

 

 

 

 

圧倒的なまでの自意識過剰。

 

 

 

 

誰もがそう思った。だが、これがこれこそが越前美咲がNEWヒロインと呼ばれた所以である。この演説とも呼べる発言は相手チームにも伝染する。競い合っていた梶は笑い、他にも代表で同じだった者も変わらぬ調子に笑いが出てしまう。

 

 

未来の女帝の帰還。

 

 

 

「………まったく、懐かしいものを思い出してしまったな」

 

鷲巣はぽつりと洩らす。そして、脳裏に焼きついた鮮明な記憶。

 

『エースは私!!』

 

まだ、誰にも見つかっていない原石だった彼女カメラマンに向けていった言葉だ。暗に、私だけを撮れといっているような発言。

 

エースナンバーを付けた少女を鷲巣が見つけたのはたまたまだった。子供がテレビに映りたい一心で言った戯言だと、その場にいる全員が思っていた。

 

だが、ボールを持てばそれは虚言ではなく事実だということがわかる。

 

そして、その姿を見た鷲巣は心が躍った。日本にもようやく天才の芽が出たと。

 

 

(いかん、いかん。ワシの前に立ち塞がるなら蹴散らすのみ)

 

 

そう、力を入れ直して教え子たちの方へと目を向ける。

 

そして、気がつく。

 

「………おい、梶」

 

「はい!」

 

「伊藤と佃はどこだ?」

 

「えっ、あ!?」

 

久乃木学園の問題児2人組。

一年、伊藤春名と佃真央。既に3年を含むレギュラー陣に合流しており、2人とも主力メンバーである。

 

そしてその2人は蕨青南側のベンチ奥にある草むらに隠れていた。なんなら、彼女たちは先程のやりとりも全部見ていた。そのうち、合流しようかとも考えていたがどうも動ける雰囲気ではなかったのだ。

 

「なんかすごく盛り上がってたね?」

 

「アンタのせいで遅くなったのよ」

 

「………でも、生『能見奈緒子』と生『越前美咲』だよ」

 

「伊藤2人のファンだったけ?」

 

「まぁ、そこそこ。佃はやったことあるんだっけ?」

 

「まぁね」

 

「どんな感じの人?」

 

「一言で言うなら………」

 

「やばっ!」

 

いち早く気がついた伊藤は数は後ろに下がり飛んでからそれを回避する。

 

 

 

カポーン!

 

 

間抜けな音を立てて飛んできたのは二つのカラーコーン。蹴り出したのは、もちろん梶である。そのカラーコーンは避けた伊藤には当たらず、全て佃に直撃する。

 

「ってぇぇえ!避けたろ伊藤」

 

「いや、気のせいだし」

 

2人の口論も鬼の形相で仁王立ちしている主将の前では通用しない。その怒気で、ワラビーズの面々も主将が田勢で良かったと内心思っていた。だが皆の期待も虚しく、田勢は見習おうとしているのは別の話である。

 

「さっさとこっちきな!!」

 

「「はい!!」」

 

梶の背中を追いかける2人と美咲たちがすれ違う瞬間匂いがした。

美咲の最大の才能(ギフト)と言ってもいい得点感覚。それの下地になっているのは匂い。嗅覚である。

主に比喩で使われることが多いが、こと彼女においてはそうではない。先日、紅白戦時の周防に感じたのもそれに起因している。

 

得点の場所がわかるわけではない。なんとなく、直接的に点に絡む事が感覚でわかるその程度のものだ。

 

(………チビの方やるな)

 

間違いなくチームの中心。1年間サッカーから離れていたとはいえ、これまでの経験が警鐘を鳴らしている。

 

「………認識が甘かったかもね」

 

ボールを触る前から分かる。

 

あれは天才だと。

 

 

面白くなりそうだと闘志を見せる美咲に対して、後ろから能見が近づいてくる。

 

 

「あ、美咲盛り上がってるとか悪いんだけどあんた最初ベンチね」

 

 

 

 

「は?」

 

 

 

 

これには、ワラビーズの面々も目が点である。

 

「他校の生徒に喧嘩するんじゃないわよ。罰として、前半は出さないからそのつもりで」

 

たしかに美咲のせいでチームの士気は下がっていたが、盛り返したのもまた彼女のおかげである。それは、越前美咲が『まだ強い』と認識されているからに他ならない。

 

このままいけば、彼女の調子はそのままチームに依存する。

 

 

そして、負けてしまう。

 

 

それでは、変わらない。変わらないのだ、美咲を否定した者たちと。それを知っている能見奈緒子だからこその判断。

 

「はぁ!?あんなこと言った後にベンチはダサいじゃん!!」

 

「今のあんたはフルで走れないでしょ?」

 

これまでトレーニングを怠ってきた彼女に40分ハーフの試合は酷である。終盤に足が止まり、チームの荷物になる事が目に見えている。

 

「………前半のうちにアップしてるわ」

 

 

 

「飛ばしすぎるなよ。あんた、調整下手なんだから」

 

「うっせいやい!ジジイ向こうのゴール借りるわよ!!」

 

 

 

 

「あ?」

 

 

 

 

「すみませんでしたッ!!」

 

 




次回、試合編です。

次回の投稿を末長くお楽しみください。


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