仮面ライダービャクア外伝 仮面ライダーマイヤ (大ちゃんネオ)
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千年解放編
第一夜 巡りあう二人


最近、三次創作にハマってます。


 私が見せるのは蝶の夢。

 美しい蝶の夢。

 呪いに縛られた血脈の夢。

 夢を見ている者は私から見たらまだ蛹にもなっていないようなもの。

 果たして、羽化する時は来るのか。

 長い歴史の中で私はずっと待ち焦がれている。

 呪いも、血も。全てを振り切り、蛹を破り、その羽を広げて翔ぶ者の到来を。

 空を翔ける瞬間を。

 

 私は、待ち焦がれている。

 

 

 

 

 

 

 

 とある山の中を軽トラックが一台走っていた。

 車がギリギリ二台通れるかどうかという道であるが走っているのはこの一台のみなので少々荒い運転をしている。

 そんな軽トラックに向かって、数本の木が倒れて……。

 

 その様子を眺める謎の存在がいた。

 謎の黒い靄のようなものがかかった人影。

 けたけたと笑った謎の影は人知れずその場を去ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 長い冬が終わり、春が来たという。

 しかし、私からすればまだこの肌寒さは冬だろうと言いたくなる。

 お父さんが家業を継ぐため、実家のある岩手に引っ越した。

 家の周りは山、山、山、山。そして海。

 山しかない。

 東京にいた時との差がすごい。

 都会と自然。

 私は、ここでやっていけるのだろうか?

 そんな不安を胸に抱いたまま、新たな学舎の門をくぐった、のだが……。

 

「綺麗……」

 

 一人の女子生徒に目が釘付けになった。

 同性すらも、魅了するほどの美しさ。

 思わず、胸が高鳴ったほど。

 小柄ではあるが、すらりとした佇まい。さらりと伸びた赤みを帯びた黒いの髪。

 まるで、花のよう。

 

「……?」

「!?」

 

 目が、合ってしまった。

 赤い、宝石のような目と。

 そして、彼女は私に微笑みかけて……。

 

「ヤバい。惚れる」

 

 

 

 

 

 

 そんなことを呟いてしまったわけだが、先ほどの彼女と……隣の席になってしまった。

 こんな偶然って、果たしてあるのだろうか。

 変に緊張してしまっている自分。

 隣の彼女は窓の外を眺めている。

 差し込む日光に照らされた髪は乱れなく、艶もあって本当に綺麗だ。

 クラスの喧騒に割って入る自信なんてない。

 高校一年。

 田舎ということもあり生徒の数は少ない。

 ともなれば既に構築された友人関係というものは固いもので私なんかがその輪に入るようなことは出来ない。

 

「どうか、しました?」

「えっ……。えっ!」

 

 その声が私に向けられたものであると気付くのに一拍必要だった。

 そして、その声の主というのは隣の彼女で……。

 

「ごめんなさい。急に話しかけてしまって、驚かせてしまいましたか?」

「い、いえ……」

「いつも、そうなんです。普段、あまり喋らないので、人に話しかけると驚かれてしまって……」

 

 な、なるほど……。

 神秘的な雰囲気も相まって驚かれてしまうのだろう。

 それにしてもゆったりと話すなぁ。

 

「それで、その。私に何の用ですか?」

「そんなに畏まらないでください。クラスメイトですし、隣の席同士、仲良くしてくださいませ」

「あ、ありがとうございます! えっと私、加藤咲希(かとうさき)って言います! 東京から引っ越してきて……ええと……」

「ふふ……。焦らなくても大丈夫です。私は、夜舞薫(よまいかおる)。生まれも育ちもこの町です」

 

 なんと!

 失礼だが、こんな田舎でこんな美少女が生まれるのかと思ってしまった。

 しかし以前兄から借りて読んだ本には『英雄は田舎で生まれる』と書いてあったのでもしかしたら美人も田舎で生まれるのかもしれない。

 ゆくゆくは東京に進出するのかも……。

 いや、この逸材は今すぐ上京すべきではないだろうか。

 

「加藤さんはどうして、東京から引っ越してきたのですか?」

「ええっと……。お父さんが実家継ぐからそれで……」

「そうでしたか。……もしかして、亀ヶ沢の加藤さん? 民宿を営んでらっしゃる」

 

 どうして分かったの……。

 まさか超能力でもあるのだろうか夜舞さんは……。

 

「最近東京から引っ越してきたと話を聞いたのが亀ヶ沢の加藤さんだけだったので」

「そ、そうなんだ……」

 

 これが田舎ネットワーク……。

 何かやらかそうものならすぐに町中に広がるというあの。

 これはヤバい。

 何もやらかさないようにしないと……。

 

「そ、そんなに心配しなくても大丈夫ですから。なんでもかんでも筒抜けってわけじゃないですし。話題になるのも大きなことだけですし。ほら、田舎は都会と違って話題に乏しいので……。話すことがないのです……」

「なるほど……」

「だからきっと加藤さんも……」 

 

 意味深な笑みを浮かべながらそんなことを言う夜舞さんだったがその意味は後々(と言ってもすぐにだが)理解することになる。

 自己紹介で東京から引っ越してきたことを言ったら次の休み時間は質問攻めにあったのである。

 

 

 

 

 

 学校も終わり、家に帰るともう夕飯の時間。

 お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんと弟の啓太の五人は既に食べ始めていた。

 私もお腹が空いていたので、まず部屋着に着替えてから食卓に混ざると早速学校はどうだったかという話題に。

 

「友達は出来ましたか?」

 

 おばあちゃんが笑顔で訊ねてきた。

 友達は何人か出来た。

 波長の合う人達がいてくれてよかったがなによりまずは夜舞さんを紹介すべきだろう。

 

「うん。夜舞さんってすっごい美人なの。夜に舞うって書くんだけど珍しい名字だよね」

「姉ちゃんとそんな美人な人が友達か~。月とスッポンだ!」

「うっさい」

 

 弟の減らず口はこの頃ますます増えてきた。

 昔はお姉ちゃん、お姉ちゃんって可愛かったのになぁ。

 

「名字もカッコよくて美人で~って出来すぎねぇ。オーディションに応募してみたら? ほら、よくあるじゃない。友達が応募して~ってやつ。あんたそれになれるわよ」

「えー本当にやっちゃおうかな~」

 

 母が冗談めかして言うが全然いけると思う。

 青春の一ページ的な感じで夜舞さんを言いくるめれば……。

 

「あれ、どうしたのおばあちゃん?」

 

 話を振ってきたおばあちゃんからのリアクションがない。

 何かあってもいいと思うんだけど。

 

「咲希ちゃん。くれぐれもその娘に変なことしちゃ駄目ですよ」

 

 さっきまでの笑顔とは真逆の真面目な顔でおばあちゃんが言った。

 

「しないよ変なことなんて~。ていうかそんなことしようと思えないっていうか、大事にしなきゃって感じがするし」

「ならいいけども」

 

 ?

 一体どうしてそんなことを言ったのだろうか?

 その意味が私にはいまいち分からなかった。

 

「ねえ、夜舞さんって何かあるの?」

 

 お母さんが訊ねると、これまで黙っていたおじいちゃんが口を開いた。

 

「夜舞さんって家は、この辺りで一番古くて土地持ちでな。ここに人が住めるのは夜舞さんがいるからってんで、みんな頭が上がんねぇのさ」

「なんでここに住めるのが夜舞さんのおかげなの?」

「昔、この辺りは痩せた土地で水もないようなところだったんだけどぉ、夜舞さんのご先祖様がここに来てからは作物も育つし、井戸掘れば水も出るようになったって言われててなぁ。おらもばあちゃんからしょっちゅうこの話聞かされて育ったんだ」

「俺はそれをじいちゃんに何回も聞かされて育った」

「ここに住む以上は知らなきゃいけねぇ話だからよ」

「へぇ……」

 

 ……あまり、実感はないけれどとにかく夜舞さんのご先祖様はすごいって話か。

 けど昔の話だしなぁ。

 夜舞さん本人はなんとも思ってなさそうだけど。

 

「だから、オーディションとかそういうのも言わねぇ方がいい」

「え、なんで」

「夜舞さんの娘さんは一人っ子って聞いたからさ。家を継ぐのもその娘さんなんだべ」

「夜舞さん、お家を継がなきゃいけないの? お父さんみたいに?」

「うちなんかとは比べもんにならねえ。別に継がれなくたってうちは構わねえけども、夜舞さんとこは絶対に後を継いでいかなきゃなんねえんだ」

 

 うちは継がれなくたって構わないという言葉にお父さんがピクリと反応したが今はいいだろう。

 絶対に、継がれなくてはいけないもの。

 それは、一体なんなのだろうか?

 

「夏の祭で夜舞神楽をやんなきゃいけねえからよ」

「夜舞、神楽?」

 

 神楽っていうとお祭りの時に踊るやつで……。

 

「え、そんなこと?」

 

 ふと出た言葉。

 いや、普通にみんなそう言うと思う。

 だって、ただの踊りだし。

 必ずしも夜舞さんがやらなきゃいけないというものでもないと思うし。

 しかし、今の言葉が場の空気を張り詰めさせた。

 嫌な緊張感。

 なにか、やらかしてしまっただろうか……。

 沈黙は重く、長かった。

 

「……今の人には分からねえか」

 

 そう言うと、おじいちゃんは夕飯のおかずもまだ残っているというのに部屋を出ていってしまった。

 

「あの……」

「気にすんな咲希ちゃん。多分、言っても分からないだろうから」

 

 言っても、分からない。

 その言葉が胸に重くのし掛かった。

 一体、なんだというのだろう……。

 

 

 翌朝。

 朝ごはんを食べ終え、学校に向かおうとするとおばあちゃんに呼び止められた。

 

「咲希ちゃん。最近はよく木が倒れてくるって言うから気ぃ付けて歩けぇ」

「木が、倒れてくる?」

「じいちゃんの同級生の佐々木さんって人がこの間軽トラで山走ってたら木が倒れてきて下敷きになったりしたし、他にもそういう話があるっけぇに注意して歩いてください」

 

 いまいち、よくは分からなかったのだけど歩いていていきなり木が倒れてきたらそれは危ないだろう。  

 まあ、そう出くわしはしないだろうから大丈夫だとは思うけれど。

 とりあえずおばあちゃんの親切心からくる忠告なので頭の隅には置いておこう。

 

 

 

 

 

 それから、一週間ほど。

 夜舞さんはクラスに馴染んでいるようで馴染んでいないようで。

 社交性はあるのだけれど、自分から積極的に誰かと関わろうとはしない。

 隣の席のよしみで私はよく話すけれども、夜舞さんが自分で言っていた通りあまり話すタイプではないという。

 そして、気になっていた一週間前の話について本人に聞こうと思っても聞けずにいた。

 聞いちゃ、いけないような気がして。

 

 

 

 

 

 放課後、夜舞さんと二人で帰っていた。

 畑と田んぼに囲まれた帰り道。

 どこかに寄って帰ろうなんてことはない。

 寄り道出来るような場所がないからだ。

 

「あー。帰りにズタバとかあればな~。寄るのになぁ。毎年この時期はいちごフラペチーノ飲むって決めてるの!」

「ズタバに寄るにはここから二時間かかります。車で」

「それは寄るって言わないんだよぉ……」

 

 車で二時間。

 県庁所在地である盛岡まで行かなければならない。

 いちごフラペチーノのために二時間、車を使ってまで移動しようとは思わない。

 そもそも、免許がない。

 

「ズタバはないですけど、電車で30分行けばマツカンビルの食堂のソフトクリームが食べれます。とても、大きいんです」

「そんなに大きいの?」

「はい。これぐらい」

 

 夜舞さんがスマホを見せてくる。

 画面に写し出されていたのは、普通のソフトクリームの何倍も背の高いソフトクリームが……。

 

「え! 普通に行きたい! 食べたい!」

「そうですね。今度、行きましょう」

「電車で30分でしょ? 今から行こうよ!」

 

 最近は日も伸びてきたのでまだ明るいうちに帰れるはず。

 

「駄目、ですよ」

 

 その声が、夜舞さんから発せられたものだと理解するのに少しかかった。

 普段は柔らかい雰囲気の夜舞さんから発せられたとは思えない、鋭く心に刺さるような感覚。

 

「夜は物騒なんです。だから、駄目です」

 

 真っ直ぐと私を見つめる瞳も、私を捕らえている。

 その言葉に従わなければならないと思わされる。

 とても長い間、夜舞さんに見つめられているかのようだった。

 しかし、急に夜舞さんの表情は同性も見惚れるような笑顔に変わった。

 

「電車も本数がないのですぐ帰れないんです。遅くなってしまうので、今日は、駄目です。今度の休みに、行きましょう」

「う、うん。そうだね……」

「東京と違って、数分おきに電車が来るわけじゃないんです。一本逃すと、次の電車を二時間は待たないと行けませんから」

「二時間!? 流石田舎……」

 

 二時間なんてよくあることと言うので更に驚く。

 ……あれ?

 なにか、ついさっきのことを忘れてしまったかもしれない……。

 

「あ、あと最近は、倒木が多いので、歩く時は気を付けてくださいね?」

「あ、それおばあちゃんからも言われた~」

 

 そうして二人で談笑しながら帰るが、何かが引っ掛かったような感じは残り続けたままだった。

 

 

 

 妙な違和感を胸に、家に帰ると何やら慌ただしい様子だった。

 

「何かあった?」

「啓太が帰って来てないの。お父さんもおじいちゃんも探しに行ってるんだけど……」

「……私も探してくる!」

「咲希!」

 

 鞄だけ置いて、家を飛び出る。

 まったくあの弟は……。

 

 

 知らなかった。

 夜が、こんなに暗いということを。

 月と星がはっきりと見えるがそれを楽しむのはまた今度。

 今は馬鹿な弟を探すのが最優先。

 名前を呼び続けるが、返事は帰ってこない。

 聞こえるのはなんのものともつかない生き物の鳴き声ぐらい。

 

「……夜って、怖いんだ」

 

 当たり前のことを呟く。 

 だけど、この当たり前を理解していなかったのだ。

 人の作った光で夜が照らされているのに慣れてしまった私からすれば、この闇は恐怖を感じるに充分過ぎるもの。

 近くの道を歩いているはずなのに、いつも歩いている道のはずなのに、怖い。

 まるで、別の世界に来てしまったかのよう。

 自分が歩いている場所が果たして自分の知っている道なのか。

 そもそも道なのか。

 スマホが照らす光は弱く、頼りにならない。

 

「充電も結構ヤバいし……。一回、帰ろうかな……」

 

 もしかしたら帰ったら啓太の馬鹿が帰ってきているかもしれないし。

 そうだ、そうしよう。

 勢いで飛び出してきてしまったけれど、一旦頭を冷やそう。

 そう思い、振り返った瞬間だった。

 何か、聞き慣れない嫌な音が聞こえる。

 だがその音は急な突風により掻き消された。

 いきなりこんな風が吹くなんて……。今日は別に風が吹いてたってわけじゃないのに……。

 そして風が止むと同時に背後で大きな音が鳴り今度はなんだと見れば二本の大きな木が重なりあうようにして倒れていて……。

 

「なに、これ……」

 

 まさか、おばあちゃんや夜舞さんが言ってた倒木に注意しろって話が本当になるなんて……。

 

『チィ……。外したか、邪魔さえなければ下敷きに出来ていたというのに』

「え……」

 

 それは、夜の中にあってハッキリと分かる『闇』であった。

 黒い靄がかった謎の影は確かに声を発したのだ。

 邪魔さえなければ、下敷きになっていた。

 つまり、こいつは私を狙って……。

 

『見たかったぞ、若い女の柔らかい肉が押し潰される瞬間を。白い肌を彩る赤い血を……!』

 

 黒い靄を払った謎の影の正体が明らかとなる。

 それは、弟がよく見ているヒーロー番組に出てくる怪人のようであった。

 いや、怪人そのもの。

 暗い緑色の体色に細身な腕と脚。だが、両腕には大きな鎌が生えていてカマキリが人型になったかのようだ。

 

『肉体も手に入ったことだ。押し潰すのではなく切り刻んで殺してやろう、女』 

「ひっ……!」

 

 この怪人は私を殺すつもりなのだ。

 そんな、どうして私を。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ。

 こんなところで死にたくない。

 だって、何もしていない。

 何もしていないのに殺されるのか、私は。

 そんな、理不尽……。

 

「許せるわけねぇよなぁ」

 

 響いた声は荒々しく、刺々しく、だけどよく通って、透き通って、とても、綺麗な声だった。

 風に乗って、キラキラと光るものが流れて……。

 これ、は……。

 

『貴様は……』

 

 光の粒子が流れてきた背後に目を向けるとそこには、夜に輝く蝶がいた。

 薄い紫色の身体に散りばむ光。まるで、この星空のようだ。

 そして顔には仮面が。

 蝶を象った仮面が。

 

『御伽装士……!』

「悪かったな化神。ここは代々オレの家の管轄だ。現れたからには滅してやるよ。……おい、そこの女。早く逃げろ」

「え……。は、はい!」

 

 言われた通りにすぐに逃げ出す。

 するとあのカマキリ怪人と蝶の人は戦い始めて森の中へと消えていった。

 もう何がどうなってるかわけが分からない。

 今すぐ、この場から立ち去ってこのことは忘れて……。

 

「あれ、あの声はどこかで……」

 

 聞いたような聞いていないような。

 いや、聞いたことがある声だ。

 絶対にどこかで聞いたことある声だ。

 どうしよう、逃げるべきなんだろうけどあの蝶の人が気になるし……。

 そして……私も暗い森の中へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 森の中では、蝶が舞っていた。

 化神『バケトウロウ』を翻弄し、幻惑し、弄ぶかのように夜に舞っていた。

 

「どうした化神? オレについてこれないのか?」

『馬鹿にして……!』

 

 バケトウロウが腕の鎌を我武者羅に振るうと無数の斬撃波が放たれる。

 周囲の木々を切り倒しながら、その攻撃は命中したかに思われた。

 

「どこ狙ってんだ? オレはここだぞ?」

『な!? きさ……ぶはぁ!?』

 

 誰にも悟られずバケトウロウの背後に立っていた蝶の人はバケトウロウの顔面を蹴りつけた。

 爪先が鋭い、ハイヒールのような脚部の鎧による蹴りは痛いでは済まされない。

 

「終わらせる」

 

 右手をゆらりとバケトウロウへと向ける。

 すると背後から無数の蝶がバケトウロウに向かって羽ばたいて、バケトウロウを包んだ。

 

『くっ! 小癪な!』

 

 腕の鎌で無数の蝶達を振り払おうとするバケトウロウであるが蝶達の数が減ることはない。

 

「そうだ、冥土の土産に聞いていけ。オレの名はマイヤ」

 

 暴れ乱れるバケトウロウに対して静かに、静かに歩み寄っていくマイヤ。

 そして、バケトウロウに対してただ一撃蹴込みを決めた。

 蹴込みが炸裂すると同時にバケトウロウに群がっていた蝶達は飛び去り、身動きのないバケトウロウがただ立つのみ。

 

「退魔覆滅技法 千蝶一蹴」

 

 技名を告げると同時に爆発するバケトウロウ。

 大きな火柱が夜を照らした。

 

「お前達化神の相手をしてやる夜の蝶だ。つっても、もう聞いちゃいないか」

 

 炎がマイヤを照らす。

 炎が風で一際大きく燃えたと同時にマイヤの仮面が剥がれて素顔が露となる。

 

「……え!? 夜舞さん!?」

「……は?」

 

 マイヤ……夜舞薫は驚きのあまりそんな声しか出せなかった。

 何故なら、当に逃げたとばかり思っていたはずの加藤咲希その人がこの場にいたからであった。

 

「ていうかなんで上半身裸なの!? 駄目だよ女の子がそんな格好した……ら……」

 

 暗闇の中とは言え、咲希はあることに気付いた。

 薫の肉体は女のそれではないと。

 線は細いが、これは女の体ではない。

 これは……。

 

「オレは男だ」

 

 いつもの綺麗な顔で、らしくない口調で話す薫という現実を受け入れられなかった咲希は口を金魚のようにパクパクとさせるばかり。

 そして、ようやく言語機能を回復させて夜の山に木霊するほど叫んだのだ。

 

「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?!?!?!?!?!?」

 



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第二夜 出会い、惑い

 蝶と人の出会いはいつの時代もつまらないものであったが今回ばかりは違ったようだ。

 なんだか、とても面白いことになりそうな予感がする。

 私は面白いことが好きである。

 そして、面白いことには少しばかり自分も加わりたいという欲求が強いのだ。

 さて、まずは二人を覗いていよう。

 最高に面白いことになる瞬間こそ、私の出番である……。

 

 

 

 

 

 月下美人という言葉を思い浮かべた。

 字の如く、月の下に美人がいた。同性の私が見惚れるほどの……。

 同性……だと、思っていた。

 

「い、いやいやいやいや夜舞さん!? よ、夜舞さんは女の子だよね!?」

 

 自身を男と言い張る美少女、夜舞薫。

 そんなはずがない。だって、だって、だって……。

 これまで、女の子として接していた。だって、制服だって私と同じのを着て、学校に来ていたし、まわりのみんなも女の子として接していた。

 

「見て分かるだろ。この身体、どう見ても男だろ」

 

 さも当然といったように夜舞さんは腕を広げて身体を見せつける。

 けど……。

 

「た、確かに胸は平らだけど夜舞さんが奇跡のような貧乳って可能性もあるでしょ!」

「なんか分からねえが、すっげえイラッてきたぞ。とにかく、男だってのは理解しろ。いいな」

 

 強制するような言い方。

 夜舞さんの声は変わらないのに、話し方が変わるだけで違和感と威圧感が私に叩きつけられる。威圧感というより、威厳? そっちの方が正しい気がする。

 

「さて、どうしようか。見ちまったからなあれを」

 

 見てしまった。

 見てしまったというのは、あの怪物とあの姿の夜舞さんのことだろう。

 夜舞さんが男という事実に忘れかけていたけど、あれらも常識から外れた不可解なものたち。

 そして夜舞さんの言葉の意味を考えると、あれらは見られてはいけないようで。見られては不都合なようで。

 それでは、見てしまった私はどうなるのか。

 映画やドラマならこういう場合は大抵、目撃者は消されてしまう────。

 

「え……」

 

 いつの間に、その人はいたのか。

 私の背後に女の人。

 私を逃がさないように腕を掴まれ、首筋には黒い板のようなものを突き付けられていた。その黒い板を凝視するとそれが刃であることに気が付く。

 やっぱり、私はここで……。

 

「やめろ、真姫」

 

 予想外の言葉だった。

 夜舞さんが、恐らく仲間であろう女性に「やめろ」と指示した。

 一体、どうして。

 私を殺すのではないのか。

 夜舞さんの言葉から数秒、私を捕らえていた女性はどこか渋々といった感じで私を解放した。

 解放されたのでその女性から離れる。そうするとちょうど、夜舞さんとその女性の間に立つような形に。

 そして初めて背後にいた女性の姿を見たが、夜でも明るい金髪を左側にまとめたサイドアップにしている。

 だがそれらよりも何よりも強い特徴がひとつ。

 一言で言えばくノ一。少々、ぴっちり過ぎではないだろうかというボディースーツのような忍び装束に白いマフラーを巻いていた。

 

「薫様、彼女をただ見逃すおつもりですか。目撃者の記憶は処理するのが決まりです」

 

 記憶を処理……?

 よかった、殺されるわけではなかったんだという安堵はほんの一瞬。記憶を処理するとはどういうことなのだろう。

 

「……こいつはいいんだ」

 

 くノ一の言葉にそう返すと夜舞さんは私に歩み寄ってきた。

 

「今日見たこと、誰にも言うなよ」

 

 それは命令であった。

 また、この命令を破ったらただではすまないということが暗に伝わってきた。

 

「う、うん! 絶対、絶対言わないから!」

「よし、言ったな。真姫、これでいいな。今日あったことをここの三人が黙ってればなかったことになる。お前も婆さんとかに言うんじゃないぞ」

「……承知しました」

 

 くノ一……マキさんはまた渋々といった感じで返事をする。色々と納得していないようだ。

 けれどそれはそれといったようにマキさんは夜舞さんに近付くと、どこから取り出したのか上着を手にしていた。

 

「それより薫様、お召し物を。暖かくなってきたとはいえまだ夜は冷えます」

「ん……」 

 

 用意された赤いダウンジャケットに身を包むと夜舞さんはマキさんに先に帰るようにと指示を出す。すると一瞬でマキさんの姿が消えた。

 ……本当に、忍者なんだ……。

 

「おい、なにボサッとしてんだ」

「え、な、なに!?」

「なにって、帰るんだよ。家まで送ってく。夜道は物騒だからな」

 

 これまた予想外の言葉に理解が追い付かなかった。

 優しい……のかな?

 

 

 

 

 家までの道中は無言だった。

 何も見なかったことにしているので色々と聞くのはいけない気がして。

 山道から舗装された道に出て少し歩くと家の明かりが。

 それにしても夜舞さんはよく迷わずここまで歩けるな。私には無理だ。

 

「あ、姉ちゃんおかえり!」 

 

 家に着くと啓太がけろっとした顔で出迎えた。

 忘れていたが啓太を探しに行っていたんだった。

 

「こら啓太! あんたどこほっつき歩いてたの!」

「な、なんだよ! ほっつき歩いてなんてないよ! ほっつき歩いてたのは姉ちゃんの方だろ!」

 

 え?

 それはどういう意味かと問いただそうとするとお母さんとおばあちゃんが玄関まで出迎えて説明してくれた。

 

「啓太ったら蔵で寝てたのよ」

「え?」

「咲希ちゃんが家出てすぐに晩御飯は~って出てきたもんだからもうびっくり」

 

 え?

 え?

 じゃあ、私が捜しに出かけたのはまったくの無駄足だったということ?

 

「今度は咲希ちゃんがなかなか帰ってこないからお父さんとじいちゃんは探すの続けてるけど、帰ってきたって連絡しねえとなぁ。……おや、そちらは咲希ちゃんお友達?」

 

 おばあちゃんが外にいた夜舞さんの姿を見つけて尋ねた。

 すると夜舞さんはいつものような笑顔を浮かべ挨拶した。

 

「こんばんは。加藤さんのクラスメイトの夜舞薫です」

 

 やはり、こっちの方が落ち着く。

 いや、だとしても不思議な感覚だ。つい10分くらい前まであんな男口調だったのに。

 

「あ、いやいや夜舞さんところの。孫がいつもお世話になっております」

 

 深々とお辞儀するおばあちゃんを見て、この前の話は本当なんだなと実感した。

 おばあちゃんは本当に夜舞さんのことを敬っている。

 

「こちらこそ仲良くさせていただいています。その、散歩をしていたら加藤さんが迷子になっていたので案内してあげてたんです」

「じゃじゃ! それはまた孫がご迷惑をおかけしました」

「いえ、まだ慣れない土地でしょうから仕方ありません。それでは私はこれで。……加藤さん」

 

 帰るという直前、夜舞さんは私を呼んだ。

 

「な、なに?」

「……また明日」

 

 にこりと微笑んで、家を出た。

 本当に、本当に夜舞さんのことが分からない……。

 

 

 

 

「おはよう加藤さん」

「お、おはよう……」

 

 翌日、夜舞さんはいつもと変わらない様子で私に接してきた。昨日のことなどなかったかのように。

 やはりあれは夢だったんじゃないのかと思うけれど、それはない。

 なにより昨日のあれを経験してから何事もなかったかのように接せられると困惑するし、妙に精神的に疲れるというかなんというか……。

 今日は用事があるとかで夜舞さんは急いで帰ってしまった。

 なので帰りは一人。

 久しぶりに一人で下校している気がする。なんだかんだずっと夜舞さんと二人でいたからか。

 そうだ、普通に友達してたんだ私達は。

 当然のことだけど、実感する。

 ……もしも、もしもだ。

 私も夜舞さんと同じように何かしらの秘密を持っていたとして、それを友達に打ち明けられるだろうか。

 きっと、難しい。

 打ち明けるにしても相当覚悟がいるだろう。

 昨日の夜舞さんもなし崩し的とはいえ自分が男であることを誤魔化さなかった。記憶の処理?とかもしないでくれた。

 もしかしたら、夜舞さんも本当は……。

 

「ちょっと、面貸しな」

 

 いきなり、声をかけられた。

 それも、古風な感じのヤンキーさんが言いそうな感じの。

 恐る恐る振り向くと、制服の上にスカジャンを羽織ったレディースさんが……。

 

「って、昨日のくノ一!」

「しっ! 声が大きい。薫様のご厚意を無碍にする気か?」

「ごめんなさい! けど、一体なんの用ですか……? もしかして、夜舞さんの言い付けを無視して記憶をどうにかする気ですか!?」

「そんなことするわけがない。薫様の指示に反するようなこと」

 

 ……どうやら、本当のようだとくノ一。確かマキさんといったか?

 改めて、用件を尋ねることにする。

 

「それで、何の用ですか……?」

「……ついてこい」

 

 ひとまず、言われたとおり彼女についていくことにする。

 なにか、私にとっても大切な分岐点になるような気がして。

 

 

 

 

 

 屋敷の自室で触診を受ける。

 上は裸で、身体のあちこちを触られる。

 この時間が自分にとってなによりも苦痛であった。

 

「どこにも異常は見当たらないよ。至って良好だ」

 

 かかりつけ医の清水はいつものように微笑みながら話す。

 この男も夜舞の分家筋。この町の病院の跡取りである。

 

「良好なのは自分がよく分かってるよ。大体、戦闘の度にこんな診察なんていらないだろうに」

「まあ、大事をとってね。それに、この町を守れるのは君しかいないんだ。そんな君に倒れられたら大変なことになるからね。町を守る君を守るのが医者としての僕の役目だよ」

 

 ……こういうことを平気で言う。

 だから女とよくトラブるんだ。

 柔和な顔立ちにメガネが似合うこの男は女を自然と引き寄せる。そして、とばっちりを食うのだ。

 

「やっぱり、蝶祭りが近くなると化神の出現頻度が上がるね」

「ああ。あれの封印が弱まって、流れ出る邪気に群がってな。おまけにそこらの化神より強くなりやがるから厄介だ」

 

 蝶祭りとは7月に行われる町の祭りである。

 伝統芸能なんて言われる夜舞神楽を踊るぐらいが特徴のあとは普通の祭りだが、この夜舞神楽に秘密がある。

 かつて、自分の先祖がこの地に封印した化神の封印を結び直すという目的があるのだ。

 毎年、この蝶祭りが近付くと封印が弱まり少しずつ邪気が漏れ出す。それが餌となり化神を育てるのだ。

 

「そうだね。だからこれからはより密に検診を行うからそのつもりで」

「は? 去年はそんなことしてなかっただろ」

「去年はね。今年からそうするんだ」

「俺が身体触られるの嫌いなの知ってるだろ!」

「それとこれとは話が別だよ。自分の身体のことを誰より理解してる君なら分かるだろう?」

 

 ……。

 なにも、言い返せない。

 

「投薬や身体の矯正によって君の身体は本来の成長を遂げられずにいる。それが君の身体に影響を与えないわけがないんだ。僕の研究では歴代の男のマイヤが短命というのはこれが原因だと……」 

「検診は終わったかね、先生」

 

 清水の話の途中、うちのばあ様が割って入り込んできた。

 化神よりも化神らしい風格のばあ様である。

 

「け、検診は終わりました。異常はありません……」

 

 ばあ様の圧の前に清水はたじたじである。まあ、大抵の人間はばあ様の前ではああなるが。

 

「そうか。薫と話があるんでもういいかね」

「え、ええ。それでは、私はこれで……」

「まいど、おおきに」

 

 そそくさと出ていく清水を横目にばあ様に視線を移した。

 

「お婆様、お話というのは」

「嘘だよ。私はあいつを好かんのでな。お前も検診が終わったなら鍛練しな」

「……はい、お婆様」

 

 ピシャリと障子を閉めてばあ様は部屋を出た。

 まったく、嫌なばあ様だ。

 

 

 

 

 

 

 

 長い石階段を昇る。

 一体どこに連れていかされているのか私には見当もつかない。

 

「自己紹介がまだだったな。私は五十鈴真姫。二年生だ。あと薫様との関係は側近と言えば分かるか? 今風に言えばメイドだ」

 

 メイド……。

 いやいやくノ一でしょと言いたくなったのを堪える。変なことを言ったら怒られそうだからだ。

 なるほど、真姫さんはメイドくノ一ということか。

 いや、格好から察するにヤンキーっぽいのでヤンキーメイドくノ一が正しい。

 属性盛り過ぎでは?

 なんて変なことを考えていると石階段を昇り終えた。

 連れられてやってきたのは古い、大きな神社。

 夜舞神社というらしい。

 立ち並ぶ木々はどれも御神木なんじゃないかと思うレベルで大きく、幻想的な雰囲気が流れていた。

 

「ここは薫様のご先祖様が建立した神社で、蝶祭りの夜に薫様が夜舞神楽を踊る場所でもある」

 

 夜舞神楽……。おじいちゃんが言ってたやつか……。

 

「呼び出したのは他でもない。薫様のことでだ」

「夜舞さんのこと……」

「薫様は高校生になられてから毎日楽しそうになさっていた。これまでこんなことなかった」

 

 こんなこと、なかった?

 楽しそうにしていることが?

 

「薫様は男でありながら女として育てられ、生きてこられた。周りとは違う自分にずっと悩み続けていた。それ故に、他人とはあまり関わらないようにして……。けれど、お前がこの町に来たことによって薫様に変化が訪れた」

「えと、私……?」

「ああ、お前という友人が出来てから薫様は明るくなられた。お前のことを何度聞かされたかもう数えらないぐらいに」

 

 そ、そんなに話していたのか……。

 というか、どんな風に言われてるんだろう私。気になったので少し聞いてみる。

 

「あの、夜舞さんはなんて言ってました? 私のこと……」

「主に、面白い、変わってる、変だ、見てて飽きない。といった感想が多かったと記憶している」

 

 ちょっと待って夜舞さんの中の私ってどうなってるの。

 そんな変なこととか面白いことをしてるつもりはないんだけど!

 

「あと、昨晩お帰りになられたあとは行方不明が疑われた弟を捜しに飛び出して自分が迷子になるなんて傑作だと」

「ちょっと待って私は迷子になんてなってない!」

 

 なってないったらなってない!

 ……多分!

 

「ともかく、お前は薫様に気に入られたということだ。……薫様がああして素の口調で話す相手なんて、片手で足りる数しかいないんだ」

「え……」

「女として育てられている薫様は当然家でも女性として振る舞っている。あの男の口調が出るのは一人きりの時か真に心を許した人の前でだけ……。なのでどうか、これからも変わらず薫様と友達でいてあげてくれ。薫様があんなに幸せそうなのは初めてなんだ。あんな、普通の高校生みたいに楽しそうなのは……」

 

 頭を下げられて困惑した。

 まさか、そんなことを頼まれるなんて思ってもみなかったからだ。

 私は……。

 

「……大丈夫です。頼まれなくたって、私と夜舞さんは友達です。夜舞さんのこと、まだ謎だらけだし本当は男の子だとしても、もう一週間以上も前から友達なんですから! これからもっと仲良くなってみせます!」

「……はは。なるほど、薫様が気に入った理由が分かる気がする。頼むよ加藤」

 

 自然な微笑みを浮かべる真姫さんには最初に会った時のような刺々しさは感じなかった。

 真姫さんも優しい人なんだ。

 しかし、真姫さんの表情が一瞬で険しいものとなる。

 

「伏せろッ!」

 

 突如、爆ぜる地面。

 真姫さんが私の前に躍り出てスカジャンを脱ぐと昨夜と同じ忍び装束に早替わり。どんな仕組みだとかは今はなしだ。くノ一だからという理由にしておく。

 

「化神……!」

 

 黒い靄が少しずつ形を得ていく。

 昨晩のあいつと同じ、生き物が人型になったような怪人……。

 

『力が溢れる……!』

 

 そいつは赤茶色の甲冑に身を包んでいるかのようで、特徴的な角が頭部から生えており、その角と似た剣を握っていた。

 

「バケカブトとでも言ったところか……。結界がやはり脆くなって……」

 

『女よそこを退け。そうすれば無傷でいられるぞ』

 

「誰が退くか! ここは神聖な場所、お前のような穢れが入り込んでいい場所ではない!」

 

『神聖だと? 笑わせる。ここに眠るものを知らないわけではないのだろう』

 

 真姫さんと怪人の会話についていけない。

 なにも知らないから当然だ。

 

「加藤、お前は逃げろ」

「そんな、真姫さんはどうするんですか!?」

「薫様が来るまで持ちこたえる。ここは絶対に守らないといけない場所なんだ」

 

 覚悟を秘めた顔だった。

 夜舞さんが来るまで持ちこたえるということは真姫さんには怪人を倒すことが出来ないのだと理解した。

 時間を稼ぐことしか出来ないのだと。

 

「私も手伝います!」

「なに言ってんだ馬鹿! お前に何かあったら薫様に怒られるのは私なんだぞ! ……だから、お前とここは守りきる。これでも夜舞家を支える五十鈴家の人間だ、五十鈴流忍術の見せどころ」

 

 クナイを手に駆ける真姫さんは速かった。バケカブト?を翻弄し、全方位からクナイが飛ぶ。

 バケカブトはその場から一歩も動けないでいる。

 これなら、時間稼ぎだって容易に……。

 そう思った矢先、バケカブトがその剣の切先を地面に叩きつけると地が震えた。地だけではなく、空間まで震えたようだ。

 その衝撃波を近くで食らってしまった真姫さんは吹き飛ばされてしまった。

 

「真姫さん!!!」

 

『ふん……他愛ない。御伽装士でもない貴様に何が出来る』

 

「ぐっ……」

 

『我が剣の錆びにしてくれよう』

 

 剣を振り上げるバケカブト。

 私は咄嗟に……真姫さんの前に立っていた。

 真姫さんが殺されようとしているのを黙って見過ごしていられなかった。

 しかし、このままでは私が殺されてしまう。その恐怖から視界は塞がれた。

 だが、耳は確かに拾っていた。

 ────バイクのエンジン音を。

 

『ぬうッ!?』

 

 バケカブトの身体に直撃する前輪。

 オフロードバイクを駆る和装のライダーは続けてバイクをスピンさせて後輪をぶつけてバケカブトを下がらせた。

 

「真姫! 加藤! 大丈夫か!」

 

 ヘルメットを脱ぎ捨て、ライダー……夜舞さんは真姫さんに駆け寄った。

 

「薫様……。申し訳ありません……私……」

「謝るな、よくやってくれた。あとは任せて休んでろ。……加藤、お前も……」

 

 夜舞さんは私に何かを言いかけたが途中で目を逸らし、声に出すことをしなかった。

 そして、夜舞さんはバケカブトと対峙する。

 

『また、女か……』

 

「違うな」

 

 そう言うと夜舞さんは上をはだけさせ、自分の身体をバケカブトに見せつける。自分が、男であるということを証明するかのように。

 

「よくも真姫をやってくれたな……!」

 

 夜舞さんは真姫さんに怪我を負わせたバケカブトに怒りをぶつける。怒りのままネックレスを引きちぎるように手に取ると、呪いのような言葉を口にした。

 

「オン・ビシャテン・テン・モウカ」

 

 言葉が紡がれると、ネックレスの装飾が巨大化しお面となった。

 昨晩見た、蝶の面に。

 

「舞え、マイヤ。────変身」

 

 面を被った夜舞さんの身体に赤い、蝶の羽のような紋様が全身に浮かび上がる。どこか、苦しそうな夜舞さんであったがすぐに呼吸を整えバケカブトを睨み付けていた。

 紫色に煌めく蝶の戦士との再会である。

 

 

 

『それが、御伽装士というものか』

 

「御伽装士マイヤ。この名、頭に叩き込んどきな。ハッ!」

 

 駆け出すマイヤ。

 直線的な動作はバケカブトからしたら迎撃しやすいものである。剣を握りなおし、自身の間合にマイヤが入った瞬間、斬る。

 だが、斬ったのは空。

 何故だ、絶対に当たるはずだったとバケカブトは戸惑う。

 マイヤはバケカブトの間合に入った瞬間、バックステップで宙に舞い剣閃を回避。隙だらけのバケカブトの頭部を蹴り飛ばし、着地した。

 更に続けてマイヤの拳がバケカブトの身体に叩き込まれる。

 負けじとバケカブトが剣を振るうが力任せな剣は舞うように戦うマイヤを捉えることは出来ない。

 

『ぬう……これが御伽装士の力……。ここは一度退かせてもらう』

 

 バケカブトは背中の羽根を広げ、森の影へと姿を消そうとするがマイヤがそれを許すはずがない。

 

「逃がすかッ!」

 

 乗ってきたバイク「アラシレイダー」に跨がり加速。

 山道が多いこの町で戦うために開発された高性能マシンである。

 そんな高性能に更にマイヤは性能を盛り付けた。

 

「退魔道具、風神の風袋」

 

 風神の風袋はその名のとおり袋であるが、術により形態を変化させアラシレイダーの後部に合体。ブースターとなり強風を伴い更にマイヤは加速する。

 

「退魔道具、八咫烏の羽」

 

 続けて呼び出したのはクナイである。

 バケカブトに投擲するが躱されてしまう。

 

『どこを狙っている!』

 

「ちゃんと狙ってるさ。その証拠にほら、次の戦場だぜ」

 

『ぬ……?』

 

 瞬間、バケカブトの視界が一気に開けた。

 木々の生い茂る森を抜け、開けた場所へ。旧鉱山跡地である。

 人払いの結界はしているが、普段から人が寄り付かない場所であるし広く開けているのでのびのびと戦えるこの場所にマイヤはバケカブトを誘導していたのだ。

 

「この町は俺の管轄だ。誘導ぐらいどうってことない」

 

 最後のクナイを投擲。

 これは確実に当てるものだと意気込み、バケカブトの羽根を貫いてみせた。

 飛行出来なくなり、地に伏すバケカブトを見ながらマイヤはアラシレイダーを降りる。

 もう、トドメを刺す気でいるのだ。

 

「退魔道具、雷神の雷鼓」

 

 マイヤの背に装備される鼓の輪。

 今のマイヤの姿を人が見たら十人中十人は雷神と言うであろう。

 

「退魔覆滅技法」

 

 右手を空に掲げ、力を高めていく。

 身体に電撃を帯び、空中には雷を凝縮した円状の光が形成される。

 

「────雷電疾走!」

 

 空中で形成したエネルギーをバケカブトの頭上に向け放ち、その後、マイヤは地面を殴りつけた。

 地面は火花を散らし、電撃がバケカブトへと向かう。そして、頭上からは稲妻、足下からも電撃。上下からバケカブトを祓う雷が放たれた。

 

『ぬわぁぁぁぁあぁぁぁ!!!!!!!!!』

 

 バケカブト爆散。

 マイヤは務めを果たしたのだった。

 

 

 

「……っ」

 

 変身を解除すると、少しよろけてしまった。

 退魔道具を三つも使えば当然か。それにしてもここまでやるとは、自分が思っていた以上に自分は怒っていたらしい。

 それよりも、早く戻って真姫の手当てをしないと……。

 

 

 

 

 夜舞さんが夜舞神社から離れてから真姫さんの手当てをしてあげた。そう言っても薬を塗って包帯を巻いてあげたぐらいだけど……。

 ほどなくして夜舞さんが戻ってくると急いで真姫さんに駆け寄って無事を確かめていた。

 

「真姫、大丈夫か?」

「大丈夫です、これくらい……」

「無理するな。治るまで側近務めも休みにするから……。真姫にいなくなられると困るんだ。話し相手がいなくなる」

「私にはもったいないお言葉です……」

 

 本当に、本当に夜舞さんは真姫さんのことを大切にしているのだとこの光景を見て思わされた。

 真姫さんが言っていた、夜舞さんが素を出せる数少ない人物の中には真姫さんも入っていて、そんな人だから夜舞さんもすごい大事にしていて……。きっと、怖かっただろう。そんな大切な人を失ってしまうかもしれないと。

 

「おい、加藤」

「へ?」

「へじゃない。お前は何をしてるんだ殺されるところだったんだぞ!」

 

 ど、怒鳴られた。

 本気で怒られている……。

 

「あ、あれは身体が勝手に動いて……」

「言い訳するな! もう二度とやるなよ! というか逃げろ! 化神見たら逃げろ! たく、なんでお前は昨日今日と化神に襲われるんだ……。人口が少ない町とはいえそんな奴は初めてだ……」

 

 何か、すごい運の持ち主なのかもしれない。

 あまりいい運勢とは言えないだろうけれど。

 

「薫様そう怒らないであげてください。それに、本当に言いたいことはそんなことではないでしょう?」

 

 真姫さんがそう言うと夜舞さんは怒りを鎮めた。飼い主に叱られたワンちゃんのようだ。

 けど、本当に言いたいことってなんだろう?

 気になって夜舞さんを見つめる。すると夜舞さんは顔を背ける。背けられたので私も移動して夜舞さんを見つめる。背けられるの繰り返し。

 夜舞さんの頬が少し赤みを帯びていることには気付けた。

 そして、ようやく意を決した夜舞さんは口を開いた。

 

「……その、真姫を守ろうとしてくれて、ありがとう……。あと、手当ても……」

 

 小声ではあったが私の耳にはしっかり届いていた。

 言い終えた夜舞さんはそっぽを向いたけれど、その耳が真っ赤になっているのを見逃すほど私は鈍くはないのだ。

 ふふーん。

 このツンデレめ。

 

「え? なに聞こえなかったんだけどー? もう一回大きな声で言ってもらわないとなー」

「んなッ!? お前、ちゃんと聞こえてただろ!!!」

「なんのことかなー? 私には分からないなー」

「く……加藤ぉぉぉぉ!!!!!!」

 

 夜舞さんに追いかけられる。

 捕まっては恐ろしい目に合うだろうと即座に理解したので逃げることにする。

 けれど、この鬼ごっこはとても楽しかった。

 素の夜舞さんが見れたから、女の子として振る舞う夜舞さんも好きだけど、こっちの夜舞さんの方が親しみやすい。

 だから、きっとそうだろう。

 この時から私は女だろうと男だろうと関係なしに、夜舞薫という人物のことを好きになっていたのだ。



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第三夜 合うか、合わないか 前編

 気温も上がり、外で身体を動かしたくなってきた頃、我が校では全校球技大会が開かれていたっ!

 

「1ーA勝つぞぉぉぉ!!!」

「うおおおおお!!!!!」

 

 クラスの熱気は凄まじい。

 一年生ながらに優勝を狙い、運動部を中心とした陽キャ達が盛り上げ、熱気にあてられた他のクラスメイト達も燃えている。

 

「ねえねえ()はなに出るの?」

 

 盛り上がるクラスメイト達を教室の後ろの方から穏やかな表情で眺める薫に訊ねる。

 そういえば、『夜舞さん』と前は呼んでいたのだけれど真姫さんから「名前で呼んであげた方が喜ぶ」と言われたので名前で呼ぶようにしたのだ。そうしたら薫も私のことを名前で呼ぶようになり、より仲良くなれた気がする。

 はじめて薫って呼んだ時の薫の顔は今でも覚えている。

 全機能が停止してしまったようなあの顔と来たら、今でも思い出して笑えてしまう。

 

「バドミントンに、出ることになっております。咲希は、何に出られるのですか?」

「私はバレーとバスケとサッカーとソフトボールと必要に応じて助っ人かな。ていうか薫、バドしか出ないの? 少なくない?」

「その……一応、男なので団体競技は控えようと思いまして……」

 

 小声で周りに聞こえないように説明してくれたがなるほど。実は男の子な薫が女子に混ざって何かするというのはやはり思うところがあるみたい。

 不公平かもしれない……いや、男子に混ざっても不公平になるだろう。

 薫の身体能力の高さはその細身で小柄な身体からは想像がつかないもので何をやらせても人並み以上になるだろう。

 薫が全競技に参加すれば優勝する確率は極めて高いと私は勝手に思っている。

 

「それに、蝶祭りも近いので、怪我をするようなことは控えるようにとも言われております」

「怪我することは控えろってそれ薫に言う? いっつもあいつらと戦ってるのに。そっちの方が断然怪我する確率高いじゃん」

 

 怪物、化神達との戦いは薫の日常となっている。

 最近は化神の出現頻度も増えているようで、お祭りの準備や練習、学校も普通にあってとここのところの薫は忙しそう。

 疲れている、とは薫は言わないが間違いなく疲労は溜まってきているはず。そういう事情もあっての判断か、バドミントンのみ出るということにしたのかもしれない。

 

「女子だけで写真撮るよー! 男子は廊下出ろー」

 

 このクラス一番のイケイケ女子である早川さんがそう号令をかけた。

 思い出作りの時間だ。

 

「薫行こ」

「はい」

「折角だし全員ジャージの裾結んでお腹出しちゃお」

 

 え。

 

「お腹出すの!?」

「うん。加藤もやろ。かわいいべ」

「い、いや~……最近ちょっと太っちゃって……。ねえ?」

「どうして私に伺いを立てるのです……?」

「夜舞はやれるでしょ。太ってないもんなぁ加藤と違って」

 

 本人に悪気はないのだろうが今のは流石にカチンと来たぞ。

 

「べ、別に言うほど太ってないしぃ! 全然お腹出せちゃうしぃ!」

「さっすが東京もんノリがいい! さてさてそれで夜舞はどうするのかなぁ?」

「わ、私はその……」

「薫もやるよ! ほら!」

 

 ばっ!と薫のジャージをめくり上げるとそこには白い美肌の大地が広がって……。

 

「え……待って夜舞ヤバ!? 腹筋割れてんじゃん!?」

 

 早川さんがそんなことを大声で言うものだからクラスの女子達が集結。

 薫の腹筋鑑賞会が始まってしまった。

 

「ほんとだ! うっすら割れてる!」

「意外! 夜舞さんて筋トレ女子?」

「うう……その、軽い運動を心掛けてるだけで……咲希も早く下ろしてください!」

「あ、うん」

 

 意外だった。

 いや、その、だって薫が変身する時は上脱ぐからお腹見られるのは平気だと思ってた。

 けどなんだその恥じらう表情は。えっちだぞ。

 

 

 

 

 

「薫ごめんって~」

「なんですか加藤さん。また、セクハラしに来たんですか」

 

 このとおり薫はまだ怒っている。

 ここまでの帰り道もずっと謝っているが許してもらえそうにない。

 

「変身する時は上脱ぐくせに」

「それとこれとは話が違え!」

 

 急に男口調になった。

 ということはつまり、周囲には誰もいないか薫が信頼している人物しかいないということ。

 それにしたって帰り道、外で男口調になるのは珍しいが。

 

「どう話が違うのさ」

「それは、その……あれだろ」

「どれなの」

「……だから、その、女子にあんな見られるのは恥ずいだろ……」

 

 ……。

 

「な、なんだよ黙って」

「ごめん。一瞬ムラッてきた」

「ムラッ……!? 女がそんなこと言うな!!!」

「あ、見てこれ綺麗な石!」

「話を聞け! まったく……」 

 

 ごめん、ごめんと謝罪をいれる。

 それにしてもこんなに青くて綺麗な石を拾うなんてラッキー。

 石を拾うなんて子供っぽいというかなんというかではあるけど本当に宝石みたいで綺麗だ。あと私、パワーストーンとか大好きだし。

 

「ねえ薫、このあとの予定は?」

「夜から夜舞神楽の練習がある。それまではまあ、鍛練とか……。あ」

「あ?」

「今日は華の先生が来る日だ……」

「はな? 耳鼻科?」

「そっちじゃねえ華道の華だ」

 

 あ、そっちかぁと石を見ながら思っていたが、え、華道?

 

「生け花やってみたい! 今日行っていい!?」

「駄目だ。初心者の体験教室みたいんじゃないんだぞ。そんじゃ、時間がちょっとヤバいから俺は急ぐ。また明日な」

「うん。またね~」

 

 走り去る薫を見送る。

 時間がちょっとヤバいと言っていたのは本当のようでだいぶスピードを出して走っている。

 それどころか森の中を突っ切って……カラスが数羽飛び去った。もしかしたら木の枝から枝へ飛び移っているのかも。

 相当急いでいると見た。

 

「さーて、私も帰ろ~っと」

 

 石はポケットにしまって歩き出す。

 私の家まではもうすぐだ。

 

 

 

 鼻歌を歌いながら歩く咲希を見つめる者がいた。

 茜色の空に浮かぶ影法師はニタリと笑みを浮かべ、薄暗い森の影へと姿を隠したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蝋燭の炎が照らす境内の中、舞う。

 手に持つのは木の棒。本番では夜舞神社に祀られている『厄除の槍』を持って踊ることとなる。

 厄除の槍は初代のマイヤがこの地で大暴れしていた化神を封印するのに用いた槍。最も古い退魔道具のひとつであるとされている。

 夜舞家の家宝でもあるこの槍を使いこなすことは真にマイヤとして一人前であると認められるために必要なこと。

 では何故、槍を使いこなすために槍術を習うのではなく神楽を舞うのか。それはこの神楽の中に()()()()()()()()()からだ。厄除の槍の力を真に引き出す技が。

 ゆえに、夜舞神楽の練習は先代マイヤと当代のマイヤ二人きりで行われる。当代のマイヤに神楽を教え伝え、当代のマイヤは神楽の中から技を見出だす。直接教えてはならない。あくまで、当代のマイヤが気付かなければならない。そして先代はその気付きに近付くための指導を、気付いたあとの適切な使用法を授ける。

 他者を介在させないのは神楽の中の隠された技を漏洩させないため。

 親から子へ、正しく一子相伝の技。

 

「薫、お前の舞いはかてぇ(固い)あれぇ(荒い)。もっと綺麗に、舞いなさい」

「はい、お婆様……!」

 

 続けて、舞う。

 夜舞神楽は何年もかけて完成させるものだという。

 私ももう夜舞神楽の鍛練を始めて四年目になるが、未だに完成には至っていない。

 お婆様は三年でものにしたらしい。

 母様は二年でものにしたらしい。

 既に、私は母様の倍の時間をかけてしまっている。

 そのことで特にお婆様から小言を言われたりはしていない。むしろ、「あいつはここ数代の中でも神楽の筋が良かったからな。気にするな」と言われている。

 母様を越えたい、という思いはまったくないわけではないがそちらは気にしていない。

 むしろ、気にするのはお婆様の方だ。

 もしも、私がこのままずるずると夜舞神楽の中の技を完全に習得出来なかったら。

 お婆様とて、いつまでこうして指導にあたれるか分からない。

 最近また薬の量が増えた気がする。

 私の前で薬を飲むことは決してしないが、袋の数は明らかに増えている。

 それに、お手伝いさんの話だと私が学校に行っている間は寝ていることが増えたという。

 年の割にはしゃんとして背筋も真っ直ぐ凛とした立ち姿をしていたが、最近腰が曲がってきた。

 いくら殺しても死ななそうなお婆様とはいえ、人はいつか死ぬ。

 必ず、死ぬ。

 お婆様が今すぐ死ぬということはないだろうが、だとしても、時間はかけられない。

 あまり好いているというわけでもないし、かといって嫌っているというわけでもないが、早く一人前として認められて、お婆様には楽してもらいたいのだ。

 

「薫、集中しな」

「はい……!」

 

 雑念が出た。

 そうだ、今は神楽に集中しろ、神楽と向き合え。

 そうしなければ、技を見出だすことなど出来ないのだから……!

 

「……今日はここまで」

「そんな、お婆様。私はまだ」

「夜舞神楽は焦ってやるもんでねえ。どれだけ時間かけてもええ。ちゃんと、確実に身に付けることが大切なんだ。むしろ、時間をかけるほどええんだ」

 

 時間をかけるほど、いい……?

 その言葉の意味を探ると、戸が叩かれた。真姫か。

 

「入れ」

「失礼します。警察から行方不明者が出たと連絡が。山菜を採りに山へ入ったとのことで迷ったのだろうというのが向こうの見解ですが、いかがいたしましょう」

「ふん……。念のため、うちの者を出すかね。正人に任せる」

「承知しました」

 

 命令を受けると真姫はその場から消え、任務に向かった。

 お婆様の言った正人とは真姫のお父さんのことで夜舞家の支援にあたる五十鈴家の現当主。

 真面目な人で、お婆様が捜索について任せると言うほど信頼されている。

 

「薫。お前もいつでも出れるようにしておけ」

「はい」

 

 こうして、夜舞家の夜が始まる。

 化神が関わっていなければいいけれど……。

 

 

 

 

 

 

 朝が明けても、行方不明者発見の報は入らなかった。

 真姫も学校を休んで捜索にあたっているけれど……。

 

「五十鈴を動かしても見つからないなんて、やはり化神が……。だけど、それなら化神の情報をなにかしら掴んでくるはず……」

 

 五十鈴家はこの地まで逃げ落ちた忍び達が集まり生まれた家であり、彼等を世話したのが夜舞家のご先祖様ということで夜舞家に仕えるようになった。

 人探しなど朝飯前でこれまでもそういった山の行方不明者に関しては警察やレスキュー隊よりも先に保護しているという確かな実績がある。

 そんな彼等が一日近く時間をかけても見つけることが出来ないなどというのは何かがおかしい。

 

「かーおーるー!」

「咲希……」

「もう。声かけたのに一人でさっさと行っちゃうんだもん。一緒に帰ろ」

「え……それは、申し訳ありません……。ずっと、考え事をしていて……」

「また化神絡み?」

「その可能性が高いと、私は思っていますが、手掛かりもなく……」

「そっかぁ。けど大丈夫でしょ」

「え……?」

 

 大丈夫でしょって、まだ化神かどうかも確定出来ていないというのにどこが大丈夫だとこの子は言っているのだろう。

 

「だって、薫が倒してくれるんでしょ? だから大丈夫だよ」

「それは……。しかし、絶対に化神に勝てるなんて保証はどこにも……」

「薫は勝つよ。ヒーローでしょ? 正義は必ず勝つ! だよ!」

 

 ああ、もう、簡単に言ってくれるんだから……。

 こっちがどんな気でいつも戦っているのかまるで分かっていない。

 ただ……それが、いい。

 咲希に理解してもらう必要はない。

 咲希に理解されたくない。

 咲希に私の背負ってるものを知られたくはない。背負わせたくはない。

 この子は、謂わば私にとっての平和の象徴だから。

 自由で、明るくて、仲良くしてくれて。

 本当は化神のことだって知られたくはなかったけれど、それでも少しでも自分(俺/私)のことを知っていてほしくてという矛盾もあって。

 

 加藤咲希。

 この子には私の近くにいてほしいし、遠くにいてほしい。

 

「あ、見て見てこんなところにバス停! 休んでこ! さっきおばちゃんからお菓子もらったから食べよ!」

 

 まったくどこまでも自由なんだから。

 それにこの道にバス停はないし、きっとまたなにか別のものをバス停と勘違いしているのだろう。

 

「咲希。この道にはバス停なんて─────咲希?」

 

 おかしい。

 なにかが、おかしい。

 すぐ隣にいたはずの咲希が、いない。

 そんな、馬鹿な。

 この一瞬で私が気付かないほどに気配を消してどこかに隠れるなんて一般人の咲希には無理だ。

 咲希がふざけて冗談でした~と出てくるだろうという考えが浮かばないのが不幸だ。

 さっきも言ったが彼女に私を欺いて気付かれずどこかに隠れるなんてことは不可能だからだ。

 ともすれば、こんなことを可能とするものは……化神。

 しかし、その化神の気配すらなかった。 

 では、一体どうやって……?

 

「薫様!」

「真姫……」

 

 どこから途もなく私の傍に着地した真姫は既に異常を察知しているようだ。

 

「下校中の薫様を見つけて、しかし様子がおかしかったので何かあったのかと……」

「咲希が……咲希が突然いなくなって……。私の隣にいた咲希が!」

「薫様落ち着いて。まずは、加藤がいなくなった時のことを思い出してください」

 

 私は冷静だと思っていたが真姫の目には違って見えたらしい。

 ならばきっと真姫の方が正しく私を見れているのだろうと深呼吸して心を落ち着かせ、ついさっきまでのことを話した。

 そしてやはり、真姫も同じところに疑問を持った。

 

「バス停……? この道にはなかったと思いますが」

「ええ。私も同意見です。この道はもう10年以上歩いてるから間違えるはずがない。ここにバス停はない」

 

 更に考察していこう。

 ここにバス停があるから休んでいこうと咲希は言った。

 休めるバス停となればベンチつきのバス停だろうけれどこの町にあるのはそんなものではなく古い木造のバス停である。入れて精々3人か4人といったぐらいの大きさの。

 国道に出れば見られるものだ。

 しかしそんなものと間違えるようなものはここにはない。

 あるのはガードレールと雑草、雑木。

 道幅もギリギリ車2台分ほど。

 バス停やバス停と見間違えるようなものはやはり……ない。

 では一体、咲希が見たものとはなにか。

 咲希はどこに行ってしまったのか。

 この謎を一刻も早く解かなければ……!

 

 

 

 

 

「ほら薫も座ろうよ。ちょっとボロっちいけどさ! ……ってあれ? 薫?」

 

 薫は周囲をキョロキョロと見渡している。

 なにをしているんだろう?

 私はここにいるというのに。

 

『────彼女は、僕とは波長が合わなかったんだ』

 

 その声の主は、いつの間にか私の隣に座っていた。

 驚きのあまり声も出せなかった。

 男は座高が高い。そして脚も長い。

 立ち上がった時、彼の身長はどれほど高いのだろうか。

 目鼻立ちもくっきりとして美しく、全身黒い衣装。首までかかった黒髪も美しい。

 第一印象はカラスのような人、であった。

 

『ようこそ僕の世界へ。ここには美しいものしかないんだ。この世界に入門することが出来た君は美しく、僕と美的センスが同じでそして……()()()()()()んだ』

 

「い、言ってる意味が分からないよ……」 

 

『あれをご覧』

 

 男は薫を指差し言った。

 

『彼女は僕らと波長が合わなかった。だから、僕らが見えていない。ほら、もう一人来たけど彼女もまた僕らと違ってセンスのない奴なんだ』

 

 真姫さん……!

 どうして、どうして私が見えないの!?

 こいつの言ってること全然分からな……そうか、この人はもしかして……。

 

「あなた、化神なの……?」

 

『へえ、化神のこと知ってるんだ。そう、僕はバケガラス。趣味は美しいものを収集すること』

 

 やっぱり、化神……!

 どうしよう、食われてしまう……。

 

『安心してよ、君は食べないからさ』

 

「え……?」

 

『折角波長があった仲間を食べて失うなんてもったいないだろう? 僕が人を食べる時は決まっていてね、()()()()()()()()()()()()()()。そう決めてるんだ。これまでずっとそうやって僕は生きてきた。だから、君も食べられたくなかったら美しさを保つことだね。けど、どうせだったらもっと美しくなろうよ』

 

「なにそれ……そもそも波長が合うってなに!? そんなの合ったつもりなんて全然ないんだけど!」

 

 そうだ、いつ、どこで、どうやって波長が合ったなんてこいつは知ったんだ。

 そもそも波長が合っているつもりなんて微塵もないけど!

 

『石、拾っただろう。青い石。あれ、僕が見つけたものなんだ。それを道に落として、誰かが拾うのを待っていた。けど、大抵の醜いセンスのない奴等は見向きもしないか見つけても道端の石ころとしか認識しない。けど君はそれを美しいと手に取り拾った。僕が美しいと感じたものを君も美しいと感じたんだ。これを波長が合ったと言わずしてなんて言う?』

 

 そんな……あの石がそんな……。

 じゃあ、あの石を捨てるとかすれば……もしかしたら!

 

『おっと、その石を捨てようだなんて考えるなよ。考えるまでならセーフだが行動に移したらアウトだ。君を醜い存在として始末するよ。そうして美しい僕に取り込まれ再び君は美しくなるんだ』

 

 イ、イカれてる……!

 化神なんて化け物にイカれてない奴がいるとは思えないけれど、その中でもこいつは特にイカれてる変態なんじゃないだろうか。

 化神のことは詳しくないけれど、薫だってきっとこいつを目の当たりにしたらそう思うに違いない。

 お願い、薫……助けて!

 

『君の友達は御伽装士だったか。見てよ、戦闘態勢に入った。周囲を警戒しているよ、ここに僕はいるのにね』

 

 愉快そうにバケガラスは笑う。

 なんとか、なんとかして薫と真姫さんに気付いてもらわないと!

 なにか……癪だけど、こいつと波長を合わせられれば!

 

『無理だよ。もう、この二人が僕と波長が合うことはない』

 

「え……どうして!?」

 

『さっきも言ったけど二人は戦闘態勢に入ったからだ。仮に君が彼女達の立場だったとして、そんな状態で美しいものを美しいと思えるかい?』

 

 それは、確かに緊迫した事態にそんな余裕なんて……。

 

『そう、余裕だよ。余裕こそ、美しいものを美しいと感じる心になる。君だって分かるだろう。余裕のない奴は醜いって。余裕のない奴はとにかく必死で、ひとつのことしか頭になくて、すぐキレる。余裕のない奴はこんなだから美しいものに気が付かない。世界にはこんなにも美しいものが広がっているというのに……。ああ、ここはいい場所だ。これまでいたどの場所よりも美しいもので広がっている』

 

「それには同意するけど……! 私を解放して! 人が一人消えるって大事なんだよ! あなたと美しいものについて語り合うことぐらいならいくらだってしてあげるから!」

 

『駄目だよそんな。この土地は美しいけど、人はやはり醜いから。そんなのにまみれてたら君も醜くなってしまう。だから、君を連れていくよ』

 

 バケガラスはゆらりと立ち上がる。そして、男の背中から翼が生えた。

 漆黒の翼が私を包むように迫る。  

 逃げ場はない。

 黒い、黒い闇が視界を覆い尽くし、私の意識もまた闇の中へと吸い込まれていった……。



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第三夜 合うか、合わないか 後編

 咲希が消えたことは化神の仕業に違いない。

 しかし、それ以上にこの夜舞薫/御伽装士マイヤがすぐ近くにいるというのに咲希は拐われたのだ。

 化神はすぐ近くにいるはず。いつどこから攻撃されても対応出来るように身構える。が、いつまで経っても攻撃される様子はなく、そもそも化神の気配を感じない。

 ここには、恐らくもう化神も咲希もいない……。

 

「そんな……私がいたのに……。すぐそばにいたのに……」

 

 守れなかった。

 すぐ近くにいたのに守れなかった。

 どうして、こんな……!

 

「薫様、諦めてはいけません。急げばまだ間に合うかもしれません」

「けど、そんな保証は……」

「……失礼します」

 

 ふわりと、暖かいものに包まれる。

 真姫が、私を抱きしめてくれていた。頭を撫でてくれていた。

 

「大丈夫です薫様。きっと加藤は助かります。だって、薫様が助けに行くんですから。絶体に助かります。私も全力を尽くして彼女を探します。だから、絶体に彼女を助け出しましょう」

「……ああ、ありがとう、真姫」

 

 波打っていた心が落ち着いてきた。

 凍えていた心に熱が灯った。

 これで────戦える。

 

「もう一度、整理します。咲希はここにバス停があると言いました。あるはずのないバス停。けれど、咲希があると言ったのなら、ここには本当にバス停があったのかもしれない。私達には見えないけれど」

「化神の幻術、ですか?」

「その可能性が高い。けれど、私達には見えなくて咲希には見えたということが謎になる。どうして咲希には見えて、私達には見えないのか……。そんな限定的に見える者を選別するにはまた別の術が必要になるはず」

 

 策を弄すれば弄するほど証拠が増える。

 隠しきれない証拠が。

 この私達の目を誤魔化すことなど不可能になってくる。

 条件を絞ろうと思えば思うほどにだ。

 もしくは何かの拍子に行った動作が引き金となり、それが見えるようになってしまったか……。

 いや、あの場面で咲希は何か特別な動きなどはしていなかった。

 条件を絞ろうとするならもっと特徴的で限定的な行いでなければならない。

 さっき、咲希がしたこと……。

 ここで、咲希がしたこと……。

 

「石……」

「石、ですか?」

「そう。さっきじゃない昨日の話だけど咲希はここで石を拾った。綺麗な、青い石……」

「その石に何か細工が?」

「いいえ、石そのものは普通の石だった。恐らく、その石を所持したという行動に意味がある……」

 

 仮定の域を出ない話だけれど……。

 それでも、試す価値はある。

 

「真姫、石を探して。青い石よ!」

「分かりました!」

 

 必死に探す。

 制服が汚れることなど気にしないで。

 時間はないのだ、早くしないと……!

 

 

 

 

 

 

 

『このバス停って、いいよねぇ。なんか、ノスタルジィって感じでさ。このバス停はもう廃線になって、誰にも使われなくなって忘れ去られたものなんだけど、美しいよね……。僕の止まり木に相応しいよ』

 

 目が覚めるとまだバス停にいた……と思ったら、目の前の景色が違う。

 木々が生い茂る森の中だし、なんならこのバス停、木の上にある。

 

「やっぱり鳥だから高いところに住むのね」

 

『うん。高いと遠いところまで見渡せるからね。美しいものを探すのに便利だし、そもそもここは景色が美しい。広がる山林、耳を悦ばす川のせせらぎ、躍動する獣の生命、昇る朝日も沈む夕陽も宵に輝く月も……』

 

 こうして聞くと、バケガラスにとっての美しいものとは自然だとかノスタルジーを感じるものだとか普遍的なものばかり。バケガラス風に言えば美的センスであるが人のそれとそう変わらない気がする。

 私は波長があったと言うが、普通の人なら誰だって波長が合うのではないだろうか?

 

『誰でも波長が合うなんて、そんなことはないよ』

 

 ……!

 さっきから、ずっとそうだ。

 こいつは私の考えていることを正確に読み取っている。

 心を読む能力でも持っているのだろうか?

 

『君と僕は波長が合ったんだ。波長が合った相手のことは全て読み取ることが出来る。仮に君がここから逃げ出したところでどこにいるかもすぐに分かるし、逃げ出そうという考えそのものも分かるから意味ないけどね』

 

 私の考えは全てあいつに……!

 どうしよう。

 いや、もう私自身にはどうしようもない。

 薫が助けに来てくれない限りはどうしようも……。

 

『さあ、そろそろ行こうか。夜の宝物探しに』

 

 逃げ出すことも出来ず、黒い翼に包まれて気が付いたらバケガラスの腕に抱かれていた。

 夕方と夜の狭間、紺色の空に羽ばたくバケガラスは金色の瞳で美しいものを探す。

 どことなく、顔には出ていないが楽しそうだ。

 しかし、突然その楽しそうな雰囲気が死んだ。落胆、呆れ、怒り、そんな感情がバケガラスから発せられている。

 

『おい貴様、化神ならば俺を手伝え!』

 

 目の前の大木に、大きな猿のような化神がいた。その化神はバケガラスに向かって何かを手伝えと言っているようで……。

 あれ?

 バケガラスの世界に入ってきている?

 

『いま、僕の世界からちょうど出たところなんだ。僕の世界に美しいものを移し変えようと思ったところでこれだ……』

 

 出鼻を挫かれたと舌打ちし、バケガラスは猿のような化神に返事をする。

 

『手伝えって、なにを』

『バケゲンブの封印を解くのだ! さすれば人を食らい放題よ!』

 

 バケゲンブ……?

 封印……?

 

『僕もこの地は新参だけど聞いたことがある。古の化神でこの地に封印されていると。こいつはその封印を解きたいらしいが冗談じゃない。そんなのの封印を解かれたら美しいものが失くなってしまう』 

 

 ここにそんなものが……。

 そういえば、夜舞神社に現れた化神が言っていた、ここに眠るものっていうのがバケゲンブ……!

 

『お、なんだ人の子を連れているのか。よかったら俺にも分けてくれ。腹が減って仕方ないんだ……!』

 

 化神が涎を拭う。

 どうしよう……食べられたりなんかしたら……。

 バケガラスは無言で猿の化神を見つめている。

 私をあいつと分けあう気なのだろうか……?

 

『おい、どうした? 返事ぐらいしたらどうなんだ。さっきも言ったが俺は腹が減ってるんだ。食わせろぉぉぉ!!!!!』

 

 猿の化神が吠え、木から私達に向かって跳躍してくる。

 こ、殺される!

 目を閉じる。

 どうにもならない現実から目を背けた。

 

『ぐがっ……あああ……!』

 

 なんだ、と目を開ける。

 目の前にはズタズタに引き裂かれた猿の化神。バケガラスが右手で首を掴みあげている。

 

『貴様、化神でありながら……!』

『君達と一緒にしないでもらいたいな……。醜い、君達と』

 

 背後からの風が髪を揺らした。

 それと同時に、猿の化神に黒い刃が突き刺さり猿の化神はこと切れ、消滅。

 同じ、化神を……。

 

『同じにしないでもらいたいな。あいつにも言ったけど、醜いんだよ。基本的に化神ってやつはさ』

 

「あなたも同じ化神でしょ……?」

 

『そうだよ。だから嫌なんだよ……僕は美しくありたいのに……。さ、邪魔する奴はいなくなった。美しいものを探しに行こう』

 

 羽ばたくバケガラスから羽根が舞い散る。

 夜を翔るこの化神の姿は、絵になるんじゃないだろうかと、そんなことを思わず考えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 暗くなった。

 暗くなってしまった。

 急げ、急げと急かしてももう間に合わないかもしれない。

 いや、きっと間に合わない。

 化神に襲われてこんなに時間が経って、咲希が生きている可能性はほぼゼロだ。

 それなら、咲希を奪った化神を滅す。

 絶体に、絶体に!

 だが想いと裏腹に石は見つからず、照明にしていたスマホの充電もわずかで……。

 完全に、逃してしまった……?

 いや、駄目だ。諦めるな。

 諦めては、いけない。

 石は見つけることが出来る。

 咲希だって生きている。

 

「絶体に……絶体に見つける……!」

 

 いま、私が持つ唯一の手がかりはあの石だけ。

 あるかも分からない石を探すことしか今の私には出来ない。

 

「ん? じゃじゃ! 夜舞のお嬢さんじゃないのぉ。どうしたのそんな汚れてぇ」

「……咲希のおばあちゃん」

「せっかくのべっぴんさんが台無しよ? どうしたの?」

「あ、いや……その……大切なものを落としてしまって……。青い石なんです」

 

 咄嗟にそんな嘘をついた。

 言えない。

 咲希が危険な目にあっていることは。

 

「ええそうなのぉ? 青くて、どんな石?」

「えっ……。その、青くて小石ぐらいの大きさで……」

「あんやまぁ。探すの大変だぁねぇ」

 

 そう言うとおばあちゃんは屈んで石を探し始めた。

 

「あ、あのお婆ちゃん? そんな、いいですから……」

「いいのいいの。咲希と仲良くしてもらってるから。……あ、これ?」

 

 おばあちゃんが見せてきたのは、咲希が持っていた石と同じような石……!

 

「これ、これです! ありがとうございます!」

「いいのいいの。綺麗な石だから落とさないように大事にしてくださいね」

「はい……ありがとうございます!」

 

 感謝を述べ、おばあちゃんを見送る。

 この石が、この石さえあれば……。

 

 

 

 

 

『違う違う。そうじゃない。石があれば僕の世界に入門出来るってわけじゃない』

 

 おばあちゃんが見つけた石を手に取り、周囲を見渡す薫を空から見下ろすバケガラスはそう言って嘲笑する。 

 薫の名を今すぐにでも叫びたいが、バケガラスの手が私の口を塞いでいる。

 

『あんな汚れて、美しくないね。あれじゃあ無理だ、僕の世界に入門出来るわけがない。君のように、美しくないとね』

 

 こんなに、近くにいるのに……。

 薫……薫……!

 

 

 

 

 

 

 どうして、見付からない。

 石は手に入れたというのに。まさか、この石は関係なかったというのか。それでは私/俺は無駄な時間を消費してしまったのか。

 

「ごめん……ごめん咲希……」 

 

『だって、薫が倒してくれるんでしょ? だから大丈夫だよ』

 

『薫は勝つよ。ヒーローでしょ? 正義は必ず勝つ!だよ!』

 

 こんなにも信じてくれた咲希を守ることも救うことも出来なかった。

 こんな私が、夜舞家を背負う?

 当代のマイヤだと?

 ふざけるな、ふざけるな。

 こんな、こんな……!

 

「咲希……咲希……!」

 

 未熟で、ごめん……。

 弱くて、ごめん……。

 君と共にいたかった。

 君の傍にいたかった。

 君が……欲しかった。

 

 その瞬間、世界が爆ぜた。

 バチン!という音と共に世界が()()()()()()

 そしてゾクゾクと感じる化神の気配は……!

 上空を見上げる。

 そこには、満月を背に浮かぶ黒翼の化神がいた。

 そして、化神に抱かれる咲希の姿も────!

 

『あいつ、どうやって……』

  

 呆気に取られている化神の手から抜けた咲希が精一杯叫んだ。

 

「薫ッ!!!」

「咲希! 今助ける!!!」

 

 ネックレスを掴み取り、咲希を助けるため変身する!

 

「オン・ビシャテン・テン・モウカ! 舞え、マイヤッ!!! 変身ッ!!!」

 

 身体が、変わる。紫色。

 力が漲る。

 ああ────生きていてくれた。

 

「退魔道具、風神の風袋!」

 

『ぬっ!?』

    

 化神に向けて放つは嵐。

 強風に見舞われた化神の手が緩み、咲希を手放す。

 それを見て即座に大地を蹴った。

 

「きゃあ!?」 

「咲希!」

 

 落下する咲希を空中で抱き止める。

 咲希の熱が腕に広がる。紛れもない、咲希だ。

 絶望しかけていた胸に希望が咲いた。

 ならば、ならば、もうこの希望を散らすようなことは……しない!

 

「薫、ごめん……」

「謝るのはこっちだ、咲希の近くにいたのに守れなかった……。けど、もうこんなことは起こさない。化神からも、どんな残酷からも守り抜いてみせる」

「薫……」

 

 離れていてと伝え、薫がこの場から遠ざかったのを見送り地に足をつけていた化神と向かい合う。

 

『どうやって、入門した。僕の、世界に』

 

「知らないな。それより、俺の大事なものに手を出したんだ。お前を倒すのに躊躇いなんてないからな」

 

『ああ、どうしてなんだ。僕の世界に土足で踏み入るなんて……! 君は許さないからな、僕の世界に踏み入ったことも、僕をこの姿にさせたことも……!』

 

 男の姿が変わる。

 色男から漆黒の化神の姿へと。

 バケガラス、だろうか。

 漆黒の翼、頭部はカラスの横顔を模していて嘴が風に靡いた髪のよう。金色の瞳が夜の闇の中において燦々と煌めいていた。

 今まで遭遇した化神の中で最も、美しいと感じた。

 だが、化神は化神。どれだけ美しかろうと滅すべき邪である。

 

「いくぞ、化神」

 

『来い、御伽装士』

 

 言葉を合図に、駆け出す。

 バケガラスは両翼から一枚ずつ羽根をむしると羽根はすらりと丈を伸ばし黒き刃と化した。あの双刃が奴の得物。

 奴の間合に入るのは危険だと接近は一時中断し後方へと飛び退いた。ふわりと宙に舞い、風神の風袋から風を放つ。今度の風は攻撃の風。手加減などない!

 

『ハアッ!』

 

 しかし、風は化神により両断される。並の化神には、出来ない芸当……!

 

『僕をそこらの化神と同じにしてもらっては困るな。100年は生きてるんだ、御伽装士と戦ったことぐらい……ある!』

 

 バケガラスが羽ばたく。

 一瞬で目の前まで接近し、双刃が振るわれる。黒い身体が闇に溶け、目の前に現れるまで近付かれたことが分からなかった。

 それでも即座に風袋から八咫烏の羽へと切り替え、刃を受け止める。だが、こちらはクナイで向こうは刀。この体勢は不利だ────!

 

『戦ったこともあり、全員始末した。例外はない。お前も同じだ。このバケガラスに骸を晒せッ!』

 

「ッ! 誰がッ!」

 

 お前などに殺されてたまるか、お前が俺に滅せられるのだ。

 鍔競り合うクナイを黒刃に滑らせ、身を屈めると同時にバケガラスの足を払う。

 

「すっ転んだなカラス野郎ッ!」

 

 背中から崩れるバケガラスにここぞと追撃を加えようと迫る。このクナイを突き刺してやろうと。

 だが……。

 

「駄目、薫! 近付いたら駄目!」

 

 咲希の叫びに気付く。それで、踏み込みが甘くなった。

 それが、結果的に良かった。

 広げられた翼から放たれる無数の黒い羽根。これらは全て刃となっており、咲希が教えてくれなければ全身に突き刺さっていただろう。当たりそうなものはクナイで弾き、手甲で防御したが一本だけ、脇腹に刺さった。傷は浅い。戦闘は続行可能だ。

 

『救われたね、彼女に』

 

「はっ……もう既に救われてるんだよ、俺は……」

 

 まだこちらは余裕綽々だけど?といった様子のバケガラスが憎たらしい。

 確かに、確かにこいつは強い。 

 だが、それでも滅しなければならない。こいつが殺したという先達の悔いも晴らさねばならないし、やはり咲希を拐ったことがなによりも許せない。

 

『君は強い。僕が殺した御伽装士達よりも強い。他の奴等はさっきので大体仕留めることが出来たからね』

 

 バケガラスはだらりと刃を下ろしそう語る。

 なにを悠長に────斬りかかる。その口は閉じさせてやる。

 だが、当たらない。

 読まれている、攻撃を。

 

『僕の世界に入ってこれたということは君も少しは僕と波長があったということ。波長があったならば、君の考えは手に取るように分かる』

 

 考えが読まれる……だと。

 そんなこと知ったことかと攻撃を畳み掛ける。

 だが、それらも読まれ避けられ、反撃に蹴り飛ばされる。

 

『あの子がいたから君は助かった、あの子がいるから君は強い。だからこそ下手は打たないし抜かりもしないし驕ることもない。故に……』

 

 顔を手で覆うバケガラス。あぁ……と声を漏らしながらゆらりと視線を落とすが居合のような鋭さで俺を睨み付けた。指の隙間から覗く右目が金色の輝きを放つ。

 しまった、そう思った時にはもう遅い。

 黒い瘴気が溢れ出て、吹き飛ばす。地面を転がるが即座に起き上がり、クナイを構えるがその時にはもう空は赤黒く変色していた。

 

「なに、これ……」

 

 咲希が空を見上げ呟いている。

 暗天。

 それは、化神が持つ異界を作り上げる能力である。

 空は血に染まり、大地は穢れで満ちる。

 穢れで満ちた世界において、化神は更なる力を得るので御伽装士の戦いのセオリーはまず暗天を使わせないことにある。

 だが、強い化神ほど暗天の使いどころ、発現すべき時を理解している。そして強い化神が暗天を発現させたならば、対峙する御伽装士に残された道は良くて再起不能の重症、悪くて死。勝率は限りなく低下する。 

 

『さっき、この姿にさせたことを怒ったが暗天を使わせたことも僕を怒らせる。こんな、穢れに満ちた美しいものがない世界……一刻たりとも使いたくはないのだからッ!』

 

 怒声が届くと同時に、バケガラスの姿が目の前にあった。

 馬鹿な、なんて、速さ……!

 

『死ねぇッ!』

 

 双刃が振り下ろされる。

 回避出来ない、防御する!

 クナイで刃を受け止めようと構えるがクナイごと切り裂かれ、身体からバツ字の火花が散った。

 

「ガアッ!?」

「薫ッ!!!」

 

 ……咲希の声のおかげで意識を踏み止ませることが出来た。バケガラスは既にトドメの二撃目を打ち込もうとしている。

 

『もらった!』

 

「チィッ!!!」

 

 バケガラスの双刃はマイヤを横一閃。だが、斬った手応えがないことに疑問を浮かべる。

 そう、今斬ったのは蝶が作り出した幻影なのだから。

 

「俺はここだ!」

 

 上空から声をかけ、赤い空に舞う。

 このまま頭上を取る!

 

『蝶が鳥に空で勝てるとでも?』

 

 バケガラスも飛翔する。

 空中戦の軍配は悔しいがバケガラスに上がった。

 速さも空中での動きも全てが俺を凌駕している。

 蹴落とされ、地を舐めた。

 ああ、くそ……。

 

「薫……薫っ!」

 

 ……よし。 

 まだ、いける。

 立ち上がれ、守るべきものが、そこにある。

 

『よく、立ち上がる』

 

「守るべきものがあるからな……!」

 

『……なるほど、彼女を殺せばお前も折れるというわけか』

 

「そんなことさせるか!」 

 

『ああ、しない。美しいものをこの手で壊すことは、しない。約束しよう』

 

 その言葉は信じられた。

 奴の美学に則ったその言葉は。

 そして奴の考えていることはこうだろう。

 

『俺を殺して、咲希を自分のものにする』

 

 ああ、くそ。

 こんなにムカつくなんて思わなかった。

 咲希をこんな奴に渡してやるもんか。

 だから俺はこう考えるぞ、バケガラス。しっかり読み取れよ。

 咲希を守る。

 お前を滅して、咲希を連れ帰る。

 

「お前みたいな奴のところにいていい奴じゃないんだあいつは……!」

 

『ふん……死に体の奴がなにを吼えている!』

 

 バケガラスが戦いを終わらせるため、俺を殺すために再び加速。

 俺の目の前に現れた時、すかさず俺の拳が放たれていた。

 

『ギギッ!? な、なにィ!?』

 

「ようやく、一発ぶち当てた……」

 

『馬鹿な、読めなかった、のか? いや、もともとそんなに波長が合っていなかったやつだ仕方な……!?』

 

 続いて、バケガラスに飛び膝蹴り。吹き飛ぶ奴への追撃は蹴りのラッシュ。

 そして殴打の嵐。

 これまでの分を仕返しするように、バケガラスに拳が叩き込まれていく。

 

『何故、読めない……』

 

「波長が合ってるってんなら、合ってる者同士俺も読めると思って読んでみただけだぜ。結果はこの通りだ。……それに、読めるはずだぜ、俺の思考。読んでみな」

 

『────これ、は。お前、なんて気持ち悪い』

 

 考えることは咲希を守り抜くことのみ。

 咲希……咲希……!

 

「お前に言われたくはない……ね!」

 

 渾身の右ストレートがバケガラスの顔面を打ち抜いた。

 互いにこれでダメージはイーブンか?

 

『はあ……はあ……まったく、醜いよ。こんなに必死になって傷だらけになって……』  

 

 まだ、こんなことを言える余裕はあるらしい。

 そのタフさには純粋に驚嘆した。

 なので、こちらも負けられない。

 

「自虐か?」

 

『お前や、御伽装士共に向けて言った。まあ、半分は自分にだが……』

 

「そうか……じゃあ、醜い者同士決着をつけようぜ」

 

 まあこんなボロボロな姿は醜いだろう。こいつだけじゃなくご先祖様だってきっとそう思って……。

 

「────薫は醜くなんてない!」

 

 否定した。

 否定された。

 咲希がバケガラスの言を、俺の考えを否定した。

 

「薫は必死に頑張ってみんなを守ろうとしてる! どれだけ自分が傷ついたって立ち上がるんだよ! 醜くなんてない! 必死に頑張ってる薫はカッコいいんだから! 必死に頑張ってる人を醜いなんて……なんにも分かってないよこのボケガラス!!!」

 

 ────ああ、本当にあいつは……。

 

「だ、そうだ。どうやら俺は醜くないらしい」

 

『……関係ないね。さあ、決着をつけよう。お互い、最大最高の技で』

 

 バケガラスは双剣を構える。その刃に強大な力を纏わせて。

 俺は右足を半歩、前へと出し地面を踏みしめる。

 右足に力を集めていくと足下から無数の蝶が現れ、俺とバケガラスを包んでいく。

 

『……ァァ……』

 

 互いに最大出力。

 技を相手より早く放ち、命中させたものだけが生き残ることが出来る。

 バケガラスの斬か、俺の蹴りか。

 集中力が高まっていく。

 集中の極限に達した時、技は放たれる。

 

 

 

 

 ──────今だ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界に、月の優しい光が取り戻される。

 青い夜が、再生される。

 無数なる蝶達は未だ、マイヤとバケガラスを包んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な……!?」

 

 蹴りが、バケガラスの胸を穿っていた。

 戦いには勝った。

 だが……。

 

「バケガラス、お前どうして……」

 

 技が放たれる瞬間は同時であった。だが、バケガラスは技を繰り出すのを途中で辞め、己が刃を投げ捨て胸を差し出したのだ。

 

『はは……どうしてだろうね……こんな醜いまま果てたくなんてないのに……』

 

 こいつ、は……。

 この化神は……。

 

『どうしても、嫌だったんだ……穢れから生まれた化神という存在であることが……。おかしい、だろう……? 化神なのに……』

 

「……ああ、おかしい。お前は、変な化神だ」

 

『ああ、おかしい……。だから、美しいものを欲した。穢れである化神だという事実をその輝きで打ち消したくて……。そして、なんだろう……。美しい人に看取られて逝けるなら……いいかなって……』

 

 ああ、分かった。

 こいつは、俺/私と同じなんだ。

 だから、こんなにも……。

 

『最後に、ひとつ聞かせておくれ……。どうして、僕の世界に入ってこれたんだい……? 本当の、ことを……教えて……』

 

 本当のこと……。

 なんだ、こいつはまだ気付いていなかったのか。

 俺はもう気が付いていたというのに。

 

「いいぜ、教えてやる。……お前は、あいつを美しいと思った。俺も、あいつを美しいと思ってる。それだけだ」

 

『……ああ、やっぱりか。認めたくは、なかったけど……君と、僕は……。もう、いいよ……逝かせてくれ────』

 

「……退魔覆滅技法 千蝶、一蹴」

 

 周囲の蝶達が舞い上がる。

 爆炎と共に。

 黒い羽根と共に。

 バケガラスの魂を運ぶように、蝶達は月へと向かって飛んでいく。

 そうだな、月ならば安らかに、誰に邪魔されることなく眠れるだろう────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、次の瞬間には見慣れた天井を見上げていた。

 

「あら……?」

 

 どうして?と身体を起こそうとすると、全身に痛みが駆け巡った。

 

「痛……」

 

 痛みと涙を堪えていると真姫が来てくれて処置やその後のことを教えてくれた。

 行方不明になっていた方は山で見つからず、バケガラスに食われてしまったのだろうという報告が。

 守れなかった人がいた事実が胸に刺さる。

 この傷が癒えたら、お線香を上げに行かなければ。謝罪と誓いを。

 これ以上、犠牲者を出さないように努力すると。

 とかく、二日間は布団から起き上がることが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 身体を動かせるようになり休んでいた学校へ復帰。

 道中、咲希と出会い、いつものように出迎えてくれたことが無性に嬉しかった。

 他愛ない会話をしながら歩くが、どれも本当に咲希が話したいことではないようで、聞き出した方がいいのか何も聞かない方がいいのか悩んでいると、咲希の方から切り出してくれた。

 

「あのさ、私ずっとあの……バケガラスのこと考えててさ」

「はい……」

「あいつ、人間になりたかったのかなってなんか考えちゃってさ」

 

 ……咲希。

 バケガラスは、化神に生まれた自分を呪っていた。

 人に、なりたかったのだろうか。

 

「あいつの美しいの基準ってさ、すっごい普通のものなんだよ。普通に、共感出来ちゃうんだよ。だからさ、あいつも人間だったら幸せだったのかなって」

「私は御伽装士。化神を滅する者として、化神に対して共感などすることは、そもそもありえません。ですが……バケガラスは、そうですね。私もそう思います。それに……彼と私は同じだから……」

 

 そう、彼と私は同じ。

 化神でありながら化神であることを呪ったバケガラス。

 男でありながら女として振る舞わなければならない私。

 お互い、矛盾に惑わされている。

 そして、咲希を求めた。

 似た者同士、ぶつかりあったというわけだ。あの戦いは化神を滅する使命とは関係のないところにあって、この事をお婆様に知られたらなんと言われるだろうか。

 

 このあと、二人無言で歩いた。

 そうして先日バケガラスと戦った場所に……。

 

「あの、咲希? どうして、カニ歩きなのですか?」

「そ、その気にしないで!」

 

 私を向いてカニ歩きする咲希が怪しくて仕方ない。何か、隠しているかのようだ。

 

「咲希、何を隠してるのです?」

「か、隠してるものなんてないよー!」

 

 絶対に、なにかを隠している。

 咲希を振り切り、背後へ回るとそこには……。

 そこは、雑草が生い茂っていた場所であったが草が苅られ、綺麗な丸い石が置かれて花が供えられていた。

 これはもう、お墓としか言い様がない。

 誰の墓なのか、すぐにピンと来た。

 

「さ~き~?」

「ごごごめんって! やっぱり怒るよね! 怒るよね!」

 

 ごめんなさいと何回繰り返されたか分からない。

 まずは何故こんなことをしたのか事情聴取だ。

 

「あいつが倒されたあとふわ~ってあいつの羽根が落ちてきて捨てるに捨てれなくて~……えへへ」

「まったく……」 

 

 もう、どうしてこの子はこう優しいのか。

 化神の墓を建てたなんて話は聞いたことない。

 何が起こるのかも分からないし、蘇りでもしたら大変だ。

 まあ……。

 

「多分、大丈夫でしょう……」

「ねえ薫」

「なんですか?」

「バケガラスさ、次は人間になれるといいね」

 

 ……思わず、深くため息をついてしまった。

 

「ごめん! ごめんって! だからそんなため息つかないでよ~!」

「呆れはとってもとってもと~ってもしましたが、いいです。家には黙っててあげます。遅刻してしまうから、行きましょ」

「あ、待ってよ薫~!」 

 

 バケガラス、私はお前に嫉妬する。

 こんな風に弔ってもらえたのだから。

 けど、お前も私に嫉妬しているんでしょう。

 私はこれからも咲希と共にいられる。

 だから、そこで見ていなさい。

 世界で一番幸せな化神であるお前が羨むほどの幸せを毎朝見せ付けてやる。



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幕間 あんもーじーこ

 私の家は民宿を営んでいる。

 家族構成はお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、私、弟、東京で一人暮らし中の大学生の兄。

 私の日常は昼は学校で勉強はそこそこに友達と遊んでばかり。帰ったら遊んだり民宿のお手伝い。そして……。

 

「退魔覆滅技法 千蝶一蹴」

 

 ドカーンと爆発が起き、川の水が飛び上がる。そして、一瞬の雨になって降ってきた。

 今日も今日とて薫の活躍で化神は倒され一件落着。

 岸に上がってきた薫はマイヤの姿から人の姿へ。人の姿へというとなんだか変な気もするけどとにかく人の姿に戻ったのだ。

 夜舞薫。

 私の友達以上恋人未満的なそれぐらい仲良しで好きな人。

 暗めの赤い髪と目は染めてるわけでもカラコンを入れているわけでもない天然物の赤い瞳。

 髪は艶々だし目も大きいし絶世の美少女。だが男だ。

 今も、向けられた人は恋に落ちてしまうこと間違いなしな笑顔を私に向けている。

 あ~美少女!

 と、思っていたのだが。

 豹変した。

 

「おい咲希お前はなんだってこんなに化神遭遇率高いんだ。普通、化神と出会すってのは通り魔殺人に合うぐらいの確率なんだぞ、ええ! ここは確かに化神が出ることが他よりも多い土地とは言えだ! なにをどうしたら一週間の半分を化神に襲われるなんてことになるんだ!?」

 

 滅茶苦茶怒られた。

 ひどい。

 私はなんにも悪くないのに。

 被害者なのに。

 

「私を怒らないでよ。悪いのは化神なんだから」

「そりゃ、そうだけど……。怒ってるのはその、心配、だから……つい……」

 

 頬を赤く染め、そっぽを向いた薫がそう弁解するが、へえ、私のことが心配。ふへへ。

 

「へえ~心配なんだ、私のことが。へえ~~~」

「な、なんだよ!」

「私のことが心配なら、ずっと私の傍にいていいんだよ」

「────」

 

 固まった。

 薫は驚くと固まるのだ。

 そして数秒後に動き出す。

 

「な、な、なにを言って!」

「なにって、本心だけど」

「────」

 

 また固まった。

 かわいい。

 

「ば、ばーかばーか! 知らないからな!」

 

 あ、行っちゃった。

 流石に攻め過ぎたか。

 

「ごめんって薫~。一緒に帰ろうよ~私この辺りの道分からないからさ~!」

 

 私、加藤咲希は彼女であり彼、夜舞薫に恋をしている。

 ぶっちゃけ交際秒読み。なんなら既に付き合っているんじゃないかってぐらい一緒にいる。

 クラスメイト達は私に向かって「東京もんに夜舞さんを盗られた」と言う。

 しかしまだ友達以上恋人未満な関係が続いている。

 私から告白するのはなんてことないんだけれど、私は薫から告白されたい。

 好きな人から好きだと言われたい、求められたい。

 だから私からは言わない。

 もう私の気持ちはたくさん伝えているしこれからも隙あらば伝えるし、だから伝えてこい薫。私の準備はいつでも出来てるぞ。ついでに言っておくと好きだと言われたって、私は薫みたいに固まりはしないんだから。

 

 

 

 

 ただいま~と帰ると、いつものように啓太がお母さんから叱られている。

 今度はなにしたんだ?と思いながら母の怒鳴り声に聞き耳を立てながら居間に行くとおばあちゃんがテレビを見ていた。

 

「おかえり咲希ちゃん」

「ただいま。啓太、今度はなにやったの?」 

「病院の隣に古い病院だった建物あるでしょ、あそこの窓ガラスを野球してて割ったんだって。廃墟だからいいだろうって黙ってて怒られてるんだよ」

 

 古い病院だった建物。

 ああ、あの廃墟の。

 あそこの目の前は確かに数人で野球ごっこするならちょうど良さそうな広さだった。

 まあ、廃墟だから確かに割っても特に問題ないかもしれないけど……。なにがあるか分からないので報告は大事だな。

 うん。

 報連相は大事。

 いやーけど私も小さい時なら同じことやってそうだな~と考えていたらおじいちゃんが居間にやって来た。

 また怒られてんなぁと笑いながらテレビの前に座るとチャンネルを相撲に変えた。あ、見てたのに。

 

「あんな怒られてばっかだと、()()()()()()()が来るぞ」

 

 ……はい?

 

「おじいちゃん、今なんて?」

「なにぃ?」

「その、いまおじいちゃんが言ったえっと、お芋のジーコみたいなやつ」

「あんもーじーこ?」

「それ! なに、あんもーじーこって!」

 

 そう訊ねるとおじいちゃんはおばあちゃんと顔を見合わせた。

 テレビから宮司さんの声が響いている。

 

「あんもーじーこはあんもーじーこだがすか」

 

 ちょっと時間取ったわりにはそれかい!

 

「だからあんもーじーこはなんなの!」

「あんもーじーこはあんもーじーこだ」

 

 余計に分からない。

 脳内であんもーじーこがゲシュタルト崩壊を起こしてきている。

 あんもーじーこって、本当に……なに?

 

 

 

 

 夕飯の時間。

 家族みんな揃っていたので、まずはここ出身のお父さんにあんもーじーこのことを聞いた。

 

「あー、懐かしいなあんもーじーこ」

 

 やっぱり知ってた!

 これで解決!

 

「え、なにお父さんあんもーじーこって」

 

 お母さんも私と同じあんもーじーこ知らない仲間。

 さあ、一緒に奥深い方言の世界を堪能しようではないか。

 

「あんもーじーこは……あんもーじーこだよ」

 

 え。

 お父さんまでそれ!?

 

「あんもーじーこ……うーん、あんもーじーこはあんもーじーこだな」

「あんもーじーこはあんもーじーこだ」

 

 お父さんもおじいちゃんも同じことしか言わない。

 本当に、あんもーじーこってなんなんだ。

 引っ越してきてからいろんな方言と出会してきたけど今回のこれ、あんもーじーこは本当に謎過ぎる。

 あんもーじーこって、本当になに……?

 

 夕食後、薫に聞こうと思ったのだけれど薫は夜忙しいので(鍛練とか化神退治とかで)連絡しても朝に返信という感じだからだったら明日、薫の家に遊びに行った時にでも聞こうとその日は布団に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あくびを噛み殺しながら山道を歩く。

 山道と言っても石階段があるので歩くのは容易いが。ここは夜舞家の所有する山で屋敷の裏にあるから単純に裏山と呼ばれている。この裏山には家が作った修練場があり、俺はそこで鍛練を積んできた。東北の御伽装士達もたまに利用しにくることもあるぐらいには広く、厳しい修練場なのだ。

 そんな裏山への道を歩いている理由は修練に行くためではなく我が家の慣習のせい。

 山の神様のお参りをするのだ。

 朝、お供え物をあげて拝むだけ。

 それをマイヤを受け継いでから毎朝、基本的には俺が行うことになっている。夜舞家当主である俺が。

 これは当主の仕事なのだ。もうかれこれ三年以上はやっている。

 

「真姫、別についてこなくていいんだぞ」

 

 普段は一人で行っている仕事だが、ここ一週間は真姫が同行していた。朝は真姫もいろいろと忙しいので同行しなくていいということにしていたのだが。

 

「いいえ薫様。そのお怪我がしっかり完治するまでは同行させてもらいます」

「別に大した怪我じゃ……」

「強がりはいけません。薫様、私の前では強がらなくていいんです」

 

 むう。

 真姫は俺にとって姉のような存在であり真姫もそれを自認している。

 数少ない『俺』を出せる人。

 そんなだから真姫には弱いのだ。

 

「今日も掃除、お供えは私がやりますので」

「……任せた」

「はい、薫様」

 

 任せた以上はもうなにも言わない。

 あとは拝めば俺の仕事は完了だ。

 

 

 

 

 祠に新しい水と米が数粒供えられる。

 不思議なことに昨日のものはいつも綺麗になくなっているのだ。鳥や獣が食べたにしては綺麗すぎる。痕跡もないし器もずれたりしていないのだ。

 なのでここには本当に神様がいる。

 私達が帰ったあとに現れて米を食べ、水を飲むのだろう。

 真姫が全てやってくれたので、最後に夜舞家当主である私が拝む。

 夜舞家の当主は女であると決まっているので、今は『私』として振る舞う。

 拝む時は一般的な二礼二拍手一礼。

 決まって何かお願いごとをするように私はしている。

 ここのところはずっと、この地の平穏を祈っているので今日も変わらず……。

 ……むむ。

 うーむ。

 ……よし、決めた。

 

「……薫様?」

 

 真姫が私の様子に気付いたようだ。

 ちょっと、個人的な願いをお祈りしてしまったのだけれどたまにはいいだろう。

 

「……行きましょう真姫。神様のお食事を邪魔しては駄目です」

 

 立ち去ろうとした瞬間だった。

 木々の向こう側から強烈な気を感じた。風が吹き始め、空気は張りつめる。

 化神ではない。

 化神なんて邪なものではないがこれは……。

 ドシン、ドシンと大きな音が近付いてくる。

 そして、それは現れた。

 私は、あまりのことに固まってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝食を食べて薫の家へ行く準備をする。

 着替えて、持ってくものを……。

 ふと、風が頬を撫でた。

 窓は開けてないし、なんだろうと思って振り向くとそこには……。

 

『『あんも~~~~!!!!!!』』

「きゃあぁぁぁぁぁぁ!?!?!?」

 

 な、な、なんだこいつらは!?

 どこから入ってきたの!?

 

「あ、あんた達なに!? もしかして化神!?」

 

 いや、絶対にそうだろう。

 簑で全身を覆い、手には鉈を持っていてなによりこれだ。

 顔がめちゃくちゃ怖い。

 鬼の形相とはこのことだ。

 てか角生えてるし!

 鬼だ鬼!

 化神だからバケオニ!

 

『ぬぁんだ娘っこ! おらたつを化神扱いが!?』

『あんなんと一緒にするでねぇ!!!』

 

 あ、コミュニケーションは取れる!

 化神と一緒にするんじゃないと言っているようだけど……。

 

「じゃあ化神じゃなきゃなんなのさ!」

 

『おらたつは山の神だ』

 

「自分で言う? 神って」

 

『んだどもそうだからそう言うしかねえんだ』

『んだ。神様って言われてっからよぉ、おらたつは神。そういうこと』

 

 いやいやそう言われましても……。

 こんな神様がどこに……いや待て。前にお兄ちゃんの本で読んだことあるけどナマハゲも神様らしい。

 そしてこいつらはナマハゲに似ている。

 もしかして?

 

「あなた達ってナマハゲ?」

 

『ナマハゲさんとはおともだつだぁ』

 

 おともだつ。

 お友達か。

 こっちの訛りは『いの段』が『うの段』に変わるのだ。

 『箸』も『はす』って言うし他にもいろいろ。

 

「ともかく、神様が何の用? 私、これから遊びに行くんだけど」

 

『最近の娘っこはおらたつ見ても泣きもしなえんだな』

『ええ時代になっだな』

『これがモテ期ってやつかもしんねぇ』

『んだぁ!』(歓喜)

 

 神様がモテ期とか言うな!

 それより用件、用件だ。

 

『まあ落ち着けぇ』

『んだんだ。くつろいでけぇ』

 

「いやここ私の家!」

 

 なんなんだこの神様は。

 本当に神様なのだろうか。

 なんか親しみやすいぞ。

 

『ほら、そうこうしてだらやってきたぞ』

 

 やってきた?

 誰が?

 そう思うと同時に扉が開いた。

 薫だ。

 

「あ、薫! なんか神様が遊びに来た!」

「おはよう咲希……よかった、失礼は働いてないみたいで……」

 

『いんや結構失礼だったよな?』

『んだ』

 

「咲希?」

「いやいや! 普通いきなり部屋に入られたら誰だってそうなるって! それより早く用件を言ってよ! 何しに来たの!」

 

 薫まで来た今、本当はやっぱりこいつら化神だった!とかもあるかもしれない。

 いやけど薫も失礼をしてないかと聞いてきたので本当に神様……?

 

『用件はただひとつ』

『そこの坊の願いを叶えにやっできた』

 

 そこの坊。

 え、薫の願いを叶えに?

 

「あの、山神様。その、そのことはいいですから……」

 

『んだ坊! 久々に違う願いごどすでだがらでばってきだんだぞ』

『それにだ、惚れた女のためになぁ? おら泣げてきただ。感動じだぞぉぉぉ!!!!!』

 

 !?

 

「や、山神様そんな言わないでください!!!」

 

 なになに!?

 なにを願ったの薫!?

 ちょっ、えー、まじ?

 神様頼みはちょっと減点だぞ。

 許すけど。

 

「ねえねえ薫はなんて願ったの!? 神様教えてくださいませ!」

 

『坊はなあ、おめさんが化神と当たりやすいがらって厄除けしでぐれっでだ』

 

 ……え?

 厄除け?

 

『あっはっはっ! いづもおなずお願いばっかだったからよぉ、飽きてたんだぞぉ?』

『んだ、たまには違うのもねえどなぁ?』

 

「それにしたってはりきりすぎです!」

 

 こんな薫は珍しい。

 誰かに振り回されてる薫。 

 いつも私が振り回しているから、こうして誰かに振り回されてるところを見ると新鮮だ。

 薫がかわいい。

 けど少しだけもやっともしたり。

 

「ともかく! 咲希、この方達がいらっしゃった場合の作法を知らないでしょうから私に倣って」 

「う、うん」

「よし……それじゃあ、真姫!」

「はい、ただいま」

 

 すたっと、天井裏から現れた真姫さん。

 ちょっと待ってずっとスタンバってたの?

 てか今日、私の部屋侵入されすぎじゃない?

 そしてその両手に持ってる膳はなに?

 

「ようこそおいでくださいました。ささ、どうぞ」

 

『おお、かたじけねぇ』

 

 真姫さんと薫が神様に御酌をする。

 そして神様は膳に供えられた料理を平らげた。

 早い。

 

『最近はどうだ、化神が出てくんのが多いんでねえか?』

 

「そうですね……。やはり、蝶祭りが近いのか化神の出現が多いように思います」

 

『んだかや。んで、そこの娘っこがよぐ化神に会うんだな?』

 

「そうなんです。今週だけでも三体の化神と出会して……」

 

『それは多いなぁ。だけどももう大丈夫だ、おらたつが来たがら厄は祓ってやっだからな』

 

 え、来ただけで厄が祓われたの?

 すご。

 デリバリー厄払いじゃん。

 

『けどよ、坊。なによりおめさんが頑張らないといげねぇがらな?』

『んだんだ。これがらも励めよ』

 

「はい。しっかり務めを果たします」

 

『おう。んでは、おらたつは帰る』

『今度は夫婦になっどき呼んでけで』

 

「はい……はい? な、なにを仰ってらっしゃるんですか!?」

 

 威勢のいい笑い声が次第に遠くなっていき、いつの間にか神様は姿を消していた。現れる時は嵐のように現れて、消える時はこんなに静かだなんて、なんか意外。

 

「……ふう、まさかこんなことになるなんて……」

「お疲れ様です薫様」

 

 薫は珍しく疲れた顔をしている。

 全力で走ってきたようだし、それであんなに振り回されてたら無理もないだろう。

 それにしても……。

 

「へ~私のこと心配してくれたんだ薫~」

「当然だ。薫様はお前を好いているからな」

「やめて真姫……本当にやめて……」

 

 両手で顔を覆う薫であるが耳が真っ赤なのがちらりと見えた。神様からも色々言われちゃったもんね~。照れる薫も可愛いね~。

 流石にこれ以上照れさせるのもあれなので話題を切り換えてあげよう。

 

「ねえ、さっきの人達って本当に神様なの?」

 

 そう聞くと顔を隠していた両手を離して薫が質問に答えてくれた。顔にまだ残った赤みが可愛らしい。

 

「はい……。あの方々は神様、こっちの言葉で言うとあんもーじーこのひとつになります」

「え!? あんもーじーこの正体なの!?」

 

 まさか昨日からの疑問の答えが向こうからやって来るとは夢にも思わなかった。

 薫の方も私があんもーじーこを知っていることに驚いていたので昨日のことを話す。

 

「なるほど……。そうですね、おじいさんの世代でしたらあんもーじーこのことを聞かされていてもおかしくありませんね。あんもーじーことは神様……というよりはお化けといった意味合いの方が近いです。子供が怖がるような、お化け。なので小さい子の躾によく使われるのです」

 

 なるほど。

 確かにさっきの神様は子供受けは悪そうだ。

 

「あんもーじーこのひとつって言ってたけど、他にもいるの?」

「そうですね、私が会ったことがあるのは山神様達だけですが、他にもいらっしゃるようです。そういった方々をまとめてあんもーじーこと言いますね」

 

 へ~。

 まさか、神様に会うことになるなんて思ってもみなかった。

 化神と出会わなくなるように厄除けもしてもらったみたいだし、なんか身体が軽くなった気がする。今ならなんでも出来そうだ。

 

「よーし薫! あんもーじーこ巡りしよ!」

「そんなパワースポット巡りみたいなノリで言わないでください。神様もいますがお化けだってあんもーじーこなんですから」

「じゃあパワースポット巡り! 薫ならいいとこ知ってるでしょ!」

 

 パワースポット巡りという言葉から既にパワーをもらっているような気がするがこの際あやかれるものにはあやかりたい。

 化神とは会いたくないし。

 渋る薫を引っ張り早速おでかけ! ……しようとしたのだが。

 ぱたぱたとお母さんが廊下を小走りする音がした。

 ノックもなしに扉を開けると同時にお母さんの口も開いた。

 

「咲希、急に団体のお客さん入ったから手伝ってちょうだい」

「ええー!? 今から薫と遊びに行くとこだったのにー!」

「とにかく人手が足りないのよ。薫ちゃんもごめんなさいねぇ」

 

 まさか家みたいな民宿に急遽団体の客が入るだなんて一体なにが起きたのやら。

 儲かるのはいいことだけど薫と遊べなくなるなんて……。

 ちらりと薫に目線をやると、なにやら薫は楽しそうに微笑んでいた。

 

「お母様、私もお手伝いさせていただいてもよろしいでしょうか?」

 

 薫の言葉にお母さん共々驚いた。

 

「あるばいと、というものに興味がありまして。お給金は、結構ですので。お手伝いさせてください」

「人手が足りないからお手伝いしてもらえるなら嬉しいけど……」

 

 急にこんなことを言われてお母さんも戸惑っている。

 夜舞さんの娘さんをうちなんかで働かせていいのかと悩んでいるようだった。

 

「他ならぬ薫が手伝いたいって言ってるんだからいいじゃん。私も薫がいるなら素直に働くし」

「うーん……じゃ、お願いしようかしら。看板娘が出来たということで」

「そうそう、看板娘看板娘……。って、私は看板娘じゃないの!?」

 

 そもそも薫は男だから娘じゃないし!

 とは言えず、今日は薫に看板娘の座を譲ろう。

 

「……これも、山神様からいただいたご利益。大切にしていきましょう」

「そっか、これも神様のおかげなんだ。じゃあ、しっかり働こ」

 

 神様からのお恵みはしっかり受け取らなければ罰当たりだ。

 

 余談であるが、この後しばらくはこのご利益は続いてお客さんが途切れることはなかった。

 おかげでなかなか忙しい毎日を送ることになったけれど、閑古鳥が鳴いてお金がないと泣くよりは断然マシ。

 そして私も、薫と共に山神様を御参りするようになったのだった。



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第四夜 流れる血の宿命

 闇の中、人を食らう。

 御伽装士達は別の化神の相手で手一杯のようで、俺には気付いていない。

 ようやく、ようやくだ。

 

『久しぶりの身体だ』

 

 化神は肉を得て、渦から再び現世へと舞い戻ってきた。

 再び悪行に勤しむ前にまずはと、化神は狙いを定める。

 かつて自身を葬った、御伽装士マイヤに────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、これが夢だということに気付いてしまったのはいただけない。

 

 ここは、茜色の夕焼けが眩しい屋敷の庭。

 目の前には、一人しくしくと泣いている幼い私。

 幼い私の足下には電動で動くロボットのおもちゃが。

 お気に入りのおもちゃだった。

 いつも持ち歩いているぐらい、本当にお気に入りだった。

 それが突然、うんともすんとも言わなくなってしまって、それで泣いていたのだった。

 

 そんな幼い私の元へやってきたのは……。

 

「どうしたんだい薫?」

 

 長身で痩せぎす。  

 立ち姿はマッチ棒のようで簡単に折られてしまいそうな頼りない印象の男性。

 穏やかな笑みをいつも浮かべていた、父の姿があった。

 

「お父様……うごかなくなっちゃった……」

「ん? どれどれ……。うん、大丈夫。直せるよ」

 

 ロボットを拾い上げてざっと見渡しただけで父は直せると言った。

 なんてことはない、ただ電池が切れただけのことなのだから。

 けど、父ならなんでも直してくれると当時は思っていたから素直に信じて、そんな父を尊敬していた。

 

 場所は切り替わり、車庫の中。

 父が一日の半分を過ごしていた場所。

 御守衆の技師だった父は私も駆るアラシレイダーの開発者で毎日点検、整備を行っていた。

 

「ほら、直ったよ」

 

 手渡されたロボットはまたちゃんと動くようになっていた。

 

「ありがとう! お父様!」

 

 お礼を言うと、父の大きな手が私の頭を撫でた。

 父からこうして撫でられるのが、私は好きだった。

 

 また、場所が切り替わる。

 屋敷のお婆様の部屋の中から、珍しく声を荒げる父の声を聞いた。

 

「話が違います! 薫の身体が鍛練についていけるようになってからという話だったじゃないですか!」

「それは楓が生きていることが前提の話だ。楓が死んだ今、一刻も早く薫をマイヤにしなければならない」

「別の御伽装士にしばらくこの町の守護を任せるという手だってあるはずです!」

「こん土地を守るのは家の務めだ! 先祖代々からの使命を他人さ任せるなんてこと出来っか!」

 

 楓……お母様は化神との戦いで亡くなった。

 それから、お婆様と父の口論は日常的なものとなって……。

 

 ある日、父は家を出た。

 言葉を交わすこともなく、ある日突然。

 そして父が家を去ってから、私の改造(修行)も始まって……。

 

 

「お父様……」

 

 自分の寝言で目が覚めた。

 木漏れ日が眩しく、白い光のなかでぼうとする。だが、即座に今は鍛練の途中だったと慌てて木から飛び降りる。

 屋敷の裏山、ここは修行の場として整備されている。

 一見普通の山であるが、いろいろな仕掛けや障害などが配置されている。

 近隣の御伽装士達も修行に訪れることもよくある。

 御守衆が保有する修行場でも有数の敷地面積と難易度を誇っていたりする。

 修行の場ではあるが、私がさっきまで寝ていた木は立派なナラの木で、幼い頃からあの木の上が私のお気に入りの場所。

 お昼寝スポットなのだ。

 

「薫」

 

 背筋に寒気が走った。

 お婆様の声だった。

 鍛練中に昼寝なんてしていたとなればなんと言われるかと覚悟し、木から飛び降りる。

 お婆様の、私と同じ赤い目が、私を射抜くよう。

 とにかく、まず謝ろう……。

 

「お婆様、申し訳……」

「今日は、そこまでにしておけ」

「え……」

 

 予想していた言葉とはまったく違うことを言われて肩透かしを受けた。

 

「清水が来てたから、診てもらいな」

「は、はい……」

 

 それだけ告げて立ち去るお婆様の背中を追いかけて屋敷へと戻る。

 無言でついて歩いた。

 私とお婆様の間に雑談など生じない。

 それが、常。であったのだが……。

 

「調子は」

「え……あ、その、特に問題はありません」

 

 唐突に話しかけられ、ありきたりな返事しか出来なかった。

 お婆様がこんな風に調子を尋ねてくるなんて珍しかったので。

 

「歩き方が崩れてる」 

「え……」

「この間の負傷のせいだ。……怪我した時に鍛練すっと変なクセがつく。療養に専念せぇ」

「は、はい……」 

 

 そこから再び無言で屋敷まで戻った。

 とにかく、全てが珍しいことだらけであったけれど……。

 どこか、どこかに違和感のようなものがあった。

 珍しいのも事実であるが、お婆様が私にあんな風に声をかけてくれたのは……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「え? センさんが?」

 

 自室での診療中、さっきのことを清水に話した。

 やはり、清水も驚いた。

 

「ああ、いつもの婆さんって感じじゃなかった……けど……」

「けど?」

「……なんか、懐かしい感じもした」

 

 あの違和感の正体をようやく言語化出来た。

 懐かしい。

 何故か、そう感じた。

 

「懐かしい、か。昔、センさんと同じような会話をしたか……既視感ってやつじゃないかな」

「既視感……」

 

 はじめてのことなのに、前にも同じようなことを経験したことがあるという感覚。

 もし、そうだとしたら……。

 

「寂しいな……」

「え?」

「なんでもない。もう終わっただろ、じゃあな」

 

 シャツを着て、部屋を出る。

 婆さんのことも気になるが、あの夢を見てさっきからあそこに行きたくなっていたのだ。

 

「ああ、ちょっと! まだ診断結果言ってないんだけど!」

「それでは、私が代わりに」

「うわぁ!? ま、真姫ちゃんいつの間に……というかどこから……」

「天井から」

「天井から……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 つなぎに着替えて、アラシレイダーと向かい合う。

 さっきの夢を見てから、車庫に来たかったのだ。

 ここに来れば、父と会える。

 幼い俺にとって、ここはそういう場所であった。

 

「よし、始めるか……」

 

 点検、整備、洗車。

 アラシレイダーをいじると、父に近付けた気がして……。

 アラシレイダーは山や川、海など自然溢れるこの地に合わせて父が母のために開発したマシン。

 調子は良好。

 不具合なしっと……。

 

「あ、いたいた薫~」

 

 ふらっと、当然のことのように咲希が現れた。

 

「……なんでいるんだ?」

「真姫さんが薫なら車庫にいるはず~って言ってたから」

 

 真姫め……。

 というか真姫にも車庫にいるとは伝えていなかったのだが。

 

「ねーこのバイクかっこいいよね。普通のじゃないでしょ?」

「ああ。山とか川とか走り回るからな。それに、御伽装士乗せて走るんだ、普通には作られてない」

 

 そう言うとアラシレイダーがライトを点滅させた。

 

「え!? なになに自動!?」

「式神が憑いてんだ」

「シキガミ……なんかあの人型の紙のやつ」

 

 咲希の式神認識がマンガとかアニメレベルなことにやれやれと首を振る。

 

「ま、咲希にも分かるように言えば意思を持ったバイクなんだよ。アラシレイダーは」

「へぇ。よろしくね、アラシレイダー」

 

 再びライトを点滅させて挨拶するアラシレイダー。嬉しそうにしている。

 こいつが喜ぶってことはやっぱりこいつはいい奴なのだろう。

 

「そんで、何の用だよ」

「遊びに来ただけだよ」

「遊びに……」

「うん。遊びに」

 

 あっけらかんと言うが、そんなことしてきた奴は……。

 

「初めてだ。家に遊びに来たなんて奴は」

「そうなんだ。初めて貰っちゃった。ふふ、薫の初めて貰っちゃった~」

「バカ! やめろ! 言い方を考えろ言い方を!」

「なにー? 照れてるのー?」

「そうじゃなくてだな……!」

「薫の初めてなのは本当じゃ……」

「薫様のなにを、貰ったと?」

 

 咲希の背後に現れた真姫が、咲希の頭をぎっちりと掴んでいる。

 だからやめろと言ったのに……。

 

「あ、あの~真姫さん? 頭が、頭が痛いんですが……」

「当然だ。薫様に対する失礼な発言の罰だからな」

 

 そして罰は執行される。

 頭をぐりぐりされるやつ。

 咲希の反応からしてだいぶ痛いだろう。

 だが、この程度で済ませている辺りはまだ手加減している。

 前に俺で変な妄想をした奴等は真姫の手で本当にボコボコにされたのだ。

 それ以来、真姫は不良のような格好をするようになったが当の本人も気に入っているスタイルのようだし何かと都合がいいらしい。

 

「うぅ……痛いよ真姫さん!」

「罰だから当然だ。それより薫様、診断結果ですが」 

「ん……あとで聞く」

「いえ、加藤もいる今がちょうどいいのでここで言わせていただきます」

「おい真姫……」

「まだ完全に傷が癒えていないため、療養に専念すべきだと。今しばらく安静にしているようにと清水先生と……先々代も、そうするようにと」

 

 自分で分かってはいた結果だった。

 清水ならそう言うだろうと。

 ただ、それでも……。

 

「この地を守るのが俺の使命だ。ただでさえ蝶祭りが近くて化神がうじゃうじゃ出てくるって時期に休んでなんていられっか!」

「しかしそれでは薫様のお身体が……。私からもお願いいたします。どうか、ご療養ください」

 

 血が頭に上がっていたが、深く頭を下げる真姫に怒りをぶつけることは出来なかった。

 とにかく一度冷静になろうと、俺は二人を置いて立ち去った。

 

 

 

 

 

 なにも言わず立ち去った薫を追いかけることは出来なかった。 

 今は、一人になりたいのだろうと思って。

 

「真姫さん。薫の体、そんなに悪いんですか」

「……これまでと比べて、治りが悪いそうだ。そもそもあそこまでの大怪我をしたのも初めてのことだが……」  

 

 バケガラスとの戦いで薫は重傷を負った。

 傷は癒えて、化神との戦いに復帰して連日のように薫は戦っていた。けれどまだ完全には傷は癒えていなくて、毎日のように現れる化神との連戦が傷が癒えるのを妨害している。

 

「バケガラスを討った功績は総本山からも評価されている。あのレベルの化神は滅多に現れないからな。だが、それよりも……」

「薫の体の方が、大事ですよね……」

「当然だ。薫様はただでさえ夜舞家の掟と使命に縛られてきた。それが薫様の全てだ。それすらも失うようなことになれば薫様は……」

 

 私なんか一般人ではとても推し量ることの出来ない、掟と使命の重さ。

 それを薫はあの華奢な硝子細工のような体で背負っている。

 

「……どうしても、薫じゃなくちゃいけないんですか。御伽装士って薫以外にもいるんですよね? 薫の体が治るまで誰か別の人に来てもらうとか出来ないんですか!」

「私もそれを先々代に提言した。だけど、先々代はいい顔をしなかった」

「どうして……」

「私もあまり詳しくはないし、一部民話を含むからどこまで本当かは分からないが……」

 

 真姫さんは、そう前置きしてある話を始めた。

 夜舞家の始まりの話を……。

 

 

 

 

 

 時は平安時代。

 当時既に御守衆、御伽装士は存在しており化神達をから人々を守っていたという。

 御守衆の総本山があるのは京の都。

 時の帝や貴族達が住まうこの地は特に護りを固められていた。

 そんな都をも脅かす化神が現れ、三日三晩続く戦いが繰り広げられたと伝えられている。

 御伽装士達も化神も満身創痍となっていた三日目の夜のこと。化神が暗天を繰り出し夜は朱に染まる。

 赤き夜の中、子を身籠っていたとある貴族の娘が産気付いた。

 暗天、戦火の中で貴族の娘は子を産んだ。

 子が産まれたと同時に化神も討たれたという。

 赤き夜が終わり、優しい月の光が戻ったことに安堵する人々であったが娘の出産に立ち会った者達は戦慄していた。

 

「目が、赤い……!?」

 

 その赤子の目は暗天の夜のように赤い色をしていた。

 当時の人々からすればそれだけで恐怖に値した。

 

「物の怪がこの赤子に乗り移ったのじゃ!」

「大きくなる前に殺すのだ!」

「きっと災いをもたらすに違いない! 殺せ!」

 

 恐れが人々を駆り立てる。  

 目が赤いだけのただの赤子一人に皆が恐れた。

 娘の父まで殺せと言い始め、娘は我が子をなんとか守ろうと京の都を信頼置ける従者と共に逃げ出した。

 だが、どこで計画がばれたのか追手が迫る。

 娘を連れ戻し、赤子を殺すようにと命令された武士達が迫る。

 追い詰められた娘達。万事休すと思われたその時、一人の男が颯爽と現れ武士達を追い払った。

 男は、御伽装士であった。

 男は娘から事情を聞き、この赤子が暗天の夜に生まれたことを知ると様々な可能性が頭に過った。

 もしかしたら化神の影響を何か受けてしまっているかもしれない。

 なにもないことを願いたいが万が一ということもある。

 しかしこのままこの赤子を野放しにして何か起きようものなら問題であるし、赤子が殺されてしまうかもしれない。

 あれこれ考え、男は娘にこう提案した。

 

 その赤子を、こちらで引き取らせていただけないかと。

 男は御守衆のことなどを全て話し、赤子の未来について考えられる可能性などを説明して、この赤子はきっと普通の世界で生きるのは難しいだろう。だが、我等ならばこの子を受け入れることが出来ると。万が一なにか起きても対処が可能であると娘に言った。

 

 娘は悩みに悩んだ。

 我が子を預けるなど、そのようなことが出来ようかと。

 だが、この子の幸せを思えばと娘は男に赤子を差し出した。

 

 この時、改めて名を付けられたという。

 赤子は名を、美羽(みはね)とされた。

 

 そして赤子は男によって引き取られ、御守衆で育てられることとなった。

 赤子はすくすくと成長し、母によく似た美しい少女となり、やがて姫と呼ばれるようになった。

 気品に溢れ、頭も良い美羽に誰もが憧れたというがこれは御守衆の中での話。

 街に出なければいけない時は目を布で隠さなければならず、気味悪がられた。

 そのため、あまり外には出たがらなかったという。

 

 美羽は男の嫌な予想を裏切り普通の人の子として育ったがある時、新たに作られたマイヤの怨面が美羽を選んだ。

 これまで特に御伽装士となるための修行などはしてこなかったが怨面が美羽以外を受け付けぬならば仕方ないと美羽は御伽装士となるべく修行を始めた。

 美羽自身も御伽装士となることに抵抗はなく、むしろ張り切っていたという。

 

 恐るべき速さで修行をこなした美羽は当時でも指折りの装士の一人となった。

 御伽装士として活躍していたある時、助けた貴族が自身の祖父だった。

 美羽はそうとは知らず、化神の攻撃により目を隠していた布が取れ、顔を晒してしまい赤い目を見られたのだという。

 

 それから御守衆は化神を匿っているなどと貴族達から言われ、そのことに責任を感じた美羽は京を離れ東へと旅を始めた。

 そして辿り着いたこの地は当時まだ御守衆も足を踏み入れたことのない土地で、人々は美羽を暖かく迎え入れた。

 だがバケゲンブという化神が数年前に現れてからは穢が集まりやすくなってしまい土は痩せ、水は枯れ、化神が跋扈する土地となってしまったのだという。

 

 こんな危険な土地からは離れるべきだと美羽は言ったが、先祖代々の土地から離れるわけにはいかないという。  

 人々は化神などには負けないという強い意志を持っていた。

 赤い目の自分を迎え入れ、化神にも負けじと抗う人々に報いるために美羽は全霊をもってバケゲンブを封印。

 バケゲンブが封印されたことでこの土地は浄化され、作物もよく育ち、人が満足に住める土地になったという。

 そして美羽はこの地の人々と共に土地を再興させ、夜舞という姓を名乗るようになり夜舞家が生まれ、自身を迎え入れてくれた人々が住むこの地を守るという使命を代々伝えてきたのだという……。

 

「いや真姫さんめちゃくちゃ詳しくありません?」 

「この程度は基礎知識だ。もっと詳しい人がいる。それこそ先々代とか」

 

 薫のご先祖様は昔話になってるのかぁとぼんやり考えたがすぐに頭を切り替えた。

 薫が戦う理由。

 それは先祖代々ここを守ってきたから……。

 だけど、それは……。

 

「薫は、本当に戦いたいのかな……」

「なに……?」

「薫が戦う理由って、先祖代々やってきたからって強制されてるみたいなものじゃないですか」

 

 真姫さんは悲しげな顔をする。

 薫のことを大切に思っているから、きっと私が今思ったことをとっくの昔に真姫さんも思ったはずだ。

 

「それが夜舞家に生まれた者の運命だ」

 

 急に響いた私達以外の声に驚いた。

 着物を着た、綺麗な白髪頭で歳のわりに背筋がピンとした立ち姿が綺麗なおばあさん。

 真姫さんは頭を下げている。

 この人が、薫のおばあさん……。

 薫と同じ、赤い目をしている……。

 

「真姫。これが薫のお気に入りか」

「は、はい。加藤咲希、薫様の同級生です」

「東京から来たよそもんか。よそもんに家のことをあれこれ言う資格はねぇ」

 

 赤い目が私を睨みつける。

 薫と同じ赤い目だけど、薫の目とは違って厳しさに溢れている瞳だ。

 

「……薫の身体が治ったら、また戦わせるんですか」

「それが薫の、夜舞の使命だ」

「薫は本当に望んでるですか! 戦うことを!」

 

 思わず熱くなり、真姫さんに止められる。

 相手は薫のおばあさんで私がどれだけ言葉を並べてもきっと敵わない。

 私の言葉はきっと、この人には届かない……。

 

「……ついてこい」

 

 薫のおばあさんは静かにそう言うと背を向けて歩き出した。

 ついてこい?

 え、私?

 

「早く」

 

 あ、私だった。

 慌ててついていくが大丈夫かな。

 食べられたりしないだろうか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 気が付くと、夜舞家の墓の前に来ていた。

 大きく、墓石が何個も並んでいる。

 ここには歴代当主達が眠っている。

 お母様も……。

 

「お母様……」

 

 お母様との思い出は少ない。

 俺が幼い時に化神との戦いで相討ちになったのだ。

 マイヤとしての戦いや夜舞家当主としての仕事で忙しいお母様と過ごせる時間は貴重だった。

 お母様とお父様と俺の三人でこの町を探検したことはよく覚えている。

 あとは……お母様と、ばあさんとで……。

 

「あれ、どこに行ってたんだっけ……」

 

 お母様とばあさんの俺でどこか海を見下ろせる場所に行ったという記憶があるけどあそこがどこか思い出せない。

 そこでなにをしたのかも。

 どうしてお父様とではなくばあさんとだったのか、気になる記憶だから思い出したい。

 アルバムに写真とかあったりしないだろうか?

 やたら気になり始めたので大人しく帰ろうと思い、ご先祖様達へ手を合わせる。

 

『薫!』

 

 誰かに、名を呼ばれた。

 それと同時に殺気を感じ、その場から飛び退くと何かが俺の立っていた場所に突き刺さっていた。

 

「棘……?」

 

『避けるとは、流石はマイヤ』 

 

「化神ッ!」

 

 よもや、こんな近くまで近付かれていたとは。

 化神は全身が赤く、エビを象った姿をしている。

 バケエビ?

 いや、にしては右手のハサミがでかい。

 左手は鋭い針のようで刺突攻撃に用いるのだろう。

 

『俺はバケイザリ! 勝負だマイヤ!』

 

「チッ、ザリガニか! オン・ビシャテン・テン・モウカ────変身ッ!」

  

 マイヤへと変身し、バケイザリへムーンサルトキックを放つ。

 バケイザリを蹴り飛ばし、ひとまずご先祖様の墓から遠ざける。

 

『勇ましいな今のマイヤは!』

 

「さっきからマイヤ、マイヤって、てめぇなんなんだよッ!」

 

 果敢に攻めて、バケイザリに攻撃の隙を与えない。

 だが、ザリガニらしい硬い甲殻のせいで俺の拳が響いている様子はない。

 

『10年だ』

 

「なに……?」

 

 バケイザリは俺の殴打を受けながらもそう答えた。

 

『俺が復活するまで10年かかった』

 

「復活、だと……」

 

『俺が戦ったマイヤはお前の母親か? 非常に強かったが詰めが甘かったのでな、最後の力をもってこの左腕を突き刺したのだ!』

 

 突き、刺した……。

 ということはこいつが、こいつが……お母様を殺した化神……!

 

「よくもお母様をッ!」

 

 更に苛烈に攻め続ける。

 全身全霊をかけて、こいつだけは滅さなければならない!

 

『なんだ、今のマイヤの拳はその程度か』

 

 鳩尾を打ち付けたはずの拳も、これまでの攻撃も全てバケイザリには効いていなかった。

 あまりの防御力の高さに驚き隙が生まれ、バケイザリの大きな鋏が俺の顔面を打った。

 意識を持っていかれかけたが、ギリギリのところで踏みとどまり続くだろう攻撃に備えようとするが右足首に何かが絡み付いた。

 

「なっ!?」

 

 右足首の次は一気に両手首と左足首にべたべたとした触手が巻き付いて拘束されてしまった。

 

『バケギンチャク! 貴様も蘇ったか!』

『ふふふ。久しいなバケイザリ。なにやら可愛い男子を相手にしているな』

 

 新たな化神が現れる。

 バケギンチャク。

 イソギンチャクに手足が生えたかのような見た目で気色悪い。

 

『む、む! この匂いは!?』

『どうしたバケギンチャク』

『この匂いは妾が10年前に狙った男子の匂い! 食おうとしたらそれはそれは惨い殺され方をしたのだ。マイヤによって。そうか、あの男子がマイヤとなったのか良いぞ良いぞ』

 

 こ、こいつもお母様にやられた……。

 ていうかさらっと気持ち悪いことを言ったな!

 

『バケイザリよ。この男子は妾がいただくぞ』

『ふむ。まあいいだろう。今のマイヤは弱いからな。戦ってもつまらん。好きにしろ』

 

「誰が弱いだと! ぐっ……」

 

『駄目じゃマイヤ。そなたは妾のものじゃ』

 

 触手が縮み、バケギンチャクのもとへ一気に引き寄せられると触手蠢くバケギンチャクの頭上へと載せられる。

 触手が全身に絡み付いて、蠢いて。

 とにかく、気持ち悪い……!

 なんとかここから脱しようと踠くが指先から少しずつ痺れてきて、体が、動かな……。

 

『毒が効いてきたな。妾の毒は体を痺れさせるのと……妾のことが好きになってしまうという効能があるのじゃ。触手で弄ばれるのが堪らない快楽となる。さて、その邪魔な面を剥ぎ取ってしまおうか。気持ち良くなるには邪魔じゃろう』

 

「やめ……」 

 

 変身が解け、怨面が触手に弾き飛ばされる。

 粘液が全身を濡らし、毒が少しずつ流し込まれていき、意識が朦朧としてきて……。

 

 

 

 

 

 

 薫のおばあさんについてこいと言われて歩くこと20分ほど。

 結構傾斜のある坂道を昇って歩き、私は息が上がっていた。

 しかし、薫のおばあさんはまったく歩くペースが落ちていない。

 すごいおばあさんだ。

 

「……!」

 

 なんて関心していたら今度はなんと走り出したではないか。

 スーパーおばあさん過ぎる。

 

「あの、待ってくださいよ~!」

 

 私も頑張っておばあさんを追いかける。

 若いのに情けないと思われたくないから。

 そして走っていった先にはなんと化神が2体いて、マイヤのお面がイソギンチャクみたいな奴から弾かれて……。

 

「え……薫……?」

 

 まさか、そんな……。

 薫が、負け……。

 

「……」

 

 弾き飛ばされた怨面を、薫のおばあさんが掴み取った。

 

『なんだ老婆。食われに来たか?』

 

 赤い茹でられたエビのような化神が歩み寄ってくる。

 どうしよう、薫が負けてしまった現状化神への対抗手段なんて……。

 

「安心しろ。お前は守る。薫も助ける」

「へ……?」

 

 思わず、そんな声が出た。

 だって、おばあさんの声が途中から若い女の人の声になって……。

 そこに、おばあさんはいなかった。

 若い、私より少し年上ぐらいのスタイル抜群の薫に似たお姉さんが、おばあさんがいた場所に立っていた。

 めちゃくちゃ綺麗な黒髪を靡かせて、そのお姉さんはマイヤのお面を被り……。

 

「オン・ビシャテン・テン・モウカ────。舞うぞ、マイヤ。変身」

 

 お姉さんは、変身した。

 薫と同じマイヤ、であるが。

 身体の隆起がすごい。

 いわゆる、ボンキュッボン。

 他の御伽装士を知らないのであれなのだけど、マイヤは身体のラインが特に出ているのではないかと思う。

 妖艶という言葉の意味を今、私は知った。

 

「あ、あの……お姉さんは一体……」

「なにを言っている。薫の祖母だが」

 

 平然とお姉さんはそう言うと化神に向かって駆け出していった。

 え、え?

 おばあさんがお姉さんになっ……え?

 もう、いろんなことが起こりすぎて私の脳はショートしようとしていた。



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第五夜 目覚める、闇

 変若蓬莱の術。

 夜舞家が生み出した秘術である。

 御伽装士マイヤとなれるのは夜舞家の長子のみであり、仮に当代のマイヤが現役中に亡くなり、次代のマイヤとなる子がまだ幼いなどの場合は先代マイヤが次代のマイヤの育成と化神討伐の任に就く。

 そのような状況になった場合、現役を退いていた先代マイヤの力を取り戻す必要があるとして生み出されたのが変若蓬莱の術。

 自然、森羅万象の力を体内に満たし術者を最盛期の頃の姿に戻すのだ。

 余所者の御伽装士にこの地を守護する任は任せられぬという夜舞家の執念が編み出した門外不出の秘術……。

 しかし、センはこの術を友人にあっさり教えてしまったという過去があるのだがそれはまた別の話。

 

「さて、この術を使うのは久方ぶりであるが……」

 

 特に問題はない。

 むしろ、早く化神を討たんと身体が猛っている。

 5年ほどのブランクがあるセンであるが、闘志は変わらず。

 

「下がっていろ。……来い、厄除の槍」

 

 咲希を下がらせ、厄除の槍を呼び寄せる。

 虚より現れる紅き聖槍、厄除の槍。

 夜舞神社の祭殿より転移してきたのだ。

 元々、マイヤはこの槍を用いて戦う御伽装士。

 夜舞神楽を習得することで槍を扱うことが許されるようになる。

 

「まずは、薫を助ける」

 

 槍の穂先をバケギンチャクへと向けてそう宣言すると腰を深く落として攻めの体勢を取った。

 

「スゥ……ッ!!!」

 

 一呼吸の後、マイヤの姿が消えるとほぼ同時にバケギンチャクに無数の穴が穿たれる。

 バケギンチャクは末期の叫びを上げる間もなく消滅し、バケギンチャクに捕らわれていた薫はマイヤの腕に抱かれた。

 

『なかなかやる……』

 

 バケギンチャクが一瞬で倒され、バケイザリは撤退を決意。土煙を起こして姿を消したバケイザリを追跡しようとするマイヤであったが薫のこともあり自身が追跡することはやめる。

 その代わりに槍で地面をなぞるとそこから無数の蝶達が生まれ、バケイザリを探すべく飛び立っていった。

 

「薫ッ!」

「触るでない。化神の毒だ、常人が触れてはいかん」

 

 駆け寄ってきた咲希を制し、薫に触れさせないようにする。

 薫にはバケギンチャクの粘液が全身に付着しており、常人ならば毒が完全に回ってしまっているような状態。

 だが薫は御伽装士マイヤとなるべく身体を女にしていく薬の他にも様々な薬を投薬されている。その中には毒への耐性を身に付けるためのものも多く含まれており、他の御伽装士に比べると毒への耐性が強いため身体が麻痺するだけで済んでいる。

 

「薫……」

 

 マイヤは自身の腕の中で荒い呼吸をする薫を見て、咲希にも聞こえないほどの声量で呟くと地面を蹴り空高く舞い上がっていった。

 

「はっや……」

 

 あまりの速さにぼうっとそんなことを言う咲希であったがすぐに思考を切り替えて走り出す。

 二人が行く先は夜舞家の屋敷しかないだろうからと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マイヤ、センは薫を連れてまずは屋敷の裏山にある滝に来ていた。

 蒼の滝と呼ばれるこの滝の水を飲むと病がたちまち治るという言い伝えがある。

 水面に薫をゆっくりと浸けていく。  

 浸かると同時にマイヤの変身を解除し、若返ったセンの姿が現れる。

 センの顔は無表情のように見えるが、薫の呼吸が落ち着いてきたのを見るとホッとした表情を見せた。

 

「よかった……」

 

 誰にも聞かれぬ安堵の声は清水と共に流れていく。

 薫の頬を撫でるセンの指。

 硝子細工に触るように、優しく。 

 そうして毒を洗い流し終えると薫を抱え上げ、屋敷へと向かったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 和室に寝かされた薫。

 薫の敗北は屋敷に暗い影を落として、使用人さん達の動きは慌ただしい。

 真姫さんも逃げた化神の探索を命じられたので主人である薫の側にはいない。

 

「……ん……」

「薫!」

「さ、き……私……」

 

 か細い声だった。

 今にも消えてしまうんじゃないかって不安になるぐらい。

 とにかく薫が目覚めたので通りがかりの使用人さんにそのことを伝える。

 すると薫のかかりつけ医という優男がやって来て、私は一旦閉め出される。

 行くあてもないので、薫の部屋の前で待つ。

 しばらく。一時間ぐらい待ったかも。

 薫の部屋から出てきたお医者さんは私を見るなりオーバーに驚いた。

 

「ずっと廊下にいたのかい?」

「まあ、はい。あの、薫の具合は……」

「いいとは、嘘でも言えない。バケガラスとの戦いでの傷も開いてしまっているんだ。もともと最近、身体の調子も悪かったしね……。最悪の場合、御伽装士をやめることも視野に入れないといけない」

「そんな……」

 

 お医者さんはそれじゃあと言って去っていく。

 

 薫が、御伽装士でなくなったら……。

 

 薫は御伽装士になることを義務付けられて育てられてきた。

 厳しく、辛く。

 私の想像が及ばないほどに。

 薫が本当に、戦えなくなってしまったら……。

 

 ……。

 頬を叩く。

 口角を上げる、目尻を上げる。

 よし。

 胸につかえるものは押し込んで、指に力をこめて襖を開ける。

 

「かーおるっ!」

「咲希……」

 

 顔をこちらに向ける薫は、やはり今にも消えてしまいそうだった。

 そんな雰囲気を消し飛ばしてしまいたくて、必死に笑顔を作り、口を動かしていく。

 

「もうあんまり無理したら駄目だよ?」

「……不覚を、取りました」

「次は勝とう! うん! 一回も負けたことのない人なんていないんだからさ!」

「……私の戦いに、敗北は許されないのです……」

 

 震える声で、薫は泣いていた。

 薫……。

 

「務めを果たせぬ私など……生きている意味なんて……」

「そんな、自分を責めちゃ駄目だよ……」

 

 何か、薫を励まそうとしても言葉が浮かばない。

 今の薫に自分が出来ることは……。

 行き場を失くした視線で部屋を見渡した。

 そういえば、薫の部屋に入るのは初めてだった。

 和な部屋でよく整頓されている部屋。大きな本棚には……これは意外。漫画で埋め尽くされていた。

 少女漫画が多いが、少年漫画もある。

 タイトルを見ると、最近の作品から昔の作品まで揃っている。

 

「薫、漫画好きなんだ」

「は、はい……」

「知らなかったな~」

 

 薫の頬をつつきながら言うと、薫は照れて顔を赤くした。別に恥ずかしがるようなことではないでしょうに。

 

「……お母様が、好きだったのです……」

「へぇ、薫のお母さんオタクさんだったんだ」

「そのようです……。知ったのは、数年前のことですが……」

 

 倉に遺されていたお母さんの形見である漫画達を見つけて試しにパラパラと読んでいたらいつの間にか自分もハマったのだという。

 血は争えないというやつか。

 

「お母様は……漫画を読むことで、外の世界へ想いを馳せたのでしょう……」

「外の世界?」

 

 静かに、薫は頷いた。

 

「私達、マイヤはこの地を守るという使命があります。そのためにこの地を離れ、他の何者かになるということは夢のまた夢……。あり得ないこと、なのです……。なので、お母様は……いえ、私も……空想に夢を見るのでしょう……」

 

 空想に夢を見る。

 使命に生きる薫は、それ以外の生き方を出来ない。

 だからこそ、先程の医者の言葉が胸に刺さる。

 御伽装士をやめることになったら薫は自由を手に入れることになるのだろうか。

 いや、きっとそうではない。

 自由ではなく、道を失ってしまうのだ。

 

「薫は、なにかやりたいこととかないの?」

「やりたい、こと……?」

「うん。御伽装士はさ、やるべきことじゃん。だから、それ以外にやりたいこと。旅行行きたいとか、あれ食べたいとか」

 

 薫は御伽装士である。

 これは変えられないし、逃れられないものだろう。

 本当は、薫に御伽装士をやめて普通の人生を歩んでもらいたい。

 その願いと同時に私は……我が儘だけど、薫には御伽装士マイヤであってもらいたい。

 私の、私達のヒーローに。

 あの夜、私を助けてくれた薫は私にとって最高のヒーローで、これからも誰かを助け続ける存在。

 だから、私は薫を支えたい。

 薫の願いを、叶えてあげたい。

 私に出来る精一杯を、薫に捧げたい。

 

「……やりたいこととは、違いますが……」

「うん。なぁに?」

「咲希……。貴女と、共に生きていたい……」

 

 その言葉に息を飲んだ。

 普通に聞けば、プロポーズ。

 けれど、薫のこの言葉の本当の意味は……。

 

「分かるのです……。自分の肉体が、壊れていっているのが……」

「薫……!」

「咲希……。私は、俺は……。咲希のことを、愛してる……。だから、少しでも長く咲希と一緒に……」

「薫! 私も薫のこと大好きだよ! だからそんなこと言わないで! 薫は、薫は大丈夫だよ! 身体も治るし、キツい時は私がなんとかするから! だから……!」

 

 薫は、優しく私を見つめていた。

 優しい目の奥には、諦めがあった。

 自分はもう、死ぬのだと。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ。

 そんなの嫌だ。

 薫が死ぬなんて、そんなの……!

 薫の部屋を飛び出ていた。

 わけも分からぬままに走り出していた。

 行くあてもなく、走る意味もなく。

 ただ、現実から目を背けたかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「咲希……」

 

 部屋から出ていってしまった咲希を追いかけようと身体を起こしたが、全身に痛みが走る。

 この身体はもう自分の言うことを聞かない。

 聞いてくれない。

 このまま、朽ちていくだけ。

 その事実が、堪らなく恐ろしい。

 

「咲希……!」

 

 零れ堕ちる涙が止まらない。

 死にたくない、死にたくない、死にたくない。

 こんな、なにも成せぬままに死にたくない。

 使命を全う出来ぬままに死ぬことも嫌だ。

 何よりも……咲希と、大切な人と生きていくことが出来ないのが嫌だ。

 このまま、孤独に死に絶えていくのが……怖い……。

 

『死ぬのが、怖い?』

 

 知らない女の人の声がした。

 

「誰……」

 

『生きたい?』

 

「え……?」

 

『このままでは、みんな死ぬわ。この町の人達みんな』

 

「なにを、言って……」

 

『ここであなたが死んで、みんな死ぬのと、あとしばらく生きて戦って、みんなを守って死ぬの、どちらがいい?』

 

 そんな、そんな二択……。

 結局、死ぬのであればせめて御伽装士として……。

 

「……夜舞薫は戦って、舞って、死んでいきましょう……」

 

『いいでしょう。ついてきて』

 

 蝶が、導く。

 ぼうとしたまま、起き上がり、歩きだす。

 現か、夢か、その狭間か。

 今、夢が再生される────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃり。

 ばき、がき、ぼきり。

 異臭を放ち、異音を垂れ流し。

 闇の中でそれは食事をしていた。

 口元をべったりと赤く濡らすそれは、狸の異形。

 バケダヌキ。

 無心に餌を食らうバケダヌキを、炎が照らした。

 森の闇にひとつ、ふたつ、みっつと明かりが増えていきバケダヌキを囲む。

 

『んあ? なんだぁ? 餌が自分から来たかぁ?』

 

「見つけたぞ、化神! 薫様!」 

 

 松明を持った忍装束の少女、五十鈴真姫が主の名を叫ぶ。

 そして、夜の闇の中から赤い双眸を煌めかせて現れる着物の人物。

 紫の布地に蝶が舞う着物は夜舞家の正装、戦闘装束。

 夜舞家当主、夜舞薫が化神と相対した。

 

「薫様、ご無理はなさらず」

「ありがとう、真姫。ですが、心配いりません。初陣、勝利で飾ってみせます」

 

『てめぇ……。何者だ!』

 

「夜舞家当主、夜舞薫。またの名を御伽装士マイヤ。あなた方、化神を滅す夜の蝶でございます……」

 

 ゆったりとお辞儀をして、これから倒す相手に挨拶すると怨面を手にして夜舞薫は変身する。

 

「オン・ビシャテン・テン・モウカ……。舞え、マイヤ……変身」

 

 顕現するは、戦士というにはあまりにも美し過ぎる存在。

 全身に散りばむ光は夜空に浮かぶ星々のよう。

 宵にあってこそ輝く、夜の蝶。

 それが御伽装士マイヤ。

 

『小娘御伽装士になんざやられるかよッ!』

 

 バケダヌキは大地を蹴り、マイヤに飛びかかる。

 鋭い爪をもってマイヤを裂こうと迫るが、当たらない。

 紙一重で、当たらない。

 バケダヌキの攻撃はどれも、マイヤには全て見切られていた。

 

『ちょこまかしやがって!』

 

「ふっ……」

 

 バケダヌキが渾身の力をこめて繰り出した右の拳。

 その上に、マイヤが立っていた。

 軽々と舞うように跳んで、そのまま重さを感じさせずにバケダヌキの拳の上に着地。

 驚くバケダヌキの顔面を鋭い爪先で蹴り跳ばし、吹き飛ぶバケダヌキを追撃。

 舞い飛び、蹴りの連続。

 攻守逆転。

 このままマイヤは戦いを終わらせるべく技を繰り出そうとする。

 

「退魔覆滅技法……」

 

『このやろう! 調子に乗りやがって!』

 

 だが、バケダヌキがマイヤの細腕を掴む。

 両腕共に掴まれ、持ち上げられ、さながら十字架にかけられたかのよう。

 

『食い応えなさそうな身体してるから簡単に引き裂けそうだぜ!』

 

「薫様ッ!」

 

 真姫がクナイを構え、マイヤに加勢しようとする。

 だが、それを真姫の父が制止した。

 

「待て、真姫」

「なぜ止めるのです! 薫様が!」

「真姫、自分の主を信じろ」

 

 父の言葉を飲み込めず、動き出したい気持ちで溢れる真姫。

 何故、誰も助けに入らないのかと周囲の大人達を睨み付ける。戦っているのは子供で、自分のひとつ下。弟のような存在。

 子供を戦わせておいて、大人達は助けない。

 そんな現実を、真姫は睨み付けていた。

 

『そぉら! 真っ二つぅ!!!』

 

 バケダヌキが勢いよくマイヤを引きちぎる。

 飛び散る鮮血。

 その光景に真姫は声を失う。

 バケダヌキは勝利に笑う。だが、目の前に飛ぶは血ではなく無数の蝶。

 

『なんだ……?』

 

 バケダヌキの視界を蝶達が覆い、衝撃の後に視界が開ける。

 蝶達が一斉に舞い上がる。

 バケダヌキの胸を、マイヤの脚が穿っていた。

 

「千蝶一蹴」

 

『ぐあああああああ!?!?!!!!』

 

 爆ぜるバケダヌキ。

 マイヤは化神を屠った右足を静かに下ろし、爆炎の中で佇む。

 

「タヌキのわりに、化かしあいは苦手なようで……」

 

 ポツリと呟いて、変身を解除する。

 これが、夜舞薫の初陣。

 中学校の入学式からほんの数日後のことであった。

 

 

「なぜ……このようなものを……」

 

 虚に問う薫。

 森の中を彷徨い歩き、一本の大樹の下で……薫は、大きな蛹となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一人、神社の境内で瞑想をしていた。

 薫が倒れ、かつて倒された化神が蘇っているという事態となれば自分が戦うしかない。

 化神が蘇っているのは、バケゲンブの封印が解けかかっていて、バケゲンブの力が流れ出てしまっているのだろう。

 五十鈴家を総動員させ、化神を探索させているが恐らく化神の最大の狙いはここ。

 夜舞神社。

 バケゲンブ封印の根幹。

 ここを壊してしまえばバケゲンブは復活する。

 もしそうなればこの町だけの問題ではおさまらない。

 少なくとも、東北中の化神達は勢いづくであろう。

 なんとしても、ここで食い止めねば……。

 

「先々代!」

 

 平装士の一人が慌てて境内に上がってくる。

 

「なんだ、騒がしい」

「総本山より連絡が! 猿羅の怨面が何者かに強奪されたと!」

「なに!?」

「至急、追跡にあたるようにと指令が……」

「……。バケゲンブ復活の兆しありと伝えておけ。それで伝わる」

「わ、分かりました!」

 

 なんと、間が悪い。

 謀っていたのか、それとも偶然かは分からぬがとにかく間が悪い。

 他の御伽装士が奪還してくれることを願うしかない。

 平装士が出ていったのを見計らい、声をかけてやる。

 

「闇討ちならきかんよ」

 

『ほう、隙を見せてはくれないどころか気付くとは。やるな、ご老体』

 

 境内の柱に寄り掛かっていた化神バケイザリがその姿を現した。

 ちょうど、平装士が出ていったあとにここへ来たようだが……。

 

「じゃじゃ……。化神に労られるほど落ちぶれちゃいないよ。それに……これなら、老体とは言えまい」

 

 変若蓬莱の術で若返る。

 身体も軽く、より言うことを聞いてくれる。

 だが、そう長くは保てない。

 早期決着、さっさと倒してやる。

 

「まずは、ここから出ていってもらおうか!」

 

 一瞬でバケイザリへと接近、それと同時に厄除の槍を呼び寄せる。

 

『ぬおッ!?』

 

 化神へ一突き。

 だが、これは右腕の大きな鋏で防がれる。

 

「ほう。やはり、そこらの化神よりはやるようだ」

 

『当然だ! なんせ俺はかつて御伽装士を殺した! あれはお前の娘か婆さん!!!』

 

 槍をはね除け、鋭い針のような左腕を突き刺してくるのを槍で受けながら変身。

 ああ、そうだこいつは楓の……!

 

「ああ、お前は私の娘の仇だよ。だからか……どの化神よりもお前を殺してやりたいッ!!!」

 

 バケイザリを蹴り飛ばし、戦場を境内から外へ。

 跳躍し、槍の穂先をバケイザリへと叩きつける。

 

『ぐおおお……! 強いな、婆さん! 俺への殺意も最高だぁ!!!』

 

「はあぁぁぁッ!!!」

 

 槍と、奴の鋏と針がぶつかり合う。

 風圧で砂埃がたち、周囲に何者も近付けさせぬほどの衝撃。

 均衡が崩れる。

 鋏を蹴り飛ばし、がら空きとなった胴を蹴り飛ばす。

 

『があッ!?』

 

 高く飛び上がり、槍を構える。

 渾身の一撃。

 

「退魔覆滅技法 翔槍蝶閃」

 

 槍の投擲。

 紅い軌跡を残し、一直線にバケイザリへと突き刺さる。

 

『おのれぇぇぇぇぇ!!!!!!!』

 

 爆発。

 戦いは終わり、槍も手元へと戻ってくる。

 だが……。

 

『ふんッ!』

 

 振り下ろされた剣を槍で受け止める。

 黒い靄の中から現れるは……。

 

「バケカブト、か……」

 

『いかにも。勝負だ、御伽装士』

 

 カブトムシの角のような剣が振るわれる。

 こいつは、薫が倒した化神。

 バケイザリ共と同じクチか。

 剣を避け、飛び退いて槍の間合へ。

 

「化神と勝負はしない! 私は化神を討つだけだ!」

 

 剣を持つ右手を払い得物を奪い、槍を支柱に跳び上がり顔面を蹴り飛ばす。

 しかし、この感触は……。

 

「硬い……」

 

『なかなか、いい蹴りであった』

 

 起き上がったバケカブトは首を鳴らし、落ちた剣を拾い上げる。

 こいつは時間がかかる……。

 いや、時間などかけてはいられない。

 

「退魔覆滅技法 蝶絶怒涛」

 

 槍で空を薙ぐと蝶達が現れバケカブトを覆い尽くす。

 

「爆ぜろ」

 

 その一言で一匹の蝶が爆発。

 そこから連鎖して蝶が次々爆発していく。

 黒い爆煙に包まれたバケカブト。だが、バケカブトは黒い煙を割き、駆け抜ける。

 なんてことのない上段からの斬。

 回避も防御も、反撃すら容易い。

 だが、それは現役時代の話。

 今の自身は夢幻のようなもので若返っているに過ぎない。

 

「ぐっ……」

 

 剣を槍でなんとか受け止める。

 だが、変身は維持出来ず生身を晒す。

 長い、赤みがかった黒髪に白いものが混ざっていた。

 術の限界時間が思ったよりも短くなっていた……。

 

「まだ、私は……ガッ!?」

 

 背後からの衝撃。

 自身を貫く針から、血が滴っていた。

 

『さっさと隠居してれば、こんなことにはならなかったんだぜ?』

 

 背後から聞こえるバケイザリの声。

 奴は、さっき私が……。

 

『母娘揃って罠に嵌まりやがって。俺はそこいらの化神と違って生き汚くてな。一回殺されたぐらいじゃ死なないんだ。ま、あんたの娘は死にかけながらも俺を殺したが、今のあんたにゃそんなこと出来ないだろ』

 

「ふざ、け……」

 

 引き抜かれた針。

 バケイザリが鋏で私を殴り、地に伏す。

 立つことがままならない。

 このままでは、このままでは……。

 

『バケゲンブ様、お目覚めを』

 

 境内に侵入したバケイザリが御神体の入る木箱を鋏で砕く。

 その様子を見ていることしか出来ず、意識は遠退いて……。

 

「……申し訳ありませぬご先祖様……楓……薫……すまない……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空は黒い雲が覆い、雷鳴が響き、雨が降りだす。地は鳴り、海は轟く。

 大自然が、それの復活に絶望しているかのよう。

 

『ァァァァァ……』

 

 黒い靄が町のあちこちから集まる。

 靄が形を成していき骨となり、肉となり、生まれる。

 くすんだ銀色の巨躯に巻き付く黒い蛇。

 無数の棘が禍々しい甲羅を持ち、肩から突出した二門の砲。

 

『ああ……永き眠りであった……』

『バケゲンブ様!』

『貴様達か、我を目覚めさせたのは』

『はっ! 貴方様の力により現世へと舞い戻り、その恩に報わせていただきました』

『かつて、忌々しくも貴方様を封印した御伽装士マイヤの子孫も始末しました。覇道の露払いは済んでおります』

 

 バケイザリとバケカブトはバケゲンブの前に跪き、応える。

 マイヤの子孫を始末したという言葉に、傍らに倒れる老婆に目を向ける。

 まだ、かろうじて生きてはいるが……どのみち、死ぬだろう。

 

『今度こそ、今度こそ我が世を作る。我が治める世だ。────往くぞ』

 

『『はっ!』』

 

 バケゲンブが石段を降りていく。

 その後にバケイザリとバケカブトが続き、次々と黒い靄が集まり続いていく。

 それは、百鬼夜行と呼ぶには統率が取れ過ぎていた。

 さながら軍隊。

 全員、バケゲンブの背に続いていく。

 まだ全盛期には程遠いがバケゲンブの軍が作られていく。

 

 堅獄鬼将バケゲンブ。

 

 化神共を背に、いま蘇った────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 降りしきる雨の中、立ち止まる。

 もう、どうしたらいいのか分からず。

 薫を助けたい。

 けど、私にはそんな力はない。

 どうして、どうして私には……。

 

『ははぁ! 人間の娘だ!』

 

 飛び掛かってきたのは猿のような化神。

 驚いて腰を抜かしたのが幸運で結果的に化神を避けることに。

 ただ、こんなもの幸運でもなんでもない。

 私は化神に敵いっこない。

 だから一回避けた程度で助かるはずがない。

 そして、更に私を不幸が襲う。

 

『あの時の娘かぁ……!』

 

「あ、あの時の……!?」

 

 もう一体の化神が現れる。

 それも私が初めて襲われ、薫に初めて助けてもらった時のカマキリの化神。

 

「どういうこと……蘇ったの!?」

 

『ああ、バケゲンブ様のおかげでなぁ! これからこの町の人間共はバケゲンブ様復活を祝う宴のためのご馳走になるのさ!』

 

 バケゲンブ復活……?

 バケゲンブってたしか、薫のご先祖様が封印したっていう……。

 けど、なんで!

 

「そんな……薫のおばあちゃんがいるのに……」

 

『マイヤなら始末したそうだ。誰にも邪魔されず、今宵は宴じゃ!』

『ああ、若い娘の肉は美味。バケゲンブ様に献上するのだ!』

 

「ひっ……!?」

 

 迫る二体の化神。

 ああ、私、死んじゃうんだ。

 ごめん、薫……。

 私も、薫と一緒に生きたかったよ……。

 

 いつまでも、死は訪れない。 

 それとも、気付いてないだけで死んだのか。

 それでも……。

 まだ生きてる可能性に賭けて、目を開く。

 すると、そこには……。

 

「え……」

 

『あが……あ……』

 

 猿のような化神が、全身に黒い刃を生やしていた。

 

『また……またお前かぁぁぁ!?』

 

 猿のような化神が爆発すると、私は黒い翼に包まれる。

 細くも力強い腕に抱かれ、気が付くと空に浮いていた。

 

 こいつは、こいつは……!

 

()()()()()!」

 

 バケガラスは空いている右手で濡れた前髪をかき上げ、化神に向かって言い放つ。

 

『やめてくれないかなぁ。君達のきったない手でこの娘に触れようとするのは』

 



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第六夜 月

 雨に打たれ、水が滴る輪郭は間違いなく色男であることを示していた。醜悪なものが多い化神において、それはあまりにも異質な姿。そもそも人の姿を真似るということが一線を画する。

 

『バケガラス、貴様裏切るつもりか!?』

 

 宙に浮かぶバケガラスに向かい、バケトウロウは糾弾する。だが、バケガラスはどこ吹く風といった様子でいる。

 

『裏切る? そもそも僕はお前達と仲間だったことなんてないんだ。だから、裏切るってのは間違いだ。最初から敵とも思ってはいないが……お前達は醜い、この娘とこの地は美しい。それだけだ』

『意味の分からないことを!』

 

 バケトウロウは跳躍し、両腕の鎌でバケガラスと咲希を切り裂こうと迫る。攻撃されそうになっても、バケガラスは涼しい顔でいた。

 

「バケガラス……!」

 

『ああ、一瞬だけ待っていて』

 

 そう言うと、バケガラスは咲希を上空へと投げ飛ばす。

 

「へ? ちょっっっとぉぉぉ!?!?」

 

 一定の高度まで達すると、咲希は普通の人間なので当然、落下していく。

 豪雨と雷鳴に混ざる少女の悲鳴をBGMに、バケガラスは化神の姿へと戻る。

 暗い世界に、バケガラスの黄金の瞳が輝く。

 黒い刃を二刀構え、漆黒の翼を広げて迫るバケトウロウに向かい加速。

 通りすぎ様にバケトウロウを切り裂き、方向転換。

 

「おーちーるー!!!!!」

 

 絶賛、落下中の咲希を空中でキャッチして着陸。

 人の姿へと変身し、自身の腕の中にいる咲希に悪戯な笑みを浮かべる。

 

『どうだった? 迫力あっただろう?』

 

「こんの……ふざけんなッ!」

 

 バケガラスを一発殴らないと気が済まないと咲希の平手が飛ぶ。

 だが、それは容易く回避されてしまう。

 

『言っただろう? 僕と君は気が合っている。気が合っている君の考えはお見通し』

 

「なら、降ろして。今すぐ」

 

『それは嫌だね。どうやら、今はあいつ動けないようだし。今のうちにってね』

 

 余裕綽々といった様子のバケガラスであったが、咲希の睨み付ける視線に仕方ないと降ろしてあげることに。

 雨に打たれながらというのもあれだからとバケガラスお気に入りのバス停に入り、雨宿り。

 

「気が合ってて考えが分かるなら、分かるよね」

 

『ああ、説明するとも。と、言ってもさっきの奴等の言った通りさ。僕も、バケゲンブの力で蘇った』

 

 その言葉に、その単語に息を飲む。

 バケゲンブ。

 こんなことになった元凶。

 薫の、夜舞家の因縁の敵。

 

『バケゲンブはかつて、東北の地を治めていた化神の大将だ。堅獄鬼将バケゲンブなんて謂われている』

 

「そんな奴を、薫のご先祖様は封印した……」

 

『ああ。そして、その封印を守り続けてきた。ま、その守るべき封印は解かれてしまったわけだが』

 

「ボーケーガーラースー?」

 

『なんだよ、君が怒ることじゃないだろう』

 

 それは、そうだけど。だけど、カチンときたのでとりあえず怒る。

 ただ、それよりも……。

 

「バケガラスはさ、味方で、いいの?」

 

 化神は醜いと、切り捨てることも厭わないバケガラスの行動原理はバケガラスなりの美学である。

 美しいか、醜いか。

 美しいものは自分のものとして、醜いものには容赦などなく命を奪う。

 自分が助かっているのはバケガラス的に自分は美しい部類に入るから、らしい。

 

『……ま、美しい君の味方だよ』

 

「なら……!」

 

 立ち上がり、雨に打たれながらバケガラスと正面から向き合う。

 自分の言葉をぶつけるために。

 

「私の願いを聞いて。あいつら、この町の人達を襲うって言ってた。薫は動けないし、薫のおばあちゃんも心配……。だからお願い! みんなを、守って……」

 

 バケガラスはしばらく無言でいた。

 長い足を組み、こめかみに指を当てながら雨に打たれる自分をじっと見つめている。

 

『……化神なんかに、願うなんて。対価になにを持っていかれるか分からないよ』

 

「……分かった。なにが欲しいの」

 

『もちろん、君だ。僕のものになれ』

 

 悪戯な感じは一切ない、真面目な言葉。

 解答を間違えてしまえば、殺されてしまいそうな緊張が走る。

 ただ、それでもその願いは……。

 薫……。

 

「ごめん、それは出来ない。私は、薫と一緒に生きるって決めたから」

 

『……』

 

 私も、まっすぐバケガラスを見つめ返してそう答えた。

 これは、譲れない。

 

『その返答は……』

 

「なに?」

 

『いや、分かった。僕の出来る範囲でやるよ。というか、やってる。この町の人間は全員、僕の世界に入門させた。これで化神も襲えまい』

 

 ……まさか、もうそんなことをしていたなんて。

 では、この問答はなんだったのか。

 

『大体、美しいこの地を荒らそうって時点で僕の敵だ。美しいものは守るさ』

 

「……ありがとう、バケガラス」

 

『どういたしまして……』

 

 ひとまず、ここにいるのもあれなのでとりあえず……やっぱり、薫の家が一番安心なのかな。

 真姫さんもいるだろうし、うん。薫の家へ行こう。

 

「バケガラス」

 

『ああ、分かってるよ』

 

 重い腰を上げるかのように立ち上がったバケガラスを先導するように歩き出す。

 雨はすごいけど、立ち止まってはいられない。

 

「バケガラス早く!」

 

『ついていっているよ』

 

 どこか嫌々なバケガラスではあるがしっかりついてきているのでまあ大丈夫だろう。

 今は、とにかく急ごう!

 

 

 

 

 

「ごめん、それは出来ない。私は、薫と一緒に生きるって決めたから」

 

 さっきの返答が頭の中で反芻させられる。

 ああ、くそったれ。

 夜舞薫が恨めしい、羨ましい。

 

『その返答は……美しすぎる……』

 

 満点以上、期待以上の返答過ぎて、いけない。

 美しすぎて、僕なんかが汚していいものではない。

 夜舞薫、こんな娘と共に生きていけるなんて前世でどんな徳を積んだんだくそったれ。

 もしも、彼女を汚すようなことをしたら本気で呪ってやるからな。

 ああ、けどそんなことしたら彼女が悲しむ……。

 ああ、やってられない。 

 本当にやってられない。

 ただ、まあ……少なくとも、僕の美学は貫いてみせるさ……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薫の家はほんの少しの間に避難所として機能していた。

 広い家で、空いている部屋も多いので避難所として充分機能するだろう。

 お手伝いさん達が忙しなく走り回り、近所で見たような顔もちらほらと。

 なんとか避難出来て良かったと談笑する声があちこちから聞こえてくる。

 

「加藤!」

 

 私の名字を呼ぶ声は真姫さんのもの。

 玄関で立ち尽くす私達のもとへ駆け寄り、私が無事だったことを安堵してくれた。

 

「大体のことはバケガラスから聞いたよ。バケゲンブが蘇ったって」

「ああ、そうだ……。まて、加藤。今、なんて言った?」

 

 隣で、バケガラスが「あ~あ、言っちゃったよ」と溢したのが聞こえた。

 あ。そう、ここは薫の家。つまりは御伽装士の家。

 そんな場所に化神を連れて入ってきてしまったとなれば、そりゃこうなる。

 

「なぜ化神なんかといる!」

「あ、ま、待って真姫さん! これは、その……」

 

『僕もバケゲンブの力で蘇った。だからってバケゲンブに従うつもりはないよ。いまは、この娘のお願いを聞いてやってるところなんだ。別にお前達にはなにもしないよ』

 

 そうして、バケガラスは家の中に上がり込む。

 真姫さんが止める声も気にせず。

 私も慌ててバケガラスを追いかけて屋敷に上がる。

 

「ちょっとちょっと! なにしてるのさ!」

 

『なにって、夜舞薫の顔を拝むのさ。弱ってるんだろ? 笑ってやろうと思ってさ』

 

 こいつ、薫には当たりが強いというか突っかかりに行っているというかなんというか。

 美しいもの云々言ってるくせに薫に対する行動は美しくない。

 

「……薫様ならいない」

 

 絞り出したような声で、真姫さんが言った。

 その言葉の意味がいまいちよく分からなかった。

 

『は? 動けないんじゃなかったのか?』

 

「ああ……。だけどさっき、薫様の部屋に行ったら薫様はいなくなっていた。屋敷中探したけどどこにもいない!」

「そん、な……。あんな身体で動いたら! ……私、薫を探してくる!」

 

 踵を返し、走り出す。

 避難してきた人達の流れに逆らって、また嵐の中へ。

 もう既に全身びしょ濡れだから雨なんて気にしない。

 

 

 

「待て! 加藤!」

 

 駆け出そうとした真姫の前にバケガラスが立ち塞がる。

 バケガラスは真姫の顔を覗き込むようにして、話し始めた。

 

『他の御伽装士に応援はもう頼んであるか?』

 

「いや……。近隣の御伽装士達は強奪された怨面を取り戻す任務にあたっているとのことだ……」

 

『は? なんだそれ』

 

「私に聞くな! とにかく、今は加藤を!」

 

『邪気の流れが滅茶苦茶だから気付くのが遅れたが、ひとつ妙な気配がある。それが恐らく夜舞薫だ』

 

「なに……?」

 

『君は仕事があるんだろう? あの娘のことは任せろ。約束は果たす。約束を破るのは美しい行いではないからな』

 

 真剣な眼差しに真姫は気圧されつつも嘘はついていないと判断し、咲希のことをバケガラスに任せる。

 本当は主である薫のことが心配でそちらに向かいたい真姫ではあるが、もしこの状況下に薫がいたらなんと自分に指示を飛ばすだろうかと考え、自身に課せられた任務をひたむきにこなすのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 合流したバケガラスが翼を傘代わりにしてくれた。

 バケガラスのいう妙な気配を辿り、山道を歩いていると夜舞神社に行き着いた。

 そこで倒れている人を見つけ駆け寄ると、倒れていたのは薫のおばあちゃんで、出血もしている。

 

「おばあちゃん! おばあちゃんしっかり!」

 

 雨音に負けぬように声を張って呼び掛けるも意識は戻らない。

 どうしよう、応急処置なんて出来ないし……。

 頑張ってお屋敷まで運んで……。

 

『大した奴だ。急所は外している』

 

「そんなこと言ってる場合!? 運ぶから手伝って!」

「……必要ない」

 

 か細い声で、意識を取り戻した薫のおばあちゃんが必要ないなんてことを言う。

 

「……どうせ、長くない命だ。それに、化神に助けられるなんて、私は嫌だよ……」

「今はそれどころじゃないでしょ! おばあちゃんは薫の唯一血の繋がった家族なんだから! 生きなきゃ駄目!」

「薫……」

 

 おばあちゃんは握りしめていた右手を私の手に重ね、何かを手渡してきた。

 これは……。

 

「マイヤの怨面……これを、薫に……。それと、薫に……すまない、と……」

「おばあちゃん!」

 

 おばあちゃんの意識がなくなる。

 早く運んであげないと……!

 

『……はいはい。僕が運んでいきますよ』

 

 私の考えを読んだバケガラスがおばあちゃんを抱き上げ、渋々といった感じで言う。

 分かっているならよし。

 

『婆さんとはいえ御伽装士。そこらの人間よりは頑丈だから大丈夫だろ。……気配は真っ直ぐこの先だ。それに、多分そいつの方がより正確に案内してくれるだろ。ま、早めに戻るよ』

 

「うん。お願いね」

 

 飛び立つバケガラスを見送り、歩き出す。

 薫がいつも身に付けていたネックレス。

 マイヤの怨面は仄かに熱を帯びていた。

 おばあちゃんがずっと握りしめていたからだろうか?

 いや、この熱は薫の場所を伝えてくれる。

 バケガラスの言った通りに歩き始めると、怨面の熱が上がった気がする。これは、近付いているということだろう。

 そして……。

 

「これ、は……」

 

 大きな木にくっついている、蛹のようなもの。

 マイヤの怨面は火傷しそうなほどに熱を発している。

 ということは、やっぱり……。

 蛹に手を当てると、蛹の中のものが脈を打つ。

 これは、生きている。

 マイヤの怨面も私の手から離れ、蛹の中へと沈んでいく。

 

「薫……? 薫なの? ねえ! 薫、薫!」

 

 蛹の中へ呼び掛ける。

 返事はない。  

 けれど、脈は打ち続けている。

 どうしてこんなことになったのかは分からない。だけど、薫の名前を呼び続けなきゃいけない気がしてひたすらに呼びかけ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 バケゲンブの砲撃により作られた更地が化神軍の陣となっていた。

 その陣はいま、化神達の困惑で騒々しくなっていた。

 

『おい! 人間はいたか!』

『いねぇ! どこにもいねぇよ!』

 

 配下達が騒がしい。

 人がいない、もぬけの殻だと言う。

 忌まわしい御伽装士共の力か?

 いや、この気配は……。

 

『ふむ……』

『どうされました総大将』

『邪気に紛れて、術をかけた者がいる。化神の術だ』

『まさか、裏切り者が』

『至急、始末しろ』

『はっ!』

 

 バケカブトが何体かの化神を引き連れ探索にあたる。

 これほどの術を扱う者に興味はあるが敵対する者は殺す。

 また、この術の読み取らねばいかん。

 この術をどうこう出来る者が配下の中にいないのであれば、我がやるしかなかろう。

 無数の邪気を掻き分け、鼠を炙り出してやろう……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長い、長い、戦いを見続けていた。

 自分の、夜舞薫の戦いの記憶を。

 黒い空間の中で一人、私は漂っていた。

 

 あなたは、よく戦い続けた。

 あなたはこの四年間で百体は化神を葬ってきた。

 あなたはよくやった。

 厳しい修行を乗り越え、一人前と認められ、マイヤとして戦った。

 

 優しい声色。

 突如、それは転調し首を強い力で絞められる。

 

 だがその代償に肉体はまるで硝子細工のように美しく、脆く、儚い。

 男の身体を女性のように仕上げ、男の心と女の心を同居させている。

 それで、なんの支障も来さないわけがない。

 あなたは壊れかけている。

 

 あなたをそうしたのはあなたではない。  

 祖母である。

 夜舞家である。

 

 こやつらはお前を完成させると言って、その実、お前を壊していたのだ。

 お前の身体を、お前の心を、お前の人生を。

 

「ちがう……」

 

 違わない。

 お前は憎いはずだ。

 祖母が、家が、御伽装士が、化神が、世界の全てが。

 

 思い出せ、母が死んでから父までお前は奪われたのだ。

 誰もお前を助けなかった。

 真姫という小娘も、お前に寄り添うふりをしているだけでなにもしてはくれなかった。

 

「ちがう……」

 

 お前は、朽ちていく。

 それがお前の定め。

 そう定められてしまったのだ。

 哀れな者よ。

 お前は男でも、女でもない。

 お前は何者でもない。

 お前は異形だ。

 お前は身体と心を改造されて、人ならざるものとなったのだ。

 お前は化神とも違う、『夜舞薫』という名の異形へと作り替えられたのだ。

 

「ちがう……。私は、俺は……人だ……」

 

 そのような歪な形でなにが人だ。

 お前は、哀れな異形。

 人を守るためにと人柱として選ばれ、人という在り方を剥奪されたもの。

 

「ちが……」

 

 お前には権利がある。

 お前には、世界を壊す権利がある。

 憎しみの刃を振るう権利だ。

 憎き者共に噛みつく権利だ。

 

「誰も、憎んでなんか……」

 

 いいや、憎んでいる。

 お前は憎しみに溢れている。

 お前は全てを憎んでいる。

 憎まなければ、おかしい。

 

 ……真実を教えてやろう。

 

「真実……?」

 

 男のマイヤは早死にする。

 マイヤの呪い。

 その呪いを回避するために、男のマイヤは女として育てられ女として振る舞う。

 お前の血族は何百年もそうしてきた。

 より女に近付くための研究も重ねてきた。

 その果てにお前がいる。

 

 そして、真実とは……。

 マイヤの呪いなど、存在しない。

 

「え……?」

 

 全て、偶然。

 偶然だったのだ。

 たまたま、男のマイヤが早死にすることが三回ほど続いてしまった。

 それを、お前の先祖は私の呪いと言って私に呪いを押し付けた。

 そうだろうなぁ、偶然が続けばそう思いたくもなるよなぁ?

 

「あなたに、押し付けた……。マイヤ……では、あなたは……」

 

 呪いという在り方を押し付けられた私の羽は穢れ、そして呪いは真実となろうとしている。

 お前を殺すことで、マイヤの呪いは生まれる。

 

「そんな……」

 

 さあ、呪いを完成させよう。

 夜舞薫の命をもって。

 この呪いが、お前達血族を根絶させる。

 

「がっ……あ、あぁぁぁぁ!!!」

 

 全身に広がる、蝶の紋様。

 変身の時とは比べ物にならないほどの痛みが襲う。

 これが、マイヤの呪い……?

 

 戦いの中で死ぬことを選んだな。

 そんなこともさせない。

 ここで夜舞薫は私によって呪い殺される。

 恨むなら、夜舞の血を恨め。

 

「だめ……! ここでは、死ね……ぐぁぁぁぁ!!!!」

 

 死ね、死ね、死ね、死ね、死ね。

 私の羽を穢した罪を償え。

 全てを憎み死んでいけ!

 

 いや……いや……。

 そんな……戦いの中で死ぬことも、出来ないなんて……。

 意識が闇へと堕ちていく。

 あぁ……私/俺とは、一体、なんだったのだろうか……。

 

 

 

 

 

『薫!』

 

 今の、声は……。

 

「咲希……」

 

『薫……。どうしちゃったの……。町がいま、大変なんだよ……。薫のおばあちゃんも化神にやられちゃって……もう、薫しかいないんだよ……』

 

 薫しか、いない……。

 

『ええ、そうよ……。いま、この地を救えるのはあなたしかいない』

 

「誰……?」

 

 この場で初めて響いた第三者の声。

 声の主に問いかけたが、この声には聞き覚えがある……。

 

『薫』

 

「あ……あ……お母、様……」

 

『薫。あなたは、夜舞薫。私の跡を継いで戦ってくれた立派な子。ごめんね、いっぱい辛い思いをさせちゃったね……』

 

 目には見えない。

 けれど、お母様の両腕が私を包んでくれたことが伝わる。

 

『私が死んじゃったから、おばあちゃんは薫を強く育てなきゃって焦っちゃったの。本当は、薫のことが大事で、大好きなのにね……。覚えてる? 三人で朝日を見に行ったこと……』

 

 三人で、朝日を……。

 

「あ……」

 

 あれは、私がまだ本当に幼い時のこと。

 まだ暗い時間に散歩だと起こされ、おばあ様とお母様と三人で山の上から昇る朝日を見に行った。

 

「薫にはまだ早いんじゃない? おばあちゃん」

「そうだねぇ……。早かったかもしれないけど、大事なことだよ。今は意味が分からなくてもね、きっと薫が大きくなったら、意味が分かるようになるよ」

 

 二人の会話を、お母様に抱かれながらぼんやりと聞いている幼い日の自分がいる。

 

「ほら、薫。太陽が昇るよ。いいかい薫。私達夜舞家、マイヤはね、夜に舞うんだ。人を襲う化神と戦うためにね。そして、人々が安心して朝を迎えられるようにする。だからね、この平和な朝こそ私達が守るものなんだよ。……楓もだよ」

「分かってるって、母さん」

 

 朝日に照らされるおばあ様とお母様が、とても眩しかった。

 そこにあるのは誇り。

 遥かな古から続く使命を受け継ぎ、人々を守り続けてきた者達。

 

「────ああ、忘れて、いました」

 

 どうして忘れてしまったのだろう。

 私は、夜舞薫はこの二人に憧れたというのに。

 夜舞薫も二人のように、歴代のマイヤ達のように人々を守りたいと思ったのに。

 

『薫! 薫!』

 

「咲希……」

 

『薫。大切な人なんでしょう? 守ってあげなきゃ。戦いの中で死ぬなんて駄目。薫がこっちに来るなんて早すぎるからね』

 

「分かりました……! 私/俺は、生きる! 生きて、守り抜きます!」

 

『いい顔してる。それじゃあね、薫。お母さんは、いつも薫のことを見守ってるからね……』

 

 お母様……。

 

 

 気が付くと、身体を襲う痛みは消えていた。

 黒い世界も白い世界へと変わり、そこには一人の少女がいた。

 白く、透き通るような、感情など持ち合わせないといった顔の少女が。

 美しい、蝶の羽を持つ少女が。

 

「あなたは、マイヤ?」

 

『そう。おめでとう、それとありがとう薫。あなたは羽化することが出来た』

 

「羽化……?」

 

『ずっと、ずっと待ちわびていた。私の呪いに打ち勝つ者を。あなたは呪いに打ち勝った。私の羽を取り戻してくれた』

 

 羽を羽ばたかせるマイヤはほんの少しだけ嬉しそうな表情を浮かべていた。

 

「あなたに呪いを押し付けてしまったこと、夜舞家歴代マイヤを代表して謝罪いたします……。私達に力を与えてくれていたというのに……」

 

『いいの、もう。薫が解き放ってくれたから。だから、薫も行かなきゃ。バケゲンブの封印が解かれてしまった。今度こそ、今度こそバケゲンブを討って。夜舞家の悲願であり、私の願いでもある。薫には、それが出来る。だから私の力の全てをあなたに。さあ、目覚めて────』

 

 光に包まれる。

 いざ、いざ……戦いの空へ飛び立とう。

 大切な人も、すべても守るために……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『見つけたぞ』

 

 バケゲンブが空に手を翳すと空が割れ、ヒビが広がっていく。

 そして、砕けるバケガラスの世界。

 

『なにッ!?』

 

 空を飛び、咲希のもとへ急いでいたバケガラスは自分の世界が砕かれたことに驚き、飛行を止めてしまった。

 それが、仇となる。

 高速で飛来する二つの高熱球体。

 バケゲンブの肩の砲から放たれた砲弾がバケガラスへと迫る。

 

『チッ!?』

 

 なんとか回避するバケガラスであった。

 だが、砲弾の余波だけでバケガラスの翼に火の手が回る。

 

『余波だけでこれだけの威力……!』

 

 一時的に飛べなくなったバケガラスは咲希を見つけると力を振り絞り咲希のもとへと降り立つ。

 

「バケガラス!? どうしたの!?」

 

『僕の世界が破られた。屋敷に戻るぞ、あそこは結界があるからまだ少しは持ちこたえられる』

 

「そんな、でも薫が!」

 

『見つけたぞ、裏切り者』

 

『チッ!』

 

 バケゲンブより裏切り者の探索を命じられていたバケカブト達が現れる。

 バケカブトはともかく、他の化神達は雑魚なので普段は楽勝であるがとバケガラスは考える。

 先程の負傷により万全とは言えない状態で多勢に無勢。

 咲希を連れて逃げることも難しい。

 万事休すかとバケガラスに諦めの文字が付きまとう。

 けれど、咲希は諦めない。

 

「薫! 薫!」

 

『そこのうるさい女から始末しろ』

 

 バケカブトに命じられ、トンボ型の化神バケヤンマが迫る。

 バケガラスも追い付けぬほどの高速で飛行し、一瞬で咲希へと近付いたバケヤンマはしならせた尾の先のトゲで咲希を貫こうとする。

 

『咲希────!』

 

 咲希は死を覚悟した。

 だが、ただ死ぬのではない。

 この蛹、薫を守って死のうと。

 だが、そんなこと……。

 

「この俺がさせるかよ」

 

 突如、蛹が光を放ちバケヤンマを焼き尽くした。

 バケヤンマだけではない。

 間一髪、回避することが出来たのと硬い鎧のような皮膚で覆われていたバケカブト以外の敵対する化神は全て、焼き尽くされてしまったのだ。

 

『なにッ!?』

 

 光は柱となり天を貫く。

 すると、空が泣き止んだ。

 

 空は悲しむのをやめた。

 月が地を覗き込む。

 そして、それが生まれるのを見届けた。

 

『……遅いんだよ』

 

「────薫ッ!」

 

 光の中から現れるは、夜舞薫。

 紫の地に蝶が舞う着物を身に纏い、蝶を侍らせていた。

 

『御伽装士……!』

 

「バケカブト……。よくも、俺の大切なものに手を出してくれたな。夜舞薫の名にかけて、お前を討つ」

 

 マイヤの怨面を手にし、変身の構えを取る薫。その時、怨面からの声を聞いた。

 新たなる変身。

 その力を、使うのだと。

 

「分かりました、マイヤ……」

 

「オン・ビシャテン・テン・モウカ────マイヤ・ボウゲツ。超/蝶変身(ちょうへんしん)!」

 

 全身を巡る蝶の紋様。

 そして、変わる姿は……。

 

 それは、これまでのマイヤとは一線を画す姿であった。

 全身、銀色の岩のような装甲に覆われた姿。

 頭部は蝶を模したものではなく、三日月のような、あるいは蛹のような形状。

 さながら、月のよう。

 

『姿が変わったところでッ!』

 

 バケカブトが剣を手に駆ける。

 対し、マイヤ・ボウゲツは一歩も動かない。

 振り下ろされる剣。

 マイヤ・ボウゲツの左肩を直撃した剣は、激しい火花を放ちながらその刃を落とした。

 

『なにッ!?』

 

「はあぁぁぁッ!!!」

 

 折れた剣に呆気取られるバケカブト。

 その隙を、マイヤ・ボウゲツの拳が穿つ。

 強烈な拳による一撃は、バケカブトを一撃のもとに粉砕する。

 爆発。

 残るは突きの姿勢を崩さぬマイヤ・ボウゲツ。

 超怪力と超硬度の戦士。

 それこそが、マイヤ・ボウゲツ────。



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第七夜 戦いの刻

 変身を解除すると、咲希が駆け寄り抱きついてきた。

 まだそこら中燃えてるので危なっかしくて肝が冷える。

 

「薫ッ!」

「咲希……。ごめん、心配かけた」

「ほんとだよ! 薫がなんか蛹になってる間に薫のおばあちゃんやられちゃったりしたんだよ! バケガラスが運んで今はお屋敷で治療してもらってるはずでバケゲンブがどうたか化神がどうたかで~」

 

 知識もないし、起きたことをとにかく説明しようとするからまるで意味が分からないけど事態は大体把握している。

 とりあえず、まずは……。

 

「バケガラス」

 

『……なにかな』

 

「礼を言う。祖母のこと、それから咲希のこと。守ってくれたんだろう」

 

『僕はお前の弱ってるところを見に来たんだぞ。だってのに、お前。だいぶ調子良さそうだな。僕と戦った時以上に』

 

「……まあな」

 

 バケガラスに背を向け、アラシレイダーを呼ぶ。

 一旦、屋敷に戻っておばあ様の容態を見たい。

 

「よし、来たな……。咲希、後ろ乗れ」

「うん……って、着物でバイク乗るの?」

「下、これ着てる」

 

 咲希に足を見せる。

 着物の下に特殊な革製のボディースーツを纏っているのだ。なので帯を外せば着物はロングコートのように羽織る形となる。

 ……さて。

 

「……おい、バケガラス」

 

『今度はなんだ……』

 

「怪我して飛べないってんなら、咲希送ったあとで迎え来てやろうか」

 

『いらねぇ。絶対にいらねぇ』

 

 あっそとだけ返してアラシレイダーを走らせる。

 ははっ、してやったり。

 

「ねぇ、なんで薫もバケガラスもお互い突っかかるようなことするのさ」

「なんでって、そりゃ……恋敵、だから」

「えー? なに? 聞こえなかった!」

「なんでもない!」

 

 アクセルを吹かし、音をかき消す。

 屋敷まで、アラシレイダーなら一瞬だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「薫様ッ!」

 

 私を見つけた真姫がこれまた駆け寄り、抱きついてきた。

 おい、結構な人に見られてる。

 

「ご無事なのですよね? いやご無事? いやご無事。いやいやあれだけの怪我をなさっていたのに……」

「真姫、今はいいから。おばあ様の容態は?」

「はい……。正直、危険な状態です。清水医師が処置にあたっていますが医療施設ではありませんから……」

「……そうですか。おばあ様には、会えますか?」

 

 こちらですと真姫に案内されついていく。

 特に使われていない部屋におばあ様が寝かされ、医者である清水と医療の心得のある平装士が数名。

 処置は終わった……というより、出来る限りのことはやり終えたといった様子。

 清水も平装士の人達もこちらの顔を見て一斉に駆け寄ってくる。

 

「薫くん……! 無事だったんだね」

「はい。ご心配をおかけしました……。その、おばあ様は……」

「……現状、出来る限りのことはした。正直、センさんの生命力に驚いたよ。普通の人ならもう死んでるって状態だった。あとは、センさん自身の力に賭けるしか……」

「……分かりました。ありがとう、清水。……二人きりにさせてもらってもいいか」

 

 分かったと、清水は平装士を連れて退室。真姫も廊下で待機すると言い、襖を閉めた。

 怨面の待機形態であるネックレスを外し、握り締めた手で意識のないおばあ様の手を取る。

 

「おばあ様……」

「かおる……」

「おばあ様!」

 

 意識が戻ったのかと思ったが、目は閉じたままで夢現といった様子。

 

「かおる……すまない……」

「おばあ様……。薫は、おばあ様を憎んでなどおりません……。だからどうか謝らないで……目を開いてください……」

 

 おばあ様から返事はない。

 だが、穏やかな顔にはなった。

 大丈夫。

 おばあ様はきっと、大丈夫。またいつものように厳しく叱りつけるようになる。

 だから……。

 

「行って参ります」

 

 終わらせよう。

 この戦いを。

 夜舞家因縁の敵、バケゲンブ。

 お前を、夜舞薫の全身全霊をもって打ち倒す。

 

「薫」

「薫様」

 

 部屋を出ると咲希もこの部屋の前に来ていた。

 

「真姫、お前は避難してきた人達の面倒を見ていてくれ。雨は止んだが朝になるまで外には出ないように引き止めておくんだ」

「分かりました」

 

 真姫は指示を受け、早速動き出す。

 仕事が早くて、本当に優秀な従者だ。

 そして……。

 二人きり。

 月光の青い光に包まれて、咲希は俺の言葉を待っていた。

 

「……家族は無事だったか」

「うん。さっきみんなと会えた。ちゃんと避難出来ててよかった……」

 

 涙声で話す咲希に微笑みかける。

 そうか、よかったなと。

 家族がみんな揃っているならば、どこにいたって大丈夫だろう。

 

「咲希……」

「うん……」

「……正直なところ、帰ってこれるか分からない。援軍はバケガラス一人で、敵はバケゲンブが率いる軍勢だ。奴の力を受けて、一体一体の強さも増してるだろう」

 

 こんな状況で、生きて帰ってきたらそれこそ奇跡だろう。新たな力を手に入れたとはいえ、数の暴力には敵わない。

 そんな絶望的な話を、咲希は黙って聞いてくれていた。

 ……きっと、これから話すことを分かっているからだろう。

 本当に、こいつは強い。

 

「それでも俺はバケゲンブに勝って、生きて帰ってくるつもりだ。……お前と共に生きるために」

「うん……。そうだよ、約束だよ」

「ああ、約束だ。だから、お前には……咲希には、夜舞薫が帰る場所になってもらいたい」

「────はい」

 

 月光に咲く笑顔は美しかった。

 夜舞薫はこの笑顔を生涯忘れることはないだろう。

 

 夜舞薫は君に憧れていた。

 この町の外からやってきて、いろんな話をしてくれた。

 夜舞薫は君に救われた。

 夜舞家という家柄から、違う世界の人間だと周りから思われ、そういう風に扱われてきた。だけど君はそんなものを知らないから、夜舞薫に遠慮なくいてくれた。

 そのことが、なによりも嬉しかった。

 だから……。

 

「朝には戻る。必ず帰ってくる。だから、いってくる」

「いってらっしゃい」

 

 背に送り出す言葉を受けて、戦いに赴く。

 君とまた、いつもの日常に帰りたいから。

 絶対に、生きて帰ると誓って────。

 

 

『行くのか』

 

 門に背もたれるバケガラス。

 当然、俺は行けるわけだが。

 

「ああ、お前こそ行けるのか?」

 

 先程の負傷があり、さっきは援軍として数にいれたが正直戦力として怪しいところがある。

 

『舐めてくれるな。僕はお前に実質勝ってるんだぞ。僕より弱い奴に心配なんてされたくないね』

 

「は? あの時、勝ったのは俺だ。それに、お前が勝負を投げ出さなくても俺の方が勝ってただろうさ」

 

『なんだと?』

 

「やるか?」

 

 睨みあう。

 バケガラスのが無駄に、無駄に背が高いので見上げる形で睨み付ける。

 見下ろされて睨まれんのは滅茶苦茶、腹立たしいが……。

 

「それだけ減らず口叩けんなら大丈夫そうだな」

 

『最初からそう言っている』

 

 御伽装士と化神。

 決して相容れない者同士、並んで歩き始める。

 相容れないが、同じ人を愛した者同士ではある。

 そんないらない共通項だけの繋がり。

 こいつは自身の美学に則って、夜舞薫は使命と誇りのため。

 そのために戦う。

 

「戦いの前に、寄る場所がある」

 

『これ以上、どこに寄り道する気だ?』

 

「夜舞神社だ」

 

 

 

 

 境内の中に散らばる木片と金属片。

 木片は木箱のもの。そして、この金属片は……。

 

『なんなんだ、これ』

 

「……かつて、バケゲンブを封印した際に初代のマイヤは厄除の槍を用いて封印を施した。これはその、バケゲンブを封印した時に用いられた厄除の槍の刃だ」

 

 封印するにあたり夜舞神社が建立され、夜舞神社の御神体として厄除の槍の刃は剣として鍛え直され奉納されたという。

 そして、この刃に封印の力をこめるのが夜舞神楽でもある。

 

『封印の力、ね。今じゃ残滓も感じられない、ただの金属だ。化神の僕が触れてもなんともない』

 

「……そうだな」

 

『験でも担ごうってか? 弱気なことで』

 

「言ってろ。とにかく、一度はバケゲンブを封印したものだ。奴にとって、苦手なものだろう」

 

 散らばる破片の中から一番大きなものを見つけて拾い上げる。ちょうどよく、切っ先が形を保ったままでいてくれた。

 

「今度こそ行くぞ」

 

 夜舞神社を後にして戦場へと赴く。

 邪気で満ち満ちているがそれでもバケゲンブのものはよく分かる。

 強く、硬く、鋭く、常人なら容易く恐怖で支配してしまうだろう。

 

 夜舞神社のあるちょうど反対側の山が崩されている。

 あそこが、化神達の陣地。

 

『有象無象はまともに相手しなくていい。バケゲンブの力で蘇っている奴等だ。バケゲンブを倒せば消える』

 

「……いいのか、お前も消えるぞ」

 

『僕はあそこで美しく終われた。美しく弔ってもらった。────今の僕は、その美しさを裏切っている』

 

「……そうか。じゃあ、行くぞ」

 

 怨面を手にする。

 最後の変身にはさせない。

 最後なのはバケゲンブ、お前の方だ。

 

「オン・ビシャテン・テン・モウカ。舞え、マイヤ────。変身ッ!!!」

 

 纏うは美しき戦闘装束。

 蝶を模した面、引き締まった肉体を強調させるスーツは薄い紫。紫は高貴なる色。夜舞家という誇りある高貴な一族の当主であることを示し、全身に散りばむ光は星々のよう。

 御伽装士マイヤ、見参。

 

『フッ……』

 

 黒い翼で覆われるバケガラスの身体。

 翼が開かれると美丈夫は消え、黄金の瞳を輝かせる美しい異形が現れる。

 

「参るッ!!!」

 

 アラシレイダーに乗り込んだマイヤは神社の石階段を駆け降りていく。

 バケガラスは翼を広げ、空から敵地へ侵入する。

 

 

 

『来たか、マイヤ……!』

 

『御伽装士と裏切り者。たった二人だ! 即潰せ!』

 

 バケイザリが化神達に指示を飛ばす。

 化神の群れが波を打つ。

 まず第一陣が迎え撃つ。

 荒野を駆け抜けるマイヤ達に向かい火炎が、魔弾が放たれる。

 アラシレイダーを操るマイヤはその尽くを回避し、敵陣に向かい突っ込んでいく。

 

「退魔覆滅技法 鉄馬咆哮!」

 

 アラシレイダーは宙を舞う。駆動音をけたたましく吼えさせて。

 その音に耳を塞ぐ化神達。

 身動きの取れない化神達の中央にアラシレイダーは着地。その衝撃で化神は砂埃と共に吹き飛ばされる。

 マイヤは気にせず疾駆し、バケゲンブのもとへ向かう。

 

 バケガラスは上空で空を飛べる化神の相手をしていた。

 黒羽の刃を放ち、バケガラスを追う化神達を次々と撃ち落としていく。

 そして、上空から化神達を制圧していく。

 マイヤの道を作るために。

 

『たかだか二人になにをしている!』

 

 バケイザリが檄を飛ばす。

 その様子を見ていたバケゲンブは腰掛けていた大岩からおもむろに立ち上がると肩の砲に光が灯り、放たれる。

 

『ふん……』

 

 弾速は遅く、ゆったりとしたものでバケガラスは容易く回避することが出来たがそもそもバケガラスを狙って放たれたものではない。

 そして、バケガラスは一度これを食らったことがあるので分かる。分かるから、叫ぶ。

 

『マイヤ避けろ! 余波だけでもとんでもない威力だ! 離れろ!』

 

「ッ!?」

 

 空より迫る、二つの砲弾。

 弧を描き、マイヤを狙う。

 アラシレイダーのアクセルを全開にして最高速で駆けるマイヤであったが、その砲の威力はバケガラスの時のものとは違った。

 背後からの衝撃、強風にアラシレイダーごと吹き飛ばされるマイヤ。

 着弾地点とその周囲にいた化神達は焼却され、塵すら残らない。

 

 バケゲンブの肩の砲から放たれる砲弾は二種類ある。

 ひとつは弾速を高めた『ジャダン』

 もうひとつはいま放たれた威力に特化した『キダン』

 

 起き上がるマイヤに無数の化神が群がる。

 幻術を用いて躱すも、ここはどこもかしこも化神だらけ。

 どこに逃げようと、化神に囲まれる。

 アラシレイダーも先程の衝撃で駆動系が破損し走行不能。

 機動力を失ったマイヤには、バケゲンブへの道が果てしなく遠くなったような気がした。

 

「くっ……」

 

『御伽装士の首を獲れ!』

『討ち取るのだ!』

 

 次々と襲いくる化神。

 さばいてもさばいても湧いてくる。

 

「退魔道具! 雷神の鼓! 風神の風袋!」

 

 二つの退魔道具を装備し、風と雷で化神を圧倒していくマイヤ。

 風で道を開けさせ、雷の檻で化神を近付けさせない。

 そうして開いた道を、風を推進力に駆け抜ける。

 

「バケゲンブ!」

 

 目視出来る距離まで近付き、このまま一気に近付いてやろうと風袋を最大出力にする。

 だが、それはバケゲンブに好機を与える。

 バケゲンブの砲口がマイヤに向く。

 そして、放たれるはジャダン。

 高速の砲弾がマイヤと正面衝突しようとしている。

 マイヤも最高速で直進しており回避は出来ない。

 砲弾が当たれば消滅するのはマイヤである。

 白い光がマイヤを包む……。

 

『夜舞ッ!』

 

 勝利を確信する化神達。

 その叫びを聞くまでは。

 

「────超/蝶変身(ちょうへんしん)ッ!!!」

 

 砲弾を打ち消し現れるは月の蝶、マイヤ・ボウゲツ。

 風を背に受け、頑健な鎧を纏う自身を砲弾としてバケゲンブへと拳を放つ。

 

「おらぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」

 

 肉壁となる化神共を消滅させ、その拳はバケゲンブへと届く。

 バケゲンブの手の中に、であるが。

 

『ほう……』

 

「ッ……!」

 

 並みの化神であれば一撃で粉砕するマイヤ・ボウゲツの拳を受け止めるバケゲンブの怪力。

 二者の腕力は、拮抗していた。

 

『我が見えたマイヤはそのような姿をしてはいなかった。面白い。力比べだ、殴り合おうぞ!』

 

「うおおおお!!!!!」

 

 四方を化神の観客達が囲むリングが生まれ、バケゲンブとマイヤ・ボウゲツによる拳の応酬が始まる。

 互いの拳が、互いの身体を打ち続ける。

 防御はしない。

 それぞれの肉体はこの世界屈指の鎧で包まれているからだ。

 また、マイヤ・ボウゲツは高い回復能力を備えており負傷もたちどころに完治する。

 そんな二者に防御の必要はなく、ひたすらに拳を打ち続けるのみ。

 

「バケゲンブゥゥゥ!!!!!」

 

『面白い! 面白いぞ! 今宵のマイヤは骨があるッ!』

 

 化神達の歓声を割いて、マイヤとバケゲンブの叫びがぶつかり合う。

 

『我を封印したマイヤは正面から戦いはしなかったからな。嬉しいぞ!』

 

「てめぇを封印はしない! 倒す!」

 

 雄々しい肉弾戦に化神は躍る。

 それを一人、冷めた様子で見下ろすバケガラス。

 羽を両手で一枚ずつむしると黒き剣となり、二刀を振りかざし急降下。

 

『はぁぁぁぁッ!!!!!』

 

 頭上からの一撃をバケゲンブは回避も防御もせずに食らう。

 宵に咲く火花を目眩ましにしてマイヤ・ボウゲツは駆ける。

 

「おらおらおらおらぁ!!!!!!!」

 

 巨躯の懐に入り込み、マイヤ・ボウゲツの拳が乱れ打たれる。

 

『ぬあああッ!!!!』

 

 これには流石のバケゲンブも堪えたようで膝を地につかせた。

 その光景に化神達はどよめく。

 自分達の大将が膝をついたぞと。

 

「しゃあッ!!!」

 

『ぬう……』

 

『バケゲンブ様!』

『バケゲンブ様をお助けしろ!』

 

 四方を囲む化神達が雪崩れ込む。

 マイヤ・ボウゲツを飲み込まんと迫る。

 

「チィッ!」

 

『よおマイヤ! 随分と不細工になったじゃないか!』

 

 バケイザリの鋏がマイヤ・ボウゲツの首を鋏み、押し出していく。

 だが、即座に鋏を掴んだマイヤ・ボウゲツは踏み止まる。

 

『だいぶ調子がいいみたいだな! なんだ? 婆さんの仇でも討つか? あ、婆さんだけじゃなく母さんの仇もか。ハッハッハッ!』 

 

「こいつッ!」

 

 鋏を押し退け、バケイザリへと拳を向けるが次々と立ち塞がる化神達が壁となりバケイザリは化神の群れの中に消えていく。

 

『ァァァァ……アアッ!!!』

 

 地に膝をついていたバケゲンブが唸ると、バケゲンブの身体に巻き付いていた黒い蛇が動き出し、マイヤの前に立つ化神達を丸呑みにしていった。

 

「化神を……!」

 

『良き闘争だ……。本腰を入れてかからねばならん』

 

 そう言いながら立ち上がるバケゲンブに歓声が上がる。

 第二戦目の始まりは、バケゲンブの拳からであった。

 先程と変わらぬ肉弾戦ではあるが、ここで初めてマイヤ・ボウゲツは腕を交差させ防御の構えを取った。

 

 そう、マイヤ・ボウゲツが防御したのだ。

 

「ぐっ……!」

 

 後退るマイヤ・ボウゲツ。

 それほどまでにバケゲンブの拳は重い。

 

『フッ……ハァァァ……ハァッ!』

 

 二刀に黒き邪気を滾らせ、バケガラスの斬撃刃が放たれる。だが、その刃はバケゲンブの蛇が呑み込み、打ち返される。

 

『ぐっ……!?』

 

 剣で防御するも腕が痺れ、剣を握るので精一杯。

 飛びながら羽を撃ち出すもバケゲンブは最早、意にも返さない。

 

『我が兵よ! 我が具足となれ!』

 

 バケゲンブの号令で化神達は黒い靄となり、バケゲンブのもとへ集結していく。

 バケゲンブの巨躯を覆うほどの穢れ。

 それが脈を打つように数度震えると穢れは霧散し、空は赤く染まり、バケゲンブ本来の姿が顕現する。

 

『■■■■■■■!!!!!!!』

 

 その咆哮が大気を震わせる。

 マイヤ・ボウゲツとバケガラスはそのあまりの巨躯を見上げる。

 

「亀っつうか……。戦艦だろ、これ……!」

 

 大地を震わす四本の足。

 奇岩を思わせる禍々しい棘の生えた甲羅。

 巨体全体に巻き付く大蛇。

 名に違わぬ、玄武。

 暗天の赤き世界にその姿を現した。

 

『来るぞッ!』

 

 幾つか甲羅にある穴、これは砲門であった。

 放たれた砲弾は放物線を描いて次々と着弾していく。

 大地は次々と爆ぜ、燃え上がり、その中でマイヤ・ボウゲツはもがく。

 なんとか反撃を試みるも最早それどころではない。

 

「くそッ! ぐぁぁぁ!!!!」

 

 バケガラスも助けに行きたいが、行ったら自分が爆発に巻き込まれ消滅してしまう。

 バケゲンブの砲撃を止めることは出来ないかと、痺れが治まった両手を握り直し剣を構える。

 だが、攻撃の意思を察知した大蛇がバケガラスも己が血肉に変えようと牙を向く。

 

『チィッ! 邪魔だよ!』

 

『どうした! なにも出来ぬか! もっと食らいついてこい!』

 

 戦場に、バケゲンブの笑い声が木霊する。

 蹂躙されていく二人に、なす術はあるのか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「雨は止んだんだべ、家さ帰ってもええべ?」

「駄目です。土砂崩れの危険がありますので明るくなるまではここに留まってください」

 

 深夜三時ほど。

 眠れない夜を過ごす。

 真姫さんのお父さんが主体となってこの臨時の避難所を運営している。

 バケゲンブの出現により降りだした豪雨は止んだ。だからもう家に戻ってもいいではないかという不満が高まってきてはいるが、脅威は雨だとか土砂崩れではなくバケゲンブ。

 いま、薫とバケガラスが必死に戦っている。

 

「バケガラス……。薫……」

 

 祈る。

 どうか、無事に帰ってきてと。

 私は、いつまでも待ち続けるから、だからどうか……。

 

 大きな音と共に、屋敷が揺れる。

 

「なんだ!? 山でも崩れたべか!?」

「ここは大丈夫なんだべか?」

「昔から神社があるところは災害に強い場所だから大丈夫だぁ。それにここは夜舞さん家だもん。平気平気」

 

 一人のおばあちゃんがそう言って、不安がる人達を宥める。

 すごいね、薫の家は。

 夜舞の、薫の家だからってみんな納得して落ち着いたよ。

 みんな、信頼してるんだよ。

 だから、薫……。

 

「薫……」

 

 ポンと肩に手が乗せられる。

 真姫さんの手だ。

 

「薫様を信じろ」

「真姫さんは……不安じゃない?」

「不安じゃないと言えば嘘になる。だが、自分の主を信じると、そう決めている」

「そっか……。じゃあ、私も信じる」

 

『ええ、信じてあげて。それが、薫の力になるから……』

 

 聞き覚えのない女の人の声がした。

 真姫さんには聞こえていなかったみたいで首を傾げる。

 とても、優しい声だった。

 仮に幽霊の声だったとしても、悪い幽霊でないことだけは確かなので真姫さんと声の人も信じて、薫を信じる。

 

「薫────!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「薫────!」

 

 爆音の中にあっても、その声は確かに聞こえていた。

 

「薫様!」

 

 真姫の声も、平装士達の声も、清水の声だってした。

 避難していた町の人達の声もした。

 守るべき人々の声がした。

 

「負けてたまるか……!」

 

『ああ、今度こそ倒すぞ』

 

「誰……?」

 

 知らない声。 

 けれど、ずっと前から知っているような気がする。

 

『我が名は……。いや、我等が名は御伽装士マイヤ。マイヤを受け継ぐ者に、力を────』

 

 力が、注ぎ込まれる。

 これは、なんて、あたたかい────。

 

『最大火力! これで終わってくれるなよ』

 

 特大の砲弾がマイヤ・ボウゲツ目掛けて放たれる。

 マイヤ・ボウゲツはその場に佇み、静かに着弾を受け入れるかのように見えた。

 

 大爆発。

 これまでとは比べ物にならぬほどの威力。

 まさしく、最大火力。

 

『夜舞ぃぃぃ!!!!!!』

 

 バケガラスの叫びは爆音にかき消される。

 だが、なにか様子がおかしいことにバケガラスは気付いた。

 爆発が、収束していく。

 ある一点へと集まり、人一人を包み込むほどの大きさへ。

 

 そして、蝶が羽化の時を迎える────。

 

「────蝶力朝来(ちょうりきちょうらい)

 

 衝撃波が、バケゲンブを襲う。

 収束していった爆炎が、バケゲンブを襲ったのだ。

 炎だけではなく、マイヤ・ボウゲツの銀色の装甲も砕け散り、飛び散った破片がバケゲンブの肉体を傷付ける。

 

『な、なんだと言うのだ!?』

 

『あれは……』

 

 バケガラスはマイヤ・ボウゲツのいた場所を見つめていた。

 パッと見ただけではマイヤは消滅したかのように見えた。

 だが、マイヤはそこにいる。

 透き通る姿に少しずつ白が流し込まれていき、やがてマイヤの色である薄紫が全身を彩る。

 各部には金色の装飾が施され、淡い桃色の光が腕と足に纏いつく。

 そして虹色に煌めく巨大な光の翼を広げ、その背に夜舞家の家紋であり、マイヤの紋章である蝶の紋様が現れ、その威光を示した。

 

『美しい……』

 

 バケガラスはその美しさに息を溢す。

 暗天の、穢れに満ちた世界にあってなおそのマイヤは美しい。

 

『なんだ、その姿は……!』

 

 バケゲンブはそのマイヤに脅威を感じた。

 あきらかにこれまでのマイヤとは違う。

 

「────マイヤ・アカツキ」

 

『なに……!』

 

「マイヤ・アカツキ。それが、あなたを倒すマイヤの名でございます……」

 

 赤い空に、紅い光の軌跡が流れる。 

 厄除の槍が、マイヤ・アカツキの前に降り立った。

 

「私を、認めてくれるのですか……?」

 

『ああ。槍を手にしろ、薫』

 

 御伽装士マイヤの声に従い、厄除の槍を手に取るマイヤ・アカツキ。すると、夜舞神社で手にした刃の欠片が反応し、厄除の槍と融合。

 厄除の槍はマイヤ・アカツキの力を受けて、進化を遂げる。

 

 禍穿天照槍(がせんてんしょうのやり)

 

 刃は巨大化し、中央には小さな太陽のようなもの『陽真珠』が燦々と煌めいている。

 

『さあ、唱えるのだ。戦いの時は来た!』

 

 唱えよ。その術は、この姿となった時既に脳に叩き込まれた。

 槍をくるりと回し、穂先を地へと向ける。

 

「当代マイヤ 夜舞薫が奉る────」 

 

『なにをする気だ!』

 

 バケゲンブの砲撃が再開される。

 だが、砲弾は全てマイヤ・アカツキの光の翼によって防がれ、妨害とはならない。

 

「其は魔を祓う風 其は魔を断つ雷 其は魔を討つ炎」

 

「遥かなる古より魔を滅す血脈よ」

 

「今宵 時の大河より浮上し 再び夜に舞う蝶となれ」

 

「────英霊舞夜(えいれいまいや)ッ!」

 

 空を薙ぐマイヤ・アカツキ。

 そして召喚されるは、英霊達。

 

『ば、馬鹿な……! お前は……!』

 

「久しいな、バケゲンブ。今宵こそ、貴様を滅する時だ!」

 

 そう叫ぶはかつてバケゲンブを封印した張本人、夜舞美羽。

 初代マイヤ。

 マイヤ・アカツキを中央に、現代まで続くマイヤがバケゲンブの前に立ちはだかる。

 総勢、35人のマイヤである。

 

「まったく、人使いの荒い孫だ」

「おばあ様……!」

「この術のおかげか、傷も治った。なんなら全盛期並に調子がいい」

 

 マイヤ・アカツキの右隣に立つマイヤは夜舞セン。

 死の淵より舞い戻り、戦列へと加わった。

 

「薫」

「お母様……」

 

 優しい声でマイヤ・アカツキに声をかけ、隣に並ぶは夜舞楓。先代マイヤ。

 

「再会を喜びたいところだけれど、今は戦いの時。行くわよ薫。母さんも、ついてきてくださいね」

「はっ。親を嘗めるな親を」

「ほう。お前そんなこと言える立場かセン?」

「か、母様……」

「曾孫の危機に駆けつけてやったよ!」

 

 センの母にして薫の曾祖母である32代目のマイヤ。

 センがこのように立場的に弱くなっているのを初めて見た薫は心の中で微笑んだ。

 そう、ここに集うは歴代夜舞家当主達。

 脈々と受け継がれし血の絆で結ばれてきた者達なのだ。

 今宵、その血に刻まれてきた因縁を断ち切るために蘇りし気高き戦士達。

 決着の時が来る────!



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朝が来る

 壮観なる蝶の戦士達が並び立つ。

 絶えることなく、この地を守り続けてきた者達の栄華が光る。

 

『マイヤが何人いたところで!』

 

 バケゲンブの巨体から黒い泥のようなものが滴ると泥が人の形を得て、異形兵を生み出していく。

 バケゲンブの意のままに動く、戦闘員の軍勢。 

 

『いけ我が兵よ! マイヤを下し、この世界全てを覆うのだ!』 

 

「ひい、ふう、みい……」

「数える意味などないぞ楓。どれだけいようと全て屠ってしまえばいいのだ」

「流石母さん。夜舞家きっての武闘派」

「おばあ様、カッコいいです……」

「褒めてもなにも出んぞ。……それより、薫。仕切れ」

 

 センの言葉に思わず薫は固まった。

 仕切るなど、そんなと。

 ここにいるのは歴代の尊敬してやまないマイヤ達。

 そんな方々を前に自分が仕切るなど不敬ではないか。

 

「薫。現代(いま)のマイヤはあなた。私達は現代(いま)を生きる薫の声に呼ばれ、こうして再び現世を舞っている。だから、私達は薫に従うわ」

「お母様……分かりました。では─────いくぞご先祖様達ィ!!!!!!」

 

 槍の穂先をバケゲンブへと向け、叫ぶ薫。

 闘志昂るあまりに男口調になったが寧ろ、歴代マイヤ達も気合が漲る。

 

「薫……大きくなったねぇ……ぐすっ……」

「言ってる場合か! いくぞ!」

 

 駆け出し、飛びだすマイヤ達。

 異形兵達も動き出し魔の軍勢とひとつの怨面と血が繋ぎし御伽装士の絆がぶつかり合う。

 

『死ねぇ!!!』

 

 バケゲンブの砲撃が再開され、各所で爆発が巻き起こるも誰も怯まずにマイヤ達は戦い、突き進む。

 爆炎などものともしない戦場の華が咲き誇る。

 どれだけ異形兵がいようと。

 どれだけ砲撃されようと。

 御伽装士マイヤの紡いだ歴史の前には意味を持たない。

 

「ハアッ!」

 

 マイヤ・アカツキの槍の一薙ぎは百の異形兵を焼き払う。禍穿天照槍の放つ聖なる陽の光は魔を焼き尽くす炎となるのだ。

 異形兵を次々と蹴散らし、突き進む薫達だがその前に一体の化神が降り立つ。

 

「バケイザリ……!」

 

 バケゲンブとひとつになっていたバケイザリもまた異形兵の一体となってはいるが有象無象とは違い、バケイザリの意識を残したまま、真紅の甲殻の身体に黒い鎧を身に纏ったかのような姿。異形兵将バケイザリとなり薫、楓、センの前に立ち塞がった。

 

『よう。親子三代まとめて俺が殺っちまうよ』

 

「てめぇは……!」

「落ち着け、薫」

「ええ。怒りに身を任せては駄目よ」

 

 滾る薫を鎮める祖母と母。

 薫の前に立つ二人は忌むべき敵を前にしても冷静であった。

 

「どれ。槍に認められたばかりの薫に最後の指導だ」

「ええ。槍の扱い。そして、夜舞神楽。その真髄を薫に授けましょう」

「薫、槍を貸せ」

「は、はい……」

 

 薫からセンへ槍が手渡される。

 マイヤ・アカツキの手から離れたことで槍はもとの厄除の槍の姿へ戻るが二人からすれば扱いなれたこの姿の方がよいというもの。

 

『二人がかりでこようと俺が何度でも殺してやるよ!』

 

「ふっ……。そのしぶとさに後悔することになるぞ、バケイザリ。これまでの分をみっちりと仕返してやれるからなッ!」

 

 一瞬でセンは槍の間合に詰める。

 その速度にバケイザリはついていけず、防御の態勢を取ることなど不可能。

 隙を見せてしまうということは、夜舞センに敗北したも同義。

 

「退魔覆滅技法 夜舞家奥義 夜舞神楽・セン」

 

 構え。

 左手を突きだし、右手で持った槍に力を注ぐと紫色のオーラに包まれる。

 その、一瞬の静が動へと切り替わる。

 

「ハッ!」

 

 縦横無尽に槍が舞う。

 バケイザリの身体の至るところに傷が刻まれていく。同じ軌跡を描くことは決してない。

 全身にくまなく致命傷が叩き込まれていく。

 紫に光る槍の軌跡が、まるで曼珠沙華のように空に咲く。

 

「千夜千槍……千紅万紫ッ!」

 

『ぬわぁぁぁぁぁ!!?!?! だ、だがまだだぁ!!』

 

 最後の一突きをうけ、宙に打ち上げられたバケイザリ。

 その更に上を、楓のマイヤが舞って飛ぶ。

 

「楓ッ!」

 

 センは厄除の槍を投げ、楓へと受け渡す。

 空中で受け取った楓はそのまま、楓の夜舞神楽を舞う────。

 

「退魔覆滅技法 夜舞家奥義 夜舞神楽・楓」

 

 楓の足下にちょうど、未だ重力に逆らい続ける打ち上げられたバケイザリ。その背に槍を振り下ろし、バケイザリを地に墜とす。

 

『ぬう……』

 

 よろめくバケイザリの前にふわりと降り立つ楓。

 これまでの怒りをこめた右腕の鋏を叩きつけ反撃しようとしたバケイザリであったがその全てが容易く躱されていく。

 その回避の様を表現するならば、柔らかく。

 柔らかく、楓は舞う。

 

『この野郎ッ!』

 

 横薙ぎに振るわれた鋏。

 それを、楓は開脚することで回避する。

 動きが柔らかければ身体も柔らかい。

 そして、下から槍でバケイザリの顎を突き後退させると槍を支柱にして一瞬で立ち上がり、これまた槍を支えにバケイザリの左側頭部を蹴りつける。

 そこから更に、バケイザリの身体に乗り移ると太ももでバケイザリの首を締め上げる。

 

「ふふっ。気持ちいいですか?」

 

『ふざけっ……!』

 

「ふっ……」

 

 バケイザリの身体から飛び降り、その背に槍が突き立てられ、一突き。

 

「刺すは一突き、穿つは楓。……血染紅葉(ちぞめこうよう)

 

『うがぁぁぁぁ!!?!?!!』

 

 バケイザリの胴を突き破り、現れた槍は七つ。

 その様はあたかもバケイザリの身体から楓の葉が飛び出たかのよう。

 

『だ、だがまだだ! 俺を殺すには足りんぞ!』

 

「薫!」

「はい、お母様!」

 

 楓から薫へ受け継がれる槍。

 マイヤ・アカツキの手に戻り、禍穿天照槍へと姿を変える。

 

「夜舞神楽は舞の中から己を見出だすもの!」

「薫だけの技を見つけなさい!」

「私だけの……」

 

 槍を感じる。

 この槍はマイヤの怨面と同じく、夜舞家と共にあり続けてきたもの。

 歴史が流れ込む。

 時の大河に様々な戦いが流れていた。いずれは自身もこの大河の果てのものとなる。

 だが、果てに流れたとしても消えない。

 その果てにいまこの場にいる英霊達のように、見上げる夜空に浮かぶ星々のように輝くものになるのだと。

 

 舞を始める。

 最初から。

 足運びは軽やかに、指先にまで神経を尖らせる。

 槍は木の棒を振り回すかのように軽く、されど勇壮に重厚に、威厳を纏わせる。

 

『踊っている場合かぁぁぁ!!!!!』

 

 飛び掛かるバケイザリ。

 だが、集中の極致に達した薫にその叫びは届かず、そして────。

 

『ッ!?』

 

 バケイザリの鋏を片腕で受け止めるマイヤ・アカツキ。

 

「見えました……。私の、俺の、夜舞薫の舞……」

 

 バケイザリから攻撃を受けたことも知らぬかのように薫は呟く。

 そして、始まる。

 夜舞薫の夜舞神楽。

 

「退魔覆滅技法 夜舞家奥義 夜舞神楽・薫」

 

『ガッ────!?』

 

 バケイザリは蹴り飛ばされ、後方へと吹き飛ばされる。

 まったく、その蹴りには反応出来ずにいた。

 

「らぁッ!!!」

 

 吹き飛ぶバケイザリを追って、槍が投げられる。

 地面と平行に、音速で飛来する槍をバケイザリはなんとか受け止める。

 地面に足をついてブレーキをかけるも槍の勢いにしばらく押され続けていたが光の翼で飛ぶマイヤ・アカツキが追い付き、吹き飛び続けるバケイザリを殴る、殴る、殴る、殴る、殴り飛ばす!

 

『こんの……ハッ!?』

 

 反撃を狙うバケイザリだが、目の前には既にマイヤ・アカツキの姿があった。

 バケイザリが受け止めたままの槍の柄を足場にして立つ薫はバケイザリの顎を軽やかに蹴り上げ宙で一回転。着地し槍を掴むとバケイザリごと槍を振り上げ地面に叩きつけ、叩きつけ、叩きつける。

 

「軽やかに、美しく……」

「勇壮に、力強く……」 

「男でもあり、女としてもあり……」

「そんな薫らしい……薫の夜舞神楽……」

 

『うおおお!!!!!』

 

 迫るバケイザリを前に、薫は頭上で槍を舞わす。

 そして交わし様にひとつの斬を見舞わせ、トドメの蹴撃。

 

日月星辰(じつげつせいしん)……。これが、夜舞薫の夜舞神楽だッ!!!!」

 

 地を転がるバケイザリ。見事、夜舞神楽をものにした薫のもとへセンと楓が合流。

 そして、本丸であるバケゲンブへと向かい、駆け出していった。

 

『ば、ばかなぁ……俺の、命……』

 

 末期の懺悔は爆音がかき消す。

 バケイザリが炎は三代のマイヤの背を飾る。

 

『夜舞』

 

「バケガラス!」

 

 戦場を駆ける薫達の前にバケガラスが降り立つ。

 

『お前のご先祖様達のおかげで多少は回復した。こんな雑魚共を相手にしてもキリねぇぞ』

 

「ああ……。飛び込むぞ! おばあ様! お母様! ここは任せました!」

 

 飛び立つマイヤ・アカツキとバケガラス。

 その様子を見ていた楓は戦いながらもくすくすと笑い出す。

 

「なにを笑っている」

「だって、薫にあんな男の子の友達が出来てるなんて。なんだか嬉しくって!」

「友達? あれは化神だぞ」

「化神でも、嬉しいの。私、全てが嬉しい。薫に関わる全てが嬉しい!」

 

 異形兵をなぎ倒しながら、嬉しいと叫ぶ楓に呆気取られるセンであったが、少しして納得した。

 ああ、そうだ。それはかつて自分も抱いた思いであったと。

 

「ああ、そうだな! 子の成長が嬉しくない親などいない!」

「ええ!」

 

 異形兵の集団が竜巻に襲われたかの如く吹き飛ぶ。

 その中央で、センと楓は背を合わせて親子の会話を続ける。

 

「ふっ……。そうだった、お前も親になったんだったな。今になって実感が湧いてきた」

「もう、遅いよ母さん。……先に逝っちゃって、ごめんなさい」

「……ああ、まったくだ。この親不孝者」

 

 二人の会話を邪魔して異形兵が襲いかかる。

 だが、こんな程度では障害になどならない。

 母と娘の絆の前に、異形兵がなんとなる。

 こうした絆の繋がりはこの戦場に溢れている。

 ゆえに、マイヤは負けない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バケゲンブ上空を飛ぶマイヤ・アカツキとバケガラスは砲撃を回避しながら接近していく。

 バケガラスが羽を撃ち出して攻撃するが、甲羅でない部位ですらも弾かれる。

 

『チッ……分かってはいたが、やはりこの堅さは別格だ』

 

「この槍でなら……」

 

『ああ……ッ!? 夜舞避けろッ!』

 

「ッ!?」

 

 甲羅から何かが放たれたのを見たバケガラスが叫ぶ。

 紙一重で何かを回避する二人。

 何か、とは。砲弾ではなかった。

 そして、二人はその何かの正体と対面する。

 

「バケゲンブ……!」

 

『ふん……。やはり御伽装士と戦うならこっちの姿の方がいいな。フンッ!』

 

 何かの正体は封印から目覚めた当初のバケゲンブ怪人態であった。

 急加速し、マイヤ・アカツキとバケガラスを捕まえバケゲンブの甲羅の上へと戦場を変えた。

 

「ぐっ……」

 

『さあ、戦いを楽しもうぞ現代のマイヤよ! 我は骨のある、度胸のある奴が好きだ!』

 

 マイヤ・アカツキを狙い、拳が振り下ろされる。

 後方へ跳躍し回避したマイヤ・アカツキであったが、その目を見張る。

 バケゲンブにより殴られた箇所が、砕け散った。

 あの堅い甲羅が砕けるほどの威力。

 マイヤ・ボウゲツで殴りあった時以上の力は多くの化神を取り込んだがためか。

 

『僕もいる!』 

 

 バケガラスが黒い刃でバケゲンブへ斬りかかる。

 避けることはなく、バケゲンブに当たった刃は粉々に砕け散った。

 堅さもまた、強化されている。

 

『お前に用はない!』

 

 バケゲンブの裏拳がバケガラスを襲う。

 だが、マイヤ・アカツキの槍によって阻まれる。

 

「ハッ!」

 

 槍に力を流し込む。

 刃の中央に埋め込まれた陽真珠が燦々と煌めき、その光がバケゲンブを焦がす。

 

『チッ……やはり厄介な槍よ……』

 

「そうだろうとも! この槍はかつて貴様を封印し、そして今宵貴様を滅するものなのだから!」

 

『小癪なッ!』

 

 バケゲンブの肩の砲が炎を吹く。

 速き弾がマイヤ・アカツキを狙って放たれる。

 だが、光の翼を広げ弾より高速で飛行するマイヤ・アカツキには当たらない。

 とにかく撃ち続けるバケゲンブはマイヤ・アカツキに夢中でバケガラスのことなど意に返さない。

 それを、バケガラスは利用する。

 

『ァァァァァ……』

 

 再び、剣を精製し己が全力を注ぎ込む。

 

 ああ、もとよりこの命は捨て去るつもり。

 死んだ身を無理矢理蘇らされたもの。

 美しく終われたと自負しているのだから、あの終わりを否定するような真似はしない。

 全てをこめて────。

 

 その力の高まりに危機感を覚えたのは大蛇。バケガラスを丸ごと飲み込んでしまう。

 

『ダアァァァッ!!!!!』

 

 大蛇を内部から切り裂き、血濡れのバケガラスは剣を柄と柄を合体させ両刃の剣とすると全身全霊の力で投擲する。

 回転し、空を切り裂く刃はバケゲンブに容易く回避される。

 

『ふん! お前のような若輩にやられる我では────』

 

『馬鹿め! お前を狙ったわけではない!』

 

 その言葉にバケゲンブは驚愕する。

 では、なにを狙ったというのか……。

 

『夜舞ィィィッ!!!!!』

 

 バケガラスが放った剣は、マイヤ・アカツキの手に納まった。

 マイヤ・アカツキの魔を滅する力とバケガラスの魔力が反応し、凄まじい力となる。

 

 右手に禍穿天照槍を、左手にバケガラスの両刃剣。銘は、『鴉羽(カラスバネ)

 退魔と魔の得物をマイヤ・アカツキは構える。

 

「────参るッ!」

 

 一瞬でバケゲンブの懐へ潜り込んだマイヤ・アカツキは槍と剣の刃を重ね、胴に押し付ける。

 そして、聖と魔。陰と陽の力を炸裂させる!

 

 聖なる優しき陽の光を放つ禍穿天照槍と、禍々しい黒き闇と赤い電を纏う鴉羽。

 どちらも守るべきものを持つ者。薫とバケガラスの力が注がれ溶け合い、強大な力となってバケゲンブを切り裂く────!

 

「退魔覆滅技法 破邪聖魔斬ッ!!!」

 

 光の蝶と、鴉の羽根が舞う────。

 

『ぐぁぁぁぁぁ!!!!!!!』

 

 バケゲンブ怪人態は真っ二つ。

 すると巨大バケゲンブの方も大きく震え、動きを止める。

 怪人態に与えられたダメージがこちらの方にも届いたようだった。

 そこへ更に、マイヤ達の攻撃が連なる。

 

『退魔覆滅技法 千蝶一蹴!』

 

『退魔覆滅技法 雷電疾走!』

 

『退魔覆滅技法 蝶絶怒涛!』

 

 怯み、暴れるバケゲンブからマイヤ・アカツキは飛び降り、マイヤ達と合流する。

 既に異形兵の姿はなく、戦いの終わりを予感させた。

 

「薫ッ!」

「おばあ様! お母様!」

 

 並ぶ、マイヤ達。

 見上げるバケゲンブは怒りに荒れ狂い、巨体を震わせ咆哮を轟かせる。

 

「バケゲンブの堅い肉体をかつての私は破壊するほどの力はなかった……」

 

 悔いるように初代マイヤ、美羽が呟く。

 だが。

 だが今は、ここに希望があると顔を上げる。

 

「薫、お前になら出来る! お前と、我等の力でなら!」

 

 頷くマイヤ達。

 そして再び、薫を中心にしてマイヤ達は並び立つ。

 

「薫に力を!」

 

 美羽の号令で、マイヤからマイヤへと力が受け渡されていく。そして、中央に立つマイヤ・アカツキへと力が集結していき黄金の輝きを纏い、光の翼を広げ空へと舞い上がっていく。

 

『マイヤ、マイヤ、マイヤ、マイヤッ! 許さぬ、許さぬぞ! 貴様の一族は根絶やしにしなければ気がすまん!』

 

「絶えるのはバケゲンブ。あなたの方でございます……」

 

『なに……!』

 

 槍を空へと掲げる。

 刃が展開し、陽真珠が肥大化。小型の太陽のように燃え盛り、刃全体が炎で包まれる。

 

禍穿(まがうが)ち、天照(あまてら)す────。禍穿天照槍(がせんてんしょうのやり)ッ!」

 

 炎がマイヤ・アカツキにも灯る。

 光と炎を身に纏い、マイヤ・アカツキの最大火力がいま放たれる────!

 

「退魔覆滅技法! 日輪光流破ッ!!!」

 

 突き出す槍。

 陽真珠より放たれし光と炎の奔流がバケゲンブを貫き、退魔の力を肉体全体へと注ぎ込んでいく。

 

『があああああああ!!!!!!!! マイヤ……お前は、一体……!』

 

「我が名はマイヤ! 御伽装士マイヤ! 夜に舞い、朝を守る者ッ!」

 

 全てを注ぎ、陽真珠の輝きが一時失われると槍を投擲。

 槍は巨大な光の矢となりバケゲンブへ矢先を向けたまま滞空するとマイヤ達が一斉に飛び上がる。

 

「ご先祖様方の力、お借りしますッ!」

 

 マイヤ・アカツキは更に上空へと飛翔する。

 宙で一回転し飛び蹴りの体勢を作るとそのまま加速。

 バケゲンブへと向かうマイヤ・アカツキにマイヤ達が次々と重なっていき蝶が溢れ、踊り舞う。

 

「退魔覆滅技法! 千蝶一蹴・英霊襲(せんちょういっしゅう・えいれいがさね)ッ!!!」

 

 光の矢とも重なったマイヤ・アカツキの蹴りはバケゲンブの頭部を捉えた。

 そして────。

 

 

 白い光が世界を包む。

 炎が大地を焦がし、穢れた土を焼き払う。

 バケゲンブは完全に消滅し、空は薄くなった夜空の青を取り戻し、天に佇むマイヤ・アカツキを昇る朝日が照らす────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 変身を解除する。

 ご先祖様達も変身を解いて、顔合わせ。

 だいたい、みんな似た顔をしていた。

 巫女服に身を包んだ人がこちらに向かって歩み寄る。

 雰囲気で、この人が初代マイヤだと理解した。

 

「薫よ」

「は、はい……」

「ありがとう。お前のおかげで、私の未練は無くなった」

 

 未練。

 バケゲンブを倒せず、封印するに留まったことは美羽様にとって大きな未練だったのだろう。

 私が想像する以上に。

 

「薫も、そして我が子孫達も! 感謝している! 絶えることなく遥かな未来にまで続き、今日という日を迎えることが出来た! それはそなた達が薫という未来にまで繋げてくれたからこそである! そして、これから先の未来にまでも、夜舞の血は受け継がれる! 人を守るために夜舞の血はあり続ける!」

 

 夜舞の血は未来永劫であると、美羽様はそう叫んだ。

 そうだ。

 穢れがこの世にある限り、化神との戦いは続いていく。

 そのために、人を守るためにも夜舞家は倒れてはならない。

 

「では、頼んだぞ薫よ。我等は常に、お前と共にある……」

 

 黄金の粒子となって、ご先祖様達の大部分は現世を後にした。

 そして、残るは……。

 

「よ、薫! お前はちんちくりんで可愛いなぁ!」

 

 後ろから、頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でられる。

 

「あ、貴女は……」

「アタシはお前のひいばあさんだよ。つまり、婆さんの母さん。だから、センになんかされたらアタシに言いな。枕元で叱りつけてやるからよ!」

「ふん。枕元に出られたところで何も怖くはないね」

「あぁっ!? 蘇って出てきてやろうか!」

「ああもういいからさっさとあの世さ帰れ!」

「おま、親に向かってなんてこ……いでで!!!」

「帰るぞ百子。死人がいつまでも現世におるのはいかん」

「分かった! 分かったから耳をつまむなおっかぁ!」 

 

 ひいおばあ様は、ひいひいおばあ様によってあの世へと連れていかれてしまいました。

 体格のいいひいおばあ様と違って、ひいひいおばあ様は小柄な方でした……。

 そして、最後に残っていたのは……。

 

「薫」

「お母様……」

 

 懐かしき、母の姿……よりは、若い気がする……。

 

「薫?」

「ひっ……。なんでもありません……」

「ふふっ。……おいで、薫」

 

 広げられた腕。

 年甲斐もなく、私は母の胸に飛び込んでいた。

 

「お母様っ!」

「本当に……本当に大きくなって、強くなったね……」

「はい……はい……!」

「薫。あなたは私の誇り……。私はいつも、薫のことを見守ってるからね……」

 

 母の温もりだけを残し、お母様は消えてしまった。

 夢幻、神秘、奇跡の夜は終わりを迎えた。

 寂しさはある。

 だけど、それ以上に暖かく、勇気をもらえた。

 だからこその、寂しさ。

 人はこうした暖かい寂しさを胸に抱えて歩き続けていくのだろう……。

 

「帰るよ、薫」

「……少し、待っていてもらえませんか」

「……早く行け、残された時間は少ないだろうから」

「ありがとうございます……」

 

 走り出す。

 限りなく弱い邪気を辿って。

 そうして薄暗い森を抜け、開けた草花萌える場所でそいつは二度目の終わりを迎えようとしていた。

 

『……勝ったか』

 

「ああ」

 

『これで負けて死んでたら、地獄でお前を殺すところだった。……むしろ、そのことを残念がるべきか?』

 

「お前がいなければ、バケゲンブには勝てなかっただろう。ありがとう、バケガラス」

 

『なんだ、そんなことを良いに来たのかよ……。気色悪い』

 

 ふうと深いため息をついたバケガラスは再び、言葉を紡ぐ。

 

『見ろよ、ここ。あんな戦いがあったわりと近くでも残ってるんだなぁ。こんな美しい場所が。二度目も美しい場所で終われる。嬉しいよ……』

 

「ああ。お前は化神のくせに幸せ者だ。そしてなにより、最も美しい化神だ」

 

『はっ、野郎に言われてもね……。────じゃあな、夜舞』

 

 黒き羽が風に乗る。

 そいつは幸せそうな顔をして、逝った。

 

「二度と化けて出てくんなよ、バケガラス……」

 

 あんな顔して死ぬ化神はあいつ以外にいないだろう。 

 だから、今回こそが最後であってほしいと願う。

 眠れ、バケガラス。

 

「あんな丁寧に埋葬されたのだから、もう現世に迷い出てくんなよ」

 

 言葉は風に乗る。

 すると、近くでカラスが鳴いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 眠気に少しばかり襲われ、船を漕ぎ出したが時計を見て頭が冴えた。

 もう少しで、朝だ。

 薫は、朝には戻ると言っていた。

 薫が、戻ってくる朝……。

 

「加藤?」

 

 いても立ってもいられず、部屋を飛び出し玄関から外へ出るとちょうど、朝日が昇っていた。

 

「加藤」

「あ……。ごめん真姫さん。薫が朝には戻るって言ってたから、つい……」

「そうか……」

 

 真姫さんの手が、そっと私の頭に乗せられる。

 

「よく、待ったな」

「……うん。待つって、こんなに辛いんだね……」

 

 涙が溢れてくる。

 不安だった。

 薫が戻ってこなかったらどうしようって。

 

「どうしよう……。笑顔で出迎えたいのに、私……!」

「お前もお前の戦いを頑張ったんだ。だから、少しぐらい泣いたっていい」

「……ううん。私、もう泣かない。薫が帰ってくるまで、ここで待つ。それで、笑って薫におかえりって言う……!」

 

 どうしようもなく流れてくる涙を拭って、待ち続ける。

 真姫さんも一緒。

 様子を見てくると言って出ていった大人達が通り過ぎていく。

 そうして、長い長い一時間を経て……。

 

「あ……」

 

 泣かないと決めたのに、その姿を見つけたらまた涙が流れてきてしまった。

 長い長い石階段を昇って、少しだけ息を切らして頬を赤く染めた薫が、帰ってきた。

 

「ただいま、咲希」

「おかえり、薫……。かおるっ!」

 

 勝手に足が動いて、薫のもとへ駆け出していた。

 勝手に腕が動いて、薫のことを抱き締めていた。

 

「かおる……かおる……!」

「咲希……。なにをそんなに泣いて……」

「だってだって薫がぁ……帰ってきたからぁ……!」

「……ああ。俺はお前のとこに帰ってきたよ」

 

 そう、帰ってきた。

 長い長い夜を越えて、辛く苦しい戦いを終えて。

 朝を迎えたのだ────。



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終章 繋ぐ

 美しい中庭の景色。

 庭木は緑に萌え、お天道様はこの頃ますます調子が良いらしく、東北の涼しい気候に慣れ親しんだ私には京都は暑く感じていた。

 そう、京都である。

 岩手から半日かけて、京都にある御守衆総本山に訪れていた。

 

 平装士の方が襖を開ける。

 礼節に則り、まずは挨拶から。

 

「夜舞家当主御伽装士マイヤ、夜舞薫。参上いたしました」

 

 頭を下げる。

 目の前に座るのは御守衆総本山上層部のお歴々。

 かつて御伽装士として伝説的な偉業を成した方々でもある、雲の上の大先輩。

 おばあ様と同期(?)の方もいらっしゃるとか。

 さあ、座って座ってと促されてから座布団の上に正座し向き合う。

 

「遠いところからわざわざすまんね薫ちゃん」

 

 中央に座る、柔和な顔立ちの方がまず話を切り出した。

 

「いえ、こちらこそお訪ねするのが遅くなってしまい申し訳ございません」

「いやいやいいんだよ。君の町は今は豪雨災害の被災地ということになっているしね。君の屋敷も被災者を受け入れたと聞く。さぞかし大変だろうに、呼び立ててしまってすまないねぇ。このインターネットの時代に」

「それを言うならネットワークでないか」

「いやいやリモートだ」

 

 なにやら、盛り上がっていらっしゃるが一番厳しそうな顔立ちの方がピシャリと言って雑談をやめさせた。

 

「今はそんなこと関係ないだろう。薫よ、まずはバケゲンブ討伐大義であった」

「お褒めにあずかり恐縮です。バケゲンブ討伐は、私だけでは成しえませんでした。仲間と、そして夜舞家の御先祖様方のおかげでございます……」

「うむ。我等は世の闇に忍び、人を守る者。されど、一人で戦っているわけではない」

「ゆえに、そのような強い味方がいる君を我々は評価している」

 

 強い味方……。

 御先祖様、おばあ様、お母様、真姫、平装士の方々、そしてなにより咲希の顔が頭に浮かんだ。(あと一応、ほんと一応だけどバケガラスも)

 皆との絆が、勝利を掴んだ。

 改めて、そのことを痛感し、嬉しく思う。

 

「さて、肝心なことを話そうか。まずは……バケゲンブ復活とほぼ同時期に起きた猿羅の怨面強奪事件及び物部天厳なる呪術師の蜂起」

 

 物部天厳。

 その名は、先日上がってきた報告書にて確認していた。

 

「東北支部所属の御伽装士エンラが物部天厳により殺害、怨面は強奪され追跡にあたった御伽装士達を掻い潜り名古屋で活動。この世を化神の世界にするなどという悪質極まりない思想を持っていた」

「君も追跡に加わっていれば、未然に防げたかもしれんが……。ああ、いや、君が悪いのではないよ」

「はい……。その、バケゲンブの復活とこうもタイミングが被るとなるとその物部天厳が何か謀をしたのでしょうか?」

 

 そう、あまりにもタイミングが良すぎる。

 出来すぎているとしか思えない。

 エンラの活動地域は自分の管轄にほど近い場所で何度か共に任務にあたったことだってある。

 ……もし、物部天厳が猿羅の怨面を奪い南下するにあたって私や夜舞家が邪魔な存在だったとすればバケゲンブを復活させるように仕向け、足止めに利用したのかもしれない。 

 

「それに関しては、現在調査中だ」

「物部天厳がバケゲンブ復活も仕向けた可能性は充分にあり得る。だが……天厳すらも駒のひとつだった。ということも考えられる」

「つまりは、真の黒幕がいると……。そう、お考えなのでしょうか……?」

「仙台でも物部天厳同様、化神に与する人間が現れ騒動となった。昔からこの手の輩は現れるがこうも続くとなると、な……」

 

 何か、嫌なものを感じる。

 暗い闇の更に奥底で蠢く何者かが、いるかもしれない。

 それは、人々の平和を脅かすものでしかない。

 

「だが、これらの事件は全て御伽装士によって解決した。名古屋では御伽装士ビャクアが天厳を討ち、仙台では御伽装士ソウテンと行方不明となっていたゲツエイを継ぐ者によって化神バケヨロイが退治された」

「皆、君と同年代。彼等以外にも日本中で若者達が活躍している。若い子達の活躍は儂らにとっても嬉しいことだ」

「ゆえに我等老いぼれは、君達のために身を粉にして、未来への礎となろう」

「ありがとうございます。皆様方の期待に応えられるよう、励む所存であります」

 

 先人達の思いを受け継ぎ、現代を戦う私達が頑張っていかねばならない。

 御守衆も夜舞家と同じように、人を守るべしという想いを繋げてきた組織であり、これからも繋げていくもの。

 いずれ、私もこの繋がりを誰かに受け継がせる時が来るのだろう。

 その時のためにも、現代を一生懸命に戦い、守り抜かなければならない……。

 

「うむ。さて、前置きが長くなったが本題に入ろう」

 

 本題。

 これまでの会話から、果たして私はなにを言い渡されるのか。正直、検討もつかない。

 

「御伽装士マイヤ、夜舞薫」

「はい」

「君を東北支部所属から()()()()()の御伽装士としたい」

 

 まったく予想外のことに目を見開き、驚く。

 夜舞家は代々、あの地を守ることを使命としてきた。

 ゆえにあの、総本山付きになるなんてことはこれまでの歴史では一切なかった。

 

 総本山付きとは、特定の管轄を持たず総本山から直々の指令を受けて場所を問わず、任務に就く御伽装士のこと。

 総本山直々の指令ともなると管轄内に現れた化神を倒すようなものではなく、危険度が高いもの、御守衆にとって重要な任務など特別な指令を拝命するようになる。

 ゆえに、選ばれるのは精鋭。

 歴代マイヤ達も選ばれる素養はあったが先の理由の通り総本山付きにはならなかった。

 では、なぜ私が……。

 

「その、おばあ様はこの話をご存知なのでしょうか?」

「もちろん。センさんと話し合って決めたんだ。センさんも、快く承諾してくれたよ」

「おばあ様が……。なぜ……」

「君がバケゲンブを討ったことで、バケゲンブの力により生まれてきた化神達は現れなくなった。まだ正確な数値ではないが、化神の発生する率も他の地域と比べて低くなってもいる。そんな場所に、君のような強い装士を縛り付けておくのは惜しいと我々と君のおばあさんの間で意見が一致した」

 

 ……確かに、ここ数週間の間は化神が現れず平和な時を過ごしていた。

 しかし、もし私が他の場所で任務にあたっている際に化神が現れてしまったら……。

 

「近々、新人の御伽装士を派遣する予定だ」

「新人?」

「最近修行を終えたばかりでな。新人研修にはぴったりだろう、君の町は。夜舞家のバックアップがあり、優秀な指導者もいる」

「鬼のように厳しいけどね」

 

 それは、確かに。

 おばあ様がいつの間にかその新人を指導しているに違いないと、はっきり脳裏に光景が浮かぶ。

 修練場で厳しく、指導するおばあ様の姿が。

 ……新人さんは果たして耐えられるだろうか。

 そっちの方が心配になってきてしまった。

 

「あとは、君の気持ち次第だ。私達としては、君に是非とも総本山付きの装士となってもらいたい。君の助けを必要としている人達が世間にも、御守衆にもいる」

「私は……」

 

 舞夜の怨面の待機形態であるネックレスを握り締める。

 なにか、大切なことを決める時はいつもこうしてきた。

 

『薫』

 

 お母様……。

 

『大事なのは、どこを守るかではなく、なにを守るか。私達、御伽装士の使命は?』

 

「人を、守ること……」

 

 決まった。

 迷う必要などなかった。

 そう、御伽装士とは人を守る者。

 総本山付きになったからとはいえ、あの町を守ってはいけないという話ではない。

 おばあ様の心づもりも、なんとなく分かった気がした。

 私に、羽ばたけというのですね。

 

「承知いたしました。御伽装士マイヤ夜舞薫。総本山付きの装士として、働かせていただきます」

「ああ。頼りにさせてもらうよ」

 

 侍る平装士が盆を私の前に差し出した。

 総本山付きの御伽装士の証、風車の紋を象ったバッジ。

 帯揚げにこれを付け、これより私は総本山付きとなる。

 

 

 これで話は終わり……とはならず、また別件で話があるという。

 襖の向こう側に「入っておいで」と声がかけられる。

 私も振り向くと、若い女性に連れられて小学校低学年ほどの年の頃に見える一人の男の子が顔を見せた。

 この子は一体?

 

「あの子は、御伽装士エンラの一人息子だ」

「え……」

「母はおらず、身寄りもないようなのでこちらで保護していた」

 

 こんな、小さなうちに両親と別れて……。

 私も、同じだった。

 母を失い、父は出ていってしまった。

 違うのは、おばあ様という血の繋がりがある人がいてくれたということ。

 しかし、この少年にはそんな人すらいない……。

 

「薫ちゃん。君のところでこの子を引き取ってはくれないか?」

「夜舞家で、ですか? それは構いませんが……」

「ああ、わざわざ君のところに頼むのは生まれ育った土地に近いところで過ごすのがいいだろうと思ったことと……。どうやら、この子は猿羅様の怨面に認められているようなんだ」

 

 猿羅の怨面に……。

 つまりは、御伽装士になる資格があるということ。

 

「その、おばあ様に修行を……?」

「いやいや、流石にそれはねぇ……」

 

 まあ、そうだろう。

 私はこれくらいの時からおばあ様に修行をつけさせられましたが、ええ、はい。

 流石におばあ様に任せるのは……。

 

「この事もセンさんとは話していてね。薫ちゃんに弟子の育成を学ばせたいとのことだ」

「つまりは、私がこの子の師に……?」

「ああ。……すまないね、さっき総本山付きだのやったばかりにこんな話」

「いえ……」

 

 その子は、私のことをまっすぐと見つめていた。

 だから私もこの子の方に身体も向けてしっかりと向き合う。

 

「お名前は?」

「おれはすずきかつとだ!」

 

 思った以上に元気でびっくり。

 いや、これは元気というより……。

 

「おれはおとぎぞうしになる! 父ちゃんのかたきをとるんだ!」

「……あなたのお父様の仇は既に討たれております」

「うるさい! おれはおとぎぞうしになるんだ!」

 

 振り返り、上役達ににこりと微笑む。

 おしつけやがったな、このやろう。

 

「おれをおとぎぞうしにしろ!」

 

 詰め寄るかつと少年。

 俺は、この少年を……。

 

「不合格。お前は御伽装士に相応しくない」

「えっ……なんで、なんでだよ!」

「闇雲だからだ。御伽装士になりたいという理由があやふやな奴に御伽装士の修行は続けられない」

「うっ……」

 

 泣き出しそうなかつと少年。

 言い過ぎたとは思わない。

 ここで折れてしまった方が、普通の人生を送ることを選んだ方がこの子にとって幸福かもしれない。

 

「父ちゃん、みたいに……。父ちゃんみたいに、みんなを守ることができるようになりたいから……。だから……」

 

 ────。

 どうやら、この子は……。

 涙を流すかつと少年。頬に垂れる涙を拭い、頭を撫でる。

 

「その想いがあれば、大丈夫でございます。その想いを、忘れないでください。お父様への憧れを、持ち続けてください。その憧れが、あなたの背を押してくれますから……」

 

 本格的に泣き出すかつと少年を撫でて、再び上役方に顔を向ける。

 

「この子は、見込みがありそうです」

「ああ。たくさん泣いた奴は立派な御伽装士となる」

「はい……」

 

 私も、毎日泣いた。

 辛くて、辛くて。

 けれど、憧れが私を奮いたたせてくれたのだ。

 だから、この子もきっと。

 

「それでは、この子はお預かりいたします」

「任せたぞ」

「はい……」

 

 最後に一礼し立ち上がる。

 かつと少年に手を差し出す。

 

「駆け出しの師匠ではありますが、ついてきてくれますか?」

「……うん」

 

 涙を拭ったかつと少年は私の手を取った。

 その小さな手を握り返し、退室。

 この小さな手には、大きな未来が包まれている。

 彼自身の未来でもあり、彼が助けるであろう人々の未来。

 とても、とても大きな責任だ。この子を育てるということは。

 いや、この子だけではない。

 未来の御伽装士を育てるとは私が思っていた以上の重責。

 改めて、おばあ様のすごさに感服した。

 私は……なれるだろうか……。

 いや、なるのだ。

 今、おばあ様に新たな憧れを抱いた。これをバネにして、また一から始めていこう。

 私自身もまた、この子と同様成長途中なのだから。

 だから、帰ろう────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長い長い石階段を昇って、夜舞のお屋敷へ。

 一緒に歩く勝人は息を荒くして、軽く汗を流しているが私についていこうと一生懸命足を動かしていた。

 

「もう少しですよ。これも修行のひとつ。日常こそ、修行なのです」

「はぁ……はあ……うん……!」

 

 目には光が宿っている。

 小さな子にはきついこの階段も日を追うごとに楽になっていく。

 基礎体力錬成の階段なのだ。

 きっと勝人も自分では知らないうちにすいすいこの階段を昇ることが出来るようになる。

 

「はい、到着です。今日からここが、勝人の家です」

「で、でっけぇ……」

「あ! 薫おかえり! ……ってその子誰!?」

 

 咲希が出迎える。

 今日帰ってくると言ったから家で待っていたようだ。

 そしてやはり予想通りの反応。

 ふふ……。

 

「この子は……私の隠し子です」

「ええ!?」

「冗談です……」

「だよね。で、本当は?」

「私の弟子です。ほら、挨拶を」

 

 勝人に、咲希に挨拶するよう促す。

 しかし年頃だからか照れてしまったようだ。

 年上のお姉さんは苦手でしたか。

 

「私は加藤咲希。君の名前は?」

「す、すずき、かつと……」

「勝利の勝に人で勝人です」

「オッケー勝人ね。よろしくぅ!」

 

 お姉さん風を吹かせて勝人の頭を強めに撫でる咲希に勝人が問いかけた。

 

「おねえさんも、おとぎぞうし?」

「んー? 私は違うよー」

「じゃあ、なんなの?」

 

 なんなの?という聞き方に少し笑ってしまった。

 確かに咲希は夜舞家に出入りしているが御守衆とは関係のない一般人。

 なんなのと聞かれると……。

 

「私はねー。薫のお嫁さんになる予定の人だよー。ほら、師匠の奥さんなんだから敬いな!」

 

 まあ、そう言うより他はない。

 バケゲンブを倒してから少しして、改めてちゃんと告白した。

 高校卒業と同時に籍を入れる予定。

 にしても咲希、自分から敬えなんて言うのは年上としてどうかと……。

 

「……? ししょーはおんなだからおよめさんにはなれないぞ?」

 

 咲希と顔を見合わせる。

 同時に笑い出し、勝人を困惑させる。

 

「な、なんだよ」

「あははっ! ごめんごめん。今日の夜は薫とお風呂入んな!」

 

 なにがなにやらといった顔の勝人を連れて、咲希と二人で笑いながら家に入る。

 ああ、やはり家は安心する。

 

 それから夜、勝人とお風呂に入って現実を見せつけた。

 数日よそよそしくされた。

 なぜ?

 

 

 

 そして数日後……。

 山の自然を活かした夜舞家の修練場で勝人と鬼ごっこをしていたところ、おばあ様が私を呼びつけた。

 

「総本山付きになってからの初任務だよ。気合入れていきな」

 

 手渡された書状。

 任務内容確認。

 なるほど。

 場所は……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 某所。

 オフィスビルが建ち並ぶ夜の街。

 宵闇を照らす街灯達も目を瞑る街の片隅で、仕事帰りの若い女性が走る。

 

「誰か……誰か助けて……!」

 

 ヒールという走るのに不向きな靴で、とにかく走る。

 逃げるために。

 闇の中、ビルの壁に張り付き飛び移りながら女性を追いかける魔性のものは穢れが生みし化神。

 

「あっ!?」

 

 ヒールが折れて、転ぶ女性。

 その女性に覆い被さるように化神が飛び掛かる。

 

「いやぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 

 闇を裂く女性の悲鳴。

 女性は化神の魔の手に堕ちてしまうのか。

 否、断じて否。

 

『ガッ!?』

 

「逃げてくださいませ……」 

「え……? あ、あなたは……?」

「名乗るほどの者では、ございません……。さあ、お早く……」

 

 女性は言われた通りに走り去る。

 その背を見送り、化神へと向き合う。

 

『貴様ァ……。御伽装士か!?』

 

 今宵もどこかで蝶は舞う。

 闇に隠れ、闇を討つ。

 人を守るために。

 人が繋ぐものを守るために。

 

「ええ。我が名は御伽装士マイヤ。化神を滅する、夜の蝶でございます────」



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御伽装士目録 千年解放編

東北地方は岩手県沿岸北部。

山と海に閉ざされた町。

穢れの澱む土地であり、他の地域よりも化神の発生率が高い。

千年前この地に訪れた夜舞美羽が堅獄鬼将バケゲンブを封印して以来、この地を守護することを使命としたのが『夜舞家』『御伽装士舞夜』である。

 

主人公

名前 夜舞薫〈ヨマイ カオル〉 

性別 男 

年齢 16才 

生年月日 4/4生まれ

身長 155cm 体重45kg

B70 W54 H78

 

夜舞家の当主であり、マイヤに変身する御伽装士である。

当主ではあるが面倒事(御守衆とのやり取り等事務的なこと)は前々当主の薫の祖母、センが行っているので専ら仕事は化神退治である。

男であるがマイヤの怨面の呪いを避けるために女装どころか女として暮らしている。

戦闘中など闘志が昂る時や怒り、照れた時は男の口調になる。

 

二重人格ではなく、男性口調の時も女性口調の時もどちらも素の夜舞薫である。

 

女性として振る舞う義務も嫌々というわけではなく女物の服などは可愛くて好き。

男性であるということも真実であるとして信頼出来る人にはそのことを覚えていてもらいたいという願いがこのような口調の切り替えのもととなった。

 

幼い頃から投薬などにより男性的な成長を抑制されており、逆に女らしくなるようにされているため身体つき、仕草、声は完全に女性のそれである。

色白で細身。

少し赤みがかった髪を腰まで伸ばしている。

ルビーのような赤い瞳。

夜舞家の人間は赤い目が特徴である。

母親(先代マイヤ)とは幼い頃に死別しており、父親は母の死後に家を出ていったとされる。

 

 

 

 

 

 

「オン・ビシャテン・テン・モウカ 舞え、マイヤ────」

 

仮面ライダーマイヤ

化神を滅する、夜に舞う蝶

 

■パンチ力:11t

■キック力:24t

■ジャンプ力:65m

■走力:100m5.5秒

 

薫が舞夜の怨面で変身する姿。

神通力、幻術に長けた御伽装士でもあり格闘戦も得意とする。しかし、スペック的には特にパワーで他の御伽装士に劣る。そのため、幻術を使い、敵を欺きながら多彩な技と特殊な退魔道具を効果的に用いて戦う。

また、厄除の槍を扱えるようになってからが真のマイヤとされ、槍を用いた技、『夜舞神楽』は絶大な威力を誇る。

 

数ある怨面の中でも古いとされる怨面のひとつで代々、夜舞家の当主がマイヤとして岩手県沿岸北部のとある町とその周辺地域を守護してきた。

非常に狭い地域ではあるが、この土地の特異性を鑑みるとマイヤ、夜舞家の重要性は高い。

 

■舞夜の怨面

夜舞家に伝わる怨面。

夜舞家の長子にしか扱うことは出来ない。

翅を広げた蝶を象っている。

代々、男性が装士となると早死にするという謂われがあり、長子が男だと女性として扱い、女性として育てるということを行ってきた。

普段はネックレスとして持ち歩いている。

宿っている人格としては姫のような高貴さを感じさせるが案外俗っぽいらしい。また、戦いに関しては勇ましく戦姫と呼ぶべきかもしれない。

 

■外見

蝶の羽を象った怨面を纏った頭部。全身薄い紫色、動きやすさを重視しているため各部のアーマーなどは最小限。ボディースーツのようなピッチリとしたシルエット。

ベルトのバックルも蝶を象っており、霊水晶が嵌め込まれている。

足はハイヒール状になっており、つま先は鋭く、踏みつけられたり、蹴られたりするとかなり痛い。

全身に霊水晶の結晶が散りばめられており、見る角度によって青い光が輝く姿は咲希曰く「星空のよう」と評される。

夜に煌めき舞い戦う姿から『最も美しい御伽装士』とも呼ばれる。

 

 

■退魔覆滅技法

・千蝶一蹴(センチョウイッシュウ)

無数の蝶がマイヤの足下から現れ、化神の身動きを封じた後に放たれる蹴込み。(基本の形)

薫が最も得意とする覆滅技法で、薫はかなりの応用を考案し、実践している。

 

・蝶絶怒涛(チョウゼツドトウ)

蝶の爆弾を生成する技。火力は高いがその分、神通力の消費が激しくそう何度も放てはしない。(蝶の数を制限することで調整可能)

 

・その他

分身生成、姿を隠すなど幻術を用いる。

 

 

■退魔道具

直接的な武器というよりも特殊な能力を持ったものが多い。

 

其の壱 八咫烏の羽(ヤタガラスノハネ)

クナイ。

宵闇に潜ませて投擲する。 

主に牽制や格闘戦にて用いる。

多数用意されているようで、数を気にすることはないらしい。

退魔覆滅技法『宵散り羽』(ヨイチリバネ)

一度に大量の八咫烏の羽を出現させ、敵へと射出する。

敵の目の前は無数の八咫烏の羽により黒く染まり、目眩ましにも使える。

 

 

其の弐 雷神の雷鼓(ライジンノカミナリツツミ)

遠距離武器。

叩くことで相手の頭上に雷雲を発生させ、一定時間雷を落とす。逃げても追跡してくる。

また、装備中のマイヤは帯電し触れると感電してしまうため格闘戦にも使用可能。

退魔覆滅技法『雷電疾走』(ライデンシッソウ)

頭上に雷のエネルギーを形成し敵頭上目掛けて投げつけた後、地面を殴り付け敵に向かい電撃を放つ。

上下からの電撃攻撃により敵を粉砕する。

 

 

其の参 風神の風袋(フウジンノカゼフクロ)

袋というより小型の砲のような形状である。砲口から風を放つことが可能で、退魔の力を帯びた風は化神に傷を負わすことが出来る。

ブースターのように使用し加速することが出来る。

アラシレイダーに装備可能で、こちらもアラシレイダーの速度を向上させることが可能。

退魔覆滅技法『聖嵐』(セイラン)

マイヤの神通力を注ぎ込み放たれる最大風力の嵐。

無数の敵を凪払うのに有効だが周囲への被害も考慮する必要がある。

 

 

特殊 厄除の槍(ヤクジョノヤリ)

夜舞神社に奉られる槍。正確にはバケゲンブを封印した刃が御神体である。

意思があり、槍が使用者に相応しいと認められなければ使用は不可能。

元々は御伽装士ではない者が化神と戦うための物だったとされる。そのため、マイヤに付属の退魔道具とは別の扱いとされる。

美羽がバケゲンブを封印する際に舞った封魔の舞が夜舞神楽として伝承されており、夜舞神社の夏祭りでも踊られ、県の無形文化財に登録されている。

夜舞神楽の中に退魔覆滅技法が秘されているとされ、その技を見つけるために夜舞神楽の修練に励むが、正確には舞の中から自分だけの技を見出ださなければならない。

そのため、歴代マイヤの夜舞神楽は全て異なった技となっている。

 

退魔覆滅技法

・夜舞家奥義・夜舞神楽

舞の中から生み出したそれぞれの技。夜舞神楽の後に、自身の名と技名が刻まれる。

薫のものは『夜舞神楽・薫 日月星辰』

槍を投擲と同時に敵へ接近。槍を防御する化神を格闘で圧倒し、槍による斬撃を見舞わせ、蹴りつける。

 

・翔槍蝶閃(ショウソウチョウセン)

一期ではセンが使用。

神通力を込めた槍の投擲。レーザービームのように、一直線に敵を貫く。

 

 

 

■形態

 

「オン・ビシャテン・テン・モウカ マイヤ・ボウゲツ」

 

「超/蝶変身」

 

■マイヤ・ボウゲツ 舞夜・暴月

荒れ狂え、力満つる銀月の舞夜

 

■パンチ力:60t

■キック力:75t

■ジャンプ力:20m

■走力:100m9秒

 

本来のマイヤとはかなり異なる姿。

全身銀色の堅牢な鎧。頭部は三日月や蛹のようにも見える形状へと変化している。

パワーと防御力に特化しており、パンチ一発で並の化神は撃破が可能。並大抵の攻撃も全く効果がない。

更に特筆すべきは回復力である。

常時回復状態であり、仮に傷を負ったとしても即時に回復するという耐久力は御伽装士の中でもトップクラス。

月の満ち欠けにより、スペックに変動が見られる。

しかし、走力、ジャンプ力は最低レベル。敵に逃げられた場合、追跡は困難である。

退魔道具の使用も出来なくなっている。

 

退魔覆滅技法

・月穿(ガッセン)

ライダーパンチ。

これ以上の言葉はない。

 

・月影縫(ツキカゲヌイ)

月が出ている際に使用可能な拘束技。

月の影で相手を拘束する。

月の満ち欠けで効力が変わる(満月の際は非常に強力となる。新月の場合は最低出力)

 

 

 

「蝶力朝来────」

 

■マイヤ・アカツキ 舞夜・暁

夜に舞いて、朝を導く太陽の蝶

 

■パンチ力:40t

■キック力:70t

■ジャンプ力:120m

■走力:100m3秒

■最高飛行速度:マッハ1

 

マイヤ・ボウゲツからの二段変身によって変身した姿。

虹色に輝く光の翅を持ち、高速飛行能力を獲得。

薄紫色のインナースーツに黄金の装甲が各部に備わる。

輝かしい姿は化神にとってはその身を焼く炎となり、太陽の舞夜とも呼ばれる。

パワー、防御力はマイヤ・ボウゲツに譲るがそれ以外のスペックは最高峰。(防御力に関しては光の翅による防御があるため劣るわけではない)

最強の御伽装士の一角に相応しいスペックである。

また、マイヤ・アカツキの力を受けて厄除の槍は『禍穿天照槍(ガセンテンショウノヤリ)』へと変化。

太陽を振るうかの如き力を発揮する。

 

また、最大の特徴として大秘術『英霊舞夜(エイレイマイヤ)』が使用可能。

英霊である歴代マイヤ達33人と祖母のセンを全盛期の状態で召喚し共に戦う、夜舞家千年の想いを形とした術である。

召喚した歴代マイヤ達から力を与えられる『英霊襲(エイレイガサネ)』を行うことも出来る。

34人全ての力を受けることで黄金の姿となり、更なる力を得る。

 

退魔覆滅技法

・千蝶一蹴・英霊襲(センチョウイッシュウ・エイレイガサネ)

英霊襲を行ったマイヤ・アカツキが放つ千蝶一蹴。

マイヤ・アカツキ最大火力である。

 

■退魔道具

・禍穿天照槍

厄除の槍がマイヤ・アカツキの力を受けて変化したもの。

柄と同等の長さの鏃に似た巨大な刃を持ち、刃の中央には赤く輝く『陽真珠』が備わっており、技を繰り出す際には光と熱を発する。

 

退魔覆滅技法

・日輪光流破(ニチリンコウリュウハ)

禍穿天照槍の刃が展開し、陽真珠から放たれる光線。バケゲンブの甲殻を貫くほどの威力を誇る。

 

・破邪聖魔斬(ハジャセイマザン)

バケガラスの武器である双剣『鴉羽』との二刀流で繰り出す斬撃。

マイヤ・アカツキの陽の力とバケガラスの陰の力をスパークさせることでバケゲンブ(怪人態)を両断する活躍を見せた。

 

また、通常形態の技や退魔道具も使用可能である。

 

 

■専用マシン

・アラシレイダー

薫の父が開発したマイヤ専用の式神ビークルである。

意思が宿っており、薫の指示に従い、時には薫を助けるべく自律行動も行う。

金属板型の護符から呼び出すことも可能である。

大自然に囲まれた土地のため特に悪路に強く、山河を駆け抜け、マイヤの戦いをサポートする。

また、風神の風袋に目をつけた薫の父により風神の風袋を装備可能となっている。

とにかく走ることが好きらしく、薫はよく裏山の修行場にあるオフロードコースで走らせている。

 

ちなみに、テンユウの怨面を継承する高天原家に配備されたフブキホッパーはアラシレイダーの技術が供与されており、兄弟機にあたる。

 

・退魔覆滅技法

鉄馬咆哮(テツバホウコウ)

神通力を発しながら敵を吹き飛ばす。

いわゆるライダーブレイク。

 



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舞夜華伝編
都会


 灰色のビル群は無機質な冷たさを放ち、人を受け入れているようで、どこか人を突き放すかのような虚無感を漂わせている。

 それが、初めて都会というものに足を踏み入れた者の抱いた感想であった。

 眼下に広がる灰色の大地。

 灰色の渓谷に吹く風が、着物の裾を揺らす。

 風が運ぶ邪を感じ取り、その者は目を開く。

 紅玉の如き赤い瞳が、闇を捉えた────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ知ってる? 最近、この辺で幽霊が出るんだって~。着物姿の、赤い目の女の子の霊」

 

 そんなことを言い出したのは同期の冴子だった。

 

「ええ、やめてよ今日夜中まで残業確定なんだから」

「ほんとドンマイね~理恵。松原課長、なんか最近ヤバいんでしょ?」

「そうなの最近急にパワハラ気味になってさ~。ヤバいんだって、今日もこれ明日までに~って」

 

 バンと書類の山を叩いて冴子に見せつける。

 だが冴子は軽い笑顔でこんな状況の私に酷いことを言った。

 

「ごめ~ん。今日、合コンだからさ。じゃあっ!」

「じゃあっ! じゃない~!」

 

 薄情な同期だと戦場へ赴く冴子を見送り、目の前の仕事に集中する。

 そうしなければ、終わらない。

 

 ああ、なんで私が……。

 

 嫌だ……帰りたい……。

  

 夜が更けるごとに、マイナスに沈み込んでいく思考。

 現在時刻は23時。

 ああ、午前様確定だ……。

 パソコンのブルーライトが目に辛い。

 泣きたくなってくる。

 冴子は上手いこといっただろうか。

 いや、冴子のことだから今頃一人飲みに移行していることだろう。 

 独身に幸あれ。って、私も独身か。

 

 ああ、なんのために働いてるんだっけ。

 なんで生きてるんだっけ。

 

 ……やだ、ヤバいこと考えてる。

 ヤバいなぁ……。

 転職を考えよう、真面目に。

 いやでも仕事は好きだし……。

 ほんと、あれなのは松原課長だし。

 前まではこんな無茶な仕事の振り方しなかったし……。ほんと、なんなんだろ。

 

 あー、駄目だ。

 集中力完全に切れた。

 休憩しよ。

 

 スマホを手に取りネットサーフィン。

 なんか面白いニュースないかな~。

 

「女性会社員連続行方不明……。え、近くじゃん……」

 

 その事件は、このオフィスがある一帯で起きていた。

 共通点は女性であること、そして行方不明になる前は残業していたという。

 残業、パワハラ、セクハラなどに心を病み自殺という線もあると警察は言うがここまで連続して短期間のうちに女性ばかりが姿を消すだろうかと、記事は締められていた。

 ……。

 

「これ今の私と同じじゃん」

 

 そう言って笑い飛ばす。

 笑い飛ばさなきゃやっていられないからだ。

 だがその瞬間、急に照明が落ちた。

 

「ひっ!?」

 

 突然の出来事に慌てふためく。

 ヤバいヤバいヤバい!

 とりあえずスマホのライトをつけて、一旦部屋から出よう……。

 

 振り向いた、瞬間。

 ライトに照らされた着物姿の少女。

 幻想的な赤い目をして……。

 

『ねえ知ってる? 最近、この辺で幽霊が出るんだって~。着物姿の、赤い目の女の子の霊』

 

 冴子の言葉がフラッシュバック。

 そして。

 

「ひゃーーーー!?!?!?」

 

 即座に逃げ出す。

 みっともない声をあげながら。

 暗い通路をとにかく走り、階段も危ないとかそんなこと考えずに駆け降りて。

 

「はあ……はあ……。って、松原課長……?」

 

 一階に辿り着くとロビーの中央に立つ人影。上司の松原課長だ。

 なんで、こんな時間に……? 

 ともかく、私以外にも人がいて良かったと安堵して松原課長に駆け寄った。

 

「か、課長……!」

「……青木君」

 

 細身でノッポな課長は私を見下ろす。

 丸眼鏡の向こう側にある目には、生気がないような気がした。

 

「ひどく、疲れた顔をしているね。肌荒れもして、ストレスも溜まっている。生活リズムも崩れて食事も栄養が偏っているようだ……」

「え……?」

「今の君は……」

 

『旬を迎えたぁ……』

 

 糸が切れた操り人形のように倒れる松原課長。

 そして、天井から降ってきたもの。

 それは二本の足で立ち上がるが人ではなかった。

 黒く艶のある身体。細く鋭い手足と、背中から生える八本のトゲ。そのトゲは蜘蛛の足を連想させる。

 だが腕にはリールのような機巧が備わっているようで、純粋な生命体とは思えなかった。

 

「なに……なんなのよ……!」

 

『アァ……俺は化神バケグモ。お前の飼い主だァ……』

 

「か、飼い主……? きゃっ!?」

 

 異形の口から吐き出された糸が身体に巻き付く。

 バランスを崩してしりもちをついた私に怪人が近付く。

 私を、食べようとしている……!

 

「いや……来ないで……!」

 

『アハァ……家畜が喋ってる……』

 

 身動きは取れない。

 このまま、私は……。

 目を瞑る。

 目の前の存在を信じたくなかったから。

 しかし耳は健在。

 何かが、風を切った。

 いよいよ終わりかと思ったが、違う。

 

『ぐうッ!?』

 

 怪人の呻き。

 一体何がと目を開くと、怪人に赤い柄の槍が突き立てられていた。

 突き立てられていたとは言うものの、槍を扱う人はいない。

 槍だけが、怪人を突き刺さんとしているのだ。

 

『ぬう……!』

 

 怪人は腕を交差し槍を防いでいる。

 更に、そこへ……。

 

「はッ!」

 

『があッ!』

 

 槍を蹴り、怪人が吹き飛ぶ。

 槍は意思があるかのように飛び、その子が主であると言わんばかりに着物の少女の手に納まった。

 

『御伽、装士か……!?』

 

「いざ……!」

 

 少女は槍を構え、怪人へと立ち向かっていく。

 怪人は糸を吐き出すが、少女は槍で切り払って突き進む。

 怪人の背中の節足が少女を貫こうと迫る。

 鋭い足先が、槍の刃と打ち合い火花を散らす。

 一本、二本と足を弾くと少女は駆け出し、怪人との間合を詰める。

 

『チィッ!』

 

 怪人の腕が、接近する少女へと伸びる。

 殴りかかったそれを、少女はスライディングで怪人の股下をくぐり抜け回避。怪人の背後を取った少女はスライディングの勢いそのままに槍を床に突き立てると、槍を支点に回転で勢いをつけ、両足で怪人の背を蹴り飛ばした。

 

『邪魔しやがって……』

 

 怪人はそう吐き捨てると軽く跳躍。

 背中の脚で天井へと張り付き、姿が見えなくなった。

 

「……気配は、無くなりましたか。大丈夫ですか……?」

 

 少女は槍で私に巻き付いた糸を切り裂き、手を差し出してきた。

 ……やっぱり、幽霊じゃない、よね?

 

「ありがとう……。貴女は……?」

「夜舞薫と、申します……。あの怪物を、倒しに馳せ参じました……」

「倒すって……。確かに、すごい戦ってたけど貴女まだ中学生とかでしょ?」

「高校生でございます」

「あ、うん、ごめんなさい……」

 

 ちょっとむっとした表情になったので素直に謝る。

 けど、背は低めで、しっかりしてそうだけど少し幼い顔つきなので中学生か高校生かでいったら中学生だと大半の人は思うだろう。

 てか、あんな怪物と戦ってはいるけど普通に学校には通ってるんだ……。

 

「ねえ、あいつは何なの?」

「化神という、人を喰らう怪物でございます……。それより、あれから何か言われませんでしたか? 何か、会話をしていたようでしたが……」

 

 会話……。

 

「さ、最初は課長……。そこに倒れてる人と話してて、その時は疲れてるとかストレス溜まってるとか肌荒れしてるとか言われて……。あいつが出てきてからは、旬とか飼い主とか家畜とか言われて……。もう何なのよ!」

 

 ひとまず助かって落ち着いたからか今になって怒りが湧いてきた。

 あの蜘蛛野郎め……!

 私が一人怒っているなか、薫ちゃんは倒れている課長を調べているようだった。

 

「生きている……。わざわざ殺さず、操り人形にしていた……。家畜……。……はあ、やはりこの手の化神でしたか」

 

 面倒だとため息をつく薫ちゃんは改めて私と向き合うと、とりあえずここから出ましょうと提案してきた。

 断る理由はない。

 むしろ早く出してほしい。

 

「それでは……申し訳ありませんが、この方を運んでいただけますか? 私は念のため、警戒しなければいけませんので……」 

「わ、分かった……。課長は無事、なの……?」

「はい。あの化神に操り人形にされていましたが殺されてはいなかったようです。邪気などの痕跡もないようなので、支配下からも解かれたと……」

 

 じゃ、邪気……。

 そんな漫画とかアニメでしか聞かないような言葉をリアルで言う人がいるとは思わなかった。

 ……まあ、今さっきから起こっていることがそもそも漫画とかアニメっぽいことなんだけど。

 ひとまず、このビルから出ればそれともおさらば。

 課長と肩を組んで……。

 ……バスケやってた時以来、久しぶりに背が高い方で良かったと思った。

 合コンとかでスタイルいいですね!とはよくお世辞で言われるが、私より背が低い男はよくいるし、そういう男は私を狙わない。

 こっちは別に男の身長なんて気にしてないのに。

 向こうが気にするんじゃ仕方ない。

 それはともかくさあ、いよいよビルから出るぞと自動ドアまで行った時のこと。

 前を歩く薫ちゃんからゴン、と鈍い音が。

 薫ちゃんのおでこが自動ドアとぶつかったのだ。

 

「痛っ……」

「大丈夫?」

 

 しゃがみこんで、おでこを押さえる薫ちゃんに小動物的な可愛さを感じる。

 いや、痛がってるところを可愛いなんて思うとか変態か?

 ……若干、そっちの気があるのは否定しないが。

 

「じ、自動ドアでしたよね……?」

「そうだけど……。あー、閉めちゃったよなぁ警備員さんも。時間が時間だし」

「うぅ……私が入った時は開いたのですが……。……ん?」

 

 薫ちゃんは何かに気付いたのか自動ドアをペタペタと触り始める。

 

「薫ちゃん……?」

「結界が張られています……。恐らく、私が入ってすぐに起動したのでしょう……」

 

 結界。

 そんなもの、私にはまったく見えない。

 いつも通りのビルである。

 けど、この子が言うなら本当なのだろう。

 あんな怪物と戦っているのだから、結界ぐらい見えるものなのだろう。多分。

 

「破るのは難しい……。となれば、あいつを倒すしかありません……」

「倒せるの……?」

「先程も申し上げましたが……私は、あれを倒すためにやって参りました……」

 

 そうは言ってもこの子一人にやらせるのは……。

 仲間とかいないのだろうか……。

 あ、でも結界があって入ってこれないのか……。

 こっちも出れないみたいだしどうしよう……。

 

「……不安な気持ちも、よく分かります……。ですが、これだけは信じていただきたいのです……」

 

 薫ちゃんは私の手を取り、まっすぐ私を見つめる。

 赤い目に思わず見惚れてしまった。

 目だけでなく、人形のように綺麗な顔立ちも同性であるというのにドキドキとさせてくる魅力が溢れていた。

 

「え……その……」

「私、夜舞薫が必ず貴女をお守りいたします……。必ずや、この夜を越えて、朝を貴女に……」

 

 ドクンと心臓が強く跳ねた。

 私、青木理恵は一回り近く歳の離れた同性に、ときめいてしまったのであった。

 

 

 

 

 

「あの化神……バケグモは今宵、必ず貴女を喰らおうとしてきます……。ああいう、こだわり派の化神は特に……」

 

 ビルの中を歩きながら、薫ちゃんの説明を聞いていた。

 あの怪物は化神と言って、大昔から存在する人を食らう怪物なのだという。

 そんな化神達から人間を守るのが薫ちゃん達、オトギゾウシと呼ばれる人達らしい。

 もっといろんなことを薫ちゃんは話してくれたが、ほとんど理解は出来ていない。

 けど、理解は出来ずともこうして話してくれるだけ良かった。

 黙っていられた方が不安になるし、人の声があるというだけで心細さも和らぐ。 

 

「ここが、警備室……」

 

 今、このビルに他に人がいるとしたら警備員。

 警備員さんは無事だろうか……。

 

「失礼します……」

 

 薫ちゃんが警備室の扉を開ける。

 中には、二人の警備員さんがいるが……。

 

「やはり……」

 

 椅子に座ったまま、不自然に佇む警備員さん達。

 声をかけてみても反応なし。

 この人達も……。

 

「今は、バケグモによって支配下に置かれているようですね……。バケグモを倒せば、元通りになりますでしょう……」

「そっか……。それなら大丈夫だね!」

 

 この人達は大丈夫なんだと思うと同時に、狙いは本当に自分一人なのだと思い知らされた。

 なんで、私がこんな目に……。

 

『倒すだとぉ? このオレを……』

 

「ッ!? 理恵さん!」

「えっ……。きゃあぁぁぁ!!!!」

 

 どこからともなく現れた蜘蛛の糸が身体に巻き付き、上へと引っ張り上げられていく。

 天井とぶつかると思い、痛みを覚悟し目を瞑るが痛みはなくどこまでも上へと向かっていく。

 天井をすり抜けてる……!?

 

 

 

 

 

 

「抜かった……!」

 

 もっと警戒すべきだった。

 ここはバケグモの縄張り、奴にとっては自由自在の空間。

 息を整え終えたら仕掛けてくるのは明白。

 だが……。

 

「そちらから仕掛けてくれたおかげで、探す手間が省けました……」

 

 警備室から飛び出て非常用階段を駆け上がる。

 バケグモの気配は最上階、恐らく屋上から。

 理恵さんは釣られた魚のようにバケグモのもとへ上昇中。

 先程、理恵さんのお手を取った際に護符を袖に貼らせていただいたので位置は把握出来る。

 しかし、このまま駆け足でビルを駆け上がるのは無駄な体力消耗となる。

 それに、間に合わない可能性が高い。

 

「であれば……」

 

 懐から金属製の護符を取り出し、鉄の愛馬を召喚する。

 

「アラシレイダー!」

 

 暗闇を光が照らし、現れる紫紺のオフロードバイク。

 御守衆の技術と……私の父が、母のために造ったマイヤの相棒。

 私の住む町の険しい山林など大自然の中を走行することを想定しているため、ビルの階段なんて最近舗装された道路のようなもの。

 アラシレイダーに跨がるため、帯をほどいて着物をはだけさせる。はだけさせると言っても、中に着ている黒いライダースーツが露になり、着物はロングコートのように。

 

「修理後のリハビリです。あなたが走るには道が綺麗過ぎますが……。いきますよ、アラシレイダー」

 

【■■■】

 

 ふふっ、リハビリには足りませんか……。

 帰ったら山を思う存分走りましょう。

 

「いざ……!」

 

 アラシレイダーに身を任せ、バケグモのもとへ走り出す。

 一瞬で駆け上がってみせましょう……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 腕から垂らした糸が、リールのように巻き上げられていく。

 そして、怯えた表情の理恵が屋上のバケグモに姿を晒した。

 雲が月を隠す夜の闇にバケグモの黒い身体は溶け込んで、理恵からは闇が人の形をしているように見えていた。

 

『アァ……今度は邪魔者はいないぜ……』

 

「ひっ……」

 

 吐息を漏らし、興奮気味なバケグモのテノールが囁く。

 食に人間の性的興奮のようなものが混じるバケグモにとって、捕食とは腹を満たすだけでなく快楽を充たすものでもあった。

 

『食べ頃、食べ頃なんだお前は……。他の奴等にはこれが分からんのだ……』

 

「た、食べ頃なんかじゃないわよ!」

 

『だからな、他の奴にも食わせてやったんだ……。そうしたら、分かる奴とやっぱり分からんという奴がいてな……。俺は分かる奴を仲間にした……。群蜘蛛党の結成だ』

 

 理恵の反論などお構い無しに己のことを語るバケグモ。

 バケグモは群蜘蛛党なる化神の一派を率いて、この一帯を縄張りとしていたのだ。

 

『だがまあ御伽装士が嗅ぎ付けてな。配下の連中はほとんどやられちまったが……。いいさ、大勢で食らうのも独り占めするのも俺は好きだぜぇ……。お前を喰らって更に力をつければあの小娘装士だって楽にひねらぁ』

 

 バケグモの長い腕が理恵を掴み上げる。

 その肉の柔らかさを確かめるように手に力を入れ、改めてその食べ頃を感じ、バケグモの口から涎が滴り落ちた。

 

「い、いや……!」

 

 拒絶の声など届かない。

 食べ物の声など、食べる者はいちいち聞かないのだから。

 バケグモの口が、理恵の首筋に迫る。

 今にもかぶりつかれてしまいそうな瞬間、屋上へと続く扉が吹き飛び、バイクのエンジン音が理恵の窮地を切り裂いた。

 

『御伽装士ッ!』

 

「理恵さん!」

 

 アラシレイダーでバケグモの横を通りすぎる瞬間、槍でバケグモの腕を払い理恵を奪還。

 薫は落ちる理恵をお姫様抱っこで受け止め、アラシレイダーを停める。

 

「アラシレイダー、理恵さんを頼みます」

 

『■■』

 

 愛車に護衛対象を任せて薫はバケグモと相対した。

 バケグモは怒髪天を衝くといった様相で殺気を全開にして薫を八つの瞳で睨み付けた。

 

『二度も俺の食事を……!』

 

「あなた方の食事を邪魔するのが、仕事ですから……」

 

『小癪なッ!!!』

 

 バケグモの腕から糸が放たれる。

 糸は槍に巻き付き、薫は踏ん張るも地力ではバケグモが圧倒的。

 

「くっ……」

 

『そおらっ!』

 

 バケグモの腕が振るわれ、薫は宙に舞う。

 そして、落下していく。

 地面は遥か遠く。

 100m以上の高さのビルから落ちて、人が助かるはずがない。

 

「薫ちゃん!」

 

 理恵の叫びが悲しく響く。

 自分を助けに来てくれた存在が、ああも簡単にやられてしまったのだから無理はない。

 

『邪魔者は消した……。アァ……食事を再開しよう……』

 

 再び理恵に迫るバケグモ。

 理恵は後退ることしか出来ない。

 もう、ここで食べられて死ぬのだと諦めかけた時、雲に隠れていた月が顔を出した。

 大きな、青い光を放つ満月────。

 

「あ……」

 

『……アァ?』

 

 理恵の表情が変わったのを見て、バケグモは訝しんだ。

 怯えから一変、奇跡を目の当たりにしたかのような表情。

 何が、彼女にそんな表情をさせているのかとバケグモは振り向いた。

 そこには、満月を背にして宙に立つ薫の姿があった。

 正確には宙に浮く槍を足場にして立っていた。

 

『アァ……てめぇ……』

 

「ふっ……。変身もしていない御伽装士に出し抜かれた気分はどうですか?」

「変身……?」

 

 薫はネックレスを外すと、ネックレスは仮面へと変化する。

 御伽装士を変身させる、怨面へと。

 蝶を思わせる葡萄色のそれで顔の半分を隠した薫はバケグモに対して挑発するような笑みを浮かべ、仮面を纏う─────。

 

「オン・ビシャテン・テン・モウカ」

 

 薫の身体に駆け巡る、血のような赤い線が紋様を描く。

 それが身体を走る時、同時に痛みも身体を巡る。

 だが、この程度の痛みは戦いの痛みに比べれば、犠牲となった人々の痛みに比べればなんてことはない。

 

「舞え、マイヤ……。変身」

 

 紫の光を放ち、無数の蝶が飛び立っていく。

 光と蝶の群れの中に立つ戦士の名は、御伽装士マイヤ。

 ボディーラインをそのまま見せつけるような装束。細身ではあるが、決して貧弱さを感じさせない、しなやかな強靭さを醸し出すは日々の鍛練の成果。

 菖蒲色や紫紺、滅紫など紫をメインカラーとするは高貴なる血統を示す。

 全身からはラメが施されたように、光を反射する。さながら、その身は夜空のようであった。

 

「綺麗……」

 

「御伽装士マイヤ……。化神を滅す、夜の蝶でございます……」

 

『抜かせ……! アァッ!!!』

 

 バケグモの背中に生える八本の脚が合体し、巨大な鏃のような形状となりマイヤを串刺しにせんと迫る。

 だが、この程度の攻撃は造作もない。

 足場としていた槍を回し、穂先をバケグモへと向けると同時に蹴り飛ばす。

 闇を翔る深紅の光となって、槍は鏃とぶつかりあった。

 

『ぬおおッ!? 力負けした……!?』

 

 槍と鏃が拮抗することはなかった。

 衝突の瞬間、鏃は崩れてもとの八本の脚へと戻り、バケグモは体勢を崩した。

 それは、隙である。

 槍を手にしたマイヤが駆ける。

 近付くマイヤを迎撃すると八本の脚がそれぞれ襲い来るがマイヤはあくまでも冷静に対処していく。

 回避し、受け流し、間合を詰める。

 

『ァァァ……ハアッ!』

 

「ッ!?」

 

 バケグモの口から吐き出された糸が広がり、蜘蛛の巣となりマイヤを捕縛した。

 なんとか逃れようと踠くマイヤだが、強力な粘着力を誇るバケグモの巣から逃れることは出来ない。

  

「薫ちゃん!」

 

『ハア……。蝶々なんざ蜘蛛に殺られるのが常識なんだよ!』

 

 バケグモの手刀に貫かれるマイヤ。

 飛び散る鮮血。

 理恵はその光景に言葉を失うが、バケグモはその手応えに違和感を覚えた。

 人間を貫いた感触では、ないと。

 それに気付いた瞬間、マイヤは無数の蝶へと変わる。

 

「退魔覆滅技法 蝶絶怒涛」

 

 バケグモに群がる蝶が爆ぜて、夜を一瞬照らす。 

 炎に包まれるバケグモの右腕は失われていた。マイヤの虚像を貫いた腕は最も蝶が集まっていた場所。

 爆発の威力が一番大きく、肘から先を失くすことになったのだった。

 

「蝶々は蜘蛛に……なんでしたか?」

 

『き、貴様ァ……!』

 

 ゆらりと、陽炎のように姿を表したマイヤはバケグモを煽る。

 確実に倒したと思った相手がピンピンとしているだけでも苛立ちは募るというのに、そんなことを言われてはバケグモの堪忍袋の緒は切れるというもの。

 

『小娘御伽装士ごときにィ!!!!』

 

 八本の脚を再び駆使してマイヤを殺そうとするバケグモだが、ペースは完全にマイヤが支配していた。

 怒りに任せた攻撃は単調。

 マイヤは全てを見切って、尽くを避けてみせた。

 

「蝶は蝶でも、化神を滅する夜の蝶……。ゆらり、ふわりと舞い飛んで……」

 

『当たらねぇ!? ガッ!?!?』

 

「懐に入り込むので、ございます……」

 

 攻撃を掻い潜り、バケグモの間合の内側に入ったマイヤの掌底がバケグモの胸を穿った。

 身体の内側に響く攻撃に、バケグモは苦しむ。

 

「それから……特別に教えて差し上げます。小娘御伽装士と仰いましたが……。俺は男だ。オラァッ!!!」

 

 マイヤの纏う雰囲気が変わる。

 掴めない、幻のような儚さと美しさを持つ戦姫から雄々しく、勇猛に闘う戦士へと。

 

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラァッ!!!!!!」

 

 激しい殴打の嵐にバケグモは吹き飛ぶ。

 転落していくバケグモであったが、ここにきて逆に冷静になっていた。

 左腕のリールから糸を伸ばし、道路を挟んで向こうのビルへと移動する。

 

(一旦撤退だ……。忌まわしいが美学を捨て、そこらにいる人間を喰らって力を高めればあの蝶野郎をぶち殺せる!)

 

「……とか考えてるんだろうな。だが、()()()()だ」

 

 厄除の槍を構えるマイヤ。

 その周囲には無数の蝶が舞い、力を解放させていく。

 力は風を起こし、熱を発し、魔を断つ技を繰り出す。

 

「退魔覆滅技法……!」

 

 助走をつけ、跳躍するマイヤ。

 マイヤを追うように蝶達も舞い上がり、その夜は幻想となる。

 マイヤの瞳はバケグモを貫き、渾身の力で槍は放たれる────!

 

「─────翔槍蝶閃ッ!」

 

 蝶は光となって槍を彩る。

 紫光を纏う槍は残像を描いて魔へと一直線。

 宵闇に翔る一筋の光芒が、バケグモを射抜いた。

 

『おのぉれぇぇぇぇ!!!!!!』

 

 断末魔は爆発が掻き消し、怨恨は届かず燃え消える。

 化神バケグモ、滅────。

 

 

 

 

「はぁ……。終わった」

  

 そう呟いた彼女、いや彼の手に槍が一人でに帰ってくると、幻影のようにそれは消え去った。

 そして、彼の変身も解かれる……。

 

「あっつ~。やっぱこっちは夜も暑いんだな。岩手とは大違いだ」

 

 熱帯夜に愚痴を溢すと彼は、脱いだ。

 脱いだ!?

 インナーを脱ぎ捨て着物をはだけさせた彼の背中は、確かに男の子のそれだった。

 少しばかり傷痕も見受けられる。

 こんな戦いの中でついた傷だろうか……。

 

「ジロジロ見んな、変態」

 

 背中越しに彼は言った。

 いやいや……!

 

「変態って! 私がいるのに脱いだのは君でしょ!」

「いいだろ別に上裸になるぐらい。それをずっとジロジロと見る方がどうかと思うぜ」

 

 そう言いながら私と向かい合った彼の身体は、よく鍛えられて引き締まったものだった。

 表情もキリッとしたような感じで、さっきまでのお淑やかな感じとは真逆な感じ。

 本当に、男の子なんだ……。

 

「えと、その……。二重人格、的な?」

「いいえ……。それは違います……」

「切り替わった!?」

 

 突然、雰囲気が変わってさっきまでと同じ、おっとりとしたお嬢様らしい口調と顔立ちに。

 いきなり変わるものだからビックリしたけど、二重人格ということは否定されてしまった。

 一体どういうことなのだろうか?

 

「私は……。男として生まれましたが、こうして女として生きねばならぬ運命にかつてありました……。なので、男ということを忘れぬために男らしい口調などを学びました……」

 

 参考文献が気になる。

 閑話休題。

 

「けれど……女として在るのも嫌というわけでもなく……。お洒落は好きですから……。なので、私は……夜舞薫であろうと……そう思ったのです……」

 

 ……この子とは数十分の付き合いだけれど、この子の説明も正直理解は出来ていないけれど分かったことは一つ。

 この子は、強い。

 戦いもそうだったけれど、なにより心が強いと私は感じた。

 女でもあり、男でもあり……。

 それはきっと私なんかじゃ想像もつかないような苦しいこともあったはずだ。

 けど、それでもこの子は自分は自分だと、言って魅せた……。

 

「初対面の人にここまで話すのは二度目でございます……。私、理恵さんのことを気に入ってしまったようです……」

「えっ……その……」

「……ふふ。可愛らしい反応を、するのですね……」

「と、歳上をからかうな!」

「あはは。悪い悪い……楽しい夜だったぜ」

 

 また突然、男女を切り替えるものだから心臓が跳ねた。

 そう、この鼓動は驚きから出たものなのだから……。

 

「ねえ、また会える……?」

 

 口が、勝手にそんな音声を再生していた。

 駄目だと頭は言っているのに。

 そして、駄目なのだと、二度目はないと心は感じているのに。

 

「化神はいつどこで現れるか分からない……。ただ、化神に遭うのは通り魔に遭うようなもんだから、二度目はなかなかないな。それに……」

 

 彼は、人差し指を立てる。

 視線が、奪われる。

 

()()()()()()()

 

 その言葉と共に、私の意識はパチンと照明を消したかのように遠くなり────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目覚めたら、病院にいた。

 なんでも過労で倒れたらしい。

 そうしたら勤め先のビルでガス爆発だか火事だかなんだか分からないけれど大変なことが起こっていたらしい。

 そんな現場に倒れていたのでその被害にあったのかと思われたが、全く別の被害にあっていたことが判明。

 課長も別の病院に入院してると、見舞いに来た冴子が教えてくれた。

 

「いやー運が良いんだか悪いんだか」

「悪いでしょどう見たって……」

「まあ、生きてるだけラッキーってことで。怪我もないみたいだし」

「はあ……。ところで、朝イチで見舞いに来るってことは合コン駄目だったんだ」

「うっせ」

 

 それにしても……。

 どこか、夢というかなんというか……。

 現実ではない現実の中に、いたような気がする……。

 

「あ、ちょうちょ」

 

 冴子が指を指す。

 窓際に止まった、一匹の紫色の蝶。

 綺麗……。

 

「あっ……」

 

 思わず、手を伸ばすと蝶は飛び去ってしまった。

 まあ、そんなものだろう。

 

「なんか珍しい蝶だったね。都会にはいないような」

「うん……」

 

 蝶が飛び去った空を見上げる。

 蝶の姿は見えなくなっていた。

 空の青にとけてしまったのだろうか。

 ただ、きっともうあの蝶とは出会えないだろうと、妙な寂しさを私は胸にしまいこんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京駅。

 その者の周りだけ、タイムスリップしたような感覚に陥るほどに和服が似合い過ぎる者がいた。

 そんな時代に逆行した姿でも、最新機種のスマートフォンを操り電話をかけている姿は現代人である。

 

「もしもし……。真姫ですか……。ええ、無事、仕事は終えました。報告も終えて、これから新幹線に乗るところです……」

 

『四日間お疲れ様でした薫様。こちらは化神の出現もなく平和です』

 

「そうですか……。咲希と勝人は?」

 

『勝人は先々代から座学を受けていましたが……』

 

「怒られてましたか?」

 

『……その、はい。薫様の時と比べると優しいものですが』

 

 光景が容易に浮かぶ。

 あの子は座学は苦手だろうと思っていましたが……。

 

『咲希は……薫様に会いたいと、私にだる絡みを……』

 

「あらあら……。これは、帰ったら大変そうですね……」

 

 送り出す時は気丈に振る舞っていたというのに。

 寂しがりなようです……私の恋人は……。

 

「そろそろ、新幹線の時間ですので……。盛岡に着いたら、また連絡します……」

 

『分かりました。迎えの車を向かわせます。……そういえば』

 

「そういえば?」

 

『先程、中部支部から連絡がありまして……。任務ではない……いえ、半分任務のようなのですが……』

 

 珍しく歯切れの悪い真姫の話を聞くと、中部支部の御伽装士がこちらへやって来るのだという。

 ……エンラの怨面を受け渡しに。

 勝人の亡き父の形見。

 浄化の儀が必要になるという。

 

『慰安旅行も兼ねているだとかで送迎などは不要とのことでしたが……』

 

「そうでしたか……。旅行も兼ねているというなら、向こうにもご予定というものがあるかと思います。送迎が不要というならばそういたしましょう」

 

『かしこまりました。それでは、失礼いたします。道中、お気を付けてください』

 

「ええ、ありがとう。それでは」

 

 真姫との通話を終えてホームへ。

 東北新幹線。

 なかなか乗る機会がこれまでなかったので、鉄道の旅を楽しみましょう……。

 

「永春くん! この車両ですよ!」

「ま、待ってよ沙夜さん……!」

 

 ふと、そんな若い声がホームに響く。

 同年代、でしょうか。

 号車は違いますが、同じ新幹線に乗るようです。

 初々しいカップルのようで、見ているとほんわかとした気持ちになり……。

 つい、見ていたら彼氏君の方と目があってしまいました。

 会釈して、私は新幹線に乗り込み座席につくと一言……。

 

「私も、人のことは言えないようです……」

 

 早く帰って皆に……咲希に会いたいと、胸が弾む。

 ゆっくりと、車窓の景色が動いていく。

 流れ行く景色は次第に速さを増していき、東京の街を離れていく。

 さあ、帰りましょう……私の町へ……。

 





遠き地より来るは英雄。
今、二つの怨面。二人の戦士が交差する。

次回「邂逅」

夜に舞え、白き鴉。


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邂逅 前編

 ボクの名前は常若永春。

 名古屋に住んでいる高校二年生。

 今日は彼女である沙夜さんとちょっとした用事がてら岩手県に旅行で来ている。

 盛岡駅で新幹線を降りて、更にこれからバスで2時間かからないぐらいの沿岸部の方へと移動中。

 なのだが……。

 ちらりと窓側に座る沙夜さんに目線を配る。

 沙夜さんは窓の方を見ているが、決して外の景色を楽しんでいるわけではない。

 怒って、ボクとは顔を合わせないようにしているのだ。

 

「あの~、沙夜さん……」

「ふんです」

 

 この通り、口もきいてくれない。

 何故、このようなことになったかというと……。

 

 二時間半前。

 東京駅。

 

「永春くん! この車両ですよ!」

「ま、待ってよ沙夜さん……!」

 

 名古屋から盛岡まで行くには東京駅での乗り換えが必要。

 沙夜さんは久しぶりの遠出のためかテンションが高い。

 楽しそうで何より……と、思っていたら。

 

「あ……」

 

 隣の車両の待機列に並ぶ、一人の少女と目が合った。

 着物に詳しくないボクでも分かるような高そうな着物が本当によく似合う、百人が見たら百人は美少女と言うだろう中学生くらいの女の子。

 なによりも、その女の子の赤い目が記憶に残っている。

 カラコン……とは思えないような、本物の赤の美しさみたいなものがあった。

 そんな少女と目が合って、見惚れない男はきっといないだろう。

 いや、当然ボクにとっての一番は沙夜さんだ。

 ただあれに関しては美しさの暴力で不意に殴られたみたいなものである。

 ひとまず沙夜さんがいる手前、抜けた表情にならないよう会釈して新幹線に乗り込んだのだが……。

 

 それから、ずっとこうして不機嫌なのだ、沙夜さんは。

 

「あのー……沙夜さん……」

「永春くんはああいう小柄な可愛らしい子が好きなんですね」

 

 小柄な可愛らしい……。

 東京駅の女の子のこと!?

 

「え!? ち、違うよ沙夜さん!」

「どう違うと言うんですか鼻の下が伸びてましたよ!」

 

 そんな……。

 鼻の下を伸ばさないようにしたのに……。

 伸びていたのか……ボクの鼻の下……。

 

「やっぱり背の高い私なんかより、ああいう小動物系の子の方がいいんですよね永春くんは」

「ち、違うよ! ボクは大きい沙夜さんが好きだ! いや……大きくても小さくても沙夜さんのことが好きなんだ! 沙夜さんだから好きなんだ!」

「永春くん……!」

 

 前髪に隠れる左目がちらっと見えた。

 その目には嬉しいという感情が溢れていた。

 よかった、これで仲なお……。

 

『えー、お客様。車内では、お静かに願います』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから一時間と少しして、バスの終点。

 港町の駅についた。ここから更にローカルバスに揺られること30分。

 

「ここが……」

 

 目的の場所は、災害の爪痕残る町であった。

 道の端には瓦礫が積まれ、工事関係の車が数多く見られた。

 

「……世間的には豪雨災害の被災地、ということになっていますが、これも全てバケゲンブという化神による被害だそうです」

 

 町の惨状を見渡し、沙夜さんが呟いた。

 こんなスケールの被害をもたらす化神がいるなんて、そう思わずにはいられない。

 まさしく災害そのものだろう、そんな化神は。

 玄武という四神の一柱の名を冠するともなれば、並の化神とは格が違うだろうということは想像に難くない。

 

「この町の御伽装士が討ち倒さなければ、もっと大きな被害が出ていたでしょう」

「そういえば、この町の御伽装士って?」

「私も詳しくはないですが、夜舞家という御伽装士の家がこの一帯を管轄しています。御守衆に属する一族の中でもかなり旧く、現代まで途絶えることなく戦い続けてきたとか……」

 

 なるほど。

 いわゆる旧家というやつか。

 先祖代々戦い続けてきたとか、うん。

 なんかすごそうだ。

 さっきから色々とスケールが大きくて、そんなふんわりとした感想しか浮かばない。

 

「その夜舞家に、私達はこれを届けに来ました」

 

 沙夜さんが持つジュラルミンケースの中身を届けること。

 それが僕達がこの町にやって来た理由。

 ケースの中身は、物部天厳が利用した猿羅の怨面なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 古い山門に背もたれ、今日ここに帰ってくる人を待つ。

 東京での仕事を終えて、薫が帰ってくる。

 そう聞いたらいてもたってもいられず、薫を出迎えようとこうしているわけだけど。

 

「まだかなぁ」

 

 呟いて、空を見上げる。

 青く、高い空。

 響く、蝉の声。

 日差しは木陰が遮ってくれているし、少し高いところだからか結構涼しい。

 だからこうして外で待つのも苦にならない。 

 スマホを取り出して、チャットアプリを開いても、なんとなく連絡する気にならない。

 サプライズじゃないけれど、私がここで待っていることで驚く薫が見たかった。

 だから、ここでもうしばらく穏やかに待とう……。

 

「勝人ぉ!!!」

 

 一瞬で穏やかではなくなってしまった。

 真姫さんの怒鳴り声が静かな山の中、響き渡る。

 こだま、返ってこないかな。

 

「逃げるな勝人! 座学を疎かにするな!」

 

 声がまた大きくなった。

 大きくなったというより、近くなった。

 

「つまんないからやだよぉだ!」

 

 からかうような声は最近、この家で預かることになった鈴木勝人の声。

 小学生男子らしい、やんちゃな声だ。

 どれどれと屋敷の中の方を覗いてみるとこちらに向かってくる勝人と、鬼の形相で勝人を追いかける真姫さん。

 まっすぐこっちに向かってきている。

 

「加藤! 勝人を取り押さえろ!」

 

 私を見つけた真姫さんがそう叫ぶ。

 まったくもうやんちゃなんだからやれやれと勝人を捕まえようと腕を広げてスタンバイ。

 勝人はそれでも真っ直ぐ私の方に向かって走ってくる。

 捕まえてくれと言っているようだ。

 

「ふっふっふっ。授業を抜け出す悪い子にはお仕置きが必要だね~。えいっ!」

 

 抱き込んで取り押さえようとした、のだが。

 勝人は私の腕を宙返りで飛び越えて、背後に着地するとそのまま駆け出していった。

 

「ええっ!? なにそのアクロバティック!?」

 

 確実に捕まえたと思っていたのに!

 ていうかどんな動き!?

 小学生のするアクションじゃないよ!?

 

「へへーん。咲希姉なんかに捕まるもんか!」

「んなっ!? 失礼な!」

「まったくあの猿坊主は! ええい、こうなればこちらも本気で!」

 

 真姫さんは私服のオフショルダーブラウスを脱ぎ捨て忍者の姿に。

 いや待て、さっきまで肩出てたのになんで忍者の格好になったらしっかり肩隠れてるんだ。

 この早着替えも忍の技なのだろうか……。

 などと感心していると、真姫さんの姿が消えて次の瞬間には勝人は捕らえられていた。

 

「ずりーぞ真姫姉!」

「まったく、座学とて大事な修行なんだ。おとなしく受けないと薫様に報告するぞ」

「げっ、それだけは勘弁……」

 

 薫の名を出されて勝人は青い顔になった。

 薫のことが苦手というわけではないが、薫から叱られるのが嫌らしい。

 

「ちゃんと全部聞いていましたよ、勝人」

 

 数日ぶりに聞く声がした。

 門をくぐり、影の中から日の当たる方へ。

 薫が、帰ってきた。

 

「おかえりなさいま……」

「薫~!!!!! おかえり~!!!!!」

 

 勢いよく抱きつくが、薫は微動だにもせず。

 この小さく細い身体のどこにそんなパワーがあるのか。

 

「ただいまです、咲希」

「うん! おかえり!」

 

 東京での初仕事を終えて帰ってきた薫はいつもと変わらない様子で微笑んだ。

 怪我もなく、何の問題もなく戻ってきてくれたようだ。

 その事にまずは安心。

 

「真姫も勝人の面倒、お疲れ様」

「いえ、なんてことは。薫様も総本山付きとしての初任務ご苦労様でした。慣れない土地での戦い……。移動もありましたからお疲れでしょう。ゆっくりとお休みになられてください」

「ええ、そうするわ。ただ、電話で話があったお客様の対応はしないとね」

 

 お客様?

 

「誰か来るの?」

「ええ。中部支部の御伽装士がいらっしゃるんです」

 

 中部ということは、愛知とか静岡とか長野の方か。

 けど、なんでそんな遠くからわざわざ?

 出張?

 私の疑問を察してか、薫が歩きながら説明すると言って庭の方へと向かう。

 真姫さんは勝人を連行したので私は薫の後を追って、話に耳を傾ける。

 

「……バケゲンブとの戦いと時を同じくして、東北支部所属の御伽装士エンラが殺害され、猿羅の怨面が強奪される事件がありました。下手人は、物部天厳という呪術師。御守衆の追跡を振り切った天厳は名古屋で蜂起しますが、御伽装士ビャクアの活躍により天厳は討たれました」

 

 確かに、名古屋でも何か事件が起こったみたいなニュースは聞いていたけれどそれも御伽装士関連だったとは。

 それと、気になることが一つ。

 

「エンラって、たしか……」

「はい。勝人のお父様です」

 

 だからか、歩いて話そうなんて薫が言ったのは。

 勝人の前では、出来る限り避けた方が良い話題だ。

 

「報告書によると、天厳は猿羅の怨面を利用して変身したそうです。そのために、猿羅の怨面は穢れてしまった……。穢れた怨面の浄化をこちらで執り行うため、怨面を届けに参るそうです」

「そうなんだ……。けど、わざわざこっちに持ってきてやるの? 向こうでも出来るならちゃちゃっとやっちゃった方が良くない?」

 

 素直に思ったことを口にすると、薫は困り気味に笑みを浮かべた。

 

「もともと、エンラは東北支部所属の装士ですから。こちらの物であればこちらで処理を行うのが道理かと。本来であれば、猿羅の怨面の奪還も東北の装士達がやるべきだったのでしょうけど……」

 

 逃げ切られてしまったし、バケゲンブのことでも手一杯になっていた。

 仙台なんかでも色々あったらしいので東北の御伽装士達が動くに動けなかったという事情があると薫は話した。

 私の知らないところで、いろんな戦いが繰り広げられていたのだ。

 なんだか、思った以上にスケールが大きい……。なんて、呆けているとスマホに着信。

 お母さんからだ。

 薫に断りをいれて出ると、民宿が忙しいから手伝ってくれとのことだった。

 

「ごめん薫、私行かなきゃだ」

「そうですか……。お手伝い、ですよね? 頑張ってください」

「うん! ありがと薫! またね!」

 

 短い時間だったけど、薫に会えたことがとっても嬉しい。

 心はめちゃくちゃ晴れやか。

 だけど、空には灰色の重い雲が少しずつ流れ込みつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 ブルーピア亀ヶ沢。

 部屋から海を一望出来る、このあたりで一番いいホテル。

 日本の景気が良かったバブル期にあちこちで建てられたリゾートホテルの生き残りで、それなりの規模のプールもあるところ。

 そこが、今回の宿……のはずであった。

 

「そんな……予約が出来ていなかったなんて……」

「おまけに満室かぁ……」

 

 沙夜さんと二人、肩を落としてホテルから出て町を彷徨い歩いていた。

 最初は予約していた望月ですと行っても望月様という予約はないと、では常若はと訊ねればそれもないと。

 六角でどうですか!? ではこちらではと六角モータースの人達の名字も挙げるが全て該当なし。

 あえなく、このホテルに予約したという事実はなく轟沈。

 ……いや、どうしたものか本当に。

 せめて今夜の宿は見つけないといけない。

 それで近くのホテルを検索したがどこも満室。

 

「被災地ボランティアで来てる団体さんが多いみたいですね……」

「ああ、それでか……」

 

 ボランティアの皆さんお疲れ様です!

 そして、今晩の宿どうしよう!

 

「夜舞家の方に事情を話して泊めてもらうとか……? いえ、しかしそこまで迷惑はかけられないですしもう少し粘って宿を探すか……」

 

 思い詰める沙夜さん。  

 責任感が強い沙夜さんを励まそうと声をかけようとした瞬間、ボク達に声をかける人がいた。

 

「宿、探してるの?」

 

 僕らと同年代ぐらいの女の子。

 茶髪で、明るい性格を主張してくる大きな目。

 それとあと、この町に失礼かもしれないが田舎っぽくないというか都会っ子みたいな雰囲気を醸し出している。

 

「えっと、貴女は……」

「私は加藤咲希。高校一年生だよ。二人も高校生?」

「あ、はい……。二人共高二で……」

「わ~! じゃあ先輩だ。お二人で旅行ですか?」

 

 ボク達が高二と知ると、女の子……。加藤さんはタメ語から敬語へ。

 不思議と、タメ語が似合う(似合うって言うのも変だけど)子だと思った。

 馴れ馴れしいとも違う、彼女らしいフレンドリーさが不快感を感じさせない。

 

「ええっと、その、旅行で立ち寄ったのですが、予約していたはずのホテルが予約出来ていなくて、他のホテルも満室のようで……」

「へぇ、それは災難でしたね。えっと、お二人はホテルじゃないとダメな感じですか? ……あっ、えっと、その、もしかしてそういう感じですか……?」

 

 顔を赤くした加藤さんがちょっと恥ずかしそうにして聞いてくる。

 ちょっと、いやだいぶおかしな方向に妄想を膨らませていそうだこの子!

 幸い、沙夜さんは気付いていないようだけど!

 

「いやもう全然! 今日泊まれるならどこでもOKって感じです!」

「あ、そうでしたか! うち、民宿やってるんですけどよかったら泊まります?」

 

 な、なんて僥倖。

 捨てる神あれば拾う神ありとはこのことか!

 

「もし、泊まれるようであればぜひ! お願いいたします!」

「はーい! お客様二名様ご案内~」

 

 加藤さんに案内されて歩くこと5分ほどで加藤さんのお家、民宿かとうに到着。

 ここも団体さんが入っていたけれど一室なら大丈夫ということで今夜の宿はここに決定。

 名簿に名前を書いていると、加藤さん。いやここの人みんな加藤さんだから咲希さんと呼ばせてもらおう。

 咲希さんがやたらの覗き込んできた。

 

「とこわかさんと望月さんっていうんですね!」

「そういえば名乗るのを忘れて……。申し訳ありません……」

「いえいえ。それじゃあ早速お部屋案内しますね~」

 

 二人にはちょっと狭い和室。

 まあ、たまには悪くない。

 狭くても沙夜さんとだったら全然苦にはならない。

 

「そういえばお二人はどうしてこの町に? なんもないどころか、被災地ですよ? ボランティアって感じでもないですし」

 

 その質問はもっともだ。

 たしかに観光地ってわけではないし、この町にいま沢山来ているボランティアって感じでもないボク達は結構謎に見えるだろう。

 

「あ……。その、咲希さんは夜舞さんというお宅をご存じですか? そちらに荷物を届けにこの町に来まして……」

 

 沙夜さんがそう説明すると、咲希さんの目が輝いた。

 そして、咲希さんの口からはボク達がまったく予想していなかった言葉が出てきた。

 

「えっ! じゃあ二人が今日来るっていう御伽装士!?」

「おっ……!? ど、どうして貴女が御伽装士のことを!?」

 

 沙夜さんがすごく驚いている。

 だって、まったく御伽装士とか化神とかと関係なさそうな普通の女の子って感じだから。

 

「ええっと、ボクは御伽装士ではないんだけど……。外部協力者的な?」

「じゃあ望月さんが御伽装士なんだ!」

「あの、あまり大きい声では……」

 

 あ、ごめんなさいと咲希さんは口を押さえる。

 それにしても、本当になんでこの子が御伽装士のことを知っていたのだろう。

 

「私も外部協力者……みたいな、協力とかは全然してないし出来ないんですけど……。ほんと、たまたま偶然知ってそのままでいるっていうか」

「本来であれば、記憶の処理が行われるところですが何か事情があったのですね?」

 

 そう、事情があれば記憶は消されない。

 ボクの場合はボクのちょっとした事情で記憶を消す術が効かなかった。

 もしかしたら咲希さんも?

 

「じ、事情とかも全然。本当にたまたまというか……えへへ」

 

 ……?

 照れてる?

 ともかく、やっぱりこの子は一般人も一般人な気がする。

 

「それより! 薫のとこ行かなきゃですよね!」

「かおる?」

「はい! 夜舞薫。この町の御伽装士(ヒーロー)です!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 咲希さんの案内で、夜舞家のお屋敷へ行くことに。

 

「お母さ~ん。私~お客さんを夜舞神社まで案内しなきゃいけないから~。いってくるね~」

 

 そう一方的に告げた咲希さんはしめしめといった様子で笑っていた。

 

「にへへ、これで薫のとこに行ける~。よし!」

 

 どうやら家の手伝いよりも夜舞薫という御伽装士に会いに行くことの方が本人にとって良いらしい。

 今日は団体さんも入っているから大変そうだし、まあそういうことなのだろう。

 そう思いながら歩き続け、辿り着いたのは……。

 

「な、なっが……」

 

 一体何段あるんだという石階段。

 こんなの昇ったら足がどうにかなってしまいそうだ。

 

「あのー、ここ以外から行く方法は……」

「ありますけど、また結構歩きますし結局階段昇る羽目になりますし……。あ、あと山道を昇っていくって方法もあります」

 

 結局、一番早くて近い道はここだというので昇ることに。

 これがめちゃくちゃキツくてキツくて、もう、ダメ。

 咲希さんもボクと同じく息を上げている。

 沙夜さんは、さすが御伽装士。息ひとつ上げていない。

 

「永春くん、咲希さん、大丈夫ですか?」

「わ、私は大丈夫、です……」

「はあ……はあ……ちょっとキツかったかも……」

 

 息を整え、咲希さんの案内に従って進む。

 門を越えると、そこはもう別世界。

 時代を遡ってしまったのではないかと思わされるようなお屋敷。

 ここまでの道中、咲希さんから聞いたがここだけでなく裏山だったり他にも土地を所有しているらしい。

 いわゆる、土地持ちというやつらしい。

 あと近くにある夜舞神社の管理も行っているのだとか。

 代々続く御伽装士の家とは聞いていたけど、流石にこれは想像を越えていた。

 

「光姫さんの話だと、広さでも厳しさでも随一の修行場があるとか」

「あー裏山ですね。薫もそこで鍛えてます」

 

 ……なんというか、夜舞薫という人物像が沙夜さんよりも背が高く筋骨隆々な感じになってきた。

 大自然の中で鍛えられた鋼の肉体を持つ、野性的な人みたいな。

 薫という名前が男か女か判断しにくいというのはあるけれど、果たして。

 自分の中で夜舞薫のイメージを固めていくと、屋敷の中から袴姿の金髪の女性がこちらにやってきた。

 その女性を見て、咲希さんが「あ、マキさんだ」と呟いたので知り合いのようだった。

 ボク達のもとへやってきた女性が、僕らとそう変わらない年齢だと気付いたのは近くで見てから。

 なんとなく大人っぽいというか、しっかりとした雰囲気が出ている人だ。

 こう、敏腕秘書みたいなそんな感じ。

 

「遠路はるばるご足労いただき感謝いたします。私は五十鈴真姫。薫様の側近を勤めさせていただいております」

 

 きちっとした所作で自己紹介するものなので、思わず見入ってしまった。

 沙夜さんが挨拶をしたのにワンテンポ遅れて、僕も名乗った。

 

「加藤、案内すまなかった。本来であればこちらでするべきだったが手を回せなくてな」

「大丈夫ですよ! 薫も帰ってきたばっかりだしで忙しかったでしょうし」

 

 咲希さんと真姫さんは気軽に話せるぐらいの間柄らしい。

 それと、個人的に気になることがひとつあった。

 

「帰ってきたばっかりって、その、薫さんどこかに行ってたの?」

「薫様は総本山付きとなってから初めての任務で東京に行ってらっしゃったのです。昨晩、任務を果たして先程お帰りになられたばかりでして……」

 

 総本山付き?

 聞き慣れない言葉に首をかしげると沙夜さんが教えてくれた。

 

「総本山付きというのは、私や多くの御伽装士のようにどこかの管轄に所属するのではなく、総本山からの指令で動く御伽装士のことです。総本山直々の指令ともなると危険度も重要度も高く、実績と実力のある装士でなければ務まりません」

「なるほど……。簡単に言えば、エースみたいな感じ?」

「そうですね。普通に御伽装士をやっていればなれるというものでもありませんし」

「沙夜さんならなれるんじゃない?」 

 

 ふと、ぽろりとそんな言葉が口から出た。

 これまでの沙夜さんの戦いぶりを見てきて、なによりあの名古屋を震撼させた物部天厳を打ち倒したのだ。

 沙夜さんなら十分なれると思う。

 

「そう簡単になれるものではないんです。それに総本山付きともなれば、今の倍以上の忙しさで永春くんともなかなか会えなく……」

 

 そこまで言って、沙夜さんの香りがボンと赤くなった。

 ボクの顔も段々と赤くなってきた。

 二人きりの時ならまだしも、今は僕達以外も人がいる……!

 

「ひゅーひゅー! お熱いね~!」

「咲希さん、お願いだから追い討ちをかけないで……」

「……薫様がお待ちですので。こちらです」

 

 真姫さんが気を遣ってか、話題を遮ってくれた。

 ただ、今日と明日は咲希さんのお熱いね攻撃が襲いかかってくるものだと覚悟はしていたい。

 咲希さんのキラキラとした目が、それを物語っているからだ。

 

 さて、屋敷の中はというとやはり圧倒される。

 ここの写真を高級老舗旅館と言ってSNSにアップしたら大半の人は騙せそうだ。

 木造の優しい感じと、長い時代を見つめてきた威厳のようなものを感じ、姿勢を正さずにはいられない。

 中庭は季節の木々が緑に萌えて、百合と桔梗の花が彩りを添えていた。

 季節の植物を楽しめるのだろう。

 そして、その中庭を臨める部屋に夜舞家の当主がいるという。

 真姫さんが扉をノックすると部屋の中から返事が。

 穏やかであるが凛とした美しい女性の声であった。

 この瞬間、ボクの中で出来上がりつつあった夜舞薫のイメージ像が崩壊した。

 

「それでは、どうぞお入りください」

 

 そう促されるが、妙に緊張して入りづらい。

 緊張する必要なんてないのに、ボクはこの屋敷の環境にいつの間にか緊張していたようだった。

 

「失礼します」

 

 沙夜さんが先陣を切り、入室していく。

 それを見てボクも覚悟が出来たというかなんというか。

 同じく、失礼しますと言って部屋の中へ。

 そこは、和でなく洋であった。

 これまでの屋敷の中から一転して、いや、それでも時代がかっているということだけは共通しているが。

 レトロというか、アンティークというか。

 赤を基調とした部屋で暖かみがある。

 ソファーとテーブルが部屋の中央にあり、奥には大きな机が。

 棚には高そうな外国のお皿とか陶器が飾ってあったりと一気に国を飛び越えたかのような錯覚に陥る。

 

「────ようこそ、おいでくださいました」

 

 先程、部屋の中からした声。

 僕からは影になって見えなかったが、奥の机に座っていたようだ。

 立ち上がり、机の隣に立った和服の少女。

 その少女を見た瞬間、ボクと沙夜さんは二人して驚いた。

 

「あ、貴女は……!」

「東京駅の……」

「あら……。ふふ、これも、何かの縁というものでございましょうか……」

 

 その少女は、東京駅で出会った人だった。

 まさか、あの子が夜舞薫さんだったなんて。

 数奇な運命を感じながら、ボク達は再び出会った。



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邂逅 中編

 三人の反応からして、何かあったらしいけど。

 一体何があったのか。

 

「貴女は……東京駅で永春くんを誑かした!」

「え!?」

 

 沙夜さんの言葉に思わず驚いた。

 だって、薫が永春さんを誑かすということはつまり、BがLするってことだよ!?

 

「どういうこと薫!?」

「誑かす……?」

「沙夜さん! ボクは誑かされてなんて!」

 

 とにかく二人を問い詰めた。

 なんでも、東京駅で新幹線を待っている時に目があったのだという。

 まあ、それだけなら別に。

 

「ま、まあ、どうぞお掛けになってください。真姫、皆さんにお茶を。お部屋に合わせて紅茶で」

「かしこまりました」

 

 真姫さんは一度退室しお茶の用意へ。

 そういえば、私もなし崩し的に来たけどここにいていいのかな……。

 

「えーと、私いてもいいのかな? 出た方がいい?」

「いえ。咲希にもいてもらいたいのです」

 

 薫はそう言うと自分の隣に座るようにと促した。

 いいのかなって思いながら、失礼しますと恐る恐る薫の隣へ。

 永春さんと向かい合うが、それよりも気になったのはその隣の沙夜さん。

 明らかに、薫のことを警戒している。

 借りてきた猫のよう。

 永春さんも罰の悪い顔をしていた。

 正直言って、部屋の空気は最悪に近い。

 

「まずは自己紹介を……。既に聞いているとは思いますが、私が夜舞家現当主にして御伽装士マイヤ。夜舞薫と申します」

 

 そんな空気など気にしないどころか吹き飛ばしてしまいそうなほど丁寧な所作で薫は挨拶をした。

 こういうところを見ると、やっぱりいいところのお嬢様なのだと思い知らされるが、もう一つの顔は武闘派でツンデレがちょっと入った男の子である。

 沙夜さんも永春さんも、そんなことは予想していないだろう。

 

「ボクは常若永春といいます。その、御伽装士とか御守衆ってわけではないんですが一応、関係者ということでついてきてます。はい……」

 

 緊張気味に永春さんが挨拶するやいなや、薫は身を乗り出して永春さんに思いっきり顔を近付けた。

 ルビーみたいな薫の瞳が永春さんを映していた。

 

「常若さん、貴方は……どこか、不思議でございます……」

「え!? あ、いや、そ、そうかなぁ? あはは……」

「ふふ……。人徳でしょうか……」

「あの! 夜舞さん、近すぎです!」

 

 沙夜さんがそう注意すると薫は失礼しましたと席についた。

 で、その沙夜さんだが……。

 

「望月沙夜といいます。御伽装士ビャクアです」

 

 拗ねている。

 やっぱり東京駅でのことを引き摺っているみたい。

 気持ちは、分かる。分かるよ。同じ女として。

 私ももし、薫が他の女の子にデレデレしてたら嫌な気分にはなるだろうし。

 それに私の勘だと沙夜さん、初めてのお付き合いと見た。

 永春さんのことも大好き過ぎるぐらいだし、うん。

 私的には今の沙夜さん、乙女してて滅茶苦茶かわいいと思う。

 そう思えば少しは場の空気が良くなった気がする。

 あとは薫がさっきみたいに無自覚に地雷を踏まなければ大丈夫なはず。

 さて、私は薫のフォローに回りますかね……なんて思っていたら。

 

「ビャクア……。貴女が、ビャクア……」

「は、はい。そうですが……」

「その、一度お会いしてみたかったのです……!」

 

 珍しく、目をキラキラとさせた薫が沙夜さんに詰め寄った。

 沙夜さんはまさか自分まで詰め寄られるとは思ってもいなかっただろう。

 小さく「きゃっ」と悲鳴を上げていた。

 

「総本山でお話を聞いてからぜひお話をと……! 物部天厳討伐の報告書も、何度も読ませていただきました。一体どのような鍛練を普段なされているのですか? 戦った化神の情報を共有などいたしませんか!」

 

 ……なんだ、この薫は。

 えーと、あれだ。

 アイドルとそのファン、みたいな。

 つまり薫は沙夜さんのファンってこと?

 

「失礼します。お茶をお持ちしました。……薫様、お客様に失礼なことはしていないでしょうね?」

 

 お茶を持ってきた真姫さんが薫に釘を差すと薫は申し訳なさそうなのと恥ずかしそうなのを合わせた顔でするすると姿勢を正した。

 

「失礼いたしました、望月さん……。同年代の御伽装士と会う機会はなかなかないので……。つい興奮してしまい……」

「いえ……。でも、たしかに同年代の御伽装士と顔を合わせることはそうありませんので気持ちは分かります。あと、私も夜舞さんのバケゲンブ討伐の報告書はよく覚えています。古の化神に打ち勝つなんて、現代においてそうありませんから」

 

 薫と沙夜さんはそう言い合って笑いあった。

 よかった、ちゃんと仲良く出来そう。

 そうしている間に真姫さんが紅茶をテーブルに置いていく。カップを置き終わった真姫さんは薫の後ろに立ち、待機。服装は袴だけれど、メイドさんとしてパーフェクトだろう。

 そして出された紅茶は香りがとても強く、美味しそうだ。

 早速、一口……。

 

「おいしっ」

 

 思わず、そう漏れた。

 恥ずかしい。

 しかし、永春さんと沙夜さんも同じような反応をしていたので救われたような気分になる。

 それにしてもこんな紅茶を飲んでしまったら、自販機でいつも買う紅茶を紅茶と思えなくなってしまいそうだ。

 

「お口に合ったようで、良かったです。私のお気に入りの茶葉でして、ストレートでいただくのが香りも楽しめて、落ち着きます……」

 

 薫といえば和! みたいなイメージあったけど、紅茶も好きなんだ。

 また、新たな発見と。

 みんなでお茶を楽しみ和んだあたりで、薫が話題を切り替えた。

 

「さて、本題に入りましょうか。猿羅の怨面は」

「こちらです」

 

 沙夜さんがテーブルの上に置いたアタッシュケース。

 開けると、中にはお札が貼られた木箱が入っていた。

 この中に、怨面が……。

 

「これは……」

 

 薫の顔が厳しいものとなる。

 

「これでも、こちらまで運べるようにと処置は施されています。それでも、これです」

「薫、これって……?」

「……咲希、常若さんもです。もし、体調が悪くなったらすぐに言ってください。これはそれぐらいのものです」

 

 体調……。

 そういえば、少し寒気がしてきたような気がする。

 このアタッシュケースが開いてから。

 もしかして、これのせい?

 

「このケースにも防護の術を施してきたぐらいなんです。私も、ここまでの穢れとは思わず……」

「この木箱、開けたらやっぱりヤバいのかな沙夜さん?」

「ここは結界もありますし聖域ですから、そう大きな事態にはならないと思いますが、もし外でこれを開けてしまったら……。この穢れを感じ取った化神達が、これを求めて集まってくるでしょう」

 

 そんなに、ヤバいやつなんだ……。

 薫もあんな顔をするぐらいだし、相当に危険なんだということは理解した。

 これを、どうにかする。

 それが、薫の次の仕事?

 帰ってきたばかりなのに?

 きゅっと胸が締め付けられる。

 だって、薫が大変だから。

 

「じゃじゃじゃ……。これはまた、想像以上だ……」

 

 ノックもせずに入ってきたのは、薫のおばあちゃんだった。

 薫が沙夜さんと永春さんにおばあちゃんを先々代ですと紹介すると二人、特に沙夜さんは居直った。

 薫のおばあちゃんは確かに雰囲気が鋭くて厳しいけど、沙夜さんからしたら御伽装士の大先輩みたいなものなのだから余計にそれを感じるのだろう。

 

「お前さんが、ビャクアか」

「は、はい。望月沙夜といいます……」

「そうか。けんど、これは本当に想像以上だ。薫にも浄化の儀をやらせたかったところだけんど……。これは私がやるしかない。薫、お前は今晩周辺の警護にあたれ。これだけの穢れ、儀式が始まれば結界を貼っていても漏れ出る。そうすれば化神どもが集まってくっけぇに、お前は儀式を守れ」

「かしこまりました」

 

 薫は即答した。

 けど、けど!

 立ち上がり、おばあちゃんと向かい合い叫んだ。

 

「待っておばあちゃん! 薫はさっき帰ってきたばっかりで……」

「咲希。私は大丈夫ですから」

「けど!」

 

 私が食い下がると、薫も立ち上がって……。私を抱き締めた。

 私よりも、小さな身体のくせして……。

 

「咲希。心配してくれてありがとう。けど、大丈夫です。私は必ず勝ちますから。勝って、必ずあなたの所に帰ってきますから。信じて、待っていてください」

 

 私よりも、小さな身体のくせして。

 私よりも、強いんだから……。

 そうだ、薫は必ず帰ってきてくれた。

 だから、今回もきっと大丈夫だと自分に言い聞かせた。

 

「……うん。分かった、信じる。けど、無理しちゃ駄目だよ」

「はい……。無茶は、するかもしれませんが……」

「無茶も駄目!」

「ふふ、はい……」

 

 薫を信じることにした。

 薫は強いから、大丈夫。

 

「あの、私も戦わせていただいてもよろしいでしょうか」

 

 そう声を上げたのは沙夜さんだった。

 

「お客人に戦わせんのはね……」

 

 おばあちゃんはそう言って遠慮したけれど、沙夜さんはあのおばあちゃんに向かい合って自分の意思を伝えた。

 前髪で隠れて見えない目も、真っ直ぐとした目をしているはずだ。

 

「これは物部天厳との戦いの後始末のようなもの。私に、最後まで戦わせてはいただけませんか」

「……分かった」

 

 おばあちゃんはそう返事をして、儀式の準備をすると部屋を出た。

 許しを貰えたので、沙夜さんもホッとした様子だ。

 

「ありがとう沙夜さん! 薫一人で戦うよりも二人で戦った方がいいもんね!」

「はい。……夜舞さん、望月沙夜微力ながらお手伝いさせていただきます」

「微力だなんてご謙遜なさらず……。望月さんが加われば百人力。百鬼夜行でも難なく乗り切れてしまいそうです」

「流石にそこまでは……」

「いや、沙夜さんは強いからね。咲希さんも夜舞さんのこと心配しなくていいよ」

「永春くんまで……!」

 

 みんなで沙夜さんを持ち上げる。

 二大御伽装士による戦いとか、なんかすごそう。

 

「夜舞さん。沙夜さんのこと、お願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします……。咲希と常若さんは今夜は夜舞の家と神社から離れていてください。危ないですから」

「分かりました。ボク達、咲希さんの民宿に泊まってるからそこでおとなしく待ってるよ」

「はい……。あと、そうだ……咲希に、これを預けます」

 

 薫が私に手渡したのは、お守りであった。

 神社で売られてるようなやつ。

 魔除け的な?

 

「それは、私のお母様がご友人のために作った物になります。お母様が亡くなったばかりの頃、そのご友人の方から譲られたのです……。効果はばっちりですので、今晩は念のため持っていてください」

「うん。ありがとう薫」

 

 薫のお母さんが作った物か……。

 なんだか、緊張しちゃう。

 今晩だけ借りる物だけどなくしたりしないようにしないと。

 

 そうこうして、ひとまず四人での話は終わった。

 私と永春さんは家に戻って今晩はおとなしく待つことに。

 薫と沙夜さんは儀式を行う夜舞神社で待機することになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜舞家仕えの平装士の皆さんが浄化の儀の準備を粛々と進めていく中、夜舞さんと私は待機しつつ作戦を立てていた。

 夜舞さんのおばあさんの発案で結界を一箇所、わざと開けることに。開ける場所はこの夜舞神社へと続くこれまた長い石階段。

 そこから漏れ出た穢れを感じ取った化神が、ここ一箇所に集中して集まれば私達も戦いやすい。あちこち移動する手間が省けるからだ。

 私達は地の利も得て、戦う。

 行うことは少ない防衛戦、準備に余念はない。

 実際に現地を確認して、周囲の景色を脳内に叩き込む。

 そして、脳内で戦いをイメージする。

 ビャクアとマイヤの情報をお互いに開示して、どのような退魔道具を用い、どのような技を放つのかも計算する。

 神社の外で軽い組手を行い、互いの呼吸を測ることもして一旦休憩。

 夜舞さん付きの平装士、真姫さんが軽食を持ってきてくださったのでお腹に入れておくことに。

 塩むすびと漬物という簡素なものであるが、個人的にはちょうどよかった。

 

「ごちそうさまでした。美味しかったです」

「ありがとうございます。儀式は間もなく始まるとのことでしたのでそろそろ山門で待機を」

 

 分かりましたと返事をして、夜舞さんと山門に向かおうとしたところ、男の子の声が響いた。

 

「ししょー!」

「勝人……? ごめんなさい望月さん。少し、待っていてください」

 

 夜舞さんはそう言って声がした方へ。

 夜舞家のお屋敷から直接神社に繋がる道の方へ駆けていった夜舞さんが気になり、私もそちらに行くことへ。

 少し離れた木陰から、盗み見るような形にはなってしまったけれど夜舞さんと小さな男の子が話しているのを見ることに。

 

「ねえ! 父ちゃんの怨面あるんだろ!」

「……ええ」

「夜、戦うんだろ! おれも戦う!」

「今の貴方に出来ることはありません」

「ししょー!」

「いいですか、勝人。今の貴方には戦う力はありません。そして、今の貴方が戦うべき時ではありません。貴方が戦うのは、今ではなく未来です」

「未来?」

「ええ。今夜、私達が戦うのは貴方の未来のため。貴方がいずれ守ることになる未来のため。ですから、今夜は家で待っていてください。ね?」

「……うん」 

「ありがとう。それじゃあ、おやすみなさい」

 

 男の子はおとなしく家の方に戻っていき、振り向いた夜舞さんが私に向かって微笑みかけた。

 気付かれていたようだ。

 

「すいません、つい気になってしまって……」

「いえ、大丈夫ですよ」

「師匠と呼ばれていましたが、あの子は……」

「私の弟子でございます。いずれ、猿羅の怨面を継ぐことになる子です」

 

 ああ、やっぱり。

 父ちゃんの怨面があると言っていた。

 御伽装士エンラは天厳により殺害されたと聞いていた。そんな子がここにいるということはつまり、身寄りもなかったのではないだろうか。

 夜舞さんのお家で引き取り、未来の御伽装士エンラとなるべく修行中というわけなのだろう。

 そう、未来の。

 

「私達が戦うのは未来のため、ですか。恥ずかしながら、私はそんな風に考えたことはありませんでした」

「それが普通だと思います。私達が生きて戦うのは今ですから。……私も、あの子を引き取ったこと。そして、現代までマイヤとして戦い続けてきたご先祖様達の思いを知るまでは、そんな風に考えたことはありませんでした」

 

 今を生きて、今を守ることに精一杯であるから。

 けれど、その今を精一杯生きるから未来があるのだと。

 山門の前まで、歩きながら夜舞さんはそう語った。

 若くして総本山付きとなり、弟子を持ったからこその視点なのだろう。

 私も、未来のために戦いたい。

 天厳との因縁のことだけではない。

 むしろ、それよりも大きな意味がこの戦いにあるのだと胸に刻んで私は戦う。

 

「戦いの前に、あまり関係ないかもしれませんが……」

 

 唐突に、少し気恥ずかしそうに夜舞さんがそう話しかけた。

 

「どうか『夜舞さん』ではなく、名前で呼んではいただけませんか? 名前で呼ばれる方が、実は好きなのです」

 

 予想外の申し出にいいのだろうかと一瞬思ったけれど、彼女の人となりは理解した。

 悪い人ではないですし、信頼も置けます。

 断る理由はありませんでした。

 

「分かりました。それでは、私のことも沙夜と呼んでください」

 

 そう返事をすると、夜舞さん。いいえ、薫さんはにこりと笑顔を浮かべた。

 

「ありがとうございます。沙夜さん」

「ふふ、はい」

 

 私も沙夜さんと呼ばれて思わず顔が綻んだ。

 新しい仲間が出来たみたいで、本当に嬉しい。

 

「結界開きます!」

 

 平装士の方の声で私も薫さんもびしっと引き締まる。

 ここから先はしばらく、戦いの時間。

 

「始まりますね」

「はい……。未来へ繋ぐための戦いが……」

 

 結界から穢れが流れ出るのを感じる。

 厭な気。

 天厳を思い出させる残り香のようだ。

 そうして少しすると、まだ身体を持たない化神である黒い靄が無数に現れた。

 

「沙夜さん」

「はい。いきましょう!」

 

 二人、それぞれの怨面を手にし戦うための姿へと変わる!

 

「オン・カルラ・カン・カンラ 白鴉の怨面よ、お目覚めよ……」

 

「オン・ビシャテン・テン・モウカ 舞え、マイヤ……」

 

『変身────!』

 

 ビャクアの変身時に生じる白い風に乗り、マイヤの蝶が月夜に羽ばたいていく。

 御伽装士ビャクア。

 御伽装士マイヤ。

 二大御伽装士見参!

 

「我が名はビャクア! いざ、お覚悟を!」

「我が名はマイヤ。あなた方、化神を滅する夜の蝶でございます……」

 

 化神に対し、それぞれの口上を言い放ち戦士達は化神に立ち向かう。

 魔を断つ一陣の風となり、吹き荒れる。

 



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邂逅 後編

 民宿に戻り、一人ではなんだと加藤さんのご家族とご飯を一緒に食べて今は部屋に一人。

 沙夜さんもここに泊まるはずだったけれど、事情が事情だし仕方ない。

 それにしても……困った。

 沙夜さんが心配で心配で堪らない。

 ボクにも何か手伝えることがあればいいのだけれど。

 そんなもどかしさのせいで落ち着かないので、少し身体を動かそうと思った。

 疲れれば眠くなって動きたくなくなるだろうと思って。

 それで少しだけ外に出た。

 すっかり誰もいないものだとばかり思っていたのだけれど、外には咲希さんがいたのだ。

 

「あ、永春さん。駄目ですよちゃんと待ってなきゃ」

「あ、あはは……。あんなこと言った手前、ちゃんと待つつもりなんだけど、なんだか落ち着かなくて。外の空気でも吸おうかなって」

「そうですか! じゃあ一緒に深呼吸! ここの空気は美味しいですよ!」

 

 ということで一緒に深呼吸。 

 すう……はあ……すう……はあ……。

 

「あ、本当に空気が美味しい」

「でしょう! こう、湧水飲んだみたいな感じしますよね!」

 

 その例えはちょっと分かる。

 今の時間帯、涼しくなって身体の中にいい感じに冷たいものが入ったような気がする。

 少しだけ、リラックス出来たかも。

 それはそれとして。

 

「で、咲希さんも落ち着かなくて外出ちゃったの?」

 

 そう訊ねると、咲希さんは首を横に振った。

 あれ、てっきりボクと同じだと思ったのに。

 

「じゃあ、どうして」

「待ってるんです、私。薫のこと、沙夜さんのこと。ちゃんと、無事に帰ってくるって信じて」

 

 まっすぐ、今まさに戦いが繰り広げられているだろう夜舞神社の方向を見て咲希さんは言った。

 

「君は……強いんだね」

「へ? いやいや私、薫みたいに戦えませんから」

「そう、じゃなくてさ。……実はボク、ちょっと普通じゃなくてさ、沙夜さんの戦いを手伝ったことがあるんだ」

 

 この子になら、聞かせても大丈夫だと思った。

 全てをまるっと話すつもりはないけど。

 

「だからかな、なんか手伝えるんじゃないかって思っちゃってさ。何かしてないと落ち着かないっていうか……。やっぱり沙夜さんのことは心配だし、力になりたいっていつも思うんだ。もちろん信じてはいるんだけどね。だから、咲希さんを見て、強いなって思った。信じて待つって、難しいから。思ってる以上に」 

 

 こんなボクの話を聞いて、また咲希さんは首を横に振った。

 そうして、自信なさげに話し出す。

 

「そんな永春さんが思ってるようなんじゃないですよ。私はなんにも出来ないから。薫を助けられる力とかないですし。出来ることは本当に、待つことだけ……。でも、信じて待ってれば薫は必ず帰ってくるんです。それで、待ってた私を見て、薫が笑うのが好きだから。だから、待つんです」

 

 語る彼女の瞳は輝いていた。

 信じて待つ。

 それはやっぱり、思ってる以上に難しいこと。

 だけどきっと、それはボクと咲希さん二人がこれから先何回も経験しなければならないことだろう。

 それが、御伽装士という人を守るために戦う彼女達を愛したボク達の運命。

 だから、ボクも慣れといた方がいいかな。待つってこと。

 ……出来るかなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦士達の戦いは続いていた。

 黒い靄が大半なので、苦戦することはない。

 心配すべきは体力のほう。

 浄化の儀が終わるまでは続くこの化神の進撃を乗り切るため、体力を温存しながら戦う。

 そのため二人の戦いは前衛と後衛を交互に繰り返しながらのものである。

 前衛が化神を迎撃し、後衛が前衛のサポートを行いつつ体力の回復。

 今ちょうど、ビャクアが前衛に切り替わる瞬間である。

 

「退魔道具 風神の風袋!」

 

 マイヤが手にした退魔道具は袋とは言うが、見た目は砲である。

 小脇に抱え、放つは砲弾ではなく疾風。

 魔を払う風が黒い靄を一網打尽にし、化神の攻勢が一瞬止んだところでビャクアが前へと躍り出る。

 

「ハイヤァー! 退魔七つ道具が其の参! 雲薙ぎの大鎌!!」

 

 ビャクアは身の丈ほどある蒼き大鎌を携え、前線へ。

 その背にマイヤが放つ風を受けて加速し、大きな得物を持っているとは思えないようなスピードで化神達に向けて接近。

 大鎌が一度に複数の靄を切り裂く。

 ビャクアは追い風を利用し、目にも止まらぬ神速の斬で敵を屠り続ける。

 白い疾風が吹き荒ぶこと20分。

 マイヤは交代を申し出た。

 

「沙夜さん!」

「薫さん!」

 

 交代のため、ビャクアが最後に大技を放つ。

 

「退魔覆滅技法 断邪!」

 

 大鎌の一撃が化神の群体を叩き斬る。

 化神の攻撃が止み、その隙にビャクアは退魔道具を切り換える。

 

「退魔七つ道具が其の壱、天狗の羽団扇! カンラ!」

 

 羽団扇が振るわれると白い小さな竜巻が現れ、靄を吹き飛ばす。

 そして、マイヤが舞い上がる。

 ビャクアの肩を台にして飛び上がったマイヤは竜巻に乗り、更に舞い上がる。

 

「退魔覆滅技法 蝶絶怒涛」

 

 上空から無数の蝶を放つマイヤ。

 蝶は竜巻に乗り、白き竜巻は紫の光を放つ。

 

「────滅」

 

 その言葉が起爆スイッチ。

 周囲を赤く染めるほどの大爆発。

 ビャクアの神通力により生まれた竜巻もあり、普段の蝶絶怒涛以上の爆発が化神を焼き尽くした。

 

「退魔道具 雷神の雷鼓」

 

 マイヤの背に、鼓が連なる輪が備わる。

 その姿は正しく雷神。

 雷を自由自在に操り、化神を撃ち落とす。

 雷鳴を轟かせるマイヤは雷の指揮者のよう。

 優雅に、力強く。

 雷のオーケストラは魔を焼き尽くし、聖なる音を奏で続ける。

 

『ケケケ! 御伽装士の肉も食らおうか!』

『勝負勝負ぅ!』

 

「薫さん! 肉体を得た化神です!」

「なにするものぞ! 化神! 退魔覆滅技法 雷電疾走!」

 

 マイヤは神通力で束ねた雷の気を現れた化神バケザル、バケイモリに投げつけ、地面を殴り付ける。

 上からも雷が放たれ、地にも電撃が走る。

 上下からの雷撃が化神を討つ。

 

 二人の戦いは数時間に及ぶ長丁場に。

 だが、その戦いにも終わりが近付いてきていた。

 

「流れ出る穢れの気配が弱まっている……。沙夜さん! あともう一踏ん張りです!」

「ハイヤッ! 分かりました!」

 

 退魔道具、裂空の快刀で靄を切り捨てたビャクア。

 この報は精神的に余裕を生み、剣の冴えが増した。  

 また、穢れが弱まったことにより現れる化神の数は明らかに減ってきていた。

 そして。

 

「伝令! 浄化の儀、滞りなく終了いたしました!」

「ご苦労様です! 結界、張り直してください!」

「承知いたしました!」

 

 平装士の伝令に結界の張り直しを指示したマイヤは戦場を俯瞰。

 この数ならばとまとめてなぎ倒すことに決めた。

 

「沙夜さん! まとめていきましょう!」

「はいッ!」

 

「「退魔覆滅技法ッ!」」

 

 退魔道具、鎧下駄を纏ったビャクアが縦横無尽に飛び回る。

 その数七人。

 白き風となり、化神達を取り囲む。

 荒れ狂う嵐から、七人のビャクアが蹴撃を放つ。

 

「乱鴉一陣!! ハイヤァァァァ!!!!!!」

 

 半歩前に出した右足から、無数の蝶が飛び立っていく。

 蝶はドーム状に固まって化神を取り囲み、動きを封じ込める。

 そのドームへと向かい、優雅に歩くマイヤ。

 ドームの前で足を止める。

 そして力が集束し、輝く右足で蝶のドームを一蹴。

 ドン!と強い衝撃が周囲を揺らすと、マイヤは蹴り込んだ姿勢のまま、その技の名を告げた。

 

「千蝶一蹴」

 

 次の瞬間、蝶のドームから火柱が立ち上ぼり爆発。

 蝶達はその火柱の周りを舞い飛び、明けの空へと旅立っていく。

 ビャクアとマイヤ。

 戦いを終えた二人の御伽装士を、昇る朝日が見つめていた。

 

 

 

「ありがとうございました沙夜さん。沙夜さんがいてくれなければ、この数はきつかったと思います」

「いえ、こちらこそ。薫さんと一緒に戦うことが出来て光栄です」

 

 薫と沙夜は握手をした。

 共に戦った友情の証が眩しく、煌めいていた。

 

 

 

 

 

 浄化の儀と戦いが終わり、神社の本堂へ。

 沙夜さんは咲希の家に戻られ、無事に儀式が完了したことを二人に伝えに行きました。

 今回の浄化の儀、おばあ様が執り行いましたが他にも参加したのは年配のベテラン装士の方が大勢。

 夜通しは、もうかなりきついでしょうに……。

 

「皆さん、お疲れ様でした。本当に、ありがとうございます。皆さんのおかげで浄化の儀は無事に完了いたしました。これで、未来に御伽装士エンラが蘇るでしょう。本当に、皆さんありがとうございました」

 

 礼をして、皆さんに感謝を。

 本当に、お疲れ様でした……。

 

「薫」

 

 おばあ様に呼ばれて近付くと、浄化された猿羅の怨面を手渡された。

 

「これを、わらす(子供)さ聞かせてきな」

「聞かせ……?」

 

 その瞬間、突然頭に何かが響いた。

 よく聞き取れなかったので集中して聞くと、それは────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝早くに沙夜さんが戻り、儀式は完了し戦った二人も怪我なく無事という報告を受けて私達は薫の家に向かった。

 薫は勝人の部屋の前にいて、扉をちょっとだけ開けて中の様子を見ているようだった。

 

「かおるっ。お疲れ様。なにしてるの?」

「咲希……。猿羅の怨面の浄化が無事に終わったことを、勝人に伝えようと思って……。あと……。沙夜さん、こちらを……」

「はい……?」

 

 猿羅の怨面を手渡された沙夜さんは最初不思議な顔をしていたが、何かに気付いたような顔をしてから優しい笑みを浮かべた。

 ?

 なんだろう、御伽装士にしか分からない的な?

 

「……父ちゃん?」

「勝人! ごめんね、起こしちゃったね」

「ううん。なんか、父ちゃんの声がした気がして……」

 

 勝人の、お父さんの声?

 夢でも見たのかと思ったけれど、沙夜さんから猿羅の怨面を返してもらった薫が今度は勝人に怨面を手渡した。

 

「勝人、無事に猿羅の怨面は浄化いたしました。貴方のお父様の怨面が真に取り戻せたのです。そして、その声を……。貴方に伝えたいことがあるようですから、しっかりと聞いてください……」

「え……」

 

 勝人に、伝えたいこと……?

 

「沙夜さん、何か怨面から聞こえたの?」

「はい……」

「え、なんて言ってたの薫!」

「それは……」

 

『強くなれ、勝人』

 

 短く、それだけ。

 死の間際に遺せる言葉はきっとそれぐらいのものだろう。

 けれど、死の間際だからこそ本当の想いが籠っている。

 だから言葉以上の意味がきっとこの言葉には宿っている。

 

「とう、ちゃん……。うっ……ううぅ……!」

 

 泣いた勝人を、薫が優しく抱き締めた。

 父から子へと受け継がれる想いはきっと、この子を強くする。

 薫がお母さんやおばあちゃん、ご先祖様達の想いを受け継いだように。

 だから私には怨面というものが単なる変身の、戦いのための道具ではなく、想いを運ぶものでもあるんだと、そういう風に見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勝人くんが泣き疲れて寝てしまった後、薫さんが「温泉に行きませんか?」と提案した。

 温泉。 

 今の私には魅力的が過ぎる言葉。

 戦いに疲れた体を癒すのには最適。

 そういうわけで反対意見が出るわけもなく四人で行くことに。

 お屋敷の裏山、修行場の中にある露天風呂だという。

 大自然の中で温泉……。(もちろん仕切りはあるそうです)

 ああ、風情。

 永春くんには申し訳ありませんが、お一人で男湯に入っていただき、女三人で楽しく癒されましょう!

 そう意気込んで、脱衣所の中に入ろうとしたところ薫さんのスマホが鳴りました。

 

「あ、総本山の方から……。すいません先に入っていてください」

「は~い。それじゃ沙夜さん行こっ」

「はい。永春くん、一緒に出ましょうね」

「一緒に出たらのぼせちゃうかも」

 

 そうして咲希さんと二人、身体を軽く流していざ入浴。

 ああ、と声が漏れる。

 いけない、身体が一気にお休みモードです。

 このまま、眠ってしまいそう……。

 暖かくて、心地よくて……。

 

「沙夜さーん。温泉で眠っちゃ駄目ですよ~」

「そうはいってもやはり夜通し戦うのは……きつ……」

 

 うつらうつらとして、もう寝るとなった時だった。

 

「うわぁぁぁぁぁ!!?!?!?!?」

 

 ああ……これは、永春くんの悲鳴ですね……。

 永春くんの悲鳴!?

 

「か、薫さんなんで男湯に!?」

 

 薫さん……?

 はっ!

 まさか、やっぱり永春くんのことを狙って!?

 眠気なんてどこへやら。

 永春くんを狙う毒牙をへし折りに温泉から出る。

 

「沙夜さん!?」

 

 タオルで身体を隠して隣の男湯へ。

 緊急事態ですので気にしません。

 

「薫さん! あなた永春くんに一体何を……! え……」

 

 私は目を疑った。

 いや、だって、え?

 

「沙夜さん。こちらは男湯ですよ。女湯はあちらです」

 

 あっけらかんとそう言って女湯の方を指差す薫さんはタオルで下だけ隠していました。

 上半身は堂々と出して、意外と筋肉あるなとか……いやいやいや。

 

「薫さん! 君は女だよね!?」

 

 永春くんが訊ねると、薫さんは「言ってなかったでしたっけ」と言って……。

 

「私、男でございます」

 

 そう衝撃の事実を私達に告げるのでした。

 

 

 

 

 

 

「癒しのはずの温泉が一番疲れた気がします……」

「あはは……。私も薫が男ってこと最近慣れすぎてたからなんか周知の事実って感じで……。言えば良かったですね、ごめんなさい」

 

 いえいえ咲希さんが謝ることではと言いつつ、なんだか薫さんが男である方が実は危機的状況なんじゃないかと思い始めている自分がいる。

 

「咲希さんは薫さんが男ってことを何故知ったのですか?」

「えっとね、化神に襲われて助けられて~、戦ってるところを見てたらそれが薫で~みたいな感じで。薫、最近はどうか知らないけど戦うぞって時は上半身裸になるから。それで知ったって感じ」

「記憶を消されなかったのは何故ですか?」

「それは~その~言っていいのかな~。にへへ、薫、私のこと好きだったからかも~みたいな~」

 

 なんと。

 仲がとっても良いとは思ってましたが、男女となればまさか二人は……。

 

「お付き合いなされているのですか?」

「いやーまあーえへへ。お付き合いどころか、もう婚約者みたいな~」

「婚約ッ!?」

  

 予想以上の進行状況。

 高校を卒業したら籍を入れる予定でいるらしい。

 

「私達のことは話したので~沙夜さん達のこと教えてくださいよ~。どこまで行きました? ABCで言うと?」

「それは秘密です! 秘密ったら秘密です!」

「ええ! ずるいですよ沙夜さん! 言わないとこうです!」

「咲希さん何を、きゃっ!? ちょっ、咲希さん!?」 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふふ、あちらは楽しそうですね永春さん」

「え! あ、そうだね!?」

 

 薫さん、こっちはそれどころじゃちょっとないんだ。

 薫さんはボクに気を遣ってか、またその反対かボクに背を向けて入浴していた。

 入浴のため、髪をまとめている薫さんはうなじを露出させている。

 肌とか、すごい白くてきめ細かい美肌。

 正直に言おう。

 薫さんと一緒に温泉入るのは混浴風呂にでも入っているかのようで精神的にやばい。

 ただ誤解しないでもらいたいのは決して薫さんに興奮してるとかではなく、罪悪感のようなものを非常に感じるというわけだ。

 とりあえずまずは落ち着け精神統一しろ常若永春!

 さっき男湯に乱入してきた沙夜さんの姿を思い出せ!

 脳裏に焼き付けろ!

 

「……んさん。……しゅんさん。永春さん」

「はいっ!?」

 

 精神統一している間に、薫さんがすぐ目の前にいた。

 

「大丈夫ですか? のぼせてしまってはいませんか?」

 

 心配そうにボクを見つめる薫さんは少し身を乗り出してきた。

 あ、胸が……。

 いや待て薫さんは男なんだ『薫さん』じゃなくて『薫くん』なんだ胸を見たってどうってことない。

 

「体調が優れないのですか? 私、いまタオルをお持ちいたしますので……」

 

 立ち上がった薫さん。いや、薫くん。

 ただ、その姿勢はちょっとやばい。

 ボクに背を向けて、ちょっと臀部を見せつけるみたいなのはとてもよくない。

 だからボクはこうすることにした。

 

「集中ッ!」

 

 ザバンと頭までお湯に浸かった。

 そしてそのまま薫さんを見ないよう泳いで温泉から出たのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 出会いがあれば、別れもある。 

 それが道理である。

 夜舞邸の門の前で、沙夜と永春の見送りが行われていた。

 

「短い間でしたが、色々とありがとうございました。大変、貴重な体験となりました」

「こちらこそ、薫さん達と出会えてよかったです」

「ありがとうございます。機会がありましたら、またいらしてください」

「そうですね……。それか、もしかしたら薫さんが任務で名古屋に来ることがあるかもしれませんね。その時は、みんなで歓迎いたします」

 

 再び薫と沙夜は握手を。

 芽生えた絆の証である。

 

「永春さんも沙夜さんと仲良くですよ!」

「うん。二人もだよ」

「もちろん!」

 

 咲希と永春も言葉を交わす。

 あの夜、互いに待った者同士の友情があった。

 

「それでは、またいつか」

「はい……。それでは、またおでんせ(また来てください)」

 

 その別れは爽やかなものであった。

 同じ御伽装士、御伽装士を愛した者同士。

 通じあい、生まれた絆がそこにあったからだ。

 いつか、彼等の物語が再び交差することがあるかもしれない────。

 

 

 邂逅 完

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 険しい岩山で、四つん這いとなって滝のような汗を流す少年がいた。

 息も絶え絶えで、非常に激しい運動をしたようであった。

 そんな者に、暢気な口調で話しかける中年の男が一人。ボサボサの金髪をてきとうに束ねて、ちょうどいい岩に腰かけたワイルドな男だ。

 

「ったく、配属するって決まってからまた修行やり直す羽目になるなんてな。あがりすぎなんだよお前は。もっと肩の力を抜け、俺みたいに」

 

 男のその言葉に対して、少年は途切れ途切れながらも言い返した。

 

「うっせぇ……ぞ……くそ、親父……」

「まったくその口の悪さは誰に似たんだか……。それより行くぞ、薫のとこに」

 

 男の言葉に疲れなど忘れたかのような速さで反応した少年は男に目をやった。

 

「会えるのか、薫に……!」

「ああ。10年ぶりくらいか? 向こうはとっくに御伽装士やっててもう総本山付きなんかになってるみたいだぜ。はぁー俺の後輩ってことか、いやー嬉しいね~。ま、そんなわけでお前も頑張ってくれよ。新しい鱗牙としてな」

 

 そう言われ、少年は指輪を見つめる。

 これが、少年の持つ鱗牙の怨面の待機状態。

 いよいよ、自分が実戦に出る時が来たのだと思うと胸が熱くなる。

 頑張って疲れた身体を奮い立たせる。

 耳を隠す少し長めの金髪が風に靡く。

 顔立ちは中性的。

 身長は175cmほど。

 まだまだ成長が止まる気配はない。

 少しきつい胸に手を当てて、少年は呟いた。

 

「待ってろよ、薫……!」




牙が光る、爪が裂く。
唸れ、吼えろ。

次回「鱗牙」

新たなる御伽装士。
その名は、鱗牙。


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鱗牙

 うるさい駆動音。

 これでは公害問題だ。

 けどこのバイクの主である、絶賛オレの目の前で運転中のクソ親父は「この音がいいんだろ!」と言って憚らない。

 

「もう少しで着くぞ!」

「ああ」

 

 そう返事をすると、親父がぶう垂れた。

 

「ったく、愛想が悪いなお前は。もっとこうリアクションはないのか! 嬉しいだろ薫ちゃんと会えるの!」

「うっせ」

「なんだその態度は! まったく図体ばかりでかくなりやがって……」

 

 好きででかくなったわけじゃない。

 まあ、でかい方が色々と好都合なんだけど。

 

「てか親父の髪が風に靡いてうざい!」

「我慢しろ我慢」

 

 くっそ。

 後部座席に座るオレの身にもなってくれ。

 後ろで束ねられたこの襟足が本当にうざいんだ。

 やっぱり寝てる時にこの毛を切ってやろうか。

 ……成功した試しはないんだけど。

 

「そうだ! トイレは大丈夫か!」

「問題ねえし、いちいち聞くなクソ親父!」

「なんだと!? お前こっちは気を利かせてだな! 振り落としてやろうか!」

「やってみろクソ親父!」

 

 口喧嘩をしながら目的地へと向かう。

 薫のいる町へ────。

 

 

 

 

 

 今日発売の漫画を本屋さんで買い、とても楽しく読ませていただきました。

 連載誌ではなく単行本派なので次の巻の発売が、とても待ち遠しく……。

 また、私にはとある楽しみが。

 それは、単行本をきちっと並べて揃えること。

 この作品もここまで長く……と感慨に耽るのです。

 連載が続くとは、長く愛されるということ。

 私の好きな作品が、他のたくさんの人にも愛されているということ。

 それは、とても素晴らしく……。

 

「あら……?」

 

 新刊を本棚に並べようとして、気付きました。

 本棚が、ぎゅうぎゅうでございます。

 

 

 

 

 

 

「かーおるー!」

 

 婚約者権限で自由に夜舞家に出入り出来る私は時間が空いたら薫のところに行くようにしていた。

 薫があちこち任務で行くようになったから会える時に会っておかないと寂しい。

 というわけで薫の部屋に突撃。

 さてさて薫は……本棚の前でなにやら考え込んでいる様子。

 

「どうしたの薫?」

「咲希……。それが、本棚がいっぱいになってしまい……。整理をしようと思ったのですが、どれも本棚から外したくはなく……」

 

 ふんふん。

 なるほどな~。

 それにしても、この大きな本棚二つ分がいっぱいになるとは……。

 

「電子書籍にしたら?」

「紙がいいのでございます!」

 

 珍しく、この口調で薫が大きな声を出した。

 ほっぺたも膨らませて可愛らしい。

 

「まあまあ。けど、整理しないとこのままじゃマンガで部屋を埋め尽くしちゃうよ」

「そうなのです……。本棚を新たに置くことも出来ないですし……」

「読まなくなったマンガを段ボールにしまって倉庫に入れとくとかしないと」

「読まなくなった漫画……」

「これとかは? 古いし巻数多いからまとめて段ボールにしまっちゃうとか」

「それはとても良く読み返していますので駄目です」

 

 さいですか……。

 奇妙な感じの冒険は駄目と。

 ちなみに薫は7部が好きらしい。

 私も読んだけど4部が好きだな。

 なんてことは置いといて。これは?これは?と薫に訊ねていくも、どれも何かしら理由をつけて段ボール行きは却下されてしまった。

 

「もう~整理にならないでしょ。覚悟決めて!」

「うう……。嫌でございます……」

「そうは言ってもだよ薫。これからもマンガはどんどん増えるんだから。整理しなくちゃ薫の部屋どころかお屋敷がマンガで溢れちゃうよ」

 

 うう、嫌でございます、嫌でございます……と言いながら薫は再び本棚と向き合った。

 これは至るべきして至った運命。

 覚悟を決めなければいけない。

 

「あれ、薫これは?」

 

 本棚の下が引戸になっており、開けると厚いハードカバーの本が。

 

「そちらは……アルバムで、ございます」

「アルバム! 薫がちっちゃい時の写真とかある?」

「それは……はい……」

 

 少し恥ずかしそうにする薫に許可を取って写真を拝見。

 アッ。

 

「咲希?」

「だめ、小さい薫可愛すぎる。死ぬ」

 

 一瞬見ただけですごかった。

 もう小さい時から美人になることが確定している。

 見たら死ぬけど見たい。

 よし死のう。死なないけど。

 

「あ~~~か~わ~い~い~」

 

 前髪をゴムで結ばれた薫とかやばい。

 死ぬ、死んだ。

 やばいわぁ。

 

「語彙が……」

「だって可愛いんだもん~。お、この子は?」

 

 薫オンリーの写真ばかりの中、はじめてツーショットの写真が。

 黒髪短髪の子と二人、カブトムシを捕まえた記念に撮った写真っぽい。

 

「その子は樹羅ちゃんです」

「ジュラちゃん! 恐竜好きそうな名前」

「ふふ、当たりです」

 

 ほらやっぱり。

 うちの弟も恐竜好きだし、男の子は恐竜好きになるものだ。

 ましてやジュラだもん。

 

「樹羅ちゃんはとてもおとなしくて、私の後をいつもついて歩く子でした」

「そうなんだ。今はどこにいるの?」

 

 この屋敷にそれらしい人はいないし、学校にもいない。

 この町にすらいるか怪しいところである。

 

「お父様……。と言っても、育てのお父様ですが。その方が総本山付きの御伽装士をしておりまして、今は一緒に旅をしていることかと……。小さい頃は任務がある度に危ないからとよく家に預けられていたのです。手紙のやり取りなどもしていないので、近況は分かりませんが……」

 

 なるほど。

 じゃあこの子も今は御伽装士の修行中ってとこかな?

 他にも色々、薫の昔話を聞いていると扉がノックされた。 

 

「どうぞ」

「失礼します。薫様、化神出現の報告が」

 

 扉の開けた真姫さんが急ぎつつも落ち着いた口調で報告した。

 突然のことだったけど、薫は落ち着いた様子で場所やどのような化神かなど必要最低限の情報を聞き取り化神退治に向かうことに。

 見送りしなくちゃ!

 廊下を早足で歩く薫のあとをついていって外へ。

 すれ違ったお屋敷に勤められている人達も急ぎ足でいる。これが、化神が出た時のお屋敷の雰囲気……。

 平装士の人がアラシレイダーを玄関前まで運んできており、いつでも出発出来るようになっている。

 

「薫! いってらっしゃい!」

「はい……。いや、ああ!」

 

 薫が男口調になった。

 私的にはちょっと久しぶりだったり。

 そしてこうなるということは……。

 着物の袖から腕を抜き、上の着物は腰からだらりと垂れ下がり、薫の細マッチョな身体がお目見えする。

 やっぱり。

 

「脱いでもいいから夏は好きだぜ」

「夏は脱いでいい季節ってわけじゃないよ!?」

「涼しくなるからいいだろ。って、こんな話してる場合じゃねえな」

 

 それもそうだ。

 化神が出たんだから急がないと。

 私も邪魔することはしたくない。

 

「オン・ビシャテン・テン・モウカ 舞え、マイヤ……」

 

 怨面を取り出し、変身のための呪文を唱える薫。

 その身体に舞い飛ぶ蝶の群れのような赤い痣が、蔦が伸びるように浮かび上がる。

 

「……ッ、スウゥゥゥ……」

 

 痛むのを我慢するように、息を吐く。

 その痛みの度合いは私には分からないけれど、きっと私の想像以上ではあるだろう。

 これが、穢れや呪いを力として戦うことの代償なのかもしれない。

 

「変身!」

 

 怨面を纏った薫から、無数の蝶が飛び立っていく。

 蝶の群れの向こう側、昼間でも眩しい紫の光の中から薫が、マイヤが現れる。

 アラシレイダーに飛び乗ったマイヤはエンジンを吹かして、正門からではなく屋敷横の山道に繋がる門から飛び出していった。

 

「いってらっしゃーい!!!」

 

 私の言葉に薫は背中で返事をする。

 走り去り、小さくなっていくその背には確かに「いってくる」の文字があったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 旧鉱山跡地。

 かつて、この町には鉱山があり栄えていたのだが鉱物資源が無限に採れるなんてことはない。

 全国各地にあるそれらと同じように、この町も鉱山の採掘量減少に伴い廃れていった。

 今では取り壊されることもなく残った鉱山施設、宿舎や学校などの公共施設が残る空っぽの町。

 隣町など近くの町の若者が来ては肝試しをしているらしく、これといった逸話もないのに心霊スポット扱いをされている。

 廃墟マニアからはメッカと呼ばれているらしい……というのは真姫から聞いた。

 

「そんなところに、なんで現れたんだ」

 

 呟く疑問に答える者はいない。

 答えてくれるのは唯一、これから相見える化神のみ。

 薄暗い山林を抜けて、鉱山への道に出る。

 ここからは人避けの結界も張られているし、そもそも人が寄り付かない場所だから堂々と道を走るわけだが。

 かつては舗装されたであろう道。

 しかし、今は誰も通らないのでわざわざ舗装し直すことはしなくなった。

 そんなだから道はぼろぼろ。

 鉱山に近づくにつれてアスファルトの面積は少なくなっていく。

 それにガードレールもなく、道を外してしまったらそのまま崖を転げ落ちることに。

 とはいえそんな心配はほぼない。

 アラシレイダーはこんな道が多いこの町のために作られている。

 悪路なんて関係ない。

 そのまま走り抜ける。

 底なし沼と呼ばれている古いダム湖を目下に……。

 って、いた。

 化神いた。

 

『うわあああん! 寂しいよおおお!!!』

 

 そいつは泣き叫んでいた。

 豹柄の壺のような上半身と頭。頭の壺の割れ目から光る目が覗き、壺の口からは数本の触手のようなものが飛び出ている。

 下半身も、二本の足で立ってはいるようなのだが数え切れないほどの触手が垂れ下がりスカートのようになっている。

 壺、触手……。

 

「バケダコかッ!」

 

 化神の正体を推察し、最も正解に近いであろう名を叫んだ。

 アラシレイダーで崖を下り、底なし沼の縁に立つバケダコを轢く。

 

『ぬごぉ!?』

 

「タコは海に帰んな」

 

 アラシレイダーから降り、厄除の槍を手にしながらバケダコに向かって言い放つ。

 タコはタコらしく海にいやがれ。

 

『うわあああん! ひどいよおおおおお!!!! 言われなくても帰るところだったのにいいいい!!!!』

 

「なに?」

 

 帰るところだった?

 こいつ、一体何を言って……。

 

『私の穢れをここから川に流して海に帰るところだったのおおおおお!!!!!!!』

 

 穢れを、川に流す。

 待て、それはまずい。

 改めて集中し、沼を見つめる。

 沼からは微量だが穢れの気配が。

 いや、待て。ここから流していたのだから穢れはあまり沼には残留しないのでは。

 その嫌な予想が当たった。

 ここから流れ出た川の方から強い瘴気が。

 穢れを流すってことは毒を流すってことと同義。

 それはまずい!

 

「厄除の槍!」

 

 川に向かって投擲。

 槍の力で川を塞き止め、これ以上穢れが下流へ流れないようにする。

 槍とオレの神通力である程度は浄化出来るといいが、これはしっかり浄化してやらないといけなさそうだ。

 面倒増やしやがって……!

 

『あああああああ!!!!!!! どうして川を止めるのおおおおお!!!!!! これじゃ流れていけない!!!! 帰れないいいいい!!!!!! 人を毒殺出来ないでしょおおおおお!!!!!!』

 

 泣き叫びながら頭の触手を伸ばして攻撃してくるバケダコ。触手を掻い潜り、間合へと入ったオレは掌底を胴へと繰り出す。

 だが……。

 

「かたっ……!」

 

『うわああああああ!!!!! 効かないいいいいいいい!!!!!!!』

 

「うっ!?」

 

 胴体への攻撃は全く響かない。

 右腕の触手で薙ぎ払われ、沼の中へ。

 落ちたのが浅瀬のためすぐに体勢を立て直すことが出来たが、この沼には奴の穢れが微量ながら含まれている。

 そのため奴の毒が身体に回り、身体に少しばかり痺れが生じた。

 これぐらいの痺れ、なんてことない。

 ただ、面倒だ。

 槍にオレの力も注いで川を塞き止め穢れの浄化も行っていることで、マイヤの力が下がってしまっている。

 他の退魔道具の使用も、出来なくはないが消耗が激しくなり槍の力を弱めてしまうことになる。

 

『隙ありいいいいい!!!!!!!』

 

「なっ!?」

 

 身体に巻き付く触手。

 くそ、ヌメヌメして気持ち悪いしそれに……。

 

『あなたも毒殺うううう!!!!!!!!!』

 

 穢れが、流れ込んでくる……。

 怨面が熱い……。

 かくなる上は……ちょっとばかし無理をすることになるけど……!

 蝶絶怒涛による自爆覚悟の爆殺。

 自分へのダメージはそれなりに来るだろうけれど、覚悟の上。

 バケダコへと一気に駆け込んで、蝶絶怒涛を繰り出す。

 蝶絶怒涛の威力も下がっている。

 だからこそ、奴の間近でやらなければならない。

 ……行くぞ!

 

「退魔覆滅技法!」

 

「えっ……」

 

 それは、自分ではない声だった。

 

「断撃斬ッ!!!」

 

 空から降ってきたそれは、腕の刃でバケダコの触手を切り裂き、私を助けた。

 巻き付く触手を投げ捨てて、その者を見つめる。

 あれは、御伽装士だ。

 

『なんなのおおおおおお!!!!!!!!』

 

 その御伽装士は全身が暗い緑色で、所々に暗い赤色が差し込まれていた。

 緑色の怨面はのっぺりとしており、赤い曲線が描かれるのみでモチーフが分からない。

 だが、それが何を模したものかは理解した。

 その装甲の構造は鱗である。

 爬虫類、魚類などが持つ皮膚を保護するもの。

 その硬さは攻撃から身を守るため、しかしその硬さゆえに重くなったり、可動域が減ることはない。

 蛇なんかが良い例だろう。

 あの滑らかな動き、瞬発的な動きを可能としているのだ。

 あの御伽装士の身体は、それだ。

 

「……なんなのだと?」

 

 バケダコの言葉に、鱗の御伽装士が反応する。

 

「オレは鱗牙の怨面を受け継ぎ、纏いし者。御伽装士リンガ!」

「リンガ……」

 

 その名には、覚えがあった。

 姿は見たことがないのだけれど、リンガという御伽装士はお母様のご友人である。

 ただ、声が若かった。

 私の知っているリンガに変身する方は、今では40代半ばのおじ様になるはず。

 ということは、まさか……。

 

「よっ!」

 

 戦いの場だというのに、気の抜けた挨拶。 

 この声にも覚えがあった。

 暢気に歩きながら声をかけてきたのは金髪を無造作に伸ばし首あたりで束ね、無精髭をたくわえ、くたびれた革のジャケットを着こなす男性。

 

「竜おじ様……!」

「久しぶりだなぁ! 10年ぶりか……って、ひとまずあいつのデビュー戦見守ってくれや。御伽装士の先輩として」

 

 朗らかな表情から一転、真剣な顔となった竜おじ様。

 三葉竜。御伽装士リンガとしてお母様と共に修行し、何度も共に戦ったという方。

 だが、今はリンガに変身する人が別にいる。

 そして、今のリンガはきっと……。

 

『いやあああああ!!!!!! もう一人増えてるううううう!!!!!!!』

 

「うるせぇっ! たあッ!」

 

 バケダコの触手がリンガへと迫る。

 リンガはその触手を手で払いのけると、バケダコの触手が切断された。

 リンガの鋭い爪が、断ち切ったのだ。

 

『なんでえええええ!!!!!!!』

 

 バケダコが疑問に叫ぶ。

 叫びながらバケダコは触手を放つ。さっきよりも数を増やして。

 再び爪で触手を断ち切るリンガだが、数が多く捌き切れなかった触手に巻き付けられてしまう。

 危ないと助けに入ろうとしたが、竜おじ様が制止した。

 

「大丈夫。あんなの無問題だ」

 

 そして、おじ様の言葉の通りとなる。

 

「ぐぅぅぅ……はあッ!!!」

 

 巻き付けられた部分の鱗が逆立ち、触手を断ち切りリンガは自由を取り戻した。  

 バケダコが怯んだ隙に、リンガは姿勢を低くして駆ける。獲物を見つけた蜥蜴のように。

 バケダコへと接近したリンガはパンチや蹴りを放つが、やはりあの壺が硬く攻撃が通らない。 

 触手を切り裂いた爪でも駄目である。

 だが、リンガは止まらない。

 バケダコを押し倒し、マウントを取ったリンガは力任せに殴り続ける。

 

「うぅっ! あぁっ!!! あぁっ!!!」

 

「あの馬鹿。力任せにやったって意味ねえだろうが。武器使え! 武器! 退魔道具だ!」

 

 おじ様の声で冷静になったリンガは飛び上がり、一度距離を取ってから退魔道具を取り出した。

 

「退魔道具……。山姥の鉈……!」

 

 ベルトのバックルに備わる霊水晶から現れるは無骨な鉈。

 人が使うものよりも長大なそれは武器として鍛えられた特別製である。

 

「ああっ!」

 

 再び飛び上がり、鉈を振り上げる。

 バケダコ目掛けて降下すると同時に力任せに鉈を振り下ろすが大振りな一撃は回避されてしまう。

 リンガは着地後もとにかく鉈を振り回す。

 とにかく、力任せな戦いだ。

 

「なんだその振りは! 修行の時、俺はなんつった!」

 

 再び、おじ様の声が飛ぶ。

 おじ様の指示が来るとリンガは冷静さを取り戻し、鉈の振りも精密さを増す。

 的確に、相手にとって避けにくい嫌な攻め。

 それが功を奏し、バケダコの胸部中央に鉈が直撃。

 壺が割れ、触手と同じ柔らかい身が露となった。

 あそこを狙えば、倒せる!

 

「だあぁぁぁ!!!!」

 

 急所を狙うことは戦法として当然のことである。

 だが、リンガの攻撃はどうにも急所を攻撃することばかりに意識がいっている。

 急所を狙うのは当然であるが、急所は守られて当然の場所でもある。最も防御が硬くなる場所だ。

 急所に攻撃を当てるということは難しく、それ故に様々な策を練るもの。

 だがリンガの攻撃はそんな策などない。

 やはり力任せ。

 これでは……。

 

『鬱陶しいわああああああ!!!!!!!』

 

「ぐあッ!?」

 

 バケダコの両腕に突き飛ばされて尻もちをつくリンガ。更にバケダコの壺から黒い靄が吐き出される。

 靄はリンガの眼前を覆い、視界を奪う。

 そして、バケダコの触手が靄の外から伸びてリンガを貫く。

 

『よわあああああい!!!!!!』

 

 靄が晴れ、貫かれたリンガを見たバケダコは勝鬨を上げる。

 ただ、おかげでこちらが勝鬨を上げられそうだ。

 

 貫かれたリンガは蝶となり消えていく。

 

『なにいいいいいい!?!?!?』

 

「ふう……。間に合いました……」

 

 リンガが戦ってくれたおかげで回復することが出来た。

 痺れもなくなり、リンガの幻影を作り出しサポート。

 後ろでおじ様が「やれやれ」とぼやいているが気にしない。

 

「あぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 

 リンガはバケダコの背後から飛び掛かり、まとわりつく。

 鋭い爪で引っ掻き、頭部の触手を引き千切る。

 バケダコの粘膜が飛び散り、なんと言いますか、すぷらった。

 

 バケダコの身体の上で暴れまわるリンガは太ももで頭を挟み込むと重心を傾けバケダコを仰向けに倒して動きを封じた。

 

「退魔覆滅技法! 邪貫爪ッ!」

 

 リンガの右手の爪が伸び鋭さを増し、手甲の鱗が逆立つ。

 そして、貫く。

 先程割れた箇所を。

 

『いやああああああああ!!!!!!!!!!!!』

 

 バケダコ、爆散。

 ……なんとか、なりました。

 私的にも、リンガ的にも。

 

「いやぁ薫ちゃんのおかげで助かったわ。ありがとな」

 

 私が変身を解除すると同時におじ様が頭をポンポンと叩きながらお礼を言ってきた。

 ああ、そういえばよく頭を撫でられていたなと思い出す。

 しかし、私は褒められるようなことはなにも。

 

「いえ……。助太刀に来ていただかなければ危ないところでした。こちらこそ、ありがとうございました」

「……槍で川を塞き止めつつ浄化を行う。そんで自爆覚悟の蝶絶怒涛って感じだったんだろ」

 

 よもや、そこまで分かられていたとは。

 いえ、お母様と共に戦ってきた御伽装士ですから、これぐらいのことはすぐにお分かりになるのでしょう。

 

「力を割いての戦いだ、それであんだけやれれば充分よ。もし俺が薫ちゃんでも同じことを考えてたさ。それで勝てただろうしな。ほら、化神が倒されたんで川の水も大丈夫そうだ。薫ちゃんが守ったんだぜ、立派になったな。流石その歳で総本山付きになったことはある」

「あの、そのようにあまり褒められると……」

 

 照れてしまいます……。

 それよりも、戦い終わったリンガはなかなか変身を解かない。

 一体どうしたものでしょうか?

 

「おい樹羅! 薫ちゃんと久々に会えたからって照れんなよ!」

「照れ……?」

「う、うっせぇクソ親父! 今解くとこだったんだよ!」

 

 そう言ってリンガは変身が解除されて……。

 

「樹羅ちゃん……?」

 

 現れた人は、私の思い出の中の子とは印象が違っていた。

 それもそうだろう。

 最後に会ったのは10年近く前になるのだから。

 

「久しぶりだな、薫」

 

 綺麗な金髪。

 勝ち気そうな目。

 ジーンズにジャケットという服装。

 パッと見、ホストのよう。

 そしてなにより……。

 

「大きく、なられましたね……」

「オレもまさか薫から見上げられるようになるとは思わなかったよ……」

 

 私が身長155cmなので、樹羅ちゃんは175cmぐらいはありますでしょうか。

 それと、オレ……。

 本当にあの頃の樹羅ちゃんから変わってしまって……。

 

「さて、再会も済んだことだ。夜舞の屋敷に挨拶しに行くぞ。配属のな」

「配属?」

「あれ、薫ちゃん聞いてなかった? 薫ちゃんが総本山付きになるってんでこいつがここの担当になるんだ」

 

 そういえばと思い出す。

 なかなかやって来ないのですっかり忘れていたのだ。

 

「薫ちゃん聞いてくれよ。樹羅の奴な、薫ちゃんとこに配属って決まってから緊張しちまって色々と不調になってな。そんで再修行する羽目になって遅れちまったんだよ」

「まあ」

「緊張なんかしてねえ! た、たまたまスランプになっただけだ」

「なんにしろ、配属は遅れて迷惑かけたけどな」

「うっ……」

 

 まあまあ、あまり樹羅ちゃんを責めないでください。

 ここしばらくは総本山からの指令もなくこの町にいたので問題はありませんから大丈夫でしたよと伝える。

 ひとまず、お屋敷へと向かいそちらで改めてお話しましょう。

 私はアラシレイダーに乗り込み、おじ様は大型のアメリカンバイクが原型のマシンに跨がる。樹羅ちゃんはその後ろに座り、短いですが屋敷までのツーリングとなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 任務終了ということで、帰ってくる真姫さんと一緒に薫を出迎えることに。

 門を開けて、二人で待っているとアラシレイダーの音が響く。

 薫が近付いてきてる!

 

「ん?」

「どうしたの真姫さん?」

 

 薫が近いというのに、真姫さんの表情が変わった。

 

「アラシレイダーともう一台、別のバイクがいる」

 

 もう一台?

 なんだろう。

 誰かと一緒に来てるのかな?

 予想していると、薫の姿が。

 そして真姫さんの言ったとおり別の大きなバイクが薫の後ろについてきていた。

 いや、本当に大きい。

 アラシレイダーと比べるとその差は歴然。

 そっちのバイクは二人乗りで、乗ってる二人はどちらも体格がいい。

 薫が更にちっちゃく見える。

 

「おかえりなさいませ、薫様。あちらは……」

「ただいま真姫。あら、忘れたの? 竜おじ様と樹羅ちゃんよ」

「なっ!?」

 

 樹羅ちゃん。

 さっき話してた子だ!

 なんて、タイムリー。

 噂をしたからかな?

 

「よっ、真姫ちゃん! でかくなったな~。金髪も似合ってるぜ。おそろだな!」

 

 ヘルメットを脱いだ金髪のおじさんが気安く真姫さんに話しかけた。

 無精髭を生やして、ボサボサの金髪頭なんだけどそれが似合う雰囲気を醸し出している。

 ……30代半ばぐらいと見た!

 それと、その後ろに乗ってる子が樹羅ちゃん。

 アルバムで見たのとは全然違う雰囲気。

 おじさんと同じく、髪は金に染めて耳を隠すぐらいの長さまで伸ばしている。

 背も高くて肩幅もそれなりにあって、鍛えてる!って感じ。

 けどホストっぽくてなんかチャラそう。

 

「お、そっちの子は? なんか平装士って感じじゃないけど」

 

 おじさんが私に気付いて話しかけてきた。

 平装士って感じがしないのは、当然というかなんというか。

 私、一般人ですから。

 

「彼女は加藤咲希といって……。はあ……。薫様の婚約者になります……」

 

 目頭をおさえた真姫さんが私をそう紹介した。

 

「ちょっと真姫さん!? 今ため息ついてたよね!? 認めてないってこと!?」

「そういうわけではない。ただ婚約者と言うのが慣れてないだけだ」

 

 むう、本当かなぁ?

 

「マジかよ薫ちゃん。婚約者とは早えな! 楓は結婚遅かったのに!」

 

 楓とは、薫のお母さんの名前。

 結婚遅かったんだ……。

 

「俺は三葉(みつば)(りゅう)。元御伽装士で薫ちゃんの母さんと一緒に戦ってたこともある。よろしくな咲希ちゃん!」

「はい! 加藤咲希です! えーっと、一般人です!」

「あっはっはっ! そうか一般人か! いや、いい女だと思うぜ! 明るくてな!」

「ありがとう竜さん!」

 

 竜さん、いい人だわ。

 なんかこう、相性ピッタリというかなんというか。

 明るくていい人!

 

「おい樹羅。お前もちゃんと挨拶しろ。……樹羅?」

 

 樹羅ちゃんは何故か知らないけど固まっていた。

 口をパクパクしながら。

 どうしたんだろ?

 

「薫の、婚約者……? 婚、約……婚約……」

「おーい、どうした樹羅~?」

「……ッ!」

 

 おじさんの呼び掛けで我に返った樹羅ちゃんは私に詰め寄って……詰め寄って!?

 

「おいお前! 婚約者ってどういうことだよ!」

「ななな! なにか問題でも!?」

「問題大有りだ!」

 

 樹羅ちゃんは私より15cmは背が高いように見える。

 そんな相手、ましてや男の子に詰め寄られた私が感じた恐怖を分かってもらえるだろうか。

 ただ、薫の幼馴染みだかなんだか知らないけど私と薫の仲に口出しされる筋合いはないし!

 初対面でいきなりこんな許さないんだから!

 

「何が問題だって言うわけー!?」

「それはその……色々だ色々!」

「はー! はっきりと言えないんですかー!? それでキレるとかどういうこと意味分かんない!」

「あの、二人とも……」

「薫は黙ってて!」

「薫は黙ってろ!」

 

 ハモってしまいそれが更に怒りのボルテージを上げた。

 

 

 

「あー……。始まっちまった。()の戦いが……」

 

 

 

「ああもう! とにかく気に食わねえ!」

 

 肩をドンと押されて、それで本当にマジでガチで本気で真剣にキレた。

 

「このッ!」

 

 えいっと全身全霊の力をこめて胸板を押した。

 すると、ブチっという音が。

 更に、力を入れすぎたせいで二人一緒に倒れることになって……。

 

「やばっ……」

 

 樹羅ちゃんがそう呟いたのが聞こえた。

 そして、どしゃっと二人もつれて転ぶ。

 転ぶというか、私が押し倒したみたいな格好になってるけど。

 

「いって……」

「二人とも、大丈夫ですか!?」

「うん、大丈夫……」

 

 薫に返事をして立ち上がろうとしたら、右手に柔らかい感触が。

 うん?

 右手は樹羅ちゃんの胸を掴んでいる。

 掴むというか、鷲掴んでいる。

 胸に聳えるエベレスト級の二つの山のうちの一つを。

 指が、樹羅ちゃんの胸に沈んでいく。

 もみもみ。

 もみもみもみもみ。

 

「もっ、揉むなバカァ!!!」

 

 屋敷に、山に響き渡る羞恥の声。

 目に涙を浮かべ顔を赤らめる樹羅ちゃんはまさしく、辱しめを受ける乙女なのであった。

 もみもみ。

 

「だから揉むなァッ!!!!!」




思い起こすは記憶。
語られるのは過去。
今、亡き母の栄光を垣間見る。

次回『追憶』

その楓は、血に紅葉する。


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追憶

 お盆の空気が、好きなのです。

 夏の開放的で騒々しい雰囲気が、きゅっと静まって。

 どこか、寂しく、夏の終わりを感じさせる。

 

「ふわぁ……」

 

 傍らの咲希があくびをひとつ。釣られて、その隣の勝人もあくびを。

 早朝、厳しい暑さが迫る前にお墓参りをすませる。

 咲希と勝人にはまだ眠い時間かと思いますが、暑くなってからでは少々大変ですから。

 山の中にある夜舞家の墓は、日陰となってくれているので涼やかではありますが。

 墓前に花を供え、菓子や米も供える。

 なにかもらえるだろうと、カラス達が集まり始めている。

 私達がいる間は手を出さず、帰るのを待つあたり、やはり頭がいい鳥だ。

 うるさく鳴き喚くこともせず、じっと、待っている。

 

「ふふ、待っててくださいね」  

 

 餌付けというほどのものではない。

 菓子は包装されているもので持ち帰るため、彼等が食べるのはお米と、家で切ってきたりんごぐらい。

 自然のものですので、大丈夫でしょう。

 

「はー、ここは変わらんなぁ。樹羅は覚えてるか? 花火したろ」

「覚えてる。親父がはしゃいでたことを」

「だって花火だぜ? 墓参りで花火するとかここだけなんだから」

「えっ……。他の地域では、やられないのですか……? 花火……」

 

 他のところではやらない。

 というかやらないのが普通と、樹羅ちゃんに言われて、ショック。

 

「花火するの!? お墓参りで!?」

「はい……。あの、本当にしないんです……?」

「初めて聞いた! え、今日はやらないの!?」

「ふふ、勝人がいますので、持ってきております」

「やったー!!!」

「ほんとししょー!?」

 

 イエイと、咲希と勝人が二人で盛り上がる。

 ふふ、こんなに賑やかなお墓参りは初めてです。

 

「ていうか、そもそもなんで来てるんだよ、お前。勝人はまだ分かるとしてさ」

「んー? そりゃ私、薫の婚約者ですから! なに、まだ文句ある? またその隠してるデカイの揉む?」

「っざけんな! やめろ、こっち近付いてくんな! あとその手やめろ!」

 

 咲希は鷲掴むような手をして樹羅ちゃんに迫る。

 はじめて顔を合わせてから、ずっとこんな調子なのです。

 喧嘩ばかりして、二人には仲良くしていてもらいたいのですが。

 

「大体、そっちこそなんで男物ばっか着てるわけ? オレオレオレオレ言って、詐欺ですか~?」

「男がオレっつって何が悪いんだよ」

「いやいや樹羅ちゃん女の子だから」

「ちゃん付けすんな!」

「もう二人とも、お墓の前で喧嘩はやめてください」

 

 賑やかなのは良いですが、喧嘩はいけません喧嘩は。

 ご先祖様達の前ですからね。

 また、今年からは夜舞家の墓だけではなく、その隣には勝人のお父様のお墓が建立されました。

 初めてのお墓参り。

 勝人のことが心配でしたが、猿羅の怨面を浄化した一件から前向きになれたようです。

 まっすぐな瞳を向け、お父様のお墓にまだ小さな手を合わせていました。

 

「はぁ……よっこらしょっと」

 

 竜おじ様が近くの切り株に腰を下ろしました。

 

「おじ様……。お膝が、痛むのですか……?」

「ああ、いや膝は大丈夫だ。単純に疲れただけ」

 

 竜おじ様が御伽装士リンガを引退なされたのは、左膝の怪我によるもの。

 日常生活を送る分には支障はないようですが、戦闘には耐えられず樹羅ちゃんに鱗牙の怨面を継がせたとのこと。

 

「んだよ親父。だらしねぇぞ」

「この歳になると鍛えててもやっぱり衰えてくんだって。もう四捨五入したら50歳だからね俺」

「そう言われると竜さんマジで若いよね見た目」

「いくつになってもモテたいからな!」

「そんなだから独身なんだぞ!」

「独身だから縛られず自由に恋が出来るのだ!」

「またそんなこと言って……」

 

 親子の会話とは、このようなものかと和みながら眺めていると小さく肩をトントンと叩かれる。

 咲希が小声で何かを訊ねたい様子。

 

「ねえ薫」

「はい……?」

「竜さんと樹羅ちゃんは血繋がってるわけじゃないんだよね?」

「はい……。樹羅ちゃんは化神に両親を……。その化神を退治したのが竜さんで、樹羅ちゃんを養子にしたと聞いております」

「そっか……。ふふ、普通にいい親子だよね!」

 

 咲希……。

 

「なにこっち見てニヤニヤしてんだよ」

「別に~? 薫に樹羅ちゃんの小さい時のこと聞いてただけです~」

「なっ!? 変なこと言ってないよな薫!?」

「泣き虫だったんでしょ~。かわいいでちゅね~」

「こいつ~!」

「きゃ~薫助けて~!」

 

 私の背に隠れる咲希でしたが、樹羅ちゃんは普通に回り込んで、咲希もまた逃げてと……。

 

「あの……私の周りをぐるぐるするのは……あの……」

「……お前達、遊ぶのはやめだやめ」

 

 これまで、ずっと口を閉ざしていたお婆様が咲希と樹羅ちゃんを注意した。

 二人はお婆様が苦手なのですぐ、その場に直立不動の体勢になり、素直に言うことを聞きました。

 

「はい! お墓じゃ遊びません!」

「お、同じく!」

「……そんじゃ、花火すっぺす」

「花火はいいんだ!?」

 

 そんなわけでお盆のお墓参り恒例の花火が始まりました。

 

「なんか昼に花火するって不思議。普通夜でしょ。お墓でやらないでしょ」

「お盆といえば、こうでございます……。ああ、勝人。火に気を付けて」

「はーい」

 

 煙の匂い。

 溢れ出す火花達。

 赤や、緑、黄色と様々な色が咲いては消えて、咲いては消えて。

 

「……」

 

 ────薫。

 

「お母様……」

 

 眩しく煌めく光の中に、お母様の姿を見た気がした。

 

「……楓が、花火を好きだったねぇ」

「お婆様……」

「そうだったそうだった。楓の奴、夏は毎日花火するとか言うぐらいには花火好きでよ~。マジで毎晩付き合わされたぜ」

「毎日!? 薫のお母さんすごいね……」

「ふふ、はい……。楽しいことが好きな方でした……」

 

 

 

 

 

「薫~! こっちよこっち~!」

「まって、お母様……!」

 

 笑顔で手を振るお母様に向かって、走っていました。

 着物は走りずらい。

 なのに、お母様はスポーツウェアを着ているかのような軽やかさで、よく突然走り出していたことを覚えている。

 

「はーいよくここまで走れました~。えらいえらい~ぎゅ~!」

「わっ……。えへへ」

「ほ~ら薫~。あれ見てあれ」

 

 抱き抱え上げられて、木の幹に近付けられるとそこには大きなミヤマクワガタがいた。 

 

「わっ……」

「さあ薫捕まえて!」

「うん!」

 

 手を伸ばし、捕まえる。

 大きな、大きなミヤマクワガタ。

 

「やった! お母様つかまえた!」

「イエ~イ! お母さんのカブト丸とバトらせましょう!」

 

 お母様が飼育していたカブトムシ、カブト丸(33代目)は無類の強さを誇っていました。

 近所の子供達が捕ってきたカブトムシ、クワガタが束でかかっても勝つぐらいには。

 

 他にも、駄菓子屋に入り浸る。

 夏はいきなり川や海に飛び込む。

 冬は雪に飛び込む。

 いきなり走り出す。

 そこらの木に登りまくる。

 猿と喧嘩する。

 カラスと友達になる。

 花火六刀流。

 置くタイプの花火を手に持ってやる。

 近所の子供達の間で流行っているカードゲームにハマる。

 他にもいっぱいありますが、とにかく楽しいことが好きな方でした。

 

 

 

 

「な、なんかすごいね……」

「はい……。それはもう、ものすごく……」

「あれはわらす(子供)の時から凄かったからなぁ」

 

 

 

 あれはまだ、家の数も少なくて町が田んぼばっかの頃……。

 

「そろそろ鍛練の時間だぞ楓~? どこ行った?」

 

 学校から帰ってくるはずの時間になっても帰ってこないので探しに行っていたのだが。

 

「あれは……!」

 

 畦道に楓のランドセルが転がっていたのを見つけた私は嫌な予感がしてたまらなかった。

 近くにはため池もあって、まさかとか、化神に襲われたんじゃないかとか。

 しかし……。

 

「ぷはぁ!」

「ッ!?」

 

 すぐ目の前の田んぼから、何かが現れた。

 全身泥まみれの、人。

 化神の類いかと思い、怨面を取り出したが……。

 

「あ、お母さん!」

「……は?」

 

 それは、泥まみれの楓であった。

 もう何からつっこめば良いか分からなかった。

 なので、まず何をしていたのかを訊ねた。

 

「……何を、していたんだ?」

「ザリガニ!」

 

 あまりに泥だらけなので気付くのが遅れたが、楓は右手にザリガニを掴んでいた。

 なかなかに立派な大きさのやつを。

 

「……まさか、ザリガニを捕まえてそうなったとかではないよな?」

「ザリガニ捕まえてたの!」

 

 この馬鹿者が。

 そう怒鳴る寸前だった。

 

「このザリガニ、お母さんみたい(に強くてカッコいい)!」

「ッ……!」

 

 夏の空に、拳骨の音が響いたのを覚えている。

 他にも隣町(約20km離れてる)まで歩いて行こうとする。

 学校を脱け出して、近くの川原で昼寝する。しかもどこで覚えたのか川原に靴を揃えるような事までして。

 いきなり走り出す。

 ガキ大将を泣かす。

 入るなってところに入る。

 私の枕元にカブトムシを並べる。  

 凍った川の上でスケートする。

 

「化神の相手より苦労させられた……。手のかかる娘だった」

「あはは……。ほんと、すごかったんだ……」

 

 お婆様が話し終えるとほぼ同時に花火は尽きて、火もまた消えかかって。

 今日のお墓参りはこれでお仕舞いと、後片付けをしてお墓を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お屋敷の縁側で一人、なんとなく庭を見ていた。

 薫は親戚やお客さんの相手をしなければいけないので、樹羅ちゃんと勝人は二人で鍛練だと言って裏山へ。

 だから、一人。

 頭の中で、ある人のことを考えながら。

 夜舞楓。

 薫のお母さんの話を聞いてから、色々と夜舞家について知らなくちゃなって思ったりもして……。

 けど、そんなおいそれと聞いていいのかな……?

 

「お、咲希ちゃん。暇そうだな」

「竜さん! ……シャワー浴びてたんですか?」

 

 竜さんは濡れた金髪の上にタオルをかけている。

 あと全体的になんかホカホカだ。

 

「湯治だよ湯治。膝を治すまではいかんが、ケアは大事だしな。ちょっとの間、ここに厄介になる」

「そのうちどっか行っちゃうんですか?」

「ああ、まあな。宛もなく、ぶらりとねぇ。これまで、総本山付きで忙しかった分、羽を伸ばそうと思ってな!」

 

 ハワイでも行こうかな~なんて楽しそうに今後のお休みについて考える竜さん。

 ……いつか、薫も戦いを辞める時が来るんだろうな。

 

「どした?」

「ああいや、全然なんにも……」

「そうか。……で、何してたんだ?」

「えっと、楓さんのことを……考えて。いや、想って?」

「ははっ。お義母さんになるわけだからな」

 

 あははと笑って誤魔化すというか、なんというか。

 そういう風に言われると恥ずかしいじゃん?

 

「まあ、お義母さんっつっても亡くなってるからな。会話も出来ねぇし、どんな人かも分かんねぇからな。ああして語ってもらわないと」

「そうですね。……私、薫のお母さんのこと聞いたの初めてなんです」

「……そうか」

「竜さんも楓さんのこと知ってるんですよね! 竜さんからのお話も聞きたいです!」

 

 お願いすると、竜さんはタオルを首にかけ直して、私の隣に座った。

 どこか、遠くを見るようにして。

 

「薫ちゃんとセンさんの話聞いて、人柄は大体分かったろ? 意味分かんねぇ奴だよ。しょうもないことで大笑いして、小さなことで大泣きして……。本能で生きてるような奴だった」

「人間らしい、みたいな」

「ははっ、そうだな、そうとも言う。だが……」 

 

 竜さんは言葉を溜めた。

 なにか、話すのを躊躇うような迷いみたいなものがあったと思う。

 

「……あいつは誰よりも人らしいくせして、誰よりも御伽装士だった」

「誰よりも御伽装士……?」

「ああ。あいつの戦いは機械的と言ってもよかった。化神への憎悪だとか、恐怖とか……感情がなかった。誰しも、戦いの時はそれぞれいろんな感情を持つもんだが、あいつにはそれがなかった。蟻を踏み潰すみたいな感じでただ、化神を討つ。それだけ……」

 

 

 

 

 俺が16でこの町に来た時にはもう、あいつはマイヤだった。

 え?

 なんでこの街に来たかだって?

 俺の親父、先代のリンガだが膝をやっちまってな。

 ほんと、なんの因果か俺と同じ左膝を。

 んで、湯治と修行を兼ねてな。

 俺も裏山で修行したんだがそれはそれはキツくて、それまでの比じゃ……って、今は関係ないな。

 とにかく、実力差は圧倒的だった。

 あいつは既に完成していた。

 御伽装士として。

 

「夜舞神楽・楓」

 

 蝶がひらりと舞うように、化神の破れかぶれの攻撃を難なく回避して背後に回る。

 背中に突き刺された槍の穂先。

 そして、化神の腹を七本の槍が突き破る。

 

「────血染紅葉」

 

 噴き出す赤い鱗粉が、鮮血のようだった。

 化神は滅し、青い夜の中に立つマイヤは変身を解いて俺に笑顔を向けた。

 

「見学はどうだった竜くん?」

 

 その笑顔を見て、安堵したのを覚えている。

 よかった、いつもの楓だと。

 それと同時に恐怖に似たものも感じたよ。

 あまりにも強すぎてな。

 下手すりゃ、うちの親父よりも強いかもしれないって。

 親父は歴戦の御伽装士だった。なのに、彼女の方が強いと思わされた。

 無駄のない洗練された動き。確実に化神を滅するために、とにかく合理化されていた。

 一言で言えば、対化神用兵器といったところか。

 そう、兵士とか戦士っつーよりあれは、兵器って言った方がニュアンスは合ってる。

 もし、俺の世代で最強の御伽装士は誰だと聞かれたら、俺は楓の名前を上げる。

 それぐらいあいつは強かった。

 だって、そうだろ?

 兵士は兵器に敵わないんだから。

 

 俺のリンガ継承の修行が終わってからは、楓と共に戦うようになったんだが……。

 隣で戦う分、余計に実力の差を感じてな。自信喪失ってやつ?

 俺がいる意味ある?なんてこと考えたりな。

 意外だって?

 俺にだって、脆い時期があったんだよ。

 10代なんてそんなもんさ。

 月日が経って、ある程度、楓との差ってやつと真っ直ぐ向き合えるようになってからは鍛練に励んだりして、順当に実力をつけてな。そろそろ独り立ちだって、違う地域に転属になって、そっから転がるように総本山付きになったもんだから、無駄じゃなかったな、あいつの隣で戦った経験は。

 

 

「おっと、また自分語りになっちまった。やだねぇ、この歳になると自分語りが増えちまう」

「えー、竜さんの話も面白いからいいですよ全然」

「そうか。まあ、咲希ちゃんみたいな若くて可愛い子相手だと話しちまうんだよ、おじさんってそういう生き物だから」

 

 

 

 

 んで、ええと、なんだ?

 すっかり総本山付きが板についてきた頃、樹羅を拾ったんだ。

 俺に討伐命令の出た化神に両親を殺された樹羅を……。

 そんで、いざ親の真似事をしようと思ったんだが忙殺されちまってな。

 家はあったけど、全然帰ってねえし、そもそも住所を持っとくためだけの家だったし、そんなとこにちっせー樹羅を一人置いとくわけにもいかねぇし。任務に連れ歩くのも危ねぇしってんで、ここに預けることにしたんだ。

 それが楓との久しぶりの再会。

 結婚して子供が出来たってのは、風の噂で知ってたんだが……あいつ、親になっても全然変わんねぇでやんの。

 薫ちゃんも話してたろ?

 ほんと、あんな感じ。

 親子ってよりすげぇ歳の差の姉弟って言ってもいいぐらい。

 

 けどまぁ……ちゃんと母親にはなってたんだよ、あいつ。

 ある時、薫ちゃんが外で一人遊んでるってんで、二人で迎えに行ったんだよ。

 そしたらさぁ。

 

『男児! 童子! あぁん食べちゃいたい!!!』

 

 なんか、変態な化神と出会してな。バケギンチャクだったか。

 薫ちゃんのことを狙ってて、化神の触手がすごい勢いで襲いかかろうとしていた。

 間に合わない。

 そう、思ったんだが……。

 

「ッ!!!」

 

『なっ!?』

 

 あまりの速さに、俺は目を疑った。

 隣にいたはずの楓はいつの間にかマイヤになって、槍で触手を全部斬り捨ててよ、次の瞬間には、化神の身体が細切れになってた。

 あまりの早業に化神撃破の世界最速記録じゃないかって、今でも思ってる。

 しかも薫ちゃんには一切気付かれずにだ。

 化神を倒した楓は、変身を解いてな、いつも通りのニコニコって顔で薫ちゃんを抱き抱えてたよ。

 

「わぁ!? お母様、いつの間に?」

「ふふ、薫を驚かせる作戦成功~。ほら、竜おじちゃんも来てるよ~」

「おじ様……!」

「よ、よう……。そろそろ家に帰る時間だぞ」

 

 呆けてたんで、ちょっとぎこちなかったがそんな感じでな。

 変身を解いた一瞬、楓の顔が滅茶苦茶おっかない顔になっててそれで……。

 まあ、母は強しってやつだよ。

 

 

 

 

 

「なんか、本当に凄かったんですね……」

「母親になって、より強くなってた気がするよ。もう年齢的にはアラフォーだってのに。……ただ、まあ」

 

 竜さんの言葉が再び詰まった。

 なにか、言いにくいのか、思うところがあるのか。

 

「この話のちょい後に、亡くなっちまうんだ……」

 

 

 

 

 

 ある晩、夜中に目が覚めてな。用足しに部屋を出たら書庫の明かりがついてて、消し忘れかと思ったら楓の奴がなにやら一生懸命調べ物してたんだ。

 

「なにやってんだ、こんな夜更けに」

「竜くん……。ふふ、ちょっとした研究中なの今」

「研究? なんの」

「この地に封印されてる化神バケゲンブのことは知ってるでしょ? あいつを、倒す方法の研究」

 

 夜舞家が代々守り続けてきた封印。それを封印ではなく完全に滅すること。それが夜舞家子々孫々に伝えられてきた命題。

 センさんと共に、あらゆる資料を調べ、封印されているバケゲンブを倒す方法を編み出すことに、あの頃の楓は力を注いでいた。

 

「薫の代には残さない。私の代で終わらせたいの」

「お前、それは……」

「男マイヤは早死にするって言われている。そのために、男でも女として扱い振る舞わなければならない。女の身体に近付くための処置を行うなんてことも、昔はあったそうよ。私も、母さんも……薫にそんなことはしたくないから」

 

 私が、最後のマイヤになるつもりでいる。

 あいつは、本気だった。

 だが、それから数日後の事だった。

 俺は任務で、福島にいた。

 のんきに土産なんか買って、戻ってきたんだが……。

 

 雨の日だった。

 腹を貫かれて、お気に入りだって言ってた着物を自分の血で染めていた。

 俺が戻ってきた時にはもう、死んでた。

 化神と相討ち。

 嘘だろ?って、思ったさ。

 あの楓が?

 相討ち?

 ほんと、なにもかもが分からなくってな。

 いつの間にか、葬式やって、火葬して、墓にあいつは入ってた。

 そっから、色々おかしくなっちまってな。

 薫ちゃんの厳しいなんて言葉じゃ収まらない修行と、肉体改造が始まった。

 それから、薫ちゃんの親父も家を出ていった。

 屋敷にいた装士達の数もどんどん減って、俺も寄りつかなくなっちまった……。

 

 

 

 

 

「そんで、考えないようにしてた。ここの事は。けど、まさかバケゲンブ討伐なんて事になるとは思わなかったな……。すげぇよ、薫ちゃん」

「……ほんと、いろんな事があって、成長したんです薫」

「ああ、そうだな……。ほんと、成長したよ。うちのボンクラ娘と違って」

 

 いろんな戦いや、いろんなことを経験して、薫は強くなった。

 私はそれを知っている。

 ずっと、隣で見ていたから……。

 

「咲希、おじ様。お二人で何をされているのですか?」

 

 偶然、薫が通りかかった。

 お客さん達は帰ったのだろう。

 

「あ、薫。今ね、竜さんから、薫のお母さんのこと聞いてたんだ」

「お母様の……」

「ああ、悪いな。べらべら話しちまって」

「いえ、お気になさらず……」 

「そうだ薫。あれ、まだ持ってるのか?」

 

 あれ?

 私が首を傾げていると、薫は「はい」と返事をして袖からお守りを取り出した。

 あれは、前に私が貸してもらったお守りだ。

 そういえば、薫のお母さんが作って友達にプレゼントして、その友達から薫に手渡されたって……。

 

「あっ!」

「おお、びっくりした……。どした?」

「ふふ、咲希は気付きましたか。このお守りは、かつてお母様がおじ様にお譲りしたもの。そして、おじ様から私に託されたもの……」

 

 

 

 お母様が亡くなってから、私は泣いてばかりでした。

 そんな折に、おじ様が……。

 

「薫、いつまでも泣いてちゃ駄目だ」

「おじ様……」

「……これは、お前のお母さんが昔、俺にってくれたものだ。お前が持ってろ。それがあれば、母さんがお前を守ってくれる。だから、もう泣くのはおしまいだ。な?」

「……はい」

 

 涙を拭うと、おじ様が笑ったのをよく覚えています。

 それからは、肌身離さずに持ち歩くように……。

 

 

 

「……立派になったよ、薫ちゃん」

「ふふ……。ありがたき、お言葉……」

「うんうん! 薫は立派だよ!」

 

 お母さんが亡くなったこと以外にもいっぱい、辛いこともあったのに。

 それでも薫は、マイヤとして戦って人間を守り続けている。

 それは、これからも変わらないのだろう。

 私としては心配になることも多いけど……。

 

「そうだ薫ちゃん。俺、あと数日したらちょいと出るわ」

「それは……。もう少し、ゆっくり湯治された方が……」

「はっはっはっ、湯治もいいが男にはもっと休まる場所があるんだよ。薫ちゃんも成人したら連れてってやる」

「成人したらって、薫を変なとこに連れて行こうとしないでくださいー!」

「おっと、嫁さんの前でする話じゃなかったな。じゃ、また今度詳しい話をな。そんじゃ、俺は部屋に戻るわ~」

 

 こら逃げるな~!と飄々とした背中に叫ぶ。

 

「薫も、駄目だからね! そんなお店行っちゃ!」

「行きませんから、落ち着いて……」

 

 ふう、と息を吐いた薫が私の隣に座った。

 少し疲れた様子でいた。

 

「御客人の相手は、なかなか疲れるものです……」

「お疲れ様。そういうこともしなくちゃいけないって大変だよね」

「はい……。お婆様が、慣れるようにと……」

 

 薫が正式に夜舞家当主になるのも近い。

 高校を卒業するまであと二年。それまでは、そういった家の付き合いだとかはセンさんがやってくれるけど、慣れさせるのも大事。

 家は民宿で接客はよくするけど、そういうのともまた違うだろうしなぁ。

 ……てか、嫁入りしたら私もそういうことしなくちゃいけないってことだよね。

 わぁ……わぁ……(語彙力喪失)

 

「ところで、どうされたのですか? お母様について聞くなんて」

「いやぁ、ほら……。夜舞家のこと、ちゃんと知っておいた方がいいよな~って。こ、婚約者だし!」

「……ふふっ」

「な、なにかおかしいこと言った!?」

「いえ……。きっと、お母様も喜んでいることかと。お母様は、咲希みたいな人、大好きでしょうから」 

「そ、そうかな……えへへ……」

「はい……。悪戯し甲斐がありそうで……」

 

 そういう!?

 確かによくイタズラとかドッキリとかの標的にされたけどさぁ。

 

「……咲希は私のお母様について知ったので、私に咲希のご家族のこと、教えていただきましょうか……」

「えー、そんな、普通だよ普通」

「私の普通は、人とは違いますゆえ……」

「え~、じゃあお母さんは……」

 

 談笑に花を咲かせた。

 薫がいっぱい質問してきて予想より何倍も話しちゃった。

 なんだか久しぶりに穏やかな時間を過ごせた気がして、満足。

 きっと、薫はこれからどんどん忙しくなるだろうから……。だから、こういう時間を大切にしていこう。 

 薫との、二人の時間を……。




猛る闘志。

滲む憎悪。
 
その牙は何のためにあるのか。

次回 逆鱗

忘れるな、その仮面に宿した意味を。


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逆鱗

 ほんのりとやませが立ち込める早朝。

 車通りのほとんどない国道に、金髪の二人。

 愛車であるハーレーに似た大型バイクに跨がり、旅立とうとする竜を樹羅が見送りに来ていた。

 

「見送りならいいっつったろ。また戻ってくるつもりだし」

「別に見送りとかそんな殊勝なもんじゃねぇし。釘差しに来たんだ」

「釘ぃ? お前、親に釘を差そうだなんて偉くなったなぁ」

 

 竜の大きな手が、樹羅の頭の上に置かれる。

 わしゃわしゃとその手が動き、金色の髪を撫で回す。少し恥ずかしそうにされるがままでいた樹羅だったが、やがて気恥ずかしさが勝り、そっとその手を除けた。

 

「うっせ。とにかく差させろ釘。まず女遊びすんじゃねぇぞ」

「嫌だね。つうかそもそも遊びじゃねぇ。俺は真面目に、真剣に、必死に、一生懸命に、いろんな女性と関係を持ってるだけだ」

「それを女遊びって言うんだよバカ親父!」

 

 己が父の悪癖を彼女はよく理解していた。

 総本山付きの御伽装士として全国津々浦々を巡る父に同行すれば嫌でも鼻につくのだ。

 任務で訪れた地で出来る、父と懇ろな関係の女というものを。

 三葉竜は顔が良く、スタイルも良く、身体はしっかりと鍛えられ実年齢よりだいぶ若く見られる。それでいてトーク力もあり、明朗な性格。

 外見、内面共にモテる男のそれが備わっていた。

 ゆえに、女の匂いが絶えたことはない。

 しかし、あくまで匂いだけ。匂いだけなのだ。

 

「あいあい。程々にしてやっからよ」

「程々じゃない。やめろっつってんの。てか、所帯持てよいい加減。オレは別に気にしねぇし、そういうの」

「樹羅……。よぅし分かった! 帰って来る時は嫁さん連れてくっからよ! じゃあな!」

「あ! おい待てよ話はまだ!」

 

 走り出すバイク。

 樹羅に向けて、振り返ることなく手を振る竜の姿はどんどん小さくなっていき、あっという間に見えなくなってしまった。

 

「んだよ、逃げやがって」

 

 まだ色々と言うことはあったのにと不満げに呟く樹羅の顔には、怒りだけでなく寂しさも含まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏休みが、終わってしまった。

 絶望。

 絶望だ。

 なんでこんな、こんな……。

 

「なんでお盆明けてすぐ夏休みが終わるわけ~!?」

 

 通学路に私の叫びが木霊する。

 お盆の帰省ラッシュによって、民宿を営む我が家は慌ただしかった。

 その忙しいのも一段落してまたちょっと休める……と思ったらすぐに学校が始まってしまったのだ。

 なんだか全然休めた気がしない。

 そもそも、夏休みが短すぎる。

 もっと八月下旬ぐらいまであるものでしょ普通。

 

「まあまあ……。代わりに冬休みがちょっと長いので……」

「そうなの?」

「はい……。雪の影響だとか冬のせいで、東北の冬休みは他の地域よりも長いのです。そのため、夏休みが少々短くなっております」

 

 なるほど、そんな事情が。

 冬休み早く来ないかな~。

 

「もう、お休みのことばかり。学校も楽しいですよ? 秋には文化祭がありますし」

「文化祭! 屋台とか色々出来るよね!」

「そうですね……。そのあたり、そろそろ決めなきゃいけない時期ですから、ホームルームで話し合われるかと」

 

 文化祭の話をしながら教室へ。

 夏休み明けで久しぶりに会うクラスメイト達と挨拶しながら席につく。

 うわ、佐々木くん黒っ。

 日焼けすごいな~。

 え、遠藤くんのその髪型は一体……?

 夏の魔物に唆されちゃった?

 三宅さんもなんか垢抜けちゃってる。

 みんなそれぞれの夏を過ごしたようだ。

 

「ふふ、皆さん夏休みを楽しまれたようで……」

「被災地とかなっちゃってるのにね」

「楽しむ余裕が出てきたということは、良いことでございます」

「そうだね。立ち直りが早いって良いことだよね!」

  

 瓦礫の撤去作業も進んでいる。

 着実にこの町の復興が進んでいることは、登校途中の景色で感じ取っていた。

 

「でもでもさ~咲希っぺ、夜舞さ~ん」

 

 いきなり後ろから抱きつかれ、悲しそうな声が。

 自称岩手ギャル代表の飛沢さんだ。

 

「蝶祭りやっぱり今年はないん?」

 

 蝶祭りとは毎年、夜舞神社で行われるお祭りのこと。

 今年はバケゲンブのゴタゴタで行われていないので、私もまだ参加したことはない。

 

「そうですね……。観光協会の方々も、祭りの実行委員会の方も今年は中止と……」

「え~! お祭りないなんてつまんないじゃ~ん!」

「気持ちは分かりますが……」

 

 ギャルの攻撃にたじたじな薫。

 これはまた珍しい光景なのでしばらく見ていようと口を挟まずにいたら予鈴が鳴り、飛沢さんは席に戻り、担任が教室に入ってきた。

 夏休み明けによく聞くような挨拶をした後、また別の話題を切り出した。

 転校生。

 転校生というワードが教室中で囁かれる。

 

「転校生って、まさか」

 

 そのまさかだった。

 目立つ金髪に長身。

 

「……三葉樹羅だ」

 

 ぶっきらぼうに言い放った彼女は先日現れた私の仇敵。

 三葉樹羅。

 薫の幼馴染みにして駆け出し御伽装士。

 意識せざるを得ない相手……!

 むむむ~!と目力をこめて彼女を見つめていると隣の薫が小さく二の腕をつついてきた。

 

「なに?」

「実は、今朝樹羅ちゃん学ランで登校しようとしまして……」

「マジ?」

「マジでございます。真姫が女子の制服を無理矢理着せて、朝は少々慌ただしく……」

 

 自分を男と言い張って憚らない彼女だが、まさか制服まで男物にしようとするなんて。

 いや、すぐ隣に女子の制服を着こなす私の彼氏がいるのだが……。

 

「はーい。それじゃあ、三葉さんも入ったし夏休み明けたしで……席替えやりまーす」

 

 え!?

 席替え!?

 やだやだ反対!

 薫が隣にいる今の環境のままがいいです先生!

 しかし、席替え反対派など少数というか私だけというか。

 いや、薫もきっと私と同じように思ってくれてるはず……!

 

「席替え……。次はどこになるか、楽しみですね咲希」

 

 駄目だったー。

 席替え楽しみにしてるぜ私の彼氏……!

 樹羅ちゃんもきっと狙っている。薫の隣を……!

 ええい、こうなったら次も薫の隣を引くのみ!!!

 加藤咲希、女の意地を見せる時!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見事に、端に散りましたね」

 

 昼休み。

 椅子を持ってきて薫の席でお弁当を食べる。

 薫は窓側の一番前。

 私は廊下側の一番前。

 そして……。

 

「なんで後ろなんだよ……」

 

 樹羅ちゃんは窓側の一番後ろの席になっていた。

 

「樹羅ちゃんは大きいですから、ちょうどいいと思います」

 

 彼女は薫の後ろの席を借りて購買のパンを食べていた。  

 

「むー」

「……なんだよ今朝から睨み付けてきやがって。言いたいことあるなら言えよ」

 

 バレてたか。

 まあいい。

 

「それじゃあ言わせてもらいますけど、薫にあんまり近付かないでもらえますー? 不良が感染しますぅ」

「あぁん!? お前こそ都会のきったねぇ空気の臭いが薫につくからどっか行きやがれ」

「二人共」

 

 ぴしゃりと、薫の声が響いた。

 

「お食事中は静かに」

「はーい……」

「あ、ああ……」 

 

 互いに、お前のせいで叱られたという視線を向ける。

 ああもう本当になんなの!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰りは薫のお屋敷へ。

 樹羅ちゃんもここに住んでいるので必然的に三人で帰ることに。

 

「お前、薫んちに行って何すんだよ」

「別に~? なにもありませんけど~」

「用がないなら自分の家に帰りやがれ」

「用がなくても薫の家に行くくらいの深い仲なんですぅ。婚約者なので!」

 

 もう家の人達にも伝えてある。

 色々と心配されたけど、親公認の仲ということになりまして。

 えへへ。

 えへへ。

 

「なにニヤついてんだ気持ち悪い」

「幸せを感じてるんですよ。それが分からん人とは悲しいね~」

「無性に殴りてぇ……!」

「駄目ですよ樹羅ちゃん。御伽装士が人に手を上げるなど」

 

 そうだそうだ!

 こっちは一般人だぞ!

 身長160cm、体重5……49kgの一般人!

 15cmもでかい奴に殴られたらヤバいもん!

 

「う……。わ、分かってるって!」

 

 やはり、樹羅ちゃんは薫に弱い。

 私にも弱くなってくれると助かる。

 

「ただいまー!」

「なんでお前がただいまなんだよ」

「まあまあ、咲希の家でもありますよ」

「薫公認!」

 

 えっへんと胸を張る。

 そのままお屋敷の薫の部屋へ……。

 そう思っていたら、私達より早く帰宅していた真姫さんが急ぎの様子で私達のもとへ。

 

「薫様、お帰りのところ申し訳ございません。たった今、化神出現の報が」

 

 化神。

 その言葉を聞いた薫の目が細められた。

 雰囲気が変わったのが分かる。

 仕事モード、戦闘モードのいわゆる男口調薫だ。

 

「場所は」

「茂師海岸近辺と」

「分かった。アラシレイダーを出してくれ」

「はっ。既に表に出すように指示が出ています」

「よし……。咲希、悪いが……」

「うん、分かってる。気を付けてね」

「ああ。行くぞ、樹羅」

「お、おう……」

 

 薫は真姫さんと樹羅ちゃんを引き連れて仕事へ。

 お見送りしなくちゃ!

 玄関を出ると、制服のままアラシレイダーに跨がる薫が。

 樹羅ちゃんは平装士の方が運転する車で行くみたい。

 

「いってらっしゃい!」

「ああ。行ってくる」

 

 私にそう返すとフルフェイスヘルメットのゴーグルをつけて、アラシレイダーで走り去る。

 さて、それじゃあ私は待つとしますか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒い砂浜を、一心不乱に走る釣り人がいた。

 その顔は恐怖が滲み、とにかく必死に走っていた。

 

「はあ……はあ……!」

 

『待、て……』

 

 宙に浮き、すうと優雅に泳ぐように男を追う異形は毒々しい赤や紫に彩られ、身体のあちこちから長い花弁のようにも見える鰭を生やしていた。

 異形の名は、化神バケカサゴ。

 

『撃、つ……』

 

 バケカサゴは右腕を男へ向けると、前腕に生える鰭もまた男に向く。鰭は針のように変化し、射出。

 真っ直ぐ、男を貫こうとする針。 

 だが、届かない。

 

「はっ!」

 

 バイクの駆動音。

 男の前に躍り出る蝶の仮面を纏いしライダー。

 そのライダーが持つ槍により、針は弾かれ波打ち際に突き刺さった。

 

「ひっ……!」

「お早く、お逃げ下さい」

 

 新たな異形の登場に恐れ戦く男だったが、逃げろという言葉をそれが発したので、自身を追いかけていたあの異形とは別の存在だと確信し、再び駆け出した。

 

『御伽、装士……』

 

 バイクから降りたライダーを見て、バケカサゴは呟く。

 

「ええ、御伽装士マイヤ。あなた方、化神を滅する夜の蝶でございます……」

 

 緩やかにお辞儀をして名乗るマイヤは、即座に戦闘速度へと至る。

 厄除の槍と共に紫紅の閃光となり駆けるマイヤ。 

 バケカサゴを一撃で貫くつもりでいたが、ふわりと舞い泳ぐように浮遊するバケカサゴの不規則な動きで回避される。

 

『邪魔、するな……』

 

「妙な動き……。ですが、見定めれば」

  

 バケカサゴはマイヤの周囲を遊泳する。

 近付き、遠ざかり、後方、前方、右、左とルートは不規則。

 並の御伽装士であれば、そのトリッキーな動きに翻弄されるだろう。

 しかしマイヤは、夜舞薫は冷静であった。 

 下手に動くことはせず、集中を保つ。

 一見隙があるように見えるが、考えなしに動き回る方がバケカサゴにつけ入る隙を与えてしまう。

 動かず、全方位を警戒し、攻撃してきたならば逆にこちらの槍がお前を貫くぞと無言の圧力がバケカサゴにかけられていた。

 

「薫! オレも行く!」

 

 少し遅れて到着した樹羅が鱗牙の怨面を手にして戦場に立つ。

 

「オン・バサラ・ソウシン・ソワカ! 唸れ、リンガ!」

  

 樹羅の身体に走る赤い線は鱗を描くよう。その紋様を浮かべる苦痛に樹羅は顔を歪めるが、叫ぶは戦士としての姿を呼び覚ます言葉。

 

「変身ッ!」

 

 ボンッ! と衝撃と熱波が周囲に走る。

 緑炎を振り払い、バケカサゴへと向けて御伽装士リンガが駆ける。

 

「たあぁぁぁっ!」

 

 砂を蹴って跳躍。

 ゆらりと浮くバケカサゴへと向けて飛び掛かる。

 だが、リンガは手は空を切る。

 

「ッ!? なん!?」

「樹羅ちゃん、落ち着いて」

「くそ……!」

 

 マイヤの声は届かない。

 目の前の敵ばかりがリンガの目に映る。

 己を嘲笑うかのように優雅に、怪しく、移ろっている。

 

「こいつ!」

「樹羅ちゃん待って! 平装士の皆さんは人払いを迅速に!」

 

 猛るリンガを制止しつつ、平装士へと指示を飛ばすマイヤ。

 若い平装士達は急ぎ人払いの術をかけ始める。一方、リンガは止まらない。

 

「化神は……化神はぶっ殺す!!!」

 

 怒りが戦意を、殺意を膨張させる。

 化神は樹羅にとって、実の両親の仇なのだ。

 化神を前にすると、常に脳裏に浮かぶのは両親が殺された瞬間。首筋からシャワーのように血飛沫が出て、倒れる二人の人間。およそ、幼子が見ていい光景ではない。

 だが、樹羅は見てしまったのだ。

 そして記憶は焼きついて、樹羅の身を焦がす。

 

「はぁ……はぁ……! らぁッ!!!」

 

『無駄、だ……』

 

 リンガの膂力を利用し、跳びかかる戦法。だが、バケカサゴの不規則な動きに翻弄され、ついていくことが出来ない。

 それが焦りを生み、リンガは平静を欠いていく。

 

『弱いな、お前……』

 

「樹羅ちゃん落ち着いて! 下がっていてください、こいつは私が……」

 

 マイヤはリンガと息を合わせられないでいた。

 薫ならば、無理矢理合わせられなくもないのだが、リンガの呼吸、戦闘のリズムが乱れているため無理に合わせたらそこに隙が生じてしまう。

 

「ッ……あぁぁ!!! 逆鱗咆哮!」

「ッ!? 樹羅ちゃん!」

 

 リンガは胸の前で両腕を交差させ、解き放つ。

 逆鱗咆哮。

 それは、リンガに備えられた固有能力。

 リンガの高い身体能力、攻撃力を向上させる術である。

 鱗を模した装甲が逆立ち、全身が剣山のように鋭利で攻撃的な姿となる。

 

「あぁ……あぁ……ああああッ!!!!!!」

 

 砂を蹴り、再びバケカサゴへと飛び掛かる。

 

『同じ、ことを……。ッ!?』

 

 バケカサゴには通用しなかった戦法。バケカサゴ自身もそれは見切ったと先程と同じように回避する自信があった。

 しかし、バケカサゴは驚愕する。

 先のリンガとはスピードがまるで違うことに。

 

「あぁッ!!!」

 

 リンガの両手がバケカサゴを掴み、押し倒す。鋭い爪がバケカサゴの両肩に食い込み、ダメージを与える。

 黒い砂の上に共に転がったリンガとバケカサゴはその身を縺れ合い、砂を撒き散らしながら荒々しい肉弾戦に興じた。

 

「うあぁぁッ!!!」

 

『こいつ、獣か……!』

 

「樹羅ちゃん!」 

 

 リンガの戦いは、人のものではなかった。獣の戦い。

 華麗な技なんてものはない。力による蹂躙。生命の原初、本能にのみ動く。

 転がるバケカサゴの上に跨がったリンガは爪による引っ掻き、拳の殴打、暴力の嵐がバケカサゴを襲う。

 

『あれを、使う、か……』

 

 そんな嵐の中にいても、バケカサゴは変わらない様子でいた。

 

「バケカサゴの様子がおかしい……。樹羅ちゃん離れて!」

 

 急速に高まるバケカサゴの気配に危険を察知したマイヤが叫ぶ。

 だが、リンガは暴力に支配されている。マイヤの声が、届かない。

 

「樹羅ちゃん! くっ……!」

 

 マイヤは駆け出す。

 多少手荒になっても、バケカサゴからリンガを遠ざけるべく。

 

『あ、あ……。飲み込んで、くれよう……』

 

「ッ!?」

 

 バケカサゴの腹部を走る曲線が怪しく蠢く。開かれようとしていた。バケカサゴの、大口が。

 そう、それは一瞬。

 これまでのゆったりとした動作とは真逆の、目で捉えることすら難しいほどの速さでリンガを丸飲みにしようとする。

 気付いた時には遅い。

 もう、リンガはバケカサゴの獲物なのだから。

 

『取った、ぞ……』

 

 バケカサゴはリンガを屠ったと確信した。

 しかし……。

 

「樹羅ちゃん!」

「っ!? かお……」

 

『む……』

 

 突き飛ばされたリンガが見たのは。

 リンガが見たのは、左肩までバケカサゴに飲み込まれたマイヤの姿。

 リンガを庇った代償にその左腕を捕食されようとしていた。

 

「か、薫ッ!?」

 

『む、違う、方か……。まあ、いい……。強い、方だ……』

 

「ぐうっ……!」

 

 怨面の下、薫の顔は苦痛に歪む。

 だが、考えることは一つ。

 化神を倒し、人を守ること。

 己の血と魂に刻まれた使命は、たとえどんな時も忘れることはない。

 

「退魔、覆滅技法……!」

 

『む……』

 

 蝶の群れを発生させ、技を繰り出そうとするマイヤに、バケカサゴは腕のヒレを針にしてマイヤに向けて放つ。

 右肩に突き刺さった針。だが、マイヤは怯まない。

 

「蝶絶怒涛……!」

 

 バケカサゴとマイヤを包む蝶の群れが爆ぜる。

 

「か……薫ぅぅぅ!!!!!」

 

 樹羅の叫びが悲しく響くと共に、逆立っていた鱗が沈む。あたかも、樹羅の感情に応じたかのよう。そんな機能はないのだが。

 

『ぐ……。相討ち、覚悟とは……』

 

 爆炎の中から飛び出てきたのは、バケカサゴであった。

 退魔の炎に身を焦がし、全身に傷を負いながらも生き延びていた。

 そして今、逃げようとしている。

 海へとゆっくり、沈み行く……。

 

「待て……! ッ……」

 

 リンガは追跡しようとするも、逆鱗咆哮を使用したことによる身体への負荷から、満足に身体を動かすことが出来なかった。

 無力感に苛まれたリンガの拳が、弱々しく砂を打った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜舞邸は緊迫した空気に包まれていた。

 薫が重傷を負ったこと、化神バケカサゴは未だに健在であるという事実。それがこの空気を生み出していた。

 平装士達によって搬送された薫は処置を施されたが意識不明のまま。

 そして、樹羅は……。

 

「ごめんなさい薫……ごめんなさい……」

 

 目を覚まさない薫。傷だらけの薫。

 薫がこうなったのは紛れもなく()()()()》のせいだ……。

 あたしが、弱かったから……。

 

「……樹羅ちゃん」

  

 襖が開けられ、夜の青を背景にしてそいつは現れた。

 

「お前……」

「隣、座っていい?」 

 

 そう訊ねこそしたけど、答える前に座りやがった。

 加藤咲希。

 薫の、大切な人。 

 心配そうに、眠り続ける薫を見つめている。

 

「……薫がこんなになるなんて、よっぽど強い化神だったんだね」

「……違う。薫なら、普通に勝ってた。けど、オレが弱かったから薫は……!」

「……そっか。樹羅ちゃんは怪我してない?」

「オレのことなんてどうでもいいだろ……! 関係ないだろ、お前には……!」

「いいから、答えてよ」

 

 真っ直ぐ、真剣な顔をしていた。

 こいつ、こんな顔出来るのか……。

 

「……オレは、怪我、してない……」

 

 勝手に、口がそう動いていた。

 

「そっか。よかった」

「良くねぇ……。良くねぇよ! あたしの代わりに薫がこんなになって! 化神にも逃げられて……!」

「うん。薫が樹羅ちゃんを守った。だから、樹羅ちゃんの身になんともなくて良かった。これで樹羅ちゃんまで怪我してたら、薫が悲しむから」

 

 薫、が……。

 

「……なんで、あたしを守ったりなんて……」

「薫が薫だからだよ。それに、樹羅ちゃんは薫にとって大切な人だし余計に守りたくなっちゃうんだよ」

 

 あたしが、薫の大切な人……?

 守りたくなる……?

 気が付くと、自嘲気味に鼻で笑っていた。

 

「薫を守りたくて、御伽装士になったのに……。結局まだ薫に守られてんだな、あたしは……」

「薫を、守りたくて……?」

「小さい時、あたしはいっつも薫に守ってもらってた。泣き虫だったあたしを励まして、笑わせてくれたりして………。だけど、薫の母さんが亡くなってから毎日隠れて一人で泣いてて、あたしにはそれを見せないようにしてて……。だから、御伽装士になって薫を守れるようになりたいって……」

 

 薫の父さんがいなくなって、ばあさんから厳しい修行をつけられて、男なのに女として生きなければいけなくなって……。

 薫の周りにはまるで味方がいないみたいだった。

 だから、あたしが薫の味方になろうって決めた。薫が女になるならあたしは男として生きようと決めた。そうすれば、薫に寄り添えると思ったから。

 なのに親父が任務にあたしを連れ回すようになって、薫と会えなくなって……。それでも、いつか薫と再会して薫を守るんだって、頑張って修行してようやくその夢が叶ったって思った矢先にこれ。

 

「……そっか。うん、じゃあ薫のこと守ってよ」

「え……」

「私、御伽装士じゃないし、ここの人達みたいに戦えるわけじゃないから、薫に守られっぱなし。薫の帰りを待つしか出来ないから。だから、守ってよ薫のこと。みんなのこと」

 

 青い夜の中、薫がこいつの事を好きになった理由が分かった気がした。

 素直過ぎる。

 あたしが逆の立場だったら、こんな風に言えない。

 多分、キレ散らかすと思う。糾弾すると思う。

 こいつにはその権利があるってのに、こいつは……。

 

「樹羅、ここにいたか」

 

 再び襖が開かれる。真姫姉さんがバケカサゴ再出現の報を伝えてくれた。

 

「うちの者に囮になってもらった。手負いなら、傷を癒したいから人を狙うだろうとな。……行けるか」

 

 行けるか。

 その言葉が、突き刺さる。

 自分ではあいつを倒せないという事実がのしかかってくる。

 だけど……。

 

「樹羅ちゃん」

 

 真っ直ぐと見つめてくる瞳は、三葉樹羅のことを信じていた。

 ああ、いけない。

 こんなのに見つめられたら、勝たなきゃいけないって思わされてしまうから。

 

「ああッ!」

 

 待ってろ化神。

 このオレが、必ず倒す。

 薫の分まで、戦ってやる……!

 

 

 

 

「……ああ言ったが、新人にはキツイ相手だ」

 

 樹羅が駆け出していった後、残された二人。

 真姫は淡々と事実を口にしていた。

 

「樹羅ちゃん……」

「……大丈夫だ」

「薫っ!」

 

 目を覚ました薫が痛む身体を無理矢理起こした。

 咲希と真姫が心配そうに見つめ、制止したが聞かなかった。

 

「真姫、着替えを持ってきてくれ……」

「薫様、まさか戦いに行かれるおつもりですか!」

「ああ、御伽装士だからな……。樹羅だけじゃキツイんだろ」

「それは……」

「でもでも怪我人が行く方がヤバいよ! 毒も回ってたって聞いたよ!」

 

 心配する咲希の言葉に薫は得意気な笑みを浮かべる。

 薫には勝算があるのだ。たとえ自分が負傷していようとも、問題のない。

 

「大丈夫だ。俺にはあれがある。……もう少しだけ、力を取り戻すのに時間がいるが」

「あれ? あれってなに薫」

「……かしこまりました。用意して参ります」

 

 真姫はあれを理解し、薫の指示に従い着物を取りに向かう。

 一人だけあれが分からない咲希の質問責めを薫は目を閉じ躱す。

 そして、開いた襖の外に浮かぶ満月を見つめた。

 

「……今夜は、いい月だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の海は不気味だ。

 黒い水面から何かが現れてきそうで。

 北三陸の海岸線は複雑に入り組むリアス式海岸。その入り組んだ地形ゆえに、あまり人の手が入っていない場所は多い。

 そこが目標地点。

 民間人への被害を出さないための。

 

「目標地点への誘導完了! リンガはまだか!?」

 

『リン、ガ……。あれは、弱い……』

 

「誰が弱いって?」

 

 そう呟いて、崖上から飛び降りる。

 飛び降りながら、怨面を纏う。

 

「オン・バサラ・ソウシン・ソワカ……唸れ、リンガ」

 

 変身────。

 

『ッ……!?』

 

 着地点はバケカサゴ。

 着地の衝撃で土煙が舞う。バケカサゴの姿はない。

 奇襲に失敗してしまった。だが、戦いはまだここから。

 冷静に、切り換えていけ。

 飲まれるな、過去に。復讐に。

 

『何度、来ても……。同じ、こと……』

 

「いいや違うッ! ここでお前を倒す! ハアッ!!!」

 

 足場の悪い磯。だが、リンガには関係ない。

 岩と岩とを飛び交い、バケカサゴへと爪を突き立てる。

 けれど、当たらない。

 奴の妙な動き、読めない動き。幽霊みたいにのらりくらりとして、オレの攻撃が当たらない。

 だけど、それはこっちも同じだ。

 

『ぬう、外した……』

 

 バケカサゴの毒針もまた、オレに当たっていない。

 奴もオレの動きを読めていない、ついてこれていない。

 根競べと行こうか!

 互いに決定打に欠く戦い。先に集中力を切らした方が負け。

 そして、こっちは火力を上げる!

 

「逆鱗咆哮!」

 

 逆立つ鱗。溢れる神通力が身体を熱くさせる。 

 だけど、飲まれるな。熱くなるな。

 あくまでも冷静に、バケカサゴを見つめろ。

 そして、倒せ!

 

「退魔覆滅技法!」

 

 大地を蹴り、天と地が逆さになると同時に技を繰り出す。

 月光に光る爪で海面を切り裂く。そして生じる水の斬撃波。

 

飛爪森羅(ひそうしんら)ッ!」

 

 この世のものを切り裂き、斬撃波として放つ技。

 今回は水。個人的に最も刃としやすい物質である。

 

『ぐっ……!』

 

 五つの刃の内、二つがバケカサゴの腕のヒレと左肩に命中し切り裂く。

 よし!

 

「たあああッ!!!」

 

 バケカサゴへと飛び掛かり、頭部を両足で拘束し地面に倒す。

 更にバケカサゴを掴み、爪を突き刺しながら持ち上げ地面に叩きつける。叩きつける。叩きつける!

 

「しゃあッ!!!」

 

『おの、れ……!』

 

「トドメだ!」

 

 バケカサゴを投げ飛ばし、それを追い飛び上がる。

 この爪で、貫く!

 

「退魔覆滅技法! 邪貫……」

 

『かかっ、た……』

 

「しまっ……!?」

 

 ぱっくりと、開かれる大口は地獄の釜を思わせた。

 まずい、飲み込まれる……!

 そう思った瞬間、バケカサゴが吹き飛んだ。

 着地して、何が起こったかを確認すると、夜空に紅い流星。いや、あれは槍だ。厄除の槍。

 まさか……。

 槍は紅い軌跡を描いて主のもとへ戻っていく。

 オレが飛び降りた場所。そこに……。

 

「薫!?」

 

 真姫姉さんもいる。どうやら真姫姉さんがアラシレイダーを運転してきたようだけど、どうして薫が……。

 あんな怪我をしているのに。

 

『あいつ、は……』

 

「バケカサゴ、お前を討つ。今宵、月のマイヤが!」

 

 月の、マイヤ……?

 

「オン・ビシャテン・テン・モウカ! マイヤ・ボウゲツ!」

 

 薫の身体に浮かび上がる紅い紋様は蝶を模すもの。花園を飛び交う蝶の群れのようなものであるが、今回はいつもと違うものもあった。

 左右の頬から額にかけて描かれる紋様はまるで月の満ち欠けを描いているかのよう。

 そして、額には円……満月が描かれていた。

 

超/蝶変身(ちょうへんしん)────!」

 

 現れるは、語られたとおり月のマイヤ。

 全身に銀色の装甲を纏い堅牢。握り締められた拳は剛健。頭部は蝶の蛹のようでもあり、三日月のようでもある。

 あれが、マイヤ・ボウゲツ……。

 

「すう……」

 

 天に浮かぶ満月に向けて両手を伸ばす。そして、両腕で円を描いていくと月の光がマイヤ・ボウゲツのみを照らし、眩く輝きを放つ。

 神々しいとは、この事か。なんて、そんなことを思ってしまうほどに。

 

「ハッ……」

 

 飛び降りたマイヤ・ボウゲツが着地すると岩盤が捲れ上がる。

 やはり、あれはそれほど重いのか。

 まるで気にする様子もないので問題はなさそうである。

 

『手負いが、増えた、ところで……!』

 

 バケカサゴがマイヤ・ボウゲツに向けて毒針を放つ。

 マイヤ・ボウゲツは避ける素振りも見せない。

 最初こそ焦ったが、理解してしまった。

 避ける必要など、ないのだと。

 マイヤ・ボウゲツに命中した毒針は虚しく弾かれ、地に墜ちる。

 

「……」

 

『な、に……』

 

「退魔覆滅技法 月影縫(つきかげぬい)

 

 マイヤ・ボウゲツが唱えると共に銀色の蝶達が飛び立つ。

 蝶の群れはバケカサゴの影に集まり、バケカサゴの影を覆い尽くした。

 

『……ぬ!? これ、は……!』

 

 バケカサゴは焦りを覚えた。

 まるで自分の身体が動かぬことに。

 まるで抵抗が出来ない。

 なんとかして動かなければ、徐々に近付いてくるマイヤ・ボウゲツの拳の餌食になるのだと。

 

「樹羅」

「ひょい!?」

 

 突然、薫から呼び捨てで呼ばれたので変な声が出てしまった。まだ、そっちの薫に慣れていないのだ。

 

「一緒に決めるぞ」

「……! うん!」

 

 駆ける。

 薫の隣へ。同時に技を練る。

 

「「退魔覆滅技法!」」

 

邪貫爪(じゃかんそう)!」

月穿(がっせん)!」

 

 バケカサゴに爪と拳が叩き込まれ、爆散。

 ……やった。

 勝った。勝ったんだ。

 

「覆滅完了……」

 

 共に変身を解除する。嬉しさに薫に飛び付きそうになったけれど、そういえば薫は怪我人で……。怪我人で!?

 でも、変身を解いた薫はまったくの健康体っぽくて……。

 

「薫! お前、怪我は!?」

「あ? 治した」

「治した!? いや、え!?」

「マイヤ・ボウゲツには回復能力がある。特に今日みたいな月の夜は力が増すしな」

 

 そんな、力が……。

 なんというか、マイヤというか怨面って、すごい……。

 

「それより樹羅!」

「ひゃい!?」

「お前、次あんな戦いしたら俺がはっ倒すからな。覚悟しとけよ。……返事!」

「ひゃ、ひゃい!」

 

 う、うぅ……。この薫にはやっぱりあたし慣れないって……。

 

「……それと、さっきの戦いは良かったぜ。もう少し慎重にやればもっと良いがな」

「ほ、ほんと!?」

「まだまだだからな! これから徹底的に鍛え直してやる」

「う、うん!」

 

 

 

 

 なんとも、傍目から見るとどこかおかしな光景であった。

 身長差20cm。

 着物姿の少女のような少年が自分より大きく、少年のような少女を叱り、たまに褒めながら帰路につく様は。

 これを見ていた真姫は、「薫様が大型犬を調教しているようだった」と語っている。

 男であるが女の姿をしている者と女であるが男として振る舞う者。

 この奇妙な二人の物語はまだまだ先へと続いていく────。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 通学中の三人。

 

「ねえねえ樹羅ちゃん樹羅ちゃん!」

「うっせぇなぁ。ちゃん付けで呼ぶなっつの」

「お願い! 女の子っぽく振る舞って! てかそっちが素でしょ!」

「は、はぁ!? 誰から聞いたそれ!」

「……ふふ」

「あ、薫お前話したな昨日のこと!」

「口止めされませんでしたので……」

「お願い樹羅ちゃん! 私も可愛い樹羅ちゃん見たいよ~」

 

 絶対やらねぇ、絶対やらねぇと連呼し拒む樹羅であったがふと、思い付いた。

 

「……薫が、素出してくれたらいいけど……」

「え? 薫はどっちも素だよ」

「は?」

「はい……。男口調も、女口調も、どちらも、夜舞薫でございますゆえ……。そのお願いは、のーかん。で、ございます……」

「どういうことなんだよそれはぁ!? マジで10年で何があったんだよぉ!!!」

 

 樹羅の叫びが深い山々に木霊する。

 嘆く樹羅を見て、薫と咲希は楽しそうに笑う。

 それにつられて樹羅もまた、笑顔を浮かべるのであった。




旧き友の来訪。

新旧の御伽装士の出会い。

胸に秘めた思いを語るセンは……。

次回「旧友」

月影の夜に、浮かぶ想いとは。


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旧友

こちら黒井福さんの仮面ライダーソウテン(https://syosetu.org/novel/283340/)の後日談から繋がる話になります。
そちらも合わせてお読みください。


 夜舞家先々代当主センの旧友、河南紫の来訪。紫は公式には数年前、化神との戦いで亡くなったことになっていた人物。そんな紫との再会に驚きつつも納得もしていたセンは久方ぶりの友との語らいに心を躍らせていた。

 時は気が付けば夕暮れ。飯でも食べていけというセンの誘いに紫は、文無しにはありがたい誘いと遠慮することはなかった。

 そして、客間に膳を並べてセンと紫。そして薫と、付き人である真姫が同席していた。

 

「当代のマイヤ。夜舞薫と、申します……」

「河南紫じゃ。にしても、ふむ……。いやぁ、男とは信じられんのぅ」

 

 薫の姿を右目でまじまじと見つめ、観察する紫だったが見れば見るほどに薫の完成度の高さに驚嘆する。

 

「ふふ……。私も、紫様がおばあ様と同年代の方とは思えません」

「クヒヒっ! まぁの、センとは違って若々しく瑞々しいからのぉ」

「変若蓬莱の術の改良が不完全ゆえの姿だろうに。調子に乗りおって」

 

 変若蓬莱の術。夜舞家が作り出した若返りの秘術。

 そう、秘術。秘術なのだ。

 門外不出とされるそれを夜舞家の人間ではない紫が知っているのには理由がある。

 それは、センが紫に教えたから。

 

「あの、おばあ様は変若蓬莱の術を……」

「ああ、教えた」

「気軽になぁ、のう?」

 

 うむと首を縦に振ったセンはお茶を口にした。

 その気軽に、という部分が何故なのかを薫は知りたがっていたのだが。

 

「何故、お教えになったのです……?」

「こいつなら、別の方向から術に手を加えるかもと思ったのさ」

「ま、体よく利用されたとも言える。とはいえ、ワシもこの術には手を焼いた。完成したと思った時にはこれと同じ婆さんになってたからのぅ。それで、自分に術をかけたらこれじゃ」

 

 手を広げ、こんなになったとジェスチャーで伝える。 

 紫は若返り過ぎてしまった。そして、元の姿には戻れないままでいる。

 

「とはいえ永続的に術を発現させることには成功している。あと少しだぞ」

「まだ改良させる気かこいつぅ!? くぅ、薫! お前はこんな鬼婆になってはならんぞ!」

「紫様……。私は、おばあさんにはなりません」

「む、そうじゃった」 

 

 薫は男だったと自分に言い聞かせながら箸で塩焼きにされた鮎の身をほぐし、口に運んでいく紫の舌鼓が打たれる。

 こうして食欲のスイッチが入り、酢のもの、厚焼き玉子、三陸わかめの味噌汁、野菜の天ぷら、白飯と一気にかっ食らっていく。

 その様子を薫はつい眺めてしまっていた。

 この、紫のように言うなれば鬼婆とも評されるセンの前でこんな食べ方をする人物を薫は人生で見たことがなかったからだ。

 大抵の場合、この空間や膳、センの威厳にあてられて緊張する人ばかりなのだが。

 

「若返り過ぎて行儀も忘れたのか」

「行儀なんぞ気にするような間柄じゃないじゃろワシらは。それにな、美味い飯は勢い良く食うもんじゃ。あ、あと文無しゆえ、な」

 

 こんな飯は久しぶりだと次々と平らげていく紫の食べ方は乱暴なようでいて綺麗な食べ方で、鮎はすっかり骨だけとなっていた。

 

「しっかし、酒が欲しくなるのぉ」

「呑むのか? その身体で。てっきり呑めなくなってるかと思ってたが」

「失礼な。身体は子供じゃがクチは大人。熱燗を頼めるかの」

「まだ暑いのに熱燗か」

「クヒヒっ! この鮎の骨を入れて骨酒にするのじゃ」

「ほう……。真姫、頼む」

「かしこまりました」

 

 薫の傍に侍る真姫に頼み、台所まで向かわせる。

 そして、少しして……。

 

 

「それでワシが術でマイヤの火力を高めてのぉ! センの投擲も合わされば貫けんものはない!」

「私の槍だ。当然のことを」

「なんじゃその態度は! ワシあってこその技じゃろうに!」

 

 二人は、それなりに酔っていた。

 酒が入り饒舌となった二人は薫に自分達の武勇伝を聞かせ、今はどちらが強かったかを言い争っている。

 

「あんの百鬼夜行の時はワシの方が多く化神を滅したわ!」

「いや、私だ。第一、あの時お前は化神からいいのをもらって下がっていただろう」

「それを言うならバケグマの時はワシが死に体のお主を助けたじゃろ!」

 

 年甲斐もなく、二人は張り合っていた。それはもう不良がメンチを切りあうように、あわやキス手前とすら言えるほど顔を近付けて、老婆と少女が言い争う光景はなんとも珍妙ではあるが、二人はれっきとした同年代。少女の頃から互いを知る者同士。気が知れた仲ゆえに出来る言い争いは険悪な雰囲気などなく、どこか楽しそうであった。

 

「……ふふ」

「何を笑っている薫」

「いえ……。おばあ様が、そのようにお話をされるお姿が珍しく……」

「なんじゃセン。薫とはあまり話さんのか? ……いや、いい。大体想像がついた。まったくお前は血を分けた家族にすらつんけんしおって」

「……家族であると同時に師弟だ」

「師弟である前に家族じゃぞ。そうだ薫、こいつはな、自分の旦那にすらこんな態度で……あうっ!?」

 

 紫の額に赤い点。そこからは煙が立つほどでセンのデコピンの威力を思い知らされる。

 およそ、常人が食らっていいものでない。

 

「センお主! 照れ隠しぐらい穏便に出来んのか!」

「照れてねぇ」

「くぅ! 薫も苦労しただろうこんな鬼婆に育てられて」

「はい」

「そこは否定するところだろう薫」

 

 まあいいがとセンは杯を傾ける。

 そうしている間に紫は薫のもとへ向かい、隣に座り込んだ。

 ────その小さな手に、一升瓶を持って。

 

「薫は酒を呑まんのか」

「はい……。16ゆえ……」

「なにを言っとる。16など二十歳になる前に酒に慣れておくため呑まねばならん歳じゃぞ」

「そうだったのですか……!?」

「薫様、ご冗談ですから。お酒は二十歳になってからです」

 

 即座に、未成年飲酒をさせられそうになっていた主を助ける真姫。薫が飲酒するのを防ぐことは出来たが、紫の次の標的は真姫に移っていた。

 真姫の顔を覗き込み、唸る紫。

 そして、紫は気付いた。

 

「もしや……お絹の孫か!」

「なんだ、気付かなかったのか」

「いや、うむ。お絹とは雰囲気が違い過ぎてな」

「あぁ、それは分かる」

「やはり、祖母のこと……」

「もちろんじゃ。センとつるむのならその従者ともつるむということじゃからの」

 

 お絹とは、真姫の祖母にしてセンのかつての従者である。

 今は引退し、穏やかに暮らしている。

 

「しっかし、お絹とは本当に違うのぉ」

「そう、なのですか……?」

「うむ。お主ほど仕事が出来る感じはなかったからの」

「あの……もし、よろしければ祖母の昔のことをお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「あぁ、お絹は小柄でいつもあわあわしておったのぉ。……元気にしておるか?」

「はい。今は屋敷の庭園の手入れなどをしています」

「ほう! いや、元気そうなら何より。この歳になると旧知の奴が知らん間に死んどるなんてよくあることだからの」

 

 年齢を考えるとそうなのだろうと思わざるを得ない。

 しかし、やはり見た目のせいで頭が混乱してしまう。

 

「……薫様。そろそろお時間が」

「む? 何かあるのか?」

「弟子に指導を……」

「弟子! ほぉ、その歳で総本山付きだけでなく弟子もとったか! ワシの愛弟子と歳は変わらんというのに。おいセンよ、働かせ過ぎではないか?」 

 

 紫の問いかけに、センは杯を傾けることで答えた。

 まったくこれだからと呆れる紫を気にも留めずセンは酒を注いでは呑むことを繰り返していた。 

 また、薫は紫の言葉が気になっていた。歳の近い御伽装士のことはやはり気になるのだ。

 

「紫様の、お弟子さん……」

「うむ。今は仙台におる。……男と一緒にな、クヒヒっ。ま、もしも任務で仙台に行くことがあればよろしく伝えておいてくれ」

「かしこまりました……」

「時間を取って悪かったな。行くがよい。あ、それとお主自身の精進も忘れてはならんぞ!」

「はい……。それでは、失礼いたします。良い夜を、お過ごしくださいませ……」

 

 部屋を後にする薫と真姫に紫は手を振り別れの挨拶とした。

 

「さて、改めて呑むかの……。なにをしておる、セン」

 

 振り返り、宴を再開と思った矢先。センが、襖を開けて縁側に立っていた。

 そのセンの隣に立った紫はセンが眺めていたものに気付き、感嘆に声を漏らした。

 

「おお、良い月じゃ」

 

 青い夜空に浮かぶ銀の月は満ち満ちて。

 きっと、多くの人があの孤独に浮かぶ月を見上げることだろう。

 

「場所を変えるか」

「ふむ、月見酒じゃな」

 

 二人は庭池を臨む縁側に腰を下ろし、酌をする。

 さっきまでとは打って変わり、静かに酒と夜を味わう。

 夏の終わりを感じさせる涼やかな風と虫の声が、酒に味を加える。

 キリッとした辛口が、この夜に合う。

 つまみはない。

 月と風が酒のあて。

 二人が呑む時は、大体そうであった。

 

「ここは変わらんな。ちっとも変わっとらん」

「変わったことといえば、人ぐらいなものだ」

「人、か……。では問うぞ。何故、薫をあのようにした」

 

 貫くような視線で、糾弾するように紫は問いかけた。

 薫……本来、男ではあるが女として振る舞い、生きている。それが紫の目には異様に見えていた。 

 異様、とは言っても違う目線からである。 

 

「男マイヤが早死にする呪いとやらはお主から聞いて知っている。だが、そんな呪いを真に受けるような奴だったか、お前は」

 

 かつてを知るからこそ、そこがおかしいと紫は感じていた。

 夜舞センはそのような呪いを信じるものだろうか。

 ましてや、孫の人生を大きく変えるほどのことをしてまで。

 問われたセンは、静かに杯に口をつける。

 そうして、月を見上げ……語り始める。

 この十年間、誰にも打ち明けることのなかった思いを。

 

「……怖かったんだよ、私は」

「……」

「娘を喪い、遺された薫すらも失うことになるんじゃないかと……。呪いなど馬鹿馬鹿しいと、若ければ言えたんだろうが……。老いには勝てんな」

 

 ぐいと一気に酒を飲み干すセンを横目に、紫は杯に口をつける。

 なんと言葉を掛ければいいか、思案していた。

 杯に浮かぶ月を見つめ、重く閉ざされそうになっていた口を動かす。

 

「なんとも、まあ……お主らしいといえば、らしくある」

「さっきと言っていることが違うが」

「いいから聞け。お主は不器用な奴じゃからの。そして、遺されてきた者だ。旦那にも先立たれた寡婦が一人娘にすら先立たれるなど、そのように考えても仕方あるまい」

「仕方がない? 許されることじゃない」

「そう、許されることではない。ゆえに、これからは薫としっかり向き合え。夜舞の血が流れておるのはお主ら二人しかおらぬのだから」

 

 薫に厳しく修行を課した十年の分、薫と共に家族として暮らせ。

 それが紫の言葉。

 長く語ったので紫は渇いた口に酒を含ませ、センを見上げる。

 

「ま、薫は総本山付きでそれどころではなくなるだろうがな。お主も歳だ、いつ死ぬか分からんし。とにかく、少しでも多くの時間を薫と共にするんじゃな」

「……そんなことが、許されるのだろうか」

「阿保、さっきの薫の様子を見るに許す許さないとかそんなこと微塵も考えてはおらんだろう。鬼婆と言ったのにも楽しそうに肯定するなぞ、なによりの証拠じゃ」

 

 もしも、薫がお前のことを嫌っているのならあのような言葉は出ないだろう。

 そう付け加え、再び呑む。

 

「まさか、お前から家族について説かれるとは思わなかったよ」

「まあ、な……。ところでだ、センよ。変若蓬莱の術の改良、お主も出来たのではないか? 何故やらん。幻術に関しては確かにワシが一枚上手じゃが、お主だってかなりの実力、知識の持ち主だろうに」

「別に、お前ほどの理由がなかったのでな。それに……」

 

 センは振り返る。振り返った先はセンの自室であり、その目は写真立てを見つめていた。古い写真、色褪せた中に穏やかな笑みを浮かべる一人の青年と若かりしセンの姿があった。

 

「同じ時を刻みたい人がいたからな……」

 

 目を細めるセンの脳裏に浮かぶ人。

 同じように歳を取って、死んでいくものだと思っていた。

 しかし、貴方は先に行ってしまった。

 だから、貴方の分まで時を刻もうと誓った。

 もう少し、待っていてほしい。まだ、こちらでやるべきことがある。生きなければならない。

 そしていつか、貴方のもとへ────。

 

「……惚気おって。さて、そろそろ行くかの」

「どこへ行く」

「決まっておろう。化神のいるところじゃ。……なあ、センよ覚えているか。月夜の誓いを」

「……ああ、覚えているよ」

 

 月夜の誓い。

 それは、かつて二人が交わした誓い。

 

「我等、影に生きる者」

「我等、夜に生きる者」

「然れど、闇を払う者」

「この月夜に我等は誓う」

「御伽装士ゲツエイ。月の影より人を守る者」

「御伽装士マイヤ。夜に舞いて人を守る者」

 

 我等、人を守りし御伽装士也────。

 

 互いの腕を交差させ杯を交わし、呑む。

 杯は五分。対等な関係を示すもの。

 青い夜の中、銀の月が照らす二人の姿は────かつての、若かりし頃の姿に見えた。

 今はそれぞれ怨面を託し、一線は退いた身なれど、その心は、魂は変わらない。

 人を守るという使命に最後まで生きるという誓い。

 紫は御守衆こそ離れたが、化神から人を救うために流離う。

 センは後進の育成に務め、その技術を。なにより魂を継承していく。

 二人の戦いは、二人が生きていく限り続いていく────。




父に託された言葉。

強くなることの意味。

幼さゆえにまだ理解することは出来ないのか。

それとも────。

次回「弟子」

少年は男へ至る道を往く。


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弟子

 夜の小学校。

 用務員をしている50代のスキンヘッドの男性が戸締まりを確認している時のことだった。

 施錠を確認した理科室から何か物音がしたと思い、再び理科室に戻るといくつかの実験器具が床に落ちているのを見つけた。

 

「誰かいるのか?」

 

 次の瞬間、つけていた照明が急に消え慌てて懐中電灯をつける。

 すると、目の前に人体模型が現れ……その顔が、ニタリと笑った。

 そして、その背後には謎の黒い靄が。

 

「うわぁぁぁ!?!?」

 

 あまりのことに用務員は腰を抜かし、気絶。 

 翌朝、出勤した教員が倒れている用務員を見つけたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいまー!」

 

 元気な声が廊下に響く。

 それを聞いた女中達が優しく「おかえり」と返事をする。

 女中達それぞれに挨拶を返しながら、古い木製の廊下をキィキィ言わせて走る少年は鈴木勝人。

 夜舞家で面倒を見ている。生活はもちろん、御伽装士になるための修行も含めて。

 与えられた部屋にランドセルを放り込み、バタバタと走って向かうはセンの自室であった。

 

「大師匠! 稽古つけて!」

 

 がらりと障子を開け、快活に指導を求める勝人。であったが……。

 

「大師匠はやめろ。馬鹿のようだが」

 

 センは何か書き物の最中で、札に筆を走らせている真っ最中であった。

 

「でも師匠の師匠なんでしょ」 

「それはそうだが……。まあいい。稽古か……いいだろう」

「やった! なんの稽古? 組手? じっせんくんれん?」

「まず、私の前に座れ。正座でな」

「うん!」

 

 まずはこれから行う稽古の説明から入るのかと勝人は姿勢を正し、正座をしセンと向き合う。

 センは書き物を続けている。

 

「それで、どんな稽古をするの?」

「私がいいと言うまで、そこでじっとしておれ」

「えー!?」

 

 勝人はあからさまに嫌そうに振る舞った。

 じっとしている稽古なんて、そんなの稽古ではない。こんなことをしても強くなんてなれない。そう思っているからだ。

 しかし、既にこの稽古は開始している。

 そんなことをしてしまえば……。

 

「いいから、黙ってじっとしていろ」

 

 その言葉と同時に、勝人の目の前の畳に何も書かれていない札が突き刺さる。

 紙が畳に突き刺さるなど、一体どんな力が働いているのか。もし、これが自分に当たってしまったらと思うと恐怖で黙るしかなかった。

 

「よし。それを続けていろ。返事はしなくていい」

 

 そしてセンは書き物を再開する。

 つらつらと書き連ねていく。

 勝人などそこにはいないかのように、まったく見向きもせずに。

 

「ねえ大師匠~。これがなんの稽古になるんだよ……」

「お前はまず落ち着きを覚えることだ。いいから、続けろ。これが出来んようでは組手も実戦訓練も出来ん」

「そんなことないって! 出来るもん!」

「出来ん」 

 

 バッサリと勝人の言葉を切り捨てるセンはやはり筆を走らせていた。

 

「大師匠は何してるのさ」

「護符作りだ」

 

 センが書き、描いているものを覗き込むと勝人にはまだ形容し難い、謎の紋様のようなものだったので勝人の興味はすぐになくなった。

 そうして正座もやめ、胡座をかいてセンに抗議の視線を送り続けるがセンはどこ吹く風といった様子。

 

「……薫、お前の師匠は、お前と同じ年の頃でもこの修行を難なくこなしていたぞ」

「師匠もやったのこれ」

「ああ。落ち着き、つまりはどのような状況でも冷静でいられる心を養う修行だ」

「……心」

「心を鍛えなければ、いずれお前が扱う力に飲み込まれることになる」

 

 いずれ勝人が扱う力。それは、勝人の父が遺した猿羅である。

 浄化の儀を執り行い、怨面に宿った父の最期の言葉を聞いた勝人は御伽装士エンラとなるべく修行を積む……つもりでいるのだが、センにしろ薫にしろ勝人が思う修行らしい修行というものを勝人に与えることはなく、化神について、怨面について、御伽装士について知識を深める座学であったり、今のように心を鍛えると座禅をやらされてばかり。

 これでどうやって御伽装士になるというのだと不満が募り、限界に近付いていた。

 

「強くなれば心だって強くなるさ!」

 

 そう言って勝人は部屋を飛び出した。

 センは止めようとして……やめた。

 あれでは何を言っても無駄であると判断したからだ。

 

「まったく、あれは一度痛い目に合わないと駄目な奴だな……」

 

 本当はそんなこと、あってほしくないのだがと心の中で呟くセン。護符作りで凝り始めた肩を回し、一休みしようと台所へと向かうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 そろそろ師匠が帰ってくる頃だと、門の前で座って待つ。

 まだ昼間は暑いから、門の陰にいないと暑くて暑くて死んでしまいそうになる。

 そこら辺にあった木の枝を持って、意味もなく振り回したりして遊びながら待っていると下の方から咲希姉の声が聞こえてきた。

 相変わらず声がでかい。

 

「でね! この子がセンターで推しなんだけどさ、めっちゃ可愛くない!?」

「そうか? オレはこっちの髪長いのがいいと思う」

「樹羅ちゃんそういうのが好みか~。薫は?」

「……そう、ですね。咲希に敵う方は、おりません……」

「~~~っ! ちょっとやだもぅ!」

 

 バシンといい音が響く。

 

「いでっっっ!? オレを叩くなオレを! あぁくそ、サラシが……」

 

 師匠、咲希姉、樹羅姉がいつものように三人一緒に帰ってきた。

 また咲希姉と樹羅姉がケンカしてる。

 でも楽しそうなケンカだし仲は良さそうだから不思議だ。

 

「だって薫は叩けないし」

「オレは叩いていいのか、ええ?」

「……あら、勝人? 何をしているんですか、そんなところで」

「なに、出迎え?」

「ししょー! 稽古!」

「え? あぁ……そうですね。それでは、まず」

 

 師匠は稽古つけてくれるみたいだ!

 まず、まず何からするんだろう。

 

「やりましょうか、宿題」

 

 

 

 

 

 

 空き部屋を使って四人で宿題をしている。

 なんとか早く終わらせて稽古したいんだけど……。

 

「もっと字は丁寧に。誰が読んでも読める字を心がける。そう。ああ、書き順が違います」

 

 こんな調子で、まったく進まない。

 

「書き順なんてどうでもいいじゃん」

「よくありません。書き順通りに書くことで、綺麗に字が書けるのですから」

「あ~! 宿題なんていいじゃん! なんなら学校だって別に行かなくていいじゃん! 学校行ってる時間、修行すればいいのにさ!」

 

 ここ最近ずっと、ずっと思っていたことを言った。

 学校に行く必要なんてない。

 御伽装士は化神と戦ってればいいんだ。誰かに見られても記憶は消しちゃうから、御伽装士のことなんて御守衆の人以外は知らない。だから、わざわざ普通の人達と同じようなことをする必要はないと思う。

 

「勝人」

 

 師匠は普段からピンとした背筋を更にピンとさせて、オレの目を見つめてくる。

 師匠の赤い目に見つめられると、迫力じゃないけど吸い込まれてしまいそうと思ってしまう。

 あと、こういう時は大体まじめな話をする時だ。

 

「いいですか勝人。確かに私達は勝人の言うように世間の人々とは違う世界に生きています。ですが、そんな私達が守るのはその世間の人々なのです。化神のことなど知らない、平和に生きる人々です。そんな方々が生きる世界に紛れて活動するのが御伽装士。ゆえに私達は知らなければならないのです。世間、社会というものを」

 

 ……師匠の話は、よく分からなかった。

 師匠の話す、大切なことは難しいことばっかり。いつか、分かるようになるのかな。

 

「まだ勝人には難しいですね。……ああ、それともうひとつ。私達が守るべきものを知ることは大事なことです。だからまずは、学校にしっかり行ってくださいね」

「……まもるべきものを知るのに学校に行けって、先生が教えてくれるってこと?」

「ふふ、そうですね。先生も、クラスのお友達も、皆さんが勝人に教えてくださいますよ」

 

 楽しそうに笑う師匠。オレには何もかもがさっぱりだ。

 置いてきぼりにされてる気分だ。

 このあとも結局、宿題のあとはご飯食べて風呂に入れられて化神についての座学をちょろっとやって一日が終わってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 就寝前の僅かな時間が心の拠り所なのです。

 大体は漫画を読んだり、咲希とLINEをするなど。ですが、今晩は珍しくおばあ様が部屋へやって来て。

 

「薫、碁でも打たんか」

 

 久しぶりに、おばあ様から囲碁のお誘いが。

 小学生の頃、おばあ様から手ほどきを受けて相手をさせられたものです。

 御伽装士の修行だけでなく、囲碁まで修行させられているようで、当時の私はあまり気が進まなかったのですが今なら分かります。

 あれは、おばあ様なりに私と遊んでくれていたのだと。

 

 おばあ様の部屋で、年季の入った碁盤にこれまた年季の入った碁石を置いていく。

 私が黒で、おばあ様が白。これは、当然のことではございますが。しかし、私とて成長しているのです。

 

「すっかり、ネット碁に打ち込んでおられるかと思っておりました」

「たまには、実物でやりたくなるものだ」

「それは、確かに」

 

 パチ、パチと耳触りの良い盤に石を打つ音。

 対局中、黙っている時間は少なくありませんから、より響いて聞こえます。

 

「……続けてはいんだな」

「はい。時折、文化部の先生と、対局を」

「上手いのか」

「いえ。私が、ご指導を」

「独学か」

「ええ。他に、碁を打たれる方が周りにはいなかったもので」

 

 皆さん将棋ばかりやられて、囲碁はめっきりといった様子でございました。

 高齢化の進むこの町なら、それなりに碁を打てる方がいると思っていたのですが……。

 

「……楓の時も、思ったものだが。勝手に成長していくものだな。子というものは」

「……ふふ。ええ、知られぬよう、隠れて成長いたしました……」

「……調子に乗って」

「ですが、勝手に成長していくためにこそ、親、師というものは不可欠かと」

 

 一人でに成長出来るようになるためにこそ、最初こそが肝心なのだと、そう思わずにはいられないのです。

 

「……ふん。……ところでだが勝人のこと、どういうつもりでいるんだ」

「どういうつもり、とは」

「別に、口を出すわけじゃないが。あまり修行らしい修行をつけていないと思ってな。昼間も不満そうでいた」

 

 ……おばあ様のところにも、行っていましたか。

 

「痛い目見ないと分からんクチではあると思う。だが、あのぐらいの歳の子であれば、それらしく身体を動かしてやるだけで静かになると思うが」

「……そうなのでしょう。……ですが、まだ早いとも思うのです」

 

 早い、そう思うのは一重に……。

 

「親心、でしょうか……」

子供(ワラス)が何を言ってる」

 

 ええ、そう。

 親なんて、私にはまだ程遠い存在。ですが、勝人を見ていると……その将来を案じられずにはいられない。

 

「させたくないのか、御伽装士に」

「……いえ。勝人自身も、御伽装士を目指しておりますから……。ただ……まだ、普通の生活を送ってもいいのではないかと……」

「普通の生活、ねぇ……」

 

 年頃の子供らしい生活を送らせてあげたい。

 そう思うのは、間違っているのでしょうか。

 勝人は御伽装士になるから、普通の生活なんて要らないという。

 夏休み明けから通い始めた学校でも、友達はいないようで、まっすぐ家に帰ってきては友達と遊びに行くということもない。

 御伽装士に、年頃らしい体験を殺されている気がしてしまって、どうにも私は……。

 

「そう思うのは、お前が普通の生活というのを送れなかったからか」

「……いえ、そういうわけでは」

「なら、お前が言いたいのはこうだ」

 

 力強い一手が、盤上を打つ。

 静寂を強調させる音が鳴る。やたら、響いて、吸い込まれるように消えていく気がした。

 

「戦いは自分達がやるから、幼いあれには戦いとは無縁で平穏な暮らしを与えたい。そういうことだろう」

「……ええ。きっと、そうなのでしょう」

「勝人に同情しているのか」

 

 同情、なのでしょうか。

 いえ、きっとそうなのでしょう。

 幼くして親を亡くし、天涯孤独となった勝人。おばあ様や、家というものがあった私以上に辛い境遇でしょう。

 勝人を任されてから共に暮らすうちに、私は勝人のことを守りたいと思うように……。

 

「薫、化神との戦いに終わりがないことは知っているだろう」

「はい……」

「人間がいる限り、穢れより化神は生まれる。これは古より変わらない。そして人は老いる。戦いたくとも、戦えなくなる」

「おばあ様に言われても説得力がございません」

 

 おばあ様の視線が逸らされる。

 若返ることが出来るおばあ様に言われてもまるで説得力がない。

 戦いたくとも戦えなくなると言われても、私がマイヤとなるまではおばあ様がずっと戦っていたわけでして。

 

「……いいから黙って聞け。とにかく、我らが化神と戦っていくためには次の世代を育てなければならない。勝人も、いずれ生まれるだろうお前の子も」

「私の子……」

「ああ、まだ若いから実感もないだろうし、同じことでまた悩むだろう。それでも……」

 

 私の打った手に即座に打ち返すおばあ様。

 我流の碁だ。

 ただ、この碁だって私に受け継がれている。

 舞夜の怨面も、人を守るという使命も。

 そしてそれを勝人にも受け継がせるということは────。

 

「けして、未来を奪うということではない……」

 

 自分の石を置いて、終わり。

 盤上は白と黒がせめぎあっている。

 あとはそれぞれダメを打ち、整地に入る。

 ダメとはそのまま駄目のこと。もとは無駄目と呼ばれていたのが駄目となり、その語源となったとか。

 

「まあ、あのワラスはまだまだこれからの人間だ。何が起こってもおかしくはないが……。御伽装士になるというのなら、そういう風に扱ってやれ」

「はい」

 

 整地をしながら、言葉を交わす。お互いの地を計算し、勝敗をハッキリとさせる。

 

「独学にしてはよく腕を上げた。まあ、まだまだ負けんがな」

「ふふ……おばあ様」

「なんだ」

「この対局、私の勝ちでございます」

「なに!?」

 

 50対49。

 おばあ様、途中で計算を誤ったようで。

 何度数えても、結果は変わりません。ふふ、おばあ様に初勝利でございます。

 

「待て、薫。もう一局打つぞ」

「いえ、もう就寝の時間ですので」

「勝ち逃げする気か!」

「ふふ、今夜の寝心地は大変良さそうです。それでは、おやすみなさいませ」

「明日またやるぞ! 覚えておけ!」

 

 そんなおばあ様の悔しそうな声を聴きながら襖を閉める。そして、襖に背を向けて……。

 

「……ありがとな、おばあ様」

 

 それだけ呟いて自室に戻る。

 勝人のことがあったから、碁に誘ってくれたのか。はたまた偶然か。それは分からないけれど、やはり師というものはありがたい。

 悩みを吹き飛ばすことが出来た。

 明日からは、ちょっとばかし身体を動かしてやるか。

 あれこれ稽古について考えた後、布団に入る。

 はじめておばあ様に囲碁で勝った興奮で、なかなか寝つけなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学校はつまんない。

 勉強は大変だし、クラスのやつらはガキっぽいし。 

 こんなやつらが、なにを教えてくれるっていうんだよ……。

 

「ねえねえカツトくん」

 

 となりの席の女だ。

 なにかと話しかけてくる。話しても面白くもなんともないからムシだムシ。

 

「ねぇ、ねぇってば。……うえぇぇぇん!」

 

 なんか、泣き出した。

 は?

 なんでだよ。

 

「どうしたのあおいちゃん」

「だいじょうぶ?」

 

 ほかの女たちもやって来た。

 うっとうしい。

 

「ぐすっ……カツトくんが、無視するの……」

 

 は?

 無視なんて、無視なんて……。

 ……しらない!

 

「あおいちゃんにあやまってよ!」

「あ! にげた!」

「先生に言ってくるね!」

 

 ……は!?

 

「チクんなよ女子!」

 

 女子のこういうとこ、ほんっっっとキライだ!!!

 すぐ先生に言いつける。

 ほんとキライだ!

 

 

 

 

 

 

 帰り道。

 はやく帰って今日こそは稽古をつけてもらおう。そう思ってたのに。

 

「ね~カツトくん~」

「……んだよ」

「あ、無視しないでくれた~」

 

 仕方ないだろ、無視したら怒られるんだから。

 ……そもそも。

 

「なんでついてくんだよ……」

「ねーねーしってるー?」

「話聞けよ……」

「よーむいんさんがね、一昨日の夜ね、学校で黒いもやを見て、びっくりしてぎっくり腰になったんだって」

 

 まったくこっちの話を聞いてない……。ん?

 黒いもや?

 それってもしかして、化神!?

 

「ねえ、いっしょに黒いもや探そう?」

「えっ、探す……?」

「わたしね、オカルトが好きなの。カツトくんはワクワクしない? ネッシーとかポルターガイストとか」

 

 ぽ、ぽる……?

 なんだろう、こいつの目を見ちゃいけない気がする。

 笑ってて、楽しそうなのに、なんか黒くて、吸い込まれてしまいそう。

 ブラックホールだ、こいつの目。

 ただ……オレはもうこいつの目を見てしまった。

 逃げられない。

 この瞬間、そう確信した。

 この日だけ、とかじゃない。何年とこいつに振り回され続けてしまいそうな、そんな予感を。

 

 そうして、気がついたら暗い校舎の中にいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅いですね、勝人……」

 

 山に沈む夕暮れを眺めながら、山門の前で勝人の帰りを待つ。

 いつもなら、とっくに帰ってきているはずの時間なのですが……。

 

「友達と遊びに行ってんだろ。ガキらしくていいじゃねぇか」

「樹羅ちゃん……。それは、そうなのですが……」

 

 せっかく、少しは格闘を教えようと思っていたのですが……。

 ただ、年頃の子らしいことをするのも大切です。

 

「オレと稽古しようぜ。なにする? 山駆けするか?」

「ふふ、そうですね。格闘の気分でしたので、とにかく組手と参りましょうか」

「げっ……。マジかよ……」

「実戦形式で、私から一本取れるように頑張ってくださいね樹羅ちゃん」

「……今日こそやってやらぁ!」

 

 樹羅ちゃんと二人、山の稽古場へと向かう。

 それでもまだ、少しだけ勝人のことが気がかりではありますが……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 すっかり暗くなるのを待って、行動開始。

 先生達も帰ったから、今は本当にオレとあおいの二人しかいない。

 あおいが隠して持ってきていた懐中電灯の光をたよりに夜の学校を歩く。

 

「ふんいき、違うね」

「う、うん……」

 

 昼間、フツーにここで過ごしているというのに夜になったらいやに不気味な感じがする。

 本当に、なにか出てきそうだ。

 ウソみたいに静かで、同じ学校とは思えない。

 

「な、なあ。なんでオレを誘ったんだ?」

 

 静かなのがイヤだから、話しかける。

 あと、フツーに謎だった。

 となりの席だけど、あんま話したことないし。友だちは多いはずなのに、なんでわざわざオレ一人だけ誘ったんだろう。

 

「ヨマイさんのお家で暮らしてるんでしょ?」

「そうだけど……」

「ヨマイさんにはね、不思議な力があるって言われてるの。知ってる?」

 

 不思議な力、ばりばりあるの知ってる。

 けど、それはヒミツにしなくちゃいけないことだから正直に答えちゃいけない。

 

「知らない。ふつうの人たちだよ。ししょ……カオルさんも、おばあさんも」

「ふーん、そうなんだ。隠してるんだよ、きっと」

 

 めちゃくちゃ疑ってる……。

 

「ヨマイさんのご先祖様は、昔この辺りで暴れてた妖怪を封印したって昔話があるの。だから、きっとなにかあるはずだよ」

「そんなのないよ。昔話だって、ほんとのことなわけないよ。妖怪だっているはずないし」

 

 隠さなきゃいけない。

 だから、こんな言い方になる。

 ほんとは、実際にあったことみたいだけど御伽装士のことは隠さなきゃいけないって師匠も、父ちゃんも言ってたから。

 

「……カツトくんも、そういうこと言うんだ」

「え……」

 

 懐中電灯の光で、ぼんやりと照らされたあおいの目から涙が流れていた。

 昼間のとはちがう。本当に、悲しんでるのが分かった。

 えっと、とにかく謝らないと……。

 

『いひひ、ガキの涙ってのはいい養分だぜ』

 

 いきなり、オレでもあおいでもない奴の声がして懐中電灯を声が聞こえた方に向ける。

 光が、黒いもやを照らした。

 これは……化神だ!

 化神の最初の姿って、師匠から習った。

 それが、どんどん人の形になっていって、人にはないものが生えたりして、そいつは化神らしい姿になった。

 身体中、茶色の毛が生えていて、大きなリスのみたいなしっぽもある。

 口にも長い前歯みたいなのがあるから、多分バケリスってことなんだろう。

 両手は爪切りみたいになってて、ガシンガシンと音をたてて動かしている。

 あれにつかまれたら、やばい。

 

「妖怪!?」

「ばか! にげるぞ!」

 

 さっきまで泣いていたのに、目を輝かせてバケリスに近づこうとするなんて、やばい奴だよこいつは!

 とにかく逃げて、師匠に知らせないと……!

 

『お! 鬼ごっこか! いいぞいいぞ。俺はガキで遊ぶのが大好きなんだ。結界も張ったから水入らずだぜぇ』

 

 校舎に奴の笑い声が響く。

 くそぉ!!!

 

 

 

 

 

 

 組手は、今日も樹羅ちゃんは一本も取れずじまい。

 漫画風に言わせていただくと、まだまだだね、です。

 シャワーで汗を流し、部屋着物に着替えます。今日は浅葱色に白い蝶の模様のものを。夏らしい色味と素材のおかげで涼やかで軽やかとお気に入りのもの。とはいえ、そろそろ衣替え。あと、少しだけ裾が足りなくなってきたような、窮屈になってきたような心地も……。

 

「薫様」

 

 脱衣場の扉の向こう側から真姫の声が。声色から察するに、仕事でしょうか。

 はいと返事をし、脱衣場から出る。

 

「なにか?」

「先ほど、勝人のクラスメイトの園田葵の保護者の方から家に連絡があり……」

 

 まさか、勝人が何か良からぬことを!?

 葵という名からすると女子児童でしょうか、女子を泣かせるなど男子としてやってはいけないことです。 

 とにかく勝人にはみっちり説教をし、先方には謝罪を……。

 

「あの、薫様? 聞こえてますか?」

「ええ。それで、勝人が何をやらかしたのです?」

「あ、いえ。勝人が何かしたというわけではなく……」

 

 あら、そうでしたか。

 早とちりとは、私もまだまだ……。ですが、これが他所のお宅から子供のことで電話がかかってきた時の親の気持ちでしょうか。

 

「娘がそちらにお邪魔していないかという問い合わせでした。他の者に確認しましたが、そういったことはないので来ていないと返答して、電話は終わりました」

「それで? 続きがあるのでしょう?」

「はい。警察にいる家の者から連絡がその後あり、園田葵の行方について問い合わせがあったと。まだそうと決まったわけじゃないと届けは出さなかったようですが……」

 

 ……なるほど。

 化神被害についての報告は、最近この町ではありませんが可能性としては考えられると。

 

「……園田という姓は確か、新田の方にありましたね」

「ええ。その園田です。……薫様、駄洒落を言ったわけではないので笑わないでください。……あっ、いま新田の方にいる親族から連絡が。消防団の方を中心に園田葵の捜索が始まっているようです」

 

 捜索も始まるとなると……やはり気がかりですね。

 

「あと、薫様」

「まだ何か?」

「勝人もまだ、家に帰ってきていないようです」

 

 ……それはまた、嫌な予感がしますね。

 子供らしい理由で帰ってきてないならまだいいですが、いやそれも良くないですが。化神となれば話は別です。

 それに、家族の行方を探すのは家族として当然のことでしょう。

 

「真姫、五十鈴に第三警戒態勢。樹羅ちゃんと私も出ます」

「はっ!」

 

 一瞬で真姫はその場から消える。仕事の早い真姫のことは信頼しています。

 私も早く出ましょう。

 ひとまず、咲希のところに行ってたりしないか連絡して……。

 まったく、どこにいるのやら……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえなんで逃げたの! 写真撮り損ねたじゃない!」

「うっさい! 写真なんか撮るなバカ! そんなことしてる場合じゃないだろ!」

 

 あおいの手を取り、バケリスから逃げてひとまず自分たちの教室に逃げ込んだ。

 一階だから、ここの窓から逃げようと思ったんだけど、奴が言ってた結界ってやつのせいでカギが開かなくてどうしようか考えてたらこれだ。

 化神を前にしてこんなこと言う奴がいるなんて、どうかしてる。

 

『いひひひひ……』

 

 奴の笑い声だ!

 近い、どうしよう……。

 

「ちょっ……」

「静かにしてろ!」

 

 掃除用具入れの中に、あおいを押し込んで自分も中に入る。

 ……せまいし、ホコリくさい。

 けど、今はここに隠れるしかない。

 色々と文句を言っているあおいの口を手でふさいで、自分も黙る。

 

『どこかな、どこかな~?』

 

 近い、近い、近い。

 足音、すごく近い。

 今、この扉の向こう側にやつはいる。

 どうしよう、怖い。怖い、怖い。

 もしも、ここに隠れてることがバレたら……。

 体が、震えている。

 自分の体なのに、言うことを聞かない。

 震えているから、ダメなんだ。

 

「落ち着き、つまりはどのような状況でも冷静でいられる心を養う修行だ」

 

 昨日、大師匠が言っていたことを思い出した。

 ちゃんと、あの修行を受けていれば……!

 

『ここじゃないのかぁ?』

 

 ……!

 足音が遠くなっていく。

 出ていったのか……?

 途端に身体から力が抜ける。

 

「た、たすか……」

 

『そこかぁ!!!』

 

 掃除用具入れがこじ開けられる。

 あの爪切りみたいな手でねじ切られて。

 

「きゃあぁぁぁ! ッ…………」

 

 あおいは気を失ってしまった。

 どうしようどうしよう!

 オレは、御伽装士になるんだから……守らなきゃいけないんだ。

 だけど、オレにはなんにも……。

 

『片方は気絶しやがったか……。ならまずはお前だ。お前の悲鳴でそのガキ起こすんだよぉ!!!』

 

「うわぁ!」

 

 バケリスが殴り付けてくるのを宙返りで避ける。避けて、しまったと思った。あおいがまだそこにいるのに!

 

『活きがいいなぁ! よいぞよいぞ!』

 

 よかった、あくまでも狙いはオレだけだ。いや、全然よくないな!

 けど、まずはあおいから遠ざけないと。

 教室から飛び出て暗い廊下を走る。毎日通ってるから暗くてもどこを走ってるかは分かる。

 それでなんとかにげ師匠か樹羅姉に来てもらわないと、バケリスを倒してもらわないと……!

 

『ほ~ら逃げろ逃げろ! ガキらしく元気になぁ!』

 

 その手をカチカチと鳴らしながら、楽しそうにスキップしながらバケリスは追いかけてくる。

 くそ、ヨユーぶりやがって……!

 

『は~楽しいなぁ、楽しいなぁ。……飽きた、殺そ』

「え……」

 

 バケリスが一瞬で距離を詰めてくる。

 目の前に立ち塞がったバケリスが拳を振り上げる。

 駄目だ、避けられない────。

 その拳が振り下ろされる瞬間、赤い光が駆け抜けた。

 

『なんっ!?!?』

 

 吹き飛ばされるバケリス。

 赤い光は飛んできた方へ、真っ暗闇の向こう側へと帰っていく。

 すると、その暗闇の中からコツン、コツンと音が響く。

 音が大きくなるのと合わせて、闇の中から浮かび上がってくる二つの赤い光。

 その二つの光が目だと気付くのに時間はかからない。

 あれは、師匠の目だ。

 

 

 

 

『何者だ!?』

 

「────御伽装士マイヤ、夜舞薫」

 

 闇より現れ、槍を携えた薫は名乗る。

 

「師匠!」

『御伽装士だとぉ!? 何故ここが分かった! どうやって入った! 結界が張られてるんだぞ!』

「その結界ですよ。あの程度の結界、気付くことも破壊することも造作ありません」

『なに!?』

「勝人、下がっていなさい。そして、よく見ておくのです。今日の稽古は化神退治の見学とします」

「う、うん!」

 

 勝人を下がらせた薫は槍を回し、穂先をバケリスへと向ける。両者、戦闘態勢。

 睨み合い、間合を測り、相手の出方を伺う。

 

『きいぃぃぃえぇっ!』

「はっ!」

 

 先に動いたのはバケリス。

 突き出した右手を槍が払いのけ、がら空きとなった胴を一突き。

 火花を上げながら吹き飛ぶバケリスを見つめながら、薫はこれ好機と舞夜の怨面を取り出す。

 

「オン・ビシャテン・テン・モウカ。舞え、マイヤ─────変身」

 

 紫光に包まれ、光の蝶が溢れだす。

 薫の身体を戦闘装束たるマイヤが覆い、変身。

 

『ぐう……御伽装士ぃぃ……!』

「ええ、あなたを滅する夜の蝶でございます」

 

 バケリスに対し一礼するマイヤは槍を霊水晶へと戻すと勝人を一瞥し、稽古内容を告げる。

 

「格闘の基礎を教えますので、頭に叩き込むように」

「は、はい!」

 

 この時ばかりは勝人も敬語となった。

 普段の穏やかな口調と同じでありながら、薫から威厳を感じ取ったため、自然とそうなっていた。

 

「まず、頭のてっぺんから真っ直ぐ線が自分に走っていると思ってください。その線に力をこめるように。自然と、姿勢が正されます」

 

 そう説明するマイヤの立ち姿が、勝人の目にはとても力強いものに思われた。ただ立っているだけなのに、美しく、屈強。

 

「身体は無駄な力を入れない。力まず、自然体であること」

『ごちゃごちゃと何言ってやがる!』

 

 バケリスがマイヤへと迫る。だが、マイヤに慌てた様子はなく、バケリスの打撃を回避し、捌き、捌き、捌き、反撃。

 

「ハッ!」

『ふごっ!?』

 

 マイヤの掌底がバケリスの顎を打つ。

 鋭い一撃はバケリスの意識を一瞬奪うほど。

 

「勝人、敵からは決して目を離してはいけません。敵を見つめれば、今のように攻撃を回避、防御して反撃の隙を見出だすことが出来ます。……あなたも私の稽古を受けますか? まともに戦えるようになるかもしれませんよバケリス?」

『見くびりやがってぇ!』

 

 バケリスは左フックを繰り出す。それを右の手刀で受け止めたマイヤは右手をバケリスの左腕に蛇のように這わせ脇に抱えると、隙だらけのバケリスの身体に拳を連続で打ちつける。更に、掴んだバケリスの左腕を支えに飛び上がり、顔面をボレーキック。

 バケリスから離れ、着地したマイヤは余裕綽々といった様子をわざとらしく見せつけ言い放つ。

 

「まあ、今夜倒されるあなたには関係のないことですが」

『てめぇ!!!』

「このように、化神は人語を理解しますので言葉もまた武器として利用出来ます。ただし、それはあちらも同じこと。化神の言葉に耳を貸す必要はありません。化神の言葉に惑わされることはないように」

 

 マイヤはバケリスの乱暴な前蹴りを避けながら勝人への指導を続ける。

 

「どうしました? 攻撃が雑ですよ」

「うるせぇ! ……なにっ!?」 

 

 回し蹴りを繰り出したバケリスだったが、マイヤの行動に驚きを隠せなかった。

 空振りをした右足。マイヤの頭部を蹴り飛ばそうとしていたが、そこにマイヤの姿はない。

 マイヤは、バケリスの眼下。驚異的な柔軟性が可能とする、開脚による回避。

 股までぴったりと床につくほど。これに面を食らったバケリスはキック後の体勢を思わず崩してしまった。これ好機と即座に立ち上がり、その勢いを活かし蝎蹴りでバケリスの顔面を穿つ。

 

「柔軟は毎日欠かさないように。身体が柔らかければ、怪我もしにくくなります」

「すげぇ……」

 

 勝人はこの時から、毎日嫌々やっていた柔軟をしっかりやろうと決意したのであった。

 

『このやろう!!!』

 

 戦いは続く。

 マイヤが優勢のまま。

 

『ぬわぁっ!?』

 

 職員用玄関からバケリスを外へと追い出し、校庭へと蹴り飛ばすマイヤ。

 悠々と歩むマイヤにバケリスは無謀にも挑む。

 戦力差を把握し、撤退という判断が出来れば良かったのだが、バケリスはそこまで頭が良くなかった。

 

「体幹を鍛えればっ!」

『ぬっ!? ごっ!?』

「このようなことも、出来ます」

 

 回し蹴りでバケリスの頬を打ち、更に蹴り抜けた足を戻すように今度は踵がバケリスを襲う。

 更に、足を引いたマイヤはバケリスの鳩尾を蹴り貫く。

 蹴り三連撃。この間は軸足のみで立っていた。

 しっかりと体幹を鍛えている証明である。

 

「ですので、格闘などの訓練を行う前に身体をしっかりと作ることが大切です。いいですか?」

「はい! ……師匠ッ!?」

 

 勝人に言い渡していたところ、背後からバケリスが不意打ちで襲いかかってきた。

 

「勝人!」

 

 勝人を遠ざけようと突き飛ばすマイヤ。

 勝人をその凶刃から守るために。

 それゆえに、マイヤはバケリスの手に……。

 

『勝ったぁ! ひゃはは! 不意打ちには弱いんじゃダメだ……ぜ?』

 

 右手で挟み切ったと思ったマイヤは蝶の群れとなって姿を消した。

 

「へ……。師匠……?」

『あ? なんだ、どこ行った?』

 

 マイヤは消えた。

 蝶となって霧散した。

 どこかへ、姿を眩ませたのか。バケリスは周囲を警戒する。だが、マイヤはどこにもいない。どこからも現れない。

 

『ひゃ、ひゃひゃひゃ! あのやろうは死んだんだ! それか逃げたんだ! 俺の方が強い! ひゃははははは!!!』

 

 バケリスは勝利を確信し、歓喜し、笑う。

 ────それが、命取りとは知らずに。

 

『さあガキ! 俺はガキが好きなんだよぉ! 食わせ……』

 

 風を切る音。

 夜闇を切り裂く紫光が一条、蝶の群れと共にバケリスを貫く流星となる────。

 

『ガッ!?!?!?』

 

 バケリスの首裏を直撃したマイヤのキック。断末魔を上げる間もなくバケリスを討ち取った。

 

「退魔覆滅技法 千蝶一蹴……。戦いは、勝ったと思った瞬間が一番危険でございます……」

 

 変身を解除し、薫は今日最後の教えを告げると勝人が駆け寄ってきた。

 

「師匠!」

「勝人、大丈夫ですか」

「うん! オレもあおいも大丈夫!」

「あおい……。園田葵ちゃんですか?」

「そうだけど、師匠なんで知ってるの?」

「葵ちゃんのことを探して、皆さん心配しています」

 

 そう言って薫はしばらく黙って、考え込んで、そして……勝人に拳骨をするのであった。

 

「いってぇぇぇ!?!?!? なにすんだよ!」

「何も言わず遊びにこんな時間まで出かけて! どれだけ心配かけたと思ってんだこの馬鹿ワラス!」

「う……ごめんなさい……」

 

 素直に謝り反省している勝人を見て、薫は怒るのを止めて勝人を抱き締めた。

 

「遊びに行く時は、一旦家に帰って行く先を伝えてからですよ」

「う、うん……」

「門限は5時です。7時からは稽古の時間ですからね」

「うん……!」

「……それから、葵ちゃんを守っていたのでしょう? よく頑張りましたね。ですが、まだ危ないことはしてはいけませんよ。いいですね?」

「うん……!」

「よし、それでは葵ちゃんをご両親のもとに送り届けて……。帰りましょう、私達の家へ」

 

 勝人の手を取り、薫は行く。

 この二人は、師弟は、まだまだ歩き始めたばかりである……。




子を愛する親の愛情とは純粋なもの。

純粋ゆえに、狂気を孕んでしまうもの。

次回「依存」

穢れより化神生まれし時、この世の影から御伽装士がやって来る。


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依存

 寂れた雰囲気の住宅地にある小さな理髪店は、70代の老夫婦が営んでいた。

 地元の人が通いつめ、髪を切りに来たというわけではない常連の高齢者が雑談に興じることが日常。

 50年近く、この町を見つめてきた誰からも愛されるありふれた店である。

 昼間は笑いが絶えない明るい場所だが、他人には見えない影がひとつ────。

 

 店舗の二階は居住スペースとなっている。

 そこにはひとつだけ、開かずの扉がある。その扉の向こうには、50近い老夫婦の娘が20年以上もの間、引きこもり続けていた。

 

「幸恵、ご飯置いとくからね」

 

 母親が夕飯を部屋の前に置くと、少ししてから部屋の扉が少しだけ開かれ、食事が部屋の中へ。

 カーテンを閉めきった、薄暗い部屋。

 髪を切ることもなく、乱雑に伸ばされた黒い髪には白いものが混ざっていた。

 食事を口に運ぶその顔は、年齢にしては幼い顔つき。若く見えるのではなく、幼い。人と接してこなかった者の顔だ。

 ずっと、ずっと閉じこもっていたのだから当然だろう。

 両親とすらずっと会話をしていない。

 声の発し方すら、忘れかけてしまいそうなほどに、会話などずっとしていない。

 そんな彼女に、話しかける者がいた。

 

『ねえ、あなた』

「……だ、だれ……」

『あなたって、生きている意味あるの?』

 

 生きている意味。

 そんなもの、自分にはないと、幸恵は思っていた。

 だからといって、死を望んだこともなかった。

 漠然と、今を続けていただけ。

 

『あなたみたいなのが娘じゃ、お父さんもお母さんも可哀想。私が娘になった方がきっと幸せよ』

「……じゃあ、なれ、ば……」

『ええ、なるわ。じゃあね、親不孝者さん』

 

 黒い靄が、幸恵を包む。

 その苦しみに幸恵は叫んだ。

 

「幸恵! 幸恵!? どうしたの!? 扉を開けて!」

 

 扉を叩く音。母の張り裂けそうな声。

 父もやって来て、母と共に扉を叩く。

 そんな悲痛に包まれながら、それは生まれた。

 黒い靄が晴れ、倒れた幸恵を見下ろす一人の若い女。その顔は、幸恵に似ている。

 女は部屋の扉を開けて、両親の前に姿を現した。

 

「ゆ、幸恵……」

 

 若かりし頃の幸恵の姿。

 その女に目を奪われて、父と母は倒れた本物の娘に目がいかない。

 そんな二人に向かって、女は妖しく微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「何年ぶりだろうねぇ、幸恵の髪を切るなんて」

『そうね、お父さん。可愛く切ってね』

「はは、もちろんだよ」

 

 父は娘の髪を切っていた。母はその光景を嬉しそうに眺めている。

 久しぶりの親子の交流に、父も母も楽しそうにしている。

 

「せっかくだし、みんなでご飯を食べましょう」

「ああ、いいね。そうだ、明日は久しぶりに外に食べ行こうか」

『……まだ外は怖いわ』

「あ、ああそうかい……。じゃあ出前でも取るか。寿司でも」

『私、食べたいものがあるの』

「なにが食べたいの?」

 

 女は、鏡を真っ直ぐ見つめて言った。

 食べたいもの。

 人間。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「長さ、どうします?」

「いつもと同じで」

「えー。まったく張り合いないなぁ」

 

 白髪が綺麗な頭のおじいさん。

 ここの常連客で、店主である父とは軽口を言い合う仲である。

 

「髪型を変えて遊ぶような歳でもないし、いつもと同じがやっぱり良いのよ髪ってやつは」

「まあ確かにねぇ。こっちも楽でいいってやつですよ」

「ところでなんか良いことでもあったの」

「え?」

「いや、なんだかウキウキしているようだからさ」

「いやぁ分かります?」

 

 雑談を続けながら鋏が髪を鋤いていく。小気味良い鋏の音と共に床に落ちていく白髪。50年は続けてきた仕事ゆえ、その腕は確かなものだった。

 髪は切り終え、頭を洗う。

 力強い頭皮マッサージも兼ねたそれもまた好評であった。

 そうしてシャンプーを流し終え、髪と顔をタオルで拭かれた老人はいつものように上体を起こそうとした。

 

「あ、ちょっと待ってね」

「え? なんかまだあったっけ?」

「いいからいいから。その姿勢のままでいて」

 

 少し疑問を感じながらもそのまま洗面器を覗き込む老人。

 次の瞬間、老人の首に鋏が突き立てられた。

 

「がぁ!? な、なにを……」

 

 出血する首筋を押さえ逃げようとする老人だが、その身体を老夫婦二人がかりで押さえ付けられ逃げることは敵わない。

 さらに、洗面器の栓を閉じてシャワーから水を出すと溜まった水に顔面を押し付ける。

 そうして、客の老人は暴れるのをやめた。やめたというより、止まったのだ。その生命活動が。

 血に染まった水を栓を開けて流し、首をタオルで押さえると夫婦は老人を背負って二階まで上がっていった。

 

「はあ……はあ……これで、いいのかい?」

『うん、ありがとうお父さん、お母さん』

 

 幸恵の部屋の扉が一人で開く。廊下に置かれた老人の遺体が見えない力により引き摺られ部屋の中へと迎え入れられる。

 また、一人で扉が閉まると中からは、肉と骨が砕く音が響いていた。

 それを、二人は笑顔で聞いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 並んで座るスーツ姿の男達。女は二人だけで、ほとんどが男だ。

 そしてこの場にいる奴等は全員、刑事だ。

 

「一週間前に行方不明となった嶋俊夫さんから現在までに5人、行方不明者が出ており、行方不明者達は全員この幸町近辺で暮らしています。60代から70代と高齢者が多いですが、認知症を診断された方はおらず、徘徊の可能性は低いと考えられます」

 

 報告を終えた刑事が座ると、今度は女の……可愛げのない方のやつが立ち上がり、報告を行う。

 

「誘拐を視野に捜査していましたが、今のところ全ての行方不明者の親族に犯人からの連絡等はなく、身代金目当ての誘拐の可能性も低そうです」

 

 報告を終えて席につく女刑事から目線を前へ。

 前に座る厳しい顔をした初老の男。つまるところ上司達。

 どいつも似たような顔だ。出世するとああなってしまうのだろうか。いやだねぇ。

 

「一日一人のペースで行方不明者が出ている。一刻も早くホシをあげる!」

 

 刑事達の気合の入った返事。

 一斉に立ち上がり、捜査へ赴く刑事達の流れに乗って俺も部屋を出る。くたびれたシャツの袖を捲り直し、気合を入れ直す……風のことをする。

 30も半ばとなると気合が入らなくなってくるものだ、何事にも。

 

「後藤さん」

 

 俺に声をかけるのは組んでいるこいつぐらいなものだ。

 羽場泰司。

 まだ20代半ばと若く、髪はくるくるぱーでチャラい奴だ。俺とは正反対のタイプ。

 もし、こいつとの共通点を無理矢理上げるとすれば独身という点だろう。

 俺なんかお袋から見合い話をしょっちゅう持ち掛けられて……と、話が逸れる。

 

「聞き込みっすよね」

「それ以外あるか」

「タバコとか」

 

 ……確かに、出る前に一服していきたかったところだが。 

 それをすると羽場の予想があっていることになってしまう。なんとなく、それが癪で真っ直ぐ聞き込みへと向かう。

 刑事の仕事は、とにかく足を使うものだ。

 

 

 

 

 

 助手席から見る外の景色はよく見知ったものでつまらないものだ。

 

「幸町って、後藤さんの家近いっすよね」

 

 車を運転する時の羽場は口を閉じるということを知らない。

 いつものことなので慣れたものだが。

 

「ああ、地元だよ」

「ガイシャのこと、知ってたりします?」

 

 ガイシャって、お前まだ死んだとは決まってないだろうに。

 まあ、もう死んでるとは思うが。

 

「同じ町に住んでるからってお前は町人全員知ってるのか?」

「知らないんすね」

 

 羽場のコミュニケーションは人の神経を逆撫でる。

 慣れたものだから、別にいいが。

 ……そのせいで、こいつと組まされっぱなしなのではないだろうか。

 

「あ、そういえば知ってますか後藤さん。最新の都市伝説なんすけど」

「興味ない」

 

 そう言っても話すのが羽場なのだが。

 

「最近、変な行方不明事件多いじゃないですか。んで、その事件が起こった現場にですね……。出るらしいんすよ」

「なんだ……。よくある話じゃねぇか」

「出るって幽霊だと思ってるっすよね? 違うんすよ」

「あ?」

「着物を着た赤い目の女の子なんすよ」

 

 着物を着た赤い目の女の子ぉ?

 なんだよそれは。結局のところ……。

 

「幽霊じゃねぇか」

「だから違うんすよ。着物着てる赤い目の女の子ってのが、あちこちで目撃されてんすよ。東京でも群馬でも……遠くて今のところは京都っすね」

「それがなんだってんだ」

「まあまあ話はこっからっすよ。そんで、この女の子が現れると……途端に事件解決になるらしいっす」

「……なんで」

 

 知らないっすと、肝心なところは聞けなかった。

 この話で一番重要なのはそこじゃないのかと。

 

「もしかしたら会えるかもしんないっすね。この女の子に」 

 

 鼻で笑ってやる。

 そんなのが出て事件解決になるなら、俺達警察はいらない。

 

 

 

 

 

 

 第一の行方不明者は行方不明になる前、床屋に行くと言って家を出たらしい。

 少し離れた場所に車を停め、少々様子見。普通に営業はしているな。

 

「理容ミサワ……。老夫婦が営むどこにでもある床屋。二階は住居っすね。二人で暮らして……」

「いや、三人だ。娘がいる」

「えっ? そんな話は……」

 

 メモをめくり、情報の抜けを探すが無駄であろう。

 娘がいることは伏せられていた。

 あの家に閉じこもり、数十年。最早、忘れ去られているのかもしれないが、俺だけは覚えていた。

 

「三澤幸恵、50近いはずだな」

「なんでそんなこと知ってるんすか?」

「あの床屋はガキの頃から通ってるところだからな」

 

 ……ああ、だからかもしれない。

 こんなにも、捜査に身が入らないのは。

 

「まさか後藤さん。床屋が犯人とか言わないっすよね? 確かに、最初の行方不明者である嶋俊夫はあの床屋に行くって言って外出して、行方不明になったわけですけど。老夫婦に連続誘拐なんて無理っすよ。その、娘がいたとしてもっすよ?」

「……他の行方不明者達も、あの店で見かけたことがある」

「え、さっき知らないって」

「知らないとは言ってない」

 

 あの床屋には雑談目的でやって来る爺さんも多い。

 その中に行方不明となった人もいた……気がする。いちいち覚えてはいられないから、少しあれだが。

 

「ともかく、行くぞ」

「はいっす」

 

 客が出たところを見計らって車から降り、床屋へと向かう。

 ……毎月通ってるとこに、こんな形で顔出したくはないんだがなぁ。

 引き戸のドアを開けて中に入ると店内には親父さんだけだった。

 

「よっ」

「お、おお。薫ちゃん、いらっしゃい」

 

 隣の羽場が笑いを堪えたのを横目に睨み、視線を親父さんへと戻す。

 後藤薫。それが俺のフルネームだ。女装しても似合いそうな、今時のイケメンってやつなら違和感のない名前だったかもしれないが、両親譲りの恵まれた骨格と柔道で鍛えられたことによって、薫って名前には似つかわしくない風貌となった。

 名前のおかげで苦労してきたのは想像に難くないだろう。

 隣のこいつが笑ってるみたいに。薫ちゃんって呼ばれるのは本当にやめてほしいのだが、親父さんはずっと昔から薫ちゃんと呼ぶのだ。

 

「そっちの若いお兄さんは切り甲斐がありそうだ」

「あ、俺は美容院でやってもらってるんで、大丈夫っす」

「最近の若い子は、みんな美容院だなぁ」

「……親父さん、今日は散髪じゃなくて、こっちでちょっとな」

 

 警察手帳を見せる。すると親父さんはすぐに何のことか理解したようだ。

 

「行方不明のやつでしょ、参るよね。お客さんが減っちまって……」

「ああ……」

「この前来た刑事さんにも話したけど、それ以上のことは何もねぇ……」

「悪いね、刑事の仕事ってのは同じ話を何回も聞かなくちゃいけなくてね」

「……立派な刑事になったんだねぇ」

 

 優しく微笑む親父さんの笑顔は昔から変わらない。笑い皺の多い、人相の良い誰からも愛される町の床屋。

 どこにでもある、普通の床屋。

 俺は、親父さん達を信じていたい────。

 

 

 

 

 

 

 

 町が暗くなってきた。

 この辺りは街灯が少ないために陽が落ちると特に暗い。

 床屋も店仕舞いし、シャッターが降ろされた。

 

「マジで張り込むんすか? 絶対犯人じゃないっすよ。おじいさんだって最近足腰が駄目になってきたって言ってましたし、お母さんの方だって細い方でしたよ。無理っすよ」

 

 隣であんパンを齧りながら、羽場はこの張り込むが無意味だから止めろと提言してくる。

 

「あのな……。別に床屋が犯人と決めつけてるわけじゃない。だがな、あの床屋が関係している可能性はある。犯人じゃなくともな。見ろ、この辺りなら誘拐ぐらい起きそうだろ」

 

 影が多いこの場所は、何処から途もなく誘拐犯が現れて人攫いを可能としそうだ。

 ……本当に、そう思っているのか?  

 いや、誘拐の可能性でなくとも殺害後に死体を別の場所に運んでいることだってあり得る。

 誘拐なら犯人からの連絡があって然るべきだ。殺人を視野に入れるべきだ。

 

「いや……」

 

 せめて、自分ぐらいには正直になろう。

 この事件は、普通のヤマじゃない。もう十年以上刑事をやって、いろんな事件を見てきたが、今回のものは何かおかしい。まるで、人間によるものではないかのような……不気味なおぞましさがある。

 それに、親父さん達が関わっているのではないだろうか。

 いや、こんな勘は外れてくれ。そうであって欲しいと願う。

 だが、状況証拠というものがある。

 頼むから、偶然の一致であってくれ……。

 

「そういえば、あそこの娘さんってのには会ったことあるんすか?」

 

 羽場の言葉が、思考の海から俺を引き揚げる。ちょうど良かった、悪いことばかり連想する嫌な空気を変えてくれる。

 

「……ガキの時にな。歳は俺の10こ上ぐらいで、当時は変わった姉さんだなって思ってたが、今にして思えば何か……障害でもあったんだろうな」

 

 同年代の友人はいなさそうだった。

 何もない時は常にぼうっとしていた。ただ、そのぼうっとしているだけでも絵になるほどの、美しい人だった。

 長い黒髪が、澄んだ小川のように風に流れる姿をよく覚えている。

 

『私も混ぜてよ』

 

 遊んでいると、よくそう言って俺達と混ざってきた。

 年下の面倒を見て遊ぶというより、俺達と同い年のようにはしゃいで遊んで……。

 

「初恋だったっすか?」

「……ああ」

「え、マジすか。後藤さん大丈夫すか、そんな素直に答えるなんてらしくないっす」

「美人で綺麗な歳上だぞ。ガキならそうなるってもんだろ」

 

 ただ、まあ……ある時から、その姿を全く見せなくなった。

 俺が中学の時だったか。

 その頃には遊ぶなんてことは無くなったけれど、話したりとかはしていた。幸恵はどこかの会社に就職したらしく、目にする頻度も大分減っていたが……。

 

「親父さん、姉ちゃんは?」

「……幸恵は、引っ越したんだよ。一人暮らしを始めてね」

 

 そう語る親父さんは、いつもの親父さんではないようだった。

 嘘をついていると、なんとなく分かった。

 ある日、部活で遅くに帰っていた俺は幸恵と出会った。だが、それまでの幸恵とはまったく違っていた。髪は手入れをまったくしていないのか、無造作に荒れていて、髪の隙間から覗く瞳には、昔みたいな光がなかった。

 そして……。

 

「いや……見ないで……!」

 

 そう言って、店に急いで入っていったのが最後に見た彼女の姿であった。

 引っ越してなどいなかった。幸恵は、あの家の自分の部屋に閉じこもっているのだと分かった。

 それから何十年と経っても、幸恵の姿を見ることはなく現在に至る。

 就職した先で、何かあったのだろうか。元々、人付き合いも出来ていないような人が社会に出たところでどうにかなるわけではない。

 きっと、打ちのめされてしまったのだろう。

 

「……仮に、床屋が犯人だったとしてっすよ。娘も協力していたとして三人で犯行に及んだ理由はなんなんすかね?」

「さあな。その犯人の思惑が分からないから、捜査も行き詰まってるんじゃねえか」

 

 犯人の目的、動機。見当がつけば、捜査もしやすくなるのだが……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『今日はご飯、無いの』

 

 扉の向こうから、苛立つ女の声がする。

 扉の外に立つ老夫婦は申し訳なさそうにして、扉の向こうの娘に弁明した。

 

「今日は薫ちゃん……刑事が来て、出来そうになかったんだよ」

「ごめんねぇ」

『ならその刑事を殺ればいいじゃない』

「それは……」

『出来ないなら、また閉じこもっちゃうわ私』

「そんな……!」

『嫌なら、刑事でも何でも人間を寄越しなさいな。でも、老人はちょっと飽きてきちゃった。髪の美しい綺麗な若い女とか食べたいわね』

 

 女のリクエストに老夫婦は困惑する。

 若い女というのは、この店の客層にはおらず調達が難しいためだ。

 ならば、外で殺すか?

 いや、老夫婦の体力でそれは難しい。

 なんであれ、娘は人間を寄越さなければ再び閉じこもってしまうという。

 何とかしなければという焦りが、老夫婦に募る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、昨日は新たな行方不明者というのは出てこなかった。

 いいことではある、が。

 

「捜査の方も進展なし、っすね」

 

 この手の事件というのは因果なものだが事件が起きないと何も得ることが出来ない。警察としてはとにかく後手に回らざるを得ないのだ。

 いや、元々警察とはそういうものなのだが……。

 

「はあ……。赤い目の女の子、来てくれないっすかね」

「なに馬鹿なこと言ってやがる。とにかく、今日も張り込み続けるぞ」

 

 あの床屋の客は大体入って一時間もすれば出てくる。雑談目的の客ならそれ以上となるが、とにかく入った客と出ていく客を確認していく。

 そうこうしている内に、また今日が終わろうとしている。

 

「最近すっかり陽が落ちるのが早くなったっすね。この時間帯からだともう客は入ってこないっすよ」

 

 そう、暗くなるとあの床屋に来るものはいなくなると思っていい。

 しかしまだ時間的には5時過ぎだ。店仕舞いにはまだ早い……。

 

「……おい」

 

 その光景に、目を疑った。

 スマホで時間を見ていた羽場に声をかけ、あれが幻視でないかを確認する。

 

「なんすか……って、マジっすか……!?」

 

 床屋の前に立つ、着物の少女。

 紫の布地に、金色の蝶が描かれた着物を纏う少女。目が赤いかは分からないが……明らかにあの店の客には似つかわしくない。

 

「ど、どうするっすか?」

「動くな、待機だ」

 

 これは勘だが、これから何かが起こる。

 ともすれば、この事件が終わる────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんください」

 

 鈴の音のような声が店内に響いた。戸を開けて入ってきた人物を前に店主である老夫婦は「いらっしゃいませ」という言葉を忘れ、思わず見入った。

 今時珍しい和装を着なれているのか、所作に違和感はなく、またその着物も安物ではなく高級品だと確信するほどの品があった。

 よく手入れされているであろう髪はほんのりと赤みがかっているが自然のもの。

 なによりその、紅玉のような瞳に目を奪われてしまう。

 まるで、姫とでも形容すればいいだろうか。老夫婦はこんな客が来るとはと、固まってしまった。

 

「髪を、切っていただけますか」

「あ、ああ……いらっしゃいませ。どうぞ」

 

 ようやく言葉を取り戻した店主が案内する。

 席につかせ、改めてその髪を見た店主は幸恵の若き頃を思い出し、重ねていた。

 

「あの、本当にいいのウチなんかで? 通われてる美容院さんなんかあるでしょう?」

 

 奥さんが言葉をかける。自虐的とも取れるそれだが、正しく客を思ってのことであった。店主も同じく「うちは辞めといたら?」と客に向けて話した。

 しかし、そんな老夫婦に悪魔が囁く。

 

『余計なこと言わないで! 私、この女が食べたいわ!』

  

 娘の我が儘であった。

 恐らく、この客が今日最後の客であろう。娘の食事として提供しなければ、娘は再び閉じこもってしまう。

 それを考えると、老夫婦にはもう、やるしかなかった。

 

「いえ……。ほんの少々、整えていただきたいだけですので……」

 

 お願いします。そう客に言われればやるしかないと、店主はネックシャッターとクロスを客の首に巻かせ、どこを整えるか確認する。

 前髪と毛先を全体的にというオーダー。

 触れると汚してしまうのではないかと思いながら、その髪に触れて鋏を通そうとする。

 

「……申し訳ございません」

「あ、何か?」

「いえ、鋏に少々こだわりがありまして……。手入れが行き届いた鋏が良いのです。それを調べるために、こちらの紙を切っていただけませんか?」

 

 客が懐から取り出したのであろう、和紙の紙片のようなものが一枚。

 これを切るぐらいならと、店主は紙片に鋏を入れる。

 

「あれ、上手く切れないな……っと」

 

 一回では、何故か切れずに少々力をこめて紙片を断ち切った店主を見て、客はこう言った。

 

「その鋏、少々手入れしていただいてもよろしいですか?」

「え、ええまあ……」

 

 言われた通りに鋏の手入れを始める店主に娘の声が響く。

 

『なにやってるの。そんなことはいいから早くあいつを殺して!』

「それは……」

『早く! 昨日食べてないからお腹空いてるの! このままじゃ死んじゃうわ!』

 

 娘が死ぬと言い出して、動揺しない親はいない。

 意を決して、店主は鋏を持ち替えて客の首筋に突き立てようとした。

 その瞬間。

 

「────二階か」

 

 先程切った紙片の一枚が、客の目の前で浮いていた。勢いよくクロスが脱ぎ捨てられ、客は紙片が飛んでいくのを追って店内から住居スペースの方へ。

 階段を駆け上がりながらネックレスを首元から取り出すとそれは蝶を模した仮面、舞夜の怨面となって御伽装士は変身する。

 

「オン・ビシャテン・テン・モウカ 変身」

 

 御伽装士マイヤを追って老夫婦が階段を上がるが時既に遅し。

 マイヤは幸恵の部屋の前に到達していた。扉の前にはもう一枚の紙片が浮いており、二枚に分かたれていた紙片はどういう原理か一枚に戻った。マイヤが使用したのは、簡易的な式神。切られることで効果を発揮、敵を探索、追尾する。

 店主が鋏を手入れしている間に、紙片が建物中を探索し、この家に隠れ住まう闇を発見したのだ。

 そうしてマイヤは扉を蹴破り、幸恵を模した化神と相対する。

 

『ッ!? 御伽装士だったか!』

 

 幸恵の姿から、真白い蛾を思わせる怪人態へと変貌する化神。両肩にはボビンのような器官があり、白い糸が巻かれていた。

 マイヤを撃退しようと襲いかかる化神だったが、勝負は既に決していた。

 

『ガッ!?』

 

 老夫婦も、それを目撃していた。

 異形が、朱色の槍で貫かれる瞬間を。

 

「人間に自身の世話をさせ、成長していく……人間に依存する化神バケカイコ、覆滅」

『あ、ああぁぁぁぁ──────』

 

 崩れ落ちていくバケカイコの肉体。その傍らに、幸恵の死体が倒れていた。

 部屋はもともと物やゴミが散乱しており汚いものであったが、バケカイコが食した無数の人間の肉片や骨が散らばり、地獄となっていた。

 

「ゆ、幸恵ぇ!!!」

「あぁぁぁ!!!」

 

 老夫婦が泣き崩れるのを、マイヤは何も言わずに眺めていた。

 しかし、そこへ第三者の声が響く。

 

「警察だッ!!!」

「ッ……」

 

 マイヤは部屋の窓から飛び降りて、撤退。

 そこへ、後藤達がやって来てこの惨状を目にするのであった。

 

「ご、後藤さんこれ!?」

「ッ……! 幸恵……」

 

 死亡し、一週間そのまま放置されていた幸恵の死体を目にした後藤は言葉を失った。

 再会というには、あまりにも最悪なものであった。

 なにより……。

 

「幸恵……幸恵……!」

「いやぁ……!」

 

 老夫婦が幸恵、幸恵と言って寄り添い泣くのは白い砂の山のようなものなのだから。

 

「何言ってんだ……あんたらの娘はこっちだろうがッ!」

「後藤さん落ち着いて!」

 

 激昂する後藤を羽交い締めにして抑える羽場。ほどなくして、床屋の周辺にはパトカーが集まり、捜査が開始され老夫婦は逮捕されたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上が下した判断に、俺は噛みついた。

 三澤夫妻は精神鑑定の結果、心神喪失状態にあり刑事責任を問える状態にないとされ不起訴処分。

 そんなはずはない。あんな、普通に会話して、普通に店をやってた人らが心神喪失?

 それに、あまりにも早い捜査の打ち切りと不起訴処分の決定。おかしい、こんなこと今までなかった。

 俺と羽場が証言した、突入前に店に入った着物姿の少女の姿もなく、現場からも少女がいたらしい証拠がなかったという。

 ……遺体達の中にも、だ。

 あり得ないことが、分からないことが多すぎる。

 ふざけるな。

 ふざけるな、馬鹿野郎。

 なんで、こんなことになっちまったんだ。なんで……。

 

「ともかく、上がそう判断したのだ。そうするしかあるまい」

「三澤夫妻は既に身柄を留置所から施設へ移された。もうこの事件は終わったのだ」

「しかし!」

「後藤! 警察官なら、もっと聞き分けよくありたまえ」

 

 こうして、事件は終わらされた。

 

 

 

 

 

 

 

「絶対おかしいっすよ! なんなんすかねマジで!」

 

 羽場も、同じように怒っていた。

 たまには気が合うものだ。 

 署にいるのも嫌な空気だったんで、街に出てきたもんだが、普通に人は生活している。

 新聞やニュースでは地方で起こった凄惨な連続殺人事件として報道され、今やこの街の注目度はうなぎ登りだってのに。

 床屋のあたりなんかは、早速心霊スポットだなんだのって気味悪がられて人通りが更になくなっちまった。

 そのうち、あの店も取り壊されてしまうらしい。

 ま、町の負の遺産なんて無くなった方がいいに決まっている。

 

「あ、青っすよ」

 

 交差点を渡り、人波をかきわけて進んでいく。

 こうして俺もまた、普通の生活を送る人々の一人として戻っていくのだろう……。

 

「ッ!?」

 

 交差点の真ん中で立ち止まり、振り返った。

 今、確かにいたはずだ。

 俺の近くを通り過ぎていったんだ、あの着物の少女が。

 

「どうしたんすか?」

「……いや、なんでもない」

 

 ……事件のことを考え過ぎて、夢でも見たのかもしれない。

 人々の中に、あの少女の姿はなかった。

 あんな格好でいたら、一瞬で見つかるだろうが……。

 

「……なんでもない」

「そっすか」

「お前が話した通りだったな」

「え? 何がっすか?」 

「赤い目をした着物の少女が現れると、事件は解決する」

「あー。でも、解決って言えるんすかねこれ?」

「そう、だな……。解決ってより終わらせに来た、だな」

 

 こっちが必死こいて事件解決のため働くことも、あの老夫婦が犯人じゃないということを信じたかった俺の気持ちも、俺の、初恋も……。

 きっと奴は無情にも終わらせたのだ。

 

「……見合いでもするかねぇ」

「え、マジすか! 面白そうっす! ついてっていいすか?」

「ふざけんな」

「結婚したらちゃんと言ってくださいよ? 俺、人妻が好みなんすよ……」

「最悪だなお前……!」

 

 日常に回帰していく。

 あの少女のことを探るのも、きっと無意味なのだろう。彼女はきっと、闇の中にいる。普通人が立ち入ってはいけないような闇の中だ。

 だから、俺は日常に戻る。

 今回の事件は俺の刑事人生において生涯忘れられないものとなるだろうが、いずれそう重要な事項ではなくなっていくのだろう。

 時間という遠近法の彼方に置き去りとなって……。




その庭園は、愛する者のために。

その花は、想いを色彩にして咲く。

次回「華麗」

花は咲く、愛を伝えるために。


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華麗 壱

「私も薫のためになること何かしたい~!」

 

 穏やかな心地の昼下がり。夜舞邸は静かに、厳かな空気に包まれるのが常であるが、突然苔むす石も吸わないような大声が響き渡る。

 声の主は、咲希であった。

 縁側に寝転び、駄々っ子のようにゴロゴロと身を捩っていた。

 

「うるさいぞ加藤」

 

 目の前の部屋で電卓を叩く真姫が注意する。

 屋敷には薫は任務のためおらず、樹羅は鍛練のため山に籠っている。勝人も友達と遊びに行っているため咲希の相手をするのが真姫だけであった。

 といっても、その真姫も仕事中なのだが。

 

「真姫さ~ん! お手伝いすることない~!?」

「ない」

 

 真姫は薫の任務にかかった経費の精算を行っていた。

 総本山付として遠方へ赴くことになり、これまではなかった旅費と宿泊費が増えたことにより計算するものが増えたが手間としては大したものではない。

 ゆえに、ない。咲希が手伝えるものはないのだ。

 

「騒々しいぞ、静かにしろ咲希」

 

 先程の大声を聞き付けてセンがやってきて注意するも今の咲希にはあまり効果がない。

 

「おばあちゃん私にも何か仕事とか手伝えることとかない~?」

「ない」

 

 センもまた、真姫のようにすっぱりと咲希の言葉を切り捨てた。

 

「第一なんだ、急にそんなことを言い出して。薫の帰りを待ってればええだろうに」

「それもそうなんだけど……。待ってる間に出来ることがあればしたいっていうか……。けーひの精算ぐらい私にだって出来るし!」

「出来るだろうが、お前にやらせるのは駄目だ」

「なんで!」

「夜舞家現当主の婚約者に、雑用をやらせるほど人手不足ではない」

 

 夜舞家現当主の婚約者。それが咲希の立場であった。

 日本の法律上、籍を入れるのは高校卒業後となる予定でいる二人。

 当主の妻になる者に働かせるのは流石に……と夜舞家で働く人々は咲希を丁重に扱っていた。

 

「厨房にも立たせてくれないし、掃除もさせてくれないし。これじゃお飾りのお人形だよ……」

「何もしなくてもいいんだぞ。普通は喜びそうなものだがな」

「最初はそんな風に考えてたんだけど……」

 

 樹羅は薫と共に戦うことが出来るし稽古の相手も務められる。真姫は薫を常日頃からサポートしている。

 じゃあ自分に出来ることは?

 戦うのはまず無理なので他の方法。真姫みたいに忍術を……ともいかず。

 なら日常生活のサポートを、と思っても家事は女中達が行っている。バイクの整備も技師さん達がいるし、薫自身でやるし……。

 そうなった時、自分には本当に何もないと痛感したのだ。

 

「帰りを待つというスタンスは変わらずに、薫のためになることがしたいの!」

「……薫は何も望んではいないと思うがな」

「お前が普通にしていればそれでいいんだ」

「もうそういうのはいいのー! なんでもいいから何かしたいの!」

 

 本当に駄々っ子のようだとセンと真姫は頭を悩ませる。

 とんだじゃじゃ馬姫が嫁になると気苦労を感じたが、ふとセンがあることを思い出し、真姫に言った。

 

「そういえば、お絹が腰を痛めたと言っていたな?」

「は、はい。大事はないですが……。まさか、咲希を?」

「……まあ、体力が有り余っているならいいだろう」

 

 二人だけで話していたところに、咲希が食いついた。

 

「なになになになに! 何かお手伝い出来ることあるの!?」

「ああ、そうだな。真姫、それが終わったら連れていってやれ」

「はっ」

「お前みたいな若いのにちょうどいい仕事があった。心してやれ」

 

 そう語るセンの笑みは咲希には若干邪悪に移った。

 そして、真姫の仕事が終わり……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真姫さんに連れられてやって来たのは、屋敷の裏山にある一区画……らしいのだけど。

 

「綺麗……」

 

 思わず、そんな言葉が漏れる。

 色とりどりの華々が咲き誇っている庭園。

 山の中に、こんな場所があったなんて。

 

「夜舞庭園。薫様のお祖父様が造られた庭園だ」

「薫の、おじいちゃん?」

「ああ。私も詳しいことは聞いたことがないが……。あ、おばあさま!」

 

 おばあさま?

 初めて見かける小柄なおばあちゃんのもとへ駆け寄る真姫さんを追いかける。

 畑で働くおばあちゃんといえば、みたいな最近見慣れてきた格好に麦わら帽子。ちょっと、帽子が大きく見えるのはそのおばあちゃんが小顔だからだと気付いた。

 いっぱい笑ってきたんだろうなと思わされる、穏やかなかわいいおばあちゃんだ。

 

「加藤、紹介しよう。私の祖母だ」

「え! 真姫さんの!?」

 

 うそ、こんなかわいらしいおばあちゃんが鬼のように厳しい真姫さんの……?

 

「何か失礼なこと考えているだろう」

「そ、そんなことないよ~……」

「加藤~!」

 

 ひい、怒られる!

 頭を抱えるとおばあちゃんが助け舟を出してくれた。

 

「真姫ちゃん、そうカッカしちゃダメだよ」

「は、はい……」

 

 優しい声だった。

 絶対優しい人だよこのおばあちゃん、もう大好き。

 

「そちらが薫ちゃんの?」

「はい、今のところは」

 

 今のところはって言った?

 まあいいや。

 

「あ、えっと加藤咲希です! よろしくお願いします」

「いい子だねぇ。私は五十鈴絹。昔は真姫ちゃんみたいに、センちゃんの付き人してたんだよ」

 

 へぇ……って、センちゃん!?

 薫のおばあちゃんをちゃん付けするなんて!

 多分この人すごい人だ。

 私もおばあちゃんって呼んでるけど。

 

「それで、私は何をすればいいの?」

「ああ、この庭園の手入れの手伝いだ」

「え、出来るかな……」

「さっきまでの威勢はどうした」

 

 だって花のお世話とか小学校の頃のアサガオぐらいしかないし……。

 

「大丈夫、ちゃんと一から教えるから」

「それなら出来るかな……」

「出来る出来る」 

 

 笑顔で頷く絹おばあちゃんに背中を押され、私は庭園の管理のお手伝いを始めることになった。

 

 

 

 

 庭園の管理は私の想像以上の仕事量だった。

 もちろん、平日は学校があるから放課後のお仕事になっちゃうんだけど。

 水やりはもちろん、掃除や花とか木に病気がないかのチェック。池の点検。温室もあるからそこもしっかりと温度のこと見たりとか。

 それからそれから害虫駆除とか。

 害虫だけはちょっと、まだ慣れない。

 

「ちょっと休憩しようか」

 

 今日は日曜日で、薫も任務でどっか行っちゃったから一日庭園のお仕事にあたっていた。

 作業開始から2時間ぐらい、絹おばあちゃんに言われて休憩することに。

 ここにいると季節が変わっていくのがよく分かる。

 夏の花から、秋桜を中心とした秋の花が咲き始めてきた。

 蝶達や他の虫達の数も減ってきた気がする。夕方ぐらいから鈴虫の鳴き声がするようになってきたのも秋って感じ。

 気温もすっかり落ち着いてきて、心地いい日が続いていた。

 

「薫ちゃんはまた任務?」

「うん……。今度は新潟だって」

「おやまぁ。また遠いねぇ」

 

 そう、遠い。

 遠くなってしまったんだ、私と薫の距離は。

 

「寂しいよねぇ」

「……えへへ。でも、大事なお仕事だもん。人間の命を守るなんて、そう出来ることじゃないですから」

「うん……。でもねぇ、咲希ちゃんは薫ちゃんのお嫁さんなんだから。夫婦はやっぱり一緒にいるものだからね」

 

 夫婦って、まだ早いよ……。 

 けどまあいずれはそうなるわけだし?

 でもでも、まだやっぱり慣れないっていうか恥ずかしいっていうか……。

 

「そうだ、咲希ちゃんに教えてあげよう。薫ちゃんと離れてても、一緒にいられる方法」

「え?」

 

 絹おばあちゃんはよっこらしょと立ち上がると杖をついて温室の方へ。

 私もついていくと、鉢と土と種を絹おばあちゃんは準備し始めた。

 

「薫と一緒にいられる方法って?」

「ふふ、おまじないだけどね。昔、センちゃんと惣司さんがやってたんだよ」

「ソウジさん?」

「センちゃんの旦那さん。薫ちゃんのおじいちゃんだね」

 

 そういえばここも薫のおじいさんが、おばあちゃんのために造ったって言ってたっけ。

 ていうか、おばあちゃんおまじないなんてやってたの!?

 意外……。いや、めっっっちゃラブラブじゃんそれ!

 

「薫のおじいちゃんの話聞かせて聞かせて!」

「うん~。あ、センちゃんには内緒ね。照れて怒っちゃうから」

 

 悪戯っぽく笑う絹おばあちゃんのなんて微笑ましいこと。

 なんていうか、普通に友達と恋ばなするみたいな感じ。

 やっぱり女はいつまで経ってもこういうのが好きなんだねぇ。

 

「私達が若い頃はお見合い結婚が多くてね、センちゃんもお見合いの話がいっぱい来てたの」

「あー、若い時のおばあちゃん本当に美人だもんね」

「んだ。でも理由は他にもあってね、夜舞家の跡取りを早く生むことが大事だって、センちゃんのお母様、百子様が急かしてたんだよ」

 

 跡取りを早く……。 

 どうしよ、私もその、そういうことになる……んだよね?

 やっばぁ……今からなんか緊張してきた。

 

「咲希ちゃん、大丈夫?」

「え、あ、うん! 大丈夫!」

「うん、それで……そう。跡取りを早くというのもあったし、夜舞家の婿になれば一生遊んで暮らせるなんて考える奴等もいたもんですごく多かったの。実際、センちゃんの父親っていうのがこんな奴でセンちゃんが小さい時に家を追い出されたんだよ」

 

 そんな過去が……。

 いやでも確かに、夜舞家はお金持ちだからそういうのが寄ってきちゃうんだろうなぁ。

 

「だからなのかねぇ……。センちゃん、男嫌いでね。あまりに見合い希望者が多すぎるからって、決闘で婿を決めるって言い出したの」

「け、決闘!?」

「んだ。決闘で私に勝ったら婿としようって槍を振り回して宣言してね。これでお見合い希望者は減ったんだけど、腕に自信がある装士は決闘を挑んでね……。センちゃんはみんな返り討ちにしたんだよ」

 

 つよっ!?

 いや、おばあちゃんなら確かにみんな返り討ちにしただろうという説得力がある……。

 

「そんなこんなで30まで独身でね……。私達の時代だともう行き遅れって言われてねぇ……。そんな時だったよ、惣司さんがこの町に来たのは」

「この町の人じゃなかったんだ」

「うん。それでいて、御守衆とも関係ない一般人」

 

 それって……。

 私と、同じ境遇……。

 

「咲希ちゃんと同じだねぇ。だから、センちゃんは別に反対とかしなかったでしょ? 自分の時のこと思い出してたのかもねぇ。楓ちゃんにも、結婚しろって催促もしなかったし。センちゃんは自由に生きてもらいたかったんだろうねぇ」

 

 自由に……。  

 薫の境遇を知った身からすると、それは矛盾している。封印されたバケゲンブのために、この土地から離れられない。御伽装士として戦うことを運命付けられた夜舞の血。

 だからこそ、おばあちゃんは願ったんだろう。縛り付けられた人生の中に、ほんの少しでも自由に選べるものを。

 それが、恋だったのかもしれない。

 

「惣司さんは学校の先生でね、この町の小学校に赴任してきたの。理科が得意で……特に植物にお詳しい人だったねぇ」

「あー、だからこの庭が……」

「そう。自然と子供達を愛する、本当に素晴らしい人だったわ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

1975年 春

 

 山を利用した広大な鍛練場の一区画は木を切り倒し、平地に整備された闘技場となっている。

 その闘技場に今、三人の人影があった。

 向かい合い、それぞれ得意とする得物を手にした男女と、その二人の間に立つ小柄な女性は若かりし頃の五十鈴絹。この決闘の審判であった。

 

「こ、これより夜舞センと菊池三郎による決闘を開始します! 先に血を流した者の敗北。御伽装士の誇りを胸に正々堂々戦うこと! ……構え!」

 

 男、菊池三郎は手斧を両手に構える二刀流の使い手。熊のような屈強な肉体には歴戦の証とされる傷痕が刻まれ、対峙する者に威圧感を与える。

 だが、対戦相手であるセンの方は特に何も気負った様子もなく、自然体で朱色の槍を舞わせて臨戦態勢が整っていることを示した。

 

「ふん……その美しい身体に傷などつけたくないのだがな」

「はっ。貴様の身体に無駄な傷を増やしてやる」

  

 両者の戦意は最高潮。二人の様子を確認した絹は右手を掲げる。

 戦士二人は今か、今かと戦いの始まりを待ち……。

 

「────始め!」

 

 合図と共に降ろされる腕。

 三郎は二つの手斧を投擲し、自身も駆け出す。斧による牽制の後、徒手空拳による格闘戦に持ち込む作戦だ。

 インファイトに持ち込めば、パワーで勝る三郎に分がある。

 しかし、パワーだけで勝てるほど戦いというものは甘くはない。

 

「遅いな」

 

 センの立っていた場所に、砂塵が巻き起こる。

 紅い旋風が一直線。槍の一突きの如く、左右から迫る手斧に怯むこともなくセンは突き進む。

 

「速い!?」

「勝負ありだ」

 

 三郎の背後に立つセンが宣言すると同時に、砂の上に赤いものが滴った。

 三郎の頬に刻まれた一筋の切り傷から流れた血であった。

 

「勝負あり! 勝者、夜舞セン!」

「ふん……。つまらん」

 

 センは三郎に一瞥もすることなく、闘技場から立ち去っていく。

 三郎は膝をつき、かなりショックを受けている様子。絹は励ましてあげようかと思ったが、自分の主が一人でどんどん歩いて行ってしまうので、そちらを追いかけることを優先した。

 

「ま、待ってよセンちゃん!」

「お絹、水浴びをしてくる。奴の汗がかかった……」

 

 本当に嫌そうな顔で、センは言った。

 

「う、うん! あ、あと今回ので99連勝だよ」 

「ほう。次勝てば100か。1000まではまだ遠いな」 

「そ、そんなに決闘挑んでくる御伽装士いないよ……。あ、あと別に祝ってるとかじゃないんだからね!」

「む、主君の勝利を祝わんとはそれでも従者か」

「三郎に勝ったのは嬉しいけど! このままじゃ跡取りが出来なくなっちゃうよ!」

 

 自身に勝った者を婿として迎え入れると始まったこの決闘制度であったが、センの強さに勝者は未だに現れず。

 気付けばセンはこの春で30歳となっていた。

 

「もう、自分で結婚相手見つけるって百子様に言った上でこの調子だとまずいよぉ。百子様、もう強制的に結婚、いや種付けさせてやるって言ってたって……」

「人を競争馬のように言いよって……! 第一、あんなふざけた男を婿に選んだ母様の男を見る目なんぞ信用出来るか! お絹も見たろう、見合い写真の男達を。顎で人殺せそうな輩やいかにも神経質そうなカマキリ顔の男だぞ!」

「う、うん……。あれはすごかったね……」 

「そもそも伴侶なんぞ……。私は私より強い者の血さえ手に入ればそれでいい。私も認める強者の血だ。子さえ拵えればそれでいい。男は追い出して私が育てる。それでいいだろ」

 

 良くないよぉ……と、絹は言うもセンは聞く耳を持たず。

 絹の方は既に結婚し、子供もいたので余計にそう思っていた。結婚はあなたが思うほど悪いものではないと、そう証明してセンに伝えようという考えもあったが未だ想い届かず。

 むしろ年々、センの結婚に対する忌避感は高まっているようですらあった。

 

「お絹、お前はもう上がっていいぞ。ワラスの面倒を見たいだろう」

「う、うん……。だけど……」

「いいから、行け。母親があまりワラスと離れるでない」

「分かった……。じゃあ、また明日ね」

「ああ」

 

 絹を帰したセンはそのまま一人で山中にある蒼の滝へ。

 穢れを流す聖なる水が湧くここは聖地として、代々夜舞家が守護してきた場所である。

 道着を脱いで、雪原のような肢体を露とした。

 鍛練後に汗を流す場所といえばここのため、特に何の遠慮もなくセンは一糸纏わぬ姿となる。

 春先とはいえここは東北、岩手県。気温が上がりつつはあっても水温はまだ10度を越えたばかりである。

 そんな冷水に、センは躊躇うことなく身を沈めた。

 

 

 

 

 

 

 

 水浴びを終えたセンが家路につく途中、夜舞神社の境内で遊ぶ子供達を見かけた。

 神社は近所の子供達の遊び場として学校終わりの子供達がよく集まっているのだが、今日はその子供達の中に一人、見知らぬ男が混ざっていたためセンは足を止める。

 背はすらりと高く、痩せ気味。先程の対戦相手がこれでもかというほどの筋骨隆々な体躯だったのもあってか、余計に痩せているようにセンの目には見えた。

 

「あ、センさんだ!」

 

 少女がセンを見つけ、そう声を上げると男もまたセンの方を向いて人懐っこい笑みを浮かべて会釈した。

 

「先生、あの人が夜舞さんだよ!」

 

 男は、先生と呼ばれていた。

 事実、彼はこの町の小学校に赴任してきたばかりの教師であった。

 

「この人が……。どうも、ご挨拶が遅れて申し訳ありません。先月、盛岡から越してきました。遠野惣司と申します。この子達のクラスの担任をしておりまして、今日は町を案内してくれると……」

「まだ夜舞さんとこに挨拶行ってないって言うから連れてきたの!」

「別にそんなことしなくとも……」

「いえ! 夜舞さんはこの町の重鎮と聞きました! ここで暮らす以上、しっかり挨拶させてください」

 

 頭を下げる遠野にセンはため息をついた。

 この、夜舞家を神聖視する町の人々にセンは嫌気が差していたのだ。

 自分とて、御伽装士ではあれど同じ人だと主張したかったのだが周囲がそれを許さない。

 お前は夜舞家の令嬢として、あるべき姿で振る舞えと縛られた人生。窮屈で仕方がなかった。

 そんなセンが少しでも羽を伸ばそうとして、絹に対して自分を友達のように扱えという約束をしたりはしていた。

 

「あと、百子様にも挨拶しなきゃね先生!」

「百子様?」

「セン様のお母様だよ!」

「こら、別にいい。母には私から伝えておく」

「いえ、しっかりとご挨拶をさせてください!」

 

 センに詰め寄り、遠野は頭を下げた。

 その熱意に押され、センは遠野を屋敷へと連れて行くのだった。

 子供達には遊んでろと言って、二人で夜舞邸を目指す。

 整備されているとは行っても、左右は林で足下も険しい石階段。

 慣れているセンは難なく進んでいくが、明らかに体力が無さそうだった遠野にはやはりきついようだった。

 

「きついようなら、無理して来なくていいぞ」

「い、いえ! 行きます……行きますから……!」

 

 存外、意地のはった男。この程度でへばるようでは流石になとセンは再び先を行く。

 しかし、すぐにその足を止めることになる。

 

「あぁぁっ!!!!」

「ッ! どうした!?」

 

 人の叫びというものに、御伽装士は敏感だ。

 すぐさま振り向いて、首に下げている舞夜の怨面のネックレスを掴んでいた。

 

「見てください! ベニバナヤマシャクヤクですよ!」

「ベニ……?」

 

 遠野は子供のように目を輝かせ、その花を指差していた。

 ぴんと姿勢の良い茎の頂点に、ふんわりとした淡紅色の丸みを帯びた大きな花が咲いている、可愛らしい花だ。

 

「最近はめっきり数が減って、あんまり見ない花なんです」

「そう、か」

「こんなに可愛らしい上に、大きな花なので丈夫そうに見えるんですけど、花が咲くのは3日程度なんです。短命な花で……だから、こんな花盛りのところを見られたのは幸運です」

「短命な、花……」

 

 その言葉に、センはどこか惹かれた。

 ああ、お前もそうなのか────。

 いや、いけない考えだこれはと雑念を振り払い、再び遠野に目をやると、すっかり花に目を奪われていた。

 本来の目的を忘れてしまっているようだった。しかし、そんな姿がセンにとっては少し嬉しくもあった。

 

「ああ、どうしてこんな時に限ってカメラを持ってきてないんだ僕は……」

「ふっ……。家についたら、カメラを貸してやる」

「本当ですか!? ……って、ああ! ご挨拶に行く途中でした!」 

「いい。そんなつまらんことより、花を愛でる方がよっぽど良いことだ」

 

 行くぞ。セン達は再び山道を歩き出す。

 そうして、二人は夜舞邸に着き……。

 

「セン、彼はお前の婚約者だ」

「は?」

 

 屋敷に着いた二人が出会ったのは、蛙のような顔の男であった。センの母、百子が紹介した男はある旧い御伽装士の家系の次男坊で、怨面には選ばれずとも、総本山で仙術の研究をしていたという。

 

「待て母上! そんな話聞いてないぞ!」

「お前とて、私の話を聞いてこなかったであろう。母は悲しい……。30にもなって、独身で子も作らないなどと……。婚姻届は今、女中が役場に出しに行っている」

「……!?」

 

 センは言葉を失った。

 

「決闘で相手を決めるなどという遊びをいつまでも……。お前の使命は何か忘れていたのか? ……ところで、そこの優男は?」

 

 ここで初めて、百子が遠野に気付いた。

 遠野自身、影が薄い方というのもあるが、いきなりこんな話を聞かされて困惑するしかなかったのだ。口を挟むわけにもいくまいと、ただ話を聞いていた。

 なによりも、センのことを見ていた。

 そんな遠野の口からは、本人も想定外の言葉が飛び出ていた。

 

「わ、私は……センさんの婚約者です!」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「かかかっ! それでそのまま婚約したと!」

「あの場ではああするしかなかったんだ!」

 

 月夜の晩、縁側で酒を酌み交わすセンとその戦友、河南紫。センは昼間のことを話し、紫の爆笑を得ていた。

 

「ん? 届を役場に出しに行かれてたんじゃろ? それはどうした」

「帰り途中のお絹がその女中とたまたま出会って、話を聞いて回収してくれていた」

「そりゃなんたる幸運」

 

 ひとつ話す度に飲み干され、注がれる酒。

 二人のペースは速く、そして量も飲む。これについていける者はそうはいない。

 大体が潰されてしまうのだ。

 ゆえに誰も近付かない。それが二人きりで話すのにうってつけであった。

 

「それで、どうするんだ。相手は一般人じゃろ。話したのか、マイヤのこととか」

「いいや。そもそもこの婚約自体嘘だ。隠れ蓑に使わせてもらう」

「隠れ蓑とは……。その遠野という男も可哀想じゃな。こんな悪女に利用されて」

 

 冗談めかして笑う紫であったが、盃の酒を飲み干すと一転して真面目な顔を見せた。

 

「ま、流石に潮時じゃろうな」

「潮時?」

「ああ。夜舞家のことを考えればな。子を産み、御伽装士マイヤとなるべく育てあげねばならんのはお主の使命であろうに。いつまでも遊び呆けて、ご母堂様に申し訳ないと思わんのか?」

「……そういうお前はどうなのだ」

「儂のことはどうでもよい。ゲツエイを継ぐ者は、儂の血が流れる子でなければならないという決まりはないからの」

 

 酒を注ぎ、飲み干し、また注ぐ。

 そんな紫を見つめつつ、センもまた盃を傾ける。

 

「のう、セン」

「なんだ」

「この酒、美味いか?」

「……」

「いつから、そうだ」

「覚えとらん。もうずっと、酒の味も花の美しさも、感じたことがない……」

 

 酒の水面に映る自分の顔を見つめるセン。確かに、つまらない顔をしている。自嘲気味に笑うことも、出来ずにいた。

 

「感情が無くなったなど、つまらんことは言うでないぞ」

「いや、それは大丈夫だ、が……。最近、心動かされた瞬間なぞなかったからな、良い意味で。悪い方には働くのだが……。お絹の子が生まれた時は嬉しかったが……」

「それだってもう4年近く前ではないか?」

 

 お絹の子とは会う度に成長を感じる。だが、真に嬉しかったと感じたことはここ数年とんとない。センはどれだけ思い返してみても、本当にそれが最後であった。

 

「儂と会うのは嬉しくないのか、ええ?」

「お前はしょっちゅう来てるだろう」

「まったく、もっと友に感謝しろ。何年の付き合いだと思っておる」

 

 センと紫はそれこそ幼少の頃からの付き合いであった。御伽装士となるべく、共に修行に励んだ少女の時代。

 御伽装士として化神と戦い、強敵相手には共闘してきた現在まで。センにとってこれほど付き合いが長く、気安い関係というのは紫だけと言っても過言ではない。

 

「ふむ……。お前のそれを言い当ててやろう」

 

 得意気に紫は右手の人差し指を立てて、ほどよく酔いが回ってきた赤い顔に笑みを浮かべた。

 

「お前、死にたがっとるじゃろう」

 

 笑いながら言うことではない。センはそう思ったが、紫の言葉は的を射ているので黙っていた。

 

「閉塞感からか」

「なのかな、これは」

「夜舞家の使命に縛られ、自由なぞ無い身。結婚すら、好いた者とは出来んのだ。息苦しいだろう。儂ならとっくに窒息死しとる。だからこそ、言わせてもらうぞセン。お前、さっさと結婚した方がいいぞ」

 

 突拍子のない言葉に、思わずセンは噎せた。

 

「は、はぁ?」

「誰かを愛し、子を為し、子を愛せ。ほれ、これだけで生きる理由が三つも増えた。まあ、あの男を愛せとは言わんが……お前は特に、誰かと共に生きるべきだ」

 

 澄まし顔で2本目の一升瓶を空にした紫を見つめ、センはその言葉を反芻する。

 誰かと共に生きるべきだ。

 その言葉の意味を、センは掴みかねていた。

 



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華麗 弐

 総本山に宛てた手紙を書き連ねていると、戸が叩かれた。

 この叩き方は女中のマリだなと入室を許す。

 マリは今いる女中達の中で一番長く勤めている。御伽装士の娘であったが、怨面は兄が継いだので御守衆での働き口として家にやってきた。もう三十年以上となるか。

 楓亡き後の薫の母代わりも務め、信頼の厚い女中だ。

 

「失礼します。お庭のコスモスが満開でして、お供えにと思いまして」

 

 いつも通りのニコニコと愛嬌ある顔に、秋の桜はよく似合っていた。

 

「秋桜か……。夏も終わったな」

「ええ、すっかり」

 

 マリは会話しながら秋桜を花瓶に挿して、写真立ての傍らに供える。

 写真立てには、夫の写真。写真の中の夫はよく笑っているが、こうして花を供えられるとより嬉しく笑っているように見える。

 本当に、花を、命を愛した人だった……。

 

「惣司様の月命日もそろそろですね。お墓にもコスモスを持っていきましょう」

「ああ、用意は頼むよ」

 

 はいと返事をして、サッとマリは部屋を後にした。

 しつこくないのも、マリの良いところだ。弁えている。

 それにしても、一月が過ぎるのが早い。

 つい昨日、月命日で墓前に花を供えた気がしたというのにもう次か。

 夫の墓前で華道でもしているような気分となるのだが、毎回仏花を供えるよりも季節の花を楽しんでもらいたいという思いから、毎回季節の花を用意している。

 庭で採れるので、準備になんてことはない。

 

「もう何回目の月命日だろうねぇ……」

 

 夫が亡くなってから、しばらくは数えていた。

 自分がそちらに逝くまで数えていようと心に決めていたのだが、どうにもこの身体はピンピンとして悪いところがあまりない。

 それに、おいそれと逝けなくなってしまった。

 そんなだから、すっかりもう数えるなんてことはしていなかった。

 今更、数えることはしない。

 まだ当分、そちらへ逝くことはないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 1975年

 

 土曜日なので授業は午前で終わりだろうと、普段来ることのない小学校の校門をくぐる。

 児童はほとんどが帰ったようで、何人かが校庭で遊んでいるのが見えた。

 つい数年前、児童の増加に伴う校舎の建て替えが行われたため、もう自分が通っていた頃のものとは随分趣きが変わってしまった。

 来客用の中央玄関から校舎へと入る。

 事務はもう帰ったのか、受付には誰もいない。だが、それがちょうど良かった。

 

「どうもこんにちは~……って、夜舞さん!?」

 

 間延びした、親しげな声。

 すんなり顔を合わせられてよかった。

 

「おい、仕事はいつ終わる」

「え、も、もうすぐ終わるところです……」

「そうか、ならいい。ついてこい」

「は、はい……」

 

 遠野が荷物を纏めるのを待ち、遠野が職員室から出てきたところで先を行く。

 隣を歩くのは、憚れる。

 学校を出てすぐは田んぼと畑しかない道。農作業に勤しむ老夫婦が私に礼をしたのを会釈で返しながら進んでいく。

 後ろから、遠野の何か聞きたげな視線が背中に刺さるのを無視して。

 

「ひぃ……ひぃ……」

 

 長い石階段を昇ると、遠野との距離はかなり開いてしまった。

 息を切らしながら、震える足で一歩一歩上がってくる、が……。

 

「遅い」

 

 流石に、辛抱ならなかった。

 

「え? えっ!?」

 

 飛び降りる。

 遠野の目の前に舞い降りて、遠野を脇に抱えて跳躍。もやしのような優男でも流石に重いな。生身では流石にひとっ飛びとはいかないか。

 

「跳ん……」

「歩け」

「ひ、ひぃ……!」

 

 未だに生まれたばかりの仔鹿のように足を震わせる遠野。よくこれまで生きてこれたな……。

 とにかく、もうすぐ目的地だ。もう抱えてはやらん。

 

 

 

「ここは……?」

 

 木造の二階建ての家屋を見上げ、遠野が言った。

 

「離れだ。今日からここで暮らしてもらう」

「今日からここでって……ええ!? な、なんでです!?」

「婚約者なのだろう、お前は」

「いやあれは咄嗟の嘘で……」

「ああ、嘘だ。しかし、その嘘は私にとって都合がいい。ゆえに、その嘘はつき続けてもらわねば困る」

 

 そう、嘘だ。

 嘘でいい。

 愛だのなんだのは、私にはいらない。

 

「その……。嘘をつき続けるって、具体的にはどのくらいの期間?」

「……さあ、一生かもな」

「いっ……!?」

「安心しろ、金なら出す」

「そ、そういう問題ではなく……!」

「お前の月の給料は8万から10万といったところだろう?」

「そ、そうですけど……」

「20万出す。嘘つき代としてな」

 

 私がそう言った時の遠野の顔は傑作だった。 

 鳩が豆鉄砲をというやつだ。

 

「よかったな。女と金を手に入れることが出来て」

「いやいや……。やっぱり良くないですよ、こんなこと……。も、もし夜舞さんに好きな男とか出来たらどうするんですか!?」

「安心しろ。男は嫌いだ」

「えっ!?」

 

 まただ、豆鉄砲。

 なるほど、この男は顔に出やすく面白い。

 

「……ん」

「どうかしました……?」

「いや……。なんでもない」

 

 まさか、な。

 そんなまさかと思いたいが……。

 今、私は面白いと感じたのか?

 そういえば、先日の花の時も……。

 まあ、何かの間違いのようなものだろう。

 ひとまず、この男を縛りつけておけば良いのだから。

 そうすれば、いつも通り……。

 

 

 

 

 

 

 に、ならなかった。

 これも全ては母のせいだ。婚約したことを嘘と思っている母は、毎日毎日この離れに様子を見に来ては小言をチクチクとチクチクと言っては去っていった。

 

「えぇ!? 手料理を食べたことがない!? そんなもので夫婦になれますか!」

 

 そう言われたから、料理をしてみた。

 

「あのーこれはなんですか……? この、炭のようなものは?」

「焼き魚だ」

「あ、あはは焼き魚! そうですよね焼き魚! 焼き魚と……お粥とわかめのお浸しですか! お、美味しそうだなー!」

「粥ではなく白飯だ」

「えっ」

「あとお浸しではない。わかめの味噌汁だ」

「えっ」

 

 遠野は出された品と私の顔を交互に見ること何度か。

 食べる気配がない。食べてもらわねば困るのだ、私は。

 

「ほら食え」

「い、いただきます……」

 

 翌日、遠野は学校を欠勤した。

 

 

「えぇ!? なんで遠野と呼ばれているんです!? 婚約者を名字で呼ぶなどあり得ないあり得ない!」

 

 というわけで、母の前だけでも奴を名前で呼ぶことにした。

 奴もまた、私を名前で呼ぶようになったのだが。

 

「センさん」

「おい、母上はいないぞ」

「でも、夜舞さんだとお母様も含まれてしまいますから、ここは名前で。慣らす必要もあります」

「う、む……」

 

 そういうわけで、いつの間にか私も奴を名前で呼ぶようになっていた。

 

 

 

「えぇ!? 寝室は別!? 婚約者なのに何故別室で寝ているのです!?」

 

 これが一番堪えた。

 偽の寝室を用意して、という作戦を立てたが看破されてしまったのだ。

 更にそれ以降、毎晩寝る前に母上が離れに来ては寝るところを確認するようになったのだ。

 

「……手を出したら、分かっているな」

「も、もちろんです!」

 

 そういうわけで、同じ部屋に布団を並べた。

 流石にこれ以上のことは母上も言うまいと思ったが、風呂まで一緒に入れなどと言い出さないか不安になり、眠れぬ夜を過ごした。

 遠野、いや惣司は……。

 

「ぐぅ」

 

 思いの外、よく寝ていた。

 むかついたので、蹴った。

 

「痛い!?」

「すまん、寝相のせいだ」

「いやどんな寝相ですか!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そういうわけで、さんざんな生活を送っている……ということを倉で書物を漁る紫に話すと、紫は腹を抱えてゲラゲラと笑った。失礼にも程がある。

 

「楽しそうでなによりじゃな」

「これのどこがだ。これなら化神の相手を毎日する方が楽だ」

「なに、まだ慣れていないだけのこと。慣れれば化神の相手なんぞより婿殿と共にいる方が何億倍も良かろうて」

 

 何が婿殿だ!

 そう声を上げようとしたが、駄目だ。この話題で紫を言い負かせそうにない。

 なので、話題を変えるしかない。

 

「紫、最近よく来てこうして調べ物をしているが、なにをしている」

「いやなに、任務でちょいと面倒な化神の相手を任された。いつものことじゃが……此度はいつもに増して面倒じゃ」

 

 紫がそこまで言うとは珍しい。

 だが、言葉や表情からすると勝算は充分ありそうではある。

 パラパラと本当に読んでいるのか分からぬ早さで書を捲る紫。最後の頁が閉じられた時、紫は両手をパンと叩いて鳴らした。

 

「やはりそうか」

「何が分かった」

「今回の任務。儂一人では、無理だ」

 

 諦めに聞こえるその言葉だが、顔はまったく諦めていない。

 むしろこの顔は……倒し方を導き出した時の顔だ。

 

「今回の儂の獲物はバケコガネ。そう大した力は持っていない。ゲツエイだけで充分殴り殺せる相手じゃった」

 

 じゃった、ということは。

 

「……能力が面倒、というやつか」

「その通り。既に儂の他に二人の装士がバケコガネと戦い取り逃がしている。理由は、結界による強固な防御。力に優れる者も術に優れる儂にも破れんかったほどじゃ」

 

 やたら術に優れる儂を強調して話していたが、今は無視しよう。

 

「そこで、儂はここで結界について改めて学び直していたところだ。夜舞神社は聖域にして国内有数の強固な結界で守られている。そんな結界を張れるのだから、破る術に関する情報もあると思っていた。そうしたら、当たりじゃ」

 

 読んでいた書物を見せつける紫の顔は自信に溢れていたが、その書物はうちの物だぞ。

 にしても、やはりこの女はこと術に関しては強いな。

 そして、うちの所有する書物をいい加減にもっと分かりやすく纏めなければと思う。

 私だって読んだことないものがたくさんあるのだ。

 まあ、この話は今はいいか。

 

「それで、具体的にどうするんだ」

「結界は術者、この場合はバケコガネの力により発生しているもの。結界と術者は当然ながら密接な関係にある。この繋がりを、利用する」 

 

 紫はノートに鉛筆で図を描く。

 丸に手足を生やし、丸の中にバケコガネと記すとバケコガネを丸で囲った。これが、結界だろう。

 その傍らに、狐の面が描かれる。ゲツエイか。にしても、紫が描くにしては可愛らしい。

 ゲツエイからバケコガネへと向けて矢印が伸ばされ、線の上に術と書いた。なにかしら、術をかけるということだ。ゲツエイは術に特化した御伽装士である。術で攻めるということなのだろうが、それでは駄目だと言っていたのは紫自身だろう。

 内心で抗議していると、紫は狐の隣に蝶を描き、その蝶からバケコガネに向けて線を引いた。

 線はバケコガネを囲う丸を突き破り、バケコガネを貫通。その線を往復し、何重にも何重にも線を重ねていく。

 

「おい、乱暴だぞ描き方が。もっと丁寧に描け」

「いや、つっこむところがおかしいじゃろ。しれっとお前を巻き込んでいることをつっこめ」

「お前の仕事にいつの間にか付き合わされてるなんて、いつものことだろう。それにな、そもそも化神退治は御伽装士の仕事だ。お前だけの仕事じゃない」

 

 そう言うと、紫はニヤニヤとした狐に似た笑みを浮かべた。

 なんだその笑いは。

 

「ふふ、相変わらずじゃなぁ。助けられる者は助ける、か」

「御伽装士として当然のことを言ったまでだ」

 

 ニヤニヤとした目を向けてくるので続きを話せと話を本題に戻した。そうしないと、いつまでも笑われそうな気がしたのだ。

 紫はつまらなさそうに本題に戻り、図の解説を始めた。

 本題をつまらなさそうに話すな。

 

「結界に対して術をかける。術というより、呪いじゃな」

「呪い? 物騒な」 

「物騒なことするのが儂らじゃろう。それに、ノロイもマジナイも漢字は同じじゃ」

 

 そういうものだろうか。

 しかし、呪いを使うというのはどうも背中に嫌なものが走る。神社の生まれだからだろうか。

 

「呪いは……分かりやすく言えば、丑の刻参りと同じような原理じゃ」

「丑の刻参り? あの、藁人形に釘を打つやつか」

「そう。たまに夜舞神社の敷地内で見かけるぞ」

「なんだと」

「呪いの研究材料にと儂が回収してるからセンが知らんのも無理はない」

 

 呪いの研究材料なんて、恐ろしいことを。

 いや、そもそもうちの敷地でそんなことをする輩がいるのが気に食わん。

 そのうち取っ捕まえよう。

 

「センと話しているとつい脱線しがちでいかんな。で、話を戻すが、丑の刻参りは憎い相手に見立てた藁人形に釘を打つという儀式じゃ。で、これを応用しバケコガネの結界を藁人形にする」

「なるほど。結界はバケコガネの穢から作られる。穢即ち化神。結界はバケコガネの分身とも言える」

「そういうことじゃ。藁人形のような見立てではなく、本人に釘を打ち込むようなもの。このバケコガネと結界の繋がりを利用し、儂は結界に憎悪の代わりに神通力を注ぎ込み呪いをかける。これには儂の力のほとんどを使うことになる。お前もありったけの神通力を込めた槍を結界に打ち込む」

 

 聖槍を釘扱いとは無礼な、とも思わんでもないが今は黙っておく。

 話の腰を折ってはならない。

 

「総力戦じゃ。仕損じれば、儂らはやられる」

「ああ。全力を尽くし、我が槍が貫こう。化神バケコガネを!」

 

 必中必殺を謳われるこの夜舞センの槍が……。

 

「そういえばセン」

「なんだ」

「お前の旦那、小学校の先生だったな?」

「旦那ではない! まだ婚約の段階だ!」

「その言い方だとこれから旦那になると言ってるようなものじゃろ……」

「いやその婚約も嘘だ! それは知ってるだろ!」

「すまん……で、真面目な話だ。このバケコガネは子供喰らいじゃ」

 

 その言葉で、全てを察した。

 

「伝えろと」

「なに、夜遅くまで遊ばないようにとか一人にならないようにとかそういう話で良いじゃろ。……とはいえ、子供は言うことを聞かん」

「同感だ」

 

 子供は好き勝手するからな。と、自分の子供時代を棚にあげて思う。

 ……いや。

 

「好き勝手しているのは、今もか……」

「何か言ったか?」

「いや、なんでもない」

「そうか。なら、儂は術式の構築、確立に勤しむ。夜は旨い飯と酒を準備しておいてくれ」

「はいはい」

 

 紫の切り替えは早い。

 既に、真面目な顔でノートに鉛筆を走らせている。

 術式の構築、確立に勤しむと言っていたがもう九割方は頭の中で出来ているのだろう。

 邪魔をしてはならんと、静かに私は書庫から去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「というわけで、わらす達には夜出歩かないこと、一人で出歩かないことを徹底してくれ」

「はあ」

 

 布団の上で正座している遠野、いや惣司に明日学校で伝えてくれと頼んだ。

 いや、頼んだだと私が下のようだ。命令したのだ。

 

「いや~でも聞いてくれるかなぁ。僕、すっかりなめられちゃって。あはは」

 

 へらへらと笑う姿に、確かに私がこれの生徒だったら舐めてかかっていただろうと思う。

 しかし、それでは困る。

 困るので、あまり使いたくない手を使う。

 

「なら、夜舞さんが言っていたと言え。それであれば、お前の言葉ではなく私の言葉になるからな」

「なるほど確かに……。慕われてますね」

「お前が舐められすぎてるだけだ。はあ……とにかく、明日は頼むぞ」

「分かりました。それではおやすみなさい」

 

 ふん、と立っていた私が必然的に部屋の電気を消すことに。

 暗闇の中、布団に入り右へ寝返る。

 なんとなく、奴に背を向けておきたいのだ。

 本当に、どうしてこんなことになっているのだろう。なんでこんなもやしのような男と布団を並べているのだろう。

 ……いいや、分かっている。

 自業自得だ。

 この歳まで、跡継ぎを生むという使命から逃げてきたからだ。

 分かっているのだ、大事な使命なのだということは。

 けれど、せめて……生涯を共に歩む伴侶ならば愛したい。

 愛され、たい。

 父に可愛がられたことなどない。

 幼い私が知っている父の姿は、日がな寝転んでいるか、酒を飲んで暴れているか、見知らぬ女達を連れて屋敷に帰ってくるかのどれかだ。

 本当に、母はあれのどこが良かったのだろうか。

 いや、良くはなかったのだ。

 結局のところ、家のためと我慢していたのだ。そこに愛などなかった。

 父へ向けるはずの愛も私に注いだ母は、どこか痛々しかった。

 それが、今に繋がっているのかもしれない。

 

「……なあ」

「なんですかぁ……」

 

 惣司は眠そうな声で答えた。

 寝つきが良いのは分かっていて、もう寝ているかと思いながら声をかけたが今晩はまだ寝ていないようだった。

 なので、少し会話に付き合ってもらおう。

 

「お前の親はどんな人だ」

「親、ですかぁ……。良い親だと、胸を張って言えます。食うのには困りませんでしたし、大学まで出してもらって……」

 

 そうか、と暗い天井を見つめながら呟く。

 良い親か……。

 

「センさんのお母様も良いお母様ですよね」

「……ま、そうだな。男を見る目はまるでないが」 

「そうなんですか?」

「私の父は結婚したら金をじゃんじゃん使って、働かなくていいと遊び呆けて……母も我慢出来ずに追い出したんだ」

「ええっ!?」

「けど、母はしばらく泣いてたんだよ。子供ながらに、あんな男のどこがそんな良かったのかと思ってた」

 

 それからだったか、母が厳しくなったのは。

 許嫁まで見つけてきて、結局その許嫁とやらは顔を見る前に化神にやられて死んだ。

 

「それで、結婚したくないと?」

「そういう、わけじゃ……」

 

 いや、そういうことなのだろう。

 結婚のことを考えると、どうにもあの嫌な父親のことと日がな一日泣いている母の姿が頭に浮かぶ。 

 裏切られてしまった母。

 私も裏切られたくないのかもしれない。

 ああ、だから……裏切られるのが、怖い。

 

「僕はセンさんと結婚しても教師の仕事は続けたいですね。仕事も子供も好きですし」

「……おい。なにが結婚しても、だ。変な妄想をするな!」

「あ! いや、すいません! ちょっと考えただけです!」

 

 ふんと遠野に背を向け、目を閉じる。

 この日は少し、眠りに就くまで時間がかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 それから数日。

 紫の考案した技の鍛練は想像以上に厳しいものであった。

 新たな技の修行など十年ぶりというのもあるかもしれないが、なによりも神通力をごそっと持っていかれるのが辛い。

 正直を言えば、私は術を扱うのは苦手なのだ。

 神通力の制御とか……神経を使うものは疲れる。身体を動かす方が性に合う。

 そんな私の様子に気が付いたのか、惣司が家の事をやるようになっていた。

 男のくせに料理が出来るのが癪だ。

 美味いから許す。

 

 

 

 それから、また数日。

 あくびをしながら米の炊ける匂いに惹かれ台所へ。

 台所では惣司が朝餉の支度をしているよう、と思ったが。

 

「ふんふんふーん……」

 

 なにやら、鼻歌を歌いながら弁当をこさえている。

 白飯に桜でんぶなど振って、やたら機嫌が良さそうだ。

 

「今日、遠足なんですよ~って、この前も話しましたよ」

「そうだったか?」

「はい~」

 

 遠足とは、なんとも平和な。 

 子供達が楽しそうにしている姿が目に浮かぶ。

 ついでにこの男も。

 

「わらすの面倒ちゃんと見るんだぞ」

「もちろん! 先生ですから」

  

 そう強気には言うものの、なんだか不安である。

 そしてその不安は別の形で的中することとなる。

 

 

 

 

 

 

 遠足の行き先は観光名所の浄土ヶ浜。

 天気も良いし、季節も最高。

 正しく浄土のような景色だろうと、子供達以上に楽しみにしている自分がいる。

 バスの中でワイワイと雑談に興じる子供達を眺めているとバスはトンネルの中へ。

 短いトンネルではあるけれど、照明がないので暗い。

 暗いのは……怖いから苦手です……。

 センさんにこんなこと言ったら、男のくせにと言われてしまうだろう。

 そんなことを考えていると、突然大きな音が頭上から響いて、走っている車でも分かるほどの揺れが襲った。

 運転手さんも慌ててブレーキを踏み、車内は悲鳴で包まれる。

 

「みなさん! 何かに掴まって!」

 

 なんとか平静を保って声を飛ばす。

 先生が怯えてはいけない。

 しかし、本当の恐怖はここからだった。

 揺れが収まり、子供達の無事を確認していた時だった。

 中年の運転手さんが声を上げた。

 

「トンネルが!」

 

 運転手さんは前方を見て叫んでいた。

 同じく、前を向くと……トンネルの出口がなくなっていた。

 土砂崩れで塞がれてしまったのか!?

 

「ええ!?」

「ど、どうなっちゃうんだよぉ……」

「大丈夫です。すぐに救助が来ますよ」

 

 不安がる子供達を宥めていると、突然大きな声が響いた。

 

『オレはバケコガネなのだ! 人間どもはみんなオレのエサなのだ!』

 

 何を言って……。事態を飲み込めずにいると、再びバスが揺れ出した。

 地震とは違う、バスそのものが揺らされているような……!

 バン!と窓に何かが叩き付けられたような音。

 バス車内の僅かな明かりを頼りに叩き付けられたものを見ると、それは……手であった。

 異形の、手。

 

『バーン!』

 

 さらに窓ガラスに密着してきたのは顔。

 巨大な甲虫のような顔。

 あまりのことに頭が回らない。

 なんだ、なんなんだこれは。

 

『オレは子供が大好きなのだ! あそぼ! あそぼ!』

 

「きゃあぁぁぁぁ!!!!!」

  

 バスが揺らされる。

 バスの窓が、車体が叩かれる。

 遊ぼうなんて言っているけれど、遊ばれている。 

 このバスは、子供達は、玩具にされている。

 子供の悲鳴を楽しんでいる……!

 

「こいつ……!」

 

『あははっ! 楽しい楽しいなのだ! 待ってろよ、楽しんだ後は食ってやるからよ……。あははっ! あははっ!』

 

 無邪気な子供のような声から一転、底冷えするような残虐な声色が恐怖を誘った。

 

「先生ぇ!」

「大丈夫ですよ……。みんなは僕が守ります!」

  

 そんなことは無理だ。

 そんなことは分かっている。

 だけど、だけど……! 

 教師として、その心だけは忘れてはいけない。

 何よりも、僕がいの一番に折れてはいけない────!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝の鍛練中であった。

 お絹のもとに伝令が来て、お絹から私に伝えられたのは化神出現の報。

 それも、紫が追っているバケコガネであった。

 

「紫には」

「他の伝令が行ってる」

「被害状況」

「トンネルを土砂で塞いで結界が貼られてるみたい。トンネルには数台の車が取り残されてるって」

 

 急ぎ、車庫に向かいながらお絹からの報告を聞く。

 車庫には私用に改造されたオフロードバイク『嵐』が佇んでいた。

 

「セン!」

「紫はそっちのバイクを使え!」

「応とも!」 

 

 アクセルを噴かし、紫と共に出陣。

 風に髪を靡かせ急行。人命最優先。法律は気にしていられない。

 幸いにも、飛ばせば数分という距離であった。

 しかし、この数分すらも惜しい。

 化神は都合良く待ってはくれないのだから。

 この数分で、何人もの命が奪われることもある。

 化神とはそういう災厄、理不尽なのだ。

 

「着いたな!」

「ああ……」

 

 土砂が崩れ、塞がれたトンネルの前にバイクを停めて紫と並び立つ。

 紫と顔を見合わせ、頷きあうと互いに怨面を手にし変身の呪いを唱える。

 

「オン・アリキャ・コン・ソワカ!」

「オン・ビシャテン・テン・モウカ! 舞うぞ、舞夜!」

 

 身体に走る刻印の痛みを耐える声が漏れる。

 呪いを糧に戦う代償。十年以上の付き合いだが、痛いものは痛い。

 それでも、この言葉を口にする。

 

『変身!』

 

 並び立つは対照的な姿の戦士。

 紫の変身するゲツエイは花嫁を思わせる豪華絢爛ぶり。

 黒と紫で彩られた妖狐の化身。

 

 それに対し、マイヤは煌びやかな女戦士といった出で立ち。

 女性らしくもあり、戦士として鍛え上げられたセンの肉体を覆う紫のボディスーツは全身に散りばめられた霊水晶の欠片が太陽光を反射して煌めいている。

 

「この結界を破るにはあれをやるしかない。正直、まだまだ荒削りじゃが……」

「やるしかない……!」

 

 マイヤは厄除の槍を呼び出し、ゲツエイは空に御札を貼り付ける。

 最初に取り出した御札はマイヤの足下に円となるよう地面に貼り付くと、マイヤはその円の中で舞い始めた。

 夜舞家に伝わる、夜舞神楽を。

 更に続けてゲツエイは御札をバケコガネが貼った結界へと向けて飛ばし、貼り付ける。

 手で印を結び、己の神通力を引き出し詠唱開始。

 少しずつであるが、バケコガネの結界に赤黒いヒビのようなものが拡がっていく。

 

「オン・アリキャ・コン・ソワカ……オン・アリキャ・コン・ソワカ……」

 

 唱え続けるゲツエイを背に、マイヤは舞い続ける。

 舞うことで力を高めるのだ。

 極限まで集中し、神通力を練る。

 最早、ゲツエイの詠唱すら聞こえぬほどの集中。

 ────その中で、センの耳にある声が響いた。

 

「────みんなは僕が守ります!」

 

(惣司────!?)

 

 それは、たしかに遠野惣司の声であった。

 センが共に過ごしてきた中では聞いたこともない、大きく、勇ましい声。

 

(セン……?)

 

 マイヤの違和感に気付いたゲツエイであったが、詠唱を継続。

 中断すべきかと思ったが、これまでで一番の力がマイヤから湧き出ているからだ。 

 これならばと、ゲツエイもまた神通力を高めていき────。

 最大限に高まった神通力を厄除の槍は紫のオーラとして纏い、マイヤは自由自在、変幻自在に槍を舞わせる。

 ゲツエイの御札達がマイヤの眼前に集結。円を描き、回転を始め────。

 

『退魔覆滅技法、襲! 月影之舞!』

 

 マイヤは槍を渾身の力で投擲。

 ゲツエイの御札が形成した力場を通過し、ゲツエイの力も乗せてバケコガネの結界と激突!

 凄まじい衝撃と閃光が走り抜けていく。

 

「っ……! どうじゃ!?」

「ぐっ……貫けぇぇぇぇ!!!!!!」

 

 マイヤの叫びに呼応するように槍は輝きを放つと、結界を破り、土砂をも穿ち────。

 

『へ……?』

 

 トンネル内のバケコガネを貫き、勢いそのままにトンネルをも貫通。

 その威力に、技の考案者であるゲツエイ……紫は乾いた笑い声を出した。

 

「くく……かか……。いや、儂の想定を上回り過ぎじゃぞ……。この威力……」

 

 変身を解きながら呆ける紫を他所に、センもまた変身を解除してトンネルへと走り出した。

 

 

 

 

「惣司!」

「……へ? セン、さん……?」

 

 暗闇の中だが、夜目が効くので問題ない。

 バスに駆け寄り、惣司の名を呼ぶと間抜けた顔をしてバスの扉を開いた。

 

「なんでここに……それよりば、化け物が!」

「それなら心配いらん。もう倒した」

「倒したって……」

「うわーん! 夜舞さーん!!!」

「うわっ」

 

 安心したのか、泣いたわらす達が一斉に雪崩れ込んできた。

 子供の波に飲まれたかのよう。

 

「おい! 教師だろなんとかしろ!」

「そう言われましても~……。そっか……みんな僕よりセンさんの方が……」

「凹んでる場合か!」

 

 そうこうしているうちにお絹達がやって来て、子供達の記憶の処理などを始めた。

 諸々の後処理は任せて、先に帰る。

 

「あの!」

「なんだ」

「センさんは、一体……」

「私は……私は夜舞セン。御伽装士マイヤ。夜に舞う蝶だ」

 

 そう言い放ち、惣司に背を向ける。

 トンネルの向こう、光の方へと向かい足を踏み出す────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ということで、惣司さんはセンちゃんのこと、御伽装士のことを知ってね」

「うんうん!」

 

 夜舞庭園。

 薫の祖母と祖父のなれそめから語る絹。

 咲希はすっかり昔話に夢中であった。

 

「それでそれで!」

「うーんとね……この後、なんだかんだ結婚してね……」

「なんだかんだ!? なんだかんだの部分が聞きたいよ!」

 

 急に歯切れの悪くなった絹に話を急かす咲希。

 しかし……。

 

「うーん、お話したいんだけどねぇ……。センちゃん、怒ってるから」

 

 え?

 そう呟く咲希の背後に、センが立っていた。

 

「お絹……何をべらべらと話している」

「うわぁ!? おばあちゃんいつの間に!?」

「咲希……お前も余計なことを聞くでねぇ」

「えー! いいとこだったのにー!」

 

 抗議する咲希の頭をぺしっと軽く叩いたセンは絹に改めて向き合い、釘を刺した。

 

「余計なことは」

「言いません」

 

 お絹は変わらず笑顔で返答。

 その様子にセンは満足そうに頷いた。

 

「よし……。それじゃあ、仕事に励めよ咲希」

「はーい……」

 

 庭園を去るセンの背を見つめながら、不満たらたらの咲希。

 そんな咲希に絹が耳打ちをした。

 

「話の続きはまた今度ね」

 

 にこりと笑顔で絹が言うので、咲希もまた満面の笑みを浮かべた。

 

「ありがとう絹おばあちゃん!」

 

 恋の話はいくつになっても好きなもの。

 またいずれ、昔話に花が咲くでしょう────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新幹線の中。

 流れていく景色を見つめる薫のスマホが振動した。

 メッセージの通知。

 メッセージの頭には、緊急事態と銘打たれていた。

 

「仙台で……」

 

 赤い瞳を見開き薫がそう呟くと、車内放送が次は仙台に停車と告げる。

 本来であれば薫が降りるのは盛岡駅であるが、薫は身の回りを整え始め……。

 

 

 北上する新幹線を背に、薫は仙台駅へと降り立った。



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継承 

 宮城県仙台市。

 東北地方最大の都市。

 人口百万人を超す、政令指定都市であり杜の都と称される。

 杜の都の名のとおり街路樹が多く、街の中心から車で二、三十分も走れば自然の中である。

 郊外から外れた森の中。

 少年と少女が歩いていた。

 

「本当なのかな、その心霊スポットの噂」

「うーん、デマだったら何も問題ありませんでしたってことで終われるからいいんだけど……」

 

 デマじゃなかった場合、放置は出来ない。

 御伽装士として当然見過ごすわけにはいかないと少年は言った。

 この二人は御伽装士であった。

 少年の名は日向健。またの名を御伽装士ソウテン。

 少女の名は皇黄泉。またの名を御伽装士ゲツエイ。

 仙台を拠点に活動する若き御伽装士は任務のためにこの森へと足を踏み入れていた。

 

 曰く、この森の中にある廃墟の洋館は心霊スポットだという。

 どの街にもそういった謂われのある場所は存在するが、この森の話はつい最近流布され始めたものである。

 森の中に佇む廃墟の洋館に入ったら、出ることが出来なくなるという話。

 よく聞く怪談話のそれであるが……本当に実害が出たと思われたから、健と黄泉の二人が派遣されたのだ。

 まず、動画配信者が行方不明となった。

 SNSで森の洋館へ行くと呟いて以降、更新が途絶えてしまった。

 警察にも捜索願が出されたという。

 それを皮切りに、森の洋館へ行くと言って行方不明となる人が後をたたない。

 ただの噂話として扱えない。化神と関係があると見た御守衆東北支部は調査を命じたのであった。

 白羽の矢が立ったのが健と黄泉。

 めきめきと実力を上げ、活躍中の二人ならという信頼あっての抜擢である。

 

「化神じゃなくて本当にお化けの仕業だったらどうしよう……!」

「お化けだったら……どうだろ。うちの仕事じゃなくなるのかな?」

 

 怖がる黄泉とは対照的に健は冷静であった。

 頭が仕事用に切り替わっているということもあるが、なによりも信頼出来る大切なパートナー黄泉がいるからこそだろう。

 しかし、当の黄泉は怖くて仕方ない様子。

 化神はよくてもホラーは苦手なようだ。

 

「あ、あれだ」

「本当にあった……」

 

 深い森の中にぽつんと佇む洋館。廃墟と聞いていたが、想像よりは廃墟らしくない。

 スマホの写真と見比べ、情報の通りの洋館であることを確認した健は更に洋館へと近寄り、黄泉はその後を恐る恐るついていく。

 

「まずは外から。ぐるっと一周しよう」

「分かった」

 

 正面玄関の前から洋館の周囲を注意深く散策。 

 しかし、これといった異常や化神に繋がるものは見当たらなかった。

 

「中に入ってみるしかないか……」

「中……」

 

 黄泉は洋館を見上げながら不安げに呟いた。

 そんな黄泉を見て、健が提案した。

 

「僕が中に入ってみるよ。黄泉さんは待機してて」

「え、でも……」

「もしも中で何か起こって、二人とも行方不明なんてことになったらいけないからさ。十分経っても連絡がなかったら黄泉さんは家に戻って、父さん達に伝えてほしいんだ。いい?」

「うん……」

 

 健が一人で洋館内へ踏み込むことも不安であるが、健の言うとおり二人ともやられるなんてことがあってはいけない。

 それに、健だって強いのだと言い聞かせて黄泉は承諾。

 健は一人、洋館の中へと踏み込んでいく。

 

 

 

 

 

 

「外観もだったけど、中も想像していたより綺麗だな……」

 

 建物はそこに住む人がいなくなると想像以上の早さで朽ちていくという話を健は思い出していた。

 この洋館に関しては、人がいなくなって一月程度しか経っていないのではないかと思わされる。

 入ってすぐの広間の中央には階段があり、踊り場から吹き抜けへと繋がる階段が二つ。 

 小型のライトで吹き抜けを照らすも何もない。

 ひとまず、一階から調査しよう。健がそう思った時であった。

 健の右方向、薄暗い廊下の先で何かが蠢いた。

 

「っ!」

 

 咄嗟に廊下の先を照らす健。

 異常は見当たらない。少しずつ、警戒しつつ、気配のした廊下の先へと向かって歩く。

 一歩、一歩……。

 ソウテンの怨面へと右手を忍ばせ、即座に変身出来るよう構えながら。

 

『キシャァァァ!』

 

「うわっ!?」

 

 殺気は、上から。

 吹き抜けから健目掛けて飛び降りてきた黒い異形に気付き、後方へと飛び退き回避する。

 健の目に入ったのは、全身黒。頭には二本の触角と、牙を剥く人に似た口。その口の左右に生えた大顎。

 人型のアリ、化神バケアリである。

 

「こいつの仕業か!」

 

 一連の行方不明事件が化神によるものとなれば御伽装士の出番だと、健はソウテンの怨面を手に変身しようとするが。

 突然、背後の扉が勢いよく開き、もう一体のバケアリが健を背後から強襲した。

 

「もう一体!?」

 

 複数のバケアリが現れたことに驚く健であったが、これはほんの序の口であった。

 

『キシャァ!』

『キシャ……』

『キシャシャァ!』

『キシシ……!』

 

「なんだよ、これ……!?」

 

 二体目のバケアリが登場したのを皮切りに、続々とバケアリが現れる。

 化神の大量出現現象、百鬼夜行とも違う。バケアリの軍勢に健は息を飲んだ。

 襲いかかるバケアリを回避し、健はとにかく変身しようとする。

 

「オン・マイタラ・ラン・ソウハ!」

 

 変身の呪いを唱える健。だがそこへ、バケアリの軍勢が一気に押し寄せ、バケアリの引っ掻く攻撃がソウテンの怨面に当たり、怨面は床に落ちてしまった。

 

「怨面が! くっ!」

 

 健はバケアリの波の間をすり抜け、ソウテンの怨面を取り戻そうとする。

 しかし、怨面はバケアリに足蹴にされてどんどん遠ざかっていく。

 また、バケアリは健を狙い続けている。

 回避に専念しなければ、バケアリの鋭い爪が健を切り裂くだろう。

 

「これじゃあ……!」

 

 舌を打ち、健は思考を切り替える。

 ソウテンの怨面の確保はこのままでは困難。

 外に出て、黄泉に協力してもらおうと健は玄関の扉を目指す。

 軽い身のこなしでバケアリの群れをすり抜け、ドアノブに手をかける。

 だが、開かない。

 鍵をかけるなんてこともしていないのに。

 そして、健は気付いた。

 

「結界だ!?」

 

 洋館はバケアリの巣であった。

 しかし、その狩りの仕方はアリの天敵アリジゴクのものに似ていた。

 入ってきた獲物を、逃がさない。

 これがバケアリの習性。

 こうなってしまえば、バケアリを倒して脱出するしかないが、怨面はもうどこにあるかも分からない。

 とにかく逃げ回り、生き延びるのだと健は覚悟した。

 

「外の黄泉さんが気付いてくれるはずだ……! 助けが来るまで、絶対に生き延びるんだ!」

 

 健はそう自身に言い聞かせ、鼓舞する。

 廊下を走り抜け、一旦健は無数にある部屋のひとつに身を潜めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 約束の十分が経った。

 外からは、特に洋館に変化はない。

 天候は良いはずなのに、何故かここだけ薄暗いというのが不気味で十分経つのが異様に長く感じた。

 健君のことが不安で仕方なかったからだろうか。

 ともかく、十分経っても連絡がない。

 こっちから電話してみても繋がらない。

 電波の届かないところ? 

 そんなわけはない。

 こんな近くにいて、ちゃんと電波も届いているのに。

 

「健君……!」

 

 連絡がなかったら、健君のお父さんに連絡するという約束。

 だけど、そんなことをしている間に健君に最悪の事態が起きて、助けられなかったら?

 そう思ったら、身体が動いていた。

 玄関のドアノブに手をかける。

 ゆっくりと、ドアノブを回そうとしたけれど……開かない。

 

「なんで……!? さっきは開いたのに!?」

 

 健君の時は普通に開いた。

 まさか健君が鍵をかけるなんてこともないだろうに。

 そして、異変に気が付いた。

 

「結界……」

 

 洋館をコーティングするように張られた結界。

 これは、化神の仕業か。あるいは呪術師の仕業。

 外では何も起こっていない様子だったけれど、中では大変なことになっているかもしれない。

 すぐに、健君を助けなきゃ。

 ゲツエイへと変身し、結界を破るため技を放つ!

 

「退魔覆滅技法! 激昂一閃!」

 

 赤い刃の大太刀、草薙の大太刀を勢いよく振り下ろすゲツエイ。

 刃は結界と衝突し、激しく火花を散らす。

 

「はあぁぁぁぁっ!!!!!」

 

 気合を叫び、結界を破ると意気込み更に力をこめる。

 だけど、破られたのは激昂一閃の方だった。

 

「きゃあっ!?」

 

 吹き飛び、枯れ葉と共に地面を転がる。

 なんて、固い結界だと睨み付ける。

 どんなに固かろうと、絶対に破って健君を助けるんだ!

 激昂一閃が駄目ならば、この技が駄目ならばと、技を放っては弾かれ、放っては弾かれを繰り返す。

 そして、全ての技を放つととうとう限界が来てしまい膝をついた。

 変身も維持出来ず、私はただ不気味に佇む洋館を泣きそうな眼で睨み付けることしか出来なかった……。

 

 

 

 そんな黄泉を見つめる、小さな狐に気付かぬまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 怪しく、青と赤の光が乱れる空間。

 そこに、女王がいた。

 バケアリの頭領、女王バケアリ。

 黒い身体の上に、赤黒いボンテージを身に纏ったかのような姿で、背中には細長い無数の布のようなものが垂れ下がり、両肩にはアンティーク調の蝋燭台が備わり、赤い蝋燭は火がつき、蕩けた蝋が艶やかに滴っていた。

 

『フフ……御伽装士に嗅ぎ付けられたか……。でも、この結界は破られないわ! どれだけ仲間が助けに来ようと無駄無駄。仲間を助けられない絶望を味あわせてから、次の場所に行きましょうか。フフフ……アハハッ!』

 

 妖艶な甘い声と共に、鞭が床を打つ。

 女王バケアリの思考はバケアリ兵に瞬時に伝わり、隠れている健を見つけるために行動を開始。

 見つけたら、殺しはせずに女王へと献上。

 たっぷりと痛めつけ、愉しみ、食らうのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日向食堂。

 街中にある大衆食堂で健の家。

 健の父と母が切り盛りしている極々普通の食堂だが、裏の顔は御守衆東北仙台支部の拠点のひとつである。

 そんな日向食堂の店先には、臨時休業の札が掛けられていた。

 

「ええ、ええ……そうですか……。分かりました……ありがとうございます……」

 

 沈痛な空気の中、健の父と母は各所への連絡に忙しなかった。

 

「白石の方も駄目みたい……。あちらの御伽装士、怪我の治療中みたいで……」

「そうか……。洋館の結界を破りに行った平装士の方も駄目みたいだ。ベテランの針生さんでも駄目か……」

 

 洋館の結界を破れないかと術に長けた平装士の隊が向かったようだが、それも失敗に終わったと健の父、晃に連絡が入っていた。

 健の母、裕子は悲痛な面持ちで近くの席に腰かけると頭を抱えた。

 

「大丈夫か?」

「県内の支部にはもう全部連絡した……。でも、どこもすぐには迎えないなんて……」

 

 御守衆、特に御伽装士は年々その数を減らしていた。

 後継者が現れなかった、出来なかった。

 戦闘による消失なども原因だ。

 また、命を懸けた仕事ゆえに怪我も絶えない。

 駆け付けたくとも、駆け付けられない。

 そういった返答ばかりが、晃と裕子には届いていた。

 

「……総本山に連絡は?」

「いいえ……」

「もしかしたら総本山付きの御伽装士が近くに来ているかもしれない。連絡してみよう」

「でも、そんな都合良く……」

 

 裕子の言葉は尤もであった。

 各地に赴き、危険な任務を遂行する総本山付きの御伽装士は当然人数も少ない。

 近くに来ている可能性も、とても低い。

 

「岩手の夜舞家……現当主のマイヤが総本山付きになったんだ。来てくれるかもしれない……!」

「でも、来るにしても三時間以上はかかるわ……!」

「諦めたら駄目だ! 大丈夫、健は強い。信じるんだ」

  

 弱音を吐く裕子を励ます晃であったが、その言葉は晃自身にも言い聞かせているようであった。

 そうして、晃は総本山へと連絡した。

 

「ええ、そうです……。ええ、ええ……分かりました……」

 

 受話器を置いた晃に裕子は声をかけた。

 

「なんだって?」

「とにかく、総本山付きの御伽装士全員に連絡はすると。ただ、現状で即座に駆け付けられるかは……。とにかく、待っていてくれと……」

 

 やはり、厳しいようだ。

 晃もまた椅子に腰を下ろし、足の上に置いた両の拳を強く握り締めた。

 

「俺が戦えれば……!」

「あなた……」

 

 現役を退いた晃の本心。裕子が優しく寄り添うも、とにかく二人は無力であった。

 とにかく、総本山からの連絡を待つ二人。

 時間がどんどん過ぎていく。

 そんな二人の様子を、二階から降りてきた黄泉が見つめていた。

 あの後、晃へと連絡した黄泉は力の使い過ぎで気を失い、駆け付けた晃によって日向食堂へと運ばれて、今しがた目覚めたところであった。

 

「やっぱり、御守衆は……」

 

 来ては、くれないのか。

 黄泉の心に、久しく眠っていた黒い物が蠢きだした。

 幼少の頃、化神に襲われ両親を失い、黄泉もまた左目を失うという悲劇に見舞われた。

 その時、御守衆は助けには来てくれなかった。

 黄泉を助けたのは、当時御守衆のやり方に反発し出奔した河南紫。

 御守衆のやり方では人を助けることなど出来ないと、はぐれ御伽装士として戦い、その中で健と出会い、今は日向食堂に身を寄せている。

 そんな黄泉であるから、御守衆への信頼はまだ薄いものであった。

 ここにいるのも、健の存在が大きいからだ。

 健とその両親は信頼こそすれど、御守衆そのものはまだ信用ならない。

 最近は上手くそのことを折り合いをつけていたが、愛する健の非常時に御守衆は何もしてくれない。

 仲間を助けることが出来ない御守衆。

 やはり、そんなものかと黄泉は諦めたら。

 こうなったら、何がなんでも自分が健を助けるのだ。

 黄泉の身体は動き出していた。

 

「黄泉ちゃん……!」

「どこへ行くんだ、まだ休んでないと……」

「健君を助けに行きます。私が、私が助けないと……!」

 

 晃と裕子の制止を振り切り、黄泉は外へ飛び出そうとする。

 出入口の戸へと黄泉が手を伸ばす。だが、戸は一人でに開いた。

 否、外から開けられた。

 

「ごめんくださいませ……」

「あっ……」

「これは……失礼を……」

「い、いえ……」

 

 黄泉の目に入ったのは、紅玉のような瞳であった。

 小柄で華奢。

 この大衆食堂には似つかわしくない、気品ある着物姿。

 紫に蝶が描かれた着物を、服に着られることなく着こなしている。

 

「あ、ああ……すいません、今日は臨時休業で……」

 

 裕子がそんなことを言うが、晃は着物の帯に付けられたある物に気付き、目を奪われた。

 

「御守衆の紋のバッジ……。そうか、君が……」

「夜舞薫と申します……。助太刀に、参上いたしました……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 店内の方が広いという理由で、テーブルを合わせ、その上にパソコンを置き、色々とセッティングがなされていた。

 

「あ、あー。もしもし、聞こえますか」

 

 薫がマイクに話しかけると、通話相手の画面もカメラに切り替わる。

 巫女服姿に金髪という、ちぐはぐな印象を受けるつり目がちな少女が映し出された。

 五十鈴真姫。薫の付き人である。

 向こうの準備は彼女がしていた。

 

「聞こえてます。大丈夫です薫様」

「それはよかった。おばあ様は?」

「いるよ」

 

 真姫に代わり、画面に映し出される薫の祖母、セン。

 画面越しにも威圧感が伝わり、晃は自然と姿勢を正していた。

 

「はじめまして。仙台支部の日向晃といいます」

「日向……先代のソウテンか」

「ええ、そうです」

「情報はこちらにも伝わっている。面倒な相手だが……充分、対処可能だ」

「本当ですか!?」

 

 センの気を遣ってもいない力強い言葉に晃と裕子、そして黄泉は思わず喜びに声を上げた。

 だがセンは、ただしと付け加えた。

 

「ゲツエイはいるか」

「……私です。皇黄泉といいます」

 

 突然の指名に、黄泉は戸惑いながらパソコンの画面を覗き込んだ。

 

「ふむ……お前さんが紫の弟子か……」

「!? 師匠を知っているんですか!?」

「んだ。旧い友であり戦友だ。話を戻すが、結界を破る技がある」

「ゲツエイに……ですか?」

「いや。ゲツエイとマイヤ、二人で放つ技だ。銘を、退魔覆滅技法・襲 月影之舞」

 

 黄泉は技の名を口ずさむ。

 師匠である紫からは聞いたことのない技であった。

 

「詳細は薫にPDFで送ったから読んでみろ」

「ぴ、PDF……」

「おばあ様、新しい物好きですので機械には強いんです」

 

 薫はにこりと笑いながら黄泉にそう言うと、センから送られてきたメールのファイルを開き、リモートの画面と共に並べた。

 

「この技は、かつて紫が強固な結界を操る化神を倒すために編み出したものだ。簡単に言えば、丑の刻参りのようなものだ」

「う、丑の刻参り……」

 

 黄泉達の脳裏に、草木も眠る深夜の森の中で藁人形に釘を打つイメージが浮かび上がり、なんとも言えない顔となる。

 

「ゲツエイが呪い、マイヤが打つ。効果は絶大だが、かなりの力を消費する。とはいえ、薫」

「はい」

「お前は私より神通力の制御は上手い。威力は私には劣るだろうが、無駄な力を消費しない分、戦闘の継続に大きな支障は出ないだろう。……しかし」

 

 懸念があるとセンは語った。

 

「私と紫は旧知の仲であったし、初めてこれを使った時もある程度の鍛練は重ねていた。しかし、お前達は違う」

 

 今日、今さっき顔を合わせたばかりの薫と黄泉。

 この技を実行するとなれば、予行もなしのぶっつけ本番。

 また、センからすれば薫の実力は分かっているのでそこに不安はないが黄泉に関しては未知。

 特に、結界に対して呪いをかけるゲツエイの役割は大きく、黄泉にかつての紫と同程度の実力を見込めるか……という点で不安が残る。

 

「マイヤとゲツエイの力をあわせる。そのためにも互いを信じなければいけない。お前さん達にそれが出来るか?」

「信頼……」

「……でも、やらないと健君を助けられない! やるしかない……私が……」

「……ともかく、私から言えるのは以上だ。質問は?」

「おばあ様。月影之舞、槍を放つ時の心得などあればお教えください」

「……ズバッと、ドンだ」

「ズバッと、ドン……。承知いたしました」

 

 伝わるんだ……と内心思いながら黄泉は薫を見つめた。

 ひとまずリモート会議は終了。

 終了となれば、ここにいる理由はないと黄泉は外へと飛び出した。

 しかし、薫には来た時からまるで急ぐ様子が見受けられず。

 それが黄泉の神経を逆撫でていた。

 

「早く! 急がないと!」

「黄泉さん……。お気持ちは分かりますが、気が急いてはいけません……」

「でも健君が……!」

 

 黄泉が薫に詰め寄ると、急に黄泉の視界が揺らいだ。

 足に力が入らず、薫に向かって倒れるも、薫はまるで動じず黄泉の身体を受け止めた。

 

「だいぶお疲れの様子……。これでは、月影之舞も出来ないでしょう……」

「そんな、こと……」

 

 やがて、黄泉は意識を失い眠ってしまった。

 眠った黄泉を晃が部屋まで運び、戻ってくると黄泉のことについて薫に話した。

 

「結界を破ろうと技をかなり使ったらしい。それで体力を消耗しているんだ」

「そうでしたか……」

「私から話すのもどうかと思うんだけど……。黄泉ちゃんは昔、ご両親を化神によって失くしていて、その時、御守衆は助けに来なかったらしいの……。私達や健には心を開いてはいるんだけど、まだ他の装士の人とかには……。そういうこともあってか、今は精神的にもかなり来てるみたい……」

 

 裕子が知ってる範囲での黄泉の過去について薫に教えた。

 黄泉のことを、悪く思わないでもらいたいという想いからであった。

 

「そうでしたか……」

「すまない……わざわざ駆けつけてきてくれたのに……。こんな状態では月影之舞も……」

 

 出来ないのではないか。

 そんな不安が、晃にはあった。

 今の不安定な黄泉では、と。

 しかし、それを薫は否定した。

 

「いいえ……。必ず、結界を破り……健さんは救出します……」

「それは……」

「誰かを想う心は……とても大きな力となります……。戦いの中で、学びました……。黄泉さんが、健さんを想う心もまた、そうでしょう……。それに……」

「それに?」

「助けられるものは助ける……。それが、夜舞家の家訓でございます……」 

 

 深紅の瞳は希望に燃えていた。

 人を、そして御伽装士の仲間を助けるという強い意志に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 洋館の中、健はクローゼットの中に身を潜めていた。

 

「閉じ込められてから、どれぐらい経った……? スマホも使えないし、外の様子も分からないしで時間が分からなくなってきた……」

 

 もう一日ぐらいは経過しただろうか?

 それとも実はまだ一時間ほどか?

 外の黄泉はどうしているだろうか。

 異変に気が付いて連絡してくれただろうか。

 けれど、あの結界がやはり難敵か。

 外から崩すのは難しいだろう。

 

「怨面を取り戻して中から崩せば……!」

 

 外は良くても、内は柔らかいかもしれない。

 なんとしても怨面は取り戻す。そのためには、隠れていては駄目だ。

 見つからないように行動し、怨面を確保する。

 行動に移そうとした時だった。

 扉が開く音。

 ぎぃ、ぎぃ、と床の音。

 部屋の中にバケアリが入ってきた!

 

「……!」

 

 息を殺す。

 早く、出ていってくれ。

 その願いが通じたのか、再度扉の音。床の軋む音はしなくなった。

 よかった、出ていってくれたか。

 よし、行動開始だ。

 クローゼットを開ける。

 

『キシャア!』

 

「ッ!?」

 

 バケアリが、扉の前に立っていた。

 

「こいつ!? 出ていったフリをしたのか!?」

 

 襲いかかるバケアリを回避し、部屋から飛び出る。

 部屋には逃げ場がないからだ。

 しくじった。

 向こうにそんな知能があると思わなかった。

 また、派手に動いてしまったから続々とバケアリ達が現れては向かってくる。

 

「くっそぉ!!!」

 

 やけっぱちに叫ぶ。

 自分も脱出のための努力はするけれど……早く助けに来てくれぇ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 厭な夢を見た。

 化神に殺される家族の夢。

 よく見る夢ではあったけれど、今日は違った。

 

「黄泉、さん……助け……!」

「健君!?」

 

 殺された家族は、健君になっていた。

 手を伸ばすも、届かない。

 間に、合わなかった……。

 

「いやぁぁぁぁ!!!!!!」

 

 絶望の夢は暗転し、目を開く。

 呼吸が荒く、全身汗ばんでいる。

 

「はあ……はあ……健、君……!」

 

 こんなことをしてはいられない。

 健君を助けないと……。

 白いアウターを手にし、部屋を出る。

 晃さんと裕子さんに見つかったら、まだ寝ていろと言うだろうから今度は隠れていこう。

 忍び足でこっそりとお店の様子を伺う。

 灯りがついてる?

 まだ、そこにいるのだろうか。

 チラッと覗くと、晃さんと裕子さんの姿はなかった。

 けれど……。

 

「もうお身体は良いのですか……?」

「っ!?」

 

 私に背を向けたまま、夜舞さんが訊ねてきた。

 バレていたなんて。

 諦めて隠れるのをやめると、夜舞さんはこちらを向いてにこりと笑った。

 

「晃さんと裕子さんも……お疲れのようでしたので、お休みいただいております……」

「そう、なんだ……」

「それでは、行きましょうか」

「え?」

「助けに、行かれるのでしょう?」

 

 首を傾げ、夜舞さんは言った。

 行く、けど……。

 

「止めないの……?」

「止めてほしいのであれば、お引き止めいたします……」

「そんなこと……ない!」

「それでは、参りましょう」

 

 そうして、私は夜舞さんが運転するオフロードバイクに乗っていた。

 専用マシンのアラシレイダーというらしい。

 というかビックリしたのが、バイクに乗るのに着物は駄目ではないかと思ったら、夜舞さんは帯をほどいたのだ。

 女の子が何をして……!?と思ったのだけれど、着物の下にライダースーツのようなものを着用していて、着物はロングコートになっていた。

 どういうことかとツッコミする間もなく、後ろに乗せられ夜の街を走っていた。

 深夜で車は疎ら。

 ストレスフリーといった感じで夜の道を駆け抜けていく。

 

「ねえ」

「はい?」

「なんで、止めないの?」

 

 風に負けないように声を張って問いかける。

 どうしても気になって。

 

「マイヤとゲツエイ……一緒でなければ、結界を破ることは出来ませんから……」

「でも、私……」

「……私は夜舞薫。16歳。誕生日は4月4日……」

 

 え?

 急に何を言い出したのかと思えば、自己紹介であった。

 

「え、えっと……?」

「まだ、ちゃんと自己紹介していなかったと思いまして……。よく知らない相手と共に戦うのは、不安でしょうから……」

 

 ……気を遣って、くれたの?

 いや、それは最初からだったと今になって気が付いた。

 私はずっと、焦って……怖くて……不安で……。

 

「愛する人の窮地には、誰であれそうなるでしょう……。私も、かつてそうでした……」

「え……」

「化神に拐われたことがあったのです……。私が近くにいたというのに……。あの時は、本当に恐ろしい思いをしました……」

「夜舞さん……」

「それはそれとして、その化神の墓を建てるとかあり得ないと思いませんか!?」

「え!? 化神の墓!? その人拐った化神の!?」

「そうです! ……その後、復活した奴とはなんだかんだで共闘とかしましたが……」

 

 それもまた驚きなんだけど!?

 化神と!?

 共闘!?

 何がどうすればそうなるんだろう。

 ……あれ。

 なんか、話しやすい……。

 

「夜舞さんも怒るんだ……」

「当然でございます」

「ふふ……」

 

 自然と笑っていた。

 そうか、夜舞さんのこと、なんだか人間味がないように感じていたから苦手と思っていたんだ。

 でも、好きな人が危ない目にあったら不安にもなって、怖くもなって、怒りもして……。

 一緒だ、私と。

 

「夜舞さんの好きな人はどんな人? 付き合ってるの?」

「明るく、前向きで、元気を貰える方で……。実は既に婚約を……」

「ええっ!?」

 

 まだ16なのに……。

 いやでも法律的には女の子は結婚出来る年齢だし……。

 

「健さんはどのような方ですか?」

「えー? 夜舞さんの好きな人と同じ感じかな~。おまけに御伽装士で強いわ!」

「それは……素敵な方で……。絶対に助けましょう」

「……ええ!」

 

 話しているうちに街を抜けて夜の闇が広がる山間部へ。

 待ってて健君……絶対に助けるから!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 洋館の前には術に長けた平装士達が諦めることなく結界の解呪を試みていた。

 

「お疲れ様です、皆様」

 

 薫が声をかけると、平装士達は手を止め口々に囁いた。

 

「あれが夜舞家の……?」

「まだ子供じゃないか」

「それが総本山付きなんて……」

 

 そんな言葉を無視して、薫はこの平装士達の長である禿頭の男と言葉を交わした。

 

「御伽装士マイヤ、夜舞薫です。状況は」

「仙台支部の針生です。根気強く解呪を続けていますが、効果は認められません。恐らく、行方不明者を喰らって力をつけたせいかと……。いや、もしかしたらかなり前から我々に悟られぬように活動していたのやも……」

「分かりました、ありがとうございます。結界と化神のことはお任せください」

「この結界をどうにかする方法がおありで?」

「ええ。ただ、正直に申し上げるとぶっつけ本番になります。私達が技を放つまでの間、皆様には周囲の警戒をお願いいたします」

「分かりました。邪魔はさせません」

 

 針生はそう言うと平装士をまとめ、指示を飛ばす。

 

「すごいわね、プロって感じ」

「まあ……特に最近は、現地の方と協力しますので……」

「さすが総本山付き……」

 

 黄泉と言葉を交わすと、二人は改めて月影之舞のおさらい。

 センが送ったデータを見返し、段取りの確認。

 薫も言ったが、ぶっつけ本番。一発勝負。

 練習をしている時間も余力もない。

 

「技の成功には私達の信頼が何よりも重要です」

「ええ。大丈夫。夜舞さんのことは信頼する。……でも、私術は……」

 

 黄泉の不安は術にあった。

 紫という稀代の術者が変身していた先代ゲツエイは術を主体に戦っていた。

 センの変身するマイヤとの共闘では後衛を担当していた。

 だが、黄泉のゲツエイはそれとは打って変わった。

 体術、退魔道具の大太刀を駆使して戦う紫とは真逆の戦闘スタイル。

 それゆえ、紫も黄泉には術をあまり教えなかったのだそう。

 最近になってようやく少し、実戦の中でコツを掴んできたという。

 

「どうしよう……見れば見るほど不安になってきた……」

「稀代の天才術者と呼ばれた紫様が構築された技……マイヤとゲツエイであれば放てるはずとのことでしたが……」

 

 薫としてはいつもとやることは変わらないので不安はないのだが、問題はやはり黄泉。

 ある意味で、師匠である紫に挑むようなものなのだから。

 

「私に出来るかな……」

「……不安な時は、想うのです……。大切な人のことを……」

「想う……健君……」

 

 目を閉じ、健のことを想う黄泉。

 次第に、顔から緊張が抜けていくのが目に見えて分かる。

 

「すぅ……ありがとう、少し緊張は解れたわ」

「いえ……。ふふ、健さんのことを想う黄泉さんは、大変、可愛らしく……」

「からかわないで夜舞さん!」

「ふふ……。ああ、どうか薫と、下の名でお呼びくださいませ……」

「! ええ、分かったわ薫ちゃん!」

 

 笑顔で応える黄泉に薫もまた笑顔で返した。

 だが、ここからは戦いの時。

 気を引き締め、二人はそれぞれの怨面を手にする。

 

「オン・アリキャ・コン・ソワカ……」

「オン・ビシャテン・テン・モウカ 舞え、マイヤ……」

 

 二人の身体に赤い刻印が駆け巡る。

 痛みを噛み殺し、二人は同時に叫ぶ。

 

『変身!』

 

 舞い吹雪く桜の花と蝶の群れ。

 白と桜色の黄泉のゲツエイと薫のマイヤ。

 数十年ぶりに、マイヤとゲツエイが並び立つ。

 二人は頷き合い、月影之舞を始動させる。

 

「札を……!」

 

 ゲツエイは札を放ち、マイヤの足下と結界に貼りつけ、マイヤは厄除の槍と共に夜舞神楽を舞い始める。

 しなやかに、軽やかに、煌びやかに

 

「オン・アリキャ・コン・ソワカ……オン・アリキャ・コン・ソワカ……」

 

 マイヤの足下、結界の札が徐々に輝き始める。

 マイヤはその様子から経過は順調と舞いを続ける。

 だが、そこから先が問題であった。

 マイヤの神通力は必要充分まで高まった。

 しかしゲツエイの神通力が、安定しない。

 

(黄泉さん……)

 

 まだ、疲労が取れずにいたか。

 マイヤはそう考えたが、ゲツエイ、黄泉に足りないものがあった。

 自分を信じること、自信であった。

 

(私に、本当に出来るのかな……。薫ちゃんは大丈夫でも、やっぱり私には……)

 

 その迷いが、ゲツエイの本来の力を発揮出来なくさせていた。

 あとひとつ、黄泉の背を押すものが必要────。

 

(────まったく、世話の焼ける弟子じゃ)

 

(え……)

 

 ひどく、聞き覚えのある声だった。

 黄泉の中に響いた、大切な人の声。

 

(師匠……! どこに、どこにいるんですか!?)

(そんなこと気にしとる場合か! まったく、教えることはもう無いと言ったがこればかりはしっかり教えねばな。心して聞くのじゃぞ、愛弟子)

(……はい!)

(まず、儂のことは考えるな。儂とお主では何もかも違う。マイヤもまた、センと孫の薫では違うように。自分流にいけ)

 

 紫の言葉のひとつひとつが、黄泉の力となる。

 弱まりつつあったゲツエイの神通力が勢いを取り戻し、札の輝きが増す。

 

(よし、いいぞ。では、次……信じるのだ己を、仲間を)

(自分と仲間を……)

(月影之舞は一人では放つことは不可能。マイヤがいるから放てるのだ。あやつを信じろ。捕らわれた小僧を信じろ。小僧を助ける力を持つ、己を信じよ。失敗のことなど考えるな、堂々と構えよ。お主は儂の修行に耐えきり、過酷な運命にも打ち克った。のう、愛弟子よ……お主は、強い子だ)

 

 それを最後に、紫の声は聞こえなくなった。

 だからといって、もう黄泉に不安はない。

 心強い人達が、自分のことを支えてくれている。

 だからもう────。

 

「オン・アリキャ・コン・ソワカ……! 今よ薫ちゃん!」

「承知ッ!」

 

 マイヤの眼前に浮かび上がる札が円を描き回転。

 準備は整い、技は成った!

 

「退魔!」

「覆滅!」

「「技法! 襲!」」

 

『月影之舞!』

 

 放たれる厄除の槍が深紅の閃光と化し、結界に貼られた札を刺し貫く。

 札を中心に一息で赤黒い亀裂が結界を走り、粉砕。

 結界は完全に破られた!

 

 

 

 

 

 女王バケアリの間では、女王バケアリが未だに捕まらない健に苛立っていた。

 

『こんなに捕まらないことある!? 子供達は何をして……ガッ!?!?』

 

 突如、女王バケアリを襲う強烈な痛み。

 そして、実感。

 まさか、まさか、まさかと女王バケアリの口は震える。

 

『結界が破られた!? そんな馬鹿な!?』

 

 

 

 

 

 

 

「館の中へと突入します! 平装士の皆さんは警戒してください!」

「行こう、薫ちゃん!」

「ええ」 

 

 マイヤは平装士達に指示を飛ばし、ゲツエイと共に洋館へと突入。

 扉を蹴破ると、中には複数のバケアリの姿があった。

 突然のことに動けぬバケアリをマイヤとゲツエイは一撃で滅する。

 数の分、一体一体の強さは大したことないらしい。

 

「健君! 健君どこ!」

 

 ゲツエイが健の名を呼ぶと、二階から返事が聞こえてきた。

 吹き抜けから顔を見せた健に思わず安堵するゲ

 

「黄泉さん!」

「健君! よかった無事で……!」

 

 感動の再会であるが、まだまだバケアリは現れる。

 余韻にはまだ浸れない。

 

「健君怨面は!?」

「その辺に落ちてないー!? って、うわ来た!?」

「その辺!?」

「あ……これですね……! ありました!」

 

 バケアリの集団を槍の一薙ぎで滅したマイヤが、床に落ちていたソウテンの怨面を発見し確保。

 健に渡したいが、あちらも結構窮地の様子。

 だが、ここで健が予想外の行動を取った。

 柵を越え、飛び降りようというのだ。

 

「投げてください!」

「……受け取って!」

 

 マイヤは健に向けてソウテンの怨面を投合。

 健は宙で怨面を掴み取ると、二階へと続く階段へと着地。それとほぼ同時に変身する。

 

「オン・マイタラ・ラン・ソウハ 羽搏け、蒼天! ────変身!」

 

 風に乗り、羽が舞う。

 空色の御伽装士ソウテン、見参!

 

『おのれぇ! 御伽装士ぃ!』

 

 館の影の中から女王バケアリが現れ、マイヤとゲツエイ目掛けて鞭を振るう。

 マイヤとゲツエイは飛び退いて回避し、マイヤは広間中央の階段、ゲツエイはソウテンの反対側の階段へと着地。

 三人の御伽装士が女王バケアリと相対。

 マイヤは槍を、ゲツエイは大太刀を、ソウテンは弓を構えて闘志を燃やす。

 

『なんなのよぉ!?』

 

「我が名はマイヤ。あなた方、化神を滅する夜の蝶でございます────」

 

『かかれぇ!!!』

 

 鞭を叩き付け女王バケアリが号令を飛ばすとバケアリの群れが三大御伽装士へと襲いかかる。

 だが、御伽装士は怯むことなくバケアリ達に立ち向かっていく。

 先陣を切ったのはマイヤ。

 身を捻りながら跳躍しバケアリ達の頭上を飛び越え、群れの中央へと槍を突き立て着地……とはならなかった。

 

「ハアッ!」

 

 床に垂直に突き刺さった槍を柱に、マイヤは肢体は滑らかに蠱惑的に舞い、バケアリ達を翻弄。読めぬ舞に惑うバケアリ達に、鋭い蹴りが炸裂!

 地に足つけることなく、華麗に舞い戦うマイヤのもとへとゲツエイが駆け付ける。

 

「薫ちゃん!」

「黄泉さん!」

 

 ゲツエイが伸ばした手を握ったマイヤは勢いそのまま、槍を支柱にコンパスのように円を描く。

 増す回転の勢いに気圧され、バケアリ達は近付くことも出来ない。

 そして、解き放たれるゲツエイの紅刃。

 

「退魔覆滅技法! 激昂一閃・廻!」

 

 超高速の一回転。

 草薙の大太刀で周囲のバケアリ達を一刀で斬りふせる。

 

「やるなぁ黄泉さん! 僕も負けてられないな!」

 

 退魔道具、穿空の弓矢を駆使して戦うソウテンは狙いを女王バケアリに定めた。

 放たれた矢を女王バケアリは鞭で叩き落とすと、続けてソウテンへと鞭を振るった。

 軽快に回避し、縦横無尽にソウテンは広間を駆け、跳び、女王バケアリを翻弄。

 

『大人しく打たれなさいよ!』

 

「そういう趣味はないからね!」

 

『なら……!』

 

 両肩の蝋燭から溶けた蝋を手に塗りたくった女王バケアリは蝋をソウテンへと向けて投げ散らかす。

 

「うわっ!」

 

 細かく無数に、散弾のように飛来してきた蝋を回避するソウテンは、さっきまで自分がいたところを目にしてひやりとした。

 蝋が着弾した箇所が激しく燃えたのだ。

 一瞬だったとはいえ、変身していても脅威と感じる熱。

 当たるわけにはいかない。

 当たらないのは、ソウテンの得意分野。

 素早く、鋭く。

 ソウテンとは、速き御伽装士である────。

 

「たあぁぁぁッ!!!」

 

『速い!?』

 

 無数のバケアリを掻き分け、壁をも駆け、空色の残像が女王バケアリへと接近し打撃を叩き込む。

 

『ガッ!? チィッ!』

 

 女王バケアリはこれ以上はやらせまいとピンヒールに似た足で弧を描くように床を擦ると、炎の壁が出来上がりソウテンを怯ませる。

 

『いきなさい私の子供達! 圧し殺しなさい!』

 

「数だけいたところで!」

 

 押し寄せるバケアリを回避し、槍を構えたマイヤが飛び上がる。

 

「はっ!」

 

 飛び上がったマイヤへと、ゲツエイが札を飛ばして術をかける。

 すると、無数のマイヤが現れ一斉に槍を投合。

 槍の雨に怯むバケアリ達。分身の放った槍は実体こそ持たないが、神通力で形成された槍はバケアリには威力充分。

 あれほどいたバケアリ達は全滅。

 

『子供達!? おのれぇ!!!』

 

 本体マイヤが放った槍を弾き、怒りに打ち震えた女王バケアリは迫るゲツエイとソウテンへと鞭を振るい後退させる。

 両肩の蝋燭の火は激しく燃え盛り、女王バケアリの怒りと連動していた。

 このまま女王バケアリごと燃やし尽くしそうなほどの炎の勢いは大技の発射態勢。

 炎を纏い、女王バケアリは御伽装士達へと向かい突撃していく!

 

『うああああ!!!!!!』

 

「健君! 薫ちゃん!」

「僕達もいこう黄泉さん! マイヤさん!」

「ええ」

 

『退魔覆滅技法!』

 

 三人の声が重なると、同時にジャンプし女王バケアリに向かいそれぞれのキックを放つ。

 ソウテンは風を、ゲツエイは炎を纏い、マイヤは溢れる蝶の群れと共に。

 

「碧空疾風脚!!!」

「偃月劫火撃!!!」

「千蝶一蹴!!!」

 

『ぐああああッ!!!!!』

 

 三人のキックが炎をものともせずに女王バケアリの胸を穿つ。

 吹き飛んだ女王バケアリは壁に叩き付けられ、そのまま磔にされたかのよう。だが、女王バケアリの炎は死してなお燃え尽きず、その炎は壁と床を伝い燃え広がっていく。

 

「危険です。出ましょう」

「うん」

 

 三人は館から飛び出ると変身を解除。

 一瞬にして燃え広がった女王バケアリの炎に包まれた洋館を見上げた。

 

「終わったね……」

 

 そう呟いた黄泉がふらつき、倒れそうになった。

 即座に健が抱き止め、無事を確認する。

 意識はあるようだった。

 

「黄泉さん!」

「えへへ……なんか安心したら力抜けちゃって……」 

「おーい! 後の事は任せて君らは撤収だ。消防も来るからね。送っていくよ」

 

 そうして、平装士達の長である針生が運転するバンに乗り三人は日向食堂へと。

 その道中、車内では健の肩を枕にして黄泉が寝息を立てていた。

 

「黄泉さん……」

「力をだいぶ使いましたから……ゆっくりお休みになられた方が良いでしょう……。健さんもお疲れでしょうし……」 

「うん、ありがとう……。ええと、カオルさん?」

「ふふ、夜舞薫と申します……。以後、お見知りおきを……」

 

 礼儀正しく気品のある薫に健は最初こそ戸惑うも、自らの窮地に黄泉と共に駆け付けてくれた人だと感謝をこめて名乗り返した。

 

「黄泉さんから聞いてると思うけど、日向健です。助けに来てくれてありがとう」

「いえ……助けられるものは助ける。それが、夜舞家の家訓でございます……」

 

 そう言って微笑みあった二人。

 空の色は、少しずつ明るくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日向食堂に到着した健を待ち受けていたのは母、裕子の抱擁であった。

 もしかしたらという最悪の事態すら予想されていたが、こうして無事ということが分かり、日向食堂は安堵に包まれた。

 安堵に包まれた結果、腹の虫が鳴った。

 誰のものかはあえて触れない。

 なんなら、鳴ったのは一人だけではない様子だった。

 

「よし、それじゃあ朝ごはんにするか!」

 

 というわけで、朝ごはんである。

 

 

 

 

「薫ちゃん美味しい? というかお口に合う?」

 

 裕子が心配そうに薫へと訊ねていた。

 当の薫はぱくぱくと綺麗な黄色に仕上がっただし巻き玉子を食べているところ。

 しっかりと咀嚼し、飲み込んでから裕子に返事した。

 

「はい……。大変、美味でございます……」

「よかった……こんな庶民の食事なんか出していいのかって不安だったのよ~」

「こんなとはなんだこんなとは」

「父さんも母さんもやめてよー」

 

 裕子の言葉に少しカチンと来た晃。二人の喧嘩を健は諌め、黄泉と薫は気にせず食べ進めている。

 薫の茶碗から白米がなくなるが、それではまだ足りない様子。

 

「あの、おかわりはどちらから……」

「あ、私がよそってくるね」

「あっ、黄泉さん……」

 

 薫から茶碗を取り、黄泉が調理場の方へ。

 ご飯を盛り、戻ってくると薫へと手渡した。

 

「はい、どうぞ!」

「ありがとうございます……」

「薫ちゃん、女の子なのに結構食べるね。華奢だし少食だと思ってた」

「黄泉さんがそれ言う?」

「なに健君?」

「な、なんでもないよ!」 

 

 ぎろりと黄泉の視線が健を貫く。健はすっかり縮こまってしまった。沈黙は金である。

 

「御伽装士は、身体が資本ですゆえ……。それと……」

「それと?」

「私、男でございます」

 

 その言葉に固まる薫以外の四人。

 薫は何も気にせず、白米を頬張り、焼き鮭の身をほぐし、口に運んでいた。

 

「あ、あはは。やだなー薫ちゃん! いきなりジョーク言うからびっくりしちゃったよ~!」

「本当、意外とお茶目さんなのね~!」

 

 空気を変えようと黄泉と裕子がそう言うが、薫は少し不服そうな表情となった。

 

「ジョークではありません。本当でございます」

「え、え、え。か、からかってるんだよね?」

「ですから、本当でございます。……見ますか?」

「見っ!?」

 

 薫は立ち上がると着物の帯をほどき始め……。

 

「待って待って薫ちゃん!?」

「分かった! 分かったから! 男の子だって信じるから!」

「そうですか……」

 

 何故かシュンとしながら薫は帯を巻き直す。

 こんな波乱もありながら、朝食が進んでいった。

 

 

 

 

 

 時刻はまだ8時を回る前。

 日向食堂の前では、薫はアラシレイダーに跨がっていた。

 

「大丈夫? 今から運転……3時間以上かかるんでしょ?」

「休み休み参ります……。それに、こういう機会でないと三陸道を走る機会もないでしょうから……」

 

 青森は八戸から仙台までを繋ぐ三陸縦貫自動車道。

 海沿いのこの道を真っ直ぐ走れば、その途中に薫の町がある。

 太平洋を臨みながらツーリングを楽しもうという魂胆である。

 

「薫ちゃん、本当にありがとう。助けに来てくれて」

「いえ……これからも、何かあれば……駆けつけます……」

「うん……! あ、それじゃあ私も薫ちゃんのピンチに駆けつけるね!」

「ふふ……それは、とても心強く……」 

「それじゃあね薫さん。いや、君……?」

「呼びやすい方で構いません……」

「それじゃあ……薫……さん!」

「はい……。それでは、またいつか……」

 

 アラシレイダーを走らせ、薫は帰路につく。

 その背を見送る黄泉と健達。

 その表情は明るく、笑顔であった。

 

「なんか、頑張ろうって感じしてきた……!」

「そうだね、修行頑張ってもっと強くなろう!」

「うん……でも、その前に……ねむ……」

 

 一晩中バケアリと鬼ごっこをしていた健。

 戦闘までこなして、鍛えているとはいえ流石にそろそろ限界であった。

 

「じゃあ一眠りしたら組手!」

「え! 今日から!?」

「よーし、俺も相手になるぞ」

「父さんまで!?」

 

 日向食堂に笑顔が戻る。

 二人の若き御伽装士の道はまだ長い。

 だが、この笑顔が絶えなければ二人に敵はないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気仙沼湾を越える横断橋を駆ける薫とアラシレイダー。

 おだやかに青々とした海の上を飛んでいるかのよう。

 この海のような平和な日々を守るため、薫達御伽装士の戦いは続いていく────。



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