ギャルゲー主人公の義妹もわたしを好きだと言っています。これは両思いですね (二葉ベス)
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第1章 ガチ恋社畜勢が告白するまで
第1話:起きたらヒロインになってた


百合です。


 意識が薄れていく。どうして。何故。

 理由は分かっている。

 

 社畜生活のつかの間の休日。

 以前から気になっていたギャルゲー『花の芽ふーふー』をプレイするべく、エナジードリンクをアホほど飲んで、画面の前に座り込む。

 コントローラーを手に取り、いざ!

 というときに限って、やってくるのは眠気なのだ。

 

「……ふあああぁ…………ねむ……」

 

 意識が薄れていく。嫌だ。寝たくない。

 惰眠をむさぼる休日はもったいない。

 

 こっくり、こっくり。

 時を刻む頭を無理やり起こして、何週目かのOPを目に入れる。

 ヒロインは二人。桃色の髪をしたお姉さんと、そして……。

 

「あぁ……幸芽ちゃんかわいいなぁ」

 

 かの愛しのエンジェル。夜桜幸芽。

 あの日、あの声を聴いて以来、ずーーーーーっとやりたかったこのゲームを、まぶたを擦りながらプレイする罪を神に懺悔する。

 本当なら眠くないときにやるべきなのだろうけど、眠くない日がないので、こうして徹夜を強行しているわけだ。

 

 眠い。眠たくない。眠すぎる。

 

 こくりこくりと秒針を刻んだ眠気は、ついに夢の中へと落ちていくのであった。

 

 ◇

 

 夢。将来の夢?

 Not.

 それはベッドの中の夢。

 

 眠るときに見る夢は、どうしてこうも自己投影型なのが多いのだろうか。

 例えば、何かを食べている夢。

 例えば、走る夢。

 例えば、誰かに恋をする夢。

 

『わたし、幸芽ちゃんが好き!』

 

 はえ?! 誰よこの女!

 わたしの幸芽ちゃんに告白しようだなんて、百億年早いんだよ!

 

 って、視点を改めて見れば、それはわたしから発した言葉だった。

 え? いいの?! 目の前にいるの幸芽ちゃんだよね!?

 あー、まさか幸芽ちゃんに告白する夢だなんて。まぁでも、わたしなんかの言葉なんてYESと言うわけが……。

 

『……いいですよ』

『へ?!』

 

 思わず声が出てしまった。

 夕日が沈む青空。オレンジ色に染まる屋上と、彼女の顔。

 照れているのか、それとも太陽に照らされているのか。紅色に染まる彼女の頬をどう読み取るべきか。

 

 それでも。これは夢の中なのだ。だから何をしたって許される。

 意識のわたしと夢のわたしの身体が同期する。

 これからは何をしたって許される。これからわたしが何をしようと勝手だ。

 だからわたしは小さくて可愛らしい両肩に手を添える。

 

『幸芽ちゃん……』

 

 っかー! このシチュいいなぁ!

 幸芽ちゃんの夢女子やっててよかったー! こういうのがあるから夢はたまらないんだ!

 

『……いいですよ、姉さん』

 

 姉さんだってー! 話には聞いていたけれど、まさか幼馴染のヒロインの呼び方で呼んでくれるとは!

 わずかに視界に入る桃色の線を視界に入れる。

 わたしの髪の毛ってこんなんじゃなかったけれど、そんな些細なことなんてどうでもいい!

 唇のその先を期待しながら、その可憐な顔にそっと顔を寄せる。

 一センチ。また一センチと顔を近づければ、吐息がかかる距離に。

 かわいい。抱きしめたい。目を閉じて震える唇を勇気で必死にこらえたそんな顔がとても!

 

 わたしも目を閉じて。そして……。

 

「……う、うんん…………」

 

 目が覚めるのが定番なのだ。

 それでも定番ではないのは目の前の景色だった。

 締め切って暗かった部屋の中はまるで昼間のように明るい。

 その割には遮られた白いカーテンが三方向を囲んでいて。

 それからわたしが眠る白いベッド。ギシギシと音を鳴らして、起き上がる。

 

「……見知らぬ場所だ」

 

 とあるアニメの主人公が言ったようなことを、わたしが本当に口にするとは思ってもみなかった。

 あれ、わたしギャルゲーやろうとして寝落ちしたんじゃなかったっけ?

 その割には綺麗な場所にいる気が……。

 

 その時だった。カーテンがシャーっとレールを流れる。

 思わずその音にびっくりして声を上げるが、それを気遣ってか男の子がわたしに声をかけた。

 

「花奈、びっくりさせてごめんな」

 

 花奈? わたしの名前はそんなのじゃなかったけど。

 ハテナを浮かべながら、その顔を見る。

 

「おい、目を覚ましたぞ!」

「本当ですか?!」

 

 混乱している中、わたしの耳に入ってきたのは愛しの声。

 何度も何度も何度も。聞いたその声は、わたしを支えてくれた、わたしがガチ恋している女の子。

 

「姉さん、大丈夫ですか?」

「……幸芽、ちゃん?」

 

 花奈、姉さん。そして幸芽ちゃん。この三つがたどり着く結論は未だに見えないけれど、唯一分かることがあるとすれば、それは……。

 

「……えっと、わたし。どうなったんだっけ?」

「覚えてないのか?! 頭にサッカーボールがぶつかって気を失ってたんだぞ!」

「あの時はヒヤッとしましたね」

 

 必死に考える頭で思考をぐるぐる回転させる。

 うつむいた際に、ふと視界の端に桃色の細い髪の毛が目に入る。

 そういえば、夢の中でもピンク色の髪の毛をしてたっけ。

 

 ……ひょっとして。

 

「誰か鏡持ってる?」

「あ、スマホなら」

 

 幸芽ちゃんがカメラモードを起動して、わたしの方に画面を向ける。

 そうしてようやく理解した。わたしを花奈と呼ぶ理由を。姉さんと呼ぶ訳を。

 

「これ、わたし……?」

 

 明るい色のピンク髪。目はたれ目の赤目で、雰囲気はお姉さんと言ってもいいだろう。

 そうだ。わたしはこんなお綺麗な見た目をしていない。

 それに、この見た目。どっからどう見ても。

 

「花奈、大丈夫か?」

「えっ? い、いや。あはは。大丈夫だよ!」

 

 『花の芽ふーふー』に登場するメインヒロイン、清木花奈その人なのだから。




はじめましての方ははじめまして。
繰り返しの方はこんにちは。
お恥ずかしながら、帰ってまいりました。

本作はだいたい10万文字想定と考えていただければ、
前作であるレンズ、リレシプよりは短くなるかなと思っています。

完走を目標として頑張っていきますのでよろしくお願いします。


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第2話:記憶喪失ってことにしておいて!

 ひょっとして、まだここって夢なのかな?!

 

 現在の状況を端的にまとめると、だいたいこんな感じになるのではないだろうか。

 何の拍子か。実は転生か、それとも夢なのかはさておき。この世界が美少女ゲーム『花の芽ふーふー』であることには間違いない。

 

 美少女ゲーム『花の芽ふーふー』。

 妙なネーミングをしているものの、コンシューマーゲームとしても発売されたことがあるほどの人気作だ。

 ヒロインは二人。

 優しいお姉さんチックで、少しおっちょこちょいなメインヒロイン『清木花奈』。

 そして主人公の義妹で、世話焼きな女の子。サブヒロインの『夜桜幸芽』。

 この二人と交流を重ねていって、恋愛していく―、みたいな趣旨だったはずだ。

 

 それなのに、何故わたしが主人公である夜桜涼介ではなく、花奈さんの中に入ってしまったのか。

 

 そしてもう一つ問題点がある。

 わたしは、このゲームまだ未プレイだったんだよぉ!

 

「あはは、ちょっと今までの事、思い出せなくって」

 

 こういうのって記憶を引き継ぐのがベターじゃないんですか?!

 花奈さんがどういう性格だったか、これっぽっちも分かっていない。

 それもそうだ。幸芽ちゃん経由でこのゲームを知ったのだから、幸芽ちゃん以外のことは眼中になかったのだ。

 そりゃあ、うん、口調も何もかも分からないよね。

 

「病院行ったほうがいいんじゃないか?!」

「い、いやそこまででは……。ほら、こうやって生きてるし!」

 

 その豊満な胸をそらして、鼻から息をこぼす。

 だから記憶喪失、ということにした。そうでもしなきゃこの状況誤魔化せないし。

 記憶がすり替わって言っておけば、意識がすり替わっていたって多少のことはバレないだろう。

 初対面の二人には申し訳ないけど、そういうことにしておきます。

 

「やっぱり心配です。あれだけ派手に吹き飛ばされたのに……」

「え、どのぐらい?」

「二、三メートルぐらいかと」

「うわーお」

 

 その割には擦り傷一つない。まさに健康体だ。

 どれだけ綺麗な受け身を取ったのだろうか、花奈さん。

 

「でもほら、わたしピンピン! 怪我とかないし!」

「それでも心配なものは心配です。私の幼馴染なんですから」

 

 清木花奈と夜桜兄妹は昔からの幼馴染であった。

 そんな閉鎖的な空間だからこそ、生まれる恋がある。それが『花の芽ふーふー』という作品だったらしい。

 もっとも、わたしはもうプレイできないであろう作品なのだけど。

 

「……じゃあ、わたしのことしばらく介護してよ!」

「え?」

 

 そしてこれは好機である。

 記憶を失った、ということは誰かの介護が必要になると言うこと。

 つまり、それを愛しの幸芽ちゃんにしてしまえば、合法的にお近づきになることが可能なのだ。

 なんて頭のいい考え! 悪魔的な発想! これは悪女と言われても不思議ではない!

 

「じゃあ俺がやろうか?」

「えっ?!」

 

 それは聞いてないですよ?!

 涼介さん、別にあなたのことは嫌いではないけれど、好きでもないんですよ。

 だからできればそのー。なんと言いますか、幸芽ちゃんがいいと言いますかー。

 

「あっ! それなら私がやります! 兄さんは引っ込んでてください!」

「えぇ……。なんでそうなるんだよ」

「なんででもです!」

 

 何故か幸芽ちゃんに決まってしまった。

 とてもよいことなのだけど、それはそれとして対抗意識を燃やす理由が分からない。

 うーん。これはゲーム本編やってないと知らないことなのかなー。

 

「えっと、介護役は幸芽ちゃんでいいんだよね?」

「はい。よろしくお願いします」

「うん! よろしくね!」

 

 差し出した握手の手をぎゅっと握って交流を交わす。

 幸芽ちゃんのおてて、柔らかいなぁ。

 気づけば、左手で幸芽ちゃんの手の甲をスリスリしていた。あぁ、肌すべっすべ……。生幸芽ちゃん……、犯罪的……!

 

「あ、あの。姉さん?」

「ん? なにかな」

「や……。え? ……なんでもないです」

 

 萎縮しちゃってる幸芽ちゃんはかわいいなぁ。

 などと考えながら、わたしは彼女の優しさを感じ取っていた。

 これでも見知らぬところにきて寂しかったんだ。

 だから幸芽ちゃんのこと、本気で感謝してるんだよ?

 ありがとう。これからよろしくね、幸芽ちゃん。

 

「なにか言いました?」

「ううん。なーんにも!」

 

 もしかしてわたしの独り言が口に出ていたのだろうか。

 小声でも、さすがに恥ずかしいな。

 照れを隠すために、社会に出た時から手にした武器である持ち前の愛想笑いを浮かべる。

 大丈夫かな。バレてないかな。そんなことを考えておきながら。

 

「ではまずは授業に戻りましょうか」

「へ?」

「まだお昼休みですからね」

「……はい」

 

 そっか。ギャルゲーと言えば学生。学生と言えば、授業だもんね。

 いきなりテンション下がってきちゃったな。

 生徒たちの騒ぎ声や、かしましく通り過ぎる女の子たちの鳴き声を聞きながら、同時に若返っちゃったな、なんて冗談も思いつく。

 学生時代。それなりに普通だったと思うけど、青も春もなかった日常だった。

 なら、これからは愛しの幸芽ちゃんを落とすために頑張りまっしょい、わたし!



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第3話:何故そこで愛?!

 幸芽ちゃんは年下である。

 まぁ、御年26歳+17歳のわたしからすれば、みんながみんな年下なのだけど。

 当然授業は別々。1年と2年の学習内容は別々なのだ。

 

「それじゃあ、また放課後に」

「うぅ……幸芽ちゃんが去って行ってしまうぅ……」

「たかが2時間ぐらいじゃないですか」

 

 わたしにとっては2年にも等しい生き別れなのだ。

 生き別れって使い方ちょっとおかしい気がするけど、それは棚上げしておく。

 

 幸芽ちゃんがいなくなる名残惜しさを教室に戻ってからでもひしひしと感じながら、よいしょ、という言葉とともに教えられた席へと座る。

 

「アハハ! ちょっとおばさんくさーい!」

 

 うぐっ。後ろの席の女の子にぐさりとナイフで抉られてしまった。ライフポイント十点減少でゲームオーバーだ。

 

「……えっと、どなたでしたっけ?」

「あ、記憶喪失なんだっけ。あたしは一色檸檬ね。改めてよろー」

 

 ハイタッチ待ちなのであろう手のひらを軽く叩いた。檸檬さんは嬉しそうだ。

 

「次の授業ってなんですか?」

「現国ね。マージだる」

 

 現国かぁ。わたし、ちゃんと理解できるかなー。

 なんて考えながら、やってくる先生。教科書を開くも、中身をそこまで理解できているわけではなかった。

 高校生時代のわたしって、なんでこれを解けていたのだろう。

 

「わからない……」

「……ということでー、清木。これの時のカエルの気持ちを答えろ」

「え? あー。えっと……」

 

 カエルの気持ちって、そんなの分かるわけないじゃん!

 あー、こんなことだったら勉強ちゃんとしておくべきだった……。

 

(43ページ目の7行目!)

「え? うん。『あぁ、凍えるほどひとりぼっちだ』ですか?」

「正解だ。この時のカエルは……」

 

 ふぅ……、助かった。

 後ろからの支援砲撃という名の、檸檬さんの助言のおかげでなんとかなった。

 

(ありがとう。助かったよ)

(いーってことよ。あいつまじ鬼畜だわ)

 

 わたしもそう思います。

 そんな感じでマッハに授業が終われば、いつの間にか放課後。

 分からないことだらけであれば、そんな時間の経過もあるわけでして。

 

「おつかれーぃ! あたしがこの辺案内しようか?」

「ううん。先客いるから」

 

 放課後ともなれば人の出入りも激しくなる。

 そんな中、教室の出口で待つ小さな影が一つ。そう。夜桜幸芽その人である。

 

「おー、夜桜さんちの幸芽ちゃーん!」

「はい。夜桜幸芽です」

「そっかー、幼馴染だもんねー。こりゃ参った参った」

 

 何が参ったのかは分からないが、なんとなく雰囲気を察してくれたのだろう。

 檸檬さんは親指を豪快に突き出してイイねのサインを繰り出す。

 

「仲良きことはいいことカナ! うむうむ!」

「……別に仲良くなんかは」

「仲いいもんね、わたしたち!」

 

 どうするか迷いはしたものの、こういうのは押しが最善手だと思い込み、幸芽ちゃんの腕を引っ張り上げて、片腕をわたしの胸元へと抱き寄せる。

 照れる幸芽ちゃんに赤くなる顔。んー、かわいい。

 

「ちょっ! なにしてるんですか、姉さん!」

「いやぁ、かわいい幸芽ちゃんを見てたらつい!」

 

 嘘である。

 仲良くなんかないという言葉を否定したくて、強引に腕を抱きしめたのだ。

 まぁ九割ぐらいかわいい幸芽ちゃんを抱きしめたいって気持ちでいっぱいだったのだけど。

 

「離してください! って、意外とチカラ強い!」

「愛のなせる力だよ!」

「なんでそこで愛?!」

 

 愛は偉大なので、チカラ強く腕を引き寄せても、ぎゅうぎゅうと胸を押し当てることで、なんだかんだ痛みがないんだよ!

 抵抗する幸芽ちゃんの肘がこすれて、少しこそばゆいけれど、それは幸芽ちゃんの愛を感じているってことで一つ。

 

「仲イイねー!」

「……そういうことにしておきます」

「やった!」

 

 名残惜しいけれど、あまり腕に引っ付いてるのもしょうがないので、腕の拘束を解除する。

 とはいえ、強引に行ったのは事実なわけで。

 だから謝罪の意を込めて、わたしはこう告げる。

 

「幸芽ちゃん、こういうのされるの嫌?」

「え?」

「多分、記憶喪失前の花奈さんはこういうことしなかったろうなー、って思うから」

 

 なんだかんだわたしだって空気は読めるつもりだ。

 それゆえに、今のは少しやりすぎたかな、と考える程度には距離を詰めすぎたと思っていた。

 愛しのエンジェルに待ってもらうって、すごく幸せなことだったから、愛が暴走してしまったけど、女の子同士とはいえ嫌な人は嫌だと思うから。

 

 幸芽ちゃんは唖然しながらも、やがてため息を一つ吐き出し、口にする。

 

「急じゃなきゃ、いいです」

「……え?」

「ほら行きますよ。行くところがいっぱいあるんですから」

「っ! うん!」

 

 そっか。急じゃなきゃいいんだ。

 ツンデレというか、照れ屋というか。そんな幸芽ちゃんだからこそ、わたしは好きになったんだ。

 

 わたしのことをどう思ってくれているかはさておき、わずかに感じる愛に身を震わせながら、わたしたちは街紹介、という名のデートを始めるのだった。



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第4話:野口一人=謎の気持ち

おかげさまで、小説の評価に色が付きました!
ありがとうございます!


「ここが食堂です」

 

「ここが視聴覚室です」

 

「ここが……」

「なんかつまらない」

 

 まずは学校案内、ということで一通りの特殊な場所を巡っているのだけど、幸芽ちゃんの説明が淡々としすぎていて、デートという感じが一切しなかった。

 それよりも業務の一環、と言ったほうがふさわしいレベルの説明っぷりだった。

 わたしの元上司でももうちょっと愛をこめて説明すると思うよ。

 なーんて、言えるわけもなく。気づけば一階の体育館へやってきた。

 

「そういえば幸芽ちゃんって委員会とか、部活動はやってないの?」

「別に。兄さん姉さんと一緒で帰宅部です」

「えー、幸芽ちゃん面倒見よさそうなのに」

 

 しばらくしてから、内心失言だったと自戒する。

 違う。記憶喪失という設定のわたしにその言葉は似合わない。

 まるで「実際に聞いてきたような」言葉は、実際のところ失言であった。

 

「……そう見えましたか?」

「え? うーん、うん! わたしのこと率先して介護しようって言ってくれたし!」

 

 最初は乗り気ではなかったように見えたけれど。

 

「理由なんて、少し打算的なものですよ」

「そうなの?」

「そうです。私のためです」

 

 あ。そういえば、こんな設定をどこかでちらりと聞いたことがあった気がする。

 

 ――幸芽ちゃんは兄の涼介さんのことが好きである。

 

 ほのかな恋心を胸に秘めながら、兄と妹である関係を続けている、みたいな。

 ギャルゲーではありがちな設定だけど、今ほどこの設定を考えたスタッフが憎らしいと思った。

 いや、ギャルゲーなんだから幸芽ちゃんがわたしではなく、涼介さんのことが好きってことは普通なんだけど……うーむ。

 

 幸芽ちゃんはわたしのこと、どう思ってるんだろう。

 もちろん花奈さんではなく、わたしのこと。

 気になりはするけれど、帰ってくる答えはきっと、なに言ってるんですか。という困惑だけだ。

 

 疑問は胸に秘めて。わたしは曖昧に自分を誤魔化す。

 

「でも嬉しいな。結局わたしのお手伝いしてくれたんだもん」

「なりゆきです」

「それでもだよ。ありがとうね」

 

 ちょっと迷惑かと思ったけれど、わたしがそうしたかったから耳の下から顎にかけて撫でる。

 

「んっ! な、なにしてるんですか?!」

「お礼ってことで一つ」

「なんですかそれは。もう……」

 

 迷惑だったかな。言葉だけでよかったかもしれないけれど、それでも手が勝手に触れてしまうのだからしょうがない。

 触れられた箇所をもう一度撫でるように、幸芽ちゃんの指先が動く。

 あ、これはちょっと嬉しそうだ。

 

「行きますよ。次は商店街に行くんですから!」

「はーい!」

 

 わたしたちの学校は比較的街中にある。

 だから少し歩けば大きめの商店街みたいなのがあるし、大きくて赤いタワーも生えている。

 っていうのを先ほど幸芽ちゃんから聞いたばかりなのだけどね。

 

「ここがお肉屋さんですね」

「へー、ブロックのお肉なんて初めて見たかも」

 

 炊事というものをやっておらず、カップ麺だけで済ませていたわたしにとっては新鮮そのものである。

 わたしが勝手に牛肉コロッケを注文していると、目線の先で何かが動くのが見えた。

 

「ん? なんだろうあれ」

 

 近づいて確認してみる。

 すると、情けない声とともに何かが地面に落ちるような音が聞こえる。

 電柱から姿を現したそれは、あははと笑った。

 

「兄さん?!」

「見つかっちまったか」

「何やってるの?」

「ちょっと見かけたから、追跡をな」

 

 かっこよく言っているが、要するにストーキングである。

 自分の兄である涼介さんに、幸芽ちゃんがややため息を吐き出しながら、手を差し伸べる。

 

「ほら兄さん、一緒に行きましょ」

「悪いな。お礼にコロッケおごるか」

「じゃー、わたしの分も!」

「今食べてるだろ! ったく、しょうがないなぁ」

 

 なんだかんだ言いながら、財布を開き、野口が一人お肉屋に消えていく。

 わぁい、ここのコロッケ! わたしここのコロッケだいすき!

 もしゃもしゃと口にする肉と衣のハーモニー。うん、美味しい。癖になっている。

 

「あ、姉さん。ほっぺた」

「え? こっち?」

「こっちですよ」

 

 左の頬に付いた衣の破片を指で掬い取ると、幸芽ちゃんが口へと運ぶ。

 ご飯粒じゃないんだから。とツッコもうとしたが、そんなのはどうでもよかった。

 え、今わたし、ガチ恋相手に間接頬ペロされた?!

 

「…………」

「どうかしましたか?」

 

 あっけらかんに呆けるわたしと何故か涼介さん。

 ハテナを浮かべる幸芽ちゃんの前に、何が起こったかを説明する者はいなかった。

 えっと。これはさすがに、自分の胸の中にしまっておこう。

 はしゃぐより先に、わたしが恥ずかしさで爆発しそうになってしまいそうだ。

 

「あ、あはは。なんでもないよ」

「……はっ!」

「兄さんも、どうしたんですか」

「いや、いつも見てるはずなんだけど、なんだこの感じ」

「兄さん?」

「な、なんでもないぞ?!」

 

 なんでもあるもんか。どうして動揺しているんだ涼介さん。

 本当に不可解な現象にわたしまでハテナが重たくて首をかしげてしまう。

 ま、まぁいいや。デートではなくなってしまったけれど、三人で商店街の案内をしてもらおう。

 

「よし。じゃ、じゃあ三人で回る?」

「そうですね。兄さん行きますよ!」

「あ、あぁ……」

 

 涼介さんの謎の言葉が胸に引っ掛かりながらも、わたしたちは商店街を再度歩き始めた。




謎の予感?


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第5話:地元民の行かない場所

「というか、本当になにも覚えていないんですね」

「あはは、面目次第もありません」

 

 そういうのはわたしを転生か夢かはさておき、ここに連れてきた神様に言ってほしいものだ。

 わたし無実。わたし、アリバイあり!

 商店街や周辺の街中を巡りながら、こんな場所があるんだーと、やんわりと土地勘を養っていた。

 

 商店街の中にある小さな映画館や大きなデパート。

 それから飲食店にパチンコ屋。あらゆるサブカルチャーや衣食住が取り揃えられたこの商店街は、曰くここに来ればたいてい何でもある。と言われるぐらいだ。

 もちろんこれは言伝だから、本当にどうかは定かではない。

 

 とはいえ、自宅から近ければこれほど嬉しいものはないだろう。

 そんな感じで自分の家がどこかを訪ねるも、返事は芳しくない。

 

「お前、そこまで覚えてないのか」

「私たちの家は電車で移動しないと時間がかかるので、ここへはだいたいお出かけ目的ですね」

「ふーん」

 

 そっか。この辺は覚えていても、デートスポットが頭に入ってくるぐらいなのか。

 クレープ屋に目移りしながらも、5丁目から歩いてきた商店街がついに終着点である1丁目まで到着する。

 

「じゃあなんでここを紹介したの?」

「まぁ、学校から近かったので」

「あ、左様で」

 

 そんな単純な理由でわたしをここに紹介したのか。なんていい子なんだ。

 口ではさんざん言いながらも、実際は世話焼きなんだから、このこのこの~!

 

「さて、どうしますか? このままテレビ塔まで言ってもいいのですが」

「テレビ塔?」

「ちらちら見えてたろ、あの赤い塔! あれだよ」

 

 涼介さんが指を差す先に見えるのは、文字通り赤くそびえたつ電波塔であった。

 恐らく現実で言うところの東京タワーをモチーフにしたであろうその場所は、なんとなく観光名所を彷彿とさせる。

 

 というか、このゲームのモチーフって実はあそこだったりしないだろうか。

 電波塔に商店街。それから時計台があれば、役満に等しい。

 行ったことはないけれど、転生前は一度行ってみたかった場所だ。

 学生三人で街中を散策する気持ちは、まさしく修学旅行のそれ。

 なんというか、ワクワクしちゃいますね。

 

「うわー、でっかー」

「いっつも思うけど、どんだけ高いんだよこのテレビ塔」

「三百メートルは超えてるって話ですよ」

「うわーお」

 

 天高く突き抜けたその電波塔は、観光スポットにふさわしい。

 そりゃ周りの観光客も写真を撮るわけだ。

 わたしもパシャリ。うん、おっきい。

 

「上ったりできるの?」

「地元民はここが目に入っても、中には入らないからな。でも行けると思うぞ」

「へー。入っちゃう?」

「ダメです。時間がないので、これから帰って夕飯です」

「まぁいっか。幸芽ちゃんとのデートの時に行こ!」

「その時は兄さんも一緒に」

「かったるいけど、まぁいいか」

 

 別に涼介さんはお呼びではないのだけど。

 わたしの本命は常に幸芽ちゃんだけだ。故に他に目移りすることなんて、ありえないんだよ。

 幸芽ちゃんの本命の相手が必ずしもわたしではないのだけども。

 

「いつか行きたいね」

「姉さんが記憶を取り戻したら、どうですか?」

「えー? さすがに……。かなり先になるんじゃないかなー」

 

 ひょっとしたら、これは夢かもしれないし、一度寝たら現実世界に戻ってしまうかもしれない。

 そんな恐怖はあるけど、なぜか記憶が戻ることはないんじゃないだろうか、って考え始めている。

 花奈さんという存在は、わたしでそのまま上書きされ、魂を失った肉体はそのまま朽ち果てる。

 そんな予感が、なんとなくするんだ。

 これは女の勘、ということにしておく。その方がミステリアスな女に見えるし。

 

「それは、ちょっと困ります」

「なんで?」

「だって、起きてから私へのタッチ激しいですし」

「そーかなー!」

 

 そう言いながら、幸芽ちゃんの後ろに回って抱きしめる。

 これが縮地の呼吸というべき距離の縮め方だ。わたしもよくわかってないけど、なんかできた。

 

「そうですよ!」

「いやーん!」

 

 チカラの限り引きはがされたわたしの身体は、くるくるとわざとらしく回転しながら、地面に不時着。およよと泣いてみた。

 

「あー、幸芽が泣かした―!」

「いや! えっ?! なにしてるんですか!」

「つい?」

「二人とも悪ノリが過ぎます!」

 

 さすがにぷんすか怒った幸芽ちゃん。

 怒った幸芽ちゃんもかわいいが、そろそろ引いておかないと夕飯のメニューに「null」と表示され、ただ机を見つめるしかなくなってしまう。

 わたしも涼介さんも、ごめんと謝罪してから立ち上がる。

 

「さて、帰りましょうか」

「だねー! 幸芽ちゃんの料理楽しみだなー」

「大したものは作れませんよ」

「それでもいいんだよ!」

 

 テレビ塔から歩いて、電車のホームへと降り立つ。

 今日の夕飯は何だろうな。やっぱり唐揚げとか、とんかつとか、揚げ物系なんだろうか。

 どんなものが出てきても、美味しいって言っちゃうんだろうな。

 だって、大好きな人の手料理が食べられるんだから!

 

「そんなもんですか?」

「そんなもんだよー」

 

 ハテナを浮かべる彼女の前に、今度は柔らかい笑顔を向ける。

 少なくとも8年間ほどはろくに手料理を食べていなかったわたし。

 口と胃の中でよだれと胃酸を量産しながら、わたしたちは電車がやってくるのを待っていた。




舞台はだいたいあそこです


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第6話:夢のような夢?

 カチャカチャ。

 

 トントン。

 

 グツグツ。

 

 何を作っているんだろうか。

 キッチンからやってくる香ばしいお肉の匂いに、おなかの音も連鎖する。

 あらかた自分の家の状況確認した後、もう一度夜桜邸へと帰還した。

 目的はもちろん、幸芽ちゃんのご飯だ。

 

 妹属性で世話焼き体質と言えば、料理上手というのがご定番。

 幸芽ちゃんについて知っていた情報の一つである料理上手が、今まさしく目の前で行われているのだ。

 おなかが空いて眩暈がしているのか。それとも単純に料理の知識がないだけなのか。

 幸芽ちゃんがやっていることが一切理解できていない。

 

「今日の献立は?」

「豚のしょうが焼きです。豚肉が安かったので」

 

 しょうが焼き!

 いいね、しょうが焼き。わたしも大好き。

 というか、お肉大好き。人間だもの、みんな肉を欲する獣なのだ。

 

 たれと付け合わせを完成させた幸芽ちゃんは、続いて少し大きめのお肉を油が引かれたフライパンへと投下する。

 ジュ―という香ばしく、人を魅了させる愛しの音色。

 この音を聞くだけで、ご飯三杯は余裕で食べられるだろうと言う程度には素敵すぎるハーモニー。

 お肉が焼ける音のために生きてきているようなものだ。

 

 しょうが焼きのたれをフライパンにかけて、少しの間味をつけている。

 

「腹減ったな」

「うん。まさに天国と地獄の狭間だよ」

 

 この時の天国はこの後、ご飯であること。

 地獄はその間、おあずけであること。うーむむ、早く食べたい……。

 

「そういや聞いてなかったけど、俺の名前は分かるのか?」

「涼介さんだよね。言ってなかったっけ?」

「幸芽からは兄さん呼びだし、俺からは特に何も言ってなかったから」

「そうでしたっけ?」

 

 今日の記憶をしばらく頭の中で探してみる。

 うーん、確かに言ってなかった気がするなぁ。

 とはいえ、率先して言うべき相手でもないし、いっか。と思ってスルーしてたな。

 

「俺にとったら、地続きみたいな関係だしな。記憶喪失大変だな」

「うん。でも嬉しいよ、気にかけてくれて」

 

 嘘をついてたとはいえ、気にかけてくれたのは紛れもなく夜桜兄妹なわけで。

 そういう意味では、本当のことを伝えたってかまわないだろうけど、それはそれで不審がられそうだ。

 

「お、おう……。俺が案内すればよかったな」

「その気遣いだけでうれしいよ」

 

 あからさまに頬を少し赤らめた態度。ちょっと動揺した点。

 やっぱり、涼介さんはわたし、というよりも花奈さんのことが好きなのだろう。

 だから献身的になれる。なんか、申し訳ないな。花奈さんじゃなくてわたしで。

 

「できましたよ」

「うし! じゃあ食べるか!」

「うん!」

 

 ……ちょっと待って。何気に三角関係になってない、これ?

 

 わたしは幸芽ちゃん。

 幸芽ちゃんは涼介さん。

 そして、涼介さんはわたし。

 

 ひょっとしてとんでもない状態にわたしがしてしまったのでは?

 

「いただきます!」

 

 とはいえ、考えるのは後でいいだろう。今はこの幸芽ちゃんが作ってくれたしょうが焼きを食べるんだ。

 口に運んで咀嚼。うーん。美味しい。醤油としょうがのしょっぱさと砂糖の甘さが絶妙に絡まって、それから肉が程よく柔らかい。

 噛むごとに味が肉汁と共ににじむ感覚。これが、手作りしょうが焼き!

 

「美味しい!」

「ありがとうございます」

「やっぱ幸芽が作る料理はおいしいな」

「当たり前です。勉強しているんですから」

 

 白米を口の中に頬張りながら、幸芽ちゃんはそう言ってのける。

 確かに勉強すれば、美味しいものも作れるかもしれない。

 だけどさ。

 

「勉強できるってことは好きってことでしょ? わたしはそれがすごいって思うな」

「……そうですか?」

「うん。お勉強って、歳を取れば取るほど億劫になっちゃうから」

 

 億劫もあるし、時間もないし。

 それでも勉強しようと思える。その心が大事なんだ。

 

「……なんだか、歳より臭いこと言うな」

「……え? あー、なんでだろう! あはは!」

 

 誤魔化すためにご飯をかきこむ。

 いつかやるんじゃないかって思ってたけど、まさか二十六歳らしく説教みたいになってしまうなんて。うぅ、恥ずかしい……。

 

「本当に変わったな」

「ですね。変な風に」

 

 そうだよぅ。元の性格分からないから、変な風に変わっちゃいましたよぅ。

 こんなことであれば、寝落ちなんてすべきではなかったなーって。

 でもこんな夢みたいな体験ができるんだ。それに越したことはない。

 

「ごちそうさま! わたしは家に帰ります!」

「大丈夫か? 一人で帰れるか?」

「帰れるよ! ……それじゃ!」

「おう、じゃーなー」

 

 もしもこれが夢だったら。

 わたしがもう一度寝て、起きたらどうなるのか分からない。

 夢から目が覚めて、二人のことも忘れてしまうかもしれない。

 それでも、伝えなきゃいけないことがある。

 

「ありがとうね、二人とも!」

 

 それでも、この言葉だけは伝えなきゃいけないって思ったから。

 幸芽ちゃんから何一つ声がかけられないことを気にかけながら、わたしは夜桜邸をあとにする。

 夢かそうじゃないかはさておいて。楽しい世界に来させてくれてありがとう。

 心からの感謝を、神様に伝えるのであった。



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第7話:さよならよりまた明日

「ただいまー、って誰もいないか」

 

 まさかこんなところだけはリアルとそっくりだなんて。

 誰もいない清木家の玄関を抜けて、リビングへと歩く。

 花奈さんの両親はどうやら夜桜家の両親と一緒に旅行に出かけている。それも世界一周の旅だ。

 そりゃあ数年帰ってくることなんてないし、何があったって、夜桜兄妹に頼ればそれで済む。

 だけどさ。

 

「やっぱ、寂しい」

 

 転生前、というよりも現実でも思っていたことだった。

 社交的なメンヘラ。と言えば自然か。

 ある程度コミュニケーションを取ることはできるものの、一度静かになってしまえば、途端に人恋しくなる。

 寂しいって感情の穴を埋めるために、仕事を頑張ってきたし、あの動画を聞き続けた。

 でもこうやってまざまざと一人ぼっちを味わってしまえば、忘れたい感情がぶり返してくるわけで。

 

 リビングに座って、寂しさを紛らわすためにつまらないことを喋るテレビに電源を入れる。

 最近はお笑い番組も減ったよね。だいたいトーク番組だけだ。

 なんて思いながら、うつろなる瞳は胸に抱えたクッションと共に天を見上げる。

 

 一人で連れてこられたこの場所は、確かに暖かい。

 二人は優しいし、檸檬ちゃんだって心強い友達だ。

 でも、物足りない。寂しさはいつまで経っても寂しいままだ。

 

「ダメだ。寝よう」

 

 こういう時は寝るに限る。

 テレビの電源を切って、自分の部屋へと戻ろうとした瞬間、スマホから電話の音が鳴り響く。

 その対象は少しだけ驚くべきものであった。

 

「もしもし?」

「幸芽です。夜分遅くにすみません」

「いーよ、幸芽ちゃんだもん!」

 

 気遣ってくれたのか、それとも気まぐれか。

 それは分からないけれど、どちらにせよ嬉しい事には他ならない。

 沈んでた心を浮かび上がらせて、彼女の反応を待つ。

 

「それより、どうかした?」

「……いえ。元気かなと思いまして」

「元気元気! さっきも会ったでしょ?」

 

 電話越しに少しだけ息がかかる音がした。ため息でもしたのだろうか。

 だとしたら、筒抜けだったのかな。そんなはずはないと思うんだけど。

 

「なんだか、姉さんは相変わらずですね」

「むぅ。さっきは変わったって言ったのに、今は相変わらず?」

「あ……。そういえば、まだ一日も経ってないんですよね」

 

 ――そういうことか。

 確かに、わたしにとっても濃密な一日だったと思う。

 だって今日生まれて、推しと幸せな毎日を送れるって考えたらこれほどウキウキすることはない。

 同時に気づく。これは夢の世界なのではないだろうかと。

 

 ――嫌だな。

 

 ふと口に出してしまったこぼれ言葉を、幸芽ちゃんは聞き逃さなかった。

 

「不安、なんですか?」

「あはは。大丈夫だよ!」

 

 なにが大丈夫なんだか。

 悪い癖だとは思いながらも、いなくなってしまう不安とここに一人ぼっちでいる寂しさと。

 隠すのへたくそだなわたし。もっとうまくやれよ。

 

「大丈夫じゃない声してますけど」

「何とかなってるんだもん。大丈夫だよ」

 

 今度は露骨にため息。

 なんだなんだ。呆れているのかい?

 

「そう言って、抱え込まないでください」

「抱え込んでないない! わたしチョー元気!」

 

 嘘。さっきまで寂しさで心を震わせていた。

 それでも悟られないようにするべく、わたしは心の防壁を固める。

 

「本当ですか?」

「信じてよぅ!」

「なら。なんで帰り際、すごく寂しそうだったんですか」

「えっ?」

 

 そんな顔してた? そんなわけない。あるけど、表に出すことなんて、してないはずなのに。

 

「また明日があるじゃないですか。なんで今生の別れになってるんだろーって、変だなって思ってたんですよ」

「あはは、そんなわけないよ」

 

 いつここからいなくなるか分からない。

 突然ここにやってきたわたしが、突然去る、なんてこともあるんだ。

 だからさよならは、できるだけさよならにしておきたい。

 また明日よりも、それじゃあね。さよならそして、またいつか。

 

 だからいつ最後になってもいいように、挨拶してたんだけど。

 

「不安ですよね、やっぱり」

 

 そんな言葉をもらっちゃったら、わたしも困っちゃうよ。

 

「姉さんは、いま不安なだけなんです。だから心配しないで、なんて言えないけれど。いつの日か安心できるようになりますよ」

「……わたしのこと、邪険にあしらってた割には心配してくれるんだね」

「幼馴染ですから」

 

 そう言葉を置いて、一拍開ける。

 

「私は姉さんがどんな不安を抱いているか、想像することしかできません。でも、私たちがそばにいるってことだけは覚えていてください。困ったら、相談に乗りますよ」

 

 その言葉には聞き覚えがあった。

 何度も繰り返した幸芽ちゃんの動画。

 兄さんを応援していると言う設定で作られたASMR動画。その印象に残っているセリフ。

 そっか。そうだよね。そばにいないように見えて、わたしは一人ぼっちじゃないんだ。

 

「ありがと。ちょっと心が軽くなったよ」

「ならよかったです」

「さすが、幸芽ちゃんだね」

「こんなの。幼馴染として当然のことです」

 

 そんなことない。幸芽ちゃんだからやれたことなんだ。

 そんなあなただから、わたしは頑張り切ることができたんだ。

 

「そういうことにしてあげる。じゃあ寝よっか」

「はい、おやすみなさい」

「うん、おやすみ」

 

 先ほどよりも寂しさで震えてない指で通話を閉じる。

 不安は取り切れたとは言い難い。結局夢で終わるかもしれない世界なんだ。寝たら、今度は現実世界に戻るかもしれない。

 それでも、幸芽ちゃんの言葉はわたしを救ってくれた。

 

「ありがとう、幸芽ちゃん」

 

 ――好きだよ。

 

 大好きを胸に秘めて。

 起きても、ここにいられるように願って。

 わたしは布団をかぶる。

 

 どうか、お別れは永遠に来ませんように。

 今のわたしはそう願うしかなかった。



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第8話:お察しの通り過労死です!

割と性格が悪いやつが、来るっ!


 夢、というのはだいたい泡沫と呼ばれるフワフワした存在だ。

 起きた後は基本的に覚えてないことが多い。

 

 だから目の前に存在している「いかにもな金髪天使っぽい見た目の女性」は、この夢から目覚めれば忘れてしまうのだろう。

 

「突然ですが! あなたは過労死しました!」

「……えっ?!!」

 

 わたしビックリ。目の前の天使はお腹を抱えて大爆笑している。なんて失礼な。

 

「いやぁ、予想以上の反応でカミサマの期待値急上昇!」

「かみさま? というかここはどこ?」

 

 あー、それはね。

 座っていた自称カミサマは立ち上がり、両手を組んで伸びをする。

 少し緩めで露出の高い白い服装が目に毒だが、それは置いておく。

 

「ここは神様であるカミサマが、あなたの夢の中でいい感じに介入したニューワールドだよ」

 

 ニューワールドだよ。と言われても、軽いノリで新世界を作られても困る。

 指先で撫でるように空間をなぞる。そうすれば世界は草原へと姿を変えた。

 ともすればもう一度。今度は見覚えのある街中に移動した。

 見覚えがある。そう、わたしが転生する前の街だ。

 

「過労死した、ってどういうこと?」

「んー、頑張りすぎちゃった、的な!」

「……え?」

 

 頑張りすぎた、とは?

 指をパチリと弾いて音を鳴らす。

 瞬間、場面が切り替わる。そこは光る画面を目の前にして倒れる女性の姿が一つ。

 

 間違いない。わたしだ。

 

「安心感から張っていた気力が一気に緩んで、そのままポックリ。見つかるまで数日かかったから、発見時はハエが集ってたとかー」

「やめてー!」

 

 その情報は絶対いらないと思うんだけど?!

 とはいえ、こうして見たら、幸せそうな顔で死んどる。死後の自分自身を見るだなんて体験、きっと転生時の特典でしか得られないだろう。

 

「じゃあ、今のわたしは?」

「まぁ、あの子だよね。清木花奈ちゃん」

「……そうなんだ」

 

 ある程度予想はしていたけれど、転生した先が清木花奈さんその人であった。

 割りこむ形でやってきたわたしは、彼女にどんな顔をすればいいのだろうか。

 

「本来はゲームの中の世界。だからカミサマが作ったもう一つの世界。あなたはその世界で第二の人生を歩んでいく。こんなに嬉しいことはないでしょ?」

「そうは、思わないかな」

「どうして? あなたにとって理想の人生じゃない?」

 

 何故。その疑問は清木花奈さんというもう一人のわたしを気遣ったものだ。

 

「終わったんだよ、わたしは。どんな形であれ、死者が生者に干渉するなんてよくないと思うし」

 

 不思議そうな顔でわたしを見る神様。

 悔いはある。でも生者を押しのけて生きようとは思わない。

 

「……なるほどねぇ」

 

 手のひらをパンッと叩いて、元の白い景色へと戻す。

 神様はニヤリと先程までの無邪気そうな態度から一変し、妖艶な微笑みを見せる。

 思わず警戒レベルを最大にまで跳ね上がった。

 

「ではあなたへの嫌がらせってことにしてあげよう。そういう奮闘する人間の姿は面白いからね」

「……性格悪いね」

「あーあー、人間の声なんて聞こえませーん」

 

 イラァ……。

 分かった。この人(?)は明らかにわたしをおもちゃにしようとしていることが。

 理解した。神様というのはこんな風に嫌な存在しかいないということが。

 あるか分からない次の転生には、親指を下に向けてバッドサインを出すことにすることにしよう。

 

「要するに、あなたはカミサマの娯楽として働いてもらうってことで! 幸芽ちゃんとも会えるんだし、Win-Winだね!」

「悔しいけど、そこは同意かも」

 

 イラッとは来るものの、幸芽ちゃんと会えるのはわたしにとっても利点はある。

 とはいえ、気になるところがないわけではない。それは人の心の問題。

 

「幸芽ちゃんの心をいじって、わたしを好きにさせる、とか。許さないから」

「しないしない! 神様って言っても人の心までは弄れないし」

 

 なはは、と笑う。

 どこまで本気かはわからないけれど、わかることがあるとすればたった一つ。

 おもちゃの恋愛を妨害するつもりはないということらしい。

 

「それじゃあまた今度ー! カミサマを楽しませてねー」

 

 体と意識がふわりと浮き上がる。あぁ、もうすぐわたしは目を覚ます。

 きっと今のことは覚えてないだろう。

 わたしはそれでいいと考える。今は余計なことを考えずに、この第二の人生を謳歌するしかない。

 それでも花奈さんには申し訳ないので、今度密かにお墓を作るとしよう。それがわたしができるせめてもの埋葬だと思うから。

 

 浮上する意識の中でわたしはぼんやりと考えていた。

 

「……朝、か」

 

 案の定なにも覚えていない。覚えていないけれど、不気味で不服な相手とエンカウントしたような気がした。

 

「ふあぁ……」

 

 ろくな夢を見た覚えがない。

 寝たはずなのに、精神的な疲れが妙に溜まっている。

 清々しい朝のはずが頭だけは重たいから間違いない。

 

「今日は……、学校か。後で幸芽ちゃんの家に行かなきゃ」

 

 なんとか楽しいことで考えを上書きしよう。

 よしっ! これから幸芽ちゃんと登校デートだ!

 楽しいことに切り替えて、わたしは学校の準備をすべくベッドから立ち上がるのだった。



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第9話:女子一晩会わざれば刮目せよ!

「ふあぁ……眠い」

「眠れなかったんですか?」

「うーん、夢を見たからかなぁ」

 

 幸芽ちゃんと涼介さんの二人と一緒に、わたしたちは登校している。

 そう、登校している! これは幼馴染って感じがして素敵すぎているんだ。

 ゲームならではの出来すぎた設定と関係性に感謝しながら、わたしはどこまでも続く青い天井の下を歩いていた。

 

「夢ってそういうもんだよな」

「うんうん、そういうもの! せっかくだったら幸芽ちゃんとの夢が見たかったな」

「……なんでわたしなんですか」

 

 え、だって好きだし。

 と言ってしまうのは流石に気が引けるため、どうにか誤魔化すことができる言葉を探す。

 

「えーーーーっと。介護班だし?!」

「介護班って、どんな夢を見るつもりですか」

「例えばご飯をあーんってしてくれるとか?」

「しませんよ、自分で食べてください」

「えー。わたし、幸芽ちゃんに食べさせてほしい!」

 

 よしよし。とりあえず誤魔化せたようで何よりだ。

 電車を待つわたしと幸芽ちゃんを視界に入れるように、涼介さんは何故かこちらをボーッと見つめていた。

 

「どうしたの、涼介さん」

「……いや、なんでもないっていうか」

「っていうか?」

「お前らそんなに仲良かったか?」

「へ?!」

 

 わたしとしては嬉しいんだけど、幸芽ちゃんがどう思うかどうか。

 単純に迷惑だったりしないのだろうかが心配であった。

 

「ま、まぁ幼馴染ですし。このぐらい当たり前です」

「そうそう! 涼介さんだって仲いいでしょ?」

「まぁ、そういうことにしとくか。仲がいいのはいいことだからな」

 

 笑う彼の姿に謎の違和感を感じながらも、やってきた電車に乗り込む。

 ガタンゴトンと揺られながら、わたしたちは学校最寄りの駅まで到着。その足で登校を完了させた。

 

「それじゃあ、私はこれで」

「……お昼、一緒に食べよ!」

「はい、お弁当もありますからね」

「俺の分は?」

「当然あります。期待して待っていてくださいね」

 

 ペコリとお辞儀して、幸芽ちゃんはそのまま自分の下駄箱へと去っていった。

 残されたのはわたしと涼介さんだけ。どちらともなく自分たちの靴を下駄箱に収納する。

 

「なぁ。やっぱり幸芽のやつと仲良くないか?」

「そうかな。普通だと思うけど」

 

 訂正。普通ではない。

 わたしは幸芽ちゃんのこと好きだからね。まぁ言わないけれど。

 

 そうだ。わたし、いつ幸芽ちゃんに告白しようか。

 浮ついている気持ちはあるけど、やっぱりわたしの想いというものをいつかは伝えたいとは考えていたし。

 いつにしよう。今日明日は流石に早すぎると思う。

 それでもいつまでも待つということは、我慢弱いわたしにとってありえないと考えていた。

 であるなら答えは善は急げの方がいいかもしれない。

 

「まぁ俺はいいけどな。最近お前たちを見てると妙な気持ちになるから」

「妙?」

「あぁ。花奈と幸芽を見てると、こう。得も知れない情動が湧き上がるっていうか。俺もよく分かってないんだよ」

 

 変なことを言う幼馴染だ。

 花奈さんを見ているだけなら分かるけれど、幸芽ちゃんとセット、ということになれば話は変わってくる。

 まぁ、いいかそのことぐらいは。

 別のクラスであるわたしたちは廊下で別れてから、昨日覚えた自分の席に座る。

 

「おはよ、花奈ちゃん!」

「ん、おはよう檸檬さん」

 

 軽く背中の友人に挨拶してから、わたしはスマホを起動させてブラウザを立ち上げる。

 

「なんか調べごと?」

「そんなところかな」

 

 内容は愛の告白について。

 こういうときに検索エンジン先生は偉大なのだ。

 灰色の青春を送っていたわたしには、特に。

 ちらりと画面を覗いてくる彼女からスマホを逃す。

 

「むぅ、見せてよー」

「ふつう、人にスマホの画面見せる?!」

「あはは、そうともいうね。でーも!」

「あっ!」

 

 スキを突いた檸檬さんにスマホを取り上げられてしまい、その画面を見せてしまう。

 画面を見て、フリーズした。

 

「……マジ?」

「……マジだね」

 

 あの花奈ちゃんがねぇ。などと言いながら、そっとスマホを返してくれた。

 その興味は調べ事から別のことへと変わっていく。

 

「で、誰なん?」

「言うと思ってるの」

「やっぱ涼介くんかなー! あたしも狙ってたんだけどなー!」

「え、違うけど」

「え?」

「ん?」

 

 ハテナ。なんで涼介くんになったのか。

 やっぱり一緒にいるから? 心外だ。わたしは幸芽ちゃん一筋である。

 

「む。じゃあマジで誰だ? ……教えてよ」

「無理。絶対教えない」

「秘密にするからさー!」

 

 このとおり! とお口をチャックする檸檬さん。

 それでどうやって信じろっていうの。

 

「まぁいいや。相談には乗ってあげるから!」

「ちなみに恋愛のご経験は?」

「ないよ!」

「ないのかい!」

 

 思わずツッコミせざるを得ない状況に陥る。

 ないから相手が気になるとか、そういうことでいいの?!

 

「まー、相談したら案外解決するかもしれんしさ!」

「……そうかもだけど」

「名前は言わなくていいから、ね?」

 

 確かに一人で抱えていても問題は変わらない。

 だったら相談して決めるのも十分手なのかも。

 餅は餅屋。きっといいアイデアを授かるかもしれない。ここは身を任せよう。

 

「実はね……。わたし、近々告白しようかなって」

 

 真面目な顔で、わたしは相談を始めた。



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第10話:朝のチャイムと、わたしの決意

今回はちょっと短め


「マジ?! 相手誰よ!!」

「聞かない約束じゃなかった?」

 

 あ、そだっけ。

 と言われて初めて気付いたかのように、舌をぺろりと出して反省のポーズを繰り出す。

 気になる気持ちはわかる。わたしだって逆の立場で、檸檬さんが誰かに告白しようって思ったら、相手が気になってしまうかもしれないのだから。

 

 でも言えない。相手が女の子であるから。

 こういうのって、たいてい男→女、みたいな異性に対しての愛の告白が主流だ。

 わたしだって自分のこと、ちょっと変だって思ってるけど、そういうもんだから仕方がない。

 

「めっちゃ気になる……」

「あはは、でも言わないよ」

「記憶喪失してから一日。身内を好きになったと見た!」

「もう! 詮索しない!」

 

 涼介さんではない、と言う情報を出した以上、わたしの否定はもう確定事項なのではなかろうか。

 顔を真っ赤にして、口に出したときには時すでに遅し。

 考える素振りからの、ハッとした表情がぐにゃりと歪む。

 

「なるほどねぇ……」

「な、なにが……っ?!」

「いやぁ、そういうのも悪くないと思うようん。お姉ちゃんと妹ちゃんの恋愛。うんうん、悪くない!」

「ゃ、や! そういうのじゃ、ないと……。うぅ……」

 

 これは完敗だった。

 顔を赤らめて、その事実を肯定してしまう。

 一つため息を吐き出して、よき理解者であり、隣人でもある檸檬さんに真実を告げることにした。

 

「その……。幸芽ちゃんが好きです。はい」

「かわいいよねぇ、幸芽ちゃん!」

 

 よく言えました、と言わんばかりに頭をナデナデ。

 嬉しいけど、それはそれとして真実を告げてしまったという気恥ずかしさが勝ってしまって、何も言えなくなってしまった。うぅ……。

 

「一緒にいる内に相手を愛してしまう。けれど、相手は女の子で……。禁断の恋が始まる……! 的な?」

「うぅ、やめてよもう」

 

 にはは、と笑って金色のサイドテールが揺れる。

 笑い事じゃないんだけどなぁ。

 

「でもあたしはすごくいいと思うよん。応援してる!」

「ありがと。でも面白がってるよね」

「もち!」

 

 ドヤ顔しながら、親指を突き出したグッドサイン。むぅ、踊らされてるな、わたし。

 

「まっ! 相談に乗ってあげっからさ! どんな感じよ」

「どんな感じって。まー、向こうは脈なしって感じかな」

 

 協力者を得た(得させられた)わたしは現状について相談することにした。

 とは言っても、記憶がある昨日からの話だけであり、その概要を伝えても檸檬さんはあまり納得がいっていないようだった。

 

「なんか劇的なー、みたいなのもないんね」

 

 あるにはある。わたしにとって劇的な、彼女にとって知らない『わたし』としての真実。

 でも転生前のことだから、言っても分からないだろう。あと恥ずかしいし。

 

「恋って落ちるものだってよく言うし、そういうものじゃない?」

「そうなんだけどさー。花奈ちゃん、なーんか隠してそうっていうか……女の勘的に」

「そ、そうかなー」

 

 隠してまーす!

 あまり大きな声で言えない理由だから伏せているのに、この女は……。

 

「まーいっか。告白をいつにしようか、って話でしょ」

「そうそう。すぐにでもいいけど、記憶喪失二日目で告白とかはちょっと……」

 

 実は記憶あるんじゃないですか? なんて言われたら、目も当てられない。

 記憶はあるんじゃなくて、上書きしてしまったからただただないだけなのだ。

 

「んー、別に言ってもよくない?」

「……それ本気で言ってる?」

「言ってる言ってる! 思い立ったが吉日っていう言葉もあるっしょ! あれと同じよ!」

 

 それはそうかもしれないけれど。

 納得できない理由に、首を傾げてしまう。

 でも、案外そんなものなのかもしれない。好きと伝えることに臆病になっていたら、一生言えるものも言えない。

 だったら真っ直ぐズドン。ど真ん中の最速ストレートで幸芽ちゃんのハートを射止めることこそが、一番の近道かもしれない。

 

「よし、分かった。今日の放課後、告る!」

「よしきた! 応援してるよ!」

「うん、ありがとう」

 

 朝のチャイムと、わたしの決意。

 ずっと言えなかった気持ちを、どうやって口に出そうか。

 どんな気持ちを、わたしは口に出せばいいのだろうか。

 考えれば考えるほど、ドツボにはまっていく気がするけれど、彼女を知った当時のことを思い出せば、答えは自ずと見つかっていくのではないだろうか。

 

 ぼんやりとわたし自身の気持ちに向き合いながら、わたしは授業を受けていくのだった。



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第11話:わたしの過去と好き

それは、わたしの過去


 わたしの前世は、いわゆる社畜だった。

 

 思い出すだけで疲れる程度には膨大な仕事量。

 上司の小言にセクハラ。同僚の半ば強引な飲み会。

 

 そりゃもううんざりだった。

 忙しくて多忙で、基本的にエナジードリンクばかり飲んでいた気がする。

 というか主食か。毎日飲んで体力を付けていたはずだった。

 

『はぁ……。疲れた』

 

 それでも疲れるのはどうしようもない。

 どうしようもないから、動画を見ながら夕飯でも食べてそのままベッドイン、とかも考えていた。

 そんなときだ。彼女の動画を知ったのは。

 

『ASMR? なんだろ』

 

 検索エンジンの先生は、直訳で自律感覚絶頂反応であるということだけ言って、ウィンドウから消えていってしまった。

 なんのこっちゃ。絶頂って書いてあるから、ちょっとエッチな内容なのかな。

 興味はある。疲れを癒せればそれでいいか。なんて考えから、わたしはその動画を開くことにした。

 

 動画が始まって数秒して、違和感に気づいた。

 これ、PCのスピーカーで聞くものじゃないな。

 だって左右から別の音が聞こえるんだもの、なんか変だ。

 

『あ、これイヤホンで聞く感じなんだ』

 

 検索エンジン先生はそう仰っているので、指示されたとおりに耳にイヤホンをつける。

 

『ひゃっ! な、なにこれっ?!』

 

 その瞬間、世界が変わった。

 目を閉じれば、まるで別世界に引き込まれたような立体的な音響。

 サワサワと、こそばゆく触っていく声色。

 その場にいるような彼女の言葉。

 

『今日も一日、お疲れさまでした』

 

 吐息まで再現しているような気さえする。

 労いの言葉に背中がぞわりとした感覚が襲いかかってくる。

 なんか、いいな。これ。

 

『しょうがないですね、横になってください。私が膝枕してあげますから』

 

 うぅ。本当に眠くなってきた。

 ささやき声から繰り出されるゾワゾワした触感。

 ついそれに従って、ベッドで横になってしまった。もうすぐレンチン終わるのに。

 

『兄さん、そういう時に限って頑張りすぎですよ。もっとゆっくりしたらどうですか?』

 

 頑張りすぎ、か。

 確かにそのとおりだ。身を粉にして働いて、稼いだお金はどこにも逃げずに溜まっていくだけ。

 そんな生活に何の意味があるというのか。

 でも。でもなぁ……。仕事が終わらないんだもん。

 

『よしよし。私がそばにいますから。困ったら、相談に乗りますよ』

 

 タオルをなでているのだろうか。そんな心地いい音が耳の中を通り抜ける。

 あー、レンチン終わっちゃったのに、全然抜け出せない。この膝枕から逃れられない。

 

『今日はよく、頑張りましたね』

 

 うん、頑張った。

 当たり前のことを、さも当然のように口にする。

 でもそんな言葉が、今のわたしに必要だったのかも。

 

『ゆっくり、おやすみなさい』

 

 まるで魔法のように。フッと意識が睡魔に溶けていく。

 あー、そういえばご飯レンチンしたのに。

 まぁいっか。今日はいい言葉をもらえたんだし、それだけで十分お腹いっぱいだ。

 

「……そういえば、こんなだったっけな」

 

 気持ちはいつでも変わらない。

 あの後、動画のタイトルを見てゲームを知り、幸芽ちゃんを知り。

 何度も何度も幸芽ちゃんの動画を聞き返して、そして頑張りすぎちゃった。

 体は休まってないのに、精神面ばっか回復してたんだから、そりゃ追いつかない。

 そう、死因はそれが原因だったのだろうね。

 

「でも、幸芽ちゃんに出会えた」

 

 昼間に約束した場所でわたしは待つ。

 時刻はおおよそ6時ぐらいかな。最終下校時間が迫っている。

 この屋上から見る夕日を二人で望むことができたら、彼女の夕焼け色に染まる顔を見ることができたら、勇気が出るだろうか。

 

「呼んだんだ。頑張れわたし」

 

 胸の前でふんっと拳を作って、自分を鼓舞する。

 大丈夫。ただただ出会ってから約1年間の想いを口にするだけなんだから。

 

「姉さん、何か用事ですか?」

「……幸芽ちゃん、来てくれたんだね」

 

 桜色の髪を揺らして、振り返る。

 そこにいるのは、栗色の髪の毛をしたかわいらしい乙女。

 わたしが恋するたった一人の女の子。

 

 ドキドキと緊張で心臓が早鐘を始める。

 夕日に照らされた白い肌はわたしの想いを映し出しているのだろうか。

 なんて、そんなバカな話はない。だから、息を吸って、吐く。

 

 覚悟は、固まった。

 

「えっとね。わたし……。わたし……っ!」

 

 部活の喧騒。

 吹奏楽部の笛の音。

 屋上の風のざわめき。

 そして、わたしの想い。

 

「わたし、幸芽ちゃんが好き!」

 

 高鳴る鼓動を口から吐き出して。

 わたしは、愛の言葉を口に出した。

 

「……突然、ですね」

「あはは、驚いちゃうよね、こんなの」

 

 愛想笑いで、わたしは眉をハの字に曲げる。

 やっぱダメだったかな。出会って一年。向こうは二日。そんな時差は限りなく大きいわけで。

 

「冗談だったりは」

「しないよ。わたしが幸芽ちゃんのこと好きなのは事実だから」

 

 嘘はつかない。つきたくない。

 だって、わたしの好きはわたし自身を支えてくれた魔法なんだから。

 

「……正直びっくりです。記憶が消えて二日だけなのに」

 

 どうして。そんな言葉が飛び出る。

 そりゃそうか。自分の立場になったら、わたしだってびっくりすると思うもん。

 だったら、納得する理由ぐらいわたしてあげよう。わたしを好きになってくれるのであれば。

 

「昨日の晩のこと、覚えてる?」

「はい」

「あの時、すっごく嬉しかったの。不安を取り除いてくれた、あなたがいてくれたから」

 

 いつもそうだ。

 わたしが不安になったらすぐに励ましてくれる。

 それが架空の登場人物だったり、動画だったとしても。

 わたしの支えとなってくれたのだ。あなたがいてくれたから、わたしはここにいるんだ。

 

「……私は、あなたが分からないです」

 

 少しだけ遠ざけられたような、そんな言葉が心を掠める。

 

「でも、気持ちは分かりました」

「幸芽ちゃんは……」

 

 ――わたしのこと好き?

 

 その答えに、きっとNOと答えるだろう。

 涼介さんのことが好きなんだ。しょうがないよね。

 

「……いいですよ」

「へ?」

「何度も言わせないでください。お試しです、お試し。兄さんの代わりです」

 

 それでも。だとしても……っ!

 

「ホントに?!」

「何度も言わせないでくださ――」

「ぃやったーーーー!」

 

 鳴り響く歓喜のわたし。

 震えるのは心。

 やれやれと言わんばかりに、ため息を一つ吐き出す幸芽ちゃん。

 

 いま、この時。わたしの願いは成就したのだ。

 わたしのハピネスライフは、これからも続く! なんちって。



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第12話:私の気持ちと嘘

それは、私の気持ち


 はっきり言って、好きと言われて何故? と考えていた。

 

 夕暮れに照らされた桃色の髪の毛が、風に揺れる。

 どんなことを言ったと思えば、それは愛の告白であった。

 

「わたし、幸芽ちゃんが好き!」

 

 びっくりしていた。

 なんで。どうして。

 姉さんは、花奈さんは私じゃなくて、兄さんのことが好きだと思っていたのに。

 少なくとも、記憶を失う少し前まではそう感じていた。

 

「……突然、ですね」

「あはは、驚いちゃうよね、こんなの」

 

 嘘だと思った。実は私のことをからかっているんじゃないかって。

 記憶を失ってから、人が変わったように立ち振る舞っている彼女であれば、当然のことだと思ったから。

 

「冗談だったりは」

「しないよ。わたしが幸芽ちゃんのこと好きなのは事実だから」

 

 だからこの回答にも驚いた。

 彼女の顔は、決して嘘じゃない、真っ直ぐな瞳をしていたから。

 誠実で、清楚で、清純で。

 姉さんにそろった三種の神器は、紛れもなくゲームのメインヒロインみたいに思えるほどだ。

 

 だから私は驚いた。

 幼馴染で、主人公みたいな兄さんではなく、この私を選んだことを。

 

「……正直びっくりです。記憶が消えて二日だけなのに」

 

 どうして。そんな言葉が飛び出る。

 まるで、自分の好きも忘れてしまったかのような記憶喪失。

 新たな誰かが、私を好きだと言ってくれた違和感。

 なんだろう。少しだけ姉さんが異質なものに感じられた。

 

「昨日の晩のこと、覚えてる?」

「はい」

「あの時、すっごく嬉しかったの。不安を取り除いてくれた、あなたがいてくれたから」

 

 確かに彼女は不安を覚えていた。

 当たり前だ。だって記憶を失ってから初めての一人ぼっち。

 自分の家だとは言っても、その感覚があるだけで、頭の中には存在していない謎の自宅。

 そんなところで一晩を明かせと言われたら、怖くなるのは当然だ。

 

 心配だった私は、声をかけたんだ。

 怖いですよね、って。私たちがいます、って。

 だから私のそれは気休めで、不安を取り除いただなんてお世辞にも言えない。

 言いたくない。

 

「……私は、あなたが分からないです」

 

 そんな言葉だけで私のことを好きになるなんて、勘違い甚だしい。

 理解はする。だけど気の迷いですよそんなの。

 

「でも、気持ちは分かりました」

「幸芽ちゃんは……」

 

 私の答えは決まってる。

 兄さんが好きという気持ちは変わらない。

 だから今から私は悪い女になる。

 姉さんの気持ちを利用して、兄さんの気持ちを裏切って、私の気持ちを通す。

 そんな。そんな悪女のようなやり口を、私は始める。

 

「……いいですよ」

「へ?」

「何度も言わせないでください。お試しです、お試し。兄さんの代わりです」

 

 兄さんの代わりです。

 だって私が好きなのは兄さんなんだから。

 お試しでも、そんなに喜ぶなんて思わなかったし、姉さんを騙すような形になって、すごく申し訳ないって気持ちでいっぱいだ。

 同じなんです。私と姉さんは。好きって気持ちに一直線なことが。

 

「ホントに?!」

「何度も言わせないでくださ――」

「ぃやったーーーー!」

 

 高らかに鳴り響く歓声と、震える鼓膜。

 うるさ。そう思わず言ってしまうぐらいには。

 

「えへへ。ごめんね! でもすっごく嬉しくって」

 

 まるで子供みたいにはしゃいでいて。人が変わったみたいに喜んで。

 本当に、変な人。

 

 でもそんな変な人と私は付き合い始めたわけで。

 接触はしてこないけれど、間隔が狭くなった気がする。

 

「一緒に帰ろ!」

「浮かれすぎです」

「えー、付き合いたて記念ってことで!」

 

 やっぱり浮かれすぎですよ。

 桜色の糸が、スカートが、ふわりと宙を踊る。

 まるでメインヒロインっていうか、こう、華やかというか。

 

 少しだけドキリと、胸の奥底が震えた気がした。

 なんだろ。分からないけれど、胸の奥に何か小さな塊みたいなのが生まれたような、そんな気持ち。

 分かんないや。分かんないから、ため息を一つ吐き出して呆れるそぶりをする。

 

「まぁ、仕方ないですね」

「やったっ!」

「でも手は繋ぎませんから」

「分かってるってば!」

 

 私の考えてることを読み取れるとでもいうのだろうか。

 妙に耳障りのいい返答を口にしてから、彼女は私の隣に立った。

 

「じゃ、行こ!」

「分かりましたよ」

 

 迷惑じゃない。だけど、その変化に戸惑っているだけ。

 何度でも言う。彼女の、まるで人が変わったみたいな態度に、私はついていけるだろうか。

 それこそまさに未来のことで、神のみぞ知る、みたいなもの。

 私の気持ちは変わらない。兄さんを好きって気持ちは変わらない。

 だから――。

 

「なんか、青春してるね!」

 

 この人のことを好きになることは、きっとない。

 ないって、信じたい。

 

「当たり前じゃないですか、学生なんですから」

 

 宵闇に沈んでいく街並みをビルの谷間から見ながら、私たちは自分たちの家に帰るべく、ゆっくりと歩き始めるのだった。



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第2章 気になるあの娘の気持ちがこぼれ落ちるまで
第13話:付き合いたてって何するか分からーん


第2章突入したりしなかったり


 幸芽ちゃんと付き合い始めて、はやくも数日が経過した。

 まったく、かわいいなぁこのこのこの~!

 と、頭をなでるぐらいに関係性が進展したかといえば、まったくそうではなかった。

 

「一緒に行こ!」

「いいですよ」

 

「なんか困ってない?」

「大丈夫です」

 

 やんわりと断られている。

 絶望的なまでの分断の壁が隔てられているのか、幸芽ちゃんと距離を感じてしまうのだ。

 

「何かしたかなぁ、わたし……」

「何もしてないからなんじゃん?」

 

 至極その通りである。

 檸檬さんの意見を真っ向から肯定してしまって、わたしの心はボロボロだ。

 何もしてない。確かに何もしていない。

 生前喪女だったし、女性はおろか、男性との交際経験もない。

 要するに、だ。

 

「だってわたし、誰とも付き合ったことないですもん!」

「草」

 

 結論は、そこにたどり着くのだ。

 頑張って告白したはいいものの、このあとどうすればいいのか。わたしはそれを知らない。

 

「どうすればいいと思う、檸檬さぁん!」

「あたしだって知らんし! つーか、なんだよ女の子と付き合うって! マジウケる」

「ウケないでよ! わたしだって女性なら誰でもいいってわけじゃないんだし!」

 

 幸芽ちゃんだからいいのだ。

 幸芽ちゃん以外だったら願い下げ。バッドサインを送ってさよならバイバイだ。

 多分、こんなところがモテない要素の一つなのだろう。

 

「まー、フツーはお出かけとか行くよねー」

「……お出かけかぁ」

 

 要するにデートだ。

 でもさすがは喪女。デートと言っても何をしていいか分からない。

 らしいことは初日にやってくれたし、そもそも幸芽ちゃんが乗ってくれるかどうか。

 

「どこ行けばいいんだろう……」

「商店街でよくね? あそこめっちゃいろいろあっし」

「……やっぱり下見かな」

「あたしが、行ってあげなくもないけど?」

「ホント?!」

 

 願ってもないチャンスだ。

 ギャルの檸檬さんなら、絶対ぜったいうまく行くはず!

 その差し出された右手を見なければ。

 

「アイデア料」

「……飲み物1本でいい?」

「あざーっす!」

 

 ため息を吐き出してから、カバンから財布を取り出す。

 一応花奈さん自体が意外とお金を持っていたから、なんとかなりそうなのだけど……。

 これは先行投資。これはアイデア料。わたしはそう言い聞かせて、最近覚えた学校の自販機へと向かう。

 

「さらばワンコイン。あなたのことはしばらく忘れない……」

 

 おおよそ一分間は忘れない。

 昔からの癖である家計簿を付けつつ、もう一本買っておいたジュースを口にする。

 

「何してるんだ?」

「あ、涼介さん」

 

 そこで現れたのは幸芽ちゃんの兄さんである涼介さん。

 やっほやっほと、挨拶しながらわたしはスマホの画面を見せてあげた。

 

「うっ、数字……」

「ひどいなぁ。家計簿だよ」

 

 今の時代、家計簿はスマホで入力することができる。

 文字を書いて計算して、みたいなことを一切しなくてもいい分、やはりスマホとは偉大だ。

 

「マメだな、花奈は」

「残高分かるし、結構便利だよ。涼介さんもどうかな?」

「悪い。幸芽ならまだしも、俺はそんなめんどいことは多分無理だわ」

 

 目元は髪の毛で隠れて見えないものの、苦そうな口元が苦手意識マシマシの味わいを浮かべている。

 入力するだけ、とはいってても、それが一番面倒くさいのだから仕方がないか。

 

「すごいよな、花奈は。前までそんなことやってたなんて言ってなかったし」

「へ?!」

 

 いや、これ元々持ってたスマホから入ってたんだけど。

 う、うーん……。ひょっとして、これ言っちゃいけなかったタイプか。

 

「今から涼介さんの記憶を消す方法ない?」

「なんで俺なんだよ!」

「このペンの先を見ていてほしいんだけど」

「まばたきしないでってか?! 絶対目閉じるからな!」

 

 あらら。黒服のグラサンをかけた男性ごっこができないとは。

 

「てか、なんでジュース二本持ってるんだ?」

「あー、おごり。アイデア料的な?」

「どういうことだよ」

 

 どういうこともこういうことだよ。とは言えないわけでして。

 さすがにあなたの義妹さんとお付き合いすることになりました!

 今度その方とデートしてきます! みたいなことを兄に言えるわけもなく。

 

「あ、そういや今度の土曜暇か?」

「ん? 多分暇だと思うけど」

「マジか! そうかそうか……」

 

 ん? なんだろうか。

 涼介さんが妙に照れ照れしているというか、何かを企んでいるのかにやにやついている。

 

「ちょっと買い物に付き合ってくれないかなって」

「どんなもの?」

「一応衣服かな」

「……ふーん。つまり意中の相手がいると」

「わ、悪いかよ」

「悪くないよ。むしろいい感じ!」

 

 女の子と服を買うためにデート。

 これは紛れもなく意中の相手へのアピールと言っていいだろう。

 その対象がおそらくわたしであることは置いておくとして。

 

「それじゃあ詳しい日時はあとで連絡しとくから!」

「うん、わかったよ」

 

 足早に去っていく涼介さんを尻目に、またジュースを一口。

 甘い。甘いなぁ。これが青春の味ってことかぁ。

 元々デートをどうするかって決めかねてたところだし、ちょうどいい感じかな。

 この際だ。涼介さんにはわたしの恋路の線路を作ってもらうとしよう。フフフ……。



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第14話:汗が交じり合う夏のハンカチ

ここから数話、NL注意です


 意中の相手ではないにしろ、やはり女として可愛らしく見られたいときはある。

 それは喪女であっても変わらない。

 

「うわぁお。かわいい服いっぱい持ってるなぁ」

 

 今は自分のものとはいえ、他人のクローゼットを漁るのは相当勇気が必要だ。

 十五分ほど勇気をチャージしてからクローゼットへ突撃すると、その眩さに目がつぶれそうになる。

 おしゃれなワンピースに、ちょっと肩が空けたシースルー。肩出しトップス。

 それからこれはノリで買ったのだろうか、甘ロリなドレスが埃をかぶっている。

 

「これ、わたしよりもいいもの持ってないか?」

 

 思わず独り言を口にしてしまう程度には、頭が痛い案件だった。

 それでも、今はわたしの、花奈さんのものだ。ワルは平然と人のものを使うのだ―! はーっはっはっは!

 

 ――数分後。

 

「組み合わせ、多すぎでしょ」

 

 などと絶望してしまうぐらいにはたくさんあるから困ってしまう。

 大抵はわたしのピンク髪に似合うような素敵な衣服が多いのだけど、ノリで買ったような代物は割と似合わないものが多い。

 確かにこの見た目で甘ロリ着るとなると、すこーし大人びているというか、見た目と衣服のギャップに驚いてしまうことだろう。

 

「シースルーもかわいいし、あとこっちのスカートもいいなぁ」

 

 まるで無料の試着会である。

 楽しい! こんなに服があると、本当に楽しい!

 なまじ見た目がお姉さんよりの可愛さがあるから、なおの事。

 初めてこの見た目に転生してよかったと思えるレベルだ。

 

「って言っても、時間が……」

 

 待ち合わせの時間が十四時。

 そして今は十三時半。メイクは済ませているとはいっても、たかがそれだけ。

 服を決めなければ、話にならないのである。

 

「うぅ、あとはこれも試したいし、あれも……。あー、もっと前から見ておくべきだった!」

 

 そうして時間はあっさり過ぎていくものである。

 時刻十四時十分。

 

『まだかかりそうか?』

「ご、ごめん! 今行くから!」

 

 もういいやこのワンピースで。

 急いで着てから、見た目を整えて、肩掛けカバンを左肩にのせて、いざ出発!

 

「ごめん、待った?」

「まぁ、うん。なんて言えばいいんだろうな、これ」

 

 ううん、今来たとこ。なんて嘘、言えるわけもなく。

 でも嘘でも言ってほしいところだ。それはそれでネタになるし、嬉しいし。

 遅れた理由なんて言えるわけもない。服選んでて遅れたとか、ちょっとダサいし。

 

「そのワンピース、似合うな!」

「そう? 選んだ甲斐があったよ!」

 

 でもこういうことを言われると意中の相手ではなくても嬉しいわけで。

 こういう気遣いができるところが、主人公の主人公たる所以か。わたしも主人公になりたいものだ。

 

「じゃあ行くか」

「うん!」

 

 距離を保ちつつ、街への電車に乗るために歩き始める。

 今日はまさしく夏日。シースルーでも着ていけばよかったけど、それは後の祭り。

 パタパタと片手で扇ぐうちわを作りながら、わたしは太陽の下を歩いていく。

 

「あっついな」

「そうだね。溶けちゃう」

 

 二人して、早くも駅に行きたいという気持ちだけが走り始める。

 お互いにやや早歩きになりながら、ずんずんと道路を突き進んでいく。

 

「買い物なんだよね?」

「そうだけど」

「わたしたち傍から見たら変な男女ってことになるけどいいの?」

「よくないけど! 暑いよりはましだ!」

「そのとおりだね!」

 

 タッタッタっと、早歩きで数分。普段とは比べ物にならないスピードで駅にゴールインしたわたしたちは、やや息を切らしていた。

 

「涼しいけど」

「疲れたな」

 

 電車を待ちながら、わたしたちはベンチに座って休憩。

 汗ばんだ皮膚と髪の毛をハンカチで拭う。はぁ、あっつ。

 というか、涼介さんも名前の割には髪の毛が暑苦しい。さぞ暑いことだろう。

 仕方がない。お姉さんが汗を拭ってあげようじゃないか。

 

「涼介さん、顔出して」

「ん?」

 

 左手で涼介さんの髪の毛をかき分けようとした瞬間、猫の超反応が如く、ピョンと後ろへ退く。

 

「どうしたの?」

「いや……。いや、それはその。女としてどうなんだ?」

「なにが?」

「こう、あるだろ。自分の汗と俺の汗が混ざるとか、そういうの」

 

 ひょっとして、間接キスとかそういうの考えてたりします?

 

「あはは、わたしは気にしないよ!」

「いや、昔のお前だったら……。いいや。今は今だし」

「ぐちぐち言ってないで、ほら頭貸して!」

 

 意外とさらさらとした髪の毛をかき分けて、額にたまった汗を拭っていく。

 心なしか彼の顔が赤いように見えるものの、それは思春期特有の照れだということにする。

 黒い目の瞳は、意外とまん丸で可愛らしい一面もあるな、という反面、髪を切ればいいのにと思ったりもする。

 

「はい終わり! 涼介さん、髪切ればいいのに」

「……面倒なんだよ」

「そういうことにしとく。そろそろ電車来るよ」

「ん」

 

 なんとも微妙な空気感になりながらも、それでもまん丸ヘアの涼介さんと一緒に、わたしたちはクーラーの利いた電車へと乗り込んでいくのであった。



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第15話:ラッキースケベと心配は紙一重

 拙者、現在の清木花奈。清木花奈は喪女である。

 前の彼女のことはちょこちょこっとは情報を仕入れてはいたものの、クローゼットの中身で確信していた。

 あぁ、この子。普通にファッション好きだなー、って。

 

「どうした?」

「いや、本当にわたしで大丈夫だったの?」

 

 電車にガタゴト揺られておおよそ十数分ほど。

 たどり着いたのは中心部の街。以前も幸芽ちゃんや涼介さんとやってきた商店街だ。

 目的は涼介さんの衣服探しだと聞いていた。

 

「いいに決まってるだろ。今さら何言ってるんだ?」

「そっか。あはは、お世辞でも嬉しいよ」

 

 きっとお世辞なんかじゃないってのは分かっていた。

 涼介さんはわたしに好意を向けている。

 その事実が変わっていないのであれば、このデートを誘った理由は何となく察しがついていた。

 

「お世辞じゃないんだけどな」

「じゃあ、そういうことにしておく!」

「ありがとよ」

 

 お世辞、っていうのは、そういう意味じゃないんだけどさ。

 わたしはファッションのフの字を知らない。

 こんなわたしだ。学生時代に春があったかと言われれば、NO。

 社畜時代はありえない。そんな灰色の人生を歩んでいたのがわたしだ。

 だから人が喜ぶかな、っていうファッションが分からない。分かるのは値段ぐらいだ。

 

 適当なお店に入って、ちらりとメンズシャツの値段を確認する。

 ……眩暈がした。

 

「涼介さん、いつもどこで買ってるの?」

「ん? ……あー、ごく一般的な大衆向け衣類店、あたりかな」

「あー……」

 

 つまり無理してここに来たと。

 いい感じにお洒落だしね、ここ。

 

「どうかなされましたか?」

 

 と、突如草むらから飛び出してきたのはアパレル店員である。

 

「えっ?! い、いや」

「お客様、いいスタイルしていますね! こちらなんかはいかがですか?」

「あ、わたしは。その……」

 

 アパレル店員に対して、日陰者というのは基本無力である。

 されるがままやられるがまま。背中を押されて試着室に取り込まれてしまった。

 

「あれ、花奈どこ行った?」

「彼女さんなら、先ほど試着室に」

「かのっ……! い、いやあいつは幼馴染で……」

 

 浮かれちゃって。わたしの恋人は幸芽ちゃんたった一人だっていうのに。

 知らぬが仏というべきか。あなたの義妹さんとお付き合いしてるんです、なんて機会がなければ言いたくないし。

 ワンピースのチャックを下ろして、試着用の服に着替える。

 

「……やっぱりスタイルいいなぁ、わたし」

 

 さすがに上書きされてから数日経ったからかは知らないが、だいぶ自分の身体にも慣れてきた。

 花奈さんのボディは言ってしまえば、出るところはしっかり出ていて、引っ込むところは引っ込んでいる。

 腰のくびれとか、生前のわたしにはなかったものだし、何よりこの胸!

 忌々しい。多分Eぐらいあるぞ。さすがは美少女ゲーム。こういうところは男性向けだ。

 

「わたしは幸芽ちゃんみたいなちんちくりんの方が、かわいらしくて好きなんだけどな」

 

 着替えながら、幸芽ちゃんのボディを想像していた。

 設定では、確か身長は百五十超えてなかったはず。その割には胸がCだったはずだから、結構大きいんだよね。

 そんな身体を上目遣いしてきた日には、わたしの死が確定してしまうわけで。

 ノックダウンアンドKOまでの道のりが見えてしまっている。

 

「花奈―、まだかー?」

「あ、ちょっと待ってて」

 

 というか、胸が引っかかる。

 Eともなれば、それだけいい感じに胸が大きいわけで。

 要するに、衣服が腰まで覆いかぶさらないのだ。

 裾を引っ張っても、おへそのあたりがどうしてもはみ出してしまうのだ。

 

「んっ! んんー!」

 

 引っ張っても、手を放せばポヨヨン、と胸が跳ねておへそが出てくる。

 これは、まずい……っ!

 

「大丈夫か?」

「あ、あーうん。ジョブジョブ!」

 

 訂正。大丈夫じゃない。

 腹巻欲しい。せめておへそを隠す布!

 さすがにここは出したくないというか、微妙に恥部じゃん!

 鼠径部までは見えないけど、へその緒というママンと繋がってた部分だ。恥ずかしいんだよ、そこ見られるの!

 

「ホントに大丈夫か?! 開けるぞ!」

「えっ、ちょ!!」

 

 カーテンに手がかかる。

 ま、まずい。これから先は本当に……!

 

「とりゃっ!」

「痛っ!」

 

 だがその手がカーテンを開けることはなかった。

 何者かの奇襲によって、涼介さんの頭にぱこーんとヒットする。

 思わず両手を頭に置いてしまうぐらいには痛かったのだろう。

 とりあえずカーテンから顔だけ出して、様子をうかがう。

 

「死んでない?」

「生きてるよ……」

「あはは。やっぱこれ似合わないから、元に戻すね」

「お、おう……」

 

 ため息をつきながら、試着室の椅子に腰を下ろす。

 今のがラッキースケベの前兆だったのかもしれない。

 危なかった。ここから先に行かれたらイベントスチル入りしてしまうところだった。

 

 それにしても、いったい誰が涼介さんの手を止めたのだろうか。

 元のワンピースに着替えながら、わたしは物思いに耽る。

 思い当たる節が見当たらない。檸檬さんも幸芽ちゃんも、ここにいるなんて知らないだろうし。

 うむむ……誰だったのだろうか。

 

 深まる謎と、ワンピースに着替えた安心感を胸に、わたしはカーテンを開くのだった。



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第16話:庇護欲の覚醒

「小腹空いてないか?」

「ちょっと空いたかも」

 

 時刻は十六時ぐらい。お昼と夕方の境目ぐらいの時間帯だ。

 当然、お腹は空腹を迎えている。何を食べたいだろうか。ハンバーガーやコロッケ、手ごろに食べられるコンビニのフライドチキンもいいかもしれない。

 想像すればするほどお腹が空いてくる。

 

「何食べる?」

「んー、コロッケにしよ!」

 

 決めた。あの時のお肉屋さんの牛肉コロッケだ。

 あれはいい。毎日でも食べたい。そんな気持ちにさせてくれる一品だ。

 口の中でじゅるりと唾を飲み込んで、お肉屋さんへと足を運ぶ。

 

「試着のやつ、ホントに似合わなかったのか?」

「……あー、うん。あはは。ちょっとサイズがね」

 

 もう一つ決めたことがある。

 服を買うとき、いつも買っていたものより、ワンサイズ大きいものを買うということだ。

 

「それは、すまん」

「わ、わたしは気にしてなかったし!」

「いや、それでもだよ。覗こうとしたことは変わりないし」

 

 この人は、本当に……。

 謝るべきところはしっかりと謝る。できた男だこと。

 こりゃ花奈さんも幸芽ちゃんも堕ちるわけだ。

 

「そういうとこ、好きな子にしか見せちゃだめだよ」

「は、はぁ?! なんでそうなるんだよ!」

 

 照れちゃってまぁ。

 これが幸芽ちゃんに向けられない好意だと思うと、少しだけ寂しくなってしまうな。

 

「どういうことだろうねー」

「からかいやがって……。って、あれ?」

 

 突如涼介さんの足が止まる。

 その視線の先。そこには栗毛のふんわりとした髪の毛。ちんちくりんな身体を身に宿した彼女の名前は、夜桜幸芽その人であった。

 ちらりと目線を配らせた幸芽ちゃんが、気まずそうな顔を始める。

 

「え、どうした?」

「い、いやぁ、うん。こんにちは」

「幸芽ちゃーーーーーん!!」

「うわっ! ちょっと抱きつかないでくださいってばぁ!」

 

 出会いがしら衝突。

 数時間ぶりに抱きしめた幸芽ちゃんはちょっと外の匂いがするけど、シャンプーのいい匂いが鼻孔に響くなぁ!

 

「…………」

「兄さん、ボーっとしてどうしたんですか?」

「……あっ。いや、仲いいなぁと思ってな」

「前も言ってたよねー、それ」

 

 兄公認とはこれはもう結婚してもいいということでは?!

 まぁ当たり前と言えば当たり前なんですけどー!

 幸芽ちゃんは、わたしの嫁だ。

 

「なにニヤついてるんですか!」

「いたたたっ! ほっぺつねらないで!」

 

 つねったと同時に、チカラが緩んだわたしからすり抜ける形で拘束状態を解除する。

 うぅ、わたしはただ幸芽ちゃんと身体的コミュニケーションを取ろうとしただけなのに。

 

「それにしても奇遇だな。幸芽は買い物か?」

「まぁそんなところです。兄さんたちはデートですか」

「へ?!」

「そ、そんなことねぇよ! なっ?!」

 

 わたしに振らないでくださいよ。

 まぁいいや。わたしにとってはデートじゃないんだし。

 

「違うよ。デートするなら幸芽ちゃんがいい!」

「隙あらば、くっつかない!」

 

 だってしょうがないじゃないか、一線超えてしまったのだから。

 走る幸芽ちゃんを追いかけて、手を掴む。この足が速くてよかった。

 

「な、なんですか」

「手、つなぎたいなーって思って」

「だから、一言なにか言ってくださいよ!」

「えへへー、つい」

 

 繋いだ手をブランコみたいに揺らして、幸せを確かめる。

 幸芽ちゃん、身長が小さいからか、おてても小さいから、触ってて庇護欲を刺激されると言いますか。

 

「……なぁ、ホントにお前ら仲いいよな」

「そうだけど、涼介さんどうしたの?」

「いや、よくわからないんだけどさ。こう、ここらへんにすごく湧き上がる情動があるというか」

 

 彼は胸を手のひらで押さえながら口にする。

 うーむ、その情動っていうのがよく分からないけれど、そういうのを表す言葉を一つ知っている。

 

「涼介さん、よく聞いてほしい」

「あぁ……」

「それは庇護欲だよ! 幸芽ちゃんを愛でたいっていう!!」

「え?!」

「いや、なんか違うんだよなぁ」

 

 幸芽ちゃんの赤らめた顔が、一瞬に冷めてしまう。

 期待外れみたいな言い方、ガッカリしたのだろう。わたしも言っててガッカリしちゃったし。

 

「近いんだけど、幸芽じゃないっていうか。お前ら二人というか」

「うん?」

「どゆこと?」

「いや、俺もよくわかってないんだけど……。まぁいいか」

 

 それ、まぁいいかでいい感情じゃないでしょうに。

 でも涼介さんの気持ち、というのは何となくわからないでもない。

 例えば登場人物二人の関係性が尊いときに、胸の奥で何かが沸騰するみたいなことはある。

 オタクをやっていれば日常茶飯事だったし、その瞬間、もっとも生きているって感覚を味わえる。

 

 涼介さんもそれを?

 でもわたしと幸芽ちゃんで、って。……え、もしかして。

 

「変な兄さん」

 

 これは口が裂けても言わないほうがいいかもしれない。

 幸芽ちゃん。あなたのお兄さんが、もしかしたら……。

 想像の範疇は出ないものの、おそらく。多分。涼介さんの気持ちを固有名詞にするのであれば。

 

 ――それは、百合男子というものだ。



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第17話:彼ら、彼女らの複雑な気持ち

 百合男子。

 それは女の子同士の友情や愛情、その他関係性をこよなく愛する男性の事である。

 

 曰く、百合漫画をむさぼるようにして口にする。

 曰く、百合小説を本能のまま求め食する。

 曰く、女の子同士の関係性に男なんていらない。

 

 そういう過激派集団である。

 

「もぐもぐもぐもぐ」

「コロッケを食べながら喋らないでください!」

 

 そんな新たな性癖の覚醒に対して、大いなるを歓迎しつつ、幸芽ちゃんがすこし可哀想だなと思ってしまった。

 百合男子とは、カップリングに対して基本介入しないものである。

 例外はあるけど、総じて彼女たちの役に立ちたい。そんな気持ちだけだ。

 

(どんな気持ちでこの性癖を歓迎しなきゃいけないのだろうか)

 

 わたしとしては大歓迎。だって彼の気持ちがわたしから、わたしたちへ向くのだから。

 幸芽ちゃん視点としては阻止すべき内容。

 決して実らぬ恋になってしまうのだから。

 

「もぐもぐもぐもぐ(ふくざつだぁ)」

「だから食べてから喋ってください!」

 

 コロッケを食べつつ、涼介さんを観察する。

 うん、わたしたちのことをずっと見ながらコロッケを食べている。

 自分の性癖に従おうと思っているのだろうか。

 

「もぐもぐもぐもぐ(どんな気持ちで見守ればいいのさ)」

「むぅ……」

 

 あ、むくれた幸芽ちゃんを見て涼介さんが胸を押さえた。なるほど、心に来るタイプか。

 これはオーバーリアクションも期待できる。いい百合男子に目覚めそうだ。

 コロッケをもぐもぐ食べ終わり、もう一つ手に取ろうとしたその時だった。

 

「……姉さん。私のこと、好きなんですよね?」

「へ? う、うん。そうだけど」

「ずっと兄さんのことばっか見て。兄さんに色目使ってるんですか?」

「え?!」

 

 コロッケに伸びた手を掴まれ、幸芽ちゃんに問い詰められる。

 あ、なんかこれいい。……じゃなくって!

 

「幸芽ちゃん、実はわたしに気があったりするの?」

「そんなわけないです。……ですが」

「が?」

 

 通い合っていた目線が少し外れる。

 彼女は何かを言いたくなさそうに見えた。

 

「いいよ、別に言わなくて。涼介さんのことは狙ってないし」

「……信じられるわけ、ないじゃないですか」

「だよねー」

 

 記憶を失う前、わたしという意識が花奈さんを乗っ取る前のことは知らない。

 だが幸芽ちゃんの態度から考えるに、おそらく花奈さんは涼介さんのことが好きだった。

 ギャルゲーなんだから、というメタ視点を除いても、幸芽ちゃんの妙な敵対意識は間違いなくそれだ。

 わたしの秘密、教えてあげられれば、どんなに楽だろうか。

 

「でも、わたしが一番好きなのは他でもない幸芽ちゃんなんだ。それだけは信じてほしい」

「……だったら」

「ん?」

 

 彼女は口を開いて、閉じた。

 何を言おうとしたのかは分からない。それでも、話の流れのニュアンスとしては分かる気がする。

 わたしの想像しているとおりの内容であればの仮定だから、本音は分からないけれど。

 

「コロッケ食べる?」

「お夕飯、入らなくなってもいいんですか?」

「それは困る!」

 

 わたしはコロッケをそのまま袋の中に入れて、座っていた身体を立ち上がらせる。

 

「じゃあ残りは三人でお出かけだー!」

「私もですか?!」

「幸芽ちゃん一人で買い物なんて、お姉さん不安でほっとけません!」

「一人で買い物ぐらいできます!」

「そんなこと言っちゃって! このこの~!」

「頬っぺたぐりぐりしないでください!」

 

 ほら心臓押さえた。こう見てたら涼介さん、おもしれぇ男なんだよなぁ。

 

「涼介さんも行くよ!」

「兄さんは荷物持ちで」

「なんでだよ!」

 

 あはは、と商店街の喧騒に笑い声が消えていく。

 宣言通り、お夕飯までの時間は三人でいろんなところを巡った。

 とはいってもデパートの地下で食品買ったり、日用品買ったり。

 そんなでもなんだかんだ三人での買い物は楽しかった。

 

「……眠いかも」

「もうしばらくの辛抱ですよ」

「ふあぁ……」

「はしゃぎすぎなんだよ、ったく」

 

 撫でるような声で、彼女らはウトウト気味のわたしを見る。

 見世物じゃないんですよ、まったく。

 はしゃぎすぎたのは大抵幸芽ちゃんのせい。だからわたしを介護するのも幸芽ちゃんだと思うんだ。

 彼女の肩にわたしはもたれかかる。

 

「……これじゃあ帰れませんよ」

「しょうがない。荷物は俺が持って帰るから、幸芽は花奈をなんとかしてくれ」

「なんとかって?」

「なんとか」

 

 んな曖昧な。でもわたしとしては大賛成。

 

「ありがとね……」

「こんぐらい、別に問題ないって」

 

 強がりを。でも嬉しい気遣いだ。

 電車の音とそれに伴う風を受けながら、わたしは幸芽ちゃんの肩の上で目を閉じる。

 

「……どうして、私は」

 

 そんな声は通り過ぎる電車の音でかき消される。

 強い風はしばらくしたら消えるけど、その想いは簡単には消えない。

 

(ごめんね、幸芽ちゃん)

 

 本当のことを言えない苦しみと、それから勝手に涼介さんとデートしてしまったことへの謝罪と。

 こんなに近くにいるのに、まだまだわたしと幸芽ちゃんの距離は遠いんだね。

 小さく息をこぼして、わたしは疲れに身を任せるのであった。



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第18話:芽生えた心を、あなたはなんと呼びますか?

時間は少し遡る


 それは本当に偶然だった。

 花奈姉さんと、涼介兄さんが一緒に外に出かけるところを見たのは。

 

「……お出かけ、にしてはちょっと服が凝りすぎているというか。……デート?」

 

 薄いピンク色のワンピースと肩掛けカバン。

 夏だからという理由を含めたとしても、その見た目は清楚すぎるし、少し危なっかしくも思えた。

 そんな彼女と、私が大好きな兄さんとのお出かけ。

 

「……嘘つき」

 

 私が好きだったんじゃないの?

 変な欲求がふつふつと湧いてくる。

 分からない。分からないけれど、今の状況は私の兄さんを取られてしまいそうで怖かった。

 着替えが面倒な心なんてとうに忘れて、マッハで支度を済ませる。

 この時間なら、まだ電車は来ないと頭の中で計算に入れながら。

 

「気になるだけですし。兄さんの泥棒猫を見張るだけですし」

 

 そんな風に私の周りを理論武装で固める。

 だってそうでしょう。私の好きな人が私の恋人とデートするんだから。

 不服極まりない。あの時、嘘はついてなかったはずだ。

 でも実際にあるのは、ハンカチで彼の顔を拭う姿。

 

「……やっぱり、兄さん狙いだったんじゃん」

 

 あの時、確かに嘘はついてなかったはずなのに。

 じゃあ私への告白はなんだったの?

 複雑っていうか、グツグツ煮えているっていうか。分からない。分かんない。姉さんも、私自身も。

 

「さっきから、イライラする……」

 

 電車で二人並んで座っている。たった。たったそれだけのことが、何故か許せない。

 何故? そんなこと分かってる。あの女が私の兄さんの隣にいることだ。

 でもそれだけじゃない。グツグツで、グズグズで。わけも分からない感覚を一生懸命拭おうとしても、全然振り切ることができない。

 

 結局スニーキングするような形で、姉さんたちの後ろを追う。

 ちゃんとマスクとサングラスで変装だってしている。大丈夫、バレたりしない。

 

 頭の中は、姉さんのことでいっぱい。

 だってどうすればいいか分からないんだもん。

 姉さんのことは姉のように慕っているものの、それはそれとして恋のライバルだったはずなんだ。

 はずだったのに、記憶を失ってから変わってしまった。人が変わったように、世界が変わってしまったように。

 

「結局、なんでだったんですか」

 

 たった一日の出来事だ。そんなので好きになるなんて、吊り橋効果もいいところ。

 その内、ふっと忘れてしまう。そんな曖昧な愛情だ。

 今も、兄さんがよく行くお店へと姿を隠す。

 やっぱり、私よりも、兄さんのほうが……。って、なんでちょっとガッカリしてるの私。

 

「イケない。ちゃんと見なきゃ」

 

 それにあんな店員に弱い姉さんなんて見たことない。

 姉さんはもっと要領がいい。軽く流して、試着室で気に入ったのを購入する。

 だから、今の姉さんは違和感しかない。

 

「やっぱり記憶喪失だから?」

 

 記憶喪失とはすべての記憶を失うことは稀だと聞いたことがある。

 十数年消えるのであれば人格が変わるとも聞くが、どちらにせよ、あんなボールをぶつけただけで記憶が全部消えるとは思えない。

 何か人為的なものを感じてしまうけれど、それを理由づけるには超常的すぎる。

 非現実的ではない。だから分からない、どうして姉さんの性格が変わってしまったのか。

 

「兄さん、気付いてるのかな」

 

 多分あの様子では考えてもいない。そういうこともあるか、というぐらいには。

 記憶喪失の前と後では、言ってる内容に差はあれど、大して性格に変わりがない。

 だからこういう些細なことはスルーされてしまうけれど、私の目は誤魔化せない。

 

「……って、あれ?」

 

 姉さんが試着室から出てこない。

 何か嫌な予感がする。私はその予感に従って店内に侵入を試みる。

 分からないけど、胸の奥のシコリに従うと、兄さんにそこから先に踏み入らせてはいけないと激しくレッドアラートを響かせていた。

 

「とりゃっ!」

「痛っ!」

 

 チカラいっぱいはたいてから、その場を離脱する。

 なんとか兄さんの試着室侵入を阻止することができて一安心。

 

「よかった。姉さんが見られなくて」

 

 ……あれ? なんで今、姉さんが見られなくて、って言ったんだろう。

 おかしくない? だって普通は裸の姉さんを兄さんが見なくてという『兄さん』を主体にした考え方だ。

 でも今、私は姉さんが見られなくてホッとしてる……?

 

「……ありえない」

 

 だからふっと頭によぎったワードはそのままごみ箱に捨てる。

 ありえないよ。だって、私が姉さんの心配をしてたとか。

 そんなの、まるで姉さんが好きみたいで、嫌だもん。

 

「そうだよ。仮にも私の恋人さんが姉さんなんだよ? 一応見られたくないに決まってる」

 

 私が好きか嫌いかはさておくとして、姉さんは私の恋人だ。

 だからそんな彼女が、私のいないところで変な目に合うのは許されない。

 

 本当にそう思ってる? 本当は、兄さんが。いや、姉さんが。いや――。

 

「……考えるのやめた。お肉買って帰ろ」

 

 もう疲れた。二人のバカ。とつぶやいてからお店を去る。

 いくら考えたって、どっちに嫉妬してるんだか分からないよ。

 そんなことを考えながら、私はお肉屋さんへと向かうのだった。



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第19話:彼女が気になって夜も眠れません!

 どうして。という考えをメッセージアプリから読み取る。

 『今度の休日、遊びに行こ!』

 というたった一行の文章なのに。私はどうしてこうも頭を悩ませるのか。

 

「今度は私ですか」

 

 理由は簡単。だってあの浮気相手からのお誘いメールだったからだ。

 私は机にスマホを置いてから、ゆっくりとソファーに身体を埋もれさせる。

 お風呂上がりで気分がよかったのに、これでダダ下がりだ。

 

(結局、私はどっちに嫉妬をしているんだか)

 

 姉さんにならまだ分かる。兄さんに取られたくない思いで必死だから。

 兄さんかもしれない、という事実に私は頭を抱えたくなったのは他でもない。

 そんなんじゃ、まるで。まるで……。

 

「なぁ、女同士が仲良くなるって不思議なことじゃないよな」

「ふえっ?!」

 

 突如、兄さんの前触れがない変な言葉が襲い掛かる。

 何事。そう思って振り向けば、彼はとても真剣なまなざしでスマホを見つめていた。

 

「分からないんだ。花奈と幸芽が仲良くしてるだけのなのに、こんなに心がざわつくなんて」

「……兄さん、何言ってるんですか?」

「いや。お前の兄さん、ここ最近よく分からなくなってさ」

 

 よく分からないのはこっちだよ。

 突然前髪を切ったと思ったら、さっぱりとした普通の男子高校生みたいな見た目になって。

 今のほうがかなり素敵だとは思うが、それはそれとして謎の心変わりが恐ろしく感じてしまった。

 

「試しに検索をかけてみたら、そういう小説? みたいなのが見つかったんだ」

「へ、へー」

「分野としてはガールズラブって言うらしくてな」

 

 兄さん、それ結構私の前で言わないほうがいいと思いますよ。

 だって私が実際に付き合ってるのって、姉さんなわけでして。

 実は知ってたりする? あの鈍感な兄さんが? ありえないけど、絶対とは言えない。

 だからとりあえずちらーっと聞いてみる。

 

「兄さん、私たちがガールズラブしてるとか思ってるんですか?」

「んなわけないだろ。お前らのはラブじゃなくてライクだと思うしな」

 

 よかった、兄さんが鈍感で。

 普段は残念がる鈍感さ加減だけど、今だけは兄に感謝しなくてはならない。

 ありがとう兄さん。できれば私の気持ちを察してほしいです。

 

「まぁ、ラブでも俺はいいかなと思い始めてるけど」

「……熱でもあるんですか」

「いやいや、そういうのじゃないんだよ」

 

 だったらどういうのなんですか。

 ガールズラブにお熱なのは変わらないと思うし、なんだったら拗らせたオタクみたいなことを言っている。

 兄さんが好きだったのって姉さんじゃないんですか。

 

「ただ、俺より幸芽のほうが花奈を幸せにできるんじゃないかって」

「本当に。いや、本当になに言ってるんですか」

 

 それはよくわかる。

 そう彼は言うけど、さらに言葉は続くらしい。

 

「だがな。胸の奥に眠る何かが、こう……なんというか。あるだろ、興奮するみたいなの」

「……つまり、兄さんは私たちで興奮してると?」

「そういうのじゃないんだけど、なんか……。なんて言えばいいんだろうな、これ」

 

 そんなこと言われたって、私にも分かんないですよ!

 わけがわからない情動の電波を受け取った兄さんは、どうやら宇宙人になってしまったのだろう。

 確かに私の知り合いにも女の子同士で付き合ってるー、みたいな人はいるのだけど。だからって私と姉さんがそういう関係になるとか、絶対あり得ないですし。

 

 ――本当に?

 

 いやいや、本当ですよ本当。

 私が好きなのは兄さんなんですから。

 

「へー、こういうのを百合って言うのか」

 

 私が好きな兄さんが、どうしてかこうなってしまったのか。

 それもこれも姉さんのせいだ。姉さんが記憶喪失にならなければ!

 

(ってやつあたりしても意味ないか)

 

 思えばそこから歯車が狂い始めていた。

 あのボールがなければ。姉さんが超人的な速度で避けていれば。

 あり得るはずもないイフを並べて、捨て去る。

 

「はぁ……、早く寝よ」

 

 夜の間ずっと姉さんのことを考えていたけれど、先ほど来たメッセージの返答はまだ見つかっていない。

 どうしようかな。断りたいけど、姉さんの真意も知りたいし。

 あー、どうにかなりそうだ。って気持ちがループループする。

 後半はずっと羊を数えて、そして翌朝がやってきた。

 

「ふあぁ……」

「眠そうだな」

「まぁ。あはは」

 

 寝れなかった。姉さんのことが、昨晩のメールが気になって夜も眠れない。

 うぅううううう!!! 姉さんのせいで私の私生活までズタボロですよ!

 

「おはよー! 今日の朝ご飯なに?」

「……姉さんだけ食パンです」

「わたし、だけ?」

「姉さんだけ」

 

 こういうのは絶対よくないのだけど、それはそれとしてこの人には復讐したかった。

 なので朝食はトーストした食パンではなく、生食。

 袋から取り出したまんまの角食をお皿において、そのまま渡す。

 なんという嫌な女か、私は。

 

「ジャム塗っていい?」

「はい、イチゴジャム」

「ありがと! わたしの好み知ってるねぇ!」

 

 別にそんなものでしょう。毎朝食パンには必ずイチゴジャムを付けていれば、誰だってわかる。

 ビンを渡して、私も朝ご飯を食べ始める。

 が、そうは問屋が卸さないのが花奈姉さんだ。

 

「ビンの蓋が開かない……」

 

 なんですか。そんなにこっちを見ても何もしてあげませんからね。

 数秒見つめあって、仕方ないな。とため息を吐き出す。

 キッチンからゴム手袋を持ってきて、ビンの蓋に巻き付けてひねる。

 これはお母さんから習った豆知識。ゴムで開けれるらしいので、開かないときは大抵こうしていた。

 

「おぉ、開いた! ありがと、幸芽ちゃん!」

「分かりましたから、早く食べてください」

 

 まったく、世話の焼ける姉さんだこと。

 パタパタとキッチンとダイニングを往復し、再度トーストを口に運ぶ。

 

「……やっぱりお似合いじゃねぇか」

「なにか言った?」

「お似合いだって思ってな!」

「兄さん……っ!」

 

 今のおせっかいのどこがお似合いだっていうのやら。

 私がいつもやってることでしょうに。

 テレビから今日の天気が晴れであることを確認しつつ、太陽のように赤面した姉さんにもう一つため息。

 なんですか。そんな風にされたら、私だってわずかに照れてしまうじゃないですか、まったく。



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第20話:時を刻む絆時計

「今日はありがとね、幸芽ちゃん!」

「……別に。ちょうど街に出る用事があっただけです」

 

 またまたぁ、素直じゃないなぁ、幸芽ちゃんは。

 誘ってから数日。意外にも彼女のほうからOKの連絡がやってきた。

 心胸躍るわたし。高鳴る胸をぎゅっとこらえて、わたしはデートの計画を立てていた。

 

「わたしさ、行きたかったところあったんだ」

「どこですか?」

「んー、ひみつ!」

 

 にっこりと笑って誤魔化す。

 昔から、それこそ生前から気になっていた場所があった。

 そこは三大ガッカリ名所だとか、周りの景観がすべてを台無しにしているだとか、そんなのばかりだけど、魅力はあって。

 

「とりあえずご飯食べよ! ニックでいい?」

「たまには食べたい気分でしたし、いいですよ」

「やった!」

 

 軽くジャンプしながら、両腕でガッツポーズを小さく作る。

 そうだ。物は試しだ。ちょっと自分たちが恋人であることをちらつかせながら、こういうお願いをしてみよう。

 

「ね、幸芽ちゃん」

「今度はなんですか?」

「……手、つないでもいい?」

 

 瞬間、幸芽ちゃんの動作が止まる。

 やっぱりダメだったかな。不安で文字通り心臓を動かす。

 大丈夫。わたしは大丈夫。ちょっと傷ついても、そこは大人なわけですし。

 首元に手を置いて、あははと曖昧に笑う。

 だが、彼女の返答はわたしの想像していたものとは違っていた。

 

「……いいですよ」

「へ?」

「私も、確かめたいことがありましたし」

「そう、なんだ。そうなんだ。そうなんだ!」

「だいたい、いつも抱き着いてきてるんですから、慣れっこです」

「そうかなぁ。えへへ」

 

 わたしからしたら、幸芽ちゃんが結構嫌そうに見えていたんだけど。

 で、でも嬉しい。幸芽ちゃんからそういうこと言ってくれるの、すっごく!

 

「つながないんですか?」

「ありがとね、幸芽ちゃん」

 

 今は真夏だからか、手のひらが少し汗ばんでいる。

 だけど汗自体はさらさらと、脂っこくない爽やかな触り心地をしていて。

 なんだろう。美少女ゲーム特有の何かだろうか。それにしてもこの子本当に肌がすべすべしてる。

 モチ肌の触感。見た目相応に、肌も見た目同様にやや幼くふっくらしていた。

 要するに、触ってて気持ちいい!

 

「癖になりそう」

「なにがですか?」

「幸芽ちゃんに」

「警察呼んでいいですか」

「いやですー! そんなこと言ったら、幸芽ちゃんだって可愛すぎる罪でわたしに永久就職ですー!」

「うわ」

 

 いや分かってる。さすがに今のは自分でも気持ち悪いって思ったわ。

 軽く謝罪を入れて、ドン引きする幸芽ちゃんの頬っぺたをくにくにする。たのしい。

 

 ニックにも行って、お腹いっぱいとなった私たちが次に行き場所。

 それはといえば、先ほどの行きたかった場所だ。

 

「時計台ですか」

「そうそう。昔から来てみたかったんだよねー」

 

 当然のごとく、地元民がいかない場所トップテンぐらいに入る観光名所。

 けどわたしにとっては、今が修学旅行の延長線上にいるイメージなのである。

 この場所も、わたしからしてみれば素敵なデートスポットだ。

 

「ここって中はこんなだったんですね」

「幸芽ちゃんも来たことなかったんだ」

「まぁ歴史なんてあまり使わないですからね」

 

 それは分かる。

 歴史を知れば常識と人の動き方が分かる。

 でもそれだけと一蹴してしまえば、そのとおりだ。

 半ば歴史の博物館となっている時計台の中を見ていく。

 

「幸芽ちゃん、歴史好き?」

「嫌いではないです」

「わたしは苦手だったなぁ。覚えることいっぱいだし」

「……なんで過去形なんですか」

「え? ……あっ」

 

 まるですでに経過してきたかのような言いぐさだったけど、思い出した。

 わたしは今が学生だ。だったとか、知ってきたような言葉遣いをするべきではない。

 

「あ、えっと……。ほら! 一年の頃! 一年の時はすっごく大変だったなーって!」

「記憶ないですよね」

「うぐっ!」

 

 墓穴を掘ったのは、わたしでした。

 正体看破RTAに対して、明らかなガバプレイング。

 正直しんどかった。やってしまったと感じてしまった。嫌だなぁ、正体ばれるのとか。なんて言われるか分かったもんじゃない。

 

「怪しいのは確かですけど、姉さんは姉さんってことにしておきます」

「それって天然って言いたいの?!」

「違うんですか?」

「違います―! わたし賢いですー!」

 

 実際かしこめだけど、それ以上のアホだってのは知ってる。

 頭のいいアホを演じているに過ぎない。そう、あんまりかしこく見られたくないから!

 

「でもなんか変な感じだね、内側から時計の音が聞こえるのって」

「話そらしましたね」

「違うよー! 時計台っていうからには、やっぱり時計の音がするだねって」

「……二階あるみたいですよ。行ってみますか?」

 

 あるんだ、そういうところ。

 わたしは誘われるがまま、二階へと歩を早める。

 階段を上り切れば、教会のように無数の長椅子と、真ん中にある大きな歯車。

 カチ、カチ。と一秒ごとに時を刻む時計台の音色は、心を休ませる。

 

「なんか、いいね」

「えぇ。初めてですが気に入りました」

 

 秒針の音。たまに聞こえる長針の動く声。歯車が刻む時を、わたしたちはいま噛みしめている。

 

「なんか眠たくなっちゃいそう」

「起こす側の気持ちにもなってくださいよ」

「幸芽ちゃんだから安心してできるの!」

 

 多分涼介さんじゃダメだ。幸芽ちゃんじゃないと、嫌だ。

 壁に寄りかかりながら、まるでゆりかごに乗ったように時を刻む時計。

 こくりこくりと、わたしの頭も時を刻み始める。

 

「そういうことにしておきます」

「だから……。ふあぁ。寝るね」

「また起きた頃にでも会いましょう」

 

 上手いこと言った、みたいな声色に内心笑みを浮かべながら、わたしはまどろみの海に飛び込むのであった。



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第21話:杞憂と愛情の狭間で

今はもう乗ってないらしいですが、
この間、日間ランキングに乗ったらしいです。

皆様のご声援のおかげです。ありがとうございます!


 私は知っている。

 真実っていうのは基本的に残酷なものであることを。

 隣で時計の音と一緒に規則正しい寝息を立てる姉のような存在だとしても。

 

 あの日の、兄さんとデートしていた日のことを思い出して、表情が暗くなる。

 好きだって言ってくれたのは、嘘だったんですか?

 なんで兄さんと一緒にいたんですか?

 

「なんで、私……」

 

 私は兄さんが好きだ。

 でも今思い返している内容は、全部全部姉さんのこと。

 あれだけ好き好きムーブを繰り出しておいて、やっぱり兄さん狙いだったんだっていう失望。

 絶対そんなことないって、何故か私の中で湧き上がる否定。

 姉さんのバカ。って罵りたくなる気持ち。

 

 その全てが、私にとって未知の感情で。

 

「私は……」

 

 隣で眠る少女に聞けばいい。

 「私と兄さん、どっちが好きなんですか?」って。

 でも言えるわけないよ。そんなの、面倒くさい女のそれすぎて。

 

「どうしちゃったんだろう、私」

 

 私はおかしくなってしまった。

 記憶を失ってからの姉さんは、私にべったりだ。

 鬱陶しく思うことはあれど、悪い気持ちはしない。好かれているって分かってるから。

 

 なおさらなんだ。兄さんとのデート。

 あれだけがどうにも引っかかって、頭から離れてくれない。

 

「姉さん。あなたは私の彼女さんなんですよね?」

 

 決して届かぬことのない欲望垂れ流しの源泉。

 嫉妬深い女かもしれない。アレも欲しくてコレも欲しくて。

 私は、本当は兄さんのことが好きなはずなのに。

 

「だったら……」

 

 口に出せたら、きっと簡単だ。

 でも、言葉にしてしまったら後戻りはできない。

 今までの私を、全て否定してしまう。

 それは、できない。

 

「ん……ゆき、めちゃん……」

 

 ピクリと肩を揺らす。

 今、私のこと呼びましたか?

 

 幸せそう眠って動かない彼女を見て、寝言だったのかと気づくのに数秒かかった。

 この人は、本当に……。

 

「どれだけ、私の心を乱せばいいんですか」

 

 寄りかかってきた頭を恨みを込めて、思いっきり攻撃する。

 ゴンッという思いの外ダメージの入った音とともに、姉さんがその目を見開く。

 

「えっ?! なになに?!!」

「頭打ったんじゃないですか?」

「え? あ。あー。おはよ」

「おはようございます。まだ時間がありますし、歩いて帰りませんか?」

 

 目覚ましも込めて。

 だいたいここから家までは1時間かかるかからないか程度だ。

 夏の暑い日だけど、日も落ちてきたし、多少は楽になるはず。

 

「うん。でも、幸芽ちゃんからそんなお誘いするなんて、珍しいね」

「気まぐれです」

 

 そういうことにしておく。

 本当は兄さんとのデートを問い詰めるつもりだ。

 

「でも嬉しいからいっか!」

「それはようございましたね」

 

 夏に咲くヒマワリのような笑顔が私に向けられる。

 こんな人が、私以外の人とデート……。いやいや、なに考えてるんですか私は。

 

「行かないの?」

「あっ。行きますよ」

 

 まったく、人の気も知らないで。

 時計台を出て、ビル群を、公園を抜けて帰路につく。

 ずっと他愛のない話を永遠続けている。けれど、私の中ではずっとデートのことが引っかかっていて。

 

 聞き出しても、きっと彼女は「幸芽ちゃんが一番だよ」って言ってくれるはずだ。

 でも、万が一。私よりも兄さんのことが好きって言われたら……。

 

「幸芽ちゃん?」

 

 分からない。分からないですよ。私はまだ姉さんを信じきれていない。

 もしもや万が一がないとは限らない。

 それに。姉さんは記憶を失ってから人が変わってたみたいなんだ。

 

「おーい、幸芽ちゃーん」

「……私は」

 

 私は最低だ。

 兄さんを除いて、最も姉さんと一緒にいる時間が長いって自負できるのに。

 好きって言われただけでこんなにも人を信じられなくなってしまう。

 私は。私は……。

 

「幸芽ちゃん!」

 

 ガシッと両肩を掴まれて、今誰といるかを改めて認識する。

 よりにもよって姉さんがいるときに、なにやってるんだ私……。

 

「大丈夫?」

「…………」

 

 うつむいて、少し考え事。

 ひょっとしたら、私が考えていることは杞憂なのかもしれない。

 だけど、もしかしたら、なんてあったら……。

 

 聞かなければ分からないことがある。

 でも、言わなくてもいいことだって絶対ある。

 どちらを天秤にかけたとき、答えはどっちに傾くのだろうか。

 

「姉さんは……」

 

 怖い。裏切られるかもしれない。

 怖くて怖くて怖くて、下唇がふるふると震えてしまう。

 ダメ。吐き出したくない。でも……。

 

 そんなときだった。フッと重力が前のめりになって、ぽすりと柔らかいものがクッションになったのは。

 

「……姉さん?」

 

 両腕は私の背中に回されていて、私の頭は彼女の胸の中。

 心臓の音が、トクン。トクンと脈打つのを感じる。

 抱きしめられている、姉さんに。

 

「え、えへへ。幸芽ちゃん柔らかいね」

 

 そんな誤魔化し気味な笑顔をならべたって、真意は誰にも伝わらない。

 けれど、私を励ましてくれているってことぐらいは分かってる。

 

「わたしのお胸で元気出た?」

「出るわけないじゃないですか、ヘンタイ」

「ヘンッ?!」

 

 だって、今までそんなことしてこなかったじゃないですか。

 でも、少し安心した。ちゃんと私のことを心配してくれたんだって。

 疑問は確かに絶えない。でも、少し楽になったのは確かだ。

 

「でも、ちょっとだけここにいたい」

「……いいよ」

 

 たまには、姉さんに甘えてもいいですよね?



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第22話:神のお告げ

「やっほ! 呼ばれて飛び出て神様だよー!」

「帰って」

 

 幸芽ちゃんとのデートの夜。厳密には夢の中。

 瞬く間にかつての夢の出来事を思い出しながら、自称カミサマがケラケラと笑いながら現れる。

 

「酷いなぁ。もっと崇め奉ってくれても、ええんじゃよ?」

「わたし、邪神には頼らない派の人間なので」

「これだから無宗教の日本人は」

 

 やれやれと、つまらなさそうに息を吐き出す彼女。

 ため息を吐きたいのはこちらのほうだというのに。

 夢ジャックは基本的に拉致のようなもの。わたしが起きなければ、こうやって永遠に会話できてしまうのだ。

 

「だいたい、カミサマは命の恩人だよ? 一回死んじゃったんだけどさ!」

「で、用事はなに?」

「しんらつー」

「眠りたいんですー」

 

 はぁ。とわざとらしく声を上げる。

 なによ。もったいぶられても迷惑なだけなんだけど。

 

「今日は神様らしく、お告げを言い渡しに来たって感じ」

「人間世界には介入しないんじゃないの?」

「やだなー、あなただけは特別だよ」

 

 イラァ……。

 前から思っていたけど、この自称カミサマ、いらないことしか言わない。

 できるだけ穏便に関わり合いになりたくないレベルで、ストレスがマッハになってしまう。

 

「近いうちにイベントスチル的なの発生するよ、ってことぐらいかなー」

「イベントスチル?」

「まぁ要するに大型イベントだよね。対策しないと誰かが悲しむ。そんなタイプの」

 

 チクリと胸を刺す痛みが響く。

 覚えがある。今日の幸芽ちゃんの態度がそれだ。

 もしかして、誰かが悲しむって、幸芽ちゃんのこと?

 

「誰がどのルートに行くか、みたいな感じでカミサマうっきうきだよー!」

「悪趣味」

「昼ドラとか好きなんだよねー」

 

 突然手元にコーラとポップコーンを召喚させたカミサマはソファーに座る。

 

「当然カミサマは神様だから、人間の考えていることなんて手に取るようにわかるんだけどさ。それはそれとして、その展開がどう動くのか。カミサマはテレビ感覚で、見てて楽しいってわけよ!」

「やっぱり邪神だよ」

「惚れちゃっても、いいんじゃよ?」

「狂信者になるつもりはないよ」

 

 まぁいいや。などと口に出した彼女は、コーラとポップコーンを空中に振りまく。

 すると、景色は下校時の通学路へと一変する。

 

「あなたのことだ。きっと答えは変わらないだろうけど、その口次第で結果が変わる。言葉ってのは思った以上にチカラが強いんだ」

 

 それこそ、運命を変える。そんなレベルで。

 彼女はいつの間にかフォルムチェンジしていた制服を着て、わたしの前に出てくる。

 

「神様なら事象ぐらい捻じ曲げられるんじゃないの?」

「そりゃそうだよ。でも、それじゃつまらない。自分の思いどおりは面白くない」

 

 妖艶で、怪しげで、それでいて無邪気で。

 わたしよりも背丈が小さなカミサマは、両手を合わせて、ググっと腕を天に上げる。

 

「カミサマは言の葉の神様。つまるところ、言葉の可能性で無数に広がる世界を知っている」

「それは自分の娯楽のために、でしょ?」

「もっちー! だから人間は面白い。言葉一つで、すべての関係がなくなってしまうし、逆に関係を近づけることもある」

「何が言いたいの?」

 

 そこに主体性はなく、ただただわたしを試しているかのような言いぐさに苛立ちを覚えた。

 この神はこれからどんなことが起こるか分かっていながら、それを絶対に口にしない。

 だってそれが面白いと、そう感じているだけなのだから。

 

「気を付けてね、ってこと。募った爆弾は、予期せぬところで爆発する。そういうこと」

 

 カミサマが指をパチリと鳴らして、世界を反転させる。

 フェードインしてきたのはいつもの白い部屋。ソファーに座った彼女はにやりと笑って、上を指さした。

 

「じゃあね。楽しいドラマを待ってるよ」

 

 悪趣味な。

 口には出さないものの、彼女の顔を睨みつけたわたしは、そのまま意識を浮上させた。

 

「募った爆弾って、幸芽ちゃんのことだよね」

 

 確かに昨日、思い悩んでいた節があった。

 だけど、それが何故かは一向に理解することが出来ない。

 多分、彼女は抱え込むタイプの人間だ。わたしの分からないそれが引き金となって、どうにかなる。そう推察することができた。

 でも――。

 

「わたしの答えは変わらない。わたしが好きなのは」

 

 たった一人。幸芽ちゃんだけ。

 わたしを救ってくれた彼女のことを救いたい。

 いいや、救うなんて大それたことは言わない。

 彼女が言ったように、ただ、そばにいたいだけ。それだけなんだ。

 

「でもいつなんだろう」

 

 それまでに対策って、何をすればいいのやら。

 下校時の時間帯だから、夕方に違いない。ただそれだけ。

 近いうちだけで、分かるわけないでしょうが。

 

 制服に着替えながら、わたしは思考を重ねていくけれど、やっぱり固まりそうになかった。

 

「よ、花奈」

「幸芽ちゃんに涼介さん! おはようございます!」

 

 一番危険度が高いとなると幸芽ちゃんだけど、涼介さんもかなり地雷感がある。

 百合男子となっても、結局わたしを好きなことには変わらないと思うし。

 それでも、意中の相手が推しカプって気持ちが複雑なのはわかる。

 分かるんだけど……。

 

「どうした?」

「えっ? あはは、なんでもないよ」

 

 愛想笑いをにじませて、今日もわたしは嘘をつく。

 どんなことが起こるか分からないけど、とにかく考えなくちゃ。

 全員が傷つかないハッピーエンドを目指すべく。




カミサマ、本名は決まっていますが、

それを花奈(わたし)が知る日はないかもしれない


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第23話:敗北の味は、ケチャップ味

 それから、数日が経過した。

 身構えているときには、破滅は来ないもの。

 誰かが言っていた言葉だったか。まったくその通りだと、ため息をつかざるを得ない。

 

「どったん?」

「ううん、なんにもないよ」

 

 一番の危険人物兼愛しのあの子である幸芽ちゃんは、特にアクションを起こしていない。

 さらに言ってしまえば、第一級の要注意人物である涼介さんも、なにを言うわけでもなく、いつも通りの日常を送っていた。

 

 あの自称カミサマの言っていることは嘘だったのだろうか。

 夢の中の出来事を疑ってしまうぐらいには、今のわたしは注意疲れしていた。

 

「花奈ちゃん、最近疲れ気味だよねー」

「慣れっこだけどね。はぁ……」

「恋人への気苦労?」

「そんなわけないよ! わたしの愛は疲れを知らんのです」

「左様で」

 

 檸檬さんが意図しているのかしてないのか。レモン牛乳を飲んでいる。

 あれって確か地方の飲み物だったよね。なんでこんなところにあるんだろう。

 ゲームの世界だから、そういう世界観は崩壊しているのかもしれない。

 

 などと、どうでもいいことを考える程度には、ボーっとしているのかもしれない。

 首を左右に倒して息を抜く。

 

「あ、そーだ! 今日暇? カラオケとかいかん?」

「んー……」

 

 幸芽ちゃんのことは確かに気になる。

 でも、疲れをため込んでしまえば、予期せぬ出来事に対応できないかもしれない。

 だったら、一つ息抜きということで、檸檬さんとカラオケに行くのも、悪くないだろう。

 

「いいよ! わたしの美声に酔いな……」

「言うじゃーん! 吠え面かくなよ」

 

 お互いに見つめて、どちらとも言わずに笑いが噴き出す。

 

「あはは! じゃー、得点対決っつーことで!」

「いいね! 負けたら罰ゲームみたいな!」

「ウケる―! じゃー……」

 

 お昼休みに鳴り響く声は確かに廊下まで届いていて。

 

「……姉さん」

 

 わたしは知らなかった。

 廊下で訳の分からない感情に胸を痛める彼女を。

 静かに自分の教室へと去っていく、恋人の姿を。

 

 ◇

 

「檸檬さん、アイドルとかいけるよ!」

「マジィ? 花奈ちゃんも、まぁそこそこいけるんじゃない?」

「酷い……。確かに負けたけどさぁ」

 

 そんなこともつゆ知らず。

 わたしと檸檬さんの対決は檸檬さんの圧勝。

 だいたい八十点も取れればいい方だろう、と思ってたわたしを上回る九十点台の連打。

 目の前がぐにゃりと歪むぐらいには、圧倒的な勝利であった。

 

「いやー、ゴチになります!」

「どう? わたしにおごらせたハンバーガーは」

「普段の数億倍うまい!」

 

 そうかそうか。おごり甲斐がありますわね。

 わたしの六百円をぜひ返していただきたいところだ。

 

「敗北の味は、ケチャップ味だ……」

「詩的ー! ウケるんだが」

 

 いいもん。これでいい感じに気持ちを落ち着けたし。

 これからまた気を引き締めて、幸芽ちゃん対策を続ければいいだけなんだから。

 

「で、幸芽ちゃんとはどうなん?」

「ぶっはっ!」

 

 ポテトをごっくんとしたあとでむせたから、目の前の檸檬さんに飛び散ることはなかった。

 危ない危ない。ってそういうことじゃない!

 

「いきなりなんなのさ!」

「ごめんごめん! でもやっぱ気になるじゃんか」

 

 気になるって、もしかして最近気まずくなってるのバレてたりする?

 

「最近ギクシャクしてるんじゃない? ってお姉さん不安だよ」

「いや、まぁ。なんというか……」

 

 幸芽ちゃんが抱え込むタイプだってのは分かってるし、それを人に話そうとしないのも何となく理解してしまう。

 一歩踏み込めば、きっと何もかも解決するのかもしれない。

 けれど、その爆弾はわたしには分からない。どんな感情を抱いて、どんな言葉を投げかけてほしいか。

 これじゃあ大人失格だ。このぐらいささっと解決すべき内容なのに。

 

「花奈ちゃんってさ。最近妙に大人っぽくなったよね」

「そ、そうかな?」

「うん。精神年齢ちょっと上がったかなーって思って」

 

 それはそうだよ。だって中身が丸々入れ替わったんだから。

 

「まー、それでも子供っぽいとこはあるけど」

「え、どんなとこ?」

 

 ポテトを口にして「え、マジ?」と何故か言葉にする。

 なんだよぉ、分かってますよわたし自身だって。ただ聞いてみたいだけ。

 

「まー、おごってもらったし、教えたげる」

「ごくり……」

「ずばり、恋に真っ直ぐすぎるとこ!」

 

 知ってた! だってわたし恋愛経験皆無だし!

 

「だからさ、それを伝えてあげりゃ、いーんじゃねぇの?」

「へ?」

「好きって言葉は、なんだかんだ言われたらドキッとしちゃうもんじゃん」

 

 まぁ確かに。

 わたしはまだ幸芽ちゃんに言われたことなかったから知らないけど、想像して悶えるケースはいくらでもあった。

 

「だから、花奈ちゃんもマジトーンで言ったら、そりゃもう解決よ!」

「……それ、信じていいの」

「試してみる?」

「え?」

 

 檸檬さんは大きな胸に空気を膨らませて吐き出す。

 その顔は、真っ直ぐとわたしを見据えて、今から本気の告白を受け取るんじゃないか、という錯覚すらある。

 周りの雑踏音が消えて、二人だけの空間になったような、そんな真剣さ。

 

「花奈ちゃん」

「は、はい!」

 

 思わず生唾をごくりと飲み込む。

 今から口にする言葉は練習なはずなのに、胸の鼓動がトクントクンと早鐘を打つ。

 口を開いて、まるでそこに思いの丈があるように、言の葉を紡いだ。

 

「好きだよ」

 

 その瞬間だった。胸の奥のときめきが襲い掛かった瞬間。

 椅子を引く音と、誰かが駆けだす音。そして、その顔。

 

「幸芽ちゃん……?」

 

 ふっと我に返る。

 どうしよう。この場面だけ見たら、檸檬さんがわたしに告白するような――。

 

「花奈ちゃん走って!」

「う、うん!」

 

 嫌な予感がする。これがカミサマが言うお告げだとしたら……。

 追わなきゃ。絶対に逃がさないように。先ほどの言葉が誤解であると告げるために。

 わたしは脇目も振らずに走り始めた。



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第24話:こぼれ落ちた気持ち

『好きだよ』

 

 冗談なのは知っている。

 今日はずっと姉さんとそのお友達の後ろをついて回っていたから。

 私のことでずっと悩んでいたのも知っている。

 最近元気がなかったことに、申し訳ないなって気持ちでいっぱいだったから。

 

「でも、なんで……」

 

 走りながら考える。

 その告白を耳にした瞬間、私の頭は真っ白になってしまった。

 

 なんで私、こんなにも悔しい気持ちでいっぱいなんだろう。

 なんで私、こんなにも悲しい気持ちでいっぱいなんだろう。

 

 なんで私は……。

 

 その感情の正体を、私はぐちゃぐちゃと黒い墨で塗りつぶす。

 だって見たくないから。考えたくないから。認めたくないから。

 

「待って、幸芽ちゃん!」

「っ!」

 

 人も気も知らないくせに。

 待てと言われて待つような人間ではない。

 それに、追ってきている相手こそが、一番嫌な相手で。

 

「幸芽ちゃん!」

 

 付きすぎず、かといって離れすぎず。どちらが疲れて足を止めるか。

 まさにチキンレースのそれに近かった。

 いや、チキンレースは対面だったっけ。私はただ逃げているだけですからね。

 

 大きな公園に入って、この身を森の中に隠す。

 「幸芽ちゃん!」と私の幼馴染であり、恋人が声を上げる。

 息を殺して、その声が通り過ぎるのを待つ。

 しばらくして声が聞こえなくなったのを確認し、大きなため息を吐き出した。

 

「なんで、私……」

 

 なんで隠れているんだろう。もっと堂々としていればいいのに。

 だって、あれは冗談で。お友達が姉さんを励ますためにわざと言った言葉だ。

 それ以上の意味はないし、それ以上の感情はない。ない、はずなんだ。

 

 まるで自分に言い聞かせるようだ。

 私が好きなのは兄さんであって、姉さんなわけないのに。ないはず。

 

「私どうしちゃったの……?」

 

 姉さんが人気者なのはわかる。

 それは記憶がある時もない時も変わらない。

 むしろなくなってからのほうがフレンドリーで接しやすくなっていた。

 人気もそりゃ出る。最近じゃ非公式のファンクラブまでできたという話も聞く。

 

 見た目もいいし、性格も優しいし。

 なんで、私なんだろう。

 自分で言うのもあれだけど、見た目はそこそこしっかりしてると思うし、性格だって悪くないほうだ。

 少なくとも兄さんや姉さんに釣り合うようにと頑張ってきた。

 それでも、私に告白したことが信じられなくて。

 

「いっそ、姉さんの本音を聞ければ……」

 

 分からない。分からないですよ。姉さんの真意も。私の心も。

 ……もう行ったかな? だったら家に帰らなきゃ。夕飯の支度だってあるし。

 

 幼馴染で隣の家にいて。それで逃れられないことは百も承知している。

 だけど、兄さんがいる手前では口にできないだろうし。

 これでいい。私がこらえればいいだけの話。そのうち忘れるに違いない。姉さんへの気持ちも、何もかも。

 そして兄さんに告白するんだ。好きです! って。

 そうしたら二人で付き合うんだ。幼い時からの夢を叶えられて……。

 

 ――そうしたら、姉さんはどうなるの?

 

 胸に刺すチクリとした痛み。

 姉さんが兄さんとデートした時と、姉さんがお友達に告白の冗談をした時と同じ痛み。

 答えはもうすでに出ている。だけど、口にしたら今までの私が崩壊してしまう気がして。

 

 夕暮れの帰路。沈みゆく太陽に、昇る月。昼と夜の間の時間。

 その特別なひと時に、私は思い悩む。

 どうしたらいいんだろうって。私は、私の本当の気持ちに……。

 

「はぁ……はぁ……っ! 見つけた!」

「……姉さん?」

 

 その声を聞き間違いなんてしない。

 私の幼馴染で、私の恋人である清木花奈であった。

 

「幸芽ちゃん、さっきのは……」

「分かってます。あの場の一部始終はちゃんと見てたので」

 

 ならなんで。そう自分が自分に問いかける。

 私の気持ちは、今どこにあるのか。それを知らなければならない。

 

「じゃあ……。いや、こんなことを言いたいわけじゃない」

 

 でも、知りたくない。

 さっきも思った。私が私でなくなってしまうのが怖いから。

 今の私の行動原理。その根底にある『何か』を、私は知りたくない。

 

「幸芽ちゃん、よく聞いて」

「……嫌です」

「聞いて」

「嫌だって言ってるじゃないですか」

「じゃあ言うね」

 

 やめてください。私をもうかき乱さないで。

 いつの間にか掴まれた左腕はもう逃がさないようにとしているみたいで。

 思いっきり振り切って逃げれば。今がそのチャンス。最後の機会。

 だけど、そんな気持ちが起きない。聞きたくないって気持ち、口に出してほしいって気持ちが混在しているから。

 

 息を大きく吸って、吐き出して。

 真っ直ぐに据えた私を目にして。

 

「わたしは幸芽ちゃんが一番好き。それだけは、信じて」

 

 その真っ直ぐな好きから、私は目を背ける。

 信じたい。信じさせて。お願いだから。でも……。

 

「じゃあ、なんで……」

 

 ――なんで兄さんと、デートしたんですか。

 

 私の口から、自然とそんな言葉がこぼれ落ちてしまった。



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第25話:寄り道した気持ち

 そっか。

 この世から生まれ出た言葉に、カチリと歯車がハマったような一致を得た。

 幸芽ちゃんは、あの時偶然なんかじゃなくて、あの場にいた……?

 

「私のこと、好きなんですよね。一番なんですよね?! だったらなんでよりにもよって、私の一番とデートしてるんですか!」

「それは……」

 

 あまりにも捲し立てるような勢いに思わず戸惑う。

 だってそうだよ。こんなにも、感情をむき出しにした幸芽ちゃんを見るのは、初めてだから。

 

「っ! すみません。私、は……」

 

 彼女は、きっともう逃げるだけの気力はない。

 だらりと伸びた右腕が何よりの証拠だった。

 

「私、ずっと考えていたんです。どうして姉さんが私のことを好きって言ってるのか。ずっと考えても。考えても。考えても……。答えは一向に出なかったんです。だから、今言ってることも全部嘘かもしれないって」

「それは違う! わたしが一番好きなのは――」

「私、って言うんですよね」

 

 違う。違うの!

 ちゃんと幸芽ちゃんが好きなの!

 わたしが今も昔も、一番好きなのは幸芽ちゃんで……。

 

「私、ずっと兄さんに恋してたんです」

 

 ポツリ。少女が語る恋物語は、至ってシンプルなものだった。

 再婚した父方の連れ子。それが兄である夜桜涼介だ。

 不安で胸がいっぱいだった幸芽ちゃんに優しくしてくれたのがその兄なわけで。

 そりゃ弱ったところに付け込まれれば、人は簡単に落ちてしまう。たった、それだけのことだった。

 

「だから兄さん以外ありえない。私が好きなのは兄さんなんだって、そう思ってたのに!」

「幸芽ちゃん……」

「姉さんが悪いんです! 私と同じ惚れ方して、私じゃできないことばっかして! 挙句の果てには私の兄さんと、デートとか……」

 

 その目には感情がいっぱいこもっている。

 悔しいとか、悲しいとか。そんな負の感情がいっぱい溜まっていて。

 

「なんで私なんですか。なんで兄さんじゃなくて私なんですか!! あなたが好きな相手が兄さんだったら諦められたのに、なんで……。なんで、ですか……っ!」

 

 頬を伝って溢れる感情は、もう止まることを知らない。

 落ちる水滴は地面を悲しみ色に染め上げる。

 気づけば、膝をついた彼女は、わたしの方を見てくれない。

 

 確かに、そんな未来もあった。

 原作であれば、間違いなくハッピーエンドだったかもしれない。

 だけど、わたしにそんなバッドエンドはいらない。

 うつむく彼女に頭をそっと抱き寄せる。抵抗するかと思ったけど、無抵抗のまま、わたしに身を委ねてくれた。

 

「わたしさ。ずっと昔から幸芽ちゃんのこと好きだったんだ」

「……嘘です」

「ホントだよ。うん、ホント」

 

 わたしという正体がバレるかもしれないとか、そんなの、もうどうでもいい。

 謝って許されることじゃないのは分かっている。それでもわたしは……。

 

「ずっと前にね、幸芽ちゃんが言ってくれたの。よく頑張ったねって。その時、いっぱい頑張りすぎて疲れちゃったわたしのことを癒やしてくれたのは、他でもない幸芽ちゃんなんだ」

「そんなこと……」

「わたしはちゃんと耳にした。聞いた。感じた。それで、もうちょっと頑張ってみようって、そう思えたの」

 

 きっかけは些細なものだったかもしれない。

 だけど、人生を大きく変えたものなのは事実だ。

 だって人が一人死んじゃってるんだよ? そりゃ大きく変えたって言っても過言じゃないよ。

 

「だからずっと前から好き。それだけは信じて」

 

 胸元でもぞりと頭が動くのを感じた。

 仕草が相変わらず可愛いなぁ、もう。

 

「……じゃあ、なんで。兄さんと」

「あれはー、そのー……」

 

 えぇい、言うしかない!

 サプライズが台無しだけど、仲の良さには変えられない!

 

「幸芽ちゃんとデートする時に、いい感じにエスコートできないかなーって。えへへ、結局できなかったけど」

 

 ポカーンと開けた口が横に小さく結ばれる。

 

「嘘です。姉さんは、私のことなんて忘れて――」

「そんなことない! ……神様に誓って、そんなことしない」

 

 あのカミサマに誓うなんてしたくはなかったけど。

 それでも、この事実だけは信じてほしかった。

 

「わたしの一番は幸芽ちゃんだけ。ずっと、あなただけを見てきた」

「あなたは……」

 

 幸芽ちゃんは次に出る言葉を吐き出そうとして、閉じる。

 代わりに出てきた言葉は、意外にもあっけないもので、幸芽ちゃんの根負けを感じた。

 

「はぁ……。そうだったんですね」

「そうだよ。はぁ、サプライズ台無しだぁ」

「……そっか、私のために」

 

 瞳を細めて、嬉しそうに頬を緩める。

 え、な。なんかすごく可愛いんだけど?!

 そんな赤く頬を染めて……。ゆ、夕日のせいかなー! あ、あはは……。

 

「姉さんも、照れてますよ」

「へ?!」

「顔、赤くなってます」

「えーっと……。夕日のせいかなー」

「じゃあ、私もそれで」

 

 クッションを抱きかかえるように、わたしの胸へとダイブする幸芽ちゃん。

 あ、あれ? なんかちょっと積極的になってません?

 お姉さん結構テンパってますけど?!

 

「ゆ、幸芽さん……?」

「やっぱり姉さんの胸、おっきい」

「幸芽さん?」

「それに、いい匂い」

 

 ど、どうしよう。ちゃんと身体洗ったっけ?

 好きな人の匂いがいい匂いって誰かが言ってた気がするけど、つまりそういうことでいいんですか?

 いやいやいや! そういうのじゃないでしょ絶対!

 幸芽ちゃんが好きなのはは涼介さんの方で、わたしじゃない! だから好き勝手してるんだもん。

 

 ……万が一わたしの方が好きとか言われたら、参ってしまう。頭が。

 でも、あんな幸芽ちゃんが気を許してくれたのなら、まぁいっか。

 くすぐったい胸元と、こそばゆい気持ちで胸がいっぱいになる。

 今日の晩ごはん何かな。そんなことを考えることで、気をそらそうと思う。

 

 だって、これ以上幸芽ちゃんのこと好きになったら、どうにかなっちゃうし!




寄り道して、回り道をして。
そうして手に入れたものを、あなたはなんと言う?


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第3章 2人で夏を楽しむまで
第26話:優しい嫉妬はかわいらしいと古事記にも書いてある


 あの日を境に、幸芽ちゃんの笑顔が増えた気がする。

 

「姉さん、そっちのお菓子取ってもらっていいですか?」

 

「姉さん、私のペンどこにやりました?」

 

「姉さん!」

 

 あぁあああああ!!!!

 姉さん姉さん姉さんって! こんなにもわたしのことを惑わせてくる魔性の女がいますか?!

 半ばパシリのように感じたりするけれど、それはわたしを頼ってくれてるってことなわけですしぃ?!

 いやぁ、姉冥利に尽きますっていうか、恋人冥利といいますか!

 

 前者は間違いだけど、後者は確定事項! 恋人ですからねー、わたしたちー!

 あはははは! ははははは!!

 

「はぁー……」

「ウケる」

 

 夏休みに入る直前。終業式。

 檸檬さんと会うこともしばらくないだろう。そんなガッカリを身に感じながら、自分の恋の進展具合を思い悩んでいた。

 

「進捗どうっすか?」

「ダメです……」

「マジさぁ、あの後いい感じになったんっしょ? だったら一つや二つはないんすか」

「……なかったね」

 

 説明しよう!

 わたしと幸芽ちゃん、あとついでに涼介さんは幼馴染である!

 幼馴染が故に、わたしと幸芽ちゃんの距離感は、親しい間柄、から先に進まないのだ!

 これはわたしが日和っているとか、そんなんじゃない。

 普通家族から恋人に行きますか? 行かないでしょ! そういうことだよ!

 

「あたし、てっきりキスとかそっから先とか言ってるもんだよ」

「なななに、なに言ってるの?!」

「この様子だと、手をつなぐとかもまだそうだねー」

 

 そ、それはしたよ! わたしだってそこまでヘタレじゃない!

 ただ、ちょっと。その……。喪女なだけだから。

 

「でもキスだよ? ファーストな、最初の! タイミングとかあるでしょ?」

「そりゃそーだけど、それを作るのも、年上女子の手腕ってやつっしょ」

 

 ニヤリと笑う彼女を尻目にスマホをいじるわたし。

 まぁ目的なんてたった一つなわけで。

 

「無視とかひっどくない?」

「そうじゃないよ。連絡先交換しよ!」

「……マジ? そう来ちゃう?」

 

 来ちゃいます。

 花奈さん基準では春先からの付き合いである檸檬さんであったが、実は連絡先を交換してなかったことに最近気づいた。

 意外と面倒くさがりなのかな。それともプライベートの区分けをしっかりしていたのか。

 ともかく、連絡先を交換している子たちは数少ない。その中には檸檬さんがいなかったわけで。

 

「いや、感激だなー! 花奈ちゃんのほうから誘ってくれるなんてさ! ちょっち待っとってー」

 

 懐からスマホを取り出してピポパ。ちょっと古いかこの表現。

 メッセージアプリの連絡先交換機能を利用して、わたしたちは晴れて連絡先の交換に成功する。

 

「ウケるなー。マジで交換してなかったとか」

「だね。なんか友達っぽい」

 

 おっ? なんて声がわたしの耳に届く。

 その声の主は檸檬さん。驚いた表情でわたしのことを見つめているようだった。

 

「どうしたの?」

「いや、なんというか。照れくさいこと言うな―って」

「へ?!」

「だって普通言わないって、友達っぽいとかさぁ!」

 

 ケラケラ笑う目の前のギャルに、一瞬言葉の意味を理解していなかったが、数秒を経て思いつく。

 た、確かに。元から友達なのに友達っぽいって、なに?

 これ結構失礼なこと言ってない?!

 

「ご、ごめん。そんなつもりじゃなくって」

「いーのいーの! あたしも嬉しーしさ!」

 

 肩をパーンと叩かれて、強引に廊下の方を向かせられる。

 その先にはドアの影から小さくギリギリとわたしを見つめる可愛らしい後輩の姿があった。

 

「ほら、いってらー!」

「う、うん」

 

 なにか悪い事でもしたかな?

 分からないことだらけすぎて分からないけれど、とりあえず幸芽ちゃんのところに行こう。

 

「お昼?」

「というか、その。なんと言いますか……」

 

 彼女のハテナはしばらくしてため息へと変わる。

 え、なになに?! 怖いんだけど!

 

「姉さん、やっぱり人気者です」

「そ、そうかな」

「そうですよ! ……私の立つ瀬がなくなります」

 

 ひょっとして、嫉妬してたりする?

 自分の欲望を口に出したいけど、出せないからこんな遠回りな言葉で伝えるって。

 わたしの中の幸芽ちゃんかわいいボルテージに火が付く。

 ちょ、ちょっとだけいじってみようかな。

 

「どうなんだろう。でも檸檬さんとは結構仲良くさせてもらってるし」

「なんか、仲良くなりすぎじゃありませんか? その、こう……。私だけってのは分かってるんですけど……。私のこと、見てくれているのかなーとかなんとか……」

 

 なにこのかわいい生き物。素直になれない妹ってこんなにもかわいいの?!

 性癖が一つ捻じれる音がしている。新たな扉を開いて、開け放たれた空にダイブする感覚。

 胸の奥の、この子無性に抱きしめたい欲求がむき出しになる。

 まぁ、多少はバレちゃってもいいよね?

 

「幸芽ちゃん!!」

「えっ? ちょっ!」

 

 ガバっと抱きしめた幸芽ちゃんの頭を胸で受け止める。

 あぁ、生前は特に理由なく大きかった胸だが、こうやって好きな人をうずめさせることができたのだ。それはそれは快感でしかない。

 

「ん! んん~!」

「幸芽ちゃんはかわいいなぁ! ごめんね、わたしが好きなのは幸芽ちゃんだけだからさ!」

 

 もぞもぞと動くのは彼女の頭。

 少しくすぐったいし、なんだったら少し声が漏れ出てしまっているけれど、それはこの目の前の幸せには代えがたい。

 

「姉さん! ここはその、皆さんが見てますし……」

「見せつけちゃお!」

「なんでですか!」

 

 周りのモブたちもわたしたちのことを見ているし、これは学校新聞で大々的に報じられるかもしれない。

 不安半分。それでも幸芽ちゃんと公にイチャつけるなら、それに越したことない半分。

 それに、幸芽ちゃん抵抗してこないし。寂しがり屋め、このこの~!

 わたしもだったわ。

 

「おーい、花奈、幸芽! なに、やって……」

「「あっ」」

 

 そして兄バレ、というのもこうやって起きうるわけで。



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第27話:覚醒しちゃったお兄様

「お、お兄ちゃん知らなかったなー、お前たちがそんな関係だったとか……」

「やっ! 兄さんこれは違うっていうか!」

「えっ、違うの?」

「そ、そうじゃなくって!!」

 

 前略。わたしと幸芽ちゃんの関係が兄バレしました。

 わたしは別にいいんだ。これまでの行動から見て、涼介さんが引いたり、言いなりにさせようと脅したりする人ではないから。

 というか、むしろ狂喜乱舞しそう。

 百合男子として目覚めてしまった彼が、わたしたちを陥れるとは思えないのだ。

 

 ……とはいえ。

 

「そうかそうか、お前たちはそういうやつだったのか!」

「だから違うって言ってるじゃないですか!」

「違うの?」

「そんな捨てられた子犬みたいな顔しないでくださいよ!」

 

 適度に幸芽ちゃんをイジりながら、わたしも思考を巡らせる。

 うん、めっちゃ気まずいよ!

 だって、相手は仮にも幸芽ちゃんの兄で、幼馴染。それに恋人の好きな人と、トリプル役満。

 恐れ入ったね。ここまでコンボが決まると、ぷよぷよしたパズルが連鎖を起こしそうだ。

 

「言っても時間の問題だと思うし」

「いやいやいや! 姉さんが押さえればよかっただけじゃないですか!」

「わたしのこの情熱的な "愛" を押さえろって言うの? 無理無理」

「無理じゃありませんよ!」

 

 いや。「もっと努力してください」と言われても、わたしの好きは止められないし。

 むしろこの前の一件があって以来、愛がさらに深まったといいますか。

 愛は超越すれば希望につながるだろう。希望は光だ。だから幸芽ちゃんは光。わたしは光を愛するのだ―!

 

「兄さんからもなんとか言ってくださいよ!」

「なんとか」

「古典的すぎて子供ですか!!」

 

 幸芽ちゃんがツッコミすぎて、息を切らしている。そろそろイジるのはやめて、本題に移ろう。

 

「で、わたしたちの関係見てどう思った?」

「どうって?」

「こう、あるでしょ? 嫌だ―とか、気持ち悪ーとか」

 

 男同士でも女同士でも、度を超えたイチャつきは嫌悪感に匹敵する。

 自分たちからは分からないけど、もし身内がそんな関係になっていたら、ドン引きすること間違いなしだからね。

 

「あぁ、そういうこと。俺は別に気にしてないけど」

「えっ?」

「むしろ尊いよな。花奈と幸芽が付き合っていても、俺は構わないぞ」

「に、兄さん。本気で言ってます?」

 

 「本気本気」と言わんばかりにその短くなった髪の毛と共にうんうんと首を縦に振る。

 百合男子になったとはいえ、一応わたしのこと好きだったよね、あなた。

 

「えーっと。涼介さん、一応わたしのこと好きじゃなかった?」

 

 自意識過剰でちょっと口にするのもはばかれるようなセリフだけど、思わず口に出さずにはいられなかった。

 そうなんだ。一応この人、わたしの、花奈さんのことが好きなのだ。

 でも今はその感覚が微塵も出てこない。なんというか、僧だ。

 すべてを悟ったような顔。決意の丸刈り、ではなく散髪。これを僧と言わずしてなんなのか。

 

「まぁ今もそうなんだけどさ」

 

 男はまぶたを閉じて、一つため息をつく。

 まるで真剣な話が飛び出すような気配。

 

「兄さん……」

「涼介さん……」

 

 次に出てくる一言に、わたしたちは驚愕した。

 

「ぶっちゃけ幸芽の方が花奈を幸せにできるだろ」

「え?」「ん?」

 

 あっけらかんに言ってのけた彼は、手のひらをろくろを回すような手にしながら語り始めた。

 

「なんというか花奈と幸芽ってお似合いだとお兄ちゃん思うんだよ。花奈の天真爛漫でありながら、ところどころに出てくる大人らしさというか、ちゃんと全体を見ているんだなという性格と、幸芽の世話好きだが、なかなか素直になれない愛らしい性質がベストマッチなんだよ。これぞ姉妹みたいな! 実際には姉妹じゃないけど、姉妹じゃないなら結婚もできるだろうし、一生傍にいれるだろ? 俺はそんな二人の姿を壁のシミになりながら見たいというか。花奈が幸せならそれでいいんだよ。たとえ俺が幸せにできなくても、いや。むしろ俺より幸芽の方がふさわしいと思うぐらいにはお互いの関係性が歯車のように合致しているんだ。これはもう奇跡だぞ。サッカーボールに感謝しなくちゃな! あれがなかったら俺は俺自身に嘘をついたままだっただろう。ありがとうサッカーボール。ありがとう花奈、記憶喪失になってくれて、本当に感謝している。今、俺は奇跡を見ている。二人の軌跡を俺は追っている。これほどの幸せはないし、これほどの充実感はない。これこそが俺の生きる道。俺の、ジャスティスだ!」

 

 空気が、凍った。

 早口で捲したてるように口にした彼はもはや独自の怪物。

 ドン引きするどころか、こちらがドン引きしてしまった。

 わたしが。いや、わたしたちがこの怪物を生み出してしまったというのか……!

 

「……兄さん」

「なんだ?」

「キモい」

「うぐっ!!」

 

 救いを求めるように、彼はわたしの方を向く。

 どうする?

  たたかう

 >にげる

 

 わたしは めを そむけた。

 

 あ、目の前で胸を押さえて死んだ。

 可哀想だとは思うけど、不思議と怖いという感情の方が上回る。

 

「ま、まぁ。兄公認ということで」

「は、はい……。じゃないですよ! なんで私と姉さんが付き合ってるみたいなことに!」

「違うの?」

「え? いや。違いませんけど……」

「ならよかった!」

 

 思わぬ伏兵はいた、というか怪物はいたものの、なんだかんだで兄バレを回避することができたし、何よりなのかな?



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第28話:【悲報】余命夏休みまで

「いやぁ、カミサマ超ウケちゃう!」

「……帰っていい?」

 

 その晩。いつものように現れるのは自称カミサマ。

 言の葉の神様だという話だったが、正直昼ドラの神様とか言われても不思議ではない。

 

「ごめんごめん! いやぁ、あなたと会うのもこれで三回目だけど、やっぱあなたは面白いわ」

「やっぱ帰っていいかな?」

「できることならね?」

 

 それが出来たら苦労はしないのは確かだ。

 夢の中で捕縛されれば、おおよそ出る手段は目を覚ます、ぐらいしかない。

 のだけど、そんな自由自在に寝たり起きたりできたら、寝坊なんて概念はこの世から抹消されるはずだ。

 だから仕方なく、目の前でコーラをぐびぐび飲んでる自称カミサマと対面しなきゃいけない。

 非常に面倒くさい。厄介な上司のそれだ。

 

「カミサマ的にも今回の幸芽ちゃんとの話、あれはポイント高いよ」

「左様で」

「昼ドラ、っていうか。ありゃ完全にアオハル漫画だわ! 二十六歳がアオハル! ウケる―!」

 

 足をバタバタ。こっちは煽りに煽られて、少しキレそうなんですけど。

 

「とはいえ、もうすぐ夏休み。いろいろできるねぇ」

「夏と言えば恋愛の定番みたいなのがあるのは、分かるけど」

「ゲーム内でも夏祭りや海は欠かせないからね!」

 

 さて。と彼女は言葉に仕切りを付けると、パチンと手のひらを叩く。

 すると、いつもの白い部屋が暗転。現れたのは夜の祭囃子。

 提灯が照らすカミサマの見た目も、わたしの見た目も浴衣姿に代わっていた。

 

「夏っていいよね、暑さによる解放感。青春の真っただ中。淡いうたかたの花火」

 

 数年、というか生まれてからそんな青いものを見た覚えはないが、それでも創作の中の話にはよく出てくる。

 楽しかったあの日々。いつまでも思い出にしておきたい日常。

 今が、リテイクしたわたしの青春。そんなのがつまらないわけもなく。

 

 ――それでも。

 

「何が言いたいの?」

「およ? カミサマはただ過ぎ去りゆく日々を大切なものにしてほしいだけだよ」

 

 白々しいなこのカミサマ。

 心の底ではそんなことを考えているものの、やはり神様。そんなことは見通せるわけで。

 

「そーだよ! カミサマは人間たちが一喜一憂する姿を眺めていたいだけなんだから」

 

 そういうところが大物というか、神様たる所以というか。

 いつの間にか持っていたりんご飴をぺろぺろと舐めたりかじったり。

 見た目自体は花奈さんと同じか、少し小さく見える彼女は、まるでただの学生に見える。

 

「カミサマさぁ、これでもあなたのことを気に入ってるんだよ」

「それは面白いおもちゃとして、だよね?」

「そうとも言う! はい、わたあめ!」

 

 手渡されたわたあめをちぎって口にする。

 口の中いっぱいの砂糖の味。うーん、お祭りに来た感じだ。

 

「それでも、何もないっていうのは腑抜けてしまうと思うんだ」

 

 それ故に。彼女が口にしていたりんご飴をがぶりと噛みちぎって、その裏の顔を明かす。

 

「夏休みが終わるまでに、幸芽ちゃんからの『好き』をもらえなかったら、あなたは元の清木花奈へと戻る。面白いでしょ?」

 

 ……え? どういうこと?

 

「つまり、あなたの魂は本来の清木花奈へと上書きされ、あなたは消滅する」

「……は?」

 

 待って。理解はできるけど、納得はできない。

 つまり、わたしという存在が今、自称カミサマの手によって消されようとしてるってこと?!

 

「人間には干渉しないって話じゃなかったの?!」

「こんなことするのはあなただけだよ。転生者はいわゆる世界からはみ出した存在」

「だからって、何してもいいってわけじゃ……!」

「あなたは一度死んでいる。そのくせまだ生に執着する。出会った当時の言葉を忘れたとは言わせないよ」

 

『終わったんだよ、わたしは。どんな形であれ、死者が生者に干渉するなんてよくないと思うし』

 

 そんな過去のわたしが、心臓に刃を突き立てる。

 確かに。確かにそうだ。わたしは死者で、本来だったら天国で魂のまったりライフを過ごす予定だった。

 目の前の自称カミサマが魂を引っ張り出して、花奈さんの身体に定着させた。

 

「あなたは幸芽ちゃんと接することで、生にしがみつきたくなった。それは人間らしさを意味するし、カミサマはそれを愛する。だから今回はそんなあなたをテストしたくなったんだ」

 

 その金色の糸をふわりと回せながら、乙女はにやりと妖艶な微笑みを浮かべる。

 つまり、好きだからイジメたくなる。過酷な世界へと導きたくなる。ということか。

 男子小学生が好きな相手にする行為かと。

 

「それとも、幸芽ちゃんに好きの一言を言わせる自信がないと?」

 

 呆れているものの、その煽りにはプッツンしてしまうわけで。

 

「そんなことない! 言わせてあげるよ! わたしの手で! 幸芽ちゃんの口から好きって! 言わせるし!」

「それでこそあなただ」

 

 にやりと笑った彼女はもはや悪魔のそれ。

 指をパチリと鳴らして、祭囃子の世界は暗転。いつもの白い部屋へと戻ってくる。

 衣装も浴衣ではなく、いつも着ているものとなっていた。

 

「期待しているよ。あなたが相手から好きと言われることを。応援しているよ、あなたの好きがちゃーんと伝わるように」

 

 言ってくれる。

 この勝負、おそらくわたしの方が有利であることは間違いない。

 けれど幸芽ちゃんの素直じゃなさはわたしだって知っている。

 それでも、だ。わたしの存在がかかっていて、カミサマにぎゃふんと言わせるチャンスがあるのなら。わたしはこう言うだろう。

 

「あとで吠え面かかないでよ」

「かかせてみてよ。そのぐらい、安いものだ」

 

 いつものように起床のために浮上する感覚。

 ふわりと足が地面から離れるように、意識が覚醒へと導かれていく。

 絶対勝つ。そんな対抗意識を燃やしながら、わたしは夏休み一日目の幕を上げるのだった。



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第29話:アッピルは人の命を救う

「幸芽ちゃん! 好きって言って!」

「……突然どうしたんですか? それよりも朝ごはんできてますよ」

「は、はーい……」

 

 今、わたしにアホ毛があったらしょんぼりしていることだろう。

 しょんぼり花奈さん、可愛いと思うけれど、どちらかと言えばしょんぼり幸芽ちゃんを見たくて仕方がない。

 

 そんな感じで夏休み一日目。

 まぁいつものように、夜桜家にお邪魔して、朝食を頂いているところだ。

 ちなみに今日のご飯はウィンナーとか卵焼きとかの王道な朝食。

 食パンしか食してこなかったパン人間としては、眩しい一皿だ。

 

「うん! 今日も美味しい!」

「よかった……」

「だから幸芽ちゃんも好きって言って!」

「またそれですか」

 

 うん、だってわたしの命が関わってるわけだしね。

 あの自称カミサマ、なんてことをしてくれたんだ。

 あれはきっと、自分の娯楽のためなら平然と人を陥れられる。

 そして嘘をつかないことだろう。それはなんとなくだけど分かってしまう。

 

 だから困ってるんだよぉーーーーー!!!

 

「花奈、今日アピールすごいな。お兄さんいいと思うぞ」

「兄さんは黙ってて」

「俺は壁のシミだぞ? 二人でイチャついててもらって」

「涼介さん、本当に気持ち悪いね」

 

 相手はナマモノだぞ一応。

 目の前で白米をかきこみながら、今日も飯が美味いと笑う。

 それはいったいどのおかずを目の前にして、飯が美味いと言っているのだろうか。

 

「これでも自制はしてるんだぞ」

「……涼介さん、それは聞かなかったことにするね」

 

 若気の至り is 怖い。

 高校生の若い性欲がなにかのきっかけで百合に言った場合、どういうことになるか。

 これ、幸芽ちゃんには絶対言わないでおこう。どんなことをされているか分かったもんじゃない。

 

「……そういえば、なんで私だけ『ちゃん』付けなんですか」

「え。意識したことなかった」

「確かにな。俺に対しては『さん』だし、お前の友達にもそうだろ? 地味に気になってたんだよ」

 

 まぁ理由はあるんだけど、ちょっと言いたくないって気持ちが大きい。

 これ、言ったらわたしが恥ずかしいだけだし。

 

「少なくとも記憶喪失前は私にも『さん』でしたから」

 

 そしてしくった。これはさんで通すべきだったかも。

 いやいや、でも『幸芽さん』だなんて今から言いたくない。

 幸芽ちゃんは『幸芽ちゃん』だからいいのだ。それ以上も以下もない。

 

「つっても、今の俺ら的にはもう今の花奈が花奈って感じだけどな」

「……まぁ、そうですけど」

「あはは、ありがと」

 

 そんなにおだてられたって何も出すものはないのよ?

 少しばかり気恥ずかしくなりながら、頬を指先で掻く。

 というか、これ逃げられない感じだよね、うん。はぁ……言っちゃうか。

 

「まぁ、なんというか、さ」

 

 兄妹の目線がわたしを貫く。うぅ、言いたくないー!

 わたしは少し二人から視線を外して、苦そうな顔で口にした。

 

「こう、幸芽ちゃんって『ちゃん』って感じしない?」

「……はい?」

「あー、なんとなく分かる気がする」

「兄さん何言ってるんですか」

 

 理由は二つほどある。だからわたしは表向きにしていい方を口にした。

 

「わたしの中では、幸芽ちゃんは頼れる女の子なんだけど、それ以上にわたしの妹でもあるから。そんな子に対して、愛情を込めて『ちゃん』付けしてるの。迷惑だったらやめるから……」

 

 外していた視線を、ちらりと幸芽ちゃんへと戻す。

 その顔は、少しだけ顔を赤らめていた。朝日にやられたとかそんなんじゃない。ただ、照れているみたいだ。

 

「別に、そんなことないです。わたしは……その。気に入ってますから」

「ぐはっ!」

 

 そして唐突にダメージを受ける兄!

 涼介さんがオーバーリアクションでソファーから転げ落ち、ピクピクと痙攣している。

 二人で顔を見合わせて、わたしたちは笑った。

 

「まったく、兄さんは」

「やっぱり気持ち悪いよ、うん」

 

 あくまでもこれは理由の一つだ。

 本当はキモオタ特有の理由で、可愛いものには『ちゃん』を付けたりする。

 たまに幸芽たんになることもあったが、それは置いておくことにしよう。

 だって恥ずかしいよ。ガチ恋相手に対して、素直に可愛かったからっていうのはさ。

 

「じゃあ幸芽ちゃん、わたしのことは?」

「別になんとも」

「嘘だー!」

「嘘じゃないですよ。……多少は入ってますけど」

「ん? 聞こえなかったなー? もうワンセット!」

「そんな態度だから好きじゃないんですよ」

「酷い! わたしはこんなにも愛しているのに!」

 

 幸芽ちゃんの真意は分からない。

 相変わらずわたしのことを苦手としていて、兄さんへの恋敵だと思っているかもしれない。

 そうでなくても、うざったく思われている可能性もある。

 

 それでも、わたしにとっては天使だし、ガチ恋相手だし。

 好きと言ってくれたら、ここに命の恩人も追加される。

 

「だいたいなんですか突然。……分かってくださいよ」

「え、今のは本気で聞き取れなかったんだけど?」

「はぁ……。バカ」

「なんか怒られた?!」

 

 あの夕日の出来事。確かに心を通わせたはずの気持ちは間違いだったとは思いたくない。

 あの時の幸芽ちゃんは、とても可愛らしかったな。

 

「なにニヤついてるんですか?! お、怒られてニヤつくとか……」

「やっ! 違う違う! そういうんじゃなくって!」

 

 どうか、わたしが死ぬ前までに、幸芽ちゃんの好きが聞けますように。



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第30話:送信!受信!謎の写真!

また日間ランキングに載ってたらしいです。
いつもありがとうございます


 わたしは生前社畜である。

 ワーカーホリックというやつだ。

 

 そんなわたしに対して長期休暇を渡すとどうなるか。

 

「……暇だ」

 

 こうなってしまう。

 夏休み二日目。一日目にやったこと言えば、掃除機をかけたり、洗面台をきれいにしたり。そんな掃除ばかりしていたら一日が過ぎ、そして二日目。

 虚無なのだ。生前休みに何をしていただろうか。

 ずっと寝てた気がする。死んだように。惰眠を貪り、力の限り休んで、出勤へ。

 

「我ながら酷い社畜人生だったなぁ」

 

 自宅のソファーで横になりながら、テレビのチャンネルを変えていく。

 幸芽ちゃんとどこかに遊びに行きたい。

 だが、相変わらず遊べるような場所を知らないわけで。

 散歩でもしようかな。この辺の立地を覚えるために。

 

「でも何にも用がないのに出るのもなー」

 

 そしてこのわたしはインドア派の出不精なのである。

 ゲームして過ごすのも勿体ない。あぁ、そんな感じで最初に戻っていくわけで。

 

「幸芽ちゃん……」

 

 気付けばタプタプとスマホをタップして、送信ボタンをポチリと押下する。

 流石に返事は数時間後かなー、と思っていると意外や意外。すぐに帰ってくるのだった。

 

「……ふふ! あはは! なにその反応ー!」

 

 概ね予想通りだ。

 ちなみに今のやり取りは『幸芽ちゃん、好きー』からの『私はそうでもありません』という機械とやり取りしているような内容だった。

 そうでもありませんって、そういうAI見たことあるよ!

 よし、イジっちゃえ。

 

 送信して、おおよそ40秒後。またもや返事が帰ってきた。

 

◆幸芽ちゃん 11:23

ロボットってなんですか!

私はれっきとした人間です!

 

「あはは、そりゃそーだよ」

 

 そんな中身のない会話こそが、なんというか時間を無駄にしている感じがあって。

 あぁ、これが休みというものなのか。なら、もっと謳歌しなきゃ。

 

◆花奈 11:25

わたしから見たらこんな感じだよ?

[画像]

 

 ちなみに送った画像はほっぺたに合わせ目みたいなのが入ったロボット特有の見た目にデコレーションしてあげたのだ。

 そう送って数分。ちょっとやりすぎちゃったかなと後悔した後、返事がやってきた。

 

◆幸芽ちゃん 11:34

姉さんなんか、頭お花畑なんじゃないんですか?

[画像]

 

「な、なんですとー?!」

 

 その画像にあったのはわたしの頬が緩みきった幸せそうな表情の上で、頭に花がいくつも咲き誇っている画像だった。

 ……そうだ。こう言い返してやれ。

 

◆花奈 11:35

これは花奈と花を掛けた最高のジョークってこと?

 

 ふふふ、これなら相手が恥ずかしそうに違いますよって来るはずだ。

 数秒して、返事が帰ってきた。

 

◆幸芽ちゃん 11:35

ち、違いますよ!!

 

 かーわーいーいー!

 やっぱ幸芽ちゃんは最高だよ。顔が緩みっぱなし。さすが我が嫁よ……。

 ちなみに俺の嫁文化って結構コアで古い文化らしい。いつの間になくなってたもんね。

 

「って、わたしあんな顔で写真撮られた覚えないんだけど」

 

 花奈さんはもとよりそんな顔をしないらしい、というのは周りの雰囲気から察していた。

 故に今のわたしに戸惑っているということに他ならないが、それならこれって今のわたしだよね。

 

「んー。聞いてみよ」

 

 こういうことは素直に口に出して聞いたほうが悩みっぱなしにならずに済む。

 タプタプと液晶をタップして送信、っと。

 

◆花奈 11:37

そういえばさっきのわたしの写真っていつ撮ったの?

 

 よしよし、これなら返事ぐらいくれるだろう。

 楽観視しながら、テーブルにスマホを置いて、チャンネルポチポチ。

 うーん、やっぱりこの時間帯はだいたいワイドショーしかやっていない。

 もう少ししたらお昼のバラエティ番組が始まるだろうし、それまで待機かな。

 

 だが、幸芽ちゃんからそれ以降の返事が来ることはなかった。

 気になる。モーレツに気になってしまう。

 あんな顔、したような覚えはあるものの、本当に無意識からの一撃だと思われるため、わたしもいつやったか分からないのだ。

 

「やっぱり幸芽ちゃん、わたしのこと好きなことにならないかなー。いやないか」

 

 夜桜家にお邪魔する前にコンビニに寄る。

 理由は二つ。たまにはデザートもいいだろうというのと、人の秘密を探るには物が一番だと知っているからだ。

 へへへ、プリンには叶うまい……!

 

「ん? よう、今日は遅かったな」

「あはは、コンビニ寄ってたからねー」

「へー、中身はなんだ?」

「プリーン! 食後にみんなで食べよ!」

「気が利くな!」

 

 こうしている分には普通の兄ちゃんなのにな。

 短くなった前髪をかきあげて、ルビー色の瞳を揺らす。

 やっぱり短髪の方が似合うや。

 

「そういや、今日は誰かとメールのやり取りしててな。ご飯少し遅れるってよ」

「そっか……。そっかぁ……えへへ」

 

 わたしのために時間割いてくれたんだー。

 そう考えたら口元が緩んでしまう。わたしのために。わたしの、ためになぁ!

 

「なんか、キモいな」

「ひどくない?! 女の子に言う言葉じゃないよ!」

「だったら俺にも言ってるだろ」

「そういうのは男性の特権!」

「ひっでぇ!」

 

 そんなくだらないやり取りをしながら、わたしはプリンを冷蔵庫に置いて、ソファーへと向かうのだった。



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第31話:夏を楽しめ、社畜!

「……な、なんですか」

「いや、別に?」

 

 お昼ごはん中。わたしはずーーーーーーーーっと幸芽ちゃんのことを見つめていた。

 何故か。そんな答えはかなりシンプルなものだった。

 

 ――幸芽ちゃん、その写真いつ撮った?

 

 謎が謎を呼ぶ迷宮。真実はいつもひとつと言うけれど、実際調べなきゃ分からない。

 だからこうやって見つめてるんだけど、幸芽ちゃんの反応がややおかしい。

 

「ご、ご飯に集中してください!」

「うん……」

 

 お茶碗で隠しているように見えるけれど、頬のあたりが少し赤くなっている気がする。

 熱っぽいとかそういうのじゃないだろうけど。

 視線を追ってみても、涼介さんがいるということもなく。

 いったい、何に頬を赤らめているのだろう?

 

「幸芽ちゃん、風邪とか?」

「え?!」

「そうなのか? それだったらご飯のあと休んだほうが」

「や、そういうんじゃ……。いや、そうしておきます」

「わたしも付き合おうか?」

「い、いいです! 風邪とか移したら嫌ですし!」

 

 全力で拒否されてしまった。わたし涙目。

 心配なのは心配だけど、気になることもあったりする。

 

「ごちそうさま、美味しかったよ!」

「はい……」

 

 写真。そう、あの写真だ。

 わたしの頬が緩みきった写真なんて、それこそタイミングを見計らわないと撮れない。

 幸芽ちゃんのことだから隠し撮りはないと思うんだけど、うーむ。

 

 足早に幸芽ちゃんが食器をシンクの中に収納し、自分の部屋へと立ち去っていく。

 気になる。めちゃくちゃ気になる。

 当然幸芽ちゃんに好きと言わせなければ死ぬ、という状況は分かっているけれど、個人的な興味本位からは逃れられないのだ。

 

「って言っても強引に攻め入ったんじゃ、幸芽ちゃんに嫌われるし……うむぅ」

「なに独り言つぶやいてるんだ?」

「エロ本の隠し場所をどうやって見つけるか、みたいな?」

 

 例え方がひどすぎた。涼介さんめっちゃ動揺しているし。

 

「べべべべ、別に俺はエロ本隠してねぇし!」

「まぁそれはどうでもいいんだけど」

「ど、どうでもいいのかよ!!」

 

 一人で抱え込んでいてもしょうがない。

 ということで、先ほどの事情をぺらぺらと口に出す。

 なるほどな。と腕を組んで考える涼介さん。ちょっと様になってる。

 

「俺も花奈の恋は応援したいしな」

「……本当に、変わったね」

 

 あれだけ好きだと思っていたのに、人の心とはあっさり変わるものだ。

 

「いや、一昨日も言ったけど、今もお前のことは好きだからな?」

「でもほぼ諦めムードでしょ?」

「俺としては幸芽と一緒にいてくれればそれでいいし、それで二人が結婚したら、お前からも『兄さん』なんて呼ばれたりもできるだろ。そういうことだよ」

「ごめん、今の聞かなかったことにしていい?」

「すまん。俺も失言だったわ」

 

 訂正しよう。なんだかんだ未練がましい男だということだ。

 まぁ、今では親しい間柄だとも思ってるし、いいんだけどさ。

 

「気になってたんだけどさ。結局お前らって付き合ってるの?」

「……まぁ一応」

 

 「向こうから好きとは言われてないけどね」と軽めに笑いながら、口に出す。

 簡単に聞き出せてたら、あの自称カミサマの術中にはハマらない。

 意外と難易度高いのは分かっていたけれど、幸芽ちゃんガード堅いんだもん。もうちょっと柔らかくしてほしいものだ。

 

「今日のところは引き上げてもいいかもな。あの様子じゃ、多分出てこない」

「やっぱりかー。幸芽ちゃんのけちんぼ」

「あはは。まーさ。夏祭りに誘えば、案外心を許してくれるかもだぞ」

「夏祭り?」

 

 あー、そういえばゲームのパッケージにそんな感じにイベントスチルあったっけな。

 そっか。もう夏休みだし、夏祭りとかもあるんだよね。

 

「毎年恒例のな。だいたい二週間後ぐらいか」

「夏祭り。幸芽ちゃんと夏祭り。浴衣の、幸芽ちゃん……!」

「お、テンション上がってきたか」

 

 そりゃそうよ!

 何色が似合うかなー。やっぱりクールな花柄の青かな。あのふんわりとした髪の毛がポニーテールみたいにまとまってくれれば、さらに嬉しい。

 夏限定の幸芽ちゃん。んー、課金したくなっちゃう。

 

「海とかも行きたいねー。プールとかもいいなー」

「川でBBQもありだな」

「その場合幸芽ちゃんには過労死してもらう羽目に……」

「あー、確かに」

 

 檸檬さん辺りも誘ったりなんかしたり。

 あれ、もしかして夏休みって結構忙しかったりする?

 

「宿題もやんなきゃだしな」

「うぅ……」

「いい思い出にしたいよな」

 

 軽く微笑みかけるように涼介さんがわたしの方を見る。

 ったく。そういうところをもっと他の人に分け与えてあげればいいのに。

 

「そうだね!」

 

 社畜時代に比べて暇だって思ったけど、あれは嘘だ。

 昔よりも全然忙しいし、今の方がもっともっと楽しい。

 これが学生時代の青春か。ちゃんと予定立てなきゃ。

 海にプールに夏祭り。それに宿題と。悪くない、忙しさだ。

 二人と比べたら老婆めいた思いを胸に秘めつつ、わたしたちはテレビを見ながら談笑に耽るのだった。



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第32話:計画しているときが大抵一番楽しい

「幸芽ちゃんは、何したい?」

「んー……」

 

 夏休み二日目夜。

 扇風機のブーンから出ている風を受け止めながら、わたしたちは夏休みの計画を立てていた。

 

「ここから海、となると結構遠いですよね」

「確か隣町まで行かないと無理そうだな」

 

 たまにはそういうのも悪くはないと思うけれど、少し面倒な感じはする。

 インドア的には室内のプールで幸芽ちゃんとイチャつきたい。可能な限り密着して。

 照り付ける太陽の下にいると、ヴァンパイアよろしく溶けてしまうのだ。

 あとあんまり肌を焼きたくないってのもある。花奈さんの肌、白くて素敵だし。

 触ったらぷにっと跳ね返す弾力もまた魅力だ。

 

「わたしは幸芽ちゃん次第で行っても行かなくても、かな」

 

 とはいえ、わたしは大人だ。

 こういうときは大抵自分の意見を押し殺して、恋人のご要望を受け取るのがマナーというものだ。

 

「……姉さんは、どうしたいんですか?」

「わたし?」

「なんか、乗り気じゃないみたいなので」

「……あはは、そう見えるかな?」

 

 いつもの愛想笑いでこの場を避けようとしているが、幸芽ちゃんの鋭い目つきからは逃れられない。

 半目でじとーっとした瞳は、わたしを諦めさせるには十分だった。

 

「幸芽ちゃん、だんだんわたしの扱い方分かってきてない?」

「いつから一緒にいると思ってるんですか」

「いや、あー。まぁいっか」

 

 わたし自体は記憶なくなった時から変わっているんだけどさ。

 まぁそれを言っても……。

 

「だいたい、もう数か月も一緒にいれば癖は覚えますよ」

「……へ?」

「姉さんが誤魔化そうとしてるときはだいたい目線が上を向くんです」

「マジか?! さすが花奈の彼女だな!」

「そうじゃ……ありますけど、そうじゃないです!」

 

 そっか。もう数か月経ったんだよね。

 花奈さんとしてではなく、わたしとして、ね……。

 胸からこみ上げてくる恥ずかしさと、愛おしさと。それから今すぐ抱きしめたいって感情と。

 あー、ダメダメ! またこれ以上好きになってしまう!

 

「すごいなぁ、幸芽ちゃんは」

「で、結局姉さんは海は嫌なんですか?」

 

 「まぁ、そうだね」と、しぶしぶ折れる形になる。

 理由を述べれば、はぁ。とため息を一つ吐き出された。

 

「ホント、人が変わったみたいですね」

「昔のお前はもうちょいアウトドア派だったけどな」

「昔は、昔だし」

 

 ひょっとしたら、幸芽ちゃんはもう気付いているのではないだろうか。

 そんな妄想すら考えてしまう程度には、的確な感想だった。

 確かに人が変わった。まるまんま中身が。

 

 打ち明けてもいいのだろうか。そんなことを考えてしまうぐらいには。

 ……今度、あのカミサマに会った時にでも言ってもいいか聞いてみようかな。

 

「そんじゃプールにすっか! となると北口からバスに乗ってサトナカキングダムかな」

「そこってどんな感じのとこ?」

「でっけープールがある」

「わーお」

 

 そんな感じで今後の日程を決めていく。

 今週末はさっそくサトナカキングダムという場所へ行くらしい。

 そしてお盆の時期には夏祭り。花火もやるというのだから楽しみだ。

 ひと夏のアバンチュール。まさしく線香花火みたいな輝き。

 わたしは燃えカスみたいなところがあったから、改めて光ることができるのであれば、それに越したことはない。

 

「楽しもうね」

「そうだな。遊べる夏なんてもう今年しかないから」

「……受験、ですもんね」

 

 そんな寂しそうな顔しないでよ。

 目の前に座る幸芽ちゃんの頭に手を置いて、そっと撫でる。

 

「……別に寂しくなってないですから」

「わたしは寂しいけどな、学校で会えなくなったら」

「……すぐそういうこと言う」

 

 言っちゃうよ。だって幸芽ちゃんなんだもん。

 たった一年。いや、数か月生まれるのが違っただけでこんなにも寂しい思いをさせるのだ。

 ごめんね。そしてありがとう。寂しいって言ってくれて。

 

「なんか湿っぽくなっちゃったね。じゃあ夏休みは、遊ぶぞー!」

「おー!」

「…………」

「幸芽ちゃーん?」

「……お、おー…………」

 

 びやぁあああああ、かわいいよぉ!

 その瞬間、光を超えた。やっぱり幸芽ちゃん好きー!

 と言いながら、わたしはいつの間にか幸芽ちゃんを抱きしめていた。

 

「な、なにやってるんですか! というかどんな速度ですか!」

「お姉さんは愛のためなら光の速さを超えるんだよ」

「お姉さんこえぇな?!」

「そういう意味じゃないですよー!」

 

 幸芽ちゃんの言葉にならない叫びを聞きつつも、わたしは幸せというものを噛みしめていた。

 この瞬間、計画しているこの時こそが、一番夏休みしているかもしれない。

 

「幸芽ちゃん、楽しい思いで作ろうね」

「……はい」

 

 幸芽ちゃんの頭を頬っぺたすりすりしながら、夏休みへの思いを馳せる。

 灰色だった人生は、鮮やかな色に塗り替わっていく。

 それもこれも、すべて幸芽ちゃんのおかげだ。

 微塵もカミサマのおかげだなんて言わない。絶対だよ。

 

「そうだ、あとで檸檬さんも呼ばなきゃ」

「え?」

「だってみんなで行った方が楽しいでしょ?」

 

 脇腹を貫く痛み。思わずくの字に曲がってしまった。

 え、誰から。ってその答えは一つしかなくて。

 

「……姉さんのバカ」

「なんで?!」

「なんでもありません!」

 

 思春期の気持ちというものはなんというか、分からない。



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第33話:気づき。気になるあの子の正体

「やっぱり、人が変わったみたい、ですよねぇ」

 

 記憶を失う前。おおよそ数か月前の写真を引っ張り出してきて眺める。

 以前の姉さんは清楚でおとなしく、まさしく大和撫子。

 そんな人が、何があったのかってぐらい人が分かった。

 きっかけは恐らくあのサッカーボール。

 記憶を失った後から、姉さんは姉さんではなくなった。

 

「元気で、人懐っこい姉さん、か」

 

 スマホに写し出された姉さんの百面相を見ながら、物思いに耽る。

 

「人が変わった、か」

 

 比喩表現ではなく、そのままの意味で。

 でも見た目は変わっていない。

 あの憎らしいほど大きな胸と身長。嫌でも目に入ってくるし、憧れてもいる。

 私の憧れで、今は私のもの。

 

「私の、ものねぇ」

 

 姉さんの二度目の告白。

 その中で私は自分の心に気づかされた。

 自分のためではなく、私のために動いていたという事実に私は安心していた。

 何故か、なんて分からない私じゃない。少なくとも、今は。

 

「本当に、私はどうしちゃったんだろ」

 

 隠し撮りしていた姉さんのふやけた笑顔を見て、思わず私も笑う。

 今は誰もいないし、いいよね。

 

「姉さんも変わったのなら、私も……」

 

 どうかしてしまった。

 誰のせいで? 分かってる。姉さんのせいで。

 言いたい気持ちはある。心のシコリが自分の言葉で、口でその愛を伝えたくて蠢いている。

 

「言いたくない。なんか、負けた気がする」

 

 私の最後のプライドが、そんなことを口走る。

 相手が兄さんだったとしても、多分それは変わらない気がする。

 

「姉さんのバカ」

 

 虚空に消えた言葉は、照れ隠しか。それとも事実か。

 あー、もう。なんか気が狂う。

 姉さんが姉さんだから私の心が乱されてしまうんだ。

 以前までの姉さんだったらこんなことなかった。

 

「……人が変わったように」

 

 その時、妙な考えが私の中によぎった。

 

「姉さんが、もしも姉さんじゃなかったら」

 

 それは今まで考えていたものの、馬鹿らしいと思って、本格的に考えることをやめていたワード。

 なんでそんな非科学的なことを考えたんだろうか。

 だいたい普通に考えて、人になりきるなんてことはできない。

 例えば前の姉さんだった人はどうなってしまうんだろうか。

 

「……調べてみちゃおうかな」

 

 悪い事のように感じながら、私は検索エンジンで調べてみる。

 だがそこにあるのはだいたいメンタル系の病の話だけで、特にそれらしい情報はなかった。

 

「そりゃそっか」

 

 スマホを置いて、しばらく考える。

 二重人格だった、なんて話は聞いたことないし、それに準ずる病の話も特に耳にしていない。

 じゃあ、いったいなんだというのか。

 

『ずっと前にね、幸芽ちゃんが言ってくれたの。よく頑張ったねって。その時、いっぱい頑張りすぎて疲れちゃったわたしのことを癒やしてくれたのは、他でもない幸芽ちゃんなんだ』

 

 以前から考えていたこの理由。

 ずっと前っていつだろう。私は姉さんにそんなことを口にした覚えはない。

 むしろ昔は姉さんが私に口にするような立場だったのを覚えている。

 

 それに、これでは記憶がないという事実を、ある種否定しているかのようにも見える。

 記憶がないのに、ずっと前の記憶がある。

 じゃあ姉さんの記憶がないって話は嘘になる?

 

「姉さんは、やっぱり何か隠し事をしている」

 

 それは私を好きという、本当の理由が含まれている気がして。

 

 性格が変わった。

 記憶を実は持っている。

 そしてそれを隠している。

 

 人が変わったように。

 

 その言葉がおそらく正解なのだろう。

 いやでも、本当にそんなことがありえるの?

 分からない。分からないけれど、それがもし正しいのだとしたら。

 

「……姉さんは、いったい誰なんですか?」

 

 分からない予感は大抵命中する。

 だけど、それでだけでは導き出せない最終解答が目の前にある。

 これを隠しておくべきなのはわかる。

 だとしたら。姉さんは誰で、本当の姉さんはどこに行ってしまったのだろうか。

 

 でも、これだけは言える。

 

「私が好きなのは、兄さんでも、清木花奈でもなくって」

 

 その隠されたダアトが私の本命。

 私の心を奪っていった、憎らしい相手。

 

「たとえ姉さんが姉さんではなくても。私が……」

 

 私が好きなのは他の誰でもない。

 名前を知らないし、本当に誰なのかも分からない。

 それどころか、ひょっとしたら姉さんの仇になる存在かもしれない。

 だけど。それでも。

 

「私のことが好きってことと、この笑顔だけは、本物ですよね」

 

 天真爛漫だけど、少し引いたところから見ていたり、嘘が上手だけど、ちょっと癖があったり。

 そんな大人びたあなたが、私は好きです。絶対に言葉にはできないけれど。

 

 ◇

 

「あーあ、気付いちゃったか―。まー、そろそろ潮時だと思ったけど」

 

 幼馴染に妹みたいな存在。

 加えて二度目の告白の時につぶやいてしまったその言葉。

 そりゃ入れ替わりに気付かない方が無理があるよね。涼介くんは気付いてないみたいだけど。

 ブラウン管テレビをこたつの中から見て笑う。

 

「となると、こりゃあの子と幸芽ちゃんとの我慢対決かなー」

 

 コップに入れたコーラをグイっと一飲み。

 くぅー、全身に甘さと炭酸の刺激が染み渡る―!

 

「ま、せいぜい楽しませてもらうよ。あの子と幸芽ちゃんの真剣ラブバトル」

 

 ベッドに向かう幸芽ちゃんを見て、カミサマは笑う。

 いやぁ、ホント。人間って面白いなぁ。

 いろんなことを企んでしまうが、それはカミサマとしての信条で否定する。

 

「やっぱり人間は人間同士で矛盾しあうべきだ。心と言葉や態度、その真逆な想いにゾクゾクしてしまうね」

 

 肩を震わせながら、その身によだつ興奮に胸を打ち震わせる。

 

「じゃあ一緒に楽しもうか。彼女たちの恋愛の行く先を、さ!」

 

 ふわりと笑って、テレビの方に目線を向ける。

 夏休みもまだ始まったばかりだ。イベントは、まだまだたくさんあるんだよ?



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第34話:嫉妬と肌色渦巻くキングダム

 無料送迎バスに揺られてだいたい一時間。

 いつの間にか時を刻んでいた頭は終焉を告げた。

 そう、目的地への到着だった。

 

「ふあぁ……。着いたの?」

「みたいだねー! いやー、マジサトナカキングダムでけーわ」

 

 ここ、サトナカキングダムはリゾートホテルも兼任した大型レジャー施設だ。

 巨大なプールに温泉、それからバイキング。

 宿泊施設もあるっていうんだから、びっくりしてしまう。

 

「あんがとね、あたし誘ってくれてさ!」

「いいんだよ、檸檬さんだし!」

「ホント、そういうとこだと思うよ」

「何が?」

 

 くいくいと檸檬さんが指を差す方向には、幸芽ちゃんがいた。

 追加。幸芽ちゃんが半開きにした瞳をわたしに向けて、殺意を込めていた。

 そしてその後ろでは涼介さんが幸芽ちゃんを見ながら、天に祈っている。

 な、なんだこの状況。

 

「行っといでよ。これ以上あたしが睨まれるなんて怖くてしんどいし」

「あ、あはは。ありがとね!」

 

 檸檬さんのそばを離れて、幸芽ちゃんの元へと向かう。

 そのジト目はゆっくりと鋭いいつもの瞳に戻っていた。なんという変わり身。

 

「幸芽ちゃん、バスで寝てた?」

「いえ、ずっと外見てたので」

「なんか途中からほとんど畑ばっかで眠くなっちゃったんだよね」

「そういうとこ、無頓着そうですもんね」

 

 そうともいうかもしれない。

 正直な話、幸芽ちゃん以外に興味があることってなると、あんまりないし。

 強いて言えば料理とか。でもまぁ、チャレンジするとだいたいの確率で焦げるし。

 

「むしろ、わたし何に興味があると思う?」

「それ本人の前で聞きますか」

「聞いちゃうんだよねー、これが」

 

 幸芽ちゃんの手に触れながら、わたしは聞いてみた。

 理由なんてその場の流れでしかないけど、なんとなくわたしへの印象を聞いてみたかったのだ。

 複雑な乙女心を許してほしい。御年二十六歳だけど。

 

「私以外にあります?」

「お、自己申告制ですか!」

「そうじゃありません! 姉さん、家でなにしてるか分かりませんもん」

「なにしてると思う?」

「ボーっとしてるぐらいだと思います」

 

 正解だ。

 基本的にやることがないから勉強した後はボーっと天井を見つめている。

 我ながら虚無みたいな時間の過ごし方だが、趣味がないとこういうことになってしまうのだ。

 

「わたしって、昔は何やってたんだっけ」

「なに言ってるんですか。元々記憶喪失って設定……」

「え?」

「……あっ」

 

 ……え、わたしのこれが設定ってもしかして気付かれてたの?!

 いや、今は深く聞き出さないほうがいいかな。

 でも気になる。いつ気付いたかーとか。

 さすがに周りに涼介さんと檸檬さんがいる。これ以上は混乱になりかねない。

 けど、どうやって誤魔化すかが一向に出てこないのも問題だった。

 

「えっ、と……」

 

 またあとで。そんなことを口に出そうとした瞬間だった。

 幸芽ちゃんは静かに口元に一本人差し指を立てる。しー、と周りの音を消すときに使う仕草だ。

 

「言いませんよ。私だって整理がついてないんですから」

「あ、あはは。えっと。わたし記憶喪失です」

「姉さんはあくまでそれを突き通してくださいね」

 

 ――でも。

 幸芽ちゃんはそういうと口元を静かに上にゆがめる。

 

「いつか教えてください。あなたが誰なのか。そして、姉さんはどこに行ったのか」

「……うん。それまでは、二人だけの秘密」

「なんか、イケナイことしてる感じ」

「な、なんでそういうこと言うんですか!」

 

 そんな照れが入った幸芽ちゃんのかわいらしさに狂喜乱舞する。

 かわいいなー、幸芽ちゃんは。

 

「なにやってんだ、行くぞー?」

「はい、分かりました! 姉さん、行きますよ!」

「えへへ、うん!」

 

 受付を通って、さっそくプールの更衣室へ。

 さて、花奈さんが選んだ水着を早速着てみよう。

 何も考えずに自分の服を、下着をどんどん脱いでいく。

 

「……ぅわあぉ」

「檸檬さん、何か言った?」

「いや、花奈ちゃんって相変わらずスタイルいいなーって」

「花奈さんだからね」

「皮肉いなぁおい」

 

 そういう檸檬さんだって、スタイルがいい。

 俗に言うちゃんと絞って、計算したフォルムというか、自分の研鑽を重ねた結果だろう。

 出るところは出ていて、引っ込むところは引っ込んでいる。

 あ、ちょっと腹筋の筋が出てる。

 

「ねね、檸檬さんのお腹触ってもいい?」

「割れてないけどねー」

「割れてないからいいんだよ。でも一本線が入ってて、すごくいい……」

「ひゃいっ! ちょ、くすぐったいってばー!」

 

 下着姿のギャルと全裸の女がお腹を触っている。

 なんというか、多分はた目から見たら異常な光景なんだろうな、とは思う。

 けどすごいなこれ。やっぱ鍛えると違うんだ。

 

「あっ。っべ、やりすぎた」

「なんかあった?」

「彼女のご機嫌取りもむずかしーってことよ」

「へ?」

 

 ここにきて二度目の指差し。

 分かってた。嫉妬している幸芽ちゃんが、タオルで自分の身体を隠しながらこちらをにらんでいる。

 

「姉さん、はしたないです」

「あ、あはは、ちょっとヒートアップしてしまいしてですね」

「早く着てください」

「はい……」

 

 水着へと着替えていく。

 どうやら体型自体は変わっていないらしく、すんなり着ることができた。

 ……でもちょっとおへそ周りに肉が乗っているような。

 

 気のせい。見たくありません!

 ちょっと食べすぎだとは思うけど、いいです。わたしはふとらないからだってことにしますし!

 

「幸芽ちゃんは着替えたの?」

「……ま、まぁ」

「見せてくれないの?」

「……あとでなら」

「やった!」

 

 先に行ってください、という言葉と共にわたしはプールサイドへと歩いていくのだった。



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第35話:初お披露目は勝利フラグ

ギャル好き(本作)の最終話ストックの執筆が終わりました。
52話で終わりになりますが、それまでお付き合いいただければ幸いです。


 肌を焼く太陽、なんてものは天井のすりガラスで防がれている。

 カルキの匂いと、纏われる湿気。そして半裸の男女!

 

「あー、本当にプールだぁ」

 

 何年ぶりだよわたし!

 最後に行ったのが大学の時だった気がするし、おおよそ四年か五年……?

 嘘でしょ。それだけあったら小学生が中学生になってる!

 

「幸芽ちゃん! 見て! あの流れるプール! あっちはウォータースライダーかな? あ! あれは波が出るやつ!」

「姉さんはしゃぎすぎです。もっと静かにしてください」

「だってプールだよ?! テンションも上がっちゃうよ!」

 

 夏といえば海だと言う輩がいるが、それは違う。

 真のテンションが高い陰キャは、肌を焼きたくないからプールに行くのだ。

 解放感は海ほどではないにしろ、広いプールサイドを見ていたら、気分が高ぶるのは必定と言えよう。

 要するに、今のわたしは普段の数倍面倒くさい!

 

「あはは! 花奈ちゃんテンアゲ早すぎー!」

「だって上がらない?! も―ホント、何年ぶりだよーって!」

「あれ、去年行かなかったか?」

 

 そんな男の声が耳に入る。

 誰だ、なんて無粋なことは言わない。

 涼介さんがズボン型の海パンを身にまとって登場したのだ。

 

「あ、あー! みんなと行くのがね!」

「いや、でも。去年もこの三人とは――」

「檸檬さんも一緒で、ってことですよ! ね!」

「いや、あたしは……」

「ね!」

「……ソ、ソダネー」

 

 ごり押した。

 檸檬さんも涼介さんも困惑の二文字を並べているし、幸芽ちゃんは一つため息をついている。

 気を付けなきゃなのは分かってる。ちゃんと自分を律しないと。

 

「それより、どーよ! あたしの水着姿! イケてない?」

 

 檸檬さんが突然モデルのようなポージングを取り始める。

 彼女の金色のサイドテールはそのままに、黒いビキニが際立つ。

 体系がスマートなのもあるけれど、それ以上に胸のインパクトがすごくて。

 素直に言おう。

 

「モデルさんみたい!」

「マジ?! ありがとー! 花奈ちゃん好きー!」

 

 わたしの手を強引につかんで、ブンブン左右に勢いよく振る。

 まぁ、その。モデルさんみたい、という言葉には裏があって。

 単純にエロいよね、うん。絶対狙ってきてるでしょ檸檬さん。これは子供には刺激強すぎるって。

 

「花奈ちゃんのもすごくかわいいよ!」

「ありがとう!」

 

 わたしの水着は俗に言うパレオだ。

 でもちょっと普通じゃないのは上にはビキニだけじゃなくて透けてもいい白Tシャツを着ているということ。

 裾の方を少し結んで完成。みんなからもはい歓声、みたいな。

 

「どうかな、幸芽ちゃん」

「どうって。まぁ……いいんじゃないですか?」

「やった! 頑張って選んだ甲斐があったよ!」

「別に、姉さんならなに着てもかわいいですし」

「ん? 何か言った?」

「なにも!」

 

 小声で何かが聞こえた気がするけど、ここじゃ周りの声でかき消されてしまう。

 でも幸芽ちゃんに褒められたの、めっちゃ嬉しい。

 昨晩タンスを漁り、水着をこれでもかと試して、一番いいのを繕ったので嬉しいのだ。

 

「花奈はなに着てもかわいいからな」

「え? なんて言ったの?」

「お前、絶対聞こえてたろ」

「聞こえてませーん! あはは!」

 

 ちらりと幸芽ちゃんの方を確認する。

 なんとなく不服そうな顔をしておられる。

 幸芽ちゃんが好きなのは涼介さんだもんな。悔しいことに。

 

「で、幸芽ちゃんはいつまでタオルかぶってるの?」

「……あー、えっと」

「いいんだよ、バカにしないし」

「別にされない身体してると思うんですけど」

 

 しぶしぶ、と言わんばかりに身体からタオルをはがしていく。

 ふんわりとワンカールアレンジが入ったミディアムヘアをポニーテールした彼女は、とにかく美しかった。

 身長が百五十センチメートルにも満たない小さな体躯から延びるのはしなやかで白い手足。

 雪のように、という言葉がふさわしいか。触れば思わず埋もれて、跳ね返ってきそうな柔肌。

 その美しい手足から胴体に視線を向ければ、少し幼さ残る胴体だった。

 寸胴とは言い難いものの、くびれが少ない身体はわたしの保護欲を刺激する。

 それに合わせたのだろう。フリルが装飾された白と水色のビキニに、わたしは唖然とした。

 

「……やっぱり、似合わなかったですか?」

 

 そんな不安げな言葉に全力で首を横に振り、それを拒絶する。

 

「そんなことない! 幸芽ちゃんかわいい! すごっく! このために生きてるって感じ!」

「冗談言わないでくださいよ」

「冗談じゃないよ! それぐらい、美しくて綺麗でかわいくて。やっぱりどんな姿でも幸芽ちゃんが大好きなんだなって思っちゃった」

 

 自然と、そんな言葉が出てきていた。

 褒めるならとことん褒める。その方が言われてる相手も気分がいいと思うから。

 

「あ、ありがとうございます……」

「ふふ、照れてる。わたしのこと好き?」

「照れてないですし、好きじゃありません!」

 

 嫌いでもないですけど。と小声で口走る幸芽ちゃん。

 残念。それはわたしの耳に入ってるんだなー。

 すっと幸芽ちゃんの指先に自分の指を絡めて、ちょうど恋人つなぎになるように指を折る。

 

「……なんですか、この手は」

「恋人の証!」

「ま、まぁいいですけど」

 

 真っ赤になる幸芽ちゃん。かわいいな。

 でも多分、わたしも顔真っ赤になってる気がする。あとでプールに入って冷やさなきゃ。

 

「初々しいねー。って、涼介くんどしたの?!」

「やっぱり、幸芽を幸せにするのは花奈だけだーーーー!!!」

 

 何かの致死量に達してしまった涼介さんが横たわりながら、びくびくしているのを尻目に、これからどんなことをしようかと、思案しているのだった。



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第36話:肌から伝わる想いの種

「流れるプーーールーーーーー!!!」

「…………」

 

 バシャバシャと水しぶきを上げながら、はしゃぐわたし。

 なんというか、普通に楽しい。プールってこんなに楽しいものでしたっけ?!

 

「幸芽ちゃんなんでそんなに無表情なのさ!」

「や、ちょっと姉さんのはしゃぎっぷりにドン引きと言いますか」

「酷い! ひどくない?!」

「いやー、あたしでも流石に元気いっぱいすぎひん? とは。体力もたんよ?」

「体力は使い切るためにある!」

「せめて帰れるだけの体力は余らしてください!」

 

 だってー、楽しいんだもーん。

 浮き輪のくぼみに身体を入れて、ボケーっとしながら流れる檸檬さんも、ふわふわ水中に浮かんでバランスを保っている幸芽ちゃんも、情緒がないなぁもう。

 

「分かってるじゃないか、花奈!」

「そ、その声は!」

「これが、イルカさんボートだぁ!」

 

 他のお客さんに迷惑が掛からない程度の場所にばしゃーんと勢いよくエントリーするのが涼介さん。

 分かってるねやっぱり。男子高校生はノリが大事って偉い人言ってた。

 

「飛び込みはおやめくださーい」

「すいませーん!」

 

 ライフセイバーからの声に即時謝罪。

 からのわたしの手を引っ張って、イルカさんボートに乗り込む。

 

「行くぞ、出発だ!」

「どこに?!」

「そりゃあ、ありったけの夢をかき集めた場所だ!!」

「おー!」

 

 密着しない程度に、涼介さんの肩に手をかける。

 ここ、注目ポイントね。わたしだって恋人がいるのに無作法な真似はしませんとも。

 

「あー、どこいくねーん!」

「むぅ……」

 

 何故だかスイスイ進んでいくイルカさんボートに置いていかれる幸芽ちゃんと檸檬さん。

 個人的には置いていきたくないものの、一周したらまた会えるか。という楽観視から、そのまま涼介さんと行動を共にする。

 

「二人とも置いて行っちゃったなー」

「なー。てか、まともに二人になるのは久々か」

「お出かけ以来だね」

 

 周りのお客さんが出した波に身体を揺らされる。

 そっか。あの時のお出かけ以来か。あの時は大変だったというか、あの後が大変だったというか。

 

「最近、幸芽が楽しそうなんだ」

「へ?」

「家での話な。幼馴染だったけど、お前と幸芽は深い仲ってわけじゃなかったから」

 

 それは、なんとなく想像に足るものだった。

 花奈さんは元々涼介さんのことが好きで、幸芽ちゃんも同じく。

 わたしが介入したことで、その関係性はおかしくなってしまった。

 

「あいつは俺を慕ってくれてたけど、一応血がつながってないし。その辺の線引きを間違えるわけにはいかないって思ってたから」

 

 そして涼介さんと幸芽ちゃんは実際は赤の他人。

 親の再婚でつながった仲なのだから、一見仲がよさそうに見えても、思うところはあったのだろう。

 

「もしかしたら幸芽には少し寂しい思いをさせてたのかもなって」

「そうかなぁ」

「分からないけどな。でも、最近元気そうに見えるのは確かだ」

 

 以前より笑うようになったし、怒るようにもなったし。

 そして照れるようにもなって、感情豊かになった。

 

「花奈のおかげだ。付き合ってるとか恋人とか、そういう関係なしにあいつのことを構ってくれてありがとな」

「……わたしが好きでやってることだから」

 

 わたしのせいで狂ったとしても、わたしがいたおかげで救われたこともある。

 本心は分からない。けれど伝わってくるものはある。

 それが幸芽ちゃんの素直じゃない不器用な愛だと、信じたい。

 

「お、一周したっぽいな」

「だね。幸芽ちゃん、めっちゃこっち睨んでるけど」

「まぁ、十中八九俺だろうな。今度は幸芽とクルージングしてくれ」

「ん。ありがとね」

「おう」

 

 先に陸上に上がった涼介さんが幸芽ちゃんと話し合い。

 そのあと、壁際に密着したイルカさんボートに幸芽ちゃんがライドオンしてくる。

 今度はわたしが前で、幸芽ちゃんが後ろだ。

 

「兄さんと何話してたんですか?」

「んー? 気になっちゃう?」

「別に」

 

 そう言いながら、わたしの胴体に腕を回して密着している。

 彼女のモチ肌がわたしの身体にくっついて、すごく動揺というか、興奮してしまいそうになる。

 いかんいかん。相手はまだ未成年だ。そういう感情を抱くのはよくない。

 

 しばらくの沈黙。

 それから十数秒して、幸芽ちゃんの方から静寂が解き放たれた。

 

「何も言わないんですね」

「あ、そういう流れだったの」

「いいです。私には秘密ってことで」

「違う違う! ちょっとわたしも涼介さんも恥ずかしい話!」

 

 一拍置いて、わたしは先ほどの会話を思い出す。

 真実を聞かされた彼女をちらりと振り返れば、幸芽ちゃんは少し恥ずかしそうにしていた。

 

「なんですか、寂しそうって」

「分かんない。でもあなたの兄さんが言ってたことだし」

「兄さんのバカ」

「あはは! 本当にバカだよねー」

 

 でもそれが涼介さんのいいところだからね。

 本人の前では決して言わないようなことを口走りながら笑う。

 

「分かります。兄さんってばホントにバカなんですもん」

「だよねー。幸芽ちゃんの想いに気づかないとか」

「それは姉さんも同じですよ」

「え?」

 

 腰に回された両腕にチカラがこもる。

 身体は先ほどよりも少しだけ密着度が増す。

 今の流れって、そういうことでいいの?

 幸芽ちゃんの想い人って今は……。

 

 トクントクン。わたしの胸の鼓動が大げさに音を立て始める。

 待って。待って待って! え、そんなことって。

 決定的な一言。これを言ったら、今言えたら返してくれるだろうか。

 

「……幸芽ちゃん。わたしのこと、好き?」

 

 心臓の早鐘がうるさいくらいに鳴り響く。

 もしかしたら、幸芽ちゃんにも伝わってるかもしれない。

 だって後ろから抱きしめられてるようなものなんだよ? それに服だって着てないし。

 

 そっと振り返る。

 顔はわたしの身体に隠れて、うかがえなかった。

 

「そのぐらい、分かってください」

 

 わたしは、その言葉が聞きたかったんだけどな。

 わたしがわたしでいられるように。死なないように。

 それでも。伝わる愛を背中から感じ取って、わたしたちは続く二週目を楽しむのだった。



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第37話:温故知新。過去を知って理解する

「……疲れた」

「ウケる」

「ウケないが?」

 

 正午零時すぎ。我、眠い。

 ビーチチェアで横になり、ぐでっとチカラなく倒れる。

 は、はしゃぎすぎた。ここにきてからまだ二時間しか経っていないというのに。

 

「姉さん、体力なさすぎ」

「い、いやぁ。若いってエネルギッシュでいいねぇ」

「大して変わらないじゃないですか」

 

 身体自体は確かに花奈さんと変わらない。

 だからそこにあるのはわたしの努力不足である。

 単純に何もしてないから体力が落ちているのだ。お腹周りのお肉が少し気になるし、ちょっとは運動した方がいいんだろうなぁ。めんどい。

 

「なにかお腹に入れたら変わるんじゃないか?」

「たぶん……」

「じゃあなんか軽めのもん買ってくる! 他の二人は何がいい?」

「焼きそば―!」

「じゃあ、たこ焼きで」

 

 涼介さんが気を利かせてか、一人で買い出しに走っていった。

 まぁ涼介さんだし、何とかするか。

 

「うぅ……。ごめんね、こんなへっぽこお姉さんで」

「まったくですよ。午後はスパでも行きますか?」

「あ、いーなー! あたしも行っていい?」

「はい。大丈夫ですよ」

 

 スパかー。サウナ行きたいなぁ。汗を流してさっぱりしたい気分だ。

 

「にしても、あんたが幸芽ちゃんかー」

「な、なんですか?」

「ううん。花奈ちゃんの彼女さんはかわいいなーって話!」

「んなっ?!」

「でしょー!」

 

 ふんすと鼻を鳴らすわたしに、驚く幸芽ちゃんは仕返しというには弱いくらいに一緒のビーチチェアにドカッと座る。

 照れ隠しかー。かわいいなぁ。

 

「昔の花奈ちゃんはそんなことなかったのにねー」

「まぁ、そうですね」

 

 昔のわたし、というか転生する前まで過ごしていた花奈さんはいったいどんな人だったのだろうか。

 わたしは少し気になってしまった。

 わたしにはそれを知る権利がある。そう思ったから。

 

「昔のわたしってどんな感じだったの?」

 

 変な質問だけど、わたし記憶ないし。そういう設定なだけだけど。

 

「あはは! 変なしつもーん!」

「ま、まぁそうですね。あはは」

 

 事情を知りかけている幸芽ちゃんと、そんなことつゆ知らずの檸檬さん。

 なんとも対称的だ。それだけ関係に差があるのだと考えれば、自然なことなのだけど。

 

「ゆーて、あたし目線より、幸芽ちゃん目線の方がよくない?」

「私目線ですか……」

 

 まず最初は。という幼馴染の視点から口にしてほしいという視線を出す。

 やや息を吐き出し、膝に手を置く。

 

「姉さんは、なんでもできる大和撫子だったんです。勉強や運動。料理はアレでしたが、基本はなんでもそつなくこなす才色兼備な姉でした」

 

 曰く、幸芽ちゃんも憧れる理想の女性だったという。

 ゲームの中だからこそ、なんでもできて、美しく、主人公に恋しているそんな女の子。

 現実にはいないだろうな、そんなチートキャラ。

 あ、でも案外主人公に恋している、以外はいるかも。

 

「今がこれなんですけどね」

 

 指差した先には勉強は徐々に遅れを取り戻しているものの、運動がからっきしで、料理もイマイチな美少女がいるわけで。

 な、なんとでも言え! わたしは以前の花奈さんじゃないんだから!

 

「記憶ってマージ重要なんだなー」

「だねぇ。ホント勉強の遅れを取り戻すのが大変で」

「でも最近いい感じの点数とれてるじゃん。この前の期末だって順位結構高かったよね」

「あれは、たまたまヤマが当たっただけだから」

 

 あと、自分で言うのもあれだが、これでもわたしは地頭がいい。

 この二十六年歩んできてそう思うのだから間違いない。

 子供の頃は神童とか呼ばれてた気がしないでもないしね。

 

「でも、私から見たら残念な姉です」

「そして恋人と」

「ちが、くはないですけど……」

 

 まったく素直じゃないなぁもう。

 ツーンとしながら幸芽ちゃんがそっぽを向くので、すっと手を伸ばして彼女の足に触れる。

 

「恋人だもんね!」

「……そういうことにしておきます」

 

 あー、この女がわたしの人生を狂わせたのだと思うと、本当に罪な女だ。

 と、そういう話は置いておいて、だ。

 

「檸檬さん目線から、昔のわたしってどう見えたの?」

「まー、言ってもあたしの所感なんだけどさ。めっちゃ気に入らない女だった」

「へ?!」

 

 檸檬さん曰く、高嶺の花。触れる相手は大抵玉砕される。みたいな人だったらしい。

 見た目も整ってて、才能にもあふれている。さらに優しいともなれば、人はこぞって告白する。

 そしてあえなく玉砕。

 

「マジちょーしのんなー、とか思ってたわ」

「檸檬さんこわ」

「そりゃ、あたしが好きだった人がフラれたらキレるっしょ」

「うひゃー」

 

 それでも、今こうして一緒に遊んでくれているってことは、少し心境の変化があったのだろう。

 それについても聞いてみた。

 

「まぁ、最初は陥れてやろうかなーとか思ってたよ」

「本気で?」

「マジマジ。でも今までの態度が嘘みたいに変わってさ。なんかどーでもよくなったんよ」

 

 そうして接しているうちに、わたしに愛着がわいて、今はここにいる。

 というところまで話して、一段落。

 座っているわたしの頭に手を置いて、こう告げる。

 

「なんにせよ、あたしは今のあんたの方がいいって思うよ。ファンクラブもできてっし」

「ふぁん……え?」

「檸檬さん、それは……」

「あれ、知らんかったん? じゃいいや」

 

 それ聞いたことないんだけど。なんでそんなことになってるの?!

 生前の花奈さんなら分かるけれど、なんでわたしが?!

 

「それ詳しく聞きたいんだけど!」

「大丈夫ですよ。私が守りますから」

「お! 妹ちゃんやるー!」

「じゃなくて! なんなんですか、その話ぃ!」

 

 それ以降、ファンクラブの話を聞いても帰ってくることはなかった。

 すごく気になる。気になって夜しか眠れない……。

 でもバスではぐっすり眠れたので何よりだ。



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第38話:浴衣の着付け方[検索]

「お祭りは、明日かー」

 

 うちわと扇風機で風を生み出しながら、カレンダーを見る。

 この辺で行われるお祭りはお盆の時期を少し外しており、だいたい八月の初めに行われる。

 わたしもちょうどお墓参りに行こうと思っていたからか、そういう調整には感謝だ。

 

「花奈、浴衣とか着ていくのか?」

「どうしよっかなぁ」

 

 浴衣。夏祭りと言えば着ていくのが定番ともいえよう。

 が、ファッションに一切興味がなかったわたしはこの歳になっても、着付けのイロハを一つたりとも知らない。

 無垢なる花奈さんなのだ。

 

「幸芽ちゃんが着ていくなら、って思ったけど、わたし着たことないんだよね」

「え? お前去年着てたろ」

「記憶喪失」

「あー」

 

 便利だな記憶喪失。

 とりあえず口にしておけば間違いのない魔法の言葉だ。

 もちろんバレている相手がいたりはするのだけど。

 幸芽ちゃんがキッチンの方でくすりと笑う。

 

「幸芽ちゃん、今笑った?」

「笑ってないです。気のせいです」

「そっか」

 

 絶対笑ったと思うけど、ここは大人なのでスルーしておこう。

 でも浴衣かぁ。幸芽ちゃんはきっと似合うだろうな。

 水着も水色系だし、浴衣もそうだと嬉しい。

 清楚なイメージがなんともフィットする。

 

「幸芽ちゃんは、浴衣着ていくの?」

「どうしましょうか。今年はお母さんもいないから着付けできそうな人いないんですよね」

「そうだった。去年は母さんが花奈と幸芽の浴衣着付けたんだっけか」

 

 へー。お母さん、結構すごい人なんだ。

 ただの舞台背景みたいに思ってたけど、これからここで過ごしていくなら、きっと出会うことになるんだろうな。

 

「でも、今年はちゃんと着ていきたいなぁ……」

「んー? 嬉しいなぁ幸芽ちゃん! 今年『は』ちゃんと着ていきたいんだね」

「え?」

 

 キッチンの幸芽ちゃんと目が合う。

 つまりはそういうことだ。

 

「ち、違います! 毎年です毎年! そういう行事は楽しむべきでしょう?!」

「それもそうだねー」

「だからそのニヤケ顔はなんですか!」

 

 本当にこの子は可愛らしい。

 そんな子に間接的に好きと言ってもらえて、わたしはとても嬉しいんだ。

 

 ――でも。

 

『夏休みが終わるまでに、幸芽ちゃんからの『好き』をもらえなかったら、あなたは元の清木花奈へと戻る。面白いでしょ?』

 

 夏休みも残り三週間。この地域の夏休みが短いのも相まって、少し焦りを感じていた。

 あの自称カミサマは嘘をつかない。つく必要がない。

 わたしをおちょくってる可能性もあるけれど、それ以上に命を弄ぶなんて実に神様らしい行為だ。

 

「早くしなきゃ」

 

 幸芽ちゃんは頑固だ。

 好きという言葉を使わなければ、いくらでも愛情表現はしてくれる。

 けれど、その言葉だけは絶対に使わない。

 何故か。それは恥ずかしいからなのだろう。

 

 夏祭りが勝負だ。

 そうでなければ、残りはお盆。お墓参りに行くしかなくなる。

 それだけは避けたかった。

 

「ご飯できましたよ。って、姉さん?」

「……あ! うん、今そっち行くよ!」

 

 焦ってはダメだ。

 でも急がないとわたしの命がなくなる。

 愛着を持ってしまったこの体にさよならは言いたくない。

 幸芽ちゃんにさよならは言いたくない。

 

「幸芽ちゃん、わたしのこと、好き?」

「最近いつもそれですよね。麺が伸びるので早く食べてください」

 

 別に好きぐらい言ってくれてもいいのに。ケチだなぁ。

 そんなことを思いながら、席について冷やし中華をすする。

 やっぱり夏って感じがしていいなぁ。

 

「誰か着付けできる知り合い、知りませんか?」

「って言ってもなぁ……」

 

 流石にそんな人は知らない。

 檸檬さんだって、多分出来ないだろうし。

 わたしのもうひとりの深い仲となれば、あの神様しかいない。

 

「流石に知らないかなぁ」

 

 でもあの自称カミサマは基本的にわたしの夢にしか現れない。

 現実には干渉しないはずだ。

 

「……それはそれで困りましたね」

「なにがお困りなのかなー?」

 

 ふと漏れたであろう言葉にハッとなって、首を横に振る。

 だが、わたしの耳にはもう入っちゃってたんだよね。

 こうなったら、わたしだって暴挙に出るしかない。

 

「よし、今から学ぶ」

「え?」

「な、何をだ……?」

 

 何かって? そんなの今の流れから分かっちゃうでしょ?

 

「浴衣の着付け方だよ! やっぱり女の子はきれいに着飾らないと!」

「……本気で言ってます?」

「言ってる言ってる! そうとなればレッツ自宅!」

 

 調べごとをするならばやはり自宅しかない。

 冷やし中華をかきこんで、すぐに席を立つ。

 

「ごちそうさま! 美味しかったよ!」

「あー、はい……」

 

 フフフ、待ってろよ幸芽ちゃん! 

 わたしが素敵な浴衣姿をカッチリ決めてあげるからね!

 

「幸芽、あぁ言ってるけど。着付けって一朝一夕でなんとかなるのか?」

「分からないけど……、不安しかないのは確かですね……」

 

 そんな不穏なワードが後ろから聞こえた気がするけど、別に気にしない。

 わたしは今、幸芽ちゃんの専属着付け師になってやるんだからさ!



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第39話:チート技能を授けよう!

「うむ、分からん」

 

 浴衣の着付け方。それを調べた結果が、情けないことにこれだった。

 だって、実物がないと分からないし、あってもこの手順は分からない。

 

「浴衣って、適当じゃダメだってのは聞いてたけど、まさかこんなに複雑だったとは」

 

 最初はよかった。ちょっと調べて、翌日実物を使えばいいと思っていたから。

 でも調べれば調べるほど深みにハマっていく。

 浅い情報だけでは、幸芽ちゃんを綺麗に着飾ってあげることはできない。

 もっと……。もっと……。

 

 と、どんどん詳しいものを調べていくうちに、奥深い浴衣事情を知ることとなり、膝をつく。

 ダメだ。分からない。そういう、深く知りすぎて逆に分からなくなってしまった類の分からないだ。

 

「って言っても、知り合いに任せられる人いないし……」

 

 以前から思っていたけど、転生前にファッション雑誌とか、浴衣の着付け方とか学んでおくべきだった。

 そうしたら、今頃もうちょっと可愛らしいわたしを演出できたというのに。

 

 スマホをベッドに投げ捨てて、わたしも横になる。

 

「さーて、どうしよっかなぁ」

 

 頼れる人もいなし、明日は普通の洋服でかぁ。

 もし神様がいるなら、浴衣の着付け方の一つや二つ教えてくれないものか。

 ばかみたいなこと、かんがえてるな。それが出来たらくろうしないのに

 ……ちゃんと、きていく服、きめておかないと、なぁ。

 うとうとと、まぶたが落ちる裏側に映っていたのは、幸芽ちゃんの可憐な浴衣姿だった。

 

 落ち行く意識が何かに引っ張られるようにどんどん白い世界へと塗り替わっていく。

 そして重力に引かれた足を着地させれば、夢の中ではいつもの彼女がいたのだった。

 

「やっほ! また会ったねぇ」

「何かご用で?」

 

 わたしを楽しんでいるこの忌々しい女こそ、自称カミサマ。

 そう、またもや神様の居場所にやってきたようだ。

 いつものように、というわけではなく、今回は浴衣姿を着飾っていた。

 

「用があるのは、あなたなんじゃないかなぁ?」

「別に、わたしは会いたいだなんて……」

「思ってたはずだよ、神にもすがる気持ちで、みたいなのを」

 

 ニヤリと笑い、彼女は指をパチリと鳴らす。

 そこは屋台に提灯と、まさに夏祭りの会場だった。

 

「……浴衣の件?」

「そーそー。もし神様がいるなら、浴衣の着付け方を教えてー、みたいなさ」

 

 確かに考えたかもしれない。

 しれないけど、まさか自称カミサマの方から歩いてくるとは思わないでしょ。

 

「思ったけど、でもそんな都合よく――」

「できちゃうんだよねぇ、これが」

 

 「うーんと、そうだなー」と自称カミサマが人差し指で屋台を選んでいく。

 すると何かに目を付けたのであろう。指先にあった屋台がカミサマに引っ張られるように、こちらにやってくる。

 

「物理法則もあったものじゃないね」

「それが神様だからね」

 

 手に取ったそれに対して、左手を開いて近づけると、手のひらから現れた光をそれは浴びる。

 発光しだしたそれを、わたしに手渡すように差し出してくる。

 

「これ、カミサマからの啓示ね」

「チョコバナナでいいの?」

 

 手渡されたチョコバナナは全体的に白く発光しており、そういうあれそれを薄い本の中で見たことがあるような見た目をしていた。

 

「今、わたしが神様の御業で与えたのは浴衣や着物の着付けができるようになるスキルみたいな。よくあるよね、転生特典だの、チート技能だの。そういうそれよ」

「ツッコミどころ満載なんだけど」

 

 そもそもそんなものがあったら、心を読めるようになるチート技能とか欲しかったよ。

 あと時期も遅いし、内容が限定的すぎてしょっぱいし。なんなのさこれ。

 

「欲しくないの?」

「いや欲しい! 欲しいんだけど、さぁ……」

 

 問題点は二つある。

 一つはこの白いモザイクチョコバナナを食べなくてはいけないところ。

 これは百歩譲っていいだろう。わたしじゃなくて幸芽ちゃんにさせるんだったら、速攻で叩き落すところだったけど。

 

 問題はもう一つ。

 この自称カミサマの手の上で転がされている。それが嫌で嫌でたまらないのだ。

 

「うんうん、分かっちゃうなー。やっぱりカミサマのこと嫌いなんだね」

「わたしのことをおもちゃみたいに思ってるし、そもそも性格が悪い」

「自覚してるよ。でも前者は間違い」

 

 自称カミサマは不敵な笑みをニヤリと浮かべる。

 その含みの入った笑い方が、とてつもなく気味悪かった。

 

「わたしは世界を、あなたを愛している。愛ゆえに。それは分かってほしいなぁ」

「そういうところが不気味なんです。無償の愛ほど、信用してはいけないって」

「あなたも同じ穴の狢だと思うけどな。少なくとも幸芽ちゃん目線じゃ」

 

 下からわたしを見透かすような覗き方に、一つため息を吐き出す。

 分かっている。幸芽ちゃんから見たわたしは、少しいびつに見えていることぐらい。

 だけど、この女にだけは言われたくない。本能から大嫌いな女にだけは、絶対に。

 

「貸して」

「ちょっと色っぽくね。わたしは両刀だからさ」

 

 白モザイクのチョコバナナをひったくるように奪い取り、バナナの先の方を大きな口を開けて噛み千切った。

 

「あー、いたそー」

「これは、あなたへの反逆だよ!」

 

 がつがつと貪り食うようにチョコバナナを食べきると、体の内側がぽぉっと光り、落ち着く。

 確かに浴衣の着付け方を頭で理解したような感覚に陥る。

 

「そういうところだよ。そういうところが、カミサマを魅了させるんだ」

 

 胸の上側、胸板辺りを指でつんと突く。

 思ったよりも力が弱い彼女の指を受け止めながら、怪訝な顔をする。

 

「あなたは、何がしたいの?」

「願わくば、あなたが幸芽ちゃんからの好きチャレンジに失敗すること、かな」

「どういうこと?」

「あなたの魂はもはやカミサマのものだ。だから好きなように使ってもいい。ここで永久に過ごすことだってできる」

 

 つまり、それはわたしのことを奴隷か部下のように働かせるということ?

 そんなの……。

 

「拷問かなにか?」

「あはは、そう思っちゃうよね、あなたなら」

 

 ニヤリと笑って、突然道端に現れた白いソファーに座る。

 

「思っているよりも、カミサマはあなたを気に入っているってこと」

「……そう」

「願わくば、あなたが成功することを祈っているよ。あなたのために、ね」

 

 地面から落ちる。突然わたしの足元に穴が開き、そのまま置いていく。

 

「じゃーね。今度は、二学期に」

 

 まぁいいか。これからは、わたしと幸芽ちゃんの夏祭りデートなんだから。

 漠然とどういう予定を立てようかと考える。

 うん、チョコバナナだけは食べさせないでおこう。



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第40話:夏祭り、まっさかり

 夏祭り。一応神社の何とか祭という仰々しい名前がついているが、覚えている人はごくわずかだろう。

 少なくとも、わたしはそんなことより幸芽ちゃんの浴衣姿に悶絶していた。

 

「はぁー!! かわいいなぁ幸芽ちゃんはぁ! やっぱりわたしの見立て通り青系だったかー! 清楚清楚! めちゃくちゃ清楚! はー! 最高……」

「恥ずかしいので騒がないでもらっていいですか」

 

 提灯の明かりのせいで顔が赤いのか、それとも……。

 なんて無粋なことは言わないよ、幸芽ちゃん。

 この照れ屋さん、かわいいやつめ。ということは口に出さない。

 

 ちなみに涼介さんはその辺でのたうち回っている。

 だんだんこの人の身内だということが恥ずかしい事実になりつつある。

 

「お前ら、最高だ」

「恥ずかしいから帰ってもらっても?」

「私は問題ないですよ」

「酷くないか?!」

 

 酷くないよ。だって今わたしたちを見ている視線がすごく痛いんだよ?

 これだから朴念仁は。多分意味違うと思うけど。

 

「いいか? お前たちはかわいいんだ」

「え? うん」

「はい。それが?」

「お前たちみたいなのをナンパする不届き者は絶対にいる。そんなときに俺がこう、隙間からバッと現れ、颯爽と二人の手を引く。そしてこう言うんだ。『あとは二人で楽しみな』ってな!」

 

 どうやら妄想の中の涼介さんは二人のキューピット的な立ち位置になるらしい。

 でもそれされたら幸芽ちゃんも最悪わたしも、あなたに惚れかねないのですが。

 大事なところで詰めが甘いというか、腐ってもこれが主人公力というやつか。

 

「それされるぐらいなら、姉さんと一緒に逃げますけどね」

「よし! このお姉さんに任せなさいな! 幸芽ちゃんに触れたら、わたしの魔法で黒焦げだよ!」

「いつから魔法使いにジョブチェンジしたんですか」

「わたしは幸芽ちゃんの妻にジョブチェンジしたいな!」

「「うわ」」

 

 え、なに。

 幸芽ちゃんは分かるんだけど、なんで涼介さんまでそんな反応するの?

 

「今の、普通に気持ち悪かったな」

「え?!」

「姉さんたまに調子に乗るから」

「うぐっ!」

 

 分かってた。口が滑るとこんな感じにドン引きセリフを言ってしまうことぐらい。

 でもいいの。伝えることは大事って誰かが言ってたわけだし。

 結構みんな言ってそうな気がする。

 

「なんにしろ、そろそろ屋台回るか」

「ですね。ほら行きますよ、姉さん」

「うぅ……。わたしの傷心を癒して幸芽ちゃん……!」

 

 慣れない草履で走り始めれば、抱きつくのではなく、ぴたりと手をつなぐ。

 

「手、ですか?」

「あれ、抱きつかれるの期待してた?」

「してません!」

 

 ――でも。

 

 幸芽ちゃんはそう口にしてから、つないだ指の隙間に自分の指を滑り込ませる。

 

「私たち、恋人なんですよね?」

 

 少しはにかんだように、恥ずかしいのか耳まで赤く染め上がった彼女の仕草に胸を締め付けられる。

 な、なんだこのかわいい生き物。

 上目遣いでうるんだ瞳。それ、恋人相手じゃなかったら絶対誤解させるよ。

 わずかな心配と、それでも自分にしかやらないのだろうという信頼感。そして僅かな独占欲が入り混じる。

 あぁ、やっぱりかわいいな、幸芽ちゃんは。

 

「うん、そうだよ」

 

 繋いだ手を優しく握り返す。

 そうすれば、幸芽ちゃんも握り返してくれた。

 暖かい。胸の中の幸せ成分がどんどんたまっていく。

 

「おい! 焼きそば食べないか?!」

「まったく。あの兄さんは……」

「行こっか、二人で食べよ?」

「仕方ないですね」

 

 それ以降は二人と一人の空間だったことは間違いなかった。

 初手焼きそばは、正直ベンチがないと食べにくいから、ビニール袋に入れて一時保管。

 その後はお面だったり、スーパーボールすくい。

 あとはやっぱりこれだろう。

 

「俺さぁ、ずっと憧れだったんだよ」

「分かる。分かるよ、涼介さん」

「分かってくれるか、花奈!」

 

 無数の紐が今目の前で束ねられている。

 その先にはゲーム機やらおもちゃやらの箱に繋がっていた。

 紐くじ。わたしが生前からお祭りのたびにやっては敗北している屋台の一つである。

 

「これ、全部繋がってないって話ありませんでしたっけ?」

「そんなわけないよ! なんてこと言うの、幸芽ちゃん!!」

「そうだ! 俺たちのロマンは止まらないんだぞ!」

 

 おじさんに百円玉を一枚渡して、紐を選び始めた涼介さん。

 ここが正念場だよ!

 

「俺には必勝法がある。この紐の先を追えばおのずと正解が導き出されるんだ」

「兄さん、この紐の先が分かるんですか?」

「混線したコードを解く要領だ。そう、ここ!」

 

 勢いよく引っ張り出された紐の先についていたもの。

 それは紙でできた振るとびよーんと伸びるおもちゃであった。

 

「何故だ?!」

「クックック、涼介さんは我が紐くじ四天王の中でも最弱……」

「姉さん何言ってるの?」

 

 とぼとぼとびよーんと伸びるおもちゃを手に戻ってくる彼の雰囲気は、著しくへこんでいる。

 無理もない。あれだけのことを言ったのに、結果はあれだけなのだから。

 ちなみにびよーんと伸びる紙おもちゃの名前は『ペーパーヨーヨー』というらしい。

 わたしも後日知って、正式名称があったと驚いたものだ。

 

 ちなみにこの後のわたしのターンも敗北。

 結果として手に入ったのはこのクルクル笛だけであった。



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第41話:打ちあがる花火。打ち明ける想い

 花火に、いい思い出も、悪い思い出もない。

 小さい頃はそれなりにはしゃいでいたかもしれない。

 けれど、物心つけばただのうるさいだけだって思ったし、成人してからは見る機会すらなかった。

 

 だからわたしにとって、花火に思い入れはない。空っぽな火花。

 でも、こんなわたしでも今回こそは楽しもうと思ったきっかけがあった。

 

「ホワイトチョコバナナ?」

 

 幸芽ちゃんはそのいかにもそういうアレっぽいチョコバナナを見つける。

 黒いチョコの部分を白いホワイトチョコに変えた一品は、どう考えても規制中のアレにしか見えなかった。

 

「おっ! このホワイトチョコバナナに目を付けるとは、なかなかやるねぇ」

「なんで白いんですか?」

「そりゃあ、なあ!」

 

 髭のおじさんはがっつりと涼介さんの方を見て、ニヤリと笑う。

 さすがに涼介さんも少しドン引き気味だった。

 そりゃそうか。実の義妹が変なキャッチーにつかまりそうなんだから。

 

「兄さんこれを許しません。幸芽、ちょっとほかのところに行こう」

「え、でもチョコバナナ……」

「分かった。おごってやるから、これ以外の――」

「兄ちゃん、見たくないのかい?」

 

 まるで本性を薄皮一枚で隠したようにゲスのような笑みを浮かべる。

 

「若い姉ちゃんが、白いチョコバナナを頬張る姿を! 兄ちゃんなら、分かるよなぁ?」

「ぐっ……いや、だが……」

 

 先ほどからピキピキと心の中のわたしが怒鳴り散らかすのをなんとか食い止めている。

 だが、そろそろ限界だ。

 幸芽ちゃんの手を引っ張って、この場から離脱するように促す。

 

「ね、姉さん?」

「おーいちょっとー? ピンク髪の姉ちゃんも――」

「結構です!」

 

 意外にも怒りと、幸芽ちゃんにこんな辱めを受けさせられたことへの恨みが声に出る。

 心の深淵から出た言葉。心の中のイライラがその口に出た声色。

 竦み上がっていた二人を置き去りに、わたしと幸芽ちゃんは少し端の方へと移動した。

 

「姉さん、どうしちゃったんですか!」

 

 ずんずんと突き進むわたしに不安を抱いたのであろう。

 だけど正直、あのおじさんの近くにはいたくなかった。

 わたしはいいけど、幸芽ちゃんがそんな卑しかな目線で見られた日には怒りで相手の顔を殴っているかもしれない。

 その程度には憤怒していたことだろう。

 

 やがて主参道を抜けたわたしたちは、一つのベンチを見つける。

 ここまでくれば、追ってこないだろうと考え、わたしは幸芽ちゃんにベンチへ座るように指を差した。

 

「姉さん、何かあったんですか?」

「……ううん。なんでもないよ!」

 

 そしていつものわたしを繕うように幸芽ちゃんの隣に座る。

 分かってる。何も知らない幸芽ちゃんがあれを食べたって、本人が恥ずかしいなんてことはない。

 けど、あのゲスみたいな笑みが、わたしには許せなかった。

 ただ、それだけの話。わたしの幸芽ちゃんをそんな目で見てほしくなかった。

 

「嘘です」

「……なんでそう思ったの?」

「誰だってわかりますよ。そんな嘘ぐらい見抜けなくて何が恋人ですか」

「あ、あはは。恋人なんてちょっと照れくさいこと言うね」

「教えて、もらえないんですか?」

 

 暗闇と提灯の明かりが交じり合い、幸芽ちゃんがどんな顔をしているか分かりづらい。

 でも、きっと不安そうな顔をしているのだろう。

 いつもはわたしを軽くあしらうのに、大事な時はちゃんと聞いてくれる。そういうところだよ。

 

「チョコバナナがそういう隠喩に使われてるって、知ってる?」

「いんゆ……。いえ、分からない、ですけど……」

「じゃあ少女漫画とかでよくある男性器のモザイク。これなら分かるかな」

「……あっ」

 

 幸芽ちゃんもさすがにそういう知識はあるのだろう。

 顔をみるみる赤くし、両手で顔を覆う。

 あのおじさんが考えていたのは、そういうことだよ。

 

「わたし、他の人に幸芽ちゃんをそういう目で見てほしくないし、守りたいって思ってたの」

「姉さん……」

「あはは、でももうちょっと冷静に対処すべきだったよね。バカだなぁ、わたし」

 

 人生は後悔の連続だという。

 二人は置いておくとして、幸芽ちゃんが一瞬でもわたしのことを怖いって思ったら、嫌だなって。

 そんな後悔がわたしの中にあった。

 

「姉さん、過保護すぎです」

「へ?」

 

 そんな少し傷心気味のわたしへと突き刺さる言葉はナイフ。

 ぐさりと刺さったわたしは胸を押さえた。

 

「そのぐらいわたしの自己責任ですし、姉さんが責任を負う必要ないんですよ」

「でも……」

「それに、姉さんだっておじさんと同じですよ」

 

 どゆこと?!

 唖然とするわたしに対して、さらに追い立てるように幸芽ちゃんが口にする。

 

「姉さん、あんな感じの視線たまに向けるじゃないですか」

「そ、そうだったの?! ご、ごめん……」

 

 謝罪するわたしに、幸芽ちゃんはくすりと笑う。

 

「でも、姉さんならいいというか。これ以上は言わせないでください」

 

 こつんと肩同士がぶつかる。

 幸芽ちゃんの顔を見て、たまらなくなって、思わず彼女を胸元へと抱きしめた。

 

「ありがとう、幸芽ちゃん」

「姉さん……」

 

 その時、天に上る火の玉が空中で爆散する。

 黄色。赤色。緑色。鮮やかな炎の命が、空中に花開く。

 

「あ、花火……」

「ちょっと、見えづらいですけどね」

 

 厳密に言えば端の方であるため、木々が少し花火の景観を台無しにする。

 わずかながら見えるその花火に、わたしは過去を振り返っていた。

 

 花火に、いい思い出も、悪い思い出もない。

 だから花火なんて、と思っていたけど、今回は違う。

 こんなわたしでも今回こそは楽しもうと思ったきっかけがある。

 

「幸芽ちゃん、好きだよ」

 

 打ちあがる花火。そして打ち明ける想い。

 これから何度でも口にするだろう。

 だけど、この時、この瞬間の気持ちは、今しか言葉にできない。

 

 花火なんてもう見えない。わたしの目に映るのは、幸芽ちゃんたった一人。

 

「……私も――です」

 

 ぱぁっと光る彼女の顔と、かき消される声。

 それでも晴れたみたいに笑う彼女の顔を見て、わたしも笑う。

 

 花火に思い入れはなかった。だけど今はある。

 目の前の、夜桜幸芽という永遠に消えない笑顔の花火。

 いい、思い出ができたな。



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第42話:お墓参りの罪と罰

 魂はどこにあり、どこへ行くのだろうか。

 死とは、いったい何なのか。

 一度死んでも、分からないことが多い。

 だから、こうしてお盆という機会にお墓参りに行くのだろう。

 

「姉さん、清木家のお墓ってどこにあるか知ってるんですか?」

「うん。この前お母さんから聞いた」

 

 便宜上母という言葉を使う。

 実際は『わたし』にとっての母ではないものの、花奈さんの母であることは確かだ。

 他人行儀になってしまったけど、聞き出すことには成功した。

 

「幸芽ちゃん、これでいいの?」

「はい。姉さんは、これが好きでしたから」

 

 好きって、それ和菓子だけど。

 花奈さん、結構渋い趣味をお持ちのようだ。

 

 ざっざっと、砂利道を歩く。正直、緊張はしていた。

 なんせわたしが魂を上書きしたせいで、花奈さんはどこかに行ってしまったのだから。

 この選択が果たしていいものなのかは分からない。

 ある意味では、花奈さんを殺したのは紛れもなくわたしなのだから。

 

「姉さん、ちょっと落ち込んでますか?」

「えぇ? そんなことないよ」

「ホント、姉さんはよく嘘をつきますよね」

「……ごめんね」

 

 白い肌が、わたしの手にそっと添えられる。

 さすがに幸芽ちゃんにはお見通しか。

 きゅっと握り返して、わたしは心の中の不安を幸芽ちゃんへとぶつける。

 

「花奈さん、わたしが殺したかもしれないから」

「……なんとなく、それは」

 

 それもそうか。『わたし』という中身を看破したなら、いずれその真実に気付くことだろう。

 

「ごめんね、花奈さんを殺しちゃって」

 

 わたしにとっては赤の他人。

 だけど幸芽ちゃんにとっては大切な幼馴染で。

 罪の意識がないと言えば嘘になる。というかそんな意識しかない。

 

 わたしがいなければ。

 元はと言えばカミサマのせいだけど、それはそれとしてわたしの中に不の感情が渦巻いていた。

 

「だったら……」

 

 ぽつり。そんな言葉を口から吐き出して、繋ぐ手の力が強まる。

 

「あなたはちゃんと生きてください。罪の意識があるなら、なおのこと」

 

 真っ直ぐで、力強くわたしをその目で見てくる。

 そんな愛情も感じる彼女の瞳はわたしを嬉しくさせる。

 許されてはいない。けれど、今いるのはあなただ。そう言っているみたいで。

 

「ん。ここかな」

 

 清木家のお墓。丁寧に手入れされているのだろう。綺麗だ。

 花奈さんも、このぐらい綺麗だったのかな。

 

「じゃあ早速準備しよっか」

「わたし、手順とか分からないんですけど」

「大丈夫、わたしに任せて」

 

 わたしもネットで手に入れた知識だけどもね。

 お花をお供えして、彩りを添える。

 意味はあるらしいけど、そこまでは書いてなかったから、ただの行為だけだ。

 でも結局は大切に思う心があれば、いいという。

 

「えっと、あとは」

「お水かけるんでしたっけ?」

「そうそう。夏だし、暑いだろうしね」

 

 この地域は都会と比べて涼しいものの、夏なんだ。それでも暑い。

 桶から浄水を頭の方からかけてあげる。

 

「姉さん、これで少しは涼しくなりましたか?」

「うん、ありがとね」

「……別にあなたに言ったわけではないんですけど」

「あ。つい癖で」

 

 てへぺろ、と言わんばかりに舌を出すわたしに、やれやれと肩をすくめる。

 幸芽ちゃんから姉さんと呼ばれることに慣れすぎていて、自分のことだと思っちゃったんだもん。

 

「あとはお供え。ここに和菓子置いて」

「はい」

 

 やがてそれらしく出来上がったお墓の前で、最後にお線香をあげる。

 煙が付いたお線香は、すーっと白い煙が上に上がっていく。

 まるで、魂が天国に送られるような錯覚。

 

「それで合掌だって」

「はい」

 

 それは、何を考えていたのだろうか。

 目を閉じて、ただただ無言で幸芽ちゃんと物言わぬお墓は向き合う。

 気になる。気になりはするけれど、聞いてしまうようなものではないと思っている。

 二人だけの空間。関係。

 それはわたしと幸芽ちゃんと同じように、花奈さんと幸芽ちゃんも同じこと。

 

「終わりましたよ」

「うん。いいの、あれだけで」

「あなたこそ、言いたいことがあるんじゃないんですか?」

「あはは、やっぱり幸芽ちゃんには敵わないや」

 

 少しスカートを引っ張ってしゃがみ、手を合わせる。

 

「はじめまして、わたしは『春日井希美』って言います」

 

 久々に口に出した本名で自己紹介をする。

 幸芽ちゃんの顔は見ていないけれど、きっと驚いているだろうな。

 

「僭越ながら、わたしは今の花奈さんをやってます。ちゃんとできているかは、分からないですけどね」

 

 あはは、と笑って再び向き合う。

 

「初めに、ごめんなさい。わたしが花奈さんの身体を奪って、わたしのために動かしちゃって。でも幸芽ちゃんも涼介さんも元気でやってますよ。だから安心してください、ちゃんとやれてますから」

 

 そうやって、まるで自分に言い聞かされているみたいだ。

 落ち込んでいるわたしの肩に、幸芽ちゃんの手が伸びてくる。

 

「大丈夫ですよ。私がいますから」

 

 その手がほっぺたを撫でると……。

 

「いたたたたたた!!!!」

 

 つねられた。痛い。

 

「な、なにするの!?」

「姉さんも私も、ちゃんとなんとかしてますから」

 

 ――ですから、安心して眠ってください。

 

 そんな言葉を耳にして、心が落ち着く。

 つねっていた手を掴んで、もう一度頬にすり寄せる。

 

「ん、ありがとう」

「別に、姉さんのためではありませんから」

「あはは。それでも嬉しいよ、幸芽ちゃん」

 

 心よりの感謝と、愛情を。

 頬に柔らかな肌を感じながら、わたしたちはその場で幸せを噛みしめるのだった。



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第43話:『わたし』の名前は

 ザッザッザッ。砂利道を歩いて、桶と柄杓を戻しに行く。

 罪の懺悔は出来ただろうか。贖罪はちゃんと出来ただろうか。

 こんな事を考えても、大した意味はない。それは、分かっている。

 

「姉さんは、本当に別の人だったんですね」

 

 これも罪への罰なのだろう。

 だから今も、自分の心が少し痛む。

 これまで幸芽ちゃんを騙していたのは、紛れもなくわたしなのだから。

 

「あはは。うん、そんな感じ」

「……姉さんは。希美さんは、いったいどこから」

「どこなんだろうね」

 

 遠くて高い空を見上げ、わたしは口にする。

 どこまでも広大で、雄大で。それでいて悩みもなさそうな青い空を見上げ、わたしは今までのことを思う。

 

「ちょっと歩こっか」

「そうですね」

 

 お寺の人に挨拶をすると、わたしたちは少しバス停から寄り道するように歩を進める。

 思えばいろんなことが自称カミサマの言いなりだ。

 やれ転生だの、やれ夏休みまでの命だの。

 どこまで話していいのだろうか。信じてもらえるだろうか。

 ありのままの真実を伝えても、きっと理解はしてもらえない。

 

 でも、もう幸芽ちゃんには嘘を付きたくない。

 その事実だけは、本当だ。

 

「あそこのベンチ。座りませんか?」

「ん」

 

 太陽に灼かれて、少し熱のこもったベンチに座る。

 暑い。それ以上に、心が焼けるようだった。

 

「日陰が良かったかもね」

「そうかもしれません。日焼け止め、塗りました?」

「一応ね」

 

 他愛のない会話。いつ切り出そうか。

 息を吸えば、むせ返るほどの暑さが口の中に入ってくる。

 吐き出せば、ぬるい息が口がわたしの不快感を加速させる。

 それでも、言わなきゃいけないことがある。それが、今。

 

「わたしね、本当は一回死んじゃってるんだ」

「え……?」

「よく小説であるでしょ、転生者みたいなの。あれ、わたしがそれなんだ」

 

 あえて目を合わえずに、淡々と真実だけを口にしていく。

 見てしまったら、きっとそこで止まってしまうかもしれないって思って。

 

「そしたらカミサマが、わたしを花奈さんに転生させた。たった、それだけのこと」

「……以前言ってましたよね。わたしのことを知ってた、みたいなこと」

 

 やっぱり、そこにつながるよね。

 

「わたしたちの世界では、ここはゲームとして扱われていた。恋愛ゲーム」

「恋愛?!」

「わたしはそんな理想の世界に紛れちゃったわけ。ゲーム、やる前だったんだけどね」

 

 あははと笑うけれど、横からビシビシ伝わってくる真剣な眼差しは逃れようがないのだろう。

 笑いをやめて、わたしは天を見上げる。

 

「幸芽ちゃんは、わたしが疲れちゃってた時に動画で励ましてくれたの。それで頑張ろーって。張り切りすぎて、結果的にはぽっくり」

「…………」

「もちろんこれはわたしの自己管理不足。だから気にしないで」

「……希美さんは」

 

 ガチ恋相手に自分の名前を呼ばれるって、なんかいいな。

 と、のんきなことを思うことにする。

 だって、そうでもしないと、幸芽ちゃんの鼻声に気付いてしまいそうだから。

 

「希美さんは、いいんですか」

「なにが?」

「まだ、やり残したことがあったんじゃないんですか?! ゲームだって満足に出来てないのに、なのに……」

 

 肩が揺れる。ふとももに涙が溢れる。

 あぁ、わたし。幸芽ちゃんを泣かせちゃったんだ。

 

「転生とか、ゲームとか、そんなのどうでもいいです! 希美さんが、何も出来ずに死んじゃったなんて、可哀想すぎます」

「……幸芽ちゃんは優しいなぁ」

 

 肩で泣く彼女にそっと頭を傾ける。

 そうだよね。可哀想すぎるかもしれないもんね。

 でも違うよ、幸芽ちゃん。今が地獄とか、そういうのじゃないんだ。

 

「わたしは今の生活好きだよ。確かにゲームは出来なかったし、やりたいこともあったかもだけど。それでも幸芽ちゃんが、今はいてくれるから」

「……希美さん」

「えへへ、なんか幸芽ちゃんに心配されるのって、いいね」

 

 本当はその優しさに涙が出そうだった。

 わたしの死にこんなに泣いてくれて。正直とっても嬉しかった。

 わたしが生きた理由はこんなにも美しくて、人のために悲しんでくれている。

 それは、ガチ恋相手としては、この上ない幸せだ。

 

「なに、バカなこと言ってるんですか!」

「そんなこと言ったって、鼻声の幸芽ちゃんの言葉は効きませーん」

「希美さんだって鼻声じゃないですか!」

 

 そんなの。当たり前だよ。

 だって。だって……。

 

「もう、嘘つかなくていいって思ったら、嬉しいから」

「希美さんのバカ」

「バカって、酷いなー」

「バカですよ。本当にバカ。こんな大事なこと、ずっと抱えてるなんて」

 

 そんなにバカかなぁ、わたしは。

 でも、それも今日で終わりだ。幸芽ちゃんのおかげで。

 

「ね。抱きしめていい?」

「聞かなくても、分かりませんか?」

「じゃあ遠慮なく」

 

 大切な宝物を胸にしまい込むように。

 落ちたら割れるガラスをそっと抱き寄せるように。

 愛を、抱きしめて。

 

「暖かいね」

「私は、熱いです」

「愛が?」

「……お互い様ですね」

 

 炎天下。水分補給しないとなーとか、もっと涼しい場所行きたいなーとか。

 そんな事を考えないといけない。

 けれど、そんなことどうでもいいくらいに分かりあったわたしたちの間には、そんな無粋な考えは不要だった。

 あー、ホント。アツアツだ。



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最終章 2人が両思いになるまで
第44話:寝るまでが夏休みです


最終章です


 夏休み最終日夜。

 

「わたし死んじゃうーーーーーー!!!!!!」

 

 夏休みは満喫したし、宿題はちゃーーーんとやってる。

 だが何故わたしはこんなことになっているのか。

 それはあの自称カミサマからの愛の告白であった。

 

『夏休みが終わるまでに、幸芽ちゃんからの『好き』をもらえなかったら、あなたは清木花奈へと戻る。面白いでしょ?』

 

 要するにわたしという存在が死んでしまうのだ。

 幸芽ちゃんから『好き』と言ってもらえていない以上、今日をもって、わたしは清木花奈へと戻ってしまうのだ。

 

「なんで好きって言ってくれなかったのーーーー!!!」

 

 駄々をこねる歳ではないにしろ、両腕両足をバタバタと動かして、子供特有の駄々こねフォームを繰り広げる。

 だが、止めるものは誰もいない。

 あるのは、多少のストレス発散とその後のむなしさだけだった。

 

「はぁ……幸芽ちゃん、絶対わたしのこと好きだよね……なんで」

 

 それだけは確信できた。

 あの日、二度目の告白の時から変わった態度。

 直接好きとは言わないまでも、それクラスの大好きの印をもらった言葉。

 花火の日。わたしに何かを言って、頬を赤らめる彼女。

 その言葉はドーンという爆発音で遮られたものの、確かにあの時愛を感じたんだ。

 

「幸芽ちゃんの意地っ張り……。そこまでしたら好きぐらい言ってよ……」

 

 わたしの生死に関わってくるんだから。

 嫌だな、幸芽ちゃんを置いていなくなっちゃうの

 元の花奈さんはわたしほど幸芽ちゃんを愛していない。

 元の花奈さんが好きなのは、涼介さんだ。

 

「裏切りと愛情と、バッドエンド……」

 

 それらしく単語を並べてみたものの、おそらくこのまま行けば、わたしにとってはバッドエンドだ。

 あれだけ愛してくれたのに。これだけ愛したのに、最後の結果がこれだなんて。

 

「わたしの本名だって、教えちゃったのに」

 

 お墓参りのとき、教えた名前が無駄になっちゃう。

 幸芽ちゃんはわたしをわたしとして受け入れてくれた。

 それがとっても嬉しくて。ここにいてもいいんだって思ったのに。

 

「夏休みが終わるまで……」

 

 このまま寝たら、二学期になる。

 二学期になったら学祭とか、期末試験とか。あとはわたし自身の誕生日とか。

 そんな楽しい行事がいくらでも待っている。

 

 ――なのに。

 

「嫌だ。嫌だよ……」

 

 膝を抱えて、顔をうずめる。

 胸が圧迫されて、ちょっと息苦しいけど、今はその息苦しさが生きているという実感を得られた。

 

「こんなに夏休みが終わってほしくないの、初めてかも」

 

 そりゃそうか。

 こんな生死をかけた夜は初めてなんだから。

 いや、初めてでもないか。花の芽ふーふーを始める時はだいたいこんな感じだった。

 翌日が休みだから、エナジードリンクがぶ飲みしてクリアしようって。

 ま、文字通り死んじゃったんだけど。

 

「……徹夜、か」

 

 ふと時計を見る。時刻は一時過ぎ。

 夏休みの終わりって、いつだろうか。

 カミサマは定義していなかった。

 例えば朝までとか。日付を跨いだら、とか。

 

「試して、みようかな」

 

 わたしは財布を持って、部屋から出て階段を下りる。

 目指すはコンビニ。出費はだいたい四百円ぐらいだろうか。

 他の人が見たら驚くだろうが、わたしは生きたいんだ。生きるためには、このぐらいやってみせよう!

 

「そう、徹夜を!」

 

 ◇

 

「おはよー……」

「あ、姉さんおは……なんでそんなにボロボロなんですか」

 

 翌日。いつものように夜桜家へと赴くと、初手でツッコミをされてしまった。

 涼介さんまでドン引きしてるし、そんなに変な顔をしてたかな。

 一応鏡は見てきたけど、化粧で誤魔化したし、そこまでは……。

 

「いや、幸芽ちゃんが好きって言ってくれないから」

「なんでそうなるんですか?!」

 

 しかし、若い身体でよかった。

 体力はなくても、意外と朝までならなんとかった。

 それに意識だって朦朧だけど、確かに自分のものだと確信している。

 あとは9時間前後ごとにエナジードリンクを飲めば、生き残れる。

 さぁ、延長戦の始まりだ!

 

「幸芽ちゃんが好きって言ってくれないから、眠れないんだもん」

「花奈が幸芽のことを好きなのはわかったが、どうしてそうなるんだよ」

「死んじゃうから!!」

 

 ここ、集中線ポイント。

 そうしないと死んじゃうから、しょがないよね。

 

「わたしには、今の姉さんが死にそうな顔をしているんですけど」

「大丈夫! 幸芽ちゃんの好き好きASMRで寝れるから!」

「なんでぇ?!」

 

 だんだん自分の発言が支離滅裂になりつつあるのは分かっている。

 けどさ、幸芽ちゃんが好きって言って――。

 

「あー、はいはい。好き! 好きですからちゃんと寝てください」

「……はえ?」

 

 今までの幸芽ちゃんのセリフにあってはならない二文字があった気がする。

 思わず涼介さんを見る。大変気持ち悪い顔をしている。

 あ、あはは。なんというかよかったぁ……。

 

 どさっとソファーに座り込み、ゆっくりと目を閉じる。

 やっとこれで寝れる……、安心して。

 

「って、姉さんこれから学校ですよ?! 姉さん!!」

 

 この後、めちゃくちゃ起こされた。



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第45話:日本の夏。幸せの夏

 好き、っていうのはなんとなく嫌だった。

 人にはちゃんと好意を伝えろって言うのは分かる。

 けれど、それはそれとして恥ずかしいじゃないですか。

 恥ずかしいことを率先してやる理由はない。

 だけど、彼女は攻め立ててくる。

 

「幸芽ちゃん、好きって言って!」

 

 そんな面と向かって前ふりされても、私言えないですし。

 

「幸芽ちゃん、言ってよー!」

 

 そんな猫なで声だから人に好かれるんでしょうが。

 周りの人に聞いてみたらどうですか。わたしだけじゃないでしょう?

 

「だって幸芽ちゃんがいいんだもん!」

 

 子供ですかあなたは。

 夏休みが終わって、最初の登校日。

 通学路で行われているのは、謎のイチャイチャだった。

 

「さっきはあんな適当だったんだもん! もっと! ほら!」

「嫌です。あの時限りの限定です」

「そんなー!」

 

 そんな姉さんが、いつもどおりって感じがするんですけれど。

 ……そっか、いつもどおりか。記憶を失う前。正確には花奈さんとしてのではなく、希美さんとしてのいつもどおり。

 繋がった手を見ながら、私は思考する。

 私にとっては、今がこの日常なんだって。

 

「どうしたの? 手をまじまじと見ちゃって」

「なんでもないです。行きましょ」

 

 思えばいろんな事があった。

 最初は本気で利用するつもりだったのに。

 何故か、自然と希美さんのことを好きになっていた。

 ある意味人徳なのか、それとも惹きつける才能があるのか。

 

 いずれにせよ、私の琴線に触れたのは間違いない。

 好きと自覚してから、いろいろと楽になった。

 夏休みは本当に楽しかったし、夏祭りもすっごく。

 

「花火のあれ、伝わってなかったのかな」

 

 想いと、愛を込めて。私が口にした言葉は、あの様子だと届いてなかったみたいだ。

 鈍感な姉さん。まったく、と思う反面。姉さんだからな、と納得してしまう。

 でも、声が届かなかったとしても、私の気持ちはきっと伝わっているはず。

 というか察してほしい。こんな暑さが残る夏に手をつないでるなんて、それこそバカップルみたいじゃないですか。

 

「マジあっついよな」

「そうだねー」

「お前らもだけど」

「ん?」

「なんでもないぞ」

 

 兄さんが皮肉めいた何かを言ってきたけどスルーする。

 こんな人、というのは変だけど、元々はこの人が好きだったとは。

 お互いに希美さんのせいで変わってしまった。

 兄さんは気持ち悪い人に。私は同性愛者に。

 それでも、嫌な気持ちはしなくて。

 

「尊いな」

「なにか言った?」

「なんも言ってない」

 

 多分兄さんも悪い気持ちはしていないはずだ。

 この難聴お姉さんに少しお仕置きをしてやるとしよう。

 握っている手にチカラを入れてぎゅっと握る。

 

「いたた、な、なに?!」

「なんでしょうねー」

「もしかして嫉……いたたた!」

 

 さすがにそんなわけない。

 もうとっくにそのフェーズは抜けたのだから。

 とは言っても、相手は男女なわけで。少し。多少は。微々たるものだけど嫉妬に至るのは確かだ。

 でも姉さんなら問題ないですよね。

 

「お、やっほ! 花奈ちゃん!」

「檸檬さん! 珍しいね」

「早めに起きちゃってさー。暑くって」

「わたしは徹夜かなー」

「なんで?!」

 

 どちらかというと、こっちの方が少し心配なわけで。

 友達同士だとはいえ、檸檬さんはちょっと距離が近い気がする。

 兄さんより危険視すべきなのは、この檸檬さんだって、ささやいているのだ。

 

 ……しょうがない。ちょっと仲の良さをアピールしておくことにする。

 手をつないでいた姉さんの腕に私の腕を絡ませ、胸に引き寄せる。

 いわゆるラブラブカップルの腕を組む行為と言っていい奴だ。

 

「ひゅいっ!」

「あらあらまぁー」

「ゆ、幸芽ちゃん?! ど、どうしたの?!!」

「なんでもありません」

「なんでもあるからその行動じゃないの?!」

「なんでもありませんってば」

「ふーん」

 

 その意味を理解したのだろうか。

 目の前の金髪サイドテールのギャルはにやりと笑う。

 

「いやぁ、かわいい彼女さんだねー、花奈ちゃん!」

「で、でしょー? でもこれはちょっと予想外」

「これはファンクラブ会員も黙ってないだろうなー」

「だからなにそれは?!」

 

 実は私もよくは分かってないけど、そういうのがあるという噂。

 でもいいです。私だけしか知らない姉さんの秘密、知ってますし。

 

「ま、いーじゃん! 今度からは幸芽ちゃんのファンクラブの方々とご愛顧しそうだし」

「ちょっと待ってください。それは聞いてませんよ?!」

「檸檬さん何か知ってるでしょ?!」

「しーりーまーせん! 知りたければ、あたしを捕まえてごらんなさーい」

 

 こんな暑い日に走り始める檸檬さんと、二人で顔を見合わせた私と姉さん。

 そのアイコンタクトだけで、私たちの理解は通じ合う。

 

「「待てー!」」

「尊いな」

 

 きっとこの後汗だくで学校に到着するのだろう。

 そう思えば少し気が滅入るけれど、今という時間が取り戻せないのであれば、精一杯楽しむことこそが、故人の恋人である私の務めなのかな。

 なんて、さすがに言いすぎか。

 

 だから今は考えていたことを棚上げしておいて……。

 

「どういうことですか檸檬さん! ファンクラブってー!」

「そーだよ! 幸芽ちゃんはともかく」

「ともかくってなんですか?!」

 

 そのファンクラブって何なのか教えてくださいよ!



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第46話:第一次TSするかしないか戦争

「はい、じゃー文化祭。何かある人―」

 

 クラスの委員長というべき人がそんなことを口にする。

 文化祭。九月ごろに開催される学校祭の一種で、いわばお祭り事だ。

 そんなお祭り事には必ずと言っていいほど出し物、というのが存在する。

 

「はいはいはいはい! ステージやりたい!」

「フライドポテトの屋台! テレレテレレテレレテレレ!」

「皆さんバカですね。順当に言って、ここはメイドカフェに決まっているでしょう」

 

 ステージは体育館が抑えられないということで却下。

 フライドポテトの屋台は油の取り扱いが難しいため、こちらも却下。

 となれば、王道のメイドカフェだけが残るわけで。

 

「やだー! 男子がエロい目で見てきまーす!」

「そんなんじゃねーよ! 見ろ! このクラスにはあの清木と一色がいるんだぞ?!」

 

 清木と一色ねぇ。呼ばれてますよ、檸檬さん。

 

「……花奈ちゃん何ボケーっとしてるの?」

「へ?」

「ほら、清木さんまんざらじゃない顔してる!!」

「ボーっとしてただけでしょ?! だいたい、あの二人がいるからってなんだっていうのさ!」

 

 ふふふ、分かってないなぁ。そんな言葉を口にしながら、男はすっと立ち上がる。

 

「一色は外見だけ見れば、ボンキュッボンの三つそろった絶世の美少女だぜ?!」

「そうだ! 一色さんは外面だけ見ればいいギャルなんだ!」

「そんなギャルがだぞ? 『おかえりー、ご主人様』ってフランクに言われたらなぁ?!」

「イチコロやぞイチコロ!」

 

 いや、確かに檸檬さんめっちゃ外見はとても可愛らしいというか、プール行った時もそのプロポーションでナンパとかされてたっけ。

 

「おい、男ども! 聞き捨てならないなぁ?! あたしの中身がなんだって?!」

「なんも言ってないだろ? 外面とか外見の話をしてるんだよ」

「男子さいってー! 檸檬ちゃんのことそんな目で見てたんだ!」

「そそそ、そんなことねーし! 丸山だっていいって思ったろ?!」

「そ、そんなことないし」

「いーや思った! 想像してみろよ、ちょっとラフな格好したギャルメイドに『公務サボってゲームしちゃわない?』とか言われたらさ!」

 

 丸山さんがしばらく考える。

 数秒後。あらゆる可能性が頭の中で繰り広げられていたのか、脳内がオーバーヒートし、すぅーっと魂が天へと昇っていくのが見えてしまった。

 

「いい。いいね! 檸檬ちゃんのメイドさん!」

「おい丸山! 速攻で寝返るなよ!」

「でもいいかも、ギャルメイド」

「恥ずかしがってくれると、なおいい」

「バカ野郎! 堂々としているのがいいんだろうが!!」

 

 あぁあぁ。第一次ギャルメイド戦争が勃発してしまっている。

 できればわたしはそこに入らず、ゆっくり過ごせればいいのだけど。

 そんな淡い期待はうたかたに消えていくわけでして。

 

「でも、清木だって負けてないだろ! 外面は清楚で素敵なお姉さん! ちょっとずぼらだけど、それがまたいいっていうか」

「分かる。料理できなさそうだもんな、今の清木」

「なんでそうなるの?!」

 

 確かに料理できないけど。

 だって幸芽ちゃんが作ってくれるんだから仕方ないでしょ。

 わたしの! 彼女の! 手料理! それだけで人は幸せになれるんだ。

 

「ずぼらなお姉さん、いいよな」

「あ、それは分かるわ! 花奈ちゃんが料理できなくて、幸芽ちゃーんって泣きついてるの目に浮かぶわ」

「浮かばないでくれる?」

「いや分かる! めちゃくちゃ分かる」

 

 何故かクラス全員がうんうんとうなずいていた。そんなにか。

 

「じゃあメイドカフェ決定?」

「嫌よ! 私、メイドになりたくない!」

「というか男女平等にすべきだと思いまーす!」

「だんじょ、びょうどう……?」

 

 そう言うと、クラスの女子一人が黒板の前に立つと、白いチョークでさらさらと何かを描き始める。

 黒板の一部が白に塗り替わっていき、描かれたものを目の前で見た瞬間、なんとなく納得してしまった。

 

「トランスセクシャル喫茶! 略してTSカフェだよ!」

「「さすがにそれはない」」

「えー?」

 

 確か名前は村松さんだっただろうか。

 なかなかに、こう。恐ろしいことをする。

 わたしも男装に興味がないか、と言われたら嘘になる。

 実際花奈さんという見た目だ。間違いなく栄えることだろう。

 

 でも、それはそれとして……。

 

「男にも女にも辱めを受ける。これこそ男女平等でしょ?!」

「いや、こう。違うだろ! 普通執事とメイドカフェぐらいじゃないのか?!」

「そんなんじゃ面白くない! 時代の波に乗るべきそうすべき! ならばやるべきTSすべき!」

「なんでラップ調なんだよ」

「ウケる」

「ウケねぇよ!!」

 

 そんな感じで文化祭の催しが決まることがなさそうなぐらいには難航していた。

 主にTSカフェにすべきか、執事メイドカフェにすべきか。その二択で。

 

「結局コスプレはするんか」

「まぁ楽しいと思うけどね」

 

 こういう文化祭はやはり空気感が大事と言いますか。

 何をやるにしても、学生生活を送るにあたって刺激は必ず必要になる。

 だからじゃないけど、成人してからこういう場所に立ち会えるって不思議な気分だ。

 

「花奈ちゃんってさ、たまにめっちゃ年寄りくさいこというよね」

「え?!」

「いや、冗談だけどさ。でも浮世離れっつーの? 変な場違い感あるよね」

「え、えぇ、そんなこと言われてもなぁ」

「つっても、花奈ちゃんは花奈ちゃんだからいいんだけどさ!」

 

 たまに檸檬さんの直感が怖いときがある。

 それがまさしく今のタイミングだったわけだけど。

 

「ま、せっかくだし楽しもーじゃん! 例えTSカフェだったとしても」

「え? ……あー」

 

 二十一対二十。票の数は綺麗に割れているものの、わずかにTSカフェへと票が入っていた。

 あれ、わたし執事メイドカフェにしようって票入れたんだけど。あれ?

 

「はぁ……。じゃあ今年のクラスの出し物はTSカフェにしまーす」

 

 まぁ、男子諸君らに南無。祈りをささげるとしよう。



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第47話:他愛のない日常と約束

「うちの出し物はそんな感じかな。そっちは?」

「私のところもカフェですね。厳密にはかぶってないですけど」

 

 そりゃそうだ。TSカフェなんてそう簡単にあってたまるか。

 本日も幸芽ちゃんと一緒に家への帰宅道を歩いている。

 いつもなら一緒にいる涼介さんだが、今日は別の用事があるとのことで、こうして幸芽ちゃんと二人っきり。

 二人っきりの時間は恐らくあのお墓参りの時以来だ。

 

「カフェかー。てことは幸芽ちゃんの制服姿も!」

「私は調理担当です」

「えー。幸芽ちゃんメイドは絶対栄えるって!」

「それだったら希美さんの前ならいくらでも」

 

 えっ? 今聞き捨てならないことを耳にしたんだけど。

 幸芽ちゃんも、あ。と口に出してから、手で口元を隠す。

 

「忘れてください」

「忘れたくない思い出ってあるよね」

「希美さん!」

「あはは! でも見たいなー、幸芽ちゃんのいい感じのコスプレ」

 

 メイドというといろいろな形がある。

 例えばメイド喫茶のフリフリがいっぱい付いた制服。

 彼女はかわいい系だし、そのジャンキーなメイド服の方が似合うだろう。

 クラシックなメイドも捨てがたい。ふんわりとした髪をまとめれば、サマになること間違いなしだ。

 でも幸芽ちゃんのふんわりとした髪の毛を削るのは忍びない。

 やはりフリフリか。がっつりと、いい感じの……。

 

「希美さん、変なこと考えてません?」

「え? あー。ナンノコトカナー」

「はぁ……。まぁいいですけど」

 

 結んでいた手をきゅっと再度握られる。

 幸芽ちゃん、こういうところは結構分かりやすい。

 本当は気になってるくせになぁ。かわいいやつめ。

 

 こうして二人っきりの時はわたしのことを本名で呼んでくれる。

 この世界で二人だけの空間。世界とは完全に切り離された『わたし』を肯定してくれるわずかな時。

 それが今なのだ。

 

「にしても、やっぱりガチ恋相手にこう呼ばれるのってまだ慣れないや」

「そんなものですか?」

「幸芽ちゃんは一種のアイドルみたいなもんだからね」

「アイドルって、また大げさな」

 

 大げさなんかじゃないんだけどな。

 実際アイドル衣装を着たイラストを見たことあるし。

 

「アイドル幸芽ちゃんもきっとかわいいんだろうなぁ」

「でも、毎日会えなくなりますよ?」

「そこはわたしだけのアイドルでいて!」

「強欲ですね?!」

「わたしは幸芽ちゃんに対しては貪欲でありたいのー」

 

 恋人つなぎで絡めた腕をこちらの胸の方に抱き寄せる。

 さすがに驚いたのか幸芽ちゃんも少し困惑した様子だった。

 

「嫌?」

「嫌じゃ、ないですけど」

「ならよかった」

 

 この恋人腕固め(正式名称不明)は歩きづらい。

 足は絡まりそうになるし、重心が傾いていて、歩くのすら一苦労なんだけど、それは幸せの前の愛の障壁とでもいうべきなのかもしれない。

 たった今考えた理屈だけども、そう考えた方がきっと面白い。

 

 幸芽ちゃんは何か考えるそぶりで、わたしの肩に頭を傾ける。

 なんだろう、急に。

 まずったことしちゃったかな。

 

「あ、いえ。そういうのじゃなくて。私、希美さんのこと全然知らないなって」

「そう?」

「ずっと姉さんだと思ってたから、希美さん自身のことってあまり聞いたことないなって」

「語るほどのことじゃなかったから」

「……ほどのことですよ」

 

 幸芽ちゃんが傾けた身体をいったん離して、わたしの胸元へと飛び込むように抱きつく。

 ちょ、ちょちょい! 幸芽ちゃん?!

 

「希美さんのこと知りたいです。それが、その……。恋人の役目、と言いますか」

 

 もじもじと口を動かすと、こぼれた息が胸元をくすぐる。

 少しゾクリと電気のようなものが走った気がしたが、きっと気のせいだろう。

 幸芽ちゃん相手ならそれでも、悪くはないかなと思っているけれど。

 

「とにかく! 知りたいんです、誕生日とか」

「誕生日……確か文化祭の二日目だったかな」

 

 漠然とした記憶しかないから、具体的なことは覚えていないけれど、確かそんな時期だったはず。

 年齢を取るのと、自分へのプレゼントという名目しか活躍していなかった誕生日だ。

 特に思い入れがあったというわけでもなかったけれど……。

 

「じゃあその日に一緒に祝いましょう」

 

 そう言ってくれるなら、ここに生まれた甲斐というのもある気がする。

 

「うん、その時はとびっきりのキスとかしてくれると嬉しいなー」

「す、するわけないじゃないですか!」

 

 さすがに分かってた。

 意地っ張りと恥ずかしがり屋をコンクリートミキサーでかき混ぜたガッチガチの防御力。

 それが幸芽ちゃんだもんね。

 でも期待してる。やっぱり好きな人からのキスが一番のプレゼントだと思うし!

 

「欲しいなー。ほら誕生日って主役のことでしょ? 主役の言葉はー?」

「絶対、じゃないです」

 

 かわいいなぁもう。

 ふわっとした、先の方が少しくせっ毛の幸芽ちゃんの髪をそっと撫でる。

 まだまだ残暑が厳しいのか、少し汗ばんだ髪が手のひらに吸い付く。

 

「ね、幸芽ちゃん」

「は、はい。なんですか?」

「ありがとうね、いつも」

「……大したことありませんよ」

 

 あるんだよ、まったく。

 何度も頭をなでながら、胸の中にあるぬくもりをしっかりと噛みしめるのだった。



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第48話:ラスト・オブ・ゴッド

「やっほー!」

「……何か御用で」

 

 二度あることは三度ある。なら四度目以降は?

 答え。絶対にある。

 

 ということで今晩も呼ばれてないのに飛び出てくる。そんな自称カミサマである。

 

「いやぁ、夏休みも超えられたしよかったよかったー」

「元はと言えばあなたのせいなんだけど」

「そんなこともあるさー。実際終わる前に好きって言われてよかったじゃん」

 

 ハテナ。そんな機会はあっただろうか。

 いや、あるにはあったというか。聞き逃したと言いますか。

 

「それ、聞いたことないんだけど」

「あれれ~? 幸芽ちゃんからの愛のメッセージ、あなたには届いてなかった感じ―?」

 

 イラァ。

 なんでこのカミサマはこんなにも人の神経を逆なでしてくるのだろうか。

 わたしは聞いてないったら聞いてないというのに。

 

「教えてあげてもいいんだけどー、カミサマに何か言うことないかなーって」

「なんの話?」

「ほら、恋のキューピットとして、さ」

 

 指先がこちらを煽るように前後に動く。

 なんて恩着せがましい。そんなでも神様か。いや、カミサマだからか。

 はぁ。と一つため息をついてから、パジャマ姿のわたしの胸に手を置く。

 

「あー、かみさまありがとー」

「わぁ、すっごい棒読み」

 

 だって感謝の意図なんて一切ないから。

 確かに転生してくれたことには感謝だが、故人的にはそのまま死なせておいて欲しかった。

 あ、今の個人と故人をかけてた素敵ジョークなんだけど、伝わらないか。

 

「まぁいいけど。カミサマがあなたを転生してあげたのはほぼ気まぐれだし」

「で、その幸芽ちゃんの件ってどういうことなの?」

 

 ホントに気付いてなかったんだ。と口にした彼女はその場で指をパチリと鳴らす。

 現れたのは周辺を木々で囲まれて、見晴らしがそれほど良くないベンチの上。

 そう。言ってしまえば、夏祭りの時の再現であった。

 

「幸芽ちゃんも舞い上がってたんだろうね、あなたに好きって言ったの」

「え?」

「あの時に呪いは解除。それであの徹夜騒ぎだから、ホントに面白かったよ」

 

 あははと、またもやどこから出したか分からないラムネを口にする。

 そっか。そっかやっぱり、幸芽ちゃんは……。

 

「ちゃんとわたしのこと好きでいてくれたんだ」

 

 にやけているわたしの顔はきっと気持ち悪いことになっていることだ。

 それだけ。そう、本当に嬉しかったんだ。

 

「言葉ってのは魔力だよ。たった二文字の言葉に一喜一憂する。人間は愚かで惨めで醜い生き物だが、いびつで一つの作品として美しいとカミサマは思うんだ」

 

 わたしを指さして、あなたみたいにね。と口に出す。

 

「ま、届いてなければ聞かなかったことと同じなのだけど」

「カミサマって本当に一言余計だよね」

「カミサマだからね。よくおせっかいと言われるよ」

 

 そういう意味で言ったんじゃないんだけどな。

 ため息をまた吐き出して、ベンチに座ろうとした瞬間、それは目の前の彼女によって消されてしまった。

 

「カミサマのお告げはもうない。あとは順風満帆な毎日を送るといい」

「なら清々するんだけど、一つ、いいかな?」

 

 あぁ、分かっている。とカミサマは言葉にすると、わたしが懸念していた事案が画像のように写し出される。

 

「本名バラすなんて思ってもみなかったよ。ま、言葉にしちゃったなら仕方ないかと思うけど」

 

 クスリと笑う彼女がやや憎らしい。

 別に自分の名前だ。そこでとやかく言われる筋合いはない。

 

「ま、真理に触れる研究員や、神様をあがめる教団員にバレなきゃいいんじゃないの?」

「そんなあっさりでいいの?」

「カミサマは寛大だから。それに悪いことが起きても、それはあなただけの責任。カミサマは簡単にもみ消せちゃうからね」

 

 やっぱりこの神、邪神の類なんじゃないだろうか。

 そう考えてしまう程度にはこのカミサマのうさん臭さは異常だった。

 

「だからこれからはあなたの人生だ。カミサマがここに出てくることは、もうない」

「ならよかった、かな」

「チート技能だって渡す機会はなくなっちゃうね」

「持ってるの、着付け技能だけだし」

「欲しくない? 異能力系のやつ?」

 

 別に要らない。

 そんなのをもらったところで、やっぱり使いどころないと思う。

 というか、さっきから微妙にわたしを引き付けようとしてない?

 気のせいだといいんだけど、この前、わたしのことを気に入っている、って言ってたっけ。

 

「ひょっとして、寂しいの?」

「……どう思う?」

 

 先ほどまでの無邪気な笑い声が、ゆっくりと形を変え、妖艶なものへと変わる。

 それは今まで彼女を見てきた中で、最も恐ろしく底知れぬ不気味な存在であることを示唆していた。

 

「なんてね。カミサマだって気に入っている子が人に堕ちるんだ、これほど悲しいことはないよ」

「わたしは元々人間なんだけど」

「あなたはやがて神にだってなれたかもしれない。もちろんカミサマの下で、だけど」

 

 ケラケラと笑いながら、その実、目は笑っていない。

 

「冗談はさておき、カミサマがその気になれば、そのぐらいのことはできる。神様としての権能をあなたにも渡して、何もかもを思い通りにできる。世界から弾かれた者同士、そういう生活を送ることだってできる」

 

 それは、理想的な生活だ。

 何もかも思い通りで、ストレスもお金も、愛も自分のものにできる。

 娯楽と愉悦に満ちた甘美な世界。

 何故わたしを誘ったのかはさておき、わたしの答えはとっくに決めている。

 

「絶対に嫌だ。そんな生活は、願い下げだよ」

 

 彼女はクスリと笑った。

 ついさっきまでの感情がどこかに行ってしまったかのように、晴れ晴れとした笑みだった。

 

「あなたなら、そういうと思ってたよ」

 

 ふわりと身体が浮かび上がれば、わたしの意識が徐々に天へと昇っていく。

 

「じゃあね。あなたに、希美ちゃんに祝福あらんことを」

「……最後に神様らしいことしないでよ」

「神様だからね」

 

 彼女はどんな思いだったのだろうか。

 言葉とは言わなきゃ意味がない。伝わらなければないも同じ。

 であるなら、言葉を閉ざしたカミサマの気持ちは誰にも分からない。

 ま、神様だから、伝わらなくてもいいんだろうけどさ。

 

 でも、最後であるなら。わたしも伝えよう。

 

「さよならカミサマ。もう二度とちょっかいかけないでね!」

「じゃあずっと見てることにするよ、神様だからね!」

 

 最後に見たカミサマの笑顔は、にこやかと太陽のような微笑みをした『少女』の笑顔だった。



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第49話:遅れてきた青春

 気づけば、文化祭の準備もあっという間に進んでいた。

 九月から十月にもなれば、残暑が厳しかった気温もようやく落ち着きを取り戻し始める。

 わたしたちも夏服から冬服へと衣替えをすれば、秋という涼しげな季節を楽しむ。

 

「はぁ、幸芽ちゃんに会いたい」

「気持ちはわかっけどー。ほら、ちゃんと予算の計算頼んだよ」

「はーい」

 

 電卓にパチパチと数字を入力しながら、支給されたパソコンで予算書を作成していく。

 これでも前世は社畜だったし、仕事の内容も入力業務が多かった。

 こんなことをしていると、昔に戻ったみたいで、少し楽しくなる半面、あの地獄のような日々を思いだすから、正直苦い気持ちが大部分になってしまう。

 

「清木さんすごーい! 予算書がマッハで消えてくー!」

「すげー! 電卓の速度はっや!」

 

 でも、褒められる気分というのは存外悪いものではない。

 文字通り花奈が鼻を高くしながら、わたしは得意げに入力作業を続ける。

 

「花奈ちゃん、半端に優秀なのマジウケるわ」

「ねー! 料理はできないのにね」

 

 聞き捨てならないことを。

 まぁいいでしょう。今のわたしは寛大。いわばこのクラスの予算を握った重要人物の一人なのだから。

 

「じゃあ料理班から予算削るよ?」

「待ってー! それだけはご勘弁をー!」

 

 笑い声が鳴り響く。

 わたしも釣られて笑ってしまう。

 あぁ、これが青春か。なんだか、いいものだね。こういうのって。

 

「一応仮作成しといたよ。なんかあったら無理のない範囲で調整しておくから」

「ありがとー! やっぱ神様仏様花奈様って感じ!」

「神様も、仏様も勘弁願いたいかなー」

 

 どちらも嫌な記憶しかない。

 あの自称カミサマだって、本当に神様だったのだろう。

 最近は夢の世界に現れることがなくなって、少し寂しくもあった。

 だけど、元はと言えばだいたい彼女のせいなのだから、清々する気持ちが10割を超えている。

 

 仏様は、うん。こー、ぽっくりと逝った感じがね。

 

「じゃー、総理王様清木花奈、みたいな!」

「無駄に語呂いいね」

「まっ、檸檬さんですし?」

 

 それは何を意味しているのだろうか。

 特に考えてない言葉なんだろうと、その場で考えるのをやめて、パソコンをシャットダウンする。

 

「ちょっと休憩行ってきていい?」

「いいよー! メニュー表もまだ時間あるしね」

「花奈様には休暇が必要であるぞ!」

「あはは、何言ってるんだか」

 

 仲良くなったクラスメイトに笑顔を向けつつ、わたしはその場をあとにした。

 当然ながら予算書を作る余裕があるなら、まだ期間的にも余裕はあるわけで。

 徐々に文化祭色に染まっていく廊下を眺めながら、わたしは何か飲み物でも飲もうと中庭の方へと歩いていく。

 

「やっぱ、いいなぁ」

 

 文化祭とは、いわば学生たちの努力の結晶。

 みんながチカラを合わせて完成させる祭典だ。

 昔はどうでもいいなんて思っていたけれど、こうして社会に出てから戻ってくれば、思うところはあるわけで。

 

「今の時は今しかないんだよ。がんばれ若人」

 

 シュカっと缶ジュースの蓋を開けて、冷たいオレンジジュースを口にする。

 酸味がまるで「お前も今は若人だろ」と言っているような感じがして、少しにやけてしまう。

 

「なーにが若人ですか」

「幸芽ちゃん……。サボり?」

「花奈さんと一緒にしないでください。パシリです」

 

 あの時チョキを出していれば。と自分の右手を見た後に、彼女は財布を手に取る。

 幸芽ちゃんもクラスで浮いてなくてよかったな。

 

「わたしはちゃんと休憩もらってるよ」

「ふーん、嘘くさい」

「嘘じゃないもん!」

 

 オレンジジュースをまた口にして、甘みを脳みそに染み渡らせる。

 本当はカフェオレがいいんだけど、どうやらこの身体にはまだ早いらしい。

 この前飲んだ時、苦くて苦くてたまらなかったのを思い出す。

 

「まぁいいですけど。それより、年寄りっぽいですよ、さっきのセリフ」

「だってみんなより精神年齢上だし」

「何歳なんですか、本当は」

 

 まぁ、いつか気になるだろうなーとは思ってたけど、まさか直球で聞いてくるとは。

 

「いくつに見える?」

「三十五」

「嘘?!」

「冗談ですよ」

 

 朗らかに笑う彼女に、してやられたという感情を抱く。

 ま、かわいい幸芽ちゃんがわたしの前で笑ってくれるならそれでいいか。

 

「それで、本当はおいくつで?」

「多分二十六、かな。今月で二十七?」

「……私と十歳差なんですね」

「年の差結婚、だね!」

「結婚は卒業してからでお願いします」

「ふーん」

 

 それはそれとして、やっぱりやられたままなのは個人的に癪だ。

 なのでわたしも幸芽ちゃんに対して、冗談の仕返しをするとしよう。

 

「結婚は、いいんだね」

 

 ニヤリと笑うわたしに、その言葉の意味を理解したのか、幸芽ちゃんの白い肌がみるみるうちに赤く染め上がっていく。

 

「なっ!? そ、そういう意味じゃないですよ!」

「そういう意味って、どういう意味かなー?」

「……うぅ。わざとやってますよね、それ」

 

 バレたか。

 ちろりと少しオレンジみがかった色の舌を出す。

 幸芽ちゃんはその姿にはぁ、と露骨なため息を吐いて、自販機に向き直った。

 

「姉さんのそういうところ、嫌いです」

「そういうところはすーぐ口にするもんね」

「何が言いたいんですか?」

「なんでもー」

 

 ガチャコンと人数分の缶ジュースを用意できたのか、両手いっぱいに抱えると、そのまま戻ろうとする。

 

「持とうか?」

「大丈夫です。気遣いは感謝しますけど」

「ん。ならいーや。頑張ってね」

「はい」

 

 少しよろけながらも、幸芽ちゃんは腕いっぱいに抱えた缶ジュースを持って、廊下の奥へと消えていく。

 

「さて、わたしもそろそろ行こっかな」

 

 空の缶をゴミ箱へダストシュートし、休憩は終わりだと言い聞かせ、そのまま教室へと戻るのだった。



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第50話:いらっしゃいませ、お嬢様

 文化祭とは何か。わたしが言いたいのは概念的なことではない。

 詳しく言うのであれば、何を思い、何を考えて、何を成し遂げるか。その答えだ。

 これでもアルバイトで生かしていた接客経験をいかんなく発揮して作り笑顔を錬成していく。

 

「いらっしゃいませ、あちらのお席へどうぞ……」

 

 とは言っても紳士的に。

 TSカフェなのだから、わたしは基本的に男を演じなければいけない。

 身近な男性がアレなだけあって、紳士的な態度というものに戸惑いはあったが、そこは本物の執事喫茶へ赴いて、そのいろはを見出した。

 見てくださいよこのフォルム。背中をピーンと立たせて、豊満な胸はそのままに、黒いタキシードを身にまとった執事形態。

 実際、わたしも気に入っていたりするわけで。

 

「あひゃー、ああ見ると花奈ちゃんやっぱ美人だわー」

「ねー! やっぱりメインが花奈ちゃんと檸檬ちゃんで正解だったよ!」

「あたし、別に似合ってなくない?」

「そんなことないよ! 檸檬さんもいい感じにだらけてるし」

 

 檸檬さんの姿は執事というには程遠いものの、着崩した第一ボタンが開かれ、だるそうに袖のボタンがあるべき場所に止められていない。

 さらに言ってしまえば、ベストなんかも前はあけっぴろげだし、不良執事と言われたらその通りだった。

 だが、それがいい。

 檸檬さんにはそれこそがお似合いなのだ。

 

「調理所あっついからこうしてるだけなんだけど」

「むしろぐっど」

「まぁ、花奈ちゃんがそういうならそうなんだろうねー」

 

 「ありがとね」と、軽くウインクしてみせる檸檬さん。

 近くにいた女の子が一人倒れた。

 た、確かに、破壊力はすさまじい。

 

「美里ちゃん! 衛生兵! えーせーへー!」

「俺が行こうか?」

「バカ野郎、セクハラでブタ箱行きやぞ!」

「あはは、美里さんも大概人気者だね」

 

 倒れた美里さんを引っ張って、休憩椅子に乗せておく。きっと数分したら生き返るでしょう。

 人一人の重さを運んで疲れた体をぐぐぐっと伸ばし、一呼吸。背中からパキパキと音が聞こえる。

 

「あはっ! いい音!」

「疲れたんですー」

 

 組んでいた手を外してぷらぷら。

 疲れが取れていくようで、若い身体を少し恨む。

 

「はぁ、幸芽ちゃんで癒されたい」

「文化祭当日はみんなそんなのだよねー」

 

 一応休憩時間が合うことは知っているし、なんだったらもうすぐその時刻だ。

 でも残業、もといお願いされてしまったら、幸芽ちゃんはなんだかんだ手伝ってしまうだろう。

 仕方ないとは思う反面、わたしのこと優先してくれないかなー、という少し黒い感情が湧き出る。いやいや、そうじゃないでしょ。まぁ、ちょっとは考えちゃうけど。

 

「おっ、噂をすれば」

「へ?」

 

 クラスの入口のそばできょろきょろと女の子を探している少女の姿が一つ。

 ふわりとカールした髪の毛を揺らしながら、わたしを見つけたがっているのだろう姿に胸が少しきゅっと締め付けられた。

 

「ほら、いってらっしゃい!」

「うん、いってくる」

 

 上級生の教室とは独特な圧迫感がある。

 おどおどと周囲を見渡す小動物のように入ってきた彼女を、わたしは盛大に歓迎しよう。

 

「おかえりなさないませ、お嬢様」

「あっ……。これはご丁寧にどうも」

「こちらのお席へ」

 

 下から彼女の手を拾い上げ、もう一方の手で席へと案内する。

 そのまま来たのであろう制服姿は、いつ見ても眩しい。

 やっぱり、幸芽ちゃんは幸芽ちゃんだ。安心する。

 

 椅子の上でちょこんと座り、メニュー表を確認している。

 わたしはといえば、幸芽ちゃん専属でテーブルのそばで垂直に立っている。

 

「あの」

「いかがいたしましたか、お嬢様」

「メニュー決めづらいんですけど」

「わたしのおすすめはこの雪化粧パンケーキでございます」

「……じゃあそれで」

「かしこまりました」

 

 一つお辞儀して、その場をあとにする。

 バックヤードに入った私は、注文を終えて一つため息を吐き出す。

 

「もっと幸芽ちゃんとイチャつきたい」

「でしょーな!」

 

 あんなカッチカチでイチャつけるはずもない。

 だからかっこいいところを見せようかなとも思ったんだけど、空回りしてしまったみたいだ。反省。

 

「清木さんもうあがっていいよ。夜桜さんと一緒に遊びたいでしょ?」

「回る?」

「少なくとも落ち込みがちの清木さんがいるよりは」

「ん、ありがと、館色さん」

 

 パンケーキを片手に、一番上のボタンを外してしばし楽な姿勢で幸芽ちゃんの元へと戻ってくる。

 彼女は少し驚いていた。

 

「あれ、姉さん?」

「足手まといのお前はあがっていいよーってさ」

「姉さん、ちゃんとやれてるんですか?」

「できてたでしょー、さっき!」

 

 これでも研究に研究を重ねた最高の執事モデルなんですよ!

 なのに幸芽ちゃんは塩反応だったんだもん。そりゃすねちゃうよ。

 

「冗談ですって。それに、執事姉さんは結構キマってましたよ」

「どのぐらい?」

「んー、メイドカフェレベルで」

「そりゃよかった」

 

 テーブルに出したパンケーキを小さく一口サイズに切り取ると、幸芽ちゃんはわたしにフォークを差し出してくる。

 

「え、なにこれ」

「ご奉仕には褒美が必要だと思って」

「……幸芽ちゃん、今日どうしたの?」

「どうもしてません。ほら、分かりますよね?」

 

 そりゃあ、もう。

 親鳥から餌をもらうように、小鳥よろしく口をあーんと開く。

 口の中に入れられたパンケーキを受け取ると、もきゅもきゅと口の中で味わう。

 

「試作で味わった時より数億倍美味しい」

「何にも入れてないですよ?」

「幸芽ちゃんの愛が詰まってたよ」

「そ、そうですか」

 

 なんともとろけるような会話だ。

 でも幸芽ちゃんといつまでもそんな会話が出来たら、わたしはそれだけで幸せいっぱいだ。



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第51話:『わたし』の宝物

 誕生日を最近祝ってもらったことはない。

 二十六歳にもなれば大抵そうなってしまうわけで。

 だからその日はうろ覚えだったけど、確か今日だった気がする。

 

「どこを回りましょうか」

「幸芽ちゃんと一緒なら、どこでも!」

「じゃあまずオカ研の占いの館にでも行ってみますか?」

 

 占いかぁ。生前でもやったことはないぐらいには縁がなかった。

 悩むことはあっても、寝て起きれば忘れてしまうし、朝の占いコーナーで一喜一憂するような程度で、本格的な水晶なりタロットなりは見たことがない。

 故に興味があったが、行くほどのことでも。みたいな状態が続いていたのだ。

 どんなものだろうか。年甲斐もなくワクワクとしながら、わたしたちはカーテンの向こう側へと消えていく。

 

「いろいろメニュー? みたいなのがありますね」

「無難にタロット? 水晶もどんな感じかは気になるかも」

 

 姓名判断に手相占い。いろいろある。ありすぎてよく分からない。

 

「とりあえず姓名判断かな」

「ちなみにどっちのお名前で?」

「花奈さんの方だよ、さすがに」

 

 少しむくれつつ、わたしたちは流れに身を任せるが如く、姓名判断の場所へと案内される。

 いかにも、な胡散臭い女性が現れた。

 

「ムムッ! 匂いますねぇ……」

「もしかしてお菓子の匂い?」

「いえ、そういう意味ではなく。単に怪しいというアレですね。はい」

 

 なんだ、言ってみただけのタイプか。

 てっきり自称カミサマと繋がっているわたしだから、なんかこう。波動みたいなものがあって、それがわたしからにじみ出ているものかと。

 ほら、オカルト研究会的には、わたしの存在なんて宝物そのものだし。

 

 指示されたとおりまずは自分の名前を紙の上に書いていく。

 ここはふざけるところではないので、ちゃんと書いておいた。春日井希美って。

 

「ね、姉さん?!」

「あっ」

 

 本名のほう書いちゃった。

 

「ほうほう、春日井希美さん……。ってあなた清木さんですよね?」

「あっ、えっと……。そ、そう! わたしの友達に頼まれて! 出し物回るだけで時間かかるーって大慌てで巡っちゃったから!」

「そ、そうなんです! まったくあの人ったら」

 

 そうか。などと納得した占い師は、手にとった紙をジロジロ。

 しばらく考えるように指を空中でちねらせながら見ていると、やがてペンを一本取り出して、スラスラと文字を書き始める。

 どうやら占いの結果が出たように見える。

 

「この方、春日井さんでしたか。今日誕生日なんじゃないですか?」

「え?! は、はい。そうです」

 

 文字だけでそんな事がわかるのか?

 幸芽ちゃんが隣で少し目をまんまるとしているが、それは置いておく。

 

「何故でしょうね。この人はそれ以外のことが見えづらい」

「え、どういうこと?」

「なんというか、ふわふわしているんですよ。存在みたいなものが」

「あ、あはは、なんでだろうねぇ」

 

 存在がふわふわしているか。

 どうしよう、心当たりしかない。

 わたしの肉体、というものは実際には存在していない。

 花奈さんの身体を間借りしているから成立しているのだ。そこには定着していない魂しかいない。

 

「まぁ、でも光明も見えます」

「え?」

「これから幸せな毎日を送れるだろう、と見えますね」

「……そっか」

 

 なら。その幸せは誰からもたらされるものなのだろうか。

 そう考えた時に、ちらりと横の幸芽ちゃんが目に入る。

 太陽の木漏れ日。冬の日に、ふと窓の隙間から差し込んだ暖かな熱。わたしを愛してくれる笑顔。

 この子のおかげだ。この子のおかげで、全部全部今の自分に繋がったんだ。

 わたしは寄りかかるように幸芽ちゃんの肩を押せば、すかさず押し返してくる。

 

「あー、えっと。友達の話なんですよね?」

「あ! そ、そうなんだよ! 後で伝えておくね!」

「じゃ、お代」

 

 出ていくものはきっちり取り立てる。そんな商売魂を感じる。

 わたしは少々高いが五百円のワンコインを渡して、その場を後にした。

 

「……落ち込んでます?」

「なにが?」

「ふわふわしてるー、みたいなこと言われて」

 

 流石に心配してくれたのであろう。

 すべて見透かしていた幸芽ちゃんは不安そうな表情でわたしの顔を覗き込んでくる。

 まったく、心配性だなぁ。幸芽ちゃんも。

 

「大丈夫だよ。そんなに気にしてない」

 

 眉をハの字にして少しだけで困ったような顔をする。

 でももう半年は付き合っている彼女の愛想笑いだ。そのぐらいは一瞬で見抜いてくる。

 

「姉さんの大丈夫ほど心配なものはありません」

「それもそっか」

 

 自分でもわかってた。

 見知らぬ土地にやってきて、一人ぼっちで寂しいわたしは幸芽ちゃんや涼介さん、檸檬さんのおかげでその『寂しい』を誤魔化してきた。

 でも。でもね。違うんだよ。今は、ぜんぜん違う。

 

「でも本当に大丈夫なんだ。最近ずっと思ってる」

「……ちょっと休憩しましょうか?」

「お心遣い痛み入る」

「なんですかその口調」

 

 あははと、少し笑いながらしきりに今までのことを思い出していた。

 うん、話そう。わたしの思ってることを。わたしの大切な宝物の話を。




次回、最終話です


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最終話:ギャルゲー主人公の義妹に告白しました。これは両思いですね

 たまに考えることがある。

 例えば幸芽ちゃんと会話している最中。

 例えば涼介さんが限界化している時。

 例えば檸檬さんが元気にわたしをイジってくるタイミング。

 

 例えば、わたしが家にいる時に。

 

 それは襲ってくるように、頭に湧き出る負の感情。

 わたしはここにいてもいいのだろうか、という不安。

 

 思えば、わたしは清木花奈という存在を上書きして現れたイレギュラーだ。

 イレギュラーはこの世界の異分子で、自称カミサマ同様に世界からはみ出した存在だ。

 確かに自称カミサマが言っていたとおり、わたしには神様とやらになる素質があり、結果的にはそれを断ったようなもの。

 優良企業の採用を蹴ったと、同じことだ。

 

 正直あのカミサマは気に入らないから別によかったけど、それとは別に頭の片隅ではそんな生活も悪くないのかも、と思ってしまいもした。

 そりゃはみ出し者同士、傷をなめ合うのは幸せかもしれない。

 好き勝手やって、人の人生を荒らして、自分の悦にする。

 そんな所業、神様でなければとっくに逮捕されてしまう。それぐらいの大罪だ。

 

 人の道は逸れたくないし、それに何より。もう一つ重要な宝物があるんだ。

 

 まばらに人が存在している中庭の一角。

 誰もいないベンチに二人で腰掛ける。

 

「ふぅ。やっぱ人酔いしちゃうね」

「はい。外は涼しいです」

 

 秋の風。湿度がこもってない風が汗で濡れた頬を撫でる。

 少し寒いかも。もう十月だもんね。もう、十月なんだよね。

 

「あっという間ですね」

「うん、本当に」

 

 気付けばここに来て半年は経過していた。

 最初のうちはガチ恋相手がいるってことで必死に幸芽ちゃんを追い回していた。

 勉強ができるお姉さんになりたいとか、もっとちゃんとしたお姉さんになりたいとか、幸芽ちゃんに似合う女になりたいとか、そんなのばっか。

 でもそれだけではない。もっと根底にあるもの。好きな相手とは別に、もう一つ。

 

 どこまでも遠く澄んだ青い秋空を見上げて、わたしはポツリと口に出す。

 

「わたし、寂しかったんだ」

「……それは、なんとなく」

「え?!」

 

 それは意外なんですけど?!

 気付かれてた? そんなわけ……。

 

「私にうざ絡みしてるのってそういうことですよね?」

「そういうことだけど、そうじゃないっていうか……。ってうざいと思われてたの?!」

「冗談ですよ」

 

 あははと笑う彼女に少しふっくりと頬を膨らませる。

 この女、言ってくれるじゃないか。

 

「まぁ、そういうこと。わたしだって寂しいって思ってたの!」

「今にして思えば、なんとなく分かります。世界で一人ぼっちって、嫌ですもんね」

 

 花奈さんを知っている人はたくさんいるけれど、『わたし』を知っている人は誰ひとりいない。

 そんな世界にいなきゃいけない苦しみと寂しさは紛らわそうとしても、払拭できない一つの呪いみたいだった。

 

「でもね。幸芽ちゃんがいてくれたから、あなたがいてくれたから、わたしは今もこうしてる。あなたが受け入れてくれたから、わたしはここにいれる」

 

 きっと拒否されたら、何もかも投げ出すつもりだった。

 でもそうはならなかった。

 

「ありがとうね、幸芽ちゃん。好きだよ」

 

 たった二つの文字なのに、こんなにも暖かくて、寂しいって気持ちを紛らわしてくれる魔法の言葉。

 わたしはこの言葉がいま一番好きだ。

 

「私は……」

 

 口を結んで、いつものようにはぐらかすのだろうか。

 と考えていると、不意にほっぺたに柔らかい何かが押し付けられた。

 呆けていたわたしは、ガクガクと首を回して、押し付けた張本人を目にする。すごく顔が真っ赤で、両手で真っ赤なりんごを覆い隠している。

 

「あ、あはは。えっと……」

「言わないでください! これが希美さんへの誕生日プレゼントです! それ以上は……、これからということで……」

 

 ほっぺたを指先でなぞる。

 はは。あはは。不自然に笑いがこみ上げてくる。

 なんだよ。なにさ。なんですか! こんな事してくれるなんて、幸芽ちゃんもやっぱりわたしのこと好きなんだ。そっか。そうか……。

 

「幸芽ちゃん。もう一つ、プレゼント欲しいな」

「……なんですか?」

「わたしに、好きって言って」

 

 我ながらバカなことを言ってると思う。

 けれど、この誕生日という節目にはその言葉がふさわしいと思ったんだ。欲しいと思ったんだ。

 欲張りだな、わたし。

 だけど許してね。恋って、そういう面倒くさいところがあるみたいだから。

 

 改めて向き直した幸芽ちゃんの顔は真っ赤だけど、はにかむ姿が可愛らしい。

 息を吸って、吐いて。三度繰り返し、そして。

 

「希美さん」

「……はい」

「私は……。希美さんが好きです。希美さんじゃなきゃダメです。愛しています」

 

 たまらぬ感情。熱い衝動。高鳴る情動。

 念願の愛の言葉は胸を強く波打たせる。

 静かな波じゃない。津波のようにすべてを飲み込みかねない、恐ろしく強大で力強い波。

 ザバーンとわたしの身体にムチを打った愛情は、そのまま幸芽ちゃんを抱きしめるのにさほど時間はかからなかった。

 

「幸芽ちゃん……幸芽ちゃん……っ!」

「の、希美さん、苦しい!」

「……あっ! ご、ごめん。つい、っていうか。えへへ」

「愛が重いですよね、本当に」

「そんなにかな?」

「私の数倍はありますよ」

 

 そんな自覚は……。嘘。ありますね。

 今度は強引にではなく、優しく。愛を込めてそっと抱きしめる。

 

「じゃあこのぐらいは?」

「……はい、上出来です」

 

 手を後ろの回されて、お互いに抱きしめ合う。

 あったかで、胸のドキドキが相手に伝わってしまわないかって少し不安で。

 でも伝わってほしいって思う。わたしの愛が、わたしの魂から。

 

「なんか、意地張ってたのがバカみたいですね」

「なにか言った?」

「別に何も言ってないですよ」

 

 何か言った気がするんだけどなぁ。

 まぁいっか。できることならずっとこのまま一緒にいたいけど、そうは行かないわけで。

 適度なタイミングでするりと拘束していた腕を緩める。

 

「幸芽ちゃん、一緒に回ろ。文化祭!」

「はい。一緒に」

 

 顔を見合わせて、笑い合う。

 一緒。そうだ一緒だ。わたしはもう一人なんかじゃない。

 幸芽ちゃんもそう。もう二人だ。二人ならいろんなことができる。

 この先何があろうと、何が起ころうと。この二人なら、きっと。

 

「よし、この『恋人の間』とかいうの行ってみる?」

「それは流石に恥ずかしいです!」

「あらら、ざんねん」

 

 それが自然であるかのように、指先を絡めて手を繋ぐ。

 お互いに顔を見合わせて、微笑みかけて、ゆっくりと歩きだして。

 これはもう、両思いってことで、差し支えないですね。

 

 ――ギャルゲー主人公の義妹もわたしを好きだと言っています。これは両思いですね 完




お読みいただきまして、ありがとうございました。
以上で『ギャルゲー主人公の義妹もわたしを好きだと言っています。これは両思いですね』は完結です。
個人的には難産だったこの作品ですが、終わってみればもっと面白くできたなと、僅かながら後悔です。
次はもっと事件を増やします。

そんな感じで、次回作も考えています。
多分数日もしない内に投稿できるストックがあるので、精査して投稿という形です。
次回はVRMMOものを考えています。今度は完結させる。
そんな勢いで、略してギャル好きをありがとうございました!


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