正しい男性観の守り方 (セミズ)
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正しい男性観の守り方(挿絵付き)
ウマ娘とは適切な距離感を保つ事が大事だと先輩に教わった。
何を当たり前のことを、と思ったがどうやら彼女達との距離感を誤り寿退職するトレーナーはそこそこいるらしい。
何でも思春期のウマ娘達に理解を示し、最適なケアを施し続けることで彼女達が距離感を誤り、またトレーナー側も入れ込み過ぎて気が付いたら両想いになっていた、という事だとか。
両想いならまあいいのでは、とは思うものの確かに人生経験の浅い女の子の男性観を壊してしまうのは良くない事だ。
そこで俺は、敢えて駄目な男を演じる事にした。
勿論トレーナー業には全力を出す。俺の担当する子は日本ダービーや天皇賞といった名高いG1で一着を勝ち取る程の才能を秘めたウマ娘だ。
しかしそんな彼女の前で、敢えて寝癖の一部を治さなかったり、トレーナー室で寝落ちしている姿を見せたりと、わざとダラしない姿を見せるのだ。
こうすることでトレーナーとしての役割は果たしつつも、彼女が俺を異性として意識する事は無くなる筈だ。
ホラ。今もまさに、トレーナー室で寝たフリをしている俺を前にして、彼女が呆れて溜息を吐いて……
「……ふふ。やっぱり、貴方は私がいないとダメですね」
ちゅ、と頬に柔らかな感覚。寝たフリを継続できたのは奇跡かもしれない。
……俺は何を、間違えた?
◆
エイシンフラッシュ。
俺の担当するウマ娘は非常に几帳面であり正確性を重視する子だ。そんな彼女だからダラしない男は恋愛対象外となると見込んだが、どうやら見当違いだったらしい。
『貴方には私がいないとダメ』
そう思わせてしまった事が原因か。だとするならば、俺のした事は全て裏目に出ていた事になる。
つまり、つまりだ。
『貴方にはもう私は必要ない』
そう思わせればいいわけだ。
答えを得た俺は早速次の日から身嗜みや立ち振る舞いを元に戻した。寝癖もジャケットの皺も無し、一般的な社会人としての身嗜みはバッチリだ。
「最近のトレーナーさんは清潔感を維持できていますね。どのような心境の変化が?」
「ああ。君のトレーナーとして相応しくありたいからな」
「……まぁ♪」
よし、これでバッチリだ!
◆
……何故だ。
アレからもフラッシュは、俺から距離を取る気配が無い。むしろ近い。
最近は気付いたら彼女が三歩後ろにいる事が多い。彼女の意図は読めないがこのままでは不味い事はわかる。
何とか彼女の男性観を正常にしなければ。
そこで、俺は考えた。
ダメな自分とキッチリした自分。二つに共通するのは恐らく『大人らしさ』だと思われる。ダメな成人男性像と一般的な社会人男性としての立ち振る舞いを、彼女は気に入ってしまったのだ。
つまり、今度は子どもらしい立ち振る舞いをすれば良いのだ。
俺はわざと童話や絵本を彼女の前で読んだり甘いコーヒーを飲むようにした。食堂でのメニューもハンバーグやカレーなど子どもらしいものを選ぶようにした。
まあ、本当に童話や絵本を読むことが趣味になってしまったのは予想外だったが、これで子どもらしさにフラッシュも幻滅してくれる筈だ。
「ふふ、そういったものも好まれるのですね。意外です。そして実は私、童話の読み聞かせが得意でして」
「そうなのか」
「ええ。ですから今度、是非お披露目の機会をいただけると♪」
そして次の休みの日、彼女が俺の部屋で童話の読み聞かせを披露してくれることになった……何故!?
◆
いかん、本当にこのままではいかん。
何が不味いって学園で少し噂になっている事だ。生徒達の間でデキる若奥様と紳士的な旦那様、だなんて揶揄われているのを知ってしまった。
フラッシュも頬に手を当てて困ったように微笑むだけで、否定はしない。
そして何よりも不味いのは、俺もフラッシュへの距離感を間違えそうになっている事だ。
彼女が側にいるのが当たり前になりつつある。
このままでは俺は彼女の男性観に取り返しのつかない事をしてしまう。
考え抜いた末、俺は初心に戻る事にした。
つまり、わざとダラシない姿を見せるのだ。
それも彼女に迷惑がかからない範囲で、尚且つ彼女が愛想を尽かすような、致命的なやらかしをする。
「お疲れ様、フラッシュ。今日も良い走りだったよ」
「ありがとうございます。貴方の適切なトレーニングのお陰です」
トレーナー室でいつも通りの会話を済ませ、帰り支度をする。
そして俺は、彼女の目に付くようにわざと忘れ物をする。
彼女に迷惑がかからず、尚且つ致命的な忘れ物──そう、俺の部屋の合鍵を、彼女の目に付くようにわざと置き忘れるのだ。
「あの、トレーナーさん。これを……」
翌日、目論見通りフラッシュが部屋の合鍵を差し出してきた。自分の部屋の合鍵を置き忘れるようなダラシない男、幻滅すること間違いなし。
そしてトドメはこれだ!
「あ、フラッシュが預かってくれていたのか。良かった、失くしたと思って焦ったよ……あ、そうだ。良かったらそのままフラッシュが預かってくれないか? 俺が持ってるより安心だからさ」
自分の部屋の合鍵を他人に託す。この危機管理能力の無さ。間違いなく特大の減点対象だ!
◆
やれる事は全てやった。
後は彼女が自然と俺から離れるのを待つだけだ。卒業後は俺なんかより良い男を見付けてくれるだろう。
そして、数年が経ち—―
「新しい住居をピックアップしました。トレーナーさんが今後もトレーナー業を続ける上で、尚且つ私達が同棲をするに問題ない物件を選びました」
──え?
「ふふ。お義父様とお義母様へのご挨拶も円満に完了して安心しました。勿論シミュレーションでは完璧でしたが……やはり、緊張はするものですね♪」
──え?
「……既に。いえ、合鍵の管理を任されたあの日から、覚悟は完了しています。肌を磨き、貴方に相応しい身体を整えています……ですが、ここから先は貴方の口から聞きたいです」
──ああ。
そして。
俺は、愛しい妻と、我が子を得て。
優秀なウマ娘を育てたトレーナーとして、講演会の依頼を受けていた。
「君達に、一つ言っておく事がある」
大勢の新人トレーナーの前で言う事は、ただ一つ。
「担当ウマ娘との距離感は、絶対に間違えないようにすることだ」
──ふふ……貴方のお父様はね、本当は完璧に物事をこなせる人なのに……私の為を思って、敢えて隙を作っていたんですよ♪
──そうなんだー
と。
家を出る前の、妻と我が子の会話を、思い出しながら。
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フジキセキと上手な距離感を作るためのおまじない
ウマ娘とは適切な距離感を保つ事が大事だと先輩に教わった。
適切な距離感とはつまり、彼女達の男性観を歪めるような事をしてはならないという事だとか。
何でも思春期の彼女達を献身的に支える事で、人生経験の浅い彼女達がトレーナーを運命の相手だと思い込んでしまうケースが多々あるとか。
確かにそれは不健全だ。
これは講演会を開いてくれた先輩の体験談だが、自分を恋愛対象から外す為に敢えてガサツな振る舞いをしたり、逆に一般的な社会人としての振る舞いをしたが、全て裏目に出てしまったという。
ちなみにそんな彼の奥さんは元ダービーウマ娘。今では子宝にも恵まれているそうで。
閑話休題。
だらしなくても駄目。清潔でも駄目。
そこで俺は考えた。
つまり、現実では中々お目にかかれないような芝居がかった立ち振る舞いをすれば良いのではないか、と。
そうすれば少なくとも恋愛対象として見られることは無くなるのではないか、と。
「お手をどうぞ、お嬢さん」
「ふふ、ありがとう魔法使いさん」
そして、現在それを担当の子──フジキセキに実践している真っ最中である。
当然ながら立ち振る舞いというものは一朝一夕では身に付かない。
そこで俺はトレセン学園に赴任する前に様々な映画を見たり実際に英国に赴き紳士に教えを乞うたりと、身体の芯まで伊達男の作法を叩き込んだ。
その甲斐あって、今では何の恥じらいも無く芝居がかった口調と仕草が繰り出せるようになっている。
ちなみに、彼女の魔法使いさんという呼び方は俺が身に付けた手品に由来する。
伊達男たるものマジックの一つや二つは身に付ける必要があると思ったからだ。
そうして研鑽した技術をフジに披露したり、逆にフジが披露したコインマジックの種を見抜き彼女のポケットに仕込み返したりだとか、そういった事を繰り返しているうちに魔法使いさんと呼ばれるようになった。
勿論、トレーナー業を疎かにする事も無い。そこをトチったら本末転倒だしただの変人だ。
「次はどんな魔法を見せてくれるんだい?」
「魔法は今は品切れさ。だが、魔法が使えなくとも僕にできる事はある」
「へえ。一体何を?」
「君に、勝利をプレゼントしよう」
元よりフジは他人との距離感を保つのが上手な子だ。
正直この所作がどの程度効果を発揮しているのか不明なところだが、今のところ彼女の男性観に影響を与えるような事はしていないと思う。
……というか、見た目麗しい彼女にこちらが心奪われないようにするので精一杯だった。
そして、フジは強かった。
デビュー戦、OP戦、GI、GⅡ──出走したレースでは全て勝利を収めている。
彼女こそ次の三冠ウマ娘だと。フジが勝つたびに期待の声は高まっていったし、俺も彼女もルドルフを超えるつもりで日々の練習に励んでいた。
全てが、順調に進んでいたんだ。
彼女が、脚を痛めるまでは。
練習中、バランスを崩し転倒しかけた彼女を受け止める事が出来たのは奇跡だったかもしれない。
「フジッ!!」
恥も外聞もなく、みっともなくコース滑り込んで彼女の身体を受け止める。
今までの研鑽で身に付けた所作なんて直ぐに吹き飛んで、大の大人が大慌てで救急車を呼んだ。
復帰には長期の療養が必要。少なくともクラシック三冠は不可能だと、そう断言された。
彼女の状況は瞬く間に世間に広まり、三冠は幻と消えたと、そう口にされるようになった。
「……一年程度療養すれば復帰は可能だって。まだ先はあるから。君が気にすることじゃないよ」
何が。何が魔法使いだ、と。
この時に覚えた奥歯と手のひらの痛みは、きっと一生忘れる事はないだろう。
「君のキャリアまでふいにする事はない。新しい契約相手を探しなよ」
フジはそう言ったが、何か、何か俺に出来ることはないだろうか?
必死に頭を回しながら学園を歩いていると、ふと特徴的な声が耳に届いた。
「トレーナー! いつボクを実家に案内してくれるの?」
声の主はトウカイテイオー。無敗のクラシック三冠を獲得したウマ娘。
それはフジが掴めなかったもので──いや、待て。
確か彼女は、ダービーの直後に脚を怪我していた筈だ。菊花賞は絶望的だとまで言われたのに奇跡の復活を遂げ、無敗の三冠となった彼女。
……だったら! もしかしたら!
「すいません! トウカイテイオーさんのトレーナーさん! 貴方に聞きたいことがあります!」
考えるよりも先に、身体が動いていた。地面に額を叩き付ける勢いで──というか、本当に叩き付けて土下座をした。
額から血を流しながら、俺は彼らに乞うた。
「テイオーさんの脚を治した方法を、教えていただけませんか!?」
廊下を赤く染めながら、額を床に擦り付け──その勢いに押されてか、彼らも首を縦に振ってくれた。
「あ、はい……とりあえず、保健室行きましょうか」
「あーえっと……大丈夫?」
◆
針、温泉、食事、マッサージ、オカルト的手法……etc。
トウカイテイオーと、そのトレーナーに教えてもらった内容を全てメモして、全て実践した。
「これは魔法じゃない。効果があるかもわからない。だけど、きっと! 諦めなければ、奇跡は起こせる!」
「……意外だね。君ってそういうノリもいけるんだ」
フジは苦笑いしながらも、俺の治療を受け入れてくれた。
治療法の中には普段であれば躊躇いを覚えるような内容もあったが、全ては彼女のため。
「さて。これは責任を取ってもらわないとね」
「勿論。これで効果が無かったら責任を取って俺はトレーナーバッジを返上する」
「……そうじゃないんだけどなぁ」
そしてこれは、トウカイテイオーに教わった、彼女曰く最も効果のあるおまじない。
本当に効果があるのかは疑問だが、トウカイテイオーに教わった通り、彼女の足の甲に口付けをした。
「ふふ……」
俺は、ほぼ24時間に近い体制で彼女のサポートを続けた。
自分の時間は全てフジの脚を治す時間に当てた。
その甲斐あってか──或いは、本当に奇跡が起きたのか。
彼女の脚は、想定よりもかなり早い段階で回復に向かっていた。
「驚いた……やっぱり君は、本当に魔法使いだったんだ。奇跡の存在じゃない、ただ一人の」
「君の努力の結果だよ、フジ」
民間療法だろうと何だろうと、彼女が効果を疑わずに受け入れてくれた故の結果である。
「ふふ……そうかな?」
そして。真の奇跡は、起きた。
『フジキセキ三冠達成! 幻は現実となりました!』
「おめでとう! フジ!……いや、良かった……本当に……」
「ふふ……うん、ありがとう。やっぱり、君はそっちが素なんだね」
「あ……あー。うん、まあ。そうだよ」
フジに指摘されて、以前の仕草を思い出す。
彼女が脚を痛めてからはすっかり伊達男としての振る舞いを忘れていたからだ。
今までは取り繕ってなどいられなかった。
担当するウマ娘が、もしかしたら故障で引退するかもしれない──そんな事態で、芝居なんて出来るはずもない。
「……君がお望みとあらば、これからも魔法使いとして振る舞おうか?」
「いいや。もうその必要ないさ。君は手品師ではなく、本当の魔法使いなのだから」
今までの振る舞いが作ったキャラだということがバレてしまったのは少し恥ずかしいが、フジがそう言うのであればこれからは素の状態で彼女と接することにしようか……いや、待てよ?
そもそも俺があのキャラで通してきた理由は、彼女が俺に恋愛感情を持たないようにするためだ。
であれば、目論みとしては成功しているんじゃないか。
だってそうだろう?
アレは演技で、素の俺は一般的な中央のトレーナーなのだから。
これでフジが俺のことをイタい奴だと思ってくれれば、恋愛対象からは外れる筈だ。
「トレーナーさん。君は私に勝利を……キセキをプレゼントしてくれた。だから私も、君にお礼を返したいな」
「お礼だなんて……君が走ってくれているのが、何よりものお礼になったよ……でも、君がそう言うなら、受け取ろう」
「うん。安心したよ。目を閉じて、屈んでくれるかい?」
フジの言葉通り、目を閉じて屈む。
演出家の彼女の事だ、きっと俺をあっと驚かせてくれるものが──っ!?
「ふ、フジ!?」
額と、頬と、そして唇に。
今の柔らかく弾んだ、そして潤いのある感触は、明らかに。
「ごめんね。頬っぺただけで我慢しようと思ったけど、出来なかった。お礼は私の人生そのものさ。勿論受け取ってくれるよね?」
……何があって、こうなった!?
◆
認めたくはないが、どうやらフジは俺との距離感を見誤っている。
そして俺には歪めてしまった彼女の男性観を戻す責任がある。
以下は、俺と彼女の戦いの記録である。
◆
雨の降る帰り道、並んで歩く二人、しかし傘は一つ。
フジと買い出しに出掛けたのだが、うっかり俺は傘を忘れてしまった。俺は走って帰ろうとしたのだが、フジに手を掴まれて相合い傘と相なった。
とは言え彼女が雨に濡れて帰るような事があってはならないので──
「……君、肩がはみ出しているだろう? 私の為とはいえ……」
「いいや、俺の為さ。君の為に雨風を遮る覆いになれる。こんな名誉があるかい?」
「ふふ……まったく、君は……」
──と、ここで俺は敢えて伊達男としての振る舞いを見せる。
フジも恥ずかしいのだろう、その頬を赤く染めていた。
傘を忘れるようなうっかり者が、クサいカッコつけをする。客観的に見てこれはとても恥ずかしい。今のでこれ以上ないくらい俺は彼女の恋愛対象から外れた筈だ!
◆
何故だ。
アレからフジは距離を取るどころか更に詰めてくる。寮長としての権限までフルに使ってくる。どうすれば彼女の男性観を正常に戻せるか──いや、待てよ……寮長。そう、彼女は寮長だ。
そもそも、だ。フジは生徒からの人気が非常に高い。
であれば、栗東寮の生徒達も現状に良い顔をしない筈だ。
こんな何処の誰とも知らない馬の骨に寮長が熱を上げているともなれば、反発はあるに違いない。
俺一人では無理なら味方を用意する。実に優れた策ではないか──
「ひゃああああっ! 寮長のフィアンセ様にお声がけをおおおお! 無理無理ィ、フジ寮長の乙女な表情! 尊しゅぎますぅううう……!」
──と、デジタルに声をかけたのだが会話が成り立たなかった。
彼女は極端な例だが、他の生徒に探りを入れても概ね似たような反応であった。
何故だ。俺が何をしたというのだ!?
◆
逆に考えよう。フジに、既に俺に相手がいると思わせるのだ。
所謂匂わせに近い行動をして、彼女に諦めてもらう。
そうと決めた俺は早速、フェイクの結婚指輪を彼女の前で付けてみた。
その結果──
「君にしてはセンスの無いファッションだね。代わりに私が見繕ってあげよう」
──フジがハンカチを俺の手に掛けたかと思うと、指輪が彼女の用意したそれにすり替わっていた。
見れば、彼女の左手の薬指にも同じモノが嵌められている。
まるで気付けなかった。いつの間にこんな技術を身に付けたのか。魔法使いも形無しである。
「ふふ、君らしくもないウソを吐く。どう見ても君の振る舞いや生活の痕跡は独身男性のそれだ。それに」
「それに……」
「仮に相手がいたとして。ここまで私の存在を許すような相手なら、負ける気はしないさ」
かえって、彼女の闘争心を煽ってしまった……。
◆
……いや、諦めるのはまだ早い!
架空の相手で駄目ならば、実際の相手に協力して貰えばいいんだ!
そう決めた俺は、桐生院トレーナーに協力を仰いだ。
彼女はミークの為の温泉旅行の下見ができて、俺はフジに勘違いさせる。ウィンウィンの関係だ。
これでフジの追込みを躊躇わせることができる。呆れる程効率的な作戦ではないか──
「私にも、嫉妬という感情はあるんだよ。トレーナーさん」
「い、いや、ほら! 俺は桐生院さんと──」
「ふふ、君は本当に嘘が下手だね。でもね、トレーナーさん。私は気が付かないと思ったかい? 君の視線に含まれている感情を」
──ああ。
どうやら、彼女には隠し事は不可能らしい。
距離感を間違えていた、俺の方だった。
◆
そして。
『奇跡の体現者は語る』
『己の人生を捧げ、愛バを復活させたトレーナーの手腕』
『そこには、確かに愛が存在していた』
「ふふ。ここに載っている内容だけど、何一つとして嘘偽りは存在しないよね?」
「ああ……そうだな……」
乙名史記者特有の表現が大量に盛り込まれた俺とフジの三年間が記された特集ページを前に。
俺は全てを諦め──開き直り──抱き着いてきた彼女を受け入れた。
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『奇跡の体現者は語る』
『私にも、あんな素敵なトレーナーさんが付いてくれたら』
ここ最近、口々にポニーちゃん達が溢す言葉。
いつしかトレセン学園にはこのような風説が広まっていた。
『専属トレーナーに男性観を壊されるウマ娘は多い』
それが事実なのかと聞かれれば、端的に返すけど人それぞれだ、と言うしかないね。
例えば──ああ、具体的な名前は控えるけど。とある女王様は最早自身のトレーナーに理想の伴侶としての眼差しを向けている。
対してヒシアマゾンとそのトレーナーは息の合ったバディという印象が強い。これから先、彼らが結ばれる可能性も大いに有り得るとは思うけど。
ちなみに、私の場合はこの風説は当てはまらない。
世の中の一般的な成人男性がどのようなものかは理解しているからね。
理解した上で、私が人生を捧げる相手は彼しかいないと思っているだけさ。
魔法使いさん。
私はかつて、自分のトレーナーの事をそのように呼んでいた。
それは彼が私以上のマジックの使い手であると同時に、彼の伊達男としての振舞いが非常に様になっていたからだ。
だけど、私が彼に異性として惹かれたのはそれが原因じゃない。
むしろ、その逆。
彼と出会った当初は何処となく地に足が付かない、夢を見ているような感覚があった。
エスコートの腕前も完璧。身嗜みも様になっている。
そしてトレーナーとしての手腕はどうか。
これもまた見事だった。
彼がトレーナーに着いてからの戦績は4戦4勝。模擬レースも含めて無敗。
3冠も確実、ルドルフすら越えられるのではないか。
そのように嘯く記者もいた。
まるで夢の中にいるような。奇跡を見せられているかのような心地にあったんだ。
私が、脚を痛めるまでは。
走り込み中、ふと脚に違和感を感じた。
疲労か、或いはストレッチが足りなかったか。
原因を探る前に違和感は激痛へと変わり、姿勢を崩した私の身体はコースへと投げ出された。
だけど、身体に伝わる衝撃は予想よりもずっと柔らかく、そして温かなもので。
「フジッ!!」
魔法使いさんに受け止めてもらったんだと、そう気付いた。
じゃあきっと大丈夫だろう、彼がいてくれるのなら──頭の片隅で、そんな現実感の無い言葉が過った時。
「そこの君! 救急車を呼んでくれっ! 頼む、急いで!!!」
血相を変えて、大声を出す彼。
「大丈夫だ、フジ! すぐに救急車が来てくれるから……!」
いつもの伊達男然とした余裕の態度は、どこへ消えてしまったのだろう。
私が姿勢を崩したのを見てきっと急いでコースに駆け込んだに違いない、泥だらけのジャケット。
まさか、その瞳の端に浮かんでいるのは涙?
そこで漸く、私は事態の深刻さを理解した。
一年程度の療養が必要。
医者にそう診断された私は彼を慰め、契約の解消を持ち掛けた。
だって彼は、魔法使いさんだけど、私の脚を治す魔法は使えない。
走れなくなったウマ娘の面倒を見て一年を不意にするには、彼の実力は余りにも勿体無さ過ぎた。
彼は首を縦には振らなかったけどね。
さて、ではどうやって彼を説得しようか。
松葉杖を突いて学園を歩きながら思案を巡らせていた時だ。
「すいません! テイオーのトレーナーさん! 貴方に聞きたいことがあります!」
正直に言おう。
私は、その時自分の目と耳を疑ったよ。
だって魔法使いさん──彼が、トウカイテイオーのトレーナーに土下座をしていたんだよ?
いつも紳士的で、どこか飄々として、常に余裕を持っていた、彼が。
「テイオーさんの脚を治した方法を、教えていただけませんか!?」
己の額を割る勢いで、土下座をして、トウカイテイオーの脚を治した方法を乞うている。
彼の血で廊下は赤く滲み、その声は震えている。
その時だ。
私の中で、『魔法使いさん』は『トレーナーさん』に代わった。
夢は、現実になったんだ。
「これは魔法じゃない。だけど、きっと! 諦めなければ、奇跡は起こせる!」
今までの彼なら、絶対にしなかったであろう表情。
今までの彼なら、絶対にこんな不確かな事を叫ぶ事は無かった。
そして。
「……意外だね。君ってそういうノリもいけるんだ」
今までの彼なら。
私も、彼の提案する民間療法や怪しげな治療法を受け入れる事は、無かっただろう。
彼は上手く隠しているつもりだったのかもしれないけれど、彼が私の為に奔走している事はすぐに学園で噂になった。
自惚れるつもりは無いが、私は『フジキセキ』だ。そしてその担当トレーナーである彼の伊達男ぶりは学園でも有名だったからね。
そんな彼が余裕の仮面を捨てて、駆け回っているんだ。
ポニーちゃん達の噂はすぐに耳に届いた。
「なんて事はない。君の苦しみに比べたら」
これも、嘘。
上手くメイクで隠しているけれど、その目元の疲労の痕を私が見逃すとでも思ったのかな?
彼は非常に──なんて言葉では表せない程に、私に尽くしてくれた。
治療中の私を励ます言葉も、フィクションの中から飛び出してきたようなものではなく、泥臭いありきたりな台詞ばかり。
彼の提案するマッサージを受けながら、私の中の魔法使いさんの存在は次第に薄れていって。
代わりに、トレーナーさんの存在はどんどん大きくなっていった。
今まで彼が私を勝たせてくれたのは、魔法じゃない。彼が必死にトレーニングを考えて、レースの相手を研究して、作戦を考えてくれたから。
ターフの外で私をエスコートしていたその手腕も、魔法ではなく地道に努力して身に付けたもの。
彼の献身のお陰で私の脚が回復に向かうにつれて、思考にも余裕が戻ってきた。
空いた時間で考えてしまうのは彼のこと。
笑えるだろう?
ポニーちゃん、なんて皆を揶揄っていた私が一人の男性に心乱されているのだから。
……おっと、話を先に進めようか。
彼がトウカイテイオーのトレーナーに教わった治療法は、効果が出たものも有れば疑わしいものもあった。
その中で、1番効果があったものは何だと思う?
針? 湯治? いいや、違う。
それは、おまじないさ。
脚を治すおまじない。
彼がテイオーに教わったというそれは、足の甲への口付けだった。
わかるだろう?
私達ウマ娘にとって命も呼べる脚。そこへの口付け。
そして、脚の甲へのキスが意味するものは隷属。
つまり、このおまじないには「あなたの命へ私を捧げます」という意味があるのさ。
彼は魔法使いさんではなかった。だけど、このおまじないは確かに本物の魔法だった。
……ふふ。
そこまでされたら、私の返せるものは一つしかないじゃないか。
そして、私の脚は完治した。
後はご存知の通りさ。私は三冠を得て、URAを彼と共に駆け抜けた。
そしてこの後の予定は──あなたの想像にお任せするよ。
ただ一つ、これだけは言っておこう。
あの『素敵なトレーナーさん』を譲るつもりはないよ。
例え、誰が相手だろうとね。
……うん。こんなところかな。参考になったかい?
それじゃあよろしく頼むよ、乙名史さん。
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タマモクロスとより良きビジネスパートナーで在り続けるための振る舞い
ウマ娘とは適切な距離感を保つ事が大事だと先輩に教わった。
適切な距離感とは何か。簡単に言うと、担当と恋愛関係にならないようにする、ということらしい。
諸先輩方は担当ウマ娘に好意を抱かれ、それでも彼女達の男性観を守るために何とか遠ざけようとしたが、全て空回りに終わったそうな。
俺からすれば片腹痛い。そもそもの振舞が悪い。
ビジネスライクな関係に徹していれば、わざわざ演技をする必要もないのだから。
「邪魔するでー」
「邪魔するなら帰ってくれー」
「ほなまたー……って何でやねん!」
そう。俺とタマのような関係であれば、何も心配はいらない。
「なーにが男性観の破壊や。そもそもウチはアスリートやで。あんなナンパな連中とはちゃうねん」
小さな体躯で胸を張るタマはそのボリュームに反比例して実に頼もしい。
「せや! もしウチが色恋沙汰にうつつを抜かすようなことがあればアッコの桜の木の下に埋めてもろてかまへんで!」
「はは、その時は俺も同罪だな」
タマモクロスというウマ娘には強い目的がある。
レースで稼いで家族にたらふく食わせたる──その為なら何が何でも強くなるという、ハングリー精神に満ちた強い眼差しがある。
その精神性に惹かれて、俺は彼女をスカウトしたのだ。
タマがレースで勝つ為なら如何様なサポートも惜しまない。
勿論、蹄鉄等のレース用品の手入れも欠かさない。
「トレーナー、もしかしなくても蹄鉄新しいのに変えたやろ」
「ああ、前のはもう古くなっていたからね。落鉄の危険性があったし……新しいのでも違和感なく仕上げたと思うけど」
「いやいや、バ具の手入れくらい一人で出来るっちゅーねん」
「君にはレースに専念してもらいたかったが……余計なマネだったか、ごめん」
「あー、ちゃうちゃう、謝んなや……こっそりやられたら、礼の一つも返せんやんけ。そんなん仁義に反するっちゅーもんや」
私生活でも、彼女のストレス要素を極力取り除いてやる。
ある日のことだ。タマが街中で特上にんじんハンバーグを物欲しげに眺めていたので、奢ってあげることにした。
「トレーナー、ホンマにええんか? こんなごっつうええもん食わしてもらって……」
「出世払いで返してくれたら」
「……5倍返しや、覚えとき」
その他にもタマが体調を崩したら即座に原因を突き止めサポートしてやり、俺は徹底的に彼女の良きビジネスパートナーであろうとした。
だがしかし、そこまでやっても中々勝てないのがレースの世界である。
結果が振るわず伸び悩むタマは、ある日俺に問いかけた。
「何でウチにここまでしてくれるんや……芦毛は走らへんって言われとるのに……」
芦毛は走らない。それは競バの世界における迷信だ。
その日のタマは、レースで負けて、その上帰りに足を少し捻ってしまった。軽い怪我ではあるが万が一があってはならないので彼女をおんぶして帰る事にした。
背中の彼女の顔色は窺えないが、その声音は恐らく今まで聞いた中で最も気弱なものだったと思う。
「そうは言うけど、タマは走るのを止めるつもりはないだろ? それに今だってどうすれば勝てるのかをずっと考えてる……だから、俺のパートナーはタマしかいないと思ってるよ」
どんなに苦しくても、どんなに負けが続いても。苦難を糧にして、タマは必ず勝ち上がる。
迷信がナンボのもんだ。そんなもんタマがぶっ壊してやれ。
そう信じて、俺は君を支えているんだ。
「あ~……! そこまで言われたら何が何でもやるしかないやんけ!」
「ああ、是非やってくれ」
「……ホンマ、覚えとき」
その次の日から、タマは徐々に調子を上げていった。
GⅡやGⅢでも勝利を飾り、いよいよ待ちに待ったGⅠの晴れ舞台で──
『タマモクロスが先頭に立った! 待ちに待った天皇賞の舞台!』
──ついに、タマが勝利をもぎ取った!
感極まった俺は、タマに駆け寄り──!
「しゃーっ! 見とったか! トレーナー! これがウチの大進撃や!──ってちょちょい! 何すんねん!」
思わず、タマにハグをした!
「やった! タマ、ありがとう! 本当に……ありがとう……!」
「……はー……ったく、アンタは……今回だけやで……?」
本当に、応援してきた甲斐があった。
そして勢い余って抱き着いてしまったが、タマは拒まなかった。
つまりこれは、俺はタマに異性として見られていないということだ。
とはいえ確かに、異性に抱き着くのは良くない。
次からは止めようと心掛けたのだが──何と、次の宝塚記念では、タマの方からハグを求めてきた。
「……ん」
「ん?」
「~~~ッ! ホレ、前やったやつや!」
前と言ってる事が違うな、と思いつつリクエストに答えてタマを抱き締める。
極力担当ウマ娘のストレスになる要素を取り除いてやり、彼女がレースで勝てるように尽くすのがトレーナーの役目。
彼女がそれを求めているのであれば拒む理由は無い。
そして、日本で親愛関係のハグをする習慣は無い。
これが何を意味するのかというと──恋愛意識があれば出来ない行為の筈なので、俺はビジネスライクな関係の構築に成功しているということだ
そして、ある日のこと。
「ホレ」
「ん?」
「弁当や。アンタいつもインスタントとかゼリーで済ませとるやろ。そんなんじゃ気合い入らんで」
「お、おお……ありがとう」
タマが昼食に弁当を作ってくれた。
これはつまり、俺は手間がかかる存在として見られているということで。
恋愛対象として見るなら間違いなくマイナスポイントの筈だが、ビジネスパートナーの体調を崩すわけにはいかないという意味なら納得できる。
彼女の心意気に応える為、有り難く弁当に箸を伸ばした。
「ありがとう!……ん、めっちゃ美味い! これなら毎日食いたいな」
「言われんでも毎日腹いっぱいにしたるからな。覚悟しとき」
そして、そして。
「なあトレーナー」
「ん?」
「ウチが勝てなかった頃。ちょくちょくウチの名前でウチの実家に野菜とかチビ達への玩具とか送っとったのアンタやろ」
「……さあ、何のことやら」
「とぼけんなや……ホンマ、コソコソやる事ないやろ……礼の一つくらいさせてや」
「……いや、タマにはもう沢山のものを貰ってるから」
「……そういうとこや……」
このように、俺とタマは見事にビジネスパートナーとしての関係を築く事に成功した。
◆
更に月日は巡り、何度目かの春がやって来た。
今年もまた有望な新入生達が沢山入ってきている。
俺も理事長からそろそろ次の子を見てくれないか、と打診されるようになっていた。
「……で、次のアテはあるんか?」
タマと一緒に桜の木の下で新入生達の様子を眺めながら、タマお手製の弁当を口に運ぶ。
「いや、それがまだなんだ……白い稲妻のトレーナーになっちゃったお陰で目が肥えちゃってな」
「……ドアホ。贅沢を教えた覚えはないで、ウチは」
ヒラヒラと、微風に舞った桜の花弁がタマの髪を彩った。
そのまま、取り留めない話をしながら箸を進めて。
弁当箱が空になった頃に、タマが何やら躊躇いがちな様子で口を開いた。
「なあ、トレーナー……今からウチ、ごっつうアホな事言うで。アレなら聞き逃しといて」
「ん?」
「もし、もしやで。もし、新入りが入ってきて、そいつがめーっちゃ強かったり……」
「うん」
普段の快活なタマらしくない、歯切れの悪い口調。
その頬が、舞い散る桜と同じ色に染まっている意味は。
「あとは、あー……ウチがレースから引退したりとか。そういうのがあっても、トレーナーは、ウチのことを──」
その瞬間。
突然一際強い風が吹いて、俺とタマは大量の桜の花弁の下に埋まった。
◆
こうして、俺とタマの最初の三年間は終わりを迎えた。
だが、俺達程息の合ったビジネスパートナーがここで契約を解消する筈もなく、供に歩む日々は続いていく。
それは、遠征で地方のレース場に行った時のこと。
そのレースでもタマは見事に勝利を飾り、折角なので観光をしてから帰ろうという事になったのだが……。
「こんなん寝たら治る……トレーナーだけでも行っといて……うぅ……」
「バカを言うんじゃない。タマがいないと楽しめないよ」
タマが、熱を出してしまった。
元々体調管理に関しては繊細な部分もあった彼女だ。慣れない土地にレースの疲労が重なって体調を崩してしまったのだろう。
「タマが気に病むことはない。また、一緒に来よう」
眠るタマの手を握る。そうすると、魘されていた彼女の顔色が少しだけ良くなった……気がする。
体調管理もビジネスパートナーの務め。
俺はタマが落ち着くまで、側にいてやる事にした。
◆
タマと地方レースから帰ってきて数日後。
彼女の体調もすっかり良くなったので、俺達はすき焼きで祝う事にした。
材料費は俺が出そうとしたがタマが譲らなかったので割り勘になった。
「にしても、こんなごっつぅええ肉よーあんな値段で買えたなぁ」
「ああ、何かマックイーンが格安で譲ってくれて」
一心同体がどーたら、と。
正直彼女の言葉の意味の半分も理解できなかったが有り難くいただくことにした。
「んで、何ですき焼きなん?」
「ああ、タマが熱出した時に食いたいって言ってたから」
「ん……んなこと言うた覚えはないで?」
「あ、そう?なんか『すきや……』ってチラホラ言ってたからそう思ったんだけど」
「…………あーーーーーっ! 言うたわ! 確かに! ウチめーーーーっちゃすき焼き食いたかったわーーーーーーー!!!!!! おおきにな! トレーナー!!!!!!!! ホンマおおきにー!!!!」
◆
んで。
更にそこから時間は経って。
ウチの能力に、衰えが見え始めた頃。もうそろそろ引退か、なんて言われ始めて。
コイツとの日々ももう終わりか―、なんて。薄々思い始めた頃に。
「あー、それでさ。タマ」
「ん」
「君との契約について、話があって」
ビク、と。らしくもなく背筋が跳ねた。
契約の解消か。確かにアンタほどのトレーナーをウチに縛り付けておくのはアカンからな。
「俺のこれからの生涯賃金で、君を生涯のパートナーにできないかな?」
「──へ?」
覚悟を決めたウチの前に差し出されたのは、契約書やのうてちっこい小箱。
「これはその前金だ」
んで、ぱかーって開いたそん中に、キラッキラに光っとるモンがあってな。
その日のウチは、多分、これまでと、ついでにこれからの人生の中で、いーっちばんマヌケなツラを晒した自信があるわ。
◆
とまぁ、このように。
理想的なビジネスパートナーというものは、パートナーのセカンドライフまで用意してやるものなのだ。
次はメジロドーベルのお話を投下予定です
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メジロドーベルとの適切な距離感の作り方及び男性観の守り方
『声を、交わせないのなら』
ウマ娘とは適切な距離感を保つ事が大事だと先輩に教わった。
平たく言えば彼女達に入れ込み過ぎるな、未だ若い彼女達の男性観を壊してはならない、との事。
入れ込み過ぎるな、とはどういう事だろうか。チーム制ならともかく専属トレーナーであれば生活の中心が担当の子になるのは当然の事である。
そして男性観を壊すな、これも意味がわからない。
いくら思春期の少女達が相手とはいえ、一介のトレーナーに過ぎない俺達が彼女達にそれほど影響を与える事ができるとは思わない。
まぁ、何にせよ。
「……何?」
俺の担当する彼女は、そもそもそれ以前の問題なのだが。
メジロドーベル。恥ずかしがり屋で、人見知りで、特に男性が苦手なウマ娘。
そんな彼女の担当を俺が任されている理由は、一重に彼女の前任者である専属トレーナーが急病で倒れ療養生活に入らざるを得なかったからだ。
実績のあるベテラントレーナーで、それなりのご年配だった彼女。
彼女はドーベルの事を「ベルちゃん」と呼び、またドーベルも彼女の事をとても良く慕っていた。
そんなドーベルの前任者が病に倒れてしまったところ、現在フリーであり、尚且つ彼女と個人的に親しい仲である俺に白羽の矢が立ったというわけだ。
ドーベルも、「あの人の言う事なら……」と渋々ながらも俺の指導を受け入れてくれたわけだが……。
「ドーベル、さっきの模擬レースだけど、仕掛けるタイミングが少し早かった。あと全体的に焦りが見えた。本番が近くて焦るのはわかるけど、だからこそ落ち着いていこう」
「……」
「ドーベル。返事は?」
「……わかってる」
ずっとこんな調子である。
メジロドーベルは間違いなく優れた才能を持ったウマ娘だ。彼女が挑戦しようとしているエアグルーヴに勝るとも劣らない程の。
だけど、このままでは俺は彼女の才能を引き出しきれない。
男性観云々の前に、担当ウマ娘との信頼関係を築けないトレーナーなど論外である。
「次のチューリップ賞だけど、作戦は──」
「……いつも通り、でしょ。改善点もわかってる。何度も言わないで」
「あ、ああ……」
次のレース。
ドーベルの実力を十分に発揮できれば間違いなく勝てる勝負だ。
しかし、俺は彼女とのコミュケーションが上手く撮れず、彼女は闘病生活にある前トレーナーへ勝利を捧げるのだと気負い過ぎてしまっている。
全ての歯車が噛み合っていない。
嫌な、予感がした。
必ず、勝つから。
そう言ってチューリップ賞に出走したドーベルの結果は、3着だった。
敗因は仕掛けるタイミングが早すぎたこと。前回の模擬レースで指摘した点と同じだ。
半ば暴走状態となった彼女はコース取りに失敗し、勝利を逃した。
悔しい。勝てるレースを逃してしまった自分が。
恥ずかしい。前任者の彼女の期待を裏切ってしまった自分が。
情けない。ドーベルと信頼関係を築けず、彼女に十分な指導をしてやれなかった自分が。
「俺のせいだーーーー! 俺の、指導不足だーーーーー!」
そしてその晩。
俺は、校舎から生徒が帰宅し、周りには誰もいない事を確認してから、思いっきり大樹のウロに叫んだ。
「……何で、アンタは……」
次の週。
気持ちを切り替えてトレーナー室へ向かうと、既にドーベルがジャージに着替えて待機していた。
「いつもより早いな」
「別に。それより、早くトレーニングするんでしょ」
「ああ……」
その日は、いつもよりもドーベルは素直に指示を聞いてくれた。返事も早い。
しかし……。
「ドーベル、今日はここまでにしよう」
「……まだ、いけるけど」
「いや。明らかに疲労が残っている。これ以上はオーバーワークだ」
「……」
これ以上負担を与えるのはドーベルの脚に良くないダメージを残す。
そう判断してトレーニングを早めに切り上げたが、ドーベルは腑に落ちない顔をしていた。
その後。生徒達が帰宅して、夜空に月が上る頃。
気になってグランドを覗きに行くと、やはりドーベルが居残り練習をしていた。
やはりチューリップ賞の敗北は悔しかったのだろう、少しでも力を付けたいという気迫が伝わってくる。
しかしその走行フォームは乱れている。彼女のジャージに染み込んだ汗からも、身体の震えからも、明らかなオーバーワークであると見て取れた。
「……っ!」
疲労からか、ドーベルの姿勢が大きくブレた。踏ん張りが効かず、足が縺れる。
「ドーベル!」
慌てて駆け出し、倒れそうになったドーベルを受け止める。
疲労状態にあった彼女は、素直に俺に身体を預けた。
「ごめん、ドーベル。俺の指導不足で……」
「なんで……」
「え?」
「なんで……アンタは、アタシのせいにしないの?」
ゆっくりと、辿々しく。
「わかってる……つまらない意地張ってるのは自分の方だって……トレーナーの指示を無視して、オーバーワークして、倒れかけて……アンタが必死に考えてるのだって、わかってる筈なのに……」
「ドーベル……」
「なのに、なんでアンタは……」
それでも、ドーベルは感情を言葉にする。
「何でって言われてもな……ドーベルを信じてるから、としか」
「……何それ」
「メジロドーベル。君は素晴らしい素質を秘めたウマ娘だ。だから、そんな君の力を引き出せないのは、俺のせいなんだよ」
俯くドーベル。長い髪が垂れて、その表情はわからない。
髪の隙間から微かに覗く、頬を伝うものは、汗か、それとも。
「……ごめん……なさい……」
ぽつりと、彼女は謝罪の言葉を口にした。
男性が苦手だからと、コミュニケーションを怠っていたのは俺だ。
ドーベルに合わせた指導方法を考えず、彼女を追い詰めてしまった。
「……ゴメン。少し、一人にさせて……」
それから、少し経って。
ドーベルは、少しだけ素直になった。
今までは俺から声をかけていたが、彼女から話しかけてくれる機会も僅かに増えた。
しかし、やはり遠慮がちというか、何かを言おうとして、そのまま言葉を飲み込んでしまうことの方が多い。
そんなドーベルとコミュニケーションをより円滑にするにはどうすればいいのか。
悩んだ俺は、メジロマックイーンとメジロライアンに頭を下げて話を伺った。
彼女を輝かせる為に、俺はどうすればいい? 俺に何ができる?
答えを知るには、俺一人で考えても無理だからだ。
「うーん……ドーベルもトレーナーさんの事が嫌いってわけじゃないんだよね」
「ええ。指導内容をよく復習していますし、あなたの事もよく評価していると思います」
「それでもやっぱり、対面すると緊張しちゃうのかなぁ」
「そこが難点ですわね……」
人見知りで、男性が苦手。
頭でわかっていても、俺と二人きりの状況だとどうしても緊張してしまう。
コミュニケーションが辿々しくなってしまうのもそれが原因だ。
どうにかして、俺に慣れてもらわないといけない。
そして、足りない頭で考えて、思い付いた手段が一つだけあった。
「ドーベル! 俺と文通をしてくれないか!」
「……は?」
彼女は眉根を寄せて俺を睨む。
何言ってんだコイツ、と。口を開かずともその視線が雄弁に語っていた。
「ドーベルのトレーナーとして、ドーベルの事を知りたいんだ」
コミュニケーションを取りたいが、対面すると彼女は緊張してしまいがち。
であれば、その前段階として文通をして、お互いの人となりを知り、彼女に俺を慣れてもらう。
それが俺の考えた結論だ。
「何それ、今時文通って……」
その時、ドーベルが微かに笑った。
俺の前では、いつも眉根を寄せて気難しい顔をしていたドーベルが、である。
「……うん、わかった。やろうか、文通」
そして俺達は、夜な夜な文通を始めた。
寝る前にその日の出来事や、自分の趣味のことや、共通の話題のことを書き記して、トレーナー室では封筒を渡すだけ。
そして自分の部屋で内容を確認して、返信を書き記す。
今時珍しいという言葉を通り越して、最早絶滅危惧種となりつつある便箋と封筒による言葉のやり取り。
これがまた、意外と上手くいった。
「ねぇ、昨日のことは本当?」
「昨日のこと?」
「エアグルーヴ先輩のこと! 手紙に書いてたじゃない! 先輩が駄洒落の本を読んでたって──」
少しずつお互いの人となりを知って、彼女は俺に慣れてくれたらしい。
文通でのやり取りの内容をきっかけに、会話が広がるようになった。
少しずつ会話のぎこちなさも減って、廊下ですれ違った時にも自然に会話ができるようになった。
そして。
「はい、珈琲入れたよ」
「ありがとう」
「角砂糖一つと、ミルクはスプーン一杯分だったよね?」
「ああ。覚えてくれたんだな」
「別に。こんなの、見てたら気付くよ」
桜花賞を前にして、ついに俺とドーベルは打ち解けられた。
桜花賞に出走するウマ娘達のデータを確認していたら、ドーベルが珈琲を淹れてくれたのだ。しかも、俺の好みの味まで覚えてくれていて。
「今度こそ、勝つぞ」
「うん」
前までの彼女なら、桜花賞のメンバーには勝てなかったかもしれない。最善を尽くしても2着だっただろう。
しかし今のドーベルなら、俺達なら、きっと勝てる──そう確信して、俺達はミーティングを始めた。
『これがアタシのルーティーン』
「ルーティーンって知ってるよね?」
桜花賞で勝利を勝ち取り、次のレースに向けて励んでいたとある日のこと。
トレーナー室でプランを組んでいると、ドーベルがそんな事を言ってきた。
「うん。それが?」
「エアグルーヴ先輩、ストレスが溜まったら掃除をして発散するんだって」
「へぇー……でも掃除って、自分の部屋を?」
「それがね。担当トレーナーの部屋を掃除してるんだってさ。トレーナーさんもそれを理解してるからわざと散らかしてるんだとか」
「ほー……それは、なんというか」
「変わってるよね」
クスリ、と彼女は小さく笑った。
「それで考えたんだけど……アタシのルーティーンって何かなって」
「うん」
「こうして、アンタに珈琲を淹れること」
コトリ、と俺の前に置かれるマグカップ。偶然休日の日に鉢合わせたデパートで、彼女にプレゼントしてもらったもの。
「角砂糖は一つ。ミルクはスプーン一杯分。この珈琲を入れないと、何だか落ち着かなくて。別にアタシ、珈琲党じゃないのに」
「え、落ち着かなくなるの?」
「うん。だから、責任取ってよね?」
責任とは、具体的に何だろう?
そんな事を考えながらも、彼女の微笑みが綺麗だからまあいいかと、俺はドーベルが淹れてくれた珈琲の味を楽しむことにした。
『メジロの格式』
お上品なティーセット。それは今までの俺の人生であまり縁が無かったもの。
そして格式高い道具には、格式高い取り扱いというのが必要になるもので。
「ほら! 持ち手に指を通さない! やり直し!」
「何で俺が……」
「トレーナー!返事は!」
「はい!」
何故か俺は、彼女にティーセットのマナーを叩き込まれていた。
いや一般的に社会人に求められるマナーは理解しているつもりだったが、何故かドーベルがいきなりメジロ式マナー講習会(参加者俺一名)を開催したのだ。
「……こんなんじゃお婆様に紹介できないじゃない……」
「お婆様……? 近々会う予定でもあるのか?」
「っ! 何でもない! それより最初からやるよ!」
「はい……」
その後も、俺がメジロの作法を完璧にマスターするまで講習会は続いた……。
『呼ばれたい名前』
メジロドーベル。彼女と共にトゥインクルシリーズを駆け抜け、トリプルティアラを制覇した翌週のこと。
「ドーベル、次のトレーニングプランだけど……」
ドーベルに声を掛けても、返事を返してくれない。何故だろう、また俺が何かしてしまったか。
「ドーベル? ドーベルさん?……あの、メジロドーベルさん?」
眉根を寄せて、目線を左右に泳がせて。何か逡巡しているような、まるで出会ったばかりの頃のような。
根気強く話しかけていると、ドーベルは突如「……むんっ」と気合を入れるように拳を握り、覚悟を決めた様子で口を開いた。
「……ベル」
「え?」
「ベルって、呼んでほしい。トレーナーに」
ベル。
それは彼女の前任者の、彼女の呼び方。
その呼び名が許されたということは、つまり。
「ああ、わかった! ベル! よろしくな、ベル!」
「~~~ッ! あんまり連呼しないで!」
照れた様子のベルに背中を叩かれる。めちゃくちゃ痛い。多分くっきりと指の形が背中に残った。だが、それ以上に嬉しい。
あの──あのドーベルから、愛称で呼んでくれとまで信頼されるようになったのだから。
「あ……」
そういえば、ふと思い出す。
担当ウマ娘とは適切な距離感を取るように、と先輩に言われていた事を。
これは、つまり──俺は、適切な距離感を作ることに成功したのではないだろうか?
「ベル、ありがとう……」
「な、何……急に」
「いや……俺達、理想的な関係を築けたなって」
「~~~ッ! もうっ!」
そして、照れ隠しの大きな紅葉が背中にもう一つ。
しかし、これもまた。
「ベルの信頼の形だな!」
「もう! アンタってヤツは──!」
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『おもい、えがき』
専属トレーナーに男性観を破壊されるウマ娘は多い、なんて。
そんな噂を聞いた時は、バカじゃないのって思った。
アタシの今の専属トレーナーは二人目だ。
一人目のトレーナーさんはベテランの女性トレーナーで、アタシを娘のように可愛がってくれた。
指導も適切で、この人とならきっとエアグルーヴ先輩を超えられるって、そう確信していた。
トレーナーさんが、急病で入院するまでは。
今のトレーナーは二人目。それも、男性。
トレーナーさんが、この人なら安心してアタシを任せられるからと連れて来た男。
アイツの支持を聞く理由はただ一つ。あの人が信頼する人だから、ただそれだけ。
本当に、ただそれだけ──だったら、どんなに良かったんだろう。
ただの義務として接してくれたら良かったのに。
淡々と、業績のためだけに、アタシを指導してくれれば、それで良かったのに。
アイツは優しかった。
指導は適切だし、アタシの事を気遣ってくれているのもわかる。
大事にされてるっていうのも、伝わってきて。
だからアタシは、わからなかった。アイツとどうやって接していけばいいのか。
アタシが負けても、ただ自分のせいだと言って、決してアタシを責めないアイツ。
そんなアイツに、アタシは、ちゃんと謝ることもできなくて。
頭ではわかっているのに、向かい合うと、言葉が、出てこなくなっちゃって。
アイツも、それをわかってくれているから、あまり強くは踏み込んでこなくて。
ねえ、トレーナーさん。アタシは、どうすればいいの?
一歩踏み出そうとしても、目の前が見えない。
そんな時、アイツがこう言った。
「ドーベル! 俺と文通をしてくれないか!」
何それ。どういうつもり? 今時文通?
正直意味がわからないし、おかしくてつい笑っちゃった。
……だけど、アイツが必死に考えて、歩み寄ろうとしてくれている。
男性が苦手なアタシでも、ゆっくりと歩幅を合わせて、進んでいけるように。
だったら、こっちも。
お互い、一歩を踏み出せないなら、半歩ずつ踏み出せば。
「……うん、わかった。やろうか、文通」
そう思って、アタシは彼と文通を始めた。
──と、そんな昔の夢を見た。
いや、趣味である少女漫画の執筆の最中、寝落ちしてみる夢がコレって。
何故かヒロインの顔が毎日鏡で見るそれに似てしまったり。
何度書き直しても、男性役の顔がどこぞの誰かさんに似てしまったり。
どうしてか描いている途中に恥ずかしさが爆発しちゃうから、手詰まりを感じている最中に見る夢がコレって。
「……いやいや。そんなんじゃ、ないでしょ……」
頭を振って気分を切り替え。中断していたシーンを再開。
主人公の女の子が、意中の人に愛称で呼ばれるようになるシーンだ。
「……そう、そんなんじゃ……」
不器用で、素直になれないヒロインに理解を示してくれる意中の彼。
不器用で、やり方が古臭くて、それでもヒロインのことをまっすぐに見てくれる彼。
不器用で、ゆっくりでも、必ずヒロインと前に進もうとしてくれる彼。
そんな『彼』に、『ヒロイン』が愛称で呼ばれるシーン。
しかし、しかしだ。
あろう事か、この時。
カリカリとペンを進めながら、アタシはつい魔が刺してしまったのである。
『──ベル』
「~~~~~ッ!」
『意中の人』の吹き出しの中に、自分の愛称を入れて、羞恥心で悶える。
あまりの恥ずかしさに机から退きベッドにダイブ。
埋まる穴が無いので代わりに枕に頭を埋める。
側から見れば奇行と呼ぶ他にない言動。感情を発散させるべくバタバタと手足を動かすと、ベッドの支柱がギシギシと悲鳴を上げた。
「……落ち着け、落ち着け、アタシ……」
メジロ家の淑女たるもの、常に優雅であるべし。
自分に言い聞かせ、ふと窓ガラスに映った自分の顔を見る。
「……ぁ」
そこに映っている表情には、見覚えがあった。
専属トレーナーと二人で話をしている時の、エアグルーヴ先輩によく似た表情。
理想の女帝、理想の杖。
誰よりもお互いを理解し合うあの人達と、同じ表情。
「そっか。恋してるんだ、アタシ。アイツに」
声に出すと、さっきまでの醜態が嘘であるかのように心が落ち着いた。
描きかけのページを引き出しにしまい、明かりを消してベッドに潜り込む。
目を閉じると高鳴る心臓の鼓動。熱くなる体温。
それもまた、心地良い。
うん、もう、認めよう。
これはもう、『そんなん』だ。
「……責任、取ってもらうんだから……」
何の? それはもう、決まっている。
アタシの男性観をぐちゃぐちゃにした責任を、だ。
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メジロドーベルと適切な距離感を保ちながら歩む日々(挿絵付き)
『ベルとのバレンタイン』
適切な距離感を保つことが大事。
それは凡そ全ての人間関係に於いて言える事であり、勿論トレーナーとウマ娘の関係も例外ではない。
では、適切な距離感とは具体的にはどのようなものか?
これが中々に難しい。
ビジネスライクな関係を望むチームもいれば、親密にお互いを支え合うペアもいる。
例えば実力者であるメジロマックイーンとそのトレーナーは自分達の事を一心同体に他ならないと謳っている。
対して同じく天皇賞制覇の記録を持つタマモクロスとそのトレーナーは、互いの関係について素晴らしいビジネスパートナーだと公言している。
要するに何をもって適切と断ずるかは人それぞれであり、常にお互いの関係値を意識した立ち振る舞いを心掛けなければならないのだ。
……とまあ、前置きが長くなってしまったが。
多分俺は、担当の子との距離感は適切に作れていると思う。
「……ほら。今日……アレだから」
こうやって、バレンタインデーにチョコレートを貰うことができているのだから。
「ベル……! ありがとう……っ!!」
「……大袈裟だって」
感極まって思わず涙ぐむ俺に、ベルは苦笑いを浮かべる。正直なところ、彼女からチョコレートを貰えるとは思ってもいなかった。
最初はまともな会話も難しくて、お互いにとって心地良い距離感をゆっくりと模索していたあの頃が懐かしい。
打ち解けてからは彼女のことを『ベル』と愛称で呼ぶまで心許されたが、まさかまさかチョコレートを貰えるなんて!
「一生大事にする!」
「いやいや、すぐに食べてよ……折角、珈琲に合うように作ったんだから」
「え! 手作り!?」
「そうだけど……味は、大丈夫だと思う。マックイーンにも味見してもらったし……うん……」
受け取った赤いチョコの小包とベルの顔を交互に見比べる。彼女の頬は包みの色に負けずとも劣らない濃さに染まっている。
恥ずかしがり屋で緊張しがちな彼女が、ここまでしてくれたのだ。
これはもう世界一のチョコと言っても過言ではない。
「……どう?」
髪先をくるくると弄りながら俺の感想を待つベル。
ベルの言う通り、彼女が作ってくれたチョコは俺がいつも飲む珈琲の味に非常に良くマッチしていた。
角砂糖一つとスプーン一杯分のミルクを入れた珈琲。そしてベルの作ってくれたハート型のチョコレートを味わう。
至福の時間と言う他に無い。
「すっごく美味しい……ありがとう……それしか、言う言葉が見つからない……」
「だから大袈裟だって……でも、喜んでくれたなら良かった」
安心して胸を撫で下ろすベル。
そんな彼女に、俺もちゃんとした礼を返さねばという気持ちが強くなった。
「お礼はちゃんとする! 期待してくれ」
「いいよ、そんなの。これが普段のお礼みたいなものだし……」
「いやいや、こういうのはちゃんとしておきたいんだ」
人間関係の距離感の維持というのは、お互い受取りっぱなしでは上手くいかない。持ちつ持たれつが大事なのだ。
いやいや、いいって。
いやいや、お礼を。
暫くそんな押し問答を繰り返していたが、やがてベルの方から根を上げた。
「はぁ……わかった。それじゃ、期待してもいいんだよね?」
「ああ、何か欲しいものはあるか?」
「欲しいものって言われても……あ」
ベルの耳がピンと立つ。思い当たるものがあるのだろう。
メジロ家の彼女に恥じない担当トレーナーとして叶えてやらねば。
「何が欲しい?」
「欲しいもの……っていうか……やって欲しいこと……かな」
やって欲しい事。
彼女のことだからそこまでの無茶振りは来ないだろうが、出来る限りの事は尽くそう。
任せろ、と気合を入れて待ち構えていれるが、ベルが口にした事は以外とあっけない事だった。
「今度、お屋敷でお茶会をするんだけど……そこに……来て欲しい。トレーナーも」
「いいのか? 家族水いらずじゃなくて」
「トレーナーなら、いいよ……お婆様にも、紹介したいから」
「わかった」
それがベルの望みなら勿論首を縦に振ろう。
しかしメジロ家のお茶会。そこに俺が招かれた意味。
これは即ち、教師の家庭訪問のようなものだろう。
お婆様にトレーナーから見たベルの姿を沢山お話ししなければ。
つい先日ベルにメジロのお茶会の作法を叩き込まれたのはこの為だったのか。
うん! やっぱり俺は適切な距離感をこの上なく上手く作れているな!
【適切な距離感 Lv1 → Lv2】
『ベルと福引』
ある日、ベルと買い物に出かけた帰り──
「何だろう、あの人混み」
いつもより人の賑わう商店街。どうやら福引をやっているらしい。
特賞は温泉旅行券、一等は特上にんじんハンバーグ。
しかし生憎福引券は持っていない。買い物ももう済ませてしまったし。
折角だし福引券を貰うために珈琲の補充でもしておくかと話していると、そういえばとベルはバッグから一枚の福引券を取り出した。
「コレ、マックイーンにもに貰ってたんだった。きっとあなた達に必要になるものですわ、だって」
「へぇ……」
それはまた、何ともタイミングの良い。
有り難く使わせていただこう。
「でもアタシ、こういう時の運あんまり良くないから……トレーナー、引いてきてよ」
「え、でも俺もそんなでもないぞ。それにそれは君が貰ったものだろう?」
「うーん……」
二人で悩んだ末、一緒に福引のレバーを回すことになった。
その結果──
「おめでとうございます! 特賞温泉旅行券です!」
──見事! 最高の結果を引き当てた!
「……!」
「やったな!」
「この温泉旅館……もしかして……二人……アタシと……マックイーンはそのつもりで……?」
スタッフからチケット入りの封筒を受取る。
しかしベルは何処となくぎこちない。行先の温泉旅館について何か知っているのだろうか?
耳と尻尾の動きからして、喜んでいることは間違いない筈だが。
「……ベル?」
「……あ、う、うん。そうだね、良かった」
「ああ。楽しんできてくれ」
ベルに封筒を渡す。元より福引券は彼女が持っていたものだから、受け取る権利は彼女にある。
「……は?」
しかしベルは封筒を受け取ろうとしない。そればかりか、眉根を寄せて睨まれてしまった。
彼女にこの眼差しを向けられるのは久しぶりな気がする。
「いや、マックイーンやライアンとか、カワカミプリンセスと一緒に行くんじゃないのか?」
「…………はぁ。そうだよね。アンタならそう言うよね」
「……ベル?」
「ううん、何でもない。ねぇ、それ預かっててもらっていい?」
「俺が?」
「うん。まだまだ気は抜けないし。今年はエアグルーヴ先輩との対決に集中したいから」
「わかった」
そういう訳で、ベルの温泉旅行券は俺が預かっておく事になった。
きっとかけがえない友人との温泉旅行になる筈だ。大事に取っておかないとな。
こんな大事なものを預かる役割を任されるということは、適切な距離感が築けている証拠なのだから。
『ベルとファン感謝祭』
ファン感謝祭は応援してくださる方々と直接触れ合い礼を言うことの出来る貴重な機会だ。
毎年この日は多くの人が学園に訪れてくれる。
更に今年はあの謎のカリスマ勝負服デザイナービューティー安心沢が来るという事で話題性は抜群。
ベルも以前ビューティー安心沢にデザインしてもらった勝負服を纏い、ファン感謝祭に臨んだのだが──
「良い! 良いわぁ! とってもビューティーよあなたたち!」
──何故か、俺までベルと一緒にビューティー安心沢の前に立たされている。
それも、ベルの勝負服と対になるようなタキシードを着せられて。
事の発端はこうだ。
ビューティー安心沢は真っ赤なリムジンで学園に到着すると、真っ先に俺とベルの元を訪れた。
「うふふ!ドーベルちゃんったら前よりも更にビューティーよ! そして! そのビューティーなる輝きを引き出しているのは……あなたね!」
ウマ娘のスタートダッシュに匹敵する程の機敏な動きで俺を指差すビューティー安心沢。
正直言って変人の類だが良い仕事をするのは間違いないので対応に困る。
「キュピーンときたのよ! トリプルティアラの時のドーベルちゃんの顔に! 女のコが可愛くなる方法、ドーベルちゃんがそれを知っているのはあなたがきっかけに違いないわ!」
どうなんだろうか、とベルに視線を向ける。答えは無くただ目線を逸らされた。
「そして! 今日という日はそんなあなた達をもっともっと輝かせるための日になるのよ!」
そんな俺達を置いてきぼりにして安心沢がパチンと指を鳴らすと、恐らく彼女のお付きのスタッフであろう黒服を着た女性がキャスター付きのハンガーラックを押しながら現れた。
それに吊るされていた衣装は、もう言うまでもないだろう。
「時はビューティーよ。老いるのはあっという間。そうなる前に、今こそあなた達のキラメキを披露する時だわ!」
そんな風に安心沢に背中を押されて──押し出されて──俺とベルは、この格好でファンの皆様の対応をする事になった。
生徒達や来場者には概ね好評のようだが、ベルの頬は赤く緊張しているようだ。大分克服してきているとはいえ彼女は恥ずかしがり屋で人見知りである。
「少し休もうか?」
「……もう少し、頑張らせて」
「分かった」
トリプルティアラを獲得した事でベルは一躍有名になった。そのお陰で彼女との交流を望むファンも多い。中には距離感を間違えてしまうファンもいるかもしれない。
そんな時こそ、ベルと適切な距離感を築いている俺の出番だ。何かあればすぐ対応できるように俺は彼女の傍に立ち続けた。
しかしベルは、最後まで俺の手を借りる事なくファンとの交流をスムーズにやり切った。ベルの見事な対応に、ファンの方々もより一層ベルを応援してくれると言ってくれた。
……まあ、一番側で一番多く彼女の笑顔を見る事ができたのは俺なのだが……そこはファン最古参かつ彼女のトレーナーの役得として許していただきたい。
【メジロドーベルのやる気は絶好調をキープしている】
【適切な距離感 Lv2→Lv3】
『ベルと夏合宿』
夏合宿は能力を向上させる絶好の機会だ。
自然豊かでありながらも過酷な環境で身を鍛え、お休みする時も海でリフレッシュできる。
トレセン学園の名高いG1ウマ娘は殆どがこの機会を利用して大きく成長している。
俺とベルもその例に漏れず、過酷な環境下で更に能力を伸ばすべくトレーニングに励んでいた。
しかし合宿中常に全力を出していてはすぐに力尽きてしまう。何事もメリハリが大事だ。
「今夜、お祭りがあるんだって」
そんなワケで、毎年合宿所の近くで開催されている夏祭りは生徒達の間で息抜きとして話題になっている。ベルが羽を伸ばしたいというなら勿論断る理由は無い。
「わかった。マックイーン達と一緒に行っておいで」
「うん……トレーナーも、来るよね?」
「ちょっと他のトレーナーとの打ち合わせがあるから。その後にね」
そう告げて友達と一緒に夏祭りに向かう彼女を見送ったものの、大分打ち合わせが長引いてしまった。
「よっと……」
待ち合わせ場所に指定された場所は、高台にある境内。
その石段に腰掛けてベルを待っていると、5分も待たないうちに彼女は駆け付けてくれた。
「ごめん、遅くなった」
「ううん。大丈夫」
俺の隣に腰を下ろして、楽しそうに夏祭りの出来事を伝えてくれる彼女。
綿飴製造機で顔よりもデカい綿飴を幸せそうに頬張るマックイーンの写真や、射的で緊張し過ぎて銃身をへし折ったカワカミの逸話などなど、話を聞いているだけでこちらも楽しくなる。
そして、少し経つと轟音と共に夜空に大輪の花が咲いた。星々に勝るとも劣らない色鮮やかな光。
この境内はベルがエアグルーヴに教わった絶好の花火スポットなのだとか。
ちなみに今は俺達しかいない。ベルにこの場所を教えてくれた彼女は生徒達の安全確認のためトレーナーを連れて浜辺に行ったらしい。
「ねぇ、また来よっか」
最後の花火の打ち上げが終わり、ベルが腰を上げて石段を降りる。
「そうだな。来年もまた合宿はある」
「そうじゃなくて」
ベルがこちらに振り向く。数段下に立つ彼女と、まだ腰掛けたままの俺。
目線の高さを合わせて、彼女は口角を上げた。
「二人で、来ようよ。合宿じゃ、なくて」
『ベルへの手紙』
エリザベス女王杯。
俺とベルの3年間が試されるレース。
ベルが、エアグルーヴに挑むレースだ。
女帝の背中を追い続けて来たベルは、果たして女帝の背中を超える事は出来るのか。
そして、ベルが越えるべき壁はエアグルーヴだけじゃない。
カワカミプリンセスもまた、ベルと切磋琢磨してきた手強いライバルだ。
俺は、ベルと歩んで来た三年間は決して彼女達に劣るものでは無いと信じている。
だが──
「……大丈夫、絶対勝つ……!」
──ベルは、明らかに気負い過ぎていた。
思い出すのはチューリップ賞のあの頃。
前任トレーナーを想い、気負い過ぎて暴走してしまったあのレース。
あの時は、言葉を交わしてもベルには届かなかった。
彼女と心を通じ合わせた今、緊張を解くために俺がするべき行動は。
「ベル、これを」
「?……何これ」
控室で落ち着かない様子のベルに一枚の封筒を渡す。
彼女が怪訝な顔をしながらも開封すると、そこには一枚の便箋。
『大丈夫。落ち着いて実力を発揮できれば、今の君なら勝てる。
君を、信じている。』
それは、そんなありふれた激励の言葉を乗せた、一枚の手紙。
「……ごめん、何これ?」
「ベルに何て言葉を掛けようか思い付かなくて……そしたら、思い出したんだ。声を掛けられないなら、昔みたいにやろうって」
「それが……これ?」
足りない頭で必死に考えた結果がこれだ。
口ではなく、文で言葉を伝える。
だがしかし、俺は失念していた。
あの時と違って、そもそも伝えるべき言葉の選び方がわからないのだから。
お陰で随分と陳腐なメッセージになってしまった。
「ふふっ……何それ、今更文通って……」
だけど、ベルは笑ってくれた。彼女の肩に入っていた力が、確かに抜けた。
「うん、頑張るよ。絶対勝つから、見てて」
『ベルのクリスマス』
12月後半、クリスマス。
ベルと過ごした三年間もついに終わりを迎えようとしている。
外には雪が降り積り、街は煌びやかな明かりに包まれている。
そんな中、俺は一人寂しくトレーナー室で業務に追われていた。
ベルは手伝うと言ってくれたが断った。
こんな大事な日を、俺の仕事の手が遅いなんて理由で潰すわけにはいかない。
それにこれは小耳に挟んだ話だが、今日はメジロ家でパーティーがあるらしい。
猶更俺の手伝いなんかで彼女の時間を潰すわけにはいかない。
「ふー……」
夜の19時になって、漸く業務が一段落着いた。
少し休憩してから帰るか。ノートPCを閉じてそう独りごちるとトレーナー室のドアが開く。
「やっぱり、まだ残ってた」
「あれ? メジロ家でパーティーやるんじゃなかったのか?」
キッチンで料理の練習をするベルの姿を何度か見掛けたので、てっきり今頃みんなベルの料理に舌鼓を打っている頃かと思ったのだが。
「そのつもりだったけど。気付いたら味付けが誰かさん好みのものばっかりになっちゃったから」
「?」
「角砂糖は一つ。ミルクはスプーン一杯分……そんな珈琲が好きな人の舌に合うような味付けのものばかりになっちゃって。こんなんじゃお婆様にお出しできないよ」
そしてベルが運んで来た料理の数々。
チキンやサラダ、ケーキ等々オーソドックスなクリスマスのメニュー。
彼女の言っていた通り、それらは全て見事に俺の好みに合致していた。
有り難みに涙が止まらない……!
「ありがとう……人生で最高のクリスマスだ……」
「だから、大袈裟だって……それに、これを最高だって思われたら困るよ」
「え?」
「来年も、再来年も、その先も……ずっとクリスマスはあるんだから」
【適切な距離感 Lv3 → Lv4】
『ベルとの温泉旅行』
忙しかった日々も一段落付いた頃。
ベルが珈琲の準備をしながら、こう声を掛けてきた。
「ねえ、アレ確かトレーナーに預けてたよね?」
「アレ?」
「温泉旅行券。福引で当てたやつ」
「──ああ! アレか!」
レースに集中したいからと預かっていたあの券。確かに色々と落ち着いた節目である今ならちょうどいいタイミングかもしれない。
引き出しに仕舞っていた封筒を取り出し、ベルに渡す。
「お土産よろしくな」
「……アンタは、お土産選ぶ側だけどね」
「え?」
何と、ベルが温泉旅行に誘う相手はメジロ家のメンバーでも友人のカワカミプリンセスでもなく、俺だった。
「……俺でいいのか?」
もっと、旅行を楽しめる相手がいるんじゃないか?
そう聞いて帰って来た答えは──
「……アタシじゃ、ダメなの?」
勿論、そんな筈は無い。
こうして、俺とベルの温泉旅行が始まったのだった。
……
「ふぅ……いいお湯だったね」
温泉で疲れを癒やし、ベルと部屋の前で合流する。
「ちょっとのぼせちゃったかも……ねぇ、ちょっと付き合ってよ」
ベルに連れられて旅館の周囲を軽く散策する。夕食の時間まではまだ少し余裕があった。
温泉で火照った身体に、外の空気が程よく心地良い。
空を見上げれば、少しづつ星の輝きが見え始めていた。
「……どうして、俺を誘ってくれたんだ?」
返事は無い。
その代わりに、ベルの身体がふらりと俺の方によろめいた。
慌てて腕を差し出し、彼女を受け止める。
「大丈夫か!?」
「うん、平気……アンタが、受け止めてくれたから」
「そうか……」
ベルは膝を伸ばして立ち上がる。その手は、俺と繋いだままで。
「……アタシがこういう事できるのは、アンタだけだから」
「ベル……」
「……うん。まだ、のぼせてるみたい……もうちょっと、お散歩付き合ってくれる?」
「わかった」
その後は、色々なことを話した。
出会った時のこと、レースのこと、先輩のこと、友達のこと、そしてこれからのこと。
お互い話が止まらなくて、このままじゃ喉を傷めちゃうねとベルが言ったので、途中から旅館のメモ用紙を使って手紙で言葉を交わした。
夕食に舌鼓を打ち、温泉から上がって大分経つのに、俺もベルもずっとのぼせっぱなしだった。
メジロドーベルとの間に、かけがえのない絆を感じたひとときだった……。
『ベルとのこれから』
こうして俺とベルの3年間は終わった。
ベルの前任者のトレーナーの病気もすっかり良くなったが、寄る年波には勝てぬと引退する事にしたらしい。
『それに。今のあなたよりベルちゃんを任せられる人はいないわ』
最後にそう言って、彼女はトレセン学園を去って行った。
そして、俺とベルは今──
「ああ……! どうしようトレーナー! どうしよう……!」
「お、おお落ち着けベル!」
──盛大に、テンパっていた!
事の始まりは、カワカミプリンセスが開催したお茶会のお誘いを受けたこと。
この3年間で彼女も怪力の制御方法をある程度学び、途中まではつつがなく進んでいたのだが。
『やっぱりお二人は運命のお相手ですのね! 素敵ですわ~~~~ッ!』
と、お茶会に参加していた俺とベルのやり取りに何やらおかしなものが見えてしまったらしい。
興奮した彼女はティーセットを叩き割り、その結果として俺とベルは紅茶でずぶ濡れ。
既に紅茶が冷めていたので幸いにも火傷は無く、破片等で怪我をすることもなかった。
勿論それだけならこんなにテンパる事はない。
問題は、この後だ。
「ドーベル! お婆様がいらっしゃいましたわ!」
突然、メジロのお婆様が学園を訪れたのだ……!
「え……ええ!? このタイミングで!?」
そう。前々からベルが口にしていたメジロ家のお婆様がおいでなすったのだ。
ちなみに以前開催されたお茶会では結局お婆様に急用が入ったとかで、顔合わせをする事は叶わなかった。
その後もタイミングを逃しに逃し、挨拶も出来なかったのだが──まさか、向こうからお出でになるとは。
「どうしよう! 紅茶塗れのファーストコンタクトとかご無礼にも程があるよな……!?」
「わ、私のせいで! かくなる上は腹を掻っ捌いてお詫びを~~~!」
「落ち着いて! 今から寮に戻って着替えるのは時間が無いし、今すぐここで着替えられるのは勝負服くらいしか……あ」
「……あ」
顔を合わせる俺とベル。
閃いた内容は、きっと同じ
「うん……メジロ家のお婆様にご挨拶だからな……勝負服を着るくらい気合い入れても、おかしくない……よな?」
「うん…………多分…………」
ちょうどトレーナー室に保管していた衣服。それはビューティー安心沢の仕立てたウェディングドレス風の勝負服と、それの対になるようにデザインされたタキシード。
場違いだと言われれば頷くしかないが、紅茶塗れの衣服でお出迎えするよりはマシ……の、筈。
「メジロ家の作法は……大丈夫だよね?」
「ああ。徹底的に叩き込まれたからな」
「じゃあ……行くよ」
こうして、俺とベルはお婆様の元へ歩き出す。
きっとこの先も、色んな嬉しいことや苦難が待ち構えているんだろう。だけどきっと、ベルとなら乗り越えていけると思う。
お互いの存在を感じる距離で、二人一緒に歩幅を合わせる。
これが、俺と彼女の適切な距離感に違いないのだから。
といったところで一旦このシリーズは終わります
他に書いたネタも有るには有りますが、ちょっとここに投下するには練り上げが足りないので……
気が向いたら恐らくまた書くと思います
当シリーズを最後までお読みいただきありがとうございました
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オマケ
メイショウドトウならば特別な距離感など意識する必要はない(挿絵付き)
ただ、間違いをするだけなんです
担当のウマ娘とはくれぐれも適切な距離感を保つように、とは耳にタコが出来るほど聞いた。
講師が次々と語るは専属トレーナーに男性観を乱されたウマ娘が掛かり気味になるケース、トレーナーが本気になるケース、或いはその両方。
また一人トレセン学園から優秀なトレーナーが去ってしまった……と悲痛な顔を浮かべる講師の顔はよく覚えている。
ちなみにその講師も翌月寿引退した。
だがまあ、うちには関係無い話だ。
「私もオペラオーさんみたいに出来るでしょうかぁ~……」
何せ、俺の担当する子はあのテイエムオペラオーに憧れているからだ。
俺にはあの覇王のような過剰な自信に満ち溢れた立ち振る舞いは出来ない。
その上、俺はそんな彼女の手を取って、こう言ってやった。
「オペラオーみたいにやる必要は無い! いや、君ならオペラオーを超えられる! 君に変わりたい気持ちがあるのなら!」
「はうぅ……! そ、そうでしょうかぁ……!」
彼女の憧れを否定しつつ、激励する。
ウマ娘を全肯定してやれない俺に、彼女が好意を抱く事など有り得ないのだからな!
メイショウドトウは素晴らしい才能を秘めたウマ娘。自己肯定感は低いが類稀なるド根性の持ち主だ。
ネガティブな方向に考えが傾いてしまっても、今の自分を変えたい、変わりたいと思い、それを行動に移すことができる。
その行動の方向性が特賞ゲットの為のアイスのドカ食いだとかやや明後日の方に向いたり、他にもやる気を出し過ぎて空回りしてしまうこともあるが、そこはご愛敬と言えよう。
兎に角、俺はトレーナーとしてそんな彼女を支えてやる必要がある。あるのだが、勿論オペラオーみたいに演劇じみた立ち振る舞いなんて不可能だ。
これは一例だが、ドトウが自主的に土手に毎朝早朝ランニングへ出掛けていると知った時。
俺はドトウのランニングコースを調べて、こっそり先回りして彼女が怪我しないように小石を退かしたり、集中の妨げをしないようにゴミ拾いを先んじて行った。
「はうぅ~……すいません、私なんかの為に~……!」
「なんかじゃない! 君だからやってる事だ!」
「はぅ……!」
しかしそれもバレてしまい、泥だらけになっているところをドトウに見られてしまった。
彼女の憧れとするオペラオーとは正反対の姿。
どこにも掛かり気味になる要素は無いだろう。
更に、極め付けは少し前の雨の日に行った走り込み。
テイエムオペラオーは重バ場にも強いウマ娘のため、彼女に挑むのであればこちらもそれ相応に仕上げる必要がある。
ドトウはジャージをびしょ濡れにしながらも強い眼差しで練習に臨み、見事にタイムを縮めた。
だが練習が終わり最後の最後に油断してしまったのだろう、校舎に戻る途中でドトウが足を滑らせてしまった。
俺は慌てて彼女を支えようとしたのだが、俺も巻き込まれて転倒してしまった。
「ってて……大丈夫か? ごめん、オペラオーみたいに助けられなくて……」
「そんな! 私の為に……っ!?」
何とか俺が下敷きになる事は出来たのでドトウに怪我は無かったが、代わりに俺は泥だらけ。
オペラオーなら優美に気高くスマートに助けられたに違いない。
しかも、その時……!
「あ……ご、ごめんっ!!!」
「は、はぅあああ~……!!!」
俺は、あろうことかドトウの胸を触ってしまったのだ!
ドトウも顔を真っ赤にしていた。彼女の穏やかな気性から怒りはしなかったが、言葉にしなかっただけでその内心は煮えたぎっていたに違いない。
更にその時「トレーナーさんになら……」と言いかけていたので、俺は彼女を叱った。
もっと自分を大事にしなさい、ドトウは世界に一人しかいないのだから、と。
事故とはいえセクハラをしておきながら何言ってんだと指摘されたらまるで反論できない。
ドトウもその場では許してくれたが、今でも時折頬っぺたを赤くして俺を見ている。
俺には分かる。きっと思い出し笑いならぬ、思い出し怒りをしているのだ。
しかしまあ、そんな感情を抱きながらもドトウは必死にレースとトレーニングに打ち込んでくれた。
気力を奪う雨の日も、灼熱の日差し降り注ぐ夏の日も、強くなりたいという一心で駆け抜ける。
一見ネガティブで自信が無いように見えるが、間違いなく彼女もGⅠウマ娘足りえる実力があった。
そして俺は、そんな素晴らしい才能の持ち主であるドトウの担当でありながら中々彼女を勝たせてやる事ができなかった。
GⅡ、GⅢにおいては圧倒的と言ってもいい成績を残しながらも、GⅠの晴れ舞台──オペラオーとのレースでは、いつも二番手。
オペラオーならどう勝つか、オペラオーならどう仕掛けるか。
オペラオーにどうすればドトウが勝てるか。
負ける度にオペラオーを研究し、必死に考え、時には目に作ったクマを隠すのも忘れてドトウと作戦を練った。
その結果が、オペラオーのグランドスラムだ。
ハナ差圧勝。その言葉が示す通り、1mにも満たない距離がどこまでも遠かった。
俺は悔しかった。悔しくてトレーナー室で泣いて、しかもそんなところをドトウに見られてしまった。
二人で一緒に泣いて、絶対に強くなろう、絶対に勝とうと誓った。
あの日君に感じた何かを、絶対に一緒に掴もうと。
「トレーナーさん……! 私……勝ちたいです! オペラオーさんに!」
「俺も……俺も、キミと勝ちたい!」
ほら、担当ウマ娘を支えるべきトレーナーがこんなみっともない醜態を晒しているんだ。
距離間を誤るどころか、契約関係が無ければ向こうから去って行ってもおかしくはない。
俺はドトウの優しさに救われている。
……話を進めよう。俺はレースだけでは無く日常生活でもオペラオーを観察した。
彼女の強さの秘訣がどこにあるのか、少しでもそれを紐解くきっかけになれば、と。
「フ、ボクに熱い視線を向けるのも無理はない。だがボクはカルメンになるつもりはなくてね。キミはドトウというシンデレラの魔法使いだろう?」
とまあ、こんな風にすぐに本人にはバレてしまったのだが。
しかもその時、ドトウは何て言ったと思う?
「オペラオーさんには勝ちたいですけど……あの、あんまりオペラオーさんばっかり見ないでください……!」
──あなたのウマ娘は、オペラオーさんじゃなくて……私です!
あのドトウが、俺の袖を引きながらこんなことを言ってきたんだ!
俺はビックリした。ビックリしながらドトウに謝った。
オペラオーに憧れを抱くドトウですらこう言うのだから、その時の俺は相当酷かったに違いない。
俺は彼女の機嫌を損ねてしまい、一緒に心を鍛えるためだという理由で遊園地のお化け屋敷に連れて行かれたり、買い物で荷物持ちをやったりして、何とか許してもらった。
うん、ドトウが俺に掛かる要素はどこにも無いな。
そして、ついに訪れるはあの宝塚記念の日。
ドトウがオペラオーに勝ち、1着を手に入れた日。
レースが進み、最後はやはり二人の競り合い。ドトウの根性は強いがオペラオーの勝負根性も同等──或いは、それ以上だ。
このままではまた同じ結果を迎えてしまう。最終直線を迎えた時、俺はひたすら叫んだ!
「行けーーーー! 勝てーーーー! 頑張れーーーーー! ドトウーーーーーー! 頑張れーーーー! 頑張れーーーーーーーーー!」
オペラオーみたいなオペラからの引用ではなく、ただただ腹と喉の奥から搾り出す応援。
美しさも優雅さも欠片もない。
そしてドトウが一着を勝ち取った時、俺は思いっきり泣いた。
更に応援に声を出し過ぎて喉はガラガラ。
オペラオーなら洒落た言い回しで祝福の言葉を投げ掛けたのだろうが。
俺もドトウも感極まって、泣いて。
「トレーナーさん! 私! 私……!」
「良゛がっ゛た゛……! お゛め゛でと゛ぉ゛……!」
ガラガラな声で、キザな振る舞いも出来ず、ただドトウの健闘を称えて頭を撫でた。
オペラオーはそんな俺たちに、無言で拍手を送っていた。
ここまで話を聞くだけでもお分かりいただけただろう。
何処までもドトウの憧れのオペラオーには程遠い俺に、ドトウが好意を抱くことなど有り得ないのだ。
3年間の集大成であるURAファイナルズでドトウは見事勝利を収めた。
嬉しい、本当に嬉しかった。この3年間でドトウも自分に自信が付いてきたようだし、トレーナー冥利に尽きるというものだ。
「あの~……トレーナーさん……!」
そんな風にしみじみと3年間を振り返っていたら、ドトウがトレーナー室に駆け込んできた。
しかも涙を流している。何事だ!?
「あの券がどこにも無くて~……!」
「あの券?」
「温泉旅行券です~……! 福引で当たったアレが……! やっぱり私には過ぎたものだったのでしょうかぁ~……!?」
「ああ、あれなら俺が預かってるよ。あの時渡してくれただろ?」
「あ……! そうでしたぁ~……!」
一点変わってほっと一息、力が抜ける様子が耳の動きから伝わってくる。
「で、ではでは……! 早速行きませんか~……!」
──これは……トレーナーさんが預かっていてください~
──自分に、ご褒美をあげてもいいと思えるような……
──そんな……そんな私になれたら……その時に、私からお願いします~
脳裏に蘇るのは福引券を当てた時のドトウの言葉。
オペラオーに勝利し、URAファイナルズを優勝して……やっと彼女は、自分に誇れる自分になれたのだ。
「うぅ……」
「と、トレーナーさん……!?」
「いや、嬉しくて……ドトウから誘ってくれたことが……」
「はうぅ~……!」
あのドトウが、自分からご褒美を……思わず涙ぐんでしまった。
「ごめんごめん、すぐに準備していこうか」
「はい~!」
ドトウに背を向けて早速支度を始める。
あの温泉は確かレビューでもかなりの高評価だった筈。かなり楽しみだ。
「……ま、オペラオーなら多分あの温泉でもいつも通りなんだろうけど……」
そして、ふと呟いてしまった言葉。
あの世紀末覇王であれば、きっと温泉旅館に癒されながらも尊大なる振る舞いは微塵も変わりはしないのだろうと思ったのだ。
一時期テイエムオペラーを研究し過ぎていた俺は、何かにつれて彼女の名前を出すのがクセになってしまった。
「ま、いいか」
今はそれよりもドトウとの温泉旅行だ、と。
ドトウに背を向けて旅行の身支度を始めている俺は、気が付くことが出来なかった。
今の呟きが、ドトウに聞こえていたことも。
「……やっぱり、オペラオーさんのことばっかり……」
ドトウの、表情の変化にも。
この後旅館でかけがえのない絆を感じるひとときを過ごした
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没ネタ『魔法使いさんと奇跡の一幕』『寝ボケとるんとちゃうか』『指輪と手記と距離感と』『君と俺と星の距離』
どのストーリーも好きです
それはさておき、今回の更新は没にしようと思ったけどお蔵入りも勿体なく感じたので結局投下した感じのネタです
『魔法使いさんと奇跡の一幕』
このシリーズにおいて、フジとトレーナーが距離適性をどうやって乗り越えたかのお話。伊達男とフジキセキでアプリ寄りストーリー書こうと思ったけど力尽きた
『寝ボケとるんとちゃうか』
このシリーズにおける、ある日のタマモクロスとオグリキャップのお話
思ったより話膨らませられなかった
『指輪と手記と距離感と』
こっちに投稿するには練り込み不足だから没ネタにしようとしたけど勿体なくなって投稿
『君と俺と星の距離』
同上
『魔法使いさんと奇跡の一幕』
これはフジとクラシック三冠へ挑み始めたばかりの頃の話だ。
フジの脚は完治し、皐月賞において彼女は期待通り勝利を得た。
元より才能に溢れた彼女である。適切なトレーニング方針を示してやれば、三冠も夢ではない――と、そう思っていたのだが。
「距離適性……さて、どう伸ばしたものか」
フジキセキというウマ娘の才能が最も発揮される距離はマイル。次が短距離。
中距離はギリギリ戦えるが、長距離となると――控えめな表現をしても、苦しい戦いを強いられると言わざるを得ない。
そしてこの問題は体質による面が大きく、ただ単純に鍛えてどうにかなるという話ではない。
――だからこそ、挑みがいがある。高いハードルを越えた先のカタルシスを、君と分かち合いたいんだ。
だが、フジは三冠路線へ挑んだ。
彼女の適性を最も活かせるマイルではなく、より困難な道を選び、奇跡を魅せる方を選んだ。
普通に考えれば、より適性の合う路線を選ぶべきなのだろうが――俺も、見たかったのだ。
フジキセキが困難を成し遂げ、幻を現実に変える様を。
「……時間がいくつあっても足りないな」
そんな訳で、俺は今図書館で資料を集めている。
彼女の脚の切れ味を更に磨き、距離適性を伸ばす。
言葉にするのは簡単だが、実現するとなれば今まで以上に綿密なトレーニングプランが必須となる。
フジからは魔法使いさんと呼ばれ、彼女の脚が治った際には周りからも奇跡を起こしたトレーナーだの囃し立てられたが、こればかりは残念ながら指パッチン一つで解決できる問題ではない。
どんな奇術も仕込みから。如何に見てくれが優雅であったとしても、それは積み重ねられた修練という土台があってこそ。
フジと一緒に夢を見て、奇跡を起こす――その為に、俺も知識を増やさなければ。
「……あ、待てよ。距離適性といえば……」
三冠、そして距離適性。頭を巡らせていると、思い当たるウマ娘が一人いた。
「ミホノブルボンのトレーナーに話を聞いてみようか……」
当初スプリンター路線で期待されていたミホノブルボンというウマ娘と共に三冠路線を目指したトレーナー。
彼の話はきっと参考になることだろう。
ある意味で敵同士である俺に、そう簡単に話を聞かせてくれるかは分からない。
もしかしたらまた勢いに任せて、公衆の面前で土下座をするかもしれない。
「……まぁ、下げられる頭ならいくらでも下げるさ」
険しい丘に登るためには、最初にゆっくり歩くことが必要である。
しかしレースまでの時間が限られている以上は、道を間違えるわけにはいかないのだから。
俺は読み終えた本を棚に戻し、また幾つかの本を借りると、図書室を後にした。
「……フジにはとても、見せられないけどな」
フジには余計なことに気を回してもらいたくはない。
俺は『魔法使いさん』でなければならないのだから。
◆
種も仕掛けもございません。
それは多分、マジックショーを見たことがある人なら誰もが一度は聞いたことがあるんじゃないかな。
勿論私――フジキセキも何度も聞いた覚えがあるし、何度も口にしたことがある。
トレーナーさんだって同じ筈。
私達は魔法を見せて、みんなを驚かせて、そして笑顔にする。
勿論、実際には種もあるし仕掛けだって考えているけれど、それを観客に悟られてはならない。
種と仕掛けがバレた瞬間から、それは魔法ではなく手品になってしまうのだから。
「あ、ロブロイ。トレーナーさんを見なかったかい?」
「あ、ハイ。さっきまでそこにいましたよ」
ある日のこと。
トレーニングプランについて彼に相談しようと図書室を訪れたけれど、どうやらすれ違いになってしまったようだ。
「あ、あの……クラシック三冠、頑張ってください!」
「ふふ、ありがとう。どんな英雄譚にも負けない奇跡をお見せするよ」
応援してくれるロブロイに礼を返し、トレーナーさんにチャットアプリで連絡をする――前に。
「……ねえロブロイ。トレーナーさんが借りていった本はこの棚にあったやつかな?」
「はい。他にもレースの資料や、過去にダービーや菊花賞で優勝したウマ娘について調べていたみたいですね」
「成程ね……」
アタリを付けてロブロイに聞いてみたけど、予感は的中していたみたいだ。
私の距離適性から考えると容易とは言い難いクラシック三冠への道のり。
かつての私なら、『魔法使いさん』ならきっと何とかしてくれるって思っていただろうけど。
「……トレーナーさん。君はやっぱり、
ロブロイに確認させてもらった貸出履歴からしても、彼が借りた資料はそんなにすぐに読み終わるものではない。
だけど多分、彼はすぐに適切なトレーニングプランを組み立ててみせるのだろう。
何でもないような顔をして、努力の跡だって見せないつもりなんだろう。
でも、私は知ってしまった。彼の素顔を。
恥も外聞も仮面も投げ捨てて、人に頭を下げて、自分が出来ることをして、私の脚を治してくれたその努力を。
「だけど、間違いなく……私に、
だったら私も、全力で答えよう。そして彼に返せるものを、返そうじゃないか。
私は改めてロブロイにお礼を言って、図書室を後にした。
『寝ボケとるんとちゃうか』
みんなと出会ってから、もう何度目の春がやってきたのだろうか。
そして最後にこの桜並木の道をみんなと歩いたのは――もう、何年も前のことだろうか。
あの頃に比べると随分と寂しくなったけど、もう慣れてしまった。
私一人でも、道に迷うことはなくなった。
「タマ。久しぶりだな」
そして辿り着いた目的地――とあるお墓の前で、私は手を合わせる。
皺の増えた手と、白い部分が増えた髪の毛。
私も、もしかしたらもう少しでそっちに行くかもしれないな――なんて言ったら、多分タマに叩かれてしまうだろう。
「そっちでは元気でやっているか?……なんて、聞くまでもないんだろうな」
私の呟きに返事をするように、風が吹いて桜が舞う。
灰色の墓石が、ピンク色に彩られていく。
「……そういえば、言っていたな。もし自分が恋をしたなら、桜の下に埋めてもらって構わないと」
見上げた先には立派な桜の木。
そしてこの石の下には、タマと、タマが愛したとある男性が眠っている。
「有言実行とは、流石だな。タマ」
更に一際、強い風。
私にはそれが、タマの力強いツッコミのようにも聞こえた――
「――という、夢を見たんだが」
「あんなオグリ。ツッコミどこしかないのはボケとして成立せぇへんのや」
◆
「んなこと言われてなー?……ったく、調子狂うっちゅーねん、ホンマ」
オグリの話を聞かせてやる相手は、電話の向こうにいる家族。
寮に備え付けの電話のコードを指にくるくると巻き付けながら、思い返すのはさっき言われた言葉。
――大体な、ウチとトレーナーはそういうんとちゃうで! ビジネスパートナーや!
――? 私は、トレーナーとは一言も言っていないが……。
「確かにな? ウチとトレーナーはいわば人バ一体一心同体一連托生以心伝心っちゅーやつやで?
でもな? オグリの言うような関係とはちゃうからな?……ちなみに、今のツッコミどこやで」
あんなこと言われたせいで折角のボケもキレが悪い。
電話の向こうでチビ達が反応に困る顔が浮かんだわ。
「……ん? トレーナーに会いたい? ま、今度行く時会わしたるわ。挨拶したいって言うとったしな、アイツも。
……あ? 姉ちゃんのカレシの顔見たい? だからちゃうって言うとるやろボケ!」
思わず受話器を叩き付けそうになった。ここが自室で電話がウチのケータイやったらブン投げたかもしれん。
「……大体、アイツがウチのことそんな目で見とるとは思わんわ……ったく」
もしトレーナーに、ほんのちょびっとでもその気があれば今頃――と、一瞬でも想像しかけた未来を首を振って掻き消す。
「寝ボケとるんとちゃうか、ウチ」
『指輪と手記と距離感と』
トレーナーたるもの、ウマ娘とは適切な距離感を保つべし。
何度聞かされたかも覚えていないこの言葉。
新人研修でも講演会でも理事長からの挨拶でも度々聞かされ、今ではトレーナーと入力すると予測変換で『適切な距離感』と出て来るレベルだ。
彼らが繰り返し言い含めるのも理解は出来る。俺達トレーナーは一人のウマ娘だけを担当するわけではないのだから。
トレセンのウマ娘は多感な思春期の少女だ。お互い入れ込み過ぎてしまうのは余り宜しくないだろう。
という訳で俺は、トレセンの外に恋人がいる──と、そう思わせる事にした。
ダミーの指輪を左手の薬指に付ける。所謂匂わせというヤツだ。
これで担当の子が掛かり気味になる事はあるまい。
「よーし! 今日もがんばるぞー!……ぉ?」
早速、俺の担当の子──マチカネタンホイザが指輪に目線を向けて目を丸くした。どうやら効果はあるようだ。
よし、俺も頑張るぞ!
◆
・とあるウマ娘の手記
『ビックリしちゃった! トレーナーさんが指輪付けてるんだもん』
『最初は恋人がいるのかなって思っちゃって、胸がズキズキしちゃって』
『でもトレーナーさんは毎日私に付き合ってくれてるし、そういうことするヒマは無いと思うんだけどなぁ』
『お休みの日とかお出かけの時もそういう相手とかいないはずだし』
『有り得るのは桐生院さんとかたづなさんだけど、そしたらあの人達も指輪付けてるはずだし』
『ウソなのかな』
『でもウソだとしたら 何でそんなウソつくんだろう?』
◆
俺の策は見事に効果を発揮しているらしい。
あれからタンホイザが掛かり気味になるような感じはない。
「でね! 昨日後輩の子達と喋ってたんだけど──」
トレーナー室に向かう途中、こうして一緒に階段を歩きながら笑顔を見せてくれるタンホイザ。
そして、誰にでも優しい彼女を隣で見ていて、ふと思う……そもそも最初から指輪を付ける必要もなかったのでは?
担当ウマ娘が掛かり気味になるケースなんてのは稀だし、ある種の思い上がりでもあるのでは?
タンホイザはみんなに優しいし、可愛い笑顔を見せてくれる。掛かり気味だったのは俺の方なのでは?
そう思うと途端に指輪を付けるのが恥ずかしくなってきた。だけど半端に終わるのは良くないし、少なくともタンホイザの担当でいるうちは続けようと思う──と!
「で、そこでダイヤちゃんがスイッチを──っ!?」
「タンホイザ!」
階段から足を踏み外しそうになったタンホイザを慌てて止める。
咄嗟のことだったので思いっきり抱き締めるような体勢になってしまったが、怪我もないようで何より。
◆
・とあるウマ娘の手記
『やっぱりトレーナーさんの指輪はウソだと思う』
『恋人さんがいるにしては、食生活とか変わってないし。この前お部屋にお邪魔した時もそういうの無かったし』
『色々と無防備だし』
『じゃあ何で? そういうファッションなのかな?』
『っていう風に考え事しながらお喋りしてたら階段で転びそうになっちゃって』
『そしたら、トレーナーさんに抱きしめられちゃった!』
『すっごくドキドキした! 今日は眠れないかも』
◆
今日は何と素晴らしい日だろうか。
ついに、ついについに! タンホイザが G1での勝利を勝ち取った!
最近のタンホイザはいつも以上にやる気に満ち溢れていて、空回りする事もなくなった。
あと何というか、前よりもさらに可愛くなったというか……リボンの色とかアクセサリーがちょくちょく変わってたりして、変化が楽しみになっている。
……話が逸れたが、とにかく嬉しい。
接戦でゴールしたタンホイザとハイタッチして、思わず彼女を抱きしめてしまった。
完全に勢い任せの行動だったが、タンホイザが相手なら問題はないだろう。
指輪のお陰で、そういう対象として見られる事はないはずだし。
ここがゴールではないが、とにかく今日は盛大に祝おう。
俺は新しいチューハイの缶を開けた。
◆
・とあるウマ娘の手記
『イクノ式恋愛メソッドは凄い!』
『友達に相談したら恐らくそれはあなたの気を引くための行動でしょうって言われて、凄くビックリしちゃったけど』
『そしたら私も、もっともっとキレイでカッコいい姿を見せなきゃ!って張り切れた』
『そしてついにG1勝利! ぶい!』
『トレーナーさんも抱き締めてくれたし、私がリボンとかシャンプーとか変えるたびに気づいてくれるし……これって、そういうことだよね?』
『トレーナーさんも立場があるから、あまり踏み込めないだろうけど』
『今はまだ、ガマン……だよね?』
『……うん。トレーナーさんもハシャギ過ぎてたし、もしかしたら明日は二日酔いになっちゃってるかもしれないし』
『明日はお休みだけど、トレーナーさんの部屋にお邪魔しちゃおっかな』
◆
三年間の疲れを癒す温泉旅行。今までずっと忙しかったが、久しぶりにのんびりできる。
そう思っていたのに。
「タンホイザ!落ち着いてくれ!」
「わかってる!大丈夫だよトレーナーさん!」
俺を布団に押し倒したタンホイザは間違いなく掛かってしまっている。
どうした!? 何があったんだ!?
疑問と混乱は尽きないが、とにかく鋼の意志だ!
「! そうだ、タンホイザ! この指輪! 俺には好きな人がっ」
「うんうん! それって私のことだよね!?」
何で、どうして!?
とにかく、なんでもいいからタンホイザを落ち着かせないと──
・とあるウマ娘の手記
『二人っきりで温泉旅行』
『トレーナーさんは私が好きで』
『私はトレーナーさんが好きで』
『それで、温泉に誘ってくれるって』
『もう、そういうこと……だよね?』
◆
──マチカネタンホイザと、かけがえのない絆を感じるひとときを過ごした……。
◆
そんな、夢を見た。
朝、キッチンから漂う香ばしい匂いとフライパンがジュウジュウ焼ける音で目が覚める。
朝食は当番制で、今日は妻の番の日。しかし手持ち無沙汰なもので、ついキッチンへと足を運んだ。
「おはよう。手伝うよ」
「おはよー。それじゃあ食器の準備お願い!」
口付けを交わし、妻──タンホイザの言う通りに皿を用意する。
フライパンを持つ彼女の指と、皿を並べる俺の指には同じ銀色の煌めき。
彼女の現役時代はこんな日々が来るなんて思いもしなかった。トレーナーと教え子として間違いなく適切な距離感を作れていた筈なのだから。
「いただきます」
「いただきまーす♪」
二人揃えて手を合わせ、食事をとりながら今日の予定を確認する。
タンホイザがサブトレーナーとなってくれたお陰で、うちのチームは実に効率的に回っている。
あの頃は、トレーナー業を疎かにしないようにする為の距離感だと思っていたが……。もしかしたら、こういう在り方を含めての適切な距離感なのかもしれないと、ふと思った。
『君と俺と星の距離』
危機ッ!専属契約の距離感を誤るウマ娘とトレーナーが急増しているッ!!由々しき事態だ!ウマ娘達の男性観を守らねばッ!!!──と、理事長は扇子を振り翳しながら捲し立てた。
距離感だの男性観だのと言われても今一ピンと来ない俺としては、はぁそうですか──と生返事を返した訳だが、そんな俺に理事長は扇子の先を突き付けてこう告げだのだ。
「そこで! 君に調査を頼みたい! 結果を残し、尚且つ担当ウマ娘と適切な距離感を築いている君こそが適任だ!」
「えぇ……」
新人研修や定期的な講習会で度々耳にする、適切な距離感という言葉。
しかし適切な距離感というものは人によって異なるもので、例えそれが行き過ぎたものだとしても、当人達にはわかりにくい。
そこで他のトレーナーを客観視する者が必要だ、と理事長は考えたらしい。
「──で、俺達に白羽の矢が立ったらしいけど……どうしようか、ベガ」
「私に言われても……」
眉を八の字に、口をへの字にして困惑を露わにする俺の担当ウマ娘──アドマイヤベガ。
友達からはアヤべさんの相性で親しまれている彼女がこういった表情を浮かべるのは、大体がテイエムオペラオーに絡まれている時である。
「……まあでも、頼まれたからにはやるしかないんでしょ?」
「ごめん。ベガは何か心当たりある?」
「心当たり……あ、そうだ」
着いてきて、とベガに案内されて向かった先はとある神社。よく彼女が星を観に来るところだ。
二人並んで石段を登る。他に参拝客はいないようらしく、境内は俺とベガの二人きりだ。
「ここ……ちょっと前に噂になってて。好きな人と一緒に登って一番星を見つけると、恋が叶うんだって」
「へぇ……でも、俺達しかいないな」
理事長の言うように距離感を誤るウマ娘とトレーナーが増えているのであれば、その噂をアテにして来た人影の一つや二つくらいは見つかりそうなものだが。
やはり理事長の杞憂ではないのだろうか。途中でマチカネフクキタルとそのトレーナーとすれ違ったが、彼女達が度々神社を訪れているのは有名な話だ。
「そうだね……折角だし、星を観ていかない?」
「そうだな」
ちょうど夕方と夜の間の時間帯。人気の無い境内で、二人一緒に見上げた空には、一番星が煌めいていた。
◆
次の日。
他のトレーナーの調査を任されていても、やる事は変わらない。世紀末覇王や怒涛と並び立ち、また上の黄金世代の相手をするには日々のトレーニングが重要だ。
そんな訳で今日はジムで基礎トレーニングを積んでいるのだが、何とベガからいつもよりハードなものに挑戦したいとの申し出があった。
彼女のやる気を尊重し、限界を超えるべく挑んだトレーニングを終えた頃には、辺りもすっかり暗くなっていた。
「お疲れ様、ベガ」
「はぁ……ぁ、……ありがとう……」
一日のメニューを終えたベガにタオルとドリンクを渡す。元々ストイックな一面もあった彼女だが、何故今日はより一層やる気を出してくれたのか。
最後までやり通せばわかる──と、ベガはそう言っていたが。
「ここのジム……こんな、七不思議があるの。満月の夜に、最後まで残っていたトレーナーとウマ娘は結ばれるって」
「そうなのか……」
しかし辺りを見渡しても残っているのは俺とベガだけ。理事長の言う事が正しければもっと遅くまでトレーニングを続けるチームだってある筈だ。
途中からベガと他の子の根比べのようになっていたが、やはり理事長の考え過ぎではないだろうか?
「……っ」
「大丈夫か?」
ベンチプレスから立ち上がろうとしてフラついたベガを支える。トレーニングで体温が上がっているのだろう、彼女の頬は赤い。
「……ええ。支えてくれるだろうって、思ったから」
「そうか」
その言葉にベガからの信頼を感じて頬が緩む。
出会ったばかりの頃は、ストイックな面が強過ぎてオーバーワークとなっていた彼女。例え一人でも勝ってみせる──それが彼女を支える強さでもあり、同時に儚さでもあった。
今とあの時との違いは、俺と彼女の距離感だろうか。
あの頃の彼女なら俺に肩を借りることもなく、心配の言葉も大丈夫の一言で流していただろう。
「ごめん……もう少し、休んでからでもいい?」
「勿論」
二人きりのジムで、ベガに肩を貸しながら彼女の呼吸が落ち着くのを待つ。そんな俺たちを、丸い満月だけが見守っていた。
◆
また別の日。
ベガに誘われてやってきたとある喫茶店。
そして俺達が座るテーブルのど真ん中でその存在を主張するは、どデカイパフェ。
ウマ娘の食事量が成人男性の一回分を上回ることがあるのは有名な話であるが、このパフェはそれ一つで一食分を補えそうである。
「初恋キャロットパフェDX、お待たせしました!」
「お、おおぅ……凄いでかい……」
フルーツとアイスと生クリームとにんじんによって彩られた巨大なパフェ。
それはさながらバベルの塔か。色とりどりの具材は天の川のようである。
「これを二人で食べきったウマ娘とトレーナーは恋愛が成就するって噂があって……」
ベガもそのサイズ感に圧倒されながら店内を見渡す。
しかし俺達以外でコレを注文している客はいない。所詮噂は噂に過ぎず、そんな噂に惑わされるトレセン学園生はいないということか。
「な、成程……」
しかし噂の確認は済んだとはいえ、注文したからには食べきらねばならない。
俺とベガは天皇賞春に挑む心持で、スプーンに手を伸ばした。
「……ご、ご馳走様でした」
「……うぷ」
そして何とか時間をかけて間食したものの、これは相当なカロリー摂取となったことだろう。
明日のトレーニングでキッチリ絞らねば……。
俺とベガはゆっくりとした足取りで、それぞれの寮へと戻っていった。
途中でオグリキャップと遭遇したので、軽く会釈をした。
「この初恋キャロットパフェDXを頼みたいんだが」
「あ、すいません。たったさっき完売してしまって……」
「――なん、だと……?」
◆
毎年恒例の夏合宿は格段に能力を上げるチャンスだ。
しかし普段とは違う環境ということで、浮ついた生徒が何人か出て来てもおかしくは無い。
そんな訳で俺とベガはトレーニング後に夏祭りを楽しみながら軽く見回りをしたが、流石天下のトレセン学園というだけあって不埒なウマ娘は見当たらなかった。
途中でエアグルーヴとそのトレーナーが二人きりで浜辺に出掛けているのを見かけたが、副会長である彼女が間違いを起こすはずもない。
「あ、そうだ」
「ん?」
「一つ、思い当たる場所があって……来てくれる?」
ベガに手を引かれて来た場所は、浜辺で少し歩いた先にある岩場。
暗い足場でベガが怪我をしないように気を付けながら、彼女に案内されるがままに腰を下ろす。
「来る前にちょっと調べたんだけど……ここに二人で来たウマ娘とトレーナーはずっと一緒にいられるんだって」
「なるほど。でも、俺達しかいないな」
「そうね……この星空も、二人じめ」
辺りを見渡しても俺達だけ。
ベガに言われるがままに顔を上げると、夜空は煌びやかな星々で埋め尽くされていた。
理事長が不安視するウマ娘とトレーナーが見当たらない今、この景色以上に優先するものがある筈もなく。
さして広くもない岩場で寄り添いながら、俺達は天体観測を始めた。
「あ、こと座」
見上げた空で真っ先に見つけた星座。一等星の輝きが、俺達を照らしている。
「そういえば、昔の人って星を道標にしていたらしいな」
「有名な話ね」
「だからさ、今思ったんだけど……俺が適切な距離感を間違えずにいられたのは、ベガのおかげじゃないかなって」
アドマイヤベガという一等星の輝きがあったからこそ、俺は最初の三年間を走り抜ける事が出来た。
更に理事長が危惧するような関係にならずに済んでいるのも、ベガだからこそだ。
彼女という存在が導になってくれたから、ここまでやってこれた。
「何そのクサいセリフ……でも。私も、そうかも」
「ベガも?」
「一人でもやってみせる。例え一人でも……ずっと、そう思ってたけど……違った。あなたが道標だったから。迷っても、道を外れる事なく歩んでこれた」
お互い見上げているのは星空で、顔は見ない。
だけどきっと、同じような表情を浮かべているのだろうと、手のひらを重ねて何となく思った。
◆
「──というわけで理事長、最近は距離感を間違えるウマ娘とやらはいないようでした」
「安心ッ! ご苦労だったな! 些細な礼であるが受け取ってくれ!」
報酬として渡されたのは温泉旅行券。有り難く受け取り、早速ベガへと券を渡した。
「君に受け取って欲しい。俺は殆ど何もしてないからさ、友達とでも行ってきなよ」
「……トレーナーは?」
「うん?」
「トレーナーは、予定空いてない?」
「いや、大丈夫だけど……また、何か噂があるのか」
ううん、とベガは首を横に振って。
「私が、行きたいの。あなたと」
『魔法使いさんと奇跡の一幕』
書きながら思い出したのはブルース・オールマイティ
『寝ボケとるんとちゃうか』
感想欄の夫婦桜っていうコメントで思い付きました
『指輪と手記と距離感と』
下手な匂わせってマチタンはすぐに見破ってきそうですね
『君と俺と星の距離』
トレーナー→アドマイヤベガの呼び方はアヤベさんになるのか下の名前をとってベガになるのか気になります
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