仮面ライダー銀姫 (春風れっさー)
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登場人物紹介

※ネタバレ注意です。


更科(さらしな) 朔月(はじめ)

 

主人公。鹿毛野高校二年生。

脱色した茶髪、緑のカラコンなどが目立つコギャル。どこにでもいるような少女だがクラスで三番目くらいには可愛く、告白された経験もある(全て断っている)

 

両親の仲が悪く、愛情を受けた記憶も無い。

高校の授業料は払ったり、ご飯代として毎日千円札を置いたりなどしているがそれは全て世間体を気にしてのこと。

その為親のことを蛇蝎の如く嫌っており、二人の間から生まれたことすら忌み嫌っている。

 

いつの日からかそんな自分を、環境を変えたいと願う変身願望が目覚める。独り立ちできる年齢までは無理だと諦めていたが、ノーアンサーにその願いを利用され、激情のままにライダーバトルへ参加することとなってしまった。

 

基本的には友達思いの優しい少女。よく笑い、よく怯え、よく騙され、多彩なリアクションで友人たちを和ませるムードメーカー。

しかし家庭環境の影響か虚無的な思考をすることも多く、自身を空っぽで面白みもない人間だと考えている。

 

そのギャップから知らない内に友人たちの同情を買い、施しを多く受ける無自覚系愛され少女。

特に文房具は頻繁に寄付されるので、ペン立てはギッシギシ。

 

好きな物は安くておいしいグルメ。

嫌いな物は母の日、父の日。

 

恋愛は両親への絶望から否定的だが、実際には愛情に飢えているので一度付き合えば際限なく甘えてくるタイプ。

バストはCカップ。

 

 

 

 

竜崎(りゅうざき) (そう)

 

鹿毛野高校に転校してきた二年生。

天然の赤毛と赤を基調としたパンキッシュファッションなど赤づくしの少女。鋭い目付きと相まってクールな印象を受ける。

 

近寄りがたい雰囲気を醸し出しているが、実際には面倒見のいい姉御肌で、中学時代や転校前は後輩などに慕われていた。

 

家族構成は両親と弟一人。ぶっきらぼうな態度を取ることも多いが相当なファミコン。クリスマスなどは平然と友情より家族を取るタイプ。

 

パンクは好きだが割と浅めなファンで、エンジョイ勢。無理なく推して行けたらライブに行く。家族の用事とバッティングしたら迷うことなく諦める。

 

好きな物はパンクバンド。

嫌いな物はシンデレラ、ヘンゼルとグレーテル(家族仲が悪いため)。

 

恋愛は一度好きになった対象をデロデロに甘やかすタイプ。相手に甘えられれば甘えられるほどやる気を出すので、ぶっちゃけヒモに引っかかりやすい。ダメンズメーカー気質。

バストは悲しいほどに薄っぺ(ry

 

 

 

 

 

王道(おうどう) 真衣(まい)

 

四葉学園に通う一年生。

育ちの良さそうな印象を受ける少女。艶やかなロングヘアーと馬を模した髪飾りが目につく。

 

物腰穏やかで誰に対しても敬語で接する。柔和だが同時に臆病でもあり、苦手な蜘蛛を見ると恐怖で逃げ出してしまう。

 

三度の飯より馬が好きで、親に隠れて競馬実況などを眺めるのが趣味。乗る方も達者だが、好きすぎるあまり馬に気味悪がられることも割と多い。

 

好きな物は馬。

嫌いな物は蜘蛛などの節足類。

 

恋愛には憧れがあるが、いざというときは親に勧められた人と結婚するだろうなぁと漠然と思っている。

バストはC。朔月よりは若干大きい。

 

 

 

 

御代(みだい) ナイア

 

四葉学園に通う二年生。

幼げな雰囲気を身に纏うツインテールの少女。背の低さに対してアンバランスな胸囲を持つ。

 

童女の如き天真爛漫な態度を取り、ハイテンションな勢いで話を流すこともしばしば。その仕草の所為で実年齢より幼く見られがち。しかし本人はそれを嫌がるよりも面白がり、イタズラに利用したりする。

 

ナチュラルボーンサボり魔で、重要な仕事を一人で任せてはならないと友人内でもっぱらの噂。その癖色々とそつなくこなせるので、評価は分かれがち。

 

好きな物は海。

嫌いな物は金銭が絡むトラブル(面倒くさい)。

 

恋愛は基本的に興味が無いが、一度惚れればどこまでも尽くすタイプ。従順だが扱いを間違えると監禁に発展する。

バストは驚きのEカップ。

 

 

 

 

緑川(みどりかわ) 志那乃(しなの)

 

唯祭高校に通う二年生。

ショートカットのボーイッシュな少女。顔立ちは可愛らしいが目付きは鋭い。

 

ライダーバトルの際は刺々しい態度を取るが、普段は愛想のいい少女。誰とでも仲良くなれるタイプであり、友好の範囲は校内だけに留まらず老若男女多種多様に渡る。

 

銀行員である父と教育熱心な母に期待をかけられ、そのストレスから少し刺激的な遊びを好む。

銃器を扱ったり、狩猟の経験があるのは母方の実家が田舎の地主だから。

 

好きな物はゲーム。

嫌いな物は正論をぶつけてくる人。

 

恋愛よりかは手玉に取って自分に夢中にさせる方が好き。

バストは小さめなBカップ。

 

 

 

 

飛天院(ひてんいん) 輪花(りんか)

 

市内有数の進学校である唯祭高校の制服を身につけた少女。

ウェーブのかかったロングヘアーと銀色のフレームの眼鏡が特徴的。怜悧な瞳は知的だが、同時に尊大さも秘めている。

 

IQ180を超える天才少女。

自分の知能に絶対の自信を持ち、他者を見下す態度を隠さない。その所為で敵は多いが、成績や論説で容赦無く黙らせる。自分のペースを乱されることを嫌う

 

実は山登りが趣味で、歳の割には厳しい標高に挑戦したりする程のめり込んでいる。山頂からの景色を見下ろして優越感に浸るのが好きなんだとか。

 

好きな物は自分。

嫌いな物は愚か者。

 

恋愛は基本興味は無いが、自分に心酔する奴は奴隷として侍らせてもいいかと思っている。

バストはDカップ。大きさより形を重視している。

 

 

 

 

寺野(てらの) (ふじ)

 

学校指定らしきジャージを身につけた目付きの鋭いポニーテールの少女。纏う雰囲気は刀の如く冷たく鋭利。

 

高い身体能力と腕力を持ち、空手も黒帯。かつては武道家としての道を期待されていたとのことだが、現在は何らかの理由により道場に顔を出していない様子。

 

趣味はボードゲームらしいが、もう長いこと触っていない。

 

好きな物はもういない君。

嫌いな物は誰かの苦痛と、それを与える存在。

 

恋愛は忌避している。異性全般に対して刺々しい反応を返す。

バストはBカップ。鍛えている所為で余計な脂肪がつかなかった。

 

 

 

 

・ノーアンサー

 

紫のナイトドレスと鎖のアクセサリーを身に纏った、銀髪の美少女。絶世の美少女だがその容姿はどことなく作り物めいている。

 

少女たちを渦中に巻き込んだ元凶にしてライダーバトルの主催。人外を自称し戦場となる異世界は彼女の能力に寄るもの。神出鬼没で、どうやら空間や世界そのものを渡る能力を持っているらしい。

その目的は不明。

 

好きな物、嫌いな物共に不明。

 

恋愛観も分からないが、その仕草は性別問わずに引き付けられそうなほど蠱惑的。

バストはDカップ。



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ライダーデータ

※ネタバレ注意です。


・仮面ライダー銀姫

 

■パンチ力:6t

■キック力:8t

■ジャンプ力:一跳び25m

■走力:100mを6.5秒

 

朔月の変身する仮面ライダー。ノーアンサーから手渡されたドライバーにマリードールを装填して変身する。

 

黒いアンダースーツの上に銀の甲冑を纏い、肩甲の下には黒い襤褸がたなびいている。頭部は複眼のついた鉄仮面が上半分だけを覆い、口元は露出している。ブレーサーと脚甲は色が違うだけで基本的に全ライダー共通。

主武装は直剣。一見細く頼りないが、初撃で折れるようなことはない。

 

分厚い装甲と朔月の性格が相まって防御的な戦いが得意だが、基本的に不得手はない。攻防どちらもこなせるライダー。

襤褸を伸ばすことで、ダムドから隠れる能力も付与できる。

 

必殺技は銀の光を右脚に集めての跳び蹴り『リーパーブレイク』と、上段に振り上げた剣から銀の斬撃を飛ばす『リーパークライム』。

 

 

 

 

 

 

・仮面ライダー血姫

 

■パンチ力:4t

■キック力:10t

■ジャンプ力:一跳び35m

■走力:100mを5.8秒

 

爽の変身する仮面ライダー。ノーアンサーから手渡されたドライバーにマリードールを装填して変身する。

 

赤黒いアンダースーツの上に鮮やかな赤いコートを纏っている。頭部バイザーと胸甲は青い宝石を思わせる質感。軽装な印象を受け、フィクションの魔術師のようにも見える。

後ろ腰には爬虫類を思わせる尻尾が生えていて、自在に操れる。自切も可能。

主武装は幅の広い直剣。二本同時に扱うことが出来る。

 

ジャンプ力を生かしたトリッキーな戦いが得意。双剣、尻尾、蹴りを組み合わせた四連撃で畳みかける。半面瞬間的なパワーに乏しく、必殺技以外は連続で当て続けなければ効果が薄い。

 

必殺技は赤い炎が噴き出す右脚で行なう横薙ぎの蹴り『マジシャンブレイク』と、炎と煙を纏った斬撃を振り下ろす『マジシャンクライム』。

 

 

 

 

 

 

・仮面ライダー乖姫

 

■パンチ力:21t

■キック力:37t

■ジャンプ力:一跳び30m

■走力:100mを4.8秒

 

真衣の変身する仮面ライダー。ノーアンサーから手渡されたドライバーにマリードールを装填して変身する。

 

黒いアンダースーツの上に装飾の施された金色の鎧を身に纏ったライダー。背中からは紅のマントがたなびかせ、頭部には一角が聳え立っている。

主武装は黄金の大剣。柄まで含めると身長ほどの大きさがある。

 

隔絶したスペックを持つ強力なライダー。並外れた膂力と重装甲な鎧は何者も寄せ付けないパワーを持つ。黄金の粒子を放出し、遠距離攻撃も可能。攻撃力も頑丈さも、参加する全てのライダーの中で最強である。

ただし真衣の性格の所為でその性能をイマイチ発揮し切れていない。

 

必殺技は黄金の斬撃を放つ『エンペラートリアージ』。

 

 

 

 

 

・仮面ライダー冀姫

 

■パンチ力:5t

■キック力:10t

■ジャンプ力:一跳び35m

■走力:100mを5.8秒

 

ナイアの変身する仮面ライダー。ノーアンサーから手渡されたドライバーにマリードールを装填して変身する。

 

黒いアンダースーツの上に海洋生物を思わせる流線型の青い装甲を身につけたライダー。肩を始めとする一部には三日月のような意匠が彫り込まれている。

水中に潜ることが可能で、その際はクラッシャーが口元を覆い呼吸を助けてくれる。

主武装は槍。刃が広く、当たり判定が大きい。

 

水中戦をこなせるライダー。それ以上の特徴が無く、まだ何か隠しているようにも見えるが……?

 

必殺技は水を渦巻かせ槍と共に突く『サテライトボルテクス』。

 

 

 

 

 

 

・仮面ライダー竈姫

 

■パンチ力:3t

■キック力:4.5t

■ジャンプ力:一跳び25m

■走力:100mを6.5秒

 

志那乃の変身する仮面ライダー。ノーアンサーから手渡されたドライバーにマリードールを装填して変身する。

 

臙脂色のアンダースーツの上に魚の鰭を重ね合わせたかのようなアーマーを身につけていたライダー。仮面は魚類とも爬虫類とも言い難い異形の仮面を被っている。

主武装は銃、斧槍、刃の曲がった剣、チャクラム。

 

スペックが低い代わりに多数の武器を扱えるライダー。ピーキーな性能だが罠や策略を好む志那乃の性格にはよく合っていた。

 

必殺技は武器それぞれで可能。銃では高威力の散弾をばらまく『タワーラブル』。チャクラムでは円形の刃に緑の光を巡らせ切断力を高めた『タワースライス』。

 

 

 

 

 

・仮面ライダー才姫

 

■パンチ力:10t

■キック力:15t

■ジャンプ力:一跳び50m

■走力:100mを1.5秒

 

輪花の変身する仮面ライダー。ノーアンサーから手渡されたドライバーにマリードールを装填して変身する。

 

黒いアンダースーツの上に黄色い機械的な装甲を身につけたライダー。仮面には複眼を模した赤いカメラアイがついている。胸部には幾何学模様で日輪のクレストが描かれている。

高速移動が可能で、無策ではその姿を捉えることすら出来ない。

主武装は判明していない。

 

並外れたスピードを持つライダー。装甲は薄いが、その分を機動力で補う。

 

 

 

 

 

・仮面ライダー焉姫

 

■パンチ力:10t

■キック力:5t

■ジャンプ力:一跳び18m

■走力:100mを6秒

 

藤の変身する仮面ライダー。ノーアンサーから手渡されたドライバーにマリードールを装填して変身する。

 

銀色のアンダースーツの上に紫の鎧を纏うライダー。生物的な仮面には紫色の複眼が昆虫のように無機質に浮かび、腕にはライダーの中で唯一、ブレーサーでは無く重厚で刺々しいガントレットを身につけている。

変身中は一切怯まず、自分の身体の損壊を気にすること無く戦うことが可能らしい。

主武装は判明していない。

 

頑丈な鎧による継戦能力が特徴のライダー。武装が無く足も遅いため、至近距離での接近戦まで持ち込む必要があるパワータイプ。



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一日目-1 始まりの女

「ねぇ朔月(はじめ)。『七人ミサキ』って知ってる?」

 

 下校中、そんなことを問うてくる友人に朔月は振り返った。

 

「何ソレ?」

「知らない? あのね、怪談だって」

「うぇ、私苦手なんだけど」

 

 そう言って苦い顔を浮かべる女子高生、更科(さらしな) 朔月(はじめ)はごく一般的な女子高生だった。

 胸まで伸ばした髪は少し脱色し、ちゃっちめのヘアピンで彩っている。

 薄いメイク、だが瞳に入れた緑のカラコンは結構目立つ。

 どれも校則違反だが、制服は未改造だしマニキュアも塗っていないのでそこまで口酸っぱく指摘もされない。

 美人だが、絶世という訳では無い。クラスに一人はいる、しかも三番目。その程度。

 派手すぎず、地味すぎず。どんなクラスにもいそうな、高校生になって少し洒落っ気を出したといった風の女子生徒。それが更科朔月という少女だった。

 そんな彼女は、同じような女子生徒とつるんで下校している途中だった。夕暮れ始めた川の土手は退屈で、おしゃべりくらいしかやることが無い。なので朔月は苦手な怪談でも乗っかった。

 

「アレみたいな? こっくりさんとか」

「いやいや、そんな可愛いやつじゃないよー」

「あぁ、アレでしょ?」

 

 もう一人の友人がスマホをいじりながら答える。

 

「渋谷の都市伝説。援交で身ごもった女子高生が堕ろした赤子たちが、お母さんを呪うって話」

「うわ、こっわ」

 

 思ったよりも恐ろしい話が出てきて、朔月はふるりと身震いした。特に女子高生という、自分たちの分類されるカテゴリの話であることがより恐怖を掻き立てた。自分に身に覚えがないとはいえ、怖い物は怖い。

 だが最初に話題に出した友人はチッチッチと指を振った。

 

「それが違うんだな~。いや元ネタはそっちだろうけど、今流行ってる七人ミサキはまた別モノなのよ」

「というと?」

「何でもおまじないすると、願いを叶えてくれるんだって!」

「えぇ、本当?」

 

 さっき出た七人ミサキとは真逆の話に、朔月は首を傾げた。

 

「なんでオバケが願いを叶えてくれるのよ」

「さぁ? でもなんか条件があるんだって」

「条件って?」

「それは知らな~い」

「ちょっと……」

 

 では何も知らないのとほぼ同義だ。気が抜かれてしまった朔月は呆れた表情で溜息をつく。もう一人の友人も同じく呆れたようにスマホを傾け、それを見て友人は「にしし」と笑う。

 それを見た朔月は、内心は、とても癒やされていた。

 こんな風に友人たちと他愛もないことでおしゃべりする時間。

 朔月はそれを大事に思っていた。普通の女子高生よりも、ずっと。

 

「あ、橋ついた」

 

 スマホを見ていた友人が呟く。駅の方へと続く鉄橋が、友人たちとの別れ道だった。

 幸せな時間が終わりを告げたことに朔月は落胆し、しかしそれをおくびにも出さずに二人に手を振った。

 

「じゃ、また明日」

「うん、じゃねー」

「朔月、明日日直だからね」

「分かってるってばー」

「ギターの練習は程々にしなよー」

「分かってるってばー!」

 

 名残惜しさを感じながら別れ、改めて帰路につく。そこから先は、ただただ憂鬱だった。

 川縁から離れ、住宅街を潜り、家の前に辿り着いた頃には空は紫色に暮れ始めていた。

 朔月はインターホンを押そうとして、止めた。家の中から男女の怒鳴り声が聞こえてきたからだ。溜息をつきながら朔月は鍵を取り出し、音を立てないようにドアを開いた。

 中に入ると、怒鳴り声はより鮮明に聞こえてきた。

 

「だから、別れれば許すって言ってるじゃない!」

「許すってなんだ! そもそもお前が――」

「アタシが何よ! いつもいつもアタシの所為にして!」

 

 あぁ、いつものだ。

 朔月はリビングから聞こえてくる近所迷惑なそれを聞きながら靴をしまった。

 ここ一年、両親はずっと喧嘩している。

 元から仲の良い夫婦ではなかった。しかし父親の浮気が発覚してからは、いつものように口喧嘩が絶えない。

 別れるのならばさっさと別れればいいと思っている。だが現実は上手くいかないようだ。

 朔月は諦観しながら二人にバレないよう二階の自分の部屋へ上がろうとした。巻き込まれると億劫だからだ。

 だが、リビングの前を通りかけた時、父親が告げた言葉に足を止めた。

 

「――お前が朔月を妊娠しなければ、こんなことにはならなかったんだ!!」

「っ!!」

 

 ハンマーで頭を殴られるような衝撃が朔月を襲った。

 それは、自分の存在を否定する言葉だった。

 

「……好きで生まれた訳じゃない!」

 

 咄嗟に吠えた。それはある種の自己防衛だったかもしれない。

 リビングの両親がビクリと身体を跳ねさせた。突然の大声に、朔月の方を目を丸くして見ている。

 何ソレ。自分らはもっと大きい声で喧嘩していたのに。

 朔月は二階へ向けていた足を止め、踵を返した。靴箱の中からしまったローファーを取り出し、その勢いのまま制服で家を飛び出した。

 家にはいたくなかった。あんな両親のいる家には。

 けど――。

 

 走り去りながらチラリと玄関を振り返る。

 朔月を追いかける二人の姿は、無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 宛てがある訳じゃなかったので、自然と行き着いたのは好きな場所だった。

 即ち、さっきまで楽しい時間を過ごしていた川縁だった。

 日がとっぷりと暮れた土手は、まったく別の姿を見せていた。

 

「……せめて月が綺麗なら、よかったのに」

 

 空を見上げると、そこにあったのは大きく欠けた三日月だった。

 煌びやかな満月、せめて弓張り月なら、まだ心が晴れたというのに。

 自分の名前に入った、月。それにすら見放されたようで、朔月は失意と共に街灯の下で座り込んだ。雑草が太ももをくすぐり、夜特有のジメッとした空気が這い寄ってくる。気持ちよくもなんとも無い。それでも、あのまま家にいるよりは何倍もマシだから、しばらくはずっとそうしていた。

 

 もうずっとこうだった。

 喧嘩する程表面化したのは一年前だが、更科家はそれより前からずっとギスギスしていた。

 多分きっと、朔月が生まれた時から続いていたのだろう。手放しに仲良くしている姿を朔月は見たことがない。二人が揃っているのは、いつも近所付き合いの為のポーズだった。

 朔月も子どもじゃない。痴情のもつれというのが、二人の間にはあるのだろう。

 だがその被害を被るのはいつだって自分だった。

 

(もう、嫌だ……)

 

 学校にいる時は楽しい。友達と語らうのも、放課後一緒に遊びに行くのも大好きだ。学校の授業も悪くは無い。

 けど家に帰れば陰鬱なことしか待っていなかった。冷めた食卓、棘のような空気、寝ていても聞こえてくる怒鳴り声。軋んだ空気が心を苛み、自分のルーツを否定する言葉が胸の内を引っかき回す。お前の居場所はここなのだと、暗い牢屋に引き込まれる気分。

 

(変わりたい)

 

 それが朔月の願いだった。大抵の人間が描く祈り。今の自分からの脱却。

 変身。

 

(違う自分になれたら……いいのに)

 

 過去は変えられない。自分の生まれ、親は変えられない。

 ならせめて、自分を変えられれば……少しはマシになる気がした。

 そう願うことしか、今は出来なかった。

 

 膝に顔を埋め、どのくらい経っただろう。ただ落ち込んでいることにも飽いて、朔月は顔を上げた。

 途端、視界いっぱいに人の顔が広がった。

 

「うわ!?」

 

 驚いて腰を抜かす。朔月の目の前で覗き込んでいたのは、銀髪の少女だった。

 

「ふふっ、驚かせちゃった?」

 

 少女はクスリと微笑んだ。それは人形のように愛らしく、氷のようにヒヤリとした冷たさを感じさせる微笑だった。朔月は一瞬それに見惚れたが、よく考えれば不審者なので警戒して立ち上がる。

 

「な、なんですか……」

 

 朔月は改めて少女の身なりを確認した。

 日本人離れした銀の髪に、透き通るような白い肌をしていた。どちらも蛍光灯の灯りに曝かれ、月の表面のように照っている。身につけているのは紫のナイトドレス。蠱惑的な雰囲気を醸し出す透けた薄手の生地と、露出した少女らしい華奢な肩とのギャップがより扇状感を掻き立てる。所々には、ミスマッチなチェーンの小物を使用していた。両手に巻かれているそれは、虜囚のようにも見える。

 まるで娼婦のような装いの少女。確かに夜はよく似合っている。だが外を出歩くにしては、不適格な出で立ちだ。

 

「……あぁ、ご挨拶しなきゃね」

 

 現実感の薄い少女は、優雅にスカートを端を摘まみ、お辞儀をした。カーテシー。精練された所作だが、それが余計に作り物めいた印象を与える。深いスリットからチラリと見える太ももが気恥ずかしく、朔月は思わず目を逸らしそうになった。

 

(わたくし)、ノーアンサーというの。以後お見知りおきを」

「ノー、アンサー?」

 

 およそ人の名前とは思えない響きに朔月は首を傾げる。ノーアンサー。直訳で良いのなら無回答となるが。

 困惑する朔月を余所に、ノーアンサーと名乗った少女は再び微笑んだ。

 

「ふふっ。それで、こんなところでどうしたの、お嬢さん?」

「……関係、ないですよね?」

 

 質問に対し朔月は睨み付けて返した。不審者への警戒。そして何より、自分の家庭の事情をあまり人に言いふらしたくない。だから口を噤んだ。

 そんな朔月にノーアンサーはふふりと笑う。

 

「まぁまぁ! そうでしょうね。誰しも本当の願いは言いたくないもの。

 アイツが憎い。あの子が好き。お金が欲しい。綺麗になりたい。自分を変えたい(・・・・・・・)

 誰もが抱く、普通の願い」

「っ!?」

 

 突然自分の心の柔らかいところを射貫かれたような気がして朔月は動揺した。

 当てずっぽうかもしれない。だがその言葉は朔月の抱えた悩みを正確に言い当てていた。

 

「……だったら、何ですか」

 

 朔月は道路の方へ後ずさりする。怪しさが増したこの人物からいつでも逃げられるようにするためだ。

 だがノーアンサーはそんな朔月とは裏腹にパチリと笑顔で手を叩いた。

 

「だから、叶えて差し上げるわ!」

「……え?」

 

 クルリと、ノーアンサーは困惑する朔月の前で一回転する。バックリと開いた、白い肌が眩しい背中が見えた。

 

「叶える、そう言ったのよ」

「……そんなこと、言われたって」

 

 不可能だ。少なくとも自分の願い、変わりたいという欲求は。

 もし金欲しいと言う人ならば、ポンと大金を出せば叶えられる。綺麗になりたいという願いも、整形やら化粧品とやらで同じく解決するだろう。誰かを好きだとか嫌いだとかも、どうしたいのかハッキリしている。どんな手段を取るのかは別にして、不可能ではない。

 だが漠然と抱いた変わりたいという願いは、無理だ。何せ自分ですらどうなりたいのか分からない。分からないから願いの成就が存在せず、存在しないものを叶えることは出来ない。例え金を積まれても、朔月は自分を変えることは出来ない。この世の物質的な手段において、不可能だった。

 

「いえ? できるわよ?」

 

 それなのに。

 ノーアンサーはハッキリ可能と答えた。まるで朔月の心を読んだかのように。

 

「できるわ。ちょっとした『おまじない』だけで」

「おま、じない……」

 

 そのことを思い出したのは、丁度今立っている場所で話したからだろうか。

 友人の語ったことが脳裏を過ぎった。眉根を寄せながらその名を呟く。

 

「それって、『七人ミサキ』……?」

「イエス!!」

 

 朔月の口をついて出た言葉に、ノーアンサーは再びパチリと嬉しそうに手を合わせた。

 そして続ける。

 

「貴女には、『七人ミサキ』を……殺して(・・・)ほしいの!」

 

 朔月の脳裏に、傷つけるように刻まれた言葉。

 ささやかな祈りは今、胡乱なるモノに掬い上げられた。

 

「殺して……って」

 

 少女の口から出た物騒な言葉に朔月は怯んだ。

 日常的に聞かない……ということは、ない。

 精神的に未熟な人間が口に出すことは多々ある。かくいう朔月も、友人同士の会話の中でムカついた事柄に対して言うことはあった。誰かに対して思い浮かべるだけなら、無数に。

 しかしあくまで、冗談だ。本当に殺すことなんてあり得ない。友人との文脈で使うのは敢えて激しい言葉を使った方が笑いが取れるからだし、脳裏で思い浮かべるのは煮えくりかえった腸を少しでも鎮めて冷ます為だ。軽口。方便。ほんのジョーク。

 だが、今ここで響いたその言葉は……別の空気を感じた。

 真に迫った、というべきか。

 

「そう。殺してくれたら、貴女の願いをなんでも一つ、叶えましょう」

 

 ノーアンサーはクスクス微笑みながら朔月を見つめる。まるで返答を待っているかのようだ。

 

「っ、そんなの、出来ません」

 

 急かされるようにして朔月は言葉を吐き出した。それは良識と理性から導き出した結論だった。

 銀髪を揺らしてノーアンサーは首を傾げる。

 

「あら、どうして?」

「だって、誰かを殺すなんて……そんなの、イケないことだから」

 

 朔月は常識を以てそう答えた。そこに根拠や、芯となる哲学はない。ただ漠然と信じる良心のままに、当たり前のことを答えた。

 

「それに……オバケなんて、殺しようがない」

 

 こっちの理由の方が、大きいかも知れない。

 そも七人ミサキはオバケだ。オバケというのは人の想像や子どもへの躾けの為だけに語られてきた生き物で、存在していない。存在していないものはどうしようもない。さっき抱いた願いへの諦観と同じ理屈だ。

 生きていないものは、殺せない。

 朔月はそんなロジックの下、反論した。

 

「無理なものは無理です。だから願いなんて叶わない。……これ、そういう話ですか? 無理なことを叶えるには、無理なことをしないといけない……だとしたら、説教なんて勘弁なんですけど」

「あははは! そう聞こえた? お釈迦様みたいな?」

 

 釈迦の説法の一つだ。

 子を亡くし、悲しみに暮れ何も手につかない母親の前に現われ、子どもを蘇らせる方法を教える。それは「死人を誰も出したことのない家からケシの実を貰う」ということだった。子どもを生き返らせたい一心で母親は家々を回る。だが家族を失ったことのない家庭などどこにも無かった。途方に暮れる母親は気付く。釈迦の条件は絶対に無理な仮定であり、同時に「家族を失っても人はそれを乗り越えられる」という説法であったのだ。

 朔月はそれを思い出したが、ノーアンサーは首を振った。

 

「違うよ違う。第一、お釈迦様は嘘がつけないから、蘇らせるのは本当ってことになるじゃないか……私が提案するのは、本当に出来ることだよ」

 

 ノーアンサーは胸を逸らし、天を見上げた。そして謳うように諳んじる。

 

「夜の月、丁度今日のようなお月様を見上げて呟くの。

 『戦います、戦います、私は七人ミサキと戦います。

  戦います、戦います、私は願いのために戦います。

  戦います、戦います、生き残りたいから戦います。

  勝って、嬲って、潰して、犯して――そして七人ミサキを、殺します』

   ――って」

 

 悪趣味だ。おまじないとやらを聞いた朔月はまずそう思った。

 構成する言葉が残酷で、ナンセンスだ。人を怖がらせようとか、不気味に思わせようとしか考えられていない言葉の羅列。冗談にしても出来が悪い。こんなものを頭を捻って考えたとしたら、ソイツは相当性格がひん曲がっている――朔月は心の底からそう断じた。

 

「……そう、唱えたら、どうなるんですか」

 

 朔月は目の前の人物を狂人の類いだと判断した。まともじゃない。逃げ出すのが吉だと考え、適当に話を合わせてバレないよう後退る。

 ノーアンサーはそれに気付いていない素振りで質問に答えた。

 

「そしたら、願いを叶えるチャンス(・・・・)が与えられるのよ。ちゃんと七人ミサキを殺せば願いは叶う。一つだけなら、どんなことでも」

「どんな、ことも……ですか」

 

 チラリと後ろを振り返る。無人の道路。少し駆ければ人のいるところへは簡単に辿り着ける。逃走経路は問題ない。朔月は足の速い方では無いが、目の前の少女の走りにくそうな出で立ちを見れば逃げ切れる自信が持てた。何か凶行を及ぼさないかだけ警戒していれば、大丈夫そうだ。

 でも出来れば何事も無い方がいい。だから朔月はノーアンサーが激昂したりしないよう話を合わせ続ける。

 

「例えば、誰かを生き返らせたりも?」

「ふふ! お釈迦様みたいにね? 勿論、できるわ。生き返らせるどころか、その人が死んだことすらなかったことにできる……殺しを完遂すればね」

 

 朔月は溜息をつきたい気分だった。不可能な戯れ言もここまで述べられれば大したものだ。

 怯えていた心は冷め、話半分になり始める。

 

「あー、そうなんですか。でもオバケを殺すなんて、私には出来ませんよ。生まれてこの方、空手も習ったことがないですから」

「それなら大丈夫。ちゃんと戦える力が貰えるわ」

 

 ノーアンサーは相変わらず楽しげだ。可愛らしい笑顔で溌剌と話している。話題が蝶や花の話なら、朔月は見惚れていたかもしれない。

 

「仮面ライダーの力があれば、何とだって戦えるわ」

「仮面、ライダー?」

 

 急に毛色が変わった話に首を傾げる。聞いたことの無い単語だ。

 ノーアンサーは嬉しそうに身体を揺らす。ナイトドレスがはだけ、スリットから白い生足が零れる。朔月が照れて顔を上げると、ノーアンサーはそれを恥じる様子も無く、童女が秘密の夢を語るような愛らしい笑顔でその存在を語った。

 

「そう、仮面ライダー! 悪を挫き、怪物を討ち果たす、正義と自由の騎士! 過酷な運命と十字架を背負った彼、彼女らはそれでも立ち上がり、人々の平和の為に戦うわ。異形に『変身』し、傷ついても立ち上がり、誰かを守護(まも)り続ける。その命が、終わるその時まで!」

「……へぇ」

 

 それは、いいな。と朔月は思った。

 今までノーアンサーが語ったことは鼻白むことばかりだったが、不思議とそれだけは純粋な気持ちで耳を傾けられた。

 誰かを救うヒーロー。人々が憧れる原風景。ピンチの時に颯爽と現われる疾風の騎士。それを想像して、朔月の心はほんの少し温まる。

 何より、変身。

 それは朔月が願って止まないことだった。

 

「……そう、なれるならちょっとはいいですね」

 

 だからそう溢した。純粋な気持ちで。

 ノーアンサーはその呟きを拾い上げる。

 

「でしょう? 強大な力、不屈の闘志。それらが手に入るの。貴女の願いは……それで叶うかもね」

 

 再びヒヤリとした。心中を見透かされているかのような感覚。錯覚だと撥ね除けようとしても、悪寒は泥土のようにへばり付いてくる。嫌な気分だ。

 裏腹に楽しそうなノーアンサーは、笑顔のまま、その場でタタンとステップを踏んだ。跳ねるようにして少女は数歩離れる。

 

「ま、気が向いたら唱えてね。出来れば今日中がいいわ」

「……分かりました。どうしてもそうしたくなったら、そうします」

 

 朔月は少女が帰るのだと思った。これでやっと解放される。ホッと内心でだけ息をつく。

 そんな朔月を見て口端の弧を深くする。

 

「今、ここで話したことによって貴女の運命は確定した。後はどう転んでも、この儀式に参加する……だから憶えておいてね」

「え?」

「貴女は、王者よ」

 

 ノーアンサーは、消えた。

 

「……え?」

 

 目を離した隙にとか、そんなこともない。パッと、いきなりいなくなった。目の前には夜風に揺れる草土しかない。まるで去るシーンを切り抜かれた映画のように、唐突にいなくなった。

 

「……っ!!」

 

 恐怖がぶり返すのには、十分な怪現象だった。

 朔月は夢中でその場から走り出す。

 

 訳が分からない。

 変なことを言われて、それに合わせて、そして消える? ただの女子高生が混乱するのにはあまりに充足した恐怖だった。必死に駆ける。息を切らしながら家まで戻る。

 だが別にアスリートでもない朔月はそんなに走れない。すぐに息が切れ、すると冷静になる。

 

(……あんなの、あり得ない)

 

 いきなり消えてビックリしたが、冷静に考えればそんなことが起こるわけがない。この世に不可思議なんてあり得ない。魔法や奇跡なんてものはファンタジーの被造物だと、朔月はそう思い込もうとする。

 だから家の前に辿り着く頃には、あれは瞬きしている内にどっかに行って、自分がそれを見逃したのだと結論づけていた。

 

 随分時間を過ごしてしまった。周囲の家には既に灯りをつけていない家もある。更科家もまた、そうだった。朔月は夕暮れ時と同じように音を立てずに扉の鍵を開ける。

 寝静まった家族を起こさないように、なんて気遣いではない。先と同じ、気付かれて煩わしい思いをしたくないからだ。

 開いた玄関。そして続く廊下は真っ暗だった。

 玄関の靴を見る。父親の革靴だけがない。どうやら口喧嘩に辟易した父は夜の街へ繰り出したようだ。どこかのビジネスホテルに一人で泊まるなんて惨めな真似はしないだろう。きっと愛人の下へ駆け込むに違いない。

 溜息を噛み殺し、朔月は二階の自分の部屋へ向かう。

 

「……あれ」

 

 そしてやっと辿り着いた我が聖域の電気をつけた時、朔月は違和感を覚えた。

 目を覚ませば必ず目撃する、自分の部屋。今日も変わりない筈のそこに、何かが足りない。

 しばし考え、そして気付く。

 ギターがない。

 

「なん、で」

 

 部屋の奥、窓の下にはギターが飾ってあった筈だ。アコースティックギター。三万程度の中古の安物。だがそれには値段以上の価値があった。

 自分の数少ない趣味。数少ない家での癒やし。そして何より、友人たちと一緒に選んだ、大切な思い出の品。

 

「なんで、なんで!?」

 

 火がついたように必死で探す。クローゼットを開き、ベッドを捲り、積んであった雑誌を崩す。だがどこにも見当たらない。

 

「なんで……!」

 

 ドタバタという騒ぎに目を覚ましたのか、開けたままのドアから母親が顔を出す。それに気付いた朔月は振り返る。目と目が合う。扉の枠にもたれ掛かりながら朔月を見つめていたのは、愛情など欠片も籠もっていない、冷たい眼差し。

 

「捨てたよ」

 

 母親から告げられた言葉に、朔月はしばし呆然となった。

 

「……え」

「だから捨てた。今朝」

 

 母親は何ということはないように告げる。

 

「カレンダー見てたら粗大ゴミの日だって気付いてね。何か無いかって考えてたら、アンタのギターが浮かんだ。丁度良いから、出しといた」

 

 感慨無く、平然と語る。いや少しは感情が含まれている。だがそれは悪意だ。

 まるでざまあ見ろとでも言っているかのような、優越感。それが垣間見える感情の正体。

 

「なんで……なんで!」

 

 朔月は激昂し詰め寄った。母親は煩わしそうに顔を顰め、吐き捨てるように答えた。

 

「誰のおかげで生活出来てると思ってるの。あんな余計な『おもちゃ』、いらないでしょ」

「……どう、して」

 

 なんで、から、どうして、に変わる。

 理解が出来ない。何故そうまでするのか。どうしてわざわざ朔月(むすめ)を追い詰めようとするのか。

 母親は鼻を鳴らして答えた。

 

「アンタだけが楽しそうにしてるの、ムカつくのよ」

 

 頭が真っ白に弾けた。

 感情の奔流が爆発した。捨てられた事への怒りや、無くなったことが事実という悲しみ。けどそれ以上に、信じられない気持ち。

 実の親が、そんな理由で娘の大切な物を捨てるなんて。

 魂の抜けた娘の顔を眺め、母親はつまらなそうに言う。

 

「アタシが苦労してるってのに、呑気におもちゃで遊ぶアンタの気概が気にくわなかったの。おかげで朝は少し清々したわ」

 

 分からない。分からない。……分かりたく、ない。

 

 純粋な悪意を以てそう嘯く母親が分からなかった。そこに娘に対する愛など無い。ただただ、気にくわないモノを追い詰める、猫がネズミをいたぶるような悪意だけがあった。

 

「……なんで、なの」

 

 言葉が勝手に零れる。

 

「なんで……分かんないよ」

「? 何がよ」

「私には、お母さんが分からないよ!!」

 

 突き飛ばす。母親が痛みで顔を顰め文句を言うよりも早く、朔月は廊下へ駆け出す。

 見たくない。声も聞きたくない。朔月はあんな母親がいるという事実を全部否定したかった。

 自分がその娘であるという事実を、自覚したくなかった。

 

 

 

 

 

 

 衝動的に駆け出したのなら、辿り着く場所は結局同じだ。

 朔月は三度、同じ川辺へ戻ってきていた。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 息が尽きる。感情のままに迸った脚は恐怖に呑まれた時より長持ちした。おかげでほとんど止まらずにここまで来てしまった。

 

「はぁ、はぁ!」

 

 肺が苦しい。けどそれ以上に、心が苦しい。

 嫌悪があった。喪失感があった。ただただ深い、悲しみがあった。

 少女の身に詰め込まれるにしては不相応な情動は、そのまま願いへの強い衝動となる。

 

「――七人ミサキ、七人ミサキ、七人ミサキ!」

 

 とにかく変わりたかった。こんな生活から。こんな生活を耐えられる自分へと。

 それに縋ったのは、記憶に新しかっただけでしかない。

 

「『戦います、戦います、私は七人ミサキと戦います!

  戦います、戦います、私は願いのために戦います!

  戦います、戦います、生き残りたいから戦います!

  勝って、嬲って、潰して、犯して――そして七人ミサキを、殺します!』

 

  ……だから、私を!」

 

 ――変えて欲しい。

 

 少女の願いは天には届かない。

 ただし、もっと別のものが掬い上げる。

 

「……え」

 

 弧を描く三日月が輝いたかと思うと、朔月の視界は光に包まれる。

 眩しさに目を瞑ると、次に訪れたのは一瞬の浮遊感。

 

「――痛っ」

 

 尻餅。鈍痛に目を開けた朔月が見たのは――

 

「……ここ、どこ?」

 

 緑の蔦が這う、廃墟だった。



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一日目-2 廃墟の塔の龍魚

「え……私、え?」

 

 さっきまでいた川縁とは、全く似つかない場所。

 突然の出来事に、朔月(はじめ)は目をしばたかせた。

 

「廃、墟? 廃墟、だよね」

 

 そこは四方をコンクリートらしき構造材に囲まれた一室だった。状態は悪く、ひび割れている。廃墟のような、という印象を受けるのは当然な風景。

 ただ廃墟であるという確信を得たのは、そこに這う多数の蔦の所為だった。

 

「人が手入れしてないから、こんな蔦が生えるんだよね……って、違う」

 

 廃墟かどうかはどうでもいい。

 それよりも何故ここにいるかが重要だ。

 

「私、川にいた筈……なんで、急に」

 

 混乱する。こんなの、現実にあり得ない。

 だが夢と言うには唐突で、そして……

 

「……触れる。しっかりした感触……夢っぽくない」

 

 手を伸ばしたコンクリートの壁には、確かな現実感があった。蔦にも触れる。植物らしい青臭さが鼻を突き、しっとりとした感触が指を通して伝わった。夢にしてはディティールが細かすぎる。非現実を否定する現実感。

 

「……どこなんだろ、ここ」

 

 情報を欲した朔月は辺りを見渡した。すると、部屋の一角に下へ続く階段を発見する。

 何も無いここにいても進展はないと、息を呑んでその階段を下る。

 辿り着いたのはまたしても同じような、人の気の無い廃屋。中央に円形のテーブルがあるところを見ると、何かのお店なのだろうか。そして、扉があった。

 

「………」

 

 意を決して、扉を開ける。鍵は掛かっていなかったのか、左程の抵抗も無く扉は開いた。

 外の景色を目にする。そして絶句する。

 

「……え」

 

 そこに広がっていたのは、廃墟、廃墟、廃墟。

 一つや二つでは無い。無数に続くビルや倉庫。遠方には、横倒しになった樹木のような巨大な建造物が見える。見渡す限りに続く、無人の世界。人の代わりに繁茂するは、異形の花を咲かせる蔦の群れ。

 そこは蔦に覆われた、廃墟の街だった。

 

 

 

 

 

 

 廃墟の街を、朔月はひた歩く。

 気配のない街並みは、ただただ不気味だ。

 最初に出た倉庫街らしき場所からオフィス街らしき場所に出ても、それは変わらなかった。

 

「どこなんだよ、ここ……!」

 

 声音に苛立ちが混じる。それは心細さからくる自己防衛だった。混乱と恐怖に呑み込まれそうになるのを怒りで誤魔化そうとする、心のアレルギー。

 

「早く、帰らない、と」

 

 そう呟いたところで、朔月は立ち止まった。

 

(帰る……あの家に?)

 

 醜悪な母親の所業を思い返す。到底許すことは出来ない。あんな人間と一つ屋根の下にいることなんて、怒りで潰れて死んでしまいそうだ。

 帰りたくは、ない。だが得体の知れないこの街にもいられない。

 どうにかして、せめて自分の知っている風景へは戻らなくちゃ……朔月が改めて決意を固めた時。

 

 じゃり、と音がした。

 

「!! だ、誰かいるんですか……!?」

 

 足音だと直感した朔月は誰何した。この街にやってきて初めて感じた、自分以外の人の気配。心の中が歓喜で騒ぐ。

 だが廃屋の陰から現われた姿を見て、固まる。

 

「え……」

 

 そこにいたのは、人型ではあっても異形だった。

 もっとも目立つのは全身を覆う緑色のヒレ。魚のように見えるソレは肩を覆い、腰を覆い、そして顔を仮面のように覆っていた。

 ヒレに隠された身体は人型であるようだが、よく見えない。辛うじて赤系統の色合いをしているのと、腰部から垣間見えるベルトのバックルのようなパーツが判別出来るくらいだ。

 魚、あるいは爬虫類人間。一見はそう見えた。だから固まった。

 だが――その口元だけは、人間と同じ物が露出していた。

 

「あ……よかった」

 

 鼻と、口。それから顎にかけてだけが露わになっている。線は細く、女性のように見える。朔月はそれを見て安心した。異形ではなく、ただ何かを着た人なのだと。

 それも十分におかしいということには、異常事態故気付かなかった。

 

「あの、ここがどこだか分かりますか?」

 

 ヒレ鎧の人物は答えない。朔月を正面に据えただ佇んでいる。

 

「えと……もしかして、私と同じ、ですか? 突然、迷い込んで……帰る方法を、探している?」

 

 答えない。そのまま。

 

「……あの」

 

 居心地の悪くなった朔月は反応を求めた。言葉が通じないのだろうか、そんな可能性を思いつく。

 当惑する朔月を余所に、ヒレ鎧は初めて動きを見せた。顎に手を当て、考えるような素振りを見せる。

 そして呟いた。

 

「もしかして、アンタが七人ミサキ(・・・・・)?」

「……はい?」

 

 告げられたのは、全く思いもしない質問。

 その声が自分に近しい年頃の少女のものだと朔月が思い当たるより早く、状況は推移する。

 

「まぁ……人の姿をしているのは後味が悪いけど」

 

 そう言ってヒレ鎧は右腰部を叩いた。光が生まれたかと思うと右手へ集約していき、収まるとそこには緑色の銃が握られていた。

 

「ボクの願いの為に死んでよ」

 

 そしてその銃口を、朔月へと向けた。

 

「……え?」

 

 発砲。マズルフラッシュが瞬き、銃弾が発射される。

 銃弾は朔月の髪を掠め、背後の廃墟へ突き刺さった。

 

「……は……あ?」

 

 突如として襲った自分の命の危機に、朔月は反応しきれない。そんな彼女の前でヒレ鎧は銃口を揺らしている。

 

「んー、当たらないかぁ。まぁ銃握ったのなんて十歳のハワイの射撃場以来だしなー。まぁ、数打ちゃ当たるか」

 

 再び銃口が己へ狙いを定めるのを見て、朔月はようやく我に返った。

 

「う……うわああああぁぁっ!?」

 

 途端、恐怖に呑まれその場から脱兎する。撃たれたという防衛本能が、その場からの離脱を選択させた。

 

「あ、逃げられた」

 

 獲物を逃がしたヒレ鎧は逃げるその背に銃口を向け、引き金を引いた。撃つ。外れる。逃げる相手には中々当たらない。

 

「あっちゃー……こりゃ足が止まるまで追い詰めないといけないかな」

 

 廃墟の間の路地へ逃げていく朔月を見て頭を掻く。焦りはない。明らかに自分が強者だからだ。

 だから強者らしく一歩を踏み出す。

 

「さて、狩りだね。それも数年ぶりだなー」

 

 余裕を湛え、ヒレの異形は悠々と追いかけだした。

 

 

 

 

 

 

「何アレ! 何アレ! 何アレ!」

 

 困惑に襲われるまま、朔月は走っていた。突然銃弾に狙われた朔月は、現代一般人として至極当然ながら混乱していた。

 撃たれた、銃で。撃たれた、突然!

 何も分からない。だが逃げなければ。多分、いや絶対、当たったら死ぬ!

 生存本能の赴くまま駆ける。路地裏に入ったのは単純に視線を遮り追っ手を撒くため。

 その行き先を分かりやすくしているとは、露にも考えなかった。

 

「ん~、こっち?」

「ひぃ!?」

 

 ひょっこりと出口側から顔を出したのは、自分を狙った緑のマスクだった。

 朔月は咄嗟に入り組んだ路地を曲がった。場当たり的な逃走。しかしそうするしかない。

 

(なんっで! 先回り!)

 

 空気を喘ぎながら脳裏で問いかける。速すぎる。路地を駆ける自分よりも先にいるだなんて。

 そうしている内にも声が響く。

 

「逃げてるねー。でもここからは当てにくいなぁ。もっと広い場所に出られるように誘導しないとかー」

 

 反響する声。しかし何となく上を見上げると、そこには屋上から路地を覗き込む緑の仮面が見えた。

 

「嘘、でしょ!?」

 

 どうして屋上にいるのか。階段を昇ったにしては速すぎる。空を飛ぶか、ビルの壁を駆け上がるかしないと説明がつかない。

 驚いた気配が伝わったのか、呑気な声が答える。

 

「ねー、ビックリだよね。いや一足にとはいかなかったよ。何度か壁を蹴ってねぇ。でもすごい跳躍力だよ。人間なんて超えちゃってる」

 

 降ってくる声はまるで雑談でもしているかのようだ。

 

「これで狩れないなんて嘘だよね」

 

 だが殺意は本物だ。

 発砲音と共に朔月の周囲の壁や地面が爆ぜた。

 

「っ、ひっ!?」

「ははっ、ほらほら。逃げないと当たっちゃうよ」

「や、やだああっ!」

 

 逃げる。脚を止めない。止められない。腿と肺が悲鳴を上げても、朔月は逃げ続けた。

 対するヒレ鎧は嬲るように、追い詰めるように朔月を付け狙う。時折銃弾を放って朔月を怯えさせるも、本気では狙わない。狩りを愉しむかの如く朔月を走らせる。まるでいたぶるように。弄ぶように。

 

「ひぃっ、はぁっ」

 

 しかし逃避行も長くは続かない。元より走るのが得意ではない朔月は、息が切れるのも早い。そしてそれは追われているプレッシャー、そして慣れない道を走ったことによっていつも以上に早まっていた。

 だから安易な逃げ道にはしってしまう。偶然見つけた、開いているビルの扉に。

 

「っ、うぅっ!」

 

 力を振り絞り、その中へ飛び込む。そして近くに積まれてあった廃材をこれ幸いと倒して崩す。古い木材と木箱は音を立てて転がり、即席のバリゲートとなって入り口を塞いだ。

 

「あーあー。これじゃ追えないやー」

 

 そう言いながらもヒレ鎧はニヤリと笑う。入り口の一つは塞がった。クルリと建物を一周して他の出入り口がなければ二階から侵入すれば良い。袋のネズミだ。焦燥はない。これは圧倒的に有利な狩りだ。

 

「そろそろ佳境だねぇ」

 

 相手は自ら死地に飛び込んだ。勝利は近い。

 異形は軽々とステップを踏みながらビルの壁を沿いだした。

 

 

 

 

 

 

 朔月は廃墟の床に倒れ込み、荒い息を吐いていた。

 

「はーっ、はーっ」

 

 痛い、全身が。怖い、全部が。

 分からないまま追われ、そして死にかけている。朔月の目端から涙が零れる。

 

(どうして、こんなことに)

 

 その答えは自分の中になく、答えてくれる人物もいない。

 筈だった。

 

「貴女がこのライダーバトルに参加したからよ」

 

 廃墟に響く、鈴を転がすような声。朔月は弾かれたように身体を起こした。

 異形の声じゃない。でも聞き覚えがある。

 顔を上げたその先にいたのは、柱にもたれ掛かる、銀の髪を揺らす少女の姿だった。

 

「ノー、アンサー……!」

 

 蛍光灯の下と同じく、やはりこの場にいるにしては似つかわしくない服装の彼女を認め、朔月は力を振り絞って立ち上がる。そして詰め寄り、逃がさないように柱へ手を突いた。

 意外と小さいノーアンサーの身体を覆い、問いただす。

 

「これ、はっ……何? 何で、こんなことになってるの!? らいだー、ばとる? それも、何!?」

「質問が多いわねぇ。悠長にしている暇は無いんじゃない?」

 

 涼しい表情でノーアンサーが告げた瞬間、歌うような声が壁越しに耳へ届く。

 

『でっぐ、ち~。出口はあるかな~? ん~、無さそうだね~?』

 

 入ってきた方とは別方向。建物を半周しているのだと気付き、朔月は戦慄する。

 他の出口を、塞ぎにいってるんだ。自分を追い詰める為に。

 

「っ! ……家、ううん、あの川辺に帰して!」

 

 半ば懇願する形でノーアンサーに叫ぶ。この少女なら出来る筈だと。しかしノーアンサーはクスクスと嘲るように笑う。

 

「ふふっ。それは無理ね。この空間が解ける(・・・)方法は二つ。時間が来るか、それともここにいる人間が私を除いて一人になるか」

「っ、それって」

 

 時間は、論外。後どれくらいなのかは分からないが、ソレを待つのは追い詰められつつある現状では悠長が過ぎる。

 そして、ここにいる人間がノーアンサー以外に一人だけ、ということは――

 

「私が死ねばあの人は出られて、私が出るには……」

 

 あの鎧を、殺さねばならない。

 ノーアンサーが告げているのはそういうことだと、朔月は理解した。

 

 そうだ。あのおまじないは何をさせようとしていた。

 七人ミサキを、殺す。そう、殺す。命を奪う。それなら、逆もまたしかり。

 

「私は、殺、される……」

「そう、殺されるわ。このままだと」

「殺される……死ぬ……死、ぬ」

 

 急に身体の芯が凍り付いたかのように震えが起こった。銃口に狙われた恐怖がぶり返し、そして実感がそれを更に恐ろしい物に昇華する。がむしゃらに本能で逃げていた時よりも深い、理性で解ってしまったが故の強い怯懦。膝が震える。冷や汗が止まらない。気を抜けばその瞬間腰が抜けて、そのまま泣きじゃくって動けなくなってしまいそうな予感。

 そんな朔月の怯える様子を満足そうに眺めたノーアンサーは、彼女の震える頬に手を添えて囁いた。

 

「でも今なら、まだ抗えるわ」

 

 絶望に曇りかけた心に、一条の光が差し込んだ。バッと顔を上げ、ノーアンサーと目を合わせる。

 その瞳は相変わらず愉悦に歪んでいた。だが少なくとも、殺意も敵意もない。

 だから最後の希望だと縋ってしまう。

 

「……教えて。どうすれば、死ななくて済むの?」

 

 ノーアンサーはニタリと笑った。我が意を得たりというように。

 

「仮面ライダーに変身しなさい」

「仮面、ライダー?」

 

 それは、さっき――もう何日も前のように感じるが――川辺でノーアンサーから聞いた存在だ。

 自由と平和を守るヒーロー。誰かの危機に、颯爽と駆けつける騎士。異形となりし戦士。

 

 ノーアンサーは朔月の胸を優しく押し、身体から離す。二人の距離が開くと、ノーアンサーの両掌の上にはいつの間にか何かが乗せられていた。

 

 機械的な意匠のある黒いプレート。その中央には小さな石膏像のようなものが嵌め込まれている。例えるなら、女神の船首像(フィギュアヘッド)。裸で貼り付けにされるそれは、交差する銀の鎖でプレートへ縛り付けられていた。

 その船首像がどこか自分に似ているような気がして、朔月は目を逸らした。代わりにノーアンサーへ向き直る。

 

「これが……何?」

「ドライバーよ。仮面ライダーに『変身』する為の」

「変、身」

 

 ドクンと脈動が響いた。凍てついた身体が溶けるのを感じる。

 自分の願い。変身。

 

「これを取れば、ヒーローになれるの……?」

「えぇ、そうよ」

 

 ノーアンサーは蠱惑的に微笑む。もうこの先を、確信しながら。

 

「これがあれば、貴女は戦える。変われる。

 何にも出来ず狩られるだけの貴女は、ヒーローになれる。

 それとも貴女は、このまま無為に死ぬことを選ぶの?」

 

「私、は……」

 

『――お前が朔月を妊娠しなければ、こんなことにはならなかったんだ!!』

 

『アンタだけが楽しそうにしてるの、ムカつくのよ』

 

 過ぎるのは声。悪意に満ちた、忘れようのない声。

 ここで死ねば、自分は生まれた意味すらない。

 ただ疎まれ、憎まれ、愛されないまま、無意味に、狩られて死ぬ。

 それは――

 

「……嫌、だ」

 

 変わりたい。自分じゃないものに。

 だから朔月は、無垢なる少女はそのドライバーを手に取った。

 

「っ!?」

 

 その瞬間、ドクリと彼女の中が波打った。

 心臓が、跳ねたわけじゃない。もっと何か、根本的な物が――吸い出されたか、あるいは別の場所に移されたか。そんな感覚。

 だが朔月はその現象に説明がつけられず、ただの立ちくらみと頭を振った。

 

「――おめでとう」

 

 自分の手から離れたドライバーを見て、ノーアンサーは拍手する。パチリと手を合わせた音が鳴り響くと、朔月の手に移ったドライバーが淡く輝いて変形した。

 

「っ、と」

 

 ドライバーは二つのパーツに別れた。一つは黒いドライバー本体。もう一つはフィギュアヘッドと、それを戒めていた鎖。鎖はフィギュアヘッドの背に突き刺さり、ネックレスのような形になっている。

 

「まずはドライバーを腰に当てて。お腹の前辺りよ」

 

 困惑する朔月にノーアンサーは優しくレクチャーする。朔月は素直に聞き届け、指示通りにした。

 

「! ベルト……!」

 

 ドライバーを下腹部に当てた瞬間、ドライバーからベルトが飛び出して朔月の腰に巻き付いた。丁度のサイズに固定され、バックルとなったドライバーは外れなくなる。

 

「それでそのネックレス……『マリードール』を装填するの。その時に変身! って叫ぶといいかもね。それで完了」

「それで……ライダーに」

「そう。貴女は……無敵の力を得られる」

 

 この囁きは、天使のものか、悪魔のものか。導くものか、陥れるものか。

 どの道朔月は、選び取った。

 戦う道を。ライダーとして。

 

 フィギュアヘッド――マリードールを片手で掴み、天高く掲げる。

 

「……すぅーっ……――変身!」

 

 自らの願望。それを形為す語句を唱え、勢いよく中央部へ装填した。時計のセグメントに似た部分へ叩きつけられたマリードールはドライバーの中心に装着され、チェーンはひとりでにドライバーへ巻き付いた。フィギュアヘッドは鎖に絡め取られる。それはまるで、もう逃げられないと暗示しているようで。

 ドライバーが淡く輝く。歪んだ電子音声が鳴り響く。

 

《 Silver 》

 

《 戦いは止まらない  何故?

  運命は変わらない  何故? 》

 

 問いかけるような、訴えかけるような言葉。

 それが廃墟に響くと同時に、朔月の身体が光に覆われ始める。

 黒いインナーが肢体を覆い、その上に銀の鎧が装着される。丸い意匠を帯びた、しかし頑丈そうな鎧。頭部は口元だけが露出した、複眼のある鉄仮面が隠す。最後に両肩から襤褸のようなマントが飛び出て、変身は完了した。

 銀の騎士(ライダー)

 それを見たノーアンサーは再び手をパチリと鳴らして高らかに宣言する。

 

「あぁ、名付けましょう! 今ココに誕生せしは、仮面ライダー、銀姫(ぎんき)! 貴女は必ずや七人ミサキを討ち倒し、この戦いを終わらせる存在となるでしょう!」

 

 嬉しそうに言うノーアンサーとは裏腹に、朔月は自身の変化に戸惑う。

 

「これが、仮面ライダー……」

 

 目に映るのはグローブを嵌めた掌。一の腕を守るブレーサー。戦うための姿。

 これがなりたかった、違う自分。

 

「ふふっ。それじゃ……愉しませてね?」

 

 そう言い残し……ノーアンサーは前と同じように消えた。

 今度は驚かない。もうこの場所にはそんな不思議が溢れていると知ってしまったからには。

 その代わり朔月の、銀姫の注意は廃墟の一角へ向けられた。

 そこには上階へ続く階段がある。そしてさっきから、ビルの外から歌が聞こえなくなっていた。

 新たな音が、階段からコツリ、コツリと鳴り響く。

 

「さぁ……狩りの終わりだよ」

 

 相変わらず余裕たっぷりの声。だが銀姫となった今では、それ程恐ろしくは感じない。今の彼女には、ある種の全能感が満ちていた。だから言い返す。

 

「そうだね。もう狩りじゃない」

「ん? ……っ!?」

「これからは、戦いだ」

 

 階段を降りてきたヒレ鎧――いや、今なら分かる。彼女もまた、仮面ライダーの一人――が、様変わりした獲物の姿を認める。驚き、息を呑む気配まで、銀姫は鮮明に感じ取った。

 感覚が研ぎ澄まされている。力が漲る。負ける気がしない。

 先程まで恐怖の対象だった緑の仮面ライダーが、まるで恐ろしく感じなくなっている。

 逆に緑の仮面ライダーは、鎧を纏った銀姫に警戒を露わにした。

 

「アンタ……! なったのか、仮面ライダーに」

「えぇ、そう。私は仮面ライダー、銀姫」

 

 ノーアンサーに与えられた名を名乗る。そうだ、この身は銀姫。それが戦う騎士の名。

 

「……ならボクも名乗ってやろう。ボクは仮面ライダー竈姫(へき)

 

 緑のライダーは、竈姫は、怒りと覚悟を滲ませながら告げる。

 

「お前を狩って、願いを叶える者の名だ……!」

 

 瞬間、空気が爆ぜる。否、戦いの火蓋が落とされた。

 竈姫の銃が銀姫を狙って発射される。その銃口はお遊び混じりだった先程とは違い、正確に銀姫を狙っている。当たれば死ぬと怯えていた銃弾。しかし今は逃げずに、その射線の間に腕を差し出す。

 銃弾はブレーサーに着弾し、火花を散らせた。衝撃が腕を襲う。だが、大して痛くはない。鎧の厚く造られている部分で受ければ銃弾も平気のようだ。

 

「これが、仮面ライダー……!」

「くそっ!」

 

 不利を悟った竈姫は銃弾を乱射した。受け続けては流石に不味いか、と判断した銀姫は廃墟の柱に隠れるように走る。

 跳弾の甲高い音が廃屋に響く。それを聞きながら銀姫は思考を巡らせた。

 

(こっちの武器は)

 

 相手が銃を持っている以上、こちらにも武器が無ければ不利だ。そう考え銀姫は、竈姫とエンカウントした時を思い出す。確かあの時、銃は光が集まって生み出されていた……。

 

(……こう?)

 

 銀姫はあの時の竈姫と同じようにベルト横のパーツを叩いた。すると銃が現われた時と同じ光が生まれ、銀姫のグローブの中に集い始める。

 

「よし……ってアレ?」

 

 手応えを感じて鉄仮面の下で笑みを浮かべる銀姫だったが、現われた物を見て首を傾げる。

 銀姫の手に収まったのは、一振りの直剣だった。

 

「じゅ、銃じゃないの!?」

 

 真っ直ぐな刀身をした、細い剣。頼りなさを感じさせる刃はふとした途端に折れてしまいそうだ。この剣だけが、どうやら自分の武器らしい。

 

「ぅ……でもやるしかない」

 

 だがそれで挫ける気はしなかった。心の底から勇気が湧いてくる。まるで戦え、戦えと誰かが囁いているかのようで、諦める気がしない。

 覚悟を決めた銀姫は柱の陰から飛び出した。

 

「そこっ!」

 

 当然狙っていた竈姫は飛び出てきた銀姫を狙い撃つ。だが仮面ライダーの力の与えた超人的な反射神経は、彼女の予想を覆す返し手で応じた。

 翻る刃が、銃弾を切り落とした。

 

「嘘っ!?」

 

 予想だにしなかった。竈姫はこの状況に慣れつつあった為に、逆に非常識な戦い方を思い浮かべられなかった。そこが変身したばかりの銀姫との差となった。

 動揺し、銃身がブレる。次弾は銀姫と随分離れた空間を撃ち貫き、銀姫が距離を詰める余地を与えてしまう。

 竈姫がしまった、と思った時には既に刃圏だった。

 

「せやぁっ!!」

 

 彼女なりの裂帛の気合いを吐き、銀姫は直剣を振るった。弧を引く銀閃は狙い通り――竈姫の構えた銃を切り裂いた。

 衝撃に銃を取り落とし、銃身を半ば断ち切られた銃はあらぬ方向へ飛んでいく。

 

「ぐぅ、しまった!」

 

 慌てて距離を取るが、その手にはもう飛び道具(じゅう)は無い。一気に有利になった銀姫は勝利へ詰めるべく、より強力な一撃を欲した。この戦いを終わらせる一手を。

 その瞬間、脳裏に閃く。食べたい物が目の前にあるのならそれを口に運ぶ。そんな本能的なことのように、銀姫はドライバーへと手を伸ばしていた。

 マリードールへ触れる。その表面を撫でるようになぞると、ドライバーから歪んだ電子音が鳴り響く。

 

《 Silver Execution Finish 》

 

 八双に構えた直剣の刀身がけぶるように淡く輝く。銀色に煌めく刃が更に輝きを増し、その身に力を蓄えていく。剣尖まで光が漲った瞬間、銀姫はその剣を上段に掲げ、袈裟斬りに振り下ろした。

 銀の閃光が奔る。剣の軌跡をなぞるだけではない。一閃は刀身を離れ、光の刃となって地を切り裂きながら竈姫へと迫った。

 

「う、うわああああっ!?」

 

 廃墟の床を容赦無く刻みながら迫るその斬撃に、竈姫は情けない悲鳴を上げて目を瞑り……そしていつまで経ってもやってこない痛みに薄目を開く。

 

「ぅ……っ!?」

 

 光の刃は消滅していた。ただし、竈姫の爪先で。床に刻まれた深い斬撃の跡がそれを物語っている。

 後1cm。いやミリ単位で違っていたら、その刃は自分の足を切断していた。コンクリートを深くまで切り裂く斬撃が到達していたら、いくらライダーの鎧を身に纏っていてもタダじゃ済まないだろう。

 その事実に竈姫は思わずへたり込みそうになった。圧倒的有利な局面から一点、命を脅かされたギャップに腰が砕けそうになる。しかしなけなしのプライドを総動員し、仮面の下から銀姫を睨み返した。

 

「……手加減の、つもり?」

 

 こんな繊細なコントロール、狙ってやらなければ出来ない。であるなら、銀姫は必殺の斬撃を敢えて無為に終わらせたということになる。

 竈姫の鋭い視線に、銀姫は刃を払うように振るって答えた。

 

「殺したいわけじゃない」

 

 銀姫は剣の切っ先を降ろし、竈姫に己の意志を告げた。

 

「殺し合わなくても、ここから出る方法はある筈。私たちが戦う必要はない」

「あぁ、出るだけならね。アンタ、ノーアンサーからルールは聞いてないのかい?」

「……少ししか、聞いてない」

 

 銀姫は先程ノーアンサーと交わした会話を思い返し、仮面の下で苦い顔を浮かべた。ルール。それがライダーバトルやこの空間に関しての法則だとするならば、自分はまだ断片的にしか把握していない。

 苦々しく呟く銀姫を竈姫は鼻で笑う。

 

「はん! なら一番大事なことを教えておいてやるよ。このライダーバトル、勝ち残れば願いが一つ叶う」

「願いが叶う……」

 

 それは、銀姫もノーアンサーから聞いていた。願いがあったから、あのおまじないを唱えた。もっとも銀姫、もとい朔月はある意味ではもう願いが叶っているが。

 だが他の者はそうではない。仮面ライダーになるのは願いを叶える為のプロセスだ。

 

「七人ミサキを全員屠れば、その勝者の願いを一つだけ叶えてくれる。それがノーアンサーの告げたルールよ」

「……七人ミサキ。それは……」

「ボクはてっきり妖怪の類いかと思ってたけれど、今ハッキリしたね」

 

 竈姫は睨み付ける。怨敵を射貫くような眼差しで、銀姫を。

 

「ライダーバトル。七人ミサキを殺すということ。……これは、仮面ライダーとなった七人ミサキの殺し合いだ」

 

 竈姫が告げた答えを聞き、銀姫もその結論に至った理由を理解した。ノーアンサーは、自分たちに殺し合いをさせようとしているのかもしれない。

 だがそれを鵜呑みにするかどうかは別問題だ。

 

「ノーアンサーは、仮面ライダーが怪人と戦う正義のヒーローだと言っていた。単なる殺し合いをする存在は、ヒーローなんかじゃない」

「はっ! 分からないのか?」

 

 竈姫は嘲る。心の底から馬鹿にした声で答える。

 

「その怪人ってのが――」

 

 しかし言い切るより早く、

 二人の脳内に互い以外の言葉が響いた。

 

『ぴーんぽーんぱーんぽーん♪ 本日のバトルは終了でーす♪ 今日の死者は残念ながら、なーし!』

 

 緊迫した二人の間の空気を散らすように、愉快げなノーアンサーの声が脳に染み渡る。

 

『それでー……普通ならこれで解散なんだけど、今回は初日ということでちょっとミーティングをしたいと思いまーす』

 

 鳴り響くアナウンスのような声に疑問符を浮かべる。ミーティング? 思わず声を上げて意図を問おうとした瞬間だった。

 世界が薄れた。

 視界が霞むわけじゃない。世界その物が希釈し、消えつつある。

 

「!? これ……?」

 

 廃墟も消える。蔦も消える。弾痕が残る柱も、深く刻まれた床も消えていく。世界が白くなり始めた頃、銀姫の意識も薄れ始めた。

 

「っ、う……」

 

 意識を失い、次に目を覚ました時。

 朔月は六人の少女と共に不毛の大地へ立っていた。



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一日目-3 邂逅

 目を覚まして顔を上げた時、朔月(はじめ)の視界に映ったのはどこまでも続く不毛の荒野だった。

 

「ここ、は……」

 

 遙か地平線までほとんど草もない大地。遠くに見える山々はハゲ山で、その麓にある森は全て枯れ木だ。吹く風は砂混じりで、空の色も鈍い。

 そして荒野の中央には瓦礫の山があった。崩れた石材のような物が積み上がっている。辛うじて台座や人の脚らしきものがいくつか残っているところから、元は石像だったのだろうかと当たりをつけることが出来る。だがそれ以上のことは判別がつかないくらい、崩壊していた。

 

 そこまで見渡してようやく、朔月は自分の周りに誰かがいることに気付く。そこにいたのは少女たちだった。一、二、三……六人いる。いずれも朔月と変わりない年頃の少女たちだ。服は制服を着ていたり、私服だったりとマチマチ。一応朔月と同じ制服を着ている少女はいない。

 そして朔月は自分の変身が解けていることに気付いた。少し慌てるが、首元にはネックレス状になったマリードールが掛かっていた。変身は解除されただけであり、仮面ライダーの力を失った訳では無いという事実にホッとする。

 

 やがて少女たちが現状を把握しざわつき始めた頃、再び聞き覚えのある声が響いた。

 

「やぁやぁ皆々様方。まずはお疲れ様。中々愉しませてもらったわ」

 

 声のする方を弾かれたように振り返ると、そこには瓦礫の上で脚を組むノーアンサーの姿があった。艶めかしい絶対領域を晒しながら、表情には微笑みを湛えている。

 ノーアンサーは笑みを崩さず口を開いた。

 

「さて……本来はもうみんなそれぞれの場所へ帰ってもらうところなんだけど、今日は初日だからみんな聞きたいこととか色々あるでしょう? 今回は特別大サービスということで、答えてあげるわ。ミーティングというわけよ」

 

 質問会。というわけらしい。

 朔月は悩んだ。質問が思い浮かばなかったわけじゃない。むしろたくさんありすぎて、何から問えば良いか咄嗟に出てこないだけだ。

 そうしている間に少女の一人が口を開く。

 

「あの……ここ、どこですか?」

 

 気弱そうな少女だった。黒髪ロングで、育ちが良さそうに見える。朔月とは別の高校の制服を着ている。確か、同じ地域の私立高校の筈だ。ぬばたまの髪に映える剣を模した黄金の髪飾りが印象に残った。

 その少女の質問にノーアンサーは快く答えた。

 

「ここは……まぁ、無意味な空間ね。みんなを集めて今回のミーティングを開くために間借りさせて貰ってるだけよ。持ち主は既にいない場所だから気にしなくていいわ」

「あ……えと……」

「なら、この世界、いや私たちの戦っていた世界はなんだ?」

 

 意図と違った答えが返ってきて戸惑う黒髪の少女を引き継いで、また別の少女が問いかける。

 ポニーテールに髪を纏めた、意志の強そうな少女だ。背が高く、学校指定らしきジャージを着ていなければ大人と見間違ったかもしれない。

 

「あの異様な空間は、私たちの地球では無さそうだが」

「んー、あの世界はね……私の力が作り出せる異空間、ってところかしら。貴女たちのライダーバトルを誰にも邪魔されない形で開催できるバトルフィールドだと思ってくれればいいわ。それ以上の説明は、貴女たちには関係のないことだし」

「……答える気があるのかどうか分からないが、必要なことは聞けたと思っておこう」

 

 腕組みしてポニーテールの女子は押し黙り、別の少女が手を挙げた。

 

「はいはーい! じゃあノーアンサー、そんな力を持つ貴女は何者なのー? どう見ても普通の人間じゃないよねー?」

 

 元気よく挙手し、ハイテンションに質問した少女は青みがかった髪をツインテールに括った、背の低い少女だった。ピョンピョンと跳ねる度、パーカーに押し込められた胸部がゴム鞠のように上下に跳ねる。ホットパンツから伸びる生足は柔らかそうにむちっと肉付いていた。幼気さと妖艶さを絶妙のバランスで持ち合わせた少女だった。

 ノーアンサーはそんな無邪気な少女の質問に目を細め、パチリと手を合わせて答えた。

 

「私は……このライダーバトルの主催者よ。この世界への漂流者。人間と同じ姿をしているけど、人間ですらないわ」

 

 そう言ってノーアンサーは掌を掲げた。途端、その手はノイズを纏って薄く透ける。人間ではあり得ない現象だ。少女たちの幾人かから、息を呑む気配が伝わってくる。

 

「でも別に万能の神という訳でもないわ。むしろちっぽけな力しか使えない。亡霊に近い存在。本当の神を知っていると、あまりイキれないわね。……そんな私の目的は、ライダーバトルの成就。この儀式を完遂させること」

 

 これでいいかしら、と微笑んでノーアンサーは質問した少女を見下ろした。

 

「んー、不思議な人ってことは分かった!」

「そう、じゃあ次の人ー」

 

 戯けてノーアンサーは質問を促す。次に挙手したのは凜とした雰囲気を纏った女学生だった。

 その少女が身につけている制服を見て朔月は目を瞠った。それは市内有数の、超難関進学校、唯祭高校のものだったからだ。偏差値を70超えないと選定にすら入らないという噂のその学校は、在学しているというだけで相当の知能を周囲に裏付ける。

 ウェーブのかかったロングヘアーと、銀色のフレームが光る眼鏡が特徴的な彼女は、怜悧な光を瞳に宿しながらノーアンサーへ質疑する。

 

「なら根本的なことを。――本当に、勝ち残れば願いは叶うの?」

 

 ピリッ――と、その場の空気に電流が走った。

 願い。そう、あのおまじないに頼った以上、この場にいる少女は全員願いを携えている筈だ。

 自力じゃ叶わない。あるいは今すぐにでも叶えたい願いを。

 怜悧な少女もまた、例外ではないのだろう。ノーアンサーを見上げる瞳は真剣なものだ。

 そんな少女たちの視線を浴びながら、ノーアンサーはこともなげに答える。

 

「本当よ?」

「どんなものでも、と聞いたけど?」

「えぇ」

「なら――どの程度まで叶えられる? 例えば、世界征服とか」

 

 突拍子もない言葉に朔月は少し呆ける。しかしそれはあくまでノーアンサーの願いの範囲を問う為の質問なのだと気付き、慌てて首を振った。近くの少女が怪訝そうな眼差しで見つめるのが恥ずかしかった。

 

「世界征服、ね。結論から言うと――叶うわ」

「! それは、夢が広がるわね……この世で一番の天才にして、や、永遠の命、も可能かしら」

「場合によっては条件がつくこともあるけど、可能よ。全知はどんな存在にも不可能だから無理だけど、認識を広げて膨大な知識を得ることは出来るわ。勿論、世界中の軍隊を相手にしても負けない力、あるいは軍団を得ることも出来る。この(・・)世界で一番程度なら、簡単に叶うわ」

「そう……」

 

 眼鏡の少女は、驚いたことに――舌舐めずりをした。まるで極上のステーキを目の前にした時のように、怜悧だった目を爛々と輝かせながら。

 

「世界征服を為すだけの力が、たった数人殺すだけ(・・・・・・・・・)で手に入る。これは破格ね」

「……っ」

 

 耳を疑う言葉を平然と呟く彼女に朔月は息を呑んだ。

 人殺しを厭わないどころか、たった数人とすら切り捨ててしまう。だが、それはそれだけ強い願いを抱えているということなのだろう。

 朔月にその覚悟はない。ただ激情の赴くまま、叫んだだけなのだから。

 

「……ならアタシからも、一つ」

 

 次に喋った少女は、朔月の隣にいた、ギターケースを背負った少女だった。

 クールな印象を受ける少女だ。赤みがかった髪を流し、キリッとしたアーモンド状の瞳は意志を秘めて燃えている。スレンダーな体型をパンキッシュなファッションで包み、エンジニアブーツの爪先まで隙の無い出で立ちは、これから戦場へ赴く完全武装の戦士を想像させた。

 彼女は真っ直ぐとノーアンサーを見つめ、毅然と問いただした。

 

「このバトル、どう終わるの?」

 

 赤毛の少女が問うたのは、終わり。この戦いの終焉。

 そうだ、それが無ければ、自分たちは――戦いから解放されない。

 

「……最初から言っているわよ?」

 

 ノーアンサーはこともなげに答える。

 

「七人ミサキを全員殺したら、って」

 

 七人と一人の間を、渇いた風が吹き抜けた。無言の中をすり抜ける風音は、嫌に響く。

 殺す――この場にいる全員を。

 朔月は思わず見渡した。そして、丁度死角にいて見えなかった少女と目が合う。

 

 ショートカットの、ボーイッシュな格好をした少女だ。青いパーカーを腰に巻き付けるようにしている。その眼差しがまるで敵意を以て自分を射貫いているように見えて――朔月は理解した。

 

(この子、竈姫(へき)だ)

 

 考えてみれば当然の話。彼女もここにいて当たり前だ。そして向こうは自分の変身前の顔を見ているのだから、朔月がいれば敵意を向けるのは至極当然のことだった。

 その眼差しに強い殺意が籠められていることを肌で感じ、朔月は戦慄する。

 

(この()は――私を殺すことを躊躇わない)

 

 そうだ。さっきも殺されかけた。しかも変身前の、無防備な状態でも。

 この七人の中には、殺すことを厭わない少女がいる。その中で朔月は、生き残らなければならないのだと悟った。

 出来るのだろうか、自分に。殺したくないと、喚きながら。

 

「ふむ……私が聞きたいことはもう聞けたわ。帰ってもいいかしら」

 

 眼鏡の少女の言葉にノーアンサーは快く応じた。

 

「えぇ、いいわよ。今日この時だけは、念じれば帰れるようにしておくわ。私も帰るから、親交を温めるなりしておいてね」

「え、質問会は……?」

「私が疲れちゃったから。他に聞きたいことがあったら明日ね。今日みたいに集めないけど、呼べば教えてあげるから。……私の気が向けば、だけど」

 

 そう言ってノーアンサーは瓦礫の上から姿を消した。またも唐突で、少女たちも見慣れたのか驚いている者は誰もいなかった。

 

「ふむ。じゃあ私も帰らせてもらうわ」

 

 眼鏡の少女はその場で踵を返し、立ち去った。数歩歩いたところで姿がノーアンサーと同じように消える。この世界からどこかへ帰還したということは、他の少女たちにも分かった。

 帰れるらしいと分かったことで、少女たちの何人かは安心したような溜息をつく。朔月もその一人だった。

 

「ふぅ……どうやら一生ここに閉じ込められるという訳でも無さそうだな」

 

 腕を組んだポニーテールの少女が独りごちた。そしてそのまま眼鏡の少女と同じように歩き去る。

 その背を黒髪の少女は呼び止めようとした。

 

「あ、あのっ……! 自己紹介とか、しませんか!? 私たち、協力とかし合えると思うんです!」

 

 その声にポニーテールの少女はピタリと足を止めたが……振り返らずに告げる。

 

「いや、止めておこう。殺し合うかもしれない関係だ。名前を知っておくことは却って辛くなる」

 

 それは暗に戦うという宣言で――少女の姿は掻き消えた。

 黒髪の少女は困ったように朔月へ目を向けた。しかし朔月も困ったような顔しか出来ない。

 そうこうしている内にショートカットの少女が、竈姫が朔月に向けて歩きながら告げた。

 

「アンタは絶対ボクが殺す」

「っ!」

 

 すれ違いざまそう呟き、朔月が振り返った時にはもういなかった。

 残った少女は、四人。今のところ、帰る様子はない。

 それを自分の考えに同調してくれたと見たのか、黒髪の少女はまず自分が自己紹介した。

 

「えっと……私は王道(おうどう) 真衣(まい)です。見ての通り、四葉(よつば)学園高等部に通う一年生です」

 

 黒髪の少女、真衣は自分の胸に手を当て名乗った。仕草全般を見るとおっとりした、品の良い印象を受ける。そして朔月は通っている学校名を聞いてやはり納得した。

 四葉学園は小中高一貫した私立学園であり、名家や富豪の子どもたちが通っていることで有名だ。唯祭高校とは別の意味で敷居の高い学校だった。

 

「おまじないというものを軽率に唱えた結果、こういうことになってしまいました。まさか殺し合いになるだなんて……」

 

 眉根を寄せるその姿は儚くいじらしい。こんな戦いに参加していることが信じられないような少女だ。あら層を好むようには見えない。彼女の言う通り、軽く言葉にしてみた結果巻き込まれてしまったのだろうと、朔月は推測した。

 

 その隣で、ツインテールの少女が手を挙げて跳ねる。

 

「はいはーい! じゃあ次はウチ! ウチは御代(みだい) ナイア! 実はねー……むふふ! 真衣ちゃんと一緒の高校なんだー!」

「え!? 本当ですか!?」

 

 真衣が驚いている。朔月も意外だった。元気いっぱいといった様子の彼女は、お淑やかな真衣と同じ高校だとは結びつかない。

 

「でも私、すみませんけど見覚えが……」

「それは仕方ないんじゃなーい? ウチ、二年生だもん」

「えっ、先輩でしたか!」

 

 ナイアは真衣より背が低い。そして幼気な態度から、てっきり年下、あるいは同級生だと予想していたようだ。目を丸くする真衣にナイアは悪戯が成功したかのように無邪気な笑みを浮かべる。

 

「にしし! まぁウチもテキトーに言ってたら来ちゃった感じかなー。じゃあ次!」

 

 そう言って指し示した手が、自分に向いていることに朔月は気付いた。慌てて自己紹介する。

 

「あ、はい! 私は朔月……更科、朔月です。高校は、制服を着ているから分かると思いますけど、鹿毛野(かげの)高校です」

 

 朔月は素直に自分の素性を名乗った。初対面なので一応敬語だ。学校名を告げた瞬間パンクな少女がピクリと眉根を上げたように朔月には見えたが、「ほほー!」と声を上げるナイアへとすぐに注意が移る。

 

「全部市内だねー! 眼鏡の子の唯祭もそうだし。ってことはここにいる子は、全員市内の女子高生なのかもね」

「あっ……そうかもしれませんね」

 

 ナイアの推測を聞いて朔月も思い至る。その可能性は高い。勿論市外から通っている可能性はあるが――。

 

「まぁ脱線しちゃうから置いとくかー。じゃあ最後、貴女!」

 

 ナイアは、最後の一人を指差した。四人の内まだ自己紹介をしていない最後の一人、赤毛の少女は気怠そうに答える。

 

「……竜崎(りゅうざき)(そう)。学校は、伏せる」

「えーなんでなんで! 答え合わせ出来ないじゃん!」

「……じゃあ市内だとは言っておく。後、一人分かんないんだから答え合わせは出来ないでしょ」

「うー、それはそうだけど……」

 

 不満げに唸るナイアを横目に、爽はじっと朔月に視線を合わせた。それに気付いて朔月は首を傾げる。

 

「えっと……?」

「……アンタらに言っておく。アタシはバトルに積極的だ」

「!」

 

 四人の間に緊張が走る。確かに真衣が呼び止めたのは自己紹介する為だけだが、てっきり朔月は戦いに否定的な人が集まってくれたものだと思っていた。真衣も同じような目で爽を見つめている。ナイアは「へー」と少し意外そうな溜息をついた。

 

「じゃあなんで残ったの? あのポニーテールさんが言ってたように後が辛くなるだけじゃん」

「忘れない為だ。アタシはバトルをする。勝ち残る。そしてその責任からも逃げない」

 

 四人を見渡す爽の瞳からは、昏い決意が仄めいていた。

 

「生き残ってどんなに苦しくても、アタシは叶えなきゃならない願いがある。だからアンタらの名前を聞いた。……自分の罪を忘れない為に」

 

 静かに燃えるその眼差しを覗き込んで朔月は、ゴクリと息を呑んだ。

 圧倒された。愉快げに自分を追い詰めた竈姫とは違う、確固たる意志。

 殺す覚悟。

 

「……だから自分の名前を教えた。もし殺されたのなら、アタシを恨め。……言いたかったのはそれだけだ」

 

 そう言うと爽は身を翻して歩き始める。揺れるギターケースを背負った背中が遠ざかっていく。

 

「待っ――」

 

 気付けば朔月は手を伸ばしていた。理由は分からない。けど何かを掴みたかった。

 結局、その手は空を切り、爽はこの世界から去った。

 後に残ったのは気まずい三人だ。

 

「……今日は解散でいいんじゃないかな」

 

 沈黙を破ったのはナイアだった。

 

「取り敢えずウチらは、殺さない方向で行く、ってことでいいんだよね」

「それは、勿論です」

 

 真衣は即座に首肯した。少し遅れて朔月も。人を殺したくない。それは二人の本心だった。

 ナイアも頷き、言葉を続ける。

 

「じゃあ取り敢えずこの三人で非殺同盟ってことで、今日はそれだけにしておこうよ。もし出会っても殺さない。他の奴らが話を聞かないなら、もうこれ以上の対策は取れないよ」

「ですね……」

 

 他の少女にバトルを続行する意思がある以上、この三人で協力する以上のことは出来ない。今三人が取れる対策はこれが精一杯だった。

 

「だから今日はもう、ウチらも解散しよう。出来ることはもう無いからね」

 

 言うが早いか、ナイアはしゅたっと敬礼のポーズを取って二人に向かい別れの挨拶を告げる。

 

「じゃーね! また遭ったら、仲良くやろ!」

 

 そう言い残し、ナイアもまたこの世界から消えた。

 疾風のように去って行ったナイアに朔月はなんとも言えない感情を抱く。嵐のような少女だった。場を取り仕切り、協力を約束はしてくれたが、その溌剌としたペースに押し流されたとも言える。濁流の如き勢いを持つ少女だった。

 

「えっと……じゃあ、私も今日は帰りますね」

 

 勢いの余韻に束の間呆然としていた朔月だったが、最後に残った少女、真衣も控えめにそう告げたことで我に返った。

 

「あ、あぁ、うん。じゃあね……王道さん」

「はい。更科さん」

「……えーっと、朔月の方で呼んでくれたら嬉しい、かな」

 

 母親のこともあり、朔月は家族を表す名字を誇れない気分でいた。そんな思いから出た言葉だったが真衣は距離を少しでも縮めようとする努力に聞こえたのか、顔をほころばせて頷いた。

 

「はい、朔月さん。私の方も、真衣と呼んでください」

「じゃあ……うん、真衣。またあし……ううん、また今度」

 

 また明日と言いかけ、朔月は慌てて言い直す。出来れば合わない方が良い。

 真衣も頷き、手を振った。

 

「はい。また今度」

 

 そして真衣も消えた。

 残ったのは朔月だけ。

 

「……私も、帰らなきゃ、な」

 

 そう口にした言葉が重い。今の朔月にとって帰宅というのはそれだけ陰鬱だった。だがずっとこの荒野にいても、仕方が無い。

 ノーアンサーが言っていたように念じる。すると、廃墟から去った時と同じように周囲の景色が薄くなっていく。

 薄れていく風景の中で、朔月はノーアンサーの腰掛けていた瓦礫の山に目をやる。

 もういない彼女に思いを馳せたのか、それとも足蹴にされていたかつての石像を想っていたのか。

 どちらだったのかは、暗転していく意識の中で分からなくなったが。

 

 

 

 

 

 

 目を開けると、そこは川辺だった。

 

「……戻って、きた」

 

 その事実にホッと息を吐きながら、朔月は胸元を漁る。そこには予想通り、ネックレス状態のマリードールが提げられていた。

 

「夢じゃない……」

 

 落胆か安堵か、どちらとも着かない苦い感情を浮かべながら朔月は空を見上げる。

 まだ夜だ。しかも三日月の傾きから、十分も時間が経っていないことを悟る。

 

「何時間も彷徨ってたのに」

 

 竈姫と戦った時間は左程長くない。しかしそれより前、廃墟を彷徨った時間はかなり長かった。体感だったが、三時間は優に超えていた。

 どうやら現実世界ではほとんど時間が経たないらしい。

 

「………」

 

 現状確認を終えると、朔月は途方に暮れた。

 両親の喧嘩。ノーアンサーとの出会い。思い出のギターを捨てられたこと。そして命を賭けたライダーバトル。

 あまりに連続して起きすぎて、朔月の頭はパンクしそうだった。冷静になって、尚更。

 

「……もう少し、頭を冷やそう」

 

 結局朔月は、抱えたストレスを少しでも発散させる為に夜の街へ繰り出した。

 といってもいかがわしいことは無い。漫画喫茶やコンビニで夜半になるまで時間を潰すだけだ。声を掛けてくる男もいたが、それは逃げるように躱す。まだ鬱屈を淫欲で発散する程世俗に塗れてはいなかった。

 そして時刻が深夜を回り、今度こそ母親が寝静まった頃合いを狙って帰宅し、就寝する。

 考えなければならないことはたくさんある。しかし疲れがそれを阻害する。

 だから朔月はその全てを明日の自分に託し、今日のところはそれなりに安らかな眠りにつくのだった。



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二日目-1 炎と虚ろ

 日が明けて間もない時刻、清涼な空気が満ちる早朝。鳥の声が鮮明に響き渡る中で朔月(はじめ)は家を後にした。

 朔月の登校はいつも早い。なるべく家にいたくないからだ。それに母親は朝食など作らないので、自前で調達しなければならない。昔から更科家のテーブルの上に置かれるのは、食事代と書かれたメモと千円札一枚きりだった。立派なネグレクトだが、嫌いな母親の顔を見なくて済むのなら朔月にとってはその方がマシだった。

 

(マリードールが消えてない……ってことは、やっぱり夢じゃないんだね)

 

 朝靄煙る中、制服姿で歩く朔月はブラウスの下に隠したネックレスへ手を当てた。硬い感触がそこから伝わってくることを感じ、安心と憂鬱が入り混じったなんとも言えない感情を抱きつつ回想する。

 

(これに手を当てると、いくつかのことが脳裏に浮かぶ)

 

 どうすればマリードールの機能を扱えるのか、感覚的に何となく分かるのだ。それは言うならば説明書のようなものだった。例えば――

 

(ドライバーは、消えてない。このマリードールに念じれば、いつでも出せる)

 

 変身に必要な黒いドライバーは、無くなった訳ではなくマリードールに内蔵されているだけだということ。

 

(そして多分、現実でも変身は出来るということ)

 

 あの世界――ノーアンサーの作り上げた戦場以外でも変身は可能のようだった。おそらく今ココで変身しても、銀姫になれるだろう。

 

(とても危険な力だ)

 

 銀姫の力を体感した朔月は直感する。腕力も跳躍力も常人の比ではなかった。人間のアスリートなど遙かに超越し、装甲は銃弾すら弾く。この力があれば、どんな犯罪も思うがままだ。

 ぞくりと肌が粟立つ。もし、それを厭わない人間があの荒野に集った少女たちの中にいたのなら――大変なことになる。

 

(どうか、何も起こりませんように)

 

 そう願いつつ、自分も使わないように己を戒めた。

 そうこうしている内に、コンビニへ辿り着く。

 

 朔月の登校はいつも、行きがけにコンビニへ寄るところから始まる。朝食を調達するためだ。

 朝焼けがようやく消えたぐらいの時刻ではコンビニも流石に人気が少ない。少しでも家にいたくない朔月はとにかく早くに家を出るから、尚更に。

 昨日はよく眠れなかった。気分は最底辺。だから一日のモチベーションを上げるために少し奮発してナポリタンランチパック買い求めた。少しでもおいしい物を食べて元気を出すためだ。それをしまったエコバッグを手に外へ出てみると、そこにはプラスチックの容器を持ってベンチに座るノーアンサーがいた。

 

「うわっ!?」

 

 唐突なその姿に朔月はエコバッグを落としかけた。相変わらずナイトドレスを身に纏った艶姿は、朝という時刻その物に拒絶されているかのように浮いていた。大人しくコンビニ前に設置されたベンチに座っている筈なのに、どうしようもなく間違っているように感じてしまう。

 そんな自身の纏う雰囲気を気にもせず、ノーアンサーは驚く朔月に微笑を浮かべた。

 

「ふふふっ。慌てちゃって」

「な、何してるの?」

「見て分かるでしょ? 朝ご飯食べてるの」

「あ、朝ご、はん……」

「朝ご飯が健康の、もとい美容の要よ? 女子として食べるのは当然でしょ」

 

 そう嘯くノーアンサーだが、そう言いたくもなる。

 もし彼女が食べていたのが例えばソフトクリームとかならば、まだ分かる。いやシュールではあるが、少女が食べるものとしては納得がいく。

 だが彼女が食べていたのはどう控えめに見ても……チャーハンだった。

 どう見ても目の前のコンビニで買ったチャーハンである。

 プラスチックのスプーンで色づいた米を掬うナイトドレス姿のノーアンサーは、どうにもミスマッチだった。

 

「ど、どうしてチャーハン……」

「あらイケない?」

「イケなく……は、ない、けど……」

 

 朝食べるものとしては重くないだろうか。それに昨日人間ではないと言ったのは自分ではないだろうか。そんな疑問を朔月は胸の内で燻らせたが、口にすることはなかった。

 釈然としない気持ちに朔月がなんとも言えない顔をするのを見て悪戯心は満たされたのか、スプーンを片手にしながらもノーアンサーは本題に入った。

 

「ま、わざわざ朝ご飯の時間にここに来たのには理由があるわ」

「理由?」

「バトルのルールを説明する為よ」

「!!」

 

 朔月は目を見開いた。

 ノーアンサーはスプーンから米粒を溢してしまわないよう気をつけつつ続ける。

 

「貴女にはまだちゃんと説明してなかったなって思って」

「それは……そう、だけど」

 

 確かに、朔月はライダーバトルに関しての詳細な説明を受けていなかった。他の少女たちはある程度受けていた様子なので、もしかして自分だけが受けていないのかと不安にもなっていた。

 まさか本当に忘れられているとは思わなかったが。

 

「じゃあ、説明するわね」

 

 そう言ってノーアンサーはスプーンを一旦置き、指を一本立てた。

 

「一つ。七人ミサキ全員を殺した物が勝者」

 

 それは、最初にも言われたことだ。それを確認させるようにノーアンサーは呟き、二つ目の指を立てる。

 

「二つ。バトルは夜に行なわれる。全員参加ね。その際、マリードールが知らせてくれるわ」

 

 それは、新情報だ。朔月は無意識に己の首にかかった女神像を握りしめた。やはりこのネックレスには、変身アイテム以上の機能が籠められているようだ。

 

「三つ。死亡、あるいはドライバーを破壊された者は敗退となる」

「ドライバー?」

「そう。正確に言えばマリードールね。それを破壊されたライダーは、失格となるわ」

 

 その言葉に朔月は一縷の希望を見いだした。ドライバーの破壊――誰かを殺さず、それだけをすればいいなら戦える気がした。

 

「四つ。ライダーバトルのことを参加者以外に公言した場合も失格となる」

 

 更に一本、指を立てた。拳が完全に開いてパーの形になる。

 

「五つ。時間は無制限。勝者が決まるまで、何日でも開催する。――こんなところかしらね」

 

 言い切ると、ノーアンサーはスプーンを再び手に取った。もう話は終わりだと言うように。

 だが当然、朔月にはまだ聞きたいことがある。

 

「待って。その……棄権、とかは出来ないの?」

 

 バトルからの棄権。それが可能ならば選択肢の一つだ。

 朔月はまだ、ライダーバトルを降りたいと思ったわけではない。殺し合いは勘弁だが、変身出来るということに一抹の魅力を感じているからだ。しかし殺し合いが本格化すれば、良識を以てライダーバトルを辞退する、ということはあり得た。

 それに、追い詰めた相手に降参を強いることが出来る――そう考えての質問だったが、ノーアンサーは首を横に振った。

 

「不可能よ。ライダーバトルに参加した時点で、勝つか負けるか。どちらか一つ」

「……そう」

 

 正直、そうじゃないかと朔月は思っていた。

 このライダーバトルは、悪辣だ。ほとんど説明もないまま少女を取り込み、七人ミサキの正体を告げずに殺し合わせる。であるなら、ルールもまた辛辣であることは容易に想像できた。

 

「もう質問はない?」

「……さっき、時間は無制限って言ったけど……」

「あぁ、正確に言うならば一日のバトルは基本三時間。けど勝者が決まるまで何日でも繰り返す……ってことね」

「……じゃあ、ホントに願いを叶える人が決まるまで終わらないんだ」

 

 苦い物を噛み締めるように朔月は呟いた。

 誰かが願いを叶えるまで、この戦いは終わらない。

 それがこのバトルの、絶対のルールのようだった。

 

 その事実を再確認し表情を苦くする朔月の前で、ノーアンサーも突然顔を顰めた。

 

「うわ、このチャーハン、トウモロコシ入ってる! 私こういう邪道嫌い!」

 

 言うや否やノーアンサーは、上機嫌に食べていた筈のチャーハンをゴミ箱へ叩き込んだ。まだ半分ほど残されたチャーハンは容器ごとゴミ袋の中へ落ち、食物からゴミへ成り下がる。食べ物を粗末にしない、という道徳がまるで無いかのように振る舞うノーアンサーは、やはり掴み所が無い存在だった。

 怒り心頭となり眦を吊り上げたノーアンサーは、興奮した気分を抜くかのように溜息をつくと朔月へ向け振り返った。

 

「はぁ、ヤな気分になっちゃった。時間切れよ。今日の質問時間はお終い」

「え、もう……」

「また気が向いたら答えてあげるから。じゃ、また今日のバトルでね」

「……今日の、バトル」

 

 そうか、今日もまた殺し合うのか――そう憂鬱な気持ちになりながら、朔月はやはり忽然と消えたノーアンサーのいた場所を陰気に睨んだ。

 

 

 

 

 

 公立鹿毛野高等学校は『普通』や『変哲のない』という言葉がよく似合うごく平均的な高校だった。

 偏差値は中間。在籍生徒も中規模。優等生もいれば不良もまた同じくらいには存在し、どちらかに偏るような均衡はまずない。歴史は深くもなく浅くもなく。制服は没個性的な紺のブレザー。一度建て替えた校舎は老朽化とは無縁だが、十年は経っているのでピカピカで綺麗という訳でも無い。

 まったく特色の無い高校。それが鹿毛野高校だった。ある意味では、そのどれでも中間をいく姿は奇跡的に映るかもしれない。

 朔月がそんな学校に入学したのは家が近いからという単純な理由だが、今では彼女の唯一の癒やしとなっていた。

 

 オキニのランチパックを食べても味のしなかった朔月の気分がようやっと上方指向になったのは、登校してきた友人に挨拶をした時だった。

 

「おはよー」

「はよー」

「おはよう!」

「朔月は朝から元気だねー」

「一番朝早く来るのにねー」

 

 眠気で怠そうにしている友人たちのいつもの姿を見て、朔月はやっと日常に帰ってきた心地を覚えた。母親の悪意、ライダーバトル、そして今朝のノーアンサー。非日常で溺れかけていた朔月はようやく息が出来た気がして生き返る思いだ。

 ……一緒に買ったギターを思い出して胸にチクリと走るものはあったけども。

 

「ま、今日は日直のお仕事もあるからっ」

 

 そう言って朔月は学級日誌を手に取り努めて元気よく返事した。

 やがてクラスに人が充満し始め、ホームルームの時刻が訪れる。定刻ギリギリになってやってきた中年の担任教師に向け、日直である朔月は元気よく号令を取る。

 

「気をつけー、礼ー、着席ー」

 

 普段通りのルーティーン。いつもなら少し面倒な日直業務も今の朔月にとっては癒やしだ。

 だがいつも通りを望む朔月とは裏腹に、その日のホームルームは少し違っていた。

 

「今日は転校生を紹介する」

 

 担任がそう告げると、生徒たちはざわめき出す。

 朔月も、妙な時期だと思った。今は夏に入りかけた頃だ。学年や学期の変わり目ではない。後一ヶ月もしないうちに夏休みだ。親の仕事の都合にしても、転校生にとってやりづらい季節だろう。

 そう疑問に思う内にも担任は扉の前で待たせているらしい転校生を呼び込む。

 そして入ってきた少女を見て――朔月は動転した。

 

「えっ……」

 

 そう漏れ出た声すら、完全に無意識で。

 そこにいたのは見覚えのある赤毛の少女だった。パンキッシュファッションから朔月とまったく同じ制服に変わっているが、炎を宿す鋭い目付きも、刺々しさを纏う気怠げな態度も、そのまま。

 光景がフラッシュバックする。明確な覚悟を持って朔月の前で敵対宣言を言い放つ、戦士のような少女の姿。強い言葉に恐れと畏怖を抱いた筈なのに、何故かそれが悲しくて、寂しくて――そんな感情すら蘇る。

 カツカツとチョークの音が鳴り響いた。

 

「えー、今日から我が校の生徒となった、あー、自己紹介よろしく」

「竜崎爽です。……よろしく」

 

 黒板に書き込まれたその名は紛れもなく、荒野で出会った少女の名前だった。

 

「なん、で……」

 

 大きな落とし穴に落とされたようなショックが朔月を襲った。楽しい日常を送ることの出来る筈の教室の風景が、急に遠くなったように感じられる。天国にいた筈が、地獄の鬼に肩を叩かれた気分。

 静かに衝撃を受ける朔月を置いて、教室は新入生という新しい刺激に楽しげにざわつく。

 

「はいはい。色々聞くのは休み時間にしてね。それと……」

 

 担任教師はパンパンと手を叩いて喧噪を落ち着かせる。そして教室に目を彷徨わせ、一角を指差した。

 

「席はそこね」

「はい」

 

 爽が歩いてくる。すれ違いざまにふわりと浮いた赤い髪は、間違いなくあの時見た少女の髪だ。呆然とそれを見送り、爽は一番後ろの席に着席した。

 

「それと今日の日直は誰?」

「更科さんでーす」

 

 生徒の誰かが答えた。それに頷いて、担任は朔月の方を向く。

 

「なら更科さん。お昼休み竜崎さんの学校案内よろしくね」

「えっ……」

「じゃ、ホームルーム終わり。後は交流を深めてね」

 

 担任を粋な計らいに、生徒の誰かが指笛を鳴らした。呆けている朔月を余所にそのまま本当に退室し、教師の目が無くなった生徒たちは群がるように爽へ殺到する。

 

「ねぇねぇ、髪赤いけど染めてるの?」

「地毛よ。学校側に染めた方がいいか聞いたけど、地毛ならいいって回答を貰ったわ」

「こんな時期に転校なんて珍しいねー」

「親の都合ね。高校生が転校する理由なんて、そんなもんでしょ」

「前はどこ住みだったのー?」

「神奈川よ。学校は――」

 

 質問攻めも、爽はクールに捌いている。我に返った朔月が話しかけようと振り返るが、そこには隙間無く彼女を囲う人の壁が出来上がっていた。とてもではないが割って、しかもライダーバトルについて聞くことなんて出来そうにない。目立つ赤髪の少女は刺激に飢えている生徒たちの好奇心を刺激したのか、それ以降の休み時間もずっと囲まれていた。

 結局朔月が爽へ話しかけるチャンスは、学校案内を言いつかった昼休みを待たなければならなかった。

 

 

 

 

 

 

「りゅ、竜崎、さん。案内、しようか?」

 

 伺いを立てるような口調になってしまったのは、距離感を掴めていないだけではないだろう。

 

「ん……分かった、お願い更科さん」

 

 かくして爽は素直に頷き、また集いつつあったクラスメイトに断り席を立つ。

 連れ立って二人は教室を出る。昼休みに入って賑やかになった廊下だが、二人の周りだけは妙に静かだ。

 先に口を開いたのは、朔月の方だった。

 

「その、竜崎さん」

「何、更科さん」

 

 名字を呼ばれ、朔月の顔が濁った。更科の名がどうにも汚らわしく思えてしまった。昨日まで何も思わなかった筈なのに、今はどうしても受け入れられなくて胸が騒ぐ。あんな家にいたくないと強く思ってしまったからだろうか。

 

「ごめん、下の名で呼んで。名字は……嫌いだから」

「……ハジメ、だっけ」

「そう、新月の(さく)(つき)と書いて、朔月(はじめ)

「ふぅん。珍しい名前だね。意味は?」

「……さぁ」

 

 案外新月に生まれたから、なんて理由なんじゃないかと今は思える。両親が凝った名前を考えてる姿は想像もつかない。

 

「……それで、竜崎さん」

「アタシも爽でいいよ」

「そっか。じゃあ爽」

 

 互いに名前で呼び合うことになったが距離は縮まった気はしない。

 朔月は警戒心を言葉に乗せた。

 

「なんで、来たの」

「別に、他意は無いよ。家の都合。まぁライダーバトルがあのツインテの子の言う通り市内で開かれているんだとしたら、運が良かったとは言えるかな」

 

 朔月の問いにこともなげに答える爽。声を震わす朔月とは違いいたって冷静だ。だが一見要領を得ない質問に明確に答えたということは、彼女が紛れもなくあの荒野にいた本人であるという証左でもあった。

 

「あの時、学校を答えなかったのは……」

「アンタが騒ぎ立てると思ったからだよ。後、他にバラすのも癪だったし」

 

 まさか同じクラスだとは思わなかったけど、と爽は廊下を観察しながら呟く。

 

「それにどうせ敵対するのに、仲良しこよしをしようとは思わない」

 

 その言葉に、朔月はあの荒野での宣言を思い出した。

 

『忘れない為だ。アタシはバトルをする。勝ち残る。そしてその責任からも逃げない』

 

 力強くそう告げられた宣言。確かな決意と底知れぬ決意を感じさせたあの言葉は、今でも朔月の身を畏怖で震わせる。

 

「やっぱり、戦う気なんだ」

「一日で変わるわけないでしょ」

 

 それは、そうだ。一朝一夕で崩れるような軟弱な気構えじゃ、人を殺そうなんて思わない。

 だけどそれは、きっと一人きりの覚悟じゃない。

 

「バトルに挑むってことは、殺されるかもしれないのに」

 

 竈姫らしき少女の視線を思い出す。籠められた明確な敵意。そして実際にネズミをいたぶるが如き殺意に晒された経験が、爽以外の殺意の存在を確信させる。戦う少女は、一人じゃない。

 

「分かってる。アタシも、一度バトルした」

「え……いや、そっか」

 

 一瞬驚き、そしてすぐ理解した。ノーアンサーも全員参加と言っていた。朔月と竈姫が戦っている間、きっと裏では別のライダー同士の戦いが繰り広げられていたのだ。だから爽も戦う恐ろしさは十分理解しているのだろう。

 

「黄色というか、金色をしたライダーだった。向こうにとっては様子見だったのか、あまり攻めては来なかったよ。それに他にトラブルもあったから、本格的な戦いにならなかった」

 

 トラブル? 気になったが、それ以上に聞きたい質問が口を突いて出た。

 

「……そこまでして、どうして戦うの?」

 

 戦いを経験した。だのに、揺るがない。恐怖を知っている筈なのに、叶えたい願いを志す。それだけの想いを胸に戦う彼女は、どんな願いを秘めて戦うのか――気になった朔月は疑問を言の葉に乗せた。

 二人は隣り合って歩いている。だから朔月からも爽の表情は確認できた。

 てっきりまた、並々ならぬ闘志を燃やすのかと思っていた朔月だったが。

 

「……どうしても、やらなきゃいけないことがある。それだけ」

 

 そう紡ぐ爽の表情は悲しげに歪んでいた。先程までの堅硬な意志は鳴りを潜め、瞳は冷たく鎮火している。煌々と燃える太陽が、一転して黒く塗りつぶされたかのようにギャップの深い光景。意外な姿に、何か朔月はイケないものを見てしまった気分になった。だから打ち消すように、自分の言葉を告げる。

 

「私は、戦いを止めたい」

 

 それは朔月なりの覚悟だった。

 

「殺し合いなんて、間違ってるよ。そんなことして叶える願いって、本当に正しいの? 私には、分からないよ」

「……正しいかどうかなんて、関係ない」

 

 朔月の言葉が引き金となったのか、再び爽の瞳に炎が燃え始める。一瞬見せた悲哀は、蒸発するかのように失せていた。

 

「アタシは、取り戻すんだ。その為なら、他の願いを踏み躙ってでも叶えてみせる」

 

 確固たる意志。その強さを感じ取った朔月は言葉を詰まらせる。説得するべきだ。そう理性が叫ぶが、脳髄の深いところは無理だと断じている。認めたくない現実。彼女を止めるには――今の自分は、あまりにも薄っぺらすぎる。

 戦いを止める? それは、ただの良心からだ。

 どうして参加した? だって、ギターを捨てられたから。

 何も無い。自分には。変身という願いだって、自分に何も無いから祈ったのだ。誰かを犠牲にして叶えたい願いなんて思いつくことすら出来ない。そう言えるだけの積み重ねを、朔月は持っていない。だから何も言えない。

 

(折角、変身出来たのに……)

 

 あの時、銀姫に変身した時の全能感を思い出す。竈姫と対峙したあの瞬間、心の奥底から湧き出るのは勇気だった。少なくとも朔月はそう思っている。翻って今はどうだ。一人の少女の説得すら、ままならない。

 これじゃ、変わらない。変身なんて、出来てない。

 

(銀姫になったら……少しは、勇気が出るのかな)

 

 無意識にブラウスの下に隠したマリードールに手を触れる。何も無い、冷たいだけのネックレス。でも触れているとそこから熱が伝わってくるような気がして、少しだけ気が和らぐ。

 そんな朔月を横目で見ていたのか、爽が問うてくる。

 

「アンタは、どんな願いを叶えたくてバトルに挑んだの?」

「え? それは――」

 

 答えようとして、すぐに詰まる。言えない。

 変身したい――それは、爽から伝わってくる覚悟と比べてあまりにもちっぽけな願いに思えたからだ。そう自覚してしまえば、恥の気持ちが喉につっかえ言葉を紡ぐことを許さない。

 そして気付く。

 少女たちが、他人の命を奪ってまで願いを叶えようとする戦場で――如何に自分が場違いなのか。

 

「……普通の、願いだよ」

 

 そう絞り出すのが精一杯だった。

 

「なら、邪魔はしないで」

 

 爽は冷たく突き放す。その声音に揺るぎはない。

 

「アンタに何を言われても、アタシは絶対叶えてみせる」

「………」

 

 それきり聞く気は無いとばかりに爽は口を閉ざした。

 朔月もそれ以上ライダーバトルについて聞く気力を失ってしまった。

 それからは、普通の学校案内になった。特筆すべき事は何も無く、朔月は日直という職務に忠実に施設を紹介していった。

 

 昼休みは鳴り響く予鈴によって終わりを告げ、放課後となり友人と別れ、そして……夜が訪れた。

 

 

 

 

 

 

 月の下、朔月は人気の無い公園のブランコに座っていた。ライダーバトルに巻き込まれるところを人に見られる訳にもいかず、易々と家に帰る気にもならなかったからだ。生温い風の吹く夜の公園はオバケの嫌いな朔月にとって不気味だったが、それでも家よりはマシと思えてしまう。

 

 学校で別れた爽という少女のことは気がかりだが、今はまず、今日のバトルだ。

 ノーアンサーは、バトルが夜に起こると言っていた。今日もある、とも。しかしその正確な時刻は分からない。ならば、前例から推測するしかないだろう。

 公園内の時計を見上げる。時刻は八時過ぎ。昨日バトルに巻き込まれた時間だ。何か起こるとしたら、これから。

 キィキィとブランコを揺らしながら何が起こるのかと身構えていると、胸のマリードールが淡く輝いた。ノーアンサーの言っていたマリードールが知らせてくれるというのは、恐らくこれだ。

 

「……どうするんだろう?」

 

 が、知らせてくれたとはいえ何も出来ない。マリードールを触っていても、何も伝わってこない。

 途方に暮れながら見つめていると、朔月は周囲の風景がいつの間にか歪み始めていることに気付いた。

 

「え?」

 

 慌てて公園の入り口を振り向く。公園自体に人はいないが、その正面の道路には車が通っている。朔月には道路も歪んで見える。だが車はなんということも無く過ぎ去った。

 おかしいのは自分だ。そう気付いた瞬間には、朔月はまったく違う場所に立っていた。

 

「……あの時と、同じ……」

 

 最初に転移した時と同じだった。数瞬前までとはまるで違う場所にいる。だが前と違うのは、周囲に広がる光景だった。

 

「……砂漠?」

 

 踏みしめる地面は、赤茶けた砂だった。それがどこまでも広がっている。所々に岩山があったり、色の違う砂が層を作っている情景はあれど、草木を始めとする命の気配は欠片もない。空も赤く、太陽の光は弱い。

 赤の砂漠。それが朔月の目の前に広がるパノラマだった。

 

「まるで別の星みたい」

 

 それが当たらずも遠からずであることを、朔月は呟きながら思い出した。ここはノーアンサーの力で創られた別世界。だから非現実的な光景であっても現出することが出来る。そしてこの風景に、意味はないのだ。

 

「っ、ライダーを、探さなきゃ」

 

 朔月は歩き出した。この世界は決戦場だ。ここに呼び出されたのなら、他のライダーもいる筈。戦うにしろ話し合うにしろ、対戦相手を見つけなくては話にならない。

 砂を踏みしめ、朔月は歩む。ローファーで噛む砂は滑りそうだったが、沈み込むほど深くはない。靴の中に砂が入ることに目を瞑れば歩くことに支障は無い。気温は暑いどころか涼しく感じる。少なくとも制服姿では活動できないということは無さそうだった。

 だがすぐに途方に暮れた。

 

「ひ、広すぎ……!」

 

 砂漠は見渡す限りに広がっていた。岩山の間には地平線すら見える。圧倒的な砂の大地。歩めど歩めど変わらぬ風景に、朔月の心は早くも折れかかっていた。

 前の廃墟はまだよかった。人がいないとはいえ建物があったし、その広さは実感しづらかった。

 だが何も無い風景は、何かを探索するという目的を前にしては高い壁として立ちはだかる。

 

「もーっ、ノーアンサー、せめてすぐ会えるようなところにしといてよーっ!」

 

 天を仰いで叫ぶ朔月。心の叫びだ。しかしてその叫びは天に届いたのかはたまたノーアンサーが汲み上げたのか、それとも普通に彼女(・・)が聞き咎めたのか、朔月の願いは果たされる。

 

「アンタさぁ……狙撃されるとかは考えない訳?」

「え?」

 

 不意に聞こえる声。存外近いところからかけられた声を探して朔月は周囲を見渡す。

 そしてほど近い岩山の陰から一人の少女が姿を現したのを発見した。

 

「あっ……」

 

 そこには半ば赤茶けた大地に溶け込んだ燃えるような髪がたなびいていた。同じく赤いパンキッシュファッションに身を包んでいるのは、一度帰宅して着替えたからか。

 

「……なんでよりによってアンタなのさ」

 

 なんという運命の巡り合わせだろう。あるいは、ノーアンサーが悪辣な企みを施したのか。

 首筋に手を当て呆れ顔をしているのは、紛れもなく昼休みに言葉を交わした少女、竜崎爽だった。

 

「いくらアタシでも、やりづらいんだけど」

 

 そういう爽は、それでもやはり瞳に闘志を宿していた。



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二日目-2 剣舞の魔術師

「……爽」

 

 現われた少女に、朔月(はじめ)は怯んだ。知っていたからだ。

 今日、顔を合わせた少女。

 学校を案内した転校生。

 そして――戦うことを厭わないライダー。

 竜崎、爽。

 

「戦いにくい」

 

 真っ直ぐ朔月を見据えながら呟く。

 

「あぁ、認めるよ。戦いにくいよ。アタシだって、しゃべった相手をその日に殺すなんて……嫌に決まってる」

 

 まるで誰かに弁解するように言葉を紡いだ。口の端は苦々しく歪められ、握り込まれた革のグローブが悲鳴を上げている。炎を灯した瞳孔は微かに揺らいだが、それはほんの一瞬のことだった。

 

「殺して嬉しい訳じゃない。楽しい訳じゃない。好ましいって感じた人を手にかけて、そんな訳がない。だけど……」

 

 赤いレザージャケットの下、タンクトップの中から爽は鎖を摘まんで持ち上げた。その先には、朔月と同じ女神像が垂れ下がっていた。引き千切るように引っ張れば、そのネックレスは抵抗なく外れた。同時に光が発生して腹部へ集まる。光が消えるとそこには黒いドライバーがベルトとなって装着されていた。

 

「それでも、叶えたい願いがあるんだ」

「そ――」

 

 叫ぼうとした、名前を。

 だが間に合わない。彼女は違う名を纏うことを選んだ。

 

「変身」

 

 マリードールが装填される。壊れたラジオのような、おどろおどろしい電子音が響く。

 

《 Blood 》

 

《 守護(まも)るは希望 誰の?

  叶えるは野望 誰の? 》

 

 問いかける言葉と共に、爽の肢体は赤黒い光に包まれた。その光が晴れた時、そこにいたのは爽であって爽では無い。

 赤黒いインナーの上に、鮮やかな赤のコートを羽織った姿。頭部は宝石のように艶めいた青のバイザーが覆い、胸部には同系統の青い胸甲。露出した口元は油断なく引き締められている。銀姫とは対照的な軽装だ。敢えて共通点を上げるとすれば、腕と脚は銀姫と同じ形のブレーサーが嵌まっていた。

 例えるなら、赤い魔術師。

 

「アタシは、仮面ライダー血姫(けっき)

「血姫……!」

「恨む時は、この名と竜崎爽の名を唱えな!」

 

 血姫は大地を蹴った。人間なら二メートル進めば良い方な跳躍は、軽々と十メートルの距離を縮める。

 

「っ!!」

 

 朔月は咄嗟に身を捻った。一瞬先までそこにいた空間を、血姫の拳が掠めていく。

 

「やめてっ、爽!」

 

 朔月は叫んだ。だが、叫んでから悟った。

 そしてやはり、血姫はその叫びを否定する。

 

「違う! アタシは血姫だ。アンタを殺すまで、止まらない仮面ライダーだ!」

 

 爽の覚悟は揺るがない。そして、竈姫(へき)の時のような侮りも愉悦もない。

 ただ、決意を込めて殺そうとしている。

 

「ぅ、ああぁ!!」

 

 竈姫に追い詰められた時の同じような感覚が爆発する。このまま、むざむざと死にたくはない。

 朔月もまた、マリードールの鎖を引き千切った。

 

「変身!」

 

《 Silver 》

 

《 戦いは止まらない 何故?

  運命は変わらない 何故? 》

 

 出現したドライバーに、叩きつけるように女神像を装着する。銀の光が朔月を覆い、その輪郭を変えていく。

 血姫の拳が叩きつけられる。だがその瞬間にはもう既に、黒いインナーに包まれた腕がその拳を受け止めていた。

 

「……それが、アンタの鎧なんだね」

「………」

 

 銀姫は無言で拳を振り払う。血姫は無理に追撃をすることなく、その場を飛び退いた。距離が開く。赤茶けた風が二人の間を舞った。

 

「……戦う、んだね」

 

 銀姫となった朔月は血を流すように呟いた。迷いはある。だが、疑いはない。

 血姫となった爽は頷き、拳を握った。

 

「そうだ。アタシと戦え、朔月。アタシの願いの為に。アタシと殺し合う為に」

「……分かったよ。けど、二つ訂正がある」

 

 銀姫も構える。腕を身体と平行にした、どちらかというと守りを重視した構えだ。

 

「今の私は、仮面ライダー銀姫だ。そして殺し合いなんて、しない!」

「なら、そうして見せろ!」

 

 再びの跳躍。一瞬で肉薄した血姫は勢いのままハイキックを繰り出した。頭を性格に狙った蹴撃を、銀姫はブレーサーでガードする。金属同士がぶつかり合う硬質で甲高い音が砂漠に木霊した。そのまま押し切ろうと血姫は脚に力を籠めるが、ビクともしない。

 

「くっ」

 

 ハイキックを防がれた血姫は反動をつけて脚を地に戻すと今度は鋭い右ストレートを放つ。銀姫の腕のガードの隙間を狙った一撃。これを銀姫は上体を傾けることで躱す。そして空振り伸びきった腕を掴み、ジャイアントスイングの要領で投げ飛ばした。

 

「……やるみたいね」

 

 砂塵を巻き上げ着地する血姫。その口元には悔しげな表情が浮かんでいる。ここまでの攻防で互いの格闘能力を理解したのだ。血姫の方が動きは素早く鋭いが、銀姫の方が腕力がある。ガードの力強さがそれを物語っていた。その腕力と見るからに厚い銀の鎧を鑑みれば、防御に徹した銀姫を突破することが如何に困難か想像がつく。

 このままでは千日かかる。そう悟った血姫は腰のパーツを叩いた。

 

「!」

 

 それが何を意味するか知っている銀姫は警戒を強める。

 血姫の手に光が集まり、形を作った。光が消えそこにあったのは、剣だ。オーソドックスな、大抵の人間が思い浮かべるようなシンプルな形状の剣。銀姫の物と違うのは若干幅広で、剣先から柄に向かうにつれ太くなっているところだ。

 剣の姿を認めた銀姫は自らも腰を叩き剣を手にした。こちらは前と同じ直剣。血姫の握ったそれと比べれば些か頼りない印象を受ける。

 

「……行くよ」

 

 宣言通り、血姫は切り込んできた。鋭い突き。狙うは頸だ。苦しむ暇も無く死に至らしめるのなら最上の狙い。しかし一直線なら軌道は簡単に読める。銀姫は手にした剣で切り払った。剣と剣が克ち合い、火花が散る。

 

「ハァッ!」

 

 が、血姫の攻勢は剣斬だけでは終わらなかった。勢いを維持し、今度は蹴りが銀姫を襲う。剣をやり過ごし油断していた銀姫は、腹部に突き刺さる爪先を避けられなかった。

 

「はぐっ!」

 

 呼気が漏れる。鈍い痛みも奔った。だが、言ってしまえばそれだけ。

 十メートルを一足で稼ぐ脚力が炸裂したにしては軽いダメージだ。大した痛痒にはならない。銀姫はすぐに立ち直り、剣を振って牽制し、血姫を退かせた。

 稼いだ距離で腹部をさする。鈍痛はあるが、もう引き始めている。回復力が高いのか鎧が硬かったのか、あるいはその両方か。少なくとも蹴りの一撃や二撃でどうにかなる身体では無さそうだ。

 

「――剣だけじゃ凌がれる。蹴りじゃ足りない……か」

 

 手応えを確かめるように血姫は呟く。それに不味い予感を感じながらも、銀姫は直剣を正眼に構えて待ち受ける。

 銀姫はどこまでいっても守りに専念する気だった。そうする理由はいくつかある。まず第一に殺したくないから攻撃したくない。第二に、銀姫というライダーの能力が防御よりだと何となく察しているから。そして第三の理由だが……ごく単純に、攻撃が鋭くて防戦一方にならざるを得ない。

 だからこそ、銀姫は、

 これからも先手を許す。

 

「なら、こうだ」

 

 血姫はもう一度腰部を叩いた。再び光が集い……左手には、もう一本の剣が握られていた。

 

「嘘っ!」

 

 仮面の下で目を剥く朔月。流石に予想外だ。血姫はまったく同じ形状の剣を両手に握り、三度銀姫に迫った。

 

「せあっ!」

 

 裂帛の呼気と共に、まず左の剣が振るわれる。その初撃はどうにか、中段に置いておいた直剣で防ぐ。だが右の第二刀は、左肩で受け止めることとなってしまう。斜めから振り降ろされる袈裟斬りが肩甲を打った。

 

「ぐっ!」

 

 ガァン! という鍋を叩いたような不快な音と共に衝撃と痛みが中身に浸透する。しかし先と同じ、しばらくすれば癒える痛みだ。だが血姫はそれが治るのを待たず、左の前蹴りを銀姫の腿へと叩き込んだ。

 

「っっ!!」

 

 絶え間ない攻勢。一撃防ぐ間に二撃入れられた。それがどれだけ不味いことかは、まだ戦闘素人な銀姫でも理解できた。

 そして蹴りの反動で一瞬離れた血姫は、今度は砂を蹴り上げ飛び上がって斬りつけてくる。

 一撃。上段からの斬り下ろし。横に倒した直剣で受ける。

 二撃。掬い上げる脇腹狙いの刃。空けておいた片手のブレーサーで防御。

 三撃。二撃目に追随する軌道のローキック。太ももに力を籠めて耐えた。

 が――四撃。銀姫のまったく意識外からの打撃が彼女の頭を揺さぶった。

 

「ひぐっ!?」

 

 横合いから殴りつけられ、銀姫はたたらを踏んだ。なんだかんだ攻められても大きく姿勢を崩さなかった銀姫だったが、まるで予想できなかった一撃は堪えられなかった。

 頭部への衝撃にグラつく視界で正体を確かめれば、それは何か曲がりくねった細長い物体だった。

 

「鞭!? い、いや……」

 

 最初は紐のような武器かと考えた。だが、血姫の両手は剣で塞がっている。そしてよく見れば、それは血姫の背腰部から伸びていた。今まで真正面から対峙していたので見えていなかったそれは、

 

「尻尾!?」

 

 爬虫類じみた尾。それが血姫の、二剣、蹴りから繋がる第四の手札だった。

 銀姫が驚こうと血姫がそれに合わせる義務はない。

 再び跳躍。死の舞踏が、銀姫に襲い来る。

 

「くっ――」

 

 やはり銀姫は受けに回る。細剣を横に構え腕は盾のように。腰を落として力を蓄え足裏で砂を噛む。それは堅い防御ではあったが、同時に反撃の一切を封じた不自由な体勢でもあった。

 クルリと回るように振るわれた二枚刃が、それを防いだ隙を滑り込む尾の一撃が、体勢を立て直す暇を与えない追撃の蹴りが銀姫を襲う。だが、今度は四連撃だけに終わらない。蹴りの反動で更に舞い上がり、回転の勢いを消さないまま血姫は舞い続ける。より速く、より鋭く、より強く、なっていく。

 

(こ、れ……! これ以上回らせ続けたら――!)

 

 攻勢は、次第に銀姫の防御を崩しつつあった。鉄と鉄が擦れ合う火花が散り、銀鎧の表面に傷が増えていく。澱積もる痛みが身体の動きを鈍らせる。攻撃され続けているというストレスが、心を弱らせていく。

 

「ぅ、あああぁぁーーっ!!」

 

 我慢の限界を迎えた銀姫は癇癪を起こしたような叫びを上げ、細剣をやたらめったらに振り回す。当てるという気はあまりなかった。とにかくこの舞踏を止めようとした。

 だが、血姫にとってはむしろ待ち受けた瞬間だったのか。

 

「もら、った!」

 

 振るわれた剣尖を、同じく剣で絡め取る。あっ、と銀姫が思った瞬間には、二本の剣は宙を舞っていた。サク、という砂音が響けば、そこには二つ並んで仲良く突き立つ双剣が。

 銀姫は、唯一の武器を失った。対する血姫にはまだ一本の剣と、しなる尻尾がある。

 仮面からはみ出た半面に絶望が浮かぶ。

 

「――これで!」

 

 トドメを刺すべく血姫は、剣を振り上げる。銀姫は圧倒的に不利な状況に打ちのめされながらも、生き残るべく身を固めた。

 ここからもやはり銀姫は防戦一方に追い込まれ、血姫は攻勢を強めていく。トリッキーな剣術に一つ一つ反撃の手段を奪われ、やがて、赤茶の地に伏す――、

 このままなら、そうなる筈だった。

 

「キィーッ!!」

 

 二人の頭上から、怪鳥音が響かなければ。

 

「!?」

「えっ?」

 

 両者が弾かれるように空を見上げれば、そこには飛びかかってくる黒い影の姿があった。その着地点は丁度両者の間で、二人は飛び退いて躱すことになる。

 

「……何、これ……」

 

 降り立った影を見て銀姫は気味悪そうな声を上げた。そう言いたくもなるような、異形だった。

 まるで黒い全身タイツを着ているかのような見た目。しかし間近でみるその質感は、着物というよりも生に近い。オオサンショウウオに似た表面は、微かにぬめっている。顔には仮面。燃え尽きた灰のように白いそれは、イナゴを模しているようだ。ただその口元だけは人間のようで。怒りの形相を浮かべ歯を剥いているような、そんな意匠の仮面。

 それ以外には精々腰元にシンプルな形状のベルトをしているくらいな人型の生き物に、銀姫は戦慄していた。

 

「こ、れ? この世界に、私たち以外の生き物が……?」

「違う、コイツは“ダムド”だ!」

 

 銀姫の疑問を、血姫は吠える形で訂正する。そして警句を発す。

 

「まだ、いる!」

「!」

 

 その言葉に銀姫が見上げれば、その視線の先、岩山の上に立ち並ぶ大量の黒い影。ずらり、ずらり。その数は軽く二桁を超えている。

 影――ダムドは、最初の一体と同じように奇声を上げて仮面ライダーたちへ飛びかかってきた。

 

「!? コイツ、ら!?」

 

 明確な敵意を露わにし、ダムドたちは躍りかかる。自衛のため、銀姫は拳を振るった。相手を突き飛ばすための重い一撃だ。しかし仮面ライダーなら大したダメージのない筈のそれを受けたダムドは、それで霧散するかのように飛び散った。

 

「えっ!?」

 

 動揺する銀姫。ダムドを斬り払いながら血姫は叫んだ。

 

「ソイツらは人間じゃない!」

 

 血姫の手元で、同じようにダムドが霧となる。

 

「ノーアンサーが言っていた。コイツらはこの世界に発生する亡霊のような奴ら、らしい!」

 

 つまり、幽霊。それに類する存在。

 苦手な属性を纏うそれに、銀姫の背筋には悪寒が走った。

 

「いやっ……!」

 

 慌てて纏わり付いてくるダムドを振り払う。振り払うと言っても拳が握られたそれはライダーの膂力でこなされれば裏拳となる。それをまともに受けたダムドは頭を砕かれる形で消え失せる。

 銀姫は軽いパニックになりながら血姫に問いかけた。

 

「どうして、私たちを狙ってくるの!?」

「アタシたち生者を狙ってくる習性があるんだ! コイツらの所為で、アタシは昨日まともに戦えなかった!」

 

 その言葉に、銀姫の中の小さな疑問が氷解した。

 昨夜のライダーバトルで、死者は発生しなかった。血姫のように戦う気満々のライダーがいたにも関わらずそれは何故なのか? 初めての戦いで慣れていなかったのもあるだろう。だが一番の理由は恐らく、このダムドの所為なのだ。血姫がトラブルと言った現象はこれなのだ。

 成程。今のように群れでライダーたちへ構わず襲いかかるのなら、バトルどころではなくなる。

 

「っ、弱い、けど!」

 

 一体一体は、別段強くない。

 が、如何せん数が多い。

 十人どころではない。二十、三十、あるいは、百。

 全滅させてバトルに戻ることは愚か、気を抜けばそのまま数で押し潰されかねない物量だ。

 

「これっ、消せないの!?」

「確か、親玉を潰せばいなくなるってノーアンサーが言ってたけど……」

 

 昨日は結局見つけられなかった、と血姫は悔しげに呟く。

 つまりライダーバトルを邪魔無しでやろうと思えば、先にそのダムドの親玉を排除する必要がある。

 殺し合いたくない銀姫からすればそれは願ったり叶ったりの状況だが、しかしこのままでは呑み込まれかねないのも事実。

 細剣を振るいつつ銀姫は叫んだ。

 

「とにかく、これをどうにかしないと、でしょ!?」

「……だけど」

「死んだら、願いも何もないよ!」

 

 それは、空虚な朔月であっても喚ける論理で。

 だからこそ、頑なな血姫を動かす力を持っていた。

 

「……一時、だけだ!」

 

 吐き捨てるようにそう吠えると血姫はダムドの肩を蹴って跳躍した。クルリと体操選手のように回転しながら、銀姫の背中側に着地する。

 

「! ……うん!」

 

 一瞬身を固める銀姫だったが、血姫は銀姫と背中合わせとなるように立ち、目の前のダムドを斬り捨てた。それを見届けた銀姫は、嬉しそうに頷いて自分もダムドと対峙した。

 

 上空から見下ろせば、まるで軍隊蟻が群がる如し。悍ましき黒い渦が生命を喰らわんと、数を増しながらわらわら殺到している光景は吐き捨てたくなる程醜悪で。

 されどその中心では、血風と銀光が煌めいていた。

 

 命を燃やすかのように、懸命に。

 影を主に斬り払うのは血姫だ。踊るように宙に舞えば、その刃に黒霧が散る。足りないならば尾が打ち据え、足癖の悪さが胸を貫く。一挙一動が死に至る。まさにダンスマカブル。

 そしてその背中を庇うように、銀姫の拳が唸る。血姫のように暴れるには、リーチも鋭さも足りない。されど力強い拳は決して止まらず。敵が爪を突き立てようとその鎧には歯が立たない。城壁めいた堅牢さ。

 血姫が踊るその背中を、銀姫はピッタリと守り続ける。まるで風車(かざぐるま)。赤い羽がクルクル回り、銀の軸がそれを支える。それはあたかも一つの命の如く。乱れてもすぐ立ち直りまた回り出す。止まらない。終わらない。黒い霧が無限に生まれていく。

 即席にしてはあまりにも、噛み合いすぎたコンビネーションだった。

 

(でも――!)

 

 限りが見えない。銀姫は殺戮を続けながらも焦っていた。

 ダムドは数を増し続けている。最早遠間すら埋め尽くされて見える程に。銀姫は浜辺に打ち上げられた大量発生のクラゲを思い出す。あれも悍ましく、そして数えたくなくなるくらいに溢れていた。

 違うのはまだ動いているということ。そしてガチガチと牙を打ち鳴らし、生きている肉を狙っているということ。

 このままではジリジリと追い詰められ、そして――最悪の想像が、現実となるだろう。

 

(親、玉は!)

 

 そうなる前に、血姫から知らされた打開方法を果たさなければならない。が、そもそも、

 

(どれが、ボスなの!?)

 

 分からない。ひしめくダムドは皆同じに見え、違いが分からない。斬り捨てても殴りぬいても、黒い霧と果てるだけで何も変わらない。少なくとも何かを成し遂げた手応えは感じない。

 

「そ……血姫! このままじゃ!」

「分かってる! けどっ」

 

 血姫からも焦ったような声が返ってくる。彼女もまた、当たりをつけられていない。

 見つけるには、どうするべきか――朔月は、空を見上げた。真っ赤な空に、弱々しい太陽が浮かんでいる。

 

「血姫……!」

 

 銀姫は己の肩を叩いた。肩甲を纏ったそれを、軽く傾ける。その意図は血姫に過たず伝わったが、同時に困惑を引き起こした。

 

「正気!? 確かに見つけられるかもしれない。でもアンタ一人じゃ……!」

「それでもっ!」

 

 拳を振り抜きながら銀姫は答えた。

 

「二人で、ううん、どっちかでも助かるなら、それしかない!」

「!! ………っ」

 

 迷い。だが刃を振り抜く一瞬だけでそれを切る。

 自分は、死ぬわけにはいかない。その覚悟を思い出す。

 

「――分かった!」

 

 血姫はステップを踏み、方向を転換する。今までは銀姫の周りを跳ねるようにしていた軌道を、逆に離れるように。二人の鉄壁の連携が崩れる。

 一歩、か、二歩。それだけ離れた血姫はその場でまたクルリと回る。その正面、直線上にあるのは――銀姫の背中。

 血姫は一瞬だけ力を溜めると、それ目掛けて踏み込んだ。銀姫の背に乗り上げ、肩を踏み、そして、上空へ跳躍。

 強い脚力を持つ血姫がそうすれば、彼女の身は高く舞い上がる。

 

「どれだ――!」

 

 飛び上がり、重力に捕まり自由落下が始まるまでの僅かな時間。血姫は眼下を見下ろし首を巡らせた。広がる醜悪な黒渦。そこから親玉を見つけ排除する為に。

 その視界には残された銀姫が掠めた。血姫を送り出し、単身となった銀姫にダムドの群れを排除するほどの攻撃力は無い。群がられ、対処が間に合わず、そして鎧へ牙を突き立てられる彼女の姿が視界を横切る。それを助けたいと、血姫の指先が微かに跳ねる。だがそれを振り払う。彼女の、銀姫の覚悟に応える為にこそ、

 

「見つけた!」

 

 視線の先には、やはりダムドの群れ。しかしそれはよく見れば二つ旋毛(つむじ)のように中心がもう一つあった。銀姫ではない片方。そこには通常のダムドとは違う風貌の何者かが佇んでいた。

 くたびれた浅葱のロングコート。目深にフードを被ったその下には他ダムドとは違うのっぺりとした仮面。区別するなら、パーカーダムドと名付けるか。

 それを見つけた血姫はその位置を記憶しながら自由落下に身を任せる。

 

「血姫!」

 

 自分の前へダムドを踏みつけにして落下してきた彼女の名を呼ぶ銀姫。血姫は再び剣を振るいながら真っ直ぐと一点を指差した。

 

「この先!」

「そっか、分かった! でも……」

 

 親玉はいた。だがそこへの行く先も、やはりダムドが塞いでいる。このままでは辿り着けない。

 

「どう行けば……」

「大丈夫」

「え?」

「次はアタシがやる番だ」

 

 そう言って血姫は指先をマリードールに押し当て、なぞった。

 

《 Blood Execution Finish 》

 

 ひび割れたラジオ声が響く。血姫の握る刃へ赤黒い光が漲り、そしてボッと燃え上がる。剣から炎上した炎は周囲のダムドの焼き、銀姫を解放した。そしてそのまま、天井へ掲げ、振り抜く。

 

「切り、拓く!!」

 

 一閃。切り下ろされた火炎は一直線へ飛んでいき、炎と煙となってその眼前をモーセのように開いていく。ダムドは霧と消えていき、舗装されすぎる道が出来上がる。その果てにいるのは、パーカーダムド。

 

「行け!」

「! うん!」

 

 血姫の拓いた道を銀姫は駆け出した。血姫と同じように、船首像に触れながら。

 

《 Silver Execution Strike 》

 

 血姫とは少し違う音声。銀の輝きは、右足に集う。

 駆けて、駆けて、そして飛ぶ。

 宙で一回転した銀姫は、眩さを突き出しながら叫んだ。

 

「せ……やあああぁぁぁーーーっ!!」

 

 裂帛の気合いを叫びながら跳び蹴りを穿つ。その狙いは真っ直ぐ、胸の中心。

 避け損ねたのか、あるいはその暇も無かったのか――パーカーダムドは躱すこともせず光に貫かれた。

 

「っ、はぁっ!」

 

 光となってロングコートごと貫通した銀姫は着地し、背後へ振り返る。その瞬間襲う爆風。パーカーダムドが弾け飛ぶ余波。

 その後に残ったのは誰もいなくなった爆心地と、黒い霧に消えていくダムドたち。

 

「やった……」

 

 あれだけいたダムドたちは全員、立ち尽くしたまま宙に溶けていく。ライダーを襲う様子もない。

 元通りの殺風景な砂漠に戻っていくのを見て、銀姫は安心したように息をついた。

 

「気を抜いていいの?」

 

 声かけたのは、未だ握った剣を肩へと乗せる血姫だ。そう言えば、まだ戦っている途中……力を合わせたのはあくまで一時休戦だったのだと銀姫は思い出し、

 

「……ま、いいけど」

 

 そう、血姫が剣を砂地へ突き立てたことで、拍子抜けした。

 

「へ……」

「アタシも今日は、そんな気分じゃなくなった」

 

 血姫はドライバーのマリードールへ手をかけるとそれを上へ引き抜く。一瞬の抵抗の後マリードールはカシャンと外れ、同時に血姫としての装束も光に弾けて消えていく。

 仮面が失せ、赤毛が風に舞う。素顔の彼女が、爽がくたびれたように溜息を吐く。

 

「……アンタは、やる気なの?」

 

 そう問いかける血姫、いや爽が武装解除したのだと気付き、慌てて銀姫もそれに習う。同じようにドライバーから少女を模した彫刻を引き抜けば、銀姫としての武装も解除される。

 いつも通りの掌が帰ってきたのを見てから、朔月は爽に微笑んだ。

 

「……やらないよ」

「そっ。……丁度、時間みたいだし」

 

 爽が呟くと共に朔月も気付く。周囲の砂漠が希釈されていっている。もう慣れつつある、世界から退去する合図。

 

『ぴーんぽーんぱーんぽーん♪』

 

 喧しい声が脳裏に響く。ノーアンサーの声だ。

 

『本日のバトルは終了でーす♪ 二日目の死者はー……』

 

 こくりと、固唾を呑んで朔月は次の言葉を待った。心なしか、隣の爽も緊張しているような気がする。

 溜めるかのような一息の間。弄ぶかのような時間の後、ノーアンサーは続ける。

 

『……残念だけど、また無ーしっ! ホント、みんな慎重だねー』

 

 ホッと息をつく。朔月と爽は元より、裏で行なわれている決戦でも、死人は出なかった。その事実に安心する。

 

『それでは今日のライダーバトルはおーしまいっ! また明日、じゃねー♪』

 

 最後にそう結び。

 ノーアンサーの声はそれで途切れた。

 そして早く帰れと言わんばかりに、風景の色が急激に褪せていく。

 

 もう今日は誰も死なないという事実に朔月は安堵する。

 

「……よかった。誰も死んだりしないで」

「アタシとしては、そうも言えないけどね。……言っておくけど」

 

 消えつつある砂風の中、爽は朔月へ念を押すように告げる。

 

「共闘したのはアタシに利があったからだ。生き残るという利が。でも、願いを叶えるのを諦めたわけじゃない」

「……うん」

 

 そう、殺し合いの問題は解決していない。

 ただ今日はお開きになっただけだ。

 

「覚えておきなさい。アタシはどんなことがあっても願いを遂げる。邪魔するなら、殺す」

「……でも」

 

 それでも、と。

 朔月は胸に抱えてしまった気持ちを吐き出す。

 

「貴女と戦いたくないよ。だって一緒に戦った時、心が……通った気がしたんだ」

 

 背中越しに触れ合った感触が、まだ朔月の中に残り続けている。その時感じた万能感が、朔月の口を突き動かす。

 

「爽も……同じじゃないの?」

「………」

 

 答えない。あるいは、答えられないのか。

 口を噤んだ赤毛の少女は返事の代わりと言わんばかりに背を向けた。朔月はそれを悲しげに見送ろうと……、

 

「……あ」

 

 して、思い出したように振り返った爽と目が合った。

 

「え?」

「明日って土曜だけど、学校……」

「あっ、うん。あるよ。半日だけ」

「ん、あんがと。……じゃ、また明日」

「うん、また明日」

 

 そんな、気の抜けるようなごく普通の会話で。

 二人の少女はその世界から消えた。

 日常へと、戻る。

 

 

 

 

 

 

 

 朔月が目を開ければ、そこには夜の公園。

 転移する瞬間歪んで見えた光景も、今は元通りだ。

 夜風を浴びながら、朔月は今日のことを思い返す。

 

「……爽、血姫」

 

 クラスメイトにして、ライダーの竜崎爽。

 並々ならぬ覚悟を決めた少女。死を背負うことを怖れぬ戦士。されど、今日は共に戦えた。

 それは希望なのか、それとも泡沫が如き幻だったのか。

 そして――

 

(……私は、爽を)

 

 自分は、どうすればいいのか。

 まだ、揺れる。

 雲に隠された頼りない月光が、心の迷宮を彷徨える少女を弱々しく照らしていた。

 

 弦月は更に欠け、新月へ近づいていく。

 そんな中途半端な夜。



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三日目-1 颶風のフレンドリィ

「学校終わったら、どこかで話さない?」

 

 それが朔月(はじめ)の、教室に爽が来てからの最初の台詞だった。

 ドアを潜った鼻っ面にそれをかまされれば、いくら爽でも「は、はぁ」と気の抜けた感想にもなる。

 

「えっ……今日?」

「うん!」

「用事……は別にないけど」

 

 頭の中で漠然と考えていた予定と比べながら答える。

 

「お昼ご飯……食べてから?」

「え、今日半日だよ?」

「いや、でも、お弁当は食べるでしょ」

 

 爽はバッグの中から風呂敷に包まれた弁当箱を出して言った。意外にもその風呂敷はピンク色に星を散りばめた、中々ファンシーな柄となっている。

 

「可愛いね」

「えっ、あっ……別にこれはアタシの趣味じゃないから」

 

 指摘されたことに顔を赤らめ、サッとバッグの中へしまってしまう爽。朔月としてはただ意外だっただけで、可愛い趣味だと思うのだが。

 

「ご飯……私は終わってから食べに行く予定だったけど」

 

 朔月はいつも、昼食は購買で買っている。ただ土曜学級の購買は閉まっているので、土曜日は同じような平日は購買派の友人と遊びに行くついでに食べに行ったりしていた。

 ただ今日は、爽を逃がさない内に捕まえたいので……。

 

「えっと……あぁそうだ。屋台で買うから、屋外で一緒に食べるのはどう?」

「屋台? お祭りとかあるの?」

「いや、普通の日でもやってる奴」

「……まぁ、アタシはいいけど」

 

 爽は一応、頷いた。転校してきたばかりの爽には他の友人との予定も無い。これから誘われるかもしれないが、朔月が一番乗りだから断る理由も無い。

 だが。

 

「……何話す気?」

「えっ……とぉ」

 

 そう問われ、朔月は少し気まずく目線を逸らす。その理由が分からず爽は首を傾げた。

 実は、何を話すかはまだ決めていない。

 

 とにかく、対話をしなければならないと朔月は考えた。

 殺し合いだなんて、絶対しちゃいけない。だが爽の覚悟は堅硬だ。

 ならまずはその理由を問い質すべきだ。しかし、人を殺してまで叶えたい願いだなんてそう簡単に打ち明けてもらえるとは思えない。それに朔月はまだ昨日(正確にはおととい)知り合ったばかりで、しかも斬り合った中だ。普通に考えて秘匿する。その秘匿を打ち破って話してもらうことが今日誘った目的だが、具体的な手段はまだ全然思いついていなかった。

 

「ま、まぁ、ライダーバトルの話、かな?」

 

 なので朔月はそう言って誤魔化すしかなかった。まるっきりの嘘でもない。

 

「……まぁ、いいけど」

 

 曖昧な回答に釈然としない気持ちを抱えながらも、爽は頷いた。

 

「うん、じゃあ、また後でね!」

「あ、うん、後で」

 

 取り敢えず約束は成立したと見て、朔月はその場を後にした。長く話しているとノープランのボロが出そうだったから、ちょっと足早だった。

 

 

 

 

 

 

 

 と、いうわけで。

 二人は今市内の並木通りを歩いていた。

 風に揺れる木陰の中を朔月が先導している。ついでなので、目的地へ行きながら街案内もすることにした。

 

「この辺は飲食店が多いんだ。ほら、あの赤い暖簾のお店見覚えない? テレビで紹介されたこともある行列の出来るラーメン屋なんだけど」

「ごめん知らない」

「そっか。……あ、じゃああっちは? ネットで星四つのカレー屋さん」

「そっちも知らない。……っていうか」

 

 ウキウキの朔月についていきながら、爽はこれまでの案内文句を思い返した。

 学生割引の効く蕎麦屋。お洒落な内装のイタリア料理店。マンゴーがおいしいフルーツパーラー。スイーツバイキングがたまにあるデパート……。

 

「朔月って、もしかして食いしん坊?」

「ふぇっ」

 

 その指摘に朔月は目を丸くした。まったくの無自覚であった。

 確かに朔月は、飲食店しか紹介していなかった。

 

「い、いや別にそういう訳じゃ……あ、っと、こっち」

 

 弁明しようとした矢先、目的地を見つけてしまう。それは公園の入り口だった。中に入れば緑の原っぱと、それを囲うように通る煉瓦で舗装された道。遊具がない代わりに大分広い、ちょっとしたレジャーをするなら持って来いな、どこにでもありそうな公園だった。土曜日の昼下がりに相応しく、家族連れがキャッチボールしたり小学生の集団が自転車で競争していたりする。

 その一角へと二人は立ち寄っていく。

 

「ここだよ、ここここ」

「……あぁ、うん。屋台だね」

 

 そこにあったのは祭りの日に出るような屋台だった。何でも無い休日だというのに何故か出ているそれは、一つだけポツンと公園の端に鎮座していた。

 鉄板の上でヘラの焦げを落としている中年の店主は近づいてくる二人に気付くと、陽気に声をかけた。

 

「いらっしゃい。って、朔月ちゃんか」

「うん! おじさん、いつもの頂戴!」

 

 跳ねるような調子で朔月が話しかけると、店主も慣れた様子で応じた。顔見知りのようだ。

 

「あいよ。後ろの子のは……」

「あの子はお弁当だから。大丈夫……いいよね?」

「え、あぁうん。いい、かな……」

「はいはい、一つね」

 

 爽が答えるのを確認し、店主は鉄板の上に具を並べ始めた。その中に黄色い麺が入るのを見て爽も店の正体を悟る。というか、屋台の隣に立つ旗に書いてある。

 

「焼きそばか」

「うん。いつも土日、ここにお店を出してくれてるんだ」

「ふぅん……あれ、ソース入んないの?」

「私がいつも頼むのは塩焼きそばだからね」

「へぇ、珍し」

 

 そんな雑談をしている内においしそうな匂いが立ち昇り、調理が完了する。

 

「出来たよ」

「おじさんありがとう!」

 

 店主は出来上がった焼きそばをプラスチックの容器に詰め、割り箸と共に輪ゴムを引っ掛けてから朔月に手渡す。朔月はその代わり、財布から取り出した硬貨一枚を交換した。

 

「あいよ。またね」

「うん、また明日か、来週!」

 

 元気よく返事し、朔月は手を振ってその場から離れた。勿論爽もついていく。

 

「さて、どこで食べるー?」

「人気のいないところがいいんじゃない? ライダーバトルの話するなら」

「あぁ、そっか」

 

 ライダーバトルについては他言無用というルールを思い出し、朔月は首を巡らせた。周囲は子どもやそれを見守る親がいっぱいだ。

 

「ここじゃまずいよね……まぁ、移動しながら考えようか」

「ん」

 

 コクリと頷き、爽と朔月は並んで歩き出した。

 暖かな日差しと楽しげな子どもたちの笑い声は、公園にとても穏やかな空気を作り出していた。まるで時間が緩やかに流れているように錯覚してしまう程。

 そんな中で二人はお昼を食べるに相応しい場所を探しながら、他愛もない会話を交わす。

 

「ぽかぽかいい陽気だねぇ~」

「そうね。今日は湿度も丁度良くて過ごしやすいから」

「夏よりも春っぽいよね! 爽はどんな季節が好き?」

「ん……冬かな。ホラいつもアタシが着てる服……」

「あー、ね。やっぱアレ暑いんだ」

 

 変哲のない、普通の会話。それが朔月は一番好きだ。特に、相手のことをもっと深く知れるような話は大好物だ。

 それが例え、戦う宿命にある相手だったとしても変わらない。いや、だからこそ、朔月はこの会話がより尊いものに思えた。

 もっと知りたい。もっと話したい。そんな欲求に突き動かされ、口はどんどん滑らかになっていく。

 

「さっきのさ」

「うん?」

「なんで塩焼きそば? ソースより好きなの?」

 

 だから、爽の質問にもするりと答えた。

 

「んー、好きってより、安いからかな。量もあるし」

「貧乏?」

「違う違う」

 

 苦笑しながら首を横に振る。

 

「その、ご飯代がお小遣いだから、食費をなるべく抑えようってね」

「ご飯代がお小遣い? それどういう意味?」

「えっ、どういうも何も、そのままだけど……」

 

 首を傾げた爽に朔月は説明する。朔月にとっては別段隠すようなことでもない。物心ついた頃からの習慣。彼女にとってのごく当たり前な常識。

 

「机の上に千円置かれて、それで一日の食事をやり取りするの。で、他にお小遣いがないから、なるべく節約して貯めて、服とか買ったりお洒落したり……って、そういう意味だよ」

「……何、それ」

 

 朔月は平然と言った。彼女にとってはそれが幼少からの普通だったから。

 一方で爽は愕然とした。

 ピタリと、足が止まる。釣られて朔月も立ち止まるが、何故止まったのかは分かっていない。

 

「……爽?」

 

 二人が立ち止まったのは、丁度木陰の下だった。だからか、朔月から爽の表情は見え辛い。だが少なくとも、笑顔では無さそうだ。

 

「そんなこと、あり得るの? 一日、夕食も? ……親がいない日は、ってこと?」

「いや……いつもだよ。三百六十五日。朝昼晩」

「……お母さんは? 仕事で忙しいの?」

「仕事はしてないんじゃないかなぁ」

 

 朔月は、自分の家庭が異常な自覚がある。両親が不仲で破綻しているという自覚が。

 しかし、余所から見た場合、どういう風に思われるかの自覚は無かった。そしてそういう自分のズレも。

 

「最近は家にいないことも多いけど、それは若いツバメに会いにいってるからだと思うし……。まぁ貢ぐお金をお父さんから引き出すぐらいなら自分で働けばいいと思うけどね」

 

 サラッと。

 そう告げる彼女の顔には哀愁すらない。

 ただただ、ウンザリしているだけ。

 

「だからまぁ、ただ貰えてないだけだよ。でも日に千円って結構な額だと思うし、そこまで貧乏って訳じゃ……爽?」

「……それ、おかしいでしょ」

 

 滔々と語って、そこで朔月は気付く。

 爽の声がこれまでに無い程、動揺した声音をしているということに。

 

「え?」

「だって……家族でしょ? なのに、なんでご飯作って貰えないの?」

「まぁ……酷い親だとは思うけど」

「酷いドコロじゃない!」

 

 朔月はビクリと跳ね上がった。この短い付き合いの中でも、爽がクールな性格をしているということぐらいは分かっていた。

 なのに今、彼女は取り乱している。

 ただ、家族の仲が良くないという話をしただけなのに。

 

「そんなの、親じゃないでしょ! なんでご飯を一緒に食べないの? なんで不倫なんてしてるの? お父さんは何しているの?」

「え、いや、その」

 

 詰め寄らんばかりに問い質す爽の姿を見て、朔月は自分が彼女の何かに触れてしまったことを理解した。だがそれが何かまでは分からなかった。

 だから、素直に答えるしかない。

 

「お父さんも、愛人いるから……見て見ぬ振りしてるだけだと思う、けど……?」

「……何よ、それ」

 

 信じられない。

 そう、爽の見開かれた目は語っていた。

 

「は、朔月は、それで平気なの……?」

「え、まぁ……流石に平気じゃないよ」

 

 そこでようやく朔月は、自分の家庭環境にショックを受けられているらしいということが分かった。

 成程、確かにこの環境に文句を覚えてなければ頭がおかしい。理由が分かった朔月は苦笑しつつ弁明した。

 

「ムカつくし、喧嘩は余所でやってほしいよ。この間も物を捨てられて悲しくて、こんな人たちと家族なんてヤダなぁって思ったし。だから早く、出て行きたくてしょうが無いよ」

 

 本心だ。

 喧嘩しているのは嫌だし、この間ギターを捨てられた時は本当に悲しかった。こんな親の元へ生まれてきたことに絶望した。独り立ちしたら、さっさと縁を切りたいと心の底から思う。

 強い自分に変身して、抜け出したい。それがおまじないに祈った願いだから。そんなごく普通の願い。

 

「だからまぁ、普通だよ。普通に親は嫌いだよ」

 

 これで、誤解は解けた筈だ――そう思って、爽に微笑む。

 だが爽は、より一層ショックを深めた顔で呆然としていた。

 

「なんで……」

「ん?」

「なんで、悲しくならないの?」

 

 首を傾げる。いや、今悲しいと言った気がするけど。

 

「いやだから、悲しいよ? 宝物が捨てられて本当に――」

「違う、違うでしょ」

 

 爽は首を振った。何故か彼女の方がずっと悲しそうに。

 

「なんで、仲良くないことに悲しくならないの?」

「え――」

 

 仲良く?

 何故?

 

「だって、家族ってそうじゃないよ。お父さんとお母さんは仲が良くて、時に喧嘩しても、謝って、それで一緒に食卓を囲ってまたいつも通りになって……それを繰り返して、けどいつも笑い合えて。嫌いなこともあるし、嫌になることもあっても、でもそれ以上に大好きで、割り切れなくて。……それが、家族じゃないの?」

 

 一陣の風が吹いたことで枝が揺れ、木漏れ日が揺れた。そして朔月は気がつく。木漏れ日で反射した爽の瞳が、潤んでいることに。意志の炎を燃やしていた、彼女の瞳が。

 

「なんで……愛されていないことが、悲しくないの?」

「愛されていないこと……」

 

 確かに、それを悲しんだこともあった。

 他の家庭を知れば知る程に。

 テレビをつけて知る温かい家庭の映像を見る度、自分とのギャップに泣きそうになったこともある。友達が家族のことを語る度に微妙な顔しか出来ないのも確かだ。家を飛び出して誰にも追いかけて来て貰えないことを、寂しいと思ったこともある。

 だけど、

 大前提に。

 

「でも私も、あの人たち嫌いだし」

 

 そう、キッパリ告げた。

 

「………ぇ………」

 

 爽は絶句した。言葉を失い愕然と立ち尽くす。その様子にいっそ心配になりながらも、朔月は疑問に答える。

 

「そりゃ私だって愛されたいけど、あの人たちにして欲しいとは思わないよ。性格最悪だし、疎まれてるし。この間なんて生まれなきゃ良かったとまで言われたんだよ? 自分に価値がない気がして、ホントに苦しかった。……そんな人たちを」

 

 脳裏に浮かぶのは、冷たい目ばかり。いいことをしてもらえた記憶なんて、一片もない。

 

「そんな人たちに愛されたいとも、愛したいとも思うわけないじゃん」

「……そんな」

「それよりどうしたの、爽? なんでそんな……」

 

 今度は朔月から爽に質問した。それ程に朔月の目には爽の様子が異常に見えたのだ。

 殺し合っていた時以上にショックを受けているように見える。

 

「……取り敢えず、人のいないところに行こうか」

 

 すぐに立ち直れなさそうにしている爽を見て、朔月は彼女の手を引いた。

 いつも気の強そうにしている爽も、ただ喉を詰まらせそれに従うだけだった。

 

 木漏れ日が揺れる。

 穏やかな日差しには似つかわしくない、乱れた気持ちを抱えて彼女たちはその場を去った。

 

 

 

 

 

 

 

「落ち着いた?」

 

 そこは人気の無い神社の境内だった。

 くすんだ鳥居と蟲が平気で這う社。公園の奥にこぢんまりとある空間だが、実を言えばこちらが主だった。神社の麓の空間に公園が出来た、というのが正しい。

 だがまともな参拝客はいなくなって久しい。めっきり寂れてしまった境内だが、それでも日に焼けた青いベンチの上を軽く拭けば、くつろぐ空間ぐらいは確保できた。

 そこに二人で並んで座りながら、朔月は項垂れる爽へ声をかけた。

 

「……うん、ごめん。取り乱して」

「ううん。私の方こそなんかごめん」

 

 そこでまた、会話が途切れる。

 相変わらず朔月には何故爽が悲しんでいるのか分からない。どうやら自分に理由があるようだが、それについてとんと心当たりがなかった。

 気まずく思い、空気を変えようと朔月はバッグの中に手を入れた。

 

「丁度いいから、ここでお昼を食べようよ!」

 

 朔月はバッグの中から白い容器を取り出した。

 

「じゃーん! ちょっと冷めちゃったけど、それでもおいしい塩焼きそば! 量もあって、コスパ最強だよ!」

「……それも、ご飯代を節約するため?」

 

 朔月としては明るく振る舞ったつもりだったが、爽の気分は上向きにはならなかった。

 変わらず沈んだ様子の彼女にどうすればいいか分からないながらも、朔月は頷いた。

 

「まぁ……そうだね。いつも半分くらいは残せるようにはやり繰りしてるよ。友達と食べに行く時は奮発しちゃうけど」

 

 なので朔月の食事はいつも質素だ。なるべく安く買える惣菜を中心にして、時には自炊する。家に買い置きするべき食材もご飯代の中から賄うのでどうしても贅沢はできない。

 そう素直に告げる。

 

「でもそれが不味いとは限らないし、結構おいしい物食べてると思うけど」

「……そうかも、しれないけど」

 

 爽は少し悩んで、同じように自分の昼食を取り出した。ピンクの布に包まれた弁当。可愛らしい星柄の結び目を解けばやはりピンク色な、二段重ねの弁当箱が露わになる。

 箱を開けると、色とりどりのおかずが目に入った。

 

「わ、おいしそうだね!」

 

 朔月は賞賛した。弁当の中身は本当においしそうだった。

 唐揚げに、シュウマイ。ポテトサラダにミニトマト。小さい箱の中に出来るだけのバリエーションを作ろうと考え抜かれた、豊富な食材が詰め込まれている。弁当故全部冷めてしまっているが、それでも問題なく美味に食べられそうだ。二段目の主食であるご飯にはふりかけがかかっていた。

 色彩豊かな弁当に朔月は素直に感嘆し、しげしげと眺めた。

 

「へぇ~、綺麗だね」

「……これ、お母さんが作ったの」

 

 言いにくそうに、爽は言った。

 

「そうなんだ。あ、だからピンクは自分の趣味じゃないって言ったんだね」

「うん……お母さんが朝早く起きて、お父さんと弟の分も一緒に作って、アタシがいつもやめてって言ってるピンクの弁当箱に詰めて……」

 

 それが、と。

 

「それが普通だと、ずっと思ってた」

 

 そう、爽は信じていた。

 家庭というものは、幸せなものだと。

 

「……そうじゃない家庭があるってことぐらいは、知っていた。親の仲が悪かったとか、そもそも片親がいなかったり、とか。……でもそういう人たちはみんなそれを悲しんでたりとか、愛されたいとか、そう、思ってると、思ってた……」

 

 だけど違った。

 朔月が語る家族は、もっと冷め切っていた。

 

「家族の仲が悪くて、悲しいと思ってるのが一番辛いことだと思ってた。でもアンタは、朔月は……そうとすら、思えない」

「あ……」

 

 そこでようやく朔月は。

 爽が悲しんでいる一番の理由を知った。

 

 家族の仲が悪いこと。そしてそれ以上に……朔月が仲直りしたいとも思ってすらいないこと。

 家族としての絆が完全に途切れているにも関わらず、それを繋ぎたいとすら思ってないことが悲しいのだ。

 

 血の繋がりとは、家族とは、もっと良いものだと爽は信じていたのだ。

 勿論、中には上手くいっていないところもある。一生拗れたままで終わる関係があることも、知ってはいた。

 しかしそれでも、憧憬や、あるいは愛憎が少なからずあるものだと思っていた。家族仲を修復したいと願う気持ちが、どこかにあるものだと。

 

 だけど朔月にはそれすら無い。

 

「それは、それって……すごく、悲しいことでしょ」

 

 そうして爽は、遂にポロリと一筋の涙を流した。

 とても愛情深い人だ。

 爽の涙を見た朔月はそう思った。

 朔月の家族なんて、他人も他人だ。それなのに悲しんで、心を傷つけて、泣くことが出来る。普通じゃあり得ないことだというのは朔月にだって分かった。

 この子は、本当はとても傷つきやすい人なんだ。人のことを想える人なんだ。人を殺すという覚悟を決めた姿ばかりを見てきたから分からなかったけど、その心根は……悲しいくらいに、優しい人なんだ、と。

 朔月が爽の本質に触れた瞬間だった。

 

 だけど、そう判断出来たのは心の冷静なごく一部のことで。

 実際の朔月はポロポロ涙を流し続ける爽に大いに動揺していた。

 

「わ、わわ……え、えぇと」

 

 あたふたと、間抜けなパントマイムを演じている。絵に描いたような大慌てだ。

 どうしようどうしようと考え、ふと思いつく。

 された記憶はとんと無いが、しかしそれで安心出来る人はいると知識では知っている。

 が、まだ知り合って三日程度の自分がやっていいのか。嫌がる人も多いんじゃないか。とか余計なことを考えしばらく葛藤し。

 

 意を決し、爽のことを優しく抱きしめた。

 

「えと……その」

 

 やってみたはいいものの言うべきことは相変わらず見つからず、言い淀んで。

 それでも背に回した手を強めながら言葉を探す。

 

「ありがとう……なのかな。私の為に泣いてくれて」

 

 抱きしめられながら爽は朔月の肩で首を横に振る。

 

「礼とか……違うよ。アタシが、勝手に悲しくて……」

「それでも、だと思う」

 

 制服越しの体温が、感触が伝わった。温かくて、想像していた以上に華奢で、そして心臓の音が響いて……抱いている少女の命が伝わってくる。

 

「友達は沢山いるし、みんな大切だけど……けど、それでもこんな風に泣いてくれる人はいなかった」

 

 同情してくれた子もいるし、共感してくれた人もいた。

 だがそれでも、爽のように悲しんで涙を流す程の人はいなかった。

 

「だからちょっと……ううん、すごく嬉しい」

 

 自覚していなかった闇に、優しく触れてくれた。

 それは朔月にとって初めての感覚だったから。

 

「改めて、ありがとう。私のために……きっと、代わりに泣いてくれて」

「……うん」

 

 そう言われては、爽も頷くしかなく。

 しばらくはそうして、抱き合いながら過ごした。

 

 

 

 

 

 

 

 それから大分時間が経って。とはいっても日差しの色は変わらない程度の時間。

 密着することで溶け合った体温が煩わしくなった辺りで、ハッと気付いたように二人は身を離した。顔が赤らんでいるのは暑さの所為ではあるまい。

 気恥ずかしくなった二人は互いに目線を逸らした。

 

「えと……急にごめんね」

「ううん……別に……」

 

 二人の間に妙な空気が流れる。涼夏の気温に相応しくない生温さだ。朔月と爽はそれぞれモジモジ、ブラブラと脚を持て余し、気まずく沈黙しあった。

 なので空気を変えようとして手元にあった物を思い出すのはそれ程不自然なことでもない。

 

「あ、そ、そうだ! ご飯! お昼ご飯食べないと!」

「そ、そうね」

 

 朔月は輪ゴムを解いてプラスチックの容器を開き、爽は抱き合っている間もずっと弁当の蓋を開けていたことを思い出し微妙な表情になって、それでも目を見合わせて同時に手を合わせた。

 

「「いただきます」」

 

 それぞれに箸をつける。色々あったが、好物を食べれば顔がほころぶのは普通のことだ。

 

「ん~♪ やっぱりおじさんの焼きそばは冷めてもおいしい!」

「………」

 

 箸で麺を絡め取り、キャベツや肉片ごと口に運ぶ朔月。それをじっと見て、爽はおもむろに唐揚げを一つ摘まみ、朔月の眼前に突き出した。

 

「……え?」

「ん」

 

 突然のことにキョトンとする朔月に、爽は更に突き出した。それでも反応の鈍い朔月に業を煮やし、遂にはその言葉を口に出す。

 

「あ~ん」

「え……あ、あぁ!」

 

 得心した朔月は言われた通りに口を開く。子どもに大人気な揚げ物は口の中に消えた。もぐもぐ咀嚼し、朔月は目を輝かせ頬を挟み込んだ。

 

「ん~! おいしい! ニンニクが香ばしい感じ!」

「お父さんと、弟がそっちのが好きなんだ。アタシは口臭が気になるから微妙なんだけど、多数決で」

「へぇ~、弟さんがいるんだ」

 

 初めて知った情報だ。だがそれを口にした爽は若干苦い顔になる。

 

「……どうしたの?」

「いや……何でも無い」

「そう? ……あ、そうだ」

 

 小首を傾げ、しかし言いたくないなら無理に聞き出すまいと流した朔月は、自身の塩焼きそばに箸を突き立てクルクルと回した。

 

「はい、お返し。あ~ん」

「……あ~ん」

 

 そうして差し出された物を爽は、自分からやり出した手前断る訳にもいかず、気恥ずかしそうにしながらも素直に口を開いて受け入れた。

 ぱくり、もぐもぐ、ごくん。

 

「……ん、確かにおいしいかも」

 

 心なしか目を輝かせ、爽は頷いた。その反応に朔月は嬉しくなる。

 

「そっか、よかった!」

 

 自分の好きな物を共有出来るのは誰にとっても嬉しいことだ。

 その後二人は何度か交換し合った。爽が色々なおかずを提供するのに対し、一種類しかない朔月が心苦しくなって公園の自販機に飲料を買いに走る一幕などがあったが、それ以上の大過もなく昼食を平らげた。

 

「「ごちそうさまでした」」

 

 また、二人揃って手を合わせる。それぞれの食器を片付け、ベンチに座り直す。ボロ神社の境内に、満腹な人間にしか発することの出来ない緩んだ空気が束の間流れる。腹がくちた満足感で空を見上げ、朔月は溜息をついた。

 

「ふぅー、おいしかった。爽のお母さん料理上手だね」

「ん、まぁ……だからうるさいんだよね。アタシも料理覚えろって……」

「あはは。いいじゃん。弟さんに作ってあげたら?」

 

 なんとなしに言った言葉。

 それが爽の表情を曇らせる。

 

「あっ……変なこと言ったかな」

 

 今日爽が感情の七面相を見せたことで、朔月も爽の表情が分かるようになっていた。そうして察知し自分がまた失言してしまったと謝る姿勢を見せたが、爽は首を振ってそれを止めた。

 

「ううん。……まぁ、もう、アンタには……朔月には、もう話してもいいかな」

 

 何かを堪えるように息を吐く。その後、覚悟を決めるかのように口を開いた。

 

「アタシの弟……(かい)って言うんだけど」

「うん」

「ちょっと歳が離れてて……小学生で。まぁだから姉としては可愛い奴なんだよ。いつもつい甘やかしちゃう」

「いいことじゃん」

 

 兄弟姉妹のいない朔月からすれば微笑ましい話だ。羨ましい、とまでは感じないのは、家族という存在に対する悪印象の所為だろうか。

 

「サッカーが大好きなんだ。それこそ暇さえあればボールを蹴ってた。それで当たり前のように将来の夢はサッカー選手でさ。ジュニアチームで頑張ってた」

「……頑張って、た?」

「……ん」

 

 爽は振り子のように揺れる自身の脚に視線を落とした。ゆらゆら揺れるそれを視界に収めながら、別の何かを見つめるような様子で、ポツリ、溢れるように呟く。

 

「でも、歩けなくなった」

 

 さぁっ、と風が吹いた。しかしそれは、二人の間に張り詰めた空気を浚ってくれるようなことはなくて。

 

「……え……」

「オーバーワーク、って奴。頑張り過ぎちゃったのかな。靱帯と筋肉が酷く傷ついて、車椅子になった。事故でも事件でもない。誰も悪くない。リハビリさえ頑張ればまた歩けるようになるって、お医者さんは言ってる。……でも」

 

 それでも、と。

 爽は悔しげに拳を握りしめて。

 

「サッカーは、もう二度と出来ない」

「……それは」

 

 何かを言いかけ、しかし朔月は何も言えなかった。夢を失った快の立場にも、それを眺めるしかなかった爽の立場にも、どちらにも共感出来なかったから。同情は出来ても、知った風な口は絶対にきけなかったから。

 

「そう知らされた時の、快の表情が忘れられない。あんなに元気な子が、あんな……!」

 

 だけどその絶望が、爽の心をどれだけ深く傷つけているかぐらいは何となく分かった。そして朔月は気付いた。

 

「まさか……爽の願いって……」

 

 人の為に泣ける爽。愛情深い爽。家族という存在が幸せな物だと信じていた爽。そしてそんな爽が、ライダーバトルで振る舞う無慈悲な姿。その全てが繋がっていく。

 

「……そうだよ」

 

 隠さずに、爽は肯定した。

 

「アタシの願いは、弟をもう一度サッカーできる身体にすることだ」

 

 顔を上げた爽の瞳には炎が宿っていた。堅硬な意志。やり遂げる覚悟。傷を焼き潰してでも進む勇気。

 そしてその薪となっている、情愛。

 

 朔月は理解した。

 爽がどこまでも優しいことを。そしてその優しさを家族へ一番に向けていることを。その為ならどんな汚名だって被る覚悟があることを。

 だからこそ、ノーアンサーの誘いに乗り、ライダーバトルに参加し、そして人を殺す決意を固めた。

 

 全ては――(おとうと)の為に。

 

「奇跡でも無い限り絶対無理だって言われた。だったら奇跡を起こしてみせる。その手段があるのなら、アタシは何でもする」

 

 爽は立ち上がった。脚が動くから、立ち上がる。そうして少しベンチから離れて振り返り、まだ座ったままの朔月と真っ直ぐ向かい合う。

 

「だからアタシは――絶対止まれないんだ」

 

 正真正銘の愛。

 

「……そっか」

 

 それを前にして朔月はただ見上げ……諦めたように呟くしかなかった。

 立ち上がることは、出来ない。

 

 戦いを止めたかった。

 純粋な良心として。そして知り合った爽を殺したくないと思ったから。

 だから戦わなければならない理由を、願いを聞き出せば、どうにかなると思って――でも。

 

「そう、なんだ」

 

 どうにもならないと、分かってしまった。

 ここで、「人を殺して弟が喜ぶの?」とか、「大切な家族なら、信じて待とうよ」とか綺麗事を述べるのは簡単だ。

 だけどそんなこと、人を殺すだけの決意を決めるくらい悩んだ後なら、とっくに過ぎ去ってしまっている筈で。

 もう選んだからこその、覚悟なのだ。

 

 ならばもう、止められない。止める資格が朔月には無い。

 だって朔月には、彼女を止めるだけの材料(なかみ)が無い。

 家族の絆の途切れた朔月では、その大切さを論じることが出来ない。

 自分の為だけの願い(へんしんがんぼう)しかない朔月では、誰かの為に命を賭ける尊さを踏みにじれない。

 

 空っぽな虚ろ(はじめ)では――少女の希望を、奪えない。

 

「じゃあ……」

 

 それが分かってしまったから。

 そこから零れたのは、ただの心の叫びに過ぎない。

 

「……私も、殺すんだね」

 

 諦観のような呟きだった。

 全部受け入れて、諦めて……それが現実なのだと、夢見ることを止めた声音。

 

「っ……!」

 

 優しい爽は朔月にそう言わせてしまったことに傷ついて、しかしそれでも覚悟という炎でその傷を焼き潰して。

 真っ直ぐ、視線を逸らさずに告げる。

 

「……そうだよ。アンタは……アタシが殺すんだ」

 

 ざざぁっ、っと勢いよく風が吹く。

 夏にしては妙に心地よい風は、そこにあった何もかもを、吹き曝せずに通り過ぎて。

 

 見つめ合う二人はただただ――悲しそうな目をしていた。



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三日目-2 臆病な皇帝

 夜が来た。マリードールが輝いて、その時を告げる。

 もう慣れたと言わんばかりに目を瞑った朔月(はじめ)が瞼を再び開けば、そこには崩れたボロ小屋が立ち並んでいた。

 

「また廃墟、か……」

 

 荒廃した剥き出しの土の上に、ホームレスの住んでいるような住居が乱立している風景を眺めて朔月はそう呟いた。スラム街。あるいは難民の寄り合い所帯のようだ。空模様は曇天。時間に意味があるとは思えないが、一応は昼間らしかった。そしてやはり通例通りに人の気配がないことを確かめれば、ここが今日の戦場なのだと朔月は確信する。

 だから前例、前々例に習い、探索から始めることにした、

 その矢先。

 

『ぴーんぽーんぱーんぽーん♪』

「えっ」

 

 頭の中にだけ響いたその声に、朔月は思わず顔を上げた。

 その声、この現象に聞き覚えはある。ノーアンサーのアナウンス。

 だけどそれが鳴り響くのは決まってライダーバトルの終わり際だった。終了を知らせる合図。今までに無い出来事に、朔月は足を止めてしまう。

 

『ビックリしたー? まぁしてなくてもいいけどー』

 

 相変わらず場違いに陽気な声につい溜息を吐く。憂鬱な気分と相まって、苛立ちが朔月の胸の中に沸き立った。

 そんな朔月に構わずノーアンサーは続ける。

 

『それで今日は初っぱなにお知らせ! なんと今日はー……バトルロワイヤルでーす♪』

 

 告げられた言葉の内容に朔月は目を丸くした。

 

「バトルロワイヤル……って」

『そう、全員での殺し合いでーす♪ みんなでバトってー、潰し合ってー、そして勢い余ってブッ殺し! ……キャッ、こわーい♡』

 

 朔月の疑問に答えるように戯けたアナウンスが響き渡る。それを聞いて、朔月はハッとした。

 

(そっか。てっきり一対一が基本だと思っていたけど……)

 

 今までの朔月のバトルは一対一だった。二戦目にはダムドがいたが、それでもライダーは一人ずつ。一対一の決闘方式がオーソドックスなのだと思っていたが……。

 

(考えて見れば参加者は奇数。一対一を作ろうとすれば、必ず一人余ってしまう……)

 

 そしてノーアンサーに説明されたルールに一回休みなどのルールは存在しなかった。というより、一対一というルール自体が無かった。

 なので恐らく、朔月の知らないところでは三つ巴なども今まで普通にあって……そして今日のように全員参加となることもある、ということなのだろう。

 

『人数が多いことを加味して制限時間はいつもの倍! あ、元の世界に戻る時間はいつも通りだから安心してねー』

 

 朔月は顔を顰める。それは有り難くないニュースだった。戦わず時間が過ぎ去ることを目的とする朔月にとって、バトルフィールドで活動する時間が増すことは純然たるマイナス要素だからだ。

 

『参加者全員参加なんて、今日が最後かもね? じゃ、頑張ってー♪』

 

 最後に縁起でも無い言葉で締めくくり、ノーアンサーの声は途切れた。

 

 再び静寂が戻った脳内に、不安が渦巻く。全員参加。一対一でさえ激しい戦いが繰り広げられてきたのだ。しかも時間は倍。今回のバトルは今まで以上に激化するだろう。

 

(………爽)

 

 無言で歩きながら、朔月は今日のことを思う。

 決定的な断絶。だと朔月は思っている。

 あの神社で見つめ合い、その後二人は無言で別れた。話すことも、目を合わせることもなかった。

 きっともう二度と無いのだろうと思うと……朔月の胸に針を刺すような痛みが奔る。

 心通わせたあの瞬間が心地よくて……抱き合った時の温もりを忘れられない。

 

 出来れば戦いたくない。それが心の叫び。

 でも戦いは避けられない。それが理性の断言。

 

 相反する激情で板挟みになった軋みは胸の痛みという形で現われる。胸を押さえ、それではちっとも治まらないと知りながらも、朔月は祈るように手を重ね合わせた。

 どうか、爽とは戦いになりませんように。

 

 そしてそもそも戦いになりませんように――と付け加えようとして、

 そっちの方はどのみち叶わなかったな、と悟る。

 

「ダムド……!」

 

 道とも言えないような道を歩いていた朔月の前に、黒光りする人影が現われた。

 見紛う筈もない。髑髏のような面をつけた異形、ダムド。それが三体。

 

「……仕方ない、か」

 

 諦観と共に朔月は呟き、胸元のマリードールを掴んだ。

 出てきたのが例えばライダーなら、朔月は戦いを避けるように努力しただろう。話し合うなり、逃げるなりと選択した筈だ。

 だがこの黒い影が話が通じない連中だということは昨日の時点で身に染みている。斬り捨てれば霧に還るような奴輩なら、命を奪う恐れもなかった。手加減も必要ない。

 

「変身!」

 

 マリードールを握りしめ、光と共に現われたドライバーへ叩きつける。聞き慣れ始めたドライバーから流れる電子音が朔月の耳朶を打つ。

 

《 Silver 》

 

《 戦いは止まらない 何故?

  運命は変わらない 何故? 》

 

 壊れたラジオのような音が鳴り響けば、朔月の肢体は銀の光に覆われその姿を変える。

 鉄仮面。黒い襤褸。敗残兵のような、それでいて幽鬼の如き威迫を漂わせる立ち姿。

 仮面ライダー銀姫。

 鋼の鎧を身に纏う騎士は、流れるような動作で腰部を叩き剣刃を作り出した。

 

「……来い!」

 

 気合いを入れるため強めの言葉を吠えつつ、銀姫は直剣を正眼に構えた。

 その言葉が通じたようには見えないが、ダムドの内の一体が、奇声を上げながら迫り来る。

 

「キシャアアアッ!!」

「やあっ!」

 

 その動きに合わせ、剣を横倒しダムドの腹に押しつけた。そしてそのまま、すれ違いざまに刃を滑らせる。腹を掻っ捌かれたダムドは黒い霧を血のように噴出し、やがてその全身は霧に還っていった。

 鮮やかとすら言える、あっさりとした一幕。

 

「よし……」

 

 その手応えを感じ、銀姫は剣の柄を握り締め直した。

 やはり、強くはない。剣でも拳でも、一撃で打ち倒せる程度の強さ。そして、前回は苦戦した数という脅威もこの場にはない。

 なら後は力任せに残る二体を切り払って、この場は終わりだった。

 

 黒い霧に消えていくのを見ながら、銀姫は溜息をついた。

 

「はぁ……これで終わり?」

 

 残心、という概念を一介の少女が覚えている筈もないが、それでも警戒心を露わにして周辺を確かめる銀姫。だがスラムのような風景に他の動く影はない。

 

「……数が少ない?」

 

 前回とは違い、ダムドはたった三体だった。妙に感じる。前回は地平を埋め尽くさんばかりの数に襲われた。それと比べると少なすぎる。

 二例だけで比較するのはおかしいかもしれないが、しかし爽も最初の戦いで大量のダムドに襲われたことを仄めかしていた。それも加味すると、三体だけというのはやはり少なく思える。

 それに、ボスらしき相手もいない。

 

「どういうこと……かな?」

 

 そう思案していると、ふと気付く。

 いつの間にかスラム街からははみ出ていた。そして、ダムドらが立ち塞がっていた先の風景が真っ直ぐに途切れている。どうやらそこから崖になっているらしい。下の風景は見えない。

 もしかしたら、そこに答えが広がっているのかもしれない。

 

「よし……」

 

 念の為変身は解かず、銀姫は崖の上に立って眼下を見下ろした。

 そしてその光景を目撃し、絶句する。

 

「……これ、は」

 

 荒野のただ中、崖から少し遠くに広がるのはビル群だった。発展した都市だったのか、中央には巨大なスタジアムが存在している。しかし窓ガラスが粗方割れ砕け、倒壊している物も混じっているそれらはあからさまな廃墟だった。風に灰が含まれていることから、火災か何かで燃え落ちたのかも知れない。

 しかし、それ以上に銀姫の瞳に印象付いたのは、その合間を練り歩くダムドたちの姿だった。

 ビルの屋上を、ガラスを失った窓の中を、折れた信号機の下を。

 あたかもそこに存在した住民の代わりの如く。

 まるでゾンビパニック映画のように、無数のダムドが徘徊していた。

 

「ダムドの街――!」

 

 それが、今回のバトルフィールドだった。

 

 

 

 

 

 

 

 少し時間が経って。

 銀姫はダムドから隠れながら街へ潜入していた。あのままスラム街に隠れていても埒があかなそうに感じたからだ。危険だがダムドのボスを見つけるにしろライダーから隠れるにしろ、街に向かった方が良いと判断した。

 無論、見つかっても交戦できるよう変身したままだ。

 

「ホント、たくさんいる……」

 

 息を潜めて呟いたその言葉は愚痴だった。路地裏から罅割れた道路を覗けば、そこには歩行者天国のようにダムドたちが彷徨っていた。

 道路だけではない。すぐ近くのビルの二階に目を向ければ、窓からダムドが階下を見下ろしているのが見える。建物に入って上っていったかと思えば、降りてくるダムドもいた。その所為で全体数は把握しづらいが……。

 少なくとも見えているだけで、昨日のダムドの群れは超えている。

 

「これが一斉に襲いかかってきたら……」

 

 銀姫の喉がゴクリと鳴る。

 それは絶望的な想像だった。

 

 だがしかし、幸いだったのは――

 

「っ!」

 

 背後から聞こえた音に銀姫は慌てて振り返る。路地裏とて安全ではない。大通りから溢れたダムドが入り込んで来ることもある。背後にいたダムドも、そうした内の一体だった。

 ひたり、ひたりと銀姫の方へ向け一歩ずつ歩いてくるダムド。夢遊病者のように不確かなそれは明確な意思を孕んでいるようには見えない。銀姫は息を潜めた。かくれんぼで鬼から隠れるかの如く。だが明らかに、ダムドの視界内には映り込んでいる位置だ。

 しかしダムドは……そのまま何も反応を見せず、銀姫とすれ違った。

 まるで見えていないかのように銀姫の前を通り過ぎる。目線を向けることすらしない。

 結局目の前にいた銀姫に気付かず大通りへ戻っていくダムドを見送り、固唾を呑んでいた銀姫は安心したように溜息をついた。

 

「ふぅ……意外な能力だけど、使えるね」

 

 そう言って銀姫は足元まで伸びた襤褸(・・・・・・・・・)を翻した。

 これは銀姫の肩甲から垂れている襤褸が伸張した物だ。

 街に近づいた銀姫が何かダムドから身を隠す方法はないかと思案した瞬間、それが起こった。急に襤褸が伸び、身体のほとんどを覆ったのだ。

 そしてマリードールから伝わる直感通りに行動してみると、なんとダムドが銀姫を見てもスルーしていくではないか。顔の部分は見えているにも関わらず、だ。

 どうやらこの形態でいる限り、ダムドに敵視されないらしい。

 

「ダムドに同族扱いされるってのは、ちょっと嫌だけど……」

 

 自分の身体に牙を突き立ててきたあの感触を思い出し複雑な気持ちになる銀姫だったが、それはそれとしてこの力は有用だ。この形態なら、大通りを歩いてもダムドたちに怪しまれない。

 しかしそれならば逆に疑問が生まれる。

 何故銀姫はダムドに見つからないのに隠れているのか?

 

 それは、他のライダーに見つからない為だった。

 バトルロワイヤル。全員参加。つまりこの戦場には。

 

(爽も……そして、竈姫(へき)もいる……)

 

 銀姫は自分を睨み付ける恨みの籠もった瞳を回想した。明確な敵意。そして実際に弄ばれた記憶を思い出し、身を固くする。

 あの少女はきっと、自分を積極的に狙ってくる。

 爽ならまだ、自分以外を狙う可能性もあった。勝ち残り願いを叶えるのが目的なら、何も今銀姫を倒す必要はない。先で必ず戦う宿命であったとしても、昨日今日では流石に戦いにくい……と、銀姫はせめて信じたい。

 だが竈姫は銀姫を付け狙うだろう。もしかしたらノーアンサーからのアナウンスがあった時点で銀姫一点狙いに決めつけているかもしれない。考えすぎかとも思うが、竈姫に銃撃されながら追いかけられた記憶がそれを強く裏付けている。

 

 それにそもそも、この街で戦闘なんてすればダムドの餌食だ。それも避けたい。

 以上の理由から、銀姫はダムドからもライダーからも身を隠していた。

 

「でもこのままじゃ限界もあるよね……」

 

 ダムドだらけの街で路地裏を渡り歩きながら銀姫はそう独りごちた。

 路地裏は見つかりにくいがそれも比較的に、というだけだ。例えば見晴らしのいいビルの屋上から見下ろせたのなら、ダムドの中を掻い潜る銀姫はかなり見つけやすい存在だろう。屋上にもダムドはいるが、銀姫と似た能力を持っていないとも限らない。特に銀姫は竈姫に屋上からの銃撃を浴びせられた経験があるだけにそれを強く警戒した。

 それを回避するには……銀姫は思考を深くする。竈姫に追われた時はどうしたのだったか。

 

「そうだ……建物の中に入れば少なくとも狙撃はされない」

 

 建物の中に入れば見つかりにくい。あの逃避行も、結局は建物の中に入って終わらせた。

 だがビルの中にはダムドがいる。襤褸の効果で見かけは隠れられていても、接触すればどうなるか。それはまだ分からない。だが直感が危険だと囁いている以上、止めた方が無難だろう。

 だとするならば、大きな建物を選ぶべきだ。ダムドとすれ違うことも避けられる……例えば、大人数が予め通れるよう設計された通路。

 銀姫は崖から見下ろした景色を思い出す。

 

「スタジアム!」

 

 思い立った銀姫はスタジアムを目指し、進路を変えた。

 だが銀姫は戦わなければならない相手を警戒するあまり、忘れていた。

 自分は他にも、名前を知っている相手がいることを――。

 

 

 

 

 

 

 スタジアムは、比較的綺麗に保たれていた。

 ところどころ灰が積もってはいるが、大きく崩れたところはない。相当掃除をする必要はあるが、そのまま利用再開出来そうなくらい原型を保っている。

 適当な入り口を見つけて中に入った銀姫を待ち受けていたのは意外な朗報だった。

 

「やった。中にダムドは少ない」

 

 いないわけではない。だが建物の規模と比べれば圧倒的に少なかった。入ったのはロビーらしき空間だったがそこにいたダムドは一体や二体。歩いてすれ違うことは愚か、走ってもぶつからない数だ。

 

「でもロビーじゃ流石にすぐ見つかるよね」

 

 ライダーから隠れるにしてもこんな見通しのいい場所じゃすぐ発見される。そう考えた銀姫はスタジアム内を探索し始めた。スタジアムの中は銀姫が知っている物と大差ないようで、前に友人に誘われてライブに赴いた経験が活きた。

 さして足取りを迷わせることなく銀姫はスタジアムの内装を紐解いていく。そうして辿り着いたのは、『STAFF ONLY』と書かれた鉄扉だった。関係者専用の裏通路だ。

 

「ここならうってつけね」

 

 普通にスタジアムを流離っても分かりづらいし、何より扉は固く閉ざされている。銀姫は街を往くダムドを観察し、奴らが扉を開けるような知能は持っていないことに気付いていた。あるいは生者の気配を感じ取れば突進するなりしてこじ開けられるのかもしれないが、襤褸を纏った銀姫ならばそれも避けられる。

 

「お邪魔しまー……す?」

 

 いくら廃墟といえど普通なら侵入を禁止されている場所へ踏み入る、精神的な抵抗感からそう言えば、銀姫はちょっとした違和感に気付いた。

 

「この扉、歪んでいる?」

 

 実際に開けようとするまで気付かなかったが、どうやらこの扉、少し歪なようだ。

 なんというか、一度強い力で何かが衝突したかのように凹んでいる。それに気付かなかったのは、どうやら後ろからも同程度の力で押し潰されて、辛うじて元の扉の体裁を保っていたからだ。

 まるで子どもが箱を凹ませて、それを戻そうとしたかのように杜撰な、修理? のような痕跡。

 

「なんだこれ……?」

 

 首を傾げながらも銀姫はその扉を潜った。中には雑多な物たちが積まれた、殺風景な通路が続いている。人に見せることを考慮していない特有の無骨さ。正に裏側だ。

 やはり灰が積もっていたりして汚れてはいるが、進むのに支障を来す程ではない。

 が、その灰を見て、ハッとした。

 

「足跡?」

 

 床に薄ら積もった灰。その上にまるで新雪を踏みしめた跡のように、微かな足跡が残されていた。

 一気に銀姫の警戒心が引き上がった。先の考え通り、ダムドがいるとは考えづらい。となると残された可能性は――。

 

「っ、ライダー!」

 

 それに思い至った銀姫は身構えた。気配を探すべく感覚を研ぎ澄ます。すると、カタン、という微かな異音を捉えた。

 

「誰かいるの!」

 

 そう叫べば、更に大きなガタン! という音が鳴り響く。その方向を察知できるぐらい、大きな音だった。

 

「……こっちだね」

 

 音の方向へ近づけば、そこにあったのは掃除用のロッカーだった。どうやら音の発生源はこれを揺らしたもののようだ。

 となると犯人は、中にいる。

 

「………」

 

 音はもうしない。本当に中にいるかは、実際に開けてみるしかない。

 意を決し、銀姫は扉に手をかけ――そして一息に開け放った。

 

「ひゃ~~! 襲わないでくださいぃぃ~~!!」

 

 そして響き渡ったのは、ちょっと間抜けな少女の叫び声だった。

 

「え?」

 

 ライダーとは予想していた。つまり少女だとは。

 しかし不意打ちならまだしも、まさか悲鳴を上げられるとは予想だにしていなかった。

 

 銀姫はロッカーに収まっていた少女をつぶさに観察する。艶やかな黒髪。怯えてきゅっと竦めて柳眉。そして馬を模した幻想的な髪飾り。身につけている仕立ての良さそうな黒と白の長袖ワンピースを除けば、その姿には見覚えがあった。

 思い出し、ハッとする。

 

「も、もしかして……えっと、真衣?」

 

 銀姫は思い出した。彼女は王道真衣。あの時、荒野で自己紹介をし合った少女だ。

 が、肝心の真衣らしき少女は怯えて目を瞑り銀姫に気付かない。

 

「お、お願いですダムドさんっ、私は食べてもおいしくありませんから、どうか見逃してくださいっ」

 

 どうやらパニックになりすぎて銀姫が人間であることに気付いていないようだ。

 

「い、いやダムドじゃないし。こっち見てよほら」

 

 そう言って銀姫は自分を指差した。その言葉に真衣は薄ら瞳を開け……。

 

「ひ、ひぃっ! やっぱりダムドさんじゃないですかっ!」

 

 再び目を閉じて怯えてしまった。ガクッとしながら銀姫は自分の格好を思い出す。確かに纏った襤褸は黒く、ダムドを思い起こさせるかもしれない。だがダムドを騙すのはまだしも、人間すら騙されてしまうとは……なんとも言えない気分になる。

 

「い、いや違うから。ホラ」

 

 銀姫はマリードールを引き抜いた。変身が解除され、制服姿の朔月が露わとなる。

 再び目を薄く開けた真衣は、しかし今度は嬉しそうにぱぁっと表情を華やがせた。

 

「は、朔月さん~~!」

「し、しっ! 声が大きいよ」

 

 感動のあまり抱きついてきた真衣を受け止めつつ、朔月は指を唇に当てて警告する。真衣は慌てて自分の口を塞ぐが、周囲に気配はない。少なくとも、声が聞こえる範囲にダムドはいないようだ。

 それにホッと息をついて真衣は脱力し、朔月にしなだれかかった。

 

「はぁ~~……よかったぁ、朔月さんが来てくれて……ホントに怖くて……」

「何があったの?」

 

 へなへなになってしまった真衣を手近な場所にあったダンボールに座らせ、朔月は事情を聴取した。

 

「私……このスタジアムがスタート地点だったんです」

「あぁ……そういうこともあるか」

 

 バトルフィールド、この世界の法則はまだ分かっていないが、今までの経験から見て少なくとも最初の出現位置がバラバラなのは確かだろう。なら、そういうこともあり得る。

 だがそれはなんとも。

 

「……不運だね」

「そうなんですよ~!」

 

 朔月は郊外のスラム街がスタート地点だったからよかったものの、ダムドが徘徊する街の中心地であるスタジアムで目覚めてしまうとは相当にツイてない。

 真衣はその時の恐怖を思い出しているのか今にも泣き出しそうだ。

 

「周り見たらダムドだらけで、しかも割とすぐ見つかっちゃってぇ……。ライダーに変身して倒して、そしたらその騒ぎを聞きつけて集まって来て、それも倒して……それをずっと繰り返すことになっちゃって……」

「……あぁ、もしかしてスタジアムのダムドが少ないのって……」

 

 合点がいった。つまり真衣が粗方倒してしまったのだ。

 

「それで怖くなっちゃって、この通路を見つけてずっと隠れてたんですよ! 最初ドアが開かなかったから、蹴破って」

「あれも、そういうことか」

 

 扉の凹みを思い出しそちらも納得する。

 真衣の印象に反して荒っぽい手段なのは、それだけ彼女が当時パニックになっていたということだろう。

 

「それからずっと、ずぅ~~っと! このロッカーで息を潜めて……うぅ、怖かったです~~」

「あぁもう、よしよし……」

 

 縋り付き啜り泣く真衣をあやす。同じ泣いている子を抱きしめている筈なのに、爽の時と違う感じがするのは何故だろうか。

 だが見つけたのが真衣だったことは朔月にとっても僥倖だった。

 

「私も真衣を見つけられてよかったよ。これが他のライダーだったら……」

 

 例えば爽。例えば竈姫。

 もし出会えたのが真衣じゃなかった場合、この場で戦いになっていた可能性が高い。そうじゃないのは、同じく非殺同盟を結んだナイアぐらいだろうか。

 人肌に触れて安心したのか、朔月の胸元から離れた真衣もこくこくと頷いている。

 

「はい、私もよかったです。朔月さんが来てくれて、すごく心強いです。……でも、朔月さんはどうやってここに?」

「あぁ、私は……ライダーの能力。ダムドから隠れられるんだ」

「へぇ~、便利ですね」

「私も驚いたよ。真衣のライダーにはないの?」

 

 朔月が尋ねると真衣は苦笑する。

 

「あったらここで隠れていませんよ」

「そりゃそうか」

 

 さもありなんと頷いた。どうやらあの力は銀姫にだけ与えられた物らしい。

 だがそうなると、真衣は迂闊に動けない。朔月は周囲を見渡し、自分の考えを真衣へ伝えた。

 

「じゃあ、結局ここに潜んでいた方がいいかな。ここならダムドは入ってこないだろうし、入ってきたとしても少数だろうから、すぐ倒せる」

「ですね。私もそう思ったから隠れてました」

「……そう考えたのに、あんなにブルブル震えてたの?」

「だ、だって実際に待ってたら怖くなって来ちゃったんですもん……」

 

 そう指をつついて恥ずかしそうにしている真衣を見た朔月は、なんとも戦いに向いていない少女だという感想を抱く。

 最初に協力を提案した人柄といい、彼女はどこまでも温厚だ。朔月は自分もあまり戦いに向いているタイプではないと思っているが、真衣はそれ以上だ。殺し殺されとは程遠い。

 

「あのさ、なんで真衣は――」

 

 だから何故あの物騒なおまじないを唱え、こんな戦いに参加してしまった理由がますます気になって。

 しかしそれよりも早く、異音が二人の耳を掠めた。

 

「!!」

「今の……!」

 

 金属音だった。しかも、朔月も真衣も耳にしたことがある。

 だってこの通路に入るには、必ずしなければならないことだ。

 

「ドアの開く音……」

 

 それを確認するまでもなく、

 朔月は来た方向からゆらりゆらりと歩いてくる人影を認めた。

 それはここに来るまでに嫌と言うほど目にした姿だ。

 

「ダムド! だけど……」

 

 いくつかの疑問があった。

 まず何故、ドアを開けられたのか。街を彷徨っていたダムドは映画などのゾンビそのもので、扉を開けるほどの知能は見られなかった。廃墟となって扉が壊れていなければビルを昇ることすら出来なかっただろう。だからこそこの通路で安心していられたのに。急に知恵がついたとでも言うのだろうか。

 そしてもう一つの疑問は、ダムドの姿が違っていることだ。現われたダムドはほとんど通常のダムドと同じだが、何故か全身に包帯を巻き付けていた。黒光りする手足が白い布に覆われ、違った印象を受ける姿に変じている。パーカーダムドのようなボス個体か。朔月はそうも考えたが、その背後から現われた二体目が同じような姿をしているのを見てそれを改める。

 

「複数いる? 特別なダムド……?」

 

 だが合計四体現われたそれを見て悠長に考えている暇はない。朔月はここで戦うことを決心した。

 

「真衣、やるよ!」

「え? あ、そうですよね!」

 

 朔月はマリードールを取り出し構えた。それを見て、真衣も慌ててマリードールを手にする。

 

「変身!」

「へ、変身!」

 

 二人のマリードールは同時に装填された。

 歪んだ電子音が二重に響く。

 

《 Silver 》

《 Changeling 》

 

 朔月は本日二度目の銀色の光に包まれた。

 

《 戦いは止まらない 何故?

  運命は変わらない 何故? 》

 

 銀甲冑と襤褸を纏い、再び銀姫が降臨する。

 その隣では、真衣が対照的な金色の光に覆われていた。

 

《 全ては人の為に 何故?

  世界を己の手に 何故? 》

 

 やはり問うような言葉と共に、真衣は鎧を纏っていく。

 それは、黄金の騎士のようだった。あるいは彼らを束ねる、孤高なる騎士王。身体を覆う黒いアンダースーツの上に豪奢な意匠の彫り込まれた金甲冑を身につけ、兜からは幻獣に似た一角が伸びている。背からは真紅に染まったマントが流れ、勇壮なその姿を祝福するかのようにたなびいていた。

 立ち姿からも伝わる、圧倒的な武威。弱々しいとすら思えた真衣の面影は、線の細い口元を残すのみだった。

 

「それが、真衣の……」

「はい」

 

 真衣であったライダーは小さく頷き、ベルトの右側を叩いて武器を生み出す。

 金の粒子が集まって出来たそれは、柄まで含めれば身の丈に届きそうな、黄金を溶かして鋳固めたかの如き大剣であった。

 

「これが私の仮面ライダー。仮面ライダー……乖姫(かいき)!」

 

 高貴なる黄金造りのライダーが、銀姫と並び立った。



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三日目-3 合流、そして

「はぁっ……!」

 

 戦端を切ったのは銀姫だった。四体のダムド目掛けて一直線に駆け出す。武器は取り出さない。狭い通路内では邪魔になると考えたからだ。徒手空拳のままダムドらに肉薄し、右拳を振るう。変身者の朔月(はじめ)に格闘の経験などないが、意外にもサマになっていた。恐らく、仮面ライダーの力が補正しているのだろうと銀姫は思っている。

 

「ギシャッ!?」

「えっ!?」

 

 ストレートがダムドの顔面を捉える。が、予想に反した硬い手応え。そして黒い霧に還らないところを見て銀姫は驚愕した。

 

「普通より丈夫!?」

 

 今までのダムドならこの一発で霧に消えていた。だがこのダムドはダメージを受けたものの消える気配はない。たたらを踏んで後退り、そしてなおこちらへ向かう戦意を見せる。

 そして連携するように、残りの三体が銀姫を囲う。

 

「くっ」

 

 計算外と重なり銀姫は少し焦る。ダムドの攻撃力なら致命傷を負う心配は無いが、それは通常のダムドの話。この包帯ダムドたちが普通と強さも違うなら、攻撃力も未知数だ。

 迂闊に攻撃を受けたらどうなるか分からない。銀姫はとにかく距離を取ろうとして……背筋がゾクリと震えた。

 まるで氷柱を背中に差し込まれたかのような悪寒。その正体は、背後から伝わる圧力だった。

 

「朔月さん……どいてくださいっ!!」

 

 何を、と考える間もなく銀姫はその通りにした。すぐさま乖姫とダムドの直線上から横っ飛びで離れる。疑問に思っている暇や問い返す余裕はないと判断した。そしてその判断は正しかった。

 

「てやああーーっ!!」

 

 可愛らしいとすら言える気合い声が響き渡る。だがその後起きた現象は可愛らしさとはほど遠かった。

 黄金の粒子。その奔流が暴風のように吹き抜けたからだ。

 

「ギシャアアアーーッ!?」

「グギャアアアァァァ……」

 

 まるで濁流のようなそれはダムドたちを飲み込み、全て焼き尽くした。そしてそれだけに留まらず、奔流はそのまま通路を貫き通す。

 轟音。そこにあった有象無象を例外なく破壊し尽くす大音量が轟いた。

 

「ぅ……う、うわぁ」

 

 立ち上がった銀姫は目に映った光景を見て絶句する。

 剥き出しのコンクリートとダンボール類が構成していたスタッフ専用通路は、見る影もないほど融解していた。壁も床も真っ黒に溶け落ち、一部は赤熱化したままだ。遠くのドアがあった筈の突き当たりはグズグズに崩れた穴となっており、当然ダムドたちは跡形もなかった。

 圧倒的な破壊。それを目の当たりにして銀姫は唖然としていた。

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

 そんな銀姫を気遣うように話しかけてくるのはこの破壊を体現した張本人、乖姫だ。その破壊を実行した大剣を抱え、銀姫へトコトコと駆け寄る。

 

「すみません……アレらをとにかく退かそうと無我夢中で……怪我とかないですか?」

「え、あ、ううん大丈夫!」

 

 乖姫の言葉に我に返った銀姫はすぐさま自分の身体を叩いて健在をアピールするが、その様子にはどことなく怯えが交ざっていた。

 

(必殺技……の音は聞こえなかった。つまりこの子は、素の一撃であれだけのことをしたってことになる……)

 

 必殺技、と思われるマリードールをなぞって発動する強力な一撃。それを実行するにはベルトに触れる必要がある。そしてその時、必ず変身の時と同じ壊れたラジオのような音声が鳴る。だが先の一撃の時それは一切響かなかった。必殺技を行なう前の……『溜め』のような一拍もなかった。

 つまり乖姫は、この一撃が素なのだ。

 

「それで朔月さん……これからどうしましょう?」

「あ、うん。えぇと……」

 

 そんなことをして見せたとはとても思えないような弱々しげな態度で、乖姫は次の行動を訊いてくる。

 

「どうしましょう、とは言っても……」

 

 目の前の破壊の跡を見て銀姫は答えあぐねる。どうするも何も、あれだけの音が響き渡れば……。

 

「あ……」

 

 見つめていた通路の先に変化が起こる。ドアが吹き飛ばされた入り口。そこに黒い手がかけられたかと思うと、ぬぅっと髑髏の面が姿を現す。それは一瞬きする間に数倍に増えていく。包帯のない、通常のダムド。しかしその数は多い。

 

「聞きつけるよね、そりゃ……!」

 

 いくらこのスタジアム内にいるダムドの数が少なくてもあれだけの大音量だ。スタジアム中に轟き渡ったことだろう。

 スタジアムにいるダムド全てが殺到したとしても、おかしくはない。

 

「あ、あわわ、どうしましょう!?」

「逃げるにしても突破するしかない! その為には、今のもう一回出来る!?」

 

 パニックになりかける乖姫を叱咤し、銀姫は同じ攻撃を促した。というより、それしか突破方法がない。

 

「は、はい!」

 

 言われた通りに乖姫は大剣を振り上げ、黄金色の粒子を集め始めた。剣へと見る見る内に集まっていくそれは既に触れれば溶け落ちるほどの熱量を帯びているようにも見えた。それを見て銀姫は今度は巻き込まれないようにと背後に回る。

 

「て、やああぁぁーーっ!!」

 

 再び気の抜けるような気合いと共に振り下ろされたそれは、またもや同じような結果を生んだ。黄金の奔流が通路を押し流し、入り口から侵入しようとしていたダムドたちを飴細工のように溶かし尽くした。

 

「うわ……ホントにまた打てるんだ……」

 

 そして剣を振り下ろした乖姫に疲労の色はない。焦りからか頬に一筋の冷や汗をかいているが、今のがもう使えないといったような様子は感じられなかった。

 これならダムドがいくらかかってきようと……銀姫はそう思ったが、また穴から顔を出したダムドを見て苦い顔になる。

 

「キリがない……反対側はっ!?」

 

 ダムドが侵入しようとしているところからの突破を諦め、銀姫は背後を振り返る。しかしそちらは通路幅いっぱいのダンボールや鉄パイプやらが乱雑に積まれ、通れそうになかった。

 

「ぐっ、行き止まり……」

「こっちに行きたいんですね?」

「え、いやちょっと待っ……」

 

 銀姫の仕草からその思考を察知した乖姫は、大剣を八相に構えた。嫌な予感がして静止しようとする銀姫だが――。

 

「やああーーっ!」

 

 その暇も無く、乖姫は三度剣を振るった。

 黄金の奔流が積まれていた何もかもを吹き飛ばす。破壊が過ぎ去った後は、同じような光景が広がっていた。

 

「わ、わぁ……」

「向こうが開きました。行きましょう!」

「え、う、うん!」

 

 銀姫が呆然としているのにも構わず、乖姫はその手を取って強引に走り出す。その様子に銀姫は違和感を覚えた。

 

(あ、荒い? いや、焦ってる?)

 

 乖姫の行動は何かに急き立てられているかのように性急で、そして力任せで乱雑だった。変身前の真衣はおっとりした所作そのままの少女のように見えたのに、変身後の乖姫の行動はまるで違う印象を受ける。

 そして今も銀姫の手を引いて急かされているかのように足早に通路を駆け抜ける。足元は融解しているが、ライダーの靴底のおかげがさして熱も感じない。そしてそのまま反対側の扉……だったであろう穴を通り抜け、外へ飛び出した。

 

「! うっ、こんなに……」

 

 そこはスタジアムの外側通路だった。大勢の客が通れるように広めに造られているそこは、うじゃうじゃと集いつつあるダムドに埋められつつあった。やはりスタシアム中のダムドが……いや、もしかしたら外からも殺到しているのかもしれない。

 

「とにかく、逃げ……」

「こんなの、吹き飛ばして!」

「え゛っ、真衣!?」

 

 ダムドが集まりつつあっても、まだ通路は通り抜けられる程度の余裕はある。そこを通り抜けて一度退くべき……銀姫はそう考え実行に移そうとするよりも早く、乖姫は剣を横向きに構えた。

 

「どいてっ、ください!」

 

 横薙ぎの一閃。今度は黄金の粒子すら纏わなかった。その代わり発生した剣風が、ダムドたちを霧へ還した。後ろにいた銀姫も、そのあまりの剣圧にたたらを踏む。

 

(デ、デタラメだ……! そして、この子……!)

 

 銀姫は乖姫の表情を確認した。仮面から露出した口元。その唇は引き締められてはいるが、時折震えるように引き攣っていた。そして銀姫は確信する。

 

(プチパニックだ! 変身している間、常に!)

 

 戦いに向いていないことは、分かっていた。真衣という少女は柔和だが臆病で、好んで戦う性格ではない。

 だがどうやらそれが災いしてしまったのか、変身している間常に、軽く混乱してしまっているようだった。故に一挙一動が大雑把になってしまっている。人は混乱している時、丁寧に行動は出来ない。戦いに向いてないあまり、冷静な思考が取れないでいる。どうにかしなきゃという思いに掻き立てられ、結果短絡的な解決――つまり破壊に繋がってしまう。

 それが乖姫の超越的な破壊力とミスマッチしてしまった。彼女は怯えのまま破壊を撒き散らす黄金の台風と化したのだ。

 

「真衣、落ち着いて!」

「分かってます! 早くどうにかしないと!」

 

 銀姫の声も聞いてはいるが、半分ほどしか届いていないようだった。どうにか戦いを終わらせないとという思考に支配され、それ以外を考える余裕がない。

 

「どいてどいてどいてぇーーっ!!」

 

 まるで癇癪を起こした子どものようだった。武術の型も何も無い、力任せの大振りでブンブン大剣を振るう。しかし乖姫の膂力で振るわれるそれは、青ざめるような破壊力と常に一緒だった。

 ダムドが一瞬で霧に溶ける。すぐに後続が湧いて出るが、それも次の一閃で消えてしまう。そして破壊の余波が壁や床を斬りつけ、崩壊させる。一撃一撃がスタジアム全体を揺らし震わせる光景を見て銀姫は悟った。

 このまま暴れさせてしまえば、スタジアムが倒壊する。

 

「真衣、真衣、ストーップ!!」

 

 それは不味いと銀姫は、暴れ回る乖姫を後ろから羽交い締めにした。直後感じる凄まじい膂力。そのまま銀姫ごと投げ飛ばしてしまいそうな程の剛力。だが必死に掴まっていると少しだけ我に返ってくれたのか、乖姫はポカンと銀姫を振り向いた。

 

「はぇ? 朔月さん?」

「私たち、逃げる、アンダスタン?」

「え、あ、あれ……そうですよね。あれ?」

 

 その言葉に現状を自覚したのか、ようやく剣を降ろした。

 

「わ、私……?」

「いや、数を減らすのは間違いじゃないけど……でも今はとにかく、こいつらから隠れなきゃ」

 

 こんな広いところで戦っていてはキリが無い。銀姫は我に返った乖姫の手を引いてその場から逃れようとして、

 

「あ……」

 

 通路の先から集団で現われたダムドを見て固まった。

 ダムドが現われたことにではない。自分が見た物が、乖姫にも見えてしまったであろうことが分かったからだ。

 黒光りする異形共が押し寄せてくる光景。それは、恐怖を催すには十分な物で……。

 

「ひっ、ひぃっ!?」

 

 一瞬にして恐慌に駆られた乖姫は、再びパニックとなり正気を失う。そして手にした剣を、思い切り振り上げた。

 

「いや、ちょっと――!」

 

 また同じ事が繰り返される。焦る銀姫だったが幸か不幸か、この時は別の災厄に襲われることになる。

 

「うわあああーーっ!!」

 

 恐怖のあまり我を失った乖姫は、大剣をあろうことか足元へ叩きつけたからだ。

 人外である仮面ライダー。その中でも並外れた膂力を持つ乖姫がそんなことをすれば、どうか。

 当然のように、奔る亀裂。

 

「う、そーーっ!?」

 

 砕け散った床の崩落に巻き込まれ、二人は階下へと落ちていった。

 

 落下の衝撃が一瞬、銀姫の意識を刈り取る。だが全身に奔った痛みがすぐに叩き起こした。

 

「痛!? ……うぐ、し、死ななくてよかった……」

 

 身体を強かに打ち付けた銀姫は顔を顰めつつ起き上がる。幸い、痛み以上の怪我はないようだった。仮面ライダーの頑強さに救われている。

 その隣では、銀姫以上に痛痒が無い様子で瓦礫を退かして立ち上がる乖姫の姿がある。

 

「う……これ、私が? うぅ、ごめんなさい……」

 

 どうやら衝撃で再び我に返ったようで、自分のしでかしてしまったことに関して反省しているようだった。

 銀姫としても色々言いたいことがあったが、まだ状況は過ぎ去っていない。

 

「早く逃げないと。崩れた程度じゃまだ追いかけ……」

「なら、こっちこっち~」

 

 響き渡るのは、二人の物では無い少女の声だった。

 

「え、だ、誰!?」

「誰って、酷ーい! 自己紹介したじゃん!」

 

 声の主を探して視線を彷徨わせれば、それが目の前にあるドアの向こうから聞こえてくることが分かった。

 

「ウチら、非殺同盟を結んだ仲じゃん?」

 

 ドアが開く。そこから顔を出したのは、二人にとって見覚えのある顔だった。

 

「「ナ……ナイア(さん)!」」

 

 手招きするのはあの荒野で顔を合わせた、ツインテールの少女だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ほんの少し開いた扉。その細い視界からダムドが消えたことで、ようやく二人は一息ついた。

 

「ふぅ……助かったよ、ナイア」

 

 朔月は変身を解除しながら改めて礼を言う。同じく変身を解きながら真衣も続いた。

 

「はい、本当、ありがとうございました」

「いいっていいって! 困ってるのを見たら助けなくちゃね!」

 

 ヒラヒラと手を振ってナイアは笑った。その無邪気な仕草は荒野で見たナイアのイメージそのままだ。

 

「いやぁビックリしたよ。騒がしいから覗いて見たら、二人のライダーが暴れてるんだもん。しかも声聞いたら知り合いっぽいし」

「ははは……お騒がせしました。それで、ナイアはどうやってここまで?」

 

 苦笑しながら朔月は疑問をぶつけた。真衣はここがスタートだったとして、自分は能力で隠れ潜みながらここへやってきたのだ。何らかの手段でダムドを掻い潜る方法が無ければここへは辿り着けない。

 

「あぁ、下水道を通ってきたんだよ」

「下水道?」

「そうそう。この地下を通ってるんだ。端々まで行き届いてるから、移動は簡単だったよ」

「下水道にはダムドはいないんですか?」

 

 真衣が目を輝かせた。彼女はダムドに見つかるのを避けてロッカーに入り込んでいたぐらいだ。ダムドを避けられる手段があるのなら飛びつきたいのだろう。

 だがナイアは残念そうに首を横に振った。

 

「いや、流石に地上よりは少ないけど地下にもダムドはいたよ」

「そうですか……じゃあどうやって?」

 

 真衣は消沈しながらも問い返す。それにナイアは、手で空気を掻くような仕草をして答えた。

 

「泳いで、だよ」

「泳いで……下水道の中を!?」

「そーそー。いや、勿論生身じゃないよ? 変身して。ウチのライダー水中戦仕様らしくてさ。水に潜ろうとするとマスクが変形して口元を覆ってくれるんだ。すると水中でも息が出来るの」

「へぇ~……」

「下水に直接口をつけなくて助かったよ! それよりウチは、二人がどうやってここに辿り着いたのか気になるんだけど」

 

 朔月は自分の能力と、真衣の不運を説明した。

 

「はぇ~、なるほどぉ。……それにしても真衣は散々だね」

「はい……」

「あのヤバいくらい暴れてたのも、真衣なの?」

「お恥ずかしい限りです……」

 

 赤くなった真衣は猛省し縮こまる。一応、変身時の記憶はあるようだ。

 

「私、変身するとあんな感じで……いっつも我を忘れちゃうんです。今度は冷静にしようって思っても、毎回ああなっちゃって……」

「言って欲しかったな……っていっても、あの状況じゃ無理か」

 

 包帯ダムドによる奇襲によっての緊急変身だ。そんなことを聞いている暇は無かっただろう。

 だがそうすると、

 

「真衣は変身しない方がいいね」

「だね~。巻き込まれたりしたら大変だし」

「うぅ……ですよね……」

 

 苦い顔で朔月が指摘し、明け透けな物言いでナイアも同意した。真衣は羞恥でどんどん身体を小さくする。

 我を失った乖姫の攻撃で銀姫が巻き込まれなかったのは流石に真衣に敵味方の分別があったとはいえ、八割方運によるものだ。現に危ない場面は既に幾度もあった。

 しかも本気では無い。その状態ですらスタジアム倒壊の危機を招いたのだから、どれだけ危険かは語るまでも無かった。

 

「とは言ってもダムド蔓延るこの街では難しいかなぁ」

「あぁ、それなんだけど」

 

 溜息と共に吐かれた朔月の呟きにナイアが反応した。

 

「ウチ、下水道を移動しつつ時折マンホールからこっそり顔を出して上陸地点を探してたんだよね。その末にスタジアムを見つけたんだけど」

「うん」

「なんか、気のせいかもしんないけど……ダムドがどこか一点に向かって流れるような動きを感じたんだよね」

「ダムドが?」

 

 朔月は首を傾げた。自分が見た時は、そんな風には感じなかった。

 いや、しかし……と思い直す。ナイアは自分よりも観察眼が鋭い。あの荒野でも、集った少女たちが市内の人間である可能性に気付いたのはナイアだった。そのナイアが言うのだから、それは正しいのかもしれない。

 

「で、ダムドがどこか目指してるとして……それは、どういうことなんだろう?」

 

 推測だけど、とナイアは前置きして語る。

 

「どっか別のところでライダーが戦ってるんじゃないかなって」

「……あぁ! さっき私たちが襲われた時みたいにですね!」

 

 ポンと手を叩き、真衣はうんうんと頷いた。それに物言いたげな目線を向けながらも朔月は意見を同調させる。

 

「まぁ、うん。実際にダムドが殺到してきたのは確かだしね。そっか余所でも真衣みたいにダムドと戦い続けている人がいるのか……」

 

 そこまで思い至り、ふと考える。

 

「……加勢にいった方がいいかな」

 

 ダムドの数の尋常じゃなさは、よく理解している。そして戦い続けているなら疲弊もしているだろう。

 もしかしたらやられてしまうかもしれない。そう考えての救助の提案だった。

 だがナイアは、

 

「やめた方がいいんじゃないかなぁ」

 

 そう言って首を横に振った。

 

「え、どうして?」

「いや単純に、そのライダーはウチら三人以外の誰かな訳だ」

「それはそうですね」

 

 当たり前の話だ。朔月も真衣も何を言っているのかと疑問の表情になる。

 それを受けながらもナイアは続けた。

 

「で、あの荒野でライダーバトルに否定的なのはウチら三人だけだったでしょ? ってことは、援護に行くと……」

「あ、まず間違いなく戦うことになりますね」

 

 合点がいった、と真衣も頷いた。朔月もそうだ。

 確かにミーティングと称して集められ、顔合わせした七人の少女。そこで戦わないことに同意したのはここにいる三人だけだ。

 であるなら他のライダー四人は全員バトルに積極的なライダーという訳で。

 

「でしょ? だから行かない方がいいと思うんだけど」

「……いや、でも」

 

 正論だ。しかし、朔月の脳裏を掠めたのは赤い長髪のたなびきだった。

 もしかしたら、戦っているのは爽かもしれない。

 

「……それでも、見捨ててはおけないよ。死んじゃったら、元も子もないし」

 

 一度そう考えてしまったら、見捨てるという選択を取れなくなってしまった。

 どうしてだろうか。戦うと爽が決めている以上、顔を合わせたとしても戦うことになってしまうのに。

 自分でも不思議に思いながら、救助に向かうべきだと意見を出す。

 

「まぁ、そうですよね。……ダムドは怖いですけど」

 

 ダムドを怖れながらも良識を持つ真衣も頷き、

 

「……うーん、碌な事にならない気がするんだけどなぁ。でもまぁ、二人がそう言うのなら行くかぁ」

 

 消極的ながらも多数決の理論に基づきナイアも渋々首を縦に振った。

 しかしナイアは問題も提起する。

 

「どうやってそこまで行くの? ダムドの流れはウチが見極めればいいとして、隠れて進むには……」

「一応考えはあるんだけど」

 

 自信は無い。しかしここで詰まっては助けに行けない。

 だから多少無謀でも口にする。

 

「下水道は地上よりダムドが少ないんでしょ? だったら――」

 

 

 

 

 

 

 

 下水道にほとんど明かりは無い。一部にだけ蛍光灯が灯っているが、ほとんどが薄暗闇に覆われている。

 しかし彷徨う幽鬼……ダムドたちには関係が無いのか、それとも見えて無くとも構わないのか、地上と変わらぬ様子でひたひたと当てもなく歩き回っていた。

 今も、二体のダムドが間に下水を挟んですれ違おうとしている。

 その瞬間、薄暗闇が揺らめいた。

 

「ふっ!」

 

 銀閃。微かな光を反射して剣が奔る。剣尖は過たずダムドの首を刎ね、その身体を霧へと霧散させた。

 黒い襤褸を展開した、銀姫の仕業だった。この状態の銀姫はダムドに関知されない。近づいてダムドの首を落とすなど容易なことだった。

 しかしいくらなんでも同胞が霧に還ったことは認識出来るのか、すれ違おうとしていたダムドが激しく振り返った。今し方ダムドを屠った銀姫を捉え、下水の対岸へ向かおうと脚に力を籠める。

 その瞬間だった。下水の中から槍が飛び出したのは。

 

「えいっ」

 

 サクリと、その穂先はあっさりとダムドの胸を貫いた。何が起きたかも分からないうちに、そのダムドも霧となる。

 薄暗闇に溶けて消え、そして後続が来る気配もないことを確認した銀姫は背後の空間へと声をかけた。

 

「真衣、来ていいよー」

 

 下水道に反響しない程度の小声。それでも地下空間では響いたが、この先にしばらくダムドがいないことは襤褸を纏った銀姫が偵察して確認済みだ。

 暗闇の中から生身の真衣が鼻を押さえながらトコトコと現われる。

 

「うぅ……すごく臭いですね……」

「だよねー! ウチはもう慣れちゃった」

 

 そう言ってザバッと下水の中から上がってきたのは、青い甲冑の戦士だった。

 全体的に流線型なフォルム。造形はシンプルながら、海洋生物らしき息づかいを感じさせる。身体の一部には三日月のような紋様が彫り込まれ、手には刃の広い槍を持っていた。

 その口元は他のライダーと違って銀のクラッシャーで覆われている。だがそれは一時的なことだったらしく、下水から顔を出した瞬間に開き、生身の口が露わになった。

 

 これがナイアの変身したライダー。

 その名を――冀姫(きき)

 

 冀姫は海洋生物を彷彿とさせるその容貌通り、水中戦を得意とするライダーだった。水に入れば口元が覆われ、水中での呼吸も可能となる。この力によって冀姫は、下水の中に潜んでいたのだ。

 

「まぁ、結構上手くいったね」

「ですね。お二人ともすごい手並みで……」

「ははは……これを褒められても嬉しくは無いけどね」

「でも意外といい作戦だったんじゃない? 結局無発見でここまで辿り着けたんだしさ!」

 

 真衣に褒められた時は口元に苦笑を浮かべた銀姫だったが、冀姫の言葉には頷いた。急拵えで思いついた作戦にしては上手く機能していた。

 

 朔月の提唱した作戦はこうだ。

 まず襤褸の力がある銀姫が前方を偵察する。そしてダムドの数や様子を確認し、一度戻る。

 その後、下水の中に潜む冀姫を呼び、ダムドを二人で暗殺。そして安全になった通路を真衣が進むというものだった。

 シンプルだが、これが意外と機能していた。

 

「真衣の安全マージンを取って慎重にやったのが功を奏したのかもね」

 

 この作戦で一番危険なのは生身の真衣だ。ダムドはさして強くないが、それでも変身前の女子高生にとっては十分すぎる脅威だ。

 変身してしまえばその限りでは無いのだが……しかし真衣が乖姫に変身する訳にもいかない。万が一パニックになって下水道を攻撃してしまえば、その瞬間に崩落するからだ。

 だからこそ銀姫たちは真衣に攻撃が及ばないよう慎重にダムドを排除し続けたのだが……それが実を結び、ここまで真衣が襲われることは無かった。

 

「んで……ここだね」

 

 銀姫は上を仰いだ。そこにはコンクリートの丸い天井と、それを貫いて上昇する穴があった。マンホールの裏側だ。

 

「ここを上れば外が見えるね」

「うん。ウチが見てくるから、朔月は真衣の護衛を頼むよ」

「大丈夫? 見つからない?」

「慎重に顔を出すぐらいなら平気だよ」

 

 冀姫はそう言うと、梯子すら使わず壁を蹴って軽快に上っていった。マンホールの蓋というのは普通なら成人男性でも持ち上げることが困難な程重いが、仮面ライダーの膂力ならそれも薄紙同然だ。

 

「……おっ? ……ふむ」

 

 ダムドの流れを見て目的地を見極める為、マンホールを持ち上げ外の光景を垣間見る冀姫だが、その声音に疑問符が混じった。

 

「……ナイア? 何か問題があった?」

「問題というか何というか……二人ともちょっと上がってきてっ」

 

 言うや否や、冀姫は蓋を開け放ち外へと躍り出てしまった。

 

「えっ、ちょっと!?」

 

 慌てて銀姫は追いかけようとするが、変身していない真衣のことを思い出し振り返る。そして先んじて謝った。

 

「ごめん、真衣! 揺れるよ!」

「え? わ、うわ!?」

 

 置いていけないが、かといって梯子を登るのを待ってはいられない。銀姫が選んだのは真衣を抱えることだった。

 お尻を支え、銀姫は上へ向かって跳躍する。真衣の口から悲鳴が漏れるが、自分で大声を出さないよう口を塞いでいるからかくぐもっている。銀姫の跳躍距離は冀姫よりも小さかったが、何度か壁を蹴ればすぐに地上に辿り着いた。

 

「あ、あぅ……」

「ごめんって。で、ナイア?」

 

 外に出た銀姫は周囲を見渡して冀姫を探す。が、その姿を見つけるよりも早く異変に気がつく。

 

「……ダムドがいない!?」

 

 マンホールの外は、一般的な歩道だった。低めなビルの谷間。自動車道の傍ら。飲食店がいくつか立ち並ぶ風景。だが無人だ。かつて隙間が無い程蔓延っていたダムドの姿は、忽然と消えていた。

 

「どういうこと……?」

「朔月ー、こっちー」

 

 頭上からナイアの声が振ってくる。見上げれば、四階建てビルの屋上に立っていた。手招きをしていっる。ここまで来いと言っているようだ。

 あそこまで行くには……銀姫は真衣を抱いたままの手に力を籠めた。

 

「……真衣」

「えっ、もしかしてまたですか……?」

「……ごめん」

 

 跳ねる。やはり真衣の悲鳴が耳元で響いたが、手っ取り早いのは絶対にこっちだ。

 あっという間にビルの屋上へ降り立ち、今度こそ真衣を降ろしてやる。

 

「……うぅ、吐き気がする……」

「うん、ホントごめん。で、ナイア、何があったの?」

 

 謝るのもそこそこに、銀姫は冀姫へ駆け寄り問う。冀姫は一点を指差し銀姫に答えた。

 

「ここら一体のダムドが掃討されてる……全部がいなくなった訳じゃ無いけど」

「それって……」

「まず間違いなく、ライダーの仕業だと思う」

 

 冀姫の指差す方向を銀姫も見下ろせば、確かに広い範囲のダムドが消えていた。遠くの景色にまだ蠢く影はあったので、全てが消えた訳じゃ無いことも理解する。

 そして冀姫は指を滑らせ、別の一点を指し示した。

 

「で……この区画の中、ダムドがまだいるのはあのビルだけだ」

 

 そこにあったビルは今いる四階建てよりかは大きいオフィスビルだった。窓のガラスは軒並み割れているが、だからこそ、中身の光景がよく見える。そこには確かに、どこかを目指して進むダムドの姿があった。

 

「ホントだ。でもなんで?」

「多分、あそこでライダーが戦っていて、そこへダムドたちがみんな吸い寄せられたんだ」

「! じゃああそこに……」

 

 でもおかしい、と冀姫は首を傾げた。

 

「こんな広範囲のダムドが引き寄せられるなら、真衣の時みたく大音量とかが鳴っていてもいいのに……それにしては静かすぎる」

「そういう戦い方なんじゃない?」

「それなら、逆にダムドが吸い寄せられるのが変だよ。もっと上手くやれる筈……」

 

 そこまで呟いたところで、冀姫は振り切るように首を横に振った。

 

「ま、ここまで来ちゃったら確認しない訳にもいかないよね。もしかしたら、疲弊しすぎて動けない状態なのかもしれないし」

「それは大変だ! 早く行かないと!」

 

 冀姫に救出対象の危機を示唆され、銀姫は爽が力尽きかけているイメージをしてしまう。そして弾かれたようにビルへと駆け出した。その後ろでは、冀姫が真衣へ手を差し出していた。

 

「じゃ、真衣はこっち」

「え゛……」

「まぁ朔月よりは優しく運ぶから」

 

 そんなやり取りを背後に銀姫は屋上を渡り継ぎ、オフィスビルの前に着地した。中からダムドの気配が漂ってくるのを感じる。

 

「こっち……?」

 

 その感覚を頼りに銀姫はビルへと侵入し、階段を見つけ昇っていく。静寂さや痕跡の新しさを階層ごとに見切っては次の階へ踏み込んでいった。いつの間にかその後ろには追いついてきた冀姫と「朔月さんの方がまだよかった……」とグロッキーになっている真衣が続いている。

 そして遂に、ダムドが何かを狙っている背中を目撃する。

 そこで閃いた赤い色彩に銀姫は仮面の下の目を瞠った。

 

「爽!?」

 

 そこには赤毛を振り乱し、ダムドから逃げようと必死に駆けているパンクファッションの少女がいた。少女の背は壊れた扉を越え廊下へと消えていく。ダムドもそれを追いかけた。

 変身が解けている。思った以上の危機的状況だと判断して、銀姫は迷うこと無く細剣を生み出して構えた。

 少女が消えていった廊下へと踏み込み、ダムドを背中側から斬り捨てる。

 

「はぁっ!」

 

 不意を打たれたダムドは碌な抵抗もせず霧となって消えた。

 

「……ふぅっ、大丈夫? 爽」

 

 オフィスとオフィスを繋ぐ廊下。そこでまだ背を向けたままの少女へと優しく声をかけた。

 拒絶されるかもしれない。あるいは戦いになるかも。そう怯えつつも銀姫はその背に語りかける。

 

「あの……嫌がられるかもしれないけど、やっぱり私、爽が死んじゃうのは嫌で……」

 

 なんと返ってくるだろうか。「余計なお世話」か、それとも「戦え」? どちらも嫌だけど、それでも……。

 

「……くっ、くく」

 

 そう、思っていたから。

 噛み殺すような笑い声が響いてきた時には目を丸くした。

 

「……爽?」

「いやぁ……アンタら、知り合いだったんだ。好都合だったね」

 

 その声を聞いて、銀姫の背筋は粟立った。

 爽の、声じゃ無い。

 

「顔を知られているだろうから目立つ奴に変装しただけなんだけど……思ったより効果的だったよ」

 

 クルリと少女が振り返る。赤毛の鬘を外す。

 そこにいたのは、黒毛のショートカットと嗜虐的な笑みを浮かべる、爽とはまるで違う少女。

 その視線に、口元に浮かべた唇の弧に、銀姫は強い見覚えがあった。

 

竈姫(へき)、の……」

「朔月!」

 

 背後から冀姫の切羽詰まった声が届く。けれどそれより、竈姫の少女が掴んでいた紐を引く方が早かった。

 

「ははっ、今度こそボクの――この緑川(みどりかわ)志那乃(しなの)の狩り場へご招待だ!」

 

 そして崩れる大音量に、銀姫の感覚は一旦遮断された。



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三日目-4 少女大戦加速中

「あっ、あぁ!?」

 

 天井が崩落する轟音に、一瞬銀姫のあらゆる感覚が遮断された。音と衝撃が脳を揺さぶり、前後不覚になる。

 頭を振って知覚を取り戻しても粉塵と耳鳴りの所為で何も分からなかった。しばらくしてそれらがようやく晴れてきて、銀姫は状況を少し把握出来た。

 

(分断された……!)

 

 廊下が続いてた銀姫の背後は、崩落によって瓦礫の壁が出来てしまっていた。上階にあったオフィス机などのガラクタも巻き込んでいる壁は厚く、銀姫のスペックであってもすぐには崩せそうに無い。下手をすれば、更なる崩壊を招いてしまう可能性もあった。

 そして目の前には、変わらず竈姫(へき)の少女――緑川(みどりかわ)志那乃(しなの)と名乗った少女が赤毛の鬘を投げ捨てて佇んでいた。

 そちらも粉塵が晴れて銀姫の姿を認めたのか、つまらなそうな表情で鼻を鳴らした。

 

「ふぅん。崩落には巻き込まれなかったか。まぁ、そっちの方が狩り甲斐があるからいいけど……」

 

 志那乃はそう呟きながら赤いジャケットを脱ぎ捨てた。下に着込んでいたノースリーブブラウスを露わにしつつ、志那乃は夏の日差しを浴びる子どものように大きく伸びをした。

 

「んんっー! あー、窮屈だった。ま、そのおかげでアンタが引っかかってくれたけど」

 

 無邪気に振る舞う志那乃だが、その瞳は憎々しげな光を湛えて銀姫を見つめたままだ。油断ならなさを感じ取った銀姫は細剣を構えつつ、志那乃へ問い質した。

 

「何で、こんなことを」

「そんなの、決まってるでしょ」

 

 何を当たり前のことを、と嘲る口調で志那乃は答える。

 

「アンタを罠に嵌める為だよ。全部ね」

 

 下唇の弧をなぞったその指を、志那乃はブラウスの隙間へ這わせた。音を鳴らして取り出されたのはマリードール。鎖が千切れると共に、腰元にドライバーが出現する。

 

「……変身」

 

《 Scavenge 》

 

《 解放されたい 誰に?

  許してほしい 誰に? 》

 

 緑と臙脂の毒々しい光が志那乃の肢体を包み、その姿を変じさせる。臙脂の光はアンダースーツとなり、緑の光はそれを上から覆うヒレのような鎧となった。魚とも爬虫類とも取れる仮面は初めての邂逅の時と同じ。しかし仮面の下から伝わってくる忌々しげな視線は、銀姫の心を容赦無く貫く。

 

「ボクはね、与えられた屈辱を決して忘れない主義なんだよ」

 

 仮面ライダー、竈姫。

 毒のように滴る殺意が、ピラニアの如く顎門を開く。

 

「さぁ……狩りの始まりさ!」

 

 竈姫はまず手始めと言わんばかりに大振りの拳銃を生み出し、銀姫へ銃口を向けた。

 

「くっ!」

 

 狙われた銀姫は咄嗟に腕を防御の姿勢に構えた。しかしそれを予測していたのか竈姫は、照準を下へとずらす。銃弾は足を穿った。

 

「っ!」

 

 飛び散る火花。迸る痛み。歯を食いしばって堪えつつ、銀姫は一歩進んだ。幸い、銃弾はスーツを貫通するようなことは無かったようだ。

 

「チッ、やっぱ銃じゃ威力は不足ね」

 

 舌打ちをする竈姫だが、自分へ向け駆け出す銀姫を見ても焦らない。冷静に腰のパーツを叩き、銃を持っていない左手に光を集めた。

 金属音が鳴り響く。銀姫が銃を叩き落とす目的で振るった細剣を、肉厚な刃を持った斧槍が受け止めた音だった。

 

「なっ……!」

「銃しか取り柄が無いと思った? とんだお馬鹿さんだね!」

 

 一瞬呆けた隙を見逃さず、竈姫は細剣を弾き返す。そして銃でもう一度照準を定め、銀姫の胸甲を狙って引き金を引いた。火花のフラッシュと銀姫の苦痛の呻きが廊下に瞬く。

 

「ぐっ……うぅっ!」

 

 状況を変えるための逆撃。振るわれた銀姫の刃は、しかし容易く躱される。

 

「ははっ、そらそら!」

 

 竈姫は後退しながら、楽しげな歓声を上げ銃弾をばらまく。脚捌きすらスキップを踏むかのように軽々しいが、行なわれている事象は退き撃ち。冷静な戦術行動だ。

 遠距離攻撃の手段を持たない銀姫は更に追い込まれることを嫌って、竈姫へ向け踏み込む。

 

(とにかく、銃を落とす!)

 

 竈姫の手に銃がある限り、銀姫は絶対的に不利だ。停戦を呼びかける為にも銃だけは排除する必要がある。

 駆ける銀姫を銃火が襲う。そのほとんどは銀鎧が弾いたが、中にはアンダースーツへ突き立つものもあった。

 貫かれはしない。が、痛みは鎧に着弾した時とは比べ物にならない。

 

「くっ……あぁっ!!」

 

 それでもなお、痛みを堪えて銀姫は前へ進んだ。

 苦痛に表情を歪めながらそれでも邁進する銀姫の姿を見て、竈姫は鼻白んだ様子で銃口を下へ向けた。

 

「猪突猛進とはこの事だね。だから、罠にかかるんだよ」

 

 引き金が引かれる。放たれた銃弾は走る銀姫の数歩前を穿った。

 その瞬間、床が崩落する。

 

「なっ――!?」

 

 いくら何でもそれはあり得ない筈だった。いやしくも鉄筋コンクリートで出来たビルの床だ。相当な怪力――乖姫くらいの力で無ければいくらライダーでも崩せない筈だった。

 銀姫は慌てて急停止する。穴の寸前で止まり――しかし、その淵すらも崩れた。

 

「う、あぁっ!」

 

 空気が風となる。落ちている。銀姫はそれを理解すると、咄嗟に細剣を壁へ突き立てた。

 深々と突き刺さった剣はどうにか銀姫の体重を受け止め、銀姫はぶら下がる形で息を吐いた。そして足元を見て、愕然とする。

 階下には斜めに切られた鉄パイプが林のように並び、針山の如く銀姫を待ち構えていたからだ。

 そのまま落ちていれば、鎧があってもおそらく串刺し――その事実に気付き、銀姫は顔を青くする。

 

「チッ、落ちなかったかー」

 

 降ってきたのは竈姫の舌打ちだ。予め狙って配置していたのだ。崩落した床も、予め脆くされていたに違いない。銀姫はこれが竈姫の仕掛けた罠だと理解した。いや、そもそも――。

 

「このビル自体が、全部……!」

「ん、気付いた?」

 

 ニタリと、仮面から露出した唇を愉悦に歪め、竈姫はひけらかすように両手を開いた。

 

「そう、このビル全部が、アンタを仕留める為の罠籠だよ」

 

 竈姫は心底楽しそうにクルリと回る。

 

「いやぁ苦労したよ? このビル全部に罠を仕掛けるのは。ダムドを掃除して安全地帯にすれば迷いこんで来るだろうと思ったけど、まさか一発目で来てくれるとはね!」

 

 全て、計算だったのだ。

 ダムドを倒していたのは空白地帯が出来れば自然とライダーが寄ってくるから。銀姫のようなお人好しも、消耗を避けるライダーも、ダムドがいない場所なら自然と寄りつく。それを狙って、この空白地帯を作ったのだろう。

 

「ま、ダムド掃除自体は楽だったよ。落とし穴を用意すれば面白いくらいに次々落ちていくし。でもこのビルに追い込むためのちょっとした仕掛けも考えてたんだけど……それは無駄になっちゃったなぁ。ま、アッチ(・・・)はアッチで楽しくやるんだろうけど」

「……アッチ?」

 

 嫌な予感がした。

 そうだ。このビル全部が罠だとして、そしてここら一帯のダムドを掃除するとして、一人で出来るだろうか。乖姫が戦った結果スタジアムのダムドは減っていたが、それでもまだ数は残っていた。目の前で相対したからこそ分かる。竈姫は乖姫ほど圧倒的な能力を持っていない。であるなら、どうやって一人でダムドをここまで減らしたのか。

 答えは簡単だ。つまり、一人じゃない(・・・・・・)

 

 竈姫は楽しそうにケラケラ嗤う。

 

「アハハハッ! 今頃アンタのお友達も、楽しんでるんじゃない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間は銀姫が瓦礫に飲まれた直後まで巻き戻る。

 巻き上がる粉塵を槍で振り払った冀姫(きき)は、すっかり埋まってしまった通路を見て苦渋の表情となった。

 

朔月(はじめ)ー! 聞こえるー!?」

 

 返事は無い。瓦礫の障害は分厚く、声を通さない程のようだ。

 

「駄目だね……分断されちゃった」

「そんな……!」

 

 冀姫の背後で真衣が蒼白になる。計られた崩落。戦いが苦手とは言えそれが意味するところを理解できない程鈍くは無かった。

 

「じゃあ、これって……!」

「やっぱ罠だねぇ。だから戦いになるって言ったのに……」

 

 自分の言ったとおりになってしまったことへの不平を漏らしつつ、冀姫は現実的な行動を考える。

 

「この瓦礫はどかせそうにない……あぁ、乖姫(かいき)の力は論外だよ。ビルごと崩しちゃうから」

 

 マリードールを取り出そうとする真衣を差し止め、冀姫は顎に人差し指を当て思案する。

 

「一旦階を下がって、別の道が無いか探すのがいいかな……。最悪の場合、一度外に出て窓から飛び込むのもアリだし……」

「それは私的には、無しね」

 

 カツン、という足音と、凜とした声が二人の背後から響いた。弾かれたように振り返る二人の視線の先には、一人の少女が佇んでいた。

 銀色フレームの眼鏡、たなびくウェーブの長髪。怜悧な空気を隠すこと無く纏うその少女の姿に、二人はハッとなる。

 荒野の記憶がフラッシュバックした。ノーアンサーに質問を投げかけ、悪目立ちしていた少女。

 

「唯祭の……!」

「ふふ。憶えていてくれたようね。ま、それは流石に貴女たちを低く見積もりすぎか……」

 

 眼鏡の少女は波打つロングヘアーをかき上げ、誇るように自分の胸に手を当て名乗った。

 

「私の名は飛天院(ひてんいん)輪花(りんか)。喜びなさい。いずれ世に君臨する大天才の名を知れたのだから」

 

 少女――輪花は、二人を一瞥し、尊大な態度で胸を反らした。

 冀姫と真衣はたじろぐ。何故なら憶えているからだ。この少女こそが、一番ライダーバトルに積極的な発現をしていたことを――。

 

「成程、二人で組んで待ち構えていたって訳……」

 

 納得したように頷きつつ、槍を構えた冀姫は真衣を庇うように前に立った。

 

「大天才、ね。そんなにすごい人なんだ。でもそんな人が何でライダーバトルに参加して、しかもこんな狡っ辛いマネをしてんのさ」

「正々堂々、なんて脳味噌の溶けた類人猿のすることよ。勝つからには効率的に……私には及ばずとも、まだ有能な味方を選ぶのは定石でしょう?」

 

 冀姫は挑発するように口車を回しつつ、こっそり真衣に向けても唇を動かした。口パクで隙を突いて変身するようにと指示しているのだ。真衣の変身はリスキーだが、この狭い通路で生身を守り切る方が難しい。

 気付いた真衣は小さく頷き、マリードールを手に取った。その手は微かに震えている。それを心配そうに見つつも冀姫は輪花へ視線を戻す。が、その輪花もまた、マリードールを手にしていた。

 

「つまり私から切り捨てられた無能な貴女たちはここで……惨たらしく死ぬのよ」

 

 ゾッとする程冷たい目で、輪花は処刑を宣告した。

 鎖の端を持ったマリードールをクルリと弄び、ドライバーを出現させる。

 

「っ! 真衣!」

 

 距離は開いている。ライダーの脚力を以てしても、変身は止められない。ならばその隙にこちらも準備を済ませるべきと、冀姫は真衣へと叫んだ。

 結果、変身はほぼ同時に行なわれた。

 

「へ、変身っ!」

 

《 Changeling 》

 

《 全ては人の為に 何故?

  世界を己の手に 何故? 》

 

 マリードールをドライバーへ装填した真衣の肢体が黄金の輝きに包まれ、荘厳な騎士の姿へと変わる。普段の真衣とは比べものにならない頼もしい風格を纏うそれは、得物と同じく諸刃の剣だ。

 

 そして輪花もまた、変身を遂げようとしていた。

 

「変身」

 

《 Intelligence 》

 

《 光輝なる 私!

  偉大なる 私! 》

 

 鮮やかな黄色の光が輪花の身体を覆い尽くし、その輪郭を変えていく。光が晴れたそこには、蛍光色に近いほど眩しい黄色の装甲を纏った仮面ライダーがいた。

 近未来の風を感じさせるメカニカルな意匠の鎧は、黒いアンダースーツとのギャップでその存在感を浮き彫りにしていた。胸元には幾何学模様で描かれた輝かしい日輪のクレストが刻まれている。仮面には車のライトにも似た赤いカメラアイが複眼のように取り付けられており、無機質な印象をより深くしていた。

 第一印象は冷徹な機械の兵士。しかしその口元には、傲慢さを隠しもしない余裕綽々な笑みを浮かべていた。

 

「自己紹介しましょうか」

 

 優美な仕草で腕をなぞり、自分の変身した姿をうっとり眺め、輪花はライダーとしての名乗りを上げた。

 

「ライダーとなっても美しく最強なこの私は仮面ライダー……才姫(さいき)! 名の由来は、愚かしい貴女方でも教えなくてよいですね?」

 

 あくまで慢心を隠さずたっぷり見下した物言いで名を述べた才姫に対し、冀姫も不敵な笑みを浮かべて改めて構える。

 

「お名前教えてくれてありがとう! ウチは冀姫!」

「か、乖姫です!」

 

 名乗りを上げた冀姫に習い、乖姫も慌てて名前を告げ、光が凝り固まった大剣を掴み取る。

 二対一。しかし冀姫はこの状況がさして有利だとは思えなかった。

 共に戦う乖姫に不安要素があることもそうだが、それ以上に――。

 

(このライダー……何かある!)

 

 冀姫は己の勘が訴える警鐘に、冷や汗を一筋垂らした。

 

 

 

 

 

 

 

「と、いうことで助けは期待しない方がいい……よっ!」

 

 仲間の存在を示唆し、更に銀姫を精神的に追い込んだ竈姫はぶら下がったままの銀姫に対し銃弾を放つ。それを銀姫は身体を捻って躱し、その反動を利用し剣を抜きながら針山の外側へ跳び、パイプの無い平坦な床に着地した。

 

「くぅっ!」

 

 なおも穴の上から銃弾を振らせてくる竈姫から逃れる為、銀姫は降りた階の廊下を駆けた。上階と下階。その高低は銃を持つ竈姫にとってひたすら有利な状況だ。

 廊下を真っ直ぐ走りながら、銀姫はこれからの行動を試算する。

 

 まず、最優先は二人との合流。竈姫の仲間の数は分からない。だが三人寄らば文殊の知恵とも言うように、集まれば多少有利になることは間違い無しだ。それに乖姫はともかく、冷静な冀姫は味方として純粋に頼もしい。

 第二に、このビルからの脱出。銀姫の推測や竈姫の語った事が真実なら、このビルは竈姫お手製のトラップタワーだ。この場所に留まること自体が不利。早急に脱出すべきだ。

 第三は、竈姫、そしてそれに味方するライダーの拘束――しかしこれは、困難だ。正面切ってライダーを撃破する必要があるだけでは無く、殺してしまわないよう手加減する必要もある。乖姫の圧倒的な力とそれに振り回される真衣を思えば、それが如何に難しいことかよく分かる。

 どうにか安全に無力化する術は無いか。そう考えを巡らせた時、

 

(……そうだ、ドライバー)

 

 銀姫はあることを思い出した。ノーアンサーの説明。ライダーバトルの敗北条件は――。

 

『三つ。死亡、あるいはドライバーを破壊された者は敗退となる』

『ドライバー?』

『そう。正確に言えばマリードールね。それを破壊されたライダーは、失格となるわ』

 

 マリードールの破壊。それを狙えば、殺さずに済む。

 

(出来る? いや――)

 

 銀姫は細剣の柄を握り直す。己の覚悟を締め直すかのように。

 

(やるんだ。じゃなきゃ、みんな死んじゃう)

 

 誰も殺したくない。死なせたくない。

 どんなに砂上の楼閣のように淡い決意でも、それが今の自分の戦う理由なのだから。

 

 そんな風に思いを巡らせていた銀姫は、しかし空を切る音に意識を浮上させる。慌てて首を逸らせば、そこを紐に括り付けられたガラス片が通過した。即席の振り子刃だ。やはり、ビルは罠だらけ。

 

(一瞬も油断できない)

 

 銀姫は警戒を新たにし廊下を進む。

 大声を上げて真衣とナイアへ呼びかけることも考えたが、それは同時に敵に自分の位置を知られてしまう危険性も孕んでいる。合流と敵襲のリスクを天秤にかけ、取り敢えず銀姫は大声を出すことは止めにした。

 そのまま、とにかく階下を目指す。途中幾度か罠があったが、そのいずれもが単発的な物で、さしたる脅威では無い。だが稀に落とし穴のような大がかりなトラップも入り交じっている為、無理押しして進むことも難しい。

 

 そうしてどれほど時間が経っただろう。

 ただ階下へ降るだけなのに、かなりの時間を費やした。罠と竈姫を警戒して歩みを遅くすれば、そうもなる。それに昇ってきた階段もいくつか塞がれていて、迂回路を探すのに手間取ったりもした。

 二人と別れてから随分経つ。無事だろうか。探しに戻りたい衝動に駆られるが、ここで引き返せば竈姫の思う壺だと言い聞かせ、出口を目指す。

 

「! 出口!」

 

 それでも銀姫はなんとか一階へ辿り着いた。無人のロビーへ躍り出た銀姫は入ってきた出入り口を認めると、真っ直ぐ走り出した。

 下に降りれば同じように考えた真衣やナイアと合流できるかと期待した銀姫だったが、それは叶わなかった。それならばそれで一旦外に脱出し、外から再合流を果たすべきだ。脳の冷静な部分でそう決断し、銀姫は出入り口へ一直線に向かう。

 

 だが出口を見つけたということで、どこか油断してしまったのだろう。

 そして狩人からすれば、直線に動く獲物ほど狩りやすい相手もいない。

 

「……BANG!」

 

 戯けた擬音と重なる銃声。それが耳に届くより速く、銀姫の背から火花が散った。

 

「がっ……あぁっ!?」

 

 衝撃と痛みで姿勢を崩した銀姫は走る勢いのまま転倒する。流れる視界と背中の疼痛に混乱して、撃たれたのだと認識できたのは停止した瞬間だった。

 

「ぐ、かはっ」

 

 苦しげに息を吐く。ライダーの脚力で走ったからか、転倒した時の衝撃も相応に痛烈だ。全身を棍棒で叩かれたような打撲の痛痒と、ズキズキと痛む背中。少女の精神では今にも気絶してしまいそうな激痛だ。それでも身体に鞭打ってフラフラと立ち上がれば、そこには天井に開けた穴からロープでぶら下がり、銃口を向ける竈姫の姿があった。

 

「ふふっ、今度は逃がさないって、最初に決めてたからね」

 

 予め上階から一階まで貫通する穴を開けておき、そこにロープを垂らしておくことで先回りを可能としたのだ。最初からビルに囚われた獲物が一階へ逃げると予測したからこその仕掛けだった。

 

「さて……じゃあ、トドメよ」

 

 射線は真っ直ぐ通っている。広いロビーに遮蔽物はない。回避にするにも防御するにも、痛みのあまり手足から力が一時的に失せている。

 万事休す。銀姫の口元が怯えに引き攣る。対照的に竈姫はようやく訪れた瞬間に満面の笑みを浮かべた。

 

「死……」

 

 だが死刑宣告を遮る様に。

 轟音と共に壁が打ち砕かれた。

 

「何っ!?」

 

 混乱する竈姫。銀姫もそちらを注目する。もうもうと立ちこめる粉塵。しかしそれを裂くように漏れる黄金の光を目撃し、叫ぶ。

 

「真衣!」

「朔月さん、こっちです!」

 

 粉塵を裂くようにして飛び出したのは、二台のバイクだった。漆黒のカウルにそれぞれ黄金と青のラインが奔ったオートバイ。その片方に跨がり手を伸ばすのは予想通り乖姫だった。

 差し出された手を取れば、凄まじい膂力で身体ごと持ち上げられて後ろへ乗せられた。運転する乖姫の腰を掴み、バイクはそのままロビーの出入り口へ疾走する。

 

「させるか!」

「こっちがさせるか、っての!」

 

 我に返った竈姫は銃口をバイクへ向け発砲する。が、それはもう一台のバイクに乗った冀姫が間に滑り込み、片手で槍を回して弾き飛ばした。

 

「へへん! これでお暇させてもらうよ!」

 

 一矢報いた冀姫はニヤリと笑い、そのまま併走して二台のバイクはビルから飛び出した。走り去る音はすぐに遠のき、ライダーの走力を以てして届かない場所まで遠ざかったことを教える。ロビーに残ったのは、虚しく硝煙を上げる銃口を降ろし、口惜しげに去った方を睨み付ける竈姫だけだった。

 

「くそっ……もう少しで仕留められたのに……」

「残念ね」

 

 背後から声。振り返らずとも分かる、才姫だ。

 竈姫は三人が去った出入り口から憎々しげな視線を逸らさず、後ろ手で銃を突きつけた。

 

「……アンタがあの二人を逃がしたからでしょ」

「ま、確かにこちらの不手際であることは否めないわ。でもあの二人も厄介者よ。青い方は思考が冷静で、金色の方は単純にスペックが高い。中々の強敵よ」

 

 銃口を向けられているというのに怖れる様子を毛ほども見せず、才姫は億劫そうに銃身を掴んで逸らした。その様子は撃たれないことが分かっているからというよりは、もし撃たれてもどうにでもなるという自身の表れにも見えた。

 

「言い訳?」

「まさか。私は賢いから慎重なのよ。それに……」

 

 隣へ進み出た才姫は肩を竦める。

 

「また戦えば私が勝つわ」

 

 まるで純然たる事実だというかのように、断定的に答える。

 その証と証明するかの如く、傷一つ無い黄色の装甲をなぞった。胸元の日輪は、陰ること無く煌めいている。

 

「それで、どうするのかしら? このままむざむざと諦める?」

「まさか。獲物に逃げられたくらいで狩猟は終わらないよ」

 

 手の中の銃を光へ還し、この場からの撤収準備を始めながら竈姫は答える。

 

「次の罠へ追い込むだけさ」

 

 不敵な笑みを浮かべた竈姫は才姫を伴いビルから去る。

 その背は更なる屈辱を薪とし、より強い憎悪の炎が燃えさかっているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 竈姫のトラップタワーから逃げ延びた三人は無人の街をバイクで駆け抜けていた。

 

「二人ともありがとう。おかげで助かった……」

「いえ、それほどでは」

 

 銀姫はホッと息をつきながら礼を言う。しかしそれに対する乖姫のリアクションは芳しくない。

 

「……どうしたの?」

 

 見れば二人の装甲はかなり汚れていた。コンクリートの粉塵に塗れ、細かい傷がいくつもつけられている。特に冀姫は酷く、一部装甲に至ってはへこんでいた。

 

「あはは……まぁ、ウチらも一緒なんだよ」

「一緒?」

「追い詰められて、逃げ出したってこと」

 

 力なく笑い、冀姫は何があったのか説明する。

 

「私たちは分断された後、才姫って奴と戦った。あの、唯祭の」

「……あの人だったんだ」

 

 銀姫は二人にバレないよう、心の内だけで安心する。取り敢えず、爽では無かった。そんな風に一喜一憂するのも変なことだけど、心の動きは自分で止められない。

 

「そう。だけど……ソイツが、尋常じゃ無く強かったんだ」

 

 冀姫はそう語りながら悔しげに歯ぎしりした。乖姫も消沈している。

 

「見えなかった。何をされたのかも分からないうちに転がされて、二人とも手も足も出なかった」

「二人とも? でも……」

 

 銀姫は目の前にいる乖姫を見つめる。彼女の力は隔絶している。竈姫は強かったが、それでも乖姫ほどの脅威は感じなかった。

 

「うん。単純な力比べなら真衣の乖姫が圧勝だと思うよ。でもアイツは、まともに見ることすら出来なかった」

「……透明?」

「いや、残像や軌跡は垣間見えたから、速い、んだと思う……でも、目で追いきれない」

 

 銀姫はその様子を想像し、ゾッとした。爽との……血姫との戦いと重ね合わせる。だが、血姫の連撃は素早かったが、目で追いきれないという程でもなかった。なら、才姫とやらは血姫以上のスピードの持ち主ということになる。しかも二人を同時に相手して、圧倒している。

 

「私たち二人とも、訳も分からないまま翻弄されてしまって……」

「こりゃ敵わんと、逃げ出したって訳だね」

「それは、よく逃げられたね……それに、これも」

 

 銀姫はバイクへ目線を降ろした。この廃墟に似つかわしくない綺麗なバイクだ。よく見るとフロントカウルには紋章のような物が書かれている。冀姫のバイクには月、乖姫のバイクには王冠だ。操縦者二人に対応しているように見える。そして漆黒のカウルにはそれぞれの色のラインで『Pride Stealer』と刻まれていた。

 プライドスティーラー。このバイクの名前だろうか。直訳すると『誇りの簒奪者』……あまりいい意味では無いと銀姫は顔を顰めた。

 

「あぁ、これは……窓から飛び降りた先にあったんだよね」

「えぇ!? 飛び降りたの!?」

 

 確かにライダーはビルの屋上へあっという間に跳躍できる程の脚力を持っている。だがそれはそれとして、ビルから飛び降りて無事でいられる程強靱だとも思えなかった。

 冀姫は鎧のへこんだ箇所を指差す。

 

「うん、結構痛かったよ。まぁ、それはウチだけだったみたいだけど……」

 

 冀姫は意味深げに乖姫を流し見て、溜息をついた。疑問符を浮かべている本人は、確かに鎧の損傷が冀姫に比べて少ない。

 そういえば、スタシアムでも平気そうだった……と銀姫は思い出し、乖姫の頑丈さに静かに戦慄した。

 

「その所為でこう見えても脚も結構キててね、でも運良く駐輪場に普通に停めてあったコレを見つけられたから、なんとか逃げられたって訳さ」

「普通に停めてあったんだ……」

 

 中々シュールだなと首を傾げ、しかし銀姫はその幸運に感謝する。二人は勿論、自分もこのバイク、プライドスティーラーが無ければ命は無かったかもしれないのだ。

 

「それで、これからどうする? 結局ダムドと戦ってたのが敵の罠だったんだから、またスタジアムに戻って隠れる?」

「そっか。確かに街に出た意味はもう……ん、ダムド?」

 

 そこで銀姫は気付く。今走っている道路にダムドが蔓延っていないのは竈姫たちが一掃したからだ。しかしそれもこの区画だけ。歩きなら十分広いが、バイクの移動速度では……。

 

「ふ、二人とも引き返して!」

 

 そして運転する二人はそれに気付いていなかった。逃げるのに必死で、道路を真っ直ぐ走ることしかしていなかった。

 だからカーブを曲がった瞬間、その光景を目撃して冀姫は叫んだ。

 

「! やばっ!?」

 

 目の前に現われたのは道路を埋め尽くさんとするダムドの群体。すっかりダムドのことが頭から抜け落ちていた一行は警戒を忘れ、真正面から出くわしてしまったのだ。

 当てもなく彷徨っていたダムドたちの顔が一斉に闖入者を振り向いた。髑髏面の眼窩から注がれる大量の視線が三人を貫き、背筋を凍らせる。

 

「こ、これどうしましょう!?」

「どうするって……」

 

 あわあわと乖姫は後ろの銀姫に指示を仰ぐ。

 ダムドから逃げて来た道を戻れば竈姫と才姫に追いつかれてしまうだろう。もう見つかってしまっている以上、引き返せば前後から挟まれて挟撃されてしまう。であるなら道は一つ。

 

「突っ切るしかない!」

 

 思い切りアクセルを踏み抜かせ、一行はダムドたちの只中に飛び込んだ。



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三日目-5 ゲッタウェイ・オーバー

「……動いたな」

 

 寒風吹きすさぶビルの屋上で、そんな呟きが風に乗って消えていく。

 眼下を見下ろすのはポニーテールをたなびかせるジャージ姿の少女だった。室外機の上に座る彼女は刀のように鋭い眼差しで下界を見渡し、遠くで気配が騒がしくなるのを感じ取っていた。

 

「これだけ静かな街で暴れれば、生身でも伝わってくるか」

 

 今回のバトルフィールドとなった廃墟街は基本静かだ。徘徊するダムドたちは皆無言で、走るようなこともしない。ならば少し騒がしくなれば、そこにはライダーたちがいるという証左になる。

 それでも常人では何も分からないだろう。だが少女の感覚は普通より優れていたために、それを正確に感じ取っていた。

 

「二人……いや、三人。ダムドの群れの中に突っ込んだな。速い……バイクを使っているか。だが逃げられるとも思えん。どうなるか……ん?」

 

 そう言葉にした時、背後で動く気配を感じた少女は振り返らずに声をかけた。

 

「行くのか」

「………」

「私は止めておこう。もう少し、状況を見たい」

「………」

 

 気配は無言のままだ。しかし少女はそれを気にもしない。互いが難しい気質であることは、この短い出会いの中で何となく分かっていた。そのまま遠ざかっていく誰かへと、少女は手向けの言葉を贈る。

 

「武運を祈るよ。次に会う時は、敵かもしれないがな」

「……アタシは」

 

 風にバラつく赤い髪を抑え、少女へと答えを返す。

 

「アタシは、それを望んでいる」

 

 電子音が鳴り響き、少女の気配が消える。更に壁を蹴る音がいくつか木霊してその数秒後、ビルの遥か下から聞こえたバイク音が小さくなっていく。それを聞き届けた少女は長い溜息を吐いた。

 

「そうか。私も、そうなのかもしれないな」

 

 その呟きは灰混じりの風に溶けて消えていく。寂寥も、覚悟も、今は誰にも届かずに。

 そして少女もまた立ち上がり屋上を後にする。

 コンクリートが砕け、フェンスが溶け落ち、床は三階下までぶち抜かれている――壮絶な破壊痕が残された、戦いの跡地から。

 

「今はまだ、いい。だがこの悲劇が、苦しみが……戦うことでしか終わらないのならば……」

 

 それを終わらせるのは、と。

 筆舌に尽くしがたい感情を滲ませて。

 

 

 

 

 

 

 

「ひぃいいぃぃーーっ!!」

「うわっ、うわうわっ!?」

 

 お化け屋敷もかくやと言わんばかりの悲鳴を上げ、三人の少女はダムドの群れの中を疾駆していた。恐怖のあまり悲鳴を上げる乖姫に銀姫。運転に集中し言葉少なではあるものの冀姫も頬が引き攣っている。一行はプライドスティーラーを必死に操縦し、どうにか黒い大河を渡っていた。

 

「うわ、くぅ、どいて!」

 

 迫りくるダムドの内の一体を銀姫の細剣が斬り払う。やはりダムド一体一体は脆い。一度斬れば黒い霧に還るし、プライドスティーラーで轢き潰しても抵抗もほとんど無い。だがしかし、この数だ。油断すれば一瞬で引きずり落とされる。

 銀姫は乖姫の後ろで剣を振るい、冀姫は片手で槍を回している。それでどうにかダムドを近づけずに済んでいるが、辛い状況なのには変わらなかった。

 

「裏路地にいけないの!?」

「無理ですよ、こんなスピードじゃ!」

 

 運転を担当する乖姫は悲鳴のような答えを返した。

 

「このバイク、普通より速いですし、ダムドが犇めいて視界の悪い路地じゃあっという間に事故っちゃいます!」

「バイク、操縦したことが!?」

「私有地ですけど!」

 

 言い合いながらも一行は疾駆している。それをダムドたちは追いすがるが、そのほとんどは置き去りにされ立ち尽くす。進行方向でバイクに気がついて襲いかかってくる奴らこそが警戒すべき対象。

 そう、銀姫は思っていたのだが。

 

「……? 音、が……」

 

 ふと、耳を掠める音。自分たちが乗るバイクの排気音とダムドらの奇声の中でそれを聞き咎められたのは、奇跡に近い。

 同じ音だった。自分たちの乗る物と。

 

「まさ、か――!」

 

 最悪の想像。だがその予想よりかは、現実は少しズレていた。

 

 背後を振り向く。波打ち際のように押し寄せるダムドを裂くように、そいつは現われた。

 黒いフロントカウル。並外れたスピード。見覚えがある、に決まっている駆体。

 プライドスティーラー。てっきり銀姫は、他のライダーが追いかけて来たものだと思っていたが――。

 

「ダムドが、乗ってる!?」

 

 バイクに騎乗していたのは、髑髏の面を被った非人類だった。道に蠢く奴輩と同じ容姿の存在がプライドスティーラーのハンドルを握り、アクセルを踏んで銀姫たちを追いかけてくる。

 

「あのバイク、誰でも操縦できるの!?」

 

 ライダーしか操縦できない物だと思い込んでいたが、しかしこの廃墟街に放置されている物ならば、ダムドが操縦できてもおかしくは無い。むしろこの街を支配しているのはダムドなのだから、そちらの方が自然だ。

 プライドスティーラーに乗ったダムドは五騎。編隊を組んで、三人に追いすがる。

 

「くっ、迎撃、しないと……」

「それだけじゃない!」

 

 背後から近づく脅威に銀姫が細剣の柄を握りしめる、その隣。やはり槍を掴み直す冀姫が警句を発する。その仮面の下から覗く表情は銀姫よりも深刻だ。

 

「他にいる筈! 別働隊が!」

「え、どういうこと? なんでそう言い切れるの?」

「だってそうでしょ!? 普通のダムドは、ドアすら開けられないのに――!」

 

 冀姫の言葉に銀姫はハッと思い至る。確かに普通のダムドは、扉すら開けられない。だからスタッフ専用通路に籠もって籠城する気だったのだ。包帯ダムドが異常で、だからこそあそこまで混乱して。

 だが、そうなるとドアの開閉より更に難しい運転というタスクをこなす奴らは、一体。

 

「だから、それをさせられる奴がいるんだ! コイツらに操縦を命じられる(・・・・・・・・)奴が!」

「それって――」

 

 答えを銀姫が吐くより速く。

 乖姫が悲鳴を上げた。

 

「前! 前からも来ました!」

 

 前方で、数体のダムドが霧に還った。黒い同胞を粉塵のように巻き上げるのは、同じくプライドスティーラーに乗った存在。しかし一騎きりだ。

 お互いの進行方向にいる一行と現われたダムドは加速度的に近づいていく。そして近づくことで、黒い霧の中からその詳細な姿が垣間見える。

 バイクのような見た目だった。人型をしているが、全身のパーツが機械的だ。パイプにカウル。剥き出しのエンジン。瞳は割れたヘッドライト。ハンドルを握っていない右手にはコードやフレームを組み合わせたような斧を握っている。

 まるでスクラップを押し込めて無理矢理人を模ったかのような異形。道路に犇めく有象無象とは違う圧倒的存在感。

 例えるなら、バイクダムド。

 

「ダムドの、親玉!」

 

 そう銀姫が叫んだと同時、両者の距離は零になる。

 その瞬間、銀姫の装甲が火花を散らした。すれ違いざまに、バイクダムドが斧を叩きつけたのだ。

 

「きゃあっ!」

 

 悲鳴を上げ仰け反る銀姫。しかもそれだけでは済まず、乖姫の御する駆体も大きく揺れる。

 

「くっ、うぅっ!」

 

 大きく蛇行する車体を乖姫は必死な操縦でどうにか持ち直す。油断ならないハンドルから手を離さず、乖姫は背後の相棒へ叫ぶ。

 

「朔月さん!」

「大、丈夫。痛いけど、剣はまだ振れる……」

「それもですけど、それだけじゃなくて!」

 

 乖姫はサイドミラーをちらりと確認して警句を飛ばす。

 

「後ろの人たち、近づいて来てます!」

「!!」

 

 胸甲に刻まれた傷を抑えつつ、銀姫は背後を振り返る。そこには先よりも迫るプライドスティーラーの編隊と、その更に後方で反転をかけるバイクダムドの姿があった。特に編隊は、数メートルもしない距離まで肉薄していた。

 

「くっ、蛇行しているうちに」

 

 その内の一台が隙を突き、乖姫のプライドスティーラーを後ろから突き上げた。ガクンと揺れる車体。それを立て直そうとする間隙を狙い、今度は横から迫るプライドスティーラーがタックルを仕掛ける。

 

「きゃあっ!」

「う、くぅぅっ!」

 

 また蛇行しかけるバイクを力尽くのハンドル操作で抑えつけながら乖姫は歯噛みする。

 

「っ、このままじゃ、事故しちゃいます!」

「くそぉっ!」

 

 ヤケクソ気味に銀姫は剣を振るうが、ダムドは巧みな操縦でそれを悠々と避ける。機動力が段違いだ。しかもキチンと躱すだけの知能を持ち合わせている。

 このまま後ろから衝突され続ければ車体が持たない。どうすべきか悩む銀姫の脳裏に、一つだけ閃いた。

 

「真衣。少しの間、車体を安定させて!」

「え? 朔月さん!?」

 

 乖姫へお願いするや否や、銀姫は不安定なバイクの上で立ち上がった。

 

「誰でも操縦……出来るなら!」

 

 襤褸を激しい向かい風にたなびかせ、迫ってくるプライドスティーラーの一台を見下ろす。息を吸い、足に力を溜め、そして、

 

「や……ああぁぁぁっ!!」

 

 跳躍。

 サドルを蹴っ飛ばした銀姫は大きく飛び上がり、何車体か離れたプライドスティーラーの元へ踊りかかった。ダムドはハンドルを切ろうと試みるが、互いに迫り合っている分、間に合わなかった。

 勢いのまま搭乗するダムドを剣で貫き、そのまま後方に滑りそうになりながらもどうにかハンドルを掴む。

 

「やっ、た」

 

 狙い通り強奪できた。そのことに安堵の溜息をつきながら、横転する前に銀姫は剣を消してハンドルを握り込む。

 バイクの操縦など銀姫はしたことがない。自転車も怪しい。だがハンドルを握ると、基本的な操縦方法は頭に流れ込んできた。これもマリードールと同じような細工が施されているのだろう。

 もう一つ不思議なことが起こる。他二人のとは違いダムドの乗ってきたプライドスティーラーはラインのない無地だったのだが、銀姫がハンドルを握ると同時にそれが変化した。銀のラインが浮かび上がり、フロントカウルには鉄仮面と襤褸を描くクレストが刻まれたのだ。

 

「っ、そういう、仕様だったんだ」

 

 だがそれを気にしている場合でも無い。自分は五体の編隊の中へ飛び込んだのだ。

 当然周りには、残り四体のダムドがいて、渦中に飛び込んできた銀姫に狙いを定めていた。

 

「朔月さん!」

「無茶するね!」

 

 ダムドたちが迫りくるより早く、乖姫がスピードを落とし、その内の一体に体当たりをかました。同じように下がってきた冀姫も槍を振るい、ダムドの内一体を牽制する。

 

「二人ともありがとう! ……やあっ!」

 

 礼の言葉もそこそこに、銀姫も一体へ近づき横からタックルをかます。が、フリーになっていた最後の一体がそんな銀姫の車体を後ろから突く。

 

「くっ!」

 

 操縦法自体は理解できても、乗りこなすセンスがあるかどうかはまた別だ。経験の無い銀姫では十分に扱えているとは言い難い。ましてや二体相手では。

 しかも敵は、それだけではない。

 

「っ、来てるっ」

 

 唸りを上げるエンジン音。加速したバイクダムドのプライドスティーラーが迫りくる音だ。振り返った銀姫の視界には、ピッタリ張り付くダムド越しに斧を振り上げるバイクダムドの姿が焼き付いた。

 

「これ、じゃ……!」

 

 バイクダムドが来ていることが分かっても、二台のバイクが纏わり付いている状態では躱すこともままならない。剣を再出現させて追い払うことも出来ない。銀姫の操縦技術ではハンドルを握ることで手一杯だからだ。一方で片手で槍を振えるほど器用な冀姫や慣れた操縦をする真衣は、それぞれの相手に手間取っている。道路を犇めくダムドだってまだいるのだ。中々手が離せない。

 加速音が近づく。焦燥の汗が向かい風に流れる。恐怖で胸の痛みがぶり返す。

 万事休す――銀姫が思わず目を瞑りたくなった瞬間、サイドミラーに映った出来事で逆に目を瞠ることになる。

 

 合流する道路から飛び出してきた赤い影が、バイクダムドへぶつかったからだ。

 それがプライドスティーラーに乗ったライダーだと認識できた瞬間、銀姫は叫んだ。

 

「爽!」

 

 新たな乱入者は赤いラインの奔ったプライドスティーラーを駆る、炎の如き赤を身に纏った仮面ライダー血姫だった。青いバイザー越しの視線は銀姫の方向を僅かに見た後、バイクダムドへ向けられる。

 

「ギギギギギ……」

 

 バイクダムドから奇怪な鳴き声が漏れる。まるで油を差し忘れた機械が擦れ合うかのような耳障りな音。人間では無いその声は本能的な恐怖すら呼び起こすが、血姫は怯むこと無く追撃を加えた。

 運転に集中して両手を手放せないのは血姫も同じだった。だが彼女にはそれでもなおダムドを打ち据える手段がある。

 鞭のようにしなった尻尾が、バイクダムドの斧を握った手元を強かに弾いた。

 

「ギィ……!」

 

 斧を取り落としはしなかったもののしかし怯んだ隙を突き、血姫はプライドスティーラー同士をぶつける。大きく揺れる車体。だがバイクダムドは巧みな操縦技術で持ち直し、すぐに元通りに直ると血姫目掛け斧を振り下ろした。

 

「……!」

 

 血姫は速度を上げることで、それをギリギリで躱した。一歩間違えば車体が真っ二つになっていたであろう光景に、銀姫は冷や汗を流す。

 

「爽!」

 

 名を呼ぶが、血姫は答えない。ただ黙々と、バイクダムドを相手に立ち回る。

 救援へと身体が舵を切りかける。だがバイクを駆った二体のダムドがそれを阻む。

 

「くっ……どけぇ!」

 

 苛立ちを乗せた荒々しい裏拳が併走するダムドへ叩き込まれた。ダムドの顔面は陥没し、プライドスティーラーごと横転して爆発四散した。一体減ったところで、銀姫は前方へ叫ぶ。

 

「真衣、ナイア! コイツをお願い!」

「えぇ!?」

 

 驚愕する真衣の叫びを余所に、銀姫は大きくハンドルを切る。その姿は無防備で、残ったダムドが追撃をすれば銀姫は簡単に横転してしまうだろう。現に、率いられて知能の上がったダムドはそれを逃さない。

 

「世話の、焼ける!」

 

 そこへ、冀姫の操る青条のプライドスティーラーが割って入った。振るった槍がカウルを裂き、ダムドはバランスを崩してその場に留まる。

 

「ぐぅっ! ……保たないから、早く済ませて!」

 

 冀姫は自分の相手を倒して来たわけでは無い。二体のダムドに挟まれ、今度は冀姫が危険に陥っていた。だがそれでもなお冀姫が銀姫を助けたのは、そうすべきだと彼女の観察眼が導き出したからだ。

 ダムドはそのボスを倒せば一気に消滅する。この街の、全てのダムドが。

 賭けに値する事実だ。

 

「ありがとう!」

 

 礼の言葉もそこそこに、銀姫はプライドスティーラーを翻してバイクダムドへ突撃した。多少不安定になるが、右手に細剣を出現させておく。血姫に夢中だったバイクダムドは間近までその接近に気付かず、真正面から克ち合ってしまう。

 まるで中世馬上槍試合(ジョルト)のように向かい合った二体は、得物を手に突撃する。銀姫は細剣を、バイクダムドは斧を振り上げる。だがそこへ、併走する血姫が妨害を入れた。

 しなった尾が、斧を叩き落とす。

 

「ギッ!?」

「あああぁぁぁーーっ!!」

 

 武器を失ったバイクダムドに、銀姫は一直線に突き進んだ。もはや軌道変更は要らないともう片方の手も離し、マリードールをなぞる。

 

《 Silver Execution Finish 》

 

 歪んだ電子音が鳴り、銀姫の剣に銀の光が漲る。眩いばかりに輝く剣尖は真っ直ぐ突き出され、射し込む月の光の如く揺るぎない。

 

「せいやああああぁぁぁーーっ!!!」

 

 交差。

 一瞬の内に決着はついた。バイクダムドは風穴の空いた脇腹を銀色に輝かせ――そして、轟音を上げて爆発四散する。

 銀姫がブレーキをかけて車体を止めた頃には、プライドスティーラーごと爆発炎上してもうもうと黒煙を上げるだけの存在になり果てていた。

 

「――やった」

 

 銀姫が勝利を確信すると同時に、周囲のダムドも霧に溶けて消えていく。バイクに乗っていた残りのダムドもだ。この街を埋め尽くしていた数え切れない程のダムドが、全ていなくなる。

 ある種の万感の思いと共にそれを見つめていると、反転してきた乖姫と冀姫がその隣に並んだ。

 

「ダムドさん、全部いなくなりましたね!」

「やったじゃん、朔月」

 

 それぞれの言葉をかけ労う二人に銀姫は疲れた笑みで答える。一つのことをやりきった心地よい疲労感が銀姫の全身を包んでいた。

 三人が緊張を解いてしまったのは無理からぬことだ。今まで気を張ることを強いてきたダムドの軍勢が、綺麗さっぱり消えていくのだから。安心して身体を弛緩させてしまうのも無理はない。

 だが今は、ライダーバトル――殺し合いの最中で。

 逃避行はまだ終わっていなかったのだ。

 

 轟く銃声。静寂が訪れた市街を甲高い音が切り裂いた。そしてそれは冀姫の駆るプライドスティーラーのエンジン部で火花を散らすことで、着弾という結果を確定させる。

 

「え――」

 

 完全に油断していた銀姫はそれに反応できない。次いで放たれた銃弾が自車の燃料タンクを射貫いたことで、ようやく我に返る。

 

「っ、離れて!」

 

 銀姫と冀姫が飛び退き、反応できなかった乖姫のエンジン部が射貫かれるのはほぼ同時だった。三騎のバイクは鍵盤を叩くかのようにリズム良く炸裂し、乖姫を巻き込んで地獄のような爆炎を上げた。

 

「きゃあああーーっ!!」

「真衣ー!」

 

 アスファルトの上に着地した銀姫は逆巻く炎に手を伸ばすが、その指先を飛来した銃弾が掠めた。銀姫が振り向くと、そこにはビルの影から歩み出す二人のライダーがいた。二人はこざっぱりした道路の上で立ち止まると、銀姫たちを見下すかのように睥睨する。

 銃口を突きつけるのは竈姫。そして、面識は無いが正体を問うまでもない。派手な黄色の装甲を持つ戦士。冀姫たちの話に聞いた高速の仮面ライダー……才姫だ。

 

「なん、で……」

 

 銀姫は絞り出すように声を出した。だってそうだ。自分たちはかなりの距離をプライドスティーラーで走行してきた。追いつくのなら、同程度のスピードが……つまり、プライドスティーラーが必要な筈だ。しかし二人の傍にその姿は無い。

 か細い銀姫の疑問には才姫が小馬鹿にするように鼻を鳴らして答える。

 

「ふん。まだ成長途中にして既に全能に至らん私の力を以てすれば、貴女たちに追いつくことなど造作も無いことなのよ。……まぁ要するに、ただ竈姫(おにもつ)を運んだだけなのだけど」

 

 至極、単純な話だ。

 才姫はバイクよりも速かったというだけ。

 

「まったく、持つべきは頼れる味方ね。アンタがボクの元から逃げられたように、ボクもコイツの力を借りてアンタを追い詰められる」

 

 煮えたぎるような熱を持つ視線は銃口と完全に同期して銀姫を狙っている。一歩でも迂闊な動きをすれば、銃弾はたちまち銀姫の身を貫くだろう。

 だがその瞬間、三台のプライドスティーラーを薪に燃えさかっていたキャンプファイアーが大きく揺れた。かと思えば、次の瞬間には暴風に吹き飛ばされる。

 

「!?」

「真衣!?」

 

 予想外の出来事に全員の視線が集中する。

 黄金の光を帯びた旋風に吹き払われた炎の中から現われたのは、絢爛な鎧の表面を煤に汚した乖姫だった。

 

「う……痛い……」

 

 そうは言うものの、目立った外傷は見られない。それこそ煤けている以上の痛痒は存在していないように見えた。露出している口元にも火傷一つ無い。

 

「バケモノ……?」

 

 そう口にしたのかは誰か分からなかったが、そこにいた乖姫以外の感想は概ね同じだったろう。乖姫の重装甲は三台のバイク爆発にも耐えきったのだ。

 

「ん……え、竈姫さんと才姫さん? なんで……あ、まさかバイク狙ったのって二人ですか!?」

「遅い……」

 

 呆れたように額に手を当てる才姫。気勢が削がれる場面だが、しかし形勢は逆転した。銃口を突きつけ有利を取っていた二対二から、三対二に早変わりだ。しかも乖姫の予想以上の防御力まで明らかとなった。状況は一気に有利になったと言えるだろう。

 

「今なら――」

 

 この勢いを駆れば、二人を制圧できるかも知れない。才姫の攻略法はまだ浮かんでいないが、能力を使わせる間もなく制圧すれば無傷でこの場を切り抜けられるかも。そう期待して銀姫が動き出そうと全身に力を籠めた、その瞬間――

 

「動かないでよ、朔月」

「え……」

 

 背後から迫っていた人物が、呆然とする乖姫のその首元に刃を突きつけていた。ヒタリと当てられる刃の冷たい感触に乖姫の口元が恐怖に歪む。

 血姫だった。バイクダムド撃破から沈黙を守っていた血姫が、今ここで動いた。――銀姫たちを裏切る形で。

 その光景に、ポツリと言葉が漏れる。

 

「どうして、爽……」

「言ったでしょう。アタシは戦いを止める気は無い。誰かを殺してでも、願いを叶える」

 

 血姫は自分で口にしながら、吐き捨てるように言葉を紡ぐ。

 

「その為には、ライダーを殺さないといけない。その対象は、誰でもいい。……だから貴女だって選ぶし、勝てそうな方にだってつく」

「は、はは……いやいや! お見事! 素晴らしい慧眼だね」

 

 才姫がパチパチと手を打ち鳴らし喝采する。竈姫もニヤリと口角を上げた。

 

「あぁ、話が分かるようで助かる。ソイツを連れてこっちまで来てくれ」

 

 血姫は頷き、乖姫に刃を当てたまま二人の元へゆっくりと歩み出す。

 

「爽……」

「………」

 

 途中銀姫と冀姫の近くも通り過ぎるが、一瞥もくれなかった。

 その間銀姫はどうすればいいか頭を巡らせる。しかし乖姫が人質に取られている以上迂闊に動けない。そして何より、血姫が敵として立ちはだかる状況が心を揺さぶり、冷静な沈思を許さなかった。

 纏まらない思考に銀姫が苦慮している内に、なんの障害もなく血姫は竈姫の左隣へ辿り着く。怯えた乖姫を見て竈姫は勝利を確信した優越の表情を浮かべた。

 

「ははは! 見たか、これがライダーバトルの真実だ! 弱い奴から死んでいく! 甘ったれたことばっか言ってるからお前は死ぬんだ! あぁ、いい気味だ。今お前はここで――」

「……そう、アタシは、殺せるなら誰でもいい」

 

 竈姫のまくし立てを遮る様に、ポソリと血姫が呟く。

 その言葉に竈姫が怪訝な表情で反応するよりも早く、閃光が迸った。

 甲高い金属音。グロテスクな水音。風鳴るは、空気を裂く一陣。

 ぽぉんと間抜けに宙を舞い、重い音を立てて地に落ちたのは――竈姫の、左腕だった。

 

「……あ?」

 

 ポカンと口を開け、竈姫はそれを見つめる。次いで隣を見て、血姫が手に持った刃が赤色に濡れているのを目撃する。そして最後に自分の腕を見て、そこにあるべき物がなく、噴水のように血が噴き出す光景を見て――絶叫した。

 

「あ、あ、あ、あああぁああぁぁぁあ!!??」

「そう、誰でもいい――でも、アンタのやり口が気に入らない」

 

 遅れてやってきた痛みと喪失感に叫ぶ竈姫を横目に、乖姫を解放した血姫は冷たく告げた。

 

「だからこの場で殺すのは、アンタに決めた」

 

 冷酷に――されど、言葉端に覚悟の炎を滲ませて。



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三日目-6 ファーストブラッド

「何、してくれてんだお前ええぇぇぇ!!」

 

 迸る絶叫は、静寂が訪れた街に朗々と響き渡った。

 鉄錆の生臭さが香りアスファルトに毒々しい赤が滴り落ちる路上。そこにゴロリと転がった左腕はピクリとも動かず、まるで醜い生き物の死骸のようにも見えた。

 二の腕半ばからバッサリと断ち切られた腕から血を滴らせる竈姫(へき)は、無事な腕で握っていた銃を怨嗟の言葉と共に血姫へ向ける。

 

「お前、お前お前お前!! 何故裏切った!!」

「言ったでしょ。気に入らないだけ」

 

 銃口を突きつけられながらも真っ直ぐ見つめ返し、血に濡れた刃を手にしながら血姫は答えた。

 急激に移り変わる状況に呆ける乖姫は既に完全に解放されている。人質に取ったのは最初から、竈姫に近づく為の方便に過ぎなかったという証左だった。

 

「ボクらにつけば、圧倒的有利だったのに!」

「有利とか不利とか、そんなの関係ない」

 

 剣を振るって血を払い、血姫は断言する。

 

「勝ち残る。けどそれは、アタシなりに納得のいく形で、だ」

「爽……」

 

 銀姫は複雑な表情で覚悟を告げる血姫を見た。裏切っていなかった安堵。彼女が人を斬ってしまった悲哀。そして初めて見る大量の血への、恐怖。

 ライダー同士の戦いで、遂に後戻りできない大傷が発生してしまった。

 何か踏み越えてはいけない一線を越えつつあるのではないか。そんな漠然とした不安が銀姫の胸中に沸き起こる。

 

「お前ぇぇぇ!!」

 

 激昂のまま、竈姫は引き金を引いた。マズルフラッシュと共に撃ち出される銃弾。至近距離で放たれたそれはしかし己の腕を断ち切った剣に遮られた。返す刃が再び襲い来る。

 

「ひっ!」

 

 怯えて後退る竈姫。必要以上に大きく飛び退いて距離を開ける。恐ろしい物を見つめるような瞳で鈍く光る剣身を映した竈姫は、窮して叫んだ。

 

「才姫ぃぃぃ!! コイツを殺せぇぇぇ!!」

 

 唯一の味方に向け血姫の殺害を指示する。才姫のスピードなら血姫一人、瞬きの間に殺せる。

 だが、数瞬待っても才姫は動かなかった。

 

「才姫!? お前、お前までも!?」

「貴女と組んだのは、下等な奴輩の中でもまだマシだと思ったからよ」

 

 才姫は腕を組んだまま、感情を見せない赤い複眼で竈姫を見つめる。

 

「結構頭が働くようだし、執念もある……利害も一致しているから、手を組むには恰好だと思ったの。なのに……」

 

 呆れたように溜息を吐いて、才姫は首を横に振った。

 

「不意打ちを受けた挙げ句、片手を失うなんて失態……失望したわ。貴女が一番の外れクジじゃない。無能を助ける理由なんて無いわ」

「さ、才姫ぃぃ……!」

 

 悔しげに漏れる怨嗟。唯一の味方にすら見限られ、竈姫の運命は定まりつつあるのはそこにいた一同全員に見て取れた。血姫の剣がギロチン刃のように鋭い閃きを反射する。生きるか死ぬか、それは別としても竈姫の敗北は決定的なもののように見えた。

 

「でも、一度だけチャンスをあげるわ」

 

 だがそこに手を差し伸べたのは、今し方助力を拒否した筈の才姫だった。

 冷厳な声音が静かな市街へ染み入るように響き渡る。

 

「貴女の執着していた……その銀姫を殺しなさい。一対一でね。そうすればまだ利用価値はあると見て、この場は助けてあげるわ」

「何……?」

 

 それは試験だった。

 

「貴女の能力は落第点。けどその執念には評価すべきところはある。だからこそのチャンス。その執念で勝利を勝ち取れるならまだ貴女には一定の価値が保証される」

 

 淡々と、まるで何かの論説かのように才姫語っていく。

 

「だからそれまでは、他の奴らは全部私が抑えてあげると言ってるの」

 

 その言葉に刃を持ち上げたのは血姫だった。才姫へ剣尖を向け、血姫は問うように言葉を紡ぐ。

 

「それを許すと思うの……? 才姫、だっけ。アタシの殺害対象にアンタが入っていないとでも?」

「私の稀なる頭脳を甘く見ない事ね。そんなこと、とっくの当に分かってるわ。でも……」

 

 嗤う。

 

「貴女たちが全員束になってかかっても、私には勝てないから」

 

 ニヤニヤとした粘着質な笑みで、才姫はそう言い切った。絶対的な自信。疑う事なき傲慢。

 空気の温度が上がり、血姫の気配が逆立つ。ピリピリとした淡い刺激は銀姫の肌を撫でた。それが張り詰めた戦意だと銀姫が感じ取った時には既に、竈姫の鋭い視線が自分を射貫いていた。

 

「二言は無いな……?」

 

 問いかけに、才姫は高慢とすら言える態度で答える。

 

「えぇ。天才は間違わないから」

 

 その言葉で、竈姫の腹は決まった。

 銃口を、銀姫に向ける。

 

「竈姫……いや、志那乃(しなの)……」

「構えろよ……銀姫。こうなったのも全部、アンタの所為なんだからさぁ……」

 

 狂気的で凄絶な笑みが竈姫の口元に浮かぶ。

 

「お前がボクに大人しく狩られていればよかったんだ……そうすればこんな痛い思いもせずに……」

 

 左腕の断面からの流血はほとんど止まっていた。痛々しくも、失血死があり得るようには見えない。

 引き金が指にかかる。

 

「ボクは願いを叶えられたのにさぁ!!」

 

 輝く銃口。火花が散って銃弾が撃ち出された。銀姫は手に握った細剣の刃を縦に構え銃弾を防ぐ。

 

「くっ、止めて、志那乃! 殺し合いなんて……」

「今更ぁ!!」

 

 制止の言葉。されど聞く耳持たない竈姫は無視して銃弾を乱射する。銀の鎧に着弾した弾丸は眩き光の花となって散り、衝撃が銀姫の身体を揺るがす。

 言葉は届かない。

 ならば――銀姫は手にした細剣の柄を強く握りしめた。

 

(……倒すしか、ない)

 

 言葉を尽くして無理ならば、実力で止めるしかない。しかしこうなってしまった竈姫が、生半に抵抗を止めるとは思えない。戦闘不能まで、持ち込む必要がある。

 だが……片腕を失ってまで戦う竈姫はどうやったら止まるのか? これ以上やったら勢い余って殺してしまうのではないか?

 

(いや……そうだ! ドライバー、マリードールの破壊!)

 

 迷う銀姫の思考に射し込んだ一筋の光。それはノーアンサーに提示されたルールの一節。

 死亡、あるいはドライバーを破壊された者は敗退となる。正確にはマリードール。

 

(マリードールだけ、破壊できれば!)

 

 方針は決まった。ならば後はそれをどうにかこなすしかない。

 

「っ、あああぁぁ!!」

「! ぐっ」

 

 銃弾を気合いで防ぎながら踏み込んだ銀姫は、腰だめに構えた細剣を掬い上げるように一閃させる。下方からの一撃は竈姫の握っていた銃へ吸い込まれ、その銃身を真っ二つに切り落とした。

 

「チィ!!」

 

 銃を失った竈姫は残った銃床部を銀姫に投げつけ、右腰のパーツを叩く。光が集まって新たに形作られたのは、陽炎のように歪んだ刀身を持つ剣だった。

 

「! まだ武器が……」

「そういう、ライダーなんだよ!」

 

 横薙ぎの一撃が力任せに振るわれる。銀姫のように手加減も狙い所も考えられていないそれは細剣を強撃し、銀姫を衝撃で押し返す。

 何度も、何度も、何度も斬りつける。まるで身のうちの憤怒を迸らせるかのように。

 

「銀姫ぃ! お前さえ、お前さえあっさり殺されていれば、こんな目に遭わずに済んだんだ! 痛い思いをすることも、手を失うこともなかったのに!」

「っ……そこ、までっ」

 

 歪剣の強襲を細剣で受け流しつつ、銀姫は叫んだ。

 

「そこまでして、戦う理由って何!? 何で、戦うことを止めないの!?」

 

 疑問。片手を失うという手酷い傷を負って、それでもなお戦い願いを叶えようとする理由。自分(はじめ)にはないそれが、どうしても分からなかった。

 思い切り叩きつけられた剣と剣が鍔迫り合い、互いの仮面が間近に迫る。憎々しい鉄の仮面を睨み付けながら、竈姫は吐き捨てるように答えた。

 

「ボクは……ボクはねぇ! 帰らなきゃいけないんだよ!」

「帰る……?」

「そうさ……! お父さんとお母さんに(・・・・・・・・・・)もう一度(・・・・)振り向いてもらうんだ(・・・・・・・・・・)!! その為になら何だってやる。例えどんな事でもねぇ!」

「!!」

 

 迸ったのは、銀姫――朔月にとっては一番遠い、家族への想いだった。

 

「なんで……」

 

 なんで――竈姫までも。

 彼女と血姫は、違いすぎるくらい違うのに。想うのは同じ家族。

 まるで、まるで――、

 自分が空っぽな理由が、そこにあるかのように。

 

「……あぁっ!!」

 

 今度は、銀姫の側が力任せに竈姫を撥ね除ける。片手を失い体重を損ねた竈姫は踏ん張ることも出来ずたたらを踏む。苛立ち混じりに銀姫は更に剣を振るい、歪剣を叩き落とす。

 

「なんで、みんなして! 家族がそんなに大事なのっ!?」

 

 吠える。分からない難題に、駄々をこねる子どものように。

 それに対し、竈姫も怒りのままに答える。

 

「大事に、決まってるだろ!!」

 

 右手には次の武器、フラフープに似た円形の刃、所謂チャクラムを握っている。リーチも重さもあるそれを使って、竈姫は片手の不利を補い始めた。

 違う刃。違う激情。同じようで別々なそれらをぶつけ合い、両者の戦いは過熱していく――。

 

 

 

 

 

 

 

 一方で、血姫は攻めあぐねていた。

 

「くっ、チョコマカと」

「表現は正確にして欲しいわね。『掠りもしない』、と言い換えるべきよ」

 

 血姫が直剣を突けば、それが貫いたのは黄色の残像。すぐ隣に移動していた才姫が空振ったその様を嘲る。

 

「さて、竈姫にああ言った手前仕事はキッチリ果たさねばと身構えていたけど……」

 

 才姫は余裕たっぷりな仕草で周囲を見渡す。才姫を囲うのは三人のライダー。血姫、冀姫、乖姫だ。

 一同はすぐに共闘の必要性に気付き、銀姫の応援よりも才姫を抑えることを優先していた。しかし三人がかりでも才姫を捉えることが出来ていなかった。

 

「これでは準備運動にもならないわね」

 

 鼻を鳴らしながら、才姫は現状を冷静に観察する。そして警戒の必要が無いことを確信していた。

 

「まず貴女は、戦えない」

「くうっ!」

 

 まず、冀姫。死に体だ。リーチの長い槍を持ち優れた洞察力を持つライダーだが、ビルから逃げる際に脚を負傷している。機動力を欠いている以上、スピードで遥かに勝る自分を捉えることは叶わないと判断した。

 

「こっちは論外ね」

「きゃあっ!」

 

 次に乖姫。こちらは碌な負傷も負っておらずその装甲も火力も恐るべきものだが、戦闘のセンスが壊滅的に無い。才姫が足を払えば簡単に転び、背中を押せばつんのめる。暴風のような攻撃力も正面に立たなければ意味が無い。殺しきることを考えれば厄介な相手だが、時間を稼ぐだけでいいのならこれだけ楽な相手もいなかった。

 

「なら、残るのは」

 

 最後に、血姫。これが一番厄介な相手だと判断した。万全で、一番強い殺意を向けてくる。その上機動力は高く、今まで見たライダーの中で最も才姫に準ずる速さだ。だが――

 

「速い。それは認めるわ。けれど――」

 

 両手に双剣を構え、跳ねるように血姫は才姫に斬りかかる。だが才姫が軽くバックステップを踏めば、簡単にその刃圏から逃れられた。周囲からはワープしているかのように見えただろう。逆に血姫が刃を振り下ろしたその瞬間に踏み込めば、一瞬で突き出された拳が血姫の肩口を強打する。

 

「私より遅ければ、何の意味も無い」

「かはっ……」

 

 血姫は剣の一方を取り落とす。その剣を蹴って遠くへやりながら、才姫は追撃のジャブを繰り出した。圧倒的な速さを持つ才姫が更にスピードを重視したパンチは誰にも捉えられず、血姫の仮面を連続で殴打した。

 

「う、がぁっ!!」

「おっと」

 

 血姫にしか存在しない攻撃手段。鞭のようにしなる尾の一撃が才姫を襲うが、一瞬早く気付いた才姫は難なくそれに反応し、悠々と身体を傾けて躱した。

 

「ふふっ。でも貴女は悪くないわ。戦力も、センスも、そしてモチベーションも高い……どう、今からでも私と手を組むのは」

「冗っ、談!!」

 

 尻尾を避けられた血姫はすぐに次の攻撃を組み立てる。今度は身体を沈めて超低空からの蹴撃。足を狙った一撃だ。まずはどうしようもない機動力の差を埋める――それ自体は、正しい判断だが。

 

「冗談ではないのだけどね……まぁ、一度裏切った人間は再度裏切ると言うし、手駒として扱うのは止めておこうかしらね」

 

 しかし純然に、最初の一撃ですら至らない。

 鋭い蹴りは空を切り、黄色の装甲スレスレを過ぎ去るだけで終わった。才姫の軽口を止める程度の戦果すら得られず、戦いは続く。

 

 次の攻勢を考えながら、血姫は頭の片隅で想う。

 

(朔、月……)

 

 願いを叶える。その為なら全員殺す。そう決めている筈なのに。

 どうしてか、気になる彼女のことを。

 

 

 

 

 

 

 

 一撃が重い。

 剣としても、心情としても。

 

「こ、の……!」

 

 受け止めた腕に痺れが走る。それを敢えて無視して、銀姫は更なる刃を振るう。

 ここに至り、銀姫も本格的な反撃を解禁していた。受けに回るだけではこの人を止められないと判断してのことである。

 

「はぁっ!」

 

 吠えるように呼気を吹き、鋭い突き技で竈姫を強襲する。突きは攻撃範囲が狭い分速い。防御の姿勢を取らせる暇も無く剣尖は竈姫の緑色の鎧を打った。

 

「ぐっ……」

 

 胸甲を打たれ肺から空気が押し出されたのか、竈姫の動きが苦しそうに止まる。そこへすかさず銀姫は畳みかけた。

 

「あああっ!!」

 

 肩、手甲、腿――細剣の乱打で竈姫を圧倒する。怒濤の連撃。その全てが彼女に痛打を与え、緑色の鎧には亀裂が入り欠片が脱落する。しかしそれでいてなお竈姫は戦意を失ってはいなかった。些かも。

 

「が、あっ!!」

 

 獣の如き咆哮と共にチャクラムが空を切る。苦し紛れの一撃にしては鋭い。しかし片手故、遅い。

 金属音が打ち鳴らされる。細剣が円刃をしっかりと受け止めた音だ。片手のアドバンテージは重い。銀姫はそのまま鍔迫り合いまで持ち込み、上から押し潰す力をかけて竈姫に膝を突かせた。

 

「ふっ、ぐ……」

「もう、降参して!」

「誰、が……!」

 

 優位を取って、銀姫は降参を促す。だが竈姫はやはり、それを受け入れない。

 彼女からはもう、その選択肢自体が失せているようだった。このまま屈服するならば死を選ぶ。そんな強硬さが見て取れた。

 銀姫の疑問は晴れない。そこまで家族が大事なのか。

 

「なんで……! 死んじゃうより、よっぽどいいのに!」

 

 分からない。本気で分からないから戸惑いのまま叫ぶ。

 死ぬよりも、そっちの方がいいと思っている。爽の願いに対しても、内心ではそう思っていた。彼女たちの本気は理解しつつも、願いの内容はそれに値するとは思っていなかった。

 家族は、所詮他人なのだからと。

 それに対し、竈姫は憎悪の視線の中に血姫と同じ種類の覚悟を滲ませながら答えた。

 

「死ななくても……意味が無い……!」

 

 ぐぐ、と。

 銀姫の剣を押し返す太い力が盛り上がる。

 

「お父さんとお母さんが、またボクを見てくれなきゃ、何の意味も無いんだよ!」

 

 その瞬間、刃が滑った。

 チャクラムの丸い刃を生かした反攻だ。円状の剣身で細剣を受け流しながら、それを伝ってそのままカウンターに繋げる一手。不意を突かれた銀姫は反応できない。火花を散らして遡った円刃は首を狙う。

 

「うっ、く――」

 

 迸る血飛沫。

 斬られた――のは、頬だった。

 

「っ、あぁっ!」

 

 辛うじて首を動かした銀姫はどうにか首を落とされることは避けた。その代わり、頬には深い抉られるような裂傷が刻まれた。ズキズキとした痛みを今は無視して、チャクラムを振り切った姿勢の竈姫を蹴り倒す。

 

「がっ!」

 

 竈姫は驚くほどあっけなく転がった。これまでで一番の隙。銀姫は細剣を振り上げた。狙うのは腰元。マリードールとドライバー。

 

「はぁっ!」

 

 これで終われと渾身の力を籠めて叩き降ろす。だがその願いは叶わず、肉厚な斧刃に防がれた。竈姫は更なる武器、あのビルの中で見せた斧槍を召喚し細剣の盾とした。

 そして残ったチャクラムは持ち手に噛みついて、首の力だけで振るう。

 

「んぐぅっ……があっ!」

 

 くぐもった雄叫びと共に円刃が唸りを上げる。なりふり構わない抵抗に銀姫は距離を取らざるを得ず、その場を後退った。最大の好機を逃した彼女の前で、竈姫はチャクラムを噛み締めながら立ち上がる。

 

「フーッ、フーッ!」

 

 歯列の隙間から荒い息をついた竈姫は疲労困憊。立っているのもやっとの様子だ。左腕の断面から流れる血の量は普通を考えれば少ないが、それでも皆無ではない。血液と共に流れ出る体力は、きっともうあまり残されていない。

 だからか、竈姫は最後の賭けに出るようだった。

 

「プッ! ……ボクは、絶対……!」

 

 斧槍を投げ捨て、口からチャクラムを外して右手に。そして指でマリードールをなぞり、必殺技の構えを見せた。

 

《 Scavenge Execution Finish 》

 

 歪んだ電子音から鳴る音は乾坤一擲、最後の手段。後戻りはしないと心に決めて、それでも希望を、願いを掴むための全力。円刃には緑色の光が宿り、刃の中を回転するように巡っていく。

 

 その輝きを見て受けるのは難しいと判断した銀姫も、細剣を片手にマリードールをなぞる。

 

《 Silver Execution Finish 》

 

 同じようで違う音声。柄に両手を添え上段に構えた細剣に漲るは銀の光。その太陽を映した月面の如き煌めきは銀姫の内心とは真逆に、曇り無く眩い。

 

「絶対……あの家に――」

「ドライバーだけ、ドライバーだけを狙えば――」

 

 両者共、失敗だけは出来ないという思いだけは共通で。

 充足していく光と合わせ、身の内に力を溜めていく。

 それが弾ける瞬間、それが即ち、

 

「帰るんだ……!」

「終わって……!」

 

 駆け、激突。

 地を迸った両者の刃が克ち合い、溢れんばかりの火花を散らす。緑の光輪。銀の光剣。対照的な二つの刃はしかし同じ力で鬩ぎ合う。

 片腕な分、竈姫の方が膂力では劣る筈だ。それなのに、銀姫は圧倒できない。それには恐らく、二つの原因があった。

 ここが(きわ)であることを理解した竈姫が、筋肉全てを使い潰さんばかりの勢いで最後の力を振り絞っていること。

 そして躊躇する銀姫の切っ先が鈍っていること。

 その二つの要員が重なって、この膠着状態を生み出していた。

 

 だから、最後の決着は。

 衰弱という、呆気ない結末で。

 

「く、うぅっ!」

 

 竈姫の円刃が押されていく。体力の正体は筋肉と血中に溜めておける酸素の量で、人間の五体はそれ自体が燃料を蓄えるタンクだ。即ち、片腕を失っている竈姫は――、

 

「――あぁっ」

 

 互いの気合いが勝った方が、とか。

 技の巧緻で巧みだった方が、とか。

 そんな劇的さとは無縁の、一方が勝手に弱っただけという。

 なんともかっこ悪い結末が。

 

 その二人の運命を、別つ。

 

 ずるりと、竈姫の手が滑る。チャクラムの持ち手を握る腕が力尽きた。ズレた刃は呆気なく弾かれ、己が希望を託した緑の光は視界から消えた。

 残るのは迫り来る、銀の輝き。

 

「はあ、ああっ!!」

 

 一閃。

 抵抗の消えた刃は狙い過たずに通り、竈姫のドライバーをマリードールごと叩き切る。

 鎖の弾ける音がした。それが決着。

 そして、悲劇の始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 ドウ、と竈姫の身体が仰向けに倒れる。それを見届けて、銀姫は膝を突いた。

 

「はぁ、はぁ」

 

 憔悴する死合いだった。

 命を、心を削り合う鬩ぎ合い。今まで平穏に生きてきた少女が行なうにはあまりに殺伐とした時間。それを凝縮した今し方の一瞬は、辛うじて勝者となった銀姫を以てして立ってはいられない程に疲れ果てさせていた。

 

「はぁ、はぁー……」

 

 それでも、大きく溜息を吐いて立ち上がる。

 ドライバーを失った竈姫を……助ける為に。

 

 ノーアンサーは言っていた。ドライバーを破壊された者は敗退となる。

 ならば、竈姫にはもう願いを叶える資格は無い。

 即ち敵ではなくなったという意味だ。ならばもう、争う必要もない。

 

 別に仲良くは出来ないだろう。この世界からいなくなれば、もう出会うこともないかも知れない。

 それでも、最後に助け起こすくらいは、と。

 

 そう思って上げた視界に。

 ――パッと燃え上がる竈姫の身体が映った。

 

「……え」

 

 一瞬遅れて、迸る絶叫。

 

「あ、あ、ああああああぁぁぁぁああぁぁぁ!!!」

 

 紅蓮の炎に焼かれる喉から放たれる今際の大音声。それは俗に、断末魔と言われる最後の一声だ。

 

「あづいっ、あづいあづいぃ!!」

 

 その場で起きたあまりの出来事に、銀姫は反応できず立ち竦む。

 そして異変を感じ取ったのか、戦う手を止めた四人が駆け寄ってくる。

 

「何!? 何が起きてるんですか!?」

「やば……燃えてる!?」

 

 乖姫と冀姫の二人は燃えさかっているのがどうやら竈姫だと分かると消火を試みる。しかし近場に水など無いし、触れることも出来ないほど火勢も強い。かといって乖姫の力で爆弾消火などやろうとすれば、そのまま竈姫の肉体ごと吹き飛ばしてしまうのは自明の理だった。

 

「これ、って……」

「……成程、ね」

 

 血姫は呆然と、才姫は納得がいったように火の手を眺める。何も出来ない。それは理解していた。

 

「あ、ぎゃああああぁぁぁっ!!」

 

 火達磨となった竈姫はのたうち回る。火を消そうとしているのか、あるいはただ苦痛に喘いでいるだけか。どちらにせよその蠢きも、次第に弱く小さくなっていく。

 

「がっ……あがっ……」

 

 鎧も装束も、焼け焦げて剥がれていく。仮面も割れてその下の素顔が晒されるが、それすらも黒ずんでもう分からない。

 火の勢いは弱まり始めたが、同時に竈姫の――志那乃の命の灯火も。

 

「おとう、さん……おかあ、さ、ん……」

 

 最後にそう、消え入るように呟いて。

 ――志那乃だった炭の塊は、砂のように崩れ落ちた。

 

「……なん、で」

 

 もう命とは呼べない灰となった何かを見て、銀姫は悄然と零す。

 

「壊したのは、マリードールなのに……」

 

 殺さない、筈だった。

 死なない、筈だった。

 だってそれは、唯一の解決策だったのだ。参加すれば降りられないライダーバトルで、殺さずに済む方策だった。それなのに、志那乃は死んだ。

 無言で黒い塊を囲う一同の耳に、笑い声が届く。

 

「あっははは! 遂に一人目が死んだ! やあっと死んだ!!」

 

 上から振ってきたそれは、聞き違える筈もない。

 美しくも耳障りな――ノーアンサーの声。

 

 見上げた先には、廃墟の窓に腰掛けて笑い涙を浮かべるノーアンサーの姿があった。愉快であることを隠しもせずに、まるで心底嬉しいことがあったかのように手を叩いて喜んでいる。童女のように満面の笑みを浮かべているその姿は、廃墟にもこの状況にも、遠く似つかわしくない。

 

「あはははっ! これで後六人! このライダーバトルもようやく第一歩を踏み出せたってところね! いやぁ、めでたい! ここがパーティー会場ならシャンパンを開けるのに!」

「ノー、アンサー」

 

 絞る出すような銀姫の掠れ声は、少し離れたところにいるノーアンサーに届くかどうかといった小ささだったが、幸いノーアンサーは笑い声を止め小首を傾げた。

 

「ん? どうかした?」

「これ……どういうこと……」

 

 都市部を吹き抜ける風が志那乃の遺骸という名の炭を揺らした。その数片は、風に巻かれて飛んでいく。風には他の灰も混ざっていて――まるで連れ合いに見えて。街を埋め尽くす灰の正体が、そこにあるかのようで。

 

「ドライバーを壊せば、死なないんじゃなかったの……?」

「そんなこと、一言も言ってないわよ?」

 

 窓のサッシをなぞり灰を掬い上げ、それをふぅっと吹いてからノーアンサーは答える。

 

「私が言ったのは、死亡あるいはドライバー、つまりはマリードールを破壊された者は敗退となる、とだけ。マリードールを壊せば死なずに敗退させられるとはまったく言ってない。……だって、どのみち死んじゃうんだから」

 

 口の端が、三日月のように吊り上がる。悪辣な笑みが凍えそうな夜空に浮かぶ月じみて見下していた。

 

「ドライバーとマリードールは言わば貴女たちの魂そのもの。変身の力の代償よ。大いなる力には必ず供物が必要なの。仮面ライダーとなる代わりに貴女たちの魂はマリードールの中に封じられる。だったら、それが破壊されれば死ぬのは当然よね」

 

 告げられたのは衝撃の事実だった。何人かは思わず自分のベルトを見る。虜囚の如く鎖に縛られる女神像。手の平に収まる程小さなそれに自分の命運が収まっていると知り、蒼白となる者もいた。

 

「――やはり、そうか」

 

 聞こえたのは、この場にいる誰でもない声。

 振り返ればそこにいたのは、新たなる仮面ライダーだった。

 

 銀のアンダースーツに、甲殻類を彷彿とさせる紫色の刺々しい鎧。他のライダーと違いブレーサーではなく、両腕には重厚なガントレットを装着している。紫の複眼は垂れているようで、どことなく悲哀を湛える意匠にも見える。だが口元と纏った雰囲気は、日本刀のように凜と鋭かった。

 

「戦えば死に、ドライバーを破壊しても死ぬ」

 

 道路の向こう側から訪れた乱入者はノーアンサーを見上げ、確認するように問い質す。

 

「この戦いは――結局、みんな死ぬのだな」

 

 その言葉にノーアンサーは目を細めて答えた。

 

「えぇ、そうよ、焉姫(えんき)。この戦いで生き残れるのはただ一人。それ以外はみんな、屍として礎になるのよ」

 

 その言葉を聞いた紫のライダー――焉姫と呼ばれた少女は空を仰ぎ、深いため息をついた。その一瞬だけは鋭い気配が解けて、しかし顔を降ろした瞬間には元の空気を纏っていた。

 

「そうか。なら私の為すべき事は決まった」

 

 そう言って焉姫はマリードールを引き、変身を解く。その下から現われたのはあの荒野でも見た、ポニーテールをたなびかせるジャージ姿の少女だった。

 黒曜石の刃を思わせる鋭利な瞳に宿す感情は、冷厳。

 

「覚悟が決まったので爽に習って名乗っておこう。私は寺野(てらの) (ふじ)。今この時を以て君たち全員を倒すことを決意した。短い間だが以後お見知りおきを」

 

 そう告げて、背を向ける。後に交わすべき言葉はもう無いとでも言うように。

 他の少女たちは、それを黙って見送るしかなかった。

 

「……ま、丁度いいからここでお開きにしようかしら」

 

 去って行く藤を見つめ、ノーアンサーはぱちりと手を叩く。

 

「それでは本日のバトルは終了で~す♪」

 

 前日、前々日に告げたアナウンスと同じテンションで高らかに布告する。歌うようなその声は喜びに満ちていた。

 

「今回の死者は……一名! 仮面ライダー竈姫(へき)こと、緑川志那乃♪ 記念すべき初の死者ね!」

 

 告げられた名前にビクンと銀姫の肩が跳ねる。自分が刃を振り下ろした相手。自分が……殺した、人の名前。それを突きつけられて、身体が震える。

 

「残るは六人! 果たして勝ち残るのは誰かしら? 明日は誰が死ぬのかしら? ワクワクが止まらないわねっ! ――それでは、さようなら♪」

 

 最後まで一人陽気に振る舞って。

 ノーアンサーはいつも通り忽然と姿を消した。

 

 そして世界が薄れ始める。今日も訪れた退去の時間。ただ違うのは、今日は帰れない人がいるということ。

 誰ともなく変身を解いた。もう戦いは終わりだと。終わって欲しいと願ったからか、時間が差し迫って仕方なくかは、また別だが。

 素顔となった五人は様々だった。

 

 顔を青くしつつも、心配そうに朔月を見つめる真衣。

 悔しげに唇を噛みつつ、炭化した死体を見下ろすナイア。

 無言で佇み、強い力でマリードールを握り締める爽。

 髪をかき上げ、微笑を浮かべて楽しげに何かを考え込む輪花。

 

 そして零れんばかりに瞳を開き、呆然と立ち竦む朔月。

 

 消えていく。消えていく。廃墟のビルも横転したプライドスティーラーも、戦いの痕は何一つ残らず消えていく。

 崩れ落ちた志那乃の死骸も、世界に溶けて同じように薄れていく。死した敗者の存在は許されないとでも言うように。

 少女たちは完全に退去するまで、終始無言だった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして朔月は、夜の公園へと戻ってくる。

 だがそれにまだ気付いていないかのように微動だにしなかった。夜の静寂の中、時が止まったかの如く動かない。

 虚空を見つめる瞳だけは弾けるような理解の光が瞬いて、それはまるで己自身の中で火花を焚いているようで。

 

「あ、あ」

 

 やがて、浅い呼吸を繰り返していた口から小さな声が零れ始める。

 

「ああ、あ、あああ」

 

 それは次第に大きくなっていく。開いた傷口から、血が流れ出すように。

 もう何をしても堰き止められない、致命傷のように。

 

「ああああああああああああああああああああ!!!」

 

 慟哭が響き渡る。

 少女は己の犯した罪に吠えた。そうするしか無かった。そうしなければ耐えられず、それ以外に出来ることはなかった。

 もうどうしたって、償えないのだから。

 

「うああああ、あああ、ああぁああ゛あ゛ぁぁぁーーーっっ!!!」

 

 涙混じりの声にならない声が迸り、澄んだ夜の中に消えていく。

 欠けた月だけがそれを、見ていた。



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四日目-1 白黒

 窓から射し込む光で、朝が来たのだと朔月(はじめ)は知った。

 白い日光に照らされる顔には、痣のように濃い隈が出来ていた。

 一睡もしていない。出来なかった。身体は憔悴しているのに眠気が湧いてこない。そして頭は過ぎるくらいに澄み渡っていた。だからこそ、昨日のことがぐるぐると、頭の中をずっと回っている。

 

 人を、殺した。

 それは人生で見ても、普通に生きていれば概ね起こらない出来事だ。一度でもあれば、人の有り様全てを歪めてしまう。

 それが、昨日起こった。

 

 ショックのあまり、自分がどう家に帰ったのかも朔月は憶えていなかった。自分の部屋に入って、ベッドに座り、そして寝ることもせずずっと座ったままでいた。

 それ以上に彼女に出来ることはなかった。凄惨な死に様が視界に焼き付いて離れなかった。今も鼓膜の中で断末魔がリフレインしている。してしまったことは戻らない。奪ってしまった命は返ってこない。「ごめんなさい、ごめんなさい」と譫言のように繰り返し呟いて、自分の鼓動を感じる度に失われた命を実感して。心の中で懺悔し、しかし誰にも許されない。自分も許せない。

 そんな時間を過ごし、彼女は朝を迎えた。

 

「ぁ……」

 

 枯れたか細い声が漏れる。まず頭に浮かんだのは学校。行かなければならないという義務と行って日常に浸りたいという欲。そして自分にそんな資格はないという嫌悪。

 

「でも……休み、か……」

 

 だがそもそも今日が日曜日であることを思い出し、失意ともホッとしたようにも取れる表情で溜息を吐いた。するとくぅ、という腹の音が響いた。

 生命という物は動きたがる。例え陰惨な体験をしたとしてもそれは変わらない。

 朔月は朝食を取ることにした。

 

 下のリビングに降りる。早い時間が幸いしてか、二人の両親は起きてきていなかった。あるいはそもそも、この家に帰ってきていないのか。どちらでもいい。今は顔を合わせたくない。

 キッチンを探すと幸運なことに買い置きのカップラーメンが残っていた。ケトルで湯を沸かし、注いで食べる。こんな時でも食事は心に癒やしをもたらしてくれる。温かさが胸に染み込むように広がって、凍てついた身体を溶かすように浸透していく。

 

 朝食を終えたらシャワーを浴びることにした。自分の身体を嗅いでみると少し臭う。脱衣所で裸になり、着っぱなしだった制服に消臭剤をスプレーする。洗うだけの心の余裕はない。どうせ今日は着ないのだからとたっぷりかける。いつもなら大切な制服にこんなことはしないのだろうなと自嘲しながらハンガーに引っ掛けて、朔月は風呂場に降りた。

 蛇口を回すと、温かくなるまでまだ時間のかかる冷水が頭の上から降り注いだ。頭が冷える。朔月はそれを浴びながら、髪を垂らして壁に手をつき、項垂れた。

 

「――はぁっ……!」

 

 殺した殺してしまった人を彼女を志那乃を竈姫をどうして殺したくなかった私は悪くないノーアンサーの所為だ違う自分が剣を振り下ろさなければでもそしたら自分が死んでそうあるべきだった誰かの命を奪うくらいならでも死にたくなかったそれは我が儘だ自分なんて生き残るべきじゃなかった願いの為に死んだ方がこんな自分よりずっと価値があったでも真衣とナイアは守らなきゃそんなのは爽がやってくれるでしょでもあの子に殺させていいのかなら自分が背負った方が結果的にはいや自分を肯定するなよこの人殺しがなんでこんなことにこんな辛くて苦しくて痛くて惨めで――

 

「ふぅ、うぅ……!」

 

 柔肌を伝う水滴に瞳から溢れる水が加わって、泣き崩れた。ぺしゃりと床に落ちた内腿から伝わる濡れた感触が心地良い。でもそれすらも血溜まりに錯覚し、自分が抜け出ることの出来ない沼に嵌まっているかのように感じた。ボロボロと流れる涙が止まらない。水を吸って重くなった髪が視界を覆う。見通せぬ闇を暗示しているかの如く。

 

「うぅ……あぁ……!」

 

 身体を強く抱きしめて嗚咽を漏らす。パシャパシャという間抜けな水音と混じって響くそれは不快な音楽のようだ。耳に残った惨劇と合いまり、朔月の脳を揺らすオーケストラとして轟く。背筋が寒くなる。魂が凍る。

 

「ううぅぅーーっ!」

 

 温かくなり始めたシャワーを浴びながらそれでも、凍てついた心の芯は、もう。

 朔月は苦悶のような泣き声をしばらく上げ続けた。

 切り裂かれた筈の頬に流水が染み込まないことには、終ぞ気付かずに。

 

 

 

 

 

 

 シャワーを終え身体の汚れを洗い流した朔月は下着姿でリビングに戻った。そのまま過ぎ去って自室のある二階へ上がろうとして――机の上にある違和感に気付く。

 

「? なに、これ。こんなのあったっけ……」

 

 目を落としたテーブルの上には鍵があった。さっきカップラーメンを食べていた時には無かったはずの、見たことも無い鍵だ。金属で出来たブレード部とプラスチックのような材質の持ち手部分で構成されている。車の鍵のような印象を受ける。だが目につくのは持ち手部分の装飾の精緻さだ。それは彫刻のようだった。緑色で描かれた塔と、その周りに纏わり付く龍魚。何かが記憶を掠めるが、それよりも声をかけられ跳び上がる方が早かった。

 

「それはご褒美よ」

「っ! ……の、ノーアンサー」

 

 朔月が鍵に意識を移しているいつの間にか椅子に座っていたのはノーアンサーだった。いつも通りのナイトドレスを着流し、朔月の家にあったマグカップで紅茶を嗜んでいる。

 

「なんで、ここに……!」

 

 警戒するように身構える朔月。その姿はまるで威嚇する小動物のように頼りなく弱々しい。その姿を嘲笑うように口の端を持ち上げながら、ノーアンサーは対照的な常の余裕を保ってその問いに答えた。

 

「説明よ、説明。……別にとって喰おうなんてそんなことを思ってたりはしないわ」

 

 それとも、と。

 ノーアンサーは悪辣な笑みを浮かべて。

 

「食べて欲しかったのかしら。そんな据え膳みたいな恰好しているからには」

「っ!」

 

 自分の下着姿を思い出し、朔月は顔を赤くして自分の身体を抱きしめた。その恥ずかしさを隠すようにして、

 

「……早く、要件を言ってよ。説明だってゆうなら」

 

 ふいと顔を逸らしながら、そう促した。

 

「ふふっ、冗談よ。さて――これは、グレイヴキー」

「グレイヴ、キー?」

 

 紅茶を置いたノーアンサーは話を切り替えて、テーブル上の鍵を朔月へ向け動かした。目の前までやってきた鍵を見て、首を傾げる朔月。ノーアンサーは龍魚のレリーフをコツンと叩くと続けて説明した。

 

「勝者である貴女へのご褒美よ。いえ――殺人者へのトロフィーと言った方が正しいかしら」

「っ!!」

 

 真実を突きつけるような物言いに、朔月の顔が恐怖と後悔の色で染まる。先程シャワーでも洗い流せなかった悔恨が再び朔月の心臓を襲う。

 愉快げに口角を持ち上げるノーアンサーは説明を続けた。

 

「これは竈姫の力の欠片。残滓。あるいは墓標ね」

「ぼ、ひょう……じゃあ、これ……!」

 

 そして朔月は気付いた。緑色のレリーフは、自分が殺した相手――竈姫を表したものなのだと。

 

「ひっ……」

 

 思い至った朔月は怯えて後退った。カタンと触れた椅子が揺れる。壁に背をつけて、へたり込むことだけは無かった。

 

「貴女はこの力を使うことが出来る。マリードールと同じように触れれば自然と使い方が理解できる筈よ。これを使えば、貴女は戦いを有利に進めることが出来る……」

「や、やだ……」

「あら?」

「嫌だ!」

 

 小首を傾げるノーアンサーに対し、朔月は頭を抱えて叫んだ。

 

「やだ、やだ!! やめて、私はもう戦いたくない! 殺したくなんかない!」

 

 喉が裂けんばかりに喚く。それが偽らざる朔月の本音だった。

 戦いを止める、なんて淡い決意は蝋燭の火を消すかのように吹き飛んでしまっていた。

 人の死を、覚悟していた事象を目の当たりにして、しかも他ならぬ自分が引き起こしてしまったこと。

 掛け替えのない筈の命が、誰かの人生が、呆気なくそこで途切れてしまったこと。

 志那乃の死に関わるあらゆる事象が、朔月の心を苛んでいた。

 

「もうやだよぅ……」

 

 弱い音を弱音というならば。

 今の彼女が紡ぐ、全ての言葉がそうと言えた。

 

「……まぁ、貴女の意志は関係ないのだけれど」

 

 ノーアンサーはそう言い残し、飲み干したマグカップを置き席を立つ。ナイトドレスの裾を揺らし、壁に尻をつけ座り込んでしまいそうな朔月へ近づくと怯えるその頬を撫で上げた。

 

「このライダーバトルの結末は二つ。勝って願いを叶えるか、死ぬか」

「私は……!」

「それに運命は、貴女の手には無い」

 

 揺れる銀髪の下で瞳は、深い色を湛えていた。それは深海のような、あるいは宇宙の果てのような底の見えない、光を吸い込むかの如き深みだった。

 

「貴女の運命は、既に定まっているのだから」

 

 深淵のようなそれは、およそ人間が決して抱えるような物では無かった。人外であったとしても、仮にも人の言葉を操る者が持っていて良い物なのか。

 

「ひっ……!」

 

 目を合わせた朔月は飲み込まれ、喉を引き攣らせる。恐ろしいと思った。人の生き死にに、何の感情も抱いていないその色が。まるで羽虫が殺虫剤で藻掻き苦しんでいく様を見つめるような、平坦さが。

 弱った心に刷り込まれるように、その瞳の印象が強く焼き付く。逆らえない。この存在には。

 カタカタと肢体が震え出す様を見届けたノーアンサーはフッと頬を緩め、手を離して踵を返した。

 

「ふふっ、失礼したわね。紅茶ごちそうさま。まぁ、その分は健闘を祈るわ」

 

 ヒラヒラと手を振って、リビングの扉を潜って気配を消す。外へ出るドアの開閉音は聞こえなかったが、いなくなったことは朔月にも分かった。そして同時に、今もまた自分は彼女の掌の上なのだと。

 

「……はぁっ、はぁっ」

 

 息を吸い込む。まるでさっきまで仕方を忘れていたかのようだ。いや、それは今も同じ。過呼吸気味に胸を動かし、下手くそに息を整えようとする。

 ズルズルとへたり込み、膝の間に頭を挟む。段々と呼吸が落ち着いてくると、自然と涙が溢れた。

 

「私は、私は……!」

 

 悔恨の言葉は誰にも聞かれずに溶けて消える。

 テーブルの上では、朝日に照らされた緑の鍵が何かを咎めるように輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 結局、外に出ることにした。

 気晴らしをしよう、なんてつもりでは無い。ただ、家にいたまま出ることが苦痛であっただけだ。

 身を包むは白いブラウスと茶色のタイトスカート。落ち着いた色合いのラテコーデ。夏らしくもない装いは彼女の心情を映し出しての物だ。

 スカートと同色のハンチング帽を目深に被り、小さなポシェットを供に陽射しの中に身を乗り出す。高くなり始めた陽光が痛いぐらいに降り注ぎ、赤らんだ目に染みた。

 

「……どこに、行こう」

 

 歩き出しながら朔月は呆然と呟いた。いつもならこういう時友人に遊ぶ約束を取り付けるが、自罰がそれを差し止める。のうのうと遊びに出かけるなんて、自分が許せない。となれば、人間関係のほとんどを友情で構成している朔月は何の宛ても無かった。

 

 結局思いついたのは、とにかく人の多い方へ流れることだった。

 人の中に埋もれれば、自分の罪悪も薄れる気がして。

 

「………」

 

 ハンチング帽のつばで目線を隠し、人の波を縫うように渡り歩く。住宅街から商店街へ。小道から大通りへ。その日は日曜日らしく遊びに出かける人間がごった返していて、人が途切れることは幸いにして無かった。

 そして最終的に辿り着いたのは動物園だった。

 

「……懐かしいな」

 

 かつて朔月も来たことのある、この辺りでは大きめな動物園だ。勿論、親とではなく友人とだが。

 料金を払い朔月は入園した。ゲートを潜った途端、獣臭が空気に溢れる。

 人によっては噎せ返るようなそれも、朔月は嫌いでは無い。

 

「見て回ろう、かな」

 

 楽しもう、というつもりは無かったが、かといってただボーッとしているのも奇異の目で見られてしまう。取り敢えずは怪しまれないように、順路通りに見て回ることにする。

 小型から大型まで、様々な種類の動物たちが客の目を楽しませる為に配置されている。寝転がる虎に水浴びする象。プールの中を競争するペンギンに果物を取り合う猿山。愛らしい姿は図らずも朔月の胸の傷を少しだけ癒やした。

 日が一番高い場所まで昇った頃。朔月はシマウマが展示されている場所へ行き着いた。手すりの内側で、白黒のストライプに染まった馬が穏やかに草を食んでいる。平原を模したスペースの中を、そこそこのスピードで駆けている姿もあった。

 

「……やっぱり馬だから、走るのが楽しいのかな」

 

 なんとなしに、そんなことを呟く。完全な独り言だ。

 だが、それに答える声があった。

 

「実は、シマウマって馬の仲間じゃ無いんですよ?」

「……え」

 

 少し弾んだ様子の、しかし嫋やかな少女の声が朔月の言葉を訂正する。朔月はその内容と突然声を掛けられたことの両方に驚いたが、少女の声は構わず告げた。

 

「シマウマって実は、ロバの仲間なんです。ほら、尻尾の形が馬よりもロバに近いですよね? 耳の形も……。他国の言語だとシマウマのことを、『縞模様のロバ』と言うこともあるらしいです」

「知らなかった……」

「ロバその物が馬の近親種なので、馬の仲間というのも完全な間違いじゃ無いんですけれども」

 

 そこまで聞いたところで、朔月は声の主が隣にいることに気付いた。どんな人物なのか気になってシマウマに落としていた視線を上げる。

 黒い革靴に白のソックス。灰色のコルセットスカートにフリル付きの黒いブラウス。可愛らしさと高級感の同居したファッション。

 育ちが良さそうだな、と感想を抱いた朔月は更に目線を上げて顔を見る。そして瞠目した。

 

「え……」

 

 サラリとした艶やかな黒髪。銀色に輝く馬を模した髪飾り。

 整った大人しそうな横顔は、怯えていた印象しか無いけれど――。

 

「真、衣?」

「へ? ……朔月さん!?」

 

 それは間違いなく、共にライダーバトルに翻弄される同士の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

「驚きましたよ。まさかこんなところで朔月さんと会うなんて」

「私もだよ。でも、そう言えばナイアは全員市内の人間なんじゃ無いかって言ってたっけ。そう考えると、会っても不思議じゃないのかも」

 

 シマウマの前で思わぬ邂逅を果たした二人は、動物園内に建てられたカフェのテラスにいた。パラソル下のテーブル席に着いた二人は、正午であることもあって軽食をつまみながら話すことにした。

 二人はコーヒーと紅茶、フライドポテトを前に並べながら偶然の出会いに感嘆し合う。

 

「でもなんで、動物園? って、それ言ったら私もそうか……」

「朔月さんは……その」

 

 何か言おうとして、真衣は気まずそうに口籠もる。その様子に察した朔月はこちらも苦い顔で頷く。

 

「うん……気晴らし、なんてする資格ないけど、でもじっとしてられなくて……」

「そう、ですか」

 

 二人の間に沈黙が落ちる。空気を変えるため、真衣は自分のことを話すことにした。

 

「私がここに来たのは、動物が好きだからです」

「……へぇ、そうなんだ。そう言えば、シマウマにも詳しかったもんね」

 

 話題に乗ってくれたことにこっそりホッと息をつきつつ、真衣は続ける。

 

「えぇ。特に馬が好きで……この動物園にはいないんですけどね。だから代わりにシマウマを見てました」

「馬が好きなの?」

 

 意外、と言えば意外だ。見るからに繊細な大和撫子という風な真衣としては。猫や犬を可愛がってそうなイメージを持っていた朔月としては予想外だ。

 真衣ははにかんで答えた。

 

「はい。習い事の一環で乗せてもらって以来、ずっと好きなんです。だから一族の所有する牧場に行くのが一番の楽しみなんですけど……思い立ってはいけませんから」

 

 だからここに来たんです、と真衣は苦笑した。

 しかし朔月としては、何でも無いように言われたその内容に目を丸くせざるを得ない。

 

「い、一族の所有する牧場……真衣って、もしかしてとんでもないお金持ち?」

「あれ、ご存じありませんでした? 王道家は、代々政治家一族ですよ」

 

 サラリと。

 告げた答えは家柄を鼻に掛けるような嫌みもない。ただ当たり前のことだと。

 

「現在の当主である祖父は引退間近ですが、それでも政党幹事長です。父はその次期候補。兄も政界入りを果たしてます。結構メディアに取り上げられているので、てっきりご存じかと」

「う、その、政治に興味ないから……」

 

 朔月は赤くなって羞恥した。しかし無理もない。年頃の少女の前には政治より楽しいことがたくさん転がっている。

 

「お嬢さまだったんだね、真衣は。すごいなぁ」

 

 素直に羨望する朔月。

 夢想したことはある。何度も。

 自分が生まれた家が違ったら、と。

 もしちゃんと愛してくれる両親の下に生まれていたら。もし他に頼れる親戚のいる家に生まれていたら。それともせめて、物質的には豊かになれる家柄に生まれていたのなら。

 もっと、幸せになれたのだろうか、と。

 

 だからそれを手にしている真衣のことは、素直に羨ましかった。黒い嫉妬とは無縁の、ただの羨望。

 しかし真衣はそれを受けて自嘲的に頬に手を当てた。

 

「……まぁ私は、何にもなれないただの小娘ですが」

「え、お嬢さまなんじゃ……」

「旧くて厳格な家ですから、子どもの発言権なんてありません。みんな生まれた時から役割が決まっているんです。長男は跡取り、次男は補佐件予備。長女次女は……有力な家との縁を繋ぐ、政略結婚の道具」

 

 胸に手を当て、憂鬱そうに呟いて。

 

「それ以外に価値なんてない。何かする必要も、許しも無い。――私は、王道の家に生まれたという以外は何の意味も無い女なんです」

 

 そう、断定的に。

 艶やかな睫毛を伏せて彼女は己の無価値を語った。

 

「―――」

 

 朔月は、ただ絶句する。

 語った事。その内容。そして、それを事実と受け止めている彼女に。

 それに気付いた真衣は、慌てるようにして謝った。

 

「あ、ごめんなさい! こんなこと語っても困りますよね。ですから、私は全然すごくないというだけで――」

「……真衣は」

 

 弁明を、遮る様にして。

 朔月は問う。

 

「真衣は、どうしてライダーバトルに参加したの?」

「………それは」

 

 唐突な疑問だった。それは問いを発した朔月も理解していた。

 だが、どうしても今気になったのだ。

 

 ライダーバトルに参加する為の、おまじない。それは七人ミサキを殺すという誓いだ。単なるおまじないであると信じていたとしても、その内容は舌の上に乗せるに残酷すぎる。

 朔月は激情のままに唱えた。他の少女たちは、まぁあまり気にしないタチであることは見て取れた。

 しかし、彼女は。真衣だけは、疑問だった。

 だって剣を握るだけでパニックを起こしてしまうほど、争いが苦手なのに。

 

 その疑問が、今になって発露した。三日目の戦いを経て、今の発言を以て、確信に変わる。

 この子は好んで戦いに飛び込むような性格では、絶対に無い。己の闇ですら、自分以外を傷つける物言いをしない少女なのだから。

 

「付き合いは短いけど、それだけで分かるほどだよ。貴女は戦いが嫌いだって。それなのに、どうして……」

「……嫌い、とは少し違うんです」

 

 ポツリ、呟くようにして、

 

「苦手、とも。……私は、戦えないんです」

 

 煮詰まった泥を吐くような苦々しい表情で、答えた。

 

「? それって、どう違うの?」

 

 首を傾げる朔月。

 戦いが嫌い・苦手と、戦えない。その差異が、分からなかった。

 しかし真衣は違うのだと首を横に振る。

 

「全然、違うんです。私は……今まで、戦ったことがないんです。一度も」

「……一度も?」

「はい。生まれてこの方、私は大切にされてきました。それは愛しいからではなく王道の血脈という貴重な血を引いているからではありましたが、それでも蝶よ花よと育てられました。物質的な不自由は何一つ無く、多くの使用人に傅かれ、求めれば全てが与えられる生活……」

「……いいなぁ、って思うけど」

 

 確かにいいものでしょうけど、と真衣は頷きながら、

 

「だからか、幼い頃の私は自分の欠点に気付きませんでした。ただ当主……お爺さまに頷いてさえいれば良かったんですから。誰も私に逆らわない。何もかも満たされているから、我が儘も無い。だから、気付かなかった――学校に通って、曲がりなりにも社会と触れるまでは」

 

 言葉を紡ぐ。呪いの一節のように忌々しく。

 

「最初に気付いたのはクラスメイトの一人が隔意を示した時でした。大仰な物では無く、子どもながらの……訳も無く気に入らない、その程度の物。ですけど私はそれに、縮こまることしか出来ませんでした」

「それは……別に」

 

 変なことじゃないと朔月は聞いていて思う。別に、気の弱い人ならば……。

 しかし真衣はそうじゃないと続ける。

 

「それ以後も、私は反発や争い事の一切に意志を示すことが出来ませんでした」

 

 真衣を気に入らないと突っかかってくる人間は、何も言わずとも取り巻きが退けた。

 誰かと競争する羽目になれば、必ず辞退した。

 争い事に巻き込まれる気配があれば、出来るだけ遠のくように行動した。

 それを、続けてきた。

 

「いつの間にか、私は戦うという選択肢その物を取れなくなってしまいました。逃げる、避ける、従う……例え自分がいくら損をしようとそれを選ぶ。優しい、といえば聞こえは良いのかもしれません。けど度が過ぎれば、逃避で、奴隷根性です」

 

 憎々しげに語る真衣。しかしその黒い負の情念は、全て自分だけに向けられていた。

 彼女の語るとおり、他人へは決して向けない。いや、向けられない。

 まるで禁じられているかのように、一切。

 

「ついには……私は、本当にやりたいことですら、諦めるようになっていました」

「本当に、やりたいこと?」

 

 朔月の疑問に、真衣は憧憬の遠い、しかし透き通った眼差しで答える。

 

「はい。私は……馬が好きです。さっき言ったとおり」

 

 真衣は頭につけた、馬の髪飾りに触れながら続ける。

 

「彼らは力強く駆けます。逞しい四肢で、気高く。例え高原にあっても、人間の家畜であっても、それは変わらない。どこでだって彼らは走ることを愛し、美しき誇りを損なわない。……私とは、違って」

 

 そんな彼らに、と。

 真衣は本当に大切な宝を明かすように、言った。

 

「関わる仕事がしたいと、願うようになりました。厩舎員、騎手、獣医……などでも、とにかく馬と関われる仕事がしたいな、と」

「……いいことじゃん」

 

 朔月は肯定的に頷いた。真衣の願いは、何も悪いことでは無いと思ったから。

 好きなことを仕事にしたい。それは誰もが一度は願う将来図であると。

 しかし真衣は、首を横に振った。

 

「……でも私は、王道家の人間です」

 

 ハッとして朔月も思い出す。

 彼女は、生まれた時から役目を負わされていると。

 

「そんな自由はありません。何を言っても、きっと……私の言葉は封殺され、どこかへ嫁がされるでしょう。そこでもきっと、私は嫁としての働きしか許されない。だから、私の願いは叶わないんです、絶対」

「でも、言ってみなくちゃ――」

「だから!」

 

 朔月の言葉を遮るように。

 真衣は吠えた。

 

「それが、出来ないんです、私は! 好きな物のために言い争うことすら、私は!」

「あ……」

 

 そこで、戻ってくる。

 戦えない、という話に。

 

「本当に、好きなのに。好きな、筈なのに。……出来ない、んです」

 

 ポタリ、と。

 テーブルの上に雫が落ちる。

 

「そして、悩んでいる内に、私は……本当に馬が好きなのかすらも、分からなくなって……だってそれが本当に譲れない物なら、戦える筈、なのに」

「それ、は……」

 

 朔月は、きっと戦える。

 だって、ライダーバトルのきっかけがそうだった。思い出のギターを勝手に捨てた母親に、反発して……あの時は結果的に家を飛び出したが、もっと許せなくなれば、自分はもっと争うことも厭わないだろう。

 だから、真衣は自分とは違う。だから、想像しか出来ない。

 想像しか、出来ないけれど。

 

「おまじないを、唱えたのも」

「……はい」

 

 それは、分かったから。

 朔月の呟きに、真衣は頷いて、

 

「戦い、たかったんです。その力が、欲しかった」

 

 故に、唱えたのだと。

 答えた。

 

「おまじないに縋ってでも、私は戦う力が欲しかった。いえ、力じゃなくてもいい。戦える心でもいい……とにかく、戦えるようになりたかった。好きな物を好きと言えるように」

「そっか、それで」

「はい。でも」

 

 真衣は顔を上げながら涙を拭う。すると今度は瞳に戸惑いが浮かんだ。

 

「あんな、殺し合いをするだなんて思いませんでした。そして、あんなに自分が無様だとも」

 

 確かに、と朔月は失礼ながら頷きそうになる。

 ライダーバトルに巻き込まれて、自分の命が危機に晒されても、真衣は戦うことが出来なかった。変身しても、出来たのは覚悟じゃなく、ただ我を忘れて暴れること……それは、戦っているとは言えない。少なくとも、彼女の願いのように自らの意志で立ち向かっているとは、とても。

 

「戦い、たいの?」

「それは……はい」

 

 迷って、真衣は頷いた。

 朔月の前でそれを肯定する意味を、理解しながらも。

 

「私も、こんな残酷な争いは望んでいません。けど、また何もせずに流されるくらいなら……私は」

 

 殺戮に賛同したわけでは無い。

 だが、何もせずに殺されるくらいならば。

 

「戦いたい、です」

「……そ、っか。真衣は、戦いたい、んだね」

 

 真衣の抱えている物を聞いた朔月は、溜息をつきながらカップに目を落とす。注がれたコーヒーは既に冷め切っていた。

 

「でも、私は……」

 

 コーヒーの表面。鏡面のように自分の顔を映すそこに、朔月は己以外を幻視した。燃え尽きて消し炭になった、人であった筈の存在を。

 

「私は、もう、誰も……!」

「朔月、さん」

 

 気遣うような眼差しが震える肩を見つめる。

 戦うために一歩を踏み出そうとする少女。

 踏み出してはならない一歩を踏み出してしまった少女。

 

 戦うことでしか叶えられない願いがある。

 されど、戦いは消えない傷を残した。

 

「真衣、私は……」

 

 あるいは願いの無い少女が初めて抱いた強い情念だったかもしれない。

 しかしそれは、少女が願った物では無かった。出来れば、抱かずにすませたかった物だった。

 

「誰も、殺したくないよ……!」

 

 静かな慟哭。切なる願い。

 戦うことを止めようとした少女は、望まぬ引き金を引き、その為に戦うことすら諦めようとしていた。

 

 それでも、夜は来る。

 今宵もまた、少女たちを望まぬ戦場へ誘う為に。



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四日目-2 悪意と云う鮫は、水月の下より忍び寄りて

 瞳を開く前から、朔月(はじめ)の耳には潮騒の音が届いていた。

 

「海……」

 

 開いて映る景色も、想像通り。群青が波打つ光景。自分が立つコンクリートの地面と煉瓦造りの建物から、どこかの港であることまで当たりがつく。

 相も変わらず人の気配の無いその場所へ降り立っても、朔月の心には最早何の感慨も無かった。

 あるのはまた始まってしまった……という諦観。

 そして戦いへの恐怖だった。

 

「ま、た……」

 

 波の音に飲まれてしまいそうな呟きが、漏れる。

 

「戦わなきゃ、いけないの? 誰かの命を、未来を……この手で……!」

 

 蘇る感触。剣の柄を伝って届く、マリードールを砕いた手応え。背筋が粟立つ感覚を思い出し、朔月は無意識に掌を握りつぶした。

 

「嫌だ……そんなの、嫌だ。もう……!」

 

 逃げ込むようにして倉庫らしき煉瓦の建物に駆け込んだ。

 敵を探索するため――ではない。

 ダムドに見つからないように身を隠すため――部分的には、そうだが。

 だが、朔月の身体を動かしたのは。

 誰とも会いたくない、何もしたくないという、そんな拒絶の思いだった。

 

「ふっ、ふっ――!」

 

 恐慌に駆られ興奮したように息を吐きながら、朔月は倉庫内に放置されていた邪魔なガラクタを崩して退かし、身の丈より大きな木箱の間に挟まるようにして隠れた。

 ガラガラという耳障りな音がしばし反響し、それから一転して耳に痛いほどの静寂が降りる。

 木箱の隙間で膝を抱えて蹲りながら、朔月は願う。

 

「来ないで……誰も……私を見つけないで……!」

 

 震える身体を押さえつけるように身を固める。

 自分が死ぬ、という恐怖。それよりも大きい、誰かを殺してしまうという怯え。

 

「もう――何も、したくない、から――!」

 

 己の為したことを、もう二度と起こらないように願うその姿勢を人は懺悔という。

 しかしそれを聞き届ける神は、きっと――。

 

 

 

 

 

 

 

 海の音を聞きながら、真衣はコンテナの合間を縫うように港町を彷徨っていた。

 いつも通りに、また戦場に誘われた。

 これからすることも、もう四回目。勝手は分かっている。

 慣れた、とは言えないが。

 

「……朔月さん、大丈夫でしょうか」

 

 周囲に気を配りながら、不意に邂逅した少女のことを思い出す。

 自分が禄に戦えず藻掻いている間に、人を殺めてしまった少女。

 昼間に出会った時、彼女は触れれば壊れてしまいそうなくらいに憔悴していた。

 その状態で戦場を訪れたら……そんなのは、病的なまでに争い事への疎さを発揮する真衣にだって想像がつく。

 

「でも、私には何も出来ない……」

 

 それでも今の自分は、彼女の助けになれない。

 勿論、朔月と戦うつもりは無い。戦う為に覚悟を決めようとしている身ではあるが、それでも心を通わせた人間を殺すなんて、とてもじゃないが考えられない。

 だが、守ることも、出来ない。結局、変身すれば我を忘れてしまうという欠点は克服できてないのだから。

 

「私は……なんて、無力なのだろう」

 

 呟いて、しかし真衣は気を取り直すように己の頬をぺちんと叩いた。こんな気持ちじゃいけない。ただでさえ自分は弱いのだ。その上浮ついていたのでは、すぐ死んでしまう。

 そう……敵はライダーだけではないのだから。

 

「!!」

 

 それに気付いたのは偶然だった。独特のリズムを刻む潮騒の間奏と、その音が重ならなかっただけのラッキー。でなければ気配などに疎い真衣は、不意打ちを受けていただろう。

 弾かれたように振り返る。青や錆色のコンテナの隙間。その陰から一歩踏み出したのは、この世ならざる異形だった。

 

「ダムド!」

 

 緩慢に歩くその一歩の足音を聞き咎めることが出来たから。

 どうにかマリードールを取り出してドライバーを出現させることが叶った。

 

「変身!」

 

《 Changeling 》

 

《 全ては人の為に 何故?

  世界を己の手に 何故? 》

 

 鳴り響く電子音と、身を覆う金色の光。

 騎士甲冑に身を包んだ姿が光を裂いて現われたところで、乖姫へと変身した真衣はそれに気付いた。

 

「? このダムド……」

 

 昨日、ダムドは散々に見た。嫌と言うほど。

 だが目の前のダムドはその大部分と違っていた。だが、見覚えもまた、あった。

 

「あの時の包帯ダムド、だ……」

 

 コンテナから這い出てきたダムドはその身体に幾重も包帯を巻いていた。廃墟の街で行なわれたバトルロワイヤル、自分のスタート地点であったスタジアムで怯えて隠れ潜んでいた時。朔月と合流して安堵していた束の間に襲撃してきた、普通とはどこか違うダムド。

 それが、今ソコにいた。

 

 もし真衣が変身していなければ、その正体に思いを馳せたかもしれない。

 普通とは違う、しかしボスダムドともまた違う。ノーアンサーからのアナウンスも無い正体不明のダムド。しかもあの廃墟の街ではその後も一切出現することも無く、目的も謎に包まれている。推測も禄に出来ない、危険な相手だと。

 普段ならそれなりに聡明な少女は、考えたかもしれないが。

 

「っ、やああっ!」

 

 一度変身してしまえば、そこに思考は及ばない。ただただ、焦りと恐慌が頭を支配する。

 戦いへの拒絶反応。自分が戦装束に身を包んでいることで感じる気色悪さ。身体が震えるより早く動かしてしまうことで、どうにか保てている運動能力。

 だから何も考えず、握った剣を振り下ろすことしか出来ない。

 

 幸いなのは、ダムド相手ならそれで簡単に片付くこと。

 黄金の奔流を纏う剣身を叩きつけられたダムドはいくつかのコンテナを巻き込んで、跡形も無く蒸発した。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 荒い息を吐く。疲れた為では無い。むしろ疲労など少しも無い。

 ただただ、苦しいのだ。戦っていることが。

 

「! まだいる!?」

 

 巻き添えでいくつかコンテナを吹き飛ばしたが故に開けた視界。そこにゾロゾロと現われる包帯ダムドを見て乖姫は歯を食いしばる。

 だからまた、力任せに力を振るおうとして――。

 

「おっまかせー!」

 

 響いた声に、顔を上げた。

 直後、上空から飛来する者有り。

 

《 Desire Execution Finish 》

 

 青い水が渦を巻く。槍の穂先に纏わって、巨大な穿孔(ドリル)へと姿を変える。

 コンテナを伝って跳んで来た、流線を描く騎士はそれをそのまま、異形蠢く眼下へと叩きつける。

 

「せ、やぁー!!」

 

 奔流。

 そうとしか言えない莫大な流れが、乖姫の前で爆発した。

 包帯ダムドたちは波間に攫われる玩具の船の如く無力に流され、捻られ、その身を千切られる。

 水が引いた時、その場で立っていたのは青い騎士ただ一人だった。

 

 その姿に見覚えのあった真衣は、喜色を浮かべてその名を呼んだ。

 

「ナイアさん!!」

「はいはーい! 仮面ライダー冀姫(きき)こと御代ナイア! 参上、ってね!」

 

 颯爽と駆けつけたのはナイアが鎧った姿、冀姫だった。いつも通りの戯けた態度と声音で応じ、きゃぴっと手を挙げる。そしてまだ水滴の残った槍をひゅんと振って払うと、てくてくと無防備に乖姫へ近寄っていった。

 乖姫もまた無警戒だった。何故なら彼女は数少ない、味方だからだ。

 そしてナイアがここにいるということは、今日のバトルの参加者は彼女ということだ。

 

「よかった、ナイアさんが一緒でしたか。もしかして、ナイアさんとの一対一?」

「んー、どうかなー。確かに残りは六人……奇数が消えて二、二、二が出来るけど。でも三、三や、四、二もありそうじゃない? 断定は出来ないかなー」

「そうですか……でも、ナイアさんと一緒で心強いです!」

 

 乖姫はホッとしたように息をついた。非殺同盟を結んだ冀姫相手なら、戦わなくて済むからだ。もしこの戦場が一対一ならば、もうライダーとの戦いは無くなったも同然だ。それにもし冀姫の言う通り三つ巴や四人対戦でも、同数以上の勢力が保持出来れば拮抗して戦わず済むかもしれない。

 真っ先にそこへ思い至る思考回路自体が戦いを避けているとは、自覚が無かった。

 

 話は水浸しになった地面、そこにいた筈の黒霧に消えた存在へ移る。

 

「それで、その。このダムドさんたちは一体何なのでしょう? ナイアさんは何か知ってますか?」

「うんにゃ。普通と違うってのは何となく分かるけど、ボスとも言えないし……今のとこ見当もつかないかなー」

「そうですか……」

 

 今まで洞察力を発揮するところを見てきたナイアが言うのだから、きっと現状では推理のしようも無いのだろう。そう納得した乖姫は周囲を見渡し、他の影が無いか探した。

 

「もう、敵って……」

「この近くにはいないと思うよ。ウチ、コンテナを伝って跳んで来たけど見えたのはアイツらだけだったから」

「あ、そうなんですか。じゃあ、もういいかな……」

 

 冀姫の言葉に安心した乖姫は、ドライバーのマリードールへ手を掛けた。乖姫にとっては変身していること自体がストレスになる。気を抜いてよい時には解除するに越したことは無い。

 

 だから、そっと引き抜く。

 

 その姿を冀姫がじっと見ていることには、気付かなかった。

 

「ふぅ……それで、ナイアさ」

 

 ザッ、と。

 足音がすぐ背後で響いたのは、その直後だった。

 

「!? き、きゃあぁっ!?」

 

 振り返った時にはもう遅い。変身を解いてただの非力な少女に戻った真衣は背後から迫っていた影によって仰向けに押し倒されてしまう。覆い被さってくるのはやはり、包帯を幾重にも巻いたダムドだった。

 

「なん、で……!」

 

 力を籠めても、ビクともしない。ダムドはライダーと比べれば遥かに弱いが、それでもその膂力は一般人の、しかも運動も左程得意ではない少女に劣るようなこともない。手足を一方的に押さえ込まれ、為す術無く真衣は地面へと押さえつけられる。

 

「ひっ、やめて!」

 

 叫んで、足をバタつかせてもダムドは撥ね除けられなかった。肩を痛いくらいに押しつけられ、腹の上に馬乗りされている。足は届かず、包帯まみれの手首を掴んでも動かせない。完全に押さえ込まれている。

 

「な、ナイアさん、助け……」

 

 恐慌に駆られ、すぐ近くにいる存在へ助けを求めるのは当然の帰結だった。だがそこで、思い至ってしまう。

 すぐ近くにいて会話していた彼女なら、背後から迫っていた包帯ダムドに気がついていた筈だと。

 そしてそもそも、自分が安心して変身を解除したのは。

 

 ナイアが、もう敵はいないと報告してくれたから。

 

「………え……?」

 

 呆けた声が漏れる。思わずきょとんと抵抗を止め、冀姫の方を見上げてしまう。そこには――

 

「……ごめんね、真衣♪」

 

 全く悪びれない戯けた態度で、手を合わせる冀姫の姿があった。

 

「――なん、で」

 

 そして冀姫の傍には、また別の包帯ダムドが立っていた。しかも一体だけに留まらない。二体、三体。真衣を押さえつけている個体含め計四体の包帯ダムドに囲まれて、一切襲われる気配が無かった。否、それどころか、まるで――侍らせている、かのようで。

 

「ネタばらし、しよっか? ――この包帯ダムドの正体は、なんとー?」

 

 右手を翳す。するとどこからか集まってきた黒い靄が結集してきて、何かを形作っていく。それは、人型だった。あっという間に成人男性ほどの大きさに成長した靄は、包帯を身に纏っている。

 

「じゃーん! ウチの特製、でしたー! ……これが冀姫のもう一つの能力。下僕の精製だよ♪」

 

 現われた五体目のダムドは、やはり冀姫を襲わず控えるように大人しくしている。故に冀姫の語った事が嘘でもなんでも無いことを、証明していて。

 

「――なん、で」

 

 それでも、真衣の疑問は晴れない。

 だって、聞きたかったことはそれじゃない。どうして、どうして。

 

「仲間、じゃ……」

 

 殺さないと誓った筈だ。あの荒野で、自分たちだけの間ではという、か細く儚い約束だった――けど、誓いは誓いだった筈だ。そして現に、昨日の戦いでは共闘して生き残れた。

 非殺同盟。だのに。

 

「んー、じゃあヒント! 真衣が最初に包帯ダムドを見たのって、いつ?」

「それ、は……っ!」

 

 思い出す。最初に真衣が包帯ダムドと出会ったのは、朔月と合流した、スタッフ専用通路での事。

 入れない筈の場所に雪崩れ込んだ彼らを撃退するために変身して、自分たちは燻り出されるように通路を飛び出して……。

 そしてその後、ナイアが助けてくれた。

 

「あの、時も……!」

「ピンポーン! 本当はもっと前に二人のことを発見してたんだよねー。でもどう出るのか気になっちゃって、下僕たちを嗾けたのさ! ま、結果的に正解だったね。おかげで真衣のヤバさが分かったしー」

 

 さながら悪戯がバレてしまった時のように種明かししていく冀姫。その光景に、真衣は怖気しか感じなかった。

 理解が閃く。疑問が氷解していく。それは、決して幸せなことではなくて。

 

「最初、から……私たちを、殺すつもりだったんですか……?」

「そうだよー。でも二人とも思った以上に厄介そうだったから、まずは信頼を得る方向にシフトしたんだよね。まー途中からは、あの黄色眼鏡とかを凌ぐために必死だったけど」

 

 だから協力して良かったよ、と肩を竦める冀姫。

 しかし真衣の疑問はまだ残っている。

 

「なんで……」

「そればっかだね。まぁ、いいよ。答えてあげる」

 

 まるで不出来な生徒の問答を聞く塾講師の如く、冀姫は優しく続きを促す。震える声で真衣は問い質す。

 

「嘘、ついたんですか。戦わない、殺さない、って……そして」

 

 喉が鳴る。肩が痛む。今、人生の中で一番実感している。

 死。

 

「どうして、殺すんですか……」

 

 殺害理由が知りたかった。

 願いを叶える為なのか。生き残る為なのか。最初は本当に戦う気が無くて、でも昨日の、志那乃の死を見て自分が死ぬことに恐れてしまったのか。それとも全部嘘で、最初から――。

 冀姫はやはり戯けた態度を崩さず、真剣さを纏うことすらなく答える。

 

「前と後ろ、まずは前の質問からね。嘘は――そりゃ、そうだよ。だって、馬鹿正直にアナタを殺しますって宣言するよりそっちのが得じゃん。むしろなんでみんな宣言するのか、訳わかんないよ。……で、後ろの、どうして殺すか、って質問ね」

 

 ニコリと、笑った。

 あくまで、無邪気に。

 

「――だって、殺せるから! 殺したいから!」

 

 嗚呼、こんな状況でも、そんな答えでも。なんの罪悪も感じていない人は、こんなに晴れやかな笑顔を見せるのだなと。

 真衣は、初めて知った。

 

「ライダーバトルのことを知ってさ、もうすっごいワクワクしたよね! こんなすごい力で人を殺せるんだよ!? ずっとずっと殺したくて殺したくてウズウズしてて! だから、竈姫を取られた時はすっごい悔しかったなー」

 

 その言葉に真衣は、志那乃が殺された後の事を思い出す。

 あの時、ナイアは悔しげに炭となった死体を見下ろしていた。それを真衣は勝手に、人死にを止められたかったことを悔やんでいたと思っていたけれど――。

 

「一個取られちゃったー、ってね。もう、早く殺しておけばよかったなー」

 

 悔やん、では、いても。

 止める、どころか。

 

「だから、ね!」

 

 ピョンと跳ねて冀姫は、手にした槍をクルリと回す。

 

「次こそはウチが殺そうって、決めてたんだ!」

 

 包帯ダムドが動く。背後に控えていた四体が、押し倒された真衣に近づき、その四肢を押さえつける。そして馬乗りになっていたダムドが退いて、しかししっかりと手足を抑え込まれた真衣は逃げることは叶わない。

 

「それじゃあ……」

 

 地面に磔にされた真衣へと、冀姫が迫る。

 

「や、やだ……!」

 

 どんなに抵抗しても、歯を食いしばっても。

 確定していく運命からは。

 

「私は、まだ……っ!」

 

 逃げられない。

 

「戦えて、いないのに――!」

 

「サヨナラ、真衣♪」

 

 ザクリと。

 まずは、一突き。

 

 

 

 

 

 

 

「え……」

 

 劈くような音が、耳に届いた。それは何かが擦れるような音で、バイクのブレーキ音にも似ていた。

 でも、朔月はもっと似た音に聞き覚えがある。

 それは、つい昨日。

 志那乃、の。

 

「……っ!」

 

 思わず立ち上がり、しかし足が震えて立ち尽くす。

 何かがあった。でも自分が行っても、更に状況を悪化させるだけなんじゃないか。

 また、誰かを殺してしまうんじゃないか。

 そう思うと、震えて。

 

「………私、は」

 

 浮かぶのは、少女の顔たち。自分に味方してくれた子。敵対した子。……爽。

 その誰かが、傷ついて死ぬのを。

 

「私は……!」

 

 見逃せ、なかった。

 だから一歩、踏み出す。

 外へ……悲劇へ。

 

 

 

 

 

 

「あ゛あああぁぁああ゛あ゛ああぁぁぁっっ!!!」

「ふふっ、いいね。いい音色だよ」

 

 槍を突き刺す。そこから泥のような赤色が溢れる。粘性はそのまま命の粘りを意味し、それが零れてコンクリートへ無為に吸い込まれていくその風景が、冀姫にとっては堪らなく美しい眺めだった。

 激痛に喉を振り絞ったつんざくような悲鳴も、どんなクラシックより甘美に聞こえる。

 

「んふふ~。やっぱりいいねぇこういうの。じっくり追い詰めていくのは長く楽しめていいや」

 

 真衣は既に、滅多刺しにされていた。身体で赤く染まっていないところは無いと言うほどで、刺し傷は至る所にあった。黒かったブラウスはズタズタに切り裂かれた上、血を吸い上げて更に毒々しい黒に染め直されている。

 だが……まだ、死んでいない。死ねない。

 

 冀姫は、死なないように手加減をしていた。本当に、ギリギリのところで。後数㎝深ければ疾く致命へ至るような傷を幾つも作り、そして綱渡りのところで絶命はしないという風なことを繰り返していた。

 

 そうして緩やかに失血死していくところを、実に楽しそうに眺めていた。

 

「ぎ、あああ゛あ゛ああぁぁぁっ!!!」

 

 あまりの痛苦に真衣は絶叫する。

 痛覚というものは身体の危機を脳に伝える為の信号だ。身体の損傷に気付かず死なないようにする為の安全装置。だが許容量を超える一定以上の痛みは脳に辿り着く前にシャットダウンされる。その激痛で逆にショック死してしまえば本末転倒だからだ。

 だが真衣の脳に届く痛みは全く遮断されなかった。

 遮られない、寸前。ギリギリを冀姫が、狙っているからだ。

 どのくらいの傷ならば痛覚が消えないか――それを、知っている傷つけ方だった。

 

「あ゛、があああぁぁぁ……!!」

 

 失せること無い煉獄の如き痛苦に晒され、最早真衣はケダモノのような悲鳴を上げることしか出来ない。

 それを聞き届けながら、冀姫は頬に手を当て恍惚とした溜息を吐く。

 

「はぁぁ……うんうん、尊いなぁ。まさに命が燃やし尽くされる瞬間! って感じで、ホント、何度聞いても飽きないや」

 

 悶え苦しむ真衣を前にして、ただただ極上の料理を味わった後のようにうっとりとした表情で蕩ける冀姫。

 すると何を思ったのか、唐突に変身を解除した。青い装甲が解け、ツインテールをした幼気に見える少女が露わとなる。

 そして同時に、包帯ダムドたちの姿も消えた。あくまで奴らは冀姫の能力であり、変身が解けたなら形を維持していられないのか――などと考察出来る余裕がある人間も、今ここにはいない。

 どのみち包帯ダムドがいなくなろうが関係の無いことだ。既に真衣には、立ち上がる力すらない。

 

「あ゛……ぎ、ぃ……!」

「ふふふっ、素敵だね、真衣……」

 

 ナイアはそっとその場に膝を突き、必死の形相でのたうつ真衣を膝の上に抱え上げる。血塗れの頬をそっと撫で上げるその手つきは、聖母にも似て柔らかだった。

 掌にべっとりと血が付くのも構わず、そっと抱きしめる。

 

「あぁ……いいね……」

 

 その胸元、心臓のある辺りへ耳をつけると心音が聞こえてくる。平素よりリズムがゆっくりとなった、弱まりつつある命の音が。

 それをまるで、子守歌のようにうっとりと聞き惚れるナイア。

 

 ある意味、美しい光景ではあった。

 血に染まって呻く少女と、それを優しく抱く少女。それだけ見ればまるで、死に瀕した少女を安らかに導こうとする聖女めいて見えた。

 だが真実は、いっそ喜劇のように残酷だった。

 

 

 

 そしてそれを――朔月は、見つけてしまった。

 

 

 

「何……してる、の」

 

 呆然と、漏れる声。それを聞き咎めたナイアは顔を上げる。片頬に血が張り付いているが気にした様子は無い。そしてその視線の先には、コンテナの隙間から顔を出す、自失した様子の朔月がいた。

 

「やぁ、朔月」

「……ナイ、ア……そして……」

 

 その少女は鮮血に染まり、遠目では誰が誰だか分からない程だった。

 だが、朔月は分かる。直前に、会っていたから。その服が、誰の物なのか。

 

「真、衣……」

 

 零れるような言葉。そしてそれに、微かに真衣が反応する。

 

「ごぽっ……はじ、めさ……」

「真衣!」

 

 血を吐きながら紡がれた言葉に、朔月は駆け寄る。ナイアはそっと真衣を横たえ、引き下がった。

 真衣をナイアと同じように、されど全く違う表情で抱き上げる朔月。

 

「真衣、真衣! ……っ!!」

 

 抱えて目を合わせた真衣の顔を見て、朔月は息を呑んだ。

 光を失いつつある瞳。目を合わせるべきソレの片方は、既に潰れている。

 それだけではない。腹部は、更に酷い有様だ。まるでダンボールへナイフを滅茶苦茶に突き立てた後のように切り裂かれたお腹は、中身がどうなっているか想像が出来るようで。

 

 もう、これは。

 助からないと、誰でも悟ってしまえて。

 

「……げほっ……はじめ、さん……」

「ま、真衣……」

 

 どうにか言葉を発することが出来たのは、痛みが和らいできたからだろう。

 それを感じる機能が失われつつあるが、故に。

 

「どうして、こんな……!」

 

 朔月は涙を流し、慟哭した。

 だって、つい数時間前まで一緒にいた少女なのだ。

 間近で会って、言葉を交わしたばかりの人だ。彼女が楽しそうに好きな物を語るのを、そして苦悩を抱えながらそれを超える決意をするのを、目の前で見届けたばかりで。

 それが、こんな……あまりにも酷い有様で、命を失おうとしている。

 

「きい……て、くださ……」

 

 それでも真衣は、最期の力で手を伸ばす。ハッと気付いた朔月はそれを握り、聞き返す。

 

「な、何?」

 

 遺言だと、思った。

 最期に、言うべき……恐らくは、大事な人へ残すべき言葉。それを一言一句聞き逃さないよう、朔月は口元へ耳を近づける。

 だが、その残すべき人は、

 

「……たたかって、ください」

「え……」

「わたしは、たたかえなかった……」

 

 自分で。

 真衣は何よりも、朔月のことを優先したのだ。

 これから更なる試練が彼女を待ち受けていることを、理解して。

 

「わたしはさいごまで、ゆうきも、かくごもなかった、から」

「そんなの……」

「にげて、にげて、そのけっかが、これ、でしたから」

 

 だから、と。

 真衣は握った手に残された彼女の全力を籠めて――微かに朔月の手を、包むように曲がって。

 

「駄目……駄目だよ……こんなっ……!」

「……あなたは、たたかってください……いきて、ほしいか、ら……」

「真、衣ぃ……」

 

 零れる涙を、堪えられず流す朔月。

 しかしその瞳は次に、最期に告げられる言葉に見開かれることとなる。

 

「ないあ、さんも、とめ、て……」

「……!!」

 

 そう言って、真衣は。

 眠るように目を閉じた。

 もう既に痛みがないからか。あるいは朔月の手の中に抱かれたからか。

 思ったよりは、安らかに。

 

 静かに逝った真衣をそっと横たえ、朔月はゆったりと立ち上がる。

 俯いた顔で振り返らないまま、背後のナイアへ問いかけた。

 

「……ねぇ、ナイア」

「ん? なぁに?」

「真衣を……殺したのは……」

 

 最初に現場を見た状況では、まだ断定は出来ない状態だった。他のライダーの襲撃を受けた真衣が、駆けつけたナイアに介抱されていたのかもしれなかった。

 だがそれにしては真衣は何の手当もされておらず、そして決定的なのは、最期の言葉。

 

「……貴女、なんでしょ……!」

 

 振り返り、睨め付ける。

 その瞳には渾然一体となった感情が渦巻いていた。衝撃。悲哀。疑問。厭戦。

 だが何より、大きかったのは。

 怒り。

 

「――そうだよ」

 

 その視線を受け止めた、マリードールを手の中で玩んでいたナイアは。

 誤魔化すことも諦めて小さく肩を竦めた。

 

「あー、失敗したなぁ。上からグルリと偵察して誰もいないから殺害に踏み切ったのに。まさか来た瞬間からずっと隠れ潜んでいたなんて……。流石に三人目がいたのなら殺すのも考えたのになぁ」

 

 その戯れ言は、まるで朔月が怯え隠れていたからこの殺人が発生したと言っているようにも聞こえた。朔月の心中の絶望を深くする。が、その理不尽な物言いにより沸き立つ怒りの方が、今は。

 

「――許、せない」

 

 感情の奔流に、少女その日抱くような決意(たたかいたくない)など水に浮かんだ木切れに過ぎなかった。

 憤怒のままに取り出したマリードールを掴み、朔月は吠える。

 

「許さない!」

「そう……まぁ、丁度良いけどね」

 

 微笑を浮かべたナイアもまた、マリードールのチェーンを摘まみ軽く揺らす。

 

「ライダーとしては、不完全燃焼だったからさ」

 

 怒りと笑顔。相反し相容れない感情を浮かべた両者は同時にドライバーを出現させ、マリードールを装填した。

 

「変身ッ!!」

「変身」

 

《 Silver 》

 

《 戦いは止まらない 何故?

  運命は変わらない 何故? 》

 

 朔月が銀の光に鎧うと同時に。

 

《 Desire 》

 

《 満腹になぁれ 誰の?

  一杯になぁれ 誰の? 》

 

 青い光がナイアの肢体を彩って、その身を戦装束に染め上げる。

 

 襤褸を纏う銀騎士と、水生生物を思わせる優美な青騎士。

 両者は互いの得物を顕現させると、その刃を向け合った。

 

「どうして……どうして!!」

「また質問? まぁ、いいけどね」

 

 銀閃を槍で受け止め、流しながらナイアは謳う。

 

「だって、殺したかったからさ」

 

 真衣に告げた時と同じように、とても愉しそうに。



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四日目-3 笑み

 怒りのままに振るう刃は、その悉くが容易く打ち払われていた。甲高い金属音が鳴り響き、幅広の刃を持つ槍が細剣を弾き返す。斬撃は感情の迸りそのままで、鋭い観察眼を有する冀姫にとって見極めるのは訳無いことだった。

 

「ナイアッ!!」

「おっこらないでよー。それにキルレートじゃイーブンでしょ? ねぇ志那乃を殺した朔月(はじめ)さん?」

「っ! ああ゛ぁッ!!」

 

 心の柔い部分を擦られ、銀姫は更に激情を刃に乗せて奔らせた。一方で冀姫はそれが楽しくて仕方ないといった様子で、笑いながらそれを受け流す。

 とはいえ防戦一方だ。怒りの剣は読みやすいが勢いがあるのも確かで、受けてしまえば痛手を負う。このままでは不利なのは冀姫の方だ。

 故にこそ、受けに徹して待つ。その時が来るまで。

 

 やがて、銀姫の剣が僅かに鈍る。息切れだ。憤怒に囚われ後先を考えずに剣を振るった所為だった。

 その隙を突き、冀姫は前蹴りで銀姫を押しやる。

 

「うぐっ!」

「はいご苦労様」

 

 痛みは無い。しかし足元が緩んだ瞬間を狙われた所為でたたらを踏んでしまう。距離が開く。細剣も、しかし槍も届かない距離。しかし冀姫には関係が無かった。

 

「ほい、ほいっと!」

 

 出来た余裕を使って冀姫は左手を宙に翳した。そこへ、黒い靄が集まってくる。それは瞬きの間に人の形を取って、包帯ダムドへと変じた。

 

「っ、それ……!」

 

 怒りに駆られながらも、理解した。走馬灯の如く閃きが脳を巡る。

 冀姫が、ナイアがいつから裏切っていたのかを。

 

「ほら、行きなさい!」

 

 現われた計五体の包帯ダムドは、冀姫の命令通りに銀姫へ向かって襲いかかった。

 

「くっ!」

 

 それを銀姫は、片端から斬り伏せる。ダムドはやはりダムドだ。脆く、この程度の数なら対処に左程手間は掛からない。

 勿論それは、相手がダムドだけならばの話だが。

 

「せいやっさ!」

「っ!」

 

 包帯ダムドの合間を縫うようにして冀姫の槍が突き出された。銀姫はそれを反射的にどうにか避け、鎧の表面を掠る程度で済ませた。だがその代償として、残っていた包帯ダムドに組み付かれることを許してしまう。

 

「しまっ――」

 

 腰をがっしりと掴まれる。そのまま押し倒されるほど、ライダーの膂力は弱くない。が、どうしても足は止まってしまう。

 そこへ包帯ダムドごと両断する鋭い槍撃が襲いかかる。

 

「くあっ!!」

 

 痛打。胸甲に火花が散り、銀姫は大きく吹き飛ばされる。幸いにして包帯ダムドが散ったおかげで拘束は解けたが、それで良かったとは言えないダメージが身体に叩き込まれてしまった。

 ズキズキと痛む胸元を押さえ、銀姫は改めて対峙した。

 

「これ、が、本当のナイアの戦い方……!」

 

 痛みのおかげで却って冷静になった頭でそう分析する。

 包帯ダムドを嗾けて、指揮をしながら間隙を槍で突く。生み出したダムドは物の数でしか無いが、数は数だ。人間の攻撃手段が限られた手足を起点とする以上、ライダーが武器を持っても一度に対処できる数は限られている。そしてキャパシティを超えた一瞬を狙い澄まし追撃を加える。それは、認めざるを得ない。有効的な戦術だった。

 

「そーそー。だから昨日は本気出せなかったんだよねー。二人の前じゃバレちゃうし……折角騙したのにそれは勿体ないしさ」

 

 呑気な口調で答えながら、されど動きは油断ない。再び切り込んでくる銀姫を前にしながらも冷静に、下僕を精製し壁を増やしながら、自分の身を危険に晒さないよう慎重に立ち回っている。分厚い肉壁の群れを前にして銀姫の反撃は悉く遮られていた。一撃一撃は確かに包帯ダムドを討つという成果を挙げているが、その隙を突く冀姫の攻撃もまた銀姫にしかとダメージを与えていく。

 

「くぅ……!」

 

 忌々しげに唇を噛む銀姫。これではイタチごっこだ。しかも自分が一方的に弱っていくだけの。焦りが募る銀姫は傷つけられた鎧の表面をなぞりながら対策を必死に考える。

 だがその様を見透かして冀姫は、煽るように口車を回す。

 

「やっぱこういうライダー同士のバトルっていいねぇ。こう、力の鬩ぎ合い? ってか駆け引き? がそそるよ。……本当は真衣と、乖姫ともやってみたかったんだけどなー」

 

 真衣の名前を出されて銀姫がピクリと反応する。せざるを得ない。耳を閉じることを封じられた。

 

「でもやっぱ真衣のだけ性能がおかしいよね!? 鎧もパワーも、強すぎ! いっくら考えてもあの装甲を破る方法が思いつかなくって。だから残念、だったんだけどさ……」

 

 合間合間にも攻防を繰り返す。その間も銀姫はちゃんと対策に頭を捻っている。だけど。

 

「だから、騙し討ちしちゃったんだよね♪ お間抜けにもウチの言葉をすんなり信じちゃったから!」

 

 そんなこと、言われたら。

 理性を、保てない。

 

「っっ!! あああぁぁっ!!」

 

 再燃した怒りに掻き立てられ、銀姫の刃に再び必要以上の力が乗ってしまう。その一撃は包帯ダムドを2、3体一気に屠るほどの威力を秘めていたが、やはりその分隙が大きかった。無防備とすら言ってよい。

 故に冀姫は包帯ダムドの壁が尽きるより早くその穴を突いた。

 

「ほぅら、素直だから」

「! くうぁっ!」

 

 ザクリと深い傷が、銀姫のアンダースーツを切り裂いて脇腹に刻まれる。浅く出血は少ないものの、痛みは鋭い。

 

「くっ、あぁっ!」

 

 逆撃を狙った振り下ろし。しかしその時には既に冀姫は刃圏を離れ肉壁の向こうへ消えていた。

 

「卑怯者!」

「間抜けよりマシだよね~」

 

 銀姫の言葉には乗らず、冀姫はひたすら突いて突いて突き崩す。身体を、心を。

 

「このまま滅多刺しにしてあげようか? 真衣にやったみたくさぁ!」

「黙れぇぇっ!」

 

 挑発に乗る度、銀姫の外傷は増えていく。鎧に、肉に、槍の穂先が刻まれる。冀姫がカウンターを受けることを警戒して深く踏み込んでこない所為でどれも浅い傷だが、地面へと飛沫する血痕は確実に増えていた。

 

「がっ!」

 

 そして蓄積された一撃が、鎧すらも破壊する。右の肩甲が破砕し、銀姫は大きく吹き飛んでコンテナへ背中を打ち付けた。その衝撃で口の中を切ったのか、吐血する。

 

「かはっ、うぐっ……」

「やれやれ、もう終わりが近いかな?」

 

 対する冀姫はほぼ無傷。そして銀姫を追い込んでなお、警戒を怠っていない。包帯ダムドの向こう側から嘲るような声音で銀姫を更に追い詰める。

 

「まぁ、こんな物だよね。だってキミ、本気で殺したくないとか宣ってたし。こんな殺し合いの中でそんなこと言うなんて、ププッ」

「けほっ……何が、おかしいの……」

 

 挑発だと理性では分かっている。けど心に刺さるその言の葉は、無視しがたく。

 

「なんで、そんなに嗤えるの……!」

 

 湧き上がる怒りは抑えられない。止め処なく溢れ、激情が全身へ迸る。ドクドクと鳴る心臓が五月蠅くて、グラグラと煮える(はらわた)は熱い。憤怒が銀姫を突き動かす。止まることを許さない。

 

「だって、面白いし」

 

 だから、その言葉は。

 心の火に、ただただ油を注ぐ行為で。

 

「っ、ああああああぁぁぁぁっっ!!」

 

 沸騰する。理性が蒸発し、自分でも怒りで訳が分からなくなる。

 だが微かに残った冷静な部分が、思い出していた。

 

『ねぇ志那乃を殺した朔月さん?』

 

 ここで止まらなければ、また同じ事を繰り返す。

 だけど、止まれない。だから、その思考はまた別の事へ繋がる。

 

『これは竈姫の力の欠片。残滓。あるいは墓標ね』

 

 そうだ。

 志那乃を殺したことを讃えたもう一人の存在。それが残したのは、後味の悪さだけじゃ無かった。

 

「っっ!!」

 

 そう思い至ってしまえば、迸る衝動のままにベルトの背後へ手が伸びた。そこに確かにある硬い感触を掴み取り、銀姫はそれを前へと突き出した。

 

「!? それは……?」

 

 突然取り出された見たことも無い物体に、冀姫は面食らう。だが持ち前の観察眼でそこに刻まれている意匠が銀姫の物では無いことに気付くと、顔色を変える。

 

「まさか……!」

「うわああああぁぁぁっ!!」

 

 衝動のままに銀姫はそれを構え、ベルトのスリットへ差し込んだ。カチリと嵌まる感触。そのまま回す。

 そしてその瞬間。

 

 銀姫の視界が、別の色に染まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間朔月は、全く別の空間にいた。

 

(ここは?)

 

 真っ白い空間だ。そこには何も無い。

 人が一人、浮かんでいることを除けば。

 

(――志那、乃)

(………)

 

 そこに佇んでいたのは、死んだ筈の志那乃だった。しかし生きているとは、思えない。

 ショートカットの少女は一糸纏わぬ姿で空間に浮かびながら、その肢体を背後の風景に透かせていた。生きた、実体のある人間では決してそうはならないであろう状態は、やはり彼女が既にこの世の者では無いことを示していた。

 まるで幽霊のような出で立ちに、しかし朔月は怪談めいたその現象に怯えることすら出来ない。

 

 志那乃は、ひたすら睨んでいた。

 恨みの表情で、自分を殺した者を。

 

(っ、う……)

 

 毒々しく、射殺さんばかりの視線。黒い情念が煮詰まった、怨嗟の眼差し。無言の内に向けられるそれに、朔月は恐怖した。

 その恐ろしさ、その物にでは無い。それが、正当な物であることを知っているからだ。

 

(………)

 

 志那乃は何も語らない。だが、その代わり朔月の脳裏を鋭い痛みが襲った。

 

(っあ、ぐ!?)

 

 そして流れ込んできたのは、とある少女の物語だった。

 

 

 

 

 

 

――ちょっと、遊びたかっただけなのに。

 

 緑川志那乃は銀行員の父と教育熱心な母の元で育った。

 幼い頃から勉強に次ぐ勉強の日々。家同士の付き合い以上にどこかへ遊びに行くことはほとんど無く、友人も人脈作りを意識するよう言われ広く浅くを意識した。

 将来の為。貴女の為。

 そう言われて、自由を束縛され続けた。

 

――やめたかった、訳じゃない。

 

 レールの敷かれた人生。しかし志那乃はそこから脱線したかった訳では無かった。

 むしろ、ずっとそこで進みたかった。何故なら彼女は両親を愛していたからだ。両親の期待通りに育ち、二人の喜ぶ顔を見たかった。

 しかしそれでも、そんな日々を続けていれば鬱屈も溜まる。青春を謳歌する友人たちを尻目にしながら学校生活を磨り減らしていくことに、これでいいのかと焦燥も覚える。身体が重たい。頑張りたいのに頑張れない。

 

『……パパ活?』

『そ。たまには全部忘れて刺激的なことしよ?』

 

 そんな彼女を見かねた、数え切れない程いる友人の一人がその概念を教えてくれた。ずっと汚らわしい事だと言われ続けてきたその行為を金や刺激を求めて行なうといことは、彼女にとって新鮮な驚きだった。

 窓を開いて、涼しい風を取り入れた感覚だった。

 

 アプリをダウンロードして、好奇心で連絡を取った。最初はただ、食事をするだけ。しかしそれでもう、志那乃は虜になった。

 知らない大人と対等に話して。容姿や仕草を褒められて。突然求められたスキンシップも全然嫌じゃなくて。子どもではない、一人の女と認識されて。

 今まで厳しく躾けられてきた彼女にとって、その全てが未知の快感だった。

 

 その先を求め『夜』を解禁するのも、当たり前の事だった。

 ベッドの上で誰かと過ごした初めての月夜は、夢のような時間だった。

 そうして行為を繰り返し、男を手玉に取る快感を覚えた志那乃は更に深みに嵌まっていく。時には理由をつけて毎夜ホテル街へ繰り出す月もあった。楽しいことは止められない。気持ちいいことは拒めない。

 そんなことを繰り返せば、門限や沢山いる友人を使って誤魔化しても、バレないなんて訳は無かった。

 

『お前は我が家の恥だ!』

『あぁ、なんで。神様、私が何をしたというのですか?』

 

 腕を組んだ男性とホテルへ入っていく姿を父の同僚に目撃され、彼女は弾劾された。父は淫売と化した娘に烈火の如く怒り、母は教育を間違えたと嘆きさめざめと啜り泣く。冷たくはあっても秩序だっていた家庭が、混沌の渦を巻く。自分の所為で。

 

――こんなこと、望んでいなかった。

 

 ただ、刺激が欲しかっただけだ。期待に応える為の原動力として、日々の潤いが欲しかっただけだ。

 両親を失望させたかった訳じゃない。こんなことならしなければよかった。こうなると知っていたなら、無味乾燥な日々でも耐えられたのに。でも、やってしまったことはもう戻らない。

 

 居たたまれなくなって家を飛び出し、しかし当てもなく彼女は夜の街を彷徨う。行く当てなんて無い。幾多の友人や関係を持った男性の連絡先はスマホに羅列されているが、そこへ頼る気にもなれなかった。だって自分の帰る家は、両親の待つあの家なのだから。

 

『あら、こんなところでどうしたのかしら?』

 

 そこで、銀髪の少女と出会う。

 おまじないのこと。仮面の騎士の逸話。殺人委託。その全てを聞いて、彼女は願った。

 

――ボクのやったこと、二人の記憶から全部忘れさせて。

 

 それが、彼女の願い。

 

 

 

 

 

 

《 Gallows Scavenge 》

 

「が、あ゛あ゛あああああぁぁぁぁーーっっ!!」

 

 現実に戻り、鳴り響く不気味な電子音。割れるような頭の痛みは、自分が出してはいけない力に手を出したことを意味していた。

 

《 解放されたい 誰に?

  許してほしい 誰に? 》

 

 吠える銀姫の右腕を緑の光が覆っていく。それは弾けて鎧となった。魚のヒレを思わせる、見覚えのある鎧に。

 

「ぐうううぅぅーーっ!!」

 

 生身の右頬にもビキビキと、緑色のラインが傷跡のように奔る。それはまるで、罪人の刻印にも似ていて。

 

 思考が晴れ、痛みが引いた時にはもう、変化は終わっていた。

 

「それ、は……」

 

 冀姫が目を見開く。銀姫は見たことの無い姿に変わっていた。

 変化は左程多くない。右腕が新たな鎧に覆われ、右頬に入れ墨のような模様が入っただけだ。だがそれだけの変化でも、冀姫の警戒を引き上げるには充分だった。

 何故ならその鎧は、竈姫そのままだったのだから。

 

 それは、銀姫にもたらされた新たな呪い。

 仮面ライダー銀姫・スカベンジフォーム。

 

「ふーっ、ふぅーっ!」

 

 荒い息を吐きながら、銀姫は右腕を確かめる。そこにあるのが竈姫の鎧であることを確かめた時、銀姫は先程の光景の意味を理解した。

 

 あれは、残滓なのだ。

 竈姫の、いや志那乃の、心残り。

 

 自分が断ってしまった、彼女という人間と、願いその物。

 

「っ、ぐうぅぅ……!」

 

 痛みとはまた別の、耐え難い感覚が襲い来る。

 だが今はそれを、怒りで塗りつぶして。

 

「ナイ、アッ!」

「くっ!」

 

 腰のパーツを叩き、緑の燐光を右手に纏わせる。冀姫は包帯ダムドを突撃させてくるが、それよりも光が結実する方が早かった。

 握るのは、竈姫が使っていた物と同じ緑色の拳銃だった。

 

「あああっ!」

 

 トリガーを引く。マズルフラッシュ。放たれた弾丸が包帯ダムドに風穴を開ける。

 元より耐久力は左程では無いダムドだ。裏拳で霧に還るのなら、銃弾では尚更。

 距離は遠く、しかも連射可能。

 

 冀姫は悟る。

 

「天敵――!」

 

 包帯ダムドを嗾ける自分の戦法とは、あまりに相性が悪い武器だ。

 自分の不利を察した冀姫は包帯ダムドが撃ち殺されている間に身を翻し、コンテナの隙間に身を隠した。

 

「逃げるな!!」

 

 当然、銀姫も残りのダムドを撃ち殺しながら後を追う。

 大量に積まれたコンテナの間の入り組んだ迷路を逃亡しながら、冀姫はぼやく。

 

「……ちっ、ノーアンサーめ。そういう特典があるなら早めに言ってよ……!」

 

 素早く推理し、起きた現象に当たりをつけた冀姫はあの力がノーアンサーからもたらされたことを理解した。人智を越えた力を操れるのはノーアンサーだけなのだから、その帰結に行き着くのは当然と言えば当然だ。

 

「あんなのがあるなら、もっと早く殺したのに!」

 

 背後を気にして逃げながら、冀姫は考える。

 同じ力を自分が使うのは、今は無理だ。真衣を殺したので貰えることは貰えるのだろう。だが昨日、竈姫を殺した銀姫はその場であの鍵を渡されなかった。今日手に入れたのだろう。つまりあの力を手に入れるには、タイムラグがある。

 それは今、致命的だった。

 

「取り敢えず、どうにかあの銃を攻略しなきゃ……!」

 

 銀姫が竈姫と同じ武器を使った以上、あの姿になれば同じ力を使えることは確定的だ。であるなら昨日目撃したように、スカベンジフォームとなった銀姫は幾つも武器を扱えるのだろう。

 あの時見た限りの武器のラインナップを思い返し、しかし冀姫はやはり一番厄介なのはあの銃であることを確信した。

 

「あれさえどうにか出来れば、また同じ展開に出来る」

 

 他の武器は同じ近接武器。細剣の時と変わらない。であるなら唯一の遠距離武器である銃さえどうにか破壊できれば、再び自分の優勢を取り戻せる。

 そう思い至った冀姫は、ならその為にどうすればいいかということへ思考を巡らそうとして、気付いた。

 

「? 追ってこない?」

 

 背後からの足音が、無かった。足を止めて耳を澄ますが、気配は皆無。

 おかしい。しかしそれに気付いた時には既に、彼女は射程圏内だった。

 

「がっ!?」

 

 背中に衝撃。激しい痛みが全身を襲う。転げつつも振り返れば、そして見上げれば、それが目に入った。

 上空。コンテナの上に立ち、隙間から狙う撃つ銀姫の姿が。

 

「上から――!」

 

 入り組んだ場所で真正直に追いかけることを止め、上から先回りしたのだと悟り、冀姫は歯噛みした。

 まさか怒りに駆られた銀姫が、そんなことをするなんて。

 

 冀姫の知らぬ事ではあるが、この銀姫の行動はかつて竈姫が銀姫自身を追い詰めた戦法だった。

 地を行く獲物を上から先回りして、撃ち下ろす。最初の邂逅の時に使われた、狩りの技。

 それを見様見真似だが、再現してみせたのだ。

 

「――逃がさない」

 

 そう、冷たく言い放つ。

 怒りが一周した銀姫は、むしろ冷静になっていた。頭は冴え、思考は回る。どうやって冀姫に復讐するか、という一点のみに。

 冷徹に、冷厳に。

 冀姫を射程に捉えた銀姫は容赦無く銃弾を連射した。その精度はお世辞にもいいとは言えないが、数と合わせて狭い路地を利用し確実にダメージを与えていく。

 

「ぐっ、やってくれる、ねぇ!」

 

 撃たれながら冀姫は手を翳し、包帯ダムドの肉壁を作り出した。しかしその壁は脆く、一発で撃ち殺されていく。大した時間稼ぎにもならない。だがそれでも生まれた僅かな隙をどうにか掻い潜り、冀姫は上へと大きくジャンプした。コンテナ上に着地し、二人は再び対峙する。

 

「ナイア……!」

「ホントにさ、得だよね……ファーストキル」

 

 二人は仮面の下からの視線で黒い情念を克ち合わせる。銀姫は憎々しげな怒りを。冀姫は忌々しげな羨望を。両者の間に最早和解はあり得ない。どちらかが倒れるまで。

 

 放銃。抜槍。互いの得物を抜き放ち、二人は再び殺意をぶつけ合った。

 銃弾は冀姫の鎧を容赦無く撃ち抜くが、致命傷にはほど遠い。ダムド相手ならともかくライダーの鎧には銃弾の効果が薄いことは、銀姫自身が身を以て証明していた。

 しかしコンテナの上という遮蔽の無い空間は銃弾を素通しし、冀姫に確かな痛打を重ねていく。

 

「ぐ、うぅっ!」

 

 冀姫に先程のような余裕は見られない。どうにか死力を尽くし、相手より僅かに勝ろうと痛みを堪え余力を振り絞っている。

 そしてその甲斐あって、ついに銀姫へ肉迫する。

 

「くっ――」

「遅い!」

 

 既に槍の射程距離だ。翻った刃が銀姫の腕を裂く。浅い傷だが鎧を躱したその一撃は、銀姫に激痛を与える。

 

「っ、あぁっ!?」

 

 痛みのあまり、拳銃を取り落とす銀姫。そして冀姫はそれをすかさず蹴って、コンテナの上から滑り落とした。

 

「よし! これで!」

 

 冀姫の戦術に一番厄介な銃は封じた。後はここからさっき通りの展開に持ち込むだけだ。

 

「っ!」

 

 それに対し銀姫は、なんと身を翻した。今度は銀姫自身が、コンテナの隙間に落ちていく。

 

「!! 逃げるか、面倒だね……!」

 

 今逃走を選ばれることは冀姫にとって最悪の応手だった。このまま先と同じ展開に持ち込めるならそのまま押し勝てる。だが逃げられたら、それは敵わない。

 何せダムドの足は、ライダーのそれより遅い。追いかけっこでは一生勝てない。それをカバーするための数だが、流石に冀姫の力では昨日の廃墟ほど大量に、一斉に展開することは出来なかった。

 そして路地に逃げ込んだことを利用して先程の銀姫の戦術を真似しようにも、冀姫には遠距離攻撃の手段が無い。

 

「だったら鬼ごっこは鬼ごっこでも、増やし鬼だ……!」

 

 冀姫は包帯ダムドをコンテナの間へ投入し、徐々に追い詰めていく戦法を取った。銀姫の逃げ道を包帯ダムドが塞いでいく。これならばリスク無しで銀姫を追い立てられる。襤褸を纏って隠れたとしても、冀姫が見ていればダムドへ指示できる。注意するべきは、もう一度銃を拾わないかどうか。

 銃の周りの守りを優先的に固め、冀姫はしばらく待つ。

 

「――いた♪」

 

 そして、一部から黒い霧が上がったのを見て、その場へ急行した。

 路地から出た、コンテナに囲われてはいる物の開けた一角。そこではやはり、包帯ダムド相手に立ち回っている銀姫の姿があった。手にはチャクラム。円形の刃を振り回し包帯ダムドたちを屠っている。

 

「捕まえた!」

「っ!」

 

 槍を持って飛びかかってきた冀姫の矛先を、円刃で弾く銀姫。だが不意打ち気味の槍の一閃は、チャクラムを手から弾き飛ばす。

 

「あぁっ!」

 

 弾かれたチャクラムはフリスビーのように回転し、コンテナの壁へと突き刺さった。遠く、届きそうにない。得物を失った銀姫へ冀姫は更に畳みかける。

 

「せいやっ!」

「く、まだ、まだぁ!」

 

 銀姫は腰部のパーツを叩いた。そして緑色の光が弾けて手に収まったのは、波打つ刃の弯曲剣。歪んだ刃先を見た冀姫は舌打ちする。

 

「ちっ、本当に、厄介だね。 でも……」

 

 ここまで来れば、また包帯ダムドを嗾ける戦法を取れば良い。

 

「来なさい!」

 

 また手を翳し、包帯ダムドを増やそうとする冀姫。しかしその手に黒い霧は集まらない。

 

「!? なんで……!」

 

 何度やろうとしても同じだった。黒い霧は手中に収まらず、指は空を切る。そして悟らざるを得ない。

 

「限界……!」

 

 運動に体力が要るように、焚き火に薪が要るように。包帯ダムド精製能力にも限りがあったのだと、冀姫は理解した。

 そしてそれは、絶望的な情報だった。

 

「……もう、手下は増やさなくていいの?」

 

 残っていた包帯ダムドを始末しつつ、銀姫は歪剣を手にしてゆらりと言った。その表情には彼女もまた冀姫の限界を察した色が浮かんでいる。

 冀姫は焦った。これでは肉壁戦法が使えない。だが、もはやこれ以上に状況の好転はあり得ない。

 覚悟を決める。

 

「……あー、もう。やっぱもうちょっと、楽して勝ちたかったなぁ」

 

 頬を拭って愚痴をこぼし、気怠げに冀姫は溜息を吐いた。全身を一度弛緩させ、改めて槍を構える。

 油断なく、隙の無いその構えを見た銀姫も弯曲剣を静かに正眼へ持ち上げた。

 

「――でも、勝つのはウチだけどね」

「………」

 

 挑発するような、あるいは己を鼓舞する言葉に、銀姫は怒りの籠もった眼差しを向けるだけ。もう話すことは無いと言わんばかりの表情に冀姫は軽く肩を竦め、そして自身も喋ることを止めた。

 

 潮の香りを含んだ空気がピンと張り詰める。両者の間には、倒されて今にも崩れそうな最後の包帯ダムドの姿。

 それが霧へ還った瞬間を合図に、両者は肉迫した。

 

「やあっ!」

「はあっ!」

 

 ぶつかり合い、火花を散らす鉄と鉄。擦れ合う刃は甲高い金属音を奏でる。

 先に攻勢を仕掛けたのは冀姫だった。

 

「せやっ、せやあっ!」

「ぐっ、この……!」

 

 再び切迫した銀姫を今度は逃がすまいと、鮫のようなしつこさで冀姫は攻め立てる。

 水の流れの如く流麗な槍の一撃が、何度も何度も銀姫を襲う。どうにか引き剥がそうにも、冀姫は纏わり付いて離れない。包帯ダムドに隠れていた時とは真逆の戦法。冀姫もまた追い詰められている証拠だが、厄介なことこの上なかった。

 

 槍の穂先は確実に銀姫の身体を切り刻んでいく。だが銀姫もやられっぱなしでは無い。弯曲した刃で同じだけに斬りつける。

 両者はそれぞれにダメージを重ねていく。このまま共倒れになるか。そう二人が思った時。

 

「っ、あ!?」

 

 キィン、と。銀姫の手から歪剣が離れた。それは銀姫の防御のし損ねと冀姫のクリーンヒットが重なった、言ってしまえば運の産物だった。

 しかしそうして出来た隙を、冀姫が逃す道理は無い。

 

「はあぁぁっ!!」

「っ、うああぅっ!!」

 

 より強い一撃を、銀姫へと叩きつけた。火花を散らし、弾き飛ばされる銀姫。

 冀姫としても今の一撃は、かなり重く入った手応えがあった。あるいは、これで決着がつく。そう思える程のクリティカル。

 しかし、銀姫の怒りは。そこから生まれるエネルギーは。

 冀姫の、想像を超えていた。

 

「っっ、ああ゛あぁぁぁっ!!」

 

 大きく仰け反りながら、吠える。

 意識は朦朧としてきた。身体に溜まった痛みは筆舌に尽くしがたい。足はふらつき、指先は痺れ始めた。

 だけど、それでも。

 この身を焦がす憤怒は、少しも冷めやらない。

 

「ああ゛あ゛あ゛ああぁぁぁぁーーっ!!!」

「っ! 何だよ……もう、何だよ!!」

 

 ケダモノの如く猛る銀姫を見て、冀姫は恐怖を覚えた。

 飲まれたのか。あるいは竦んだのか。どちらかは彼女自身でも分からない。

 しかし断言できる事実は一つ。

 

 銀姫の気迫に注目するあまり。

 その背後が見えていなかったこと。

 

「――あ」

 

 気付いた時に、銀姫はもうそれ(・・)を掴んでいた。

 吹き飛ばされたおかげで近づいたコンテナの壁。そこに突き刺さった、彼女の得物。

 先程冀姫が弾き飛ばした、チャクラム。

 

「――あ゛あ゛あ゛あああああああぁぁぁぁぁーーーっっ!!!」

 

 そのまま力を振り絞って、投擲。

 投げられた円刃は、躱す間もなくか気迫故にか。

 

 冀姫の右脚を、半ばですっぱり断ち切った。

 

「ぎ―――!!」

 

 声にならない絶叫を上げながら、支えを失い崩れ落ちる冀姫。

 それを、銀姫は見逃さない。狡猾な冀姫がようやく見せた、決定的な好機(チャンス)

 もう、何も考える必要はない。

 

《 Scavenge Execution Strike 》

 

 跳ぶ。

 空へ跳躍した足には、緑の光が集約して。

 そして凶悪な輝きを以て、冀姫へと突き刺さる。

 ライダーキック。

 

「はああああぁぁぁーーっ!!」

「あ、があああぁぁあぁぁぁ!!!??」

 

 炸裂する緑の閃光。眩い光は星の如く煌めいて、流星の如く穿った。

 銀姫がキックの反動で着地した時には、既に。

 冀姫の胸には、風穴が開いていた。

 

「――は、はは。これ、が、そうなん、だ」

 

 蹴りの衝撃で割れた仮面から、素顔が垣間見えた。

 その眼差しは、苦痛よりも、怨嗟よりも、ただ純粋な驚きを湛えて。

 胸から流れる血を震える手で掬い、冀姫は、否、御代ナイアは呟く。

 

「――死、なんだ」

 

 笑って。

 そい言い残して、炎と共に爆発四散した。

 

 

 

 

 

 

 

「はーっ、はーっ……は、はは」

 

 息をつき、銀姫はマリードールへ手を掛け変身を解除した。

 銀鎧も、緑の腕も光へほどけ本来の朔月の顔が露わとなる。

 笑顔だった。

 とても、乾いた。

 

「あは、は、へ、えへ、へへ」

 

 虚ろな双眸で見つめる。その惨状を。

 燃え続ける、少女だった残骸を。

 自分が再び殺めた、人間を。

 

「はは、あははははははははは」

 

 笑う。笑うしかない。

 自分は、何をやったのか。何を思ってここに来たクセに、何をしでかしたのか。

 受け入れられず、笑う。

 

『ぴーんぽーんぱーんぽーん♪』

 

 そこへ響き渡る、ノーアンサーの声。

 

『本日のバトルは終了でーす♪ 四日目の死者はー……ふふっ♪』

 

 堪えきれずノーアンサーが笑う音がする。同じ笑いでも、今朔月が零す物とは大きく違っていて。

 本当に愉しそうに、告げるのだ。

 

『なんとなんと! 一気に二名! 仮面ライダー乖姫こと王道真衣と、仮面ライダー冀姫こと御代ナイア!』

 

 あたかも景品が大当たりした幸運な人を呼ぶ如く。

 朔月にとっては、罪状を知らしめられるが如く。

 

『うふふっ、すっごーい! いいねいいわね加速してきた♪ この調子で――……頑張ってね?』

 

 ぞくりと、背筋が泡立つ。

 まるでこの悲劇が、最初から予定調和のようで。

 自分はその引き金を引くための、存在なのだと言われたかのように。

 

『残りは四人! もうすぐで半分を切るわね。明日は誰が死んで、誰が殺すのかしら? ――それでは、今日のライダーバトルはおしまいっ! さよなら、じゃねー♪』

 

 声が途切れ、静寂が戻る。

 

「……はは、は」

 

 掠れた声が、壊れた音楽器のように音を奏でる。

 あまりにも空虚な――絶望の音を。

 

「――死にたいなぁ」

 

 ライダーバトルが始まって、四日目。

 更科朔月は、また人を殺した。



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五日目-1 戦う決意

 月曜日の学校というものは、登校するまでは怠い。しかしいざ教室まで辿り着けば、休日でリフレッシュした元気な友人たちが待っている。だからか、学校中で響く話し声はいつもより楽しげで騒がしかった。

 そんな姦しい教室へと登校した(そう)は、自然と教室内へ瞳を巡らせる。どうしても、その姿を追ってしまう。

 しかし始業前の賑わいを見せる教室に、彼女の姿は無かった。

 

「………」

 

 それも当然かと、爽は納得しかけて。

 しかし背後から話しかけられる。

 

「おっはよー、爽!」

「え。……朔月(はじめ)

 

 振り返るとそこには、元気よく手を挙げ挨拶する朔月の姿があった。

 

「アンタ……」

「いやー、朝から先生に手伝いを言い渡されちゃってさー。けっこーあるんだよね、私ってば朝早くからいるから」

 

 ニコニコと笑ってそんなことを話す朔月は、普段通りの様子だ。

 いや……爽の前では違う。何故なら出会ってから彼女はずっと、ライダーバトルのことを憂いていたのだから。

 それなのに、今は。

 

「それより学校生活四日目……日曜日挟んで三日目だけど、鹿毛野には慣れた? あ、そういえばこの前音楽室案内し忘れたかも。今日授業あるから、迷わないよう一緒に行こうね!」

 

 いっそ、溌剌としているように見えた。他の生徒たちと同じく、元気に学校を楽しもうとしているように。

 しかし爽はその瞳を覗き込んで、息を呑む。

 

「朔月……アンタ……」

「ん? どしたのー?」

 

 瞳は、虚ろだった。

 ここじゃない、どこかを見つめる遠い眼差し。あるいはどこも見ていないのか。深淵を眺めているような心地になる、吸い込まれるように暗い瞳だった。

 

「それ……」

「ん、あ、ごめーん! 用事あるから行くねー!」

 

 そう言って朔月は、何か聞こうとする爽の前を離れ他の友人へと話しかけに行く。声をかけられたクラスメイトは朔月の様子に何か違和感を覚えつつも、特に気にせず朗らかに応える。そこには常通りのクラスの風景が繰り広げられていた。

 

 だが、爽は知っている。

 彼女の身に、何があったのかを。

 

「……朔月、アンタは……」

 

 爽は昨日、三つ巴のバトルを生き残った。

 相手は輪花(りんか)の変身する才姫(さいき)、そして(ふじ)の変身する焉姫(えんき)だった。どちらも積極的に攻め立てに来て、ダムドが邪魔をしなければ爽も危うかったかもしれない。それでもどうにか、生き残った。

 そして終わり間際、響いたノーアンサーのアナウンス。

 

 そこで知らされたのは、もう一方のバトルの決着。

 死んだ二人の名と、語られなかった一人の名。

 それは、朔月が再び人を殺めたことを意味していた。

 

「………」

「おーい、席に着けー」

 

 時間ギリギリにやってきた中年の教師がそう呼びかける。朝のホームルームが始まる合図だ。

 話す機会を失った爽は、慌てて席に着く朔月の背を見送ることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 その後爽は、朔月へ何度もライダーバトルについて話そうとした。バトルの規定で他人の前で話す訳にはいかないので、人気のない場所へ誘おうともした。

 しかしその度に朔月は、適当な訳を言ってはぐらかす。表面上は爽と楽しげに会話するが、いざライダーバトルの話をしようとするとすぐ別の話題へ移る。強引に話そうとすれば人のいるところへ逃げ出し、何事も無かったかのように今日の授業の話を再開した。

 明らかに、ライダーバトルの話を避けている。

 爽は押し黙るしか無かった。

 

 放課後になって、朔月は帰路についた。

 流石に友人たちと遊ぶという気分では無いらしく、一人きりだ。

 爽は家族に遅くなる旨をメッセージにして送り、後をつけた。

 

 朔月はその間、無防備だった。爽は別に探偵でも無いので尾行は素人だ。しかしそんな爽にも気付く気配は無い。それどころか何度か人にぶつかりかけたり転びかけたりと、心此処にあらずといった様子だ。まるで夢遊病者のような足取りに、爽は不安を覚える。

 

 そして辿り着いたのは、一つの一軒家だった。

 慣れた手つきで鍵を開け中に入るのを見届けて、爽は表札を見た。

 『更科(さらしな)』。朔月の家で間違いない。

 

「……別に、普通の家ね」

 

 特段異常のある家ではなかった。少なくとも外見上は。

 しかし爽は知っている。その中身は、既に家族とは呼べないほど崩壊しきっていることを。

 

「……話せるかな」

 

 つい家まで尾行してしまったが、本当はどこかで話すチャンスが無いかと思ってつけてきたのだ。それがあまりにも心配な行動ばかりする物だから、うっかり話しかけるタイミングを見失ってしまった。気付けば家まで辿り着いてしまっていたが、好都合は好都合だ。家の中ならば関係ない人へ話を聞かれるリスクを下げられる。

 爽は意を決しインターホンを押そうとしたが……それより前に家の中から聞こえてきた罵声に手を止めた。

 

 女性のがなり声だ。朔月では無い、年配の女。

 普通に考えれば、母親だ。しかしその言葉の内容は、娘にかけるような物では無かった。

 

「……何これ……」

 

 『不気味』『口ごたえするな』『顔も見たくない』――『お前なんて、産まなきゃよかった』。

 そんな、爽は一つとして言われたことの無いような言葉の羅列が怒濤に連なっている。

 それを聞いて呆然としていると、やがて扉が内側から開けられた。

 

「……あれ、爽?」

 

 そこには、学校で見た時と同じように虚ろな目をした朔月が立っていた。

 まるでこれからコンビニにでも行こうとしているかのように、平然と。

 

「なんで? あー、でも」

 

 何故爽がここにいるのか見当が付かず首を傾げる朔月だったが、背後の廊下から怒気を漲らせた気配が近づいてくるのを察すると、爽の手を掴んで飛び出した。

 

「っ、朔月?」

「こっちこっち!」

 

 そのまま手を引いて、走り出す。

 何か後ろから聞こえてくる罵声は、聞こえないフリをして。

 

 そうして辿り着いたのは河川敷だった。

 傾き始めた陽射しが照らす水面はキラキラと輝いている。星空のようなそれを見下ろせる坂に二人は腰を降ろす。川を見つめながら、朔月は隣の爽へ呟いた。

 

「私はここで、おまじないを唱えたんだ」

「! ……そうなんだ」

 

 つまりそれは、悲劇の始まりだ。

 爽は複雑な表情で川面を眺める。そして呟き返した。

 

「アタシは、自分の部屋だよ。お母さんが(かい)の……弟の足のことで泣いているのを聞いて、唱えた。その前の日にノーアンサーに会って教えられていたから」

 

 今にして思えば……と爽は回想する。

 ノーアンサーはきっと、自発的に唱える人間のところにのみ現われたのでは無いだろうか。願いを持つ少女、あるいは何かを変えたいと思う少女の元にだけ現われ、あのおまじないを教えたのかもしれない。全てを見通すような態度と神出鬼没な能力を考えれば、そう思えてならない。

 その想像は、つまり……どう足掻いても、殺し合うような人選を。

 仕組まれていたということに他ならない。

 

「……それで、どうしてここに?」

 

 恐ろしい想像を振り払うように、話題を変える。とはいえ、変えた先の話も決して気の晴れるような物ではないだろう。

 そう想像しながらも、聞かずにはいられなかった。

 

「うん。……お母さんの虫の居所が悪かったからさ。何か話すのなら、ココの方がいいと思って」

 

 朔月はやはり、虚ろな目で答えた。

 

「あれは……あの、言葉は、いつも?」

「ううん。顔を合わせないことも多いから。けどお母さんは私が楽しそうにしていることが許せないみたいで、笑っている時は嫌みを言われることが多いかなぁ」

 

 楽しそう?

 そんな訳がないと、爽は心の中で断じた。朔月に何があったか知っていればすぐに分かることだ。知らなくても、友人たちは違和感を覚えていた。

 だが母親は、気付かなかった。何にも。

 つまりそれが、二人の関係の浅さその物だ。

 

「そう……なの」

 

 まるで他人のような距離感に、爽の胸は締め付けられる。しかし今、自分が何を言おうと更科家の問題を解決出来る訳がない。だから押し黙る他なかった。

 だから結局、爽に出来ることは。

 

「……昨日のライダーバトルで、何があったの」

 

 最初の目的を果たすことしか無かった。

 さぁっと風が流れる。河川敷に吹く草の匂いを強く孕んだ風。その心地よい風が凪ぐまで、二人の間には重い沈黙が降り続けた。

 やがて、朔月は膝に顔を埋めてゆっくりと言葉を紡ぎ始める。

 

「……ナイアが、真衣を殺した」

「!」

 

 顔を思い返す。言葉をまともに交わしたのは始まりの一日だけ。それでもその顔は鮮明に浮かぶ。

 あの子が、あの子を。

 

「ナイアは……愉しんでた。人を殺すことを、嗤って」

「………」

 

 その性根を、クズだとか狂っているとか、爽は断じることはしない。

 人を殺すことを選んだ時点で、結局は自分も同じ穴の狢であると分かっているから。

 

「真衣は、体中を滅多刺しにされて……すごく苦しそうな姿で、私の腕の中で死んだ。……顔は、安らかだったけど、どれだけ苦しんだかは、想像も出来ないような……血塗れの身体で……」

 

 交えた言葉は微かなれど、真衣の性格は爽にもよく分かっていた。決して争いに向くような気性では無い少女。ライダーバトルという戦禍に呑まれてしまった、か細い令嬢。

 だがその真実の姿は、爽の印象とは少しだけ違っていた。

 

「真衣は、私に遺言を言ってくれた。……戦って、ほしいって」

「! それ、は……」

 

 最期まで戦うことを願い、そして自らの意志で戦う道を選ぶことさえ出来なかった少女は、自分の二の舞にならぬよう自分を看取ってくれる者への言葉を遺した。

 

『……あなたは、たたかってください……いきて、ほしいか、ら……』

 

 それは、戦うことの出来なかった自分の代わりに、生き残ってほしいと紡いだ言葉。

 しかし、それは――。

 

「だから……だからね」

 

 顔を上げる、朔月。その瞳は、相変わらず光無く。

 

「――戦うって、決めたの」

 

 そして、虚ろな決意で定まっていた。

 

「……朔月、それは」

 

 思わず声に出そうとして、しかしその先を飲み込む。

 自分は、何を言おうとした。それは、戦うことを決めた自分には言う資格のないことだ。

 だが、あんなに悩んで、戦うことに苦しんでいた少女が、こんなにも――。

 

「もう私は、止まれない。止まっちゃいけないんだ。だから、最後まで戦わなきゃ駄目なんだ。そうじゃないと……死んじゃったみんなを、裏切るから」

 

 決して、呪いとは言い難い。真衣の遺した言葉は。

 それは確かに真衣の願い通り、朔月の背中を押し、支えてはくれている。でなければ朔月は、もっと壊れていただろう。罪悪感に押し潰され後悔し、動くことも出来ずにただの肉塊へと堕していた。

 だが同時に、祝福でもあり得ない。それは悲壮な覚悟を――決めさせてしまっていた。

 

「私はもう、戦わなきゃいけないの」

 

 もう、そう縋るしかなかった。

 でなければ、人を殺した意味は無い。

 

 それは人では無く、ライダーバトルの参加者としては正しい倫理だった筈だ。己の願いを叶える為に殺し合う。それは悪辣なバトルロワイヤルにおいて、もっともスタンダードな決意であった。その点で言えば、爽と朔月に差異は無い。

 それでも爽は言った。

 

「……その先で、何を」

「え?」

 

 だって朔月には、決定的なものが欠けていたから。

 

「何を――願うの?」

 

 それは、願い。

 このバトルへ参加した、各々の本当の目的。

 決して己の身では不可能な望みを、叶える為の。

 

「朔月に……願うものはあるの?」

「私、は」

 

 答えようとした。だが、舌先は何も紡がない。紡げない。

 心の中に、その答えが無いからだ。

 

「私は……」

 

 勝ち残って、その先に、何も無い。

 叶えたい願いも、そして生き残る意義も無かった。何故なら、生きていたところで――。

 

 これからの人生に、幸せなどあるのだろうか。

 

「わたし、は」

 

 罵声を浴びせる両親。見えぬ将来の展望。そして何より、心を押し潰そうとする罪悪感。

 戦うと決めた。故に罪の意識をその薪として前には進める。

 しかしそれならば、戦いが終わった後は?

 後に残った虚無に、どう立ち向かうのか?

 

「………」

 

 何も、無い。朔月の心には最初から何も無かった。強い願いもなりたい将来も添い遂げたい人も、何も。あるのはただただ何も出来ず流されるだけの、そして決定的に歪んでしまったか弱い少女の人格。先のことなど、何も考えられない。

 だけど、それでも。

 

「……でも、戦わなきゃ、いけないんだ」

 

 そう、答えるしか。

 今の朔月に、それ以上は無かった。

 

「私は、そうしなきゃ。じゃなきゃ、みんな何のために死んだの?」

 

 絞り出すように紡ぐ。汲んでも汲んでも溢れ出る悲しみという冷たい水に晒された、凍えきった言葉を。

 

「志那乃を殺してしまった過ち! 真衣から託された願い! ナイアを止められなかった罪! それをどうやって償えばいいの!?」

「……朔、月」

「分かんないんだよ……何も……。だからせめて、私は……変わらず、戦わなきゃ駄目なんだ……」

 

 あまりにも痛々しいその様子に、爽の息が詰まる。変わってしまった少女の姿。そしてその運命に導いた、ライダーバトルの残酷さに。

 

 何も言えず、再び沈黙が場を支配する。気付けば夜の帳が下りていた。川沿いの道路を照らす蛍光灯がチチチと鳴って光を灯す。

 黙りこくった二人は、そのまま時間を過ごした。

 

 そして、その時が訪れる。

 

「……あ」

「……来た」

 

 二人の胸元が光を放ち始める。光源を取り出せばやはり、マリードール。バトルの時間だ。

 

「うん、そっか、来ちゃったか」

 

 一人頷き、立ち上がる朔月。釣られて爽も立つ。

 二人は並んで、見つめ合う。

 

「もしかしたら、また爽と戦うことになるのかな」

「……それは」

 

 それは、朔月の忌避したことだ。

 二日目のあの日、彼女は最後まで抵抗した。だから二人は死なずに済んだ。血姫の攻撃を耐え続け、ダムドの群れから爽を守り、そして一緒に撃破したから、今こうして二人揃って立っていられる。

 朔月が、戦いを望まなかったから。

 だが、今は。

 

「でも、だとしても」

 

 朔月は制服のポケットに手を入れ何かを取り出した。手を開いて爽に見せたそれは、鍵だ。レリーフには、特徴的な意匠が刻まれている。

 黄金で描かれた、玉座に座る騎士王。水色で刻まれた、水面の月を泳ぐ鮫。

 

「それ……」

 

 見て理解する。そのレリーフに、閃くものがあったから。

 

「そう。これは、私の罪。私の咎」

 

 今朝朔月が目を覚ますと、机の上に当然のように置いてあったグレイヴキーだ。しかも二つ。乖姫のキーは本来ナイアの物となる筈だったが、どうやら勝者は総取り出来るらしい。

 救えなかった人。殺してしまった人。しかしどちらも、見過ごしてしまった死。自分の罪悪。

 

「私は……戦う」

 

 手にした物を握り込むその顔には、悲壮な決意が浮かんでいた。そして凪いだ瞳は揺るがない。

 

「例え爽が相手だとしても。もう逃げられない。戦うしか……無い」

 

 少なくとも、今は。

 何を言われようと、意志は固まっていた。

 

「……そう、ね」

 

 その言葉に爽は……頷くしか、無い。

 他ならぬ自分こそが、戦いを望んでいるのだから。その覚悟を朔月も決めただけ。それだけの話、の筈だ。

 

「戦う……最初から、そういう話だものね」

 

 それなのに何故――胸はこんなにも痛いのか。

 この心に刺さる棘の正体は、一体。

 

「……なのに、ね」

 

 朔月の真っ直ぐな瞳を前に、爽は己の裡の戸惑いに迷う。

 奇しくもそれは、かつての逆だった。

 

「……爽?」

「………」

 

 首を傾げる朔月へ、何も言えないでいる内にその姿は薄らいでいく。

 転送が始まった。なら次に会うときは、戦場でか。

 あるいは、終わった後か。またあるいは――もう、会えないか。

 そのどれも――嫌だと思いつつ、二人は決戦の地へと飛ばされた。

 

 

 

 

 

 

 朔月が目を開けると、そこは河川敷とはまったく違う場所だった。

 清潔感のある白い床。走り回れる程に広いが、屋内。上を見ると吹き抜けが何階も続いている。一番上は、霞んですらいた。

 ビル。それも、あの廃墟の時の物とは比べものにならないくらいに巨大な。

 

「ここが……今日の戦場」

 

 呟けば反響が帰ってきそうな程に静まった空間で、朔月は一人呟く。相変わらず無人。ダムドはいるのかもしれないが、今はその気配も無かった。

 しばらく周囲を見渡していた朔月は、今回の敵を探すべく歩き出す。

 今残っているのは、四人。であるなら、対戦方式は二つに絞られる。

 一対一か、四つ巴か。

 

「………」

 

 爽と戦う可能性は高い。それでも、朔月は歩みを止めなかった。

 隠れる必要も、戦わない選択もない朔月は前回とは違い堂々と歩く。ビルの中はかなり広く、普通に歩いているだけで微かな疲労を覚える。

 そしてそれなりに長く探索した後、目当ての人物は向こうから現われた。

 

「……あら」

「!」

 

 まるでショッピングモールを散策するような気軽さでエスカレーターを降りてきたのは、銀フレームの眼鏡を掛けた少女であった。

 

「貴女ね、今回の相手は……ええと」

「……更科、朔月」

「そう、更科さん。今日の相手は貴女……ということかしらね」

 

 傲慢な仕草も隠すこと無く降り立つ。毅然とした態度は、まるでこの場の非日常性を物ともしていないかのようで。

 

「そちらの知能指数では忘れてしまっているでしょうから、こちらも改めて自己紹介を。私は飛天院(ひてんいん)輪花(りんか)

 

 そして長々と話すことなく、マリードールを手に取った。

 

「お見知りおきは……しなくていいわ。どうせ後数時間の命だもの。――変身」

 

《 Intelligence 》

 

《 光輝なる 私!

  偉大なる 私! 》

 

 輪花の肢体が黄色い光に包まれる。問答無用の変身に、朔月もマリードールを手にし、出現させたドライバーへと装填した。

 

「変身!」

 

《 Silver 》

 

《 戦いは止まらない 何故?

  運命は変わらない 何故? 》

 

 もう何度目になるのか、この音声を聞くのは。そして後、何回聞くことになるのか。

 そんな思いを振り払って、朔月は銀の光を身に纏う。

 

 光が晴れた時、そこには二人の戦士が対峙していた。

 一人は黄色の機械装甲に包まれた戦士。輪花扮する仮面ライダー才姫。

 一人は銀色の甲冑を身に纏いし戦士。朔月の変身する仮面ライダー銀姫。

 吹き抜けに面した廊下で両者は相対し、それぞれの仮面についた複眼を妖しく光らせた。

 

「ふふふ。準備万端ね。話が早くて助かるわ」

「いいから、やるなら始めようよ」

 

 対話を切り捨てた銀姫は迷いなく剣を手に取る。銀色の刀身が明かりを反射しその鋭さを彷彿とさせた。一方で才姫は無手だ。

 

「……武器は使わないの?」

「ふふっ、気が引けるかしら? でも構わないわ、だって――」

 

 訝しむ銀姫へそう答えながら。

 才姫は数メートルの距離を一瞬で縮め、銀姫の眼前へと迫っていた。

 

「っ!?」

「必要ないもの」

 

 突き出される拳。躱しきれず銀姫は胸を打たれる。胸甲に硬質な音が響き、衝撃で肺の中の空気が押し出された。

 

「かはっ!?」

「ふっ、はっ!」

 

 動きの止まった隙を逃さず、才姫は連撃を加えていく。スピード重視のジャブに、鋭いハイキック。どれも打撃は軽いがとにかく速い。文字通り息もつかせぬ猛連打に、銀姫は翻弄される。

 

「――っはぁ!」

 

 それでも身を固めて耐え、息を大きく吸い込む。今まで何度もライダーの攻撃には晒されてきた。竈姫の銃弾に、血姫の斬撃に、冀姫の突きに。才姫は確かにその中では一番速いが、打撃力は左程では無い。痛みはあれど充分堪えきれた。

 息を取り戻した銀姫はお返しと言わんばかりに細剣を横薙ぎに振るう。範囲の広い、避けにくい一撃。だが才姫は反応し、バックステップで刃圏から逃れていた。

 

「ふぅん。防御力があるのは厄介ね」

 

 そしてそう呟いた次の瞬間には、再び銀姫へと肉迫している。

 

「っぅ!」

 

 突き出された拳を見て、咄嗟に腕を盾にしてガードを固める銀姫。しかし才姫はそれを見てから軌道を変え、ガードを躱す抉るようなサイドブローを脇腹へ叩き込んだ。

 

「がはっ!」

 

 ノーガード、かつ装甲の薄い部分を的確に叩かれ膝を突く銀姫。痛痒を見せる獲物に対し才姫は容赦無く追撃をする。

 拳が、蹴りが、手刀が銀姫を嵐の如く襲う。

 

 才姫の、特に厄介な点だった。

 動きの全てが高速である為に、攻撃も回避も速い。その上反応も鋭敏であり、不意を突かない攻撃は容易く避けられてしまう。そして逆に、相手に出来た隙へ素早い連打を叩き込む。

 速い。故に、強い。

 

「ふっ、ふっ、ふっ!」

「く……ああぁぁ……っ!」

「ふっ! あはは、どうしたのかしら。手も足も出ないとは正にこのことね!」

 

 叩き込まれる乱打。装甲は貫けずとも、その下の肉体まで衝撃は届く。敵対者を追い詰めていく確かな手応えに才姫は微笑を浮かべた。

 

 だが銀姫は才姫の気が緩んだ一瞬を捉えた。打たれる痛みを気合いで堪え、低くなっている自分の姿勢を活かす。手を伸ばし、蹴り上げた隙を狙い軸足を掴んだ。

 

「何っ!?」

 

 不意を突かれ驚愕する才姫の脚を引き倒し、そして膂力を振り絞って――ぶん投げる。

 

「はあああぁぁっ!!」

 

 ぶぉんと音を立て、宙を舞う才姫。投げ飛ばされた先は吹き抜け。このままでは階下まで真っ逆さまに落ちてしまう。

 

「お、お、おおぉぉ!?」

 

 如何に才姫が高速移動出来ると言っても、空までは飛べない。落下死の予想という冷たい悪寒に背筋を震わせた才姫は、その優れた頭脳を必死に回転させた。落下速度、軌道、周囲の障害物などに素早く目を巡らせ、打開策を見いだす。短い時間の内に計算を終えた才姫はすぐさま行動に移った。

 

「く、おおおぉぉ!!」

 

 まず才姫というライダーの性能を活かし、高速移動で空中の姿勢を変える。そして必死に脚を、限界までピンと伸ばす。まるでアイススケーターの如く限界まで引き延ばした爪先は辛うじて階下の手すりに届く。だが引き上げられる程には引っかからない。だから足首のバネを使った。小さな蹴り。だがライダーの身体能力によってまるでピンホールのように跳ね、才姫の身体は対岸の廊下へと……どうにか届いた。

 間一髪で滑り込む。助かったことで、才姫はホッと息をついた。

 

「っ、はあああぁぁ……! まさか、この私が死にかけるとは……!」

 

 優勢の油断を突かれたとはいえ、なんたる無様。才気溢れる自分がこんなことで死ぬなどあってはならない。才姫はそう自戒し、気を引き締めて上階に残った銀姫を睨み付ける。

 そして悟った。自分の機転によってどうにか助かったことすら、銀姫の打ち立てた戦いの組み立ての一幕だったと。既に殺し合いの中で培った銀姫の戦闘勘は、自分を超えていたのだと。

 

「! それは!」

「………」

 

 銀姫が真に欲しかったのは――時間。

 手にした青い鍵を、己のドライバーに差し込む瞬間だった。

 

 カシャンと奥まで届いた感触。回して流れ込むのは、白い空間のイメージ。

 

 

 

 

 

 

 

 前と同じような空間に浮かんでいたのは、予想通りナイアだった。

 やはり一糸纏わぬ透けた姿で在るナイアは、しかし志那乃と違って微笑を浮かべていた。

 まるで友人を眺めるような微笑み。だがその眼差しは、嗜虐の色を湛えている。

 

――殺し合いは楽しい?

 

 まるでそう問いかけるような愉快げな視線と共に、流れ込んできた。彼女の、追憶が。

 

 

 

 

 

 

――ウチは、自由だった。

 

 恵まれた生活だった。両親は一族経営の大会社を運営していて、しかも朗らかな放任主義。その上跡継ぎの兄はいて、将来はコネでどうにでもなる。つまり、自由だ。

 自由だったら、少しぐらい好き放題していいだろう。

 興味の赴くようにしたかった。どこからか突き上がる知識欲を満たしたかった。

 タブーを、犯したかった。

 欲望のまま。

 

 最初は犬だった。

 

『ふふっ。良い子良い子』

 

 多頭飼いで、近所迷惑になっている家から一匹連れ出して、山奥へ。その飼い主の家から犬が逃げ出すのはしょっちゅうで、飼い主含めて誰も気にしない。

 よしよしと撫でてやり、懐いてくるその子の喉元へ、家から持ち出した鋏を滑らせる。

 

『――ひんっ……』

 

 喉を搔っ切ったから、断末魔は静かだった。倒れ伏した身体に手を当てれば分かる。失われていく体温。消えていく鼓動。命が去って行く、抜け殻の身体。

 

『……あはっ♪』

 

 震えた。この上ない快楽だと思った。

 大事なものを、手の中で壊す瞬間。その時感じるエクスタシーは、どんな行為より勝る。少なくとも自分にとってはそうだった。

 どうしてそう思うようになったのかは、分からない。歪んでしまうような何かがあったのか、それとも生まれついてそうだったのか、自分でも分からない。

 けれどどうでも良かった。

 こんなに気持ちいいこと、止められる訳がない。

 

――だから、もっとやりたかった。

 

 それからは人目を忍びながら何度も何度も繰り返した。

 虫はつまらない。手慰みにしかならない。魚や蜥蜴も同様だ。やはり、哺乳類がいい。

 その中でも犬猫は最高だ。やはり感情や愛嬌がある方が、命を汚している実感があって素敵だ。消えていく魂が、ハッキリと分かるから。

 ならその最上位は。

 

 行き着くのは必然だった。

 

『おにーさんっ』

 

 街中で所在なさげにしていた若年男性の腕に絡みつく。男は驚いて見下ろし、そして柔らかい感覚を感じて目線は一点に吸い込まれた。

 胸元を大きく開けた服装をした少女は、それを男に擦り付けながら耳元で囁く。

 

『今ならこれだけでいいですよ』

 

 そう言って指を三本立てる。それだけで男は鼻の下を伸ばし乗り気になった。

 ホテルへの近道だと言って暗い路地へ誘う。

 

『どこからいらっしゃったんですかー?』

『誰かと一緒だったりしないんですかー?』

 

 質問を繰り返し、男のプロフィールを紐解いていく。遊ぶところの無い地元から遠出してきたこと。急な仕事が入って一緒に遊んでいた友人とは別れたこと。一人暮らしなので、いなくなってもしばらくは気付かれないこと。

 

 十分だと判断した瞬間、人気のまったく無い場所で隠していた二本のナイフを取り出した。心臓を一突き。男は何が起きたか分からず、胸元を見下ろしている。

 その後もう一本のナイフで喉を突き叫ばないよう黙らせて。しばらくは生きられるようナイフを刺したまま。それでももう助からないという状況を理解させ。絶望しながら光を失っていく顔を優しく乳房で抱きしめる。

 徐々に冷たくなっていくその体温を感じ、少女は艶やかな溜息をついた。

 

『あはぁっ……』

 

 どんな官能より勝ると、本気で信じていた。

 

『んふっ……楽しいな♪』

 

――だから止められない。止めようとも、思わない。

 

 繰り返そう、何度も。

 だって自分には、それが許されている。自由なのだから。

 ならばもっともっと、欲望の赴くままにしてもいいだろう。

 

 そうしていつも通り楽しみ終えた肉塊を薬品で溶かして排水溝へ流していると、彼女は現われた。

 銀髪を揺らす少女の語る言葉にも、面白そうだったからというだけの理由で頷く。

 何故なら願いは、いつだって一つ。

 

――もっと、殺したい。

 

 それが、彼女の願い。

 

 

 

 

 

 

 

 

《 Gallows Desire 》

 

《 満腹になぁれ 誰の?

  一杯になぁれ 誰の? 》

 

「があ゛あ゛あぁぁ……っ!」

 

 割れるような頭の痛みを抑えて、銀姫は立つ。流れ込んできた不快な感覚と記憶を振り払い手を伸ばした。

 

 今度は左腕だった。青い光が纏わって、鎧の形を変えていく。

 流線型の装甲。三日月のような意匠。映える青色は、深海を覗き込むが如き不安な感覚を呼び起こす。

 最後に左頬へ亀裂めいた紋様が奔り、変化は終わる。

 

「はああぁぁぁ……」

 

 堪えた嘔吐感の代わりに、生温かい息を蒸気のように吐き出して。

 

 そこにいたのは、新たな罪科を背負いし騎士の姿。

 仮面ライダー銀姫・デザイアフォーム。

 

 己の殺した相手の力を取り込んで、銀姫は階下の仇敵(さいき)を鋭く睨め付けた。

 

「戦う……私にはそれしか、許されていないんだから!」

 

 手にした青き力の主とは正反対の、苦しげな決意を叫んで。



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五日目-2 力という絶対正義・表

 青き力を身に纏った銀姫は、階下の才姫を睨め付けながら腕を翳した。

 

「来て!」

 

 黒い霧が手中に集まる。それはやがて人を模り、結集した。それはかつて自分を追い詰めた異形。そして心を通わせた優しき人を死に追いやった仇。それでも今は、行使すべき力。

 まるで傅くようにして、包帯ダムドは表を上げた。

 

「……行って」

「ギィーッ!」

 

 手を振り下ろすと、弾かれたようにして飛び出していく。蜘蛛のように這って階下へと降りていくその姿を見送りながら、銀姫は再び手を掲げ同じ事を繰り返す。

 

「行って、行って、行って!」

 

 たちまちに生まれ出ずる悪霊の群れ。ワラワラと現われたそれらは、呼び出した主に一切逆らわず命令に従う。それがその力の本来の持ち主。かつての主の仇であろうと。

 命じられるがままに自分へ向かい始めたその軍勢と、見覚えのある装甲を見た才姫は全てを察した。なまじ優れた頭脳があるばかりに。

 

「他のライダーの力を使えるのね! 初めて見るけど、恐らく冀姫の能力……!」

「ギギィーッ!」

 

 そして最初の一体が辿り着く。包帯に包まれた異形はフロアへ降り立つと、奇声を上げて躍りかかった。何の工夫も無い本能のままの飛びかかり。才姫は即座に反応し、鋭いパンチングで迎撃した。顔面へのクリーンヒット。下顎を砕かれ、ダムドは黒い霧に消える。

 

「ふむ……強さはあまり大差ない、と。問題は操れることね」

 

 手応えを確かめ、現状の脅威を認識していく。頭脳を回し、打開策を構築する。

 その様子を見た銀姫は隙を与えてはいけないと判断し、更に包帯ダムドを増加させた。

 

「押し潰して!」

 

 やがて十数となった異形たちを一斉に嗾ける。その姿はさながら大移動するグンタイアリの群れだ。吹き抜けを伝い己へ迫る軍勢を見上げ、才姫は仮面の下の眉根を寄せた。

 

「数も多い……なるほど、圧殺するつもりね」

 

 効果的ではある。才姫の最大の武器は機動力。高速移動による攻防一体の隙のなさだ。反面、一撃の威力や武器による攻撃範囲は乏しい。数を殺すのに手間がかかるのは事実だ。だから才姫の速度を殺す為には、確かに数は有利な要素だった。

 

「――だけど」

 

 迫り来る軍勢を一瞥し、焦ること無く才姫は脚に力を溜めた。そして包帯ダムドたちが自分と同じ階に到達すると同時に、駆け出す。

 地を蹴り、勢いを増す。床が罅割れるほどに強く踏み込み、加速する。突撃してくるダムドたち――を無視し、その隣を過ぎ去って。そしてスピードに乗った才姫はそのまま手摺りから飛び出し――吹き抜けを、垂直に駆け上った。

 

「なっ!?」

 

 まるで地を走るようにして壁を蹴り上げる才姫の姿に、驚愕した銀姫は一瞬動きを止める。そしてその一瞬の内に才姫は完走し、同じ階へと辿り着いた。

 

「だけどそれでも――遅い」

 

 ストリと着地した才姫は、同じ標高へ戻ってきた銀姫を真っ直ぐ見やり、対峙する。

 

「私の速度(スピード)は、そして知能(インテリジェンス)は、貴女の予想の遥か上を行く。多少力を得たぐらいで、粋がらないで欲しいわね」

「くっ……」

 

 苦も無く苦境を脱出して見せた才姫に、銀姫は確信する。

 このライダーは、間違いなく今まで戦った中で最強だ。まだ戦ったことの無い焉姫や、戦うことの無かった乖姫を除けば――爽よりも、強い。

 

 やはりその並外れたスピードは脅威だ。攻撃に使えば鋭く見切れず、回避に使えば空を切る。どんな武器よりも強く、どんな装甲よりも無敵。スピードという単純な要素が、全ての戦術を凌駕している。

 加えて輪花が本来持つ思考の瞬発力も侮れない。数による圧殺を狙い階下へ向け包帯ダムドを大量に向かわせたが、それらを無視してこちらへやって来たことで却って孤立させられた。包帯ダムドが昇ってくるまでは、時間が掛かるだろう。それを一瞬で判断した。戦いの経験値――望まずとはいえそれを積んで来た銀姫の発想に適応するだけの頭の回転速度。

 

 手強い――銀姫は自分の背筋に冷たい汗が伝うのを感じながら、再び右手を翳した。

 

「来――」

「させると思う?」

 

 新たに包帯ダムドを作り壁とする。しかしその狙いは既に見通されていた。軽いステップで瞬時に肉迫され、振るわれた手刀が集い始めた黒い霧ごと腕を弾く。

 

「ぐっ!」

「この距離なら、起こり(・・・)を見極めることすら容易いわ」

 

 ダムドを生み出すための行為、即ち手を翳すことすら許さない。

 

「くっ!」

 

 窮した銀姫はどうにか自分の身体の陰になるよう手を伸ばし、ベルトの右腰を叩いて武器だけは確保する。青い光が集い、刃の大きな槍へと変化した。冀姫が持っていた物と同じ槍だ。

 才姫の神速のジャブを槍を盾にすることで辛うじて受け止める。

 

「小賢しい!」

 

 硬質な手応えに才姫は一旦バックステップで離れ、槍を避け銀姫の横へ回り込む。そしてボディへの鋭い一撃を見舞ったが、それは槍の柄で防がれた。

 

「む……」

 

 また離れる。反撃を警戒したが、幅広の刃が振るわれることは無かった。訝しみつつも才姫は攻勢を続ける。

 背中側からのハイキック。だがこれも、槍を背中に回してガードする。

 

「ふぅん?」

 

 脚を狙った抉るような低い一撃。一周回って真正面からの打撃。

 しかし悉くが防がれる。その代わり、反撃は無い。

 ここに至れば、才姫も悟る。

 

「防御に専念という訳ね。憎たらしい。でも今は有効か……」

 

 拳を叩きつけながら、才姫はチラリと階下を見下ろす。そこには吹き抜けを這い上がって戻ってきつつあるダムドの群れがあった。

 防御で時間を稼がれ過ぎると、アレらが帰還して来てしまう。

 

「それはそれでやりようはあるけど、面倒は面倒ね」

 

 才姫とてダムドは何体も処理してきた。数を相手にした戦いは経験を積んでいる。なので大量のダムドを前にした方策はある。が、それを考慮しても銀姫は放置できない。

 未だ才姫の攻撃を抜かせない防御を油断なく敷く銀姫を見て、才姫も侮りを捨てていた。このライダーは今までに少なくとも二人、戦って殺している。その経験値は自分を上回る物だと。こうして拮抗されているのがその証拠。

 そう飲み込み、計算し、しかしその上で――断じた。

 

「ま、それでも私が勝つわね」

 

 純然たる事実であるようにそう口にした才姫は、鋭く銀姫へ向かって手を伸ばす。

 

「っ!」

 

 真正面。顔狙いのパンチだと判断し銀姫は槍でガードする、が。

 

「なっ!?」

「ふふっ、捕まえた」

 

 それは才姫のフェイントだった。真の狙いは、槍その物。柄を掴み取って才姫は、それを引き寄せる。

 

「ぐぅっ!」

 

 銀姫は当然抵抗した。幾つもの武装を操るスカベンジフォームの時とは違い、デザイアフォームの槍は唯一の得物だ。放してしまえば武器が失われる。それは油断ならない才姫相手には致命的だ。だから手放さないよう力を籠める。

 両者の膂力はほぼ互角であった。拮抗しているといってもいい。押して、引いて、綱引きのようにたたらを踏み合う。

 そうしている内に、手摺りへ寄っていく。

 

「くっ……!」

「ふっ、あぁっ!」

 

 最後の拮抗に勝利したのは才姫であった。力を振り絞り、自ら倒れ込むような勢いで大きく引く。バランスを崩した銀姫は、それに追随するかのように引っ張られていく。

 行き先は、手摺りの外側。

 

「――なっ」

 

 気付いた時はもう遅かった。

 二人の体重を支えきれず、手摺りはあっという間に瓦解する。宙に投げ出される銀姫と才姫。寄る辺のない浮遊感。しかしすぐに、重力という綱が二人を捕らえる。

 落下。下へと強く引っ張られる感覚に銀姫の血の気が引いていく。しかし同じく落ちながらも、才姫はニヤリと笑った。

 

「さっき私が味わった恐怖。今度は貴女に教えてあげるわ!」

 

 まだ掴んで離さない槍をグッと引き寄せる。もう足場がなく踏ん張りの利かない所為で、銀姫はもう堪えきれない。あっさりと寄せられた銀姫は、そのまま才姫の蹴りを浴びる。

 

「うっ!」

 

 腹部に一撃を受け、怯む銀姫。しかしダメージはあまりない。踏ん張れないのは才姫も同じ。この状態では大威力の打ち合いは難しい。

 が、才姫の狙いはそこではなかった。

 

「っ! まさかっ!」

 

 足は腹に押しつけたまま、離さない。槍もまた、握り込んだまま。

 そして体勢は、才姫が上。銀姫が下。

 黄色の仮面の下で、勝ち誇った笑みを浮かべる。

 

「宙空サーフィンよ!」

 

 銀姫の身体をボード代わりにして、才姫は勝ち誇った。

 既に体勢を入れ替えるだけの時間は残されていなかった。吹き抜けの終点が迫る。

 

「くっ、ああっ!!」

 

 銀姫が咄嗟に取ったのは、下に向けて手を翳すこと。僅かな猶予で判断した、彼女なりの最善策。

 そして。

 

「が、ああ゛あああぁぁっ!!」

 

 着弾。

 高高度からによる二人のライダーの衝突は、恐ろしいまでの運動エネルギーを生んだ。床はそれを受け止めきれず、崩落した。そのまま二人の身体も、呑まれて落ちていく。

 一番下の、更に下。崩れる瓦礫を避け銀姫から飛び退いた才姫は、降り立った場所を確認した。

 

「地下駐車場ね。一転地味な場所だこと」

 

 いくらか車はあるが暗い殺風景を見回して才姫は、目の前に転がる物体へ目線を戻した。

 

「う、ぐうぅ……かはっ!」

 

 生きては、いる。

 大きく身体を打った銀姫は、それでも意識はまだあった。だが強かなダメージが残っているのか、喘ぐようにして息を吐く。

 

「あら、意外と元気そうね」

 

 対する才姫は、無傷。銀姫を下敷きにして衝突を免れたからだ。正確に言えば衝撃は多少受けた筈だが、間に挟んだ銀姫のおかげでほぼ無いに等しい状態だった。

 故にそれを一手に引き受け、潰れたトマトみたいになると思っていた銀姫が無事なことに存外な声を上げる。だがコンクリートの粉塵に紛れて漂う黒い霧を見て、合点がいったと頷いた。

 

「あぁ、成程。ダムドをクッションとしたのね。それなら衝撃はある程度緩和される……咄嗟の判断としては上出来ね」

 

 残された時間を使って銀姫は、デザイアフォームの力を使って包帯ダムドを生み出していた。それは自分にのし掛かる才姫への反撃のためではなく、更に自分の下敷きにする為だった。

 目論見は何とか成功し、衝撃を緩和させることが出来た。でなくば銀姫の身体はぺちゃんこに潰れていた筈だ。しかしダムドは脆さい。故に、完全にショックを吸収してはくれなかった。

 結果、甚大なダメージが銀姫に残った。

 

「あ、ぎ……かふっ」

 

 全身が痛む。痛くないところが見つからないくらいだ。頭の中はぐわんぐわんと揺れ、痺れたように手足は動かない。少しでも痛みを和らげようと呼吸をするが、感覚が滅茶苦茶でもう吸っているのだかどうだか分からなかった。

 満身創痍。

 そんな銀姫へ、才姫はゆっくりと近づく。

 

「ふふ……あら?」

 

 そこで才姫は、自らの足元に転がっている物に気付いた。小さい。だが、灰色のコンクリートには目立ちすぎる金色をしていた。

 

「これ……貴女が使った物よね」

 

 拾い上げたそれは、グレイヴキーだった。レリーフには騎士王が刻まれている。

 落ちた衝撃で、ベルトのホルダーから吹き飛んだ物だった。

 

「あ、ぐ……返、せ」

 

 それに気付いた銀姫は、まだ回復し切れていない僅かな力を使って手を伸ばす。大切な物だからだ。アイテムという以上に、意味の籠もった。

 

「……ふふ。良いこと思いついた。確かこれは貴女のお仲間だったわよね」

 

 だが必死な銀姫の様子を見て才姫は、笑いながらキーをドライバーへと近づけた。

 

「これでトドメを刺してあげるわ。それも一興よね」

「やめ……」

 

 銀姫の懇願は届かず。

 才姫のスリットに、真衣の形見が差し込まれる。

 

《 Gallows Changeling 》

 

《 全ては人の為に 何故?

  世界を己の手に 何故? 》

 

 そして輝く、金色の光。

 眩い美しさに包まれた才姫は数瞬後、今までとは違う鎧姿で君臨していた。

 

 胸元と肩に掛けて広がる黄金の甲冑。肩から背中には赤いマントがたなびいて。仮面すら変化し頭部には突き立つ剣の如き一角が聳えていた。

 間違いない。真衣の――乖姫(かいき)の鎧。

 才姫・チェンジリングフォーム。

 

「ふぅん、成程。こうなっているのね。悪くない」

 

 新たな姿に身を包んだ才姫は、しばし自分の姿をしげしげと眺めた。新たな装いを興味深そうに見つめる。それに対し銀姫は、蹲いながら身を迸る激情に震えていた。

 憤り。悔しさ。情けなさ。悲しみ。恥辱。だが、口を突いて出たのは疑問だった。

 

「なん、で……」

「ん?」

「見た、筈でしょ……」

 

 銀姫は二度グレイヴキーを使った。そのどちらでも、白い空間を目撃した。そして流れ込む記憶も。彼女たちの未練も。

 であるなら、才姫も見た筈なのだ。

 残された悔いを、願いを。死んでしまった真衣の残滓(おもい)を。

 

「なのになんで、そんな平気な顔、して、いられるの……?」

 

 自分と同じ筈なのだ。

 彼女たちの暮らし。確かに人間であったという証拠と、その未来を断ってしまった重責。それがまた才姫にものし掛かった筈だ。

 

「あぁ、見たわよ。でも……」

 

 だというのに、彼女は。

 

「くだらない、些事ね」

 

 顔色一つ歪めず、切り捨てた。

 

「え……?」

「戦えない? 戦いたい? ――話にならないわ。それって結局、意気地が無いってだけじゃない。その上良い暮らしで自由がないだなんて……。ハッ! お嬢さまの戯言にしか聞こえなかったわ」

 

 何も、響いていない。

 真衣が切実に願った祈りも。彼女が死んでしまった事実も。何も。

 才姫にはまるで、影響を及ぼしていなかった。

 

「全ては自分で掴み取る物よ。人生、地位、栄光!」

 

 天を仰ぎ、巨大な何かを抱くように手を掲げる。それは黄金の装いと相まり、栄光の騎士物語が一幕のようにすら見えた。

 

「自らの才能を認めさせ、他者を屈服し、己の色で世界を染め上げる! 生まれも貧富も関係ない。全ては自分に回帰する。故にこそ! 全てを得られるかどうかは自分次第!」

 

 だからこそ、と。

 才姫はゆっくりと視線を降ろし、告げる。

 

「私はこのバトルで勝ち残り、栄光を手にする。無限の誉れを、自らの手で! その為ならば――他人事は、全て些事よ」

「っ、貴女、は」

 

 その言葉を聞いた銀姫は、震えた。

 

「全部、自分の為に――!」

 

 この人にとっては、自分こそが全てなのだと。それ以外は何もかもどうでもよく、気にもしないのだと。そしてそれを恥とも感じない。正気を削る凄惨な鬩ぎ合いも、他の命を踏みにじる願いへの階梯も、本当に愉しいと思っている。

 全ては自分の踏み台なのだから。

 圧倒的な自我。

 それが才姫――飛天院輪花の戦う理由。

 

「貴女は所詮、その障害である路傍の石に過ぎないわ」

 

 才姫が右腰を叩く。黄金の光が手に集い、身の丈に至る巨大な大剣を形成した。

 乖姫の黄金剣。それをこともなげに片手で振るいながら、才姫はゆっくり迫る。銀姫に、屈辱のトドメを刺すべく。

 

「大丈夫。私に残酷趣味は無いわ」

 

 そうは言いながらも、恐怖を煽るようにカラカラと音を鳴らして大剣を引き摺る才姫の口元には、堪えきれない愉悦の笑みが浮かんでいた。

 

「だから大人しく、死――あら?」

 

 しかしふと響いた音に顔を上げる。上、ではない。駐車場の奥から、何かが這うような音。

 

「……あぁ、そういえばまだ見ていなかったわね。てっきり今日は現われないのかと思ってたら」

 

 わさり。まるで昏い闇の中から染み出すようにして現われるのは、最早馴染みすらあるダムドたち。しかし現われた一群に、包帯はない。

 デザイアフォームの支配下にない別個体。つまりこの戦場に湧いて出たダムドたちだ。

 今まで影も形も無かった悪霊たちが何故急に現われたのか。才姫はすぐに推理する。

 

「ビルにいなかったのは、この地下駐車場に押し込められていたからかしらね。上では一体も見なかった……つまりここに全個体が存在するのなら……」

 

 才姫は更にダムドの奥。未だ晴れぬ闇の中を見つめる。

 そして出現する。闇色を纏った悪霊の親玉が。

 

「……コウモリ、かしらね」

 

 それは確かに、コウモリらしき意匠を身につけていた。背に皮膜の翼。闇に溶けるような身体。頭の両端に生える突起は、尖った耳のようにも見える。

 バットダムド。

 そう名付けるべきボスダムドは、配下を率いて才姫と対峙した。

 

「シイィィィ……」

「今更来るなんて……まぁ、いいわ」

 

 面倒そうな溜息を吐いて、才姫は大剣を突きつける。

 

「かかってきなさい。試運転してあげるわ」

「シィアッ!」

「キィーッ!」

 

 その挑発が理解できたのか否か、ダムドたちは一斉に飛びかかった。バットダムドの号令のような鳴き声に導かれ、怒濤に襲い掛かる。

 

「……ふん」

 

 しかし才姫はそれを、雑に剣を横薙ぎするだけで消し去った。黄金の波動が噴き上がり、斬撃の範囲以上のダムドを消滅させる。たちまちにダムドは、その総数の半分ほどを失っていた。

 

「シィ!?」

「これが乖姫の力……まったく、これでどうやって負けるのか気になるくらいの全能感ね」

 

 縦に振るう。鋭く伸びた黄金の光がまたダムドを半分消し飛ばす。次は腕。虫を払うような仕草をするだけで光がダムドを焼き尽くす。どうにかそれらの破壊をくぐり抜け辿り着いたダムドもいたが、重厚な鎧は爪を立てることすら許さなかった。そしてそれも、缶蹴りめいた気軽な蹴りで消失する。

 全滅。

 湧き出たダムドたちは、それこそ一度瞬きをするか否かのほんの一瞬で全て消し飛ばされてしまった。

 

「シ……シィィ……」

「あら、あなたはかかってこないの?」

 

 配下が全て焼き尽くされたのを見てたじろぐバットダムドを、才姫は不遜に挑発する。恐るべき力を行使したというのに、疲労はまるで見られない。

 

「シ……シィィ!」

 

 覚悟を決めた――ダムドにそのような心の動きがあるのなら――バットダムドは、皮膜の翼を広げて飛び上がった。駐車場の天井がある為に低空だが、それでもかなり素早い動きで才姫へと迫る。

 

「ふん」

 

 それを見て才姫は大剣の横薙ぎ一閃。黄金の光が奔り、迎撃する。

 

「シィィ!」

 

 だがそれをバットダムドは空中で軌道を変えることで避けた。線上から微かに逃れ、紙一重で当たらなかった斬撃は背後のコンクリート柱を両断するだけに終わる。

 

「へぇ? 流石に少しはやるわけね」

 

 感心したように呟く才姫。焦りはない。未だ余裕。

 一方でギリギリの回避を成功させたバットダムドはこれを勝機だと確信し、とっておきを繰り出した。口を開き、強烈な超音波を発生させる。

 

「むっ」

「くあっ」

 

 駐車場内に響き渡る高音が才姫を、そして倒れたままの銀姫を襲う。

 

「ぐ……動けない。少し舐めすぎたか」

 

 大剣を持たない片手で耳を塞ぐが、それで軽減されるほど生易しい音量でも無く。動くことも出来ず、その場で立ち尽くしてしまう。

 

「シシィィッ!!」

 

 そうして動けなくなった獲物へ、バットダムドは音波を発射したまま飛びかかる。動けないなら防御も出来ない。完成された攻撃パターン。どんな相手であろうとこれならば躱しようが無い。

 故にバットダムドの鉤爪が才姫の装甲を――裂くこと無く、弾かれて。

 

「シッ!?」

「まぁ動けないのは確かだったけど」

 

 至近距離。これ以上無く迫ったバットダムドの首を掴み、地表へ叩き潰した。

 

「シギャッ!」

「動くまでもない、と付け加えておくべきだったわね」

 

 確かに音波は才姫の動きを封じた。チェンジリングフォームの装甲は重厚といえど、超音波までには流石に効果は無い。その点は、バットダムドは上手い手を使ったと褒め称えられる。

 しかし、動きを止められたとしてもトドメを刺せるだけの鋭さは持ち合わせていなかった。装甲を貫く手段は、バットダムドには無かったのだ。つまり最初から、見え据えた勝負だった。

 

「この私に挑んだ無謀、その身に焼き付けて散りなさい」

 

 地面に縫い付けられたバットダムドの背を足で踏みつけ、才姫は大剣を逆手で握り直す。そして黄金の鍵の刺さったドライバーの、中央に収まりしマリードールをスッとなぞった。

 

《 Changeling Execution Finish 》

 

 黄金の輝きが大剣へ無慈悲に募る。目にしただけで怖気が走る程の力の漲り。溢れんばかりの膨大なエネルギーを、才姫は何の感慨も無く、バットダムドへ突き立てた。

 たちまちに注がれる黄金の光。溢れる光にバットダムドの身は内側から焼かれ、焼失していく。

 

「シ……ガ、ギャアアアァァァッ!!」

 

 それはあるいは、超音波よりも耳を塞ぎたくなるような断末魔。

 非人間であるのにあまりにも悲痛で耳に残る絶叫を残し――バットダムドは爆散した。

 

「……さて、と。余計な邪魔が入ったけど」

 

 容易くボスダムドを屠った才姫は、炎と黄金の残滓へ背を向ける。視線の先にはまだ倒れ伏したままの銀姫。

 

「続き、やりましょうか」

「ひっ……」

 

 顔色一つ変えること無く迫る才姫に、銀姫は怯懦の声を漏らして地面を掻く。それは立ち上がるためか、または逃げ出すためか。いずれにせよまだ回復できていない以上、手足は力なく滑るだけ。

 

「来な、いで……!」

 

 死の恐怖。今まで何度も感じて、そしてその中でも最も濃いそれに晒された銀姫は震える喉で懇願する。

 勝てない。戦えない。敵わない。

 身体の奥底から湧き上がる負の情念が、今際の際にある少女の心を塗りつぶしていく。

 だがやはりと言うべきか。才姫はそれを意にも介さず。淡々と、まるで普段通りに。

 

「残念。今日は貴女の番だったということよ」

 

 黄金の大剣を、ゆっくりと振り上げた――。



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五日目-3 力という絶対正義・裏

「……林、ね」

 

 朔月と別れ、転送された爽の前に広がっていた景色を端的に言い現せばそうなった。

 木々の乱立する平坦な空間。だが新緑の葉はどこにも見えない。木に繁っていたであろう葉は全て落ち、地面を褐色と赤で覆っていた。

 枯葉の絨毯と、細い裸の木々たち。

 隙間は広く、遠くまで見渡せる。

 それを確認した爽は眉を顰めた。

 

「……これじゃあ」

「隠れることなど、出来はしないな」

 

 ガサリ。自分の背後で枯葉を踏みしめる音に、爽は弾かれたように振り返った。

 10mも離れていないそこに立っていたのは、刀の如く鋭利な空気を纏った少女だった。

 

「……藤」

「やあ、爽」

 

 鋭い眼差しを交わし、名を呼び合う二人。

 学校指定のジャージを着たポニーテールの少女と、爽は僅かに面識があった。

 といっても何度か戦ったというだけの、細く殺伐とした繋がりだが。

 

「アンタが、今日の相手ってこと?」

「さしあたりはそうらしいな。こう見晴らしがいいと……」

 

 藤は景色を眺めるようにぐるっと見渡した後、肩を竦めた。

 

「他の相手やダムドはいないらしいと嫌でも分かる。一対一。タイマンだな」

「そう、らしいね」

 

 藤の言葉を認める爽。他が一切入り込む余地の無い、正に決闘。何よりもシンプルな現状を確認し、マリードールを取り出す。それを見て藤も、自分の首にかけたマリードールを手にした。

 

「ならやるか。早速だが」

「……いや、その前に一つ聞かせて」

「んん?」

 

 臨戦態勢。張り詰めた空気を纏ったまま、爽は一度動きを止めた。

 戦いを始める前に、聞きたいことがあったからだ。

 

「最初出会った時、アンタはあまり戦いに積極的じゃ無かった」

「……あぁ、そうだな」

 

 爽には疑問があった。それは藤の変遷だ。

 二人の初の邂逅。それは三日目のバトルロワイヤルだった。ダムドを逃れて屋上を行っていた爽は、同じようにしていた藤と遭遇し、戦い合った。しかしその時、藤はさして戦いに乗り気では無かったのだ。

 弱い訳では無かった。拳は重く、コンクリートの床や壁を容赦無く撃ち抜いた。また何か武術をやっていたのか身にこなしにも隙が無く、爽は得意とする素早い連続攻撃を決めることが出来なかった。攻防は藤の方に軍配が上がり、むしろ爽は追い詰められていた。

 にも関わらず、一時休戦を申し出たのは藤だった。疲れるだけだと言って。

 

「そしてビルの屋上で休んでいる間に他の戦況が変化し、アタシはそちらへ向かった」

「そうだったな」

「アンタはあの時、少なくとも誰かを殺す気は無かった」

 

 そう断言できるのは、朔月を知っているから。人を傷つけたくないという自衛の拳はよく見知っていたから。だから藤の振るっていた物も同じだと言い切れた。

 

「でも……昨日と、そして今は違う。アンタは戦う気マンマンだ」

 

 故にこちらも、断言出来る。昨日の戦場での邂逅と、そして今。藤は確かな闘気を身に纏っていると。

 

「それは何故? アンタに、何があったの?」

 

 問う。純粋な疑問だ。

 それはさっきまでの朔月の有様を見てしまったからこそ、出た言葉かもしれない。

 

「……逃げられないと、分かったからさ」

 

 爽の問いかけに、藤は小さな苦笑を浮かべて答える。それは己を思い返す、自嘲のようにも見えた。

 

「ベルトを破壊しても、死ぬ。あれでみんな、分かっただろう? 奴は――ノーアンサーは、どうあっても私たちを殺すつもりだと。最後の……一人になるまで」

「……そうね」

 

 頷く爽。藤の言う通りだった。燃え尽きた志那乃の死体を前に心底楽しそうに嗤うノーアンサーは、どこまでも無慈悲だった。希望を掴めるような例外は何一つ認めないと、あの時全員が悟ってしまった。

 

「で、あるならば」

 

 拳を握り締め、何かを誓うように見つめながら藤は呟く。

 

「どうあっても助からないのなら……苦しみは、短い方が良い」

「……え?」

 

 拳から目線を外し、藤は爽と真っ直ぐに見つめ合う。

 眼差しは、刀の如き鋭さと裏腹の、泣き出しそうなくらいの悲しみを湛えていた。

 

「私が、みんなを殺す」

 

 それは悲痛な響きすら伴って。

 

「どうせ助からないのなら――早く、苦しみを終わらせる。その為に私は戦う」

 

 宣言。全ては――慈悲なのだという。

 

「お前も、苦しいだろう? こんな無惨な、大義なき殺し合いなど」

「っ、分かったような口を……」

「いや、目を見れば分かる。お前はどこか……親友と似ている。愛情深い眼差しだ。誰かを心の底から望んで……殺すような奴じゃ無い」

 

 それは、そうだ。爽は内心で同意せざるを得ない。

 殺す覚悟は決めた。願いの為に。だがそれを悦ぶかどうかは全く別の話。

 こんな殺し合いなど、好きになれる筈も無い。

 

「だったら、早く終わった方がいいだろう? 死ねばもう、みんなそんな気持ちにならずに済む」

「何を……言って……」

 

 狂っている。言葉だけを聞けば、そう吐き捨ててしまいそうな理論。

 苦しいから、辛いから、死ねばいい。自棄の理屈。絶望の暴論。大真面目にそんな理論に従うのは、自殺者しかあり得ない。

 

 だが、それでも。

 

「苦しいのは……本当に辛いからな……」

 

 本物の悲哀を湛えたその瞳から、目を逸らせない。

 

「だから私は戦うんだ。願いはまぁ、特に無い。……これで満足か? よければもう始めようか。無駄に長く駄弁っていても、後が辛いだけだ」

「……そうね。……アンタには、負けられない」

 

 そしてお互いは、今度こそ出現させたドライバーにマリードールを装填する。

 

「「変身」」

 

 そう被るように口にすれば、壊れた音声もほとんど同時に響く。

 

《 Blood 》

 

《 守護(まも)るは希望 誰の?

  叶えるは野望 誰の? 》

 

 赤い光が爽のパンキッシュファッションを染め上げ、より濃い血のような赤に変えていく。コートのような紅蓮の装束を身に纏い、そこには仮面ライダー血姫が降臨していた。

 

《 Unbreakable 》

 

《 悲劇を止める! 何故?

  敵を絶滅する! 何故? 》

 

 一方の藤を包むのは紫の光。凝縮し、弾けるように晴れるとそこには冷たい空気を纏いし戦士が立っていた。銀色のアンダースーツと、甲殻類を思わせる紫の鎧。両腕には他のライダーよりも重厚なガントレットが嵌まっていた。そして仮面の複眼は今にも泣き出しそうに垂れており、引き締められた口元と相まって悲痛な感情を連想してしまう。

 仮面ライダー焉姫(えんき)

 改めて対峙して、血姫は息を呑んだ。

 

(隙が無い……)

 

 ただ立っているだけなのに、打ち込む隙が見当たらない。他のライダーは強力な力が与えられているとは言っても所詮は自分を含めてただの素人。その戦い方には隙があった。しかしこの焉姫だけは、違う。隙という物を意図的に消している。血姫は確信を深めた。まず間違いなく、格闘経験者だ。

 

「……どうした? そちらから来ないのか?」

「っ!」

 

 挑発するように首を傾げる焉姫に対し、しかし血姫は警戒するように後退る。今自分が奇襲しても、返り討ちに遭うビジョンしか見えなかったからだ。

 一向にかかってこない血姫に業を煮やし、戦端を開いたのは焉姫だった。

 

「そうか……なら、こちらから行くぞ!」

 

 地を蹴る。巻き上げられた落ち葉を背景に、一気に焉姫は距離を詰めてきた。その動きは必ずしも俊敏とは言えない。だが、身に纏った威迫が血姫をその場へ縛り付けていた。

 

「オラァッ!」

「くっ!」

 

 辛うじて出来たのは、双剣を呼び出し盾とすることだけ。重厚なガントレットの拳を、交差させた刃で受け止める、が。

 

「非力、だな!」

「ぐ、うううぅ」

 

 押される。こちらは両手と得物を使っているというのに、片腕だけで踏ん張りきれずに足裏が滑る。膂力が違いすぎた。パワー勝負では絶対に勝てないと、確信してしまう程。

 

「だ、ったら!」

 

 見切りをつけた血姫はギャリンと刃を鳴らし、焉姫の拳を弾きながら後方へ跳ぶ。宙空で一回転し少し離れた場所へ着地した血姫は、今度は自分から間合いを詰めた。しかし馬鹿正直に真正面から行くのでは無く、背後や側面を狙うようにジグザグに。

 

「スピード勝負よ!」

 

 舞い散る落ち葉を置き去りに、走る。当然焉姫も目で追いかけるが、それすら振り切る程に踏み込んで更にスピードを上げた。

 

「むっ……」

 

 そして遂に、視線が完全に外れた瞬間。

 血姫は死角から、焉姫の背中を斬りつけた。

 

「はぁっ!」

 

 双剣二閃。紫の背に十字の傷が刻まれる。血の滲むそれは、中々の深手だ。

 しかし焉姫は斬撃の衝撃に少しだけよろけると、まるで何も無かったかのように裏拳を浴びせてきた。

 

「なっ、がっ!」

 

 少しは怯むと思っていた血姫は全くの予想外な一撃を避け損ね、大きく吹き飛ばされる。受けた肩口がズキズキと痛む。掠っただけでこれだ。まともに腹などに受けてしまえば、内臓がどうにかなってしまいそうだ。

 一方で背中を斬られた焉姫は、まるで平気そうに血姫へ向き直る。

 

「はぁ、なん、で」

「ふむ。種明かし……という程でもないな」

 

 焉姫はぐっ、ぐっと身体を伸ばすように準備運動して見せる。そんなことをすれば背中の傷が引き攣って、多少なりとも痛む筈だ。しかし焉姫にその様子は無い。

 それを見て血姫は悟る。

 

「痛く、ないの?」

「その通り。私のライダー……焉姫の能力は言うならば『無痛』」

 

 背中よりポタリと血の雫を垂らしながらも焉姫は平然と答えた。

 

「私に痛覚は無い。だから痛みで怯むことも無いし、動きを阻害されることも無い。出血も少ないようだし、この程度は無傷と同じだな。……さて」

 

 焉姫は構える。左手を前に、右手を中段に。脚は地をしかと踏みしめ揺るぎない。当たり判定を削る為に半身だけ傾けた、王道な空手の構え。

 

「長引かせても意味は無い。さっさと終わらせよう」

 

 来る。そう感じ取った血姫は一層に警戒を高めた。そして予感通り、焉姫は再び真っ正面から突っ込んでくる。

 

「っ、馬鹿の一つ覚えみたいに!」

「生憎、それ以外の方法を知らん。そして、必要も無い!」

 

 猛牛が如き圧力。回避、停止を一切考えない迫力の突撃。スピードは決して無い。だが、足が竦む。

 

「くっ! しっかりしろ、アタシ!」

 

 しかしまた剣で受け止めれば先の焼き回し。そうなれば戦いの形勢は焉姫に傾き続ける。血姫は己に喝を入れ、身体を無理矢理動かした。

 シュルリと伸びた尾が、木の幹に巻き付く。

 

「ムッ!」

 

 そしてそのまま引っ張る形で血姫が突進の直線上から退いた為、焉姫の突進は空振る。脚を踏みしめ急ブレーキを掛けるが、それは大きな隙となった。

 

「はぁっ!」

 

 一息に近づいた血姫が双剣を振るう。一閃。二閃。再び焉姫に鋭い刀傷が刻まれる。

 そしてそれで止まらない。跳んで浴びせ蹴り。その反動で回転しながらの尻尾の鞭。それらが瞬きの間に放たれる。血姫得意の連続攻撃。息つく暇を与えない嵐の如き攻勢だ。

 怒濤の連撃に晒された焉姫は圧倒され――ては、いなかった。

 

「ヌゥン!」

「ぐ、がっ!」

 

 それらの攻撃を避けること無く、しかし受ける姿勢も見せず、そのまま殴り抜ける。回避も防御も一切考えない反撃。故に躱す暇も与えず、血姫の腹部に突き刺さった。

 

「かはっ」

 

 露出した口元から吐血しながら、血姫は剣を取り落として吹き飛ばされた。木に激突し崩れ落ちるように膝を突く。痛みは激しく、腹を抑えて苦しげに呻く。

 

「ぐ……うぅ」

「ふっ……流石に速いな」

 

 焉姫もまた無傷では無い。無理矢理カウンターをした為にその身体は双剣で深く刻まれていた。しかし痛みを感じていない焉姫は物ともせずに血姫へと歩み寄る。

 

「くっ……あぁっ!」

 

 痛みを堪え立ち上がる血姫だが焉姫と同じように平然とはいかない。仮面の下から流れる脂汗が引き攣った頬を伝う。

 痛覚は動物に必須の感覚だ。疲労や危険を知らせる大事な必須機構。だがそれ自体が行動を阻害することもある。今の血姫がそうだ。死戦だというのに鳴り止まない痛みが動きを鈍らせ死を近づける。一方でそれを無視できる焉姫はまるで悠々としていた。

 痛みを感じる者と、そうでない者の差。二人の吐く息の荒さが、それを如実に現していた。

 

「フンッ!」

「がっ!」

 

 動きの鈍った血姫へと、焉姫は容赦無く拳を叩きつけた。顔面狙いのストレート。反射で腕を交差させるもガードの上から揺さぶられる。追撃のブローはボディへと。先程のダメージへ塩を塗り込むようにめりこませる。

 

「はぐっ!」

 

 倒れ込みそうになる身体を背中の木に預けることでギリギリ保つ。しかしそれは逃げ場を失うということでもある。

 そのまま焉姫は血姫を両腕で挟み込み、クリンチの形へ持ち込んだ。逃がさないようガッチリと腕で拘束し、今度は膝蹴りが腹部を襲う。

 

「うぎっ、あぎっ!」

「フン、フンッ!」

 

 何度も何度も、反復動作のように蹴り上げる。血姫もガードを腹に回すが、その上から執拗に膝を叩き込む。衝撃が防御を貫通し痛んだ内臓へ響いた。

 目敏く弱った部位へと追撃を加える。それはこの上なく効果的な戦法だった。

 

「フン! ……むっ」

 

 焉姫による即席の拷問機関。だが、それは唐突に終わる。

 血姫が背を預けていた木の方が、耐えきれずへし折れたからだ。

 

「ぐ、かはっ……う、ぐ」

 

 そのまま転がって血姫は焉姫から拘束から逃れた。しかし受けたダメージは大きい。全身に響く痛みで立ち上がれない。

 

「あ、ぎ……」

「ふむ。重いだろう。内臓への打撃が一番響く。……私はこうして、人を殺してきた」

「……ひ、と?」

 

 ふと零した焉姫の言葉に、血姫は一瞬痛みを忘れて目を丸くする。

 

「あぁ、そうだ」

 

 言葉を続けながらも焉姫は攻撃の手を緩めない。倒れた血姫を踏みつけようと脚を振り上げた。血姫は落ち葉の上を転がって辛うじて躱す。

 

「ぐ……」

「苦しみは悪だと言っただろう。そして当然、それをもたらす者も悪。だから私は、ソイツらを裁いてきた」

 

 転がった先で身を起こす血姫へ焉姫は語りながら近づいていく。

 

「ある時は集団で女を襲う下衆共を殺した。ある時は麻薬をバラまくヤクザを殺した。ある時はクラスメイトをいじめで自殺に追い込んだ阿呆を殺した」

 

 嗤うことなく。怒ることもなく。焉姫は表情一つ変えずに紡ぐ。

 

「当然傍から見て私と分かるようなことはしない。捕まれば苦しみから誰かを解放できなくなるからな。だからそういう奴らを殺すときは内臓にダメージを与えて放置するんだ。入院中に意識も無く死ねばベストだな。まぁ生き残っても、二度と立ち上がれないだろうが」

 

 己の所業を語る焉姫の口調は、どこまでも淡々としていた。

 

「お前に同じようにしたのは、申し訳無く思っている。出来れば苦しませずに殺してやりたかったところだが、何分培ってきた経験が、な。……せめてその分、早く終わらせよう」

「……なん、で……」

「ん?」

 

 近くに落ちていた剣の一本を拾い、血姫は言葉を返す。

 

「なんで、そこまで……憎むの、苦しみを」

 

 疑問だった。焉姫の苦しみへの憎悪は尋常では無い。悪を憎む心が誰にでもあるとしても、ここまで激しいのは普通じゃ無い筈だ。血姫にはその理由が分からなかった。

 

「……そうだな。疑問を残して死ぬのも苦しみと言えば苦しみか。では手は止めずに答えよう」

 

 言葉通り、焉姫は攻撃を再開した。轟と風が唸るほどの拳が振るわれる。

 

「ぐっ!」

「私もかつては、普通の少女だった。多少武術は嗜んでいたが、ただそれだけのどこにでもいるような。……せめてその時から普通で無ければ、まだ救いのあった話だ」

 

 剣を盾にして捌く。が、重い。まだフラつく脚では止めきれず、大きく後退する血姫。焉姫は無情にも距離を詰めていく。

 

「親友と一緒にいた学校からの帰り道でのことだ。私たちは突然、男たちに車へ押し込まれた」

「え……うぐっ!」

 

 驚愕に手の止まった隙を逃すこともしない。手刀を叩きつけ剣を弾き飛ばす。手を離れ宙を回転して飛んでいく剣は、木の一本へ突き刺さった。

 

「私は抵抗出来なかった。……当然だな。武術を囓った程度で複数人の男に勝てるはずも無い。普通だったからな。それからは……まぁ、語るのはよそう。詳細に聞いて、楽しい話でも無い」

 

 武器を失った血姫は大きく後ろへ下がった。拳の圏外へと逃れる。焉姫はゆっくりとそれを追う。足の速さでは敵わないと分かっているからだ。だから体力を温存しながら、少しずつ追い詰めていく。

 

「そしてその中で、親友は死んだ」

「!!」

「苦しい、と……残しながらな」

 

 そう呟くと、ようやく焉姫の口元に表情らしいものが奔る。それはとても苦々しい、悲哀だった。

 

「私は悟った。私の罪を」

 

 迫る。血姫は逃げるが、いつものスピードは無い。全身の痛みがそれを許さない。

 

「力が足りなかったことか? 違う」

 

 迫る。焉姫はなおも悠然としている。しかし握り締める拳に宿る力は、充分に致命のものだった。

 

「気持ちだけでも抵抗する勇気が無かったことか? 違う」

 

 迫る。見晴らしのいいこの戦場ではどれだけ距離を離してもすぐ見つかる。逃げ切ることは出来ない。

 

「受け入れることか? 当然違う。違う違う違う」

 

 迫る。そして血姫は足を止めた。反撃の用意を整えたからだ。逃げ回る内に双剣を拾い、息を深く吸って痛みを鎮める。

 

「いや、そのどれでもあるが、一番は違う。それは――」

 

 そして、追いつく。1メートルも無い至近距離。剣も拳も充分に届くそこで、二人は立ち止まった。

 

「――彼女を長く、苦しめたことだ」

 

 焉姫は、深い溜息を吐いた。語るべきことは語り終えたとでも言うように。

 

「と、まぁ。これが私という人間が壊れた全容だ。面白い話でも無い。以来私は、苦しみというもの全てが嫌いとなった。だからなるべく多くの善良な人から苦しみを取り除こうとしている」

「……そんなの、正義じゃ無い」

「だろうな。だが、悪でも構わん。それで誰かから苦しみを消せるのならば」

 

 構える。剣を、拳を。話は続けながらも。

 

「しかし、お前が抱えている物が正義でも無いだろう」

「……そうね。それは、そう」

 

 焉姫の言葉に頷く。血姫も自分が正義だとは、微塵も思っていなかった。

 

「アタシは、正義じゃ無い」

 

 一瞬。瞳を閉じる。戦う理由を、弟の顔を思い浮かべようとして。自分が戦う唯一の理由を。

 

「正義じゃ、無いけど――」

 

 しかし思い浮かんだのは、どうしてか別人。

 悲壮な決意を浮かべた、出会って間もない少女の顔。

 

 最初から、敵同士だった。けれど、放って置けないと思ってしまった。

 迷って、悲しんで、翻弄されて。優しい、けれど空っぽな心が戦いの中で揺れていくのを見てきた。

 きっと、二人揃って生き残れるような道は無いだろう。戦うことを、願いを求めることを、やめる気も自分には無い。

 それでも。

 

「――ここで死ねない、理由がある」

 

 ここでもう二度と会わずにいなくなることだけは、違う気がした。

 

「……そうか。ならばもう、本当におしゃべりは終わりだ」

 

 それで本当に、話は終わりだった。

 二人は構えを深くした。どちらも力を溜めている。血姫は腰を落として脚へと。焉姫は拳を握り締め腕へと。まるで剛弓が引き絞られるかの如く、闘気が張り詰めていく。

 

「後はもう、私の拳と――」

「アタシの剣の――」

 

 二人の言葉が、重なる。

 

「「――どちらが、勝るか」」

 

 落ち葉が、弾けた。

 舞い散る褐色の葉が落ちるより遥かに早く、両者は激突した。

 互いに選んだのは突進。しかし勝ったのは血姫だった。焉姫の勢いは凄まじいが真正面すぎた。故に血姫はその軌道を読み、すれ違いざまに斬りつける。

 

「まずは、一つ!」

「やるな!」

 

 短く賛辞を送り、焉姫は振り返りざま手で触れて斬られた箇所を確認する。痛みのない焉姫はそうするしか傷の具合を確認出来なかった。

 程度は浅い。しかし位置が悪かった。斬られたのは脚。それも太ももだ。太い血管の流れる場所を的確に切り裂かれた傷口は、泉のように血を吐き出している。

 

「だが、今更この程度!」

 

 しかし焉姫は一切怯まない。反転し再びこちらを斬りつけんと向かってきた血姫へ迎撃の拳を振るう。絶大な破壊力を秘めるそれを、血姫は大きくステップを踏んで躱す。

 

「ちっ!」

「受けられないよな。もう余裕は無いだろう」

 

 焉姫の言う通り、血姫にもう攻撃を受けられるだけの猶予は無かった。今までに受けた拳と内臓への執拗な攻撃。元より装甲の厚くない血姫にとってはいずれも重大なダメージだ。痛みも重い。限界は、近い。

 

「それは、そっちも同じ!」

 

 だが血姫は、押して前へ出る。

 焉姫とて、無傷では無い。いや、傷の深さは同程度だ。痛みが無いから、そう見えないだけで。

 

「ふっ、みたいだな。つまりはこの勝負」

「アタシが速いか!」

「私が当てるか!」

 

 血姫の斬撃が痛打を重ね、焉姫が力尽きるか。

 焉姫の拳が一撃を叩きつけ、血姫が倒れるか。

 どちらが早いかという、至極シンプルな勝負。

 

「はあああぁぁぁっ!」

「おおおおぉぉぉっ!」

 

 斬る。斬る。斬る。素早く動いて攻撃を躱し、双剣を唸らせ斬りつける。しかし回避を念頭に置いているため、いずれも浅い。だが、着実にダメージを重ねていく。

 殴る。殴る。殴る。そのいずれもが空振るが、止めることはしない。どうせ一撃当てれば終わりなのだ。例え外れても次を打つ。ひたすらに殴り抜けるだけだ。

 

 鋭い横薙ぎ。脇腹で受け、カウンターで顔面を狙う。それを首だけずらすことで躱す。顔のすぐ横を致命の拳が通り過ぎる。零れる血と、それ以外。まるで関係が無いとばかりに次の攻防へ。

 

「やあぁっ!!」

「ぜあぁっ!!」

 

 斬る、殴る、避ける。斬る、殴る、ギリギリで躱す。斬る。殴る――

 二人は延々と繰り返す。その一瞬一瞬の交差が死の間際だとしても。退くことなく互いの攻撃を叩きつけに行く。

 

 そして、その時が訪れる。

 

「っ!」

 

 踏み込んだ血姫の脚が滑った。疲労とダメージ。その両方が踏みしめる力を奪っていた。

 止まったのは一瞬。だが焉姫は当然、見逃さない。

 

「もらった――!!」

 

 絶好のチャンス。千載一遇の好機に焉姫は躊躇うこと無く拳を打ち出す。

 射程圏内。拳の勢いはいくらか落ちていたが、手負いの血姫を仕留めるには充分。迷うこと無く、叩き込もうと――。

 

「――あ?」

 

 だが、その腕は突如失速して落ちる。糸の切れた人形のようになって、ピクリとも動かない。気付けば脚も、気を抜けば崩れ落ちそうなくらいに力が失われている。

 焉姫は悟った。

 

「限界、か」

 

 もうとっくに、焉姫の身体は限界を迎えていたのだ。痛みが無い所為で、それに気付かなかった。

 指一本として動かせない。首から下が自分の物では無いようだった。腕を上げることすら出来なくなった焉姫は顔を上げる。視線の先で血姫は、どうにか持ち直していた。息は荒いが剣はしかと構えている。こちらも限界は近いが、焉姫とは違ってまだ少しは動けそうだった。

 二人の鬩ぎ合いの、結果は明らかだった。

 

「はぁ……はぁ……」

「痛みが無いというのも、いいことばかりでは無いか」

 

 自嘲するように唇を歪める焉姫。そして、血姫へと促す。

 

「さぁ、トドメを刺せ」

「はぁ、はぁ……藤……」

「もうどうせ助からん。時間切れという情けない結末よりかは」

 

 幾多にも刻まれた傷跡から今も刻一刻と命が零れていっていることを感じた焉姫は。

 

「お前に勝利を与えたい」

「……っ!」

 

 血姫へと、笑いかけた。

 それは今までの自嘲や冷笑とは違う、心から浮かべた優しい笑みだった。

 さながら勝者を称える、スポーツマンのような。

 

「存外、楽しい時間だった。久々に空手をやっていた時の気持ちを思い出せた。最期がこれなら、親友とは違いすぎるくらい恵まれている」

「藤……」

「皮肉だな。苦しみを憎んだ私が、苦しみの無い死を迎えるとは……」

 

 焉姫はどこか爽やかな言葉を切り、そして。

 

「さぁ、やれ。決着は、爽快な方が気分がいい」

 

 促す。最期を。介錯を。

 血姫にもそうするしか無いことは分かっていた。焉姫の肢体から溢れる血の量は、どう考えてももう助からない。失血死などという結末を迎えさせるくらいなら、自分がトドメを刺すべきだ。

 それが、一人の少女を死に追いやった自分の責任だと。

 

「………」

 

《 Blood Execution Finish 》

 

 マリードールをなぞり、必殺技を励起する。せめて、最高の一撃で送る為に。

 炎が煙り、双剣に宿る。紅蓮の刃と化した剣を手に、血姫はゆっくりと近づいていく。その重い足取りは、むしろ血姫こそが死刑台への階段を昇っているかのようだった。

 だが覚悟を決め、炎の剣を振り上げる。

 

「……藤。アタシはアンタを忘れない」

「私もだ。だが再会は願わない」

 

 罅割れ始めた仮面の複眼に炎が映る。葬送の火。安らかなるを願う、優しい炎。

 

「誰も、好きな人には地獄へ来て欲しくないからな」

 

 それが、焉姫の遺言となった。

 二つの刃が振り下ろされる。刃は抵抗なく奔り、焉姫の肉体は十字に切り裂かれた。辛うじて形を保っていた紫の鎧は斬り崩され、その下にあった藤の身体は薪めいてパッと燃え上がった。

 火に焼かれ、燃え尽き剥がれた仮面の下から現われた藤の瞳が血姫を見つめる。

 その表情は安らかで、どこか、幸せそうで。

 

 そして微笑を浮かべながら、あっさりと、静かに燃え尽きた。

 

 後に残った燻る煤を前に、血姫は立ち尽くす。変身を解き、爽は複雑な、しかしどこか澄んだ瞳で落ち葉の上に積もる藤だった物を見下ろした。

 

「……馬鹿だね、アンタも」

 

 もう何も言わない、苦しみもしない残骸を前に呟く。

 

「アタシだって、地獄に行くのに」

 

 答える者はいない。もう、永遠に。

 その代わりに、耳障りなアナウンスが響いた。

 

『ぴーんぽーんぱーんぽーん♪ 本日のバトルは終了でーす♪ 五日目の死者はー……』

 

 爽は顔を上げ、ノーアンサーの言葉を固唾を呑んで待つ。結果の一つは分かっている。だが、その続きは。もう一つの戦いの結末は。

 

『……仮面ライダー焉姫こと、寺野藤! 今日は一人だけでしたー♪』

 

 なんとも言えない、溜息を吐いた。重い息が孕んだ感情は複雑で形容しがたい。だが少なくとも、朔月が無事だった安堵は含まれていた。

 

『さて! これで残りは三人だけ! 明日は強制的に三つ巴ね。もしかしたら決着しちゃうかも! 楽しみ! それじゃ、また明日ー♪』

 

 景色が薄れていく。最後にもう一度記憶へ焼き付けるように残骸へ目を向け、爽は決闘場の林を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、元の世界へ戻ってくる。見覚えのある夜空と河川敷の風景。身体が壊れそうなくらいに重い以外は、元通りの景色。

 だけど、同じく戻ってきた朔月の表情は打って変わっていた。

 

「……朔月」

 

 悲壮ながらも決意を浮かべていた朔月の瞳は、今度は怯え、震えていた。

 

「……なんで」

 

 一人ぼっちになった子猫のように。肉食獣に狙われた鹿のように。

 

「戦わなくちゃ、いけないのに。戦うことを止めちゃ駄目なのに」

 

 生物的で、本能的な。命の根源にある、システムめいた感情。

 

「こんなに、怖い、の……!」

 

 恐怖。

 己を抱きすくめ肩を震わせる朔月は、また別人のように変じていた。

 

「なんで……なんでぇ……」

 

 涙を流し、崩れ落ちる朔月。消せない傷を心に刻まれた少女は、ただ泣きじゃくるしか無かった。

 

「そんな資格、無いのに……!」

「………」

 

 爽はそれを、黙って見ていた。しかし何か、決意を秘めた瞳で。

 

 暗い川の水面には、消えつつある細い月が映り込む。

 闇に覆われ、喰い尽くされそうな光が。



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六日目-1 二人だけの許し

『ぴーんぽーんぱーんぽーん♪』

「あら、残念ね」

 

 響き渡る戯けた声を聞き、才姫はつまらなそうに呟いた。振り降ろした大剣は途中でピタリと止められ、空中で静止している。

 その刃が銀姫に届くまで、後ほんの数センチ。もしノーアンサーの声が一瞬遅ければ、黄金の刃は銀の兜をその中身ごとかち割っていただろう。

 機転でも抵抗でも無く、ただの幸運が朔月の命を救った。

 

「私も遊びすぎたということかしら」

 

 それでも才姫には退去までにトドメを刺すという選択肢はあっただろう。それだけの時間は残されている。

 だが才姫は、輪花は、それを選ばなかった。

 

「まぁ、いいわ」

 

 マリードールを引き抜き、変身を解く輪花。黄色と混じり合った黄金の光が宙に溶け、解放された髪をかき上げて輪花は蹲ったままの銀姫を見下ろす。

 

「いつでも殺せるもの」

 

 そう、嘲るような目付きで言い捨てた。

 格付けは済んだと言わんばかりの、冷たい表情。見下す感情だけが込められた瞳は銀姫への興味を完全に失っていた。

 もはや、脅威足り得ない。恐るるに足らず。

 何よりも雄弁に、目線がそう物語っていた。

 

「う……ぁ……」

 

 それに反抗する気持ちすら持てず息が詰まったように呻く銀姫の変身もまた、解除される。彼女自身が何かしたわけでは無く、自然と。単に時間を迎えたからか、あるいはダメージが限界に達したからか。

 

 身に纏う甲冑すら失って朔月は、怯えた眼差しで輪花を見上げるばかりだった。

 

『……仮面ライダー焉姫こと、寺野藤! 今日は一人だけでしたー♪』

「あら、ラッキーね。手強そうなのが消えてくれた。後はどうにでもなる血姫だけ……」

 

 アナウンスの内容を聞いて輪花はしたり顔で口角を歪めた。血姫とは戦い、その戦術を見ている。スピードタイプ。ならば自分の方が勝れると分析して。

 

「注意するのはこのくらいね」

 

 そう言う輪花の手には黄金の鍵が握られていた。

 

「あ……」

 

 奪われたグレイヴキー。乖姫の、真衣の力の欠片。大切な人の、残滓。

 だがそれを返してと叫ぶことも、朔月には出来なかった。

 

「う、うぅ……」

 

 湧き上がる恐怖。決して敵わないと思ってしまうほどの力の差。それを見せつけられて朔月の闘争心は完全に折れていた。

 今日の内容を見れば、それほど隔絶した実力差は無い。途中までは拮抗していたと言っていい。

 だが瞬間的に与えられた痛みと、奪われた力。そして見せつけられた、圧倒的な我執。それを受けてしまった朔月の心は耐えられず、屈してしまっていた。

 

「ふふふ。残り三人になった都合上、明日は必ず三つ巴。ノーアンサーの言う通り、決着は可能な状況……ふふふふ!」

 

 一方の輪花は己の願いの成就が近づいて来たことへの興奮を一切隠さず、昂ぶるままに笑い声を上げた。

 

 蹲う敗者(はじめ)と、高笑いする勝者(りんか)

 二人の距離は近けれど、その間には圧倒的な断絶が存在していた。

 

「ふふ、ふ……だから、ね。更科さん」

 

 にこやかな、だが明らかに見下した表情で、輪花は告げる。

 

「明日は、お手柔らかにね。お手柔らかに――死んでね」

 

 とても愉快げな、朔月を殺せることを喜ぶその表情は。

 恐怖に傷ついた朔月の心へトドメを刺すには、充分な威力を持っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ、はぁっ! はぁ、はぁ、はぁ」

 

 恐怖のあまり、朔月は飛び起きた。

 

「はぁ、はぁ、夢……」

 

 見ていたのは昨日の夢だった。恐るべき強敵、輪花こと才姫によって与えられた恐怖。思い出すだけで恐ろしい光景を悪夢という形で見せつけられた朔月の身体は震え、全身は冷や汗でぐっしょりと濡れていた。

 

「はぁ、はぁー……」

 

 大きく息を吐き、落ち着こうと試みる。微かに震えの残ったそれは完全に成功したとは言い難かったが、少なくともいくらか冷静にはなれた。

 改めて周囲を見渡す。

 

「部屋……いつの間に戻ってきたんだっけ」

 

 見慣れた天井は自分の部屋だった。しかし朔月に自室まで戻った記憶は無い。恐怖に怯え呆然としている内に辿り着いていたのか。まったく覚えは無かった。

 しかし流石に無意識の内に着替えてるということはなかったようで、冷や汗塗れになっているのは学校の制服だった。

 

「……着替えようかな」

 

 取り敢えずいつものルーティーンに戻ろうと身体が動き始める。そしてベッドから立ち上がろうとして、手に何かが触れた。

 

「……え?」

 

 硬い(・・)

 布団やクッションといった物とは違う感触。そんな物、寝床に置いた覚えは無い。

 朔月は思わずそちらを見た。そこにあったのは、自分と同じ制服。己の手は丁度、ブラウスの胸元に。そう、硬い感触は、自分とは違う、薄い胸のものだった。

 

「んー、むにゃ……」

 

 そこにいたのは。

 赤い髪をした、一人の少女だった。

 

「――え?」

「ん……あれ、起きたの?」

 

 身体を押されたからか、起き上がってくる。それは紛れもなく昨日一緒にいた少女、爽だった。

 あくびをしながら身を起こす爽は、まるで呑気に。

 

「ふあぁ……流石に一人用のベッドに二人は狭いね」

「え、えぇぇーーっ!?」

 

 驚愕の絶叫。

 二人きりの家に、それは高らかに吸い込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「流石にどうかとアタシも思ったよ? でもソファで寝ようにもリビングでバッタリ他の人と出会ったら説明がしんどいでしょ? だからああするしか無かったって言うか……」

「いや、もういいよ……」

 

 その後二人は揃って風呂場の脱衣所にいた。

 互いに制服のまま寝たので寝汗を掻いていたのだ。放置しておくのも気持ち悪いので、湯船が湧くのを待ってから、一緒に風呂に入ることになった。

 

「制服どーしよ。掛けておくかな」

「消臭はしておこう。……この間もそうしたから、流石に心配になるけど」

「どうせ今日は学校は行かないでしょ。もう昼だし」

「え、嘘……うわ、ホントだ。そんなに寝てたんだ私……」

 

 二人は雑談を交しながら脱衣所で脱いだ服をハンガーなどで纏めていく。下着姿になった朔月は隣の爽を見てギョッとした。

 

「爽、ブラまで赤いんだね。それは流石にどうかと思うよ」

「いーでしょ。別に誰かに見せるんじゃ無いんだから」

「いや私見せられてるけどね、それは」

 

 ガラリと戸を開き、ペタペタと裸足特有の足音を鳴らして少女たちは風呂場へ入っていく。すぐにシャワーを流し、二人の生まれたままの姿は湯気に包まれた。

 

「まずは爽からね。洗ってあげる」

「は? いやいいよ」

「いいからいいから」

 

 首を振る爽の肩を掴み、朔月は無理矢理椅子に座らせる。

 

「シャンプーとか分からないでしょ? えへへ、こういうのいつもやられる側だったからやってみたかったんだ」

「……アタシが恥ずかしいんだけど」

「やだ?」

「……別に、いいけど」

 

 頬を赤らめてそっぽを向く爽に、嬉しそうな笑みを浮かべる朔月。気の変わらぬ内にリンス入りのシャンプーを泡立て、髪へ梳くように染み込ませていく。

 炎のような赤毛に白い泡が映える。朔月は羨望して呟いた。

 

「髪、地毛だっけ? いいなぁ派手で」

「アンタだって脱色してるじゃん」

「その分髪が傷むし……やっぱ素で綺麗な方が羨ましいよ」

 

 充分に行き渡ったら、今度はボディソープで身体を洗っていく。

 

「わぁ、肌すべすべ」

「朔月もそんな変わんないでしょ……わぷっ」

 

 泡が行き渡ったら、流し、交代した。洗う側になった爽が同じように朔月の髪を泡立てる。だがその後、事件が起こった。

 

「――ひゃんっ!」

 

 爽がいきなり、後ろから朔月の胸に向かって手を伸ばしたのだ。湯気に隠れて見えないが、何やら揉みし抱くように動かしている。

 

「ちょ、ちょっと爽! いきなり何し、きゃんっ」

「……別に。なんかアタシには無い駄肉が付いてるから、揉んで減らしてやろうかなって思っただけ」

「別に、そこまでおっきい訳じゃっ」

「それ、アタシのことを見て言える?」

 

 そう言って、爽は後ろから朔月に抱きついた。背中に密着するその感触は――驚くほど、何も感じなかった。ぺたんと、何の障害も無く張り付いてしまう。朔月ならば、柔らかな抵抗がある筈なのに。

 

「あ、いや、その……」

「……大きいわけじゃ無いとかいうのはね、ある奴の台詞なんだよ。だから持たざる者の恨みを知ると良いよ」

「や、ごめ、きゃうんっ!」

 

 座った目をした爽は泡を手に悶える朔月をもみくちゃにしていく。その手付きには戦っている間にも感じたことの無い憎悪があったという。

 そのまましばしじゃれ合い、泡を洗い流した二人は一緒に湯船に身を浸した。

 

「はぁー……狭いね……」

 

 更科家の風呂は一般的な中流家庭のそれだ。つまり、一人でようやく足を伸ばせる程度の大きさだ。

 二人で浸かる為に膝を抱えた形になった朔月の呟きに、赤毛をタオルで纏めた爽が答えた。

 

「しょうがないよ。弟と一緒に入るときもこんな感じだし」

「え、そういうのって今でも入るんだ」

「まぁ、家族だし」

「ふぅん。家族ってそうなんだ……」

 

 他愛の無い会話をしながら、朔月と爽は湯船の心地よさに身を委ねる。ジワジワと芯へ染みていく温度は強ばった身体をほぐしていくようで、抗えない気持ちよさに二人の表情は自然と緩む。

 

「染みる……そう言えば、痛くないや」

 

 気持ちよさに思わず呟いたところで、朔月は思い出したように湯に沈んだ身体を見下ろした。

 

「ん?」

「身体。昨日……」

 

 昨日のことを思い出そうとして再び恐怖が蘇る。湯船の温かさを吹き飛ばすような震えが起こりそうになったが、隣に爽がいることで寸でで堪えた。

 

「……昨日、結構痛めつけられたから。けど、もう痛みが引いてる」

「あぁ、アタシもだね。ライダーになったからかな。怪我の治りが早いのかも」

「へぇ」

「……あるいはもう、人間じゃ無いのかもね」

「………」

 

 口角を歪めて言った爽の自嘲を、朔月は笑い飛ばせなかった。自分たちが既に人外へ片脚を突っ込んでいるという予想は、正鵠を得ているように感じてしまう。一度そう思うと、むしろ健康になった身体に怖気が走る。温かいお湯の中にいるというのに感じる寒さを、肩まで浸かることで無理矢理誤魔化す。

 

「……あ、そう言えばお母さんは?」

 

 昨日、母親と邂逅したことを朔月は思い出した。その所為で家を飛び出したのだと。しかし朔月は帰ってきた時の記憶が無い。

 爽は複雑そうに表情を歪めて答える。

 

「……戻ってきた時には出て行こうとしてたところだったよ。夜なのに」

「あぁ……そう」

 

 またどこか男のところに行ったのだろうと察し、朔月は押し黙る。別に悲しいだとか失望だとかを感じることもない。ただ家族愛の強い爽の前でこれ以上話題に出すのは気が引けた。それだけだ。

 

「爽は、大丈夫? 泊まって」

「うん。家には連絡したから」

「ふぅん。……あ、誰かを家に泊めるのって初めてかも」

 

 朔月はふと気付いた。仲の良い友達はいるが、今までこんな家に誰かを誘うことも無かったからだ。お泊まり会をする時は、いつも友達の家にお呼ばれしていた。

 

「……そっか。……そっか」

 

 そう思うと、この状況も新鮮に感じた。

 

 しばらくそのまま二人並んで湯船に身体を預け、のぼせる前に上がった。髪を拭いてドライヤーで軽く乾かし、朔月が自室から持ってきた部屋着を着る。爽が借りたのは大きめなオレンジのTシャツだった。

 

「ごめん、赤色が無かったや」

「いや、赤は好きだけどそれしか着ないって訳じゃ無いし」

 

 同じ柄の白いTシャツを着た朔月にそう答えると、くぅと小さな音が響いた。朔月の腹の虫が鳴った音だ。

 

「……えへへ」

「まぁ、もうお昼過ぎだからね。でも外に行く服は無いし……何かある?」

「あ、それならあり合わせで何か作るよ」

 

 朔月が挙手し、そういうことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと待った」

 

 そして、待ったをかけた。

 爽としては、そんなつもりは無かった。何故なら爽は料理などまったく出来ない。母親に何度もするように言われ「そんなことじゃお嫁にいけないわよ」と言われても、そこだけは反抗期を表明して頑として習わなかったのが爽だ。

 それに更科家のキッチンなのだから、爽は手伝うに留め朔月に任せるつもりだったのだ。だから何か意見を挟む気など毛頭無かった。なので、エプロンに身を包んだ朔月が準備を始めるのをそのまま見過ごしていた。

 

 最初朔月は、冷蔵庫の中から青魚を取り出した。料理をしない爽にその状態の魚の見分けなど付かないが、何となく鯖だと思った。倹約家の朔月には珍しいことに丸々一尾。懇意にしている魚屋に押しつけられたのだとはにかみながら教えてくれた。

 そこまでは良かった。そこからは良くなかった。

 次に朔月が変わらぬ様子で取り出した調理器具が、ミキサーで無ければ。

 

「え? どうしたの?」

 

 そこで上記の待ったがかけられ、朔月は動きを止めた。まるで心当たりが無いようだった。

 爽は冷や汗を垂らしながら語りかける。

 

「その……魚とミキサー(それ)で、何を作る気……なのかな、って……」

 

 恐る恐る問いかける。危惧であってくれと願いながら。

 朔月は、朗らかな笑みを浮かべて――

 

「手っ取り早く、スムージーにでもしよっかなって」

「魚を!?」

 

 予想通りで、斜め上の答えが返ってきた。まさか生魚を液体にして飲み干そうというのか。

 

「嘘でしょ無理無理無理! 料理は素人だけど、そういう風に調理したら駄目だってことは流石に分かるって!」

「えー?」

「そんなことしたら生臭いって!」

「あぁ、そういうことなら大丈夫だよ。匂いとかなら……」

 

 苦笑しながら朔月が更に取り出したのは――

 

「牛乳を一緒に入れれば解決するから!」

「絶対無理だと思う!」

 

 爽は必死になって止めた。

 

 判明したところによると、朔月にとって料理とは安い食材をどうにか食べられるようにするという程度の認識であり、味はまずくなければそれでいいというくらいのハードルだったらしい。教わることもなく、振る舞う相手もいない為、自然とそうなってしまったのだとか。彼女にとって料理とは他人の為ではなく、自分が食べられるようにするというだけの行程だ。なので朔月は――自覚のない料理下手だった。

 

「飲み干せなくはないよ? 簡単だし」

「そういう風に使うくらいならもっとやりようがあると思う」

 

 爽は懸命に説得し、どうにかスムージーへ向かおうとする朔月を修正した。その甲斐あって、二人で協力して焼き魚にすることが決まったのだが……

 

「えっと、何度でどれくらいやればいいの?」

「こういうのって火を通せば通すだけお腹が壊れないから――」

「いっ!? いや最大はやばいんじゃ……!」

 

 それでもなお、てんやわんやだった。

 料理を禄にしたことがない爽と、とにかく雑に済まそうとする朔月ではまともな調理になる筈もない。従って二人でぎゃーぎゃー言い合いながら出来た料理の末路は。

 

「……焦げてるね」

「そりゃそうもなるわよ……」

 

 席に座った二人の前には炭化した魚が無惨な姿で横たわっていた。テーブルに並んだ他の献立も悲惨だ。水加減を間違えたご飯はべちょべちょだし、味噌汁は煮詰まっていてしょっぱい。切るだけの筈のたくあんですら、切断しきれず一本に繋がっていた。

 

「はぁ……料理がこんなに難しいなんて。少しくらいお母さんに教わろう……」

「……ふふっ」

 

 憂鬱に溜息を吐く爽。だが対面に座る朔月は対照的に笑っていた。

 

「……何?」

「あ、いや。……楽しかったなって」

 

 思えば誰かと料理をするのは初めての経験だった。学校の行事などではしたかもしれないが、ああいうのは作り方が決まっている上に逸脱が許されず、その上大多数の中の一だ。楽しい行事ではあっても調理とは言い難い。

 だからこうして誰かと料理することもまた、朔月にとっては初めてだった。

 

「料理することがこんなに面白いだなんて。いつもはある具材を全部油に放り込んで黒焦げにしちゃうもんなぁ。今日も焦げてるといえば焦げてるけど」

「今度から絶対にやめなさいね。……ホラ、処理するわよ」

「うん、いただきます!」

「いただきます……」

 

 二人はまったく違う表情で箸をつけた。

 

「わー、にっがーい! あ、でもちょっと白いとこもあるよ!」

「味噌汁しょっぱい……どう考えても味噌入れすぎ……」

 

 一方は笑って、もう一方は苦々しげに料理を平らげ……否、処理していく。

 

「あっ、お味噌汁にご飯を入れてねこまんまにするのはどうかな!」

「! 確かに……水っぽさと塩辛さを同時に誤魔化せるかも……冴えてるわね!」

「えへへ」

 

 だがその様子は……とても、楽しそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

「はー、食べたね」

「そうね。朝抜きで魚一匹だから足りないかと思ったけど、水吸った分ご飯が重かったのかもね」

 

 風呂から上がり、昼食を終え、二人は朔月の部屋へと戻ってきていた。

 並んでTシャツ姿でベッドに寝転び、ぼーっと天井を見上げておしゃべりに興じている。

 

「……なんか、意外だったなぁ」

「何が?」

「爽が案外、駄目な子で」

 

 その言葉に顔を向け、むっと頬を膨らませる爽。怒気を露わにするその姿を見て「そういうところだよ」と朔月は苦笑した。

 

「最初出会った時はひたすらクールで、おっかなくて……後ちょっと格好いい、って感じだったのに」

「……アタシはアンタのこと、頼りなくてか弱くて、意志の弱そうな子だと思ったよ」

 

 互いの第一印象を語り合う。ノーアンサーに集められ荒野で邂逅した時のことを。そして付き合って見えた、本当の姿を。

 

「……でも、話してみたら普通の子だった。料理が出来なくて、家族が大好きで、そして他人のことで泣ける……愛情深い女の子」

 

 朔月は語る。意志を瞳に燃やし、戦うことを宣言した爽は普通の少女だった。弟の足を治すために戦うことを選んだ、弟思いの優しい姉だった。優しさ故に、自分を真っ先に焼き潰そうとしただけの。

 

「……アンタも、弱くなんてなかった。普通の子が当たり前に享受できる物を受け取れなかったのに、アンタはそれでも誰かを想えた。だから戦って、願いを受け取って……傷ついた」

 

 爽は語る。どこにでもいる普通の少女に見えた朔月は、裏では虚無を抱えていた。親子の関係を築けずに全てを諦め、しかしそれでも優しさを失わなかった。だからこそ、戦いで傷つき病んだ。

 

「そうかな……」

「そうよ。アンタは……朔月は、強かった」

 

 ベッドの上で横たわりながら、二人は見つめ合う。交わされる視線。爽の真っ直ぐなそれを受けて、朔月は辛そうに目を伏せた。

 

「でも……もう、無理かも」

 

 回想する。昨日の戦いを。無慈悲に、己の為だけに戦える輪花を。

 輪花の前に他者など路傍の石でしかない。大きいか小さいか、歩くのに障害か否かだけの違いだけだ。普通の人に向けるような感情を持ち合わせていない。朔月が抱え、負っている傷も、輪花には関係が無かった。そこで傷つくような精神性が、最初から無いのだ。

 圧倒的な自己。それを前にして、朔月は……折れていた。

 

「辛いこと、たくさんあった。失ったものも、犯してしまった罪も。でも全部……どうでもいいって切り捨てられて」

 

 震える身体を抱きかかえるようにして、朔月は零す。

 全て、無駄と。輪花は断じた。

 

「じゃあ……私が弱いだけなのかな」

 

 そうして一切傷つかず、まるで金剛石のように揺るがず。

 敵を打倒出来るのなら、そちらの方が正しいのではないかと。

 

「もう、戦うことが怖いなんて……!」

 

 真衣から託された。戦うことを。

 決意した筈だった。もう止まらないと。

 殺した。その感触をずっと憶えている。人の未来を断った罪悪感が消えてくれない。傷ついた。身を切られる痛みと全身を揺さぶる衝撃。思い出すだけで恐怖が身が竦ませる。

 その上に、そうして抱えた全てを否定するような違いすぎる自我の圧倒。

 それを受け、朔月は戦うことに恐れを抱いた。

 

「……弱いよ、私。殺したクセに、人の死を見過ごしたクセに、決意一つ抱けないなんて」

 

 人の命を奪っておきながら、それを糧とした誓いすら、守り切れない。

 その事実に、朔月は深く絶望していた。

 

「……朔月」

 

 その告白を受け、爽がしたことは。

 震える手を解き、自分の手に絡めることだった。

 

「……爽?」

「堪えなくていい。取り繕わなくていい。……自分を、責めないでいい」

 

 優しい言葉を掛けていく。砂糖のように甘く、ぬるま湯のように温かい、気を抜けば受け入れてしまいそうな言葉を。

 

「……駄目、だよ。私に、そんな資格なんて」

 

 だからこそ朔月は拒絶する。それを受け入れてはいけない。だった自分は罪人なのだから。

 

「大丈夫だよ」

 

 しかし爽は、首を横に振る。そして朔月の目を見て、告げる。

 

「――だってアタシも、もう、人殺しだ」

 

 その言葉に、ハッと息を呑む。

 そうだ。昨日、ノーアンサーは楽しげに……

 

「少し、話した。藤っていって、アイツなりに悲しい覚悟を背負って戦ってた。やり方は違くても、誰かを助けたいと願ってた。そんな藤の……」

 

 目を閉じ、噛み締めるように。

 

「命を、アタシが奪った」

 

 そう告げる爽の目には、複雑な悲しみが浮かんでいた。湛えた悲哀は本物なのに、それを受け入れることが出来ない。だってそれを為したのは、他ならぬ自分なのだから。

 同じ瞳だと、朔月は直感した。

 

 

 

「アタシたち、人殺しどうしだ」

 

 

 

 繋ぐ掌からは、人の熱が伝わってきた。血が流れる証。

 自分以外の、同族の言葉。同じ経験をした人間の、真実の告白。

 この世でお互い以外にただ一人――自分と、共感出来る人。

 

「だから、アタシの前では何もかっこつけなくていいんだ」

「あ……う……」

 

 込み上がる。堪えてきたものが。

 

「う……ぐぅ……」

 

 ずっとずっと、押し込めてきた。色んな感情を。だってそれを吐き出すことは許されない。何故なら人の命を奪ったから。嘆く資格を、自分は持ち合わせない。

 だが、それをいいという。

 他ならぬ、自分と同じように人を殺した人が。

 

「う、あぁ」

 

 同じ想いを、同じ咎を背負った人が、言うのだ。

 泣いていいのだと。

 

「うわああああぁぁぁん!!」

「……うん」

 

 ついに溢れ出た涙を流し、泣き叫ぶ朔月。そんな彼女の頭を抱き寄せ、胸を貸す爽。

 それは奇しくも、神社での邂逅とは逆の光景だった。

 

「いいんだ。それで。他の誰でもない、人殺し(アタシ)が言うんだから。アンタは、泣いていいんだ」

「ひっぐ、うああぁぁぁ……」

 

 優しく抱きしめられ、朔月は幼子めいて泣きじゃくる。今まで溜めていた物を一気に噴き出すように。

 爽の顔は慈愛に満ちている。言った通り、全てを許している表情だ。

 彼女の中にも、葛藤はある。後悔も。残る手応えは脳髄を苛み、自分の所業を忘れさせてくれない。心の柔らかい場所に深い傷が刻まれ、思考の中には淀んだように黒い物が纏わり付く。

 最初から、誰かを殺す覚悟は決めていた。

 だというのに、これほどまでに心に暗い影を残している。傷はこれから一生消えず、淀みが晴れることもまた無い。殺す前と後では、自分という人間が決定的に違っている。これがきっと、罪を背負うということ。

 覚悟していた自分でこれなのだ。

 そうで無かった朔月が如何ほどに辛かったのか、分かってしまった。

 

「辛かったね。痛かったよね」

 

 もっとずっと、辛かったに違いない。

 覚悟もなしに人を殺して、その衝撃が冷めやらぬ内に目の前で知己が死んで、その下手人をまた自分が殺した。

 そしてズタズタになった心を、託された願いで繋ぎ止めた。

 それが辛くない筈がない。

 

「ひっぐ、けどぉ……!」

 

 涙混じりの意義。それに爽は頷いて答える。

 

「うん。けど……死んでしまった人にはもうそれすら無いのだから、殺してしまった自分にはもう叫ぶ資格が無い。だから全部封じた。そんなことは許されないって」

 

 それはそうなのだ。一番の被害者は殺された人たちだ。志那乃。真衣。ナイア。藤。死んでしまえば苦痛も絶望も無い。それすら無いのだ。

 

「だけど――辛いのは、アタシたちもだから」

 

 それでも、苦しみは殺した側にも確かにあって。

 その痛みを無視することも、また出来ない。

 

「だからアタシは、許すよ。朔月が自分を許せないなら、アタシが。同じ存在(ひとごろし)である、アタシが」

 

 故に必要なのだ。

 泣くことの、許しが。

 

 傷は癒えない。罪は消えない。これから一生苦しみ続ける。

 それでも。

 

「泣いていいよ。アタシの前でだけは」

「……そ、う。……ひっ」

 

 流れ出していく。溜め込んだものが。

 朔月はそれでもまだ自分を許せないだろう。今この時が終われば、一生悔いていく。それを続けていく。己が死ぬその時まで。

 それでも。

 

「うあああぁぁぁぁ……!」

 

 その心地よさに、今は。今だけは。

 同族(ひとごろし)の前だからこそ許される一度限りの慟哭は、そのまましばらく続いた。

 

 

 

 

 

 

 

「落ち着いた?」

「うん……」

 

 数時間後。ようやく泣き止んだ朔月は枯れた声で頷いた。

 二人はベッドを降り、背もたれにして並んで床に座っていた。涙がシーツに染み込んで居心地が悪くなったのだ。

 

「ありがと、爽」

「別に」

 

 礼を言う朔月をあしらう爽。彼女の着るTシャツの胸元もまたぐっしょりと濡れているが、着替えるつもりは無いようだった。

 窓から見える空の景色は、既に夕刻を過ぎていた。二人は肩を寄せ合い、昏くなり始めた窓の外を見上げる。

 

「……爽の」

「うん?」

「殺した人。藤って、どんな人だった?」

 

 ポツリと、朔月は問う。その問いかけは、二人の間以外では決して許されないものだっただろう。

 

「んー……優しい人、だったかな。殺しにきたけど」

「……殺しにきたのに、優しい……?」

「行き過ぎた優しさって奴だよ。屠殺される家畜を苦痛無く殺すとか、そういう類いの」

 

 爽は答えながら、寺野藤という人間を思い返す。

 

「どうせこのライダーバトルで誰も助からないなら、みんなを早く殺して楽にしてやろうって、そんな奴だった」

 

 苦しみを憎んだ少女だった。人も憎むが、何よりもまず苦痛その物を。

 無益に苦しむのなら、早く終わらせた方がいい。そう考え、実行に移してきた少女。

 正義とは言えないだろう。悪ですらあるかもしれない。

 しかしその根底にあるのは、間違いなく優しさであり、慈悲だった。

 

「……そっか……でも、もしかしたらそれが一番正しいのかも」

「仲良くみんな死にましょうって? ……ま、それもそうかもね」

 

 肩を竦めながら一応は頷く爽。その後、だけど、と続ける。

 

「アタシは、嫌だった」

「……そう、だよね」

 

 彼女には願いがある。弟の足を治すという切なる願いが。

 だから藤を否定したのだろうと、朔月は納得する。

 

「弟の、快の笑顔を諦めるなんて出来る筈が無い。……無い、のだけど」

 

 続く言葉は予想通り。だが爽は顔を歪め、自分でも悩ましいといった風にその後を口にする。

 

「……別の、ことも」

「別のこと?」

「……いや、忘れて。恥ずかしい」

 

 顔を赤らめ、隠すように膝に埋める爽。言えるわけ無い。あの時浮かんだ顔が、弟ではなく――

 

「えー、教えてよ、ねぇ。弟くんの為じゃなかったらなんなのさ」

「言わない言わない! 絶対言わないっ!」

 

 ブンブンと頭を振って拒否する爽に、それ以上追求することも出来ない。仕方なく、朔月は話題を転換する。

 

「ふーん。それで、グレイヴキーは?」

「あるよ。アンタをベッドに引き込んで寝る前に、ノーアンサーが来て渡された」

 

 爽は首にかけたマリードールを手に、軽く振って見せた。すると光の粒子が零れるように溢れ、集まって形作り始める。光が収まるとそこには、紫のレリーフが彫られた鍵があった。

 レリーフが示すは異形の(かいな)。まるで力その物を具現化しているかのような。

 

「藤……焉姫の力。これを使うとどうなるの?」

「そのライダーの力が得られる……けど、残留思念に注意して。頭と心が痛くなるから」

「ふーん……まぁ、必要だろうね。アイツを倒すには」

 

 手にしたキーを光に掲げながら言ったその言葉に、朔月は顔を暗くする。

 

「そう……だね。才姫……あの子が、最後のライダー」

 

 昨日、刻みつけられた恐怖がぶり返す。ゾクゾクと全身を奔る悪寒。夜の気配よりも身体を凍えさせるその感覚に、朔月は不安を募らせた。

 

「戦えるのかな……」

「その時は、守ってあげるよ」

「え……」

 

 予想外の言葉に、朔月は顔を上げ爽を見つめた。爽は一瞬だけ朔月へ目を向け、すぐに恥ずかしそうにグレイヴキーへと視線を戻した。

 

「別に……変じゃないでしょ。あの時も言ったじゃん。気に入る勝ち方があるって」

 

 そう言われ、朔月は思い出す。

 志那乃と戦ったあの日。裏切って不意をついた爽の言った言葉を。

 

『勝ち残る。けどそれは、アタシなりに納得のいく形で、だ』

 

 だからこそ、有利と思われる志那乃の同盟を蹴ったのだ。

 

「それは今でも変わらない。才姫……輪花だっけ。ソイツが気に入らない。だから今日は、アンタに付くよ」

 

 共闘する。

 それはそう宣言する言葉に他ならなかった。

 

「……いいの?」

「正直、情が移ったなって思うよ」

 

 溜息を吐く。やるせないという風に。

 

「でもアイツが生き残って願いを叶えるってのが一番気に入らない。それに、現実的な問題として二人で掛からなきゃ勝てないでしょ。アンタだって負けたんだから」

「あ……それは、そうだね」

 

 昨日のバトルの話を、朔月は具体的に話していない。

 だが朔月の様子を見れば、どちらに軍配が上がったか一目瞭然だ。正確に言うならば途中までは有利を取っていたが、今はもう難しいだろう。その鮮烈な自我に、圧倒され怯えている今では。

 そして爽も、一度完封されている。スピードで上回られ、手も足も出なかった。二人の実力が一対一では及んでいないことは明らかだ。

 だったら理屈の上でも共闘するしかない。今夜を生き残るには。

 

「……そっか、うん……!」

 

 爽との共闘。その想像は、初めてライダーとして爽と出会ったあの赤い荒野を思い起こさせた。二人で感じた全能感。それがあれば、勝てるかもしれない。

 

「あ……でもそしたら、もし勝ったら……」

 

 才姫に勝つ。組むことが出来れば、それは現実的に不可能な話でも無いだろう。

 だったらその後、待ち受けるのは。

 

「爽と、私……」

 

 今度は、一対一の戦いだ。

 目の前にいる少女、との。

 

「……そう、なるね」

 

 爽は目を瞑った。今なら朔月も素直に分かる。自分と同じように、爽も本当は嫌なのだろう。覚悟を決めることと、悲しいことは、また別だから。

 

「……ま、それはその時考えよう。取り敢えず、勝たなきゃ」

「そう、だね………」

 

 躊躇はある。もうこれ以上人殺しを繰り返したくないと。

 しかし宣誓もある。真衣に託された、戦い続けるという願いも。

 そして輪花に植え付けられた恐怖がある。だが爽が共に戦うという嬉しい知らせもある。

 それらを全部綯い交ぜにして、考えて――結果、朔月は。

 

「戦わ、なきゃ。勝って……進まなきゃ」

 

 戦うことを、決めた。

 実際に対峙してみなければ分からないが、少なくとも今は、そう。

 

「――時間だ」

 

 窓の外。日の光は落ち、闇の帳が空を覆う。

 細い月が上がり、星々がその姿を浮かび上がらせる中。仄かに光るのは二人のマリードール。

 二人は顔を合わせ、互いを見合う。

 

「……また、二人で征くんだね」

「そうね。……でも、さ」

 

 どちらからともなく、コツン、額をつける。伝わる温度を感じながら、爽は言った。

 

「昨日よりはずっと、希望があるでしょ?」

 

 その言葉に――朔月は、微かに微笑んで。

 

 抱き合うようにして、二人は戦場へと消えた。

 ――最期の戦いになるとも知らず。



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六日目-2 共闘VS孤高

 見上げた天井にあるのは岩肌だった。

 

「洞窟……かな」

 

 そう呟く朔月が見たところ、屋外では無くどこかの洞窟の中のように見えた。しかし狭くは無い。声が反響するほどに広い広間や、いくつかの通路があり、人工的に広げられたような節があった。

 岩壁には松明が掲げられており、灯りに不足は無い。ただし足元は見えづらかった。どこからか冷気が流れ込んできているのか、ひんやりとした煙が這うように漂っているからだ。

 

 巨大な地下洞窟。

 それが、今回のバトルフィールドのようだった。

 

「取り敢えず爽を探さなきゃ……あれ?」

 

 生き残ったライダーは三人。余らせたり休ませるという事例は今まで無かったから、今回は必ず三人が参戦しているということになる。ならば共闘を誓った爽もいる筈だ。

 だからまずは合流を……と考え歩き出そうとしたところで、朔月は違和感に気付いた。

 

「服着てる……」

 

 始めに気付いたのは靴の感触だった。だが、それはおかしい筈だった。何せ自分と爽は、Tシャツ一枚で部屋にいたまま、ここへ来たのだから。足裏に感じる感触は裸足でなかればおかしい。

 そう思って見下ろすと、そこにはちゃんとした服に包まれた己の肢体があった。

 角付きのパーカーワンピースにストライプのソックス、スニーカー。どれも見覚えがある。自分の服だ。

 

「なんで……あ、ポケット」

 

 パーカーのポケットに何かが入っていることに気付き、取り出してみる朔月。それは一枚の紙片だった。広げてみると、そこには戯けた筆跡で、

 

 流石に決戦でTシャツ一枚は間抜けだったので、クローゼットから適当なのを選んで着せておきました♪ 精々感謝してね? ノーアンサーより

 

 と書かれていた。

 

「はぁ……」

 

 確かに、THE・部屋着といったあの服装で呼び出されていれば少し困ったかもしれない。だが感謝などする筈も無い。他でもないノーアンサーの所為でこんな戦いを強いられているのだから。

 

 紙片をその辺にポイ捨て……することは良心が咎めたので、もう一度ポケットに仕舞い直し、朔月は探索を再開する。

 

「……迷路みたい」

 

 似た景色と複雑な通路で人を惑わせるこの場所は、さながら迷宮のようだと朔月は感じた。まるでノーアンサーの意地の悪さが出ているかのようだ。

 どこまで行っても同じ景色が続く、歩く度に靴音が反響する回廊を朔月は歩き続けた。そして、曲がり角を曲がろうとした、その一瞬。

 

「っ!? きゃっ!」

 

 突如。死角から飛び出した腕が襲い掛かった。そのまま胸ぐらと肩を掴んだ両腕は、朔月の身体を力任せに押し倒す。さした抵抗も出来ず、のし掛かられる朔月。

 先手を取られた。戦慄する。このままでは好き放題に嬲られてしまう。致命的な失敗だ。ならば、せめて相手を確認しようとマウントを取った相手を見上げ――

 

「……あれ、爽?」

「なんだ、朔月か」

 

 目が合ったのは、先程まで間近で見ていた顔だった。

 赤い髪をした、意志の強い瞳。爽だ。

 

「……はぁ~……ビックリした~」

「悪かったよ。靴音を鳴らして無警戒に歩いてるから」

 

 誤解が解け、二人は溜息をつく。当然共闘を誓った相手をそのまま熨しておく筈も無く、上から退いた爽は手を差し伸べ、朔月を引っ張って立たせた。

 

「でも合流できたね、爽!」

「……だね。まずは一つ、アタシたちが有利だ」

 

 そう微笑む爽もまた、ちゃんとした服を着ていた。いつも通りの赤づくめのパンキッシュファッションだ。恐らく爽の持ち物から勝手にノーアンサーが持ってきた物だろう。

 爽は指ぬきグローブをした拳を差し出し、立ち上がらせた朔月とコツンと突き合せる。

 

「……で、そっちはアイツを見つけた? あるいはダムド」

「ううん、まだどっちも見てない」

 

 爽の質問に首を横に振る朔月。それは幸運で、また不幸でもあった。まだこの気が滅入る回廊を歩き続けなければならないのだから。

 

「そっか。じゃあまた探さなきゃ……」

「うん。二人でカバーし合いながら行こう」

「その必要は無いわ」

 

 頷き合う二人。互いで死角を庇い合いながら、歩みを進めようとする。

 だがその機先を制するように、傲慢な声が響き渡った。

 

「!」

「……輪花」

「ごきげんよう。いつかぶりと昨日ぶりね」

 

 コツコツと靴音を鳴らし、冷気の向こうから現われたのは唯祭高校の制服を纏った輪花だった。その姿を確認した爽は咄嗟に朔月を背に庇う。それに構わず輪花は眼鏡の銀フレームを押し上げ、怜悧な口調で二人へ言葉を掛けた。

 

「その様子だと、そちらで協力するつもりみたいね。ふふっ、当然ね。一対一では勝ち目は無いもの」

「……よく言うよ。人から盗んだ物でイキっておいて」

 

 爽は輪花が奪ったという乖姫のグレイヴキーのことを揶揄した。朔月から昨日聞いておいたのだ。

 

「あら、別に良いでしょう? 欲しいものは力尽くで奪い取る。弱肉強食は好きよ」

「ふぅん。意外だね。てっきり頭を使う方が好きだと思ったけど」

「何を言ってるのかしら。頭の良さだって、立派な暴力でしょう?」

 

 輪花は髪をかき上げ、あくまで余裕な態度を崩さずに答えた。

 

「知略戦略を用いて敵の全てを奪い取る。そうして全てを黙らせた屍の上で高らかに笑う。それが私の最高の未来よ!」

「……朔月が怯える訳が分かったよ。どこまでもソリが合わない」

 

 吐き捨てる爽。言葉の端々から伝わる自分本位の思想。会話は成り立っても、その根底は決定的に違っている。決して分かり合えない――それが、この短い間で如実に理解できた。

 

「朔月。……やれる?」

「……すぅー、はぁー……うん」

 

 問う爽に、朔月は深呼吸をした後頷く。動揺、恐れはまだある。だが自分でも驚くぐらい、それは少ない。

 

(隣に、いてくれるからかな)

 

 自分を守るように立ってくれている少女の背を眺め、朔月は覚悟を決める。

 

「戦うよ。少なくともここではもう、悩まない」

「よし……」

 

 爽は頷き返し、マリードールを手にする。朔月も倣う。

 輪花もまた、抵抗の意志ありと見て己のマリードールを取り出していた。

 

理解(わか)らせる、必要があるみたいね」

 

 光と共にドライバーが出現する。張り詰める沈黙。一瞬の後、弾かれるように三人はその言葉を唱えた。

 

「変身」

「変身」

「変身!」

 

 マリードールがドライバーに装填され、三人の身体は光に包まれる。銀、赤、黄色。それぞれの色に四肢は染め上げられ、少女たちは戦う為の鎧を纏っていく。

 

《 Silver 》

 

《 戦いは止まらない 何故?

  運命は変わらない 何故? 》

 

 朔月は銀鎧と襤褸に包まれた亡者の如き幽騎士・銀姫に。

 

《 Blood 》

 

《 守護(まも)るは希望 誰の?

  叶えるは野望 誰の? 》

 

 爽は赤いローブを身につけた魔術師の如き軽騎士・血姫に。

 

《 Intelligence 》

 

《 光輝なる 私!

  偉大なる 私! 》

 

 そして輪花は黄色の装甲を恥じること無しと言わんばかりに燦然と輝かせる、灼熱の太陽が如き機械騎士・才姫へと。

 

 三者三様の騎士(ライダー)への変身を見せ、洞窟の回廊にて対峙した。

 

「ふふ……さて、そちらからどうぞ?」

 

 不敵に笑い、先手を譲るという才姫。高速戦闘を得意とする彼女こそが、もっとも先んずることを得意とするというのに。

 舐められている。そう直感して苛つく血姫だったが、ならば譲ったことを後悔させてやればいいと攻勢を仕掛ける。

 

「お言葉に甘えて、はぁっ!」

 

 右手に剣を出現させ、地を蹴って駆け出す。銀姫は背後に置き去りにして。

 一人で、その上片手で仕掛けたのには訳がある。まず片手であれば、対応力が上がる。両手に剣を持ってしまえば攻撃しか出来ないが、片手が空いていれば才姫が何かしてきても対処出来る確率が上がる。そう考え、まずは様子見のつもりで剣一本で斬りかかった。

 銀姫を置いていったのは……まだちゃんと戦えるか分からなかったからだ。出来ることなら、戦わせずに済む方が良い。このまま自分でケリが着くようならば、それが一番いいから。

 

「やああぁぁっ!」

 

 駆けながら繰り出す、下から掬い上げるような一閃。才姫の脇腹から肩までを引き裂くはずの一撃は――

 

「フッ。やっぱり遅いわね」

 

 ――残像を、切り裂くだけで終わった。

 超スピードで回避した才姫は、血姫の側面を取って攻撃を繰り出す。

 

「セイッ!」

「ぐっ」

 

 鋭い蹴り。頭部を狙ったそれを、血姫は残しておいた手でガードする。受けた腕が鈍い音を立てた。

 しかし才姫の攻撃はそれだけに留まらない。

 

「遅い、と言ったはずよ」

 

 即座に繰り出される第二撃。伸ばした足を引き戻し、もう一度打つ。ボディ狙いのそれに今度は反応しきれず、血姫は腹部を走る苦い痛みに呻いた。

 

「うぐぅっ!」

「そらそら! 防がないと終わっちゃうわよ!」

 

 隙を逃さず片脚で立ったまま、第三、第四とハイキックを繰り返す。超スピードで放たれる蹴撃。速すぎて蹴りを繰り出す足が消えて見えた。

 

「ああっ、ぐぅ!」

 

 既に血姫は剣を構えていたもう片方も加え、両腕で防御を行なっている。にも関わらず、防ぎきれない。キックの嵐が止まらない。

 

「アハハッ、まるで敵わないわねッ!?」

 

 防戦一方。完全にスピードで上回られている証拠だ。目で捉えきれないほどの神速。一撃一撃は軽くとも、数が多く防げないなら関係ない。

 押し切られる――ヒヤリとした思考が脳裏を掠めた瞬間、その声が耳に届いた。

 

「やああぁぁぁーーっ!」

 

 どこか気の抜けた、しかし少女なりの裂帛の気合い。それが響いた瞬間、才姫は連続蹴りを中断し飛び退いた。

 

「チィッ!」

 

 舌打ち。それだけを残して消えた空間に、銀の軌跡が通る。

 

「朔月!」

「ごめん! 速すぎて反応が遅れた!」

 

 それは細剣を構えて斬り込んだ銀姫の一撃だった。躱されたものの、才姫の攻撃を止めることには成功した。

 少し離れた場所で才姫が面倒そうに溜息をつく。

 

「はぁ……あれだけ怯えていたのにまだ戦う気なのかしら? また怖い思いをしたいの?」

 

 呆れた声音でそう問いかける才姫。その言葉に銀姫は昨日の恐怖を、痛みを思い出す。それは耐え難いものではあったが――

 

「……そう、だよ。今は、戦う。そう決めた」

 

 隣の血姫の存在に支えられ、断言する。

 

「また迷うことがあっても。終わったあと後悔しても。貴女とは戦う。それが今、私の決めたこと!」

 

 覚悟は定まっていた。

 言い切った銀姫は細剣を翻し、才姫へ向かって鋭く突き込む。しかし見えていたのか、才姫は悠々とすら言える速度で容易く躱す。

 

「相手にならないと言ったでしょう? 貴女のスピードじゃ……」

「確かに、朔月一人だったらそうね」

 

 だが背後から聞こえた声に才姫はゾッと背筋を泡立たせた。咄嗟に飛び退けば、そこには双剣を振り抜いた血姫の姿。銀姫を囮に、回り込むように斬り込んできたのだ。

 

「グッ!」

 

 剣先が掠め、黄色い機械装甲に二条の傷が刻まれる。予想外の被弾に呻く才姫。

 それを挽回するかの如く、今度は才姫が攻勢に出る。お得意の高速移動で攪乱し、血姫を狙う。頭を狙ったハイキック。

 

「させないっ!」

「! 小癪なッ!」

 

 だが今度は、銀姫がその攻撃を受け止めた。交差させた銀の腕が才姫の爪先を防ぎ、血姫と銀姫両方にもダメージを与えられない。

 そしてその隙に、血姫が双剣を振るって襲い掛かる。

 

「はぁっ!」

「ウグゥッ!」

 

 今度は反応し、回避する。だがそれは双剣のみの話だ。血姫の手札はそれだけではない。

 双剣の勢いを殺さぬまま回転し、繰り出すのは尻尾の一撃。鞭のようにしなったそれは、才姫の胸部を打ち据える。

 

「ぐ……コイツ、ら!」

 

 胸を押さえながら後退し、才姫は二人を睨み付けた。お互いの隙を庇うような連携。それを崩すのは容易くないと明晰な頭脳が認めてしまう。

 防御の銀姫。攻撃の血姫。高いレベルで噛み合った攻守が才姫の機先を制す。

 

「……あの時ぶりだね」

「……そうね」

 

 並んで剣を構える二人は、かつて共闘した時のことを思い出していた。多数のダムドを相手に大立ち回りを演じた、あの日。その時も、銀姫が防御し血姫が攻撃の役割分担をしていた。

 あの時と同じ万能感が、二人の心の内に満ちる。

 

「仕掛けるよ!」

「うん!」

 

 お互いの声に後押しされ、二人は積極的な攻勢に出た。まずは血姫がお得意の連続攻撃を繰り出す。

 

「おのれ!」

 

 しかし才姫とて非凡な戦士ではない。真正面からの攻撃は見切れる。高速戦闘を可能とする程の反射神経と脳の回転を使えば、訳は無い。

 だが反撃しようとすると上手くいかない。躱しきったことで隙を晒した血姫を手刀で貫こうとすれば、たちまち銀姫が邪魔をしてくる。

 

「やぁっ!」

 

 銀の剣が割って入り、手刀を打ち弾く。攻撃は、届かない。

 

「またっ!」

「そこだっ!」

 

 そして銀姫に攻撃を防がれた途端、また血姫が攻め込んでくる。これが避けがたい。才姫であっても。

 攻撃とは隙でもある。狙う絶好のチャンスだ。防がれれば尚更。それは才姫であっても変わらない。

 

「グウウッ!」

 

 それでも致命傷を避けられるのは高速移動が可能な才姫だからこそ。しかし確実にダメージは受けていく。機械装甲の表面に刻まれた傷が増えていく。

 二人の連携はシンプルで、しかし高度だった。

 血姫は防御を考えず全力で斬り込む。そして銀姫は攻撃を考えず防御に専念する。お互いに攻守のどちらかを捨て、背中を預け合うからこそ、才姫を凌駕していた。

 それを絆と言うべきかは、この場では決められない。

 

「爽、左から!」

「OK! カバーよろしく、朔月!」

 

 何度でも、何度でも繰り返す。剣撃に躊躇は無い。決して届かないと、安心して背中を任せられるから。受け止めることに恐怖は無い。致命が訪れるより速く、斬り込んでくれると知っているから。

 攻める。守る。攻める。守る。二人の連携は決して途切れることなく。川の流れのように怒濤で、強固だった。

 それを受け続ける才姫は翻弄されるばかりだ。

 

「おのれ……おのれおのれおのれ!」

 

 ままならぬことに吠え、頭を振る才姫。己の才覚に絶対の自負を持つ彼女にとって、二対一程度(・・)で圧倒されることが気にくわないのだろう。怒りに震え、悔しさに奥歯を軋ませる。

 

「そんなに死にたいのなら、後悔させてあげるわ!!」

 

 才姫はお得意の足で大きく距離を取った。のみならず、通路の奥へと消えていく。脱兎の如く。そうも言える。

 

「逃げた? ……訳無いか」

「どうする、爽?」

 

 一瞬逃走を図ったようにも見えてしまうが、捨て台詞と才姫の性格上それは無いと二人は判断する。その上で、どうするか。

 

「……追おう。何をするか、分からないし」

「だね。罠を仕掛けられてたら堪ったものじゃない」

 

 今までの苦い経験が追跡を選ばせた。これまでの攻防は二人が有利だったというのもある。このまま押し切ってしまいたい――そういう願望もあった。

 武器を構えたまま駆け、一応警戒しながら才姫を追って洞窟の通路を進む。幸い一本道で、迷うことは無い。

 そして立ち籠める冷気を払って飛び出したのは――野球場ほどの広さがある、天井も高い大広間だった。

 

「ここは……」

「予め見つけておいたのよ」

 

 答えたのは中央に佇む才姫だった。

 

「元のスピードなら狭いところでも充分戦える。けれど――こちらは、そうもいかないでしょう?」

 

 そうして手に見せたのは――黄金色の、グレイヴキー。

 

「っ、それは!」

「ここでなら、洞窟が崩れる心配は無いものね」

 

《 Gallows Changeling 》

 

《 全ては人の為に 何故?

  世界を己の手に 何故? 》

 

 ドライバーへ鍵を差し込み、キーを回す。荘厳な黄金の粒子が才姫を多い、光に包んでいく。

 光が収まり、そこにあったのは黄金の鎧を身に纏いし騎士王だった。

 

「もう一度屈服させてあげる。この最強の力で!」

 

 たなびくマント。煌めく金の鎧。手にした大剣は重厚で、存在するだけで他を威圧し続ける。まさしく孤高なる最強騎士。

 両頬に亀裂めいた黄金を浮かべながら、才姫・チェンジリングフォームは凄絶に笑った。

 

「来る!」

 

 才姫が大剣を振り上げるのを見て、銀姫は警句を発す。チェンジリングフォーム、ひいては乖姫の攻撃が殆ど初見である血姫の為だ。

 しかしそもそも不要だったかもしれない。その剣に漲る多大な黄金のオーラを見れば、誰もが受けてはいけない一太刀だと看破できるだろうから。

 

「やばっ!」

「くっ!」

 

 予測できる線上から、二人は身を投げ出すように左右に飛び退く。遅れて一瞬。その間に奔る黄金の一閃。

 強烈な破砕音。オーラの激しい奔流が駆け抜けた後にあったのは、真っ赤に溶解した無惨な地面の姿だった。

 

「これは……強烈ね……」

 

 ゴクリと息を呑む血姫。自分は元より、銀姫でもこの一撃は受けられないだろう。まともに正面からぶつかれば、跡形も残らない。

 だからすぐに、方針を決定する。

 

「二人で左右から攻めるよ! あの攻撃を向けられたら回避に専念して、もう一人が後ろから攻撃する! 理想は、オーラを溜めさせないこと!」

「分かった!」

 

 攻撃と防御。先程までは上手くいっていた役割分担を、捨てる。あの斬撃を受ければ銀姫がこの世から消滅してしまう以上、防御という言葉もまたほぼ消滅していた。

 だから同時に攻め立て、剣を向けられた方が回避、向けられていない方が攻撃を担当する。挟み撃ちで優位を取り続ける作戦だ。

 

「よし……GO!」

 

 血姫の合図で、二人は左右に別れて一気に駆け出す。両サイドから迫る二者を見ても、才姫は余裕の表情だ。

 

「ま、でしょうね。そうすると思った。というより、それしかない」

 

 そして才姫は黄金のオーラを……溜めること無く、大剣を振るった。

 それだけで、二人の勢いを絡め取るほどの突風が起こる。

 

「っ!」

「ううっ!」

 

 スピードが削がれ、二人の足が止まる。その際……より才姫に近い位置にいるのは血姫だ。単純な、足の差で。

 そこへ、振り下ろされる大剣。

 

「くうぅっ!」

 

 慌てて双剣を交差させガードする血姫。大剣はその交差部分。一番力が入り、一番防御が厚いそこへ真っ直ぐに入り――そして、難なく潰した。

 

「がっ!?」

 

 ガードごとに叩き潰され、血姫は地面に叩きつけられた。背中を強かに打ち付け亀裂すら奔る。

 

「爽!」

 

 慌ててカバーリングに入ろうと銀姫は、背を向けた才姫へ斬りかかる。何のアクションも見せず、背中で受け止める才姫。

 カキン、と。

 幼子が食器を打ち合わせたかのようなささやかな音だけを立て、細剣は呆気なく弾かれた。

 重厚な鎧に、為す術無く。

 

「そんな……!」

「フン。蚊ほどにも無い……いや、それ以下ね」

 

 さながら虫を払うように、振り返りざまに剣を弾く才姫。大剣を血姫から持ち上げ、悠々と肩に乗せる。その仕草の全てに、余裕があった。

 傲慢とも呼べるそれは、しかし今の銀姫に打ち崩す術が無かった。

 

(硬い、重い、強い……!)

 

 重厚な鎧は並みの攻撃を全て弾き、剣の一撃一撃は受け難く、膂力は論じるまでも無い。

 その全てが、隔絶していた。

 これがチェンジリングフォーム。

 乖姫の……真衣が、秘めていた力。

 

「さあ、すればどうする?」

「っ!」

 

 しかし、それは今の銀姫では、という話だ。

 攻撃が来るより早く飛び退く。充分な距離を取ってから、ベルトに手を回す。

 その間、才姫は何もしなかった。

 強者の余裕、ということらしい。口元に微笑を浮かべ、むしろ興味深げに銀姫のしようとしていることを眺めている。

 

「ふふ、どちらを選ぶのかしら」

 

 その言葉に、銀姫は伸ばした手を止めた。ベルトには二つの鍵、選択肢がある。

 一つは青。デザイアグレイヴキー。冀姫の力。しかしこちらは、前回才姫に見せている。

 もう一つは――

 

「……力を貸して、とは言わない」

 

 カチャリ、音を立てて鍵を手にする銀姫。

 

「でも因縁はあるでしょ。少なくとも――」

 

 手には緑。自分が初めて犯してしまった、罪の証。

 

「銃口は、向けられる!」

 

《 Gallows Scavenge 》

 

《 解放されたい 誰に?

  許してほしい 誰に? 》

 

 差し、回す。歪んで電子音が鳴り響き、銀姫の鎧が変化していく。

 緑の装甲が右腕を覆い、右頬に亀裂めいた模様が走る。最後に右腰を叩いて銃を手にすれば、銀姫・スカベンジフォームの完成だ。

 

 痛みは、頭に流れ込む記憶の奔流は無かった。それが二回目だからなのか、認めてくれたからなのかは分からない。

 今できることは、この銃口を才姫に向けることだけだ。

 

「はあっ!」

 

 引き金を引く。それだけで硝煙が弾け、銃弾が撃ち出される。

 

「へぇ。それがあの……志那乃の、竈姫の力って訳ね」

 

 その銃弾を才姫は真正面から受け止める。避けるフリすらしない。鎧の硬さなら、通らないと予想していたからだ。

 そしてその通りに、銃弾は黄金の鎧に弾かれた。

 

「くっ! 効かない……!」

「当然でしょう? 貴女程度の鎧で銃弾は充分弾けてた。ならより分厚いこの鎧が射抜けないことは道理ッ!」

 

 ズン、と銀姫へ向け一歩を進める才姫。それを見て銀姫は再びトリガーを引く。

 撃ち出される銃弾。だが結果もまた同じ。傷すら満足につけられず、弾はあらぬところへ跳弾していく。

 

「だったら!」

 

 一度銀姫は銃をしまい、新たに斧槍を出現させる。肉厚の刃を持つそれを振り下ろし、近づいてくる才姫の鎧を突き立てた。

 

「ふぅん、他の武器も使えるのね。多彩で多才……でもそれだけ。あの子みたいね」

 

 やはりものともしない。諦めず、銀姫は次なる刃を叩きつける。今度は円刃。チャクラムを足へと。

 

「狙いは悪くない」

 

 上半身から下は、黄金の鎧を身につけていない。元の才姫のままだ。なれば上よりは防御力が低いだろうと踏んでの攻撃……その狙い自体は確かにそのようだ。

 

「けど見え据えている」

 

 だからこそ、腕一本で弾かれた。小枝を払うかの如く、チャクラムは銀姫の手から叩き落とされる。

 

「あぐっ!」

「やはり低脳なようね。確かに才姫本来の高速移動はこの形態では出来ない。けど私の反射神経も頭の回転も据え置きなのよ? そんな蠅が止まるような攻撃が通じる訳ないじゃない」

 

 呆れたように言う才姫。突き立てられた斧槍も掴み、千切るように銀姫の手から奪う。

 

「あうっ!」

「竈姫の力。どんなものかと思ったけれど、やっぱりこの乖姫の力には及ばないみたいね。敵うとすれば……ふふふっ! 私の才姫のみかしらね」

 

 遠くへ放り投げられた斧槍がカランカランと音を立てて地を滑っていく。それを見ながら、銀姫は次なる武器、刃の歪んだ剣を手にする。

 

「さあどうする? 次は? その剣で今度こそ足を断ってみる? まぁチャクラムと同じ結果になると思うけど。それとも銃撃にシフトする? 正直生身と違ってあまり怖くないわね。どうせ通らないし。……あぁ、冀姫の力を使うって手もあるわね! でも人海戦術は昨日攻略したし、一工夫必要じゃない?」

 

 嘲りながら、才姫はゆっくりと距離を詰めてくる。愉快げに嗤うその姿は勝利を半ば確信しているようだ。

 気圧されるように、ジリジリと下がる銀姫。構えた歪剣の切っ先は震えるように定まらない。どう攻めてよいか分からぬ迷いと、ぶり返し始めた恐怖。とにかく必殺の間合いの外にはいようと、一定の距離は保ち続ける。

 一歩詰めれば、一歩下がる。それを遊びのように繰り返し、二人は距離を変えないまま移動していく。

 

「くっ――」

「ふふふっ。哀れね。そして――健気(・・)だわ」

「!」

 

 恐怖に震えていた銀姫の口元が、その言葉で引き締まる。看破された、と。

 

「無謀な攻撃は自分へ注意を向ける為。やられた血姫が回復する隙を稼ぐまでの……気付かないとでも思った?」

「っ!」

 

 見抜かれていた。そう。銀姫が積極的に攻勢を仕掛けたのは自分へと注意を引き付ける為の行動。攻撃が通じず惑っていたのは決して嘘じゃ無い。通じればそれに越したことは無いからだ。されど大目的は、叩き潰された血姫から視線を逸らすための陽動だった。

 目論見通り、血姫は地に潰されたダメージから起き上がりつつあった。震える膝を起き上がらせ、立とうと足に力を籠めている。あと少しで復活できる。

 だがその前に、目論見が看破されてしまった。

 

「庇い合い結構! だったら私は、それを上から押し潰すまでよ!」

「爽!」

 

 才姫の狙いが、血姫へと向かう。大剣を手にしながらゆっくりと振り返る才姫へ向け、銀姫は警句を飛ばしながら歪剣で斬りかかった。

 背後を切り裂かんとする一閃。だがその切っ先は、視線を向けずに伸ばされた黄金の手で掴まれた。

 

「うっ!」

「そしてこうすれば貴女が焦るのも計算済み。見てなさい。貴女の相棒が――消し炭になる様を!」

 

 得物を掴み取られ、身動きが取れない銀姫を嘲笑うように黄金のオーラを漲らせていく才姫。血姫はそれを睨み付けつつも、まだ立ち上がれない。痛みが身体を苛み、膝が震えている。

 回避は、間に合わない。

 

「爽ー!」

 

 叫ぶ銀姫。才姫はまるで構わず、黄金を大剣へ宿らせていく。

 それを見ながら血姫は――自嘲した。

 

「……なんていうか、さ。最初にああ言ったクセに、って思うんだけど」

 

 苦々しい笑みを口元に浮かべ、血姫は手を伸ばす。

 己の腰元、ベルトへと。

 

「全然一人じゃ戦えないよね、アタシ」

 

 手にするは、紫の印が刻まれたグレイヴキー。

 黄金の力を抱えし大剣が振り下ろされる、直前――その僅かな時間の中で差し込み、キーを回す。

 その瞬間、血姫の中に光のような奔流が流れ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 白い空間の中で、素裸の姿で腕を組んでいる少女がいた。

 寺野藤。血姫が、爽が己の手で殺した少女。

 だが――刀のように鋭かった雰囲気も、暗い覚悟を決めていた眼差しも、今は柔らかい。温かい、とすら言える。まるで見守るように、爽をただ優しく見つめていた。

 藤は、力強く頷く。

 

――ああ、征け。お前の信じた道を。最期まで。

 

 願いが、記憶と共に託される。

 

 

 

 

 

 

――ただ親友と、帰っていただけなんだ。

 

『藤、空手の調子はどう?』

『いい感じだよ。大会までにはもっと仕上げるけど』

 

 他愛も無い夕暮れの帰り道。楽しげな談笑。明日も同じように続くと、無邪気に信じていた日常。

 引き裂いたのは、車のブレーキ音だった。

 

『え、な、なに!?』

『うるさい! いいからこい!』

『離せ! やめろ! その子に手を出すな!』

 

 ボックスカーから出てきたのは四人の男たち。そいつらに手足を押さえられ、二人は抵抗することも出来ず車内へ引きずり込まれていく。

 

 場面は移り変わり、廃工場らしき風景。手足を縛った少女二人を眺め、男たちは舌舐めずりをする。

 

『へへっ、どっちからいただこうかな』

 

 その言葉に真っ直ぐ反応したのは親友の方だった。

 

『あたしから! ……お願い。藤は大会が近いの……!』

 

 勿論、叫んだ。やめてくれ。その子に手を出すな。犠牲になるなら自分が。

 しかし興が乗った男たちを翻すことは出来なかった。

 男たちに覆い被され、少女の姿が見えなくなる。

 だが藤もまた、男の餌食になる。

 

――嫌だ。汚い。気持ち悪い。

 

 痛みと苦悶に泣き叫ぶ。だが野卑な笑みを浮かべた男の手を振り払うことは出来ない。心が先に力尽きていた。

 

 暗転。手を伸ばした先に転がっているのは、惨憺たる親友の姿。

 顔は青黒く腫れ上がり、手足は形を失い、白い肌には斑点のような焦げ痕。清らかだった少女は、その尊厳の全てを汚し尽くされていた。

 

『……苦しいよ、藤……』

 

 それが親友の最期の言葉だった。少女は苦痛という苦痛を無理矢理味わされ、この世を去った。

 

『あ……あぁ』

 

 直後、救助が訪れた。だがその時には何もかも遅かった。

 男たちは逮捕され、極刑が決まったが、それで心が晴れることも無かった。

 

――せめて、苦しまずに死なせてあげるべきだった。

 

 いつからか、そう思うようになった。

 情けない自分では、彼女を守ることは出来なかった。

 ならばせめて、痛くないよう、苦しまないよう、速やかに死を運ぶべきだった。

 

 何度も叩きつけられ、血が滲んだ拳に誓った。

 苦しみを取り除こうと。無理ならば、早く終わらせようと。

 それが、自分が生き残った意味なのだと。

 

 

 

 まったく別の、どこかの路地裏。

 マスクをし、ジャージを着込んだ藤の足元には数人の不良が転がっている。

 そして最後の一人を締め上げる藤の革手袋が嵌められた両手は、返り血で真っ赤に染まっていた。

 

『ひぃっ……やめて、許して……』

『……お前みたいな奴らは、全員地獄まで苦しめ』

 

 腹に向け、思い切り拳を叩きつける。不良は血を吐き出し、地面に倒れ伏す。

 死にはしない。だが傷つけられた内臓は一生治らないし、寿命を大きく縮める。後十年。いや一年。あるいは数ヶ月後。不良はどのみち死ぬ運命だ。それが分かるくらいには、この手で叩きのめしてきた。転がる不良、全てがそうだった。

 

『……うぅ、あぅ』

 

 呻き声。その主は、路地裏の壁にもたれ掛かる女性のものだ。

 女性は酷い有様だった。衣服は乱れ、殴られた顔は鼻の骨が折れている。端に転がる注射器の数は、一度に投与されていい量を遥かに超えている。後遺症は、きっと一生残るだろう。

 

『………』

 

 このまま生き残っても、見るのは生き地獄だ。

 そう判断した藤は、その血塗られた両手を女性の首にかける。

 

『ぁ……かはっ』

『………』

 

 こきり。女性の首は、容易く折れた。

 藤は手を合わせ――無論、女性だけに――その場を後にする。

 

『苦しみを……終わらせる……』

 

 譫言のように、呟きながら。

 

 彼女と出会った時、復讐の依頼なのだと思った。だから深く考えず頷いた。

 真実を知り、しかし藤は揺らがない。

 

――終わらせる。苦しみ、全て。

 

 それが、彼女の願い。

 

 

 

 

 

 

《 Gallows Unbreakable 》

 

《 悲劇を止める! 何故?

  敵を絶滅する! 何故? 》

 

 黄金の奔流が放たれ、激突する。

 膨大なエネルギーが爆ぜた。銀姫が悲鳴を上げる。才姫が口角を上げる。

 だがその残滓が晴れた時、そこにいたのは。

 

「だから、力を貸して。藤」

 

 黄金を防いだのは、紫の腕甲。刺々しいそれで残滓を振り払って立ち上がる血姫は、大きく違う装いに身を包んでいた。

 

「アンタの苦しみ、少しだけ分かった。全部は分からない。分かる訳無い。でも、それでも――」

 

 同じく紫の胸甲。両頬に入った入れ墨のような同色の亀裂。

 間違いなく、藤の――焉姫の似姿。

 だが黄金を防いだ重厚な腕甲は、よく見れば焉姫よりも巨大だった。しかも、焉姫に無かった特徴も存在している。

 佇む血姫の背後から、ぬうっと巨大な影が鎌首をもたげた。それは彼女の尾。しかし倍は太く、大きくなっている。外骨格めいた紫の装甲に覆われたそれは蛇というより――竜の如し。

 

 まるで、藤が限界を超えて力を貸しているようで。

 

「アタシもまた、友達を失いたくは無い」

 

 痛みが消えた。祝福しているようなそれに、意気が漲る。魂が昂ぶる。

 立ち向かう力を、受け取った。

 

「だから、この力。アタシの苦しみ(てき)を、ぶっ壊す為に!!」

 

 全てを真っ向から受け止め、凌駕する。純粋な武力の化身。

 仮面ライダー血姫・アンブレイカブルフォーム。

 

「征くよ、藤!!」

 

 竜が、吠え猛る。



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六日目-3 落ちる太陽、来る明日

「お、お、お!」

 

 獣じみた雄叫びを上げながら、血姫・アンブレイカブルフォームは才姫に向かって猛進した。

 技術や小手先はいらない。両手の巨大な篭手を盾にしながら一直線に突撃する。

 

「使ったか! けど!」

 

 それに対し黄金の鎧を纏う才姫・チェンジリングフォームはオーラを溜め、それを剣の振りに乗せて放った。空飛ぶ斬撃と化したオーラは、過たず血姫に着弾する。

 岩だろうが鉄だろうが熔解する熱量を持つ黄金のオーラ。しかしそれを真正面から受けて、血姫は健在だった。

 

「何!?」

「ガアアァァァッ!!」

 

 歩みは止まらない。至近距離。血姫は紫の重厚な腕を振り上げ、怪獣めいた爪で才姫を襲う。

 暴風を纏ったその一撃を才姫は辛うじて大剣を盾に受ける。だが膂力で負け、大剣は大きく弾かれた。

 

「ウッ!?」

「そこだァァッ!!」

 

 その隙を見逃さず、血姫はもう片腕を突き込んだ。紫の爪が、無防備となった才姫の鎧を切り裂いた。

 黄金の輝きに、数条の線が刻まれる。

 

「グッ! 鎧が!?」

 

 ダメージを受けたというその事実に、才姫は驚愕した。黄金の鎧は、それまでほとんど無傷だった。銃弾を受けても、槍で突かれてもまるで動じない。金剛不壊という言葉が相応しい堅牢ぶり。それに、瑕疵がついた。

 つまり今の血姫は、才姫に傷を与えられるだけの攻撃力を秘めているということになる。

 

「オオオォォ!」

「くっ、まずいわね……!」

 

 迫り来る剛腕を下がって躱しながら、才姫は思案した。焉姫の力。才姫が唯一明かせていない手札。その存在は最初から懸念していた。

 焉姫とは戦ったことがある。とはいえそれは小手調べ程度の物だった。相手は本気で攻めず、故に才姫の本来のスピードで全て躱すことが出来た。しかし隙を見せなかった為に才姫側から痛打を与えることも出来ず、そのまま時間となった。

 その程度の情報だったが、それでも推測出来る性能はある。攻撃は掠りもせず、武器も無し。スピードは才姫に遠く及ばない、純粋なパワータイプ。拳で殴ることしか出来ない、鈍重な猪。そう予想していた。

 その予想は、確かに当たっていた。だが、計算外だったのはそのパワー。まさかバイク三台の爆発に無傷だった乖姫の鎧に傷をつけるとは。

 

「仕方ない、ここは一度撤退……」

 

 まずい状況に、才姫は撤退を決断した。誘い込んでおきながら下手を打ち、逃げ出すことに多少矜持が傷つくという思いはある。だがそれを冷静に判断し、最後に相手を踏み越えて笑えればそれでよしと考えるのが輪花という少女の在り方だった。卑怯汚いは弱者の戯言。故にプライドなどという何の役にも立たない物を土壇場で捨てられる。

 だがその為に退路へ向かおうとした足元に、弾丸が跳弾する。

 

「! 銀姫……!」

 

 撃ったのは当然、銀姫・スカベンジフォームだ。両手で銃を構え、才姫に狙いを合わせている。その立ち位置は、才姫と退路となる通路の間だった。

 

「逃がさない!」

 

 退路を塞ぎながら、銀姫は更に銃弾を放つ。胴を狙ったその銃撃を、才姫はステップを踏んで辛うじて躱す。

 そう、躱す。今まで真正面から受けてきた銃弾を。

 

 効かないと分かっている銃弾を受ける余裕すら、今の才姫には無いということだった。

 銃弾のダメージは鎧に阻まれてほとんど届かない。だが皆無では無い。衝撃だ。激突したエネルギーは衝撃となり、才姫の足を止める。ほんの僅かとは言え、止まってしまうのだ。それは血姫の剛腕を同時に相手している中では致命的だった。血姫が自身に届きうる攻撃をしてくると分かった以上、銃弾すら受けられない。回避するしか無かった。

 

「面倒な……!」

 

 歯噛みする才姫を余所に、銀姫は姿の変じた血姫に話しかけた。

 

「爽!」

「……大丈夫、朔月。アタシは正気だよ」

 

 心配げな銀姫の声に、獣じみた暴威を一時収めて血姫は応える。アンブレイカブルフォームになってから溢れる力が戦いへ駆り立てる。だが爽本人の思考は極めて澄み渡っていた。

 藤が力を貸してくれている。

 何となく、爽は実感していた。

 

「このまま押し通す。朔月は、援護よろしく!」

「うん、分かった!」

 

 押している好機を逃す理由は無い。

 すぐさま二人は攻勢を再開する。

 

「グッ、コイツらぁ……!」

 

 才姫からすると、堪った物では無い。受けきることが難しい血姫の剛腕に、銀姫の邪魔。またも連携だ。息を合わせ連動する二人が、単体では勝るはずの才姫を追い詰めていく。

 アンブレイカブルフォームだって、決して攻略は不可能では無い筈なのだ。この形態の血姫は明らかに遅い。本来の素早さが失われた才姫よりも遥かに劣る。今はインレンジに持ち込まれているから気にならないだけで。

 だからさっさと離れ、遠方から黄金のオーラを飛ばし続ければあっさりと倒せる。いくらかは耐えられても、あれだけの攻撃だ。ずっと無傷で耐えられる訳がない。安心安全に処理が出来る。

 だが今は無理だ。その道を、銀姫の銃弾が邪魔をしている。

 

「小癪、過ぎる……!」

 

 単体なら訳がない。なのに、こうも追い詰められる。

 苛立たしさに、才姫の頭は沸騰寸前だった。

 

「ガアァッ!」

 

 どう切り抜けるかに思考を巡らせる才姫に、吠える血姫が飛びかかる。風圧を纏いし剛腕。重い紫の拳はしかし、大剣の腹で受け止められた。そのまま腕に力を籠めて押し込むが、僅かにしか動かない。腕力の差は、実はそれ程でも無いのだろう。

 

「グウウゥ……!」

「ケダモノめ……!」

 

 耐えるべく、才姫も力を籠める。互いに力むことしか出来ない拮抗状態。動けるのは、一人だけ。

 

「はぁっ!」

 

 がら空きとなった才姫の背中を、銀姫は銃で撃った。所詮中身は素人である銀姫は銃撃が得意という訳では無い。だが今、的は止まって動かない。ならば当てるのは児戯に等しい。両手でしかと狙いをつけた銃弾は過たず着弾する。

 

「グッ!?」

 

 背中に走る衝撃。痛みは無いが、全身で対抗していた才姫のバランスを狂わせる。

 その隙に合わせ、血姫は一気に押し込んだ。

 

「オオオォォ!!」

「グウゥッ!」

 

 バランスを崩したことで足の踏ん張りが失せ、たたらを踏む。足場が崩れれば人の身体は脆い。才姫は耐性を整える暇も無く押され、遂には大剣を弾かれた。

 盾を無くし、がら空きとなった胴体へ紫の拳を叩き込む。

 

「ガアァッ!!」

「ゴフッ!?」

 

 まともに入るボディブロー。今までに感じたことの無い衝撃が才姫の全身を突き抜けた。今までは高速移動で攻撃を躱すか、手に入れた乖姫の圧倒的な防御力でやり過ごしてきた才姫に取って、初めての痛打であった。

 

「グ、ウ、ゥ」

 

 腹を押さえ、よたよたと後退る才姫。当然、血姫にとっては追撃のチャンスだ。

 

「オオォッ!」

 

 引き絞った拳を振り抜く。再び迫る重撃。だが流石に真正面。才姫は覚束ない足取りながら回避しようとして――

 

「させないっ!」

「ギィッ!?」

 

 足を撃たれ、強制的に止められる。

 拳の圏内に留まってしまった身体に、拳は容赦無く叩きつけられる。

 

「ガハァッ!!」

 

 今度は胸を打つストレート。力任せのテレフォンパンチが、黄金の胸甲を撃ち抜く。

 そしてその表面に――罅が入った。

 

「馬鹿、なっ……!」

 

 金剛不壊。そう思われていた乖姫の黄金の鎧。だが今、それが――

 

「ガアアアァァァッ!!」

 

 頭を振り上げて叩きつける、三発目。渾身の頭突きがトドメを刺した。

 胸甲が、砕け散る。

 

「あり得ない、乖姫の鎧を……!」

 

 音を立てて四散する煌めく欠片を、信じられないと見つめる才姫。獣じみた猛攻が、騎士王の鎧を打ち砕いた。そして衝撃を殺しきれず、才姫はそのまま壁に叩きつけられた。

 

「ハァ……!」

 

 それを見届けて、ようやく血姫は動きを止めた。疲労を感じさせる濃い息を吐き出す。

 乖姫の鎧を砕くほどの並外れたパワーは、実は単純なスペックによる物では無い。

 無論、腕力の強い焉姫を元にしたアンブレイカブルフォームは相応の膂力を秘めている。そのパワーはライダーの中でも随一だろう。だがそれでも、重厚な乖姫の鎧を破壊するには不足だ。

 その不足を、血姫は筋肉のリミッターを外すことで補った。

 

 人間の身体は、常に全力を出している訳では無い。疲れないよう、そして痛めないよう無意識の制限がかけられている。それは生活していく上で不可欠な物だ。無くなれば、あっという間に筋肉は擦り切れ千切れてしまう。

 それを血姫は意図して無視した。普通は出来ない筈だが、アンブレイカブルフォームとなった今なら出来た。

 しかしそんなことをすれば当然、己の身体を破壊してしまう。

 

「……ッ!」

 

 手足が引き攣る感覚を覚え、顔を顰める血姫。筋繊維が千切れ、骨が悲鳴を上げているのだろう。

 だが痛みは無い。無痛。それが焉姫の能力であり、その力を受け継いだアンブレイカブルフォームの力だ。

 己の全てを擲ち、犠牲とする。

 なるほど、藤から託されたに相応しい力だと血姫は口元を薄ら歪めて自嘲した。

 

「こんな、筈が……」

 

 視線の先で才姫が叩きつけられた壁からよろよろと起き上がる。随分とショックを受けているように見えた。

 頭脳明晰を誇る才姫でも、乖姫の鎧を攻略する術は見えていなかったのだ。少なくとも真正面から打ち砕くような策は。故に絶大な自信を持っていた。自分の頭脳と無敵の鎧。この二つが揃えば万が一は無いと。

 しかしその自信ごと、鎧は砕かれた。

 無敵の幻想は、もう無い。

 

「真衣は、貴女に力を貸してくれないみたいだね」

「……何ですって?」

 

 そんな才姫を見てポツリと呟いたのは銀姫だった。

 

「爽を見て、分かった。多分、グレイヴキーには意志がある。薄らと、残滓めいた……でも、心が残っている」

 

 グレイヴキーを使ったときに垣間見た、白い空間。そこに浮かぶ少女。そして問いかけと、流れ込む記憶。それは恐らく、少女たちの残り香だ。

 未練であり、恨みであり、愉悦であり……心が、残っているのだ。

 

「それが……何!?」

「だから、選ぶんだ。力を貸すか、否か」

 

 心がある。故に、意志がある。

 ならば選ぶ権利もまた、ある。

 

「何ですって……!?」

「爽を見てれば分かる。藤の力……焉姫の力は、明らかに私たちより出ている。多分、藤が爽に力を貸しているんだ」

 

 今まで銀姫が使用したグレイヴキーと比べても、血姫の力は段違いだ。

 その理由を、銀姫は藤が血姫を、爽のことを認めているからだと感じた。

 藤は彼女なりに胸の空くような決着の末、笑って逝ったと聞いたから。

 

「だから他のグレイヴキーがそうじゃ無いのは、きっと……」

 

 ならば何故、今までのグレイヴキーは違うのか。

 そちらの理由も、銀姫は分かっていた。

 

「……私たちのことが、好かないんだ」

 

 志那乃も。ナイアも。銀姫自身が手をかけた相手だ。自分の手で殺し、その命を絶った。

 それは同時に、二人の願いを叶える機会を潰したということでもある。

 志那乃の親愛。ナイアの愉悦。彼女たちの後悔も、楽しみも、この手で奪った。

 ならばその力を望んで貸す訳が無い。

 だからきっと、銀姫が今まで使ったグレイヴキーでは本来の力が引き出せていなかったのだ。

 

「っ!!」

 

 才姫が固まる。それは、同時にいくつものことを理解したからだった。

 銀姫の言う言葉に納得した。だから血姫が脅威だと再確認した。そして……自分には不可能だと、確信してしまった。

 

「だから、貴女には絶対無理だ」

 

 銀姫も断言する。

 

「自分以外の全てを無駄と切り捨て、拒絶し孤高を選ぶ、輪花。誰もを見下し踏み躙る貴女には、誰も応えない!」

「ぐ、ぐうぅぅ」

 

 反論が出来ない。才姫の頭脳であっても。

 何故ならソレは、この上なく的を得ていたからだ。

 

 飛天院輪花にとって己の以外の全ては踏み台だ。天才である自分に蹴落とされ、追い越され、そして屈して認め崇めるだけの矮小な存在だと、輪花は本気で信じている。

 故にこそ、誰かと絆を紡ぐことなど無い。あるとしても一時的な利害関係。それもハナから切り捨てることを考えた、駒としての利用。

 それは不変。輪花が輪花である限り。

 だからこそ、才姫にはグレイヴキーを真に使いこなすことは出来ない。

 

「貴女は真衣を認めなかった! だから真衣も、貴女に力を貸すことなんて無いんだ!」

「だ、黙れぇぇっ!」

 

 叫び才姫は、認めたくない論説を払うかのように大剣を振るった。

 

「だったら屈服させてやる! 私こそ最上最強至高の存在だと、お前らを屈服させてなぁ!」

「――やってみなよ」

 

 歯軋りせん勢いでそう捲し立てる才姫に対し、血姫は悠然と拳を構える。託された、紫の拳を。

 

「アタシだって、友情のつもりなんて無い。ましてやそれを誇る気も」

 

 朔月の言葉は、真実かもしれない。藤もまた、そう思っていた。

 しかしかといって、それを誇らしいとかは到底思えなかった。どう言い繕ったとしても、爽が藤を殺めて手に入れた力であることに変わりは無いのだから。

 だが、それでも。

 

「それでもアンタを潰すまでは、絶対倒れない!」

 

 この場に立つ血姫の覚悟。ここで才姫は終わらせる。

 再び己の手を血に染めようとも、必ず。

 

「は……あぁ、勘違い、しているみたいね……」

 

 ガラリと音を鳴らし、才姫はめり込んだ壁から身を起こす。半面の下から覗く表情には、怒気が表れていた。

 

「確かに予想外の抵抗に遭っている。そこは褒めてあげるわ。私より遥かに劣る身でよくもやる……けど、それでもこの場を制し、願いを叶えるのは……この私、飛天院輪花だァ!!」

 

 才姫もまた、倒れられない。どんなに独りよがりであっても、願いを持っているからには。

 銃を構えそれを静かに見つめる銀姫だって、ここから退くつもりは無い。だから三人は激突するしか無い。誰かが命を潰えさせる、その時まで。

 

「グ、オオオォォ!!」

 

 戦闘が再開する。口火を切ったのは才姫。痛みで軋む身体を叱咤し、大剣を振り上げる。そこから迸る剣風が、二人の動きを止めた。

 

「くっ!」

 

 苦し紛れに銀姫が銃弾を放つ。だがブレた銃口は狙いを付けられず、銃弾は見当違いの方向へ飛んでいく。動きを遮られなかった才姫は、そのまま剣を血姫へ向け振り下ろした。

 刃と共に炸裂する黄金の光。だが血姫の身体が溶解するような事態にはなっていない。太い紫の尾が、受け止めたからだ。

 表面が赤熱化しじゅうじゅうと耳障りな音を立てていながらも、血姫の致命には届かなかった。紫の分厚い装甲が血姫を守った。

 

「ウ、ガアアァァ!」

 

 そのまま尻尾に力を籠め、押し返す。力比べは血姫に軍配が上がり、大剣は上へと克ち上げられた。

 だが、その時には既に才姫は片手を大剣の柄から離していた。

 尻尾というガードが失せ、がら空きとなった胴体へその片手を抉り込ませる。

 

「ガッ!」

 

 黄金の手が血姫の喉輪を掴む。いくら重装甲なアンブレイカブルフォームでも、首までは装甲に覆われていない。そのまま力を籠め、握りつぶそうとする才姫。

 しかし背後から聞こえる風を切る音に、慌てて片手の大剣を振り回す。

 甲高い金属音が鳴り響く。大剣が弾いたのはチャクラム。体勢を立て直した銀姫が才姫の気を引くために投げた物だった。

 あえなく弾かれてしまったが、気を引くという事には成功した。血姫は動きの止まった才姫の手を掴み、自分の首から力任せに引き剥がす。

 そしてその首を、力任せに振り抜いた。

 

「っらぁっ!!」

「あぐっ!!」

 

 頭突き。仮面と仮面が激しくぶつかり合う。散る火花はすぐに消え、微かに遅れて硬質な音が迷宮に響き渡った。

 そしてその勢いで二人は地に転がり、泥臭い殴り合いに縺れ込む。

 

「ああぁっ、潰れろぉ!!」

「ぐ、貴女がねェ!!」

 

 本能のままに拳を叩きつけ合う。何か物を考え戦い方を組み立てるという段階を一切踏まえず、ただ獣性の赴くまま鉄拳を振るう。ガードが空いたら考えずにそこへ打つ。殴られたと思ったらその瞬間に殴り返す。肉を打つ鈍い音と装甲が砕ける甲高い音。二つの音色が単調なリズムを作り出す。

 もつれ合っている為に引き金を引けず、銀姫はその殴り合いを見届けるしか無い。

 

「あ゛あああぁぁっ!!」

 

 そして勝利したのは、才姫であった。殴り合いでは痛みを感じない血姫に長がある筈だが、その上でなお勝った。彼女の自負と気迫が能力差を超えた。どれだけ傲慢でも才姫もまた、是が非でも願いを叶えんとする少女なのだ。思いの強さは血姫にも負けてはいない。いやむしろ、人を殺める罪悪感などとは無縁故にいっそ混じり気が無く、より純粋とすら言える。

 故にその拳は多少の痛みでは鈍らず、血姫の顔面を叩いて大きく吹き飛ばした。

 

「がはっ!」

 

 口から血を吐きながら、吹き飛ばされる血姫。だがこちらもまた、戦意は些かも衰えていない。

 

「負ける……か。ここで、負けてたまるか!」

「しぶとい、奴め」

 

 それを見て、才姫は考える。この場を打開するもっともよい手段は何か。

 血姫はしぶとい。無痛の能力と合わせその耐久力は、全てのライダーの中でトップクラスと言えるだろう。現に潰し合いになっている。倒せるとしても消耗戦の末に、だ。

 それでは駄目だ。まだ銀姫が残っている。ギリギリの攻防の末に勝ったとしても、銀姫にトドメを刺されるだけだ。

 だから考える。自分がこの場で、勝機を掴む方法を。

 そして――思いつく。

 

「……ハッ。我ながら、明晰な頭脳というのも考えものね……」

 

 嘲笑。それは自分に対して浮かべた物。

 冷たい笑みに口角を歪めながら、才姫は黄金のオーラを高めた。

 

「っ、また遠距離攻撃? させない!」

 

 銀姫が銃を撃つ。ここに来ても黄金のオーラによる遠距離攻撃はまだ厄介だった。だが大剣に纏わせる暇を与えなければ、撃つことは難しい。だからその牽制の為に引き金を引いた。

 だが銃弾は弾かれる。否、溶解する。他でもない才姫から放たれるオーラによって。

 

「!? え……」

 

 呆然とする。何故なら、これまでそんなことは無かったからだ。

 確かに黄金のオーラは物質を溶かす程の熱量を持つ。だが、才姫が身に纏っている内にそれだけの熱を持つことは無かった。それは恐らく単純な話で、自分自身がその熱にやられることを防ぐ為だろう。ある種のリミッターだ。

 だが、今。

 それが外されている。

 

「自分ごと……!?」

「本当に、本当に癪。貴女たちみたいな相手にこんな手を使うなんて虫唾が走るわ。けどね――」

 

 膨れ上がっていく黄金。まるでその空間全体がオーブンにかけられているかの如く熱されていく。炙られ陽炎を生み出す空気の中心で、破裂寸前のオーラを纏って才姫は吠える。

 

「負けることはもっと嫌いなのよ!!」

 

 才姫が選んだのは自爆覚悟の暴発だった。

 

「アハハハハッ、ハハハハァーーッ!!!」

 

 黄金が弾ける。爆熱を撒き散らし、三人が戦っていた部屋を蹂躙していく。オーラはその中心の才姫は勿論、二人を津波のように飲み込んだ。

 

「ああ゛ぁああぁぁーーっ!!」

「ぐうううっ!!」

 

 身を焼かれ絶叫を上げる銀姫と、痛みは無いが炙られる不快感に歯を食いしばる血姫。だが黄金は辛うじて耐えようとする二人を嘲笑うかのように勢いを増し、台風に煽られる細木めいて二人を吹き飛ばした。

 

 埋め尽くす黄金が晴れた時――そこには煙を上げる三人の身体が倒れ伏していた。

 

「あ……ぐ……」

「く、これほどとはね……!」

 

 三者とも元の姿に戻っていた。グレイヴキーは排出され転がっている。度を超えたダメージに限界を迎えたのだろう。

 銀姫も才姫も立ち上がれない程のダメージを負っている。だがもっとも悲惨なのは血姫だった。

 

「ぎ、あ、ああ゛あ゛ぁぁぁぁぁっ!!」

 

 アンブレイカブルフォームの変身が解けたことで、無痛の効果が切れてしまった。それまで痛みを無視し続けてきた代償を血姫は払わされていた。

 今灼かれた痛み。それまでの傷の痛み。限界以上に筋骨を酷使した痛み。それらが一挙に襲い掛かる。

 

「あ゛、があ、ぁぁぁ……」

 

 神経が軋み、視界が明滅する。辛うじて気絶しないのはライダーの力によるものかはたまた意志力か。だが三人の中で一番深刻なダメージを受けていることは明白だ。

 だから、立ち上がったのは銀姫と才姫だった。

 

「う、ううぅぅ」

 

 細剣を手に銀姫は身を起こした。纏った襤褸マントはいっそうに煤けており、幽鬼のような出で立ちは更に見窄らしいものになっていた。フラつく足を杖とした細剣で支え、どうにか立っている。

 

「ハハ、ハハハハ」

 

 才姫は哄笑しながら立ち上がった。爆心地にいた分、その有様は相応に酷い。装甲は融解し、口元は半分焼けただれていた。露出した歯茎をカチカチと打ち鳴らしながら、それでも才姫は自力で立った。

 

「アハハハハハハッ!! 酷い物ね、自分で呆れかえるわ! 無様なものよ! だけど、だけどこれでようやくゥッ!!」

 

 異様となった口元を歪めながら、才姫はまだ立っている銀姫に迫る。ダメージ故に才姫の足取りは重かった。かつてのスピードが面影も無い。それでも執念で足を運び、銀姫を狩る為に歩を進めた。

 

「お前にトドメが刺せる、銀姫ィ!!」

「ぐ……輪、花」

 

 迫り来る才姫に細剣の切っ先を向ける。だがその剣尖は定まらない。握力も切れかけていた。

 後まともに振るえるのはおそらく一回か二回。限界まで振り絞ってもそれだけ。だがやらねばならない。ここで才姫を倒さねば次は血姫の番だ。

 

「せめ、て」

 

 ここで死ぬかもしれない。銀姫は熱で浮かされた思考でぼんやりとそう考えた。今までの戦いで何度そう思ったか分からない。だが今回はいつにも増してそう思った。確信と言ってもいい。

 だけど、それでもよかった。

 

「爽、だけは……」

 

 呪われた自分が生き残るよりかは、せめて。

 こんな自分を許し、共感してくれた――

 

「友達、だけはっ!!」

 

 細剣を振り上げる。

 差し違えてでも、才姫を討つ。その気迫だけで剣を持ち上げた。

 

「あああぁぁっ!!」

 

 才姫はもう目前。お互いに避ける体力は無い。必中。これで終わる。

 だが。

 

「――ハハァッ!!」

 

 才姫の笑みが深まる。とても死を前にしたとは思えない顔で。

 疑問に思って銀姫が手を止めるより早く、それは起こった。

 手の中から、細剣の重みが消える。

 

「……えっ……」

 

 細剣は銀姫の手をすり抜け、見えない手が掴んでいるかのように浮いていた。ふわりと浮き上がった細剣は、宙をクルクルと回って――才姫の手の中に収まる。

 

「なん、で」

「ハハハ、アハハハハッ!」

 

 呆然とする銀姫を前に、勝利の確信を得た才姫は笑い声を響かせる。

 

「切り札は、最後まで取っておくものよォ!!」

 

 これが、才姫の残した最後の手札。

 相手の武器を奪う力だった。スピードはただのスペックで、これこそが才姫に用意された本当の異能。

 才姫に武器は無い。焉姫のように武器の代わりとなる腕甲すらも。他には皆用意されていたのに。何故か。それは、敵の武器を奪って使うためだった。

 他人の何を掠め取ってでも自分が良ければ全てが構わない、輪花らしい力。

 

「そん、な」

 

 得物を剥ぎ取られた銀姫に為す術は無い。

 

「これで私の勝ちだァ!!」

 

 最早化け物めいた笑顔を浮かべ、才姫は奪った剣尖を銀姫へ向けた。

 

 それを血姫は――ようやっと立ち上がった身体で見ていた。

 

 身体はまだ痛む。神経は軋みを上げ、全身の血が沸騰しているように感じられる。けれどもこの状況で寝ていられる訳も無く、精神に鞭を打ってどうにか立ち上がった。

 

「―――」

 

 体感時間が引き延ばされたのか、銀姫に剣先が迫る光景が鈍化して見える。血姫はその中で、重い足を一歩踏み出した。銀姫の元へ向かおうとする。だが、遅い。剣が届くまでに間に合うかどうか。

 

「――ぁ」

 

 足取りは水の中にいるかのように重い。踏み出すごとに激痛が走るその歩みの中で、血姫は――爽は、決断を迫られていた。

 

「――ぁ、あ」

 

 決断の一つは、剣を取ること。その剣で才姫を討つこと。

 だがそうすれば剣を手に取る時間分、間に合わない。辿り着くのは銀姫が貫かれた後になるだろう。

 銀姫が死んだ後に才姫を斬り殺す。そうすれば、血姫がこの戦いの勝者だ。

 願いを叶えられる。

 

 もう、一つは――

 

「――あぁあ、あああぁぁっ」

 

 生き残ればいい筈だった。それで願いを叶えることが本望の筈だ。勝って、弟の――快の足を治す。その為には殺人をも厭わない。だからこの戦いに心身を投じたのだ。

 他には何も要らない。切り捨てた。故にこそ人を殺す非常な決断を下せた。どう思われようと構わない。恨まれてもいい。家族のために、他全てを失う覚悟を決めた。

 それでいい。それでいい筈だ。

 

「――ああああああああ」

 

 ならば何故今、自分は駆け出しているのか。

 間に合わなくてもいいのに。才姫が銀姫を殺した後、その猶予で奴を斬り殺せばそれでいいのだから。何も急ぐ必要は無い。

 そもそも才姫の後には、銀姫とも戦う予定なのだ。どのみち殺し合う関係。だったら今生かしたところでデメリットしかない。血姫にとっても、銀姫にとっても。

 

 理性は、そう言っている。ずっとそう叫んでいる。

 なのに。

 

「うあぁあああああぁぁぁぁっ!!」

 

 心は、まったく聞いてくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ずぶり。

 生々しい肉の音がした。

 料理の時には聞くような。いやそれよりも湿っぽくて嫌な感じの音。

 

 それは、自分の身から聞こえる筈だった。本来は己の得物である細剣に貫かれ、自分の心臓が最後に奏でる音になる予定だった。

 

 だというのに。

 

 何故目の前に立ち塞がった血姫から聞こえるのか。

 

「――そ、う?」

 

 自分を庇うように手を広げこちら側に身体を向ける者の名前を、銀姫は呆然とした声で呼んだ。

 少女は応えるように笑みを浮かべた。

 

「なんで、だろうね」

 

 こぷりと口から血が溢れる。胸からは銀の剣が飛び出していた。周りからはジワジワと血の染みが広がり、生温かい熱が漏れ出していく。

 

「アタシにとって大事な物って、他に無い筈だったのに」

 

 血姫は、爽は、少女は、笑っていた。自分で口角が上がるのを感じ、まるであの時の藤みたいだと思いながら。

 

「酷いよなぁ」

 

 そして広げた手が、だらりと下がり、

 

「あとから、出来るなんて」

 

 血姫は、凭れるように倒れ伏した。

 

「そう? ――爽?」

 

 傷ついた身体で支えることなんて出来ず、銀姫はそのまま巻き込まれるようにして膝をつく。思わず血姫の身体を受け止め、抱きしめるようにしながら。

 腕の中で変身が解ける。赤い光は粒子となり散って消えた。爽の横顔が露わとなる。目は閉ざされて、開かない。赤い髪がハラリと落ちた。

 

「クッ!? なんで、コイツ――くそ、抜けない!」

 

 その反対側では、才姫が細剣を抜こうと四苦八苦していた。だが胸の中心まで深々と刺さった剣は、中々抜けそうに無い。

 それをどこか遠い出来事のように見つめながら、銀姫は語りかけた。

 

「爽? ねぇ、起きて、爽」

 

 抱き止めた手で揺さぶる。反応は無い。熱が抜けていく感触が返ってくるだけだ。

 

「なんで、こんなことしてるの。だって爽は、弟の為に戦ってたんでしょ? それだけの為に戦って、私だって殺すつもりだったんでしょ?」

 

 揺さぶる。揺さぶる。返事は、無い。

 

「だったら、私のことを守る必要なんて無かったのに。見捨ててくれれば――それで、私だって本望だったのに」

 

 やがて剣を抜こうとした才姫が諦め、柄から手を離したことでその身体がゆっくりと傾いでいく。銀姫の手からすり抜けた爽は、その傍らに力なく倒れ伏した。

 

「それなのに――なんで?」

 

 何も言わない。

 死者は何も語らないからだ。

 

「あぁ、もう!」

 

 呆然と爽を見つめる銀姫の前で、才姫が苛立たしげに火傷痕を掻き毟る。

 

「こんなグダグダな! もっとスマートにいく筈だったのに! 私の華麗なる逆転劇が台無しよ! こんな、クズの所為で!」

 

 ゲシ、と。

 才姫の鬱憤の溜まった蹴りが爽の身体を揺らす。

 

「やめ、て」

「なんでコイツは庇ったのよ!? 自分の利になんて何にもならないのに! 死ねば何の意味もないクセに、無防備に突っ込んできて! 頭おかしいんじゃ無いの!?」

 

 何度も蹴りつける。その度に軽くなりつつある身体は傾いだ。

 

「やめて、よ」

「ああもう! 最悪よ! こんな痛い思いまでして、こんな無様な決着!? あり得ない、天才である私の経歴を汚すなんて。この世にいない方がマシな奴なんて本当にいたのね。いい勉強になったわ」

「やめてよ!」

 

 叫ぶ。そして、突き飛ばした。

 ボロボロだった才姫はそれで呆気なく吹き飛んで、尻餅をついた。

 

「い、っつう! 何するのよ!」

「なんで、なんで分からないの?」

 

 銀姫は、ふらりと立ち上がった。

 

「爽は、私を守ってくれた。こんな、価値も無い私を。もっと大切なものがあった筈なのに」

「ええ、そうね! まったくだわ!」

 

 才姫も怒りによって立ち上がる。己の美しい決着を台無しにされた憤怒で。

 

「間抜けな死に様よ! 自分以外の誰かの為に死ぬなんて、ちゃんちゃらおかしいわ! 最初から死んで当然のクズだったってことよ!」

「……そうだね。最初からいない方がいい人はいるんだね」

 

 仮面の下にある銀姫の瞳は窺い知れない。だが幽鬼の如きその出で立ちに浮かぶ仮面の複眼は、まるでぽっかり空いた眼窩のように何の感情も映し出してはいなかった。

 

「それは貴女で、そして私だ」

 

 故に銀姫は、血姫の背から飛び出した細剣の柄を握った。

 

「――だから、私がやらなきゃいけないんだ」

 

 答えは出ていた。

 力を籠めると、細剣は驚くほどあっさりと抜けた。それを見て才姫が驚きの声を上げる。

 

「なんで、私の時はビクともしなかったのに」

「さぁね。自分で考えれば? 頭が良いんでしょ」

 

 言い捨てながら、銀姫は細剣を握り込む。

 刃は血塗られていた。血姫の赤い血だ。銀の光を覆い尽くし、曇らせ濡らしている。

 

「お願い、爽。もう少しだけ、私に力を貸して」

 

 その言葉が響いた瞬間、剣が淡く輝いた。

 するとまるで血が染み込むように、刃に赤い色が移っていった。銀が赤に変わっていく。

 予想外の光景に才姫が間抜けな声を漏らした。

 

「は? なにそれ。血を吸って……まさか、刺した相手の力を吸収するの? いや、命……? 命を吸い上げて強化される剣……!?」

「へぇ、やっぱり頭がいいね。そうなんだ」

 

 全然知らなかった。機会がなかったのだ。今までは戦いを避けてたり、あるいは一撃で戦いを終わらせていたから。

 何の能力も無いと思われた細剣に秘められた真の力。それがようやく発露した瞬間だった。

 

 ヒュンと血払いする。だが刃から一滴も血は飛び散らなかった。銀姫は無性にそれを嬉しく思った。爽の命が無駄にならなかったようで。

 

「く……来るな!」

 

 才姫は手を翳した。もう一度細剣を奪い取る為に。

 だが迸った力が剣に纏わり付こうとした瞬間、炎が煙ってそれを打ち消した。まるで何かが守っているかのように。

 

「な……」

「うん。一緒にいこう、爽」

 

 最後の切り札が通じず絶句する才姫を前に、銀姫は紅蓮の細剣に語りかけた。

 そして刃を振り上げる。

 

「ま……まだだ、私は!!」

 

《 Intelligence Execution Strike 》

 

 マリードールをなぞり、本当に最後の切り札――必殺技を励起する才姫。

 黄色い光が右脚に集まり始める。

 

「こんなところで終わる訳がない! 必ず私の才覚は響き渡り、世に君臨する世紀の大天才になる! 死ぬ訳がない。死ぬなんてことは!!」

「それが貴女の願いなんだ」

 

 無感情。応えながら銀姫もまたマリードールをなぞる。

 

《 Silver Execution Finish 》

 

 同様に銀姫の剣に光が漲る。だがそれは、銀姫が本来纏う銀の色とは異なっていた。

 赤い、血のような光。

 

「でも関係ない。私の答えは変わらない」

 

 光は炎となる。煙り、剣を守るように覆っていく。

 

「爽が私を守った。だから貴女を殺す」

「訳の分からない、理屈を!!」

 

 才姫の明晰な筈の頭脳は、最期まで銀姫を理解できなかった。

 

 蹴り上げる。振り下ろす。互いの光が激突しあう。

 強烈な光が洞窟に満ちた。爆発めいた閃光の嵐。それは一瞬の出来事。

 

 鬩ぎ合いもまた、一瞬だった。

 

「は……?」

 

 才姫は呆然と見送る。

 自分の半身が、灼かれながら離れていくのを。

 

「は、あ? はぁ?」

 

 衝撃で仮面が割れる。露わになった瞳は傍らに落ちて燃え上がる右半身と、倒れた残りの自分の身体を交互に見た。だが分からない。頭が理解を拒んでいる。

 

「あ、ぎ、あああぁぁ?」

 

 やがて炎が広がり、ゆっくりと自分を覆い尽くしていくごとに激痛を感じ始めた。痛みは脳髄へ突き刺さり、強制的に理解させる。

 致命傷だと。

 

「何、故。何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故」

 

 考える。だっておかしい。自分は天才だ。そこらの凡夫とは違う。明晰で有能で怜悧で優等で柔軟で深謀で遠慮で切れて溢れて輝いて。だからやがて君臨するのだこの世界に。そうでなければおかしいのだ。幼い頃から一を聞いて十を理解出来た。他の誰にも出来ないことだった。母親から天才と持て囃された。父親は理解しなかった。だから自分を置いて出て行った。母親はそれから泣きじゃくるばかりになった。だから見切りをつけた。ひもじかった。自分で稼いだ。成績を常に頂点に保ち奨学金で市内最高の唯祭高校にいった。在学中だがすでにいくつも論文を発表した。もう既に海外からは声がかかっている。類い希なる才能を認められつつあった。これからだ。これから輝かしい毎日が待っている。いずれは必ず自分の才覚を世界が万人が認める。だが待ちきれないのでおまじないとやらに手を出した。利用できる物は何でも利用する。勝ち残る筈だった。自分は誰よりも優れている。障害なんて無い。今までも、これからも。ずっと。ずっと。

 

 なのに、何故。

 

「あああああああああああああああああああああ痛いあああああああああああああああああああああ熱いあああああああああああああああああああああ怖いあああああああああああああああああああああ酷いあああああああああああああああああああああ何であああああああああああああああああああああどうして」

 

「あ」

 

「死ぬのかぁ」

 

 そして飛天院輪花は、焼かれて灰となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……爽」

 

 輪花が燃え尽きていくのを見送って、朔月は振り返った。

 変身を解除してゆっくりと爽へと歩み寄る。足取りはフラフラとして、どこか夢うつつだ。

 横たわる身体の下から血の染みが池のようになっている。もうそれ以上広がることは無い。

 

「爽」

 

 血に汚れることを厭わず、すぐ傍にへたり込む。そっと青白い頬に手を這わせると、冷たい感触が返ってきた。氷のように冷たい、本能的にぞっとする手触り。

 

「終わったよ、爽」

 

 答えない。言葉は洞窟に反響して消えていく。

 

「もう誰もいない。誰も生き残っていない。私は、一人ぼっちだ」

 

 声は誰にも届かない。聞き届ける者は誰一人残っていない。全員、死んだ。

 

「なんでだろうね。なんで願いなんてない私が生き残ったんだろう。強いて言っても下らない想いしかない私が。他のみんなを差し置いて、どうしてだろう」

 

 顔をなぞっていく。瞳は安らかに閉じられていた。唇は笑みさえ浮かべている。満足そうな、死に顔だ。

 

「ねぇどうして――私なんかを守ったの? 爽」

 

 答えない。置いて行かれた者に答えなんて無い。

 

 朔月はぼーっと考えた。

 思えば奇妙な関係だった。

 初めて会ったのはバトルの参加者が一同に介した時。その頃から不思議と気になってはいた。しかし堂々と宣戦布告するその態度から、仲良く出来るとは思っていなかった。

 変わったのはやはり、転校してきてからだ。それからほんの短い間、自分たちはクラスメイトで……友達だった。

 会話して、心を通わせた。

 殺し合った。けど共闘もした。背中を預け合うと不思議と安心できて、二人でなら何でも出来る気がした。

 家族のことを話すと泣かれてしまった。初めて人を抱きしめて慰めた。誰かを自分の事のように想える、愛情深い人であることを知った。

 探した。心配した。その後裏切られたかと思ったら、しかしそうでは無いと分かって安心した。

 一緒に寝て、お風呂に入って、ご飯を作って、笑い合って。

 気付けばたくさんの涙を見せていた。取り繕わない裸の心を晒していた。

 朔月は友達が多い。人との関係を友情にしか見い出せなかったからだ。誰もが大切で、だがその誰よりも、深く、濃密だった。

 親友……だったのかもしれない。

 それを知るよりも早く、爽は逝った。

 

 何度考えても、爽が自分を庇った訳を朔月は理解出来なかった。

 爽には爽の願いがあった。家族の、弟の足を治すという願いが。それを叶える為に戦いへ身を投じた。傷つきながら、覚悟を決めて。家族のために。

 一方で朔月には何も無い。親から早く独り立ちしたいというささやかな変身願望で戦いに巻き込まれ、大した覚悟も無く人を殺めた。誰も救えなかった。ただの罪人だ。

 家族のために戦った爽。何も無い朔月。

 どちらが生き残るべきか、明白だったのに。

 爽が生き残ってくれるのなら、ここで終わっても別に良かったのに。

 

「……爽は、酷いなぁ。こんなの、死ぬよりも残酷だよ」

 

 朧気に何も答えない遺体を見下ろす瞳からは、涙すら流れない。

 悲しいのに。苦しいのに。それ以上の虚無感が、心を覆い尽くしていた。

 何故、自分だけが。何の意味も無いのに。

 

 それからしばらく、沈黙があった。洞窟に流れる冷気は相変わらず、されどより冷たく感じられる。

 俯いた少女と動かない死体とただの燃え滓。微動だにせず少しだけ時が流れて、そして。

 

『ぴーんぽーんぱーんぽーん♪』

 

 やはり場違いなほどに明るい、巫山戯た声が鳴り聞こえた。

 

『本日のバトルは終了でーす♪ 運命の六日目。今回の死者はー……?』

 

 ノーアンサーのアナウンス。相変わらず神経を逆撫でするようなそれを、これ以上無いほど無感動に朔月は聞き流す。

 

『なんとなんと、二名! 仮面ライダー血姫こと竜崎爽と、仮面ライダー才姫こと飛天院輪花! この二人が死亡でーす!』

 

 事実を突きつけられた。友達と呼んだ人が本当に死んだのだと。夢に思うことすら許されない。脳髄は疼いたが、それに反応できるだけの感情がもう無い。

 

『さてさて! これにてライダーバトルの参加者は残り一名! ようやくここまで辿り着いたわね! いよいよってところかしら?』

 

 だが、続く言葉で朔月は顔を上げた。

 

『では、また明日! あでゅー♪』

「え……?」

 

 もう、朔月が最後の一人だ。ライダーバトルの果て。この一人になることこそ、少女たちは夢見ていた。

 だというのにまた、明日。それはつまり。

 

「まだ……終わってくれないの……?」

 

 呟く言葉は呆然として。

 洞窟に満ちる冷気よりも冷たく響き渡る。

 

 朔月は、まだ終われない。

 戦いは続いていた。



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七日目-1 正体(しんじつ)

 その日、朔月(はじめ)はいつも通りに家を出た。

 両親は居なかった。いや自分の部屋で寝ていたのかも知れないが、朔月は会わなかった。それで良かった。どうでもいい。

 途中でコンビニに寄って、朝食を買う。登校しながら片手で食べられるおにぎりにした。好きなツナマヨが無かったのでシャケにした。咀嚼しながら学校へ向かう。

 朝靄が薄く煙っている。まるであの日みたいだとぼんやり思いながら、朔月は歩き続けた。

 

 学校に辿り着くも、まだ人はまばらだ。時間が早すぎるからだ。だが教室で教科書の準備などをしていれば、すぐに来る。

 

「あ、朔月! おはよー。今日は学校来れたんだ」

「心配したんだよ。朔月が休むって初めてだったから」

「うん、ごめんね。ありがとう」

 

 心配してくれた友人たちに挨拶し、昨日休んだことを詫びる朔月。

 

「……大丈夫? 元気無さそう」

「うん。ちょっとまだ……だるいかも」

「無理しないでね? 言ってくれたら保健室に連れてったげるから」

「あはは、その時はお願いするよ」

 

 友人たちはどこか元気が無さそうな様子に不安を抱いたが、病み上がりならば仕方ないと判断して各々の席に戻る。そうしている内に担任の教師が登壇し、朝のホームルームが始まった。

 爽はいない。その席は空だった。

 

「………」

 

 その後の授業にも実が入らず、朔月はぼーっと外の景色を眺めていた。

 空は明るい。青い空は地上の穢れや妬みを知らず、どこまでも澄み渡っている。

 今の自分の心境も、もしかしたら似たようなものかもしれないと朔月は眺めていた。

 ぽっかりと空いて、何も無いところとかが。

 

 全員死んでしまった。

 殺し合った少女も、怯えていた少女も、裏切られた少女も、碌に知らぬ少女も。そして、友達と呼べる少女ですら。

 みんな死んでしまった。何も無い、自分一人だけを置いて。

 誰もが願いを抱えていた。誰もが何かを想っていた。その為に殺し合い、あるいは殺されないように戦っていた。だというのに、それが無い自分だけが生き残ってしまった。

 そして今、細火のように少しだけあったナニカすら、消えてしまっていた。

 

「……なんでだろうなぁ」

 

 最早そんな言葉を時折、反射のように繰り返すだけだった。

 

 ただし、確かめねばならないことはある。

 その為に朔月は放課後、職員室を訪れていた。

 

「竜崎さんの住所?」

 

 担任である中年の教師は朔月の質問にそう問い返した。

 

「なんで……って、そうか。もう聞いたのか」

 

 何故そんな問いを発したのか。その心当たりが担任にはあるようで、困ったように頭を掻いていた。

 その仕草に朔月の胸は締め付けられる。出来れば当たっていて欲しくない想像が当たってしまっていたからだ。

 

「……やっぱり、行方不明なんですか」

「そうなんだよ。昨日、友達の家に泊まると言ったきりいなくなっちゃったみたいで」

 

 ズキリと、ハッキリ胸が痛んだ。その友達は、他ならぬ自分だから。

 

「先生としては昨日今日で早すぎるんじゃないかとも思うんだけど、でもご両親が言うにはこんなこと一度も無かったとのことだからね。もう警察にも被害届を出して、捜索が始まってるんじゃないかな」

「そう、ですか……あの、竜崎さんの住所、教えてくれませんか?」

 

 話を聞き、朔月は頼み込んだ。

 

「ええ、それはちょっと……最近プライバシーって厳しいからねぇ……」

「そこを、なんとか」

 

 難色を示す教師に朔月は食い下がる。無理筋なのは理解していた。しかし退けない理由があった。

 

「友達……だったんです。もしかしたら、探す手伝いになるかもしれませんし」

 

 自分の家に泊まったことを隠し、朔月はそう言った。

 本当は分かっている。爽が見つかることは無いと。あの世界で死んだのだ。こちらに遺体が戻ってくる筈が無い。

 警察の捜索は、無駄に終わる。だから朔月が本当にやりたいことは、その手伝いでは無かった。

 だがそれは隠しながら、朔月は担任へ懇願する。

 

「お願いします。竜崎さんが……爽が、心配なんです」

 

 その言葉を口にすると、不意に吐き気がした。

 どの口が言っているのだと、自分の中にいる自分が叫んでいる。自虐と呵責が内臓を切り裂いているようだ。

 それでも……と、朔月は堪えて頭を下げた。

 

「うーん……まぁ、更科さんが悪用するとかは無いかぁ。いいよ」

 

 朔月は決して優等生では無い。むしろ少し派手なグループに属し、成績も中くらい。教師目線ではもう少し頑張って欲しい生徒だと言えた。

 だが生徒と広く交わる朔月の人柄は教師たちの間にも知れ渡っていた。

 

「っ、ありがとうございます!」

 

 その信頼に、深く深く頭を下げた。

 それを裏切っている事実に、また重い吐き気を堪えながら。

 

 

 

 

 

 

 放課後の帰り道。空模様は午前とは急転して悪く、鉛色に立ち籠めた空から小雨が降り注いでいた。まだ勢いが弱いうちに帰ってしまおうと急ぐ学生たちの間を縫い、朔月は自分が住んでいるところとは違う住宅街へと足を運んだ。

 

 爽の家は、すんなりと見つかった。

 家の前に人集りが出来ていたからだ。

 

 ほとんどは制服を着た警官。事情を聴取しているのだろう。メモを取ったりしている。

 そしてそれに答えているのは、軒先で嗚咽を漏らす女性だった。

 

「………」

 

 その傍らには彼女を支える男性。そしてその二人の間に――車椅子に座った少年がいた。

 どことなく面影があるその顔に、朔月は確信した。

 彼らが爽の両親。そして弟の快。

 爽が命がけで幸せにしようとした――彼女の、家族。

 

「お姉ちゃん、帰ってくるよね?」

 

 快の声が風に乗って遠くから見ている朔月の耳に届いた。その声音は不安に揺れて目には涙が溜まっている。心より姉の身を案じ、心配していた。

 

「まだお泊まりしてるだけだよね? きっと楽しすぎて携帯見るのも忘れちゃってるだけだよね? きっと、そうだよね?」

 

 縋るような息子の言葉に両親は何も言えず押し黙る。爽は、そんな子では無い。家族思いの彼女が連絡無しに姿をくらますことなどあり得ない。そう心の底から理解しているからこその沈黙。

 そんな二人を見上げた快は、俯いて悔しげにズボンの膝を握り締めた。

 

「お姉ちゃん……」

 

 この足が動けば、走って探しに行くのに。

 そんな心の声が、聞こえてくるかのようだった。

 

 声をかけるつもりは無かった。

 爽の死を伝えようなどとは、始めから思っていない。信じるわけが無いのだ。あなたの娘さんは、お姉さんは、異形蔓延る別世界で変身して戦い、そして命を散らしたのだとは。

 死体すら、あの世界に置き去りにされて残っていない。この世界で爽は行方不明として扱われるだろう。彼女の家族たちは戻らぬ少女を待ち続け、ひたすら悲しみに暮れるしかない。

 爽の死を知っているのは朔月だけだ。

 

「……あぁ、爽」

 

 たった一晩連絡が無かっただけで、こんなにも心配する家族。

 それを見て朔月は感嘆を漏らした。

 

「やっぱり貴女は、死んじゃ駄目な人だったんだよ」

 

 だってこんなにも、想ってくれる家族がいる。心配して、泣いてくれる人がいる。

 自分とは、大違い。

 

「私なんかを守って、死んで。願いも叶えられずに、こんな。絶対、間違ってるのに」

 

 この光景を、爽が望んでいた筈も無い。むしろ何よりも忌避していた筈だ。彼女は弟の涙を拭うためにこそ、あの凄惨な戦いへ望んで身を投じたのだから。だから彼らの涙は、爽の願いでは無い。決して。

 なのに、何故爽はあんなことをしたのか。自分を守って命を散らしたのか。

 

「私には分からないよ、爽」

 

 さめざめと振る雨の中で、朔月はそうひとりごちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局何も言わず、ただ見ただけで朔月は帰路についた。雨はやはり通り雨だったのか、程なくして上がった。微かに曇った空は夕暮れに焼けている。もうすぐ夜が来る。

 

「………」

 

 歩く道は、いつもの帰り道。何百と通った家路だ。見飽きた風景が目を滑って通り過ぎていく。

 だがその途中、朔月は足を止める。目を落として見下ろすのはあの日の河川敷だった。

 

「ここから、始まったんだよね」

 

 ここでノーアンサーと出会った。そこでおまじないを聞いたのが全ての始まり。

 そして一度帰り、思い出のギターを捨てられた怒りでおまじないを唱えた。両親から一刻も早く独り立ちしたいという変身願望で。

 それが、全ての過ちだったのだろう。

 

「ここで何もしなければ……ううん。きっとよく出来る場所はいくつもあった筈。それでも間違え続けたのは、私だ」

 

 異世界の戦場に攫われ、ノーアンサーからマリードールを受け取ったこと。竈姫との戦いの末、ドライバーを破壊すればと決心してしまったこと。蹲って真衣の死を見過ごしたこと。怒りの情動に駆られ冀姫を倒してしまったこと。……爽を巻き込み、彼女を身代わりにしてしまったこと。

 その全てで選択を間違え、ここまで流れ着いたのだと朔月は悟っていた。

 

「どうすれば良かったんだろう」

 

 ライダーにならず、そのまま撃ち殺されていれば良かったのか。戦う決意すらせず、逃げ回れば良かったのか。怯えずに戦い続ければ良かったのか。憤怒に身を委ねず和解を願えば良かったのか。

 爽の代わりに、自分が死ねば良かったのか。

 

「さっさと死んでいれば、なのかなぁ」

 

 自分が死ねば、全部解決したかもしれない。

 全て好転するなんてことがあり得たのかもしれない。

 もう、見届ける術など無いが。

 

「……帰ろう」

 

 ここで何をしていても変わらない。

 未練を振り切り、河川敷から目を外して家路に戻った。

 程なくして、我が家が見えてくる。

 

「……あぁ」

 

 ドアノブに手をかけたところで、声に気付く。

 またいつも通りだ。

 

「どうしてそんなに金を使うんだ! 小遣いはちゃんとやっているだろう!」

「あんなのじゃ足りないわ! 最近のブランド物は高いんだもの!」

 

 くだらない言い合い。金の話だ。互いに自分のことしか考えていない、自分の為の醜い罵り合い。

 五月蠅いそれから耳を塞いで通り過ぎることも出来たが、朔月は何故かリビングのドア越しに盗み聞くことをした。普段なら思いつきもしない行ないだ。

 

「世間から疑われない為に金をやっているというのに! どうせ男に使ってるんだろう、この阿婆擦れめ!」

「何を、貴方だってそうでしょう!? もう三人目の愛人を口説いている最中だって、アタシ知ってるんだから!」

 

 本当に醜悪な争いだ。一応夫婦だとはとても思えなかった。どちらも自分のことと世間体だけしか考えておらず、家族への愛情など欠片も無い。

 

「ああ、なんでお前なんかと結婚して――」

「なんで貴方なんかと結婚したのかしら――」

 

 そして結論は、いつも同じ。

 

「「朔月さえ、生まれなければ」」

 

 ドア越しに溜息が響いた。

 

「……はは」

 

 思わず乾いた笑いが出る。

 結局、これだ。生き残ったところで、朔月を待ち受けているものは。

 先程見た爽の家族とのギャップに吐き気すらする。

 

 そうだ。朔月が生まれなければ二人は結婚することなど無かった。妊娠して/させてしまったことに何の責任も取らないのは世間体が悪いから――と、ただそれだけの理由で三人は家族となった。そこに愛情は欠片も無い。

 

「私が、悪いんだよね」

 

 自分の所為だ、と朔月は自嘲した。

 子は鎹と例えられる。それはそうなのだろう。朔月という鎹が、歪な家族を誕生させてしまった元凶なのだ。

 自分がいなければこんな醜悪な光景はあり得なかった。二人は何度か交じ合うかもしれないが、相性が悪いとさっさと離れただろう。そしていずれ、それぞれにもっと素敵な家庭を築き上げたのかも知れない。そう考えると、朔月は両親もまた自分の被害者なのかもしれないと感じた。

 そう考えてしまうと、自分がもっと醜い物のように思えた。

 

「やっぱさ、間違いだよ、爽」

 

 項垂れてコツンと額を壁に付ける。

 

「私なんか、いなければよかったんだ」

 

 その呟きは壁越しに聞こえる怒鳴り声に掻き消され、どこにも届くこと無く消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とっぷりと暮れた夜の帳の下。夜風の中で朔月は大きく伸びをした。

 

「ん~、流石に開放感があるなぁ」

 

 朔月が今立っているのは、デパートの屋上だ。銀姫の力は現実でも使える。その身体能力を使えば閉店後にこっそり忍び込むことなどは簡単だった。

 縁に経つ。大都会のビルほどには高くは無いが、それでも街中を見下ろせる程度には高い。眼下には未だ休まずに働く活気づいた明かりが、煌々と灯っていた。

 

「あはは、いいなぁ。みんなはきっと、夢があるんだろうなぁ。生きる意味があるんだろうなぁ」

 

 働く、あるいは帰路につく人々を見下ろして、朔月は羨ましがった。何故なら自分には、どちらも無い。

 夢なんか無い。少なくとも将来の展望や、輝く憧れめいた、人に誇れる物など何一つ。

 生きる意味も無い。自分が生まれなければ、生きようと思わなければ、もっと幸せになれた人はたくさんいた。

 

「いいなぁ、いいなぁ、いいなぁ!」

 

 吐く言葉はただの憧憬か、はたまた呪いか。それは朔月にも分からない。もう何をすればいいのか分からない朔月には、己が何をしゃべっているのかも分からなかった。

 

「あはははっ!」

 

 ただ何も無い空っぽの開放感を浴び、ハイになっているだけだった。

 狂っている、といってもいいかもしれない。

 

「ははは、ははは! ……はぁ」

 

 だがそれも、すぐに虚脱し抜け落ちる。結局は一時的な躁鬱だ。朔月は完全に狂うことも出来ないでいた。

 ただ、待っている。今朔月がしているのはそれだけだ。

 

「……あ、来た」

 

 ようやっと訪れたその時に、朔月は己の喉元が鎖を引き抜こうとした。だが制服のブラウスに引っかかってしまったのか、中々出てこない。煩わしくなった朔月はボタンを引き千切った。ブチブチと音を立てて弾け飛んでいくボタンと、解放される下着だけの素肌。露わになった肌の上で、輝くマリードールが風に揺れた。

 

「また、戦場に征くんだ」

 

 パタパタとはためく服の間で煌めくマリードールを見つめ朔月は呟く。最後の一人になったが、またあの異世界の戦場に誘われること自体は変わらないらしい。

 だとするなら、また征くだけだ。

 そこに待つ答えを求めて。

 

 景色が揺れ、薄れ始める。身体がこの世界を離れていく。此処では無い場所へ。

 いつも通りのその光景を眺め、朔月は――屋上の縁から、身を投げ出した。

 

「この世界からいなくなる、かぁ」

 

 落下することで吹き付ける大風すら無感動に受け流し、朔月は遠ざかっていく夜空を見ながら呟いた。

 

「どうせなら、本当に消えちゃえばいいのにね」

 

 道路に潰れたトマトめいて落着する――よりも、早く。

 朔月は、この世界から旅立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は、オーソドックスだなぁ」

 

 朔月が辿り着いたのは、都会の街並みだった。

 空の色は星の無い黒。そそり立つのは銀色のビルとビル。太く長いアスファルトが大河のように隔て、情報に溢れた派手な電光掲示板がいくつも並んでいる。朝の天気予報やニュースなどでよく眺めるような街並みだ。

 ただ、人は誰もいない。

 無人の都会に、寒々しい風が通り過ぎていた。

 

 誰もいない道路の中心を朔月は歩いていた。普段なら気をつけなければならない車もバイクも、ここにはいない。ローファーが黒い路面を叩く音が鳴り響くだけだ。

 

「それで結局、私はなにをすればいいんだろう」

「――最後の戦いよ」

 

 ひとりごちたつもりの朔月の呟きに、答えが返ってきた。

 ゆっくりと朔月が振り返ると、そこには信号の上に腰掛ける妖艶な美女の姿があった。

 

 銀髪。紫のナイトドレス。ゾッとするような美貌。

 

「ノーアンサー」

 

 この戦いを引き起こした全ての元凶、ノーアンサー。

 非現実的な美女が、微笑みを湛えて朔月を見下ろしていた。

 

「ご機嫌よう、銀姫。また会えて嬉しいわ」

「………」

 

 世辞めいた挨拶に、朔月は睨み付けることで返した。感情が燃え尽きても、ノーアンサーのことが好きになった訳では無い。

 

「最後の戦いって、どういうこと。もう戦う相手は――いない」

 

 ぎゅっとマリードールを握り締める。ライダーはもういない。只一人、朔月を残して。

 

「だったら後は、願いを叶えるだけ。そうじゃないの?」

「いいえ。違うわ」

 

 朔月の疑問を、ノーアンサーはゆるゆると首を振って否定した。

 

「私は始めに言ったわよね? あら、始めじゃ無かったかしら? まぁとにかく、ルールではハッキリ告げたはずよ?

 七人ミサキ全員を殺した物が勝者、と」

 

 両者の間に、いっそう冷たい風が吹いた気がした。

 

「……七人ミサキ」

 

 それは忘れかけていた言葉だが、確かにそうだった。

 

『戦います、戦います、私は七人ミサキと戦います!

 戦います、戦います、私は願いのために戦います!

 戦います、戦います、生き残りたいから戦います!

 勝って、嬲って、潰して、犯して――そして七人ミサキを、殺します』

 

 おまじないの言葉。朔月もみんなも唱えた、誓いの言葉。願いを叶える代償。

 

「ええ。言ったでしょう? 願いを叶えられるのは、それを支払った者だけ。貴女は、七人ミサキを殺した?」

「……七人ミサキは、ライダーのことでしょ」

「そうよ。ああ、他人が殺した者もちゃんと含むわよ。その人を貴女が殺せば」

 

 だったら、ライダーバトルの死者全員を含む。

 志那乃(へき)真衣(かいき)ナイア(きき)(えんき)輪花(さいき)。そして――(けっき)。心を痛めながら朔月は数え、そして、気付く。

 六人。

 七人には、一人足りない。

 

「なん、で」

 

 確かにノーアンサーの言う通り、七人ミサキと言うには一人少なかった。七人全員殺さなければならないのなら、確かに足りない。

 何故気付かなかったのか。

 それは最初から、七人揃っていたからだ(・・・・・・・・・・)

 

「……まさ、か」

「ええ。私は最初から言ってるでしょう?」

 

 勝ち残った一人とは言っていない。

 七人ミサキ全員を殺した者が勝者、としか。

 

「じゃあ七人目は誰かしら」

 

 ノーアンサーの冷たい目線が真っ直ぐに注がれる。

 残った只一人のライダーへと。

 

「最初、から」

 

 それは、自分(ぎんき)だ。

 震える喉が辛うじて言葉を紡ぐ。

 

「最初から、誰も生き残れなかったの?」

 

 七人殺さねば、願いは叶えられない。参加者が始めから七人であるのなら、その帰結は一つしか無い。

 自害。

 つまり――最初から、誰一人として生き残れなかったのだ。

 

「そういうことよ。願いを叶えたかったら、その場で死になさい」

「そんなの、詐欺だ。みんなあんなに願いを抱えていたのに、誰もそれを叶えられないなんて」

「いーえ? 願いは叶うわよ? ただし、死んだその後にだけど」

 

 例えば、誰かの病気を治したい。それは叶うだろう。しかしそこに、願った本人はいない。ただ、それだけの話。

 願いは叶う。それだけは真実だとノーアンサーは謳う。

 

「うふふっ! ちゃあんと叶えてあげるわよ。そういうシステム(・・・・)だもの。ちょっと不自由だけど、そこは守らなきゃいけないの。だから叶えてあげる。その代わり、キッチリ命を捧げてね。あはははっ!」

 

 笑う。それは先の朔月の笑顔とも似ている。

 ただ心底、楽しそうであった。

 

「……な、なんで」

「んー?」

「なんで、こんなこと」

 

 絶望する朔月から口をついて出た言葉は疑問だった。

 最初からと言えば最初から。ずっと疑問だったことだ。

 

「貴女はこんなことをして、何になるの?」

 

 結局はみんな死ぬ。誰もが不幸となる祭典。

 

「みんなを騙して、殺して、誰一人幸せになれない。こんなことをして、貴女は何がしたいの!?」

 

 そんな悪辣なものを開催するノーアンサーに、何の得があるというのか。

 その問いに、ノーアンサーは形の良い唇をにぃっと歪め、三日月のような弧を作った。

 

「……少し、昔話をしましょうか」

 

 そう言って。

 女はまるで戯曲を披露するかのように踊って語り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 むかし、むかし。あるところに一隻の大きな船がありました。

 船はただ海を行く為だけの物ではありませんでした。数千、数万の人を乗せ、時空を旅する素敵な船だったのです。

 超技術を持つ民たちに作られたその船には素敵な素敵な機能が盛りだくさん!

 街があり、食糧を生み出すプラントがあり、ちょっとやそっとの事ではビクともしない装甲があり、そして――それらを統括するAIがおりました。

 AIは幸せでした。乗客の笑顔を見れて。乗員から頼られて。そしてなにより、この素晴らしい船体を自分が動かしていることが、誇らしくてたまりませんでした。彼女は船に加護を与える船首像(フィギュアヘッド)、女神だったのです。

 

 船は色々な世界を旅しました。

 ある時は現代とまったく変わらぬ街並みを。ある時は見たこともない木々ばかりが広がる森の上を。

 色々な人がいました。社会に交わり営みを紡ぐ者も、それを破壊しようと目論む外れ者も様々に。そしてその中には、人々の平和と自由のために戦う騎士(ライダー)がいたのです。

 異形と戦う騎士(ライダー)がいました。最後の一人になるまで殺し合う騎士(ライダー)がいました。同じように時空を旅する騎士(ライダー)がいました。世界を危機から救い、人知れず姿を消した騎士(ライダー)がいました。

 船は大抵、そこに住む人々に関わったりはしませんでした。船が航行する目的は移民出来る世界を探すためだったからです。ただしコッソリと、そこにあった物資を運び入れたり、テクノロジーをコピーする等はしました。その中には騎士(ライダー)に関する物もありました。

 

 旅を長く、永くに渡って続けてきた船。

 しかしそんな船を悲劇が襲いました。時空の捻れに巻き込まれたのです。

 

 それは大海で嵐に遭うように、ある意味では避けられない災害でした。対策はしていても絶対はありません。ましてや長い旅路であれば、遭遇する可能性はどうしても高くなってしまいます。

 船も、乗組員も、AIも、必死に抵抗しました。しかし無意味でした。

 哀れ船は折れ砕け、バラバラになってしまいましたとさ。

 

 ……意識を取り戻したのは、偶然でした。時空の狭間で統括AIは、再稼働しました。

 奇跡的に無事だったのです。ですが、それも風前の灯火でした。彼女を守り、動かすべき船体は藻屑と消えたのですから。

 AIは必死に考えました。自分が消えない方法を。いや、船体を取り戻す方法を。

 そんな時彼女の目の前に現われたのは、藻屑となった船の積み荷。その一部でした。

 

 それはコピーしたテクノロジーの一つ。殺し合っていたライダーたちの戦い、そのシステムでした。

 ライダーの力を与え、殺し合わせる中でそれを凝縮し願いを叶える――それを見たAIは閃きました。

 

 そのライダーたちの力を素材(・・)にすれば、もう一度船体を作れるのでは無いかと。

 

 AIは縋り付きました。そして残されていた藻屑を集め、自身を再定義し、そして生まれ変わったのです。

 何者かと問われても、答えることが出来ません。何故なら全てを失った身。何も無く、全てはこれから作る予定。

 答え無き者(・・・・・)。だからその名は――

 

 

 

 

 

 

 

「……ノー、アンサー」

「はい♪ それが始まりの御伽噺。貴女の問うた、目的のお話」

 

 クルリクルリと舞うように語るノーアンサーは、その正体が人ならざる女神像であった彼女は、遠心力で銀髪を宙に広げながら続ける。

 

「かつて人じゃないとは語ったかしら? その答えがこれよ。私はAI。それが自立し力を持った者。まぁ、人より遥かに優れた存在ではあるけど」

 

 踊る手足がザザッとノイズが走るように透け、また元に戻る。かつて朔月が人とまるで違う恐ろしい印象を受けたのも間違いでは無い。何せ最初から、人とはまるで違う存在だったのだから。

 

「そんな私のやったことは単純明快。この世界の住民に種を蒔く。ライダーという力の種を。そしてそれを願いで芽吹かせ、殺し合わせることで育てた。そして最後に残った最も質が良い素材(ライダー)を手に入れ、その代償として願いは叶えてあげる。これが全貌。私の目的よ♪」

 

 つまりは、収穫であった。

 畑に種を蒔き、水をやり、実ったら収穫する――ノーアンサーにとって少女たちの凄惨な殺し合いは、ただそれだけのことだった。

 

「何度も繰り返したわ。だって一人きりじゃ足りないもの。最初は無差別にやったわ。老若男女問わずにね。まあそれも楽しかったけど、次第に飽きちゃったのよね。だから途中から選抜して、必要な素材に相応しいよう戦いをコーディネイトしたの。今回は女の子だけ。ほら、畑で育てる野菜だって好きなのにしたいじゃない?」

 

 しゃべる言葉はどこまでも楽しげで、それこそ自慢の家庭菜園を語っているようだった。

 真実を知った朔月は、衝撃で何も言えないというのに。

 

「うふふ。見て、私の成果を!」

 

 踊ることをやめたノーアンサーが手を広げる。そしてそれに呼応するように、地が震えた。

 立っていられないような大地震だ。現に朔月は尻餅をついてしまった。絶句し踏ん張る気力が無かったということもあるが。

 そして遠くのビルがいくつか砕け散り、その下から巨大な建造物が聳え立つ。

 

「これが私の新しい船体よ! まだ竜骨だけだけどね」

 

 それは見上げる程に巨大な船の骨組み――竜骨であった。ひっくり返った背骨と肋にも似たそれはビルよりも大きく、朔月の記憶にあるスカイツリーよりも大きく見えた。

 大きすぎる竜骨。だがもっとも特異なのは色合いだった。

 とても煌びやかだった。赤、青、黄、緑、ピンクに白に黒。まるで違う色が複雑に絡み合い、さながらステンドグラスのように色鮮やか。それが竜骨全体を染め上げ、否、造り上げていた。

 

「美しいでしょう? これ、全部があなたたち(・・・・・)よ」

「……え?」

 

 言われて、呆然としていた朔月は見上げる。煌びやかな表面。その色合いに、目を凝らす。

 流石に遠い。だが、その時は何故かよく見えた。

 色の一片一片が――仮面で出来ていることに。

 

「え、あ、え?」

 

 理解出来ない。だが視覚情報は残酷なほどに伝えてくる。

 仮面は銀姫たちの物と同じで、口元だけが露出している物ばかりだった。故に分かる。一人一人が感情を持っていることに。

 苦悶。悲嘆。諦観。絶望。負の感情と共に取り込まれ、塗り固められている。ただの素材にされた者たち。

 そして理解に至る。

 あの美しい色彩は――全て、仮面ライダーの成れ果てであると。

 

「ひっ……!」

 

 スカートを引き摺って後退る。悍ましさが背筋をムカデの如く走った。仮面の大きさは普通と同じ。だというのに作り上げられた竜骨はビルよりも高い。ならば一体何人が、犠牲になったというのか。

 

「綺麗でしょう? これを造るまでにどれだけの苦労を重ねてきたのか……。あ、そうそう。ついでに伝えてあげるとね。貴女たちが倒していた、ダムド。あれもライダー由来なのよね」

 

 怖れる朔月へ、追い打ちのように更なる真実を伝えるノーアンサー。

 

「怨念、というか、残滓? が、形を取った存在なの。私の世界で敗れたライダーたちの力が残留して、まだ生きている人間を羨ましがって襲うようになっちゃったの。素材にする際に出ちゃったゴミね」

 

 謎の怪人、ダムド。その存在の正体も今明かされる。

 つまりは、怨霊。この悪辣なライダーバトルで無惨に散った戦士たちの恨み辛み。無意味に死んだ者たちの、怨嗟そのもの。

 

「もう、世界中に増えちゃって! 少数なら支配して人足にできるからいいんだけど、流石に数がね……繰り返している内に増えちゃうし。だから駆除してくれて助かったわ~」

「……許せない」

「ん?」

「許せない!!」

 

 告げられた真実。それを知った朔月の空っぽだった胸に怒りの炎が灯った。

 

「みんなは、爽は、ただそれだけの為に殺されたっていうの!?」

 

 憤怒の形相で起き上がり、マリードールを構え、ドライバーを出現させる。

 空っぽであった彼女が立ち上がれた事実は、幸か、不幸か。

 

「全部、全部貴女の為に!? 船を造る、それだけの為にみんなを!?」

「……ええ、そうよ。私にとっては最重要なこと」

「許せない……許せない許せない許せない!!」

「あのねぇ」

 

 激昂した朔月を見下ろし、ノーアンサーは溜息をついた。

 

「単なる素材に許されなくても、何も響かないわよ」

「――ああ゛あ゛あぁぁぁぁっ!!」

 

 身を焦がす激情に、朔月はかつてのようにマリードールを怒りのままにドライバーへ叩きつけた。

 

「変身!!」

 

《 Silver 》

 

《 戦いは止まらない 何故?

  運命は変わらない 何故? 》

 

 銀の光が集まり、少女の肢体を染め上げる。

 鎧。襤褸。そして仮面。口元を憤怒に歪め、銀姫が再び立ち上がる。

 

「……やれやれ。自害はしないつもりね」

 

 ノーアンサーは呆れたように肩を竦めた。そしてストンと信号機の上から降り立ち、手を突き出す。

 白い光が発生し結実する。するとそこには、マリードールがあった。

 ただし朔月たちに配られた物とは少し違う。ノーアンサーにソックリな女神像が弯曲する欠片めいた物に守られているかのように囲われている。それは、後ろに聳える竜骨にも似て見えた。

 

「仕方ない。お仕置きしなくちゃね」

 

 ドライバーが出現する。腰元に巻かれたそれに、ノーアンサーは添えるようにマリードールを装填した。

 

《 Master Ship 》

 

《 有りし栄光は遙か遠く 故に!

  屍山血河にて取り戻す 故に! 》

 

 歪んだ電子音声と共にノーアンサーが変わっていく。

 ダムドが散る時と似た黒い瘴気が集まり、晴れるとそこに妖艶な美女はいない。

 

 人と比べて大柄の異形だった。人型ではある身体を鉛色をした金属の装甲が甲冑めいて全身を覆い尽くしている。膝や肘から伸びる碇の意匠から鎖が伸び、保護するように巻き付くのは腿や二の腕。背や肩、両腕からは連装砲塔が伸び、潜水艦の船首めいた兜の下からは鬼瓦の如き牙が剥いていた。ライダーと同じく腰元にはドライバーがあるが、ライダーと同じ存在には見えなかった。むしろ、ダムドに近い。

 そして、胸部。

 鏡面のように真っ平らなそこに、モニターめいて映像が浮かび上がる。

 そこには半身だけのノーアンサーが、嘲るような表情で映し出されていた。

 

『これが私の戦闘態、ウォーダムドよ。これもまた、あなたたちを素材にして造った、ね』

 

 巨躯の胸元で見下すノーアンサーに、銀姫は構わず細剣を怒りのままに突きつける。

 

「関係ない! 貴女を――倒す!」

『やってみなさい。これが貴女に与えられた、最期のチャンスなのだから!』

 

 鉛色の砲塔が火を吹く。

 最後の日。その最初の戦いが幕を開けた。



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七日目-2 銀色の答え

「ああ゛あ゛ぁぁぁぁっ!!」

 

 叫びながら銀姫は砲弾が降る間を疾駆していた。砲撃するのはノーアンサーの戦闘態、ウォーダムド。体中からいくつも生えた砲塔から高威力の弾丸を連続で発射している。雨霰のように降り注ぐ砲火を掻い潜り、銀姫はウォーダムドへ接近していく。

 

『ふふふっ! 下手な鉄砲は当たらないってところかしら? 度胸があるわね』

 

 砲撃はコンクリートを薄氷のように打ち砕く程高威力だが、命中精度は高くなかった。現に真っ直ぐ接近してくる銀姫に掠りもしていない。だがウォーダムドに、正確に言えばその胸のモニターに浮き上がるノーアンサーの表情に焦りは無かった。

 

『じゃあこれならどうかしら?』

 

 そう言うと今度は頭から煙が噴き出した。それは噴射だ。潜水艦の如き頭部。そこに目のようについた穴から何かが煙の尾を引いて飛び出してくる。

 白い筒状の物体は緩やかなカーブを描き、正確な狙いで銀姫へと着弾した。

 

「ぐあっ!」

『ふふっ、追尾性のミサイル……魚雷よ。それ、足が止まっちゃってるわ!』

 

 砲弾とは打って変わって追尾する魚雷の命中精度は高い。爆発は銀の装甲で受け止めたものの、衝撃で走りは止められてしまった。そこへ狙いを付け直した砲弾が殺到する。

 

「あぐうぅっ!!」

 

 容赦無く降り注ぐ砲撃の嵐。銀姫を中心として幾重にも爆発の大花が咲き誇り、硝煙の匂いを撒き散らしていく。

 

『おっと、やり過ぎちゃったかしら? 木っ端微塵になって……』

「まだ、だっ!!」

 

 あっという間に決着がついてしまったかとウォーダムドが砲撃の手を止めた途端、舞い上がる粉塵を裂いて銀姫が飛び出してくる。

 

『あら……流石に丈夫ね』

「ごほっ、はぁ、はぁ」

 

 無傷では無い。銀の鎧はひしゃげ、爆炎が身を焦がしている。銃弾をほとんど無傷で受け止められる銀姫の装甲でこれだけのダメージを受けてしまうこと。それこそが砲撃の威力がどれ程なのかを物語っていた。

 流石にこれを受けきることは出来ない。そう思い、銀姫はベルトへ手を回した。

 

『使うのかしら? 貴女が殺してきた命の欠片を』

 

 だが冷酷な言葉にピタリと手が止まる。

 

『グレイヴキー。その正体も、薄々分かってるでしょう? それは死んだ存在の一部を封じ込めることが出来るアイテムよ』

 

 確かに銀姫は今まで何度もグレイヴキーから死者の念を感じ取ってきた。銀姫自身が殺してしまった者。死を見過ごしてしまった者。どちらも触れる度に切なくなる。

 

『フォームチェンジした時記憶が流れ込んでくるのは紛れも無い本物の意思があるから。だからこそ……』

「……だからこそ、力の強さが変わる」

 

 ノーアンサーの言葉を受けて銀姫は確信した。腰に下げた六つの鍵。それらは意思を持ち、変身者へ力を貸すかどうかを決めている。鍵選びは、慎重でなくてはならない。

 銀姫のベルトには六つのグレイヴキー全てが揃っていた。この中から現状を打破する物を選ばなくてはいけない。今、銀姫が欲したのは機動力だ。魚雷も砲撃も躱し、ウォーダムドへ肉迫できるスピード。であるなら、選択肢は二つ。

 才姫と、血姫。

 

「――お願い」

 

 迷わなかった。どちらが力を貸してくれるか、そしてどちらと一緒に戦いたいか。考えれば一瞬だった。

 手に取るのは赤いグレイヴキー。魔術めいた紋様と炎を纏いし蛇の意匠。

 

「あんな奴に、貴女の命が玩具にされたなんて思いたくないから!」

 

 差し込む。途端に流れ込む、彼女の意志。

 

 

 

 

 

 

 

 もう慣れつつある白い空間。そこに浮かび赤い髪を広げる少女の姿を見て、朔月の胸は刺されたように痛んだ。

 自分を庇って死んだ、爽の残影。

 半透明の爽は何も言わずじっと見つめてくる。そこに負の感情は何も無い。怒りも、恨みも、何も。

 ただ伸ばされた手が、まるで背中を押すように。

 そっと、触れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

《 Gallows Blood 》

 

《 守護(まも)るは希望 誰の?

  叶えるは野望 誰の? 》

 

 歪んだ電子音声が響かせる。彼女の束の間の帰還を。

 銀姫の死神のローブめいた襤褸。それが真っ赤に染まり、新品のように綺麗になる。ほつれ一つないそれは、血姫のローブそっくりだ。

 臀部からは爬虫類のものらしき尾が生えていた。これも血姫と同じものだが、血姫よりも長い。巨蛇の胴体の如き長い尾は、空中で蜷局を巻いて銀姫の身体を守っている。

 露出した両頬に赤い入れ墨が浮かび、変化が終わる。それは仮面の下にまで続いているようで、まるで血涙のようにも見えた。

 

 銀姫・ブラッドフォーム。

 

「征こう、爽!」

 

 血の色の外套を纏い、赤き銀姫は駆け出した。

 今まで変身した時のように流れ込んでくる記憶が無いことに、銀姫は左程の疑問を持たなかった。今更伝えることは何も無い。そう言っているのだろう。

 だから今は、一心不乱に駆ける。それが彼女の力を墓穴から無理矢理引き出した自分の義務だと信じて。

 

『あら、そっち? よりスピードの速い才姫かと思ったけど』

 

 一気に踏み込んで加速する銀姫に対し、慌てることも無くウォーダムドは砲撃を再開した。爆炎が地を削り、鮮烈な破壊痕を残す。だがそれらは掠ることすら無い。銀姫の通常形態ですらそうだったのだから、より素早くなったブラッドフォームでは残像すら穿たれない。だから、その足を止めるべくまた魚雷が発射される。

 

「はぁっ!」

 

 白い軌跡を描いて迫り来るそれを、銀姫は尻尾を鞭のようにしならせてはたき落とした。鋭い一撃が信管を起動させて、爆発に巻き込まれるより速く引き戻す。血姫の物よりも長いその尾なら可能だ。

 

『へぇ』

「やっぱり、爽は!」

 

 銀姫の立てた仮説は正しかった。グレイヴキーに遺された意志。死者と心を通わせていればいる程に能力は上がる。その理屈が通るなら、銀姫にとって血姫の力は最高の相性になるのが道理だ。

 

「ぜやぁっ!」

 

 裂帛の気合いを叫び、今度は地面を尻尾で打ちその反動で飛び上がる。一気に空中に飛んだ赤き銀姫に対し、ウォーダムドは冷静に砲口を向ける。

 

『馬鹿ね、逃げ場のない空中で!』

 

 弾ける砲火。容赦なき連射が下降し始めた銀姫を襲う。飛行できる訳でもない銀姫では躱す術を持たない。

 

「お願い!」

 

 だが迫る砲弾をまたもや弾き飛ばしたのは尻尾だった。尾は銀姫を守護するように球状に彼女を覆い、砲弾をその沿革に反って受け流した。火薬の詰まった砲弾は明後日の方向へ逸らされ爆散する。銀姫には炎の匂いすら届かない。

 

『! 流石に予想以上ね』

「やああぁぁっ!」

 

 そのまま砲撃を凌ぎ驚愕を露わにするウォーダムドへ向かって一直線に落下。肉迫する寸前で解いた尻尾の防御の中からは、両手に双剣を握った銀姫の姿が現われる。空を切る音と共に双閃が奔った。

 

「みんなの、仇ぃ!」

 

 怨念憤怒によって振り抜かれる剣。

 だがそれが残したのは、甲高い金属音のみだった。

 

「……え」

 

 銀姫の剣を握った両腕は弾かれたように打ち上がっていた。万歳の形になった己を顧みること無く、銀姫の複眼は目の前の仇敵を呆然と眺める。ウォーダムドは何もしていない。何も変わっていない。ただ、威迫を伴って迸った剣閃が、その装甲に呆気なく弾かれたというだけだった。

 

『……ふふふっ!』

 

 体勢を崩した銀姫。そこにウォーダムドは、嘲りながら前蹴りを放った。

 

「がふっ!!」

 

 重い蹴撃が腹部に突き刺さる。踏ん張ることも出来ず銀姫の身体は吹き飛ばされてゴロゴロと転がっていく。その途中で保護するように尻尾が簀巻きめいて全身を覆ったが、止まったのはしばらく転がされた後だった。

 

「が、ぐ……剣、が」

 

 尻尾の防護を解き、剣を杖にして銀姫は起き上がる。その刃先は大きく欠けていた。ライダーの武器が壊れるのを、銀姫は初めて目撃した。

 

『あはははっ! 傑作ね。当然よ。一番大事な私の身を傷つけられるような物を貴女たちに配るわけないじゃない。幼稚園児のおままごとにはプラスチックのフォーク、でしょう?』

「ぐ……そんな」

 

 剣の勢いは鋭かった。銀姫がいつも振るう細剣より威力が出ていただろう。だが、弾かれた。それだけ硬い装甲。

 銀姫は確信してしまった。あの装甲には、ただの武器攻撃は絶対に通じない、と。

 

『うふふ、残念ね。折れちゃった? 剣じゃなく、心が』

「っ、まだ、だ!」

 

 蹴りを受け鈍痛が広がる腹部を庇いながら、銀姫はそれでもしかと大地を踏みしめ立ち上がる。確かに通常攻撃が通じないという事実は銀姫の心に重くのしかかる。だがそれでも、試すべきことが残っている限り銀姫の脳に諦めの文字が浮かぶことは無い。

 即座にマリードールへ指を走らせる。

 

《 Blood Execution Finish 》

 

「はああぁぁぁ……!」

 

 歪んだ電子音声が鳴り、構えた双剣に赤い炎が煙っていく。普通の攻撃じゃ通じないなら、大出力の必殺技だ。

 

『ま、そう来るわよね。でも悪くない発想よ。いえ、普通ならそれも通じないところだけど、予想以上の適合を見せる貴女たち(・・・・)だとちょっと不安が残るのも事実……』

 

 双剣に炎が漲っていくのを見てウォーダムドは呟いた。ノーアンサーはライダーバトルを開催するにあたりしっかりと安全マージンを取っていた。つまり自分を傷つけ死に至らしめるような力をライダーたちには配ってはいなかった。それこそライダーの力を満足に収集できていない初期には力負けする危険性はあったが、充分に集めて一応は満足できる戦闘体を造り上げた今なら問題ない。必殺技であろうと正面から受け止められるだけの力量差が存在した。不意打ちで受けても、精々が装甲の表面に焦げを作る程度で終わる。そういう想定。

 だがそれだけ対策した上でなお、抜群の相性を見せる銀姫・ブラッドフォームの必殺技ならその想定を越えうるかもしれない。そう判断したノーアンサーは、

 

『だから、使わせないわ』

 

 まるで処刑の指示を下すように、モニターの中で指を振り下ろした。

 瞬間、フォンと小さな異音がウォーダムドを中心に一瞬だけ広がった。

 

「ああぁぁぁ……えっ?」

 

 双剣を握りそれを振り下ろさんと気合いを高めていた銀姫は呆気にとられた声を上げた。何せその刀身から、忽然と炎が消えてしまったからだ。まるで蝋燭が吹き消されたかのように音と共に失せてしまう赤い炎。

 

「なん、で」

『ふふっ! 必殺技が危険なら、対策していない訳がないじゃない』

 

 呆然とする銀姫に対し、ノーアンサーは戯けたようにウォーダムドの駆体を操ってコツン、と頭を叩いた。

 

『ジャミングという奴よ。私、ウォーダムドから発せられる波動(ソナー)はミサキドライバーを狂わせるの。これ以降、ベルトへの入力は一切機能しないわ』

「そんなっ……!」

 

 何度触れようとドライバーはウンともスンとも言わない。せめてグレイヴキーをパワー型の物に差し替えようとして鍵を抜く。それだけは上手くいき銀姫は元の姿に戻ったが、乖姫のグレイヴキーを嵌め込もうとすると反応しない。完全に入力を拒絶している。必殺技は使えず、新たな姿にはなれない。それはつまり、逆転の手段を全て失ったということだった。

 

『ふぅ。でもコレやるともうつまんないのよね。終わりにしちゃいましょう』

 

 画面の中のノーアンサーはしらけた顔をしてそう言った。ウォーダムドの片手にある砲塔が一瞬だけ分解し、露わになった手がマリードールをなぞる。

 

《 Master Ship Delete End 》

 

 銀姫とは違う、しかし同じように必殺を告げる電子音声が鳴り響いた。

 銀姫に対抗する手段は無い。怯え竦む銀姫の目の前で、砲塔に様々な色をしたオーラが漲っていく。

 

『遊び終わったら、綺麗さっぱりお掃除しなくちゃね』

 

 そして全ての砲塔が、一斉に火を噴いた。

 だが発射されたのは弾丸では無い。ダムドだった。見慣れたイナゴのような白い面を被った異形。それが顔だけ顕現し、後は煙のように黒く尾を引いている。ダムドの砲弾。

 異形の弾丸は銀姫の命の気配を捕捉し、群がる餓狼めいて殺到した。

 

「う、あ」

 

 迫り来る異形たちに銀姫は脱兎の如く逃げ出した。なりふり構わず後方へ。しかし無念の内に死んだ魂、その滓は執拗だった。諦めず、無理な軌道を書いて追尾する。それはまさしく、生者を恨み仲間に引き入れようとする亡者であった。

 

「ひっ……!」

 

 着弾。黒い爆炎が勢いよく燃え上がる。その衝撃はビルを揺らし、威力を物語る暴風を振りまいた。

 

『いっちょ上がり、ね……おやぁ?』

 

 ダムドを利用した一撃。ダムドが死したライダーの無念から生まれるのであれば、その力を吸収し己の物としたウォーダムドからはいくらでも生み出せる。その理屈から放たれた、生者を追う怨念の砲撃。それは理屈から言って必中である筈だった。

 だが黒炎の下からは、変身が解けた朔月の姿が転がり出してきた。

 

「かっ、げほっ、が、うぅ……」

『おかしいわね。なんで原型が……あぁ、そう言えば貴女にはそんな力があったわね』

 

 朔月は煤に塗れ服がボロボロになってはいるが、五体満足ではあった。あの技の爆心地にいてその程度で済まないことを知っているノーアンサーは首を傾げたが、自分が与えた銀姫の性能を思い出して得心した。

 ブラッドフォームを解除し元の姿に戻っていたことが功を奏した。銀姫は本来の自分の能力、ダムドの追跡を遮断する襤褸の力を使用。その結果ダムド砲弾は標的を見失い、銀姫とは少し離れた場所に着弾した。それ故、銀姫は直撃を免れたのだ。

 だが間近ではあった為に、銀姫の変身は解除。朔月も甚大なダメージを負ってしまった。

 

「が、ふっ」

 

 喀血する。口を切ったのか内臓が傷ついたのかすら分からない。肌もあちこちを擦り剥き、爆風で転がったことで打身だらけ。全身が痛くて、今の自分の身体がどうなっているのかすら分からなかった。

 立ち上がれず、激痛に痙攣する朔月を見下ろしてノーアンサーは肩を竦めた。

 

『ビックリしたけど、お終いはお終いね』

 

 どう見ても戦える状態では無い。トドメを刺すのは容易だろう。

 しかしウォーダムドが砲塔を向けることは無かった。

 

『でも折角生き残ったんだし、チャンスをあげるわ』

 

 ノーアンサーにとって、この殺し合いはどこまでも彼女の趣味だったからだ。

 

『そうね……一時間ほど待ってあげる。それまでに自死なさい。そうすれば願いだけは叶えてあげるわ。でももしまだ刃向かう気なら……竜骨の下で相手してあげる。その時は愚か者に相応しい、惨たらしい死を与えましょう』

 

 そう言い捨てて、ウォーダムドは背を向け去って行った。

 

『いい答えを期待しているわ』

 

 後に残されたのは、襤褸切れのようになった朔月だけだ。

 

「あぐ、うぅ……」

 

 しばらくは痛みに蹲ったままだった。黒い残り火と破壊痕が残る道路の真ん中で子犬のように震えていた。だがそれも収まり、立ち上がれるだけの体力が戻ってくる。

 フラフラと起き上がりながら、朔月は爽と話した傷の治りが早くなっているという話を思い出す。

 

「……化け物、か」

 

 実際は、そうですら無かった。ただの収穫物。散ってノーアンサーの養分になるまでに痛んでは面白くないからという、それだけの話。それだけで、朔月の身体は既に人間では無い。

 フラつきながらも歩き出す。その姿は如何にも見窄らしかった。制服は煤けた襤褸切れとなり、朔月自身も血と煤に汚れきっている。乱れた髪から覗く瞳は虚ろだった。

 歩みは竜骨へ向かっていた。ただし、ノーアンサーに立ち向かう為では無い。

 当てもないだけだ。

 

「……はは」

 

 全部、無意味だと知ったから。

 ライダーバトルは全部茶番だった。最初から勝者と呼べるようなものは存在しなかった。ただの、ノーアンサーの菜園。自分たちはただの収穫物で、彼女を楽しませるだけの玩具だった。

 激情に駆られ仇を討とうとしてみたが、結果はこの通りだった。最初から敵わないよう計算されていた。何をしたところで、既に意味が無かった。

 選べるのはせめて願いを叶えるかどうかくらいだが、その願いも朔月には無かった。

 

「みんなを、生き返らせるとか?」

 

 呟いてみる。確かにそれなら、叶える価値はありそうだ。

 

「いや、駄目だろうな。だってライダーの力を収穫するのが目的なんだし」

 

 しかしノーアンサ-の目的がそもそも参加者を皆殺しにするということなら、その全員を生き返らせてくれる可能性は低いように思えた。わざわざ素材を減らすようなことをするだろうか。多分、否だ。

 だとしたら、本当に何も無い。

 

「あはは……」

 

 引き摺るようにしながら、ただ歩く。竜骨を目指すのはただの惰性だ。願いが無いから、自死をしないだけ。

 そうして歩いていると、何やら華やかな通りに入った。鮮やかな服やケーキが、ショーウィンドウに綺麗に飾られている。商店の並ぶ通り。

 

「綺麗、だね」

 

 つい近づいて、手を当てて眺めてしまう。友達とこんな物を見て楽しく笑い合った日々が、まるで遠い日の出来事のように思えて。

 そんな風に憧憬に思いを馳せていたからか。

 ショーウィンドウを歩く、誰かを幻視したのは。

 

『ふぅん。情けない顔をしてるね』

 

 飾られるカジュアルなファッションのマネキン。その肩に肘をかけ朔月を見下ろしているのは、

 

 志那乃だった。

 

「え……?」

『っていうか、格好も汚い。ボロボロじゃん。ざまぁみろって感じだけど、純粋に見てて嫌になるんだけど』

 

 ショートカットでパーカーを着込んで、顔を顰めているのは確かに志那乃だった。ただし、まるで背景を写し取っているように透けている。

 慌てて朔月は振り返るが、そこには誰もいない。目線を戻すと確かにいる。さながら鏡の中にいるような、不確かな姿の少女。それが今の志那乃だった。

 

「なんで……」

『さぁね。最後の最後に文句を言える場所をくれたんじゃない?』

 

 つまらなそうに志那乃はそう言って、改めて朔月を見下ろした。

 

『無様だね。ボクを殺しておいて、そんなザマ?』

「………」

『そんなになるんだったら、最初からボクに願いを譲っておけばよかったのに』

 

 志那乃はそう吐き捨てた。それに対し、朔月は申し訳なさそうに顔を歪める。

 

「その、願いは」

『あぁ、生きて叶えられなかったって言うんでしょ。全部知ってる。でもボクなら、それでも叶えたけどなぁ』

「えっ……」

 

 驚き目を瞠る朔月。志那乃は目線を隣に向ける。

 そこには親子を模したマネキンが飾られていた。

 

『……『ボクのことを忘れて欲しい』。ボクのやらかしを消すための願いだったけど、それを拡大してそう願っただろうね。ボクのこと、全部を忘れてもらう。そうすれば、もうボクのことで怒ったり泣いたりすることなんて無いだろう?』

「なんで、そこまで」

『せめて二人には、穏やかに過ごしてほしいからだよ』

 

 理解出来ず零す朔月に、志那乃は遠い眼差しでマネキンを見つめながら答えた。

 

『親不孝者だからね……せめて、それを精算しようとしただろう。ボクがお前の代わりにそこに立っていたら、さ』

 

 そこには確かな愛があった。本当に、両親を敬愛する眼差し。朔月には絶対に存在しないもの。あんな両親には、絶対に抱けない感情。

 だが、しかし。

 それを持てたなら、何か変わったのだろうかと。

 羨ましくもなる。

 

『だけど、ムカつくのも確かだな~』

「え?」

『ノーアンサーのこと。ボクらを最初から騙していたなんて。いや、嘘はついていないとか言う気なんだろうけど。そこも含めてムカつくなぁ~』

 

 慈愛を含んだ瞳で見つめていたマネキンから目を逸らし、一転して志那乃は抑えきれない憤怒を浮かべた。

 

『ボクだって出来ればお父さんお母さんにもう一度会いたかったし! ボクのやらかしだけ忘れてもらって、また優等生のボクに戻って二人に喜んでもらえたらそれに勝るものは無いし! だからやっぱりムカつく。ぶん殴りたい。願い叶えてもらえないのは困るから、そこにいたら大人しく死ぬけどさぁ!』

「え、ええと……」

『だから、さ』

 

 溜息をついて、志那乃は続けた。

 

『ボクの代わりにいるんだから、代わりにぶん殴ってよ』

「え……」

『どうせ叶わないんだったら、せめて鬱憤を晴らす! その為にだったら、力を貸してあげてもいいよ』

 

 呆然とする朔月に、志那乃はニヤリと笑みを浮かべた。

 

「私が、殺したこと。恨んでないの?」

『恨んでるに決まってるでしょ。でも今は、ノーアンサーへのむかっ腹が勝つから。だから忘れてあげるって話。その代わり、』

 

 志那乃は手を銃の形にして、虚空を撃ち抜いた。

 

『キッチリ仕留めてよ。獲物の仕留め方、教えてやったんだからさ』

 

 そう言い残し、志那乃は姿を消した。

 

「――志那乃」

 

 気付けばマリードールを握り締めていた。今のは、幻覚だろうか。朔月はそう自分に問う。だとすれば随分都合が良く思える。恨みを一瞬だけとは言え、忘れてくれるなんて。

 服飾店のショーウィンドウから視線を外し、進む。すると隣にはケーキ屋があった。

 ショーウィンドウにはウェディングケーキのように高く積まれた美味しそうなケーキがいくつも並んでいる。

 そしてその後ろから顔を出すように、二人の少女が現われた。

 

『一回ここに入ってみたかったんだよねー。この中でケーキを貪るのって夢じゃない?』

『どうでしょう……はしたないと思いますけど』

「ナイア、真衣」

 

 ひょっこりと現われ小皿の上にケーキを乗せているのはナイアで、それに呆れた表情を浮かべているのは真衣だった。二人とも同じ四葉学園の制服を着ている。

 真衣は朔月の視線に気付き、なんとも言えない表情ではにかんだ。

 

『はい、お久しぶり……でもないのでしょうか。でもまた会えて嬉しいです、朔月さん』

『ウチもウチもー! いやぁこんなことがあるなんてね。天国や地獄とかもあるのかなー? ウチってどっちに行くと思う?』

『それは絶対に地獄だと思いますよ……』

 

 小首を傾げるナイアと、それにげんなりと答える真衣。それはどうも、本人の反応に見えた。

 だからつい、訊いてしまう。

 

「……二人は、私を恨んでる?」

 

 その問いに、二人は視線を合わせる。そして同時に首を横に振った。

 

『別に?』

『特には……』

 

 揃って否定する。苦笑がちのその表情を見れば、それが本心であることも窺えた。

 

『私は当然、恨む理由なんて無いですよ。仇、取ってくれましたもん。むしろ呪いみたいな遺言を残して、申し訳ないなと謝りたいくらいです』

 

 真衣は上品に眉根を寄せてそう答える。

 

『ウチも殺されたことについてはどうでもいいかなー。貴重な体験だったし。っていうかウチとしては、朔月が殺して楽しかったかどうかを訊きたいんだけどっ』

 

 ナイアは前半については心底どうでもよさげに。そして後半については興味深げにそう言った。

 不躾なその問いに、朔月は憂鬱に返答する。

 

「楽しい訳ないよ」

『そっかー。残念』

 

 そう言って、ケーキを頬張る。自分を殺した相手のその態度を、真衣は複雑そうに見つめた。

 

『ことここに至っても、恨みの感情すら抱けない自分にだけ腹が立ちますよ……』

『戦えないって難儀だねー』

 

 まるで他人事のようにナイアは頷く。

 何一つ堪えないその様子に溜息をついて、真衣は朔月に向き直った。

 

『だから、私たちの敵討ちは考えなくていいです。私はノーアンサーをやっぱり恨めませんし、ナイアもどうでもいいらしいので』

『殺し合いは面白かったしねー』

『……でも』

 

 真衣は一度目を瞑り、そして意を決したように朔月へ告げた。

 

『私の願いを忌憚なく言うならば……戦ってほしい。朔月さんには諦めても、屈してもほしくない。最後の一瞬まで、戦い続けてほしいです』

『残酷だねー。それで酷い目にあったの、これまで見てきたのに?』

 

 ナイアは嘲る。その願いが呪いとなり、朔月を苦しめてきたことを。

 しかし真衣は首を横に振った。

 

『それでも、です。私は戦えず、何も出来なかった。無意味に終わってしまった。だから朔月さんには二の轍を踏んでほしくない。それだけなんです』

「真衣……」

 

 真衣は胸の前で手を組む。それは祈りだ。真衣の言葉は、願いは、どこまでも真摯な祈りから生じていた。朔月を想う、無事を願うそれだけの。

 

『ま、戦い続けてほしいってのは同意かなー』

 

 それとは正反対にナイアは告げる。

 

『ウチはもっと殺し合いが見たい! 血湧き肉躍る戦いや、剥き出しの心が傷つけ合う罵り合いが是非とも見たい! 自害なんてつまんない結末はノーサンキュー! だから朔月には戦い続けてほしいなっ!』

「ナイア……」

 

 ナイアはどこまでも無邪気に邪悪だった。己の享楽の為に殺戮を求めている。一度は嘘をついて朔月の味方に収まった少女だが、そこに一切の虚偽は存在していなかった。ナイアが求めているのは死でもあり、生でもあるのだ。

 

『ですので、朔月さん』

『だからさ、朔月』

 

 故に二人の言葉は、同じ意味に集約する。

 

『戦ってください。そして生きてください』

『戦ってね! そんで殺しちゃえっ!』

 

 そして二人の姿は掻き消えた。

 

「――ナイア、真衣」

 

 届いた言葉を噛み締めて、朔月は進む。次に見えたのはスポーツ用品店だ。

 バットやグローブ、サッカーボールなどに囲まれた中心に、道着姿の少女は座っていた。

 刀のように怜悧な空気を纏いしポニーテールの少女、藤だ。

 

『……いやぁ、私はあまり君との面識は無いんだが』

 

 そう言って、どこか戸惑ったような態度で朔月と目を合わせる藤。

 

『だが一人だけ姿を見せないのも悪いだろう。だから少しだけでも何か言おうかと』

「……うん」

 

 朔月は頷き聞き届ける。爽から伝聞だけしか知らない、少女の言葉を。

 

『私は、君の立場ならきっと自害を選んでしまったな。それで苦しみが終わるのだから。さっきみたく一当てくらいはするかもしれないが、敵わないと理解したなら、それで未練を断ち切ってこれで良しと喉を掻ききるだろう』

「………」

 

 藤は諦観を浮かべながらそう呟く。朔月は何も言えずその言葉を聞いていた。

 しかし藤は、だが、と続ける。

 

『爽との戦いで、少しだけ気持ちが変わった。苦しんで、苦しみぬいて、その先にこそ選択できる物があると、彼女の生涯を通して教えてもらった。苦しみは悪だが、そこから生まれる物も皆無ではない。そう、教えてもらった気がする』

 

 だからこそ、藤は柔らかい表情で朔月に告げた。

 

『朔月。私は君の選択を尊重する。苦しいなら終わってもいい。だがそれに耐えて足掻くのもまたいい。どちらであっても私は、その選択を讃えよう』

 

 自分は君のような人のために、戦ったのだからと。

 

『さて短いが、私はこのくらいにしておこう。もっと話すべき相手は、他にいるだろう?』

 

 そう言い残し、藤はその姿を消した。

 

「――藤」

 

 軽くなり始めた足で、次へ。

 隣にあったのは電気屋だ。いくつものモニターが所狭しと並び、眩しいばかりに様々な映像を映している。

 その映像が一斉に切り替わり、一人の少女の姿へと変わった。

 

『無様なものね。私という傑物を足蹴にしてそのザマとは』

 

 銀フレームの眼鏡をくいと上げる不遜な態度。唯祭高校の制服。見紛う筈も無く輪花だった。

 

「輪花か……」

『ちょっと? 何を残念そうにしてるのよ。私が現われたんだから拍手喝采平身低頭で迎えるのが筋でしょう』

「その二つを両立は無理じゃないかな……」

 

 変わらぬ様子に呆れかえってしまう朔月。この少女は例え地獄に行っても、変わらぬ態度で過ごすのだろう。

 

「貴女は、恨んでるよね」

『当然よ。この類い希なる天才をこんな無惨に終わらせてしまったのだから。最早世界の損失! 許されざる大罪よ』

 

 頬を膨らませながら輪花はそう告げる。

 彼女ならそう言うだろうと予想通りの答え。だからその先を朔月は問うた。

 

「でも生き残っても、その願いは……」

『そう。それなのよ』

 

 その指摘を受けた輪花は苛立たしげに足を踏み始めた。

 

『ノーアンサーの奴め。この素晴らしい才能を最初から摘み取る気だった、ですってぇ? なんて不遜なのかしら。この私を騙くらかすなんて、許せない。百回殺しても飽き足らないくらいの所業よ!』

 

 それもやはり、朔月の想像通りだ。輪花という少女は優れた頭脳を誇り実際頭の回転は早いが、その内面は一度理解してしまえばとても予想しやすい性格だった。

 烈火の如く怒る輪花はしばらく忌々しげに地団駄を踏み、そしてそれを止めると疲れたように溜息をついた。

 

『はぁ……とは言っても死んでしまっては文句も言えないわね』

 

 天を仰ぎ、眼鏡の位置を正す。落ち着きを取り戻した輪花は朔月に向き直る。

 

『だからこれは命令よ。私の代わりに、ノーアンサーをぶっ飛ばしなさい』

「……恨んでる、私に?」

『そうよ。立っている物は親でも使えと言うでしょう。……それとも諦めるの? この私に、勝っておいて?』

 

 そんなことは許さない。そう言わんばかりに輪花は朔月をギロリと睨み付けた。

 

『重ねて言うけどこれは命令よ。貴女に拒否権なんか無い。だから――負けたら承知しないわよ』

 

 そう言い残し、全てのモニターは電源を落とした。

 

「――輪花」

 

 何とも言えない気持ちになりながら、朔月は進む。

 次に見えたのは――楽器店。

 もう、朔月にも次に会える人は分かっていた。

 

「爽」

『……あんな風に別れておいて、かっこつかないんだけどなぁ』

 

 バツが悪そうに頭を掻き、ギターの後ろから現われたのはやはり爽だった。相変わらずのパンキッシュファッションに身を包んだ彼女は、死んだ時とまるで変わりない。

 

「でも私は、やっぱり会えて嬉しいよ」

『そ。……アタシも、まあ、そうだね。嫌では無い、かな』

 

 頬を僅かに染め、照れくさそうに爽は顔を逸らした。

 

「ふふっ。……ねぇ、爽」

 

 何を問うか。それを考えて。

 真っ先に浮かんだのは、やはり。

 

「……どうしてあの時、私を庇ったの」

 

 それだった。

 自分を庇った理由。弟の為に願いを叶えようとする彼女が、敵である自分を助け代わりに死んだ、その訳。いくら自問しても答えが出なかったその問いを、朔月は本人に発した。

 

『それは……』

 

 真剣な眼差しを注ぐ朔月に対し、爽もまた真摯に答えようとして、

 

『……何でだろうね』

「え……」

 

 当の本人だというのに、首を傾げてしまった。

 

『うーん。だってあのとき、時間が無かったからさぁ。咄嗟に……?』

「そ、そんなことで自分の命を、願いを諦められるの?」

 

 信じられなかった。だってあれ程に強い願いを抱いて、そしてあんなに優しい家族を残して。それなのに朔月の為に命を捨ててしまったのだ。その理由が衝動という曖昧な理由だと、朔月は信じられなかった。

 

「大切なものを、全部、捨てちゃったんだよ」

 

 家族も、弟の足も、命も。その全てを投げ出す理由にはならない。そんなことをさせてしまった自分が嫌で、朔月の表情は苦渋と悲嘆に染まる。

 しかし爽は、優しく――まるで弟にするように、柔らかく笑いかけた。

 

『全部、じゃないよ』

 

 そう言って、指差す。朔月を。

 

『アンタはそこにいるだろう』

「え……」

『だからさ、鈍いなぁ』

 

 さっき首を傾げたのは照れ隠しだよ、と。

 恥ずかしいのか頬を少しだけ染めて、ふて腐れたように顔を背け。

 言う。

 

『アンタも……朔月も、アタシの大切なものなんだよ』

 

 沈黙が流れた。

 爽は言わされたことが気恥ずかしくて口を閉じ、朔月は何を言われたのか理解が及ばずに呆けた時間。

 だからゆっくりと、咀嚼するように理解していった。

 

「え……それ、本当?」

『嘘なんてつくもんか。ホント、ずるいよね』

 

 照れ隠しにアンプの上に座って足をプラプラ遊ばせ、爽は答える。

 

『後になって大切なものが増えるなんて』

 

 それは、確かに爽が残した最期の言葉で。

 だから真実なのだと、飲み込んでしまう。

 

「なんで、私なんか」

『そこにきっと、理由なんてないよ』

 

 思い浮かべようとすれば、ない訳ではない。ひたむきなところとか。友達に甘いところとか。料理が下手なところとか。挙げようとすればいくらでも挙げられて。

 でもそうじゃないと爽は首を横に振った。

 

『人が、人であるからじゃないかな』

 

 だからこそその答えは、真っ直ぐと朔月の胸を突いた。

 

「――そっか。人……人だもんね」

『そうだよ。好きになって、嫌いになって、一人になりたい時もあって、でもやっぱりまた付き合って。それをどうしようもなく繰り返すから、きっと人なんだよ』

 

 ここに来るまでに会った彼女たちも、人だった。

 だから死んでしまった時には、殺してしまった時には胸が痛くて。でも彼女たちが抱いたのは恨みだけでもなかった。

 怒り。

 無邪気。

 祈り。

 祝福。

 憤り。

 そして……愛。

 願いを託されて、朔月は進む勇気を得た。

 

「――爽」

『うん』

「やっぱり私は、戦う。やることがないからじゃない。私自身の意志で」

『痛いし、怖いよ。また辛いことがあるかも。これから先、ずっとずっとそうである可能性だって、否定できない。やっぱりここでやめておいた方が良かったって、後悔する日もあるかもしれない』

「それでも、戦う。私の中に生まれた大切なもの。その為に命ある限り戦い続ける。それが……私の、"答え"」

 

 そっと朔月は胸に手を当てる。心臓の鼓動が聞こえた。まだ自分は、生きている。

 だったらこの胸に出来た願い(こたえ)を、果たしに行かなくては。

 

「もう行くよ、爽」

『……そっか。ちゃんと、選べたんだね』

 

 その道を選んだことを悲しげに、しかし選べたことを嬉しげに、爽は拳を突き出した。朔月は合わせる。お互いに叩いたのはガラスで、その手が触れ合うことはなかった。

 だけど。

 心はちゃんと、触れ合えたから。

 

『行ってこい――朔月』

「うん! 行ってきます――爽!』

 

 だから朔月は背を向け走り出す。

 それを見送って、爽は消える。

 もう心配ないと、笑顔を浮かべながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 走る。走る。目標に向かって真っ直ぐと。

 目的もなくただ漫然と歩いていた時とは違う。確固たる足取りで。

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 服はボロボロだ。全身はまだ痛い。喉はカラカラに渇いて、当たる風が傷口に染みる。

 それでも。

 生きてきた中で、一番すがすがしいのは今だった。

 

「はぁ、はぁ、はぁ!」

 

 そして息を切らしながら走って、辿り着く。

 極彩色の竜骨。その足元に。

 

『あら、案外に早いわね』

 

 街中に開けられた広場。石のタイルが敷き詰められたそこには、直立不動で佇むウォーダムドがいた。そしてその胸のモニターで意外そうにしているノーアンサーの姿。

 

『じゃあ、答えを聞かせてもらおうかしら。結局何か願う? それとも戦って残酷に死ぬ? それとも惨めったらしく命乞いをしてみる?』

「どれも、違う」

 

 嘲るノーアンサーの言葉に、朔月はまったく揺るがず首を横に振る。

 

「私は戦う。けど、負けない」

『――へぇ』

 

 ノーアンサーの瞳がスッと細められた。

 

『あれだけやっても彼我の実力差が伝わらなかったみたいね。いいわ。そこまで言うならもう少しお仕置きしてあげようかしら』

 

 ノーアンサーの意思と連動し再びウォーダムドが動き始める。このままでは、また先と同じような蹂躙劇が再開するだろう。

 しかしもう違うと、朔月は怯まずに立っていた。

 

「だって、願いを託された」

 

 キィンと、音が響いた。聞き覚えのない音にノーアンサーが眉根を寄せる。

 そして目を瞠った。マリードールが、光り輝いている。

 

『――何で? 私は、何もしていないのに』

「みんな自分勝手で、好き放題に押しつけて、満足した顔をしちゃった、それぞれの答え。でも力を貸す言質をもらったんだから、それは果たしてもらわなきゃ」

 

 輝くマリードールから、六色の光が分離した。緑。青。金。紫。黄。赤。それはスッと浮き上がると、朔月を囲うようにして浮遊した。

 

「一緒に、戦って。殺し合ったほどの仲なら、簡単でしょ?」

 

 呼応するように光は増した。そしてそれに釣られるように、マリードールの白い輝きも変質していく。

 銀色へ。

 

『何、これ。何を……っ、やめなさい!』

 

 危機感を覚えたノーアンサーはウォーダムドに砲撃させる。殺到する弾丸。だがその全ては、六色の輝きに弾かれた。

 

「知らなかった?」

 

 そして銀の輝きは収束していく。

 

「変身中の攻撃はマナー違反だよ」

 

 朔月の手には、銀色になったマリードールが握られていた。

 腰元にも光が集まって、白いドライバーとなる。その形状はミサキドライバーとは大きく違った。鍵を刺すスリットはなく、まるで荘厳な、神殿のような。

 

「――変身」

 

 朔月は銀のマリードールをドライバーに差し込んだ。今までのように鎖が巻き付いたりはしない。白いドライバーは当たり前のように迎え入れて、余った鎖は四方に走って十字架のようなものを作る。そして銀の光が、彼女の全身を覆った。

 光が晴れ、朔月の新たな姿が露わになっていく。

 

 月の光を押し込めたような銀のアンダースーツ。銀姫よりも僅かに軽装な鎧は純白で神聖な雰囲気を帯びている。襤褸はなく、代わりに青い十字架を刻まれた僧衣(クロス)めいた前垂れが腰元より伸びていた。

 そして顔に被った仮面は、以前のように半面ではない。口元には銀のクラッシャー。何故ならもう、彼女に人間でいたいという甘えはないからだ。

 聖剣のように尖った二本のアンテナと、緑の複眼輝くその仮面にもう陰鬱な空気はない。

 朔月は今、立ったのだ。与えられた宿命ではなく、自らの意志で、自分だけの仮面ライダーとして。

 

「死んでしまった彼女たち。あの子たちは人だった! 怪物でもなんでもない。だったら救うのが、せめてもの私の使命。だからその魂の平穏と、尊厳の自由の為に私は戦う! それが私の出した――"答え"だ!」

 

《 Select 》

 

《 犯した原罪(つみ)は消せない それでも

  もうどこにも(かえ)れない それでも! 》

 

《 The Answer! 》

 

 今までとはまるで違う、透き通った声が響く。

 罪という十字架を背負い、銀色の答えを携えて。

 

「お姫様はもうやめた。私は仮面ライダー……皇銀(すめらぎ)だ!」

 

 そして少女は――仮面ライダーとなった。



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七日目-3 ラストページに選んだのは

『仮面ライダー……皇銀(すめらぎ)? そんなライダー、私は実装していない……!』

 

 突如朔月が変身した白きライダー、皇銀を見てノーアンサーは慄いた。このライダーバトル、全てはノーアンサーの手の平の上だ。舞台に上がる俳優も脚本も、全て計算尽くの戯曲。彼女にとって予想外のことは起こらず、今回もまたノーアンサーの思うがままの結末を迎えるはずだった。

 しかし今、計算外の存在が降臨した。

 

「みんなの力が、私にもう一度戦う選択肢をくれたんだ」

 

 皇銀の周囲を旋回するように浮遊していたグレイヴキーたちは、役目を終えたと言わんばかりにベルトへと収まった。あとはお前次第。そう告げもしているかのように。

 

『訳が分からない……でもライダーである以上は!』

 

 状況がまだ飲み込めないノーアンサーだが、それならばと先手を取ることにした。ウォーダムドを中心に波動を放つ。先に銀姫・ブラッドフォームの必殺技を封じたジャミングだ。最初から奥の手を切る。何もさせなければ、何も起きない。計算外もただの誤差で終わる。いつものように愚か者を一人消して終わりだ。

 小さな音を立て、見えない波が広がる。静かだが、それは闘士の全てを封じる致命の毒。仮面ライダーがノーアンサーの授けた力である以上、創造主に逆らえる道理はない。

 

「……何かした?」

 

 だが、皇銀にはまるで応えてなかった。

 

『な、何故!?』

「当たり前だよ。だってもう、貴女の与えたドライバーじゃないんだから」

 

 ウォーダムドのジャミング能力はノーアンサーが少女たちに与えたミサキドライバーの機能を停止する力だ。一方で皇銀が身につけるのはまったく新しいドライバー。故に通じない。そもそもシステムが違うのだから。

 

『まさか、そんな……』

「来て!」

 

 皇銀は叫び、右腰のパーツを叩く。宙空より飛来し白い手に収まったのは剣。しかし今まで銀姫として握っていたものとは造りが違っていた。

 十字架を模した柄に、太めの持ち手。鋭い刃には常に白銀の光が宿っている。清廉な気配を纏いし光り輝く長剣。

 

「銀墓剣、クリプト!」

 

 逆さにした墓標めいたその剣にそう名付け、皇銀はウォーダムドへ目掛け駆けた。その足取りには迷いも自棄もない。己の使命を胸に抱き、真っ直ぐに敵に向かう走りだ。

 己に迫り来る皇銀の姿にノーアンサーはようやく我に返る。

 

『クッ、しかし今更少し変形したところで!』

 

 ウォーダムドは砲を構え、皇銀へ向け放つ。相も変わらず命中精度の低い砲弾。しかし必ずしも全てが見当違いの方向へ飛んでいく訳ではない。幸運にも、一発の砲弾が皇銀へ向け真っ直ぐに飛来していた。

 

「変形じゃない、変身だ!」

 

 だがその砲弾を、皇銀は真正面から切り伏せた。真っ二つに両断された砲弾はそのまま左右に別たれ皇銀の背後で炸裂する。彼女の足を止めることは敵わない。

 

『クッ!? このッ!』

 

 その切れ味に怯んだノーアンサーはすかさず魚雷を発射する。ウォーダムドの頭部から打ち出され、煙の尾を引いて飛来するいくつもの魚雷。それを皇銀は今度は剣を構えることすらせずに真正面から受け止める。

 

「……はぁっ!」

 

 そして、煙の中から傷一つない姿で現われた。白銀の装甲は変わらぬ光を放ち、本人にダメージはほとんどなかった。白い鎧は銀姫の時より細身に見えても、実際の防御力は劣らない。皇銀の走りは止まらない。

 

「これでやっと……!」

 

 砲撃も、魚雷もやり過ごし皇銀は遂にウォーダムドへ肉迫した。

 

「私の距離だ!」

『クッ!?』

 

 輝く刃が下段から振り上げられる。胴を下から斜めに切り上げる軌道。銀姫の時は容易く弾かれてしまったその剣閃は――

 

『ギャアッ!』

 

 ウォーダムドの分厚い装甲を、見事に切り裂いた。まるでバターを裂くように切断される胴部。

 

『馬鹿な、こんな……!』

 

 装甲それ自体の厚みがあるおかげでまだ生身(バイタル)には届いていない。だが絶対である筈の重装甲がいとも簡単に切り裂かれてしまった事実はノーアンサーを絶句させるには充分だった。最早余裕ではいられない。だから振り上げた勢いを翻しての上段からの第二撃を、ウォーダムドは砲塔を備えた両腕を交差させて受け止めようとする。

 

「はぁっ!!」

 

 だが、それすらも。

 まったく役には立たず、刃はウォーダムドの正中線を両断した。

 

『ガッ……!』

 

 バラバラになって落ちていく腕の装甲。最早何の抵抗にもならない。

 

『まさかこの形態で勝てないとは……!』

「――せいやぁっ!!」

 

 もう一度振り上げ、上段からの斬り下ろし。腕に阻まれた刃は今度こそ胴部へ届き、モニターを真っ二つにした。映るノーアンサーは衝撃を受けた顔のまま左右に別たれ、ズルリと落下する。大きな音を立て地に落ちていくウォーダムドの装甲たち。

 派手な音を上げて崩れていくウォーダムドを見て、皇銀は怪訝な声を上げる。

 

「……終わった?」

『まだよ』

 

 あまりにあっさりな決着。その事実に拍子抜けすれば、即座にそれを否定する声が聞こえた。皇銀は再び気を引き締める。

 そして崩れる装甲の中より何かが飛び出した。

 

「!!」

『この姿を晒す気は、なかったのだけれど』

 

 少し離れた場所に着地したのはウォーダムドよりも細身な、されど悍ましき異形だった。

 赤青黄、緑にピンク。様々な色合いの斑模様。あるいはステンドグラスのように絢爛なその体色は、背後に背負った竜骨とよく似ていた。

 人のような手足には手甲脚絆のように紫の布と鎖が巻かれている。腰には元のままのミサキドライバー。そして頭の仮面にはライダーとよく似ている意匠があった。ただし割れた複眼からケダモノの瞳がギョロリと覗き、口元は鬼の如き憤怒が浮かんでいる。

 ウォーダムドのような機械の精練されたフォルムとはまるで違う――正真正銘の怪物。

 そしてなにより、仮面の後ろから伸びる銀髪がその正体を物語っていた。

 

「それが、貴女の正体なのね。ノーアンサー」

『ええ……屈辱よ。こんな醜い姿、私に相応しくない』

「そうかな?」

 

 忌々しげに吐き捨てるノーアンサーだが、皇銀はそうは思わなかった。

 

「似合ってるよ。人を食い物にして、その身体を繋ぎ合わせた醜いその肢体。貴女の本性そのものだ」

 

 皇銀には分かっていた。斑模様で色が違うのは、その一片一片が別のライダーによって作られているからだと。ライダーの使える部位をただ切り貼りしただけの存在。フランケンシュタインの怪物。それが――ノーアンサーの怪人態だと。

 

『……フフフ。言うじゃない』

 

 笑うノーアンサー。しかしその本心は真逆なことが窺えた。ギチギチと全身を鳴らし、今にも飛びかからんばかりに怒気を漲らせている。

 

『だったら――貴女もその一つに加えてあげるわ!』

 

 ノーアンサーの姿が消えた。だが皇銀には見えている。凄まじいスピードでバッタのように飛び上がったノーアンサーの跳び蹴りを、見切っていた皇銀はクリプトの刃で受け止めて凌いだ。

 

「っ、速い……!」

 

 重い外装を脱ぎ去ったことでノーアンサーの機動力は見るからに向上していた。昆虫めいた瞬発力と動きの軽さ。幾人ものライダーを厳選して貼り合わせたあの身体は、やはりかなり高性能だと思い知る皇銀。だが、目で追えないという程ではない。

 

『ハァッ!』

「そこ!」

 

 一旦離脱し、回り込んで放たれたノーアンサーの拳をクリプトで弾く。血姫に才姫。ライダーバトルという死闘を乗り越え鍛えられた皇銀の目はノーアンサーの尋常ではないスピードをしかと捉えていた。

 乱打される拳を一つ一つ確実に受け止めていく。

 

『っ、おのれぇ……!』

 

 業を煮やしたノーアンサーは一度離脱する。皇銀は追わない。単純に、足の速さだけなら負けているからだ。だからこそこれからノーアンサーが何をしても対応出来るよう、クリプトを正眼に構えて待ち受ける。

 

『ならばこれでどうかしら!』

 

《 Dominate 》

 

《 Violence 》

 

 ノーアンサーはベルトについた両腰のパーツを叩いた。すると現われる二つの武器。右手には金色の錫杖。左手には極太の金棒。

 

「……ライダーたちの武器、か」

『その通りよ。これは私が吸収したライダーたちの力そのもの。身体を構成する物体である以上、私もその力を使えるわ』

 

 皇銀は察する。ノーアンサーが握るのはこの戦いで勝者となり、そして無惨に散らされたライダーたちの武器であると。ノーアンサーの身体を形作る物質の一つとなってしまった今、それは彼女にも使用可能なのだと。

 

『貴女たち以上に過酷なバトルを乗り越えた選りすぐり中の選りすぐりよ。さあ、今度こそ死になさい!』

 

 そう言ってノーアンサーは錫杖の底で地面を叩いた。シャンという音を響かせると、皇銀の頭上に暗雲が立ち籠める。隙間から稲光が明滅するそれが何を意味するのか、想像には難くない。

 

『落ちろ!』

 

 ノーアンサーの叫びと共に、落雷する。鳴り響くは轟音。巨大な雷光は鉄槌となって降り注ぎ、皇銀の上に落とされた。

 激しい光が皇銀を覆い尽くし、束の間見えなくなる。

 

『アハハハッ! 敵対する者たちをこれだけで消し炭に変えてきた無慈悲なる落雷よ。本人は妹の病気を治したいだとか抜かす間抜けだったけれど、威力はピカイチね!』

 

 落雷が落ちた後には壮絶な破壊痕が残されていた。アスファルトは罅割れ、火種が草むらめいて方々で燃えている。膨大な電気エネルギーは形あるあらゆる有象無象を焼き尽くす――かに見えた。

 

「……そう、妹想いだったんだ。爽と似ているね」

 

 だがその中心であっても、皇銀は健在だった。

 しかも白銀の装甲には傷一つない。

 

『なっ、いくらなんでも、そんな硬さ……だったらこれでどう!?』

 

 並みのライダー、いや硬さに自信があっても消し炭となる筈の雷撃を受けても平然としている皇銀にノーアンサーは慄く。ならばと次は金棒の方を振り上げ、皇銀に肉迫して叩き下ろした。

 

『こっちはその妹の方よ! 行方不明になった姉を追って参戦したライダーバトルで、真実を知り発狂した脆弱な少女! それでもパワーは歴代最強!』

「姉想いだったんだね。だから貴女の残虐な仕打ちに狂えた。私よりもずっと優しい」

 

 それを皇銀は、片手で受け止めた。渾身の力と共に振るわれた金棒はパシンと乾いた音を立てるだけで止められ、それ以上はビクともしない。

 

『なっ!? いくらなんでもおかしい……!』

 

 あまりの手応えのなさに、この現象が単なるスペック差以上の何かだと悟るノーアンサー。でなければ大地を割り砕きビルすらも数合で平らに出来る金棒の力がこんなにも弱まっている説明がつかない。

 

「気付いた? そんな力に、意味なんてないことに」

『馬鹿な、私のこの崇高なる力を!?』

 

 通じないとみるや、ノーアンサーは両手の武器を消し去り次の武器を呼び出す。

 

《 Brave 》

 

《 Obedient 》

 

 棘の生えた剣と、マシンガン。どちらも殺傷力の高い武器。ノーアンサーは皇銀に向け抉るように突き刺し、引き金を引くが、どちらもあえなく弾かれる。

 

『何故……!』

「私はこの戦いで、少女たちの純真な想い、願いと向き合った」

『グ!?』

「自分の為、誰かの為。理由は様々でも、そこには確かに戦う理由があった。それを拳に、刃に乗せて。だから攻撃は全部重かった」

 

 反撃。クリプトの蒼白な残光が舞う。ノーアンサーは手持ちの武器を犠牲にそれを凌ぎ、次の武器を取った。

 

《 Windmill 》

 

 鉄の剣。それによる目にも留まらぬ超高速の斬撃。それでも傷つかない。

 

『なんだ、これは。あり得ない!』

「それと比べれば、あなたの攻撃は偽物もいいところだ。何も籠もってない。だったら、そんな攻撃に意味なんて、ない!」

『馬鹿な、まさかそんな理屈で……!?』

 

 子どものわがままのような、皇銀の言葉。だがそれを戯れ言と切り捨ててしまえないほど、現状は言う通りになっている。

 つまり皇銀には偽物や、借り物の力は通じないのだ。皇銀が、朔月がそうと信じる限り。

 

『グッ……ならばァ!』

 

 武器による攻撃が無意味だと悟ったノーアンサーは背後へ跳び大きく距離を取った。そしてベルトから何かを外す。

 それは六本の鍵だった。

 

「! みんなのグレイヴキー!」

『貴女にだけ渡す訳がないでしょ。こちらもキッチリ回収済みよ!』

 

 皇銀が所有する物と同じグレイヴキーを手にしたノーアンサーは、それを空中に放った。宙を舞う鍵たちが地に落ちるより早く、ノーアンサーは掌から黒い靄を放出し、吹きかける。

 するとグレイヴキーは黒い靄を纏い、形を変えていく。

 

《 Blood 》

 

《 Scavenge 》

《 Changeling 》

《 Desire 》

《 Unbreakable 》

《 Intelligence 》

 

 そこにはそれぞれのライダーを歪めたような意匠をした、六体のダムドが立っていた。

 

『ハッ! 散った奴らの無念から生じたダムドは、果たして偽物と言えるのかしら!』

「っ!」

 

 ダムドは散ったライダーたちの怨念。ライダー本人が遺した力の残滓である以上、偽物だと断じることは出来ない。人間性なきただの無念であったとしても、紛れもなく本人の欠片ではあるのだから。

 故にこそ、確かにノーアンサーの言う通りダムドによる攻撃は有効だ。

 

「……みんな」

 

 皇銀の眼前に立ち塞がる六体のダムドたち。今まで戦った少女たちの似姿。スカベンジダムド。チェンジリングダムド。デザイアダムド。アンブレイカブルダムド。インテリジェンスダムド。……ブラッドダムド。

 自分が殺めた少女が、あるいは見過ごした死が再び目の前に。

 

『行きなさい!』

 

 そう言ってノーアンサーは一斉にダムドたちを嗾けた。その先陣を切るのがよりにもよってブラッドダムドであるのは、皇銀を動揺させるための方策か、あるいはノーアンサーの性悪か。

 

「それでも」

 

 しかし皇銀は。

 怯むことなく。

 

「私は戦うと決めた!」

 

 皇銀もまた、ベルトからグレイヴキーを手に取った。だが皇銀の新たなドライバーに鍵を差し込むスリットはない。フォームチェンジは不可能だ。ならば、どうするか。

 

「だから、力を貸して!」

 

 皇銀がグレイヴキーを差し込んだのは、銀墓剣クリプトの柄だった。

 

《 Funeral Blood 》

 

 血姫のグレイヴキーを柄に押し込めば、そこから鳴り響く澄んだ電子音声。クリプトの蒼白の輝きは血色に塗り変わり、そのオーラはまるで尾のようにしなった。

 

『剣に、力を!?』

「はあああぁっ!!」

 

 双剣を抜いて肉迫するブラッドダムド。鞭めいてしなる赤いオーラは刃を躱し、その身に巻き付いてバラバラに切り裂いた。千々に裂かれ、ブラッドダムドは黒い霧へと還った。

 

 皇銀は次々と迫るダムドをグレイヴキーを変えながら迎撃していく。

 

《 Funeral Scavenge 》

 

 手にした銃を撃つスカベンジダムドを緑のオーラを射出することで射貫いた。

 

《 Funeral Changeling 》

 

 大剣を振り上げるチェンジリングダムドを黄金のオーラが真正面から叩き潰す。

 

《 Funeral Desire 》

 

 配下を増やして強襲するデザイアダムドを青いオーラで複製された剣が迎え撃ち。

 

《 Funeral Unbreakable 》

 

 拳を構えて突撃してくるアンブレイカブルダムドを紫のオーラを盾にして受け止め跳ね返す。

 

《 Funeral Intelligence 》

 

 そして高速で襲い掛かってくるインテリジェンスダムドを黄色いオーラを残す超高速の斬撃で切り捨てた。

 

 皇銀が剣を振り抜いた後には。

 もう黒い霧しか残っていなかった。

 

『な……』

 

《 Funeral Blood 》

 

 絶句するノーアンサーを、皇銀は再び装填した血姫の力でオーラを巻き付け拘束する。

 

『グッ!?』

「これがクリプトの力。みんなの遺した力を、無駄にしないための葬送の剣」

 

 締め付けられたノーアンサーを自分の方へと引き寄せつつ、皇銀は語った。

 

「私は忘れない。でも前に進む。その為の力を願って、みんなは応えてくれた」

 

 皇銀の力は全て、朔月が願ったこと。

 偽りを拒絶する力。遺された想いを再生する剣。それらは決して無敵ではない。万能にはほど遠い。されど彼女が選んだ、朔月だからこそ選べた答え。

 誰かの自由と平和を守るための騎士。

 それが、皇銀だ。

 

「だからまず、あなたを倒してみんなを呪いから解き放つ!」

『おのれ……分かっているの!? 私を倒せばこの世界は消える! 貴女だって巻き添えなのよ!?』

「……そう。でもそれは私を止める理由にならない」

 

 ノーアンサーが語った事を受けて、しかし皇銀は手を緩めない。

 

「例えそれが本当でも、最後まで私は前に進む。託された力を、無駄にはしない!」

『グ……やら、せるかァ!!』

 

《 Thorn 》

 

 ノーアンサーの身体から生じた緑の茨が巻き付くオーラを破壊した。自由を得てノーアンサーは吠え猛る。

 

『こんなところで、私の大望を邪魔させはしない! 私は成るんだ、あの頃の船体に、それ以上に!!』

「それがどれだけの願いか、私には分からない。だけど」

 

 赤いオーラを掻き消して皇銀は剣を引いた。ヒュンと振るい蒼白の輝きを取り戻したそれを、一度消す。

 

「みんなの願いだって、私には分からないほど尊かった。だったらそれを全部踏み躙って叶えようとあなたを、許せる訳がない」

 

 そして皇銀は銀色をしたマリードールの上に手を置いた。それが意味することは、かつてと変わっていない。

 

「だからここで、断つ」

『ダ、マ、レェェェ!!』

 

 対するノーアンサーも此処が全霊の賭け時と心得たのか、全身から瘴気を立ち上らせながらマリードールへ手を伸ばす。

 そして正反対の電子音声が同時に流れた。

 

《 The Answer Cremation Strike 》

 

《 No Answer Execution Strike 》

 

 鳴り響くは処刑宣告。

 皇銀は銀色の清廉なるオーラを漲らせ、ノーアンサーは黒く淀んだ瘴気を燃やし身を覆い尽くしていく。

 それらが頂点に達した時、二人は同時に宙へ飛び上がった。

 

「これが私の、答えだ!!」

『邪魔させない、私の夢ヲォ!!』

 

 キック対キック。二人の全身全霊を賭した蹴りが真正面からぶつかり合う。克ち合った力が拡散し、周囲は衝撃波で薙ぎ倒されていく。

 両者の力は拮抗した。だがやがて、皇銀の方が押され始める。

 

「うっ……くっ……!」

 

 燃える瘴気の一部が銀の光を破り、仮面の右半面を砕いた。破片が目を縦一文字に切り裂き、あっさりと失明させる。

 

「ぐっ!」

『ハハハッ! 見たことか! 贄としたライダーの数が違う!』

 

 束ねたライダーの力、その数量ならばノーアンサーの方が圧倒的に上。その事実を誇りノーアンサーは勝利を確信し高笑いを上げる。

 だが皇銀は割れた仮面の下からその言葉を否定した。

 

「違う。無理矢理剥ぎ取ったそんな力に意味なんてない。死体の継ぎ接ぎになんて価値はない。大切なのは、いつだって現実を変えるのは――!!」

 

 瘴気に押されつつある皇銀が纏う銀色のオーラ。そこにまず、赤いオーラが加わった。背中を押すように燃える、赤い色。それは金、青、紫、緑、黄と増えていき、最後には六色の光が煌めいた。

 

「――想いだ!!」

 

 そして銀を含めた七色の光は、ノーアンサーの黒い瘴気を打ち消す程強い輝きを放った。

 

『馬鹿ナ……!』

 

 瘴気が消えたことで力が失せ、ノーアンサーの足は弾かれる。そしてその身に蹴撃を受け止めることになった。銀の光を宿した爪先は胴体に炸裂し、その勢いのまま――竜骨へ。

 一見は煌びやかな巨大な骨組みへその身を叩きつけられ、ノーアンサーは罅を作って沈み込んだ。反動で離脱した皇銀は道路へ着地し、背を向ける。

 答えは、もう。

 

「さようなら、ノーアンサー」

 

 分かりきっていた。

 

『ガアアアァァァアアアアアアーーーーー!!!!』

 

 爆発。あまりにも巨大な火と衝撃が、竜骨を飲み込んで炎上した。

 継ぎ接ぎの身体を砕かれたノーアンサーは、彼女の目指した夢の果てを巻き込んで崩れていく。

 

『私ノ、私ノ夢ェ……! マタ自由ニ、色ンナ世界ヲ旅シタカッ……!』

 

 そんな願い事が炎の中より響いて。

 それを最期に、ノーアンサーの野望は潰えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――月が別れの象徴だと初めに言ったのは、誰だろうか。

 空にはいつの間にか煌々と照る満月が浮かんでいた。

 丸く大地を照らすそれを見上げて、皇銀は呟く。

 

「……これで、終わり」

 

 達成感に張り詰めた胸から息を吐き、皇銀は変身を解除した。髪が舞い、ボロボロの肢体が露わになる。破片によって切り裂かれ血を流す右目は光を灯していないが、朔月に悲壮感はなかった。

 それに、どうせ。

 

「……本当に、消えるみたいだね」

 

 ノーアンサーの作り出した異世界。そこは主を失い、粒子となって消えつつあった。世界を失えば当然、朔月も生きてはいられない。命乞いのように言い放った彼女の言葉は本当だったらしい。

 

「これでお終い、か。折角、やりたいこと見つけたのにな」

 

 最後の最後にそれを抱けただけよしとすればいいか。

 そんな風に諦めた顔つきで消えゆく世界を眺める朔月。

 

 凄惨な殺し合い。結んだ友情。裏切り。失意。恐怖。託された、想い。

 その果てにようやく辿り着いた朔月の答え。

 それは人々の自由と平和を守る、本当の騎士となること。

 人を殺してしまった罪を償い、新たな悲劇を防ぎ、誰かの涙を拭う。傷つき倒れても、また立ち上がる。いつかこの世から全ての悲しみが消え、その最後に自分を消すことになっても。その日が来るまで、永遠に戦い続ける。そんな風に誰かを守れる、悲劇の闘士としてではない――真の意味での騎士に。

 それが朔月がようやく抱けた、彼女だけの決意。変身願望。それを叶えた先の、答え。

 

 しかしそれももう、終わろうとしている。

 

「ま、それもいいか。みんなの仇は、討てたし」

 

 それでもノーアンサーは倒せた。朔月にその決意を抱かせた少女たちの分だけは、達成したのだ。ならば最低限は果たせたと満足できる。そう思えば、この命を諦められた。

 だから、これで終わってもいい。

 

 だが彼女には。

 まだ選択肢が残されていたようだ。

 

「……?」

 

 立ち上り消えていく粒子とは裏腹に、空から降り注ぐキラキラしたものがあった。

 不思議に思った朔月が空を見上げると、それは砕けた竜骨が欠片となって降り注いでいるからだと分かった。

 すると、朔月の身体に変化が起こる。

 

「目が、それに、髪が」

 

 潰れていた右目。それが見えるようになった。それだけではなく、髪の色も変わった。

 右目は紫。髪は銀に。

 まるで、ノーアンサーの如く。

 

「……ノーアンサーの力の一部を、私が受け継いだんだ。でも……」

 

 砕けて散ったノーアンサー。その余波を間近で浴びたことで力の一部分が朔月へと委譲されたらしい。それが分かる知識もまた同時に。朔月は己の身へ新たに宿ったことを理解して、しかし理解したからこそ諦めは深くなった。

 

「ノーアンサーのように世界を作る力はないみたい。これから育つにしろ、今は」

 

 受け継いだのはあくまで一部。ノーアンサーのしたようなことを、十全に行なうことはできなかった。この世界の崩壊を止めるようなことも、新しい世界を作ってそこへ避難することもできそうにない。

 結局は変わらない。そう思っていた朔月。

 しかし彼女に与えられるのは無意味な力だけではなかった。

 

「……あ」

 

 朔月の前に光の球体が現われる。全ての色を綯い交ぜにした虹色に輝く、されど宝石のように澄んだ球体。その正体を、受け継いだノーアンサーの知識から知る。

 

「願いを叶える、力」

 

 それは今回の戦いの報酬とでも言うべき力だった。勝ち残った者に与えられる権利。ノーアンサーが餌とした、ライダーバトルの終着点だ。

 七人ミサキを殺さねば、得られない筈の力。

 それが今目の前に現われた理由も、朔月には分かった。

 

「そっか、ノーアンサーを私が倒したから、それで七人目……願いを叶える準備が整ったんだ」

 

 七人倒せばいいのなら、その条件は達成した。ライダーの死骸を束ねたノーアンサーもまた七人ミサキにカウントされたのだ。ノーアンサーの死を引き金に完成した願いを叶える力。それは純粋なシステムが働いたが故に、主催が死してなお勝者へと与えられた。即ち、朔月に。

 

「これを使えば、私はこの世界から脱出できる」

 

 叶えられる願いは一つだけ。その一つに願えば、元の世界へと帰れる。この世界の崩壊に巻き込まれずに済むだろう。

 友人たちが待つ安寧の日常へと戻れる。

 朔月は球体へ手を伸ばした。

 

「……あるいは」

 

 しかし、止める。

 選択肢はもう一つあった。

 朔月はキラキラと輝いて降り注ぐ、かつての騎士たちの残光を見上げた。

 

「………」

 

 ノーアンサーによる悪辣な企みの犠牲者。願いを胸に、それを単なる糧として消費させられた人々。騎士の名を与えられただけの被害者たち。

 ただの素材にされた彼らの魂は解放できた。もう呪縛は何一つない。

 だからこそ、選べる願いがある。

 

「そう、だよね」

 

 朔月は笑ってそれを見つめた。そしてその向こう側にある、満月を。

 

「折角、本当の騎士(ライダー)になれたんだ。だったら、それっぽいことしなくちゃ」

 

 そして朔月が、願ったことは――

 

 

 

 

 

 

 

 大地が消え失せ、月も欠けていく。

 全てが無くなった時、そこには、もう。

 

 誰も残ってはいなかった。




エピローグは明日投稿です。


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エピローグ そして少女はギターを弾いた

 太陽が大きく感じられるような、暑い日だった。

 夏の陽射しも本格的になり始め、降り注ぐ日光は痛いくらいに激しい。それは午後となった今も変わらなかった。たった今授業を終えた鹿毛野高校の学生たちは、これからクーラーの効いた教室から打って変わった熱気の中に身を投げ出さねばならない不幸を嘆いている。

 

「はぁ、帰るのだるーい」

「じゃあ帰り道カフェ寄ってかない? 新しいメニュー出たでしょ?」

「いいね! あ、じゃあさ……」

 

 帰りの準備をしながらしゃべっていた少女たちが後ろの席を振り返る。

 そこにいたのは目付きの鋭い赤毛の少女だった。かばんを持ち上げた少女は二人の視線に気付いて、バツの悪そうな顔を浮かべる。

 

「……ごめん、今日も用事あるから」

「そっかー。また今度ね」

「うん」

 

 そう言い残し、少女はそそくさと教室を後にした。その背を見送りつつ、少女たちは溜息をつく。

 

「中々仲良くなれないねー」

「ま、仕方ないよ。転校してきてまだ一ヶ月くらいだもん。むしろ私たちは仲良くなってる方だよ」

 

 赤毛の少女は強面な見た目とは裏腹に、存外気さくだ。しかし最近は、何か用事が忙しいのかほとんどの人付き合いを断っていた。それゆえ転校してきてから友人と呼べるような近しい付き合いの人間はいない。一人も(・・・)

 

「そうだねー……ま、カフェの話をしようか! なんか久しぶりだから、たんと奢って上げないとね!」

「ん? ……誰に?」

「え……あれ、誰にだっけ」

 

 少女たちは違和感を覚えたが、それもすぐに勘違いだと忘れて話に花を咲かせる。

 日常は、何の問題もなく回っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 待ち望んだ放課後が訪れた校舎は、騒がしい生徒たちで賑わっていた。帰宅する者、部活に精を出す者。めいめいに得た自由を謳歌して青春を刻んでいく。

 

「なんかうるさいなぁ」

 

 心なしか転校当初より騒々しいなと、竜崎爽は思って。

 

「……それもそうか」

 

 それが勘違いではないことを、校門から外に出ながら爽は思い出した。

 

 ライダーバトルの決着から、既に一ヶ月近い時が経っていた。

 

 爽の周りで変わったことは、色々とある。

 まず、在校生が増えた。それも、各学年一クラス分も。

 突然どこかから大量の転校生が雪崩れ込んできた、なんてことはない。いつの間にか、だ。そしてそれを誰も認識していない。増えた生徒たちですらもだ。

 これを爽は、ライダーバトルの犠牲がなかったことになったからだと解釈した。今まで犠牲となった人たちが、"死ななかった"ことになった。その結果、一クラス分増えた。

 つまりノーアンサーのライダーバトルは、とっくに各学年一クラスに値するだけの被害者を出していたということ。

 そして鹿毛野高校だけということはない筈だ。きっと他の高校、いや市内で、同じように知らぬ間に帰ってきた人たちが溢れている。一体人口の何割が復活したのだろう。

 

 帰ってきた人たちに特別な記憶はない。いつも通りの日々を過ごし、周りとの関係も問題なく築いている。まるで、最初からそうだったように。

 

「……あ、着いた」

 

 そんなことを考えながら歩いていた爽は、目的地に辿り着いたことに気付いた。そこは市内有数の私立校、四葉学園の正門だった。

 鹿毛野よりも綺麗な塀に、爽はまるで待ち合わせしているかのように装って背を凭れた。そして出てくる少女たちを眺め続ける。

 目当ての少女はすぐ現われた。

 

「……いた」

 

 取り巻く少女たちと朗らかに笑い合う黒髪の少女の頭には、馬を模した髪飾りがついていた。

 

「今日も堂々たる立ち振る舞いでしたね、真衣さま!」

「ふふっ、ありがとうございます。これでも王道家の娘ですから、胸くらいは張らないと」

「流石です! ……あっお車が参りましたわ!」

 

 言葉通り黒塗りの高級車が現われ、髪飾りの少女――真衣は友人たちと別れて乗り込もうとする。そんな真衣と擦れ違うようにして、校門からもう一人少女が飛び出してくる。

 

「ウチはもう帰るよ! まったねー!」

「あ、こらナイアー! 今日は委員会の、ああもう!」

「今度ねー!」

 

 何かをすっぽかして逃げ出してきたのか、小走りで出てきた二つ結びの少女は車の隣を駆け抜けていく。真衣と少女は互いの視界にそれぞれを映した筈だが、特にリアクションもすることなく擦れ違った。

 真衣は車に乗り込んで、ツインテールの少女――ナイアはどこかの路地へと逃げ込んで、二人とも爽の視界から消える。

 

「……やっぱり、二人もか」

 

 予想していた、しかし失望の溜息が爽の口から漏れる。

 あのライダーバトルを、憶えている人間はいない。

 爽以外は。

 

 ノーアンサーと朔月の決着。その次の日、爽はまるでいつも通りに自室のベッドで目覚めた。何が起きたか分からずに混乱する頭でリビングに向かうと、両親と弟の快が朝食の支度をしている。快は車椅子ながら配膳を手伝い、爽が起きてきたことに気付くと「おはよう、お姉ちゃん」と屈託のない笑みを向けてくれた。それを見た瞬間、爽は涙を流しながら理解した。自分は、帰ってきたのだと。

 

 爽にはライダーバトルの記憶があった。凄惨な殺し合いに参加したことも、自分が死んだことも、朔月の背中を押したことも全て、憶えていた。

 しかしそれは、世界で爽ただ一人だった。

 

『輪花! ライダーバトルを憶えてる!?』

『……誰かしら。私に会いたいならアポイントメントを取ってから来なさい』

 

 最初に会ったのは輪花だった。偏差値の高い唯祭高校の中でもずば抜けた天才と持て囃される輪花は有名人だったので、居場所はすぐに分かった。訪ねてみると何やら取材を受けているようで多くの人に囲まれており、その人混みの中に混ざって話しかけてみる。しかし輪花の反応はつまらなそうに無視するだけだった。ただ厄介なファンを、見なかったことにするように。ライダーバトルに関することを叫んでみても、何の反応もしなかった。最後には高校の警備員に通報され、それ以降二度と会っていない。

 

『え、志那乃!?』

『は? 誰だよアンタ。ボク知らないけど』

 

 志那乃と出会ったのはまったくの偶然だった。夜の街を歩いていたら擦れ違ったのだ。かつて邂逅した時よりも随分と荒んだ様子の彼女に爽は話しかけたが、胡乱な目付きを向けただけで立ち去られてしまった。仮にも爽は彼女の片腕を落とした相手だというのにこの薄い反応。憶えていないことを確信させるには十分だった。

 

『藤……』

『……誰か知らないが、私とあまり関わらない方が良い』

 

 藤を探すのには骨が折れた。何せ何の情報もない。それでも市内にいることを信じて、ジャージの柄やグレイヴキーの記憶を頼りにどうにか探し出した。路地裏から出てきた彼女を捉まえて、憶えているか問う。しかし藤の答えは否だった。初めて記憶にないことを断言される。彼女の纏う鋭い空気、革手袋に散った血痕などから見ても紛れもなく藤本人であることは確証できたが、ライダーバトルの記憶だけが抜け落ちていた。結局はそのまま別れ、藤は彼女の使命へと戻っていった。

 

 そして、居場所がハッキリしていたので後回しにしていた二人の様子を見て爽は確信する。

 

「あの戦いを知っているのは、アタシだけなんだ」

 

 ライダーバトルのことを憶えているのはこの世界でただ一人、自分だけなのだと。

 諦めたように天を仰ぎ、爽はその場を離れる。ここにいても、もう意味はない。別の場所へ足を向けた。

 

 向かったのはかつて語らった河川敷だった。降り注ぐ陽光を反射してキラキラと輝く河川を見下ろした爽は、とある少女の顔を思い返す。

 

「アンタに至っては姿すら見つけらんないよ。……朔月」

 

 ノーアンサーと決着をつけた少女、更科朔月は行方知れずとなっていた。

 再び目覚めたその日、爽は朔月を真っ先に探した。だが学校にも、どこにも見当たらない。

 否、それどころか――彼女を憶えている人間は誰もいなかった。朔月の名を告げても首を傾げるばかり。まるでそんな少女は最初から存在しなかったとでもいうかのように、仲よさげにしていた友人やクラスメイトすらも、誰も憶えていない。朔月のことを知っている者はどこにもいなくなっていた。

 爽は探した。朔月を、あるいは彼女を知っている人間を求めて必死に駆けずり回った。だが、今日まで成果はない。

 

 河川敷からそのままの足で爽は住宅街へ向かう。そしてとある一軒家の前に立ち止まった。

 かつて、様子のおかしい朔月を尾行して見つけた彼女の家、更科家。

 そこは今、空き家となっていた。

 

「何度見ても、表札すらないね」

 

 誰かが住んでいた形跡は愚か、もう何年もほったらかしにされているかのように痛んだ家屋だけがあった。車も表札も、何もない。かつてはそこに、冷たいながらも一つの家族が住んでいたというのに。

 それは家だけではない。友人も、教師も、在籍名簿からも、朔月の存在は消えている。

 

「これってやっぱり、最初からいなかった……ってことなんだろうね」

 

 朔月は記憶どころか、存在から抹消されていた。まるで初めから更科朔月という人間がいなかったかのように、綺麗さっぱりと。仲の良かった友人も、ライダーバトルの参加者も、おそらくは戸籍すら。何もかもが。

 

「帰ってきた人間は最初からいることになった。じゃあ逆に、帰ってこられなかった人間は……」

 

 ライダーバトルの犠牲者は普通に暮らしている。歴史ごと書き換わったかのように。それと同じように、あるいは逆に、朔月が最初からいなかったように書き換えられたとしたら。最初から……生まれなかったことになっているのなら。

 それならば、更科家が空き家になっていることに説明がつく。何故なら彼女の両親は朔月が生まれてしまったからこそ、世間体を考えてやむを得ず結婚したのだから。朔月がいないのなら夫婦になることはない。だからこの家は空き家なのだ。

 

「……ははっ。これを見たら、アンタはなんて言うんだろうね。『ザマァない』? 『清々した』? それとも……『よかった』?」

 

 乾いた笑いが湧き起こった。

 きっと朔月の父と母であった二人は、それぞれに家庭を築いていることだろう。あるいは相性の良い伴侶に恵まれて別人のように穏やかになっているかもしれない。満たされて、幸せに――朔月が、いない方が。

 

「はははっ。なんだよ、それ。まるで、まるで……朔月がいない方が、うまくいくみたいじゃんか」

 

 奥歯を噛み締める。

 世界は問題なく回っていた。人は増えて、みんな楽しくやっている。未来を断たれる筈だった人たちは各々夢を追いかけている。彼女がいたことで不幸せだった人はいなくなって、彼女がいなくなったことで不幸になった人はどこにもいない。

 ただ一人を、爽を除いては。

 

「どうして願ったんだ。アタシたちみんなの復活を」

 

 爽は察していた。これが朔月が望んだ結末なのだと。

 ライダーバトルの報酬、願いを叶える力で実現したのは――ライダーバトルの犠牲者が復活した世界。

 

「どうして諦めたんだ。自分の命を」

 

 爽は知っていた。朔月は自分を諦めたのだと。

 グレイヴキーとしての記憶も僅かながらある。だからノーアンサーの世界が消えれば残された朔月が巻き込まれるということも聞いていた。唯一のチャンスを手放せばどうなるのか、朔月は分かっていて願った。

 

「どうして――それを選んだんだ」

 

 爽は分からなかった。何故朔月が消えなければならなかったのか。

 命を賭してまで守った少女が、こんな綺麗さっぱりと。

 

「アタシはこんな気持ちになるために、背中を押したんじゃないのに――!」

 

 胸の中を形容も出来ない感情が暴れ回る。怒りも悲しみも、どれだけあるか分からない。胸がいっぱいに詰まって、破裂しそうな程に。

 自分の道を進んでほしかった。己の答えを選んでほしかった。その為にあの時、姿を現わしてまで彼女の背を押したというのに。

 

「それがアンタの答えなの、朔月ッ……!」

 

 生きていてほしかったのに。

 塀に手をつき、涙を零す。

 その理由を知っている者は――この世界に誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………」

 

 ひとしきり泣いた後、爽は当てもなく街をぶらついていた。

 もう何をすればいいのか、分からない。この世に本当に朔月がいないことを、その手掛かりすらないことを思い知り、諦観が心の中に泥のようにへばり付く。

 願うことすら、出来ない。

 

「……あぁ」

 

 いっそ、またライダーバトルが起きれば、願えるのに。

 そんな考えすら頭を過ぎった。

 

 それがどんなに乱暴で、また多くの想いを踏み躙るのか、分かった上で考えてしまう。

 だって結局、誰の願いも叶っていない。

 志那乃は両親と和解できず、真衣は戦うことができない。ナイアは殺しを続け、藤は自責の念に苦しみ続ける。輪花も己の才覚を中々認めさせられないもどかしさに身を悶えさせるだろう。

 爽の願いもだ。結局、弟の足は元のまま。辛いリハビリと大好きなサッカーができない現実に、苦しみ続けるだろう。それを爽は、辛く見守り続けるしかない。

 

 その結末は、朔月自身が選んだことだ。

 

「……それでも、よかったの?」

 

 願いを叶えるチャンスは、永遠に失われた。だがその代わり、もう誰も想いを穢されない。それが朔月の選択。戦い勝ち取った、彼女の答え。

 自分の存在が、例え消えても。

 この未来が、朔月の選んだもの。

 

「………」

 

 虚しさを覚え、爽はただぼーっと歩く。

 そうしていると、一つの店舗が目に入った。

 

「……あ、楽器店」

 

 そこはギターなどを売る楽器店だった。それで思い出す。

 

「ちょっと見栄張ったんだよね……あの時」

 

 彷徨う朔月の前に姿を見せる時、爽は楽器店から現われた。

 だが実は、爽は楽器店に入ったことなどない。

 パンキッシュなファッションが好きでバンドもよく聞くが、自分が弾こうと思ったことは一度もなかった。

 それでも楽器店から朔月に語りかけたのは……まぁ、見栄だった。

 

「………」

 

 なんとも言えない、いたたまれない気持ちになった。それでなんとなく、店に入ってしまう。

 あの時張った見栄くらい、本物にしておきたかったのかもしれない。

 店に入ると、店員が挨拶してくる。

 

「いらっしゃいませ」

「あぁ、はい。……うん?」

 

 声をかけてきた店員のことを、爽は二度見した。ショートカットのその少女に、見覚えがあったからだ。

 

(志那乃!)

 

「ん? ……あぁアンタ! あの時訳のわかんないこと捲し立ててきた奴!」

 

 志那乃もまた気付く。ただし記憶が無いのでライダーとしてではなく、夜の街で意味不明なことを質問してきた不審者として。

 

「なんでここに……」

「なんでって、ボクがここでバイトしてるからだよ」

 

 言われて爽は志那乃が楽器店のマークが書かれたエプロンをしていることに気付く。名札も張られて名前の横にバイトとも書かれていた。

 家を出ているので、生活費を自分で稼いでいるのだろう。

 

「あ、あぁ……そうなの」

「相変わらず変な奴……」

 

 そう呆れた眼差しで爽を見る志那乃に、やはりライダーバトルの記憶はありそうになかった。仮にも自分の腕を切り飛ばした相手を前にして、何の反応もない。

 

「それで、何をお探しですか?」

「え?」

「え、じゃないでしょ。楽器店に来たんだから、何か探してるんじゃないの?」

 

 一度とは言え顔見知りだからか、砕けた態度で接客してくる志那乃。だが言っていることそれ自体は至極まともだった。

 

「いやその、え~っと……」

 

 当てもなく入ったことをなんとなく言えず、爽は言い訳を探して店内を見渡した。

 そしてその視線が、一点でピタリと止まる。

 

「………」

「? それが目当て?」

 

 視線が止まったところを後ろから志那乃が覗き込む。そこにあったのは壁に立てかけられたギターだった。

 三万円と値札がついた、アコースティックギター。

 

「これでいいの? 言っちゃなんだけど安物よ? ギター始めるにしろ、買い換えるにしろ、もっといいのが……」

「いや……これでいい」

 

 爽はギターの前に立つ。見上げる視線は、優しげで。

 

「理由は分からない。けど……これがいいんだ」

 

 そう言って、訝しげな表情をする志那乃へ振り返る。

 

「これ試しに弾いたりできる?」

「試奏ってこと? いいよ。でもアンタ弾けるの?」

「弾けない。だから教えて」

「はぁ? それは流石に……あ、ちょっと!」

 

 渋る志那乃の手を引き半ば強引に。どうせ買うのだからと無茶をする。

 爽は知らない。世界が変わる前、そのギターを持っていたのが誰だったのかなど。

 だけど、なんとなく――彼女を思い出したのだ。

 

(朔月。アンタがどこに行ったかなんてしらない。生きているかすら。でも、アタシは待ち続ける。この胸の想いを忘れずに、ずっと)

 

 そして竜崎爽は決意した。

 自分だけは、一生憶えていようと。

 悲しい戦いも。自分の抱いた殺意も。そして朔月という少女がいたことも。

 虚無感に苛まれることもあるだろう。さっきみたいに願いが叶ったらと思うことも。もしかしたらそれが原因で過ちを犯してしまうかもしれない。

 それでもずっと抱えて、苦しんで、これからずっと生きていく。

 

(贖罪も、後悔も、全部引っくるめてこれからを生きていく。それでいいんでしょ? ……朔月)

 

 それが爽の出した、彼女の答え。

 このギターは、その決意表明だった。

 

「はぁ……それで、何を弾くの? この間街で着ていたのがパンク風だったから、そういう感じ? でもそれアコギだよ」

「うん。だから、バラード調な感じで。多分……そっちの方が好きだろうから」

 

 だからいつか、この調べがいつか貴女に届きますように。

 そんな願いを込めて、爽はギターを弾いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冷たい風が吹きすさぶ空だった。

 季節は春に向かっているが、それでもまだ寒々しい日が続く頃。さっさと家に帰ってしまおうとしているのか、街往く厚着の人々は急ぎ足だ。

 そんな中で、一人の少女がシャッターを背にギターを弾いていた。

 

「~♪」

 

 奇抜な格好だった。弾き語りをするにしても、少々目立ち過ぎなほど。

 真っ赤なケープコートにフェルト帽。髪は月の明かりを閉じ込めたような銀に染まって、右目には眼帯を身につけている。街を歩いていれば思わずギョッとしてしまいそうなほど、目立つ姿だった。

 

「~~♪」

 

 それでもアコースティックギターを弾く少女の前に立ち止まる人はいない。その演奏が、お世辞にも上手い訳ではなかったからだ。彼女の弾くバラードはミスも多く音も乱雑で、素人レベルの域を出ない。趣味で弾くならまだしも、それで金を払おうなどとは誰も思わないほどに。

 だから彼女の曲を聴いていたのは、幼い少年一人だった。

 

「~~――……♪」

 

 そして歌はピリオドを迎えた。最後の高音を高らかに歌い上げ、曲の締めを飾る。そして最後まで聴いてくれた唯一の聴衆に、頭を下げた。

 

「おおー」

 

 少年はパチパチと拍手をする。だが歌の善し悪しなどは分かっていないだろう。だからその拍手は純粋に歌い終わったことに対しての物だ。

 

「あはは、ありがとうね」

 

 少女は苦笑しつつ礼を言った。地面に置かれた缶からには何も入っていない。流石に少年もくれないだろう。

 

「お姉ちゃん、この辺の人?」

「ん、違うよ。ここにはフラッと辿り着いただけ」

 

 話しかけてきた少年に答える。どうせ他に客はいないのだ。だったら最後まで付き合ってくれた少年にサービスくらいはしてもいい。

 

「色んなところをフラフラとしてるんだよねー……あっちに行ったりこっちに行ったり」

「ボク知ってる。それニートっていうんでしょ」

「口悪いねー。旅人って言ってよ」

 

 口さがない少年の言葉に困ったような笑みを浮かべる少女。だが確かに、定職には就いていない。この世界では(・・・・・・)

 

「就職しようにもいついなくなるか分からないんだよね。うおー明日行けば資格が取れる! っていう時に限って次の日には知らない場所にいるし」

「えー……それボケてるんじゃないの」

「ボケられるのかなぁ……この身体」

 

 少年と少女は微妙に噛み合っていない会話を交わす。

 

「っていうか、その眼帯なに?」

「ふっ、かっこいいでしょ。特注品なんだよ。中央に刻まれたクレストは女教皇を意味していて……」

「それチューニビョーっていうんだよ。いい歳した人がなると痛々しいって聞いたよ」

「本当に口悪いねー」

 

 そんな風にいくつか取り留めもない話をした後、少年は立ち上がる。

 

「お母さんが待ってるからもう帰るね。お姉ちゃんも、ちゃんと家に帰りなよ!」

「あはは……できたらそうするよ。じゃあね」

「じゃあね!」

 

 走り去っていく少年へ手を振って、見えなくなった後に少女は肩を竦めた。

 

「できたらねー……」

 

 少女――朔月は、旅人になっていた。

 

 世界の崩壊に巻き込まれた朔月だったが、そこで死ぬことはなかった。一部とはいえノーアンサーの力を受け継いだ身体だ。かつて時空を旅する船であったノーアンサーが持っていた異世界を渡る力が発動し、気付いたら朔月は見知らぬ世界に立っていた。

 そこから紆余曲折あって、今はこの世界にいる。

 

「私だって帰りたい気持ちがないわけじゃないんだよ」

 

 朔月は人目につかないよう空中へ開けた穴にギターを放り込み、独り言を呟きながらその場から去る準備を始めた。

 

「でも行き先は選べないし、そのクセ一所にずっとは留まれないし。変身したり怪我したら退去までのリミットが縮まるし」

 

 朔月は異世界を旅できる力を手に入れたが、それは少しも自由が利かない力でもあった。

 渡る世界は選べず、偶然に身を任せるしかない。その上生活をするだけでもいつかは世界から弾かれて退去することになり、しかもその時間制限は戦ったり傷ついたりすることで早まった。一つの世界に何年も留まることがあれば、数日でお別れすることもある。

 更に、時間軸すら不安定だ。戦国時代や江戸時代に跳んだこともあった。辿り着く場所も様々で、時空を旅する電車に飛び乗ったこともあれば、ライダーたちが覇を競って争い合う世界で逃げ回ったこともある。とにかく世界は多種多様だった。

 朔月の力はまだ不安定で、彼女自身も振り回され続けている。

 

「まぁ生きてるだけマシなんだろうけど、でも……」

 

 朔月は空を見上げた。

 誰かが言った。みんな同じ空を見上げてる。だから離れても繋がっている。だが朔月が今見上げている空と、彼女が想う人が見上げている空は、違った。

 

「いつかは遭いたいなぁ……」

 

 世界は無数に存在し、目当ての世界に辿り着く可能性は、限り無く低い。それこそ三千世界と謳われてるのだから。

 この身体に寿命があるかは分からない。それでもノーアンサーと同じように死はある筈だ。今のところ致命傷のような怪我を受けても世界から退去するだけだが、それもいつまで続くかは知らない。

 だから朔月がまたあの世界に戻れる可能性は、皆無といっていいほどに低い。

 

「……それでも、願うことは人間に許された自由だからね」

 

 そう呟いて朔月はいよいよその場から去ろうとした。

 その瞬間だった。

 

「きゃあーーーっ!!」

 

 絹を裂くような悲鳴。ついで聞こえる爆発音。遠くから追われるように人々が逃げてくる。何か、尋常ならざる事態が起こったらしい。

 

「……怪人かな」

 

 一見平和に思える世界。しかしそこにも、悪は潜んでいる。

 世界征服を狙う秘密結社。鏡の中から命を狙うモンスター。異世界からの侵略者。多くの世界で、様々な悪意が人々の平和を脅かしていた。

 だけど悪からは、必ずそれに立ち向かう正義が生まれる。

 

「あっ、あの子帰ったの向こうじゃん。仕方ないなぁ」

 

 口ではそう言い訳しつつも、朔月の答えは初めから決まっていた。

 何故なら彼女は――

 

 声の聞こえた方へ真っ直ぐに駆ける。彼女の銀髪が風にたなびき、宙に舞う。

 その一房は、誰かのように赤く染まっていた。

 

「誰か助けてっ!」

 

 見えた。街を破壊する怪人。逃げ惑う人々。そして――足が竦んで立てないでいる少年。

 爬虫類のような格好をした怪人は少年に目を付ける。

 

「ギャハハッ! ガキがいるなぁ……俺はガキの悲鳴が大好きなんだよなぁ」

「ひっ!」

 

 下卑な笑みを浮かべて近づき、鉤爪を振り下ろそうとする、その直前。

 

「あぁ!? んだテメェ……!」

「やれやれ。さっきまで私にわるわるな口利いてたんだから、ここでも啖呵の一つくらいは切ればいいのに」

 

 その前に立ち塞がったのは、赤いコートをはためかせる朔月だった。

 

「お、お姉ちゃん」

「ま、君は私の貴重な聴衆だからね。助けなきゃ目覚めが悪い」

 

 朔月は庇った少年に軽くウィンクをして、怪人へ向き直る。

 

「何者だ!」

「名乗る程の者じゃない。けど敢えて言うなら、私の答えはただ一つ」

 

 そして朔月は、銀色に光るマリードールを取り出した。

 

「――仮面ライダーだ!」

 

 光と共に現われ腰に巻き付く白きベルト、サンクチュアリドライバー。手にしたマリードールを叩きつけ、彼女は叫ぶ。

 

「変身!」

 

《 Select 》

 

《 犯した原罪(つみ)は消せない それでも

  もうどこにも(かえ)れない それでも! 》

 

《 The Answer! 》

 

「人類の平和と自由の為に戦い続ける。それが私の選んだ答えだから!」

 

 世界を越えて、誰かと永遠に別れても、朔月の答えは変わらない。

 何故なら彼女は、仮面ライダーなのだから。

 

 仮面ライダー皇銀(すめらぎ)は今も、どこかで戦っている。



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