ウマ娘プリティダービー《Unusual world line》 (K.T.G.Y)
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サラブレッドの短き輝き

二人のウマ娘がいた。

 

 

一人目。名はトウカイテイオー。

皇帝と呼ばれたウマ娘・シンボリルドルフに憧れ、トレセン学園に入学。

その天性の走りの才能から入学間もなく頭角を現す。

オープン戦を全勝し、クラシック戦線に参戦。皐月賞、東京優駿を快勝し、いよいよシンボリルドルフの持つ無敗三冠を目指すも、骨折が判明。

菊花賞は絶望的と言われる中、最後の最後まで出走を目指しリハビリに取り組んでいたが間に合わず、三冠の夢は適わなかった。

同じチームのメジロマックイーンとは親友にして好敵手(ライバル)の間柄であり、チームメイトにその仲を茶化されることも少なくなかったという。

そんなマックイーンとの直接対決となった天皇賞(春)。勝敗の行方は大いに注目されていたが、結果はマックイーンに軍配が上がった。

 

無敗の夢も断たれ、またも骨折が判明すると、その後は調子を落とす。リハビリを行い再びターフに戻ってくるも不調なレースが続き、練習中また骨折。

「走りたい」という気持ちを失い、一時は引退を決意するも、チームのメンバーやファンの応援、そして片思いのライバル・ツインターボの激走を見て引退を撤回。

 

そして迎えた有馬記念。GⅠ馬が7頭も集う豪華メンバーがいる中、親友マックイーンに捧げる執念の走りで見事優勝。

実に丸一年近くを休んでからの復帰戦で最高の結果を残した。

 

だが、それがテイオーにとって最後の輝きとなった。

その後も足の故障に悩まされ、四度目の骨折が判明した時の事である。

 

「……テイオーさん、私もあなたのファンではあるんですがね、正直、これ以上走るのは厳しいかと」

レントゲンの結果などを見比べながら、医師は言いにくそうな表情で言葉を綴った。

「骨折が、完全に癖になっていますね。仮に治っても、またすぐに折れてしまう可能性が高いでしょう」

「そんな……何とかならないんですか!?」

同伴したトレーナーが悲痛な面持ちで医師に尋ねた。

「ウマ娘の脚というのは人間に比べて凄い速度が出ます。だからこそ、負担も大きい。筋肉が癒えても、骨まではどうにもなりません」

「……ガラスの脚ってことですか?」

「ガラスどころじゃない。ローソクですね」

「…………」

脚にテーピングを巻いたテイオーは、終始無言だったという。

 

帰路、トレーナーと松葉杖をついたテイオーは言葉少なだった。

トレーナーとしては元気付ける会話の一つでもしたい。何ならお寒いジョークでもいい。そうしたいのは山々なんだが……、

「あ、あのさ、テイオー、俺は、お前がデビューする時からおまえをずっと見てきた」

「うん……」

「医者はああ言ってたけどさ、俺はこんなところで終わるウマ娘じゃないと信じている」

「…………」

「俺もリハビリ付き合うからさ。頑張ろう! そうだ、景気付けに何か美味いものでも食いに行くか? 俺の奢りでさ」

「……ごめん、トレーナー」

「テイオー……」

「……ぼく、今度こそ引退するよ」

「テイオー……」

「決心がついた。今度こそ、これで終わり。あ、でもチームには居続けるよ。ぼくがいないとみんな何にもできないからさ。トレーナーもね」

涙は見せなかった。

菊花賞のレースを走れない悔しさで大粒の涙を流したことはあった。

引退をしようとしていたファン感謝祭で皆に励まされ、観客の前で泣いたこともあった。

テイオーはいつだって、無邪気で、小生意気で、自信家で、強気の姿勢を崩さないウマ娘であった。

 

泣かなかったのは、テイオーなりの最後の抵抗だったのかもしれない。

 

 

こうして、トウカイテイオーは引退した。

生涯成績12戦9勝。

「皇帝」に憧れ、自身も「帝王」になろうとしたウマ娘は、静かにターフを去った。

 

現在は学園に在籍したまま、トレーナー補佐をやっている。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

二人目。名はメジロマックイーン。

名門メジロ家のお嬢様であり、幼くして生粋のステイヤーとして才能を見出された少女は、入学して間もなく注目の的となる。

お嬢様に恥じない、淑女的な物腰と気品と美しさ。そしてその内に秘めた絶対の自信と芯の強さ。そしてそれを裏付ける走り。

そしてその目標は、祖母、母が獲得した「天皇賞」の3世代獲得だった。

それはメジロ家に生まれたからには必ず成し遂げなければならない悲願であり、マックイーンにとっても最大の目標であった。

トウカイテイオーとは好敵手(ライバル)であり親友。最初は何かと突っかかってくるテイオーを軽くいなしていただけであったが、いつしかそれが友情へと変わった。

もっとも、本人曰く、絶対に諦めないテイオーの事を最初から尊敬していたらしいが。

世紀のTM対決と言われた天皇賞(春)では激闘の末テイオーに勝利。その後はテイオーの走る目標になることを宣言し、もう一度テイオーと走る約束をした。

 

しかし二人はすれ違い続け、最後までその約束は果たされることはなかった。

 

繋靭帯炎の発症。それがメジロ家お抱えの主治医の出した冷酷な検査結果だった。

これ以上走ろうとすれば日常生活にすら支障が出るほどの重症であり、事実上の引退勧告である。

 

それでもマックイーンは諦めきれず、雨の中走り続け倒れる。そこに駆けつけたテイオーの前で泣いた。

あの時交わした約束を自分が反故にするわけにはいかない、あの時交わした約束を果たすまで引退するわけにはいかない、と。

 

だが、テイオーはマックイーンの想いをしかと受け取った。そして有馬記念で勝利し、かつてマックイーンが言った「奇跡」を証明してみせると誓う。

 

そして迎えた有馬記念。トウカイテイオーは最高の結果を残し、観衆の喝采を受ける。マックイーンは涙を流しながらそれを見ていたという。

 

「テイオー……」

「マックイーン……。見ていてくれた? ぼく、勝ったよ」

「ええ……」

「以前マックイーン言ってたよね? 奇跡は起きるって。それを望み奮起する者の元へ、必ず、って」

「はい。言いましたわ……」

「そうだったね。正直、ぼくも信じられない。でも、もう2度と走れなくなってもいいから、ありったけ出すと決めたから、奇跡は起きた」

「……わたくしは、今日のレース、90%はテイオーは負けると思っていました。でも貴方の想いが、残りの10%を手繰り寄せたのですね」

「えー、ぼくは常に100%勝つつもりで挑んだけどなー」

「ふっ……あはは、そうでしたわね。失礼しました」

 

「テイオーはこれからどうなさいますの?」

「うーん……マックイーンがいないターフに未練はないんだけど、走り足りないから、もうちょっとだけ頑張ってみるよ」

「そうですか……」

「でも今日以上のパフォーマンスを出せるレースができるかなあー。そう考えるとほんと会長は凄かったんだなー」

「シンボリルドルフ会長のようなウマ娘なんて、30年待って一人出るかどうかだと思いますが」

「会長より昔のウマ娘かー。どんな人がいたんだろ?」

「有名どころでいうと、やはり……」

 

こうして、メジロマックイーンは引退した。

3世代に渡る天皇賞制覇という偉業を残して。

 

現在は学園に籍を置いたまま、メジロの実家で静かに暮らしているという。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

一つの時代が終わり、一つの時代が始まろうとする競走馬世界。

 

 

これはそんな二人が引退して、少し時が流れた頃のお話……。

 

 

「引退式?」

放課後、チームメンバーがトレーニングに行こうとする矢先、テイオーはトレーナーに呼び止められた。

「ああ。何でもトウカイテイオーとメジロマックイーン引退にあたって、盛大なセレモニーを行うという企画が立ってるんだ」

「……ふーん」

テイオーは複雑だった。正直、自分はひっそりと引退したいと思っていたからだ。

華やかな競走バ世界、しかしどれだけ勝とうが、引退してしまえばただのウマ娘である。

そんな自分がまた観衆の前に立つなんて……。

「マックイーンは何て言ってるの?」

「え? ん、ん~いや、まだ分からない」

「はあ?」

「いや~俺も実は小耳に挟んだだけで……」

「日にちは? 場所は? 勝負服は? マックイーンは出席するの?」

「……すまん、俺もよく分からない」

「もう、トレーナーのバカ! こうなったら会長に直接聞いてくる!」

 

 

「この企画の発案者はトレセン学園とも深い関わりがあるところからの提案なんだ」

会長室にて。突然やってきたトウカイテイオーを優しく諫め、シンボリルドルフはテイオーを来客用のソファーに座らせた。

「トレセン学園の運営は、色々な所からの出資で成り立っている。言わばスポンサーだな」

「だから、会長もあまり強く言い返せなかったって言うの?」

「そうじゃないさ。あくまで二人の競走馬界における実績と功績を讃えてのイベントだそうだ。二人を殿堂入りウマ娘に推してくれている人でもある」

「いやー、それほどでもー……じゃなくて、とりあえずスケジュールなんかはもう決まってるの?」

「ああ。引退式は一か月後。場所は東京競馬場。全日程が終わった後、二人は勝負服を着てゲートを出た後、コースを一周してほしい」

テイオーは、あれ、ぼくが思っていたよりなんか本格的だぞ、と思った。

「そして二人は壇上で最後のインタビューを受けてほしい。きっと二人は大観衆に包まれながらの引退式になると思っている」

「マックイーンは何て言ってるの?」

「前向きに検討させてくださいとのことだ。テイオー、君はどうする」

「う~ん……」

(余計な気遣いだと思うけどなあ……)

「そこまでしてもらって、断るというのも失礼かもね。分かったよ。ぼくは参加する方向で」

シンボリルドルフの口元に笑みが零れた

「分かった。向こうにもそう伝えておく。テイオーは、インタビューの内容を考えておいてくれ」

「はーい」

 

「引退式かぁ……そういえばぼく、メディアに対して引退しますとは言ってないんだよね……」

つまり怪我が治ったら現役を続行するかもしれないと思っている人も多いかもしれない。まあレースに出走手続きも全くしてないから半引退ということだが。

(ぼくがやり残したことってなんだろ? ターフにある未練ってなんなんだろ?)

テイオーもマックイーンも怪我で引退レースを行ってない身である。そんな二人が最後にターフに残せるものは何だろうか?

「う~ん……ああもう、考えたって分かる筈ないや! マックイーンに電話してみよ!」

 

「あら、テイオー」

「急にごめんねマックイーン。今、時間いいかな?」

「ええ。大丈夫ですわ」

「引退式のことなんだけど……」

テイオーはマックイーンに不器用なりに自分の気持ちを吐露した。

静かに引退したかったこと、走れなくなって色々考えたこと、自分が最後にやり残したことが分からないこと、等々……。

「……そうですわね」

マックイーンも自分の気持ちを、言葉を選びながらテイオーに伝えた。

本音を言えば自分はまだ走り足りないこと、何よりテイオーとの決着を付けたかったこと、諦めようとしても走りたいという気持ちが胸の中で膨らんでいくこと。

「メジロのウマ娘としては、やれるだけの事はやりましたわ。でも、わたくし個人としては、やはりターフに未練がありますの」

「マックイーンも同じ気持ちだったんだ……」

「今でもターフの夢を見ることがありますわ。一着を取り、大勢の観客から祝福を受ける夢……。そう、それはもう夢になってしまったことが、たまらなく悔しいですわ」

「……そうだね。どれだけいい成績を残したって、引退してしまえば、ぼくもマックイーンもただのウマ娘なんだよね」

「トレーナーの勉強をして後進の指導に当たるという道もありますが……」

 

そこで、互いの言葉は途切れた。

(うう~、こんな話をしたくて電話かけたつもりじゃないのに~、ああもうぼくのバカ!)

「あ、ああ、そうだ、ね、ねえ、マックイーン」

「はい、どうしました?」

 

「今度のオフ、会えない?」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

予定はないけど街に繰り出そう、テイオーは、そう言って、マックイーンを誘った。

(二人で遊ぶなんて、ハロウィン以来だなあ……)

誘った手前、自分がリードしないと。などと考えていると、待ち合わせ場所にマックイーンが現れた。

「待ちました、テイオー」

「いや、今来たところ。なんて」

久々に会う気がしていたが、マックイーンは変わらず……変わらず……、

「どうかしましたか、テイオー?」

「……ね、ねえ、マックイーン」

「はい……」

「ひょっとして……太った?」

「!!!!????」

マックイーンは顔もウマ耳も真っ赤にしてテイオーをぽかぽかと優しく叩いた。

「だって、走れませんからー! 筋トレも禁止されてますからー!」

「は、ははは、ごめんごめん、それじゃ、あてもなく行こうか」

 

二人はショッピングモールをあてもなくぶらついた。

はちみつドリンクを飲んだり、ドーナツを食べたり、服を見たり、アクセサリーを見たり、花嫁衣裳を見たり、

「綺麗ですわね……」

「うーん、ぼくも将来いい人が出来たら、着ることになるのかな」

「やはり結婚はジューンプライドですわね。ああ、そう言えばエアグルーヴさんやマヤノトップガンさんが雑誌の衣装で着ていましたわね」

「そうそう! エアグルーヴさんは素敵だからいいけど、なんでマヤなのさ!? ぼくだって綺麗な衣装ぐらい着たいやい!」

「でもあの衣装で芝2000mを走るというのは、中々珍妙なイベントでしたわね」

 

二人がそう話してると、道行く人がテイオーとマックイーンに気付いた。

 

「すいませーん、トウカイテイオーさんとメジロマックイーンさんですよね?」

「うん、そうだけど」

「私、二人のファンなんです! サインお願いしてもよろしいでしょうか!?」

「ええ、構いませんわ」

 

「あ、トウカイテイオーだ」

「メジロマックイーンもいる!」

「俺、握手してもらおうっと!」

 

ワイワイガヤガヤ……。

 

「わわ、集まってきた」

「仕方ありませんわね。これも一流のウマ娘の責務ですわ」

「引退式やるって聞きました。絶対見に行きます!」

 

そう、二人の引退式の開催は一昨日メディアを通じて告知されたのだ。

きっとキタちゃんとサトちゃんも来るだろうな、とテイオーは思った。

 

 

結局、一時間近くもみくちゃにされて、二人はようやく解放された。

「もう、せっかくマックイーンを誘ったのに、これじゃ台無しだよ」

「そう言いませんのテイオー、わたくしは楽しかったですわ」

 

日も暮れてきた。そろそろマックイーンは帰らなければならない。

楽しかった時間も、あっという間に終わってしまう。

「……でも、わたくし達が今でも現役だったら、皆さんももっと楽しんでくれたかもしれませんわね……」

「え……」

マックイーンが素直な気持ちをポロリと出した。

だがテイオーは全く違う事を考えていた。

(ぼく達は引退したウマ娘。それなのに、か……)

 

「マックイーン、それは違うよ」

「え……?」

「ぼく、やっと分かったんだ。ぼく達が何のために走ってたか、僕たちが最後に何を残せるのかを……」

「テイオー……」

 

 

『続いてのニュースです。ここ数日お知らせしておりますが、トウカイテイオーとメジロマックイーンの引退式が11月21日、東京競馬場で行われます。

引退式を間近に控え、お二人にインタビューをと思いましたが、当日までそれは我慢してほしいとの意向でコメントは取れませんでした。

今日は道行く人にコメントをいただきましたので、それを放送します』

 

「私はテイオー派なんですけど、あの有馬記念優勝は痺れましたね。一年近く休んでてもう引退してもおかしくないウマ娘が復活ですよ。感動して涙が止まりませんでした」

 

「マックイーンの突然の引退には驚きました。怪我がなければどれだけ走ってたか。彼女の走りを記録したDVDは俺の宝物です」

 

「二人の引退式には女房を質に入れてでも行きます!」

 

「二人がもう一度競い合うレースが見たかったですね」

 

「この前トレセン学園のプールの残り水ってのをオークションで出したんだけどよ、これがもうバカ売れ! 供給追いつかないってくらい。また売りたいぜ」



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最後にやり残したもの

『ここ、東京競馬場の本日の日程は全て終了しました』

実況担当の赤坂美聡(あかさかみさと)は実況席より周囲を見渡した。

『しかし集まった大勢の観客席の皆様は帰らない! 帰ろうともしない! それは何故か!?』

レース用の大型モニターに、二人のウマ娘が映し出される。

『そう! 本日はお待ちかね、トウカイテイオーとメジロマックイーンの引退セレモニーが行われるからです!』

 

ワアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!

 

観客席から大きな声援が起きた。

この一か月。ファンにとっては長いようで短い一か月だった。

ニュースで報道された二人の引退。街頭では号外も配られた。引退セレモニーの企画を聞くと、ファンは残念に思いながらも今日この日を待っていた。

スタンド最前列にはチーム『スピカ』、『リギル』、『カノープス』他トレセン学園関係者の姿もある。勿論シンボリルドルフ会長も来ていた。

 

スピカの面々は複雑だった。テイオーとは毎日顔を合わせていたし、マックイーンもチームの一員だ。その二人が今日を持って完全にターフから去る。

ゴールドシップも今日ばかりは焼きそばを売り歩く気分にはならなかった。

「寂しくなるよな」

「そうね」

「そうですね」

「…………」

 

 

自衛隊の吹奏楽のファンファーレが鳴り響く。二人は既に、ゲートに入っていた。

 

観客の視線がゲートに集中する。ガチャ、という音がして、ゲートが開いた。

「行こう、マックイーン」

「ええ……」

 

『今トウカイテイオーとメジロマックイーンが姿を現しました! 二人とも明るい表情のまま、手を振って観客の声援に答えています!』

 

ウオオオオオオオオオオオオオオッ!!

 

「テイオー、今まで感動をありがとう!!」

「マックイーン! 君の勇姿は忘れないよー!」

 

「……見てる? マックイーン。ぼくたち、こんなに大きな声援を受けてる」

「そうですわね」

「レースに出たわけでもないし、一着を取ったわけでもない。そんなぼく達がこんなに大きな声援を受けてるんだ」

「分かっています。これが、わたくしたちがやり残したことなのですね……」

 

『二人がゆっくりとした足取りのまま、スタンドの前を横切ろうとしております。観客の声援も、更に激しいものになりました』

テイオーはお家芸のテイオーステップをしながら観客に手を振る。

「テイオーさぁぁぁぁぁぁん!!」

「マックイーンさぁぁぁぁぁぁん!!」

最前列にいたキタちゃんとサトちゃんが大きな声で二人を祝福する。

 

一方、それを見ながら複雑な表情をしていたウマ娘がいた。ツインターボだ。

「……ターボ?」

横にいたナイスネイチャがターボの普段とは違ってやけに大人しいことに気付いた。

ターボの事だから、わんわん泣くか、ぎゃーぎゃー喚いてるかと思ったのに……。

「どうしたのターボ?」

「……悔しいなあ」

「悔しい?」

「うん。あのね、テイオーが引退を決めた時、テイオーは真っ先にターボに謝りに来たんだ。一緒にレースで戦えなくてごめん、って……」

「そうなの?」

「その時ターボね、ずるいぞテイオー、勝ち逃げするなんて許さないぞ、って言ったんだけどね、でもそれ以上は言えなかった。ターボこの間もその間のレースもボロ負けしたから」

玉砕型。それがツインターボのレーススタイルである。快勝か惨敗か、ターボにはその2つしかない。故に成績は安定せず、オールカマ―以降一度も勝っていない。

「テイオーはGⅠもいっぱい勝ったのに、ターボは負け続けて、悔しくて……でもテイオーの言った諦めない大切さも分かってたから……」

「複雑な感情なわけだね」

「ただ頑張るだけじゃ、テイオーには追い付けないのかな……」

「…………」

ネイチャは、こんなしおらしいターボは初めて見たな、と思った。

ターボにとって、テイオーは今でもライバルなのだ。しかしテイオーはターフから去る。なら、ターボは何を目標にしていけばいいのだろう……?

(ま、キラキラさんのテイオーが辞めて寂しいのは、ターボだけじゃないんだけどね……)

 

 

そして、二人がゴール板を超える。この後は小休止を挟んで、壇上で最後のコメントを残す。

更衣室に戻った二人は、汗を拭き、水を飲み、鏡で髪を整え、服に問題がないか再確認する。

「ふう……走ったわけでもないのに、汗かいちゃった」

「11月で肌寒い季節ですのに、会場の熱気にやられてしまいましたわね」

「マックイーンはコメント何ていうか決めてるの?」

「ええ。でも……多分テイオーと似たものになると思いますわ」

 

 

そして再び二人が姿を現す。観客席からは大きな歓声と拍手が送られた。

(泣いても笑っても、これが最後か……)

(今日の割れんばかりの歓声を聞いて確信しましたわ。やはりわたくしは……)

テイオーステップで壇上に上がり、マイクを手渡されるテイオー。その後続いてマックイーン。

大量のテレビカメラが二人を映す。まずはテイオーからだ。

 

 

『……ぼくの競走バ人生を見た人が、色々と思う事はあると思います。でも、ぼくは後悔していません』

それは怪我で苦しみ続けた半生を歩んだウマ娘とは思えない、意外な言葉だった。

『確かに怪我続きで活躍できたのは前半生だけでした。でもその活躍のおかげでぼくはファンに名前を覚えてもらいました。

それで人々の記憶に残ったのならこんなにありがたい事はありません』

(テイオー……)

『引退したウマ娘にとって一番嬉しいことは、競走バじゃなくなってもサインや握手を求められることです。

そんな幸せを何度も味わえました。この一か月、色んな人から声をかけてもらえた時は本当に嬉しかったです』

この時、観客席でキタサンブラックは終始泣いていた。

「う”う”う”う”……て”い”お”~~さ”~~ん”……」

『胸を張って言えます。幸せな競走バ人生でした』

 

ワアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!! テイ、オー! テイ、オー! テイ、オー! テイ、オー!

 

割れんばかりのテイオーコールを受け、テイオーは深くお辞儀をした。そして、マックイーンにマイクを渡した。

 

 

『わたくしは競走バとしてデビューする以前より、メジロの誇りと栄誉を掲げて走ることを義務付けられていました。しかし、それは誤りでした』

誰よりも高いプライドを持って走り続けてきたマックイーンにしては、意外な言葉だった。

『視野狭窄と言っていいでしょう。もしわたくしがそのまま周りを見ずに走り続けていたら、悲願達成はなかったと思います』

(マックイーン……)

『わたくしはとても多くのものに支えられてきました。トレーナー、チームメイト、友人、知人、そして応援し続けてくれたファンの皆様に。だからこそ今があります』

この時、観客席でサトノダイヤモンドは大泣きしていた。

「う”わ”あ”あ”~~ん”。ま”っく”い”~ん”さぁ~ん”……」

『今日お集まりいただいた皆様こそ、私がターフで得た最高の宝物です。本当に、有難うございました』

 

ウオオオオオオオオオオオオオオッッッゥ!!!!! マックイーン! マックイーン! マックイーン! マックイーン!

 

 

そう、二人がやり残したもの。それは今まで応援し続けてくれたファンに対する心からの感謝。

今まで声援を送り続けてくれた人々への有難うの言葉だった。

 

華やかなりし競走バの世界。そこで走るウマ娘には多くの声援が寄せられる。

レースに出なければならない。活躍しなければならない。

故に、一個人として、時には人格すら要求される。勿論例外は過去にごまんといたが。

 

トウカイテイオー、メジロマックイーン、二人とも日本競バ会に名を連ねるに相応しい、酸いも甘いも経験したウマ娘である。

その別れの言葉に、スタンドからは涙混じりの大きな拍手と声援が寄せられた。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「…………。立派だねえ。トウカイテイオー、メジロマックイーン」

そんな二人をスタンドの片隅から見ていた一人の老婆がいた。

「そう、この声援こそ、あんたたち二人がターフで得た一番の宝なのさ……」

そう言うと、老婆は体を反転させ、誰よりも早く競馬場から去っていった。

 

「さあて、この婆も、忙しくなるかもねえ……」



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ウマが蘇る時

トレセン学園。放課後。ウマ娘達が授業を終え、トレーニングに励む時間だ。

走りでスピードを上げようとする者。プールでスタミナを鍛えようとする者。ジム室で筋トレに励む者。様々だ。

 

チームに所属している者はトレーナーの指示の元合同で練習する事が多く、放課後はトレーナーのプラン通り練習するウマ娘が多い。

 

そして有力視されたウマ娘ほど、優秀なトレーナーが付く事が多い。

デビュー前のウマ娘は主に基礎トレに時間を費やし、それなりに実績があるウマ娘は実践を想定したレースと同じ距離を走ってタイムを測る。

 

そして、ここにもそんなウマ娘が一人……。

 

「はぁっ……はあっ……はあっ……はあっ……」

 

ライスシャワー。

 

菊花賞と天皇賞()を勝った、紛れもないGⅠウマ娘。

しかしそんな実績とは裏腹に、世間の視線は冷ややかだった。

菊花賞の時は無敗の三冠馬として期待されたミホノブルボンを破り、天皇賞(春)では3連覇を期待されていたメジロマックイーンを倒した。

その結果、人々はライスを大記録を阻んだ悪役(ヒール)として扱った。

涙を流した日々は長かった。勝ってもブーイングを浴びせられた事は、今も彼女の心に深い傷跡を残している。

 

そのイメージを覆すためには、勝つしかない。勝って自分の事を世間に認めさせたい。その一心でライスは走り続ける道を選んだ。

 

しかし、思いとは裏腹に、ライスはスランプに陥る。

 

想いとは裏腹に、結果が出せず、もがき続ける毎日が続いていた。

 

 

カチッ。

 

ライスがゴール板を走り抜けると同時に、トレーナーがストップウォッチの停止ボタンを押す。

「はあ……はあ……はあ……はあ……」

「どうしたのライス。全然脚にキレがないわよ」

タイムはトレーナーが心配になるほど悪いものだった。

一度、医者に見せたこともある。異常はなかった。万全ではないかもしれないが、怪我はしていない筈だ。

しかしライスシャワーのスランプは深刻なもののようだ。

(どうして……? 体に異常はない。スタートだって悪くないし、途中のタイムも悪くはない。それなのに、最後の直線にまるでノビがないわ……)

 

「す、すいません……」

ライスは俯いてしまう。

(やはりメンタル面かしら。今も以前のレース結果を引きずって……)

 

「ライス!」

「は、はい……!」

「これがあなたの限界だというの!? 私はそう思わないわ! 菊花賞や春天の頃のあなたはどこに行ったの!?」

「……!!」

「あっ……」

しまった、失言だった。発破をかけるつもりで思わず口に出したが、言い直すにはもう遅い。

「ごめんなさい……」

「いえ……すいません、ライス、気分転換に外を走ってきます……」

「あ、ライス、待ちなさい……」

 

 

「はあ……はあ……はあ……はあ……」

ライスは学園の近くの河川敷を走っていた。

先ほどのトレーナーの発言を、禁句(タブー)だとは思わない。これは自分が乗り越えなくてはいけないものだからだ。

「トレーナーさんは悪くない。ライスが悪いんだ……」

やはり一人をマークしながら追走するスタイルじゃないと結果が出ないのか、それとも自分の走りに傷でも付いているのか、考えても走っても答えは出ない。

(このままじゃ駄目だ……。ブルボンさんだって復帰目指して頑張ってる。ライスだって結果を残さなきゃ……)

 

ミホノブルボンにライバル認定され、自分の事をヒーローとまで言ってくれた恩人。その人の前で恥ずかしいレースはできない。なのに……。

 

 

「……調子悪そうだねえ、ライスシャワー」

「えっ……」

急に話しかけられ、振り向くと一人の老婆が立っていた。

帽子を深く被り、杖を持ち、小さな丸サングラスをかけた老婆であった。

 

しかし何だろう。言葉に強い覇気が纏っている。何より歳はかなり取っている筈なのに、全然腰が曲がっていない。

 

「あの、あなたは……?」

「なあに、通りすがりの変なおばさんだよ」

「えっ……!」

ライスシャワーは思わず後ずさりした。元々臆病で弱気な性格なので、初対面の相手には緊張してしまう。

 

「あ、あの、その変なおばさんが、ライスに何の御用ですか……?」

「あんたがフォームを崩しているのが気になってね」

「えっ……」

「実際、最近調子悪いだろ? 絶不調と言ってもいいね」

「…………」

 

確かに今の自分は実際スランプ中だ。でも、なぜこの老婆がそれを知っているのか?

学園関係者かもしれないし、ひょっとしたら自分のファンかもしれない。いや、後者はありえないか。

 

「走る格好をしてごらん」

「は、はい……」

言われた通り、流されるままライスシャワーはレースと同じ走る構えをしてみる。

「こ、こうですか?」

「ふむ……」

老婆は顎に手をやりながら近付いてくる。

 

「右脚の親指が3cm内側に入り過ぎている」

「えっ……」

「右膝が5cm前に出過ぎている」

「えっ、えっ……」

「左脚が3cm外側に出過ぎている」

「……」

「腰が以前と比べて5度浅い」

ライスは絶句した。服を着ているのに、裸でもないのに、なんでそんな所が分かるのだろう。

 

「脚を一歩踏み出してごらん」

「は、はいっ!」

言われた通り、脚を一歩だけ出してみる。

「踏み出した脚が10cm外側に出過ぎている」

「はいっ!」

「腰が10度高いせいで脚が伸びきるのが早いね」

「はいっ!」

「地面を蹴る時は踵からではなくつま先から。重心がぶれてカクカクに走ってるからコーナーが上手く回れてないね」

「はいっ!」

 

「……うん、こんなところだね」

「そう、ですか? ライス、良くなってますか?」

「前に出ようという思いが強すぎたせいでフォームを崩したんだろうね。矯正してしっかり走れば直線の加速が戻ってくる筈だよ」

「分かりました」

「それから、走る時は脚だけでなく体全体で走るようにね。さもないとすぐに怪我をしてしまうよ」

「はい」

「まあ、おまえさんは呑み込みが早いから一週間も取り組めば大丈夫だろうね。今日言われた事、しっかり反復するんだよ」

「はいっ!」

「それじゃあね……」

「あ、ま、待ってください!」

「ん……?」

「その、有難うございます! おばさま!」

 

老婆はニッコリ笑って、手を振りながら去っていった。

 

 

「フォームの矯正、か……」

指導が正しいかは分からない。ひょっとしたら、もっと悪くなるかもしれない。

でもライスは心の底で、何か手ごたえを感じていた。

「がんばるぞ。おー」

 

 

その後、ライスシャワーは目黒記念2500mに出走。あっさりと勝利をおさめてしまう。

トレーナーが目を丸くするほどの快勝であり、今までのスランプが嘘の様なレース運びだった。

 

ジム室の大鏡に自分を映しながら、徹底的にフォームの矯正に取り組んだ結果、コーナーの減速もなく、直線のキレも戻った。

何より体が劇的に軽くなった。走るのが楽しいと思ったのは久しぶりだった。

 

「でも、何者だったんだろう、あのおばさま……」

あんな的確な指導が出来る人はそういないはずだ。誰だったんだろう……?

引退した元トレーナー? スポーツインストラクターの名伯楽? 考えても答えは出なかった。

 

「そういえば、おでこの辺りに、何か模様のようなものがあったような……」

 



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季節外れの満開桜

トレセン学園は毎年頂点を目指すウマ娘が集う事で有名である。

そして有力視された者にはトレーナーが付き、一層の研鑽と鍛錬の機会が与えられる。

 

故に、ウマ娘全てに専属のトレーナーが付いてくれるわけではない。

精々面倒見の良い先輩が練習を見てくれる程度である。

 

そして、そんな中、デビュー以来勝ち星がないウマ娘がいた。

 

ハルウララ。ピンクのポニーテールが目立つ、天真爛漫なウマ娘。

元は地方競馬場の一つ高知競馬場にいたが、もっとワクワクしたいという一心で中央であるトレセン学園に入学。

筆記は散々だったが、面接で通ったらしい。

 

明るい性格で誰とでも仲良くなれ、レースを心から楽しむ笑顔いっぱいのウマ娘。商店街では知らぬ者はいない程の人気者。

 

しかし彼女の想いとは裏腹に、勝利は果てしなく遠かった。

デビュー以来、ビリとブービーを連発。オープン戦に出場することはあっても、結果は言わずもがな。

大抵のウマ娘はそういった現実を見せつけられれば、心が折れて夢を諦め、学園を去ってしてしまうが彼女は別。

とにかくレースが楽しく、勝ち負けは関係なし。ビリでも観客に笑顔を見せ、次のレースに思いを馳せる。

 

そんなある日、地方のダート競馬場をドサ回りして久々にトレセン学園に帰ってきた時のこと。

 

 

「キングちゃん、久しぶりー!」

「あら、ウララさん。学園に帰ってきましたのね」

ハルウララは寮のルームメイトであるキングヘイローに挨拶をし、お土産を渡した。

 

キングヘイローもまた、優秀過ぎた両親の元に生まれ、そのコンプレックスに苦しんでいるウマ娘である。

一流のウマ娘を目指し、日々練習に明け暮れるも、中々結果は出ない。

それでも彼女は諦めない。地べたを這い、泥を啜ろうとも、必ず『キング』の称号を手にして見せると燃えている少女だ。

 

「聞いて聞いてー! わたしねー、この前初めて3着になったんだよー!」

「あら、頑張ったのねウララさん。私は先日重賞を出て2着だったわ」

「キングちゃんも凄いねー」

「あら、キングは2着で満足するウマ娘ではないわよ。やるからには1着。そしてやがてGⅠを取り、キングの名を日本中に轟かせるのよ」

「えーと、こうじょーしん、だったっけ? キングちゃんすごーい!」

「……ところでウララさん、戻ってきたという事は今日の夜から寮で寝泊まりするのよね?」

「そうだけど、どうしたの?」

「はあ……また寝坊助のウララさんを叩き起こして服を着替えさせて顔を洗って髪を整える日々が始まるのね……」

「キングちゃんいつもありがとー」

「たまには自分でやりなさい!」

 

負けても明るいハルウララだったが、練習は好きである。しかし結果が出ないせいか、飽きっぽい。

そんなハルウララは周りのウマ娘になにかと世話を焼かれることが多かった。生活力が皆無なのである。

 

 

その後ハルウララは学校に学園を空けた際に出す復学届を提出し、その後は体育館外で一人物思いに耽っていた。

商店街の人たちはいつも時間を割いて応援に来てくれる。ハルウララもいつからかそんな応援に答えたいという気持ちがジワジワと高まっていた。

「うーん」

レースは楽しい。いい成績ならもっと楽しい。もしも1着だったら……。

「1着になったら、みんな喜んでくれるかな」

観客が湧いて、インタビューなんか受けて、ウイニングライブだってできる。想像するだけでドキドキしてしまう。

「1着、とってみたいなあー」

「へえ、1着になりたいのかい、ハルウララ」

「え」

ハルウララが振り向いた先には一人の老婆が立っていた。

そう、つい先日、ライスシャワーを指導したあの老婆である。

 

「おばあさん、だれ?」

「私かい、そうだねえ……トレーナー……みたいなものかねえ」

「へえ、トレーナーさんなんだ」

「どうだい、ハルウララ、よければ私があんたの走りを見てやろうかい?」

「おばあさん、わたしのトレーナーになってくれるの!?」

「そうだねえ。あんたが今よりもう少し頑張るならね」

「うん、わかった! わたし、がんばる!」

「そうかい。それじゃ明日、ここにおいで。あんたを指導してあげよう。あ、このことは他の人には内緒だよ」

「ごくひれんしゅうだねー。わかった。よーし、がんばるぞー!」

 

 

「えーと、たしか、このへんなんだけど」

昨日老婆から渡されたのは一枚の名刺のようなもので、裏には施設の住所と地図が書いてあった。

自分だけでは迷子になりかねなかったのでキングヘイローに付いて来てもらおうかなとも考えたが、『ごくひれんしゅう』ということで断った。

「ここは……確か都内有数のスポーツセンターね。ジムもプールも温泉もある立派な所だった筈よ」

「そうなんだー」

「ウララさん、これを何処で?」

「ひみつー」

「…………くれぐれも知らない人に付いていかないように」

 

「うっわー、おっきなスポーツセンターだあ」

列車を乗り継ぎ、駅から徒歩で15分。ようやく見えたところはとても大きな施設だった。

(でもどこに行けばいいんだろ?)

よく分からなかったので、とりあえず入口まで行ってみる。

「すいませーん」

「……おや、ハルウララさんですね」

「そうです」

「お待ちしておりました。私が案内しますので、こちらへどうぞ」

「うわー『びっぷたいぐう』だー」

 

そしてハルウララが通された先にあったのは、プール施設だった。周りに誰もいない。『貸し切り』である。

「来たね、ハルウララ」

昨日の老婆がそこにはいた。ハルウララは改めて老婆を見る。相当歳を取っている筈なのに、皮膚にはしわや斑点がない。

「あんたにはまず泳ぎをマスターしてもらう。その為にここへ呼んだ」

「どうして泳ぐの?」

「いいかい、ウララ、おまえさんはただがむしゃらに走っているだけなんだ。それじゃあスピードは出ない。人間には人間の、ウマ娘にはウマ娘の走りってものがある」

「ふむふむ」

「その為には、まず水泳のような全身運動で体を万遍無く鍛えるのが一番いいのさ。フォームを作るのはその後だね。体が別人みたいに変わるはずだよ」

「でもわたし、泳ぐのにがて……」

「心配しなくていい。バタ足からしっかり教えてあげるよ。いずれはビート板なしで50mをクロールで泳げるようになるはずさ。頑張るんだよ」

「うん。わかった。おばあさん!」

「これ、私の事は師匠とお呼び」

「うん。わかった。ししょー!」

 

 

そんなこんなでハルウララが『ししょー』と極秘練習を続けて一か月が経過したある日。

 

 

大井競馬場ダート1400m未勝利戦。

 

『さあ、レースも終盤。最後のコーナーを抜けて各ウマ娘が直線へ』

本日9頭立てで行われた第8R。ハルウララはこのレースに出ていた。

 

「ウララちゃん頑張れー!」

「ウララちゃんファイトだー!」

 

商店街のみんなの応援を受け、ハルウララは走っていた。

普段ならズルズルと後方に落ちていくはずだが、今日は粘っている。現在4番手。

そして直線に入る直前で、ハルウララは仕掛けた。

(すごーい! 体がすっごく軽い! 息もきれないし、足も痛くならない。わたし、速くなってるー!)

『おーっと、後方から猛烈なスピードで追い込んでくるのは、まさかまさかのハルウララだ!』

 

「とりゃー!」

「え?」

 

「てりゃー!」

「へ?」

 

「えーい!」

「嘘っ!?」

 

『ハルウララだ! ハルウララ現在一番手! ハルウララがんばれ! ハルウララがんばれ! ハルウララの初めての勝利が見えてきた!』

実況も公平さを忘れてハルウララを応援する。残り200m、100m、ウララの脚色は全く衰えない。

 

「いっちゃえーーーーー!!」

 

『ゴーーーーーーール!!! ハルウララ1着! 初夏の大井に桜が満開! 本日の最終レース、念願の初勝利を手にしたのはハルウララだー!』

 

「うわわわわわっ、や、やったーーー!! みんな、やったよーー!!」

「うおおおおおっ、ウララちゃんが1着だー!」

「凄いぞウララちゃーん!」

「長かったねえ……。でも今日まで頑張ってきたんだねえ……」

商店街の皆は惜しみない拍手喝采を送る。皆で作った横断幕が静かにたなびいた。

 

「は、ハルウララに負けた……」

「こ、これは夢よね……? 悪夢よね……」

「わたし、明日から恥ずかしくて外歩けない……」

対して一緒に走ったライバル達は完全にお通夜ムードであった……。

「ほぇ?」

 

 

ウイニングライブの前に、ハルウララはインタビューを受けた。

「初勝利おめでとうございます。ここまで長かったですね」

「はい! さいこうです! うらら~んって気分です!」

「今日は普段とは見違えるほど素晴らしい走りでしたね」

「はい! ししょーのおかげです!」

「……師匠?」

「そうだよ。ししょー、わたしを早くしてくれたんだあ! ししょーってすごいんだよ!」

 

ハルウララ初勝利はその日のニュースでも大々的に取り上げられた。高知では号外が舞った。

トレセン学園でもその話は持ち切りであり、ウララはライスシャワーやキングヘイロー達から惜しみない拍手を受けた。購買のにんじんパンを奢ってもらったらしい。

 

そしてハルウララ躍進の影に謎の師匠あり。果たして何者? という記事も上がり、メディアもこそこそと嗅ぎまわり始めた。

 



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その執念はキングも動かす

ピピピピピ……

「うぅ、ん……」

朝、寮の一室で目覚まし時計の音でキングヘイローは目を覚ました。

キングたるもの、寝坊は許されない。そして最高のコンディションで授業を受けなければ。

「…………ん?」

キングヘイローは隣のベッドを見る。いつもならハルウララが夢見心地のままぐーすか寝ているのだが……、

「ウララ、さん……?」

いないのだ。ハルウララが。キングは慌てて飛び起きる。

ベッドにはまだ温もりが残っている。愛用の抱き枕も同じようにベッドの上に転がっている。

(どういう事……!? ウララさんは直前までここにいた。つまり誘拐ではない。ならば、何処に……!?)

 

「たっだいまー」

キングがあれこれと考えていると、部屋のドアを開けてハルウララが入ってきた。

「ウララさん! い、一体何処に行ってきましたの!?」

「ほえ? えーと、朝のジョギングかなあ? 朝に走るのって気持ちいいね、キングちゃん!」

「なっ……!?」

(あの、超寝坊助のウララさんが、押しても引いても目を覚まさないウララさんが、朝練……!?)

ありえない。キングはそう思った。しかし目の前の現実は、ハルウララが早起きしたことを明確に物語っている。

 

「…………。ウララさん」

「なあに?」

「……私も明日から一緒に走りますわー!」

「え? キングちゃんも一緒に走ってくれるの? やったー」

 

(おそらく一つ勝って自信が付いたのね。もっと勝ちたい、と意識改革が起きたんでしょう……)

キングはそう分析した。

 

 

そしてそれから数日後のオープン戦、ハルウララはまたあっさりと勝ってしまう。

この間の勝利はまぐれではない。本物だった。

 

 

と同時に、ハルウララを勝たせたトレーナーも注目視されていた。どうやら学園内部のものではないらしい。というより、ハルウララにトレーナーは付いていない

 

 

ある日、キングがウララに勉強を教えている時だった。

ハルウララの座学の成績はそれはもう壊滅的である。テストをやれば一桁点数を取るのが精いっぱい。先生が教えてもまるで理解できない。

しかしキングヘイローが教えると、ハルウララの頭でも何とか理解できるらしく、キングは定期的に勉強を教えている。

「…………と、いうことなの。これが方程式の解き方。ⅹに数字を代入して、左右が同じ数字になればいいのよ」

「うーん、分かるような、分からないような」

「諦めない諦めない。簡単なものから例題を出すから、なんとかやってみなさい」

「はーい」

トレセン学園といえど、学園である以上、勉強は必須科目である。そしてキングは中等部でも文句なしの優等生でもあった。学園1位を取ったこともある。

そのキングですら、ハルウララの物覚えの悪さには手を焼いていた。しかしルームメイトである以上、見捨てることも出来ず、定期的に家庭教師役を行っている。

 

『ベン ベン ベベン ベン ベン~♪』

その時、ハルウララの携帯電話から三味線が聞こえてきた。高知のよさこい節だ。

「あれ、誰だろ~? あ、ししょーだ」

「え、師匠?」

キングは前々から興味が湧いていた。あのハルウララを指導し、初勝利をもたらした謎のトレーナー。一度会ってみたい、と思っていた。

『もうすぐ、地方巡業だろうウララ。その前に、少し練習風景を見たいと思ってねえ』

「ししょー、またわたしの練習見てくれるの?」

『ああ。この前のレースを見たけど、まだ脚の運びが悪いねえ。コーナーを経由すると踵で降りる癖が残っている。その際に重心が横に5cmほどブレてるね』

「…………」

キングは何も言わなかったが興味津々という表情で話を聞いていた。しかし、こんな細かい欠点、ただレースを見ただけで普通分かるのか……?

(……そういえば、ウララさん、いつの間にか、まともに泳げるようになっていたのよね)

ビート板ありで懸命にバタ足しても中々前に進まないのが以前のウララの水泳だった。

しかし今ではビート板なしで息継ぎもしっかりしたクロールを泳いでいる。

「明日の放課後、いつもの所においで。いまのあんたなら、闇雲に走るより、泳いだ方が余程いい練習になるよ」

「わかったー。ししょー、わたしがんばるねー」

「ま、待ってください!」

キングヘイローが横から話に入ってくる。

「……おばあさま。私も、ご同伴してよろしいでしょうか?」

『ん、その声はキングヘイローだね』

「そうよ。わたしが一流のウマ娘、キングヘイローよ! おーっほっほっほ!」

『……まああんたも苦労しているからねえ。いいだろう。一緒においで』

「有難うございます。おばあさま。表向きは、ウララさんが迷子にならないように付いていくだけですが」

『そんな建前はいらないよ。本音を言いな本音を。……強く、なりたいんだろう』

「……ええ」

『まあ二人しておいで。じっくり見てあげるよ』

「それじゃあねー、ししょー」

 

 

「ここですか、ウララさんが通っていたスポーツセンターとは」

「うん。すっごくおっきいでしょー? なんでもししょーのものなんだって」

「はあ?」

こんな立派な建物を所有するとは、並大抵の人物ではない筈。ウララの師匠とは眼力だけでなく、財力もあるのか……?

(会って確かめてみるしかありませんわね……)

二人は『びっぷたいぐー』で奥の方に案内され、着替え室で競泳水着に着替えると、プールに出る。

思えばここに通される前、平日だというのに多くの人がいた。ジム通いと思われる筋肉質な男性、水泳サークルと思われる中年女性の人々、等。

割と流行っているようだ。しかし、通されたプールは貸し切り。そしてこのプールはどこか既視感がある。学園のプールと瓜二つなのだ。

 

二人が着くと、そこには先客がいた。50mプールをターンを繰り返しながら懸命に泳いでいる。

「あ、ライスちゃんだー」

見覚えのあるバラの付いたミニハットを付けたまま泳いでいるのはライスシャワーだった。

「ぷはっ……」

ライスが泳ぎ終え、老婆に声をかける。

「どうでしたか、おばさま。ライス、ちゃんと泳げてましたか?」

「うん。前半から後半までタイムが一定しているね。フォームがいい証拠だよ」

「良かった……」

ライスがプールから上がると、ウララが抱き着いてきた。

「ライスちゃんこんにちわー」

「ひゃっ!? なんだ、ウララちゃんか。ウララちゃんもおばさまに指導してもらってるの?」

「うん、ししょーに教えてもらったらね、すごーく速く走れるようになったんだ!」

「わたしも。おばさまのおかげでフォームの悪いところを直せて、体が凄く軽くなったの」

 

「…………」

二人の掛け合いを見ながら、キングヘイローは考えていた。

(ライスさんはついこの間まで絶不調と噂されていました。それが指導で劇的に変わるものなのかしら?)

「それじゃ、ライス休憩しておいで。さすがに2000mは辛かっただろう」

「分かりました。おばさま」

「なっ……! 2000mですって!?」

キングの驚きに、老婆が振り返る。

「珍しいことじゃない。ライスは基本長距離が得意なステイヤーだ。ステイヤーをやるには、筋力、スタミナもそうだが、長距離を安定したペースで走る頭とフォームが必要になる」

「頭……ですか?」

「そうさ。ちなみに私は500m泳いで、ああ今のタイムはこのくらいだな、と正確な数字が出せる。ストップウォッチなんかいらないねえ」

「それって……凄い事では!?」

ウマのレースで言えば、1000m走ったタイムがこれ、1ハロン走ったタイムがこれ、と自分で計算できるということだ。並みの頭脳ではない。

「それじゃあ、ウララは準備運動した後に、200mほど泳いでおいで」

「はーい」

「そしてキングヘイロー、おまえさんを指導する前に、一つ、やらなきゃいけないことがある」

ごくり。キングは生唾を飲み込んだ。

「な、何でしょうか、おばあさま……」

「おまえさんの母親が競走バだった時代のレースのビデオ、それを実家から取り寄せてもらいな」

 

「なっ……!」

キングはこれまで、一流のウマ娘であることを目指して頑張ってきた。それは全て、一流のウマ娘であった母親への反発でもあった。

ただ練習に没頭することができない。勝っても母親の名を出される。誰も自分自身を見てはくれない。

そんな周囲を見返すには、自分こそが一流であることを自力で証明するしかなかった。

独断でトレセン学園に入学し、妥協を許さないトレーニングで自分を追い込む、辛く険しい日々……。

 

しかしどれだけ勝利を欲しても、結果に恵まれないレースが続く。その度に、掛かってくる親からの電話。それをイライラしながら切るのは、もはやいつもの光景。

 

(諦めないわ……絶対に!)

心が折れそうになることは一度や二度ではなかった。それでも彼女は前を向いた。その執念が、必ず華開くと信じて。

 

「私に、あの親の力を借りろというの!?」

当然キングは反発した。どれだけ実力のあるトレーナーかもしれないが、ここだけは譲るわけにはいかない。

「……痛々しいんだよ。あんたの走りは」

老婆はそう答える。

「練習をするのはあんたの勝手さ。けどね、あんたの母親、そのレースから学べるものもあるんじゃないかい? 実際、見た事なんてないだろう?」

「そ、それは……」

「……プライドというものは難儀なものでねえ。風船のように肥大化し続ける程周りが見えなくなる。そして遂に破裂すれば、もう二度と元には戻らなくなる」

「…………」

「最後に薄皮一枚、残っていればそれでいいのさ。プライドというものはね」

老婆はにこやかに笑った。決してキングを責めているのではない。

だがプライドに固執して周りが見えずに、ただ闇雲に練習し続ければいいというものではない、そういうことを伝えたかった。

「……考えておきます」

「そうかい。それじゃあ、あんたも準備運動しな。とりあえず25mを往復して500m。息継ぎはターンの時一回だけね」

「えっ……」

「泳ぎは得意なんだろう? 知っているよ」

「……分かったわ。やってやるわよ!」

まんまと乗せられるキングヘイローだった。



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老婆の正体

「ふう~~」

「ほえ~~」

「んん~~」

老婆の指導も終わり、ライス、ウララ、キングの3名は温泉施設を堪能していた。

街中ではあるが露天風呂もあり、薬湯、泡風呂、電気風呂、水風呂、サウナと施設は充実している。

他の客も、たっぷり汗を流して運動した後の様で、風呂の温もりを味わっているようだ。

「きもちい~ね~、ライスちゃん~」

「そうだね、ウララちゃん」

「プールの水で冷えた体に熱いお湯、たまらないわ~」

トレセンの施設も充実しているとはいえ、さすがに寮の大浴場とは勝負にならない。3人は湯に浸かり、体を動かす。

「こんな所なら、毎日通いたいな~」

「わたしも~」

「あの、お二人方、幸せそうなところ残念ですけど、学園は基本、外出は申告制なんですけど」

 

「ところで、お二人に、聞きたいのですが……」

「はい……」

「な~に~」

「結局、あの人は何者なの?」

つい先ほどもフォームの矯正で、親指が3cm内側に入り過ぎているとか、5cm腰高だとか言われていたところだ。

泳ぐときもそれは徹底しており、何度も水を掻く手や足の運びに駄目出しを食らった。

そして何よりも口酸っぱく言われたのは「走る時は脚だけではなく体全体で走れ」だ。

上半身と下半身、両方を最適解で律動させるようにと指導していた。

学園のトレーナーにもそういう動きを重視する者もいるが、極めてごく一部だ。走りに重要なのは下半身と考える者が殆どである。

 

「う~ん、わかんない。でもししょーはししょーだし」

「私もおばさまの事はよく知らないの。でも、悪い人じゃないから……」

二人に聞いたが、答えは出てこない。

だがキングは、ある推測を立てていた。

「……私は、おばあさまは、ウマ娘だと思いますわ」

プール際にも関わらず帽子を深々と被り、下はスカート。これはウマ耳と尻尾を隠すためなのではないか、そう考えていた。

(もしかしたら、余程名のあるウマ娘では……? しかし、分からないわ)

 

それからキングヘイローには「頭を使って走れ」と言ってきた。

逃げ、先行、差し、追込、どの作戦でもいい。耐えず考えろ、前のウマはどう動く? 後ろのウマはどこで仕掛ける?

八方に意識を散らし、その動きを注視し、最適なタイミングで動け、と。

 

「おまえさんは頭がいいんだろ? じゃあレースでも使わないと勿体ないじゃないか」

「…………」

「それからおまえさんはいい末脚を持っている。そうだねえ……ズバリ、ラスト200mだね。ここで仕掛けるんだ」

「そんな、逃げウマがいたら追いつかないじゃない!」

「だからその為に最後の直線でも好位置に着けるのさ。直線=ラストスパートってわけじゃないんだよ。何より、最後の最後に周りブチ抜いて逆転する。痛快とは思わないかい?」

(私の脚にそんな素質が眠っているというの……? ちょっと信じられないけど)

 

 

帰り支度を済ませ、3人は学園寮への帰路についた。

「よーし、次のレースもがんばるぞー」

「ウララちゃんは地方レース周りだっけ? 頑張ってね」

「…………。よし……」

キングヘイローは、ポケットから携帯電話を取り出した。

 

「もしもしお母様?」

『あら、驚いた。まさかあなたの方から電話を掛けてくるなんてね』

「……恥を承知でお願いしたい事があるの」

 

 

「すいません、ライスシャワーさんと、ハルウララさんですね?」

「え、は、はいっ!」

「うんそうだよー」

「私、日賛スポーツの都賀と申します。お二人の練習に付いて、ちょっとお聞きしたいことが……」

ウマ娘を追っていたスポーツ新聞社が、二人を嗅ぎ付け、迫ってきたのだ。

 

「マ、マスコミさんだー!」

「わー、変なオジサンだー」

ライスが慌て、ウララは状況が読み込めていない。

というより、二人ともあの老婆の事は良く知らないのだ。聞かれても答えられるわけがない。

「あのスポーツセンターから出てきましたよね? やはりあそこで特訓をしていたんですか?」

「し、知りません! 私何にも!」

「えーとねー、ししょーに色々おしえてもらってその後温泉に……もごもごっ」

「ウララちゃん、あんまり喋っちゃ駄目ー! おばさまに迷惑がかかるから!」

「成程、やはりウララさんの師匠という方はあそこにいたのですね。もう少し詳しい内容を……」

「お二人とも、そんな人たちを相手にすることはなくてよ」

 

キングヘイローが電話を掛け終え、マスコミの男の前に仁王立ちした。

 

「キングちゃんかっこいいー!」

「どうせなら私を取材していただけないかしら? このキングたる私を」

「い、いや、キングヘイローさん、今はあなたの事を取材してもねぇ……」

「あら、本当にそうかしら?」

キングが髪をかきあげる。

「そう思うなら、3週間後の『安田記念』、そのレースに出場する私に注目するといいわ」

「え……」

「あなた達はきっと驚くはずよ。この生まれ変わった『キング』の走りをね」

 

 

3週間後。中央競馬場。

NHKマイルカップで2着だったキングヘイローは安田記念の出場権利を得ていた。

安田記念。言うまでもないGⅠレースマイル芝1600m。マイルウマだけでなく、他のレースを回避した中距離ウマも出場する。

キングは勝負服に着替え、控室で瞑想をしていた。

他のウマ娘がレース前のインタビューを受けていた前日、注目ウマ娘がカメラの前で意気込みを語る時間、そこにキングの姿はなかった。

今日は8番人気。注目度こそ一桁だが、頂点には程遠い。メディアにもさほど期待されていない。それが今の自分の評価だった。

 

「あなた達はきっと驚くはずよ。この生まれ変わった『キング』の走りをね」

(まあ、ここまで言っておきながら負けたら恰好悪いかもね……)

 

「キングヘイローさん、お時間です」

控室のドアが開き、係員が知らせに来た。

「分かりました」

キングは立ち上がる。その胸にしかと覚悟を秘めて。

 

 

『さあ、各ウマ娘が姿を現しました』

歓声が上がる。今日の主役は古ウマ娘にして逃げウマの代表、マルゼンスキーだ。

「古ウマって何よ!?」

 

また、ヒシアマゾン、フジキセキのトレセン学園寮長対決も見逃せない。

「負けないからな、フジ」

「ふふ、お手柔らかに、ヒシアマ」

 

他にもダイワスカーレット、ウオッカ、ニシノフラワー、サクラバクシンオーとスピードに自信のあるウマ娘が揃っている。

 

(改めて凄い面子ね。こんな相手に勝ってGⅠ取ろうというのだから、大変だわ)

キングヘイローはどこか冷めた表情だった。

諦めているわけではない。むしろ高揚感は増している。

 

『各ウマ娘がゲートに入っていきます』

『好レースを期待したいですね!』

 

(大丈夫。不思議と凄く落ち着けてる。ゲートが開くのが楽しみなくらい)

今日この日まで鍛錬は欠かさなかった。母親のビデオも何度も観た。母は偉大だった。だからこそ、学べることも多かった。

 

ガコン!!

 

『スタートしました。各ウマ揃って綺麗なスタート』

『おっと、先手を取るのはやはりマルゼンスキーとサクラバクシンオーだ』

 

「バクシンバクシーン!」

「あらバクシンちゃん、私と競り合うつもり?」

「私はいずれ長距離を走るウマ娘です! マイル如きで躓いていられませんとも!」

 

先行ウマは、ダイワスカーレット、ウオッカ、フジキセキ。ニシノフラワーは馬群の中段。ヒシアマゾンは後方からのレースになった。

「ちょっと、あんたどきなさいよ!」

「おまえこそどけよ!」

「ふふ、困ったポニーちゃんたちだ」

 

一方、キングヘイローは6番手。やや馬群に埋もれた感はある。

「ああっ、位置が悪い! これじゃ前に行けない!」

「頑張れー! キングさーん!」

キングの取り巻きーズが必死に応援する。

「…………」

(……大丈夫。今日は前でレースをしたがるウマ娘が多い。後方からの追い込みは不発に終わりがちになる。そしてこの位置なら前のウマ娘が全部見える)

 

マイル戦はスピード重視の短期戦だ。先行ウマ有利とされている。

今はこの中途半端な位置取りでいい。最終コーナーを回ってバラけて皆がどの位置を取るか、後はその隙間に入り込めばいい。

 

『さあ最終コーナー回って、各ウマ娘、ラストスパート』

『勝負所! 最後の直線です!』

『ハナはマルゼンスキー、1馬身差でサクラバクシンオー』

 

「もう、しっつこいわね!」

「あなたこそ!」

 

『さあここで後方から猛烈な勢いで仕掛けてきたのはヒシアマゾンだ!』

 

「おらおら、ヒシアマ姐さんのお通りだ! 大外一気でまくってやる!」

 

そしてキングヘイローは未だ6番手。5着以内ですらない。勝負は決まったかと思われた。

しかしこの時、キングは脚を溜めていた。コーナーでバラけてくれたおかげで前はガラ空きだった。後はこの直線をものにできるか否かだ。

 

『残り200。先頭は依然マルゼンスキー。このまま逃げ切れるか!?』

 

そしてキングヘイローが残り200を通過した瞬間。キングは仕掛けた。

(ここだ。ここで練習の成果を……今まで培ってきたもの全てを……出し切る!)

「はあああああああああああっ!!」

 

『おーっとここでやってきたのは、キングヘイロー! キングヘイローだ! とてつもない末脚! しかしここから間に合うか!?』

 

「ええっ!?」

「嘘でしょ!?」

 

(間に合うかじゃない。間に合わせるのよ! 私は……キングなのだから!!)

 

『どうだ! 勝つのはどっちだ!? 今ゴーーーーーール!!!! 電光掲示板の結果は…………クビ差勝ちでキングヘイローだ! キングヘイローの大逆転だ!』

『キングヘイローが直線一気でまとめて撫で切った! 勝ったのはキングヘイロー! 安田記念を制したのは、キングヘイローです!』

 

ワアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!

 

観客席からは万雷の拍手が沸き起こり、キングヘイローを祝福した。

 

「…………か、勝った……勝ったわ! おーっほっほっほ! これがキングの実力よ」

「何、最後の瞬発力……。脚にエンジンでも付けてるんじゃないのー?」

「はあ……はあ……はあ……バクシン不発……」

 

 

「キングさーーーーーん! 素敵でしたーーーー!」

「わたし、感動しました! 最後のところ、とっても恰好よかったですー!」

「ええ、有難う。そうね……、私、色々な人に恵まれて、色々な人に応援されて、本当に幸せ者だったのね」

(それを教えてくれたのは名も知らぬあのおばあさま……有難うおばあさま!)

 

「さあ、久々のウイニングライブ、たっぷり堪能させていただきましょうか!」

 

 

こうして、安田記念は下馬評を覆してキングヘイローの勝利で幕を閉じた。

その後、ハルウララは地方のダート戦で2着と健闘。週一ペースで走るので大変である。

ライスシャワーは現時点で最も長い長距離レース、ステイヤーズステークス3600mを完勝。完全復活が見えてきた。

 

 

それから数日後、

「やあライスシャワー」

「あ、おばさま」

以前ハルウララが物思いに耽っていた体育館裏で、ライスと老婆は再開した。

現在、老婆とライスとウララとキングはグループLineでやり取りしている。昨日もウララから、「ししょー、わたし勝ったよー」とLineが来た。

「みんな順調そうだねえ。この私も骨を折った甲斐があったというものだ」

「全部おばさまのおかげです」

「はっはっは、嬉しいこと言ってくれるじゃないか。今度三人揃ったらディナーでもご馳走しようかねえ」

「本当ですか、有難うございます!」

 

 

「困りますね、トレセン学園は関係者以外立ち入り禁止ですよ」

「……」

いつのまにか背後にウマ娘が仁王立ちしていた。トレセン学園生徒副会長エアグルーヴだ。

 

「おやおや、バレてしまったかねえ」

「ライスシャワーのトレーナーから聞きました。最近ライスが自分に内緒で何処かに行ってしまうと。あなたの仕業ですね」

「ま、待ってください! おばさまはライスの大切な恩人なんです。エアグルーヴさん、おばさまに酷いことしないで!」

「あ、い、いや、ライスシャワーよ、別に私はこの方に罰を与えようというわけではないんだ。その点は理解してもらいたい」

「ふむ……」

「キングヘイローも同じような事を言っていました。恩人たる老婆がいる、と。そしてハルウララ、彼女を指導したのもあなたですね?」

「……彼女は勝ちたがっていた。誰もが彼女を見捨てた中、私だけが彼女を見捨てなかった。結果はご覧の通りさ」

「素晴らしい手腕です」

 

「……ですが、部外者なのは事実です。一度、生徒会室までご足労願いたい」

「そんな……」

ライスは抵抗したかった。大切な恩人ともう二度と会えなくなってしまうかもしれないと思うと気が気でなかった。

「大丈夫だよ、ライス。私の事は気にしないで、トレーニングに行っておいで」

「は、はい。でもおばさま、また、会えますよね?」

「勿論さ。私はあんた達を見捨てたりしないよ」

「良かった……」

こうして、老婆はエアグルーヴに連れられて行った。

 

 

「聞いた?」

「見た?」

「知りました」

「ターボ、全然わかんない!」

そんなやり取りを草むらの陰でこっそり聞いていたウマ娘がいた。

チーム・カノープス。ナイスネイチャ、イクノディクタス、マチカネタンホイザ、ツインターボだ。

それは偶然ではあったのだが。

「これはチャンスですよー皆さん」

「うんうん」

「あのハルウララを勝たせた人物……おそらく相当の腕前のトレーナーなのでしょう」

「優しそうなばーちゃんだった!」

カノープスの面々は全員、勝つことはあっても華に乏しく、GⅠに出ても善戦止まり、中々殻を破れず、キラキラウマ娘の脇役ポジを抜け出せないでいた。

「あの人を、特別トレーナーとして招聘すれば、うちらも輝けるかもしれないよ」

「よーし、後をつけますか」

「場所は生徒会室ですね」

「南坂トレーナーに登頂(盗聴)をおねがいしようー」

「よーし、善は急げだー」

「ごーごー」

 

 

「初めまして。私がトレセン学園生徒会長、シンボリルドルフです」

「……ここはお茶の一つも出ないのかい?」

「ええい、今淹れてやる!」

シンボリルドルフを目の前にしても、老婆はマイペースだった。来客用のソファーに腰を埋め、杖をヒュンヒュンと振り回している。

「まあ、お前さんの事は良く知ってるよ。七冠ウマ娘だからね。立派な成績だ。この記録はそう破れないだろうね」

「恐縮です」

シンボリルドルフはにこやかではあったが、目は笑っていなかった。老婆に何かオーラを感じたのだろう。

(何故だ……私がこうも緊張するとは……うっ、脇に汗が……)

(会長が緊張している。いや、私だってそうだ。何者なんだ、この老婆は……)

エアグルーヴも同様だったらしい。

「しかし、ここがトレセン学園の内部か……」

老婆は呟いた。そして出された粗茶を一口ふくむ。

「立派なところではあるんだろう。もっとも、選ばれたウマ娘にとって、の場所に過ぎないがね」

「……厳しいのですね」

「華やかながら厳しい競走バ世界。怪我で走れなくなったもの、一度も勝てなかったもの、色々いるだろう。実際、入ってきたウマ娘に対して残ったのはどれくらいだい?」

「……大体、半分と言ったところですね」

「やっぱりそうかい。ここも、案外いいところじゃあないみたいだねえ……」

「…………手厳しいな」

エアグルーヴが口を挟む。そして、会長はよくやっておられる、と言った。

 

「……これ以上はいいでしょう。あなたは部外者だ。即刻出て行ってもらいたい。ですが、その前に聞きたい事がある」

エアグルーヴが老婆の横に立った。

「あなたは、一体何者なんですか?」

 

「…………」

エアグルーヴの問いに、老婆は一拍置いた。その先の答えに、シンボリルドルフも注目する。

「……まだ日本が昭和と言われていた頃、ターフを走っていた者の一人さ…………」

 

老婆が帽子を取った。そこにはウマ耳があった。

「そう、人はかつて私を……」

黒サングラスを外し、老婆はシンボリルドルフを見つめた。

 

「……シンザンと呼んだ」



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伝説のエピソード

「……シンザン、だと!?」

「あの伝説のウマ娘と謳われた、シンザン殿なのですか!?」

「はっはっは、なあに、今じゃただの老いぼれだよ」

シンザンは杖をくるくる回しながら笑った。

 

「……『シンザンを超えろ』、それが日本競バ会における長年のスローガンでした」

「それを超えたのはあんたじゃないかい? 『皇帝』シンボリルドルフ?」

「……確かに成績だけを見れば私はあなたよりGⅠを勝利した。しかしあなたを超えたというほど自惚れてはいません」

「謙虚なんだねえ。あんたが七冠ウマ娘になった時、わたしゃようやく過去の栄光に縛られず静かに暮らせるようになったと思ったんだけどねえ」

 

「引退後、実業家として成功したと聞きました。このトレセン学園にも莫大な出資をしたのもあなただと……」

「ん、金はあったからねえ。まあ道楽の一環さ。だが不思議な事に、やる事成すこと大抵は成功しちまったがね」

「ウマの神様に愛されているということか」

「それは、ちょっと違うね。あたしゃ頭が良かった。それだけは自慢できる。誰よりも先見性があったんだろうね」

「…………」

 

 

「そんな……まさかシンザンさんだっただなんて……!」

カノープスのトレーナー、南坂はチームメイトに言われて嫌々盗聴していたのだが、内容を聞いた瞬間戦慄した。

トレーナーなら誰もが一度は耳にしたことがある有名人。というより、伝説のウマ娘である。

「……シンザン、ですか」

「あのおばあさん、そんなに凄いウマ娘なの?」

「……皆さん、歴史の授業聞いてないんですか?」

「知らない! ターボ、いっつも寝てるもん!」

「やれやれ……」

 

 

シンザン。

日本競馬会における、史上初の5冠ウマ娘であり、日本競バ史上に燦然と輝く至高の名ウマ娘。

そんな彼女には、現役時代に残した数々の伝説がある。

曰く、皐月賞を余力たっぷりで勝利した。

曰く、27頭立ての日本ダービーを、息も切らさず、本気で走らずに勝利した。

曰く、インタビューで「レコードを出そうと思えばいくらでも出せるが、ハナ差勝ちでも勝ちは勝ちだから」と豪語した。

曰く、菊花賞を勝ち、戦後初めての3冠バになった。

曰く、ファンサービスで子供を3人も乗せて歩いた。

曰く、オープン戦が練習代わり。

曰く、スタートで出遅れた事がなく、それどころか抜群に上手いスタートダッシュでいつも好位置に着けていた。

曰く、天皇賞(秋)では場外の違法トトカルチョでは100円返しのオッズだった。

曰く、有馬記念では荒れた内馬場を嫌って外ラチとウマ娘一人分くらいしかない隙間を縫うように走って逆転した。その際TV画面からは一瞬シンザンが消えた。

曰く、もう走れるレースがないという理由で引退。

曰く、通算19戦15勝2着4つで連対率100%という日本記録を持つ。しかも大レースでは一度も負けがない。

 

 

「…………」「…………」「…………」「…………」

カノープスの面々は揃いも揃って絶句した。え、何そのチート、作り話じゃないよね? という表情で。

「人によって最高の意味は違います。ですが我々競バ関係者は、シンザンこそ、日本史上最高のウマ娘だと思っている者が多いのです」

「そ、そんな凄い人だったんだ……」

「まさに、生ける伝説ですね」

「助さん角さんが印籠出して、水戸黄門が後ろから出てきたような感じだねー」

「…………」

呆れるくらい凄い逸話を解説される中、ツインターボだけが無言のままだった。

 

 

「そんなあなたが、何故トレーナーまがいの事を?」

「ふむ……」

シンザンは粗茶を飲み干してまた一拍置いた。

「話せば長くなるんだけどね……」

引退後、シンザンは更なる境地を求めるべく、武道を始めた。

空手、柔道、総合、合気道、太極拳、等々。そうして修練に励むうちに、人の体はどう動かせばいいのか、どうすれば最高の動きができるのかが分かるようになったという。

いつしかシンザンの腕は師範代と肩を並べるぐらいまでになった。しかし、それを人に教えることはなかったという。高尚過ぎて理解できないからだったらしい。

 

「そして、武田、栗田、長尾……、現役の時代に私を支えてくれた連中が皆死んで、私は一人になった……。そして、ある日、私は交通事故にあった」

夜、ふと肉まんが食べたくなってお抱えの運転手が運転するベンツを降りてコンビニに寄って、ふと物思いに耽る。

後ろから前方不注意の車が接近していることを知らずに。

迂闊だった。普段なら気付いていた。防げる事故だった。だが、その時は遅かった。

 

「すぐさま病院に運ばれて手術を受けたよ。でも、これだけ生きたんだ。このままくたばってしまってもいいと思ったんだがね……」

 

 

夢の中で、私はターフに立っていた。観客席からは大きな拍手が巻き起こっている。普段ならさっさと引き上げるんだが、気が付けば、私は観客に手を振っていた。

ああ、これが走馬灯なんだ、そう思ったよ。

その時、ターフに一人のウマ娘が残っていて、めそめそと泣いているのに気付いたんだ。

どうしたんだい? と、私は聞いた。

その娘は、もっと速く走りたいのに走れない、と言った。

私は、踵から地面を踏むから重心がブレてスピードがつかないんだ、踏み出す時はつま先から、真っすぐ降ろすように走ってごらんと言った。

ほんの気まぐれだったんだけどね……。

そうしたら、その娘は、有難う、と残して光の先へ走って消えてしまったんだ。

 

 

「そして、気が付いたら、私は病院のベッドで目覚めた。手術は成功したんだ。見知った会社の重役達が子供みたいに泣いて、良かった良かったって言ってたよ」

シンザンはもうなくなった湯呑を両手でくるくると回していた。

 

「でも、その時思ったね。あの夢の中での出来事を考えて、こりゃウマの神様が教える側に立って、若いウマ娘を指導してあげなさい、って事だと……」

「それで、ライスシャワー達に声をかけるようになったんですか」

「年寄りの冷や水ではあるんだよ。でも、なんだか放っておけなくてね……」

シンザンは湯呑をテーブルに置いた。

 

 

「シンザン殿、どうでしょう、このトレセン学園で、臨時トレーナーを務めてもらえませんか?」

一通り話を聞き終えると、シンボリルドルフはシンザンをスカウトしようとした。

「私を、正式にスカウトする、と?」

「はい。貴方ほどの眼力をお持ちの人なら、若いウマ娘を導き、よき指導者になれると思いますが」

「……断る」

意外な返事だった。これまでの流れなら、いい返事をすると思っていたのだが。

「即答か……」

隣のエアグルーヴがしかめっ面をした。

 

「理由は二つある。一つは、単純に私が忙しくてそこまで手が回らないから。二つ目はこのトレセン学園の在り方に疑問を持つからだ」

「学園に、疑問、ですか……」

「この学園には毎年何百人というウマ娘達が入学してくる。だが、中にはトレーナーもつかぬまま、一勝も出来ぬまま辞めていく者も多い」

「む……」

エアグルーヴの表情が険しくなった。

確かに言われた通り、この学園は総数2000人近いマンモス学園だが、ウマ娘の入れ替わりも非常に多い。

トレーナー不足は慢性的な悩みの種だし、辞めていくウマ娘もまた相当の数がある。

「模擬レースはともかく、選抜レースでどこのスカウトにも引っかからないウマ娘もいるだろう。その多くの者に私は言いたいね。むいてないから辞めろ、と」

「馬鹿な! 私たちが若い者達に引導を渡せと言うのか!?」

エアグルーヴは反発した。シンボリルドルフの表情も険しい。

「モノにならないと分かってて長居させたら逆に可哀想じゃないか。人生一度きりだよ」

「だからといって……!」

「諦めないという気持ちは大事さ。何事にもおいてね。だが負けると分かってる戦いに身を費やし、ボロボロになって消えていく……。

まあ若い頃の思い出を作りたいという事なら話は別だがね」

「…………」

「そんな若いウマ娘に対して、おまえさん方は責任取れるのかい?」

 

生徒会室がしぃんと静まり返った。

エアグルーヴは歯茎を見せて怒りを露わにし、シンボリルドルフは目を閉じて何かを考えている。

「……我々に何をしろと?」

シンボリルドルフは静かに口を開き、問いかけた。

「未だトレーナーも付いていない未勝利のウマ娘を一人選び、未勝利戦とオープン戦で一着を取らせてみな。そうしたら、トレーナーでも何にでもなってあげようじゃないか」

「……分かりました。その挑戦、受けましょう」

「会長……! そんな挑発に乗るなど……」

「エアグルーヴよ、私の理念は知っているな?」

「……。ウマ娘誰もが幸福になれる時代を作る事、ですね」

「そうだ。シンザン殿は我々に戦えと言っているのだ。受けて立たねば生徒会長の座を降りるしかなくなる」

「…………」

 

しかしエアグルーヴは複雑だった。自分は時間を惜しんで、いや練習時間を削ってでも若いウマ娘に尽力してきた。

それでも悲しいかな、ふるいから落ちていく者は多い。それを手で救い上げる、これは言われるより遥かに難しい事だ。

ましてや選ばれた者は生徒会長の肝いりということになる。そのプレッシャーは計り知れない。

 

 

一方、その会話を引き続き盗聴中だったカノープスの一員。

「なんだか大変なことになってない?」

「なってるよ」

「この時期で未だにトレーナーが付いていないウマ娘は、自信を失って学園を辞める寸前です。それに手を差し伸べ、なおかつ勝たせるというのは容易じゃないですよ」

南坂トレーナーが言う。

「大丈夫だよ……」

その光景を聞いている中、一人真剣な表情をしていたウマ娘がいた。ツインターボだ。

「テイオーは最後まで諦めなかった。イクノだってそうだった。そしてターボだって、やれるんだ……」

言うなり、ツインターボは走り出した。

「えっ、ちょ、ちょっと、何処行くの? ターボ?」

「生徒会室ー!」

「ええっ!?」

あの緊迫した空気の中に突っ込むと言うのか?

確かにターボは空気を読むようなタイプではないが、それにしたってこの決断(?)は異常だ。

「ま、待ちなさい!」

結局、全員がターボの後を追いかける形となった。

 

 

「さて、そろそろ帰ろうか……」

シンザンは立ち上がった。

「ではお送りします。エアグルーヴ、頼む」

「分かりました」

「そうかい、ではお願いしようかねえ」

エアグルーヴが生徒会室のドアを開け、シンザンが廊下に出たその時だった。

 

ドタドタドタドタ……!

 

廊下を全速力で走ってきたツインターボが生徒会室の前で止まった。

「こら、ツインターボ、廊下を走るな!」

「ばーちゃん、頼みがある!」

 

ツインターボはその場で土下座した。

 

「ターボに、走りを教えてくれ!!」

 



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燃えろツインターボ!

生徒会室での会話を一部始終聞いていたカノープスの面々。

その中の一人、ツインターボはシンザンが出ていこうとした時、いきなり土下座した。そして、走りを教えてくれ、と。

 

ツインターボ。

彼女の走りに魅せされるファンは多い。

スタートした瞬間、エンジン全開でぶっ飛ばすように走り、スタミナが切れたら逆噴射。そしてヘロヘロになりながらゴールに倒れ込む。

そんな個性的な走りは競馬場に足を運んでいる人々なら一度は目にした光景だ。ファン投票で有馬記念にだって出たことがある。

しかしそんな一度見たら忘れられない個性的な走りは、強いウマ娘ならゴロゴロいるけどどこか没個性と囁かれる現代の競バ会において一線を画していた。

あらゆる競合ウマ娘を置いてきぼりにして逃げ切ったレースもある。

 

そんな彼女を支えていたのは、同期であり一方的にライバル視していたトウカイテイオーの存在だった。

かつて、負け続け悩んでいる中、テイオーの「諦めないことが大事」という言葉に奮起し久々にレースで勝ったこともある。

そして、誰もが忘れられない『オールカマ―』……。

走りたいという気持ちを失い、引退しようとしていたテイオーに「諦めないことが大事」というお返しを自身の走りによって体現したエピソードは、競バファンには今も語り草になっている。

 

しかし、その後も、ツインターボは負け続けた。

そして結局テイオーとの対決は一度も実現しないまま、テイオーは引退してしまったのである。

 

 

「ターボ、ずっとテイオーと戦いたかった! でもテイオーは引退しちゃった! ターボがもっと強いウマ娘なら、テイオーと戦えたのに!」

誰もが認めるGⅠウマ娘と、GⅢをそこそこ勝っただけのウマ娘では、同じ土俵で戦える機会がなかった。

片思いのライバルとの対決は、ついぞ実現しなかった。

「ターボがもっと速くて、もっと強ければテイオーと戦えたんだ! ターボが弱いから、勝てないから、テイオーは勝ち逃げしちゃったんだ!」

「…………」

「ターボ、もっと強くなりたい! テイオーが走ったターフの景色をターボも見てみたい! お願いだばーちゃん! ターボに走りを教えてくれ!」

 

願いはいつしか涙声に変わっていた。

「ターボ……」

追ってきたカノープスの一面も、ターボの必死な願いに何も言えなかった。

あのターボが土下座してまで相手にお願いをするなんて、初めてだったし、考えてもいなかった。

南坂はツインターボがここまで胸の奥で悩んでいたことを知ることが出来なかった自分を恥じた。

 

「おいツインターボ、シンザン殿は忙しい身なんだ。おまえに構っている暇など……」

「少し黙ってな、エアグルーヴ」

「……! シンザン殿……」

「ふむ……」

シンザンは顎に手をやった。何かを考えているようだ。

ドアの奥から、会長シンボリルドルフも出てきた。空気が固まった。静けさが訪れた。

「わたしからもお願いします、シンザンさん」

「わたしからも。お願い、おばあさん」

「ターボの願い、叶えてあげて!」

カノープスの面々も頭を下げる。

「私からもお願いします、シンザンさん。トレーナーとしてこんなことをお願いするのは辛いのですが……」

南坂トレーナーも頭を下げる。

 

 

「…………。そこまで頼みこまれちゃあ、無碍にするわけにもいかないねえ」

「そ、それじゃあ……」

「いいだろうツインターボ、私があんたの逃げ、本物にしてやるよ」

「~~~!! や、やったー!!」

ツインターボは飛び上がって喜んだ。

「言っておくが、練習は厳しいよ」

「いいよ、ターボ、何でもやる!」

「ん? 今なんでもやるって言ったね? 言質はとったからね」

 

こうしてまた一人、シンザンの弟子が増えたのだった。

 

 

「それじゃあ、少しの間、ターボを借りていくよ」

「はい、ですが、3週間後にはレースなのですが……」

「3週間あれば充分さ。それじゃ、ターボ、行こうか……」

「うん! それじゃ、トレーナー、ネイチャ、マチタン、イクノ、行ってくる!」

「頑張ってね、ターボ」

「応援してるよ」

「あなたならできます、ターボさん」

 

「あ、そうそう、シンボリルドルフ」

「……はい」

「約束、忘れるんじゃないよ」

「勿論です」

 

 

「エアグルーヴ、大至急栗藤・美浦寮長のフジキセキとヒシアマゾンに連絡を取ってくれ」

「はい!」

「条件に該当するウマ娘を早急にリストアップする。必ず原石を見つけてみせる……!」

 

 

「行っちゃったねー、ターボ」

カノープスが部室として使っている小さなプレハブに帰ってきたナイスネイチャ、マチカネタンホイザ、イクノディクタス、南坂トレーナーはとりあえず椅子に座った。

「まあ本音を言えば、ターボだけじゃなくて私たちも見てほしかったんだけどねー」

「機会はまたあります。今はターボさんを見守りましょう」

「そうですね。私たちは私たちでトレーニングに励みましょう」

 

「でも、こう言っちゃなんだけど、強くなったターボって想像つかないけどなあ……」

ナイスネイチャはターボの事を思い出す。

チーム・カノープスの二人目のメンバー。しかしターボはデビュー後も準風満帆とは行かなかった。

確かにオープン戦は勝利した。しかしその時のチームではターボは浮いていたらしい。

周りとあまり馴れ合わず、一人を好んだ。トレーナーはターボの尋常ではない逃げの拘りを矯正しようとした。

結局上手くいかなくなってターボはチームを辞めた。しかしトレセン学園にはトレーナーが作ったチームに所属していないとレースには出られないという決まりがある。

その際たまたま見かけたカノープスの募集中の張り紙を見てターボはやってきた。

トレーナーである南坂はターボの逃げの拘りを尊重した。その甲斐あってか、ターボの生来の明るさは戻り、一匹狼の性分も直った。

 

今やカノープスも4名。決して10年に一人の逸材こそいないが、個性的な面々が揃ったように思える。

 

「まあターボさんにはテイオー直伝の『諦めない事の大切さ』があります。きっと結果を残してくれるでしょう」

南坂トレーナーが言った。

「えー、でもテイオーはもう引退したんでしょ? ターボがそれを受け継ぐ……ないわ」

「そうとも限りませんよ」

「……イクノ」

先ほどから愛用の眼鏡を拭いていたイクノディクタスが声を発した。

「……実は私、トレセン学園の入学前、見学に来ていたターボさんに会った事があるんですよね」

「え、本当!?」

「はい」

 

 

その頃からターボさんは一回り小さくて、派手な服を好む娘(こ)で、あまり人付き合いがいいとは言い難いウマ娘でしたね。

なんでも学園内を一人で駆け回っていたら、担当の先生とはぐれてしまったとか。それで半泣きでしたね。

「私が学園を案内しましょう」

「ほんと!? やった!」

……ほんの気まぐれでした。

手を繋いだら、やはりターボさんの手は小さくて、しっかり握っておかないとまた何処かに走り出しそうな危うさがありましたね。

そして一通り学園を案内した時の事です……。

「イクノ、ターボと競争しよう! 勝負しよう!」

「残念ですがそれはできません」

「えー、どうしてー?」

「私は、怪我で走れません」

「え……」

そう、その時私は既に屈腱炎を発症しており、まともに走る事すらままならない状態だったのです。

「完治は難しいらしいです。トレセン学園には、怪我に泣かされ辞めていくウマ娘も多いのです」

「そんな、やだ……。やーーだーー。ターボはイクノと勝負するんだーー!」

「我が儘言わないでください」

「うう……ごめん……」

私のために泣いてくれたのはターボさんが初めてでしたね。

「でも、私は走ることを諦めてはいません」

「イクノ……」

「諦めないことが大事なんです。諦めなければ必ず報われます」

「……。じゃ、じゃあ、もしターボがトレセン学園に入学したら、イクノはターボと走ってくれる?」

「ええ。約束です」

「うん、約束!」

 

 

「そして指切りげんまんをしたところで、先生がやってきて、ターボさんは連れられていきました」

「そんな事があったんだ」

「だから、私がカノープスを選んだのも、ターボさんがいたからなんです」

「そうだったんですか。そうなら言ってくれればよかったのに」

南坂トレーナーは苦笑した。

「ですから、ターボさんの心には、今も「諦めない事の大切さ」が脈々と流れている筈なんです。テイオーに言われる以前から」

ナイスネイチャは、イクノの話を聞いて、思ったより重い話だったな、と思った。

一方、マチカネタンホイザは、

「はいはーい、質問ー。じゃあどうしてイクノは走れるようになったの?」

「そのエピソードも必要ですね」

 

 

ターボさんとの約束以来、私は走りたいという想いを強く持つようになりました。ターボさんとの約束を私が破るわけにはいかない、と。

しかし依然私の脚は痛いまま。どうすればいいのだろう。悩みました。

そんなある日、ある噂を聞いたのです。

「神様の異名を持つ男、装蹄師、福永守……」

その人は、骨折と腱断裂以外の脚の故障は装蹄で全て治せる、と豪語する人物であり、これまでも多くのウマ娘を救ってきたとか。

藁にも縋る思いで、私はその人物を訪ねてみました。

「おや、あなたは……?」

「私、イクノディクタスと申します」

福永氏は医者ではありませんが、気さくな性格で、私の悩みにも懇切丁寧に聞いてくれました。

そして、私の脚の型を取ると、一週間だけ待ってほしい、と言われました。

それから一週間後、私は再び、彼の元を訪ねると、両脚の装蹄が出来ていました。

「それを付けてあまり脚に負担をかけないように走り込んでみな。そうだな、一日500mくらいかな」

言われるまま、私は装蹄を持ち帰り、シューズに嵌めてみました。そして少しの間走ってみたのです。

そして半月ほど経過したある日の朝……、

「……! 脚の、痛みが、ない……!」

不思議な事が起こりました。あれほど長い間脚にあった痛みと違和感が、綺麗さっぱりなくなっていたのです。

私はジャージに着替え、外を走りました。最初はならすように、その後は全力で。しかし痛みはなかった。本当に治っていたのです。

 

 

「そして、私はターフに戻ってきました。模擬レース、選抜レースをこなし、出入り自由のチームに所属し、デビューを果たし、オープン戦も勝利したのです」

「その時不思議な事が起こった!」

「まさにワンダー!」

ネイチャもマチタンも仰天した。

「今はカノープスに所属していますが、ここはとても居心地がいいですね」

「それはいいですけど。イクノさん、もう少し出走レースを控えた方が……」

「大丈夫です南坂トレーナー。一にも二にも自己管理です。自己管理が完璧なら、週一ペースの連闘も問題ありません」

 

 

イクノディクタス。生涯で51戦し、牝馬限定戦に殆ど出ず、挙げた9勝は全て牡馬混合戦を制したもの。

そこらの牡馬よりはるかに逞しく走り続けた彼女は後にこう呼ばれる。

 

『鉄の女』と……。

 

そんなウマ娘である彼女にも、誰にも負けない熱いハートが秘められているのは想像に難くない。



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ターボエンジンチューンナップ!

シンザン所有のスポーツセンター、ジム室。

「まずは筋トレから開始だ」

「ま、待って……はぁー……ぜぇー……も、もう……はぁ……はぁー……息が……」

ツインターボはシンザンに言われるままに、ランニングマシンで800mダッシュ10本をこなしたが、息も絶え絶えだった。

「もうギブアップかい?」

「だってばーちゃん、こんな走ってすぐに筋トレなんてできないよ! ほら、いんたーばるとかなんとかあるじゃん!」

「基本がなってないからしょうがないだろう」

 

「ふぎぎ……ぐおー……上がらないー……」

続けてターボはベンチプレスに挑戦していた。ウマ娘とはいえ、この重量を持ち上げるのは厳しい重さだった。

「持ち上げなくていいんだ。力を込めた状態を持続するんだよ」

「ぐあーっ、ばーちゃん、スパルタだぁー……」

「何でもやるって言ったのはあんただろう」

「いつまでやるのー?」

「最低あと10分だね。手を抜いたら最初からやり直し」

「ふぐーっ! うぎーっ! んああーっ……!」

 

ジムで上下半身余すことなく鍛えさせられたターボは、今度はプールに連れて来られた。

ターボは泳ぎは決して得意な方ではない。しかも準備運動もせずにプールに飛び込もうとする。

今回はガチガチになった筋肉をほぐしながら、ハルウララと同じくバタ足から指導することになった。

「ねーばーちゃん、こんなんでターボ強くなれるの、トレーナーに比べて根性論すぎない?」

「そうは思わないね。能力がGⅠウマ娘の域に達してないんだ。2、3倍やるのは当たり前だろう?」

「うー……」

「それにね、ターボ、おまえさんの大逃げなんかね、やろうと思えば誰だってやれることなんだよ」

 

ぐさっ

 

ターボは自身のアイデンティティーを深く傷つけられた気がした。

 

「しかもあんたは体が小さい。体型(タッパ)も今の辺りで打ち止めだろう。

その体で大逃げを唯一無二にするためには、筋肉の向上は勿論、頭の頂点(てっぺん)から爪先まで空気を含んだ体を作り上げ、そこにスタミナをぶち込むしかない」

「むー……」

「肺や心臓と言った臓器も鍛えなきゃいけないね。つまり鍛える箇所は全部だ。これはターフで走り込んだだけじゃ絶対無理だろうね」

「ううー……」

「同時に、おまえさんの走りの原点に回帰することでもある」

「ターボの、原点……?」

 

「……かつて、トウカイテイオーは三度目の骨折によって走りたいという想いを失い、引退をしようと考えていた」

「うん、知ってる」

「そこへターボ……おまえさんの走りに勇気を貰い、もう一度頑張ろうという気になったんだ」

「そうだね。テイオーも同じこと言ってた。有難う、って言われた!」

「分かるかい? ターボ……あんたの走りはね、人に勇気を与える『希望の走り』なんだ」

「希望の……走り……」

「だから、どんなに苦しくても、絶対に諦めちゃいけないんだよ」

 

この時、ターボはかつてテイオーに言われたことを思い出していた。諦めないことが大事だ、と。

イクノにも言われた。諦めないことが大事なんだ、と。

そして目の前のばーちゃんも、同じ事を言った。

 

(ターボは、絶対に諦めちゃいけないんだ……。皆に勇気を与えるために……)

 

「……分かった! ターボ、絶対に諦めない! 皆に希望を与えるウマ娘になる! ばーちゃん、ターボを遠慮なくしごいてくれ!」

「分かればいいんだよ。それじゃ、まずは、平泳ぎ5000mからいってみようか」

「ひぃーっ! ばーちゃん、やっぱスパルタだー!」

 

 

ツインターボの猛練習が始まった。

朝起きるのは苦手、授業中はいつも寝ている。練習はバテる。そんなターボの意識改革も並行して行われた。

 

朝は誰よりも早く起きてランニング。その際はマスクをして、呼吸を苦しくしてのランニングだった。

神社の境内までの階段をダッシュで何度も昇り降りした。毎日、速く走れるようになりますように、と祈った。

授業中はいつも寝ていた。それこそ先生が頭を叩こうが揺すろうが全く起きない程熟睡した。

放課後はシンザンのスポーツセンターへ。

筋トレ、泳ぎ、温泉で一服をこなしながらトレセン学園を往復した。

 

その姿は、ウマ娘というより、とことんまで自分を追い込むボクサーか、刀を振り続ける剣豪に近かった。

モチベーションの低下を懸念されたが、意外にもターボは食らい付いていった。そこにあるのは、トウカイテイオーの存在だった。

(足りない……まだ足りない……! この程度では、ターボはテイオーには追い付けない……!)

今でも自身の遥か高みにいるトウカイテイオー。そこに追いつくためにターボは必死だった。

 

全ては『勝つ』ために……。

 

 

一方、シンザンから挑戦を受けたトレセン学園会長シンボリルドルフである。

寮長であるヒシアマゾンとフジキセキを呼び出して、カフェテリアでの会議が始まった。

「……ふぅん、そりゃ会長も面白い勝負を引き受けたもんだね」

「私たちでよければ、喜んで力を貸そうじゃないか」

「済まない。恩に着る」

 

ヒシアマゾンもフジキセキも寮長だ。面倒見はいい。

学園を辞めようとする後輩は多々いたそうだが、元気づけたり、励ましたり、自身の走りで勇気付けたりして、奮起させた。

しかしトレセン学園は日本中から優秀なサラブレッドが集まってくる実力主義の学園である。

どれだけ気を配っても、現実を見せられ、自信を喪失し、辞めていくウマ娘も多い。

中には自殺寸前まで思い詰めてあわやマスコミが騒然としたかもしれない事件もあった。

寮長の二人が尽力してこうなのだ。他の者が寮長をやっていなければどうなっていたか、想像するだけでも恐ろしい。

 

「ところで二人に聞きたい」

「ん?」

「なんだい会長?」

「人生は一度切り、モノにならないと分かって学園に居続けさせて、将来の芽を摘み取る……これについてどう思う?」

 

シンザンは、むいてないから辞めな、と引導を渡せと言った。しかしそれは自分の信念ではとうてい賛同できない思想だった。

だが、華やかながら厳しい競バ世界、中には一勝もできないまま終わるウマ娘もいることは事実である。

 

「考えを改めさせるに決まってるじゃないか」

「諦めないことが大事だと諭すね」

「ふむ……。二人の言うとおりだ。ウマ娘には無限の可能性がある。それを我々が判断すべきことではないな」

 

かくして、リストアップされたウマ娘の選定が始まった。

対象はまだ一勝もしておらず、トレーナーも付いていないウマ娘である。

「狙い目は気性難と判断されてトレーナーが逃げたウマ娘だ。これなら才能を持つ者はいる」

「けど、蒔かぬ種は生えぬ、って言うけどね」

「会長に言われて断れるほど度胸が据わったウマ娘もそういないだろうけど……」

しかし中々有力なウマ娘は出てこない。この娘は模擬レース最下位、この娘は学園の勉強に付いていけず追試の常連、等々……。

 

「どれも帯に短し、というやつだな」

「まあいきなり凄いのが出てくるわけないさ。気長に行こう」

 

「あ、いたいた! 会長ー! 会長ー!」

カフェテリアはウマ娘が多くいる場所である。当然会長たちの存在は目立つ。

「君は、バンブーメモリー……」

「はいっス! トレセン学園鬼の風紀委員長バンブーメモリーっス!」

頭にはハチマキ、手にした竹刀をブンブン振り回して学園の風紀を守る正義(?)のウマ娘である。そんな彼女が、どうしたのか。

「聞いてくださいよ会長ー。学園のトイレでタバコ吸ってる奴がいたんスよー!」

「何!? それは聞き捨てならないな。校則なら2週間の停学処分だ」

横からエアグルーヴが言う。

「というかまたなんスよこいつ! 何というか、一昔前の不良生徒の模範みたいな酷い奴でしてー」

「ふむ、確かにそれは問題だな。して、そのウマ娘の名前は?」

「チカチーロってやつっスけど」

「げ……!」

「あのポニーちゃんか……」

ヒシアマゾンとフジキセキの表情が曇った。どうやら違う寮の者でも知っているウマ娘らしい。

「ん……チカチーロ……チカチーロ、旧ソビエトの殺人鬼と同姓だな。……いや、待てよ、確か……」

シンボリルドルフはリスト化された書類の奥の方を探し始めた。自分の記憶が確かなら、同じ名前のウマ娘がいた筈だ。

「……あった。チカチーロ。中等部。トレセン学園選抜特待生試験の走力テストで驚異的なタイムを出し、他の過程をすっ飛ばして合格通知を受けたウマ娘。

しかし素行は最悪で勉強も出来ず退学は間近。特徴は、某ウマ娘曰く『海よりも空よりも深い、地獄の淵を見てきたかのような目』」

 

「やれやれ、そんな素行の悪いウマ娘を見逃していたとはな、このエアグルーヴ、副会長として不覚の至りだな」

「だが、面白いじゃないか」

「……会長!?」

「バンブーメモリーよ、彼女を呼ぶことはできるか? なあに、行先は生徒会室だと言えば多分来るだろう」

「ええっ!? か、会長!? こいつに用でもできたんスか……?」

シンボリルドルフはニヤリと笑った。

「素行は確かに悪い。だが走力テストの結果だけで学園に入学したというのは興味深い。なにより、私は彼女の走りを見てみたい」

「会長、まさか、彼女を選ぶつもりなのですか?」

「あくまで会うだけだよ。裁定は自分で決めるさ」

 

「「いやー会長、止めておいた方がいいと思うな」」

ヒシアマゾンとフジキセキの言葉が重なった。

「「彼女は……」」

 

「梅毒だぜ」

「地雷だね」

 

 

そして3週間後。北海道南部、函館競馬場。GⅢ函館記念芝2000m。

 

待ちに待った新生ツインターボの走りをカノープスの面々が見れる時が来た。

「あっつ~、ここ本当に北海道? 滅茶苦茶暑いんだけど……」

「温度計は27℃ですね。北海道に梅雨はありませんが、海沿いの街ですから湿度は高いでしょうね」

「レースが終わったら湯の川温泉入って、海の幸食べて、飛行機の中でぐっすり寝たいねー」

マチカネタンホイザだけが一人呑気な事を言っていた。

「しかし……、3週間でターボさんはそんなに変わるんでしょうか」

南坂トレーナーは不安だった。

 

シンザンの手腕を疑っているわけではない。実際ターボはこの3週間、学園の誰よりも努力していたと聞く。

しかし実力というものは、これまで培ってきた努力の結晶だ。果たして3週間程度でどうにかなるものだろうか。

 

「あっ、出てきたよ、ターボ」

ゼッケン8番を与えられたツインターボが姿を現した。

見た目はいつものターボだが、落ち着いているようだ。ネイチャ達に気付き、手を振る。

「見た目は変わってないね」

「そりゃ3週間でいきなり体型が変わったりはしないでしょー」

「ウルトラマンみたいにですか?」

「あれは変身」

 

ファンファーレが函館の晴天の空に鳴り響く。函館陸上自衛隊基地は街の真ん中にあり、隊員たちが今日の為に演奏を練習してきた。

 

『一年間でほんの僅かの期間しか開催されない函館競馬場。函館記念GⅢ。芝2000m。16頭のウマ娘が挑みます。

三番人気はご存じ大逃げウマ娘ツインターボ。二番人気はこの娘トーセンスーリヤ。一番人気はカフェファラオとなっております』

 

本日、ツインターボは三番人気となった。しかし詰めかけたファンの狙いはやはりツインターボの大逃げが成就するかだ。

「ターボ、頑張れー!」

 

『ゲートイン各ウマ娘態勢完了しました。……スタートしました。各ウマ娘、まずは綺麗なスタート。

おっと、スタートから全力でダッシュするウマ娘がいる。ツインターボだ。やはりツインターボがハナを切って飛び出した』

 

スタンドからは拍手と笑いがこみ上げる。

「いつものターボじゃん」

「落ち着いてネイチャさん、少し様子を見ましょう」

 

「…………」

大逃げウマの利点は競り合いがないこと。ウマ群に埋もれ、最後の直線で抜け出せないという事もない。

もう一つはバ場が荒れてもいいバ場だけを選んで走ることも可能ということ。

今日はもう11R。芝も荒れてきている。特に内ラチ付近は芝が禿げあがっていて走るのは難しい。ターボは比較的芝が良好な部分だけを選んで走った。

 

『さあツインターボ、とにかく逃げる逃げる。1000mの時計は58秒を切ったか? やはりかなりのハイペースだ』

 

「駄目だ。これはいつものパターンだ……」

「ターボ逃げ切れ―! 逆噴射するなー!」

カノープスのメンバーが不安がりながらも懸命に応援する。後ろのウマ娘はまだ仕掛けない。どうせ追いつけると高を括っているからだ。

 

しかし間もなく、後ろのウマ娘達は青ざめることになる。

 

『さあ、レースも終盤。先頭はまだツインターボ、最終コーナーを回って直線へと駆けていく』

 

「ターボが逆噴射しない……」

「まだ余裕があるように見えますね」

 

「よーし、行くぞー!」

 

ダダダダッ!!

 

『おーっと、ツインターボ、直線で更に加速! 後続をグングン引き離していく! 後ろのウマ娘はまだコーナーを回ったところだ!』

「そ、そんな!」

「嘘でしょ!?」

 

「え? え? え? ターボって逃げウマだよね? リードを使って逃げ切るウマだよね?」

「ええ、間違いなく」

「なんで追い込みウマみたいに加速してるのー?」

カノープスの面々もこれにはびっくり。

 

『ツインターボ、今一着でゴーーーーーール!! 2位以下に10馬身以上の大差を付け、函館記念コースレコードを出しての圧勝です!』

 

ワアアアアアアアアアアアアアッ!!

 

この圧勝劇に観客席からも万雷の拍手が。GⅢとはいえ、ここまで圧勝では、もはや文句のつけどころがない。

「いいぞーツインターボー」

「俺らに構わず逃げたな! ツインターボ!」

 

「見たかテイオー! これが生まれ変わったターボ様の走りだ!」

ターボはカメラに向かってVサインした。

「よくやったね、ツインターボ」

「ばーちゃん、勝ったぞ!」

「うん。まあこの面子なら勝って当然、次からが勝負だね」

「当然! ターボ、次も勝つから! GⅠも取るから!」

 

「はぇ~、私びっくりしたわ……」

「速くなるとは予想していましたが、ここまでとは……」

「これならやっぱりわたし達も指導してもらうんだったねー……」

「ははは……トレーナーの私の立場がありませんね……」

 

こうして、函館記念はツインターボの圧勝で幕を閉じた。ターボは久々のウイニングライブを楽しみ、ついでにYOSAKOIソーランも踊った。

その後は湯の川温泉で一湯浸かって、カニ、ウニ、イクラだらけの料理に舌鼓。カノープスの面々は日帰りの旅行を楽しみ、凱旋した。

 

 

そしてシンザンは南坂トレーナーと本格的に連携を取ることを約束。ここにカノープスとの契約が締決した。

 




筆者は函館出身です。
函館競馬場でレースが開催される頃は地元も盛り上がるのですが、
コロナのせいでイベントもなにもなく、子供たちも来ず、
ただ馬がかっぽかっぽするだけの時期になったそうです。

……痛いですね。これは痛い……


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悪鬼羅刹

「……君が、チカチーロか?」

放課後、エアグルーヴは学園内にある生徒指導室に来ていた。

ウマ娘とてこれだけいれば性格の良い悪いはあるものだ。だがここが使われることなど滅多にない。狭い一室のテーブルには埃が積もっていた。

「…………」

チカチーロと呼ばれたウマ娘は、何も言わず、ただ、こくりと頷いた。

その眼は地獄の底を見てきたような暗く淀んだ眼だった。こんなウマ娘がいたとは……エアグルーヴは怯えた。人斬りか何かの眼に見えたからだ。

「お前は現在、トイレでタバコを吸っていた罪で、停学処分間近だ。何か申し開きすることはあるか?」

チカチーロは何も答えず、ただ首を横に振った。

「運命を受け入れる、ということか。君を処分するのは簡単だ。しかし、君には来てもらいたいところがある。生徒会室だ」

「…………」

「シンボリルドルフ会長に会い、洗いざらい話してもらう。いいな?」

「…………」

チカチーロはやはり答えない。いや、さっきから一言も喋ってない。エアグルーヴは苛だった。

 

 

「ここだ」

生徒会室の目の前に来ても、チカチーロは何も答えない。

 

コンコン……

 

「会長、失礼します」

ドアを開け、二人が入室する。

「エアグルーヴ、有難う。彼女を連れてきてくれて。私が生徒会長のシンボリルドルフだ。チカチーロ君」

「…………」

「こら、会長の御前だぞ! 返事くらいせんか!」

「…………どうも」

首を下げず、チカチーロは答えた。

シンボリルドルフは戦慄した。彼女の、この世の全てを恨み、何もかも壊してしまいたいと語っている眼に。油断したら命をもっていかれそうな眼に。

(私も度胸は据わっていると思っていたが、いやはや、この歳でも怖いものというものはあるんだな……)

 

「突然連れてきてしまって申し訳ない。君は今、素行の悪さにより、問題児として扱われているという。それは間違いないね」

「そうっスね……」

チカチーロは懐から何かを取り出した。タバコだった。それにライターで火を点け、口に咥える。

まるで挑発するように。

「こら! 生徒会室は禁煙だぞ!」

「ふん、これだからいい子ちゃんは。これタバコじゃないっスよ。マリファナっス」

「何だと!?」

エアグルーヴは余りの所業に激怒した。本当に麻薬なら、大麻所持法違反で即刻逮捕ものである。

 

「実家から苗を一本持ってきましてね。畑の隅に植えたんスよ。誰も気付かなくて内心ゲラゲラ笑ってました。……吸います?」

「ふざけるな!」

エアグルーヴは咥えていたタバコを取り上げ、足で消した。

「あーあー勿体ない……」

「おまえは逮捕されてもいいと言うのか!?」

「別にいいっスよ。少年院なら飯も食えるし雨風も凌げる。致せり尽くせりじゃないっスか」

 

「おまえはふざけているのか!? さっきから我々を挑発するような真似をして!

自分は不良生徒です、と言うならまだ分かる! だがおまえのやってることは明白な犯罪行為だ!」

「そりゃ、清廉潔白なウマ娘が集うトレセン学園で、大麻が見つかったとなればスキャンダルですからねー。まあマスコミは面白がるかも?」

「苗は何処だ!? 後で回収させてもらう!」

「仕方ないっスね……」

シンボリルドルフは二人のやり取りに違和感を感じた。傍目から見れば、エアグルーヴが不良生徒を叱っているだけに見える。

しかしこのチカチーロというウマ娘の態度は、どこか肝が据わっているというか、何もかも諦めているように見えた。

 

「やれやれ、一筋縄ではいかないウマ娘のようだな、君は」

「自分はカスですから……」

「君に幾つか質問をしたい。君は授業もろくに出ていないと聞く。それは何故かな?」

「そりゃ簡単です。全然分からないからっス。自分、最終学歴は、小学校中退ですから」

「何だと……!?」

「親が学費を払うのがもったいないってんで一年の時に辞めさせられました。おかげで漢字も九九も分かりません。勉強に付いていけないので、サボってるっス」

「待て待て待て! 義務教育は日本の決まりだろう! 家が貧乏だったということか!?」

「貧乏とかじゃないっス。クソババアはアル中で、毎日酒浸り。酒代がもったいないという理由で辞めさせられたっス」

「……父親は?」

「クソジジイはDVでした。毎日ボコられてました。赤ん坊の頃、ウサギ用のケージに入れられたこともあったっス。大きくなってフルボッコにしてやったら逃げていきましたけど」

シンボリルドルフは冷静に彼女の話の要点を摘まんでいた。

いわゆる家庭崩壊。父にも母にも頼れず己一人で生きてきたという事か……?

「でもこのままじゃ飯も食えないってんで、暴力団とつるんでました。集金、麻薬の取引、色々やらされましたよ」

「反社とつるむことがどれだけ問題なのか分かった上でか?」

「そりゃね。でも背に腹は代えられないっていうんですか? こういう時? まあ酷い目にあったことも腐るほどあったっスけど」

「当たり前だ。ところで、今はそういった連中との関係は断ち切ったんだろうな!?」

「さあね。こういう縁はそう簡単には切れませんよ……」

 

(さて、どうしたもんか……)

シンボリルドルフは考えた。

確かにチカチーロというウマ娘、下手をすればトレセン学園そのものを破壊してしまいかねない爆弾だ。

だがそんな彼女が特待生選抜試験の走力テストで驚異的な記録を出し、他の過程をすっ飛ばして合格通知を受けた、というのは興味深い。

地獄のような幼少時、それに反発するかのような溢れんばかりの才能。

何よりシンザンとの挑戦がある。このくらいのリスクを持たなければ勝てないのではないだろうか。

 

「ふむ、面白いじゃないか。君の野性味溢れる境遇、そして反骨心、だが一つ間違えればただの獣(ケダモノ)になってしまう危険性がある。私はそれを防ぎたい」

「会長……!」

「多少近眼ではあるが、私が手助けしてもいい。何なら、親代わりになってもいい。どうだ?」

「わたしに、情けをかけるつもりなんスか」

「そうとってもらっても構わないが……」

「ふざけんな!!」

チカチーロは耳をつん裂く程の怒声をあげた。

 

「冬の夜、ボロを着せられて物乞いをしたことがあるか!?」

「!?」

「金のために暴力団相手に体を売ったことがあるのかよ!?」

「!?」

「この世の奴はどいつもこいつもクソッタレだ! みんなわたしの敵だ!!」

「…………」

あまりの壮絶な過去に、エアグルーヴもシンボリルドルフも言葉が出なかった。

 

「はあ……はあ……はあ……すまないっス、興奮した」

「いや、いいんだ。君の腹の底を知ってこそ、呼んだ甲斐があるというものだ」

「……ふん、まあ、こんな素行が悪いのが、良い子ちゃん揃いのトレセン学園に居ちゃ、迷惑ですよね」

チカチーロは後ろを向いて、出ていこうとする。

「何処へ行く気だ?」

「……辞めるんスよ。こんな学園。あばよっス。……カフェテリアの飯は、美味かったですよ」

「待ちたまえ!」

ドアノブに手を掛けようとした時、シンボリルドルフが呼び止める。

「君のことはよく分かった。しかし私はそんな事を聞きたくて君を呼んだわけではない」

「……なんだと?」

「私は君の走りが見たいんだ。まあ最後のついでと思ってくれればいい。是非ターフに出て走りを見せてくれないか?」

「……ちっ! しつこい奴だ……」

「そうさ、私はしつこいんだ」

 

シンボリルドルフ、エアグルーヴ、チカチーロはターフに来ていた。会長自らがお越しとあって、場内の他のウマ娘も緊張している。

(会長が来てる……)

(何が目的だろ?)

 

「……で、どうすりゃいいんだ? 悪いが肺はヤニで汚れてるから、長い距離は走れませんよ」

チカチーロはジャージに着替え、蹄鉄があらかじめ付いた練習用シューズに履き替えさせられていた。

「そうだな、ではマイル距離……1600mでいいかい? ああ、準備運動はちゃんとするように」

「ちっ……ふざけた奴だ!」

チカチーロは言われた通り準備運動をする。

 

「会長。幾らなんでも滅茶苦茶です。こんな素行の悪いどころじゃない奴に期待するなど……」

「エアグルーヴ、普通ならそうだ。だが私はまだ彼女の走りを一度も見ていない。興味があるんだ。ただそれだけさ」

「会長……」

 

「……準備できましたけど」

「そうか。では、始めよう。よーい……」

 

「スタート!」

瞬間、チカチーロの体が跳ねた。

 

ダダダッ!! ダッダダッ! ダダダダッ!! ダッダッ!!

 

エアグルーヴとシンボリルドルフは、チカチーロの走りに度肝を抜かれた。

「速い……。そして何て力強い走りなんだ。芝が悲鳴をあげている……!」

「ああ。とても中等部の新人とは思えない。これはもはや重賞を狙える程の走りだ」

 

コーナーに入る。チカチーロはスピードを落とさない。そのせいか、大きく膨らんだ。

「基本はなってない、か。コーナーは苦手のようですね」

「おそらく我流でやってきたのだろう。誰にも学ばず、教えも請わず、才能だけでやってきたんだ」

 

最後の直線、チカチーロは更にスピードを上げる。

芝を跳ね上げ、ターフにいたウマ娘を突き飛ばし、一心不乱にゴールへ走る。

そして予定されていた1600mを走り抜けると、ようやく止まったが、余裕たっぷりだった。息を切らしていないのだ。

 

パチパチ……。パチパチパチ……。

 

シンボリルドルフも、エアグルーヴも、周りにいたウマ娘達も、トレーナーも、拍手でその走りを祝福した。それだけインパクトがある走りだった。

もしこれが選抜レースだったら、我先にとスカウトが集まってきただろう。

「素晴らしい!」

「……ふん、どうも」

「これ程の逸材を見逃していたとは不覚の至りだよ。しかし君、何故試験を受けたんだい?」

「……たまたま新聞で特退の選抜試験があるって知って、ひょっとしたら有名なウマ娘に会えるかもしれないって興味本位で。

まあ履歴書とか必要だったら試験受けられませんでしたけど」

「母親は喜んだのかい?」

「そんなわけないっスよ。これで競バ賭博でオッズの高いウマ娘に掛けられるかもしれないとは言ってましたけどね」

 

競バ賭博。ウマ娘のレースが公営ギャンブルでない日本において、暴力団関係者による有名なシノギである。

その歴史は深く、戦前のレースから始まっているといわれており、中央、地方問わず場外のトトカルチョは貴重な資金源とされており、警察はいつもそれを追っている。

当然八百長行為も行われているケースもあるが、加担したウマ娘には厳しい罰が与えられる。

 

「君は八百長行為に加担しないと誓えるかい?」

「時と場合に寄りますね。この社会、最後に物を言うのは金ですから」

「だが、それは君の本意ではないと思うんだが」

「…………」

 

「チカチーロ、私と来い。これが君がまっすぐな道を歩める最後のチャンスだ」

シンボリルドルフは彼女に手を差し伸べる。トレセン学園会長ともあろう御方が、よりにもよって不良生徒の最右翼たるウマ娘をスカウトしようとしているのだ。

隣のエアグルーヴは反対したかった。だがあの走りの中に会長も感じたのだろう。この娘には溢れんばかりの走りの才能がある。それを腐らせるには惜しい、と。

 

 

「……あんたに付いていけば、このカスみたいな人生から抜け出せるってのか?」

「そうだ。それどころか、才能と実力だけがモノを言う世界で、歓声と祝福を受けることだってできるぞ」

「……こんなごみ溜めみたいな運命をぶっ潰せるってのか?」

「そうだ。君ならGⅠのタイトルを複数取ることだって可能だ。サクセスストーリーとして充分だと思うが」

 

 

「…………。分かった。私はあんたに付いていく。今までの人生を100倍返しにしてやる。死を……運命を……ねじ伏せてやるよ!!」

「決まりだな」

シンボリルドルフは優しく微笑んだ。その微笑は、聖母のものか、果たして邪神のものか。

 

 

「あ、それから酒とタバコと薬物(ドラッグ)は止めるんだぞ」

「うっ、それは……」

「それからチカチーロという名前も演技が悪いな。そうだ。私の冠名を君にあげよう」

 

 

「今日から君は、シンボリエムブレムと名乗るがいい!」

 

 



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王と春、そして鬼

トレセン学園・放課後。今日も快晴。絶好の練習日和だ。

 

ダッダッ……ダッダッ……ダッダッ……ダッダッ……!

 

「うん、ライス、いいタイムね。完全復活と言っていいんじゃないかしら」

「はい、ありがとうございます!」

 

シンザンの弟子その1・ライスシャワー。

フォーム矯正と調整が上手く決まって順調そのものである。先日は重賞も完勝した。

苦手である水泳も、シンザン所有のプールで地道に泳ぎ続けた甲斐あってすっかり上手くなった。

今は体を動かすのが気持ちいいくらいだ。

実力だけでなく自信も付いて、次走は久々のGⅠ挑戦と言われている。

 

「ライスさん」

「あ、ブルボンさん!」

インターバル中にライスは声を掛けられた。親友であり、ライバルでもあるミホノブルボンだ。

彼女との付き合いと因縁は深い。

 

かつて、無敗のクラシック三冠を目指し、菊花賞に挑んだブルボンから1着を取ったのがライスシャワーだった。

そして世間はライスを空気を読まない悪役(ヒール)として扱う中、ただ一人ライスを「ヒーロー」と呼んで奮起させたのがブルボンだった。

今でも二人の仲は良好であり、親しい友人として付き合っている。

 

しかし、ミホノブルボンは菊花賞後、怪我に悩まされる。

あれがピークだった、と言われるほどブルボンの怪我は周りが思うより深刻だった。

トレーニングにも出られず、地道にリハビリを繰り返す日々……。

だが、ブルボンは決して諦めはしなかった。

全ては自分を負かしたライバル、ライスシャワーともう一度戦うために……。

 

「トレーニング、順調そうですね」

「ブルボンさんも練習し始めているんですよね」

「はい。時間は掛かりましたが、ようやく復帰の目途が立ちました。ライスさん、もう一度私と勝負してください」

「はい! 望むところです」

「…………」

 

 

「ブルボン、おまえはここまで本当によく頑張ってきた。怪我が癒え、練習に復帰してもまた怪我……。それでもお前は折れなかった」

「精神は肉体を凌駕する。……マスターのお言葉です」

「そうだ。だが、それでも限界はやってくる」

「…………」

「次の復帰戦、それがお前の最後のレースだと思え」

 

黒沼トレーナーの言葉は真実だった。そのくらい、ブルボンの脚の状態は悪かった。

「ライスさん……」

「どうしたんですか?」

「あなたには伝えておかなければいけないと思い、伝えます。私の脚はあと一戦持てばいいほうだそうです」

「えっ……?」

「復帰戦が、あなたと戦える最後の機会(チャンス)です。そのつもりで私にぶつかってきてください」

「…………。分かりました。ライス、ブルボンさんと手加減なしでぶつかります」

「私のレースは『宝塚記念』に決まりました。ライスさんも合わせてくれませんか?」

「勿論です。トレーナーさんにお願いします」

「お互い、いいレースにしましょう」

「はい!」

二人は固い握手を交わした。

 

(がんばるぞ。おー)

 

 

シンザン所有のスポーツセンター。

「……というわけで、今日から臨時でシンザンさんにコーチをしてもらうことになりました」

「はっはっは、お手柔らかに頼むよ」

シンザンはまだトレセン学園内で活動する許可を貰っていない部外者である。結局、自前の施設で皆のトレーニングを見ることになった。

現在は一応カノープスの特別臨時コーチという役割だが、他の者も見る。

実際、プールにはキングヘイローとハルウララの姿もあった。

 

キングヘイローは高松宮記念を控えて最後の調整。

ハルウララも水泳でトレーニングだ。地方巡業は1着3回、2着2回、3着1回と上々の結果で終わった。次は重賞挑戦を目指す。

 

カノープスの面々は引き続き南坂トレーナーが見ることになる。

「おー、ばーちゃん。今日はなにやるんだ?」

「そうだねえ、みな下半身をもう少し強化したいから、泳ぐほかに水中ダッシュと水中スクワットをやってもらおうかな?」

「成程、水の抵抗を生かして下半身を重点的に強化するわけですね、おばあさま」

「ししょー、わたしもがんばるね」

「こらこら、今日はそれだけじゃないよ。たっぷり泳いだら次はジムで筋トレさ」

「うぇー、ほんっとスパルタだねー」

「ですがターボさんの結果があれです。我々も必死についていかなくては」

「えい、えい、むん!」

 

「よーしいくぞー」

「ターボさん、準備運動は重点的にやるべきです。いきなりプールに飛び込もうとするのはいい加減止めてください」

ターボがディクタスに捕まるのを見たりしながら、南坂トレーナーは苦笑する。

 

トレーニングの間、シンザンは会社の実務をこなしていた。ここ最近トレセン学園の面々と関わってから時間がないと言っていた。

そんなシンザンの横に、南坂トレーナーが座る。

「色々骨を折って有難うございます。シンザンさん」

「ん、なあに礼には及ばないよ。若いウマ娘が頑張るってのはいい事さ。方向を間違えなければね」

「しかし……ウマ娘の世界のレジェンドに、ここまでしてもらっていいものなのでしょうか?」

「ん、いいんじゃないか? 少なくとも私は、カノープスというチーム、好きだよ」

「えっ……」

「思えば選抜レースでパッとしないネイチャを作りたてのチームにスカウトしたのは、あんただった」

「はい」

「ターボが大逃げしたいと言った時、それを咎めず、尊重したのもあんただったそうじゃないか」

「え、ええ……」

「イクノが怪我で練習もままならぬ時、復帰後のトレーニングを見せて励ましたのもあんただった」

「よ、よくご存じで……」

「確かにね、カノープスには特別才能に恵まれたウマ娘はいないだろう。でも居心地の良さを作り、個性を尊重し、適切な環境作りに勤しんできた」

「…………」

「私ゃ、あんたのそういうところ、好きだよ、是非トレーナーとして立派に育ってほしいねえ」

「はは、煽てても何も出ませんよ」

 

「はっはっは……ってこらー! マチタン! スクワットが甘い! ちゃんと水に深く膝を入れな!」

「ふぁ~い!」

 

過程なくして結果は出ない。

実践に勝る練習はない。

 

これがシンザンの心得だった。

だからある程度体が出来上がったら学園のターフに戻り、併走トレーニングをばんばんやる予定だという。

その為には、もっともっとウマ娘を鍛え上げなければ。

 

「もっとも、私ゃトレーニングが嫌いでねえ、レースを練習代わりにしてたもんさ。今それをやったらバッシングじゃすまなかっただろうねえ……」

「それができるのはあなただけですよ、シンザンさん」

 

 

そして、あっという間に月日は流れる。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

まずは高松宮記念。中京レース場芝1200m。GⅠでもっとも短いとされる短距離レースだ。

 

「聞いたよ、何でも秘密特訓をしていたそうじゃない」

「セイウンスカイさん……」

同期のライバル、セイウンスカイがレース前に声をかけてきた。

「でも高松宮は短いからねえ……みんな一生懸命前に出て誰が一番ゴール板を走り抜けるか、そんなレースになると思うよ」

「それならそれで結構。私はペースを崩さないわ」

「ふうん、じゃあ馬郡に前を潰されてもらおうかな」

(レース前にプレッシャーをかける、か……。まあいい作戦なんだろうけど、このレースでは……どうかしらね?)

 

 

レースは好調なスタートを切ったセイウンスカイが早くも逃げのペースに打って出る。

それに負けじと他のウマ娘が、我が先にと、私が、私が、とペースを上げる。スタミナなど必要ない。超ハイペースのレースだ。

キングヘイローは外に構えた。現在中段。しかし前にはウマ娘はいない。

 

(確かにこの距離では、作戦もくそもないかもしれない。逃げウマがひたすら逃げて逃げて終わり……。

それでも、私はペースを崩さない。レースは先に自分を見失った方が負け。そうでしょう、おばあさま)

 

そしてあっという間に最後の直線。先頭は変わらずセイウンスカイ。リードは……、

「あれ、おかしいぞ。思ったより引き離せてない……」

自分は全力で飛ばしていた筈。だが他のウマ娘が予想以上に速かったのか、リードは4~5バ身程度。これはセイフティリードか?

 

(いや、大丈夫。私はただのハイペース、他の娘は初っ端からのラストスパート。もうバテてる。この差を詰められるウマはいない。私の勝ちだ!)

しかし、そうは問屋が卸さない。ただ一人、ハイペースの中、脚を溜めていたウマ娘がいた。

「さあ行くわよ! これが、キングの走りよ!」

 

『キングヘイロー! キングヘイローがまた来た! 前のウマ娘をごぼう抜き! 残り100mを切った。セイウンスカイに届くのか!?』

 

「わわっ、来た!」

「はあああああっ!」

 

『両者の一騎打ちだ! どうだ!? セイウンスカイ! キングヘイロー! セイウンスカイ! キングヘイローーーーーー!!』

 

決着は付いた。キングヘイローの1着。今回もハナ差でのギリギリの勝ち。しかしあの距離を追い込めたのは彼女しかいなかっただろう。

 

『キングヘイロー1着! 安田記念に続いて、高松宮記念を制しました! 見事な末脚、この1200mで最後の最後まで我慢したキングヘイローが捲って優勝です』

 

「えーと、わたし、何人抜いたかしら。6、7、8……数えきれないわね」

「私を含めて9人だよ。全く、そんな脚があったなら以前から出しなよね」

「ふふふ、まあこれが特訓の成果ってやつかしら。おーっほっほっほ」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

続いて根岸ステークスダート1400mGⅢ。ハルウララ初めての重賞挑戦の日がやってきた。

 

東京競バ場開催ということもあり、観客席には商店街の人々がわざわざ駆けつけてくれた。

「ウララちゃん頑張れー!」

「ウララちゃん一等賞見せてくれよー!」

 

「うん、有難うー。わたし、頑張るねー!」

観客席に手を振り応援に答えるハルウララ。もう彼女はブービーとビリを連発していた頃のウマ娘ではない。立派な重賞を狙うウマ娘だ。

(今日のためにししょーの所でいっぱいいっぱいれんしゅうしたもん! がんばるぞー!)

 

『ゲートイン完了。各ウマ娘態勢完了しました。……スタートしました。各ウマ娘綺麗なスタートです。早くも土ぼこりをあげての熾烈なトップ争い』

『注目のハルウララ、8番手といったところ』

 

シンザンが見守る中、ハルウララは駆け出していた。スタートも悪くないし、掛かった様子もない。落ち着いている。

「こういうレースができるウマ娘は、いいウマ娘だよ。ウララ……」

 

「よーし、そろそろ動いちゃうぞー」

『おっとハルウララここで仕掛けた。じわじわと上がっていく。現在4番手の位置まで来ました』

『ちょっとペースが速いですかね。まだコーナーを回りきるまでには距離がありますが』

 

しかしここまでは作戦通り。他のウマ娘はハルウララには負けまいと強気に前に出ようとする。それを見越しての早めの仕掛けだ。

後ろのウマ娘達もここで前に出ようとスピードを上げる。だがウララに前を行かれたため、思う様に抜け出せない。最後の直線まで我慢となった。

 

『さあ最後の直線、この短期戦、後ろの娘たちは間に合うか?』

ダートの土を踏む衝撃音が観客席まで木霊する。

観客席ではハルウララを応援する声が大きくなる。

 

ここでハルウララは一息、深呼吸を入れた。最後の直線。その直前に肺に空気を入れ、それを全身に行き渡らせる感覚を思い出す。

そしてそれをふぅー、っと吐き出すと、よしっ、と準備OKとばかりに懸命に走り出した。

『先頭は変わらずバイトアルヒクマ、後方からはヴァッサゴ、エキサイトスタッフも伸びてきている。そして、来た来たハルウララだー!』

 

ハルウララが先頭目掛けて一気にピッチを上げる。

なにせウララは小さいウマ娘だ。馬郡に紛れ込んだらあっちこっちに吹き飛ばされてあっという間に後方である。

その為最後の直線だろうと何処だろうと基本、他のウマ娘と極力競い合わず、皆に追いつかれるより先に、前に出なければならない。

そしてそこまで理想的な展開で来れば、週一ペースで走って鍛えた場数とシンザンとの特訓の成果がモノを言う。

 

『ここでハルウララが先頭だ! どうだ!? 後続も追い込んでくる!前は3頭態勢! しかしハルウララ! ハルウララだーーー!』

ゴール板を駆け抜け、観客の声援に答える。電光掲示板にはハルウララの一着の結果が表示されていた。

 

『お見事ハルウララ、根岸ステークスを制し、初の重賞制覇です!』

 

「うわっ、わわわわわ、やった! やったーーーー!」

「やったぞー! ウララちゃーーーーん!」

「輝いていたぞウララちゃーん!」

スタンドの声援に、ぴょんぴょん跳ねながら、答えるハルウララ。

そしてししょーであるシンザンの元へと歩み寄る。

「ししょー、やったよ! わたし、じゅーしょー勝ったよー!」

「うんうん。見ていたよ。ウララ。もう立派なウマ娘だねえ……」

「うん! ししょーのおかげ! わたし、こんなに強くなれたよ。ありがとう、ししょー!」

ラチを飛び越えてきたウララを優しくハグし、さあウイニングライブに行ってきな、と諭すと、ウララは場内奥へと走っていった。

 

そしてそんな光景をしかと見ていたスポーツ記者がいた。

「すいません、あなたがハルウララのお師匠さんですか?」

「ん……」

「私、日賛スポーツの都賀と申します。あなたについて、少し聞きたい事が……」

「ふん、マスコミかい。悪いがこれから商店街の皆さんと祝勝会なんだ。悪いが後にしてくれないかい」

「ま、待ってください、お話を……」

「…………シンザンだ」

「えっ……」

「この名を知らない奴はモグリだね。ま、後はあんたたちで調べるんだね」

 

 

「……シンザンって、……まさかあのシンザン……!?」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

一方、今日はトレセン学園では選抜レースを迎えていた。

しかし集まったトレーナーや実況担当、学園関係者はあっけに取られていた。

 

「…………」

シンボリルドルフの肝いり、チカチーロ改めシンボリエムブレムの初レース。その内容は……、

 

「うぅ……」

「ひ、酷い……」

ターフは死屍累々の地獄絵図だった。

 

スタート直後、シンボリエムブレムは出遅れた。スタートの方法を知らなかったからだ。おかげで最後尾。

だがここからが、悪鬼羅刹・シンボリエムブレムの走りだった。

前を進むウマ娘にすぐさま追いつき、

 

「どけっ!」

「ぎゃあっ!」

 

「邪魔だ!」

「ひいぃっ!」

 

「失せろ!」

「うあっ!」

 

ショルダータックルで次から次へと右へ左へ吹っ飛ばす。

一着でゴールしたものの、当然進路妨害となり、着走は最下位へ転落した。

 

「こいつは、流石に……」

「とんでもないね……」

心配で見に来たヒシアマゾン・フジキセキ寮長もこれには唖然呆然。

 

 

レースを走っていたウマ娘全員が担架で運ばれ、保健室へ急行される中、シンボリエムブレムは地面にぺっと唾を吐いて、

「ふん、入院程度で済んでよかったじゃないか」

と呟いた。

 

それを見ていたエアグルーヴは歯を食いしばり、

「ふざけるな……。こんなものレースではない。ただの喧嘩だ……!」

そしてシンボリルドルフは、

「これは、とんでもない大物が釣れたものだな……」と満足気だった。



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釣り針にはでかい飴

「…………」

レースを終えたシンボリエムブレムは苛立ちが募っていた。その走りの後にはただ屍が連なるのみ。やはり半人前のウマ娘では勝負にならない。

そんな彼女を、シンボリルドルフはにこやかに出迎えた。

「どうだった? 初めてのレースの感想は」

「……退屈っスね。これが将来を夢見て頑張ってきたウマ娘だとはね」

「だが、ああいう走りは良くない。フラストレーションは相手にぶつけるのではなく、自分の脚に込め、支える糧としなければな」

「ちっ……」

「コーナーで膨らむ癖もまだ直ってないな。それにスタートの遅さもいけない。君の豪脚なら巻き返せるが、それではいけない」

「……。メイクデビュー戦はいつですか?」

「2週間後だ」

「その次は?」

「そのまた2週間後だ」

「忘れないでくださいね」

シンボリエムブレムは去っていった。

「ふむ……」

シンボリルドルフは笑っていた。素行は最悪、されどその走りの才能は万人が認めるところ。そんな彼女がこの先勝ち続けたら、GⅠに挑んだら、どうなるだろう……?

「天下布武……織田信長はそれを目指していたそうだが、さてさて、私は彼女を布で包み込めるかな?」

 

 

その後、シンボリエムブレムは未勝利戦メイクデビューを20バ身後続を引き離しての圧巻の勝利で飾った。

決して逃げたわけではない。あまりにも速すぎて後続のウマがまるで追いつけなかったのだ。

勝利後のインタビューもウイニングライブも無視して、シンボリエムブレムは早々に競バ場を去っていったらしいが。

 

 

一方、チーム・カノープスの面々は今日もシンザン所有のスポーツセンターのジムで筋トレの真っ最中だった。

「ふぎぎぎ……んおー……!」

「はっ! はっ! くうっ!!」

「ん~~~~! はぁぁぁぁっ!」

「ふんぬーーーーうあーーーー!」

シンザンはスパルタである。だがカノープスのメンバーにとっては丁度いい。

善戦はすれど一着はなし、これが4人の課題だった。それを克服するには「誰よりも練習をやった」という自信を体に沁み込ませるのが一番だと言う。

 

「よーし、そこまで。一旦休憩を取るよ」

「ぷはぁ~、やっとか~」

「きついですね」

「大丈夫! みんなターボみたいに強くなってるぞ! ターボが保証するぞ!」

「ターボに保証されても、といいたいところだけど、あの走りを見せられたら納得するなあ~」

「お疲れ様です。皆さん、どうぞ」

南坂トレーナーが皆に汗拭きタオルとスポーツドリンクを配る。

カノープスのメンバーは毎日上半身と下半身を鍛え上げられ、全体的に筋肉が付き、体が締まってきた。

これならシンザンの提唱する「脚だけでなく体全体で走れ」も熟せるだろう。

 

「明日からは南坂に任せて併走トレーニングを中心に行う。みんな気張るんだよ」

「おっ、ようやく学園でのトレーニングがメインになるわけですか」

「ここ2週間ほどまともに走っていませんでしたからね。結果が楽しみです」

 

「はいはいはーい! ばーちゃん、次のレースでターボたちが活躍したら、なんかご褒美ちょーだい!」

「はあ?」

「あ、それいいかも。いいモチベーションになるだろうし」

「……やれやれ、婆からたかる気かい?」

「ターボ、回らないお寿司がいい!」

「じゃあ私は焼き肉で!」

「うーん、そうだねえ……それじゃあ、こうしよう。次のレース、全員が3着以内だったら……」

「3着以内だったら……?」

 

「ハワイ旅行をプレゼントしようかね」

 

「「「「!!!!????」」」」

 

ハ・・・・・・・ワ・・・・・・・イィィィィィィィ!?

 

「みんな、絶対に頑張ろう!」

「修行の成果を見せるなら、いい結果を出す。当然です」

「ターボがんばるー!」

「えい、えい、むん!」

 

「い、いいんですかシンザンさん、そんな甘やかして……」

「はっはっは。婆に二言はないよ。ただし条件として、全員GⅡ以上を走ってもらう」

 

「ネイチャはアルゼンチン共和国杯2500m」

「はいっ!」

 

「イクノは札幌記念2000m」

「任せてください」

 

「マチタンは阪神大賞典3000m」

「長距離だね。クリアするぞー!」

 

「ターボはセントライト記念2200mだ」

「ターボに任せろ!」

 

「全員指定のレースで3着以上で目標達成だ。なお、キングとウララは勝ったから無条件で連れていく」

「二人とも喜ぶでしょうね」

「この程度の条件クリアできないようじゃGⅠ優勝なんて夢のまた夢だよ。気張りな!」

 

「「「「はいっ!」」」」

 

 

トレセン学園への帰路の途中。

「しかし、ハワイかあー。私海外なんて初めてだよ」

「ネイチャさん、皮算用は止めましょう。我々は勝たなければいけないのですから」

「大丈夫! ターボ勝つもん! ネイチャもイクノもマチタンも勝つもん! みんなで行こう!」

「スキューバダイビング、トローニング、サーフボード、夢が拡がるなあ……」

 

「やれやれ、皆さんすっかりハワイに行った気分ですね……」

「そりゃ浮かれちゃうってトレーナー。でも気は緩んじゃいないよ。目指すはその先、カノープス初のGⅠ制覇ウマの誕生なんだから」

「そうですね、皆さん、頑張りましょう」

「「「「おーっ!」」」」

 

 

そして翌日、久々のトレセン学園のターフでのトレーニング。

皆、蹄鉄付きシューズに履き替えての模擬レースは久しぶりだ。

 

ナイスネイチャ、イクノディクタスの併走が始まる。

両者とも体がやけに軽い。それに足回りも筋肉が付いたおかげで強く踏み込んでも重心がブレない。これなら荒れたバ場でも容易に対応できるだろう。

「体、めっちゃ軽い!」

「私もです!」

「じゃあイクノ、もう少し速くしてみる?」

「了解です!」

 

ダッダッダッダッダッ……!!

 

「いいですよ、お二人とも、上りのタイムも上々です!」

南坂トレーナーのストップウォッチにも熱がこもる。

「二人ともいい調子だねー」

「ターボも早く走りたいー!」

 

「調子良さそうだね、カノープスは」

 

「あ……」

「テイオー!」

カノープスの練習風景を見に来たのは、久々のトウカイテイオーだった。

 

「なんか最近特訓してて学園空けることが多いって聞いたから、見に来たんだ。みんな強くなってるみたいだね」

「そうだぞテイオー! ターボだって強くなってるぞ! 必ずテイオーに勝つ!」

「ははは……ぼくはもう走れないけどね。でもネイチャ達が元気で安心した」

「うん。シンザンさんが私たちに指導してくれたおかげかな」

横からマチカネタンホイザ。

「シンザン……会長が言ってたお婆ちゃんだね。凄い人らしいね。ぼくを殿堂入りに推してくれた人らしいんだよ。そういう意味では、ぼくの恩人でもあるかな」

「そうなんだ……」

 

「でもさー、今会長忙しいんだよね」

テイオーは不機嫌そうだった。

「どうかしたの?」

「シンザンお婆ちゃんとの対決で強い新人ウマ娘を発掘するってことで色々あったみたいでさー、全然ぼくに構ってくれないの! ふんだ!」

「へえ、それで、お目当ては見つかったの?」

「うん。でもそれがさ、とんでもない不良ウマ娘なんだって! この間の選抜レースで他のウマ娘全員大怪我させて平然としてたってさ!」

「そ、そうなの……?」

マチタンは困り顔で聞いた。

ターボも興味津々という顔で聞いていた。

「しかも「才能だけなら、テイオー、君と同じくらいだと思うぞ」だって! あーもうムカつく! 会長がそんな不良生徒の親代わりになるなんて、会長を取られた気分だよ!」

「ああ、私もその話は聞きました。選抜特待生試験の走力テストで驚異的なタイムを出し、他の過程をすっ飛ばして合格通知を受けたものの、素行最悪で退学寸前だったとか」

南坂トレーナーも噂は聞いているようだ。

「ふーん、名前は?」

「えーと、シンボリ。シンボリエムブレム」

「会長の冠名を貰ったってこと? それはガチの肝いりだね」

「ふんだ! えんぶれむにもそのうちターボが勝つ!」

 

 

シンザンは久々にデスクワークに励んでいた。あっちで社長、こっちで会長、そっちで取締役と非常に忙しい。

カノープスや他の面々にかまっていたおかげですっかり仕事が溜まってしまった。

「ふう……やれやれ、私なんかいつ死んでも構わないつもりだったけど、みんなを見てたらもう少し長生きしようかなって思う様になっちまったねえ……」

とはいえもしこれでトレセン学園のトレーナーに就任という事になったら、幾つかの社長職を降り、株も渡し、その座を降りざるを得なくなる。

気付けば背中に随分苦労を背負ったもんだと自虐した。

「……みんな、頑張りなよ」

 

 

「ふあ~疲れた~」

「調子に乗って走り過ぎましたかね?」

「皆さん、お疲れ様です。レースも近いですし、今日はこの辺にしておきましょう」

「今日はもう終わりー?」

ターボが南坂に問うた。

「はい、ターボさん。終わりですよ」

「ふーん。じゃあターボ、ジム室で筋トレしてくる!」

「え、ちょ、ちょっと、ターボ?」

「はっきりいって、トレーナーの指示だけじゃ、体がなまっちゃうもん。ターボ、絶対テイオーみたいなGⅠウマ娘になるんだから!」

「……んもう、しょうがないなあ」

ネイチャは止めなかった。今やターボのやる気はチーム一だ。テイオーという目標があるからだろう。

「ああまで言われたら黙っていられませんね。トレーナー、もう一周いいですか?」

イクノも汗を拭き、立ち上がる。

「はは……しょうがないですね。でも一回きりですよ」

「了解です」

困り顔の南坂だが、どこか嬉しそうだった。

 

その後、ターボはジムでダンベルを持ち上げていた。

「この一回は、パーマーとヘリオスに勝つため……この一回は、BNWに勝つため……そしてこの一回は、テイオーに勝つため……ん~~~ぐぇ!」

汗を流すためシャワー室へ。

「ん~~いちいち髪ほどくのめんどくさいなー。このままでいいか」

その後はカフェテリアへ。今日はもう店じまい寸前だったが、余りものでいいからちょうだい、と言って、残り物を皿に盛ってもらった。

「もぐ……もぐもぐ……もぐ……ずずー」

ターボは体が小さい。当然食も細い。そこでシンザンに言われたのが、『一日三食を、一日五食に分けて少しずつ食べつつ、食べる量も増やしていく』というものだった。

おかげで学食に行く回数も増えた。周りの食べ盛りのウマ娘がどどんと特盛りにする中、ターボは地道に食べて体力をつけようとした。

夜は消灯時間ギリギリまで外をランニング。星が見える晴れの日も、曇り空の日も、雨の日も、ターボのランニングは休むことなく続いた。

そして消灯時間、布団に潜り込み、爆睡。

これが学園における、ターボのルーティンだった。

(待ってろテイオー、ターボは絶対テイオーの所まで追い付いてやるからな!)

 

 

それから数週間後。

シンザンはシンボリルドルフに呼ばれ、東京競バ場に来ていた。

「探し物は、見つかったのかい」

「ええ、紛れもない本物が。といっても、頭を抱えるくらい気性難の暴れん坊ですがね」

シンザンも噂は聞いていた。トレセン学園会長・シンボリルドルフが自らの冠名をあげたウマ娘がいると。

 

当人は相変わらず授業には出ないし、ウイニングライブの練習にも来ない。練習場に顔を出しても、怖くて他のウマ娘達が逃げていく。

「才能だけで、ウマを判断するのはよくないと思うがねえ」

「同感です。しかしあなたに勝つためにはこうするしかなかった」

「…………。む」

シンザンは咄嗟にシンボリルドルフの体を取り、物陰に隠れた。

「どうしたというのです?」

「あれを見てみな」

 

二人の視線の先、そこにはシンボリエムブレムと、二人のガラの悪そうな男がいた。

 

 



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負ける要素はなし

東京競バ場、場外。レース前で人もまばらの中、シンボリエムブレムとガラの悪い男二人組がいた。

スーツに龍柄ネクタイに顔傷にスキンヘッド、もう片方はパンチパーマにサングラス、明らかにカタギではない。

「よう、久しぶりだなあ。チカチーロ」

「…………」

 

(何を……してるんだ?)

(まあ黙って聞こうじゃないか)

施設の陰に隠れて、シンボリルドルフとシンザンはウマ耳を立てる。

 

「おまえがトレセン学園に入ったと聞いたときは大層驚いたぜ。それで今はどうなんだ? シャブが打ちたいなら金を出せば用意するぜ」

「そんな金ねえよ」

「おやおやつれないねえ。ヤ●ザのチ●ポしゃぶったりケツにバイブ突っ込まれてた以前みたいに可愛く振舞ってもいいんだぜ?」

「……!!」

シンボリエムブレムは震えていた。怖いのではない。かつてのトラウマをほじくり出されて感情の行き場がなくなっているだけだ。

「まあいいや。今日はそんな話しに来たわけじゃねえんだわ。おまえ、今日の第5レース、出るよな」

「それがどうした?」

「いや、それなんだがな、ちょっと手を抜いて負けてほしいんだわ」

「……っ!」

「勿論見返りは出すぜ。100万円だ。いい額だろ? 悪い話じゃねえと思うんだが」

「…………」

「嫌とは言わせねえよ。裏切ればおまえの過去をマスコミにバラしてもいいんだけどよぉ……」

「この……糞野郎が!」

シンボリエムブレムは骨を噛み砕くくらい歯に力を込めた。

ああそうだ。所詮わたしはチカチーロだ。どうあがこうと、過去は消せない。

「だけどよぉ。おまえんとこの母ちゃん。お前が勝つ方に賭けてるんだぜ。バカだよなあ……」

「……! あのクソババアが!?」

「負ければ破産でタコ部屋送りだけどよぉ。お前としてはいい取引だと思うんだが、どうよ。答えろや?」

「…………」

 

 

「やれやれ、随分とふざけた話だな。レースはお前たちの為に開催しているわけではないのだぞ」

ここまで聞ければ充分、と判断したシンボリルドルフが、壁際から現れた。

 

「誰だてめえは!?」

「やれやれ、私の事も知らないで、よくもまあ競バ賭博などやっているものだな」

「会長……」

シンボリルドルフは誰にも見せたことがないような剣幕で仁王立ちする。

「会長、来るな! これはわたしとこいつらとの問題だ!」

「そうはいかない。私は君の保護者兼親代わりでもある。ましてや八百長に手を出そうというなら、全力で止めなくていけない」

「おいおいおいおい、てめえには関係ないだるぉ? 下手に手を出すと痛い目を見るぜ、お嬢ちゃん」

「ほう……」

シンボリルドルフは一瞬にして間合いを詰め、相手の首根っこを持ち上げて高々と吊り上げた。

「痛い目とは、こういう事かな?」

「ぐうっ! ぐぁっ! で、でめえっ……!」

「ウマ娘の身体能力を甘く見過ぎだな。筋力、握力、走力、あらゆる面で普通の人間より遥かに上だ」

敵を甘く見る気はない。だがこいつらは悪行高き競バ賭博の常習犯だ。芋づる式に他の連中も釣れる可能性がある。

許すわけもないし、逃がすつもりもない。

 

「皇帝を、無礼(なめ)るなよ……!」

その圧倒的オーラは、チンピラを気圧し、気絶させ、泡を吹かせるほどのものであった。

 

ドサッ

 

チンピラAが糸の切れた操り人形の如く路上に崩れ落ちる。

「ふんっ……」

「て、てめえ……!」

チンピラBが懐から短刀(ドス)を持ち出す。

「おやおや、危ないものを持ち出すんだねえ。そいつは脅しの道具じゃないんだ。光り物を出してしまったら……お互い死合いだよ」

シンザンがチンピラBの前に立ち塞がる。チンピラは、どけクソババアと叫びながら短刀を構え、一直線に突っ込んでくる。

だが、シンザンは動じない。手にした杖で容易く短刀をはたき落とし、懐へ。腕を掴み、体をひねり、腰を入れて、一本背負い一閃……!

 

ドォン!

 

受け身も知らぬチンピラは、アスファルトの上に体を叩きつけられ、気絶した。

路上の柔道程怖いものはない。素人相手では簡単に懐に入られ、あとは投げられるだけだ。

投げこそ柔道の華である。しかし有段者同士の勝負であれば、腰は重く懐も浅く、安易な投げは出来ない。

もっとも、シンザンは柔道の有段者なのだが。

 

 

「これで終わりだな。場外に常駐している警備員に突き出しておこう」

「す、すいませんでした……」

シンボリエムブレムは頭を下げた。頭の火照りは多少和らいでいた。

「なあに、子供を守るのは親の努めさ」

「そうそう、過去に色々あったみたいだが、今は生まれ変わる機会なんだ。気にすることはないさ」

シンザンがよしよしと頭を優しく撫でた。子供を慰めるように。

「…………」

 

「で、エムブレムよ、君は……八百長をするつもりなのか?」

シンボリルドルフは直球に聞いてきた。当然だろう。これだけは、ちゃんと聞いておかなければならない案件だ。

「……難しいですね。金なんか欲しくないですが、勝ったらあのクソババアが生き長らえちまう。せっかくあいつと縁が切れるチャンスなのに……」

「嫌いなんだねえ。お母さんのことが」

「当ったり前っスよ! あのクソババアは重度のアル中だ。なのに酒を止めようとしねえ! おまけに酒が切れたら暴れ出して、酒代の為にわたしが何回ヤ●ザに体を売らされたか!」

「しかし、話を聞く限り、君の母親も競バ賭博の常習犯だ。場合によってはタコ部屋ではなく、拘置所送りとなるかもな」

「…………くそっ! あいつなんか……あいつなんか……ムショ送りになっちまえばいいんだ……!」

 

「で、改めて問いたい。やる気か? やらないのか?」

「……考えさせてください」

シンボリエムブレムはレース場内に走って逃げて行ってしまった。

「おい、エムブレム!」

「よさないかシンボリルドルフ。これはあの娘が一人で決断しなきゃいけない問題だよ。私たちは黙って見守るだけさ」

 

 

そして迎えた第5レース。

シンボリエムブレムは中段後方の位置で前を狙う形となった。しかしその走りには覇気がない。

シンザンも、差そう、って気がまるでないね、と呟いた。

(くそっ、どうすればいい? どうすれば……? 私にはもうレースしかないんだ。でもあのクソババアを喜ばせるのも嫌だ。くそっ、くそっくそっ!)

 

チカチーロだった時代を思い出す。虐待と嘲笑だらけの、絶望しかない日々……。

自分には未来はなかった。自分の命には保険金が掛けられていた。死はいつだって自分の隣人だった。自分はカス扱いだった。

そこに、ほんの少しだけ光が差した。だがその幸せもやはり長く続かないのか……?

 

(くそっ、おまえら、もっと早く先へ行け。わたしを追い越せ。わたしは勝ちたくなんかないんだ。勝ちたくないんだ。勝ちたく……)

 

ぶちっ

 

シンボリエムブレムの中で、何かが切れた。

「あああああああああっ! どいつもこいつもウザったてー! 弱すぎて、遅すぎて、糞すぎて、負けてやる気にもならねえ!! どいつもこいつも死んじまえ!」

その瞬間、シンボリエムブレムが烈火のごとく駆けた。芝を焼き殺すかのような勢いで、周りのウマ娘をごぼう抜きにして。

 

(これだ……! わたしが惚れた、あの走りだ!)

(なんだいこれは……。まるで雷光じゃないか。こんな走りが出来るウマ娘がいたのかい……! 心躍るじゃないか……!)

 

「うおおおおおおおおおおおおっ!!!!」

 

『ゴーーーーーーール!! 圧勝! 完勝! 大楽勝! 今、ターフに新しいスターが誕生しました! その名は、シンボリエムブレム!』

 

ワアアアアアアアアアアアアアッ!!

 

観客席がメインレースでもないのに大きく湧いた。それだけ鮮烈な走りだった。

 

 

「いやあ、いいものを見せてもらったねえ……」

「シンザン殿」

「……ん?」

「賭けは私の勝ちだ。約束は守っていただく」

「……ふん。しょうがないか。でも少しだけ時間をくれ。私ゃ社会人だからね。会社のことで忙しいんだ。仕事にケジメつけなきゃねえ」

「どうぞ。ああ、逃げないようにこのことはメディアに伝えておくんで」

「抜け目ないねぇ」

 

 

『続いてのニュースです。かつて史上初の5冠ウマ娘となり、レジェンドとまで言われたウマ娘、『シンザン』選手が、

トレセン学園臨時トレーナーに就任することが決定しました。

シンザン選手は1960年代日本の競バ界において、史上初の5冠ウマ娘となり、昭和最強とまで言われた伝説のウマ娘であり、

引退後は実業家として成功、多くの事業を手に取り、トレセン学園にも多くの出資をしていたと言われています。

そんなレジェンドの就任に当たり、早速記者会見が行われました』

 

「現在、トレセン学園は慢性的なトレーナー不足の現状であり、改善は急務とされている。

また、入学したウマ娘の中にはトレーナーもつかないまま見捨てられ、退学する娘も多く、若いウマ娘が切磋琢磨するにはいびつな状況にあるのが現状です。

年寄りの冷や水であることは重々承知しておりますが、私はそんな現場を救いたい。

誰もが華のある道と栄光を掴めるわけではないが、願わくば指導したウマ娘の中から、立派に成長するウマ娘が出てきてほしいね」

 

『シンザン選手はこれを機に、幾つかの会社の重役から降り、後任に会社を切り盛りしてほしいということで、大規模な人事異動が行われるそうです。

細江さん、トレセン学園に新たな風が吹くことを期待したいですね』

『そうですね。私たちの世代だと、現トレセン学園会長のシンボリルドルフこそ日本最強バだという声も多いですが、

中高年の方々にはシンザンこそ日本最強バだという声の方が多いそうですよ。それだけ偉大なウマ娘だったんでしょうね』

 

 

「あー、とうとう報道されちゃったかー」

カノープスの部室で、ナイスネイチャが報道内容を見ながら呟いた。

「仕方ないですよ。シンザンさん程の指導力を持つ人は本来引く手数多でなければおかしいくらいです」

「でもこれで、私たちにかけてくれる時間が減っちゃうかもねー」

「そんなことないぞ!」

そんな中、ツインターボが立ち上がって叫んだ。

「ばーちゃんはターボたちを見捨てたりはしない。そしてこれからは、どんどん強いウマ娘がカノープスの前に立ちはだかるんだ! それをターボ達は全部倒す!」

「ふむ、ライバルが増えることは喜ばしいことということですね」

「私は強いウマ娘ばっかりになるのは嫌だなあー」

「…………」

 

三人のやりとりを聞きながら、ナイスネイチャは自分の脚を見た。

かつては走るたびに怪我に悩まされていた脚。自分が走れなくなるのは時間の問題だと思っていた。カノープスを去るのも、自分が一番最初だと思っていた。

でも、自分はまだ生きている。まだ走ることができる。

シンザンさんに脚の使い方と筋肉の付け方を教わったおかげで、脚回りはぐっと頑丈になった。

(もう少し、頑張ってみますか……それなりに)

「どうした、ネイチャ?」

「ん? ううん、なんでもないよ」

 

ガチャ

 

「皆さん、失礼しますよ」

部室のドアを開け、南坂トレーナーが入ってきた。

「さあ皆さん、明日からいよいよシンザンさん指定のレース遠征が開始されます」

「おおっ!」

「きたー!」

「シンザンさんは3着以内と言いましたが、我々は勿論、全員1着を取るつもりで行きますよ」

「当然ですね」

「そしてハワイだー!」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

『さあ最終コーナーを回って各ウマ娘最後の直線です。先頭はコーナー前にするするっと上がってきたイクノディクタス!』

「いけー! イクノー!」

「ファイトー!」

 

(皆さんの声援がこんなにはっきりと聞こえるなんて……。走りに余裕があり、視野を広くもてている証拠ですね)

 

「最後まで気は緩みません。このまま先頭を維持します! はああああっ!」

『ゴーーーーール! イクノディクタス圧勝! 大差で札幌記念を勝利しました!』

 

 

阪神大賞典3000mは過酷な長距離だ。だがスタミナがついた今のマチカネタンホイザには余裕がある。

「いけー! マチタンー!」

「タンホイー!」

 

(ああもういちいち呼び名が変わるの止めてくれないかなー。気が散っちゃうじゃん!)

 

『先頭はマチカネタンホイザ。後続はもう一杯か? マチカネタンホイザの独壇場だ! マチカネタンホイザ、今一着でゴールイン!』

 

 

「うおりゃあああああああっ!!」

『ツインターボが走る! ターボエンジンは今日も全開! 後続を引き離して10バ身以上。後ろの娘たちもあわてて追い出した!』

 

「ああもう、誰よ、逆噴射するって言ってたの!」

「むしろ引き離される一方じゃん!」

 

『後続も追いかけるが、これはもう無理か。余裕のセイフティリードだ! ツインターボ、独走状態を維持しての圧勝! ツインターボが勝ちました』

 

 

そしてカノープスの最後の大一番、ナイスネイチャがアルゼンチン共和国杯2500mに挑む。

「ネイチャ頑張れよー!」

「ナイスネイチャ、3着はお腹いっぱいだぞー!」

自他共に認めるブロンズコレクターであるナイスネイチャにはファンも多い。判官贔屓というやつだ。

「……参ったなー」

ここからは聞こえないが、きっとターボやマチタンも応援してくれてるんだろう。

「みんな1着かー。でもネイチャさんはどうかなあ。……期待されると、裏切っちゃうんだよなあ」

シンザンとの特訓で力も自信もついた。しかし持って生まれたナナメな性格はそう簡単には変わりはしない。

『各ウマ娘、ゲートに入って態勢完了しました』

(ま、やるだけやってみますか……)

『スタート!』

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「それでは、カノープス、全員GⅡ一着達成を記念して……乾杯!」

「かんぱーい」

「かんぱーーーーい!」

南坂トレーナーが乾杯の音頭を取る。カノープスの部室は祝勝会場と化していた。

テーブルにはシンザンがとってくれた寿司と焼き肉が並んでいる。

「やっきっにくー。やっきっにくー♪」

「タンホイザさん。肉を焼くのはいいのですが煙が充満してはいけないので脂身が少ない物からお願いします」

「寿司うまー!」

「とくじょうだってばーちゃんが言ってたもん!」

ウマ娘もやればできるということが証明されたレース内容だった。カノープスはGⅡながら全員一着で勝利。特訓の成果を存分に見せつけた活躍ぶりであった。

皆の明るい笑顔と結果に、南坂トレーナーも思わずほころぶ。

「ははは……本当にシンザンさんには足を向けて眠れませんね」

「本当だね。いっつもキラキラウマ娘の引き立て役だった私たちがねー」

ネイチャが焼き肉のお通しでもらった生キャベツのごま油和えをパリパリかじりながら言った。

「そんなことないぞみんな! ターボたちはがんばった。すっごくすっごくがんばった! だからこの結果はとーぜんだ!」

「そうですねターボ」

イクノが上マグロを箸で取りながら賛同した。

「もぐもぐ……もっもっ……もっ」

マチカネタンホイザは肉をもぐもぐするのに夢中だった。

 

「ですがこれで終わるわけにはいきません。我々も、今度こそGⅠ勝利を目標にしなくては」

「おおっ!」

「きたねー」

「ということで、登録を済ませておきました。レースは宝塚記念。出場するのはナイスネイチャさん、マチカネタンホイザさん、お二人です」

「まっかせてー!」

「やれやれ、もう一回頑張りますか……」

「今のネイチャやマチタンならやれるぞ!」

「頑張ってください」

 

 

そして瞬く間に月日が流れ、宝塚記念前日……。

「はあ……はあ……はあ……」

寮のベッドで、ライスシャワーが汗を掻きながら眠れない夜を過ごしていた。

 

手にした体温計は、38.6℃を示していた。



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淀の悲劇

控室。ブルボンは長椅子に座り、瞑想をしていた。側には黒沼トレーナーがいる。

(長かった……。この時が来るのを……。無様なレースをするつもりはない。勝って引退する……)

側にいる黒沼トレーナーは何も言わなかった。

黒沼は寡黙である。不要な事は何一つ言わない。それでも心情的には声をかけてやりたいのである。

(……俺はブルボンを信じる。ブルボンの走りを、最後まで信じる……)

 

ガチャ

 

「ミホノブルボンさん、お時間です。レース場へ」

係員が声を掛けに来た。ブルボンは立ち上がる。

 

「行ってきます。マスター」

「行ってこい、ブルボン。勝って戻ってこい!」

 

 

「ミホノブルボン、出撃します!」

 

 

別の控室ではカノープスの面々が出場するナイスネイチャとマチカネタンホイザと談笑していた。

出場する二人は終始リラックスしている。

「さあて、久しぶりのGⅠかー。どういう戦略でいこうかな?」

「ブルボンが逃げるのは間違いないでしょうね。後は他のウマ娘がどの位置で仕掛けるのかがポイントになるでしょう」

「大丈夫! みんな強くなった! ネイチャもマチタンも負けない! ターボが信じてる!」

「勝っても恨みっこなし、でことだね?」

 

「あれ、そういえばシンザンさんは?」

「今日は皆のレースという事で中立に徹するとの事です。きっとスタンドで観戦するのでしょう」

南坂トレーナーが言う。

「そっか。そうだよね。ライスシャワーも出るんだから」

「まあ最後に勝つのはこの私ですけどー」

 

コンコン。ガチャ

 

「ナイスネイチャさん、マチカネタンホイザさん、時間です。レース場の方へ」

「よっし、それじゃあ参りますか」

「絶対勝つんだから」

 

 

「はあ……はあ……はあ……」

控室。ライスシャワーは椅子に座りながら荒く息を吐いていた。

発熱が発覚してから、ライスは風邪薬と熱冷ましを飲んだ。しかし熱は下がらない。

本来ならこんな体調でレースをするなど、トレーナーが止めただろう。だが、ライスはトレーナーの前では極力冷静に、笑顔を見せてごまかしていた。

おそらくトレーナーは観客席の方にいる。ここに来ることはない。それが幸いした。

(ブルボンさん……)

そう、今日はライバルであるミホノブルボンの引退を掛けたレースである。

それなのに、自分が欠場するわけにはいかない。絶対に。

(ライスだって、ブルボンさんとの勝負を楽しみにしてたんだ。汗はにじむし、鏡で見たら顔色も悪い。頭も痛い……。それでも走らなきゃ……)

どうして熱が出たんだろう? 体のどこかに異常でもあるのか、何か変なモノでも食べたのか、原因は何度考えても分からなかった。

「大丈夫、1レースだけでいいんだ……。持ちこたえて、ライスの体……」

 

ガチャ

 

「ライスシャワーさん、お時間です」

「……! は、は、はい!」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

ワアアアアアアアアアアアアッ!!

 

『晴天に恵まれたここ阪神レース場。宝塚記念芝2200m。16頭のウマ娘で競われます。

注目はなんといっても、かつて無敗の3冠ウマ娘に挑戦し、長きに渡る故障を乗り越えてきた不屈のサイボーグ、ミホノブルボン。

そしてその3冠の夢を阻んだ因縁の相手、漆黒のステイヤー、ライスシャワーとの激突。

これにこのところ絶好調のナイスネイチャ、マチカネタンホイザなども注目です』

 

「勝てよー、ブルボン!」

「これで終わりなんて寂しいこと言うなー。またおまえの走りを見せてくれー」

「…………」

 

「ライスシャワー、空気読めよー」

「もうヒールはこりごりだろー? 楽になれー」

「…………」

 

ブルボンには声援が飛び、ライスにはブーイングが飛ぶ。この落差。二人にとってもあまりいい印象ではない。

二人は、言葉を交わさなかった。顔も合わせなかった。観客は、二人は互いのことを嫌っているのだと思っていた。

 

そんなことはない。むしろ逆だ。ブルボンはライスを心から慕っているし、ライスもブルボンを一番の親友だと思っている。

だがレースに出れば言葉は無用。お互いこのレースに賭ける想いがどれだけ大きいか、もはや分かっている。

 

最高のレースにする、してみせる、そんな思いで二人はゲートに入ろうとしていた。

 

(……ライスの様子がおかしい)

そんな中、ただ一人観客席にいたシンザンだけが、ライスシャワーの異変を感じ取っていた。

 

 

『各ウマ娘、態勢完了。さあ、果たしてファンの投票に答えるウマ娘は誰なのか……。スタートしました』

全員まずは綺麗なスタート。まずはミホノブルボンがいつも通りハナを取り、先頭に躍り出る。

『さあ故障明けのミホノブルボン、果たしてこの2200m、かつてのような一度もハナを譲らない脚は戻っているのか?』

 

しかし、ブルボンは他の事を考えていた。

(……ライスさんの気配が、まるでない?)

かつてのように自分を徹底マークして付いて来る感じが全くない。後ろを振り返る余裕はないが、それにしたって計算外だ。

(どうしたんですかライスさん? 私など、もはや眼中にないと!? くっ、駄目だ! 今はレースに集中しなければ!)

 

一方、ナイスネイチャ、マチカネタンホイザは共に馬郡の中央の位置を取った。6、7番手。

(ブルボンの脚は警戒したいところだけど、私は自分のペースを守らせてもらう!)

(最後に差す! その自信はあるよ~)

 

そんな中、ライスシャワーのトレーナーが声を張り上げた。

「どうしたというのライス!? いつもの走りには程遠いわ!」

ここにきてトレーナーもようやくライスの不調が分かった。現在ライスは11、12番手。しかもズルズルと後方に落ちて行ってしまっている。

しかも様子がおかしい。まだ1000mも通過していないのに、レース終盤であるかのように肩で息をしている。

(迂闊だった……。普段の好調なライスを見過ぎて、直前に声を掛けて様子を見るのを忘れるなんて、トレーナー失格だわ!)

しかし後悔しても既に遅い。もうレースは始まっているのだ。競争中止にはできないし、F1のようにピットインすることもできない。

 

 

「ライスちゃんがんばれーーー!!」

学園のカフェテリアに設置されている大型テレビでハルウララは必死にライスを応援する。

しかしそこにいた誰もが、さすがにライスの異変に気付き始めていた。

 

 

「はあっ……はあっ……はあっ……!」

ライスは苦しんでいた。上半身と下半身の動きがバラバラなのが自分でも分かる。あれだけシンザンに教えられたのに、なんて醜態だ。

(駄目だ……このままじゃ負ける。ライスは、ブルボンさんとこんな形で終わるわけにはいかないんだ……)

そう、こんな走りがしたくてレースに出たわけじゃない。こんなレースでブルボンと決着を付けたいわけじゃない。こんな……。

(思い出すんだ、春天でマックイーンさんと戦った時を……! あの時みたいに走れば……!)

『おっと後方、ライスシャワーがここで仕掛けた。第3コーナーからの、かなり早いロングスパートだ』

 

それが、ライスシャワーの悲劇だった。

 

 

ぐにゃあ。

 

「……!?」

ライスの視界が歪む。目の前がぐねり、音も聞こえず、何処を走ってるかも分からない程の状態になる。

 

(ここ、どこ……? あ、そうだ……! ライスは第3コーナーを走ってるんだ。曲がらなきゃ……曲がら……)

しかし、意識を取り戻し、目の前がクリアになった瞬間、そこに見えていたのは内ラチだった。

 

「……! しまっ……!」

 

ドガアァッ!!

 

ライスは、内ラチに、強烈に体を打ち付けた。だが、その衝撃がもっとも集中したのは、前に突き出していた左脚膝の部分だった。

ウマ娘は人間とは比べ物にならないくらいの速度で走ることができる。だが、もし速度のまま障害物にぶつかったらその衝撃度はどうなるか……?

答えは言うまでもなかった。

 

ライスシャワーはターフへ崩れ落ちた。

 

『おーっと、ライスシャワー転倒! ライスシャワーが転倒した! 第3コーナーの内ラチが衝撃でひしゃげています! どうしたんだライスシャワー!?』

バ内に響き渡る実況が異変を知らせる。観客席からは大きな悲鳴が上がった。

 

「……!?」

その実況に、最も過敏に反応したのは先頭を行くミホノブルボンだった。

(ライスさんが……ライスさんが……一体何故!? どうして!?)

 

 

「ライス!」

「ライス!」

トレーナーとシンザンが観客席を飛び越え、ターフ内に入り込む。後で怒られるかもしれないが、そんな事はどうでもいい。

「ライス、しっかり!」

「う、うぅ……」

ライスにはかろうじて意識があった。だが、重症なのは誰の目でも明らかだ。

「……!」

シンザンがライスの額に手を乗せる。これは……。

「酷い熱じゃないか! ライス、あんたこんな状態でレースを……」

「ご、ごめんなさい、おばさま……。ライス、このレースだけは絶対出なくちゃいけなかったから……」

「もういい、喋るんじゃないよ!」

「それなのに、こんなことになっちゃって……ブルボンさんとの約束まで破っちゃって……はは……ライス、やっぱり駄目な子だ……」

「ライス……」

横にいたトレーナーも顔面蒼白だった。ブルボンとの因縁、それがこの状況を生み出してしまったというのなら、あまりに悲劇である。

「……おばさま、ブルボンさんに伝えて……」

「何をだい……」

「……一緒に走る約束……こんな……滅茶苦茶に……しちゃって……ごめんな……さい……って…………」

そこで、ライスの意識は途切れた。

「ライス、しっかり!」

「馬鹿! 動かすんじゃないよ! 担架だ! 担架を! 早く持ってきな!」

バ内は騒然となっていた。これが、ブーイングを送り続けたウマ娘の末路なのか、と。

 

 

「そんな……やだ……」

学園でその光景を見ていたハルウララは涙目になっていた。

「ライスちゃぁぁぁぁぁん!!」

「こら、ウララさん、何処へ行こうというの!?」

走り出そうとしたウララを、キングヘイローが止める。

「ライスちゃんのとこにいくのおおおおおっ!」

「今から行っても遅いわ! ライスさんは病院に運ばれるでしょうから、まずは病院を調べましょう」

「う、うん……」

ウララは涙で顔をふやけさせながら、必死に走り出したい衝動を抑えた。

 

 

『さ、さあ、思わぬ悲劇が起きましたが、レースの実況を続けさせていただきます。レースは第4コーナーを回っての終盤。先頭は未だミホノブルボン!』

(どうして……二人でいいレースにしようと誓ったのに、最後になるかもしれない勝負だと言った筈なのに……それが何故こんなことに……)

ブルボンは心ここに在らず、という心境だった。あれ程体を包んでいた研ぎ澄まされた針金のような緊張の糸が、ぷっつりと切れてしまった。

 

その異変に、黒沼トレーナーも気付いていた。

(どうしたブルボン、おまえはこんなことに動揺するほど柔なウマ娘なのか? 私は認めないぞ)

 

『さあ、後方から直線一気でやってきた! ナイスネイチャとマチカネタンホイザだ! 二人が機を同じくしてブルボンに襲い掛かる!』

 

「さあ行くよ、ブルボン!」

「勝負だよ、ブルボン!」

「くっ……!」

 

『ブルボン懸命に粘る。しかしもはや一杯か。かつての脚のキレがない。そこに2頭が突っ込んでくる!』

 

(駄目だ、このままじゃ抜かれる。私の最後のレースなのに、ここまでなのか、私は……)

「ブルボン!」

抜こうとしていたネイチャが左から話しかける。

「あんた、このまま終わっていいって思ってるわけ!?」

「え……?」

「あんたがライスと正しい意味で決着を付けたかったってのは知ってるよ。それができなくなって、そりゃ無念だろうね。でもね……」

「何を……」

「レースってのはね、いつでも上手くいくわけじゃないんだ! みんなそれを知ってる。だからみんな真剣に走ってるんだ!」

「……!!」

 

「そうそう!」

今度は右からマチカネタンホイザが話しかける。

「レースって、残酷だよね。どれだけ練習したって、頑張ったって、最後の勝者はただ一人なんだしさ」

「……」

「でもみんな、負けるつもりで走ってるウマ娘なんて一人もいないよ。私たちの後ろにだって、まだ諦めてない娘達が迫ってきてるんだ」

「……」

「だから、アクシデントなんかにも負けないで! 走ってるのは、あなただけじゃないんだから!」

「……!」

 

「「だからさぁ……」」

「…………」

 

「「しっかり走れ! ミホノブルボン!」」

「……!!」

 

「そうだ! しっかり走るんだ! ブルボン!」

スタンドの黒沼トレーナーも吠える。

 

 

「……! はああああああああっ!!」

 

「精神は肉体を超越する。ならば、肉体で足りない部分は、精神(こころ)で補う!!」

『おーっと、ミホノブルボンが駆ける! 両者に挟まれ、ここまでと思ったブルボンが、再び駆ける!

これだ! これがミホノブルボンだ! かつて無敗街道を突き進んでいたミホノブルボンだ!』

 

「……やーれやれ、敵に塩を送るなんて、つくづく甘いよね私らって」

「ま、見てられなかったからねー。このブルボンを倒さないと意味がないっていうか」

「じゃ、もう一度差し直しますか」

「もち! 負けないよー!」

『しかしナイスネイチャとマチカネタンホイザも再度来る。前は完全に3頭態勢だ! どうだ!? ブルボンか!? ネイチャか!? タンホイザか!?』

 

「「「勝つのは、私だあああああああああっっ!!」」」

 

『3頭ほぼ並んでゴーーーーーーール!! どうだ!? これはどうなんだ!? 勝ったのはどのウマ娘だ!?』

3人が電光掲示板を見つめる。観衆も、実況も。

『まだ結果は出ない。現在、カメラ判定を行っているようです。さあ、果たして勝者は!? 誰だ!?』

 

短いようで、どこまでも長い時間だった。このまま結果が出ないのかと観客が思い始める中、掲示板にゼッケンナンバーが点灯した。

 

「……!」

『ミホノブルボン! ミホノブルボンだー! この宝塚記念。勝ったのはミホノブルボン!

この復帰レースで、かつてはもはや再起不能とまで囁かれたウマ娘が、大仕事をやってのけました!』

「あーあ、2着かあ」

「わたし3着。……やっぱそう簡単にブロンズコレクターの呪いからは抜け出せないかあ」

 

ワアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!

 

スタンドからは万雷の拍手が鳴り響く。そう、かつてはこの声援を総ナメにし、栄光を掴んでいた自分がいた。

あの時の自分はもう戻っては来ないし、もはや懐かしさを感じる心境ではあったが、悪い気はしなかった。

 

「うっ……」

ミホノブルボンは体を支えきれずに倒れ込んだ。全身が震え、特に脚は感覚がないほど疲労している。

「だ、大丈夫ブルボン?」

「なんか疲労困憊って感じだね。立てる?」

「す、すいません。二人とも、肩を貸してもらえますか? そして……」

 

「私を、ライスさんのところまで連れて行ってください……!」

 

 



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悲劇の後に

「はあ……はあ……はあ……」

ミホノブルボンの状態は戻らない。体はあちこち悲鳴を上げており、汗も流れ、目の前が歪んでいた。

「ちょ、ちょっと大丈夫?」

「立てる? って、立てそうもないか……」

肩を貸すナイスネイチャとマチカネタンホイザもブルボンの状態の悪さを心配していた。

 

「おめでとうございます、ミホノブルボンさん。復帰戦で見事な勝利でしたね」

空気を読めないメディアが、ブルボン達に寄ってくる。

「すいません! どいてください!」

「あーもう、今はコメントどころじゃないから、ほら、どいてどいて」

「え、ブルボンさん……?」

マスコミの波を押しのけ、三人が場外へと出ようとする。

「これじゃウイニングライブもできそうにないねー」

「そう、ですね。後で怒られてきます」

 

「ブルボン!」

場外へ出たところ、三人は大きな声で呼び止められた。ブルボンのトレーナー、黒沼トレーナーだ。

「マスター……」

「乗れ!」

「……はい!」

黒沼は車を出してくれていたのだ。普段厳しいマスターとは思えない配慮に、ブルボンは少しだけ涙を流した。

 

「飛ばすぞ!」

黒沼は三人が乗ったところで、車を発進させた。

「すいません、マスター……」

「謝らなくていい。おまえはやるべきことをやった」

「はい……」

ネイチャは車の中に置いてあった水とタオルでブルボンを介抱する。

本当なら自分も汗びっしょりでシャワーでも浴びたいところだが、今はそんなこと言ってはいられない。

「マスター、ライスさんが運び込まれた病院は分かりますか?」

「ああ。国立鳴尾総合病院だ」

その名には聞き覚えがある。確か、トレセン学園とつながりがある病院で、関西では最も規模の大きいところだ。

ウマ娘を診れる総合病院としては有名で、お世話になっている者も多い。

(ライスさん……)

 

 

病院に付いたブルボン達は、受付に事情を話し、関係者が集まっている場所を教えてもらった。

そこは手術中のランプがともった手術室の前だった。

「ライスさん!」

「こらこらブルボン。院内では静かにしろ」

「申し訳ありません、マスター」

ライスのトレーナー、シンザン、カノープスのメンバーがいる。

「ネイチャさん、タンホイザさんまで」

「はは、ま、成り行きでね」

「ごめんねー、負けちゃって」

「いえ、そんなことはありません」

ブルボンが下を向きながら言う。

「あの時、私は負けていました。二人の言葉があったからこそ勝つことができたのです。宝塚記念、勝者は間違いなくお二人のどちらかでした」

「はは、そりゃどうも……」

「それで、ライスシャワーはどうなったの?」

 

「どうやら、状態はかなり深刻らしい……」

シンザンが医師から手渡されたレントゲン写真を長椅子に広げた。

その内容は、素人でも分かるほど凄惨極まりない状態だった。

「……膝蓋骨、複雑骨折。ヒビどころかパックリ割れていたよ。大腿骨、脛骨も折れて、脱臼もしていた。大腿四頭筋、膝蓋腱は断裂して縫合も必要らしいね」

「そんな……!」

「内ラチに思いっきり膝をぶつけたんだ。このくらいにはなるさ。全身も打撲が酷く、向こう一か月はベッドから起き上がれないという診断結果だったね」

「私が悪いのよ……。レース前にライスの様子を見ておけば、競争を中止させていれば、こんなことにはならなかった……!」

ライスのトレーナーが泣きながら言葉を紡ぐ。

まあ事情を知っていれば、どれだけ状態が最悪だろうとも、ライスは這ってでもレースに出ただろう。事実、ライスは高熱を出しながらもレースには出たのだ。

 

競バの神様は、ヒールと呼ばれたウマ娘にこうまで残酷なのか……。

 

「ああ、ブルボン。ライスから言付けを頼まれているよ」

「ライスさんから?」

「……一緒に走る約束を滅茶苦茶にしちゃってごめんなさい、とさ」

「……!!!!」

ブルボンはがっくりとその場に崩れ落ちた。

あの時交わした約束が、まさかこんな運命を招くだなんて、思いもしなかった。

自分はライスともう一度走りたかった。それだけを目標に頑張ってきた。その結果は最悪の結末だった。

(私が、ライスさんを追い詰めてしまったようなものだ……!)

ブルボンは自己嫌悪で胸が張り裂けそうだった。

 

「……それで、ライスはまた走れるの?」

ネイチャが聞いてきた。分かってはいるのだが、こういう時は空気の読めないふりをする者がいなければならないと思ったからだ。

「……医者の話では、再起不能。それどころかまともに歩くことすら困難。……リハビリ次第でしょうけどね」

ライスのトレーナーが医者に言われた通りの事を話した。

確かにこの重傷で、また走れるようになるというのは現実的ではない。

 

「そんなことはないぞ!」

「……!」

だが暗く淀んだ空気を、読めないのではなく読まないウマ娘がいた。そう、ツインターボだ。

「ライスシャワーは絶対絶対復活する! テイオーだって三回も骨折しても諦めなかったんだ! ライスだって、諦めなければ絶対復活できる!」

「ターボ……」

「ターボさん……」

「そしてライスもターボが倒す!」

最後にお約束の決まり文句である。

 

「…………ぷっ」

この時、鉄仮面と言われたミホノブルボンが、笑った。

「ツインターボさん、あなたは本当に面白い方ですね」

「ん、そうか? ターボは絶対に諦めないって決めているだけだぞ! 諦めなければ何だってできるって、テイオーもターボも証明してみせたからな!」

 

「……マスター」

「どうした、ブルボン」

「まだ本人の意思を聞いていないので何とも言えないのですが……」

ブルボンは強い意志のある鋭い眼で、黒沼トレーナーを見つめる。

「もし、ライスさんが、走ることを諦めなかった場合、私も引退を撤回します。よろしいですか?」

「何……? 本気かブルボン!?」

「ライスさんが何年もかかるというなら何年でも待ちます。結果が最下位でも構いません。それでも私は、もう一度ライスさんとの約束を果たしたいのです」

「お前の脚は限界だ。もはやそこらの新人ウマ娘の方が速く走れるだろう。それでも現役を続行するのか?」

「はい。これは私の我が儘です。もし駄目だというのなら私のトレーナーを辞めてもらっても構いません」

「…………」

 

黒沼トレーナーは内心驚いた。ブルボンがこんなにも自分の意思を見せるのか、と。

徹底したスパルタでブルボンを鍛え上げ、あと一息で無敗三冠に手が届くというところまでいった。しかしその記録は、ライスシャワーに阻まれた。

その後、ブルボンは長いリハビリが続く。それが今までの特訓の反動であることは分かっていた。

ウマ娘と言えど、所詮は人間と同じ生き物。酷使すれば選手寿命は短くなるのは必然。

ブルボンへの指導を疑問視するメディアもいた。しかし自分は指導方針を改めるつもりはなかった。

レースの世界は、それだけ厳しく、過酷な世界なのだ。練習なくして栄光は掴めない。

『精神は肉体を凌駕する』

心を鍛えれば肉体は必ずそれに答えてくれるというのが黒沼のモットーであった。

 

正直、ブルボンの願いに答えてやれる資格は自分にはないかもしれない。

だがブルボンは「やる」と決めた。ならば自分はトレーナーとして、その想いを尊重してやるべきではないか?

 

「……分かった。お前の好きにしろ」

「有難うございます。マスター」

「ただし条件がある。やるからには一着を取るつもりでやれ。ましてや最下位など許さん。本気で走るんだ」

「はい」

 

「良かったね、ブルボン」

「陰ながら応援するからね」

「皆さん、有難うございます。……後はライスさんのお気持ち次第ですが」

 

その時、手術室のランプが消えた。手術は終わったのだ。

「……終わったみたいだね」

シンザンがぽつりと呟く。

扉が開き、手術を担当した者達が一斉に出てくる。そしてベッドに横たわったライスの姿も。麻酔が効いているのか、意識はまだない。

「ライスさん……」

「主治医さん、ライスはどうなりましたか!? 手術は成功したんですか!?」

「こら、トレーナーさん、いっぺんに聞くもんじゃないよ」

 

「手術は、……成功しました」

「そうですか……!」

ライスのトレーナーも安堵する。

「ですが、状態が深刻です。全身打撲もありますし、とりあえず集中治療室に運びますが」

「お願いします」

「他の人が病室に入ることは可能なのかい?」

「それは、さすがに……」

「そうかい……」

ただこればかりは仕方ない。ライスは絶対安静の状態なのだ。麻酔が切れれば全身が破裂するような痛みが訪れる筈。

 

「……とりあえず、ライスは私たちが診る。カノープスのメンバーとブルボンは帰りな。詳細は追って報告するよ」

「……。分かりました」

「よろしくお願いします、シンザンさん」

「行くぞ、ブルボン」

「はい、マスター」

 

「……廊下も静かになったもんだね」

「……そうですね」

シンザンとライスのトレーナーは長椅子に座る。とりあえず、ライスが目を覚ますまで待つつもりだ。

「……あんたから見て、ライスシャワーというウマ娘はどう見えたんだい?」

「え? そ、そうですね……いつも悲観的で、自己主張に乏しく、チームの中でもあまり目立たないウマ娘でした。

いつも周りの明るさに助けられてて、でも本当は強くなりたいという想いを人一倍持っている娘でした」

「それはただの感想だろう。トレーナーが見極めなければいけないのは、そのウマ娘がどういう想いで走るのか、その実感だよ」

「私では、不足だと?」

「そこまでは言わないけどね。ただ菊花賞や春天を勝ったことを自分の手柄にしていたことは否定させないよ」

「…………」

シンザンは手厳しかった。ライスのトレーナーは何も言い返せなかった。

 

「私はね、あの娘に思い出してほしかったんだ。レースに出て走る事。ただそれだけのかけがえのなさを。だからあの娘が不調に陥った時、声をかけた……」

「見事な手腕です。私ではこうはいかなかった」

「ウマ娘の現役の寿命は短い。レースに出られなくなってから、それ以降の人生の方が圧倒的に長いのにさ。だからみんな必死に『今』を走るんだ。

それを悪いとは言わない。だが、あの時ああしていたら、という後悔を持ったまま消えていく娘の方がやはり多いんだけどね。

そんなウマ娘に寄り添い、導いてやるのがトレーナーの努めなんだよ」

シンザンは老婆である。そして現役の頃から賢いウマ娘であった。

かつて最強とまで謳われたウマ娘は、相応に長生きする中、怪我や病気で無念のままターフを去った娘も多く見てきた。

 

ウマ娘。その生態系に関しては未だに謎が多い。

突然変異と見る学者もいれば、神からつかわされた天使と評する者もいた。

そんな娘たちが命を張った徒競走に身を投じるというのは、人間からすればおかしな冗談かもしれない。

 

(願わくば、全てのウマ娘に幸せになってほしい。そんなありえもしない事を望むのは、やはり私が歳を取ったからかねえ……)

 

ピンポーン

 

「ナースコール?」

「集中治療室からだ」

二人が集中治療室に向かう。そこには、意識を取り戻したライスシャワーがいた。

「……おばさま、トレーナーさん、き、聞こえる……かな……」

「ライス!」

「ライス、あまり喋るんじゃない。あんたの状態は深刻なんだ」

ガラス越しではあるが、ライスの声は確かに二人に届いていた。

「うん、分かる。ライスの体、熱くて、痛くて、意識も朦朧としてる……」

「そうさ。今はゆっくりお休み。眠って目が覚めたら、幾らでも話をしてあげるから」

「うん。でもね、おばさま、ライス……おばさまに伝えたいことがあるの……」

「なんだい。今日は特別だ。どんな無理でも叶えてあげるよ」

 

「ライス……もう一度、走りたい……」

「なっ……!」

意外だった。まさかブルボンが願っていたことを、ライスも考えていたなんて。

「意識がない時にね。ライス……夢を見たの。ブルボンさんと、楽しく、走っていた夢……」

確かに全身麻酔で眠らされていた状態だ。夢の一つも見るかもしれない。それは夢ではなく、願望なだけかもしれないが。

「ライス、まだブルボンさんとの約束、果たせてないの。だから、もう一度……」

「ライス、無理よ! あなたはもう走れないわ! 医者のお墨付きなのよ!」

「……何年かかってもいい……最下位だって構わない……でもライス、この約束だけは果たしたいの」

「…………」

「お願い、おばさま。お願い……」

 

ライスの脚の状態は深刻だ。日常生活を送ることもつらい程だ。この先、状態がよくならなければ最悪切断もありえる。

だが、それでも、ライスは前を向くことを選んだ。どれだけの苦難な道のりであろうとも。

 

「……分かった。医者に掛け合ってみよう。傷が癒えたらリハビリを開始する。気の遠くなるような道のりになるだろうが、頑張るんだよ」

「シンザンさん!」

「確かに私も理性は無茶だと言っているさ。だが本人がやると決めたんだ。なら応援せざるには得られないねえ」

「有難う……おばさま……ありが、と……う……」

ライスは、再び意識を失った。

医者が駆けつけ、ライスを診る。シンザンは事の経緯を言った。医師たちの間にざわめきが拡がった。

「……主治医は、まだいるかい?」

 

シンザンの提言に、主治医は無謀だと答えた。歩けるようになるならともかく、走るなど無茶が過ぎると。

「……確かに医者のあんたが言うのならそうだろう。けどね……ウマ娘という生き物はね、不可能を超えていくものなんだよ」

説得は続いた。長い、長い説得だった。そして主治医も、渋々シンザンの提言を飲んだ。

シンザンは深々と頭を下げた。

そして、朝日が昇るまで、シンザンは一睡もせずにライスの側に居続けた。

 

 

翌日、学園から超特急で駆け付けたハルウララと付き添いのキングヘイローがやってきた。

ウララはわんわん泣いた。そしてライスがまだ走る意思があることを伝えると、もう一度泣いた。

 

「ライスちゃん。わたし、がんばるから! ライスちゃんががんばるんだったらわたしもがんばらないと!」

「その意気よ、ウララさん。私がサポートするから」

「二人も頑張るんだよ」

 

 

その後、ライスは流石ウマ娘だと言わんばかりの驚異的な回復力でベッドから起き上がれるまでに回復し、リハビリをスタートさせたという。



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恐れ給え、その名は……

今年もクラシック三冠を目指すウマ娘が一同に会する『皐月賞』の季節がやってきた。

古くから「もっとも速いウマ娘が勝つ」と言われる皐月賞。さて、結果はどのようになるのか。

『さあ、今年の皐月賞はかつてない程の盛り上がりを見せています。それもその筈、優勝候補はいずれも劣らぬ強豪ばかりです!』

 

5戦5勝、シンボリルドルフの寵愛を一心に受け弥生賞を制した無敗ウマ娘、シンボリエムブレム。

5戦5勝、同じく無敗街道を突き進むスプリングステークス1着ウマ娘、キャノンボール。

5戦4勝、若葉ステークスを制した関西からの刺客、ロストワード。

6戦4勝、弥生賞2着、地方からやってきた実力者、バッドアップル。

他にもオープン戦を複数勝利し、虎視眈々とGⅠの称号を狙うウマ娘が出場している。

 

「誰が勝つんだー?」

「俺はキャノンボールを応援してるんだ。あいつはもうGⅠを取るべくして取るようなウマ娘だぜ」

「順当にいけばシンボリエムブレムかなあ。でも俺、あいつ嫌いなんだよなあ……」

「一度もインタビューもウイニングライブもしないってウマ娘だろ? ふざけてるよな」

 

観客は実力、人気、様々な視点からウマ娘に思いを馳せる。

レースはGⅠしか身に来ない、という人も多い。これが初見だというウマ娘は多いはずだ。

どんなウマ娘なんだろう? どんな走りをするんだろう? 人々の興味は尽きない。

 

『さあ、各ウマ娘がターフに姿を現しました』

まずはバッドアップル。美しい栗色の髪を靡かせながら観客に手を振る。

次にロストワード。この観客の声援全てを物にしてやろうと口元に不敵な笑みを浮かべている。

 

そして、各ウマ娘が続々とターフに顔を出していく中、最後に、あいつは現れた。

 

ざわっ

 

「…………」

 

観客の声援が一瞬止まった。その緊張感、いや、殺気を纏い、地獄を見てきたような眼を鉄仮面に張り付かせた一人のウマ娘。

『さあ出てきました。シンボリエムブレムだ!』

シンボリルドルフの勝負服を模った、漆黒のブレザー、肩当は鮮血で染まったかのように紅く輝いている。

(肩は紅く塗ったんですかい? 貴様、塗ったのか!? へへ、冗談だよ)

 

今日はGⅠだ。この日の為に拵えた勝負服目当てで来る客も多い。

しかし、彼女のそれは、まるで軍服のようでいて、これから戦争でもするかのようだった。

 

『場内の空気が一瞬凍りました。この、大観衆よ、静かにしてろ、と言わんばかりの佇まい。これが皇帝に見初められたウマ娘、シンボリエムブレムです』

 

「…………」

ゲートまでの距離を、我が物顔で歩くエムブレム。その佇まいに、緊張の二文字はない。

当然である。エムブレムは幼少時から虐待と空腹、反社との付き合い、非合法と絶望の中生きてきたウマ娘だ。

故に、大観衆が見ていようとも、掛かることはない。というより、あらゆる感情が欠落、麻痺しているのだ。

 

「おい、シンボリエムブレム」

そんなエムブレムに度胸あるウマ娘が声を掛けてきた。同じく無敗ウマ娘の、キャノンボールだ。

「…………」

「おいおい、無視か? この大観衆を凍り付かせておいて、今度は一緒に走るウマ娘も冷やす戦略かな?」

キャノンボールの瞳には、おまえの寝首をかいてやる、という想いが詰まっているようだった。

「……まあいい。1番人気こそ譲ったが、今日勝つのはわたしだ。君の無敗記録も今日でジ・エンドってやつかな」

「……おい」

「……へえ、始めて口を開いたな」

「死にたくなければ、私の前に立つな」

「なんだとっ!?」

エムブレムはそれだけ言って、ゲートの方に向っていった。

「……ちっ!」

 

 

『さあ、各ウマ娘、続々とゲートインしていきます。3番人気ロストワード、2番人気はキャノンボール。そして1番人気はシンボリエムブレム』

『この初めてのGⅠ、ウマ娘達がどんなレースを見せるのか、見ものですね』

 

(勝利をこの手に掴むため、走りましょう……)

(この無敗記録、継続するのはわたしだ!)

(…………)

 

ガコン!

 

『スタートしました! おっと出遅れたウマ娘がいます。やはりこの緊張感、普段通りにはいかないか』

『誰が行くのか注目で……おおっと、スタートから全力で飛ばすウマ娘がいる! シンボリエムブレムだ!』

 

観客がどよめいた。この皐月賞2000mで大逃げを打つつもりなのか、それとも我を忘れて冷静さを失っているのか?

『さあシンボリエムブレムが飛ばす飛ばす。早くも後続とは7、8バ身』

「ふん、愚かな娘ですこと」

「噂に聞いてたのと違うな。案外臆病なウマ娘なのか……」

「ふんっ、せいぜい飛ばしてろ、最後に捲ってやる」

後続は抑えた。確かにこのGⅠで大逃げ、面白い戦略ではある。だがそれが通用するほど、GⅠという世界は甘くない。筈だ。

 

『シンボリエムブレム逃げる逃げる! 飛ばす飛ばす! もはや独走状態。これは果たしてセイフティリードなのか?』

「なにがセイフティリードだ。持つはずがない。最後の直線で捕まえてやる!」

 

 

『さあシンボリエムブレムが飛ばし過ぎたせいでレースはあっさり終盤に。シンボリエムブレムが第4コーナーを回ります』

「…………」

『後ろの娘たちは間に合うのか? これはかなりのリードだぞ』

 

「……実況(どいつ)も、ウマ(こいつ)も、勘違いしてやがるな。わたしが逃げてる。違うな。おまえ達が遅すぎるだけだ。

わたしはあくまで……直線で勝負するウマ娘なんだよ!!」

『あーっと! 直線でシンボリエムブレムがさらに加速! まだ脚が残っていたのか! いや、それともこれが平常運転なのか!?』

「なんだって!?」

「そ、そんな馬鹿な……!」

 

「わたしを止めるなんて、百年早い! おまえら精々ノロノロとゴール板まで歩いてやってくるんだな!!」

 

『ゴーーーーーーーール!! シンボリエムブレム圧勝! まさに雷光! 他のウマ娘を20バ身以上離して、歴代レコードを5秒以上更新しての圧勝劇です!』

『……とんでもないウマ娘が現れましたね。何というか、本当に同じウマ娘なのか疑うような……競い合うのが馬鹿らしくなるような……』

 

 

その一部始終を見ていたシンボリルドルフとエアグルーヴは、

「なんだこれは、こんなのレースではない。人と車がレースするようなものじゃないか……」

雲泥万里(うんでいばんり)。その人と車のレースを目指しているんだよ、彼女は」

 

 

レース後、殆ど息を切らしていない。つまり本気で2000m走っていないシンボリエムブレムの元へインタビュアーたちが群がってきた。

「今日のレースを圧勝で飾りました、シンボリエムブレム選手です」

「…………」

「周りと次元が違うような圧巻の走りでしたね」

「ふん」

エムブレムはマイクをひったくった。

「見てろ! これからもっと勝ってビッグになって、こんな日本なんか滅ぼしてやる!!!!」

「!!??」

 

言いたい事を言い終わると、エムブレムはマイクをポイ捨てし、控室の方へと去っていった。

「ええ、ちょ、ちょっと、シンボリエムブレムさん!?」

「いいんですか、今の撮って……」

「生放送なんだから撮れてるに決まってるだろ!」

「なんだあの態度は! レースどころかこの世の全てを恨んでいるとでもいうのか!?」

 

「それは私から説明しよう」

 

その場に現れたのは、シンボリルドルフだった。

「シンボリルドルフさん。あなたは彼女の後見人だと聞いていましたが」

「ああ。全く、授業には出ない。ウイニングライブの練習もしない、酷いじゃじゃウマだよ。流石に一言釘を刺しておくかな」

 

「しかし、あの態度、一体何なんですか!? ファンあってのトゥインクル・シリーズでしょう!」

「それは語弊があるな。何といえばいいか、彼女は観客の声援すら集中力を乱す邪魔者と捉えている。考えを改めさせるのは難しいだろう」

「しかし……!」

「それに、彼女は人が持つべき究極のモチベーションをその身に携えているんだ」

「それは、一体……?」

「復讐と、憎悪だ。例えば愛するものが殺され、己が地獄に居ようとも再起を目指し、復讐を誓う。

己が地獄に存在し、この世の全てを恨みつくしてもなお満たされぬほどの憎しみに満ちた道を行く。

その時、人は尋常ならざる力を発揮する。それは一般の人間にはないものだ」

「彼女は、そうである、と……?」

「ああ。エムブレムは幼少期からの虐待と生きるために反社と関わらなければいけない程追い込まれた人生を送ってきた。

その半生は悲しみと苦しみと憎しみに満ちている。彼女にとって、走りは唯一のストレス解消手段だ。ようやく手に入れた自分の居場所なのさ」

「……言質は取りましたが」

「ああ好きにしてくれて構わない。それに、もう私は彼女を反社などには渡さない。絶対に」

 

シンボリエムブレムの裏と闇はマスコミとゴシップ記事によって瞬く間に拡がった。

中にはシンボリルドルフだけでなく、トレセン学園そのものを批判する評論家もいた。

しかし勝つことだけが全て、栄光の座はただ一つという揺るぎない道義を作り出したのは、ウマ娘を取り巻く全ての人間たちだ。

責任がないとは言わせない。

 

そして、エムブレムは嫌われる度に、より一層憎悪に満ちたモチベーションを滾らせていく。

 

 

その後、シンボリエムブレムは日本優駿2400mに1番人気で出場。

わざとゲートが開いた瞬間、数歩歩き、前にウマ娘を全員行かせた後、「さて、蹴散らすか」と17頭全員ブチ抜いて優勝した。

『最も運のあるウマ娘が勝つ』とされる優駿において、彼女は競バの神すらその手でねじ伏せて見せた。

菊花賞3000mの日も1番人気だった。

『最も強い馬が勝つ』とされる菊花賞。彼女の勝利は揺るぎないのではないかと言われていた。

しかし彼女にとって未知の長距離。苦戦はありえると見ていた予想師もいたし、番狂わせが起こるのではと期待していた観客もいた。

いや、むしろ負けろと囁かれた。

 

シンボリエムブレムは日本一の嫌われ者のウマ娘になっていた。

 

しかしそんなブーイングが起きれば起きる程彼女の黒いモチベーションは増幅されていく。

結局日本優駿に続いてこのレースもレコードを出して優勝した。

 

クラシック三冠はシンボリルドルフ、ミスターシービー、ナリタブライアンに続いて4人目。

それも全部レコードというのは紛れもない大記録であり、今後二人目が現れないであろう不滅の大記録でもあった。

 

しかし当の本人はそんな記録も何処吹く風。

今のお気持ちをどうぞ、とインタビュアーに問われた時も、

「フン、くだらないな」の一言で済ませた。

 

 

そんなある日、エアグルーヴは珍しくシンボリエムブレムを呼び出し、ダンスの練習をさせた。ウイニングライブの練習である。

今まで全てボイコットしてきたウイニングライブの練習なんか何故? 彼女は問うた。

「これから先、おまえはシニア以上のウマ娘と戦う事になる。その中には、おまえを負かすウマ娘もいるだろう」

「わたしは負けない」

「その時、おまえは引き立て役になるんだ。勝利したウマ娘のウイニングライブでの引き立て役にな」

「……ちっ」

 

だが彼女自身、淡々と勝ち続け、レコードを出し続けることにも少し飽きてきたところだ。

骨のある相手と戦えるのならそれはそれで悪くない。

 

「……楽しみだな。先輩様方と戦うの」

 

 



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束の間の休息

「はあ……はあ……はあ……」

関西の病院からトレセン学園近辺の病院に転院してきたライスシャワーの、過酷なリハビリが始まった。

まだ骨はくっついてはおらず、とりあえず上半身をダンベルで鍛えることにした。

歩行練習の許可はまだ出ていない。この先、いつ出るとは限らない。

それでもライスは、前を向いた。

 

「ライスちゃーん!」

トレセン学園にも近いという事で、ハルウララは足しげく通い、ライスを見舞うようになる。

ライスにとっても、気の許せる友人との面会は勇気を貰える大切なひと時であった。

 

「みてみてー! これ、商店街の人たちとみんなで作ったのー! キングちゃんにも手伝ってもらったんだ!」

「わあ、これ、青いバラ……」

病院にはアレルギーを持つ者もいる可能性もあるので、生の花は置けない。そういうこともあって、ウララは造花を作って持ってきたのだ。

「それからこれ! ライスちゃんがお腹空かせていると困るから差し入れだよー」

「わあ、こんなにいっぱい。有難うウララちゃん」

ライスは小柄に見えて健啖家である。食も太い。病院食は健康食ではあるがライスには少し物足りない。

「ライスちゃんがまた元気に走れるようになりますようにって神社でお参りしてきたんだよ。だから絶対よくなるよ!」

「うん。そうだね。有難う。頑張るよ」

 

「あ、でもでも、もうすぐししょーたちとハワイ旅行するんだよね。ライスちゃんも連れて行きたかったな……」

「そうだね。でもみんなで楽しんできてね」

「うん! おみやげいっぱい買ってくるからね!」

 

「それとね、もう少し頑張れば、わたしGⅠに出られるかもしれないんだ」

「え、ウララちゃんがGⅠ!? 凄いじゃない」

「うん。ししょーが言ってたんだ。ライスに勇気を届けるためにGⅠ勝利を目指せ、って。だからわたしがんばって練習してるんだよ!」

「そうなんだ……」

「目指すはチャンピオンズカップ1着! わたし、ぜーったい1着になって、ライスちゃんに頑張れって勇気を送るからね!」

「うん。当日はテレビで見てるね」

 

 

「おや、先客がいましたか」

「あ、ブルボンさん」

ライスシャワーがハルウララと談笑している時、同じく親友であるミホノブルボンも見舞いにやってきた。

「あなたがハルウララさんですね。私、ミホノブルボンと申します。どうぞよろしく」

「ハルウララでーす! ライスちゃんの友達はわたしの友達! これからよろしくねー」

「はい」

 

ブルボンは果物の皮を丁寧に剥きながら、ライスに一つずつ食べさせる。

「あれから、私もトレーニングを再開しているんですけどね……」

ブルボンの脚は引退していてもおかしくないほど深刻なものだった。今は走り込みを中断し、プールを使った全身運動に切り替えているという。

「私は約束を守ります。ですから、ライスさんも決して諦めずに頑張ってください」

「うん……」

「いつまでも、待ちます……」

「分かってます。ライス、頑張ります」

 

 

「ライスシャワーさん。主治医がお呼びです。診察室までお越しください」

看護師が病室までやってきて、ライスを呼んだ。

「あ、呼ばれてます。それじゃあ、今日はこの辺で」

「では私が車いすに乗せましょう」

そう言うと、ブルボンはライスの手を取り、腰を取り、お姫様だっこしながらそっとライスを車いすに乗せた。

「有難うございます。ブルボンさん」

「礼には及びません」

 

「ライスちゃん、早く良くなるといいねー」

「そうですね」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

そして、待ちに待ったシンザンといく念願のハワイ旅行の日がやってきた。

頑張った自分たちに対するご褒美である。何も咎めるものはない。

「あんたたち、忘れ物はないかい?」

「大丈夫でーす」

「パスポートもここに」

「ターボ、着替えと水着ぐらいしか持ってないぞ!」

「足りないものは現地で購入すればいいかな」

今回のメンバーは、チーム・カノープスの4人、ハルウララ、キングヘイローと南坂トレーナーである。

「先に言っておく。機内食は不味いよ。そしてアテンダントは不愛想だよ。現地で買い物したい場合は日本人に聞きな」

「はーい」

 

「いやはや、私まで同行してもいいんでしょうか」

「いいさ。あんたもたまには羽を伸ばしな。ああそれとトレーニングもちゃんとするからね。遊び惚けるんじゃないよ」

「はーい」

 

「ねーキングちゃん、ハワイってにんじんハンバーグあるかな?」

「ウマ娘用の食事があるとは思えませんが、まあ探してみましょう。それとウララさん、私の側を離れて迷子にならないように」

殆ど保護者なキングであった。

 

 

かくして、飛行機は飛ぶ。

ネイチャは落ちないかと緊張で落ち着けず、タンホイザはターボと一緒に爆睡。イクノは音楽を聴いていた。

ウララは早々に眠り、キングは紅茶を飲んでいた。

シンザンと南坂は書類作業。到着する前に学園で使うスケジュールなどを作らなければならない。トレーナーとは大変なのだ。

 

 

飛行機は無事、ハワイに到着した。

指定していたリゾートホテルに向かい、宿泊の手続きを済ませ、部屋へ。

「いい眺めー」

「やっぱ日本とは違うねー」

部屋はダブルでネイチャとタンホイザ、イクノとターボ、キングとウララが同室となった。

「さあみんな、楽しんでおいで。ビーチで泳ぐ以外の予定の娘は、レンタルガイドを雇ったからそれに従う様に」

「よろしくお願いします」

 

 

「来たぞー。ハワイのビーチ! 常夏なのに湿度が低くて過ごしやすい! 日本の夏とは大違い!」

「ネイチャー、ターボと泳ごう!」

「おっけー」

ネイチャとターボは早速水着に着替えビーチに。学園指定の競泳水着ではない、この日の為に買った水着である。

「ぷはー!」

砂浜は美しい程白く、水は透き通る程綺麗。泳ぎ甲斐がある。

「それー、ネイチャー、ばしゃばしゃー!」

「うぷっ! こらターボ、やったなー、お返しだー」

「きゃはははは!」

 

イクノはスキューバダイビングに来ていた。愛用の丸眼鏡がゴーグルに入らなかったため、度付きのゴーグルに変えた。

実はイクノ、眼鏡を取ると凄い美人さんであり、周りの人たちが一瞬振り返る程だった。

(ちなみに馬のイクノも美人だといわれ、レースに出ると他の牡馬が興奮していたと言われている。メジロマックイーンがイクノに思いを寄せていたというエピソードは有名だ)

「おお……」

青い海に輝く幾つもの小さな群れを成す小魚。まるで熱帯魚のコーナーで自分が泳いでいるようだ。

「なんと素晴らしい……」

イクノはゆっくりとヒレを動かしながら、底に潜っていく。ハワイの海の底は、岩場すら綺麗だった。

「人魚になった気分ですね」

同行していたダイバーが、水中でも使えるカメラでイクノの写真を撮る。その様は、実に美しかった。

 

マチカネタンホイザはトローリングに挑戦しようと沖に向かっていた。

「ふっふーん。おっきな魚釣っちゃうもんねー。泳ぐだけがハワイじゃないからねっ」

出発した船着き場がもうあんなに遠くへ。タンホイザは指示を受け、竿を出す。

「むんっ」

ルアーもいいが、まずは取れたての生魚の方がいいと言われたので、まずは餌を確保する。

「おおっ、入れ食いじゃん!」

釣れたのは生きのいいカツオ。これだけでも持って帰って食べたいところだがここはぐっと我慢。

針付きのカツオを放ち、ボートを少し走らせる。後は掛かるのを祈るだけ。

「ふおおおおおおお……ほおおおおおおっ」

何だかよく分からない念を海に向かって送ると、待つ事数分後、ガツンという音がしてロッドが反応した。

「きたああああっ!」

ウマ娘のパワーと巨大魚とのファイトである。果たして……、

「いいぞいいぞー。来い来いー。なんだ!? マグロか!? カジキか!? シイラか!?」

タンホイザがリールを巻き上げると、ザバッと水面に獲物が現れた。しかし、どう見てもこれは……、

「…………鮫?」

これはボートに上げられないなあ、と船員が糸を切る。

「なんでー?」

ここでもツキがないタンホイザだった……。

 

「ふふ、いい天気。アメリカの陽は黄色って聞くけど、本当の様ね」

キングヘイローはビーチに行かず、リゾートホテルのプールの方で日光浴をしていた。大胆なビキニ姿で。

(でも、予想以上にカップルが多いわね……)

ホテルのプールは新婚旅行なのか分からないが、カップルと思われる二人組が多かった。キャッキャ言いながら泳いでいる。

(え、なにあれ、年の差が20はない? もしかして、不倫旅行かしら……)

周りのピンクなムードに、キングも当てられ、少々興奮する。

「キングちゃーーーん!」

そこへハルウララがやってきた。水着を着て。

「ウ、ウララさん……なに、その水着は?」

「いいでしょー。わたしが子供のころにお母さんが買ってくれたんだあ!」

「つまりサイズが子供の頃と変わってないのね……」

ハルウララの水着は全身をすっぽり覆うタイプで、首元にはウマ耳を被せるフードが付いてある。耳に水が入らないよう製作されたもののようだが、それを被ると、

(傍から見ると、まるで全身タイツねこれは……)

「はいはい、ウララさんは小動物のような可愛さがあるわね……」

「キングちゃん、いっしょに泳ごー!」

ウララがキングの手を取り、強引にプールへと連れていく。

「わわっ、ちょ、ちょっと待って、ウララさ……」

ざぶーん。

二人はプールに落ちるように入ったのだった。

 

 

「あー楽しかった!」

「ターボも満足!」

ビーチで散々遊び倒したネイチャとターボは小休憩を挟み、ホテルに戻ろうとしていた。

「オイ、何デコンナトコロニウマ娘ガイルンダ?」

そんな二人を呼び止めた者がいた。何者かは分からないが、ウマ耳と尻尾があるということは彼女もウマ娘なのだろう。

多分アメリカ本土からやってきたアメリカンウマ娘ではないだろうか。ちなみに体格もアメリカサイズだ。

「誰あなた?」

「フン、ジャパニーズウマ娘ガ。ココハオマエラゴトキガイルトコロジャナインダ。トットト帰リナ」

雰囲気からして、なめられているのは自然と伝わる。

「やーれやれ、せっかく楽しんでたのに、雰囲気ぶち壊しだね」

「ターボ英語全然わかんない!」

(えーと、でもこういう時なんて言えばいいんだっけ? えーと、えーと……あ、そうだ)

ツインターボが一歩前に出る。

「何ダ、チビスケ」

「ふぁっくゆー」

「!!??」

「うっわ、ターボ、それ言っちゃいけないやつだ」

 

「貴様! ナメテイルノカ、二度ト国ニ帰ラレナイヨウニシテヤロウカ!?」

激高したアメリカウマ娘がターボに掴みかかろうとする。

ターボはそれをひょい、とかわし、更にあっかんべーまでしてやった。

「貴様ァァァァァァァアァアアアッ!!」

「ターボ!」

「ネイチャはホテルに帰ってて!」

ターボは走り出した。アメリカンウマ娘もそれを追いかける。

 

予期せぬ二人のレースが始まった。

逃げウマツインターボと、実力不明のアメリカンウマ娘。追うものと追われるもの、二人の対決である。

「どいてどいてー!」

ターボは街中を人を押しのけてターボエンジン全開で逃げまくる。しかしアメリカウマ娘は全力でその後ろを追いかける。

「フン、バカメ。私ノスタミナハ無尽蔵。フラフラニナッタトコロヲ捕マエテヤル。ナメタ口ヲキイタンダ。タダデハスマサンゾ!」

「…………」

これはレースではない。ただの追いかけっこだ。

しかし日米のプライドをかけた全力の追いかけっこでもある。

 

道行く人がのけぞり、果物屋の店主が果物をおもわず落とし、土産屋の店主が並べた品を滅茶苦茶にされ、ブーイングを飛ばす。

そんなハワイのチェイスシーン。

 

どれだけ走っただろうか。

アメリカのウマ娘はハアハア言いながら足取りも重く、ツインターボも走り始めのスピードではないが、明らかに疲れが見える。

だが、先に音を上げたのはアメリカ代表ウマの方だった。

「ハア、ハア、ハア、モ、モウ駄目ダ。モウ、無理ダ……」

 

ばたっ

 

アメリカのごついウマ娘はその場に崩れ落ちた。ターボは勝ったのだ。

「ふふーん、いい走りだったけど、鍛え方が違ったな。ターボの本気の走りに付いて来れるもんか!」

じゃあな、と言い残し、ターボはあっかんべーをおまけにつけて走り去っていった。

「グフッ。ナンデワタシガ、コンナメニ……ミ、水……」

 

 

「……それで、逃げてきたのかい」

「大丈夫。まいてきたから。えっへん!」

ホテルの一階で、ツインターボはフルーツにかぶりつきながらシンザンとカノープスの面々に威張っていた。

「練習の成果がちゃんと出たよ!」

「あほーっ!」

ネイチャが思わずターボの頭をぶった。

「心配したんだからね!」

「ターボさん、あれ程単独行動は控えろと念を押されていたでしょう」

「うう……ごめん」

ターボも皆の迫力に思わず反省。

 

「まあまあ、とりあえずみんなディナーの時間だよ。いっぱい食べて嫌な事は忘れよーよ」

マチカネタンホイザがその場を立て直そうと両手をぶんぶん振って皆の機嫌を取ろうとする。

「そういえばタンホイザさんはトローリングに行ったんですよね?」

「おっきなお魚釣れたのー?」

キングとウララも興味津々だ。

「ふっふっふ……じゃじゃーん!」

タンホイザが側にあった発泡スチロールを開ける。

「わあ、おっきいー!」

「これ何て魚ですか?」

「シイラだよ。ハワイではマヒマヒっていうんだって」

そのシイラが、大量の氷を張った箱の中に鎮座している。体長は2.5m程。まずまずの大きさだ。

「これで刺身なりムニエルなりなんでもこいだよ! ディナーは期待しててね! 私を褒め讃えよー」

 

こうして、みんなでディナータイムが始まった。

外が見えるテラス席。夜のビーチのさざ波の音を聞きながらディナーコースに舌鼓である。

タンホイザが釣ったシイラは刺身、ムニエル、イタリア風にフィオレンティーナ、和風に田楽味噌焼き、等々。

勿論本家ホテルのディナーも忘れてはいけない。BBQチキン、エビや野菜を載せてのトルティーヤ、カニハンバーグ、フィレ肉のステーキ、ポテトニョッキ……。

なお、払いはシンザンの奢りである。となると、全員が狂ったように食べるのはお約束ということで。

みんな私語を忘れ、美味い美味いと料理にかぶりついている。

そんな皆を、シンザンはやれやれ、という顔でワインを口にしながら見つめていた。

「そういえば飲み物が欲しいよね」

皿を平らげたところで、ネイチャが提案する。

「そうですね」

「でも英語で書かれてるから何が何やら……」

「ターボ、全然分かんない!」

「いや、そこはさ、指差しでいいじゃん。何が出てきても恨みっこなし、ってことで」

「ロシアンルーレット風ということですね。分かりました」

「わたしもやるー!」

「ウララさん、くれぐれもお酒は頼まないように」

 

「おおーっ!」

テーブルに運ばれてきたのは、何とも花や草木の装飾が美しいジュース(?)ばかりであった。

「綺麗だねー」

「おお、おいしー。南国って感じ! これ、マンゴーかな?」

「ターボこういうの大好き!」

 

 

「う~~ん~~~うにゅ、ん~~ねいちゃ~~」

「ど、どうしたのターボ?」

「ねいちゃって、かわいいよね~」

「はあ?」

「いくのも、かわいい~~んふふ~~」

「え、え……」

「まちたんもかわいい~~みんなかわいい~~ん~ふふ~~」

「な、なんか様子がヘンなんだけど」

ターボの異変に気付いたシンザンは、メニューを取り、先ほどターボが指差し注文していたものを確認した。

「こらっ、ターボ、あんたカクテル飲んだね!?」

「ええっ、カクテルってお酒じゃん」

「ハワイのカクテルは気持ちよくなるために度数高めなのが多いんだ。こりゃ絡み酒だね」

「んふふ~これおいしい~ターボ、おかわりたのも~~」

「「「駄目!」」」

 

……とまあ、色々あったが、ディナータイムは無事終わった。走り疲れて酔って眠ってしまったツインターボはイクノが背負い、ベッドまで連れて行った。

キングやウララも今日は早めに寝るという。

ネイチャは泳ぎ疲れてはいたが、なんだか寝るのが惜しく、外に出て砂浜から星や月を見上げながら物思いに耽った。

(まさかこの私がハワイなんてねえ……信じられないよ。いつ競走バ人生が終わってもいいと思ってたけど、もう少しだけ頑張ってみますか)

部屋に戻ると、タンホイザが起きてた。眠れないの?と問われ、ちょっと月を見てたとネイチャは答えた。

これが修学旅行とかだったら枕投げでもしてたかもねー、と言った。ネイチャは笑った。

 

翌日、6人は飛行機が出るまでの間、軽く汗を流し、帰りは土産屋でお土産を。

ウララはライスと商店街のみんな用にと大量に買い込んだ。キングは取り巻きーズ用に少量購入した。

 

こうして、楽しいハワイ旅行はあっという間に終わったのだった。

 

 

 



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それは所詮、婆の戯言

海外旅行を終え、モチベーションも高まったカノープスの面々とキングヘイロー、ハルウララ。

「トレーナー! 次はGⅠレース予定にいれてね!」

「はは……、頑張りますよ」

秋以降のレースに向けて、チーム・カノープスも再始動を開始した。

 

 

「……ジャパンカップ?」

一方、シンボリエムブレムは生徒会室に呼ばれ、シンボリルドルフからGⅠレースの推薦を受けていた。

「ああ。世界中から多くの強豪ウマ娘達が集う権威あるレースだ」

「……名前だけは、知ってます」

「そこで今回、日本代表として君が出てくれないかな?」

「自分が出なければならないくらい、今の日本は不作なんですか?」

「そうは言ってないさ。なにせクラシック三冠全てレコードという驚異的な記録保持者なんだ。君の脚なら充分通用する。私はそう信じている」

「ハッ、わたしみたいな不良ウマ娘が日本代表? 流石に笑えないっスね」

「で、どうだろう?」

「まあ考えておきます。生贄は強いに越したことはありませんから」

それだけを言い残して、エムブレムは生徒会室を回れ右して出ていった。

 

 

そしてある日。いよいよ待ちに待ったシンザンの臨時トレーナー初日がやってきた。

シンザンが直前で逃げ出さないようにと、ルドルフ会長は、あえて学園内にマスコミとカメラを入れた。

「やれやれ……用意周到だねえ」

缶コーヒーを飲みながら、シンザンはターフに出てきた。カメラがパシャパシャと鳴り、マイクが音を拾う。

果たして、どんな指導をするのか、多くの者が見ていた。

(昔を思い出すねえ……大観衆とカメラとマイク……それを独り占めしていたあの日を……)

 

シンザンは観客席からウマ娘をじっと見ていた。そして動かない。意識を張り巡らせ、一挙一動に集中する。

「あの、シンザンさん……?」

「黙ってなおまえさん方は。ここは遊び場じゃないんだよ」

 

「ふむ……」

顎に手をやるポーズをしたかと思うと、シンザンは観客席からジャンプし、ターフの中に入っていった。

「そこのアーマーガール、テンノイブキ、ヤブサメイッキ」

「えっ?」

呼ばれた三人のウマ娘は、シンザンの元へ駆け寄ってくる。

三人ともトレーナーこそ付いているものの、扱いは精々3軍といったところだ。

「何故私たちの名前を?」

「トレセン学園所属のウマ娘の名前と顔ぐらい、全部頭に入ってるよ」

そう言いながら、自分の側頭部を指でとんとんする。

「え……」

「それって凄くなーい!?」

「会長みたい……」

 

「ちょっとフォーム、いじらせてもらうよ」

シンザンに目を掛けられ、三人は緊張する。シンザンはニヤニヤ笑っていた。

「まずアーマーガール、あんたはもう少し歩幅を大きく取った方がいいね」

「歩幅……ストライドってことですか?」

「ああ。歩幅を拡げ、脚を一歩ぶん大きく前に出すんだ。あんたの体格なら、ストライドの方が合ってるよ」

「わ、分かりました!」

「それと、踏み出す時の親指は4cm内側に。腕を振る時は手を5cm体の内側にくっつけるように走りな」

「は、はい!」

 

「次にテンノイブキ、おまえさんは前に意識が強すぎて体がつんのめる癖があるね。それじゃあコーナーは曲がれない」

「そうなんです。分かってて意識はしてるんだけど走ってると忘れちゃって……」

「走る時、膝を4cm下げてみな。重心は腹ではなく、背中を意識する。爪先の使い方も悪いね。踏み出す時は、踵からではなく、爪先から。力を込めるのも爪先だ」

「こ、こんな感じですか?」

「そうそう。あと膝で曲がろうとしすぎないこと。それだとすぐに膝がいかれちまうよ」

「分かりました! やってみます!」

 

「あ、あのー、わ、私は……?」

「ヤブサメイッキかい。あんたは、そうだねえ……荷物畳んで実家に帰った方がいいね」

「がーん……」

「まあそれは冗談だけど、脚の作りがあまりよくないね。怪我をしやすい脚だ。特に骨がね」

「そ、そうですか……」

「とりあえず、プール、ウッドチップ、筋トレで地道に下半身を作ることから始めな。さもなくば簡単に骨折してしまうよ」

「は、はい……」

 

「シンザンさーん、私はー?」

「シンザンさん、私も見てください」

「シンザンさーん」

「やれやれ、どいつもこいつも人の手を借りなきゃ何もできない困った子供達だねえ……。トレーナーは何を教えているんだい?」

 

 

「す、凄いな……」

取材をしようとしていた記者はシンザンの指導を見ながらメモを取り続ける。

カメラは常にシンザンと隣のウマ娘を撮り続けていたが、素人目にはシンザンの慧眼がどれほど凄いのか全く理解できない。

大体ジャージ越しでどうしてそこまでウマ娘の動きの問題点が分かるのか?

「そういえば、シンザン殿は引退後武道を習っていたと言われていたな。その経験が生かされているのかもな」

「これは指導後のコメントも要注目だぞ」

 

「こらこら、脚だけで走ろうとするんじゃない。上半身と下半身は一致させて律動させる。さもなくばすぐに怪我をしてしまうよ」

「はい!」

「走り込みが終わったら全員プールに行って泳いできな。その後はジムで筋トレだ。脚の強さだけじゃない。全身を使って走るんだ」

「はい!」

 

「あ、あのシンザンさん……」

「なんだい、あんたは久保トレーナーだね。若いもんに何て教え方をしてるんだい。若い芽潰す気かい!?」

「いえ、こ、これでも自分はトレーナーとしてウマ娘達にしっかり関わってきたつもりですが……」

「なっちゃいないんだよ。弱いウマ娘なら見捨て、強ければ自分の手柄。そんな打算でやってるからレベルが低くなる。ペット育てるのとは違うんだよ!」

「うぅ……」

 

「凄い、ベテラントレーナーがタジタジだ」

「トレセン学園のレベルが低いのか、シンザンさんの求める領域が高すぎるのか、どうなんだこれは……?」

 

 

指導を一通り終え、シンザンはメディアの取材を受けた。

「いかがでしたか。トレセン学園のウマ娘の指導は」

「そうだねえ……はっきり言って、機嫌が悪くなるくらい酷いね。これならトレセン学園とは別にウマ娘の養成機関を設立して対抗してやりたい気分だよ」

「なんと……!」

「まともな指導を受けられないウマ娘、指導もろくにできないトレーナー。せっかくの施設が泣いてるよ……」

シンザンから出た言葉は、紛れもなく現在のトレセン学園に対する批判だった。

「それは、現会長のシンボリルドルフさんの批判とも取れますが」

「そいつは気が早いね。会長さんはよくやってるよ。ただね、あの人は立派過ぎた。下々が見えなくなるくらいね。

名選手名監督に非ずという言葉があるように、あの人は会長という立場でこそ力を発揮するタイプなんだ。トレーナーじゃない」

クラシック三冠、GⅠ7勝。その栄光は、権威ある地位でこそ輝く。故に、指導で力を発揮するタイプではないとシンザンは言いたかったのだ。

「トレセン学園に入りたがるウマ娘は多い。今後、もっと増えるだろう。なればこそ、慢性的なトレーナー不足という問題は、何が何でも解決しなきゃならない。

しかし人というのは育てなきゃいけないんだ。時間をかけてね。その箱と人が必要なのさ。今のトレセン学園にはね」

「では、その教育現場の設立を……」

「まあ出資して作れと言うのなら、私が作ろう。既存の大学にトレーナー課を作るという手もあるがね」

「おおっ!」

「とはいえウマ娘のトレーナーをしたがる物好きが、果たして何人いるか……未知数ではあるが……」

カメラのフラッシュは途切れることはなかった。記者は急いでデスクに取材内容を報告している。

この内容が、正式にニュースとして報道されるまで、それほど時間は掛からないだろう。

 

 

「ふう、よっこらしょ」

取材と指導を終え、シンザンはカフェテリアに来て遅めの昼食を取っていた。ルドルフの許可は取ってある。

「……うん。美味い。食堂のおばちゃんだけは合格点だねえ」

にんじんハンバーグをナイフとフォークで切り分け、口に運ぶ。いい肉を使っているのか、肉汁がじゅわっと滲み出る。

 

「シンザン殿」

そこへエアグルーヴが訪ねてきた。

「ご指導、有難うございます。これで若いウマ娘も目標をもって練習に励むことができるでしょう」

「……どこまでも他人事なんだねえあんた達は。ま、しょうがないかね」

「中々手厳しいコメントもいただきました。今後の課題にすると会長も言っておられました」

「ま、そこらへんのことは、あんたらでやるんだね。いい年した連中がウマ娘の未来を踏みにじるようじゃ、痰の一つでも吐きたくなるからね」

「……善処します」

 

「ま、私は今後も臨時トレーナーは続けるけど、頼り過ぎないようにね」

「分かっています。我々も、問題点の解決を目指し具体案を出していかなければ……」

 

 

「さて、そろそろ帰ろうか……いや、その前にカノープスの連中を見ておこうか」

シンザンはカノープスが使ってる部室に向かった。

「ん……人の気配がないね。みんなもうターフに行ってしまったかな……」

しかし鍵が掛かってなかったため、勝手に入らせてもらう。

横断幕やポスターが所狭しと貼られた部室内部。今まで実力バの引き立て役に過ぎなかった皆が、必死にGⅠ勝利という夢に向かって頑張っている。

指導してきた年寄りの身としては、できれば報われてほしいというのが本音だ。

「ん……」

テーブルに書きたてのポスターがあった。そこには『目指せ秋天制覇!』『頑張れ秋華賞一着!』という文字が殴り書きしてあった。

「そうか、秋天と秋華賞に出るんだね。頑張りなよ……」

 

シンザンは部室を出た。

さて、今度こそ帰ろうかという時、見知った顔を見かけた。

「おい、不良ウマ娘」

そう、練習をサボっていたシンボリエムブレムが通り過ぎようとしていた。

「なんだババ……て、あんたか」

「ちょっと、ツラ貸しな」

「……ちっ」

 

「練習場には行かないのかい?」

「ふんっ、私が行くと周りの奴らが練習に集中できなくなるからって、半分出禁状態なんだよ」

「……なんなら私が経営しているスポーツセンターを貸してあげてもいいが」

「いらねえよ。私にとっちゃ勝つも負けるも、生きるも死ぬも一緒だ」

「……随分刹那的な生き方をしてるんだねえ。まだ若いのに、勿体ないねえ」

「周りからはそう見えるかもな。でもこれでいいんだよ。会長は俺を手元に置いてるつもりだが、いずれ手に負えなくなって手放すさ」

「お前さんが何もしなきゃそんな事はしないさ。それとも、何かしでかすつもりかい?」

「ふんっ……」

エムブレムはニヤリと笑った。眼は相変わらず地獄か海の底を見ていた。

「今、私はジャパンカップに推薦されている」

「へえ、あんたが、ねえ……」

「そこで、ひょっとしたら面白いものがみられるかもよ。ククク……」

それだけ言うと、エムブレムは去っていった。

 

 

「あんたに、日本は狭すぎるかもしれないねえ……」

ポツリとそう言うと、シンザンは帰りの車を呼び、学園を後にした。

 



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いざ、秋華賞へ

トレセン学園からそう離れていない大病院。

ライスシャワーは今日もリハビリに励んでいた。

「んっ……はっ……んっ……んんっ……」

ライスは膝にボルトを挿れた。少しでも負担を軽くするための措置なのだが、膝は言うまでもなく駆動域である。曲げることすら一苦労になる。

脚の状態だって決して良くはない。ようやく歩行訓練の許可が出たとはいえ、最初は脚を地面に付けただけで痛みが走った。

かといって何も動かさずにしていれば筋肉と関節が癒着して余計曲げることが困難になる。痛みに耐えながら脚を少しずつ降ろし、馴染ませていくしかない。

今は歩くことすら困難な時期。それを乗り越えれば走る練習を行い、そしてまともなトレーニングに到達するまでには気の遠くなるような時間が掛かる。

 

かつて、ライスは精神を極限まで引き上げ、メジロマックイーンに勝利した。要求されるのは、その領域かもしれない。

だがここは病院である。どれほど頑張っても、限界だと医師が判断すればその時点で今日のリハビリは終了だ。

なにせ毎日鬼気迫る表情で歩行練習に取り組んでいるのである。周りの患者たちはドン引きしており、常にハラハラしっぱなしだ。

「はあ……はあ……んんっ……んんん……~~~~~!」

ライスが倒れる。担当医が駆け寄る。

「ライスシャワーさん、今日はもう限界です。病室に戻ってください」

「大丈夫です……。ライス、まだやれます」

「駄目です。もしまた膝を壊したら叱られるのはわたし達なんですよ」

「……。分かりました」

渋々ライスは車椅子に乗り、リハビリテーションを後にする。

 

主治医は依然、完治は難しい、どころか、まともに歩けるようになるのが精一杯、走るなど論外という見解だった。

唯一、それを否定してくれたのがシンザンだった。

「全てのウマ娘は、不可能を超えていくものだ」と。

(……おばさま、ブルボンさん、ウララちゃん、みんな、……ライス、頑張るからね)

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「さあ、カノープス本格GⅠ参戦ですよ! 皆さん、頑張りましょう!」

「えい、えい、おー!」

「みんな頑張るぞー!」

南坂トレーナーがカノープスの面々に檄を飛ばす。

これまでGⅠ参戦は何度もあった。しかし、幾度となく格上のウマ娘達に勝利を阻まれてきた。

誰だって勝てば嬉しいし、負ければ悔しい。しかしシンザンの手助けもあってカノープスの面々はこの上なく仕上がった。

今なら……そんな思いがメンバーを包んでいる。

「掴みましょう! カノープス初のGⅠ勝利を!」

「勿論です」

「やるぞー!」

「ターボも頑張るー!」

「……」

その中にあって、ナイスネイチャだけが少し元気がない。

「どうしたのネイチャ?」

「え、うん、ちょっと、ね……」

「どうしたネイチャ!? 変な者でも食べたか?」

「そんなマチタンじゃあるまいし……」

「んもー! わたし蜘蛛なんか食べてないよー!」

別に元気がないわけではない。だがネイチャはこのGⅠに対して思うところがあった。

 

「ねえ、トレーナー……」

「どうしました、ネイチャさん?」

「……ちょっと、食堂で二人で話せないかな?」

 

 

「一体どうしましたか?」

南坂トレーナーはいつも通り優しい表情で体面のネイチャに話しかける。

「うん……あの、あのね……今までありがとね、トレーナー……」

「え、何ですか? 藪から棒に」

ネイチャはここまでの事を思い出していた。そう、全てを。

 

商店街のバーの娘として生まれ、幼き頃からみんなに愛されてきた。自分の側には、いつだって応援してくれる人々がいた。

そんな皆の期待に応えたい。無謀かもしれないけど、ウマ娘として輝きたい。そう思ってトレセン学園に入学した。

でも現実は、やっぱり現実なわけで。甘くは決してないわけで……。

模擬レースも、選抜レースも、3着ぐらいが関の山。どれだけ努力しても、1着が遠かった。

しかも怪我までする。ああ、やっぱり自分はこうなんだろうな、と上手くいかずに悶々とする日々……。

そんな自分をスカウトしてくれたのが南坂トレーナーだった。それも怪我から復帰後のトレーニングをどっさり持ち込んで。

この人の期待に応えたい。そう思った。そうだ。自分はいつだって自分のために走ったことがなかった。

自分のために走ったのはトウカイテイオーと戦いたいと思った菊花賞の時が初めてだった。結局その想いは片思いで終わっちゃったけど……。

それから新メンバーが次々に入ってきて、カノープスも華やかになった。

まさかあんなへたくそな募集ポスターで入ってくる娘がいるとは思わなかったな。こんなことならもっと真面目に描くんだったなぁ……。今更だけど。

こうして心機一転、カノープスもチームとしてレースに出ることが多くなったけど、結局みんな1着が遠かった。

勿論未勝利ってわけじゃない。GⅢとかは勝ったし。

でもGⅠとなるといっつも引き立て役ばかりなのは変わらなかった。みんな勝ちたい筈なのに。

 

そんな私たちに転機が訪れる。伝説のウマ娘シンザンさんにターボが弟子入りした時だ。

ターボは私たちが見違えるほど走りの『質』が違っていた。

そしてトレーナーがシンザンさんに協力を申し出たのも大きかった。

 

特訓が始まった。地味だけど、とっても重要で、充実した時間。

手ごたえはあった。私たちは強くなった。

宝塚記念では情に流されてミホノブルボンに1着を譲っちゃったけど……。

 

そしてこの秋。カノープスは再びGⅠに挑戦する。

その前に、どうしてもトレーナーには伝えたいことがあった。

 

 

「私たち、シンザンさんのおかげで強くなった。強く、なったよ……。でもね、やっぱり競走バである以上、テイオーやマックイーンのように寿命はいつか来るわけで……」

「ネイチャさん……脚、厳しいんですか?」

「うん……シンザンさんに鍛えられていなかったら、とっくに限界はきてたと思う。みんなに釣られて発奮したからここまで来れた。でも……」

「…………」

「次の秋天、それが私の最後のGⅠ挑戦になると思う」

「そう、ですか……」

「でも、有難うね。トレーナー。あんまり実績ない私を秋天出場枠にねじ込んでくれて」

「私はトレーナーです。ウマ娘の皆さんが全力を出せるようにサポートすることが役目ですから。それに……私だって担当するウマ娘がGⅠを取る所を見てみたいですし」

「うん。トレーナーには感謝してる」

「でも、これだけは約束してください」

「何を?」

「カノープスは辞めないでください。ネイチャさんにはまだ皆さんを率いていく役目があります」

「……うん。分かった」

 

ナイスネイチャに後悔はなかった。悲痛な決心の元、天皇賞秋に挑む事を改めて決意するのだった。

 

 

そして、秋天の前週、秋華賞の日がやってきた。

カノープスからはイクノディクタス、マチカネタンホイザが出場する。ツインターボはなんでターボは出られないんだと機嫌が悪かったが、レースはちゃんと応援すると言っていた。

 

『春、週一ペースでGⅠレースが行われていた競バ界。暑い夏が過ぎ、今年も秋のGⅠレースが続く季節がやってきました』

『京都競バ場芝2000m秋華賞。スタンドは大勢の観客で賑わっております』

 

控室。イクノ、タンホイザは落ち着いていた。その中にはシンザンの姿もある。

「どうだい、調子は?」

「悪くないです。後は早めに前に出ていいポジションが取れるかですね」

「私は脚を溜めるつもりでいくよ。最後の直線までじっと我慢!」

「うんうん。悪くないね。二人ともいい面構えをしている。これならいいレースが出来そうだ」

「頑張ってね、二人とも」

「ターボのぶんまでがんばれよ、イクノ、マチタン!」

カノープスは二人出場。つまりどちらかが1着ならGⅠは取れるがもう片方は涙を流す。どちらが勝っても恨みっこなしだ。

しかしこれはGⅠ。油断しているとたちまち他の実力バにやられることも重々承知している。

 

ガチャ

 

「イクノディクタスさん、マチカネタンホイザさん、お時間です。ターフの方へお願いします」

「はい」

「はーい」

「頑張れよ! ターボめいっぱい応援するから!」

 

『さあ各ウマ娘、ターフの方に出てきました』

『やはり注目は一番人気、ダイワスカーレットでしょうか』

そのダイワスカーレットが現れた時、スタンドから大きな声援が起こる。なにせ去年の秋華賞優勝ウマ娘だ。2連覇に向けて準風満帆といったところか。

「カノープスのお二人!」

スカーレットが話しかけてきた。

「なんかさ、スピカとカノープスの対決、なんて学園じゃ盛り上がってるのよね。テイオーもそんな調子だったし」

「そうなんですか」

「……1番は譲らないから」

「ええ。私たちも負けるつもりはありません」

「ダスカちゃん、ウイニングライブのメインは貰うからねー」

 

 

『さあ、晴天に恵まれた本日の秋華賞。1番人気ダイワスカーレット。2番人気はマチカネタンホイザ。3番人気はイクノディクタスとなっております』

『果たしてダイワスカーレット、2連覇なるか。それとも下剋上は起こりうるのか。火花散らすデッドヒートに期待したいですね』

『各ウマ娘。ゲートイン完了。態勢整いました』

 

(一番人気と一着、この二つは譲らない。私が勝つ!)

(淀みなし。まずはゲート勝負に勝ちたいですね……)

(負けられない。カノープスの夢はわたしが叶える!)

 

ガコン!!

 

『スタートです。各ウマ娘綺麗なスタートです。出遅れたウマ娘はいません』

『これはかなりレベルの高いレースになりそうですね!』

 

「よし、飛ばす!」

 

『おおっと一番人気ダイワスカーレット、いきなりハナに立った』

『この走り……どうやら逃げを選択したようですね』

 

ダイワスカーレットはスタートから快調に飛ばす。じりじりと2番手以降に差を付けていく。3、4、5バ身と差は離れていく。

 

『これはどうなんでしょう、ダイワスカーレット』

『いや、このGⅠという独特の緊張感の中で競り合いを選ばないというのは面白い作戦ですよ』

 

一方、イクノディクタスは前段の5番手。マチカネタンホイザはバ郡の中段8番手といったところか。

 

「ああ、ダスカに付いて行ってるウマ娘がいない……」

「イクノー、タンホイー、追いかけろー!」

「いや、これでいいんだ。ここまではね……」

シンザンが冷静にレースを分析する。

 

(成程……)

 

ターボのような大逃げではないにしろ、序盤から2番手以降にどんどん差を付け、後続のウマ娘にプレッシャーを掛ける。

このレースはGⅠ秋華賞。走っているウマ娘達の重圧は計り知れない。当然我慢できずに追いかける者も出てくるだろう。

痺れを切らして追いかければ脚を使い込み最後に伸びず、我慢して脚を溜めれば最後に前を塞がれ差しきれずに終わる。

実に理にかなった作戦だとイクノは分析した。

 

(そこまではまあ……。ですがスカーレットさん、その作戦には大きな見落としがあります)

 

それは誰かが作戦に引っかかってくれなければ成立しないという事。その他力本願な心……。

 

宿題見せてーと言った瞬間、もう内容は頭に入ってない。

結婚した瞬間、もう家事をやる気はない。

 

そんな人任せな心では……、

 

((わたし達は倒せない……!))

 

『さあ追いかけるウマ娘がぼちぼち現れると思いますが、みんな思ったより冷静です』

『しかし、そろそろ追いかけないと逃げ切られてしまいかねませんが』

 

カチッ

 

「1000mのタイムが1分台……!? 思ったよりハイペースではありませんよ!」

手元のストップウォッチを押した南坂トレーナーがタイムに驚く。

「やはりハイペースな逃げではないね、周りをかく乱させるための逃げ、か……」

「ふん、ターボなら58秒切れるぞ!」

 

周りのウマ娘も、どこか甘えがある。

(いや、別に無理して付いて行く必要はないよね)

(私は行かないからあなた達が行ってよ)

(行け! 行ってっつーの!)

 

誘いに引っかかってもらってあわよくばおこぼれを拾おうとしている者と、

勝つためには自分の走りを貫くしかないと考えている者とでは、

 

((走りの質が違う……!))

 

『さあ、最終コーナーを回ってレースも終盤戦へと突入します』

『後ろのウマ娘もじわじわと距離を詰めてきました』

 

「あっれー? 追いかけてくるウマ娘がもっと来ると思ったんだけどなー?」

作戦通りと思ったダイワスカーレットもこれには困惑。

「ええい、何の! だったらこのまま逃げ切るだけよ!」

 

『先頭は依然ダイワスカーレット。これはセイフティリードか?』

 

「そうはさせない!」

「いくよダスカちゃん。この末脚は、他のウマ娘とは一味違うよ!」

 

『おーっと、ここでイクノディクタスがやってきた! 鋭い走りだ!』

 

「参ります、スカーレットさん」

「ふんっ、やるじゃない。やっぱり張り合いがある相手がいないと、ね!」

 

「わたしもいるよー!」

 

『ここでマチカネタンホイザも上がってきた! これで前は3頭態勢! やはり人気のウマ娘達の対決になるか!?』

 

「そうはいくかー!」

「絶対GⅠ取るんだー!」

「最後に勝つのは、あたしなんだからー!」

 

「わわっ、みんな来ちゃった!」

「いいですね。これでこそGⅠです」

「これを乗り越えた者だけが、栄光を掴めるんだね、燃えてきた!」

 

『残り200mを切った。後続のウマ娘も追いすがる。しかし、しかし、やはり3頭だ! 勝負はこの3頭に絞られた!』

 

「渡さない! 一番は絶対渡さない!」

「今まで培ってきた経験を、全てを! ここで出し切る!」

「今こそ見せるよ! 悪いのは運だけで、実力は本物ってところをね!」

 

「「「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」」」

 

『3頭ほぼ同時にゴーーーーーーール!! これは、勝敗の判定はビデオ判定に委ねられそうです』

『どうなんでしょう……。私の目にはマチカネタンホイザが差し切ったように見えましたが……』

 

3人が、カノープスの面々が、観客が、電光掲示板に注目する。

 

ダイワスカーレットは自分の勝ちだと確信していた。

イクノディクタスは後は野となれ山となれの精神だった。

マチカネタンホイザは天運を待った。

ネイチャとターボは祈った。

 

シンザンは、笑った。

 

どうだ、誰だ、いつだ、皆が掲示板を見つめる中、遂にナンバーは灯った。

 

勝ったのは……、

 

 

『マチカネタンホイザ! マチカネタンホイザだー! 勝ったのはマチカネタンホイザ! 遂に、この秋、秋華賞で、見事栄冠を手にしましたぁぁぁっ!!』

 

ワアアアアアアアアアアアアアアッッッッッ!!!!

 

「え、え、ええ……ほんと、まじ、わ、わたしが、勝ったの?」

「おめでとうございます。タンホイザさん」

イクノが拍手をしながら近寄ってくる。

「ふん、負けたわ。でも今日だけだから。次は勝つからね!」

ダスカがむすっとした顔で近寄ってくる。だが勝者を讃える拍手は忘れなかった。

 

「は、はは……ははは…………や、や、や、やった! やったあああああああああっ!!!」

 

マチカネタンホイザは天に向けてジャンプしながらガッツポーズをした。目元には涙が浮かび、興奮で鼻血も出したが、彼女は満足げであった。

 

 

レース後のインタビューの時がやってきた。観客席からはまだ拍手が終わっていない。

『おめでとうございます。見事な走りでしたね』

「はい、ありがとうございます」

『レース早々ダイワスカーレット選手が逃げました。思うところはありましたか?』

「さすがにこのままではまずいかもな、とは思いました。でも最後まで自分の走りを崩さずに、自分の脚を信じて走りました」

『レース結果発表が遅れて、緊張していたのではないですか?』

「そうですね。でもちょうど視界に入ってきたシンザンおばあちゃんが拍手をしていて、ああ、これは勝ったな、と思いました」

『これまで、多くのレースで、多くのウマ娘に栄冠を阻まれてきました。やはり悔しかったですか?』

「そう、ですね……。でも今日もそうだけど、最後まで自分を信じて、諦めなかったのが結果につながったんだと思います」

『諦めない、ですか……』

「そうですよ。何たって、チーム・カノープスは、諦めないウマ娘のチームですから!」

『この後のウイニングライブ、楽しみですか?』

「そりゃもう! 今まで溜まった分、思いっきり歌って踊ってきます!」

 

ワアアアアアアアアアアアアアアッッッッッ!!!!

 

控室で、タンホイザは皆に胴上げされた。また鼻血が出た。ティッシュ持ってきてよー、とタンホイザは笑った。

 

(おめでとう、タンホイザ……)

ネイチャはGⅠ勝利という栄冠を手にしたチームメイトを心の底で讃え、羨ましがった。

 

(さあ、次はこの私の番だね……)

 



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きっと、その先へ

「はっ……はっ……はっ……はっ……」

マチカネタンホイザの劇的なGⅠ勝利の数日後、ナイスネイチャは学園の練習場で最後の調整に入っていた。

つい先ほどはイクノと併走トレーニングも行ったが、感じは悪くない。ネイチャさんは絶好調です、と太鼓判を頂いた。

しかし本人たっての希望で、もう1週、もう1週だけお願い! と言う訳でもう1週走っている。

 

「うん、上りタイムは申し分ありません。これならレース当日でもいい走りをしてくれるでしょう」

南坂トレーナーの表情も明るい。

 

「ねーえ、トレーナー、ターボは? ターボはいつになったらGⅠ出れるのー?」

「はは、ターボさんはおそらく大トリになると思いますよ。そんな気がします」

「ふえ?」

「昨日、一年の最後を締めくくる『有馬記念』、その人気投票でターボさんがエントリーを果たしました」

「え? ターボ、また有馬に出られるの!?」

「はい」

「やったー!」

 

「……トレーナー。しかしターボさんに有馬は……」

そう、ツインターボは過去に2回、有馬記念に出場を果たしている。

しかし結果は見事なまでの負けっぷり。逃げて、ヘロヘロになって、追いつかれて、皆の後ろをフラフラになりながらゴール板まで歩く。基本こんな調子だった。

「でも、今年のターボさんは今までとは違います。きっといい走りをしてくれるでしょう」

「しかし、それでも今年は……」

「うーん、でもネイチャさんは朝に伝えたら目の前の秋天に集中したいという意向で出場を辞退しましたからね……その分ターボさんに頑張ってもらわないと」

 

「やあやあ諸君、練習お疲れ様なのでありますー♪」

「おや、遅いですよタンホイザさん」

「マチタンちこくだぞー!」

「ごめんねー。さっきまでテレビと雑誌の取材受けてて、学園内でも噂されて、ファンレターまで貰って、いやはやこれがGⅠバの世界ってことなのかなー?」

「……天狗になってますね」

「ふはははは、みな、わたしを褒め称えよー♪」

 

「でもカノープスの快進撃はこれで終わりません。今度はネイチャさんが栄光を掴んでくれるでしょう」

「そうですね。秋華賞を取れなかったのは残念ですが、不思議と悪い気はしませんし」

「ターボは有馬取るぞー!」

 

今年の天皇賞秋の面子は濃い。

ウオッカ、メジロライアン、スーパークリーク、マヤノトップガン、ヒシアマゾン、セイウンスカイと実力のあるウマ娘が揃った。

有力視されているのは皆GⅠ勝利経験のある者たちばかりだ。しかも逃げウマ、差しウマ、追込ウマと戦略もバラけている。

その中でネイチャがどこまでやれるか……。

 

 

一方、ネイチャは走りながらある事を考えていた。

みんな、自分の勝利を期待している。調子も悪くない。むしろ今まで一番いい。この最後の2000mだってきっといいタイムなはずだ。

それなのに、それなのに……、

(わたし、震えている……本番が近づく程、不安になる。当日を迎えるのが、怖い……)

きっとGⅠという大舞台に挑戦するから緊張してるんだ。武者震いだ。そう言い聞かせても、不安は拭えなかった。

(どうしよう……こんなんじゃ……)

その後、ネイチャは通販でマムシの粉を購入して食事に混ぜるなど迷走が続く。

ただ一生懸命走ればそれでいいというネイチャの心境の変化が、本番当日何をもたらすか、この時点では分からなかった。

 

 

「ふう……」

学食の時間、ネイチャはご飯を食べながら改めて自分の心境を見つめ直していた。

調子はいいのに、心は上の空だ。

レースは勝負の場である。体と心が一致しなければ勝てるはずもない。

(参ったなあ……)

するとそこに、

「やあ、ネイチャ」

「え……なんだ、テイオーか」

チーム・スピカのトレーナー補佐に就任しているトウカイテイオーが話しかけてきた。

 

「聞いたよ。調子がいいって。これなら天皇賞秋でもいい走りができそうだね」

「え、……あ、うん。そ、そうだね」

「カノープスからGⅠウマ娘が出たって、学園では話題なんだよね。おかげで他のチームのウマ娘もピリピリしてるってトレーナーが言ってた」

そりゃ万年引き立て役のカノープスから下剋上が発生したのだ。話題にもなるだろう。

「でもね、ぼく、今回はネイチャを応援するから」

「え……」

「ネイチャ、前からぼくのこと気にかけてくれてたでしょ? 怪我してレースに出られない時も、復帰頑張ってね、って言ってくれたのもネイチャだった」

「う。……う、うん」

「有難うの気持ちは直接伝えた方がいいよ、ってアドバイスしてくれたのもネイチャだったし」

「…………」

「だからぼく、ネイチャには凄く感謝してるんだ。だから今回は、ネイチャを応援するよ」

意外だった。テイオーの中で、自分はそこまでいいポジションになっていたことが。

いつもテイオーのキラキラな輝きを羨んできた自分が。

(あんまり、悪い気はしないかな……でも……)

「そういうのは、もっと前に言ってほしかったかな。ネイチャさん、なにせひねくれ者ですから」

「はは、ごめーん」

結局、二人は学食を食べながらずっと笑ったりしつつエピソードを語り合ったのだった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

そして遂に、天皇賞秋の当日がやってきた。

控室にはネイチャと、カノープスの面々と南坂トレーナーがいる。

 

しかし皆、ネイチャを心配している。様子がおかしい。

「ネイチャさん……?」

「あ、あー、うん、ごめん、ちょっとナーバスになってるみたい……」

「どうしたネイチャ? お腹痛いのか」

「そんなわけあるか。ターボじゃあるまいし」

「じゃあ変なものを食べた」

「それはマチタンでしょ。……もー」

どうやら原因は緊張しているだけではないらしい。

南坂トレーナーは思う。これが、自分にとって最後のGⅠチャンスになると気持ちを吐露した時から、ネイチャはどこかおかしかった。

思えばナイスネイチャというウマ娘の現役生活はとても順風満帆だったとは言い難い。

無事之名バなんて言うが、それは怪我を克服し、何度でも立ち上がってきただけにすぎない。それだけネイチャは故障に悩まされる人生だった。

(……もし、ネイチャさんが次に大きな怪我をしたら、私は現役を退くように伝えていたでしょう。例えそれが、ネイチャさんの幸せではなくとも)

もし怪我が癒えたら、自分はまたネイチャにレースを勧めなきゃいけなくなる。だが、果たしてそれが彼女の幸せになるのか?

南坂はトレーナーでありながら、一人の人間として、常に思い悩んでいた。

 

コンコン。ガチャ

 

(……ビクッ)

扉を開けた音がした時、ネイチャは驚きで体が跳ねた。それだけ気持ちが冷静さを失っていた。

「……おやおや、驚かせてしまったかい? 係員が来る前に様子を見ておこうと思って来たんだけどねえ」

現れたのはシンザンだった。ネイチャは、そっと胸を撫で下ろした。

「……ん、ネイチャ、どうやら心ここに在らず、といった感じだねえ」

シンザンはネイチャの表情を見た瞬間、全てを看破した。

「そうなんだ、ばーちゃん。ネイチャ、なんかおかしいんだ」

「シンザンさん、お願いです。一言かけてあげてください」

「……ふむ」

 

「ねえ、シンザンさん。聞いて」

「ん、どうしたんだい?」

「私、怖い……。負ける事じゃなくて、ターフに立つのが、走るのが、怖い……」

ネイチャは弱気だと分かっていたが、それでも真剣に本音を吐露した。

今まではただがむしゃらに走り続けていればそれでよかった。負けるのも実力が足りないからだと素直に飲み込めた。

だが、脚の状態が少しずつ悪くなっていくのが自分でも分かるにつれ、全力で走るのが怖くなり始めた。

次がなかったらどうしよう。もう走れなくなったらどうしよう。悔いが残る走りになったらどうしよう。

ライスシャワーやミホノブルボンのように、意地でも復帰してやると諦めていないウマ娘に比べたら、自分はまだ幸せなほうな筈だ。

なのに……、

 

「ネイチャ……」

「ネイチャさん……」

カノープスの面々もこの土壇場で弱気になるネイチャに驚く。だが元気づけてあげるような言葉が出てこない。

 

「…………」

だが、シンザンはネイチャの表情から全てを読み取り、そっと両手を肩に置いた。

「ネイチャ……おまえは臆病なんじゃない。優しい娘なだけさ。それは決して悪い事じゃない。怖がるのはよく考えてるって事だからむしろいいことだと思うよ私ゃ」

「シンザンさん……そこまでわたしのこと思って……」

「おまえさんが親から貰った名前……。それは決して大げさじゃない。この大舞台で華開くためにそっと取っておいたものじゃないかい?」

「ナイスネイチャ……だもんね。名前負けしてるからってあんまり好きじゃなかったけど……」

「それにね。カノープスの面倒を見ることになってから、実はあんたの母親がうちの会社まで来たことがあったんだ。娘をよろしくお願いします、って」

「おふくろが? ……もう、わたしに黙って、大きなお世話だっての……」

「あんたは本当に周りに恵まれてきたんだねえ」

「はは、そ、そうだね……本当に……」

 

「落ち着いたかい?」

「うん。もう、大丈夫」

ネイチャは笑顔で答えた。

「良かった、ネイチャさんが元気になって」

「やっぱりこういう時は年の功だよねー」

「おいおい、私はまだ現役だよ。老け込む気はないよ」

 

ガチャ

 

「ナイスネイチャさん。お時間です。ターフまでお願いします」

「はい!」

「行っておいで、ネイチャ」

「うん!」

ネイチャは元気に駆けて行った。

「さあ、私たちも応援の為に移動するよ!」

「おー!」

 

 

『今年もやってきました天皇賞秋。芝2000m。18頭のウマ娘達で競われます』

『東京競バ場は上がり勾配あり下り勾配ありと2000mとはいえ過酷なレース場ですからね。ウマ娘にとっては見た目以上に厳しい勝負になるでしょう』

そう。東京競バ場は見た目に寄らず山あり谷ありで直線にも坂があり脚に負担がかかるレース場である。

坂で脚を使いすぎて最後の直線で伸びない、というケースも多々ある。なにせ最後の直線は500m以上ありそこにも上がり坂があるのだ。

よほどパワーとスタミナがあるウマ娘でないと栄冠は掴めない。

『一番人気はウオッカ、二番人気はスーパークリーク、三番人気はメジロライアンとなっております』

『しかし東京の過酷なバ場を考えれば、順位はあまり参考にならないかもしれません』

 

ネイチャは今回8番人気。数字一桁がやっとという評価だ。

しかしレースが始まれば下馬評などなんら関係はない。自分の脚で覆して見せる。ネイチャは燃えていた。

(東京競バ場は山あり谷あり……。でもまずは最初のカーブを外側から回らないようにスタートが重要で、差すつもりでもまずは先行するべし、だったっけ)

ネイチャは座学の内容を思い出していた。

 

『各ウマ娘、ゲートに入っていきます』

 

「ネイチャ、大丈夫かな?」

ターボが不安を漏らす。さすがに先ほどまでのネイチャを見ていると、ターボと言えど心配になっているようだ。

「ゲート周りのピリピリした空気が、こっちまで伝わってくるようですね」

「あー神様仏様お願いします。ネイチャを勝たせてあげてください」

(ネイチャさん。大丈夫です。あなたならやれます)

「……スタートが勝負だね。ここで出遅れたら、もう終わりだろうね」

シンザンは冷静に状況を分析する。確かに、最初のカーブで脚を消耗してたら、おそらく勝ち目はない。

かつてシンザンは抜群の試合巧者だと言われていた。

最高のスタートダッシュ、ペース配分、勝負どころの抜け出し、1着を確保しながらのゴール、その全ては芸術的な『型』とされていた。

秋天は自分も走ったことがある。(まあその時は3200mだったが)その時の古いビデオを何度もネイチャに見せた。「走り方」は頭に入っている筈だ。

 

『各ウマ娘、態勢完了です。後はゲートが開くだけだ』

場内の空気も張り詰める。このスタートダッシュ、この差で栄冠に輝いたウマ娘もいれば、出遅れてそのまま泣いたウマ娘もごまんといるのだ。

 

ガシャ!

 

『スタートです。各ウマ娘一斉にスタート。まずは先行争いをするのはどのウマ娘か!?』

『先行争い、やはりセイウンスカイとマヤノトップガンがいきます。お互い激しい1着争いだ!』

 

そしてネイチャは、

『先団はウオッカ、メジロライアン、そしてナイスネイチャだ』

「よーし!」

カノープスの面々がガッツポーズをする。この人気順でこの位置はスタートに完璧に成功したといえる。

「こらこら、まだ第一関門を突破しただけだよ」

シンザンが皆を諫める。だが、ネイチャの走りはかつての自分を彷彿とさせるくらい輝いていた、と言えば持ち上げ過ぎか。

 

(よし、いいスタートを切れた。まるでシンザンさんが乗り移ったみたいに完璧だった。でもこれで満足しちゃいけない。これからが本番だ!)

ネイチャは気合を入れ直した。だがここからがまさに本番。東京競バ場の山あり谷ありの勾配だらけのレースである。

 

 

『さあ、レースも中盤を過ぎ、先頭は第3コーナーに差し掛かった』

『東京はとにかく走り難いですからね。既に脚が重いウマ娘もいるはずですよ』

 

先頭はセイウンスカイがマヤノトップガンを抜いて現在暫定1位。しかしマヤノは脚を溜めているようにも見える。

ウオッカとメジロライアンは自分の位置をキープ。ネイチャも離されないようにこの位置にいる。

そして後方からはスーパークリーク、ヒシアマゾンがじわりじわりと上がってきた。

東京競バ場は最後の直線にも坂がある。故に、直線で一気に捲ることが難しい。

おそらくこのレースは、有力バが最後まで競い合うレースになるだろう。

 

「ネイチャー!」

「ネイチャー!」

カノープスの面々が必死に声援を送る。その声は果たしてネイチャに届いていただろうか。

 

『さあ、セイウンスカイが、第4コーナーを……回った。ハナに立ったのはセイウンスカイ……いや、違うぞ! ウオッカだ! ここでウオッカが上がってきたぁ!』

「さて、そろそろ本番と行こうじゃないか」

「わっ、もう来るの!?」

「残りの差をキープする自信があるから今上がるんだよ!」

 

『ここで先頭はウオッカ! 一番人気のウオッカだ! セイウンスカイは伸びないか!? セイウンスカイを抜いてマヤノトップガンが2着だが、脚色には差があるぞ!』

「くそっ……我慢だ! ここで脚を使えば坂で減速する。もう少しだけ我慢だ!」

「あん、もう、わたしは脚使っちゃうわよー」

「奇遇だな。わたしもだ!」

 

『後続もやってくる! だが先頭はウオッカ! この東京の長い直線、果たして逃げ切れるのか!?』

『有力バは全員コーナーを回り切った! さあここからが最後の勝負どころです!』

 

(よし、ここだ……!)

 

ダダダッ!!

 

『おーっとここで早めのスパートを掛けてきたウマ娘がいる! ナイスネイチャ! ナイスネイチャだ!』

『後続を引き離し、先頭のウオッカに襲い掛かる!』

 

「ネイチャきたああああ!!」

「いけーネイチャー!」

「ネイチャー!」

 

そして遂にネイチャはウオッカに並ぶ。

「おっ、意外だな。でも抜いて最後まで持つのか?」

「いつまでも善戦ウマ娘じゃいられないのよ!」

 

『抜いた! 抜いたー! ナイスネイチャ! ナイスネイチャ現在1着。しかし差はわずか! 後続も追ってくる! これはどうなんだ!?』

 

「いけるぞーネイチャー!」

「いけーネイチャー!」

カノープスが必死に声援を送る。しかし、

「いや、このままだと捕まる」

シンザンだけは冷静だった。

「ええっ!?」

「ネイチャの脚は一杯だ。このままウオッカと競えば消耗し力負けする。かといってもう一度差し返そうとしてもバ郡の中に放り込まれて終わる」

「どっちみち駄目じゃん!」

「では、ネイチャさんはここまでだと?」

「…………。もし、勝ち筋があるとすれば、ネイチャが自分の脚を捨てられるか、だろうねえ」

 

「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ!」

「はっ、はっ、はっ、はっ!」

『ナイスネイチャ、ウオッカ、両者とも一杯か!? 粘ってはいるがさすがに苦しそうだ!』

『そしてここで後続バが一気に差を詰めてくる! どっちだ!? ネイチャかウオッカが粘り勝つのか!? それとも後続が差し切るのか!? 残り200を切ったぞ!』

 

(辛い……呼吸も出来ないし、脚も痺れてきた。みんなの声援だけは聞こえてくるけど、正直、期待に応えられそうにない……)

ネイチャの視界が少しずつ歪んできた。これ以上脚を使ったら、本当に壊れてしまいそうだ。

(やっぱりわたし、ここまでなのかな……。いいとこ善戦止まりの惜敗が似合うウマ娘で終わるのかな……)

カラダはあちこち悲鳴を上げている。胃液を吐きそうなほど苦しい。

(テイオーみたいなのに憧れるだけで、満足なのかな。今脚を止めちゃえば楽になるよね……)

これが最後と内心決めたGⅠ挑戦。周りからすればよくやったと思われるだろう。

 

(でも……でも……!)

 

「負けたくない……負けたくないよ……! 諦めたくない!」

自分の脚は限界に近い。これ以上力を込めたら本当に壊れてしまうかもしれない。走るのはおろか、歩くだけでも困難な障害脚になるかもしれない。

それでも、構わない。自分の限界を自分で決めてたから結果が出なかったんだ。それならば……、

 

「走りのために、死に向かええぇぇっ……!」

 

『おーっと! ナイスネイチャが抜け出した! ナイスネイチャだ! ウオッカと後続を引き離していく。素晴らしい粘り脚だ!』

 

「ネイチャーーーーーーー!」

「いけーーーー! ネイチャーーーーーー!」

「これだよ……。これが私の待ち望んだ、あんたしかできない、あんただけの走りさ」

 

 

「限界を超えた先、きっと、その先にゴール板はある! 待ってろ! わたしのためだけに、待ってろおおぉぉぉっ!!」

 

 

『ナイスネイチャ、今1着でゴーーーーーール!! ナイスネイチャ! ナイスネイチャです! なかなかGⅠを勝てなかったナイスネイチャが、この天皇賞秋で輝きを放ちました!』

『やったぞナイスネイチャ! 並み居る強豪をねじ伏せ今、天皇賞(秋)を制覇した!』

 

ワアアアアアアアアアアッ!!!!

 

(勝った……わたし、勝ったんだ……この拍手と歓声、ぜーんぶ独り占めしてるんだ……)

ネイチャは芝の上に大の字で転がって、上空を見ていた。もう自分では一歩も歩けそうにない。

「「「ネイチャーーーーー!!」」」

 

観客席を飛び越え、カノープスのメンバーが祝福にきた。

「凄かったぞネイチャ! これでネイチャもGⅠウマ娘だな!」

「見事ですネイチャ! 今までで一番の、最高の走りでしたよ!」

「恰好よかったよーネイチャー!」

 

「わぷっ、ちょ、こらこら、あんたたち、やめ、あーもう、きゃっ、やーめーてー、ってほんとやめなさいよ」

手荒い祝福を受けるネイチャ。

 

「ネイチャーーーー!」

今度はテイオーまで抱き着いてきた。

 

「わわっ、ちょ、ちょっと、テイオーまで、もう~」

「見てたよ。ネイチャ。凄い走りだった。最後の抜け出したところ、本当に凄かったよ。おめでとう!」

「は、はは……テイオーからおめでとうなんて、こりゃ明日は大雨かなあ……」

 

 

「ところでネイチャ、立てる?」

「先ほどから両脚が震えているようですが」

「ん、ああ、これ? まあ限界突破して走っちゃったからねえ。多分折れてるんじゃないかな?」

「えー、そりゃ大変だ!」

「わたしもテイオーと同じくらい、怪我の連続だったからねえ。悪いけど、車椅子持ってきてもらうように頼んでよ」

「あー、ぼくもしょっちゅう折ってたからねえ。辛いんだよね、骨折って」

「まあ医師の診断がまだですから、折れてるとは断定できませんが……」

その後、車椅子に乗せられたネイチャは走ったライバル達に押されてヒーローインタビューの所まで行った。ウイニングライブは中止してもらうように報告を入れて。

 

「見事、天皇賞秋を制覇した、ナイスネイチャさんです。おめでとうございます!」

「有難うございます」

 

ワアアアアアアアアアアアアアッ!!

 

「最後に抜け出したところは見事な走りでした。どんな気持ちでしたか?」

「もう2度と走れなくなっても構わないという悲壮感がありました。事実、脚はまだ痛いです。無理をし過ぎましたね」

「走る前はどんな心境でしたか?」

「……本音を言えば、怖かったです。これが最後のレースになるかもしれないと思ったから。でもシンザンさんに優しく諭されて、勇気が出ました。改めてお礼を言いたいです」

「ライバルたちは強豪揃いでした。どんな印象を持ちましたか?」

「みんな自分より格上だったので緊張しました。練習では調子よかったので、まずその調子を出すことを考えました」

「レース内容を振り返って、どうでしたか?」

「とりあえずスタートに気を付けて、あまり離されないようにすればいいレースができると思いました。そうすれば多分負けない……というのは言い過ぎですかね。はは」

「同じチームのマチカネタンホイザさんの影響はありましたか?」

「GⅠ取ってすぐ、ですからね。でも凄いと思います。いい発奮材料になりました」

「この勝利を誰に届けたいですか?」

「まずはチームのみんな、それからシンザンさん、おふくろ、商店街のみんな、後はトレーナーですかね。それからトウカイテイオーにも。とにかくいっぱいいます」

 

「ところで、ナイスネイチャさんは今後どうするのでしょう? 引退、も囁かれていますが……」

「本当はこれで終わり、でも悔いはないんですけどね。私もあるウマ娘の復帰を待とうかと思います」

「それは、一体誰ですか?」

「……ライスシャワーです。彼女の復帰戦でもう一度走って、それで引退しようかな、と思ってます」

「ライスシャワーは、復帰できるでしょうか?」

「わたしは信じてます。わたしだけじゃない。多くの人たちがそれを信じていますから」

 

「うっ……ぐすっ……」

その言葉を聞いていたライスシャワーは涙が止まらなかった。

「ありがとう、ネイチャさん。……ライス、頑張ります……」

 

 




【悲報】すいません。書き溜めていた文がとうとう尽きました。
これからは出来上がりしだいの更新になります。申し訳ありません。
できるだけ早く書き上げますので、気長にお待ちください。かしこ。


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それは死神の仕業だった

トレセン学園からそれほど離れていない病院。死闘を繰り広げたナイスネイチャはここにいた。

 

ネイチャの脚は、やはり折れていた。

とりあえずくっつくまでベッドの上で暇な時間を過ごし、頃合いになったら学園に戻るつもりだ。

「ふう……」

天井を見上げ、大きく息を吐く。横をちらりと見る。そこには天皇賞秋優勝を証明する記念の盾があった。

(本当に、勝ったんだね。わたしなんかが……)

思わず顔がにやけてしまう。これは卒業するまでは部室に飾って、卒業したら家宝にしよう。とか考えてみたり。

 

これでカノープスからはGⅠ優勝ウマ娘2人目。もうすっかり学園でも有名チームだ。来年は大所帯になるかもしれない。

(まあわたしは卒業したら、どうせおふくろのバーに戻ってお仕事を手伝う事になるだろうけど、みんなはどうするのかな?)

 

「ネイチャさん……」

「あ、ライス。お帰り。リハビリに行ってたんだっけ?」

「はい。ライス、今日も頑張ってきました」

この病院にはライスシャワーも入院している。あいにく同じ病室にはなれなかったが、二人はちょくちょく会っている。

 

「どう、脚の調子は?」

「あんまり、良くはないですね。でも、ライスの脚、最近ちょっとだけ力が入るようになったんですよ」

ライスシャワーの膝は深刻だった。腱は切れたし、神経も繋がなければいけなかったし、骨は割れていた。

正直、障碍者手帳を貰ってもおかしくないほどの重症である。

だが、ライスは心底諦めなかった。ブルボンとの約束、そして新たに加わったネイチャとの約束、それを果たすために毎日過酷なリハビリを行っている。

「……待ってるから。ずっと、待ってるから」

「はい……」

人々からは悪役(ヒール)と言われてきたウマ娘。最近は「頑張ってください」という旨のファンレターが届くこともある。

奇跡が起きなければ復帰は難しい。それでも、ライスは前を向き続ける。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

ジャパンカップ。

かつて、日本競バ会の発展の為設立された、大規模な国際招待競走で日本初の国際GⅠである。

設立当初は海外ウマ娘の実力に圧倒され、日本勢は苦戦していたが、近年は逆に日本勢が活躍を見せている。

まあ招待されるウマ娘の頭数が減ったのだから、日本勢が有利なのは仕方のないことだが。

 

しかし、今年の招待ウマ娘はいずれも劣らぬ強豪揃いだった。一体幾ら積んだんだと言われるくらいに。

 

イタリア代表・リボーの再来だとも言われる10戦無敗、今年の凱旋門賞王者カデンツァ。

フランス代表・前年凱旋門賞優勝ウマ娘トレヴミックス。

イギリス代表・40戦走って怪我なしの鉄人リングスパーク。

アメリカ代表・レースとなれば北も南も関係なしレッドアリゲーター。

ドイツ代表・たった一人で生まれた牧場を救った孝行ウマ娘ランドドリーム。

 

それに挑むは日本の精鋭ウマ娘達である。この国際試合、負けるわけにはいかないと他のGⅠ出場をキャンセルして出てくるウマ娘もいる。

そしてその中にいるのはシンボリルドルフの肝いり、10戦10勝無敗、魔獣(ビースト)、シンボリエムブレムの姿もある。

春のクラシックを無敗、それもレコード連発で乗り越えてのシニア戦である。

とはいえ、不安材料もあった。他のウマ娘が怯えて逃げていくのでまともに練習場で走っていないのである。

仕方なくオープン戦を調整代わりに使うことになったが、やはりシニア戦とはいえ、まともに勝っていないウマ娘では勝負にならなかった。

そんな彼女が初めて格上に挑む。しかし悲しいかな、嫌われ者であるエムブレムを応援する声は殆どなかった。

まあその甲斐あって彼女の漆黒のモチベーションはグラグラとマグマのように煮立つことになるわけだが……。

 

そしてレース当日。

日本勢からはスペシャルウィーク、グラスワンダー、エルコンドルパサー、テイエムオペラオーなどが揃い立った。

その中にはシンボリエムブレムの姿もある。相変わらず地獄を見てきたような闇が深い視線で全てを睨み付けている。

 

「はーい、エムブレムちゃん」

そこへエムブレムに話しかけてきたウマ娘がいた。古ウマ娘、マルゼンスキーだ。

「だから古ウマ娘って何よ!?」

「何処と喋ってるんだ……?」

エムブレムは視線を逸らし、海外招待ウマ娘を吟味する。今日の生贄になりそうな奴はどれか、想像するだけでもにやけがとまらない。

「こーら、お姉さんを見なさいよぉ。無視されると怒っちゃうんだから」

首を掴んで強引に回し、正面に自分を入れようとする。

「今日はルドルフちゃんに変わって、お目付け役として参加することになりました。よろしくねー」

「……ちっ、相変わらず過保護な人だ」

「まあそう言わないでよ。今日はお痛は、だ・め♪。みんな真剣に走るんだから、エムブレムちゃんも真剣にね」

「……別に勝ってしまっても構わないんだろう?」

「まあ無敗記録更新は観客の皆さんも期待してるからね。まあ競争バである以上、期待には応えないと」

「ふん……わたしに期待してる奴なんかいねえよ」

エムブレムはスタスタとゲートに向かって去っていった。

「あ、ちょっと!」

(あいにく……走るのが楽しいなんて、教育は受けてないんでね)

 

 

『世界の精鋭が、ここ東京競バ場に集う祭典、ジャパンカップ。今年は類稀なる強豪が来日してきました』

『いずれも劣らぬ名バ揃い。そのウマ娘に、日本のウマ娘がどう立ち向かうのか、注目ですね』

『一番人気はイタリア代表カデンツァ。もはや無敗神話は既定路線と言われています。

二番人気は凱旋門賞制覇ウマ娘トレヴミックス。こちらは今年で引退を囁かれていましたが翌年も現役を続行するとの事でファンを喜ばせました。

三番人気はキャリアでは他のウマ娘では文字通りお話にならない鉄人リンドスパーク。来年の目標は50試合を走ることだそうです』

 

そう。今年のジャパンカップ、一~三番人気に日本のウマ娘の名はなかった。それだけ招待ウマ娘のレベルが高かったのだ。

シンボリエムブレムは五番人気。四番人気は日本総大将ことスペシャルウィークに譲った。

しかし日本代表は寝首をかいてやる気満々である。ここは日本。今までのレースの様にはいかないと思わせなければと気合も入っている。

 

その結果がどう出るか……?

 

「…………」

「…………」

海外勢は一言も喋らない。だが視線で追いかけているのは同じ海外からやってきたウマ娘ばかりだ。

日本勢など歯牙にも掛けないということか。

 

『各ウマ娘、ゲートイン完了。出走の準備が整いました』

『どんなレースになるのでしょう。まずはスタートに注目ですね!』

 

ガコン!

 

『スタートです。まずは綺麗なスタート』

『先行争いはやはりマルゼンスキー……いや、違う。イタリア代表カデンツァだ!』

 

「くっ、なんて迫力なの!? 逃げの質が違う!」

「フン、コンナモノカ」

カデンツァは先行争いをすることもなくマルゼンスキーを抜いて先頭に立ち、加速していく。

なにせカデンツァのオリジナルとも言われるリボーは、生涯成績16戦16勝、2着以下との差は合計99バ身+アタマと言われる化物である。

中団から差そうとか、後方から追い込もうとか、そう考えていたら手遅れになる。

それでも他の海外勢と日本勢は頑なに自己のペースを守った。

スペシャルウィークはバ群の中団、グラスワンダーはやや後方。テイエムオペラオーは先団5着。

トレヴミックスは現在4着、リンドスパーク、ランドドリームは中団、レッドアリゲーターは後方で脚を溜めている。

 

その中、ただ一人、逃げは許さない許すわけがないと突っかかっていくウマ娘がいた。

『おーっと、気持ちよく逃げようとしていたカデンツァに並ぼうとしているウマ娘がいる! エムブレムだ! シンボリエムブレムだ!』

『今日は逃げを選択したんですかね?』

 

「おい、そこのお前、オナニー走法してんじゃねえぞ」

「ホウ、私ノ走リニ対抗スル奴ガイルトハ」

 

エムブレムは加速一気に間合いを詰め、カデンツァに並ぶ。二人はコーナー前で早くも肉薄する。

そして二人がコーナーに差しかかろうとする、その時だった。

 

「悪イナ、ワタシハ前ヲ走ラレルノハ、大嫌イナンダヨ!」

 

ドンッ!!

 

「くっ……!」

カデンツァが進路妨害ギリギリのタックルでエムブレムを大外に弾き飛ばした。

その様を見ていた後方のウマ娘達は驚愕する。カデンツァは明らかに故意にぶつかった筈だ。

『おっと、シンボリエムブレムが外に弾かれましたね』

『少し密着し過ぎましたかね。進路妨害ではありませんよ』

実況も解説もカデンツァのラフプレイに気付いていない。

エムブレムは結局失速し、前団5着程度まで沈んでしまう。

 

「大丈夫かい、エムブレムくん」

見かねたテイエムオペラオーが話しかけてきた。

「いやはや海外のウマ娘はやんちゃだね。ボクならあんな真似はしないよ。追い抜く時も、もっと優雅に、華麗に……って、エムブレム、くん……?」

横をチラリと見たオペラオーは一瞬青ざめた。

そこには、今にも人を殺しそうなほど血の気が引いた鉄仮面にドス黒い眼を張り付け、殺気を全身から放つエムブレムがいた。

「ちょ、ちょっとちょっとー、エムブレムちゃーん、これはレースなのよー。喧嘩は駄目よー」

背後でマルゼンスキーが忠告する。しかしもうその言葉は届いていない。

 

「…………殺す」

 

 

『さあカデンツァ、快調に飛ばしています。2着以下との差は縮まるどころか逆に離されるばかりです』

『1000mのタイムは、57秒8! 何と58秒切っています。桁違いのハイペースですよ!』

『これはレコードが見えてきたか、イタリア代表カデンツァ!?』

 

「フフン、コノコースハ随分ト走リニクイノダナ。マアイイ。先頭ハ誰ニモ譲ラナイ。マア誰モ追イツケナイダロウガナ」

本来ならこのペースでは最後に息切れしてもおかしくはない。だがカデンツァはレースで一度もバテたことがなかった。

レコードは出して当たり前。勝つのは自分一人。それも一度も2着以下になったことすらない。

他のウマ娘がどれだけ強かろうと関係ない。自分はリボーを超える最高傑作だ。素質が違う。

 

「アア、気持チイイ……誰ニモ邪魔サレズニ先頭ヲ走ルコノ快感……タマラナイ」

カデンツァは快感の余り股間を濡らした。

 

 

『さあカデンツァ、独走状態で第四コーナーを抜けようとしています』

『他のウマ娘には厳しいリードですかね』

 

「サア、仕上ゲダ」

カデンツァが直線で更にスピードを上げる。こんな辺境の島国の国際試合など、目を瞑ってても勝てる、そう確信していた。

しかし、後方のウマ娘は心底諦めてはいなかった。

「まだ終わりじゃないよ! 東京の直線は長い上に坂があるんだ! 簡単にはいかないよ!」

「ふふ、この距離を詰めての大逆転、実にボクらしい華麗な舞台とは思わないかい?」

そして他の海外ウマ娘も黙ってはいない。

「満足シタカ、カデンツァ。サアイクゾ!」

「レディゴー!」

 

ウマ娘たちがカデンツァに迫る。しかし厳しいリードだ。本来なら逃げ切られていただろう。

このウマ娘がいなければ。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」

リボーの走りが『ミサイル』なら、彼女の末脚は『雷光』。物理と光速。比べようがない。

 

『だが後方のウマ娘の中から別次元の追い込みを見せるウマ娘がいる! エムブレムだ! シンボリエムブレムだ!』

『こ、これはとんでもない速度ですよ! F1かなにかでしょうか』

 

そしてあっという間にカデンツァのセイフティリードは終わる。もはや相手との距離は目と鼻の先だ。

「ナ、何ダッテ、ソンナ馬鹿ナ! ソン……ナ……」

横に並んだエムブレムの顔を見た瞬間、カデンツァは、失禁した。

その黒き眼光は、紛れもなく殺人鬼(マーダー)のものだった。助けて、そんな台詞も吐き出せぬまま、彼女は全身を逆立てた。

 

そして、シンボリエムブレムは、横に並んだ瞬間、わざと、ほんの僅かに速度を落とし、こう言った。

 

「…………死ね」

 

ばきっ! ぶちぶちボキボキッ! ブシュ―……。

 

エムブレムは蹄鉄が付いたシューズでカデンツァの脚を思い切り踏んづけた。

脚は粉々に砕け、肉と腱ははじけ飛び、折れた骨は皮膚を突き破って露わになり、血は勢いよく流れ出た。

 

「ギャアアアアアア! ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!」

 

カデンツァの絶叫に、歓声を上げていた観客は声を失った。

実況も、解説も、他のウマ娘も、言葉を失った。

 

時が、止まったかのようだった。

 

「ふふふ……はははは……あーっはっはっはっ!!!!」

ただ一人、高らかに笑い声を上げながら、エムブレムはゴール板を駆け抜けたのだった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

そして、レースの結果が出た。

シンボリエムブレム、進路妨害により最下位に降着。

1着はトレヴミックス。2着はスペシャルウィーク。3着はランドドリーム。

カデンツァ、競争中止。

 

 

レース後、エムブレムは沢山のメディアに囲まれた。そして、あれは故意だと平然と言い放った。

「いやあ初めての敗北か、無敗記録が途切れた事は残念だよ。まあ仕方ないな」とケロっとしていた。

それと、

「ふん、命あるだけでもありがたいと思え。精々使い物にならなくなった脚を引きずって、国に帰るんだな」と付けて。

 

 

ジャパンカップ後、日本競バ会はイタリア本国だけでなく、世界中の競バ会から大バッシングを受けた。

これを受けて日本は当面の間、ジャパンカップの中止を決定。

華やかな国際招待試合は、一人のウマ娘の手によって深い闇へと沈んでいった……。

 

その火矢の矛先は、当然日本トレセン学園にも飛び火。シンボリエムブレムを選んだシンボリルドルフ会長はマスコミの前で深く謝罪した。

これまでの功績から、会長職を退く事にはならなかったものの、おそらく来年の新入生は大幅に減ることになり、その権威にも深い傷跡が残るだろう。

そして当人は……、

 

「君の処分内容が決定した」

エムブレムは生徒会室に呼ばれていた。横には今にも殴りかかりそうなエアグルーヴとナリタブライアンがいる。

「なんです?」

「……一年間の国内でのレース出場停止処分だ」

「案外軽いですね」

 

「軽いだと!? 何が軽いもんか!」

横のエアグルーヴが怒鳴る。

「会長が骨を折ってくれなかったら永久追放までありえたんだぞ! なのにその態度はなんだ!」

「選んだのは会長です。責任が生じるのは当たり前でしょう」

「……貴様!」

 

「だがこれで、君はシニアのあらゆるレースに出られなくなった。ピークで走る機会を失ったことになるが、それでいいのか?」

シンボリルドルフが問う。

「ふん。ならば日本のレースに出なければいいだけのことでしょう」

エムブレムは会長室を回れ右して出ていこうとする。

「貴様! まだ話は終わってないぞ!」

 

 

シンボリエムブレムは校門まで来ていた。外には大勢のマスコミがいた。

「しつこいな。あんた達も。毎日毎日……」

「シンボリエムブレムさん、出場停止処分を受けて一言お願いします!」

「ふん、わたしからいう事は一つだ」

「え……」

 

「わたしはこれから、海外に旅立つ。わたしに日本は狭すぎる」

「えっ……」

「イギリスのキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS、中国の香港ヴァーズ、ドバイのドバイシーマクラシック、アメリカのブリーダーズカップターフなど、

あらゆる海外GⅠに参加し、優勝して回る」

「なんと……」

「そして、最終的には凱旋門賞を取る……!」

「おおっ……」

「シンボリエムブレムの名を悪評ではなく、伝説として残すため。世界を蹂躙してやる……!」

 

「そ、そんな事を、競バの神は許すでしょうか……?」

 

「ならば神をこの手で捻じ伏せるのみだ!」

エムブレムの黒きモチベーションは、『世界』が標的になる程増幅していた。

観客席からは絶えずブーイングが湧くだろう。頼れる味方は一人もいないだろう。

しかし、エムブレムにとっては、それこそが自分の望んだ極致だった。

 

(待ってろよ『世界』。おまえら一人残らず殺してやる……!)

 

 

ちなみに、カデンツァは帰国後、死んだ。自殺だった。イタリアのトレセン学園寮で首を吊っているのが発見された。

リボーの再来と言われたウマ娘の、あまりに無惨な最期だった。

 

これを受けてエムブレムは、

「ふん、イタリアからすればいい迷惑だろう。金と時間を掛けて育てたウマ娘に死なれたのだからな。まあ、男との心中でないだけマシだな」

「まったく最近の若い奴らは生きることをすぐ諦めるから始末に負えないな。脚が動かないなら、娼婦にでもなればいいものを」

 

と、他人事のようだった。

 



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がんばれ!ウララちゃん!

「うりゃりゃりゃりゃああああ!」

トレセン学園のダートコース。使うものは少ないダートのコースを、一生懸命走るウマ娘がいた。ハルウララだった。

次の目標はいよいよGⅠ。チャンピオンズカップ・マイル1800mである。

しかしウララにとっては初めてのマイル距離挑戦である。今までの短距離とは違い、不安は拭えなかった。

 

タイムを測るのはキングヘイロー。ウララにはトレーナーが付いていないのでキングが仕方なく面倒を見てあげている。

日替わりでシンザンが付く事もあるが、あいにく今日はお休みだ。

 

ピッ

 

キングがストップウォッチを押す。

「うーん……」

タイム自体は悪くない。悪くないのだが……、

「ウララさん、いいわよ。上がってらっしゃい」

「はー……疲れたー……疲れたー……」

ヘロヘロになりながら戻ってきたウララに、タオルとスポーツドリンクを渡す。

 

「ねえねえキングちゃん、わたしのタイムどう? ちゃんと走れてる?」

「そ、そうね……」

タイムそのものは悪くない。だが、ゴール手前200mから途端にスピードが落ちている。それに伴ってフォームも悪くなっている。

レースを走るウマ娘にとって、200mというのは容易に見えて長く険しい距離だ。皆、ここで泣きを見るのである。

練習で良くても本番(レース)でこれでは、他のウマ娘に差し切られる可能性が高い。

 

ここにきて、ハルウララの走りの才能の乏しさが表れてきた。

ウララはかつて、ビリとブービーを繰り返していたウマ娘である。

それがシンザンの指導で見違えるほど速くなった。しかし、基礎体力、筋力という部分は持って生まれた部分によるものだ。ウララにはそれがない。

 

(……ウララさんの才能では、1600m程度が限界なんだわ。あと、200、あと200が限りなく遠い。どうするの、おばあさま……)

 

「どうしたの、キングちゃん?」

「えっ……!? あ、あはは、な、何でもないわよ。タイムは悪くないから、ね」

「ふぇ?」

 

「キングちゃん、わたし、次のレースではぜったい勝つよー!」

「気合十分ね。何か思うところがあるの?」

「ライスちゃんに勝ちをプレゼントするんだあ。勝って、ライスちゃんに元気を分けてあげるの。そうすればライスちゃん、ぜったいふっかつできるよ」

「成程。病床にいる少年のためにホームランを約束するベーブルースみたいな心境なのね」

 

ウララの熱意は本物だ。願わくばその目標を達成してほしい。だが、現実問題としては……、

「そう思うならもう1周走ってきなさい。練習の時点で完璧でなければ本番で力を発揮するなんて無理よ」

「えー? まだ走るのー?」

「GⅠは甘くないのよ。走るのが嫌なら泳ぐ。どちらか選びなさい」

「うー、じゃあ泳ぐ。いっぱい泳ぐから!」

「そうそう。おばあさまが見てないからって手は抜かないものよ」

 

(自分の為ではなく、誰かの為に走る、か……。聞こえはいいのだけれど、ウララさんにはやはり荷が重すぎるように思えるのよね……)

キングの心境は複雑だった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

そしてチャンピオンズカップ当日がやってきた。

前日、ハルウララはライスシャワーに会いに行き、必ず1着を取るからと笑顔で約束した。ライスはただ、頑張って、とだけ答えた。

この日に至るまで、シンザンとキングによるスパルタは続いた。ハルウララはヘロヘロだったが弱音は吐かなかった。

 

中京競バ場までの新幹線の中、ウララは寝ていた。まあ緊張で眠れないよりはマシである。

その対面にはシンザンとキングヘイローの姿がある。

「……おばあさま」

「ん、なんだい」

「……お互い、過保護ですわね」

「そうだねえ」

「それで、ウララさんの状態はいかほど?」

「仕上がりは悪くない。調子もいいね。ただ、結果を出すとなると……ちと難しいかねえ」

「やはり……」

「だが、このレースはウララにとって、かけがえのない一つの節目となる。まずはそれを見守ろうじゃないか」

 

 

日本競バ界において、ダートは今一つマイナーと言わざるを得ない。

有名なレースは殆どが芝のレースである。アメリカやドバイのように歴史と伝統のあるダートレースは少ない。

地方の高知競バ場で育ったハルウララにとって、ダートは当たり前だった。芝のコースを見る事自体珍しかった。

 

そんなマイナーな存在がGⅠという晴れ舞台で輝くために、日本中から精鋭が集まってくる。

その中に地方の落ちこぼれだったハルウララが混じるのは称賛に価した。

そんな彼女がこのGⅠでどこまでやれるか……。

 

『ダートレースの晴れ舞台、GⅠチャンピオンズカップ1800m。今年も全国から多くのダートウマ娘が集まりました』

『普段は芝のレースしか見ないという人も、このGⅠという舞台とあって多くの観客が集まっていますね』

スタンドは芝派、ダート派、どっちも派が一同に会し大入り満員。

そして観客席にはハルウララを応援する商店街の皆さまもわざわざ駆けつけてくれた。ウララからすればいいところを見せたいだろう。

 

控室。ハルウララは瞑想していた。本番に向けて集中力を高めるためだ。

GⅠとはいえ、やるべきことは変わらない。まずはスタート、続いてコーナーをしっかり回る。そして直線。以上だ。

だが今回は距離が長い。懸念されるとすればそこだけだ。仕掛け所を誤れば途端に苦しい展開となる。

 

シンザンとすれば、翌年のJBCクラシック・スプリントに挑戦させたかった。これならウララにとって適正距離を走ることができる。

だがウララはこのレースを選んだ。1着を取るために猛練習もした。ウララはこの勝負に勝てるとやる気満々であり、シンザンはその心意気を尊重した。

だが、ウマ娘にとって、適正距離とは人が思う以上に要求されるものが多いのだ。

キングとてあらゆる距離を走った果てに、適正距離を探し当てた。だがウララはそこまで器用なウマ娘ではない。

 

「よーし、ぜっこうちょー!」

ウララが突如立ち上がり、屈伸をする。気合の乗りはいいようだ。

「見ててね、ししょー、キングちゃん、わたしぜーったい1着取ってくるからね!」

「ああ、頑張るんだよ」

「おうえんしてくれるみんなのためにも、ライスちゃんのためにも、かならず勝つんだから!」

「ウララさん……」

「ウララ、一つだけアドバイスをしておこう。スマートファルコンに釣られて早めに仕掛けるのは止めときな」

「うん、わかった!」

 

ガチャ

 

「ハルウララさん、ターフに出てください」

「はーい、いま行きまーす。それじゃししょー、行ってくるねー」

 

「……元気だねえ」

「元気なのがウララさんの取り柄ですから」

「あの娘の笑顔が曇る姿は見たくはないが、はてさて、どうなるか……」

「おばあさま、私たちもスタンドに移動しましょう」

 

 

『さあ各ウマ娘、控室から出てきました』

 

ワアアアアアアアアアアアッ!!

 

「ファルコンちゃーん!」

「ファルコンちゃん、応援しに来たぜー!」

「みんなありがとー! みんなのためにもトキメキ☆ウマドル・ファル子、必ず勝つね☆」

 

今日の一番人気、スマートファルコンが登場した瞬間に歓声が上がれば、

 

ワアアアアアアアアアアアッ!!

 

「ウララちゃーん! 応援しにはるばる来たぜー!」

「頑張るんだよウララちゃーん!」

「商店街のみんなー、わたし、がんばるからねー!」

 

今日の三番人気のハルウララが手を挙げて応援に答える。

 

早くもスタンドは応援合戦だ。

「いやはや華やかでいいねえ」

「ウララさんが掛からないといいけど……」

 

ファンファーレが鳴り響き、16頭のウマ娘がゲートインしていく。

今日の一番人気はスマートファルコン。砂のサイレンススズカの異名を持つダートウマ娘だ。

トレセン学園入学時は芝を走るも結果が出ず伸び悩んでいたがダートに転向すると才能が開花。

ダートというマイナーな世界もなんのそのと砂上を走る自称ウマドルである。そのファンは日本中にいるという。

 

だが全国規模のファンとなればハルウララも負けてはいない。かつては入着が遠かったがシンザンの指導で実力も付いた。

このレースにかける意気込みも高い。

(ファル子が1着を取り、GⅠセンターを手に入れる!)

(ぜーったい、1着になっちゃうもん!)

(あれ、わたし蚊帳の外ですか……? 一応二番人気なんですけど……)

二番人気に推されたチュウワウィザードはゲートの中で一人いじけた。

 

ガコン!

 

『スタートです。各ウマ娘、綺麗なスタート』

『おーっと、先行争いを嫌って、一気に抜け出したのはやはりこの娘、スマートファルコンだ』

 

「あら、いいスタートだったのに」

「いや、0.8秒出遅れたね。その証拠に見な。普段なら6~7番辺りなのに、今日は9~10番辺りだ」

「ええっ!?」

シンザンがハルウララを指導した際、嫌というほど練習させたのがスタートの練習だった。

ウララは短距離。少々の出遅れでも命取りになる。実際、教える前のウララのスタートは呆れるほど下手くそだった。

タイミング良し、と思ったら勢いが付きすぎてそのまま転んだことすらあった。

何千と体に刻み込ませ、ようやく矯正できるまでかなりの時間が掛かった。

 

なのに、この大一番の出遅れ。やはりウララと言えど緊張していたのか。

 

「よし、ファル子、動いちゃうよ☆」

歓声を浴びながら、どんどん加速し、逃げを打つスマートファルコン。ここまではいつものペースだ。幸い今日の面子に同じく逃げを打つウマ娘はいない。傍から見たら独走状態である。

他のウマ娘からすれば、楽に逃げさせていいものか、迷いどころだろう。

(うーん、どうしようかな)

(わたしは控えよう。マイルだろうが何だろうが、芝だろうがダートだろうが、勝負はあくまで最後の直線だ)

 

しかしここで我慢しきれず中団からするするっと前に出ていくウマ娘がいた。

ハルウララだった。

『おっと、ここで三番人気のハルウララ、前に出ます』

『少し仕掛けが早いですよ。掛かっているのかもしれません』

 

「今日はぜったい勝たなきゃいけないんだ。むりしてでも前に出なきゃ」

 

「ウララさん!」

「あのおバカ! あれほど釣られて仕掛けるなと言ったのに!」

そんな二人の心配をよそに、ハルウララ応援団は歓声を上げる。この声が、ウララを狂わせたのかもしれない。

 

ハルウララの追撃は止まらない。どんどん前に出て、気が付けば2着の位置まで来た。

しかしその場所はコーナーのど真ん中。当然外に膨らむ。それをしまいとウララは脚を使って内に張り付こうとする。

本来ならコーナーは減速し直線に備えるのがセオリーだ。なのに……。

「駄目だわ。完全に自分を見失ってる。まるで以前のウララさんみたい」

「……勝負あったね。もう見るべきところはない」

 

『さあコーナーを回り切ってスマートファルコン、加速を始める。それを追いかけるのはハルウララ、この2頭の争いか? それとも後ろの娘たちが間に合うのか?』

『勝負どころです。さあ、夢のGⅠ、栄光を掴むのは誰なのか!?』

 

「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ、ふぁ、ファル子、まだまだ行けるよー☆。ど根性☆」

先頭は依然スマートファルコン。しかし逃げとて体力を使う戦術には違いない。疲れはある。それに気付かないのはハルウララだけだった。

「はぁー……はぁー……はぁー……な、なんだろ、体が重い。息が苦しい。で、でも追いかけなきゃ。わたしが一番にならなきゃいけないんだ……いっちゃえー!」

ここでウララが火事場のど根性を出して加速する。

 

「ファル子! ファル子! ファル子! ファル子!」

「ウララちゃーん、頑張れー! もう一息だー!」

 

「ウララさん。その根性。素晴らしいものだわ。でも……」

「マイルじゃあ、届かないし、追い付けても先がないんだよ。残念ながらね……」

 

逃げるスマートファルコン、追いかけるハルウララ。しかしその距離が縮まったのはほんの一瞬だった。

そして後続のバ群が物凄い勢いでやってくる。

「きゃあ! 痛っ! わぁっ!」

右へ、左へ、体をぶつけられ、小柄なウララは途端に減速してしまう。着順はどんどん下の方へ落ちていく。

(そんな……わ、わたし、勝つんだ。勝たなきゃ、いけないんだ。それなのに、それなのに……)

 

 

『ゴーーーーーーール!! 勝ったのはクビ差でスマートファルコン! 苦しい戦いではありましたが、見事逃げ切り一番人気の使命を果たしました!』

『スマートファルコン、チャンピオンズカップを制しました!』

 

「みんなー、やったよー☆ ファル子を応援してくれて、ありがとー☆」

 

ワアアアアアアアアアアアアアッ!!!!

 

見事一着を取り、ファンの声援に答えるファルコン。観客席からは大きな歓声が上がった。

対してハルウララはブービーに転落。観客席からはため息が漏れた。

 

「し、仕方ないな、こういう事もあるさ! ウララちゃーん、よくやったぞー!」

「次は勝てるさ、ウララちゃん!」

「ウララ、ちゃん……?」

スタンドのハルウララ応援団はウララの様子がおかしいことに気付いた。普段ならどんな着順だろうと手を振って声援に答えていたのに、ウララは何も答えない。

「…………」

俯き、尻尾をひょろ~んと垂らし、何も言わず、ターフを後にしていった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

コツ……コツ……コツ……。

廊下に蹄鉄が付いたシューズの音が響き渡る。ウララは何も言わず前も向かず歩いていた。

「ウララ」

「ウララさん」

シンザンとキングヘイローが裏から追いつき、話しかけると、ハルウララは止まった。

「……ししょー……キングちゃん……」

ウララが顔を上げる。ウララは泣いていた。そういえば、ウララの泣き顔は初めて見たな、とシンザンは思った。

「うぅ……ぐすっ……うぅぅ……ふぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん」

ウララは大泣きした。もし周りに誰もいなかったら一人で泣いてたかもしれない。

「ほらほら、泣かないの、ウララさん。ティッシュあげるから、鼻ずびーしなさい。ずびー」

キングがティッシュを渡し、頭を優しく撫でてあげる。ウララはまだ泣き止まなかった。

「うぅぅ……あ゛り゛が ど う゛キングちゃん。……ずびー!」

ウララが鼻をかむ。まるで母親と子供である。

「……ししょー、わたし、負けちゃった……」

「そうだね。負けるべくしてまけたね。いいところが一つもなかったから当然だね」

「うぅ~……」

 

<<お父さーん 黄泉路の国でお達者でしょうかー>>

 

「おや、電話だ。……ライスシャワーからだね」

「ライスちゃんから!?」

 

「はい。おやライスシャワーかい。元気にしてたかい? あんまり見舞いに行けなくて申し訳ないね。……見てたのかい、レース。ふーん。今、ウララに代わるからね」

「ひっ……!!」

ウララは合わせる顔がないのか、逃げようとする。

「こらっ、ウララ! 逃げるんじゃない! 出るんだ。けじめはちゃんと付けるんだよ!」

怒鳴られてビクッとするウララ。しかしシンザンに諭されて、渋々電話に出ようとする。

 

「もしもし……」

『お疲れ様、ウララちゃん』

「うん……」

『見てたよ。残念だったね』

「うん。ごめんね……」

『どうして謝るの?』

「わたし、わたし……ライスちゃんにがんばってほしかったんだ。わたしががんばれば、ライスちゃんもがんばれるって。そう思ったんだ」

『そうだね。昨日いっぱい聞いたよ。大丈夫。ライス、ウララちゃんの想いは充分伝わってるから』

「ちがうんだ! それだけじゃないんだ! わたし、わたし……勝ちたかったの」

『そう、勝ちたかったんだ』

「今までいろんな人に支えられて、はげまされて、がんばるぞって気合が入って、それで、それで、みんなのきたいに応えたいなって思うようになったんだ」

『立派だね。ウララちゃんも成長したんだね。それ他の人に言ってごらん。みんな喜ぶと思うよ』

「うん。だからね。このGⅠ、ぜったいに勝ちたかったんだ。でも勝てなくて、なんかね、なんかね……くやしいの」

『悔しかったの?』

「うん……くやしくてくやしくて、泣いちゃった。勝ちたかった。勝ちたかったのぉぉ……。うぇぇぇぇぇん」

『もう、泣かないで。ウララちゃんは強い娘なんだから、泣いちゃだめだよ』

 

 

「もう、また泣いて。ティッシュがいくらあっても足りないわ」

「負けて悔しい、か……」

「ウララさんがそう思うようになるなんて。……成長したのね」

「そうだね。誰でも勝てば嬉しいし、負ければ悔しいもんだ。でも、あの娘はそういうことに疎かった。……これ以上の成長は頭打ちになるかと不安だったんだがね」

「強くなりますよ。ウララさんは」

「そうだね。勝ちの味と負けの味の違いを知る。それはとても重要なことだ。あの娘はまだまだ強くなるよ」

「来年、リベンジさせてやってくださいね」

「勿論だとも」

二人は微笑ましく、やり取りを聞いていたのだった。




ようやく尼に頼んでいたウマ箱2が届きました。これでコンプです。
引換券何に使おう。本能の赴くままに使いたいけど曲線のソムリエ持ってるキャラが一人もいないのでオグリかなあとか考えてます。

そうなんですよ!そこで止まってるんですよ!トレーナーの道が!


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有馬記念(1)

 

年末中山で行われる、一年の〆とも言えるグランプリ。それが『有馬記念』。

宝塚記念と同じく出場ウマ娘がファン投票で決まり、「あなたの夢は叶うのか」がキャッチフレーズとなっている。

 

だが、今年の有馬記念は10年に一度の注目度、などと呼ばれていた。まるでボジョレーヌーボーである。

 

「さあ、今年の有馬記念の出場ウマ娘が決まり、ニュースでも広く取り上げていく形となりますが……」

「今年の注目バは、やはりビワハヤヒデとナリタブライアンの姉妹対決ですね」

「二人のインタビューも行われましたので、早速見ていきましょう」

 

 

まずはビワハヤヒデからだ。報道機関のカメラとマイクの数も他とは比べ物にならない。

『今回の有馬記念、姉妹対決という点だけに限れば、私は子供の頃から待ち望んでいた対決だと見ている。

確かに私は知られている通り、直前に軽傷を負った。しかし私の構築した理論に間違いはない。怪我も短期間で治し、既に調整に入っている。

周りのウマ娘のレベルも高い。だが、勝つのは私だ。当日は私の勝利に期待してほしい』

 

続いてはナリタブライアン。既に目つきは臨戦態勢と言える。

『私は子供の頃から常に姉貴の背中を追い続けてきた。この有馬という大舞台でその背中を追い抜くのは最大の恩返しだと思っている。

姉妹だからだと注目されているが、関係ない。最後に周りのウマをブチ抜いて勝つのは、この私だ』

 

更にテイエムオペラオー、スペシャルウィーク、グラスワンダーといったジャパンカップ組も取材に応じてくれた。

『ジャパンカップでは不覚を追ったが、今回のボクは一味違う。世紀末覇王と言われた脚を存分に見せつけ、勝利の歌を奏でよう』

 

『最近扱いが何か酷いように感じるので、絶対に勝ちます! 勝ちは他の人に、あげません!』

 

『最近出番が少ないので、勝ちたいですね……誰のせいとは言えませんけど』

 

BNWのナリタタイシン、ウイニングチケットも名を連ねている。

 

『まあ、選んでくれたのは嬉しいけど……誰が出ようとどんなレースだろうとやる事は変わらないから』

 

『選んでくれてあ゛り゛か゛と゛ーーーー!!! よーし、頑張るぞお゛お゛お゛お゛お゛お゛!!!!』

 

芦毛コンビのタマモクロス、オグリキャップも選ばれた。

『よっしゃ! 久々の有馬や! 燃えてきたで! 勝つのはウチや。間違いない! 早くオグリ達と戦いたいわ!』

 

『体重はベストだ。問題ない』

 

『嘘つけ! その腹はなんやねん!?』

 

投票こそ下位だったものの、有馬記念優勝ウマ娘メジロパーマー、キングヘイローの姿もあった。

『今回も爆逃げしちゃうよ! ウェーイ! これでも元優勝ウマ娘だしね。頑張るから応援シクヨロ!』

 

『確かにわたしは短距離路線の方が結果を残せるかもしれない……。でももう一度、もう一度だけ夢を適えるために挑戦してみたいの』

 

 

「いやいや、錚々たる顔ぶれですね。GⅠ優勝ウマ娘が10人以上揃うとは……」

「一体誰が勝つのか全く予想が付きませんね。当日は果たしてどのような結末になるのか、今から注目です」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「なんでーーーーーーーーーーー!?」

チーム・カノープスの部室で、ツインターボはテレビを見ながら地団太を踏みながら絶叫した。

「どうしてターボの所にはマスコミが来ないの!? なんでターボの所にはカメラもマイクもないの!? 不公平だーーーーーーー!!」

「いや、それはやっぱり投票滑り込み順位だったし」

「ネイチャさんとタンホイザさんが辞退してこの順位ですから、本来なら落選でもおかしくなかったんですよ」

「だからってーーーーーー!!」

ネイチャは怪我の影響もあって出場は辞退した。タンホイザも1つ勝てば充分ということで出場は見送った。というか逃げた。イクノは普通に落ちた。

結果、ツインターボは繰り上げ14位。下の下の下での参加である。

まあGⅠウマ娘でないので仕方ないといえば仕方ないのだが。

 

「前評判でも見事な14番人気。最下位です」

「分かってはいるけど、酷い扱いだねー」

「ちくしょーーーーーー! こうなったらターボ、みんなを見返してやるーー!! 有馬勝つんだからーーー!!」

「うーん……でもターボじゃなあ」

「前回、前々回、と大逃げ失敗。しかも周りは精鋭ばかり。有馬は長距離。普通に考えれば惨敗は目に見えています」

イクノが眼鏡をクイッと持ち上げた。

「もーー、イクノもマチタンもターボの応援してよーーー!!」

 

確かにターボだって自分が置かれた立場ぐらい分かっている。だがやるからには1着を目指すのが当然だ。

しかし残念ながら注目度はゼロ。当然と言えば当然だが、すねるのも無理はない。

 

コンコン。

 

「ん、誰だろ?」

「トレーナーかな?」

 

ガチャ。

 

「やあやあ、ターボの声は大きいねえ。外まで聞こえてきたよ」

「ばーちゃん!」

ドアを開けたのはシンザンだった。確か、今日は臨時トレーナーとして学園内で仕事をしてきた筈だ。その帰りだろうか。

「ねえシンザンさん、仕事の方は順調? 他の強豪チームを脅かすウマ娘っている?」

「うーん、そうだねえ……」

シンザンは顎に手をやった。

「ここまで30人ぐらい見たけど、モノになりそうなのは2、3人ってところかねえ」

「そんなに少ないのですか?」

イクノが尋ねる。

「トレセン学園には毎年多くのウマ娘が入学してくるけどね、数は年々増加してるけど、全体のレベルは下がっているね。あんた達はまだ才能に恵まれた方だよ」

「そっかー……」

 

「だけどそれはしょうがないことなのさ。華やかに見えて厳しい世界だからね。中には一勝も出来ずに終わる娘もいるさ。まあ勝たせてあげたいのが親心だけどね」

「そんな事よりばーちゃん、聞いてくれ!」

ツインターボが頬をぷうっと膨らませながら目の前に立つ。

「ターボ、次の有馬勝ちたいんだ! 周りを見返してやりたい! ばーちゃん、何かアドバイスをくれ!」

「ほう、有馬に勝ちたいとはでかくでたもんじゃないか……」

 

「私も現役時代最後に走ったのが有馬だったねえ……いや懐かしい。あの時は外ラチに突っ込んだのかとか消えたとか言われて随分騒がれたものだが」

「いや、ばーちゃんの昔話はいいから~」

「そう言ってもねえ……確かにターボは強くなった。他の誰よりも練習してきたからね。だが、有馬となると、まだ力不足かねえ」

「ええっ!? あれだけ練習したのに、まだ足りないのか……そんなぁ~……」

「練習だけじゃどうにもならないものもあるのさ。悲しいけどそれが現実なんだ。けど、もし諦めないというのなら……」

「いうのなら?」

「走りに対して、どれだけ対価を払えるか、だろうね」

「走りに、対価……? ターボよくわかんない」

「この前の天皇賞秋のネイチャがいい例さ」

 

「あの時、ネイチャは一瞬諦めようとした。あの娘は自己評価が低いから自分の限界を自分で決めてしまう癖が付いていた。しかし最後の最後で、あの娘は全てを投げうった」

「うん。あの時のネイチャ、凄かった。最後なんて凄い末脚だった!」

「でもあの走りの代償として、ネイチャは脚に重症を負った。対価とは、そういうものさ」

「じゃあ、じゃあ、ターボがもう2度と走れなくなってもいいってくらいの覚悟でドーン! って感じで大逃げすれば、勝てるのか?」

「……何かを得ようとすれば何かを失う。人の道とは不思議とそうなっている。私ゃ好きじゃないけどね。でも、ターボの場合はまた違う」

「違う?」

「……以前に言ったね。ターボ……あんたの走りは、人に勇気を与える『希望の走り』だと」

「うん!(本当はあんまり覚えてないけど……)」

「だから、何があっても諦めないこと。絶対に諦めない走り……それができれば、勝ち筋が見えるかもしれないね」

 

 

「うーん……」

ツインターボは学園のジム室で筋トレ用の器具を無言でがっちゃがっちゃ鳴らしていた。

シンザンから言われたことを頭の中で反復してみる。絶対に諦めない走り。というが、自分はそれなりにそれを遂行してきた筈だ。だから今の自分がある。

それでもまだ足りないというのか? ならば足りないピースとは何なのか?

「うーん……ターボ頭つかうのは苦手なんだけどな」

 

「相変わらず凄い練習量だね」

そこへ話しかけてきたウマ娘が一人。

「テイオー!」

その声の主はトウカイテイオーだった。もはやすっかりトレーナー補佐の仕事も板についてきた。きっと卒業までこんな調子なのだろう。

「やあ、ツインターボ師匠。聞いたよ。有馬に出るんだってね。うちからはスぺちゃんが出るんだ。スぺちゃん負けないって気合入ってるよ」

「ターボ負けないもん! 有馬勝つのはターボだ!」

「はは、凄い自信だね。でも凄いのは自信だけじゃないよね」

「へ、どういう事?」

「知らないの? ツインターボの猛練習を見て、他のウマ娘たちも影響受けて頑張るぞ!って気合入ってるんだよ」

「そーなの?」

これは驚いた。自分は誰にも負けない為に、シンザンが課した猛練習をこなしてきただけなのに、周りにいい影響を与えていたとは。

ターボもちょっとだけ鼻が高くなった。

 

「ボクも引退した時は寂しかったけど、その後を走るウマ娘に襷を渡せたんだとしたら、それはそれで満足かな……」

「……!」

ここでターボは閃いた。テイオーなら、有馬を走る秘訣とかを教えてもらえるかもしれない。

「なあテイオー!」

「ん、なーに?」

「テイオーってGⅠ走る時ってどんな気持ちだった? 皐月賞とかダービーとか有馬とか!」

「え……GⅠの思い出って事? うーん、そうだなあ……」

テイオーは目を閉じ、首を傾げたり足先をとんとんと地面を突いたりしながら思考する。

「……ボクは以前、夢があったんだ。シンボリルドルフ会長みたいなウマ娘になるって。だからまずはクラシックを無敗で勝つことが目標だったな」

「ふんふん」

「でも、その夢は怪我で敗れちゃって、その後は無敗のウマ娘をキープするのが目標だったけど、結局これもマックイーンに止められちゃった」

「ふんふん」

「その時は悔しくて泣いたりもしたけど、マックイーンが「これからは私があなたの走る理由になりますわ」って言ってくれてさ。もう一度ターフで対決しようって流れになった」

「ふんふん。それでそれで?」

ターボは興奮しながらテイオーの話を聞いていた。内心テイオーのライバルは自分一人でいいのにとは思ったが。

「でも……その約束はとうとう果たされることはなかったんだ。ボクは骨折して、マックイーンも怪我して、もうターフで競い合うことはできなくなった。

あの時、マックイーンはボクの前で泣いたんだ。あれ程気丈に振舞ってたマックイーンが泣く所なんて初めて見たし、それだけ辛いのも痛い程分かった」

「それで、その次が有馬だよね!」

「そうだよ。正直、ボクは自信なかった。体も脚も、とても本調子とは程遠かった。でも、このレースだけは絶対に負けられなかったんだ。そして、奇跡は起きた」

「ターボもあの時感動したぞ! あのテイオーが戻ってきたって!」

「今思えば、あの奇跡は、自分の為だけじゃなくて、誰かの為のものだったから起きたのかもしれない。望みが独りよがりなものだったら、ボクは負けてたよ」

「…………」

 

(奇跡、か……)

(自分の為じゃなくて、誰かの為に、か……)

 

「うーん……」

ターボは悩んだ。

負けることの方が多かった自分の走りは、いつだって奇跡とは無縁だった筈だ。誰かの為に走るという事もなかった。

強いて言えばテイオーに自分の走りを見せつけるために走った、あのオールカマ―ぐらいだろうか。

そういえば、ばーちゃんも言っていた。自分の走りは、人に勇気を与える希望の走りなのだと。

 

(つまり、誰かの為に走るっていうのが、ターボの理想の走りなのかな?)

 

とはいえそれは容易なことではない。いつも自分の事だけで手いっぱいなのだ。誰かの為に走る余裕なんてない。

 

(うーん、うーん、なんだろ、もう少しで答えが出そうな気がするんだけどな)

 

「どうしたの、ツインターボ?」

「え、いや、なんでもない、いや、なんでもあるぞ、テイオー」

「???」

 

(そうだ。テイオーとなら、答えが出るかもしれない)

 

「テイオー、一つだけわがまま言っていいか?」

「ん、何? 急に」

 

「ターボと、勝負してくれないか?」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「あれ、あそこにいるのテイオー先輩だよね?」

「その隣にいるのがツインターボ……。なんか二人とも走る準備してるみたいだけど」

「ええ? だってテイオー先輩引退したでしょ」

モブウマ娘が注目する中、二人はターフに立って準備運動をしていた。

ターボはストレッチで全身をほぐし、テイオーは屈伸で下半身を主に柔らかくしている。

 

「準備できたぞ、テイオー」

「うん、ボクも。……コースは、芝2000mでいいかな?」

「ターボはそれでいいぞ!」

「よーし、それじゃあ、よーい……スタート!」

 

スタートの合図とともに、ツインターボはロケット花火のように走り出す。飽きる程繰り返してきたスタートダッシュの練習だ。出遅れることなんてありえない。

その後ろを、トウカイテイオーが追ってくる。しかし全速力で走るターボとは、どんどん差が拡がっていく。

ましてや日々練習に打ち込んでいるターボと、もう引退してろくに走っていないテイオーとでは、雲泥の差があるだろう。

 

(感じる……感じるぞ……テイオーの息遣い、土を踏みしめる音、ぜーんぶターボに伝わってくる)

 

ツインターボは容赦しなかった。全速力で走り、途中で逆噴射するかつての自分はいない。2000mでバテバテになってたら、2500mの有馬なんて走り抜けない。

「うりゃりゃりゃりゃー!!」

ターボは早くも第四コーナーを曲がり、直線へと入る。かつてのオールカマ―みたいだ。2着以下に大差を付けて自分だけが直線に入る。気持ちいい。

でもテイオーは……。

 

(いや、テイオーは諦めてなんかいない! コーナーを回って、最後の直線で勝負する気だ! ターボには分かる!)

 

ツインターボは脚色が落ちてきたのを感じた。情けない。こんな模擬レースで。

でも走るのは止めない。テイオーを待つ。テイオーは来る。必ず来る。

「……行くよ、ツインターボ」

読み通り、テイオーは最後の直線に入るとスパートを掛けてきた。

医者にローソクの脚だと言われていたのに、また折れることをこれっぽっちも考えちゃいない。

「やっぱり気持ちいいなあ……。こうしてると、現役に戻りたくなっちゃう。とうに諦めたのにさ」

テイオー特有のバネを利かせた力強い走りがターボとの差をぐんぐん詰める。

しかし、その差はあまりにも遠すぎた。

ツインターボは、2000mの標識を駆け抜ける。次いで、テイオーもゴール板を駆け抜けた。

レースは終わった。周りからすればツインターボの圧勝。だが、今一度テイオーの走る姿を見られたギャラリー達は、拍手でテイオーを出迎えた。

 

 

「テイオーさん、凄い走りでした!」

「恰好よかったです!」

「まだ現役で通じるんじゃないですか!?」

 

「はは……そんなに褒めないでよ。勝ったのはツインターボ。負けたのはボク。だからツインターボを祝福してあげてよ」

そう言いながら、テイオーは照れた。確かに全盛期の走りには遠く及ばない。

それでも久々に本気で走ることができたテイオーの顔には充実感が滲み出ていた。

 

「テイオー!」

走り終えたツインターボが駆け寄ってくる。

「ツインターボ。誘ってくれてありがとね。おかげでいい経験になったよ」

「ターボもテイオーと勝負できて嬉しいぞ! でもテイオー、脚は大丈夫か? 折れてないか?」

「ん……平気みたい。力も入るし、痺れてもいない。よかった。レース途中で折れたら興ざめだしね」

 

「なあテイオー」

「ん、どうしたの?」

「どうしてターボの勝負受けてくれたんだ? 断ることもできたのに」

「えー、それはないよ。だって……ツインターボはボクの師匠だから」

「ふえっ?」

 

「ボクが三度目の骨折で引退を考えた時、ボクはターボを冷たくあしらった。でもその後、ターボが諦めない走りを見せつけてくれて、ボクはもう一度ターフに戻ることを決意した」

「うん。後からトレーナーやネイチャに聞いたぞ。テイオー泣きながらもう一度頑張るって宣言して、みんな喜んでたって」

「ボクからすれば、ツインターボは恩人みたいなものだよ。だから、誘われたら、ボクは断る事なんかできなかった」

「…………」

「君の存在は、ボクの中でそれだけ大きくなったってことさ。ね、ツインターボ」

 

(諦めない……諦めない……か)

そういえばテイオーは言った。

入学前にイクノも言った。

ばーちゃんもそうだった。それは自分のためだけじゃない、誰かの為に走る事。その時、ウマ娘は凄いパワーを出せる。

 

(そうか……そうか!)

 

「ありがとテイオー! ターボ、ようやく分かった! どうしてウマ娘が諦めてはいけないのかを!」

「え……!」

「ターボ、また練習してくる! じゃあな、テイオー!」

そう言って、ターボは練習場を走り去っていった。

「あ、ボクを残して行かないでよ……。もう、しょうがないなあ……」

 

 

その後、ツインターボは有馬記念の為に猛練習を積んだ。

朝誰よりも早く起き、夜誰よりも遅く寝る。

走り、泳ぎ、鍛えた。

それでも他の強豪ウマ娘との差はあっただろう。

 

だが、ターボは誰よりも頑張った。

それは、諦めない気持ちの持っていく場所が、今までと違ったからなのだが、他の人々は知らない……。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

そして、遂に有馬記念本番当日を迎えた。

 

そこには医者に無理を言って応援に来たナイスネイチャの姿もある。

 

勝負服に着替えたツインターボは控室のベンチに座り、瞑想をしていた。

その姿に、カノープスのメンバーも、シンザンですらも、驚いていた。

「凄い……まるで体中からオーラが溢れ出ているみたい」

「鬼気迫るとはこのことを言うのでしょうね」

「こんなターボ初めて見るよ」

 

「どうなんでしょう。このターボさんは。掛かっているのでしょうか」

南坂トレーナーが動揺している、

「いや、違うね。……まあ入れ込み過ぎかもしれないが」

シンザンは冷静に答える。

 

コンコン。ガチャ

 

「ツインターボさん。時間です。本バ場まで来てください」

「おっしゃー!」

「ターボ、頑張って!」

「応援してますよ!」

「有馬取って戻ってきてね」

「うん。みんな、ありがと。じゃ、ターボ行ってくる!」

そう言って、ツインターボは控室を飛び出していった。

 

コツ……コツ……

 

廊下を蹄鉄付きシューズで歩くツインターボ。

 

(今日のレース、ターボに期待してる人は殆どいないんだろうね)

 

コツ……コツ……

 

(でも、レースは何が起こるか……)

 

コツ……コツ……

 

(……分からないよ!)



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有馬記念(2)

 

『年末中山で繰り広げられる夢のグランプリ、有馬記念。今年も大きな盛り上がりを見せています』

『GⅠ優勝ウマ娘が10人以上いますからね。誰が来るのかまったく予想が付きません』

『会見ではビワハヤヒデ、ナリタブライアンの姉妹対決が注目されましたが、他もいずれも劣らぬ精鋭揃いです』

『好レースが期待できそうですね。今から楽しみです』

 

実況と解説の声、観客席の盛り上がりは、肌寒い冬の中山を忘れるくらいの熱気に包まれている。

果たしてこのグランプリ、栄冠を勝ち取るのは誰なのか。

 

本バ場に入場してくる各ウマ娘達。その表情には少し緊張の色が見える。

 

「……ブライアン」

「どうした、姉貴?」

「……いいレースにしよう」

「ふん、勿論だ」

ビアワハヤヒデとナリタブライアンはゲートに入る前、一言交わした。もしかしたら、実現しなかったかもしれないカードだ。お互い楽しみにしていたのだろう。

 

ファンファーレが響き渡る。一段と歓声が上がる。果たしてあなたの夢、わたしの夢は叶うのか……。

各ウマ娘が緊張の中、一人、また一人とゲートの中に入っていく。

 

周りは気付いていないだろう。ツインターボの気合の入り具合を。

 

ガコン!

 

『スタートです。さあ、この序盤、どのような位置取りになるのか』

『先行争いは、やはりこの2頭。ツインターボとメジロパーマーです』

 

スタートと同時にターボとパーマーは一気に走り出した。スタートダッシュの差で1着こそターボに譲ったが、差はまだ殆どない。

後ろを引き離し、2人はどんどん加速していく。しかしメジロパーマーには思うところがあった。

 

(さあて、どうしようか。ターボのペースに付いて行ったら共倒れは確実。でも逃げないわたしなんかわたしじゃないよね……)

 

「パーマー! ひあうぃごー!」

観客席のヘリオスも応援している。

 

(よし……)

『おっとメジロパーマー、ツインターボを追いかけません。2番手の位置で控えたようだ』

(ターボが落ちてきた時に抜いて、そのままゴールまで逃げ切る。名付けて『後の先作戦』!)

パーマーはこのまま2着の位置を堅守しつつ、終盤一気にゴールまで突っ切る作戦を選んだ。

 

一方、ツインターボはどんどん加速していく。掛かっているのかは分からない。唯一分かるのは、いつものターボだということだ。

「ああっ、ターボ無理し過ぎ!」

「2度も通用しなかった大逃げ、とても通用するとは思えません」

「いやー、でも三度目の正直ってこともあるし」

「そんな甘い相手じゃないでしょ」

「とにかく応援しましょう。わたし達にできることはそれだけです」

「そうだね。ターボ! 頑張れー!」

カノープスの面子が不安になりながらも必死に声を出す。

そしてシンザンは、冷静にターボの走りを分析していた。

(……悪くはない。むしろ良い。フォームの乱れもなく、脚の使い方もいい。ここまでは満点だ。この大舞台でこれ程の走りが出せるとは、成長したねえ……)

 

 

『さあ、一週目のホームストレッチです。中山はここに坂がある』

『各ウマ娘も位置取りはほぼ決まったようですね』

 

ビワハヤヒデ、ナリタブライアン、テイエムオペラオーは先団、それより少し後ろにウイニングチケット、

スペシャルウィーク、グラスワンダー、キングヘイローはバ群の中団、

タマモクロス、オグリキャップはやや後方に陣取った。最後尾はナリタタイシンだ。

(問題ない。この程度の距離、直線前に仕掛けて差す)

(姉貴は多分直線前に仕掛けるだろう。勝負はそこだな)

(ふっ、二人が抑えているのがありありと分かるよ。ならボクはそれよりも後に仕掛けていこうか)

(やっぱりダービーとは雰囲気が違うなあ。燃えてきたー!)

(逃げは許しません……! でも勝負はまだ先です!)

(まあいい位置ですね。終盤に差しかかるところで順位を上げていければ……)

(できればもう少し前を取りたかったけど、まあ悪くはないわね)

(オグリは絶対この位置からでも差しに来る。その時が仕掛け時やな)

(……お腹、空いたな)

(中山の直線は短いけど、関係ない。最後に全員ブチ抜いて決めてやる……!)

 

皆が思考を張り巡らせながらの一流の心理戦である。果たして、仕掛けるのは誰なのか……?

 

『各ウマ娘、位置取りが決まった後はそのまま、といった感じです。重い空気のまま場が進行していきます』

『先に仕掛けるのは誰なのか注目していきましょう』

 

ピッ

 

南坂トレーナーがストップウォッチを止める。

「1000mのタイムが58.8秒……これは……」

「抑えてるね。ターボは」

「ええっ!?」

ネイチャはタイムを見て驚く。一見かなり飛ばしているように見えるが、まだ脚を残しているというのか。

シンザンは機械に頼ることなく、1000mのタイムを瞬時に判断したが、周りは驚いているようだ。

「残り1500m。とはいえ、ここまでフォームの乱れもないし、上半身の使い方もいい。ターボとすれば、理想の展開かもね」

「じゃ、じゃあ、ターボはこのまま逃げ切れるの?」

「いや、残念だが……今日の面子はそこまで甘くない。中山は直線が短くコーナーが長い。それでもコーナーから仕掛けられても追いつける範囲だ。

そしてターボには、追い抜かれた後もう一度追いつき追い越す二の脚はない。掴まったら終わりだ」

「うぅ~、頑張れターボ!」

「わたし達に構わず逃げてターボ!」

 

「はあっ! はあっ! はあっ! はあっ!」

ターボはひたすら逃げる。後ろを振り返らなくても、大体の他のウマ娘の距離感が分かる。

パーマーは控えた。先団とは大体10バ身程度か。もっと突き放したいけど、今は我慢する。

(へへっ、ターボががまんを覚えるなんてな。以前じゃ考えられないや……)

 

何も考えずに走り出して1着のまま逃げ切りたかった。でも何度も追いつかれて負けた。何度も、何度も。

大逃げのスタイルを捨てるつもりはない。でも格上の相手と戦うには、脚の使い方を覚える必要があった。

例えば最後の直線。誰もがここで後ろから突っ込んできたウマ娘の猛追で泣きを見てきた。

それに対抗するには、ガソリン一滴分でいいから脚を残して戦う必要があった。

 

何度も流した汗。誰よりも鍛えたこの小さな体。他のウマ娘よりもやってきた練習。

それだけは、この大舞台でも決して嘘はつかない筈だ。

 

だけど、これだけじゃ、足りない。

もう一つ。諦めない心。

しかしそれは未完成だった。テイオーと走ったから分かった。

(テイオー、見てるよね。ターボは、遂に分かったぞ!)

 

 

『さあ、レースも後半。ここで後方に控えていたタマモクロス、オグリキャップ、ナリタタイシンがじわりじわりと……』

『いや、前団です! ここでビワハヤヒデとナリタブライアンが早くも仕掛けた!』

 

まだ第3コーナーを回っている最中という悪条件。それでも二人はこの位置から仕掛けた。ほぼ同時に。

(ブライアン……!)

(やっぱり姉妹だな。考えることは同じか。姉貴……!)

 

『さあ仕掛けた2頭がまずは2着の位置につけていたメジロパーマーに襲い掛かります!』

 

「うそっ!? ターボが落ちてくる前に仕掛けるの!?」

「残念だったな。私の理論では先頭を捕らえるのは第4コーナーを回って100m地点だ」

「あんたもツインターボも、ここでブッちぎる!」

「くそっ! スピードアップ!」

 

メジロパーマーは慌てて速度を上げる。しかし二人の差し脚の方が明らかに速い。

傍から見ればロングスパートの位置からの仕掛けだが、これは正解なのか?

 

『差した! 差した! ビワハヤヒデ、ナリタブライアン、まずはメジロパーマーを抜いて更に加速!』

「くっそー!」

パーマーが遅いのではない。作戦だって間違ってない筈だ。しかしそれ以上に、二人の脚が凄すぎたのだ。

 

『さあ、ツインターボが、ツインターボだけが、第4コーナーを回り切る! 後は中山の直線だけだ!』

『しかしビワハヤヒデだ! ナリタブライアンだ! この2頭の脚の方が勢いがある! その差をぐんぐん詰める!』

 

「ああっ、追い付かれる!」

ネイチャは顔面蒼白の状態で後ろから来る二人に恐怖した。

「ここまで速いとは……」

イクノも驚愕する。あれが、かつて脚をやったウマ娘の走りなのか、と。

「まるで全盛期じゃん! やばいよこれー!」

タンホイザもスタンドの手すりをバンバン叩きながら、もし自分だったら……と思いながら恐怖する。

 

『ツインターボは一杯か!? 粘ってはいるが苦しそうだ! そして後ろの2頭がやってくる!』

 

その差が、5、4、3バ身とあれほどあった差が瞬く間に縮まっていく。

 

この時、病院のテレビでレースを見ていたライスシャワーは、「ターボさん、もういい! もういいよ!」と泣きそうになりながら叫んでいた。

 

そして、遂に二人が、ターボの背中を捕らえた。

 

「よし、差し切っ……」

この時、ビワハヤヒデは追い抜けることを確信していた。

 

『ツインターボの先頭はここで終……』

実況も、ターボが追い抜かれることを確信していた。

 

スタンドの観客も、やはり最後はこの二人の対決か、と確信していた。

 

ただ一人を除いて……。

 

テイオー『諦めないことが大事だからね!』

「諦めない……」

 

イクノ『諦めないことが大事なんです。諦めなければ必ず報われます』

「諦めたくない……」

 

シンザン『おまえの走りは人に勇気を与える希望の走りなんだ。だからどれだけ苦しくても諦めちゃいけないんだよ』

「諦めるのは……嫌だ!」

 

 

「諦めて……たまるもんかぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁっ!!!!」

 

その時、ツインターボの走りに、魂が乗った。

 

『おおーっと! ツインターボ、抜かれていない! 2頭を突き放し、猛然と引き離す!』

「何だって!?」

「そんなバカな!?」

ハヤヒデも、ブライアンも、驚愕した。どこにこんな力が眠っていたのかと。

「くそっ、ならばもう一度差し直す!」

「一度は追いつけたんだ! 二度目だってある!」

二人は更に脚を使い、ツインターボを追いかける。しかし、その差が縮まらない。何故だ?

 

「おやおや、随分手こずっているようだねえ。悪いが、こちらも追いつかせてもらったよ」

「……オペラオー!?」

二人が攻めあぐねている間に、テイエムオペラオーが猛然と追いついて来ていた。

オペラオーだけではない。スペシャルウィーク、グラスワンダー、ウイニングチケット、タマモクロス、オグリキャップなども一気に差を詰めてくる。

前はツインターボを除いてダンゴ状態だ。

 

『さあ各ウマ娘が最後の直線でスパートを掛ける! 果たしてツインターボを捕らえるのは誰なのか!?』

実況もツインターボが捕らえられるのは時間の問題だと思っていた。

 

しかし……、

 

「くっ……!」

何故だ!? その差が縮まらない。こちらはもうラストスパートだ。使える脚は全部使っている筈だ。なのに、何故……!?

 

『ツインターボだ! 他も頑張っているがその差が縮まらない! 残り200を切った! ツインターボ、果たしてこのまま逃げ切れるのか!?』

実況も慌ててツインターボの方に話題をすり替える。それだけ凄い粘り脚だった。

 

「そんな馬鹿な……!」

「どうして……!?」

「あと一息、あと一息で追いつけるはずなのに……」

 

((((どうしてこんなに、勝ちが遠いんだ……!?))))

 

走っていたウマ娘は戦慄した。ツインターボの背中が、あんなにも小さな背中が、巨大な絶壁のように見えていた。

 

「行けーターボ!」

「もう一息ですターボ!」

「いけるよターボ!」

カノープスのメンバーも必死にツインターボを、小さな逃亡者を応援する。

 

 

ツインターボは無我夢中で走っていた。さっき背中に触れられた気がしたが、その後はそんな気配はない。

もう前は誰にも走らせない。

もう何人たりとも、この背中は追いつかせない……!

 

(テイオー、見てるか?)

 

(みんな、ばーちゃん、見てるか?)

 

(ライスシャワーも、見てるか?)

 

 

「これが、これが、これが……諦めないってことだあぁああぁぁあああっっ!!!!」

 

 

『ツインターボ、今一着でゴォーーーーーーーーール!!!!』

 

 



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有馬記念(3)

 

中山競馬場のスタンドが大歓声を上げていた。

『勝ったのはツインターボ! この有馬記念を! 2500mを! ただの一度もハナを譲らなかったツインターボが栄冠を勝ち取りました!』

『場内の祝福の拍手が止まりません! 当然です。14番人気、人気順最下位での優勝は史上初の快挙です!』

 

 

「はあ……はあ……はあ……はあ……。みんな、ターボやったぞ……!」

ツインターボは芝の上に大の字になりながら観客席に向けてVサインで答えた。

 

「ターボ!」

スタンドからカノープスのメンバーがやってきた。

「凄いよターボ!」

「有馬記念だよ有馬記念! あんたは偉い! 凄い!」

 

「うわっぷ! ちょ、ちょっと、もう、やめてよー、あー、もう、ねえ~……」

手荒い祝福を受け、もみくちゃにされるターボ。その中で、ただ一人、冷静で笑顔を見せていたのがイクノディクタスだった。

「お疲れ様です。ターボ。どうぞ、汗拭きタオルとスポーツドリンクです」

「ん、ありがと、イクノ。ふう~~ぐびぐび……ぷはーっ!」

「ターボの諦めない心、しかと見せていただきました。あの時のこと、覚えていてくれたんですね」

「うん。あの時のイクノ言ったでしょ。諦めないことが大事なんだって」

「はい……」

 

「ツインターボ師匠!」

「うわっ、テイオーか」

我慢できずにテイオーまで抱き着いてきた。

「ターボ、ずっと見てたよ。ボクは君をずっと応援してた。夢が叶って良かったね!」

「何言ってるんだよテイオー、ターボの目標はもっともっと高いんだぞ! まだGⅠいっこ勝っただけだしな!」

「はは……そうだね。目標は高い方がいいよね。何はともあれ、おめでとう!」

 

「ターボ……」

「ばーちゃん!」

「よくやったね……。年かねえ……思わず目頭が熱くなっちまったよ」

「ばーちゃんでも泣くことがあるんだな!」

「このレースは、日本競バ界の歴史に残る名レースとなるだろう。あんたは今日、一つの伝説を作ったんだよ」

シンザンはターボの頭を優しく撫でた。

「へへっ、始めてばーちゃんに褒められたぞ! 悪い気はしないな!」

「まったく、この子は……」

 

 

「……完敗だね。最後、まったく抜ける気がしなかった。こんなのは初めてだ」

テイエムオペラオーは2着だった。しかしその差は歴然としていた。

 

「おめでとうございます。ツインターボさん」

スペシャルウィークは3着。栄冠を勝ち取ることは出来なかったが、その顔には充実感が溢れていた。

 

「……11着、か……。やはりもう長距離路線は捨て去るしかないみたいね」

キングヘイローは沈んで終わった。あらゆる距離を走り、勝ちを模索していた彼女は、何も語らず静かに勝者に拍手を送った。

 

 

観客席から、そして対戦したライバル達から、惜しみない拍手を受けるツインターボ。

小さな逃亡者が、遂にGⅠという頂点を掴んだことは、日本競バ界史に残る1ページとなるだろう。

 

 

なお、場外の違法トトカルチョではツインターボという単勝万馬券によって阿鼻叫喚となったらしいがそれは自業自得であろう。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

ウイニングライブを前に、ツインターボはインタビューを受けた。

有馬記念がニュースで盛り上がってる時は誰も取材に来なかったのに、勝ったらこの扱いである。

複雑だったが、まあ、いいか、と流した。

 

「さあ、今日のヒロインはこのウマ娘をおいて他にいません。ツインターボ選手です!」

「…………」

 

ワアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!

 

「改めて、おめでとうございます」

「ありがとー」

「今日のレースは強敵揃いでした。何を考えてレースに臨みましたか?」

「……あー、ちょっと待って。いちもんいっとう、っていうの? ターボ、それ苦手なんだ。だから言いたい事だけ言う」

ツインターボはマイクをひょいと取り上げた。

「えーと……ターボは今日まで、諦めないことを一番に考えてやってきた。テイオーにも言われたし、イクノにも、ばーちゃんにも言われた。

けどね、それだけじゃダメなんだって気付いたんだ。今、このレースを見てる人の中には、つらいこともかなしいこともくるしいことも、とにかくいっぱいあるっていう人もいると思う。

だからね、ターボはね、そんな人たちのために……「諦めないを届ける」ために走ったんだ。

みんな、だからつらいことに負けないで。ターボはいつだって、みんなのため、諦めないを届けるために走るから!」

そう言って、カメラの前でVサインを出すターボ。

そう、ツインターボが辿り着いた境地。それは自身が諦めない事ではなく、自身の諦めの悪さを他人に分け与えるという道だった。

自分の為ではなく、他人の為に走る。皆に奮起してもらいたいから走る。活人の走りこそ、自分の歩む道だと。

 

シンボリルドルフならば、殺身成仁、敬天愛人とでも言うだろうか。

 

「おお!」

「素晴らしい答えだ!」

これには報道陣も絶賛。カメラがターボを祝福した。

 

それを物陰からそっと見ていた者がいる。ビワハヤヒデとナリタブライアンだ。

 

「……完敗だな」

「ああ……」

「自分の為ではなく、他人の為に走る、か……」

「きっと凄く険しい道なんだろう。だが、彼女はこのレースでそれを体現してみせた」

「ふっ……姉妹対決などと浮かれていた自分が恥ずかしいな」

「わたしもだ。もう一度、自分の走りと向き合わなきゃな……」

 

 

ウイニングライブでツインターボは『NEXT FRONTIER』を歌い、踊った。場内は溢れんばかりの喝采が木霊した。

調子に乗ってアンコールを受けたので、その後楽屋で思いっきり怒られたが。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

翌日。

「いやはや、凄い一日だったね。昨日は」

「ええ、本当に……」

「まったくです!」

南坂トレーナーは昨日から泣きっぱなしだった。

「GⅠ……夢のGⅠ……それが一年で3つも……! トレーナーをやってて良かった。まさに盆と正月がいっぺんに来たようです……!」

「ほらほらトレーナー、泣かないの」

「盆も正月も仕事してるように見えるのは私だけでしょうか」

「カノープスは遂に蕾から大輪の華を咲かせたのです。ああ、なんと素晴らしいことか……!」

「だめだこりゃ」

「まあ好きにさせておきましょう」

秋華賞のトロフィーは部室に、秋天の盾はまだネイチャの病室に。そして今日、一日遅れで有馬記念の記念トロフィーも届くことになっている。

「ところで今日のヒロインのはずのターボは?」

「疲れていたのでしょう。帰ってくるなり寝てしまったようです。あれは丸一日起きませんね」

「まあ、そっとしておきましょう。来年もあるわけですし」

「来年かあ……4月には新入生も入ってくるかな?」

「この部室も騒がしくなるかもしれませんね」

 

 

「がぁ~~~~~ぐお~~~~~ぅぅん~~~んが~~~~~ごぉ~~~~~ぉぉ~~~~」

 

 

トレセン学園はこれから冬休みに入る。

幸い練習場などは人間の部活みたいなものなので休みの期間中でも開放されている。ジム室だって使える。

ただ問題なのがカフェテリアは休みだということだ。たまには食堂のおばちゃんだって休みたいのである。

そのため学園内は閑静としており、寮に住んでいる者も実家に帰ったり、バイトに精を出す娘もいる。

あとはテストで赤点を取って補修を受けているウマ娘とか……。

ツインターボ、おまえだよ。

「どうしてターボさんは来ないんですかああああああっ!?」

「いやー昨日のレースの後じゃ疲れて寝てるんじゃないですかねー?」

進級が危ぶまれるターボなのだった。

 

では病院はどうか。

さすがに入院患者は簡単には出て行ったりは出来ないので基本ベッドの上である。

看護師も同様である。看護師には正月もGWもお盆もクリスマスもないのである。ブラックそのものである。

ただナイスネイチャは脚の状態が悪くとも、車椅子であれば外出許可が下りた。元旦にはみんなと一緒に神社でお参りに行くつもりだ。

ライスシャワーは残念ながら外出許可は下りなかった。しかしリハビリセンター使い放題ということで表情は明るい。

彼女もまた、ツインターボの走りに勇気を貰った一人だ。必ずレースで走れるようになってやるとやる気満々である。

「がんばるぞ。おー」

「あんまり無茶はしないでね」

 

 

それから更に翌日。

「みんな~~~おはよ~~~~~」

部室にツインターボがやってきた。

「おはようではありません。もう昼の2時です」

「というか補修受けたの? ターボ赤点取りまくってるって聞いたけど」

「ぜんっぜんわかんないから受けてない!」

「威張っていうことかあ~!」

「……仕方ない。ターボさん、今度私が教えてあげます」

「イクノが!? やった!」

相変わらずマイペースなターボなのであった。

 

「おっ、これが有馬記念のトロフィー!?」

部室の中央テーブルに置かれたトロフィーは輝いていた。何より自分の名前があるのが誇らしかった。自然と顔がニヤけてしまう。

「そうですよ。うっかり地面に落として壊さないでくださいね」

「ターボ壊さないもん!」

 

コンコン。ガチャ

 

「おや、皆さん揃ってますか」

南坂トレーナーがなにやら段ボールいっぱいの手紙を持ってきた。

「何それ?」

「聞いてください! 全部ターボさん宛てのファンレターですよ」

「ええっ、それ全部!?」

 

「おおっ、凄いなー。これ全部ターボあてのなんだ!」

「ええ。有馬でのターボさんの言葉に感動した人たちからの応援の言葉でしょう」

「うっわー。ターボ、一日で人気者だねえ」

「タンホイザさんやネイチャさんにも多少届いていましたが、ここまでの量とは……」

 

「えーと、どれどれ?」

ターボはひとつずつ手紙を開けていく。

中身はどれもターボを激励するものだった。

「ターボさんの言葉に感動しましたこれからも頑張ってください。ツインターボのファンになりました来年は競バ場に行って応援します。ふむふむ」

中には絵を描いてくれた人もいた。年齢層は小学生から中年まで幅広かった。

ターボの顔も自然とニヤけてしまう。

「ん……」

しかしある一通の手紙の中身を見た時、ターボの手が止まった。

「どうしたの、ターボ?」

「これ……」

「見てもいいんですか?」

ターボがその手紙をテーブルに広げる。書体からして少女が書いたと思われるもののようだが……。

 

『ツインターボさんへ。わたしは都内のびょういんににゅういんしている小学4年生です。わたしはこどものころから体が弱く、まんぞくに外を歩くこともできませんでした。

そしてこれから数日後、わたしはおおきな手術を受けます。もしかしたら帰ってこれないかもしれません。

いつもふあんで夜もねむれませんでした。でもテレビでターボさんの走りをみてとてもかんどうしました。いっぱいなきました。

わたしもゆうきをもって、あきらめないで手術を受けてみたいとおもいます。もし生きて帰ってこれたらレースをみにいっておうえんします。ターボさんもがんばってください』

 

「素晴らしいね~!」

「ターボさんの勇気を与える希望の走りに励まされた子のようですね」

「…………ねえ、トレーナー、この子の入院してる病院分かる?」

「え、えーと……これは都内の国立病院の様ですね。名前は……」

「ターボ、この子に会いに行く!」

「ええっ!」

「諦めなければ、手術も成功するって励ましてくるんだ!」

「そ、それは……」

「それじゃあ私が車を出しますよ。ターボさんはその手紙を持って付いて来てください」

「うん! ありがと、トレーナー!」

 

 

「……なんか一日で急成長しちゃったねえターボ」

「男子三日会わざれば刮目して見よ、というやつですか。まあこの場合は男子ではなくウマ娘ですが」

一つの経験が、少女を大人にしたのである。ツインターボという、無垢な少女を。

 

 

それから数日が経ち、年が明けた。

カノープスの面々も神社にお参りに行くことになったのだが、去年のカノープスの活躍を記事にしたいということで、急遽カメラが入ることになった。

「どうしよー。年明けからいきなり緊張するのはやだなー」

「仕方ありません。まあ簡単なものらしいですから、気楽に受けましょう。

 

場所は学園からおよそ3km。歩くのは厳しいが、車で行ったら停めるところがなく、付近の道も渋滞しており、とても帰っては来れないだろう。

病院から外出してきたネイチャと合流し、神社へ。午前9時だというのに境内は大入り満員状態で、出店に目を引かれると、あっさり迷子になりかねない状態だった。

他のテレビ局は神社の境内を取材している。このカメラは自分たちが独占だ。悪い気はしない。

 

ネイチャ、イクノ、タンホイザ、ターボは10円玉を投げ込み、鈴を鳴らして、パンパンと手を鳴らして、拝む。

みなそれぞれ思い思いの願いを。

カメラに、何をお願いしたんですか? と聞かれたが、それぞれは、

 

「怪我が早く治りますように、と。それからメンバーの無病息災かな」

「わたしはGⅠを取ってませんからね。今年はとりあえずそれを目標に」

「一年無事に過ごせますように、ですね。やっぱりウマ娘は体が資本なんで」

「ターボ今年はとにかく走るぞ! GⅠでもGⅡでもGⅢでも!」

 

そして四人とカメラは移動。おみくじを引く。ネイチャとターボは小吉、イクノは中吉、タンホイザはなんと大吉。本人は木に結ばずに持って帰ると言っていた。

絵馬も書く。ターボ絵馬は得意なんだ! と言っていたが、一日一全と見事に誤字っていた。

 

 

そして四人は商店街の方に移動し、ハルウララとキングヘイローと合流。餅つき大会に参加し、餅をこねた。

雑煮とぜんざいを平らげ、お茶を飲み、小休憩。ここで取材は終わった。ありがとうございました、と礼を言って。

 

「さあさあ、今年はどんな年になりますかねー」

「いい年にしましょう」

「勿論ですよ。えい、えい、むん!」

「ターボも頑張るぞ!」

 

「わたしもりべんじするー。めざすはダートGⅠだあ!」

「わたしは、やはり年明けの高松宮記念の二連覇かしらね」

 

充実した年になるといいな、と願う面々であった。




次回からちょっと時間が飛ぶ予定です。
何をやるかはまだ未定ですが、おそらくシンボリエムブレムを中心とした話になるかもしれません。


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いざ、世界へ!

チーム・カノープスが躍進した一年。

あれから月日は少しだけ流れた……。

 

キングヘイローは高松宮記念で見事2連覇を達成。

しかし脚を痛め、暫くは調整期間に充てることになった。

元々短距離から長距離まで幅広く走っていた彼女の脚は少しずつおかしくなっていたのだ。

だが、キングはこの程度では動じない。必ず復活してみせるとメディアを前に固く誓い、地道なリハビリを始めた。

 

ハルウララは年明けすぐに東海ステークス、根岸ステークスを連闘。2着、1着と健闘し、フェブラリーステークスに照準を定める。

だが、勝負を掛けた決戦で惜しくも3着に敗れる。またしてもライスシャワーに勝ちを届けることは出来なかった。

それでも彼女はくじけない。元々1から出直しを誓った身だ。これしきのことでへこたれてはいられないとメディアの前でも明るい表情を見せた。

負けの悔しさを知ったからこそ、分かることもある。そのひたむきな姿は、いずれ満開の桜を咲かせるだろう。

 

 

4月。トレセン学園にも多くの新入生が入学してきた。

シンボリルドルフ会長の新入生への挨拶はいつも通りだったが、シンザン特別トレーナーによる言葉は辛口だった。

半分近くが中等部初年度のうちに学園を去り、高等部に進学するころには残ってるのは3割程度だ、と。

この道は厳しい、それでも覚悟があるなら付いておいで、と結んで壇上を去った。

 

各チームも青田買いに余念がない。有名なチームは既に小学部の時代から優秀な人材に目を付けてはスカウトに勤しんでいる。

特に特待生は引く手数多だ。何処も喉から手が出るほど欲しい逸材とあって、勧誘に積極的である。

こうして新入生の半分には早期からトレーナーが付き、もう半分はトレーナーが付いてくれることを願って自主トレに励む。

とはいえスタートは皆一緒。模擬レース、そして選抜レースで結果を残せなければ未来はない。

 

昨年、シンザンが目を付けた3名は見事メイクデビュー戦で勝利を収めた。流石の手腕である。

 

 

一方、カノープスはというと……、

「うちは基本、積極的な勧誘はしません。大所帯になっても、私じゃあ持て余してしまうでしょうし」

と南坂トレーナーはそっけない。

しかしターボやタンホイザが新人ほしいーと駄々こねたので、

メンバー全員のサインと写真が描かれた張り紙を学園中に貼ったところ……、

「頼もう!」

「!?」

「カノープスの部室はここですか?」

「急に訪ねてきたあなたは誰!?」

「今年の特待生枠で入学しました、ジェンティルドンナです! 是非入部をお願いします!」

とくれば、更に、

「ツイスターランって言います。カノープスはシンザンさんと繋がりが大きいと聞いて入部を希望しにしました」

「ネイチャービートっス。よろしくお願いしまス」

「ファルコンウィングでーす! よっろしくー!」

とひっきりなしに入部希望者が現れ気が付けば総勢10名。

南坂トレーナーは慌ててポスターを回収した。

「ツインターボさん、有馬の走り見たっス。自分、感動したっス。師匠と呼ばせてください」

「いいぞ。ターボ頑張るから! 新人に負けないくらい頑張るから!」

「さあ、皆さん是非特待生に選ばれたわたしの実力見せてあげますから、練習場に行きましょう」

「おっ、張り切ってるねー。わたしも負けないようにしなくちゃ」

 

わいわい。がやがや。

 

「……なんだか胃がキリキリしてきました」

 

 

一方で、チーム・スピカも強力な新人2人を入部させた。

長らくテイオーとマックイーンの追っかけをやり、メンバーとも面識のあったキタサンブラックとサトノダイヤモンドである。

「カノープスに負けてられねえぞ! みんな、気合を入れろ!」

「はい!」

「あ、だが新人二人はまずは体作りからな。テイオー、よろしく頼む」

「はーい。それじゃ、しばらく二人はボクが面倒見るね」

「はい。テイオーさん、よろしくお願いします!」

「あの……マックイーンさんは?」

「あ、マックイーンならこの後様子を見に顔を出すって言ってたよ」

「やった!」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

はてさて、途端に騒がしくなったカノープスだが、実は年明け既に活動を開始していた。

マチカネタンホイザは日経新春杯に出場し、貫禄の1着。ターボに負けてられないとばかりにGⅠを狙いに行くつもりだ。

ツインターボは京都記念を大逃げで完勝。有馬記念の勝利がまぐれでないことを見せつけた。

イクノディクタスも中山記念に勝利。更に得意の連闘で弥生賞を2着、金鯱賞を1着で終え、狙うは4月の大阪杯だ。

 

シンザンの指導も力が入る。GⅠは一握りではなく一つまみの才能を持つ者だけが取れる栄冠。

だがその差が決して夢物語でないと言うなら、練習と結果でそれを証明して見せろと檄を飛ばす。

 

そして遂に迎えたGⅠ大阪杯。イクノディクタスは3番人気ながら虎視眈々と上位を狙う。

この日、イクノは絶好調で大阪杯を迎えた。脚の状態も上半身もすこぶる良い。だが、この状態で敗北すれば、GⅠという夢は遥か遠くに行ってしまう。

(ネイチャもタンホイザもターボも、結果を出した。カノープスで結果をまだ出していないのはわたしだけ。勝ちたい。もう善戦で終わるのは御免です!)

 

レースの前日、イクノはシンザンからアドバイスを貰った。走る事すらままならなかったかつての自分を思い出せ、と。

 

……そうだ。自分は学園に入学したものの、怪我で学園を去るつもりだった。しかし諦めたくはなかった。

練習場を走って練習する他のウマ娘たちを見ながら、悔しくて拳を握りしめたあの日。そしてターボとの出会いと約束。蹄鉄師への相談。

また走れる。やり直せる。あの時に感じた充実感と流した涙の味は、決して忘れてはいない。

仲間と出会い、トレーナーと出会い、師に出会った。自分は恵まれている。こんなにも多くの人に支えられてきたんだ……。

 

『さあ、勝負どころの最後の直線! 先に抜け出すのは誰なのか!?』

 

(その恩を返せずして、何がチームの一員だ。今、わたしは全てを出し切る用意がある! この直線、必ずハナに立って見せる!)

 

『内側から来たのはイクノディクタス! イクノディクタスだ! 一気の末脚! 後続も追いすがるが伸びは今一つか!?』

「いっけえーイクノー!」

「頑張れイクノー!」

「もう少しだよイクノー!」

カノープスのメンバーも必死に応援する。勿論その声はイクノにしかと届いている。信頼を寄せているチームメイトの声。これを聞いて燃えない筈がない。

 

「勝つのは、わたしです!」

 

『イクノディクタス、今1着でゴーーーーール!!!! 大阪杯、勝ったのはイクノディクタス! 桜舞い散る阪神競馬場で遂にGⅠという満開の桜を咲かせました!』

 

ワアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!

 

「やったなーイクノー!」

「おめでとうイクノー!」

「記念に眼鏡取って見せてくれイクノー!」

観客も万雷の拍手と歓声で勝者を出迎える。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……か、勝った。勝ちました。良かった……。これでネイチャ達に、シンザンさんに、顔向けできます……」

イクノは歓声に手を振りながら、泣いた。クールな彼女が人前で見せる涙は、多くの隠れファンにとっても涙だった。

 

「凄かったよーイクノー!」

「これでカノープス全員GⅠ制覇だー!」

「凄い凄ーい!」

 

応援してくれたカノープスのメンバーの前に行く。一人ではここまでこれなかった。そんな想いを込めながら、イクノは深々とお辞儀した。

 

(……GⅠを取るというのも……悪い気はしませんね……)

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

それからはカノープスは記録ラッシュだった。

マチカネタンホイザが天皇賞春を勝てば、ツインターボが宝塚記念ファン投票一位に答え優勝を果たす。

新人たちもメイクデビュー戦を勝利し、オープン戦出走権利を手に入れ、目指すはクラシック戦線だ。

 

スピカの新人キタサンブラック、サトノダイヤモンドも順調だった。

テイオーとマックイーンの寵愛を受けた二人は時には親しき友人として、時には互いを高め合うライバルとしてぶつかり、日々切磋琢磨していく。

 

特待生を3人も受け入れたリギルも選抜レースで力のある新人をスカウトし、更に戦力を充実させると、次々にデビュー戦を勝ち上がる。

 

臨時トレーナーに就任していたシンザンのシンザン道場からもデビュー戦やオープン戦を勝利するウマ娘が続々と現れる。

 

競バ会はかつてない盛り上がりを見せた。実績のあるウマ娘も、新人のウマ娘も、誰が後に栄光を勝ち取るのか予測が付かない一大旋風(ブーム)が巻き起こった。

テレビカメラと取材の要望はひっきりなしであり、生徒会も頭を悩ませる難題になっていた。

 

 

そして夏が過ぎ、秋のGⅠレース攻勢が始まろうとする矢先。

 

日本国内がウマの話題で盛り上がる中、ある一つのニュースが大きな衝撃をもたらす。

 

「シンボリエムブレム。国外GⅠレース10連勝達成。次走は遂に凱旋門賞」

 

かつて、国内クラシック3冠全てレコード記録という伝説を作り、シニア級に殴り込みをかけた直後、

ジャパンカップでは前代未聞の事件を巻き起こし、国内レース1年の出場停止処分を受けたあのウマ娘が、その野望を達成したのだ。

 

ペガサスワールドカップターフ、クイーンエリザベスステークス、クイーンエリザベスⅡ世カップ、サンクルー大賞、バーデン大賞、名を挙げればきりがない。

各国の超一線級のウマ娘も当然出場したが、毎回返り討ちにした。

 

味方は一人もいなかった。完全アウェーだった。徹底的なマークを食らい、前を塞がれることほぼ全レース。

時にはゲートに細工をされ、スタートなのに開かないことすらあった。

それでも彼女は勝ち続けた。一度も負けなかった。

エムブレムの漆黒のモチベーションは、レースを重ねるたびに増幅され、もはや走る姿は悪魔の行進と揶揄されることまであった。

海外では、悪鬼(デビル)、殺人鬼(マーダー)、邪神(イビルゴッド)、魔獣(ビースト)、といった通り名を欲しいままにし、そして遂に世界の頂に手を伸ばす時がきたのだ。

 

当然世界の競バ界は震えあがった。こいつには、こいつだけには伝統と権威ある凱旋門賞を取らせるわけにはいかない。

しかしどうすればいい? どうしろというのだ? 誰もあいつを止められなかったんだぞ。いやどんな手段を用いてでも止めるんだ。そう、どんな手段を使ってでも。

 

そんなきな臭い雰囲気が醸し出される中、日本のメディアの前にエムブレムがおよそ一年ぶりに姿を現した。

カメラに映ったエムブレムを見た瞬間、日本の競バファンは震えあがった。

子供は泣いた。赤子も泣いた。サラリーマンは電車と線路の隙間に携帯を落とした。街頭にいた一人は小便を漏らした。床屋は手元が狂った。

 

薄汚れたマントを羽織り、漆黒のブレザーを傷だらけにし、真紅の肩当はあちこち装飾が禿げ、そして顔は鉄仮面に濁った眼玉をはめ込んだようになっていた。目元にはくまがあった。

まるで幾多の戦地を一人で戦ってきた兵士のようではないか。

 

そんな彼女にマイクが向けられる。側には一人の記者がいた。

シンボリエムブレムの世界行脚を取材しろ、というデスクの命令を受けた貧乏くじを引かされた一人の記者が。

エムブレムにとって、彼は唯一の付き人と言ってもいい。彼にだけは、エムブレムは多少は心を許していた。

 

そして彼は確信していた。エムブレムは間違いなく凱旋門賞を取る、と。彼女より速いウマ娘など地球上にはいない、と。

 

「一勝……あとたったの一勝だ。ウマを贄とし、生き血を啜り、神を捻じ伏せ、世界を絶望させるまで、残りあと一勝だ……。もう誰も、わたしを止められない……!」

エムブレムはボロボロのグローブを握りしめ、カメラの前に突き出した。

取材陣はドン引きした。しかし、全てを理解した。今年の凱旋門賞は、とんでもないことが起きると。

 

 

「…………」

ニュースを見た後、夜の学園の生徒会室でシンボリルドルフは一人思い悩んだ。暗黒鎮静、部屋の灯りは消えていた。

世界の競バ界からはシンボリエムブレムを倒せるウマ娘を出場させろとひっきりなしの催促が来ている。

だが……、

(熟思黙想……。わたしは決断しなければならない。エムブレムの生贄となるウマ娘を送り出すことを。だが、それでいいのか……?)

海外に行ってわざわざ負けてこいなどと、口が裂けても言えるものではない。しかし今のエムブレムと戦うという事は、つまりそういう事だ。

 

今でも思い出す。生徒会室に来たと思ったらマリファナを吸おうとしたこと。彼女の内に秘めた強い憎しみの吐露を聞いたこと。

レースに出て文字通り他のウマ娘をなぎ倒したこと。競バ賭博の誘いを自力で断ったこと。シンザンとの賭けに勝ったこと。

 

あの日、確かに自分は彼女の親代わりとなってこれまで尽力してきた。だから今責任を問われても後悔はない。

実際、彼女の走りは素晴らしかった。全ての競走バの走りを過去にするほどの走りだった。間違いなく素質は自分を超えていた。

 

しかし、殺伐とした彼女の滾る黒き憎悪は事件を引き起こす。もしかしたら、自分はその責を問われ、会長職を降りていたかもしれない。

それでも構わなかった。自分はそれほどまでに彼女の走りに恋焦がれていたのだから。

 

「…………」

遠い噂で、彼女の本当の母親は死んだらしい。酒の飲み過ぎによる限度を超えたアルコール中毒。

幻覚を見るようになり、毎日エムブレムの幻覚に震えていたらしい。その果てに首を吊って自殺。

虐待をしていた父親の生死は今を持って不明だが、死んでいてもおかしくはないだろう。

エムブレムがチカチーロと呼ばれていた時の事が、遠い昔のように感じる。

 

(エムブレムよ。仮に君が凱旋門賞を取ったとしよう。だがその先に何がある? 何もないだろう。それでも君は勝つと言うのか……)

彼女はまだトレセン学園に在籍している、中等部の少女なのだ。なのに未来は何もない。

もう彼女は走る事すら辛いのではないか? 破滅するまで走り続けて、最後には死を選ぶのではないか? そう思うと背中に冷たい汗が伝う。

何としてでも彼女を止めなくてはならない。走る事。それ自体のかけがえのなさを知らないままその短き生涯を終えさせることは絶対にあってはならない。

 

(ならば、誰が適任だ……? テイオーもマックイーンもいない今の競バ界に、彼女に走る喜び、走る楽しさを伝えられる人物など……)

 

ルドルフは、悩んだ。そして、悩みに悩みぬいて、もうこれ以上悩めないというほど悩んで、ある一人の人物に辿り着いた。

 

(もしかしたら、彼女を本当の意味で潰してしまう危険な賭けだが……)

ルドルフは彼女を呼び出そうとしたが、もう夜も深くなっていることに初めて気付いた。そんなに自分は悩んでいたのか。少々熟考し過ぎたようだ。

明日、朝一番で彼女を呼び出そう。そう考え、ルドルフは生徒会室を去っていった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「会長。ターボになにかよう?」

翌日、朝一番目の授業をキャンセルさせて、わざわざ生徒会室にご足労願ったのは、小さな逃亡者、ツインターボだった。

側にはエアグルーヴとナリタブライアンもいる。副会長総出での出迎えだ。

「ひょ、ひょっとして、ターボが毎日授業中寝てるから留年を伝えに……!? うわあああごめんなさいごめんなさい!」

「い、いや、そうではないんだ。ツインターボ。実は、君に提案があってね」

(会長、本気でツインターボをエムブレムの奴にぶつけるつもりですか?)

(私は反対だ。ハッキリ言って、役者不足だ)

側の二人は反対の意を示していた。それだけ重大な役回りだからだ。

 

「ツインターボ、君は凱旋門賞に出てみたくはないかい?」

「がいせんもんしょう? 何それ? ターボ、聞いたことない!」

三人が思わずずっこけた。

「おまえはトレセン学園にいながら凱旋門賞すら知らぬのか!」

「だってターボ、授業はほとんど寝てるもん!」

「威張ることか」

 

どうやら一から説明しなければならないようだ。

 

「ツインターボ。凱旋門賞というのは、年に一度、フランスで行われるGⅠレースだ。ウマ娘が出場する国際レースの中では、もっとも有名で権威あるレースと言われている」

「まあジャパンカップのようなものだな」

「ふーん。分かるような分からないような……」

ツインターボは頭に???を浮かばせている。

「そのレースで、我が日本は3名代表を推薦することができる。一人はシンボリエムブレム、二人目を君に決めようかというのだが……どうだろう?」

「えんぶれむ!? あいつも出るのか!」

この調子では先日行われたエムブレムの記者会見も知らないみたいだな、と三人は思った。

「まあ無理に、とは言わない。気が乗らないなら、断っても……」

「いいよ! ターボ、がいせんもんしょうに出る!」

即答だった。

「ターボね、えんぶれむとは戦ってみたいと前々から思ってたんだ! そしてえんぶれむはターボが倒す!」

「……エムブレムだ」

「会長、ターボ勝つから! フランス行って絶対大逃げして勝つから!」

「ん、んー……あ、ああ。分かった。登録しておく」

「がいせんもんしょう取れば、テイオーもターボを見直すだろうし。楽しみだなー。よーし、頑張るぞー!」

 

「…………」

「いいんですか、会長。あんなので」

「本人がやる気なら仕方ないだろう。それに、こういう奴ほど案外本番でやるものだ」

「ブライアンまで……」

 

「で、これで二人目が決まったわけですが、会長、三人目はどうするんですか?」

「そうだな。三人目は……」




展開はある一人の感想者からヒントを得ました。
第二部が世界戦なのはお約束ですよね。


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空気なんて、読むはずない

 

「「「凱旋門賞ー!!??」」」

放課後、部室にいたネイチャ、イクノ、タンホイザはターボの爆弾発言に腰を抜かした。

ネイチャは聞き間違いを祈り、イクノは眼鏡を落とし、タンホイザは鼻血を出した。

そして当人のターボはえへんと胸を張っていた。

 

「嘘! 嘘だよね!? ターボが凱旋門賞なんて!? もう、やめてよー、エイプリルフールはとっくに終わってるんだからー」

「ターボ嘘なんかついてないぞ。会長からのじきじきのご指名だもん。間違ってるはずないよ!」

「ひいいいいいいっ!!」

 

カノープスの古参の面々は慌てふためていた。そして新人のみんなからは、

「凄いじゃないですか! 遂にカノープスから海外に挑戦するウマ娘がでるなんて!」

「ターボ先輩凄いっス! 尊敬しまっス」

「今日は御赤飯ね~」

と歓迎された。そして偉大な先輩に敬礼した。

 

「いやいや、君たち、これは大変な事なんだけど……」

「明らかに人選ミスです。ありえません」

「だよね。でも会長が冗談を……あ、言う人だったか」

とはいえ、三人はあることを考えていた。

昨日報道されたニュースで、会長の肝いりであるシンボリエムブレムの凱旋門賞出場が決まっていたからだ。

会見でカメラに映ったあのボロボロの姿を見れば、いかに苛烈なレースを勝ち続けてきたかが分かる。

つまるところ、ターボは引き立て役、もしくは生贄役に選ばれたのだ。ある意味気の毒ではある。

 

しかしそんな空気は何処吹く風、ツインターボはやる気満々で挑もうとしていた。

「みんな見ててね、ターボ、絶対勝つから。絶対逃げ切って勝ってくるから!」

 

コンコン。

 

「失礼します……」

「お邪魔するよ」

ドアをノックし、現れたのは南坂トレーナーとシンザンだった。

「トレーナー、ばーちゃん!」

ターボが駆け寄る。

「ターボね、凱旋門賞出るんだ! 絶対勝つから!」

「ええ、どうやらそのようですね……。後日、会見が行われるのでターボさんは出席してほしいとルドルフ会長に言われてきました」

「あ、やっぱマジ話なんだ。あー、夢であってほしい。悪夢なら早く覚めてほしい……」

「ネイチャさん。いい加減現実を見ましょう。もはやこの流れは止められません」

 

「ターボや……」

シンザンが真剣な面持ちでターボと向き合う。

「どうしたばーちゃん?」

「ターボ……。私もあんたが凱旋門賞に選ばれるとは思っていなかった。だが、あの小娘の状態を考えれば、適任かもしれないねえ……」

「小娘……えんぶれむのことか?」

「ああ。ターボ。あんたは多分会見を見てないから知らないだろうけどね。あの娘はボロボロだった。勝っても負けても、何も残らない空虚な器が残るだけでね。

だからおまえがあの娘に教えてやらなければならない。走る事、それ自体のかけがえのなさを……」

「どういう意味?」

ターボはシンザンに問うた。自分は頭が悪いことは自覚しているので抽象的な話はいまいち伝わり難いのだ。

「ターボ、おまえさん、走ることは好きかい?」

「うん、ターボ、走るの大好き!」

「負け続けていた時は?」

「うーん……悔しいし、勝ちたいと思ってたけど、嫌いにはならなかったよ。走るのは楽しいし」

「そうだね。でもあの娘は走るのはまったく楽しくない筈だ。走りに心がこもってない。それはとても悲しいことだ。

だからターボ、おまえさんがあの娘に教えてやるんだ。走るのは楽しいことだってね……」

ターボは思った。誰だって勝てば嬉しいし、負ければ悔しい。勝ち続ければもっと嬉しいし、負け続ければとっても悔しい。

そりゃあ、レースは楽しいだけじゃないことぐらいはターボ自身も分かっている。

しかしそれを乗り越えて勝利した時こそ、言いようのない充実感が満たされ、諦めずに走り続けてきて良かったと思えるようになるのだ。

 

「……分かった。ターボ頑張る! 諦めなければ、レースだって楽しくなるって、えんぶれむに教えてやるんだ!」

「そうかい。頼んだよ……」

 

「……諦めなければレースも楽しくなる、か……」

「今やターボさんは諦めないことの伝道師となりました。なんだかターボさんが適任に思えてきましたよ」

「いやいやそれは過大評価だってー」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

こうしてこうして、あるあるないない、会見の時がやってきた。

今やツインターボは日本有数のウマ娘に成長した。それでも海外レースは力不足ではという声もあったが……、

会見は注目度の高さもあって、多数のカメラとマイクに囲まれた。ターボは人気者になったみたいだなーと壇上でふんぞり返っていた。

『ツインターボさん、初めての海外挑戦ということで緊張などはされているでしょうか?』

「えー、ターボ緊張なんかしてないよ。ターボ勝つから! 絶対逃げ切って勝つから!」

『各国のウマ娘は強豪揃いですが、ライバルとなるウマ娘はいるでしょうか?』

「…………」

(しまった。海外のウマ娘なんかターボ分からないぞ。どうしよう)

「…………えんぶれむ。えんぶれむだ! ターボの相手はえんぶれむただ一人だ!」

場内がどよめいた。あの海外GⅠ10戦無敗のシンボリエムブレムに大逃げで勝つと豪語したのだ。

『レースは過酷なものになると予想されていますが、どういった心構えで挑みますか?』

「うーん、ターボはいつも通りだよ。いつもみたいにスタートから飛び出して、走りまくって、誰にも前に行かせないまま勝つ。それだけ!」

 

一問一答は簡潔に終わった。ターボは、やっぱり自分のペースで喋れないのって苦手だなー、と思った。

 

『それでは、もう一人、凱旋門賞に挑戦するウマ娘の会見に移りたいと思います。えー……』

 

ルドルフ会長が選んだ最後のピース、それは……、

 

「ぴすぴーす! 全国1億2千万人のゴルシちゃんファンのみんな見てるかー? 日本ウマ娘界の宣伝担当ゴルシちゃんだぞー♪」

 

ゴールドシップだった。

場内は唖然とした空気に包まれた。

 

「……ねえトレーナー、本当にゴルシでよかったの?」

会見をテレビで見ながら、テイオーはスピカのトレーナーに聞いた。

「俺が知るかよ! 選んだのはルドルフ会長だ! 俺の責任じゃない!」

トレーナーは自己の責任をあさっての方向にぶん投げた。

その後、川上からどんぶらこどんぶらこと大きな責任が流れてきて、それを拾ったおばあさんが(以下略

「ま、まあまあ皆さん、落ち着いてくださいませ。確かにゴールドシップさんは普段からあんな調子ですがやる時にはやる方ですから……」

マックイーンが精一杯のフォローをする。

「いやいや、ゴルシにやる気なんてないない」

「まあ、大舞台でも物怖じしなくて、空気を読まなくて、負けてもケロっとしている、そう考えると……」

「案外適任かもしれませんね」

「スぺちゃんそこまで言わなくてもー」

 

『こ、今回は初めての海外挑戦ですが、それについて何か一言、お願いします……』

「よしよし、このゴルシちゃんが質問に対してズバッと参上、ズバッと解決してやろう。

あれは、今から5年前……いや3年前だったか、まあわたしに関しては昨日の出来事だった。

己の力に限界を感じ、悩みに悩んだその時、空から若くて美人で巨乳な女神が降臨してこう言ったんだ。「ゴルシ、小宇宙(コスモ)を燃やすのです」と。

天啓を受けた私は体中から愛と勇気と力を燃やし、遂に悟りの境地へ至った。そしてゴルシちゃん感謝の正拳突きが遂に1時間を切るようになったんだ。

そして突如現れた焼き鳥はタレより塩派帝国とのYou a Shockな死闘が始まり……」

『も、もういい! もういいですから!』

「えーなんだよー。これからハーメルン5千万文字級の物語が始まってノベル化、コミカライズ化、アニメ化、ハリウッド映画化と進行していくんだぞー」

芸人のネタで言えばとっくに持ち時間オーバーである。強制的に終わらせるしかなかった。

 

「こらゴルシー! おまえばっかり好き勝手しゃべってずるいぞー! 普通にしてたターボがばかみたいじゃないか!」

「なんだよ~。おまえだって昔はおバカキャラで売ってたじゃんか。なあちびっこ」

「こらー持ち上げるなー。キン肉バスターはイクノの持ち技なんだぞー」

『…………』

会見にいた人々は全員こう思った。

不安だ。物凄く不安だ、と。

勝ち負けは別にして、日本の恥部が海を渡って色々やらかすことを果たして許容していいのか?

ルドルフ会長もとうとう気が触れたのか、どうしよう、どうすればいいんだ。

シンボリエムブレム、ツインターボ、ゴールドシップ。日本の精鋭(?)たちは凱旋門賞でどのような走りを見せるのか。

それに注目したかったのに、会見の内容がこれでは……。

 

『と、とりあえず会見をこれにて終了したいと思います』

「あ、こらまだ早いぞ。わたしに一曲歌わせろ」

ゴールドシップはマイクを奪い取った。

「山には憂いもあろうけど 海では童が潮干狩り 高嶺の花より 芝桜 くれない色の輝きは 泣いて花見だホーホケキョ

それでは歌わせていただきます。『ぱかチューブっ!ですが、何か?』

ゴルシちゃんのぱかチューブ!(ハイ!)ぱぱぱぱぱーかぱかチューブ(ハイ!)ぱかちゅー!ぱかちゅー! ぱーぱかちゅー! ぱぱぱぱぱーかぱ(ザー……)」

 

放送は、そこで途切れた。

 

街頭で会見を見ていた人々は、見てはいけないものを見てしまったようでダウナーになった。しかし子供は笑った。赤子も笑った。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

そしてそれから半月程度が経過し、ツインターボ、ゴールドシップが海を渡る日がやってきた。

周りには見送りにチームのメンバーがやってきている。トレーナーも同行する。後はシンザン、ルドルフ会長、一部の日本メディア等だ。

「ターボ、パスポート忘れてないよね? あと着替え、勝負服、蹄鉄付きシューズも」

「だいじょうぶ! ターボ、前日のうちに全部バッグに入れておいたから!」

「でも今日は寝坊して待てど暮らせど全然来なくて慌ててみんなで起こしに行ったんだけどね」

「あ、あはは、まあ、そういうこともあるかなーって……」

「不安だ……」

 

「なんだよなんだよトレーナーも一緒に行くのかよー?」

「俺も建前上行く必要があるんだよ! でなきゃおまえと一緒にフランスなんかに行かねーよ!」

「そんな事言って、フランスで美人の綺麗なお姉さん捕まえて(うまぴょい)しようとか考えてるんだろー?」

「するか馬鹿!」

「やーでも、男やもめに蛆がわくって言うじゃん」

「うるさいよ!」

じとー。スピカのメンバーが湿気の強い目でトレーナーを見つめる。

「トレーナー……(うまぴょい)するんだ。ボクという者がいながら……」

「不潔ですわ……」

「何しにフランスに行くつもりなんだか……」

「フランスに日本の恥を輸出することにならないといいけどなー……」

「えっちなのはいけないと思います」

「あーーーーうるせえ!! なんでこんなことにならなきゃいけないんだよー!?」

 

期待と不安全盛りの中、飛行機だけは無事にフランスに向けて飛び立っていった。

 

「トレーナー、フランスって遠いの?」

「そうですね。8時間ぐらいは飛ぶことになるでしょう」

「えー遠すぎー。もうターボ、寝る!」

ツインターボは寝た。ついでにゴールドシップも寝た。

「ぐわああ~うむむ~~~んごご~~~ふんにゃ~~~」

「ぐえええ~~すやすや~~おいかちゃーん……それに触れちゃだめだ……そいつはとーちゃんのおっぱいだ……うぃ~~」

 

「どんな寝言だよ……」

「まあ私らも寝ておかないとね。時差の問題もある。睡眠を取っておかないとあっちで苦労するよ」

シンザンが言う。

「言われなくても、寝ますよ。道中は流そうですから」

 

一行が睡眠に落ちている間、飛行機はヨーロッパに向けて飛ぶ。

ひとかけらの希望を載せて……。

 

 

「やっと着いたー」

ツインターボがフラフラのへろへろになりながら飛行機から出てきた。

日本からフランスまでの長旅。ひたすら寝る、寝る、寝るで飯も飲み物も口にしておらず、変な態勢で寝てたせいか体のあちこちが痛い。

「なんだ~、だらしねえなあちびっこ。あたしは土から出てきたばかりの蝉ぐらい元気だぜー」

「相変わらず体力だけは無尽蔵だなおまえ……」

 

空港では地元のメディアの姿もあった。目当てのエムブレムはとっくに取材してある。

後はこの二人だけだ。

 

しかし当然二人ともフランス語なんて分かる筈ない。

仕方なく日本語で答えた。

「ターボ勝つよ! 絶対大逃げして勝つよ!」

走る前から手の内をバラすツインターボ。

「わたしのファイティングスピリッツは誰にも止められねえ。30分一本勝負を制して、チャンピオンベルトを巻くぜ」

何言ってるのかさっぱりなゴールドシップ。

地元のメディアは、言葉の意味は分からないがとにかく凄い自信だ、とだけ伝えた。

 

 

「エムブレムが空港内にいる? 本当なのか!?」

ルドルフは地元メディアにエムブレムの場所を尋ねると、今も空港内のイタリアンピザの店にいるということが判明した。

大急ぎで店を探すルドルフ。そして、何とかピザ屋を探すことに成功した。

「エムブレム!」

店のドアを開け、店内を見回す。

いた。エムブレムが。顔も覚えているが、あの言いようのない雰囲気を醸し出せるのは彼女だけだ。傍には付き人代わりの日本人もいる。

「…………」

ルドルフは意を決してエムブレムに近づく。エムブレムはピザを食べていた。

服装はそれは酷いものだった。よれよれのTシャツに、破れたジーンズ。何処かの浮浪者のような出で立ちだった。

「…………何しに来たんですか?」

ただ一言、エムブレムはぽつりと答えた。

「君を日本に連れ戻すためだ」

ルドルフははっきりと答えた。

「……今更親の顔しないでください。私はあなたを見限り、捨てました。私にはもう何もありません」

エムブレムは素っ気ない。相変わらず鉄仮面に濁った眼球を取り付けたような表情で、黙々とピザを食べている。

「何もないというのなら、どうして君はそんな辛そうな顔をしているんだ? 海外GⅠ10勝。それは日本のウマ娘では誰も手にしたことのない唯一無二の栄光の筈だ」

「……周りのウマ娘がタコだっただけです。こんなの、やろうと思えば誰でもできた事です」

「そうでもないさ。私は現役の頃、海外に行って惨敗した。そして引退を余儀なくされた。それに比べれば、君の記録は素晴らしいものだ」

「じゃあ会長も、所詮井の中の蛙ってやつに過ぎなかったんですね」

「そうだな。どれだけ立派な成績を残そうが、引退した時点でその輝かしい成績は全て過去のものになる。私はそれを恐れていただけかもしれないな」

「ただの臆病者っスね」

エムブレムは立ち上がり、店を後にしようとする。

「エムブレム!」

「代金、払っておいてください」

それだけ言うと、シンボリエムブレムは去っていった。

 

「…………」

やはりエムブレムは苦しんでいる。ルドルフはそう確信した。

成績だけを見れば奇跡の領域だ。エムブレム自身も天才だ。この記録は世界に誇れるものの筈だ。

だが、勝ち続ければ勝ち続ける程、負けた時の反動も大きくなっていく。

彼女は誰よりも強いが、誰よりも弱いんだ。自分で自分の敗北を消化できないのだから。

 

もし、凱旋門賞でエムブレムが敗北した時、このままだとエムブレムは死を選ぶかもしれない。

それだけは、それだけは絶対に阻止しなくては……。

『帰ろう。エムブレム。一緒に日本に帰ろう。そして一からやり直そう』

そう言って彼女を抱きしめてやりたい。だが、今のままで果たして自分の言葉は届くのか……?

 

「シンボリルドルフ会長」

まだ席を立っていない日本人が、ルドルフに話しかけてきた。確か、日本のマスコミの一人で、エムブレムの単独取材を続けていた者の筈だ。

「君は……」

「話、聞いていきます?」

 

 

「うおー、大っきいー!」

食事を済ませた後、一行は凱旋門賞で走るパリ・ロンシャン競バ場まで来ていた。なにせ19世紀から存在するフランス屈指の老舗競バ場だ。

「やはり見ごたえがあるね」

「レースではこの観客席が満員で埋まるんだな」

「うおー燃えてきたー! ゴルシ、併走やろー!」

「おっ、ちびっこ、わたしと走るってのか? 面白え。わたしのナイアガラフルバースト走法で骨抜きにしてやるよ」

「こらこら、場内はレース当日まで立ち入り禁止だぞ」

「わってるよ。言ってみただけだ」

 

「歴史と伝統のある凱旋門賞。だが今のところ勝ちウマ娘はヨーロッパ出身で、日本代表の勝利ウマ娘はいない。勝てば伝説になれるぞ」

「よーし、ターボ燃えてきたー! 絶対に勝ーつ!」

燃えるツインターボとその他大勢。

果たして当日、栄冠を勝ちうるのはどのウマ娘なのか……。



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波乱の凱旋門

 

『上空は晴れ渡る空が一面に輝き、今年の凱旋門賞は絶好のレース日和となりました』

『各国からの代表ウマ娘18頭。果たして今年の栄冠を勝ち取るのは誰なのか?』

 

観客席は既に大入り満員。テレビの平均視聴率は毎年20%を超える。フランスの、いや、世界最高峰のGⅠレースの一つ、凱旋門賞。

長い歴史と伝統を持ち、今なお世界最強バ決定戦とすら言われる一大レース。

 

本バ場入場の時間が訪れ、一人、また一人とターフにウマ娘が姿を現す。

 

UAE代表、マリーバード。

アイルランド代表、アレッジ。

イギリス代表、パーラー、カムランド、リングスパーク。

ドイツ代表、シューダードリーム、ランドドリーム。

そしてイタリア代表……全戦全勝チャンピオンバッジ。

リボーの再来と言われたカデンツァは、もうこの世にはいない。しかし暗く淀んだイタリア競バ界に彗星の如く現れた救世主。それがチャンピオンバッジだった。

ここまで9戦9勝。凱旋門賞は取って当たり前だとすらイタリアでは言われている。

いや、取ってもらわないと困る。それだけカデンツァの爪痕は深い。

 

それと対峙することになるのは、間違いなく、日本代表の一角、魔獣・21戦20勝のシンボリエムブレムであろう。

しかしキャリアでは勝負にならない。潜在能力がどこまで通用するか……。

 

…………。

 

『場内の歓声が静寂に変わりました。現れたのは現役世界最強ウマ娘、シンボリエムブレムです!』

 

相変わらず鉄仮面に濁った黒眼を括りつけたシンボリエムブレムがターフに姿を現した。

観客は生唾を飲み込み、声を発することを止める。

 

オーラが違う。観客は全員そう思った。

それ以前にフランスではある一つの告知を出していた。シンボリエムブレムが現れたら、決してブーイングを発するな。という内容である。

シンボリエムブレムはブーイングを浴びるたびに力を発揮する。決して挑発してはならない。これは既定事項だ、と。

「…………今日は、静かだな」

エムブレムのボロボロの勝負服は、ルドルフ会長が持ってきた替えの衣装で新調されていた。あちこち傷だらけの服でも、塗装が剥げた真紅の肩当でもない。

 

「エムブレム。君のために新しい衣装を持ってきた。レース当日はこれを使ってくれ」

「……別にいいですよ。この血と汗が染み込んだお古で充分です」

「そうはいかない。私は君の親代わりだからな。せっかくの晴れ舞台には相応しい衣装でなくては」

「親バカですね」

「そうだ。まあウマ子にも衣装というじゃないか」

 

『悪鬼、邪神、魔獣、通り名を挙げればきりがありません、シンボリエムブレム』

『このウマ娘が世界に羽ばたいたことは良き事か、それとも悪しき事か……我々には分かりません』

 

「オイ、シンボリエムブレム」

そんなエムブレムに話しかけてきたウマ娘がいた。イタリア代表チャンピオンバッジだ。

「ククク、チャンピオンバッジ、ダトヨ。我ナガラ大層ナ名前ダトハ思ワナイカ?」

チャンピオンバッジは明らかに、さあこれから殺し合おうという明確な悪意と殺意を持ってエムブレムと対峙する。

「イタリアデハナ、カデンツァノ弔イ合戦ダトカ言ワレテイル。ダガ私ハ違ウ」

「…………ふん」

「オマエニハ、ムシロ感謝シテルンダ。カデンツァノ奴ガ死ナナカッタラ、国ノ連中ハ私ニ見向キモシナカッタダロウカラナ」

「……弱いから死ぬんだ。あいつは弱かった。それだけだ」

「邪魔ナカデンツァハ死ンダ。後ハオマエヲ倒シ、私ノ名ヲ世界ニ轟カセルダケダ……!」

「私は誰にも負けるつもりはない」

 

「クックック……エムブレム、正直ニナレ。10連覇ハ辛カッタダロウ……」

「…………」

「オマエハ苦シンデイタハズダ。涼シイ顔ヲシテイテモ分カル。勝チ続ケルトハソウイウ事ダカラナ」

「…………」

「ダガモウ苦シム必要ハナイ。コノ私ガカワッテヤルヨ。シンボリエムブレム……」

 

 

ワアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!

 

 

「騒がしいな……」

「ナンダ……?」

 

 

「ぴすぴーす! フランスの皆々様ー。日本代表にして世界に羽ばたいた僕らの我らのあなたとあなたのゴルシちゃんことゴールドシップでーす! えへ♪」

ゴールドシップは外ラチギリギリを走りながら観客席に向けてピースサインや投げキッスやポーズを決めたりしている。

「さあ、ゴルシちゃんタイムの幕開けだー! とうっ!」

ゴルシは芝の上でいきなり4回転トゥループしたりトリプルアクセルしたりバク転、バク宙、エア鉄棒でムーンサルトなどを始めた。

 

「な、なんだあのウマ娘は!?」

「面白れー! ヒューヒュー! いいぞー!」

 

「お次はトランプ芸だぞー♪」

ゴルシは芝の上に台を置き、トランプを数枚取り出した。

 

「おいおい今日のフランスは強風だぞ」

「トランプなんか出して何やるってんだ」

 

「でれれれれれれれれれれれ……どん! ほわたったたたたー!」

ゴルシは超高速でトランプタワーを見事完成させた。

これには観客も万雷の拍手。

 

ひゅー

 

「あ」

風が吹いてトランプタワーは倒れた。

「おーっし! 今度は新年芸だー!」

今度は和傘を拡げ、独楽を取り出す。それを大空に投げると、落ちてきた独楽を傘で丁寧にキャッチし、回し始めた。

「いつもより多く回しておりまーす!」

 

ワアアアアアアアアアアアッ!!

ゴルシ! ゴルシ! ゴルシ! ゴルシ! ゴルシ!

 

更にこれだけでは終わらない。

「みんなー! ターボの名前はツインターボだぞー! 名前だけでもいいから覚えて帰ってくれるとターボ嬉しいぞー!」

次にターフに現れたのはツインターボだった。

「奥義、ターボトレイン!」

ツインターボは体をぐるぐる動かしながら百面相してみた。

すると……、

 

…………。

ウオオオオオオオオオオッッッ!!!!

ターボ! ターボ! ターボ! ターボ! ターボ!

 

これが大好評。

「よーし次はターボ18番のムーンウォークからスリラーダンスやっちゃうぞー!」

 

ワアアアアアアアアアアアアッ!!

 

『……えー、いつから凱旋門賞はパフォーマンスをやる場になったのでしょう?』

『でもお客さんが喜んでいるからいいんじゃないでしょうか?』

 

「はぁー……やっぱりゴルシが出るとこうなっちまうか……」

「ターボさん、なんか「ターボにひさくあり!」とか言ってましたが、まさかこんな事をやるとは……」

トレーナーはドン引き。他のウマ娘達もドン引き。やる気を削ぐ日本代表の作戦なのかと勘繰ったりした。

テレビ中継を見ていた日本のスピカ、カノープスの面々、その他ウマ娘達は言わずもがな、である。

例外として、病室にいたライスシャワーは拍手を送り、ハルウララはすごいすごーいと笑っていた。

 

「……エムブレム、日本ニハ面白イ連中ガイルナ」

「あいつらは問題外だ。物見遊山で来たただの数合わせだよ……」

 

「楽しんでるようで、なによりだねえ」

「プレッシャーとは無縁ですからね、二人は」

唯一、シンザンとシンボリルドルフだけが二人を許容した。

 

「…………」

そんな光景を、ではなく、エムブレムを遠目から見ていたウマ娘達がいる。フランス代表バ達だ。

サルバミックス、レシオ、グラスアレー、ソーダレズ、錚々たる顔ぶれである。

しかし彼女たちにとって、心境は複雑だった。せっかくのホームでの夢の舞台だというのに、気は晴れない。

 

『いいか! どんな手段を使ってでもシンボリエムブレムには勝たせるな! 勝たせたら国の恥だと思え! 任務を遂行できなかったものは、しかるべき処分を下すからな!』

 

前を塞ぐだけでは生温い。マークなど論外。脚を引っ掛けろ。横から殴りつけろ。転ばせろ。隠し持った刃物で刺しても構わん。銃で撃ってもよし。

絶対に、絶対に奴には勝たせるな、そういう通達であった。

事実、試合前に刃物や銃を持たされたウマ娘もいる。

だが……、

(これは凱旋門賞なんだぞ。世界が注目するレースなんだぞ。そんなレースを汚す真似をすれば、どのみちただでは済まないじゃないか……!)

(我々に死ねというのか、実力では叶わないから、汚い手口を使って妨害しろ、と? だったら貴様らがやれ。レースに問題を持ち込むな……!)

腸煮え繰り返る想いであった。これというのも、全てはシンボリエムブレムのせいだ。奴のせいで、自分の競争バ人生に傷を付けることになった。

 

許さない。逆恨みなのは分かっている。だが、容赦はしない。

フランス代表バたちはエムブレムを睨み付ける。しかしその瞬間を、エムブレムに悟られてしまう。

「……!」

エムブレムは悪鬼の如きガン飛ばしで逆にフランスウマたちを睨み返す。背中に冷たい汗が伝い、戦意を失いかねない『眼』だった。

(くっくっく……匂ってきやがるぜ……ドス黒い匂いがな。何か狙ってやがるな。あいつらも、そして他の国の奴らも……!)

ブーイングこそ聞こえてこないが、エムブレムは滾る気持ちに股間を濡らした。

ああ、これだ。世界中で味わった、四方八方みんな敵という状況。これこそ自分が待ち望んでいた環境だ。こうでなくては面白くない。

 

(……エムブレムが喜んでいる。そういう気配を感じ取ったか)

エムブレムの異変に、ルドルフも気付いた。そしてしかと理解した。君はいつもこんな環境でレースに出ていたのか、と。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

『今年の凱旋門はレース前から波乱の展開でした。しかしレースが始まってしまえば全ては同じです。今、ファンファーレが鳴り響きました』

『さあ、各ウマ娘がゲートに入っていきます。全世界中継の国際GⅠ、凱旋門賞。今年の栄冠を勝ち取るのはどの国の、どのウマ娘なのか』

 

マリーバードが、アレッジが、リングスパークが、ランドドリームが、チャンピオンバッジが、

日本代表ツインターボが、ゴールドシップが、シンボリエムブレムが、

フランス代表ソーダレズが最後にゲートに入って態勢は整った。

 

何を思うのか、何を考えるのか、何を狙うのか、それぞれの思惑は今の段階では分からない。しかし栄冠はいつだってただ一人だ。

中継を見ていた世界中の人々とウマ娘が、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 

凱旋門賞。芝2400m。18頭立て。

 

 

ガコン!

 

『今スタートが切られました。凱旋門賞芝2400m。スタンドからは早くも大きな歓声が沸き起こっております』

『さあまずは先頭集団を見てみましょう。先頭はアレッジ、チャンピオンバッジ、グラスアレー、そしてその中から猛ダッシュするウマ娘がいる。ツインターボだ!』

 

ウォオオオオオオオオオオオオオオオォッ!!!!

 

宣言通りツインターボは大逃げをうつ。例えフランスだろうが、どの競バ場だろうが、ターボのスタイルは変わらない。

「いっくぞ~!!」

 

ターボ! ターボ! ターボ!

 

スタンドからはまさかまさかのターボコールが巻き起こる。先ほどのパフォーマンスが効いたのか、まるでホームのようだ。

(ありがたいな。これさえあれば百人力だ!)

と同時に、ターボはシンザンから言われていた凱旋門賞の走り方を思い出していた。

 

「これがパリロンシャン競バ場芝2400mのコースの見取り図だ」

「スタートから直線で、コーナーは二つだけ、ラストの直線は東京と同じくらいでほぼ533mだね」

カノープスの部室で講義をしたため、ネイチャやイクノ、タンホイザもいる。

「まず注意したいのが芝の質だ。日本の芝と比べて、ヨーロッパの芝は固く、重い。脚に負担が掛かる芝だ」

「つまり、いつも通りに走ると後半思わぬところでバテてしまう、と……」

イクノが眼鏡をクイッと持ち上げる。

「勾配の高さも注目だ。400mを過ぎると上り坂が続き、3コーナーを過ぎると下りに転じる。1000m~1600mはおよそ10mは下る。中山が5.3mだから、およそその倍だね」

「うっわ、それきついわー。わたしなら走りたくないなー」

タンホイザが白旗を挙げる。

「スタート直後のポジション争い、前半の上り、返しの下り、最後の直線と注意点は多い。さあターボ、あんたならどうする?」

「うんっ! 最初から逃げて一着になる!」

三人がずっこけた。

「だからターボ、それじゃダメなんだってば」

「世界は甘くないんだよー」

「えーでもターボいまさら大逃げのスタイルは変えないよ。だからいつも通り走る!」

「はっはっは。いい返事だ。じゃあ凱旋門に向けて特訓しようかねえ」

「お、なにやるんだばーちゃん?」

「残りの一か月弱、ターボはウエイトを目いっぱい付けて走ってもらう。下半身の筋トレもいつもの倍増やす」

「うひゃースパルタだー」

「世界は広いからね。そしてなによりターボにはシンボリエムブレムという今まで戦ったことのない強敵がいる。是非勝ってもらわないとねえ」

 

(確かに走り難い。芝が重いな。でもこのくらいターボなら平気! ターボ猛特訓してきたからな!)

 

『ツインターボがどんどん加速していく。向こう正面の400m付近を早くも過ぎて上り坂に入っていきます』

『果たしてこのペースが最後まで持つんでしょうか。ロンシャンの勾配は甘くないですよ』

ターボからすれば、その負担度は有馬の2500m以上だろう。しかし例えどんな環境だろうと、ターボはスタイルは曲げない。

追いかけるウマ娘は今のところいない。これがどう出るか……。

 

一方、シンボリエムブレムを囲み、前を塞ごうとしていたフランス陣営その他各国のウマ娘だったが、

「エムブレムは何処だ!? 前か!? 後ろか!?」

「いない、だと……!?」

ウマ娘達が前後左右をキョロキョロしている間、早くもエムブレムは脚を使って大外から2番手に付いていた。

「ほらほら、寄って来いよ。大外だぞ。囲むのは一苦労だろ? お前らのやり口なんてお見通しなんだよ」

「く、くそっ!」

「さあ来いよ。わたしを潰したいんだろう? 仕留めたいんだろう? 殺したいんだろう? なら追ってきな……」

そう言いながら、大外に追いかけてきたウマを、今度は内に入って引き離す。

翻弄されるとはこのことだ。

 

そんな不毛なやり取りに唯一参加していなかった。ウマ娘がいた。イタリア代表チャンピオンバッジだ。

「フン、愚カナ奴ラダ。マア、ソノウチ勝手ニクタバルダロウヨ」

そしてもう一人、最後方からやる気があるのかないのか、真面目に走る気があるのかないのか、マイペースで走っていたのがゴールドシップ。

「なんだなんだあいつらー、エムブレムの奴を金魚の糞みたいに追いかけまわしてやがるぞ。あ、内空いた」

チャンスとばかりに好位置に着ける。

「ようし、視界良好、異常なーし。ここからゴルシちゃんタイム開幕といくかー」

 

 

『レースは中盤。大逃げをうったツインターボが第3コーナーに入ります』

『ロンシャンはここから急な下り坂がある。ツインターボはこれに対応できるのか?』

 

「うおっ、結構きついぞ」

ターボは予想より急な下り坂を脚で感じ取る。これ以上スピードを出すと曲がり切れずに外に飛び出してしまいそうだ。

(でもコーナーの走り方もばーちゃんの所でいやというほどやってきたからな。だいじょうぶだいじょうぶ……)

 

普通、坂は上りより下りの方がきついと言われている。自分の体重が全部脚にかかるからだ。

しかしそこは小柄なツインターボ。脚にかかる負担は各国の大型ウマ娘より小さい。

 

『ツインターボ、快調に飛ばしながら下りコーナーを駆けていきます』

『相当練習したのでしょうね。見事な走りっぷりです。後ろとは10バ身以上の差をキープ。これはセイフティリードになるのか?』

 

ウオオオオオオオオオオッ!!

 

(ん、なんだ。歓声ともちがうぞ。観客がおどろいたような……)

 

そう観客は驚いていた。

依然2番手の位置に付けていたシンボリエムブレム。これ以上自由に走らせてはいけないと、コーナー前、一気に差を詰めようとしたフランスウマ娘がいた。

しかしそれは追いつくためではなかった。観客の中に潜んでいたフランスウマ娘界の重鎮クラスが遂に「殺れ」のサインを送ってきたからだ。

これに従ったら自分は終わり。従わなくても終わり。もう後戻りできなかった。

(くそっ、くそっくそっくそっ! どうしてだ。これは凱旋門賞で、世界最強バを決める神聖なレースなのに、どうしてこんなことに……!)

だが迷っていれば契機を失う。もはやどうしようもない。ウマ娘はそっとナイフを懐から取り出し、

「死ねっ!」

その鋭い刃先をエムブレムの背中に突き刺し……、

「……おっと」

しかしすんでのところでエムブレムにかわされる。

「そんな、バカな……」

「へえ……物騒なエモノ持ってるじゃないか。残念だったな。今まで散々妨害されてきたせいで、わたしは八方目に近い感性を持ってるんだよ。背中に眼が付いてるようなものさ」

だが、問題はそれで終わらなかった。

ウマ娘が手にナイフを持ってエムブレムを刺そうとした瞬間が、テレビカメラに映って世界中に配信されたからだ。勿論観客にも。

 

「おい、あれ、ナイフだよな?」

「シンボリエムブレムを刺そうとしたのか?」

「ふざけるな! 凱旋門賞を何だと思ってるんだ!」

 

観客がブーイングの嵐を浴びせる。哀れ刺そうとしたウマ娘は茫然自失。虚ろな目をしたまま、走るのを止めてしまった。

(終わった……これでわたしの競走バとしての人生は終わった……はは……ははは……もう……生きててもしょうがないな……生きてても……)

そしてナイフを自身の首元に……。

 

「ゴルシちゃんチョーーーーーーップ!!」

後ろから走ってきたゴールドシップにナイフをはたき落とされた。

「えっ……」

「おいおいそんな真似すんなよー飯が不味くならぁな。ま、お前の仇はあたしが打ってやるから、おまえはそこで待ってな」

「…………」

 

そしてその光景を見ていたシンザンとルドルフは……、

「おい、ルドルフ」

「ええ。天魔外道が観客席に紛れているようですね。探しに行きましょう」




ゴルシはどう書いてもアプリ版に届かないというSS書き泣かせのキャラですよね
脚本担当者は凄いと思います


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決着

 

波乱の幕開けだった今年の凱旋門賞。

しかしここにきて更なる波乱が待っていた。

 

フランス代表のウマ娘がレース中に他国の代表ウマ娘をナイフで刺そうとしたのだから。

その光景はテレビカメラによって世界中に伝えられる。

 

やった本人は茫然自失。そのまま自殺しようとして、ゴールドシップに止められた。

 

『まさか、まさか、こんな事態が起きるとは誰が予想したでしょうか。レース中に起きたあまりに大きなハプニングです』

『まともにやって止められる相手ではないことは分かります。しかし、これは……』

 

実況と解説も言葉に詰まるというか、反応に困る。当然だ。迷惑系動画配信者でもここまでしない。

だが単独犯とも思えない。誰かの差し金だ。それは推察できる。

しかしそれを言葉にできる程自分の立場に権威はない。

 

そしてレースは中止になることなく続いている。先頭は依然ツインターボ。10バ身近い差は未だ縮まってはいない。

「はっ……はっ……はっ……はっ……」

体への負担が大きいことで知られるロンシャン競バ場の約10mと言われる勾配の下り坂を何とか駆け抜け、第4コーナーを回る。

そこから最後の直線までは通称フォルスストレートと呼ばれる角度が緩やかな直線もどきが待っている。

芝2400mといえば日本では、日本ダービーだが、それとは比較にならない競バ場のコースだ。

 

だが、ツインターボは決して諦めない。そう、諦めないことがターボの走りなのだ。彼女はその走りで、いくつもの奇跡を起こしてきた。

「見てろよみんな、ターボは世界でも絶対諦めないからな……」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「ふふふ……ははは……そうだ! こうでなくちゃな!」

一方、あわや大惨事となりかねなかったシンボリエムブレムはナイフで刺されそうになった恐怖心など何処吹く風、2番手の位置でターボを追いかける。

ブーイングを浴びるたび、前を塞がれるたび、ラフプレーを受けるたび、エムブレムの漆黒のモチベーションは増大し、力を発揮する。

今や彼女の調子は絶好調だった。

「ククク……コノ、イカレガ」

そのエムブレムを追走するのは、イタリア代表チャンピオンバッジ。

かつてジャパンカップでエムブレムに走行中脚を踏まれ重傷を負い、再起不能、自殺を選んだ幻の伝説ウマ娘、カデンツァの弔い合戦にと参加したが、そんな事はどうでもよかった。

エムブレムに勝ち、自分の名を世界に轟かせることだけが目的であり、妨害をしろと命令されて、はいそうですかと聞く耳は持っていない。

 

大体世界戦だというのにたった一人のウマ娘をマークすること自体がナンセンスだった。

それが証拠に、見ろ、各国代表のウマ娘はもう誰も観客の視界に入っていないし、力を使いすぎている。もはや完走ができるかどうかすら微妙だ。

「見テイロ、最後ニ勝ツノハ、私ダ……!」

 

 

だが、悪夢は2度起きる。

またしても観客席に潜んでいた、フランスのウマ娘を取り仕切る組織の重鎮が「殺れ」の合図を送ってきたのだ。

ウマ娘達は走りながら怯えた。これ以上何をどうすればいいと言うんだ? もう勘弁してくれ。私たちを真面目に走らせてくれ。

だが所詮自分たちは一介のウマ娘に過ぎない。上からの命令は絶対である。

 

殺るしかない。本気で。そう覚悟した時、一人のウマ娘が、懐から小銃を取り出した。

走りながら狙いを定めて、当てる。殆ど博打である。当たらないでくれ。せめて外れてくれ。ウマ娘は祈った。

みんなは何食わぬ顔でレースを楽しんでくれ。さようなら……。

 

(……何かやってくる?)

後ろの気配に、シンボリエムブレムも気付いた。

少しだけ、後ろを振り向く。目に入ったものは、小銃だった。そしてそこから凶弾が放たれるまで、時間は掛からなかった。

銃声が、響いた。

実況が、解説が、観客席が、テレビカメラが、その光景をありありと捉えていた。

 

弾丸は、シンボリエムブレムの肩に直撃した。衝撃で、真紅の肩当が外れた。

「……!!??……っ!?」

エムブレムは肩を抑えた。じわりと服に開かれた穴から、血が滲み出てくる。痛覚が乱舞を踊り、脳髄を支配しようと暴れ狂う。

 

ウオオオオオオオオオオオオッッ!!!!

 

観客席からはブーイングと怒号が響き渡った。

 

「ふざけるな! いい加減にしろ!」

「レースを、凱旋門賞を何だと思ってやがる!」

「俺たちは殺し合いを見に来たわけじゃないんだぞ!!」

 

おそらくこのレースは歴史上最低の凱旋門賞として長く人の心に刻まれるだろう。

だが、そんなことはどうでもいいと思った者がいる。チャンピオンバッジだ。

 

「クックック……アハハハハハハ!! ザマアナイナエムブレム。ソシテフランスノ諸君、引キ立テ役ゴ苦労! 後ハエムブレムと前ニイルチビッコヲ蹴散ラシ、私ガ一着ニナルダケダ!」

そしてバッジはエムブレムを抜き、2着に上がり、前のツインターボを猛追する。

 

 

この時、観客席にいたフランスの(ry は苛立っていた。

命令はシンボリエムブレムを殺せ、だ。まだ生きてるじゃないか。重症じゃダメなんだ。もう一度だ。もう一度指示を……、

 

ゴガァッ!!

 

と思った瞬間、顔面を思いっきり観客席の地面にぶつけられ、抑えつけられた自分がいた。

「……遅かったみたいだね」

「ええ……このルドルフ、一生の不覚です。エムブレムに生涯残る傷を負わせてしまった」

「だ、誰だ……? おまえ達は誰だ……!?」

「名乗る程のものじゃないさ。でもまあ、神聖なレースを汚した罪は、償ってもらうよ」

「やってはならないことの判断も付かないようでは、フランスの競争バ連盟というのは相当腐っているらしい……お仕置きが必要ですね」

「久々に、二人で大立ち回りといくかい?」

「いいですね。でもその前に……、おい、貴様……!」

「ひっ……!」

ルドルフは、鬼の形相で男を睨み付けた。

 

「凱旋門を、無礼(なめ)るなよ……!」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「くっ……!」

エムブレムは痛みを堪えながら走っていた。しかし、その走りにはキレがない。

(……このまま終わるのか? 私はこれで終わるのか……?)

どれだけ前を塞がれても勝ってきた。どれだけ妨害行為を繰り返されても、力で捻じ伏せてきた。

勝てば官軍。それが自分の理念である。もし負ければ、それは死も当然。

周りは言うだろう。怪我をしたんだからしょうがない。あんなことがあったんだから仕方ない、と。

 

だがそれを自分は受け入れられるのか? 悪いのは相手であり自分でないのだからと負けも受け入れられるのか?

世界有数のレース凱旋門賞。そこで起きた前代未聞のハプニング。だが、このレースが果たしてなかったことになるのか?

仮に黒歴史に認定されたとしても、自分はそこで起きた『敗北』という現実を素直に受け止めなさいと言われ、黙ってそうするのか?

 

それはもはや、自分ではない。

 

「……ふざけるな」

その瞬間、シンボリエムブレムの漆黒のモチベーションは凶弾の痛みを凌駕した。

 

「……ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

エムブレムの体が、弾けた。『雷光』と謳われたあの走りだった。人間と車のレースとまで言われたあの脚が復活したのだ。

 

『おーっと! シンボリエムブレムが豪脚を見せる。凄まじいスピードだ!』

『目を疑うような走りです。こんな力が残っていたとは……!』

 

「ナニッ!?」

 

その走りは、あっという間にチャンピオンバッジを飲み込み、最後の直線に入ろうとするツインターボを捕らえた。

 

『並んだ! 並んだ! ツインターボとシンボリエムブレムが並んだ! まさに一閃! 驚異的な速度でリードを詰めた!』

 

「嘘っ!?」

「勝つのは、わたし……ぐっ!?」

しかし傷の深さで駆け抜けた代償は大きかった。あっという間にガソリンを使い果たし、エムブレムは失速する。

やはりあの激痛と血が滴り落ちるほどの状態で走ったのはさすがのエムブレムでも無理があったようだ。

ツインターボももはや限界に近い。それでも諦めずに手と脚を動かし、ゴール板目指して走る。

 

「きたなえんぶれむ! ターボはおまえと戦いたいと思ってたんだ!」

ターボは叫ぶ。余裕はないはずだ。しかし声に出さずにはいられなかった。

「ターボはな、おまえと違って負けてばっかりだった。でも諦めずに走ったから、今のターボがあるんだ!」

「……何を急に」

「諦めない走り、それがターボの走りだ! たとえ並ばれても、諦めない! 先頭をゆずる気はない!」

このちびっこは、わたしと本気で殺りあうつもりか。この馬鹿が。エムブレムはそう思った。

「黙れ! レースは勝てば官軍だ! 勝てば全てが手に入り、負ければ泥に塗れるだけだ!」

「嘘つけ! ターボ、おまえが走ってるとこのビデオ見たぞ! おまえ、勝ってもちっともうれしそうじゃなかったじゃないか!」

「何を……!」

「誰だって勝てば嬉しいし、負ければ悔しいんだ! なのに、おまえはなんだ? 勝ってもうれしくないって、いっしょに走ったウマ娘をなんだと思ってるんだ!?」

「何とも思ってないさ。何ともな……!」

「そうか。じゃあターボは負けない! おまえには負けない! おまえみたいな一人ぼっちでターフ走ってるようなやつには、負けない!」

(……一人ぼっち、だと!?)

エムブレムは衝動的に蹴り飛ばしたい気持ちを霧散させた。それだけ癪に障る発言だった。

「おまえは……私の価値観と最も相反する存在だ。……ブッちぎる!」

 

ピシッ……!

 

「……!?」

脚に力を込めた瞬間、違和感が拡がった。力を入れているのに、走り出せない。抜け出せない。

(この違和感……まさか、骨にヒビが……くそっ、何だってこんな時に……!)

信じたくはないが信じるしかなかった。このタイミングで異常発生。まるで競バの神がこいつを勝たせようとしている様ではないか。

何度も何度も力で捻じ伏せてきた神が、ここで牙を剥いたというのか……?

 

(黙れ……黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ! 眠ってろ! 座ってろ! 引っ込んでろ! 貴様なんか、お呼びじゃないんだ!)

だが体の異常はいかんともしがたかった。肩の弾痕、脚の違和感、呼吸は乱れ、息をするのも苦しい。体中が痛い。満身創痍だった。

しかしエムブレムは気力だけでターボに肉薄する。負けるわけにはいかない。負ければ全てを失う。おまえ達とは、覚悟が違う。

 

「エムブレムゥゥゥゥゥゥゥッッ!!!!」

そしてここで一度は抜いたチャンピオンバッジが猛追してきた。執念の走りだった。

 

『チャンピオンバッジじわじわと前の距離を詰める。前は三頭態勢だ。しかし全員一杯か!?』

『残り200を切った。さあこの波乱だらけの凱旋門賞も終わりが近付いてきたぞ! 勝つのは誰だ!』

 

ツインターボか、シンボリエムブレムか、チャンピオンバッジか。

 

『ここに割って入るウマ娘はさすがに……』

 

「いるさ! ここに一人な! ヒュー!」

 

『いや、いた! いたぞ! ゴールドシップ! ゴールドシップだ! 大外回ってやってきたのは日本代表バのゴールドシップだ!』

 

「ラ王はラーメン、ラララララ~」

「こらゴルシ、空気よめー!」

「貴様……!」

「ナゼ、オマエガクル……!?」

 

「何だよ何だよおまえら頑張ってんなー。このまま夕日に向かってダッシュかー? わたしも混ぜろよー」

 

ウオオオオオオオオオオオオオッッッ!!! ゴルシ! ゴルシー! ゴルシ!

 

観客が一斉にゴルシコールを始める。そりゃそうだ。誰も期待していなかった筈のウマ娘が、誰よりも脚を溜めて最後の最後にやってきたのだから。

「おうおう、観客もアガってきたなー。それじゃ、栄光のフィナーレをルパーンダイブしますかね!」

「負けないぞゴルシ!」

「おまえだけには……くっ!」

「フザケルナァァァッ!」

 

これで前は四頭態勢。しかしスタミナの量は比べ物にならない。

レースとは競えば競うほど疲れるのだ。その点最後尾からじっくりまったり走ってきたゴールドシップはまだまだ走れますよと余裕の脚色。

当然だ。完全にノーマークだったのだから。

 

「おりゃあああああああっ!!!!」

ゴールドシップが並び、追い付き、そして遂に抜いた。

『差した! 差し切った! ゴールドシップが差し切った! ゴールドシップだ! ゴールドシップが1着でゴールインンンンンンッ!!!』

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

『勝ったのはゴールドシップ! 今年の凱旋門賞を制したのは、日本代表ウマ娘、黄金色の浮沈艦ゴールドシップだー!』

『日本代表バの凱旋門勝利は勿論これが初勝利! 幾度となく先代たちが挑み、力及ばず消えていったこのフランス・ロンシャンの地で、見事大仕事をやってのけましたー』

 

ゴルシ! ゴルシ! ゴルシ! ゴルシ!

 

「あっははー。さんきゅーべりーまっちんぐマチコ先生ー」

 

「はぁ、はぁ、はぁ、ちくしょー、負けたー!」

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……くっ!」

「ソンナ馬鹿ナ……。エムブレムヲ倒シ、世界最強バニナルノハコノ私ノハズナノニ……」

 

1着:ゴールドシップ

2着:ツインターボ

3着:シンボリエムブレム

4着:チャンピオンバッジ

5着:ランドドリーム

競争中止:レシオ、グラスアレー

 

日本代表、まさかの1-2-3フィニッシュ。フランスが自滅し、各国のウマ娘も精彩を欠き、終わってみれば日本代表バが上位総なめ。

まさか、まさかの結末だった。

 

「トレーナー!」

「おお、ゴルシ! おまえ、やる時はやる奴だったんだな……!」

「わーいわーい……とりゃ!」

 

ブッピガン!

 

ゴルシ、渾身のドロップキック。

「ごぐぁはっ!」

「へへ、どーよ?」

 

「あーあ、ごめん、トレーナー。ターボ、負けちゃったよ」

「そんなことありませんよターボさん。2着でも十分な結果です」

「でもターボ、一着がよかったなー……」

 

「なあ、会長は?」

「おやエムブレムさん、お疲れ様でした。肩の調子はいかがですか?」

「問題ない。弾は貫通してる。痛みはあるけどな。それより会長は?」

「ああ、何でもふざけた連中をシメに行くとかどうとか言って、一足先に場内を出ていきましたよ」

「…………」

(ふっ、そうか。会長も、わたしを見限ったか……)

誤解でしかないのだが、この時、エムブレムは全てを理解した気になっていた。

 

「あー、いたいた。おい、おまえら、行くぞ」

「なんだゴルシ」

「今更何処に行くんだ?」

「なーに、言ってんだ。ウイニングライブだよ。2着と3着のおまえらも来い。でないと始まらないんだよ」

「しょうがないなあ……」

「……敗者は断る事は出来ない。仕方ない。付き合おう」

「よーし、行くぞー! 全世界に、『うまぴょい伝説』を響き渡らせるぞー!」

この時、南坂トレーナーは思った。え、あれをやるんですか、と。そう、あれを。格好悪いという理由で誰もやりたがらない、あれを。

 

 

ちゃららら~ん ちゃらら~ちゃっちゃ ちゃっちゃちゃ~(例のイントロ

 

位置について よーいどん

 

うー(うまだっち)

うー(うまぴょい うまぴょい)

うー(すきだっち)

うー(うまぽい)

うまうまうみゃうみゃ

3 2 1 fight!

 

(以下略)

 

 

世界中の人々は配信されたウイニングライブの内容に戦慄した。

言葉の意味も内容も分からないが、とにかくノリのいい曲ということだけは伝わった。

きっと配信が決定すれば、世界中のDLサイトでDLする物好きがいるだろう。なお違法DLはNG。

 

「よーしもう一曲いくぞー!」

 

 

『そのとき日本から、エデンの戦士がやってきたのです・・・』

(あ、あれは誰だー!誰だー!誰なんだー!)

『それは…ゴルシちゃんでーっす☆

ああ、ちょっとおまえらドン引きするんじゃねーよ!

ゴルシンパワーで1着のポーズ☆

富、名声、この世の全てを手に入れた破天荒ウマ娘

ゴールドシップ様が、頑張っちゃうぜー☆

 

ゴルシンシン ゴルシンシン ゴルシーン! ×3

ゴールドシップ ゴルシーン!

 

 

その後、ゴールドシップの独り舞台は延々1時間にも渡って行われた。

耐えきれず、関係者が「もういいですから!」と止めたが、「あたしはまだ歌い足りねーな」とブツブツ言っていた。

 

 

そして、ようやくインタビューの時がやってきた。

壇上に立ったゴールドシップはカメラに向かって投げキッス&熱いウインク。

『えー……大変長らくお待たせしました。今日この日、一つの伝説を作り上げたウマ娘、ゴールドシップさんです!』

 

ウオオオオオオオオオオッ!! ワー! ワー! ゴルシ! ゴルシ! ゴルシ!

 

『本当におめでとうございます!』

「ん、あー、そうだな。わたしの歴史に、また1ページってとこかな」

『日本代表に選ばれた時、どのように思いましたか』

「応援してくれるチームメイトと全国のファンのためにフランス遠征を決断したな。あー、そうそう、テイオー、見てるか? いつも飯奢ってもらってサンキューな。

あとマックイーン、それとスぺ、たまにはダイエットしろよ。スカーレットとウオッカはキスでもして仲良くなれよ」

 

ドッ!! ワハハハハハハハ!!

 

その時、遠く離れた日本の部室では、

「ゴルシ、やりたい放題だね」

「まるで水を得た魚のようですわ……およよ」

「日本の恥部が輸出されたな。もう知らねーぞわたしは」

「なんでわたしがこいつとちゅーしなきゃならないのよ!?」

 

『他のウマ娘はいずれも劣らぬ精鋭揃いでしたが、走ってどう思いましたか?』

「うーん、あんまりそういうのは感じなかったなあ。どいつもこいつもエムブレムの奴に金魚の糞みたいに付いて行くだけで、おかげですげー楽だった」

『今年の凱旋門賞は前代未聞のハプニングか多々ありました。それについて一言お願いします』

「そうだなあ、まー、あれだ。喧嘩はよくない。それははっきりしているな」

『日本にとって大きな賞を戴冠しました。将来はどのような道に進みますか』

「なぁにぃ~。将来~! あほか! 将来もクソもねー、今だ今! 今面白く生きなきゃ意味ねーだろ!

あ、そうだ。日本政府、立ちションできなくなるから国民栄誉賞授与とかやめてくれよ。わたしは誰よりも自由に生きるからよー」

 

ドッ!! ワハハハハハハハ!!

 

その後もゴルシのインタビューは本人がすぐ脇道にそれる発言をしまくる中、何とか無事に終わった。

そしてそれは、ゴールドシップという『世界一破天荒なウマ娘』を世界中に知らしめるには充分すぎるものだった。

以後、ゴルシの走りを見たい、ゴルシにサインを貰いたい、ゴルシと囲碁で勝負したい、といった変わり者が海を渡り会いにいくことになるのだがそれは余談である。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

時刻は夜になった。

フランス有数の高級ホテルでは、ゴルシの祝勝会兼出場者を労う慰安会が行われていた。

「うまっ! フランス料理うまっ!」

ゴルシはまるで元禄寿司のように皿を積み上げながら高級フランス料理に舌鼓を打っていた。

「はぐっ! はぐっ! はぐっ! うまいぞこれ!」

疲れが溜まっていたツインターボは爆睡していたが、おいしい料理が食べられますよ、とトレーナーに突かれると飛び起き、今は飯をかっこんでいる。

食事中、ゴルシの元に、レースの時にナイフをチョップで叩き落とされたフランスのウマ娘がお礼を言いに来た。

ゴルシは、「ん、まあ気にすんな。でも命は大切にしろよ」とだけ答え、おまえも食えと皿の上の料理を強引に食わせた。

 

 

また、その祝勝会の直後、ニュースが報道される。

凱旋門賞で起きた前代未聞のハプニング。それはフランス競走バ連盟からの勅命だったことが判明した。

「はい。命令されました。背中を刺せ、と。とにかくどんな手段を使ってもいいからシンボリエムブレムを妨害しろ、と」

「本物の銃を渡された時、私は震えました。撃ったこともないのに、当たるわけがないと、でも狙って、当たっちゃって……すみません。すみません……」

フランス代表のウマ娘達はカメラの前で泣きながら謝罪した。しかしいくら謝罪したといっても、やったことが許されるわけではない。

今後二人はどうなるかは不明だが、情状酌量の余地はあるのではないか、という各国の声もあり、ひとまず処分は保留となった。

 

その一方で、夕方、メディアが取材に来る直前、謎の仮面を被った二人組が現れ、ボディガードを瞬殺し、内部に侵入。

指示を出した主犯格から実行委員会を開いていた代表者まで、あらゆる人間がフルボッコにされていたという報告が入った。

 

監視カメラで撮らえられた映像には、拳法でボコボコにされるフランス競バ会のお偉いさんの姿が映っていた。

ウマ耳と尻尾があるところ、ウマ娘なのだろうが、何者かは不明である。

 

二人は最後に、会議室にて、ペンキで『Les sanctions』(制裁)と書き、その場所を後にしたという。

 

何にせよフランス側の責任は重大である。しばらくは炎上は止まらないだろう。

これで我田引水の如し連中が浄化され、山紫水明の如き組織に生まれ変わることを祈る。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

一方、シンボリエムブレムは病院からホテルの一室に戻ってきていた。

入院を勧められたが、彼女は断った。手当だけで十分だと。

 

夜だというのに、部屋に灯りは付いていなかった。カーテンは開かれており、ここからは美しいフランスの街並みが夜景として楽しめる。

 

だが、エムブレムの心はそこにはなかった。

 

「負けた、な……」

フランスまで付いて来てくれた日本の単独取材を続けていた者には、今日は一人にさせてくれと頼んだ。男は承諾した。

 

「…………」

エムブレムは持ち歩いていたバッグからある物を取り出した。

 

それは、自決用のナイフだった。




シンボリエムブレムをどうするか、今も迷っています
仮に生かしてもその先はありません。
それでも生かした方が本人の為なのか……さあどうしてくれようか


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パーティは終わらない

 

夜のホテルの一室。シンボリエムブレムはナイフを持って佇んでいた。

 

日本にいた時に10連勝。海を渡って世界中を周り10連勝。長いようで短い、濃密なひと時だった。

ターフに立つ事20回以上。しかしその芝の上は苦難の連続だった。

特に海外では、ラフプレー、進路妨害、ゲートに細工と酷い物だった。

それを全て力で捻じ伏せてきた。勝って勝って勝ち続けて、競バの神すら踏み潰してきた。

 

だが、勝てば勝つほど心は乾き、負けた反動は大きくなるものだということは薄々分かっていた。

 

自分は誰よりも強く、誰よりも弱かった。負けることを決して受け止められないウマ娘になっていたのだから。

 

そして、このフランスの大地で、自分は負けた。負け犬に歴史は作れない。

 

ならば、自分がすべき事は一つしかないだろう。

 

(死してこの名を伝説に残す。これがわたしができる最後の仕事だ……)

 

 

意を決して、ナイフを首元に持っていく。誰にも邪魔されず、冷たく最期を迎える。実に相応しい末路だ。

 

(シンボリエムブレム。ここにあり……!)

エムブレムはナイフを持つ手に力を込めた。

 

 

どんどんどんどん! どんどどどんどん! どんどん!

 

「開けろー! うまぴょい警察だー!」

「……!?」

ドアを勢い良く叩かれ、エムブレムは思わずナイフを足元に落とした。

(なんだってんだ! まったく! いったい!)

 

興が削がれ、エムブレムはドアを開ける。そこにはゴールドシップとツインターボがいた。

「ゴルシちゃんレーダーがおまえとルドルフ会長の百合えっちを感じ取ったぞー!」

「馬鹿か! 会長ならこんなところにはいねえよ!」

「え~、おっかしいな~。それじゃあ鬱フラグクラッシャーの方かー?」

「何しに来たこの日本の恥!」

「おいおいこの凱旋門賞優勝バのゴルシちゃんに向かって恥とはふてえ野郎だな。お仕置きしなきゃなー」

すると、ゴルシはエムブレムの体をひょいと持ち上げ、どこかに連れ去ろうとする。

「おいなんだ。この、放せ!」

「なに言ってんだ。下はゴルシちゃん祝勝会で大盛り上がりだぞ。おまえも混ざれよ混ざれよー」

「うまいものいっぱいあるぞー。えんぶれむもお腹空いてるだろうからご飯食べよー」

「いらないって! こら、放せ!」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

結局、エムブレムは会場まで連れてこられてしまった。

だんだん傷が病んできた……。

「ほらほら、これなんか美味いぞ。幾ら食っても追加が出てくるんだから食わないと損だぜー。わたしタッパ―ほしいくらいだ」

「ターボもいっぱい食べたぞ! でもまだ食べたりないぞ! ターボ小食なほうなのに!」

「…………」

人でも殺しそうな表情で二人を睨み付けてやったが、二人はヘラヘラと笑っていた。気に食わない。

だが会場は自分が現れるなり空気が変わったのを感じ取った。

ああ。そりゃそうだ。所詮自分は嫌われ者。こんな華やかな場など場違いもいいところなのだ。

 

ぐう~

 

「あ、えんぶれむお腹鳴った! やっぱりお腹空いてるんじゃん!」

(ちっ……)

しかし小腹が空いたのも事実。旅先じゃろくなもの食べてなかったからな、まあ適当に食べてさっさと部屋に戻ろう。

エムブレムはそう思い、皿に乗った白身魚のムニエルを手に取り、フォークで口を付ける。

(……美味いな)

口いっぱいに広がるバターと生クリームの味。フランス料理といえばこの二つのコンビだ。

(………世界中を飛び回って、レースに勝って、そりゃ手当なんかは貰ったけど、飯に使う事は少なかったなあ)

アメリカにいた時は王道のハンバーガーとステーキ。でも肉が硬くて口には合わなかった。ていうか足りない栄養素はサプリメントってなんだよ。でもフィリーチーズステーキは美味かった。

ドイツにいた時はこっそりビールも飲んでいた。ソーセージが美味くて、ビールとよく合った。

イギリスは論外だった。フィッシュ&チップスは油っこくて食えたもんじゃなかったし、ミートパイも変な味がした。

オーストラリアは海産物が美味くて、なんだかんだでハマってしまった。でも、毎日はきつかった。

 

こうして考えるとろくなもんとは言ったが、案外まともなものも食べてたんだなあ、と思う。

まあ食レポやるために世界を飛び回っていたわけではないのだが。

 

しかしこうして油でべたべたしている物を食べると口の中をさっぱりさせたくなる。だが、ただの水では力不足だ。

「おい、そこのウェイター」

「な、何でしょう?」

「セラーに行って、良さげなワインを片っ端から持ってこい!」

 

 

ざわざわ……ざわざわ……

 

エムブレムの前に、ワインがずらりと並べられた。

そしてエムブレムは、栓を開けると、グラスに注ぐことなくラッパ飲みでワインを胃袋に入れていく。

「んぐっ……んぐっ……んぐっ……んぐっ……ぷはーっ!!」

空になったワインの瓶を放り投げる。

「……美味ぇ。やっぱ祝いの席では酒が一番だな」

自分の母親は重度のアル中だった。酒の強さは親譲りと言える。まあ、チカチーロの時代から酒はしょっちゅう口にしていたが。

「おやおや、幾ら祝いの席であっても君は中等部なんだ。お酒は感心しないぞ。エムブレム」

後ろから声をかけてきたのは、よりにもよってシンボリルドルフ会長だった。

「げっ……会長……!」

「いや、ちょっと野暮用を片付けてきてね。私もお呼ばれしているところだが、エムブレム、酒をラッパ飲みとはいけないな」

「……会長には関係ありませんよ」

「ふふ……拗ねた子供のようだな。可愛いところもあるじゃないか。……まあ、飲むなとは言わん。今日は無礼講だ。しかし、飲み方には一言口を挟ませてもらおう」

ルドルフは2つのワイングラスに赤ワインを注ぎ、片方をエムブレムに手渡した。

「やはりワインとはこういう飲み方でないとな。……乾杯」

「……乾杯」

二人はゆっくりとワインを口に含み、舌で転がし、喉を伝わせ、静かに胃に収める。

「美味しいな。やはりワインとはこういう飲み方でないとな」

「……そうですね」

 

「……エムブレム」

ルドルフはエムブレムを抱きしめた。それは慈愛の抱擁だった。

「……会長」

「済まなかった。君をずっと一人ぼっちにさせて……。こんなことになるなら、君の海外遠征、私も付いて行くべきだった……」

「そんなこと、できるわけないじゃないですか……」

「君の付き人を担当していた記者から君の話を聞いた。辛い、辛い旅路だったのだろう」

「その道を選んだのはわたしです。会長に責任はありません」

「茨の道を歩んでいたことは私の耳にも報告で入ってきた。その度に私は後悔したものだ。君を修羅のまま行かせてしまったことを……」

シンボリルドルフは、エムブレムの数々の暴虐にも目を瞑ってきた。彼女をスカウトしたのは自分だ。ならば責任問題になった時は自分も取らなかければいけないと。

それは破滅の道だったのかもしれない。だが、自分を超える才能の持ち主を、自分が惚れこんだ脚を持つ者を、思う存分ターフで活躍させたいと思ったのも事実だった。

 

エムブレムが勝ったビデオは何度も観た。ブーイング、ラフプレー、挙げたらきりがない。これでは勝っても心が荒むのも当然ではないか。

そして出来上がったのは、ただの悪鬼羅刹だった。そこに未来は、希望はない。

 

「ゴールドシップから聞いたよ。君はホテルの一室で死のうとしていたと……」

「……!(あいつ、あの暗がりからナイフを目ざとく見つけたってのか!?)」

「そうだよな……。君はもう、自分には何も残っていないと思っているものな。将来も、行く道も、生きる意味さえも……」

「……止めないでください。私は命を絶つことで自分の人生を完成させたいんです」

「駄目だ」

「何故です?」

「君が……泣いているからだ」

「えっ……」

 

エムブレムはそこで初めて気が付いた。自分の目から流れ頬を伝う、涙の姿を。

 

「……知りませんでした。自分の体に、まだ涙なんてものが残っていたなんて」

「その涙は君の未練の証だ。つまり、君はまだ死にたくないと思っている。そんな者を、見捨てることはできない」

「どうしてそこまでするんです?」

「親だからだ」

「……!」

 

「エムブレム……やり直そう。もう一度、君が走るのを楽しむことができる、その日まで」

「……会長。今日、私は競争バとして大切なものを失いました。会長が言ってた、復讐と憎悪をいっぺんに。もう元の様には走れないでしょう。それでも戻って来いと?」

「そうだ。今度こそ君を支えると誓おう。素行の悪さは仕方ないが、一匹狼の性分は直るかもしれないからな」

 

 

「そうだよ。私みたいに婆になる前に、若い奴に死なれるのは御免だね」

横から話しかけてきたのはシンザンだった。

「ババア……」

「エムブレム……確かにあんたにとって、死は自分の『呪い』から解放される唯一の手段かもしれない」

「……そうかもな」

「だがね、あんたには親がいて、これから友も作ることができる。もう悲しまなくていい。もう苦しまなくていい。これからは、いつでも私たちが側にいるんだから。ずっとね……」

「……!」

エムブレムの目から、涙が溢れた。

それは意地を張り続けてきた少女が、初めて人前で見せた弱みだった。

「さあ乾杯をしよう」

シンザンはグラスを3つとワインを持ってきた。

美しい赤が注がれる。豊かな香りが、鼻を鳴らした。

「新たな若造の門出に」

「エムブレムが幸せになれる未来の為に」

「……乾杯」

 

チン!

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「エムブレム! コレデ終ワリジャナイダロウナ!?」

三人がまったりしている所へ割って入ってきたのはイタリア代表・チャンピオンバッジだった。

「次ダ次! 私ハ来年ノジャパンカップデオマエト戦ウタメニ来日スル。ソコデモウ一度勝負ダ!」

「気合が入っている所申し訳ないが、ジャパンカップはエムブレムが悪さしたせいで向こう数年は開催できないぞ」

横からルドルフ会長が言う。

「何ッ!? ナラバ他ノ外国バ参戦可能ナレースダ! ソコデ勝負!」

「ああ、まあ、考えておくよ……」

「ハイッテ言エー!」

 

 

「なんかあいつ、ターボみたいなこと言ってるなー。もぐもぐ……」

「ははは、いいじゃないですか。ライバルと切磋琢磨することは悪い事ではありませんよ」

「結局ターボはテイオーと戦えなかったからな。それに比べればえんぶれむは幸せ者だぞ……ふにゅぇ~……」

「ターボ……さん?」

「ふにゅ~、トレーナー、いままでありがとな~にほんにかえってもたーぼがんばるからな~にゅへへへ……」

南坂トレーナーはテーブルの横を見た。グラスにオレンジ色の飲み物がおかれている。

だがジュースではなさそうだ。おそらく、カクテルだ。どさくさに紛れて飲んだらしい。

「こらターボさん、お酒はだめだとあれほど……」

「む~……むひゅひゅ~おいしいなあ~~ネイチャにも、イクノにも、マチタンにも、おみやげもっていかないとなあ~~~すぴー……」

「わ、寝ちゃった」

ターボはホテルのカーペットにごろんと転がったかと思うと、いびきをかいて寝てしまった。

どうやらターボはレースのはしりでほぼガソリンを使い果たしてしまったようだ。そういえば爆睡してるところを無理やり起こしたんだった。

「……仕方ありませんね。ターボさん。お疲れ様でした。私たちはお先においとましましょう」

「うにゅ~……むふふ~~……」

南坂はターボをおんぶして、会場を一足先においとました。

 

 

結局、祝勝会は深夜まで続いた。

ゴルシが歌い、踊り、大道芸を繰り広げると、他のウマ娘も特技を繰り出す。やんちき騒ぎであった。

カーペットの上に大の字になって寝る者もいた。

 

明日、それぞれの国に飛行機で帰らなければいけないウマ娘も、ひたすら笑い、楽しんだ。

ゴルシがいれば皆がハッピーだった。おまえらも気が向いたら日本のレースに来い、とゴルシは言った。

 

ルドルフ、シンザン、エムブレムは深夜まで飲み交わした。

会食のおみやは持って帰りたかったが腐るだろう、ということで止めた。

しかしシンザンがいい飯屋を紹介してくれるので、日本に帰ったら皆でそこに行こうと言ってくれた。

 

 

その日の夜は、長かった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

朝が来た。

皆は眠そうだったが、飛行機に送れるわけにはいかない。

 

ルドルフは腐らないお土産はあらかじめ買っていた。後は空港の土産屋で追加を購入するつもりだ。

ゴルシもお土産を買った。金額はトレーナーに全額負担させた。トレーナーは日本に帰ったら毎日カフェテリア通いとカップ麺かもなあとぼやいた。

ターボもカノープスのみんなへのお土産は空港の土産屋で買った。どれにしようか迷ったが、迷っている間に飛行機が飛んでしまいますよ、とトレーナーにせかされ、慌てて買った。

シンザンも自身の教え子たち用に幾つか購入していた。全員の好みは熟知していた。

 

エムブレムは世界行脚で手に入れた優勝トロフィーの類は捨ててしまいと言っていたが、付き人の記者に止められ、日本に郵送してもらっていた。

後日トレセン学園にまとめて送るらしい。

 

「まさか私がもう一度日本の地を踏むことになるなんて思わなかった……何処かの国で、一人寂しく死ぬつもりだったのに……生かされちまった」

「ま、あんたも足りない頭使って考える時期に来たのかもしれないねえ。学園の練習場使いたくないならうちのジムを貸すよ」

「はあ、そーすか……」

 

「あー、だりー、昨日はハッスルし過ぎた……。2週間後の蝉なみにだりーわ……」

「ターボもまだ眠いー。飛行機の中でたっぷり寝てやるぞー」

「やれやれ……」

 

「さあみんな、帰ろう! 日本に凱旋だ! 凱旋門賞を取って凱旋……ふふっ」

遠い日本でエアグルーヴのやる気が下がった。

 

 

飛行機が飛ぶ。日本に向けて。長い、長い旅路だ。さすがにエコノミーではないので多少は早いだろう。

 

帰ったら日本の記者がうるさいだろう。だがゴルシにはそれは宿命みたいなものだと思って貰わないと困る。

なにせスピカの部室に凱旋門賞のトロフィーが置かれるのだ。一生ものの宝である。

 

 

それに、まだ秋の国内GⅠレースが残っているのだ。

挑戦するウマ娘もさぞ多いだろう。有馬記念も注目だ。

 

ゴルシ、ターボ、エムブレムのおかげで日本ウマ娘勢は凱旋門賞で最高の結果を残した。

しかしまだまだ日本のレースは続くのだ。

これからも。尽きる事無く。




30話程度で終わる・・・・・・!終わると言ったが・・・・・・今回まだその時とスケジュールの指定まではしていない
そのことをどうか諸君らも思い出していただきたい 
つまり・・・・作者がその気になれば最終回は10年20年後ということも可能だろう・・・ということ・・・・!

・・・いや冗談ですよ。あくまでこの先はエピローグみたいなものです。
もう少しで終わります。それまでもう少しお付き合いください。


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誰が為に、我が為に

 

あるウマ娘が言った。

「亀かウサギかってあるだろ? あれさ、ウサギが亀を背負って同時にゴールインすれば、争いもなかったんじゃねーの?」

 

 

まあ、それはそれとして、

 

ゴールドシップが凱旋門賞を制覇したその年。

ハルウララは遂にJBCスプリントで一着を取り、念願のGⅠウマ娘となった。

病院のライスシャワーに優勝トロフィーを見せに行った時、二人の顔は輝いていた。二人は人目も憚らず泣いた。

だが、ウララはこの後中央には拘らず。地方巡業に精を出すようになる。

地方にはまだまだ業績が低迷している競バ場が山ほどある。自分はそれを救いたいとし、日本中をドサ周りするようになった。

彼女の笑顔は、やがて多くの人々とウマ娘を救うだろう。

 

この時、ライスはリハビリの甲斐あって驚異的な速度で回復。

歩行が可能になり、遂に走り込みまで可能になる程回復し、周囲を驚かせた。

しかしまだレースに出るには程遠い。それでも彼女は諦めなかった。誰の力も借りず、自分の手で奇跡を起こす為に。

 

その年の有馬記念もまた盛り上がりを見せた。

ツインターボ、イクノディクタス、マチカネタンホイザといったカノープス勢の他に、もう一度輝きを取り戻したいナリタブライアン、ビワハヤヒデなどが参戦。

勝負は激闘の末ナリタブライアンが最後にツインターボを差し切って優勝した。

なお人気投票1位のゴールドシップはゲート難が響いて14位と惨敗した。

 

キングヘイローは翌年の高松宮記念に出場。前人未到の3連覇を達成し、そして引退を決意。

今後はシンザンの元で勉学に励みながら、後進の指導に当たるという。

自身が『キング』であることは証明できた。ならば次代のキングを育成することが努めだと答えた彼女に後悔はなかった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

一方、海外GⅠ10連勝といった今後抜かれることのない不滅の大記録を作ったシンボリエムブレム。

彼女は日本に帰国した後、まったく勝てなくなっていた。

GⅠを惨敗。それならグレードを落とした重賞に出てみたがこれも惨敗。かつて『雷光』と言われた走りは影を潜め、並みの走りと化していた。

メディアは察した。ああ、シンボリエムブレムはもう燃え尽きてしまったのだと。

 

そんなある日、エムブレムは会長から一人のウマ娘を紹介された。

前髪の長い、隠れ目のウマ娘だった。

「エムブレム、実はだな、彼女の友達になってあげてほしいんだ」

「わたし、ホワイトビーチって言います! エムブレムさんの大ファンなんです! 日本にいた時から、海外でのレースも、全部ビデオで持ってます!」

その後、エムブレムは練習場の片隅でぼーっとしている時も、カフェテリアで食事をする時も、寮の相部屋に至るまで、彼女と一緒にさせられた。

物好きもいたものだ。いや、ストーカーの類か? エムブレムはそう思った。

 

実際、彼女の観察眼は大したものだった。

我流とは思えない程力強い走りと体の使い方、キレのある末脚。今のエムブレムには、それがないと。

「わたし、エムブレムさんが復活してくれるのをずっと待ってるんです!」

そう言われた。しかしそれは無茶だった。

 

エムブレムを支えていたのは漆黒のモチベーションである。ブーイング、ラフプレー、妨害……、そういう事があるたび、それはマグマのように体の中でグラグラと増幅される。

その時、彼女は誰にも負けないような鋭いキレのある走りが出せる。

しかし死に時を見失い、かつてのモチベーションはマグマの抜けた火山のようにスカスカになってしまった。

もうあの感情は湧いてこない。おそらく2度と……。

 

ある日、ルドルフ会長から地方のGⅢに出てみないか、と持ち掛けられた。エムブレムは、走るだけなら、と承諾した。

レース当日。重賞とはいえ、人はまばらだった。周りのウマ娘も大したことはない。だが、今の自分はこのレベルだと分かっていた。

ゲートが開いた。エムブレムはあっさり好位置に付く。誰も自分をマークしていない。ただ自分の走りに集中し、自分が勝つための走りをしている。

(海外戦とは大違いだな。誰も私に興味ない、か……。ここで誰かが私の脚を踏んず蹴てくれたら、以前の走りが出来るかもしれないけどな)

レースは最終コーナーを周り、各ウマ娘が最後のスパートをかける。だが、エムブレムにかつての脚はない。ズルズルと後退していく。

「駄目だ……あの感覚が湧かない……」

もはやここまでか、いっそ走るのをやめてしまおうか、どうせ1着以外なら2着も最下位も全部同じだから、そう思った。

 

その時だった。

「すうっ…………エムブレムさぁぁぁぁん! 負けないでぇぇぇぇぇぇっ!!!!」

それは咆哮に近かった。ホワイトビーチの声が、エムブレムの耳まで確かに届いた。

 

そしてその瞬間、エムブレムの下腹部の底に何かが生まれた。

それは種火だった。かつてのように黒くない、小さくても決して燃え尽きない輝く炎だった。

「……!」

その炎はゆっくりと全身を包む。力が沸き上がる。魂が燃えている。脚が、脚が稲妻を放てと轟いている。

 

「……! はああああああああっ!!!!」

 

『おーっと、中団の中から物凄い勢いで突っ込んでくるウマ娘がいる。シンボリエムブレム……間違いない、シンボリエムブレムだ! これは凄い! 前方集団をごぼう抜きだ!』

 

速い。まぎれもなく速い。地方の競バ場では、誰も見たことのない走りに観客は全員度肝を抜かれた。

 

『シンボリエムブレム! 今一着でゴール! 差した! 差し切った! 豪脚一閃! 復活だ! かつて『雷光』とまで言われた末脚が、ここに復活したぁっ!』

 

「…………」

エムブレムは息を乱していなかった。まだ半信半疑だった。あの脚が、死んだはずの脚が、なぜ蘇ったのか……。

ただあの時、ぽうっと腹に熱がこもった。ウイスキーをストレートで腹に入れたような熱い灯りのようなものが。

「エムブレムさぁぁぁぁん!!!」

観客席にいたホワイトビーチが抱き着いてきた。

「うわっ、おい、やめろ。人が……見てる……」

「いいじゃないですかそんな事! 復活ですよ! 私が惚れたあの走りが復活したんですよ!」

「あ、ああ、そうだな……」

正直、自分でも信じられない。頭の中が妄想と事実と現実がごちゃ混ぜになってうまいこと整合しない。

 

 

レース後、エムブレムは電話を掛けた。ルドルフ会長に。

「そうか、そんな事が……」

「死んだはずのわたしが、何故あんな力を発揮できたのか、分からないんですよ……」

「そんなの、決まっているだろう」

「何です?」

「……『愛』だ」

「はぁ?」

「誰かの為に走る。人はその時途方もない力を発揮できる。ホワイトビーチの愛の応援が、君を蘇らせたのさ」

「…………」

この人に聞いた私が馬鹿だった。エムブレムは電話を切った。

 

次はシンザンのばあさんに聞いてみた。

「そりゃあんた、臍下丹田に気を集中し、五体を結ぶ。ってやつだよ」

「……よく分からないんだが」

「臍とはへそ、その下、そこに丹田と呼ばれる部位がある。

そこに気を集中し、それを止めるのではなく、五体、つまり全身に届かせ、体を包む。

すると体の余計な力がスッと抜けて、極めて自然体のまま物事をこなせる様になる」

「やはりよく分からん」

「武道の達人なら誰もがやってる事だよ。それが自然に出来るなんて、あんた凄いねえ。今度うちに来な。色々教えてやるよ」

「機会があったらな」

エムブレムは電話を切った。

 

何にせよこれで久々の白星である。勝利数がまた一つ増えた。まあここまでくれば勝ち星なんてあまり関係ないのだが。

(ここまま隠居しようと思ってたんだがな……わたしの人生分からないものだ)

 

 

それから数日後、海外、イタリアから留学生がやって来た。チャンピオンバッジだった。

「シンボリエムブレム! オマエヲ倒ス為ニヤッテ来タ! 海外戦ナド待ッテイラレルカ! 今度コソ貴様ヲ倒ス!」

 

(やれやれ……)

少なくとも、もうしばらくは退屈することはないな、と思ったエムブレムであった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

それは、日本ウマ娘競バ連盟の者がわざわざトレセン学園にやってきたことから始まった。

会議室にて。

「新しい、GⅠ、ですか……」

「ああ。シンボリエムブレムがやらかしたおかげでしばらくジャパンカップは開催できなくなった。その代役として、新たなGⅠレースを開催したい」

テーブルの上に、資料が並べられる。ルドルフはそれを拾い上げると、瞬時にその内容を一字一句間違える事無く暗記した。

「ジャパングランドクロス、芝2400m。ダート1600m。同時開催。場所は東京競バ場……」

「ああ。これまでダートは芝に比べれば今一つマイナーな存在だった。だが今回のコンセプトは、芝を走るウマ娘もダートを走るウマ娘も平等にチャンスを得られる企画でね」

「いいと思います。特にダートは地方に多い。東京に来ることが出来るチャンスとあれば、多くの地方のウマ娘も躍起になることでしょう」

「そこで、何だが……」

ルドルフは察知した。成程、ここからが本題という事か。

「シンボリルドルフ会長。君に芝16頭の出場者を、……悪い言い方になるが丸投げしたい。どうだろう?」

「私が全て決めてしまってもいい、と?」

「ああ。本来であればGⅠレースの場合、GⅡなど他のレースで好成績を収めたウマ娘に出場権利資格が与えられる。しかし、あいにく今年は時間の余裕がなくてね……」

「誰を選んでも良いのですか?」

「ああ。余程の事がない限り、私たちは駄目出ししない。古バでも、ルーキーでも、実績のあるなしも関係なく選んでほしい」

この時、ルドルフには思い当たるウマ娘が何人かいた。しかしそのウマ娘は本来ならばGⅠには出場は難しいウマ娘だ。

しかし、もしかしたら彼女たちを出場させることができるかもしれない。勿論首を縦に振らせる交渉が必要だが。

「分かりました。お引き受けいたしましょう」

「そうかね。そう言ってくれると私どもも有難い。是非、お願いするよ」

 

ジャパングランドクロスはメディアを通じて大々的に取り上げられた。中には「名前がチープすぎる」という声もあったが。

なにせ開催一回目のGⅠである。どんなウマ娘が出るか全く予測が付かない。

 

誰が出るのか、出ないのか。予想と希望。人々の思惑が滲み出る中、遂に芝16頭は発表された。

一部は順当だったが、それ以外のウマ娘の出場に、人々は度肝を抜かれた。

 

「おおー、ジェンティルドンナ出るのか。今年の桜花賞、オークス1着ウマ娘!」

「キタサンブラック、サトノダイヤモンドも出るじゃん。菊花賞の同時ゴールGⅠ獲得は見ものだったなあ!」

「うおー、ドゥラメンテも出るのか! トレセン学園一のチーム・リギルの期待の星。皐月賞、ダービー優勝ウマ娘!」

 

順当に名を連ねるは注目度の高い新時代のGⅠウマ娘。しかしそれだけではなかった。

 

「ひふみの……あれ、ミホノブルボンだってぇ!? マジ!? 復活するのか、あのサイボーグと言われたウマ娘が!」

「ナイスネイチャも出るじゃん! 彼女がブロンズコレクターの名を返上して勝った秋天は今も語り草だけど……」

 

更にその下の名前に、人々は驚愕した。

 

「「「「ライスシャワー!!??」」」」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

ワアアアアアアアッ!!!!

 

ワアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!

 

『急遽開催が決定した第一回『ジャパングランドクロス』芝2400m。東京競バ場は予想に反して大入り満員。期待度の高さが伺えます』

『今年活躍したウマ娘。かつて活躍したウマ娘。それが一同に会したこのグランドクロス。果たしてどのようなレースになるのか。どのような結末を迎えるのか、楽しみです!』

『まもなく本バ場入場が始まります。果たしてどのウマ娘から先に現れるのか……』

『ある意味ドリームマッチですからね。私も胸が高鳴っています』

 

 

チーム・リギルの控室。

「調子はどう? ドゥラメンテ」

「問題ありません。ササッと行ってチャチャっと勝ってきますって」

「ウマ娘にとって、GⅠは最高の晴れ舞台。栄冠は幾らあってもいいわ。あなたなら5つも10も取れると私は信じているわ」

「ははっ、怪我とかがなければね」

 

コンコン。ガチャ……

 

「ドゥラメンテさん。お時間です。入場してください」

「行ってきなさい。ドゥラメンテ」

「はいはい。それじゃ、ちょいちょーいと参りますか!」

 

 

チーム・スピカの控室。

「どう、キタちゃんもダイヤちゃんも?」

「緊張はありません。晴れ舞台ですし、お爺ちゃんも応援に来るって言うから気合入ってます!」

「わたしは、キタちゃんと違ってちょっと緊張してるかな……」

控室にはトレーナーだけではなくテイオーとマックイーンもいる。

「そういう時はね、観客のみんなが自分だけを応援してくれてる思えばいいよ。ボクはそうしてきた」

「もうテイオーったら、それは驕りというものですわ」

「と、とにかく、自分の持ち味を出して、掛からないようにして、スタイルを安易に変えないようにな」

 

コンコン。ガチャ……

 

「キタサンブラックさん、サトノダイヤモンドさん、お時間です。本バ場入場を」

「よーしいくぞー!」

「わわっ、い、いきますー!」

 

 

チーム・カノープスの控室。

「ジェンティルドンナさん、どうです? 調子のほどは!」

「絶好調ってやつです! これならいいレースができますよ!」

緊張の方もない。表情も明るい。これならいいレースができそうだ。

「あーあ、ターボも出たかったなー」

「我慢しましょうターボさん。今日は応援の番です。後輩を応援するのも先輩の努めですよ」

 

「おいおい、わたしをお忘れかいみんな。このネイチャさんも出るんだからさ」

そう、エントリーしていたのはジェンティルドンナだけではなかった。ナイスネイチャもいたのだ。

「ネイチャさん、脚の具合は?」

「あんまり良くないね。まあ引退試合なんてこんなものでしょ。でも……後輩に負けるつもりもないけどね」

ネイチャがジェンティをチラッと見る。ジェンティもネイチャを見返す。どちらも譲るつもりはない。そんな表情だ。

「ジェンティさん、頑張るっスよ!」

「ジェナちゃん。ファイト~」

「ドンちゃん。張り切っていこー!」

「あは、あはは……呼び名が人によって変わるのはなぁ……。そろそろ統一してほしいな」

 

コンコン。ガチャ……

 

「ジェンティルドンナさん、ナイスネイチャさん、時間です。本バ場入場をお願いします」

「分かりました!」

「さーて、行きますかー」

「どっちも頑張れー!」

 

 

ミホノブルボンの控室。

「…………」

「…………」

ブルボンは座りながら瞑想していた。

黒沼トレーナーは、何も言わずブルボンを見つめながら、ルドルフ会長の申し出を回想していた。

 

『ブルボンをグランドクロスに? 本気なのですか会長?』

『ああ。そうだ。私はこのレースに、ライスシャワーのエントリーも模索している』

『何と……!』

『マスター、お願いがあります』

『ブルボン……』

『そのレース、出場させてください。お願いします』

ブルボンは頭を下げた。ブルボンはやる気だ。実現不可能だと思われていたライスシャワーとの再戦が叶う。ブルボンとすれば何としてでもということだろう。

しかし……、

 

「…………」

黒沼は思った。果たして、このレースに出すことがブルボンの幸せになるのか、と。

全盛期の走りは最後まで戻らなかった。周りもこのレースがミホノブルボンの引退レースだと思っているだろう。

そんな満身創痍な状態のウマ娘を、果たして過酷なレースに出場させていいのか……?

(いや、今更そう考えるのは遅いな……)

自分はブルボンのトレーナーだ。ならば最後までそれを見守るのが筋というものだろう。

「……ブルボン」

「はい、マスター」

「精神は肉体を凌駕する。この言葉を忘れてはいないな?」

「勿論です。マスター」

「ならばかつての走りを見せてこい。ミホノブルボンは終わったと思っている連中に、お前の本当の走りを見せてやれ」

「心得ております。マスター。そして……」

「どうした?」

「このレースの出場を許諾してくれたことに感謝します。マスター」

 

コンコン。ガチャ……

 

「ミホノブルボン選手、お時間です。本バ場入場を願います」

「よし、行け。ブルボン。勝って戻ってこい!」

「ミホノブルボン、出撃します!」

 

 

ライスシャワーの控室。

「どうだい、ライス。調子は?」

「うん、いい感じです。おばさま。ほら見て」

ライスは脚をひょいひょいと動かしてみせる。

「おばさまが買ってくれた、サポーター、凄くいいの。膝が軽くて、曲げやすくて、これならいい走りができそう」

「すごーい! ライスちゃんばんぜんだねー!」

控室にはライスのトレーナーとハルウララもいた。この後のダート1600mにも出場予定だ。

「……」

だが、シンザンにとっては複雑だった。

それはそうだろう。今回のレース、もっとも出場選手の中で一番多くの人々を驚愕させたのがライスシャワーの出場なのだから。

……結局、ボルトは最後まで挿れたままだった。痛み止めの注射を打ち、サポーターで膝周りを矯正しただけ。

テーピングでガチガチにはしていない。まともに走れなくなるからとライスが断った。

(普通なら、最後尾を歩いて終わりだ。でも、この娘は勝つ気でいる。勝つつもりでレースに出ようとしている。……大した娘だよ)

練習はした。走り込み、筋トレ、水泳、だがダッシュは殆どしていない。

医者の目から見ても、とても走れる状態ではない。

それでもライスは走ろうとしている。ブルボンとの約束を果たすために。

 

コンコン。ガチャ……

 

「ライスシャワー選手、お時間です。本バ場入場してください」

「行っておいで、ライス。そして、皆に見せてやりな。ライスシャワーというウマ娘の姿を」

「うん。行ってきます、おばさま!」

 



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ドラマを作るのに新人もベテランもない

 

ワアアアアアアアアアッ!!

 

『さあ、本バ場入場が開始されました。今日のジャパングランドクロスを盛り上げてくれるのはどのウマ娘なのか?』

『やはりキタサンブラック、サトノダイヤモンド、ドゥラメンテ、ジェンティルドンナといった新鋭ウマ娘でしょうね。いずれも本命級ですよ』

『そしてそこに紛れるは古豪ウマ娘、ミホノブルボン、ナイスネイチャ、そして……ライスシャワーです』

『まさか、彼女が復活するとは思えませんでした。あの悲劇の事故で終わるものと誰もが思っていましたからね』

 

「うーん、ライスシャワーかー」

「頑張ってほしいけど、あの脚じゃなあ」

ライスシャワーの脚は、周りから見てはっきり分かるくらい厚いサポーターが巻かれていた。

「……結局、ライスシャワーはヒールのまま競争バ人生を終えるわけだな」

「気の毒だけど、そうなるよな」

酷い言いぐさである。ライスをヒール扱いし続けたのは、他でもない、観客達だと言うのに……。

シンザンが聞いたら杖を振り回してマジキレしていたかもしれない案件である。

 

「……」

その声は、果たしてライスの耳に届いていただろうか……。

 

一方、観客席にいたのは、シンボリエムブレムとホワイトビーチだ。二人とも、今回のレースにはエントリーされていない。

「会長もほんっと酷いですよねー。どうしてエムブレムさんをこのレースに出さないのか、理解に苦しみますよ。ぷんぷん」

「……別にいいさ。このレース、わたしの出る幕はない」

「どうしてですか?」

「このレースは、誰が勝つか負けるかじゃないんだ。誰がどんなレースをするか、観客に感動を与えられるか、そういうレースだから」

「はあ……」

 

 

ウマ娘が姿を現すたびに、大きな声援が上がる。

 

中でも桜花賞、オークスを制覇したジェンティルドンナ。

菊花賞を同着で優勝したキタサンブラックとサトノダイヤモンド。

皐月賞、ダービーを勝利したドゥラメンテは特に注目度が高い。

 

それに挑むのは古豪、かつて無敗記録を作り上げたミホノブルボン。

苦労の末に遂にGⅠに手が届いた天皇賞秋優勝ウマ娘ナイスネイチャ。

そして菊花賞、春天を優勝したが未だヒール役のライスシャワー。

 

「頑張ろう。必ず結果は付いて来る」

「お爺ちゃんも応援してくれてるんだもん。負けられないよ」

「家のみんなが来てくれてるんだ。頑張らなきゃ」

「さーて、ちょいちょーいと参りますかー」

 

「この感じ……やはりターフこそわたしの居場所なのだと実感します」

「久しぶりだね。ここに来るのも。引退試合ってことにはなってるけど、ま、いっちょやったりますか」

「…………」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

『ゲートイン、各ウマ娘、態勢完了したようです』

『果たしてどういった展開になるのでしょう。目が離せません』

 

事情と思惑、期待と希望、目標と夢、各自が何を想い、何を目指すのか。このレースにはそういったものが要求される。

果たして……。

 

ガコン!

 

『スタートしました。第1回ジャパングランドクロス。各ウマ娘揃って綺麗なスタートを切りました!』

『誰が抜け出すのか注目ですね!』

『おおっと、真っ先に我先にと飛び出したのは、ミホノブルボンだ! そうでした、逃げといえばこのウマ娘でした!』

『それを追いかけるは菊花賞ウマ娘キタサンブラックです。まずはこの2頭が先手を取ります』

 

「よろしくお願いします、先輩」

「負けませんよ」

 

ウオオオオオオオオッ!!

 

『そして場内のこのどよめき、間違いなくこのどよめきが向けられたのは、ライスシャワーでしょう。現在先団5番手!』

『走っています! あの悲劇の事故を経て、再起不能と言われたライスシャワーが、まさかまさかのこの位置です!』

 

「おいおいおい、正気か、ライスシャワー」

「とても走れる状態じゃないって聞いたのに」

「いやでもすぐに後方に落ちていくだろ」

観客にライスを応援する声はない。未だ悪役のイメージのままである。

「……くそっ!」

その声をしかと聞いていたのは、ライスのトレーナーと、シンザンであった。

「どうして! どうしてなのよ!? ライスはあんなにも一生懸命走ってるのに! 観客には心を揺さぶられるものはないというの!?」

「落ち着きな。今は静かに見守ろうじゃないか。ライスを」

 

『さあ、徐々に塊が縦長になってきました』

『もう位置が決まったといったところですね』

『注目のキタサンブラックはミホノブルボンと先頭争い、サトノダイヤモンド、ジェンティルドンナ、ナイスネイチャはバ群の中団です。ドゥラメンテは後方で脚を溜めるようです』

『他のウマ娘も虎視眈々と上位を狙っています。早めに仕掛けるウマ娘がいるかもしれませんね』

 

「せーの……ネイチャーーーーーーー!」

カノープスの面々が必死に応援する。

「おやおや、チームメイトの応援? 辛いのは分かってるけど、こりゃ頑張らないと無作法ってやつかね」

「せーの……ジェンドー! 

      ジェンナー! 

     ジェンティー! 

      ジェドナー!」

「……だーから掛け声は統一してっての。調子狂うなあー」

 

「はっ……はっ……はっ……キタちゃんは前に行っちゃったか。でも追いかけるのはまだだよ!」

サトノダイヤモンドはまだ控えるつもりだ。

 

「まだだね。まーだ。残り800m。ここからするするっと前に出るよー」

ドゥラメンテは仕掛け所を探っている様子である。

 

『さあ1000mのタイムは、59.1。58秒台ではありません。逃げウマが2頭いるとはいえ、若干スローペースでしょうか』

『第一回ですから誰が一番でもレコードになるんですがね。皆強引にタイムを競うわけではないようです。落ち着いているのでしょうか』

 

勝負は中盤を過ぎて後半戦へ。先頭が第3コーナーを周り始めた。

(くっ……脚が……まだ最後の直線でもないのに、情けない……!)

(ブルボンさん苦しそう。このまま追い抜いて逃げ切ろうかな。よし……!)

 

『さあここでミホノブルボンを抜いてキタサンブラックが先頭を進みます。やや早いスパート』

『ここで後続もじわ~っと距離を詰めてきました。サトノダイヤモンド、ジェンティルドンナ、ナイスネイチャもだ』

 

(う~んまずいな。差せる脚が残ってるか微妙だわ)

ネイチャは考えていた。このままだと最後の直線で距離を詰められない。負けを認めるか、それとも……、

(どうせ最後なんだ。全部振り絞らなきゃ格好悪いよね!)

 

『さあ第四コーナーをキタサンブラックが回った! ここから勝負所最後の直線です!』

『東京の直線は坂があります。ここから体力と気力の勝負ですよ!』

『サトノダイヤモンド! サトノダイヤモンドやってきた! しかしそれ以上の末脚を見せるウマ娘がいる! ドゥラメンテだ! ドゥラメンテがきたぁっ!』

 

「くっ……!」

「あっちゃー、やっぱ若いもんは元気だわー」

「すいませんね先輩がた、ちゃっちゃと引退してってくださいね~」

 

『ドゥラメンテがキタサンブラックを捕らえようとしている! これは決まりか! あっ、いや……』

 

「……確かに若い事は何物にも耐えがたいものです。でもライスたちだって黙ってるわけでもありません。

レースに出る以上、挑戦し続けなきゃならないという事を、教えてあげます!」

 

『外から! 外から! ライスシャワーだー! ライスシャワーがぐんぐん上がってきたー!』

 

観客がどよめいた。そしてどよめきは、歓声に代わった。

信じられない。あの誰もが終わったといわれたウマ娘が、散々ヒールと言われ続けたウマ娘が、走っている。輝いている。誰にも負けないという強い意志で。

「ライス……!」

ライスのトレーナーは溢れる涙を抑えられなかった。そして頑張れ! 頑張れ! と声援を送り続けた。

 

「ライスシャワー頑張れー!」

「ライスシャワーもう一息だー!」

この時、ライスは初めて自分を応援してくれる人の声を聞いた。これを聞いて燃えない筈がない。

 

「遅いですよ、ライスさん」

「引退を遅らせた甲斐があったわ。これで全部出し切って戦える」

もはや一杯と思われたミホノブルボンの脚が復活する。精神が肉体を凌駕した瞬間である。

ナイスネイチャも必死に前を差そうと脚を動かす。そこには意地とプライドがあった。

 

「んもー! どうなってんのこれ!」

他のウマ娘がぼやいた。

「ドゥラメンテとかはいいよ! でも他のはピークをとうに過ぎたロートルじゃん!」

「なのに全然追いつけない。どんどん離されていく。どうしてー!?」

「なっさけないなーわたしたち。ほんっとにもう!」

 

 

「ドゥラメンテ、勝て! いけ! あなたが勝つのよ!」

「ネイチャ頑張れー! ジェンティも頑張れー!」

「キタちゃん粘れー! 祭りは目の前だー!」

「サトノお嬢様まだ終わってませんぞー!」

「ブルボン! まだ勝負は終わっていないぞ!」

「ライス! お願い! 勝ってー!」

 

 

「ドゥラメンテ、お前がナンバーワンだってとこを見せてくれー!」

「負けるな! キタサンブラック!」

「ライスシャワー! 奇跡を見せてくれー!」

 

ワアアアアアアアアアアアアッ!!

ワアアアアアアアアアアアアッ!!

 

(いいレースだ。私ゃ、こんなレースが見たかった……)

シンザンはご満悦だった。

だが勝負はまだ終わってはいない。最後の最後まで見届けなければ……。

 

 

……ビリッ!!

 

 

「……うっ!」

だが負担が強すぎたのか、ライスシャワーの膝に激痛が走った。

 

『おーっと、ライスシャワー、態勢を崩したー!』

「ライス……!」

「くっ……! まだっ!」

まだだ。まだ終わっていない。態勢を立て直し、再び走る。

しかし、この土壇場での減速は致命的だった。

 

大混戦の勝利の行方は……、

 

『ドゥラメンテだー! 勝ったのはドゥラメンテ!! 第一回ジャパングランドクロスの勝者は、ドゥラメンテです!!』

まさにハナ差。本当に僅かの差で、勝者はドゥラメンテだった。

 

ワアアアアアアアアアアアアッ!!

 

歓声が上がる。そして、拍手が響く。勝者だけを讃える者ではない。最高のレースを見せてくれたウマ娘を讃える、感謝の拍手だった。

「はぁ……はぁ……はぁ……な~んだってんだ、誰がとうにピークを過ぎたロートルだって。めちゃめちゃ速いじゃん~。うっぷ……」

「はあ…………はぁ……充電池が切れました。もう活動限界です……」

「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……あーあ、結局最後も3着かー。さすがはわたしだわー」

「ふうっ……ふうっ……はは、ライス、松葉杖ないともう歩けないかな……」

全員、精魂尽き果てたらしく、ターフの上で大の字になって転がってしまった。それほど凄いレースだった。

勝者は一人。だが勝者のみが讃えられるレースではなかった。皆凄かった。声援と万雷の拍手は鳴り止まなかった。皆感動した。涙を流すものも多かった。

 

 

1着:ドゥラメンテ

2着:キタサンブラック

3着:ナイスネイチャ

4着:ジェンティルドンナ

5着:サトノダイヤモンド

6着:ミホノブルボン 7着:ライスシャワー

 

急遽行われることになった急造のGⅠレース。だが、このレースは、長く人々の記憶と、日本競バ界に歴史として残るだろう。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

『さて、インタビューしますのは、ジャパングランドクロス初代チャンピオン、ドゥラメンテ選手です!』

 

ワアアアアアアアアアアアアッ!!

ウオオオオオオオオオオッ!!

 

ドゥラ・メン・テ!

ドゥラ・メン・テ!

ドゥラ・メン・テ!

 

「は、はは、どもっす」

『今日のレース、何を思って臨みましたか?』

「いやー、勝つのは自分だけでじゅうぶんなんで、としか思いませんでした」

『序盤から中盤にかけて後方に待機していました。何か見えるものはありましたか?』

「あー、ずいぶんみんなはりきってるなー、と。まあまくる自信はありましたけど」

『最後の直線、見事な末脚でした!』

「いやー、そうでもないっすよ。新人も、せんぱいも、みんなすごかった。今までのレースの中でいちばん疲れましたよ。ええ」

『大混戦でしたが、勝つ自信はありましたか?』

「うーん、ただひとり、ライスシャワーせんぱいがこわかった。完全にまくられると思いました。後ろからこんなにプレッシャー感じたのはじめてっす」

『1着でしたが、最後に一言お願いします』

「きょうは怖かったけど、楽しかったです。ベテランのみなさん、ロートル言ってごめんちゃいです。これをかてに、自分、また一つ成長した気分です。ありがとです」

 

勝者は一人。歓喜と祝福を受けるのはただ一人だ。

しかしそこには、何にも耐え難いドラマがある。それをドゥラメンテはひしひしと感じた。もう走ることはないだろうけど、ベテランの3名には心から感謝したかった。

後でお礼を言いに行こう。ドゥラメンテはそう思った。そして有馬記念でも頑張ろう、と。

 

控室に戻った時、そこにはリギルのトレーナーがいた。

「おめでとう。ドゥラメンテ。色々あったけど、勝てばよかろうよ。チャンピオンらしく、この後のウイニングライブでもいい笑顔を見せなさい」

「えー、サボってもいいですかー? こう見えて自分いっぱいいっぱいなんでー。いますぐ休みたいです。ぶっちゃけ寝たいです」

「駄目に決まってるでしょ。さあ、着替えて、行ってきなさい。あなたもいい加減勝者の努めに慣れなさい」

「はいはーい」

「返事は一回でいいの!」

 

 

そして別の控室前、ベテランたちの最後の一言を受け取るべく、大勢のマイクとカメラが向けられていた。

まずはミホノブルボン。

『惜しかったですね。最後の直線』

「いえ、結局入賞ではないので。完全に力不足です。ですが不思議ですね。悔いはありません」

『ファンからは、全盛期のミホノブルボンとルーキー達が戦う姿を見たかった、という声もありますが』

「それは、流石に。でもそういった声を覆す力が残っていなかったのは無念です」

『やはり、これで引退ですか?』

「……申し訳ありません。オーバーオールしても耐用年数が切れた競争バマシーンは、粗大ごみに出されなければならない運命なんです」

ブルボンはぺこりと頭を下げた。彼女なりのジョークなのだろうが、悔いはなかった。ライスと走れた。念願が叶ったのだから自分の中ではもう充分だった。

 

控室に入る。黒沼トレーナーがいた。

ブルボンは頭を下げる。

「マスター、申し訳ありません。負けてしまいました」

「…………」

黒沼は無言でブルボンの両肩に手をやった。

「頑張ったな、ブルボン。おまえは私の誇りだ」

「……勿体ないお言葉を有難うございます」

寡黙なトレーナーが初めて見せた本音が、ブルボンには嬉しかった。

 

 

ナイスネイチャのところにも、多くの報道陣がいた。

『お疲れ様でした』

「ありがとうございます」

『現在考えられる最強のルーキー達と戦って、いかがでしたか?』

「いやー、やっぱみんな強かったですね。でも彼女たちがいるのなら、この世界もまだまだ明るいんじゃないですか?」

『今後は、どうなされるおつもりで?』

「カノープスのマネージャーに転属して、みんなを支えます。卒業したら、おふくろのスナックに帰って手伝いですね。あの人は今!?みたいな企画があったら是非来てください。歓迎します」

 

ドアを開ける。そこには見知ったみんながいた。カノープスの最初のメンバーと、新しく入ったメンバー達が。

「お疲れさまでした。ネイチャさん」

「南坂トレーナー、今までありがとね。今度は私もマネやるから、負担は減るよ」

「ネイチャー……」

「ネイチャさん……」

みんなが瞳をうるうるさせている。

「……んもー、そんな顔しないの。これからもみんなといるんだから。ま、お局さんだけどね」

「ネイチャ先輩、自分、まだまだ未熟でした。これからも頑張ります」

「うん。頑張ろう、ジェンティルドンナ」

「……フルネームだと、それはそれで恥ずいっすね」

 

 

そしてライスシャワーだ。

脚には急遽麻酔を追加しているが、まだ膝周りはじんじんしている。松葉杖を借りなかったらおそらく立っていられないだろう。

それでも毅然とした表情で、報道陣の前にいる。

『最後の直線、おしかったですね』

「はい……」

『今のお気持ち、いかがですか?』

「…………」

競争バになって、決して順風満帆とはいえない、努力をコツコツと積み重ねてきた人生だった。

かつての走りは出来なくなり、脚も悲鳴を上げている。医者なら、復活は奇跡が100回起きても無理だろうと言われていた。

最後は意地とブルボンの約束を果たすためだった。そして再びターフを駆けることができた。しかし最後まで、悪役の名を返上することは出来なかった。

そんな複雑な想いを……、

「……まだまだ走りたい!」

『……!』

「その一言だけを残して、わたしは現役を引退します!」

ざわっ。

 

ライスは控室に入る。そこにはトレーナーと、シンザンがいた。

「……トレーナー、おばさま、ライス、最後のお別れをしてきました」

「お疲れ様、ライス……」

シンザンが優しそうな顔で歩いてきた。そして抱き寄せた。

「もう泣いてもいいんだよ。ライス。よく、我慢したねえ」

「お、おばさま……う、うう……ひっく……うぇぇん……ぇん……ん~」

勝つことは出来なかった。歓喜と祝福を受けることは叶わなかった。

だが彼女のラストランは、長らく人々の心に残り、思い出され、語り継がれることだろう。

 

 

こうして、ジャパングランドクロスは大成功のうちに幕を下ろし、翌日以降も人々の語り草となっていった。

 

 

「えー、わたしのしゅっそうはー!?」

あ、ごめん、ウララ、忘れてた()



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昨日とは違う明日を目指そう

いよいよ最終回です


 

それはある日の生徒会室。

座っているのは会長シンボリルドルフ。その前に立つのは制服姿のライスシャワー。

そして特注の机に置かれた届出。それは退学届けだった。

「どうしても学園を去るのか?」

「はい……」

病院からようやく退院が認められた日の翌日、ライスは即座に動いた。

「もう決めてたんです。最後のレースを走り終わって、退院が認められたら、学園を去るって」

「そうか……」

「どうせ長期入院で単位取れないから留年だし、レースにも出られないし、それならいっそ、と思ってたんです」

「確かに、学園を卒業するにはもう一年ほど在籍してもらうことにはなるな……」

ルドルフはライスの顔を見る。晴れ晴れとしていた。思い残すことはない、そんな表情だった。

 

「それで、君はこの先どうするんだ? 君の功績なら、何処か就職先を斡旋することもできるが……」

「あ、その点なら問題ないです」

「問題ない、とは?」

「ライス、おばさまの会社の会長秘書に指名されてるんです。お給料もいいんですよ」

そう言って、ニッコリ笑う。

「結局、ライス、入院費と治療費は全額おばさまに出してもらったから、少しでも借りは返さないと」

「そうか……」

止めることは難しそうだ。ルドルフは察した。

「分かった。この届は責任をもって受理しておくよ」

「ご迷惑をおかけします」

ライスは頭を下げた。

「…………」

ルドルフは会長の立場として考えた。

このトレセン学園には、毎年多くのウマ娘が入ってくる。

しかし高等部まで残るのは一握り。卒業まで残るとしたらほんの一つまみというのが現状だ。

(今一度考えなければならないな……全てのウマ娘が幸せに日々を過ごせる学園の構築を……)

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

シンザンは学園近くの大学と交渉し、トレーナー課を作ることにまずは成功した。

とりあえず本年度は20名を定員としたところ。瞬く間に埋まった。

しかしその大半は、見目麗しきウマ娘とお近づきになれるかもしれないという甘ったれた男ばかり。即座に雷が飛んだ。

「いいかい。ウマ娘はペットじゃないんだよ! 人間以上のポテンシャルを持つ生物だからこそ、人がいかに歩み寄り、信頼関係を築いていけるか。これはとても難しいことなんだ」

講義を受け持ったシンザンの教鞭にも熱が入る。横にはシンザンの育成理論を是非教わりたいとキングヘイローの姿もあった。

 

結局、無事単位を取れたのは20名中8名。内女性が5名という結果だった。

「……やれやれ。こんなもんかね。このレベルのトレーナーを学園に輸出したとあっては、下手すりゃ私の首が飛ぶねまったく」

「でも真剣に取り組んでいた学生さんはいずれも好成績でしたわ。後はどれだけ実践を詰めるかでしょう」

「キング、あんたも学園には残るのかい?」

「ええ。おばあさまの理論は大いに勉強になりますし、それに……」

「それに?」

「ウララさんの面倒も見なきゃ。わたしがいなきゃ絶対卒業できないわよ、あの子は」

 

その後もシンザンは休む間もなく、会社、学園、大学を行き来し、多くの人間、ウマ娘を担当することになる。

ウマ娘の方は重賞勝利した娘こそいるが、夢のGⅠ優勝はまだ出ていない。

しかしウマ娘とて、詰まるところは血統と才能の世界だ。努力しても限界のある娘を指導するのは一苦労だった。

「ふぅ~~……こりゃ骨だね。案外栗田や武田と会えるのも早いかもしれないねえ……」

会社に戻って来たシンザンは、座り心地のいい深めの椅子にどっしりと座り、大きく息を吐いた。

「ふふ、おばさまはまだまだ現役ですから。きっと長生きしますよ。はい、コーヒーです」

「ありがとう、ライス。……うん、これは美味い。すっかり淹れ方が上手になったねえ」

「今、紅茶の淹れ方も練習してるんです。今度ご馳走しますね」

あのライスが、すぐに泣いていたライスが、二度と走れないと言われていたライスが、側にいて笑っている。それだけでシンザンは救われた気がした。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

トレセン学園も多くの新入生やベテランウマ娘がひしめく群雄割拠の時代を迎えていた。

 

しかしその中で低迷を続けていたウマ娘がいた。

ツインターボである。

どんなウマ娘でもアスリートである以上「衰え」という時期は来てしまう。ツインターボがそうだった。

今まで当たり前のように出来ていた体の駆動が、オイルが切れたように出来なくなり始めていた。

練習量を増やしてもどうにもならなかった。明らかに衰えが体を蝕む方が早かった。

当たり前のように逃げ切れていたレースも、やがて力尽きて逆噴射してしまう。

しかし自分は『諦めない事の伝道師』として戦ってきた。自分が諦めてどうする、とターボは頑なに現役に拘った。

ターボは体が小さい。衰えることによる筋力や内臓の老化も普通のウマ娘より早かった。それでもターボは諦めなかった。

引退を勧められても断った。テイオーやマックイーンに言われても断った。

そして地道に練習を続けた。憑り付かれたように練習を繰り返した。

「ターボは、走るんだ……走らなきゃいけないんだ……テイオーが残した、諦めない事のバトンを、繋ぐために……」

 

そしてその執念が遂に結ばれる時がくる。それは秋のオールカマ―だった。かつて走って1着になったレースだ。

ファンも期待している。10回負けても11回目に勝ってくれる。何度負けても不屈の精神で蘇ってくれる。それを祈った。

 

スタート直後、ツインターボはまたまた大逃げを見せる。他を引き離し、ぐんぐんと加速していく。

観客席からは声援が飛ぶ。咆哮に似た声援が。

第3コーナーを回り、第4コーナーを回る。脚色が衰えてきた。

最後の直線に入る。もはや一杯だった。後続が物凄い勢いでリードを詰める。

もはやこれまでか? スタンドが必死に声援を送る。カノープスのメンバーも声援を送る。

 

視界が歪んできた。もう何処を走っているかも分からない。それでもターボは手足を動かす。

その時、ターボの耳にかつて聞いた声が聞こえた。

 

「諦めないことが大事だからね」

「諦めないことが大事なんです」

「絶対に諦めちゃいけないんだよ」

 

(テイオー……イクノ……ばーちゃん……)

 

その時、ターボの体に、ほんの少しだけ力がこもった。本当に少しだけ。しかしゴール板まで辿り着くには充分な力だった。

「うっ……うあああああああっ!!」

ターボが吠えた。そして遂に後続を振り切り、誰よりも先にゴール板を駆け抜けた。

やった。1着だ。勝った。やっぱりそうだ。諦めなければやれるんだ。

薄れゆく意識の中、ターボの頭に、テイオーの笑顔が、浮かんでは消えていった……。

 

目が覚めた時、ターボは病院のベッドの中だった。傍にはネイチャもイクノもマチタンも、トレーナーもいる。

「ああよかった! もうターボ、心配したんだからね」

「ターボ……どうしたの?」

「レースが終わった瞬間、意識がなかったんです。医者は心臓の使い過ぎによる意識障害だと」

「……そっか」

「ターボさん、トレーナーとして進言します。これ以上レースに出るのは賢明ではありません」

「うん……」

「ギブアップしよ。ターボが頑張り続けてきたのは痛い程みんなに伝わってるから、ね?」

「…………。分かった」

それだけ言うと、ターボは寝息を立ててまた眠ってしまった。

「言質は、取ったよね?」

「はい。後で嫌だとごねられるかもしれませんが、私はターボさんの幸せも考えなきゃいけませんから」

「恨まれても構わないということですか」

イクノが言う。

「はい。引退させます」

 

その後、ツインターボの引退が大々的に報じられると、多くのファンが悲しんだ。それだけターボはファンに愛され、慕われていた。

諦めない事の強さ、大事さを皆に伝えてきた不屈の逃亡者がターフを去るのは惜しまれた。

人々は是非引退式を行ってほしいと呼びかけ、数週間後、東京競バ場で引退式が行われた。

式はテイオーとマックイーンが引退した時と同じ方法が用いられた。ターボはわんわん泣きながらターフを一周し、花束を贈られた。

 

最後の最後まで大逃げに拘り続けた、小さな逃亡者の引退は、長らく人々の間で語り継がれることだろう。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

シンボリエムブレムは、その後も勝ったり負けたりのレースが続いた。

かつての雷光のような末脚が復活したかと思えば、静電気程度の脚で惨敗したりと、成績は安定しなかった。

自称ライバルのチャンピオンバッジとの因縁は長く続いた。

両者とも人気はなかったため有馬記念に出ることは生涯一度もなかったが、その他のレースでは顔を合わせることも多かった。

お互い勝ったり負けたりで、無名のウマ娘に勝利を奪い取られるケースもあった。

チャンピオンバッジもまた、エムブレムと似たような黒いモチベーションを力に変えるタイプだったので、エムブレムの張り合いがないと力が発揮できなかったのだ。

 

トレセン学園では相変わらず授業には全く出ず、留年確定及び退学まで秒読みというエムブレムだったが、別に気にしていなかった。

ただこの頃のエムブレムは多少なりとも人付き合いに変化が訪れていた。

金魚の糞のように付いて来るホワイトビーチはいつものことだが、数々のGⅠ勝利ウマ娘であるエムブレムに教えを貰おうとする娘もそれなりにいたからだ。

エムブレムはぶっきらぼうではあったが、要点をかいつまんで教授した。

「人に教える立場になって、初めて分かるものもあるんだな……」

「いいじゃないですか! エムブレムさん、いっそコーチになりましょうコーチ! そうすれば学園に居続けられますよ!」

「……それはおまえの願望だろう」

「あ、分かっちゃいました?」

コーチなんて腐る程いる。かといってトレーナーなんてガラじゃない。どっちもお断りだ。

 

「まあ、順当に引退だろうな……」

そう思っていたある日、エムブレムは生徒会室に呼ばれた。

まあこっそり寮内に酒を持ち込む事しょっちゅうだったし、門限が9時?だったら朝の9時に戻ってくればいいなと朝帰りすることもあったし、呼ばれる理由は山ほどあったのだが。

「エムブレム、君はこのまま引退するつもりかい?」

「まあ、そうですね」

「そうか……」

ルドルフ会長は言った。いずれにしろ、君の日本競走バ界における功績は計り知れない物であり、それ相応の扱いというものがある、と。

会長は引退に当たって、それ相応の舞台ということで壮大なセレモニーをしないか、と持ち掛けたが、

「いえ、そんなものは必要ありません」

と、断った。

ならば重賞に出てみないか、と伝えるが、

「余計な気遣いです」

と、これも固辞。

では何が希望だと改めて問いただすと、

「……レースで始まった自分の競争バ人生だ。最後もレースで終わりたいです」

華々しい活躍を続けた彼女が最後に臨んだもの、それは何の変哲もないごく当たり前のレースだった。

 

週末の中山の第3レース。昨日から降り続いた雨は止まず、芝は張替が間に合わず禿げあがったままで、内バ場には誰も寄り付かない重バ場の悪天候。

GⅠレースではないため勝負服ではなく、冷たい雨を拭う袖もない中、エムブレムはゆっくりと現れ、ゲートへと入っていった。

 

ゲートが空き、全員が走り出す。エムブレムも駆ける。

水を含み蹴り上げるたびに重い振動と水滴が伝わる中、ただエムブレムはゴールへ向けて走っていった。

 

そしてレース終盤。各ウマ娘がスパートを開始する。ホワイトビーチの声援が聞こえた。しかしあの時の脚は戻ってこなかった。

それでも積み重ねてきた場数が違う。エムブレムは今出せる全力で走り、見事1着を決めた。有終の美であった。

 

走り終えたエムブレムの顔には、僅かな笑みが零れていた。最後の感触を、じっくり楽しんでいるかのような笑みだった。

そしてウイニングライブをバックレて、早々に場外へと去っていった。

(これから辞めようっていう奴を持ち上げてどうする。現役に未練が残るだけだろうが)

スピーチも、セレモニーも、花束贈呈すらない大選手の最後のレースはこうして終わり、やがて全ての日程は終わり、人々は帰路に着く。

 

誰も、シンボリエムブレムという偉大なウマ娘が引退したことを知らぬまま……。

 

その後、引退したエムブレムがどうなったかというと……、

「わたしはね、思うんだ……」

自分を生んだクソババアは酒に溺れて死んだ。自分もその血を継いでいるのは明らかだ。事実、年齢不相応の酒豪だった。

チカチーロだった頃も、シンボリエムブレムの名を貰った後も、いけないとは思いつつも酒は嗜んでいた。

酒は因果そのものだった。どうあっても切っても切り離させない物だった。

しかしこのまま飲まれる側でいれば、自分もやがてクソババアと同じ道を歩んでしまう。

「だから、わたしは酒を提供できる側に回るため、焼き鳥屋でも始めることにするよ」

 

関西の方で修業を積み、数年後エムブレムはトレセン学園のある中央付近の商店街に戻って来た。そして焼き鳥屋を開業した。

朝早く起き肉と野菜を自分で選び、串に打ち、開店を待つ。エムブレムはリーズナブルな値段の焼き鳥屋の若女将になった。

店は繁盛し、夜遅くまで客が絶えない賑わいの場になったという。お客さんは、かつてエムブレムが数々の伝説を残したウマ娘であることを知らないという。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

ハルウララは中央・地方問わずレースに出続ける日々を過ごした。

学園に帰って来ては、キングに勉強教えてーと泣きつき、多くのウマ娘の中で充実した時間を過ごす。

そしてまた地方に行っては、勝っても負けても声援を送ってくれた観客に手を挙げて答える。

コツコツと出場し続けたレース数はいつしか100を超え、卒業するころには遂に200の大台を突破。

晩年は衰えも激しく、ビリとブービーを繰り返すレースも多かったが、ウララは至って明るかった。

自分が走ることで人を笑顔にできる。自分が頑張れば皆も頑張れる。

勉強はまるでできず、結局最後まで「ふんいき」が言えない彼女だったが、そのポリシーには強い気骨があった。

 

そして卒業日、学園から功労賞を授与され、日本ウマ娘連盟からも功労が認められるトロフィーを頂いた。

 

ここまでこれたのは、ファンの応援、支えてくれたウマ娘たち、自分を見守ってくれた学園の人々。そして師のおかげだった。

 

彼女は決して他人を貶さない。まず褒める。その姿勢は皆も見習うべきだとルドルフ会長も言っていた。

そしてライスがこっそり描いていた絵本にもハルウララは登場した。

反響はすさまじく、瞬く間にベストセラーとなった。

 

最終的な成績こそ決して良くはなかったが、彼女は日本中の人々を笑顔にするという、誰にもできなかったことをやってみせたのである。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

キタサンブラック、サトノダイヤモンド、ジェンティルドンナ、ドゥラメンテはその年の凱旋門賞に挑戦。

日本勢が1-2-3フィニッシュを決めたことで、ヨーロッパのウマ娘の勢力図も大きく変わった。

なにより黒歴史同然の凱旋門賞をやらかしたフランスは長い間各国からの罵倒を浴び、低迷することとなる。

 

しかしその年、日本勢は惜敗。残念ながら2大会連続とはならなかった。

だが、これまで日本は「世界のウマ娘に追いつき追い越せ」をスローガンにしていたのだが、徐々に逆の立場となった。

日本勢に負けないウマ娘の育成を世界各国が取り組むようになったのだ。

これにより世界各国の実力のあるウマ娘は海を渡ることが当たり前のようになり、勢力図は年単位で大きく変動するようになる。

 

さらにこれを受けてドバイ国王は世界各国のウマ娘代表選手を率いたオリンピックの開催を決定。

名門国から発展途上の国まで有名無名を問わず多くのウマ娘がひしめき合う一大レースが繰り広げられた。

 

一つの国から世界へ。そして世界の頂点へ。ウマ娘達の目指す目標も変わっていった。

 

日本のGⅠレースも海外のウマ娘が出場するのが当たり前になり、皆負けてたまるかと躍起になる。

国内も忙しくなり、ルドルフ会長やシンザン特別トレーナーもこれに尽力した。

 

これにより国内のウマ娘も大きく成長した。

少なくとも、スター選手というドジョウを待っているような環境ではなくなっただろう。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

トレセン学園に入学するウマ娘も増えた。

本年は前年の1割増。

競バ場でウマ娘のレースに魅入られた者。自分がトレセン学園で成り上がっていこうと野望に燃えている者。動機は様々だ。

楽しい現実ばかりではない。いや、考えているより辛い現実が待っているかもしれない。

しかし、学園は全てのウマ娘を歓迎する。

100人いれば100通りのドラマがあるのだから……。

 

「唯一抜きん出て 並ぶ者なし(Eclipse first,the rest nowhere.)……。学園は諸君らを歓迎する!」

壇上のシンボリルドルフ会長の檄が飛ぶ。

 

 

桜舞う入学式……。そして今年も、ウマ娘にとって、夢と希望と波乱に満ちた一年が始まる。

 

 

『Unusual world line』

 

 

『終』




というわけで、『Unusual world line』これにて完結でございます。

完走した感想(ルドルフ会長も納得の檄ウマギャグ)としては、まあ……糞だよ糞! ハハ……ハハハハ! だったなあ、と。
執筆にあたり、趣味の時間を大幅に削り挑みました。書き溜めもいっぱい書きました。尽きても出来る限り毎日更新しました。
しかし人気はなく、反響も少ないままでした。あってもなくても一緒でした。
まあ、何といいますか……、



悪いことをしてしまったようだな、私は。

エムブレム「そうか。一体どうすればよかったんだ?」

落ち着け。SSを書くにあたり最低限の才能は必要不可欠だった。しかし、私にその才能はない。

それは分かっていたのだがそれでもウマ娘の話が書きたかったんだ。

言わば全ては自己満足の産物というほかない。

そんなチラシの裏であれば誰にも見せず一人でつまんねーなー()と楽しんでいればいいものを、

投稿を行い、目を汚すだけでは飽き足らず、あまつさえ人々の貴重な時間を奪ってしまったのだ。

その責任は限りなく重い物であり、ケジメをつけるため腹を切る。

エムブレム「よし、介錯はわたしがしてやろう」

すまない。ウボァー!

エムブレム「ホワアアアアアッ!!(ズバー!)」

とっても 痛いの ねんの ねん……



まあそれはそれとして、

まあほんと、面白いSSなんてハーメルンには幾らでも溢れているんだから、

良い子はランキングで検索して面白い話だけを読もうね♪

こんな作品は、見ないようにしようね♪


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