桐生院「誰が桐生淫ですか!!!!」 (kozuzu)
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桐生院「誰が桐生淫ですか!!!!」
「なにちょっとうまいこと言ったみたいな感じでいいねもらってるんですか冗談じゃないですよ!! わたし生まれてこの方ウマ娘の教育のことばっかりで殿方の手を握ったことすらないんですよ!? それを担当をダシに水族館デートに誘うとか温泉旅館でうまぴょいした強たかな女ってわたしわぁ……!! うわぁあぁあああああ!!」
手にしたジョッキを机に叩きつけ、ることなくそっと置いた小柄な女性は、居酒屋の喧騒の中で動作の瀟洒さとは裏腹に非常に野蛮な言葉遣いで絶叫していた。
声の主は女性らしくフリルのついたどこか上品な雰囲気のワイシャツに、髪色と同じ清楚な紺色のベストとパンツを見に身に纏った新人トレーナー。名を、桐生院葵。名門桐生院から排出された名トレーナーの卵だった女性だった。
ことはURAファイナルズ決勝が終わり、次のシーズンに向けてトレーナーやウマ娘たちがスケジュールを振り返ったり休暇したりする、閑散期のような時期に起こった。
色々立て込んで精神的にも肉体的にもきつくなる繁忙期であれば、葵の荒れ具合についてよくあるトレーナーの波かなぁぐらいで済むのだが、先述の通り今は閑散期。さて、理由は何ぞやと。
結論から言えば、
エ ゴ サ で 事 故 っ た
このシーズンでは毎期重賞を取ったウマ娘や次のウマ娘、その担当トレーナーについての振り返り記事が出されるのが恒例であり、「今期のNo1は誰それ、その担当トレーナーに強さの秘訣は……!」といった見出しが量産される。そんな時期に名門の生まれであり容姿端麗、そしてURAファイナルズでは二着に着いたハッピーミークの担当だということで、取材の数はかなりのものになる。
そして、そんなとある時期に、一人の熱心なウマ娘ファンが発見してしまったのだ。
『なんか桐生院葵の取材で同僚のトレーナーの話、出すぎじゃね? え、デキてる?』
そんな一言がウマッターに放流されると、瞬く間にファンの間で証言があれやこれやと持ち寄られ、最終的に生み出されたのがこんなミーム。
『温泉旅館か。私も同行しよう』
『桐生淫』
そんな時にどこでどんな検索アルゴリズムに補足されたのか、担当の記事をチェックしていた葵にウマッターのまとめサイトがヒットしてしまい、冒頭の心の叫びになるわけである。
「聞いてますかトレーナーさん! わたしとあなたのお話なんですよ!!」
「はい」
心なしかハイライトが薄い目で渦中の男、同僚のトレーナーは相槌を打った。心底疲れた様子である。それもそのはず、この冴えない見た目のトレーナー、これでもURAファイナルズ史上初の優勝ウマ娘を育成した今を時めくNo1トレーナーその人なのである。
連日連夜の取材、取材、担当との取材、来期の準備に先輩後輩の弄りにいびり、そしてこの騒動。今現在やっているこの飲み会も、元々はURAファイナルズに参加したウマ娘のトレーナーたちの遅めのお疲れ様会のようなものだった。なのに、色々な物事やうまぴょいやうまだっちすきだっちが重なった結果、当日にサシ飲みになって、お互いかなり気まずい雰囲気だったのだ。
「本家にはもはや呆れられるし、ミークにはもはや連れ子持ち同士の男女が夫婦になって弄られてるみたいな目で優しくされるしうわぁああああ!! わたし殿方とお付き合いしたこともなければデートもしたことなかったのにどうしてこんなことが赦されるんですか!?」
「ええ、はい。まったくおっしゃる通りで……」
それがお互い遠慮しながらお酒を飲み始めれば、出るわ出るわトレーナー業の愚痴や連日の取材やメディアの弄りについてのお互いの苦労話。そしてどちらからともなく冒頭の話題の発端に触れ、爆発してしまった。男も葵もお互いにその気はなく、互いに良き同僚、良き隣人、良きライバルとしての関係を形成していたのに、完全にぶっ壊れてしまった。
「さっきから生返事ばかりで本当に聞いてるんですか!? 聞いてるんだったらはいとかええとかそういうの以外で返事してみてくださいよ!!」
「助けて真乃、めぐる……」
「誰ですか真乃もめぐるも他の女の名前なんか出さないでください反省してるんですか!?」
「どないしろとおっしゃるのですか桐生院さん……」
「今苗字で呼ばないでくださいなんか別の漢字充てられてそうでいやです葵です。わかりましたか葵ですからね!?」
もう同じことの繰り返しを5回はやっている。なので彼もかなり疲れている。元々前記の通り疲れ気味であるのに、これで精神すら死にかけている。個室のテーブルの上で汗をかくジョッキは、彼のものの中身が殆ど減っていないのに対し、葵のジョッキはもう空になりかけて、今空になった。
「追加です。追加のビールを持ってきてください」
「えっ、あの、今日はもうやめたほうが」
「うるさいですね。じゃああなたのくださいよ殆ど飲んでないじゃないですか。それで終わりにしてあげますから早くくださいよいただきます」
「うわあっ!?」
突如身を乗り出した葵が彼のジョッキを強奪し、そのままぐびぐびと飲み干していく。
「ヒック……なんか気持ち悪くなってきた」
「うわぁあああああ水、水飲んでください早く!!」
十分後、言われるがまま水を飲んだ葵は、なんとか胃の内容物を返品することなく落ち着いてきた。そして徐々に理性の灯と呼べそうな、いや線香花火程度の何かが瞳に宿り始め、そしていつもの声の調子に戻ってこう言った。
「もうわかりました。こうしましょう。目を閉じて暫く動かないでください。私がいいというまで目を開けず、私についてきてください。そしたら手打ちにしてあげます」
「え、なんで」
と彼が言い終わる前に向かい側にいた葵の手が伸び、ネクタイを解いてそのまま目隠しにしてしまった。早業すぎる。匠の業だった。名づけるなら目隠しのマエストロだった。特にウマくはない。エアグルーヴはやる気が下がった。
「じゃあそういうことで。あ、すいませんこれでこれでお願いします。カードで」
「え、ちょっと待ってください本気で何も見えないんですけど、しかもマジで店内から連れ出そうとしてませんか」
もはや返事も聞かず手早く会計を終えたと思ったらそこは店の外だった。ほとんど飲んでおらず、そこにいて縮こまっていただけの彼の肌に寒空が冷たく浸り、肩から鳥肌が立っていく。このままでは風邪を引きそうだが、そんな寒さが体に浸透する前に葵は足を捕まえた。
「あ、タクシー、お願いしまーす!」
「へあ!? 本格的にどこ連れて行く気なんですか葵さん? 葵さん?「桐生院本家までお願いします」 葵さん!?」
目隠しにされたネクタイでまるで手綱を引かれて歩く馬のようにタクシーまで誘導されていく。
「……」
「……」
乗り込んだあとは無言が支配していた。タクシー運転手もアブノーマルなプレイでもしていそうな雰囲気の男女に話しかけるのはリスキーと判断したのか、最初に目的を確認した後以外は黙ってハンドルを握っていた。
そんな沈黙のハナを切ったのは、この状況を作り出した張本人、桐生院葵だった。
「わたし、あんまり友達って呼べる人が出来なかったんです」
「……」
「いても学年の最初の頃だけで、家の勉強とか習い事とかで殆ど遊ぶ機会がなくて、そんな面白くない子と長く付き合ってくれる物好きもいなくて。だから、あなたと練習や勉強で一緒に出掛けたときとか、密かにお友達と遊んでいるみたいって、少し思ったこともありました」
「それは……まあ、僕も『あれちょっとただの遊びっぽいなこれ』とは」
「ですよね。わたし、それで舞い上がっちゃって。なんだか友達みたいで楽しいって、学生の頃に、子供の頃にあなたと遊んでいたらこんな感じなのかなって。あ、別に家を恨んでいるとか、後悔しているとかではないんです。でも、もしもそうだったらって、思って」
「葵さん……その、僕は葵さんのこと同期で、ライバルで、友達だと思ってますよ」
「ありがとうございます。それが聞けただけで、今日あの場にいた甲斐があると思います」
未だに目隠しされている彼には見えないが、多分笑ってくれているのだと、そう彼は思った。同時に、彼女の笑った顔を見られないことが少し残念だと感じる自分に驚いた。ウマ娘の一辺倒だった彼がそういったことを考えるのは覚えて久しい。心地よく体に響く車の振動が、少しいつもより遅いような気がして、それと同時にさっきまで凍えるようだったのが、なんだか、
「「……熱いね(ですね)」」
と思って、同じ内容を同時に口に出した。そこからは、また無言だった。
今度の沈黙は破られることはなく、体から伝わる振動が止むまで続いた。
「なんで僕今葵さんの実家で布団敷いて寝てるんだろう。あれでもう終わりだと思って油断してたわ」
その隣で葵は寝ていたし、衣服は乱れていたし、既にご両親に紹介は済ませてうまぴょいした。
ミークはそろそろキレていい。
おしまい。
担当ウマ娘は皆さんの好きな娘を想像するといいんじゃないですかね。修羅場ができるタイプだと私が愉しいです。
8/5追記
なんか知らないけど伸びてるなーと思ったら短編の週間ランキング入ってたみたいです。ありがとうございます。
桐生淫さんもありがとうございます。鋼の意思はいらないです。
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