YOU CAN(NOT) GIVE ONE LAST KISS. (tubuyaki)
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なんてことは無かったわ

「ええー! ケンケンに彼女が出来たぁ!?」

 

驚いたアスカの声は、静かな店内によく響いた。

 

「そうなんだよ。趣味の出先でたまたまよく出くわす人がいてさ。それで話をしている内に仲良くなって、ついに付き合うことになったんだ。今度、アスカにも紹介するよ」

 

 幸せに満ち足りていますと言わんばかりの表情を浮かべたケンスケの話を、アスカは少しばかり顔を引きつらせながら聞いていた。

 

「へぇー、ふーん…… ケンケンが、ねえ」

 

しばしの沈黙を経て、アスカは言った。

 

「まさか、あんたに先を越されるとは思わなかったわ」

 

「うん、アスカは人気者だからな。今でも言い寄られることがあるんだろ?」

 

アスカは、吐き捨てるようなため息を付いた。

 

「本当、何もいいことないわよ。みんな、ただ自分の見たいところだけ見て好意を寄せてくるだけ。その中に、本当に私を見てくれている人なんて誰もいないのよ」

 

「まあ、初めは皆、そんなもんじゃないのか? 実際に付き合うかどうかは別として、日々の関わりの中で、お互い本当の相手の姿を知っていくんだと思う。今は駄目でも、そのうちアスカにだって、きっと良い人が見つかるさ」

 

「とてもそうは思えないわね。そんな気にもならないし」

 

 遠くを見つめるようにしてそう言ったアスカは、改めてケンスケに振り向くと、問うた。

 

「ねえ、それでどんな人なの? ケンケンの彼女って」

 

「うーん、そうだなあ。俺もかなり趣味に入れ込んでいて、その道のことは勉強もして来たつもりだったけど、その人は本当に知識欲が旺盛でさ。俺が舌を巻くようなことまで知ってるし、更に知ろうともしているような人なんだ」

 

「今や軍事評論家のあんたにそう言わせるなんて、相当ね」

 

ケンスケはすぐさま頷いた。

 

「本当に凄いんだよ。だけど、それだけじゃない。いつも明るくて、周りのことをよく見ていて、気遣いを欠かさない。落ち込んでいる人を見つけたら、上手く元気付けて回るような、そんな素敵な人なんだ」

 

「つまり、ケンケンみたいな人ってこと?」

 

ケンスケは、びっくりしたような表情を浮かべるも、やがて顔を綻ばせた。

 

「ありがとう、アスカ。そういう風に思っていてくれて」

 

「私も、あんたには感謝しているもの。初めはあんたの生き方が理解できなかったけど、不思議ね。いつの間にか、あんたの言ってることも分かるようになってきた。今落ち着いた生き方をしていられるのも、あんたの影響だと思うわ。私、昔のままじゃ、きっと壊れてた」

 

「アスカは、人一倍頑張る方だからな。今でも、たくさん苦労を抱えているように見える。もし困ったことがあったら、話してくれよ。俺で良ければ、何時でも相談に乗るからさ」

 

「うん、ありがと」

 

 二人はグラスに手を伸ばし、しばらく会話のないまま時を過ごした。

その後はぽつり、ぽつりと世間話に興じては酒を嗜むことを続け、そうして再び会話が途切れたところで、ついにアスカの方から切り出した。

 

「もう遅いし、私はこれぐらいにしとくわ。ケンケンはまだ残るの?」

 

「そうだなあ。もう少し飲んでから帰ろうかな」

 

「そう。じゃあ、またね、ケンケン。 ……彼女のこと、おめでとう」

 

「ああ、ありがとうアスカ。また今度」

 

 

彼女が去って、ケンスケはカウンターに一人きり残された。

 

「すまないな、アスカ。けれど、君が俺に向ける眼差しは、きっとそれじゃあない。自分の幸せを見つけろよ、アスカ」

 

 ケンスケはそうつぶやくと、マスターを呼び寄せ、最後の一杯を注文した。

酔いが回りつつ帰路に就いたケンスケは、携帯に彼女からのメッセージが届いていたことに気が付くと、小躍りして喜び、そんな幸せな気分のまま帰宅した。




アフターストーリー オブ シン・エヴァンゲリオン

1話1話は短いですが、続けていきます。


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あの日動き出した歯車

世界から『何か』が消えても、人の悪意まで消え去るわけではない。
だが、それでも希望は生まれている。


 アスカにとって、たまの気晴らしに寄るだけだったはずの場所が、今では連日立ち寄る場所へと変わっていた。バーへ赴き、酒に浸る。それもあえてケンスケのいない、見知らぬバーへとだ。

酒で全てを忘れようという訳ではない。ただ気を紛らわせずにはいられなかったのだ。

 伊達を気取ったくだらない男たち。思わせぶりで薄っぺらな女たち。

そんな風に見える他人が目に付くのを嫌がって、日ごと店を転々とする内に、

アスカはようやく一つの店を見つけ、そこに落ち着いた。

 

 そうして一人、酔いに浸りながら思うのだ。

そもそも私とケンケンって、どういう関係だったのだろうか、と。

 

 アスカとケンスケが出会ったのは、もう5年以上は前のことになる。あの頃は二人とも、もっと若かった。日本NERVへと派遣された彼女の元へ、当時はメディア特派員だったケンスケが取材に訪れたのだ。

 

 生命工学技術の著しく発展した当代において、脳の認知機能とデバイス類の有機的な結合は、各国の注力する最先端の研究テーマとなっている。アスカがその経歴の過程で所属することとなったユーロ空軍もその例に漏れず、より実践的で有用な兵器の開発を目的に、同研究を推進していた。仮想敵を東西から囲い込むため、急速に接近した欧州―アジア関係…… その影響は機密性と独立性の高かった軍事領域の研究にも及び、友好国同士での研究組織の再編と統合の結果、世界的な繋がりを持つ特務研究機関NERVが発足。アスカはそこで開発された新世代型の搭乗兵器を駆るエースパイロットとして、またその研究の最先端に関わるテスト・パイロットとして、当時著しい研究成果を上げつつあった日本NERVへと派遣された。ケンスケが取材に訪れたのは、そんなトップエースのアスカと軍事研究の最先端を報じるためであった。

 

 当時のアスカは張り詰めていた。何事も一番であらねばならない、自分の存在価値はそうあることにしかないという強迫観念の下に生きていた彼女にとって、己の興味の赴くままに生き、かつそれを仕事にしたようなケンスケという男の存在は、カルチャー・ショックを以って受け止められた。結果、どうなったか? 大喧嘩であった。

 

 アスカとの相性の悪さはともかくとして、ケンスケが記者として優秀であったことが、その後、事をさらに大きくした。取材といっても、何もかもが公開される訳ではない。大衆を満足させるに足るだけの、それでいて公にしては不都合のある成果を覆い隠した情報公開は、本来当たり障りのない報道以外を許さないはずであった。しかしケンスケは、その博識を活かして断片的な情報を繋ぎ合わせることに長けていたし、またそこに加持主席監察官の示唆的発言が加わることで、彼は事態を徐々に明らかにしていった。そうして、目隠しされたような取材環境の中でNERVの異常な体質を嗅ぎ取った彼は、研究当事者であるアスカにその事実をぶつけていった。両者の対立は、一層激しさを増すかに思われた。

 

 しかし、ケンスケのアスカに対する態度は、いつしかNERVという組織自体への糾弾から、そこに籍を置くアスカの身を案じるものへと変化していった。調べるにつれ明らかになるNERVの悪辣さと、一人の力ではどうにもならない彼女の境遇が、彼にも見えて来たからであった。始めの内はいずれにしても反発を繰り返すばかりだったアスカも、NERVの犯した組織的なバチカン条約違反の露呈や、それに伴う研究者の大量離反、対抗組織WILLEの設立といった一連の大騒動の中で態度を軟化させていき、いつしか二人は志を共にする同志となっていた。それを皮切りに、今まで一人で生きることしか出来なかったアスカにも仲間が生まれ、疑うことなく友人と言える人たちが出来ていった。騒動が粗方落ち着いた今となっては、ケンスケとアスカは互いに親しみを覚え、話していて安らぎを覚える気の置けない仲になっていた。間違いなく、そこには友情があった。親愛の情が、かけがえのない親友と言っていい関係がそこにはあった。

 

 しかし、それ以上は? アスカという女にとって、ケンスケという男は本当にそれだけの相手だったのか? 彼女には答えがなかなか浮かばなかった。分からないままに酔いに浸っては時を重ね、そしてついに彼女はあることに気が付いた。

 

 ――私、ケンケンにキスしようとしたことすらない――

 

「そっか。想い人ってわけじゃあなかったのね」

 

 それが分かって、アスカは一層落ち込んだ。

 

 

――――――――――YOU CAN(NOT) GIVE ONE LAST KISS――――――――――

 

 

   *   *   *

 

 

 音もなく差し出されたグラスに、アスカは何の感慨もなく言葉を返した。

 

「頼んでないわ。それともこれはサービス?」

 

「いいえ、違います。貴方へのプレゼントですよ。あちらに座っていた方からの」

 

アスカは、マスターが指し示した方へと気だるげに視線を向け、思わず動きを止めた。

 

「誰もいないじゃない」

 

「それが、これを依頼されてすぐお帰りになりました」

 

「……意味わかんない」

 

「元気を出してほしいそうですよ」

 

アスカには、どんなつもりかも知れなかったし、知ったことではなかった。

 

「変わったナンパもあったものね。けれど、そういうの全部、私嫌いなの」

 

彼女はそう言って、グラスを退けようとした。

 

「その方、感謝しているそうです」

 

何のことだか分からず、アスカはその手を止めた。

 

「以前、あなたに随分と助けられたらしいですよ」

 

「いつ? どこで?」

 

「さあ、そこまでは私も聞いておりません」

 

「……やっぱり、意味分かんない。けれど、そう……」

 

 ――そういうことなら、頂こうかしら――

 

 グラスの中に映える赤を飲み込む。

 

 その一杯は、飲んだ後も仄かに幸せな気分が残るようだった。

 



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初めてあなたを見た

『何か』が無くなった世界
『何か』を介した関係が無くなった世界


「アンタね」

 

 私が話しかけると、男はびくっと体を震わせた。恐る恐るといった風に振り向いたソイツは、冴えない顔をしたサラリーマン風の男だった。没個性極まるスーツに身を包んだその姿は、まさに有象無象の中の一人といったところね。人ごみに紛れたら、もう二度と見つからない感じがするわ。

 

「アンタでしょ? 以前私にグラスを寄越したのは」

 

「なんのことですか?」

 

「とぼけないで、もう調べはついてんのよ」

 

 私がそう言うと、男は目に見えて狼狽えた。

気分は犯人を追い詰めた探偵のようで…… ヤバイ、ちょっと楽しいかも

 

「私がせっかくあの店の同じ時間帯に通い詰めてあげたのに、ちっとも来ないんだから探したわ。いい度胸よね、女の方から探させるだなんて」

 

「ええと…… 本当に、意味が分からないんだけど……」

 

困った風に言う男へと、私は言ってやった。

 

「私の目を見ながらでも、同じことが言える?」

 

「そんなこと言われても……」

 

コイツ、今、目が泳いだわね。間違いない、コイツよ。

 

「アンタの風貌は聞いていたから、後は簡単だったわ。この近辺のバーで、普段来ない感じの、落ち込んだ様子の男が来てないかって聞いて回ったの。以前、私を元気付けてくれた人がいて、どうしてもお返しがしたいってていでね。皆、コロッと騙されたわ。これも私の美貌のタマモノよね。もちろん闇雲じゃあないわよ。あんたのバー遍歴も、どうせ今までにあんたが通い慣れたあの店に雰囲気が近いところで落ち着くって予想がついたから、それらしい店を先回りして話を通しておいたわけ」

 

男は、私が吹き出しそうになるぐらい変な顔をして弁明を始めた。

 

「あなたの言い分は分かりました。それから、その熱心さも。けれど、僕は本当にその男じゃあないんです。たまたま最近、落ち込むことがあって、それでバーに通い始めるようになっただけなんです。だからあなたが言うその店っていうのも、何のことだか分かりません」

 

「ふーん? けどね。私、あの店のマスターに頼んで確かめて貰ったのよね。この店にあんたがいるって」

 

男は、嘘でしょとでも言いたげに目を見開いたが、すぐにその表情を硬くした。

 

「それでも、勘違いです。店内も暗いし、きっと僕とよく似た誰かと見間違えたんだ」

 

「今、呼びましょうか。あの店のマスター」

 

男はぎょっとして、きょろきょろと店内を見回した。

 

「いないわよ。私が電話してから店に入る手筈になってるの。万が一あんたにバレて、警戒させてもいけないしね。彼、落ち込んでたわよ? せっかく出来た常連が、ばったり来なくなってしまったんですものね。心配にもなるわ」

 

男は、冴えない顔が更に情けなくなるような表情で、ため息を付いた。

 

「まさか、あのマスターがこんなことに付き合う人だったなんて……」

 

「嘘よ」

 

男は完全に固まった。私は仄かな優越感に浸りながら、こう言ってやった。

 

「あんたって、本当にバカね」

 

   *   *   *

 

 男は、最高にガンコだった。いつ、どこで会ったのか? 一体、何があったというのか? いくら問い質してもまったく答えやしない。『いやぁ、君は忘れてると思うよ』だとか、『知っても意味が無いことなんだ。信じて貰える話でもないしさ』だとか、スカした答えばかり返してくる。そのくせ、私をからかって遊ぶつもりだったのねと突き放して言ったら、大真面目になって『君に助けられたのは本当なんだ。本当に、感謝しているんだ。あの時の君は随分、落ち込んでいるように見えた。だから、少しでも力になりたかったんだ……』等と来たものよ。嫌になっちゃうわ。

 

 だから私は言ってやった。

 

「一つ言えることはね。私の今一番の悩み事は、間違いなくアンタだってことよ。私の知らない男が、私に好意を向けてるですって? このままじゃ気持ち悪くて、安心して過ごせないわ。あんたといつ、どこで会ったのか、その正体を明かすまで徹底的に付き合って貰うわよ。もっとも、あんたに明かす気がなくとも、あたしが明らかにしてみせるけどね」

 

 失礼にも男は明らかに迷惑そうな表情を浮かべたから、私は奴をストーカーで訴えてもいいのだと脅してやった。

 

「正体不明の男が、一方的に私のことを知って、贈り物をして来たんだもの。か弱い女性の敵よ」

 

「本当にストーカーみたく僕を探しに来たのはそっちじゃないか」

 

私は本当に呆れかえった。被害者の私に向かって、なんという言い草だろう。

 

「なんですって? ……まあ、いいけど? 警察にどっちの話を信じてもらえるか、試してみるのも面白そうね」

 

男は憮然とするも、やがて気の抜けた表情を作った。

 

「はあ、分かったよ。僕の負けだ。けれど、僕の方から何かを言うつもりはないよ。あくまで君の追及に付き合うだけだ」

 

「上等よ。あんたごときの背景を丸裸にするなんて、わけないもの。あんたも仕事があるでしょうから毎日来いとは言わないけれど、週末には必ず来なさいよね。あ、名刺は置いていきなさいよ? 逃げるようなら、すぐ通報するから」

 

男は明らかに警戒して言った。

 

「まさか、名刺を見てすぐ通報なんてこと、しないよね?」

 

「それはそれで面白そうね」

 

「もう帰る」

 

「冗談よ」

 

私は男の反応を楽しみながら呼び止めた。

 

「前に一杯奢って貰ったわけだしね。その分、我慢しておいてあげるわ。さ、早く寄越しなさい」

 

 観念した男から名刺を受け取る。さっと目を通してみても、私の頭にピンと来るものは無い。私はその名刺に書かれたことについて、幾つか質問をしてみた。当たり障りの無いことしか分からなかった。

 

「今日はもう帰らせてもらうよ。君に付き合うのはまた今度」

 

 

 男は去り際に、本当に小さな声で呟いた。きっと、無自覚に漏れ出た言葉だったんだと思う。

 

「変わらないなあ、アスカは」

 

……バカ、聞こえてんのよ。



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損をしたって少し経験値上がる

やってみて後悔することもある


 何をあんなに張り切っていたのだろうかと、家に帰った私は疑問に思った。手にした名刺を改めて見つめる。 碇シンジ……宇部興殖株式会社の化学事業に従事する中堅社員。名刺から読み取れる情報なんてものは、その程度に過ぎなかった。

 

 本人が頑なに口を閉ざす以上、この僅かな情報から自分たち二人の接点を探り当てねばならない。途方もない作業になりそうだということに今更ながら気付いた私は、余計なことに手を突っ込んでしまったと後悔した。

 

 ネルフ時代ならいざ知らず、最近は個人情報も厳しいのよね。まあ、ネルフ内が特別おかしかっただけで、世間的には昔からそれが当たり前だったのだけれど…… こういう状況ではもどかしくも感じてしまう。

 

 とはいえ、自分から始めた以上、止める気も無かった。アイツに啖呵を切った以上、なにも調べが付かないなんていうのは、負けたような気分になるので却下。それに大変だといっても、今までの人生、無理難題を熟したことは数知れず。私に出来ないことなんてないのよと、自分に言い聞かせて作業に取り掛かることにした。

 

 さて、何から始めたものかしらね?

 

 一番初めに考えたことは、私の所属先とアイツの会社に繋がりがないかということだった。宇部興殖は、化学を中心に建材や機械類等、幅広い分野に手を広げた企業だ。それを考えると、うちの機関と何らかの取引があっても不思議はない。

 しかし、その程度のことで私とアイツに直接の接点が生まれるかというと、結局否定せざるを得なかった。 施設を造営したり研究資材をどこから仕入れるかなんてことに、私が関わる機会はそもそもない。共同研究先としてウチに関与してないか調べてみたけれど、それすらない。この線は無いと考えるべきでしょうね。

 

 次に調べたのが、碇シンジという名前についてだった。まるで期待せずにアイツの名前を検索してみたら、意外にも1件ヒットする情報があった。どうやら、企業の主導するリサイクルプロジェクトについて、取材を受けたようだ。その記事のタイトルから予想出来たことだけれど、読んでみてもやっぱり、私とは何の関わりも見出せなかった。

 

 こんな風に、何かを思い付いてはその都度それを調べてみたけれど、どれも結果は芳しからず。早速行き詰まり感が出てきて、嫌々ながら次に試みたのは、自分自身の記憶をとにかく探ることだった。

 私にとってはきっと些細な、それでいてアイツにとっては重要らしい出来事の記憶……

 私は自分が日本に来てからの出来事を書き出し、その一つ一つから連想するものを思い浮かべては、樹形図として書き連ねていった。そうやって、記憶の末端からアイツに繋がる何かを見つけ出す気でいた。……何日か費やした。結局、手掛かりの一つもつかめなかった。

 

 思わずため息がこぼれた。私は、考え方を間違っていたみたいね。てっきり、私自身のちょっとした人助けや何かが、あいつの記憶に残っているものだとばかり思い込んでいた。けれど、本当はもっと想像以上にくだらないことを言っていたのかも知れないわよね。例えば、サインを貰っただとか。

 来日してすぐの私は、年若いエースパイロットで見た目も良かったから、一時期メディアでアイドル的に報じらたこともあった。私は嫌がってほとんどしなかったけれど、広報イベントで一般人相手にサインする機会もあったし、それを貰って無性に喜ぶようような熱烈な連中もいなかったわけじゃない。きっとアイツは、そんなどうでもいいことに勝手に喜んで救われた気になっていただけで、真剣に考えるだけ無駄だったのよと、私はそう思って明日に備えた。

 

   *   *   *

 

 あの日からちょうど一週間が経ち、私たちは再び同じ店で顔を合わせていた。

 

「それで何か分かったの?」

 

 私はムカッと来た。『どうせ無駄だったでしょ?』という思いが、表情からバレバレなのよね。

 

「ええ、少しずつだけれど分かって来ているわ。まず第一に、名刺を貰っておいてなんだけど、アンタの会社は特に関係なかったみたいね」

 

 出来るだけすました顔で言ってやる。碇シンジの表情に変化はない。顔に出やすいコイツの反応がこれなら、間違いでは無さそうね。

 

「もしかして、それだけ?」

 

「もちろん違うわよ! 第二に、あんたはきっと、相当くだらないことで私を有り難がってるんだろうってこと!」

 

「なんでそう思うの?」

 

 碇シンジは僅かに眉をひそめていた。まあそれはそうでしょうね。いくら他人から見てバカバカしいと思えることでも、当の本人にとっては真剣なんでしょうし。

 

「なんでって、いくら記憶をひっくり返してみても、あんたのことなんかちっとも覚えてなかったからよ。私だって馬鹿じゃないし、誰か特定の一人と何かがあったのなら、少しぐらいは思い出せるわよ。それがないってことは、あんたは要するに有象無象の一人。きっと、複数人まとめて相手してやった内の一人ってところでしょうね。大方、あたしのサインでも貰って感涙にむせび泣いたとか、生きてて良かった~とか思ったクチなんじゃないの?」

 

 馬鹿にするような口調で言ってみたはいいものの、あいつのきょとんとした表情に、私はすぐさま失敗を悟った。

 

「え、サイン?」

 

 思わず顔が赤くなる。これはマズい。マズいわよ、アスカ。

 

「まあサインなんてのはただの一例よ。ちょっと出した例が悪かったかもしれないけど、とにかく私が言いたかったのは、どうせくだらないことなんでしょってことで…… ちょっと、聞いてる!?」

 

 碇シンジは、面白いことを聞いたというように顔をニヤケさせていた。

 

「いやあ、考えことも無かったよ。わざわざアスカからサインを貰うだなんて、ちょっと想像できないや。ぷはっ! あ、ゴメン、つい…… アハハッ、いや、サインって! いかにも自信家なアスカらしいや」

 

 腹を抱えて笑い出したバカシンジを、私は思わずゲシッと蹴っていた。

 

「痛った! 何するんだよ!」

 

「今のは女性を笑いものにしたペナルティーよ! よくも私に恥をかかせてくれたわね!」

 

 まだ顔の熱が引かない内に、私はそう答えた。本当、一体なにがおかしいっていうのよ! 価値を知ってる人にとっては、私のサインは宝物なのよ!

 

「少しでも悪いと思ってるなら、来週も必ず来ることっ! 今日はこれまでね!」

 

 私はグラスに残るカクテルを一気に飲み干すと、お代を叩き付けるように支払ってから店を去った。そんなことをしたものだから、私の顔は一層赤くなった。

 

「絶対、正体を突き止めてやるわ」

 

バカシンジなんかには、負けてらんないのよ!

 




次話、9/3頃更新予定


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止められない喪失の予感

『何か』が欠けた記憶
『何か』だけは完全に失われ、決して戻ることはない


 あんなことを言ってはみたが、今のところあいつの手がかりを得るためのスマートな方法が見つからないという事実に変わりはない。結局私は、もっと泥臭い、地道な作業に取り掛かる覚悟を決めねばならなかった。

 

 今までやってきた、記憶を樹形図に書き連ねて探る手法の欠点は、初めに頭に浮かんだ出来事からしか別の何かを連想出来ないことにある。もっと幅広い範囲から連想出来るものを探らねばならないと、次に頼ったのは辞書だった。単語を一つ一つ見ていき、そこからの連想で記憶の取っ掛かりをつかむ。当然、途方もない作業になる。

 

 やはり、これも徒労に終わってしまうかしら? けれど、何かしら試し続けなければ、全てが終わってしまうような気もする。だから、やることにした。

 

ア行……

あ、亜、阿、亞…… さっそく、どうでも良さそうなものばかりね。これらはパス

次……

 

次……

 

……

 

赤 私の一番好きな色ね。

浅間山 なんとなく、言葉の響きが嫌なのよね。次

芦ノ湖 こっちはちょっと親しみを覚えるわ。次

熱海 温泉よね~ ……地名が続くわね。次は……

アダム 宗教は関係ないわよね。次

……

アラエル また宗教? 嫌いよ、次!

 

……

 ……

 

錨/碇 イカリ…… あいつの苗字だけど、元は船を留め置くものよね。決して欠かすことのできない道具の一つよ。これがなければ、どんなに立派な艦だって漂流してしまうもの。次……

 

……

 ……

 

エヴァ…… アダムと共に堕落した最初の女性の名前……

やっぱり宗教は、どう考えても関係ないわよね。次!

……

えこひいき 誰かいたような…… まあ、大きな組織にはそんな奴もいるわよね。次

……

エビス? ビールね。一番のイメージはそれよ。次

……

沖縄 ちょっと行ってみたい気もするのよね。まあどうでもいいわ

……次……

お弁当? 弁当の丁寧形ね。また食べたいわ。次!

……

カ行……

……

ガキ あいつのことじゃない? なんか、青臭いのよね。次……

……

覚醒 なぜか、あんまり良いイメージないのよね。次……

……

キス 無いわね。……無かったわよね? ……次!

 

 

――――――――――YOU CAN(NOT) GIVE ONE LAST KISS――――――――――

 

 

   *   *   *

 

 

……

虚数空間 空想上の代物ね

……

 ……

使途 ……また宗教……

……

生体コンピューター 私がやってるのとは、ちょっと畑違いなのよね

……

ゼーレ 潰れてから辞書に載るなんてのも、皮肉よね

 

……

タ行……

 

……

 ……

 

通常兵器 役に立たないわね。次

……

ディラックの海 大学で勉強したわ

………

ドイツ 世界の誇りね!

……

ナ行……

 

……

 ……

 

七十 どうでもいい

七つ どうでもいい

七光り あいつのことね。次……

 

私は次のページを開こうとしかけて、その指を止めた。

ナナヒカリ…… 親の威光にすがって、特別な地位に収まる情けない奴のことよ。

けれど、あいつがなぜ?

 

「……やっぱり私、忘れている何かがあるのね」

 

本当に、ただ忘れていただけ?

 

とても、嫌な予感がした。

 



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あなた無しで生きてる私

時は戻らない
やり直されもしない


 考えれば考えるほどに懸念は強まっていった。私は何か、とんでもない記憶の欠落を引き起こしているのではないか? 正直、ネルフ時代にはそんなことが起きてもおかしくないような経験をいくつもしている。今までの私はそのことに自覚的でなかったから気付けなかっただけで、今回それが明らかになったのだとしたら、今の状況と辻褄は合う。

 

 あいつのことを調べるつもりが、こんなことになるなんて思いもしなかった。けれど気付いてしまった以上、無視するなんて出来やしないし、もはや手段だって選んでなんかいられない。私は自ら禁じ手と決めていたアレを使うことに決めた。

 

 破棄することを惜しまれ、新機関へと引き継がれたネルフ最大の遺産、有機スーパーコンピュータの傑作機MAGIとそれに連なるデータベース群。戦略自衛隊の機密情報から一般市民の個人情報に至るまで、あらゆる情報を収集していたこのマシンは、ネルフ解体と同時に新規の情報収集活動を停止。以降、スタンドアローンとなって維持され続けている。

 

 誰もが利用できるわけではないこのマシンの利用権限を、私も一応は持っている。

問題は、リツコね。

 

「あなた一体、何を考えているの? 現在、MAGIに許可されているのはシミュレーションのみ。私的な情報収集は厳禁よ!」

 

MAGI管理者のリツコは、私の頼みごとに予想通りの反応を示した。

 

「確かに今も、MAGIに連結されたデータベース上には非合法に収集された機密情報や個人情報がそのまま残っているわ。けれどそれらを削除していないのは、情報を有機連結するMAGIの性格上、それが不可能というだけよ。より正確には、情報を削除した場合、計算機能の大幅な低下と引き換えになるわね」

 

いつも通りの冷たい反応だが、私も引き下がる気はなかった。

 

「確かにその通りでしょうね。致し方ないから情報を残している。悪用出来ないように、用途はシミュレーションのみを許可。表向きはそうでしょうとも」

 

「何が言いたいの?」

 

 とぼけたふりを続けるリツコに、私は言ってやった。

 

「ネルフ自体の機密情報のことを言ってるのよ。ネルフの後始末をも目的としている今の組織が、その実態を探るためにMAGIに記録されたデータを活用しないはずは無いわ。それに、当時のネルフの人・モノ・金の動きを追うためにも、違法に収集された外部情報は必須。違うかしら? 」

 

「あら、よく分かってるじゃない。その通りよ」

 

リツコは、眉一つ動かさなかった。

 

「もう隠さないのね」

 

「意味がないもの。既に察しているなら、あえて取り繕うのは時間の無駄よ。けれど、このことを知ったところでMAGIを自由に使えるとは思わないで。これでも大義名分があって利用しているの。ネルフ時代のように、どんな事に対してでも使っているわけではないわ」

 

「分かってる。けれど、私だって知りたいのよ。私自身の過去を…… 物心付いた頃から在籍していて色々あったわ。被検体として無理もしたし、きっと私、その影響で記憶に大きな穴が出来てる。ネルフへの関わりによって損なったものを、ネルフの遺産を利用して取り戻そうとするのがそんなにいけないことかしら?」

 

「重大な規律違反よ」

 

「お願い。私にとって、本当に大事なことかもしれないの」

 

 リツコは黙ったままでいる。私も黙ってリツコを見返し続けた。

この真剣な思いが少しでも伝わるように……

 

 

 長い沈黙を経て、リツコは天を仰ぎ、そして短く溜息を吐いた。

彼女は、ミサトが死んでから少し変わった。

 

「いいわ、特例よ。あなたにMAGIの利用を許可します。けれど忘れないで。あなたの場合、経歴が経歴だから、これ以外に手がないと思って認めるの。必要以上の利用は、必ず自重して。私の信頼に応えて頂戴」

 

「分かってるわ。ありがとう、リツコ」

 

 私が感謝の言葉を返すも、リツコは目に見えて落ち込んだ様子になった。

 

「私も甘くなったものね。ミサトに人のこと言えなかったわ」

 

「気に病むことないじゃない。だって、それはリツコがミサトの想いを受け継いだ証でしょ?」

 

「だから気にしているのよ。ミサトの短所まで引き受けなくてはいけなくなるだなんて、とんだ悪夢だわ!」

 

 これはもう、何を言っても無駄そうだと諦めて、私はその場を後にした。




時には、嘆きたくて嘆いていることもある
そこに、その人を感じられるから


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あなたが焼きついたまま

 MAGIを利用することで、碇シンジの家族構成やその経歴はすぐさま調べることが出来た。けれど、それはあまりにも当たり前のことだったのかもしれない。結果を目の当たりにした今、そう思う。

 

「なによこれ…… あいつの両親、ゲヒルン関係者じゃない!」

 

 悪名高きネルフの源流、ゲヒルン

 あいつの両親は、そこの研究者だった。

 

 身寄り無き私がかつて、様々な後ろ暗い研究の被験者として参加していた非公開組織……

 ネルフ時代以上に忌まわしき、私の過去……

 

 けれど、それは一先ず置いておかねばならない。

 まさかの来日前にあった、アイツの両親との意外な繋がり。とはいえ、彼らの所属は日本支部で、まだまだセクショナリズムの強かったゲヒルン時代に、ユーロ支部とそこまで活発な交流があり得ただろうかと疑問に思う。一時的に支部を訪問するぐらいがせいぜいじゃないかしら?

 

 何よりの問題として、アイツ本人に至ってはゲヒルン/ネルフへの在籍記録すら無い。だから、七光りも何も無いはずなのに……

 

「よく分からないわね。親に連れられて、支部を訪れでもしていたのかしら?」

 

 気持ちを静めるように、ふうと息を吐いた。

 ゲヒルンの文字を見ると、思わずあの頃を思い出してしまう。パリに拠点が移されるよりも前のこと、周辺を森に囲まれ、まるで監獄のように寒々しかったあの旧研究所の姿……

 

 そのように過去に浸っていると、ふと頭に蘇る光景があった。

かつては、よく思い出しては悲しくなっていた、その光景……

 

 私の幼年期、何もすることがないままに研究所の外で一人ぼっちでいた時のこと……

研究所のフロントに止まった車から、見慣れぬ人たちが降りて来た。

優しそうな母親に抱かれ、駄々をこねる子供。それに手を焼いている父親……

 

 顔なんて全く覚えていない。けれど、それがなぜだか、あいつだという確信があった。

 

「まさか、あの時の…… けれど、幼すぎるわ。それとも、もっと後に別の機会があったのかしら?」

 

 事態を明らかにするには、あいつの両親のことをもっとよく調べなければならない。私はそう思って経歴を読み進めていき、余計に嫌なことを知ってしまった。

 

「母親の方は、自ら被験者となった実験の最中に行方不明…… 状況から死亡と判断。それって、遺体すら残らない死に方だったってことじゃん」

 

 アイツは、ちょうどその場に居合わせたようだ。当時のレポートを調べると、何てことないかのように『記憶を抹消済み』との記載があった。いかにもゲヒルンらしいわ。虫唾が走る。

 

「父親の方は、ネルフ設立を目前に退所…… 以降は京都の大学に戻り冬月教授に再度師事。その後は退職した冬月名誉教授と共に各地を転々、か。息子とは別居? 一人親になったのに育児放棄か」

 

 その彼も、数年前に亡くなっている。頭に銃撃を受けての死亡で、犯人は不明…… 時期的にも、ネルフ騒動の余波を受けてのことだろう。あの時は、どちらの立場の人間にも暗殺や変死が相次いだ。改めて、ケンケンは本当に良い時期に手を引いたと思う。

 

「何やってるんだろう、私……」

 

 アイツの両親の死亡を知って、思わず虚ろな思いに苛まれてしまう。けれど、例え楽しいことでは無くても、考え始めたことを止められはしなかった。

 

「それにしても、記憶抹消ね…… 噂には聞いていたけど、本当にあったのね。私の記録には載ってなかったけど、本当は私も受けたのかもしれないわね。それとも、まさかあの前後で……」

 

 記憶が欠けた原因に、もう一つ大きな心当たりがあった。

それは、私の人生唯一の空白についてのこと……

 

 私はかつて、昏倒した。意識の戻らぬまま、一年余りを過ごした。研究への無理な参加が原因だった。実験的に過ぎる生体機器への神経接続及び同調試験は、私の体には重すぎたのだ。

 

 目覚めて以降、私は死にもの狂いでリハビリに取り組んだ。そしてバカな私は、復帰後からより一層、開発試験にのめり込んだ。当時の私には、一年というブランクが耐えられなかったのだ。自分の存在価値が大きく欠けてしまった気がして、その分をとにかく埋め合わせようとした。

 

 気が張り詰めていたし、そんな時だから初めて出会ったケンケンへも、だいぶ厳しく接したものね。彼に会ってからは、だんだんと身の回りのことが変わり始めた。私自身が、変わっていった。

 

 けれど、もしかするとそれだけじゃあなかったのかもしれない。本来、私が眠っていた間に何かがあるはずは無いし、自分でもあの前後の記憶ははっきりしていると思っていた。

 

 けれど、もし…… もし仮にその期間、私が思っているよりも早くに目覚めて誰かと出会い、そしてその大事な記憶をそのまま失ってしまったのだとしたら……

 

 昏睡の後遺症による記憶の喪失か、それとも意図的な記憶抹消処理を受けたのか?

いずれにしても、ここに記録が残されていない時点で、追及は絶望的ね。

 

「ここまでやっておいて、なんて様かしら」

 

 自嘲せざるを得なかった。

 

 気持ちが疲れてしまった私は、いつも働いている時以上にぐったりとしてしまった。考えてみれば、食事も取らずに調査に没頭していた。そりゃあ疲れるわけね。

 

「何か、食べられるものないかしらね」

 

 そこでふと、私の脳裏にある言葉が思い浮かんだ。

 

 弁当…… 箱等に食事を詰め込んで、持ち運べるようにしたもの。他国では類を見ないほどに発展した、日本の風習…… もう一度食べたい、あいつの味…… 

 

「なんなのよ、一体……」

 

 頭で覚えていなくても、体が覚えているとでも言うのだろうか?

どうしても思い出すことが出来ないその味を思って、私の体は寂しそうに震えた。

 




光が失われても残像は残る。
消え去った残像は、もう二度と戻らない。


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もう一つ増やしましょう

「駄目ね。あんたのこと調べても何にも分からなかった」

 

 あいつの隣に座るなり、私は正直に白状していた。見栄を張るだけの元気が、もう残っていなかったのかもしれない。

 

「あんたの周辺とは多少の因縁もあったみたいだけれど、結局はそれだけ。私自身の過去を洗い直しても、あんた自身との関わりがなんなのかはっきりしなかった。これ以上は、資料を漁っても時間の無駄ね」

 

「そうなんだ」

 

 あいつは私のことを見つめながらそう言った。その視線は、私に元気がないことも見透かしているみたいだった。

 

「その様子じゃ、僕のこと結構調べたんだね。あまり面白い話にはならなかったみたいで、ごめん」

 

「なんで謝るのよ。私が勝手にしたことじゃない」

 

「それでも、ごめん」

 

 それきり、私たちは黙り込んでしまった。気まずい沈黙を誤魔化すように、時折グラスに口を付ける。じれったく思いつつも、次に何を話せばいいのか、私にも分からなくなっていた。

 

 それからしばらくして、ようやくあいつは口を開いた。

 

「じゃあ、僕たちが会うのもこれで最後になるのかな」

 

「本当にムカつく奴ね」

 

「……」

 

 あいつは一瞬黙り込んでから、話を続けた。

 

「分かってると思うけど、本当は、僕はこうして顔を合わせるつもりなんてなかったんだ。君が僕のことを認識していないのは知っていたし、僕自身が君の前に出ていってもなんにもならないって、分かっていたから」

 

 こいつの言ってることが本当か、何の根拠も無い。けれど、私には正直に話しているように聞こえた。

 

「煩わせたくなかったんだ。どうにも説明できない事で、君を思い悩ませることだけはさせたくなかった。だから、全部僕のせいなんだ。僕が不用意に君との関わりを持とうとしたせいで、こんなことになってしまった。勝手なことだとは思う。けれど、出来れば今日を限りに、僕のことは忘れてほしい」

 

「それは、例え思い出しても嫌なことばかりだから?」

 

「いいや、思い出そうとしても、決して思い出すことは出来ないんだ。そうなってる。だから……」

 

 シンジが言い切る前に、私は静かにかぶりを振った。

 

「まだ、今日限りは付き合って貰うわ。私、試せることは全て試すつもりよ」

 

「……うん」

 

 それからは、あいつと二人でなんてことない話をしながら時を過ごした。お互いの身の回りのこと、何が趣味だとか、今までの人生で楽しかったこととか。 

 

 特に進展もなく、時は過ぎていった。

 

 客もまばらになり、二人以外には誰もいなくなった。

 店が、閉まる時間になった。

 

 

 店を出て、人通りもなくなった駅への道を、二人してとぼとぼとと歩いた。

 私は心を決めて、言った。

 

「まだ一つ、試していないことがあったわ」

 

「それで、諦めがつく?」

 

「それ以前の問題よ。これで思い出せなかったら、本当にお手上げね。 ……感謝しなさいよ」

 

「……!?!!」

 

 バカシンジは、慌てふためいている。

 私も、初めてのはずだ。初めてのはずの、キス。

 

 幸福感があった。切なさがあった。 ……どうしようもない、悲しみがあった。

 私は彼を突き飛ばしていた。

 

「アスカ!?」

 

「私も色々調べたわ。そして分かったの。あんたと出会った記憶はないけど、あんたのことはなぜか知ってたし、思い出すこともあった。S-DAT……あんたがよく聞いてた。東中……あんたがかつて通ってた。えこひいき……あんたがかつて仲良くしてた。弁当……あんたが作るそれは、何よりおいしかった。ナナヒカリ……私がかつて、そう呼んでた。けれど、分からないのよ。私とあんたが一体何だったのか」 

 

「アスカ…… まさか、覚えていたの?」

 

 俯いていた私に延ばされた彼の手を、私は思いっきり払いのけた。

 

「もう嫌よ! こんな思いをするのはもう嫌! 私、あんたが碇シンジであるということを、どうしようもなくよく分かっていたわ。けれど結局分からないの。私とアンタとの間を繋いでいた何かは、決して思い出すことはないんでしょう!? あんたの言ってること、よく分かったわ。だって私自身でもそんな予感がするもの!」

 

 シンジは何も言わずに立ち尽くしていた。

 

「何もかも忘れていた。けれど、何かをやり残したような、そんな感覚だけが残ってた。あんたと出会って、そのことに気が付いてしまったのよ。だから、その衝動に従ってみた…… けれど、結局辛い思いをしただけだった。胸に穴が開いたような、どうしようもない喪失感に苦しめられるだけだった。だから、もうアンタは私の前に姿を現さないで。私の前に来ないで。だから、さよなら……」

 

 突然だった。私は、いつの間にか抱きしめられていた。

 

「なによ」

 

「勝手なこと言うなよ!」

 

 私の弱々しい抗議の声は、シンジの叫びに掻き消されてしまった。

 

「僕は諦めていたんだ。仕方がないって、受け入れていたんだ。だって、それでアスカが幸せになれるんだから。エヴァさえなければ、アスカは自分の居場所を見つけられるんだって。自分はここにいても良いんだと思えるようになるんだって!」

 

「なによエヴァって! そんなの知らない。聞いても何も分からない!」

 

「それで良いんだ。本当はそれだけで良かったはずなんだ。それでもアスカは僕のことを覚えていてくれた。エヴァのことだけ全て忘れて、僕のことは例え僅かでも覚えていてくれたんだ! そうして、また出会うことが出来た。もう絶対に無理だと思っていたのに…… なのに、さよならなんて言うなよ! どうしてそんな寂しくなるようなこと言うんだよ!」

 

「言ったじゃない!」

 

 私は叫んでいた。

 

「私たちの間では、なにかがどうしようもなく欠けてしまったのよ! 私はもう何も思い出せない。元の日々には戻らないのよ! もう十分でしょ? 私、きっとあんたが好きだったんだと思う。けれど、もうどうにもならない。だから、さっきのは別れのキスよ。あれで、お別れ…… もうこれ以上、私の心を掻き乱さないで……」

 

「嫌だよ! そんなこと言って、アスカはまた落ち込むんだろ! そうやって、ただ辛い思いを抱えたまま一人になろうとするだけなんだ。本当は寂しがり屋の癖に! 誰かと一緒にいたいと思ってる癖に!」

 

「あんたに何が分かるってのよ!」

 

「分かるよ! 今なら分かる。僕だってアスカと同じだったんだ。ただ、その抱えているものへの向き合い方が違っていただけだったんだ。一緒にいたから、それが今は分かる。すれ違いもあったけど、けれど確かに一緒にいたんだ!」

 

「そんなこと言って……! じゃあどうしろって言うのよ!」

 

「僕の言う通りにすればいいだろ!」

 

「何しろって言うのよ! もう忘れてしまったというのに!」

 

「僕と一緒にいればいいじゃないか! 忘れたって言うなら、また知っていけばいいだろ! 昔みたいに弁当作ってやるよ。掃除や洗濯だってしてやるよ。意地張ってケンカしあって、そうして罵られてやるよ! だから、これ以上、一人になんてなろうとするなよっ!」

 

 わけも分からず涙が零れてくる。慟哭が、止まらない。

 

「意味わかんない! 何、ナマイキ言ってるのよ、バカシンジの癖に!」

 

「好きなんだ。もう二度と別れたくなんかない。さっきのは、この世界で生きる僕たちのファーストキスだ。そのまま最後のキスになんて、させやしない」

 

 そう言うとシンジは、熱い眼差しを私に向けたまま、唇を寄せてきた。思わず目を瞑ってしまう。意味分かんない。なんなのよ、もう…… 

 

 けれど、もう、忘れられない

 

 忘れられない、人

 



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吹いていった風の後

偶然か、それとも……


「ええー! アスカに彼氏が出来た!?」

 

 驚くケンケンの顔を見て、私はほくそ笑んだ。

 

「そうよ。私ってば誰にでもモテるから、ケンケンみたいに相手が出来るまで何年もかかったりはしないのよ」

 

 ケンケンは、私の言葉に過去のトラウマでも掘り起こされたためか、だいぶショックを受けた様子だった。悪いこと言ったかしら? まあでも、既に彼女が出来たっていうんなら今更よね。

 

「いや、それにしても、まさかなあ…… 驚いたよ」

 

「まあ、とは言うものの、相手は冴えない男なんだけどね。だけど私のことが好きみたいだし? 今のところは寛大な心で付き合ってあげているわ。この先どうなるかは、まあ相手次第ってところね」

 

 ケンケンは私の明け透けな物言いに、苦笑を漏らしているみたいだった。まあ、ケンケンならいいか。

 

「でも出会ってすぐなんだろう? 疑ってるわけじゃないけど、どんな人かちょっと気になるよ」

 

「ケンケンは心配性ね。でも、そう言うと思って連れて来てるわ」

 

「ええー!? 嘘だろ!?」

 

 こんなにあたふたしているケンケンを見るのも珍しい。最近じゃ大人らしく余裕ぶってるケンケンのこの表情が見れただけでも儲けものね。そう思っていると、話を聞き付けたバカシンジが、そそくさと私たちの座るテーブルにやってきた。

 

「や、やあ、相田君。アスカと付き合うことになった碇だ。よろしく」

 

「あ、ああ、君が…… よろしく…… え、いかり?」

 

 なんだかぎこちない挨拶ねえと思っていたのも、束の間だった。

 

「いかりって、え、あれ、もしかしてあの?」

 

「覚えていてくれたんだね、ケンスケ」

 

 んん……? どういう、こと?

 

「うわ――!! 久しぶりだな、碇! 中学以来じゃないか?」

 

「うん。あれっきりだと思うよ、ケンスケ。本当に、久しぶり」

 

 ……!?!?!?

 

「ええ――!! あんたたち、知り合い!?」

 

 私は驚きすぎて叫んでしまっていた。

 

「うん、そうなんだ。中学時代は友達でさ」

 

「ちょっと、まさかあんたたち! 私に隠れて通じ合ってたりしないでしょうね!」

 

 真剣に言っている私を、ケンケンはぽかんとした表情で見返してくる。

 

「なんでだよ? 中学以来だって言っただろう? いやー、それにしてもこんな形で再会するなんてなあ」

 

「うん、僕もびっくりだよ」

 

 ケンケンのことは信じているから、本当に何もないのだろうとは思いつつも、なにか釈然としないものを感じてしまう。こんな偶然、出来過ぎよ!

 

「……まあ、いいわ。ところであんたの彼女、どこにいるの? 今日連れてくるって話だったわよね。まさかもう振られたなんてことないでしょうね」

 

「冗談。もう間もなく来るはずさ。まあ、しばらく待っててくれよ…… ああ、ほら!」

 

 ケンケンが手を振った先を目で追うと、こちらへと同じく手を振りながら元気よく駆け寄ってくる女の姿があった。

 

「遅くなってゴミ~ン。待たせちゃったかにゃ? ……に゛ゃにゃにゃっ!!!???」

 

 その女は私たちを見て衝撃を受けたように固まった。うん、そこそこきれいな女だけど、まあ無理もないわね。私ってば、控えめに言っても美人だし? 彼氏の友人にこんな美女がいると知ったら、女として不安になるのも無理ないわね。なーんて思っていたら、なんとバカシンジの方も相手を見て固まっていた。

……私を差し置いて、他の女に余所見? 胸か、やっぱり胸なのか? 首絞めてやろうかしら

 

「嘘だろ? 真希波……!?」

 

「なーんでワンコ君が一緒にいるのかにゃ~!?」

 

 私はもう、唖然としてしまった。

 

「ちょっと、一体誰なのよ?」

 

「真希波は…… 僕の同僚だったんだ。もっと面白いことがやりたいって、すぐに会社を飛び出しちゃったけど」

 

「あんた、どんだけ知り合い多いのよ」

 

 バカシンジの意外な一面を垣間見てしまった。やっぱりこいつ、謎が多いわね……

私はケンケンとその彼女から、バカシンジのことを色々聞き出すことに決めた。

決めたのだが……

 

「ああん、姫~♪ そんなに根掘り葉掘り聞きたがるなんて、私たち以上にラブラブなんだにゃ♪」

 

「姫って呼ぶな!」

 

 こいつ、なんか凄く苦手!

 私がそうやって手こずっていると、バカシンジの口から助言とも言えないような助言が飛び出した。

 

「真希波のこと、まともに相手してたら身が持たないよ」

 

「あー! そういうこと言っちゃうんだ。大恩人に向かって!」

 

「真希波は確かに恩人だけど、なんだかそれと同じぐらい、隠れて色々やられてる気がするよ」

 

「うわー! ワンコ君がいじめる! ケンケン助けて♪」

 

「マリはみんなが愉快になれるように頑張ってるだけだもんな」

 

「そうだそうだ! もっと感謝しろい!」

 

 バカシンジは苦笑気味に微笑んだ。

 もっとも、そんな表情も長続きはしなかったのだけれど……

 

「そうだ姫、ワンコ君の恥ずかしい過去、知りたくないかにゃ?」

 

「全部教えなさい!」

 

バカシンジは、真希波・マリ・イラストリアスの一言一言に悶絶した。

 

 

 ちょっと騒がしすぎるぐらいの時間は、あっという間に過ぎていく。

まったく、バカシンジと来たら…… けれど、退屈しないわね。

その日、私はたくさん笑うことが出来た。

 




“I love you more than you’ll ever know.”

                   終劇


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偽典:人々は気付かない

偽典:正典や外典に含まれない書物の総称。必ずしもその内容が偽物というわけではなかったが、偽物でないという保証もまたなく、やがては異端と謗られるようになった。もしかすると、そのような偽典の中に葬られた真実も、またあるのかもしれない。
そんなニュアンスで、本編とは言えない程度のおまけ的なもの


 彼は気が付くと、駅のホームに座っていた。やや呆然としながらも、彼が向かいのホームに目をやると、そこには大切な仲間たちの姿があった。談笑する二人の姿に、彼は創世(ネオンジェネシス)の成功を実感する。彼は、ついにやり遂げたのだ。

 けれど、そんな瞬間であっても、彼と仲間たちの視線が交わることはない。なぜなら、仲間たちにとって今この瞬間は、なんら特別なものではないからだ。彼らにとっての今この時は、()()()()()()()()()()()平和な一時に他ならない。人々は、この世界がほんの僅か少し前に作り替えられたということに、気付かない。

 新世紀……そこはもはや、エヴァのない世界。

現在・過去・未来、すべての時空からエヴァという存在と概念が消え去った世界。

 エヴァによってもたらされる地獄のような災禍や、仲間たちに振り撒かれた不幸の種が、根源から無くなった世界。綾波レイはLCLでの調整が必要な虚弱な体で生まれてきたりなどしないし、式波・アスカ・ラングレーは戦闘特化のためにクローン体同士で殺し合いをすることも無い。渚カヲルだって、ここではただの人だ。生命の書に名前を書き記し、数多の世界を俯瞰する運命(さだめ)を負った存在は、もうここにはいない。

 そして彼、碇シンジも、エヴァパイロットになんてなっていない。エヴァが無く、エヴァへの適性も何もないことから、父親に招かれてNERVに向かうこともないし、そもそもその父親からして、NERVに在籍していない。

 碇ゲンドウは、心の底では理解していた。エヴァのごとき存在が無い以上、ユイとの再会など空想に過ぎぬことを…… その現実を突き付けられることを恐れて、彼はNERVで直接指揮を執ることをしなかった。NERVもまた、使途撃滅や人類補完とは別の使命を与えられ、設立されていた。碇シンジがNERVに招かれない以上、アスカが来日しているのだとしても、彼女との接点が生まれることはなかった。

 何もかもが変わった。ただ彼の頭の中にのみ、かつて『それ』があったという記憶を残して、エヴァはすべて消え去った。いや、彼を除いて、もう一人だけいた。彼女は、そっとシンジの背後へと忍び寄る。

 

 

マリ:ミイラ取りがミイラになった、胸の大きい良い女。かつての想い人をマイナス宇宙から見送ったことで、過去には踏ん切りを付けている。創世(ネオンジェネシス)直後に、今まで通りワンコ君に接してみたところ、逆に自分がからかい返されて感心(いっぱしの口をきくようになっちって!)。いきなりのこの新しい世界でも、私が一緒にいて手を引っ張ってあげるよ! なーんて思っていたら、逆にシンジに手を引っ張られることになって、二重にビックリ! シンジの成長に、もはや自らの導きが必要無くなったことを悟った。愛した人の子の成長に、感無量のマリ……

「けれど面白いことのためなら、今まで通り暗躍させて貰うにゃん!」それがこのザマだよ!

結局、どこからどこまでが計算だったのか、誰にも分からない。

 

リツコ:彼女は言う。世の中には知らない方が良いこともある、と。

もっとも、知ろうともしていないことを知らされて胃が痛くなることはあるのだけれども……

「だから他人のプライベートなんて、知るもんじゃないわね」

彼女の飼い猫は、タバコ以外の煙の匂いに敏感。

 

SEELE:キリスト教系秘密結社で、断片的にのみ発見される死海文書を神聖視していた。その文書の主要部が、世界から消滅しているとも知らずに…… 構成員は皆、政財界への影響力甚大な錚々たる面々で、軍産学複合体への関わりから、軍事研究の最先端を担うゲヒルンそしてネルフの設立に影響力を行使。その後はネルフへの仲介人を通じて、宗教的好奇心を満たすための研究依頼や協力、巨額の資金提供等を繰り返すも、某メディアによる一連のスクープで関係が露呈。だが、その頃には既に構成メンバーの老齢化が進み、活動自体が停滞。各メンバーは特に責任を追及されるでもなく、寿命という名の逃げ切りを手にした。最終メンバーらの延命治療拒否による同日死は、暗殺の憶測を生んで止まない。実際に彼らは、その最後の日にとある訪問者と異例の面会を行っていたというが、真相は如何に

ゲンドウ:失意と共にゲヒルンを退所。以降、矛盾を抱えたまま、古巣の冬月研究室を拠点に活動を行う。研究室解散後は、冬月名誉教授と共に各地を転々とする。ゲヒルンの後身であるネルフとは表立った関係は無かったが、何者かに頭部を銃撃され死亡。

銃撃直後は、奇跡的にもしばらく生き延びていたが、シンジとの面会直後に死亡が確認された。

「……ユ……イ………」 「もう良いんだ、父さん。母さんのところへ行って、良いんだ」

ケンスケ:幅広いサバイバル知識, ミリタリー知識, メカ愛, カメラ愛などが高じ、大学時代は自分で書いた記事を関連雑誌へと積極的に投稿。卒業に合わせ戦略自衛隊の幹部候補生試験を受けるも、身体検査で不合格となったため大学院へ進学。修了後はメディアに就職し、当該メディアとしては異例の大スクープを報じた記者となる。しかし、有力な情報源の一人であった加持主席監察官の死亡に際し、身の危険を感じて離職。自らのサバイバル知識を活かして、しばらくの間、世間から姿を隠した。記者はそれきり卒業し、今では情報の分析に長けた軍事評論家として活躍中。

裏コード: cB+ulLTb

裏コード2: rroKuz5A0

/* かつてエヴァと呼ばれたケンスケ氏 情報と国家 敬意を込めて */



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外典:こりゃなんだコリアンダー

前回は気付いて貰えただろうか? リツコの陥った状況とか諸々 さておき……

外典:正典に選ばれなかったが、正しくないとされたわけでもない。だが、正典に選ばれないだけの理由はあるのかもしれない。
そんなニュアンスのストーリーで、なんだこりゃ


「碇君はわたさない」

 

 私の前に立ちはだかった女は、それだけ言うとトテテテと軽い足音を立てて、走り去っていった。後には街路灯に照らされる、暗い夜道だけが残った。

 

「……え? 今の、何?」

 

……立ち尽くしていてもしょうがないので、2歩3歩と歩いた。

 

「……碇君って、あのバカシンジ!?」

 

……考えてもやっぱり分からないので、再び歩き出すしか無かった。

 

 

 気が動転したまま帰る。混乱はあるが、いつも通り声を掛けた。

 

「ただいま~」

 

「おかえり、アスカ。すぐ夕飯の支度するね!」

 

 機嫌の良さそうなシンジに、何時あのことを切り出したものか、悩む。

せめて食事ぐらいは、落ち着いて済ませてからにしようかしら。

そんなことを思っていたら、夕飯を食べている最中に先手を打たれてしまった。

 

「突然なんだけどアスカ、明日は時間空いてる?」

 

「え? まあ明日は休日だし、特に予定は入れてなかったけど、なんで?」

 

「会わせたい人がいるんだ。僕の昔からの大切な友人でさ。この週末、たまたま近くに寄るそうなんだ」

 

「ふーん、あんたの知り合いねえ。ま、いいけど」

 

「ありがとう、アスカ!」

 

ニコニコと微笑んでいる。

眩しいぐらいの笑顔、ね……

こんな顔されたら、言い出し難いじゃない。

 

結局、明日の予定が済んでから聞いてみることにした。

 

 

   *   *   *

 

 

なーんて私らしくも無い遠慮をしてあげたのが運の尽きよ!

 

「あーっ! アンタは!」

 

「碇君、ダメ。この人はわがままよ。きっと苦労するわ」

 

待ち合わせ場所としたカフェで出会ったのは、間違いなく昨夜出会った根暗ストーカー女だった。

 

「あれ? もしかして、以前会ったことでもあるの?」

 

バカシンジはこんな呑気なことを言っている始末!

 

「いいえ、会ったというほどのことではないの。けれど、一目見れば分かるわ。彼女、自分勝手そうだもの。料理も掃除も洗濯もしないで、家事の一切をあなたに押し付けるつもりよ」

 

「黙って聞いていれば、余計なお世話よ!」

 

「違うの?」

 

「……それも余計なお世話! そもそも一体あんた誰よ! お節介なことばかり言って、まさか……!」

 

私の中に、一つの嫌な可能性が思い浮かんだ。

 

「まさかあんた、こいつの元カノとかじゃあないでしょうね!」

 

「彼にとっての大切な人よ。私は1番目(ファースト)。あなたは2番目(セカンド)

 

「ぬぁんですって~!」

 

「ちょっと、誤解を招くようなこと言わないでよ」

 

 ようやく慌て出したシンジが口を挟む。全部、やることが遅いのよ!

しかし、場を収めようとしたのは、相手のツレも一緒だった。

 

「レイ、落ち着いて。心配しなくても、シンジ君の心は君から離れて行ったりしないさ」

 

「それ、私にとっては大問題なんだけど!」

 

「だから、彼が言っているように誤解だよ。別に彼女はシンジ君の彼女ってわけじゃあないさ」

 

 今の言葉を確認するように、レイと呼ばれた女を睨み付けてやる。

女はただ一言、『そう』とだけつぶやいた。なんだか、メチャクチャ怪しいんだけど!?

 

「シンジ、一体どういうこと?」

 

 ドスの効いた声で尋ねてやると、シンジは若干の怯えを顔に浮かばせた。

 

「彼女は綾波レイ。僕の妹みた「あんたに妹はいないはずよね!」 ……だから、妹みたいなものだって、そう言おうとしたんだよ。遠縁の親戚なんだ」

 

『最後まで言わせてよ、もう』とシンジは一人ごちている。言うのが遅いのよ!

 

「やっぱり彼女は乱暴で狂暴よ。穏やかな性格の碇君には合わないわ」

 

「ああーもう! ブラコンだか何だか知らないけれど、アンタに口を挟まれるようなことじゃあないっつーの!」

 

 本当にムシャクシャさせられるわ。なんで私が小姑の文句みたいなもの言われなきゃならないのよ! 見た目、私と大して変わらないぐらいの年の癖に!

 

「だからレイ、落ち着いて」

 

「私は落ち着いているわ。彼女が興奮しているだけ」

 

「ウガァ―――ッ! もう―――っ!」

 

「いや、ちょっと……! アスカも落ち着いてよ」

 

「ハァ??? これが落ち着いていられるかっちゅーの! 私、ケチ付けられてんのよ! 大人しく黙って聞いてなんていられないわよ!」

 

 シンジは頭を抱えるそぶりを見せた。頭抱えたいのはこっちだってのに!

そう思っていると、向こうでも何やら話が進んでいた。

 

「分かったよ、レイ。けれど毒舌は禁止だ。シンジ君の隣にいる彼女のこと、悪く言うのはもう止めにしよう。碇君だって、それを望んでいるはずさ」

 

「仕方ないわね」

 

 どうやら落ち着いたみたい。でも、言い方がいちいち引っ掛かるのよね

 

 

 皆の席にドリンクが運ばれてくる。私は不機嫌になったまま、ラテをちゅーっと啜った。こんな気分じゃ、行儀なんか気にしてらんないわよ!

 シンジはどう話を再開したものか、延々頭を悩ませているみたい。待ってたら日が暮れそうね。そして向かいに座る二人は、なるがままにといった様子で自分から話し出す気ゼロ。私から動くしかないみたいね。

 

「それで?」

 

 大人しくなったレイという女に代わり、今度は男を睨みつけてやった。

 

「あんたの方は、一体何者よ? もしこの女と同類だっていうなら、ろくな奴じゃあないんでしょうけど」

 

 シンジは私の物言いに、あーもう諦めましたという表情をし始めた。あんたが遅いのがいけないんじゃない! けれどシンジの心配も、ただの取り越し苦労だったみたいね。だってこの男、私が強い口調で話しかけても飄々としたままだもの。

 

「僕はカヲル。渚カヲルさ。シンジ君とは、幼い頃に出会ってね。友だちになろうよと声をかけてもらって以来の仲なんだ。親友、と言っても構わないかな、シンジ君?」

 

「もちろんだよカヲル君。僕もそのつもりさ」

 

 ついさっきまでやさぐれた表情をしていたシンジが、ぱぁっと笑顔になる。

なんか、いつもと違う。なにかが違う笑顔……

こいつが、他人相手にこういう表情をするのって、初めて見るわね。

いや別に、男のこいつに嫉妬したりするような真似はしないけれど……

 

 私は少しもやっとした感情を抱えたまま、更に問い質した。

 

「シンジとの関係は分かったわ。じゃあ、その繋がりでこのレイって女とも仲いいわけ?」

 

「うん、まあ、そうとも言えるし、違うとも言えるかな」

 

……いや、だからどっちよ

 

「だって私たち、付き合っているもの」

 

 しばらく大人しくしていたと思っていたブラコン女が、とんでもない爆弾発言をしたものだから、私は思わず叫んでいた。

 

「はぁああ!? アンタ、彼氏がいるのに他の男の心配してあんなこと言いに来たわけ!? どんだけシンジに執着してんのよ!」

 

「そうよ? だって碇君は碇君、渚君は渚君だもの」

 

「いや、そりゃそうだけど、そういう意味じゃないわよ!」

 

「じゃあ、どういう意味?」

 

 信じられないものを見る思いで女を見つめるも、女の方はきょとんとしているというか、無感動に見えるというか…… その一瞬で、この不可解な存在は、私にはちょっと手に負えそうにないなと思った。かと言って、バカシンジも頼りにならない! 私は無難に、あいつのツレへと話を振ってみた。

 

「ちょっとアンタ、自分の彼女がこんなこと言っててなんとも思わないわけ? この女、昨夜私に向かって『碇君はわたさない』なんて言いに来たのよ?」

 

『ええっそうなの!?』と、バカシンジが驚いている。バカシンジめ

 

「そんなことしてたのかい? レイ」

 

「ええ。大切なことは、早めに伝えておいた方が良いと思ったから」

 

「うーん、そうだね。あるいは、そうかもしれないね」

 

 同意してるんだかいないんだか分からないような返事を男は返している。ともかく、全然驚いてないみたいね。こいつの性格なのかしら? 私はたまらず、もう一度男に問い質した。

 

「あんたもよく分かったでしょ、この女の本性! 大人しい顔しておいて、こんなこと仕出かす奴なのよ。改めて聞くけど、あんたは彼氏として、彼女がこんなんで良いわけ? 正直に言ってみなさいよ」

 

 男の回答は、先ほどまでの彼の言動から半ば予想していた、最悪なものだった。

 

「構わないさ。僕だってシンジ君が大好きだからね」

 

「でもこいつ、兄妹という枠に収まる気がなけりゃ、今にもシンジと結婚しそうな勢いじゃない。なにか思うところはないの?」

 

男は大きく頷いた。

 

「僕にも気持ちはよく分かるんだよ。なにせ、男じゃなければ僕も結婚したいからね」

 

「「え゛!?」」

 

バカシンジと私の声がハモった。

 

「けれど、この星の高次生命体は異性生殖を繁殖の条件としているだろう? 美しき生命の営みに制限があるというのは、一見悲しいことに思えるね。けれど、そのお陰で生まれる新たな出会いもある。レイとの出会いは、本当に掛け替えの無い尊いものだと言えるよ」

 

 カヲルとレイの二人は、そこでニッコリと微笑みあった。私はシンジの袖を引っ張って、小さな声で告げた。

 

「ねえ、ちょっと! こいつら、変よ」

 

「は、はははは」

 

 シンジは誤魔化すように笑ってる。そう言うところがダメなのよ、このバカシンジは!

私は全幅の確信を持って言ってやる。こいつら、絶対、宇宙人!

 

 

   *   *   *

 

 

「ド天然よ、ド天然! あいつら混じりっ気なし、仔魚稚魚幼魚から成魚に至るまで完っ全に自然界で育ったモノホンの天然モノよ!」

 

「僕にはアスカが何を言っているのか分からないよ」

 

うるっさいわねえ、察しなさいよ!

 

 私たちはあの宇宙人たちとの未知との遭遇を終え、ようやく家路へと付いたところだった。単にバカシンジの知り合いと顔を合わせればいいだけの予定だったはずのに! それがまるで、結婚に反対する旦那の家へ挨拶しに行ったみたいに疲れ果てるはめになるだなんて、予想外もいいところよ!

 思わずグッタリしてしまった私に、シンジが気付いて言った。

 

「ごめん、疲れさせてしまって。けれど、とっても良い人たちなんだ。二人とも、とっても……」

 

 ……シンジの言わんとすることは分かっていた。こいつにとって、あの二人は心から気を許せる、大切な友人なんでしょうね。私にとってのケンケンみたいに……

 

「だから、これは僕のわがままかもしれないけれど、アスカにはあの二人とも仲良くなって欲しくてさ」

 

「それは無理! 絶対に無理! 特にあの女なんか、敵よ敵!」

 

ハハハと、シンジは乾いた笑い声をこぼした。

 

思わずシンジを睨む。

 

「帰ったら説教ね」

 

「え゛!」

 

 シンジは驚くも、すぐに項垂れて、弱々しくハイと返事した。

 

「何で怒ってるか、分かってる?」

 

「いや、まぁ、うん。なんとなくだけど、分かるよ。アスカに任せっきりだったものね」

 

「そうよ! あんたの方から色々と説明してくれなきゃダメでしょ!? しかもあんな女なんだから!」

 

「あんな女って…… その言い方は止めてよ」

 

「……悪かったわね。止めるわよ」

 

「うん、ありがとう」

 

「……」

 

「でもアスカだって、昨日そんなことがあったっていうなら、言ってくれても良かったじゃないか」

 

「ッ……! 言 え る わ け ないでしょう! こんの大バカシンジ!」

 

「ああ、ごめん! ごめんってば! 帰ったらいくらでも話聞くからさ!」

 

 まったく、バカシンジと来たらバカばっか!

 

 

 こうして、私たちは家路を急ぐ。

 そして帰っても、やっぱり私のやることは決まっているの。

 今日も約束通り、意地張って喧嘩し合って、そして真心をこめてバカシンジと罵ってやる。

 キスはしないのかですって? お預けに決まってるでしょ当然よ!




                  終劇

最後までお読み頂きありがとうございました。


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