346プロの雑用バイト君 (大盛焼肉定食)
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1話 バイト始めよう


 ハーメルンで初めて投稿します。




 

 大学生。それは時に人生の夏休みなどと呼ばれることもある、人生において1番自由な期間かもしれない。

 勉強を頑張る、彼女を作って恋愛を楽しむ、友達をたくさん作って遊びまくる。などのさまざまな選択肢が与えられる期間だ。

 

 ただ上記の様な事柄の何をやるにせよ、一つだけ確実に必要になってくる物がある。

 

 それは『お金』だ。

 

 そう、例えば勉強をする場合にも教材を買うなり講座を利用するのにはお金が必要になる。他にも彼女を作るためにオシャレするには金が必要だし、彼女を作った後にデートをするのにも金は必要になる。

 何にせよ充実した大学生ライフを過ごすためにお金が必要なのだ。それにお金なんてたくさんあっても困ることはない。

 

 

 そう、今年から大学生になった俺こと『白石幸輝』(しらいし こうき)も、正に今この金銭問題に直面しているのだ。

 

 

 

「あ〜 お金が欲しい……」

 

 

 誰もいない部屋の中で誰に話しかけるでもないのに、天井に向かって声をぶつける。

 

 俺は大学進学を機に、地元である千葉の田舎から東京に出てきて一人暮らしを始めたのだが、始めて数日で一人暮らしの大変さを実感している。

 

 

「金も時間も足りない!! はぁ〜 実家暮らしって恵まれた環境だったんだなぁ……」

 

 

 そうだよ……家に帰ったら飯があって、朝起きたら服が洗濯されてて、それに生活費なんかについても考えたことなんて全くなかった。

ただ何も考えず自分の思うままに生きて、それを両親が助けてくれていたんだ。

 

 

「俺って恵まれてたんだなぁ…」

 

 

 再び誰もいない部屋で1人ぽつんと呟く。

 

 

「考えてても始まらないよな…行動あるのみだ」

 

 

 起き上がり腕を組んでこれからのことを考える。

 

 さっきも言った通り、勉強を頑張るにしろ、彼女を作るなり精一杯大学生活を楽しむにしろ、充実した生活を送るには絶対的に金が必要になる…

 

 そうだよね、もう1ヶ月に一度お小遣いをくれる親はいないんだ……自分の手で働いて稼がなくちゃいけない。

 

 

「よし!バイト探そう!」

 

 

 一人暮らしを始めてから3ヶ月の間は親が仕送りをしてくれることになっている。この仕送りが断たれるまでに何としてもいいバイトを見つけて金を貯めまくってやるぞ。

 

 

 〜〜〜〜

 

 

「探すとは言ったものの…何をすればいいんだろう。俺バイトしたことないからなぁ…」

 

 バイトを探すと意気込んでから数時間、俺はどうやってバイト先の候補を探せばいいのかも分からずに苦戦を強いられていた。

 

「よ、よし!ネットで調べてみよう!今の時代ネット見ればなんとかなる!」

 

 

 善は急げだ。ネットでバイトの求人情報を集めるぞ!

 

 

 

 しかし、そう簡単にはいかないのが人生というもので……

 

 

飲食はやめとけおじさん『飲食はやめとけ』

引っ越し業はやめとけおじさん『引っ越しはやめとけ』

コンビニはやめとけおじさん『コンビニはやめとけ』

 

 

「なんだこれ……どれもこれも、アレはやめとけコレやめとけって情報しか無いじゃないか!」

 

 

 とりあえず具体的なバイト先を決める前に、どんな種類の仕事をするのか先に決めようと情報を調べたのだが、どの業界もアレが辛いコレが辛いという意見が多くて見ているだけでもブルーな気分になってきた。

 

 どうなってんだよ〜 なんかどのバイトもめちゃくちゃ難しそうじゃないかよ……。皆こんな大変な思いを抱えながらバイトをしてるのか。

 

 

「…ちょっと外歩いてくるか」

 

 

 一旦気分転換でもしよう。外を歩いていればどこかしらバイトを募集している店とかが見つかるかもしれないしな……

 

 俺は財布とスマホだけを手に持って部屋から出ていった。

 

 

 

 …………

 

 

 とりあえず仕事の内容とかも重要だけど、家からの距離とかも結構重要だよなぁ。遠すぎたら出勤退勤だけで疲れちゃいそうだし……

 家の近くにバイト募集してるとことかあったら最高なんだけどね。

 

 

 俺の住むアパートは大都会東京に存在している。

 都会にしては中々安い家賃であり、少し歩けば周りにコンビニもある。それに今年から通うことになる大学の最寄駅も家の最寄り駅から数個先という中々いい条件で、我ながら良くぞ見つけたって褒めてやりたくなる物件だ。

 

 まぁ安いって言っても都会基準だし、そこそこ家賃はするからこそお金を欲してるんだけどね。

 

 

「ん? 何だこのデカい建物は」

  

 アパートのある住宅街から歩くこと30分以上、都心に近づいてきた影響で高層ビルや交通量が増えてきた所に、一際大きくて綺麗な建物を見つけた。

 

 何だこのデカい建物は……?

 そういえば引っ越してきた時も目に入ったなこれ。何かの会社かな?すごい大きいけど。

 

 俺はすかさずスマホで現在地を確認して、目の前にある巨大な建物の正体を調べる。

 

 

 

「えーと…346プロダクション? なんだこれ、さんびゃくよんじゅうろくプロダクション?変な名前だなぁ…」

 

 

 

「それみしろって読むんだよ?」

「へ?」

 

 

 

 突然後ろから声をかけられて体が小さく跳ねる。

 

 い、いきなり話しかけられたから変な声が出ちゃったぞ。めっちゃ恥ずかしい……

 

 そしてゆっくりと振り向くと、ピンクのパーカーを羽織った美少女が俺のことを不思議そうな目で見つめていた。

 

 

 うわ……何だこの子すっごく可愛いぞ。

 

 

「…?おーい!君大丈夫?」

「は、はいっ!?」

「わわっ!急に大きな声出すからびっくりしちゃったよ〜」

「あ、あぁ……ご、ごめんなさい!」

「べ、別に謝らなくていいよ?」

 

 

 女の子はめすごい勢いで謝る俺に対して、「謝らなくていいよ〜」って言ってくれている。どうやら見た目が可愛いだけじゃなくて性格も良いらしい。

 

 

「それで君はここで何をしてたの?社員さんとか?」

「いや!ぜ、全然っ!そんなことありませんっ!!」

「あははっ! さっきからすごい緊張してるけど大丈夫〜?あ…」

 

 

 あ、と何かに気づいた様子を見せると女の子は少し近づいて上目遣いにこちらを見る。

 

 な、なんだなんだ?そんなに近づかれると普通にドキドキしちゃうんだけど!? そ、それにいい匂いがががが…!

 

 そんな俺の内心を気にすることもなく、女の子は俺と距離を詰めてきてニヤニヤしながら喋り出す。

 

 

「もしかして〜 未央ちゃんみたいな美少女とお話してるから照れちゃってるのかな〜?」ニヤニヤ

「ふぁっ!?」

「あ、もしかして図星ってやつですかな〜?」

「そ、そそそそんな!そんなことないですけど!?」

「え〜?じゃあなんで私の目をさっきから見て話してくれないの?」

「い、いや……」

 

 

 女の子がすごい顔を覗き込んでくるので顔を思わず横に逸らすと、相手もこちらの動きに合わせて顔を動かしてなんとか目と目を合わせようとしてくる。

 

 

 な、なんかこの子距離感おかしくないですかね!?

 だ、誰か〜!この状況から俺を助けてくれ〜! このままだと童貞特有の勘違をいして、初対面の女子を好きにっちゃうぞ!

 

 

 

「あ!いっけない!時間ギリギリなんだった!ごめんね!私もう行かなくちゃだから!ばいばい〜い!」

「えっ!? あっ……ちょっ!」

 

 

 俺が何とか胸のドキドキを抑えようと自分の心と格闘していると、女の子は何かを思い出したようで唐突に別れを告げて大きな建物の敷地内へと走り去っていってしまった。

 

 

「な、なんだったんだあの子……」

 

 

 1人ぽつんと残された俺は心臓をバクバクの鳴らしながら呟いた。

 

 あと10秒長く見つめられてたら好きになってたかもしれないな。まぁ我ながらチョロいとは思う。

 

 ていうかあの子は絶対普段から男子を勘違いさせてるぞ。そんで勘違いした男子にめちゃくちゃ告白とかされてそう(偏見)

 

 

 いきなりの美少女との遭遇と会話に疲弊した俺は、ひっそりと1人虚しく我が家へと帰宅した。

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 家に帰ってきた俺はまだ家具も少ない殺風景な部屋の中に寝転んで、先程の出来事を思い出していた。

 

 

「はぁ……めっっっちゃ久しぶりに女子とまともに会話した」

 

 

 実は俺……白石幸輝は、女子とまともに会話したことがほとんど無いのである。

 

 え? さっきのクソ気持ち悪いキョドり方を見れば分かるって?

でも本当に何を話せばいいのか全く分からないんだよ……

 

 

 小学校を卒業した俺は男子校の中学校へと進学をした。さらにその雄臭い中学校を卒業した俺は、これまた男子校の高校へと進学をしてしまったんだ。つまり俺はその6年間まともに女子と会話をする事なく、男共に囲まれた灰色の青春を送ってきたという訳だ。

 

 いやまぁ……男友達とバカやって過ごす青春ってのもそれはそれで楽しかったんだけどね?

 でもそんな生活をしてきたからなのか、俺は同年代の女子や大人の女性を前にすると、何を話していいのか分からずに頭が真っ白になってしまう悲しき童貞人間になった訳ですよ。

 

 あ、子どもは全然大丈夫。だって子どもだし。

 

 

 

 って、俺のそんな話はどうでもいいんだった。それより今はバイトの話だよバイトの。

 

 

「……そういえばさっきの346プロって何の会社なんだろ」

 

 

 気になった俺はスマホを取り出して346プロさんのことを調べる。

スマホって本当に便利だ。

 

 

「えーとなになに、346プロダクションは業界最大手の芸能事務所…って、めちゃくちゃすごい会社じゃないか!」

 

 

 346プロの正体は様々な部門を構える老舗芸能事務所だった。モデル部門に女優部門にアーティスト部門……あ、あと出来たのは最近だけどアイドル部門ってのもあるらしい。

 

 

「はぁ〜……すっげぇ……」

 

 

 そんな小学生のような感想を口にしながら、公式のホームページを下へ下へとスクロールしていく。

 

 

「ってあれ? バイト・パートの募集してる!? 内容は……掃除、ゴミ出し、コピー、送迎、事務、普通に雑用だなこれ」

 

 

 驚いた。こんなエリートが集まってそうな大企業なのにバイトの募集してるんだな……まぁ業務の内容は誰でもこなせる雑務しかないけど。

 

 

「こういう企業のバイトとかめちゃくちゃ時給高そうだよな……

えーっと、えっ!? マジで!?」

 

 

 想像より遥かに高いぞ!? こ、こんなに貰えるのか!?

 

 

 ブルルルルルル

 

 

 気づけば勝手に手が動いていた。しまった……と思うがもう電話をかけてしまったからには引き返すことはできない。

 

 まぁこんな大企業だ、俺なんて速攻お断りをくらうのがオチだろう。

 

 

 ガチャ

 

『はい。こちら346プロダクションです。』

「あ、私バイト募集の求人を拝見して連絡させていただいたんですけど……」

『アルバイト希望の方ですね。それでは〜』

 

 

 、、、、

 

 

『それでは、明日面接に来ていただくということで。よろしくお願いいたします』

「こ、こちらこそよろしくお願いします!」

『それでは失礼します。』

 

 

 ガチャ

 

 

「…………えっ? 何か普通に面接することになっちゃったぞ」

 

 

 お、おいおいおい! お、おおおお落ち着け俺! もう決まってしまったものは仕方がない。とりあえず今から面接ってどんな風にすればいいのかをネットで調べて……!

 

 

 その時、ふとさっき会った女の子のことを思い出した。

 

 

 あ、そういえば……今日会ったあの子は何だったんだろう? 俺と別れた後346プロの中に入っていってたけど……女優の卵とか?

 

 ……確か自分のことみおちゃんとか言ってたな。

 

 

「ちょっと調べてみるか」

 

 

 何故か猛烈に気になった俺はスマホを手にして、346 みおで検索をかけてみる。すると画面にはさっきのあの女の子が、俺と会話した時と同じピンクのパーカーを着ている状態での画像が出てきた。

 

 

「……本田未央。346所属のアイドル……えっ、アイドル!?」

 

 

 さっきの女の子がアイドルだという事実に驚きが隠せない俺は思わず大きな声を上げる。が、少し冷静になって思い返してみれば充分納得がいく。

 

 

「……そりゃあんだけ可愛いんだからアイドルでもおかしくないよな」

 

 

 そんなことを呟きながらなんとなく本田未央の検索結果にある画像を眺めていく。

 

 宣材写真にライブでの写真に握手会での写真。どれもいい笑顔だし文句なしに美少女だ。この水着の写真もすごくいい…ん?水着?

 

 本田未央のはじける笑顔の水着写真を前に体が硬直する。

 

 

「あ、あの子…あのパーカーの下にとんでもないモノを隠して……!」

 

 

 口から出たのはそんなしょーもない感想。でも健全な男子からしたらしょうがないことでもある。

 

 

「ん?ちょっと待てよ…346にはこの本田未央並に可愛い子がたくさんいるってことだよね?」

 

 

 そう思って346プロ所属のアイドルを調べる。すると本田未央にも負けないレベルの名前も知らない美少女たちの宣材写真がどんどん溢れてきた。

 

 

 ……あ、あれ…? もしかして俺結構やばいのでは?

 

 

 こんな美少女たちのいる事務所でアルバイトとか絶対にヤバい。

 

 

「い、いやいや待て待て。落ち着け俺。例え面接に受かって346で働くことになったとしてこの子たちと関わることなんてある訳ないじゃないか……うん、そうだよ」

 

 

 俺は脳内で勝手に自己解決をして考えることを放棄する。

 

 とりあえずは面接だ。受かる気はあんまりしないけど、どうせ受けるならみっともない真似だけはしたくない。

 

 

 それから俺は、面接に臨む心意気や好印象を持たれる態度なんかについて少しだけ調べた後に眠りについた。

 

 その日の夜は明日の面接の事で頭がいっぱいであまり眠れなかった。

 

 





 何か感想・意見等ございましたらよろしくお願いいたします。


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2話 いざ面接

 

「ふわぁ〜」

 

 

 やばっ……すごい大きなあくび出ちゃった。面接の時は絶対にしないようにしないと。

 

 

 俺は現在アルバイトの面接に向かうためすでに家から出発して346プロを目指して歩いている。昨日は緊張してあまりよく眠れなかったが、もうそれは考えないようにするしかない。

 

 

「ふぅ……既に心臓がバクバクだ」

 

 

 なんとか気持ちを落ち着かせようと胸を摩りながら大きく深呼吸をする。そして面接での受け答えを頭の中でシミュレーションしていると、あっという間に事務所の前に到着してしまった。

 

 

「ついた… ついちゃった」

 

 

 はぁ〜…めっっちゃ緊張する!なんだよこの建物! 昨日も思ってたけどデカすぎない!?

 俺今からこの中に入って行くの? 場違いじゃないよな……?

 

 

「ねぇ、そんなとこで立ち止まってどうかしたの?」

「えっ?」

 

 そんなことを考えながら突っ立っていると後ろから女の子に呼びかけられる。俺は何だかデジャヴを感じながらもゆっくりと声のした方へと振り返った。

 

 

「す、すみません!すぐに退きますから…!」

「……?」キョトン

「ぎゃ、ギャルだ……」

「え?」

 

 

 あっ……!し、しまったぁぁ!つい口に出てしまった!

 

 振り返った先にいたのは、ド派手なピンク色の髪をした制服姿のギャルだった。その派手なピンク髪の制服女子はポカーンとして俺のことをジーっと見つめている。

 

 そりゃそうだよね!いきなりギャルだ!なんて言われたらビックリするよね!

 

 

「ご、ごめん!つい口に出て!」

「あ、うん。別にいいんだけど……流石に真正面からギャルだなんて言われたことなかったから……」

「ま、マジですみませんっ!! 今すぐここから立ち去るので!」

「ちょっ! あたし別に怒ってないから!」

 

 

 ピンクのギャルさんは暴走する俺を落ち着けようと優しく声をかけてくれる。見た目の割にすごく優しい人なのかもしれない。

 

 

「す、すみません……少し取り乱しました」

「ううん、別にそれはいいんだけど……あたしってそんなに怖いかな?」

「あ、いや! そ、そんなことはありません! ただ俺は田舎の方から東京に来て、地元のギャルって怖いヤンキーの彼女みたいなやつが多かったから……その印象が強くてついビビってしまいまして……」

「あはは〜 なにそれウケる★」

 

 

 目の前のピンクギャルさんは俺の失礼な態度を気にも止めずに笑っている。器の大きい人だなぁ……なんて事を考えていると、向こうの方からまた声をかけてきた。

 

 

「それで、アンタはこんなとこで何してんの?社員さん…って感じじゃないよね?見た感じそんなにアタシと年変わらなさそうだけど」

「あ、はい……お、俺はここにバイトの面接を受けにきたところなんですよ」

「へー、ウチってアルバイト募集してたんだ〜あ、アタシは城ヶ崎美嘉って言うんだ。よろしくね★」

「よろしくお願いします。俺は白石幸輝です。城ヶ崎さんはもしかして……アイドルですか?」

「タメ口でいいって〜 そうだよ!アタシここでアイドルしてるんだ!一応カリスマギャルって言われてたりもするんだよね〜★」

 

 

 城ヶ崎さんはそう言うと、ニコっと笑って横ピースを決める。

 

 こ、コミュ力が高い! 流石はカリスマギャル……っ!

俺のコミュ力が5だとしたら城ヶ崎さんのコミュ力はきっと53万だ。

 

 

「じゃあアタシはそろそろ行くね?バイト受かってもし会うことがあったらよろしくね!」

「あ、はいっ…! こ、こちらこそよろしくお願いします…!」

「だからタメ語でいいって★ それじゃあね〜」

 

 

 そう言うと城ヶ崎さんは俺に背を向けて事務所の方へ歩き出したかと思えば、くるっと振り向きまた声をかけてくる。

 

 

「今度興味持ったらアタシのライブとか見に来てみてね★」

 

 バチっとウインクを決めて颯爽とその場を去っていく。

 

 「………」

 

 やばい、心完全に奪われてた……。

 

 

 

 ギャル……いいな。

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 危うく俺の性癖をギャル好きに変えてしまいそうな出来事の後、ついに346事務所の入り口に辿り着いてしまった。

 

 

 よし、頭の中を切り替えよう。

 

 

 女子と会話して浮かれ立った気持ちを落ち着かせて、自動ドアから建物の中へ入る。外見でも驚かされるが中へ入るとまたさらに驚かされる。まさに本物のお城のような空間でめちゃくちゃ広い。

 

 

「えーと、まずは受け付けのとこに行けって言われたっけ」

 

 

 あまりキョロキョロするとみっともないからな。とりあえず早く面接へと向かおう。

 

 

「あのーすいません」

「はい。本日はどのようなご予定でございますか?」

「あ、あの〜バイトの面接に来たんですが」

「少々お待ちください。……白石幸輝様で間違いございませんか?」

「はい。間違いありません」

「それでは少々ここでお待ちいただいてもよろしいでしょうか?本日の面接担当の千川を呼んでまいりますので」

「あ、はい。よろしくお願いします」

 

 

 受付さんにそう言われた俺はピシッと姿勢を正した状態で千川さんなる人物の到着を待つ。

 

 ……いよいよ面接か。担当の千川さんって言ってたよな?

どんな人だろう。でもなんかすごい強そうな名前だよな。だってサウザンドリバーだからなぁ。怖い人だったら嫌だなぁ……

 

 

 緊張のせいかそんなしょうもない事ばかり頭の中で考えてしまう。そしてそのまま心臓をバクバクと鳴らし千川さんを待っていると、優しそうな印象を与える声が俺の名前を呼んだ。

 

 

「あの〜白石くんですか?」

「は、はい!白石幸輝です!本日はよろしくお願いしむす!」

 

 

 はい噛んだ。最悪。もう終わりかもしれない。

 

 

 早くも心が折れそうになりながら千川さんの方を振り向くと、想像よりも遥かに小柄で可愛らしい女性がにこやかな笑顔を向けてこちらを見ていた。

 え!?お、女の人だったの…?

 

 

 

「はい。大変元気があってよろしいですね♪ こちらこそ今日からよろしくお願いしむす♪」

 

 

 い、イジられたぁぁぁ! やめてくれぇぇ!これ以上俺の心を抉らないでくれ!!

 

 千川さんはニコニコと笑いながら俺の傷を抉る。

 

 もうダメだ……きっとこの後「今日面接に来たやつがさぁ〜? めちゃくちゃアガってて面白かったわ〜」とか笑い者にされるんだ……

 

 

 

 

「ふふっ、少しは緊張がほぐれたんじゃないですか?」

「……えっ?」

「遠くから見ただけでも表情が強張って見えたので、緊張しているのかと……どうですか?少しは落ち着きました?」

「あ、はい」

 

 

 え?この人俺の緊張をほぐすために…俺に気遣ってくれたの…?めちゃくちゃいい人じゃん……やばい、千川さんまじ天使……

 

 

「それでは空いている部屋で面接を行いましょうか。ついてきてください」

「よろしくお願いしましゅ!」

 

 

 あ、また噛んだ。

 

 

「…クスクス」フフッ

 

 

 千川さんめっちゃわらってるし…恥ずかしい…お家帰りたい…

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 そんな恥ずかしい思いを抱えながら俺は千川さんの後をついて行く。あんなに醜態を晒したからだろうか、いつの間にか胸の鼓動はいつも通りに落ち着いていた。いい意味で吹っ切れている。

 

 千川さん、めちゃくちゃ可愛いし優しい人だけど……ただ一つ気になるのはなんであんな蛍光色のスーツを着ているんだろう。いやまぁ似合っているんだけど。

 

 

 

 

「それではこちらにどうぞ」

「失礼します!」

 

 

 い、いよいよ始まる…

 

 

「今からいくつかお話を伺いますが、あまり固くならずにリラックスしてくださいね♪ 私と雑談するぐらいの感覚で大丈夫です!」

「わ、わかりました!」

「それでは履歴書を見せていただいてもよろしいですか?」

「はい。お願いします!」

 

 

 千川さんは受け取った履歴書をじーっと見つめている。先ほどまでの柔らかい雰囲気とは違い真剣な顔つきだ。

 

  何というかギャップを感じる…これがデキる女という奴だろうか。

 

 

 

「年齢は18歳、今年から大学生なんですね… シフトのことなんですけど、バイトに来れない日ってあったりしますか?」

「いえ、基本的には特定の曜日がダメってことはないです。土日でも時間があれば入れます」

「なるほど……あ、免許は持っているんですね。 もしかしたら送迎を任せることもあるのでこれは助かります」

 

 

 め、免許取っておいてよかった……合宿頑張った甲斐があったよ。

 

 

「あら、中高と男子校だったんですね〜 」

「あ、はい。なので女性と会話し慣れてないので少し緊張します…」

「もしかして先ほどから緊張していたのって」

「あ、いえそれは違います! 単純に会社の規模にビビっていたというかなんというか……あ、でも千川さんとお話しするのも少し緊張してます……」

「ふふっ、素直で可愛らしい人なんですね」

 

 

 その後も千川さんの質問に応えていく時間が続く。

 

 ついテンパってよくわからんこと言ってないか俺。大丈夫かな?

 

 

「はい、大体のことはわかりました。白石くん」

「はい」

「採用です♪」

「え!? ほ、本当ですか!」

「本当ですよ♪」

「う、嬉しいですけど……後日に連絡がきたりするものかと思ってました……」

 

 

 面接の結果はまさかの合格。流石にこの結果には驚きを隠せない。俺のイメージだと今日はこのまま帰って数日後に合否の連絡が来たりするものだと思っていたからだ。

 

 

「今回のアルバイト採用の是非は、部長さんに私が全て任されていますからね。私が白石くんの人柄は問題ないと判断しました」

「あ、ありがとうございます!」

「いえいえ、それではお仕事の具体的な内容についてお話をしていきますね」

 

 

 ど、どうしよう。めちゃくちゃ嬉しい……とは言え大事なのは受かった後だよな。しっかりと仕事をするために今は気持ちを切り替えて真面目に話を聞こう。

 

 

「ホームページにも載っていたように、白石くんには主に、簡単な雑務をしてもらおうと思っています」

「はい!」

「シフトが入った当日、白石くんの携帯にその日やってほしい仕事や追加でお願いしたい仕事を送信するので、その日のバイト終了時間までひたすらそこに載っている仕事をこなしてもらうことになると思います」

「わかりました」

「今伝える事としては大体はそんな感じなんですけど……あ、あと白石くんには主にアイドル部門のお手伝いをしてもらうことが多くなると思います」

「あ、アイドル部門ですか?」

 

 

 えっ……それって昨日調べた本田未央さんやそれ以外の可愛い女の子たちがいる部門だよな。

 

 

「はい、アイドル部門は我が社の中では比較的若い部門ではありますけど、最近はメキメキと実績を伸ばしている期待の大きい部門なんです。ただやはり他所の部門に比べると新設なので人手不足になることがありまして……白石くんには是非そのお手伝いをと」

「な、なるほど」

「白石くんは女性と話すのがあまり得意ではないんですよね?ウチに所属しているアイドルの皆さんは年齢層がすごく広く個性的な子が多いですが、みんなとてもいい子たちなので安心してください♪」

「は、はい……!」

 

 

 確かに、昨日会った本田未央さんも、さっき会話した城ヶ崎さんもすごくいい人たちだったな。千川さんの言っていることは本当のことなんだろう。

 

 

「どうですか?白石くん。何か質問などは」

「……今のところは特にないですね」

「ではこれで面接は終了です! これから一緒に頑張りましょうね♪」

「はい!よろしくお願いします!」

 

 

 こうして俺のアルバイトは芸能事務所の雑用に決まった。色々と不安はあるが千川さんはいい人だったし、家からも近いし、時給もいいし、 とりあえずいいバイトを見つけられたってことにしておこう。

 

 しっかりとバイトをして、しっかりと金を稼いで、充実した大学生生活を過ごすぞ……!

 

 

 

 





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3話 初仕事とPaな3人組

 

 いよいよ今日から346での初仕事だ。まだ何をするのか業務内容の連絡は来ていないが、どんな仕事にせよしっかりやらないとな。

 そんな訳で俺は未だ慣れない、というか慣れる時は来るのだろうか?という程大きい事務所を訪れていた。

 

 

「ど、ドキドキしてきたな」

 

 

 一体どんな仕事をするんだろう……アイドルが撮影で使う道具を運んだり、アイドルを送迎したりするのだろうか。

 

 そんなことを考えていた時……

 

 

 ピロ-ン!

 

 

「おっ!」

 

 

 さぁ……一体どんな内容の仕事が!

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 

 サッ…サッ…サッ…サッ…サッ…

 

 

 俺は今事務所の敷地内を竹箒で掃いている。

 

 

「はぁ……意気込んだ割には少し拍子抜けだなぁ」

 

 

 俺の今日の仕事内容は簡単に言うと事務所の掃除だ。 今日が初の仕事ということで、とりあえず事務所の構造を覚えてもらう目的も込めて色々な所を掃除して回れ!とのことらしい。

 

 

「まぁ確かに、ここの事務所アホみたいに広いからまずはどこに何があるかとか覚えた方がいいよね」

 

 

 実際どこに何があるかとかまだまだ把握してないし……

 

 

 そんなこんなで噴水のある広場を掃除している時に、どこからか1枚の紙が飛んで来たのをキャッチする。

 

 

「ん?なんだこれ……?紙…?」

 

 

 紙には文字がぎっしりと詰まっていて、所々にペンで何かを書き足したような後もたくさん残っていた。

 

 

 台詞……?なんだこれ、何かの台本だろうか?

 

 

 

 

「すみませーーん!!その紙を抑えておいてくださーーい!!!!」

「えっ?」

 

 

 そのまま紙を見ていると、向こうの方からとてつもない声量とスピードの女の子が一直線に俺へと向かって突進をしてくる。

 

 えっ……!な、なにごと!?

 

 

 

「いや〜! すみません! 急に台本の紙が風で飛ばされてしまって!!拾ってくれてありがとうございます!!」

「あ、あぁ……これのことですか?」

「ふむふむ……はい!! 間違いなく私の飛ばしてしまった紙です! ありがとうございます!!」

 

 あれだけのスピードで走ってきたというのに、女の子は全く息を切らしていない。それどころか大きな声を出して話している。

 

 た、体力お化けか……? この子は。

 

 

「いや〜! 紙が飛んで行った先にあなたがいて助かりました! 本当にありがとうございます!!」

「い、いやいや! 俺はただここに突っ立っていただけですから!」

「そんなことはありませんよ! あなたが拾ってくれていなかったら、私はどこまでも紙を追いかけなくてはいけませんでしたから!!」

 

 

 まだ少ししか話していないのにこの女の子の性格がなんとなく伝わってくる。体は小柄なのに全身からエネルギーが溢れ出していて、というかすごく可愛いしもしかしてアイドルなのかもしれない。

 

 

「ところであなたは一体どちら様ですか?初めて見るような気がするんですけど」ウ-ン

「あぁ、俺は今日からここでバイトを……」

 

 

「茜ちーん!」

「茜ちゃ〜ん…!」

 

 

 目の前の女の子に自己紹介をしようとしていたら向こうの方から大きな声を出しながら女の子が2人向かってきた。

 

 つ、次から次へと……! あれ?あのピンクのパーカーは……

 

 

「はぁ…… はぁ……あ、茜ちん急に走って行くから……ビックリしたよ〜」

「はぁ…… はぁ……ふ、2人とも足速すぎだよ〜」

「未央ちゃん!藍子ちゃん!すみません!台本が飛んで行ってしまったので!!」

 

 

 あ、未央ってやっぱり……

 

 

「この方が拾ってくれたんですよ!」

「はぁ……はぁ……あ、ありがとうございます」

「ふぅ…ありがとうございます…って、あれ?」

「こ、こんにちは……」

「あれ?君どこかで……あっ!」

 

 

 俺が声をかけると本田未央さんは何かを思い出したように指を差しながら大きな声を出す。

 

 ……よかった、覚えてくれていたみたいだ。もし覚えられてなかったら顔見知り感出して挨拶したのすっごい恥ずかしいし。

 

 

「昨日会った照れ屋な人!」

 

 

 照れるようなことしてきたのはお前じゃい!

 いや冗談抜きにあんなに至近距離でこんな可愛い子に見つめられたら普通照れるよね?俺が女の子に慣れてないからじゃないよね?

 

 

「未央ちゃん!お知り合いなんですか!!」

「知り合いってほどでもないかもだけど、昨日ちょっとだけお話したんだよね」

「そうですね、少しだけですけど」

「それで、なんで君がここにいるの?」

 

 

 本田さんは当然の疑問を投げかけてくる。向こうからすれば俺は事務所の前をウロウロしていた不審者だろう。

 すると先ほどから茜ちんと呼ばれている少女と、やっと息が整ったもう1人の女の子もこちらを見つめている。

 

 うっ……3人から同時に感じる視線。すごく緊張するなぁ。

 

 

「お、俺は白石幸輝っていいます。今日からここでアルバイトをさせてもらっているんですよ」

「なんと!アルバイトですか!!」

「アルバイトなんてウチの事務所にあったんですね」

 

 

 自己紹介をすると2人の女の子は反応をするが、本田さんだけは目を閉じて頭を捻っている。何か考えごとでもしているのかな?

 

 

「うーん、シライシ……決めた!じゃあしらしー!」

「し、しらしー……?」

「うん!シライシだからしらしー!いいでしょ!」

 

 

 い、いきなりあだ名をつけられてしまった……でも女子からあだ名で呼ばれるのってちょっと嬉しい。

 

 

「未央ちゃん、いきなりそんなことを言われても困っちゃいますよ? 私たちも自己紹介をしましょう?」

「あ〜それもそうだね!ナイスアイデアだよあーちゃん!」

「じゃあまずは私から!!」

 

 

 一歩前に出てきた1番小柄で、先ほどから茜と呼ばれる少女は真っ直ぐに俺の目を見て自己紹介を始める。

 

 

「私は日野茜と言います!この事務所でアイドルをやらせていただいております!好きなことは運動!好きな食べ物はお茶!!よろしくお願いしますね、白石さん!」ボンバ-!

 

 

 ぼ、ボンバー……? とにかくすごい熱量だ。

 

 

「私は高森藍子って言います。2人と同じでアイドルをしているんです。よろしくお願いしますね白石さん♪」

 

 

 絶対にいい人。もう少し見ただけでもわかる。

 

 

「そして私は本田未央! 15歳だよ! よろしくねしらしー!」

 

 

 本田さんには申し訳ないけど……知ってた。なぜなら昨日調べたから。 まぁ知ってたって言うとストーカーみたいで気持ち悪いからそれは黙っていよう。

 

 

「もしかして、しらしーは昨日ここに見学に来ていたの?」

「え……ま、まぁそんな感じです」

 

 

 本当はあの時点ではなんとなく見ていただけなんだけど……まぁこれも言わなくてもいいよね。

 

 

「そうなんだ〜 あっ!あと私には敬語じゃなくても大丈夫だよ!」

「え……そ、そう? 」

「ふふっ……私たちにも敬語じゃなくて大丈夫ですよ♪ それで、白石さんはおいくつなんですか?」

「俺は18だよ」

「な〜んだ!私たちよりも年上じゃ〜ん!尚更敬語なんて使う必要ないのに〜! って……てあれ? 逆に私たちは敬語の方がいいのでは?」

「い、いやいや! 別にそのままで大丈夫だよ」

「そう?じゃあこのままで!」

 

 

 3人ともニコニコと笑いながら俺のことを見ている。千川さんも言っていたけど、本当に皆とても優しいひとばかりだ。

 

 

「あ〜! また私の台本が風で!!待ってくださ〜い!!」

「え、えぇ〜! 茜ちんまたなの〜!?」

 

 

 すると突然強風が吹いてまたしても風で台本が飛ばされていく。それを追いかけていく日野さんと本田さん。そしてその場には俺と高森さんが残され……

 

 え?ちょ、ちょっと待って!?ふ、2人きりになっちゃったんだけど…!? それはまずいって!

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 先ほどまでとは打って変わって静寂が訪れる。

 

 やばい、何か話しかけようと思ったけど何も言葉が出てこない! ど、どうすれば。

 

 

「あの〜」

「は、はいぃぃっ!な、なんでしょうか!?」

「ふふっ……白石さんまた敬語に戻っていますよ?」

「え……す、すいませ……ごめん」

 

 

 気を使って高森さんから話しかけてきてくれたぞ……なんて情けないんだ俺よ。

 

 

「そ、それを言うなら高森さんだって敬語だよね?」

「私はこういう話し方なんです。」

「へ、へぇ〜」

 

 

 へぇ〜じゃないだろ!もっと気の利いた返しとかさぁ!

 

 

「……あの〜 もしかして緊張しているんですか?」

「えっ?」

「あ、いえ……勘違いだったらすいません。もしかしたら緊張しているのかな〜って」

 

 

 高森さんは俺を見上げて小さく笑う。

 

 お、お見通しでしたか……高森さんすごい。

 

 

「……実を言うとすごい緊張してるかな。俺、中高と男子校だったからあんまり女の子と接してこなかったんだ。しかも2人きりでなんて……」

「私もです」

「えっ?」

「私も、あんまり同年代の男の子とお話しすることってないので……少し緊張しています。ふふっ♪」

「あまりそんな風には見えなかったなぁ」

「きっと白石さんの雰囲気のおかげですよ」

「え?俺の雰囲気?」

「はいっ♪ 怖い人だったら話づらいですけど、白石さんは怖い人ではないってすぐにわかりますよ。だからきっとみんなとも仲良くなれますよ♪」

 

 

 そう言って高森さんはニコリと微笑む。

 めちゃくちゃ優しい。なんだろうこの全てを包み込んでくれる感じ、 本当に俺よりも年下なのかな?

 

 そしてこんな直球に褒められることは滅多にないので恥ずかしい。

顔赤くなってないかな……なってないならいいんだけど。

 

「あ、ありがとう。そんなこと言われたこと無いから…その、すごく嬉しいよ」

「いえいえ♪」

 

 

「おやおや〜 あーちゃんとしらしーなんだかいい雰囲気ですかな〜?」ニヤニヤ

「うわっ!」

「み、未央ちゃん!」

 

 

 いつの間にか戻ってきていた本田さんが、俺と高森さんを茶化すように笑う。

 

 というか日野さんは? あ、まだ向こうで走ってる…

 

 

「いや〜 まさか少し目を離した途端にそこまで仲良さそうになるなんてね〜 しらしーも隅に置けませんな〜!」

「べ、別にそういうんじゃ!」

「そ、そうですよ未央ちゃん!」

 

 

 めっちゃ揶揄ってくる…!こういうイジリは受けたことがないからどう対処すればいいのか……チラッ

 

 

「……!」バッ

 

 

 あ、やば……高森さんと目が合っちゃった。そんで目逸らされた。何だこれ気まずい! どうすればいいの!?

 

 

 

「しらしーは、あーちゃんみたいな子がお好みですかな?」ニヤニヤ

「も、もう!未央ちゃんったら!」

「まぁ確かに高森さんは可愛いと思うけど!そういうのじゃなくて!」

「か、かわっ!」

 

 

 や、やばい…! 何かもうパニックだ! 自分でも何を言っているのかよくわからない!

 

 

「やはりあーちゃんがタイプですかな?」

「で、でも本田さんも日野さんも可愛くてさっきから緊張しっぱなしだよ。流石アイドルって感じだよ!」

「ほあっ!」

「も、もうっ!白石さんったら!変なこと言わないでください!」

「あ、あはは〜 しらしー、シャイボーイなのに結構大胆なんですな〜 ……でも流石の未央ちゃんもそんな正面から言われると少し恥ずかしいカナ〜なんて……」アハハ

「ご、ごめん」

 

 

 そこには俺も高森さんも本田さんも全員顔が真っ赤になっている妙な空間が出来上がっていた。

 

 ……き、気まずい。

 

 

「と、とりあえず落ち着きましょうか」

「そ、そだね〜」

「うん……」

 

 

 高森さんの一言でとりあえず全員落ち着きを取り戻す。 俺は一度大きく息を吸って吐いた。

 

 

 「でも少し意外だったかも… アイドルだから可愛いなんて言われ慣れてると思ってたよ」

「いや〜 仕事の場だと確かに良く言われたりするけど……」

「はい……その、仕事じゃない時に男の子に褒められるのが少し照れくさくて」エヘヘ

 

 

 2人は少しだけ照れたように頬を掻いている。

 

 でも確かに、俺だって急に褒め殺しとかされたら小っ恥ずかしかなるよなぁ。反省しよう……

 

 

「みなさん!!ただいま戻りました! おや?どうしたんですかこの空気は!まるで全員マラソンを終えた直後のような!」

「あ、茜ちん! なんでもないよ〜! そうだ!そろそろレッスンに戻ろっか!ほらほらあーちゃんも行くよ! じゃあね〜しらしー!」

「あ!未央ちゃん〜!競争ですか!?負けませんよ〜!」

「ふ、2人とも〜! それじゃあ白石さん。また今度ゆっくりとお話ししましょうね。失礼します!」

 

 

 3人は勢いよく走り出す。まるで青春ドラマのワンシーンのように。

 すでに本田さんを抜いて先頭を走る日野さん。それを追いかける本田さんとさらに後ろの高森さん。

 

 

 嵐のような人たちだったな……特に日野さん

 はっ!というか女子とあんなに話してしまった……これはすごいことだぞ!

 

 

「って、掃除しろよ俺!」

 

 

 すっかり掃除の手を緩めてしまっていた俺は、その後とてつもない速度で掃除を進めていった。

 

  

 

 

 

 





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4話 衝撃的な光景は記憶に残りやすい

 

 3人との会話を終えた俺は、掃除を進めて色々な部屋のゴミ箱からゴミを回収してパンパンになった大きなゴミ袋を運んでいた。

 

 

「重い……」

 

 

 そんな不満を口にしながらもゴミ捨て場へと足を進める。

 

 いやだって本当に重いんだもん……紙って集まると本当に重くなる。

 

 

「ここか……よいしょっと!」

 

 

 はぁ……重かった。やっぱり2つ一気にじゃなくて1個ずつ運べばよかったな……

 さっき千川さんは、それを運んだら今日は終了だから帰っていいって言ってたし今日はこれで終わりかな。

 すっごい掃除したから想像以上に疲れた。

 

 

「ふぅ……綺麗な空だなぁ」

 

 

 ゴミ捨て場の近くにある、この綺麗な事務所には不釣り合いなボロくさい階段の1番下の段に腰を掛ける。

 ふと空を見上げると、すでに空はオレンジ色になっていた。

 

 

(とりあえず今日はこれで終わりかぁ……始まる前は少し不安だったけどなんとかなったかな。まぁ今日は掃除しかしてないけど)

 

 

 上を眺めていると階段の先にドアがある。きっとこの階段は非常階段で、あのドアは非常用出口といったところだろう。

 

 

 キィ--...

 

 

 甲高い音が響いてドアが開く。

 

 

(あ、誰か出てくる……)

 

 

 俺はこれから見る光景を一生忘れることはないかもしれない。 後になって考えると、なぜあんなに扉から誰かが出てくるところを見つめていたのだろうか……?

 多分ちょっとだけ疲れていたからだろう。

 

 

 ガチャ

 

 

 扉から出てきたのは制服に身を包んだ黒髪ロングがよく似合うクールな雰囲気の女の子だった。

 下にいる俺からすれば自分より上にいる女の子がスカートを履いていると当然その中が見えてしまうわけで……

 

 

(あ、黒か……)

 

 

 ぼけ〜っとそんなことを考えている時に、視線を上に動かすとその女の子と目が合う。

 

 

 あれ……?ちょっと待てよ、この状況はまずくないか?

 あの女の子からすれば俺は下から自分のスカートの中をガン見してくるやべーやつに見えているんじゃないか……?

 

 

「……!」バッ

 

 

 はっと我に返って、その場から飛び上がり階段から離れる。

 

 女の子はそんな怪しさ100%の俺を一瞥すると無言のままコツコツと音を鳴らして階段を降りてくる。

 

 や、やばいやばい……俺完全に変態じゃないか。

 

 

「………」スッ

 

 

 女の子は階段を全て降りると、こちらに見向きもせずにポケットからスマホを取り出す。

 

 ま、まさか……つ、通報!?

 

 

 

「ちょ! ちょっと待ってください!」

「は?」

 

 

 怖っ! めっちゃ睨んでる! でも今だけは怯むわけには……

 

 

「つ、通報するのだけは勘弁してください!」

「え……」

「え? いやだから! 通報するのだけは!」

「さっきから何の話?私、友達と連絡をとってただけなんだけど」

 

 

 え、え?じゃあ俺の勘違い……?

 

 

「通報されるかもって思うってことは、何かしらやましいことがあるってこと?」

「え……い、いや〜 それは……」

「はぁ……まぁ構わないけどね。今日は結構お気に入りの青いやつだし。見られて恥ずかしがるようなもんでもないしね」

「え? いや、黒でしたよね?」

「……やっぱり見たんだ」

 

 

 皆さん……僕はバカです。

 

 

「そんなつもりはなかったけど、やっぱり通報しようかな」

「い、いや!それはその……ご、ごめんっ! 確かにスカートの中を見てしまったのは事実だけど! それに関しては本当に申し訳ない! でも信じてほしい! 決してわざとじゃなくて……あ〜その〜 た、タイミングが悪くて!」

 

 

 あ〜……ダメだ、何を言ってるんだ俺は。完全に不審者の言い訳だよ!

 

 

「はぁ……別にいいよ。」

「本当にわざとじゃ……! え?」

「だから別にいいって。通報なんかしないよ」

「ほ、本当?」

「本当」

 

 

「スゥゥゥ...はぁ〜〜〜〜……よかったぁ……。ほ、本当に通報されると思って……」

「う……ごめん。そんなに怖がらせるつもりはなかったんだけど」

 

 

 女の子は心底安堵している俺の様子を見て、やりすぎたと反省しているようだ。さっきまでのクールな雰囲気はなくなり、まるで叱られた子どもの様に下を向いている。

 さっきまでは怖い子かもと思ってたけど優しくていい子なのかもしれない。ていうか悪いのは普通に俺なのに……

 

 

「あ、謝らないでくださいよ。俺が下着を覗いてしまったことは事実なんですから……」

「あれはタイミングが悪かったからでしょ。わかってるよ、だからアンタは悪くないよ。」

「いや、確かにタイミングが悪かったのはそうだけど、俺が下着を見たことに変わりはないんだからあなたが謝ることはないんですよ。 それにあなたの下着を見ながらぼーっとしてた俺が悪くて……」

「あ、あのさぁ……!」

 

 

 俺が慣れないながらに必死にフォロー?をしていると、女の子は顔を赤くして俺の言葉を遮るように大きな声を出す。

 

 

「そんなに下着を見た見たって連呼しないでよ。な、なんか恥ずかしくなるじゃん……」

「あ、す、すみません。」

 

 

 やらかした…… 確かにめちゃくちゃ無神経だった。

 

「と、とにかく! もうさっきのことはいいから。アンタも早いとこ忘れてよ」

「わ、わかりました……」

「じゃあ私もう帰るから。じゃあね」

 

 

 そう言って女の子はスタスタと歩き出した。

 

 俺も帰るか……

 

 

 

 

 

 

 

 

 困ったことになった……。 先に歩き出した女の子に続いて俺も事務所から出たのはよかったのだが……

 

 

「………」

「………」

 

 

 まさかまさかの帰り道が一緒なのかもしれないという非常事態が発生している。 もう事務所を出て5分ほど経つが全然別々の道になる気配がない。

 

 あんなことがあった後にこれは気まずすぎる……ていうかあっちも多分気づいてると思う。 あれ? 俺そしたらストーカーみたいじゃない?

 どうしよ……思い切って追い抜かすか? でも抜かすために急スピードで向かっていくのもなんか気持ち悪いよね? じゃあこのまま最後までこの距離感で行く? いや、そもそももう少し歩いたら別々の道になる可能性も……

 

 

「ねぇ」

「ん?うわっ!?」

 

 

 声をかけられたから顔を上げたら、目の前に前を歩いていたはずの女の子が立っていた。

 

 全然気づかなかった……

 

 

「あのさ、さっきからずっと後ろにいるよね」

「いや!これはストーカーとかじゃなくて!」

「わかってるって…… 動揺しすぎだよ。」

「そ、そっか……」

「帰り道こっちなの?」

「まぁ……そうですね」

「じゃあ一緒に帰ればいいじゃん。 わざわざ距離を開けてついて来られるのも、なんかムズムズするし」

「え?」

 

 

 

 

 

 

「………」

「………」

 

 

 おいおいおい……とんでもないことになってしまった。まさか夕暮れの中を制服姿の女子と一緒に帰ることになるなんて……

 

 え?これがまさか共学の人たちがやっていると噂される伝説の制服下校デートってやつなのかな!? あ、いやよく考えたら俺制服じゃないしそもそもデートでもないや。

 

 

「………」チラッ

 

 

 ちらりと横を歩く女の子を見る。凛とした顔立ちにスラリとした体。そして揺れる長い黒髪…… うん、文句のつけようがない美少女です。 こんな子と並んで歩くことになるとは……

 

 あれ? ていうか俺この子の名前すら知らないぞ……? 名前も知らない子と一緒に歩くのってどうなんだ? 変な話だよな。

 え、え?名前聞いてみるか? 俺の方から…… は、ハードルが高すぎやしないかそれは……! ていうか俺って頭の中での独り言多いくせに、女の子の前だと全然言葉が出てこないんだよなぁ!

 

 

「あのさ」

「は、はぃぃぃ!」

「え、何?急に……」

 

 

 完全に引いてるよ…… でも考え事してた時に急に話しかけられてびっくりしたんだよ……

 

 

「なんで事務所にいたの? 社員の人じゃないよね?」

「あ、あぁ……俺はバイトで雇ってもらってるんですよ」

「ふーん……女の子の下着を覗く仕事?」

「ぶっ…! ち、違いますよ! ていうかこんな道のど真ん中でそんなこと言わないでください! 聞かれたらどうするんですか!」

「あははっ、ごめんごめん」

 

 

 あ、笑った。 これがギャップってやつか、いいな……

 

 

「あなたはやっぱりアイドルですか?」

「そうだよ。 ていうかあなたって……ふふっ」

「あ、あな……! いや、君だって俺のことずっとアンタって呼んでるじゃないですか!」

「それもそうだね。 じゃあ自己紹介しよっか。 私は渋谷凛、15歳だよ」

「俺は白石幸輝です。年は18です」

「なんだ年上じゃん。 なんで敬語なの?」

「そ、それは……」

「……?」

 

 

 じょ、女子と話し慣れてなくて距離感がわからないからとか言ったら情けないよな…… でも嘘を言うのもな……

 

 

「うーん……もしかして、いい人のフリをして女の子と親しくなって下着を覗くためとか?」

「ち、違うって! だぁぁぁ〜!もう! じょ、女子と話すのは緊張するんだよ! きゅ、急にタメ口とかだと馴れ馴れしく思われるかと思ったんだよ!」

「そうなの? 彼女とかはいないの?」

「いないよ……てか俺中高と男子校だったから、女の子と話したこともあんまりないんだ…」

 

 

 め、めちゃくちゃ情けない…… 3つも年下の子にこんなことを言うなんて……

 

 

「ふーん、 今は大丈夫なの?」

「え?」

「ほら、だって私と話してるじゃん」

「き、緊張してるに決まってるでしょ……」

「ふふっ、顔真っ赤じゃん」

「うっ……」

 

 

 と、年下の女の子にイジられている…… 女性経験0のクソ雑魚なめくじの俺にいきなりアイドルとの会話はレベルが高すぎるんだ。

 

 そういえば渋谷さんはどうなんだろう。

 

 

「渋谷さんはさ、彼氏とかって……アイドルって言ってたか」

「まぁアイドルとか関係なしに彼氏なんていないけどね。 でも恋愛を禁止されてるわけでもないけど、あんまり興味がないんだ」

「へぇ〜 そういうもんなんだ〜」

「なんなら試しに付き合ってみる?」

「は、はぁぁぁっ!?」

「あははっ、冗談だって。今日出会ったばっかの人と付き合ったりするわけないじゃん」

「か、揶揄わないでよ……」

「ふふっ、もっとシャキッとしなよ」

 

 

 めちゃくちゃ揶揄ってくる……もしかして渋谷さんはSなのかな?

 

 

「渋谷さんは……」

「凛でいいよ」

「え……」

「友達からは大体凛って呼ばれてるし」

「さ、流石にそれは……ハードルが高いかな」

「ヘタレなんだね」

「うっ!」

 

 

 しょ、しょうがないだろ……女友達すらまだ全然いないのに、いきなり名前呼びなんて。

 

 

「あ」

「どうかしたのか?」

「家着いちゃった」

「え、ここって…え?渋谷さんの家って花屋なの?」

「そうだよ」

「へぇ〜 でもなんか、花の世話してる渋谷さんはいいね。 見たことないけど、似合いそう」

「……ふーん」

 

 

「あら凛、おかえり!」

「あ、お母さん。ただいま」

 

 

 店の中から出てきた綺麗な人が渋谷さんと挨拶をしている。 今の会話的にお母さんか……綺麗な人だなぁ

 

 

「なんか凛の声が聞こえた気がしてね……って」

 

 

 渋谷さんのお母さんはギョッとしたような目で俺のことを見る。

 …俺何かやっちゃいましたか?

 

 

「凛。 彼氏かい?」

「えっ!」

「お、お母さん!違うから!」

「いやだって……」

「きょ、今日知り合ったばっかりだから!」

「そ、その通りです!」

「今日知り合ったばかりにしては……楽しそうだったねぇ。楽しそうな声が聞こえてきたよ」

「だ、だからぁ!」

「まぁまぁ♪ お母さん邪魔はしないから〜 この後デートにでも行くのかい? あ、流石に夜には帰ってきなさいよ? 出会って初日で泊まりは……ねぇ?」

「もうっ!お母さん!」

 

 

 渋谷さんが大きな声を出すと渋谷さんのお母さんは、「邪魔者は消えるわね〜♪」と言いながら店の中へと入っていった。

 

 

「ごめん! じゃあ私はここで! お母さんの誤解を解かなくちゃいけないから! じゃあまたね、白石!」

「え、あ、うん。」

 

 

 渋谷さんは慌ててお母さんの後を追うように店の中に入っていく

 

 

「凛?彼氏くんはどうしたの?」

「だからさぁ!」

 

 

 

 恐らく店に入ってすぐのところで話しているのであろう。声がダダ漏れだ。

 

 

「仲良さそうな親子だなぁ」

 

 

 俺はそんな感想を呟いてまた歩き出した。

 

 

 そういえば俺にしては、結構上手に女の子と会話できてたんじゃないか? 

 とも思ったけど……あれは渋谷さんにイジられてただけかな。

 

 まぁでも楽しかったからいいか。

 




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5話 夢のキャンパスライフ

 

 今日は新入生向けのガイダンスがあるらしいとのことで大学に来ている。 そこで、なんだっけ?履修……登録? まぁとにかく時間割の決め方なんかを教えてくれるらしい。

 

 

「にしても広いよなぁ……この大学」

 

 

 キャンパスの広さもそうだけど、大きな建物がめちゃくちゃ多い。 高校とは規模が違う!それに至る所にベンチやテーブルがあって……そう考えると346の事務所みたいだ。

 

 でも高校と1番違うのは……

 

 

(ほ、本当に女子がいる……)

 

 

 そう、男子校出身の俺からすれば、学校に女子がいることが新鮮でならないのだ。

 

 いやまぁ、入学式の日に女子がいることはわかってたんだけどね? でもあの日は会場がこのキャンパスじゃなかったし、みんなスーツだったから……私服の女子がたくさんいるのはやっぱりすごい。

 

 

(こんだけ女子がいるなら俺にも彼女ができたりするんじゃないだろうか……)

 

 

 彼女と一緒に講義を受けて、彼女と一緒にお昼を食べて、彼女と一緒に勉強して、彼女と一緒に町へ繰り出したりして…… 男の夢だね。

 

 まぁ、今のところ大学に女子の知り合いは1人もいないんだけど…

 入学式の後にやった懇親会とかいうやつでも男の友達は何人かできたけど、女の子とは話せなかったし……

 

 

「とりあえずガイダンス受けに行くか」

 

 

 

 

 

 

 

 ガイダンスが始まって、今は学長が壇上でご機嫌にトークをしている。 正直言って退屈だ。しっかり聞かなくちゃいけないような大事な話でもないし…… それにしてもこの講堂めちゃくちゃ広い。流石大講堂とか言うだけのことはある。

 

 

(あ〜……なんか落ち着かない)

 

 

 落ち着かない理由は2つある。1つ目はこの新環境にまだ慣れていないということ。そして2つ目は……隣に座ってる子がめちゃくちゃ可愛い……

 

 綺麗な金髪?にぱっちりとした目! そしてお花の香りがする。 なんでこんなにいい匂いがするんだ? 本当に同じ人間?

 

 とにかく隣に座る女の子が可愛すぎて落ち着かないんじゃ〜

 講堂に入って順に詰めて座るように言われたんだけどまさか隣にこんな可愛い子が来るなんてね。

 

 

 ダメだダメだ。一応学長の話も聞いておかないと。

 

 

『え〜 高校までとは違い周りには知らない人ばかりでしょう。でも今後社会なんかに出た時はね、そんな人たちと一緒に仕事をしたり、仕事相手として接していかなくてはいけないわけでね……』

 

 

 正論だな…… 俺の場合は相手が女性じゃなきゃ多分いけると思うけど。

 

 

『だからちょっとした練習をしておきましょう! 今隣に座ってる人同士で簡単な自己紹介とかしてみよっか。 緊張するだろうけどこれも慣れだよ慣れ。』

 

 

 は?何言っちゃってんのあのおじ様は……

 

 え、え?隣の人? 隣の女の子は1番端に座ってるから、あの子にとっての隣の人は俺しかいないわけで…… ま、マジ?

 

 

「………」ソロ-

「………」ニコッ

 

 

 はうっ! ちょっと横見たらめっちゃ俺のこと見てた……そしてあの笑顔。ま、まずい……可愛いすぎる。

 

 

「え〜っと じゃあ自己紹介しよっか! 周りのみんなも始めてるみたいだし」

「え? あ、あぁ!そうですね! し、しましょうか……」

「私たちきっと同い年だし敬語なんていらないよ♪」

「わ、わかった。 じゃあ、どっちからしよっか?」

「じゃあ私からするね! 」

 

 

 すごいハキハキとした子だなぁ……俺も見習わないと。

 

 

「私は相葉夕美って言うんだ!出身は神奈川で趣味はガーデニングなんだ!よろしくね♪」ニコッ

 

 

 うっ……ま、まぶしぃ…… なんだその笑顔は、破壊力が高すぎる。

 

 

「名前は白石幸輝です。えーっと、千葉のめっちゃ田舎の方から来たんだ。よ、よろしくお願いします。」

「うん!よろしくね♪」

 

 

 ぎゅっ……

 

「おぉっ!」

「わっ……ど、どうしたの?」

 

 

 て、て、手、握られてる……? な、なんでいきなりのボディタッチを? あ、これ握手か。

 

 

「ご、ごめん。あんまり慣れてないからビックリしちゃって……」アハハ

「そうだったの!? ごめんね?私急に手なんか握っちゃって……」

「い、いやいや!相葉さんは悪くないよ! 俺がもう少ししっかりしてれば……」

「女の子が苦手なの?」

「ず、ずっと男子校だったから慣れてないだけだよ」

「でもそれじゃあ困っちゃうよね?これからは女の子もいる環境で過ごしていくんだし……」

 

 

 そうだよね、このままじゃ良くないことはわかってはいるんだけど……いざ女の子と対面するとどうしてもなぁ。

 

 

「じゃあちょっと練習してみよっか!」

「え?」

「こういうのは慣れだよ慣れ♪」

「確かに…そうかも」

「はいっ!じゃあまずは私の顔を真っ直ぐ見つめてみて?」

「や、やってみる」

 

 

「………」ジ-

「………」ジ-

 

 

 なんだこれ…やばいくらい心臓バクバクしてるんだけど慣れる気がしないぞ。

 ていうか相葉さんと見つめ合うとか、俺じゃなくても照れるんじゃないかなぁ。

 

 

「どう?」

「えっ? 可愛いと思う」

「えぇっ!? も、もうっ!そういうことじゃなくて! 緊張するかしないかだよっ!」

「あ、あぁ……ごめんごめん。 すっごく緊張してるし、心臓がバクバクしてる……」

「そっかぁ〜 そう簡単には慣れたりしないか〜」

 

 

 無茶言わんでください……むしろもっと緊張するって。

 

 

 

『じゃあそろそろ終了してください。それでは次からの話は大事な話なのでしっかりと聞いてくださいね』

 

 

「あ、じゃあお話聞かないとね」

「そうだね」

 

 

 その後は履修登録の話やら、なんやらを色々と聞いた。 う〜ん……大学のシステムは中々に複雑だ。

 

 

 

 

 

 ガイダンスが終了した後は、相葉さんと一言挨拶を交わして俺は講堂を後にした。

 講義は今度からだから今日はこれで終了だ。ただ今日はバイトもなく暇なので大学の中を探索してみることにしようかな。

 

 

「野球サークルどうですかー!一緒に汗を流しましょうー!」

「バドミントン楽しいですよー!」

「運動が苦手な子は漫画研究会に是非!」

「ポ◯モン研究会もあるよー!」

 

 

 すごいなぁ……どこもかしこも新入生を獲得しようとするサークルの人たちだらけだ。

 俺も何かのサークルに入った方がいい出会いが……

 

 

「ごめん!白石くんちょっと!」

「え、え!?相葉さん!? どうしたの?」

「はぁ……はぁ……ちょっとだけ手助けしてくれないかな!?」

「手助け?何のこと?」

 

 

 いきなり息を切らした相葉さんが俺の元へと駆け寄ってきた。 何事だろうと考えているとイケイケな感じの男2人が姿を現す。

 

 

「ちょっとちょっと〜夕美ちゃ〜ん。まだ話の途中じゃんか〜」

「そうそう!で、どう?俺らのサークル入ってよ〜 楽しいよ〜テニス!」

 

 

 ……話が読めてきたぞ。相葉さんはこのイケイケ男たちのサークルに勧誘されてるのか。 まぁ相葉さん可愛いし入ってほしいという気持ちはわかるけど。

 

 

「アイドルの夕美ちゃんが入ってくれれば俺たちのサークルももっと盛り上がるからさ〜」

 

 

 そうそう、まさにアイドル級の可愛さ。ん?アイドル……?

 

 

「私この人のサークルに入るんです! というわけでこれからお話を伺うとこなので……失礼しま〜す!」

「え?俺サークル入って……」

「い、いいから!ちょっと来て?お願い!」ボソボソ

 

 

「失礼しました〜」と笑顔を浮かべる相葉さんに引っ張られて、その場から離れる。

 イケイケ男たちも他のサークルに入ると聞いて流石に諦めたのだろう。後を追ってはこない。

 

 

「もう大丈夫かな? ごめんね?隠れ蓑に使うようなことしちゃって……」

「え?あぁいや、全然大丈夫だよ」

「ほんとごめんね―。すっごくしつこくて……」

「でもあんだけ自信満々に女子に話しかけられるのはすごいよね……もしかしたら俺もあんな風にガツガツ行った方が女の子と仲良くなれるのかな?」ウ-ン

「えっ……白石くんはそのまんまでいいと思うよ……? ていうかあんな風になる白石くんは想像できないな〜」アハハ

 

 

 まじですか。白石幸輝チャラ男計画ここに潰える。

 

 

「ていうか相葉さんアイドルって言われてたよね?」

「あ〜うん。私アイドルをやらせてもらってて……ていうか私急いでるんだった!」

「仕事的なやつ?」

「今日はレッスンなの! ごめんね、今度ちゃんと説明するから! また大学で見かけたら声かけるね! ばいば〜い!」

 

 

 言ってしまった。 ていうかアイドルって346でやってんのかな? だとしたら……もしかしたら大学より先に事務所で再会することになるかもしれないよな…… 相葉さんの驚く顔が楽しみだ。

 

 

「俺も行くか」

 

 

 

 

 大学を出た俺はせっかく暇な日なので東京をぶらぶらと探索していた。 探索と言ってもただ散歩してるだけだけど。

 

 それにしても東京は本当に人が多い。 道も複雑だしこんなとこで迷子になったらとんでもないことになるな。

 

 

「ちょっと休憩するか……」

 

 

 少しだけ歩き疲れたので公園のベンチに腰を掛ける。すると足元にボールが飛んでくる。

 

 

 

「すいませーん!投げてくださーい!」

「ん? あぁこれ?投げるよー!」

 

 

 声をかけてきた男の子に向かってボールを投げ返す。 あんなに小さいのに敬語が使えるなんていい子じゃないか。と、感心していると

 

 

 

「…………」チョイチョイ

「え……」

 

 

 青みがかった髪色で無表情の女の子が俺の裾を引っ張っていた。

 




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6話 迷子の迷子のかわい子ちゃん

 

 一体何事…?

 

 

「…………」チョイチョイ

 

 

 急に現れた女の子、多分小学生ぐらいの子が俺の服の裾を引っ張っている。

 

 

「えーと、どうかしたのかな?」

「あ……その………」

 

 

 女の子は下を向きながらモジモジと口を動かしている。途切れ途切れに聞こえてくる小さな声が、この女の子の性格や内面を表しているようだった。

 

 うーん、なんとかして緊張を解いてあげたいな。

 

 

「よいしょ。 なんか困ったことがあるなら言ってごらん?」

「…………うん」

 

 

 俺は女の子に目線を合わせて、精一杯の笑顔で語りかける。 なんとか俺が悪い人間じゃないことは伝わっただろうか。

 

 

「……人を……探しているの……」

「人? お母さんとか?」

「……違う。……一緒に出かけてた……」

「じゃあお友達ってことかな?」

「……うん……」

 

 

 つまり迷子かな? この子が迷子なのかお友達が迷子なのかはわからないけど。

 

 

「えーっと、まず君の名前を教えてくれるかな?」

「……佐城……雪美……」

「雪美ちゃんね。俺は白石幸輝っていうんだ。よろしくね。」

「うん……よろしく……」

 

 

 あれ?てっきり俺が探すつもりでいたけど、よく考えたら警察にお願いした方がいいような気がしてきたぞ…… 相手の子が雪美ちゃんぐらいの年齢なら一刻も早く見つけないとだし。

 

 

「雪美ちゃん。このことおまわりさんに伝えたりは……」

「………」ブンブン

「えーと、今からお兄さんと一緒に交番に行こう?」

「………」ブンブン

 

 

 めっちゃ首振ってる。これはどういうことだろう? あんまり大事にしたくないってことなのかな?

 うーん……なんにせよもう少し話を聞いてみるか。

 

 

「じゃあ雪美ちゃんが探してるお友達の特徴を教えてくれるかな? 見た目とか持ち物とか」

「……千秋は……20歳……」

「えっ!?」

 

 

 20歳って大人じゃん。 完全に雪美ちゃんと同い年ぐらいの子だと思い込んでたけど……じゃあ迷子なのは雪美ちゃんの方か。

 

 

「千秋さんはどんな人なのかな?」

「……髪が長い……黒い髪……」

「うんうん」

「……綺麗……美人……」

「うんうん」

「………」アワアワ

 

 

 これ以上何を伝えればいいのか分からないといった様子で雪美ちゃんはアワアワとしている。

 でも流石にそれの情報だけで探すのは中々に大変だぞ。 東京には綺麗な人たくさんいるからなぁ……もう少しだけ何か情報を探らなければ。

 

 

 

「もう少しなんかないかな〜?」

「……その……あの……む、胸が大きい……」

 

 

 ほう…… ってそんなこと考えてる場合じゃないわ!

 

 

「今日はどんな服着てたかな?」

「……黒い……ドレスみたいな……綺麗な服…」

 

 

 これは中々に有力な情報だ。 とりあえず雪美ちゃんから得た情報をまとめると

 

 

・千秋さん(20)

・黒髪ロング ・美人 ・胸が大き……スタイルがいい ・黒いドレスのような服装

 

 

 なんか俺の頭の中の千秋さんがすごいハードルが上がってきてるぞ。 この情報だけ聞いたらとんでもない美人さんだもん。

 

 

「雪美ちゃん、今日歩いてきた道はわかるかな?」

「……」コクコク

「よし! じゃあ一緒に千秋さんを探そうか」

「……いいの?」

「俺今日はこの後暇なんだ。全然平気だよ」

「……ありがとう……」ニコッ

 

 

 雪美ちゃんは嬉しそうに顔を綻ばせる。最初話した時に比べて俺への警戒や緊張的なのも大分薄れてきたようでよかった。

 そして、俺は雪美ちゃんと一緒に今日歩いていたという道を戻りながら千秋さんなる人物を探し始めた。

 

 

「今日はどこかお店に入ったりしたの?」

「……今日は……おさんぽ……してた……」

「そっか。それで千秋さんとはぐれた後に俺を見かけたのか」

「………」コクコク

「でも雪美ちゃん結構勇気あるよね」

「………?」

「だって自分よりずっと年上の人に話しかけるのって結構勇気いると思うよ? しかも初対面で」

「……幸輝は……何歳……?」

「俺は18だよ」

「……8しか……変わらない……」

「え? あははっ! すごいなー雪美ちゃん。俺だったら8個も違うって考えちゃうよ」

 

 

 引っ込み思案な子かと思ったけど結構肝の座った女の子だな。 それに自分が迷子になったっていうのにすごい落ち着いてるのもすごい。

 

 

「……それに……幸輝……悪い人じゃない……」

「え? どうしてそう思ったの?」

「……子どもに……優しかった……」

 

 

 もしかして子どもにボール投げ返したあれか? そんな大したことじゃないとは思うけど……

 

 

「……私の……予想通り……」フンス

「まぁ確かに俺は優しさに定評がある人間だからね。雪美ちゃんは人を見る目があるよ」

「……ふふっ……」

 

 

 雪美ちゃんとも少しは打ち解けられたようだ。俺は意外と子どもと話すのが得意なのかもしれない。女の子ではあるけど流石にこんな小さな子には緊張はしないしからね。

 

 

「………」ジ-

「ん?」

 

 

 雪美ちゃんが見つめているのはクレープの移動販売店。なんだっけ……キッチンカーって言うんだっけああいうの。

 

 

「雪美ちゃん、あれ食べたいの?」

「え……いや……」

「遠慮なんてしなくていいよ。ほら行こう?」ギュッ

「……あ……うん……」

 

 

 キッチンカーに付いているショーケースの中には、様々な種類の食品サンプルのクレープが並んでいる。

 雪美ちゃんはそれを目を輝かせて張り付くように見つめている。

 

 

「…………」キラキラ

「何か食べたいのはある?」

「……これ……」

 

 

 雪美ちゃんが指を刺したのは、イチゴがこれでもかと言うほどたっぷりと入っているものだ。

 

 

「よし!すいません、このいちごのやつを一つください」

「はい。かしこまりました〜」

「………幸輝……食べないの?」

「ん? あぁ、俺はお腹空いてないからね。遠慮しないで雪美ちゃんは食べてね」

「…………うん……」

「お待たせいたしました〜」

「お、きたきた!はい雪美ちゃん。」

「……美味しそう……えへへ……」

 

 

 キッチンカーから離れたベンチに2人で座り、雪美ちゃんはクレープをもぐもぐと食べ始める。 小さな口を一生懸命に動かしているその姿は小動物みたいだ。

 

 

「……美味しい……」

「そっか、ならよかったよ」

「……………」

 

 

 半分ほど食べ進めた時、雪美ちゃんはクレープから口を離してそのクレープをじっと見つめだした。

 

 

「雪美ちゃん? もしかしてお腹いっぱいになっちゃった?」

「……幸輝も……食べて……」

「え?」

 

 

 ずいっと食べかけのクレープを俺の方に差し出してくる。 もしかしてこのままかぶりつけってことだろうか。

 

 

「い、いや……俺は今別に……」

「……食べて?」

「じゃ、じゃあ自分で食べるよ……」

「……いいから……食べて……あーん……、して……?」

 

 

 意外と押しが強いのね……。 うーん、まぁ大丈夫だよね……?

 

 

「じゃあ貰うね。………うん、美味しいよ!」

「……ふふっ……食べさせてあげると……男の人喜ぶ……友達が言ってた……」

「へ、へぇー」

 

 

 一体どこのどいつだ、こんな小さい子にそんなことを教えるなんて。

 

 

「……嬉しい……?」

「え、うんまぁね。 あーんとかしてもらうの初めてだし……あ」

「……そうなんだ……喜んだなら……よかった……」

 

 

 いらんこと言ってしまったな。 これじゃあまるで俺がモテたことのないやつみたいじゃないか……まぁその通りなんですけどね!

 

 

「……ご飯は……1人で食べるより……、みんなで食べる方が……美味しいから……」

「雪美ちゃん……そうだね。」

 

 

 いい子だ……こんなにいい子がこの世に存在するとは……早いとこ千秋さんを探して安心させてあげなければ(使命感)

 

 

「よし!じゃあ早く千秋さんを探そう!」

「……うん……」

 

 

 

 その後も千秋さんを探すべく雪美ちゃんの記憶通りに様々な場所を探したが中々に千秋さんは見つからない。 気づけば空もオレンジ色に染まってきている。

 

 うーん……流石にあともう少しして見つからなければ警察にお願いするしかないな。雪美ちゃんは大事にしたくないみたいだけど……

 

 

「雪美さんっ!」

「ん?」

「……あ……」

 

 

 向こうの方から女性がすごいスピードで走ってくる。 長い黒髪によく似合う黒のドレスのような服、そしてめちゃくちゃ美人でスタイルが良い。これは……もしや?

 

 

「雪美さんっ! どこに行っていたの!?」

「……千秋……ごめんなさい……」

「もうっ、心配するじゃないっ……」ギュッ

 

 

 やっぱりこの人が雪美ちゃんの探していた千秋さんっぽいな。 確かに雪美ちゃんが挙げていた特徴は全部当てはまる。

 ていうかめちゃくちゃ美人。はっきり言って俺の頭の中のハードルが上がりきっていた千秋さん像を余裕で飛び越えて行かれた気分だ。

 

 

「もしかしてあなたが雪美さんを……?」

「あ、いえ、俺はちょっと一緒に探していただけで……雪美ちゃんは1人でもとても立派でしたよ。とても落ち着いていました。」

「そう、本当にありがとう。感謝してもしきれないわ」

「いえいえ、そんな」

「……幸輝……、優しかった…… 」

「雪美さんもこう言っているわ。本当にありがとう」

 

 そう言うと千秋さんは見惚れるほど綺麗なお辞儀を披露した。その横で釣られて雪美ちゃんも頭を下げている。

 

 なんか背中がむず痒いな……こんなに感謝されるとは。

 

 

「……あーん……してあげたら……喜んでた……」

「えっ?」

「ちょっ!」

 

 

 雪美ちゃんの発言を聞いた途端、千秋さんの俺を見る目が一瞬にして何かを疑うような目になる。

 

 ま、まずい……これじゃ俺が小さな女の子にあーんをさせた変態ロリコン男みたいじゃないか!?

 

 

「あーんですって……?」

「ちょ、誤解ですよ!雪美ちゃんにクレープを買ってあげたら、それを分けてくれただけで!」

「そ、そうよね! ごめんなさい私ったら……雪美さんを助けてもらったのに……」

「あ、あはは。大丈夫ですよ」

 

 

 焦った〜 危うく通報モンだったぞ……

 

 

「それじゃあ私たちはそろそろ。雪美さん、次ははぐれないでちょうだいね?」

「……うん……じゃあね……幸輝……、また会える……?」

「え? ……うん、またいつか会えるよ」

「……そっか……じゃあ……、またね……」

 

 

 雪美ちゃんはそう言うと手を振りながら千秋さんに手を引かれていった。

 千秋さんの方は最後にもう一度、俺に向かって綺麗なお辞儀をして去っていった。

 

 

 

 なんか急に1人になっちゃったな……べ、別に寂しくなんかないけど! ……嘘です、なんか寂しい気分です。

 

 

「じゃあ俺も帰るか」

 

 

 まぁ2人がちゃんと再会できてよかったな。我ながら良いことをしたもんだ。 自分へのご褒美として、帰りに少し高いアイスでも買っていこう。

 

 





 ご意見・感想等ございましたらよろしくお願いいたします。


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7話 ギャルは優しい生き物

ふと小説情報を見たらお気に入りの数が50を越えているというとんでもないことになっていました…… ありがとうございます


 

 今日の仕事は既に撮影を終えたアイドルを車で迎えに行って、事務所まで送り届けろとのことだ。

 

 俺は車を走らせながら先ほどのちひろさんとの会話を思い出す。

 

 

〜〜〜〜

 

 

「白石くん、今からアイドルの子をスタジオまで迎えに行ってもらってもいいですか?」

「はい、大丈夫ですよ。」

「助かります。それではスマホにスタジオの住所などを送信しておきますね♪」

「ありがとうございます。 アイドルの子を車に乗せたら事務所に帰ってくればいいんですね?」

「はい、それで大丈夫ですよ。 社用車の鍵を今渡しますね〜」

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 そんなこんなで今そのスタジオとやらに向かっている。 免許はまだとりたてで、しかもこんな大きな道を走るのは緊張するが今のところは問題なく走れている。

 

 

「……にしてもまさか迎えに行くアイドルが顔見知りとはなぁ、 でももし俺のこと忘れてたらどうしよう 」

 

 

 俺が今から迎えに行くアイドルの名前は城ヶ崎美嘉、大槻唯の2人だ。

 

 城ヶ崎さんは面接の日に少し会話したことがある。後の1人はどんな人なのか、見た目も年齢も全く知らない。

 

 

「……なんか知り合いみたいに話しかけて、相手が俺のこと普通に覚えてなかったらめちゃくちゃ恥ずかしいよなぁ…」

 

 

 城ヶ崎さんは少し話しただけでもわかるほどにギャルだ。 ギャルとはつまりパリピ。友達の数も俺とは比べ物にならないほど多いはずだ……

 もしかしたらほんの数分会話した俺のことなんて全く覚えていないかもしれない。

 

 

「ど、どんな風に話しかけるのが正解なんだ……」

 

 

 やばい、いつの間にか運転よりそっちの方が緊張してきた……。

 

 そんなことを考えながらも車は目的のスタジオへと着実に近づいていく。

 

 

 

 

 スタジオへと到着した俺は駐車場に車を止めると、緊張しながらも建物の中へと入っていった。

 

 うわ〜……なんか芸能界って感じだぁ…… たくさんスタッフさんがいて、大きな機材があって、めちゃくちゃ忙しそう。

 

 2人はもう撮影を終えて楽屋にいるらしいので、そこに迎えに行くことになっている。

 

 

 

「ここか……」

 

 

 扉には城ヶ崎美嘉様、大槻唯様と2人の名前が記された貼り紙があるので間違いないだろう。

 

 よし、ノックするぞ。

 

 

 コンコン コンコン

 

 

「はーい」

「346から来ました。送迎の者ですけど……」

「開いてるんで入っていいですよー」

「し、失礼します……」

 

 

 ガチャ  

 

 

「すいません、今撮影終わったばっかりでまだ衣装なので……って」

「こ、こんにちは」アハハ

「アンタどこかで……あっ!事務所の前で会った人!? 確か白石くん……?」

「あ、そうです。覚えててくれて嬉しいです。城ヶ崎さん」

「自己紹介したんだからそう簡単に忘れないって〜★ あれ?ここにいるってことはバイト受かったんだ! おめでとう!」

「あ、ありがとうございます!」

「また敬語になってるし〜」アハハ-

 

 

 城ヶ崎さん俺のこと覚えててくれたよ……めちゃくちゃいい人だ。

すごい話しやすい気もするし、これがギャルのコミュ力か……

 

 

「ちょいちょ〜い! なんか唯だけ除け者みたいじゃ〜ん! 美嘉ちゃんこの人紹介してよ〜」

 

 

 部屋の中にいたもう1人のギャルが、もう我慢できないと言った様子で声を上げた。

 

 

「あ、ごめんごめん。てかお互いに自己紹介しなよ」

「それもそっか! 大槻唯!美嘉ちゃんと同じでアイドルやってま〜す! よろしくね〜!」ニカッ

 

 

 ま、眩しいっ…… なんだろうこの圧倒的パリピ感は、太陽みたいな人だ……

 

 

「俺は白石幸輝です。えっと、346でアルバイトをしています、よろしくお願いします。」

「硬い硬いよ〜!もっと砕けた感じでいいって〜! よろしくねコーキちゃん!」

「こ、コーキちゃん!?」

「そ、幸輝だからコーキちゃん! イケてるっしょ〜?」

 

 

 ギャルすごい…… 距離感がおかしいって。てか下の名前で普通に呼んでくるんだけど……いや、普通に嬉しいんだけどね。

 

 

「てっきり唯はいつもの送迎のおじちゃんが来ると思ってたからビックリしちゃったよ〜 同年代の人が入ってくるんだもん!」

「確かに、アタシもびっくりしたよ。」

「だよね〜 てかコーキちゃん運転できるんだ〜! あれ?てことは年上?」

「あはは……18歳だよ。大学一年生」

「やば〜☆ 大学生だって〜!ねぇねぇ何でウチでバイト始めたの〜?」グイグイ

 

 

 近い近い! 大槻さん本当距離感おかしいって! コミュ力が高すぎる!

 それに今さら気づいたけど、2人とも衣装がちょっと過激じゃないかな? 露出が……

 

 

「どうかした?白石くん」

「い、いや……別に」

「え〜!なんか隠してない〜?」グイグイ

「別に隠してるわけでは……ていうか大槻さん近い、近いよ。ステイステイ……」

「ん〜? あ!」

 

 

 やば…気づかれたか?

 

 

「もしかして〜 唯と美嘉ちゃんの衣装姿に照れてんの〜?」ニヤニヤ

「えっ!?」

「………ま、まぁ」

「あはは〜! まぁ確かに今日の衣装はちょ〜っち攻めてるからな〜 コーキちゃん悩殺しちゃったか〜☆」

「ちょ、ちょっと唯……」

「しょ、しょうがないでしょ……ほとんど水着みたいなもんだし、 そりゃ照れるって!」

「ひ、開き直った!?」

「あはは〜☆ いいねいいね〜 コーキちゃん段々と硬さがとれてきたんじゃない〜?」

「え……」

 

 

 言われてみれば……なんか自然と会話できてたような気がする。 いつの間にか敬語じゃなくなってるし、女の子の前で素の自分で会話できてたな……

 

 

「唯のおかげだね〜! でも最初のガチガチに緊張してる感じよりは、今のコーキちゃんの方がいいよ!」

「唯ったら調子がいいんだから……」

「お、大槻さん……ありがとう!」

 

 

 すごい……大槻さんはコミュニケーションの達人だ! ギャルは偉大だ! ギャルは優しい!

俺のギャルへの偏見を改める必要があるな。

 

 

「それじゃあ車で事務所まで送迎するんで、今から駐車場に……」

「………」ジ-

「え、え?」

 

 

 城ヶ崎さんが俺のことをジッと見てくる。お、俺なんかやらかしてしまっただろうか……

 

 

「あの〜何か……?」

「いや、アタシたちまだ衣装だから……」

「……?」

「だ、だから〜 き、着替えなきゃいけないでしょ……?」

「それはそうだね……」

「あ〜もう! 私たち今から着替えるから一旦出て行ってもらわないと困るんだけど! 」

「……あ!」

 

 

 た、確かに……俺はバカか? 着替えるんなら俺がいたらダメに決まってるじゃん……

 

 

「はぁ〜 やっと伝わった?」

「ご、ごめん!すぐ出てくんで!」

「ほらほら〜 早く行かないと変態ちゃんになっちゃうぞ〜 それとも一緒に着替える?」

「えぇっ!?」

「ゆ、唯!余計なこと言わなくていいから!ほら!白石くんも早く出て行く!」

「わ、わっかりました〜!」

「あはは〜☆ ちょっとだけ待っててね〜」

 

 

 ガチャ! バタン!

 

 

 はぁ……我ながらデリカシーが無さすぎる。

 

 俺は自分の行動を反省しながら、部屋の中の2人が衣装から着替えるのを待つことにした。

 

 

 

「お待たせー!」

「あ、いや全然待ってない……」

 

 

 おー……制服ギャルだ。 でもなんかすごい似合ってるな。

 

 

「じゃあ駐車場に行こうか。車停めてるから」

「よろしくね」

「しゅっぱ〜つ☆」

 

 

 

 

 

 その後車に2人を乗せて走り出したが、2人がすごい話しかけてくるから会話が止まらない。特に大槻さん。

 

 

「ねぇねぇ?コーキちゃんなんでウチの事務所でアルバイトしようとしたん?」

「確かに、コンビニとかスーパーとか色々あるのになんでわざわざ芸能事務所のバイト? もしかして興味があったりするの?」

「いや、時給がすごい高かったから……」

「なにそれウケる★ 超シンプルな理由じゃん!」

「でもわかるよ〜 お金はたくさん欲しいよね〜 唯もちょっと今月は使いすぎちゃって困ってるんだ〜 夏に向けて色々買いたいものがあるのに〜!」プンプン

「……やっぱり女の子はファッションにお金すごく使うの?」

「そりゃそうっしょ!」

 

 

 大槻さんの力強い返答に城ヶ崎さんも、うんうんと首を動かしている。

 

 2人ともお洒落そうだもんな〜 俺なんかお洒落という言葉には程遠い位置に存在する人間だからなぁ…… そういえばバイト代入ったら何に使おうか考えてなかったなぁ。うーん……

 

 

 

「ねぇねぇコーキちゃん!大学生なんでしょ!」

「え、あぁうん。大学1年生。」

「じゃあじゃあ彼女とかいるの!?」

「……い、いないけど」

「え〜! いないの〜? 見た目も別に悪くないのに意外〜」

 

 

 それは褒められているのか……?

 

 

「俺、中学高校とずっと男子校だったんだ。だから彼女とかできたことなくてさ……」

「へぇ〜 そうだったんだ!」

「でも大学には女の子いるんだよね?」

「めちゃくちゃいた。 正直びっくりするほどに」

「じゃあ彼女つくるの?」

「……欲しいけどそんな簡単にできるのかな」

「唯のクラスメイト紹介してあげよっか?めっちゃギャルだけど☆」

「ま、マジで!?」

「うん、いっつも彼氏ほしー彼氏ほしーって呪文みたいに言ってるから」

 

 

 ま、マジかよ……とんでもないことになったぞ。 正直この2人のおかげでギャルも全然いいと思っている……

 ちょっと待てよ?そもそも女子高生と付き合ってもいいのか?逮捕とかされない? いや、清らかなお付き合いなら大丈夫か……?

 

 

「ちょっと……目が怖いよ。白石くん」

「はっ!」

「そんなギラついた目してたら女の子引いちゃうよ? あと唯は変な冗談言わない」

「じょ、冗談だったのか!?」

「あ、あはは〜 ちょっとしたジョークのつもりだったんだけど……ごめんね〜」

 

 

 なんてこった……これじゃあ俺が女子に飢えてる獣みたいじゃないか。 間違いではないけど。

 

 

 

「城ヶ崎さんはすごい恋愛経験豊富そうだよね……」

「えっ!?」

「だってさ〜美嘉ちゃん」ニヤニヤ

 

 

 絶対イケメンの彼氏とかいたことありそうだよね。 めっちゃ可愛いし、めっちゃいい人だし。

 

 

「ま、まぁね〜 それなりに経験は積んでるカナ〜」アハハ

「やっぱり!?」

「美嘉ちゃんラブレターとか貰ってるもんね〜」

「ゆ、唯!」

「ら、ラブレター!俺には縁のない話だな……」

「ま、まぁ白石くんもその内貰えるって〜 そ、そんなことよりさ!そろそろ事務所に着くんじゃない!?」

 

 

 露骨に話を逸らしたな……モテる女は自分から多くを語らないということだろうか。

 

 その後は妙にテンパっている城ヶ崎さんを、大槻さんが揶揄っているとすぐに事務所に到着した。

 

 

 

「とうちゃ〜く!」

「ありがとうね白石くん」

「え? あぁいや、仕事だからお礼なんて」

「いいのいいの!素直にお礼受け取っとけ〜☆ ありがとうね!」

「ど、どうしたしまして」

「じゃあ私たちは行くね?」

「またいつか会おうね〜!」

 

 

 手を振りながら歩いていく2人に向かって俺も手を振る。

 

 2人ともすごいいい人だったな…… ギャルは優しい。

 そんな2人のお陰もあってか、今日は結構自然に女子と会話できていたと思う。

 

 この調子で女の子との会話に慣れていけたらいいなと思いながら1人で駐車場を後にした。

 

 

 




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8話 非科学的なことは信じ難い

 

 

「ねぇねぇ、ユッコちゃんって女子高生、JKなんでしょ?」

「その通りですよ!莉嘉ちゃん! 私は女子高生サイキック美少女アイドルですからね!」

「わぁ〜 ユッコちゃんすご〜い!」

 

 

 事務所にある休憩スペースには、城ヶ崎莉嘉と赤城みりあからの質問に、堀裕子が意気揚々と答えるという微笑ましい光景が広がっていた。

 

 

「いっつもサイキックしてるけどさ〜 カレシとかいないの?」

「か、彼氏さんですか!?」

「わー! みりあも聞きたいー!」

「うぐぐ……」

 

 

 ユッコは目を瞑って額に指を当てて唸る。

 

 

(か、彼氏なんていませんよ〜 でもこの小さな子どもたちの期待の眼差し……う、裏切る訳にはっ!)

 

 

 ユッコは意を決した様に目を見開くと、お決まりのスプーンを取り出して大きな声を出す。

 

 

「サイキックパワー発動!!」

「わぁ〜!」

「むむむ〜ん! 感じる……感じますっ!あの方角に私の運命の人が!」

「えっ!どこどこ!誰もいないじゃ〜ん!」

 

 

 ユッコは曲がり角の方角に指を刺すがその先には誰もいない。

 

 

(と、とりあえずこれで今からその運命の人を探しに行ってきます〜! と言ってえすけーぷさせていただきましょう! 少しばかり心苦しいですが仕方ありません!)

 

 

「あー!感じます感じます!どんどん強くなってきてます! 莉嘉ちゃん!みりあちゃん!それでは私は今から運命の人を探してきます!」

 

 

 うぉぉぉぉぉ!と大きな声を出しながら走り出すユッコ。曲がり角を曲がってそのまま逃げようとしたその時

 

 

「ここやっぱり広すぎるって……まだ全然慣れない……」

「えっ!」

「ん?」

 

 

 どんっ! と幸輝とユッコの2人はぶつかり、体の小さなユッコは倒れて尻もちをついてしまう。

 

 

「いってて〜」

「ご、ごめん!大丈夫?」

「い、いえいえ……走っていたのはこちらなので〜 私こそすいませんでした」

 

 

 幸輝は手を差し伸べユッコはその手を取り起き上がる。

 

 

(や、やっば……女の子のこと突き飛ばしちゃったよ)

「大丈夫ですか? 怪我とかは……」

「あ、いえいえ!全然平気です!私体はとっても強いので!」ムンッ

 

 

「「ほ、本当にいたぁぁぁぁぁぁぁ!」」

 

 

「え……?」

「はっ! ち、違いますよ莉嘉ちゃんみりあちゃん!これはその……ぐ、偶然で……」

 

 

 必死に弁解をしようとするユッコと何一つ状況が理解できていない幸輝。そして大きな声を出しながら駆け寄ってくる莉嘉とみりあというカオスな空間ができあがった。

 

 

 

 

 

 

 俺の名前は白石幸輝。346事務所で雑用のアルバイトをしている。 今日もゴミ捨てや資料運びなんかの雑用を元気にこなしていたんだけど… 訳のわからない状況に巻き込まれてしまったみたいで……

 

 

「本当に男の子が出てきた〜! 」

「すご〜い!ユッコちゃんの運命の相手だー!」

「あ、あの……2人とも〜 これはですね……」

 

 

 曲がり角で突然女の子とぶつかり、その女の子を起こしたところまではよかったんだけど…

 大きな声を出して興奮した様子の女の子2人に、俺とぶつかった女の子が何か言いづらそうにしながら弁解をしようとしている。

 

 な、何がどうなっているんだ?状況がさっぱりわからない… 俺完全に置いてけぼりだ。

 

 

 

「ねぇねぇ!お兄さんがユッコちゃんの運命の人なの!?」

「え、えぇ? 話が読めない……というかユッコちゃんって誰?」

「アタシこんな少女漫画みたいな展開、現実で初めて見ちゃった〜! ヤバ〜☆2人はこれからカップルになるの!?」

「ちょ、ちょっと待って!ま、まず説明を……」

「す、すいません!少しこっちに来てください!!」グイッ

「キャ〜☆ ユッコちゃんってばだいたーん!」

「2人きりになってなにするんだろ〜 」

 

 

 キャーキャーとはしゃぐ子どもたちを置いて、顔を真っ赤にしたユッコちゃん?と呼ばれている女の子に手を引かれていく。

 

 

「と、とりあえずこの辺で……」

「お、おぉ……」

 

 

 ユッコちゃんと呼ばれる女の子はどう説明したらいいのかを考えているのか、ブツブツと何かを話しながらモジモジとしている。

 

 

「と、とりあえず、ゆっくりでいいから状況を説明してくれませんか?」

「あ、はい。 実は……」

 

 

 ユッコちゃんは申し訳なさそうに状況を説明を始める。

 あの子たちの期待を裏切りたくなくてつい運命の人がいるなんて言い出してしまったこと。

そしたらたまたまその場に来た俺が巻き込まれたこと……

 

 なんだ、ただのいい子じゃないか……ちょっとアホっぽいけど。

 

 

「えーと、つまり……超能力ごっこしてたら俺が巻き込まれたと……それなら俺は運命の人じゃないって正直に説明すれば……」

「サイキックはごっこではなくて本当です!」

「え?」

「サイキックは本当にありますよ! なんてたって私はサイキック美少女アイドル、エスパーユッコなんですから!」ドヤッ

 

 

 もしかしたらアホっぽいんじゃなくてアホなのかもしれない。 てか自分で美少女言ったよ……まぁ確かに可愛いけど。

 

 

「それで今からどうするんですか?」

「とりあえず私があの2人には上手いこと説明するので付いてきてください!」

「えぇ……」

 

 

 正直言うと面倒くさいけど一応ついて行くことにするか……

 

 

「あ、戻ってきた! ねぇねぇ2人きりで何話してたの! 」

「みりあも知りたいー!」

「2人とも落ち着いてください! 先ほどは運命の相手なんて言ってしまいましたが、実はこのお方は運命の相手になるかもしれない人です!」

 

 

 なるかもって……随分無理やり誤魔化したな。

 

 

「……?じゃあこのお兄さんはユッコちゃんの運命の相手じゃないってこと?」

「現時点ではそういうことですね!」

「え〜! 何ソレつまんな〜い!」

 

 

 黒髪の女の子は渋々納得してる様子だが、金髪の方の子はブーブーと文句を言っている。

 

 

「でもでも!なるかもってことなら、もしかしたら2人がいつかお付き合いする可能性もあるってことでしょ!」

「え、え〜と……まぁそういうことですね」

「じゃあ、みりあ2人のこと応援する〜!」

「えぇっ!?」

 

 

 この子は天使なのかな?

 

 

「ね!莉嘉ちゃん! 応援してあげようよ〜」

「うーん……みりあちゃんがそう言うなら……ていうかお兄さん誰なの?」

「あ、みりあも知りたい! 」

「私も知りたいです!」

「なんか今更感すごいな……」

 

 

 なんか自然と巻き込まれてたけど俺はこの子たちのこと誰も知らないし、この子たちは俺のこと誰も知らないんだよなぁ。 普通自己紹介って最初にするよね?

 

 

「俺は白石幸輝っていうんだ。 ここの事務所でアルバイトをしてるよ」

「アルバイト!? なんかかっこいい〜! あ、私は赤城みりあ!よろしくね幸輝さん!」

「私は城ヶ崎莉嘉だよ☆ よろしくね!」

「そしてトリを飾るこの私は……エスパーユッコ!」

「んもぅ!ユッコちゃん!自己紹介はちゃんとしなくちゃダメだよ!」

「あ、はい。すいません……」

 

 

 こんな子どもに注意されてるぞこの子。というかエスパーユッコよ、それでいいのか…… まぁ懐かれてるってことにしとこう。

 

 

「私は堀裕子と言います! ユッコとお呼びください!白石さん!」

「よろしく。みりあちゃん、莉嘉ちゃん、 それと……ゆ、ユッコ?」

「なんならユッコの前にエスパーを付けてもいいんですよ?」フンッ

「いや〜 それは……」

「……私のサイキックを信じていませんね?」

「ぶっちゃけて言うとね……」

「いいでしょう!ならばこのスプーンをサイキックで曲げて見せましょう!」

 

 

 そう言うとユッコはぐぬぬぬ……と唸る。

 

 うーん……どう見ても曲がってないよなぁ。

 

 

「ふぬぬぬぬぬっ……! ぬぬぬぬ……!ぬんっ!」グイッ

「え!?」

「み、見てください……ハァ...ハァ...み、見事に曲がりましたよ……」ハァ..ハァ..

「いやいやいや!今明らかに手で曲げてたよね!?」

 

 

 まさかこんな強硬手段に出るとは、完全にサイキックじゃなくて馬鹿力じゃないか……

 

 

「まだ信じてくれませんか! なら次はテレパシーで白石さんの頭の中にメッセージを……!むむむむ……!」

 

 

 次から次へと……とんでもない子だなぁ。 でも一緒にいると楽しそうかも。

 

 

「ねぇねぇ幸輝さん!みりあたちともお話しよーよー!」

「そうそう☆ アタシたちをほったらかしなんてダメなんだからね!」

「あはは……別にほったらかしてた訳ではないんだけどね」

 

 

 ユッコに少し圧倒されていたというか……びっくりしていたというか……

 

 

「そういえば莉嘉ちゃんはお姉さんっていたりするかな?」

「うん!いるよ! ちょーかっこいいお姉ちゃんがね!」

「それってもしかして美嘉さんかな?」

「え! 幸輝くんお姉ちゃんのこと知ってるの!? なんでなんで!?」

「前に車で送迎をしたことがあってね」

「へー そうなんだぁ! 美嘉ちゃんかっこいいよね〜 」

「えへへ〜 なんてたってお姉ちゃんはカリスマギャルだからね!」

 

 

 莉嘉ちゃんは随分とお姉さんのことを慕っているんだなぁ…… でも城ヶ崎さんみたいなお姉さんがいたらそりゃそうなるか。

 

 

「アタシもいつかお姉ちゃんみたいなセクシーでかっこいいギャルになるんだから! ね!幸輝くん! アタシなれるよね!」

「え? 莉嘉ちゃんが? うーん……もう少し時間はかかりそうかな〜」

「何それ〜 チョー失礼なんですけど〜! アタシが成長してゆーわくしたら絶対幸輝くんもイチコロだよ☆」

「おー そうだな〜」ナデナデ

「もぅ〜!」プンプン

 

 

 背伸びをする莉嘉ちゃんが可愛くてつい頭を撫でてしまった…… でもこんな可愛い妹とか欲しかったな〜

 

 

「みりあも撫でてー!」

「よし来い!」

 

 

 なでなでをご所望のみりあちゃんも一緒に頭を撫でる。

 

 

「こんなとこ誰かに見られたら通報されるかもなぁ……なんちゃって」アハハ-

「確かに、随分怪しい絵面だね」

「え? あ……し、渋谷さん……」

「あ、凛ちゃん!こんにちわ!」

「凛ちゃんおっつ〜☆」

「うん、こんにちわ。みりあ、莉嘉」

 

 

 なんてこった……小さい女の子2人の頭を、笑顔でなでなでしてるところを偶々通りかかった渋谷さんに見られてしまった……

 

 

「随分子どもたちに懐かれてるんだね」

「べ、別に変なことはしてないけどね!ただ頭を撫でてただけであって……!」

「別に私咎めたりしないけど……」

 

 

 あれ? そうなの……? よかったぁ……

 

 

「ムムム……ムンムムンッ!! むんっ!!」

 

 

 後ろにいるユッコが何かを念じながら大きな声を出すと…… 突然渋谷さんのスカートが大きく捲れ上がってその中身が……

 

 

「あ、 また黒…………はっ!」

「………っ!」カァ-

 

 

 しまったつい口に…… 渋谷さん顔真っ赤にして睨んでくるよ……。 うわ、こっち来た。

 

 

「……………」スタスタスタ

「い、いや……今のも別にわざとじゃなくて……本当偶然スカートが……」

「……………」スル-

「あれ?」

 

 

 こっちに向かって歩いてきた渋谷さんは俺の横を静かに通り過ぎると、俺の後ろにいたユッコを睨みつける。

 

 

「裕子……さっきのはアンタの仕業……?」ゴゴゴゴ

「あ、あれれ……?り、凛ちゃん……いつの間にいたんですか……?」

「今のがエスパーユッコのサイキックパワーらしいぞ〜」

「あ! 白石さん私を売りましたね!」

 

 

 すまんな……エスパーユッコよ。

 

 

「ごちゃごちゃ言ってないでこっちに来なよ。 話したいことが色々とあるからさ……」ゴゴゴ

「だ、誰か助けてくださ〜い!」

 

 

 

(すまないエスパーユッコ……君の犠牲は忘れないよ)

 

 

「白石、裕子の次はアンタだからね。 そこで待っときなよ」ゴゴゴゴ

「あ、はい」

 

 

 そう呟く渋谷さんはとても迫力があった。 年下なのにすごい迫力……。

 

 そして俺はユッコが半ベソかきながら戻ってきた姿に恐怖を覚えながらも、渋谷さんに説教されるのであった……

 

 




ご意見・感想等ございましたらよろしくお願いいたします。


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9話 人生の先輩には敬意を払おう

 
 皆様のおかげでお気に入りの数が100を越えました〜 作品の評価というのもちょこちょこ頂けているようでありがたい話です。

 本当にありがとうございます!


 

 今日のバイトは事務所の内部にあるカフェにての仕事を手伝ってほしいとのことだ。

 

 俺は一人暮らしをするために最低限の料理は覚えてきたけど、いくらなんでもカフェでお客さまに提供できるようなレベルではない。

 そんな俺でもさすがに皿を洗ったり料理を運んだり注文を取ったりすることぐらいはできるので、今日はそういった類の雑用が俺の役割だ。

 

 今日このカフェの中で働いているのは3人で、俺とさっきからずっと厨房の奥で黙々と手を動かす料理長さんと……

 

 

「注文入りました〜! イチゴのケーキとコーヒーをお願いします!キャハッ!」

 

 

 このメイド服にウサミミのよなものを頭につけている女性、安部菜々さんと言うらしい。さっき自己紹介した時の衝撃は忘れられない……

 

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

「おはようございます! 本日ここのカフェでお手伝いをすることになってるバイトの白石といいます!」

「あ〜! あなたが白石くんですね〜 お話は伺っていますよ! 今日は一緒に頑張りましょうね!」

「はい! よろしくお願いします!」

「うんうん、最近の若い子は挨拶もしっかりしているんですね〜 元気なのはいいことですよ!」

「あ、ありがとうございます!」

 

 

 よし……やはり元気に挨拶をするといい第一印象が与えられるな。

 ていうか今この人最近の若い子って言ったけど大人の人なのかな? 見た目はすごく若々しいけど……

 

 

「あっちで仕込みをしているのがこのカフェのコックさんであり、リーダーの様な人です。私は料理長さんって呼んでます。無口だけど優しい人なのでわからないことがあったら遠慮なく聞いてくださいね! もちろん私に聞いてくれてもいいんですよ!」

「はい、よろしくお願いします!」

 

 

 俺が厨房の奥にいる料理長さんに挨拶と一礼をすると、無言ではあるが親指を立てて返事をしてくれた。 確かに無口だけどいい人そうだな……。

 

 

「そして私が! 歌って踊れる声優アイドル、ウサミンこと安部菜々です! キャハッ!」

「え?」

「…………キャ、キャハッ!」

 

 

 お、思わず変な声を出してしまった…… ちょっとインパクトが強すぎて、何?歌って踊れる声優アイドル? なんかすごいな……

 

 

「す、すみません…よろしくお願いします!安倍さん!」

「白石くんは18歳なんですよね? な、ナナは17歳なので敬語じゃなくて大丈夫ですよ!」

「え? 17歳なんですか? 」

「細かく言うと永遠の17歳ですけどね! キャハッ!」

 

 

 ……な、なんだかすごい人だ。 上手く言えないけどこの人はすごい(確信)

 

 

「え、えーと……じゃあ…な、菜々さん。」

「はいっ♪」

「さっそくで申し訳ないんですけど仕事の内容を教えてもらっても大丈夫ですか?」

「じゃあまずは、テーブルを拭くところからやってみましょうか! その後もやることは色々あるので遠慮せずに質問してくださいね!」

「わかりました」

「それじゃあ今日1日頑張りましょう!白石くん!」

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

 

 そして今に至る。 カフェでの仕事は菜々さんが丁寧に教えてくれるのですぐに頭の中に入ってきた。

 

 そしてこのカフェで働いて気づいた特徴としては、結構アイドルの人たちが利用しているようだ。 さっきからアイドルっぽい可愛くて綺麗な人たちがたくさん出入りしている。例えば……

 

 

「そこのキミ〜 注文いいかな〜?」

「はい。ご注文の品は?」

「そうね〜……ってキミ新入り?見ない顔ねぇ」

「こ〜ら、店員くんに絡まないの早苗ちゃん」

「べ、別に絡んだりなんてしてないわよ瑞樹ちゃん!」

「ふーん……でももしかしてこういう若い子が好みなのかしら〜?」

「いや〜 あたしはもっと筋肉ゴリゴリの男が〜 って何言わせんのよ!」

「あの〜」

「あ、ごめんごめん。 じゃあ私は紅茶とサンドイッチを、瑞樹ちゃんも同じよね?」

「えぇ。楓ちゃんは?」

「……ここのコーヒーはこうひーん質、イマイチですかね……」

「今はダジャレ考えてる場合じゃないのよ。注文は?」

「あら……でしたら、コーヒーと私もサンドイッチを頂きましょうか。コーヒーを公費ーで落とす……」

「……お、お上手ですね」

「うふふっ」

 

 

 

 愉快で綺麗な大人の女性たちとか……

 

 

 

「わたくしこの前牛丼という物を食べたんですの♪ とっても美味しかったですわ」

「あら、桃華ちゃん……牛丼とは一体どんな食べ物なんですか?」

「雪乃さん。牛丼とは焼いた牛肉をご飯の上に乗せた食べ物ですわ」

「あら…星花さん、お詳しいんですのね。私も牛丼を食べてみたくなりましたわ……店員さん? 牛丼をご注文してもよろしいでしょうか?」

「当店に牛丼はございません」

「あらあら……」

「うふふ…雪乃さんったら……」

「うふふふふ……」

 

 

「あの〜 注文を……」

 

 

 

 高貴なオーラを放つお嬢様たちとか……

 

 

 

「すまない、注文をいいかな?」

「あ、はい。ご注文をどうぞ」

「ボクはコーヒーにサンドイッチを 蘭子、キミはどうする?」

「ふむ、我は禁断の果実を貰おうか」

「え、えぇ……?」

「すまない。彼女の言葉はわかりづらいかな?」

「い、いえ……禁断の果実…… く、果物ですか?」

「否」

「えぇ……うーん、は、ハンバーグとか?」

「……!ククク…我が言の葉を理解するとは…飛鳥、どうやら彼は「瞳」を持つ者のようね……」

「…………?」

「すまないね。彼女はこれでも喜んでいるんだ。 さっきの禁断の果実というのはハンバーグのことで当たりさ。 この言葉遣いには目を瞑ってくれ。 これがボクと彼女のカタチなのさ」フッ...

「か、かしこまりました〜……」

 

 

 謎の言語を発する変なヤツらとか……

 

 

 

 とにかくここのカフェには個性豊かな客がたくさん来店している。 というか346のアイドル層広すぎるし…… 個性が豊かすぎるよ!

 

 

 今日一緒に働いている菜々さんも個性豊かなアイドルの内の1人だろう。 基本的にはしっかりとした人間らしいが、アイドルとしてのキャラ付けのようなものがぶっ飛んでいる。

 

 

 

「え〜と……あのお皿は……あった! う〜ん…と、届かないぃ〜 ウサミン一生の不覚〜」

 

 

「あ、こんなところに落とし物が……うっ! こ、腰がぁ〜 うぬぬぬ……い、痛くなんかないですよ……なんたってナナは永遠の17歳なんですから!キャハッ!」

 

 

 なんというか菜々さんはほっとけない感じの人だな。しっかりしてはいるんだけど危なっかしい雰囲気というか……

 

 

 そんなこんなで個性豊かなお客様の相手は疲れたが、優しい菜々さんと料理長さんのおかげで特に問題なくその日の仕事を終えることができた。

 

 

 

「はぁ〜 終わった〜」

「お疲れ様です〜白石くん。 料理長さんも中々の仕事ぶりだと褒めてましたよ〜 またいつかよろしくって言ってました!」

「お疲れ様です菜々さん。 菜々さんと料理長さんが丁寧に優しく教えてくれたからですよ」

「いやいや〜 ここって結構忙しい時は忙しいじゃないですか。 だからナナもここに来てからしばらくは、レッスンとカフェのお仕事の両立でクタクタになってましたよ〜」

 

 

 そういえば菜々さんはアイドルでもあるのにカフェでの仕事もしているのか……

 

 

「菜々さんはどうしてアイドルなのにここでも働いているんですか?」

「そうですねぇ……最初はアイドルとしての仕事もほとんどなくて、ここで働かせてもらって生活をしていたんですよ」

「でも最近はアイドルとしての仕事が増えてきてるんですよね?体疲れちゃわないですか?」

「疲れることもありますよ? でもここでの仕事も楽しくてつい…… あとは初心を忘れるべからずってやつですかね…? なんちゃって」エヘヘ

 

 

 なるほど……菜々さんにとってはアイドルの仕事もここでの仕事も大切なモノらしい。 何故かはわからないが菜々さんの話はもっと聞いてみたくなる。

 

 

「菜々さんはどうしてアイドルに?」

「そうですねぇ…アイドルはすごいんですよ」

「え?」

「……ナナはずっとアイドルに憧れていたんです。 みんなに夢と希望を与える存在って素敵じゃないですか! だからアイドルの持つ力はすごいんです!」

「……確かにそうですね」

「それでメイドの仕事をしながら声優アイドルを夢見てきたんですけど、中々上手くいかずに時間だけが過ぎていって……でもそんなナナをプロデューサーさんが見つけてくれて…!やっと憧れのアイドルになれたんです!」

 

 

 菜々さんは心底嬉しそうに語る。 それだけで菜々さんにとってアイドルという存在が特別だということがわかる。

 

 

「だからナナはトップアイドルになって、アイドルのことが好きな人たちに夢と希望を届けたいんです!………って、なんか自分のことばかり熱く語っちゃってすいません…」アハハ

「いやいや、菜々さんの話面白いですよ。 なんか人生の先輩って感じで……夢を叶えた菜々さんはすごいと思います!」

「いや〜 照れますよぉ〜 ……って!ナナは永遠の17歳なんですから人生の先輩じゃありません! ノウッ!」

「あははっ」

 

 

 菜々さんはすごくかっこいい人であると同時に、すごく面白い人でもあるようだ。

 

 

「菜々さんみたいに目標に向かって全力で頑張る人ってすごいと思います。 俺なんて大学入学と同時に東京に来たものの、将来の目標なんて決まってなくて……お金がほしいからなんて理由でここのバイトを始めたんですよ」

「でも、白石くんみたいに将来何がしたいか決まってない人って多いと思いますよ?」

「そうですかね……」

「それにそのお金が欲しい!っていうのも立派な目標ですよ! だってそういうのって人それぞれじゃないですか」

「……そうですね」

 

 

 なんだろう……この菜々さんの圧倒的オカン力のようなものは。最初は少し変な人かと思ってたけど、すごいしっかりとしていてカッコいい人だ。

 

 

「ってなんだか話し込んじゃいましたね。 それじゃあナナはそろそろ……」

「お〜い! 菜々パイセ〜ン☆」

「あれ?はぁとちゃん?」

 

 

 は、はぁとちゃん……?

 

 

「お疲れ〜っす☆ こんなとこで何やってん……ってオイオイ、これもしかしてスキャンダルか……?逆ナンでもしたんすか☆」

「ち、違いますよ! もぅ〜」

「いや〜ん、怒らないで〜 はぁとのちょっとした冗談だぞ☆ 」

 

 

 なんだこの突然現れた変な格好をした女の人は…… 俺と菜々さんの真面目な雰囲気が一瞬にしてぶち壊されたぞ…

 

 

「ってオイ☆ 君は一体どこの誰? 」

「あ、俺は白石幸輝っていいます。 ここでバイトをしていて……」

「ふぅ〜ん……頑張って働けよ青少年! ちなみにはぁとは、アイドルのしゅが〜はぁとだぞ☆ ノートに50回は書き込めよ〜 はぁとからの宿題だぞ☆」

 

 

 濃ゆい……今日会ったアイドルであろう人たちや菜々さんも大分濃いがこの人はズバ抜けて濃ゆいな。

 

 

「ってこんなことしてる場合じゃない〜! 菜々パイセン! 早くレッスン行かないとベテトレちゃんがブチギレるぞ☆」

「あわわわ……!そ、それはまずいですね! では白石くん、ナナは行きますね!よかったら今度ナナが出るライブ見てくださ〜い!」

「あ、待ってくださいよ〜菜々パイセン!」

 

 

 菜々さんとそれを追いかけるしゅがーはぁとさんは足早にその場を去っていった。

 

 なんつーか嵐みたいな人たちだ。

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜、俺は自宅にてアイドルのことについて少しだけ調べていた。

 

 

「えーと……あ、あったあった。 安部菜々、身長146cm……やっぱ小さいな。 おぉ、公式プロフィールにも永遠の17歳って書いてあるぞ」

 

 

 菜々さんと話した影響か、俺はアイドルのことについて少しだけ興味を持ったようだ。

 

 

「にしても346には本当にたくさんアイドルがいるんだなぁ」

 

 

 俺が今まで関わってきたアイドルの子たちはどんなふうに歌って踊るのだろう…… どんなアイドルなんだろう。 ダメだ、一度考え出したら気になってしょうがない。

 

 今度アイドルのライブとかに行ってみようかな……

 

 




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10話 アイドルはすごい

 

 菜々さんと話して以降、どうしてもアイドルのライブに行ってみたいという気持ちが抑えられない俺は……

 

 

「と、取れたぞ……ライブのチケット!」

 

 

 ライブのチケットを申し込んでみた結果当選していた。

 

 

「おぉ……本当に取れてる、これって運がよかったのかな」

 

 

 少し気になったのでSNS調べてみたら、落選報告をしている人がそこそこいたので俺は運がよかったということだろう。

 

 

「……楽しみだな」

 

 

 まさかこんなにワクワクするとは……ちょっと前まではこんな気持ちになるとは思ってなかったなぁ……

 

 

「あれ? ライブって何か事前準備とかしなくていいのかな?」

 

 

 初めて参加するからまったくわからない…

 

 

 

 

 

 

「白石さんライブに来てくれるんですか?」

「うん、少し興味が出てね」

 

 

 次の日事務所で見かけた高森さんに頑張って声をかけてみた。 お前誰だっけ?みたいな反応されないか不安だったけどそれは杞憂だったみたいでよかった。

 

 

「嬉しいです♪ 私頑張るので是非楽しんで行ってくださいね?」

「あ、あぁ……うん。 頑張って!」

「はい♪」

 

 

 うーん、高森さんと話していると心が安らぐなぁ…… って和んでる場合じゃないぞ。

 

 

「それで質問なんだけど、ライブに行く時ってなにか持ち物とか覚えておくべきことってあるのかなって」

「うーん……そうですねぇ、 特には必要ないと思いますよ?」

「そ、そうなの?」

「はいっ♪ あ、でもペンライトみたいなグッズを買うのならお金は必要になると思いますよ」

 

 

 そっか…特に何も必要ないのか。 俺のイメージだとアイドルのライブって、観客もすごい踊ってるイメージがあったから振り付けとか掛け声とか覚えとかないと駄目なのかと思ってた。

 

 

「おはようございます! 藍子ちゃん、白石くん」

「菜々ちゃん。おはようございます」

「おはようございます菜々さん」

「はいっ! ところでお2人で何の話をしていたんですか?」

「白石さんが今度私たちのライブに来てくれるってお話ですよ」

「わぁ〜 そうなんですか?白石くん」

「はい。 それでライブに参加するにあたって何か準備とかは必要なのかなって高森さんに質問していました」

 

 

 丁度いいから菜々さんにも聞いてみよう。アイドルについて詳しそうだし。

 

 

「俺のイメージだとアイドルのライブってお客も声出したり踊ったりしてるイメージだったんで……」

「あ〜 確かにそういうライブもありますね〜 いわゆるオタ芸ってやつですね。 ああいうライブも楽しいんですけど、今度ナナたちがやるライブはそういう感じではないですね〜。なので特に準備は必要ないですよ!」

「そうなんですか……ありがとうございます」

 

 

 どうやら本当に準備などはしなくていいようで少しホッとした。

 

 

「それより白石くん! ライブに来てくれるんですね!」

「あ、はい。昨日菜々さんの話を聞いたら行ってみたくなって」

「嬉しいです〜! 是非楽しんでくださいね!」

「私も頑張りますね♪」

「すごく楽しみです!」

 

 

 

 高森さんと菜々さんのおかげでライブのことが少しだけわかったぞ……ペンライトとかは欲しいから当日はお金を持って向かうことにしよう。

 

 

 

 そしてライブ当日……

 

 会場の最寄駅に到着すると、既に大勢の人で溢れている。

 もしかしたらこの人たち全員ライブに行くのだろうか……流石にそんなことはないか。

 

 

 駅から少し歩いた会場近くには大きくアイドルたちが映ったライブ用のポスターが貼り付けてある。

 

 当たり前だけど全員綺麗だなぁ……衣装を着てると尚更そう思う。あ、あそこに菜々さんが、 あれは渋谷さんか…… ユッコに日野さんもいるぞ。 てかこれ見てたらキリがない……

 

 

 そしてそのまま会場に向かうと、その周りに物販コーナーのようなものが広がっている。今日はとりあえずペンライトを買うことにしているので、ペンライトのコーナーに寄って買っていこう。

 

 

「うぉぉ……広いなぁ」

 

 

 ペンライトを購入して会場の中に入るとまず会場の広さに驚く。

 会場のど真ん中にステージがあってその周りを観客席で囲んでいる。

 

 

「み、皆んなこんな中で歌って踊るのか…」

 

 

 しばらく放心していたがすぐに気を取り直して、自分のチケットに割り当てられている席へと向かう。

 俺の席はステージから近くも遠くもない真ん中ら辺だが、まぁ初ライブで最前列は流石に緊張するのでこのぐらいで丁度いい。後はライブが始まるのを待つだけだ。

 

 

 ライブ開始時刻が近づくにつれて虫食い状態だった観客席がどんどん埋まっていく。 いよいよ始まるんだと実感が湧いてきてドキドキしてきた……

 

 

『ご来場の皆様、それでは只今よりライブが開催されますので〜』

 

 

 ついに来たな…… すごいドキドキしてきたぞ

 

 

 照明が落ちて周りが暗くなると、ステージに光が集まりアイドルたちが集まってくる。

 

 

「みなさん!こんにちは〜! 私たち〜」

「シンデレラガールズです!」

 

 

 大きな掛け声がかかると周りの観客のテンションもどんどん上がっていく……大歓声だ。

 

 

「それでは聞いてください!一曲目は〜〜」

 

 

 

 

 

 

 

 それからはすごかった…… まさに夢のような時間だった。

 

 綺麗な衣装に身を包んだアイドルたちが華やかなステージでパフォーマンスをする…… 一曲一曲が終わる度に観客席からあがる大歓声、どんどん上がっていく会場のボルテージ、何よりアイドルたちの笑顔…… 全てが初めての体験で最高だった。

 

 

「すごかったな……ライブ。 これがアイドルか……」

 

 

 全員のパフォーマンスが最高だったけど中でも菜々さんのステージは印象に残っている。会場全体の一体感のようなものが凄まじかった。俺は掛け声がわからなかったから今日は見ているだけだったが、次もしライブに来れたら俺も掛け声をしてみたい。

 

 

「……まだ胸の高鳴りが収まらないな」

 

 

 そして俺はライブの余韻も抜けないまま帰宅して、風呂に入って飯を食って眠りについた。

 

 

 

 

 

 そして後日……

 

 

「菜々さん俺この前のライブめちゃくちゃ楽しかったです!」

「えっ!本当ですか〜! そう言っていただけると嬉しいですね〜」

 

 

 カフェでの仕事でまた一緒になった菜々さんに仕事後ライブの感想を伝えると、ニッコリと菜々さんは嬉しそうに笑う。

 

 

「俺ライブは初めてだったんですけど、初めてが菜々さんたちでよかったですよ!」

「そ、その言い方には語弊がありますが……楽しんでくれたならよかったです〜!」

「菜々さんの曲もすごかったですよ……会場が1つになってのウサミンコール!」

「ですよね〜 ナナも楽しいんですよ〜 ファンの皆さんには感謝の気持ちでいっぱいで〜」

 

 

 菜々さんって本当に人柄の良さが滲み出てる人だよなぁ……

 

 

「白石くんの初ライブ話を聞いているとなんだかナナも初めてのライブのことを思い出しますねぇ〜」シミジミ

「へぇ〜 聞いてみたいです」

「そうですね〜 確かあの日は〜」

 

 

 その後は菜々さんの思い出話を聞かせてもらった。

 なんか菜々さんは話しやすいんだよなぁ〜 オカン力が高いんだろうけど……これは菜々さんには言わないようにしておこう。

 

 

「でもナナは嬉しいです!白石くんがアイドルのこと好きになってくれて…!」

「そうですね……昨日ライブで聞いた曲以外も聞いてみたいです」

「ぜひぜひ! あ、ナナのソロ曲もCDショップで絶賛発売中なのでお買い得ですよ〜?」

「CDってそういえばあんまり買ったことないですねぇ、今はダウンロードしてる人が多いじゃないですか?」

「あぁ〜 ナナは逆にあんまりダウンロードとかには慣れてなくて…ナナが子どもの頃はそんなものは無かったので、新曲のCDが発売されるとみんなCDショップに……」

「な、菜々さん…ストップストップ。 世代が出ちゃってるから……」

「え、あ、あばばばばばば! こ、これはその違くて! ウサミン星では音楽をダウンロードする文化がなくって〜!」

 

 

 その後、いくつも自分で墓穴を掘りまくる菜々さんを落ち着かせるのはとても大変だった。

 

 菜々さんはこんな感じで割と危なっかしい人だけど、ステージに立った菜々さんは堂々としていてとてつもなく輝いていた…… それはもちろん他のアイドルも同じだ。

 

 初めてのライブの感想をまとめると、とても楽しかったのとアイドルはすごいということだ。俺はこれからもバイトを頑張ってお金を貯めて、またいつかライブに行きたいと心の中で考えていた。

 

 




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11話 普通の定義とは

 

「今日も疲れたな〜」

 

 

 呑気な声を出しながら時計を見ると時刻は既に夜の8時だった。 殆どのアイドルは仕事やレッスンを終えてもう家や女子寮に帰っている頃だろう。

 

 

 アイドルは華やかな存在でキラキラしたものではあるが、それはファンに見せない裏での血の滲むような努力の上に成り立っている。346でアルバイトしていると様々な場所で努力をしているアイドルを目にすることが多い。

 

 例えばボイスレッスンだったりダンスレッスン……それ以外にもビジュアルレッスンや自分が出演する番組のことについて考えていたりと本当に忙しそうだ。

 

 

「ていうかここは設備が充実しすぎてるよなぁ」

 

 

 思わず漏れた言葉の通り346の設備はとても充実している。 アイドルのレッスンに使う設備以外にも、広い公園のような場所にカフェや仮眠室やマッサージを受ける部屋もある。

 因みにマッサージは最高なので白石くんも是非!と菜々さんにオススメされたが男も……というか社員でもアイドルでもなんでもない俺が使用できるんだろうか……

 

 

 キュッ...キュッ…キュッ…キュッ…!

 

 

「ん?」

 

 

 あそこの部屋にまだ電気がついてる……誰かレッスンしてるのかな?

 

 そういえばこの前千川さんが……

 

 

 

〜〜〜〜〜

 

「そういえば白石くん、この前は迷子になった雪美ちゃんを助けてくれたらしいですね」

「あ、いや〜 雪美ちゃんはすごくしっかりとした子だったんで、多分俺が助けなくても1人で何とかできたんじゃないですかね〜」アハハ

「それでも白石くんが雪美ちゃんを助けてくれた事実に変わりはありませんよ! あ、そうだ!」

「どうしたんですか?」

「これからも、もし困っているアイドルや悩んでいるアイドルの子を見かけたら白石くん力になってあげてください♪」

「えぇ…!?そ、そんな無理ですよ! 俺音楽とかダンスのことわかんないですし、何もアドバイスとかはできませんって!」

「専門的なアドバイスじゃなくっても力になることはできますよ♪」

 

 

 む、無茶苦茶なことを言うなぁ千川さん……

 

 

「それにもし会社の中で白石くんの評判が上がればお給料が増えたりするかもしれませんよ……?」

「…………だ、騙されませんよ!」

「ふふっ……でも専門的な知識のない白石くんでも助けになることができるというのは本当ですよ? 意外とそういう一般の人目線のアドバイスが役に立ったりするもんですよ」

「そういうもんなんですかねぇ……」

「それにアドバイスじゃなくっても、例えば遅くまで居残りしている子を送ってあげたり……練習をしている子にタオルを持ってきてあげたり!」

 

 

 ん〜 まぁそのくらいなら……いや待てよ、すでに知り合った子ならともかく…話したこともないような女の子に声をかけるなんて俺にできるかな?

 

 

「う〜ん……」

「ふふっ♪ 白石くんなら大丈夫ですよ! 私とも最初に会った時より気軽に話せてますし、すぐにアイドルの子たちとも仲良くなれますよ♪」

「そうですかねぇ……」

「まぁその件についてはともかく、白石くんの仕事振りは評価できるとこだと思いますよ。これからも期待していますからね?」

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

 そういえばあんなこと言われてたなぁ……じゃあ今からあの部屋でレッスンしてる子に帰るように促したりした方がいいのかな…? いやでも頑張ってるアイドルにそんな水を刺すような…… とりあえず少し中を覗いてみるか。

 

 

「…………」ソ-

「はっ! ふっ! ここで……こうしてっ…」キュッ..キュッ..

 

 

 中を覗いてみると女の子がダンスの自主練をしていた。

 

 あの子見たことあるぞ……この前のライブで見たんだけど…あれ、名前なんだったっけ…?

 

 

「………ナマエ..ナンダッケナァ」ジ-

「ひっ…!」

 

 

 いやでも覚えてるんだけどなぁ、笑顔がめっちゃ可愛くて印象的な、うーん名前は……あーもう少しで出てきそう! 確か……

 

 

「あ、あの〜……」

「ん? うわぁ!?」

「わわわっ!」

 

 

 急に声かけられたから前を見たらさっきのダンスしてた女の子が俺の近くまで来ていた。ビックリして声がめっちゃ出た……

 

 

「び、びっくりしたぁ〜……」

「そ、それはこっちのセリフだと思うんですけど……」アハハ

「え?」

「だ、だって……視線を感じるなと思って振り返ったらあなたがこっちを覗いてて……」

 

 

 確かに……さっきの構図を客観的に見ると、レッスンに夢中なアイドルを覗き込んでじっと見つめる俺…… 完全に不審者だ!

 しかも明らかにこの子の方が怖かったはず…

 

 

「ご、ごめんなさい! どう考えても俺が悪いです! 本当驚かせてすいませんっ!」

「あわわっ…! そ、そんなに謝らなくても…」

「いや、あんなの通報されててもおかしくないレベルですよ!本当にすみませんでした!」

「と、とりあえず落ち着いてください〜!」

 

 

 ………………

 

 

「お、落ち着きましたか?」

「はい……」

「あはは……私あんなに綺麗な直角のお辞儀初めて見ちゃいました」

 

 

 一旦落ち着いた俺と女の子は、広いレッスンルームのど真ん中でお互い正座をして向き合っている。 側から見れば妙な光景に写ると思う。

 

 

「あの〜 それであなたは一体……」

「あ、俺はここの事務所でバイトとして雇われている白石幸輝って言います」

「バイトさんだったんですか〜 よかった〜私本当に不審者の人かと……」

「本当すいません……」

「あっ…も、もう大丈夫ですよ! え〜っと、私は島村卯月って言います。ここの事務所でアイドルを……」

「そうだ島村卯月だ!」

「え?」

「あ……」

 

 

 しまった……つい大きな声を

 

 

「わ、私のこと知ってくれているんですか?そうだとしたら嬉しいです!」

「す、すみません……また驚かせてしまって。 俺実はこの前のライブを見させてもらって、そこで島村さんを見たけど名前が思い出せなくて……あ! パフォーマンスが印象に残らなかった訳とかじゃないですよ! めっちゃ素敵でした! 歌も上手でダンスもかわいくて……あとめっちゃ笑顔が素敵でした!」

「あのぅ……」

「な、何ですか!」

「そんなに面と向かって褒められると……は、恥ずかしいです……」

 

 島村さんは顔を真っ赤にして困ったように笑う。

 しまった、またパニクって余計なことを……

 

 

「つ、つまりはですね……バイトしてたらここの部屋に電気がついてたから中を覗いていたということです……怖がらせてしまって申し訳ないです」

「そういう事情だったんですね〜」アハハ

「そ、そうなんですよ〜」アハハ

「………………」

「………………」

 

 

 き、気まずい……事情を説明し終えたからもう何も話すことがない。このまま部屋から立ち去ってもいいのだろうか……

 

 

「あの〜」

「え?あ、はい。何ですか?」

「さっき私のライブよかったって言ってくれたじゃないですか……あれって本当ですか…?」

「え?」

「す、すいません……変なこと聞いちゃって……わ、忘れてください」

「……本当ですよ!」

「え?」

「あんなパニックになってたやつが言っても説得力が無いかもしれないけど、さっきの感想は俺の本心ですよ!」

「ほ、本当ですか……?」

「はい」

「それなら……よかったです」ニコッ

 

 

 島村さんは嬉しそうに……というよりは安心したように微笑む。

 

 

「私って普通なんですよ……顔もスタイルも性格も」

「え……」

 

 

 普通…かなぁ……? めっちゃ顔可愛いし体つきも中々に……いやイカンイカン、真面目な話っぽいからちゃんと聞かなければ。

 

 

「周りのみんなはとっても輝いてて……私はもしかしたら何にもないんじゃないかと考えてしまったことがあるんですよ。 でもそんな時にみんなやプロデューサーさんが私を勇気づけてくれたんです……!」

「素敵な話ですね……」

「はい……でもやっぱり時々少しだけ不安になってしまうこともあるんです。 今日はダンスのレッスンが上手く行かなくて…だから居残って練習していたんですよ。 でも今、白石さんが本音で私のことを褒めてくれたから……私、少し元気を貰いました」エヘヘ

「あっ……」

 

 

 千川さんの言葉を思い出す。 一般人目線の意見がたまに役に立つ…… 俺の意見が少しだけ島村さんの役に立ったのだろうか……

 

 

「……アイドルのライブが初めてだった俺ですら島村さんのステージは素敵だと感じました。 島村さんの笑顔には、人を幸せな気持ちにする力があると思います……!」

「あ、ありがとうございます! そうですよね……笑顔が取り柄の私がしょぼくれてたらいけませんよね!」

 

 

 島村さんは立ち上がり拳を握る。 さっきまでの顔つきとは違い、今はやる気と活力に溢れたような顔だ。

 

 

「そうと決まれば今日上手く出来なかった振り付けを……!」

「ちょ、ちょっと待ってください! 流石に今日はもう遅いんで帰った方がいいんじゃないないですかね……?」

「え? あれ……もう夜の8時すぎだったんですね……さっき見た時はまだ6時だったんですけど、夢中で練習をしていて気づきませんでした…」アハハ-

「す、すごい集中力ですね……」

 

 

 さっき島村さんは自分に何にもないのではないかと不安になることがあると言っていたが、多分だけど島村さんは努力の天才なんだと思った。

 

 

「じゃあ今日はもう終わりに……夜も遅いので俺が車で送りますよ。もちろん会社の車なので」

「し、白石さん運転ができるんですか!?」

「うん。俺実は18歳なんですよ」

「車の運転ができるなんてすごいです……」

「そんなに凄いもんでもないですよ?」

「私なんてすぐにぶつけてしまいそうで……」

「あははっ…! 教習所で練習するから大丈夫ですよ!」

「そうですかねぇ……」

「じゃあ行きましょうか」

「はいっ! あ……」

「どうかしたんですか?」

「ちょ、ちょっとだけ待ってください……」

 

 

 島村さんは急にモジモジとしだす。 どうしたんだろうか……まさかまだ練習したいとか?でも流石にこれ以上は……

 

 

「島村さん、気持ちはわかりますけど体を休めることも大切だと思いますよ。だから今日はもう帰りましょう!」

「あ、いえ……そ、そうじゃなくて……」

「ど、どうしたんですか?」

「わ、私…今汗いっぱいかいてるので……シャツも汗でぐっしょりで、あ、汗くさいと思うので先にシャワーを浴びてきたくて……」

「あ……そ、そういうことなら……ど、どうぞ。 俺待ってるんで……」

「す、すみません……」

 

 

 島村さんは顔を真っ赤にしながら足速にその場から立ち去る。

 デリカシーってどうやったら身につくのかな…? 誰か俺に教えてください。

 

 

 

 

 

「じゃあ出発しますね」

「はい! よろしくお願いします!」

 

 

 俺は島村さんを会社の車に乗せて出発する。

 さっきシャワーを浴び終えた島村さんと再会した時に、とんでもなくいい匂いがしてまたパニクってしまったのは内緒だ。

 

 

「白石さんは今大学生なんですか?」

「そうですよ。1年生です」

「じゃあ私は2年生なので私の方が先輩ですね」フンス

「え? "高校"の2年生ですよね。 流石に騙されないですよ?」

「えへへ……バレちゃいました」

「島村さんが年上だったら俺驚きますよ」

「むっ……私そんなに子どもっぽいですか?」

「そ、そういう意味じゃないですって!」

「あははっ! 冗談ですよ? 私怒ってません♪」

「い、今のは騙された……」

「ふふっ……あ、次の信号を右です」

「了解」

 

 

 島村さんを助手席に乗せて車は走り続ける。

 

 

「白石さんは男子校出身だったんですか〜」

「そうだよ。中高とずっと男子校」

「男子校ってどんな感じなんですか?」

「……アホの集まりみたいな感じかな。でも楽しかったよ」

「ふふっ……白石さん、段々と敬語がとれてきましたね。本当はそういう喋り方なんですね」

「あ、ご、ごめん……つい」

「いえいえ! 責めてるわけじゃないですよ! むしろそっちの方がいいと思います♪」

「そ、そうかな?」

「はい♪」

「でも俺あんまり女子と話慣れてないから最初はどうしても敬語になっちゃうんだよね……敬語がとれたのも島村さんが話しやすい人だからだし……」

「私も白石さんとお話するの楽しいです♪きっと相性がいいんですよ!」

「あ、相性……?」

「へ……? あ、あれ…?わ、私何言ってるんだろう……今のは忘れてください! ってそろそろ私のお家に着きますよ!もう少しです!」

「お、おぉ…」

 

 

 島村さんのその言葉は本当だったらしくその後にすぐ家へと到着した。 島村さんは車の外へ出て俺に挨拶をする。

 

 

「白石さん、今日は本当にありがとうございました!」

「いやいや、俺は別に何も」

「ふふっ♪ また事務所でお会いした時は声をかけてくださいね?」

「わ、わかったよ……アイドル頑張ってね」

「はい、島村卯月!頑張ります!ぶいっ! それでは失礼します!」

 

 

 島村さんは決めゼリフのようなものを言いながら両手でピースを作りながらニッコリと笑った。

 

 何それ可愛すぎない?破壊力がえげつないんですけど……

 

 

 あの笑顔とピースに心臓をやられかけたが何とか持ち直して車を走らせる。

 

 

「じゃあ車を返して俺も家に帰りますか〜」

 

 

 その後、何度か運転中に島村さんのエヘ顔ダブルピースを思い出して危なかった……

 あれはもはや兵器だ…

 

 

 




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12話 子どもの体力は無限大

皆様のおかげで評価のバーに色が灯りました〜 本当にありがとうございます。
これからも色んなアイドル出しながらのんびりと続けていきたいなと思っています。


 今俺は結城晴ちゃんという女の子を仕事場まで車で迎えに行っている。 その後はもうオフということなので家にそのまま送り届けて大丈夫とのことらしい。 因みに俺も今日はそれで上がりの予定だ。

 

 

「ちょっと予定の時間より早く着きそうだな」

 

 

 まぁ早めに着いても俺が待ってればいいだけなんだけどね。

 

 

 

 

「えーっと……◯◯スタジオ、ここだな」

 

 

 こんな風にアイドルを送迎するのも2回目だなぁ。 1回目は城ヶ崎さんと大槻さんの時だったけど……なんか随分と昔に感じる。

 

 そんなことを考えながら建物に入ると、カメラを構えた人とそのカメラに撮られる女の子がいる。

 

 

「いいよ〜 晴ちゃん!もっと上目遣いな感じで〜!」

「う、上目遣い!? そ、そんなの意識してやったことねーよ……」

 

 

 恐らくあの女の子が結城晴ちゃんだろう。

 

 ほー……メイド服の撮影かぁ、似合ってて可愛いな。 てか小さな子ども用のメイド服ってあるんだなぁ。

 

 

「いいねー晴ちゃん! こりゃとんでもない写真ができるぞ〜!」

「う〜、スカートはやっぱスースーすんなぁ……」

 

 

 そんな風に進んでいく撮影を10分ほど見学していると、カメラマンさんが大きな声で終了だと告げる。

 

 

「おっけー! 晴ちゃん、お疲れ様だったね!」

「ふぃ〜 やっぱりヒラヒラした服は慣れないぜ…」

「僕はもっとヒラヒラした衣装でも似合うと思うがね!」

「う……つ、次はカッコいいやつがいいんだけどなぁ……」

「はっはっは!それは君のプロデューサー次第だな……って、君は?」

「あ、俺……私は346から結城の送迎を任された者です」

「おー! そうかそうか、待たせて悪かったね! それじゃ晴ちゃん、また次もよろしく頼むよ!」

「今日はありがとうございました! それじゃ行こうぜ?」

「あぁ…うん。 それでは失礼します」

 

 

 またなー!と手を振るカメラマンさんに一礼をして俺と結城晴ちゃんは更衣室へと向かう。

 

 

「アンタが今日は車で送ってくれるのか?」

「そうだよ」

「じゃあ早く着替えて帰ろうぜ……この服は落ち着かねぇんだ……」

「似合ってて可愛いと思うけど?」

「か、可愛いとか言うんじゃねぇよ! とにかく今から着替えてくるからちょっと待っててくれ」

 

 

 待ての指示を出された俺は大人しく更衣室の前で着替えが完了するのを待つ。

 

 

「おまたせ、じゃあ行こうぜ」

「ん?あぁ…別に待ってないよ……」

「ん?何だよ」

「いや、さっきの服とは印象が違うなと思って……」

「言っておくけどこっちが本来のオレだからな! さっきみたいな服着んのは撮影の時だけだ!」

「わ、わかったから……じゃあ車に向かおうか」

 

 

 どうやらヒラヒラした服を着ることはあまり慣れていないようだ。

 

 

 

「よし、シートベルトはした?」

「おう、よろしく頼むぜ」

「了解」

 

 俺は安全の確認をして車を走らせる。

 

 

「ところでアンタ誰なんだ? 誰かのプロデューサーか?」

「ん? あぁ…俺はただのバイトだよ。まだ18歳の学生」

「な〜んだ、通りでスーツじゃなくて普通の服なわけだ。で、名前は?」

「白石幸輝、よろしくね」

「おう、よろしくな幸輝!オレは結城晴だ!」

「よろしく晴ちゃん」

「おい、ちゃん付けはよしてくれ……むず痒い」

「でもカメラマンさんは……」

「あ、あの人は仕事相手だからな……それに多分言っても聞かないタイプの人だ」

「なるほど、じゃあ……」

「晴でいいぜ」

「よろしく、晴」

 

 

 流石に子ども相手では名前呼びも恥ずかしくないからね。

 

 

「そういえば晴は今日もう家に帰っていいらしいんだけど……どうする?」

「なぁ◯◯公園ってところに行くことはできるか?」

「え、どうして?」

「今日はこの後サッカーをする予定なんだ!珍しく梨沙が相手してくれるって……あ、梨沙ってのはオレの友達でライバルなんだけど……」

 

 

 晴は余程サッカーのことが好きなのか、先ほどまでとは声のトーンが違う。

 

 

「そういや幸輝はサッカーやってねぇのか?」

「ん〜 体育の授業でやったぐらいかな」

「え〜 勿体ねぇな〜 背高そうだからヘディングとか上手そうだよな。何センチあるんだ?」

「この前測った時は178センチだったな〜」

「羨ましいぜ〜 オレもそんくらいあったらヘディングでバシバシ決めるんだけどなぁ」

「まだこれから伸びるよ。 お、それよりもうそろそろ公園に着くよ」

「あ〜 早くボール蹴りてぇ〜」

 

 

 めっちゃウズウズしてる…そんなにサッカーがやりたかったんだな。

 

 

「よし、着いたぞ」

「サンキュー! あれ?梨沙からメッセージ届いてた……はぁ〜!?」

「どうかしたの?」

「り、梨沙のヤロ〜 少し遅れるって……」

「あぁ……そういう連絡か」

「うぅ〜 アイツも忙しいのはわかってるからしょうがねぇことなんだけど……はぁ〜」

 

 

 めっちゃため息ついてる……余程早くサッカーがしたかったんだろう。 うーん……これじゃ少し可哀想だな。

 

 

「はぁ……しゃーねぇか。1人でリフティングでもして待ってるか……てな訳でありがとな幸輝、送ってくれて」

「ちょっと待って…よし、返事が来たぞ。………晴、俺がサッカーの相手するよ」

「いいのか!? やったぜ! って……バイトはいいのか?」

「元々俺も今日はこれで終わりの予定だったんだよ。 それに今千川さんに、車返すの少し遅れてもいいかって聞いたら大丈夫だって連絡も来たからね」

「マジかよ! じゃあ早く車を駐車場に止めてサッカーやろうぜ!」

「よし! じゃあ行こう!」

 

 

 俺はその後車を駐めて晴と一緒に広場へと向かう。 サッカーするのなんてかなり久しぶりだから少し心配だけど……

 

 

 

 

 

「おら!」

「おっ、コントロールいいね〜」

「当たり前だろ〜!ほらパス!」

「ほっ!」

 

 

 俺と晴は今、2人正面に立ってパスを出し合っている。

 

 

「こんな風にパス出すくらいしか出来ないけどこれでもいいの?」

「相手がいるのといないのとじゃ大違いだぜ…ほらっ!」

「おっと…本当に正確なパスだなぁ」

「ボールはほぼ毎日蹴ってるからな! ん?ちょっとタンマ! 梨沙からメッセージだ」

「なんて書いてあったの?」

「もう着くってよ! 今公園が見えてるって……あ!おーい梨沙ー!」

 

 

 晴が大きな声を出して手を振る方向には小さな子どもたちが………あれ、なんか多くない?梨沙って子以外にも何人かいるぞ。

 

 

「遅れちゃって悪かったわね……ってアンタ誰よ?」

「ん?あぁ俺は……って!その手に持ってるのはなに!? まさか防犯ブザーじゃないよね!?」

「いいから早く誰なのか説明しなさいよ」

「おいおい梨沙、こいつは別に不審者とかじゃないぜ。えーっと……あれ、なんだっけ?」

「ちょっと!バイトだよバイト!」

「あ、あぁ〜! そうだそうだ! こいつはウチの事務所でバイトしてる幸輝だ」

「バイトぉ……?」

「本当だからその防犯ブザーを閉まってくれないかな……ほら」

 

 

 俺がちひろさんに貰ったバイト用の社員証のようなものを見せると女の子もようやく納得してくれたようで……ようやく防犯ブザーをしまってくれる。

 

 防犯ブザーを突きつけられるってあんなにドキドキするんだな……

 

 

「……幸輝……久しぶり」クイクイ

「あ、雪美ちゃん。久しぶり」

 

 

 雪美ちゃんがクイクイと服を引っ張ってくる。うーん、出会った時のことを思い出すなぁ……

 

 

「なんだ、幸輝は雪美と知り合いだったのか?」

「まあね」

「一緒に……クレープ食べた……あーん……した……」

「アンタ不審者じゃなくてロリコンだったのね」

「そうそう俺不審者じゃなくて……ってロリコン!?」

「なによロリコン」

「ろ、ロリコンとかあんまり言わないでくれないかな?周りに聞かれたらどうするんだ……!」コソコソ

 

 

 急にロリコンとか言うからびっくりしたわ……よくそんな言葉知ってるなぁ。

 

 ていうか不審者はアウトでロリコンはセーフなの? 基準がよくわからない……

 

 それでこっちのウズウズしてる3人は……

 

 

「市原仁奈でごぜーます!よろしくですよ!」

「龍崎薫だよー!よろしくおねがいしまー!」

「横山千佳だよ!ラブリーチカって呼んでね!」

「よろしく、俺は白石幸輝っていうんだ」

 

 

 自己紹介をすると大きな声でよろしくお願いしまうと言う。 元気が有り余ってるみたいだな。

 

 

「おい、梨沙。なんで仁奈たちもいるんだ?」

「ここに来るって言ったらついてきちゃったのよ。 まぁ人数多い方がいいでしょ?」

「まぁそりゃそうだな」

 

 

「今日は幸輝おにーさんが遊んでくれやがるですか!?」グイグイ

「わーい!薫とも遊んで遊んでー!」グイグイ

「楽しみ〜♪ あとで魔女っ娘ごっこやろーね!」グイグイ

「ちょ、ちょっと待ってくれ……」

 

 

 ちびっ子3人が目から遊んで光線を放ちながら手を引っ張ってくる。

 

 

「ちょっとアンタ!私との自己紹介がまだ済んでないでしょ!」

「え、あぁ……みんな、一回ちょっと離れようか……?」

「ふん!ロリコンにはピッタリの光景ね!アタシは的場梨沙よ」

「いやだから俺はロリコンじゃ……はぁ……俺は白石幸輝、よろしく」

「言っておくけどアンタがロリコンだろうとアタシはアンタに興味なんかないんだからね!アタシはパパ以外のオトナには興味ないのよ!」

「いや俺別に何も言ってないんだけど……」

「おーい、自己紹介が済んだなら早くサッカーしようぜー」

「幸輝……ロリコン……ってなに?……」

 

 

 なんて言うか、子どもは元気でマイペースだ……

 

 

 

 

 その後はとにかく子どもたちの要望のままに遊びまくった。

 サッカーもしたし、鬼ごっこもしたし、隠れんぼもしたし、缶蹴りなんかもした。

 

 俺はこんなに本気で遊んだのは久しぶりだったからめちゃくちゃ疲れたのに、子どもたちはずっと走り回っている。

 

 

「か、薫ちゃん……そろそろ疲れたりしないの……?」ハァ...ハァ...

「まだまだ疲れてないよ! 幸輝さんはもう疲れちゃった……?」

「………ま、まだまだ俺もいけるに決まってるじゃないか!」

「わーい! じゃあまだまだ遊ぼうね!」

 

 

 嘘です……めちゃくちゃ疲れてます。 でも疲れたとは言えなかった……

 

 なんで子どもは遊ぶ体力がこんなにあるのだろうか。 例えば俺とこの子たちがマラソンをすれば俺が勝つだろうけど、こんな風に遊んでいる時は必ず子どもより大人の方が先に疲れ果てる。 不思議なもんだな……

 

 

 そんなことを考えながらも遊び続けて気づけば空がオレンジ色になっていた。

 

 

「じゃあみんなそろそろ帰ろうか」

 

 

 俺が帰ろうと提案するとみんなは元気よく「はーい!」と返事をする。 もっと遊びたいとか言われるかと思ってたけど聞き分けのいい子たちでよかった。

 

 

「よし、それじゃあ車でお家まで送るから行こうか」

「「「はーい!」」」

 

 

 元気よく返事をした子どもたちを車に乗せて家まで送り届けていく。 まずは仁奈ちゃん、そして千佳ちゃん薫ちゃんと送り届けた。

 

 3人とも車から降りる時に「今日は遊んでくれてありがとう!」ってお礼を言ってきて本当にいい子たちだなぁと思った…

 

 それで後は晴と雪美ちゃんと梨沙ちゃんなんだけど……

 

 

「雪美ちゃん、梨沙ちゃんまだ寝てる?」

「………ぐっすり…」

「こんなに爆睡してる梨沙は珍しいな〜」

「2人とも梨沙ちゃんの家の場所とかわかる?」

「………そういや細かい場所は知らねぇな」

「………私も」

「となると本人に聞かなくちゃいけない訳だけど……お、雪美ちゃん着いたよ」

「………ありがとう」

 

 

 そんなことを言ってる間に雪美ちゃんの家に到着する。

 

 

「…………」コンコン

「ん?」

 

 

 雪美ちゃんが外から窓をつついているので窓を下ろす。

 

 

「……今日は……楽しかった…ありがとう」ニコ

「それはよかった。また今度遊ぼうね」

「………うん」

 

 

 うーん……いい子だ。

 

 

 その後も車を走らせる。

 

 

「晴〜 そろそろ梨沙ちゃん起こしてくれないか? もう2人だけになっちゃったし」

「そうだな〜 おーい梨沙〜!起きろ〜」

「ん〜 むにゃむにゃ……」

「ダメだ!起きねぇ!」

「いや、もう少し頑張ってよ!」

「え〜 ていうか幸輝が起こせばいいじゃんかよ…あ、そこ左な」

「左ね……俺が起こしたらなんか絵面がヤバくない……?」

「なんで?」

「いやほら、起こすために体を揺らそうとしたら体に触れなくちゃいけないじゃん。なんかヤバくない?」

「別に大丈夫だろ……そんなこと気にしてると本当にロリコンみてぇだぞ」

「まじか」

「おう、ほら〜 起きろ梨沙」

「んぇ……」

「お、そろそろ起きそうだな。そんでそろそろオレの家にも着くぞ。 そこ曲がったらもう出てくる」

「まじか」

 

 

 とうとう晴の家にも着いてしまった……

 

 

「おーい梨沙、いい加減起きろって。オレもう降りんぞ〜」ベシベシ

「い、いたい……いったいわね! あれ?」

「お、やっと起きたか! そんじゃ〜な〜 ヨダレ拭いとけよ? 幸輝、今日はあんがとな」

「うん、またね」

「え? 何……?アタシ寝てたの?」

 

 状況を把握できていない梨沙ちゃんを置いて晴は自分の家の中に入っていく。

 

 そして車の中は俺と梨沙ちゃんだけが取り残された……

 

 

「あ、あれ? ちょっと晴! 雪美は?仁奈は?他のみんなは!?」

「もう家に帰ったけど……」

「ま、まさか……」

「……?」

「あ、アタシと2人きりになるために仕組んだんじゃ……」

「んなわけないでしょ!」

「あ、アタシをどこに連れて行くのよ! も、もしかしてアンタの家に連れ込まれて……」

「普通にキミの家に送るだけだから!」

 

 

 とんでもないことを言い出したなこの子は…… てかめちゃくちゃ睨まれてる。

 

 

「はぁ……まぁいいわ。 アタシはセクシーだからアンタみたいなロリコンが虜になっちゃうのは仕方のないことよね」

「だから俺はロリコンじゃ……はぁ…で、梨沙ちゃんの家はどっち?」

 

 

 その後は梨沙ちゃんに小言を言われつつも、自宅への道を教えてもらいながら車を走らせていく。

 

 

「でさ〜 アタシこの前ロケで馬にベロベロ顔舐められちゃってさ〜 あの馬は絶対にロリコンよ!」

「馬にロリコンとかあるの?」

「まぁアタシぐらいセクシーだと馬もメロメロね! アンタもセクシーな女の子好きでしょ」

「え……い、いやぁ……嫌いではないかな〜」

「はぁ〜」

「な、なに……?」

「まぁ男ってそういう生き物だしね……」

「うっ……」

 

 

 こればっかりは仕方のないことなんだ梨沙ちゃん。男ならセクシーな女の子に興味があるのは普通なんだ……

 

 

「そういえばアンタ雪美と仲良さそうだったわね」

「え、そうかな?」

「別に、珍しいなと思っただけよ……あの子が人に自分から話しかけてるのが。懐かれてんのね…」

「懐いて……くれてるのかな? まぁそうなら嬉しいけど」

「やっぱりロリコンね」

「いやだから……」

「あははっ! あ、そろそろアタシの家着くから」

「りょーかい」

 

 

 的場さんが「ここでいいわよ」と言った場所で停車してドアを開ける。

 

 

「ほら、ついたよ」

「わかってるわよ……ねぇ」

「ん?」

「今日は楽しかったわ。ありがとね……それじゃ」

「あ、うん……それじゃ」

 

 

 的場さんはドアを閉めて家の方角へと歩いていく。

 

 まさかお礼を言われるとは思ってなかったな……

 

 

「事務所に車返さなきゃ」

 

 

 急に一人ぼっちになった車内でそう呟いて車を走らせる。さっきまで車内は賑やかだっただけに少し寂しい。

 

 

「はぁ……明日は筋肉痛だなぁ」

 

 

 まぁでも……俺も楽しかったからいいか。

 




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13話 お酒の飲み方には気をつけよう

デレステが6周年おめでとうということでそれっぽい話をと……


 

 今日は346事務所が創立されて◯周年ということでパーティーが開かれている。

 

 大きな事務所の敷地を存分に使って大掛かりな立食パーティーが行われており、所属しているアイドルやそれ以外の部署の人間に社員も参加して羽を伸ばしている。

 

 

「このドリンク運んどいてくれる?」

「わかりました」

 

 

 俺はパーティー中の食事やドリンクの類を配膳する仕事を今日は任されている。 人数が多いから食事やドリンクの消費も早く意外と忙しい……

 

 

「あら……美味しそうなドリンク! 一つ頂くわね?」

「どうぞどうぞ」

 

 

 綺麗なお姉さんが俺のトレイに乗っているドリンクを1つ持っていく。

 

 ……さっきから思っていたけど、綺麗な人とか容姿の整っている人が多いんだよね。流石は芸能事務所に所属している人たちって感じ。

 しかもそんな綺麗な人たちがドレスやタキシードなどの正装をしておめかししてるもんだからすごいキラキラしてる。

 一応俺もスタッフ用に支給されたスーツを着て髪も整えたりなんかしちゃってるけど……ぶっちゃけ場違い感が半端ない。

 

 

「俺も配膳じゃなくて裏で調理する方がよかったかなぁ……」

 

 

 まぁ大した料理スキルなんてないから無理なんだけどね。

 

 

「はぁ……」

「こーらっ!せっかくのパーティーでため息なんてついてたらダメだよ?」

「え? あ、相葉さん」

「ふふっ…こんちには白石くん!……あれ?時間的にはこんばんはかな…?まぁ別にいっか!それよりやっと大学以外の場所で会えたね♪」

「そういえばそうか。事務所で会うのは初めてだね」

「うんうんっ!………」チラッ

「……ん?」

「………」チラチラッ

 

 

 相葉さんが何かを期待するような目線を送ってくる…… え?どういうこと? 全然わからないんだけど。

 

 

「……なんか食べたいやつがあるなら持ってこようか…?」

「はぁ〜 白石くん女心が全然わかってないんだから〜」

「お、女心……? あ、もしかして食事制限してたり…?」

「もぅ〜! コレだよコレ!」グイッ グイッ

 

 

 コレ……? これってなに…? ていうかそんなに引っ張ったらせっかくの綺麗なドレスが伸びて…… あ…!

 

 

「ドレス……似合ってるね。すごく良いと思うよ」

「……や〜っとわかったか〜 女の子がお洒落してたら褒めてあげないとダメだよ!」

「うっ……」

「それで? どういうところが良いと思う?」

「えぇ……うーん……か、顔が可愛いと思う」

「……ど、ドレス関係ないでしょそれは…もぅ」

「ご、ごめん……女の子を褒めるのとかあんまりしたことないから」

「ま、まぁ……可愛いって言ってくれたし別にそれでいいよ!」

 

 

 相葉さんから合格を頂いた。 ていうか顔が可愛いと思うて……どんな褒め方だよって感じだよね…。

 

 

「じゃあ私そろそろ行くね?」

「あ、うん。 じゃあね」

「ばいば〜い♪」

 

 

 相葉さんはそう言って人ごみの中へと入っていった。

 俺は机の掃除でも……ん?

 

 

「すみません……」

「は、はい! ど、どうかしましたか!」

 

 

 肩を叩かれたから振り向いたら美女が……ていうか近い近い近い! か、顔が近い!

 なんなの!? こんな至近距離でめっちゃ見つめてくるんだけど……あれ? なんかお酒の匂いが……

 

 

「お手洗いってろこにあるかわはりまふか?」

「お、お手洗いですか…? あっちの会場から少し離れたところにありますけど」

「ありがとうございまふ……」ユラユラ

 

 

 ……今の人めちゃくちゃ酔ってるな。 1人でトイレ向かったけど大丈夫かな?

 

 

 

…………………

 

 

 やっぱりどうしても心配だ…。少し様子を見に行ってみよう。

 

 

 

「思わず来たものの、普通に女子トイレに入ってたら俺にはどうしようもできないよなぁ…」

 

 

 来てからそんなことに気づいてしまうが、とりあえず少し周りを……あ、あそこのベンチに倒れてるのって…!

 

 

「だ、大丈夫ですか!?」

「う〜ん……お、お水をくらはい…」

「ちょっとまっててください!」

 

 

 急いで水を持って女性の元へと戻る。

 

 

「どうぞ」

「ありがとうごらいまふ〜」

 

 

 女性は受け取った水を勢いよく飲み干すとボケ〜っとした表情で遠くを見つめている。

 

 

「あの……大丈夫ですか?」

「あ、はい……大丈夫れふ…すいませんご迷惑を、 私三船美優と言いまふ……」

「三船さん……俺は白石幸輝です」

「よろひくお願いします〜」ニコッ

 

 

 ……この人全然酔い抜けてないな。 てか顔めっちゃ赤いし、誰か呼んできた方がよさそうだな。

 

 

「あ、どうぞお隣に……」

「え? あ、あぁ……ありがとうございます?」

 

 

 三船さんがベンチをトントンするからつい隣に座ってしまった。 なんか変な状況になってきたなぁ。

 

「白石くんはおいくつれふか〜?」

「俺は18ですよ」

「18……お若いれふね……とても素晴らしいことれふ……うぅ……うぅ〜」シクシク

「えっ!? ど、どうかしたんですか…?」

「いえ、私なんてもう26なのに……周りに流されてばかりで情けないれふ〜」シクシク

 

 

 えぇ……三船さん急に泣き出したんだけど…。 ど、どうすれば……

 

 

「私だって…私だって好きでセクシーで可愛い動物のコスプレをしている訳れはないんれふよ〜!」

「セクシーで可愛い動物コスプレ……」

 

 

 泣いている三船さんには申し訳ないがスマホで少し調べてみると、過激な虎のコスプレをした三船さんの写真が出てくる。

 

 こ、これは……俺には刺激が強すぎて……

 

 

「プロデューサーしゃんは……もぅ……いっつもいっつも私に変なコスプレをさせて……もぉぉ……」シクシク

 

 

 あ〜……この人泣き上戸なタイプだな。 お酒が入ると泣く癖が出ちゃう人。

 

 

「うぅ……き、気持ち悪い……」

「えっ! だ、大丈夫ですか? 吐くならトイレとかで……」

「す、すいません……少し失礼します……」

「えっ……?え? ちょっと!」

 

 

 三船さんは急に俺の膝に頭を預けて寝転んだ。 いわゆる膝枕の体勢だ。

 

 

「……すぅ……すぅ…」

「え? もしかして寝た?」

 

 

 三船さんは目をつむって規則正しく寝息を立てている。

 

 

「……すぅ……すぅ…」

「……どうしようこれ」

 

 

 まさか俺の人生初の膝枕がされる側じゃなくてする側になるなんて……いやまぁ別にする側になるのが嫌って訳じゃないけどね?

 

 

「んん……かたぁい…」

「…………」

 

 

 ひ、膝の話だよね? いや膝以外に何が硬いんだって話になるからね……いや別に硬くなんてなってないからね。

 

 

「……あつぅい……はぁ…」

「………」

 

 

 な、なんかこの人いちいち艶かしいな……ぶっちゃけエロい。

 

 ってそんなことよりこれからどうしよう。最悪の場合三船さん抱えて……

 

 

「美優ちゃん? オイオイ、パーティ抜け出して男と密会かよ☆ ってあれ…寝てる?」

「あ、あなたは……誰だ?」

「ん? ってあれ?君は……菜々パイセンと一緒にカフェでバイトしてた青少年!」

 

 

 急に現れた綺麗なドレスを纏ったなお姉さんは俺のことを知ってるみたいだ……ていうかこの喋り方にこの声……まさか

 

 

「しゅ、しゅがーはぁとさんですか…?」

「おっ! よく覚えてたな☆ ちゃんとアイドルのしゅがーはぁとって書き込みして覚えたんだな。あとはぁとでいいぞ☆」

「いや、それはやってないですけど……」

 

 

 ていうか、えぇ……マジであの時あったしゅがーはぁとさんかよ。

 この前はなんか羽の生えた変な服着てたのに、髪も下ろして綺麗なドレス着てるから印象が全然違う。 いや前会った時も普通に綺麗な人ではあったけど……

 

 

「で、なんで青少年が美優ちゃんと密会して膝枕なんてしてんだ?」

「白石です。 これは……三船さんがすごいお酒に酔っていて」

「あ〜 美優ちゃんさっき早苗さんや志乃さんに飲まされてたからな〜 じゃあ介抱してくれたのか。 グッジョブだぞ☆」

 

 

 成り行きでこんなことになっただけなのに褒められてしまった。

 

 そんなことを考えている内にはぁとさんは俺の膝の上で眠る美優さんに肩を貸して立ち上がる。

 

 

「じゃあ、はぁとたちは行くからな。 また今度お礼すっから☆」

「お礼ですか…? 別にそんなこと」

「あ、お礼つってもエロいのとかは期待すんなよ青少年☆」

「そ、そんなの期待してないですよ!」

「いや〜ん☆ はぁとどんなことされちゃうんだろ〜」

「だからそんなことしませんって!」

「まぁまぁ…冗談だからそんなに怒るなって☆ んじゃ、じゃあな〜」

 

 

 相変わらずあの人と話してるとペースを握られる……。 前に話した時もそうだったし。

 

 

「はぁ……なんか疲れた」

 

 

 とりあえず俺も戻るか……。

 

 その後は特に何事もなく事務所の創立パーティーは終了した。

 

 

 

 

 

 

 そして後日、いつも通りにバイトを終えて事務所の敷地内を歩いていると……

 

 

「あの……すみません」

「あ、はい?」

 

 

 あ、三船さんだ。

 

 

「えーっと……白石くんでよろしいでしょうか…?」

「そうです、白石であってます」

「先日は酔っ払った私がご迷惑をおかけしてしまったようで……本当に申し訳ありませんでした」

「いやそんな! 全然迷惑なんて……」

 

 

 俺の前で綺麗にお辞儀をする三船さんは、パーティーの時の酔っ払った時とは違いハッキリとした口調で丁寧に謝罪をしている。

 

 

「お恥ずかしいです……酔っていたとはいえあんな姿を」

「本当に大丈夫ですよ。気にしないでください」

「いえ……それでは申し訳が立ちません。それでその、お詫びなんですが……」

「い、いやお詫びなん……て…?」

 

 

 三船さんはそこにあるベンチに座ると自分の膝を叩く。

 

 

「どうぞ……/// 男の子はこういうものが嬉しいと……心さんに教えてもらいましたので……」

「え?」

 

 

 えーっと……これはつまり、膝枕をするからこっちに来いってことなのかな……?

 

 

「だ、大丈夫ですよ!そんなことしなくても…! それに恥ずかしいですし!」

「でも……私もしてもらったので……それに何かお詫びをしないと気がすみません…」

「うっ……」

「さあ! どうぞ……!」

 

 

 ふ、雰囲気と違って意外と押しが強い……どうしよう、やらなきゃ三船さん引かなそうだし。 というかぶっちゃけしてくれるならしてもらいたい……膝枕。

 

 

「じゃあ、失礼します……」

「はい……どうぞ」

 

 

 

 ぼすっ

 

 

「……どうでしょうか?」

「あ、いえ……その……さ、最高です」

「よかったです」ニコッ

 

 

 いやこれ最高とかいうレベルじゃないぞ。めっちゃ柔らかいしいい匂いするし、上を見たら優しく微笑む三船さんの顔……そして大きな…いや、これは言うまい。

 

 とにかく天国だ。 彼女がいる野郎はこんな幸せなことをしていたのか……あ〜 ダメだなんも考えらんない。ここでこのまま1日を終えたい。

 

 

「やばいです」

「どうかしましたか…?」

「眠くなってきちゃいました……あはは」

「あら……でしたら眠っても大丈夫ですよ? 10分程時間が経った時に起こしますので」

「いや……でもさすがに……それ……は……」

 

 

「眠ってしまいました……ふふ、可愛らしい寝顔ですね」

 

 

 

 

 

 

 

 

「くん……くん。 白石くん……」

「んぁ……」

 

 

 やべ……マジで寝ちゃったぞ。

 

 

「起きないと初めてのチュ〜奪っちまうぞ〜☆ ん〜」

「え……? う、うわぁ!?」

 

 

 三船さんの声で目覚めたと思ったら目の前には、はぁとさんの端正なお顔が……思わず三船さんの膝から跳ね起きる。

 

 

「お、元気だなぁ☆」

「心さん。寝起きの人をあまり驚かすのは良くないですよ?」

「はぁ〜い。 ごめんね〜ゆるちて☆」

「ま、マジでびっくりしましたよ……」

「ん〜? 何か顔が赤くないか〜?青少年」

「あ、赤くないですよ!」

「んも〜! お姉さんにチュ〜されると思ってたドキドキしちまったのか? てかしろよ☆」

「はぁ……勘弁してくださいよはぁとさん」

 

 

 目の前で俺を揶揄うように、ニヤニヤとしているはぁとさん。 本当にビックリしたのと女性の顔が近くにあったのと、心臓がドキドキしているのは半々といったところだ。

 

 

「じゃ、はぁとたち行くな? 次は…はぁとが膝枕してやろうか☆」

「け、結構です…!」

「今一瞬 はぁとの太ももみただろ」

「み、見てないっすよ…?」

 

 

 苦し紛れの嘘をつくがはぁとさんにはお見通しなのだろう。 またもニヤニヤと笑みを浮かべている。

 

 

「んじゃ、本当に行くね〜 この前は美優ちゃんの面倒見てくれてありがとな、白石☆」

「あ、はい」

「よし! じゃあ行くぞ〜 美優ちゃん」

「あ……心さん、待ってください」

 

 

 俺に背を向けて去る心さんを追いかけるように三船さんも歩き出す……が、俺の方に振り返り綺麗なお辞儀をする。

 

 

「本当にありがとうございました白石くん」

「い、いえ!こちらこそ貴重な体験をありがとうございました! めちゃくちゃ良かったです!」

「ふふっ……またいつでもおしゃってくださいね? 膝枕程度でしたら……いつでも大丈夫ですよ?」

「………はい」

 

 そうして美優さんは最後にもう一回お辞儀をすると、はぁとさんを追いかけてその場を去る。

 

 

 やばいな……膝枕中毒になるかも。

 

 




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14話 何事も練習は大事

 

 最近ようやくこの事務所の構造にも慣れてきたかもしれない。 まだどこかわからないって場所はあるけど最初の頃に比べたら色々とわかってきたぞ。

 

 とりあえず今日はもう仕事が終わったので帰るとしよう……

 

 

「ん? なんだアレ?」

 

 

 事務所内の庭にあるベンチで女の子が1人、魂が抜けたように口を開けて上を向いている。

 

 

「…………」

 

 

 ここですごい女の子に対してコミュ力のあるやつなら「大丈夫ですか?」なんて声をかけるのかもしれない。 だけど俺に知り合いでもない女の子にいきなり話しかける度胸はない。

 

 

「……………」チラッ

 

 

 知り合いであれば声はかけたかもしれないから…… なんて言い訳を心の中でしつつ、放心少女を横目で確認しつつ前を通り過ぎようとする。

 

 

「……うぅ…」グスッ

「……!?」

 

 

 な、泣き出しちゃったぞこの子……さ、流石にこの状況で無視することはできないよなぁ……

 

 

「あ、あの〜 大丈夫ですか?」

「グスッ……え? あ、あぁ……うん。大丈夫だよ?」

 

 

 女の子は涙をゴシゴシと拭くと俺に返事をしてくれるが、誰だこいつ?みたいな表情をしている……そりゃそうなるよね。

 

 

「あの〜 気のせいじゃなければ泣いていたように見えたんですけど、何かあったんですか?」

「……ちょっとだけ後悔しててね」

 

 

 女の子はゆっくりと語り出した。 よかった〜 これで「お前誰だよ、気持ち悪いから話しかけんな!」とか言われてたら心に大きな傷を負うとこだった。

 

 改めて女の子のことを観察すると、長い髪にぱっちりとした目、そして猫のヘアピンのようなものを着けている……多分アイドルだろう。

 

 

「今度ね、ウチの事務所とキャッツとでちょっとしたコラボをするらしくてね……」

「キャッツ? キャッツってあの野球チームのやつですよね?」

「キャッツのこと知ってるの!? もしかしてキミもキャッツのこと好き!?」

「うわっ……い、いや〜 別に特別好きなわけでは……でも知ってる選手とかはいますよ」

「そっか〜 キャッツのファンってわけじゃないか〜」

 

 

 キャッツについて言及した瞬間にすげぇ元気になったな……あれが本来のこの子なのかもしれない。

 

 

「それでそのコラボがどうしたんですか?」

「あぁ……うん、 その企画の内容がね? 球場で販売するご飯を私たちが考案するってやつなんだけどさ〜」

「球場飯ってやつですよね? すごいじゃないですか」

「でもでも! アイドル何人かでコンペをすることになっちゃってさ〜 その中で1番良かった子のメニューが期間限定で販売されるんだって……」

「コンペってプレゼン大会みたいなやつですよね……? それで悩んでいたんですか?」

「うん……」

 

 

 話が見えてきたな……キャッツのことが余程好きなんだろうなこの子は。

 

 

「でも料理が得意な子が今回の企画にはたくさん呼ばれててさ〜」

「あなたは違うんですか?」

「アタシはほら……野球アイドルみたいなモンだからそのよしみで呼んでもらった的な」

「それで料理ができないことに後悔していたと?」

「そうだよ〜 うが〜!こんなことなら料理の練習とか真面目にしておくべきだった〜!」

 

 

 女の子は大きな声を出して頭を抱えている。本気で後悔しているみたいだし、なんとかして元気を出してもらいたいが……俺にできることなんてこれを言うことぐらいだよなぁ。

 

 

「じゃあ練習をすればいいんですよ!」

「練習……?」

「そうですよ! コンペは何日後なんですか?」

「えーっと……確か1週間後くらい?」

「ならそれまでにできる限りの練習をしましょうよ! 野球だってアイドルだって練習を頑張るから本番で力を発揮できるんじゃないですか!」

「…………」

 

 

 どうだろう、これでこの子が元気になってくれるならいいけど……

 

 

「そうだね……ここでしょぼくれてても意味ないよね! それにやるだけやって負けたなら納得もいくし……決めたよ! アタシ練習をするよ!」

「そうですか、じゃあ頑張ってください! 俺も陰ながら応援して………!」グイッ

「よ〜しそれじゃあ気合い入れていくぞ〜!」

「ちょ、ちょっと!」

 

 

 そうして俺は元気を取り戻した女の子に手を引かれていった……

 

 

 

「到着!」

「ここは……給湯室?」

「そうだよ〜 ここなら練習できるからね!」

 

 

 俺が連れてこられたのは給湯室のようだ。でも流石は346、給湯室もすごく綺麗だし広い……

 

 

「えーっと……あれ?そういえばまだ名前言ってなかったね。 アタシは姫川友紀! よろしくね!」

「あ、俺は白石幸輝、18歳です。ここでバイトをしています。」

「バイトだったんだ〜 なんか若そうだから社員さんなのかな〜って疑問に思ってたけどなるほどね〜」

 

 

 姫川さんは俺に話しかけながら冷蔵庫の中の卵を取り出す。

 

 

「勝手に使っていいんですか?」

「大丈夫大丈夫〜」

 

 

 本当に大丈夫なのかなぁ……まぁ姫川さんがそう言うなら信じるしかないけど。

 

 

「それで、その卵どうするんですか?」

「まずはアタシの料理の腕前を見てもらおうと思ってね〜 ちょっとだけ待ってて!」

 

 

 姫川さんはそう言うと、料理ができないと言う割にはテキパキと作業を進めていく。 動きに迷いがない……実は謙遜してただけである程度は料理できるんじゃないか?

 

 

 

 

「できた〜! ほらほら〜感想をどうぞ!」

「えっ……これなんですか?」

「卵焼き!」

 

 

 自信満々に言うけど……これ卵焼きっていうよりはほとんどスクランブルエッグだし、なんか所々黒いし……

 

 

「さぁさぁ!」

「う……い、いただきます」パクッ

 

 

 もぐもぐもぐもぐ………

 

 

「ど、どう!?」

「まずいです……」

「そ、そんなぁ〜!」

 

 

 いや普通にまずい……黒い部分は普通に焦げてるだけで苦いし、そもそも卵焼きに味がついてない……

 

 

「姫川さん、これ味付けとかしましたか?」

「……? 卵焼きって卵割って焼くだけじゃないの?」

「いや砂糖とか入れるでしょうよ……」

「えっー! そうだったんだー!」

 

 

 あ、この人多分本物に料理したことない人だ。 これじゃあとてもコンペで勝つのは……

 

 

「うぅ……」シュン

 

 

 でもこのままじゃいくらなんでも……

 

 

「確かに姫川さんの料理は美味しくないです」

「うっ……はっきりと言うね……」

「ここで嘘ついても仕方ないじゃないですか」

「うぅ〜」

「だから、せめて少しでも良くなるために何回も練習しましょう。 俺でよければいくらでも付き合いますから……乗りかかった船ですし」

「あ、ありがと〜! そうだよね……今は育成選手だけど練習すればいつかはオールスターに出るような選手に!」

「まぁ流石に1週間じゃ無理ですけど……」

「ず、ズバッと言い切るね」

 

 

 う〜ん……でもどうすればいいんだろうか。姫川さんにあんまり難しい料理は無理だろうし、かといってそんな簡単なものでコンペに勝てるのだろうか……

 

 

「うーん……あ!」

「なんか思いついたんですか?」

「こういう時は逆転の発想だよ! 料理じゃなくてシチュエーションを上手く使うんだよ!」

「はい?」

「いいから! とりあえず一回外に出てみてよっ……!」

「ちょ、ちょっと……」

 

 

 バタン

 

 結局姫川さんに押されて部屋の外に出てしまった。 家を追い出されたやつみたいだなぁ……

 

 

「入っていいよ〜」

 

 ガチャ

 

 

「一体何をするんですか……え?」

「おかえりなさい〜あなた! 美味しいご飯ができてるよ〜! さぁさぁ! 早く一緒に食べよ?」

「え、えぇ?」

 

 

 部屋の中に入るとエプロンをつけた姫川さんが出迎えてくれて、腕を掴んでぐいぐいと中に引っ張ってくる。

 

 ていうかあなた? もしかして家族ごっこのつもりなのかな?

 

 

「今日はあなたのために頑張ってお料理したんだよ? はい!大好きな卵焼きだよ!」

「ちょ、ちょっと……」

「ほらほら!」

 

 

 さっき作った卵焼き?と箸を渡されて、言われるがままに口に運ぶ。

 

 もぐもぐもぐ

 

 なるほど……確かにあまり美味しくなくても恋人の手作り料理だと思えば気持ち的にはさっきよりいいものに思えてくる………いや

 

 

「やっぱりまずいですよ」

「が〜ん!」

「というかそもそもこれをコンペでやるつもりなんですか?」

「そ、そう言われてみればそうだね……」

 

 

 そんなわけで結局振り出しに戻ってしまう。

 

 

「…………」

「うーむ……」

「やっぱり何か1つ……今回のコンペのためだけのメニューを極めるのがいいと思うんですよ。 そもそもの料理スキルは1週間で追いつけるものではないですし」

「そうだね〜」

「やっぱりコラボだからキャッツと関係性があるものを作るとか……」

「キャッツとの関係性?」

「例えばですけどキャッツのイメージカラーはオレンジだからそういう色の料理とか」

「なるほどね〜」

 

 

 とは言ってみたものの……さっぱり俺には思いつかない。

 

 

「あ! ちょっといいものを思いついちゃったかも!」

「本当ですか!」

「こういうのはどうかな? 」

「……いいんじゃないですか? これなら料理が得意じゃない姫川さんでも作れるし、何より球場で食べやすいと思いますよ」

「よ〜し! じゃあコンペまでの間にこれを極めるぞ〜!」

 

 

 そうして友紀さんはコンペまでの数日間、その思いついたメニューを少しでも上手く作れるように励んだそうだ……

 

 

 そしてコンペ当日……

 

 

「それでは只今よりコンペを始めたいと思います。 まずは姫川さん、実際に調理をお願いします。」

「はい! アタシが今回考案したメニューは……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様でした、姫川さん」

「あぁ〜……うぅ〜」

 

 

 俺と姫川さんはコンペから数日後に、2人で練習場として使った給湯室に再び集まっていた。

 

 

「おーい、いつまで唸ってるんですか?」

「うぅ〜 だってぇ〜」

「落選しちゃったもんはしょうがないですよ」

「はぁ〜 いけると思ってたんだけどな〜 ねこっぴーおむすび……」

 

 

 姫川さんがあの日考えついたのは、キャッツ公式マスコットのねこっぴーの顔をしたおにぎりだった。簡単に説明すると海苔とかハムを上手に使って作るキャラ弁のようなものだな。

 

 

「まぁやれるだけやってダメだったんだから仕方ないですよ」アハハ

「そうだよね……そもそもアタシがまともに審査してもらえるメニュー作っただけでもすごいことなんだよ!」

「その通りですよ!」

「そこはそんなことないって言うとこだよ!」

「えぇ……」

「でも優勝したあのメニュー……あれは凄かったなぁ〜 絶対に売れると思うよ。 容器の中に出汁が入っててさ〜 その中に野球ボールみたいに丸めたご飯が入ってて、それを割ったら具がすごい出てくるんだよ! 美味しそうだった〜!」

「おむすびの上位互換みたいな感じですね〜」

「ガクッ……はぁ、もうしばらく料理はいいかな〜」

 

 

 姫川さんはテーブルに顔をくっつけてため息をつく。

 これを機に料理に目覚める! なんてことはなかったようだ。

 

 

「あ、でもね?あれから卵焼きはちょっと練習したりしてるんだ〜!」

「へぇ〜 それはまたどうしてですか?」

「えへへっ……いつか白石くんにアタシの卵焼きを美味しいって言わせたいからね!」ニコッ

 

 

 

 ……今のすごいキュンときた。流石アイドル。

 

 

「ま、まぁ練習することはいいことなんじゃないですかね〜?」

「でしょでしょ!」

 

 

 ちょっとだけキョドッて疑問系みたいになっちゃったよ……

 

 

「まぁ今日はそれよりお疲れ様会だからね! よいしょっ……」ゴトッ

 

 

 姫川さんが取り出したのは……買い物袋のようなものだ。 中身は見えないけど重そうな音がしたぞ……

 

 

「なんですかそれ?」

「ん? アタシの元気の源……じゃーん!」

「え! そ、それ缶ビールじゃないですか!」

「そうだよ〜♪ あ、白石くんはまだ飲んじゃダメだからね?18歳だし。 そっちのオレンジジュース飲んでね?」

「姫川さんもダメだって! 未成年アイドルが飲酒なんて……バレたらめちゃくちゃやばいんじゃ……」

「へ? アタシ未成年じゃないよ?」カシュッ...

「もう開けてるし!……って、え?」

 

 

 今なんて……?

 

 

「だからアタシはもう成人済みだよ」

「え、えぇぇっ!?」

「むっ……失礼しちゃうなぁ〜 アタシは20歳だよ! 年上のおねーさんだよ!」

「う、嘘だぁ……」

「そんなに信じられないかなぁ……アタシ一人暮らししてるんだよ?」

「ちゃ、ちゃんと生活できてるんですか…?」

「ちょ、ちょっとぉ〜! 確かに料理はできないけど……買ってきたり外で食べたりできるでしょ〜!」

「洗濯とかも自分でしてるんですか?」

「あ、当たり前でしょ!」

「えぇぇ……」

「信じてないね……?」

「正直に言うと、はい」

 

 

 だって……申し訳ないけど全く大人には見えないからなぁ…… 見た目も童顔だけど、それ以上に言動がね。

 

 

「じゃあ事務所の公式プロフィール見てみればいいじゃん……そこに20歳って乗ってるから」

 

 

 俺は手元のスマホですぐに調べる。

 

 

「えーっと……姫川友紀、161cm、体重は…」

「そ、そこはいいから年齢を見てよっ!」

「年齢20歳……ま、マジかぁ…」

「ほら〜!」

「えぇ……」

 

 

 いやぁ〜 これは流石に驚いた。 なんなら年下かもとか思ってたのにまさか年上で成人済みとは……

 

 

「………まじかぁ」

「まだ信じてないの!? むきぃ〜! アタシより年下なのに生意気だぞ〜!」バタバタ

 

 

 そう言ってビールを飲みながら地団駄を踏む友紀さんはやはりどうしても成人済みの大人には見えない。

 

 でもそんな親しみやすい所がきっとこの人のいいところなんだろうな……

 

 

 その後は拗ねてしまった姫川さんに謝って、すぐに機嫌がよくなった姫川さんとのプチお疲れ様会を楽しんだ。

 

 

 




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15話 トモダチは多くて損はない

 

 今日の仕事はひたすらお掃除お掃除。 窓を拭いたりゴミを集めたり箒で掃いたり、やることはたくさんあるぞ。

 

 

「この部屋は人がいないなぁ…ちゃっちゃと終わらせよう」

 

 

 まずはゴミ箱に入ってるゴミを回収して……

 

 

 ガタンッ!!

 

 

「え……?」

 

 

 な、何か大きな音がしたんだけど…… え?何これ怖い。 あっちの方から音がしたんだけど……

 

 

「………」キョロキョロ

 

 

 いややっぱり何もないけどなぁ……物が落ちたりしたのか……? あ、あそこにペンが落ちてる。 でもまさかこんなペン一つであんな音は……

 

 

「………」

「………え?」

 

 

 ペンを拾うために屈んだら机の下に人がいたんだけど… え、え…? いや本当にこれどういう状況なの?

 

 

「……こ、こんにちは」

「フヒ...こ、こんにちは……」

 

 

 あ、返事してくれた。

 

 

「………」ジ-

「………」ジ-

 

 

 いや思わず挨拶したけどどうしようかこれ。 流石にビックリして言葉が出てこない。

 でもめっちゃ目合ってるしこのまま無視するのも何かおかしいような……

 

 

「えーっと……俺は白石幸輝です。ここでバイトをしてる者です」

「あ、バイト……わ、私は星輝子……あ、アイドルをやってるぞ…フヒ」

 

 

 やっぱアイドルの子か。 なんとなくそんな気はしてたけど。

 

 

「えーっと……星さんは何でそんなとこに?」

「さんはいらないぞ……ここが落ち着くからな、日陰はジメジメしてて…好きなんだ…」

「じゃあ輝子ちゃんでいいかな…?」

「な、名前にちゃん付けだと……そ、そんなのまるで…まるで……リア充みたいじゃねぇかぁ!! ヒャッハーー!!!」

「うおっ!?」

 

 

 め、めちゃくちゃ豹変したんですけどこの子! え、何この変わりようは…… めちゃくちゃ激しい子になってるんだけど。

 

 

「ふぅ……す、すまない…取り乱しちゃって…フヒヒ」

「な、なんかすごいね……えーっと」

「さ、さっきので別に構わないぞ……」

「そ、そう? じゃあ輝子ちゃん、机の下を掃除するから一旦出て……それは…キノコ?」

「うん……私のトモダチだ……」

 

 

 机の下ですごいキノコ育ててるんだけど……そしてそのキノコは友達。 個性ある346のアイドルの中でも相当個性的な部類だなこの子は。

 

 

「し、白石さんは……キノコ好き…か?」

「え? うんまぁ……普通に好きだよ。 美味しいし」

「じゃ、じゃあ仲良くしてやって…くれ…フヒ」

「それはいいけど、俺普通にキノコ食べちゃうよ?」

「あ、それは……別にいいんだ…。 美味しいからな…キノコくんは…」

 

 

 いいのか……トモダチではあるけど別に食べること自体は嫌じゃないんだな。

 

 

「っと……輝子ちゃん、俺今仕事中だから掃除に戻らなきゃ」

「あ……うん。 お話してくれ…ありがとう……あ、小梅ちゃん」

「え? 小梅ちゃん?」

 

 

 輝子ちゃんが俺の後ろに視線を向けてるから俺も振り返ってみると……

 

 

「………」ジ-

「うわっ!?」

 

 

 金髪の髪の毛で片目が隠れている小さな女の子が俺のことをじーっと見つめて………いや、これ俺じゃなくて俺の頭の上を見てる…?

 

 

「あ、あの〜」

「その子……すごい怒ってる……」

「そ、その子って誰…? 俺の頭の上に誰か……」ソ-

「目…合わせない方がいいよ…」

「え……」ピタッ

 

 

 え?何? なんなの? 怖いんだけどこの子は何を言ってるの…? もしかしてこの子には俺に見えてない何かが見えてるとでも…? お化け的なやつ…? 何それ怖いんですけど。

 

 

「この人に憑いててもあなたの目的は達成できないよ…… ほら、離れてね……」

 

 

 今普通に憑いてるとか言ったよね? 完全に除霊的なことが始まってるんですけど……俺の頭の上で。

 

 

「もういいよ……」

「あ、ありがとう…? それで俺の頭の上には何が……」

「聞きたい?」

「あ、やっぱいいや…… えーっと、俺は白石幸輝っていうんだけど君は?」

「白坂…小梅です……あ、輝子ちゃんもいたんだね」

「フヒ...ずっとここにいたぞ、小梅ちゃん」

 

 

 もそもそと輝子ちゃんが机の下から出てきて小梅ちゃんと話し始めたけど、会話の雰囲気からして知り合いみたいだな。

 

 

「小梅ちゃん……またゾンビ映画借りたのか…?」

「うん。面白そうなのがあったから…輝子ちゃんも見る…?」

「いいぞ……フヒ」

「白石さんは……ゾンビ好き…?」

「え、俺? うーん……ゾンビが出てくるゲームとかならしたことあるけど」

「可愛いよね……ゾンビ。えへへ……」

 

 

 すごいな。こんな小さい子なのにゾンビが怖いどころか可愛いなんて……

 キノコをトモダチだと言う子とゾンビが大好きな子。 個性が強いなぁ。

 

 

「あれ? 小梅ちゃんこの映画……15歳以上じゃないと見ちゃダメなやつじゃ……」

「……えへへ」

 

 

 イタズラが見つかったように微笑む小梅ちゃん。 可愛い……

 

 

 ガチャ

 

 

「カワイイボクが来ましたよ!!」

「あ、幸子ちゃん…」

「おはよう、幸子ちゃん…フヒ」

「おはよございますお二人共!今日もお元気そうで何よりですね」

 

 

 輝子ちゃんと小梅ちゃんとは対照的なうるさ……元気な女の子が入ってきたな。

 

 

「おや、あなたは一体……」

「あ、俺はここのバイトの白石幸輝で……」

「もしかしてボクのファンの方ですか!?」

「え……?」

「ンモー、ボクの可愛さに引き寄せられてしまったんですねー! 何て罪な可愛さなんでしょうボクは……」

「お、おーい……」

「でも仕方ないですよね!カワイイボクがいけないんですよ! はぁ……可愛すぎるのも罪ですねぇ」ヤレヤレ

 

 

 これはまたすごい個性的な……

 

 

「幸子ちゃん……こういうとこあるけど、すごくいい子だから……」

「あぁいや、別に怒ったりなんてしてないから大丈夫だよ」

 

 

 小梅ちゃんがフォローを入れる。この3人は仲良しなんだろうな。

 

 

「ボクの名前は輿水幸子です! よろしくお願いしますね白石さん」

「俺の名前ちゃんと聞いてたんだ…」

「フフーン! こんなにカワイイボクに名前を覚えてもらえるなんて幸せ者ですね〜! もっと嬉しそうにしてください!」

「え…… わ、わーい…嬉しいなぁ〜」

「フフーン!」

 

 

 すごいドヤ顔。 いやまぁカワイイことは確かなんだけどすごい自信家だな。

 

 

「ところで何の話をしていたんですか?」

「このDVDを見ようって……」

「幸子ちゃんも一緒に見るか…?フヒ」

「どれどれ……フギャー! こ、これって怖いやつじゃないですかぁ!」

 

 

 フギャーて……リアクションいいなぁ。

 

 

「幸子ちゃんは怖い系苦手なのかな?」

「う……と、得意ではないですけど」

「幸子ちゃん……リアクションがいいから、私一緒に見るの好きだよ……えへへ」

「小梅ちゃん、そういうとこあるよな……フヒ」

 

 

 小梅ちゃんは可愛い顔をして意外とSッ気があるのか。

 

 

「でも怖がるボクはカワイイから良しとしましょう」

「無敵のメンタリティだな」

「フフーン! ……ところで白石さんはなぜ事務所にいるんですか?」

「俺ここでバイトしてるんだ。社員さんとかじゃないからね? 俺まだ大学生だから」

「だ、大学生……だと……?」

「……輝子ちゃん?」

 

 

 輝子ちゃんが急に下を向いてプルプルと震え出したんだけど……なにこれどういうこと?

 

 

「だ、大学生なんて……」プルプル

「しょ、輝子さん? 一体どうしちゃったんですか?」

 

 

「リア充の代表格みたいな奴らじゃねぇかァァァァ! ヒャッハーッッッッッ!!!」

 

 

「うぉ!」

「輝子さん落ち着いてください!」

「輝子ちゃん……スイッチ入っちゃった…」

「いやこれスイッチ入ったとかいうレベルなの!? 別人みたいになってるけど!」

 

 

「ゴォォォトゥゥゥヘェェェルゥッッ!! イエアアアアア!!」

 

 

 いやいやいや……豹変しすぎでしょうよ。

 

 

「白石さんが刺激したんですから落ち着かせてください!」

「えぇ!? 俺が悪いの!?」

「えへへ……」

 

 

 無茶な注文を投げかける幸子ちゃんに、何故か楽しそうな小梅ちゃん。 そして慌てる俺に叫ぶ輝子ちゃん……なんだこれ。

 

 

「えーっと…輝子ちゃん、俺別にリア充とかじゃないよ」

「な、なんだと……」

「俺……彼女とかいたことないし……」

「あっ……」

 

 

 自分で言っておいてなんだけどめちゃくちゃ情け無ぇ…… 泣きそう。

 

 

「彼女……いたことないんだ…」

「うっ……」

「ま、まぁ気にすることないですよ! きっとその内できますよ! カワイイボクが慰めてあげてるんですからそう落ち込まないでください!」

 

 

 何この雰囲気……年齢聞いてないけど恐らく年下であろう女の子にめっちゃ慰められてる…

 

 めっちゃ恥ずかしい……

 

 

 

「ご、ごめん……少し…取り乱したみたいだ…」

「あ、戻った! ほらほら輝子ちゃん戻ったからもうその話はいいだろ2人とも!」

「おや、本当ですね! ンモー 急に大きな声を出すからビックリしたんですよ?輝子さん。」

「……話、そらしたね…」

 

 

 さっきから小梅ちゃんがすごいチクチク俺の精神を攻撃してくるんだけど……やっぱSだよこの子。

 

 

「幸子ちゃん…輝子ちゃん、 これ早く見ようよ…」

「そ、そうだな……じゃあそろそろ行こうか…フヒ」

「うぇ〜 や、やっぱり見るんですかぁ〜」

「白石さんも……一緒に見る…?」

「あ〜 俺は無理だな。また今度ね」

 

 

 上目遣いで話しかけてくる小梅ちゃんのお誘いを申し訳ないけど断る。

 

 許しておくれ小梅ちゃん……

 

 

「そっか……じゃあまた今度ね…?」

「うん、見かけたらまた誘ってよ」

「えへへ……うん」

「じゃあ…行こうか? 2人とも……」

「小梅さん!見ている途中で驚かせてくるのは無しですからね!」

「…………」

「何か言ってくださいよぉ!」

 

 

 楽しそうに会話をしながら3人は部屋から出ていった。

 

 全員趣味も性格もバラバラだけど仲良しなのが伝わってきた……いい友情だ。

 

 

「ふふっ……楽しそうでしたね白石くん♪」

「せ、千川さんっ!? す、すいません! 決してサボっていた訳ではなくて!」

「いいんですよ全然。 3人とも楽しそうでしたし……むしろこれからも仲良くしてあげてください♪」

「そ、それはもちろん」

「それじゃあ私は失礼しますね? 1人の時はしっかりお願いしますよ」

「は、はい!」

 

 

 ガチャ

 

 

「び、ビックリしたぁ……」

 

 

 バイト中にくっちゃべってたこと怒られるかと思った……

 

 それにしても個性の爆弾みたいな子が多いなぁここは。 面白いけど

 

 

 




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16話 不審者は見かけ次第110番

 最近私生活の方が少し忙しくて投稿が遅くなりました。 申し訳ありませんでした。


 

 「白昼堂々女の子に乱暴するなんていい度胸じゃない! 逮捕よ逮捕!」

「ちょっと待って……は、話を聞いてください!」

「アタシが来たからにはもう心配ないぞ!周子さん!ナターリア!」

 

 

 あぁ……なんでこんなことになってしまったんだろう……

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 時刻は現在から数時間前に戻る。 その日俺は午前中のバイトを終えて家に帰ろうとしていた。

 今日は休日なので午後は大学もなく完全にフリーだから帰ってゆっくりゲームでもしようかと考えていた。

 

 

「そろそろお給料が振り込まれる日が近いな〜 お金入ったら何しようか」

 

 

 美味しいものでも食べるか……娯楽のために使うか……いっそ貯金するのもアリ……?

 

 

「かっこいい服とか買ってみる…? いや、俺そもそもファッションとかよくわからないから無理だな……」

 

 

 ぶつくさと呟きながら歩き続け、建物の中から出ると太陽の光が体に当たってぽかぽかとして気持ちがいい。

 

 いい天気だなんて考えていると前方のベンチに座る2人の女の子が見えてきた。 2人は紙きれを持って何か悩んだ様子で会話している。

 

 

「なぁシュウコ〜、どうすればいいと思う?ナターリアこういうのよくわからないゾ……」

「うーん……どうすればいいのかって言われるとね〜 アタシも上手く説明はできないっていうか」

「え〜! タスけてくれ〜シュウコ〜!」

 

 

 褐色で外国の子なのかな……? その子ともう1人銀髪のような白い髪のような飄々とした雰囲気の女の子が話している。

 

 

「そうだな〜……ん?」

「あ……」

 

 

 やば……銀髪の子と目が合ってしまった。

 

 

「お〜い、そこの人〜」

「お、俺……?」

「そうそう」

 

 

 銀髪の女の子は俺に声をかけると、手でこちらに来いと招いてくる。

 

 

「ごめんね〜お兄さん。ちょっとだけ協力してくれないかな?」

「協力…? まぁ別にいいですけど」

「ほんと? ありがとさん。アタシは塩見周子だよ〜 そんでこっちの子が」

「ナターリアだゾ!」

「俺は白石幸輝です。ここでバイトとして雇ってもらっています」

 

 

 ここに来て何度目になるのかもわからない自己紹介をする。 銀髪の子が塩見周子、外国の人っぽい子がナターリアというらしい。

 

 

「それで協力って何するんですか? 俺特に何もできませんけど……」

「 ほら、ナターリアちゃん説明して?」

「うん! 実はナ〜?」

 

 

 ナターリアちゃんは身振り手振りを交えながら俺に説明を始める。

 

 ナターリアちゃんの話を要約するとこうだ。

 

 日曜日の朝にやっているようなヒーロー物の番組にて、ガラの悪い男に街で声をかけられる女の子役として出演できることになったらしいが、そんな経験はしたことがないから心配でたまたま近くにいた塩見さんに助けを求めていたらしい。

 

 

「つまりちゃんと演技できるか心配ってことだね?」

「そう!」

「うーん、でも俺演技の指導とかできないけど」

「あ〜 そういうのはアタシが見てアドバイスするからさ、白石くんはちょっとナターリアちゃんをナンパする役やってみてほしいんやけど」

「大した演技できないんで練習になるかわかりませんけど……それでもいいなら大丈夫です」

「いや〜助かるわ〜 こういうのは実際に男の人に相手してもらった方が練習になると思うしね〜ん」

「練習相手になってくれるのカ!? ありがと〜コウキ! ナターリア嬉しいゾ〜!」

 

 

 ぎゅっ…!

 

 

「!?」

 

 

 き、急にナターリアちゃんが真正面から飛びついてきた…!?

 

 

「ちょ、ちょっちょちょちょっ!」

「コウキはイイヤツだナ〜!」

 

 

 あばばばばばばば…! ちょ、ちょっとヤバいってこれ…! なんか柔らかい感触が…こ、ここここここれっておっp……!

 

 

「ほ〜ら、練習するんでしょ〜? 離れた離れた」

「あ、そうだナ! よしっ!ナターリア頑張るゾ!」

 

 

 パッとナターリアちゃんは体を離す。

 

 か、海外の距離感ってこんなモンなの…?女性への耐性0の俺には刺激が強すぎるぞ。あ〜ヤバい、絶対キモい反応してたわ。 DT丸出しだったわさっきの俺……

 

 

「さて……いい思いしたんだから頑張ってね〜ん白石くん」ニヤッ

「い、いや〜 なんのことやら……」アハハ

「ふーん」ニヤニヤ

 

 

 やべ〜 絶対勘付かれてるわ。 俺がおっp……お、お山の感触楽しんでたことバレてるわ…

 

 

「よ、よしっ! れ、練習しよう! 練習!俺がナターリアちゃんに絡む悪い男をやればいいんだよね!」

「うん! よろしくナ〜!」

「本当に襲ったりしないでね〜」

「あ、あはは……」

 

 

 なんだか塩見さんには弱みを握られてしまったような気がする……

 

 

 

 

 

 

 何はともあれ練習を始めよう。 友達との待ち合わせをしているナターリアちゃんに俺がちょっかいをかける。 しばらくしてるとヒーローが助けに来るというストーリーらしい。

 

 あれ……?よく考えたらナターリアちゃんにそういう経験がないように俺もナンパした経験なんてないぞ…… どうしよ。

 

 

「よーい……始めっ!」

 

 

 と、とにかくチャラい感じで声かければいいんだろう! よしっ、やるぞ……!

 

 

 

 

 

「ね、ねぇねぇそこの君〜」

「ん? ナターリアのことカ?」

「そ、そうそうそこの可愛い君だよ〜」

「何か用カ?」

「ちょっと俺とお茶でもしようよ」

「ナターリア今人を待ってるからダメだゾ」

「え…? あ、あぁ……そう」

「………」

「………」

「こ、断られたちゃったけど……」

「いやいや! 白石くんナンパ下手すぎひん!?」

 

 

 ベンチに座り演技を見つめていた塩見さんが大きな声を出してツッコむ。

 

 

「断られたちゃったやないやろ! そこから無理やりナターリアちゃんを襲おうとするとこまでやってもらわんと!」

「お、おぉ……塩見さん関西の人だったんだ」

「そうだけど今それはどうでもいいから……」

「シュウコはキョウトの人だよナ〜」

「アタシの出身はどうでもいいから……とにかく白石くんもうちょっと頑張ってもらわんとナターリアちゃんの練習なんやから」

「わ、わかったよ」

 

 

 確かに塩見さんの言う通りだ……嫌がる女の子を無理やりなんてしたくないけど……これは練習なんだからしっかりやらないと。

 

 

 

「じゃあ……よーい、どんっ!」

 

 

 

「へいへい〜 そこの君こんなところで何してんのさ。 1人?よかったら俺と遊ぼうぜ〜」

「だ、誰ダ…!? ナターリアは人を待ってるから……」

「んなことはどうでもいいんだよ! 俺に着いてくれば君の好きなもんなんでも食わせてやるぜ?」

「それってスシでもいいのカ!?」

「え?」

「わ〜い! 丁度スシ食いたいと思ってたんダ〜!」

「ちょ、ちょっと……ナターリアちゃん…」

「よしっ! 早速スシを……」

「ちょ! アカンアカン……ストップ」

 

 

 またしても塩見さんのストップがかかる。 今のが駄目だってのは俺でもわかる。

 

 

「ナターリアちゃんアカンて……それで着いて行ったら台本と違うやん」

「あっ! それもそうだナ……」

「それと白石くんもイマイチ悪役感が足りてないんよ……もっと強引に腕掴んで連れ去ろうとするぐらいさ」

「でもそんなことしたら可哀想じゃ……」

「いやいやこれ演技だから……でもそっか〜 いくら演技でも童貞の白石くんには難しかったかな〜」

「ど、どどどど童貞じゃないですけど!?」

「キョどりすぎやろ……」

「ドウテイってなんダ?」

「あー……魔法使いみたいな?」

「おぉ〜! コウキすごいナ!」

「や、やめろぉ!」

 

 

 くっ……こんな辱めを受けるなんて……

 

 

「わ、わかったよ! やってやるよ……とんでもないワル演じてみせるよ!」

「おぉ! ナターリアも頑張るゾ!」

「はいは〜い。 じゃあもう一回やるよ〜」

「あ、ちょっと待っててください!」

 

 

 えーっとこの前大学の友達に貰った……あぁこれこれ。

 

 

「よし、やりましょう」

「そのグラサンどうしたん?」

「この前大学の友達に貰いました。これでより悪い感じが出せます」

「カッコいいサングラスだナ!」

「あ〜 はいはい。 じゃあ始めるよ〜」

 

 

 ふっ……サングラスかけただけで気持ちまで変わってきたぜ。 今ならとんでもなく悪いやつになれる気がする!

 

 

「よ〜い……どんっ」

 

 

「そこの君〜 ちょっと俺と遊ばない?」

「えっ…な、ナターリア今人を待ってるから……」

「ちょっとぐらいいいだろ〜? 絶対退屈させないからさ〜」

「し、しつこいゾ…! ナターリアは絶対について行かないからナ! あっち行ケ!」

 

 

(ほ〜ん……結構いい感じやん。ナターリアちゃんもちゃんと演技できてるし)

 

 

「こ、この……! 下手に出てれば図に乗りやがって……いいからこっちに来いよ!」ガシッ

「は、離セ!このっ!」

「へへへっ! 力で敵うわけないだろ! 舐めた真似してくれた分きっちり楽しませてもらうぜ?」

「だ、誰か助けてくれ〜!」

 

 

(めちゃくちゃええやん……白石くんも悪役が様になってるわ。ここで本来ならヒーローが助けに来て終わりだからそろそろ止めますか〜)

 

 

「じゃあそろそろ……」

 

 

「こら〜っ!」

「そこまでだ!悪党め!」

 

 

「え? うおっ!」

「白昼堂々女の子に乱暴するなんていい度胸じゃない! 逮捕よ逮捕!」

「ちょっと待って……は、話を聞いてください!」

「アタシが来たからにはもう心配ないぞ!周子さん!ナターリア!」

 

 

 どこからともなくボディコンを着たお姉さんとヒーローのようなポーズをキメる女の子が颯爽と駆けつけると、お姉さんは俺に関節をキメて女の子はナターリアちゃんを庇うように立ち塞がる。

 

 

「いででででで!!」

「それ以上暴れるともっと痛くなるわよ! 大人しくしなさい!」

「うぉぉぉぉ! いだだだだ!」

 

 

 な、なんだこの人っ…! 小さいのにめちゃくちゃ強いんだが!? ちょ、マジで痛い痛い!

 

 

「こ、コウキ〜!」

「さ、早苗さん…ちょっとタンマタンマ」

「駄目よ周子ちゃん! 解放したら次は貴方が襲われる可能性も…!」

「いや〜 その人悪い人じゃないから……」

「……どういうこと?」

 

 

 塩見さんは一から事情を説明する。 俺がナターリアちゃんの練習に付き合って演技していたことなどを……

 

 

 

「つまりあたしの勘違いってことね」

「そうそう」

「ま、マジ……?」

「マジマジ」

「……ご、ごめんなさい!」

 

 

 お姉さんはやっと解放してくれる。 痛かった……

 

 

「ごめんなさいね……あたしはてっきり不審者がナターリアちゃんを襲ってるのかと……」

「す、すまない……アタシも正義の味方失格だ……」

「い、いやいや……あんな場面側から見たらどう見ても俺不審者ですし、気にしないでくださいよ」

 

 

 アイドルの女の子の手を掴んで引っ張るグラサンかけた男……うん、どう見ても勘違いするわな。

 

 

「本当に気にしないでください。 俺怒ってないんで……」

「わかったわ、でも今度何かお詫びさせてちょうだい。そうしないとあたしの気が済まないもの」

「あ、はい」

「よしっ! じゃあ行くわよ光ちゃん」

「あ、あぁ……白石さん、本当にすみませんでした!」

「も、もう大丈夫だから謝んないでよ」

「何か困ったことがあったら何でも言ってくれ! アタシが絶対助けになるから!」

「……うん、その時はよろしく」

「じゃあまた会おう! さらばだ!」

 

 

 元気を取り戻した光ちゃんと早苗さんはその場を去っていく。

 

 

 

「いやぁ……ビビった〜」

「早苗さん元警察だからね〜」

「通りで強い訳だよ……」

「コウキ、ケイサツの番組でタイホされる人みたいだったナ!」

「か、勘弁しておくれよ……」

 

 

 その後演技での良かった点やもうちょっとこうした方がいいんじゃないかと言った意見を塩見さんはナターリアちゃんに伝える。

 

 

 

「でも、細かいとこ抜きにしたらすごく良かったと思うよ」

「うん、俺から見ててもマジで嫌がってる風に見えたしいい演技だったよ」

「マジで嫌だったのかもよ〜?」

「えっ……」

 

 

 冗談だと塩見さんはケラケラと笑う。 でもマジで嫌がられてたとしたらめちゃくちゃ悲しいなこれ。 ナンパなんてやっぱ俺には向いてない……

 

 

「2人ともありがとうナ! ナターリア本番も今みたいに頑張るゾ〜!」

「頑張れ〜」

「応援してるよ」

「よ〜し! じゃあテレビで放送されるやつも見てくれよナ! ばいば〜い!」

 

 

 ナターリアちゃんはブンブン手を振りながら大きな声をだして走り去っていく。

 元気だなぁ……

 

 

「じゃあアタシも行くわ。2人きりでいたら白石くんに何されるかわからんし」

「いや、さっきのは演技だからね…?」

「え〜? ナターリアちゃんに抱きつかれた時鼻の下伸ばしてた様な人が言っても説得力がないよ〜ん」

「は、鼻の下伸ばしてなんかないですけど!」

「ふふっ……じゃあね〜」

 

 

 ナターリアちゃんとは対照的にひらひらと手を振りながら去っていく塩見さん。

 なんでだろうかあの人には敵う気がしない。

 

 

 

「俺も帰るか」

 

 

 今日も濃ゆい1日だった……

 

 あ、ナターリアちゃんの出る回いつなのか聞き忘れた……まぁ調べればわかるか。

 

 

 

 

 

〜〜〜〜〜〜

 

 

『こ、この……! 下手に出てれば図に乗りやがって……いいからこっちに来いよ!』ガシッ

『は、離セ!このっ!』

『へへへっ! 力で敵うわけないだろ! 舐めた真似してくれた分きっちり楽しませてもらうぜ?』

『だ、誰か助けてくれ〜!』

 

 

 

 

「お、俺と全く同じこと言ってるじゃん……奇跡か?」

 

 

 後日放送されたナターリアちゃんの演技はとても上手でした。

 

 

 




感想・評価等よろしければよろしくお願いいたします。


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17話 人は見た目によらない

 

「やばいやばい……」

 

 

 今俺は事務所の真ん前でぶつぶつと呟きながらカバンをひっくり返してます。何がやばいのかと言うと……

 

 

「財布がない…」

 

 

 白石幸輝18歳……どうやらどこかに財布を落としてしまったようです。

 

 

「や、やばいぞ……絶対に見つけないと」

 

 

 俺は今日大学から直接事務所に来てるから、とりあえずその道をまた戻ってみるしかないか……

 

 さっき千川さんに連絡して事情を説明したら、今日は休んでいいから財布探してこいとのことなので今から大学に戻ることにしよう。

 

 

「幸輝……こんちには…」

「ん? あぁ、こんにちは雪美ちゃん」

 

 

 誰かに声をかけられたと思ったら雪美ちゃんだった。 事務所の前にいるんだからそりゃアイドルの子も来るよね。

 

 

「どうかしたの……?」

「実は物をどこかで落としてきちゃったみたいでね」

「……大事な物…?」

「うん、すっごく大事だよ……はぁ」

「それは……大変……」

 

 

 雪美ちゃんは心配そうに下から見上げている。 相変わらずいい子だ。

 

 

「探すの…手伝いたいけど……これからレッスンだから……」

「雪美ちゃんが気にすることじゃないよ。 レッスン頑張ってきてね」

「……あ」

「どうかしたの?」

「ちょっと待ってて……」

「あ、ちょっと……!」

 

 

 雪美ちゃんはそう言い残すと、小走りで事務所の中に入っていってしまった。

 

 待っててと言われたからにはここで待つことにしよう。

 

 

 

 

 

 

「……お待たせ…」

「全然構わない……って…ど、どちら様でしょうか?」

 

 

 戻ってきた雪美ちゃんは俺の知らない女の子を2人引き連れてきていた。 1人は綺麗な黒い髪の毛の清楚な感じの子に、もう1人は地面に着くんじゃないかというほど長い髪の毛を一つにまとめた小学生みたいな子だ。

 

 

「ふむ…そなたが失せ物を探しているという方でしょうかー」

「え?」

「あの……雪美ちゃん、芳乃さんと違って私は探し物を探すのが得意ではないので力になれないんじゃないかと……」

「……人数は……多い方がいい」フンス

 

 

 え、なになに? どういうことなの?小さい方の子は一言喋っただけでめちゃくちゃキャラが濃いんだけどとりあえず説明を……

 

 

「えーっと雪美ちゃん……この方たちは…?」

「芳乃と肇……芳乃は…探し物を見つけるのが得意だから……肇は……そこにいたから」

「お、おまけ扱い!?」ガ-ン

「まぁまぁ肇さん、そう落ち込まないでくださいー」

 

 

 黒髪の女の子……肇さんは小さい女の子……芳乃ちゃんに慰められてる。 なんか微笑ましい光景だな。

 

 

「さてー 雪美さんからお話は聞いております。わたくし依田は芳乃と申しましてー。よろしくお願いいたしますー」

「わ、私は藤原肇といいます。 芳乃さんとはユニット仲間なんです」

「あ、どうも……俺は白石幸輝です。 ここでバイトしてます。」

「私は……佐城…雪美……」

「いや、雪美ちゃんのことは知ってるから」

「……ふふっ」

 

 

 なにそれ可愛いかよ。

 

 

「えーっとつまり……芳乃ちゃんは探し物を探すのが得意で雪美ちゃんが連れてきてくれたと……それで偶々一緒にいた藤原さんも一緒に着いてきたってこと?」

「ま、またおまけ扱い……」ガ-ン

「え、いやいや! 別にそういうわけじゃないですよ!」

「大体……そんな感じ……」

 

 

 なるほどね……つまり雪美ちゃんは俺のために助っ人を連れてきてくれたわけだ。

 

 ちょっと待って…? それってこれからこの2人と一緒に財布探すってことだよね。 初対面だし俺めちゃくちゃ緊張するんだけど……

 

 

「じゃあ……私はレッスン……行ってくる」

「あ、雪美ちゃん。 ありがとうね!」

「……」ニコ

 

 

 雪美ちゃんはそう言って去っていった。 そしてその場には俺と初対面の2人の女の子が残されて……

 

 

「え、えっと……雪美ちゃんに連れてきてもらってなんですけど、本当にいいんですか? 嫌だったら全然断ってもらっても」

「いえいえー 困っている白石さんを見捨てることはできないのでしてー。遠慮なさらずにー」

「芳乃さんは本当に探し物を見つけるのが得意なんですよ」

「そうなんですか……じゃあその、よろしくお願いします!」バッ

 

 

 俺はめちゃくちゃ綺麗にお辞儀をしてお願いする。

 正直助かる……財布は絶対に見つけ出したいし、ここは優しい2人のお言葉に甘えることにしよう。

 

 

「困っているお方に手を差し伸べるのはわたくしの役目でしてー、さぁ、行きましょうー」

 

 

 こうして俺と芳乃ちゃんと藤原さんの妙なメンツでの財布探しの旅が始まった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 まずは俺の大学まで向かう。 来た道を戻るのは落とし物探しの基本だ。

 

 

 

「それにしても趣味が失せ物探しと悩み事解決なんてすごいね芳乃ちゃん」

「困っている人には力を貸しなさい…ばばさまのお言葉でしてー」

「へー 立派なお婆ちゃんなんだね」

「あの……白石さん、私は芳乃さんと違って探し物が得意なわけじゃないので、やっぱりお力になれるかどうか……」

「そ、そんなことないですよ! 藤原さんが手伝ってくれるって言ってくれて嬉しかったですよ!やっぱり人数は多い方がいいですし」

「……そうですね。一度やると決めたからには今さらうだうだ言っても仕方ないですよね。 精一杯お手伝いします!」

 

 

 藤原さんは拳を握って気合を入れている。

 

 いや〜 それにしても芳乃ちゃんがいてよかったな。 やっぱ藤原さんと2人きりだったらめちゃくちゃ緊張しただろうし。 小さい子どもがいると俺としては話しやすい。

 

 

 

「事務所のアルバイトとは一体どんな仕事をしているんですか?」

「そんなに難しいことはしてないですよ。掃除したり送迎したり……簡単に言うと雑用ですね」

「でしたら、いつか私もお世話になることがあるかもしれないですね。 その時はよろしくお願いします」

「は、はい! 安全運転させていただきます!」

「ふふっ」

 

 

 ここにいるアイドルの子たちはめっちゃ目を見て会話してくる。 目と目を合わせて会話するのはいいことだけど俺にとっては心臓に悪い……

 

 

「ほー」

「ん?」

 

 

 芳乃ちゃんがめっちゃ見てる…… どしたんだろ。

 

 

「どうかしたの?」

「白石さんはー わたくしと肇さんとで扱いが違うのでしてー」

「え?」

「……あの、白石さん。 芳乃さんの年齢はご存知ですか?」

「え、芳乃ちゃんの年?」

 

 

 藤原さんが急にそんな質問をしてきた……でも芳乃ちゃんの年齢はどう見ても……

 

 

「雪美ちゃんと同じぐらいとかだよね?」

「……ほー」

「あ、あの……白石さん、芳乃さんと私は同い年なんです…」

「は?」

 

 

 え、それってつまり……

 

 

「藤原さんも小学生だったの!? 」

「へ……?」

「違うのでしてー」

 

 

 ま、まさか藤原さんが藤原さんじゃなくて肇ちゃんだったなんて…… 今時はこんな大人っぽい小学生もいるんだなぁ。

 

 

「あ、あの! 白石さん!」

「ん? どうかしたのかな肇ちゃん」

「もう子ども扱い!?」

「ほー」

「は、話を聞いてください〜!」

 

 

 

 

〜〜〜〜〜〜

 

 

 

「えーっとつまり…2人とも16歳ってこと?」

「そうです」

「まじか」

「まじでしてー」

 

 

 流石に藤原さんが小学生なんてことはなかったか。それよりも芳乃ちゃんが16歳なんて……あれ?芳乃ちゃんが歳の近い女の子だと思うと急に緊張して……

 

 

「いや、やっぱり全然緊張しないわ」

「なにやら失礼なことを考えてそうでしてー」

 

 

 申し訳ないけどやっぱりロリッ子にしか見えないんだ……

 

 

「ま、まぁ年齢はとにかく…! 早いとこ白石さんのお財布を探しましょう!」

「……それもそうでしてー」

「よ、よろしくお願いします…!」

 

 

 いやぁ〜芳乃ちゃんが女子高校生だったとは……ビックリした。 人は見た目で判断してはいけないな……

 

 

 

 

 

 

 

 

「わぁ…! これが大学なんですね!」

「ほー。 すごく大きいのでしてー」

 

 

 俺たちは俺の通う大学を訪れていた。 芳乃ちゃんが言うにはここに俺の失せ物があるらしい。

 

 

「俺も未だに広すぎて慣れてないですけどね」

「すごいです……高校とは大きさが全然違います…!」

「迷子になってしまいそうでしてー」

 

 

 藤原さんは初めて訪れるキャンパスに目を輝かせている。 芳乃ちゃんも……驚いてるのかな?

 

 

「それより、本当に2人は外で待ってなくて大丈夫なのかな…?」

「きっと大丈夫ですよ。そのための変装グッズです。それに街中を歩いていても意外とバレないもんですよ」

「ご心配なくー」

 

 

 芳乃ちゃんと藤原さんはメガネに帽子をつけて変装している。 本当に大丈夫なのかは正直信じ難いが2人がそういうならそれを信じるしかない。

 

 

「芳乃ちゃん、ここに俺の財布があるってことなのかな……?」

「白石さんが求めていたものはここでしょー。わかるのですー」

「結局大学で落としてたってことか……」

「でしたら落とし物が届けられる場所に行ってみましょう」

「そうですね。まずはそこに行ってみましょうか」

 

 

 そうして俺たちは大学の構内へと入っていく。

 

 

 

「建物の中も綺麗ですね」

「そうですね。俺も最初はすごいビックリして……あ、あそこですね。学園内の落とし物はあそこの事務室に集められるらしいです」

「それでは早速……! こ、これは…!?」

 

 

 藤原さんは何かを見つけて驚愕の表情を浮かべる。

 ……あれは部活とかサークルの募集ポスターだな。 なんか見つけたのかな?

 

 

「どうしたの藤原さん?」

「大学にはこんなものまであるんですか…!」

「どれどれ……陶芸研究会…? まぁ大学には色んなサークルとか部活あるからなぁ……でもちょっと楽しそうですよね」

「もしかして陶芸に興味があるんですか!」ガバッ

「ふぁっ!?」

 

 

 目にも止まらぬ速度で藤原さんが迫ってきた。 いやほんと、シュバッ!って効果音が聞こえるぐらい。

 

 

「楽しいですよ陶芸!是非始めてみましょう!」

「ち、近いよ……藤原さん…」

「大丈夫です! 私が教えますから!」

「ステイステイ……」

 

 

 ち、近い近い近い!! 興奮気味の藤原さんの綺麗なお顔が目の前に…! やばいやばい心臓が爆発しそうなんですけど……誰か助けて……

 

 

「ほー」

「芳乃ちゃん…! へ、ヘルプミー!」

「肇さんー? 白石さんが困っているので離れるのでしてー」グイグイ

「よ、芳乃さん? 今私は大切な陶芸の話を……!」

「今はそんなことよりお財布でしてー」

「はっ…!」

 

 

 やっと藤原さんは冷静さを取り戻したようで…… なんというか藤原さんも中々に個性が強い人なんだなって。

 

 

「それでは聞いてみましょうー」

「あっさり落とし物で届いてるとありがたいんだけどなぁ」

「そうですね」

 

 

 まぁ期待半分ぐらいの気持ちで俺は受け付けのおばちゃんに声をかける。

 

 

「あの〜 すみません。 財布の落とし物って届いたりしてますかね?」

「ちょっと待ってね……これかい?」

「あ、それです」

「え!?」

「めでたいのでしてー」

 

 

 いや、普通にあった……

 めちゃくちゃ嬉しいしホッとしてるけどなんだかここまでついて来てもらった2人に申し訳ない気持ちが…… とりあえず財布を受け取って中身を確認したけど完全に俺のでした。

 

 

 

 

 

「……ありました」

「よかったですね!」

「これにて一件落着なのでしてー」

「こんなにあっさり見つかるとは……ここまでついて来てもらったのが申し訳ないです…」

「謝ることなんてないですよ。 私たちは自分で着いてきたんですから」ニコッ

「帰ったら雪美さんにも報告してさしあげましょうー」

「……2人とも本当にありがとうございました!」

 

 

 2人とも優しいなぁ……胸がジーンとするわ。 世の中の人間全てがこうならいいのに。

 

 

 そうして俺たちは大学から出て事務所に戻ろうとした。のだが校門の手前で……

 

 

「おー白石、お前今日はもう講義ないからって帰ったじゃねーか。 どうしたんだよ」

「………!」ビクッ

「お知り合いですか…?」ボソボソ

「俺の友達です……早めに切り上げるのでちょっと待っててください」ボソボソ

 

 

「ん? どうした?」

「いや、なんでもないよ。 ちょっと大学に忘れ物しちゃってね」

「見つかったのか?」

「うん」

「そりゃよかったな。それよりそっちの子は……まさか彼女か?」

「な訳ないでしょ。 知り合いだよ」

「へー……眼鏡と帽子であんまり見えないけど……ありゃ相当可愛いな。 お前も角に置けないな〜このこの!」

「だ、だからそういうんじゃないって……」

 

 

 まずいな。 ヤツがこれ以上2人に興味を持たないうちにさっさと切り上げなければ。

 

 

「そんでもう1人の子は……小学生か?」

「小学生ではないのでし……んぐっ」

「ははは…! 悪い、もうバイトに行かなきゃいけないんだ。また今度ね!」

「ん? そっか。引き止めて悪かったな。 じゃーなー」

 

 

 友達に手を振り、急いで校門から出て行く。

 

 

 

「ふぅ……バレないかヒヤヒヤした……」

「ふふっ。 意外と大丈夫なもんですよ」

「肇さんー? どうしてさっきいきなりわたくしの口を塞いだのでしてー」プンプン

「芳乃さんは口調が独特なので……念のためですよ」

「ほー。 なるほどでしてー」

「じゃあ今度こそ事務所に戻ろうか」

「はい!」

「でしてー」

 

 俺たちは今度こそ事務所に向けて歩みを進める。

 何はともあれ何事もなく財布が見つかってよかった。 2人には何かお礼をしなきゃな…… あと雪美ちゃんにもか。

 

 

 

 

 その後俺はレッスンを終えた雪美ちゃんと合流して藤原さんと芳乃ちゃんと一緒にファミレスへ行き、お礼として戻ってきた財布を使いご馳走した。 皆んなお礼を言っていたけどむしろお礼を言うべきはこちらの方だ。

 

 もう今後こんなヘマはしないように気をつけようと誓い、俺は財布を抱きしめながら眠りについた。

 

 




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18話 海を見るとテンションが上がる

 

「いい天気だなぁ」

 

 

 どこまでも広がる青い空、心地良い波の音、鼻に残る潮の香り。

 

 そう、いきなりだが俺は海へとやって来ていた。

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 

 遡ること1週間程前……

 

 

「白石くん、来週の土曜日は1日中シフトが入っていますよね?」

「あ、はい」

「実はその日に少し遠くの場所での業務をお願いしようかと思っているんですけど」

 

 

 いつも通り俺はバイトを終えてその日の報告を千川さんにしていたのだが、急に千川さんからそんな話をされた。

 いつもと違う仕事という単語に一抹の不安を覚えたが、とりあえず話だけは聞いてみようということで千川さんとの会話を続ける。

 

 

「へぇ〜 どんな仕事なんですか?」

「少し遠出をしてもらって、そこでの撮影のお手伝いをしてもらいたいんです」

「お手伝いって言ったらいつも通り雑用ですよね? 器材運んだりすればいいんですか?」

「はいっ♪ その場での指示に従って動いてもらうことになります。 あ、もちろん専門的なお仕事はないので安心してください。あくまでも力仕事や送迎なんかです」

 

 

 なるほどなるほど……まぁようするにいつもと変わらないってことか、ただ行く場所が遠いってだけで。それなら俺にもできそうかな。

 

 

「全然大丈夫ですよ。やります」

「本当ですか? ではお願いします♪」

「はい! それでどこに行くんですか?」

「海ですっ!」

「う、海……ですか?」

「はい! 海での水着撮影のお手伝いをしていただきます♪ 細かい事項の連絡はまた後ほど」

 

 

 わざわざ海での撮影をするなんて流石はアイドルだ。 しかも水着での撮影という単語に俺は胸のドキドキを隠せない。

 

 し、仕方ないだろ……俺だって男なんだから。

 

 

 そんなこんなで、俺は海での撮影のお手伝いをすることが決まったのであった。

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 そして現在、いよいよ海での仕事の日がやってきた。 今俺は事務所の駐車場で2人のアイドルを待っていて、とりあえずはここでその2人を拾い撮影場所まで届けるのが最初の仕事らしい。

 ちなみにプロデューサーさんとやらは多忙らしく今は事務所にいないので現地に直接赴くとのことだ。

 

 そして待ち始めてから10分程度が経過したその時、俺の元へと2人の女の子がゆっくりと歩きながら近づいてきた。

 

 

「…お待たせいたしました。 白石さんでよろしいでしょうか…?」

「あ、そうです。えーっと、鷺沢さんですか?」

「…はい。…鷺沢文香と申します」

「それでこちらが……橘ありすちゃん?」

「橘です。よろしくお願いします」

「よろしくねありすちゃん」

「橘と呼んでください」

「あ、そうなの? じゃあよろしくね橘ちゃん」

「ちゃんも別に必要ないですけど……」

 

 

 目が隠れてしまうほどの長い前髪に、大人しそうな雰囲気をしているのが鷺沢さん。

 そしてもう1人の、年齢の割にとてもしっかりとした雰囲気を纏っているのがあり……橘ちゃんだ。

 

 今日海で撮影をするというのはこの2人だ。撮影開始の時間は決まっているので、挨拶もそこそこにして早速出発をしよう。

 

 

「じゃあ早速出発しましょうか」

「…よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 

 

 そして俺たちは車に乗り込み撮影場所である海へと向かう。 元々初対面の女子と話すのが苦手な俺だが、今回は一対一ではないので少しだけ安心だ。

 

 だって一対一だと俺が話さないとすごい気まずいけど、向こうが多人数の場合なら向こう側で話をしてくれてれば全然気まずいことなんて無いしね!

 

 

 

 

「………」

「………」

「………」

 

 

 しかし、俺の目論見に反して車の中は静寂に包まれていた。今日車に乗っている2人はそれぞれ自分の世界に入っていて会話も無く静かだ。

 鷺沢さんは集中して本を読んでいるし、橘ちゃんは大きなタブレットを弄っている。 俺は静寂に包まれている車内に気まずさを覚えながら、実はこの2人も初対面なんじゃないかと疑い始めた。

 

 だが、そんな俺の推理は橘ちゃんの嬉しそうな声であっという間にかき消された。

 

 

「文香さんこれを見てください!」

「…とても美味しそうないちごのケーキですね」

「よ、よろしければ今度ご一緒に……」モジモジ

「…是非、ご一緒しましょう」ニコッ

「は、はい! えへへ……」

 

 

 タブレットを鷺沢さんに向けてキラキラとした表情を浮かべる橘ちゃん。そしてそんな彼女に対して優しく微笑みながら反応をする鷺沢さん。

 そんな様子を見れば分かることだが、どうやら俺の推理とは違って2人の仲はめちゃくちゃ良いらしい。 というか橘ちゃんがすっごい鷺沢さんに懐いている……まるで子犬みたいだ。

 

 

「わっ…文香さん海が見えてきましたよ」

「…とても広大ですね」

 

 

 車を走らせ続けてしばらく時間が経った頃、高速道路のトンネルを抜けた瞬間に表面がキラリと輝く大海原が姿を現した。

 久しぶりに見る海を前にして、俺も無言ながらテンションが上がっている。遊びに来た訳でもないのにやっぱり海は偉大だな。

 

 

「お2人さん、そろそろ到着しますよ〜」

「…はい」

「あ、はい!」

 

 

 俺の言葉に対して、鷺沢さんは落ち着いた返事を、橘ちゃんは急に声をかけられて驚いたかの様な返事をした。

 それから僅か数十分後、目的地であるロケ地に到着したので駐車場に車を停めて2人を降ろす。

 

 

「…運転、お疲れさまでした」

「これくらいどうってことないですよ」

「運転お疲れさまでした。 それと……ありがとうございます」

「橘ちゃんもお疲れさま」

「別に、私は座っていただけです」

「……それもそうだね」アハハ

 

 

 橘ちゃんの鷺沢さんと話してる時とのテンションの差が激しい…… まぁそれはそれとして。

 

 

「プロデューサーさんはもう来てるんですかね?」

「…先ほど、すでに到着したとの連絡をいただいたので……」

「あそこにいますね。スーツの」

「あぁ、あの人がプロデューサーさんか」

 

 

 橘ちゃんが指を差す方向には、何かの資料の様な物をジーッと見つめているスーツの男性が立っていた。 とりあえず挨拶をしようと俺はそっちの方向に近づいて恐る恐る声をかける。

 

 

「し、失礼します」

「ん? おぉ、文香にありす。無事に到着したか。それで君が……」

「あ、はい。 バイトの白石です。 今2人が到着したので報告をしておこうと思いまして」

「白石くんね、ちひろさんから聞いてるよ。 2人を送迎してくれてありがとう」

「い、いえいえ……それが自分の仕事なので」

「あっちに座ってる人が今日のカメラマンさんだから、今日はあの人の指示を聞いて動いてもらえば大丈夫だからね」

「わかりました。 それじゃあ挨拶をしてきます」

 

 

 やべー……なんか緊張したわ。 社会人と会話するのって何か緊張するよね……千川さんは大分慣れてきたんだけど。

 

 

「じゃあ俺は向こう行くんで、お二人ともお仕事頑張ってください」

「…はい。ありがとうございます」

「白石さんも……頑張ってください」

「ありがとう橘ちゃん」

「橘です。ちゃんはいりません」フイッ

「ふふ…」

 

 そっぽを向く橘ちゃんを見た鷺沢さんが小さく微笑んだ。釣られて俺も小さく微笑むと橘ちゃんにじっとりとした視線を向けられてしまった……理不尽だ。

 

 そんなこんなで2人に別れを告げて、俺はカメラマンのおじさんの元へと向かう。 見た目的には恰幅のいいおじさんって感じだけど、優しい人だといいなぁ……

 

 

「あの〜 すみません」

「んん?」

「346から来たバイトの白石です。本日はよろしくお願いします!」

「おぉ…! 346さんから聞いてるぜ? 活きのいい雑用を1人寄越すから好きに使ってくれってな!」

「あ、はい! 専門的なことはわからないですけど雑用なら頑張ります!」

「ガハハ! 元気があっていいことじゃねぇか! じゃあ早速撮影に使う機材を運んでもらおうかね!」

「わかりました!」

 

 

 カメラマンさんは口を大きく開いて大声で笑った。とりあえず気のいい感じの人で一安心だ。

 

 それからはいつも通りの雑用仕事。カメラマンさんの指示通りに機材をあっちへこっちへと運ぶのだが、機材が重いのはもちろん砂浜の上が歩きづらくてすごく疲れる。

 

 

「おーい! 次はこの照明を運んでくれ〜」

「は、はいっ!」

 

 

 ぜぇ、ぜぇ……つ、疲れる。 スポーツ漫画の修行みたいだなこれ。でも給料を貰うために頑張らなくては……!

 

 そして全ての機材を運び終えて、撮影の準備が整ったその時……

 

 

 

「文香ちゃんとありすちゃん入りま〜す!」

 

 

 そんな時、撮影スタッフの人の大きな声がビーチに響き渡る。

 俺が自然とそっちの方向へと視線を向けると、綺麗なワンピースの水着を見に纏った2人が現れた。

 

 花柄の青い水着を着て髪を1つにまとめている橘ちゃん……可愛い。

そして同く花柄の黒い水着を着ている鷺沢さん。 上にパーカーを羽織っているが……うん、あれはヤバいな。ふつくしい……

 

 

「よーし!じゃあ撮影を始めようか!」

 

 

 カメラマンさんの大きな声を合図に撮影が開始する。まずは2人並んで仲良くポーズをとったり手を繋いだり……それ以外にも2人がビーチボールで遊んでいる様子をなんかが次々と写真に収めていいく。

 

 

 うーん……あの写真俺も貰えないかな。

 

 そんなことを考えながら俺は2人の撮影をジッと見つめているが、こんな撮影ならいつまでも見ていられる気がする。

 

 あ、鷺沢さんがすっ転んだ。

 

 

「あ、いたいた白石くん」

「どうしたんですか?」

「ちょっとスタッフやアイドルさんたちの分飲み物を買ってきてほしいんだ。ここから5分ぐらい歩いた所にコンビニがあるからさ」

「わかりました」

「ごめんね〜 こんなパシリみたいなこと頼んじゃってさ。 お金は渡すから領収書も貰ってきてもらえるかな」

「いいんですよ、雑用が俺の仕事ですから。それじゃあ行ってきますね」

「よろしくね」

 

 

 話しかけてきたスタッフさんが申し訳なさそうに手を合わせてお願いしてきたが、そのパシリをするために俺は来ているのでむしろどんどんそういうのをお願いしてほしいくらいだ。

 

 そして俺は近くのコンビニへ飲み物を買いに出かけた。

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

「ありがとうございました〜」

 

 

 コンビニ店員の挨拶を背中に受けながらドアを出る。 水やスポーツドリンクの入ったレジ袋はパンパンに膨らんでいてかなり重い。早いとこ戻らないと腕がもげそうだ。

 

 ひぃひぃと息を吐きながら飲み物を運ぶこと数分、海に戻ると鷺沢さんの姿は見えず橘ちゃんが1人で撮影をしていた。

 

 

「あの〜 飲み物買ってきました」

「ありがとう白石くん! 飲み物は僕が配っておくから……はいこれ」

「これは?」

「1つは君の分。もう1つはあそこの日陰で休んでいる文香ちゃんの分ね。 届けてあげてよ」

「わ、わかりました」

 

 

 スタッフさんが指を差した方に目を向けると、設営された大きなテントの下に鷺沢さんが体育座りしていた。

 

 い、いきなり届けろと言われてしまったが……なんか話しかけるの緊張するな。 しかも水着の女子にだぞ? い、いやいや今はそんな事言ってる場合じゃないか。 早く鷺沢さんに水分を届けなければ…!

 

 

「あの……鷺沢さん」

「あ…白石さん」

「今飲み物貰ったんですよ……ど、どうですか?」

「…ありがたくいただきます」

 

 

 鷺沢さんは俺から飲み物を受け取り、両手でペットボトルを持って中身を飲み始める。 そんな姿が小動物みたいで可愛いと思った。

 

 

「…白石さんもどうぞ」ポンポン

「あっ、はい」

 

 

 鷺沢さんに促されて隣に腰を掛ける。

 

 なんか流れで座っちゃったんだけどめっちゃ緊張する。 今俺の隣にいるの水着の女子なんだよね、しかも超美人なんだよね。やべーよ水着というものを意識しすぎていつも以上に緊張してきた……

 

 

「………」

「………」

 

 

 や、やべぇ……言葉が出てこない。 何か会話を……会話をしなければ…!

 

 

「た、橘ちゃん可愛いですね…!」

「…え? ありすちゃんですか…?」

「そ、そうです! 今も1人でしっかり仕事をしていてすごいですよね」

「…とても素直でいい子だと思っています。ありすちゃんのことは」

「そ、そうですよね……あはは」

 

……………

 

 

 会話終了。

 

 くそ〜! なんだって俺は初対面女の子相手だとこんなに喋るのが下手くそなんだ…! こういう時世のリア充はどうやって女の子と仲良くなるんだ!?

 

 

「…すみません、気を使わせてしまってますよね」

「え?」

「…私は口下手で、不器用なので…ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「そ、そんなことないですよ!」

「…アイドル、本の中のようなキラキラとした世界に触れれば…私も変われるのかと思いました。 本ばかり読んでいた私ですけど…前向きになれるかと思い…でも、まだまだですね…」

 

 

 思いがけずに鷺沢さんがアイドルになった理由を聞いてしまった。でも自分を変えたいと思って行動できること自体が凄いと思う。

 

 

「鷺沢さんが悪い訳じゃないですよ。 俺の方こそ上手く話せなくて」

「…そうなんですか?」

「俺、中学高校とずっと男子校だったんですよ。 男くさい青春時代を過ごしていたから女の子に慣れていなくって……だからいつも初めて会う女の子と話す時は緊張しっぱなしで」

「…では、今も…?」

「はい、めちゃくちゃ緊張してます」アハハ

「……ふふ」

 

 

 鷺沢さんはほんの少しだけど柔らかく微笑んだ。 張り詰めていた空気感が少しだけ和らいだ気がした。

 

 

「…では、似たような悩みを…私たちは持っているんですね」

「そうですね。 だからお互い頑張りましょう!」

「…はい」フフ

「ていうか346事務所に所属しているアイドルってすごく優しくていい人たちばかりですよね」

「…はい。 皆さん…とても素敵な方たちです」

「俺、最初バイトちゃんとやれるか心配だったんですけど…いい人だらけだからなんとかなってるって感じで」

「…私も最初は……目を見て話すことすら困難で」

「あ、だから前髪が…?」

「…はい。これがないと……落ち着かなくて」

 

 

 そう言って鷺沢さんは自分の前髪をちょいちょいと触って見せた。

 

 なるほどなぁ……だからすごく前髪が長いのか。 最初会った時ちょっとビックリするほどに。

 

 

「でもさっき撮影してる時はちゃんと目出してましたね」

「…は、はい。 …アイドルとしてお仕事させていただく時は……なるべく目を隠さないようにしています。…このように」

 

 

 すると鷺沢さんはほんの少しだけ髪をかき分けて目を出す。 すぐに隠してしまったけど、その一瞬だけでも俺は目を惹かれた。さっきは遠目に見ただけだけだが至近距離で見ると驚くほどに綺麗だ。

 思わず放心してしまうほど宝石のようにキラキラとした綺麗な青い目。とにかく綺麗で、神秘的な何かを感じさせるような目だった。

 

 

「…やはり…前髪がないと、落ち着きません。性分なのです」

「綺麗な目ですね……」

「…え?」

「あ、いやそのっ…す、すみません!ただ俺あんなに綺麗な目は初めて見ました……!」

「…そ、そんなことは……ないと思いますが」

「……あ、す、すみません! なんか急に失礼でしたよね! ジロジロ見たりして!」

「…い、いえ……謝らないでください」

 

 

 思わず口に出てしまった。 でも、こんな俺が思わず口に出すほど綺麗だったのだ……鷺沢さんの目は。

 

 

「はい! じゃあこの辺にしとこうかありすちゃん!」

「はい、ありがとうございました!」

 

 

 その時、カメラマンさんの活きがいい掛け声が聞こえてきた。そっちに視線を移すと、どうやら橘ちゃんの撮影が終了したようだった。

 

 

「あ、橘ちゃんの撮影終わったみたいですね」

「…そのようですね。では私は行ってきます」

「じゃあ俺も片付けとかあると思うので、また後で!」

 

 

 鷺沢さんに挨拶をして俺は機材とカメラマンさんの方へと駆け寄る。すると丁度グッドタイミングだったようで、俺を見かけるなりニカッとした笑顔を浮かべた。

 

 

「おぉ雑用くん! 丁度いいところに。」

「これを片付けるんですよね?」

「あぁ! 物分かりがよくて助かるぜ! ここらにある機材を……あっちの車の方に運んどいてくれや」

「はい!」

「よろしく頼むぜ!」

 

 

 よしっ、気合入れますか。

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

「おつかれ文香、ありす」

「…お疲れ様です。プロデューサーさん」

「今日はこれでお終いでしょうか?」

「あぁ。 今日はこれで終わりだけど……ちょっと海で遊んでいくか?」

「…ですが、すでに17時ですので」

「遊ぶ時間なんてないと思います」

「それもそうだな。 じゃあ俺はスタッフさんやカメラマンさんに挨拶してくるから着替えておいてくれ」

「…わかりました」

「わかりました」

 

 

〜〜〜〜

 

 

 

 ふぅ……やっぱ機材重いわ〜 すごい疲れる。ん? 普通の服に戻った橘ちゃんと鷺沢さんがプロデューサーさんと話してる。

 ……もう水着じゃないなんてちょっと残念だ。いやいや俺は何を考えてるんだ、早く終わらせよう。

 

 そして全ての機材を運び終え、カメラマンさんに話しかけると豪快な笑い声を上げながら俺の手を握った。

 

 

「おう!お疲れさん!」ガシッ

「あ、ありがとうございます!」

「いい働きっぷりで今日は助かったぜ! またどこかで会ったらよろしく頼むな!」

「はい!」

「じゃあな〜 雑用くん!」

 

 ブンブンと音が聞こえるほど激しく手を振るカメラマンさんは、そのまま歩いてどこかへ消えてしまった。

 

 ふぅ……さてと、今日最後の仕事をしに行きますか。

 

 

「お疲れ様です、プロデューサーさん」

「お疲れ様、白石くん。 いい働きっぷりだとカメラマンさんも褒めてたよ」

「ありがとうございます。 それで鷺沢さんと橘ちゃんの送迎なんですけど」

「お願いできるかな。 俺は自分の車で帰りに寄る所があってね」

「わかりました」

「…よろしくお願いします」

「こちらこそ、鷺沢さん。 それで……橘ちゃんはどこに?」

 

 

 話している途中で気がついたのだが、さっきまで確かにいたはずの橘ちゃんの姿が見えない。 少しだけ不安な気持ちでプロデューサーさんに行き先尋ねると、彼は心配いらないといった様子で微笑んだ。

 

 

「ありすなら近くのコンビニにトイレを借りに行ったぞ。俺もついていくって言ったんだけど子ども扱いするなってな。 まぁ近いコンビニだからそろそろ帰ってくると思うよ」

「…そうですか」

 

 

 近くのコンビニといえばさっき俺が飲み物を買いに行った所だろう。本当にかなり近いし、橘ちゃんは相当しっかりしている様に見えたから平気だとは思うけど……

 

 

 なんだろう、この変な胸騒ぎは。

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

「あった!」

 

 

 無事コンビニを見つけました。近いとは聞いていましたが本当に近くてよかったです。 文香さんを待たせていることですし、早く用を済ませて戻らないと……

 

 

「あれ?あの子……」

 

 

 その時、コンビニの前で自分の膝を抱えてしゃがみ込む子どもを見つけた。見たところ仁奈さんや薫さんよりも小さい……5歳ぐらいの見た目に見える。

 

 

「あの……こんなところでどうしたんですか? お母さんは……」

「わ、わかんないっ…」グスグス

「な、泣かないでください…! お家はどこかわかりますか? 遠くから来たんですか?」

「お家はっ……近いよ…っ」グスグス

「泣かないで……? ゆっくりでいいので私に話してください」ナデナデ

 

 

 私はなるべく不安にさせないように優しく背中を撫でる。すると女の子はぐすぐすと涙ぐみながらもゆっくりと事情を語り始めた。

 

 

 

…………

 

 

 なるほど。 この子の話をまとめると、近所の家に住んでいてお母さんに内緒でこっそり家を抜け出して遊んでいたら、転んで足を痛めてしまって不安になり泣いていた……ということらしい。

 

 

「ひぐっ……うぅぅ…」

「ちょっと待っててください。今人を呼んで……」

「お母さぁん…ぐすっ……どこぉ…会いたいよぉ…!」

「……っ」

 

 

 お母さん……きっとこの子は1秒でも早くお母さんに会いたいんだろうなぁ。その気持ちは……私にもよく分かる。

 

 私はどうしてもこの子を放っておけなかった。 無性に助けてあげたいと思ってしまった。

 

 

「お家の場所はわかりますか?」

「…う、うん……」グスッ

「ここからどのくらいですか…?」

「すぐっ……近く…」グスグス

 

 

 すぐ近くなら私だけでも……すぐ家に連れて行って戻ればいいだけです。 きっと大丈夫……

 

 

「じゃあ行きましょう…!あなたのお家に、お母さんの所へ帰りましょう…! 私の背中に乗ってください…!」

「いいの…?」グスッ

「はい、あなたぐらいの子どもならおんぶできます…!」

「ありがとう、お姉ちゃん……っ!」

 

 

 お姉ちゃん……悪くない響きです。

 

 

「さぁ…! 行きますよ…!」フンス

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 おかしい、あの距離ならもうそろそろ帰ってくるはずだ。それなのに橘ちゃんは一向に戻ってくる気配がない。

 考えていることは同じなようで、プロデューサーさんと鷺沢さんも段々と表情が曇っていく。

 

 

「遅いな…ありす」

「…そうですね」

「暗くなってきたし……まずいな」

「……俺ちょっと様子見てきます! 橘ちゃんがここに戻ってくる可能性もあるので2人はここに残ってください」

「あ、白石くん!これ俺の名刺! ありすと合流できたらメールしてくれ!」

「わかりました! じゃあ…!」

 

 

 俺は全速力でコンビニに向かって走り出した。

 

 何事もなく合流できればいいんだけど…!

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

「どうですか? 家はもうすぐですか…?」

「もうちょっと……」

 

 

 コンビニかは歩き始めて既に15分程度が経過した。 女の子は自分の家がすぐ近くだと言っていたのでそろそろ着くと思うのだが……

 

 思ってたより時間がかかってますね…。さっきのコンビニから結構離れてしまった気が……やっぱり一度戻った方がよかったでしょうか。

 

 

「あ! ついたよ!」

「えっ! 本当ですか?」

「うん! あそこの家!」

 

 

 や、やりました! この子の家を見つけました!

 

 私はすぐ女の子の指差す家に駆け寄り、めいいっぱい背伸びをしてインターホンを押した。

 

 

 ピンポ-ン

 

 

「はい……って、アンタどこ行ってたの!」

「お母さーん!」

「心配したんだからね! 今お父さんがアンタを探しに行ったんだから……!」ギュッ

 

 

 子どもは親の方へと駆け寄り親は泣きながら子どもを受け止める。その光景を見た瞬間、私は間違っていなかったのだと思った。

 

 よかった……本当に…。

 

 

「あ、あなたが連れてきてくれたの?」

「は、はい」

「本当にありがとうね…! なんてお礼を言ったらいいのやら……」

「そんなお礼なんて……! あ、それより私人を待たせているので、失礼します!」ダッ

「あ、ちょっと…!」

「お姉ちゃん〜 ありがとうね〜!」

 

 

 なんだかとても良いことをしたので気分がいいです。 って、そんなことより早くあのビーチへ帰らなければ……もう暗くなり始めていますし、何より皆さんを待たせてしまっています。

 

 私は息を切らしながら走り続ける。多分あっちから来た、その前はあそこを曲がってきたはず、そんなあやふやの記憶に頼りながら知らない街を駆ける。

 

 ハッ..ハッ..ハッ..!

 

 

「あれ…? こっちで合ってるはずなのに……」

 

 

 おかしい、私は確かにさっきの道を戻って……

 

 

「はぁ……はぁ……そんなはずは…!」

 

 

 まさか……私が迷子に……

 

 

「ここ……どこ……」

 

 

 そうか……今度は、私が迷子になったんだ。

 

 自分が迷ったと自覚した瞬間、全身にゾワとした恐怖が襲いかかってきた。 知らない街の知らない道、田舎だから人も少なく道も暗い……

 

 

「はっ…! そうだタブレットで……って向こうに置いてきてる……」

 

 

 走っても走ってもさっきのコンビニには戻れない。 むしろどんどん遠ざかっているんじゃないかとすら思えてくる。

 やっぱり1人で格好つけないで一度皆んなの元へ戻るべきだった…… でも今さら後悔したところでもうどうしようもない。

 

 

「怖い……」ボソッ

 

 

 こ、ここはどこ……? 恐怖と不安で目に涙がうっすらと浮かぶ。

 

 

「私……どうすれば…」

 

 

 

 

 





 感想・ご意見等よろしくお願いいたします。




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19話 スマホの充電は確認しとこう

 

 

 すっかり空も暗くなってきた。 俺は橘ちゃんが向かったというコンビニへとひたすらに走る。そのコンビニは今日の昼に俺がジュースを買いに行ったのと同じ場所なので、道に迷うことなく走り続ける。

 

 

「見えた…! あのコンビニだ!」

 

 

 中でトイレに篭ってるとかだったら安心できるんだけど……頼むからここにいてくれよ橘ちゃん。

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 

 首を高速で左右に揺らして辺りを見渡すが橘ちゃんの姿は無い。とりあえずコンビニの周りにはいないようだ。

 そして次はコンビニの中を確認するため店内に駆け込んでいく。

 

 

「いらっしゃいませー」

「すみません、トイレ借ります!」

 

 

 ガチャ...

 

 

「い、いない……」

 

 

 くそ、どうやら最悪のパターンみたいだ。今このコンビニの中にも周りにも橘ちゃんの姿は無い。ただ望みは薄いが、もしかしたらすれ違いになってる可能性もあるかもしれないので、俺は現状確認のためにもプロデューサーさんにメールを送った。

 

 そしてプロデューサーさんからの返信はすぐに返ってきたが、内容は良いものではない。

 

 

「くそ、戻ってないか……!」

 

 

 とりあえず今からコンビニ周辺を探してみるとメールを送りスマホをポケットにしまう。

 しかし探すと言ったって何かしらの手がかりが無いとどこを探していいのかも分からない。俺は僅かな望みに懸けてレジに立つ店員さんに話しかけた。

 

 

「あの、すみません!」

「いらっしゃいませー」

「ここ30分以内にこのくらいの背丈で青い洋服を着た、凄く可愛い小さな女の子がコンビニの中に来ませんでしたか!?」

「女の子ですか……いやぁ、来ていませんね」

「そうですか……ありがとうございます。失礼します!」

 

 

 つまり橘ちゃんはコンビニの中に入っていないという事か。一体どうして……コンビニに入る前に何かあったのか…? いや、今は考えるよりとにかく探しに行かなければ…!

 

 

「またのお越しをお待ちしていまーす」

 

 

 店員さんの無気力な挨拶を背中に受けながら俺はコンビニの外に出る。そして外に出るなり全速力で走り出した。

 

 どこを探せばいい…? いや待てよ、海に戻ってきてないってことは今の道を戻っても意味ないよな。 よし、ここよりもっと先に進んでみるか。

 

 

 

「あの、すみません!」

「いやぁ見てないなぁ」

 

 

 くそっ……!

 

 

「この辺で青い服着た小さな女の子を!」

「ごめんなさいねぇ」

 

 

 俺は手当たり次第に人へと話しかけて、何か少しでも橘ちゃんの情報がないのかを確かめるが全く情報は出てこない。段々と心の中の焦りと不安が強くなっていくのを感じつつ、また次の人へと話しかける。

 

 

「あの、すみません!」

「どうかしましたか?」

「この辺で青い服を着た小さな女の子見ませんでしたか!?」

「……女の子…?」

「はい! 大きなリボンをつけてるんですけど!」

 

 ガチャッ

 

「ちょっとアンタ、家の前で何騒いでるんだい?」

「あぁ、すまない。 今この少年から質問されててね」

「あ……う、うるさくして申し訳ありません」

「いいよいいよ。 それで? 何を聞いてたんだい?」

「はい、この辺で青い服を着た小さな女の子見ませんでしたか!? 凄く可愛い…!」

 

 

 家の中から出てきた女性に質問をすると、その女性は大きく目を見開いてハッとした表情を浮かべた。

 

 

「それって……大きなリボンしてる…?」

「……! そ、そうです! 見たんですか!?」

「見たっていうか、さっきここにいたんだよ」

「え…?」

「ウチの娘が中々帰ってこなくて心配してたらね、怪我した娘をその子がここまで運んでくれたんだよ。 そこにいる旦那も今ずっと娘を探し回ってたんだけど見つかったから帰ってきたところさ」

「それどのくらい前ですか!」

「10分くらい前かねぇ」

 

 

 奇跡的に橘ちゃんの目撃情報を聞くことができた。10分くらい前にここにいたのならば、まだそう離れていない場所にいるはずだ。

 

 

「ありがとうございます! 俺もう行きます!」

「あ、ちょっと待って! その子に会えたらお礼を伝えておいて欲しいんだ……娘の分も」

「はい、わかりました!」

「君、これを持っていきなさい」

「これは……懐中電灯ですか?」

「あぁ……さっきまで僕が娘を探している時に使っていたものだ。 娘が世話になったみたいだから返す必要はないよ」

「ありがとうございます! それじゃあ!」

 

 

 俺は受け取った懐中電灯で暗い道を照らしながら走り続ける。そして自分の喉が擦り切れるのでないかと思うほどの大声を張り上げた。

 

 

「たちばなちゃーーーん!!!」

 

 

 人も建物も少ないから声がよく響く。これなら近くにいれば声は届くかもしれない。

 俺が再び大きく息を吸い込んで大声を張り上げようとしたその瞬間、何かに足を奪われてバランスを崩し、勢い良く道に倒れ込んだ。

 

 

「たちば……おわっ!」

 

 

 膝や肘をコンクリートの道に擦り付けてしまい、じんわりと血が滲み出て衣服を血で染める。正直泣いて叫びたい程に痛いが、今はそんなことは気にしていられない。

 

 すぐに立ち上がって再び大声を張り上げながら走り出す。

 

 

「たちばなちゃーん!!! たちばなちゃーん!!!!」

 

 

 ……こ…す…

 

 

「……! 今のって…! おーい!!! たちばなちゃーん!!! たちばなちゃーん!!!」

 

 

 ……ここ、ます……!

 

 

 僅かだったが、聞き間違いを疑うほど小さな声が聞こえた気がした。俺は最後の気力を振り絞って走りながら、声のする方向へと近づいていく。

 そして声が聞こえてきた場所を懐中電灯で照らすと、安心からか全身の力がガクッと抜けていくのを感じた。

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 

「……私…どうすれば…ぐすっ」

 

 

 空も完全に黒くなってしまって真っ暗な空間が私の不安を誘う。歩みを進める度に目的地とは違う方向へと進んでいるんじゃないかと思えてきて、歩くのも段々と怖くなってくる……

 

 

「うっ……うぅ……」

 

 

 自然と目尻には涙が貯まる。泣こうと思っている訳でもないのに、ソレが目から溢れるのを我慢できない。

 

 

 ……ば…ちゃ……

 

 

「え……」

 

 

 ……た…ばな……ちゃ…

 

 

 その時、微かだが私を呼ぶ声がした気がした。

 

 

「…こ、ここです! 私はここにいます!!」

 

 

 人生で1番かもしれないほどの大声を出す。喉が傷ついてしまいそうだがそんなことはお構いなしだ。

 

 

 …い……たち…ばな…ちゃ…ん!

 

 

「ここです! ここにいます!!」

 

 

 微かに声がする方向に必死に叫ぶ。するとその方向から強い光が差し込んで私の全身を照らすと共に、血と泥にまみれて息を切らした男が現れた。

 

 

「橘ちゃん!!」

「あ……あぁ…あぁ…!」

 

 

 声の主は私の姿を確認すると、心底安堵したような表情を浮かべた。

しかし心の底から安堵したのは私も同じで、その人物を見た途端に全身からガクっと力が抜けるのを感じた。

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

「橘ちゃん…!」

「あ……あぁ…あぁ…!」

 

 

 声のした場所を懐中電灯で照らすと、そこには目尻に涙を浮かべて体を縮こませる橘ちゃんの姿があった。

 

 あぁ……良かった、本当に、良かった……

 

 

「ふぅ……橘ちゃん、見つかって良かった」

「し、しら……いしさ…んっ…ひぐっ」グスグス

「……もう安心していいよ」ナデナデ

「うぅ〜……うぅっ…」グスッ

「怖かったね。でも、よく頑張ったね」

 

 

 俺の体にしがみ付いて、声を必死に抑えながら涙を流している橘ちゃん。俺はそんな彼女を安心させるために、優しく語りかけながら頭を撫で続けた。

 

 よほど不安で怖かったんだろうな……そりゃあこんな小さい子が知らない街で夜に迷子とかなったら不安にもなるわ。

 

 

「じゃあ戻ろっか」

「は、……はいっ……!」

 

 

 俺が立ち上がって橘ちゃんに手を伸ばすと、彼女は涙の付いた目をゴシゴシと擦って元気な返事をした。

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

「あの……重くないですか?」

「全然重くないよ。 もう1人乗っててもいけるぐらい」

 

 

 体力的にも精神的にも疲れ果てていた橘ちゃんをおんぶして歩く。背中に乗る橘ちゃんは遠慮がちに重くないか聞いてくるが、強がりでもなんでも無く本当に余裕だ。むしろ軽すぎて心配になるくらい。

 

 

「そうだ、プロデューサーさんに連絡しないと。 ちょっと止まるね?」

「あ、はい」

「えーっと…………ほい、送信っと」

「何て送ったんですか?」

「橘ちゃん捕獲って」

「わ、私は獣じゃありません!」

「あはは! 冗談だって……あ、返信きた」

 

 

 メールの文面からはプロデューサーさんの安堵が伝わってくる。ビーチで鷺沢さんと待っているとのことなので早く戻らないとな。

 

 何はともあれ、これにて一件落着だな。

 

 

「あっ……」

「な、何ですか?」

「充電切れた」

「え……」

「まぁプロデューサーさんには連絡できたしギリギリセーフだよ」

「道はわかるんですか…?」

「うん。俺は全部来た道覚えてるから」

「……私への当てつけですか?」ジト-

「そ、そういう訳じゃないよ!」

「まぁ、今日は何を言われても私に文句を言う筋合いはありませんけど……」

 

 

 橘ちゃんは一瞬だけじっとりした視線を後ろから浴びせてきた。しかしすぐにその視線も無くなったので、本気で怒っている訳ではなさそうだ。

 

 

「あの……先ほどはみっともない姿を見せてしまいました……申し訳ないです」

「みっともない姿って?」

「……人目も憚らず大声で泣いてしまったことです」

 

 

 そう言う橘ちゃんの声は震えていて、その声色からは後悔や反省といった感情がヒシヒシと伝わってくる。

 

 

「みっともなくなんかないと思うけどなぁ。不安で怖くなって泣いちゃうことなんておかしくもない……というか普通だと思うし」

「そうでしょうか……」

「普通普通。俺だって大学の課題間に合うか不安になって泣くし、高校の頃やった肝試しで怖くて泣いたし」

「……泣きまくりですね」

「ははっ! まぁとにかく俺は泣くことをみっともないとは思わないし、泣きたいときは泣けばいいんだよ。誰も責めたりなんかしないし」

 

 

 俺は自分の体験談を交えて橘ちゃんを慰める。こんな話で慰めになるかどうか分からないが、まぁ気休め程度にでもなれば上等だろう。

 

 

「そういえば橘ちゃん、怪我した子どもを家まで送り届けてあげたらしいね」

「な、何で知ってるんですか?」

「橘ちゃん探してる時にその子どものお母さんとお父さんに会ってね、橘ちゃんに本当にありがとうって言ってたよ」

「……そうですか。ふふっ」

 

 

 あの夫婦の感謝の言葉を伝えると、背中からは嬉しそうな笑い声が聞こえてきた。ようやく橘ちゃんが笑ってくれたのが嬉しくて、俺も自然と口角が上がってしまう。

 

 

「橘ちゃん良いことしたね。偉い偉い」

「こ、子ども扱い…! いえ、今回は素直に受け取っておきます」

「そうそう。素直が1番! まぁ橘ちゃんは充分素直だと思うけどね、世の中にはそれはそれは大層捻くれたやつがたくさん……」

「ありすでいいです」

「ん?」

 

 

 俺の話を遮るように橘ちゃんはそう言った。俺は何が何だかよく分からなくてついつい聞き返してしまうが、橘ちゃんは少しだけ恥ずかしそうに体をモジモジさせながら話を続ける。

 

 

「その……た、橘ちゃんでは長くなってしまいます。 なのでありすでいいです。 もうアイドルの皆さんも結構そう呼んでますし……」

「いいの?」

「は、はい……」

「そっか、じゃあ改めてよろしくね。ありすちゃん」

「こちらこそよろしくお願いします。白石さん」

 

 

 俺の言葉に対して少しだけ微笑んで返事をするありすちゃん。今日の朝会った時はかなり警戒されていたのに、ようやく心を開いてくれたような気がしてめちゃくちゃ嬉しい。

 

 

「……あの、白石さん」

「どうかした?」

「こ、コンビニに寄ってもらえないでしょうか……」

「どうして?」

「い、いや……その……」プルプル

「……?」

 

 

 すると突然、ありすちゃんが震えた声でそう言った。いや、震えているのは声だけじゃなくて体も揺れている。俺はコンビニに行きたい理由を聞いたが、ありすちゃんは何やらとても言いづらそうにしていた。

 

 

「と……」

「と?」

「トイレに行きたいんですっ! 言わせないでくださいよ!」

「と、トイレ…?あっ…」

 

 

 そ、そういえばそもそもありすちゃんがコンビニ行った理由ってトイレに行くためだったな……すっかり忘れていた。色々とあってそれどころじゃなかったんだろうけど、あれから小1時間程度は経過してるしそりゃ限界も近いよな。

 

 

「デリカシーのない人ですね! そういうのは察するもんですよ!」

「わ、わかったから…! じゃあ少し急ごうか。 大丈夫? まだ限界来てない?」

「だから……! そういうのは聞くもんじゃないんですよっ!」

 

 

 背中の上でぷりぷりと怒っているありすちゃんを乗せたまま、俺は猛スピードでコンビニへと向かった。

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

「お待たせしました」

「いやいや」

「さぁ行きましょう。 ここからは自分で歩きます」

「そっか……あ、これありすちゃんに」

「これは……いちごミルクですか…?」

「喉乾いたでしょ? せっかくコンビニ来たしさ、遠慮しないで」

「あ、ありがとうございます…!」パアッ..!

 

 

 ありすちゃんは露骨に嬉しそうな表情を浮かべると、喉も渇いていたのかごくごくと勢いよくいちごミルクを飲んでいく。大人びてはいるけど、こういう所は年相応な感じがして可愛らしいと思った。

 

 

「ふぅ……あの、どうして私がいちご好きだと知っているんですか?」

「今日送迎するのがありすちゃんと鷺沢さんだって知った時に少しだけ調べてね」

「そうなんですか」

「いやまぁ調べたって言っても本当大したことは調べてないよ? 鷺沢さんは大学生で本が好きな人。ありすちゃんは小学生でいちごが好きみたいなことくらいかな」

「予習は大事ですからね」

「しっかりしてるなぁありすちゃん。 俺小学生の頃に予習復習とか行った覚えないや」

 

 

 そんなしょうもない雑談を交わしながら歩いていると、あっという間にプロデューサーさんと鷺沢さんの待つビーチへと到着した。俺たちの姿を見るなり2人は走って駆け寄って来る。

 

 

「ありす!」

「ありすちゃん…!」

「プロデューサーさん、文香さん!」

「…心配しました」

「あぁ、本当に無事でよかったよ。白石くんも本当にありがとう」

「いやいや、そんなことよりありすちゃんが無事でよかったです」

 

 

 本当に大事にならないで良かった。さっきありすちゃんを見つけた時も安心したけど、ここに戻ってきたことでより一層強い安堵を覚えた。

 

 

「それより白石くん……その怪我は大丈夫かい?」

「あぁ、ちょっと痛いですけど多分ただの擦り傷ですから」

「そうか……改めて今日は本当にありがとう、白石くん」

 

 

 その後はプロデューサーさんに明日病院へ行くことをオススメされた。勤務中の怪我なら労災やら保険やらがどうとかこうとか……正直よくわからなかったけどまぁ大丈夫だろう。

 

 

「じゃあそろそろ帰ろうか。 白石くん、最後まで申し訳ないけど2人の送迎を頼むよ。直接家に届けてもらって構わないから」

「わかりました。鷺沢さんもありすちゃんも寮ではないんですよね」

「そうだね……ふふっ、ありすちゃんか」

「……?」

「いや、ありすとも仲良くやってくれてるみたいで嬉しくてね……これからもよろしく頼むよ、白石くん」

「は、はい!」

「じゃあ俺は寄る場所があるからこれで」

「お疲れ様でした!」

 

 

 そう言うとプロデューサーさんは、鷺沢さんとありすちゃんに挨拶をして自分の車に乗って走り去っていった。

 

 

「じゃあ俺たちも帰りましょうか」

「…はい」

「よろしくお願いします」

 

 

 俺たち3人は駐車場に停めていた車に乗って東京へと戻っていく。車内ではさっきあった出来事についての会話が盛り上がっている。

 

 

「…なるほど、そんなことがあったんですね」

「ありすちゃんのお陰で1人の子どもが救われたんだよね」

「……そこまで褒められるとむず痒いです」

「…立派です、ありすちゃん」ニコッ

「ふ、文香さんっ…!」

 

 

 やっぱ鷺沢さん大好きなんだな……本人に言ったら怒るだろうけど、鷺沢さんに褒められた瞬間に尻尾を振る子犬みたいになってるし。

 

 

「そういえば、白石さんはなぜウチの事務所でアルバイトを?」

「んー……お金欲しかったから。ここって時給良いし」アハハ

「…とてもシンプルな理由ですね。…女性に慣れるために女性の多い場所を選んだのかと…」

「……なんかそれ俺めちゃくちゃチャラ男みたいですね」

「ふふ……」

「白石さん、女性が苦手なんですか?」

「苦手って訳じゃないよ。慣れてないんだ、女の子と話すの……主に初対面の子と話す時」

「そうなんですか……」

「2人とは今日いっぱい話したから結構普通に話せるんだけどね。 鷺沢さんと最初喋った時とかもうガチガチで」

「…私もです」

 

 

 いやぁ、ここの事務所に来て多少は女の子と喋るの慣れたけどやっぱり初対面の子とはどうしても緊張するんだよね……これは治る気がしない。

 

 

「ネットで調べました。 女性に慣れている男性は自然に下の名前で呼ぶらしいです」

「えー……ハードル高いなぁ」

「なぜですか、私は名前で呼んでいるじゃないですか」

「だってありすちゃんは子どもだし」

「こ、子ども扱いしないでください! 白石さんはおいくつですか!」

「18だけど」

「私は12です! 6つしか違いませんよ!」

「……そう言われるとそんな離れてないような気もしてきたな」

「…小学生と大学生と言うと…印象がガラリと変わりますね」

「あー……それは確かにめちゃくちゃ離れてる気がしますね」

「ふ、文香さん……」

「…すみません、ありすちゃん」

 

 

 同じ6歳差でも30歳と36歳の夫婦と、12歳と18歳のカップルじゃ全然印象が違うからなぁ。てか後者は普通に犯罪だし。

 

 

「では試しに文香さんのことを名前で呼んでみましょう」

「えー……恥ずかしいんだけど」

「…私は構いません」

「さぁ!」

「………いややっぱ無理だわ! 今から名前で呼びます!って言って呼ぶとかめちゃくちゃ恥ずかしいわ!」

「チキンですね」

「…まぁまぁ、ありすちゃん」

「あ、ナビ設定したいんでちょっと止まりますね!」

「話を逸らしましたね」

 

 

 なんか段々と遠慮が無くなってきたなありすちゃん。いやまぁ心を開いてくれてるって事だと思うしいいんだけどね!

 

 

「あの……白石さん、連絡先を交換しましょう」

「え?」

「今後、今日みたいな事があった時に必要だと思いました。 交換して損はないはずです……」

「……それもそっか。いいよ、交換しとこっか」

「……で、では私も」

「え? さ、鷺沢さんもですか…? いいんですか…?」

「…こういった時にこうするのが"ノリ"だと学んだことがあります」

「の、ノリですか……」

 

 

 そして俺は2人と連絡先を交換した。

 

 別にこれで頻繁にやり取りをするようになるとかいう訳ではないけど、連絡帳に人の名前が増えるとちょっと嬉しい……

 

 

「じゃあ2人の家に向かいますか」

「…お願いします」

「よろしくお願いします!」グゥ-

「…ありすちゃん、お腹が空いたのですか?」

「ち、違いますよ! い、今のは……!」グ-

「ありすちゃんが空腹で倒れる前にとっとと帰るかー」

「…そうですね。ふふふっ」

「ち、違うんですー!!」グ-

 

 

 車の中にはありすちゃんの大きな声と鷺沢さんの静かに笑う声が響く。

 帰りの車内は、ここへ向かう時の静かな車内とは正反対にとても賑やかだった。

 

 

 





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20話 誰にでも内緒にしたいことは一つぐらいある

 

 

 初めての大きな仕事を無事終えて次のバイトの日、俺は千川さんからのありがたいお言葉を頂いていた。

 

 

「白石くん、海での撮影のお手伝いお疲れ様でした」

「ありがとうございます千川さん」

「少しハプニングもあったと聞きましたが白石くんが頑張ってくれたみたいで……それでお怪我の方は大丈夫でしたか?」

「あ、はい。 本当にただの擦り傷だったんで全然大丈夫です!」

「そうでしたか。本当によかったです」

 

 

 ありすちゃんを探していた時の傷は早くも瘡蓋になりかけていた。

 

 血がすごく出たから俺もちょっとビビったけど何もなくてよかった……風呂に入る時なんかはちょっと痛いけど。

 

 

「どうです白石くん、将来はプロデューサーを目指してみては?」

「む、無理ですよ俺には…!」アハハ

「ふふっ、まぁそれは置いておいて、これからもしっかりよろしくお願いしますね♪」

「はい!」

 

 

 千川さんからのありがたいお言葉を頂いた俺は事務室を後にした。

 

 なんだか機嫌がいいからどっかで外食でもして帰ろうかな〜………ん?

 

 

「なんだこれ? アニメキャラのキーホルダー?」

 

 

 誰かの落とし物だろうか…? こういうのはどうすればいいんだろう。とりあえず千川さんに聞いてみるか……

 

 

「あ! そ、それ……!」

「ん?」

 

 

 大きな声がしたから振り向いてみると、そこにはもふもふとした髪の毛の女の子が俺のことを指差している。

 

 

「そ、それ! アタシの!……い、いや…アタシの友達が落としたやつなんだ!」

「このキーホルダーですか?」

「そ、そうそう! 見つかってよかった〜!」

「ちょうど今ここに落ちてたのを拾ったんですよ。探し主が見つかってよかったです」

「ありがとう! アタシは神谷……! ちょ、ちょっとこっちに来てくれ!」

「え、え? えぇ〜!?」

 

 

 もふもふの子に腕を引っ張られて俺はその場から立ち去る。

 

 

 

「あれ? 今この辺から奈緒の声がした気がするんだけど……」

「うん……私もしたと思った」

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 何かから逃げるように俺を引っ張るもふもふの子に連れられて、俺は事務所の中のカフェへと来ていた。

 

 

「いや〜 ごめんな? 急に引っ張っちゃったりして……ビックリさせちゃったかな…」

「あ、ううん。 全然それは構わないんですけど」

「そっか、そう言ってくれると助かるよ」ニコッ

 

 

「私の名前は神谷奈緒って言うんだ! 改めてキーホルダー拾ってくれてありがとう!」

「あ、俺は白石幸輝です。」

「へー……白石さんはここで何してたんだ? 会社の人じゃあ……ないよな?」

「俺はここでアルバイトしてるんですよ。ただの大学生です」

「へぇ〜 あ、別にタメ口でいいぞ? アタシもその方が楽だしな!ていうかむしろアタシが敬語使った方がいいんじゃないかな? 大学生ってことは年上だし…… 」

「い、いやいや! 全然そのままでいいです……いいよ」

「そ、そっか?じゃあこのままでよろしく!」

 

 

 神谷さんの出す雰囲気からかすごく話しやすいかも…… すごいいい人オーラが出てる。

 

 

「それで神谷さん、何でさっきはあんな風に逃げるようなことをしたの?」

「そ、それは……」

「それは?」

「だ、だってアイツらに見つかったらまた揶揄われるから!」

「揶揄われるって神谷さんが?」

「そ、そうだぞ! アイツらはいつも私をイジって遊んでるんだ!」

「あのキーホルダー神谷さんの友達のって……言ってなかったっけ…?」アハハ

「あ……」

 

 

 ……突っ込まない方がよかったかな…。

 

 

「うぅぅ〜! はぁ……正直に言うとあれはアタシのなんだ…」

「うん、そんな気はしてたけど……」

「うっ! そうか…バレバレだったかぁ……」

 

 

 テーブルに項垂れる神谷さん。毛量がすごい。

 

 

「あ、アタシ……こういうアニメとか好きでさ、でも周りにはあんまりそういう子っていなくてさ…」

「そうなんだ……でも俺には別に隠さなくてもいいよ。 俺もアニメとか見るしゲームもするからさ」

「えっ! 白石さんアニメ見るのか!? ど、どんなの見るんだ!」

「いや普通に……◯◯とか、✖️✖️とか……」

「少年マンガ系のやつだな! いいよな〜バトル物、アタシも好きだぞ!」ウキウキ

 

 

 自分の好きなものについて語ってる人って輝いてるよなぁ。 魔法少女やアイドルについて語ってる時のナナさんを思い出す。

 

 エンジンがかかった神谷さんの話を聞きながらカフェでの時間を過ごす。

 

 

「それでなー!この前アタシの友達に面白いって勧められた漫画読んでみたらすごい面白そうでさー! 有名だけど結構昔の漫画でさ〜」

「あ〜 それなら俺途中まで持ってるよ。 受験期になって買わなくなって止まっちゃってるけどね。 よかったら貸そうか?」

「ほ、本当!? やった〜! ありがとう白石さん!」

「俺も久しぶりに読み返して続き買ってみようかな……」

「あ、じゃあアタシのおすすめも貸してあげるよ!」

「へ〜神谷さんのおすすめってどんなやつ?」

「アタシのおすすめはな〜!」

 

 

 

「奈〜〜〜緒♪ 楽しそうだね〜」

「げっ…! か、加蓮……」

 

 

 突然、ちょっとギャルっぽい女の子が神谷さんに話かけてきた。

 神谷さんの友達かな…?

 

 

「奈緒の楽しそうな声が聞こえたから何してるのかと思ってみれば……まさかデートだったなんてね〜」ニヤニヤ

「「で、デート〜!?」」

 

 

 神谷さんとシンクロして大きな声を出す。

 

 

「で、デートとかそういうんじゃないよな!白石さん!!」アタフタ

「そ、そうだよ! 第一神谷さんとはさっきあったばかりだし…! ね、神谷さん!」アワアワ

「冗談だったんだけど……何かその慌てよう怪しくな〜い?」

 

「あ、怪しくなんかないぞ! ちょっと話は盛り上がってたけど本当に今日初めて会ったんだ!」

「奈緒は知らないかもだけど〜 年の近い男女がカフェで楽しくお喋りしてたらそれはもうデートなんだよ?」

「そ、そうなのか!?」

 

 

 いやそれは違うと思うけど……

 

 

「な、なぁ……白石さん、これって……デートだったのか…?」モジモジ

「えっ!? い、いや〜」アハハ

 

 

 か、可愛いな神谷さん……

 

 

「まぁ嘘だけどね〜」

「んなっ!? ま、また揶揄ったのか加蓮!」

「んも〜本当に可愛いな〜奈緒は〜」モフモフ

「や、やめろぉ〜 もふもふするな〜!」

 

 

 目の前で美少女たちがイチャイチャし始めてた…… 眼福な光景ではあるけど俺は完全に置いてきぼりだ。 そもそもこの子は誰なの?

 

 

「あれ、白石何してんの」

「し、渋谷さん! 何をしてるのかって……俺今何してるんだろう」

「何それ」

 

 

 久しぶりに渋谷さんと再会する。 そしてナチュラルに隣に座る…… ま、まぁ流石の俺も隣に女子が座ったぐらいじゃ狼狽えないけどね!

 

 

「神谷さんと……もう1人の子は渋谷さんの友達なの?」

「うん。 一緒のユニット仲間だよ」

「へー ていうかあれ止めなくていいの…?」

「別にいいよ。 いつもだから」

「い、いつもなんだ……」

 

 

 俺と渋谷さんの正面に座る2人が繰り広げているイチャイチャはいつも行われているようで……何となく神谷さんはイジられキャラなんだなとわかってきた。

 

 

「あ! 奈緒! 彼氏が凛に取られたぞ〜!」

「だからそういうんじゃないって〜の!!」

「加蓮、その辺にしておきなよ」

「は〜い♡」ツヤツヤ

「ったく〜……」ゲッソリ

 

 

 やっと解放された神谷さんは拗ねるように肘をテーブルについている。

 そしてもう1人の子は悪びれる様子もなさそうに満足げな表情だ。

 

 

「あ、私は北条加蓮だよ〜 よろしくね〜」

「俺は白石幸輝です。 よろしくお願いしま……」

「奈緒と凛にはタメ語なんだから私もそれでいいって〜 よろしくね白石さん」

「え……そ、そうか……うん、よろしく北条さん」

 

 

 気軽な感じで自己紹介する北条さん。

 

 ……女子3人と俺1人、側から見たらどんな風に見えているんだろうか。

 

 

 

「それで? 白石さんは何者なの?」

「俺はここでバイトしてるんだよ……ってこれ毎回聞かれるんだけど……」

「白石さんぐらいの年齢の男の人って会社の中にいるの珍しいからな〜 アタシら大体いつもアイドルの誰かと行動してるし」

「そうそう♪ だから奈緒が連れ込んだ彼氏なのかと思ってさ〜」

「だ、だから…! 俺は今日神谷さんと初めて会ったんだってば!」

「白石、彼女いたことないって言ってたもんね」

「……ま、まぁね…」

「え〜 そうなんだ〜」ニヤニヤ

「白石さん、加蓮に隙を見せたらすぐイジってくるから気をつけろよ」

 

 

 神谷さんの実体験を踏まえたアドバイスにはとてつもない説得力があった……

 

 北条さんには隙を見せないようにしよう。

 

 

「あ、ポテト頼んじゃお〜♪」

「もう加蓮のお残し食べるのは嫌だからなアタシは」

「大丈夫大丈夫! 今はいざとなったら男の人がいるんだしね〜 ねっ!白石さん♪」パチッ

「……! お、おぉ! 任せといてよ!」

 

 

 北条さんが俺に向かってウインクしてきたから反射的に返事をしてしまった。

 

 正直すっごくドキッとした…… 可愛いんだからしょうがないよね?

 

 

「………」シラ-

「……アタシが言うのもなんだけどそれはちょっとちょろすぎないか?」

「えっ…?」

 

 

 渋谷さんと神谷さんからの冷たい視線が突き刺さる。

 

 

 

「……い、いや別にウインクされてテンション上がったとかじゃないからね…? ポテトぐらいだったら普通に食べるし…!」

「ふーん」

「白石さんいつか悪い女に引っかかったりしないか心配だよ……」

「あ、ポテト来た!」

 

 

 年下のJKに心配されてしまった…… そして北条さんマイペースだ。

 

 

「いただきまーす♪」

 

「そういえば凛と白石さんは元々知り合いみたいだったな。どんな風に知り合ったんだ?」

「前にゴミ捨て場で……あっ」

「………」

「……?どうしたんだ…?」

 

 

 そういえば俺と渋谷さんの出会いって……とても人には言えるもんじゃないよな。

 

 今思い出してもあれは衝撃的な……

 

 

 グリッ!

 

 

「いてっ!」

「……思い出さなくていいから…///」

「な、なんでわかったの…?」

「顔」

「か、顔…?」

「変なこと考えてる顔してた」

 

 

 ……一体俺はどんな顔してたんだろう。

 

 

「それで? 結局なんで2人は知り合いなんだ?」

「ふ、普通に少し話したことがあるだけだよ…! ね、渋谷さん!」

「……まぁね」

「ふーん、そっか……まぁなんでもいいか!」

 

 

 神谷さんは空気を読んでそれ以上追求してこなかった。 すごい優しい……

 

 

「あ〜! もうお腹いっぱい……」

「だから言ったろ〜?」

「まぁまぁ、俺が後は食べるからさ」

「白石さん…あんまり加蓮を甘やかすなよな〜?」

「白石さんありがと〜♪ じゃあお礼に食べさせてあげよっか…?」ニヤニヤ

「ええっ!?」

「あーん……してあげるよ〜?」

「……い、いやぁ…別に俺は…」

「本音は?」

「ま、まぁ……嬉しいけど……はっ!」

 

 

「……白石さん〜?」

「……」ジト-

 

 

 ま、またしても2人からの視線が冷ややかなものに……! これじゃあまるで俺がスケベな男子みたいじゃないか!

 

 ……否定はできないけど。

 

 

「はい、あーん」

「あむっ」

 

 

 目の前にポテトが差し出されたので反射的に口に咥えてしまった。

 北条さんにあーんされたドキドキなのか2人の視線に対するドキドキなのかはわからないけど味がわからない……

 

 

「美味しい?」

「……あ、味がわかりません…」

「じゃあもう一本……あーん」

「……い、いやぁ…後は自分で食べるよ」

「えー、つまんないの〜」

 

 

 2人の視線が哀れな者を見る目になってるからこれ以上は中々に辛い。

 

 あ、ポテト美味しい。

 

 

「加蓮、白石は女子に弱いんだからあんまり揶揄ったらダメだよ」

「だってなんか白石さん面白いんだも〜ん」

「お前なぁ……魔性の女だな」

「な〜に〜? 奈緒、嫉妬してるの〜?」

「は、はぁ!?」

「大丈夫だって〜! 奈緒が1番可愛いよ〜♡」

「んなぁぁ〜! くっつくな加蓮〜!」

「なお〜♡」モフモフ

 

 

「本当にいつもこんな感じなんだ……」モグモグ

「うん……ねぇ」

「ん?」モグモグ

「私も食べさせてあげよっか?」

「ぶっ…!」

「冗談だよ。ふふっ…本当、しっかりしなよ」

 

 

 ……心臓に悪いイジりはやめてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあね〜 凛! 白石さ〜ん!」

「またな〜!」

 

 

 手を振る北条さんと神谷さんに手を振り返し背を向けて歩き出す。

 俺と渋谷さんは帰り道が同じなので2人で歩いていると、昔渋谷さんとここを歩いたことを思い出す。

 

 

 

「前にもこんな風に渋谷さんと一緒に帰ったことあったよね」

「アンタが私のことストーキングしてた時のこと?」

「し、してないから! ストーカーなんて!」

「どうだか……ふふっ」

 

 

「白石さ、ちょっと変わったね」

「え、そうかな?」

「うん、前一緒に帰った時より話しやすいかも。 女の子に慣れてきたんじゃない?」

「うーん……それなら嬉しいけど……多分渋谷さんだからだよ」

「どういうこと?」

「渋谷さんとちょっとだけ仲良くなれたから俺も話しやすくなったんだと思うんだけど……自惚れかな…?」アハハ

「ふーん……ま、別にいいんじゃない…?」

 

 

「でもやっぱりよく考えたら白石が女子に慣れてきた訳じゃなさそうだよね」

「どうして? いや、まぁ慣れてないのは本当だと思うけど」

「だって加蓮に鼻の下伸ばしてたしまだまだだよね」

「は、鼻の下なんか伸ばしてないけど! ……伸びてないよね……?」

「いや、ウインクされた時とポテト食べさせてもらってる時はすごく情けない顔してたよ」

「……ほ、本当?」

 

 

 さっきもそうだけど渋谷さんは中々に俺の顔に厳しい。

 

 

「でもさ、あんな可愛い子にあんなことしてもらったら普通喜んじゃうもんなんだよ…! ましてや俺みたいな人生で一回もそんな経験なかったやつからするとさ…!」

「はぁ……私はアンタが本当に悪い女に引っかかったりしないか心配だよ」

「だ、大丈夫だよ…! 俺って人を見る目には自信あるから…! 多分……」

「もしかしたら私が悪い女かもしれないよ」

「渋谷さんはいい人でしょ? 優しいし」

「…あっそ」

「渋谷さんが優しい人じゃなかったら俺は今頃バイト続けれてないかもしれないしね」

「え、なんで?」

「いやだってほら……通報されてたかもしれないし」

「っ……/// あ、アンタいつまであの日のこと覚えてるのさ…!」

「い、いやぁ……あはは」

 

 

 多分渋谷さんと初めて会ったシーンは一生忘れられないよ…… 渋谷さんには申し訳ないけど。

 

 

 

「あら、お帰り凛」

「お母さん、ただいま」

「丁度よかった。 お母さん夕飯の支度するから店番変わって……って」ジ-

「こ、こんにちは」

 

「おやおや〜 凛、この前はアンタがすっごく否定するから信じたけどやっぱり……」ニヤニヤ

「だからそういうんじゃないから!」

「邪魔者は退散するわね〜 あとは若いお二人で……」オホホ

「あ〜 もう! じゃあね白石!」

「あ、うん…またね渋谷さん」

 

 

 渋谷さんは怒ってお母さんを追いかけていった……

 

 こういうのって何て言うんだっけ…? デジャヴ?

 

 

 



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21話 酒は二十歳になってから

「高垣楓さん…ですか?」

「はい♪」

 

 

 いつも通りその日の仕事を終えた俺は千川さんに呼び出されて、再びいつもとは違う仕事をしてみないかと声をかけられていた。

 

 

「えーっと……その高垣楓さんという方が出演するイベントの手伝いをするってことですか?」

「その通りです! 会場の設営や後片付けに加えて諸々の業務をお願いしたいと思っています♪」

「わかりました。やらせてください!」

「ありがとうございます♪」

 

 

「それでそのイベントというのが飲酒トークイベントなんですよ」

「へぇ〜、高垣楓さんは大人の人なんですね」

「はい♪ とっても綺麗な人なのでもしかしたら白石君も一度は目にしているかもしれませんよ?」

「とっても綺麗な人かぁ……」

 

 

 うーん……でもここにいる大人の人は基本綺麗な人ばっかりだからなぁ…。

 

 

 

「ここって綺麗な人ばっかりだからちょっとわからないですねー」アハハ

「確かに…言われてみればそうですね♪ ウチのアイドルはみんな可愛くて綺麗ですからね!」

 

 

 そういう千川さんも相当可愛い部類だと思うけどなぁ……

 

 

「話が逸れてしまいましたが、イベントを終えた楓さんの送迎までお願いしたいんですよ。飲酒をするイベントですので1人で帰らせるのも少し思うところがありますから……」

「わかりました。 任せてください!」

「では、当日はよろしくお願いしますね!」

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 そしてイベント当日。

 

 

 俺は挨拶をするために高垣楓さんの楽屋へと向かっている。

 

 

 コンコンコン

 

 

「失礼します。346の白石です」

「どうぞ」

 

 ガチャ

 

「失礼しま……」

 

 

「こんにちは白石くん、高垣楓です。 今日はイベントのお手伝いに帰りの送迎までしてくれるそうで……よろしくお願いしますね」

 

 

 うわ……なんだこの人…… すっごい綺麗な人だ……

 

 スラリとした長い手足に透き通るような声、そして整ったあの顔……なんというか高嶺の花みたいな感じだ……大袈裟じゃなくて本当に。

 

 あれ…でも俺この人一回会って……

 

 

「………」

「白石くん、以前菜々さんと一緒にカフェでアルバイトしていましたよね…?」

「カフェ……あっ!」

 

 

 思い出した! 確かに高垣さんお客さんとして来てたぞ…! 他にも確か綺麗なお姉さんと一緒に……

 

 

「もしかして…私のこと覚えていませんでしたか…?」

「えっ…!あ、いや……そのっ…!」

「私は白石くんのこと覚えていたのに……ショックです…」

「あ、いやその…!す、すみません!」バッ

 

 

 

「な〜んて…ちょっとした冗談ですよ」

「えっ……」

「別にお互い自己紹介をした訳でもないので覚えていなくても不思議ではないですよ」フフッ

「な、なんだ……冗談か……」

 

 

 よかった〜 本気で悲しんでる顔に見えたから焦った……あれ演技なのか…すごいな。

 

 ていうか高垣さん冗談とか言うんだな……なんか雰囲気的にすごいクールな人なのかと思ったけど少しお茶目な人なのかもしれない。

 

 

「変な冗談はやめなシャレ……ふふっ」

 

 

 前言撤回。 少しじゃなくてかなりお茶目でした。

 

 

「では改めて自己紹介をしましょう。 高垣楓です。 菜々さんから白石くんは真面目でいい子だと伺っています。よろしくお願いします、白石くん」

「し、白石幸輝です! こちらこそ本日はよろしくお願いします! 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は高垣さんと挨拶を終えたあと、イベント会場でお客さんが座るパイプ椅子をセッティングしながら高垣さんのことを考えていた。

 

 最初は住む世界が違う!って感じの雰囲気だったけど……そんなことはなくてすごく親しみやすい人だったな…高垣さん。もうちょっと話してみたいかも。

 

 

「って、今はとにかくイベントの準備を進めなきゃ」

 

 

 

 そうして会場の設営を終えてしばらくした後、イベント会場には高垣さんのファンであろう人たちが続々と入場して席についていく。

 

 

「うわ〜 結構な数の人が入ってるな」

 

 

 女性アイドルのイベントだから客層は男の人が多いのかと思ってたけど……結構お客さんにも女性の方がいるな。

 まぁ確かに高垣さんスタイル良くて綺麗だから女性ファン多そうだもんな……

 

 

「それではただいまより高垣楓のトークイベントを開始します! 壇上にご注目ください……高垣楓さんです!」

 

 

 ワ-! キャ-!! カワイイ-! カエデサ-ン!

 

 

 ステージの上に高垣さんが姿を現すとお客さんのボルテージもマックスになる。 高垣さんはそんなお客さんたちに微笑みながら丁寧に手を振っている。

 

 

「えーっと…皆さんこんちには、高垣楓です。 本日は遠いところからお越しいただきありがとうございます。 早速ですが本日はお酒を飲むことが許可されているので頂いちゃいましょうか♪ 酒は避けられないですね…うふふ」

 

 

 デタ-! ウワァ-!

 

 

(す、すごい盛り上がってる……)

 

 

 クールな見た目に対しての可愛らしい一面が親しみやすさを生んでいるんだろうか…… 高垣さんが人気の理由もわかってきた気がする。

 

 

「それでは今から事前に受け付けた皆さんからの質問に私が答えていきますね? えーっと……楓さんみたいな綺麗でスタイルのいい女性になるにはどうしたらいいですか?…と、綺麗だなんて少し照れてしまいますね…」フフ

 

 

 高垣さんの綺麗な声がマイクによって会場に響き渡る。

 

 

「そうですねぇ……強いていうなら日々の努力でしょうか…? 勉強やスポーツと同じです。毎日の肌のお手入れやメイクやファッションの知識を蓄えたり……」

 

 

 すごいちゃんとした回答だな。 高垣さんほどの美人が言うと説得力が違う。

 

 

「あ! 後はたくさんお酒を飲むことですかね♪ 」

 

 エ---!!!

 

 

「あら…? これは綺麗に関係ない悪しき例…でしょうか? うふふ」

 

 アハハハ-!

 

 

 またダジャレだ。よくあんなに思いつくなぁ…… 少し関心する。

 

 

 その後もイベントは終始和やかな雰囲気で進んだ。 イベントの終盤には高垣さんもそれなりにアルコールが回ってきたらしくオヤジギャグを連発していた。

 

 俺はイベント会場の撤去を済ませると現場の人にもう上がっていいと言われたので、高垣さんを楽屋へと迎えにいく。

 

 

 コンコンコン

 

「高垣さん、白石です」

「は〜い♪ どうぞ〜」

「失礼します」

 

 

「高垣さん、会場の撤去が終了したのでそろそろ帰りま……って! なんでまだお酒飲んでるんですか!」

「だって〜 イベントで飲みきれなかった分が余ってたので……勿体ないじゃないですか〜」

 

 

 頬をほんのり桜色に上気させた高垣さんは機嫌良さそうに微笑んでいる。

 

 

「すごい酔ってる……高垣さん、もう帰りましょう? 家まで車で送りますから」

「え〜 もう少しいいじゃないですか〜 あ、白石くんもよろしければどうです?」

「俺未成年なので!」

「あら、そうだったんですか? 私は25歳です♪」

「ね、年齢のことは置いておいて…とにかく行きますよ! さぁ立ってください!」

「ではおんぶして連れていってくださ〜い♪」

「えぇ……」

 

 

 め、めんどくさい……! 高垣さん酔うとすごいめんどくさいぞ…! まるで25歳児だよ!

 

 

「じょ、冗談もほどほどにしてください……高垣さんのことおんぶなんてしたら心臓が爆発しますよ」

「……?」

 

 

 そんなキョトンとした顔されてもなぁ……

 

 

 その後、駄々をこねる高垣さんを何とか部屋から連れ出して駐車場へと向かう。

 

 

「さぁ乗ってください…高垣さん」

「は〜い♪ よろしくお願いしま〜す♪」

「はぁ……車に乗せるだけで疲れた……」

 

 

 助手席に高垣さんを半ば無理やり押し込むように乗せて俺も運転席に乗り込む。

 

 

「道案内をしてほしいんですけど……できます?」

「ん〜 寝てしまうかもしれないので住所を教えときますね〜」

 

 

「よし、じゃあ出発しますよ」

「白石くん、やっぱりお酒を飲みに行きませんか?」

「いやだから俺未成年ですから……」

 

 

 まだ飲み足りないのかこの人は……イベントと楽屋の分も入れたら相当飲んでそうだけど。

 

 そして俺は車を走らせ始めた。

 

 

 

「このアジ、とっても味がある♪」

「40点」

「電車が来るまでまっトレイン♪」

「30点」

「雷はもうたくサンダー♪」

「60点」

 

 

 なんだこの状況は……

 

 現在高垣さんはご機嫌に俺の隣で思いつくままにオヤジギャグを連発している。 感想を求めて来たので適当に返事代わりに点数をつけている。

 

 よくもまぁ……これだけ思い浮かぶよ。 高垣さんが楽しそうだからいいけど。

 

 

「いや〜 白石くん全部に反応してくれるから楽しくなってきちゃいました〜♪」

「それは何よりですけど…そろそろ高垣さんの家につきますよ?」

 

 

「…………」

「あれ、高垣さん?」

 

「…………」ス-...ス-...

「え!? ちょ、ちょっと! もう少しで着きますから寝ないでくださいよ!」

 

 

 しかし高垣さんは綺麗な顔で寝息を立てるだけで起きる気配はない。

 

 困ったなぁ……本当にもう少しで……あ、着いた。

 

 

 

「着きましたよ高垣さん! 高垣さ〜ん!」

「ん……んぅ……」ス-...ス-...

「ダメだ起きない、困ったなぁ……」

 

 

 仕方ない……やるしかないか。

 

 

 

 

 

 

「しっかり掴まっておいてくださいよ高垣さん」

「は〜い…♪」ムニャムニャ

 

 

 車から降りて俺は高垣さんを背負いゆっくりと歩き出す。

 背中に乗る高垣さんはビックリするほど軽く、柔らかく甘い香りがする。

 

 

 なんで女の人ってこんなにいい匂いがするんだ……? 本当に同じ人間なのかな……?

 

 

 

 ギュッ...

 

「……!?」ビクッ!

 

 

 フゥ-...

 

「うっ……!」

 

 

 

 ダメだ心臓が持たない。 早く高垣さんを部屋まで届けなくては……

 

 

「んぁ……あれ…白石くん、何してるんでふか…?」

「何してるって…今高垣さんを部屋まで連れていこうとしてるんですよ」

「むにゃ……変なとこ触っちゃ…めっ、ですよ…♪」

「そ、そそんなこことするわけないでしょ……!」

 

 

 この人……俺がヤリチン男だったら何されてるかわからないぞ……

 

 俺が童貞で命拾いしましたね高垣さん……やめよう、自分で言ってて悲しくなる。

 

 

「っと……着きましたよ高垣さん。この部屋であってますよね?」

「うぅぅ……き、気持ち悪い……」

「へ……?」

「うっ……」

 

 

「ちょ、ちょちょちょちょっと! それはまずいですって! ていうか俺の背中と後頭部に出したりしないでくださいよ!?」

「うぅ……ふぅ…」

「……お、収まった…?」

「……スゥ..スゥ..」

 

 

 ふ、不発か…… 流石に今のは焦ったぞ…… さっきから高垣さんに振り回されっぱなしだぞ俺……

 

 ていうか高垣さんが起きないと俺帰れないよな……? 最悪千川さんに連絡して……

 

 

 

「んん……みずきさん…呼んでください…」

「え? みずき……さん?」

「かわしま……みじゅき…さん……」ス-...ス-...

 

 

 高垣さんはそう言ってまた眠りにつく。 かわしまみずきさん……って誰だ? 高垣さんの友達だろうか…

 

 

「高垣さん、スマホ貸してもらえますか…?」

 

 

 高垣さんは言葉を発することなくモゾモゾと自分のスマホを取り出す。

 

 

「えーっと……連絡先…連絡先……あった。 川島瑞樹…この人かな?」

 

 

 やばい、なんか緊張してきた。 いやでも高垣さんが呼んでくれって言ってるんだから問題はない……はず…!

 

 

 ピッ..!

 

 

 通話ボタンを押すと聞き慣れた発信音が鳴る。

 

 

『もしもし楓ちゃん? どうしたのよいきなり?』

 

 

 よかった…! 本当に高垣さんの知り合いみたいだ。

 

 

「あ、あのすみません! 俺346でアルバイトをしている白石幸輝と申します」

『えっ…?』

 

 

 

 

 

『なるほど……事情は大体把握したわ。いいわよ、今から楓ちゃんの家に向かうからもう少しだけ待っててくれるかしら?』

「あ、ありがとうございます!」

『それじゃあね〜』

 

 

 プツッ... ツ- ツ-

 

 

「ふぅ……」

 

 

 とりあえずこれで一安心だな……ありがとう川島瑞樹さん…!

 

 

「高垣さん、もう少しで川島瑞樹さんが来ますからね?」

「………」スヤスヤ

 

 

 やっぱり高垣さんの目は覚めない。ただあまりにも気持ちよさそうに寝ているのでもう何も言う気にはならなかった。

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 

「こんばんわ〜 寒い中待たせちゃってごめんなさいね〜」

「い、いえいえ! お待ちしていました!」

 

 

 救世主川島さんの姿を見て俺は驚いた。 それは川島さんもとんでもない美人だったからだ。

 

 

「えーっと……白石くん? でいいかしら」

「は、はい! 白石幸輝です! よろしくお願いします、川島瑞樹さん!」

「楓ちゃんが迷惑かけたみたいでごめんなさいね?」

「あはは……全然平気ですよ」

 

 

「楓ちゃんって酔っ払って家に帰ると偶に私を呼んだりするのよね〜」

「そうなんですか…?」

「えぇ、多分…お世話されるのが好きな子なのよ。楓ちゃんって……でもなんか憎めないのよね〜」

 

 

 まぁ確かに……所々駄々っ子みたいで子どもっぽいところもあったな。

 

 

「ありがとね。 楓ちゃんの面倒見てくれて」

「い、いやいや! これも仕事なのでお礼なんて…!」

「こ〜ら、こういう時のお礼は素直に受け取っとくものよ?」ツン

「……ど、どうしたしまして…」

「ふふっ」

 

 

 おでこツンってされた……今のはすごいグッときた。 なんだろうこの川島さんから溢れ出るイイ女感は。

 

 

「さ! 部屋に入るわよ楓ちゃん!」

「んん、みずきさん……? 来てくれたんですね〜」

「んもう……あなたが呼ばせたんでしょ?」

 

 

 2人のやりとりを少し見ただけで仲の良さが伝わってくる。 まぁ友達というよりはお母さんと子どもみたいだけど。

 

 

「それにしても流石にずっと楓ちゃんを背負ってるのは疲れたでしょ? この辺に座らせておいたりしてもよかったのに」

「いえいえ、高垣さんすごく軽かったので。それにこんな冷たいとこに座らせるのは可哀想じゃないですか」

「あら、優しいのね♪ ほら、楓ちゃん…お礼をちゃんと言いなさい」

「んあ……ありがとうございました〜 白石くん♪」フリフリ

「お疲れ様でした、高垣さん。ゆっくり休んでくださいね」

 

 

 ニコニコと手を振る高垣さんに手を振り返す。

 

 川島さんが言ってた憎めないってのもわかるな。あんな笑顔見せられちゃなぁ……

 

 

「それじゃあ今日は本当にありがとうね、白石くん。今度楓ちゃんと一緒にお礼しにいくから!」

「こちらこそありがとうございました、川島さん」

「それじゃあね〜」

 

 

 高垣さんを肩に抱えた川島さんが手を振って部屋の中に入っていく。

 

 

「……俺も帰るか」

 

 

 高垣さんに振り回されまくった1日だった。

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

「こんにちは、白石くん」

「あ、高垣さん。こんにちは」

 

 

 後日、事務所の中で本当に高垣さんが俺の元を訪ねて来た。

 この前と違ってすごくキリッとしてるぞ。

 

 

「先日は酔っ払ってご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありませんでした」

「あ、謝らないでくださいよ! 俺全然気にしてないんで!」

「でも……おんぶまでしてもらって…」

「あれ? 高垣さん、酔ってた時の記憶残ってるんですか…?」

「はい、よっぽどじゃない限りは私って覚えてるタイプなんです」

 

 

 へぇ……酔い方にも人それぞれタイプがあるんだなぁ。

 

 

「ですから、おんぶなんてしてもらったのは久しぶりなので少し楽しかったんですよ?」

「確かに昨日ずっと楽しそうにしてましたもんね……」アハハ

「ご迷惑じゃありませんでしたか…?」

「いや本当に全然そんなことはないですよ。確かにちょっと大変でしたけど嫌とかではないので」

「そうですか……ありがとうございます」ニコッ

 

 

 そう言って微笑む高垣さんは思わず見惚れてしまうほど綺麗で……昨日とのギャップがすごい……

 

 

 

「それで何かお礼……というかお詫びを…」

「いや本当にお礼なんて……」

 

 

 あ……

 

 

「お礼は、俺いいわ……なんちゃって」

 

 

 

「白石くん、お上手ですね…!」

「そ、そうですか…! いや〜 よかった……!」

 

 

 焦ったぁぁ〜! つい高垣さんに合わせてノリで言っちゃったけどめちゃくちゃ滑ったかと思ったよ……

 

 

「楽しそうね〜2人とも」

「あ、川島さん」

「瑞樹さん、はい♪ 今白石くんがとても面白いことを……」

「ちょ、ちょっと高垣さん! それはもういいですから…!」

「あら〜 楓ちゃんをそこまで笑わせるなんて、一体何を言ったのかしら?」

 

 

 高垣さん以外の人だと冷たい目で見られそうだから絶対に言いたくない……

 

 

「高垣さん、昨日の酔ってる時と酔ってない時で別人みたいだと思ったけど……実はあんまり変わらないんですね」

「あら? どの辺が違うように見えたんですか?」

「えっ…? いや、昨日は酔っててすごく子どもっぽかったけど……今はなんかシャキッとしててその……き、綺麗ですし…」

「酔っている時の私は綺麗ではないんですか……?」

「あっ! いや、そういうことじゃなくて…!えーっと……その……」

「こーら! あんまり年下の男の子をいじめないの!」

「ふふっ…すみませ〜ん♪」ペロッ

 

 

 そう言ってペロッと舌を出す高垣さんはやっぱり子どもっぽいようにも見えて……

 

 

(本当に……掴みどころのない人だなぁ……)

 

 

 でもそんなところもきっと高垣さんの魅力なんだろうな。

 

 



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22話 物を買うときは下調べが大事

 

 

 地元にいる俺の母さんからは定期的に電話がかかってくる。 俺がちゃんと一人暮らしできているのか心配なんだろう。

 

 

『幸輝、アンタちゃんとやっていけてるの?』

「大丈夫だって……大学もちゃんと行ってるしバイトもしてるからさ」

『ちゃんとご飯食べてんのかい? 外食とかばっかしてないで偶には自炊してるんだろうね? そっち行く前に簡単な料理教えてやっただろう?』

「……だ、大丈夫だよ。 り、料理も結構上手くなっちゃってさ〜」アハハ

『……ならいいんだけど…何かあったらちゃんと報告するんだよ? それじゃあね!』

 

 

 プツッ...ツ-...ツ-...

 

 

「ふぅ……」チラッ

 

 

 改めて自分の部屋を見回す。 生活するのに必要最低限の家具は揃っているが、逆に言えばそれ以外何もない殺風景な部屋だ。

 

 

「自炊かぁ……」

 

 

 ごめんなさいお母様……実は俺この部屋に越してきてからほとんど自炊などしていないのです…。

 

 別に飯を抜いてるわけじゃないんだけどね……大学の学食で済ませたり、家で食べる時はスーパーで安売りされてる弁当で済ませたりカップラーメンを食べている。家でする料理と言えば朝に目玉焼きを作るぐらいだ。

 

 

「でもこれじゃ良くないよなぁ……炊飯器すらウチにないし」

 

 

 我が家に炊飯器なる物は存在しない。 最近は電子レンジさえあればチンするだけでお米も食べれるからね。

 

 

「バイト代も入ったことだし…いい加減もうちょっとマシな部屋にするか……」

 

 

〜〜〜〜

 

 

 

「いらっしゃいませ〜! あ、白石くんじゃないですか〜」

「こんにちは菜々さん。また来ちゃいました」アハハ

「いえいえ! 歓迎しますよ〜! それじゃあお好きなお席へどうぞ〜」

 

 

 休日、俺は午前中だけバイトを入れてもらい午後は家具屋や家電量販店を訪れようと計画していた。

 

 今は昼食を取るために346のカフェを訪れている。

 ここのカフェは値段が高くないのに味も量もかなり充実しるから結構利用してるんだよね。

 

 

「菜々さん、注文いいですか?」

「は〜い♪ ご注文はいかが致しましょうか?」

「このサンドイッチでお願いします」

「お飲み物はどうしますか?」

「お冷で大丈夫です」

「かしこまりました〜♪ すぐにお持ち致しますね〜」

 

 

 その後すぐに出てきたサンドイッチを食べながら、片手で家具やなんやらがたくさん載っているカタログのページをめくる。

 

 

「ん〜 なるべく安いやつで……炊飯器以外にも棚とか欲しいな〜」モグモグ

 

 

「やっほー!しらしー久しぶりー!」

「えっ?」

「なにそれ? 何読んでるの〜?」ズイッ

「うぉぉっ!?」

 

 

 急に本田さんが隣に座り肩を組んできた……ビックリして思わず大きな声が出る。

 

 近い近い近い。 ていうか今一瞬なんか柔らかい感触がしたけどあれってアレだよね…?

 

 

「わわっ! どうしたの急に? ビックリした〜」

「び、ビックリしたのはこっちだって!」

「何で?」

「急にあんな近くにこられたらビックリもするよ……」

「え〜? 私的には普通なんだけどなぁ」

「ほ、本田さんパーソナルスペースおかしくない……?」

 

 

 これはアレだな……クラスで本田って俺のこと好きなんじゃね…?系男子が量産されているんだろうな〜

 

 まぁ俺もあんまりそういうことされると勘違いしそうになるけど。

 

 

「やだなしらしー、肩組んだだけでそんなに慌てちゃって〜 顔が赤いぞ〜?」

「べ、別に赤くないけど……?」

「うっそだぁ〜 未央ちゃんにドキッとしちゃったんでしょ〜?」ニヤニヤ

「し、してない……」

「素直になっちゃいなよ〜 あんなに大きな声出しちゃってさ〜」

 

 

 めちゃくちゃニヤニヤしてるし……

 

 ていうか肩組んだだけって……本田さんもしかして自分のアレが当たってたことに気づいてないのかな…?

 

 ……ここは年上の男として忠告をした方がいいのかもしれない。

 でも言うの恥ずかしいなぁ…………よし、言うぞ…!

 

 

「ほ、本田さんの胸が当たってたからちょっとびっくりしちゃってね…今後はもう少し気をつけた方がいいかもしれないよ?…なんて……は、ははは…」

「へっ…!?」

 

 

 あ、やっぱり本田さん無自覚だったんだ……その証拠に顔も俺と同じで真っ赤で……あれ。

 

 

「あ、当たっちゃってた……?///」

「え……う、うん。ちょっとだけ……」

「そ、そっかぁ……き、気をつけるよ……///」

 

 

 あれ……なんだこの空気…… 本田さん顔真っ赤にして静かになっちゃったぞ…。

 

 

 …………やば、俺も何かさらに恥ずかしくなってきた……

 

 

 

「あれ、未央ちゃんも来てたんですか? 何か注文しますか……って、どうしたんですかこの空気は?」

「えっ!? な、ななな何でもないよウサミン! ねっ!しらしー!?」

「う、うんうん! ちょっと考え事してただけですから…!」

「そうなんですか…? それで未央ちゃんは何か注文しますか?」

「じゃ、じゃあオレンジジュースで!」

「かしこまりました〜♪」

 

 

「「はぁ……」」

 

 

「あ、あのさしらしー……さっきのはお互い忘れるってことで……」

「わ、わかった……」

 

 

 ごめん本田さん、ぶっちゃけ俺はあの感触を忘れられないよ……

 

 

「よしっ! 切り替え完了! それでしらしーは何の本読んでたの?」

「ん? あぁこれね……ちょっと家具とか買おうかな〜って思っててさ」

「へ〜 なんか楽しそうだね!」

「俺の部屋必要最低限の物しかなくて殺風景だなって気づいちゃってさ〜 ここいらでもうちょっといい感じにしようかなって」

「しらしーの部屋が生まれ変わったら私も遊びに行こーっと♪」

「いやいや……それはマズイって」

「ぶ〜!ぶ〜!」

 

 

 本田さんと軽い雑談をしているとすぐにカタログを読み終わってしまう。

 

 うーん……ずっとカタログ眺めてても始まんないよね。 そろそろ行動するか。

 

 

「じゃあ俺はこれで」

「今から行くの?」

「そうだよ。今日はこの後休みだからね」

「面白そう! 私も一緒に行っていい?」

「えっ……ま、まぁ別にいいけど…」

「やった〜! へへっ…未央ちゃんも一緒に色々選んであげるね〜♪」

 

 

 思わずオッケーしちゃったけど……まぁ別にいいか。 落ち着け俺……今さら2人きりとか意識するんじゃない。 ここに来てから何回か女の子と2人になることはあったじゃないか……深呼吸深呼吸……。

 

 

「じゃ、じゃあ……いざ…参りましょうか」

「すごい変な喋り方になってるけど大丈夫?」

 

 

〜〜〜〜

 

 

 

「それで何が欲しいの?しらしーは」

「うーん……絶対に今日買おうと思ってるのは炊飯器で、後はなんか適当に……いい感じの棚とかさ」

「しらしーの部屋ってどんな感じなの?」

「ベッドがあって……キッチンに冷蔵庫が置いてあって……クローゼットと洗濯機とトイレがあって……テレビとパソコンもあるな……そんくらいかな」

「うわー、本当に最低限の物しか置いてないんだね……何か娯楽用品とかないの?」

「ゲームと漫画はあるけど……とにかく家具が全然ないんだよね。クッションとか欲しい」

 

 

 本田さんと他愛のない話をしながら電車に乗り目的地へと向かう。

 

 今日向かう場所は一つの大きな敷地内に家電量販店と家具屋さんとホームセンターなどが集結されている商業施設なのでとてもありがたい。

 

 駅から降りて歩くこと数分、目的の場所が見えてくる。

 

 

「うわ〜! おっきい〜!!」

「こういう商業施設見るとテンション上がるよね〜」

「あ〜! それわかるよ! 色々買い物するぞ〜!って気持ちになるよね!」

「本田さんは今日何か買うの?」

「気分ってことだよ〜! さぁさぁ!早く中に入ろうよ!」

 

 

 本田さん興奮してるなぁ……女子は買い物好きだって聞いたことあるけど本当みたいだ。

 

 

「さてさて〜 何を見よっかな〜」

「いや炊飯器を見に行きたいんだけどなぁ」

「あっ!そっか〜 えへへ……って…あれ?」

「どうしたの? 何か見つけた……って本田さん?」

 

 

 本田さんの視線の先には俺たちに背を向けるように立っている2人組の女子。

 本田さんはそろりそろりとその2人組に近づいて……ってなにするつもりなんだ?

 

 

「えいっ!」

「にゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「オイ!」

 

 

 本田さんは後ろから女の子のほっぺをむぎゅっと掴んだ。

 するとその女の子は驚いたように大声をあげ隣の子も連鎖する様に声をあげる。

 

 

「だ、誰にゃぁぁ!」

「えっへへー♪ みくにゃんゲットだぜ〜」

「ミオ! びっくり…しました…」

「にゃ!? み、未央ちゃんなの!? ぐぬぬ……は、離すにゃあ!」グイッ

 

 

 どうやら3人は知り合いのようだ。 お互いのことを知っている感じだし。

 

 

「んもー! ビックリしたにゃあ!」

「えっへへ〜 ごめんごめん」

「こんにちは、ミオ」

「こんにちは! アーニャ、みくにゃん! 2人は何してたの?」

「何って……そりゃあ買い物にゃ」

「ミオも…買い物ですか…?」

「あ、私は別に何かを買いにきた訳じゃないんだ」

「じゃなんでこんなとこにいるにゃ」

「私は友達の付き添いで……えーっと、あ!

しらしー! そんなとこで見てないでこっち来て!」

「えっ……」

 

 

 来てって言われてもなぁ……俺その子たち知らないし……うっ、誰あれ?って目で見られてるよ……

 

 

 

「ど、どうも」アハハ

「アー、ミオのお友達ですか…?」

「そ、そんな感じです…」

「ミニャーザヴート アナスタシア…アーニャと呼んでください。よろしくお願いします♪」

「アーニャはハーフさんなんだよ!」

「パパがロシアで…ママがニホンですね♪」

「なるほど……」

 

 

 ハーフか……まぁ見た目的にそんな感じはしてたけどこれで納得がいったよ。

 

 

「えーっと……俺はしらいし……」

「こっちは私たちの事務所でアルバイトしてるしらしーだよ!」

「シラシー…? んー、アーニャと同じで…ハーフの人ですか…?」

「本田さん、初対面なんだしちゃんと本名を紹介しなきゃ」

「それもそうだね〜」

 

 

「えーっと……改めまして、俺は白石幸輝です。 本田さんの言った通りアナスタシアさんの所属している事務所でアルバイトとして働かせてもらっています」

「ダー♪ よろしく…お願いしますですね、コウキ」ニコッ

「よ、よろしくお願いします……アナスタシアさん」

「アーニャでいいですよ♪」

「あ、アーニャ……さん…」

「ダー♪」ニコニコ

 

 

 か、かわいい……

 

 一見クールな印象があったけど……すごく笑顔が可愛い。

 

 

「………」ジ-ッ..

「……? どうかしましたか…?」

「はっ! な、何でもないです…!」

「なら…安心ですね♪」

「は、ははは……」

 

 

「こらこら、しらしー……アーニャが綺麗で可愛いからって惚れちゃいかんですよ…」ボソボソ

「そ、そんなんじゃないし……」

「またまた〜 今ボーっとしてたくせに〜 このこの〜」グイグイ

「い、いてて……肘でつつかないでよ…」

 

 

 

「なんだかみくが置いてけぼりにゃあ」

「「あっ」」

「あっ!じゃないでしょ!もー!」

「ご、ごめんごめんみくにゃん……ほら、しらしー自己紹介して!」

「う、うん……白石幸輝です。さっき言った通り346でアルバイトしてます」

「あ、みくそれは知ってるよ」

「えっ? な、なんでですか?」

「なんでもなにも会社の中で見たことあるってだけにゃ。 よろしくね白石クン」

「よ、よろしくです…」

「じゃあ次はみくの番ね!」ゴソゴソ

 

 

 そう言うと目の前の彼女はバッグから何かを取り出し……あれは…何かの耳?

 それを頭につけようとしたところを本田さんに止められていた。

 

 

「み、みくにゃん…!そんなことしたら人が集まるって!」

「そ、それもそうにゃ……こほん」

 

 

「みくはネコチャンアイドルの前川みくにゃ! よろしくにゃ!」

「………え?」

 

 

 ネコチャンアイドル……? なんだそれは…

 

 

「あの……」

「ん? 何かにゃ?」

「さっきから気になってたんですけど……

にゃ……っていうのはどこかの方言なんですか…?」

「にゃっ!?」

「ぶふっ!」

「ホウゲン…?」

 

 

「ち、違うにゃぁぁぁぁぁ! みくはネコチャンだからなのにゃ!」

「あっはっははは!! し、しらしー!それはないでしょ〜!」

「ホウゲン…?」

 

 

 めっちゃ怒ってる前川さんとめっちゃ笑ってる本田さんに頭傾げてるアーニャさん。

 

 まずい、何やら前川さんを怒らせてしまった……

 

 

「し、しらしー、みくにゃんはね…? ふふっ……猫ちゃんが大好きなんだよ」

「猫……あっ、ていうことは猫キャラってことで語尾ににゃをつけてるのか…!」

「キャラじゃないにゃ! みくはネコチャンなの! わかった!?」

「わ、わかりました…!」

「方言で言ったらみくにゃんは大阪の人だから関西弁だよね」

「えっ!? 関西の方なんですか?」

「そうにゃ、何か文句あるかにゃ…?」ゴゴゴ

「な、ないです……」

「まったく……」

 

 

 関西弁バリバリの前川さんか……それは少し見てみたい気もする。

 

 

「それで? 未央チャンは白石クンの買い物に付き添ってきたんだっけ…?」

「そうだよ! みくにゃんたちも何か買いに来たの?」

「これです♪」

 

 

 そう言ってアーニャさんが取り出したのは……何だあれ? ちっちゃな扇風機…?

 

 

「あ! ハンディタイプのやつ! それ便利だよね〜 どこでも持ち歩けるし」

「みくのを見てあーにゃんも欲しくなったのにゃ。これから暑くなるし必須アイテムにゃ」

「は、ハンディ…? 」

「しらしー知らないの? あれはあんなにちっちゃいけどちゃんと扇風機なんだよ?」

「ダー♪」カチッ

 

 

 アーニャさんがそれを俺の顔に向けてスイッチを押すと心地良い風が……

 

 

「おぉ〜 涼しい……」

「気持ちいい…ですね…」フフッ

「はい……」

 

 

 あ〜 これ涼しくていいな……そして何よりアーニャさんという美少女が風を当ててくれてるのがより一層清涼感を高めている。もうずっとこうしていたい……

 

 

「アホなこと考えてないで戻ってくるにゃ」

「はっ!」

「しらしー優しそうな性格しといて結構変態さんだよね。あとムッツリ」

「えっ……」

「さぁさぁ!あーにゃん、一緒に寮に帰るにゃ」

「2人とも寮住まいなんですか?」

「そうにゃ」

「へー……そうだったのか……前川さんは大阪からで、アーニャさんも遠くから来たんですか…?」

「アーニャは、北海道です♪」

「へー……北海道ですか。いいですね」

 

 

 いいよなぁ、北海道。 美味しいもんがたくさんありそうで……実際に住んだら不便とか色々あるのかもしれないけどいつか行ってみたい。

 

 

「みくにゃんもアーニャも一緒に行こうよ〜」

「え〜……みくはもう帰る気マンマンだったにゃ……」

「アーニャはいいですよ♪」

「ほらほら!アーニャもこう言ってるよ!」

「しょうがないにゃあ……」

「やった!」

 

 

 いつの間にか俺抜きで前川さんとアーニャさんもついてくることが決まった。 まぁ全然構わないけど。

 

 

「それで?白石クンは何買いに来たの?」

「俺は炊飯器を……流石に家にないのはどうかと思って……」

「え……1人暮らしで…?」

「はい」

「炊飯器ないってパンばっかり食べてるの?」

「いや……米は今時レンチンするやつとかあるし……後はそもそも家で自炊とかあんまりしてなくって、カップラーメンとかスーパーの弁当とか……」

「乱れた食生活にゃ……」

「ダー。キョウコにバレたら……すごく、怒られますね…」

「……怒った響子ちゃんは思い出したくないにゃあ……」

 

 

 すごい言われようだなぁ……その人。 会ったことないけど……

 

 そんなことを話しながら俺たちは炊飯器売り場へと移動する。

 

 

「たくさんあるねー!」

「どういうのがいいとかあるのかにゃ?」

「安くて普通に米が炊けるのなら……」

「それならすぐ見つかりそうにゃ……」

 

 

「しらしー!これ良さそうだよ〜!」

「どれどれ……って!じゅ、10万!? む、無理無理無理!!」

「コウキ、これはどうですか…? パンも焼けます♪」

「アーニャさん……パンは焼かなくてもいいかなって……」

「ニェット……」

「もうこれでいいんじゃない? ほどほどに安くて良さそうにゃ」

「……そうだなぁ、これにするかぁ……」ジ-

 

 

 うん……値段も安いし……これにしよう。

 

 そして俺は念願…?の炊飯器を購入した。 せっかく買ったんだしもうちょっと自炊をしなきゃな……

 

 

「お待たせ。こんなん貰ったよ」

「なにこれ? 抽選券?」

「一定以上の値段買い物すると貰えるんだってさ。入り口でやってるらしいよ」

「ダー♪ いきましょう…!」

「どうせポケットティシュにゃ」

 

 

 入り口に向かうとガラポン抽選機とその後ろには豪華そうな家電が盛りだくさん。

 

 

「うわ〜♪ 早く引こうよしらしー!」

「うん、行こっか」

 

「………」キラキラ

 

「ん……?」

 

 

 アーニャさんがガラポンをキラキラした目で見つめてる……

 

 

「アーニャさん、引く?」

「えっ……でも、それは…コウキのですね…」

「いいよいいよ。 気にしないで?」

「……じゃあ……やります…!」フンス

 

 

 ウキウキアーニャさんは店員さんに券を渡してガラポンに手をかける。

 

 

「これで一等とか出ちゃったらどうするの?アーニャにあげるの…?」

「ん? 別にいいんじゃない?それでも。まぁ当たらないと思うけどね」ハハハ

「そうにゃそうにゃ。 絶対ポケットティシュにゃ」

「前川さん結構現実主義者だね」

 

 

 ガラガラガラガラガラ

 

 

 くだらない会話をしていた俺たち3人だったが、アーニャさんが回し始めると抽選の行く末を食い入るように見守る。

 

 

 コロンッ...

 

 

「3等! 3等賞でーす!」カラン!カラン!

 

 

 

「うっそぉぉ!?」

「ま、マジで…!?」

「あーにゃんすごいにゃあ!」

 

「ハラショー…! やりました♪」

 

 

 まさかの結果に俺たちは全員興奮が隠しきれない。 こういうのって当たるもんなんだね……

 

 

「それでそれで!3等って何なの!」

 

「はい、3等のフィッシュロースターでございます! こちら最新の商品で豪華な商品となっております♪」

 

 

「フィッシュロースター……って何?」

「要するにグリルみたいなもんじゃないかな? これで魚とか焼けるみたいだよ」

「えっ……」

 

 

「じゃあはい、アーニャさん」

「……ニェット、アーニャ………引いただけです。 あのチケットは…コウキのですね」

「むしろ引いたのが1番すごいよ! 俺が引いててもどうせポケットティシュだったよ」

「アーニャ、ここはしらしーのお言葉に甘えたらどう…?」

「……わかりました。スパシーバ!コウキ!寮に持って帰りますね…♪」ニコッ

「よしっ!……じゃあそろそろ帰りますか…!」

「うん!」

「ダー♪」

 

 

「い、いらないにゃあ!」

 

 

「え?」

「ミク…?」

「どうして、みくにゃん? ほら、こんな機能もついてるみたいだよ?」

「みくはお魚は食べないにゃ!」

「みくにゃんは食べなければいいんじゃない?」

「寮でお魚をグリルするなんてみくは反対にゃあ!」

 

 

 急に前川さんが騒ぎ出した。 どうしたんだろう…?

 

 

「本田さん、前川さんどうしたの?」

「あ〜……あのね? みくにゃんは魚嫌いなんだよね〜 しかもものすごく」

「猫キャラなのに…?」

「キャラじゃないにゃ! みくはネコチャン! でもお魚は嫌いなの! 肉食なのにゃ!さぁ、あーにゃん!それを白石クンに返すのにゃ!」

「ダメです♪ これはもうアーニャのです♪」

「そうだぞーみくにゃん。これを機に魚にチャレンジしてみてはどうかね?」

「む、無理にゃぁぁ!」

 

 

「今日はキョウコにこれでお魚焼いてもらいましょう♪」

「い、嫌にゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 

 駄々をこねる前川さんを連れて俺たち4人は帰路に着いた。

 

 あの後前川さんが魚を食べさせられたのかどうか……俺は知らない。

 

 

 

 

 

「おぉ……自分で炊いたからか米が美味い…」

 

 

 その日の夜俺は早速買った炊飯器で炊いた米を堪能した。

 

 本当は炊飯器以外にもインテリアグッズとかも見たかったけど……まぁ今日はいい買い物ができたからいいか。

 

 それにしてもやっぱり炊き立ての米は最高だな。

 

 



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23話 甘いものは程々に

あけましておめでとうございます。


 

「お礼をさせてください」

「……え?」

 

 

 ある日、仕事が終わって事務所の中のベンチに座ってスマホをいじっていた俺のもとへとありすちゃんが訪ねてきてそんなことを言い出した。

 

 

「お礼って……な、何で?」

「……先日の海辺での撮影時に…白石さんにはお世話になりましたから。そのお礼をまだしていません」

 

 

 あー……ありすちゃんが迷子になった時のやつか。 別に気にしなくていいのに。

 

 

「そんなお礼なんて……」

「い、いえ! こういうことはしっかりとするべきです! ね、文香さん!」

「……あ、はい…そうですね……」

 

 

 ありすちゃんの横にいる鷺沢さんが急に話を振られて慌てて答える。

 

 急に自分に話が振られて焦る気持ち……わかるよ鷺沢さん。

 

 

「その……私のお礼…受けてもらえませんか…?」

「ありすちゃん……」

 

 

 ……ありすちゃんがここまで言ってくれているのに断る方が失礼だろう。

 ここは素直にありすちゃんからのお礼を受けるとしよう。

 

 

「わかったよ。ありすちゃんのお礼受け取らせてもらうよ」

「ほ、本当ですか!」

「もちろん!」

「や、やった……! あ、こほん……それでお礼なんですけど」

「うん?」

 

 

「橘特製のいちごパスタを白石さんにご馳走したいと考えています!」フンス!

 

 

 

 いちご……パスタ…? なにそれ……?

 

 

 

「えーっと……ありすちゃんが手料理をご馳走してくれるってことなのかな…?」

「はい! 腕によりをかけて作らさせていただきます!」

 

 

 いちごパスタかぁ……ちょっと怖いけどありすちゃんがせっかく作ってくれるなら……ん?

 

 

「………」ジ-

 

 

 鷺沢さんがやめておけ……みたいな顔をしている。

 

 ……まじ?

 

 

「い、いやぁ……でもやっぱりいちごパスタは遠慮しておこうかな……」

「な、なぜです!?」

「え、えーっと……あ〜、そ、そう! 実はいちごパスタ食べさせてもらうよりしてほしいことがあってさ!」

「それは何ですか?」

 

 

 や、やばい……咄嗟にそんなこと言ったけどして欲しいこととか何にもないんだけどなぁ。

 

 

「そ、そうだな……あ! じゃあ今度一緒に遊びにでもいこうか!」

「え? それは私から白石さんへのお礼にならないのでは?」

「な、なるなる! 俺のリフレッシュにもなるし、何より俺がありすちゃんと遊びたいんだよ!」

「……!し、仕方ありませんね そういうことなら…是非ご一緒しましょう……」

 

 

 よ、よし……これでいちごパスタを回避できたぞ。

 

 

「それでは日程のご相談を……私も仕事や学校など都合がありますので」

「うん。 あ、鷺沢さんも一緒にどうかな?」

「わ、私もですか…?」

「もちろんです、文香さんなら大歓迎ですよ」

「で、では……ご一緒させていただきます…」

 

 

 そんなこんなでありすちゃんと鷺沢さんと今度お出かけすることになった。

 

 いちごパスタはまたの機会にということで……ごめんね、ありすちゃん。

 

 

「それで、どこに行きましょうか」

「どこに……」

 

 

 ん? 女の子と遊びに行くのってどこに行けばいいんだ……?

 俺そういうのしたことないぞ。

 

 ありすちゃんは小学生だから公園とか……いやでも大人っぽい子だし……

 

 

「白石さん、何かいい提案はありませんか?」

「え……いや〜 その……」

「恥ずかしながら私は男性とお出かけをして遊びに行ったことがないので……」

「…私もです……」

「いや……実は俺も…女の子と遊びに行く計画とか……立てたことないって……いうか…」

 

 

 ………………

 

 

「ど、どうするんですか…!?」

「……困りましたね…」

「それぞれの好きな物から決める…? 例えば鷺沢さんは本が好きだから本屋に行くとか…」

「本屋で何をするんですか…?」

「本を読む……」

 

 

 

「白石さん、真面目に考えてください」

「はい……」

 

 

 12歳の女の子に怒られてしまった。

 

 

「というか白石さんへのお礼なので白石さんの行きたいとこに行くべきです」

「……そうですね…」

「何か行きたい場所や食べたい物はないんですか?」

「そうだなぁ……」

 

 

 参った……何も思い浮かばない。 食いたいもんは焼肉とか寿司とかあるけど今回はそういうことじゃないだろうし……

 

 かと言って行きたい場所って言われてもなぁ……俺って東京は詳しくないし。

 

 

 あ、そうだ……!

 

 

「い、いちごの美味しいスイーツとか食べに行きたいかな」

「えっ!? し、白石さんもいちごがお好きなんですか!?」

「う、うん! 超好きだよ…! でも最近あんまり食べてなくってね……ありすちゃんいいお店とか知らないかな〜って」

「ま、任せてください! 今タブレットでサーチしますので!」フンフン!

 

 

 普段はクールな子だけど、ああいう時は年相応で可愛いよな。

 

 

「…お優しいんですね……」

「そ、そういうんじゃないですよ……本当に行きたい場所とかが思い浮かばなくって」

「……そうですか、ふふ…」

 

 

「白石さん!文香さん!これを見てください!」

「いいとこ見つかった?」

「はい!駅前にできた新しいデパートにあるスイーツ店で美味しいと評判のいちごのスイーツがあるらしいです!」キラキラ

「へーそっか……じゃあそこに行こうか!」

「はい!」

「…そうですね……」

 

 

 いちごにウキウキなありすちゃん。 あんなに楽しみにしている様子を見てるとこっちまで楽しみになってくるな。

 

 

「では日程のお話なんですが………」

 

 

 

 その後俺たちは3人で集まれる日を探して、その日に駅前で集合することに決めた。

 

 2人のお仕事やレッスンもそうだけど、俺のバイトも多すぎて日程を合わせるのはすっごく大変だった……

 

 

〜〜〜〜

 

 

 

「ちょっと早く着きすぎたなぁ……」

 

 

 ありすちゃんたちと出かける当日、俺は集合場所の駅前にて1人寂しく2人を待っている。

 

 2人は今日の午前中に行われるレッスンを終えてそのままここに来るとのことだ。

 

 

「そろそろ時間だけど……お、きたきた」

 

「お待たせしました」

「……おはようございます…」

「いや、全然待ってないよ。俺も今来たところだから」

 

 

 人混みの中からありすちゃんと鷺沢さんが姿を現す。 これで3人無事揃って……

 

 

「いや〜 ここには数分前についてたんだけど白石くん見つけるのに手間とっちゃってね〜」

「なんでいるの…? 塩見さん……」

 

 

 現れたのはありすちゃんと鷺沢さんの2人だけではなかった。

 

 

「なにさ〜 しゅーこちゃんが来ちゃいけないって言うの〜?」

「い、いや……そんなこと言ってないけど!」

「実は……今日は周子さんたちと一緒のレッスンだったんです。 周子さんとは同じユニットに所属しているので」

「ふ、ふーん……あっちの2人も同じユニットの人…?」

「はい……」

 

 

 一緒にいるのは塩見さんだけじゃなくてあと2人いる。

 綺麗なお姉さんと2色の髪の毛の女の子だ。

 

 

「はじめまして、速水奏よ。あなたのことは文香たちから聞いたわ。よろしくね白石さん」

「よ、よろしくお願いします……」

「ふふっ…そんなに緊張しないで?」

「い、いえっ…! き、緊張している訳では……」

 

 

 速水さんはとっても大人っぽくて……あとすごく綺麗な人だ。 なんだか目を合わせることですら緊張する。

 

 

 

「ボクは二宮飛鳥。 スキに呼んでくれ……よろしく白石さん」

「え、あぁ……うん、よろしくね。えーっと……飛鳥ちゃん」

「フッ……ちゃんと来たか。 参ったな、あまりそんな風に呼ばれたことはないものでね……」

「えー? 割と色んな人が飛鳥ちゃんって呼んでな〜い?」

「……周子さん、急に会話に入ってこないでくれ…」

 

 

 もう1人の飛鳥ちゃんは少し小難しい話し方をする子だ。 まぁでも雰囲気的には……中学生くらいに見えるからあんまり緊張はしない。

 

 

 

「今日レッスン後にスイーツを食べに行くことが知られてしまい……着いていくと言って聞かないものですから……主に周子さんが」

「いや〜 アタシもスイーツ食べたくなっちゃってね〜ん」

「ごめんなさいね、勝手に着いてきてしまって……まずかったのなら私たちはここで帰るけど…」

「い、いえいえ…! 別にまずいなんてことはないですよ…! むしろ速水さんたちはいいんですか…? 俺がいても……」

「もちろんよ」

「後からやってきたボクらが先にありすたちと約束をしていたキミを追い出すなんて……ボクらはそこまで鬼畜ではないさ」

「あの…白石さん……大丈夫でしょうか?」

 

 

 ありすちゃんが心配そうな目で俺を見つめている。 急にこんなことになって申し訳ないと思っているのだろうか……

 

 

「全然大丈夫だよ。 それじゃあ6人で行きましょうか」

「あ、ありがとうございます!」

「じゃあ早速スイーツを食べに行こっか〜」

 

 

 塩見さんの掛け声に全員で返事をする。

 

 俺、ありすちゃん、鷺沢さん、塩見さん、速水さん、飛鳥ちゃん……かなりの大所帯になったけどそれはそれで楽しいだろうな……ってあれ?

 

 

「鷺沢さんいなくない…?」

「いえ、文香さんも一緒に来ていますけど……ほ、本当にいませんね…」

「まるで神隠しじゃないか」

 

 

 全員辺りをキョロキョロと見回すが鷺沢さんの姿は近くにない。

 

 

「あ! あそこにいるよ!」

 

 

 

 全員で塩見さんが指差した方角へ視線を向けると、人混みに流されてアワアワと狼狽えている鷺沢さんがそこにはいた。

 

 

「ふ、文香さん!?」

「あの子……また人混みに流されてるわ…」

「よ、よくあるんですか…!?」

「えぇ……文香はちょっと抜けているとこあるから…」

「文香ちゃんのそういうトコ、アタシは結構好きだよ」

「……そんな話より助けに行かなくていいのかい?」

「そうですよ! 文香さん!今助けに行きます!」

 

 

 ありすちゃんの声にハッとした俺たちは、全員で人混みに流されて行く鷺沢さんのもとへ向かい、何とか鷺沢さんの救助に成功した。

 

 

「…も、申し訳ありません……一度流されていると気づいた時には……すでに遅く…」ハァ...ハァ..

「流されてく文香ちゃん可愛かったわ〜」

「フッ…珍しく周子さんと同意見だよ」

 

 

 確かに、失礼かもしれないけどさっきの鷺沢さんは可愛かった……アワアワしてる感じが。

 

 

「文香、今日はあなたが最年長なんだからしっかりしないとダメよ?」

 

 

「えっ? 速水さんじゃないんですか?」

 

 

 

 あ、やべ……思わず声に出してしまった。え、だって鷺沢さんは19歳で……それで最年長ってことは……え、速水さん未成年なの?

 

 

「あ〜あ……奏ちゃんが気にしてることを…白石くんこれはあかんで〜」

「えっ!?」

「……私、そんなに老けて見えるかしら……」

「あ、いやちがっ…! そ、そう言うことじゃなくって……えーっと、速水さんすごく綺麗だったから大人っぽく見えて……でも決して老けてるとかじゃなくて…!」

「なんてね♪」

「えっ……」

「ふふっ、気にしないでちょうだい。そう言われるのは慣れっこなの」

 

 

 だ、騙された…?

 

 

 

「な、なんだ……焦った…」

「あはは〜 白石くんやっぱいい反応するわ〜」

「ていうか塩見さんが変なこと言うから……」

「え〜 アタシが悪いん…? しゅーこちゃん傷ついちゃった……ぐすんぐすん」

「……流石にそんなんじゃ騙されないよ?」

「ちぇ〜」

 

 

 そう言って塩見さんはペロッと舌を出す。相変わらず掴みどころのないというか油断のできない人だ。

 

 

 デパートへと向かいながらも会話は続く。

 

 

 

「ほら、奏ちゃん。白石くんに答え合わせしてあげて」

「そうね、私実は14歳なのよ」

「じゅっ! じゅうよん!?」

 

 

 14でそのスタイルにこの大人っぽい雰囲気なの!? ……い、いやいや…これもまた俺を騙そうとしているだけに違いない。

 

 

「流石にそれは……嘘ですよね…?」

「あら、どうしてそう思うの…?」

「えっ……」

「ねぇ…どうして私が14歳じゃないと思うの…?」ジッ...

 

 

 ど、どうしてって、どっからどう見ても14歳ではないでしょ……

 

 

 

「白石くんスケベやわ〜」

「えっ!?」

「えぇ、どこを見ていたかなんてバレバレよ?」フフッ

「女の子は視線に敏感やからね〜」

「さっきから3人で何の話をしているんですか?」

「あぁ、ありすちゃん。えっとな〜? 白石くんが奏ちゃんのおっp」

「ちょ、ちょっと待ったぁぁ! ありすちゃんに何てこと言おうとしてるのさ!」

「でも見てたんやろ?」

「……ありすちゃん、鷺沢さんと飛鳥ちゃんとお話ししておいで」

「は、はい」

 

 

 ありすちゃんの背中を押して前を歩く鷺沢さんと飛鳥ちゃんの下へと合流させる。

 

 

 

「そ、それで…?速水さんは本当は何歳なんですか?」

「話を無理やり軌道修正したな〜」

「さ、さぁ〜? 何のことやら……」

「本当は17よ」

「……それはマジなやつですか?」

「マジよ。マジで17歳」

 

 

 17歳かぁ……いや普通に俺より年下じゃんか。 正直20代だと思ってた……

 

 

「ちなみにアタシは18歳〜」

「え、同い年だ」

 

 

 塩見さんの方が速水さんより年上なのか……

 

 

「今アタシの方が年上なんだ〜とか考えてるでしょ」

「ま、まさか……」

「へ〜」ニヤニヤ

「ふふっ……白石さんってとってもチャーミングな人ね」

 

「皆さん、デパートに到着しましたよ」

 

 

 ありすちゃんにそう言われて前を向くと超デカい建物が……

 

 

「でっか……流石は都会のデパート……」

「さぁ、征こうか」

 

 

 俺たちは目的を果たすため巨大な建物の中へと進んでいった。

 

 

 

 

 

「ここです!」

「おぉ〜」

「…素敵な……お店ですね……」

 

 

 目的のお店はとても綺麗な内装で、俺1人では絶対に来ないようなオシャレな店だ……

 

 

「じゃあ行きましょうか」

「はいっ!」フンス

 

 

 

 

 店に入り席に着いた俺たちは各々メニューに目を通して何を注文するか悩んでいる。 さっきからありすちゃんは目がキラッキラと輝いている。

 

 それを見るだけで今日は来れてよかったと思う……けど俺は少しだけ居心地の悪さを感じていた。

 

 

 

「………」ソワソワ

「どしたん?白石くん、さっきからソワソワと落ち着きのない……」

「いやだって……俺以外お客は全員女性だから……少し居づらいというか」

「フッ……周りの視線なんて気にすることはないさ。自分の赴くままに行動すればいい」

「それはそうだけどさぁ……」

 

 

 周りに視線を配ると、若くてオシャレな女性が席に着いてスイーツを堪能している。

 俺以外の5人は完全に溶け込んでいるけど俺は完全に場違いな気がする。

 

 

「ぐぬぬぬ……」

「…どうかしましたか?……ありすちゃん…」

「ふ、2つまでメニューを絞ったんですけど……この2つは絞りきれませんっ…!」

「何と何で迷っているのかしら?」

「このいちごのパフェといちごのショートケーキです……どうしても決められません…」グヌヌ

 

 

 

「普段はクールなありすちゃんがいちご関係の時は熱くなるの可愛いな〜」ニヤニヤ

「周子さん、ありすはまだ12歳だ。そういう一面があるのは当然のことだよ」

「ならさ、俺がショートケーキを頼むからありすちゃんはパフェを頼みなよ。それで半分こすれば両方食べられるでしょ?」

「い、いいんですか…?」

「うん、ちょうど俺も何にするか決められなかったところだったんだ」

「わかりました! ここは白石さんの提案に乗らせていただきます…!」

 

 

 俺たちは店員さんを呼んで注文をする。 あとはメニューが運ばれてくるのを待つのみだ。

 

 

 

「でもアタシもよくあるから気持ちはわかるな〜 メニュー決められないの」

「俺もわかる……今日はいつもと違うモン食べようと思っててもなんだかんだいつもと同じやつ頼んじゃったりするよね」

「うわ〜 それわかるわ〜 アタシまさにそのタイプ」

「それがヒトのサガというものさ……」

「飛鳥ちゃんもか〜」

「……白石さん」

「ん?」

 

 

 飛鳥ちゃんは俺の目を見てゆっくりと語り出す。

 

 

「どうやらキミは子どもを名前でちゃん付け、自分と近い年齢かそれ以上の人を名字にさん付けで呼ぶみたいだね…」

「えっ…? あぁ……確かにそうかも…」

「だとしたら心外だな。キミはボクのことを飛鳥ちゃんと呼んだね。ボクはありすと同じ分類分けかい?」

「え?いや〜無意識にそう呼び分けてただけだから……」

「だとしたら尚のことタチが悪いじゃないか。キミからしたらボクは無意識のうちに子どもの方にカテゴライズされたことになる」

「えーっと……つまり…」

「ちゃん付けやめて〜ってことじゃない?」

「……そうなの?」

「さぁ…どうだろうね」

「じゃあ……飛鳥…?」

「まぁ…好きに呼んでくれ……フッ…」

 

 

 そう言って飛鳥ちゃ……飛鳥は満足げに微笑んだ。

 

 そういえば前に晴にも呼び捨てで呼んでくれって言われたなぁ……懐かしい。

 

 

「おまたせいたしました」

「おぉ〜 美味しそう〜♪」

「わぁ〜」キラキラ

「ふふっ……よかったですね…ありすちゃん」

 

 

 テーブルに届いた色とりどりのスイーツを見てありすちゃんは目を輝かせる。

 でも目を輝かせてるのはありすちゃんだけではなくて……他の4人も口角が自然と上がっている。

 

 

「じゃあ食べましょうか」

「はいっ!」

 

 

 俺たちはいただきますの挨拶を済ませると、それぞれ目の前にあるスイーツへとスプーンを伸ばす。

 

 

「……甘くて…美味しいです…」

「えぇ、これは美味しいわね……ふふっ」

「あぁ……自然と表情が緩んでしまうよ」

「飛鳥ちゃんニッコニコやな〜」

「美味しい物を食べて美味しいと思うのは自然の摂理さ。わざわざ隠すこともないだろう?」

「やはりいちごは美味しいです……この味はいちごパスタの参考になります」フンフン

 

 

 女性勢はスイーツを口に含んだ途端にキラキラとした顔で感想を語り出した。

 やっぱり女の子×スイーツの組み合わせは鉄板なんだなって。

 

 そんなことを考えながら俺も目の前にあるイチゴのショートケーキを2つに切り分けて片方を口に運ぶ。

 

 

 うーん……たしかに美味しいな。 いちごはジューシーで甘くてスポンジはフワッフワだ。

 

 

「あの、白石さん……どうですか?」

「うん? あぁ、すっごく美味しいよ!」

「そ、それなら……よかったです……えへへ」

「あ、そうだ。はいありすちゃん。ショートケーキの半分、口をつける前に2つに分けておいたから安心して」

「あっ……! す、すみません…私は口をつけたスプーンで食べてしまいました……」

「いいよいいよ、俺全然気にしないから!」

「わ、私は気にしますよっ…! か、間接……じゃないですか…///」ボソッ...

 

 

 ありすちゃんのパフェが入った器を受け取ろうとしたら、顔を真っ赤にしたありすちゃんに防がれた……

 

 

「そう…? じゃあパフェの残りもありすちゃんが食べちゃっていいよ」

「えっ…あ、いや……それは…ダメです。……わ、わかりました…///どうぞ…!」ズイッ

「えっ、いいの?」

「だ、大丈夫です…!私はもう覚悟を決めたので…!」

 

 

 ありすちゃんからパフェの器を押しつけられる。 顔は真っ赤だけど……ありすちゃん本人がいいって言ってるからいいんだよね…?

 

 

「じゃあ頂くよ」

「は、はい……どうぞ…」

 

 

 俺はパフェの器にスプーンを刺して中身を掬い取る。

 

 

「………」ジ-

 

 

 うっ……めっちゃ見られてる…食べづらい……けど。

 

 

「……」モグモグ

 

 

 うん、さっぱりとした生クリームに、味の強いほどよく酸味の効いた苺のソースがたっぷり絡んでいて……

 

 

 

「美味しい!」

「そ、そうですか……なら、よかったです…」

「うん、ありすちゃんもショートケーキ食べてよ。それもすごく美味しいからさ」

「も、もちろん…いただきます……」

 

 

 ありすちゃんは俺から受け取ったケーキをもそもそと食べる。 一方の俺もパフェの残りをスプーンで掬い取って食べ進めて完食した。

 

 

「ふぅ…ごちそうさまでした」

「白石くんさ」ボソボソ

「…? どうかした塩見さん…?」

「もうちょっと女心というかデリカシーを知らなきゃあかんね〜 ありすちゃんも子どもである前に1人のレディーなんだからさ…」ボソボソ

「え、やっぱり先に分けといたとはいえ俺の食いかけとか嫌だったかな……」

「そういことじゃないけど……まぁええか」

「……?」

 

 

 俺はその時塩見さんが何を伝えたかったらのかイマイチよくわからなかった……

 

 

〜〜〜〜

 

 

「「「ごちそうさまでしたー!」」」

 

 

 スイーツを食べ終えた俺たちは店をあとにして集合場所の駅前まで戻った。

 

 

 

「今日は急に押しかけてしまってごめんなさいね…」

「いえいえ、俺も人数が多くて楽しかったですから」

「そう言ってもらえると嬉しいわ。今日はありがとうね白石さん」

「キミとはまたいつか会う気がするよ……」

「じゃ、アタシらはこれで〜 じゃあね〜」

 

 

 速水さんと飛鳥と塩見さんはそう言ってその場から去っていった。

 

 

「じゃあ俺たちも解散しましょうか」

「……そうですね…今日はお招きいただき…ありがとうございました」

「あの……白石さん」

「あ、そうだ……ありすちゃん」

「え、はい?」

「今日はありすちゃんのお陰で美味しいスイーツが食べれたよ。本当にありがとうね」

「……ふふっ、またいつでも一緒に行きましょう。もちろん文香さんや皆さんも一緒にです…!」

「…はい……」ニコッ

「うん、また行こうか!」

 

 

 またいつか出かける約束をして俺たちは解散した。

 

 今日はとてもいい1日だった……

 

 

 

 



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24話 大学はすごく広い

 

 

「ふわぁ〜 眠い……」

 

 

 俺は大学の構内でめちゃくちゃ大きなあくびをする。

 

 やば、恥ずかし……すれ違った女の子にすごい見られてた。

 

 

 俺は羞恥心に身を悶えさせながら構内を進んで行き講義が行われる教室へと入る。

 

 講義開始まで残り3分といったところか……ギリギリセーフだ。

 

 

「えーっと……席はどこにしようかな…」

 

 

 この講義は人気がないのか受講している人数が少ない。人気のある講義だと席を確保するのも苦労するが、この講義はガラガラなのでこんなに遅い時間に来ても好きなところに座ることができる。

 

 

「ん? あれは……」

 

 

 教室の真ん中付近、誰かが俺に手を振っている……ってあれ相葉さんだ!?

 

 俺に向けて手を振っていたのは相葉さんだった。 すごいニコニコして手を振ってる……

 

 

「おはよう、相葉さん」

「おはよう〜 白石くん♪ あ、座って座って!」

「そう…? あ、ありがとう」

 

 

 俺は相葉さんの隣に座る。 まさかこんな展開になるなんて……思ってもいなかったぞ。

 

 

「白石くんもこの講義取ってたんだね〜!」

「うん、でもあんまり人気ないみたいだね。この講義に友達誰もいないや」

「そうだね〜 私もこの講義は1人ぼっちかな〜って思ってたよ。でも白石くんいてよかった♪」

「あはは、さっきすごい笑顔だったもんね」

「え〜! 私そんな顔に出てるかな〜?」

 

 

 相葉さんはニコニコしたりムスっとした顔をしたり表情が豊かだ。

 そんな相葉さんとの会話は楽しいし、会話をしているだけで明るい気持ちになる。

 

 

「あ、そろそろ始まるみたい!」

「そうだね」

「白石くん、私がもし寝ちゃってたら起こしてね?」

「ま、任せてよ!」

「ふふっ、頼りにしてるよっ♪」

 

 

 こうして、小学生時代以来の隣に女子がいる状態での授業が始まった。

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 

「〜であるからして、〜すると」

 

 

 やばい……すごい眠気が……

 

 い、いやいや……講義中に寝るわけには……

 

 

 体に物凄い眠気が襲いかかる……教壇に立って話す教授の低い声が子守唄のように頭の中にスッと入ってくる。

 

 

「………」コクン...コクン....

 

 

「……い……ん」

 

 

「んっ……」

 

 

「……ん……おき……」

 

 

 透き通るような声が耳に届いた。

 

 綺麗な声だなぁ……何て言ってるんだろう…

 あれ……ていうか今講義中で……

 

 

 

「おーい…白石くん……起きて…」ボソッ

「はっ…!」

「あ、起きた…?」

 

 

 うわ……まつ毛長いし…目すごい大きいし、肌すべすべだし……

 

 意識を取り戻して声のする方へと顔を向けると、そこには綺麗な相葉さんの顔が間近に……

 

 

 

「うおっ…!?」

「しっ! しーっ…!」

「あ……」

 

 

 ビックリして大きな声を出した俺に対して、相葉さんは人差し指を口の前に当てて、静かにしろといった趣旨のジェスチャーを送ってくる。

 

 

「どうかしたのかい?」

「あ……す、すみません! でっかい蜂がいたので驚いて声を出してしまいました……」

「そうか……で、ここから先は〜」

 

 

 教授に声をかけられたけど何とか乗り切れたみたいだ。 教授は興味もなさそうな返事をして講義に戻る。

 

 

 

「危なかったね…ふふっ」

「うん……ちょっとヒヤッとしたよ」

「白石くんが大きな声出すから私もビックリしちゃった」

「……それは相葉さんが…」

「私が…? んー?」

「いや……別になんでもない…」

 

 

 相葉さんはよくわからないといった様子で、頬に指を当てて首を傾ける。 でも少し口元はニヤけていて、俺がビックリした要因に気づいているようにも見えた。

 

 相葉さんは普段ほわほわしてる人だけど、こういう小悪魔的な一面もあることを知った……

 

 

 

 

 

「はい、じゃあ今日はここまで。また来週この時間に」

 

 

 教授の一言で講義が終了する。 もうこの教室に用がなくなった学生たちは次々に教室から立ち去っていく。

 

 

 

「ふぅ……終わった〜」

「お疲れ様♪ 白石くん、あれからは目パッチリだったね」

「流石にあんなことあったら目も覚めるよ…あはは」

「私が寝たら起こしてねってお願いしたのに、白石くん先に寝ちゃうんだもん。ズルいなぁ〜」

「え? ズルい…?」

「うん。だって先に白石くんが寝てるなら、私は寝られないじゃない? 2人とも寝たら起こす人がいなくなっちゃうもん!」

「えぇ……ていうか俺は寝ようとして寝たというか、気づいてたら寝てたからさ」

「来週の講義は私が寝る番だからっ!」グッ

「それ宣言するようなこと……?」

 

 

 冷静になると意味のわからないような、中身も何もない会話をしながら俺と相葉さんは揃って教室から出て行く。

 

 

「白石くんこの後は?」

「俺は今日これで終わりだよ」

「えーっ! 実は私もなの! じゃあさ、どっかでお昼ごはん食べよっか!」

「えっ」

「あれ…? 何か用事あった……?」

「あ、あぁ…いやそういうことじゃなくて! じゃ、じゃあご一緒させていただきます……」

「ふふっ、何で急にそんな硬くなるの?」

 

 

 いけないいけない……またちょっと慌ててキモい部分が出るところだった。

 

 

 

「あ!ねぇねぇ! 大学の中にお洒落な感じのカフェテラスがあるよね? 行ってみない?」

「うん、俺は構わないよ」

「よーしっ! じゃあレッツゴー♪」

 

 

〜〜〜〜

 

 

「ん〜、美味しい〜♪」

「確かに美味しいね……ちょっと食べづらいけど」

「具が多いから口を大きく開けないとね!

あ〜むっ……美味しい〜♪」

 

 

 俺たちはカフェに到着した後、それぞれサンドイッチとコーヒーを注文して席に着いた。

 

 大学内のカフェでコーヒーとサンドイッチ……なんか大学生してるなぁ…って感じだ。

 

 

 それに目の前では幸せそうにサンドイッチを頬張る相葉さん……こんな可愛い子と一緒にお昼ごはんなんて俺は幸せ者だ。

 

 

 

「……」ジ-

「ん? ろうひはほ?」モグモグ

「いや、美味しそうに食べるな〜って」

「えっ…/// や、やだっ…!私ったら大きな口開けて……そ、そんなに見ないで……///」カァ~

「あ、ご、ごめん……」

「も、もう! 白石くんも自分のサンドイッチに集中しなさい!」

「は、はいっ…!」モグモグ

「ふふっ、それでよしっ♪」

 

 

 そうしてサンドイッチを食べ終えた俺たちは、コーヒーを飲みながらゆっくり雑談を交わす。

 

 

「ここ一回来てみたかったんだ〜 でもお仕事で忙しかったりして来れなかったんだよね。今日は来れてよかった〜」

「俺も来れてよかったよ。 中々こういうお洒落な雰囲気の店は入ったことなく……いや、そういえばこの前行ったな」

「へ〜、どこに行ったの?」

「駅前の新しいデパート内にあるお店でさ」

「あ!そこSNSで見たことあるよ! 誰と言ったの?……あ、いや待って! 当ててみせるよ!……ズバリ、大学の男友達!」

「ふっ……それが一緒に行ったのは女の子なのさ」

「え〜!白石くんが!?」

「う、うん……」

 

 

 そんなに驚く……? ていうか俺ってやっぱり女っ気なさそうに見えるのか。

 

 って、そりゃそうか。そもそも相葉さんには初めて会った時に全部話してるんだし。中高と男子校通ってたから女の子の知り合いとかいなかったこととか。

 

 そう考えると東京に来てから……いや、事務所でアルバイトするようになってから異性の知り合いもたくさん増えたな。

 

 上京してすぐの頃に比べたら女の子にも少しずつ慣れてきた気はする。俺も少しは成長してるのかな……なんて。

 

 

 

「あ、そういえばこの前ネットで相葉さんが歌ってる曲聞いたよ」

「えっ! どれどれ!」

「なんたらかんたらヴァルキュリアスみたいなやつ」

「ちゃんと覚えてよ〜! ふふっ、でも聞いてくれて嬉しい♪」

「すごいカッコよかった。ありすちゃんも鷺沢さんも」

「2人のこと知ってるんだ!?」

「あ、あぁ……まあね。そういえば高森さんも話したことあるなぁ」

「美波ちゃんは?」

「いや……知らない」

「じゃあ、アインフェリアコンプリートまでリーチだね!」

「リーチって……そんなビンゴみたいな…」

 

 

 この前聞いた中で一つだけ知らない声があったなそういえば……それが相葉さんの言う美波さんなんだろうか。

 

 

「その美波さんってどんな人?」

「あれあれ〜? 美波ちゃんに興味あるのかな〜?」ニヤニヤ

「ち、違うよ…! 話の流れだから!」

「ふふっ、美波ちゃんはね〜女神みたいな人!」

「め、女神…?」

「うん! すっごく優しくて、綺麗で、頭もよくって……白石くん会ったら好きになっちゃうかもね〜」

「……でも今俺の中での美波さん像がすごいハードル上がってるけど」

「そんなハードル軽く飛び越えちゃうよ!美波ちゃんは!」

「へぇ〜」

 

 

 相葉さんがここまで言うんなら、余程その美波さんは素敵な人なんだろうな。

 

 とはいえ俺も目の前の相葉さんをはじめ、たくさんの美少女や綺麗な女性を見てるからな。美人に対する耐性も多少はついてきてるはずだ。

 

 

「あ、ちなみに美波ちゃんもこの大学にいるよ」

「えっ!?」

「学年は一つ上だから授業とかでは一緒になることないから会ったことないだろうけどね。あとウチの大学すごい広いし!」

「そ、そうなんだ……」

 

 

 現役アイドルが2人もいる大学すごいな……2人がミスコンとか出たら一騎討ちになりそう。いや、知らんけど……

 

 

「連絡してみる?」

「えっ!?」

「もしかしたら今大学にいるかもしれないし」

「い、いや別にわざわざ連絡することは……」

「えいっ♪」

 

 

 相葉さんは俺の言葉も聞かずにスマホの発信ボタンを押す。

 

 相葉さん結構パッション溢れてるよね……

 

 

 

『あ、美波ちゃん? うん、うん……今ね、大学の中の……』

 

 

 ま、まぁ……相手も多忙なアイドルだろうしそう都合よく同じ時間に大学にいるなんてことは……

 

 

『うん、じゃあね〜』

 

 

 ピッ

 

 

「美波ちゃん今からここ来るって〜!」

「え、えぇっ!? ま、マジで!?」

「マジ! カフェでお茶してるって言ったら来てくれるって!」

 

 

 な、なんてこった。いつかは事務所で会うこともあるかもなんて思ってたら、こんなに早くご対面することになるなんて……

 

 

「…………」カチコチ

「白石くん、硬くなりすぎじゃない?」

「だ、だって……女神が来るんだよ…?」

「も、もうっ! 女神っていうのは比喩表現で、美波ちゃん普通に人間だから!」

「つ、つまり人型女神か……」

「ダメだこりゃ……はぁ」

 

 

 そんなこんなで美波さんを待つこと10分……緊張からコーヒーを飲み干してしまったので、おかわりでも買いに行こうかと悩んでいたその時。

 

 

「お待たせ〜 夕美ちゃん!」

「あ、美波ちゃん!」

 

 

 き、来たな女神……

 

 

 丁度俺の後ろから声がしたので、俺はゆっくりと振り返る。するとそこには……

 

 

「ふぅ…ちょっと走ったから疲れちゃった」

 

 

 本当に女神がいた。

 

 

「め、めが……女神……」

「えっ?」

「あ、ご、ごめんね美波ちゃん! ほら白石くんっ!シッカリして…!」ゲシゲシ

 

 

 相葉さんがテーブルの下で俺の足をツンツンしてくるけど、そんなことが全く気にならないくらいの衝撃を受けていた。

 

 

 夏らしく清涼感のある白のブラウスに青いスカートを見に纏い、少し茶色がかった腰まで伸びる綺麗な髪を靡かせるその姿はまさしく女神そのものだ。

 

 

「夕美ちゃん、大丈夫かな? 彼……」

「大丈夫大丈夫! ささっ! 美波ちゃんも座って♪」

「う、うん」

 

 

 スラリと伸びる手足にきめ細やかな肌……そして何より特徴的なのは優しげな印象を与えるたれ目。 声も透き通るようで美し……

 

 

 

「おーい、白石くん! そろそろ戻ってこ〜い!」

「はっ……!」

「あ、帰ってきた」

 

 

 くっ…あまりの女神パワーに意識を失うところだった。 いやあれは女神パワーというよりはもう女神ショック……

 

 

「白石くん、しょうもないこと考えてないで自己紹介して?」

「はっ……!」

「もう〜 しっかりしてよね?」ハァ

「ふふっ、2人は仲良しなんだね」

 

 

「私は新田美波です。夕美ちゃんと一緒にアイドルやってます」ニコッ

「し、白石幸輝です! 18歳です! 夕美さんとは違ってアイドルではありません!」

「ふふふっ、白石くんって面白い人だね、夕美ちゃん」

「白石くんちょっとは落ち着きなよ……」

「お、俺はめちゃくちゃ落ち着いてるよ!?」

「とてもそうには見えないよ……」

 

 

 うっ……た、たしかにそろそろ落ち着きを取り戻さなくては……

 

 

「ところで、白石くんは夕美ちゃんとどうして知り合いになったのかな?」

「も、元々は大学の入学した直後にあったガイダンスで知り合ったんです」

「うん! そうしたら白石くんが何とウチの事務所でアルバイトしてることも知ってね?」

「そうなんだ、アルバイトっていうとどういうことしているの?」

「アイドルの皆さんの送迎をしたり、掃除をしたりコピーとかの雑用をしています」

「へぇ〜! じゃあもしかしたらいつか白石くんに送迎をお願いすることがあるかもしれないね!」ニコッ

「そ、その時が来たらよろしくお願いいたします…!」

「ど、どっちかと言えばお願いをするのは私の方じゃないかな…?」

 

 

 ふぅ……す、少しは落ち着いてきたぞ。 これも俺の女の子耐性が上昇している証拠だ。

 

 東京に来たばっかりの俺だったら新田さんを前にしたら、ずっと固まっているだけだっただろう……

 

 

「わっ!」

「どうしたの夕美ちゃん、大きな声出して」

「今スマホ見たら、今日この後雨が降るって」

「えっ、こんな天気いいのに?」

「うん!ほら見て?」

 

 

 相葉さんはそう言って俺と新田さんにスマホの画面に映る雨雲レーダーを見せてくれる。

 

 

「まずいなぁ……」

「どうして?」

「いや、俺今日すごいたくさん洗濯物干して来ちゃったんで」

「誰か家に人はいないの?」

「あ、俺一人暮らしなんですよ」

「えーっ!白石くん一人暮らしだったの!?」

「う、うん……あれ、相葉さんにも言ってなかったっけ…?」

「初耳だよ! ねぇねぇ!一人暮らしってどんな感じなの?」

「どんな感じって……」チラ

 

 

 相葉さんも新田さんもワクワクした様子で俺の言葉を待っている。 困ったなぁ、特に話すことなんてないんだけど……

 

 

「2人は家族と一緒…?」

「うん! 私はお母さんとお父さんと」

「私もパパとママと……あと弟が1人いるよ」

「そうなんですか……」

「ねぇねぇ! それより一人暮らしってどんな感じなの!」

 

 

 うっ……話を逸らす作戦失敗か。

 

 一人暮らしなぁ……まぁ、強いて言うなら

 

 

 

「まぁ……自由ではあるかなぁ」

「やっぱりそうなんだ〜」

「まず当たり前だけど俺を叱るような人もいないからね。例えば風呂上がりに裸でウロウロしても誰も咎めない」

「すごーい!」

「えっ…す、すごいのかな…? あと白石くん、風邪引いちゃうからちゃんと服は着た方がいいよ…?」

「あっはい……」

「他には何かあるの?」

「相葉さんすごい食いつくね……一人暮らししたいの?」

「だって一人暮らしなんて大人〜!って感じだもん!」

「まぁでも嫌なことも結構あるけどね」

「例えば?」

 

「やっぱりふとした瞬間に寂しさを感じたりはするよ。 親と暮らしてる時は帰ったら人がいるのが普通だったけど、今は家に帰っても誰もいないしね」

「それは確かに……寂しいかも」

「それで気づくんだよね。あぁ……俺って恵まれてたんだなって」

「な、なんか白石くんが大人に見える…!」

「ふっ…俺はもう18だからね。相葉さん」

「わ、私も同じ18歳なんだけど!」

「ふふっ」

「まぁそれは置いておいて、当然だけど良いところも悪いとこもあるよ」

「うーん……でもいつかは一人暮らししてみたいなぁ」

 

 

 相葉さんはテーブルに肘をつき、手のひらを頬に添えて目を瞑る。

 自分が一人暮らしした場合の妄想でもしているんだろうか。

 

 

「白石くんは…そういう人とかいないの?」

「そういう人とは…?」

「だからほら、彼女さんとか。彼女さんがいてくれたりしたら寂しさも軽減するんじゃないかなって……」

「すぅ……ふぅ〜」

「あ、な、なんかごめんなさい……」

「謝らないでくださいよ新田さん……なんか余計惨めじゃないですか……はははっ」

「ご、ごめんってば〜」

「大学にそういう関係になれそうな女の子とかいないの?」

「いないなぁ……1番仲良いの相葉さんだし」

「えっ!? そ、そうなの!? いや〜そう言われるとちょっと嬉しいな〜♪」

「はぁ〜 やっぱり部活とかサークルとか入った方がいいのかなぁ……それでもっとガツガツギラギラした男に……!」

「前にも言ったけど白石くんにそういうのは似合わないと思うよ?」

 

 

 やはり俺がチャラ男になるなんて不可能だったんだ……

 

 

「それに白石くんがすごくチャラチャラした人だったら、私こんな風に仲良くなれてなかったと思うな〜」

「えっ……」

「だから今のままの白石くんで良いと思うよ?ね、美波ちゃん!」

「うん、私も無理して変える必要があるとは思わないかな」

「じゃ、じゃあ今のままでもいつか絶対彼女できるかな!?」

「それは保証できないっ♪」

「がくっ……」

 

 

 ま、まぁ……今はバイトが恋人ってことにしておくか。

 

 

「あ、私そろそろ行かなきゃ」

「美波ちゃんこの後も何かあるの?」

「今日はレッスンに行くんだ」

「そうだったんだ〜 頑張ってね!」

「ありがとう! じゃあ白石くんもまたね!」

「あ、はい! またいつか会えるのその日を心待ちにしております…!」

「ふふっ、それじゃあね〜」

 

 

 そうして新田さんは手を振り、綺麗な髪の毛を揺らしてその場から立ち去っていった。

 

 

「どうだった、美波ちゃんは?」

「……ありゃ女神だね」

「私の言った通りでしょ♪」

「俺の中のハードルを軽く飛び越えてきたよ」

「えっへん! じゃあ私たちもそろそろ行こっか!」

 

 

 何故か新田さんが褒められて自分のことのようにドヤ顔をする相葉さんと一緒にカフェを後にした。

 

 

〜〜〜〜

 

 

「とりあえず髪を染めてみたりしてさ、後はネックレスジャラジャラつけてみたり……」

「もう〜 まだ言ってるの?」

「女の子は危険な男にドキドキするって聞いたことあるから」

「それどんな偏見なの…?」

「でも昔読んだ少女マンガでも……って、ここなんだ?」

「ここ? ここは保健室だよ?」

「へー……大学にも保健室ってあるんだ。初めて知った」

「敷地が広いから…え!こんなとこあったんだ〜!っていうことよくあるよね♪」

 

 

 大学から出ようと裏門を目指して歩いている途中で保健室を見つけた。

 

 なんだか久しぶりに保健室を見たなぁ……とか考えてたら相葉さんがスタスタと中に入っていくので俺も後に続く。

 

 

「どう?」

「どうって……保健室って感じ?」

「なにそれ、ふふっ」

「だ、だって〜! あ、見て見て白石くん!身長測るやつがあるよ!」

「お〜 流石保健室だね」

「ちょっと測ってみようよ!」

 

 

 そうして相葉さんは靴を脱いで身長計の土台に乗り、後ろの棒に背中をピッタリとくっつける。

 

 

「測って測って〜♪」

「はいは〜い。よいしょ…」

 

 

 子どものようにはしゃぐ相葉さんの後頭部目がけてバーのようなものをゆっくりと下ろす。

 

 

「えーっと……158cm」

「変わってないか〜」

「まぁ入学した時に健康診断してるし、そんなすぐには変わらないよ」

「そうだけどさ〜 じゃあ次は白石くんね!乗って乗って!」

「俺もやるの…?」

「私の身長を知ったからには白石くんの身長も教えてもらわないとね〜」ニコニコ

 

 

 いうほど身長知りたいかな…?

 

 

 と、まぁそんなことを考えながら俺も身長計に体をセットする。

 

 

「じゃあ私が測るからね〜!」

「よろしく」

「よいしょっ……んっ、白石くんっ…大きいからちょっと…大変……っ」

「………」

 

 

 ち、近いな……

 

 

 目の前で相葉さんが腕を伸ばして俺の頭にバーを合わせようと奮励している。

 

 すごく……良い匂いがします。

 

 

「よいしょっ……えーっと、179cm! すご〜い!私より20cmも大きい!」

「あれ、ちょっと伸びたな……この前測った時は178だったんだけど」

「い〜な〜 まだ身長伸びるんだ〜」

「でもどうせなら180行っとけよ!って感じだけどね」

「それはほら、まだ伸びしろがあるんだよ♪ よいしょっ……」

 

 

 相葉さんは俺の後頭部にくっついているバーを1番上まで戻そうと背伸びをして腕を伸ばす。

 

 

「あ、俺がやるからいいよ!」

「う、ううんっ……もう…ちょっとで……きゃあ!」

「あ、相葉さん!」

 

 

 相葉さんはバランスを崩して、後ろに倒れ込み尻もちをつく。

 

 

「いててっ……あれ?これって……」

 

 

 相葉さんが尻もちをついたのは身長計の横に置いてあった体重計。

 

 相葉さんの体を乗せた体重計のメモリの針がぐわんぐわんと大きく揺れる。

 やがて針はある一点を指し示すように動きが弱くなり……

 

 

「あっ……」

 

 

 針の動きが止まった。

 

 

「……」

「……」

 

 

 俺と相葉さんはポカンと気の抜けた表情をしてメモリを見つめる。

 

 数秒経った頃にようやく顔を真っ赤にした相葉さんが再始動する。

 

 

 

「ちょっ…! ダメダメダメ〜! 見ないで!見ちゃダメ〜!///」

「はっ…! い、いや……ちゃんとは見てないからっ! ぼんやりと見えただけだからっ…!」

「うそっ…! 絶対見てた〜! じーっと見つめてたもんっ…///!」

「い、いやでも全然重くないじゃん…!恥ずかしがるようなことは……」

「や、やっぱり見てたっ…/// もうっ!早く帰るよ白石くんっ…!」

「ちょ、ちょっと……押さないでよ相葉さんっ…!」

 

 

 相葉さんに背中を押されて保健室から飛び出す。

 

 

「もうっ…!もうっ…!」ポコポコ

「い、いててっ……背中叩かないでよ」

 

 

 背中を押しながらも、顔を真っ赤にした相葉さんは俺の背中を軽く叩く。

 

 本人には申し訳ないことをしたけど、なんだか駄々っ子みたいで可愛いと思う。

 

 

「はぁ……はぁっ……」

「あ、相葉さん…?」

「ぜ、絶対口外禁止だからねっ…! 女の子のトップシークレットなんだから…っ///」

「わ、わかったよ…! 絶対誰にも言わないから…!」

「約束だよ…? て、ていうかいつもはもうちょっと軽いから! さっきサンドイッチ食べたせいでいつもより2kgくらい増えてるから!」

「いや、サンドイッチだけでそこまでは増えないでしょ……ていうか全然恥ずかしがるような体重じゃなかったと思うけど。だってよんじゅ……」

「い、言っちゃダメだってば〜っ!!」

 

 

 その後も帰り道でぷりぷりと怒る相葉さんからのお説教を聞かせれ続けた。

 

 女の子に体重の話はNG。俺はまた一つ新しいことを学んだ。

 

 

 

 ちなみに帰り道でクレープの屋台を見つけたのでお詫びとしてご馳走すると言ったところ、相葉さんは笑顔でクレープを平らげていた。

 

 





 美波ちゃんと夕美ちゃんが同じ大学なんていう設定は公式では皆無なんですけど、本小説では同じ大学という設定にさせていただきました。



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25話 怖い話を聞いた日の夜は眠れない

 

 

「ねぇ知ってる…?2人とも……」

「ど、どうしたの?法子ちゃん……」

「大事なお話ですか?」

 

 

 事務所の一角、レッスンルームの隅で固まってコソコソ話をしているのは椎名法子、中野有香、水本ゆかりの3人。

 

 3人はユニットも組んでおり、事務所でもよく一緒にいる仲良しトリオだ。

 

 

 

「なんかね、この事務所にある1つの部屋でね、夜になると変な声が聞こえてくるんだって…」

「へ、変な声って……ま、まさか……」サ-

「余程大きな声のお方がいらっしゃるんですね」

「ゆ、ゆかりちゃん……そういうことじゃないと思うけど……」

「でさ、皆んなで一緒に見に行ってみない…?」

「む、むりむりむり! 無理ですって…!」

「私は構いませんよ」ニコッ

「うぇっ!?」

「いぇ〜い! じゃあ2対1で行く派の勝ちだね! それじゃあ決定〜!」

「ちょ、ちょっと待って…? そんな夜遅くにウロウロしてたら注意されるんじゃ……」

「自主練をすると言えば大丈夫ではないでしょうか?」

「それだ! じゃあ作戦決行は今日の夜だよ!」

「はい♪」

「え、えぇ……い、行きたくないよぉ……」

 

 

 ノリノリの法子、よくわかっていないゆかり、乗り気ではない有香。

 そんな乙女3人集による秘密の会議が行われていた……

 

 

〜〜〜〜

 

 

 そしてその日の夜。怯える有香を最後尾に、法子、ゆかり、有香の3人は暗い夜の事務所の中をこそこそと歩き回る。

 

 すでに夜は深く、事務所の中には人気がほとんどないと言ってもいいほどだ。

 

 

「や、やっぱり帰らない…?法子ちゃん……い、今からドーナツ食べに行こうよ…!」

「えっ!? ドーナツ!?」

「う、うんうん! だから今日のところはこの辺で……」

「うぅ〜 お化けも気になるけど……ドーナツのお誘いとあっちゃ捨てがたいなぁ〜」ムムム

「目的を果たした後にドーナツを食べればいいのでは? そうすればきっと2倍美味しいですよ♪」

「確かにそうだね!ゆかりちゃんの言う通り! それじゃあ作戦は続行だよ!」

 

 

 ゆかりの一声で法子はより一層気合を入れて夜の事務所を突き進んでいく。もちろんゆかりに悪意など無く善意100%なのだが、余計な事をされた有香は彼女へとじっとりとした視線を向ける。

 

 

「ゆ、ゆかりちゃ〜ん……」

「……? 私何か変なことしましたか?」

「はぁ……そもそもゆかりちゃん、今から何をしに行くかわかってますか…?」

「夜の事務所探検ですよね? なんだか悪いことをしてるみたいでワクワクしています♪」

「はぁ……帰りたい……」

 

 

 子どものように目をキラキラと輝かせるゆかりを見て有香は深く息を吐いた。

 何はともあれ3人は、時折窓から入ってくる月明かりが神秘的な雰囲気を醸し出す暗い事務所の中で歩みを進めていく。しかし突然、法子が警戒するような声色で小さく呟いた。

 

 

「ねぇ……何か足音がしない?」

「えっ!? の、法子ちゃん!? お、おおお驚かそうったってそうはいきませんよ!?」

「いえ有香ちゃん、嘘ではありません。確かにかすかですけど足音のようなものが聞こえてきます」

「や、やだっ……ゆ、ゆかりちゃんまで……」

「あの曲がり角の方から聞こえてくるよ…!」

 

 

 法子とゆかりの言う通り、こつこつこつ……と足音が近づいてくるのを有香も感じとった。

 突然の出来事に3人は固まるようにくっつき合い1つの塊になる。

 

 

 ビャァァァッ!!

 

 

「な、なに今の音……」

「声……でしょうか…?」

「い、今のは人間の声じゃないですよ……どう考えても…!」

 

 

 人間の声とも獣の鳴き声とも取れるような不気味な音を聞いた3人の体は怯んでしまう。そして先ほど効いたこつこつとした足音のような音が自分たちの方へと近づいてくるのを耳で感じ取る。

 

 

 こつ……こつ……こつ……

 

 

「こ、こっち来るよぉ……」

「えっ、何がくるんですか?」

「う、うぅっ……」

「ゆ、有香ちゃん……」ギュッ

「はっ……!」

 

 

 法子はきゅっと有香の袖を掴む。先ほどまで元気だった様子はどこかへと消え去り、今は顔を青く染めてプルプルと小さく震えている。

 

 

(法子ちゃん……怖がっている。 そうだ、私が最年長なんだから2人を守らないと…!)

 

 

「……っ」グッ

 

 

 有香は拳を構える。渾身の一撃を放つ姿勢を取って、曲がり角から現れるであろう足音の正体を待つ。

 

 

「ふ、2人とも……何かあったら私を置いて逃げてください」

「ゆ、有香ちゃん…! む、無理だよ!お化けに空手は効かないよ!」

「大丈夫です。お二人のことは私がこの身に変えてもお守りをします……!」

「え、お化けですか? どこにいるんですか?」キョロキョロ

 

 

 有香は震える膝を叩き直して拳に入れる力を強くする。

 

 

 こつ……こつ……こつ……

 

 

 足音が近くなる、もうすぐそこまでソレは近づいてきている。

 ごくり、と有香が唾を飲み込んだその瞬間、曲がり角から大きな影が姿を現した。

 

 

「はぁぁぁぁっ…!!」

 

 

 有香はその影に向かって正拳突きを繰り出した……!

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 時刻は有香の正拳突きから数時間ほど遡る。

 

 

 その日、いつも通りバイトを終えた俺は暗い事務所の中を1人寂しく歩いていた。

 

 

「ふぅ……今日は遅くなっちゃったな。もう9時過ぎてるよ」

 

 

 早く家に帰ろうと思い、やや駆け足で廊下を突き進んでいくとなにやら見覚えのある姿が視界に入った。

 

 

「小梅ちゃん?」

「あ、し、白石……さん……」

「こんばんは。こんな時間にどうしたの? 早く寮に帰らないとダメじゃないか」

「ご、ごめんなさい……でもね、じ、事情があるんだよ…?」

「事情?」

 

 

 小梅ちゃんは申し訳なさそうな表情を浮かべながらも、それでも何か言いたげな顔で俺を見上げた。

 

 こんな夜遅くに事情ってなんだろう…?

 

 

「白石さんは……この事務所で最近よくされてる噂、知ってる…?」

「あー、変な声がどうとかってやつ? この前菜々さんに聞いたよ」

「その子をね、見に来たんだ……もし、苦しんでるなら楽にしてあげないと……それにもし、事務所の人に危害とかがあったら困るから」

「へ、へぇ〜……」

 

 

 小梅ちゃんの言葉を聞いた俺の体がピクリと跳ね上がる。これはやはり霊的な何かの話だろうか。

 

 

「白石さんも、来る…?」

「えっ……」

「大丈夫だよ…? きっと楽しいよ……えへへ」

「い、いやぁ……お、俺が行ったところで何もできないしなぁ〜 は、ははは」

「……こっち来て…?」スタスタ

「うぇっ!? お、俺行かないって言ったよね!?」

 

 

 俺の言葉に振り向くことなく、小梅ちゃんは近くにある部屋の扉を開けて中へと入っていく。それに続いて俺も中に入るとそこは至って普通の部屋だった。

 

 

「……ここでその声がするの?」

「ううん、ここは違うよ。声が聞こえるようになるのはもう少し遅い時間だから……それまで暇潰しをしようかなって……」

「暇潰しって?」

「こ、これだよ……」

「うっ……ほ、ホラー映画……」

 

 

 小梅ちゃんが取り出したのは、おどろおどろしい雰囲気のパッケージが特徴的なホラー映画のDVD。

 小梅ちゃんはそれを部屋に備え付けられているDVDレコーダーの中にセットしてリモコンを握る。

 

 

「白石さんも……座って…?」ポフポフ

 

 

 小梅ちゃんは隣に座れとソファーを優しく叩く。

 

 この時間に、暗い事務所で、年下の女の子と一緒にホラー映画とかどんなシチュエーションなんだよ……めちゃくちゃ怖いわ。

 

 

「ほ、ホラー映画には付き合うよ。前に約束したしね……で、でもその噂の声とやらのとこにはついて行かないからね…!」

「あ、始まるよ……」

「マジで行かないからね!?」

 

 

 小梅ちゃんは俺の言葉に返事をすることなく、光出したテレビの画面に視線を集中させる。既に意識は映画に夢中の様だ。

 

 そうしてここから2人きりのホラー映画鑑賞会がスタートした。

 

 

 

 〜数時間後〜

 

 

「……」チ-ン

 

 

 俺は疲れ果てていた。 精神的にも体力的にも。

 

 小梅ちゃんの持ってきたホラー映画はめちゃくちゃ怖かった。 もう何度ビックリして体が跳ねたことかわからない……

 

 

「た、楽しかったね……えへへ」

「そ、ソウダネー……あ、あはは……」

「あ、そろそろいい時間……じゃあ、行こっか…?」

「えっ……いやだから俺行かないからね!?」

「ついてきて……」

「小梅ちゃん、以外と強引だね……」

 

 

 問答無用といった様子で部屋から出て行く小梅ちゃんの後に着いていく。怖いけど1人でいる方が怖いし、こんな遅くに小梅ちゃんを1人にさせるのも忍びない。

 

 昔やったホラーゲームを思い出すなぁ。あれも確か、こんな風に綺麗な建物の中を歩いていたら急にゾンビとかが出てきて……

 

 

「わぁっ!?」チョン

「びゃぁぁぁっ!!」

 

 

 急に小梅ちゃんが大きな声を出しながら俺の脇腹をつついた。

 あまりにもびっくりして人間のモノではない様な声が出てしまった。しかもめちゃくちゃデカい声。

 

 

「………小梅ちゃん…?」チラッ

「ふふっ……ふふふふっ……」プルプル

 

 

 小梅ちゃんはイタズラが成功した子どものように、無邪気な笑みを浮かべ小さく声を漏らしている。

 俺は仕返しの意味を込めて小梅ちゃんのほっぺを両手で掴み、もにゅもにゅと顔を揉んだ。

 

 

「い、今のは結構マジでびびったからね…?」

「えへへ……ご、ごめんなひゃい……へへ」

「本当に反省してるのか〜? この子は〜」

「ふふっ……反省しましたぁ……えへへ……」

 

 

 ニコニコと楽しそうに小梅ちゃんは笑う。100%反省はしてないだろうけど……まぁ別にいいか。

 

 そういえば、小梅ちゃんが目的としている変な声がする部屋とやらまであとどれくらいかかるのだろう。

 行きたくないなぁ……と思いながら、若干震える足を動かしてやけに長く感じる廊下を進んでいく。

 

 

 コツコツコツ……と、俺と小梅ちゃんの足音だけが廊下に響き渡る。

 

 

 そして何気なく廊下の曲がり角を曲がったその瞬間……

 

 

 

 

「はぁぁぁぁっ…!!」

「うぉっ!?」

 

 

 突如暗闇から何かが俺の体めがけて飛んできた。 間一髪のとこでそれを躱す。

 

 

「えっ!? お、女の子…!?」

「よ、避けられ……今度こそっ…きゃっ!?」

 

 

 また何か攻撃をしかけてきそうだったので、慌てた俺は我を忘れて後ろから抱きしめる形で女の子を押さえ込んだ。

 しかし女の子は拘束を解こうと体に力を入れる。小さな体からは想像ができないほど強い力だ。

 

 

「くっ……」グググ

「と、とりあえず……お、落ち着いてくれって…!」

「法子ちゃん!ゆかりちゃん! 逃げてください!」グググ

「そ、そんな!? お化けに捕まった有香ちゃんを放って帰るなんてできないよ…!」

「お、お化け!? 落ち着いてくれ!俺は普通に人間だから!」

 

「「えっ……」」

 

 

 何やらおかしな誤解をしているようだったので、俺は人間だと女の子に伝えると呆けた表情で俺の顔を見つめてくる。

 よく見ると俺に襲いかかってきた子以外にも2人の女の子がいた。

 

 

「あら、小梅ちゃん? こんばんは。 こんな夜遅くにどうしたんですか?」

「あ、ゆかりさん……えへへ、ちょっと用事があってね……ゆかりさんは…?」

「私はお2人と夜の事務所探検です♪」

 

 

 若干パニックを起こしているこっちとは対照的に、小梅ちゃんは1人の女の子と親しげに会話をしている。

 

 

「あれ……こ、小梅ちゃん…?」

「本当だ!小梅ちゃんだ!」

「有香さんも……法子ちゃんも…こんばんわ」

「な、なんだ…知り合いか?小梅ちゃん」

「う、うん……お友達だよ…えへへ」

 

 

 小梅ちゃんを認識した途端、暴れていた女の子ともう1人の女の子は落ち着きを取り戻す。女の子が体の力を抜くのと比例するように俺も腕の力を緩めた。

 

 

「あら? 有香ちゃん、何やら楽しそうですね♪」

「えっ……ちょ、ちょっと待って……何で小梅ちゃんが…? こ、混乱してきた……」

「あっ! 有香ちゃんの後ろにいる人、よく見たら普通の男の人だよ!」

 

 

 俺もようやく頭の整理がついてきた。おそらくこの3人は小梅ちゃんと同じこの事務所のアイドルなんだろう。でもなんでこんな時間に…

 

 

「ねぇ小梅ちゃん、その人誰なの?」

「この人はね………あっ…」ニヤリ

 

 

 あ、今悪い顔したぞ。

 

 

「この人はね……この事務所を彷徨う、女の子好きの幽霊だよ……夜遅くにこの場所に来る可愛い女の子を捕まえてね、あっちの世界に連れていっちゃうんだって……」

「ちょっ……な、何言ってんのさ小梅ちゃん」

「有香さんのことが気に入っちゃったみたいだね……有香さん…選ばれちゃったね……」ニヤリ

 

 

「いっ……」

「い…?」

「いやぁぁぁぁ! は、離してくださいぃ!」

「ちょ、ちょっと待って!ちょっと待って!今の全部嘘だから! 俺幽霊じゃないからぁ!」

 

 

 小梅ちゃんの悪質な冗談を聞いた女の子は再び物凄い力で暴れ出し、何故か反射的に俺も再び力を込めて女の子を押さえ込む。

 

 

 カシャッ

 

 

「何写真撮ってんのぉぉ!?」

「た、楽しそうだったから……えへへ」

「キミのせいでこうなってんだけどね!」

「あっ! 今日のお月さまドーナツみたい!」

「しかし、真ん中に穴が空いていませんよ?」

「穴が空いてないドーナツもあるんだよ!」

「それは初めて知りました……」

 

「君たちマイペースすぎない!?」

「いやぁぁぁ〜!!」

「ちょ、ちょっと……! 君はもう少し落ち着いてくれぇぇ!!」

 

 

 か、カオスだ……

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

「じゃ、じゃあ全部小梅ちゃんの嘘なんですね……?」

「ごめんね……有香さん、えへ」

「ぜぇ……ぜぇ……つ、疲れた……」

 

 

 あれから数分後、女の子は小梅ちゃんから事情を聞いてようやく落ち着きを取り戻す。

 暴れるこの子と何分間も格闘していたせいか、かなりの体力を使ってしまった。

 

 

「じゃあお兄さんは誰なの?」

「俺はここで働いてるアルバイトで……小梅ちゃんとは知り合いなんだよ……はぁ…」

「へぇ〜! よかったね有香ちゃん!お兄さん幽霊じゃないって!」

「あ、はい……」

 

 

 俺的にはよくないんだけどなぁ……今の一連の件だけでどれだけ体力を使ったのか。

 

 

「あの……どうして有香ちゃんは抱きしめられているのですか?」

「「えっ」」

 

 

 ・・・・

 

 

「あっ…! ご、ごめんっ…!」バッ

「い、いえ……暴れ出した私がいけないので……!」

 

 

 冷静に見たら暗闇で女の子を後ろから抱きしめるとかいうヤバすぎる絵面だったことを思い出し、慌てて女の子から体を離す。

 

 2人して顔真っ赤になり気まずい空気が流れる。

 

 

 

「ねぇねぇ、小梅ちゃんとお兄さんはどうしてこんな時間にこんなとこいるの?」

「噂の……変な声の正体を確かめに…来たんだよ……」

「えっ!? 私たちと一緒だ!じゃあ一緒に行こうよ!」

 

 

 気まずい雰囲気を垂れ流す俺と女の子を無視して、なぜか向こうでは合流して進むことが決定していた。

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 一連の騒動の後、5人パーティーとなった俺たちは小梅ちゃんを先頭に再び暗い事務所の中を歩き出した。

 ついでにお互いの自己紹介も軽く済ませた。元気な子が椎名法子ちゃん、ぽわぽわしてる子が水本ゆかりさん、そしてさっきまで俺が捕まえてた子が中野有香さんと言うらしい。

 

 

「人数も増えたからもう怖くないね!」

「わ、私はまだ少し怖いけど……」

「有香ちゃんファイト!」

「うぅ〜 お、押忍……」

 

 

 怯える中野さんを励ます法子ちゃん。

 ちなみに法子ちゃんが13歳、水本さんが15歳、そしてなんと中野さんが1番上の18歳という事実に俺はかなり驚いた。

 

 

「白石さんはお化けに興味があるんですか?」

「えっ……そ、そういうわけじゃないよ。どちらかと言えば苦手かもしれない」

「では、どうして今日はここに…?」

「ほぼほぼ小梅ちゃんに無理やり連れてこられた感じかな。何が何やらわからぬ間にここまで来たって感じ。ははは……」

「では私と同じですね」

「へっ、水本さんも…?」

 

 

 予想外の回答を受けた俺は間抜けな声を出しながら水本さんの方へと顔を向ける。すると水本さんは優しく微笑みながら言葉を続けた。

 

 

「私も、実はお化けを見に来たということはさっき知ったんですよ」

「……ちなみに何のつもりで今日はここに来たの?」

「夜の事務所探検です♪ でもあながちこれも間違いではありませんね……ふふっ」

「まぁ確かに……探検っちゃ探検だね」

 

 

 ……なんだこの子、天然か? 養殖の天然じゃなくて天然の天然か?

 

 "マジ"の天然っぽい水本さんと会話をしながら暗い廊下を歩き続けていると、何やら視線を感じた。

 

 

「………」チラッ

「っ……」バッ

 

 

 視線の先にいた中野さんにチラリと視線を向けるが、一瞬で顔を逸らされてしまう。こんな感じで中野さんとはさっきからすごく気まずい雰囲気が続いていた。

 

 まぁ……不可抗力だったとはいえあんな風に抱きついたりしたのだから嫌われててもおかしくはないと思う。

 

 

「そういえば白石さん、さっきよく有香ちゃんの突きを避けられたね!」

「えっ……ま、まぁ咄嗟に体が動いただけなんだけど」

「有香ちゃんってすっごく強いんだよ!」

「と、言いますと…?」

「有香ちゃんはスイカを素手で割ることができるんですよ♪」

「す、スイカッ!?」

 

 

 す、スイカってあの果物のやつだよね……?流石に2人なりの冗談だよね…?俺のこと揶揄ってるんだよね……?

 

 

「そ、そんな……スイカくらい誰でも割れますよ〜」テレテレ

 

 

 oh...

 

 中野さんは否定するどころか、照れた様子でそんなことを言っている。どうなってんだこの事務所のアイドルは……

 ていうかスイカをも粉砕する拳って、俺さっき避けてなかったらどうなってたんだ…?

 

 

「………」チラッ

「あっ……」バッ

 

 

 恐る恐る視線を中野さんに向けるが、またしても素早い動きで顔を逸らされてしまう。

 

 はは、女の子に避けられるってすごくダメージ入るね……

 

 

 

「ねぇ、あの部屋から何か声がしない…?」

「えっ……」

 

 

 突然、先頭を歩いていた小梅ちゃんが立ち止まりそう呟くので、俺たちは全員で立ち止まり耳を澄ます。

 すると確かに薄らとだが、小梅ちゃんが指を差す扉の中から音が聞こえてきた気がした。

 

 

「た、確かに……声がするよ…!」ボソボソ

「これは……歌声…?」

「も、もう帰りませんかぁ……!」

「あの部屋だね……」

「あっ、小梅ちゃん!」

 

 

 制止する中野さんの声に振り返ることもなく、小梅ちゃんは声がする部屋へと近づいていき扉に手をかけた。

 ここまで近づくとはっきりと聞こえてくるが、確かに部屋の中からは歌声がはっきりと聞こえてくる。

 

 

 あれ、でもこの声って……

 

 

 ガラッ

 

 

 小梅ちゃんは躊躇することなく扉を開いた。

 

 すると部屋の中には……

 

 

 

「えっ……? ど、どうしたんですか皆さん、それに白石くんまで」

「やっぱり千川さんだ」

 

 

 声でなんとなくわかっていたけど、部屋の中から聞こえてくる歌声の正体は千川さんだった。俺はどこかほっとしたような気分で胸を撫でろ下ろす。

 

 

「本当だ!ちひろさんだぁ!」

「何をしているんですか?」

「そ、それはこっちのセリフですよ…!みんな揃ってこんな遅い時間に何をしているんですか?」

「じ、実は……」

 

 

 、、、、

 

「なるほど……そんな噂になっていたとは…」

 

 

 俺たちはちひろさんに事情を全部話した。

 

 結局、噂の声の正体は千川さんの鼻歌だったということが判明した。本人に話を聞くと、確かに最近は毎晩この部屋にいたらしいが一体毎晩ここで何をしていたのだろうか?

 

 

「声の正体がちひろさんってのはわかったけどさぁ……ちひろさんは何してるの?」

「それはですね……じゃんっ♪ これを作っているからですよ」

「わぁ! 可愛い洋服だ〜!」

「ふふっ、法子ちゃんも今度着てみますか?」

「えっ!? いいの〜!?」

「はい♪」

 

 

 ちひろさんは笑顔で洋服のようなものを俺たちに見せてきた。どうやらこの部屋で何かの服を作っていたらしい。

 

 ……でもなんで千川さんが?

 

 

「夏が終われば時期にハロウィンの季節がやってきますよね。実は毎年コスプレする衣装を自分でつくっているんですよ♪ 自宅で作ってもいいんですけど、事務所の方がいい器材が揃っているので」

「なるほど、ちひろさんはコスプレがお好きですからね」

「はい♪」

 

 

 へぇ〜 千川さんにそんな趣味があったとは……知らなかったな。どんなコスプレをするんだろう。

 

 

「まぁそういうことなので……皆さんはもう帰ってくださいね? 白石くん、お願いしてもよろしいでしょうか?」

「任せてください。車お借りしますね」

「はい、 今日はもう遅いので白石くんもそのまま帰っちゃってください。 車は明日返してくれれば構いませんので」

「わかりました」

「それでは皆さん、ちゃんと寄り道せずに帰ってくださいね?」

「は〜い!」

 

 

 こうして、俺たちの夜の事務所探検はあっけなく終了した。

 

 やっぱり幽霊はいなかったんだ…! なんかホッとしたよ……

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

「みんな乗ったかな?」

「全員いるよ〜!」

「よしっ、じゃあとりあえず女子寮に向かうか。 まぁ向かうってほど離れてないしすぐに着くけどね」

「よろしくお願いします」

 

 

 そうして俺たち5人を乗せた車はゆっくりと走り出した。車の中ではさっき起きた出来事についての話が繰り広げられている。

 

 

「でもまさか噂の正体がちひろさんだったなんてな〜」

「お化けじゃありませんでしたね」

「うん……ちょっと、残念……」

「わ、私的には安心しました……お化けじゃなくて」

 

 

 俺も安心した……本当にお化けとか見たら多分漏らす。

 

 とかなんとか考えていたらすぐに女子寮へと到着する。事務所から女子寮はかなり近い位置に存在しているので車で数分だ。

 

 

「みんな、もう女子寮に着くぞ〜」

 

 

「えっ! はや〜い!」

「いやだって、事務所と寮ってすごく近いから……」

「私……なんだか眠くなってきちゃいました」

「ゆかりちゃん! もう着くんだから寝ちゃダメですよ!」

「そうそう……ほら、もう着いたぞ」

 

 

 女子寮の門を車でくぐり、中にある駐車場に車を停める。そして車から元気に降りた法子ちゃんが運転席の窓に向かって頭を下げた。

 

 

「白石さんありがとう〜!」ペコリ

「ありがとうございます」

「ありがとう……また今度一緒に…遊ぼうね」

 

 

 法子ちゃんと水本さんと小梅ちゃんは車から降りて挨拶をする。 そして車の中には俺と中野さんだけになり………ん?

 

 

「あ、あれ……? もしかして皆女子寮なの…?」

「そうだよ〜! 有香ちゃん以外はみんな東京の外から来てるからね〜」

「おやすみなさい、有香ちゃん。白石さん」

「おやすみ……2人とも…」

 

 

 そして3人は手を振りながら女子寮の中へと入っていった。

 

 後ろの席へと振り向くと、中野さんが「そういえばそうだったー」みたいな感じで頭を抱えて下を向いている。

 

 

「じゃ、じゃあ……い、行きましょうか…」

「は、はい…よろしく……お願いします……」

「………」

「………」

 

 

 き、気まずい……

 

 俺の中野さんはお互いに声を発することはなく、車内には車のエンジンの音だけが響いている。

 

 

「あ、あの……中野さん…?」

「は、はいっ…!?」

「あのさ、さっきは……ごめんね。あんな風にくっついたりして嫌だったよね……」

「い、いえ…っ! 白石さんが謝ることなんてないですよ…! わ、私が急に殴りかかったりしたからいけない訳で……」

 

 

 このまま何も喋らず中野さんを送り届けてお別れするのでも別に問題はないんだけど……流石にモヤモヤするので今のうちに仲直りはしておきたい。

 

 

「い、痛くなかったかな…?」

「な、何がですか…?」

「いやその、めっちゃ強くだ、抑え込んじゃったから」

「あっ……だ、大丈夫です。確かにすごく強い力で抱きしめられていましたけど……わ、私鍛えてますから……」

「あっ……そうなんだ…」

「は、はいっ……」

 

 

 ・・・・

 

 

 ぎ、ぎこちない……会話が全然上手くいかない…!

 

 しかもその、抱きしめるとか言うたびにさっきのこと思い出して、すごく恥ずかしくなるんだよ。

 こういう時女の子に慣れてる男ならどんな態度を取るんだろう……? このままお持ち帰りしてしまうのだろうか。いや、俺にはそんなことできない…!

 

 

「あ、あの白石さん…!」

「は、はいっ…!?」

「私、気にしていませんから…! さっきのこと…!」

「な、中野さん……」

 

 

 顔めっちゃ赤いけど……?とても気にしていないようには見えない。

 

 

「じ、事故だったんです…!偶然起きてしまっただけですから! ねっ!そうですよね!?」

「えっ……」

「ねっ! ねっ!?」

「う、うんうん!中野さんがいいなら……そういうことにしようか!」

「はいっ! これでこの件はもう終了と言うことで!」

 

 

 大声を出して真っ赤な顔で捲し立てる中野さんに釣られて、俺も大きな声で返事をする。

 側から見れば今の俺たちは、2人しかいない車内で大声を出して会話をするやばい奴らに映っていることだろう。

 

 

「ふぅ……やっと落ち着いてきました、押忍」

「中野さんって格闘技とかやってるの…?さっきの突きも鋭かったし」

「あ、はい! 昔から空手をやっていますよ」

「へぇ〜 空手かぁ……」

 

 

 じゃあさっきの話も……本当なんだろうか。

 

 

「ね、ねぇ中野さん……」

「はい?」

「スイカ素手で割れるって話……本当なの?」

「はいっ! できますよ!」ニコッ

「えぇ……」

 

 

 中野さんは後部座席でニコリと笑う。あんなに小さくて可愛い女の子が素手でスイカを割れるのか……空手すごいな。

 

 

「あ、そろそろ私の家に着きます!」

「了解〜」

 

 

 そうして、到着した中野さんの家の前で車を停める。

 

 車の中から窓を開けて、外に降りた中野さんと挨拶を済ませる。

 

 

「今日はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした……」

「いや、俺の方こそ……って、このままだとキリがないね」

「そうですね、ふふっ」

「じゃあ俺は行くよ。じゃあね、中野さん」

「はいっ! 運転ありがとうございました、白石さん!」

 

 

 笑顔で手を振る中野さんに手を振りかえして車を発車させる。色々あったけど、最終的には気まずい雰囲気も払拭できてよかった。

 

 そうして俺は、とてもすがすがしい気持ちで家路に着いたのだった。

 

    

 

 



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26話 友達の家のご飯は美味しそうに見える

 

 

「はいオーケー! 凛ちゃん!今日も良かったよ〜!」

「ありがとうございました…!」

「また今度よろしく頼むね!」

「はいっ」

 

 

〜〜〜〜

 

 

 

「お待たせ」

「お疲れ様、渋谷さん。じゃあ駐車場まで行こうか」

「うん」

 

 

 渋谷さんと並んで2人で駐車場へと向かう。今日の仕事は渋谷さんを撮影先まで迎えに行って、事務所まで送り届けることだ。

 

 

「カバン持つよ」

「……ありがと」

「それにしても今日の渋谷さんはすごかったね」

「そうかな…?」

「すごく色んなポーズとっててさ、俺ならピースくらいしか思い浮かばないよ」

「私だって最初から色んなポーズができてた訳じゃないよ。美嘉とか楓さんみたいな慣れてる人にアドバイス貰ったり」

「へぇ〜 城ヶ崎さんからアドバイス貰ったってことは、ギャルっぽいポーズとかもできるってこと?」

 

「……まぁ、美嘉に無理やり教えられたりしたけど。やんないからね」

「べ、別に何も言ってないよ!?」

「目がそう言ってんの。アンタはちょっとわかりやすすぎだよ」

「そうかな……? じゃあ今俺が何を考えてるからわかる? 目だけを見て」ジ-

「……どうせエロいこととかでしょ」

「渋谷さん……俺のこと年中発情してる獣か何かだと思ってる?」

「ふふっ、ほら、車に着いたんだから運転よろしく」

「は〜い……」

 

 

 車の鍵を開け扉を開く。 助手席に渋谷さんが乗り込み、シートベルトをしたことを確認して車を走らせる。

 

 

「車の中暑くない?」

「ん、大丈夫」

「じゃあこのままで……」

「よろしく」

 

 

 静かに車は走り続ける。 俺と渋谷さんの間にはそこまで会話はなく、したとしても一言二言で終わるような内容ばかりだ。

 

 しかし不思議と気まずい訳ではない。これはきっと渋谷さんの出す雰囲気の影響なのか、静かなこの空間が心地良いとすら感じる。

 

 

 前までの俺なら会話が続かないことに慌てふためいて緊張マックスだったに違いない。

 俺にも大人の余裕ってやつが生まれてきたのかもしれないな……フッ

 

 

「何笑ってんの…?」

「えっ!? あ、いや……別に…!」

「そ、そう……?」

 

 

 あ、やばい……ちょっと引かれたぞ。

 

 

〜〜〜〜

 

 

 

「はい、到着〜」

「ありがとう。助かったよ」

「いやいや、これが俺の仕事だからね」

「ふふっ……じゃあ私行くね」

「うん、今日はお疲れ様」

 

 

 渋谷さんは軽く手を振るとその場を立ち去り事務所の中へと入っていく。

 

 

 なんか去り際がかっこいい……

 

 

「じゃあ俺も行くか」

 

 

 車を指定の場所に駐車して、俺も事務所の中へと戻っていく。

 

 とりあえず仕事を終えたことを報告するために千川さんの元へと向かおう。

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 

「ふぅ……帰ったら何しようか」

 

 

 俺は今、事務所の玄関へと向かって1人歩いている。

 

 あの後俺は千川さんの元へと向かってすぐに今日は帰ってもいいというお達しを頂いた。

 特に事務所に残る理由も今日はないので、ありがたく帰らせてもらう。

 

 

 

「あっ」

「……あ」

 

 

 事務所の敷地を出る辺りで、俺と同じく今まさに家に帰ろうとしている渋谷さんと目が合った。

 

 

〜〜〜〜

 

 

 

 

「何か前にもこんなことあったよね」

「もう……3回目かな、アンタと一緒に帰るの」

「一応言うけど……偶然だからね?さっきの」

「……?」

「いや、別にストーカーとかじゃないからね。出待ちとかしてた訳じゃないし」

「別に聞いてもないのに余計怪しく見えるよ」

「うっ……」

 

 

 俺と渋谷さんは2人並んで歩く。空はオレンジ色に染まり、制服の人やスーツを着た人に加え買い物をする主婦の人など、様々な人々が街を歩いている。

 

 

「でもそっか……待っててくれた訳じゃないんだ。残念……」

「えっ……?」

 

 

 そ、それって……どういう……

 

 

「なんてね。また騙された」

「えっ…!? あ、な、なんだ冗談か…!」

「ふふっ、アンタ本当に揶揄い甲斐があるね」

「い、今みたいな事言われると……俺みたいな奴は勘違いしそうになるからやめてくれ……」

「勘違いって…?何を?」

「えっ…い、いや……や、やっぱ何でもない…!」

「ふふふっ」

 

 

 話すのに慣れたからと言って、俺と渋谷さんのパワーバランスは初めて会話をしたあの時から変わらない。

 渋谷さんは俺を揶揄い、俺は渋谷さんに揶揄われてあたふたする。 俺の方が3つも年上なのに情けない話だ……

 

 

 

 

「バイトは最近どうなの?」

「ん? 特に変わったことは……まぁ、それなりにちゃんとやれてると思う」

「そっか」

「渋谷さんは? 最近の仕事とかさ」

「いつも通りだよ……あ」

「どうかした?」

「そういえば今度、雑誌に載る水着の撮影があるって言ってたかな」

「み、水着っ!?」

「何その反応……」

「え、い、いや! 夏だもんね!当然だよね、そりゃ水着くらいあるよね!」

 

 

 渋谷さんの水着かぁ……って、ダメだダメだ! 本人が横にいる状態で水着を想像するなんて……

 

 でもその雑誌買おう。

 

 

 

「白石、アンタは買うの禁止ね」

「な、なんで…!?」

「気持ち悪い顔してるから」

「し、してない!してない! 今すごく真剣な顔してたから!」

「はぁ……」

「あ、あはは……」

「水着って……そんなに見たいもんなの?」

「えっ、あ〜うん……そりゃあ……ね?」

「白石も私の水着とか見たいの?」

「えっ……」

 

 

 ……ど、どういうことだ。ま、まさか……

見たいって言ったら見せてくれるのか…!?

 

 いやでもそんな美味しい展開あるわけ……ていうかそもそも渋谷さんが今水着を持っているわけが……いや、まさか…!?

 

 

 

「し、渋谷さん……」

「……」

「もしかしてその制服の下は水着だったりするの…?」

 

 

 ・・・・

 

 

「はぁ〜」

「えっ、何その顔は…?」

「別に……さっさと帰るよ」

「あっ! ちょ、ちょっと待ってよ…!」

 

 

 渋谷さんは一瞬だけ、めちゃくちゃ残念な生き物を見る目をしてスタスタと歩き出した。

 

 

 

「アンタがどんな思考回路してるのか私にはわかんないよ」

「い、いや〜 それほどでも」

「褒めてない」

 

 

 

「お〜い凛! おかえり。ちょうどよかった……って……アンタは」

「お母さん、ただいま」

 

 

 いつの間にか渋谷さんの家に着いてしまったようで、店頭にいる渋谷さんのお母さんが声をかけてくる。

 

 

「こ、こんにちは!」

「あ、あぁうん……こんにちは」

 

 

 そう言って渋谷さんのお母さんは微笑んだ。そんなふとした表情が渋谷さんと少し似ていてなんだか面白い。

 

 

 

「ちょっと凛、もうこれで3回目だけどアンタたち本当に何もないんだろうね……」ヒソヒソ

「だからそういうんじゃないって! 偶然!偶然一緒に帰ってきただけだから…!」

「ふーん」

「そ、それより……ちょうど良かったってどういうこと?」

「あっ!そうだそうだ! お母さん今からちょっと出なきゃいけないんだけどね? 今日はお父さんもいないから困ってたんだよ」

「店番ってことね……いいよ」

「ありがとうね! じゃあお母さんこのまま行くから」

「うん、いってらっしゃい」

「はいよー あ、じゃあね!えーっと……」

「あ、白石です!」

「うん、じゃあね白石くん」

 

 

 渋谷さんのお母さんは小走りでどこかへ向かっていった。

 振り返って渋谷さんを見れば早くも青いエプロンを着けて店番モードだ。

 

 

 

「大変そうだね……こういうことって結構あるの?」

「まぁまぁかな。でも結構楽しいよ」

「そうなんだ……」ジ-

「ちょっと見ていく?今お客さんもいないし」

「えっ?」

「こっち来なよ」

「あ、ちょっと!」

 

 

 店の中に入っていく渋谷さんを追うように店内に足を運ぶ。

 

 店の中は綺麗な花や草がたくさんあって、甘いようないい香りが鼻をくすぐる。

 

 

「いっぱいあるんだね……」

「まぁね、でもウチはそこまで大きい方でもないけどね」

「花屋さんってどういうことするの…?」

「色々だよ。花を買いにきたお客さまの話を聞いてどんな花がいいのか選んだり、予算に合わせて花束を作ったり、店にある花や植物の世話をしたり……本当に色々」

「はは……本当に盛りだくさんだ」

「後は結構力仕事もあるよ。花を入れたバケツの水替えとか配達とかね。後であそこに置いてあるダンボールを家の中に運ばないといけないし」

「えっ、あれを…?」

「うん」

「渋谷さんが1人で…?」

「うん」

 

 

 1人で店番をしながらそんなこともしなくちゃいけないなんて……花屋さんの仕事って何となくキラキラしたものだと思ってたけど、想像以上にハードなものらしい。

 

 

 

「ならアレは俺が運ぶよ」

「えっ、いいよそんな」

「そんな話を聞いて何もせず帰るのは何かモヤモヤするから、俺に手伝わせてくれないかな?」

「ずるいね……そんな風にお願いされたら断れないし」

「あはは……ご、ごめん…」

「はぁ、わかったよ。じゃあお願いするね」

「うん! 任せてよ!」

「でも本当に重いよ?」

「大丈夫! 事務所のバイトでも力仕事はあるし、こういう時こそ男の出番だよ」

「ふっ……じゃあよろしく。 あそこにあるもの全部あっちの部屋に置いてくれればいいから」

「よっしゃ!」

 

 

〜〜〜〜

 

 

 なんて息巻いてみたけど……これ本当に大変だな…! もうめちゃくちゃ腕が痛い。

 

 でも、だからこそ手伝ってよかったと思う。

 

 渋谷さんは今、店の中でお客さんの対応をしている。 あっちでの仕事をしながらコレを運ぶのもやるなんて絶対大変だよ。

 

 

「よい……しょっ!」

 

 

 最後のダンボールを運び終えた頃には、外はすっかり暗くなっていて、結構長い時間ダンボール運んでたんだなと思い知らされる。

 

 

 

「お疲れ、大変だったでしょ」

「ま、まぁまぁかな〜」

「ウソつき、さっきチラッと見た時辛そうな顔してたじゃん」

「それは俺の演技だよ」

「ふふっ、まぁそういうことにしといてあげるよ」

 

 

 渋谷さんが労いの言葉をかけてくれる。

 

 本当は普通に大変だったけど……男というのは得てして女性の前では格好つけたくなる生き物なんだ。

 

 

「店のほうはいいの?」

「うん、今はお客様いないし……ていうかそろそろ店仕舞い」

「あ、そうなんだ」

「改めて今日はありがとう。助かったよ」

「いやいや、俺が勝手にやったことだから」

「そっか……」

「じゃあ俺そろそろ帰るよ」

「うん、気をつけてね」

 

 

 渋谷さんと別れの挨拶を済ませて店を後にしようとしたその時……

 

 

 

「ただいま〜」

「あ、おかえりお母さん」

「店番ありがとうね〜……って、白石くんどうしたの?」

「え、えーっと……」

「店の手伝いしてくれてたんだよ。ほら、あっちのやつ運んでくれたんだ」

「えっ!? アレは重かったから明日お父さんにやってもらおうかと思ってたのに……重かったでしょう?白石くん」

「いえ、全然大丈夫ですよ!」

「本当にごめんなさいね〜 手伝いなんてさせちゃって」

「いや、俺が渋谷さんに頼んでやらせてもらっただけですから」

「そう…?じゃあ……ありがとうね」

「はい!」

 

 

 家に戻ってきた渋谷さんのお母さんと少しの間だけ言葉を交わす。

 

 

「じゃあ俺そろそろ帰りますね」

「ちょっと待ちなよ白石くん」

「……なんでしょうか?」

「店の手伝いまでしてもらったんだ。このまま何もせずに帰すわけにはいかないね」

「え、いや別にお礼なんて……」

「ちょっと晩御飯でも食べていきなさいよ!」

 

 

「「えっ?」」

 

 

 俺と渋谷さんの声が重なった。

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 

「白石くん、お家の人に連絡とかしといてね〜」

「あ、いや俺は一人暮らしなので」

「へ〜! 一人暮らしかぁ……いいね〜」

「ははは……」チラッ

「……ふふっ」

 

 

 テーブルの正面に座る渋谷さんと目が合う。ソワソワとした態度が隠しきれない俺を見て、渋谷さんはふっと息を吐く。

 

 

「お母さん、こうなったら止まらないと思うからさ……大人しくご飯食べていってよ」

「そ、そうなの?」

「そうそう! 遠慮なんかしないでいいからね! もうちょっとだけ待っててね〜」

「は、はい!」

 

 

 まさか渋谷さんと、そのお母さんと一緒に夕飯を食べることになるなんて……しかも渋谷さんの家だし。

 

 はぁ……お、落ち着かない。

 

 

 

「はい、おまたせ〜」

「ありがとうございます!」

「ごめんね〜 普通のカレーで」

「い、いやいや、とっても美味しそうです!」

「そう? じゃあ男の子なんだからたくさん食べてね! 凛はあんまり食べる子じゃないからね〜」

「お母さん、変なこと言わなくていいから」

「ごめんごめん、じゃあ冷めないうちに食べちゃいましょう」

 

 

 3人でいただきますと言ってカレーを食べ始める。

 

 あーなんか懐かしい……家庭で食べるカレーって何でこんなに美味しいんだろう。

 

 

「お口に合うかしら?」

「はい! すごく美味しいです!」

「よかった〜」

 

 

 やっぱり人が手作りした手料理って最高だよな。自分で作ってもここまでの感動は得られない。

 

 

 

「さて……じゃあそろそろ、アンタたちの話でも聞かせてもらおうかしらね〜」

「……別に面白い話なんてないよ」

「それはアタシが決めることだからね。じゃあまず、いつ知り合ったのさ?」

「知り合ったのは……」

「事務所でだよ」

「へぇ〜 あれ? ていうか白石くんは何で事務所にいたの? もしかしてタレントさん!?」

「い、いやいや! 俺はただのアルバイトですよ!」

「あらそうなの? じゃあ偶然事務所で知り合ったんだ〜」

「はい、そんな感じです」

 

 

 渋谷さんとの出会いは今でも鮮明に思い出せる。 あぁ……あの出会いからよくここまで仲良くなれたなぁ。

 

 

 ゴスッ…!

 

 

「いでっ…!」

「どうしたの!?」

「す、すみません……ちょっと足をぶつけちゃって」

「……」ジロッ

 

 

 わかってるよ渋谷さん……思い出すなって言いたいんだろう? でも何度も言うけどあんな光景忘れられる訳がないよ。

 

 

 

「そういえば白石くんはいくつなの?」

「18です。大学生の」

「あら、凛よりも3つ上なのね」

「私は白石のことあんまり年上だと思ってないけど」

「こらっ、アンタはま〜たそういうこと言って」

「あはは……別に大丈夫ですよ。俺自身も自分がそこまで立派な人間だとか思っていないので」

「そうかい? 一人暮らしして大学に通ってバイトまでしてるなら立派じゃないかい。凛、アンタ勉強教えてもらいなさいよ」

「白石……勉強できるの?」

「え、うんまぁ……人並みには」

「ふーん」

「この子ったら意外と勉強が苦手でね〜」

「お、お母さん…!」

「ふふっ」

 

 

 その後はも俺は2人と会話をしながらカレーを全て平らげた。

 ダンボールを運んだだけで夕飯を頂けるなんて俺はラッキーだな。

 

 

 

「あ、そうだ凛……ハナコに餌あげてきてちょうだい?」

「え…今?」

「さっきお腹空いてそうな顔してたのよ〜」

「そうなの? わかった」

 

 

 ハナコ?餌? 渋谷さんの家のペットかな?

 

 渋谷さんは立ち上がってどこかへと向かっていく。

 

 

 あれ…?ちょっと待って…? 渋谷さんのお母さんと2人きりになってしまったぞ!? さ、流石に気まずい……

 

 

 

「さてと、白石くん」

「は、はいっ!?」

「ちょっとだけ真面目な話だけど……本当に凛とは何もないのかい?」

「ほ、本当です! 俺なんか仲良くしてもらってる立場ですから……」

「そっか」

 

 

 渋谷さんのお母さんはそれ以上は何も追求をしてこなかった。

 

 

「アタシはね、ちょっとだけ嬉しいんだよ」

「嬉しい……ですか?」

「いやなに、凛にも男の子の友達なんていたんだな〜って。お父さんは嫌がるかもしれないけどさ」

「そ、そうですか……」

 

「そうそう、まぁアタシもあんまりにもふざけた奴とかだったらどうしようかと思ってもいたけど、白石くんは大丈夫そうだからね」

「ありがとう……ございます…?」

「はははっ! まぁこれからも凛と仲良くしてやって頂戴な」

「……それはもちろんですよ。渋谷さんが仲良くしてくれる間はですけど」

「ちょっとちょっと! 男の子がそんなに受け手に回ってちゃ始まらないよ? もっとグイグイと行くくらいじゃないと!」

「お、俺にはそういうの向いてないですよ…!」

 

「まぁ途中で気が変わって、やっぱり付き合いたい!ってなったらそれはそれで構わないからさ。恋愛なんて若いうちにしておかないとね!」ハハハ

「い、いやその……」

「我が娘ながらいい子だよ〜凛は。なんてたってアイドルにスカウトされちゃうような子なんだから」

「いやだから付き合うとかそういうんじゃなくってですね…!」

「なんだい、凛に何か不満でもあるのかい?」

「そ、それは無いですけど……!」

「可愛いだろう?」

「そ、それは確かに……まぁ、そう思いますけど……そういうことではなくて…!」

「あ〜 何か年甲斐もなくキュンキュンしてきちまったよ〜♪」

 

 

 渋谷さんのお母さんはとても楽しそうだ。女性ってのはいくつになっても恋愛トークが好きなんだな……

 

 

「いや〜 ごめんごめん。ちょっと揶揄いすぎたね。白石くんは揶揄い甲斐があるってよく言われない?」

「ど、どうでしょうか……」

 

 

「餌、あげてきたよ」

「ありがとね凛。さてと、じゃあアタシは皿でも洗ってくるかね」

「あ、俺がやりますよ! ていうかやらせてください!」

「いいのいいの!お客さんにそんなことさせられないって!座ってて、座ってて〜」

 

 

 豪快に笑いながら渋谷さんのお母さんはシンクの方へと皿を運んでいった。

 

 

「お母さんと何話してたの? なんかお母さんの妙に楽しそうな声が聞こえてきたんだけど」

「……お、大人の話し合いだよ」

「は?アンタまだ未成年じゃん」

「でも18歳からできるようになること増えるし、1つの区切りって感じしない?」

「例えば?」

「それはやっぱり18禁………い、いや…免許を取ったりとかさ」

「今何か言いかけなかった?」

「べ、別に〜」

「嘘、絶対何か言いかけてた」

「……カレー美味しかったね」

「誤魔化すの下手すぎ、いいから早く白状しなよ。気になるじゃん」

「し、渋谷さんが18歳になってまだこのことを覚えてたらってことで……」

「3年も待てないし」

 

 

 ギャ-ギャ-ギャ-

 

 

 

 

「ふふっ、やっぱり仲良いじゃないかい」

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 

「今日は夕飯ご馳走して頂いて本当にありがとうございました。とっても美味しかったです」

「あら? あんなのでいいならいつでも食べにおいで!」

「ははは……いつか機会があれば」

 

 

 店頭で渋谷さんのお母さんと渋谷さんに挨拶をして帰路に着く。 夕飯を一緒にどうだって言われた時はどうなるかと思ったけど、すごく楽しかったな。カレーも美味しかったし。

 

 

 

「ちょっと」

「あれ、渋谷さんどうしたの?」

「そこまで送るよ」

「えっ!? い、いいよ! もう外も暗いんだし危ないよ」

「いいの、今ちょっとだけ散歩したい気分だから」

 

 

 いつの間にかついてきていた渋谷さんと夜の住宅街を並んで歩く。

 

 

「渋谷さんのお母さんさ……」

「ん?」

「意外と楽しい人だったね」

「……そうかな? 私はずっと一緒にいるから普通に感じるけど」

「いや渋谷さんに見た目も似てたからさ、中身も……ふーん、アンタが凛の友達?まぁ入んなよ。 みたいな感じを予想してたから」

「今の私の真似のつもり?」

「うん」

「……ムカつく」バシッ

「いてっ……」

 

 

 俺的にはそこそこにていると思ったけど、渋谷さんはお気に召さなかったらしい。

 

 

 

「多分珍しかったから……余計にテンションが高かったんじゃないかな」

「え?」

「私が男子とつるんでたのがさ」

「へぇ〜」

「……アンタが初めてだからね。私の家に入ってきた男子って…」

「えっ……そ、そうなの?」

「……じゃあね、気をつけて帰んなよ」

「あ、ちょ、ちょっと渋谷さ……」

 

 

 挨拶をする間も無く、渋谷さんは急に振り返って家の方へと歩き出してしまった。

 

 

「渋谷さーん! じゃあねー!」

 

 

 大きな声で声をかけると、渋谷さんは止まってこちらを振り返り、小さく手を振りかえしてくれた。

 

 

「ふぅ……帰るか」

 

 

 ……俺も女子の家に入ったのなんて初めてなんだけどなぁ。

 

 

 貴重な体験をした。 今日の出来事を胸に刻みながら、俺はりんりんと虫が鳴く道を歩いて帰路に着いた。

 

 



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27話 苦手な物はどう足掻いても苦手

 

 

「ふぅ……疲れたぁ〜」

 

 

 今日もバイトを終えた俺は事務所の敷地内でため息を吐きながらゆっくり歩く。

 

 最近は大学の課題として出題されたレポートを、夜更かしして進めているので体に結構疲れが溜まっている。

 今日も家に帰ったらレポートを進めないといけないんだと思うと、どんよりとした気持ちになってしまうのは仕方のないことだろう。

 

 

 

「むむむむ……」

「ん?」

 

 

 声のする方へと顔を向けると、奇妙な声を出しながらスプーンに念を送るような仕草をしている女の子がいる。

 

 あの子は確か……エスパーユッコか。ああやって普段からサイキックの練習をしているのだろうか。

 

 

「むむむむっ…!」

「………」

 

 

 集中しているようだしこのまま立ち去るとしよう。俺も今日は帰ったらレポートやらなきゃいけないし。

 

 心の中でユッコに対してエールを送り、俺はその場から早々に立ち去る。

 

 

 

「むむっ! こっちの方から困っている人の気配を感じます!」

「えっ?」

「おや? アナタは白石さんじゃないですか! お久しぶりです!」

「ひ、久しぶり……」

 

 

 何かを感じ取ったのか、ものすごい勢いでこっちに向かって走ってきた彼女に挨拶をされる。 あまりの唐突さと勢いに少し戸惑う。

 

 

 

「白石さん!何か困っていることがあるんじゃないでしょうか!?」

「えっ……何で?」

「私のサイキックでそれを感知しましたから!」

「さっき1人で唸ってたのはそれを感じ取ってたってこと?」

「ええっ!?見ていたのなら声をかけてくださればよかったのに!」

「いや……邪魔しちゃ悪いと思ってさ」

 

 

 本当は早く帰ろうと思ってたのがほとんどなんだけどね。

 

 

「誰か困ってる人を探してるの?」

「いえ! 困っている人なんていないに越したことはないんですけど、私実はさいきっく同好会に所属しておりまして、その活動の一環でさいきっく・人助けをしているんですよ!」

「さ、さいきっく同好会……?」

 

 

 なんて怪しげな会に所属しているんだ……

 

 でも同好会の名前はともかく、人助けを活動の一環にしているっていうことは悪い会とかではないんだろう。

 

 

 

「困っている人を笑顔にするのは、サイキッカーとしてもアイドルとしても私の目標ですからね!」

「……」

 

 

 ……め、めちゃくちゃいい子じゃん…

 

 

「すごいね」

「はい?」

「いや……素直に感心したよ。優しいんだなユッコは」

「えっへん!」フンス

 

 

 ドヤ顔で胸を張るユッコ。なんだか無性に頭を撫でてあげたくなるな。

 

 

「むむっ! あっちの方から私の助けを呼ぶ声が聞こえてきます……行きますよ白石さん!」

「えっ…ちょ、何で俺まで…!」

「サイキックテレポート!」

「ふ、普通に走ってるだけじゃないか!」

 

 

 俺の目の前で急に走り出すユッコ。あまりの勢いに釣られて俺もその後を追いかけていく。

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

「着きました! この中からです! 助けを呼ぶ声が聞こえてきます!」

「ここって……女子寮じゃん…」

「では行きますよ!」

「ちょ、ちょい待って! 俺はここで待ってるからさ」

「何故です…?」ポカ-ン

「いやダメだろ普通に……部外者のましてや男の俺が女子寮になんて入ったら」

「お客さんとして歓迎しますよ!」

「と、とにかく……俺はここで待ってるからちゃっちゃと行ってきてくれ」

「むむむ……仕方ないですね…」

 

 

 またしても、もごもごと唸りながらユッコは女子寮の中へと入っていった。

 

 

「……ていうか俺、律儀に待つ必要あるのかな…?」

 

 

 まぁ待つと言ってしまった以上帰るわけにもいくまい。 スマホで少しでもレポートの役に立ちそうな文献でも探して……

 

 

 

「た、大変!大変ですよ白石さん!!」

「ど、どうした…!?」ビクッ

 

 

 思いの外早く帰ってきたユッコが大声を出しながら俺の腕を引っ張る。

 

 

「じょ、女子寮に侵入者が…! 今中の皆んなが襲われてて…!」

「な、なんだって…!?」

「と、とにかく白石さんの力が必要です!今すぐきてください!」

「……わかった!」

 

 

 鬼気迫るユッコの態度を見るに、どうやら女子寮の中はただならぬ状態になっているらしい。

 俺はユッコと2人で急いで女子寮の中へと走っていく。

 

 

「こっちです! こっち!」

「うん!」

 

 

 キャ-! キャ-! キャ-!

 

 

「こ、この声は…!?」

「皆んなが襲われているんです…!早く助けてあげなければ…!」

 

 

 寮の奥からは甲高い女の子たちの悲鳴が轟く。

 全速力で走りリビングのような共有スペースへと俺とユッコは飛び込んだ。

 

 

「皆さん!今助っ人を連れてきましたよ!」

「はぁ……はぁ……ふ、不審者は…!」

 

 

 部屋の中では数人の女の子が、部屋の隅に固まり体を小さく縮めてきゃーきゃーと騒いでいる。

 

 あれ……?見たところ女の子たち以外は誰もいないんだけど……

 

 

「ユッコ、侵入者って……?」

「あれです…!」ビシッ

 

 

 ユッコの指が差す方向へと目を向けると……白く清潔感溢れる女子寮の壁に、触覚を揺らしながらテカテカと黒光りする大きな体を動かすアイツがいた。

 

 ゴキブr……いや、Gがそこには存在していた。 それも超特大のGだ……

 

 

 あっ……侵入者ってアレかぁ……

 

 

 

「あ、危ないですよ皆さん!」

 

 

 ユッコがそう叫ぶと同時に、Gが壁から羽ばたいて女の子たちの方へと近づいていく。

 そして女の子たちは悲鳴を上げながら、部屋の中を走り回って逃げ回る。

 

 

 

「わ〜っ!! こ、こっち来ないで〜!」

「み、美穂はん…!押さんといて〜! うちアレだけはほんまに無理や…! 響子はん、なんとかしてや〜!」

「うぇっ!? さ、紗枝ちゃんちょっと押さないで……! わ、私もアレは無理ですって…!」

 

 

「美穂ちゃん!紗枝ちゃん!響子ちゃん!こっちに来てください!」

「ゆ、裕子ちゃん…!」

「安心してください!助っ人を連れてきましたので!」

 

 

 女の子3人は泣きそうな顔でこっちに向かって走ってきて俺の後ろに隠れる。 ちなみに意気揚々と大きな声を出しているユッコも俺を盾にしている。

 

 

「ゆ、裕子はん、この方は……」

「私のお知り合いなので安心してください!

さぁ白石さん! あの壁にひっついてるのを何とかしてください!」

 

 

 振り向くとユッコと名も知らない女の子3人が俺に期待の眼差しを向けている。

 

 ふっ……そんな目で見られちゃ男としてやる気を出さない訳にはいかないな。俺もアルバイトとは言え一応346に所属する者、それならば346のアイドルたちを守るのも俺の仕事の一つ…!

 

 

「さぁ白石さん! お願いします!」

 

 

 ユッコがビシッとGの方へと指を差す。それに応えるように俺も口から声を出した。

 

 

 

「ごめん、無理」

 

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

 

「はぇ?」

「いやだから、無理…」

「無理……とは?」

「ゴキブリ……俺も無理なんだ」

 

 

 

 俺たちのいるこの空間に静寂が訪れる。

 

 ユッコはぽかんとした顔を浮かべて何が何だかよくわかっていないようだ。他の3人もさっきまできゃーきゃー騒いでいたのに、急にクールダウンしたような様子で俺を見つめている。

 

 

 

「ま、マジですか…?」

「うん……マジで」

「マジのマジですか…?」

「マジのマジだよ……視界にも入れたくない」

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

「ど、どどどどうするんですか!? 白石さん何とかしてくださいよ!」

「む、むむむ無理だってば! だって気持ち悪いじゃん!」

「こ、こういうのは男子の出番ですよ!!」

「Gが嫌いなのに男子と女子も関係ないだろぉ!?」

 

 

 グイグイと俺の背中を押すユッコに対抗して俺も力を込める。

 

 くっそ…!こいつめちゃくちゃ力強いな…!

 

 

 そんな俺とユッコの不毛な争いを見つめていたアホ毛の女の子が大きな声で叫ぶ。

 

 

 

「あっ! どっか飛んでいくよ!」

「ま、まさか……こっちに来るんとちゃうやろなぁ……」

「し、白石さんどうしますか!?」

「くっ……と、とりあえず他の部屋に飛んで行かないように廊下へと繋がる扉を全部閉めて、外へと繋がる窓だけを開けよう!もしかしたら勝手に出て行ってくれるかもしれないし!」

「わっ! こ、こっち来ましたよ!!」

 

 

 全員で情けない悲鳴をあげながら部屋の中を走り回る。

 しばらく走り続けた後にGが壁にとまったのを確認して、俺たちは全員その場に膝をつく。

 

 

 

「はぁ……はぁ……ど、どうしよう…」

「なんだか……全然自分から出て行く気配がないですね……」

 

 アホ毛の子とサイドテールの子が息を切らしながら言う。

 

 

「やっぱり捕まえるしかないんじゃないですか…?」

「そうは言ってもな……どうやって飛び回るアイツを…?」

「一応あそこに虫とり網はあるんやけど……」

 

 

 着物の子はそう言って指を差す。確かにそこには大きな虫とり網がある。

 

 

「さっき捕まえようおもて倉庫から持ってきたんやけど……」

「誰が捕まえに行くかで揉めてたんですよ…」

 

 

 なるほど……確かに、いくら虫とり網があってもGに近づくのは嫌だよな。

 

 

「……」ジ-

「……ん?」

 

 

 女子4人が俺のことをジッと見つめてくる。

 

 あぁなるほど……何となく言いたいことはわかったよ。

 

 

 

「嫌だからね」

「そこを何とか! 白石さんが1番適任です!」

「ど、どういう意味…?」

「白石さんはこの中で1番背も高くリーチがあるので、1番遠くから網で捕まえることができるじゃないですか!」

「そ、それはまぁ……そうだけど……」

「ですよね皆さん! 白石さんが適任ですよね!?」

 

 

 ユッコが語りかけると女の子3人はウンウンと強く首を縦に振る。

 

 

 

「頑張ってください!」

「わ、私たちはここで見守っていますよ!」

「ここで捕まえたらかっこええで〜」

「うっ……」

 

 

 じょ、女子からの声援……なんて胸が高まるんだろう。これがあれば大抵のことは喜んでやるけど、やっぱりGはなぁ……!

 

 

 

「何かやけに騒がしいけどどうかしたの〜?」

 

 

「えっ?」

「周子はん!?」

「どしたん? みんなでそんなとこ座って……

うわゴキブリやん、でっか〜」

 

 

 突然部屋の中に入ってきた塩見さんが、いつも通りの飄々とした態度でGの方を指差す。

 

 

「し、塩見さん……」

「あれ?何で女子寮の中に白石くんおるん?」

「そ、それより周子さん! 周子さんはゴキブリは平気なんですか!?」

「やっほ〜ユッコちゃん。ゴキブリは気持ち悪いし普通に無理だよ〜ん」

「そ、そうですか……」

 

 

 項垂れるユッコ。俺も内心で落ち込む。もしかしたら塩見さんがGを退治してくれるんじゃないかなんて、俺の淡い期待はいとも簡単に崩れ去った。

 

 

「ふむふむ……大体読めたかな〜。よしっ!

白石くん頑張れ〜♪ あたしもここで応援してるから〜」

「いや……俺もGは無理なんだって…!」

「え〜……そこは男子が頑張んないと〜」

「Gが嫌いなのに男子も女子と関係ない……

って、さっきもこの流れになったぞ……」

 

 

 結局誰もG相手に向かっていくことはなく、部屋の隅で黒光りするアイツを眺めている。

 

 

 

「どうしましょうか……」

「う〜ん、こうなったら白石くんにやる気を出させるしかないかな〜」

「そないなことができるんどすか…?」

「まぁね〜ん♪ おーい白石く〜ん」ニコニコ

「……お、俺はやらないからね」

「まぁまぁ〜、そう言わんとさ〜」

「な、何を言われようと俺は……!」

 

 

「もしやってくれたら……紗枝はんがほっぺにちゅーしてくれるって〜♪」ニコニコ

「……えっ?」

「しゅ、周子はん…!?」

 

 

 え……今なんて……? ほっぺにちゅー?

 いや待てそんなに美味い話、というかそもそも紗枝はんって誰だ…? あの着物の女の子か……?

 

 

「そ、そんな見られても……うちやらへんからな!」

「え〜、じゃあ美穂ちゃんが」

「わ、私…!? えーっと……ご、ごめんなさい!」

「じゃあ響子ちゃんが……」

「わ、私も……ご、ごめんなさい!」

「じゃあユッコちゃんが……」

「さ、サイキックバリアー……」

「ありゃりゃ」

 

 

 も、もうやめてくれ…!

  俺は何にも言ってないのに、とてつもないスピードで心に大きな傷を負ってるんですけど…!

 

 

「……」チ-ン

 

 

「周子はんが変なこと言いはるから、えらいダメージ受けてはるわ」

「うーん……しょうがないなぁ。じゃあ、あたしがちゅーくらいならしてあげてもええよ」

「えっ……?」

「ちょ、ちょっと周子はん……!」

「まぁまぁ〜 白石くんがゴキブリ捕まえてくれたらの話だけどね〜」

「ま、マジ……?」

「まじまじ〜♪」

 

 

 ま、マジか……こんなことあっていいのか?いやこれはきっと俺にGを退治させるための嘘に違いない。 そうだ、こんな美味しい展開があるわけないんだ……

 

 いやでも塩見さんがマジで言ってたら…?

こんな展開をみすみす逃していいのか!?

 

 

 

「な、なんかすっごく葛藤してるね…響子ちゃん」

「あはは……」

「白石さんはムッツリスケベという奴ですね」

 

 

 

 

「よし、じゃあ……G捕まえてくる」キリッ

 

 

 おぉ〜っ! という声が女子たちから上がる。

 

 

 

「さっきまであんなに嫌がってたのに……」

「はい……見事な変わりようですね…」

「ほんま……男子って助平やわぁ……」

「さ、サイキックスケベ……」

「白石くんおもろいな〜」クスクス

 

 

「ちょっとそこ…! 俺は決してキスなんぞに釣られたわけじゃないからね…!」

「違うん?」

「こ、このままじゃ埒があかないからね…!

そろそろ奴を葬り去る必要があるから!」

 

 

 俺は虫とり網を強く握ってGにジリジリと近づいていく。 体中に緊張感が走り、じわじわと額に汗が浮かぶ。

 

 それは後ろの女子勢も同じようで、俺の行動を何も言わずにジッと見つめている。

 

 

 

「…………そこだっ…!」

 

 

 ガバッ…!

 

 

「「「「おぉっ!」」」」

 

 

 獲った…! この勝負俺の勝ちだ…!

 

 

「うぉぉぉぉぉぉ!!!」

 

 

 俺はそのまま開いている窓へ向かって駆け出し、外に出ると虫とり網を勢いよく振り回した。

 

 すると網の中からGが飛び出して、気色の悪い羽音を響かせながら遥か遠くへと飛び立っていった。

 

 

 はぁ……めっちゃ神経使った……

 

 

 

「終わったよ〜」

「ど、どうなりましたか!?」

「うん、どっか飛んでいったよ」

「そうですか!そうですか!」

 

 

 嬉しそうにはしゃぐユッコの後ろで、塩見さん以外の女子3人は全身から力が抜けたように膝をつく。

 

 さっきから俺と同じで……いや、俺よりずっと神経を使っていたんだろう。

 

 

 

「お疲れ〜」

「あ、うん……どうも」

「いや〜、これで女子寮に平和が訪れたね〜」

「そ、そうだね……あはは」

「ん〜? どうかしたん? しゅーこちゃんに何か言いたいことでもあるのかな〜?」

「い、いや〜……さ、さっきの話って本当なのかなぁ〜って」

「あ、ほっぺにちゅーの話? ごめんね〜 やっぱりそれは無しで〜」

「えぇっ…!?」

 

 

 ま、まぁ……正直を言うと冗談なんだろうなっていう気持ちはあったけど……

 

 少しだけ、もしかしたら本当なんじゃないかとか思ってただけにショックは隠しきれない…

 

 

 

 

「……あれ? そういえばみんなはどこ行ったんだろう」

「今、白石くんが落ち込んでる間に台所に行ったよ」

「台所…?」

「元々みんなでお菓子作りしてるところにゴキブリが出たんだってさ〜 道具出しっぱなしだから片付けしてくるって、ユッコちゃんも一緒に」

「そ、そうなんだ」

 

 

 お菓子作ってたらアイツが出てきたのか……

うっ……想像しただけでも気持ち悪いな。

 

 

 

「さてと……じゃあ頑張った白石くんにはご褒美をあげないとね〜」

「えっ……」

 

 

 急に塩見さんがこっちに近づいてきたから無意識に後退りをする。しかしすぐ後ろの壁に背中がぶつかり音を鳴らす。

 

 

 

「ご、ご褒美って……さ、さっきの話…?」

「そうそう。ほっぺにちゅーしてあげるって」

「えぇっ…!? じょ、冗談だったんじゃないの……!?」

「冗談なんかじゃないよ〜。一度約束しちゃったんだしそこはしっかりしないと……あたしが嘘ついた悪い女みたいになっちゃうやん?」

「だ、だってさっき……やっぱり無しって言ってなかった…?」

「それは皆んな部屋にいたからさ……流石に人前でやるようなもんじゃないし。今ならここにいるのはあたしらだけだから」

 

 

 塩見さんはガシッと肩を掴んで顔を近づけてくる。

 

 

 

「ちょ、ちょっとタンマ…! 俺まだ心の準備が…!」

「まぁまぁ〜、ちょっとした罰ゲームくらいの感じでいいじゃん」

「ま、待った…!やっぱりこういうのは……」

「あたしもちょっとだけ恥ずかしいんやからさ、ちゃっちゃと済ますよ……」

「ま、マジ……?」

 

 

 

 ま、マジなのか……マジで今からほっぺにキスされるのか…?

 

 や、やばい……心臓がバクバク言っててもう何がなんだかわからない……!

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……ユッコちゃんが手伝ってくれたからすぐ終わりました〜」

「私にかかればあの程度お茶の子さいさいですよ!」

「って……ど、どうしたんですか…?」

「むむっ! 白石さん、どうして床に倒れ込んでいるんですか?」

 

 

「は、ははは……ちょっと転んじゃってさ」

 

 

 

 あ、あっぶな〜! もうちょっとで皆んなに見られるところだったぞ……!

 

 塩見さんの唇が頬に触れる寸前に足音が聞こえてきたから、咄嗟に床に伏せてよかった〜

 

 

 

「ふぅ……」

「いや〜、もうちょっとで皆んなに見られちゃうとこだったね〜 危ない危ない……」

「そ、そうだね……」

「で、続きはどうする…?」

「……も、もう充分ご褒美にはなったから…大丈夫だよ」

「そう?」

 

 

「2人で何をコソコソ話しているんですか?」

 

 

「な、なんでもないよ!」

「そうそう、何にもないよ〜」

 

 

 はぁ……何か色んな意味でドキドキしたな。

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 

 その後は今更ながら3人の女の子と自己紹介を交わした。

 

 アホ毛の女の子は小日向美穂さん、サイドテールの女の子は五十嵐響子さん、そして着物の女の子は小早川紗枝さんと言うらしい。

 

 共に窮地をくぐり抜けたからだろうか俺たちの間には友情のような物が芽生えており、今は3人が作っていたというお菓子を食べながらお茶していたんだけど……

 

 

 

「よく考えたらさ……俺って早く出て行った方がいいよね?」

「どうしてですか?」

「だってここ女子寮だし……緊急事態だって言われたから入ってきたけどやっぱり良くないと思うし」

「私たちは気にしませんよ?」

「白石はんはごきぶりを退治してくれた英雄やからな〜 ゆっくりしていっておくれやす」

「え、英雄だなんてよしてよ……むず痒い」

「ふふっ」

「……でもやっぱりもう行くよ。あんまり長居してもね」

 

 

 というより……やっぱり女子寮の中で女の子たちに囲まれているというこの状況は落ち着かない。

 

 

 そして女子寮の入り口まで来てくれた皆んなに向かって手を振る。

 

 

「白石さん! またさいきっく同好会の活動を一緒にしましょうね!」

「きょ、今日はありがとうございました…!」

「今度は寮でご飯でも食べて行ってくださいね〜」

「白石はん、今日はおおきに〜」

「またね〜ん」

 

 

 皆んなそれぞれ挨拶をしてくれる。 なんか……あったかいなぁ。 大嫌いなGを退治した甲斐があったよ。

 

 

 

 女子寮から出て1人自宅への道を歩き続ける。

 

 仲のいい友達たちと一緒に寮生活かぁ……何かそういうの憧れるなぁ。

 

 

 って……何か俺は忘れてるような……

 

 

「あっ……今日は帰ってレポートやるつもりだったんだ」

 

 

 すっかり忘れていた……

 

 楽しかった気持ちは一瞬にして吹き飛び、どんよりとした気持ちを抱えながら、俺は1人でトボトボと帰路に着いたのだった……

 

 




 閲覧してくださった皆様、いつもありがとうございます。

 この小説を投稿してから早くも半年が過ぎ話数も30に近づいてきました。
 ここまで続けてこられたのはいつも閲覧してくださる皆様のおかげです。本当に感謝しています。

 話は変わりますが、そろそろこの小説を今後どうしていくかを考え始めています。 このままのんびりと普通に続けていくのもいいですし、数人のキャラとの個別的な話を発展させていくのを書くのも面白そうだなと思っています。それかそろそろ終わりにするかなど、本当に色々な選択肢を考えています。

 とりあえずは30話くらいまでは今後の選択を抜きに、このまま普通に投稿をする予定なので今後もよろしくお願い致します。

 最後に、今回も閲覧ありがとうございました。


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28話 自由人も程々に

 
 ハーメルンの機能に詳しくなく、皆様がくださった誤字報告というのを見逃していました。

 意図していなかったとはいえ報告を無視してしまう形になったことを謝罪させてください。すでに誤字報告を頂いた部分は修正をさせていただきました。

 誤字報告をくださったユーザーの皆様、ありがとうございました。






 

 

「た、大変です! 一ノ瀬さんが失踪しちゃいました!」

「えぇっ!?」

 

 

 撮影現場に大きな声が響き渡る。

 

 なぜこんなことになったのか……話は数時間前にまで遡る。

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 今日はとあるアイドル3人の撮影があるということで、撮影場所への送迎をすることが俺の仕事だ。

 

 俺は現在事務所の駐車場で、今日撮影に行くというアイドルを待っている。

 

 

「えーっと、撮影場所までの道のりは……これでオッケーだな」

「やっほー、おまたせ〜★」

「城ヶ崎さん、久しぶり」

「久しぶり〜、白石くん」

 

 

 スマホで撮影場所までの道のりを確認していると、後ろからハキハキとした声の持ち主が俺の肩を叩いた。

 振り向くとそこには、派手な髪の毛と派手な服装をしたカリスマギャルの城ヶ崎美嘉さん。

 

 相変わらず目のやりどころに困ると言いますか……刺激の強い格好をしているなぁ。

 

 

 

「今日はよろしくね〜★ 車で送迎してくれるなんて本当に助かっちゃうよ」

「いやいや、それが俺の仕事だからね。これでお金を貰ってるんだからしっかりやらないと」

「お、いい心がけじゃん!」

「はっはっは〜! 俺の中にある仕事に対する真摯な気持ちを見抜くなんて城ヶ崎さんもなかなか……」

「あ、そういえばさ〜?」

「って……聞いてないし」ガクッ

 

 

「ん?あ、ごめん聞いてなかった〜」なんて軽く流して城ヶ崎さんは話を続ける。やはりギャルのコミュ力は侮れない……

 

 

 

「今日来る残り2人……知ってる?」

「名前は千川さんに聞いてるよ。えーっと確か一ノ瀬志希さんと、宮本フレデリカさんだよね?宮本さんは外国の人なのかな?」

「会ったこと……ある?」

「ないよ……?」

 

 

 ガシッ!

 

 

「うわぁ! ど、どうしたの!?」

 

 

 城ヶ崎さんは俺の両肩を掴むと真剣な顔で告げる。

 

 

「白石くん、多分今日はすっっっごく疲れると思うけど……頑張ってね」

「え、えぇ……?」

 

 

 そう話す城ヶ崎さんは冗談を言っているような表情ではなく、既に疲れているような、これから何が起きるのか悟っているような複雑な表情を浮かべていた。

 

 

 どういうことだろう……その2人が何か関係あるのは確かなんだろうけど……

 

 

 

「ちょっとちょっと〜! ミカちゃん!」バッ

「うぉっ!」

「わっ、ふ、フレちゃん!?」

 

 

 急に現れた金髪の女の子が、俺と城ヶ崎さんの間に割って入るようにして姿を現した。

 

 フレちゃん……ってことはこの人が宮本フレデリカさんなのかな?

 

 

「酷いよミカちゃん! フレちゃんというものがありながら、男を作っていたなんて!」

「は、はぁ?」

「ふ、フレちゃん、ちょっとタンマ。白石くん流石に初めからこのノリには着いていけてないからさ」

「アナタは誰なの!? アタシのミカちゃんを誑かすなんていい度胸してるね!」

「ちょ、ちょっと待ってください!俺と城ヶ崎さんは別に……!」

 

 

 な、なんてこった!宮本さんと城ヶ崎さんはそういう関係だったのか!?

 

 

「白石くーん、絶対何か勘違いしてるからね」

「勘違い!? アタシのこのミカちゃんへの想いも勘違いだっていうの!?」

「あーもうっ! フレちゃん!そろそろ寸劇は終わりに……!」

「酷いよ! アタシとミカちゃんの子どもはどうするのさ!」

「ママ〜っ! 匂い嗅がせて〜!」ギュッ

「ちょっ! し、志希ちゃんまで!」

 

 

 な、何だこれは……?

 

 突然現れた宮本さん(恐らく)と城ヶ崎さんが修羅場になり始めたと思ったら、木の陰から出てきたもう1人の女の子が城ヶ崎さんのことをママと読んで抱きつき匂いを嗅いでいる。

 

 いや、自分で言ってても意味がわからんぞ!

 

 

「ママ〜、捨てないで〜。ハスハス」

「こんなにもこの子はミカちゃんのことを愛しているのに、ミカちゃんはあの男と一緒になるつもりなのね!」

「あ〜! もうっ! 2人とも一旦ストップ、

ストップ〜ッ!!」

「もう何が何なのやら……」

 

 

 城ヶ崎さんは自分の体にしがみつく女の子を引き剥がしながら大声を出す。

 

 俺はすでに何が起こっているのか理解が追いつかずパニックだよ。

 

 

 

 

「じゃあお遊びはこの辺にしておいて、ちゃんと自己紹介しよっかな〜♪」

「は、はぁ……」

「アタシは宮デリカフレ本だよ〜♪」

「いや、宮本フレデリカさんですよね…?」

「えっ!? どうしてフレちゃんのこと知ってるの? もしかしてアタシのファンなの!?

やった〜♪」

「えっ、ち、違いますよ! 事前に千川さんに名前を伺ってて」

「ち、違うんだ……」ガ-ン

「あっ、いや、そういうつもりじゃ……え〜っと、その……」

「まぁフレちゃんも事前に名前聞いてるけどね〜。よろしくね〜白石クン♪」

「ッ〜〜〜!!」

「白石くん、真面目に話してたら疲れるから軽く流しといた方がいいよ……」

 

 

 宮本さんに翻弄される俺の方を城ヶ崎さんが優しく叩く。

 そのゲッソリとした顔を見るに城ヶ崎さんもかなり苦労をしているらしい……

 

 

 

「アタシは一ノ瀬志希だよ〜 クンクン、クンクン」

「な、なんですか……?」

 

 

 えっ……やだ、もしかして俺って臭いの?

 

 

「にゃはは〜!すっごい普通の匂い〜♪

こんなに普通の匂いってある〜? ある意味面白いかも〜」

「ふ、普通……?」

「ワ〜オ! 白石くんすごいね〜!普通だってさ! ちなみにシキちゃん、フレちゃんの匂いは〜?」

「ハスハス、ん〜? フレちゃんの匂い〜♪」

「わっはっは〜! そりゃそうだよね〜 何てったってフレちゃんはフレちゃんだから!」アハハ

 

 

「………」ジ-

「そ、そんな目でこっち見ないでよ……だから言ったでしょ、今日は疲れるよって」

 

 

 疲れるとは聞いてたけど、なんというかあまりにも自由すぎるぞこの2人。

 

 

「あの〜、そろそろ撮影場所に向かいましょうか……」

「は〜い♪」

「にゃはは〜 よろしくね〜」

「お願いね、白石くん」

 

 

 そうして車に乗り込んだ俺たち4人は撮影場所へと向かい始めたのだった。

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 

「いや〜、白石クン運転上手だね〜♪」

「ありがとうございます宮本さん、でも全然普通だと思いますよ」

「そうかな〜? あ、そういえば白石クンは何歳なの〜?」

「俺は18ですよ」

「じゃあフレちゃんの方が一つ上だね〜♪」

「へ〜、宮本さん19歳なんですか」

「そうそう! 因みにシキちゃんは〜?」

「白石クンと同じだね〜 アタシも今18歳だから……あれ、アタシって18歳だっけ?」

「いや、俺に聞かれても知らないですよ」

「志希ちゃんは18でしょ。自分の年齢くらい忘れるんじゃないの」

「にゃはは〜♪ じゃあこの中で美嘉ちゃんが1番年下だ〜」

「へいへ〜い! 後輩ちゃ〜ん!」ツンツン

「あぁもう! 両方からほっぺつつかないでよ!」

 

 

 後部座席では城ヶ崎さんを真ん中に置き、その左右を一ノ瀬さんと宮本さんが挟んで座っている。

 そうして今は、城ヶ崎さんが両サイドの自由人から頬を触られて揶揄われている。

 

 城ヶ崎さんには悪いけど、こっちに飛び火しないようにそのまま弄られといてもらうとしよう……

 

 

 

 そんなこんなで俺たちを乗せた車は、撮影場所の駐車場に到着する。

 

 

 

 

「着きましたよー」

「ありがとう白石くん、助かっちゃった」

「いえいえ」

「アタシたちは今から撮影だけど、白石くんはどうするの?」

「今日は城ヶ崎さん達を事務所まで送るように言われてるから、ここで待ってようかな」

「そっか……じゃあ気が向いたら撮影見に来てよ★ 多分関係者だから入れるからさ」

「そうだね、うん、後で見に行くよ」

「へへっ、じゃあアタシたちは行くね?

ほーら2人とも! 行くよ〜!」

「「は〜い!」」

 

 

 そして城ヶ崎さんは宮本さんと一ノ瀬さんを引き連れて撮影場所の中に入っていった。

 

 さっきは城ヶ崎さんが1番年下だとか言ってたけど、ああして見ると姉と妹2人みたいだな。

 

 いや、首根っこ摘まれてる一ノ瀬さんはもはやペットかな……

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

「……暇だな」

 

 

 城ヶ崎さん達が車から出て行って1時間程が経過した。 流石に車の中で座っているだけなのにも飽きてきた。

 

 

「見に行ってみるか」

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 

「〜〜〜ッ!」

 

 

「どうかしたのかな?」

 

 

 少しだけ緊張をしながら撮影場所へと足を運ぶと、何やら現場が騒がしい。

 

 

「あの〜、どうかしたんですか?」

 

 

 

「た、大変です! 一ノ瀬さんが失踪しちゃいました!」

「えぇっ!?」

 

 

 撮影現場に大きな声が響き渡る。

 

 

 一ノ瀬さんが疾走……?実装……?質素……?

 

 えっ、失踪……!?

 

 

 

「じょ、城ヶ崎さん!」

「あ、白石くん」

「どういうことなの……? 一ノ瀬さんが失踪って」

「うん、まぁ、そのまんまの意味かな。これが初めてでもないんだよね」

「シキちゃんって趣味が失踪だからね〜」

「じょ、常習犯なのか、ていうか趣味が失踪!?」

「あはは、まぁちょっとクセのある子なんだよね。悪い子じゃないんだけどね?」

「んー、でも10分くらい前にはアタシと話してたしまだ近くにいると思うんだよね〜。フレちゃんが探してこよっか?」

「いや、アタシたちはアタシたちで撮影があるから無理だよ……」

 

 

 自分が探すと提案した宮本さんに城ヶ崎さんがそれは無理だと告げる。

 

 となるとここは……

 

 

「俺が行くよ! 見つけられるかはわからないけど」

「ごめんね白石くん、お願いできるかな」

「もちろん。でも見つけても戻ってこないこととかは……?」

「それは大丈夫だと思うよ〜。シキちゃんって失踪はするけど、見つかったら大人しく戻ってくることがほとんどだから」

 

 

 それなら大丈夫か。問題はどうやって一ノ瀬さんを見つけるのかだけど……

 

 

「一ノ瀬さんの行きそうな場所とかって……」

「場所はわかんないけど、シキちゃんをおびき寄せることならできるよ〜♪」

「ほ、本当ですか宮本さん!」

「ふっふっふっ、この一ノ瀬志希博士のフレちゃんにまっかせなさ〜い!」

 

 

 宮本さんは自信満々にそう宣言する。宮本さんと一ノ瀬さんは仲良しらしいから色々熟知しているのだろう。

 

 

 ふっ……勝ったな(確信)

 

 

 

「それでその方法って」

「うん、ミカちゃん!」

「え、アタシ?」

 

 

 

「服! 貸して!」

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 

「おーい、一ノ瀬さ〜ん。出ておいでー?」

 

 

 俺は今、撮影場所付近の街中で一ノ瀬さんを探して歩いている。

 

 別段何もおかしな点はない。ただ一つ……手に城ヶ崎さんが普段から使用している練習着を持っていることを除いて。

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

『はい……?』

『ミカちゃんの服! 貸して!』

『な、なんでっ!?』

 

 

 突然の服貸して宣言に城ヶ崎さんは驚愕の声を上げる。ただ城ヶ崎さんだけではなく、もちろん俺も驚いている。

 

 

『今日この後レッスンだから持ってるよね〜』

『も、持ってるけど、だからって何で……』

『そのミカちゃんの汗と匂いが染み付いたシャツでシキちゃんを釣り上げるんだよ!』

『あ、汗と匂いって……///』

『さぁ、ミカちゃん! お洋服プリーズ♪』

『い、いやいや! 無理だって! だってそれ白石くんに貸すってことでしょ!? 恥ずかしいし、変なコトされるかもしれないし!』

『ちょっと、俺はそんなことしないからね!』

 

 

 城ヶ崎さんは顔を真っ赤にして服貸して作戦に猛反対をする。

 

 恥ずかしいのはわかるけどこの緊急事態に俺が変なコトするわけないじゃないか……って、この言い方だと緊急事態じゃなければするみたいだけど、どっちにしろそんなコトしないけどね!

 

 

『ほほ〜う、変なコトって何なのかな〜?』

『うぇっ……!? そ、それは……///』

『男子の白石くんが! ミカちゃんのシャツを使って! 一体どんな変なコトをするのさ!?』グイグイ

『あ、あぅ……///』プシュ-

『そ、その辺にしとこうか宮本さん……

あと俺は何にもしないから』

『ごめんごめ〜ん♪ ミカちゃんが可愛い反応するからさ〜』

 

 

 確かに、さっきの城ヶ崎さんの反応は意外だったな。カリスマギャルでもああいう話は苦手なのかも……

 

 

 

『まぁ冗談はこの辺にしておいて真面目な話、ミカちゃんの匂いにならシキちゃんも寄ってくると思うんだよね〜』

『……わ、わかった……』

『えっ、い、いいんだ……ていうか本当にソレで一ノ瀬さんは寄ってくるんですか?』

『大丈夫だよ〜♪ シキちゃん匂いフェチだから』

『いやいくら匂いフェチでも……ていうかソレ城ヶ崎さんのじゃなくちゃいけないんですか? 例えば宮本さんのとか』

『あれあれ〜? もしかして白石クンはフレちゃんの服の方がいいのかな〜? んも〜っ!

しょうがないなぁ。じゃあ今来ている服を……』

『わーっ! ちょ、ちょっとタンマ! そんなことしなくていいですから!』

 

 

 わざとらしく服を脱ごうとするジェスチャーを取った宮本さんを制止しつつ、チラっと城ヶ崎さんのことを見ると、渋々と言った表情でカバンからシャツを取り出していた。

 

 そしてソレを恐る恐る俺の前に突き出す。

 

 

 

『は、はいっ…! 変なコトに使わないでね…』

『だから使わないよ!』

『そうだよ白石クン、変なコトするならシキちゃんを連れ戻してから……』

『だからしないから!』

 

 

 そして俺は城ヶ崎さんのシャツを受け取る。

 

 

『じゃあ白石クン、ミカちゃんの汗と匂いが染み込んだシャツを使ってシキちゃんを捕まえてくるのだ!』

『……わかりましたよ。この城ヶ崎さんの汗と匂いが染み込んだシャツを使って、絶対に一ノ瀬さんを連れ戻してきます!』

『わ、わざと言ってんでしょアンタたち!

あと洗濯してるからそんなに染み込んでないからね〜っ!!』

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 とまぁ…そんなやり取りを経て、俺は城ヶ崎さんのシャツをこの手に握りしめている訳だ。         

 決して俺が無理やり奪い取ったとか、カバンの中から盗んできたとかそういう訳ではない。

 

 とは言え周りの人達がそんな事情を知る由もなく、その人達からすれば俺は今、女子用の練習着を手に持って走り回るただの変態に映っているかもしれない。

 だからこそ早めに一ノ瀬さんを見つけ出す必要がある訳だ。

 

 

「けど……本当にこれで一ノ瀬さん寄ってくるのかな?」

 

 

 さっきは宮本さんに押されてこの作戦に乗ってしまったが、よくよく考えたらこんな作戦で一ノ瀬さんが見つかるのか不安になってくる。

 

 だって犬じゃないんだからさ、こんなシャツ1枚の匂いを辿ってくるなんて……

 

 

「ん〜、ハスハス……美嘉ちゃんの匂いが〜」

「うわっ……マジで来た!?」

 

 

 それは突然のことだった。鼻をスンスンと鳴らした一ノ瀬さんが、フラフラとした足取りで俺の前に姿を現した。

 

 

「ん? キミは確か……」

「白石です」

「あ、そうそう♪ 白石クンだ〜 にゃはは〜

って……あれ? どうして白石クンから美嘉ちゃんの匂いが?」

「あ、それはコレですね」

「わおっ! それは美嘉ちゃんの服〜! ねぇねぇ白石クン、それシキちゃんに頂戴〜?」

「それは構いませんよ」

「やった〜♪」

「ただし、ちゃんと撮影に戻ってきたらの話です!」

「あ〜、そうくるんだ……」ニヤッ

 

 

 よしっ、これで撮影に戻ってきてくれるはずだよね。どうやら極度の匂いフェチというのも本当みたいだし、城ヶ崎さんのシャツという武器がある限り一ノ瀬さんは素直に従うはず…!

 

 

「うーん、いつもなら見つかってすぐ戻るんだけど……」

「えっ……?」

「にゃはは〜♪ やっぱり今日はこのままどっか行っちゃおうかな〜」

「えぇっ!?」

「だからそのシャツは白石クンが持って帰って変なコトに使いなよ〜」

「するか!……い、いやそうじゃなくて……それは駄目だって!」

「ん〜、でも今日は気分がなぁ〜」

 

 

 一ノ瀬さんはケロッとした表情でそう答える。

 

 こ、困ったぞ……見つかったら素直に帰ってくるはずなのに…! 気分屋とは聞いていたけどまさかここまでとは。

 

 

「シキちゃん1人いなくたって大丈夫だって〜」

「そ、そんなことないって…!」

「そんなことあるって〜、美嘉ちゃんとフレちゃんなら上手いことやってくれるよ〜」

「だ、だからって……」

「あ、なんなら白石クンと一緒に失踪しちゃう〜? 偶には白石クンも失踪しちゃえば……」

 

 

「いい加減にしろ!現場には戻らないと駄目だ!」

 

 

 シ-ン……

 

 

 あっ……やばい、つい……!

 

 

 

「ご、ごめん大きな声出して、でも俺は君を連れて帰らないワケにはいかないんだよ……」

「……どうして?」

「えっ……だ、だってさ、現場の人たちは今日一ノ瀬さんを撮影するために色々と準備をしてきてる訳で、その人達のこと裏切るようなことしちゃいけないと思うんだ」

「ふんふん」

「あ、あとは……一ノ瀬さんの写真を楽しみして待っているファンの人達がいるからさ、その人達のためにもかな……?」

「なるほど」

「後は、このシャツを貸してくれた城ヶ崎さんと、作戦を考えてくれた宮本さんのためにも……あっ」

 

 

 やばっ、城ヶ崎さんのシャツしわくちゃだ…

 

 

 

「にゃはは〜♪ いいよ、キミの熱意に負けたってことで……現場に戻るよ」

「えっ、ほ、本当!?」

「うん、ていうか戻らないって言うのはちょっとした冗談のつもりだったんだけどね〜」

「えっ……」

「まさか本気で怒られちゃうなんてね〜」

「ご、ごめんっ! 怖がらせちゃったかな……」

「全然〜♪ ちょっと貴重な体験で面白かったかも〜」

「そ、そうなの?」

 

 

 怒らられるのが面白かったなんて、やっぱり変わってるのかも。俺だったら怒られるなんて絶対嫌だし……

 

 

「ていうかキミは全然怖くないよ? あんまり人に怒るのとか向いてないタイプだよ〜」

「そ、そうかな……?」

「そうそう〜、あっ! 撮影現場には戻るから美嘉ちゃんのシャツはアタシが貰ってもいいんだよね〜」

「……も、もちろん!」

 

 

 まずい、なんだかシャツをプレゼントする流れになってしまったぞ。絶対そういうつもりで貸してくれた訳ではないだろうに……

 

 

「ん?もしかしてシャツを渡したくない感じかな〜?やっぱり家に持って帰って変なコトするつもりだったとか!」

「そ、そんな訳ないわ!」

「にゃはは〜♪ また怒った〜!」

 

 

 一ノ瀬さんは子どものように笑い、無邪気にはしゃぐ。

 

 なんだかいいように揶揄われているような気がするけど、まぁ……別にいいか。

 

 

 

「じゃあ2人で一緒に美嘉ちゃんのシャツで変なコトしよっか〜♪」

「俺にそんな特殊な性癖はない」

「いやいや〜、シキちゃんの見た感じだとキミは相当なムッツリスケベ……」

「そんなことないから! 早く戻るよ!」

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 

「と、いうわけで無事連れ戻してきました」

「ただいま〜♪」

「そ、それはいいんだけどさ白石くん……何でアタシのシャツは志希ちゃんが大事そうに抱きしめてるの…?」

「ごめん、流れでプレゼントすることになって……」

「えぇっ!?」

「んん〜いい匂い……後で2人で一緒にこのシャツで変なコトする約束したんだ〜」

「んなっ…///」

「わ〜お! フレちゃんも混ぜて〜♪」

「混ぜない!って!そんな約束はしていない!」

「あ、アンタっ…/// 本当に何もしてないでしょうねぇ!?」

「お、落ち着いてよ城ヶ崎さん……!本当に何もしてないから…!」

「そうそう、健全な青少年に自分の服を渡したミカちゃんがいけないんだよ」

「アンタが提案したんでしょうがぁぁぁ!!」

「ん〜、いい匂いだにゃ〜♪」

 

 

 か、カオスだ……

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 

 色々あったがその後は、戻ってきた一ノ瀬さんが恐ろしい速度で撮影を済ませたことで、無事本日の撮影は終了した。

 

 俺も見学していたけど圧巻の一言だった。あぁいう部分を見ると、一ノ瀬さんが天才であることを自覚させられる。

 

 

 そして今は、3人を事務所まで送り届けるために運転をしているのだが……

 

 

 

 

 

「いや〜ん♡ 白石クンったらアタシたちをどこに連れて行くつもりなの〜?」

「事務所ですけど!?」

「こんな美少女3人も車に乗せちゃってさ〜♪はっ…!も、もしかして……お持ち帰りするつもりなの!?」クワッ

「しません!」

「ありゃりゃ〜、断られちゃった〜♪」

「じゃあフレちゃんのことはシキちゃんがお持ち帰りする〜」

「えっ……きゅん…♡」

「お持ち帰りして〜、たくさん薬飲んでもらう〜♪」

「わ〜お♪ それじゃあフレちゃん実験台やないか〜い!」

「そうとも言う〜、にゃはは〜♪」

 

 

 車の中でも一ノ瀬さんと宮本さんの自由人っぷり&謎のハイテンションは変わらないわけで……

 

 

「ん〜、でも実験台ならそこに活きのいい男子がいまっせ〜?」

「確かに〜♪」

「えっ!?」

「ねぇ〜、白石クン……今度アタシのラボでさぁ……イ・イ・コ・ト……してみない?」

「わぁ〜、何かアダルティーな誘い方〜♪」

「ぜっっっったいに行かないから!」

「えぇ〜! そう言わずにさ〜!」

「こ、こらっ!運転中に肩を揺らすな…!」

 

 

 誘い方は確かにちょっとエロくてドキっとするけど、一ノ瀬さんのラボとか入ったら最後、絶対に無事で帰れる気がしない…!

 

 下手したら人造人間とかにされそう……

 

 

 

「じょ、城ヶ崎さんっ! 見てないで隣にいる一ノ瀬さんを止めてくれ〜!」

「……」ジト-

「じょ、城ヶ崎……さん…?」

「別にアタシが止めなくてもさ、また女の子のシャツでもプレゼントすればやめてくれるんじゃないの?」

「……怒ってる?」

「別に……」

「しゃ、シャツのことなら謝るからさぁ!」

「シャツを使って変なコトしたのも謝りなさい!」

「本当にごめんなさ……って、それはしてないわ!」

「わおっ! 完璧なツッコミ〜♪ ふんふんふふ〜ん♪」

「ねぇ〜、ちょっとだけでいいからさ〜!

ちょっと面白いお薬飲んでもらうだけだから〜!」

「……ふんっ」

 

 

「も、もうめちゃくちゃだ〜〜!!」

 

 

 

 とりあえず今後、一ノ瀬さんと宮本さんには注意することにしよう……

 

 

 



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29話 偶にはゆっくりと

 

 

「えっ! お、俺今日シフト入ってませんか!?」

「はい、明日はシフトが入っていますけど、一応確認してみてください」

「えーっと、うわっ、本当だ……ま、間違えたぁ……」ガクッ

 

 

 俺は全身から力が抜け落ちたように膝を床につく。千川さんはそんな俺を困ったように苦笑いしながら見つめている。

 

 何故こんなことになったのかというと冒頭のやり取りの通りなのだが、ただ単に俺が明日入っていたシフトを今日だと勘違いしてしまったというだけの話だ。

 

 大学生にもなってこんなしょうもない勘違いをするなんて、恥ずかしくて千川さんの顔を見ることができない……

 

 

 

「白石くん、顔が真っ赤ですよ?」

「お、お恥ずかしいです……」

「ふふっ。そうですねぇ……せっかく事務所に来てしまったのにすぐ帰るのもどうかと思いますので、共有スペースやカフェなどでゆっくりしていってはいかがです?」

 

 

 うーん……どうしたもんかな。

 

 

「いや、今日は帰ろうと思います。そんな用事もないのに居ても迷惑ですので」

「こちらとしては全然そんなことはないんですけど……まぁ、白石くんにお任せします♪」

「はい、それじゃあ俺はこれで。今日は迷惑をかけてすみませんでした」

「そんなことありませんよ。私は白石くんとお話しできて嬉しいですから♪」

「えっ…!?」

「あら? 白石くん、顔が真っ赤ですよ♪」

「や、やめてくださいよ! 変なこと言って揶揄うのは…!」

「ふふっ」

 

 

 くっ……社交辞令とは分かっていても嬉しくなってしまう…!

 

 

「じゃ、じゃあ俺行きますから…!」

「はい、また明日です」

 

 

 くすくすと余裕の表情で笑う千川さんに背を向けて退出する。

 

 大人のお姉さんムーブを見せつけてきた千川さんと話をしていると、俺なんて大学生にはなったけどまだまだガキなんだなと実感させられる。

 

 

 って、そんな話はどうでもよくて……困ったのは今日この後の予定だ。

 

 時刻はまだ午前の10時、今日はバイトだと思っていたから何も予定がないしすることもない。完全に暇になってしまった。

 

 

「どうしたもんか……」

「あれ、白石さん?」

「ん?」

 

 

 背後から俺のことを呼ぶ可愛らしい声がする。振り返るとそこには柔らかく微笑む高森さんの姿があった。

 

 

「高森さん!」

「はい、高森です♪ 」

 

 

 何それ可愛い……

 

 

「白石さんは今日お仕事ですか?」

「あぁ……いや、実は……」

「?」

 

 

 キョトンとした顔で首を傾げる高森さん。

 

 いちいち仕草が可愛らしいな……

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 

「と、いう訳で……今日は何もすることがなくなっちゃったんだよ。あはは……」

「そうなんですか、私と一緒ですね。ふふっ」

「えっ、高森さんも?」

「今日はこの後レッスンが入っていたんですけど、色々とあって中止になってしまったんです」

「へぇ〜、そういうこともあるんだね」

 

 

 ということは高森さんも今日は俺と同じ暇人……って、いやいや! 現役アイドルの高森さんを俺と同じだなんて言ってはいけない! きっと自主練だとか体のメンテナンスだとか予定があるはずだ!

 

 

「あ! じゃあ白石さん、今から付き合ってもらえませんか?」

「えっ! こっ、告白!?」

「うぇっ…!? あ、あわわわ! ち、違いますよ!そういう付き合うではなくて…!」ブンブン

「そ、そうだよね! ご、ごめん、何かびっくりしちゃって……」

 

 

 あ、焦った〜……だって女の子から付き合ってなんて言われたの初めてだから、いや本当にびっくりした……

 

 高森さんは手をブンブン振って否定している。俺の気持ち悪い勘違いで不快にさせてしまっていたらすごく申し訳ないな……

 

 

 

「……じゃ、じゃあ付き合うっていうのは?」

「あ、はい。その……ご一緒におさんぽでもしませんか?」

「おさんぽ……?」

「はいっ♪」

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 

「いい天気ですね〜」

「うん、そうだね。暑すぎずもなくて丁度いい感じだよ」

 

 

 俺は今、高森さんと一緒に街の中にある公園を歩いている。

 

 急に散歩に誘われて少し驚いたが、どうやら高森さんは散歩をすることが好きらしく、結構こんな風に街の中なんかを歩き回ったりしているらしい。

 

 

「この都会の中でこんなに大きい公園があったなんて知らなかったなぁ」

「私は結構来るんですよ?ここには。広くて歩きやすいですし、緑もたくさんあって落ち着くんです」

「へ〜、じゃあここに来たら高森さんに会えたりするのかもね。あははっ」

「ふふっ、その時は是非声をかけてくださいね?」ニコニコ

 

 

 くすくすと小さく笑いながら高森さんは笑う。

 

 ……なんかこういうのっていいな。

 

 東京に来てからは「今日はコレをする!アレをする!」っていう目標を立てた毎日を送ってきたけれど、こんな風に何の目的もなくただただ散歩するっていうのも……すごくイイと思った。

 

 

「どうかしましたか、白石さん?」

「えっ?な、何が…?」

「いえ、なんだか楽しそうに笑っている様に見えたので……」

「えっ、俺笑ってた?」

 

 

 高森さんはコクコクと首を縦に振る。

 

 マジか……無意識にニヤけてるとか、しかもそれを見られてしまうとかめちゃくちゃ気持ち悪くないか俺?

 

 

「い、いや〜! 散歩すっごく楽しいな〜!

って思ってたからさ、自然とニヤニヤしちゃってたのかも。あはは……」

「そうなんですか? なら、お誘いしてよかったです」ニコッ

 

 

 優しいなぁ……高森さん。もしかしたら天使の類なんじゃないかな? 大天使タカモリエルなのかもしれない。

 

 

「白石さん、女の子とお話しするのにも少し慣れてきたんじゃないですか?」

「え、そうかな……?」ウ-ン

「堅さがとれてきたというか……私と初めてお話しをした時に比べたら、すごく自然にお話しできてるような気がします」

 

 

 確かに言われてみれば……最初の頃は女の子に話しかけられたら、やばい!何を話そうか!緊張するっ! って感情だけだったけど、最近は会話をするのが楽しいって思うようにもなってきたな。

 

 

「ははっ、ありがとう。でも、今でもアイドルの子と喋る時はドキドキしたり緊張したりするもんだよ?」

「そうなんですか?」

「うん。俺のこれまでの生活に可愛い女の子の存在なんて皆無だったからね。今も高森さんと話してて楽しいけど、それとは別にドキドキもしてるよ」

「そ、そうなん……ですか……」

 

 

 

 ・・・・

 

 

「………」

「………」

 

 

 

 あれ?何か空気が悪くなったぞ。

 

 お、おかしい……さっきまで楽しい雰囲気だったのに急に静かになっちゃったぞ…!?

 

 何か……何か話題を振らないと…!

 

 

 

 

「こ、こういう散歩ってよくするの?」

「あ……は、はいっ…! そうですね、結構してますね」

「普通に歩くだけ?」

「いえ、良さそうなカフェを見つけたら入ったり……あとはコレで写真を撮ったり」

 

 

 そう言って高森さんは、カバンの中から小さくてピンク色のカメラを取り出した。

 

 

「トイカメラって言うんですけど、知ってますか?」

「いや……初めて聞いたなぁ。普通のデジカメとは何か違うの?」

「カメラという点では機能的にそこまでの違いはありませんけど、お値段は基本的にこっちの方が安いんですよね」

「あぁ、なるほど……それは大事な点だね」

「ふふっ、そうですね。あっ! そうだ。

折角ですから、そこのお花畑をバックに白石さんのことも撮っちゃいましょうか!」

「お、俺!?」

 

 

 そう言うやいなや、高森さんは俺との距離を取ってカメラを構える。

 

 ふわふわした雰囲気だけど意外と押しが強いようで、俺が何も発言する隙は無かった。

 

 

 

「じゃあポーズとってくださ〜い!」

「ぽ、ポーズ…? ピースとかでいいかな…?」

「ダメですっ♪」ニコニコ

「だ、ダメなのっ!?」

「もっと工夫したポーズで……白石さんなりのカッコいいポーズなんかどうでしょうか?

ふふっ」

 

 

 高森さん……完全にカメラマンになりきって楽しんでるな。すごくニコニコしてらっしゃる。

 

 ていうかカッコいいポーズなんて俺知らないぞ……?

 モデルじゃあるまいし、人生で写真に写る時のポーズなんてピースくらいしかやったことないのに…!

 

 

「じゃあ、3・2・1で撮りますよ〜♪」

「えっ、ちょ、ちょっと待って……!」

「さ〜ん♪」ニコニコ

 

 

 か、カッコいいポーズ…!カッコいいポーズ…! ダメだ思いつかない〜!

 

 

 

「に〜い♪ い〜ち♪」

「あぁもう…!」

 

 

 パシャッ…

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

「ふふっ…よく撮れてますよ、白石さん」クスッ

「……笑ったね?」

「い、いえいえ……ふふっ」

 

 

 高森さんと2人で見る写真の中には、咄嗟に取った訳の分からないポーズをした俺が写っていた。

 

 真顔のまま直立不動で立つ俺、そして人差し指と親指の間の部分を顎に添えるという謎ポーズ……

 

 

「これがっ……白石さんなりの…カッコいいポーズなんですね……くすくす」

「だ、だってさぁ…! そんな急にカッコいいポーズって言われても出ないって…!」

「そ、そうですよね……ふふっ…」

 

 

 高森さん的には俺の写真がツボにハマったようで、さっきから笑いを堪えきれずにくすくすと笑っている。

 

 撮影をする時に咄嗟にポーズを取れるモデルさんとかの凄さを実感させられたよ……

 

 

 

「で、でも白石さん背が高くてスラッとしてるので……この写真もい、いい感じですよ…!」

「本当にそう思ってる……?」

「……はいっ!」

 

 

 ちょっと返事まで間が空いた気がするけど、勘違いということにしとこう。せっかく高森さんが精一杯のフォローをしてくれたんだし。

 

 

 

「高森さんそれ貸してくれる?」

「カメラをですか?いいですよ?」

「ありがとう。……はいっ!高森さん可愛いポーズして!」

「えっ、えぇ…!?」

「3!2!1!はいっ!」

「あっ……あわわわっ…!」

 

 

 パシャッ…

 

 

 高森さんからカメラを受け取ってすぐにソレを構え、わざとらしく大きな声を出して高森さんを急かして写真を撮る。

 

 高森さんにやり返してみたけど……

さてさて……写真の方はどうなってるかな?

 

 

 

「……」ジ-

「急に言われるからびっくりしちゃいましまよ〜。もぅ……」

 

 

 頬を膨らませながら俺の方へと寄ってくる高森さんに反応することもなく写真を見つめる。

 

 その写真には咄嗟にポーズが思い浮かばなかったのか、俺にダメだと言ったピースをしながら困ったように笑う高森さんが映っている。

 

 

「あはは……いざやられると難しいですね。

白石さんにあんなこと言っておきながらピースしちゃいました。お恥ずかしいです……」

「い、いやいや……そんなことは…」

 

 

 

 高森さん本人は納得行ってないような様子で写真を見ているが………

 

 

 いや全然普通に可愛いんだよなぁ……!

 

 

 確かにポーズは普通のピースだけど、すっごく絵になってて可愛い。流石アイドル……もう俺なんかとは素材が違う…!

 

 さっきの俺のカッコいい(笑)ポーズの写真と比べると恥ずかしくてたまらない。俺のはカッコよくないけど、高森さんのはちゃんと可愛くなってるもん……

 

 

 

「どうかしましたか?」

「いや……ちょっと格の違いを思い知らされたというかなんというか……」

「……?」

 

 

 まぁ……アイドルなんだから顔が良いのは分かりきってたことなんだけどね。

 

 

 

「あ、そうだ、白石さんお腹空いてませんか?」

「えっ?そうだなぁ…ちょっと空いてるかも」

「でしたら、近くに私がよく行くカフェがあるので一緒に行きませんか?」

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 

 カランカラ-ン

 

 

 

「お好きな席へどうぞ」

 

 

 高森さんに連れられてカフェの扉を開くと、綺麗なベルの音と渋いイケオジ風のマスターがお出迎えしてくれた。

 

 

「俺あんまり詳しくはないんだけど……何かいい雰囲気の場所だね。落ち着くっていうか」

「ふふっ、私もお気に入りなんですよ」

 

 

 席に着いて店内を見回す。店内には年季の入ってそうな木のイスに木のテーブルやインテリアが設置されている。

 こじんまりとしていてどこかノスタルジックで温かみのある内装だ。

 

 

 

「ここのマフィンやスコーンは、毎日店主さんが手作りしているらしいんですよ」

「へ〜、それはすごいね……」

 

 

 

 ……す、スコーンって何だろ?

 

 

 普通に「へ〜」とか言っちゃったけど俺スコーンが何なのか知らないぞ……コーンだからとうもろこしが関係してるのかな? 地元ではそんな食べ物見たことないぞ…!

 

 高森さんにスコーンが何か聞くというのもアリだが……一応俺の方が年上なのに、それは何かダサい気がする…!

 

 

 

「白石さん、注文は決まりましたか?」

「えっ!?あ、あぁいや……高森さんは?」

「私は紅茶と……スコーンにしようかなって」

 

 

 

 出たなスコーン! 俺はさっきからスコーンについてどんな料理なのか考えてはいるが、皆目検討がつかない。

 

 気にはなる……気にはなるけど注文して好きじゃなかったら困る。

 

 まぁでも、店でメニューとして出されている物ならきっと美味しいんだろう。それなら……

 

 

「俺もその……スコーンにしようかな。あとはアイスコーヒーで」

 

 

 俺はこれまでの人生で見たことも聞いたこともない料理を注文する。

 基本的に俺は外食する時は冒険をせずに気に入った物を毎回食べるタイプなのだが、今日は自分の冒険心に素直に従ってみることにした。

 

 

 注文をしてからはしばらくの間、高森さんと何てことのない雑談を交わして料理を待つ。

 最近の仕事の話やら学校の話なんかをしているとあっという間に時間は過ぎ去った。

 

 

 

「お待たせいたしました」

「わぁ♪」

「こ、これがスコーンか……」

 

 

 運ばれてきたソレは……見た感じ普通の焼き菓子のようだ。分厚いクッキーみたいな感じ。同じ皿の上にはジャムやクリームが乗っているので、アレをつけながら食べるのだろうか。

 

 

「じゃあ、いただきます」

 

 

 俺は恐る恐るソレを口に運ぶ。まずは何もつけないで……

 

 

「……」モグモグ

 

 

 こ、これはっ……!

 

 

 ……これだけだとあんまり味しないな。モサモサとした食感に小麦の風味……やっぱり一緒についてきた物を乗っけて食べるんだろうな。

 

 とりあえずジャムを乗っけてもう一口……

 

 

「おぉ……」

 

 

 やっぱり……これだとちゃんと味がしてすっごく美味しいぞ。

 

 じゃあ次はこっちのクリームを……

 

 

 

「……」ジ-

「えっ……ど、どうかした?」

「あ、すみません。美味しそうに食べるな〜って思って……ふふっ」

「そ、そうかな?」

 

 

 が、がっつきすぎたか…?ちょっとみっともなかっただろうか……なんか恥ずかしいな。

 

 

 

「どうですか白石さん、初めてのスコーンは?」

「あぁうん、優しい味がしてすっごく食べやすい……ん?今、初めてって……」

「えっ?初めてなんですよね? スコーンを食べるの」

 

 

 な、何で俺が初めて食べるって……!?

 

 はっ…! ま、まさか……普通ではあり得ない変な食べ方とかしてたんだろうか!? やっぱりジャムとスコーンは別々に食べる物だったりとか……

 

 

「お、俺何か食べ方間違ってたかな…?」

「そんなことないですよ? さっき白石さん言ってたじゃないですか。これがスコーンか……って」

「え?」

「だから初めてなのかな〜って思ったんですよ」

 

 

 ま、マジかぁ……そんなことを口走っていたのか俺は……

 

 

「白石さん、顔が真っ赤ですよ?」

「えっ……あ、あはは……そ、そうかな〜?」

「ふふっ」

 

 

 はぁ……何かめっちゃ恥ずかしい。

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 

「「ごちそうさまでした」」

 

 

 色々あったが、スコーンは美味しく完食させてもらった。その後は飲み物を飲みながら、高森さんと雑談を交わした。

 

 スコーンも美味しかったけどアイスコーヒーも美味い。いいお店だ。

 

 

 

「じゃあそろそろ行きましょうか」

「そうだね」

 

 

 お腹も膨れたところで、俺たちは満足感を抱きながら店を後にした。

 

 

 

「すみません、ご馳走になっちゃって」

「いやいや、高森さんのおかげで美味しいスコーンを食べることができたんだからさ。気にしないでよ」

 

 

 こういう時にスッと女の子の分も、お会計をするのがデキる男だとどこかで聞いたことがある。

 流石に毎度毎度女の子とご飯を食べに行ってこれじゃあお金に困るけど、まぁこんな機会俺にとってそうそう無いだろうし全然構わない。

 

 

 

「じゃあそろそろ帰りましょうか」

「そうだね。今日はありがとう高森さん」

「い、いえいえっ…! お礼をされるようなことなんて」

「そんなことないよ。今日本当に予定なかったからさ、高森さんが誘ってくれたおかげで楽しい時間を過ごせたよ。だからありがとう」

「そ、そうですか…? なら……よかったです。ふふっ」

 

 

 最近はちょっと忙しかったけど……偶にはこういうゆっくりする時間も大切だよな。すごくいいリフレッシュになった気がする。

 

 

 

「よっしゃ、明日からまたバイトと大学頑張るぞ〜!」

「大学……?」

「ん?」

「あ、あぁっ……!白石さん大学生ですもんね! 18歳ですもんね!」

「……もしかして俺が年上だってこと忘れてた?」

「そ、そんなことはないですよ?あ、あはは」

「俺ってそんなに大学生っぽくないかな…?」

「あ、あの…! いい意味でですよ? いい意味であんまり年上の人って感じがしなくて……し、親しみやすいってことですから!」

 

 

 

「やっぱ年上っぽくないのか……」ズ-ン

「そ、そんなに落ち込まないでくださいよ〜!」

 

 

 そういえば前に渋谷さんにも言われたな……あんまり年上だと思ってないとか。朝も千川さんに軽く揶揄われたし……

 

 はぁ……大人の男になりたい。

 

 



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30話 大学生になったら自然と彼女できると思ってた

 

 

「好き!大好き!」

「俺もキミのことが好きだ! さぁ、俺の胸に飛び込んでこい!」

「え〜い!」

 

 

 俺は胸に飛び込んできたその子を受け止め、ギュッと抱きしめる。

 

 

「ねぇ……キスしてもいい?」

「おいおい、しょうがない奴だなぁ」

「だ、だって……もう我慢できないんだもん」

「可愛い奴め。さぁ来い…!」

 

 

 俺に抱きしめられている女の子が目を瞑って顔を近づけてくる。それに応えるように俺も目を瞑り受け止め体勢に入る。

 

 そして2人の距離はどんどんと縮まり、ついに唇が触れ……

 

 

 あぁ……なんて幸せなんだ。

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 

 

「いってぇぇぇ……っ!!」

 

 

 強烈な痛みと共に意識が覚醒する。あまりの痛みにベッドの上でもぞもぞと悶え苦しむ。

 

 

「あ、足がっ……く、くっそ……っ!」

 

 

 え、なにこれ……足めっちゃ痛い…! あ、これ攣ったのか!? 足攣ったのか!

 

 足の痛みの原因は判明した。しかし、だからといって痛みが和らぐ訳ではない。

 俺は起き上がることも出来ず苦痛にただただ耐え忍ぶ。

 

 

「って、さっきの女の子は……?」

 

 

 そうだ、足を攣ったとかどうでもいいんだよ。 さっきまで俺といちゃいちゃしてた可愛い女の子は?……あっ…

 

 目が覚めて痛みが少しずつ和らいできたことにより思考回路が整理される。冷静になった俺はようやく一つの結論に辿り着いた。

 

 

「……夢オチか〜い…」

 

 

 そう、あの幸せな光景は全て俺の夢の中での出来事だったのだ。俺が先ほどまで抱きしめていたはずの女の子は、俺がいつも愛用している枕にすり替わっている。

 

 

「しょーもな……はぁ」

 

 

 我ながらなんておめでたい夢を見ていたのだろうと少し恥ずかしくなった俺は、誰もいない部屋の中全体に響き渡るくらいの大きなため息を吐いた。

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 

 それから時間は過ぎ大学へと向かった俺は、一緒の講義を受講していた男友達2人と食堂で昼食を取っていた。

 

 

「白石、今日はなんか調子良さそうだな」

「えっ……そうかな?」

「さっきの講義の時もすげー集中してたじゃんかよ」

 

 

 あー……それは少し誤解されているな。

 

 実は講義に集中していたというよりは、今朝見た夢の内容を思い出していただけだ。

 

 今思い出しただけでも胸の中が温かくなる。ただの夢なのにあんなに胸が満たされる事があってもいいのだろうか。それだけあの夢の内容は俺にとって、充実感に幸福感など全てが至極の物だった。

 

 

 ………まぁ結局は全部夢なんだけどね!

 

 

 

「実は今日いい夢を見てね」

「夢?どんなやつ?」

「シークレット」

「なんだそりゃ」

 

 

 まぁ言えないよ。女の子といちゃいちゃする夢を見て講義中ずっと思い出に浸っていたとか。自分でも中々に痛いヤツだと思ってるし。

 

 でもそれだけ幸せな夢だったんだよなぁ。彼女がいるってあんな感じなのかな……いいよなぁ、現実に彼女がいる奴は実際にアレを味わえるんだもんなぁ……羨ま憎たらしい。

 

 

「っていうかお前は何さっきからスマホばっか見てんだよ」

「ん?あぁ……わりぃわりぃ」

 

 

 俺たちが会話をしている間にも、もう1人の友達はずっとスマホを眺めて何やらニヤニヤと笑っている。

 

 

「漫画でも読んでたの?」

「いや、ちょっと連絡をな……」

「誰とだよ」

「……彼女」

 

 

「「は、はぁっ!?」」

 

 

 えっ……今なんて? かっ、彼女とか聞こえた気がするんだけど。

 

 

「お前彼女できたのかよぉ!?」

「うん、数週間前から」

「おぉ〜! そりゃめでたいな! な、白石!」

「……彼女いる奴って実在したんだ」

「お前……何言ってんだ…? 大丈夫か……?」

 

 

 いやだって……ずっと男子校にいたからってのもあって、俺と仲良いような奴らは全然彼女とかいなかったし……

 

 

「ていうか、彼女なら俺もいるぞ?」

「……ゲームとかの話?」

「殴るぞ」

 

 

 

 こ、こいつ……彼女なら俺もいるぞって言ったのか? え、こいつら2人とも彼女いたんだ……

 

 えっ、ちょっと待って? ていうことは……

 

 

 友達→彼女持ち

 友達→彼女持ち

 俺 →彼女無し、童貞、非モテ

 

 

 

「うあぁぁぁぁぁぁぁっ…!」

「だ、大丈夫か白石!? そんな断末魔みたいな声出して…!」

「頭抱えて絶叫してるよ……余程ショックだったのか」

「お、お前ら……」

「うん?」

「どうした?」

「彼女いたのかよぉぉぉぉぉぉ…っ!」

「だからさっきからそう言ってるだろ!」

 

 

 だ、だって……こんなのあんまりじゃないか……あんまりにも無様じゃないかぁ……

 

 だってこいつら、俺が今日夢の中で得た幸福感を現実でも味わってるんだろ……? め、めちゃくちゃ羨ましい……!

 

 

「白石、目から血の涙とか出てきそうな勢いだな……」

「そんなに羨ましかったのか……」

「羨ましいに決まってるでしょ!?」クワッ

「わ、悪かったよ」

「やめて! 謝らないでぇ! 俺がもっと惨めになる!」

「めんどくさいなこいつ!」

 

 

 あー、ダメだ。あまりのショックで頭がぼーっとしてきたぞ……

 

 

「……彼女、いつからいるの……?」

「俺? 俺は高校の時からずっと付き合ってる子が……」

「め、めちゃくちゃいいじゃんかそういうの……っ!」

「な、何でだよ……」

「だって高校の時からずっととかさぁ!めちゃくちゃ純愛じゃん!そういうのすごくいい!」

「お、おう……さんきゅな」

 

 

 くそ〜っ! コイツめちゃくちゃ青春経験者じゃないかよ〜! 俺なんて高校に女子いなかったんだぞ!?

 

 

 

「はぁ……羨ましいよ…」

「写真見る?」

「……見る」

 

 

 こんなん見たら絶対にもっと羨ましくなるだけなのに……でもそれとは別に、気になるもんは気になってしまう。

 

 

「おぉ……この子が彼女なの…?」

「そうだよ」

「すごい可愛い子だね」

「だろ!」

 

 

 普通に可愛かった……ますます羨ましい……

 

 

「いいなぁ2人とも、まさか彼女がいたなんてさぁ」

「白石は?彼女とかつくんないの?」

「彼女のつくりかたなんて俺は知らないよ……」

「大学にいい感じの子とかいないの?」

「いないよ。そもそも女の子の知り合いなんて…いや、いることにはいるか……でも無理だなぁ。俺には高嶺の花すぎるよ」

「大学以外では?」

「それも知り合いならいるけど……高嶺の花すぎるなぁ」

「お前どんだけ高嶺の花とつるんでるんだよ」

 

 

 だって事実だしなぁ。俺の女の子の知り合いってバイト関連で知り合ったアイドルの子ばっかりだし……そりゃ高嶺の花でしょうよ。

 

 

「白石、彼女欲しいのか?」

「そりゃあ……まぁ、俺もそういうことには興味あるよ」

「彼女はいいぞ……祭りとかプールとかさぁ、クリスマスとかバレンタインとかめちゃくちゃ楽しいぞ〜」

「や、やめやめ! マウントやめい! くっそ羨ましくなっちゃうだろ!」

 

 

 あぁ〜! 俺も彼女と一緒にそういう楽しいイベントとか過ごしてみたい…っ!

 

 

「白石、見た目も悪くないし、中身は普通にいい奴なんだからさ……ちょっと勇気出せばすぐできると思うぞ?」

「か、簡単に言ってくれるね……」

「というかお前まずさ、今好きな子とかいんの?」

「好きな……子?」

 

 

 あれ、そういえばいない…… 彼女欲しいとかいう抽象的な願いは持っていたけど、具体的に誰と付き合いたいとか考えたことはないな。

 

 

 

「今は……いないな」

「じゃあまずはそっからだ! 好きな子、若しくはいいなぁって思う子を見つけて、そっからは猛アタックだ!」

「うわぁ……ハードル高いなぁ……」

 

 

 好きな子見つけて、仲良くなってアタックをして、告白して成功してようやく彼女ができる……本当にハードルが高いなぁ……

 

 

「まぁ確かに彼女つくるのも簡単じゃないけど、お前なら頑張れば絶対できるって」

「そうそう、頑張れよ白石」

「……ありがとう2人とも」

「よし!じゃあさっさと飯食って次の講義の教室行こうぜ!」

「うん!」

 

 

 そうして俺たち3人は、ハイスピードで昼食を胃袋の中にかき込んだのだった。

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 時刻は16:00ピッタリ。4時限の講義を終えた俺は、友達と別れ1人で家に帰ろうと大学の構内を歩いている。

 

 先ほどあんな話をしたからだろうか、大学の中でもカップルらしき人たちが歩いているのがよく目に入ってしまう。そういう人たちを見ていると、途端に1人で歩いている自分が寂しい奴なのではないかという気持ちが溢れてくる。

 

 

「はぁ……」

 

 

 もしかしてこの中で恋人いないの俺だけでは?……なんて言うあり得ない妄想に駆られながら、俺は1人歩き続けて帰宅した。

 

 

 

 

「はぁぁぁぁ………」

 

 

 家の中に入るなり今日1番のため息が漏れる。

 

 

「見せつけてくれちゃってさぁ……」

 

 

 大学の構内を抜けた後、街中でも今日はやけにカップルのような人たちを見かけた。

 こんな日に限ってあんなにカップルがいるなんて、神様の俺へのいやがらせだろうか……

 

 

 

 

「彼女かぁ……そりゃ俺だって欲しいとは思うけど…」

 

 

 ……俺にはとてもじゃないけど作れる気がしないよ 。

 

 こんな時アニメや漫画なら突然美少女が現れたりして、そのままなんやかんやあってラブロマンスが始まったりすることもあるだろうが、まぁ現実にそんなことはあり得ない。

 

 

 俺は1人悲しくカチカチとパソコンで『彼女、作り方』なんて言うまさに彼女ができない奴が調べるようなワードを検索する。

 

 

 カチッ

 

 

「えーっと……なになに?」

 

 

 マッチングアプリの紹介がめっちゃ出てくる……知りたいのはそういうことじゃないんだけどなぁ。

 

 

「自分を磨け、趣味を増やせ、女友達を増やせ……大体検索しなくても分かるようなことばっかだな」

 

 

 はぁ……やっぱネットで検索してポンポンといい案なんて出てくる訳ないよな。

 

 そもそも俺には女の友達なんて……

 

 

 ん?いや待てよ……今まで知り合ってきたアイドルの子たちって俺にとって女友達ということになるのだろうか?それなりに仲良くしてもらってる子もいるけど……

 

 いやいや、それこそ待てよ。友達じゃなくて仕事仲間に分類される可能性もあるよな。 向こうからしたら俺は友達じゃなくてタクシーの運ちゃん的な人かもしれないし……

 

 というかそもそも友達の境界線とは……?

何をしたら、どこから友達と呼べるようになるんだ? そもそも友達って……

 

 

「あぁ…! ダメだダメだ!」

 

 

 変なこと考えすぎて頭の中ぐっちゃぐちゃになってきた。こうなってはもうダメだ。一旦彼女欲しい問題から離れよう。

 

 

 ブ-! ブ-! ブ-!

 

 

「ん? 母さんからだ……」

 

 

 突然スマホが揺れ出したと思ったら、着信画面には母さんからの文字。

 

 珍しいな……どうしたんだろう。

 

 

「はいもしもしー」

『あ、お母さんだけど、今時間いい?』

「いいよー」

『まぁ大した用事がある訳でもないんだけどね、ちょっと声聞こうと思っただけ』

「何だよそれ。ははっ」

 

 

 まぁ……母さんなりに俺のことを心配して電話をかけてきてくれたのだろう。 ありがたいことだ。

 

 

『どうだい? 大学生活は順調?』

「まぁ、それなりに順調かな」

『それなりにって何よ〜! そこはハッキリと順調です!って言い切りなさい!』

「あはは……」

 

 

 画面の向こうから聞き慣れた母の大きな声が聞こえてくる。注意をされているはずなのにどこか安心してしまう声だ。

 

 

『そうだ!あんたそろそろ彼女でもできたのかい?』

「母さんまで彼女の話かよ……そんなの俺にいると思う?」

『だってアンタ東京行く前は大学で彼女つくるって言ってたじゃない』

「まぁ確かに彼女つくるのも目標ではあるけど……今はバイトが忙しいの!」

『じゃあバイト先にいい子とか』

「俺がバイト先は芸能事務所だって前に行ったでしょ?そんな子たちと付き合える訳ないじゃないか」

『あんたねぇ……男が最初っからそんな弱腰でどうすんのよ〜』

 

 

 うぅ、母さんのぐちぐち説教タイムが始まってしまった。こうなると結構長いんだよなぁ……母さん。

 

 

 〜10分後〜

 

 

『んまぁとにかく、ちゃんとご飯食べて勉強頑張りなさいね? 風邪には気をつけるんだよ?』

「わかりましたって」

『あと彼女できたらちゃんと紹介しなよ?』

「できたらね、できたら」

『じゃあそろそろ切るね。何かあったら連絡しなよ?お母さん、いつでもアンタのこと応援してるからね!』

「……ありがとう」

 

 

 プツッという電子音と共に母の声が聞こえなくなる。

 

 ……いかんいかん、最後の一言でちょっとジーンと来てしまった。 最後の最後でいいこと言うなんて言い逃げみたいでズルい。

 

 

 まぁでも……母さんにあんなこと言われちゃあな、もう少しだけ頑張ってみるか……

 

 

 

 カチッ カチッ カチッ

 

 

 おぉ! これは…!

 

 まさか……俺がモテないのはこれが原因だったのか? それなら……いけるかもしれないぞ!

 

 

 暗い部屋の中にはカチカチとしたクリック音と、俺の薄気味悪い笑い声だけが響いていた。

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 

「あら、おはようございます、白石く……えっ……!?」

「おはようございます、千川さん」

 

 

 後日、俺はいつも通りバイトをするために事務所へと向かい、事務室の中で何かのファイルと睨めっこをしている千川さんに挨拶をする。

 

 

「ど、どうしたんですか白石くん……いつもと様子が……」

「そうですか?……もしかして、ワルい男に見えちゃってますか?」

 

 

 そう、俺が昨日インターネットで見たのは、女の子は少しくらいワルい男に惹かれるというものだった。

 

 優しいだけじゃ物足りない。刺激のある日々を求めているとかなんとか……

 

 

 今日の俺は髪をワックスで固めてギッチギチに上げ、友達に貰った金のネックレスをつけて止めにサングラスをTシャツの胸元に引っかけている。

 

 どこからどう見ても危険な香りのする男。これで優しいだけの俺から一歩前進だ…!

 

 

「白石くん……」

「どうしました千川さん? 今の俺に迂闊に話しかけたら火傷します……」

「何を考えているのかよく分からないんですけど……似合っていませんよ?」

「え?」

 

 

 に、似合ってない…!? そんな馬鹿な!

 

 

「じょ、女性はこういう危険な香りのする男に惹かれるんじゃないですか!?」

「あ、あぁ〜 そういう……でも私個人としては……ナシですかね。あはは……」

「そ、そんなっ…!?」

 

 

 せ、せっかく慣れない格好してここまで来たというのに…!

 

 

「と、いう訳で……早くいつもの白石くんに戻ってきてください。その訳の分からないワックスも落としてきてくださいね?」ニコニコ

「えっ、でもこれめちゃくちゃ時間かかって……」

「何か言いましたか?」ニコニコ

「アッ...ハイ」

 

 

 胸の前で手を合わせてニコニコと笑う千川さん。

 

 何故だ……とても素敵な笑顔なのに妙な迫力と圧力を感じる。 逆らってはいけないと俺の本能が叫んでいる…!

 

 

「はい、駆け足♪」ニコッ

「は、はいっ…!」

  

 

 俺のちょいワル作戦は始まる前に終わりを告げられてしまった。

 

 はぁ……どうやら俺の彼女作りは前途多難のようだ。というか、やっぱ俺に彼女なんてできる日が来ないんじゃないだろうか?

 

 自信無くなってきた……

 

 

 





次回から渋谷凛ちゃん編になります


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渋谷凛編
接近


 
 今回から予告通り渋谷凛編です。

 ここまでの話で凛ちゃんの登場する主な回は4話、20話、26話です


 

 

「今日はいい天気だなぁ」

 

 

 季節は9月の中盤、天気は快晴。雲一つない晴れた青空の下、俺は少し蒸し暑い風を体に感じながら見慣れた道を歩く。

 

 

「そろそろ夏も終わりだな〜」

 

 

 今日はバイトもなければ大学もない。完全に自由な日ではあるのだが、俺はこうして街に出て特に目的もなくふらついている。

 

 もしかしたら高森さんの散歩趣味に感化されたのかもしれないな……ははっ。

 

 

「お、コンビニだ」

 

 

 これまた特に理由もなくコンビニに入る。なんとなく目についたから入ってみただけだけど、折角だしお菓子くらい買っていこうかな。

 

 そんなことを考えながらコンビニに入店すると、店員さんからの感情のこもっていない事務的な挨拶を受ける。

 そしてそのままお菓子が売っているエリアへ向かおうと、本棚の横を通り過ぎようとしたその時、とある雑誌が目に入った。

 

 

「あ、これって……」

 

 

 

 

 

 

 ………。

 

 

「お買い上げありっとうございやした〜」

 

 

 うん、まぁ買うよね! 正直言ってめちゃくちゃ見たいし!

 

 俺は店員さんの適当な挨拶を背中に受けながら、雑誌の入ったビニール袋を大事そうに抱えながらコンビニを後にする。

 

 何を購入したかと言えば、以前渋谷さん本人から情報を仕入れた、渋谷さんの水着グラビアが載っているとされる雑誌だ。

 

 スケベだのエロいだの何だかんだ言われてしまうかもしれないが、こればっかりは仕方のないことなのだ。

 

 だって見たいもんは見たいんだから。

 

 早く家に帰って読まねば(使命感)

 

 

 特にやることのない今日だったが、やることを見つけた今、急ぎ足で俺は街の中を駆け抜けていく。

 

 

「ふぅ……。よし、ここを通るか」

 

 

 家に帰る途中にそこそこ大きな公園があった。俺は近道をするためにその公園の敷地内を突っ切って行こうとしたその瞬間。

 

 

「あー! 危ない!」

「ん?……ぐぇっ!」

 

 

 突如飛んできたサッカーボールが俺の大事な部分に直撃した。

 大事な部分にダメージが入った時特有の、下腹部の痛みに襲われた俺はその場にうずくまる。

 

 

「おっ……ぉぉぉ……っ」ピクピク

「お、お兄さん大丈夫!?」

 

 

 俺の元に子どもが2、3人駆け寄ってくる。前に遊んだ仁奈ちゃんたちと同じくらいの年齢だろう。

 

 

「だ、大丈夫……だよ……は、ははっ」

「本当?」

「ほ、本当だとも。ほら、俺は大丈夫だから君たちは遊びに戻っておいで……」

「うん! お兄さんごめんなさい! それとありがとう!」

 

 

 子どもたちは俺にお辞儀をすると、向こうへと走っていきサッカーを再開した。

 

 悪いことをしたらちゃんと謝ることができる。いい子たちじゃないか。

 

 

「うっ……ぐぐっ」

 

 

 それにしても痛い。起き上がる気力すら全く起きないほどに下腹部が痛む。

 子どもの蹴ったサッカーボールが当たってこの痛みなら、よく漫画なんかで見る思いっきり股間を蹴り上げられるやつってどのくらいの痛みなんだろうか。

 

 ダメだ……想像したらなんか痛みが悪化してきたような……

 

 

「ねぇ、ちょっと」

「……えっ?」

「何してんの?こんなとこで」

「し、渋谷さん……」

 

 

 突然呼ばれたので声がする方へと顔を上げると、そこには膝を曲げてしゃがみ込み、俺のことを覗き込む渋谷さんの姿があった。

 

 こ、このアングルは……中々にまずい。って今はそんなこと気にしてる場合じゃないか。

 

 

 

「大丈夫? 生きてる?」

「し、死ぬ寸前……」

「顔色が悪いけど、何があったの?」

「そ、それは……」

 

 

 サッカーボールが股間を強打してきて、その痛みで悶絶してたんだ!……なんて言えない。すごく情けないじゃないか。

 

 

「……あ、アリを見てたんだ」

「ふざけてんの?」ギロッ

「す、すんません」

 

 

 ダメだ。渋谷さんめっちゃ睨んできたよ。これはもう正直に言うしかないのだろうか……

 

 

「じ、実は……」

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

「ふっ……ふふっ……」プルプル

「わ、笑い事じゃないんだぞ……あの痛みは男にとって」

「ご、ごめんごめん。まさかそんな理由で地面に突っ伏してたなんて思ってなくて」

「そ、そんな理由!?」

「あーもう、痛かったのはわかったから怒んないでよ。ふふっ……」

 

 

 あの後、公園にあるベンチに移動して渋谷さんに事情を説明した。

 

 そしたら渋谷さんは堪えきれないと言った様子でプルプルと震えながら笑い出してしまった。まったく酷い話だよ。

 

 

「何してたの?こんなとこで」

「何をしてたのかって聞かれると……何もしてない?」

「何でアンタが疑問系なのさ」

「いや本当に、特に何もしてないからね。強いていうなら今から家に帰ろうかと思ってたくらいかな」

「徘徊してたんだ」

「……散歩とかって言ってくれないかな?」

 

 

 特に中身のない会話を渋谷さんと交わす。遠くから聞こえてくる子ども達の遊び声と、生温かい風が心地良い。

 

 渋谷さんと話してるとこうなること多いんだよなぁ。何か落ち着くっていうか。

 

 

「この前さ……白石、私の家来たじゃん?」

「え?あぁ……そうだね」

「お母さんがさ、また連れてきなさいってうるさいんだよね」

「えっ、そうなんだ」

「次はカレーだけじゃなくて、もっと美味いもん食わせてやるって……何かはりきっちゃってさ」

「あははっ、渋谷さんのお母さんって結構面白い人だよね」

「アンタがいると……何か妙に嬉しそうなんだよね、キャピキャピしちゃってさ。……別にそんなんじゃないのにね」

「……?」

 

 

 あぁ、そういうことか。アレね、アレ。

友達を家に連れて行くと妙にお母さんが優しくなったりする現象か。お母さんあるあるだ。

 

 

「とにかくさ、お母さんがうるさいから今度一回だけでもいいからまた来てよ」

「いいの?」

「そりゃ……お母さんがいいって言ってるんだからさ」

「いや、渋谷さんはいいのかなって……俺がまた遊びに行っても」

「……わ、私は……」

 

 

 あ、変なこと聞いちゃったな。これで「私は嫌なんだけどね」とか言われたらめちゃくちゃショックだぞ……

 

 

「別に……アンタが家に来ても…いいけ……」

 

 

 

「あ! 危ない!」

 

 

「「えっ?」」

 

 

 突然大きな声がした。その声の方へと顔を向けるとサッカーボールが勢いよくこちらへと飛んできていた。

 

 やばい!これ渋谷さんの顔に当たる…!

 

 

「ふんっ…!」

 

 

 咄嗟の行動だった。考えてる暇なんてない。

 

 俺は腕をめいいっぱい伸ばして渋谷さんの顔の前に持っていく。

 

 ぼすっ…!と音を立ててサッカーボールが俺の手のひらに弾き飛ばされる。

 

 

「よしっ!って……うぉっ!」

「きゃっ…!」

 

 

 あ、やば……バランスが……

 

 

 無理に座ったまま体を伸ばしたせいでバランスを崩してそのまま倒れ込む。

 

 

「ってぇ……あ、渋谷さんごめん!だいじょう……ぶ…」

「……う、うん」

 

 

 なんてこった。

 

 バランスを崩した俺は、そのまま渋谷さんを下にしてベンチに倒れ込んでしまった。

 

 つまり簡単に言うと、ベンチの上で渋谷さんが仰向けに倒れて、その上に俺が覆い被さっている状態だ。

 

 

「……」

「……」

 

 

 驚いた様子で目を見開いている渋谷さんとバッチリ目が合う。この衝撃的な出来事に怯んでか、俺も渋谷さんも言葉が出ない。それどころか体が全く動かない。

 まるでここの公園の中だけ時が止まったようだった。

 

 自分の中で見慣れたつもりになっていた渋谷さんの顔を間近で観察する。

 

 シミや汚れなんて一切無い綺麗な肌。小さくてぷるぷるしてそうな艶やかな唇。俺のことをジッと見つめている碧色のキラキラと輝く大きな瞳。

 

 わかってはいた。わかってはいたけど改めて思う。本当に整った綺麗で可愛い顔だな…と。

 

 あ、額に汗をかいているのか少し髪が張り付いる……そりゃそうだよな、まだ9月で今日は少し暑いし。

 

 

 何て心の中で独り言を呟いていると、遂に渋谷さんが絞り出すように声を出した。

 

 

「ね、ねぇ……早く……どいてよ……」

「あっ」

 

 

 頬を赤く染めた渋谷さんがそう言う。

 

 うわ……なんだこれ。やばいぞ……これは。

 

 完全に語彙力が飛んでしまった状態で、頭の中で独り言を繰り返す。

 

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

 

 独り言を脳内で呟きながらゆっくりと体を起こそうとしたその瞬間、向こうのほうから数人の子ども達が走ってきた。

 恐らくさっきと同じく、あの子たちがサッカーをしていてこっちにボールが飛んできてしまったのだろう。

 

 

「ごめんなさい……って、お兄さんとお姉さん……何してるの?」

 

「えっ……あ、あぁっ!」バッ

「……ぁ」

 

 

 子どもに指摘されて、俺は渋谷さんの上から慌てて退く。

 

 

「ご、ごめんっ! 渋谷さん! い、痛くなかった…?」

「う、うん……平気……」

 

 

 渋谷さんに手を差し伸べて、そのままゆっくりと渋谷さんの体を起こす。

 

 渋谷さんの顔はまだ赤く、少しぼーっとしている様子だ。かくいう俺もまだ心臓がバクバク鳴って落ち着かない。多分顔も真っ赤だ。

 

 

「お兄さん、大丈夫?」

「あ、あぁうん! なんとか……け、怪我とかはなかったから……平気だよ」

「ごめんなさい。さっきも当てちゃったのに」

「……本当に大丈夫だよ。ちゃんと反省できて謝れるなんて偉いじゃないか」

「お、お兄さん……ありがとう!」

 

 

 子ども達は頭を下げて、手を振りながら離れて行く。

 

 

「……」チョイチョイ

「ん?どうかしたの?」

 

 

 1人だけその場に残った女の子が俺のズボンをクイクイと引っ張っている。

 

 

「お兄さん、お姉さん……場所と時間は考えた方がいいよ?」

「なっ!」

「っ……!」

「それじゃあね! 綺麗なお姉さんと優しいお兄さん!」

 

 

 爆弾級の一言を残して女の子はその場から走り去っていった。

 

 チラリと渋谷さんの顔を確認しようと視線を動かすと……

 

 

「っ……!」バッ

「うっ……」バッ

 

 

 またしてもバッチリと目が合ってしまった。俺と渋谷さんは勢いよく顔を横に向ける。

 

 

 ど、どうしよう……この空気感……

 

 渋谷さんは下向いてて表情が見えないし、俺は多分まだ顔真っ赤だし、心臓バクバクでうるさいし……

 

 

「ね、ねぇ……」「あのさ……」

「「あっ……」」

 

「そ、そっちから……」「渋谷さんから……」

 

 

 渋谷さんと俺の声が完全にシンクロする。あまりのシンクロ率に驚いた俺たちは、ポカンとした表情で顔を見合う。

 

 

「ふふっ」

「あ、あはは……」

 

 

 そんな様子があまりにもおかしくて、ついつい口からは笑い声が溢れ出した。

 

 ……思いがけずに、少しだけいつもの空気感に戻ったような気がした。

 

 

「じゃあ私から」

「うん」

「その……庇ってくれて、ありがとう」

「咄嗟に体が動いただけだよ」

「それでも、守ってくれたことに変わりはないよ。ありがとう」

「……うん、どういたしまして」

 

 

「じゃあ次は俺が」

「うん」

「さっきは……その、ごめんなさい。驚かせちゃっただろうし、痛くなかったかなって」

「いいよ。さっきも言ったけど、守ってくれたんだって……わかってるから」

「そっか」

「……うん」

 

 

 お互いがお互いの言いたいことを言い終えて、俺たちは再び口を閉じる。

 

 なんだかとってもむず痒い。

 

 

「と、とにかく!さっきのは……もういいからさ。変に意識されるとこっちが恥ずかしくなる」

「わ、わかったよ」

「はい、じゃあこの話は終わりね」

 

 

 ぱんっ! と渋谷さんが手を叩いて、強制的に話を終了させた。

 

 はぁ……なんか疲れたなぁ。主に心臓が。

 

 

 

「ねぇ、そこに落ちてるのってアンタのだよね?」

「えっ?……あ、本当だ」

 

 

 渋谷さんの視線の先には、俺がさっきコンビニで買った雑誌の入ったビニール袋があり、ベンチの下に落ちていた。

 さっきまでのゴタゴタでつい落としちゃったんだろうけど、全然気づかなかったな。

 

 

「よいしょ」

「あ! い、いいよ渋谷さん! 俺が自分で拾うからさ!」

「別にいいって、こんくらい……ふぅ、なにこれ?本……?」

「あ〜、うん……まぁそんな感じかな。じゃあ、拾ってくれてありがとう」

 

 

 渋谷さんに感謝しながら雑誌の入ったビニール袋へと手を伸ばす。

 しかし、俺の手はビニール袋を掴むことなく空を切る。渋谷さんが俺の手からビニール袋を守るようにして、自分の体の方へと引き寄せたのだ。

 

 

「……渋谷さん?」

「何か怪しいね」

「え?」

 

 

 渋谷さんはそう言ってニヤリと微笑むと、ビニール袋の中から雑誌を取り出した。

 

 ま、まずい……! 俺が渋谷さんの水着写真目当てで買ったことが本人にバレてしまう…!

 

 

「し、渋谷さん…! は、早くそれをこっちに返しなさい!」

「その慌てようが怪しいんだってば……って、ただの雑誌じゃん」

「そ、そうそう。ただの雑誌だからさ……早くこっちに……」

 

 

 渋谷さんは俺のことを一瞥すると、パラパラと雑誌のページを捲り始める。そしてあるページでピタリと止まった。

 

 

「……注目アイドル水着特集ページ」ボソッ

「うっ……」

「なるほどね、これが目的だったんだ」ジト-

「うぅっ……」

 

 

 渋谷さんがページをパラパラと捲りながら、俺の顔をジト目で睨みつける。

 

 やめてくれ渋谷さん。その冷ややかな視線は俺に効く。

 

 

「あっ、ウチのアイドルも結構載ってる……」

「………」ソロ-

 

 

 雑誌に視線をやる渋谷さんの後ろに、そろ〜っと回り込んで雑誌を覗き込む。

 

 すると丁度渋谷さんが開いていたページには及川雫、向井拓海と名前が表記されているアイドルの水着写真が載っていて、俺は思わず口から声が溢れ出る。

 

 

「うわっ、なんだこれ、すげーな〜……あっ」

「……」シラ-

「あ、あはは……」

 

 

 振り返った渋谷さんは、絶対零度の突き刺すような視線で俺のことを見ていた。

 あまりの迫力に俺は冷や汗を流しながら苦笑いをするだけで精一杯だ。

 

 

「ふーん」

「あ、あの〜……渋谷さん?」

「邪魔して悪かったね。後は家に帰って1人で満喫しなよ。じゃ」

「あ、ちょ、ちょっと!」

 

 

 や、やばいやばい! このままだと渋谷さんが超絶不機嫌のまま帰ってしまう……!

 

 ど、どうしよう……! な、何か声をかけないと……でも何て声をかければ……!

 

 あ〜! ダメだ何も思いつかない! って、そうこうしてる間に渋谷さんもう立ち上がっちゃってるよ〜!

 

 あ〜もうっ! 頭の中ぐっちゃぐちゃだ!

 

 

 

「ち、違うんだ渋谷さん!」

「……」ピタッ

「お、俺がこの雑誌を買ったのは……さ、さっきのページが目的じゃなくて!」

「……」

 

 

 

 

「し、渋谷さんの水着が見たかったんだよ!」

「………」ポカ-ン

 

 

 

「は、はぁっ!? あ、あんた…何言って…!」

 

 

「う、嘘じゃない…! この前渋谷さんからこの雑誌に水着写真が載るって聞いて…! それで偶々この雑誌を見つけて! と、とにかく、俺は渋谷さんの水着を見たくて!」

「っ……!」

 

 

 自分が何を口走っているのかもわからない。とにかく思いついた言葉を大声で、ストレートに渋谷さんにぶつける。

 

 何か声をかけなきゃ……と考えまくった結果、俺の頭はパンクしてオーバーヒートしてしまったようだ。

 

 

「え〜っと……その〜、とにかく俺は……んぐっ!」

「……こ、声が大きい……」

 

 

 いつの間にか俺の前にまで戻ってきていた渋谷さんが、背伸びをして俺の口を手で塞ぐ。

 

 その顔はとても真っ赤で、とにかく一旦落ち着けと俺に睨みを利かせている。

 

 

 

「……落ち着いた…?」

「……」コクコク

「はぁ……」

「渋谷さん、顔すごい赤いけど……大丈夫?」

「うるさい……アンタのせいでしょ」

 

 

 渋谷さんは再び俺に睨みを利かせると、さっきと同じベンチに腰をかけた。

 

 ……と、とりあえず渋谷さんを引き止めることには成功した……のかな?

 

 

「……で?」

「うん?」

「どういうこと?さっきの……ちゃんと説明してよ」

「あ、う〜ん……言わなきゃダメかな……?」

「早く」

「あっ、はい」

 

 

 俺は事情を包み隠さず全て説明した。

 

 以前、渋谷さんと話した時に聞いた情報を思い出して、水着姿の渋谷さんが載っている雑誌を購入したこと。

 他にどんなアイドルが載っているかなんて知らなかったことなど。

 

 

 冷静に考えると、本人を前にして「キミの水着写真が見たかったんだ!」と報告するなんてヤベーヤツにも程がある。

 

 きっと渋谷さんにも冷ややかな視線を浴びせられること必至だろう。

 

 

 

 

「はぁ……まぁ、何となくはわかったよ」

「う、うん」

「……お目当ては……わ、私だったってことでしょ?」

「はい……まぁ、その……そういうことになります。はい……」

「……エロ男」ボソッ

「うっ……!」

 

 

 ま、まぁ……その通りなんだけどさぁ。

 

 や、やっぱり怒ってるよなぁ……

 

 

 

「……もういいよ。顔上げなよ」

「えっ」

「別に怒ってないし……そんな萎縮した感じ出さないでって言ってんの」

「い、いいの?」

「だからそう言ってんじゃん。なに?もっと罵ってほしいの? それならもっと言ってもいいけど」

「そ、そんなことないよ! 俺にそんな趣味はないから!」

「じゃあシャキッとしなよ。本当に怒ったりとかしてないから」

「わ、わかったよ。ありがとう渋谷さん」

 

 

 奇跡だ。まさか許されるなんて。絶対にもっと気持ち悪がられるとか思ってたぞ。

 

 渋谷さんの寛大さに感謝だな。もしかしてアイドルになる為には心の広さとかも必要なんじゃないだろうか。だってウチの事務所にいるアイドルみんな心が広いし。

 

 

「どうしたの?」

「いや〜、渋谷さんは優しいなって。もしかして渋谷さんも天使やら女神の系譜なのかな?」

「は?頭大丈夫……?」ヒキッ

「ははっ」

「なんで嬉しそうなの……白石、アンタやっぱりそっちの趣味なんじゃ……」

「ち、違う違う! 俺はそんなへんな趣味を持った変態じゃないから」

「どうだか。ふふっ」

 

 

 まずいな。どうやら渋谷さんには本当に俺がMの者なんじゃないかと思われてるみたいだ。なんとかして誤解を解かないといけないよなぁ……

 

 

「でもどうやって……」ウ-ン

「ねぇ」

「え? あぁいや、俺は本当にそういう趣味じゃないから!」

「いつまでその話してんの。違うから」

「あ、そうですか……」

 

 

 どうやら渋谷さんは何か俺に言おうとしているようだ。さっきからそっぽを向きながら、髪の先を指でくるくるとしている。

 

 なんだろう……

 

 

 

「……白石さ、そんなに私の……み、水着とか見たいの…?」

「へっ!?」

「いいから!……こ、答えなよ」

 

 

 ど、どういうことだ……これは一体何の心理戦だ……?

 

 いやでも考えても仕方ないか。だってもうさっき言っちゃってるんだし。

 

 

「ま、まぁ……その為に雑誌買ったくらいですし……はい」

「ふふっ、自分で言っちゃうんだ」

「ま、まぁね……」

「今度はアンタが顔真っ赤だね。ふふっ」

「っ……!い、いや〜! きょ、今日はまだむ、蒸し暑いからかな〜! あはは……」

 

 

 渋谷さんが俺の顔を覗き込んで、目を細めてクスッと笑う。

 

 なんだか無性にドキッとして、それが恥ずかしくて、照れ隠しからかアホみたいに大声を出しながら手で顔をパタパタと仰ぐ。

 

 

 

「それでさ……さっきの話なんだけどさ」

「あ……う、うん」

「そんなに……水着見たいんだったらさ」

「っ……」ゴクリ

 

 

 

 

「今度さ……プールとかにでも……行く…?」

 

 

 

「えっ……えぇっ!?」

 

 

 

 どうやら俺の夏はまだ終わらないようだ。

 

 

 



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プールサイドは走るな

 

 

 

 ジリジリと鬱陶しい日差しが大地を照りつける。もう少しで10月になるというのに未だ涼しくなる気配すら感じることはできない。一体秋はどこに行ってしまったのだろう。

 

 

「……あっついな」

 

 

 駅前、俺は1人立ち尽くしながらポツリと呟いた。ジッとしているだけだというのに、額には少し汗が浮かんでいる。

 

 ただこの暑さは好都合だ。普段なら暑くて得することなんて滅多にないが、今日に限っては違う。

 

 そう、なぜならば……

 

 

 白石幸輝18歳、今日はこの後人生で初めて女の子と2人でプールに遊びに行くからです!

 

 

 そう、あれは遡ること数日前……公園での色々なハプニングの末に、渋谷さんからありがたいお誘いを受けたのがきっかけだ。

 

 何でプールに行く流れになったかって…?

正直なことを言うと俺もあまり覚えてはいない。とにかく色々とあったことは事実だけど。

 

 

「ふぅ……んんっ」

 

 

 緊張を解す目的で、息を吸って咳払いをする。女子と2人でプールに行くことになって緊張しない訳がない。

 ただそれでも、あの渋谷さんから遊びの誘い、しかもそれがプールのお誘いとあらば断る理由などこれっぽっちも存在しない。

 

 

「……楽しみだなぁ」

 

 

 っと、少し浮かれすぎてるかもしれないな。ここは一旦気持ちを落ち着かせる為に深呼吸をしよう。

 

 吸って〜、吐いて……吸って〜、吐いて……

 

 

 

「おまたせ」

「えっ? わ、わっ! 渋谷さん! おはよう!」

「おはよ。それより何で深呼吸なんか……」

「な、何でもない!何でもない!あはは……」

 

 

 突然、人影からひょっこりと渋谷さんが姿を現した。1人で深呼吸をするという奇行を見られてしまったが、なんとか勢いで誤魔化すことに成功した。

 

 俺は夏らしく涼しげな服を見に纏った渋谷さんに目をやる。

 

 流石渋谷さん……アイドルだけあってやっぱりオシャレな感じだな。いや、むしろ渋谷さんくらい見た目とスタイルが良ければ何を着ても似合ってしまうんじゃないだろうか?

 

 

 

「……」ウ-ム

「どうかした?」

「えっ!? あぁうん……な、何でもないよ!」

「そう?」

「そ、そんなことよりさ! し、渋谷さん……その服とっても似合ってるね」

「ふふっ、褒め慣れてないのバレバレ」

「ぐっ……で、でも本当に思ってるから!本心だからさ!」

「ふーん……ありがと」

 

 

 お礼を言った直後に、すぐ渋谷さんはそっぽを向いてしまう。

 でもその一瞬の間に見えた渋谷さんの顔が、少しだけ嬉しそうな顔をしていた様に見えたのは、俺の勘違いじゃなければ嬉しいなと思ったら……

 

 

「じゃあ早速行こうか」

「うん」

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 目的の大きなプールは都心から離れた少し田舎の広い土地に存在している。こんな時かっこよく車で送れたら良かったんだろうけど、残念ながら俺は免許こそ持っていれど車は持っていない。なので必然的に移動手段は電車になる。

 

 都心の近くの電車には人がそれなりにいたけど、田舎の方へ行くに連れて人の数は段々と減っていった。

 俺と渋谷さんは座席に座りながら、電車に揺られて目的地へと向かう。

 

 

「プールに行くのなんて久しぶりかも。撮影で海とかなら行ったけど」

「俺もそうだなぁ、最後に行ったのは高2の時かな。高3の時は受験勉強で忙しかったし」

「誰と行ったの?」

「高校の同級生だよ。もちろん男子校だったから全員男だけどね」

 

 

 懐かしいなぁ……華なんて全く無い集まりだったけど、あれはあれで楽しいもんだよな。

 

 

「そういえばあの時は友達の1人が、ナンパをしようとか言い出してさ」

「……ふーん」

「まぁ俺は1人も声かけることできなかったんだけどね。あはは……」

「白石らしいね。光景が目に浮かんでくるよ」

 

 

 まぁ俺は声をかけられなかったけど、声をかけた奴らも1人として成功してなかったんだけどね……悲しい記憶だ。

 

 

「今日はナンパなんかしたら引っ叩くからね」

「あははっ、俺にそんな度胸はないし、第一そんなことする必要がないよ。だって今日は渋谷さんが一緒なんだから」

「……」

「あれ、渋谷さん?」

「アンタって……女子に慣れてなかった癖に、そう言うこと結構平気で言うよね……」プイッ

「え?」

「もういいよ。はぁ……こっちが恥ずかしい」

 

 

 そう言うと渋谷さんは少し赤みがかった顔を、パタパタと手で扇いでいた。

 

 電車の中は冷房が効いてるのに暑いのかな?体調には気をつけておかないとな。

 

 

 

「渋谷さん、体調が悪くなったりしたら遠慮なく言ってね? 塩飴とか色々持ってきてるから!」

「えっ……あ、ありがとう…?」

 

 

 渋谷さんとのプールを楽しむ為に準備は万端だ。今日の俺は誰も止めることはできない。

 

 そんなことを話しているうちに、俺と渋谷さんの乗る電車は目的の駅へと到着したのだった。

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 駅に降りてそこから徒歩で15分程度、俺たちの目的とする巨大プール施設の全貌が見えてきた。

 

 元々楽しみではあったけど、実際にプールそのものを見ると胸の高まりを隠しきれない。   

 

 それは渋谷さんも同じようで、笑いながらプールを眺めている。とりあえず渋谷さんが楽しそうで良かった。

 

 

 

「チケット2枚ください。大人1つと高校生1つで」

「ふーん、白石大人料金なんだ」

「まぁ大体こういうとこって大学生は大人料金だからね」

「なんか生意気。ムカつく」

「理不尽!」

 

 

 受け付けでチケットを購入して、1枚を渋谷さんに手渡す。そして更衣室の前まで歩いたところで打ち合わせをする。

 

 

「じゃあ、更衣室を出たすぐそこで集合ってことでいい?」

「うん、わかった」

「それじゃ」

「ん」

 

 

 渋谷さんと一旦別れて男子更衣室へと入る。

 

 まぁ男の俺は今着ている服を脱いで、海パンを履くだけだからすぐに準備は完了しちゃうんだけどね。

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 男子更衣室を出た俺は渋谷さんがまだ出てきていないことを確認して、女子更衣室の出口がある近くの壁にもたれかかって渋谷さんを待つ。

 

 

「ふぅ〜っ……」

 

 

 大きく息を吐いて気持ちを落ち着かせる。

 

 ヤバいな……当然のことだけど、あと少しでみ、水着を着た渋谷さんが俺の目の前に現れる訳だよな。そしてそのままプールで遊ぶ訳だけども……俺の心臓もつかな。

 

 あ、あんまりジロジロ見ない方がいいよな……? その……む、胸とか。女の子はそういう視線に敏感だって聞くし、何より渋谷さんに嫌われたくないし……

 

 て、ていうか……まだ渋谷さんが出てきた訳でもないのに今からこんな緊張しててどうする! も、もっと年上らしく余裕を持った態度でだな……

 

 

「すぅ〜、はぁ〜……よしっ」

 

 

 ……覚悟完了。後はここでクールに渋谷さんを待とう。

 

 

 

「ごめん、待った?」

「あ、渋谷さん。全然待って……ない……よ」

「どうかした?」

「い、いや………その……」ポケ-

 

 

 俺の前に現れた水着姿の渋谷さんは……その、なんていうか一言で言うと……とても綺麗だった。

 

 渋谷さんが身に纏っているのはシンプルな黒いビキニだ。スラリと伸びた手足にキュッと引き締まったウエスト。そして水着ではそれが普通なんだろうけど、俺からすればかなり刺激的に感じる胸元……

 

 ちょ、直視できない……

 

 

「なにボーッとしてんの?」

「はっ! あぁ、いやその……み、水着……とっても似合ってるよ!」

「……ありがとう。まぁ普通の水着だけどね」

「ふ、普通だなんてとんでもない!渋谷さんの水着姿はスペシャルだよ!」

「スペシャルって……褒めてんの?それ」

「め、めちゃくちゃ褒めてるよ?」

「ふふっ、じゃあ早速行こっか」

 

 

 渋谷さんと並んでプールサイドを歩く。

 

 正直言うと心臓のバクバクがまったく治まっていない。このままだと楽しむ気持ちより緊張の方が勝ってしまいそうなので、切り替えてプールを楽しむようにしないと…!

 

 

「よし!じゃあ最初はどこに行こっか?」

「どうせなら全部のコーナーとアトラクションで遊びたいよね」

「うーん、でも全部は難しいんじゃない? ここかなり広いよ?」

「ダメ。遊ぶなら全力でやるよ。中途半端は性分じゃないから」

「し、渋谷さん……?」

 

 

 渋谷さんの目の奥には、静かながらも激しく炎がメラメラと燃え盛っているように見えた。

 

 渋谷さん、基本はクールだけどこういう一面もあるよね。熱いというか意外と子どもっぽいというか……まぁそんなとこもギャップがあって可愛いと思う。

 

 

「まずはさ、この波のプールに行かない?」

「うん! じゃあ行こう!」

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 その後、俺と渋谷さんは色んなプールやアトラクションで遊びまくった。

 

 波のプールでは予想外に強い波に呑まれ無様にひっくり返る俺を見て渋谷さんが笑って……

 

 凄く深いプールでは、それを知らずに勢いよく足から浸かって一瞬で頭の先まで沈んだ俺を見て渋谷さんが笑って……

 

 水上アスレチックでは障害物に足を取られた俺が頭から水面に落ちて、それを後ろから見ていた渋谷さんが笑って……

 

 空気を入れたボールの中に入って水面を転がるアトラクションでは、ボールの中で何度も無様に転げ回る俺を見て渋谷さんが爆笑して……

 

 

 あれ……? なんか俺さっきから醜態ばかり晒してない?

 

 

 

 そんなこんなで良い時間になったので、俺と渋谷さんは昼食を取るべくパラソルの刺さったテーブルの下で椅子に座り、フランクフルトと焼きそばを頬張っていた。

 

 

 

 

「はぁ……午前中だけですごい災難に見舞われた気がするよ」

「ふふっ、あんな行く先々で面白いこと起きるなんて……もはや才能だよ」

「褒めてる…?」

「どっちだと思う?」

「……バカにされてる」

「正解」

 

 

 渋谷さんはニコニコしながらストローに口をつけてドリンクを飲んでいる。

 

 ……まぁ、渋谷さんが楽しそうなので良しとしよう。

 

 

 

 

「ふぅ……ん?……はっっっっ!?!?」ガタッ

「えっ、どうかした?」

 

 

 な、なんということだ……と、ととととんでもないことに気がついてしまったぞ……

 

 俺の正面に座っている渋谷さん。そしてその渋谷さんの……渋谷さんの……

 

 

 む、胸の谷間の部分に……食べカスが落っこちている……っ!

 

 

 

「………」

「大丈夫? お腹でも痛いの?」

 

 

 こ、これは教えてあげるべきだよな……?ただの親切だし何も問題はないよな…!?

 

 いや待てよ、そんなことをしたら……俺がまるで渋谷さんの谷間を見ていたみたいじゃないか!? いやまぁ、実際に見たから気づいたという話ではあるんだけど……

 

 いや大丈夫だ。決してスケベな気持ちで見た訳じゃないんだ……何か付いていたから気になって視線を移しただけなんだから。そうだよ、だから指摘をしても何も問題はないっ!

 

 

「……渋谷さん」

「な、なに……?」

 

 

 俺は顔の前で手を重ねる碇ゲ◯ンドウみたいなポーズを取りながら、渋谷さんへと語りかける。

 

 

「……食べカスが落ちてるよ」

「えっ、どこ?」

「いや、だからさ……その」

「あ、本当だ……ありがと」

 

 

 

「……」

「……」

 

 

 

 

「え、まさかそれを伝えるかどうか迷ってたの?」

「……うん」

「べ、別に気にしなくていいのに……ていうかあんま気にされるとそっちの方が恥ずかしいしさ……」

「だ、だってさ……何かめっちゃ胸見てたみたいになるじゃん…?」

「女の子はそういう視線には敏感だから。ずっと見られてたら気づいてるよ」

「……そ、そうなんだ」

 

 

 何ソレ、女の子すごいな。 そんな能力を持ってるの?ニュータイプなのかな?

 

 

「アンタは基本的に話す時は顔を見てるタイプだから、ずっと体を見られてたら気づいて言ってるよ」

「へぇ〜……ん? 基本的にってことは……」

「まぁ、偶にチラッと……体に視線感じることは……あるけどさ」

「す、すんませんしたぁぁぁぁぁ!!」

 

 

 ま、まさか……最初に渋谷さんの水着姿を見た時に、ちょっとだけ胸元とかを見てしまったのが気づかれていたのか……?

 

 

「別にいいよ。水着なんだからさ、そういうこともあるって分かってるし」

「そ、そっか。ふぅ……よかった、俺が胸ばっか見てるスケベだと思われてるんじゃないかと思ったよ」

「いや、アンタがスケベなのは事実でしょ。

むっつりだし」

「えっ?」

 

 

「よし、じゃあそろそろ行こっか。次はあっちのスライダーゾーンにさ」

「あ、ちょっと待ってよ渋谷さん!」

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 今日来ているこのプールには、所謂ウォータースライダーが3つある。どれも巨大で見た目のインパクトは抜群だ。

 

 俺と渋谷さんはその内2つを滑り終えて、最後の3つ目になるスライダーの列に並んでいた。

 

 ちなみに渋谷さんは今サングラスをかけている。人混みの中ではこうして少しだけ変装をすれば案外バレることはないらしい。

 

 

 

「さっきのやつすごかったね〜」

「うん、すごいスピードでちょっとびっくりした」

「でも今並んでるこれが1番大きいね。ちょっと怖いくらいだよ」

「あれ?白石ビビってるの?」

「び、ビビってる訳ではないよ! ちょっと怖そうだなって思っただけだ!」

「それをビビってるって言うんだよ。ふふっ」

 

 

 渋谷さんと楽しく雑談を交わしているとあっという間に列は進み、すぐに1番上のスタート地点まで辿り着く。

 

 そしてスタート地点にいる係員のお姉さんが笑顔で話しかけてきた。

 

 

「はーい! お二人様ですね〜! あら、可愛い彼女さんと優しそうな彼氏さんですね〜!」

 

 

 いや彼氏じゃないですし、そこは俺もカッコいいとか言ってくれても良くないですか?

 

 

「では今からこのらぶらぶすらいだ〜♡の説明を致しますね〜」

 

「「はぁっ!?」」

 

 

 え……い、今なんて? 何か変な名前が聞こえた気がするんだけど……

 

 

「こちらのアトラクションは、男女ペアでのみのご参加となっております! 遊び方は簡単で2人でこちらのボートに乗って頂き、彼女さんは前に、そして彼氏さんは後ろから彼女さんを抱き抱える様にして滑っていただきま〜す!」

 

「「ちょ、ちょっと待ってください!」」

 

「どうかいたしましたか?」

 

 

 俺と渋谷さんの慌てた様な声が重なった。俺たちは必死に係員のお姉さんに向かって弁明をする。

 

 

「お、俺たち別に付き合ってるとかじゃないんで!」

「そ、そうです…!」

「だから抱きつくとかそういうのはナシで……ふ、普通でいいんで! 」

「う、うん…!」

 

 

「あ〜、なるほど……」

「わかってくれましたか!?」

 

 

「お互い素直になれない時期なんですね〜!大丈夫ですよ!そういう方たちはたくさんいますけど、このらぶらぶすらいだ〜♡に乗れば仲も急接近しますから!」

「話を聞かないな!このお姉さん!」

 

 

 い、いや流石にまずいって!こんな水着で密着とか……

 

 水着なんて実は8割裸だからね!? 俺なんか上半身に至っては普通に裸だからね!?

 

 

 

「はいは〜い、後が支えてますからね〜」グイグイ

「ちょ、ちょっと……」

「彼女さんは前に座って、ここを掴んでいてくださいね〜」

 

 

「それで彼氏くんは彼女さんの体に掴まって……落ちると危ないのでちゃんと掴まってくださいね〜」グググッ

「ちょ、ちょっと! って、力強いですねお姉さん!」

 

 

 俺と渋谷さんは背中を押されてボートの上に乗せられる。そしてお姉さんは俺の腕を掴み力づくで渋谷さんの腰を掴ませた。

 

 

 ガシッ!

 

 

「ひゃっ…!」

「あっ、ご、ごめん…!」

 

 

 ってか、渋谷さん腰ほっっっそ……!これ本当に同じ人間かよ!いやでも、ちゃんと柔らかくて……って! そんなこと考えてる場合じゃない!

 

 

「ちょっと白石っ……どこ触って…っ!」

「ま、マジですいませんっ…!!」

「んっ…! へ、変なとこ触ったら引っ叩くからね!」

「触らないから!」

 

 

「イチャイチャするのもほどほどに、それでは行ってらっしゃ〜い!」

 

 

 ドンッ!

 

 

 

「うぉぉぉぁぉぉぉ!!!」

「わっ……!」

 

 

 

 お姉さんは問答無用で俺たちの乗るボートを後ろからスライダーへと突き落とした。

 とんでもない角度で俺たちは急降下していき、恐怖と驚きからただただ大きな声を出す。

 

 

「ちょっ…! こ、これっ!スピード出すぎじゃ!? さっきまでのと全然ちがっ…!」

「ひゃっ…! ちょっ、も、揉ないでっ!」

「えっ!? あ、ごめっ……ぶはっ…!」

 

 

 水が凄い勢いで顔にぶつかって……! め、目に水がぁ…っ!

 

 

 

「って! 渋谷さん前!前!」

「えっ……うわっ…!」

 

 

 とてつもない角度で曲がる急カーブにボートと俺たちの体はぐわんぐわん激しく揺れる。

 

 め、めちゃくちゃだこのスライダー……!

 

 

「あっ……ご、ゴール…!」

「い、いやいや…! こんなスピードで突っ込んだら…!」

 

 

 やっとスライダーの終わりが見えた。激しい衝撃に備えて俺は咄嗟に渋谷さんの体を後ろから抱きしめる。

 

 

「「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」」

 

 

 ジャッッバァァァン!!と激しい音を立てながら、俺と渋谷さんとボートは勢いよく水面に放り出された。

 

 

 

 

 

「げほ……っ! し、死ぬかと思った……」

「はぁ……はぁ……」

 

 

 俺と渋谷さんはゾンビの様に重々しく水中から姿を現す。ぜーぜーと息を切らしながらお互いの姿を確認すると、髪がぐちゃぐちゃに乱れている。

 

 

「……は、はははっ」

「……ふっ、あははっ!」

 

 

 お互いに顔を合わせてると自然に笑い声が湧き出す。もう笑うしかないというやつだ。

 

 

「はぁ……すごかったね、これは……」

「うん、ちょっと想像以上だった」

 

 

 2人でゆっくりとプールサイドに上がる。

 すると俺たちの後ろに並んでいた人たちも凄い叫び声を上げながら落ちてきて、それを見て苦笑いを浮かべる。

 

 あー、めっちゃ耳に水入った。

 

 

 

「アンタ、私に言わなきゃいけないことがあるんじゃないの?」

「えっ?……あ、あぁっ! いや、さっきのは……と、とにかく体触っちゃってごめんなさい! でも一つだけ弁明させて頂くと、あれはお姉さんが……」

「ま、別に……いいけどさ」

 

 

 ゆ、許してくれた……渋谷さんの寛大な心に感謝だな。

 

 ていうかさっきまでは勢いがありすぎて冷静じゃなかったけど……冷静になって振り返ると凄いアトラクションだったな。

 

 な、なんか……今さらになってドキドキしてきたような……

 

 

 ピトッ…

 

 

「ひょわっ!? し、渋谷さんっ!?」

「アンタも触ったんだし、これでお相子でしょ」

「え、えぇ……」

「ていうか、変な声出さないでよ。ひょわ〜ってさ……ふふっ」

「そ、そんなに間抜けだった…?」

 

 

 渋谷さんは俺の体に手を伸ばして、お腹や胸板なんかをペタペタと触っている。

 

 ……な、なんだこの状況は。渋谷さんがめっちゃ俺の体触って……い、いかんいかん!心を無にしろ。こういう時は母さんを思い出せ……

 

 

「……硬いね」

 

 

 体の話です。

 

 

 

「……全然違うね、私と」

「そ、そうかな? 俺なんて特別ムキムキな方とかじゃないと思うけど……あっほら、向こうの人見てよ。めちゃくちゃムキムキだよ」

「ふふっ、もういいよ。ありがと」

「えっ……あ、そう?」

 

 

 渋谷さんの手が体から離れる。なんだかちょっと名残惜しい様な気もするけど……そんなことは言いっこなしだ。

 

 

「さて、じゃあ次はどこいこっか。まだまだ行ってないとこはあるからね」

「そうだなぁ……じゃあ次は……」

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 あれから数時間が経った。あの後も俺と渋谷さんは色んな場所を回ってたくさん泳ぎ遊んだ。

 こんなことを自分で言うのもなんだけど、渋谷さんもとても楽しんでくれたと思う。もちろん俺もめちゃくちゃ楽しかった。

 

 

 時刻は夕方の17:30頃、あんなに元気だった太陽も沈みかけて、世界はオレンジ色の綺麗な光で照らされている。

 

 俺は更衣室で水着から普段着への着替えを済ませて、渋谷さんが出てくるのを待っていた。

 

 

 

「お、ちょっと焼けたかな……」

「そんな変わってないよ」

「あ、渋谷さん」

「おまたせ」

 

 

 腕を見ながら独り言を呟くと、着替えを済ませた渋谷さんが更衣室から出てきて俺に声をかけた。

 

 

「じゃあ暗くなる前に帰ろうか」

「そうだね」

 

 

 俺と渋谷さんは駅に向かって歩き出す。楽しかった時間が終わりを告げるのはとても寂しいけど仕方がない。

 

 電車の中でも他愛のない雑談を交わした。プールで泳いだ後って異常に体が疲れるよね〜、とかそんな話だったと思う。

 

 電車の心地よい揺れに体を預けて、お互いにこくりこくりとウトウトしつつも、朝に待ち合わせをした駅へと辿り着く。

 

 

 

「到着〜!」

「お疲れ」

「うん、渋谷さんもお疲れ様」

 

 

 まぁ俺は肉体的には疲れてるけど、精神的な面ではすごく楽しかったしまだまだ元気だけど……

 

 

「渋谷さん、今日は誘ってくれてありがとう。すごい楽しかったよ!」

「うん、私も楽しかった」

「実を言うとさ、ちょっとだけ不安だったんだ。俺女の子と2人で遊びに行ったこととかないから大丈夫かなって……でもそんなこと全然気にならなかったよ」

 

 

 そう言うと渋谷さんはニコリと笑顔を浮かべてくれる。

 本当に楽しかった、渋谷さんと今日こうして出かけることができてよかった。

 

 

 

「じゃあ今日はここで解散にしよっか」

「え? 渋谷さんの家まで送るよ。そんなに遠くないし」

「いいよ。疲れてるでしょ? 本当に大丈夫だからさ」

「そ、そう…? 渋谷さんがそう言うなら……」

 

 

 本人がいいって言ってるのにあんまりしつこくしても鬱陶しいだろうしな。今日は本当にここで解散みたいだ。

 

 

「じゃあ行くね。また今度」

「あ、うん。またね渋谷さん」

「ん」

 

 

 そう言って微笑むと渋谷さんは俺に背を向けて歩き出した。俺はそんな渋谷さんの背中を見つめて今日1日を振り返る。

 

 

 本当に今日は楽しかったなぁ。まさか女の子と2人で遊びに行くなんて、数ヶ月前の俺に言っても信じてもらえないだろうな。

 

 今日の思い出は大事にしよう。こんな風に渋谷さんと一緒に出かけられる機会なんて多分もう無いだろうし……

 

 

 

「もう、無い……か」

 

 

 

 

 あれ、それは嫌だな……

 

 俺は漠然とそんな風に思った。渋谷さんと遊びにに出かけるのが今回限りになることが嫌だと思った。

 

 

 

 

 

 

 

「し、渋谷さん!」

「うわっ、ビックリした……どうしたの?」

「あ、あのさ」

 

 

 俺は渋谷さんを追いかけて行き、後ろから声をかけるとビックリした様子で目を見開いていた。

 

 

 

「ま、また今度……今日みたいに出かけることってできるかな?」

「え?」

「えーっと……その、俺今日は渋谷さんと一緒で本当に楽しくてさ! それなのに今回限りなのは嫌で……え、えっと……つまり……!」

 

 

 ダメだ……自分でも何を言いたいのか上手く頭の中でまとまらない。

 

 

 

「お、俺! また渋谷さんと今日みたいに出かけたいんだ!………だ、だめかな…?」

「………」

 

 

 い、勢いに任せて言ってしまったけど……これで嫌だとか言われたら俺立ち直れないかもしれないぞ。

 

 

「ふふっ」

「し、渋谷さん……?」

 

 

 

「次はアンタの方から誘ってね」

「えっ?」

「じゃあね。それとさ、今日楽しかったのは私も同じだから……」

「あ……うん、またね」

 

 

 

 渋谷さんはそう言ってまた俺に背を向けて歩き出した。

 

 い、今のは……オッケーってことだよね…?

 

 

 

「……あれ、何だこれ…?」

 

 

 うるさいほど胸がバクバクしている。胸の奥からジーンとした熱が溢れて体全体が熱くなる。

 

 今の俺の気持ちを表現するなら……めちゃくちゃ嬉しいって感じだ。

 

 

 

「……俺も帰るか」

 

 

 

 こうして俺と渋谷さんのお出かけは幕を閉じたのだった。

 

 

 



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side rin

 

 

 これは、凛と幸輝がプールに行く少し前の日の話。

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 

 

 

 ……思わず誘ってしまった。

 

 

 

「り〜ん〜? 今度の日曜なんだけどさ」

「え、なに?」

「ちょっと花の配達を頼みたくってさぁ」

「あ、ごめんお母さん。その日私出かけるから」

 

 

 お母さんから店の手伝いをお願いされる。こういったことはよくあるから慣れてるけど、その日はアイツと約束をしてしまったから手伝いはできない。

 

 

「あらそう?どこ行くんだい?」

「プール」

「お、いいじゃないかい。もうすぐ夏も終わりだからね〜」

「まぁね」

 

 

 お母さんは文句一つ言うことなくニコニコと笑う。お母さんは私に店の手伝いを頼むことはあるけど、基本的にはこんな風に私の事情を優先してくれる。

 

 

 

 はぁ、でもどうしよう。あ、アイツと2人でプールとか……

 

 しかも……

 

 

『へぇ〜……アンタ私の水着が見たいんだ? どうしてもって言うなら見せてあげなくもないけど? 』(※言ってません)

 

 

 うぅ〜っ! 何アレ! 何あの誘い方! なんかめちゃくちゃナルシストみたいじゃん私!

 

 

『うわ〜……なんか渋谷さんドヤ顔で誘ってきてんだけど……別に一緒にプールとか行きたくはないけど、断りづらいから行くかぁ』

 

 

 とか思われてたらどうしよう…… (※思ってません)

 

 

「はぁ……」

「どうしたのさ、ため息なんか吐いて」

「別に……」

「ふーん。あ、そうだ」

「なに?」

 

 

「プール、誰と行くの?」

 

 

「……」ビクッ

 

 

「学校の友達? それとも卯月ちゃんとか?」

 

 

 

 お母さんがそんなことを聞いてきた。……別に隠す理由なんて無いけど、ちょっと面倒なことになりそうだから隠しておこう。

 

 

「ま、まぁそんな感じ。友達だよ、友達」

「いや、だから誰なのよ?」

「……」

 

 

 なんだか今日のお母さんはしつこい……

 

 

「はっきりしないねぇ……あ、もしかして男と行くのかい? なーんて……」

「うぇっ……!?」ビクッ

「……え、マジ?」

 

 

 し、しまった……つい過剰な反応をしてしまった。

 

 

「ふーん、へぇ〜」ニヤニヤ

「な、なに…?」

「いやぁ〜? べっつにぃ〜?」ニヤニヤ

 

 

 お母さんは面白いことを見つけたと言わんばかりの顔だ。ニヤニヤとしててちょっとムカつく……

 

 

「あんな小さかった凛もオトコ連れてプールデートに行くようになったか〜」

「で、デートじゃないし……」

「男と2人でプールだなんて、少なからずとも良く思ってなきゃ行かないって〜 アンタもそのくらい分かってんでしょ」ツンツン

 

 

 不貞腐れた様にテーブルに突っ伏してスマホを弄っている私の背中に、上からお母さんがのしかかってくる。 暑いから退いてほしい……

 

 

「でも一体誰と行くのかな〜? 凛に今まで男友達なんて……あ、そういえば1人いるか〜

凛と仲の良い男の子が〜」ニヤニヤ

「……べ、別に……違うし」

「ふふっ、分かりやすすぎだっての。白石君と行くんでしょ?」

「……」

「真面目な話、保護者としてはアンタが誰と遊びに行くのかは把握しとかないとだからさ。もし何かあった時に何も知らないと困るだろ?」

 

 

 ……急にそんな真面目に真っ当なことを言われると私も正直に言うしかなくなる。お母さんはズルい。

 

 

「はぁ……そうだよ」

「へぇ〜、やっぱり白石くんかぁ〜」ニヤニヤ

「あ、あのさぁ……」

「おっと、わかったわかった。もうイジんないから怒んないでよ」

「……」ムスッ

 

 

 お母さんは私の体の上から退いて手をヒラヒラと振る。こうなると私ももう怒れない。やっぱりお母さんはズルい。

 

 

「ぶっちゃけた話さ、好きなのかい?」

「……そ、そんなんじゃない」

「本当に?」

「本当だよ」

 

 

 これは本当だ……と思う。別に白石のこと嫌いじゃないけど、そういう意味で……す、好きな訳じゃないし。

 

 

 

 

「……気にもなってないような男を2人きりでプールに誘うかねぇ……」ボソッ

「……? 何か言った?」

「別に〜」

 

 

 お母さんが何か言ったような気がするけど……あのはぐらかし方からして話すつもりはないらしい。

 

 

「凛、気合い入れなよ!」

「……?」

「ポカーン、じゃないよ! 男と2人でプールデート……つまりは!」

「だ、だからデートとかじゃ……!」

 

 

「水着で白石くんを脳殺するんだよ!」

「は、はぁっ!?」

 

 

 い、いきなり何を言ってるんだろうこの人は……の、脳殺とか……

 

 

「なんだいアンタ、本当にただ遊んで帰ってくるつもりだったのかい? これはチャンスなんだよ! 水着でアピールすんだよ!」

「だ、だから何度も言ってるけど! 別に白石とはそういうんじゃ……!」

「もうそういうのいいから!」

「え、えぇ……」

 

 

 有無を言わさぬ勢いとはまさにこのことだ。

 

 

「高校生になって大分女らしい体つきになってきたんだからさぁ、それを活かすんだよ!」

「お、オッサンみたいなこと言わないでよ」

「胸も……アンタこの前高校に入って、バストが80台に乗ったって喜んでたじゃないかい」

「な、なんでそれっ……!」

「凛のことならお母さんなんでも知ってるんだからね!」

 

 

 べ、別に胸のことで喜んでた訳じゃないし……身長が伸びてたからニヤニヤしてただけだから。ほ、本当に……っ!

 

 

 

「女子高生の水着姿見せちゃえば、健全な男子なんてイチコロよ!」

「べ、別に……」

「例えばこんな水着とかさ……」

 

 

 お母さんはそう言ってスマホで何かを調べて、その画面を私に見せてくる。

 

 

「ぶっ…! な、なにこれっ!?」

「何って水着よ」

「馬鹿じゃないの!? こ、こんなんっ! ほぼ紐じゃん!」

「でもこんくらいの方が……」

「ドン引きされるよ!」

「そう?」

 

 

 て、ていうか何コレ本当に紐じゃん。こんなの着てたら……み、見えちゃうじゃん。

 

 

「まぁ、水着は普通のでもいいか……後はスキンシップだね! さりげないボディタッチでドキドキさせるんだよ!」

「だ・か・ら! そういうのいいから! 私もう寝るね!」

「あっ、ちょっと待ちなさい、り〜んっ!」

 

 

 私は背中にかけられるお母さんの声を振り払うようにして、早足で階段を駆け上り自分の部屋のベッドにダイブする。

 

 

「……はぁ」

 

 

 別に……好きとか、デートとか……そういうんじゃないし。

 

 

 でも、アイツ……私の水着見たらどんな顔するかな?

 

 喜んでくれる? 褒めてくれる?

 

 

 

「ふふっ……」

 

 

 まぁアイツのことだし、顔赤くしてるのが1番想像できるかな……

 

 

「……って、私何考えて……」

 

 

 別に喜んでもらうためにプールに行く訳じゃないのに……

 

 でも、喜んでくれたら……ちょっとだけ嬉しいかも。

 

 

 

「っ〜〜!!」ボフッ!

 

 

 私は勢いよく枕に顔を埋める。

 

 

 あ〜もうっ! お母さんが変なこと言うせいで、変に意識しちゃうじゃん…!

 

 へ、変なこと考えてないで今日はもう寝ようっ! 寝ればこの変な気持ちもスッキリしてるはずだから。

 

 

「……おやすみなさい」

 

 

 そうして私はゆっくり目を閉じた。

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 

 それから数日が経って、プールに出かける日がやってきた。

 私は待ち合わせ時間10分前に到着するように、待ち合わせの駅までの道を歩く。

 

 

 今日も家を出る前にお母さんが色々とお節介を焼いてきた。

 相手と合流した時の一言目は〜とか、さりげなく私服をアピールするとか……まぁそれ以外にもたくさんアドバイスをもらった。

 

 

 でも私はそれらのアドバイスを実行するつもりはない。お母さんには悪いけど。

 

 

 変に取り繕ったりなんかしなくていい。自然体でいい。いつも通りの私でいい。

 

 

 待ち合わせ場所に近づくと、既にアイツは先に来ていた。そして何故か深く深く深呼吸をしている。

 

 ふふっ、緊張でもしてるのかな。

 

 

 私は足を進めて声をかける。いつもと同じテンション、いつも通りのトーンで。

 

 

「おまたせ」

 

 

 私はこれでいいんだ。

 



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肩こりは頭痛の元


 渋谷凛ちゃん編は6〜7話で完結の予定です。




 

 

 季節は10月、渋谷さんとプールに遊びに行ってから数日が経った。あれから一度も渋谷さんに会っていないが、俺は気がつけば頭の中で渋谷さんのことを考える日々を送っていた。

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 

「千川さん! さっき言ってた書類ここに置いておきますね」

「ありがとうございます、白石くん」

 

 

 今日の事務所は少し忙しいようで、千川さんをはじめ社員の皆さんは慌ただしく動き回っている。俺は大したことはできないけど、少しでも力になれるように一生懸命働こう。

 

 

「ファイルここに置いておきますね!」

「ありがとう!」

 

「これコピー終わりました!」

「ありがとう〜」

 

「千川さん、お茶どうぞ」

「ふぅ……ありがとうございます」

 

 

 

 少しも気が休まる暇もない!このバイト始めてから1番の忙しさかもしれない……

 

 

「白石くん、ちょっといいかな!?」

「あ、はい! 今行きます!」

 

 

 大きな声で名前を呼ばれる。どうやら忙しい時間はまだまだ続きそうだ……

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

「ふぅ……お疲れ様でした白石くん」

「いえいえ、俺なんかよりも千川さんの方がお疲れでしょう」

 

 

 ようやく仕事が落ち着いて一息をつける時が来た。俺は千川さんに再びお茶を淹れて休憩がてら雑談を交わす。

 

 

「白石くん、今日はもう上がっても大丈夫ですよ。頑張ってくれましたからね」

「そうですか?なら、お言葉に甘えて……」

「ふふっ……あ、そういえば白石くん。凛ちゃんと何かありましたか?」

「ふぇっ!? し、渋谷さんと!?」

「は、はい……すごい変な声出ましたね」

 

 

 な、何故ここで渋谷さんの名前が!? ビックリして萌えキャラみたいな声が出ちゃったじゃないか!

 

 

「なっ、ななななぜ! しっ、しししし渋谷さんの名前がががががが!?」

「ぶっ壊れたんですか? とりあえず落ち着いてください、白石くん」

「は、はい」

 

 

 い、いかんいかん……冷静になれ白石幸輝。千川さんが若干引いてるじゃないか。

 

 

 

「いえ、大したことじゃないんですけど、この前凛ちゃんが事務所に来た時私に聞いてきたんですよ」

「何をですか?」

「白石くんが事務所に来てるかどうかをですよ」

「俺が事務所にいるかどうかをですか?」

「はい、どうしてそんなことを聞くのかきいたら……別に、って言ってましたけど」

「そう……ですか」

 

 

 渋谷さんが千川さんにそんなことを聞いていたのか……どうしたんだろう?

 

 

「はい。それで白石くんと何かあったのかなと思ったんですけど……どうですか?」

「うーん、俺にも分かりませんね。特に用事とかもないはずなので」

「そうですか……あ、ちなみに凛ちゃん今日は事務所にいるので、せっかくだから会ってきたらどうですか?」

「え、渋谷さん今日いるんですか?」

「はい。今日はレッスンをしているはずですので」

 

 

 そっか、渋谷さん今日いるんだ。じゃあ会いに行ってみるか。

 

 

「わかりました。ならちょっと探してみます! 教えてくれてありがとうございました、千川さん!」

「はい♪ 今日はお疲れ様でした」

 

 

 俺は千川さんに一礼をして部屋を出る。そして急ぎ足で渋谷さんを探し出す。

 

 何だろう、別に急ごうと思ってる訳じゃないけど、自然と足が速く動いて仕方がない。

 まるで渋谷さんに会いたいが為に、体が勝手に動いてるみたいだ。

 

 どうやら俺は自分が思っているよりも遥かに、渋谷さんに会えることが嬉しいみたいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「それにしても、凛ちゃんは何故白石くんを探していたんでしょうかねぇ……」

 

「まさかただ会いたかっただけ……とか?

ふふっ、まさかそんな訳ないですよね」フフッ

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 

 渋谷さんを探す……そう息巻いて走り出したは良いものの、こんな広い事務所で何の情報も無しに渋谷さんを探すのは一苦労だ。

 

 どうにかして渋谷さんの居場所を……ん?ちょっと待てよ。

 

 

「普通に電話すればいいじゃないか」

 

 

 何で俺はそんなことに気が付かなかったんだろう。ちょっと焦りすぎて冷静じゃなかったみたいだ。

 

 まぁ今はとにかく渋谷さんに連絡をしよう。俺はスマホを取り出して、以前渋谷さんと交換した連絡先を探す。

 

 

「えーっと……渋谷さん、渋谷さん。あれ、どこだろう」

 

 

「私に何か用?」

「えっ?……うぉっ!?」

 

 

 突然後ろから声がする。その方へと振り返るとジャージ姿の渋谷さんが立っていた。

 

 何かこのパターン多い気がするけど、渋谷さんは急に現れて俺のことをビビらせる遊びでもやってるのかね……?

 

 

「び、びっくりしたよ渋谷さん……でも丁度良かった、渋谷さんのことを探してたんだよ」

「えっ、そうなんだ……何か慌ててたみたいだけど急ぎの用事?」

「いや全然急ぎとかじゃないよ。ただ、渋谷さんに早く会いたかったから急いで探してただけで……」

 

 

「……えっ!?」

「……ん?」

 

 

 あれ、ちょっと待て……今もしかしてめちゃくちゃ恥ずかしいこと言わなかったか俺?

 

 渋谷さんに早く会いたかったからって……

 

 

 う、うわぁ……めちゃくちゃクサいこと言ってるじゃんか……

 

 やばい、恥ずかしすぎて顔がすごく熱い。

 

 

「あ、あんた……何言って……っ」

「あーっ! ちょ、ちょっと待って! 今のナシ! 今のはちょっとした間違いというかなんというか……!」

 

 

 俺は何とか誤魔化そうと必死に手をブンブンと振り回す。すると渋谷さんはピタッと動きを止めて静かに言葉を発した。

 

 

「べ、別に……ナシにしなくて……いいから」

「あっ、そう……ですか…?」

「うん……」ギュッ

 

 

 渋谷さんは顔を赤くして下を向きながら、俺のシャツを弱々しく掴んでいる。

 

 

 な、何だこの空気ッ…! めちゃくちゃ照れくさいんだけど…!?

 

 な、何か話してこの変な空気感を打破しないと…!

 

 

 

「し、渋谷さんはジャージ着てるけど、レッスンでもしてたの!?」

「……あ、うん。さっきまでね」

「へ、へぇ〜! どんなレッスンしてたのか気になるな〜!」

「今日はマストレさんだったから……結構ハードなやつかな。体がもうバキバキ」

 

 

 渋谷さんは肩に手をやってグニグニと揉んでいる。どうやら本当に体を酷使してきたらしい。

 

 

「そ、それはそれは……お疲れ様です」

「まぁ、レッスンは楽しいからいいんだけどね。自分がレベルアップしてるのを感じ取ることができるし」

 

 

 そう言って渋谷さんは微笑む。

 

 何とかあの空気を打破することに成功したようだな……

 

 

 

「……誰かが肩でもマッサージしてくれると、ちょっと楽になるんだけど……」ボソッ

「あ、それならエステルームとか行ったらどうかな?」

「……」ジ-

「ど、どうしたの渋谷さん…?」

 

 

 渋谷さんは肩を触りながら俺の顔をジーッと見つめている。まるで何かを俺に伝えようとしているような……

 

 ……まさか?

 

 

「お、俺がマッサージしろってこと…?」

「うん」

「い、いやいやいや! 俺みたいな素人より絶対エステルームとか行ったほうがいいって!」

 

 

 俺なんて母さんの肩揉みとか肩たたきしかやったことないからね! 全然マッサージのやり方とか分かんないし……

 

 

「ダメ?」ジ-

「うっ……そ、そんな目で見られると……」

 

 

 いやまぁ、肩をマッサージする分には別に構わないんだけどね? 俺がやってちゃんと効果出るのかってとこが気がかりだよ。

 

 

「あのさ渋谷さん。俺としては別にマッサージしてもいいんだけどさ……」

「そう? じゃあ行こっか」

「ただやっぱり俺は素人だからさ、厳しいレッスンで疲れた渋谷さんの体にはプロの……って、あれ? 渋谷さん…?」

 

 

 キョロキョロと辺りを見渡すと、渋谷さんはスタスタと歩き始めていた。

 

 俺まだ喋ってたのに……

 

 

 そして歩き出した渋谷さんについて行くと、とある一つの部屋の前に到着する。

 

 

「仮眠室?」

「そ、自由に使っていい場所だから」

 

 

 渋谷さんはドアを開けると再びスタスタと歩き出して、仮眠室の中のベッドに腰をかけた。

 

 

「じゃ、よろしく」

「で、でもさ……渋谷さん、本当にいいの?」

「いいって言ってるでしょ」

 

 

「でもそれだと、渋谷さんの体に触ることになっちゃうけど……」

「だから気にしないって」

 

 

 お、俺が気にするんだけどなぁ……

 

 

「大体、そんなこと気にしてるけどさ……この前は直に触ってきたじゃん。それに比べたら服の上からなんて……」

「ぶーっ! こ、この前のアレは別に触りたくて触った訳じゃなくて…! 全部あのヘンテコなウォータースライダーが悪くて…!」

 

 

 あぁ……この前の光景と渋谷さんの肌の感触を思い出してしまう。

 

 冷静に振り返ると、とんでもないことを経験したんだな俺は。

 

 

「とにかく、私が気にしないって言ってるんだから大丈夫だってば」

「そ、そう……? じゃあ……わかったよ」

 

 

 俺は覚悟を決めて渋谷さんの後ろに立つ。そして渋谷さんの肩へと手を伸ばして掴むと、まずは優しく力を入れてマッサージを始めた……

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 

 

「り〜ん? どこいるんだ〜?」

 

 

 あたしの名前は神谷奈緒。今はちょっとした用事があって友達の加蓮と一緒に、友達の凛を探してる最中だ。

 

 

「奈緒〜、凛いた〜?」

「いや、まだ見つかってないぞ〜」

「おっかしいなぁ……今日はレッスンしに来てるって言ってたから、どっかにいるはずなんだけどなぁ〜」

「……あたし、ちょっとあっちの方探してくるよ」

 

 

 あたしは加蓮から離れて凛を探し始める。すると少し歩いたところで仮眠室の扉が視界に入ってきた。

 

 

「……まさかここで寝てたりして」

 

 

 もしかしたらレッスンで疲れた凛がここで休憩してるかもしれない。ほとんどあり得ない可能性だとは思うけど、一応確かめようとあたしは仮眠室の扉に近づいていった。

 

 そしたら……

 

 

『…じゃ……く』

 

 

「ん? 誰かいるのか?」

 

 

 部屋の中から話し声が聞こえてきて、なんとなくドアに耳を近づけて中の音を盗み聞きする。

 

 

『渋谷さん、本当にいいの?』

『いいっていってるでしょ』

 

 

「凛?それにもう1人の声は……白石さんか?」

 

 

 部屋の中からは凛と白石さんの声が聞こえてきた。2人がここで何をしているのかは分からないけど、とにかく凛がいるなら声をかけてしまおう。

 

 あたしがドアノブを握りしめて力を込めようとしたその瞬間……

 

 

『でも、それだと渋谷さんの体に触ることになるけど……』

『だからいいってば』

 

 

「……っ!?」

 

 

 か、体っ…!? 今何て言った……?

 

 白石さんが、凛の体に触るって言ったのか!?

い、 一体何をしてんだよ中で!?

 

 

『大体、そんなこと気にしてるけどさ……この前は直に触ってきたじゃん。それに比べたら服の上からなんて……』

 

 

 じ、直ァ…!? それに触っ…! あ、ああああの2人一体何をしてんだよっ!? 素肌に触れるとか……え、そういう関係なのか!?

 

 

 あたしはドアノブから手を離して、その場に屈んで耳を扉にくっつける。

 

 

『こ、こんな感じかな…?』

『んっ、遠慮しないで……力入れていいから』

 

 

「あ、あわわわわわっ……!」

 

 

 あ、アイツら一体こんな昼間っから何をしてんだよ…!? な、何って……そりゃあナニか?

 

 って! あたしも何考えてんだよ! 別に中で変なことしてると決まった訳じゃないだろっ!

 

 

 

「あれ? 奈緒何してるの? そんなヒソヒソと聞き耳立てて」

「か、加蓮…!? しーっ! しーっ…!」ヒソヒソ

「ん? だからどうしたのって」

「な、中に凛と白石さんがいるんだけど……と、とにかく聞いてくれ…!」ヒソヒソ

 

 

 後ろから加蓮がやってきて不思議そうにあたしのことを見つめる。確かに今のあたしは他所から見たら不審者かもしれないけどさ…!

 

 

「なに? なんなの?」

「り、凛と白石さんが中で変なことしてるかもしれないんだよ…!」

「えー? そんな訳ないじゃん」

「いいから早く聞いてみてくれ…!」

 

 

 いまいち納得のいってないような様子の加蓮だったけど、渋々その場に屈み、ドアに耳を近づけて盗み聞きを開始する。

 

 

 

『どうかな? 気持ちいい…?』

『んっ、もうちょっと……強くしてもいいよ』

『え、でも痛くない?』

『心配……しすぎだって、平気だから』

 

 

 

 部屋の中から2人の声が聞こえてくる。それを聞いた加蓮は目を見開いて固まっている。

 

 

 

「……ま、マジなの…?」

「な、な! だから言っただろ…!?」

「いや、だってまさか……ここ事務所だよ?

それにまだ昼間なのに……ていうかあの2人ってそういう関係だったの…!?」ヒソヒソ

「あ、あたしも知らねぇよ…!」ヒソヒソ

 

 

 流石の加蓮も慌てた様子を見せている。でもそれも無理のないことだ。

 

 だ、だって……親友の凛が、この扉の向こうで……へ、変なコトを……それも白石さんと…!

 

 

 

『じゃあ……こんくらいかな…?』

『だからそんな心配……しないでよ……こういうのってちょっと痛いくらいが気持ちいいんだしさ……んっ』

 

 

 

「痛いくらいが気持ちいいんだってさ……」

「し、知らねぇよ…! そんなのあたしに報告しなくていい!」

 

 

 ……でもあたしは痛いのは嫌だな。

 

 ってぇ! な、何を考えてんだよあたしって奴はぁぁぁぁ!?

 

 

 

 

『ちょっとコツを掴んだかもしれない、こんなのはどう?』

『あ、それ……いいかも。気持ちいい……』

 

 

 

 

「白石さんコツ掴んだってさ……あと凛も気持ちいいって…!」

「だから! そんなのあたしに報告せんでいい!」

 

 

 うぅ……ど、どうするっ…? このままここでずっと盗み聞きしてる訳にはいかないし……

 

 で、でも中に入って……あんなことやこんなことになってたら……うぅ〜っ! どうすればいいんだぁ…!?

 

 

 

『アンタ……結構上手じゃん。 色んな人にやってたりするの?』

『いや? 母さんくらいかな』

 

 

 

 お、お母さんっ!? 自分の!? そ、それはまずいだろ白石さん!

 

 

 

『そういえば……奈緒もこの前から肩が重いって言ってたなぁ。奈緒にもやってあげなよ』

『えー? まぁ神谷さんがしてもいいって言うんなら……』

 

 

 

 い、いい訳あるかぁ〜〜っ!!!

 

 

 わ、私のこと勝手に売るなよ凛! ていうかお前はそれでいいのかぁ!?

 

 そんなホイホイ他の女とするような男に身を任せていいのかよぉ!?

 

 

 

 あぁ……もうっ! こんなのダメだ! 私がビシッと言ってやらなきゃ…!

 

 

 

 我慢の限界が訪れたあたしは、ドアノブに手をかけて勢いよく引いて部屋の中にへと突入していった。

 

 

 

 ガチャ

 

 

 

「お、お前らぁぁ!! こんなとこで何やってんだよぉぉ!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 

 最初は渋谷さんの体に触れることについて少し思うとこもあったけど、慣れてみれば別に何も思わない。俺はただ肩をマッサージしているだけだ。

 

 それに渋谷さんも気持ち良さそうにしてくれているし、何か嬉しいなぁ。

 

 

 

 ガチャ

 

 

 ん?誰か入ってき……

 

 

 

「お、お前らぁぁ!! こんなとこで何やってんだよぉぉ!!!!!」

 

 

「えっ、神谷さん?」

「あ、奈緒……?」

 

 

 突然……勢いよく仮眠室の扉が開いたこと思えば、顔を真っ赤にした神谷さんが修羅のような顔をしながら部屋に殴り込んできた。

 

 な、何であんなに怒っているんだ…!?

 

 

 

「お、お前らなぁ!? こんな昼間っから、皆が使う公共の場所で何を!……何を……何を……何を……何をしてるんだ……?」ポカ-ン

 

「えっ、何って……渋谷さんの肩をマッサージしてるんだけど」

「見れば分かるでしょ?」

 

 

 この状態を見れば、俺が渋谷さんの肩を揉んでいることなんて一目瞭然だろう。

 

 一体神谷さんは何に対してあんなに怒っているんだ?

 

 

「あ〜! 凛ったら肩マッサージしてもらってる〜! いいなぁ……ねぇ、白石さん! 今度あたしにもマッサージしてよ〜」

「あ、北条さんもいたんだ」

 

 

 神谷さんに続いて、ニコニコと笑う北条さんも部屋の中に入ってきた。

 

 

「か、加蓮……? これってどういう……」

「どうもこうも、凛の肩を白石さんがマッサージしてるだけでしょ?」

「え……? だ、だって……」

「まぁ、あたしは気づいてたけどね〜。奈緒の反応が面白いから付き合ってただけで」

「うぇっ…!?」

 

 

 ケロッとした様子で語る北条さんと、口をパクパクさせて言葉にならない声を出している神谷さん。

 

 俺は2人が何を話しているのかまったく分からずに、ただ眺めていることしかできない。

 

 

 

「ていうか途中で凛、普通に肩がどうとか言ってたし。あと普通お母さんの話の辺りで気づくでしょ?」

「えぇっ…!?」

「奈緒ってば本当にここで凛と白石さんが、そういうコトしてると思ってたの? 奈緒はえっちだな〜♡」ニヤニヤ

「あ、あぅ……うぅっ」プルプル

 

 

「か、神谷さん大丈夫……?」

 

 

 神谷さんは本物のリンゴくらい顔を真っ赤にして小刻みにプルプルと震えている。

 

 なんか目尻には涙が溜まってるし、心なしか頭から湯気が出てるような気もするんだけど……大丈夫か…?

 

 

 

「だ、だって2人が……体に触るとか……気持ちいいかとか……痛くないかとか言ってたから……か、勘違いくらいしちゃうだろっ!?」

「普通しないよ〜? 奈緒がえっちだからそんな発想になるんじゃない?」

「う、うわぁぁぁ〜んっ!」ダッ

 

 

 

 神谷さんは我慢の限界といった様子で部屋から飛び出して行った。

 

 えっちとかなんとか言ってたけど……本当に何の話だったんだ…?

 

 

 

「あ、奈緒行っちゃった。ちょっとイジりすぎたかな〜?」

「北条さん、神谷さんは何で怒ってたの?」

「ん〜? 何か白石さんと凛がここで変なコトしてるんじゃないかって勘違いしちゃったみたい」

「変なコトって…?」

「……ま、まぁその話はまた今度ってことでさ。それじゃあお二人さん、またね〜♪」

「あっ、北条さんっ!」

 

 

 北条さんは俺たちに可愛らしいウインクをかまして部屋から出て行く。恐らく神谷さんのことを追いかけに行ったのだろう。

 

 仮眠室の中には事態が飲み込めずに、ポカンとしている俺が残された。

 

 

 

「な、何だったんだろうね……」

「……」

 

 

 本当に何だったんだろう……嵐みたいに去っていったなぁ。

 

 まぁ考えてもわからない事は仕方がない。俺はとりあえずマッサージを再開しようとすると、渋谷さんは顔を赤く染めて何やらブツブツと喋っていた。

 

 

 

 

「な、奈緒のバカ……そんなことする訳ないじゃん……」ボソッ

「え、渋谷さん何か言った?」

「何でもない」プイッ

 

「あ!もしかして神谷さんが何を勘違いしたのか分かってるの!? 教えてくれない?」

「う、うっさい! 別に何でもいいでしょ!」

「でもすごい気になるんだけど……」

「そ、それ以上聞いたらセクハラだからね!」

「なんでぇっ!?」

 

 

 そのあとしばらくの間、渋谷さんに神谷さんは何を勘違いしたのか聞いてみたけど、結局教えてくれることはなかった……

 

 

 



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嫉妬と自覚

 11月、すっかり夏のような暑さは消え去り、冷えた風が紅葉した落ち葉を揺らす。

 

 俺はそんな冷えた風を体に浴びながら事務所の敷地内で1人立ち尽くす。

 今日はどちらかと言えば寒い寄りではあるけど、暑すぎもなく寒すぎることもない。高森さん的に言えば散歩日和になるだろう。

 

 

 しかし、そんな気持ちのいい天候とは裏腹に俺はモヤモヤとした思いを抱えていた。

 

 

 その理由は1つ。最近、渋谷さんに彼氏のように仲の良い男がいるらしい……という話を本田さんに聞かされたからだ。

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 〜遡ること1時間程前〜

 

 

 

 

「なんか最近さぁ、しぶりんに男の影を感じるんだよね〜」

「えっ……ま、マジで…?」

「マジマジ。未央ちゃんの女の勘によると好きな男でもできたのか、もう既に彼氏がいるのか……どっちかって感じ!」

 

 

 渋谷さんに……男の影…!?

 

 それはバイトを終えて事務所の敷地内を歩いてた時に、偶然にも遭遇した本田さんから落とされた特大級の爆弾だった。

 

 俺は思わず手に持っていたスマホを地面に落とす。

 

 

 

「ち、ちなみに、何でそう思ったのかな…?」

「んー? だって最近スマホ眺めてる時に乙女の顔してる時あるし」

「お、乙女の顔…?」

「それに、しぶりんが今度出かけるって言ってたからさ? 誰と行くの〜? って聞いたら、顔を赤くして内緒だって言ってたし」

「……ま、マジか」

「これって絶対に相手は男の人だと思うんだよね〜」

 

 

 ぐっ…! まさか渋谷さんにそこまで親しい男性がいたなんて……

 

 どんな人だろう。同級生のイケメン男子…?それとも年上の包容力溢れる男…?

 

 うぅ……何だろう。渋谷さんがそんな奴らと仲良くしている姿を想像すると、形容し難い感情が胸の奥から溢れ出てきた気がする。

 

 

 

「しらしーどうしたの? そんな、真夏に間違えてあったか〜い飲み物を買っちゃった時の絶望感……みたいな顔して」

「最悪じゃんそれ……ていうか俺そんな絶望的な顔してた?」

「うん。魂が抜けたみたいな顔してたよ」

 

 

 俺、そんなわかりやすくガッカリしてる顔になってたのかな…?

 本田さんはそんな俺に対して、心配そうな眼差しを向けてくれている。優しいなぁ……

 

 

 

「ねぇ、しらしーってもしかして、しぶりんのこと……」

「ん?」

「……いや、やっぱ何でもない!」

 

 

 本田さんが何かを言いかけたけど、口に出す寸前の所でそれを飲み込んだ。

 

 

「よしっ! それじゃあしらしーの為に、未央ちゃんが調査してきてあげるよ!」

「え、調査?」

「私がしぶりんの周りに潜む男の影を明かしてみせるよ!」ドンッ

「お、おぉっ…!」

 

 

 本田さんは、私に任せろと言わんばかりの勢いで強く自分の胸を叩いた。

 

 その瞬間、俺には本田さんが女神に見えた。慈愛に満ちた心優しき女神様だ。

 

 

 

「じゃあ、ちょっとしぶりんのとこ行ってくるから待ってて!」

「よ、よろしくお願いしますっ…!」

 

 

 勢いよく走り出した本田さんに向かって、俺も勢いよく一礼をして見送った。

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 

 と、そんな訳で冒頭の状態に至る。

 

 俺はそわそわと落ち着かない様子で、緊張しながら本田さんの帰りを待っている。具体的にどのくらい緊張しているかと言うと、受験の合格発表10分前くらいだ。

 

 

「本田さん……早く帰ってこないかな」

 

 

 俺は誰にも聞こえないような声でポツリと呟いた。

 

 早く帰ってきてくれないと……緊張と不安でどうにかなりそうだ。具体的に言うと、口から心臓が飛び出してきそうだ……

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 

「やっほ〜! しぶりん!」

「あ、未央。おはよう」

 

 

 しらしーと別れてから数十分後、ようやくベンチに座って休憩しているしぶりんを発見!

 

 丁度いいから私も横に座って事情聴取させてもらうとしますか〜

 

 

 

「しぶりんはこれからレッスン?」

「うん。未央は?」

「私はもう終わったよ〜! 今日はもう何もないんだ〜」

「そっか」

 

 

 さてさて、どう切り込んでいこうか。まさかいきなり「彼氏いる?」なんて聞く訳にもいかないし……

 

 

「ね、ねぇしぶりん! 最近何か良いことあった?」

「えっ? 急にどうしたの?」

「へっ!?あ、あーいや……さ、最近しぶりん何だか楽しそうだな〜って思ってさ!」

「そうかな? いつも通りだと思うけど」

 

 

 しぶりんは首を傾げて不思議そうに私を見つめてくる。

 

 ち、違う……こうじゃない。 こんな聞き方しても肝心なことは何も聞き出せない!

 

 

「わ、私の学校の友達がさ〜? 最近彼氏が出来たとかでいっつも幸せそうなんだよね〜!」

「それはおめでたいね」

「で、でしょ〜? そ、それでさ! やっぱり私も1人の女子高生としては、そういう青春が少し羨ましかったりする訳でさ〜! し、しぶりんはどう? そういうのに憧れたりする!?」

 

 

 ……ちょ、ちょっと話の持っていき方が無理やりだったかな?

 しぶりん黙っちゃったし、怪しまれてたりしなければいいけど……

 

 

「私は……よく分かんないかな。ていうかアイドルやってるし」

「で、でも恋愛が禁止されてる訳じゃないじゃん!?」

「それはそうだけど……ていうか未央、さっきから何か変じゃない?」ジト-

「ふぁっ!?」

 

 

 し、しぶりんめっちゃ睨んでる! やばいよやばいよ! 流石にいきなり恋愛方面の話をするのはまずかったかも……だって普段はそんな話しないもんなぁ。

 

 

「あ、あはは〜! な、何でもない!何でもないよ〜!」

「ふーん……」

「うっ……」

 

 

 だ、ダメだ…めちゃくちゃ怪しまれてるよ!

これはもうこれ以上話を聞くのは難しいかも……あれ?

 

 

「未央? どうかしたの?」

「あ、ごめんしぶりん。ちょっとメールが来て……」

 

 

 ポケットからスマホを取り出して画面を覗く。するとそこには「しらしー」と登録された名前からの通知が……

 

 

 

しらしー: 『本田さん、まだでしか?』

 

 

 

「ぶふっ!」

「え、み、未央……? どうしたの?」

「ご、ごめん……何でもないから……」

 

 

 

 し、しらしー焦って誤字ってるよ! 思わず笑っちゃったじゃん!

 

 文面はそっけないけどしらしーの焦りはかなり伝わってくる内容だったから、なるべく早く戻ってあげないと……

 

 

 

「誰から?」

「あ、うん……ちょっとしらしーからね」

「……ふーん」

「ん? どうかした?」

「アイツとこんな風によくやり取りしてるの?」

「えっ?」

 

 

 あれ? なんだろう、しぶりんの雰囲気がちょっと変わったような……心なしか冷ややかな空気感になったような気がするんだけど……

 

 

 

「い、いやいや……別に普段からそんなやり取りしてる訳じゃないんだけど、今はちょっとね?」

「ふーん」

「あ、実はさっきまで2人で会っててさ!その時の話の続きというかなんというか……」

「2人で?……ふーん」

 

 

 あ、あわわわ……! 何かしぶりんが怖いよぉ〜! 声は小さいけどすっごい圧を感じる……

 

 

 ピコン! ピコン! ピコン!

 

 

「あっ……」

「スマホ、鳴ってるけど?」

「そ、そうだね〜……」

 

 

 しぶりんに促されて恐る恐るスマホの画面を確認すると、そこにはしらしーからの怒涛のメールが……

 

 

 

しらしー:『本田さん、早く戻ってきてほしい』

 

しらしー:『すごいドキドキしてる』

 

しらしー:『心臓が爆発しそう、口から心臓飛び出しそう』

 

 

 

 んもぉぉぉぉぉぉ!! 今はそんな場合じゃないってのに〜!

 というかしらしーメンタル弱いなぁ! もうちょっと待っててよ!

 

 

 

「なにこれ? どういうこと?」

「はっ…!」

「ドキドキしてる、早く戻って来て欲しい……2人で何してたの?」

「も、もう〜っ! 人のスマホの画面覗き見するなんて、しぶりんも悪ですな〜!」

「今はそういうのいいから」

 

 

 ひ、ひぃぃぃぃ〜〜!! しぶりん怖いよ!

絶対零度だよ! 何だかよく分かんないけど敵意剥き出しだよ!

 

 も、もうこれ以上ここには居られない! 撤退しよう!

 

 

「あ、あ〜! 私ちょっと用事を思い出したから〜! そろそろ行くねー!」

「あ、ちょっと未央!」

「ばいばい!しぶり〜ん! また明日〜!」

 

 

 

 しぶりんの言葉を待たずにその場から退散する。まさに一目散ってやつだ。

 

 とりあえずしらしーの待ってるとこに戻ることにしよう。

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 

「あ、本田さんおかえり! って……何か疲れてそうだけど、どうかしたの?」

「はぁ……はぁ……ちょ、ちょっと走ってきたから……」ゼェゼェ

 

 

 しらしーの元に戻ると、私の姿を見つけたしらしーは目を輝かせて声をかけてきた。まさに待ってました!って感じだ。

 

 

 

「そ、それよりしらしー! 変なメール送ってこないでよ! あれのせいでしぶりんに怪しまれたんだからね!」

「え? あ、あぁ……ごめん。ちょっと俺も焦ってたみたいでさ」

 

 

 しらしーは綺麗に頭を下げて謝罪をしてきた。そこまで真剣に謝られちゃ怒る気も無くなるというものだ。

 

 

 

「ま、まぁ……もういいけどさ」

「ありがとう。それで、渋谷さんに男の影がどうこうって話は……どうだった?」

「あ、それなんだけどさ……ごめんね。大した情報は聞けなかったよ」

「あ、謝らないでよ本田さん! 俺は全然気にしてないからさ!」

「そ、そう?」

 

 

 しらしーはそう言ってくれてるけど……あんなに自信満々に飛び出して行った手前、何だか申し訳ないなぁ。

 

 

「それより本田さん、随分と息が切れてたけど大丈夫?」

「う、うん! これでも結構鍛えてるから全然平気……って、わっ!」

「あ、危ない!」

 

 

 ガシッ

 

 

 その場から動こうとしたその瞬間、足がもつれて体が前に倒れそうになってしまう。

 

 だけど私の体が倒れることはなかった。前にいたしらしーが咄嗟に私の体を受け止めてくれたからだ。

 

 

 

「大丈夫? 本田さん」

「あ、ありがとう……」

「やっぱりまだ疲れてるんじゃない?」

「そ、そうかな……?あはは、助けられちゃったね」

 

 

 意図した訳じゃないけど、しらしーと体が密着してしまっている。私の体を受け止めたその体は、女の子の体とは違って硬かった。

 

 ……ふむふむ、こういうのも悪くはありませんなぁ。なんだか落ち着くし、私もいつか恋人が出来たりしたらこんな風に……

 

 なーんちゃって!あはは!

 

 

 私はしらしーから離れようと後ろを振り返ると、その次の瞬間、私の心臓はビクッと跳ね上がった。

 

 

 

「……何してんの? 2人とも」ゴゴゴ

 

 

 

 そこには私としらしーを鋭い眼光で睨みつける(しぶりん)が立っていた……

 

 

 

「し、しぶりんっ!?」

「あ、渋谷さん。おはよう」

 

「おはよう。それで、アンタたち一体何してんの?」ゴゴゴ

 

 

 ひ、ひぇぇ〜っ!! しぶりんから何か蒼いオーラが出てるよ〜!

 

 ていうかしらしーは普通に挨拶してるけど、しぶりんが怒ってるのに気づいてないの!?

 

 

 

「何をしてるって……別に何も?」

「そんなにお互いくっついて何もしてないってことは無いでしょ」

「えっ? うわぁ!? ほ、本当だ……ご、ごめん本田さん! 咄嗟だったから!」

 

 

 しらしーは私の体からパッと手を退けて離れていく。

 

 

「だ、大丈夫? 俺変なとこ触ってなかった…?」

「う、ううん! そんなことないよ! 助けてくれて感謝してるよ」

「そ、そう?」

「うんうん!」

 

 

「イチャつくならどっか別の場所でやってくれる?」ゴゴゴ

「ひぃっ!?」

 

 

 そ、そうだ……そんなことより今はしぶりんをどうにかしなきゃ。

 ていうかしぶりんは何であんなに怒ってるんだろう……?

 

 

 もしかして私としらしーがくっついてるのを見たから?そういえばさっきも私としらしーがメールしてるって知って不機嫌になってたような……

 

 え、まさかしぶりん……?

 

 

 

「……」ピトッ

「え、ほ、本田さんっ!?」

 

 

「……何でもう一回くっついたの?」ゴゴゴゴ

 

 

 

 やっぱり……

 

 え、ということはしぶりんって……!

 

 ん?待てよ、しらしーもしぶりんのこと……え、じゃあこの2人って…!

 

 

 

「う、うっそぉぉぉ〜っ!?」

 

「うぉっ……ど、どうしたの本田さん?」

「いいからとりあえず離れなよ」

 

 

 わ、わわわっ…! ど、どうしよう……まさかそんな、この2人が……

 

 

「しらしーはちょっとここで待ってて!」

「えっ? ほ、本田さん!」

 

「そんでしぶりんはこっち来て!」

「は? ちょ、ちょっと未央!」

 

 

 しぶりんを物陰に連れて行きしらしーから離す。そしてド直球の質問を投げかける。

 

 

 

「しぶりんって、しらしーのこと好きなの?」

「……は、はぁっ!?」

「うわ、顔真っ赤だよ〜!」

 

 

 しぶりんの顔は一瞬でゆでダコのように赤く染まり私を睨みつける。

 

 これはこれは……さっきまでの鋭い眼光も、もう全然怖くないですぞ〜?

 

 

 

「べ、別に好きとかじゃ…!」

「うんうん、いいんだよしぶりん」ポンポン

「全部分かってますよ風に肩叩かないで!」

「私はしぶりんの味方だよ!」

「だ、だからぁ!」

 

 

 あはは〜! しぶりんったら分かりやすくて可愛いなぁ。

 

 

「あ、そういえばしぶりんさ……この前出かけるって言ってて、誰と行くのか聞いたら内緒って言ってたよね?」

「……そ、それが?」

「あれもしらしーなんでしょ」

「……」

 

 

 その沈黙は肯定という意味かな?なるほどねぇ……しぶりんに最近潜んでいた男の影はしらしーだったのかぁ。

 

 

「あ、私そろそろレッスンに行かなきゃ……」

「そうなの? 頑張ってね!」

「……」ジ-

「ん?」

 

 

「わ、私がどっか行った途端に……さっきみたいなことしないでよね……」

「しぶりん〜!」

「わぶっ……」

 

 

 顔を赤くしながら小さな声で喋るしぶりんがあまりにも可愛くてついつい抱きしめてしまう。

 

 あ〜もう! しぶりん可愛いすぎるよ! 完全に恋する乙女だよ〜!

 

 

「安心してしぶりん! 私は2人のこと応援するよ!」

「……べ、別に応援とかそういうんじゃ」

「じゃあ私も行くね! ばいばい〜!」

 

 

 私はしぶりんから離れて置いてけぼりになっているしらしーの元へと向かう。

 

 早くしらしーの不安も取り除いてあげないとね!

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

「本田さんと渋谷さん、何を話してるんだろう……」

 

 

 2人が向こうの物陰に行って10分くらいが経った。けれどまだ姿を見せることはない。

 自分から行こうかとも思ったけど、わざわざ俺から離れたってことは聞かれたくない内容を話してるんだろうし……待つしかないよなぁ。

 

 

「しらしー!」

「あ、本田さんおかえり。渋谷さんは?」

「しぶりんはレッスンに行ったよ! それより、それより〜!」

「……な、何かテンション高いね、本田さん」

 

 

 本田さんは俺の周りをピョンピョンと跳ね回って楽しそうにしている。

 

 何か元気な小動物みたいで微笑ましいけど、何でこんなにテンション高いんだろう…?

 

 

 

「さっきのしぶりんに男の影がするって話だけどさ!」

「え?あ、あぁ……うん」

「私の勘違いだったみたい! だから安心していいよ!」

「えっ……あ、そうなんだ」

 

 

 そっか……勘違いだったんだ。何かホッとしたかも。

 ていうか本田さん何でこんなに楽しそうなんだろう?

 

 

 

「だからしらしーは遠慮なくしぶりんにアタックして良いんだよ!」

「ん?」

「えっ? 好きなんでしょ? しぶりんのこと」

「……ふぁっ!?」

 

 

 本田さんはキョトンとした表情で爆弾発言をする。あまりにも軽いノリで言うものだから、俺は度肝を抜かれて大声を出す。

 

 

「ほ、本田さん!? な、ななな何をおっしゃっているのやら!」

「いやいや、よく考えてごらんよ。しぶりんに男の影があるかもって知って不安になるのは、どう考えてもしぶりんのこと好きだからでしょ?」

「そ、それは……」

 

 

 うっ……確かに渋谷さんに彼氏がいるのかもって聞いた時は不安だったし、渋谷さんといると楽しかったりもするけど……

 

 ま、マジか……俺って渋谷さんのこと……

 

 

 

「私はしらしーのこと応援してるよ! 頑張ってね!」

「ほ、本田さん……」

 

 

 本田さんは笑顔を浮かべながらバシバシと俺の背中を叩いている。

 

 そっか……俺、渋谷さんのこと好きなのか。

 

 

 ヤバいな……自覚した途端に顔が熱くなってきて心臓がバクバクうるさくなってきた。今度渋谷さんに会った時、平常心を保っていられるだろうか……

 

 

「それで、しぶりんのどんなとこが好きになったの!?」

「えっ!?」

「いいじゃんそのくらい教えてよ〜!」

「ど、どこがって言われても……」

 

 

 やっぱり一緒にいて楽しいし、落ち着くから性格とか中身が好きなのか…? いやでも正直に言うと顔もすごい可愛いと思うし……

 

 

 

「容姿が好みだったの? それとも性格? しぶりんってクールな見た目してるけどすごく優しいしなぁ〜!」

「いや、今本田さんが上げたやつは全部好きだと思うけど……あっ」

「ひゅ〜! ひゅ〜! ベタ惚れじゃんかよ〜!」

「や、やめてくれ〜!」

 

 

 本田さんはめちゃくちゃニヤニヤしながら肘で腹を突いてくる。何か言おうとしても頭が真っ白になって言葉が出てこない。

 

 

 こんな調子で大丈夫なのか……? 俺よ。

 

 



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お誘い

 

 

 渋谷さんのことが好きだと自覚してから一ヶ月が経ち……季節は12月の頭。

 好きだという気持ちを自覚した俺はそこから渋谷さんと急激な接近を果たして……

 

 

 

 なんて都合のいい話は存在していない。

 

 

 

「ちょっとしらしー! 何で最近しぶりんのこと避けてるの!?」

「うっ、別に避けてる訳じゃあ……」

「あれから一ヶ月も経ったのに何も進展してないじゃん!」

「め、面目ないです……本当に」

 

 

 俺は事務所の中にある一室で正座をしながら本田さんからのお説教を浴びていた。

 女子高生に説教をされる男子大学生という絵面は実に情けない物だろう。でも事実として俺は情けない男だから何も言い返すことはできない。

 

 

「何で好きだって気づいたのにアタックしないのさ!」

「す、好きだって気づいたからと言いますか……何と言うか」

「かぁ〜! これだから草食系は!」

「ま、まぁまぁ……未央ちゃん落ち着いて?」

 

 

 島村さんが隣で激昂する本田さんをやんわりと嗜める。

 

 ……何故島村さんもいるかって? それは俺がたまたま島村さんと話をしていた時に、激昂した本田さんがやってきて2人まとめてこの部屋に拉致されたからだ。

 

 そして流れで俺が渋谷さんのことを好きだということまでバレてしまったのだ……

 

 

「そ、それにしても驚きました……白石さんが凛ちゃんのこと……す、好きだったなんて」

「うっ……そ、そうだよね」

「で、でも私応援しますよ! 頑張ってください!」ニコッ

「し、島村さん……!」

 

 

 久しぶりに見た島村さんの笑顔……癒されるなぁ。

 これはマジで人体にいい影響を与えると思うんだけど、どっかの学会とかが正式に調べてみてくれないだろうか。

 

 

 

「何を和んでるのさ!」

「ほ、本田さん……近い近い」

「そんなことより! 何で最近しぶりんのこと避けてるの!?」

「うっ……」

 

 

 実を言うと、俺は渋谷さんのことが好きだと自覚したあの日からまともに会話をすることができていない。

 

 理由は単純で情けない物だ。単に渋谷さんの姿を見た途端に、頭が沸騰して何を話していいのか分からなくなってしまう。

 まるで渋谷さんと最初出会った頃に逆戻りしてしまったみたいだ……

 

 

 

「実は……いざ話しかけようとすると、頭の中が真っ白になって何を話せばよいのやら……」

「だからってそのままじゃ何も始まらないよ!」

「……仰る通りでございます」

「ちゃんと話さないと仲は進展しませんよ?」

「本当にその通りです……はい」

 

 

 これは100%本田さんと島村さんの言う通りだ。むしろ好きだと気づいてからの方がよそよそしくなってしまっている気がする。

 

 

「で、でもさぁ、渋谷さんが可愛すぎるのも原因だと思うんだよね……」

「えっ?」

「あんなに可愛い顔で話しかけられたら頭も真っ白になるよね。うんうん」

「……わ、わぁ〜」

「しまむー、引いちゃダメだよ。しらしー今、しぶりん好き好き病になってておかしくなってるんだよ」

 

 

 そう、好きだと気づいて以降俺の視界に映る渋谷さんは、以前より格段に素敵に見えてしまって仕方ないのだ。

 

 もちろん好きになる前から可愛いとは思ってたけど……

 

 だからこそ渋谷さんを前にすると、バイトを始める前の女性耐性0だった俺に戻ってしまっうんだよね。

 

 

 

「はぁ……好き同士なんだからちょっと歩み寄ればすぐにくっつけるのになぁ」ボソッ

 

 

 

「え、未央ちゃん今何か言いましたか?」

「いや、何でもないよしまむー。これは私から言うべきじゃないしね」

「……?」

 

 

「それよりしらしー!」

「は、はいっ!」

 

 

 本田さんは大きな声を出しながら、俺の方へとビシッと指を向ける。

 

 

「もうしぶりんの前でキョドキョドするの禁止だからね!」

「……ぜ、善処します」

「よし、じゃあ早速しぶりんのとこ行ってこい!」

「い、今からぁ!?」

「当たり前でしょ! そんでデートにでも誘ってきなよ!」グイグイ

「ちょ、で、デートなんて……そんなこと言われてもなぁ」

 

 

 本田さんは俺の背中をグイグイと押して部屋から追い出す。

 

 い、いきなりデートに誘えとか言われても……俺そんな経験ないから誘い方なんて分からないぞ。

 

 

「今凛ちゃんに連絡してみたら、中庭にいるらしいです!」

「でかしたしまむー! さぁ行ってこい!」

「ま、マジかぁ……」

 

 

 ……ど、どうしよう。何て声を掛けたらいいんだろうなぁ。

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 あの後、トボトボと1人歩きながら中庭の方へと向かうと渋谷さんの姿を確認することができた。

 その後ろ姿を見ただけでも体が熱くなるのを感じる。胸の鼓動が速くなり、緊張感が体中を駆け巡る。

 

 俺は勇気を振り絞って、震える声で渋谷さんにも声を掛けた。

 

 

 

「し、渋谷さん……お、おはよう!」

「あ、おはよ」

「……」

「……?」

 

 

 あっ……ヤバい。何も言葉が出てこない。

 

 ていうか渋谷さんのキョトンとした表情可愛いなぁ……。ていうか渋谷さんめちゃくちゃ可愛くない? やっば……めっちゃ可愛いじゃん。

 

 

「ちょっと、大丈夫?」

「うぉっ!? だ、大丈夫!大丈夫!あ、あはは……」

 

 

 だ、ダメだ!ダメだ! このままじゃ何も変わらない。しっかりしないと……

 

 

 

 ブ-! ブ-! ブ-!

 

 

「ん?」

「あれ、連絡来てるよ。確認したら?」

「え、あ、あぁ……うん」

 

 

 俺はポケットからスマホを取り出すと、本田さんからのメールが届いていた。

 

 

 

 本田さん:『押せ押せでいこう!』

 

 

 

 え、えぇ……

 

 

 俺はチラリと視線を横にズラすと、草陰から本田さんと島村さんが顔を覗かせて真剣な表情でこっちを見つめている。

 

 つ、着いてきてたのか……というか押せ押せでいけって言われてもなぁ。俺にそんなチャラ男みたいなムーブはできないぞ。

 

 

 

「あ、あのさぁ! 渋谷さん!」

「え、どうしたの?」

「………」

「………」

 

 

「せ、制服……に、似合ってるね…!」

「え、ありがとう…? でも初めて見た訳でもないのに、急にどうしたの?」

 

 

 

 だ、ダメだぁ〜っ! 渋谷さん可愛いすぎて目が合うだけで頭が真っ白になっちゃうんだが!?

 

 

 ブ-! ブ-! ブ-!

 

 

 本田さん:『ちょっと! 何やってるのさ! 早くデートに誘って!』

 

 

 む、無理だよ本田さん……俺にはそんなことできっこ無かったんだ……。

 

 

 

「ねぇ、さっきから顔赤いけど大丈夫?」

「わっ……し、渋谷さん!?」

 

 

 渋谷さんは俺に一歩近づくと、その綺麗な手のひらを俺の頬にぴたっとくっつけてきた。

 

 

「うわ、すっごい熱いけど……これ熱あるんじゃないの?」

「あ、え、えっと……その……」

 

 

 か、顔っ……顔が近いっ…! だ、ダメだこれは……こんなの俺の心臓が持たない…!

 

 

 

 

「あ〜!もう! 見てらんないなぁ〜! 行くよしまむー!」

「えっ、えぇっ!? ちょっと未央ちゃん!」

 

 

 俺の情けなさに見兼ねたのか、茂みの中から本田さんと島村さんが飛び出してきた。

 

 

「や、やっほ〜! しぶりん、しらしー!」

「あ、未央に卯月……どうしたの?」

「いや〜? 私はちょっとしまむーとお散歩してた的な感じ? それよりお2人さんこそ何してるのさ! 随分と仲がよろしいようで……ね、しまむー!」

「は、はい! とっても……その〜、いい感じに見えます!」

 

 

「ちょ、ちょっと……別にそんなんじゃないってば……」

 

 

 本田さんと島村さんの言葉に反応した渋谷さんが俺の顔から手を離して距離を取る。

 

 良かった……あと10秒遅ければ頭がオーバーヒートを起こしてぶっ倒れてたかもしれない。

 

 すると島村さんが渋谷さんとお話しをしている間に、本田さんは小さな声で俺に耳打ちをしてきた。

 

 

「もう……見兼ねて出てきちゃったよ」ボソボソ

「め、面目ないです……はい」ボソボソ

「こうなったら強硬策でいくよ。ちょっとキラーパス出すけど、ちゃんとデートに誘ってね!」

「えっ…!?」

 

 

 き、キラーパスって……一体何をするつもりなんだ? 嫌な予感がするんだけど……!?

 

 

 

「あれ〜? そう言えばしらしーさっきは、何かしぶりんに大事な話をしに行くって言ってなかったっけ?」

「えっ!?」

 

「大事な話?何それ……?」

 

 

 本田さんの発言に俺は驚いたように大声を出して、渋谷さんは不思議そうに俺のことを見つめてくる。

 

 ちょっ…! マジでとんでもないキラーパスを出されたんだけど!? この流れはもう何か話さないといけないやつだよ!

 

 

「じゃあ私たちは行こっか、しまむー!」

「うぇっ……あ、はい! それじゃあ失礼しますね!」

 

「あ、ちょっと2人とも!」

 

 

 本田さんと島村さんは一仕事を終えたと言わんばかりに、いそいそとこの場から立ち去って行ってしまった。

 そしてこの場には俺と渋谷さんだけが残された。渋谷さんは俺の方へと向き直って質問を投げかける。

 

 

 

「で、大事な話って何?」

「あ、い、いや……それは……」

 

 

 うっ……ど、どうする!? ここまで来たらもう言うしかないよな…!?

 

 それに本田さんと島村さんも協力してくれたんだ……ここで誤魔化したり逃げたりしたら2人にも失礼になってしまう…!

 

 

 それに何より……俺は本気で渋谷さんともっと親密になりたいと思っている。ここで本気を見せなきゃ男じゃない……!

 

 

「し、渋谷さん!」

「……なに?」

 

 

 

「に、24日……24日って空いてるかな!?」

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 

 

「いや〜、まさかいきなりクリスマスイブデートに誘うなんてねぇ……流石の未央ちゃんもビックリしちゃったよ」

「わ、私も驚いちゃいました……」

 

「や、やってしまった……俺は何てことを…」

 

 

 

 あれからしばらく経った後、俺は再び事務所の一室で本田さんと島村さんと集合していた。

 顔を赤らめて驚いた様子の2人に対して、俺は魂が抜けきった様に膝をついて四つん這いの態勢を取っている。

 

 

 

「大胆だったね……しらしー。見てる私もちょっとドキッとしちゃったよ」

「わ、私もです! まさかあんなに堂々とクリスマスデートに誘うなんて……」

 

「も、もうやめてくれ〜! 思い出して恥ずかしくなる…!」

 

 

 我ながら何て大胆な行動をしてしまったんだろうと思う。デートに誘うだけならまだしも、クリスマスイブみたいな大事に日に誘うなんて、これはもう渋谷さんに気が有ると白状したようなもんじゃないか……

 

 

「いやでも良くぞ言ったよしらしー! 漢らしかったよ!」

「そ、そうですよ! そんなに恥ずかしがることないです!」

「ほ、本田さん……島村さん……」

 

 

「それで、しぶりんは何て返事したの? 流石にしぶりんの声までは聞こえなかったんだけど……」

「白石さんの声は大きかったから良く聞こえたんですけどね」

「お、俺そんなに声デカかった……?」

 

 

 そ、そんなに声デカかったのか……まさか本田さんと島村さん以外の人に聞かれたりしてないよな…?

 

 因みに渋谷さんの返事は……

 

 

 

『ご、ごめん……今すぐには返事できない。

仕事とかレッスンのスケジュールも確認しないといけないし……だから、後で返事するよ…』

 

 

 とのことだった。

 

 

 

「ふーん、まぁそりゃ確かにスケジュールは確認しないとだよね」

「予定が入ってないといいですね!」

「でもさ……行くの嫌だから、予定がないけど予定があるって事にしたりして断られたりしないかなぁ…?」

「ね、ネガティヴだなぁ……大丈夫だよ! しぶりんはそんなことしないって!」

 

 

 本田さんと島村さんは俺を元気付けようとしてくれているが、俺は不安で不安で仕方がない。

 

 もし断られたらどうしよう。そうなったら今後は今までみたいに仲良くできるのだろうか?ギクシャクした関係にならないだろうか?なんてネガティヴな考えが溢れて止まらない。

 

 

「そんなことよりさ! デートに行ける事になった場合の事を考えようよ!」

「そ、そうですよ!」

「……そうだね。ここでそんなネガティヴになってても何の意味もないか……」

「うんうん!」

 

 

 本田さんと島村さんは優しいなぁ……こんなに情けない姿を見せている俺のことを励ましてくれるなんて。

 

 2人の前では情けない姿を見せないことが、2人への礼儀だよな。

 

 

 

「じゃあさ、もしデートに行けるってなったらどうするの?」

「どうする……と言うと?」

「いや、どんなデートプランなのかなって」

「……何も考えてないな。2人だったらどんなデートが嬉しい?」

 

 

 すると2人は目を瞑って考え始める。こういう渋谷さんと同年代の女の子から意見が貰えるなんて本当に助かるなぁ。

 

 

「私は……好きな人と一緒だったら何でもいいかも」

「わ、私も……同じです」

「あ、そう……?」

 

 

 、、、、、

 

 

 

「って、いやいやいや! それじゃ何の参考にもならないよ!?」

「い、いや〜……だってさぁ! 私もデートとかしたことないし……はい!しまむー何か具体的な案をどうぞ!」

「わ、私ですかぁ!? え、えーっと……その、手を繋いで……楽しくお話ができればそれでいいような気がします……えへへ」

 

 

 な、なんてこった! まさか現役女子高生の2人から有益な情報を聞き出せないなんて…!

 

 だけど2人にこれ以上文句は言えない……むしろここまで協力してくれた分感謝するべきだ。デートのプランくらい俺が考えるべきなんだ…!

 

 

「2人ともありがとう。やっぱり俺が自分で考えるよ…!」

「うぅ……力になれなくてごめんよ〜」

「そんなことないよ! 本当に2人には感謝してるよ」

 

 

 まぁ……とりあえずは渋谷さんからの返事待ちなんだけど、どうなることやら……

 

 

 ブ-! ブ-! ブ-!

 

 

「し、しぶりんからっ!?」

「う、うん……」

「返事はどうなんですか!?」

 

 

 俺は口から何か吐き出しそうなほど、ドキドキしながらスマホのロックを解除して渋谷さんからのメッセージを見る。

 

 

「話がしたいから、ちょっと来て欲しい……

だってさ」

「そ、そっか……じゃあそこで返事が貰えるってことかな」

「き、気になります〜!」

「しまむー、ここから先は2人だけにしてあげるべきだよ」

「そ、そうですよね…! 確かに未央ちゃんの言う通りです……!」

 

 

「じゃあしらしー! 行ってらっしゃい!」

「私たちはここで白石さんの幸運を祈ってます!」

「本田さん……島村さん……」

 

 

 本田さんは親指を立てて、島村さんは両手を胸の前でギュッと握り締めて俺にエールを送ってくれる。

 

 

「ありがとう! じゃあ行ってくるよ!」

 

 

 俺は2人にお礼をして、勢いよく部屋から飛び出して渋谷さんの待つ場所へと向かった。

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 

「し、渋谷さん!」

「あ、ごめんね……こんなとこ呼び出すようなことして」

「全然構わないよ。なんならもっと遠くに呼び出されても飛んでいくよ」

「ふふっ、そっか」

 

 

 呼び出された場所に走っていくと、既に先に来ていて待っていた渋谷さんが俺を迎えてくれた。

 

 ……あ、ヤバい。めっちゃ心臓バクバク鳴ってる。断られたらどうしよう……

 

 

 

「そ、それでさ……さっきの話なんだけど」

「う、うん!」

「返事……する前に1つだけ聞いてもいい?」

「え? あ、あぁ……うん。ど、どうぞ」

 

 

 聞きたいことってなんだろう……?

 

 渋谷さんはモジモジしていたかと思えば、急に真剣な顔になって俺の目を見つめる。

 

 

「その……さ、アンタが誘ってくれた日……ってクリスマスイブじゃん……」

「う、うん」

「そ、それでさ……」

「うん?」

 

 

 渋谷さんはハッキリと喋らず、途切れ途切れに言葉を紡いでいく。中々本題に入らないので、俺もどんなことを聞かれるのか気になってドキドキしてくる。

 

 

「い、意味……わかってんの…?」

「え? い、意味……?」

「っ……! だ、だから! そ、そんな日に誘ってくるって意味わかってんのかって聞いてるの!」

「え、えぇ……?」

 

 

 渋谷さんは溜まった感情を爆発させるように、大きな声で叫び俺を睨みつける。

 

 それにしても、意味……か。

 

 

 多分渋谷さんが聞きたいのは、クリスマスイブみたいな大事な日に異性を誘う意味が分かっているのか……ってことだろう。

 

 確かに普通にお出かけするのとは意味が違う。クリスマスに異性を誘うというのは……もうそういうことだろう。

 だけど俺はもちろんそのつもりだ。そういうつもりで渋谷さんをデートに誘っているのだ。

 

 

 覚悟は決まっている。

 

 

 

「わ、わかってるよ」

「……」

「そんな大事な日を俺にくださいって言ってるんだから、ちゃんと……わかって誘ってるよ」

「……そっか」

 

 

 渋谷さんは顔が真っ赤だ。でもそれは多分俺も同じだろう……

 しばらくの間静寂が続き、異様な空気感が俺と渋谷さんの間に流れる。

 

 そして数十秒が経った頃、渋谷さんはゆっくりと言葉を発した。

 

 

 

「じゃあ……楽しみにしてるから」

「えっ?」

「じゃ、じゃあ私は行くから……」

「あ、ちょっと待ってよ渋谷さん!」

 

 

 楽しみにしている、一言そう言い残して立ち去ろうとする渋谷さんに声をかける。すると渋谷さんはピタリと動きを止めた。

 

 

「い、今のって……オッケーってこと?」

「……うん、そういうこと」

「よ、よっしゃぁぁ〜っ!」

 

 

 ま、マジか! マジでクリスマスイブに渋谷さんと過ごせるのか! う、嬉しすぎるっ…!

 

 

 

「もぅ……そんなに喜ぶこと…?」

「も、もちろんだよ! こんなに喜ばしいことは他に無いよ!」

「ふふっ」

 

 

 ダメだ……興奮が収まらない。周りに人の目が無ければ飛び跳ねて喜びたいくらいだ。

 

 あ、本田さんと島村さんにも報告して改めてお礼をしないと……!

 

 

 

「じゃあ私もう行くから」

「あ、うん! 渋谷さんありがとう!」

「……私も、楽しみだからさ……ちゃんとエスコートしてよね?」

「が、頑張ります…!」

「ふふっ、じゃあね」

 

 

 そう言って微笑むと、渋谷さんは俺に背を向けてスタスタと歩いて行ってしまった。

 

 

 ……渋谷さんとクリスマスイブを一緒に過ごせるなんてなぁ。まさか数ヶ月前までは想像もしていなかったぞ。

 

 今からプランとか色々考えて、しっかりと対策をしておかないとなぁ……

 

 

 



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side rin

 

 

 〜12月中旬、渋谷家〜

 

 

 

「凛〜? ちょっといいかい?」

「ん、何?お母さん」

「24日なんだけどさ、何か予定ある?」

「……何で?」

 

 

 少し前のプールの時のやり取りを思い出す。というか完全にデジャブだ。

 私は少し警戒の色を孕んだ声のトーンでお母さんに返事をした。

 

 

「いや、何もないんだったら家でケーキでも食べようかって思ったんだけど……予定があるんならそっちに行ってくれていいんだよ?」

「予定は……ある」

「あらそうかい。誰と会うんだい?」

「……卯月と未央」

「ふーん……」

 

 

 自然と口から嘘が出た。ここで正直に言えば以前のプールの時の様に揶揄われてイジられまくるのが目に見えていたからだ。

 

 

「凛、嘘ついてるでしょ?」

「……な、なんで?」

「アンタ嘘つく時、そっぽ向いて頬杖付く癖があるんだよ」

「えっ……嘘っ!?」

「うん、ウ・ソ♡」

「〜〜ッ!!」

 

 

 や、やられたっ……! お母さんったらどうしてこんなに小狡い事を思いつくんだろう……!

 

 

 

「ふーん……嘘ついてたんだ〜」ニコニコ

「そ、それは……」

「で? 本当はどんな用事で、誰と会うんだい?」ニヤニヤ

「っ……」

 

 

 こ、この女っ……! 絶対に分かってて私を揶揄ってる…! お母さんはいつもそうだ……私を揶揄う時はいつもニヤニヤと笑っている。

 

 

 

「それで? 白石くんとどこ行くんだい?」

「……やっぱり分かってるんじゃん」

「いやいや、凛の態度見てれば一発で分かるよ。卯月ちゃんとか加蓮ちゃんとかと遊ぶ時はそんな感じじゃないもん」

 

 

 やっぱり分かってたんじゃん……分かってるくせに誰と行くのか聞いてくるなんて意地が悪いと思う。

 

 

「ふーん、でもそっか〜。クリスマスデートかぁ〜」ニコニコ

「な、何でお母さんがそんな嬉しそうなのさ」

「いや〜? 何かお父さんとクリスマスにデートしたこと思い出してさ〜」

「うっ……な、何か聞きたくない」

「何でよ〜? あ、私がアドバイスしてあげよっか!」

「い、いらないって…!」

 

 

 何が悲しくて両親のラブラブエピソードを聞かなきゃいけないのか。複雑な気持ちになるから絶対聞きたくない。

 

 

「あ、そうだ凛」

「なに?」

「ちゃんと日付け跨ぐ前には帰ってくるんだよ? 朝帰りは流石にまだ早いからね」

「ばっ…! ばかじゃないの!?」

「いやいや、ちゃんとそこは注意しとかないと若気の至りってのがあるからね。お母さんも昔はお父さんと……」

「だ、だから聞きたくないってば…!」

 

 

 あーもうっ…! お母さんってば本当に何を考えてるんだろう……! そんな事になる訳ないじゃん!

 

 

「あ、あとニンニク料理とかは控えときなよ?」

「別に食べる予定なんてないけど……何で?」

「え〜? だってぇ〜、キッスする時にそんな匂いがしたら台無しでしょ〜?」ニヤニヤ

「き、きっ……!?」

 

 

 そ、そんな……そんな事ある訳ないし……

というか別に付き合ってる訳でもないのに……そんな事に、なる訳ないし……

 

 

 き、キスとか……

 

 

「………」

「あ、もしかして想像しちゃった?」ニヤニヤ

「んなっ!? ち、違うからっ!」

「男なんてのは狼だからね。こう肩をガッと掴まれたらもう相手のなすがままに……」

「な、なすがままに……?」

「こう、頭の後ろに手を添えられて……ジッと真剣な目で見つめられたらもう……」

「……」ゴクリ

「あ、今絶対想像したでしょ?」

「えっ?……あっ」

 

 

 一瞬で頭の中が真っ白になる。何も考えられない。恥ずかしくて顔が熱いことしかわからなくなる。

 そんな真っ赤な顔をお母さんに見られたくなくて、咄嗟に机に突っ伏して隠した。

 

 

「ま、この様子じゃ朝帰りの心配とかは無さそうだね」

「……うっさい」

「ふふっ、まぁ冗談は置いておいて……しっかりやんなよ?」

「……」

「もうさ、正直なとこ聞かせてよ。好きなんだろ?」

「………好き」ボソッ

「ふふっ」

 

 

 もういいや、否定する体力も残っていない。そうだよ好きだよ。きっかけとかいつからとかハッキリとは分かんないけど……好きだよ。

 

 

「でも好きな相手をクリスマスに誘うなんてやるじゃないか」

「いや……誘ってきたのは向こうからだけど」

「えっ?そ、そうなの?」

「うん」

「じゃあ……向こうにもその気があるんじゃないのかい?」

「……」

 

 

 正直な事を言うとそれについても考えたことはある。だって好きな相手がクリスマスイブにデートに誘ってきたのだから、期待くらいするのが普通だろう。

 

 だからアイツには確認を取った。クリスマスに女子を誘う意味を解っているのかと……その返答を聞いたら益々期待してしまった。

 

 もしかしたらアイツも私のことが好きなのかもしれない……と。

 

 

「凛?」

「…そういうのは考えないようにしてるから」

「何でさ?」

「だって……期待して勘違いだったら、悲しくなるじゃん」

 

 

 でも、もし……もしもそれが思い違いだったらと考えると怖くなって仕方がないから考えないことにした。

 

 

「凛……」

「じゃあ私もう寝るから。おやすみ」

「あ、うん。おやすみ」

 

 

 お母さんに挨拶をして私は部屋に戻る。

 

 

 

 

 

「ったく……肝心なとこで奥手なんだから」

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 

(24日……どんな日になるんだろう)

 

 

 私は布団の中で数週間先の日のことを考える。

 

 

(……楽しみだな)

 

 

 早く24日にならないだろうか。いや、それより前に早く明日にならないだろうか……明日になればアイツに会えるかもしれない。

 

 

(寝る直前までアイツのこと考えてる……)

 

 

 私、本当にアイツのこと好きなんだなぁ。

 

 

「ふふっ」

 

 

 それが何だか面白くてついつい笑みが溢れた。これじゃあまるで昔読んだ少女漫画の中に出てくる恋する乙女みたいだ。

 

 

「……早く、会いたいなぁ」

 

 

 誰にも聞こえないような声でポツリと呟いて、私はゆっくりと目を閉じた……

 



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クリスマスイブ

 

 12月24日、クリスマスイブ。

 

 これは自論だけど一年の中で最も世間が浮つく日だと思っている。

 他にもハロウィンとか正月とかバレンタインとか色々と季節柄のイベントは存在するが、やっぱりクリスマスが1番特別感があると思っている。

 

 24日の夜に一歩人気のスポットへと繰り出そうものなら、一瞬で幸せオーラ満開のカップルに周りを囲まれてしまう。その光景は独り身の者たちからすれば眩く妬ましいモノだ。

 

 俺も去年までは専らそっちの立場の人間だった。仲睦まじく手を繋ぎ腕を絡める男女を見て嫉妬の念を送るモンスター。

 そんな自分が嫌でクリスマスイブとクリスマスの日の夜は大体、1人寂しく自分の部屋の中で過ごしていた。

 

 

 だけど今年は……今年は女の子と過ごせることになった。

 

 少し前の俺に言っても信じはしないだろう。クリスマスイブの夜に女の子とデートをすることになる、それも自分の好きな女の子と一緒にだなんて……

 

 

 今日は絶対に成功させてみせる。絶対に失敗はしてはいけない……

 

 俺は胸の中で呪文のように決意を唱えながら渋谷さんのことを待っていた。

 

 

 

「おまたせ」

「あ、渋谷さん」

「待った?」

「いや全然、今来たとこだから」

「ふふっ、テンプレの回答だね」

「……えっ?あ、あぁ……うん」

「……」

 

 

 えーっとまずは何をするんだっけ……あ、そうだ。最初はイルミネーションの綺麗な通りを歩いて……そしてその次は……あれ、何だったっけ?

 

 落ち着け俺、この一週間しっかりと計画とプランを立ててきたじゃないか。あのプラン通りにやれば完璧なはずだ……しっかりと、プランの通りに……!

 

 

 ムギュッ

 

 

「ほげっ」

「顔、怖いって」

 

 

 ムニムニ ムギュ-

 

 

「ちょ、ちょっ……ひ、ひぶやふぁん!?」

「ふふっ、変な顔」

 

 

 突然、渋谷さんは俺の頬へと両手を伸ばして乱雑に揉み始めた。

 ドキドキするけど周りの人に見られているような気がして恥ずかしくなってきた。

 

 とか思っていたら渋谷さんは急に手を離し、少しだけ微笑みながら俺の目を見つめて話しかけてくる。

 

 

「緊張しすぎ、気負いすぎ、意気込みすぎ、肩に力入りすぎ、顔が怖い、顔が変」

「顔が変!?」

「ふふっ、今のその慌てた情けない顔の方がずっとマシだよ」

「うっ……」

 

 

 な、情けないか……

 

 今日一日は頼れる年上の男をイメージしてきたんだけど、一瞬にしてそれは崩れてしまったみたいだ。

 

 

「……俺、そんなに怖い顔してた?」

「うん。もう目がギンギンで近寄り難い感じ」

「えぇ……」

「周りの女の子たちも引いてたかもね。近づいたらナンパとかされるかもって」

「ま、マジですか……」

 

 

 今度は自分の手で顔を掴んで、表情筋をほぐすようにグニグニと揉みしだく。

 

 

「気合入れてくれるのは嬉しいけどさ、そんなガチガチの人といてもこっちが疲れちゃうよ」

「……もっともでございます」

「だからアンタはいつも通りでいいの。わかった?」

「……承知致しました」

「わかればよろしい。じゃ、行こっか」

「う、うん!」

「あっ、気負いすぎるなとは言ったけどさ?

ちゃんとエスコートはしてよね…?」

「も、もちろんだよ!」

 

 

 ……確かにちょっと気負いすぎてたかもな。

絶対に成功させよう、失敗はしちゃいけないっていう思いが出過ぎていたかもしれない。

 

 初っ端から渋谷さんには情けないとこを見せてしまったけど、ここからは頑張らなきゃな。

 

 

 ……もちろん、気負いすぎないようにね。

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 待ち合わせ場所から歩き出して数分が経つと、辺り一面がキラキラと輝くイルミネーションに包まれた道が広がる。

 

 何となくこういうのは女子の方が好きな物というイメージがあったけどそんなことはなかった。こんな盛大なイルミネーションを見せられて俺の心もウキウキと跳ね上がっている。

 

 もちろんそれはイルミネーションの効果だけではなく、隣にいる渋谷さんの存在が大きいということでもあるけど。

 

 

 

「……すごい綺麗だね」

「うん、やっぱりこういうの見てるとテンションが上がってくるよね」

「何か既にこういうのは経験済みです。みたいな言い方だね」

「まさか、こんな風に女の子とイルミネーションを見るのなんて初めてだよ」

「そっか」

 

 

 周りを見渡すとカップルや夫婦の様な男女ペアだらけだ。それに漏れなくほぼ全員手を繋いだり腕を組んでいる。

 俺と渋谷さんは流石に手を繋いだりはしていないけど、しっかりこの風景に馴染んでいるのだろうか?

 

 浮いたりしていなきゃ嬉しいんだけどな。

 

 

 

「この後はどこに行くの?」

「このままもう少しイルミネーションを見て、そしたら夕食にしようかなって」

「ふふっ、何かお腹空いてきたから丁度良かったかも」

「俺もお腹ペコペコだよ……何度街に漂うケーキやチキンの香りに誘惑されたことか……」

「うっ……何かそれ聞いたら確かに美味しそうな匂いがしてきたような」

「あははっ」

 

 

 色気より食い気とかいう言葉があるけど、正に今の俺たちの様な状態の人を指すのかもしれない。

 ロマンチックだったりムードのある会話内容ではないけど、変にそういうセリフを口から吐くよりは、こういういつも通りの方が楽しめる。

 

 さっき渋谷さんに言われたことを改めて実感した。気負いすぎて背伸びしても良いことなんて何も無いんだなって……

 

 

「アンタのせいで尚更お腹が空いてきちゃったじゃん」

「えぇ……理不尽だ」

「ふふっ」

 

 

 隣で渋谷さんが楽しそうに笑う。その姿を見ているだけで胸の中が温かい感情に包まれる。

 

 俺って本当に渋谷さんのこと好きなんだな。

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 あれから数十分が経った後に、俺と渋谷さんは既に予約済みのレストランに入って行く。

 

 そのレストランは普段は洋食料理を提供している店だけど、クリスマスの期間はクリスマス限定のディナーも提供しているとのことだ。

 

 

 

「いい雰囲気だね」

「そ、そう? いや〜……そう言ってくれて良かったよ。実は夕食を何処で食べるかが1番悩んだんだ」

「そうなの?」

「だ、だってこういうのってセンスが問われるでしょ? 俺って普段こういうお店とは縁がないタイプの人間だからさ」

「私はそういうの気にしないよ。まぁ流石にクリスマスの日に家系の大盛ラーメン屋とかじゃなければ……」

「さ、流石の俺も今日みたいな日にそういう店には連れて行こうなんて考えないよ……」

 

 

 そんなことを話していると、次々に料理が運ばれてきた。

 流石にクリスマスディナーと言うだけあって、お洒落な盛り付けをされた皿がどんどんテーブルの上に置かれていく。

 

 サラダにミネストローネに……か、カルパッチョ…? お、俺が初めて食べる料理も沢山やってきた。

 

 知らないとバレたら格好悪いと思い、何食わぬ顔で「あー、このカルパッチョ美味しいねー」とか言ってみたら、「食べるの初めてでしょ」と見抜かれてしまった。

 

 俺ってそんなに分かりやすいのかな……?

 

 

 とまぁそんな感じで食事は進んでいき、2人してメインのローストビーフに目を輝かせて、最後に食後のデザートを頂いたところでディナーは終了した。

 

 

 

「はぁ……美味しかった」

「うん、特にあのローストビーフは凄かった」

「うんうん! あれなら俺、何枚でも食べられるような気がするなぁ」

「じゃあおかわりする?」

「……前言撤回で、やっぱり腹八分が1番だよ」

「ふふっ」

 

 

 相も変わらず渋谷さんは少し意地悪だ。まぁ俺もこんなやり取りが嫌いな訳じゃない……というかむしろ楽しいんだけれど。

 

 

 ……別にMではないけどね! あ、でも渋谷さんの方は確実にSだね。いや、ちょいSってところかな…?

 

 

 

「今何か変なこと考えてたでしょ?」

「うぇっ!? そ、ソンナコトナイヨー」

「顔で分かるよ」

「……渋谷さんってエスパーなの?」

「アンタが分かりやすいだけでしょ。もぅ」

 

 

 い、いやいや……いくら俺が態度に出やすい人間だったとしても、流石に渋谷さんは鋭すぎる気がするけどなぁ。

 

 ちょっと悔しいから俺も渋谷さんが今何を考えてるか当ててみようと思う。

 

 

「……」ジ-

「ん、なに?」

「渋谷さんに俺の考えてることが分かるように、俺にも渋谷さんの考えてることが分かるんじゃないかと思って……」

「ふーん、なら当ててみなよ」ニヤリ

「……お腹いっぱいで幸せだなぁ……とか?」

「私そんな食いしん坊キャラじゃないけど」

「うん……何かごめん」

 

 

 ダメだ。やっぱり分かるわけがないよ。

 

 

「さてと、じゃあそろそろ出よっか?」

「え?あ、うん……そうだね」

「ふふっ、そんなにガッカリすることないじゃん。人の考えてることなんて分からなくて普通だよ」

「はぁ……ま、そうだよね」

 

 

「でも……もっと一緒にいる時間が増えれば、私の考えてることも分かるようになるかもね」

「えっ……?」

「何でもない。じゃあ行こっか」

「あ、あぁ……うん」

 

 

 渋谷さんは無理やり会話を終わらせて席から立つ。俺はその後に続いて席を立ち会計を済ませて店を出た。

 

 

 もっと一緒にいる時間が増えれば……か。

 

 もしそうなれたら……嬉しいな。

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

「この後は何か予定決まってるの?」

「うん。この近くでクリスマスマーケットっていうのが開催してるらしくて、そこを見に行こうかなって」

「へぇ……面白そうだね」

「ははっ、そう言ってくれて良かったよ」

 

 

 店を出て俺と渋谷さんは再びイルミネーションの下を歩き始めた。

 

 ここまでは順調。それもこれも渋谷さんが最初に緊張をほぐしてくれたからだろう。

 あんな風にガチガチのままだったら、きっとここまで楽しい時間を過ごせてはいなかったと思う。

 

 

 

「あっ……ねぇ、あれってさ」

「ん? あー、スケートリンクか」

「うん……綺麗だね」

「確かに」

 

 

 渋谷さんが発見したのは、よく冬季限定で現れる仮設のスケートリンクだった。

 

 それも普通のスケートリンクではなく、氷の表面や周りの柵に、淡く綺麗な色のイルミネーションやライトアップが照らされており、幻想的な空間を生み出している。

 

 

 

「ねぇ、ちょっと行ってみない?」

「えっ!? でも俺アイススケートなんてしたことないから……」

「私だってそうだよ。でもさ、やってみようよ。……いいでしょ?」

「……そうだね。よしっ! じゃあやってみようか!」

 

 

 俺と渋谷さんは行く先を変更してスケートリンク場へと向かう。

 

 「……いいでしょ?」って言った時の、渋谷さんの上目遣いがめちゃくちゃ可愛いくて心臓が止まりそうになったのはナイショの話。

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 俺たちは料金を支払いスケート用の靴をレンタルする。そして少し怖いけど、恐る恐る氷の上へと一歩を踏み出した。

 

 

「うぉっ…!?」

 

 

 くっ……! こ、これっ……! 結構難しいな!

 

 いや難しいことなんて分かりきってはいたけど、想像よりもバランスをとるのが難しい……少しでも気を抜いたら氷の上に尻もちをついてしまいそうだ。

 

 っと、そういえば渋谷さんは大丈夫だろうか?

 

 でもまぁ……渋谷さんって何でも卒なくこなしそうなイメージがあるし、もう既に何食わぬ顔でスイスイ滑ってたりして……

 

 

 

「渋谷さんはどう? だいじょう………ぶ?」

「きゃっ…!」

「えっ」

 

 

 後ろに振り向いて渋谷さんへと声をかけると、そこには氷の上に尻もちをついて、ぺたんと可愛く女の子座りをしている渋谷さんの姿があった。

 

 

「……」

「……な、何その顔はっ…! そんなジロジロと見ないでよっ…!」

 

 

 渋谷さんは羞恥からか頬を赤く染めて、下から俺のことをジロリと睨みつけていた。

 

 

「こ、こんくらいっ……すぐに滑れるようにっ……ひゃんっ…!」

「あっ」

「……な、なに!? 言いたいことがあるならハッキリと言いなよ!」

「いや、正直ちょっと意外で……」

 

 

「なんか渋谷さん可愛いね」

「んなっ…!? ば、バカにして……っ!」

「いや別にバカにはしてないよ」

「くっ……こ、この……くらいっ…!」プルプル

 

 

 

 うん、可愛い。

 

 渋谷さんは顔を赤くしながらその場で何とか立ちあがろうとしているが、中々上手くはいかないようで手こずっている。

 

 普段は大抵のことをスマートにこなしているイメージのある渋谷さんが、ムキになって時々可愛らしい声を出しつつも、何とかして氷の上で立ちあがろうとしているその姿はとても可愛らしかった。

 

 

「ほ、ほらっ…! 見なよ! こ、こんくらいっ…! すぐにできるようになったけど…!」

「渋谷さん、足がめちゃくちゃ震えてるよ。

産まれたての子鹿みたいに」

「べ、別にっ…! 震えくらいいつでも止められるけどっ!?」

「……ふふっ」

「わ、笑わないでよ…!」

 

 

 あーダメだ。渋谷さん可愛すぎるよ。

 

 クリスマスマーケットじゃなくてスケートリンクに来てよかった……。

 

 

 

「渋谷さん、ほら」スッ

「……何さ、その手は」

「俺が支えるから一緒に滑ろうよ。ね?」

「……じゃあ……お願い」プイッ

 

 

 ギュッ…

 

 

 渋谷さんは赤くなった顔を逸らして、片方の手で俺の手を強い力で握る。

 

 その様子は何だかとても悔しそうで、やっぱり渋谷さんは負けず嫌いだなぁ……って思った。

 

 

「ほら渋谷さん、そっちの手も離さないと」

「ま、ままま待って! い、今離すから……」

 

 

 渋谷さんは手すりを掴んでいたもう片方の手をゆっくりと離して、ものすごいスピードで俺のもう片方の手を握った。

 

 

「ははっ、大丈夫でしょ?」

「う、うん……ぜ、絶対手離さないでよ…?」

「離さないよ、絶対に」

「よ、よろしく……」

 

 

「じゃあちょっと滑ってみようか」

「……ゆ、ゆっくりね? ゆっくりだからね!」

「わかってるって。じゃあ行こっか」

 

 

 そうして俺は、内股状態で足をビクビクと震わせる渋谷さんの手を引いて氷の上を滑り始めた。

 

 

「ちょ、ちょっと速くない……?」

「全然速くないよ。大丈夫、大丈夫」

「て、手離したら本気で怒るからね…!」

「離さないから大丈夫だって……ふふっ」

 

 

 何だか氷の上での渋谷さんは子どもっぽくて……新しい一面を見れたって感じだな。

 

 

「ムカつく……」

「え?」

「その余裕そうな表情……ムカつく」

「そんなこと言われてもなぁ……でも確かに、余裕の無い渋谷さんって珍しくて、ちょっと得した気分かも」

「べ、別に……本当はアンタの手を借りないでも、本気を出せば滑れるし……」

「ん? そんなことを言ってもいいのかな?」

「えっ……」

 

 

 俺は少しだけ渋谷さんの手を握る力を緩めてみせる。

 

 

「わっ…! ばかばかばかっ…! 離さないでよ!」

「なんちゃって〜。本当に離したりなんかしないよ」

「ッッ〜〜!!」

 

 

 俺が再び手に力を込めると、体の揺れが収まった渋谷さんがキッと睨みつけてくる。

 

 

「あ、アンタ……氷の上から出たら覚えときなよ……?」

「あはは……ごめんごめん」

「イジワル……」

「えっ?」

「女の子が怖がる姿を見てニヤニヤしてるなんて……悪趣味だよ」

「し、渋谷さん…?」

 

 

「悪趣味、性悪、意地悪、サディスト、変態、バカ、ムカつく、変な顔」ジト-

「ご、ごめんってば……悪かったよ。ていうかまた変な顔って! 今は別に変な顔してなかったでしょ!?」

「いーや、女子の苦しむ姿を見てニヤける変態の顔をしてたよ」

「うっ……」

 

 

 

 渋谷さんはジト目で俺のことを睨みながら、ボソボソと俺の精神に口撃を仕掛けてくる。

 

 ……ちょっとやりすぎたかな。渋谷さん完全に拗ねちゃってるよ。

 

 

 

「渋谷さん、ごめん。確かにちょっと意地悪だったよ」

「……」

「だからさ、許してくれないかな……なんて」

「別に……いいけど」

「ははっ……ありがとう」

「でもその代わり」

「ん?」

 

 

「滑り方、ちゃんと教えてよね」

「……もちろん。喜んで」

 

 

 何だかやっぱり、氷の上の渋谷さんは子どもっぽい……

 

 でもそんなところも可愛いなと思う俺は、もう渋谷さんが何をしてても可愛いと思ってしまうんじゃないかと思う。

 

 自分でも思うほどに、渋谷さんにベタ惚れだ。

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 あの後しばらくの間氷の上で時間を過ごした俺たちは、ゆっくりとなら問題はない程度に滑れるようになった。

 

 最初こそ足をプルプルさせていた渋谷さんだったが、やはりスペックや運動神経は高いようで、ある程度練習を積んだ後は余裕そうに滑っていた。

 

 ……もしかしたら最後の方は俺より上手くなっていたかもしれない。

 

 

 

 

「ふぅ……楽しかった」

「そうだね。ていうか渋谷さん最後の方めちゃくちゃ上手だったじゃん」

「ふふっ、バカにされっぱなしは性に合わないからね」

 

 

 スケートリンクから出た俺たちは、これまた再びイルミネーションの下を歩きながら雑談を交わしていた。

 

 

「でも、俺は子鹿みたいな渋谷さんもっと見たかったけどなぁ」

「それは残念でした。もう2度と見ることはないよ」

「まぁ俺の心のフォルダには残ってるから別にいいけどね」

「……頭思いっきり殴ったら忘れるかな?」

「い、いきなり物騒だね!?」

 

 

 そんな様子の俺を見て渋谷さんはクスクスと笑っている。

 

 さっきの渋谷さんもギャップがあって可愛かったけど、やっぱりこっちの渋谷さんがいつも通りって感じで落ち着くかもな。

 

 

「さて、こっからどうしようかな」

「さっき言ってたクリスマスマーケットとかいうやつは?」

「いや、マーケットはもうそろそろ閉まっちゃうからね。それに渋谷さんをそんなに遅くまで連れ歩く訳にもいかないし……」

 

 

 とは言っても今から何か出来ることはあるだろうか……? 飯も食ったし、レジャー的な物もそろそろ終了する時間帯だし……

 

 

 

「じゃあさ……ちょっと休憩しない?」

「えっ?」

「……着いてきてよ」

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

「ここって……」

「前にここで話したよね。丁度夏の終わり頃だっけ?」

「……うん、懐かしいなぁ」

 

 

 渋谷さんに連れられてやってきたのは、昔俺が股間にサッカーボールを受けるという事件が発生したあの大きな公園だった。

 

 ……ちょっと休憩しようって言われて一瞬だけ、イケナイ妄想をしたのはこれまたナイショの話だ。

 

 

 渋谷さんがベンチに座ったので、俺もその横に腰を掛ける。

 

 

 

「……ねぇ」

「ん?」

「今日は楽しかった……本当に。ありがとね」

「そっか……良かったよ」

「アンタは……白石も楽しかった?」

「も、もちろん! めちゃくちゃ楽しかったよ!」

「ふふっ、そんな大きな声出さなくても聞こえるって」

 

 

 そっか……渋谷さん楽しんでくれたか。

 

 その言葉を聞いた途端、安心からか肩から力が抜けるのを感じた。

 

 渋谷さんに気負いすぎるなとは言われていたが、やはり多少は気になってしまうのが人間の……いや、男の性なのだ。

 

 ちゃんと相手の子は楽しんでくれているだろうか、つまらないと思われていないだろうか?とか色々と考えてしまうのだ。

 

 

 だからまぁ……ちょっと心配はしていたけど、渋谷さんは楽しんでくれたみたいで良かった……

 1週間もかけてデートのプランを考えまくった甲斐があったというものだ。

 

 

 

「ねぇ、最初に会った時のこと覚えてる?」

「……覚えてるけど、それ言っていいの?」

「まぁ……別にいいよ。アンタは忘れろって言っても忘れられないみたいだしね」

「あ、あはは……」

 

 

 この話をするとどうしても思い出す。あの夕暮れの下で渋谷さんと出会った時のことを、渋谷さんのスカートの中身を見てしまったことを……

 

 

「私さ、まさかあの時から……アンタとここまで仲良くなるとは思ってなかったよ」

「……まぁ、そりゃそうだよね」

「ぶっちゃけ出会いとしては最悪」

「あ、あはは……仰る通りで……」

 

 

 いや俺だって思ってもなかったよ……あの時の女の子、渋谷さんとここまで仲良くなって……しかも好きになるなんて。

 

 だって一歩間違えば通報案件だったからね?

 

 

 

「それから一緒に帰ったり、カフェでお茶したり、プールに遊びに行ったり……あ、あとウチに来たこともあったっけ」

「あったね。渋谷さんのお母さんのカレー美味しかったなぁ」

 

 

 本当に……よくあそこから仲良くなれたよ。思い返す思い出はどれもこれもキラキラとした素敵な物ばかりだ。

 

 

「最初に会ったのは春だったよね」

「そうだね」

「それで今はもうクリスマス。何か……あっという間だね」

「そう……だね」

 

 

「……」

「……」

 

 

 

 その言葉を最後に少しの間、俺と渋谷さんの間には静寂が訪れる。

 でも決して居心地が悪かったり、気まずさを感じるようなモノではない。

 

 以前の俺だったらこの静寂に耐えきれずに、逃げ出すか何か変な話題を無理やり振るとかしていただろうな。

 

 

 346プロにアルバイトとして入って、渋谷さんと出会って、そこからさらに渋谷さんと仲良くなって……これまでの全てが今ここにいる俺を作り出している。

 

 

 渋谷凛さん。普段はクールな雰囲気を醸し出しているけど、実はとっても優しくて……意外と熱い部分もあって……それでいて年相応の子どもっぽい一面もあって……

 

 俺は多分、渋谷さんのいい所とかなら無限に言い続けることができるんじゃないかと思う。

 

 そしてこれからも、新しい渋谷さんの良いところや……偶には悪いところなんかも、見つけていけたら幸せだ。

 

 

 ……あぁ、やっぱり俺って渋谷さんが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺、渋谷さんのこと好きだよ」

 

「……えっ」

 

 

 

 

 

 あっ……言っちゃった。

 

 

 

 





 次回、渋谷凛ちゃん編最終回です。


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最終話 幸せ

 

「俺、渋谷さんのこと好きだよ」

「……えっ」

 

 

 あっ……言っちゃった。

 

 

 、、、、、

 

 

 

 う、うぉぉぉぉ〜〜っっ!! や、やっちまったぁぁぁぁ〜〜っっ!!

 

 本当はもっとムード作ってから言おうとか考えてたのに!!

 

 告白のセリフも1週間前から考えて10通りは考えてきたのに〜〜っっ!!

 

 

 それなのに……こんなつい口からポロッと。みたいな感じで言ってしまったぁぁ〜〜っ!!

 

 

 

 

「あ……し、渋谷さん! い、今のは……!」

「……い、今のって」

「う、うん……?」

 

 

「今のって……本気…?」

 

 

 渋谷さんは潤んだ瞳で……頬をほんのり赤く染めて俺に問いかける。

 

 

 

 ……少し予定とは違ったけど、

 

 ……俺の気持ちは嘘なんかじゃない。

 

 

 

 

「……ほ、本気だよ。冗談なんかじゃない」

「……そっか」

 

 

 渋谷さんはそう小さく呟くと、俺から顔を隠すように下を向いてしまった。

 

 綺麗な長い髪の毛に隠れて顔が全く見えない……こ、これってどういう反応なんだろう。

 

 

 とにかく俺は渋谷さんの返事を待つしかない。そのまま渋谷さんのことを固唾を飲んで見守る。

 

 

 

「……いって」

「えっ?」

 

 

 

「もう一回……ちゃんと言って。そしたら、返事してあげる……」

「……わかった」

 

 

 渋谷さんは俺の突然の告白にやり直しのチャンスをくれたのかもしれない。

 

 ……俺は一度大きく息を吸って吐く。

 

 そして膝の上に置いてある渋谷さんの手を取り、その潤んだ瞳をしっかりと見つめて気持ちをぶつける。

 

 

「俺、本当に渋谷さんのことが好きだ。もちろん1人の女の子として。だから……俺の恋人になってほしい」

「っ……」

 

 

 言った。

 

 頭の中は真っ白で今にでも顔が真っ赤になってしまいそうだ。でも今はそんなことを言っていられない。

 

 しっかりと渋谷さんの方へと顔を向けて返事を待つ。

 

 

 

 

「うん、私も……好き」

「……えっ!?」

 

 

「私もアンタのこと……白石のこと好き…」

「じゃ、じゃあ!」

「……」コクリ

 

 

 俺の確認に渋谷さんは小さく頷いた。

 

 

「私を……アンタの恋人にしてくれる?」

「も、もちろん! もちろんだよ…!」

「ふふっ、そっか……嬉しい」

 

 

 

 白石幸輝18歳、決死の覚悟で臨んだ告白の返事はまさかのオーケー。

 

 なんてこった……嬉しすぎて死んでしまいそうだ! いや、こんな幸せの絶頂期に死ぬ訳にはいかないんだけど……!

 

 と、とにかく!嬉しすぎて頭がおかしくなりそうだ…!

 

 

「じゃ、じゃあ……俺と渋谷さんは、今この瞬間から恋人ってことだよね…?」

「……う、うん」

「ッッ〜〜!! よ、よっしゃぁぁ!」

「ちょ、ちょっと……声が大きいって…!」

 

 

 いやそうは言われても! 告白が成功したまさに今、声を抑えて喜ぶなんて事俺には出来る訳がないよ!

 

 本当なら床を転げ回りたいくらい嬉しいけど、流石に渋谷さんの目の前でそれはしない。ていうか外だし……

 

 

 

「し、渋谷さん……」

「凛」

「えっ?」

「名前で呼んでよ。恋人なんだから……」

「……り、凛……さん」

「ん」

 

 

「じゃ、じゃあ俺のことも名前で」

「……そ、それは追々」

 

 

 そう言うと渋谷さ……凛さんはプイッとそっぽを向いてしまった。

 俺も名前で呼んでみてほしかったけど、今はそんな些細なことはどうでもいい。

 

 なんてったって俺は凛さんと付き合うことができるのだから。そんな事は凛さんの言った通り追々でいいと思う。

 

 

 

「ね、ねぇ……渋谷さ……凛、さん」

「ん?」

「だ、抱きしめたりしても……いい…かな?」

「……そういうのは別にわざわざ聞かなくてもいいよ」

 

 

 そう言って凛さんは両手を広げる。

 

 俺もそれに応じるようにゆっくりと手を広げて、吸い込まれるように凛さんの背中へと手を回す。

 

 

 ギュッ……

 

 

「っ……」

「ん……っ」

 

 

 

 ……幸せだ。

 

 

 俺と渋谷さんの距離は0になり体を密着させる。少し冷えた凛さんの体温と甘い香りが俺の体に伝わってきた。

 

 俺の背中に手を回している凛さんが力を込めてきたので、俺も少しだけ力を強めて返事をすると、それに反応してさらに凛さんは腕の力を強める。

 

 

 ハグするとオキトキシンとかいうホルモンが分泌されて、癒しや安らぎ、それに幸福度なんかが得られるとか聞いたことあったけど……

 

 

 

 ……なるほどね、コレは確かに……すごい。

 

 

 

 実際の時間としては1分間程ハグしていただろうか? それなのに永遠にも感じた幸せの時間に終わりを告げて体を離す。

 

 そして再び顔を見つめ合っていると、凛さんが瞳を閉じて唇を突き出した。

 

 

 

 ……よく鈍いとか言われる流石の俺でも、この行動の意味が分からない訳がない。

 

 俺は一度大きく深呼吸をして呼吸を整える。

 

 

 

 そして俺は震える体と心をなんとか抑えながら、凛さんの顔へと自分の顔を近づけた……

 

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 

 

 あれから数十分後、俺と渋谷さんは寒空の下を歩きながら凛さんの家を目指していた。

 

 数時間前までは繋がれていなかった2つの手が、今では固く固く繋がれている。

 

 

 

 

「……もっと一緒にいたいんだけど」

「俺もだよ。でも今日は夜も遅いし……凛さんはまだ高校生だしね」

「アンタはいいの?」

「俺はもう18歳だからね。フッ」

「生意気」ギュッ

「いててっ」

 

 

 その瞬間、手の甲に凛さんの爪が少しだけ食い込んだ。

 

 

 何とか会話を繋げているが俺の頭の中は真っ白で、少し油断をすれば確実に放心状態になってじうだろう。

 

 それに何か話していないと……さっきのアレを思い出してしまいそうになる。

 

 

 

 

「さっきの告白……すごい驚いた。でもそれ以上に嬉しかった」

「ほ、本当はもっと告白のパターンを考えていたんだ。1週間くらいかけてシチュエーションとかセリフとかをさ。まぁ結局アドリブみたいな感じになっちゃったんだけどね。あはは…」

「でもそれって暗記したセリフじゃなくて本当の気持ちってことでしょ……嬉しいよ」

「しぶ……凛さん」

 

 

 気を抜くとすぐに渋谷さんって呼んでしまいそうだ。まぁ今までずっとそう呼んできたんだし仕方ない部分もあるけど……俺も追々慣れていかなきゃな。

 

 

 

「それにその考えたセリフはまた今度聞かせてもらえばいいし」ニヤリ

「えぇっ!?」

「アンタがどんなクサいセリフを考えてきたのか聞きたいしね」

「そ、それは勘弁して欲しいかな〜……なんて」

「だーめ。ふふっ」

 

 

 そんな事を話していると、凛さんの家がすぐそこまで近づいてきた。

 

 ……今日はここでお別れか。寂しいな。

 

 

 

「んっ……」

「え?」

「んっ…!」

「あ、あぁ…! そういうことか」

 

 

 寂しいと思っているのは凛さんも同じようで、再び俺を受け入れるように両手を広げてくれた。

 

 

 ギュッ……

 

 

「……じゃあ、行くね」

「うん」

 

 

 俺と凛さんの腕から力が抜ける。

 

 凛さんは少し歩いて離れたところで振り返って俺を見る。

 

 

 

 

「……大好きだよ、幸輝」

「俺もだよ、凛さん」

 

 

 

 そうして凛さんは家の中へと入っていった。

 

 

 寂しい……さっきまではすごい幸せに包まれていたのに、途端に寂しさが俺を襲う。

 

 

「……ははっ」

 

 

 贅沢な悩みだ……と思って笑みが溢れる。

 

 

 確かに今は寂しい。けど明日になればまた凛さんに会える。

 

 

 これから色々と問題はあるだろうけど、凛さんがいてくれるなら俺はどんなことでも頑張れる気がする。

 

 

「よしっ! 帰るか!」

 

 

 俺は1人、家へと向かう。

 

 

 これからの凛さんとの未来に、期待と希望を抱きながら歩き出した……。

 

 

 



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epilogue

 そびえ立つ大きなビルや都会の喧騒に包まれた、通称コンクリートジャングル……東京。

 

 今日も今日とて国内外から様々な来訪者が訪れる賑やかな街にも、当然ではあるがビルではない普通の家屋が沢山並んでいる住宅街は存在している。

 

 

 

 そんな閑静な住宅街の中で営業している、大きくも小さくもない普通の花屋があった。

 

 その花屋は優しくて落ち着く雰囲気の店内や接客……そして丁寧なその仕事内容から、近隣の住民などからは絶大な信頼を得ている。

 

 

 そしてなにより、店主の妻がとてつもない美人だということで、彼女目当てで花を買いに来る客もしばしばいるようだ。

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 ガチャ…

 

 

 

「いらっしゃいませ」

「こんにちは〜」

「あ、何度かいらっしゃってる……」

「…! お、覚えててくれたんですか!?」

「もちろんですよ。本日はどのようなご用件で?」

「以前ここでお花を購入して育て始めてから、お花に興味が湧いてしまって……今日も少し見ていってもいいですか?」

「是非、ごゆっくりどうぞ」ニコッ

 

 

 店内を訪れた若い女性の客に、優しげな雰囲気を身に纏う店主の男が対応をする。

 

 

「うーん……どれにしようかしら」

「何か困ったことがありましたら、私に声をお掛けくださいね」

「あ、ありがとうございます…!」

「いえいえ」

 

 

 ドタドタドタ…!

 

 

「パパ〜! 私もおみせのおてつだいするー!」

「あ、あら?」

「あ、こらっ…! 今はお客様の前だから大人しく部屋で遊んでなさい!」

「え〜! やだやだ〜! パパとお仕事する〜!」ジタバタ

 

 

 

 店の奥である店主たちの住まいから、小さくて元気な女の子が飛び出してくる。そして大きな声で我儘を言いながら地団駄を踏む。

 

 

 

「我儘を言うんじゃありません。って……す、すみませんお客様の前で…!」

「い、いえいえ……元気な娘さんですね」

「あ、あはは……少し元気が過ぎるんですけどね。ほら、奥でママがご飯の準備をしてるからそっちを手伝っておいで?」

「ぶ〜っ!! パパのいじわる〜!」

 

 

 店主の男が優しく頭を撫でるが、娘の方は全く納得はしていない様子で頬を膨らませる。

 

 

 

「すみません店員さん、どれか育て甲斐のあるお花とかってありますか? 中々決まらなくって……」

「そうですね……ではこちらなどはいかがでしょうか?」

「あっ……可愛いお花ですね」

「お客様にもお似合いですよ」

「えっ…!? そ、そうでしょうか……」

「はい」

 

 

 

「……」ジ-

 

 

 

「お買い上げありがとうございます」

「は、はいっ…! ま、また今度来ます…!」

「お待ちしております」ニコッ

 

 

 店主の男が微笑むと、若い女性の客は満足そうに帰っていく。

 

 

「ふぅ……常連さんになってくれるかもな」

 

 

 そんなことを考えながら店主の男が額の汗を拭ったその瞬間、側で大人しく客とのやり取りを眺めていた娘が大きな声を出した。

 

 

 

「ママ〜!パパが綺麗なお客さんにデレデレしてる〜!」

「んなっ!? な、何を言って…!」

「わーっ! パパが怒った〜!」キャッキャッ

「あ、こら! 待ちなさい…!」

 

 

 娘は構ってもらえることが楽しいのか、キャッキャと騒ぎながら家の中へと戻っていく。

 

 

 

 

 

 

「ほら、何騒いでるの?」ギュッ

「ふぎゃっ……! あ、ママ!」

 

 

 しかし店の奥から姿を現した店主の妻である女性に捕らえられる。

 

 

「パパがね〜? 綺麗なお客さんと楽しそうにお話してたよ〜」

「あ、こらっ!」

 

「はぁ……パパがお客様に愛想良くするのは店員として当たり前なの。あとパパはママのこと大好きだからそういう心配もいらないの」

「ぶ〜っ!」

「それにね…? ママはパパのこと信じてるから、心配することなんてないの。ほら、お昼ご飯にするから手洗っておいで?」ナデナデ

「ご飯! はぁ〜いっ!」

 

 

 娘は表情を一変させ、キラキラとした目のまま家の中へと走っていった。

 

 

 

「はぁ……もうちょっと大人しくなってくれるといいんだけどね」

「まぁ子どもは元気が1番だから……っと、そんなことより助かったよ……」

 

 

 

「凛」

 

 

 店主の男が妻の名前を呼んだ。

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 

 

 い、いや〜っ! 結構焦ったぞ……。

 

 あんな言い方、俺がまるでお客様に色目使ってるみたいじゃないか!

 

 凛が出てきた時は肝を冷やしたけど、流石の凛もその辺はわかってくれてるみたいで安心したよ……

 

 

 それにしても信頼している……か。

 

 

 凛と俺が信頼し合っていることなんて分かりきっていることではあるけど、やっぱり言葉にされると嬉しいなぁ……

 

 っと、いかんいかん。ニヤニヤするな俺よ。

 

 

 

「じゃあ俺たちも昼飯を食べに……」

「待ちなよ」

「ん?」

「さっきの話、詳しく聞かせてもらうよ」

「え、さっきの話って……?」

「アンタが若い女の子口説いてたって話」

「ぶーっ!」

 

 

 ちょ、ちょっと凛さん!?さっき、「ママはパパのこと信じてるから……」とか言ってませんでしたっけ!?

 

 1ミリも信用してないよ! めちゃくちゃ疑ってるじゃん!

 

 

「い、いやさっきのは子どものついた適当な嘘だから!」

「ふーん」

「ほ、本当だって! 俺は普通に接客していただけだから!」

「……」ジト-

 

 

 うっ……! り、凛のやつ……めちゃくちゃ疑ってるぞ。

 

 凛は結構嫉妬深いからなぁ……まぁ俺も大概人のことは言えないんだけど。

 

 

 

 

 凛と付き合い出したのが、12年前の俺が18歳で凛が15歳の時。

 

 そんで結婚したのが……5年前だったかな。

 

 

 とまぁ……そんな感じで凛との付き合いもかなり長いから、凛のことは大体理解している。

 

 例えば、意外とスキンシップが好きとか……犬の前では普段見せないような満面の笑みを浮かべてニヤニヤしたりするとか……

 

 

 あ、あと今の状況を見ればわかるようにすごく嫉妬深いとことかね。

 

 昔、凛の誕生日プレゼントを選ぶのを本田さんや神谷さんに相談したり、プレゼントを買うのについて来てもらった所を見られた時はヤバかったなぁ……

 

 

 って、今はそんな昔の話はどうでもよくて!

 

 

 

「そ、それにあのお客さん結構若い子だったぞ? 俺なんて今年30のおじさんに興味ある訳ないだろ?」

「いーや、あの女は危ない匂いがする。私の女の感がそう告げてる。毎回アンタが店番してる時に来店するもん」

「どんな感だよ……ていうか、あの女とか言わない。常連さんになるかもしれないんだぞ?」

「……人の男に手を出そうとするんだったら、その瞬間から客と店員じゃなくて、1人の女と女の関係に変わるんだよ」

「……何を言ってるんだ……凛?」

 

 

 あはは……凛、最近ちょっとお義母さんに似てきたかな?

 

 エプロンをして長い髪を一つにまとめている姿もお義母さんっぽい。

 

 

 

「凛」

「なに?」

「おいで」

 

 

 俺は両手を広げて受け入れ態勢に入る。

 

 すると凛は数秒悩んだ末に、俺の胸の中にしゅるりと滑り込んできた。

 

 

 ギュッ…

 

 

「俺が愛してるのは凛だけだよ。だから安心してほしい」

「んっ……」

「でも、不安にさせちゃったならごめんな?」

「……いや、私の方こそ……ちょっと熱くなりすぎた、ごめん。アンタがそんなことするはずないのにね」

「じゃあ仲直りだな」

「うん……」

 

 

 すると凛が俺の背中を指でくるくると撫で始めた。これは凛がキスして欲しい時によく出る仕草の一つだ。

 

 

「凛」

「んっ」

 

 

 俺は凛の肩を抱いて唇を合わせる。

 

 ……この瞬間に勝る幸福は中々存在しない。家族で団欒してる時とかなら対抗できるかな?

 

 あ、後は夜の……って、俺は昼間から何を考えてるんだ!

 

 

 

 唇を離して凛の顔を見つめると、凛は満足気に少しだけ微笑む。

 

 

 

「よくわかったね……私のして欲しいこと」

「凛の考えてることならもう何でもわかるさ。ずっと一緒にいるんだから」

「……生意気」ツン

「あはは……」

 

 

 凛はそう言うと俺の額を軽く指で押した。

 

 こういう照れ隠しでする仕草も一つ一つが可愛い。

 

 

「凛」

「またなの?もぅ……」

 

 

 

 そして俺は再び凛の肩を抱いて、もう一度唇を合わせようとする。凛もそれに応じてゆっくりと顔を近づけて……

 

 

 

「わぁ〜」

 

 

「ん?……あっ…!」ドンッ

「ほげっ!」

 

 

 突然、凛に体を突き飛ばされてぶっ飛ばされる。

 

 何事かと思い、頭を摩りながら体を起こしてみると……そこにはキラキラとした目で俺たちを見つめる最愛の娘がいた。

 

 

「わぁ〜っ! パパとママ……仲良しさんだぁ〜……」

「ちょ、ちょっと……い、いつから見てたの……?」

「最初にチューしてる時から!」

「〜〜ッッ! の、覗き見するなんてダメでしょ!」

「きゃ〜! ママも怒った〜!」キャッキャッ

 

 

 我が娘が家の奥に一目散に逃げていくのに対して、凛もそれを追いかけるように家の中へと戻っていく。

 

 

 ……ちょっと残念。続きはお預けかぁ〜

 

 

「ちょっと」

「ん?」

 

 

 とか思ってたら凛が戻ってきて、そっぽを向きながら小さな声を出す。

 

 

 

「つ、続きは……また後で……」

「……!」

「わ、わかったらアンタも早く手を洗ってくる! 駆け足!」

「はいっ!」

 

 

 俺は綺麗な敬礼をして走り出す。これで今日一日を頑張る気力が湧いてくるってもんだ。

 

 

 

「ふふっ、子どもみたいにはしゃがないでよ」

「あははっ! 悪い悪い」

「パパ〜! ママ〜! 早くご飯食べようよ〜!」

「あ、うん。今行くよ!」

「手を洗ったらパパも行くからな〜」

 

 

 あの日、あの場所で凛と出会えてよかった。凛を好きになってよかった。凛と付き合って結婚してよかった。

 

 

 俺はそんな幸せを噛み締めながら手を洗い、妻と娘2人の待つ部屋の扉を開いた……

 

 

 

 俺は今、幸せだ。

 

 

 

 

 




 これにて渋谷凛編は完結です。

 今後の予定は完全に未定です。


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渋谷凛after I love your smell


 久しぶりにしぶりんを書きたくなったのでしぶりんの話です。




 

 渋谷さ……あっ、また間違えた。

 

 渋谷さん改め、凛とのお付き合いを始めて数ヶ月が経過した。

 俺にとっても凛にとっても初めての異性との交際で、他の恋人たちがどんな風に過ごしているのかは分からないけど、普通に仲良くしてるし多分交際は順調だ。

 

 

 ちなみに俺は未だに癖で凛のことを「渋谷さん」と呼んでしまうことがあるけど、これをすると凛はめちゃくちゃ不機嫌になる。

 本人曰く彼氏なら堂々と名前で呼んでこいとの事だけど、凛の方は未だに俺のことを「白石」とか「ねぇ」とか「アンタ」って呼んでいるのは理不尽な話だよな。

 

 

 って、話が逸れたな。今はそんな事を報告しようと思ってたんじゃなかった。

 

 

 話を戻すが、初めての彼女である凛との交際は順調に進んでいて、今まさに人生の幸せの絶頂期を迎えている俺だが……実は最近一つだけ悩み事がある。

 

 いやまぁ、本当に困ってるかと言われたらそうでもないというか……どちからと言えば嬉しい悲鳴的な感じなんだけど。

 

 

 その悩みとは……

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、もうちょっと腕ずらしてよ」

「え? あっ、あぁ……うん」

「ん」

 

 

 渋谷さ……凛が背を向けたまま俺の肩にもたれかかってきた。その後は特に何をするでもなく、俺の部屋にあった漫画を黙々と読み続けている。

 凛が体をくっつけてきた瞬間に彼女の温かくて柔らかい体の感触と、甘くて爽やかな匂いが俺の体に伝わった。そして俺の心臓はぶっ壊れてしまったのかというくらい速いスピードでバクバクと鳴る。

 

 

 そう、俺がさっき言っていた悩みとは凛のスキンシップのことだ。

 

 

 凛と交際を始めて、より仲を深めて一つわかったことがある。実は凛は結構スキンシップが激しい方だということだ。

 いや、他の人がどれくらいスキンシップするのかとか知らないけど多分凛は結構激しい方だと思う。

 

 スキンシップと言ってもキャッキャウフフしてるような物ではなく、例えば俺がスマホを弄っていると静かに背中にもたれかかってきたりするみたいな感じのやつだ。

 

 ただそれだけでも俺にとっては大ダメージな訳で、密着している凛の体の柔らかさと甘い匂いとかその他諸々……とにかく今俺は凛のスキンシップにより悶々とした生活を送っているのです。

 

 

「ねぇ」

「ん、どうかした?」

「さっきから何してんの? ずっとスマホ見てるけど」

「えっ、普通にゲームだけど」

「ふーん……見てもいい?」

 

 

 ギュッ…

 

 

「っ……!」ビクッ

 

 

 凛はむくりと体を起き上がらせると、俺の背後に回りそこから手を体に回して優しく抱きしめる。そして俺の肩にちょこんと顔を乗せる体勢のままスマホの画面を覗き込む。

 

 

「ふーん、スマホのゲームでも結構迫力があるんだね」

「そ、そそそそうだねっ!」

 

 

 耳元で凛の芯が通った綺麗な声が響く。頬と頬が触れ合いそうなほど近い距離感に動揺している俺はもうゲームになんか集中できるはずもない。

 

 や、やばいやばい……いい匂いするし柔らかいしもう何がなんだか分からない! り、理性が……俺の理性がけずられていくぅー!

 

 

 

「ちょっと、やられそうなんだけど」

「えっ? あっ本当だ」

「集中しなよ」

 

 

 だ、誰のせいで集中できてないかわかっているんですかねぇ……?

 

 と、とりあえず落ち着こう。一旦落ち着いてゲームに没頭するんだ。そうすれば俺の心も少しは平静を取り戻せるはず……

 

 

 

「ほら、今のうちに攻撃しないと」

 

 

 ムギュッ

 

 

「ちょわっ…!?」

「何変な声出してんのさ」

 

 

 後ろから凛がより一層体を密着させてくる。それにより俺の背中には凛の発展途上中の双丘が押し付けられた。

 

 

 お、おおお落ち着け俺ッ! 鎮まれ俺のオレッ! 意識するな、やましいことを考えるな、お母さんの顔を思いだせぇぇッ!!

 

 

 

「……ねぇ、顔赤くない?」

「そ、そう……かな?」

「赤いよ。それに、ほら」ピトッ

「ひょわっ!?」

 

 

 凛は俺の胸板へと手を伸ばして、手のひらをぺったりと押し当てる。

 

 

 

「……心臓の音、すごいね」

「ちょっ! り、凛さん…?」

「ドキドキしてる。これってさ、私のせい?」

「い、いや……そ、それはですね」

 

 

 心臓がうるさい。ドキドキとかいう可愛いレベルではなく、もはやバクバクバクとえげつない音を出して今にも破裂しそうだ。

 

 

「……アンタって本当に女の子に免疫ないんだね」

「い、いや……例え免疫があっても、凛にこんなにくっつかれたら……男なら皆こうなると思うんだけど」

「……そうなんだ」

「そ、そう……だと思う」

 

 

 顔がオーバーヒートしそうなくらい熱い。見てもいないのに顔が真っ赤なことが自分でもわかる。

 というかさっきから凛がずっと胸板をさわさわしてきてめっちゃくすぐったい。

 

 

「あ、あの……凛さん? なんでずっと俺の胸撫でてんですかね…?」

「いや、別に……意外と硬いなって」

「そりゃ、柔らかいわけないでしょ。俺は男なんだし」

「それもそうだね」

 

 

 とか言いながらも凛は俺の胸板を触るのを止めない。それどころか手のひらはゆっくりと下がっていき、今では腹筋の辺りを撫でている。

 

 ……腹筋ならギリセーフ。これ以上下に行かれると流石にアウト。

 

 

 

「……俺の体なんて触ってもそんなに楽しくないだろ…?」

「普通、かな」

「じゃ、じゃあそろそろ離してくれないかな〜なんて……」

「でもさ、恋人の体に触ってみたいって思うのは……普通でしょ?」

 

 

 そ、それは当然だけどさ。俺だって本当はめちゃくちゃ触りたいし……

 

 

 

「アンタもさ……私の体とか、触りたいなって思わないの?」

「んなっ! り、凛さん!?」

「いいから、答えて……」

「っ……!」

 

 

 

 そ、そんなの……

 

 

 

「お、思ってるよ……もちろん」

 

 

「……じゃあ、いいよ」

「り、凛! 何言って……!」

 

 

 俺は勢いよく自分の顔を横に向けると、凛の綺麗な顔が目の前に来ていて心臓がドクンと鳴り響いた。

 凛の顔も俺と同じように真っ赤に染まっていて、綺麗な碧い瞳はうるうると潤んでいる。

 

 

 そして凛は目をぎゅっと閉じ、俺に向けて唇を突き出した。

 

 

「ちょっ! え、えぇっ!?」

「ほら、早く……」

「えっ……あ、あぁ……うん」

 

 

 ちょ、ちょっと待ってくれ……! こ、こんないきなりとか、まだ心の準備が……!

 

 

 

 ブ-! ブ-! ブ-!

 

 

 

「……! で、電話が…! ちょっと待ってて!」

「あっ……」

 

 

 俺は床に落としていたスマホを拾い上げて、逃げるようにベランダへと走っていった。

 

 

 

 

 

 

「……意気地なし」ボソッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 ブ-! ブ-! ブ-!

 

 

「……! で、電話が…! ちょっと待ってて!」

「あっ……」

 

 

 そう言うとアイツはスマホを拾ってベランダへと逃げていった。

 

 

 

「……意気地なし」ボソッ

 

 

 私の口から思わず言葉が漏れる。

 

 

 そして1人残された私は行き場を失った手を握り締めると、ムカムカをぶつけるように勢いよくアイツの使っているベッドへと飛び乗った。

 

 

 ギシィ…

 

 

 勢いよく飛び乗られたベッドからは軋むような鈍い音がした。

 

 

「……ばか」

 

 

 また口から悪口が出てしまった。でも謝る気も訂正する気もない。だって悪いのはアイツなんだから。

 

 普通あの雰囲気で彼女より電話を優先する?

まぁ……急ぎの電話とかだったら確かに大変だけど、それでもやっぱりムカムカする。

 

 

 ……軽い気持ちで家になんか来ないのにさ。

 

 

 

「ばーか」ボソッ

 

 

 ベッドの上に置いてある枕を抱きしめて、なんとなく顔をくっつけて鼻を鳴らしてみる。

 

 なんてことない、特別いい匂いがする訳でも特別臭いとかそんな事はない。普通の洗濯洗剤の匂いと……ほんの少しだけするアイツの匂い。

 

 

 ……ムカつく。ムカつくのに、落ち着く匂いだ。

 

 

 なんとなく布団も手繰り寄せて鼻に当ててみると、それも枕と同じ匂いがした。

 アイツがまだ戻ってこないのを確認して、さっきよりも強く大胆に鼻を鳴らしてみる。

 

 

 自分でも引くほど匂いを吸う音が大きくなっていく。匂いを吸うたびに全身をアイツに包まれているような感覚になる。

 

 

 ……ムカつく。ムカつくけど、私は今、自分からアイツの匂いを求めている。

 

 

 

「……あっ」

 

 

 ベッドの上にアイツが脱ぎ散らかしたままの上着を見つける。流石にそれは変態っぽいのではと自分でも一瞬考えたが、私は気付けばその上着を抱きしめて、また鼻に当てていた。

 

 

「……んっ、はぁ」

 

 

 ……ヤバい、私、完全に変態だ。

 

 

 布団や枕よりアイツの匂いが濃い。それも当然、だってさっきまで実際にアイツが着てたんだから。

 

 

 でもそれでいい。それが嬉しい。だって私が求めてたのはこの匂いだから、強い方が断然いい。

 

 

「はぁ……すぅ……んっ、はぁ……」

 

 

 

 

 はぁ……好きだ。 やっぱり好きだ。 ムカつくけど大好きだ。

 

 もっと関係を深めたい。 軽いスキンシップなんかじゃ物足りない。

 

 もっと、もっと強い繋がりがほしい。……もっと直接アイツと触れ合いたい。

 

 

 

 あぁ……ヤバい。私、変なトコ入ってる? これ以上続けてたら、本当に変態になっちゃう。

 

 

 体がアツい。切ない。寂しい。早く戻ってきてほしい。

 

 早く、戻ってきて……そして私を……

 

 

 

 

 

 

「り、凛?」

「……………え?」

 

 

 

 声がした。私の求めていた声。

 

 

 そっちの方へと顔を向けると、そこにはアイツがスマホを握りながら私のことを見つめていた。

 

 

「……あっ」

 

 

 私はベッドの上で彼氏の服を匂いながら顔を赤く染めている。おまけに枕も抱えて服もだらしなく乱れている。

 

 ……客観的に見れば完全に変態だ。

 

 

 

 

「いやっ、その、こっ……これ……は」

「う、うん……大丈夫。とりあえず落ち着こう?」

 

 

 み、見られた。痴態を……見られた。

 

 

 

「〜〜〜〜ッッッッ!!!」

 

 

 頭の上から何かがボフンと爆発する音が聞こえた。

 次の瞬間に私の顔は一瞬で茹で蛸のように真っ赤に染まり、焼け石のように熱くなった。

 

 

 

「か、帰るッッ!!」

「えっ! ちょっ、渋谷さ……凛!」

 

 

 私のことを苗字で呼びそうになるくらい動揺してるアイツに背を向けて、そのまま小走りで玄関へと向かう。

 

 

「ちょっ! 凛!? どうしたの!」

「じゃ、じゃあねッ!」

 

 

 さっきとは逆に、今度は私がアイツから逃げるように部屋の中から飛び出して行く。

 そしてそのまま全力疾走でアイツの家から離れていった。

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 

 家からかなり離れた場所で電柱に手をついて息を整える。まだ顔は熱いままだ。

 

 

 あ〜もうっ! 次会う時にどんな顔して話しかければいいのか分からない…!

 

 

 

 

 

 私たちの関係が進展するのは、もう少しだけ先になりそうだ。

 

 

 





 感想、ご意見や評価等お待ちしています。


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渋谷凛after 仁義なき女の戦い


 荒ぶる凛ちゃんVS白石くんを狙う(?)女の話がメインですが、凛ちゃんと白石くんは死ぬほどイチャつきます。

 今回は全編凛ちゃん視点です。




 

 これは、私とアイツが大人になって結婚した後の話。

 

 

 

 閑静な住宅街にひっそりと佇む花屋。その花屋こそ、私こと渋谷凛改め、白石凛とその夫である白石幸輝が営む店だ。

 

 私たちの花屋はすっごく客が多い訳ではないけど、地元の人たちなんかには好評でそれなりに上手くやっている。

 それとウチの旦那が花屋にもIT化の波が〜とか言い出してさ……最近はオンラインでの花の予約に販売なんかも始めて、最初は私も半信半疑だったけど今ではそっちの稼ぎがすごい良いんだよね。

 

 てな感じで、出会った時は頼りない印象だったアイツも今ではそれなりに頼りがいのある花屋の店主になってる。

 

 

「凛、中村さんから注文が入ってる花のことなんだけどさ」

「あっ、うん」

 

 

 噂をすれば影。店の奥からやってきたアイツが年相応に落ち着いた笑みを浮かべながら私に話しかけてくる。

 

 顧客リストに目をやりながら話を続ける彼のことを本人にバレないようにジッと見つめる。

 根本的な優しげな顔立ち自体は変わっていないのに、昔よりもどこか大人びた様に見える顔。日常的に繰り返される花屋での肉体労働で鍛えられたのか、ガッチリとした体つきに腕まくりから見える筋張った腕。

 

 

 ……好き。カッコいい。

 

 

「ん、どうかした?」

「……別に、なんでもないよ」

 

 

 ちょっと見過ぎた? 不思議に思ったのか目の前の男はキョトンと首を傾げた。そんな姿も可愛らしくて胸がキュンとする。

 

 結婚して数年が経ったら夫婦の愛情なんて薄れていくものだって聞いたことがある。互いの良くない部分が沢山見えるから、もうお互いに男と女として見れなくなるとかなんとか。

 なのに、私が特別なのか私の想いが薄れる様子は全く無い。 悔しいけど今でもこの人のことが大好きなんだ。絶対に離婚なんかしたくないし離れたくもない。

 

 

「凛? やっぱり何か俺の顔に付いてる? ジーッと見られてる気がするんだけど」

「……ん」

「えっ? い、今…?」

「……うん」

 

 

 私が唇を少し突き出すと、意図を察した彼は少し顔を赤くして照れくさそうに頬を掻いた。

 

 

「……嫌?」

「……嫌なわけないだろ?」

「ふふっ、えっち」

「うるさい」

 

 

 アイツのゴツゴツとした腕が私の背中に回り腰をがっしりと掴む。男の人の強い力で掴まれたらもう私に逃げる術は無い。

 

 ふふっ、逃げるつもりなんて無いけどね。

 

 

「んっ」

 

 

 そして次の瞬間には、私とアイツの唇は一つに重なった。

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 さっきも言った通り、アイツは大人になってちょっとカッコ良くなった。私の前では以前のような姿を見せることも少なくないが、仕事相手のお客様には大人の余裕を持った対応をする。

 

 旦那が格好良いのは私にとってはとても嬉しいコトでもあるけど、それが原因で私にとっては面白くないコトも起きている。

 

 

 

「いらっしゃいませ」

「こんにちは〜、また来ちゃいましたぁ〜

部屋に飾れるようなお花が欲しくてぇ〜」

「それでしたら、こちらなど如何でしょうか」

「わぁ〜! 可愛いですぅ〜!」

 

 

「………」ジ-

 

 

 私にとって面白くないコトとはコレだ。

 

 最近よく来るあの若い女の子、よほどウチの旦那が気に入ったのか頻繁に店に来てはアピールをしている。

 

 そう、ウチの旦那は私と付き合うまでは男子校通いだったから全然モテたことなかったのに、よりによって私と結婚してから人生初のモテ期を迎えているのである。しかもそれに本人は全く気づいていないから私だけがモヤモヤとした思いを抱いてる。

 

 

「こちらなど、お客様にお似合いだと思いますよ」

「えぇ〜? ちょっと可愛らしすぎませんか〜?」

「あははっ、そんなことありません。とてもお似合いかと」

 

 

「……」ムスッ

 

 

 

 簡単に言うとアレだ。 アイツが私の眼の前で他の女と楽しそうに話してるのを見ていると……こう、ムカムカする。

 

 もちろん相手はお客様だから「店に来るな!」なんて事は言わないけど、それでも1人の女として、アイツの嫁としてアイツが私以外の女と仲睦まじげに話す姿を見せられるのは面白くない。

 

 

「ひゃっ!」

「ど、どうかなさいましたか?」

「ふ、服の隙間から葉っぱが入ってきちゃってぇ〜」

「えっ」

「店主さ〜ん、とってくれませんかぁ〜?」ムギュ

「あっ、いや……その、それは……あはは」

 

 

「……」イライラッ

 

 

 女は胸元が大きく開いたトップスを見せつけるように前屈みになり、甘い声を出しながらクネクネと体を揺らしている。それに対してアイツは少しだけ顔を赤くして困ったように苦笑いを浮かべるしかない。

 

 何アレ? あんな露骨なアピールに何タジタジになってんのさ。確かにあの女胸はデカいけどさ……あームカつく、普通既婚者にあんな露骨なアピールしないでしょ。

 

 

 私はつかつかとわざとらしく音を立てて2人のもとへと歩いて行き、女の胸元に手を突っ込んで(恐らく)自分でわざと入れたであろう葉を掴んで放り投げる。

 

 

「これでよろしいですか、お客様」ニコッ

「……ありがとうございますぅ〜、店員さん」ニコッ

 

「り、凛?」

「……ふんっ」プイッ

 

 

 ──少しやりすぎだよ。という意味を込めての牽制。

 

 これであの女も大人しくなるだろうと考えていたが、私が店の裏に回ると何とあの女はまたしてもアピールを再開した。

 

 

「相変わらずお綺麗ですねぇ〜奥さん」

「え? あ、あぁ……そうですね。俺には勿体ないくらいです」

「え〜? 店主さんも素敵だと思いますけど〜」

「いえいえ、俺なんか凛……えーっと妻に出会うまでは女性に縁なんて全くなかったですから」

「硬派な男性なんですねぇ〜 素敵ですぅ〜」

「いや硬派っていうか、ただモテなかっただけなんですけど……」

 

 

「……」フン

 

 

 そうだよ、その人私以外の女と付き合ったことなんて無いんだから。デートもキスも……もちろんそういう事も、全部私が初めてなんだよ。

 

 と……心の中でマウントをとって優越感に浸っていると、女はアイツの手をとってベタベタと触り始めた。

 

 

「えっ!? お、お客様…?」

「店主さん手ぇ大きいんですねぇ〜 でも少しカサついちゃってるからケアした方がいいですよぉ〜?」

「い、いや……仕事柄水に触れることも多いのでこの時期はどうしても」

「そうなんですか〜? ふぅん……私がケアしてあげたいなぁ〜、なんて……うふっ」

「ご、ご冗談を……あはは」

 

 

「………っ」イライライラ

 

 

 何なのあの女……よくもまぁ人の旦那に対してベタベタと。 これはもういい加減に、本腰入れて牽制しないとダメだね。

 

 

「お、お客様……そろそろどの花にするか決まりましたか?」アハハ 

「あっそうですよねぇ〜 お花を買いに来たんでしたぁ〜。ついつい店主さんとのお話しが楽しくってぇ〜」

「あはは……」

「う〜ん、そうですねぇ〜 あれ、向こうのシールが貼ってあるお花はなんですかぁ〜?」

「申し訳ありません。あちらは他のお客様からの予約が入っている品ですので」

 

 

 アイツが申し訳なさそうな顔をして謝ると、女は一度考え込んだ後にわざと声のボリュームを上げて私に聞こえるように話を続ける。

 

 

「そうなんですかぁ……残念です」

「どうしてもあちらが宜しいのでしたら、予約をしていただけますと後日ご用意することができますよ?」

「う〜ん、じゃあそうしようかなぁ〜? ごめんなさい店主さん、ワガママ言っちゃって」

「いえいえ、構いませんよ」

 

 

 

「私ぃ〜、 人の物だって分かってても欲しくなっちゃうんですよねぇ〜 燃えるっていうかぁ〜」チラッ

 

 

「……は?」

 

 

 あの女……今こっちを見た…? つまり今のは私に向けての……宣戦布告ってこと?

 

 ふ、ふーん……そっか、そういう事言っちゃうんだ。今までお客様だから見逃してあげてたのに、上等じゃん。

 

 

「ふ、ふふっ……」ピクピク

 

「ん? ヒェッ」

 

 

(な、なんか凛がめっちゃ怒ってる……や、やべぇ……笑顔なのに青筋がぴくぴくしてるんだけど!?)

 

 

 私はゆっくりと立ち上がって泥棒ネコの元へと向かった。そして旦那の隣にピッタリとくっつくように立ってとびきりの営業スマイルを浮かべる。

 

 

「お客様、"コレ"は既に人のものですので、お客様に差し上げることはできません」ニコニコ

「ちょっ、凛…?」

 

「ふふっ、その説明はさっき聞きましたよぉ〜? でもぉ……どうしても欲しくなったらもう奪っちゃうしかありませんよねぇ〜」ニコニコ

「奪っ!? お、お客様それはマズいですよ!」

 

 

「「ちょっと黙ってて!!!」」

 

「は、はいぃっ!!」

 

 

 怯んだ彼が一歩後ろへと下がる。私は自分の体でソレを隠すように女の前に立つ。

 

 

「いけませんお客様、人のものを盗ったら泥棒になってしまいますよ?」ニコニコ

「ふふっ、それなら盗られないようにしっかりと見張ってなきゃいけませんよぉ〜?」ニコッ

「ええ、ですからこうして泥棒ネコが入り込まないよう見張ってるんです」ニコニコ

「そうなんですかぁ〜? それにしてはセキュリティーが薄いような気が……泥棒ネコは、もう"見張りさん"がいない内に何回か(店に)入り込んでますよ〜?」

 

「そうなの…?」ギロッ

「うぇっ!? というか2人ともさっきから何の話を……」

 

 

 この女……私が留守の間を狙って店に来てるってこと? よくもまぁぬけぬけと……

 

 

「ねぇ、裏で事務処理の仕事がやりかけなんだけどさ、ちょっとアンタやってきてくれない?」

「え? でも今はまだお客様が」

「いいから! 行く!」

「は、はいっ! 了解ですっ!」

 

 

 私の言葉に反応して彼は店の裏へと回る。これでここに残されたのは私とこの女だけだ。

 

 私は店用のエプロンを外して、仕事の時はいつも1つに纏めている髪の毛も解く。目の前の女はその様子を不思議そうな表情で見つめていた。

 

 

「これでもう私は店員じゃないし、アンタは私の客でもない。ここからは1人の女と女の話だよ」

「……望むところです〜」

 

 

 腕を組み、目を細めて女を威圧するが、向こうは怯む様子も無く妖しげな笑みを浮かべた。

 

 

「単刀直入に言うけど、"私の"旦那にちょっかいかけるのやめてくれる?」

「嫌です〜。どうして私の恋愛の邪魔をするんですかぁ〜?」

「叶わぬ恋に胸躍らせてる姿を見るのは忍びなくってね」

「……そうですかぁ」

 

 

 ここまでずっと薄ら笑いを浮かべていた女の顔が初めて崩れる。明確に私への敵意を露わにした顔だ。

 だからといってこっちも引く訳にはいかないし、なんならこっちの方がやりやすいくらいだ。

 

 

「あなたってアイドルの渋谷凛ですよね」

「……知ってたんだ、私のこと」

「もちろん、私小学生の頃に結構憧れてたんですよ?」

「それはどうも、というかさっきまでの変な喋り方やめたんだ」

「ふふっ、あなたに媚びる必要はありませんからね」

 

 

 この女、私のこと知ってたんだ。まぁ今はもう引退したしアイドルではないんだけどさ……

 

 

「でも、憧れてたのは昔の話です。今のあなたはもう……ただの花屋のオバサンじゃないですか?」クスッ

「……へぇ」

「渋谷凛がデビューしたのは15歳でしたっけ? それから数十年が経ったから……もう30歳くらいですよね?」ニコニコ

「算数もできないんだ。今は27だよ」

「ふふっ、アラサーですね」

 

 

 一々癪に触る女だ。早いとこ諦めさせて帰ってもらわないとストレスで胃がやられそう。

 

 

「ふぅ……年齢の事とか昔の話は置いておいてさ、もう一回言うけど私の旦那にちょっかい出さないでくれる?」

「嫌です、これは……"復讐"なんですよ。渋谷凛さん」

「……はぁ?」

 

 

 復讐? 何を言ってるんだこの女は。 そもそもこの女と会ったことなんて無いし、恨まれる要素なんて何もないはずだ。

 

 

「言ってる意味が分からないんだけど」

「ふ、ふふっ……あなたが知らなくても関係ありません。私はあなたを許しません……っ」

「説明してよ、意味が分からない」

「いいですよ、説明しますよ。あなたは……」

 

 

 

「私の大切な彼を奪った張本人じゃないですかっ!!」

「……えっ?」

 

 

 何? 大切なカレー? かれ、かれ……加蓮?

あっ、彼か。いやいや、さっぱり分からない。

 

 私が奪ったって……どういうこと?

 

 

「ふふふ……とぼけないでくださいよ。アレは私が高校生だった頃……今から数年前の話です」

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 あの日、私は高校3年間片想いをしていた彼に想いを伝えたんです。それなのに……

 

 

『す、好きです! 付き合ってください!』

『ごめん、俺しぶりんみたいな子がタイプなンだわ。てかしぶりんと結婚するから』

 

『…………っっ!!!』ガ-ン

 

 

 ゆ、許さない……許さないっ! 渋谷凛…っ!

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

「あの日から! 私はあなたを恨み続けてきたんですよ! 彼を奪った渋谷凛……あなたをねぇっ!!」

「…………」ポカ-ン

 

 

 …………えっ? い、今のが理由…?

 

 

 

「い、いやいやいや! 逆恨みじゃんソレは! 私何もしてないし!」

「あなたが何と言おうが私は許しませんよぉっ!」

「……てことは、アンタの復讐って」

 

 

「そうですよっ! 私の大切な彼を奪ったあなたの大切な男を奪うことですよ!」ムキ-!

 

 

 え、えぇ……どうしよう、すごい逆恨みだ。これはまた面倒な子に目付けられたものだ……

 

 ん?という事は……この子。

 

 

「ちょっと待って、私への復讐が目的って事はアンタ私の旦那の事は……」

「全然好きじゃないですよっ! あんな女慣れしてなさそうな優男なんて!」

「…………はぁ〜」

 

 

 なんか……一気に力抜けちゃった。

 

 つまり何だ、この女は最初から私の敵でもライバルでも何でもなかったのだ。 最初から同じステージになんか立っていなかった。

 

 

「アンタ……なんというか、はぁ……」

「な、何よその可哀想なモノを見る目は! 確かに昔のアンタは可愛かったわよ! 私の憧れだったわよ! でもそんなアンタに復讐するために私も女を磨いたのよ! 見なさいこのバストをっ!!」

 

 

 そう言って女は必死の形相で自分の胸を手で持ち上げて見せた。

 

 まぁ……確かに大きいけどさ。 昔の愛梨くらいかな。

 

 

「この体を使って迫ればアンタの旦那なんてすぐに堕ちるんだからね! さっきだって私の胸チラチラ見ちゃってさ!」

 

 

 ……それについては一回アイツを殴るとして。

 

 あぁ、どうしよう……さっきまで物凄く憎らしかったこの女が急に可哀想にしか見えなくなってきた。

 これがもし私の戦意を削ぐための演技だとしたら大したものだけど、この必死な様子を見る限りそんな事も無いのだろう。

 

 

「とりあえずアンタもう帰んなよ、なんかアホらしくなってきた……」

「うっさい貧乳!」

「……は?」ピキッ

 

 

 ダメだ、やっぱりこの女は憎たらしいやつだ。

 

 

「別に私小さくないんだけど」

「うっさい! 昔クラスの男子が言ってたんだから! 渋谷凛はニュージェネの貧乳枠だって!」

「卯月と未央が大きいだけだから! 相対的にってだけでしょそれ!」

「トラプリでも貧乳枠のくせに!!」

「奈緒と加蓮がデカいだけだから!!」

 

 

 ギャ-! ギャ-!

 

 

「お、おい凛? どうしたんだ一体」

「はぁ……はぁ……なんか、変な因縁つけられて」

「因縁?」

 

 

「う、うぅ〜! えっぐ……ひぇっぐ……うわ〜ん!」

 

 

 女はいきなりその場にしゃがみ込んだかと思えば急に泣き出してしまった。

 

 な、なんかもう……私も疲れたんだけど。

 

 

 

「凛、説明してくれよ」

「……はぁ」

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 

「それって逆恨み……」

「わかってる、だから私も困ってて」

 

 

「ひっぐ……うぅ、ひぅ……っ」

 

 

 2人して困ったように顔を見合わせる。流石にこのまま放っておく訳にもいかない。

 

 

「……わかった、ちょっと俺に任せてくれ」

「はぁ……うん、じゃあお願い。私ちょっと疲れちゃって」

 

 

 そう言うと彼はしゃがみ込む女の横へと同じようにしゃがみ込む。そしてその大きな手のひらで優しく背中を摩り始めた。

 一瞬だけムッとした想いが胸をよぎったけど、まぁ泣いてるあの子を慰めるためだし我慢しよう。

 

 

「大丈夫? ほら、ゆっくりでいいから深呼吸してみて」

「……ぐすっ、……すぅーはぁ〜」

「落ち着いた?」

「……はい゛っ」

 

 

 顔を上げた女の目元は涙やら何やらでぐしょぐしょになっていた。 その顔を見てるとどこか申し訳ない気持ちも湧いてくる。

 

 

「凛から聞いたよ、復讐のこと」

「……はい」

「まぁ……その、確かに彼の事は残念だったけどさ、いつまでも悪い思い出ばっかり引きずってたら楽しくないでしょ?」

「それは……まぁ」

 

 

 優しく、子どもに言い聞かせるような声色で彼は話を続ける。

 

 

「君はまだ若いし人生これからじゃないか。きっとこれからいい出会いもあるさ、俺みたいな奴でもあんなに素敵な人に出会えんだ。君にもそんな出会いが絶対にあるよ」

「……そう、ですかね」

「うん、絶対にあるよ」

 

 

 素敵な人って……ほんと、サラッとそういう事言うよね。

 

 顔、熱くなってきた。

 

 

 

「というか、君は復讐に心を囚われすぎて視野が狭くなってるのかもね」

「どういう、ことですか…?」

「復讐に囚われてるから、いつまでも嫌な思い出を引きずってるんじゃないかなって。きっと君の周りには、素敵な出会いの可能性がいくつも転がってると思うよ?」

「なんで……そんな事言えるんですか…?」

 

 

「え、だって君は可愛いじゃないか」

 

 

「……えっ」

「ちょっ!?」

 

 

 何をキョトンとした顔で女を口説いているんだこの優男は……しかも妻である私の前で。

 

 はぁ……本当に、人に優しいというか甘いというか。

 

 

「それだけ可愛いんだからさ、きっと君のことを好きになる人もいっぱいいるよ」

「そ、そうですかね……? 私、可愛いでしょうか…?」

「え? あ、うん」

「店主さん……わかりました!」

 

 

 そう言うと、女は立ち上がって自分のスカートをぽんぽんと叩いて埃を落とす。スッキリとした顔を見るに吹っ切れたようで、というか薄らと頬が赤い気がする。

 

 ……女の勘が言う。嫌な予感がする、と、

 

 

 

「ありがとうございました店主さん! 私、なんだか元気出てきました!」

「そう? ならよかった」

「それと渋谷凛さん」

「え、なに…?」

「私、あなたへの復讐心はもう捨てることにします! これからは……これからは…!」

 

 

「新しい恋に生きることにします!」

 

 

 そうして、私への復讐心に燃えていた女は物凄いスピードで走って店から去っていった。

 

 不穏な捨て台詞を残して……

 

 

 

「行っちゃったね」

「はぁ……疲れた」

「ははっ、今日はもう店じまいしようか」

 

 

 言われて気づいた。上を見上げると青かった空はすっかりとオレンジに染まり、ノスタルジーに浸らせるような鳥の声が響いている。

 

 

「そうだね、じゃあもう閉めよっか」

「了解」

 

 

 アイツはそう言って微笑むと、大きな音を立てて店のシャッターが閉められた。

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

「はぁ〜! 今日は何か大変だったなぁ〜」

「そう、だね……」

 

 

 確かに、今日はちょっと疲れた。色々とあったからだけど疲労感がすごい。

 それに、今日のところは一旦解決…? したけど、今後ももしかしたら私の敵は現れるかもしれない。

 

 そんな事を考えると、胸がざわついて、どうしようもなく不安になる。

 

 

 

「……ちょっとこっち来て」

「ん? ちょっ、凛!? 」

 

 

 店の裏……つまり私たちの住居スペースを歩いているアイツの腕を引っ張っていく。そのまま有無を言わさず引っ張り続けてリビングに連れ込んだ。

 

 

 

「ど、どうしたんだよ凛」

「ザワっとする」

「え?」

 

 

 口からポロッと溢れた私の言葉に、向こうは不思議そうな表情を浮かべる。

 

 

「胸が、ざわざわして落ち着かない」

「だ、大丈夫か? びょ、病院行くか!?」

「アンタが!!」

「……っ!」ビクッ

 

 

「アンタが……あの子に、可愛いとか言うから……私は、胸がざわつくんだよ」

「り、凛……」

 

 

 みっともない嫉妬心。 それをこの人にぶつけても何も意味がないことなんて分かっているのに、どうしようもなく不安になって口から溢れてしまった。

 

 

「ごめん、俺が悪かったよ。不安にさせちゃったよね」

「……私こそごめん、こんな……八つ当たりみたいな」

「凛」

「……ん」

 

 

 大きてゴツゴツとした体が私を包む。首筋に顔を埋めて鼻を一度鳴らすと、柔軟剤の匂いと彼本来の匂いを感じられて心が落ち着く。

 

 

「アンタは誰にでも優しいから……そういうとこ見てると不安になる」

「ごめんね……」

「みっともないよね。こんなの……アンタを信用してないみたい」

 

 

 本当、みっともない。夫婦なのに……私、全然この人全然のこと信用できてない。

 

 

「……凛、それを言うならみっともないのは俺も同じだよ」

「えっ」

「実は俺も凛と同じ気持ちになったこと、何回もあるよ」

「そうなの…?」

 

 

 体を離して彼の顔を見ると、少しだけ恥ずかしそうに頬を掻きながら笑う。

 

 私の好きな表情だ。

 

 

「凛は綺麗で可愛いから、2人でいる時もよく男の人は凛のこと見てた。 それに、共演する芸能人は俺なんかよりずっとカッコいい人が多くて……そんな時、俺勝手に不安になったり嫉妬したりしてた」

「……そうなんだ」

「うん、本当に俺でいいのかなって何回か考えたよ。ある日突然、凛が別の人のとこ行っちゃうんじゃないかとかさ。凛がそんなことするはずないのにな」

 

 

 初めて知った。いつもお気楽そうだったけど……そんなふうに思うこともあったんだ。

 

 

「同じだね、私たち」

「うん、同じだ」

 

 

 顔を見合わせて静かに笑い合う。

 

 そっか、私たち2人して同じ気持ちを抱えてたんだ。心のどこかでは不安だったんだ。

 

 

 

「だからさ、もう一回ここで気持ちを確認し合わない?」

「えっ……い、嫌だよ恥ずかしいし…」

「ははっ、でも……こういうのは偶には口に出して確認するのが大切だって前にどっかで見たよ? それに……」

「それに?」

 

 

「俺が、安心したいんだ。ダメかな」

「……ふふっ、私も安心したい」

 

 

 お互いの肩を抱き合い、目を見つめ合う。

 

 ……なんか、結婚式の時を思い出すな。ふふっ。

 

 

「じゃあ、言うよ?」

「ん」

 

 

「俺が好きなのは凛だけだよ。絶対他の人に靡いたりなんかしない……愛してるよ」

「私も、アンタのことが好きだよ。他の男なんか全然興味無い……愛してる」

「あはは……照れるな」

「うっさい、アンタがやろうって言ったんでしょ」

 

 

 でも、やっぱり言葉にしてもらうと嬉しいな。 ふふっ、愛してる……か。

 

 

「どう?安心しましたか? 旦那様」フフッ

「うん、安心した。凛の愛がひしひしと伝わってきたよ」

「ばーか」

 

 

 気がつけばさっきまでの不安感や胸のザワつきは何処かへと消え失せていた。我ながら単純だとは思うけど、言葉にしてもらって安心したのかな。

 

 でも、まだ足りない。

 

 

 

「ねぇ、ちょっと屈んでよ」

「なんで?」

「いいから」

「これでいい?」

 

 

 素直に言うことを聞いて屈むのが少しだけ可愛らしい。本人に言ったら怒るかもしれないけど、なんか犬みたいで。

 そして私は彼のシャツを少しだけはだけさせて、無防備に晒された首筋に……

 

 

 歯を突き立てた。

 

 

 

「い゛っっ!?」

「あむ……んぐ」

「ちょっ、凛!? 凛さん!? いだっ! いだだだだっ!」

「……ぷはぁ」

 

 

 口を離して彼の首筋を見ると、目論み通り立派な歯型が残っていた。……でもちょっとやりすぎたかもしれない。

 

 

「な、なんだったの?」

「シルシだよ」

「え?」

「アンタが私のだっていうシルシ。ふふっ」

「……そんな犬みたいな」

 

 

 なんとか視線をズラして歯形を確認しようと悪戦苦闘する姿が、なんだか子どもみたいでクスクス笑ってしまう。

 

 

「そんなこと言ってちょっと興奮してたりして……アンタそっちの気あるもんね」

「だ、誰がMじゃい!!」

「ふふっ、冗談だから怒んないでよ」

「よーし決めた。そんなら俺も凛が俺のだっていうシルシつけるかんなー」

「ふーん、どうやって?」

 

 

「歯形には……歯形返しじゃい!」

 

 

 そう言って私めがけて飛び掛かってくる。その後はもう、じゃれあいという名の取っ組み合いの始まりだ。

 

 

「ちょっ、嫌だって! 他の人に見られたら恥ずかしいじゃん!」

「俺だってこんな目立つ歯形つけられたら明日からお客さんに丸見えだっつーの!」

「わ、わかった! 謝るから! ちょっと強くやりすぎたって! だから離し……くふっ! こ、こらっ! くすぐりはズルいって!」

 

 

「ほーれほれ、くすぐられたくなかったら早いとこ首を差し出せい!」

「あはっ、あはははっ! ちょ、そこっ、やめ……てっ! く、くふっ……こ、このっ!」

「あだっっ!! ま、また噛んだな!? 歯形2個目だぞっ!?」

「あはははっ!」

 

 

 あーおっかしい……私ってば、何をウジウジと不安がってたんだろ。

 

 この人となら、きっといつまでも2人で一緒にやっていける。 そう、ずっと一緒にね……

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

ー後日ー

 

 

 

「ねぇ……コレはどういうこと?」ゴゴゴゴ

「り、凛!? い、いやぁ俺にも何がなんだかさっぱり……」

 

 

「あ、あのぉ〜 店主さん……そのぉ、今度お食事にでもぉ……」モジモジ

 

 

 翌日、店を開けてしばらくすると昨日の女がやってきて、またしても私の旦那に対してアピールを始めた。

 

 

「ちょっとどういうこと!? アンタ、ウチのには興味無いって!」

「で、ですけど……それは昨日までの私でぇ〜、今日からの私は復讐心を捨てて新しい恋に生きるんです〜!」

「はぁ……」

 

 

 嫌な予感が当たった。 この女……やっぱり昨日のアレで本気に……

 

 

「店主さん!店主さん! このお花、私に似合いますかね?」

「え、えーっと……あはは、困ったな」

 

 

「帰れ〜〜っ!!!」

 

 

 この後、私のうなじにくっきりと浮かぶ歯形を見せつけたら諦めて帰っていった。めでたし、めでたし。

 

 

 





 そろそろまた凛とか夕美ちゃんみたいな誰か√編を書きたいような気持ちが出てきました。
 ただ気持ちがあるだけで全然内容は考えてないので、またここ最近のように短編を投稿し続けていくかもしれません。要は全くの未定です。

 ただ、もしかしたらやるかもしれないという事だけはお伝えしたかったので書かせていただきました。


 


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相葉夕美編
プロデュース



 今回から相葉夕美ちゃん編です。ただ夕美ちゃん編を投稿してる途中で前回までのような番外編を投稿する可能性もあるかもしれません。

 ここまでの話で主に夕美ちゃんが登場するのは5話と24話です。




 

 季節は9月、長い長い夏休みが明けてもまだまだ暑さは収まらない。少し走れば汗をかくしセミもまだ少しだけどうるさく鳴いている。

 

 あくまで俺の中のイメージだけど、夏っていうのは6〜8月の間で9〜11月が秋ってイメージなんだよね。でも実際のところは9月ってまだまだ夏と変わらない暑さだ。

 

 

「はぁ〜あっつい……」

 

 

 額にじんわりと広がる汗を手で拭う。ジリジリと照りつける太陽の光に鬱陶しさを覚えながら街を歩く。

 

 今日は大学もバイトもない完全にフリーな日だったから家でゆっくりしていたんだけれど、流石にずっと家にいるのも飽きてきて外に出て何かないか探していたんだよね。

 でもなんの目的もなく歩いてるだけじゃ面白いものなんて見つからないし、この暑さも鬱陶しいしそろそろ家に帰ろうかな……

 

 

「ん? あれって公園か…?」

 

 

 今来た道を戻って家に帰ろうとしたその時、チラリと視線を横に移すと森に囲まれた公園があることに気がついた。

 

 丁度いいや。こんな暑い日の下を歩いて帰るよりあっちの日陰を歩いた方が絶対にマシだ。

 

 そうして俺は日陰に吸い込まれるようにして公園の中に入っていった。

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

「ふぅ……さっきよりマシだけど、やっぱりそれでも暑いな」

 

 

 大きな木が作り出す日陰の下を歩き続ける。

さっきから疲れ果てたようにゆっくりと足を動かす俺の横を、公園で遊ぶ子どもたちが元気に走って抜かしていく。

 

 こんな暑い日にあんな走って疲れないのかな……? やっぱり子どもの体力はすごいなぁ。

 

 

 そんなことを考えながら歩き続けていると、いつの間にか木に囲まれた道の終わりが見えてきた。また鬱陶しい日差しを浴びることになるのかと嫌気が差すが、これはもう仕方のないことだと割り切って進む。

 

 そして森のような道を抜けるとジリジリした日差しが俺の体に襲い掛かるが、そんなことが気にならないほど美しい光景が視界に映り込んできた。

 

 

「おぉ〜。綺麗な花畑だな」

 

 

 木で覆われた道を抜けた先には、大きな広場があっていくつもの花壇が広がっている。そしてそこには様々な色や形の綺麗な花がいくつも咲いていた。

 

 

「へぇ〜、こんな綺麗な場所があったんだなぁ……」

 

 

 俺は花壇に咲いている花を眺めながらゆっくりと歩く。

 

 別に俺は特別花に詳しいわけとかじゃないけど、この花たちがよく手入れされているのはひと目見ればわかる。でもこの量の花たちをお世話するのはかなり大変そうだな……

 

 

 

「ふんふーん♪ ほーらお水だよ〜」

「ん?」

 

 

 すると広場の中で花壇に咲く花へと話しかけている人を見つけた。その人はニコニコと楽しそうに鼻唄を口ずさみながら、手に持ったホースから出る水を花へと浴びせている。

 

 その人物の後ろ姿と声が俺に、俺は心当たりがあった。

 

 

「あれ、相葉さん…?」

「えっ?」クルッ

 

 

 後ろから声をかけるとその人はクルッと振り返って俺に顔を見せる。そして俺の予想通りその人は相葉さんだった。

 

 相葉さん、本名相葉夕美さんは俺のバイトしている346プロに所属するアイドルであり、俺の通う大学の同級生でもある。

 

 

 そんな相葉さんは声をかけてきた相手が知り合いの俺であることに気がつくと、ニコリと微笑んで挨拶をしてくれる。

 

 

「あっ! 白石くん!おはよー」クルッ

「ちょっ! 相葉さっ…!」

「え?……あっ!」

 

 

 顔だけ後ろに向けていた相葉さんは、クルリと体全体を方向転換して俺の方へと向き直る。すると当然ながら相葉さんが手に持っていたホースも俺の方を向くわけで……

 

 

 ブシャ----!!!

 

 

「ぶふぉっ…!?」

「わーっ! ご、ごめん白石くんーっ!」

 

 

 ホースから勢いよく出る水が俺の全身へと浴びせられ、さっきまで暑かった体が一瞬で冷やされたのだった……

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

「ご、ごめんね白石くん……」

「気にしなくていいよ。ほら、今日すごい暑いからむしろ気持ち良いくらいだから」

「で、でも服もビチョビチョで……」

「こんな暑いんだからすぐ乾くよ」

 

 

 全身水まみれの俺と相葉さんは、広場に置いてあったベンチ並んでに座っている。

 

 水が気持ち良かったのは本当だから俺は全然気にしてないのに、相葉さんはずっと謝りながら持っていたハンカチを俺の頭に当ててくれている。

 

 

「相葉さん、本当にもう大丈夫だからさ」

「ダメだよ! ほら、次は服を拭くからね」

「今のダジャレ?」

「……ち、違うもん」

 

 

 相葉さんは口をぎゅっと閉じて顔を真っ赤にさせながら俺の背中にハンカチを当てる。余程恥ずかしかったんだろう。

 

 ……指摘してあげないほうが良かったかな?でも高垣さんのせいで俺のダジャレセンサーが日に日に強化されてるんだよね。あとあの人はダジャレに指摘してあげるとめちゃ喜ぶから、ついついそれがクセになって相葉さんのにも反応しちゃったよ。

 

 

「ふぅ……じゃあ次は体拭くからシャツを脱いでね!」

「はいはい………はぁっ!?」

 

 

 ちょっ! こ、この人何を言い出すんだ!?こんな場所で服なんか脱ぐわけないだろ!?

 

 

「ん? どうかしたの?」

「い、いやいや! 流石にそこまでしなくていいから!」

「でもちゃんと拭かないと風邪引いちゃうよ!」

「いやもうほとんど乾いてるからさ!」

「そんな一目見たら分かるような嘘ついてもダメだよ! ほら早く脱いで!」グッ

 

 

 や、やだっ…… 相葉さんったら大胆っ…!

ってそんなことを言ってる場合じゃない!

 

 相葉さんは俺のシャツをガッチリと掴むと、力を込めてそれを脱がそうとしてくる。俺は当然それに対して抵抗するが、なかなか相葉さんは諦めてくれず膠着状態が続く。

 

 

「男の子でしょ…! 照れてないで早く脱ぎなさいっ…!」グググ

「いや男とか女とか関係なく外で脱ぐのなんて恥ずかしい行為だから!」グググ

「男の子はプールで上半身裸になるでしょ!」

「それはそうだけど…! ぬ、ぬぉ〜っ!

服が破ける〜〜っ!!」

 

 

 ま、まずい……! このままだと服が避けて家まで上裸で帰る羽目になってしまう…!

 全身びしょびしょ人間か上半身露出男なら明らかに前者の方がマシだ…!

 

 

「わ、わかった! わかったからとりあえず手を離そうか!」

「ほ、本当?」

「本当だってば…!」

「……わ、わかった」パッ

 

 

 そう言うと相葉さんはやっと俺のシャツから手を離した。そして「さぁ約束通り早く脱げ」と視線で訴えかけている。

 

 

「さぁ白石くん。早く脱いでね」

「わ、分かってるってば」

 

 

 そう言って俺は自分の腰に付いているベルトへと手をかけて、わざとらしくカチャカチャと音を立てる。

 

 

「ちょ、ちょっ…!? 何してるの!?」

「だって相葉さんが脱げって言ったんじゃないか」ニヤリ

「そ、そっちじゃなくて上に決まってるでしょっ!!」バシッ!

「ふごっ…!」

 

 

 相葉さんは顔を真っ赤にして俺から目を逸らす。そんな姿を見てしてやったりな表情を浮かべていると、背中にかなり強めの平手が飛んできた。

 予想以上の痛みに俺はその場で体をくの字に曲げて背中をさする。

 

 

「ちょ、ちょっとしたジョークのつもりだったんだけど……っ」プルプル

「じょ、ジョークになってないよ! バカ!エッチ!変態!スケベ! 童貞! 」

「そ、そこまで言う…!? ていうか今アイドルが言っちゃいけないような言葉混じってなかった!?」

 

 

 相葉さんは俺を罵倒してプイッとそっぽを向いてしまう。軽いジョークのつもりだったけどちょっとやりすぎてしまったようだ。

 

 

「ご、ごめんって。ちょっと悪質だったね」

「……もぅ」

「だから許してくれないかな…?」

「……うん」コクッ

 

 

 相葉さんは俺の方に向き直ると、まだ少し頬は膨れているけれど首を縦に振ってお許しの意を示してくれた。

 

 ほっ……なんとか許してもらえたぞ。

 

 

「で、どうしよっか?」

「何が?」

「いや……今から脱ぐ?」

「……も、もういいっ」プイッ

「あ、あはは」

 

 

 またしても相葉さんは顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。それに対して俺は苦笑いを浮かべる。

 

 とまぁ……そんなこんなで、俺が公園の中で上裸になって相葉さんに体を拭かせるという羞恥イベントは回避することができたのだった。

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 あれから数十分後、すっかり機嫌の直った相葉さんは花壇に咲く花への水やりを再開していた。俺はその横に立って作業をぼーっと見つめている。

 

 

「ここのお花さんたちはね? 私がボランティアでお世話させてもらってるんだ〜」

「えっ、そうなの?」

「うん!」

 

 

 なんとここに咲いてるとてつもない量の花たちは相葉さんが世話をしていたらしい。こんなに沢山あるのにすごいなと素直に感心した。

 

 

「白石くんもお水あげてみる?」

「えっ、でも俺ガーデニングの知識とか何にもないけど……」

「お水あげるだけだから平気だよっ! ほらほら!」ガシッ

「お、おぉ……」

 

 

 相葉さんは自然な流れで俺の手を握ってホースを渡してくる。少し触れただけなのに動揺していることを悟られたくなくて、俺は相葉さんから顔を隠すように花に水を浴びせる。

 

 

「あ、そっちはさっきあげたから別のとこにあげてくれる?」ズイッ

「うぉっ……わ、わかったよ」

 

 

 しゃがみ込んで水を浴びせる俺の体に、相葉さんはずいっと体を寄せてくる。少しビックリして声が出てしまったけど、相葉さんは花に夢中で俺が声を出したことには気づいていない。

 

 

「ふふっ……元気に育つんだぞ〜」

 

 

 俺と同じようにしゃがみ込んでいる相葉さんの横顔をチラリと盗み見る。

 目を細めて花のことを嬉しそうに見つめながら、自分の顔にかかった髪の毛を耳にかける仕草にドキッとする。

 

 さらに近くにいる相葉さんの匂いなのか花の匂いなのか分からないが、さっきからずっと甘い香りが鼻腔をくすぐっていて心臓はバクバクしっぱなしだ。

 

 

「ん? どうかしたの?」

「あっ……い、いやっ! 今そっちの方に蜂が飛んでたからさ!」

「えっ、本当〜?」キョロキョロ

 

 

 相葉さんの顔を見ていたことがバレてしまい咄嗟に嘘をつく。相葉さんがキョロキョロと蜂を探している間に、俺は深呼吸をして精神を落ち着かせる。

 

 

「あっ…!」

「どうかした?」

「ほら見て見て! 向こうにあるベンチ」

「ん?」

 

 

 相葉さんの指差す方へと視線を向けると、そこにあるベンチには学ランとセーラー服を着た男女が仲睦まじく手を繋いで座っていた。

 

 

「中学生カップルかな〜? 初々しくて可愛いね〜!」

「ちゅ、中学生ですとっ!?」

 

 

 ちゅ、中学生なのにもう彼女がいるのか!?なんて生意気な……! 俺の灰色の青春時代とはまるで真逆じゃないか!

 

 

「ぐ、ぐぬぬ……っ」

「はぁ……こーらっ」コツン

「ぐふっ」

「中学生に嫉妬しないの。もぅ」

 

 

 相葉さんが呆れたように小さく息を吐いて俺の頭を小突く。でも羨ましいものは羨ましいのだから仕方がない。

 

 

「あっ! あっちにも…!」

「なにっ!」

「ほら、向こうの方に……!」

 

 

 今度は大人のカップルだろうか、明らかに俺たちよりは年上の男女が手を繋いで公園の中を歩いている。

 

 

「み、見せつけやがって……ぐぬぬっ!」

「いや、私たちが勝手に盗み見てるだけだからね?」

「というかここカップル多くない?」

「そりゃ、お花畑ってデートとかするのに定番のスポットじゃない?」

 

 

 そ、そうだったのか……これは覚えておこう。いつか俺に彼女ができた時に使えるかもしれない。

 

 

「白石くんってさ?」

「ん?」

「やっぱり彼女とか欲しいの?」

「……欲しくないと言えば嘘になる」

「つまりは?」

「めっちゃ欲しい」

 

 

 そうさ、俺だって彼女欲しいよ! ていうか彼女が欲しくないっていう男の方が少ないと思うけどね!

 

 

「ふーん……そうなんだ」

「相葉さん? どうかしたの?」

 

 

 相葉さんはそう言うと、目を閉じて自分の顎に手を置き何かを考え込んでいる。

 しばらくそんな様子の相葉さんを眺めていると、急に目を開いた相葉さんがビシっと俺の方へと指を差して言葉を発した。

 

 

「じゃあ私が協力してあげるよっ!」

「きょ、協力って……?」

 

 

「私が白石くんのことをプロデュースしてあげるってこと!」

「ぷ、プロデュースぅ!?」

 

 

 相葉さんは見事なドヤ顔でそう言った。

 

 

「……つまり、どういうこと?」

「だから、白石くんが彼女ができるようなカッコいい男の子になるためのアドバイスを私がしてあげる!」

「お、おぉ……」

 

 

 つ、つまり……俺に色々とアドバイスをしてくれるってことなのかな……?

 

 

「いまいちピンときてない感じだね……」ジト-

「だ、だってさ……ちょっと急すぎて」

「白石くん、私現役の女子大生でアイドルだよ?」

「えっ? あ、あぁ……うん、そうだね」

「そんな私が! 女の子の視点から見た視点でアドバイスをしてあげるって事だよ! これってもう勝ったも同然なんだよ!」

「お、おぉ……そ、そうなのかな……?」

 

 

 相葉さんは自信満々にドヤ顔をキメて自分の胸を叩いた。

 

 まぁ確かに、女の子からの視点とかは俺じゃどんなに頑張っても分からないことだけどさ。

 

 

「とにかく! 今日から私が白石くんの師匠だからね!」

「し、師匠!?」

「うん! この恋愛マスターの夕美ちゃんに任せなさい!」

 

 

 そう言って相葉さんはとても楽しそうに笑っている。

 

 ……もしかしてこれ、相葉さん自分が楽しんでるだけじゃないかな…?

 

 

「恋愛マスターって言うくらいだし、相葉さんはそういう経験が豊富なの?」

「………」

「相葉さん?」

「と、とにかくっ! 今後恋愛方面の相談事があったら私に相談すること! わかった!?」

「りょ、了解であります…!」

 

 

 その相葉さんが出すあまりの迫力に気圧されて、俺は思わず敬礼を決めてしまった。

 

 急な決定でいまいち自分でもよく分かっていないがとにかく、相葉さんが俺の彼女作りに協力してくれることになったということらしい。

 

 まぁ……相葉さん自らがすすんでそう言ってくれているんだから、ありがたく協力してもらうことにするか。

 

 

「じゃあ早速質問よろしいでしょうか、相葉先生!」

「うん! 何でも聞いてね!」

「どうすれば彼女ができますか!」

「えっ…?それは……えーっと」

 

 

 早速恋愛マスターに質問を投げかけると、マスターは目を丸くして焦ったように目をぐるぐると動かしている。

 

 

「そ、そういう抽象的な質問には答えられませんっ!」

「え、えぇ……」

「もっと具体的な質問にしてね!」

「……じゃ、じゃあどうすれば女の子にモテるようになりますか!」

「うんうん! それはね〜……」

 

 

 ………

 

 

「あ、相葉さん……?」

「……ちょ、ちょっと今度会う時までに調べてくるね!」

「えぇ……」

「こ、こらっ! 師匠に向かってそんな顔しないの!」

 

 

 相葉さんは顔を真っ赤にしながら、腰に手を当てて俺のことを叱る。

 

 

 だ、大丈夫か……? これ……

 

 

 こうして俺と相葉さんの間に奇妙な関係性が出来上がったのだった。

 

 



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ハプニング

 

 相葉さんが俺の恋愛師匠になってから数日後のある日、大学で友達と何をするでもなく適当に駄弁っていた時に突然携帯が震えた。

 

 

相葉さん『白石くん今大学にいる? もしいるなら近くのカフェでちょっと会えないかな?』

 

 

 噂をすれば相葉さんからのメッセージだ。

 

 

「ん? 誰からだ?」

「えーっと……し、師匠?」

「はぁ? なんだそりゃ」

 

 

 俺がジッとスマホを眺めていると、横にいる友人が相手は誰だと聞いてきたので適当に誤魔化しておく。

 しかし俺の適当な解答に納得がいかなかったのか、友人は俺への質問攻めを続ける。

 

 

「……女だろ」

「えっ? あ、いや…違う違う! 確かに性別はそうだけど、そういうアレではないから!」

「は? マジで女かよ! 白石お前、女の子の連絡先とか知ってたんだな」

「あ、当たり前だろ! 俺だってそのくらいはだなぁ!」

 

 

 ……まぁ、大学入るまではマジで連絡先に親とむさくるしい男友達の名前しか無かったんだけどね。それは黙っておこう。

 

 

「じゃあ俺ちょっと行ってくるから」

「なんだよ〜、俺との時間より女をとるのか〜?」

「当たり前だろ」

「ははっ、まーな。俺でもそーする」

 

 

 ケラケラと笑う友人を他所に、俺はスマホで相葉さんに『今向かうよ』といったメッセージを返信する。

 

 

「なぁなぁ、その子可愛い?」

「何だよその質問」

「いーから聞かせろって」

「……めちゃくちゃ可愛いぞ」

「か〜っ! 羨ましい! 何でお前がそんな出会いに恵まれたんだ!」

「色々あるんだよ、色々。 とにかく俺行くからな」

「はいよ〜」

 

 

 ヒラヒラと適当に手を振る友人に背を向けて、俺は小走りで相葉さんがいるという大学近くのカフェへと向かった。

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

「あ、白石くん。ここだよ〜」

「ごめん、待たせちゃったかな?」

「そんなの全然いいよ、急に呼んだのは私の方なんだからさ」

 

 

 指定されてたカフェの中に入って席をキョロキョロと見渡していると、俺の名前を呼ぶ相葉さんがヒラヒラと手を振っているのが視界に入った。

 

 ……なんかデートの待ち合わせみたいでちょっとドキドキするなぁ。まぁそんなこと口に出さないけど。

 

 

「なんだかデートの待ち合わせみたいだねっ」

「ぶーっ!」

「わっ! 大丈夫?」

 

 

 あ、危ない危ない、まだ口に何も入れてなくて良かった…。

 

 

「だ、大丈夫だよ」

「急に吹き出すからビックリしちゃったよ〜」

「は、ははは……」

 

 

 口元に手を当ててクスクスと笑う相葉さんに対して俺は苦笑いを浮かべる。

 

 ビックリしたのはこっちもなんだけどね……

 

 

「何か飲む?」

「じゃあ……コーヒーにしようかな」

「はーい! 注文お願いしま〜す!」

 

 

 相葉さんは元気な声で店員さんを呼ぶ。大きな声を出して周りに気づかれないのか心配だが、見たところあまり客もいないので大丈夫だろう。

 

 

「あ、そんな大きな声出して大丈夫なのか?

って顔してるね」

「え、俺そんな顔してた?」

「うん! でも安心して? ここの店長さんとは知り合いだから大丈夫なんだ〜」

「へぇ〜」

 

 

 そう言って相葉さんはドヤ顔をキメる。確かに知り合いなら元々バレてる訳だし、今さらコソコソとする必要もないな。

 

 そしてやって来た女性……この人が店長さんかな? とにかくその人に相葉さんが注文をして、店長さんが遠くへ行ったのを確認した相葉さんは語り出す。

 

 

「それでね?今日白石くんを呼んだ理由なんだけど、この前のお話の続きをしようかなって」

「この前のって?」

「とぼけちゃって〜 ほら、白石くんに恋人ができるように私がアドバイスするって話っ!」

「あ、あ〜 その話ね」

 

 

 相葉さん、拳を胸の前で握りしめてニコニコと笑ってるけど……やっぱりこの状況を楽しんでるよね。 まぁ女の子は恋の話とかそういうの大好物っていうからなぁ。

 

 

「それでね、白石くんがどうやったらモテモテになるか私なりに色々と考えてきたんだ!」

「お〜!」

「これが白石くん大改造計画の全貌だよ!」

 

 

 すると相葉さんは大きな白い画用紙を取り出した。ソレには俺がモテ男になるためにするべき事が箇条書きで記載されている。

 

 め、めちゃくちゃ気合い入ってるな……。

 

 

「えーっと……お洒落なファッションを身につける、髪型をかっこよくセットする……それ以外にもたくさんあるね」

「あーうん、でもその辺はよく考えたら別に必要ないかな〜って。 だって白石くん別に見た目はそこまで悪くないし」

「えっ、ま、まさか俺って自分が気づいてないだけで実は結構イケメ……」

「あ、それは違うから♪」ニコッ

「あっ、はい」

 

 

 軽い冗談のつもりだったのに……めちゃくちゃいい笑顔で現実を突きつけられた。

 

 

「だから一旦外見のことは置いておいて、白石くんの場合は中身を変えるべきだと思うの」

「中身……性格ってこと?」

「うーん……性格っていうよりは態度かな?

ほら、白石くんって初対面の女の子と話す時にすっごくぎこちないでしょ?」

「う゛っ……た、確かに」

 

 

 自分でも自覚している欠点を突かれて、喉の奥から小さな唸り声を出す。

 

 今となっては少しずつマシになってるとは思うけど、やっぱりあまり話したことなかったり初めて話す女の子の前ではガチガチになっちゃうんだよなぁ……

 

 

「だからまずは女の子を知るところからじゃないかなって!」

「女の子を……知る?」

「うんうん! 女の子が何をされたら嬉しいのかとかそんな感じの……つまりは乙女心ってやつだよっ!」

「お、乙女心…!」

 

 

 なるほど……確かに乙女心なんて俺は全く分からない。それを知ることができれば俺みたいな奴でも女の子にモテるかもしれないのか…?

 

 

「女の子はね? ちょっとした気遣いとかをされるとキュンってするんだよっ!」

「気遣い……例えばどんな?」

 

 

 俺の質問に対して相葉さんは待ってましたと言わんばかりの勢いで、楽しそうに少し早口で語り出す。

 

 

「例えば重い荷物を持ってる時に、そっと優しく手を添えてくれたり……」

「うわっ、急に触んないでよ……きもっ。とか思われないかな……」

「……さ、寒いなぁ〜って時に黙って着ているジャケットを肩にかけてくれたり……」

「うわっ、なんかコレ変な匂いするんだけど。とか思われたりしないかな……」

 

 

「も、もう〜っ! ネガティブ禁止!」ビシッ

「ご、ごめんごめん……つい」

 

 

 次々に口からネガティブな考えを吐き出す俺に対して、相葉さんはテーブルに身を乗り出し俺の顔の前で人差し指をビシッと立てた。

 

 

「そんな悪いことばっかり考えて怖がってたら何にも始まらないよ!」

「た、確かに……その通りです」

「じゃあ話続けるよ? あとは……ささいな事でもいいから女の子の良いところを褒めてあげたりするのもいいんじゃないかな?」

「なるほど……」

「変に遠回しな言い方じゃなくてストレートに褒めてあげるの! 褒められて嬉しくないことなんてないんだからっ!」

「べ、勉強になりますっ…!」

 

 

 相葉さんの言葉をメモ帳にメモしていく。どんな理由であれせっかくここまで熱心に付き合ってくれているんだからこっちも真剣に取り組まないとな。

 

 

「じゃあ実践してみよっか!」

「うん!……えっ?」

「今から飲み物を運んでくる店長さんのことをさりげなく褒めてみるの!」

「ちょっ! そ、そんないきなり!?」

「大丈夫、大丈夫! 変な空気になっても私が仲裁してあげるから♪ ほら、ここの店長さん私の知り合いだし」

「む、無理だってば!」

「ほら来るよ!」

 

 

 な、なんというスパルタ教育っ…! 相葉夕美恋愛相談教室恐るべし……っ!

 

 そんなことを考えていると、相葉さんの知り合いだという女性の店長さんが俺たちの座るテーブルにやって来た。

 

 

「お待たせ致しました。はい夕美ちゃん」

「わー♪ ありがとうございまーす!」

「お客様、どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

「ごゆっくりどうぞ」

 

 

 テーブルにコーヒーと紅茶を置いて小さく微笑む店長さんを観察する。キリッとした印象を与える凛々しいつり目に、腰の辺りまで伸びた綺麗な黒い髪を一つに纏めている。

 

 

 ど、どうするっ…! 何を褒めればいいんだ!? 見た目か、やっぱり見た目か…!?

 ていうかそんないきなり初対面の人を褒めろとか無茶振りにも程があるでしょ相葉さん!

 

 眉間に皺を寄せて腕を組み考え込む俺に対して、相葉さんは早くしろとその綺麗な瞳で訴えてくる。追い込まれた俺はとにかく何かを言おうと店長さんへ声をかけた。

 

 

「あ、あのっ!」

「はい? どうか致しましたか?」

「……こ、コーヒー、美味しそうですね……」

「ふふっ、当店自慢のコーヒーですから」

「あ、そうっスか……」

「はい。それではごゆっくり」

 

 

 そう言って店長さんは去っていった。俺はゆっくりと顔を相葉さんの方へ向けると、少しだけ不満そうな顔を浮かべてこっちを見ていた。

 

 

「白石く〜ん、褒めろってそういう事じゃないんだけどな〜?」

「い、いやいやいや! 今のは俺結構頑張った方だよ! ていうか相葉さん無茶振りが過ぎるって!」

「え〜、そうかな〜?」

「絶対そうだよ!」

 

 

 多分相葉さんや事務所にいるアイドルの子たちは、コミュ力がカンストしてる子が多いから基準がおかしくなっているんだ。 普通は初対面の人に話しかけるのも難しいと思う。

 

 

「まぁ、これから徐々に慣れていけばいっか!」

「は、ははは……」

 

 

 本来可愛らしいはずの相葉さんの笑顔が今は恐ろしく感じる。もしかしたら今後はもっとスパルタな教育をされるんじゃないだろうかと考えると、自然に口から小さなため息が出た。

 

 

「はぁ……あれ? 相葉さん、その髪飾りどうしたの?」

「えっ? あ、これ?」

「うん。この前会った時は付けてなかったよね?」

「えへへっ♪ 実はこの前自分で作ってみたんだ〜」

「え、自分で!? すごいね……花の髪飾りっていうのが相葉さんらしくて似合ってるよ」

「ありがとっ♪」

 

 

 嬉しそうに笑う相葉さんを見て俺は、一度会話を中断してコーヒーを口に運ぶ。香ばしい香りが鼻をかけ抜けて、舌では心地よい苦味を味わう。

 

 

 

「って!白石くん今のだよ!」

「んぐっ!…き、急にどうしたの相葉さん?」

「今私のこと褒めてたでしょ!」

「……あっ」

 

 

 あ……言われてみれば確かに。

 

 

「で、でも今のは実践しようと思ってやったんじゃなくて、自然と思ったことが口から出たっていうか……」

「し、自然とって……も、もうっ! 私のこと褒めたって仕方ないでしょ! そういうのは気になる女の子にしないと!」

「ご、ごめん」

「もうっ、白石くんって意外と人たらしなんだね……」

 

 

 そう言って少しだけ頬を赤くした相葉さんは紅茶へと口をつける。なんとなく気まずさを感じた俺は、相葉さんの真似をするようにコーヒーを飲み始めた。

 

 

「ふぅ……と、とにかく、これからは女の子への気遣いを大事にする! 女の子の良いところを褒めてあげる! 女の子の前でオドオドしない! これを守ることっ!」

「りょ、了解しました!」

 

 

 相葉さんの気迫に押されて俺はビシッと敬礼を決めて返事をする。

 

 

「分かればよしっ!じゃあそろそろ出よっか」

「うん、そうだね」

 

 

 そして俺たちはカフェを出た。外は涼しかった店内とは違い鬱陶しい日差しが地上波を照らしている。

 

 

「白石くんこの後講義は?」

「俺はもう無いよ」

「私もっ! じゃあ一緒に駅まで行こっか♪」

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 静かな道を俺と相葉さんが並んで歩く。ニコニコと楽しそうな相葉さんの笑顔は見ているだけで元気が貰えるので、こんな暑さも何処かへ吹っ飛んでしまう。

 

 

 

「白石くんさ、私に歩くスピード合わせてくれてるでしょ?」

「えっ? 全然意識してなかったけど」

「女の子って背の高い男の人と歩いてるとね?歩幅が合わなくて置いていかれちゃったりすること結構あるんだよ?」

「へぇ〜」

 

 

 女の子と歩幅を合わせる……か。今まで人生で一度も意識したことは無かったな。何故なら悲しいことに、女の子と一緒に歩くなんてことが殆ど無かった人生だからね……ははは。

 

 

「そういうちょっとした優しさとか気遣いって、結構ポイント高いと思うよっ♪」

「おぉ……参考になります」

「うむ。 参考にしたまえ〜」ニコニコ

 

 

 それにしても……相葉さんはこういう類の話に詳しいみたいだけど、やっぱり可愛いし結構そういう恋愛の経験があるんだろうな。

 

 

「ねぇ相葉さん」

「ん? どうしたの?」

「相葉さんさっきから色々とアドバイスしてくれて、凄く参考になってるんだけどさ」

「うんうん!」

「あんまりアイドルの子に聞くのもどうかと思うんだけど……やっぱり相葉さんって恋愛経験が結構豊富だったりするの?」

「えっ……」

 

 

 ピタリと相葉さんの動きが止まる。やっぱりそういうことは聞かないほうが良かったのだろうかと頭の中に不安が過る。

 

 

「あ、あはは……えーっと、それは……」

「……別に答えづらいんだったら大丈夫だよ。ただこの前も相葉さん自分で恋愛マスターって言ってから、ちょっと気になっただけだからさ」

「うっ……そういえばそんなこと言っちゃったね」

 

 

 モジモジと人差し指同士を合わせる相葉さんの返事はどこか煮え切らない様子だ。

 

 やっぱり聞かれたくなかったのかな……?

他人の過去を詮索するなんてやめておけばよかったかもしれない。

 

 

「あーごめん。やっぱり気にしないで」

「う、ううん! 別に大丈夫だよ」

「そう?」

「じ、実はね? この前は私、自分のこと恋愛マスターとか言っちゃったけど本当はね……」

「うん」

「白石くんと同じで、今まで一回も恋人とかいたことなんて無いん……」

 

 

 

「危ないっ!」

「えっ? きゃっ…!」

 

 

 何かを言おうとしている相葉さんの言葉に耳を傾けていると、急に後ろから猛スピードで向かってくるチャリが視界の端に映った。

 向こうのチャリはイヤホンを耳につけてスマホを弄りながら運転をしているので、全く自分の進路を見ていない。それに相葉さんもモジモジとしていて全く後ろからチャリが迫っていることに気がついていない。

 

 このままだと相葉さんが大怪我をしてしまうと思った俺は、咄嗟に相葉さんの肩を掴んで自分の方へと引き寄せた。

 

 

「い゛っ……!」

 

 

 思いきり相葉さんを自分の方へと引き寄せたので、俺はそのまま後ろに倒れて相葉さんの全体重を支えたままコンクリートの床に背中を打ちつける。

 

 

「い゛ってぇ………」

 

 

 せ、背中めちゃくちゃ痛い……これ骨折れてない? というか背中から血出てないよね?

 

 

「ったく、何だよあの自転車……って、相葉さん大丈夫!? 怪我とかしてない!?」

「……だ、大丈夫……じゃ、ない……よ」プルプル

「えっ!」

「し、白石くんの……手が……大丈夫じゃ、ない………よっ」プルプル

「俺の手?」

 

 

 震えた声を出す相葉さんにそう言われて俺は自分の右手を見る。

 

 俺の右手は相葉さんの体をガッチリと掴んでいる。ここまでならただのファインプレーだが……その掴んでいる位置が問題だった。

 

 指に感じる異常な程の柔らかさ。まるで指がそのまま肉の塊に沈みこんでいるような、人生で一度も経験したことのないような感覚……

 

 

 ハッキリと言うと、俺の右手は相葉さんのお山を……完全に揉んでいた。

 

 

 

 

「……あっ! ご、ごごごごごめんっ…!」パッ

「ち、違うのっ! そ、その……確かにそっちも大丈夫じゃないけど……も、もう片方が……」

「えっ?」

 

 

 慌てて相葉さんの……お、お山から手を離して謝罪をするが、相葉さんは何やら悲痛な表情を浮かべて俺の左手を見ている。

 

 いや、左手の方は相葉さんの体に触れてすらないから全然大丈夫だと思うんだ……けど……

 

 

 

「……ん?」

 

 

 あ、あれ……? 何か……おかしくなぁい?

 

 

 転んだ拍子に思いきり地面に突いた俺の左手は、通常なら確実に有り得ないような角度に曲がっている。そんな左手を見た瞬間、俺は全身からサーッと血の気が引いていくのを感じた。

 

 

「え……ちょ、ま、マジ……?」

 

 

 俺は恐る恐る左手を上げてみる。するとそれまでは全然痛みを感じていなかったのに、急にズキンとした鋭い痛みを覚える。そして空中に上がった左手の手首は、ぶらーんと力無く下に向いている。

 

 

 うわー、何これすごーい。俺の手首ってこんなに柔らかかったんだ〜。

 

 

 

 、、、、、、

 

 

 

「な、なんじゃこりゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

「し、白石くん落ち着いて!!」

 

 

 

 右手は完全に揉んでたけど、左手は完全に折れている……つまりは右手天国、左手地獄。

 

 

 あー、これは確かに……全然"大丈夫"じゃないな。

 

 

 



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お見舞い

 

 

「じゃあ手術しよっか」

「えっ?」

 

 

 目の前にいる初老のおじさん医者が俺にそう告げた。"手術"という単語を聞いた俺は少しだけ間抜けな声を出してしまう。

 

……しゅ、手術ってこれマジ?

 

 

 

「え、手術ってマジですか? 何かこういうのって自然と治すっていうイメージがあったんですけど……」

「うーんっとね、さっきも言ったけど今回の君の症状は橈骨遠位端骨折って言ってね? 主に転んで手を突いた時に起こる骨折なのよ」

「は、はぁ……」

 

 

 先生は淡々と冷静に言葉を並べていく。

 

 

「んで、君の場合今回はそこまで症状が重くないから手術すれば入院期間は2〜3日で済むわけ。その後はギプスをつけて日常生活でリハビリって感じ」

「な、なるほど……」

「なるべく早く治したいって要望だからさ、それなら手術した方が絶対に早いのよ」

 

 

 まぁ……手術ってしたことないから若干ビビってるけど、早く治るならそれに越したことはないよなぁ。

 

 

「まぁ今君が決める訳にもいかんよね。とりあえず親御さんと相談しておいで」

「わかりました」

 

 

 

 

 軽くこれまでの状況を説明しよう。

 

 相葉さんを庇って名誉の負傷を負い、その場でぎゃあぎゃあと喚く俺は相葉さんが呼んだ救急車に乗せられて病院へと直行させられた。

 救急車の中で軽い応急処置を受け、ギプスで腕をガッチガチに固定されたまま病院に到着して診察を受けているのが冒頭の場面だ。

 

 

 

 

 そして俺は診察室を出て親に電話をしようと廊下を歩いていると、俺の姿を見つけた相葉さんが正面から駆け寄ってきた。

 

 

「し、白石くんっ! どうだった!?」

「あーうん、何か手術することになるかもしれないっぽい」

「しゅ、手術っ…!? そんな……」ジワッ

「えっ!? あ、相葉さん!?」

 

 

 相葉さんは自分の口に両手を当てて震えた声を出す。そして目尻からはじんわりと涙が浮かび上がってきた。

 

 

「ご、ごめんねっ……わ、私がっ……私のこと庇って怪我しちゃったのに……っ」グスグス

「ちょっ! お、落ち着いて相葉さん!」

「うっ……うぅ…っ」

「手術はするけど別に重たい怪我とかじゃないから! むしろ早く治すための手術で、数ヶ月もすれば元通りになるらしいから!」

「ふぇ……そ、そうなの…?」

「うんうん!」

 

 

 俺は目の前で泣き出した相葉さんを励まそうと、手をブンブンと振り回しながら大きな声を出す。すると相葉さんは段々と冷静さを取り戻していき、潤んだ瞳で俺のことを上目遣いで見る。

 

 あ、焦ったぁぁ〜! 目の前で女の子があんなに泣き出すなんて。 でもとりあえず相葉さんが泣き止んでくれてよかった……

 

 

「……本当に大きな怪我じゃないの?」

「そ、そうそう! 骨は折れてるけど軽傷だったらしいんだ」

「そうなんだ……よ、良かったぁ……ぐすん」

「あ、相葉さん。泣かないで……大丈夫だからさ」

「うんっ……ごめんねっ、安心したら……何だか涙が……」

 

 

 その後はしばらくの間、ぐすぐすと涙を流す相葉さんの背中を摩り続けた。こんな時、気の利いた言葉の一つも言えない自分に腹が立つ。

 

 とにかく俺は相葉さんに寄り添い、ずっとずっと背中を摩り続けた。

 

 

 、、、、

 

 

「ふぅ……ご、ごめんね? ちょっと取り乱しちゃって」

「ううん、心配してくれたんだよね。

ありがとう、相葉さん」

「そ、そんなお礼なんて……そ、それより白石くん! 手術の後は少しだけ入院するんだよね?」

「うん、一応そんな予定らしいけど」

 

 

 まぁ先生の話通りなら2〜3日だけの入院って言ってたから、すぐに家には帰れると思うけど。

 

 

「私絶対にお見舞いに来るからね!」ズイッ

「えぇっ!? べ、別に大丈夫だよ? 2.3日だけだからさ。あ、あと近いよ……」

「そういう訳にはいかないよ! 私を守って怪我しちゃったんだから!」ズイズイッ

「わ、わかった! わかったから一回落ち着こうか!」

 

 

 相葉さんは握り拳を作って若干興奮気味に顔を近づけてくる。ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐり、綺麗で整った顔が間近に来て俺は思わず顔を横に逸らしてしまった。

 

 

「お、俺!家族に電話とかしなきゃだからもう行くね!」

「あ、うんっ! 引き止めちゃってゴメンね」

「あはは……全然平気だよ」

 

 

 元気に手を振る相葉さんに手を振りかえしてその場から離れる。心配をかけておいて不謹慎だとは自分でも思うけど、相葉さんがあんなに心配をしてくれていたのいうのが何だか少し嬉しかった。

 

 とりあえず家族に電話して……あ、あと千川さんにも連絡はしないとな。大学も何日か休むことになるだろうし、友達にも連絡を入れておかないと……やる事がたくさんあるなぁ。

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 とりあえず手術を受けることは確定した。親に電話して骨折をしたと伝えたら驚いてはいたが、それで早く治るならということで手術を受けることも費用を出してくれることも快く了承してくれた。

 

 千川さんにはしばらくバイトは休むように言われた。とにかく治療に専念して、腕が治ってきたら出来ることから段々と仕事に復帰するようにとのことだ。でもまぁ車の運転なんかは完治するまではできないだろうな。

 

 

「じゃあ白石くん、今から治療室に行くからね」

「あ、はい。よろしくお願いします」

 

 

 そして早速だが、骨折した翌日にも俺の手術は行われることになった。手術は全身麻酔で行う1時間程度のものらしく、次に俺が目を覚ました時はもう終了しているらしい。

 そしてその後2〜3日の入院を経て、その後は退院して自然治癒で治していくとのことだ。

 

 

 あ〜、手術って初めて受けるからちょっとドキドキするなぁ。もしメスを入れられてる時に目が覚めたりしちゃったらどうしよう……。って、ダメだダメだ。そんな事を考えるな。

 

 

 とまぁ、そんな感じで俺は若干の不安とドキドキを胸に秘めながら手術を受けたのだった。

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

「じゃあ白石くん、どうか安静にしていてくださいね」

「はい」

 

 

 手術は驚くほどあっという間に終了したらしい。俺はずっと寝ていただけだから分からないけど、朝に手術を始めて昼に目が覚めたっていうことは何の問題もなく終了した証拠だろう。

 

 

「はぁ……」

 

 

 包帯でぐるぐる巻きにされてギプスで固定された左手をボーッと見つめる。しばらくの間何をするでもなくそうしていると、俺のいる部屋に来客が訪れた。

 

 

「おーい、調子はどうなのさ?」

「あっ、母さん。来てくれたんだ」

「そりゃあ来るわよ。はい、暇潰し用に本とか持ってきたよ」

 

 

 母さんはドンっと重そうな紙袋を置く。その中には実家に置いてきた漫画に小説や雑誌などが沢山入っていた。

 

 2、3日の入院だからこんなに沢山はいらないんだけど……それでもやっぱり嬉しいし有難いな。

 

 

「腕、どうなの?」

「ちょっと動かしづらいけど、特に痛みがあったりする訳じゃないよ」

「そう、ならよかった」

 

 

 母さんは静かに微笑むと、ベッドの横に置いてある椅子に腰をかける。

 

 

「この部屋にいるのはあんただけなんだね」

「そうみたい。まぁ静かでいいけどね。気を使うこともないし」

「それもそうね」

 

 

 お隣さんがいたらいたで話し相手にはなるかもしれないけど、いなかったらいないで全然構わないよね。むしろ変な人だったら困るし居なくて助かるかも。

 

 

「……女の子助けてそうなったんだって?」

「え? あ、あぁ……うん、そうだけど。

え、急にどうしたの?」

「いやね、あんたが骨折したって聞いて最初は驚いたんだけどさ、怪我した理由を聞いた時はお母さんなんだか誇らしい気持ちになったよ」

「ちょっ! ま、マジで何なの!? そんな風に言われると恥ずかしいんだけど……」

 

 

 い、いきなり何なんだ。 こんな風に褒められると背中がゾワゾワ〜ってするんだけど…!

 

 

「あんたは昔っからヘタレで奥手だったけど、優しい子だったからね」

「……それ褒められてる?」

「もちろん褒めてるよ」

 

 

 や、やっば〜……久しぶりに親に会ったと思ったらこんなに褒められるとか、嬉しいけどなんか照れるなぁ。

 

 

「で、あんたちゃんと一人暮らしできてんの?」

「まぁ……それなりに」

「ふーん、大学は?」

「今のところは特に問題もなく」

「彼女できた?」

「いると思う?」

「それもそっか。あんたがちょっと東京に来て一人暮らし始めたからって、すぐ彼女なんて出来るわけないわよね」

 

 

 そう言って母さんはクスクスと笑った。

 

 えっ?何かさっきまですごい褒められてたのに、急に小馬鹿にされ始めたんだけど? 落差が激しすぎやしませんかねぇ……

 

 

「はぁ〜、息子がこんなんであたしは生きてる間に孫の顔が見れるのかねぇ……」

「う、うるさいな……」

「流石に大学を卒業するまでには、彼女の1人くらい作っておいてもらわないと心配だわ〜」

「ちょっと、 怪我人に嫌味言いに来たんだったらお帰り頂いてもいいですかね?」

「なにぃ〜? 親がせっかく見舞いに来てあげたのにその言い方は何なのさ?」

 

 

 先ほどまでの感動的な雰囲気は何処へやら、母さんと俺がギャアギャアと親子間での口喧嘩を始めると、部屋の中にもう1人の来客がやってきた。

 

 

「白石く〜ん! お見舞いに来た……よ?」

「あっ、相葉さん!?」

 

 

 元気に部屋の中に入ってきた相葉さんは母さんの姿を視界に入れると、パチパチと大きな目を瞬きさせて硬直する。対して母さんの方も相葉さんの姿を確認して体を硬直させている。

 

 

「……あっ! も、もしかして白石くんのお母さんですか?」

「……あっ!はい! 白石幸輝の母です」

「は、初めまして、私は相葉夕美です!

白石くんとは同じ大学に通ってて……」

「あ〜、そ、そうなんですか〜!」

 

 

 母さんはさっきまでの俺と話している時とは違う余所行きの高い声で相葉さんとやり取りをする。すると素早い動きで俺の肩に手を回してヒソヒソと小さな声で語りかけてきた。

 

 

「ちょ、ちょっと…! 何よあの子…!

ウルトラ級の美少女じゃない……!」ヒソヒソ

「え? あ、あぁ……うん」

「あんな可愛い子があんたのお見舞いに来てくれるとか……ど、どういう関係なの?」

「相葉さんも言ってたでしょ、大学の同級生だって。あと俺が骨折した時一緒にいた子だよ」

「えっ、あの子なの?……ふーん、へぇ〜」

 

 

 母さんは俺と相葉さんの顔を交互に見て何やら怪しげな笑みを浮かべる。

 

 な、なんなんだ一体? ていうか相葉さん完全に困っちゃってるし……

 

 

「あ、あの〜?」

「あっ! ご、ごめんなさいね〜! えーっと……夕美ちゃんでいいかしら? わざわざ息子のお見舞いに来てくれてありがとうねぇ〜」

「い、いえいえ! 元はと言えば白石く……あっ……こ、幸輝くんが怪我しちゃったのは私が関係しているので」

 

 

 えっ!? な、何で急に名前呼び!?

 

 あ、あぁ……親の前だからか。母さんも白石だしそりゃそうなるか……心臓に悪い。

 

 名前で呼ばれただけで動揺するとかいう童貞丸出しムーブしてるから母さんにあんなこと言われるんだよな。もっと堂々としていないと。

 

 

「じゃあおばさんはそろそろ退散しようかね」

「えっ?」

「後は若いお二人で〜!」

 

 

 母さんは椅子から立ち上がると、自分の服を何度か叩いて皺を伸ばす。そして俺たちに手を振りながらベッドから離れていく。

 

 

「夕美ちゃん、息子と仲良くしてあげてね〜」

「あっ、はい!」

「それじゃ、あんたは安静にしてるんだよ」

「わかってるって」

「それじゃあね〜!」

 

 

 母さんは何やらウキウキとした様子で部屋から出ていった。そして母さんと入れ替わる形で相葉さんがゆっくりと椅子に座った。

 

 

「元気そうで楽しいお母さんだね」

「まぁ……元気なのは確かだよ」

「ふふっ」

 

 

 ブ-! ブ-!

 

 

「あれ、スマホ震えてるよ?」

「ごめん、誰かからメールかも」

 

 

 突然、ベッドの横の棚に置いてあったスマホがブルブルと震えた。相葉さんに一言断りを入れてスマホの解除をロックすると、そこには母さんからのメールが届いているという通知が入っていた。

 

 どうしたんだろ…? まだ近くにいるだろうし直接言えばいいのに……。

 

 

母さん『シチュエーションは作ったよ!あとは上手くやんな!』

 

 

「はぁ?」

「どうしたの?」

「あ、いや何でもないよ。あはは」チラッ

 

 

「……!」グッ!

 

 

 何やら視線を感じたので部屋の入り口の方をチラリと見ると、さっき出ていった母さんが扉を小さく開けてその隙間から力強く立てた親指を覗かせていた。

 

 な、何やってんだあの人……

 

 

 ブ-! ブ-!

 

 

 こ、今度は何だぁ!?

 

 

母さん『そんな可愛い子そうそういないよ!

絶対に逃すんじゃないよ!』

 

 

「ちょっ!」

「白石くん? 大丈夫…?」

「えっ? あ、ごめんごめん! 大丈夫だよ!」

 

 

 か、母さん……完全に俺と相葉さんの関係を勘違いしてるぞ。別に俺たちはそういうのじゃないのに……

 

 

「あ、そうだ白石くん。私いい物を持ってきたんだよ!」

「えっ? いい物?」

「じゃーんっ!」

「おぉ〜、りんごだ」

 

 

 相葉さんは真っ赤なりんごを取り出して俺に見せつける。色づきがよく、どっしとしているうえに張りとツヤがあって美味しそうだ。

 

 

「お見舞いっていったらりんごかな〜って」

「相葉さんが買ってきてくれたの?」

「そうだよっ! 今剥くからちょっと待っててね〜」

 

 

 そう言うと相葉さんは鼻唄交じりに、小さな包丁かナイフのような物でシュルシュルとりんごの皮を剥き始めた。

 

 ……こういうのって映画とかドラマでよく見るシーンだけど、まさか自分が体験する側になるなんてなぁ。

 

 でも……何かいいな。こういうの。

 

 

「手は大丈夫?」

「うん、平気だよ。特に問題もなく手術も終わったみたいだしね」

「そっかぁ……よかったぁ〜」

 

 

 相葉さんは俺と会話をしながらもテキパキとりんごの皮を剥いて、じゃくじゃくと美味しそうな音を鳴らしながらソレを切っていく。そしてあっという間に、くし形に切られたりんごが完成した。

 

 

「はいっ、完成だよっ!」

「おぉ〜! すごく美味しそうだよ」

「ふふっ、いっぱい食べてね♪」

 

 

 普通にりんごだけでもかなり美味しそうだけど、相葉さんがわざわざ俺のために剥いてくれたとなれば美味さは通常の倍近くあるだろう。

 

 

「えーっと……何かフォークとかつまようじみたいなのはあるかな?」キョロキョロ

「……フォークならここにあるよ」

「あっ、本当だ。流石相葉さんは準備がいいな〜。 じゃあソレ貸してもらってもいいかな?」

 

 

 俺が動かせる方の右手を差し出すと、相葉さんはその手に持っている小さなフォークにりんごを刺して俺の方へと向けてきた。

 

 

「は、はいっ! あ、あーんっ……」

「えぇっ!?」

 

 

 あ、あーん……だと…っ!?

 

 

 相葉さんは顔を少しだけ赤くしながらフォークに刺さったりんごを俺の顔に向けている。そして驚くことにあーんと声を出す。それはつまり俺にりんごを食べさせてくれるということだろう。

 

 

「あ、相葉さんっ! 俺別に右手なら普通に使えるかさ、全然自分で食べられるから!」

「でも……片手じゃ食べづらいでしょ…?」

「い、いやそんなことは……!」

「それとも……い、嫌かな……?」

「うっ」

 

 

 相葉さんは不安そうな表情を浮かべて俯く。

 

 

 ……そ、そういえば相葉さんは昨日俺が手術するって聞いた時にすごく泣いてたし、俺の怪我の原因が自分にあるって何回か言ってたな。きっとかなり責任を感じているに違いない。

 

 そんな相葉さんが厚意で俺の世話をしてくれると言っているのに、それを断るのは良くないよな……

 

 

「……じゃ、じゃあお願いしようかな」

「ほ、本当っ?」

「うん、相葉さんが嫌じゃなければだけど」

「全然嫌じゃないよ! むしろ私から提案してることだし!」

 

 

 相葉さんは仕切り直しと言わんばかりに、りんごの刺さったフォークを俺の顔に向ける。

俺はソレを受け入れるようにして大きく口を開いた。

 

 め、めちゃくちゃ恥ずいけどこれで良いんだよな…?

 

 

 

「はい、そのままお口開けててね?」

 

 

 相葉さんが口の中に運んできたりんごを半分だけ齧り取って口の中で咀嚼する。そんな俺の様子を相葉さんはニコニコと笑いながら眺めているが、正直言って今にも顔が爆発してしまうのではないかというほど恥ずかしい。当然、味なんて全く分からない。 

 

 

「どう?美味しいかな?」

「……お、美味しいよ」モグモグ

「よかった〜! まだまだあるから沢山食べてねっ!」

 

 

 その後も相葉さんは嬉しそうに俺の口へとりんごを投入していく。俺は無心でただひたすら口の中に入るソレを噛み砕いて喉の奥へと流し込む。

 

 

「すご〜い! もうこれで最後だよっ!」

「あはは……ありがとう」

「はい、あーんっ♪」

「あー……」

 

 

 最後の一欠片を咀嚼して飲み込む。まるまる一個もあったりんごが気づいた時には無くなっていた。俺は一体どれだけ無心で食べ続けていたんたろうか……

 

 

「美味しかった?」

「うん、すごく美味しかったよ」

「よかった〜」ニコッ

 

 

 かなり心臓には悪かったけど、相葉さんが嬉しそうに笑ってるからまぁいいか。

 

 相葉さんは手に持っていたフォークやら何やらを片付けると、ニコニコとした表情から一転して真剣な顔で俺を見つめる。

 

 

 

「ねぇ白石くん……改めて言うけど本当にありがとうね」

「……どういたしまして。でもお礼ならもう聞いたから大丈夫だよ?」

「ううん、何回お礼をしても足りないくらいだよ。白石くんが守ってくれなかったら私、どうなっていたか分からないもん」

「あははっ、でも俺は本当に必死で……気づいたら体が動いてただけだからさ」

 

 

 俺が自分の後頭部に手を置いて困ったように苦笑いをしていたら、突然に相葉さんは驚きの発言をしてきた。

 

 

「でもあの時の白石くん、ちょっとだけカッコよかったよ?」

「……えっ!? ま、マジ!?」

「ふふっ、マジだよ。男らしかった」ニコッ

 

 

 や、やったぁぁぁぁ!! 女子に、それも相葉さんに褒められちゃったぞ! しかも格好よかったって……う、嬉しいなぁ……!

 

 

「な、泣きそう……」プルプル

「えっ!? ど、どうして!?」

「女の子に格好いいなんて言われたこと無かったから……か、感激で……」

「な、な〜んだ……そういうことかぁ。 てっきり何か悲しませちゃったのかと思ったよ?」

「ご、ごめん」

 

 

 それにしても相葉さんにこうやってお見舞いに来てもらえて、それにりんごまで食べさせてもらって、挙げ句の果てに格好いいって言われちゃうなんて……左手を犠牲にしてでも相葉さんを守った甲斐があったよ。

 

 

「……でも本当、かっこよかったよ」フフッ

「…!!」

 

 

 相葉さんはいつものニコニコとした可愛らしい笑顔ではなく、目を細めて小さく笑う大人っぽい表情を浮かべて呟いた。そんな一面に思わずドキッとしてしまう。

 

 い、いかんいかん……落ち着け俺。

 

 

「あの時……突然の出来事すぎて何がなんだか分からなくってさぁ」

「あ、あぁ〜うん。俺もあの時は頭の中ぐっちゃぐちゃだったよ」

「だよね〜」

「相葉さんに手が大丈夫じゃないって言われてさ、てっきり胸を掴んじゃったことだと思ってたら、まさか骨折してるなんて……本当に参ったよ。あははっ」

「………そ、そう……だね…」

「ん?」

 

 

 相葉さんは突然、顔をタコのように真っ赤にして俺から視線を逸らしてしまう。

 

 あれ、どうしたんだろう? 今、俺何か変なこと言っちゃったかな……

 

 

 

『相葉さんに手が大丈夫じゃないって言われてさ、てっきり胸を掴んじゃったことだと思ってたら、まさか骨折してるなんて……本当に参ったよ。あははっ』

 

『てっきり胸を掴んじゃったことだと思ってたら、まさか骨折してるなんて……本当に参ったよ。あははっ』

 

『てっきり胸を掴んじゃったことだと思ってたら』

 

 

 

「………あっ」

「そ、その……し、白石……くん」チラッ

 

 

 や、やっちまったぁぁぁ!!! 何を俺は蒸し返してんだよ!! あははじゃねーわ!あははじゃ!

 

 そうだ、骨折のインパクトが強すぎてすっかり忘れていたけど、俺は不可抗力とはいえガッツリ相葉さんのお山を揉んでしまったんだった……

 

 その事実と感触を思い出してしまった瞬間、俺の顔も相葉さんと同じくらい真っ赤に染まりダラダラと汗が噴き出してくる。

 

 

「………」

「………」

 

 

 き、気まずい……

 

 さっきまで楽しげな雰囲気だった病室には静寂が訪れる。とはいえその雰囲気をぶち壊したのは俺なので何も文句を言う資格はない。

 

 

「わ、私ちょっとお手洗いに……! きゃっ!」

「……! あ、危なっ…!」

 

 

 ボスッ

 

 

 シビレを切らした相葉さんがお手洗いに行こうと、ベッドの縁に勢いよく手を突いて立ちあがろうとする。しかし勢い余り突いた手を滑らせて俺のいるベッドへと倒れ込んできた。

 

 俺は咄嗟に右手だけを出して、右手と体を使って正面から相葉さんを受け止める。とりあえず左手は無事だ。

 

 

「………」

「………」

 

 

 俺と相葉さんは鼻と鼻が触れ合うのではないかという程近い距離で見つめ合う。顔はくっ付いていないが体は完全に密着しており、俺の硬い胸部にくっ付いた相葉さんの柔らかい胸部は形を変えて潰れている。

 

 しかし、そんな直に伝わる相葉さんのお山の感触や鼻をくすぐる甘い香りも、今の俺は全く気にしていなかった。

 ただひたすらに、至近距離から俺の目を見つめてくる相葉さんの綺麗な瞳を見つめ返すことしかできない。

 

 まるで時間がここだけ止まっているように俺も相葉さんも体が動かない。

 

 

 

「……左手、大丈夫…?」

「あ、うん。全然……平気だよ」

 

 

 相葉さんが沈黙を破るように小さな声で俺に語りかけてくる。うるうると潤いを持つ綺麗な瞳でジッと俺を見つめてくる。

 

 

 

「……また、助けられちゃったね」ニコッ

「……!」

 

 

 相葉さんは顔は赤いまま、困ったように小さく微笑んだ。

 

 その顔を見た瞬間、俺の心臓が体から飛び出してしまうのではないかという程に大きく跳ね上がった。

 

 どくん、どくんと大きく鼓動が鳴り響く。

 

 きっとこの音は相葉さんにも気づかれているだろう。何故なら、俺も相葉さんの胸から伝わる激しい鼓動に気づいているからだ。

 

 

 

 やばい……

 

 

 

「……白石くん」

 

 

 

 やばい、やばい……

 

 

 

 

 

 この雰囲気は……やばい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガラッ!

 

 

「失礼しま〜す、ごめんね〜? ちょっと忘れ物をしたみたいで……あれ?」

 

 

「「あっ」」

 

 

 何というタイミングだろう。ノックも無しに突然部屋に入ってきたのは、先ほどまでこの部屋の中にいた俺の母さんだった。

 

 部屋の中にいる俺たちは扉の前に立つ母さんを見つめ、その逆に母さんも俺たちのことを見つめて体を硬直させる。

 だがそれも無理のないことだ。向こうからすれば男女二人が二人きりの空間で、何故かベッドの上で体を密着させ至近距離で顔を見つめ合っていたのだから。この状況に急に出くわして驚くなという方が無理な話だ。

 

 

「あー……おばさんお邪魔だったかしら?」

「ちょっ! いやっ、これは!」

「で、でもね? 一応骨折してるんだから程々にしないとダメよ……? それじゃあねっ」

「あっ! 母さん! ちょっと、話を聞いて!」

 

 

 俺の言葉に耳を全く貸さずに、母さんは逃げるように部屋の前から走り去っていった。

 

 そして相葉さんの方へと視線を戻すと、さっきまで母さんの立っていた場所を、目を見開いて顔を真っ赤にしながら見つめていた相葉さんがゆっくりと俺の方を見る。

 

 さっきまでの異様な空気感は完全に消え去っていて、冷静になった俺と相葉さんは顔から滝の様な汗をダラダラと垂らす。

 

 

 

「あ、あの〜……あ、相葉さん……?」

「〜〜ッッ!!! わ、私今日は帰るね…!」

「あっ! ちょっ! 相葉さん!?」

「じゃ、じゃあね白石くん! また今度っ!」

 

 

 そう言い残すと相葉さんまで逃げるようにして部屋から去っていってしまった。誰もいない大きな病室の中にポツンと俺一人だけが残される。

 

 

「……な、何がなんだか」ドキドキ

 

 

 あまりにも嵐のような展開に俺の頭は骨折した時と同じように真っ白になる。

 

 ただ一つ、自分の胸の鼓動がいつもより激しく鳴っていることだけは、はっきりと自覚していた……

 

 



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side yumi

 

 白石くんのお見舞いを終えた後、私はロボットのようにぽけーっとした表情で街を歩く。そして気がつけばこの前白石くんと2人でお茶をした行きつけのカフェへと入っていた。

 

 

 カラ-ン

 

 

「いらっしゃいませ……あ、夕美ちゃん」

「………」

「あれ?」

 

 

 私は何も考えずにいつも座るお気に入りの席へと腰をかけた。そして注文をするよりも先にテーブルの上へと顔を突っ伏す。

 

 

「う゛〜〜っっ!!!」ジタバタ

 

 

 とても人には聞かせられないような汚い呻き声を出しながら、足をテーブルの下でジタバタと動かす。

 

 

「〜〜〜ッッ!!」ジタバタ

 

 

 あーもうっ! 何してんの!何してんの!何してんの私〜っ!

 

 

 私がこんな事になっているのは、さっきまでいた白石くんの病室での出来事が原因だ。

 

 ちょっとしたハプニングで男の子と体を密着させてしまった。しかもその後は至近距離で見つめ合って変な雰囲気に……

 

 

 あ、あんなの……まるで恋人の距離感だよ。

 

 

 

「も゛〜〜〜っっっ!!!」バタバタ

 

 

 顔が熱い。いや、顔だけじゃなくて体全体がポカポカと熱を持っている。

 

 

「こんにちは夕美ちゃん。何か……あったのかしら?」

「あっ、店長さん……ごめんなさい。うるさくしちゃって」

「いいのよ、今は夕美ちゃん以外にお客さんいないから」

 

 

 ニコりと素敵な笑顔を浮かべながら私に話しかけてきたこの美人さんは、このカフェの店長である山崎さんだ。

 今日もいつも通りカジュアルなこのカフェのユニフォームを身に纏っている。

 

 

「で、どうかしたの? 何やら悶えてたみたいだけど」

「うっ……そ、それは」

「私でよければ話してみない? 一応これでも夕美ちゃんより10年長く生きてるからさ、何かアドバイスできるかも」

「て、店長さ〜ん……!」

 

 

 店長さんの優しさに思わず感動する。こういう大人の余裕が溢れている格好いい人に私もいつかはなれるんだろうか。

 

 

「じ、実は……その……わ、笑わないで聞いてくれますか…?」チラッ

「ふふっ、大丈夫よ。安心して話してみて」

「じゃ、じゃあ……」

 

 

 私はできるだけ包み隠さずに、さっき悶えていたことについての内容を店長さんに話す。

 

 

「実は……ちょ、ちょっとだけ仲のいい男の子がいて、この前までは普通に友達だと思ってたのに最近なんというか……ちょっとだけ変な感じというか」モジモジ

「変な感じって?」

「な、なんというか、変な空気感になっちゃったというか……変に意識しちゃったり」

「ふーん」

 

 

 うぅ……や、やっぱりこんなの変だよね。

 

 

「それってさ、この前一緒に来てたあの男の子かな?」

「………う、うん」

「そっかぁ。私から見た感じ結構お似合いっぽかったけど?」

「お、お似合いっ!? そういうんじゃないですからっ!」

「あらあら、照れちゃって」

「も、もぅ〜っ!」

 

 

 店長さんはニヤニヤと笑みを浮かべて私を揶揄っている。私はそんな店長さんに頬を膨らませて反撃をするが、向こうは気に求めずに微笑み続けている。

 

 

「そもそもあの男の子と夕美ちゃんってどういう関係なの? いやほら、友達は友達でも色々とあるでしょう?」

「えーっと、同じ大学の同級生で、仕事先が一緒で……あ、あと師匠と弟子みたいな関係でもあるのかも」

「えっ、何の師匠?」

「白石くんが彼女欲しいって言うから、そのお手伝いで恋愛のアドバイスとかを教えてあげてるんです!」

「ふーん、師匠として恋愛のアドバイスをしてたら、いつの間にか自分がその子のこと気になり始めちゃったんだ? 何か漫画みたいだ」

 

 

 教えてあげてるって言ってもまだ大した事はしてあげられて無いんだけどね……。

 これから色々とアドバイスしようと思ってた所に今回のハプニングだもん。

 

 

「それで? 夕美ちゃんはその……白石くん?

のことどう思ってるの? 正直な気持ちで」

「うーん……優しくていい人だけど、―普段はちょっとだけ頼りない感じかも。……でも」

「でも?」

「この前私がピンチの時に助けてくれたんですけど……そ、その時はちょっと格好良かったかも……うぅ〜っ! は、恥ずかしい……!」

「へぇ〜」

 

 

 い、一回格好良いって思っちゃった後から、それ以降ずっと意識しちゃってる……

 

 

「うーん、ここまでの話を聞いた感じだとね」

「な、なんですか?」

「夕美ちゃんはその白石くんが気になり始めてるってことだよね。好き!とまではいかないけどさ」

「……そう、なのかな……?」

 

 

 ……私、白石くんのこと気になってるのかな? それも男の子として……うぅ〜っ!

 

 

「その気持ちをはっきりさせるためにもさ、今後もうちょっと距離を縮めてみたらどう?」

「えっ!?」

「それでさ……あ、やっぱ好きとかじゃないや。ってなったらそれでいいし、やっぱりこの人が好き!ってなったらそのまま告白すればいいし」

「こ、こここここここくっ…!告白ぅ!?」

 

 

 そ、そんな告白なんて……! か、考えただけでも頭が爆発しちゃいそうだよ〜っ!

 

 

「まぁでも私が思うに……」チラッ

「な、なんですか?」

「……いーや、何でもないよ。

こういうのは自分で気付くもんだしね」ボソッ

 

 

 店長さんはニコッと笑うと小さな音量で何かを呟いた。私は首を傾げて何を言ったのか聞いてみたが教えてくれるつもりはないらしい。

 

 

「まっ、とにかくさ! その白石くん? ともっと色んな事をしてみなよ。一緒に出かけたり、お互いのことを知るためにもっと会話をしたりさぁ」

「……わ、わかりましたっ!」

「うんうん、そうすれば自分が相手をどう思っているのかその内分かるってもんよ」

「店長さんっ! ありがとうございます!」

 

 

 私がお礼を言うと店長さんは構わないと手をフリフリと振る。

 

 

 店長さんに話聞いてもらってよかったな。今の自分の気持ちを確認できたような気がして、ちょっとだけモヤモヤがスッキリしたかも。

 

 

 ……私は白石くんのことが、1人の男の子として気になり始めている。

 

 そうなれば今後私が取るべき行動は、もっと白石くんのことを知って自分の気持ちを明確にさせることだよね。

 

 

 

「よしっ、とりあえずは明日もお見舞いに行って……」

「ふふっ、いつもの夕美ちゃんらしく元気になってきたね」

「あっ! 店長さん本当にありがとうございます!」

「いいっていいって。私人の話聞くの好きだからさ」

 

 

 店長さんはそう言って柔かな微笑みを浮かべてくれた。

 

 よ〜し! 今日はいつも飲む紅茶に足して、ケーキも注文しちゃおっ!気合い入れないと!

 



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家庭訪問

 

 入院をしてから3日目の朝、俺は堂々と病院の正面玄関から外へと飛び出した。

 

 くぅ〜っ! やっぱりシャバの空気は美味いぜ!

 

 

「あっ、白石く〜んっ!」

「あれ、相葉さん?」

 

 

 病院の正面玄関から外に出ると、相葉さんがブンブンと手を振りながら俺の方へと駆け寄ってきた。まさか相葉さんがいるなんて思ってなかった俺は目を丸くして驚く。

 

 

「退院おめでとうっ!」

「ありがとう。でも入院って言ったってほんの数日だけだったけどね」

「それでもだよっ! とにかくおめでたいからいいの!」ニコッ

 

 

 

 俺の人生初の入院生活はあっという間に終了した。今後は日常生活を送りながらの自然治癒と定期的な外来の通院によるリハビリで治療を行っていくらしい。

 

 骨が完全にくっつくのはまだまだ先で数ヶ月かかるらしいけど、リハビリの一環として1〜2週間後には手を使った軽作業を開始してもいいって先生は言っていた。

 だから運転とかは出来ないけど簡単な事務作業とか掃除くらいならいいらしいし、思ってたよりも早くバイトにも復帰できそうだ。

 

 そして骨がくっ付いたら、手術で入れた俺の手首の中のプレートを抜去して晴れて完治になる。

 

 

「退院はしたけど、何か困ったことがあったらなんでも私に相談してね!」

「うん、ありがとう。すごく頼もしいよ」

「ふふっ」

 

 

 入院初日、少しだけ相葉さんとハプニングがあったが、その次の日も相葉さんは再びお見舞いにやってきてくれた。

 俺はなんとなく顔を合わせるのが気恥ずかしかったけど、相葉さん側は全くそんな素振りはなくいつも通りだった。

 

 まぁ……あれだ。要するにドキドキしてたのは俺の方だけだったってことで、恋愛マスターで師匠である相葉さんからしたら大したハプニングでも無かったんだろう。

 だから俺もいつまでもあのハプニングを引きずっていないで切り替えていかないとな。

 

 

「この後はどうするの?」

「どうするって……うーん、普通に家に帰るかな?」

「そっか! じゃあ行こっか♪」

「うん、行こう……って、えっ?」

 

 

 相葉さんはくるりと振り返って俺に背中を向ける。

 

 

「い、行くってどこに…?」

「え? 白石くんの家にだけど」

「えぇっ!? な、何で!?」

「だって家に帰るまでに何か危ない事が起こらないとも限らないでしょ? だから私が白石くんを無事に家まで届けるの!」

 

 

 相葉さんはケロッとした表情で俺を家に送り届けると言い出した。流石にそこまでしてもらうのは悪いし……というよりアイドルである相葉さんが家にとかマズいだろう。

 

 

「あ、相葉さん……別にそこまでしなくてもいいんだよ? 俺はお見舞いに来てくれただけで本当に嬉しかったからさ」

「ダメ! これで帰り道にまた白石くんが怪我したら私絶対に後悔するもん」

「そ、そうそう危ない事なんて起こらないよ」

「とにかく行くよ! 家に帰るまでが入院なんだからね!」

「そんな遠足みたいに……」

 

 

 相葉さんはそう言うと1人先にスタスタと歩き出してしまった。

 

 お、押しが強い……というかこういう勢いだけでゴリゴリ押していく感じ、やっぱり相葉さんは割と頭パッションだ。

 

 

「……あれ?」

 

 

 そんな事を考えていると先に歩き出した相葉さんがこっちに戻ってきた。相葉さんは頬を膨らませながら手を振り上げてプンプンと怒っている。

 

 

「って! 私は白石くんのお家の場所知らないんだから、白石くんが着いてきてくれないとどこに行けばいいか分かんないでしょーっ!」

「えぇ……コレで怒られるのは何か理不尽だ」

「と、とにかく早く行くよ!」

「へーい……」

 

 

 まぁ……相葉さん絶対引かないだろうし、しょうがないか。もうちょっと家に近づいたら自然と解散する流れになるだろう。

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 おいおいおい、まずいぞ……相葉さんが全く帰る気配が無い。

 このまま俺が家の中に入って行ったら、普通に自然な流れで相葉さんも入ってきそうなくらいの勢いだ。

 

 

「あ、あの〜、相葉さん?」

「どうしたの?」

「そ、そろそろ俺の家着いちゃうからさ……

ね? ほら……ねっ?」

「……? あっ!」

 

 

 俺の言いたいことに気づいてくれたかな?

 

 

「心配しないでもちゃんと最後まで送り届けるよ! 何かあったら大変だしね!」パァッ

 

 

 ち、違う〜〜〜!!! そんな心配をしているんじゃないよ!

 

 花が咲くようないい笑顔を見せながら、俺の思っていた事とは違う発見をする相葉さん。

どうやらもっと直接的に言わなきゃいけないらしい。

 

 

「相葉さん、もうここまでで大丈夫だよ」

「えっ、どうして?」

「いやほら……一人暮らしの男の家まで着いてくるのは色々とマズいと思うんだよね。アイドル的にも、1人の女の子としてもさ」

「それに関しては……私って実は変装できるから安心して! ほら!」

 

 

 そう言って相葉さんはカバンから取り出した派手派手のサングラスを装着する。

 

 いや……変装できてないしめちゃくちゃ相葉さんだけどね。相葉さんって意外と天然っぽいとこがあるのかな?

 

 

「これで周りの目は心配無し!」フンス!

「う、うーん……そうかなぁ」

「それで? 白石くんの家まではあとどのくらいなの?」

「……」

「白石くん?」

 

 

 

「じ、実は……もう着いてるというか」

「えっ!?」

「ほら、あそこに見えてる……」

「えーっ! びっくりだよ〜!」

 

 

 俺が指を差す先には既にマイホームが見えている。だからこそ必死に相葉さんに帰るよう促しているのだが、相葉さんは帰るどころか俺の家へと向かって歩き始めた。

 

 

「じゃあ早速レッツゴーだね!」

「ちょっ! ちょちょちょっ! 待った!!」

「わっ、びっりした……どうしたの?」

「あ、相葉さん! まさか家の中に来るつもり!?」

「うん」

 

 

 入るに決まってるでしょ? みたいな目をして相葉さんは返事をした。何をそんなに慌てているのか分からないみたいな目を向けられても困る。

 

 

「ダメなの?」

「ダメに決まってるでしょ!」

「え〜? どうして?」

「ど、どうしてって……そりゃあ」

 

 

 え……だ、ダメだよな? 普通ダメだよね?

俺がおかしいのか……?

 

 

「相葉さん、アイドル! 俺、一般人!」

「何でカタコト? それに私は変装してるから大丈夫だよ?」

「うっ……申し訳ないけど、相葉さんのソレは変装になってないような気がするんだよ……」

「あははっ! うっそだ〜♪ だって私昨日のうちに鏡で確認したもん。どう見ても私には見えなかったよ?」

 

 

 相葉さんと俺には何か違うモノでも見えているんだろうか? こんなのどこからどう見ても相葉夕美そのものでしょ。

 

 

「お、俺は一人暮らしの男で……その家に女の子である相葉さんがホイホイ上がるのは良くないと思うんだ…!」

 

 

 

「……白石くんは、私にヘンなこと……するの?」ジッ

「す、すすすする訳ないだろぉ!?」ドキッ

「じゃ、何の問題も無しだねっ!」ニコッ

「あっ……ちょっ!」

 

 

 くっ……い、一瞬だけ色っぽい雰囲気を出した相葉さんを見て思わずドキッとしてしまった。

 

 相葉さんはスッと表情を元に戻すと、狙い通りだとでも言いたげな笑顔を浮かべ、スタスタと俺の家の方へと歩いて行ってしまった。

 どうやら俺はまんまんと相葉さんの思惑通りに動かされてしまったらしい。

 

 

 

「ここだよね? 白石くんの部屋って何階?」

「2階だけど……って! ちょっとちょっと!」

 

 

 相葉さんは腰の後ろで手を組みながら、ウキウキと楽しげな足取りで俺の住む小さなマンションの中に入って行った。その後ろから俺も慌てて後を追いかける。

 

 

「あ、相葉さんマジで来るつもりなの…?」

「うん! ちひろさんに、白石くんの家にお見舞いに行ってもいいですか? って聞いたら別にいいって言ってたし」

「えぇ……」

「それにほら、こんなとこで揉めてる方が人目につくと思うよ?」

「うっ……そ、それは確かに」

「ここにずっと留まってる方がマズいと思うんだけどな〜?」ニヤニヤ

「うぅっ……」

 

 

 相葉さんはニヤニヤと微笑みながら俺のことを見つめている。一見可愛らしい表情に見えるが、今の俺からすればそれは小悪魔のような笑みにしか見えなかった。

 

 こ、こんなのほとんど脅迫だ……

 

 

「さ〜て、白石くんの部屋はどこかな〜♪」

「ぐぅっ……!」

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

「へぇ〜、ちゃんと片付いてて綺麗だね〜!」

「はぁ……」

 

 

 け、結局入れてしまった。

 

 俺の部屋に入った相葉さんは、まるで玩具屋さんを訪れた子どものように部屋の中をキョロキョロと見回している。

 

 

「あっ! ゲームとか漫画がある〜♪」

 

 

 楽しそうに笑う相葉さんとは対照的に、俺は笑顔を浮かべることもなく玄関で下を向いたまま心臓をバクバクと鳴らしていた。

 

 

 

 お、俺の部屋に……女子がいるっ……!!

 

 

 

 スキャンダルに対する恐怖や、相葉さんにここまでお世話してもらって申し訳ないという罪悪感など、さっきまで色々な感情が俺の中で渦巻いていたけど今はそんなモノ吹き飛んでしまった。

 

 生まれて初めて女の子が俺の部屋に来ている。その事実がどうしようもなく俺の胸に緊張感や期待感などの様々な感情を与える。

 

 女の子が自分の部屋に来てキョドっている童貞がここに1人誕生してしまったというのが現状だ。

 

 

「あれ、白石くん? そんなとこに立ってないでこっち来なよ〜♪」

「そ、そっち行っていいんですかい!?」

「何でそんな変な喋り方なの…?」

 

 

 俺の手足はまるでロボットのようにぎこちない動きを披露する。右足と右腕、左足と左腕を同時に揺らして部屋の中に進む。

 

 くぅ……ま、マジで俺の部屋に相葉さんがいるぞ…!

 

 

「ふぅ……なんか動いてたらちょっと暑くなってきちゃった」

「あ、ごめん。冷房入れる?」

「ううん、そこまでじゃないからお気遣いなく!一枚脱いじゃえば……よいしょっ」

 

 

 相葉さんはそう言うと羽織っていた上着を一枚脱いで薄着になった。

 たった一枚上着を脱いだだけなのに、それを見た俺の胸は何故かバクバクと音を鳴らす。

 

 な、何を意識してるんだ俺は。 別に何もないだろう……暑いから服を脱いだ。ただそれだけのことじゃないか。

 

 

「さてと、じゃあお掃除しよっか!」

「え、掃除?」

「うん。だって入院してたから2.3日家に帰ってないでしょ? ちょっと埃とかも溜まってると思うし」

「そ、それはそうだけど……それなら俺が後でやるから大丈夫だよ! わざわざ相葉さんにさせるようなことじゃ……」

「ふふっ、そんな腕で無茶しちゃダメだよ?

安心して! 私はそのために白石くんのお家までついてきたんだからっ!」

 

 

 可愛らしいガッツポーズを作った相葉さんは、意気揚々とゴミ袋や掃除機の準備をする。

 

 

「掃除機使っちゃっていいよね?」

「あ、うん。それは大丈夫だけど……やっぱり俺も手伝うよ」

「だーめっ! 白石くんはそこに座ってて?」

「うっ……」

 

 

 そう言って相葉さんはテキパキとした動きで掃除を開始した。俺はといえばその様子を何をするでもなくただジーッと見つめている。

 

 や、やっぱり自分の家なのに、人にだけ働かせてこっちは何もしないのは居心地悪いな……

 よしっ、やっぱり俺も何か手伝おう。別に全く動けない訳じゃないんだし俺にも何かしら出来ることはあるはずだ。

 

 

「よいしょっ……」

「あーっ! 白石くん、ジーッとしててって言ったのに〜!」

「やっぱ相葉さんだけに掃除させるのは申し訳なくてさ。 ね? 一緒やろうよ」

「……もう、仕方ないなぁ」

 

 

 相葉さんは少しだけ納得がいってないように頬を膨らませているが、俺はとりあえず小さな簡易タンスを開けて整理を始める。

 

 

 ブ-! ブ-! ブ-!

 

 

「あれ……母さんだ」

「どうしたの?」

「ごめん、ちょっと電話が……俺向こうの部屋に言ってるから!」

 

 

 ったく、せっかく掃除を始めたところだったのに。一体なんの用事だ?

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

「よしっ! とりあえず、ざっとだけど掃除機はかけ終わったかな?」

 

 

 私はグォングォンと音を出す掃除機の電源を切って額に浮かび上がった汗を手で拭う。

 

 

「………」キョロキョロ

 

 

 白石くんのいなくなったリビングの中を見回す。

 ごちゃごちゃと物が多くて色のついた家具が多い私の部屋とはまるで違う。部屋の中は白や黒を基調としたシンプルな配色で、家具もごちゃごちゃとしていなくて最低限の物しかない。

 

 

 私、本当に男の子の部屋に来ちゃったんだ。

 

 

 その事実を意識すると、ほんの少しだけ顔に熱が篭り胸がトクンと鳴るのを感じた。白石くんの家に来てからずっと少しだけ体が暑いのは、多分だけど外の気温のせいだけじゃないと思う。

 

 

 改めて考えると私結構大胆なことしちゃってるよね?

 気になってる男の子の部屋にいきなり入り込むなんてさ、我ながらびっくりの行動力だよ。

 

 ……大丈夫かな、ガツガツ行きすぎて引かれたりしてないかな?

 

 

「はぁ……」

 

 

 1人残された部屋の中に深いため息の音が響いた。

 

 部屋に来てドキドキしてる。骨折した彼のために何かしてあげたい。相手にどう思われてるのかすごく気になる……

 

 私って本当に、白石くんのこと……

 

 

 

 

「好き、なのかな……?」ボソッ

 

 

「何が?」

「えっ……」

 

 

 突然声がして驚いた私が後ろに振り返ると、そこにはきょとんとした顔で私のことを見ている白石くんがいた。

 

 も、もしかして今の聞かれて……!?

 

 

「し、しししし白石くん!? 電話はどうしたの!?」

「いや、まだ電話の途中なんだけどさ。

あ、電話って母さんからだったんだけど、ちょっとこっちの部屋にある物を取りに来てね」

「へ、へぇ〜!」

 

 

 私が目をキョロキョロと動かしながら大きな声を出して誤魔化していると、白石くんは引き出しの中から何やら通帳のような物を取り出していた。

 

 

「じゃあ俺また戻るから」

「う、うん! いってらっしゃ〜い!」

 

 

 そう言って白石くんは別の部屋へと向かって歩き出す。何とか誤魔化せたようだと私が胸を撫で下ろしていると、白石くんはクルリと振り返って私に問いかけてきた。

 

 

「そういえば相葉さん、さっき好きとか何とか言ってたけど何の話だったの?」

「うぇっ……………そ、掃除のことだよ…?

やっぱりお掃除って楽しくて私好きだな〜って!」

「へぇ〜、相葉さん偉いなぁ……俺なんて掃除は面倒くさいから全然好きじゃないや」

「あ、あはは……こまめに掃除しなきゃダメだよ〜?」

「いや〜、耳が痛いです」

 

 

 白石くんはそう言って苦笑いを浮かべると、今度こそ別の部屋の中へと入って行った。

 

 

 はぁ〜! あ、焦ったぁ〜………

 

 白石くんったら急に現れるんだもん…! 心臓止まっちゃうかと思ったよ……

 

 

「ふぅ……あれ?」

 

 

 チラリと視線を横に移すと、さっきまで白石くんが整理していた簡易タンスの棚が開きっぱなしなのが視界に入った。

 

 

「もぅ、ちゃんと閉めないとダメだよ」

 

 

 簡易タンスに近づいていき、開いた棚を閉めようと手を伸ばすと、何やら布のような物が一つだけピョコンと飛び出していた。

 

 

「なんだろう、これ?」

 

 

 私はぐちゃぐちゃになっているソレを畳み直して棚の中に仕舞おうと思い、手に取って広げた。

 

 

「えっ……こ、これって…!」

 

 

 手に取ったソレを広げてみて私は目を丸くした。

 

 こ、ここここれって! し、ししし白石くんの……ぱ、パンツ!?!?

 

 

 

「ごめん相葉さん、電話終わった……よ?」

「し、ししし白石くん!?」バッ

 

 

 し、白石くん戻ってきちゃった…!?

こんなとこ見られたらまるで私が下着を漁ってたみたいだよ…!

 

 私はとりあえず手に持ったソレを咄嗟に自分の体の後ろに隠した……

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

「ふぅ……」

 

 

 母さんってば心配しすぎだよな。まぁ心配してくれるのは嬉しいしありがたいけど、ちゃんとお金があるのかも心配してたし。

 346は自給いいからこれでもそこそこお金は貯まりつつあるんだよね。

 

 

「ごめん相葉さん、電話終わった……よ?」

「し、ししし白石くん!?」バッ

「……?」

 

 

 電話を終えてリビングに戻ると何やら相葉さんの様子がおかしい。そういえばさっきもだけど俺のことを見て驚いてるみたいだし、今は顔もすごく真っ赤だ。

 

 ……ていうか今、何か後ろに隠した?

 

 

「……相葉さん、今何か隠した?」ジ-

「うぇっ!? か、カクシテナイヨ-?」

「急にカタコト!? 怪しさマックスだよ!」

 

 

 な、何を見られた…!? いやでもあのタンスの中には見られて困る物なんて無いはずだ。あの中には衣類が入ってるだけだし……女子に見られたくないような物は別の場所にあるから大丈夫なはずだ…!

 

 ……じゃあ相葉さんは何を隠したんだ…?

 

 

「相葉さん、ちょっとバンザイしてみようか?」

「……ど、どうしてかな?」

「いや、特に理由は無いけどさ」ジ-

 

 

 相葉さんは未だ体の後ろに両手を隠している。はっきり言ってめちゃくちゃ怪しい。

 

 

「あーっ! 白石くん! ベランダに変な人がいるよ!」

「えっ!?……って、そんな訳ないでしょ」

「あ、あはは……」パッ

「……今ポケットに何か入れなかった?」

「……イ、イレテナイヨ-?」

「だから怪しいって!」

 

 

 相葉さんは俺から目を逸らして口笛を吹いている。……口笛の音出てないけど。

 

 

「絶対に何かポケットに入れたよね!」

「……しょ、しょうがないなぁ。……はい!」

「は、ハンカチ?」

 

 

 観念したようにスカートのポケットの中に手を突っ込む相葉さん。そしてその中から出てきた手には綺麗に折り畳まれた花柄のハンカチが握られていた。

 

 

「ぽ、ポケットにはこれしか入ってないよ?」

「えっ……で、でも何か隠して…」

「そ、そもそも何も隠してなんかないの!

白石くんが急に戻ってきてビックリしちゃっただけなの!」

「……えぇ」

 

 

 そ、そうなのかなぁ……? でもあの動きは完全に何かを隠したように見えたんだけど……。

 

 

「あ、あーあ〜! 白石くんに疑われてショックだなぁ〜」

「えっ?」

「私は何も隠してないのに疑われて悲しいなぁ〜」

「うっ……」

 

 

 相葉さんはわざとらしく声を出して俺のことをチラチラと見る。

 

 ……さっきの相葉さんの動きは確実に怪しかったけど、もし本人の言う通り冤罪だったらかなり失礼だよな。

 

 

「わ、わかったよ。疑ってごめん。もう疑ってないからさ」

「ほ、本当?」

「本当に」

「じゃ、じゃあ……はいっ! この話はこれでおしまいね!」

 

 

 相葉さんはパンっと手を強く叩いて話題を強制的に終了させる。

 

 

「ふぅ……あ、危なかったぁ…」ボソッ

「え、何か言った?」

「な、なんでもないよ! そ、それより白石くんお腹空かない!?」

「あー、そういえばちょっと空いてきたかも」

「じゃ、じゃあお昼ご飯にしようよ! 」

「うーん、それもそうだね」

 

 

 時計を見て時間を確認すれば既に昼の12時手前だ。言われるまで気づかなかったけど、確かに少しだけ空腹感が出てきた気がする。

 

 

「キッチンにレトルトのカレーと、パックのご飯があるけどそれでいい?」

「うん! 私が用意するね!」

 

 

 元気に返事をした相葉さんは小走りでキッチンへと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

「本当は私が何か作ってあげようかと思ってたんだけどな〜」モグモグ

「えっ……て、手料理、ですか?」

「うん、だってその腕じゃ白石くんご飯作るのも大変でしょ?」

「い、いや〜……俺ってあんまり自炊してないから関係ないかな」

「えっ? ダメだよちゃんと栄養取らなきゃ!」

「き、気をつけます……」モグモグ

 

 

 俺と相葉さんはテーブルの前に向き合って座り、レトルトのカレーを口に運びながらも雑談を交わす。

 

 というか俺は相葉さんの手料理を食べそびれてしまったのか……くそっ、冷蔵庫の中身が空じゃなければ…!

 

 

 

「そういえば白石くん、さっき私が何かを隠したんじゃないかって疑ってたけど……何か見られたら困る物でもあるのかな〜?」

「……ソ、ソンナモノナイヨ-」

「あれあれ〜? 今度は白石くんがカタコトだぞ〜?」ニヤニヤ

 

 

 カレーを食べ終わった相葉さんはニヤニヤと小悪魔のような笑み浮かべながら俺のことを見つめてくる。

 

 

「えへへっ、ちょっと探しちゃおっかな〜♪」

「ちょ、相葉さん! マジで何も無いから!」

「男の子はベッドの下に物を隠すっていうのが定番だってよく言うよね〜」ゴソゴソ

「っ……!!」

 

 

 相葉さんは俺に背を向けてそのまま四つん這いになりベッドの下を覗き見る。そうなると自然に俺の方へと尻が突き出される訳で……

 

 

「うーん……何にもないかなぁ〜?」

 

 

 相葉さんがベッドの下へと手を伸ばしてゴソゴソと動く度に、フリフリと揺れる相葉さんのほどよい大きさのお尻がスカート越しにその綺麗な形を主張してくる。

 

 

 け、警戒心ッ…!!

 

 警戒心とか無いのか!?相葉さんには!!

 

 ここは俺の部屋で今この部屋には俺と相葉さんが2人きりだ。もしも俺がその気になれば危ない目に遭うのは相葉さん本人だぞ。

 

 相葉さんはもうちょっと男と2人きりで部屋にいるという現状に対して警戒心を持った方がいいと思う。

 あ、それとも俺なんか男として見られていない可能性もあるか…?

 

 

「うーん……何にもないなぁ〜」

「あっはっは! 俺はそんな安直なとこに隠したりしないよ」

「あ、隠してることは認めたね〜?」ニヤニヤ

「あっ」

「これは大捜索する必要があるね♪」

「あ、相葉さん……そろそろ帰った方がいいんじゃない?」

「ふふっ、まだ帰らないよー♪」

 

 

 相葉さんは四つん這いの体勢から体を起こして座り直す。

 

 

「ふぅ……ちょっと汗かいちゃった」

 

 

 そう言って相葉さんはスカートのポケットからハンカチを取り出して額を拭きだし……

 

 

 ん? あれハンカチか…?

 

 

 え? い、いやいや。 あ、あれってさ……

 

 

 

 

 

 俺のパンツじゃね?

 

 

 

 

「あ、相葉さん……そ、それ……」

「えっ?」

 

 

 俺が恐る恐るソレに向かって指を差すと、相葉さんはソレを顔から離してジッと見つめる。

 はらりと広がったソレはやはりハンカチではなく、どこからどう見ても俺のパンツだった。

 

 

「…………あっ」

 

 

 目を大きく見開き小さな声を出した相葉さんの顔がジワジワと赤く染まっていく。そして10秒もすればゆで蛸のようになってしまった。

 

 

「な、なんで……相葉さんのポケットから俺のパンツが……?」

「ち、ちがっ! こ、これは違うの!」

 

 

 相葉さんは軽くパニックを起こしているようであたふたと大きく手を振り回しているが、彼女よりも俺の方が数倍パニックだ。

 

 何で相葉さんのポケットから俺のパンツが…? だめだ、脳みそフル回転させてもさっぱり分からないぞ。

 

 まさか、相葉さんにはそういう収集癖があるのか…?

 

 

 

「相葉さん」

「し、白石くんっ! これはね! えーっと……その……ね? 別に盗ったとかいう訳じゃなくって!」

「大丈夫、誰にも言わないからさ」ニコッ

 

 

「だ、だから違うのーっ!!! お願いだから弁明の機会を頂戴〜っ!!!!!」

 

 

 

 

 その後相葉さんから事情を説明されて、今回の騒動は棚を開けっぱなしにした俺と、パンツを咄嗟に隠した相葉さんの両方が悪いということで決着した。

 

 

 あー、マジで焦った。

 

 



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乙女心は超難解

 

 季節は10月の下旬、俺が病院を退院してから1ヶ月近くが経った。

 まだ完治はしていないし手首の中にあるプレートの抜去も済んではいないが、リハビリの一環としてある程度の軽作業ならこなせるようにはなってきた。

 

 と、まぁそんなこんなで今日は久しぶりのバイトにやってきたわけですよ。

 車の運転とかはまだまだできないけど、掃除したりコピーを取ったり文字の入力をしたりとかくらいならできるからね。

 

 

「あれ? 白石さんじゃん。久しぶりだな」

「あ、神谷さん。確かに久しぶりだね」

 

 

 事務所の廊下を歩いていると向かい側からフリフリと小さく手を振る神谷さんが声をかけてきてくれた。

 最近は全然バイトに顔出してなかったから相葉さん以外の人たちからすれば久しぶりと思われるのも仕方ないだろう。

 

 

「怪我したんだって? 大変だったな〜」

「え? 神谷さん知ってたんだ」

「あはは……女子の間では噂とかそういうのはすぐに出回るからな。白石さんも何か悪さとかしたらすぐに事務所内に広がったりするから気をつけた方がいいぞ?」

「ひぇっ……女子怖い」

 

 

 俺が何かやらかしたらあっという間にその話がアイドル間で広がっていくのか……マジで気をつけよう。

 

 

「それにしても……手が包帯でグルグル巻きだなぁ。痛みとかは無いのか?」

「指は出てるからそこまで不便って訳でもないけどね。痛みに関しては普通にしてる分には何も無いよ。流石にここを神谷さんにぶん殴られたりしたら痛いと思うけど」

「あ、あたしがそんな事する訳ないだろぉ!」

「あははっ、冗談だよ」

 

 

 俺が手首を指差しながら冗談を言うと、神谷さんはプリプリと怒りながら抗議の視線をぶつけてくる。前に北条さんや渋谷さんが神谷さんはイジり甲斐があるって言ってたけど、その理由がわかった気がした。

 

 

「っていうか怪我したのは聞いてたけど、何で怪我したんだ?」

「うーん……まぁ色々とあったんだよね。名誉の負傷とかそういう感じ? 怪我してすぐは痛くて痛くて泣きそうだったけどさ。あはは…」

「へぇ〜、名誉の負傷ってなんかカッコいいな。

あっ、ごめん! 白石さん怪我してるのに無神経だったよな……」

「い、いいよいいよ別に! 全然気にしてないからさ」

 

 

 神谷さんは申し訳なさそうな表情を浮かべながら顔の前で両手を合わせる。

 

 ……まぁでもぶっちゃけて言うと神谷さんの言ってた事は普通に分かるんだよなぁ。

 

 

「というか俺も神谷さんと同じ事考えてたよ」

「えっ?」

「いやほら、名誉の負傷って何かカッコいいなぁ〜って。実際入院してる時に包帯でグルグル巻きの腕を見てアニメのキャラみたいだな〜とか思ってたし。格好いいよね、こういうの」

「そ、そっか……白石さんもそうなのか。

へへっ、何か嬉しいな」

 

 

 神谷さんはそう言うと頬をポリポリと掻きながら静かに笑った。

 

 

「こういう包帯を解いたらめちゃくちゃ強い能力が出たりするのはあるあるだよね」

「あー、わかるわかる! そういうの格好いいよな! あとは眼帯とかもよくあるよな!」

「眼帯なぁ……厨二心をくすぐるよねぇ。中学生の頃に目の上にできものができてさ、その日は学校に眼帯をしていったんだけどちょっと格好いいとか思ってたもん」

 

 

 所謂、独眼竜ってやつだね。まぁその日も最初のうちはウキウキだったけど、視界が悪いしすぐに鬱陶しくなったんだけどさ。

 

 

「いやー、でも気持ちは分かるぞ? 眼帯を取ったら特殊な眼をしてたり、でっかい古傷が残ってたりとかもアニメや漫画じゃよくあるからな!」

「まぁ実際は眼帯を取ったら出てくるのはでっかいできものなんだけどね」

「あははっ! それは確かに格好がつかないかもな!」

 

 

 神谷さんと2人して声を上げて笑う。

 

 いやー、それにしてもアニメとかそっち系の話をしてる時の神谷さんは本当に楽しそうだ。

本当に好きなのが伝わってくるし、こっちまでなんだか楽しくなってくる。

 

 

「眼帯と言えば、俺が昔見てたアニメでさ〜」

「うんうん!」

 

 

 と、その後も神谷さんと楽しくアニメトークを続けていると、突然気配も無く近寄ってきた人物に後ろから声をかけられる。

 

 

 

「なんだか楽しそうだね〜。2人で何の話をしているの?」ニコニコ

 

 

「えっ? うおっ…! 相葉さん、全然気づかなかったよ」

「あ、あたしも全然気づかなかった……めちゃくちゃビックリしたぞ」

「ふふっ、驚かせてゴメンね。白石くん、奈緒ちゃん」ニコニコ

 

 

 後ろから声をかけてきたのは相葉さんだった。相葉さんはニコニコといつも通りの朗らかな印象を与える笑顔を浮かべている。

 

 

「それで? 2人で何を話してたの?」ニコニコ

「ん? あぁいや、別に大した話じゃないよね。神谷さん」

「そうだな。白石さんの言う通り大した話じゃないぞ? 夕美さん」

 

 まぁちょっとした俺たちのオタク心に火がついたとかそういう感じだけど、相葉さんはあんまりそういうのには興味無さそうだしな。

 

 

「へぇ〜、そうなんだ。なんだか2人がとっても楽しそうに話してたから気になっちゃった!」ニコニコ

「えっ!? あ、あたしたちそんなに声大きかったかな……?」

「距離感もすごく近かったし、と〜ってもいい雰囲気に見えたよ〜?」ニコニコ

「うっ……な、なんか恥ずかしいな…」

 

 

 ……なんだろう、相葉さんの笑顔に圧を感じるような……例えるなら千川さんがニコニコしながらも圧をかけてくるあの感じに似ている。

 

 

「あっ、白石くん。どうしたんですか? こんな所で」

「おぉ……噂をすれば」

「はい?」

「いや、なんでもないです。あっ、それゴミ捨て場に持ってくんですよね? 俺が行きます」

 

 

 そこに突然現れた千川さんから紙くずが沢山入っているゴミ袋を受け取る。俺はそれを右手で受け取って肩に担いだ。

 

 

「そこまで重くはないですけど……手の方は大丈夫ですか?」

「全然平気ですよ。任せてください!」

「でもちょっと心配ですね……」

「あ、それならあたしが一緒についてくよ」

「本当ですか? じゃあお願いしますね、奈緒ちゃん」

 

 

 笑顔の千川さんに対して神谷さんも笑顔を浮かべる。

 

 ……俺は別に1人でも平気なんだけどなぁ。

 

 

「流石にゴミ袋持ってくだけなら大丈夫だよ? もう骨折してから一か月以上経ってるし」

「いーからいーから! まださっきの話も途中だったしな!」

「まぁ……神谷さんがいいなら」

「あっ! それなら私が行くよ!」

 

 

 俺と神谷さんがゴミ捨て場に向かおうとしたその時、相葉さんが大きな声を出してビシッと手を上げた。

 

 

「ん? 大丈夫だよ夕美さん。あたし今暇だからさ」

「そうですね。それに夕美ちゃんはレッスン終わりで今から帰るとこですよね? 体も疲れているでしょうし、遠慮せずに帰って大丈夫ですよ?」

「つ、疲れてません! 平気です! それに今無性にゴミを捨てに行きたい気分なんです!」

「ど、どんな気分だよ!!」

 

 

 神谷さんと千川さんの気遣いが感じ取れる発言に対して、相葉さんは必死の形相で食い下がる。

 

 どうしたんだろう相葉さん。マジでそんなにゴミ捨てに行きたいんだろうか?

 

 

「と、とにかく私が一緒についてくから奈緒ちゃんは休んでていいよっ! 」ニコニコ

「そ、そうか……? まぁ、そこまで言うんだったら……」

「うんうん!」

 

 

「……あっ、はは〜ん。なるほど……さては夕美ちゃん」 ニヤニヤ

「っ…! ち、違うからねちひろさん! 別にそういうんじゃないよっ!」

「乙女心ですよね〜。 そうですよね〜、他の女の子と一緒だと複雑ですよね〜? 」ニヤニヤ

「だ、だから違うのっ!」

 

 

 何かを感じ取った様子の千川さんがニヤニヤと笑いながら相葉さんを揶揄う。それに対して相葉さんは顔を真っ赤に染めながら必死に手を振り回して反論をしている。

 

 俺と神谷さんはそんな2人の様子を少し離れた場所からボーッと眺める。

 

 

「なぁ白石さん、ちひろさんと夕美さんは何の話をしてるんだ?」

「うーん……わからん。でもわからんなら聞くしかないよね」

 

 

 俺は2人の元へと近寄っていき、楽しそうに笑う千川さんへと声をかける。

 

 

「千川さん、さっきから何の話をしてるんですか? 乙女心がどうとか」

「え〜? 何の話でしょうかね〜? ねぇ、夕美ちゃん♪」チラッ

「も、も〜っ! ちひろさん!!」

「ふふっ、すみません白石くん。こればっかりは教えられませんね」

「そ、そうっすか」

 

 

 な、なんか千川さんすげぇ楽しそうだな。ちょっと不気味なくらいだ。

 

 まぁ、とりあえず神谷さんの元へと戻ろう。

 

 

「何の話だったんだ?」

「いや……教えてくれなかった」

「なんだそれ」

「でも異様に千川さんがキャピキャピしてて楽しそうだった」

「……ますます気になるな」

 

 

 神谷さんと2人で腕を組んで目を瞑り考えてみるが、いくら脳みそを回して考えても答えが出てくることはない。

 

 

「あ、そういえばさっき言おうとしてた話なんだけどさ」

「ん? あぁ……白石さんが昔見てたアニメがどうとかいうやつ?」

「そうそう。そのアニメにさ、神谷さんに似てるキャラが出てくるんだよね」

「へぇ〜? どんなとこが?」

「髪がもふもふで」

「そ、そこかよぉ!」

「あとツンデレ」

「あ、あたしはツンデレじゃねーよ!」ウガ-

 

 

 神谷さんは顔を赤くして手を振り上げながら怒っている。

 

 あぁ〜、なんか神谷さん見てると和むなぁ。

 

 

「な、なんだよそのニヤケ顔は! なんか馬鹿にされてるみたいでムカつくぞっ!」

「いや〜……なんか和むなぁって」

「和むな! あたしは怒ってるんだぞ! 本当だぞ!」

「はっはっはっ」

「く、くそ〜!!」

 

 

 ガシッ

 

 

「ん?」

「ふふっ、まーた2人だけの世界に入ってる。そんなに奈緒ちゃんと話すのが楽しいのかなぁ?」ニコニコ

「あ、相葉……さん…?」

 

 

 振り向くとニコニコと笑う相葉さんが真後ろに立っていた。可愛らしい笑顔のはずなのに、体の後ろからはドス黒いオーラがはっきりと出ている。

 そんな相葉さんの様子を見て俺の顔はひくひくと引き攣ってしまう。

 

 

「あ、相葉さん……なんか怒ってる?」

「怒ってないよ?」ニコニコ

「い、いや……やっぱ怒ってない?」

 

 

 か、体が動かない。まるで蛇に睨まれた蛙ってやつだ。

 

 

「今のは減点ですよ白石くん。本人がいる目の前で他の女の子と楽しそうにお喋りしてるなんて……

ふふっ」

「何の話ですか!? ていうかさっきから何でそんな楽しそうなんですか!」

「女の子はいくつになってもそういうお話が大好きなんですよ♪」

「女の子って千川さん今25さ……」

「はい?」ニコニコ

「っス……なんでもないッス」

 

 

 くっ……もう何がなんだか訳がわからんぞ!

 

 相葉さん怒ってるし、千川さんキャピキャピしてるし、神谷さんも困惑してオロオロだし!

 

 なんだこれ……カオスか?

 

 

「もうっ! とにかくゴミ捨てに行くよ!」

「あ、ちょっ……相葉さん!」

 

 

 相葉さんは俺からゴミ袋を奪い取ると、俺の骨折していない方の手を握って引っ張っていく。

 ニヤニヤと笑う千川さんと、ぽかーんとした表情を浮かべる神谷さんたちの姿がどんどん小さくなっていった。

 

 

「夕美ちゃ〜ん、頑張ってくださいね〜♪」

 

「そういうんじゃないです〜!!」

 

 

 千川さんの言葉に相葉さんが大きな声で返事をする。それを最後に俺たちは2人の前から姿を消したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「絶対にそういうやつだと思うんですけどね〜

はぁ……青春ですね〜 」ニコニコ

「い、一体何だったんだ? 」

「ふふっ、奈緒ちゃんにもいつか分かりますよ」

「……?」

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 相葉さんに手を引かれて走り続け、気づけば事務所の外へと出てきていた。何度か相葉さんに声をかけて呼びかけたが返事は無く、その代わりに俺の腕を握る力が強くなるだけだ。

 

 

「あ、相葉さん! ストップストップ!

ゴミ捨て場こっちじゃないから!」ギュッ

「あっ」

 

 

 割と強めに相葉さんの手を握り引き留めると、小さな声を出した彼女は今度こそ足を止めてくれた。

 

 

「あ、相葉さん。俺、何かしちゃったかな?」

「……そんなことないよ」

「でも今日の相葉さんいつもと様子が違うからさ。俺が何かしちゃったなら謝らないといけないと思うし」

「本当に違うの。白石くんは何もしてないよ」

 

 

 相葉さんはくるりと振り返って俺の方へと向き直るが、その顔は下を見ていて俺には表情が見えない。そしてしっかりと握られた腕にキュッと力が込められた。

 

 ……や、やべぇ。よく考えたら俺普通に相葉さんと手繋いでるじゃんか。手汗とか大丈夫かな?

 

 手のことを意識し出すと心臓がバクバクと激しく動いて、顔が少しだけ熱くなる。

 

 

 

「ごめんね、白石くんの言う通りだよ。今日の私ちょっと変だよね」

「いや、変……っていうか、その……」

「ふふっ、気遣わなくて大丈夫だよ。自分がちょっと変なのは自覚してるから」クスッ

「相葉さん……」

 

 

 そう言うと相葉さんは小さく笑った。けれどその笑顔はいつもの花が咲くような印象の笑顔とは違い、なんだか元気の無い弱々しい笑顔に見えた。

 

 

「ほんと、何で私こんなにイライラしてたんだろうね」

「相葉さん、大丈夫……?」

 

 

 目線を下に向けて弱々しく微笑む彼女が何だか無性に心配になった。

 そして俺が相葉さんの方へと近づいて肩に手をやろうとしたその瞬間、パッと顔を上げた相葉さんは俺の眼をしっかりと見つめながら言葉を発した。

 

 

 

「ごめんね白石くん。私、ちょっと自分の気持ちに整理つけてこないと!」

「えっ!? ちょ…! 相葉さん!」

「また明日ね!」

「ちょっ! 相葉さんゴミ袋持ったままだよ!」

「あっ……」

 

 

 俺は相葉さんが持っているゴミ袋を受け取る。すると相葉さんは申し訳なさそうに頭を掻きながら笑った。

 

 

「あはは……ご、ごめんね。つい忘れちゃってて」

「いや、元々は俺が持たなきゃいけないやつだから」

「じゃあ今度こそ行くね! またね、白石くん!」

 

 

 そう言って相葉さんはものすごいスピードでその場から走り去って行ってしまった。

 

 

「……なんだったんだろう?」

 

 

 その場に1人残された俺はポツリと呟いた。

 

 

 



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side yumi

 

 事務所から出て猛スピードで走っていく。アイドルのレッスンをして鍛えられたスタミナがあればこのくらい全然へっちゃら。

 行き先は最近お気に入りのお花がたくさんある公園で、この前白石くんと一緒に水やりをしたあの場所だ。

 

 

「ふぅ……ついた」

 

 

 公園についたら空いているベンチに向かい腰をかける。 大好きなお花さんたちに囲まれながら一つ深呼吸……

 

 

「すぅ〜、はぁ……」

 

 

 とりあえず落ち着いたかな。じゃあ……気持ちの整理をはじめなきゃ。

 

 

「私、なんであんなにイライラしちゃったんだろう……」

 

 

 イライラしたのは白石くんが楽しそうに奈緒ちゃんと話してたから。あとすごく近かった。

 

 何で白石くんが女の子と楽しそうに話してるとイライラするのか。それは他の女の子に取られなくないから。

 

 何で他の女の子に取られたくないのか、それは……

 

 

 

 

「……好き、だから」ボソッ

 

 

 自然にスッと口からその言葉が出てきた。

 

 胸がバクバクと鳴ってうるさい、顔が熱い、額に汗がたらりと流れる。

 

 

 

「〜〜〜ッッ!!!」バタバタ

 

 

 は、恥ずかしいよ〜〜!!!

 

 ダメ! 今の私絶対顔真っ赤だ…!

 

 

 顔がゆでだこのように真っ赤の私が公園のベンチの上に1人座り、足をバタバタと動かして悶えている様子は側から見ればどう見ても不審者だろう。

 

 

「……好き、か」

 

 

 でもその答えは驚くほど簡単に自分の胸にスッと落ちた。

 

 そっか……私、恋してるんだ。

 

 

 これまで何度かアイドルとして可愛い恋愛ソングなんかを歌ってきたけど、今ならその歌詞に出てくる女の子の気持ちがよく分かる。

 

 彼のことを考えただけで逸る鼓動、火照る顔と体、早く彼に会って話したい。

 

 

 ……でも会ってどうしようか? いつも通り普通に話す? それともすぐに好きだと伝える?

 

 

 

「……相談に乗ってもらおうかな」

 

 

 そう呟いた私は足早に公園を飛び出してとある場所へと向かった。

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 カラ-ン

 

 

「いらっしゃいませ……あ、夕美ちゃん」

「こ、こんにちは〜、店長さん」

 

 

 私が訪れたのはお気に入りのカフェだ。扉を開けると綺麗な鈴の音と美人店長である山崎さんが私を出迎えてくれる。

 

 

「好きな席に座ってね。注文はいつもの紅茶かしら?」

「あ、はい。……」

「どうかした?」

「そ、その……実は、店長さんに少しお話を聞いてもらいたくて……大丈夫ですか?」

「あら、珍しいね。でもオッケーだよ! 見ての通り今お客さんいないし」ニコッ

「あ、ありがとうございます!」

 

 

 そういえばこの前2人きりでお話した時も私以外にお客さんいなかったっけ……ここのカフェ、大丈夫なのかな…?

 

 

 

「あっ、夕美ちゃん今このカフェいっつも客

いねーなーって思ったでしょ」

「えっ!? そ、そんなことないですよ…!」

「ふふっ、別にいいのよ。それにお客さんならちゃんと来てるから。偶々夕美ちゃんが来た前回と今回の時にお客さんがいないだけ。本当に偶々よ?」

 

 

 そう言って店長さんはニコリと優しく微笑んだ。

 でもその話を聞いて少しだけ安心した。だって私はここのカフェがお気に入りだから、もしお客さんが少なくて潰れるなんてことになったら困っちゃうもんね。

 

 

「今、紅茶持っていくから。先に座ってて」

「あ、はい」

 

 

 さて、どうしよっかな。私以外にお客さんはいないから席は選びたい放題だ。

 

 とか思いつつ私の足は結局いつも通りの席に向かっていた。そして席に座り待つこと数分、いい匂いを漂わせるティーカップを持った店長さんがやってきた。

 

 

「はい、お待たせしました」

「ありがとうございます。はぁ……いい香り」

「ふふっ、さてと……それじゃあ恋バナ始めよっか」

「こ、恋バナって……私、まだ相談の内容は言ってないんですけど……」

「言わなくても分かるよ。夕美ちゃんの顔見れば」

 

 

 顔……? どういうことだろう…?

 

 

「どうしてですか?」

「だって夕美ちゃん、恋する乙女の顔してるもん」クスッ

「っ……! そ、そんな顔してないですっ!」

「え〜? でも顔真っ赤だよ〜?」クスクス

 

 

 店長さんはクスクスと楽しそうに笑いながら私の顔を指差してくる。店長さんの言っていることは本気なのか冗談なのかよく分からない。

 

 

「それで? 相談内容は?」

「……す、好きな、人がいるんですけど…… 」

「なんだ、やっぱり恋する乙女じゃん」

「〜〜ッ!!」

「あー、ごめんごめん。もう揶揄わないから。ていうか夕美ちゃんわっかりやすいなぁ〜 顔が真っ赤だよ」

 

 だ、ダメだダメだ! しっかりしないと…!

このままじゃ話が進まないよ…!

 

 

「そ、それで……その、好きな人ができた後って……どうすればいいのかなって」

「一応確認しとくけどさ、その好きな人って例の白石くんなんだよね? 夕美ちゃんを身を挺して守ってくれたっていう」

「は、はい……」

「へぇ〜、かっこいいねぇ〜。王子様みたいだ」

「えっ? うーん、白石くんはあんまり王子様っていうタイプじゃないかも」アハハ

「ふーん、でも好きなんだ?」

「……は、はい」

「ふふっ、夕美ちゃん可愛いねぇ」

 

 

 店長さんは恋バナにテンションが上がっているのか、いつもよりキャピキャピとしているように見えた。

 

 ……絶対にこの状況を楽しんでるよ。

 

 

 

「うーんそうだねぇ……普通まずはお知り合いにならないとだけど、夕美ちゃんたちの場合はもうそれなりに仲良いんだよね?」

「は、はい……多分、それなりには」

「じゃあその辺の工程はすっ飛ばして大丈夫だね。となれば次はより深い仲になっていかないとなんだけど……」

「ど、どうすればいいんですか!」

「デートでもしてみれば?」

「で、デートォ!?」

 

 

 で、ででででデートって! アレだよね!?

ふ、2人きりで遊園地とか水族館なんかに行っちゃって、手繋いだりなんかしちゃったりするやつだよね!?

 

 

「あ、あわわわ……っ」

「おーい夕美ちゃーん、戻ってこーい」

「で、デートはまだ早いと思いますっ!

そういうのって普通は付き合ってからで!」

「えー? そんなことないよ〜? お付き合いする前にデートに行く男女もたくさんいるよ?」

「えっ……そ、そうなんですか?」

 

 

 で、デートってカップルになってから行くものだと思ってた……うぅ〜、私ってば現役の女子大生なのに何にも知らないんだなぁ……。

 

 

「じゃあまずはデートに行くことを目標にしよっか」

「は、はい…!」

「当然だけど2人きりだよ? 後はただ楽しむんじゃなくて、仲を深めるのも忘れちゃダメ」

「ど、どうやってですか?」

「うーん、そこはちょっと難しいとこだよね〜」

 

 

 そう言うと店長さんは腕を組んで目を瞑り考え込む姿勢になった。一応私も自分で考えてみるけど、これといったいい案は出てこない。

 

 

「手っ取り早いのは夕美ちゃんの"女"を意識させることだよね。色仕掛けとかさ」

「い、色仕掛け……」

「まぁでも、私から見ても夕美ちゃんはそういうのあんまり向いてなさそうだよね」

「わ、私そんなに色気ないかな……」ズ-ン

「あぁ! そうじゃないの! 夕美ちゃんに色気が足りて無いとかじゃなくて! 駆け引きとか、男を誘惑したり誑かしたりとか、そういうのするタイプじゃないでしょってこと」

「そ、それは確かに……」

 

 

 そ、そういう大人の女性みたいな行動は確かにできる自信無いかなぁ。

 

 ウチの事務所でそういうの得意そうなのは、礼子さんとか沙理奈さんとか……あ、あと奏ちゃんとかも詳しそう!

 

 ……って、奏ちゃんは私より年下だった。

 

 

 

「男ってのは基本的に色仕掛けには弱い生き物だからねぇ。まぁ胸でも揉ませちゃえばコロッと落ちるよ」ニヤニヤ

「む、胸っ……!?」

「まっ、流石に冗談だけどね〜」

「……」

「夕美ちゃん?」

 

 

 店長さんの言葉を聞いた途端に私はあの出来事を思い出してしまった。

 事故とはいえガッチリと白石くんの大きな掌で胸を掴まれてしまったことを思い出す。

 

 

 うっ……お、思い出しただけで顔が熱く……

 

 

 

「おーい夕美ちゃーん?」

「はっ…!」

「大丈夫?」

「だ、大丈夫ですっ!」

「そう? ならいいけど」

 

 

 い、今はそんなこと思い出してる場合じゃなかった。せっかく店長さんが相談に乗ってくれてるんだからもっと色々と話を聞かないと…!

 

 

「で、色仕掛けは置いておいて真面目な話に戻るけど……デートの場所は結構大事だよね〜」

「そ、そうなんですか?」

「うん。普段自分が行かないような場所に背伸びして行っても、落ち着かないし安心できないし、意外と失敗しちゃったりすると思うの」

「なるほど……」

「だから相手を楽しませることも大事だけど、ちゃんと自分も楽しめるような場所を選ぶってのも案外大事なんじゃないかな?」

「おぉ〜、店長さんすごいです!」

 

 

 す、すごい……これが大人の女のアドバイスなんだね…! やっぱり私とは経験値が違う…!

 

 

「うーん、定番はやっぱり映画館とか水族館とか……ショッピングモールなんかは誘いやすいかもね。ほら、ちょっと買いたい物があるから着いてきてほしいな〜とか言ったりして」

「な、なるほど…!」メモメモ

「うーん……あとは〜、お家デートとか?

あ、いや待てよ……流石に付き合う前の、しかも一発目のデートで自宅はナシかぁ。身の危険もあるかもだし」

「あっ私、白石くんの家ならもう行きましたよ」

「……えっ?」

「……?」

 

 

 店長さんはキョトンとした顔で私のことを見つめている。一体どうしたんだろう。

 

 

「え、行ったの? 彼の家に……?」

「はい」

「あっ! 友達何人かで行ったとか!?」

「私だけですよ?」

「……あっ! なら白石くんは実家暮らしで家に彼の親御さんがいたり…!」

「白石くんは一人暮らしですから、私と白石くんの2人きりでしたよ?」

「え、えぇ……」

 

 

 て、店長さんどうしたんだろう…? や、やっぱり一人暮らしの男の子の部屋に行くなんて大胆すぎたのかな…? うぅ、白石くん引いてたらどうしよう……。

 

 

「男の部屋に……男女が2人きり……しかも相手は一人暮らし……」ボソボソ

「て、店長さん?」

「……ゆ、夕美ちゃん」ポンッ

「は、はい…?」

 

 

 

 

 

 

 

「……ヤった?」

「ヤってませんっ!!!」

 

 

 

 少し顔を赤らめた店長さんが私の肩に手を置いて、言いづらそうに声をかけてきたかと思えばとんでもないことを言い出した。

 

 私は反射的に店長さんの言葉を否定し、一瞬で体が沸騰したように熱くなった。

 

 

 

「な、何を言ってるんですかっ…!!」

「いやっ、だってさぁ……ねぇ?」

「ねぇ、じゃないですよ! もうっ!」

「え〜? だって一人暮らしの男の部屋にさぁ〜、夕美ちゃんみたいな可愛い子が1人で行くなんて無防備すぎるよ?」

「うっ……そ、それは……」

「若い男女、部屋に2人きり、何も起きないはずがなく……」

「わ、わぁ〜っ! や、やめてください〜!」

 

 

 少しだけ顔を赤らめながら変な妄想を始めた店長さんの顔の前で、それをやめさせようとブンブン勢いよく手を左右に振る。

 

 

「いや〜、夕美ちゃん……結構大胆だったんだねぇ」

「ち、違いますよ! 白石くん2.3日家に帰ってなかったから溜まってると思って……! お世話をしに行っただけなんです!」

「た、溜まってる…? お世話……?」

「も、もう〜〜〜っっ!!! 何ですぐそういう方面に持っていくんですか! ゴミとか埃の話に決まってるじゃないですかぁ!!」

「あれあれあれ〜? 私、今何も言ってないけど……夕美ちゃんは何が溜まってると思ったのかなぁ〜?」ニヤニヤ

「もう〜〜〜っっ!!店長さんっ! 私怒りますよ!!」

 

 

 あぁ……さっきまで結構いい感じに相談できてたのに、これじゃあもうめちゃくちゃだよ〜!!

 

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ」

「落ち着いた?」

「て、店長さんが変なこと言うからじゃないですか……」ジロッ

「あはは〜、ごめんごめん。年甲斐も無くはしゃいじゃったね」

「もぅ……」

 

 

 はぁ……なんだかどっと疲れちゃったなぁ。

 

 それもこれも全部、店長さんが変なこと言い出すから……

 

 

「……」ムス-

「ご、ごめんごめん夕美ちゃん。ちょっと揶揄いすぎたよ」

「べっつに〜、私怒ってませんけど……」

「あはは……本当にわかりやすいね、夕美ちゃんは」

 

 

 ……私、そんなにわかりやすいかな…?

 

 

 

「ふぅ……じゃあ最後にちゃんとしたアドバイスでもしとこうかな」

「本当にちゃんとしたやつですか…?」ジ-

「うっ、疑いの視線……これは夕美ちゃんからの信頼を取り戻さないとね」

「……別に本気で怒ってる訳じゃないですけど」

 

 

 私がそう言うと店長さんはこほんと咳払いをして話し始めた。

 

 

「これはさっきもちょっと言ったことだけどね? デートに行くことになって、どんな場所に行くかとかどんな展開になったとか色々とあるだろうけど……」

「は、はい」

「やっぱり1番大切なのは夕美ちゃんが笑顔で楽しめることだと思うよ。夕美ちゃんが楽しそうにしてなかったら、相手の白石くんも気を使っちゃうだろうしね」

「……それは、確かにそうですね…」

「うん、まぁ……後は多分大丈夫だよ。とりあえず早めに誘ってみるといいよ。その返答で脈ナシか脈アリか大体分かるからね」

「あ、ありがとうございますっ! 店長さん!」

 

 

 私は店長さんにしっかりと頭を下げる。そんな私を見て店長さんはニコニコと笑いながら顔を上げてくれって言ってる。

 

 色々と揶揄われたりはしたけど、ちゃんと相談に乗ってくれる辺り店長さんはやっぱりいい人だと思うし、今日は相談に来て良かったと自信を持って言える。

 

 

「じゃあ私はそろそろ帰りますね? 随分と長い時間店長さんに付き合わせちゃってすみませんでした」

「あぁ、いいよいいよ。夕美ちゃん来てからまだお客さん来てないしね〜、あはは!」

「店長さん……」

「ちょっ! ゆ、夕美ちゃん? そんな心配そうな目を向けるのはやめてよ! ほ、本当に今日は偶々お客さんいないだけだから! 全然平気だからさ!」

 

 

 いつものクールな店長さんとは違い、あまりにも必死な彼女を見てなんだか少しだけ口元が緩んでしまったのは内緒の話だ。

 

 

 

「じゃあ私はこれで、また来ますね!」

「あっ、夕美ちゃん! 最後の最後にもう一つだけ大人からのアドバイスを!」

「……? なんですか?」

 

 

 そう言うと店長さんは私の耳元に顔を近づけてきて、囁くように小さな声で呟いた。

 

 

「ね、念のためにゴムは買っておいたほ……」

「失礼しますっ!!」

 

 

 カラ-ン

 

 

 私はカフェから勢いよく飛び出して、またしても赤くなった顔を下に向けながら家路に着く。

 

 もうっ……! 店長さんったら……最後の最後まで変なこと言うんだから…!

 

 

 私は赤くなった顔を誰にも見られたくなかったので、なるべく早足で家へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

『白石くん、今日は突然帰っちゃってごめんね……それでこれまた突然なんだけど、今度の日曜日2人でどこかに遊びにいかない……?』

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 

 その日の夜、私は既に完成したメッセージの文面を何度も読み返していた。あとは送信ボタンを押すだけなのに中々それができずため息を吐くのを繰り返している。

 

 

 

「夕美ちゃ〜ん! そろそろご飯よ〜!」

「あっ、はーい!」

 

 

 キッチンにいるお母さんから私に向かって声がかけられる。

 

 うぅ〜、こんなメールを送るだけで怯んでたらダメだよね…! 押すよ…! 私、今度こそ押すよ!

 

 

「う〜……」ソ-ッ

「おーい夕美、そろそろご飯だからスマホ触ってないでこっちに来なさい」

「ひゃっ!」ポチッ

 

 

 送信のボタンに向かってゆっくりと指を伸ばしていると、後ろから突然お父さんが声をかけてきて驚き体が飛び跳ねる。

 

 

「お、お父さん! 急に後ろから声かけたらビックリするでしょ!」

「ご、ごめんよ。でも夕美が中々こっちに来ないから」

「そ、それは確かにごめんなさい……って!

あーっ!!」

「こ、今度はどうした!?」

「お、送っちゃったよ〜っ!!!」

 

 

 ソファーに寝転びながらチラリとスマホの画面を見ると、さっきまで何度も読み返していた文面が私と白石くんのトーク画面にしっかりと載っていた。

 

 もしかしたらさっき飛び跳ねた拍子にボタンを押しちゃったのかも……!

 

 

 

「うぅ〜っ! お、送っちゃったよ〜!!」

「な、何を送ったんだい? 夕美?」

「ど、どうしよう……今ならまだ送信取り消しできるけど、せっかく送ったのにそんなことしちゃうのは勿体ないよね……」

「む、無視……だと…? そんな……夕美が俺のこと無視するなんて今まで一度も……」

 

 

 うぅ〜っ! ど、どうしよう……心臓がうるさいくらいバクバクしてて口から飛び出してきちゃいそうだよ〜っ!

 

 

「か、母さ〜んっ! ゆ、夕美がっ! 夕美が遅めの反抗期を…!」

「も〜、何を言ってるのお父さん。ほら、夕美ちゃんもご飯できたからこっち来て〜?」

「……う、うん」

 

 

 ……と、とりあえずご飯食べないと。今は一旦スマホはここに置いておいて……あれ?

 

 

「……き、既読ついちゃった…!」

 

 

 私が送ったメッセージの横に既読という文字が浮かんでいる。これはつまり私からのお誘いを白石くんが今読んでいるということで……!

 

 

「うぅ〜〜っっ!!!」バタバタ

 

 

「ほ、ほら母さん! あんなに普段はいい子の夕美が言うことを聞かないでソファーで暴れてる…! こ、これは反抗期だっ…!」

「もぅ……お父さんったら」

 

 

 ど、どうしようどうしようどうしよう!

こ、これで誘いを断られちゃったら……はっ!

それ以前に返信返ってこなかったらどうしよう〜!

 

 

「こら、夕美ちゃん? いい加減こっち来ないとダメよ? ご飯冷めちゃうでしょ」

「あっ、お母さん……は、はーい」

 

 

 うぅ……正直今はご飯どころじゃないけど、私はもう返信を待つしかないよね……。

 

 

 私はスマホの画面をジーッと睨みつけた後、電源ボタンに指を置いた。そしてそのまま力を入れてボタンを押そうとしたその瞬間……

 

 

 

 ピコンッ!

 

 

「あっ……」

 

 

「夕美ちゃん? ほらいい加減スマホを置いて?」

「……うん」

 

 

 私は美味しそうな夕食が並べられたテーブルの前に置かれた椅子に座る。

 

 

「今日はシチューかぁ〜、美味そうだなぁ〜」

「ふふっ、お父さんも夕美ちゃんもいっぱい食べてちょうだいね?」

 

 

「「「いただきます」」」

 

 

 私たちは声を合わせて挨拶をすると、それぞれがスプーンをシチューへと沈めていき自分の口へと運ぶ。

 

 ……うん、今日もお母さんのシチューはいつも通り美味しい。

 

 

「……ねぇ、お母さん、お父さん」

「ん?どうかしたのか?」

「どうしたの夕美ちゃん?」

 

 

 シチューを一口呑み込んだところで私はお母さんとお父さんに声をかける。そして不思議そうに私を見つめる2人に対して言葉を放つ。

 

 

 

 

 

 

「私、今度の日曜日出かけてくるから!」ニコッ

 

「「えっ?」」

 

 

 

 ……可愛い服、準備しとかないと。ふふっ♪

 

 

 



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デート


 前回投稿から少し間が空いてしまい申し訳ありませんでした。
 私事で恐縮なのですが、私生活の方が忙しくて中々小説を書く時間を取ることができませんでした。 今もまだ忙しい期間は終わっておらずまた次の話を投稿するまでも間が空いてしまうかもしれません。
 
 またもう少ししたら前のような投稿間隔に戻れると思いますので、どうかそれまでご容赦のほど何卒よろしくお願いいたします。




 

 

 

 ……お、落ち着かない。

 

 

 季節は11月、俺が骨折をして退院をしてから早くも2ヶ月が経過していた。

 リハビリも特に問題なく進んでいて順調そのもの。俺の中にいつも通りの日常が戻るのも時間の問題なのだが……

 

 

 ……なんか、めちゃくちゃ緊張してきた。

 

 

 今……俺は心臓をバクバクと鳴らしながら、駅前の広場にて人を待っている。

 

 その待ち人とは相葉さんのことなのだが、なぜ俺が相葉さんを待っているのか……それはつい先日のことだった。

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

「ふぅ……腹減ったな。晩飯にするか」

 

 

 ピロンッ

 

 

「ん? 相葉さんから……?」

 

 

 突如届いた相葉さんからのメッセージを開くと、そこには予想外の文章が記されていた。

 

 

 

『白石くん、今日は突然帰っちゃってごめんね……それでこれまた突然なんだけど、今度の日曜日2人でどこかに遊びにいかない……?』

 

 

 

「へっ?」

 

 

 こ、これって……

 

 

 あ、相葉さんが俺のことを遊びに誘ってきてくれてる!?

 

 ま、マジかこれ! マジかよこれ! この俺が女子から遊びに行かないかと誘われてるのか!?

 

 

「はっ……!」

 

 

 い、いやいや……少し落ち着け。 別に告白でもされた訳じゃない、ただ遊びに行かないかと誘われただけじゃないか。

 

 そんなことで一喜一憂していたら、まるで俺が女子と遊んだことすらない全身童貞男みたいじゃないか。……まぁ事実だけど。

 

 

 と、とにかく! ここはスマートに返信をするんだ。 あまりこっちがキョドっていることを悟らせないように……

 

 

 

『いいよ』

 

 

「……うーん、これは流石に」

 

 

 送信をする前にトーク画面に打った文字を眺めて吟味する。

 

 別に『いいよ』だけでも意味自体は通じるんだけど、あまりにも素っ気なさすぎる気がするぞ。 相葉さん約50文字の誘いに対して、俺は3文字で返信とか……

 

 

「……これは違うな」

 

 

 打った文字を消して別の文字を打ち出す。

 

 

『行く行く! 絶対に行くよ〜!』

 

 

「うーん……」

 

 

 これも何か違うなぁ……。誘いに対してがっついてるみたいだし、何よりこんなギャルみたいな文章は俺のキャラじゃない。

 

 

「……くそっ、何て返信すればいいんだ…!」

 

 

 明らかな経験値不足だ。こんな時女子とメッセージのやり取りをしまくってるモテ男なら速攻で何か返信をするのだろう。きっと俺みたいにどんな文を送るか迷うこともしないはずだ。

 

 

「……あれ?」

 

 

 その時、俺は一つの事に気がついた。

 

 相葉さんからこのメッセージが送られてきてから10分が経つ。そして俺はこのメッセージをすぐ読んで、それからまだ返事をしていない。

 

 この状況は……まずい! 完全に既読無視だ!

 

 

「あ、あわわわ!!」

 

 

 ヤバいヤバいヤバい! 既読無視なんて印象最悪だぞ!

 

 と、とにかくこれ以上既読無視状態はマズい! 早急に返信をしなくては…!

 

 

「えーっと……えーっと……くそっ! もうこれでいいか!」

 

 

 俺は未だかつて無いほどに素早い指の動きで文字を打ち、完成した短い文を送信した。

 

 そして送った文章が相葉さんとのトーク画面に貼り付けられたのを確認して、俺は一息をつく。 そしてその後、改めて自分の送った文章をジーッと見つめる。

 

 

 

『行きます!』

 

 

 ………なんか敬語になっちゃったぞ。

 

 

 ブ-! ブ-! ブ-!

 

 

「うおっ! で、電話だ」

 

 

 返信をした直後、相葉さんとのトーク画面を見つめていると急に電話がかかってきた。

 俺は一度だけ大きく深呼吸をして通話のボタンを押す。

 

 

「もしもし? 相葉さん?」

『あっ! 白石くん! 今時間大丈夫かな?』

「うん、大丈夫だよ」

 

 

 通話ボタンを押すと、スマホの画面から相葉さんの元気そうな声が響き渡る。

 

 

『えへへっ、嬉しいなぁ♪ もし断られたらどうしようかなって思ってたんだ』

「い、いやいや! 嬉しいのは俺の方もだよ。まさか相葉さんが遊びに誘ってくれるなんてさ」

『そ、そうなんだ……白石くんも嬉しいんだ。えへへ……そっかそっか♪』

 

 

 な、なんか相葉さんやけに嬉しそうだな……

いや、まぁ喜んでくれてるならよかったけど。

 

 

『あ、それでね?遊びに行く場所なんだけど』

「うん?」

 

 

『ゆ、遊園地……なんてどうかな…?』

「えっ?」

 

 

 

 こ、この俺が! 女子と遊園地……だと!?

 

 

 女子と海水浴、女子とバーベキュー、そして女子と遊園地。この3つはリア充にしか経験できないイベントのはずだ。(偏見)

 

 それなのに、彼女いない歴=年齢で思春期にまるで女子と会話をしてこなかった俺みたいなのがそのうちの一つを経験できるなんて……!

 

 

「夢か……?」

『あれ、何か言った? 白石くん』

「あ、いやなんでもないよ」

 

 

 い、いかんいかん。しっかりしろ白石幸輝!これは現実だ。現実なんだぞ。

 

 

「これは現実……これは現実……」ブツブツ

『もぅ〜、白石くん? さっきからちょっと変だよ?』

「えっ……あ、あぁ、ごめんごめん」

『そ、それでさ……どう、かな…?』

 

 

 そんなの、答えは一つに決まってる。

 

 

「もちろん行くよ!」

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 と、まぁ……そんなこんなで相葉さんと遊園地に行く約束をしたので、俺は今駅前で相葉さんの到着を待っているという状況だ。

 

 緊張のしすぎで準備をめちゃくちゃ早く終えてしまった俺は、待ち合わせ時間の40分前にはここに到着してしまっていた。

 

 ……今の時点で待ち合わせ時間まで20分。流石に早く来すぎたかもしれない。 いや、かもしれないじゃなくて確実に早すぎたな。

 

 

「とりあえず今日行く遊園地のことをちょっと調べてみようかな」

 

 

 そうして俺がポケットからスマホを取り出して画面を覗き込んだ瞬間、優しく背中がツンツンと突かれた。

 

 

「ん?」

「やっほ〜白石くん」

「あ、相葉さん…!」

 

 

 振り返るといつの間にかやってきていた相葉さんが俺のことを上目遣いで見上げていた。

 

 

「えへへ、私も結構早く着いちゃったのに白石くんはもっと早かったんだね」

「いやいや、俺もついさっき来たところだからほとんど変わらないよ」

 

 

 嘘です。本当は20分ぐらいここで待ってました。

 

 

「そうなの? よかった〜」

「あはは、それじゃあ早速行こう………か」

「……? どうかしたの?」

「え、えーっと、その……服、すごい似合ってるね。めっちゃ可愛いよ」

「……!?」

 

 

 俺は精一杯の勇気を振り絞って相葉さんに服の感想を伝える。

 

 こういう時は相手の服装を褒めてあげるのが鉄板ってよく聞くけど、これは思ったより照れくさいな……

 

 

「ほ、本当…!?」

「う、うん。すごい似合ってるよ」

「そっか……えへへ、嬉しいな」ニコッ

 

 

 相葉さんは小さな声で呟くとニッコリと微笑んだ。そんな相葉さんの表情を見て俺の胸はドクンと大きく音を鳴らした。

 

 

 ……なんか相葉さん、いつもより可愛い…?

 

 いや、もちろんいつも相葉さんはとびきりの美少女なんだけど、何が今日は雰囲気が違うような。俺の気のせいかな……?

 

 

「ち、ちなみに……どこが可愛いかな…?」チラッ

「えっ!?」

 

 

 あ、相葉さんが何かを期待するような視線でこっちを見ている…!

 

 これは……何て答えるのが正解なんだ?

服もめちゃくちゃ可愛いし、変装用なのかいつもは着けていない伊達メガネを着けてるのも可愛いし、というかなんなら相葉さん自体が可愛いし。

 

 

 

「……そ、そのスカートとか……可愛いよね」

「あっ! 白石くんもそう思う!?」

「う、うん」

 

 

「えへへっ♪ 実は何を着てくるかすっごく迷ったんだけどね? 今日は結構動くと思うからあんまりゴタゴタしててもちょっとな〜って思ったから、このフレアスカートにしたの! ミモレ丈でスッキリとしてね! あ、それで色は秋っぽくカーキ色にして……」

 

 

 

 ???????

 

 

 ま、まずい……! 相葉さんのファッショントークの意味が全くわからない。

 

 ミモレ丈ってなんだ…? カーキ色ってどんな色だ…? あとフレアスカートって……? 燃えるスカート……?

 

 

「って感じなんだけど〜♪」

「……」

「白石くん?」

「……お、おっけーおっけー。そういうことね。うんうん、やっぱり時代はフレアなスカートだよね。わかるわかる」

 

 

 俺は相葉さんに向けて親指をグッと立てて笑顔を向ける。

 

 

「あ、あはは……白石くんにはちょっと難しかったかな?」

「うっ……た、確かに相葉さんの言う通りだよ。俺はファッションとか何にも分からないダメなやつなんだ」ズ-ン

「べ、別にそこまで言ってないよ! ほ、ほらほら! いつまでもここで話しててもアレだし早く出発しよ?」

 

 

 そう言うと相葉さんは俺の手を引いてズンズンと歩いていく。

 

 

「ちょっ! 相葉さん!」

「えへへっ、ほらほら! 早く行こうよ」

 

 

 そうして俺たちは遊園地に向かうバスへと乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 俺と相葉さんがバスに乗り込んで小1時間程度経った。バスに乗っている間は相葉さんと他愛のない話をしていると、あっという間にバスは目的である遊園地の前へと到着した。

 

 

「よしっ! じゃあ行こっか」

「そうだね」

 

  

 ゾロゾロと降りていく他の乗客に続いて俺たち2人もバスを降りた。

 

 バスを降りればもうすぐ目の前には人気の遊園地。入口からでも見えるほど大きな観覧車やジェットコースターを見た相葉さんはキラキラと目を輝かせている。

 

 

「うわぁ〜! すごいすごい! すっごく楽しそうだよ白石くん!」

「おぉ……確かにすごいね」

 

 

 両手を合わせてピョンピョンと飛び跳ねる相葉さんを見て思わず笑みが溢れる。

 

 

「さぁさぁ! 時間が勿体ないよ! 早く中に入ろう!」

「そうだね。じゃあチケット買いにいこっか」

 

 

 俺たち2人は早足で入口の方へと歩いていきチケットを購入する。

 そして遊園地の中へと入場すると、周りには楽しそうにはしゃいでいる家族連れやカップルっぽい男女など様々な人たちがいた。

 

 

「すごいな……結構人多いね」

「結構人気な場所だからね〜。さてさて、じゃあ最初はどこに行こっか!」

「そうだなぁ」

 

 

 俺が入場した時に貰った遊園地内のマップを広げて見ていると、横にいる相葉さんが覗き込んできてふわりと甘い匂いが鼻をくすぐった。

 

 

「っ……」

「うーん、最初はゆっくりとした乗り物がいいかなぁ……それともやっぱりジェットコースターかなぁ?」

 

 

 うっ……ち、近いなぁ。 すごくいい匂いするし、めちゃくちゃドキドキする。

 

 

「白石くん? どうかしたの?」

「えっ! な、なんでもないよ!」

「そう? でもちょっとだけ顔が赤いような……」

「だ、大丈夫だよ! それよりほら、早くどっかに行こうよ! そうだ、最初はジェットコースターでいいんじゃないかな!?」

「……?」

 

 

 俺は変なことを考えていたことを悟られないよう必死に誤魔化す。そしてキョトンとした顔を浮かべている相葉さんを連れて大きなジェットコースターに向かって歩き出した。

 

 

「あ、ジェットコースターといえば白石くんは絶叫系は大丈夫なの?」

「俺? まぁ……人並みだと思うよ。絶対に無理!ってタイプじゃないし。相葉さんは?」

「私も……普通、かな?」

「疑問形だね」

「あはは……まぁ普通に乗る分にはいいんたけどね? 何回も連続とかになるとちょっと……」

 

 

 そう言うと相葉さんは何か嫌な記憶を思い出したようで、視線を下に向けながら乾いた笑みを浮かべていた。

 

 

「そういう経験があるの?」

「う、うん……ちょっとね? 昔、響子ちゃんと志希ちゃんと一緒に何回も絶叫コースターに乗ったことがあって……あの時は流石に辛かったかなぁ」

「へぇ〜、一ノ瀬さんに振り回された感じ?」

「う、ううん……響子ちゃんがね? すっごい絶叫系が好きらしくて……あはは」

 

 

 相葉さんはどこか遠くを見ながら笑う。

 

 というか意外だな。あの五十嵐さんがそんなにパワフルガールだったとは……

 絶対一ノ瀬さんが暴走したのかと思ったぞ。疑ってごめんよ一ノ瀬さん。

 

 

「っと、着いたけど……おぉ。デカいな」

「確かに……おっきいね」

 

 

 俺と相葉さんは2人して首を上に向けて、ものすごいスピードで動くコースターを見る。

 

 

「け、結構エグい感じのやつだね……」

「そ、そうだね。うわぁ、あそこのとこで一回転するみたいだよ……」

 

 

 

 ギャァァァァァ---!!!  キャ-----!!!!

 

 

 コースターに乗る他の客の叫び声がここまで届いてくるぞ……やべぇなこれ。

 

 

「……よしっ、行くよ白石くん!」

「えっ、マジですかい?」

「せっかく来たんだから乗らないと勿体ないもん! ほらほら!」

 

 

 相葉さんに連れられてジェットコースターの列へと並ぶ。

 

 や、やべぇ〜、乗りたくないなぁ……

 

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 ガタガタガタ……ガタガタガタ……

 

 

 小さく不気味な音を出しながら俺を乗せたコースターは上へ上へと登っていく。この山を登りきった時が俺の死ぬ時なのかもしれない。

 

 

「うわー! すっごい高いよ〜!」

「ソ、ソウダネ-……タカイネ-」

「いい景色だなぁ〜♪」

 

 

 隣に座る相葉さんはキラキラとした笑顔を浮かべていて何故か楽しそうだ。

 

 さっきまで俺と同じくらい怯んでいたというのに……やっぱり相葉さんはパッションガールだよ。

 

 

「あっ、ほらほら! そろそろ1番高いとこにつくよ!」

「えっ!? ちょ、ちょっと待って! まだ心の準備が……!」

 

 

 1番高いところに到達したコースターは一瞬だけ動きを止めると、次の瞬間にはゆっくりと降下を始めてあっという間にトップスピードに入る。

 

 

「わぁ〜!」

「あばばばばばばばばば!!! やばいやばい! これやばいって!!」

 

 

 怖い怖い怖い!! 早すぎるし高すぎる!!

てか相葉さんめちゃ余裕そうなんだけど!?

 

 

「はやいはや〜い!」

「うぉぉぉぉぉぉぉぉ〜〜!!!」

 

 

 は、早く終わってくれ〜!!

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

「はぁ〜♪ 楽しかったね!」

「……ソ、ソダネ-」

 

 

 ジェットコースターから降りた相葉さんは楽しそうに笑いながら体をぐいぐいと伸ばしている。そしてそんな相葉さんと対照的に俺は背中を丸めてぐったりと項垂れる。

 

 

「ふふっ、白石くん大丈夫?」

「ま、まぁね……正直に言うとめちゃくちゃ怖かったよ」

 

 

 俺が今まで乗ってきたジェットコースターなんてコレに比べればオモチャみたいなもんだったんだなって…… 正直もう乗りたくはない。

 

 

「じゃ、じゃあ次はどこに行こっか」

「うーん、実は向こうの方にもう一個ジェットコースターがあるらしいんだけど……」ニヤリ

「えっ!」

「ふふっ、冗談だよ♪ 次はちょっと落ち着けるやつにしよっか」

 

 

 い、今……一瞬だけ悪い相葉夕美が出たぞ。

 

 

「相葉さんって意外とそういうとこあるよね。小悪魔的な……」

「そうかな? ふふっ、そんなつもりはないんだけどなぁ〜♪」

 

 

 ぜ、絶対に確信犯だ…! 確実にイジられてるぞ!

 

 

「ほらほら! そんなことより、早く次の場所に行こ!」

「……うん、そうだね」

 

 

 そう言って相葉さんは両手を腰の後ろで組んで笑った。

 

 ……まぁ、相葉さんが楽しそうだしいいか。

 

 

 

 

 その後は色々なアトラクションに片っ端から乗りまくった。

 

 メリーゴーランドにゴーカートに空中ブランコに……もうとにかく色々だ。

 あ、さっき相葉さんが言っていたもう一つのジェットコースターにも乗ったけど、最初に乗ったやつに負けず劣らずの絶叫系だった……

 

 そして今俺たちは何をしているかと言うと、回るコーヒーカップのアトラクションから降りたところなのだが……

 

 

 

「うっ……め、目が回る……」

「ご、ごめんね白石くん。ちょっと回しすぎたかな?」

「へ、へいきへいき……あはは」

 

 

 とは言いつつも俺の足取りはフラフラとしていておぼつかない。

 

 ひ、久しぶり……というか初めてかもしれないな。こんなに目が回ったのは。

 

 

 

「……あっ! し、白石くん! あっちにあるベンチでちょっと休もうよ! ちょうど日陰でいい感じだよ」

「えっ? あぁ、いや……別にそこまでしなくても」

「え、遠慮しないで! ほらほら!」

「ちょっ! あ、相葉さん! あんまり引っ張らないで……うぷっ」

 

 

 相葉さんは有無を言わさぬ勢いで俺の手を引いてベンチまで引っ張る。

 

 い、今そんなに強く揺さぶられると……

や、やばいんだけど……!

 

 

 

「はい! じゃあちょっと横になろっか」

「い、いや……別に横にはならなくても」

「ちゃんと体を休めるには横にならなきゃダメだよ! ほらほら!」

 

 

 な、なんか今日の相葉さんは押しが強いな。

 

 あれよあれよという間に俺はベンチの上に寝転ばされて空を見上げる体勢を取る。そしてその横に相葉さんも腰をかけた。

 

 

「どうかな? ちょっとはマシになった?」

「そうだね……だいぶ良くなってきたよ」

「ふふっ、よかった。 ねぇ白石くん、ちょっと目を瞑っててくれるかな?」

「え? まぁ……別にいいけど」

 

 

 俺は相葉さんに言われるままに目を閉じる。こんな風に寝転びながら目を瞑っていると眠ってしまいそうだ。

 

 

「ちょっとごめんね。頭上げるよ?」

「え?」

 

 

 そんな声が聞こえた次の瞬間、相葉さんが俺の首を下から支えるようにして頭が持ち上げられた。そしてすぐに頭は下ろされたが、後頭部に伝わるその感触はさっきまでの硬いベンチの物とはまるで違う。

 

 

「えぇっ!? あ、相葉さん! これって…!」

「ど、どう……かな?」

 

 

 俺はびっくりして勢いよく目をかっ開くと、視線の先には上から俺のことを見下ろす相葉さんがいた。

 

 こ、これって……ひ、ひざまく……ら…?

 

 

「ちょっ! あ、相葉さ……!」

「しーっ……もうちょっとゆっくりしてなきゃダメだよ?」

 

 

 反射的に飛び起きようとした俺の額を相葉さんは軽く押し返す。そして少しだけ赤みがかった顔のまま、人差し指を自分の口元に当てて優しく微笑んだ。

 

 

「っ……! あ、相葉さん……」

「い、嫌……かな?」

「ぜっ、全然嫌じゃないよ! 嫌な訳がないよ!」

「ふふっ、じゃあさ……もうちょっとだけ、このままでいよ? ここは人通りも少ないし……」

「……あ、相葉さんがいいなら」

 

 

 俺の言葉に対して相葉さんは返事こそしなかったが優しい笑みを浮かべた。

 

 

「……」

「……」

 

 

 しばらくそのまま無言の時間が続く。

 

 俺はその間ずっと体中の全神経を張り詰めるような緊張感に襲われていた。

 

 

 だ、だって頭とか変に動かして変なとこに当たったりしたら困るし。 視線もどこに向ければいいのやら……

 

 結構前に三船さんにも膝枕してもらったこともあるけど、あれはその後すぐ寝ちゃったからなぁ……今は意識がハッキリしてる分かなり照れくさい。

 

 

「ねぇ、白石くん……」

「は、はいっ!?」

「どう……かな?」

「うっ……い、いい感じ……です」

「そっか……ふふっ、よかった」ニコッ

 

 

 そう言うと相葉さんはゆっくりと俺の頭を撫で始めた。優しい手つきがこそばゆい……

 

 というか改めてすごい状況だなこれって。

まさか相葉さんに膝枕してもらえるなんて……

 

 あーやばい。顔あっつい……絶対に今顔真っ赤だよ。

 

 

「白石くん……顔、赤いね」

「……あ、赤くもなるよ。こんなの」

「ふふっ、照れてるの?」

「あ、あー……うん、まぁ」

 

 

 うっ……め、めっちゃ顔見られてる。 やばいぞ、顔がどんどん熱くなってきた。

 

 というか完全に相葉さん俺のこと揶揄ってるな! また悪い相葉夕美が出てきてるよ! 小悪魔夕美が隠しきれてないよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私も、って言ったら……どうする?」

「えっ?」

 

 

 チラリと視線を相葉さんの顔に移すと、相葉さんは真っ赤な顔で潤んだ瞳を少しだけ細めて俺のことを見つめていた。

 

 

 は、初めて見る相葉さんの表情だ……

 

 なんだ……これ。 いつもと違う……

 

 

 互いの目と目をジッと見つめ合う俺たちの間には、明らかに異様な空気感が流れる。

 

 

「え、えーっと……私もって、何が?」

「私も……照れてるんだよ……?」

「えっ?」

「それに、すっごくドキドキしてるの。 今日、ずっと……」

「あ、相葉……さん…?」

「白石くんのせいだよ……私が、こんなにドキドキしてるのは」

 

 

 相葉さんは小さな声で言葉を紡ぎながらも、その視線はジッと俺のことを見つめて離さない。

 

 

 な、なんだこれ。 顔が熱い。 心臓がうるさい。 相葉さんの顔から目が離せない、離したくない。

 

 こ、これって……いったい。

 

 

 

「わ、私ね……この前から暇さえあればキミのことずっと考えてるの……」

「あ、相葉……さ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「白石くん……私……っ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ママー、あの人たちイチャイチャしてるよ〜?」

 

 

 

 

「「えっ?」」

 

 

 

 相葉さんが何か言葉を絞り出そうとしたその時、それまでの異様な空気感をぶち壊すような声が聞こえてきた。

 俺たち2人がゆっくりと声のした方に顔を向けると、そこには風船を握りしめてこっちに向けて指を差す小さな女の子がいた。

 

 

 

「ママ〜、あの人たちすっごく仲良し……」

「ちょっ! ま、待って待って! これは違くて……!」

 

 

「こ、こらっ! 何してるの! すみませんウチの子が…! ほら行くよ!」

 

 

 俺が勢いよく相葉さんの膝から頭を上げて女の子に話しかけようとするとその子ども母親らしき人がやってきて、一言謝りすぐにその子を連れて立ち去っていった。

 

 そしてその場に残された俺は隣に座る相葉さんのことをチラリと見ると、向こうも俺の方を見ていたようでバッチリと視線が交わった。

 

 

 

「……お、俺ちょっと飲み物買ってくるよ!」

「あっ! し、白石くん……!」

「相葉さんの分も買ってくるからさ! ここで待ってて!」

「あ……う、うん」

 

 

 その場の空気に耐えられなかった俺は、情けなくも逃げ出すように走り去っていくのだった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

「……お、俺ちょっと飲み物買ってくるよ!」

「あっ! し、白石くん……!」

「相葉さんの分も買ってくるからさ! ここで待ってて!」

「あ……う、うん」

 

 

 そう言って顔を真っ赤にした白石くんは、私から逃げるようにしてその場から走り去っていってしまった。

 

 

「……行っちゃった」

 

 

 ポツリとそんな言葉を吐いた私は、1人残されたベンチの上で顔を下に向けて自分の頬に両手を当てる。

 

 

 ………すごく、熱い……。

 

 

 

「……う、う〜〜っ!!!」

 

 

 周りからの視線なんか気にもせずに私は呻き声を上げながら足をバタバタと動かす。

 

 

 や、やっちゃったよぉ〜〜〜っ!!!!

 

 

 き、今日は告白とかそういうのは全然考えてなかったのに!! ちょっと仲を進展させるくらいしか考えてなかったのに〜!!!

 

 

 ちょっといい雰囲気だからって焦った……?

 

 自分の気持ちが抑えきれなかった……?

 

 

 な、何はともあれあんなの半分告白しちゃったみたいなもんだよ〜!!!

 

 しかもこんな中途半端な……! う〜っ!!

私のバカバカ〜!!

 

 

 

 、、、、

 

 

 

 

 

 

「……はぁ」

 

 

 ひとしきり悶えた後に大きく息を吐く。

 

 

 

 白石くん、今どんなこと考えてるかな。

 

 今日はちょっと……いや、かなり頑張ってアプローチかけたんだけどドキドキしてくれたかな?

 

 体を近づけてみたり、手を握ってみたり、膝枕もしてみたり。

 

 ……私のこと、意識してくれたかな…?

 

 

「はぁ……」

 

 

 もう一回大きく息を吐く。

 

 

 ……白石くんが戻ってきたらどうしよう?

 

 

 さっきのは無かったことして普通に遊園地を楽しむ? それとも今の話の続きをする……?

 

 

 どうしよう……考えがまとまらないよ。 何が正解なのか分からない。

 

 

 

「はぁ……」

 

 

 誰か私に恋愛のアドバイスをしてください〜!!

 

 

 



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本心

 

 

「はい、これ2つね」

「ありがとうございます」

 

 

 俺は販売スタッフの人からジュースを両手で受け取る。キンキンの容器を握った手のひらが冷たくて気持ちいい。

 

 

「はぁ……」

 

 

 そんな冷えた手のひらとは裏腹に、俺の頭の中はオーバーヒートを起こして今にでも沸騰爆発してしまいそうだ。

 

 

 

 

 

 

『わ、私ね……この前から暇さえあればキミのことずっと考えてるの……』

 

 

『白石くん……私……っ!』

 

 

 

 

 さっきの相葉さんの言葉と表情を思い出す。

 

 体をプルプルと小さく揺らして、真っ赤になった顔で緊張したような表情を浮かべて俺のことを真っ直ぐ見つめていた。

 

 

 ……そういえば昔読んだ漫画のヒロインが告白する時ってあんな感じだったな。

 

 

 

「………って! いやいや!」

 

 

 なにを考えてるんだ俺は! それじゃあまるで相葉さんが俺に告白をしようとしていたみたいじゃないか!!

 

 自惚れるなよ白石幸輝18歳。お前は18年生きてきて女の子に告白されたことなんて一回も無いじゃないか。

 それなのにあの相葉さんが、そんな俺に告白だなんて有り得るわけ無いだろ……

 

 

「は、ははは……」

 

 

 なんか言ってて悲しくなってきたぞ。

 

 

 

 ……でも、もし本当に相葉さんに告白をされたとしたら俺はどうする? いや、こんな妄想をすること自体が相葉さんに失礼だけど……

 

 

 

「って、そんなこと考えてる場合じゃなかった!」

 

 

 相葉さんのこと待たせっぱなしだ! 早く戻らないと!

 

 俺はジュースを溢さないレベルに気を遣いながら、さっきまでいた場所へと走っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 さっきの場所に戻ってきたはいいけど……相葉さんとどんな風に接すればいいんだろう。

 

 さっきのが告白とかそういうのじゃなかったとしても、膝枕してもらったりしてたのは紛れもない事実だし……なんか照れくさいな。

 

 

 

「相葉さん、待たせてごめん………ね?」

 

 

 あれ、相葉さんいないぞ?

 

 おかしいな、確かにここのベンチだったと思うんだけど……

 

 

 ベンチの上に相葉さんの姿は見えない。キョロキョロと視線を動かしてみるけど、周辺のどこにも相葉さんはいない。

 

 

 

「……おっかしいなぁ」

 

 

「わぁっ!」

「ぎゃ〜〜っっっ!!!」

 

 

 相葉さんがいないことを不思議がっていたその時、突然背後から耳元で大きな声が響いて肩を強く叩かれる。

 

 

 

「なっ! なんだなんだ!?」

「ふふっ、あはははっ! 白石くんリアクション良すぎるよ〜!」クスクス

 

 

 後ろを振り向くと、相葉さんがお腹を抱えながら楽しそうに笑っていた。

 

 

 

「あ、相葉さん……びっくりしたぁ」

「えへへっ、ごめんね。 ちょっとびっくりさせようと思って」

「どこに隠れてたの?」

 

 

 俺がそう尋ねると、相葉さんはベンチの横に置いてある大きなゴミ箱を指差した。

 

 ……なるほど、あの後ろに隠れてたのか。

 

 

 

「あっ! それもしかして私に買ってきてくれたの?」

「ん? あ、あぁ……もちろんだよ!」

「えへへっ、ありがと♪」

 

 

 相葉さんは俺が渡したジュースを美味しそうに飲み始めた。ゴクゴクと勢いよく、いつも通りのニッコリとした笑顔を浮かべながら。

 

 

 ……なんか、相葉さんいつも通りだな。

 

 

 

「はぁ〜っ! 美味しい♪ ねぇねぇ白石くんっ! 次はどこに行こっか?」

「……」

「白石くん?」

「あっ……な、なんでもないよ! ごめんごめん! じゃあ次はあそこなんてどうかな?」

 

 

 相葉さんはさっきまでの変な雰囲気なんて微塵も感じさせないような振る舞いだ。いつも通りの元気な相葉さん。

 

 ……やっぱりさっきのは告白とかそういうんじゃなくて、俺の勘違いだったんだ。

 

 

 

 

 なんか……残念だな。

 

 

 

 

「ん、残念……?」

「えっ、どうしたの?」

「い、いやなんでもないよ!」

 

 

 い、いつまでも勘違いを引きずっても仕方がないよな。 せっかく相葉さんと遊びに来てるんだから楽しまないと!

 

 

 そして、俺と相葉さんは次に乗る乗り物へと向かって歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 あれから俺たちは時間の許す限り、色々な乗り物に乗って遊園地を満喫した。

 

 俺も途中のハプニングはすっかり忘れて、これまで通り相葉さんと普通に接して………

 

 

 

 

 嘘です。全然普通に話できませんでした。めちゃくちゃ意識してしまいました……

 

 

 俺はずっとあの時の相葉さんの表情が忘れられずにいた。あの真っ赤に染まり、何かを俺に伝えようとしていたあの顔が忘れられない。

 

 

 あー……もぅ。 何でこんなに胸がザワザワするんだよ。

 

 

 

 

「今日は楽しかったね! 白石くん」

「う、うん……そだね」

「……白石くん、もしかして元気無い?」

「えっ? あっ、いやそんなことは」

「ちょっと待ってて!」

 

 

 そう言って相葉さんはどこかに向かって走り去っていく。

 

 

「はぁ……」

 

 

 あークソっ…! 何をやってるんだ俺は……

 

 ずっと余計なことばっかり考えて、そのせいで相葉さんに余計な気まで遣わせて……

 

 

 

「白石くん、こっち向いて?」

「えっ……相葉さ……んぐっ!」

 

 

 相葉さんに呼ばれて振り返ると、口の中に何やら甘くてサクサクとした何かを突っ込まれる。

 

 こ、これって……チュロス…?

 

 

「どう? 美味しい?」

「んぐっ、ぷはぁ……お、美味しいよ…?」

「えへへっ、よかった♪」

 

 

 微笑みながら相葉さんもチュロスを齧りだした。 状況がよく理解できていない俺は、間抜けな顔をしながらチュロスを齧る。

 

 

 

「あ、相葉さん……これって」

「ん? そ、それはね……白石くん、なんだかちょっと元気が無いふうに見えたからさ、甘くて美味しいモノでも食べたら元気になるかなって」

「えっ、じゃあ……俺のためにわざわざ」

 

 

 相葉さん……なんて優しいんだ。

 

 

 そうだよ、思い返してみれば相葉さんは初めて出会った時からずっと優しいよな……

 

 

 

 

 

 大学で初めて会った時には、女の子と話し慣れてなくてキョドってる俺に優しく接してくれた。

 

 その後も大学でよく話しかけてきてくれて、カフェでお茶に誘ってくれたり。

 

 俺なんかのために真摯になって恋愛相談に付き合ってくれたり。

 

 怪我した俺に対して、涙を流して心配してくれて……その後はお見舞いにも来てくれて。

 

 そして今日は、こうして俺を遊びに誘ってくれている。

 

 

 

 

「相葉さんってさ、優しいよね。すごく」

「ふぇっ!? ん、んんっ! ど、どうしたの白石くん急に…!」

「いや、俺ってさ……相葉さんには、すごいよくしてもらってるなって思って」

「そ、そんなことないよ……! て、ていうか急にどうしたの!? 急に褒められると……は、恥ずかしいよぅ」

 

 

 そう言うと相葉さんの顔はみるみるうちに赤く染まっていく。相葉さんはそれが恥ずかしいのか、自分の手で顔を覆って俺から隠そうとする。

 

 そんな相葉さんがすごく可愛くて、俺は思わず口元が緩んだ。

 

 

 

「も、もぉ〜……ふふっ」

「あれ、どうして笑ってるの?」

「ん〜? 白石くんが笑ってくれてよかったな〜って」ニコッ

「っ……!」ドキッ

 

 

 俺を見上げて笑う相葉さんの顔を見た瞬間、心臓が飛び跳ねるようにドクンと揺れた。

 

 

 

 あっ、俺ってもしかして相葉さんのこと……

 

 

 

 

 

「ありがとう、相葉さん。何か元気湧いてきたよ」

「えへへっ、よかった」

 

 

 

 心の中のザワザワとしたモノが消えていく。

 

 自分の気持ちを自覚した途端、相葉さんを前にしているだけなのに、いつもの10倍は胸の鼓動が強く速くなったような気がする。

 

 

「じゃあ、そろそろ帰ろっか……」

「あ、うん……そうだね」

「私その前にちょっとお手洗い行ってくるね!」

 

 

 そう言って相葉さんは走っていく。

 

 

 

「はぁ……もう終わりかぁ」

 

 

 

 1人残された俺はポツリと呟く。

 

 

 なんて言えばいいのか……とにかく寂しい。もっと相葉さんと一緒にいたかった。

 

 また一緒に遊びに来れるだろうか。次は俺の方から誘ってもいいのかな。

 

 

「なんか今日、ずっと相葉さんのこと考えてるな。ははっ」

 

 

 そう言って俺は相葉さんに貰ったチュロスに齧りついた。

 

 

 その後も相葉さんの帰りを待ちながらポリポリとチュロスを齧り続けるが、相葉さんは中々戻ってくることはなく俺はチュロスを食べきってしまった。

 

 

 

「……相葉さん、遅いな」

 

 

 お腹痛いのかな? まぁそれなら別に良いんだけどさ……いや良くはないか。

 

 

「……よしっ、ちょっと行くか」

 

 

 俺はなんだか無性に胸騒ぎがして、居ても立ってもいられずその場から歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 お手洗いを済ませた私はトイレから出て、すぐに白石くんのいる場所へ戻ろうと早足で歩き出す。

 

 

「……今日は楽しかったなぁ」

 

 

 でも、もう帰らなくちゃいけないんだよね。

 

 もっと白石くんと一緒にいたいなぁ……今日は遊園地だったけど、もっとそれ以外の場所にも白石くんと遊びに行ってみたい……

 

 次も誘っていいのかな…? 断られたりしないかな…?

 

 

「はぁ……私って肝心な所で臆病だなぁ」

 

 

 今日だって、ちょっといい雰囲気になって……ちょっとハプニングが起きちゃったから最後までは言えなかったけど。

 

 あの後、白石くんが戻ってきて告白の続きをすることだってできたのに、私は無かったことにしていつも通りの感じで白石くんに接した。

 

 

「ほんと、臆病だなぁ」

 

 

 本当はすぐにでも白石くんに好きって伝えたい。でもできない……だってもし断られたりしたらって考えると怖いから。

 

 さっきのは雰囲気と勢いと流れに任せて言いそうになっちゃったけどさ……

 

 

 白石くんは私のことどう思ってくれてるんだろう。 一緒に遊園地に来てくれたってことは嫌われてはない……と思うんだけど。

 

 

「……ふふっ」

 

 

 あーあ、何か私……最近は本当にずっと白石くんのことばっか考えてるなぁ。

 

 そんな自分がおかしくて思わず笑みが溢れた。

 

 

「……本当に、好きなんだなぁ」

 

 

 最初大学で会った時はこんなことになるなんて全然思ってなかったのになぁ。 優しそうな人だなぁ〜って思ったくらい。

 

 でもそんな彼だから話しかけやすくて、大学で見かける度に声をかけて……一緒に講義を受けたりカフェでお茶したり。

 

 そしたらいつの間にか一緒にいることが多くなっていって、白石くんの恋愛相談に乗る師匠になって……

 

 ていうか、私って白石くんの恋愛面に関する師匠なのに、そんな私が白石くんを好きになっちゃうって……なんか悔しいなぁ。

 

 それに、白石くんに彼女ができるようにアドバイスをするとか……今だったら絶対にしたくない。

 

 

 

「……って! 早く白石くんのとこに戻らないと!」

 

 

 思い出に浸ってる場合じゃなかったよ! 早く戻らないと!

 

 

 

 

「あのー、すみません」

「えっ?」

 

 

 白石くんの待ってる場所に向かって走り出そうとしたその瞬間、後ろから声をかけられて振り返ると、そこにはチャラチャラとした感じの男の人が2人いてニヤついいた。

 

 ……こういうのは大抵碌な事にならないって私の経験上よく分かってる。

 

 

「君可愛いねぇ〜、1人なの?」

「俺らと遊ばない?」

 

「あ、あの……一緒に来てる人がいるので結構です」

 

 

 私は変装用のメガネをしっかりとかけ直して顔を下に向ける。

 

 諦めのいい類のナンパだったら一言しっかりと断れば帰ってくれるんだけど、どうや、今回の人たちは諦めの悪いタイプらしい。

 

 

「えー? ツレってもしかして女の子?」

「それなら全然構わないよ。その子も一緒に遊ぼうよ」

 

「い、いや……男の子なので」

 

 

 私がそう告げると、ナンパ男は一瞬だけ眉をピクリと揺らしたけど、次の瞬間にはニタニタとした笑みを浮かべて体を近づけてきた。

 

 私は反射的に後ろに下がる。けれど後ろにある壁がそれ以上後ろに下がることを許さない。

 

 

 

「えー、絶対俺らの方が楽しいよ〜?」

「そうそう! 大体、こんなとこに女の子ほったらかしてるって碌な奴じゃないっしょ」

「それ! 絶対ヘタレのしゃばい奴っしょ」

 

 

 

「し、白石くんのこと悪く言わないでください! 何にも知らないくせに!」

 

 

 

 あっ……つ、つい怒鳴っちゃった。

 

 

 私はやってしまったと言わんばかりに自分の口を手で塞ぐ。

 

 こういう相手は何するか分からないから刺激しちゃいけないのに……

 

 それでも、白石くんのことを何も知らないような人が、彼のことを悪く言うのは許せなかった。

 

 

 

「ビックリしちゃったなぁ……そんなに怒鳴らなくてもいいじゃん」

「そうそう、あとあんまりうるさくされると周りに怪しまれちゃうからさ、静かにしてよ」

「てか早く行こうよ〜。あんまり焦らされると俺ら我慢できなくなっちゃうよ」

 

「っ……! は、離して!」

 

 

 ナンパ男の1人が私の手首をガッチリと掴んだ。

 

 

「だ、大体っ…!もう遊園地は閉まる時間じゃないですか! それなのに今から遊ぶなんて無理ですっ!」

「じゃあさ、ここじゃないとこで遊べばいいじゃん。例えば……ホテル、とかさ」

「っ……!」

 

 

 ナンパ男が私の体をジロジロと眺めながら下卑た笑みを浮かべた。

 

 

「そうと決まれば……ほらっ!」グイッ

「ほらほら〜 早く行こうよ〜」

 

「いやっ! や、やめてっ……! 」

 

 

 痺れを切らしたナンパ男は私の腕を強く引っ張って無理やり連れて行こうとする。

 私は手を振り回して振り払おうとするが、相手の力の方が遥かに強くて全く離れない。

 

 

 怖い……

 

 

 圧倒的な力の差を実感させられた途端、私の心の中を恐怖の感情が埋め尽くした。

  

 

 怖いよ……助けて、白石くんっ…!

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの! ちょっといいですか!」

 

 

「あ?」

「誰? お前」

 

 

 嫌な空気を切り裂くように聞き慣れた声が響いた。その声を聞いた途端、私の心の中の恐怖心がパーッと晴れていき、安心した私の目にはジンワリと涙が浮かぶ。

 

 

 

「し、白石……くん……っ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 俺が相葉さんを探し出してからすぐに彼女を見つけることはできたが、どうやら嫌な予感は当たってしまったようだ。

 相葉さんはチャラそうな男2人に壁際へと追い込まれて絡まれている。どこからどう見てもナンパだろう。

 

 

「マジかよ」

 

 

 相手は俺よりも明らかに強そうで、いかにもなワル系の男2人。俺が今すぐ飛び込んでもボコボコにされるだけだろうし、冷静に行動をするならすぐに警備員かスタッフの人を呼ぶべきなんだろう。

 

 

 でも、そんな理屈とか自分の身の危険とかを考える暇もなく、俺の体はその光景を見た瞬間に動き出していた。

 

 

 自分でも驚いてる。俺ってこんなに熱くなるタイプだったのかと……

 

 いや違う、多分普段ならここまで熱くはならない。ただ絡まれてるのが相葉さんだったからだろう。

 

 

 男がニヤついた気色の悪い笑みを浮かべながら相葉さんの手を掴んだその瞬間、俺の腹の底に煮えたぎるようなドス黒い感情が生まれる。

 

 それは単なる怒りや不快感から生まれたモノじゃない。相葉さんに触れて欲しくないという嫉妬の怒りだ。

 

 

 こんな気持ちになるってことは……やっぱりそういうことなんだろう。

 

 

 俺は男2人と相葉さんの間に割って入り大きく声を荒げた。

 

 

 

「あの! ちょっといいですか!」

 

「あ?」

「誰? お前」

 

 

 男2人は明らかに敵意を持った視線を俺に向けてくる。普段の俺ならそれだけでビビり散らしてるだろうけど今はそれどころじゃない。

 

 

「し、白石……くん……っ」

 

 

 俺の方を向いた相葉さんの目には薄らと涙が滲んでいた。体のデカい男2人に思いきり腕を掴まれて相当怖かったんだろう。

 

 そんなことを考えた途端、俺は無意識に相葉さんの腕を掴む男の腕を思いきり掴んでいた。

 

 

 

「ってぇな、離せよガキ」

「嫌がってるのが見てわからないんですか」

「あ? つかお前誰? 邪魔すんなよ」

「いいから早くこの腕離せよ……っ」

「てんめぇ……いい度胸してんじゃねぇか」

 

 

 ナンパ男は大きく腕を払い俺の手を払い除けた。そのおかげで自然に相葉さんの腕も解放されたので、俺は相葉さんを後ろに隠して男2人と対峙する。

 

 

 あー、やっぱりこれって喧嘩になるパターンだよね……

 いやまぁ正直それは何となく覚悟はしてたんだけど、ただでさえ俺なんて喧嘩強くないのに2人相手とか絶対にボコボコにされるぞ。

 

 でも、相葉さんだけは絶対に護らないと……

 

 

「し、白石くん……」

「相葉さん、危ないから俺の後ろに隠れてて」

「で、でも……」

「大丈夫、心配しないで」

 

 

 小さく震える相葉さんが俺の背中をギュッと掴む。カッコつけて心配するなとは言ってみたけど、恐らくこの後はボコボコにされるとこを見せてしまうことになるだろう。

 

 

 

「つーかテメェ誰だよ。ガキ」

「俺は、この子の……友達だよ」

「アァ? 彼氏でもねーのかよ。じゃあとっとと引っ込んでろ……」

「だけど!」

 

 

 

 

 

「この子は俺にとって大事な人だ! お前らなんかに渡すわけにはいかないんだよ!」

 

 

「……えぇっ!? し、白石くん!?」

 

 

 俺はしっかりとナンパ男の目を見てそう伝える。引く気なんて一歩も無いという意思表示だ。

 

 

「えっ、えぇっ!? し、白石くん今なんて…!?」

「ちょっ……あ、危ないから下がっててよ!」

「だ、だって今のって……うぅ〜っ!!」

 

 

 

 相葉さんが後ろから肩を掴んでグラグラと揺らしてくる。 危ないからちゃんと後ろで大人しくしててほしいんだけど……!

 

 

 

「て、テメェら……っ、何をイチャこいてんだコラ……」ピクピク

「バカにしてんのか? アァン!」

 

 

 男2人はプルプルと小さく震えながら、額にくっきりと青筋を浮かばせている。

 

 

 

「相葉さん、ほんと危ないから下がってて!」

「だ、だって白石くん! さ、さっき……!」

「ちょっ! マジで腕離して!? ほらあの人たち向かってきてるから! ヤバいって!」

 

 

 男は拳を振り上げて俺の方へと突進してきている。俺も抵抗しようと腕を構えようとするが、相葉さんが掴んでいて動かしづらい。

 

 

 ぼ、ボコられる覚悟はしてたけどこんな形でやられることになるなんて思ってなかったぞ!? ていうかこのままだと相葉さんも危ないんだけど……!

 

 俺と相葉さんがわちゃわちゃとしている間に、男の拳は俺の顔に迫ってきていてもうダメだと思ったその瞬間……

 

 

 

 

 

「ママ〜、あの人たち何してるの?」 

 

 

「「えっ?」」

 

 

 

 いつの間にか近くに来ていた小さな子どもが俺たちのことを指差していた。

 

 

「こ、こらっ! 何してるのっ! 危ないから早くこっち来なさい!」

「お兄さんたち喧嘩はダメだよー!」

「アんだと? うっせぇぞガキ!」

「ひぃぃっ! け、警備員さーん!!」

 

 

 女の子に向かって男が大声を出した瞬間、その子のお母さんが大きな声を出して周りの注目を集める。

 

 そして俺たちの周りにザワザワとした雰囲気が漂い出す。

 

 

 

「相葉さん、あの子って……」

「あっ、お昼に会ったあの子だよ!」

 

 

 その小さな女の子は今日の昼に、俺が相葉さんに膝枕をしてもらってる時に声をかけてきたあの子だった。

 

 

 

「け、警備員さーん!!」

 

 

「チッ……行くぞ」

「くそっ、ババァが……邪魔しやがって」

 

 

 男たちは注目が集まりばつが悪くなったのか、捨て台詞を吐いて逃げるように去っていった。

 

 それを見て俺はすぐさま、パニックを起こしている女の子のお母さんに声をかける。

 

 

「あ、あの…! もう大丈夫ですよ。 アイツらどっか行ったんで」

「えっ? そ、そうなの……?」

「はい。 あの……助かりました。ありがとうございます」

「あっ、いえ……私、パニックでとにかく大声を出してただけで……」

「いやいや、本当に助かりました」

 

 

 女の子のお母さんを落ち着かせるために、ゆっくりと優しく話しかける。すると段々落ち着いてきたのか、安心したように一息をつく。

 

 俺は次に相葉さんのもとへと向かう。相葉さんは小さな女の子の前で屈んで話している。

 俺も女の子に視線を合わせるためにその場で屈んだ。

 

 

「さっきはありがとうね。キミに助けられちゃったよ」

「……?」

「ふふっ、私もさっきお礼を言ったらおんなじリアクションだったよ」

 

 

 女の子は何で俺たちにお礼を言われてるのかまるでわかっていない様子だ。不思議そうに首を傾げて俺たちのことを見つめている。

 

 何も問題が起こらなかったからか、俺たちの周りを囲んでいたザワザワとした雰囲気もいつの間にか消え去っている。

 

 

 

「あの、本当にありがとうございました」

「い、いえいえ」

「じゃあ俺たちはこれで」

「ばいばーい!」

 

 

 お母さんにお辞儀をしてその場から離れていく俺たちに向かって、女の子は手をブンブンと振っている。それに対して俺と相葉さんも小さく手を振り返した。

 

 

 ……いやぁ、まさか昼間の女の子に助けられることになるとは。 あの子は俺にとって救世主だな……。

 

 

「相葉さん、もう大丈夫だと思うけど一応ここからは離れよっか」

「あっ……う、うん」

 

 

 そして俺たちは遊園地の出口の方へと向かって歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

「し、白石くん…!」

「……な、なに?」

 

 

 出口へと向かう道の途中、相葉さんが後ろから俺の服の袖を掴んで声をかけてくる。

 

 

「さ、さっきの……さ、 その……っ」

「……」

「だ、大事な人って……その……」

 

 

 振り向いて相葉さんと向き合う。顔を赤くした相葉さんはチラチラと上目遣いをしながら俺のことを見ている。

 

 さっきは勢いに任せた感じで言っちゃったけど、あれは……俺の本心だ。

 

 

 

「……あ、あのさ!」

「っ……!」

 

 

 相葉さんの手を握って目を見つめる。

 

 今にでも心臓が口から飛び出しそうだ。

 

 

 

「さっきの……ことなんだけどさ」

「な、ナイス起点だったね!」

「えっ?」

「い、いや〜! あ、あぁやって言えばあの人たちが手を引くって思ってたんだよね!?」

「……相葉さん」

 

 

 

 違う、そんなんじゃない。

 

 

 

 

「相葉さん、聞いてほしいんだ」

「あ……ぅ」

 

 

 

 もう一度相葉さんの手を強く握る。

 

 

 

 

「さっきのは……俺の、本心だよ」

「っ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺、相葉さんのこと好きだ」

 

 

 

 

 

 ……い、言った。 俺、言ったぞ。

 

 

 

 

「相葉さんは優しくて、明るくて……相葉さんと一緒にいるとすっごく楽しいし、一緒にいるとドキドキするんだ」

「……ぅ」

「さっきアイツらに相葉さんが絡まれててさ、俺それを見てすっごく嫌だったんだ。 俺、相葉さんのこと……誰にも渡したくないっていうか」

「も………ぅ」

 

 

 

 か、顔が熱い。 心臓が爆発しそうだ。

 

 でも言わなくちゃ。 俺の本心を伝えないと。

 

 

 

「だからさ、相葉さん……俺と」

「も……もぅ……」

「……相葉さん?」

 

 

 

「も、もう無理だよ〜〜ぅ!!!」

「えっ!?」

 

 

「は、恥ずかしい〜〜!!!」

「ちょっ、相葉さん!? ま、待って!」

 

 

 

 え、えっ!? な、何が起こった!?

 

 

 相葉さんの頭がボフンと音を立てて爆発する。そしてそのまま大きな声を出しながら走って遊園地から出て行ってしまった。

 

 人生初の告白のまさかの結末に、俺はその場で呆然としながら相葉さんの走って行った方角を見つめる。

 

 

 

「も、もう無理……? えっ、ど、どういうこと……?」

 

 

 

 もしかして……フられた?

 

 

 

「そ、そんなぁ……」

 

 

 俺はショックで目の前が真っ暗になった……

 

 

 

 

 ちなみに相葉さんは無事家に帰ったそうなのでそこは一安心だ。

 

 





 次で夕美ちゃん編ラストです。


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最終話 想い

 

「ぼけー………」

 

「ここをこうして……こう!」

「わー! すごいすごーい! 莉嘉ちゃん上手ー!」

「えっへへ〜♪ みりあちゃんが手伝ってくれたからだよ〜!」

 

 

 バイト終わり、俺は事務所の休憩所にあるソファーに座ってボーっとしている。生気の無い顔を浮かべて、何をするでもなくただただ抜け殻のようになって座っている。

 

 後ろで莉嘉ちゃんとみりあちゃんが何やら俺の髪の毛を弄って遊んでいるらしいけど、今は何も言う気にはならない。

 

 

 えっ……なんでそんな抜け殻みたいになってるかって? そりゃあ……相葉さんへの告白に失敗したのが原因さ。

 

 自分でも驚いてるよ。お断りされただけでこんな風に自分がなっちゃうなんてね……俺は自分で考えてるより相葉さんのことが好きだったらしい。

 

 

「ねぇねぇ幸輝くん、次はツインテしてみていい?」

「あ……いいよ。いいよ。なんでもいいよ……」

「よーしっ! じゃあ次はみりあがやるー!」

 

 

 はぁ……やっぱり告白なんてしない方がよかったのかな。 勢いと流れに任せて言っちゃったけど、あんなこと急に言われたら相葉さんも困惑するよな。

 

 うわ……ちょっと遊びに誘っただけで勘違いして告ってきたんだけど……むりぃ〜。 とか思われてたらどうしよう……

 

 

 あっ……ダメだ。ネガティブモードが発動しちゃってるぞ。 本当は相葉さんは絶対そんなこと思わないってわかってるのに……

 

 

 はぁ……なんか泣きそう。

 

 

 

 

「ん? 莉嘉〜、何して……えっ、本当に何してんの?」

 

「あっ! お姉ちゃんおは〜☆」

「美嘉ちゃんおはよ〜!」

 

「うん、2人ともおはよう……で、何してんの?」

 

 

 

 休憩所にやってきた城ヶ崎さんが怪訝そうな表情を浮かべて俺の方を見ている。 でも今は何も言う気にはならない。

 

 

 

「今ね? 幸輝くんの髪の毛を可愛くしてあげてるの!」

「え〜、てか白石くんさっきから全然喋らないけど……どうかしたの?」

「わかんない!」

「わかんないってアンタ……」

 

 

 するとソファーに座る俺の前で城ヶ崎さんが屈んで心配そうな顔で見つめてくる。

 この距離感で城ヶ崎さんに見つめられるとかいつもの俺なら絶対にキョドっているところだが、今はそんな気分には全くならない。

 

 

「ちょっと莉嘉、白石くんで遊んでないで白石くんを元に戻すの手伝ってよ」

「えー! せっかくいいカンジのツインテが出来上がったのに……」

「あっ! じゃあみりあがやるー! そーれ、こちょこちょこちょ〜!」

 

 

「ぼけー……」

 

 

「ぜ、全然効いてないし……」

「えーっ!? 幸輝さんこちょこちょ効かないの!? すごーいっ!」

「いや、凄いというよりもう怖いんだけど……」

 

 

 

 ダメだ……3人が何かしてるのは分かってるけど、何を言う気にもする気にもならない。

 

 

 

 ブ-! ブ-! ブ-!

 

 

 

「あ、白石くんスマホ鳴ってるよ」

 

 

 城ヶ崎さんの指摘を受けて、俺はゆっくりと手を動かしてスマホの画面を覗く。 そしてそこに書いてあった文字を見て飛び跳ねた。

 

 

「……えっ!?」バッ

 

 

「ちょっ! き、急にどうしたの?」

 

 

 

 俺が急に立ち上がったことに3人はビックリしているようだけど、今はそれどころじゃない。

 

 俺のスマホに届いたメッセージは相葉さんからの呼び出しだった。 生気の抜けた瞳に光が戻っていくのを感じる。

 

 

「ご、ごめん! 俺ちょっと行かないと!」

「えっ!? あっ! ちょっと白石くん!」

 

 

 後ろで城ヶ崎さんが何かを言っているけど振り返らず走っていく。 とにかく相葉さんが待つ場所へと向かって全速力で走る。

 

 

 

 

 

 

「行っちゃったね幸輝さん」

「なんだったんだろうね」

「いや……それよりさ」

 

 

 

 

「白石くん……髪の毛、ツインテのまんまだけど……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 走る。 走る。 走る。

 

 俺は休憩をすることもなく走り続ける。 なんだか周りの人がすごい見てる気がするけど、まぁそりゃ街中を全速力で走る男がいたら注目を集めても仕方ないか。ていうかそんなの気にしてる場合じゃない。

 

 

 向かってる先は、前に相葉さんに水をぶっかけられたあの綺麗な花畑のある公園だ。

 

 

 何で呼ばれたのかとか、何を言われるのかとか気になる事は沢山あるけど、今はとにかく走り続ける。

 

 そして全力疾走の甲斐もあり、俺は連絡を貰ってから数十分で目的地である公園へと辿り着いた。

 

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……っ」

 

 

 どこだ……あ、相葉さんはどこだ…?

 

 はぁはぁと荒い呼吸をしながら、俺はキョロキョロと辺りを見渡す。

 

 

 

「し、白石……くん?」

「あっ、相葉さん!」

 

 

 声のした方へと顔を向けるとそこには相葉さんが立っていた。

 

 けどなんだか目を見開いて固まっている……どうかしたんだろうか?

 

 

「え、えーっと……ぷふっ、ふっ、ふふっ!」

「……?」

「あはははっ! ちょ、ちょっと白石くん…! わ、私今真剣な話しようと思ってたのに〜!

くふっ、ふふふっ!」

 

 

 な、なんだなんだ!? 何で相葉さんこんなに笑ってるんだ!?

 

 ……お、俺の頭を見てるような気がするけど、なんかついてるのか……?

 

 

 

「はぁ……白石くん、自分で気づいてないんだ?」

「な、何が?」

「コレ貸してあげるから……くふっ」

 

 

 相葉さんはクスクスと笑いながら手鏡を渡してくれた。 俺はソレを掲げて自分の頭部を確認する。

 

 

「なっ! なんじゃこりゃぁぁぁ!!!」

「あははっ! し、白石くんっ、走ってきたと思ったらツインテなんだもん! そりゃ笑っちゃうよ〜」

 

 

 鏡に映っている俺の頭部は、短い髪の毛を無理やりかき集めてヘアゴムで2つに纏められていた。

 

 ……あっ! だからさっきから人の視線を感じてたのか! めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど……

 

 

 

「い、いつの間にこんな……」

「あれ? もう解いちゃうんだ。 似合ってたのに……くすっ」

「か、勘弁してよ相葉さん。 はぁ……」

 

 

 黒歴史確定だなこりゃ……

 

 

 

「ふぅ……ふふっ、私ちょっと緊張してたんだけど、白石くんのおかげで解れたかも」

「えっ? あっ、そういえば真剣な話って……」

 

 

 はっ…! ま、まさかこの前の告白の話とか……?

 

 うぅっ……正式にお断りの話をされるんだろうか? なんか泣きそうだ。

 

 

 

 

「え、えーっと……お話っていうのはね? この前の遊園地のさ……」

「う、うん」

「白石くん……こ、告白してくれた……ってことでいいんだよね?」

 

 

 や、やっぱりその話かぁ……

 

 

 

「う、うん……そうだよ。 俺、相葉さんのこと好きだから」

「っ……! そ、そっか! ご、ごめんね? この前は逃げちゃったりして……」

「だ、大丈夫だよ。普通びっくりするよね……あはは」

 

 

 相葉さんは途切れ途切れに言葉を紡いでいく。さっきからモジモジと下を向いているので目が全く合わない。

 

 ……や、やっぱり気まずい。

 

 

 

「それでね……今日は返事をしなきゃってことで白石くんを呼んだんだ」

「……そ、そっか」

「うん。白石くん、聞いてくれる?」

 

 

 

 今日初めて相葉さんと目が合った。

 

 

 あーダメだぁ……今からお断りされるんだぁ…… 泣かないように覚悟を決めないと……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「私も、白石くんのこと好きだよ」

「うん、そっか……………ん?」

「だから……この前は告白してくれて、嬉しかったんだ」

「…………ん? ちょ、ちょっと待って?」

 

 

 

 あれ? 今……なんて?

 

 

 

 

「えっ? あ、相葉さん……? い、今なんて言ったの……?」

「は、恥ずかしいから……あんまり、言わせないでよぅ……」

「お、お願い! お願いします!」

「う、うん」

 

 

 相葉さんは顔を赤くして俺のことを見つめる。俺も同じく真っ赤な顔で相葉さんを見つめる。

 

 

 

 

 

「……私も、白石くんのこと好き」

「ま、マジ……?」

「うん、マジ……だよ?」

 

 

 

 

「ま、マジかぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 

 

 

 えっ!? マジなの!? これマジなの!?

 

 う、嬉しすぎるんだけど!! えっ、相葉さんが……あの相葉さんが俺のこと好き!? ま、マジかよ!!!

 

 

 あっ、やばい……予想外すぎてなんか涙出てきた。

 

 

 

「うっ……うぅ」

「し、白石くんどうしたの!?」

「あっ、ごめん……なんか嬉しすぎて涙出てきちゃって。 いや、もう絶対にフられると思ってたからさ」

「そ、それなんだけどね」

 

 

 ポリポリと頬を掻きながら、相葉さんは照れくさそうに語り出した。

 

 

 

「私も白石くんのこと好きだったから、いざ告白されてすごく恥ずかしくなっちゃって……ご、ごめんね? 本当はすっごく嬉しかったんだけど」

「そ、そうなんだ! いや、別に大丈夫だよ! 今嬉しすぎてそんなの全然気にならないから!」

 

 

 

 あーヤバい。 なんか頭と体がフワフワするぞ。 好きな子に好きだって言ってもらえるってなんて素晴らしいんだ…!

 

 

 

「ねぇ、白石くん」

「な、なにかな?」

「私たちって……これで恋人同士になるんだよね?」

「……う、うん!」

 

 

 

 こ、恋人……恋人かぁ…! 俺に恋人……しかも相手はあの相葉さんだ。 大丈夫かな、俺幸せすぎて明日死んだりしないよな?

 

 

 

「だ、だからさ……」

「ん?」

 

 

 

 

 

「恋人らしいこと……しない?」

「えっ!?」

 

 

 

 

 こ、恋人らしいことって………え、マジ?

マジなのか? いや、こんな急に……い、いいのか!?

 

 

 

「どう……かな?」

「す、するっ! するする!」

 

 

 

 チラリとこっちを見る相葉さんに向き合って力強く返事をする。

 

 か、覚悟を決めたぞ……俺、大人への第一歩を登るんだ…!

 

 

 

「白石くん……」

「相葉さん……」

 

 

 

 俺のことを上目遣いで見つめる相葉さん。可愛らしく桜色に染まった頬と潤んだ瞳に吸い込まれるようにして俺の顔はゆっくり近づく。

 

 互いの顔が段々と近づいていき……そして。

 

 

 

「んっ」

「……ん?」

「んっ!」

「……ん?」

 

 

 

 俺の体の前には相葉さんの手が差し出されていた。俺が不思議そうな目でそれを見つめると、相葉さんは力強く手を揺らした。

 

 

 

「手! つ、繋ごうよ…!」

「……手?」

「だ、だから……恋人らしく手を繋いで……」

「あっ、あぁ!! て、手ね! そういうことね! あははは…!」

 

 

 

 手繋ぎだったか……は、早とちりした……

 

 

 俺は自分の勘違いを誤魔化すように、後頭部を手でわしゃわしゃとしながら笑う。

 そんな俺を見た相葉さんは、ジト〜っとした視線をぶつけてきた。

 

 

 

「白石く〜ん? え、えっちなコト考えてたんでしょ……」ジト-

「えっ!? ち、違う違う! そんなことないです!」

「本当かなぁ……? そういうのはもっと仲良くなってからじゃないと……だ、ダメだからね!」

「は、はいっ!」

 

 

 相葉さんはビシッと指を立てて、俺の顔の前に持ってくる。

 

 

 うぅ……き、キスできると思ったけど……流石にまだ早かったかぁ。

 

 

 

「……白石くん」

「ん?」

 

 

 

 

 チュッ…

 

 

 

 

「えっ……?」

「い、今はこれだけ! じゃあね…!」

 

 

 

 俺の横に来た相葉さんは背伸びをする。そして柔らかい彼女の唇が俺の頬に……

 

 何が起きたのか理解できてない俺は、ぽかーんとした間抜けな顔を浮かべながら自分の頬を撫でる。

 

 

 

「あ、相葉さん! 今の! 今のって…!」

「……わ、わかるでしょ?」

「もう一回! もう一回お願い!」

「ふふっ、だ〜めっ♪」

「そ、そんなぁ……!」

 

 

 相葉さんは一瞬だけ小悪魔的な笑みを浮かべると、楽しそうにスキップをしながら俺の前を進み出す。

 

 

 

「白石くんっ!」

「な、なに?」

 

 

 

 相葉さんがくるりと振り返る。

 

 

 

 

 

 

「私のこと、ちゃんと大切にしてねっ!」

「……うん、もちろんだよ!」

 

 

 

 俺の言葉を聞いて満足そうに満面の笑みを浮かべた相葉さんは、勢いよく走ってきて俺の胸に飛び込んできた。

 

 なんとか相葉さんの体を受け止めて、ギュッと力強く抱きしめる。

 

 

 

 

「改めて、これからよろしくねっ! 白石くん!」

「こっちこそよろしく、相葉さん!」

 

 

 

 互いの顔を見てクスクスと笑う。

 

 

 あぁ……やっぱり俺は相葉さんが好きだ。

 

 

 これから先、きっと俺たちの間にはたくさんの困難や苦難が降りかかるだろう。

 でも相葉さんと一緒なら乗り越えられると俺は確信してる。

 

 

 

 俺は相葉さんの体を強く抱きしめる。それに応えるように相葉さんも腕に力を込める。

 

 

 まるで俺たちを祝福するように揺れる綺麗な花に囲まれながら、俺たちは時間も忘れて互いの体を抱きしめ続けた……

 

 

 

 



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epilogue

 

 

 季節は三月、出会いと別れの季節。

 

 俺と相葉さ……いや、夕美が付き合い始めてから3年近くが経過していた。

 

 そして大学四年生の春、俺と夕美は晴れて大学を卒業することができた。

 

 

 夕美はアイドルをやるのは学生の間だけと決めていたらしく、4月からは都内にある巨大なホームセンターの中にある園芸コーナーで働くらしい。そしてゆくゆくは自分の店を持つのが夢だとかなんとか……ちなみに俺は普通の商社に内定が決まってる。

 

 俺は新しい生活の始まりに期待と不安を抱いているが、就職以外にもう一つ、大きく生活スタイルが変わるイベントを控えている。

 

 それは……

 

 

 

「ここなんかいいんじゃないかな?」

「そうだなぁ……でもちょっと駅から遠くないか? 夕美はそれでもいいの?」

「うーん……他のも見てみよっか!」

 

 

 俺と夕美は物件のインターネットサイトや広告に目を通している。

 そう、生活スタイルが大きく変わるイベントっていうのはこのことだ。

 

 俺たちは今、4月から同棲をするために2人で住む部屋を探しているところなのだ。

 

 

 大学生になる時に自分が一人暮らしをする部屋はすぐ決まったんだけど、今回は2人で住むための部屋だからそんな簡単には決まらない。

 

 しっかり話し合って納得のいく部屋を探さないとな……

 

 

 

「幸輝くん、ここは?」

「いい感じだけど……風呂が小さくない?」

「んー、確かにそうかも」

「あんまり狭いと2人で入りにくいし……あっ」

「……」ジト-

 

 

 俺の発言に対して、夕美はジト目を浮かべて冷たい視線を送ってくる。

 

 

 

「幸輝く〜ん?」ジト-

「ち、違う違う! 今のはちょっと口が滑っただけっていうか…!」

「あ、あのね? 確かに2人で入ったこととかもあるけど、別にそんな頻繁に入るわけじゃないんだからね!」

「わ、わかってるわかってる! あはは……」

 

 

 

 はぁ……俺は毎日一緒に入りたいくらいなんだけどなぁ。

 

 

 と、まぁそんな感じで俺たちは物件の情報を見漁りまくって、候補を5つにまで絞ったところで休憩を入れることにした。

 

 

 

「はぁ〜! 疲れた〜」

「ふふっ、お疲れ様。 お茶淹れようか」

「ありがと〜」

 

 

 俺はボフンと音を立ててベッドに寝転ぶ。そして夕美はキッチンの方へと向かい、お茶を淹れる準備をする。

 

 どこに何があるかを把握しているようにテキパキと動く夕美の姿が、彼女が何度も俺の家に来ていることを証明している。

 

 

 

 って、なんかベッドの上に寝転んでたら眠くなってきたな……

 

 

 

「はい、ここに置いておくね?」

「うーん……ありがとー」

「こーらっ! まだ決まってないのに寝ちゃダメだよ?」

「寝ないよ……寝ない……から」

 

 

 

 あーダメだ。本気で眠くなってきた。もうこのまま目を閉じて楽になりたい……

 

 

「もぅ……」

 

 

 夕美は呆れたように声を出しながらベッドに腰をかける。 2人分の体重がかけられたベッドから軋むような音が聞こえた。

 

 

「おーい、起きないとくすぐっちゃうぞ〜?」

「んー……」

「幸輝くん一回寝ると中々起きないんだからさ……寝ちゃダメだよ〜」

「んー、寝ない……寝ない……よ」

 

 

 はぁ……とため息を吐いた夕美は四つん這いになり、寝転んでいる俺の耳にゆっくりと顔を近づけてきた。そして小さな声で優しく囁く。

 

 

 

 

 

「……起きてくれたら、キスしてあげるよ…?」ボソッ

「……もう一声」

「なっ……こ、幸輝くん絶対起きてるでしょ!」

「んー……もう一声」

「も、もうっ!」

 

 

 

 夕美は顔を赤くしながら、再び俺の耳元で囁く。

 

 

 

「……お風呂、一緒に入ってあげる……」ボソッ

「よしっ! じゃあ続きをしようか!」

 

 

 

 よっしゃ、言質取ったぜ。

 

 

 

「あ〜っ! ほら! 絶対起きてたでしょ! 今パッと目開いたもん!」

「なんのことやら〜」

「と、取り消し! 今の約束やっぱり取り消し〜!」

「無理で〜す、取り消しはできませ〜ん!」

 

 

 夕美は俺の背中に張り付いて、体をぐわんぐわんと揺らしてきた。 そしてそのままベッドの上で軽い揉み合いになる。

 

 側からすればバカップルの鬱陶しいイチャイチャだと思われるだろうけど、俺からすればこんな風にイチャイチャしてる時が1番幸せで楽しい。

 

 

 

「もうっ! くすぐっちゃうんだからっ!」

「おわっ! ちょっ、脇腹やめっ…!」

「ふふ〜んっ!さっきの取り消しにしてくれたら止めてあげるけど?」

「いやだね! 今度はこっちの番……だっ!」

 

 

 俺は夕美をベッドに押し倒して脇腹を中心にくすぐり返す。 俺の指が夕美の肌の上をなぞる度に、夕美は体を激しく揺らし、大きな声を上げながら笑う。

 

 

「あはははっ!! だ、だめっ…! お、お腹くすぐっちゃだめぇ……っ!くふっ!」

「ほーれほれほれ〜、ギブアップする?」

「くふっ……ふふっ…! し、しない……もんっ!」

「強情な奴め〜、ならココはどうかな〜?」

「あはははっ! く、首はダメっ! ほ、本当にダメだから〜っ! あははっ!」

 

 

 夕美の細い首を、上から下へ、上から下へとゆっくりと撫で下ろす。 攻撃を受け続ける夕美は自分の口を手で塞いで声を我慢しようとするが、それでも笑い声は漏れていて全然我慢できていない。

 

 いつもならもうそろそろギブアップするんだけど……今日は中々粘るなぁ。

 

 

 そんなことを考えて、そろそろくすぐり攻撃を止めようかと思ったその瞬間……

 

 

 

 ぴとっ……

 

 

 

「ひゃっ……!」

「あっ! ご、ごめん」

「う、うぅん……だ、大丈夫」

 

 

 俺の指が夕美の耳に触れた途端、夕美は甲高い声を上げて体をビクンと跳ね上がらせる。

 

 さっきまで喧しかった部屋の中は急に静まり返り、互いが互いの顔を見つめ合うだけの妙な時間が訪れる。

 

 

「………」

「……こ、幸輝くん…」

 

 

 すりっ……

 

 

「んっ……」

 

 

 

 親指で耳をゆっくり撫でると、夕美は小さく声を漏らす。

 するとみるみるうちに夕美の耳は赤く染まり、その赤さは耳から頬へと伝わっていき、やがて顔全体がほんのりと赤く染まった。

 

 これは俺と夕美しか知らない秘密の情報だけど、夕美は耳が弱い。

 俺は自分の下にいる夕美の耳をすりすりと撫で続ける。

 

 

 

「んっ……だ、だめ……だよ」

「ごめん。でも、俺……」

 

 

 俺は指で耳を撫で回しながら、潤んだ夕美の瞳を見つめる。そして夕美は俺の方へと手を伸ばし頬を撫でた。

 

 

 

「……まだ、お昼だよ…?」

「ダメ……かな?」

「……もぅ、しょうがないなぁ」

 

 

 

 夕美は小さく微笑んだ。 俺は下にいる夕美の顔に向かって自分の顔を近づけていく。

 

 そして2つの唇が重な……

 

 

 

 

 

 

 ピンポ-ン

 

 

 

 

「………」

「………」

 

 

 

 

 

 夕美は小さく微笑んだ。 俺は下にいる夕美の顔に向かって自分の顔を近づけていく。

 

 そして2つの唇が重な……

 

 

 

「こらっ、何を普通に続けようとしてるのかな? インターホン鳴ってるんだから出てきなさい」

「……いい所だったのに」

「ほらっ、早く早く!」

「はーい」

 

 

 

 くそ〜! よりによってこんなタイミングで来ることないじゃないか……

 

 俺はガックリと肩を落としながら玄関のドアを開けた。

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

「はぁ……何か変なセールスだったよ〜」

「あっ、お帰り〜」

 

 

 俺がぐったりとしながら部屋の中に戻ると、夕美はテーブルの上に置いた物件情報の書かれたチラシを見つめていた。

 

 

「……」ジ-

「ん? どうかしたの?」

「さ、さっきの続きとかは……無いのかなぁ〜って」

「……ふふっ、また後でね♪」

「そ、そんなぁ〜……」

 

 

 俺はガックリとその場で項垂れる。

 

 

 ゆ、許さんぞ……! あのセールスマンめ! 俺と夕美のイチャイチャタイムを妨害した罪は重いぞ…!

 

 

「ほらほらっ! そんな所で下向いてないで早くお部屋選び再開しよ? 2人で暮らす部屋なんだからちゃんと選ばないとだからねっ!」

「へ〜い」

 

 

 俺は夕美の隣に座り、一緒になって物件情報の書かれたチラシを覗き込む。

 

 ……まぁいいか。 お楽しみは後に取っておくっていうことで。 あっ、その前に一緒に風呂にも入れるしな!

 

 

 

「……幸輝くん、変なコト考えてるでしょ?」

「はっ……! そ、そんなことないよ!?」

「本当かなぁ……何だか身の危険を感じるなぁ〜、同棲やめよっかなぁ〜?」

「んなっ! ち、ちょっと待った! それだけは勘弁して!」

「ふふっ、冗談だよ〜♪」

 

 

 夕美は楽しそうにニコニコと笑う。 そんな楽しそうな夕美とは正反対に俺の心臓は一瞬止まりかけた。

 

 あ、焦ったぁ……冗談でよかった。

 

 

 

「えへへ」ニコニコ

「何でそんなに笑ってるのさ?」

「ん〜? だって……幸輝くんがそんなに私と一緒に暮らしたいんだ〜って思って。 何か嬉しくなっちゃった」

 

 

 夕美はテーブルに頬杖をつきながら、満足気な笑みを浮かべて俺を見つめてくる。

 

 俺はソレがなんだか気恥ずかしくて、夕美から視線を逸らして頬をポリポリと掻いた。

 

 

 

 

「……あ、当たり前だろ。 好きなんだから」

「ふふっ、私も大好きだよ。幸輝くん」

「っ……」

「あれあれ〜? 顔が真っ赤ですぞ〜?」ニヤニヤ

「ち、ちがっ! こ、これは……そう! 部屋が暑くて!」

「え〜? 今日涼しいと思うけどな〜? このこの〜」

 

 

 夕美はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、俺の頬をツンツンと突いてくる。

 

 

「あ〜もうっ! 突くのやめい!」

「ふふっ、ごめんなさ〜い♪」

 

 

 な、なんて心のこもってないごめんなさいなんだ……絶対悪いと思ってないぞ。

 

 

 

「あ〜楽しいっ♪ 幸輝くんのせいで全然お部屋探しが進まないよ〜」

「え〜、俺のせいなの?」

「あははっ♪ そ〜ですよ〜」

「……ふふっ、すごい理不尽だ」

 

 

 俺たちは互いの顔を見て笑い合う。

 

 こんなふうに夕美と笑い合える時間がずっと続けばいいのにと思う。ずっと幸せな生活を送っていきたい。

 

 

 

 

「幸輝くん、これからもよろしくね!」

「こっちこそよろしく、夕美」

 

 

 

 でも多分、夕美となら大丈夫だと思う。 夕美がそばにいてくれるなら……俺は頑張れる。

 

 

 

 よしっ! 夕美との幸せな生活のためにも、まずは部屋探しを頑張りますか!

 

 

 

 そうして、俺たちは再び物件のチラシを覗き込んだ。

 

 

 

 





 これにて相葉夕美編、完結です。


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相葉夕美after 「知らない物を見たらまずは調べてみよう」


 あけおめ。





 

 相葉さん改め、夕美と交際を始めてからはや数ヶ月が経過していた。

 

 誰かが言っていたのを聞いたことがある。恋愛なんていうのは付き合うまでが1番ドキドキして楽しいものだ……と。

 

 確かにそういう人たちもいるんだろう。でも俺は声高らかに宣言させてもらう。

 

 

 

 そんな事全くない!!!

 

 

 

 付き合ってから毎日が楽しい。日々を過ごすうちに夕美の好きな部分が増えていく。もう毎日毎時間毎分夕美のことを考えている。

 

 恋愛ボケと言われても構わない。側からなんて言われようと俺は気にしない。

 

 

 もう俺は夕美がいない生活なんて考えられないんだ!!!

 

 

 

 

「ごめんね幸輝くん……今度海外でのロケがあるからしばらく会えなくなるんだ」

「……………えっ」

 

 

 俺の家でいつも通り夕美と楽しくトークをしていたその時……唐突に特大の爆弾が落とされた。

 

 

「……ど、どのくらい?」

「1週間くらいかなぁ」

「イッシュ…!?」

 

 

 い、1週間!? 1週間って1週間か!?

 

 む、無理だ…! 7日間も夕美に会えないのか!? 俺に死ねと言うのか!?

 

 

「お、俺もついて行く!」

「流石にそれは無理だよ〜」アハハ

「くっ…!」

「わわっ! だ、大丈夫?」

 

 

 地に膝をつく俺を心配そうに覗き込む夕美。

 

 可愛い。

 

 そんな可愛い夕美に1週間も会えなくなるなんて……俺はその間何をして生きればいいんだ。

 

 

「………」ズ-ン

「も、もぅ……そんなに寂しいの…?」

「ざみじぃ……」

「そうなんだぁ〜 ふふっ」

 

 

 崩れ落ちる俺を見て嬉しそうに微笑む夕美。サドなのかな? ドSなのかな?

 

 

「あ〜ごめんごめん。別に悲しんでる幸輝くんを見て喜んでる訳じゃないよ?」

「その割にはニッコニコだけど……」

「えへへ……愛されてるな〜って思って」

 

 

 そう言うと夕美は俺の体をギュッと包み込むように抱きしめた。柔らかい体の感触と甘い香りが俺を包む。

 

 あ〜癒されるんじゃ〜^

 

 

「寂しいのは私も一緒だよ…? だから、一緒に頑張ろ?」

「ううっ……夕美ぃ」

「ほら、シャキッとする!」

「は、はいっ!」

 

 

 バシンッ!と音が鳴るほどの力で夕美が俺の背中に檄を入れた。それに連動するように俺の背筋もピンと張り詰める。

 

 

「よーしっ! それじゃあ……」

「ん?」

 

 

「い、今のうちに……イチャイチャ、しよっか…///」

「……え、えぇっ!?」

 

 

 顔を真っ赤に染めて上目遣いでこっちを見る夕美。その視線に向けられるだけで俺の心臓はバクンバクンと騒ぎ出す。

 

 

「さっきも言ったけど……わ、私だって寂しいんだからね…?」

「う、うん」

「だから……今のうちに幸輝くん成分を補給しておきたいなって……ダメ、かな…?」

「だっ、ダメじゃない! 全然っ! ばっちこい!」

 

 

 2人の視線が交わる。

 

 腕を広げると夕美がすっぽりと収まる。

 

 

「……幸輝くん」

「ゆ、夕美…」

 

 

 ……あぁ、最高の時間だ。

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

「はぁ……死にそう」

「なんなんだよさっきから」

 

 

 夕美が海外ロケに出てから今日で5日が経過していた。 俺が大学の食堂でため息を吐くと、隣に座る友人が鬱陶しそうに声をかけてくる。

 

 

「……寂しい」

「あぁ〜、最近できたっていう彼女か? いい加減俺にも顔見せてくれよ」

「それは無理だ」

 

 

 もちろん俺たちの関係は秘密だ。 知っているのは事務所に所属する夕美のアイドル仲間のうち数人くらいだと思う。

 

 

「可愛いのか? お前の彼女」

「可愛い」

「そうなん? 彼氏からの贔屓目線が入ってるとかじゃなくて?」

「10000人に聞いたら100000人が可愛いって言う」

「桁増えてんぞ」

 

 

 そりゃもちろん可愛いよ。銀河一可愛いと言っても過言ではない。というかあんなに可愛い子が俺の彼女とか今更ながらいいのだろうか…?

 

 

「で、なんで彼女さんと会えないんだよ」

「えーっと……今ちょっと実家の方に帰ってるらしくて」

 

 

 友人に嘘をつくのは忍びないけど仕方ない。馬鹿正直に海外ロケに行ってるなんて言ったら芸能人だっていうことがすぐにバレてしまう。

 

 

「どのくらい会えないんだよ」

「1週間。そんで今5日経った」

「じゃああと少しで会えるじゃんか」

「だからこそ寂しいんじゃないか……」

 

 

 もう5日だぞ? 毎晩電話はしているけどそれだけじゃ全然足りない。 やっぱり生夕美と触れ合わなければ満たされないんだ…!

 

 

「はぁ……」

「ったく、仕方ねぇなぁ」

 

 

 友人は一つ息を吐くと、カバンの中身をゴソゴソと探り始める。気になってジーッと見ているとカバンの中からは四角い箱が出てきた。

 

 

「何ソレ」

「彼女に会えないんじゃお前もホラ……発散できなくて困ってるだろ?」

「何を?」

「とぼけんなよ。溜まってんだろ?」

「………は、はぁっ!?」

 

 

 大きな声を出して立ち上がる俺に周りの視線が一瞬だけ集まる。そしてゆっくりと席に座り直す俺のことを、諸悪の根源である男はニヤニヤと笑いながら見ていた。

 

 

「彼女とヤることヤってんだろ? それなのにその彼女がいないんじゃあ溜まっても仕方ねぇよなぁ?」

「あ、あのなぁ…!」

「そこでお前にはコレをやろう」

「だからなんなんだよソレ」

 

 

 友人から手渡された箱を、手の中で転がしてパッケージを分析する。するとそこには、赤と白のツートンカラーで所々に縞模様が描かれた砂時計のようなフォルムの物の写真がプリントされていた。

 

 

 こ、これはっ……TE◯GAっ!?!?

 

 

「ちょっ! お前なんてもの渡してんだよ!」

「いいから持って帰れって。使い古しとかじゃ無いから安心しろ」

「そういう問題じゃないって…!なんでそもそもこんなのもってんの!?」

 

 

 俺は貰ったTE◯GAの箱をリュックの中に突っ込んだ。こんな物を手に持っていることがバレたらいい晒し者だ。

 すると友人は文句を言う俺をよそに、ゆっくりと席から立ち上がると俺の肩を叩いてウインクをしてみせた。

 

 

「これで寂しさを紛らわせよ」

「使うかーっ!」

「じゃあそういうことで。俺は行くぜ」

「ちょっ! こんなの渡されても困るから!」

 

 

 そんな俺の言葉に耳を傾けずに友人は手を振って食堂から出て行く。残されたのはリュックの中にTE◯GAを入れた不審者の俺……

 

 

「はぁ……どうすんだよコレ」

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 帰宅した俺は箱から出したTE◯GAを机の上に置いて睨めっこしていた。

 

 ギラギラとした赤いフォルムの主張が強い……

 

 

「はぁ……どうしよう。やっぱり捨てるしかないよなぁ」

 

 

 友人に貰った物を捨てるのは良くないけど、貰ったというよりはほとんど押し付けられたようなもんだから仕方ないよな……

 

 

 ピンポ-ン

 

 

「ん?」

 

 

 その時、玄関から来客を知らせるインターフォンが鳴り響いた。俺は立ち上がり、置き場所に困ったTE◯GAをひとまず食器棚の上に置いて玄関へと向かった。

 

 

「はーい」

「こんにちは〜! 突然なんですけど私こういう者でして〜」

 

 

 げっ…! セールスかよ……不用意に出るんじゃなかったなぁ。

 

 その後、セールスの人と悪戦苦闘すること十数分。やっとの思い出セールスの人に帰ってもらうことに成功したが……

 

 

 部屋の中に戻ってきた頃には、俺はもうすっかりと食器棚に置いておいたTE◯GAの存在を忘れ去っていたのだった……

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 そしてそれから数日が経ち、夕美は日本に帰ってきた。

 

 流石に帰ってきたその日はゆっくりと体を休めたいだろうと思ったので会う約束はしなかったが、明日以降会えるのが楽しみで仕方ない。

 

 1週間ぶりの生夕美に会えるんだ……!

 

 

 

 ピンポ-ン

 

 

「ん?」

 

 

 誰だ一体? こんな夜遅くに……まさかまたセールスとかじゃないよな?

 

 俺は前回の失敗を踏まえてドアの前に立つ人物をカメラで確認する。

 

 

「ゆ、夕美っ!?」

 

 

 画面に映っていたのは、変装をばっちりと決めた愛しの夕美本人だった。

 俺は慌てて玄関まで駆け寄り、勢いよくドアを開いて夕美を家の中に招き入れる。

 

 

「ゆ、夕美!? 今日は遅いから家に帰るって言ってたじゃないか!」

「えへへ……そのつもりだったんだけどね?」

 

 

 

「会いたくなったから来ちゃった……ダメ、かな?」

 

 

 照れ笑いをしながら俺を見上げる夕美。そんな姿がたまらなく愛おしくて俺は思わず夕美に抱きついて体を包み込む。

 

 

「だ、ダメじゃないよ……俺も、早く夕美に会いたかった…!」

「ふふっ、嬉しい……」

 

 

 あぁ……1週間ぶりの夕美だ。 電話越しじゃない生の夕美だ。

 

 そのまま数秒間に渡って久しぶりの夕美を堪能する。そして満足した俺たちは体を離し、部屋の中へと入っていきソファーに腰をかける。

 

 

「合鍵渡してるんだし勝手に入ってきてもいいのに」

「えへへっ、お出迎えしてほしくって」

 

 

 何その可愛い理由は。

 

 

「お土産いっぱい買ってきたからねっ!」

「お〜楽しみ」

「お菓子買ってきたから紅茶でも淹れよっか」

 

 

 夕美はテキパキと動いて紅茶を淹れる準備を進める。俺も手伝おうとしたけど、そこに座っていてくれって言われたのでジッと待つことにする。

 

 

「ふんふん〜♪ あれ? なんだろうコレ……」

 

 

 あぁ〜、やっぱり夕美は可愛いなぁ。 この1週間はこれまでの人生で1番長く感じたよ……

 

 

「ねぇ幸輝く〜ん」

「ん〜、どうかたした?」

「コレなぁに? 食器棚の上に置いてあったんだけど……」

「げっ!」

 

 

 きょとんとした顔の夕美が持っているのは、俺が数日前に置いてそのままにしておいたTE◯GAさんだった。

 

 し、しまった…! 捨て忘れてた〜っ!

 

 

 

「見たことない食器だったんだけど……随分派手な入れ物だね。何に使うのかな?」

「あ、あはは……ちょっとした貰い物でね」

 

 

 ば、バレてない…? バレてないぞ…!

 

 夕美はアレが何なのか知らないんだ。 そんな純粋な夕美も可愛いけど今はそんなこと言ってる場合じゃない! 早急にアレを夕美の手から奪い処分しなければ…!

 

 

「この穴の中に飲み物を注ぎ込むのかな?」

「あっ、あー! 早く夕美の買ってきてくれたお土産食べたいなぁ〜!」

「あっ! そうだそうだ! 美味しいクッキー買ってきたんだったよ〜」

 

 

 そう言うと夕美はTE◯GAさんを机の上に置いてお土産の開封を開始した。

 

 と、とりあえず危機は去ったな……夕美がTE◯NGを持っている絵面は俺の心臓に悪い。

 

 

 

「あっそうだ! 折角だしさっきの容器に紅茶注いでみよっか!」

「ぶーっ! そ、それはマズい!」

「ダメなの?」

「あっ、えーっと……ちょっと埃被ってるからさ! 一回洗わないと汚いというかなんというかですね……」

 

 

 その後もよほど気になるのか、事あるごとにTE◯GAへと興味を示す夕美の興味を逸らしながら久しぶりの2人きりの時間を堪能した。

 

 最後までなんとかバレずに済んだぞ。 後は夕美が帰ったら即座にアレを処分して……

 

 

「ね、ねぇ幸輝くん」

「ん? なに?」

 

 

「今日……泊まってもいいかな…?」

「……も、もちろん!」

 

 

 ま、まぁ……捨てるのは明日でもいいか。

 

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

「あっ! 美波ちゃんおはよ〜♪」

「おはよう、夕美ちゃん」

 

 

 朝、事務所に行くとソファーに座る美波ちゃんを発見♪ 隣に座っちゃお〜!

 

 

「えへへっ、お隣失礼しま〜す」

「ふふっ、どうぞどうぞ」

 

 

 ふぅ……美波ちゃんの隣は落ち着くな〜

 

 

「そういえば夕美ちゃん、海外ロケに行ってきたんだよね?」

「うん! 1週間くらいね!」

「大変だったでしょ?」

「うーん、確かに疲れたけど楽しかったよ!」

「そっちじゃなくて」クスッ

「……?」

 

 

 

「大好きな彼氏クンに会えなくて寂しかったんじゃないの?」

「えっ…!? そ、それは……」

 

 

 一瞬で顔が熱くなる。図星だったからこそ余計に恥ずかしい……

 美波ちゃんはそんな私のことを見つめて優しく微笑んでる。

 

 因みに美波ちゃんとはよく仕事やレッスンで一緒になるので、幸輝くんとの関係は既に説明済みだ。

 

 

 

「ま、まぁ……確かに寂しかったけど……む、向こうの方が寂しがってたみたいだけどね!」

「ふふっ、そっか」

 

 

 うぅ……つい強がっちゃったけど美波ちゃんには私の気持ちはお見通しみたいだ。

 

 た、確かに私だって寂しかったけどさ……

 

 

「あっ! そ、そうだ! この前幸輝くんのお家にお土産を渡しに行ったんだけど、変わった容器が置いてあったんだよね!」

「へぇ〜、どんなのかな?」

 

 

 照れ隠しに思い切って話題を変えてみたけど成功したみたい。

 私は物珍しさから昨日こっそり写真を撮っておいたあの赤と白の容器を美波ちゃんに見せる。

 

 

「これなんだけどね? 見たことないでしょこんなの」

「どれどれ………えっ!? ゆ、夕美ちゃんこれは…!」

「ん?」

 

 

 どうしたんだろう……写真を見た美波ちゃんが急に顔を赤くして、何か言いづらいことでもあるかのようにモジモジとしている。

 

 どうしちゃったんだろう…?

 

 

「あのね……夕美ちゃん。ちょっと……」

「なになに?」

 

 

 美波ちゃんが耳元に口を寄せて小さな声で囁く。綺麗な声が耳にダイレクトに届いて心地が良い。

 

 

「それはね……ンガって名前で……男の人がね……///」ボソボソ

 

 

 

「……………へっ?」

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 

「よしっ! これでTE◯GAの処分は完了したぞ!」

 

 

 ふぅ……夕美に見られた時はどうなる事かと思ったけどなんとかバレる前に処分できたな。

 

 それにしても、我が彼女ながら夕美はピュアでかわいいなぁ…… あーそんなこと考えてたら夕美に会いたくなってきた。

 

 

 ガチャッ

 

 

「あれ、夕美?」

 

 

 合鍵で扉を開けて夕美が部屋に入ってくる。何故かずっと下を向いていて、体は小刻みにプルプルと震えている。

 

 それにしても、夕美に会いたくなってきたなんて考えていたら本当に来てくれるとは……なんて幸せな1日なんだ!

 

 

 

「夕美? さっきからどうした……あれ?」

「〜〜〜〜っっっ!!///」プルプル

「ゆ、夕美……?」

 

 

 

「幸輝くんのばかぁぁ〜〜〜〜〜っ!!!」

「えぇぇっ!?」

 

 

 な、なんで怒ってるんだ!? しかも顔めっちゃ赤いし!!

 

 

「もうっ! もうっ…! ばかっ! ばかぁ…!」

「ちょっ……お、落ち着いて! 何があったの!?」

「幸輝くんがちゃんと教えてくれないから! アレの写真をウキウキで美波ちゃんに見せちゃったじゃん!」

「アレってなにさ!」

 

 

 

「TE◯GAのことだよっ!///」

 

 

 あっ……バレた。

 

 

「もうっ! すっごく恥ずかしかったんだからねっ! 美波ちゃんと次会う時恥ずかしくなっちゃうじゃん!」

「あ、あはは……ごめんなさい」

 

 

 えーっとつまり……昨日のうちにアレの写真を撮った夕美が新田先輩にその写真を見せたってことか…? な、なんて事だ……!

 

 

「だ、大体っ! 何であんなの持ってるの! 私がいない間に使ってたの!? 私に不満でもあるの!?」

「そ、そんなわけないって! というか俺も友だちに押し付けられただけで…!」

 

 

 

「もうっ…! もうっ…! 知らないっ! 幸輝くんなんて知らないっ!」

「ゆ、夕美〜 そんなに怒らないでくれよ〜!」

 

 

 

 使ってもないTE◯GAのせいで夕美をめちゃくちゃ怒らせてしまった……最悪だ。

 

 

 

「私すっごい恥ずかしかったんだからねっ!謝っても許してあげないんだから〜〜っ!」

「ゆ、夕美〜! 許してくれ〜〜!!」

 

 

 この後、夕美は3日間も口を聞いてくれなかった……

 

 その結果、俺はまたしても寂しさで死にそうになるのだった。

 

 

 





 新年からこんなネタで申し訳ない(申し訳ない)


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橘ありす編
1人より2人で食う飯のが美味い 1



 ここからの3話は既に公開済みなんですけど、実質ありすちゃんルートの導入みたいなもんなのでこっちに移しました。





 

 

「……ただいま」

 

 今日もアイドルとしての活動を終えた私は帰宅して挨拶をするが、その声に対して返事が返ってくることはない。でもそれも当然だ、だって今この家には私以外誰もいないのだから……

 

 手を洗ってうがいをしてリビングへと入っていくと、机の上にある置き手紙が視界に入った。恐らくお母さんからのだろう。

 

 

 〜ありすへ〜

今日もお仕事で家に帰るの遅くなります。本当にごめんね、夜ご飯は冷蔵庫に作った物を入れておくからチンして食べてね。

 

 

「……お母さん」

 

 

 別に謝らなくていいのに。だって、仕事じゃあ仕方ないのだから。

 

 私だって仕事の関係で予定が狂う事なんて普通にあるからよく分かる。だから一々こんな事でお母さんに文句を言っても仕方ない。それにお母さんもお父さんも一時期よりは私との時間を増やそうとしてくれるのは感じている。

 

 実際、ここ最近はずっと一緒に夜ご飯を家で一緒に食べていたし……

 

 それでも、私との時間を増やそうと頑張ってはくれていても、どうしても仕事が忙しくなる時期はある。正に今がその時で、恐らく今日から数週間は忙しい時期が続くんだろう。

 

 

 大丈夫、寂しくないと言えば嘘になるけど、少しの間なら我慢できる。

 

 早くご飯食べて、宿題しないと……

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

「ん〜! ふぁぁ……」

 

 

 事務所の中を掃除している途中、凝り固まった腰を少し曲げてみれば思いのほか気持ちが良くて気の抜けた変な声が出た。

 

 てか、今すげぇボキボキ鳴ったんだけど俺の腰大丈夫かよ。

 

 

「あら、こんな所で変な声なんて出してどうしたのかしら?」

「えっ? は、速水さん!?」

 

 

 俺が機敏な動きで後ろに振り向くと、そこには魅惑的な笑みを浮かべる速水さんが立っていた。

 

 えっ、ていうかさっきの見られてたの……?うわぁ……めっちゃ恥ずかしいんだけど。

 

 

「い、いや……今のはですね…?」

「くすっ、そんなに照れることないじゃない。別に誰かに言ったりなんかしないわよ」

 

 

 羞恥から顔をタコのように赤くしてあたふたする俺を見た速水さんは、口元に手を当てながらクスクスと笑っていた。

 

 や、やべぇ……超恥ずかしいんだけど。誰もいないと思って鼻唄を歌ってたら、実は後ろに人がいた時くらい恥ずかしいぞ。

 

 

「今のは私と貴方だけの……2人だけの秘密ってことにしておきましょう?」ズイッ

「ふ、2人だけの!?」

「ふふっ、貴方ってやっぱりチャーミングね」

 

 

 体をズイッと寄せてきた速水さんは上目遣いに俺の顔を見る。黄金色の瞳に見つめられた俺の体は蛇に睨まれた蛙のように、ピタリと動きを止めた。

 

 というか、速水氏は胸元が随分と緩すぎやしませんかね……? 大丈夫?制服でそんなに胸元開けてたら男子とかに絶対ガン見されるよ?

 

 

 なんて事を考えているのがバレたらヤバいと思った俺は速水さんから視線を逸らす。するとその先に見慣れた姿が見えて、俺は目の前にいる速水さんから逃げるようにその人に声をかけた。

 

 

「お、おーい! ありすちゃーん!」

 

 

 俺が大声でそう叫ぶと、ありすちゃんはこっちを向いてゆっくりと近づいてくる。でもなんだか俺はその姿に少しの違和感を覚えた。

 

 

「……おはようございます。白石さん、奏さん」

「あ、うん……おはよう、ありすちゃん」

「おはよう、ありす」

 

 

 ありすちゃんは俺と速水さんの前にまで歩いてくると、ぺこりと綺麗なお辞儀をして挨拶をした。

 

 

「ありすちゃん、今日はレッスン?」

「……はい。ですから、失礼します」

「えっ? あっ、うん。レッスン頑張ってね」

 

 

 そう言うとありすちゃんはもう一度お辞儀をして俺の前から去っていった。

 

 なんだろう、今のありすちゃんは……いつもと違う…?

 

 

「ねぇ速水さん」

「どうかしたの?」

「ありすちゃん、なんか元気無かった…?」

「あら、そう見えたかしら?」

 

 

 一見いつものありすちゃんと違いは無いようにも感じたけど、やっぱりどこか元気が無いように見えた気がする。

 別にありすちゃんはいつもニコニコとしているタイプではないけど……なんていうか、いつもはもっと目に力が篭ってる感じがするんだよなぁ。

 

 

「うん、俺にはそう見えたってだけだから、違うならそれで全然いいんだけど」

「貴方、結構人のことちゃんと見てるのね」

「えっ?」

 

 

 そう言うと速水さんは、自分の頬に掌を当てながら目を細くして静かに語り出した。

 

 

「貴方の言う通りよ。確かに最近のありすは少しだけ元気が無いように見えるわね……とはいえ普通に仕事もレッスンもこなしてるし、あくまで"そう見える"ってくらいだけど」

「……そっか」

 

 

 どうやら速水さんも俺と同じ事を思っていたらしい。さっきまでありすちゃんがいた方向を心配そうな表情で見つめている。

 

 

「そうだ、白石さんちょっと探りを入れてみてくれないかしら?」

「えっ、俺が?」

「えぇ、まぁ私が聞いてもいいんだけど……あの子、貴方には結構懐いてるみたいだし」

 

 

 そう言って速水さんはニヤリと笑ったが、ありすちゃんに懐かれているという実感の無い俺は首を傾げる。

 

 

「俺、そんなに懐かれてるかな? いやまぁ嫌われてはないと思うけど」

「ふふっ、そうね……少なくとも私の目に映るありすは貴方と話してる時、楽しそうにしてるわよ?」

「うーん……そっか」

 

 

 まぁ速水さんが言うなら……そうなのかもしれない。というか懐かれてるって言われて悪い気はしないしね。

 最初出会った時はあんなに俺のことを警戒していたありすちゃんが、本当に懐いてくれているとしたらとても嬉しいことだ。

 

 

「わかった、じゃあ今度会った時にそれとなく聞いてみるよ」

「えぇ、お願いね」

 

 

 よしっ、やるからにはちゃんとやらないとな! 前に千川さんに悩んでるアイドルの子たちの力になってあげたりするのも仕事だって言われたし、何より俺個人としてもありすちゃんのことが心配だからな。

 

 

「もし上手く解決できたら……そうね、私から貴方に感謝の印として……ご褒美をあげようかしら?」

「えっ!……ご、ご褒美……とは?」ゴクリ

 

 

「あら……私のどこを見て、何を想像したのかしら…?」

 

 

 そう言って速水さんはプルプルで潤んだ唇に自分の指を当てると、わざと俺に聞こえるようにリップ音を鳴らした。

 

 いやもうこれご褒美って……ま、まさか……き、ききききキs……!?

 

 

「〜〜ッッ!!! さ、流石にそれはマズイと思いますぅぅっっっ!!!」ダッ

「あら」

 

 

 変な想像をしたせいか、頭の上が熱くなって大爆発を起こした俺はその場から走って逃げ出した……

 

 

 

 

 

 

「ふふっ、やっぱりチャーミングね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 速水さんと別れてから数時間が経った後、俺は必死に脳みそをフル回転させながら事務所内を歩いていた。

 

 元気の無いありすちゃんの様子を探るとは言ったものの、その方法は全く頭の中に浮かんでいない。

 最悪の場合は「今日元気ないね、どしたん?話聞こか?」的な感じでストレートに聞いてみるのも一つの手段かもしれないけど……

 

 まぁやると決めたからには何かしらの方法でありすちゃんの力になってあげたい。決して速水さんのご褒美とやらに釣られた訳ではない……マジで。

 

 

「ん?」

 

 

 噂をすればありすちゃん……と、鷺沢さんも一緒にいるな。あの2人はよく一緒にいて本当に仲が良いんだろうなぁ……うんうん、仲良きことは美しきかな。

 

 バレないように近づいて少しだけ様子を見てみるか。

 

 

 

 

「お疲れ様でした……ありすちゃん」

「い、いえっ! 文香さんの方こそお疲れ様です!」

 

 

 ソファーに並んで腰をかけた2人は互いに労いの言葉を掛け合っている。会話の内容からしてレッスン後だろうか。

 

 

「文香さんは今日もとても綺麗でした! それにボーカルレッスンの時にも美しい歌声で……!」

「ありがとうございます……ふふっ」

 

 

 ありすちゃんは興奮気味に大きな声を出して鷺沢さんを褒めちぎる。前から思ってたけどありすちゃんは鷺沢さんによっぽど懐いているのか、鷺沢さんと話している時は尻尾をぶんぶんと振り回す子犬みたいだ。

 

 ……これありすちゃんに言ったら絶対に怒ると思うけど。

 

 というか、意外と元気そうだな……大好きな鷺沢さんといられて嬉しいからだろうか。

 

 

 

「そ、それでですね……文香さん、この後は予定とかありますか? よ、よかったら一緒に下のカフェで食事でも……」

「……すみませんありすちゃん……実はこの後お仕事の予定が入っていまして」

「あっ……そ、そうですか。なら仕方がないですね…! お仕事頑張ってください!」

 

 

 あっ……また一瞬だけ、ほんの一瞬だけだけど違和感を感じた。今のは鷺沢さんに誘いを断られたから…?

 

 なんというか、すごく寂しそうな顔だった。

 

 

 

「では……失礼します。ありすちゃん……また今度ご一緒しましょう」

「は、はい……お疲れ様でした」

 

 

 そうしてフリフリと手を振る鷺沢さんはその場から去っていき、ソファーの上には俯いたありすちゃんが1人ポツンと残される。

 

 

「……」

 

 

 俯いたありすちゃんはその場から動こうとしない。ジーッと自分の膝の辺りを見つめて動かないありすちゃんの寂しそうな瞳が見ていられなくて、気がつけば俺の体は自然と動いていた。

 

 

「ありすちゃん」

「えっ? し、白石さん…!?」

 

 

 俺の姿を見たありすちゃんは驚いたように目を見開いていた。俺はそんなありすちゃんの横に座り声をかける。

 

 

「よいしょ」

「い、一体いつからそこに……」

「ごめん、ちょっと前から」

 

 

 俺がそう言うとありすちゃんは少しだけムッとした表情を浮かべた。それに対して俺は謝罪の意を込め手のひらを合わせる。

 

 

「覗き見なんて趣味が悪いですよ」

「ははは……返す言葉もございません」

「まったく……まぁ、別にいいですけど」

 

 

 ありすちゃんのその言葉を最後に静寂が訪れる。

 

 ……どうしよう。勢いに任せて出てきちゃったけど、どうやってありすちゃんに対して探りを入れるべきか……

 

 必死に脳みそを回転させるがいい案は出てこない。こんな時対人関係に強い人とかだったらいい感じに話を持っていけるんだろうけど……

 

 

 ええい! こうなったらもう真っ向勝負だ! いつまでも考えていても何も始まらない!

 

 

「ありすちゃんさ、何かちょっと……元気無い?」

「えっ? ……そう、見えますか…?」

「うん、ちょっとだけね」

 

 

 俺がストレートな質問をぶつけると、ありすちゃんは唇を強く噛み締めた後に一度だけ深く息を吐いた。

 

 

「……そう、かもしれません」

「お、おぉ」

「なんですかそのリアクションは」

「い、いやごめん……正直そんな素直に認めるとは思ってなかったから」

「ば、馬鹿にしてるんですか!」

「ご、ごめんごめん!」

 

 

 ありすちゃんは頬をぷくと膨らませて俺に抗議の視線を送る。そんな仕草が可愛らしくてついつい頭を思いきり撫でたくなったけど、確実に怒られるだろうからそんな事はしない。

 

 

「……理由、聞かないんですか?」

「聞いてもいい?」

「別に、聞かれて困るような物じゃないですから。それに強がって隠しても意味ないですし」

「じゃあ、聞かせてもらってもいいかな」

 

  

 俺がそう言うとありすちゃんは予想に反して意外にも淡々とした声のトーンで語り出した。

 

 

「……最近、両親のお仕事が忙しくて、あまり家にはいないんです」

「……うん」

「だから、その……家に帰っても一人でいることが多くて……えーっと、その……」

「寂しい?」

 

 

 俺がそう尋ねるとありすちゃんは一瞬だけ固まったように見えたが、またすぐに淡々とした様子で言葉を発する。

 

 

「……そう、ですね」

「そっか」

「こ、子どもっぽいですよね……家に両親がいないから寂しくて元気が無いなんて」

「別にそんなことはないと思うよ。親に会えなくて寂しいなんて普通だよ」

 

 

 意外にもありすちゃんは自分の胸の内を正直に話してくれた。なんとなくそういうのは強がって隠そうとしたりするタイプだと思ってたけど、速水さんの言う通り俺にも心を開いてくれてるってことなんだろうか。

 

 

「ていうか俺もそうだよ?」

「えっ?」

「もちろん子どもの頃家に親がいなくて留守番とかしてる時は寂しかったし、なんなら今なんて毎日寂しい生活してるからさ」

「どういう意味ですか?」

「ん? いやほら、俺って今一人暮らしだからさ、ふとした時に寂しさを感じたりするもんなんですよ」

 

 

 別に毎日寂しさを感じてるとかいう訳じゃないんだけど、本当にふとした瞬間に寂しいって実感する瞬間があるんだよね。

 特に誰かと一緒にいた後とかに、誰もいない家に帰ってきた時とかもうめちゃくちゃ寂しい気分になる。

 

 

「彼女でもできればそんな寂しさも和らぐのになぁ〜とか考えたり」

「なんですかそれ……ふふっ」

 

 

 ようやくありすちゃんが笑顔を見せてくれた。それがなんだか嬉しくて、すごくホッとした気持ちになる。

 

 ……さて、じゃあどうしようか。ありすちゃんの元気が無い原因は分かったけど、俺が何か助けになることはできるだろうか。

 

 何かいいアイデアは……あっ。

 

 

 

「ありすちゃんさ、ご両親はいつまで忙しいの?」

「えっ? えーっと……忙しくなって1週間くらい経ったので、あと1週間とちょっとぐらいかと」

「その間はずっと1人でご飯食べてるんだよね?」

「そう……ですね。はい」

 

 

 一人でいるのが寂しいのなら、一人でいる時間を減らしてあげればいいんじゃないだろうか。

 

 

 

「じゃあさ、その間はなるべく俺と一緒にいようよ。ほら、夜ご飯は一緒に食べたりさ」

「えっ……えぇっ!?」

 

 

 俺の突然の提案に、とても驚いた様子のありすちゃんは大きな声を出したのだった……

 

 



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1人より2人で食う飯のが美味い 2

 

 

「じゃあさ、その間はなるべく俺と一緒にいようよ。ほら、夜ご飯は一緒に食べたりさ」

「えっ……えぇっ!?」

 

 

 俺からの提案に、ありすちゃんは目を見開いて大きな声を出した。

 

 

「い、一緒にいようって…!な、何を言ってるんですか!?」

「えっ?」

「き、急にそんなことを言われても困ります!そういうのはもっと段階を踏んでですね……」

「あ、ありすちゃん?」

 

 

 頰を赤く染めたありすちゃんはそっぽを向いてしまい、何かをブツブツと呟いているがはっきりとは聞こえない。

 

 俺はただ、1人でいる時間が多くて寂しいというありすちゃんと一緒に飯を食ったりすることで、少しでも寂しさを紛らわせてあげられたらいいなって思っただけなんだけど……何か怒らせてしまったんだろうか。

 

 

「だ、大体白石さんは……! い、いいんですか?」

「えっ、何が?」

「そ、その……私と白石さんは年齢の差もありますし……い、色々と世間的には大変なこともあるのではないかと思うんですけど……」モジモジ

「……? いや俺は別にいいっていうか、むしろ俺から提案したことだし、ありすちゃんの気持ち次第なんだけど」

「そ、そうなんですか。白石さんは……ほ、本気ということですね……」

 

 

 ……何か話が噛み合ってない気がするぞ。

 

 ただありすちゃんのご両親の仕事が落ち着くまで一緒に飯を食おうっていう話なのに、さっきからありすちゃんはずっとモジモジとしている。

 

 

「あ、ありすちゃん?」

「ちょっ! ちょっと待ってください…! 白石さんが本気なら私も真剣に検討をして返事をしなければいけませんので…!」

「いや別にそこまで真剣に考えなくても……嫌なら別に嫌って言っていいんだよ?」

「そ、そんな簡単に引いていいんですか!?そんな軽い気持ちであんなことを言ったんですか!?」

 

 

 だ、ダメだ…! もうありすちゃんは完全に暴走してて話がまともに通じない。一回落ち着いてもらわないと…!

 

 俺は一度ありすちゃんに落ち着いてもらうために、肩を掴んで目をしっかりと見つめながら語りかける。

 

 

「ありすちゃん!」

「ひゃっ…! だ、ダメです白石さんっ! お、落ち着いてください…! こ、ここじゃ人に見られてしまいます……っ!」

「一回落ち着こう! ありすちゃん!」

「ま、待ってください…! こ、心の準備が……」

 

 

 

「あの……」

 

 

「「えっ?」」

 

 

 

 突然、俺とありすちゃんに声がかけられる。2人して同時にそっちの方へと顔を向けると、気まずそうに視線をウロウロとさせる鷺沢さんが立っていた。

 

 

「ふ、文香さん!? お仕事はどうしたんですか!?」

「いえ……忘れ物をしたので……取りに来たのですが……その……」

「さ、鷺沢さん?」

 

 

 

「事案……というものでしょうか……?」

「ぶーっ! ち、違う違う! そういうんじゃないです!」

 

 

 鷺沢さんは少しだけ警戒したような視線を俺に向けてくる。それに対して俺は必死に手を左右に動かして抗議をした。

 

 ぐっ…! た、確かに客観的に見ればさっきの状況は俺が女子小学生に迫っている変態ロリコン野郎に見えていたかもしれない…! ま、まずいぞ……通報だけは回避しなくては…!

 

 

「さ、鷺沢さん! これには事情があるんです! 決してやましいことなんてしていないんですよ!」

「……そ、そう……ですか……」ジ-

「信じてないですよねその顔は!?」

「す、すみません……次の仕事がありますので……失礼します」

 

 

 そう言って鷺沢さんはいそいそとソファーの上に落ちているハンカチを拾い上げると、ありすちゃんの方を見て一言呟いた。

 

 

「ありすちゃん……何かあったら……大きな声を出して……」

「鷺沢さん!? ま、マジで何もないんですってば!」

「……それでは、失礼します……」

「ちょっ! まだ話は終わってないぞーっ! マジで誤解ですからねーっ!」

 

 

 俺の必死の訴えも虚しく、鷺沢さんはパタパタと可愛らしく走り去って行ってしまった。

 

 

「はぁ……」

「し、白石さん……一度落ち着いて話をしましょう」

「あ、うん……あれ? ありすちゃんは落ち着いたの?」

「はい、なんだか白石さんを見てたら落ち着きました。 自分より慌てている人を見たから冷静になったというか」

「あぁ……なるほど」

 

 

 ありすちゃんはキリッとした表情を浮かべて淡々と言葉を並べていく。そこにさっきまでの慌てっぷりは無く、本人の言う通り落ち着きを取り戻したらしい。

 

 まぁ……うん、あるよね。自分が泣いてる時に自分より泣きまくってる人を見ると冷静になったりするやつ。

 てことはさっきまでの俺はありすちゃんから見れば相当必死に見えたんだろうなぁ……情けないぞ、俺。

 

 

「こほん……そ、それで? 先ほどの発言はどういう意図のものなのかを説明してください」

「あ、うん……というか言葉通りの意味で、ありすちゃんの両親が忙しくて1人の時間が多くなる間だけは、俺と一緒に夕飯食べたりしない? ってことなんだけど」

「……な、なるほど」

「俺の言い方がちょっと分かりづらかったかな?ごめんね」

「い、いえ! 白石さんは悪くないです…! む、むしろ私が少し動揺しすぎていたというか……」

 

 

 とりあえず俺も一旦冷静にならなければ……深呼吸、深呼吸……ふぅ。 よしっ、頭が冷えてきたぞ。

 

 

「で、改めてなんだけど……どうかな、ありすちゃん?」

「……その、私としては特に断る理由も無いですし、むしろ白石さんがそこまで気にかけてくれてるのは本当にありがたいんですけど……」

「けど?」

「白石さんはいいんですか…? きっと私の両親はまだ2週間ほど忙しいですし、その間毎日私と食事をするなんて……時間とか費用とか」

 

 

 お、おぉ……気を遣ってるつもりが逆に気を遣われてしまったぞ。しかも小学生の女の子に……

 

 

「ありすちゃんは偉いね、それに頭も良い」

「こ、今度は急に何を言ってるんですかっ!?」

「いや、俺が小学生の頃なんてさ、相手の事情とか考えて気を遣ったりとかさ、そんなの全然できてなかったから……それができるありすちゃんは偉いなって思ったんだよね」

「そ、そういう事でしたか……」

 

 

「うん、偉い偉い」ナデナデ

「きゃっ…! ちょ、ちょっと白石さん! 子ども扱いは……もぅ」プク-

 

 

 なんだか無性にありすちゃんをよしよししてあげたくなったから頭を撫でる。 それに対して、ありすちゃんは最初こそ抵抗しようとしていたが、なんだかんだでなでなでを受け入れてくれたようだ。

 

 

「で、ありすちゃん。改めてどうかな?」

「……わかりました。よろしくお願いします、白石さん」

「よしっ! じゃあそういうことで。 あっ、一応お母さんには事情を伝えておいてね?」

「わかりました」

 

 

 そう言うとありすちゃんはタブレットを取り出して画面をぽちぽちと叩き始めた。きっとお母さんにメッセージでも送っているんだろう。

 

 

「よしっ!じゃあ早速今日の晩飯の材料を買いに行こうか!」

「えっ!? ざ、材料って、もしかして夕飯は自炊ですか!?」

「そうだよ? じゃあ早速スーパーに行こう!」

「ちょっ! ま、待ってください白石さん!」

 

 

 そんなこんなで、俺はありすちゃんと夕飯を共にするためにスーパーへと材料を買いに行った。

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

「白石さん、料理できるんですか?」

「できないよ? 目玉焼きとかならなんとか」

「そ、それなのに自炊をしようとしてるんですか!?」

「うん。まさかありすちゃんにコンビニ弁当ばっか食べさせる訳にもいかないしね」

 

 

 事務所から近くにあるスーパーの中、俺とありすちゃんは横に並んで買い物カートを押しながら売り物をチラチラと横目で確認する。

 

 

「それなら外食などは……」

「い、いやぁ〜……毎日外食はちょっと費用がね?」

「な、なるほど」

「まぁ今時料理なんて簡単でシンプルな物なら、レシピアプリを見ながら作れば余裕余裕!」

「イマイチ信用できないような……」

 

 

 俺の横を歩くありすちゃんは、ジトーっとした目をして俺のことを見上げている。

 

 め、めちゃくちゃ信用されてないな……確かに俺は普段から自炊とかしてる訳じゃないけどさ、流石にレシピを見ながら作れば人並みにはできる気がするんだよな。(根拠の無い自信)

 

 

「そういうありすちゃんはどうなの? 料理」

「いちごパスタなら」

「……まぁ俺も小学生の時とか料理した記憶無いしね」

「いちごパスタなら作れます」

「……まぁでも今時料理が出来なくても食べることには困らないからね」

「いちごパスタなら作れます!!」

 

 

 いやだからいちごパスタって一体なんなのよ!? 名前を聞いただけでもうすごいゲテモノ感が拭い切れないんだけど…!

 前に鷺沢さんにいちごパスタはやめとけみたいな警告を受けた事があるけど、ここまで来ると逆に気になってきたような……いややっぱりナシだな。

 

 

 そんなこんなでありすちゃんと他愛のない会話をしながら、スーパーの端から端まで歩き回って夕飯の材料をカゴの中にぶち込んでいった。

 

 え、何を作るのかって? それは作り始めてからのお楽しみ……って、別に大して凝ったモン作ったりはしないけどね。作らない、というよりは作れない、作る自信が無いって方が正しいかもしれないな。

 

 

「よーし、じゃあ早速事務所に戻ろうか」

「はい!……って、事務所で調理をするんですか?」

「まぁまぁ、そこは俺に任せといてよ」

「し、白石さんがそう言うなら……わかりました」

 

 

 そしてレジに向かおうとしたその時……

 

 

 

「いちごおいしいよ〜! 甘くて大きないちご〜! お買い得だよ〜!」

 

 

 レジの横で店員のおばちゃんが手に持ったベルをチリンチリンと鳴らしながら、パックの中に入った美味しそうないちごの宣伝を始めた。

 

 そしてありすちゃんはというと、目をキラキラと輝かせながらジーッといちごの販売所を見つめている。

 

 

 

「………」ジ-

「……食べたい?」ニヤリ

「はっ! い、いえ…! そんなことは……」

「あははっ! いいのいいの、遠慮しなさんなって」

 

 

 そう言って俺がいちごの販売所へと向かってカートを押していくと、その後ろからありすちゃんも恥ずかしそうに顔を赤くしながらついてくる。

 

 

 

「すみません、いちご1パックください」

「はいどうもー!」

「ほら、ありすちゃん」

「ど、どうも……えへへ」

 

 

 俺がおばちゃんからいちごの入ったパックを受け取りそれをありすちゃんに渡すと、ありすちゃんは嬉しそうに微笑みながらソレを見つめて大事そうにカゴの中へと置いた。

 

 

「あら、偉いわね〜妹さん。お兄ちゃんとおつかいかしら?」

「い、妹!?」

「兄妹でおつかいなんて仲が良くていいわね〜! 私の子どもたちなんてあんまり仲が良くなくて〜」

「ははは……そうなんですか。それじゃあ僕たちはこれで」

 

 

 何やら一人で盛り上がり始めた店員のおばちゃんに背を向けてレジへと向かう。ああいうのは長くなる可能性が高いから早めに切り上げるに限る。

 

 

「ふぅ……危なかった。危うくおばちゃんのエンドレス世間話に捕まるところだったよ」

「……兄妹、に……見えるんでしょうか? 私たち」

「ん?」

「あっ、いえその……先ほどの店員さんが私たちのことを兄妹だと勘違いしていたので」

 

 

 んー、どうなんだろうか。まぁ俺とありすちゃんの年齢差的に普通のお友達には見えないだろうし……それなら消去法で兄妹ってことになるのかな。

 

 

「まぁ、人によっては兄妹に見えるのかも? 全然顔とか似てないけどね」

「……私がもう少し、大人だったら……別の関係に見えたりするんでしょうか…?」

「えっ?」

「た、例えば……こっ、ここここ……こいびと……とか」

「ごめん、ちょっとよく聞こえなかったかな」

「や、やっぱりなんでもありませんっ!」

 

 

 ありすちゃんは大きな声を出して一方的に会話を終了させる。最後の方は声が小さくて全然何を言っているのか聞こえなかったなぁ。

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 会計を済ませてスーパーから出た俺たちは、再び事務所へと戻るためにレジ袋を持ってゆっくりと歩いていた。

 俺がいつも通りのペースで歩くと、歩幅的にありすちゃんを置き去りにすることになってしまうのでかなり気をつけて歩みを進める。

 

 

「例えばの話ですけど、白石さんが文香さんや美波さんと歩いていたとしても、兄妹に間違われたりするんでしょうか?」

「んー? どうだろうね。でも流石にそんな勘違いはされないんじゃないかな? それにほら、あの2人の兄妹だったとしたら俺はもうちょっとイケメンだろうし、釣り合ってないよ」

 

 

 実際、俺と鷺沢さんや新田先輩が二人並んで歩いてたらどんな関係に見えるんだろう。恋人……には見えないよな。流石に釣り合ってなさすぎる。

 

 

「以前から思っていましたけど、白石さんは自分を過小評価しすぎだと思います。そこまでダメダメな人じゃないと思いますよ」

「えっ、もしかして俺は自分で気づいてないだけでイケメンだったり……?」

「………」シラ-

「コラコラ、冗談だからそんな可哀想なモノを見る目で俺を見るんじゃない。泣きそうになっちゃうでしょうが」

 

 

 めっちゃ白い目で見られた……ちょっとしたジョークのつもりだったのに泣きそう。

 

 

 と、そんなこんなで俺たちは事務所へと戻ってきた。事務所の中ですれ違う知り合いのアイドルさんたちからは、俺の手に持ってるレジ袋のことに関して質問されたりしたが、まぁその辺は適当に誤魔化しておいた。

 

 

 

「よし、じゃあ行こっか。ありすちゃん」

「どこに行くんですか?」

「もうすぐ近くだよ……ほら、着いた」

 

 

「ここって……給湯室ですか…?」

 

 

 俺たちがやってきたのは事務所の端にある給湯室と名付けられた、実質的にはただの休憩室のような部屋だ。以前姫川さんとコンペで出す料理の試作品練習に使った部屋でもある。

 

 

「ここで調理をして食事を取るということですか? でも、いいんでしょうか…?」

「それに関しては大丈夫。千川さんにちゃんと許可は取ってあるよ」

「そうなんですか?」

 

 

 俺も最初は流石に無理かなぁ……とか思ってたけど、千川さんにそれとなく事情を話したらウキウキで許可してくれたんだよなぁ。

 

『あそこの部屋は人が全然来ないから好きに使っていいですよ♪』とか『ありすちゃんのこと、ちゃんと面倒見てあげてくださいね♪』とか言われたっけなぁ。

 

 あんなに快く了承してくれるとか、やっぱり千川さんは天使のような人だ。前に知り合いのプロデューサーさんが悪魔のような一面もあるんだぞ、とか言ってたけどそんな事無いよな!

 

 

「よし、じゃあ早速始めようか」

「私は何をすれば…?」

「まぁまぁ、ありすちゃんはそこでくつろいでてよ。ここは俺に任せて任せて」

「えぇ……大丈夫なんですか?」

「わーお、すっごい不安そうな顔……」

 

 

 ここは歳上の威厳を見せるためにも頑張らないといけないな。ありすちゃんに不甲斐ないところは見せられないぜ…!

 

 

「よし、じゃあまずはスマホでレシピを検索して……玉ねぎをみじん切り? みじん切りってとりあえず細かくすればいいんだっけ……」ボソボソ

 

 

(ふ、不安です……)

 

 

 不安そうな顔を浮かべるありすちゃんをよそに、俺は今日の夕飯であるハンバーグの調理に取り掛かったのだが……

 

 

 

「塩コショウ少々……少々ってどんくらいだよ」

 

「適量って……さっきから適量とか少々とか多すぎない?」

 

「ひき肉を粘り気が出るまで捏ねる……どんくらい粘り気が出ればいいんだ…?」

 

 

 

「し、白石さん! 私も手伝いますから!」

「えっ? いいよいいよ。ありすちゃんはくつろいでて……」

「い、いえ! 正直言って見てられないといいますかなんというか……とにかく私も参戦します!」

「うっ……す、すまん。ありすちゃん」

 

 

 そう言ってありすちゃんは俺の横に立ち、洗面台で念入りに手を洗い出した。

 

 

「それじゃあ始めましょうか」

「よろしくお願い致します。橘先生」

「せ、先生……ふふっ、いい響きですね」フンス

 

 

 こうして俺とありすちゃんのほぼ料理素人コンビによる夕飯作りが開始された。

 二人であれやこれやと言いながら、レシピを確認しつつ順調?に調理は進んでいった。今は2人して手に取ったひき肉の塊を、ペシペシと投げて楕円形に形を整えている。

 

 

「白石さん、それは少し大きすぎませんか?」

「俺は体がデカいからこれくらいでいいの」

「ズルいですよ。それなら私ももう少しだけ大きくしてしまいますからね」

「いいけど……ありすちゃん食べきれる?」

「よ、余裕ですよ!」

 

 

 ありすちゃんは夢中になって手の中の肉をペシペシとしている。

 

 ……こんなことで少しでもありすちゃんの寂しい気持ちが紛れてるといいんだけどな。

 

 

「白石さん」

「ん?」

「……ありがとうございます」

「えっ?」

 

 

 こっちの顔を見ることはなく、肉をペシペシと叩きながらありすちゃんは静かに語り始める。

 

 

「私のために、わざわざ付き合って頂いてありがとうございます」

「……いや、別にいいよ。俺も1人で飯食うよりは2人の方がいいかなって思っただけだし」

「ふふっ、そうですか」

「そーなの」

「……楽しいものですね、誰かと一緒に料理を作るというのは」フフッ

 

 

 その言葉を最後に俺たちは会話を止めて、ただひたすら夢中に肉を捏ね続けた。

 

 そしてそれから数十分後、お世辞にも綺麗な形とは言えない歪な形をしたハンバーグが完成した。

 

 

 

「おぉ……意外とできるもんだな〜!」

「は、はい! ちゃんと美味しそうです!」

 

 

 出来上がったハンバーグを皿に乗せて眺めている俺たちは、パチパチと拍手をして自画自賛をする。ハンバーグの他にはレンジでチンしたご飯とインスタントの味噌汁がテーブルに並んでいる。

 

 

「それじゃあ早速食べようか」

「はい!」

 

「「いただきます!」」

 

 

 割り箸がパキッと割れる音が響く。そして俺たちはそれぞれがハンバーグを掴んで口に運び咀嚼する。

 

 

「お、美味しいです!」

「だね、ちゃんとハンバーグだ」

「ふふっ、なんですかその感想は」

 

 

 他愛もない会話をしながらも俺たちは箸を止めない。自分たちで作った物を食べるという感動を噛み締めながらハンバーグを堪能する。

 

 

「自分で作ったからなのか、なんだかとても美味しく感じます……いたって普通のハンバーグなのに」

「そうだねぇ」モグモグ

「白石さん、口元にご飯粒がついてますよ。まったく……子どもじゃないんですからしっかりしてください」クスッ

 

 

 女子小学生に注意されてしまった……

 

 

 と、まぁそんなこんなで俺とありすちゃん2人での夕飯は進んでいき、食べ始めてから数十分もする頃には皿の上に乗っていたハンバーグは綺麗に平らげられた。

 

 それから少しの間食後の休憩時間をとって、夜の8時になった頃を見計らって片付けを開始する。

 

 

「ふぅ……じゃあ片付けたらそろそろ帰ろうか。車使っていいって千川さんに言われてるから家まで送るよ」

「あっ……そうですか」

「まだお母さんたちは家に帰ってない?」

「……はい。最近はもう11時を過ぎることも多くて、時には日付を跨ぐこともあります」

 

 

 まじかぁ……ありすちゃんの両親はよほど忙しいんだろうな。何の仕事してるんだろう。

 

 

「ありすちゃん」

「……はい?」

「明日もこの部屋に集合ね。また一緒にご飯食べよう」

「…! は、はい!」

 

 

 ありすちゃんは元気に返事をする。少しでもありすちゃんの寂しさを紛らわせることができたのなら、今日行動を起こした甲斐があったというものだ。

 

 

「さーて、じゃあとっとと片付けちゃおうか!」

「はい!」

 

 

 こうして、俺とありすちゃんの一緒に夕飯生活の1日目が終了した。

 

 



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1人より2人で食う飯のが美味い 3

 

 

 俺のおせっかい心から始まったありすちゃんとの夕飯ご一緒生活は、今日を含めて既に2週間が経過していた。

 その2週間の間に劇的な何かが起きたかといえばそんな事は無く、毎日ただただ2人で夕飯を作って、それを食べながら雑談をする平和な時間を過ごしている。

 

 ただそんな何気ない時間でも、ありすちゃんが楽しそうに笑って過ごしてくれているのが俺にとっては何よりも嬉しい。ほんの少しでもありすちゃんの元気を取り戻す手伝いが出来たのなら俺はそれで満足だ。

 

 

 と……そんなありすちゃんとの夕飯ご一緒生活だが、残念ながら次で最終日だ。

 

 いや、残念ながらっていうのは変か。むしろありすちゃんのご両親の忙しい期間が終わるんだから、めでたくって言った方が正しいかもしれない。

 

 まぁそれは置いておいて、とにかく俺のありすちゃんと夕飯ご一緒生活はあと1日で終わりを迎える。だから最終日に相応しい料理をありすちゃんにご馳走してあげたいんだけど……それ以外にも折角だから、何かサプライズをしてあげたいよな。

 

 

 そして無い頭を必死に使って考えた俺の作戦はコレだ。

 

 

 

「……一緒に、夕食をですか…?」

「そう! 鷺沢さんが来てくれたらありすちゃん絶対喜ぶと思うんです!」

 

 

 俺の考えた案とは、もうシンプルにありすちゃんと仲の良いアイドルの人を呼んで夕食を共にしようというモノだ。

 やっぱり人数が多い方が楽しいと思うし、何よりありすちゃんは鷺沢さんが大好きだから来てくれたら絶対に喜ぶと思う。

 

 まぁアレだ、最終日くらい2人だけじゃなくそれ以外にも人を呼んでパーっと楽しく盛り上がろうという魂胆だ。

 

 

「どう、ですかね?」

「……それは構いませんが……初耳でした。 白石さんとありすちゃんが……夕食を共にしていたとは…」

「あーはい、ちょっと色々とありまして」

「いえ……大方の予想はつきます……ありすちゃんのためを思ってのこと……ですよね」フフッ

 

 

 そう言って鷺沢さんは柔らかく微笑み、手に持っていた本を静かに閉じた。

 

 

「……わかりました。是非……ご一緒させてください」

「あ、ありがとう! 鷺沢さん!」

 

 

 よしっ、とりあえず1番来てほしかった鷺沢さんと約束を取り付けることに成功した。これはありすちゃん絶対に喜ぶぞ…!

 

 

「……白石さん」

「ん? なんですか?」

「……私意外にも……どなたかありすちゃんと親交ある人を……呼ぶんですよね?」

「その予定です」

 

 

 とは言ったものの一つだけ懸念点がある。それはありすちゃんが仲の良いアイドルが鷺沢さん以外に誰がいるのかよく分かってないことだ。

 一応何人か頭の中に候補は浮かんでるけど……うーん誰に声をかけるべきか。

 

 

「……私の他に、どなたを呼ぶべきか悩んでいらっしゃるのですか…?」

「えっ!? よ、よくわかりましたね」

「ふふっ……お顔にそう……書いてありましたので」

 

 

 そう言って鷺沢さんは口元に手を当ててクスクスと笑った。心の中を見透かされたのが恥ずかしくて、顔の表面が熱くなるのを俺は感じる。

 

 

「あの……私に任せていただけませんか…?」

「えっ?」

「今晩の夕食会に呼ぶ方々を……私が声をかけて集めようと思ったのですが……いかがでしょうか…?」

「い、いいんですか?」

「はい……もちろんです」

 

 

 お、おぉ……これは助かるぞ。俺よりずっとありすちゃんと仲の良い鷺沢さんなら、俺よりもずっとありすちゃんが喜ぶ人選をしてくれるはずだ。

 

 

「じゃあ……お願いしてもいいですか? 正直鷺沢さんが声掛けをしてくれるならすごく助かります」

「……はい、お任せください」フンス

 

 

 気合を入れるように鷺沢さんは胸の前で小さく握り拳を握った。

 

 何ソレ可愛いんですけど。

 

 

「それじゃあよろしくお願いします、鷺沢さん」

 

 

 俺の言葉に、鷺沢さんは声を出す代わりに頷くことで返事をすると、俺たちはそれぞれの役割を果たすために歩き出した。

 

 さてと……人集めは鷺沢さんがやってくれるから、俺はありすちゃんのためにご馳走を用意しないとな!

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 鷺沢さんと分かれて数時間後、時刻は夕方の6時、そろそろありすちゃんがこの部屋に来る時間が近づいている。

 それまでに俺は何とかテーブルの上にご馳走を並べておかなくちゃいけないんだけど……

 

 

 コンコン

 

「ん? どうぞー」

 

 

 部屋の扉がノックされ、それに対して俺が返事をすると、扉の外から部屋の中に見覚えのある人たちがゾロゾロと入ってくる。

 

 

「やっほ〜、お呼ばれしたから来たよ〜ん」

「お邪魔するわね」

「ふっ、事務所の中にこんな部屋があったとはね……さしずめ、キミとありすの秘密基地といったところかな?」

 

 

「……連れて……きました…」

 

 

 部屋の中に入ってきたのは、塩見さん、速水さん、そして飛鳥ちゃ……あぁいや、前にあった時にちゃん付けはやめてくれって言われたな。

 そして最後に部屋に入ってきたのは、一仕事終えてやり遂げた感満載の表情を浮かべている鷺沢さんだ。

 

 これは以前にありすちゃんと一緒にイチゴのスイーツを食べに行った時のメンツだな。確か5人は一緒にユニットも組んでるとかなんとか……

 

 

「おーい、白石くーん?」

「ん? どわぁっ!?」

「うわビックリした。急に大きな声出さないでよー」

 

 

 ボーッとしていた意識が誰かに名前を呼ばれたことで引き戻される。すると目の前には手をヒラヒラと振る塩見さんの顔があった。

 

 びっくりしたのはこっちだよ……気づいたら目の前に美少女とか驚かない人間はこの世にいないと思う。

 

 

「どしたん? ボーッとしちゃってさ」

「い、いや……何でもないよ」

「そう?」

 

 

 あー焦った。とりあえず深呼吸でもして心を落ち着けなければ……

 

 

「すーはー……すーはー……」

 

 

「彼は一体何をしているんだい? 周子さん」

「さぁ?」

「多分あなたのせいよ、周子」

「えっ、あたし?」

 

 

 深呼吸をする俺を怪訝な表情で見ている飛鳥と塩見さん。そして速水さんは全てを見透かしたように微笑んでいる。

 

 

「ふぅ……よしっ。皆さん、今日は集まってくれてありがとうございます」

「あら、そんなに畏まらなくていいのよ?」

「そーだよー、ありすちゃんのためと言われたらあたしたちも喜んで協力するよーん」

 

 

 俺の言葉に速水さんと塩見さんが返事をした。後ろで見ている残り2人も意見は同じなようで、言葉は発していないがコクコクと小さく頭を上下に動かしている。

 4人とも快く承諾してくれたようで本当にありがたい限りだ。

 

 

「で? 肝心のありすちゃんは?」

「多分、もう少しで来ると思う。今日はボイスレッスンが夕方からあるって言ってたから」

「ふーん、じゃあそれまでに料理を完成させとくってことなんだね〜」

「あっ、料理ならもうあっちに……」

 

 

 実は今日は料理を買ってきたのだ。デパートまで行って、普段は買わないような美味しそうでそこそこ値段のする物を……

 

 えっ、そんなの買って金は大丈夫なのかって?  ま、まぁ最終日だしありすちゃんには美味しいものを食べさせてあげたかったから……セーフセーフ。

 

 

「あら、聞いた話だといつもはありすと2人で自炊をしていたらしいけど…?」

「い、いやぁ〜 実はもうレパートリーがね……料理素人なもんで。それに最終日だし豪勢にいこうと思って」

「ふふっ、なるほどね」

「……それでは、テーブルの上に並べましょうか……」

 

 

 鷺沢さんの言葉に頷いた俺たちは、袋から料理を取り出して並べたりして準備を進める。

 

 

「うお〜! 美味しそうなローストビーフ〜! 白石くん奮発したねぇ〜」ジュルリ

「周子さん、それはありすが来てからだ。間違っても食べないでくれよ」

「わかってるって〜 飛鳥ちゃんってばそんなにあたしのこと信用してないの〜?」

「……普段の自分の行動を思い返してみるんだね」

 

 

 塩見さんと飛鳥がじゃれ合っていたり……

 

 

 

「あら、美味しそうないちごね」

「……えぇ、ありすちゃんが……喜びます」

「こっちにはいちごのショートケーキに、いちごのフルーツサンド」

「……いちごゼリーに、いちごのタルト……いちご饅頭もありますね……」

「……流石にいちごが多すぎないかしら…?」

 

 

 鷺沢さんと速水さんに呆れたような目で見られたりしながらも、パーティーの準備は進んでいく。

 

 

「ふぅ……あとはありすちゃんを待つだけかな?」

 

 

「白石く〜ん」ガバッ

「ふおぉっ!?」

 

 

 一瞬の出来事に俺の体は跳ね上がる。突然、俺の背中に塩見さんがぐったりとしなだれかかってきたのだ。

 

 

 ち、近いッ…! 近いし、柔らかいし、いい匂いだしでもう訳がわからない…!

 

 

「な、なにしてんの塩見さん…ッ!」

「だって〜 さっきから飛鳥ちゃんが意地悪なことばっかり言うんやもーん」

「はぁ……周子さんがさっきから作業をサボっているからじゃないか。何とか言ってやってくれ、白石さん」

 

 

 呆れたように息を吐きながら飛鳥がこっちに近づいてくる。

 

 い、いやぁ……俺的にはむしろこの状況に対して飛鳥が塩見さんに何とか言ってやってほしいんだけど……というか助けてください。

 

 

「その辺にしときなさい周子。 白石さんの顔が真っ赤よ?」

「うわっ本当だ、いちごみたいや〜ん」

「あ、赤くなんてなってないが!?」

「いやどう見ても真っ赤やん。 なんでそんな分かりきった嘘つくんよ」

 

 

 必死の強がりも塩見さんに一蹴される。というかそろそろ本当に離れてくれませんかねぇ……? 心臓爆発するんじゃないかってくらいバクバクなんですが。

 

 

 そして俺が、背中に張り付いた塩見さんを剥がすために立ち上がろうとしたその瞬間……

 

 

 

 ガチャ

 

 

「ふぅ、すみません白石さん。少しだけ遅くなってしまいました……って、何をしているんですか…?」ジト-

 

「あ、ありすちゃん!? これは……その〜」

「やっほ〜、ありすちゃ〜ん」

 

 

 給湯室の扉が開かれてありすちゃんがやって来た。そしてその視線はすぐに部屋の中でくっ付いている俺と塩見さんに向けられ、怪訝な表情を浮かべた。

 

 

「な、何をしているんですか白石さん……それにそもそもどうして周子さんや文香さんたちがここに…?」

「あーっ! それについては俺がちゃんと事情を説明するからさ! ほら塩見さんそろそろ離れて」

「ひ、酷い……他の女が来たらもうしゅーこちゃんは用済みってこと…? およよ……」

「何言ってんの塩見さん!?」

 

 

「あの……お邪魔なようなので私は失礼しますね」

「ちょっ! ありすちゃん!? カムバーック!!」

 

 

 俺を軽蔑するような目で見るありすちゃんが部屋から出て行こうとしたので、塩見さんが背中には張り付いたままの状態でありすちゃんを止める。

 

 

「ちょっと待った! 今日はありすちゃんに帰られたら困るよ! それにちゃんと事情を説明するからさ!」

「はぁ……事情、ですか」

「そうだよ〜 しゅーこちゃんとありすちゃんどっちを選ぶのかちゃんと説明して〜ん」

「塩見さんはそろそろ黙ろうか!」

 

 

 

 

「……やれやれ、随分と愉快な宴になりそうだ」

「えぇ、そうね」フフッ

「……それより皆さん、早く料理を並べ終えてしまいましょう……」

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

「と、いう理由で俺が鷺沢さんたちを呼んだんだ」

「……なるほど、そういう事だったんですね」

 

 

 俺はありすちゃんに一から事情を細かく説明する……背中に塩見さんが張り付いたままの状態で。

 

 心臓が爆発しそうな勢いでバックンバックン鳴ってるから早く離れてほしい……

 

 

「事情は把握しました。その……白石さんが私のために皆さんを呼んできてくれたことも」

「そ、そうそう! だから決して変な事をしてたとかじゃないんだよ」

「それは……はい、白石さんがそこまで言うのなら信じますけど……周子さんはいつまでくっ付いているんですか…?」

 

 

 ありすちゃんは俺の背中にべったりと張り付いている塩見さんを指差す。それに対して塩見さんは、俺の背後からひょっこりと顔を出してありすちゃんに言い返す。

 

 

「いやぁ〜、白石くんの背中あったかくってさぁ〜? なんか離れたくないんだよね〜」

「いや……俺的にはそろそろマジで離れてほしいんだけどね」

「それにさ、男の人の背中って広くてなんか素敵やーん?」ギュッ

「ふぉぉぉっ!?!?」

 

 

 ふざけた口調でそんな事を言ってのけた塩見さんが俺の背中へとさらに密着してきた。

 そうなると塩見さんの均整が取れたいい形のお山の感触が嫌でも伝わってしまう訳で……

 

 

「………」シラ-

「うぉっ!? ありすちゃんがめっちゃ冷めた目で見てる……!?」

「それにここでこうしていればパーティの準備手伝わなくて済むしねーん」

「オイ! そっちが本音だろ塩見さん!!」

 

 

 結局サボりたいだけだろこの人は…!!

 

 

「まぁまぁありすちゃん。別に取ったりしないから安心しなって」

「べ、別に白石さんのは私の物ではありませんけど!?」

「えー? じゃあしゅーこちゃんの物になってもいいのー?」

「そっ…! それは……っ」

「んー?」ニヤニヤ

「ッッ〜〜!! そ、その顔やめてください! 大体どうして周子さんはいつも私を揶揄って……!」

 

「というかお二人さん、さっきから俺のこと物みたいに言うのやめてもらっていいかな!? あと塩見さんそろそろマジで離れようか!」

 

 

 3人揃ってギャーギャーと喧しく騒いでいると、向こうで準備を終えた速水さんが呆れた表情を浮かべながらこっちに歩いてくる。

 

 

「ほら貴方たち、もう料理は並べ終わったんだからそろそろ終わりにして頂戴」

「はーい。あーあ、白石くんのせいで怒られちゃった〜ん」

「どう考えても塩見さんのせいだと思うけど」

「そ、そうです! 周子さんが私を揶揄うからです…!」

「えー? そんな事ないよね〜? 飛鳥ちゃーん!」

 

 

「悪いが、ボクから見ても周子さんがトラブルの原因だとしか思えないね」ジト-

「えー! 文香ちゃんはどう思う〜?」

「………」

「って本読んどるし……興味無しかーい」

 

 

 自分の周りに味方がいない事に気づいた塩見さんは、既にテーブルの前に座っている飛鳥と鷺沢さんに応援を求めたが、その目論見は呆気なく失敗に終わった。

 

 

「はいはい、それじゃあそろそろ始めましょう?」

 

 

 速水さんが2回掌を叩くと部屋の中に乾いた音が響く。それを合図に俺とありすちゃんと塩見さんもテーブルの前にスタンバイする。

 

 やっぱりどう見ても速水さんが1番歳上だとしか思えないんだよなぁ……このメンツだと。

 

 

 そうして、俺を含めて6人による細やかなパーティーが始まった。

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

「い、いちごのスイーツがこんなに沢山……」

「好きなだけ食べてね、ありすちゃん」

「は、はいっ! ありがとうございます白石さん!」

 

 

 パーティーが始まってすぐ、ありすちゃんは机の上に広がるいちごのスイーツ軍団にキラキラと目を輝かせる。

 

 

「お、美味しいです…!」

「ははっ、そっかそっか。 ありすちゃんのために買ってきたからね、いっぱい食べてね」

「私のためですか……?」

「もちろん」

「……あ、ありがとうございます」

 

 

 そう言ってありすちゃんは黙々といちごスイーツを口に運んでいく。小さな口の中にスイーツを頬張る姿は、なんだか小動物のようで可愛らしい。

 

 あぁ……我が子を見る父の気持ちってこんな感じなのかな。それとも可愛い妹を見る兄の気持ちか…?

 

 

「………」ジ-

 

 

「ん? どうかしましたか、鷺沢さん」

「……あ、いえ……ありすちゃんと白石さんが、以前よりも随分と仲睦まじくなったように見えたので……」

「ふ、文香さん!?」

「えっ、そうですか?」

 

 俺の中に目覚めた父性に浸っていると、鷺沢さんが何やらこっちを眺めていたので話しかけるとそんな事を言われた。

 まぁ確かに最初会った時に比べたら仲良くはなれたけど、その後からはずっとこんな感じだと思うけどなぁ……

 

 

「確かに仲良いよねぇ〜ん。2週間くらいこの部屋で一緒に夜ご飯食べてきたんだっけ? その2週間の間に何かあったの?」

「……いや、別に何もなかったよね?」

「は、はい。夕飯をご一緒させていただいてただけですから至って普通です」

「そうなん?」

 

 

 塩見さんからの問いに対して俺とありすちゃんは顔を見合わせて意思の疎通を図る。

 

 この2週間、毎日ただただ2人で夕飯を作って、それを食べながら雑談してただけだからなぁ本当に。

 

 

「ふっ……まぁ2週間も寝食を共にしていれば仲が深まるのは自然なことさ」

「いやいや、食は共にしてたけど寝は共にしてないからね? それ割とシャレにならないから」

「おっと、それは済まなかったね」

 

 

 飛鳥は静かに笑いながら謝罪をすると、自分の前に置かれたローストビーフへと意識を傾ける。

 

 

「飛鳥、さっきからめっちゃ食ってるけどそれ気に入った?」

「ッ…!? ま、まるでボクが大食らいかのような言い草はよしてくれないか」

「いや〜でも飛鳥ちゃん、あたしよりお肉食べてるよ?」

「〜〜ッ!!」

 

 

 塩見さんに指摘された飛鳥は顔を赤くしてフォークを机に置いてしまった。別に咎めた訳ではなかったけど、余計なことを言ってしまったかもしれない。

 

 

 

「隣、いいかしら?」

「えっ? あっはい……ど、どうぞ」

 

 

 俺も何か料理に手をつけようと思って机の上を見渡していると、急に速水さんが隣に座ってきた。

 

 なんか速水さんと2人で話す時って未だにすごい緊張するんだよなぁ。

 同年代とは思えない色気にドキドキするし、なんか仕草とかも一々艶かしくて童貞には刺激が……

 

 

「ありがとうね」

「……えっ?」

 

 

 邪な事を考えていた時に突然、思ってもいなかった言葉を投げかけられて、俺はアホみたいな表情を浮かべながらアホみたいな声を出す。

 

 

「だから、ありすの事よ」

「……ありすちゃんの事…?」

「本当に覚えてないの? 少し前に私と話したじゃない」

「……あっ」

 

 

 そういえばそうだったなぁ。 速水さんからありすちゃんの元気が無い原因について探りを入れてほしいとか言われてたんだっけ……

 このありすちゃんと夕飯ご一緒生活を送ることになった原因でもあるのに、すっかりとそんな事は忘れていたぞ。

 

 

「ありす……ちゃんと元気になったわ」

「い、いやそれは……明日からまたご両親が普通の時間に帰ってきてくれるからじゃない?」

「ふふっ、謙遜もほどほどに……ね? この2週間ありすが普段通りに過ごせたのは、貴方が一緒にいて寂しさを埋めてあげたからよ」

「……そうかな」

 

 

 ふとありすちゃんの方へと視線を向けると、塩見さんに頭を撫でられる事に文句をいいつつも、どこか楽しそうな顔でスイーツを食べ続けている姿が映った。

 

 その姿には……確かに2週間前に速水さんと話をした時に見かけた、寂しさを感じさせる面影は無い。

 

 

「まぁ……なにはともあれ、ありすちゃんが元気になってくれたなら俺はそれでいいや」

「ふふっ、そうね……」

 

 

 この2週間の間にありすちゃんが感じることになったはずの寂しさや孤独感を、少しでも埋めたり紛らわせる事ができたのなら、俺はそれだけで満足だ。

 

 これで明日からはありすちゃんも家族と一緒に過ごせるし一件落着だな。

 

 ……あっ、でも俺は相変わらず1人の家に帰る羽目になるしちょっとだけ寂しい……かも。

 

 

「どうかしたの?」

「えっ、なにが?」

「いえ……貴方今、少しだけ寂しそうな顔をしていたから」

「……そ、そんな事はないよ!」

 

 

 ……やっば、顔に出てたか。 いかんいかん、折角のパーティー中にそんな顔をしていたら場を白けさせてしまう。

 

 

「もしかして……今日でこの生活も終わりだから寂しくなってしまったのかしら?」クスッ

「んなッ!? そ、そんな事ないよ!? というか俺は大学生なんだし、そんな1人の家が寂しいとかそんな事は……!」

 

 

 心の中を見透かされた事が恥ずかしくて、俺はいつもより大きな声を出して速水さんの言葉を否定する。

 

 すると、それを見た速水さんが面白いモノを見つけたとでも言いたげに目を細めて、ゆっくりと自然に俺の肩へとしなだれかかってきて小さな声で囁く。

 

 

 

「寂しいのなら……次は私が貴方の寂しさを埋めてあげましょうか…?」ボソッ

「は、はぁっ!? 速水さん、何を…ッ!?」

「ふふっ……ほら、思い出して…? 貴方がありすの元気を取り戻してくれたら、感謝の印としてご褒美をあげるって話をしたでしょ…?」

「……あっ!」

 

 

 そ、そういえばそんな話をしたっけか……ということは俺は速水さんからご褒美を貰えるっていうことか…!?

 

 ご、ご褒美って……な、何なんだ一体…ッ!?

 

 

「ねぇ……貴方は私に何をしてほしいのかしら…? 教えてくれる…?」

「ちょっ…! は、はやみさん…っ!?」

「ほら早く……教えて?」

 

 

 速水さんは息を含んだ艶のある声色で、俺を誘うように耳元で声を出す。

 耳に息が当たる度に自然と体が小さく跳ねて、その甘い香りに思考が刈り取られる。

 

 

「ご、ご褒美って……い、いやっ! でもまさかそんな事は……!」

「あら、言うのが恥ずかしいようなお願いをするつもりなの…? 白石さんはイケナイ人なのね……」

「そ、それ……はっ…!」

 

 

 頭の中がオーバーヒートを起こしたように熱い。考えがまとまらない、今俺は何をしているのかよくわらなくなってくる。

 

 人気アイドルの速水奏が醸し出す色香に、彼女いない歴=年齢のクソ童貞である俺が抵抗できるはずもなく……俺の思考回路はショート寸前というか、既にショートしてイカれてしまった。

 

 

 

「……あの、お二人とも……」

 

「は、はいっ!?」ビクッ

 

 

 突然、どこからともなく現れた鷺沢さんが俺と速水さんの間に入るように、にゅっと顔を出して小さな声を上げる。

 

 

「あちらを……ご覧ください……」

「あっち? 一体何を……うぉっ!?」

 

 

「………」ジト-

 

 

 鷺沢さんが指を刺す方へと視線を向けると、さっきまであんなに目をキラキラさせてスイーツを頬張っていたありすちゃんが、今はフォークを机の上に置いて、俺のことを虫けらでも見るような冷たい視線で睨みつけていた。

 

 

「白石さん……奏さんと何をしているんですか…?」

「い、いや〜! こ、これは速水さんが…!」

「あら、私のせいなの?」

「実際そうでしょ!? また俺のこと揶揄って遊んでたくせに…!」

「ふふっ、本当に揶揄いかしら…? もしかしたら本気かもしれないわよ?」

「んなッ!?」ドキッ

 

 

「白石さんっ…!!!」

 

 

 ありすちゃんは勢いよく立ち上がると、真っ赤な顔をして俺へと指を差しながらズンズンとこっちに向かってきた。

 

 

「ふ、ふしだらですっ! そんなに男女がくっついて…!」

「ちょっ……あ、ありすちゃん落ち着いて…!」

「大体っ! 前から思っていましたけど白石さんは女性に対して弱すぎると思います…! 私の前で文香さんと話す時もいっつも鼻の下を伸ばして…!」

「は、鼻の下なんて伸ばしてないが!?」

「いいえ伸ばしてます! それ以外にも一々女性に近づかれたくらいでアワアワと狼狽えたり!」

 

 

「私に対してはそんな素振り見せた事ないのに…!!」

「お、落ち着こうありすちゃん! 怒りを鎮めたまえ!」

「誰のせいでイライラしてると思ってるんですか!誰のせいで!」ガミガミ

 

 

 う、うぉぉ……ここまで怒ったありすちゃんら初めて見たぞ。 流石にあんなに情けない姿を見せたら呆れられもするだろうけど、まさかここまで激怒するなんて…!

 

 

 

 

「ねぇ奏ちゃん」

「なによ周子」

「今ありすちゃん結構とんでもない事言わなかった?」

「ふふっ、そうかしら。私は至って普通の感情だと思うけど?」

「ほーん、というと?」

 

 

「だって、自分の気に入っている男性が自分の前で他の女とイチャイチャしてたら、イライラするのは当然の事でしょ?」

「あぁ〜、なるほどねぇ〜ん。 って、その他の女って今のシチュなら奏ちゃんのことやん」

「ふふっ、そうなるわね」ニコッ

「うわ〜楽しそうな顔〜。 悪いお姉さんやで〜」

 

 

 

 

 

「いいですか白石さん! この際ですからもう女性に対してオドオドしたりするその態度を改めてください!」 

「そ、そんなすぐには無理だって…!」

「何を情けない事を大きな声で言ってるんですか〜っ!!」ガミガミ

 

 

 う、うぅ……最後の最後にこんな怒られる羽目になるなんて…! 一体なんでこんな事に〜!

 

 

「聞いているんですか白石さん! それとも私なんて眼中に無いということですか!?」

「そ、そんな事ないって!」

「やはり胸ですか!? ちんちんくりんの私には興味すら持てないと!?」

「な、何を言ってんのありすちゃん!?」

 

 

「今日でこの生活も最後ですからね! 最後に言いたいこと全部言わせてもらいますから!」

「も、もう勘弁してくれ〜っ!!!」

 

 

 

 この後、ありすちゃんの怒りが完全に鎮まるまでに1時間かかったとさ……あぁ、疲れた。

 

 こうして、俺とありすちゃんの奇妙な夕飯ご一緒生活は終わりを迎えるのだった。

 

 



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2月は恋の季節


 バレンタインになんとか間に合ったな()
 という訳でありすちゃんルートです。

 ※前の3話は既に公開済みの話なんですけど、実質ありすちゃんルートの導入みたいなもんなのでこっちに移しました。










 

「ねぇねぇ、ありすちゃんは誰かにあげたりするの?」

「えっ?」

 

 

 放課後、授業が終わってクラスメイトたちがザワザワと騒ぎ始める中、私は荷物をまとめて下校の準備をしていた。しかしそんな時、1人のクラスメイトの子がキラキラとした表情を浮かべて私に話しかけてきた。

 

 

「あげるって……何を?」

「チョコだよ、チョコ! もうすぐバレンタインでしょ〜!」

「……あっ、言われてみれば」

 

 

 本当に忘れていた。去年までのバレンタインなんて、お母さんと2人で選んだ売り物のチョコをお父さんにあげるくらいだったし。

 そういえば事務所でもバレンタインの仕事がどうとか言っている人がいたのを今になって思い出した。

 

 

「ありすちゃんアイドルだし〜! 誰かイケメンの芸能人にチョコ渡したりするのかな〜って!」

「わ、私そんなに親しいタレントさんとかいないから……同じ事務所なら仲良くさせてもらってる人いるけど全員女の人だし」

「え〜、じゃあ友チョコだけ? 近くにある小学校の男子で気になる人とかいないの〜?」

 

 

 私の通う小学校は私立の女子校なので男子生徒はいない。でも近くに共学の小学校はあるから、登下校の最中に同年代の男子を目にすることはそれなりにある。

 

 ただ……

 

 

「……興味ないかな」

「え〜そうなの?」

 

 

 目の前のクラスメイトはつまらなさそうな顔をしている。

 それでも同年代の男子になんてこれっぽっちも興味が湧かないのは本当のことだ。だってこの前なんて下校中に鼻をほじっている姿を見かけたこともある。そんな姿にキュンとくるハズもない。

 

 

「同年代の男の子なんて子どもっぽいし、全然興味が湧かないというか……」

「ん? じゃあ同年代じゃない人で興味を持ってる人はいるってこと?」

「……んなっ!?」

 

 

 な、何を言い出すかと思えば……! 今のはあくまで同年代に興味が湧かないというだけの話であって、だからといって同年代以外には気になる人がいるとかそんな話ではなくて…!

 

 

「てことは年上だぁ〜! ありすちゃんは年上に好きな人いるんだ〜!」

「か、勝手に話を進めないでください! そもそも私、親しい間柄の男性なんてーー!」

 

 

 自分ではそんな事を言いながらも、頭の中には1人の男性の存在がチラつく。

 迷子になった私を必死に探してくれたり、一緒にスイーツを食べに行ったり、私の寂しさを埋めるため2人でしばらくの間ご飯を作ったりと……私のために色々としてくれたあの人の笑顔が脳裏にこびりつく。

 

 で、でも……っ! 確かに白石さんには色々とお世話にはなっていますし、嫌いでは全然ないですけど! だからと言ってす……好きとか、全然そういうのでは…!

 

 

「ありすちゃん、顔真っ赤だけど大丈夫?」

「だ、だから別に好きとかじゃなくって…!」

「えっ、好き? 何が?」

「あっ……」

 

 

 全身が、つま先から頭の先端までが熱くなっていくのを体感する。きっと今、私の頭からは瞬間湯沸かし器の如くプスプスと湯気が出ていることだろう。

 

 

「し、失礼します…! また明日!」

「えっ! あ、ありすちゃ〜ん!?」

 

 

 私はクラスメイトから逃げるように走って教室から出て行く。これ以上この話を続けたくなかった……続けていたら何か変なコトになってしまう気がしたから。

 

 

(あ〜もう…っ!!)

 

 

 冬だというのに未だ私の体の熱は引かない。それもこれも全部白石さんのせいだということにしておこう。

 というか段々と腹が立ってきた。私はこんなに恥ずかしい思いをしたというのに、脳裏にこびりついた白石さんはヘラヘラと笑っている。

 

 

(今度白石さんに会ったら文句の一つでも言ってやりましょうか……でもそしたら、何で私が怒ってるのかわからない白石さんは慌てそうですね。ふふっ)

 

 

「……ハッ!」

 

 

 こ、これじゃあまるで私が白石さんに会うのを楽しみにしてるみたいじゃないですか…! べ、別にそんなことありません! 本当に白石さんのことなんて……!

 

 

「別に……好きとか、そういうんじゃ……」

 

 

 私は首を大きく左右に振って余計な思考を振り払う。そして急ぎ足で事務所への道を歩き出した。

 

 

 レッスンでもして、早いところこの変なモヤモヤを吹き飛ばしてしまおう。

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 季節は2月、未だに寒い季節が続くというのに世間は若干浮ついている。

 なぜそんな空気になっているのかは俺にだって分かる。だがしかし、俺には全く無縁のものだ。少なくともこれまでの18年間では母さんにしか貰ったことがない。

 

 えっ、さっきからなんの話をしているのかって? 皆だって分かるだろう…?

 

 2月、リア充、突如出現して街中を占拠したチョコの広告たち。これらのヒントから導かれる答えはもう一つしかない。

 

 

 

「バレンタインのチョコ俺も貰ってみたいなぁ……!」

「うるさいぞ白石」

 

 

 大学の敷地内にあるカフェテラスで、友人とレポートを進めながら雑談を交わす。話の内容は季節柄自然とバレンタインの話になり、俺とは無縁の世界のキラキラした話に打ちひしがれ、大きな声で情けない欲望を吐き出しながらテーブルの上にぐったりとうな垂れる。

 

 

「だってぇ……俺も女の子からチョコ貰ってみたいよぉ……」

「情けない声出すなよ。今年は貰えないかもしれないけど、お前だってこれまでの人生で一回くらいは女の子からバレンタインのチョコ貰ったことくらいあるだろ?」

「母さんからしか貰ったことないぞ」

「……なんかスマン」

 

 

 あ、謝るなよ……俺が余計惨めになるだろ。

 

 

「クラスの子から義理チョコとか貰ったりしないのか?」

「……俺のクラスメイトはムサい男だらけだったぞ」

「あー、お前男子校だったんだっけ……そういえば」

 

 

 懐かしいなぁ……あの頃はバレンタインの時期になるとクラスの男子がソワソワし始めて、下駄箱の中とか机の引き出しにチョコが入っているんじゃないかとドキドキしてたもんだ。

 

 まぁ学校には男子しかいないから勿論入ってる訳がないんだけどね。ははは……笑えねぇ。

 

 

「ん? というかその言い方だとそっちはクラスの女の子から義理チョコ貰ったりしたことあるのか!?」ガタッ

「お、おぉ……すげぇ食いついてきたな。 まぁ……貰ったことあるよ。 というかなんなら義理じゃなくて本命もーーー」

「や、やめてくれぇぇ! そんな話は聞きとうないっ!」

「お前が聞いてきたんだろうが……」

 

 

 こ、コイツ……リアの充の者であったか! 同級生の女の子にチョコを貰うとか、俺なんかの灰色の青春とはまるで違う青春時代を送ってきたんだろうなぁ。

 

 

「あ、ワリィ俺そろそろ行くわ」

「どこ行くんだよ」

「彼女が呼んでる」

「お、お前いつの間に!?」

 

 

 驚愕の声を上げる俺を尻目に、ニヤニヤと憎たらしい笑みを浮かべる友人は席を立った。

 

 

「それじゃあな〜」

「裏切り者めーッ!!!」

「はーっはっは!」

 

 

 これまた憎たらしい高笑いをしながら歩き去っていく。1人寂しく取り残された俺はテーブルの上に突っ伏しながら、誰にも聞こえないような声で呟いた。

 

 

「羨ましい……」

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 大学を出て家に帰ろうと街を歩く。すると今日みたいな傷心してる日に限って、イチャイチャと楽しそうに歩くカップルの姿が目に映る。

 すれ違うカップルたちの会話を耳を澄ませていると、やれどんなチョコが欲しいとか、今年は手作りにするね♡ とかそんなバレンタイン丸出しの会話をしている人たちが多い。

 

 そして何と、ランドセルを背負った小学生の男女までもが甘ったるい会話を繰り広げているのを視界に捉えた。

 

 

「ねぇねぇ、今年はお母さんと一緒にチョコ手作りするね〜!」

「本当? ありがとう!」

 

 

「ぐっ……!」

 

 

 さ、最近の小学生はこんなに進んでいるのか!? 俺なんて小学生の頃はもちろん彼女なんていなかったし、それどころかバレンタインの存在すら大して認識してなかったのに…!

 

 

「俺は同級生どころか、小学生よりも遅れているのか……?」

「一体なんの話ですか」

「ん?」

 

 

 俺が嫉妬の炎に身を焦がしていたその時、後ろから突然声をかけられた。振り返ると、そこには白い目で俺のことを見ているありすちゃんが立っていた。

 

 

「おぉー、ありすちゃん。こんにちは」

「こんにちは白石さん。街中で独り言を呟いているなんて側から見たらとても不気味ですよ」

「うっ……聞かれてたのか」

 

 

 知り合いの、しかも年下の女の子に恥ずかしいトコを見られてしまった。俺は動揺を悟られないように、頭の中に浮かんだ話題を反射的に振った。

 

 

「そういえばそろそろバレンタインだね」

「そうですね、先程クラスメイトの方ともそんなお話をしました」

「へぇ〜そうなんだ」

 

 

 ありすちゃんもクラスメイトとそういう話をするんだなぁ……

 ん? というかもしかしたら、ありすちゃんも誰かにチョコ渡したりするのかな? こんなに可愛い子なんだし、もしかしたらさっきの小学生みたいにそういう相手がいたりして……?

 

 

「ありすちゃんは誰かにチョコ渡すの?」

「な、なんでふか急に…!?」

「いや、話の流れでちょっと聞いてみようかと」

「……わ、私が誰かにチョコを渡すのか、そんなに気になるんですか…?」

「えっ、あーうん……まぁ」

 

 

 頬を赤く染め、上目遣いでジーッと俺のことを見つめるありすちゃん。まさかこの反応的に本当にチョコを渡す男がいるのだろうか…?

 

 もしかしてエリート美少女小学生のありすちゃんには、エリート美少年小学生の彼氏がいたり……? それともまさか、ありすちゃんの純粋さに漬け込んだ悪い男が……!?

 

 

「お父さんそんなの許しませんよ!」

「な、何を言ってるんですか急に」

 

 

 くっ……ありすちゃんとは色々あって今では結構仲も良いから、娘とは言わずとも妹のように見ている部分はある。あくまでも俺が一方的にってだけだが。

 そんなありすちゃんが、チャラチャラした金髪唇チェーン鼻ピアス男とかを連れてこようもんなら……

 

 

「ありすちゃん、付き合う男は慎重に選んだ方がいい……」

「だ、だからなんの話ですか! そもそも、私は交際している男性なんていません!」

「えっ、そうなん?」

「そうです。大体、どうしていきなりそんな話になっているのかこっちが聞きたいんですが」

 

 

 どうやら俺の早とちりだったようで、悪いチャラ男に騙されるありすちゃんはいなかった。本当によかった……

 

 

「……で、では逆に私からも問います。白石さんには、その……そういう相手はいないんですか?」

「彼女ってこと? 残念ながらいないけど」

「……そうですか。ではもう一つ聞きます、もし女の子からチョコを貰えたら嬉しいですか?」

 

 

 強張った表情で、チラチラと俺のことを見上げながら質問をするありすちゃん。そんな彼女の問いに、俺はもちろんこう答えた。

 

 

 

「そりゃあ嬉しいよ! もう狂喜乱舞だね!」

「……! そ、そうですか……ありがとうございます。質問は以上です」

「面接官みたいな口調だ」

 

 

 今のやり取りでありすちゃんは何を思ったのかは分からないが、俺の返答を聞いた彼女の口元は僅かに緩んで見えた。

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 ありすちゃんと歩き始めてから数十分後、俺たちは見慣れた事務所の玄関に到着した。今日は別にバイトの予定は入ってないんだけど、何となくありすちゃんに着いてきて事務所まで来てしまった。

 

 

「さて、それじゃあ私はレッスンに行ってきます。白石さんはお仕事ですか?」

「俺? 俺は特に予定無いから帰るけど」

「えっ!? あ、アルバイトは…?」

「今日は無いよ。だからこの後はフリーなんだ」

 

 

 バイトが入っていないと伝えるとありすちゃんは大きな声を出して驚く。確かに事務所まで来てるんだから何かしら用事があるはずだと思うのが普通だよな。

 

 

「それなら別に……私に着いて来ないで家に帰ってくれてよかったのに」

「いいのいいの。ありすちゃんと話すの楽しかったからさ」

「……! そ、そう……ですか」

 

 

「おーいお2人さーん、何してんの〜?」

「ん? あっ、塩見さん」

「周子さん、こんにちは」

 

 

 俺たちの背中に飄々とした印象を与える声がかけられる。振り返るとそこには小さく微笑みながら手を上げる塩見さんが立っていた。

 

 

「いや〜寒いねぇ……2人は一緒にここまで来たの? まさかデート?」

「デッ…!?」

「……見られちゃったか。誰にも見られないようにお忍びデートだったんだけど」ハァ

「し、白石さんまで何を言ってるんですか!? へ、変な冗談はよしてください!」

 

 

 塩見さんの冗談に悪ノリしてありすちゃんの様子を伺うと、ありすちゃんは顔を真っ赤にしてぷりぷりと怒っている。そんな様子がなんだか微笑ましくて、ついつい俺は口元が緩んでしまう。

 

 

「いや〜、2人とも仲が良いね〜」

「ははは……あれ、塩見さんそれ何持ってるの?」

「ん? あぁコレね、さっきそこでほぼ無理やり渡されちゃってさぁ〜」

 

 

 そう言って塩見さんは手に持った赤い紙を俺たちに見せつけるようにして広げた。その紙にはハッピーバレンタインの文字と、様々な種類のチョコレートがプリントされている。

 

 なるほどなぁ、街中で配られてるバレンタイン広告のビラを無理やり渡されたってことか。

 

 

「いやぁ〜、あたしって案外押しに弱いんかなぁ……それにしても世間はバレンタイン一色だねぇ〜」

「チョコレートの広告とか増えてきたしね。あと街中でイチャこくカップルが多い」

「あっはは〜! 確かに独り身には肩身が狭い時期かもね〜ん」

 

 

 そう言って塩見さんはケラケラと笑う。上げる側と貰う側、立場こそ違えど独り身の者がバレンタインで肩身の狭い思いをするのは変わらないらしい。

 

 

「白石くんはチョコ貰える予定あるん?」

「もちろん」

「おぉ〜、凄い自信だね〜。よっ、色男〜!」

「毎年一つは確定で貰ってるからね」

「あっ……なんかゴメン」

 

 

  謝らないでくれよ……余計惨めになるじゃないか。はははっ……

 

 

「ありすちゃんは誰かにチョコあげるの? お父さん以外で、好きな人とかにさ」

「し、周子さんには関係ありませんっ…!」

「ふ〜ん、じゃああげる人いないんだ」

「い、いないとは言ってません……ただ、迷っているだけで」チラッ

「ん?」

 

 

 なんかありすちゃんにチラ見された気がするけど……気のせいか?

 はっ! それともモテない俺の前でそういう類の話をすることに気を遣っているのか!?

 

 

 

「ほ〜ん……そういうコトね」

「どうかしたの塩見さん?」

「いんや、別になんでもないよ〜ん。ただ、ありすちゃんは可愛いなぁ〜ってね」ニヤニヤ

「っ……! わ、私これからレッスンなので! 失礼します…!」

 

 

 そう言ってありすちゃんは逃げるように走り去ってしまった。別れの挨拶をする暇もなかったが、とりあえず去っていく背中には手を振っておく。

 

 

「さてと、じゃあ俺もそろそろ行こうかな。じゃあね塩見さん」

「ねぇ白石くん」

「ん?」

 

 

 ありすちゃんも無事見送ったことだし家に帰ろうと塩見さんに別れの挨拶をすると、いつも飄々とした態度の塩見さんらしくない真剣な眼差しを向けられる。

 

 

「一つ、聞きたいことがあるんやけど」

「え? 何かな」

「じゃあ遠慮なく。 ありすちゃんのことなんだけど……どう思ってる?」

「ありすちゃん?」

 

 

 いきなりの質問だった。その質問の意図が読めない俺は一瞬だけ体が硬直する。

 しかしいつもとは様子が違って真剣な表情の塩見さんに対して、茶化すようなマネはできないので真剣に答える。

 

 嘘偽りのない、俺が素直に思った言葉を口に出す。

 

 

「"妹"みたいで可愛いなって思うよ。あっ、でも今のはあくまでも俺が一方的に思ってるだけだからさ、ありすちゃんには内緒の方向で」

「妹……か。まぁそうだよねぇ」

「塩見さん?」

「……んーん、何でもないよ。ごめんね急に変なこと聞いたりして」

 

 

 その意味深な態度に何か引っかかる所はあるが、塩見さん本人が何でもないと言っているのでこれ以上の追求はやめておこう。

 

 

「じゃあ俺は帰るよ、またね塩見さん」

「はいよ〜」

 

 

 さっきまでの真剣な眼差しは何処へやら、手をひらひらと振る塩見さんは俺がよく知るいつもの飄々とした態度に戻っていた。

 そして俺は塩見さんに背を向けて、振り返ることなく帰路に着いた。

 

 

 

「妹かぁ……難儀やなぁ、ありすちゃん」

 

 

 1人残された塩見さんのポツリとこぼした独り言は誰の耳に届くこともなく、空気と混じり合って静かに消えた。

 

 





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バトル・オブ・バレンタイン

 

 

 今年もこの日がやってきた。いや、やってきてしまったと言う方が俺的には正しい。

 

 学校、街中、あるいは職場までもが異様な緊張感や甘い空気感に染まる。この日、例のブツを彷徨いを求める男連中は、チョコが貰えるのか、貰えるとしたらいつどこで渡されるのかと一日中ソワソワとした生活を送ることになる。

 

 今日一日においてだけは、男のステータスは能力や収入ではなく、チョコを貰えたのかどうかに判断基準が変わる。(家族は除く)

 チョコを貰えれば勝者、チョコを貰えなければ敗者、これがバレンタインの非情なルールなのだ。

 

 

 そして俺はそのどちらなのかと言えば……

 

 

 

「はぁ……まぁ、期待はしてなかったけどさ」

 

 

 

 もちろん敗者である。

 

 いつも通り大学へと行くと、構内では既にチョコのやり取りが様々な場所で多発していた。 

 カップルを始め、仲のいい男女、サークルの先輩後輩など様々な人たちがチョコの受け渡しに精を出す。

 

 俺はと言えば、そんな甘いやり取りを血の涙を流しながら睨みつけ……眺めていただけだ。大学には相葉さんや新田先輩など女子の知り合いが2人だけいて、もしかしたら義理チョコくらいは……なんて淡い期待をしたが、俺を待っていたのは甘いチョコではなくそもそもその2人には会わなかったという残酷な現実だった。

 

 

「まぁ……こんなモンよな」

 

 

 捨て台詞を吐きながら俺は事務所への道を歩いている。俺は恋愛にうつつを抜かさない、真面目に仕事をするんだ! と言い訳をしながらただひたすらに歩く。

 チョコレート効果からか、普段よりも割り増しで甘い雰囲気を放っているカップルを視界の隅に捉えながらもそのまま歩き続ける事数十分、ようやく事務所が見えてきたので俺は逃げるように中に入っていった。

 

 とりあえず千川さんに今日の仕事について何か聞こうと思い、いつも通り千川さんのいる部屋を目指すが……

 

 

「ん?」

 

 

 突然、誰かに見られているかのような感覚を覚えた。しかし後ろを振り返っても廊下が続いてるだけで誰もいない。

 

 

「……気のせいか」

 

 

 バレンタインのせいで変に意識が過敏になっているのかもしれないなと、特に気にすることもなく俺は前を向いて再び歩き出した。

 

 部屋について扉を開けると、いつも通り派手な蛍光色のスーツを着ている千川さんはすぐに見つかった。俺はその背中へと声をかける。

 

 

「千川さん」

「はい? あっ、こんにちは白石くん」

 

 

 俺の顔を確認した千川さんは、いつも通りの可愛らしい笑顔を浮かべた。

 時にこの笑顔、プロデューサーさんの中には恐ろしく見える人もいるらしいのだが、俺には天使のような笑みにしか見えない。一体何があればこの笑顔が恐ろしいモノに見えるのだろうか……?

 

 

「今日は寒いですねぇ」

「ふふっ、まだ2月ですからね。あっ! 2月と言えば今日はバレンタインですけど……」

「うぐっ……!」

「あ、あら…? その反応はもしかして……」 

 

 

 バレンタインという単語を聞いてダメージを受けた俺のリアクションを見た千川さんは、触れない方がよかっただろうかと言った様子で苦笑いを浮かべた。

 

 

「べ、別にいいんですよ! なんなら毎年のことですし、仕事でもしてればすぐ今日も終わりますから!」

「あら、殊勝な心がけですね。そんな真面目でいい子の白石くんには私から……」ゴソゴソ

「えっ!? せ、千川さん……まさか!」

 

 

 ニコニコと、悪戯っぽく笑いながら千川さんは机の引き出しをゴソゴソと漁る。この話の流れからしてアレを期待するのは男として当然のことだろう。

 

 せ、千川さんまさか……俺に義理のチョコをくれるんじゃ…!?

 い、いかんめっちゃドキドキしてきた。家族以外から貰う人生初のバレンタインチョコレートが、年上美人OLからなんて本当にいいのかーーー

 

 

「じゃんっ♪」

「ありがとうございます千川さ……ん?」

 

 

 自分でも引くほどの勢いで、腰を90度曲げてお辞儀をする。しかし俺に差し出された物は想像していた甘いブツではなく、大量の白い紙のような物だった。

 恐る恐る千川さんの顔を見ると、先ほどと変わらずにニコニコと微笑みながら紙を突き出すだけだ。

 

 

「白石くんの言う通りです! そういう寂しさは仕事で埋めちゃいましょう!」ニコニコ

「せ、千川さん…? これは一体……?」

「なにって、会議に使う資料ですよ? 白石くんにはまずこれをコピーしてきてもらおうかと」ニコニコ

「い、いや〜 そういうことじゃなくて……」

 

 

 あ、あれ……これってもしかして……?

 

 

「どうかしましたか、白石くん?」ニコニコ

「い、いや……その、今の流れ的にですね……チョコ、とか貰えたりするのかな〜なんて。は、はははっ……」

 

 

「私が白石くんに渡せる物なんて仕事くらいですよ?」ニコニコ

「す、すんませんしたぁぁ!! 自分調子こいてました! すぐ仕事してきますっ!!」

 

 

 ま、マズったぁぁぁ〜!!!完全に早とちりしちまったよぉぉぉぉっっっ!!!!!

 うぉぉぉぉぉ!! どうしよう、めっちゃ恥ずかしいんだが!?!?

 

 だ、だってあの会話の流れだとチョコくれるのかと思うじゃん!! あの流れで引き出しゴソゴソし始めたらチョコ出すのかと思うじゃん!?!?

 

 

 羞恥から顔を真っ赤に染める俺は千川さんに大きく一礼をしてから、紙の資料を受け取って逃げるように背中を向けて走り出す。

 

 

「白石くーん! コピーが終わったら外の掃き掃除もお願いしまーす! しばらくやったら自分のタイミングで休憩も取ってくださいねー!」

「仰せのままに!」

 

 

 後ろから声をかけてきた千川さんに挨拶をして、今度こそ逃げ去るようにコピー機を目指して走り出した。

 

 くっそ〜! 次話す時なんか恥ずかしいじゃんかよ! チョコ貰えると勘違いしたイタい奴とか思われてたらどうしよう……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ちょっと意地悪しすぎましたかね」  

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 コピーを終え事務所敷地内の中庭に出た俺は、火照った体を冷えた風で冷ましつつ掃き掃除を続ける。

 俺はさっきの恥ずかしい出来事を忘れようと、いつもよりも集中して掃除に力を入れた。

 

 

「ふぅ……ちょっとやりすぎたか?」

 

 

 ようやく一息ついて当たりを見渡すと、中庭にはゴミはもちろん落ち葉の類も一切見当たらなくなっていた。自分で言うのもなんだが、めちゃくちゃキレイになったと思う。

 

 そういえば千川さんがしばらくしたら休憩を取っていいって言ってたな。ちょっとだけ休んで千川さんの所に戻ることにしよう。

 

 

「……ん?」

「……!」サッ

 

 

 その時だった。先ほど感じたのと同じ、誰かに見られているかのような感覚を体に覚える。咄嗟に視線を感じた方に顔を向けると、今度はハッキリと、何かが俺から隠れるように柱の裏に回ったのが見えた。

 

 俺は一度だけゴクリと喉を鳴らし、意を決して何かが隠れた柱目がけて近づいていく。そして柱の前に到着すると、勢いよくその裏側を覗き込んだ。

 

 

「誰だッ…!」

「ひゃい!」

「えっ……」

 

 

 覗き込んだその先では、小さな何かが小動物のような悲鳴をあげる。しかしその何かはよく見ると俺のよく知る人物だった。

 

 

「ありすちゃん?」

「……こ、こんにちは。白石さん……」

 

 

 俺がその人物の名前を呼ぶと、彼女は俺から顔を隠すようにそっぽを向いてしまった。そんなありすちゃんを追尾するように俺は顔を覗き込むが、またしてもそっぽを向いてしまい目を合わせてくれない。

 

 

「どうかしたの? こんな所で」

「べっ、別になんでもありません」

「……ねぇありすちゃん、もしかしてさっきもーーー」

「…! べ、別に白石さんの後なんて着けてませんけど!?」

「俺まだ何も言ってないんだけど……あはは」

「はっ…!」

 

 

 はっとした表情を浮かべたありすちゃんは、真っ赤な顔で俺のことを睨みつける。まるで俺が巧みな話術でハメたみたいになったるけど、今のはありすちゃんが自爆しただけだと思う。

 

 だけどこれでさっきから感じていた視線の正体がありすちゃんだということが分かった。

 わざわざそんな事をするくらいだし何か俺に用があるはずだ。俺は膝を曲げて屈み、ありすちゃんに視線を合わせてなるべく刺激しないように優しく問いかける。

 

 

「ありすちゃん、何かあるなら言っていいんだよ? 別に怒ったり笑ったりなんかしないからさ」

「……そ、その」

「ん?」

「……っ こ、こ……れ…どう、ぞ」プルプル

「え? コレを俺にくれるの?」

 

 

 彼女の震える途切れ途切れの声は、何を言っているのかハッキリとは俺に伝わらなかったが、俺に向けて何かを差し出したことだけは分かった。

 声と同じくぷるぷると震える小さな手には、情熱的な印象を与える赤い色の包装紙に包まれ、その上からブラウン色のリボンで括られた正方形の箱が握られていた。

 

 

 なんだコレは……プレゼント? いや違う。俺は今日誕生日じゃないし、そもそもありすちゃんは俺の誕生日なんか知らない。

 じゃあ一体コレは……? 今日は何かあっただろうか? いや、今日はバレンタインだけど……

 

 

 ん? バレンタイン……バレンタインって、まさかコレって…!

 

 

 

「あ、ありすちゃん! まさか、コレって……!」

「女の子に、貰ったら……嬉しいと、白石さんが……言っていたので。それと日頃からお世話になっていますし……」

「じゃ、じゃあ本当に……!?」

 

 

 目を合わせないまま言葉を紡ぐありすちゃんから箱を受け取る。恐る恐るリボンを解いて中身を覗くと、箱の中には綺麗な形の丸いチョコがいくつか入っていた。

 

 この瞬間、俺の推測が確信に変わる。これはありすちゃんからのバレンタインチョコのプレゼントであると。

 

 

「あ、ありがとう! ありすちゃん!!」

「……! よ、喜んでもらえて何よりです」

「いや本当に嬉しいよ…! まさかありすちゃんからチョコが貰えるなんて……かなりビックリしたけどね、ははっ」

「お、お母さんと一緒に作りました……お口に合うか分かりませんけど……」

「えっ!? じゃあコレ手作りなの!?」

 

 

 う、うぉぉぉぉ!!! なんという事だ! 女の子からチョコを貰うどころか、まさかの手作りチョコレートを貰ってしまったぞ!?!?

 

 それもありすちゃんが、俺がチョコ欲しいって言ったのを覚えていてわざわざ作ってきてくれるとは、なんていい子なんだ……

 

 

「し、白石さん……泣いているんですか…?」

「ゴメン、ちょっとジーンときちゃって。 そ、それよりコレ食べてみていいかな!?」

「今ですか!? 白石さん仕事中なのでは……」

「休憩中だから大丈夫だよ。それに一つだけにしとくからさ」

「……そ、そういうことでしたら……どうぞ」

 

 

 俺はさっそくチョコレートの一つを指で摘み、じっくりと眺めた後に口の中へと放り込んだ。穴が空きそうなほどにありすちゃんに見られているのが少しだけ食べづらいが、今はそんな事は気にせずにソレを噛み締める。

 

 思い切り口の中のチョコを噛み砕くと、頬が溶けるようなチョコの甘さと香ばしいカカオの風味が広がる。しかし次の瞬間には、甘さとは別に爽やかな酸味も感じられた。

 

 

「ん! イチゴだ! イチゴ味のチョコか!」

「……ふふっ、子どもみたいですよ。白石さん」

 

 

 俺のリアクションがおかしかったのか、ありすちゃんは口に手を当ててクスクスと笑った。

 

 そして俺はそのままチョコレートを何度も噛み締めると、いつの間にかソレは口の中で溶けて消え去ってしまっていた。

 数秒間だけチョコレートの余韻を楽しんだ後に、一息ついてありすちゃんに話しかける。

 

 

「ふぅ……美味しかった! 本当にありがとう、ありすちゃん!」ニコッ

「……あっ」

「今すぐもう一個食べたいけど、一気に食べちゃうと勿体ないから残りはまた後で……あれ、ありすちゃんどうかした?」

「い、いえ……なんでも、ない……です」

 

 

 俺は自然と浮かんだ満面の笑みでありすちゃんに礼を告げた。

 しかしありすちゃんの様子が少しおかしい。さっきからずっと赤い頬はより一層強い赤に染まり、ポーッとしていてどこか心ここに在らずといった様子だ。もしかして風邪だろうか…?

 

 

「ありすちゃん、ボーっとしてるけど大丈夫?」

「……だ、大丈夫です。 あのっ、それじゃあ私はそろそろ失礼します……」

「えっ、あぁ……うん」

 

 

 ペコリと綺麗なお辞儀をしたありすちゃんは、放心状態のままで俺に背中を向けて歩き出した。

 

 

「ありすちゃん! チョコありがとうねー! すごく嬉しかったよ!!」

 

 

 数メートル離れた辺りで俺が後ろから叫ぶと、ゆっくりと振り向いたありすちゃんはもう一度綺麗なお辞儀を披露した。

 

 どこかふわふわとした様子のありすちゃんが少しだけ心配だったが、彼女の背中が見えなくなった辺りで俺も休憩を終えて千川さんのいる部屋へと戻ることにした。

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

「千川さん、中庭の掃除終わりました。 次は何をすればいいですか?」

「あら白石くん、おかえりなさい♪」

 

 

 次の仕事は何か、千川さんの指示を仰ごうと事務所の一室を訪れると、デスクの前に座る千川さんが笑顔で出迎えてくれた。

 

 

「お疲れ様です、白石くん」

「いえいえ、それで次の仕事なんですけど」

「あー、その前になんですけどね? さっきは少し意地悪をしすぎたかな〜と思いまして」

「え? 意地悪……ですか?」

「はい、ですから先ほどコンビニでチョコを……あら?」

 

 

 申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる千川さんは再びデスクの中をゴソゴソと漁り始めたが、俺が手に持ったままの箱を見つけると動きをピタリ止めた。

 

 あっ、ヤベ……ありすちゃんにチョコ手に持ったまんまだった。カバンにしまっといた方がよかったな。

 

 

「白石くん、それはもしかして……」

「あー、はい。 実はさっき貰えたんですよ。 自分でも驚いたんですけど」

「おめでとうございます! よかったですね〜!」

「ははっ、ありがとうございます」

 

 

 なんかここまで祝福されると照れくさいな…… まぁありがたいんだけど。

 

 

「……じゃあコレは必要ありませんね」

「何の話ですか?」

「ふふっ、何でもありませんよ? それより〜、そのチョコは誰から貰ったんですか〜?」ニヤニヤ

 

 

 引き出しの中から手を出した千川さんは、椅子に座ったまま肘で俺の横腹を小突く。

 

 

 どうしよう……一応内緒にしておくか。

 

 

「内緒です」

「え〜、教えてくれてもいいじゃないですか〜?」

「ダメです」

「仕方ないですねぇ……でも折角素敵な贈り物をしてもらったんですから、お返しはしっかりしないとダメですよ?」

 

 

 千川さんはそう言って、人差し指をピンと直角に立てた。

 

 お返しか……つまりホワイトデーの贈り物ってことだよな。 母さん以外には返した事なんてないから一体どんな物を送ればいいのか……

 

 

「……まぁ、ちゃんとお返しはしますよ。今はまだ思い浮かばないですけど」

「そうですか、ふふっ。 まぁ白石くんなら心配は無いですね」

「どういう意味ですかそれ……?」

「白石くんみたいな真面目な人なら、その辺はちゃんとやるだろうって話ですよ。さぁ! それじゃあそろそろお仕事の続きしましょうか!」

「そうですね、それじゃあ次の仕事を教えてください!」

 

 

 とりあえずは仕事に戻るかことにしよう。チョコレートを貰えて少しだけ気持ちは浮ついているけど、しっかりと切り替えて仕事に取り掛からないとな。

 

 ホワイトデーのお返しのことは、また今度考えることにしよう。

 

 





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side arisu

 

 

「はい、これで完成よ」

「ありがとうお母さん」

 

 

 お母さんに手伝ってもらいながら作ったチョコレートを箱にしまい、事前に選んでおいた包装紙とリボンで包む。

 完成した贈り物を手で掴み、どこか破けていたりなどの不備がないかを確かめる。

 

 

「そんなに睨まなくても大丈夫よ」

「い、一応確認してるだけだから……」

「まったく、いきなりチョコ作りを手伝って欲しいとか言い出すかと思ったら……そんなに大事そうな贈り物誰に渡すのかしら?」

「べ、別にっ……! お世話になってる人に渡すだけだから…!」

 

 

 エプロンを付けたお母さんが好奇心を含んだ視線を私に向ける。

 そんなお母さんの問いかけに対して反射的に私は強い語気で言い返してしまうが、向こうは全く気にもとめていない様子で優しく微笑むだけだ。

 

 

「まぁ、今はいいか。いつかちゃんと教えてね?」

「……うん」

「さてと、それじゃあ折角だし続けてお父さんのも作っちゃいましょうか」

「お父さんの? あっ……忘れてた」

「ふふっ、お父さん泣いちゃうわよ?」

 

 

 すっかりお父さんの分を失念していた私を見て、お母さんは少しだけ面白そうに声を出して笑った。

 

 

(白石さん、喜んでくれるかな……)

 

 

 ただそんなお母さんの笑い声も今の私にはあまり届いていない。完成された贈り物をジッと見つめて、これを渡した時の白石さんの反応はどんなだろうかと頭の中で想像を膨らませていた。

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

「すぅ……はぁ……お、落ち着いて。普通に渡すだけでいいんだから」

 

 

 2月14日、いよいよバレンタインデー当日がやってきた。

 私はカバンにしっかりとチョコを入れたことを確認して、いつもより異様に長く感じる事務所までの道のりを歩く。

 

 街の中を見渡せばいつもよりもカップルの人たちから出る甘い雰囲気が強くて、それが余計に私の緊張を加速させる。

 

 

「あれ……? あれってもしかして……」

 

 

 もう少しで事務所に到着しようかというその時、見覚えのある人物が数メートル先を歩いているのに気がついた。

 

 

「し、白石さん……」

 

 

 本人を見つけた途端に全身から汗がぶわっと噴き出す。チョコを渡す覚悟はしっかりと決めてきたハズなのに、いざ本人を見つけると心臓がバクバクと騒ぎ出した。

 

 しかしジーッと白石さんを見ていると、ある事に気がついた。1人で街を歩く白石さんはすれ違うカップルを羨むような視線で見つめ、その度にガックリと項垂れている。

 恐らく、いやきっと……ただの推測でしかないけど白石さんはチョコを貰っていないのだと何となく分かった。それだけで私は心の奥底に安堵の感情が湧き出る。

 

 ……別に深い意味はないけど、どうせなら私が初めてを渡したい。深い意味はないけど……

 

 

 

「大丈夫……大丈夫……よしっ」

 

 

 震える体を奮い立たせ、事務所の中に入っていく白石さんの後に続いた。

 

 しかしその時……

 

 

「ん?」

「……っ!」バッ

 

 

 何かを感じ取ったのか突然、白石さんが後ろに振り向いた。私は慌てて側にあった柱の裏に隠れる。

 バクバクとうるさい心臓を必死で抑えつけて息を殺していると、どうやらバレてはいなかったようで白石さんは再び前を向いて歩き出した。

 

 

「はぁ……」

 

 

 ホッとしたのも束の間、また歩き出した白石さんを見失わないように尾行を再開する。 何度も声をかけようかと思ったが、あと少しの勇気が湧いてこない。

 

 そんなふうに私が1人で葛藤をしていると、白石さんはいつもちひろさんがいる部屋の中へと入っていってしまった。

 私は部屋の入り口から中を覗き込み、ひっそりと聞き耳を立てて会話を盗み聞きする。

 

 

「2月と言えば今日はバレンタインですけど」

「うぐっ……!」

「あ、あら…? その反応はもしかして……」

 

 

 挨拶を交わした2人は自然な流れでバレンタインに関する話を始めた。あのリアクション的に白石さんがチョコをまだ貰えてないという推理は適中していたようだ。

 

 しかしその時、いきなりちひろさんが引き出しの中に手を入れてガサガサと何かを漁り始めた。そしてそれを見た白石さんは何かを期待するかのような表情を浮かべる。

 

 

 ま、まさかチョコを……!

 

 

 それはマズい、私が1番先に渡したかったのに先を越されることになってしまう。

 こんな事になるならさっき勇気を出して渡しておくべきだったと、今更遅い後悔をしながら私は2人のことを見つめる。

 

 

「じゃんっ♪」

「ありがとうございます千川さ……ん?」

 

「……ん?」

 

 

 ちひろさんの手に握られた白い紙を見て、私は白石さんと全く同じリアクションをする。

 でもどうやら、ちひろさんは白石さんにチョコを渡す訳じゃないらしい。張り詰めていた緊張が一瞬で解けて、全身から力が抜けるのを感じる。

 

 そして意気消沈といった様子の白石さんは、ちひろさんから紙を受け取って逃げ去るようにその場から立ち去る。それを見て私も慌てて白石さんの後について行った。

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 あれから小一時間が経過していた。私は今、何かに取り憑かれたような集中力で中庭の掃除をする白石さんを、またしても柱の裏から監視している。

 何度も白石さんのもとへと駆け寄ってチョコを渡そうとしたが、その度に体が固まって動かなくなってしまうというのを何度も繰り返していた。

 

 

 どうしよう……こんな事してないで早く渡すべきなのは分かってる。 それなのにあと一歩足が踏み出せない。

 チョコを渡すこと自体に対する緊張もあるが、もしも喜んでくれなかったらどうしようという不安も私の足を重くしている要因だ。

 

 

「すぅ……はぁ……すぅ……はぁ。 お、落ち着かないと……」

 

 

 このままこうしていても埒があかない。とりあえずバッグからチョコを出して、いい加減声をかけよう。

 あと10秒したら、いやあと15秒したら声をかけーーー

 

 

「ん?」

「……へっ?」

 

 

 頭の中でカウントダウンを開始したその時、先程と同じようにいきなり白石さんがこっちに振り向いた。私はすかさず体を柱の裏に隠すが、今度は完全に勘付かれたようで白石さんはこっち目がけて歩いてくる。

 

 

 ど、どうしようどうしようどうしよう……こ、こっちに来る…!? は、早く逃げなきゃ……いや逃げる必要はないか…!?

 

 

 突然の事態にパニックを起こしていると、気がつけばすぐ後ろにまで接近していた白石さんが、大きな声を出しながら柱の裏を覗き込んできた。

 

 

「誰だ…ッ!」

「ひゃいっ!」

「えっ……」

 

 

 見つかってしまった。私のことを見つけた白石さんは、驚いたようにも安心したかのようにも見れる表情を浮かべていた。

 私は咄嗟に手に持ったチョコを自分の体の後ろに隠し、赤くなった顔も白石さんから隠すように逸らす。

 

 

「ありすちゃん、どうかしたの? こんな所で」

「べっ、別になんでもありません」

「……ねぇありすちゃん、もしかしてさっきもーーー」

「…! べ、別に白石さんの後なんて着けてませんけど!?」

「俺まだ何も言ってないんだけど……あはは」

「はっ…!」

 

 

 し、しまった……つい焦って自白してしまった。

 余計に顔が熱くなる。頭の中が真っ白になって何も考えられない……すると白石さんはそんな私を見かねたのか、その場に屈んで私に視線を合わせた。

 

 私を落ち着かせるために……優しく、ゆっくりと、微笑みながら声をかけてくれる。そんな白石さんの優しさに、胸の奥底に小さく火が灯るような暖かさを覚えた。

 

 

 ……渡さなくちゃ。 ここで、今。

 

 

 震える腕にムチを打って無理やり動かす。私は手に握った赤い箱を白石さんの方に向けて差し出した。

 

 

「……っ こ、こ……れ…どう、ぞ」プルプル

「え? コレを俺にくれるの?」

 

 

 ついに渡した。手作りのチョコレートを。

 

 本当に自分の声かと思うほど掠れた声が出る。心臓がバクバクとうるさい。白石さんがどんな顔をしているのか、怖くて見れない。

 

 

「あ、ありすちゃん! まさか、コレって……!」

 

 

 そう言って白石さんは私の手から箱を受け取った。シュルシュルとリボンを解く音がして、箱の中身を見た白石さんは目を丸くする。

 

 

 ……喜んで、くれただろうか…?

 

 

「あ、ありがとう! ありすちゃん!!」

 

 

 白石さんのその言葉を聞いた途端、私の心を締め付けていた不安や緊張が弾け飛んだような気がした。

 

 あぁ……よかった。 喜んでくれた……!

 

 

「お、お母さんと一緒に作りました……お口に合うか分かりませんけど……」

「えっ!? じゃあコレ手作りなの!?」

 

 

 さらに驚愕の声をあげる白石さん。そして箱の中身をジーッと見つめた後、感極まった様に上を向いたまま両手で握り拳を作って小刻みに震えている。しかもよく見ると目尻には薄らと涙が浮かんでいた。

 

 

「し、白石さん……泣いているんですか…?」

「ゴメン、ちょっとジーンときちゃって。 そ、それよりコレ食べてみていいかな!?」

「い、今ですか!?」

 

 

 目の前で食べられるのは、また違った緊張がある。 何度も味見はしたし平気だと思うが、もしも口に合わなかったらどうしようかと……

 

 しかし気がつくと白石さんは既にチョコの一つを指で摘んでいた。そしてそのまま口を開いて中に放り込むと、モグモグと咀嚼を始める。

 

 

 美味しい……かな? ちゃんと出来たかな…?

 

 

「ん! イチゴだ! イチゴ味のチョコか!」

 

 

 チョコを口の中に入れた白石さんは、まるで子どものように無邪気に笑った。そんな様子がどこかおかしくて、ついつい私も釣られて笑う。

 そしてそのままチョコレートを噛み続けた白石さんは、口の中身を空にして輝くような満面の笑みを浮かべた。

 

 

 

「ふぅ……美味しかった! 本当にありがとう、ありすちゃん!」ニコッ

「あっ……」

 

 

 ドキッ……て、何だろうコレ。

 

 その白石さんの笑みを見た瞬間、私の心がきゅうと締め付けられた。

 鼓動が早まる。でもさっきまでの緊張から来るモノとはまるで違う。

 

 苦しい、切ない、嬉しい。 私は形容し難いその初めての感情を噛み締める。

 体が熱い、白石さんの顔を見ると、喜んでくれているその顔を見ると胸のドキドキが止まらない。

 

 

「ありすちゃん、ボーっとしてるけど大丈夫?」

「……だ、大丈夫です。 あのっ、それじゃあ私はそろそろ失礼します……」

 

 

 もう無理だ。これ以上ココに、彼の前にいたら心臓が爆発してしまう。

 

 私は文字通り逃げ去るようにその場から歩き出したが、後ろから白石さんが声をかけてくるのでお辞儀で返事をする。

 そして白石さんから離れた場所で、心を落ち着かせるために大きく息を吸って吐く。

 

 

「……これって、やっぱり」

 

 

 激しい心臓の音はまだ治まらない。

 

 私は気づいてしまった。いや、彼に気づかされてしまった。このドキドキの正体を。

 

 

「私、私は……」

 

 

 白石さんのことが、好きなんだ……と。

 

 

 これまでは必死に否定していたその事実も、一度気づいてしまえば驚くほど胸にストンと入ってきた。

 もしかしたらもう、しばらく前から私はこの思いに本当は気づいていたのかもしれない。ただ気づかないフリをしていただけなのかもしれない。

 

 

「好き、好き……か」

 

 

 あぁ……次会った時から、私はどう接すればいいんだろう?

 

 

 





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初恋の味はいちご味

 

 

 ありすちゃんからチョコを貰った翌日、俺は事務所の中で鷺沢さんとその事について会話をしていた。

 

 

「そうですか。 ありすちゃんがチョコを……」

「そうなんですよ! 俺もうめちゃくちゃ嬉しくって……!」

 

 

 興奮気味に話す俺を見た鷺沢さんは、小さく息を吐いてクスリと笑った。そんな彼女の反応を見た俺は何だか無性に恥ずかしくなってきて咳払いをする。

 

 い、いかんいかん……確かにチョコを貰ったのは嬉しかったけど、これじゃあ普段からチョコを貰えない奴ってことがバレバレじゃないか。

 

 

「それで……白石さん。 お返しは既にお決まりなのでしょうか…?」

「あー、それなんですよね。 俺お返しなんてこれまで親にしかしたことないんで、女の子ってどういうのを貰ったら嬉しいのかなって」

「そうですね……私もそういった経験がある訳では無いので、参考になる様な意見を言えるのかは分かりませんが……」

 

 

 そう言って口元に手を当てて考える人のようなポーズを取る鷺沢さん。そんな彼女に釣られて俺も腕を組み目を瞑って考え事を始めるが、中々いい案はポンと出てこない。

 

 バレンタインはチョコを贈るって大体決まってるけど、ホワイトデーの方は割と自由だからこそ迷うんだよなぁ。 うーん……どうしよう。

 

 

「…ホワイトデーのお返しにも、お菓子ごとに意味があると言われていますね……」

「えっ! そうなんですか? お返しのお菓子にそんな花言葉みたいなのあったんですね」

「…ほんの一例ですがキャンディーには『あなたが好き』ですとか……それとは逆にマシュマロには『あなたが嫌い』という意味があるらしいですね」

「怖っ! あの柔らかいマシュマロにそんな意味が込められてるんですか!?」

 

 

 あ、あぶねぇ〜。 一応聞いておいて良かったな……

 もしもありすちゃんにマシュマロを送ったとして、そのお返しの意味をありすちゃんが知ってたら傷つけちゃうとこだったぞ。

 

 

「うーん……でもそうなると余計決めるのが難しくなったような」

「…どうかしたのですか?」

「いや〜なんかお返しに意味があるって知っちゃったから、逆に考えすぎちゃうなって」

「…なるほど」

 

 

 意味があるってことは変な物は贈れない。例えばさっきのマシュマロもそうだし、キャンディーも『あなたが好きです』って意味があるなら告白みたいになっちゃうしなぁ。

 

 

「うーん、悩ましい」

「…まだ期間はあるので、ごゆっくり考えればよろしいかと……」

「そうなんですけどね……ん? あれってありすちゃんじゃないですか?」

「…そうですね」

 

 

 考えが纏まらずに一旦保留を決めたその時、視界の隅にありすちゃんが映った。

 ……でもちょっと様子が変だな。口を小さく開いてボーッとした表情を浮かべるありすちゃん。それはいつもキリッとしてる印象の彼女とは違い、どこか心ここに在らずって感じだ。

 

 

「おーい! ありすちゃーん!」

 

 

「っ……!」ビクッ

 

 

「うぉっ、なんかめちゃくちゃビックリしてたけど……怖がらせちゃったかな」

「…どこか様子が変ですね……」

 

 

 俺が遠くから声をかけると、ありすちゃんは体を大きく跳ねさせた。そしてその場で10秒くらい立ち止まった後に、いつもと変わらぬキリッとした表情でこっちに向かってきたのだが、よく見ると同じ側の手足が同時に前に出ていたりとやっぱり様子がおかしい。

 

 

「お、おはようございます。白石さん、文香さん」

「おはよう、ありすちゃん」

「…おはようございます……」

 

 

 ガチガチのロボットみたいな歩き方で俺たちの前までやってきたありすちゃんは、ぶっ壊れた機械みたいにぎこちない動きでお辞儀をした。

 そんな様子を見て俺はもちろん、鷺沢さんも心配そうな表情を浮かべている。

 

 

「今ちょうどありすちゃんの話をしてたんだよ。ほら、チョコをくれたって話」

「そ、そうでしたか……それは、なんと言いますか……グッドタイミングと言いますか、噂をすれば影と言いますか」

「……ありすちゃん?」

「は、はい! なんでしょうか!」

 

 

「い、いや〜。なんでずっと鷺沢さんの方向いてるのかな〜って」アハハ

「べ、別にそんなことありませんが!?」

 

 

 俺と会話をしているはずのありすちゃんは、此方へと全く顔を向けることなくずっと鷺沢さんの方を向いている。まるで俺と顔を合わせたくないみたいだ。

 しかもその事について指摘をすると、めちゃくちゃ大きな声で反論をしてきた。

 

 

「…ありすちゃん、お顔が赤いようですけど……体調は平気なのでしょうか?」

「へ、平気ですよ文香さん。ご心配なさらず」

「…ですが、尋常じゃない赤さなので……」

「えっ、マジ? そんなに赤いの?」チラッ

 

 

「……っ」フイッ

 

 

 ・・・・・

 

 

「ちょっ!やっぱ俺のこと避けてるよね!?」

「さ、避けてませんが!? 自意識過剰なのでは!?」

 

 

 俺がありすちゃんの顔を覗き込もうとすると、それを避けるかの様に彼女はそっぽを向いてしまう。

 俺のことを避けてるのかと思ったけど、ありすちゃんがそれは自意識過剰だと言う。それが本当なのか確かめるためにもう一回ありすちゃんの顔を覗き込もうとするが……

 

 

「………」チラッ

「……っ」フイッ

 

 

「やっぱり避けてるよね!?」

「だ、だから避けてなんていません!」

 

 

 いやいや、どう考えても避けてるよね! 俺が目を合わせようとする度に顔逸らすもん! 俺と顔を合わせたくないとしか考えられないんだけど!?

 

 

「……ふっ!」チラッ

「……っ!」フイッ

 

「はっ…!」チラッ

「……っ!」フイッ

 

 

 だ、ダメだ……何度やってもそっぽ向かれてしまう。何か理由があるんだろうけど、避けられてるみたいで結構ショックだなぁ。

 

 

「な、何故だありすちゃん……俺、何か怒らせるようなことしたかな…?」ハァハァ

「そんなことないですけど……い、今はダメなんです……」

「ぐぅ……っ」

 

 

 鷺沢さんはよくて何故俺はダメなんだ……?ま、まぁショックだけど、ありすちゃんがダメだって言うんなら大人しく引き下がるしか……

 

 

「わ、わかった。ありすちゃんがダメって言うんなら諦めるよ」

「す、すみません……でも、決して白石さんに怒っているとかそういう訳ではないですから」

 

 

 そう言いながらもありすちゃんは俺に背を向けたままだ。

 

 ……ダメだ、どうしても気になる。 昨日までは普通だったのになんでいきなり顔も合わせてくれなくなったんだ?

 

 

「……ありすちゃん。そういえばさっきすごく美味しそうないちごのスイーツ店を見つけたんだよね。 ほら、これ写真なんだけど」

「えっ、どれですかーーー」

 

 

 かかった!

 

 

「はっ…!」ガシッ

「んなっ!? な、何をするんですか!」

 

 

 いちごのスイーツに釣られて、ようやく俺の方を向いたありすちゃんの肩を優しく掴む。そしてもう逃がさないとばかりにしっかりと目を見て会話を試みる。

 

 

「はっはっは! かかったねありすちゃん!」

「だ、騙したんですか!? 卑怯です!」

「何とでも言うがいいさ! さぁ、何で俺を避けるのか理由を説明してもらおうじゃないか!」

「ひゃっ…! ちょっ……ち、ちかっ、近いです!」

 

「あ、あの……お二人とも、あまり大きな声は……」アワアワ

 

 

 それでも尚、ありすちゃんは俺と全く目を合わせようとしない。それどころかどんどん顔が赤くなっていき伏し目になってしまう。

 

 ぐぅ…! なんで頑なに俺と目を合わせようとしないんだありすちゃん!

 

 

「ありすちゃん! 俺が何かしたなら言ってくれ!」

「あ、あの……本当に、そういうことじゃなくって……あ、あぅ」

「ありすちゃん!」ズイッ

「も、もう……む、無理です…っ」

 

 

 次の瞬間、ありすちゃんの体の辺りから耳をつんざくような音が鳴り響いた。ギョッとした俺が音の発生地へと視線を向けると、ありすちゃんの手には小さな防犯ブザーが握られていた。

 

 

「ぼ、防犯ブザー!?」

「あぅ……ち、近い、近い……です」プシュ-

「ありすちゃん!?」

 

 

 小さく何かを呟きながら、全身から力が抜け落ちたかの様にバランスを崩すありすちゃんの体を受け止める。顔は真っ赤に染まっていてまるでオーバーヒートを起こしたみたいだ。

 

 

「…あの、白石さん。 とりあえずこの音を止めた方がよろしいかと……」

「そ、そうですよね」

 

 

 鷺沢さんに言われた通り、防犯ブザーへと手を伸ばしてピンを再び穴に差し込んだその瞬間……

 

 

「音の発生源はここね! 助けに来たわよ!」

「サイキックテレポートで飛んできました!」

「セクシーギルティー参上です〜」

 

「なんだコイツら!?」

 

 

 物陰から駆けつけてきた3人が俺とありすちゃんの周りを囲む。

 1人はお馴染みのエスパーユッコ、そしてもう1人はいつの日か一回だけ会ったことがある片桐早苗さん。そして最後の子は知らない子だけど……うん、デカいな。

 

 

「ブザーの音が鳴り響く犯行現場には、気を失った幼女とその体を抱く1人の青年……これはギルティね」

「ちょっ! ご、誤解ですよ!?」

「見損ないましたよ白石さん! まさか幼女に手を出すなんて!」

「出してねーわ!」

 

 

 ありすちゃんから引き剥がされた俺は、片桐さんがどこからともなく取り出したおもちゃの手錠のような物で手を拘束される。そしてユッコの取り出した布のような物を頭の上から被せられて何処かへと連行されていく。

 

 

「現行犯で確保ね。話は署で聞くわ」

「ちょ、まっ…! マジで違いますからね!」

「白石さん……いくらモテないからってこんな小さな女の子を狙うだなんて……くふっ」

「おまっ! ふ、ふざけんなよユッコ! ちょっと笑ってんじゃねーか!」

「文香さ〜ん、失礼しまーす」

 

「あ、はい……」

 

 

 突如現れたポンコツ刑事3人に囲まれながら俺は事務所の中へと連行されていく。こんなとこ誰かに見られたら、本当に俺が何か悪さをしたんだと勘違いされてしまいそうだ。

 

 

「お、俺は無実だーーーッ!!!」

 

 

 結局ありすちゃんから避けられる理由も分からず終い、しかも無実の罪で現行犯逮捕されて連行されるなんて……今日はツいてない日だ。

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

「ん……あ、れ…? わたし……どうして」

「…お目覚めですか、ありすちゃん」

「ふみ、かさ………文香さんっ!?」ガバッ

「…まだ、横になっていた方がよろしいかと」

 

 

 目が覚めると、何やら心地良い感覚に包まれていた。脳の活性と共にモヤがかかったような視界が晴れていき、そこには慈愛に満ちた美しい表情で私のことを見つめる文香さんの顔。

 私はビックリして飛び跳ねるように体を起こそうとしたが、それを文香さんに制止される。

 

 

「私……どうして」

「…気を失っていたようですね。まるで機械が熱暴走したかの様でした……」

「そ、そうですか」

「…そして寝言で、ずっと白石さんのことを呼んでいました……」

「んなっ!?」

 

 

 ま、まさかそんな事が……ダメだ、また全身が熱くなってきました。しかもよりによって文香さんにそんな情け無い所を見られるなんて……

 

 

「も、もう大丈夫ですので。ありがとうございました、文香さん」

「…はい。ありすちゃんが元気になって良かったです」

 

 

 そう言って笑う文香さんはまるで女神様のようで……やはり文香さんは私の理想とするべき知的で美しい完璧な女性です。

 

 

「…それで、白石さんを避けていた理由なのですが……」

「うっ」

「…どういった、事情なのでしょうか……?」

 

 

 文香さんの青くて美しい瞳が私の体を捉えて離さない。まぁ確かに、あそこまで露骨に白石さんを避けていれば理由も気になるだろう。

 

 で、でも……まさか好きだから恥ずかしくて顔が見れなかったなんて言える訳がありません!

 ですが、私を心配してくれる文香さんに嘘をついたり誤魔化したりするのは気が引けます。信頼できる文香さんだけになら……私の気持ちを打ち明けてもいいのかもしれない。

 

 

「…ありすちゃん?」

「そ、それはっ……ですね、その……り、理由は……っ」

「…理由は?」

「……す、すっ……す……っ」

 

 

「いや〜ん♡ 大好きなカレの顔が恥ずかしくて見れないよ〜ん♡」

「んなッ!?」

「…周子さん、おはようございます」

 

 

 突如後ろからやってきた周子さんが、私の肩に顔を乗せながら揶揄うようにそう言った。

 

 

「いや〜自覚するのも時間の問題だと思ってたけどさぁ。 これでありすちゃんも立派な恋する乙女だねぇ〜」

「し、周子さんっ!」

 

 

 私は咄嗟に周子さんの口を塞ごうとしたが、軽い身のこなしでひょいと躱されてしまう。

 私の身体能力では周子さんを捕らえることはできないので一旦置いておいて、文香さんへと視線を戻すと彼女は珍しく驚いた表情を浮かべて目を見開いていた。

 

 

「…こ、恋する乙女……ということは、ありすちゃんはまさか……白石さんのことが…?」

「〜〜〜ッッ!!!」

「ほらほら〜、素直に白状しちゃいなってありすちゃ〜ん」

「い、今文香さんには打ち明けようとしてたんです! それを周子さんが掻き乱すから…!」

 

 

 全身が熱い。私の気持ちが文香さんと周子さんに知られてしまった。

 というか何で周子さんは私の気持ちに気づいて……そんなにバレバレだったんでしょうか?

 

 

「…では、本当に白石さんのことが……好き、なんですね」

「……っ」コクリ

 

 

 文香さんの問いに対して私は小さく首を縦に振る。もう頭の中が沸騰しそうで、白石さんだけじゃなく文香さんの顔もまともに見れなくなってきた。

 

 

「…そうですか、先ほどの白石さんに対する態度にはそのような理由が……」

「す、好きだって気づいてから……どうやって白石さんに接すればいいのか、昨日の夜からずっと考えてたんです。でも、実際に白石さんを前にしたら頭の中真っ白になっちゃって……あぅ」

「こりゃガチ惚れだね」

「…そう、ですね」

「〜〜〜ッッ!!!」

 

 

 そ、そんな事……言われなくても自分が1番分かっていますよ。だから困っているのに。

 

 

「でもさ〜、いつまでも避ける訳にはいかやいよねぇ〜ん。 それじゃあ進展もしないし」

「うぐ……っ、それはそう……ですけど」

「ん〜、これは荒治療が必要だね。ありすちゃん来週の土曜は予定ある?」

「別にありませんけど……しゅ、周子さん一体何を……?」

 

 

 そう言って周子さんはニヤリと笑った。全身に嫌な予感がピリピリと伝わってくる。

 すると周子さんはスマートホンを取り出して誰かへと電話をかけた。

 

 

「……あ、もしもし白石くん? 今って時間大丈夫〜?」

「し、白石さん…!?」

 

 

 周子さんが電話をかけたのは、つい先ほどまでここに居たハズの白石さんだった。驚く私をよそに周子さんは画面の向こうにいる白石さんとの会話を開始する。

 

 

「えっ? 今取り調べ中? そんなんどうでもいいから……はぁ、今から皆でカツ丼食べる? 何ソレあたしも行きた〜い!」

「…周子さん……」

「はっ! か、カツ丼の話は置いておいて、白石くん来週の土曜日って空いてる?」

 

 

 一瞬だけカツ丼に釣られそうになった周子さんは白石さんに予定の有無を確認する。というか取り調べにカツ丼って……今白石さんはどんな状況下にあるんだろう。

 

 

「空いてる? そっか、それなら◯◯駅の前に集合ね〜。 え、何するのかって? それは来てからのお楽しみってことで〜」

 

 

 そして電話を切った周子さんは、私に向けて親指をグッと立てた。

 

 

「デートの約束取り付けておいたよ〜ん」グッ

「デッッ!?」

「…なるほど、今のは周子さんとの約束ではなく……ありすちゃんとの約束だったのですね」

「そうそう、てかあたし土曜は仕事だし」

 

 

 あっけらかんとした態度で周子さんは答えた。

 

 そ、そそそそそんないきなりデートだなんて! い、いきなりすぎますよ…!

 

 

「ちゃんとおめかしして行くんだよ〜」

「…ファイトです、ありすちゃん……」

「そ、そんないきなり……」

 

 

 こうして勝手に取り付けられた約束のデートへと私は赴くことになってしまった。

 

 ま、まだ緊張して顔も見れないのに……いきなりデートだなんて、私はいったいどうすればいいんでしょうか…?

 

 

 





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どうしようもない程に、愛おしい

 

 

 

「そろそろかな……」

 

 

 先日、塩見さんから突然取り付けられたお出かけの約束。俺はその集合場所である駅の前で塩見さんのことを待っている。

 いや、でもよく考えたら塩見さんだけが来るのかは分からない。何人で来るのか、どこに行って何をするのかなど俺は何も聞かされていないというのが現状だ。聞かされてるのは今日ここで待っていろという事だけ。

 

 

「……何すんのかねぇ」

 

 

 待ち合わせ時間15分前になったその時、向こうの方から見覚えのある人物が俺に向かって歩いてきているのを見つけた。

 

 

「あれ、ありすちゃん?」

「……こ、こんにちは。白石さん」

 

 

 モジモジと動き、髪の先を指で弄り回しながら挨拶をするありすちゃん。相変わらず目を合わせてはくれない事がやっぱりショックだ。

 

 

「ありすちゃんも塩見さんに呼ばれたんだね」

「……そ、その事なんですけど」

「ん? あ、ごめんちょっと待って。塩見さんからメールだ」

 

 

 ポケットの中で振動するスマホを取り出すと塩見さんからのメール。画面にはとても簡素な文章で行けなくなったとだけ記載されていた。

 

 

「え、塩見さん来れなくなったんだって」

「来れなくなったと言いますか、最初から来る気は無かったと言いますか……」

「ど、どういうこと?」

「実は……」

 

 

 ありすちゃんからの説明を聞くとどうやら俺は塩見さんにハメられたようで、元々ここにはありすちゃんと俺だけが集まる予定だったという事らしい。

 

 でもどうしてそんな事を……塩見さんがそんなしょうもない嫌がらせなんかするとは思えないし、何か理由がありそうなんどけどな。

 

 

「俺とありすちゃんを2人きりにした理由か……」ボソッ

「し、白石さん…?」

 

 

 ……はっ! わ、分かったぞ! 2人だけの時間を作ってやるから、ありすちゃんとのぎこちない雰囲気を修復しろっていう塩見さんなりの気遣いだな!

 きっと何かしらの理由でありすちゃんが俺と目を合わせてくれない事を知った塩見さんが、わざわざ一芝居打って俺にありすちゃんと仲直りする機会を設けてくれたんだ!

 

 

「塩見さん……なんていい人なんだ」

「あ、あの、白石さん?」

「ん? あ、あぁごめんごめん。ちょっと考え事してたからさ」

「そ、それならいいですけど」

 

 

 さてと、問題はどうやってありすちゃんとの関係を修復するのかだけど……

 

 

「ありすちゃん、これからの事なんだけど」

「は、はいっ……なんでしょうか」フイッ

 

 

 とりあえず話でもしながら考えようと思ったが、やっぱりありすちゃんは俺が声をかけるとそっぽを向いてしまう。

 どうしたものかと何気なくありすちゃんのことを見つめていたが、ふと彼女の姿にいつもと違う違和感を覚えた。

 

 

 あれ、なんかいつものありすちゃんと違うような……あっ、髪の毛か!

 

 

 よく見ると、ありすちゃんの特徴の一つでもある綺麗な黒髪の先が少しだけカールされている。しかもそれだけじゃなくて、唇にも少しだけ色付きのリップが塗られているようだ。

 

 

「ありすちゃん、その髪って……」

「……! い、いえこれは……その、そういう気分だったので」

 

 

 そう言ったありすちゃんは、俯きながら自然にカールされた毛先をくるくると指で弄くり回した。そんな仕草が可愛らしくて思わず微笑んでしまう。

 

 

「あっ、それと服も可愛いね。 俺あんまりファッションとかよく分かんないから上手く言えないけど……似合ってるよ」

「あ、ありがとう……ございます」

 

 

 ありすちゃんはひざ丈のニットワンピースの上に、白くてもこもこのカーディガンを羽織っている。そして後頭部にはベレー帽のようなものがちょこんと被せられている。

 少なくとも俺は今まで見たことのない服装だが、なんというかオシャレだなぁって思った。

 

 

「何だか……今日はありすちゃん、凄いお洒落だね。あっ! いや普段も充分お洒落で可愛いと思うけどね!?」

「お、落ち着いてください! 褒めてくれてるのは分かっていますから! そ、それより……変じゃないですか?」

「変なワケないよ。 すっごい可愛いと思うよ」

「…! そ、そうですか……なら、よかったです」

 

 

 嬉しそうなありすちゃんを見てると何だかこっちまで嬉しくなってくるな。

 この調子で今日が終わる頃には、以前までみたいに普通に話せる関係性に戻ってるといいんだけどなぁ。

 

 

「さてと、ありすちゃん」

「は、はい?」

「折角集まったのにこのまま何もせず解散ってのは寂しいからさ、これから俺とどっかに遊びに行かない?」

「も、もちろんです…!」

 

 

 よし、とりあえずどっか行くことは決まったんだけど……どこに行こうか。 ありすちゃんはどういう所に行ったら楽しんでくれるんだろう?

 

 

「あ、あの! 白石さん!」

「ん?」

「その、行く場所なんですけど。 私に……任せてくれませんか?」

 

 

 絞り出したような声でありすちゃんはそう言った。その時、久しぶりにありすちゃんと目が合ったような気がしたのはきっと勘違いじゃないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

「おぉ〜、美味しそうだね」

「は、はい! そうですね!」

 

 

 あの後カフェにやってきた俺たちは、前々からありすちゃんが目をつけていたというイチゴのパンケーキを食べに来ていた。

 テーブルを挟み向かい合って座る俺たちの前には、シロップと大きくて甘いイチゴがたんまりと乗せられたスフレのパンケーキが置かれている。甘いもの好きにはたまらないだろうなといった感じだ。

 

 

「いただきます」

「い、いただきます!」

 

 

 ナイフで切ったケーキをフォークで刺して口に運ぶ。口の中には程よい甘さとイチゴの酸味が広がって自然と口角が上がってしまう。

 そして視線をケーキから正面に座るありすちゃんへと向けると、若干興奮気味の彼女は目をキラキラと輝かせながらパンケーキを口いっぱいに頬張っている。

 

 

「……ふふっ」

「どうしたんですか?」

「いや〜、美味しそうに食べるなってさ」

「んなっ! あ、あまりジロジロと見ないでください……」

 

 

 顔を赤くしたありすちゃんは照れを隠すようにそっぽを向いてしまう。折角いい感じにリラックスしていたのに余計なことを言ってしまっただろうか。

 

 

「そういえば、前にもこんなことあったね」

「えっ?」

「ほら、前もありすちゃんとこうしてイチゴのスイーツを食べに行ったなって。その時は他にも鷺沢さんとか塩見さんとかいたけど」

「……そうでしたね。ふふっ、なんだか懐かしいです」

 

 

 まぁあの時は俺を入れて6人もの大所帯だったから、今日の2人きりの状態とは結構違うんだけどね。そう考えると、ありすちゃん的には今日も鷺沢さんとかいた方が良かったんだろうな。鷺沢さん大好きっ子だし。

 

 

「今度はまたあの日みたいに、塩見さんとか鷺沢さんとも一緒に遊びに行けるといいね」

「はい、そうですね……で、でも!」

「ん?」

 

 

「……確かに文香さんたちとお出かけするのも楽しいですけど、私は白石さんと2人でいるのも……た、楽しいです」

「あ、ありすちゃん…!」

 

 

 な、なんていい子なんだ……ありすちゃんは天使なのかな?

 

 思わぬありすちゃんの言葉を受けて目頭がジーンと熱くなり泣きそうになるが、俺はそれを隠すために残りのパンケーキを勢い良くガツガツと口に詰め込んだ。

 

 

「ど、どうしたんですかいきなり」

「……ごめんごめん。ちょっとお腹が空いてたからさ」

「そうでしたか……そ、それでしたら私の分もどうぞ」

「いやいや、そんな悪いよ……って、ありすちゃん何を…?」

 

 

 俺の正面に座るありすちゃんは、パンケーキの刺さったフォークを俺の方へと向けてきている。目一杯伸ばされた腕はぷるぷると震え、そんな行為をしている彼女の顔は真っ赤に染まり今にでも爆発してしまいそうだった。

 

 

「ど、どうぞ……」

「いやいや、どうぞと言われましても……」

「ケーキの事でしたら、私1人で食べるには少し多かったので……お気になさらず…!」

「そ、そういう問題じゃないんだけどなぁ」

 

 

 要するに、これはアレだよな? あーんして食べさせようとしてくれてるってことだよな。流石にそれは……こんな小さな子に食べさせてもらってるとか絵面的にもヤバいし、そもそもありすちゃんは急にどうしてこんなことを…?

 

 

「は、早くしてください……」

「いや〜、流石にそれは……くれるって言うんなら自分で食べるからさ。あはは……」

「つ、つべこべ言わずに早く食べてください! 恥ずかしさで気絶しますよ! 私が!」

「だったらやめればいいんじゃないかな!?」

 

 

 ど、どういう脅迫なんだそれは。 いやしかし、ありすちゃんが腕を下げる様子は全くないし、この前みたいにオーバーヒートを起こして本当に気絶されたら大変だ。ここは俺が折れて早いとこ食べた方がいいのかもしれない。

 

 

「じゃ、じゃあ……いただきます」

「どうぞ……」

 

 

 俺は周りに見られていないことを確認すると、意を決して口を開いてフォークの先のケーキに食いついた。

 

 

「どう、ですか…?」

「いや……うん、まぁ美味しいよ」

「ど、ドキドキ……したりしましたか?」

「えっ? あーうん、ある意味では…?」

 

 

 まぁ、周りの人に見られてないか気になるって意味では……心臓バックバクだったけど。

 

 とりあえず周りには見られていないようでホッと一息をついたが、ありすちゃんはまたしてもフォークにケーキを刺して俺の方へと突き出してきた。

 

 

「でしたら、残りの分もどうぞ……」

「えっ!? いや、もういいって!」

「は、早くしてください! 気絶しますよ!」

「だからそれどういう脅迫ゥ!?」

 

 

 結局、ありすちゃんの勢いに押された俺はその後も4回ほどあーんでケーキを食べさせてもらった。

 

 それにしても……いきなりあーんだなんて、一体どういう風の吹き回しなんだろう…? 俺は揶揄われていたんだろうか? でもそれにしてはありすちゃんの方がダメージを負っていたようにも見えたし……うーん、謎だ。

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

「ありすちゃん、今日は任せてくれって言ってたけど次行くとこも決まってるのかな?」

「はい、もちろんです」

 

 

 カフェを後した俺は、ありすちゃんと並びながら次の目的地へと向かう。

 

 そういえば、いつの間にかありすちゃんは普通に顔を見て話してくれるようになった。まぁこれを言うとまた元の状況に戻っちゃうかもしれないから言わないけど。

 

 

「で、今はどこに向かってるの?」

「……水族館です」

「水族館? へぇ〜」

「い、嫌でしたか?」

「いんや、そんな事ないよ。 もうしばらく行ってないから久しぶりだな〜って」

 

 

 水族館、か……土曜日に駅前で待ち合わせして、その後カフェ行って水族館に行くってなんというかーーー

 

 

「なんかデートみたいだな……」ボソッ

「へっ!?」

「あっ、ごめんごめん。今日のプランってなんかデートみたいだなって思ってさ」

「そ、そうですか……デート、ですか」

 

 

 ……我ながらちょっとキモい発言をしてしまったような気がする。 いくら無意識だったとはいえ、ありすちゃんからすればただ遊びに出かけてるだけなのにデートとか言われたらびっくりするよな。折角普通に話してくれるようになったのにまた下を向いちゃってるし。

 

 でもカフェからの水族館とかって、まさに王道のデートプランって感じだったから思わず口から出ちゃったんだよ……まぁ俺デートしたことないけど。

 

 

「あ、あの……白石さんは、私とデートするって……どう思いますか?」

「えっ? ど、どういう意味?」

「別に、ただの時間潰しの雑談です。 それじゃあ質問を変えます。 年の差がある恋愛については……どう考えますか?」

「ん? んんー?」

 

 

 ありすちゃんからの問いに対して俺は首を傾げる。 いきなり何の話なんだろうと思ったが、暇つぶしの雑談ってことならそこまで深い意図はないのだろうか。

 

 にしても年の差か……まぁ法に触れなきゃ別にいいんじゃないかと思うけどなぁ。 大人と子どものはダメだけど、大人同士なら年の差があろうと関係ないし……いやでも結局は本人同士が愛し合ってるならいいのか…?

 

 

「ぐ、ぐぬぬ……」

「あの、大丈夫ですか?」

「ごめん、色々と考えてたら頭こんがらがってきて……まぁ月並みな意見になるけど、法に触れないで本人同士が本気で愛し合ってるならいいんじゃないかな?」

「……そうですか」

 

 

 俺の答えに対して、ありすちゃんは平坦な声で一言だけそう呟いた。

 

 か、感情が読めない……俺の今の答えはありすちゃんからして正解だったのか不正解だったのかどっちだ…?

 

 

「あ、ありすちゃんはどう思ってるの?」

「私ですか? 私は……」

 

 

 何か話を繋げないといけないと思った俺は、ありすちゃんにも同じ問いを投げかけた。すると彼女はチラリと俺の顔を見上げた後に前を向きながらゆっくりと語り始めた。

 

 

「私は……否定的でした。以前までは」

「へぇ〜そうなんだ。でも以前はって事は今は違うの?」

「……昔読んだ小説に、教師と生徒が禁断の恋に落ちる話がありました」

「あー、割とドラマとか小説にはよくあるよね。そういうの」

 

 

 俺の言葉にありすちゃんは一言、「そうですね」とだけ答えて静かに笑った。

 

 

「2人の立場や年齢からすれば、その恋を法律や世間が許してくれるはずありません。例え本人同士が本気で愛し合っていたとしても。当時の私もそっち側の意見で、法で禁止されているのならダメに決まっていると思っていました」

「まぁ……そうだよね」

「ですが、例え世間や社会のルールが許さないとしても……自分ではどうしようも無い程に愛おしい人ができてしまった。最近は、そんな感情も間違いではないのかな……と、思うようになりました」

 

 

 お、おぉ……なんというか、ありすちゃんは本当にしっかりしてるな。 俺12歳の頃にこんな事全く考えたことなかったぞ。

 

 

「それで、その小説の話は結局どうなるの?」

「……その2人は、結局結ばれませんでした。ふふっ、まぁ私の予想通りでしたけど」

 

 

 そう言って笑うありすちゃんの横顔は、どこか悲しげな表情をしていた。俺は何故かそんな彼女に対して何を言えばいいのか分からなくて、口から何も言葉が出てこなかった。

 

 

「…………あっ、白石さん。見えてきましたよ」

「おー結構立派だね」

「早速入りましょう!」

「ははっ、そうだね」

 

 

 目を輝かせて水族館の方を指差すありすちゃんは、先ほどまでの大人びた雰囲気とは真逆に年相応の反応といった感じだ。ちゃんと12歳の一面を見るとなんだか安心する。

 

 そして俺たちは水族館の中に入っていくのだが、正直都内の水族館って時点でこじんまりしたモノを想像していたが考えを改めないといけない。中はちゃんと広いし水槽も大きく、アシカなんかが見れるショーの類もやっているようだ。

 

 

「久しぶりに来たけど、やっぱりいいモンだね。 なんというか気分が安らぐよ」

「わかります。 水の中で悠々と泳ぐ魚を見ていると落ち着きますよね」

「……あと魚食べたくなるよね」

「それは全くわかりません」

 

 

 マジか……めちゃくちゃ白い目で見られてしまったぞ。 まぁでも確かに、水族館の食堂で海鮮丼とかあると少しだけ複雑な気分になるのは分かるかもしれない。

 

 と、まぁそんな会話をしながら俺たちは水族館の中を進んでいく。色々な水槽の中で泳ぐ様々な魚やペンギンを見たありすちゃんは楽しそうに笑っていたのだが、その中でも特に熱心に眺めていたヤツがいた。

 

 

「………」ジ-

「ありすちゃん、さっきからすごい見てるけど気に入ったの?」

「そ、そんなに見ていましたか…? ですが、はい。 実は以前お仕事で見たことがありまして……その時に可愛いなと思ったので」

 

 

 そう言ってありすちゃんが見つめる水槽の中には、土の中から細長い体を出して一生懸命に上を向いているニシキアナゴという魚がいた。

 土の中からにょろにょろと沢山のアナゴたちが体を出しているその光景は、俺的には面白いって感じだけどありすちゃん的には可愛いと思ったようだ。

 

 

「ふふっ」

 

 

 ニシキアナゴも確かに可愛いのかもしれないけど、俺からすればソレを夢中になって見つめているありすちゃんの方が可愛らしいと思ったのは内緒の話だ。

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 大方のエリアを回った俺とありすちゃんは水族館の出口にまでやってきていた。 満足感に包まれながら外に出ると既に空はオレンジ色に染まっていた。

 

 

「ふぅ、楽しかった〜」

「ほ、本当ですか?」

「もちろん! 久しぶりの水族館、満喫させてもらったよ。 これもありすちゃんのおかげだね」

「そ、そんなことは……」

 

 

 俺が礼を言うとありすちゃんは顔を赤くして目を逸らすが、この前までの避けられてる感じのやつではないので問題は無い。ただ照れくさかっただけだろう。

 

 

「そういえば白石さん、その紙袋は何なのか聞いてもいいですか?」

「よくぞ聞いてくれたね、ありすちゃん」

「はい?」

「ふっふっふっ……じゃーん!」

 

 

 俺は紙袋から、オレンジと白の縞模様をした大きなニシキアナゴのぬいぐるみを取り出す。ソレを見たありすちゃんは目を丸くしてぬいぐるみを見つめている。

 

 

「ど、どうしたんですかそれ…?」

「さっきお土産コーナーで見かけたからさ。ありすちゃんへのプレゼントだよ」

 

 

 紙袋から取り出したぬいぐるみをありすちゃんに渡すと、彼女はそれをぎゅっと抱きしめながら俺の顔を見た。

 

 

「……あ、ありがとうございます…!」

「いいのいいの、今日はありすちゃんのおかげで俺も楽しかったからさ。そのお礼ってことで」

「で、ですがやはり私だけ貰うというのは……」

「ふっふっふ、実は俺のもあるんだよね」

「えっ?」

 

 

 俺は袋からもう一つのぬいぐるみを出す。ありすちゃんに渡したニシキアナゴのやつとは色違いの青と白の縞模様だ。驚いた顔をするありすちゃんの顔を見て得意げに笑う。

 

 

「なんか俺も欲しくなっちゃってさ。同じやつ買っちゃった」

「そ、そうだったんですか」

「お揃いだね、ありすちゃん」

「っ……!は、はい……!」

 

 

 嬉しそうにぬいぐるみを抱くありすちゃんを見ていると、買ってよかったという気持ちになる。

 今日は俺自身もすごく楽しかったし、ありすちゃんも普通に話してくれるようになったしで良いこと尽くしだな。

 

 

「あ、あの白石さん! この後はーーー」

「あーいや、そろそろ帰ろっか。あんまり遅くなると良くないし」

「あっ………も、もうそんな時間……ですか」

 

 

 名残惜しいけどそろそろお開きにしよう。ありすちゃんみたいな子どもを遅くまで連れ歩く訳にもいかないしな。

 

 

「あ、あの……もう少し、だけ」

「んー俺もそうしたいけどもう遅いから。暗くなると危ないし……なにより今日は俺がありすちゃんの保護者みたいなもんだからさ、責任を持って家まで帰さないとね」

「保護者……です、か……」

 

 

 弱々しく呟いたありすちゃんの声は俺の耳に届かない。俺は前を向いてゆっくりと帰り道に向かって歩き出したのだが……

 

 

 

「さてと、じゃあ帰ろっか……ん?」

「ま、待って……ください」

「ありす……ちゃん?」

 

 

 歩き出そうとした俺の手を、後ろからありすちゃんの小さな手が掴んで離さない。何事かと思って振り向くと、そこには紅潮した頬と潤んだ瞳で俺のことを真っ直ぐ見つめてくるありすちゃんの顔があった。

 

 今まで見たことない彼女のそんな表情を見た俺の心臓は何故かどくんと大きく跳ねた。

 

 

「いや、です……保護者なんて」

「え?」

「……私はもっと、白石さんと…! た、対等な関係で……いたいです!」

 

 

 今にも泣き出してしまいそうなほど悲痛な叫びを上げるありすちゃん。俺の体はいきなりの展開について行けずに固まってしまう。

 

 

「まだ……一緒にいたい、です」

「あ、ありすちゃん? 急にどうしーーー」

「まだ、白石さんと……一緒にいたいんです!」

 

 

 駄々をこねる子どものような事を言い出すありすちゃん。いや、彼女はまだまだ子どもだから別におかしくはないのだが、普段のありすちゃんらしくはない。

 

 

「私が……私が子どもだから早く帰らなくちゃいけないんですか…?」

「あ、ありすちゃん? 何を言って……」

「私が、私がもし白石さんと同じ年齢で、子どもじゃなかったらまだ一緒にいられたんですか…!?」

 

 

 段々とヒートアップしていくありすちゃんを落ち着かせようと、俺は屈んで目線を彼女と同じ高さにする。そして肩を優しく掴み無理やり笑みを作って声をかけた。

 

 

「い、一旦落ち着こっかありすちゃん。 ほら、遊びに行くんならまた今度行けばいいーーー」

 

 

 

 

「好きです」

「……は?」

 

 

 

 え、今なんて……?

 

 

 

「あ、ありすちゃん…?」

「好き、好きなんです…! 自分じゃもうどうしようもないくらい……好きなんです!」

 

 

 な、何……を、言って……

 

 

 俺は固まったままの表情でありすちゃんの顔を見るが、彼女の顔は真剣そのもので全く冗談を言っているような雰囲気ではない。

 

 

 ……ありすちゃんが、俺のことを好き…?

 

 

 





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side arisu

 

 

「あ、あの……周子さん」

「ん? どったの」

 

 

 周子さんが急に取り付けた白石さんとのデー、お、お出かけ。 本当に急だけど、折角行くなら少しくらいは白石さんとの仲を深めたいと思うのは……いけない事でしょうか。

 

 

「その……男性から意識してもらうためにはどのようにすればいいのでしょうか」

「……ふーん」ニヤリ

「っ! や、やっぱり何でもないです!」

「あーごめんごめん、揶揄うつもりは無いってば〜。ちゃんと協力するってば」

 

 

 周子さんは謝りながら手をヒラヒラと動かしている。どうやら本当に協力をしてくれるつもりはあるらしいので、今回は素直に力を借りることにしよう。

 

 

「ん〜、やっぱり男の子に意識してもらうにはドキドキさせるしかないよね〜」

「ど、ドキドキですか」

「うん。 ね〜、文香ちゃん」

「…申し訳ありませんが、そういった類の話には疎いものでして……」

 

 

 小さく挙手をした文香さんは申し訳なさそうな表情を浮かべている。

 流石は文香さん。分からないモノは分からないと素直に意見を述べることのできる心……とても素敵です。

 

 

「具体的なやつだと……さりげないボディータッチとか、あとは色仕掛けとか」

「い、色仕掛け!?」

「まぁ白石くんも男だしね。 やっぱり女の子の体とかには興味津々っしょ」

「…しかし周子さん、そのような事はありすちゃんにはまだ……」チラッ

「文香さん!?」

 

 

 ふ、文香さん!? それって一体どういう意味ですか!?

 

 

「ん? あ、あー……そうだね。 ごめん、ありすちゃん」

「どうして謝るんですか!? 今、どこを見て謝ったんですか!」

「まぁそんな怒んないでよ〜。 ほら、色仕掛けはもうちょい成長してからってことで。ね?」

「くっ……」

 

 

 自分の胸部を手で摩りながら、目の前にいる周子さんと文香さんの胸部へと視線を向ける。衣服の上からでもはっきりと膨らみが見て取れる程の大きさを持った2人のソレは、確かに私のソレとは全く違う……

 

 で、でも私だって今のお2人と同じ年齢になる頃にはきっと…! きっと……きっと……

 

 

「はぁ……」

「ほ、ほらほらありすちゃん! そんな落ち込んでる暇ないよ〜? 作戦考えよっか!」

 

 

 珍しく私に気を使うようにあたふたと手を動かす周子さん、その横では文香さんが高速で頭を上下に揺らして頷いている。

 

 ……そうですね。今は遠い未来の話ではなく、すぐやってくる白石さんとのお出かけに集中しなくては…!

 

 

「周子さん、文香さん……よろしくお願いします」

「うんうん、その意気その意気〜」

「…お力になれるか分かりませんが……尽力致します」

「じゃあまずは服でも買いに行こっか〜、デート用のとびきり可愛いヤツをね〜」

 

 

 こうして、私は周子さんと文香さんのお力を借りて、デートのプランや当日の服装からドキドキさせるためのテクニックなどを学んだ。

 

 力を貸してくれたお2人のためにも、今度のお出かけで絶対に白石さんとの距離を少しでも縮めてやります…!

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 よ、よし……! 多分、大丈夫…!

 

 

 手提げバッグの中にある手鏡を取り出して、今日何度目になるかも分からないチェックをする。

 周子さんたちのアドバイスを参考に選んだ服や、いつもとは違うヘアスタイルも違和感なく馴染んでいる……と思う。

 

 

『彼氏がいたことあるっていうあたしの友達が言ってたんだけどさ、デートの時はいつもと違う自分を見せることで相手をドキドキさせられるんだってさ』

 

 

 周子さんの言葉を思い出しながらもう一度自分の姿を確認する。

 白石さんには見せたことのない綺麗な洋服、そしていつもならやらない毛先のカール。いつもと違う自分にはなれてると思うが、肝心なのは白石さんがドキドキしてくれるかだ。

 

 

「あっ……」

 

 

 到着した待ち合わせ場所には、既に白石さんが立っていた。 そもそも今日私が来ることも知らない彼は、私が1人だけでやって来たらどう思うんだろうか。

 

 ……い、今はそんな事考えてないで早く白石さんのとこへ行かなくては! あまり待たせてもいけません!

 

 

「あれ、ありすちゃん?」

「……こ、こんにちは。白石さん」

 

 

 私に気がついた白石さんは、少しだけ驚いたような顔を浮かべたが、すぐにいつも通りの柔らかい笑みを浮かべた。

 

 ……う、うぅ、やっぱり白石さんの顔がまともに見れない。 あの優しい笑みを向けられるだけで、胸がドキドキして、全身がすごく熱くなってしまう。

 

 

「ありすちゃんも塩見さんに呼ばれたんだね」

「……そ、その事なんですけど」

 

 

 そして私は白石さんに事情を説明する。今日ここに来るのは私だけで、周子さんは来ないのだという事を。

 丁度、タイミングを見計らったかのように周子さんからメールも来たので説明はスムーズに済んだ。

 

 

 さて、ここからが本番だ。 今日は2人きりという事が白石さんにも伝わったのだが、ここからが肝心で、どうにかして白石さんとの仲を進展させなくてはならない。

 

 私がプランを頭の中で思い返しながら復習をしていると、何かに気がついた白石さんは一瞬だけ目を見開いた。

 

 

「ありすちゃん、その髪って……」

「……! い、いえこれは……その、そういう気分だったので!」

 

 

 気付いて欲しかった部分に気付いてもらえた喜びと驚きから、頭の中が真っ白になった私は早口で捲し立てるように言葉を発する。

 しかし、そんな私などお構いなしに白石さんは褒め殺しという名の攻撃を続けてくる。

 

 

「あっ、それと服も可愛いね。 俺あんまりファッションとかよく分かんないから上手く言えないけど……似合ってるよ」

「あ、ありがとう……ございます」

 

 

 あぁ……顔が熱い。 無意識に口元がにやけて、全身がぽわぽわといい気分だ。

 少し褒められただけで我ながらチョロすぎるんじゃないかと思ったけど、嬉しいモノは嬉しいんだから仕方ない。

 

 あれ……そういえばさっきから私の方ばかりがドキドキさせられてる気がする。 私が白石さんをドキドキさせないといけないのに……

 

 い、いや! まだこれからです! 1日は始まったばっかりなんですから!

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

「いただきます」

「い、いただきます!」

 

 

 あれからカフェにやってきた私たちは、机の上に置かれたイチゴのパンケーキを前にして手を合わせる。

 

 ふっふっふ、上手いこと白石さんを私の考えたプランに誘導することができました。 ここから周子さんたちと考えた作戦を実行して白石さんをドキドキ……

 

 

「……っ」ゴクリ

 

 

 お、美味しそうなケーキとイチゴの甘くて芳醇な香りが鼻をくすぐる。

 

 ……せ、折角のケーキですし、ここは一旦作戦は置いておいて食事を楽しむことにしましょう。決して誘惑に負けた訳じゃないですけど。

 

 

「んっ……」モグモグ

 

 

 口の中いっぱいにケーキを運んで何度か咀嚼をすると、生地とクリームの程よい甘さとイチゴの酸味が広がる。

 

 こ、これは……美味しいですね。 やはり私の見立てに狂いはありませんでした!

 

 

「……ふふっ」

「どうしたんですか?」

 

 

 何やら視線を感じたので正面に座る白石さんの方を見ると、彼は食事の手を止めて何か微笑ましいモノを見るかの様に笑っていた。

 

 

「いや〜、美味しそうに食べるなってさ」

「んなっ!」

 

 

 ま、まさかそんなに見られていたなんて。 口いっぱいにケーキを頬張るなんて、子どもっぽく見られてしまっただろうか。

 

 あぁ……私のばか。恥ずかしくて顔が熱い。

 

 

「そういえば、前にもこんなことあったね」

「えっ?」

「ほら、前もこうしてーーー」

 

 

 白石さんが語るのは、以前に文香さんと周子さんと奏さんと飛鳥さんも一緒にイチゴのスイーツを食べに行った時の思い出話だ。

 

 

「今度はまたあの日みたいに、塩見さんとか鷺沢さんとも一緒に遊びに行けるといいね」

 

 

 そう言って白石さんは笑う。 確かにまた大人数で出かけるのも絶対に楽しいだろう。だけど、私はそれだけじゃなくて……

 

 

「……確かに文香さんたちとお出かけするのも楽しいですけど、私は白石さんと2人でいるのも……た、楽しいです」

「あ、ありすちゃん…!」

 

 

 勇気を振り絞って思いを伝える。 心臓はバクバクとうるさい程に元気だ。

 

 "2人で"なんて言葉を強調したから、もしかしたら私が白石さんに好意を持っているのがバレてしまったのではないかと恐る恐る視線を正面に戻すが、彼は何故か感動したかのような表情を浮かべていた。

 そして白石さんはそれを隠すように、いきなり物凄い勢いでパンケーキを口の中に放り込み始めた。

 

 

「ど、どうしたんですかいきなり」

「……ごめんごめん。ちょっとお腹が空いてたからさ」

 

 

 はっ! こ、これは……周子さんの言っていたアレをやるチャンスなのでは!?

 

 

 

『いい? ありすちゃん。 一緒にご飯行くような展開に持ち込んだら、あーんして食べさせてあげるんだよ。そしたら距離も縮まるし、白石くんもありすちゃんのこと意識してドキドキする……はず!』

 

 

 お、訪れてしまいました。そのチャンスが! ですが……あ、あーんなんてそんな恥ずかしいこと本当にやらなきゃいけないんでしょうか。

 

 で、でも……ここで逃げる訳には…!

 

 

「そ、それでしたら私の分もどうぞ」

「いやいや、そんな悪いよ……って、ありすちゃん何を…?」

「ど、どうぞ……」

「いやいや、どうぞと言われましても……」

 

 

 顔が爆発してしまいそうな程の羞恥に耐えながら、フォークにケーキを刺して白石さんの口元へと差し出す。

 想像通りといえば想像通りだが、白石さんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。流石に簡単には食べてくれない。

 

 

「け、ケーキの事でしたら、私1人で食べるには少し多かったので……お気になさらず…!」

「そ、そういう問題じゃないんだけどなぁ」

 

 

 くっ……は、早く食べてくださいよ白石さん! 早くしないと、恥ずかしすぎて私の方が持ちません!

 

 

「つ、つべこべ言わずに早く食べてください! 恥ずかしさで気絶しますよ! 私が!」

「だったらやめればいいんじゃないかな!?」

 

 

 私はもう何がなんだかよく分からないまま、思ったままの言葉を口から吐く。 するとどうやらこの言葉が効果が有ったようで、観念した白石さんは私に向かって大きく口を開いた。

 

 震える腕に鞭を打って私はフォークを彼の口の中に運ぶ。もう辺りの音や声は私の耳に届いておらず、自分の心臓のバクバクとしたうるさい音しか聞こえていない。

 

 

「どう、ですか…?」

「いや……うん、まぁ美味しいよ」

「ど、ドキドキ……したりしましたか?」

「えっ? あーうん、ある意味では…?」

 

 

 む……なんだか煮え切らない返答ですね。ここはもう一押し…!

 

 

「でしたら、残りの分もどうぞ……」

「えっ!? いや、もういいって!」

「は、早くしてください! 気絶しますよ!」

「だからそれどういう脅迫ゥ!?」

 

 

 やはり気絶脅しは有効なようで、白石さんは残りのケーキも私のあーんで大人しく食べきってくれた。

 でも結局、白石さんがあーんでドキドキしてくれたのかは分からず終いだ。私の方はかなりドキドキしたけど……

 

 

 周子さん、文香さん……コレは本当に効果があったんでしょうか…?

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 カフェを出た私たちは、次なる目的地である水族館への道を進んでいる。カフェでお茶をしてから水族館だなんて……これぞまさしく王道のデートなのでは?

 

 って! わ、私ったら何を考えて……! これをデートだと思っているのは私だけで、きっと白石さんからすれば普通に遊びに出かけてるだけなのに。

 

 

「なんかデートみたいだな……」ボソッ

「へっ!?」

「あっ、ごめんごめん。今日のプランってなんかデートみたいだなって思ってさ」

 

 

 突然、横を歩く白石さんが小さな声で呟いた。しかもその発言の内容が私の考えていた事と全く同じだったので、コレに驚くなと言うのは無理な話だろう。

 

 デート、デート……か。 今の発言は、白石さんもそう思っていたってことですよね…? という事は、少しは私のことを意識してくれているんでしょうか。

 

 ……期待しても、いいんでしょうか。

 

 

「あ、あの……白石さんは、私とデートするって……どう思いますか?」

「えっ? ど、どういう意味?」

「別に、ただの時間潰しの雑談です。 それじゃあ質問を変えます。 年の差がある恋愛については……どう考えますか?」

「ん? んんー?」

 

 

 ……少し踏み込み過ぎただろうか。 質問の意図がわからないといった様子で白石さんは唸りながら首を傾げている。

 

 ……でも、大事な質問だから。

 

 

「ごめん、色々と考えてたら頭こんがらがってきて……まぁ月並みな意見になるけど、法に触れないで本人同士が本気で愛し合ってるならいいんじゃないかな?」

「……そうですか」

 

 

 白石さんから返ってきたのはそんな答え。社会のルールに触れることはせず、かと言って本人同士の気持ちも尊重する。真面目で優しい、実に彼らしい答えだ。

 

 

「あ、ありすちゃんはどう思ってるの?」

「私ですか? 私は……」

 

 

 そんな白石さんからのカウンターに私は言葉が詰まった。自分では質問をしておいて、自分が聞かれた時の解答を考えていなかったなんて何とも間抜けな話だ。

 

 

「私は……否定的でした。以前までは」

「へぇ〜そうなんだ。でも以前はって事は今は違うの?」

 

 

 そう、今は違う。 違うというよりも、変わった。いや、アナタに変えられた。

 

 

「昔読んだ小説に、教師と生徒が禁断の恋に落ちる話がありましたーーー」

 

 

 2人の立場や年齢からすれば、その恋を法律や世間が許してくれるはずがない。それは当時の私も同じで、法で禁止されているのならダメに決まっていると思っていた。

 でも最近は……そんな周りの目やルールの様な小難しい事がどうでもなくなる程に、愛しい人が出来てしまったという人の気持ちも分かるようになった。

 

 

 何故なら、私も恋を知ってしまったからだ。

 

 

 禁断の恋を題材にした恋愛小説や恋愛マンガ、それと恋愛映画に登場する架空の人物たちが理解できなかった。

 なぜ社会のルールを破る様な、危険な橋を渡ってまで恋に走るのか。実際に作中ではそのせいで社会的に危ない目に遭っている作品もいくつかある。そんな人を見ておかしいんじゃないかと私は思っていた。

 

 でも……おかしいのは、私も同じだった。

 

 

 

 

「それで、その小説の話は結局どうなるの?」

 

 

 自分でも無意識に何かを語っていたらしく、何を口にしていたのか覚えていない。私は白石さんからの問いに対して、少しだけ慌てたのを悟られない様、努めて冷静に答える。

 

 

「……その2人は、結局結ばれませんでした。ふふっ、まぁ私の予想通りでしたけど」

 

 

 フンと鼻を鳴らして強がりを見せる。当時は2人が結ばれなかった事に対してそりゃそうだろうと冷めた意見を持ったが、今改めてその結末を思うと胸が締め付けられた。

 作中での2人は本当に愛し合っていたのに、年齢という理不尽な壁によってその恋はかき消されてしまった。

 

 私の恋も、そうなるのかな……?

 

 

 あぁ……そうならないといいな。なんてどこか他人行儀な考えに浸っていると、視界の先には目的地である水族館が見えてきた。

 私はこの薄暗い気持ちを悟られないように、なるべくいつも通りな自分を演じて白石さんに声をかける。

 

 

「…………あっ、白石さん。見えてきましたよ」

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 水族館は心が落ち着くから好きだ。 薄暗い館内の雰囲気や、水の中でゆらゆらと自由に泳ぐ魚を見ていると自然にリラックスできる。

 

 

「久しぶりに来たけど、やっぱりいいモンだね。 なんというか気分が安らぐよ」

「わかります。 水の中で悠々と泳ぐ魚を見ていると落ち着きますよね」

 

 

 それは横にいる白石さんも同じだったようで、水族館をプランに入れて良かったとバレないように一つ息を吐く。

 

 

「……あと魚食べたくなるよね」

 

 

 すみません、それは全然分かりません。

 

 

 それから私たちは館内を歩き回って、色々な水槽やエリアを見て回った。最初は周りにいる家族連れの人たちやカップルの多さが少しだけ気になっていたけど、白石さんと何気ない会話をしながら魚たちを見ていたらいつの間にか気にならなくなっていた。

 

 やっぱり、白石さんと一緒にいると楽しいな……

 

 ずっとこうして、これからも……一緒にいられたらいいのに。

 

 

 

「あっ……」

 

 

 ふと視線を横に向けるとそこにある水槽の中には、土の中からにょろにょろと長い体を半分だけ出しているニシキアナゴが沢山いた。

 

 前に仕事で見たけど……やっぱり可愛い。

 

 

「ふふっ」

 

 

 ニシキアナゴに夢中な私は、自分の横で静かに笑った白石さんの声に気づかなかった。

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

「ふぅ、楽しかった〜」

「ほ、本当ですか?」

「もちろん! 久しぶりの水族館、満喫させてもらったよ。 これもありすちゃんのおかげだね」

「そ、そんなことは……」

 

 

 白石さんに褒められて恥ずかしくなってしまった私は、つい顔を逸らしてそっぽを向いてしまう。しかしそんな私の態度も白石さんは気にすることなく笑っている。

 

 そういえば、さっきから気になっていた事が一つある。白石さんが手に持っている大きな紙袋は、お土産か何かでしょうか…?

 

 

「そういえば白石さん、その紙袋は何なのか聞いてもいいですか?」

「よくぞ聞いてくれたね、ありすちゃん」

「はい?」

「ふっふっふっ……じゃーん!」

 

 

 得意気な顔で歯を見せ笑った白石さんは、大きな紙袋の中に手を入れて何かを取り出した。

 

 あれは……ニシキアナゴのぬいぐるみ…?

 

 

「ど、どうしたんですかそれ…?」

「さっきお土産コーナーで見かけたからさ。ありすちゃんへのプレゼントだよ」

 

 

 そう言って白石さんは私の手にソレを渡してくる。私はソレを力強く抱きしめて白石さんにお礼を言うと、彼は嬉しそうに笑った。

 

 

 プレゼント……白石さんから、私に……

 

 

 

「っ……」

 

 

 あぁ……嬉しいな。 我ながら単純すぎて嫌になるけど、好きな人からプレゼントを渡されたという事実が嬉しくてたまらない。

 

 

「実は俺のもあるんだよね」

「えっ」

 

 

 すると白石さんはもう一つ、私とは色違いのぬいぐるみを取り出して自分の手に抱いた。

 

 

「お揃いだね、ありすちゃん」

「っ……!は、はい……!」

 

 

 どくん、と心臓が大きく跳ねる。"お揃い"という単語を聞いただけなのに、私の心はそのただの単語によって大きく掻き乱されてしまう。

 

 ぬいぐるみの柔らかさを確かめるように、手のひらで左右からニシキアナゴを圧迫して遊んでいる白石さんを見る。ただそれだけのことなのに、元々うるさい鼓動が更にうるさくなる。

 

 

 あぁ……どうしようもない。 もう、自分じゃどうしようもない程、好きっていう気持ちが抑えられない。

 

 

 もっと、一緒にいたい。

 

 

「あ、あの白石さん! この後はーーー」

「あーいや、そろそろ帰ろっか。あんまり遅くなると良くないし」

 

 

 帰ろうと言われただけなのに、私の心はキュッと締め付けられてズキズキと痛む。

 

 そうか、もうそんな時間だったのか。まだ一緒にいたいのに……もっと、白石さんと話していたいのに。

 

 

「あ、あの……もう少し、だけ」

「んー俺もそうしたいけどもう遅いから。暗くなると危ないし……なにより今日は俺がありすちゃんの保護者みたいなもんだからさ、責任を持って家まで帰さないとね」

「保護者……です、か……」

 

 

 ズキン、さっきのやつとは比べ物にならない痛みが胸に走る。それはきっと、白石さんの言った保護者っていう言葉を聞いたからだ。

 

 保護者ってことはつまり、大人と子どもの関係で……白石さんからしてみれば私は特別な女の子でもなんでもなく、面倒を見ているだけの小さな子どもだっていうこと。

 

 

 あぁ……気付きたくなかった。 でも、どこかそんな予感はしていたけど、目を逸らしていた。

 

 

 白石さんからしたら、私はただの子どもなんだ。

 

 

 

 

「さてと、じゃあ帰ろっか……ん?」

「ま、待って……ください」

「ありす……ちゃん?」

 

 

 嫌だ、そんなのは嫌だ。 帰って欲しくない。まだ一緒にいたい。

 

 子どもじゃなくて、1人の女の子として……見てほしい。

 

 

 気付けば私は、白石さんを引き止める様に手を握りしめていた。

 

 

 

「いや、です……保護者なんて」

「え?」

「……私はもっと、白石さんと…! た、対等な関係で……いたいです!」

 

 

 何を言っているんだろう私は。

 

 

「まだ……一緒にいたい、です」

「あ、ありすちゃん? 急にどうしーーー」

「まだ、白石さんと……一緒にいたいんです!」

 

 

 こんなこと言っても、白石さんを困らせるだけなのに。

 

 そんな私の想いとは裏腹に、私の口は一向に止まる気配は無い。

 

 

「私が……私が子どもだから早く帰らなくちゃいけないんですか…?」

「あ、ありすちゃん? 何を言って……」

「私が、私がもし白石さんと同じ年齢で、子どもじゃなかったらまだ一緒にいられたんですか…!?」

 

 

 止まらなきゃ。 これ以上は、ダメなのに。

 

 今日はまだ、そんなつもりじゃなかったのに。

 

 本当はもっと、仲を深めてからのつもりだったのに。

 

 

 

「い、一旦落ち着こっかありすちゃん。 ほら、遊びに行くんならまた今度行けばいいーーー」

 

 

 でも……

 

 

 

 

 

 

「好きです」

 

 

 あぁ……もう止められない。

 

 

 



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最終話 宣戦布告

 

 

 

「………はぁ」

 

 

 いつもと変わらない平和で賑やかな事務所。だけど俺の心は平穏とは程遠く、ザワついた妙な感覚に苛まれている。

 今日のバイト中もそのモヤモヤはずっと付いてきて、仕事にあまり集中できなかった。

 

 

 ……まぁ、何でそうなってるかと言えば原因は明白なんだけど。

 

 

 

『好きです』

 

 

 頭の中で思い返されるのは、先日のありすちゃんの発言。

 赤く染まった頬、俺のことを一心に見つめてくる瞳、絞り出したような震える声、あの時の光景は全部はっきりと俺の瞳に焼き付いている。

 

 

 冗談……じゃあないよなぁ。

 

 

 そういった経験に疎い俺でも分かる。アレが揶揄いや冗談の類ではなかったということを。そもそもありすちゃんがそんな冗談を言う訳がないんだ。

 

 つまり、ありすちゃんは俺のことが本当に好きだっていう事になる。

 

 

「……ふぅ」

 

 

 事務所の敷地内にあるベンチに座りながら、今日何度目になるか分からないため息を吐く。

 

 きっと、勇気を振り絞って言ってくれたんだろう。その証拠に、あの小さな体が壊れてしまうのではないかという程に震えていた。

 だと言うのに、俺はそんなありすちゃんの言葉に何も反応できなかった。 情けないことに、頭の中が真っ白になってフリーズしてしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

『好き、好きなんです…! 自分じゃもうどうしようもないくらい……好きなんです!』

 

 

 そんな彼女の言葉に、俺は機械のように名前を呼びかけることしかできなかった。

 

 

『あ、ありす……ちゃん?』

『……っ』

 

 

 ありすちゃんは一瞬だけハッとした表情を浮かべて口を塞いだが、すぐにまた俺の方を見て真剣な表情に戻った。

 

 

『……本気、ですから』

『えっ』

『し、失礼します!』

『ちょっ、ありすちゃん!』

 

 

 俺に背を向けて全力で走り出すありすちゃん。 俺はそんな彼女の背に声をかけると、一度だけその場に止まってこっちを振り返った。

 

 

『来ないでください…! 今は、1人にしてください』

『そ、そういう訳には……』

『……ふふっ、白石さん。 やっぱりデリカシーが足りてないですよ』

 

 

 振り返ったありすちゃんの顔は、泣きそうな顔で小さく微笑んでいた。

 

 そして俺から逃げるように歩き去っていくありすちゃん。 俺はそんな彼女の後を追いかけることができずに、その場でただただ立ち尽くしていることしかできなかった。

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 あれから3日が経ったが、あの日以降、俺はありすちゃんに会っていない。情けないことに会ってどうすればいいのか全然分からない。

 

 いつまでもこうしてる訳にもいかないって事だけは分かっている。でも、どうすればいいのかはまるで分からない。

 

 

「……はぁ」

 

 

「何回もため息吐いてどうしたの?」

「えっ、渋谷さん?」

 

 

 声をかけられて顔を上げると、そこにはいつも通りの凛とした態度で俺のことを見下ろす渋谷さんが立っていた。

 

 

「隣、いい?」

「あっ、うん」

 

 

 渋谷さんは一声だけ確認を取ると、俺の横スッとに腰を掛けた。 そのまま数秒間だけ沈黙が続いた後、渋谷さんが口を開いて静かに語り出した。

 

 

「何かあったの?」

「……うーん、まぁ、ね」

「話してみなよ。嫌ならいいけどさ」

「渋谷さん……ありがとう」

 

 

 表情を変えず、そっぽを向いたまま渋谷さんはそう言った。一見怖い人だっていう印象を持たれることもあるらしいが、やっぱり渋谷さんは優しい人だ。

 俺は渋谷さんの折角の厚意に甘えて、今悩んでいるという事を話した。もちろんありすちゃんの名前は伏せて。

 

 

「と、いう訳なんだけど」

「ふーん、アンタにもそういう浮いた話あるんだね。私と初めて会った時なんか会話するだけでアタフタしてたのに」

「し、渋谷さん!」

「ごめん、冗談。真面目な話なんだよね」

 

 

 一言謝った渋谷さんは小さく笑う。 そして一息置いてまたゆっくりと語り出した。

 

 

「そんなに悩むことないんじゃない?」

「えっ?」

「アンタの素直な気持ちに従えばいいと思う。 好きなら付き合えばいいし、そうじゃないなら断る。 そんなつもりないのにお情けで付き合ったりするのは良くないと思うし」

「……まぁ、それはそうだよね」

 

 

 俺の素直な気持ちか……俺はありすちゃんのことをどう思っているんだろう。

 

 

「ごめん、私そろそろレッスンだから」

「うん、ありがとう渋谷さん」

「別にいいよ。じゃあまたね」

 

 

 ベンチから立ち上がった渋谷さんは、小さく手を振ってその場を後にした。1人残された俺は、渋谷さんからのアドバイスを思い出しながらありすちゃんのことを思い浮かべる。

 

 

 橘ありすちゃん。 初めて出会った時はあまり打ち解けてなかったけど、ありすちゃんが迷子になったあの事件から少しずつ打ち解けてきた。それからは凄く仲良くなって、俺の前でも良く笑顔を見せてくれるようになった。

 

 素直じゃない態度を出す部分もあるけど、本当は凄く優しくて頑張り屋で、少しだけ寂しがりな女の子。そんなありすちゃんがどこか放っておけなくて、一緒に夕飯を食べる生活を送っていたこともあった。

 後は……俺に初めて手作りのチョコをくれた女の子でもある。2人で遊びに出かけたこともあった。

 

 好きか嫌いかは置いておいても、俺にとってありすちゃんが他の子よりも特別な存在なのは確かだ。

 そんなありすちゃんが俺のことを好きだと言ってくれた。それに対して俺は真剣に考え抜いて返事をする責任がある。

 

 

 

 俺は、ありすちゃんのことを……

 

 

 

「……よし」

 

 

 俺はスマホをポケットから取り出し、ありすちゃんと会うために、彼女へとメッセージを送った。

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 場所は変わって、今俺がいるのは事務所から少し離れた所にある小さな丘の上の公園だ。寒々しい空の下吹く風は冷たくて、地面に落ちている落ち葉がカラカラと転がっている。

 

 そして数十分程待っていると、向こうの坂道からありすちゃんがこっちに向かって登ってくるのが見えた。

 

 

「なんか久しぶりな気がするね、ありすちゃん」

「……はい、そうですね」

 

 

 俺たちは少しだけ距離を空けて対面する。そして互いの顔を見て静かに笑ったが、ありすちゃんの表情からは緊張が見て取れる。だけどそれはきっと俺も同じだ。

 

 

「ふぅ……」

 

 

 一度だけ息を吐いて早速本題に入る。

 

 

「その、さ。 今日ありすちゃんを呼んだ理由なんだけど……」

「は、はい」

「最後に会った時、言ってくれたことなんだけどさ」

 

 

 途切れ途切れに言葉を紡いでいく。俺の言葉を聞いているありすちゃんは、ギュッと拳を握って震えている。

 

 

「あの時は、返事できなくてごめん。情けないけど俺、すごいビックリしてさ」

「い、いえ、いきなり……あんな事言った私も悪いですから」

「でも、嬉しかったよ。俺、女の子に告白とかされたの初めてだったから」

「それは……そうでしょうね」クスッ

「ちょっ、そんなに笑わないでよ」

 

 

 俺の言葉が余程可笑しかったのか、さっきまで張り詰めていた様な表情だったありすちゃんは口に手を当ててクスクスと笑い出した。

 

 ひとしきり笑った後に、話を本題に戻す。

 

 

「ふぅ……それで、返事なんだけど」

「……はい」

 

 

 

 そこまで言って体が固まる。緊張で少しだけカサついた唇が震えて、すぐそこまで出かかった言葉が喉に引っかかって出てこない。

 

 でも言わなきゃいけない。 想いを伝えてくれたありすちゃんのためにも、俺は真剣に答えなくちゃいけない。

 

 誤魔化したりせず、今の、俺の素直な気持ちを……

 

 

 

 

「……ごめん、ありすちゃんの気持ちは嬉しいけど、応えることはできない」

 

 

「……はい」

 

 

 俺の言葉にありすちゃんは、何故か少し微笑みながら一言だけそう答えた。

 

 

 

「ありすちゃんの気持ちは嬉しい、それは本当だよ。でも……」

 

 

「私のこと、そういう対象としては見れないってことですよね」

「……っ! ごめん」

 

 

 言葉が出ない俺を見かねてか、ありすちゃんがそう言った。

 本当なら俺がしっかり伝えなければいけないのに、それをありすちゃんに言わせてしまうなんて我ながら本当に情けない話だ。

 

 

 ……ありすちゃんのことは好きだ。でもそれはきっと親しみに近い感情で、恋愛的な意味のそれではない。

 

 俺はありすちゃんをそういう対象ではなく、小さな子どもとして見ている。それなのに、そんな気持ちで付き合う事はできない。

 

 

「なんとなく気付いてました」

「えっ」

「白石さんが、私のことを子どもとしてしか見ていないことを」

 

 

 ありすちゃんはそう言って笑った。そして自分の腰に手を当てて、得意気な顔でつらつらと早口で語り出す。

 

 

「大体、白石さんは分かりやすすぎるんですから、私が気付かない訳ないじゃないですか」

「……うん、そうだね」

「私にかかれば、全てお見通しですよ。白石さんの、気持ちなんて、最初から分かっていましたよ……そう、最初から……言われなくても、自分で……気付いて……っ」

「ごめん、ありすちゃん」

 

 

 ありすちゃんの言葉が尻すぼみに小さくなっていき、震えたモノに変化していく。

 そんな彼女を見て俺は、ただ機械のように謝罪の言葉を呟くことしかできない。

 

 

「わ、わかって……たんですよ…っ、全部、わかって……だから、悲しくなんて……っ」

「……ありすちゃん」

「お、おかしい、ですね……悲しくないのに、目から、涙が出てきて……変ですよね…っ」

 

 

 ありすちゃんの目尻からじんわりと涙が滲み出てくる。そしてポツポツと頬を伝っていき、やがて大粒になったソレは彼女の顔ぐしゃぐしゃに濡らす。

 涙を流すありすちゃんはゆっくりと俺の方へと近づいてきて、ポカポカと優しく俺の腹の辺りを叩き始める。

 

 

「あ、あんまり……見ないで、ください…っ、白石さんの、せい……ですからね…っ 私が泣いてるのは…っ」

「……うん」

「ぐすっ、なんで、ですかぁ……っ、好きって言ってくださいよっ、私のこと……好きって……言って、くださいよぉ…っ」

「ごめん、ごめんね」

 

 

 ポカポカと力無く拳を振り続けるありすちゃんの涙で、俺の服もぐしょぐしょだ。俺はそんなふうに悲痛な叫びを上げるありすちゃんの背中に手を回してやることしかできない。

 

 俺はありすちゃんが泣き止むまでしばらくの間、そのまま彼女の言葉に返事をしながら背中を撫で続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 

 あれからどれくらいの時間が経っただろうか。ありすちゃんが泣き止む頃にはすっかり空を薄暗い雲が覆い尽くしていた。

 

 涙が止まった、というよりは枯れ果てた様なありすちゃんの目元は赤く腫れているが、どこかスッキリした表情にも見える。

 

 

「ふぅ……すみませんでした。 お見苦しいところを」

「そんなことないよ。見苦しくなんか、全然ない」

「……ふふっ、そうですか。でも、久しぶりにこんなに泣きましたけどスッキリしました」

 

 

 ありすちゃんは一度だけ大きく息を吐くと、空を見上げながらポツリと呟く。

 

 

「私、フラれてしまったんですね」

「……ごめん」

「謝らないでくださいよ。言ったでしょう、なんとなく気付いていたって」

 

 

 自嘲気味に笑ったありすちゃんは、俺の方へと向き直って下から見上げてくる。

 

 

「でも、私諦めてませんから」

「えっ?」

 

 

 予想外のありすちゃんの言葉に、俺は間抜けな声を出してしまった。そんな俺を見て小さく微笑んだありすちゃんは言葉を続ける。

 

 

「白石さんは私のこと嫌いじゃないんですよね?」

「も、もちろん」

「私をフッた理由が、私が子どもだからなんだとしたら可能性が潰えた訳じゃないですから」

「えーっと、それってどういう」

「はぁ……鈍い人ですね」

 

 

 その時、黒い雲で覆われていた薄暗い空から一瞬だけ夕焼けがはみ出した。淡いオレンジ色の光は、まるでスポットライトの様にありすちゃんが立つ場所を照らす。

 

 

「私、絶対に綺麗な大人に成長します」

「えっ? あーうん、ありすちゃんならそうなるよ絶対に」

「そんな私からの告白なら、きっと白石さんも受けてくれますよね?」

「……あっ」

 

 

 ようやく、ありすちゃんの言いたいことが分かった。

 ハッとした表情を浮かべた俺を見て、ありすちゃんは自信満々に笑った。

 

 

「大人になるまで時間はたっぷりとあります。それまでに……」

「……うん」

 

 

 

 

 

 

「絶対に、私のこと好きにさせてみせますから!」

 

 

 

 

 

 その時の、頬を少しだけ赤らめ、歯を見せてニッと笑ったありすちゃんの顔は今まで見てきた中で1番綺麗な表情だった。

 

 どストレートに好意をぶつけてくるのが少しだけ照れくさくて、俺はありすちゃんから顔を逸らす。

 

 

「だから白石さん」

「な、何かな?」

「私が大人になるまで、彼女とか作らないでくださいよ?」

「えっ!? そ、それは……」

「まぁ私がわざわざ言わなくても、彼女なんてできないかもしれないですけど」

「酷い!」

 

 

「ふふっ、白石さんを好きになるのは私だけで充分です」ニコッ

「……!」

 

 

 そんなありすちゃんの言葉を聞いて胸がドクンと大きく跳ねる。

 

 い、いやいや何を照れてるんだ俺は! ていうか、素直になったありすちゃん強いな……

 

 

「もしかして今、ドキッとしましたか?」ニヤリ

「うぇっ!? そ、そんなことないけど!?」

「嘘ですね、挙動が不審です」

「い、いや……それは」

 

 

「ふふっ、これなら……思ったより簡単に白石さんを攻略できてしまうかもしれませんね」

 

 

 ……つ、強い。 一瞬で主導権を握られてしまったぞ。

 

 でも、ありすちゃんが元気になってよかった。 やっぱりああやって自信満々にしている方が彼女らしい。

 

 

「白石さん、少し屈んでください」

「え、こう?」

「ふふっ、そのままジっとしていてくださいね…?」

 

 

 ゆっくりと歩み寄ってくるありすちゃん。そして彼女は俺の肩を掴み、目を瞑って顔を近づけてくる。

 そのあまりにもスムーズで一瞬の出来事に、俺は反応することができなかった。

 

 

 そして、俺の頬に柔らかい感触が一瞬だけ伝わった。

 

 

 

「あ、ありすちゃん…!?」

「……これは、宣戦布告です」

「えっ」

 

 

 

「覚悟しておいてくださいね、白石さん」

 

 

 

 そう言って笑うありすちゃんを見て、俺も思わず笑ってしまった。

 

 覚悟しておけと言うのは、まぁそういうことなんだろう。でも、ありすちゃんはまだ12歳だ。今抱いてる気持ちが薄れて、今後の人生で俺より好きな人が現れるかもしれない。

 

 でも、そん時はそん時だ。むしろ俺は祝ってあげるべきなんだろう。 俺がその時にありすちゃんの事を好きになっていなければの話だけど……

 

 ま、まぁ今はとりあえずそんな先の話ではなく、今後どうやって覚醒ありすちゃんからのアプローチに対応していくのかが問題だ。 正直これから成長していくありすちゃんにさっきみたいな事を言われ続けたら、あっという間にオとされる気しかしない。

 

 そうなったらそうなったで別に構わないんだけど……流石にありすちゃんが子どもの内にそうなったら問題だからな。

 

 

「白石さん、早速ですが女性の好みを教えてください。髪の長さ、スタイル、服装など」

「は、ははは……」

 

 

 俺、耐えられるかな…?

 

 

 

 グイグイと来るありすちゃんから顔を逸らす様に空を見上げると、空を覆っていた雲はいつの間にか消え失せていた……

 

 

 



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epilogue

 

 

 

 俺が346プロでアルバイトしていたあの時から10年が経過していた。

 大学進学と共に上京してきた俺も、すっかり立派なシティーボーイ……いや、ボーイって年齢でもないからシティーマンか? まぁ、何でもいいかそんなの。

 

 大学を卒業した俺はそのまま346プロに就職……なんて事はなく、全く無関係の企業に就職して働いている。 忙しい日々を送っているが、それなりに元気にやっている。

 

 

「じゃあ俺、今日はもう帰るよ」

「えっ? 白石さんもうあがりですか? 何か予定でも……あっ! もしかして女ですか!?」

「女って……まぁ、確かに会うのは女性だけど」

「羨ましいっすね〜!」

「はいはい」

 

 

 ひゅーひゅーと冷やかしてくる後輩を適当にあしらいつつ、コートを羽織って足速に職場を後にした。

 

 今日は……大事な約束があるからな。

 

 

 

 

 

 

 

「いや〜、白石さんが会うっていう女の人ってどんな人かな〜?」

「私、前に白石さんが女性と歩いているところを見かけましたけど、凄く綺麗な人でしたよ」

「マジで!?」

「はい。でもなんというか、女性の方が白石さんにグイグイとアタックしてる感じでしたね。 白石さんはもうたじたじでしたよ」

「あーあー! やっぱ聞きたくない! くそ羨ましいなー!」

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 会社を出て電車に乗ること数十分。目的地を目指して街を歩いていると、広告や街頭ビジョンに見知ったアイドルの子たちが映っているのが視界に入った。

 

 俺がアルバイトしてた時に比べたら、皆かなり成長していて綺麗になったなぁ……俺、あの子と話したことありますよ。なんて言ったら驚かれるだろうか? まぁ言わないけどね。

 

 

 と、そんなくだらないことを考えながら歩き続けていると、目的地である丘の上にある公園へと辿り着いた。坂道を登って行くと、その先には既に1人の女性が待っていた。

 

 

 ……10年前の、あの日とは逆だな。

 

 

 背を向けている女性に声をかけると、女性は腰の辺りまで伸びた綺麗な黒い髪を靡かせて俺の方へと振り向き微笑んだ。

 

 

「こんばんわ、ありすちゃん」

「ちゃん付けされるような歳じゃないと前々から言ってるじゃないですか、白石さん。呼び捨てで、ありすと呼んでくれていいんですよ?」

「いや〜、それは……あはは」

 

 

 少しだけ拗ねたような表情を見せたかと思えば、すぐに微笑みを浮かべ直したこの女性は、紛れもなくあの橘ありすちゃん本人だ。

 

 あの日から10年、22歳になったありすちゃんは宣言通り綺麗な女性に成長していた。いや、もはや綺麗という言葉が陳腐になってしまう程だ。 それくらいの美人さんに育ってしまわれましたよこの子は。

 

 目鼻立ちがくっきりとしていて、幼かった顔立ちはすっかりと大人の女性へと変貌を遂げた。

 小さかった体はすくすくと成長し、今や身長は160台後半はあるらしい。あとあまりジロジロと見るのは失礼だけど、身体つきも女性らしくなった。本人はスレンダーだと気にしているようだが、参考にしている鷺沢さんや速水さんがおかしいだけだと俺は思う。

 

 

「この前の歌番組見たよ。 すごい良かった」

「ふふっ、ありがとうございます」

 

 

 アイドルを数年前に引退したありすちゃんは今、昔から目指していた歌手業を本格的に取り組んでいる。アイドルの頃からの知名度が高いのもあり、世間での人気も結構高い。

 

 

「録画、もう5回くらい見返してるよ」

「嬉しいです、ありがとうございます」

 

 

 俺が褒めるとありすちゃんは誇らし気に、それでいて柔らかい笑みを浮かべた。その表情にはどこか大人の余裕を感じられる。

 昔だったら、ストレートに褒めたりしたら顔を赤くして「そ、そんなことないです!」とか言ってたのに……大人になったなぁ。

 

 

「何回も見返してるのなら既にお分かりかと思いますが、今回の曲はラブソングです」

「えっ? あーうん、そうだね」

「誰に向けて詞を書いたのかは……お分かりですよね?」ニヤリ

「うっ……」

 

 

 あと、少し意地悪になった……

 

 

 こんな感じで、ありすちゃんからの熱烈なアプローチは今も続いている。

 

 中学生になってからありすちゃんは積極的になった。ふんすふんすと気合を入れながらアプローチを仕掛けてくる姿はまだ可愛らしかった。

 

 少しヤバくなってきたのはありすちゃんが高校生になってからだ。高校生になってからの彼女はアプローチの仕方に変化を付けてきた。具体的に言うと、ボディータッチの様なスキンシップがかなり増えた。成長期でスクスクと成長していく彼女からのスキンシップに、ドキっとしたことが無いと言えば嘘になる。

 とはいえその時既に俺は成人済、そこで手を出す訳にはいかない。『ありすちゃんは未成年、ありすちゃんは未成年』と、何回心の中で唱えて自分を律したかは覚えていない。

 

 

 でも、1番ヤバかったのはアレだな。アレは確かありすちゃんが大学生になった頃、いつか遊んだメンバーで久しぶりに遊びに行きたいので、海へ行くための車を出してほしいとの事だったから快く快諾したのだが……当日やって来たのはありすちゃんだけだった。聞けば鷺沢さんや塩見さんたちもグルだったらしく、俺はまんまとハめられたらしい。

 

 結局俺とありすちゃんは2人で海へ行くことになったのだが、水着になったありすちゃんが成長した体をグイグイと密着させてくるもんだから……もう、その、とにかくヤバかった。

 

 アレはもう、本当にヤバかった。マジで手を出しそうになった。 いや、アレは本当にヤバかったよ……今思い出してもヤバいね(語彙力)

 

 

「どうかしましたか? 白石さん」

「へっ!? あ、あーいや何でもないよ!」

「そうですか」

 

 

 そう言うとありすちゃんは微笑みを浮かべていた顔から一変、キリッとした真面目な顔つきになった。テレビの向こうでよく見る表情だ。

 

 

「それで、白石さん。今日お呼びした理由ですが……」

「うん」

「この場所、覚えていますか…?」

「あぁ……忘れる訳ないじゃないか」

 

 

 この場所に来る度に思い出す。10年前のあの日のことを。

 

 

「リベンジに来ました。私の気持ち、改めて聞いてもらえますか?」

「もちろん」

「ふふっ、そうですか」

 

 

 ありすちゃんは一度だけ心を落ち着かせる様に呼吸をする。そして俺の目を一心に見つめながら、頬を薄く桃色に染めて声を発した。

 

 

 

 

「好きです、白石さん。 10年前から……ずっと、ずっと大好きです」

 

 

 

 

 言い終えたありすちゃんは小さく体を震わせる。俺はそんな彼女の震える手を取り、不安に揺れる大きな瞳を見つめ返す。

 

 

 さてと、俺も返事をしないとな。

 

 

 

「ありすちゃん」

「は、はい」

「今年も、バレンタインのチョコくれたよね。ありがとう」

「……は、はい!? な、何の話を……?」

「そのお返しを、しようと思ってね」

「ちょ、ちょっと待ってください! 今はそれより告白の返事を…!」

 

 

 抗議をするありすちゃんを他所に、俺はカバンから青い包装紙に包まれた箱を取り出す。彼女の身につけているリボンと同じ、青色だ。

 

 

「はい、どうぞ」

「……もぅ、強引ですね」

 

 

 納得していない様子ではあるが、渋々ありすちゃんは俺からのホワイトデーのお返しを手に受け取る。そしてゆっくりとリボンを解いていく。

 

 

「……これって」

 

 

 箱の中身は、これでもかと敷き詰められたイチゴ味のキャンディーだ。

 

 

 

 

 

「ホワイトデーのお返しってさ、物によって意味があるらしいんだけど……知ってる?」

「……は、はい、……っ、もち、ろんっ……」 

 

 

 涙を流すありすちゃんの手を再び取り、俺は口を開く。

 

 

 

「ありすちゃん、俺も君のことがーーー」

 

 

 

 

 公園に設置された街灯の光によって映し出される俺たち2人の影が、一つに重なった。

 暗い公園の中を照らす淡い街灯の光は、細やかながら俺たち2人のことを祝福してくれている様だった。

 

 俺たちはその後、時間の許す限りお互いの体を強く抱きしめ合い続けた……

 

 

 






 これにて、橘ありす編終了です。

 


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番外編
海合宿に行こう! 1



 今回の話は番外編です。

 番外編は前回までの凛ちゃん編のような話とは違い、白石くんは誰とのルートにも入っていない、本作30話までのお話の延長線みたいな感じです。




 

 

「海合宿ですか?」

「はい♪」

 

 

 とある夏真っ盛りのある日、俺はいつも通りバイトを終えて千川さんへと業務内容の報告をしていた時に、突然海合宿なる物の存在を聞かされた。

 

 

「予定の合うアイドルの皆さんを連れて、2泊3日で合宿を行うんです」

「合宿ですか……それはもう厳しい練習漬けな感じなんですか?」

「いえいえ、もちろんレッスンもしますけど、しっかりと自由時間も取りますよ? レッスンとリフレッシュを兼ねた合宿ですね」

「へぇ〜、なんかサークルの合宿とかみたいで楽しそうですね」

 

 

 要はつまり、ドキッ☆ 水着のアイドルだらけの海合宿〜! ってことだよな。

 

 うーん……素晴らしい。

 

 

 

「千川さんも行くんですか?」

「いえ、私はこっちでやることがありますから」

「そうですか……じゃあお留守番ってことですね」

「そうなりますね」

 

 

 そう言って千川さんは少しだけ残念そうな表情を浮かべた。

 

 もしかしたら千川さんも海に行きたかったのだろうか…?とか考えていたらその考えは正しかったようで、千川さんは頬に手を置いて語り始める。

 

 

「はぁ……本音を言うと、ちょっとだけ海に行きたかったんですけどねぇ」

「ははは……まぁでもしょうがないですよ」

「そうですよねぇ……いっそのこと海気分を味わうために、事務所に水着でも着て来ちゃいましょうか」

「えぇっ!?」

 

 

 そ、それって…! 水着の千川さんが一日中オフィスで仕事するってことだよな…?

 

 そ、それは……仕事に集中できるのか…?主に男性社員さんたちが。答えは否、できるわけがない。

 

 

 

「せ、千川さん! それはマズいですよ! そんな水着でうろちょろされたら、男性陣は集中できずに仕事の効率落ちちゃいますよ!」

「いや、冗談ですよ?」

「えっ?あ……じょ、冗談…?」

「流石に水着を着て仕事なんてする訳ないじゃないですか」

「……まぁ、そりゃあそうですよね」

 

 

 何だ冗談だったのか。

 

 ……べ、別にガッカリなんてしてないけどね!?

 

 

「ガッカリしました?」

「うぇっ!?」

「どうなんです?」ジ-

「……ちょ、ちょっとだけ」

「ふふっ、白石くんは素直ですねぇ」

 

 

 い、いやだって! そりゃあ……ねぇ?

 

 千川さんの水着見たくない男とかいないよなぁ? この人普通にアイドル並に可愛いし。

 

 

 

「というか、もし私が水着で出勤してきても白石くんは見ることができませんよ?」

「えっ?何でですか?」

「だって白石くんも合宿に行ってきてもらうんですから」ニッコリ

「……は?」

 

 

 ……今何て言ったんだこの人?

 

 俺が合宿に行く?海合宿に…? アイドルだらけの海合宿に…?俺が行く?

 

 

 

 

「えぇぇ〜〜〜っっっ!!!」

「白石くん、ちょっとボリューム下げてくださいね?」

「あっ……す、すみません。 って! そんなこと言ってる場合じゃないですよ! 何で俺がアイドルたちの合宿に行くんですか!?」

「合宿先でも白石くんのお力を借りようと思ってのことですよ? 練習器材の用意に、食事の際の配膳や片付け……それと洗濯とかやることは沢山です」

 

 

 よ、要は合宿先での雑務全部やれってことか? いやまぁ確かに、その程度の雑用にわざわざ社員さんを当てがう必要なんてないけどさぁ……

 

 

「そ、そういうのって合宿所にいるスタッフさんとかがやってくれるんじゃ…?」

「今回の合宿先は場所を提供してくれているだけで、食事の用意以外はほとんどセルフサービスみたいなもんなんですよ」

「え、えぇ……」

「その分お値段はとってもお安いんですよ♪」

 

 

 う、うーん……それなら確かに雑用係は必要、というか便利かもしれないけど……

 

 

「や、やっぱ無理ですよ。だって女性しかいない場所で二泊三日とか気まずいですし……」

「それなら安心してください。ちゃんと数名のプロデューサーさんもついて行くので、男性が白石くんだけなんてことは無いですから♪」

「い、いやぁ……だとしても」

「バイト代、弾みますよ?」ニヤリ

「……!」ピクッ

 

 

 

 な、なん……だと…?

 

 

 

「いつもとは違う場所で、それもわざわざ遠出してもらっての業務ですから。特別手当としてバイト代が上乗せされたり……」

「くっ……!」

 

 

 そ、それはちょっと……いや、かなり魅力的な話だ。

 

 

「ち、因みにどのくらい……」

「耳を貸してください」

「……」

「……」ボソボソ

 

 

 

 

 

 

「行きます!」

「ふふっ、よろしくお願いしますね♪」

 

 

 

 こうして俺の海合宿参加が決定した。

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 

 海合宿当日、俺は事前に受け取った合宿へと参加するアイドルの名簿を持って、バスの前で点呼を行なっていた。

 

 名簿を見る限りかなりの数のアイドルたちが、この合宿に参加するようだ。

 

 

「アー、おはようございます。コウキ」

「あ、おはよう。アーニャさん」

「さん……はいりませんよ?」

「い、いや〜、あはは……」

 

 

 ニッコリと笑って挨拶をしてきてくれたアーニャさんに、『最終奥義:とりあえず笑って誤魔化す』で対応する。

 

 アーニャさんは会うたびにさん付けをやめろって言ってくれるんだけど、アーニャって呼ぶ勇気が俺にはまだないんだよね。

 

 

「アーニャちゃん。白石くん、おはよう」

「ミナミィ! おはようございます」

「おはようございます!新田先輩!」

「えっ……? ちょ、ちょっと白石くん?」

「ミナミはコウキのセンパイですか?」

「そ、そうだけど……そんな先輩なんて……」

 

 

 急に先輩呼びされた新田先輩は困ったように苦笑いを浮かべている。

 

 でも俺と同じ大学で一個上なんだから、それは紛うことなき俺の先輩ってことだよな?だから新田先輩呼びが正しいと思ったんだけど……

 

 

「別に先輩じゃなくても、普通にさん付けとかでいいんだよ?」

「いやでも……やっぱり先輩にはちゃんとした敬意を払わないといけませんし」

「アー、ミナミはコウキのセンパイで、コウキはミナミの……コウハイですか?」

「うん、そうだよ。アーニャさん」

 

 

「じゃあ……コウキはミナミの言うことは全て聞くということですか…?」

「あ、アーニャちゃん!?」

「……そうだよ?」

「えっ! し、白石くん!?」

 

 

 アーニャさんが唐突に何やら訳のわからないことを言い始めたけど、面白そうだから少しだけ乗ってみることにする。

 

 

「ちょ、ちょっとアーニャちゃん何を……!」

「アー、コウハイはセンパイには逆らえないってよく聞きますね…? だからコウキもミナミには逆らえませんね…?」

「……その通りだよ。アーニャさん」

「こ、こら白石くん! アーニャちゃんに変なこと吹き込んじゃダメ! アーニャちゃん純粋で教えられたこと何でも信じちゃうんだから…!」

 

 

 え、何それ可愛い。めっちゃ純粋じゃん。

 

 

「ミナミに……お金を貸してくれって言われたら……貸しますか!?」

「貸すよ。先輩だからね」

「白石くん!」

 

「じゃ、じゃあ……!ミナミにヤキソバパンを買ってこいって……命令されたら!?」

「ダッシュで買ってくるよ。先輩だからね」

「ちょ、ちょっと! アーニャちゃんこれ嘘だからね!」

 

 

「じゃあこの場で脱げって言われたら?」

「脱ぐよ。先輩だからね」

「へ〜? じゃあ私の足を舐めなさい!とか言われたら?」

「舐めるよ。先輩だから……って」

 

 

 

 ん?途中から何か変な話になってるような……ていうか明らかにアーニャさんの声じゃないような……

 

 

「ひゃ〜、すごいね白石くん。まさに忠実なる僕ってやつだ」

「し、塩見さん!?」

「や〜、何か面白そうな話してたからつい」

 

 

 いつの間にか俺の横にはニヤニヤと楽しそうに笑う塩見さんがいた。

 

 

「いや〜すごいね白石くん。先輩の命令なら何でも聞いちゃうんだ」

「い、いや今のはちょっとした悪ノリで……」

「でも流石に足を舐めるのはちょっとどうかと思うな〜? 特殊すぎない?」

「うん、まぁ……流石に足を舐めるってのは言い過ぎたかもしれない。でも世の中にはそれが好きだって言う人がいるもんだよ」

「へ〜……世の中は広いねぇ」

「その通りだね」

「まぁでも……確かに美波ちゃんの足なら舐めたいって人くらいいてもおかしくないかぁ」

「そうだね……」

 

 

 

「ちょっと2人とも?」

 

 

「「ん?あっ……」」

 

 

 少しだけ低い声で呼ばれたので、俺と塩見さんがそっちの方へと顔を向けると……

 

 

「そろそろいい加減にしよっか……ね?」ゴゴゴゴゴゴ

 

 

 ニコニコと爽やかに笑いながらも、背中から目に見えるほどの怒気を放っている新田先輩の姿があった。

 

 

「ミナミィ?どうして耳を塞ぐんですか…?」

「アーニャちゃんは聞かなくていいようなお話だからだよ?」ニコニコ

「……? 聞こえないです……」

 

 

 新田先輩はアーニャさんの後ろに回り込んで耳に手を当てている。

 

 や、やばい……めっちゃ笑ってるのに……なんかすごい怖いぞ。

 

 

「ちょ、ちょっと白石くん……早く謝ってきなよ?」

「お、俺っ!?」

「だって白石くんが変な悪ノリしたからこうなってるんでしょ…?」

「そ、それはまぁ……確かにそうだけど。でも塩見さんが途中から変な流れにしたから……」

「あ、あたしは後から来て便乗しただけだし」

「じゃ、じゃあ2人で謝れば…!」

 

 

「何をコソコソと話しているの?」ニコニコ

 

「「ひっ……」」

 

 

 

 こ、怖っ…! 新田先輩怖いよ! 女神の見てはいけない一面を見ているような気がするよ!

 

 ていうかこの笑顔の圧力どっかで経験したような……あっ、笑顔の時の千川さんの圧力に似てるような……

 

 

「とりあえず2人は後でお説教をしないといけないね?」ニコッ

 

「い、いや〜……美波ちゃん。怒るなら白石くんだけにしといてくれないかな〜って」

「ちょ、塩見さんそれは酷いって!」

 

 

「大丈夫よ、白石くん。ちゃんと2人ともお説教するからね?」ニコニコ

 

 

 ……それは大丈夫って言うんですかね…?

 

 

「じゃあ……今夜覚悟しておいてね♪ 行こっかアーニャちゃん」

「ミナミィ〜、手を離してください〜」

 

 

 そうして新田先輩は、俺たちに死刑宣告を言い残してバスの中へと乗車していった。

 

 

 

「……白石くん」

「……なに?」

「今夜覚悟しておいてね……ってここだけ見たらちょっとドキッとするセリフだね」

「別の意味でドッキドキだけどね……」

「あははっ、上手いこと言うね〜。……今夜どこに逃げようかな」

「逃げたらそれこそ何をされるか……」

 

「「はぁ……」」

 

 

 俺と塩見さんは深い深いため息を吐いた。

 

 

 悪ノリ……良くない。反省しよう……

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 

 その後全員が揃ったことを確認してバスが数台出発した。

 合宿所までは高速道路を使っても車で4時間以上かかるとのことなので、途中でサービスエリアとかに寄ったりして休憩を取るらしい。

 

 

 あ、ちなみに俺はみんなと同じバスじゃなくて、会社から借りた車を運転して1人寂しく合宿所まで向かっている。

 乗っている人間は俺1人だけど、後ろの座席なんかにはこんもりと荷物が積められている。

 

 

「……お、休憩か?」

 

 

 ちょうど良かった……何かトイレに行きたくなってきたとこだったんだよね。流石に漏らしたりしたら洒落にならないし。

 

 俺の前を走るバスがサービスエリアに入っていくのを確認して、俺も同じサービスエリアの中に入っていく。

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 

「ふぅ〜……スッキリした」

 

 

 

 トイレを済ませて駐車場に戻ると、アイドルの子たちは俺と同じようにトイレを済ませたり、サービスエリアの中にあるお店を見て回ったりしていた。

 

 こういうとこにあるお店って地域限定のポテチとかあって面白いよね。俺そういうの見るとついつい欲しくなっちゃうんだよなぁ……

 

 

 

「あ! 白石さんだ〜! やっほ〜」

「おはようございます」

「あ、おはよう。法子ちゃんに水本さん」

 

 

 体をほぐす目的で軽いストレッチをしていると、元気に手をブンブンと振る法子ちゃんと上品に微笑む水本さんが声をかけてくれた。

 

 

「白石さん……腰が痛いんですか?」

「え?あぁ……別に痛い訳じゃないけど、ちょっとした運動をね。体が凝っちゃうからさ」

 

 

 その証拠に、話しながらも腰を少し動かすとバキバキ音が鳴ってる気がする。

 

 

「わかる〜! あたしもずっと座りっぱなしでお尻痛くなっちゃってさ〜!……ってあれ?

白石さんってあたしたちのバスにはいなかったけど、どのバスに乗ってるの?」

「ん? いや俺は1人で車を運転してるからバスには乗ってないよ」

「え〜っ!? そうだったの〜!? 1人で寂しくない?」

「うーん……まぁ寂しくない訳でもないけど、別に1人でも全然平気だよ」

 

 

 人が大勢いる方が楽しい場面もあるけど、それとは別に1人の時間も大切だよね。だから俺は別に1人が苦になるタイプではない。

 

 

「お一人での運転ですし……疲れていませんか?」

「うん。こうやって休憩を取れば全然平気だよ」

「でもやっぱり1人じゃ寂しいよね〜? あ、そうだ! あたしとゆかりちゃんが白石さんの車に乗って一緒に行くってのはどう?」

「嬉しい提案だけど俺の車は荷物がパンパンだからさ、2人が乗るスペースは無いかな?」

 

 

 俺以外にもう1人だけなら何とか乗ることが出来るかもしれないけど、流石に2人を乗せていくのは無理だな。

 

 でもこの2人が真剣に俺のことを案じてくれてるのはすごい伝わるし、その事実がめちゃくちゃ嬉しい。それだけで元気出るよ。

 

 

「そんなに荷物が多いんですか?」

「まぁね。合宿で使うんだろう道具がたくさんあるよ」

「それなら私と法子ちゃんが乗るのは難しいですね……」

「うん。あ、でも水本さんが俺の膝の上にでも座れば何とか2人とも乗れるかも。 なんて、流石に冗談だけどね。あはは」

「ですがそれだと邪魔になって、白石さんの運転に支障をきたしてしまうかもしれません……」

「えっ、ツッコむトコそこなの?」

「ゆかりちゃんってば天然さんだからね〜」

「……?」

 

 

 声を出して笑う法子ちゃんを見て、水本さんは何故笑われているのかわからないといった様子で首をかしげている。

 

 水本さんマジの天然なのか……言葉遣いも丁寧でしっかりしたお嬢様っぽいのに、実は天然ですとかめちゃくちゃ可愛いな。

 

 

「じゃあ、あたしたちはそろそろ行くね?」

「白石さん。くれぐれもご運転にはお気をつけください」

「うんうん! じゃ、また後でね〜!」

「失礼します」

「うん。ありがとう2人とも」

 

 

 俺たちは簡単な挨拶を終えると、法子ちゃんは再び手をブンブンと振りながら……そして水本さんは深く綺麗なお辞儀をしてバスの方へと戻っていった。

 

 そして数分後、2人を乗せたバスとそのほかのバスも動き始めた。

 

 

「よしっ! じゃあ俺も行きますかね」

 

 

 バスがサービスエリアから出ていくのを確認して、俺も出発しようと車のドアを開けた。

 

 

 

「サイキック〜! ギリギリセーフ!」

「ん?」

 

 

 車に乗ろうとしたその瞬間、俺は遠くの方から聞き覚えのある元気そうな声が近づいてくるのを感じた。

 

 

「おや? 私の乗っていたバスが見当たりませんね……広い駐車場はこれだから困ります!」

「……何してんの?ユッコ」

「ん? あ、白石さんじゃないですか!

おはようございます!」

「おはよう。それで……今何をしてるの?」

「休憩を終えたのでバスに乗ろうとしてるんですけど、バスが見当たらなくって……」

 

 

 

「いや、バスならもう行っちゃったけど…?」

「…………えぇっ!?」

 

 

 俺の言葉に対してユッコは、目をひん剥いて驚愕の声を上げた。

 

 

 な、なんでまだここにいるんだ……?

 

 

 





 海合宿の話は何話か続きます。


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海合宿に行こう! 2

 

 

 

「はい、はい……今俺の横にいますよ。はい、大丈夫です。俺が乗っけていくんで。 1人なら何とかなりますよ。はい、失礼します」

 

 

 とりあえず連絡先を知っているプロデューサーさんの1人に連絡を入れておいた。

 ひとまずは俺がこのまま車に乗せていき、次の休憩所で再びバスに合流することが決まったということを横でしょぼくれているユッコに伝える。

 

 

「と、いう訳で俺の車に乗ることになったんだけど……そろそろ機嫌直そうか」

「だ、だって〜! 私を置いていくなんて酷いですよ! 私がいるかいないかなんて簡単に気づきそうなもんじゃないですか〜!」

「まぁ……確かに。声デカいもんね」

「うわ〜ん!」

 

 

 よほど忘れられていたことがショックだったのか、ユッコは大きな声でワンワンと騒いでいる。

 

 まぁ確かに少し不憫ではあるな。何とか機嫌を直してもらうことはできないか……

 

 

 

「あー、まぁそう落ち込まないでよ…… それじゃあ俺が何か買ってあげるからさ、 何か食べたい物とかない?」

「本当ですか!? ごちそうになります!」

「……一瞬で立ち直ったな」

「えっ? あ、あはは……いや落ち込んでたのは本当ですよ!? でも食べ物を買ってくれるのがそれ以上に嬉しいだけです!」

 

 

 立ち上がって胸の前で握り拳を作るユッコ。

 

 ……確かに機嫌が直ればいいなとは思って提案したことだけど、何というか……すごい単純だな。

 

 

「それより乗っけてくれるのはありがたいんですけど、白石さんの車に私が乗るスペースってあるんですか? 見たところ荷物が……」

「……それなんだけどさ、ユッコの言う通り荷物が多くて乗るスペースがないんだよ。 だから俺の膝の上に乗っけていくことになるんだけど……」

「えっ!? ひ、膝の上ですかぁ!? い、いや……さ、流石に私でもそれは少し恥ずかしいと言いますか……」モジモジ

 

 

 うん。普通こういうリアクションになるよな……グッジョブユッコ。俺の期待通りのリアクションだぜ。やっぱり水本さんは特別天然記念生物だ。

 

 

「いや、今のは冗談だから気にしないで。1人くらいなら全然乗れるから」

「えっ!? へ、変なジョーク言わないでくださいよぉ〜!」

「あははっ、ごめんごめん」

「まったく……!」

 

 

 その後はプリプリと可愛らしく怒るユッコに何が食べたいのか聞いて、それを購入して車に乗り込んだのだった……

 

 ちなみに食べ物を購入してやったら、ユッコはまたすぐにご機嫌になっていた。

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 

「ん〜! 美味しいです〜!」

「それはよかった」

「あ〜むっ!」

 

 

 再び高速道路に入り俺がハンドルを握っている横でユッコは、先ほど購入したジャンボフランクフルトに幸せそうな表情を浮かべてかぶりついていた。

 

 さっきまで静かだった車内がいきなり賑やかになったなぁ。

 

 

「いや〜! それにしても白石さんがまだ残っていてくれて助かりましたよ〜」

「ははっ、俺も驚いたよ。バスがもう出ていったのにユッコが走ってきたんだからさ」

「いや!絶対私の方が白石さんより驚きましたよ!」

「何のマウントだよ……」

 

 

 まぁでも、今時はスマホがあるから最悪何とかなるような気もするけどね。本当にスマホって便利。

 

 

「んっ……おいしいです〜!」

「そうかそうか。ゆっくりとお食べ」

 

「ふぅ……それにしてもコレ、おっきいですねぇ。こんなに大きいのは初めてですよ」

「……そうか」

 

「ふぅ……アゴが疲れちゃいますね、コレをずっと食べてると。んっ……あむっ」

「……そ、そうだね」

 

「あっ…! マスタードが落ちちゃいそうです! んっ……ぺろっ」

「……」

 

 

 

 な、何か……食べ方がエロ……

 

 

 い、いやいや! 何を考えてるんだ俺は!

そんな事ない!ただ普通にフランクフルト食ってるだけだからね!?

 

 というか俺は何を意識してるんだよ。相手はユッコじゃないか。実質小学生みたいなもんだぞ!

 いやなんなら中身はありすちゃんとかの方がしっかりしてる可能性もあるな。

 

 

 

「白石さん、先ほどから何やら難しい顔をしていますけど大丈夫ですか?」モグモグ

「あ、あぁ……大丈夫だよ」

「そうですか? ふぅ……ごちそうさまでした! 白石さん、ありがとうございます!」

「ど、どういたしまして……あはは」

 

 

 余程美味しかったのか、食べ終わったユッコは満面の笑みを浮かべながらお腹をパンパンと叩いている。

 

 まぁ……こんなに喜んでくれるなら買ってあげた甲斐があるってものだ。

 

 

 

「あっ! 茜ちゃんからメールが!」

 

 

 ユッコはそう言うとスマホの画面を触って、メッセージのやり取りを開始した。

 

 

 

 …なんか仕方ないとはいえ少し可哀想だな。本来ならユッコも今頃バスの中でアイドルのみんなと楽しくやっていたんだろうな……とか考えると。

 

 

「ユッコ」

「どうしました?」

「あーその……残念だったな」

「え?何がですか?」

「いや何がって……その、本当はみんなと一緒にバスで行きたかっただろうな〜って、なるべく早く次の休憩所で合流できるといいんだけどな」

 

 

 例えば友だちとみんなで旅行に行くのに、自分だけ別行動で現地集合とかになったら……俺だったらやっぱり寂しいと思う。

 

 

「そんなの全然気にしてませんよ? それに白石さんも私のお友達ですから!」

「……ゆ、ユッコ……!」ジ-ン

 

 

 や、やばい……! 何かめちゃくちゃ感動したし嬉しいぞ。

 

 前から分かってはいたけど、めちゃくちゃいい奴なんだよな……ユッコは。今改めて実感したよ。

 

 

「それに私にはサイキックテレパシーがありますからね! 離れていても皆さんとは脳内同士でメッセージのやり取りができますから!

む、むむむむ〜!」

「バスの皆、何て言ってる?」

「………」

「おい、無視すな」

「きょ、今日は少しテレパシーの調子が……」

 

 

 

 ユッコはそんな事を言いながら額に指を当てて唸っている。

 

 俺は一人でいるのも全然嫌いじゃないけど、こうやって誰かと話すのはやっぱり楽しいもんだな。

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 それから1時間くらい経った後に次の休憩所へと到着した俺は、スヤスヤと隣で眠りこけるユッコを起こして皆の元へと送り出した。

 

 

 そして休憩開始から数分後、バスが出発するのを見て俺も車に乗り込もうとしたその時……

 

 

 

「ま、待ってくださ〜い! 白石さん! 置いていかないでくださいよ〜!」

「えっ……ゆ、ユッコ!? 何してんの!?」

「はぁ……はぁ……ふぅ」

 

 

 先ほどの時と同じように、向こうから焦った顔をしたユッコが走ってきた。

 俺の前まで来たユッコは膝に手をついて呼吸を整えている。

 

 

「な、何してんだよ! まさかまたバスに置いていかれたのか…!?」

「お、置いていかれたとか言わないでください! 今回はちゃんとプロデューサーには許可を取っています!」

「はぁ…?」

「さぁ白石さん! 一緒に行きましょう!」

 

 

 するとユッコはさも当然かのように、俺の乗る車の助手席へと乗り込んだ。

 俺は何が何だかよくわからないまま、車に乗り込んでユッコへと話しかける。

 

 

「ちょ、ちょっとちょっと……せっかくバスの皆と合流できたんだから、わざわざ俺の車で行くこともないだろ?」

「何を水臭いことを言ってるんですか! ここまで一緒に来たんですから最後まで一緒に行きましょうよ!」

「……ま、マジ?」

「それにフランクフルトの恩もありますからね! 私が助手席でしっかりとナビをしてあげますよ〜!」

 

 

 ユッコは楽しそうにニコニコと笑っている。そんな姿を見ていると、俺も自然と笑顔が湧いてきた。

 

 

「ナビをしてくれるのはありがたいけど、それなら次は寝ないでくれよ?」

「……善処しま〜す」

「ははっ、じゃあ出発しますか!」

「はい! 合宿所までひとっ飛びです!」

 

 

 そうして俺とユッコを乗せた車は再び高速道路を走り出した。合宿所までは後少しだ。

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

「着きました〜!」

「ふぅ……お疲れ〜」

「いえいえ! 私は乗っていただけですから!お疲れなのは白石さんの方でしょう!」

「そんなことないよ。俺は平気だから」

 

 

 合宿所に到着して車から降りると、駐車場からも見えるくらい近くに海が広がっていた。

 

 うーん……やっぱ海を見るとテンションが上がってくるよね。特別好きな訳ではないけど。

 

 

 

「あ、ほらユッコ。プロデューサーさんが集合をかけてるから行ってきたら?」

「はい! それでは白石さん! また後ほどお会いしましょう!」

「はいよ〜」

 

 

 そう言うとユッコは笑顔でブンブンと手を振り回してアイドルたちが集合している方へと駆けていった。

 

 ……何か元気な犬みたいだな。

 

 

 

 

「やぁ白石くん。運転お疲れ様」

「あ、おはようございます。プロデューサーさんもお疲れ様です」

「裕子のことは申し訳なかったね。白石くんに迷惑をかけてしまったよ」

「いえいえ、俺もその……堀さんと一緒で結構楽しかったですから」

 

 

 俺が1人で体を伸ばしていると、向こうの方から歩いてきたプロデューサーさんの1人が話しかけてきた。

 ちなみにこの人は前にありすちゃんと鷺沢さんと海で仕事した時にいたプロデューサーさんなので顔見知りだ。

 

 

 

「白石くん、この後のことなんだけど」

「あ、はい。俺は何をすれば……」

「とりあえず皆と一緒に合宿所に向かってくれるかな? そこに宿舎の管理人さんがいるから後はその人の指示に従ってほしい」

「わかりました」

 

 

 さて……運転が終わったところで一息ついてる暇はないな。まぁでもバイト代のためにしっかりと働かないとな!

 

 とりあえず宿舎に向かうか。

 

 

 

「おはようございます、白石くん」

「あ、高垣さん。おはようございます」

 

 

 駐車場を出て宿舎までの道を歩き始めた時、突然高垣さんが話しかけてきてくれたのでそのまま並んで宿舎を目指す。

 

 ……相変わらず綺麗な人だなぁ。

 

 

 

「白石くんも合宿に来ていたんですね」

「まぁ……はい。ぶっちゃけて言うとバイト代のためですから、あまり褒められた理由じゃないですけどね」

「そんなことありませんよ? お金を稼ぐために頑張る。至って普通のことです」

「そう……ですね。確かに」

 

 

 やっぱり酔ってないと頼れる綺麗なお姉さんって感じだよなぁ。まぁそれもそうか。高垣さんは25歳で俺より7つも歳上なんだし。

 

 

 

「高垣さんも合宿参加してたんですね」

「はい。海はたのseaですから♪」

「……」

 

 

 シラフでもこのダジャレは健在だけど。

 

 

「冗談は抜きにしても、海って見ていると何だか心が落ち着きますからね」

「そうっすね……海は生命の生みの親だからじゃないですかね」

「まぁ…! お上手ですね♪」

 

 

 高垣さんは俺の放ったしょうもないダジャレに対して、パンと手を叩いてニッコリと笑って喜んでいる。

 

 最近知った高垣さんの生態の一つとして、ダジャレを言った後にダジャレで返したりするとめちゃくちゃ喜んでくれる。というものがある。

 どんなくだらないダジャレでも褒めてくれたり喜んでくれるので、何だか言ってるこっちが気持ちよくなるという効果付きだ。

 

 

 

 とまぁ、そんなくだらない会話をしながら高垣さんと宿舎までの道を歩いた。

 

 宿舎に着いた後、アイドルたちはそれぞれに割り当てられた部屋に向かい荷物を置いめ早速レッスンへと向かった。

 俺も自分に割り当てられた部屋へと向かい荷物を置く。そして宿舎の管理人さんがいるという部屋へと向かう。

 

 

 

「こんにちは白石くん! アタシはこの宿舎の管理人で山田だよ。まぁおばちゃんとでも呼んで頂戴! 皆そう呼んでるから!」

「よ、よろしくお願いします。や、山田さん」

 

 

 宿舎の管理人さん……通称おばちゃんはガハハと大きく口を開けて笑う姿が様になっている恰幅のいい女性だった。

 

 いい人そうで良かった。いやマジでね。

 

 

 

「白石くんのことは好きにコキ使っていいって聞いてるからね! 沢山やる事はあるけど手伝ってもらうよ!」

「わ、わかりました!」

「じゃあまずは……風呂掃除でもお願いしようかね! アタシは夕食の仕込みをしてるから、何か困ったことがあったらキッチンにおいで」

「はい!」

 

 

 そうして俺の仕事が始まったのだった……

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 

「ふぅ〜……疲れたぁ……」

 

 

 時刻は夜の9時。俺は部屋の真ん中に敷かれた布団の上に寝転がり大の字になる。

 

 足を広げると浴衣の隙間からパンツ見えそうになるけど、1人だから何も気にする必要はない。

 

 

 

 ……それにしても初日から中々大変だった。

 

 

 いや全然描写はされてないけど本当に色々とやってたんだよ!

 

 まずめちゃくちゃデカい大浴場の掃除をして、次に玄関と廊下の清掃に備品の補充。

 そしてその次にはおばちゃんの夕食の仕込みを手伝って配膳もした。これがまぁ大変で……理由は至ってシンプルにアイドルの人数が多いからだ。

 

 その後は夕食の片付けを済ませて、おばちゃんと2人で皿洗いをする。その後に作ってもらった賄いを裏でひっそりと食べて自分の部屋に帰り、部屋に付いているシャワーを浴びて今に至るって感じだ。 

 

 

 あ、ちなみに俺の部屋にいるのは俺1人だ。その分他の部屋よりは小さいけど、変にプロデューサーさんたちと同じ部屋とかだと気まずいだろうから助かる。

 プロデューサーさんたちもその辺の事を考えて部屋割りをしてくれたのかもな。

 

 

 そんな訳で俺は誰の目を気にすることもなく、1人でのびのびと布団の柔らかさを堪能していた。

 

 

 

「……喉乾いたな」

 

 

 

 唐突に飲み物が飲みたくなったから俺は、部屋を飛び出して玄関に置いてある自販機の元へと向かった。

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

「あ、白石さん! こんばんは!!!」

「こんばんは〜」

「やっほ〜」

 

「えーっと……あ、ポジティブパッションの3人!」

 

「お、やっと私たちのユニット名を覚えてくれたんだね。しらしー♪」

「ふふっ、嬉しいですね」

「ありがとうございます!」

 

 

 自販機のお茶のボタンを押した瞬間に後ろから声をかけられたので振り返ると、そこには全員漏れなく揃って浴衣姿の本田さん高森さん日野さんの姿があった。

 

 ……浴衣姿の破壊力たるや。やばいね。

 

 

 あ、ちなみに俺の言ったポジティブパッションっていうのはこの3人からなるアイドルユニットの名称だ。

 

 

 

「白石さん、今日は色々と頑張ってくださったんですよね? ありがとうございます」

「い、いやいや! そういう雑用をするために着いてきたんだしね。頑張らないと俺の存在価値が無くなるからさ」

 

 

 高森さんが綺麗にお辞儀をしたので頭を上げてくれるようにお願いする。俺はここに来たバイトとして当然の働きをしただけだしね。

 

 

「それより、3人はお揃いでどうしたの?」

「私たちは風呂上がりだよ〜」

「いいお湯でした!!!」

 

 

 ほぅ……そういえば3人とも少し髪が湿っていて、ほんのり頬がピンク色に染まってるな。

 

 

 ………ふむ。すごい……良いね!

 

 

 

「こらこらムッツリボーイ。いくら未央ちゃんたちの浴衣姿が色っぽいからってガン見は良くないぞ〜?」

「ちょ、ちょっと未央ちゃん……!」

「ムッツリって……何ですか!!!」

 

 

 ニヤニヤと笑いながら人差し指で俺のことを突く本田さん。そんな本田さんを嗜める高森さんに、いつも通りの日野さん。

 

 うーん……3人とも元気だなぁ。

 

 

 

「ちょっと待って欲しい本田さん。俺は別にムッツリなんかじゃないぞ」

「ダウト!」

「いやいや、ダウトじゃなくてだね……た、高森さん、俺って別にムッツリじゃないよね?」

「……」ニコニコ

「えっ……なんで何も言ってくれないの!?」

「走りたくなってきましたぁぁぁ!!!」

 

 

 高森さんは俺の問いかけに対して何も答えることなく満面の笑みでニコニコとするだけだ。

 

 え? まさか俺ってそんなイメージを持たれちゃってるの? もしかしてアイドルさんたちの中で白石=ムッツリ童貞とかいう認識が定着したりしてるの!?

 

 そして日野さんは変わらず元気だ。

 

 

「あ、そうだしらしー?私たちこれからピンチェ部屋でトランプするんだけど一緒にどう?」

「えっ……」

「トライアドの3人も来ますよ!!!」

「どうですか?白石さん」

 

 

 い、いやいやいや……ちょっと待てよ。それって浴衣の美少女軍団の中に童貞小僧を1人放り込むってことだよな…?

 

 む、無理無理無理!! 絶対に無理だ! そんな空間に入ったら俺はきっと死んでしまう!

 

 

「……い、いや……遠慮しとくよ。明日のやる事の準備もあるからさ」

「え〜? まぁそれなら仕方ないけどさ〜」

「残念ですね……」

「何だかお腹が空いてきましたね!!!」

 

 

 

 うっ……お、俺だって本当ならその夢の空間に足を踏み入れてみたいさ! でも無理だ!そんなこと俺にはできない! 流石にそこへ飛び込んでいく勇気は俺に無い……

 

 あと日野さんが元気すぎる。

 

 

 

「じゃあ残念だけど私たちは行くね?」

「うん、楽しんでね」

「じゃあね〜!おやすみ!」

 

 

 そう言うと3人は揃って部屋の方へと戻っていった……と思ったら本田さんが振り返って声をかけてきた。

 

 

「あ、そうだ! 浴衣似合ってるぞしらしー!じゃあね〜!」

「え…?あ、あぁ……うん。じゃあね……」

 

 

 それだけを言い残すと、今度こそ3人は部屋へと戻っていった。

 

 いや、浴衣が似合ってるのは君たちなんだよなぁ……正直かなりヤバかったぞ。

 

 

 そして俺は、良いもん見れたなぁ……とか考えながら購入したお茶を飲みながら部屋に戻っていった。

 

 やっぱり勇気を出して浴衣美少女だらけの花園に飛び込んでいくべきだったかなぁ。今後一生お目にかかれない光景かもだし……まぁ今更後悔しても遅いんだけどね。

 

 

 しかしこの後、俺はこの選択をさらに深く後悔をすることになるのだが……この時の俺は知る由も無かった。

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 

 部屋に戻った俺は1人寂しく布団の上に寝転がる。何をするでもなく天井を見つめて何か面白い模様でもないかと探す意味のない時間を過ごす。

 

 

「……今頃本田さんたちはトランプで大盛り上がりか」

 

 

 うわぁ〜……やっぱり行くべきだったよなぁ。こういうところでビビってるから俺はいつまで経っても彼女の1人もできない悲しき童貞なんだよなぁ……

 

 いや、別に今日誘いに乗ったからといってその場で何か起きる訳ではないけど、ああいう時に勇気を出せないといざという時に何もできないで終わっちゃうんだろうなって。

 

 

「はぁ……」

 

 

 コンコンコンコン

 

 

「ん?」

 

 

 ビビりな自分に対しての嫌悪感を覚えながら深いため息を吐いたその瞬間、俺の部屋の扉が軽くノックされた。

 

 

「誰だぁ?こんな時間に」

 

 

 時刻は夜の10時。こんな時間に一体どこの誰が俺に何の用だと思いながら俺は扉を開けた。

 

 

「今開けますよ〜」

 

 

 ガラッ

 

 

「何か御用でしょうか……」

 

 

 

「こんばんは、白石くん」ニコッ

 

 

「に、新田先輩……!?」

 

 

 ドアを開けるとそこには浴衣姿の新田先輩がニッコリと笑って手を振っていた。何かドアを開けた瞬間にふわりと良い香りがしたような気がするんだけど、やっぱり女神はすごいな……

 

 

「や、やっほ……白石くん。あたしもいるよ……」ビクビク

「え、塩見さん……? 何をして……あっ…!」

 

 

 少し目線を下げると、そこには新田先輩にガッチリと首根っこを掴まれて引きずられてきた塩見さんが震えながら手を上げていた。

 

 

 俺はその瞬間思い出した。この場にいるのは俺と塩見さんと笑顔の新田先輩。

 

 この組み合わせ……今朝もあったぞ……。

 

 

 

 

「ふふっ、周子ちゃんったら私が部屋を訪ねたら布団に隠れてたのよ? 紗枝ちゃんがそこに隠れてるって教えてくれたんだけどね。何で隠れたりしたのかな? ふふっ……おかしいね♪」

「は、ははは……そ、そうですね……」

 

 

 や、やばい……新田先輩、めちゃくちゃ笑顔なのに何だこのオーラは。一歩も動くことができない。

 

 

 これは……恐怖…!?

 

 

「さて、ここじゃ目立つから白石くんの部屋で始めよっか。役者も揃ったことだしね」ニコニコ

「「ひっ……」」

 

 

 多分俺と塩見さんは今同じシーンを思い出している。今朝見たあの光景を……

 

 

『とりあえず2人は後でお説教をしないといけないね?』ニコッ

 

 

 ……ダメだ。終わった。もう逃げることはできない。

 

 

 

「さて、じゃあ2人とも……」

 

「「……」」ゴクリ

 

 

 浴衣美女である新田先輩と塩見さんが俺の部屋に来るとか普通はドキドキイベントのはずなんだけど……俺は今別の今で心臓がドッキドキだ。

 

 

 

「"お話"……しよっか?」ニッコリ

 

 

 

 あぁ……やっぱり本田さんたちのいる部屋に行っとけばよかったなぁ……。は、ははは……

 

 

 

 

 



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海合宿へ行こう! 3

 

 

 綺麗な女性に叱られると嬉しいとかご褒美ですとか言われることがあるけど、実際はそんなことはなく普通に辛いし悲しくなるだけだ。

 

 まぁ確かに「めっ!」とかされるくらいなら嬉しいもんだったりするかもしれないけど、少なくとも今目の前で怒気を放っている女神様は「めっ!」とか言う雰囲気ではない。

 

 

「ふふっ、2人ともそんなに畏まってどうしちゃったの?」ゴゴゴゴ

 

「「ヒェッ……」」ブルブル

 

 

 ニコニコと綺麗なお顔で笑う新田先輩の目の前で、俺と塩見さんは正座をして顔を下に向けながらガクガクと震えている。

 

 さっきから冷や汗が止まらない……どうやらそれは隣の塩見さんも同じようだ。

 

 

 

「白石くん、こうなったらあたしたちに出来ることはもう一つしかないよ……」ボソボソ

「何をするの…?」ボソボソ

 

 

「土下座しよう」キリッ

「うっ…! ど、土下座か……」

 

 

 塩見さんがキメ顔で情けない提案をする。いやでも確かにこの新田先輩の怒りを鎮めるにはもう土下座しかない気がするのは事実だ。

 

 

「じゃあ……3.2.1でいくよ……」

「う、うん」

「3……2……1……」

 

 

「「すみませんでしたぁぁぁぁ!!」」

 

 

 俺と塩見さんは大きな声で謝罪をしながら、手のひらと額を地に付ける完璧なフォームの土下座を披露した。

 

 

「………」

「………」

 

 

「………はぁ、2人とも顔を上げて?」

 

 

 新田先輩は小さく息を吐くと、俺と塩見さんに声をかける。

 

 

「もういいよ。本当のことを言うとそこまで怒ってもないから」

「「えっ?」」

 

 

 お、怒ってなかったの…?アレで……?

 

 

「ちょっとお灸を据えようと思って、怒った演技をしてみただけだから。でも2人ともちゃんと反省したみたいだし、もういいかなって……ふふっ♪」

 

 

「う、嘘やん……絶対怒ってたよ……」

「あれが演技って信じられない……だって何かオーラ出てたよ。怒りのオーラが」

 

 

「何か言った?」ニコッ

 

 

「「な、何でもないです!!」」ビクッ

 

 

 ……やっぱり本当は怒ってないですかね…?

 

 で、でもまぁ……とりあえず俺と塩見さんはこれで許されたってことになるのかな…?

 

 

 

 

「じゃあ、あたしはもう部屋帰っていい?

白石くんの部屋おったら何か襲われそうやし」

「俺を獣みたいに言わないでくれ」

 

「待って周子ちゃん。実は2人には頼みたいことがあるの」

「え、なになに?」

「これなんだけど」

 

 

 新田先輩の呼びかけに塩見さんはピタリと動きを止めて首を傾げる。すると新田先輩は何処から取り出したのか分からないがトランプを俺たちの前に置いた。

 

 

「トランプ?」

「うん!」

「あたしと白石くんと美波ちゃんで、トランプをしようってこと?」

「そういうことよ!」

 

 

 どういうことだろう? トランプを一緒にしてくれってことが俺たちに頼みたいことなのかな…? それなら全然構わないんだけど……

 

 

 

「実は同じ部屋の皆が何故かトランプは勘弁してくれって言い出してね?」

「へぇ〜……何でだろね?」

「それが私も分からないの……それでね? 今の話には関係ないけど私ってトランプやるとすぐ負けちゃうの。だから2人に練習相手になってもらおうかなって……」

 

 

 新田先輩は不安そうな目をしてチラリと俺たちの顔を覗いている。そこに先ほどまでの怒気を感じない。

 

 俺と塩見さんは顔を見合わせて軽く微笑み合う。どうやら答えは同じのようだ。

 

 

 

「別にいいよ〜」

「俺でいいなら全然大丈夫ですよ」

 

「本当!? ありがとう2人とも!」

 

 

 新田先輩がキラキラと目を輝かせる。そんなにトランプやりたかったんだろうか……?

 

 

「じゃ、じゃあババ抜きでいいかな!」

「ええよええよ〜」

「はい」

 

 

 新田先輩はケースからトランプを取り出すと、軽くカードを切って俺たち3人の前に配布する。

 

 

「それにしても美波ちゃんから頼み事って言われて何かと思えば、まさかトランプを一緒にやろうだなんてね〜ん」

「俺も予想外でした。新田先輩はトランプ好きなんですか?」

「ふふっ、結構好きだよ? トランプに限らずこういう勝負事が好きなの。だから少しでも上手くなりたくて」

「でもババ抜きに上手い下手ってあるかな?」

「ほぼほぼ運だよね」

 

 

 まぁ多少のポーカーフェイスとかが展開を左右するかもしれないけど大体は運ゲーだよな。

 

 そんなことを考えていると新田先輩がカードを配り終える。俺たちはそれぞれの前に置かれたソレを手に取り三角形の形に座った。

 

 

「じゃあジャンケンで勝った人から時計周りでいいよね〜?」

「うん、それでいいと思うよ」

「ふふっ、何だか興奮してきちゃった♪」

 

 

 そんな訳で俺たち3人だけのババ抜きが開始された。

 

 

 まぁもう時間も遅いしそんなには長引かないだろう……と、俺はその時まで思っていた。

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 

「………っ」ゴクリ

「……こ、こっちですかね……」ヒョイッ

 

 

 

 俺が新田先輩の手札からカードを引く様子を、新田先輩と既に1位で抜けた塩見さんは固唾を飲んで見守っている。

 

 この瞬間、部屋の中にはおよそトランプをしているだけではあり得ないような緊張感が張り詰めていた。

 

 

 

「……あ、揃った」

「ま、また負けちゃった…! くやしいっ…!」

「……これで美波ちゃん10連続最下位だね」

 

 

 俺が揃ったカードを捨ててゲームは終了する。これで10試合中、塩見さんが1位の回が7回で俺が1位の回が3回という結果になった。

 

 そして新田先輩は10回やって10回全て最下位……いや、3位という結果に終わっている。

 

 

 

「く、くやしいっ…! どうしていつも勝てないの!」

「ま、まぁ運としか言いようがないですよ。こればっかりは」

「で、でも! 私これまでトランプで勝ったことほとんど無いんだよ!?」

「えぇ……」

 

 

 こらこら塩見さん。そんな露骨に引いた顔をするんじゃないよ。

 

 

 ……でも確かに妙だな。何で新田先輩はここまでトランプに弱いんだろう。

 

 別に物凄い顔に出たりしている訳でもないんだよな……

 そりゃ確かに先輩はポーカーフェイスでは無いし、多少人よりゲーム中に表情に出やすい感じではあるけど、だからといってここまで負ける要因になるほどではない。

 

 ただそれでも……何故か新田先輩が勝つことはない。いや、本当に何でだ?

 

 

 

「2人から見て私何か悪いところある!?」

「いや……別に」

「はい、遠慮してるとかじゃなくて本当に無いですよ」

「でも何故か美波ちゃんが負けるんだよね。

あたしも何故か美波ちゃんに負ける気がしないし……」

「うぅ…っ!」

 

 

 新田先輩はトランプに負ける呪いにかかってるのかな。

 

 

 

「も、もう一回! もう一回やりましょ!」

「でも美波ちゃん、もう11時だよ?」

「お願い! 一回だけ! 私が一回勝ったら終わりでいいから!」

「まぁそれなら……白石くんもいい? 部屋に居座っちゃってるけど」

「あ、うん。俺は全然構わないけど」

 

 

 まぁ……流石にそろそろ勝つだろ…?

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 

 

「ま、また負けたっ…! 何で勝てないの!?」

「……これで美波ちゃんの」

「……25連敗です」

 

 

 

 いや、何で? 本当に何で? 何でこんなに勝てないんだこの人……?

 

 おかしいよ。流石におかしい。25回もやって25回最下位とか本気でおかしいぞ。

 

 しつこいようだけど新田先輩はそこまで顔に出ている訳でもない。だから俺と塩見さんは何も考えず適当にカードを引いていくんだけど、何故か最終的には新田先輩が負けるという未来が待っている。

 

 

 

「も、もう一回! このままじゃ終われないっ…!」

「み、美波ちゃん……流石にそろそろ……もう日付跨いじゃってるしさ」

「そうですよ……ほら、明日も午後からレッスンありますよね」

「うっ……そ、それはそうだけどっ…!

お願い!もう一回だけ! 次こそは勝てる気がするの…!」

 

 

 俺と塩見さんは顔を見合わせる。塩見さんの目はしょぼしょぼとしていて明らかに眠そうだ。多分俺の目もそんな感じになっている。

 

 今元気なのは目の前で意気込みながらカードを切っている新田先輩だけだ。

 

 

「し、白石くん……どうしよ」

「俺たちにできるのは、次こそ新田先輩が勝ってくれるようにと祈ることだけだよ……」

 

 

 めちゃくちゃ顔に出る! とかいうタイプならわざと負けてあげることも可能だ。たださっき言った通り先輩はそこまで顔に出ている訳でもないので、負けようと思ってわざと負けることも難しい。

 そして究極の負けず嫌いである新田先輩は、勝つまでトランプを止めるつもりはないのだろう。

 

 

 まさに地獄のエンドレストランプだ。

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 

 

 AM 1:15

 

 

「ま、また負けたっ…! 何でなのっ!?」

「新田先輩……さ、流石にそろそろ」

「もう一回だけ!もう一回だけやりましょ!」

 

 

 

 

 

 

 

 AM 2:30

 

 

「お願い!最後のもう一回! 最後だから!」

 

「アカン……白石くん、あたしもう……」

「ちょ! 塩見さん俺を1人にしないでよ!」

「ほんまにごめん……あとは……よろしく……」

 

 

 バタッ

 

 

「え?周子ちゃん寝ちゃったの?」

「は、はい……だからそろそろお開きに……」

「じゃあここからは一対一だね!」ニコッ

「ヒェッ…」

 

 

 

 

 

 

 

 AM 4:30

 

 

「………か、勝った……勝ったよ!」

「……はい、先輩の……勝ち……です」

「やった! うふふっ、やっぱり勝つと嬉しいね!」

 

 

 

 一体俺たちは何回ババ抜きをしたんだろう。もう途中からほとんど記憶がない。何なら自分が今負けたのか勝ったのかもよく分からないけど、目の前の新田先輩の喜びようからして俺が負けて向こうが勝ったんだろう……

 

 

「ふぅ……あ、もうこんな時間! ちょっと熱中しすぎちゃったみたいね」

「ちょ、ちょっと……ですか。はははっ……」

「付き合ってくれてありがとうね、白石くん。じゃあ私はそろそろ部屋に戻ろうかな」

 

 

 そう言うと先輩は、既に爆睡している塩見さんの半肩を担いで立ち上がる。

 

 

「今日は本当にありがとうね? 白石くんと周子ちゃんのお陰でちょっとだけトランプが上達した気がするよ!」

「……そ、そうっスか……」

 

 

 先輩多分それ勘違いです……とは流石に言えなかった。

 

 

 

「じゃあまた今度一緒にトランプしようね! おやすみなさい〜」

「お、おやすみなさい……ん?」

 

 

 先輩はニッコリ笑って部屋から出ていった。

 

 今なんか最後に不穏な言葉が聞こえたような……また今度一緒にとか何とか……うん、気のせいってことにしておこう。

 

 

 

「……だ、ダメだ……俺もう……限界……」

 

 

 先輩と塩見さんが部屋から出て行った瞬間、ギリギリのところで保っていた意識がゆっくりと途絶え始める。

 

 そういえば先輩最初に部屋の皆にトランプするの断られたとか言ってたな。今になってようやく、何で先輩と同室の人が断ったのかがわかったぞ……

 

 俺ももう先輩と夜通しトランプ地獄は御免だ。

 

 

「あっ……もう……ダメ……だ」

 

 

 バタッ

 

 

 俺は気絶するように目を閉じて布団の上に倒れた。

 明日は午前が自由時間で午後からまた仕事だけど、午前中は全部睡眠時間になりそうだ……

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 

 時刻は夕方の5時、予想通り午前中の自由時間を全て睡眠に費やした俺は、管理人の山田さんと一緒に夕食の用意をしていた。

 

 因みに新田先輩は今日の自由時間、ビーチで他のアイドルと一緒になってビーチバレーを楽しんでいたらしい……と、俺と同じで午前中はずっと寝ていた塩見さんから聞いた。

 

 どんな体力をしているんだよあの人……

 

 

 

「よっしゃ! じゃあこれで仕込みも終わりだね。後はお腹空かせた皆が来るのを待つだけだよ!」

「お疲れ様です、山田さん」

「白石くんもお疲れさん! ほら、お茶でも飲もうか!」

 

 

 夕食の仕込みが完了したので、俺と山田さんは休憩がてらお茶を飲んで雑談を交わす。

 

 

「白石くんは今日の午前中何をしてたんだい?」

「俺はずっと寝てました」

「こらこら、若いモンがそんなんでどうするんだい」

「あはは……昨日はちょっと色々ありまして、疲れてたもんですから」

 

 

 正直今でもまだ少し眠いくらいだ。

 

 

 

「ふぅ……」

「本当に疲れてそうだねぇ……あ、そうだ! なら東京帰る前にちょっとリフレッシュしていきなよ!」

「え? リフレッシュですか?」

 

 

 リフレッシュって何だろう。マッサージチェアとかかな?

 

 

 

「この近くにすっごく綺麗な日の出が見れる丘の上の公園があるんだよ」

「へぇ〜」

「地元民しか知らない通なスポットでねぇ、ウチの宿舎を利用した人が偶に見に行ったりしてるんだよ」

「なるほど」

「どうだい白石くん、明日帰る前にちょっと見てきたら? 見て損はしないよ」

 

 

 山田さんは自信満々と言った様子でニコニコと笑っている。そこまで言うんだから綺麗な景色なんだろうなと内心期待してしまう。

 

 

「後で宿舎のスペアキー貸したげるからさ、行っておいで」

「えぇっ!? そんなの俺が借りちゃっていいんですか……?」

「いいのいいの! プロデューサーさんたちにも貸してるし、白石くんは悪さとかしなさそうだしね!」

 

 

 山田さんはバシバシと俺の背中を叩いて笑う。ここまで言ってくれているんだから、いらないと突っぱねるのは失礼だろう。

 

 ここは素直にご厚意に甘えることにしよう。

 

 

 

「じゃあ……行ってみます」

「よし! じゃあ後でスペアキーを渡すついでに地図も渡すからね」

「ありがとうございます」

「うんうん! 朝方の4時前くらいに出れば多分間に合うからさ、誰にも見つからないようにそーっと行くんだよ?」

「わ、わかりました!」

 

 

 誰にも見つからないようにまだ空が暗い内に抜け出すのか……何か漫画とかゲームの脱出シーンみたいでドキドキワクワクしてきたな。

 

 

 

「っと、話してたらいい時間だね。じゃあ配膳しちゃおうか!」

「はい!」

 

 

 先の楽しみが出来たのはいいけど、とりあえず今は目の前の仕事に力を入れよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 

 

 

「……そろそろかな」

 

 

 宿舎にいる人全員が寝静まった頃、暗い部屋の中でスマホの時間を確認すると丁度いい時間だった。

 

 山田さんから借りた鍵と地図を握りしめて、俺は浴衣から私服に着替える。

 

 

 やばい……何かドキドキしてきたな。

 

 

 ゆっくりと自分の部屋の扉を開けて廊下に出る。誰もいないことを確認して、今度はゆっくりと部屋の扉を閉めた。

 そして物音一つ立てないように抜き足忍び足で廊下を進んでいくと、あっという間に宿舎の玄関が視界に入ってきた。

 

 よしよし、もしかして俺は隠密行動の才能があるのかもしれない……このままササっと宿舎から出てしまおう。

 

 最後の最後まで気を抜かず慎重に歩みを進める。そしてとうとう宿舎の玄関のドアノブに手をかけたその瞬間……

 

 

 

 

 

「あら、こんな時間に何処へ行くのかしら?」

 

 

 

「えっ?」

 

 

 

 突然声がして体が大きく跳ねる。全身から冷や汗を垂らしながら機械のようにゆっくりと後ろを振り向くと……

 

 

 

 

「は、速水……さん……」

 

 

 

 そこでは浴衣姿の速水さんが、俺の姿をしっかりと視界に捉えて小さく笑っていた。

 

 

 



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海合宿に行こう! 4

 

「あら、こんな時間に何処へ行くのかしら?」

「えっ?」

 

 

 宿舎の中から外へと出ようとしたその瞬間、突然後ろから声をかけられて俺の体は大きく跳ねる。

 

 

「は、速水さん……」

「こんばんわ……いえ、時間的にはもうおはようなのかしら? ふふっ、あなたはどっちだと思う?」

「あ、あはは……ど、どっちだろうね」

 

 

 薄暗い廊下で光る速水さんの黄色い瞳が、俺の姿を捉えて離さない。

 

 ま、まずったぞ……今の俺は速水さんのいる廊下側に背を向けてドアノブを握っている状態だ。つまり速水さんから見ればどこからどう見ても、俺がこの宿舎から外に出ようとしているとしか思えないだろう……

 

 この状態で「いや〜別に何もしてないけど?」なんていう言い訳は絶対に通じない。

 

 誰にも見つかりたくなかったのにまさかこのタイミングなんてなぁ……せめて普通に廊下を歩いてる時なら誤魔化しが効いたのに!

 

 

「は、速水さんこそどうしたの? こんな夜遅く……いや朝早くにさ」

「そうねぇ……ふふっ、秘密よ」

「えっ?」

「女には秘密が多いのよ。それとも……そんなに私のことが知りたいのかしら? 意外と積極的なのね」

「そ、そういうんじゃないよ…!?」

 

 

 速水さんは自分の唇に指を当てて妖艶な笑みを浮かべる。そんな年下とは思えないほどに色気のある仕草に思わず目を奪われるが、小さく咳払いをしてなんとか気を確かに持つ。

 

 

「それで、あなたの方はこんな時間に何をしていたのかしら?」

「お、俺は……べ、便所にでも行こうかと」

「宿舎の中にあるじゃない。どうしてわざわざ外に出ていく必要があるのよ」

「で、ですよねー。あはは……じゃあそろそろ部屋に戻ろうかな〜!」

 

 

 もう誤魔化すのは無理だと悟った俺は廊下の方へと引き返して、速水さんの横をするりと抜けて部屋に戻ろうとする。

 

 

「あら、意外とつれないのね?」

「つ、つれないも何も俺は別に隠し事なんてしてないからね……」

「秘密の香りがする男ってのも嫌いじゃないけど、あなたにそれは似合わないわよ?」

「うっ……」

「ねぇ、本当のことを聞かせて頂戴…?」ジッ

 

 

 速水さんは俺の顔を下から覗き込んできた。その綺麗な瞳の奥からは絶対に逃がさないとでも言うような圧を感じる。

 

 10秒ほど無言のまま見つめ合ってもう逃げられないと悟った俺は、ため息を吐いて自分の頭を軽く撫でる。

 

 

「わ、わかったよ。話しますってば……」

「ふふっ」

「実は……」

 

 

 俺は管理人さんの話を聞いて、日の出を見に行こうとしていたという事情を包み隠さず話した。その話を聞いた速水さんは納得をしたように柔らかく微笑む。

 

 

「なるほどね……そんなことなら別に隠さないでも良かったじゃない」

「い、いや〜、一応誰にもバレないように出かけようと思ってたからさ」

「あなたが必死に隠すからもっと重要な秘密かと思ったわ。例えば……逢引とか」

「残念ながらそんな相手はいないよ……」

 

 

 唐突に俺の心にダメージを与えられたが、とりあえず速水さんは納得してくれたみたいなので良しとしよう。

 その速水さんはと言うと、自分の顎に手を添えて何やら考え事をしているような表情を浮かべている。

 

 

「どうかしたの?」

「……いいえ、何でもないわ」

「そう?」

「えぇ。それじゃあ行きましょうか」

「ん? どこに?」

「もぅ……意地悪ね、そんなに私の口から言わせたいのかしら?」

 

 

 ……? 速水さんが何を言いたいのかまるで分からないぞ?

 

 

「私も一緒に行くわ。日の出も見たいし、ちょっと外の空気に当たりたいのよ」

「えぇっ!?……んぐっ」

「そんなに大きな声を出したら……他の子にも気づかれちゃうわよ?」

 

 

 速水さんがいきなり変なことを言い出したので思わず大きな声が出そうになったが、速水さんの手が俺の口を素早く塞いだ。

 

 

「落ち着いた?」

「……」コクコク

「じゃあ離すわね」

「ふぅ……は、速水さん。一緒に行くってマジで言ってるの…?」

「もちろんマジよ」

 

 

 さ、流石にまずいよな。まだ外は暗いし、こんな時間に速水さんを連れ出すなんて……もし何かあったら大変だぞ。

 

 

「あー速水さん。その……まだこんなに外は暗いし、女の子である速水さんを連れて行くのは危ないかもしれないから……」

「少し羽織る物を持ってくるわね。ここで待っててちょうだい?」

「えっ? お、俺の話聞いてる…!?」

 

 

 速水さんは俺の言葉を最後まで聞くことなく部屋の方へと戻っていった。

 

 な、何でこんなことになってしまったんだ。

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 

「さぁ、行きましょうか。急がないと日が出ちゃうわよ」

「……ま、マジで行くの?」

「それはさっきも言ったじゃない」

「で、でもさ〜」

 

 

 速水さんはもう行く気満々のようで、俺の横を通り過ぎていち早く宿舎の外へと出て行ってしまった。

 

 あぁ……もう! こうなったら仕方ないけど、絶対何もアクシデントを起こさないようにしないと……

 

 

 俺も速水さんに続いて宿舎の外へと出る。そして管理人さんに借りたスペアキーを使って扉に鍵をかけた。

 

 

 

「速水さん」

「何かしら?」

「……こ、この事は誰にも言わないってことでよろしく」

「ふふっ、えぇ。分かってるわよ。私とあなた2人だけの秘密……ね?」

 

 

 速水さんはそう言ってバッチリとウインクを決めてみせた。

 

 因みに2人だけの秘密というワードに少しだけドキッとしたのは俺だけの秘密だ。

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 

「それで? 今からどこに行くのかしら」

「ここから近くにある丘の上の公園だよ。歩いてすぐ着くって言ってたから、そんなに時間はかからないはず」

「あら、じゃあ2人きりの時間はすぐに終わっちゃうのね」クスッ

 

 

 まだ日の出ていない薄暗い道を2人で歩きながら俺の顔を見て速水さんは微笑む。クスクスと微笑みながらこちらの様子を窺っているのは、多分俺の反応を見て楽しんでいるんだろう。

 

 

「……あ、あのさ速水さん。さっきから俺のこと揶揄ってるよね…?」

「あら、バレちゃったかしら」

「や、やっぱり……」

「ごめんなさいね? あなたがいちいち顔を赤くするものだから、何だか楽しくなっちゃって」

 

 

 またしても速水さんは楽しそうに微笑む。この余裕のある態度と仕草を見ていると、俺と速水さんのどっちが年上でどっちが年下なのか分からなくなってくる。

 

 と、そんな感じで速水さんに遊ばれながら歩き続けていたら目的地の公園が見えてきた。

 まだ日は出ていないし、なんとか間に合ったみたいだな。

 

 

 

 

「よしっ、到着!」

「本当に近いのね……それで、ここで普通に日が出るのを待てばいいのかしら?」

「いや、あっちに少しだけ高くなってる丘があるでしょ? あそこから海を眺めると綺麗な日の出が見れるんだって」

「じゃあ行きましょうか。もうそろそろ日が出てきちゃうわ」

「そうだね」

 

 

 俺と速水さんは丘の上に登り、未だ真っ暗で静かな海を眺める。

 

 時間的には後どれくらいで日が出てくるんだろう? 速水さんの言う通りもうそろそろな気がするんだけどなぁ。

 

 

 

「この静かな空間も悪くないわね……まだ人々も街も眠っているのに私たちだけが起きているのよ。トクベツって感じがするわ」

「なんとなく分かるよ。早朝って独特な空気感があるよね。空気も澄んでて気持ちいいし」

「えぇ……そうね」

 

 

 静かな波音と風の音が鳴る。その中で俺たちは小さく内緒話をするようなトーンで会話を続けていたが、段々と会話は減っていき2人黙って日の出の登場を心待ちにする。

 

 

「ふぅ……」

「……」チラッ

 

 

 俺はチラリと横目で速水さんを見る。風で靡く綺麗な髪の毛を手で整えながら、ふぅと小さな息を吐いている。

 

 ……絵になるよなぁ。

 

 

 

「あら、じっと見てどうしたの?」

「えっ!」

 

 

 や、やばっ……気づかれたぞ。

 

 

「ご、ごめんごめん。別に大したことはないんだ。ただちょっと見てただけっていうか」

「本当に?何やら情熱的な視線を感じたんだけれど……一体どこを熱心に見ていたのかしら?」

「ちょっ!? 別に変なとこ見てないから!

全体、全体を眺めてただけだからね!」

「ふふっ、あなた本当に良い反応するわね」

 

 

 またしても速水さんに揶揄われてしまった。ただ俺がここまで慌てたのは断じて図星を突かれたからとかではない。断じてチラリと見えた胸の谷間や綺麗なうなじなんかチラチラ見てはいない。

 

 

「あまりにもジッと見られてたものだから……

告白でもされちゃうのかと思ったわ」

「こ、こくっ!?……い、いやいや、また変なことを言って俺を揶揄ってるんだろ…?」

「あら、流石にもうバレバレかしら」

「……ま、まぁね。もう速水さんのやり口にも慣れてきたよ」

 

 

 こうも同じ手口をくらい続けていれば慣れるというものよ。俺はもう速水さんに何を言われても動じることはないぞ。

 

 

「あっ……もうそろそろじゃない?」

「お、本当だ」

 

 

 薄暗かった空をじんわりとオレンジ色の光が照らし始めた。俺と速水さんはその光に吸い寄せられるようにジッと遠くを見つめる。

 

 じわじわと……ゆっくりとではあるが、確実に太陽は顔を出し始める。

 

 

「おぉ……太陽出てきた」

「……綺麗ね」

 

 

 しばらくその光景に目を奪われていると、太陽はどんどんその姿を現していき、気づいた時には太陽全体が見えるようになっていた。

 広大な海から浮かび上がる朝日と、海面に光る一筋の光がやけに神秘的に見える。

 

 

「こうして水平線を見ていると、何だか心が洗われていく気がするわね……」

「うん、そうだね」

 

 

 最初は太陽の周りだけが明るかったが、やがて空全体にぼんやりとした色の明かりが溢れていく。

 

 

「めちゃくちゃ綺麗だったね」

「えぇ、いいものを見れたわ。白石さんに着いてきてよかったわ。ふふっ」

「ははっ、それは良かったよ」

「じゃあそろそろ帰りましょうか。皆が目覚める前にね」

「そうだね」

 

 

 キラキラと水平線を照らす太陽に背を向けて俺たちは公園を後にした。

 

 すごい綺麗だったし本当にいいものが見れた。教えてくれた山田さんには後でしっかりとお礼を言うことにしよう。

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 ガチャ

 

 

「よし、開いた」

「じゃあ入りましょうか」

 

 

 宿舎に到着したのは5時になる少し前だった。流石にまだ人は起きてないと思うからいい時間に帰ってくることができたな。

 

 

「白石さん、今日はありがとうね。おかげでいい気持ちで今日を迎えられるわ」

「いやいや、別に俺は何もしてないよ」

「そんな事ないわよ? あなたが連れて行ってくれたからあの素敵な景色を見れたの」

「……俺が連れて行ったというより速水さんが無理やり着いてきたって感じだけどね」

「あら、言うじゃない。ふふっ」

 

 

 速水さんは小さく微笑み歩き始める。そして少し歩いた所で俺の方へと振り返った。

 

 

「それじゃあね、白石さん」

「うん、おやすみ」

「ふふっ、今から寝るかは分からないけどね」

 

 

 そして速水さんは自分の部屋へと戻っていった。残された俺もとりあえず扉に内側から鍵をかけて、自分の部屋へと戻っていった。

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 それから時間は過ぎていき時刻は朝の10時、この2泊3日の海合宿を終了して宿舎から出発する時間がやってきた。

 

 アイドルたちはそれぞれ自分たちが使用した部屋を片付けて荷物を持ち、既にバスに乗り込み始めている。

 

 

 

「お世話になりました山田さん」

「いやいや、白石くんはよく働いてくれたよ。ちゃんと後でプロデューサーさんにも報告しておくよ!」

「あ、ありがとうございます」

 

 

 俺はお世話になった管理人である山田さんに別れの挨拶をする。最初はどんな人と仕事をするのかと思っていたけれど、とても気さくでいい人でありがたかった。

 

 

「あと日の出のことも教えてくれてありがとうございました。すごく綺麗でした!」

「そうかいそうかい、なら教えた甲斐があったってやつさ」

「本当にありがとうございました。じゃあ俺はそろそろ行きますね」

「はいよ。気をつけて帰るんだよ〜」

 

 

 俺は手を振る山田さんに一礼をして駐車場へと向かい、車に乗り込んでバスが出発するのを待つ。

 そしてそれから数十分後、プロデューサーさんが最終確認を終えたので俺の車とバスは駐車場から出発した。そこからはここに来る時と同じで、途中いくつかのサービスエリアに寄りながらも高速道路をひたすらに運転し続けた。

 

 そして宿舎を出発してから数時間後に事務所へと到着したのだが、アイドルの皆はその場で解散らしく荷物を持ってそれぞれが自宅や寮へと帰っていった。

 俺は自分の乗っていた車を会社の駐車場に停めて千川さんの元へと向かう。

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

「千川さん、お久しぶりです」

「あ、白石くんおかえりなさい。どうでした?合宿の方は」

「まぁまぁ大変でしたけど、楽しかったですよ」

「そうですか。あ、お給料はちゃんと弾みますからね♪」

「よっしゃぁぁ!!」

 

 

 やったぜ! これで臨時収入ゲットだぜ!

 

 

「ふふっ、それじゃあ今日は家に帰ってもらって大丈夫ですよ」

「わかりました!」

「また次のバイトの時、よろしくお願いしますね〜」

 

 

 ニコニコと笑いながら手を振る千川さんに挨拶をして事務所から出る。そしてそのまま寄り道をすることなく俺は自分の家へと向かって歩き出した。

 

 色々あったけど、なんだかんだで楽しい合宿だったな。流石にトランプ地獄だけは辛かったけど……ははは。

 

 

 

 こうして俺の二泊三日の海合宿は終了したのだった。

 

 

 





 


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学生の本分は勉強です! 1


 


 

 346のアイドルには子どもから大人まで幅広い年齢層の人が存在している。 そして学生アイドルにとって必ずつきものなのが……

 

 

 そう、勉強だ。

 

 

 いくらアイドルとして活躍をしている彼女たちでも、本分である勉強を疎かにすることは許されない。346の事務所でも、同年代の学生アイドルが休憩所で固まって勉強をしている光景をよく見かける。

 

 あ、噂をすれば今日も勉強をする学生アイドルの姿が……

 

 

 

「あーもう疲れちゃったよ〜! 千夜ちゃ〜ん、もう終わりにしな〜い?」

「ダメですよお嬢様。そちらの課題は明日が期限なので今日やらないといけません」

「え〜! じゃあ残りの分は千夜ちゃんがやってよ〜」

「それもダメです。私が課題をやってしまってはお嬢様のためになりません」

 

 

 事務所の休憩所では、制服を見に纏った2人の女の子がノートと睨めっこしていた。

 偶然その場を見かけた俺は、特に話しかけたりすることもなくその場から立ち去ろうとしたのだが……

 

 

「あっ! 白石さ〜ん! やっほ〜」

「……ど、どうも〜」

「ふふっ、そんな逃げようとしなくてもいいのに〜。ほらほらっ、こっち来てよ〜」

「ちょっ! お、押さないでよ黒埼さん!」

 

 

 俺のことを見つけた女の子は、俺の肩を掴んでノートの広がっている机のほうへと押してくる。

 

 彼女の名前は黒埼ちとせ。 綺麗な金髪に妖艶な魅力を持った掴みどころのない人だ。ちなみに自称吸血鬼とかいう濃ゆい要素も持ち合わせている。

 何故俺がそんな黒埼さんに名前を知られているかというと理由は単純で、前に一度だけ黒埼さんを車に乗せて送迎をしたというだけだ。

 

 

「さ〜さ〜! 座って座って〜」

「わ、分かったから押さないで!」

「ほ〜ら千夜ちゃん、強力な助っ人捕まえちゃったよ〜♪」

「ど、どうも……白雪さん」

 

 

「……どうも」

 

 

 俺は黒埼さんに半ば無理やり机の前に置かれた椅子に座らせられる。そして目の前には警戒するような視線を俺に向けてくる、黒埼さんと同じ制服を見に纏った女の子がいた。

 

 彼女の名前は白雪千夜。ぱっつん前髪に黒髪のショートカットで、黒いセーラー服の下にはタートルネックのインナーを着ている。性格に関してはとんでもないくらいクールな印象だけど、黒埼さん曰くとてもキュートな人らしい。

 俺が白雪さんと顔見知りな理由も黒埼さんと同じで、彼女を車に乗せて送迎をしたからだ。

 

 

「ねぇ白石さん、勉強教えてよ〜」

「うっ……やっぱりそれが狙いなのか」

「だって白石さんって大学生でしょ? それなら私のやってる課題なら簡単に解けるんじゃないかなって。ほら私JKだからさ」

「い、いや〜。でもそれはさぁ……」チラッ

 

 

「お前、絶対に手伝うんじゃないぞ。お嬢様のためにならない」

「わ、わかってるよ」

 

 

 黒埼さんは俺の肩に手を添え、体を寄せて甘えるようにしておねだりをしてくる。それに困って白雪さんの方を見ると、彼女は俺に冷たい眼差しを向けてきた。

 

 何故白雪さんが俺に対してこんなに冷たいのかと言うと、以前俺が2人を同時に送迎した際に、かなり近い距離感で接してくる黒埼さんに対して俺がかなりデレデレとしていたから、警戒心を抱かせてしまったというのが理由らしい。

 

 それ以来俺は白雪さんに「お前」と呼ばれるようになった。悲しいなぁ……

 

 

 

「ねぇねぇ白石さ〜ん。私の宿題代わりにやってよ〜?」

「ぐっ! そ、そんなに甘えるような猫撫で声を出してもダメだぞ!体を寄せてきてもダメ! 胸元のボタンを一つ外してもダメ!俺はそんな分かりやすい誘惑には屈しない!」

 

 

 くっ……お、俺はこんな分かりやすいハニートラップには引っかからないぞ…! 心を無にしろ! 煩悩をかき消せ! お母さんの顔を思い出せ!

 

 

「あはっ♪ なんかすっごいブツブツ独り言言ってて面白〜い♪」

「お嬢様、今すぐその獣から離れてください。襲われてしまいますよ」

「襲うか!!」

 

 

 白雪さんは俺のこと一体どんな目で見ているんだ…? 人をそんな年中発情期モンスターみたいな言い方してさ。

 

 

「もぅ〜、千夜ちゃんもっと白石さんと仲良くしなきゃダメだよ? ほら、苗字に同じ『白』を持つ者同士でさぁ」

「……お前、今すぐ苗字を変えなさい」

「無茶苦茶言うね君!! そんなに俺と同じ文字が苗字にあるのが嫌なの!?」

「嫌です」

「ハッキリ言うなよぉ!! 傷つくだろ!」

 

 

 くっ……! これもう好感度0どころかマイナス500くらいだろ。

 

 白雪さんは氷のような視線を俺にぶつけてくるし、横にいる黒埼さんはそんな様子を見て楽しそうに笑ってるし……もうヤダお家帰りたい。

 

 俺が何とかしてこの場から逃げる方法を考えていると、休憩所に別の学生アイドルがやってきた。

 

 

「おはようございま〜す! あっ! 3人で勉強会してるの!? 楽しそう〜♪」

「わーお。隙間時間を有効活用して勉強とは学生の鑑ですね。そんな皆さんには凪ポイントを5ポイント贈呈しましょう」

「それポイント貯まると何かあるの?」

「100ポイント集めると、凪がこれまで愛用してきたシャーペン……の芯が貰えますよ」

「えっ、いらな〜。てか100ポイントとか無理じゃない?」

 

 

 こ、濃ゆいなぁ……。 ここにやって来て僅か数秒で久川ワールド全開だぞ。

 

 休憩所にやって来たのは双子アイドルの久川凪と久川颯だ。物静かな方が姉の凪ちゃんで、元気でハキハキとした方が妹の颯ちゃん。

 この2人とも事務所で少し前に話したことがあって一応知り合いだ。

 

 

「おはよ〜、颯ちゃん。凪ちゃん」

「ちとせちゃんおはよー! あっ! 折角だしはーも勉強会混ざっちゃおっかな〜!」

「おいでおいで〜♪ 今白石さんに勉強教えてもらうとこだったんだ〜」

「えーっ! 白石さん勉強教えられるの!?」

 

 

 黒埼さんの言葉を聞いた颯ちゃんが、口元に手を当てて驚愕の表情を浮かべながら大きな声を出した。

 

 ん? もしかして俺ってそんなに馬鹿に見えるの…? 流石にちょっと凹んじゃうぞ?

 

 

「白石さんって美波ちゃんと同じ大学に通ってるって聞いたからさ? 勉強できるんだろうな〜って♪」

「えーっ!? 美波さんと同じ大学なの!?

白石さん頭よかったんだ……ちょっと意外かも!」

「脳ある鷹は爪を隠すというやつか。さしもの凪も驚きを隠せません。ちなみに凪は今、爪ではなくポケットにちくわを隠しています」

「……人間誰しも一つは取り柄があるものですね」

 

「俺が勉強できたらそんなに以外なの!?」

 

 

 新田先輩と同じ大学に通っているという事実を聞いた途端、白雪さんや久川姉妹は驚きを隠せないと言ったような表情を浮かべた。

 

 そ、そんなに驚かれるって……俺って普段そんなに馬鹿そうに見えるのかな? もうちょっと自分の行動を省みないといけないかもな……

 

 

 なんて事を考えていると、颯ちゃんは持っているバッグからノートと教科書のような物を取り出して机に広げた。きっと学校から直接事務所に来たから丁度持っていたんだろう。

 

 

「よーし! やるぞ〜!」

「頑張れ〜♪」

「お嬢様もご自分の課題を進めてください」

 

 

 そんなこんなで事務所の一角にて、学生アイドルによるお勉強タイムが始まったのだった。

 

 ……俺絶対ここにいらないと思うんだけどなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 お勉強が始まってから30分が経過した。最初は中々集中していなかった黒埼さんも、段々と口数が減っていき今ではしっかりと課題に向かっている。

 白雪さんは予想通り黙々と課題を片付けているし、意外と颯ちゃんも喋る事なくペンを動かし続けている。集中するべき時はちゃんと集中するタイプなんだろう。

 

 

 そんな中、特にやるべき課題も無い俺は……

 

 

 

「はい、次凪ちゃんの番だよ」

「中々やりますね白石さん。ここまで追い詰められたのは実に20年ぶりですよ」

「君まだ14年しか生きてないでしょ。ほら、早く引いて」

 

 

 何故かトランプを持っていた凪ちゃんとババ抜きをして遊んでいた。周りが真面目に勉強している中で遊んでいるのは申し訳ないが、凪ちゃんにやろうと誘われたんだから仕方ない。

 

 

「あ、また揃った。俺そろそろ上がるよ」

「ふむ……では凪はここで手札から速攻魔法を」

「いや、コレそういうカードゲームじゃないから」

「なるほど、それでは凪は手札からダイヤの7を表側守備表示で召喚してターンエンド」

「いやだからコレそういうんじゃない……って、手札俺に教えちゃダメでしょ」

 

 

 相変わらず独特な感性を持ってるよな。まぁ話してる分には結構面白いからいいんだけど。

 

 

「凪ちゃんや、君は宿題とかしなくていいのかね?」

「必要ありません。既に片付けてきました」

「おー、それは偉いね」

「ゴミ箱に」

「前言撤回。ちゃんと後で回収しとくんだよ」

 

 

 そんな感じで特に中身のない会話をしながら凪ちゃんとババ抜きを続けていると、これまでずっと集中してきた颯ちゃんが声を上げた。

 

 

「あー! この問題わかんないよ〜!」

「どれどれはーちゃん。凪に見せてみてください」

「えっ? なーわかるの?」

「わかりますよ」

「すごーい! さっすが〜!」

「明日の給食の献立はハンバーグです」

「ちょっ! そんな事聞いてないよ! でもハンバーグは嬉しいかも!」

 

 

 ボケをかます凪ちゃんに対して颯ちゃんはテンポ良くツッコミを入れる。

 まるでベテラン漫才師のやり取りみたいだ。これぞ双子ならではのコンビネーションだな。

 

 

「うー……白石さん教えてよ〜」

「えっ俺? まぁいいけどさ」

「やった〜! さっすが大学生! 頼りになる〜!」

「ふっふっふっ、そう言われると悪い気はしないね」

 

 

 おだて上手の颯ちゃんに乗せられ気分を良くした俺は、颯ちゃんの隣に座って苦戦中の問題に目を通す。

 

 

「あー、こういう問題はね? まず先にココをかっこでくくって、その次にココに代入をして……」

「あー! なるほどー! 分かった気がする!」

「そっか、じゃあ残りは自分で解いてごらん」

「はーい! 白石さんありがとう!」

 

 

 ふぅ……俺にも分かる問題でよかった。 一応それなりに勉強はしてきたけど、流石に中学の範囲は忘れちゃったりしてるかもしれないしね。

 

 

「あー! 颯ちゃんにだけ教えてズルい〜 私には教えてくれないのにぃ〜」

「いや、黒埼さんに教えたら俺が白雪さんに叱られるし……」

「ぶーっ! 千夜ちゃん厳しい〜!」

「お嬢様のためを思ってのことです」

 

 

 ぶーぶーと文句を垂れる黒埼さんを宥めるように白雪さんが言い放つ。

 

 なんか駄々をこねる子どもとそのお母さんみたいだな……こんな事言ったら白雪さんに怒られそうだから絶対言わないけど。

 

 

「あーっ! もう疲れたぁ〜。勉強飽きちゃったよ〜! 白石さん血ぃ吸わせて〜」

「いけませんお嬢様、病気になってしまいます」

「俺の扱い酷くない?」

 

 

 白雪さんの中での俺の扱いって一体……? もう話を聞いてる限りだと俺のことバケモノか何かだと思ってるよね?

 

 

「ちなみにどんな病気なのですか? 凪は興味があります」

「……狂犬病とかその類でしょう」

「あっ、犬扱いなんだ」

 

 

 犬扱いならまぁいいか(感覚麻痺)もっと酷い奴とか想像してたし。

 

 

「あーもう疲れた〜。勉強終わり〜!」

「お嬢様、まだ課題が終了していませんよ」

「もう集中力きれちゃった。残りは家でやるからさ〜。それよりせっかく人数がいるんだから何か楽しいことしようよ!」

「はぁ……まったくお嬢様は」

 

 

 目をキラキラとさせて何かを企んでいる黒埼さんを見た白雪さんは小さくため息を吐いた。恐らくもう何を言ってもダメだと悟り諦めたんだろう。

 

 

「みんなで何かしようよ〜。千夜ちゃんは参加決定として、凪ちゃんもいいよね?」

「凪と遊ぶと火傷しますよ。だがいいだろう。軽く遊んでやるとします」

「やった〜♪ 颯ちゃんもいいよね? あっ、因みに白石さんは拒否権無しね♪」

「まさかの強制参加!?」

 

 

 くっ……どさくさに紛れてそろそろ帰ろうと思ってたのに退路を断たれてしまった。

 

 

「はーも別にいいよ? 宿題も急いでる訳じゃないし!」

「やった〜♪ じゃあ何して遊ぶか皆で考えよ〜!」

 

 

 黒埼さんがそう言うと各々が何をして遊ぶかを考え始めたので静かになる。俺も一応考えてみるけど中々妙案は浮かばない。

 

 ……遊ぶったってまさか、かくれんぼとか鬼ごっこをする訳にもいかないしなぁ。

 

 

「むっ…!」

「なー、何か思いついたの?」

「はい。いいマンションポエムが」

「もー! 今はそういうのいいから〜」

 

 

 真顔で突拍子もないことを言う凪ちゃんの肩を颯ちゃんが掴んでぐわんぐわんと揺らす。久川姉妹のこういうやり取りは見てて微笑ましい。

 

 

 ……ところでマンションポエムってなんだ? 誰も聞かないってことは俺以外の皆は知ってるのか…? き、気になる……

 

 

 

「んー、何も思いつかないね〜」

「そうだね〜」

 

 

 良い案が浮かんでいないのは俺だけじゃないようで、何も決まらないまま時間だけが過ぎていっていたその時……

 

 

「あっ! 良いこと思い出した!」

「黒埼さん、何を思い出したの?」

「前に早苗さんに聞いたんだけどね? 男女が集まった時にすることと言えば……」

 

 

 

「王様ゲームなんだって!」

「えっ!? お、王様ゲーム!?」

 

 

 黒埼さんのまさかの発言に俺は大きな声を上げてしまったが、他の3人は首を傾げているあたり王様ゲームを知らないのだろう。

 

 

「ちとせちゃん、王様ゲームって何〜?」

「凪も知りません。1人の王様を決めるまで戦い続けるバトルロイヤルですか?」

「物騒だなオイ」

「私もやったことは無いんだけどね? 王様ゲームっていうのは……」

 

 

 黒埼さんが皆に向けて説明をする。そしてそれを聞いた颯ちゃんが真っ先に声を上げた。

 

 

「楽しそう〜! はーやりたい!」

「やった〜♪ 他の皆はどうかな?」

 

 

「……私も構いませんよ」

「凪もです。王様になった場合の国名と政策を今のうちに決めておかねばいけませんね」

「いや、全然そういうゲームじゃないけど凪ちゃん説明聞いてた?」

「よ〜し! じゃあ王様ゲームに決定〜♪」

 

 

 若干一名、本当にルールを理解したのか怪しい人がいるけど、とにかく王様ゲームをやることに決まってしまったらしい。

 ただ、王様ゲームを誰一人としてやったことのないこの状態でちゃんとゲームができるのだろうか。

 

 ……でも女子と王様ゲームとかちょっとだけドキドキするかも。

 

 

 

「あれ? でも王様を決めるくじが無いよ?」

「心配無用ですよはーちゃん。偶然にも凪のバッグに割り箸がいくつか入っています」

「わーい! さっすがなー!」

 

 

 ……何で凪ちゃんのバッグに割り箸あんなに入ってるんだ? まぁでもめんどくさいから聞かなくていいか……

 

 

 と、そんなことを考えていると、黒埼さんや久川姉妹が割り箸のくじを作り始めた。

 俺も手伝おうとしたその時、いつの間にか背後に立っていた白雪さんに肩をめちゃくちゃ強い力で掴まれる。

 

 

「……な、なにかな? 白雪さん」

「お前、よく聞きなさい」

 

 

 白雪さんは俺の耳元に唇を寄せて小さな声で囁く。

 

 なんかこれ囁きボイスみたいでくすぐったいな。あと白雪さんから漂う甘い匂いが……

 

 そんなことを考えていると、後ろから伸びてきた白雪さんの手が俺の首を掴み、喉仏の辺りを指で叩いた。

 

 

 

「お嬢様に妙な命令を出したり、妙な事をした場合……わかっていますね」ボソッ

「……ハ、ハイッ」

 

 

 それだけを告げると白雪さんは俺から離れて黒埼さんのもとへと向かっていく。俺は一瞬で全身の血の気が引くのを感じた。

 

 

「あれ、白石さんどうかしたの? 顔が真っ青だよ?」

「な、なんでもないよっ! あ、あはは……!」

 

 

 さっきまで感じていたドキドキが別の意味でのドキドキに変わる。

 

 ……ま、まずいんじゃないか…? これは。 だって俺はもちろんそんな変な命令とか出すつもりは無い……っていうか、今まさに出せなくなった訳だけどさ。

 

 俺じゃない誰かがそういう肉体的な接触のある命令を出して、それがもしも俺と黒埼さんが指名されてしまった場合……!

 

 

「……」チラッ

「……」ギロッ

 

 

「ん? 千夜ちゃんどうしたの? そんなに怖い顔しちゃって」

「……何でもありません。少し警告を出していただけです。そこにいる大きな虫に対して」

「えっ虫!? やだ〜! なー退治して〜!」

 

 

「安心してください颯さん。虫が何かした場合私が責任を持って……"駆除"しますから」

 

 

 

 

 こ、殺される……! !

 

 

 この王様ゲーム、俺の命がかかってる…っ!

 

 

 

「よーし、くじできたよ〜♪」

「はー王様やりた〜い!」

 

 

 黒埼さんが手に割り箸を握りしめる。そしてソレを囲むようにしてそれぞれが割り箸へと手を伸ばす。

 

 

「「「王様だ〜れだ!」」」

 

 

 

 こうして、俺にとっては命がけの王様ゲームが開幕したのだった……

 

 

 




 
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学生の本分は勉強です! 2

 

 

 

「「「王様だーれだ!!」」」

 

 

 事務所の休憩所に黒埼さんと久川姉妹の声が響き、3人は順番に黒埼さんが手に握る割り箸を引いていく。次いで無表情の白雪さんが、そして最後に冷や汗をダラダラと垂れ流す俺が割り箸を引く。

 

 

 ……違う、王様じゃない。

 

 

 自分の引いた割り箸の先端を確認するが王様の印は無い。その代わりに先端には3の文字が刻まれている。

 

 

 

「あっ! はーが王様だよっ! やったー!」

「はーちゃんが王の国とは……是非とも凪はその国に移住したいです」

 

 

 王の印である先端が赤く塗りつぶされた割り箸を掲げる颯ちゃん。

 

 とにかく俺はもう祈るしかない。自分が命令の対象にならないことを、そして仮にそうなったとしても黒埼さんに関わるような命令じゃないことを……

 

 もしも黒埼さんと手を繋ぐ!みたいな命令を出されたら……俺は確実に白雪さんに殺されてしまう。

 

 

 

「んーっとね……まぁ一回目だし軽めのやつでいいよね!」

 

 

 颯ちゃんの"軽め"という言葉を聞いて少しだけ安堵する。とりあえず一回目のターンは生き延びられる可能性が高そうだ……!

 

 

 

 

 

「じゃあ、1番と4番がハグする!!」

 

「あっ、私が1番だよ〜♪」

「凪が4番です。4番でエースです」

 

 

 

 

 ダンッ!

 

 

 

「わっ! 白石さんどうかしたの? 急に机に頭ぶつけちゃって……」

「な、なんでもないよ……あはは」

 

 

 

 

 

 

 あ゛っっっっぶねぇぇぇぇぇぇぇ!!!!

 

 ちょっ! マジで危なかったんだけど!? これが軽めの命令って颯ちゃんはマジで言ってるのか!?

 

 もしも指名されたのが俺と黒埼さんだったらと考えると……全身からサーッと血の気が引いていくのを感じる。

 

 

 

「ではどうぞ、凪お姉さんの胸に包まれなさい」バッ

「わ〜い、凪お姉ちゃ〜ん♪」ギュッ

 

 

 冷や汗を垂らしながら青い顔をしている俺をよそに、目の前では腕を広げた凪ちゃんの懐に黒埼さんが飛び込むという百合百合しい光景が広がっていた。

 いつもなら目の保養だとか思うかもしれないけど、今はそんなことを考えている余裕は俺には無い。

 

 そしてハグを始めてから30秒くらいが経過した頃に2人は体を離して、黒埼さんは再び割り箸を手に握った。

 

 

 

「じゃあどんどんいくよ〜♪」

「次もはーが王様取っちゃうよ〜!」

 

 

「「「王様だ〜れだ!!」」」

 

 

 

「……」チラッ

 

 

 ……また王様じゃない。番号は1だ。

 

 

 

「あー、はー王様じゃなかった〜! 王様だれ〜?」

「ふっふっふっ、それは凪です」

 

 

 凪ちゃんは静かに笑いながら、その手の中にある王の割り箸を見せびらかす。

 

 ……凪ちゃんが王様か。どんな命令をしてくるのか読めないな。

 

 

「ついに来ましたね凪の時代が。今からここは凪キングダムです」

「国名とかどうでもいいからっ! それより早く命令を言いなよ〜」

「そうですね……それならば」

 

 

 

 頼むッ…! 俺を指名しないでくれ…!

 

 

 

「1番と」

 

 

 ぐっ……! ま、まぁまだ大丈夫だ。黒埼さんが指名されなければ殺されることも無いッ!

 

 

 

「4番が」

「あっ、私4番だ〜♪」

「なにっ!?」

 

 

 ま、まずい…! これは非常にまずいぞ…!

頼むッ! せめて肉体的な接触の無い命令にしてください凪王様っ!!

 

 

 

「……キス」

「ふぁっ!?」

 

 

 

 ア、アウトォォォォォォ!!!! それは良くない! それだけはダメだって!! 確実に俺が殺されるよ!!

 

 

 

「の、モノマネをしてください」

「……は?」

 

 

 えっ……モノマネ?

 

 

 意味がわかっていないのは俺だけじゃないようで、俺以外の3人も不思議そうな表情を浮かべて凪ちゃんを眺めている。

 

 

「えーっと……凪ちゃん。私イマイチ意味が分かってないんだけれど、キスのモノマネってどいうことなのかな? キスをするフリをするってことなのかな?」

「えっ!そ、それはマズい!」

「あれ? もしかして白石さんが1番?」

「あっ……う、うん」

 

 

「……お前」ゴゴゴゴ

「ひぃっ!!」

 

 

 や、やばいやばいやばい!! 白雪さんの背後にドス黒い怒りのオーラが浮かび上がってるんだけど!? なんか薄っすらと修羅みたいなのも見える気がするんだけど!!

 

 

 

「違います。キスではありません、鱚です」

「はい……?」

「……なー、それってもしかして魚の鱚?」

「流石はーちゃん、ご名答です」

 

 

 え、えぇ……? 鱚って魚の鱚…?

 

 いやいやいや、どんな命令が来るのか読めないとは言ったけどさ……流石に予想の斜め上すぎない?

 

 

「それではお二人とも、どうぞlet's鱚」

「ど、どうぞって言われても……」チラッ

「んー、どうしよっか」

 

 

 チラリと視線をずらして黒埼さんと顔を見合わせる。これには流石の黒埼さんも困っているようで、そこにいつもの余裕を感じさせる笑みは無かった。

 

 

「えーっと……ぴ、ぴちぴち〜、ぴちぴちっ! こ、これでいいかな?」

「……いいですね」

「わ〜! ちとせちゃん可愛い〜!」

「お嬢様……」キュン

「な、なんかコレ恥ずかしいね……あはは」

 

 

 黒埼さんは顔を赤くしながら、ぴちぴちと声を上げ手をヒラヒラと動かす。

 

 確かに可愛い。でもこれは可愛い女の子がやるから可愛いのであって、俺みたいなのがやったら確実にドン引きされるやつだぞ。

 

 

「それでは白石さん、続いてlet's鱚をどうぞ」

「えぇ……俺もやんなきゃダメ?」

「鱚が嫌だというなら本物のキスでも……」

「ぴっ! ぴちぴちぴちぴちっっ!!! ぴちぴちぴちっ! ぴちっ! ぴち〜〜〜っっ!!!」

 

 

 必死、その言葉が正にピッタリの表現だ。俺はとにかく必死でぴちぴちと奇声を発しながら手を振った。 あまりにも滑稽な光景だけど、俺は生きるために必死でやってるだけなんだ。

 

 

 

「わ、わぁ……」

「あ、あはは……」

「お前……」ドンビキ

 

 

 うん、知ってる。そりゃ引くよね。 わかってたよ、わかってたから別に悲しくないし……泣きそうになんかなってないし……!

 

 

 

「いいですね、強い生命力を感じます」

 

 

 何故か凪ちゃんだけには好評だった。

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

「「「王様だ〜れだ!!」」」

 

 

 本日3回目の掛け声が響く。俺の割り箸にはまたしても王様の印は無く、2番の文字が刻まれている。

 

 

 

 

「凪です。またまた凪がキングです」

「えーっ! なーズルいよー!」

「ふっふっふっ、コレはやはり凪キングダムを建国するしかないか」

 

 

 またしても凪ちゃんが王様になった。でもさっきの凪ちゃんの出した命令を見る限りきっとまたヘンテコな命令を出してくるはずだから、俺が白雪さんに殺されるような事にはならないだろう。

 

 

「では命令を……」

「なー、次は普通のやつにしてよね?」

「むっ……はーちゃんにそう言われてしまっては仕方ないですね」

 

 

 な、なんだとっ!? は、颯ちゃん……! 君っていう人は余計な事を……っ!

 

 

 

「では定番も定番の、ドキッとするイベントが起きるやつにしましょう」

「な、凪ちゃん?そういうのはちょっと……」

「2番と3番が手を繋ぐというのはどうでしょうか」

「ふぁっ!?」

 

 

 ま、まずい……! 2番は俺だ…! つまり黒埼さんが3番だった場合、強制的に俺の死刑執行が確定してしまう!

 

 

 

「はーは1番だよ!」

「私は4番だよ〜♪」

 

 

 

 ……っ!? く、黒埼さんが4番だ! や、やったぞ! コレで最悪の事態は回避でき……

 

 

 ……ん? ちょっと待てよ。命令の内容は2番と3番が手を繋ぐ。俺は2番で颯ちゃんが1番で黒埼さんが4番……そして凪ちゃんが王様。

 

 

 と、ということは……

 

 

 

「あれ? てことは……千夜ちゃんと白石さんが2番と3番だよね?」

「……その通りです。私が……3番です」

 

 

 あっ、アウトォォォォォ!!! 別の意味でアウトだよぉぉぉ!!これはこれで殺されるって!!!

 

 

 

「ふふっ、千夜ちゃんと手を繋げるなんて白石さんラッキーだね〜♪」

「わ、わー……男女で手を繋ぐとか、はーなんかドキドキしてきたかも」

「ドキがムネムネ展開ですね」

 

 

「ちょ、ちょっと待って!? 流石にこの命令はよくないんじゃないかな〜って……」

「えー、でも王様の命令は絶対だよ?」

「ぐっ……!」

 

 

 

 ぴ、ピンチだ……! まさかこんなピンチに陥るなんて……

 

 ていうか白雪さんさっきから俯いて全然動かないの怖いんだけど!? あっ、でもよく見たらプルプル震えて……って完全に怒りで震えてるよねアレ!?

 

 

 あんな状態の白雪さんと手を繋ぐとか……お、俺に明日は無いかもしれない……!

 

 

 

「し、白雪さん……?」

「お前……」ゴゴゴゴゴ

「そ、そんな目で俺を見られてもどうしようもないってば! ていうか俺が命令した訳じゃないからね!?」

 

 

「はーいはい♪ 見つめ合ってないで早く命令を実行しないとね〜♪」ニコニコ

「お、お嬢様!?」

 

 

 ニコニコと楽しそうに笑う黒埼さんが白雪さんを俺の横の席に連れてくる。流石の白雪さんも黒埼さんには逆らえないようでされるがままだ。

 

 

「ほ〜ら、早く早く〜♪」ニマニマ

「ぐっ……! こ、このような辱めを……!」

「ほら白石さんもここは男らしくガバっていかなきゃ♪」

「ちょっ! く、黒埼さん…!」

 

 

 黒埼さんは焦ったい俺たちの態度に痺れを切らしたのか、両方の手を掴んで力づくで引き合わせる。

 

 ていうか完全に楽しんでるなこのお嬢様は!さっきからずっと面白いモノを見る目でニヤニヤとしてるし!

 

 

 そして、その細い体のどこにそんなバカ力を隠しているんだっていうくらいの黒埼さんの強い力で無理やり引き合わせられた俺と白雪さんの手が……

 

 

 ガシッ

 

 

 ──繋がってしまった。

 

 

 

「ぐっ…! お、お前……っ!」

「す、すみません! すみませんマジで! だから殺さないでくださいお願いします!」

「……はぁ、まぁ命令をしたのはお前ではないですし……別にいいです」

「あ、ありがとう白雪さん!」

「ただし妙な動きをすれば殺す」

「アッ…ハイ」 

 

 

 

 や、やったぜ…! 俺の無様な命乞いが伝わったのか何とか処刑を免れたぞ。

 もちろん妙な動きなんてしようはずがない。何故なら俺は命を粗末にするような馬鹿ではないからな!

 

 

 

「それにお嬢様の身が穢れてしまうよりはマシです。お嬢様を守るためなら私は喜んで盾になりましょう」

「やっぱ俺の扱い酷いよね? そんな汚物みたいな言い方しないでも……」

「うるさい黙れ」

「アッ…ハイ」

 

 

 ま、まぁこの際扱いの酷さについては置いておこう。命が助かっただけでも儲けもんだ。

 

 ……ん? ていうかコレいつまで繋いでいればいいんだろう。

 

 

「凪ちゃん。これいつまで続ければいいの?」

「何を言ってるんだお前、せいぜい次の命令が終わるくらいまででしょう」

 

 

「いえ、今日1日です」

「はぁっ!?」

 

 

 ちょっ! こ、この子は真顔で何を言っているのかな!?

 

 凪ちゃんの発言に大声を出して驚く俺。そして流石の白雪さんも声こそ出してはいないけど口をぽっかりと開けている。

 

 

「ちょっ! さ、流石に冗談だよね…?」

「もちろん本気ですよ。本気と書いてマジと読みます」

「い、いや一日中は無理だよ!?」

「ですが王の命令は絶対です」

 

 

 凪ちゃんは真顔のまま淡々と答える。真顔だから冗談で言ってるのか本気なのかイマイチ分かりづらい。

 

 

「はぁ……白雪さんも何とか言ってやって……あだだだだだっ!?」

「い、1日……1日中……コイツと……っ」グググ

「ちょっ、白雪さん痛い痛い! そんな思いきり握りしめられると手が砕けるから!」

 

 

 俺の手を握る白雪さんの手にとてつもなく強い力が込められる。思いきり握りしめられた俺の手からはメキメキと不穏な音が聞こえている。

 

 わかるよ嫌なんだよね! 俺と一日中とか想像するだけで力が入るくらい嫌なんだよね! でもそれ以上力を込められ続けると俺の手が粉砕しちゃうからやめてくれないかな!?

 

 

 

「お、折れる! 折れるって白雪さん!」

「1日……1日中……」ブツブツ

「あだだだだだだだっ! マジで折れるぅ!」

 

 

 

「ハァ……ハァ……うふふっ♪ 嫌がる千夜ちゃん可愛いよぉ……」ハァ...ハァ...

「ち、ちとせちゃん目が怖いよ?」

 

 

 黒埼さんは自分の体を両手でぎゅっと抱き寄せながら、顔を紅潮させ、はぁはぁと変態のような荒い息遣いのまま白雪さんのことを観察している。

 

 やっぱり完全に楽しんでますこの人。

 

 

「さぁさぁ! この勢いで次の命令行っちゃうよ!」

「えっ!? マジで手はこのままなの!?」

 

 

「「王様だーれ……」」

「王様だーれだっ!!」

 

 

 黒埼さんの大きな声で久川姉妹の声がかき消される。ちょっとハッスルしすぎじゃないかなあの人……

 

 

 

「あはっ♪ やーっと私が王様になれたよ」ニヤァ...

「げっ」

 

 

 今回の王様は黒埼さんだ。大事そうに割り箸を抱えながらキラキラと目を輝かせている。

 

 ……すっごい嫌な予感がする。

 

 

 

「うーんとね……じゃあ1番と4番が30秒間見つめ合って、感想を言い合うってのはどう?」

「うげっ、俺4番じゃん……」

「はー1番じゃないよ〜」

「凪も違います」

 

 

 えっ……と、いうことは……?

 

 

「……私が、1番です」

「ま、マジ……?」

 

 

「ふふっ、じゃあ2人とも見合って見合って〜? ちゃんと感想も言うんだよ?」ニマニマ

 

 

 ぐ、偶然だよな……? まさか俺と白雪さんを狙い撃ちしたとかじゃあ……ないよね?

 

 でもまぁ……今はとにかく出された命令に従うしかない。俺と白雪さんは渋々といった様子で向き合って互いの顔をジッと見つめ……いや、白雪さんはこれ完全に睨んでるな。

 

 

「……」ジ-

「……」ギロッ

 

 

 うっ……白雪さんめっちゃ怒ってる。怒ってるけども……顔が良い。こんな不機嫌なのに顔が良いとか流石はアイドルだ。

 

 シミやシワなど全く無い雪のような白い肌に、パッチリとした綺麗なパープルの瞳……うーん、顔が良い。

 

 

「はいそこまで♪ じゃあお互いの顔を見つめ合った感想をどうぞ〜」

 

 

 どうぞ〜♪ って言われてもなぁ……か、感想とか難しいんだけど。ていうか恥ずかしいし。

 

 

 

「え、えーっと……その……き、綺麗なお顔をお持ちですね?」

「なぜ疑問系なんだ。 そういうお前は中々面白い顔をしていますね」

「えっ、どの辺が?」

「自分で考えてください」

 

 

 俺は自分の顔を両手でペタペタと触ってパーツを確かめる。まぁ自分のことイケメンだとは思ってないし、むしろ何の特徴もない顔だと思ってたけど実は面白い顔なんだろうか…?

 

 

「白石さーん、そんなに顔引っ張ってると本当に面白い顔になっちゃうよ?」

「えっ?」

「うーむ……この辺を伸ばしたらもっと面白い顔になると凪は思うんですけど」グイ-

「ちょっ、いたたたっ! ひ、引っ張るな引っ張るな!」

「なんか楽しそう! はーもやる!」

「は、颯ちゃんまで!? い、いてててっ! ほ、ほっぺ千切れるから!」

 

 

 そんな風に久川姉妹に絡まれる俺を一瞥した白雪さんは黒埼さんへと声をかけた。

 

 

「……お嬢様、お戯れもこの辺にしてそろそろ屋敷へ戻りましょう」

「えー? まだ遊び足りないよ〜」

「はぁ……当初の目的を思い出してください。明日までの課題が終了していません」

「ブー!」

「駄々をこねても駄目です」

 

 

 すると黒埼さんは一度大きく息を吐いた後に、観念をしたのかゆっくりとその場から立ち上がって俺たちの方へとやってきた。

 

 

 

「白石さん、凪ちゃん、颯ちゃん。私たちそろそろ帰るね? これ以上遊んでたら本当に千夜ちゃんに怒られちゃうから」

「私はお嬢様のためを思って……」

「はいはい、わかってますよ〜」

 

 

 ブーブーと子どものように駄々をこねる黒埼さんと、困ったように小さく息を吐いた白雪さん。なんだかんだで相性はバッチリだ。

 

 

「それじゃあね〜。次はもっと大人数で王様ゲームしようね♪」

「失礼します」

 

 

 黒埼さんは手をフリフリと振って、白雪さんは思わず見惚れるほど綺麗な角度でのお辞儀をしてその場から立ち去っていく。

 

 

「言ってしまいましたね」

「うん……あーっ!」

「うぉっ!? ど、どうしたの颯ちゃん?」

「私たちも早く行かなきゃ! 今日は事務所に自主レッスンに来たんだった!」

 

 

 そう言って颯ちゃんは超スピードで荷物をまとめると、凪ちゃんの手を握り俺のもとに戻ってくる。

 

 

「じゃあはーたち行くね、白石さん!」

「あ、うん。レッスン頑張ってね」

「ありがとう〜! ほら、なー行くよ!」

「待ってくださいはーちゃん。せっかく建国した凪キングダムが……王が国を捨てるなど……」

「そんなのどーでもいいから! ほら行くよ!」

 

 

 颯ちゃんは再び椅子に座ろうとした凪ちゃんを力づくで引っ張ってレッスンルームの方へと走っていった。

 

 そしてその場にぽつんと1人だけ取り残された俺。周りに誰もいなくなったことを確認して大きく息を吐く。

 

 

「はぁ……なんか疲れた」

 

 

「おい、お前」

「うぉぉっ!?」

 

 

 急に後ろから名前を呼ばれた俺は辺な声を出して体を揺らす。震えた勢いそのままに後ろを振り向くと、そこにはさっき立ち去ったはずの白雪さんが立っていた。

 

 

「ど、どうしたの白雪さん?」

「いえ別に、ただお嬢様が机の上に忘れ物をしたので取りに来ただけです」

「あっ、そうなんだ」

 

 

 そう言うと白雪さんは机の上に置きっぱなしになっていた筆箱のような物を手に取って、再びその場から立ち去ろうとする。

 なんとなくそんな白雪さんの様子をボーッと見つめていると、俺の横を通り過ぎた辺りで白雪さんが歩みを止めた。

 

 

「おい」

「えっ?」

「頬が赤くなってます。見るに堪えないのでしっかりと冷やして治しておけ」

「あっ、本当だ」

 

 

 俺はスマホを取り出して自分の顔を確認すると、確かに引っ張られた辺りの部分が薄っすらと赤くなっているように見えた。

 

 

「それと疲れているのなら、しっかりと入浴をして体を温めた後に充分な睡眠を取りなさい」

「あっ、うん……ありがとう?」

「……失礼します」

 

 

 そう言って白雪さんは、俺の方に振り返ることもせずにその場から早足で立ち去っていった。

 

 

 今のって……一応、心配してくれたってことだよな?

 

 

「ははっ」

 

 

 確かに白雪さんは少しだけ俺に対する態度に棘がある感じだけど、なんだかんだで優しい人だってことを実感する。

 

 

「ふぅ……俺も帰るか」

 

 

 黒埼さんたちに続いて俺もその場を後にする。今日はこのまま真っ直ぐ帰って、白雪さんのアドバイス通りにゆっくり風呂にでも浸かって沢山寝ることにしよう。

 

 

 でも……なんだかんだで楽しかったけどさ、結局30分くらいしかまともに勉強してないけど大丈夫なのかな。

 

 

 今度会った時はちゃんと勉強を教えよう……

 

 





 感想、ご意見や評価等お待ちしています。


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占いは信じてません

 

 その日、俺はいつも通り喧しい目覚まし時計の音で無理やり起こされた。その後に朝飯を食って服を着替えて、そして歯を磨きながら朝のニュース番組が映っているテレビへと目を向ける。

 朝のニュース番組と言ってもガッチガチのお堅い系の番組ではなく、お笑い芸人や俳優女優なんかの芸能人が良く出てくるバラエティー寄りの番組だ。

 

 真面目なニュース番組を見ることはもちろんあるけど、こういう朝のバラエティー番組も結構面白いから俺は結構見るタイプなんだよね。

 

 

 

 

 

 

『続いては朝の占いのコーナーです!』

 

 

 占いか……

 

 

 占いという言葉を聞いた途端に、テレビの内容への興味が薄くなる。

 

 別に全く信じていないとか、占いを信じてる人はバカだとかそんな事を言うつもりは無い。

 けれど信じてるか信じていないかと二択で問われれば、俺は占いは信じていないタイプの人間だっていうだけの事だ。

 

 何で信じていないかと言われれば……根拠が無いとか、そんなモノに頼りたくないから、とか色々とあるかもしれないけど、俺が信じていない理由は占いが当たったことが無いからだ。

 

 当たった事が無いから信じない。至ってシンプルな理由だと思う。逆に言えば一回でも的中すれば占いを信じる様になる可能性はある。

 

 

 

『朝の占いコーナーでーす! どうぞ〜!』

 

 

 

 

 司会のアナウンサーが手招きをすると、画面の端から顔を覆い隠すようなローブを被ったやけに怪しくて胡散臭い占い師が現れた。

 

 

『このお方は、最近巷で評判のよく当たる占い師さんでーすっ! 本日はスペシャルゲストでスタジオにお越しいただきました!』

 

 

『……それでは、占いを開始します』

 

 

 精気のない声でそう告げた占い師は、自分のカバンの中から丸い水晶やタロットカードや水晶ドクロを取り出した。そしてそれらに向かって手を添えて、何やらブツブツと小さな声を出しながら念を唱える。

 

 ……もうちょっと道具に統一感出せなかったのかな?

 

 

 

『……見えました。占いが導くとある未来が』

 

 

 俺がボーッとしながら歯を磨いていると、あっという間に占いの結果が出たと言う占い師はドヤ顔を決めてみせた。

 

 

『今テレビの前で歯を磨いている、18歳の大学生で一人暮らしをしていて彼女のいないアナタ……』

 

「俺じゃん」

 

 

 あまりにも自然と口から言葉が溢れる。今挙げられた特徴は全て俺に合致するモノだった。

 

 まさに今リアルタイムで俺のことを監視しているのかと疑うレベルに俺のことだった。

 

 

 

『そんなアナタに要注意……。今日は多大なる不幸がアナタを襲うかもしれません。大人しく家の中にいるのが吉……かも。ラッキーアイテムは……』

 

 

 プツンッ

 

 

 最後まで聞くこと無く俺はリモコンの電源ボタンを押すと、小さな電子音を響かせてテレビの画面は真っ黒に染まった。

 

 

「………」

 

 

 な、なんだったんださっきの占い……。 あの特徴完全に俺だったよね? 俺以外の何者でもないよね? めちゃくちゃピンポイントだよね?

 

 そ、それに多大なる不幸って……

 

 

「………っ」ゾワッ

 

 

 背中にゾワッとした感覚が広がる。その直後に俺は手をブンブンと振り回しながら、歯ブラシを口から出して大きな声を出す。

 

 

「なっ、無い無い! 占いなんて当たらないんだからさ…! た、多大なる不幸なんてそんなのあり得ないよなっ!」

 

 

 手を大きく振り回し、額に冷や汗をかきながら大声を出す俺は側からみればかなりみっともない姿に映るだろう。 だけどそんな事を気にしている場合では無かった。

 

 さっきの占いの恐怖を消し去るために、俺は今一度心の中で大きく叫んだ。

 

 

 俺は……占いなんて信じないからな〜っ!

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

 ガチャッ

 

 

「よしっ、戸締まり確認完了!」

 

 

 家の鍵を閉めた俺はドアに向かって敬礼をかます。そして家の鍵を上着のポケットに入れて適当に街の中をフラフラと歩いて回る。

 

 え? あんな占いがあったのにどうして家で大人しくしていないのかって?

 ま、まぁ……俺は占いなんて信じていないからね。あんな占いはハズレだって自ら証明するために、あえて外に出かけるのさ。どうせ今日も特に何も無く平和に1日が終わるはず……

 

 

 グチャッ!

 

 

「ん?」

 

 

 何やら頭に落ちてきた感触と不愉快な水音が響く。恐る恐る手を頭頂部へと伸ばして髪の毛をくしゃくしゃと弄ると……

 

 

「……さ、最悪だ…」

 

 

 鳥のフンだ……。よりにもよってピンポイントに俺の頭を撃ち抜いてきやがった。

 

 ……一旦家に帰ろう。

 

 

 

 

 

 それから一旦家に帰って、シャワーを浴びて服を着替え直して再び街の中を歩く。

 

 ん? さっきの不運は占いが当たってるからで、大人しく家の中にいた方がいいんじゃないかって?

 ち、違う…! さっきのは偶々運が悪かっただけで、占いが適中してるからとか全然そういうんじゃないし…! 絶対違うし…!

 

 まぁ見ておきなさいって。そうそう不運なことなんて連続では怒らないから……

 

 

 キキ-ッ!

 

 

「ん?」

 

 

 耳をつんざくような大きい音が鳴り響く。反射的に後ろを向くと、視界には猛スピードでこっちに迫ってくる車が入ってきた。

 

 

「おわーっ!!」

 

 

 情けない声を出しながら、目を見開いて咄嗟に道路脇へと飛び退けた。そして尻もちをついたまま、猛スピードで去っていく車の後ろ姿を睨み付ける。

 

 

「いってて……」

 

 

 あ、あっぶねーな!! こんな狭い道であんなにスピード出してんじゃねーっ!!

 

 今俺が避けてなかったら完全に轢かれて死んでたかも……!

 

 

「はっ…!」

 

 

『そんなアナタに要注意……。今日は多大なる不幸がアナタを襲うかもしれません。大人しく家の中にいるのが吉……かも。』

 

 

 その瞬間、あの胡散臭い占い師の言っていた言葉を思い出す。

 

 今の車に撥ねられていたら、確実に大怪我をしていただろう。それどころか死んでいてもおかしくはなく、正に多大なる不幸と言える。

 

 

「………っ」ゴクリ

 

 

 最悪の未来を想像しただけで額からは嫌な汗がたらりと落ちる。

 

 う、うううう占いなんて……信じてないけど、今日は家で大人しくしてた方がいいのかもしれない。 べっ、別にあの占い師の言うことを信じる訳ではないけどね…っ!

 

 

「よ、よしっ……! そうと決まればもう引き返して……」

 

 

 ゴロゴロゴロ

 

 

「ん?」

 

 

 嫌な予感を告げる音が鳴り響く。そして澱んだ色の雲が覆う空を見上げると、ポツポツと弱々しい雨が顔を打った。

 

 ポツポツポツ……と、最初はその程度だった雨は一瞬でザーザーと激しく降り注ぎ始めた。

 

 

「マジかよ…っ!」

 

 

 予想外に強くなってきた雨は、一瞬にして俺の体や衣服をぐしゃぐしゃに濡らしてみせる。家に帰るよりそっちの方が早いと判断した俺は、猛ダッシュで近くの公園にある屋根付きのベンチへと駆け込んだ。

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……ふ、不運だ…っ」

 

 

 屋根の下に避難した俺は膝に手をついて呼吸を整える。公園へと視線を向けると、雨はより一層強く激しさを増して地面へと降り注いでいた。

 

 今日は雨の予報なんて無かったハズなのに……こんな急にどしゃ降りとかなんなんだ本当に。まさかこれもあの占いのせいなのか…?

 

 

「はぁ……」

 

 

 雨が止んだら大人しく家に帰ろう。なんだか今日は本当に危ない気がしてきた。

 

 そんな事を考えながらボーッと激しい雨粒を見つめていると、遠くの方からこっちに向かって駆け寄ってくる人影が目に入る。

 そしてソレは一目散に俺のいる屋根付きベンチの下へと走り込んで来た。

 

 

「はぁ…っ! はぁ…っ! はぁ……っ」

 

 

 一目散に駆け込んで来たソレは、俺と同じように膝に手を当てて呼吸を整えている。

 

 

「はぁ……はぁ……ふぅ」

 

 

 ソレの正体は、突然の雨のせいで服と頭をぐっしょりと濡らした少女だった。

 

 息を切らす女の子は自分の呼吸を落ち着かせるためにゆっくりと呼吸をする。しばらくしてようやく一息ついたのか、自分の胸に手を当てて深く息を吐いた。

 

 

「ふぅ……急に雨が降るからビックリしちゃった……ひゃっ!?」

「えっ?」

「あっ、すみません……人がいた事に気が付かなかったので……」

 

 

 俺の存在に気がついた女の子は、ビクッと体を震わせて俺を見つめる。しかしすぐに顔を下に向けて、ベンチの俺から離れた場所へと腰を掛けた。

 

 

「………」

「………」

 

 

 特に会話もなく気まずい雰囲気が俺たちを包む。とはいえ名も知らぬ少女とどんな風に会話をすればいいのか分かるわけもなく、俺はただただうるさい雨音に耳を傾けて黙りこくる。

 

 

「………」

「………」

 

 

「……あ、あの」

「はい?」

「わ、私出て行きますね……お邪魔しました」

「えっ!? ちょ、ちょっと…!?」

 

 

 女の子は申し訳無さそうに一礼をすると、そのまま立ち上がって、未だに激しく雨が降り続ける屋根の外へと出て行こうとした。

 

 

「まだ雨降ってるよ!?」

「は、はい……でも、お邪魔してしまったので」

「そ、そんな事ないって! というかココは別に俺の場所じゃないんだからそんな事気にしなくていいからさ!」

「……す、すみません。お気を遣わせてしまって」

 

 

 俺が必死に呼び止めると女の子はとりあえず外に出て行こうとするのは止めたが、何故か申し訳無さそうな表情を浮かべて俺に謝った。

 

 

「………」

「………」

 

 

「あ、あのさ」

「……はい?」

 

 

 再び訪れた静寂に耐えられなくなった俺は女の子に向かって声をかける。ただ声をかけたはいいが、何を話すかまでは決めていなかったので言葉に詰まる。

 

 

「……あ、雨強いね!」

「えっ? あっ、はい……そう、ですね」

 

 

 何を言ってんだ俺は。そんな事は見れば分かるだろ…! 確実に女の子を困らせてしまったじゃないか。

 

 

「え、えーっと……このまま雨が止まなかったら大変だね」

「はい、そうですね……もしそうなったら濡れるのを覚悟して走って帰るしかないかと……」

「そ、そうだよね。あはは……」

 

 

「………」

「………」

 

 

 だ、駄目だっ…! 会話が続きません! 誰かオラにコミュ力を分けてくれ〜!!

 

 

 ただ一度会話をしてしまったからにはこの後もずっと無言でいるのは尚のこと気まずい……

 

 あーもう! というかそもそも雨なんか降ってこなきゃこんな事にはならなかったんだよなぁ……いや、元を辿ればあんな占いがあったせいで…!

 

 

「はぁ……不運だ」ボソッ

「えっ」

「ん?」

 

 

 突然、女の子が俺の囁きに反応するようにこっちを向いた。

 

 

「あ、あの……今不運だって」

「え? あぁ、うん。 さっきまで晴れてたのにこんな急に雨降ってきて不運だな〜って」

「……す、すみません」

「えっ!? な、なんで君が謝るの?」

 

 

 突然謝ってきた女の子は本当に申し訳無さそうに目を下に伏せている。何故この子が謝っているのか全く意味が分からない俺は、ただ女の子に何故謝るのかと問うことしかできなかった。

 それに対して女の子は、ゆっくりとしたテンポで、それでいてしっかりとした口調で語り出す。

 

 

「じ、実は……私、人より運が悪くって……不幸な目に遭うとこが多いんです。きっとソレに貴方を巻き込んでしまって……あっ、でも最近は少しだけ前向きに頑張れているんですけど」

「そ、そうなんだ……」

 

 

 つまりは……この子は人より運が悪いから、その自分の不運に俺を巻き込んでしまったと思っている訳か。なるほど……

 

 

「実は私、前にいた事務所も倒産させてしまって……あっ、事務所っていうのは芸能事務所なんですけど……でも今いる事務所はとても居心地が良くて、それでいて皆さんとても優しくて……」

「うんうん」

「……って! す、すみません私ったら! 自分の事を長々と話してしまって…!」

「い、いやいや! 別に謝ることじゃないってば」

 

 

 芸能事務所って事はこの子もアイドルか、それとも女優の卵とかモデルみたいな活動をしているんだろう。 それにしても今いる事務所の話をしている時、彼女があまりにも幸せそうな表情で話すもんだからついつい聞き入ってしまった。

 

 

「す、すみません私ったら……」

「本当に気にしてないからさ……ね?」

「は、はい……すみません」

 

 

 怒ってない事を伝えようとなるべく優しい声色で話しかけてみたが、またしても申し訳無さそうに謝られてしまった。

 この子は謝るのが癖みたいに、体に染み付いているのかもしれないな。

 

 

「そのさ……さっきの不幸の話なんだけどさ」

「は、はい?」

「まぁ君にも実際に色々とあったんだろうし、そんな不幸体質なんて無いだろ〜!なんて言わないけどさ、今日の俺に関しては君の体質とか多分関係ないから安心してよ」

「えっ…?」

 

 

 女の子は驚いたように目を開く。それに対して俺は自虐的に笑って答えた。

 

 

「だって俺、今日は君に会う前からずっと不幸続きだし。ははっ」

「そ、そうなんですか?」

「うんうん。 家を出た辺りで鳥のフンを頭に落とされたし、物凄いスピードの車に撥ねられそうになったし……そもそも今の大雨も君に会う前に降ってきたやつだし」

「え、えーっと……大変でしたね」

 

 

 このジメジメとした雰囲気を吹き飛ばそうとなるべくおどけた感じで話してみたが、女の子には笑うどころか同情するような視線を向けられてしまった。

 

 

「実はさ……」

 

 

 そして俺は全部話した。今朝訳の分からない胡散臭い占いがあって……しかもそれがどう考えても俺のことを指してるようにしか思えないという事、そしてその占い通り俺が今朝から不運続きな事も。

 

 

「てことがあってさ、今日はずっと不運続きなんだよね。占いって信じてなかったけど今回のは当たってるのかな〜なんて」

「す、すごいですね……でもそれなら占いの言う通りお家で大人しくしていた方が良かったんじゃないですか…?」

「あ、あはは……それはそうなんだけど。そんな占いなんて絶対嘘だ!って自分で証明するためにあえてぶらついてるというか……占いに対する反抗というか……」

「……ふふっ」

 

 

 女の子が口元に手を当てて静かに微笑んだ。ようやく見れたその子の笑った顔は、とても儚げで……どこか護りたいと思わせる綺麗なものだった。

 

 

「でもそれなら……やっぱり雨が止んだらお家に帰った方がいいと思います。さっきも言いましたけど私とても運が悪いので、私といたらその占いの効果と重なってもっと危ない目にあうかもしれないので……」

「あ〜、そうだね。雨が止んだら大人しく帰ることにするよ」

 

 

 心配するような視線で俺を見る女の子を安心させるために笑いかける。

 

 この子の言う通り、今日はもう雨が止んだら真っ直ぐ家に帰ろう。どうやら今日の俺は本当に運が悪いみたいだし、あの胡散臭い占いを認めてしまうことになるがこの際仕方ない。

 

 

「……っ」ブルッ

「ん?」

「あっ、すみません。なんでもないで……くしゅんっ!」

「もしかして……寒い?」

「そ、そんな事は……くしゅっ!」

 

 

 大きなくしゃみを連発する女の子。ここに辿り着くまでにかなり雨に打たれてきたのか、よく見れば服が体にぺったりと張り付くほどに濡れている。

 

 

 いかんな……あれじゃこの子が風邪を引いてもおかしくないぞ。

 ここはお決まりのアレをやるべきか…? いや〜でもアレはイケメンにしか許されない行動なんじゃないのか…? なんだコイツ初対面なのにキモッとか思われたりしたら……

 

 いや〜でもやっぱり、一度気づいてしまったからには見過ごす訳にはいかない…!

 

 

「あっ、あ〜! なんか暑くなってきたナ〜」

「えっ?」

「……だ、だから! 俺これいらないからさ……その〜、よかったら……」

「えっ? そ、そんな悪いですよ…!」

 

 

 ゆっくりと俺の羽織っていた上着を差し出してみるが、女の子は驚いなような表情で手をブンブンと振り回す。

 

 

「い、いや〜でも俺本当に暑くてさ……ほらコレ髪濡れてんの雨じゃなくて汗だから」

「えぇっ!? そ、そんな訳ないですよね…!」

「と、とにかく俺の事はマジで気にしなくていいからさ。 このままだと風邪引いちゃうよ?」

「そ、それは……くしゅっ」

「ほらぁ、やっぱり寒いんでしょ?」

「ど、どうして貴方がそんなにドヤ顔なんですか…? ふふっ」

 

 

 そう言うと女の子はゆっくりと手を伸ばして俺の持つ上着を掴んだ。

 

 

「じゃ、じゃあ……すみません、お借りしますね」

「どうぞどうぞ」

「……ふぅ」

 

 

 女の子は濡れた服の上から俺の上着を羽織る。体格差があるから大きさは充分で、俺の上着はすっぽりと女の子の体を包んだ。

 

 

「温かいです……ありがとうございます」

「そ、そう? それなら良かった」

「はい……人の温もりを感じます」

 

 

 女の子は安心したように頬を緩める。そんな姿を見ると、やっぱり勇気を出して渡して良かったと思えてきた。

 

 

「……ふぅ」

「……臭くない? 大丈夫…?」

「そ、そんな事ないです! 全然、本当に!」

 

 

 一応聞いてみたけど大丈夫なようで一安心。コレでこの服なんか臭いな〜とか思われてたら泣いてしまう。

 

 

「あ、あの……お名前を教えてもらってもいいですか?」

「俺の?」

「そ、そうです…! あっ、それと上着は洗濯して返しますので……」

「いいよいいよ羽織っただけで洗濯なんて! それと俺の名前は白石幸輝っていうんだけど……よろしくね」

「白石さん……よろしくお願いします」

 

 

 

「私は白菊ほたるといいます。上着、本当にありがとうございました……白石さん」

 

 

 これが……後に彼女が346所属のアイドルだと知って驚愕することになる白菊ほたるちゃんとの出会いだった。

 

 そして俺はまだ知らない。彼女に出会った事で、この日この後、これまでの人生で経験した事の無いようなデンジャラスな1日を送ることになるのだった……

 

 

 





 感想・評価とうございましたら、よろしくお願いします。


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占いは……たまに当たることもある

 

 変な占いの影響か、とてつもなく運の悪い日に偶然出会った白菊ほたるちゃん。

 俺は今、そんなほたるちゃんと2人で屋根のあるベンチに座り、ザーザーと未だ強く降り続ける雨が早く止まないかと思いながら雑談を交わしていた。

 

 

「へー、ほたるちゃん13歳なんだ」

「は、はい……13歳です」

 

 

 ほたるちゃん13歳なのか……正直15歳くらいかと思ってたけど、かなり年下の子だったんだな。

 というか13歳って事は去年までランドセル背負ってたんだよね? その割にしっかりしすぎじゃないかな…? 俺が13の頃なんてもっとギャーギャーと騒ぎまくってた気がするぞ。

 

 

「白石さんは、おいくつなんですか?」

「俺もほたるちゃんと同じ13歳だよ」

「えっ、えぇっ!? お、同い年なんですか!?」

「ごめん、ちょっとした冗談のつもりだったんだけど」

「えっ……? あ、あぅ」

 

 

 冗談を本気で捉えてしまったのが恥ずかしいのか、ほたるちゃんは顔を赤くして下を向いてしまった。

 

 

「本当は18だよ」

「18……大人の方ですね…」

「いやいや、全然そんなことないよ」

 

 

 なんなら俺よりもほたるちゃんの方が大人っぽいまであるんじゃないか……? 俺なんて体だけデカくなってるけど中身はまだ中学生か高校生みたいなもんだし。

 

 

「そういえばほたるちゃんは……えーっと、あんまり運が良くないんだっけ?」

「あ、はい……そうなんです」

「確かに、こんな急に大雨に降られちゃうのはちょっと運が悪かったね」

 

 

「でも、今日は私にしてはちょっとだけ運が良いんです…!」

「えっ?」

 

 

 少しだけ笑顔を浮かべてほたるちゃんはそう言った。あんなびしょびしょになるくらい濡れてるのに……何かそれ以前に良いことがあったのかな?

 

 

「今日は濡れて困るような物を持っていないので、運が良かったんですよ…! ラッキーです…!」

「……えっ?」

「手帳とかは濡れたら困りますけど、今日はそういうのを持っていないんです…!」

「それ……そっか! それは良かったね!」

「はい!」

 

 

 それだけ…? と一瞬聞きそうになってしまったのを寸前のところで呑み込む。

 人によって幸福の感じ方はそれぞれで、ほたるちゃんにとってはさっきのソレがとても幸福なことなのだろう。 普段からそれだけ不運な目に遭っているということでもあるが、小さな事で幸福を感じられるのは良いことだと思う。

 

 それにしても、やっぱりほたるちゃんはなんかこう……護ってあげたくなる子だな…!

 この子の笑顔は護らなければならないという使命感すら感じてしまうぞ。

 

 

「あれ? 雨……ちょっとだけ弱くなってきた?」

「あっ、そうですね」

 

 

 ついつい話し込んでしまって気が付かなかったが、いつの間にか雨が弱まってきている。完全に止んでいる訳ではないが、確実にさっきよりは弱くなっていた。

 

 

「もう少しで帰れそうですね」

「そうだね。いや〜、もう何も起こらないうちに早いとこ帰りたいよ〜」

「ふふっ、そうですね」

「まぁでも……今日は既にかなり不運な目にあったから、流石にもう何も無いんじゃないかとは思うけどね」アハハ

「あ、あの……それはフラグのような……」

 

 

 いやいや。流石にそんな漫画やアニメみたいな展開になんてなる訳がな……

 

 

 

 グルルッ…!

 

 

「ん? なんの音だ?」

「し、白石さんっ! あ、アレ…っ!」

「……うおっ!?」

 

 

 生物としての本能が危険だと告げているような感覚を覚える。ほたるちゃんが指を差した方へと顔を向けると、そこには大きくてこちらを睨みながら唸る野犬が3匹も立っていた。

 

 というか野犬!? こんな街中の公園にいるのおかしくねぇ!? どんだけ運悪いのさ今日の俺とほたるちゃん!

 

 

「……な、なんかめっちゃこっち見てない?」

「そ、そうですね……」

「これって、結構ヤバい感じ……だよね?」

「は、はい」

 

 

「逃げよう!」

「は、はいぃっ…!」

 

 

 ほたるちゃんと2人で、まだ雨も完全に止んでいないが屋根の外に飛び出して走り出す。

 野犬たちは俺たちの背中にギャンギャンと大きな叫び声を浴びせてくる。威嚇しているだけで追いかけてくる様子は無いのが幸いだ。

 

 とにかく俺たちは夢中で走り続け、住宅街を抜けて大きな道路沿いの道へとやってきた。

 

 

「はぁ……っ! はぁ……っ! あー!ビックリした!」

「はぁ……はぁ……そ、そうですね」

 

 

 後ろから野犬は追ってきていないことを確認して、安全を確保した俺たちは2人して膝に手をついて呼吸を整える。

 

 野犬に睨まれている事に気づいた瞬間は本当に身の危険を感じた……あー怖かった。

 

 

「ほたるちゃん、大丈夫? 結構全力ダッシュしちゃったけど」

「ふぅ……だ、大丈夫です。もう落ち着いてきました」

「へぇ〜結構体力あるんだね」

「はい……レッスンで鍛えられてるのかもしれません」

「ふーん……えっ、レッスン?」

「あっ、レッスンっていうのは……あれ?」

 

 

 ほたるちゃんが何かを言いかけたその時、止みかけていたはずの雨がまたしても強い勢いを取り戻した。傘もさしていない俺たちはまた体を濡らす。

 

 

「うわ……どんだけ運悪いんだ今日の俺」

「す、すみません……きっと私と一緒にいるから不幸に巻き込まれて」

「あっ! ち、違う違う! ほたるちゃんのせいじゃないって! 元々今日の俺はそういう日なんだよ多分!」

 

 

 い、いかんいかん。ほたるちゃんが申し訳なさそうな顔を浮かべているじゃないか。 我ながらデリカシー無いなぁ。

 

 

「と、というか…! 雨また強くなってきたしどっかに避難しないと!」

「あっ、そうですね。 雨宿り出来そうなところを探さないと……きゃっ」

「ほたるちゃん!」

 

 

 その場から動き出そうとほたるちゃんが振り向いた拍子、真後ろに立っていた人物にぶつかってしまう。

 

 

「す、すみません……」

「あぁ!? どこ見てんだこのガキィ!」

「ひっ……」

 

 

 ほたるちゃんにぶつかられた男は眉間に青筋を立てて彼女を睨みつける。

 

 男は小太り体型で口元には無精髭を蓄えている。さらにギラリと輝くグラサンを装着しておりとても高圧的な態度だ。

 

 

「てめぇ……今ので俺が怪我してたらどうすんだコラ?」

「す、すみません…! 私が不注意でした……」

「あぁん!? そんなので俺が許すと思ってんのかぁ!?」

「すみません……すみません……」

 

 

 怯えた表情で謝罪を続けるほたるちゃん。そんな彼女に対しても威圧的な態度を取り続ける男。俺は2人の間に立って物理的に距離を離す。

 

 正直俺もちょっとびびってるけど、流石にここで黙って見てるほど薄情ではない。

 

 

「すみません。確かにこっちが不注意でしたけど、この子も謝ってることですしその辺で」

「誰だテメェこのガキ! 俺は今そっちの女のガキに話があんだよ!」

「いやいや、もうちょっと行かなきゃいけないんで……本当にすみませんでした。行こっかほたるちゃん」

「あっ、はい……すみませんでした」

 

 

 俺は体で男からほたるちゃんを隠しつつ背を向ける。男はまだ何か怒鳴っているけど、こっちはもう謝ったんだから付き合ってやる義理はない。

 

 

「あ、あの白石さん……あの人まだ怒ってますけどいいんでしょうか?」

「ん? あぁ別にいいよ。 それよりとっとと逃げちゃおう」

「は、はい」

「まともに絡むだけ損だよ、ああいう類とは」

「それでも……ぶつかったのは私の方なので…」

「ほたるちゃんは気にする事ないよ」

 

 あんな奴にも本気で申し訳なさそうなほたるちゃんは天使の類なのかもしれない。あんな風に子どもにキレ散らかしてる奴気にする必要無いのに。

 

 と……キレ散らかしてた男は追いかけてくる様子こそ無いが、遠くからまだ俺とほたるちゃんをジッと見つめていて気味が悪いのでさっさと遠くへと避難してしまおう。雨も強いしね。

 

 

「あっ、白石さん。白石さんのお家はさっきの公園の近くですか?」

「うーん、すっごい近い訳でもないけど普通に歩いて帰れるくらいには」

「それならあそこに停まってるバスに乗っちゃいませんか? 私の家もそっちの方なので」

「あー、そうしよっか。バスなら濡れなくてすむしね」

 

 

 たまたま帰る方角が一緒だという俺たちはそのままバスに乗り込んだ。流石に都会のバスとでも言うべきか、車内には大勢の人が乗り込んでいて座れるか不安だったが、唯一後ろの方の2人がけの席が空いていた。

 

 ……今日初めて運が良いかもしれない。

 

 

「よいしょ……はぁ」

「ふぅ……」

 

 

 2人で席に座ると、ほぼ同時に疲労を感じさせるようなため息が出た。なんだなそれがおかしくて俺たちは顔を見合わせて小さく笑う。

 

 

「なんか疲れたね」

「そうですね」

「はぁ……早く家に帰ってシャワー浴びたい」

「頭濡れちゃってますし、このままだと風邪引いちゃいますもんね」

 

 

 ふぅ……とにかく、これでやっと家に帰れる。 今日は本当に運が悪い日だったけど、流石に家に帰ればもう安心だろう。

 

 でも思い返せば返すほど酷い1日だった。

 

 鳥のフンを頭に落とされ、車に轢かれそうになって、大雨に降られて、野犬に襲われて、変なおっさんに絡まれて……いやこれ酷いな本当。

 ほたるちゃんと知り合えた事だけが唯一の救いだ。

 

 

「白石さん、どこで降りますか…?」

「ん?あー俺は……あと5.6個先のバス停かな。そっからなら家に割と近い」

「そうなんですか……私たちが住んでいる所、本当に結構近いんですね」

「そうみたいだね」

 

 

 そういえば……俺の家と近いってことは、ほたるちゃんの家も346やその女子寮に近いってことだよな。

 もしかして346に所属するアイドルで女子寮住みだったりして。 って、流石にそんな事ないか〜あははっ!

 

 

「……あれ、ちょっと待てよ?」

「白石さん?」

 

 

 ん? んんっ? そういえばさっきほたるちゃん、レッスンとか言ってたよな。あと芸能事務所に所属してるとかも言ってたし、それに何より可愛いし……

 

 

 あれ、もしかしてこれってマジで……

 

 

「ね、ねぇほたるちゃん」

「はい?」

「ほたるちゃんってもしかしてアイド……」

 

 

 

 

「全員動くなぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 

 

 

「は?」

「えっ?」

 

 

 ほたるちゃんに声をかけようとしたその瞬間、バスの中にさっき絡んできたおっさんよりも大きくて威圧的な声が響き渡る。

 声のした方へと顔を向けると、バスの先頭には手に銃のような物を持った男が仁王立ちしていた。

 

 ……こ、これってまさか、バスをジャックした的なアレですか…?

 

 

 

「今この瞬間からこのバスは俺が支配した!殺されたくなきゃ大人しくしてるんだなぁ!?」

 

 

 ま、マジでバスジャックだーっ!! えっ、嘘でしょ!? こんなの映画の中の話じゃないの!?

 というか今日の俺、本当にどんだけツいてないんだよっ!!

 

 

「ま、マジかよこれ……」

「バスジャック……私3回目です」

「えっ、マジで…?」

「は、はい」

 

 

 バスジャック経験者って何事…? ほたるちゃん運が悪いとは言ってたけど、これまでどんな修羅場を潜ってきたんだよ……

 

 

「いいか? 殺されたくなきゃ俺の言うことを聞くんだなぁ!」

 

 

 犯人の男は運転手に銃を突きつけている。俺たちはそんな光景をただジッと大人しく見ているしかない。 流石にここで飛び出したりするほど命知らずの人間はいないようだ。

 

 こ、怖ぇぇ……というかバスジャックって映画とかだとどうやって解決してたっけ…? ダメだ全然思い出せない。

 

 とりあえず警察が助けてくれるのを待つしか……!

 

 

「おーいっ! そこのイチャこいてる男女! 妙な動きするんじゃねぇぞ!?」

「えっ……お、俺たちのこと…?」

 

 

 め、目ェ付けられた〜っ!! 最悪だ〜っ!

 

 犯人の男は銃をこっちに向けながらゆっくりと近づいてきて、ジロジロと俺たちのことを品定めするように見ている。俺たちはただただ手を上げて恐怖に耐え忍ぶ。

 

 

「……おいこらガキィ! 俺はこの世で1番嫌いなモンがある。何か分かるか? 答えろォ!!」

「っ…! わ、わかんない……です」

「オメェらみてぇなイチャこいてる男と女が1番嫌いなんだよォ!? 特に女連れてるお前の方だクソガキが!! いい女連れやがってよぉ!」

 

 

 え、えぇ……なんちゅう逆恨みだよ。 というか別にイチャこいてなんか無いしカップルでも無いのに目つけられたんだが! 本当に今日の俺はツイてなさすぎる…!

 

 

「よーし決めた、何かあったらお前から殺してやる! ぜっっったいにお前から撃ち殺すからな!」

 

 

 ひ、ひぇぇ〜っ(涙) めちゃくちゃ嫌われてる〜!

 

 

「クソっ……彼シャツってやつか…? 見てるだけでムカつくぜ……」ボソボソ

 

 

 犯人の男はぶつくさと何かを呟きながら先頭の方へと戻っていく。それを確認したほたるちゃんは俺の耳元に顔を寄せてきた。

 

 

「白石さん」コソッ

「……なに?」コソッ

 

 

 全身を強張らせている俺の耳元でほたるちゃんが囁く。こんな時だっていうのに耳がくすぐったくて体がビクッと震えた。

 

 

「多分、大丈夫です」

「……どういうこと?」

「私、さっきにも言った通り過去にもこういう経験あるんですけど……そのどちらも同じ結末になったので恐らく今回も……」

「……?」

 

 

 どういうことだ? ほたるちゃんの言っている意味がまるで分からないぞ。

 

 

「おいぃ! テメェらぁ!! 警告したばっかなのに何イチャこいてんだコラぁ!?」

「や、やばっ…!」

 

 

 犯人の男は再び俺たちの方へと銃をつきつけながら向かってくる。

 

 

「今キスしようとしてたよなぁ!?」

「えっ、ちがっ…!」

「嘘つけぇ! あんなに顔近づけやがってぇ! クソ羨ましい……じゃなかった、ぶっ殺してやるよぉ!?」

 

 

 や、ヤバい…! こ、殺される…っ!

 

 こんなことなら占いの通り家で大人しくしてるんだった……!

 

 

「リア充死ねぇ…っ!!」

 

 

 男は銃を振り上げる。俺は反射的にほたるちゃんの体を抱き寄せて庇う。

 

 

 

 が、次の瞬間……

 

 

 キキーッ!!

 

 

「うぉっ!?」

「っ……!」

 

 俺の耳に聞こえてきたのは銃声ではなく、甲高い異音だった。

 

 突然、バスの中が大きく跳ねたかと思えば、バスは制御を失ったようにグラグラと激しく左右に揺れ出した。

 

 

「んなっ!? ちょっ! うぉぉぉぉぉっ!!」

「きゃっ……!」

 

 

 あまりにも突然の出来事に俺を含めた乗客は驚きを隠せずにギャーギャーと大きな声で喚くことしかできない。そしてバランスを崩したバスは勢いよく電柱に突撃して動きを止めた。

 

 

 

「ってて……な、何が起きたんだよ一体」

「あ、あの……白石さん」

「え?」

「も、もう……平気なので、その……」

「あっ、ごめんっ!」

 

 

 俺の腕の中で顔を赤くして恥ずかしそうにするほたるちゃん。どうやら自分が思うよりも強く抱きしめてしまっていたらしい。

 それに気がついた俺は即座にほたるちゃんを解放するが、未だにほたるちゃんの顔は赤く、そんな姿を見ている俺までなんだか恥ずかしくなってきて気まずい空気が流れる……

 

 

「あっ! そうだアイツは…!」

「それなら……あそこに」

 

 

 気まずい空気を払拭するように俺は大きい声を出す。さっきの犯人がどうなったのか確かめなければならないが、俺の問いに対してほたるちゃんはゆっくりと指を差す。

 

 

「お、おぉ……」

「"やっぱり"…こうなっちゃいましたか……」

 

 

 倒れた体を起こして、さっきまで目の前で威勢よく吠えていた犯人を見る。するとそこにはさっきの揺れでどこかに頭でもぶつけたのか、クルクルと目を回してぶっ倒れている犯人の姿があった。

 

 

「……気絶してる」

「……すみません」

 

 

 大天使ほたるちゃんは、バスジャック犯に対しても申し訳なさそうに謝るのだった……

 

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 その後、現場に駆けつけてきた警察に犯人の男はあっけなく逮捕された。俺たち乗客にも対した怪我は無く、軽い事情聴取を受けた後にすぐ解放された。

 

 そして今、俺とほたるちゃんはそれぞれの自宅がある方角へと徒歩で向かっていた。

 

 

 

「ほたるちゃん、さっきのやっぱりってどういうこと?」

「あっ、はい……多分、私の不幸体質の影響かと……」

「どういうこと?」

「多分ですけど……あの犯人の人が私の不幸に巻き込まれたんだと思います……以前体験したバスジャックの時、1回目も2回目も同じ事が起こりました」

「えぇ……」

 

 

 何だそれは。もしかしてほたるちゃんは最強キャラなのか…?

 というかじゃあ、ほたるちゃんと同じバスに乗って、しかもソレをバスジャックをしようとした時点でアイツはツキが無かったんだな。

 

 

 

「あっ、白石さん。私はここで」

「ほー、やっぱり女子寮か」

「えっ? どうして私の寮ことを……」

 

 

 ほたるちゃんが指差す道の先には、ここからじゃ見えないが俺の予想通り346の女子寮がある。

 すると俺の呟きに対して警戒する様な……というよりは純粋に不思議そうな表情で俺のことを見つめるほたるちゃん。

 

 まぁそうだよな。なんで今日会ったばかりの俺が女子寮の事なんて放ってるんだって話だよな。

 

 

「ほたるちゃんって346のアイドルだよね?」

「えっ? は、はい……それはそうですけど」

「実は俺も346で働いてるんだ」

「えっ!? あ、アイドルだったんですか白石さん!?」

「ち、違う違う! タレントとかじゃなくてただのアルバイトだよ。主に雑用のね」

 

 

 俺の発言に驚いたように目を見開くほたるちゃん。でも俺もビックリだ。偶然出会っただけの俺たちにそんな接点があろうなんてね。

 

 

「そうだったんですか……そう言われてみれば事務所で白石さんらしき人を見たことがあるような気もしてきました」

「まぁその可能性は充分あるよね。という訳で今後も会う事はあるだろうからその時はよろしくね」

「は、はい…! こちらこそよろしくお願いします…!」

 

 

 ペコリと綺麗にお辞儀をするほたるちゃんに釣られて、俺も体を綺麗に折りたたんで頭を下げる。

 

 

「じゃあ俺もう行くよ。早く家に帰んないと次はどんな目にあうか分かんないし……」

「そ、そうですね……その方がいいと思います」

「じゃあそういうことで。またね、ほたるちゃん」

「は、はい…!」

 

 

 そして俺はほたるゃんに手を振り終えると背を向けて歩き出す。

 

 そのまま一直線に我が家へと歩き続けて、その後は特に不運な目に遭うこともなく無事家に到着することができた……

 あっ今の嘘、そういえば一回排水溝に足突っ込んだわ。まぁ今日起きたハプニングに比べたら可愛いもんだけど。

 

 ほたるちゃんと別れた後にも不運な目に遭ったんだから、これで今日の俺の不幸はほたるちゃんのせいなんかじゃないことが証明されたな。今度ほたるちゃんに会ったら教えてあげよう。

 

 

「はぁ〜帰ってきた〜!」

 

 

 玄関のドアの前で体を大きく伸ばす。ようやく愛しの我が家に帰ってくることができた。もう今日は絶対に家の中から出ないからな!

 

 そして俺は鍵を開けて中に入って……鍵を開けて中に……鍵を出して……あれ。

 

 

 家の鍵……どこだ?

 

 

 お、おおおお落ち着け俺。 今日は戸締まり確認をして……その後鍵はどこにしまった…?

 

 

 、、、、、

 

 

「あ゛っ!!!」

 

 

 う、上着のポケットだ! そうだ思い出した!

 

 はぁ〜! 思い出せてよかった〜! 一瞬ヒヤリとしたじゃないか。よしよし、確か上着のここのポケットに…………あれ?

 

 

「あっ」

 

 

 

 上着、ほたるちゃんに貸したままじゃん。

 

 

「し、しまったぁぁぁぁぁ!!!」

 

 

 

 

 最後の最後まで、今日は不幸続きの1日だ……

 

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜〜

 

 

 

「た、ただいま帰りました」

 

「にゃっ! おかえり〜ほたるチャン! ねぇねぇ知ってる? さっきこの辺でバスジャックがあったんだって〜」

「あぁ……そうみたいですね」

「怖いにゃ〜、そんな映画みたいな話本当にあるんだねー」

「あはは……」

 

 

「あれ、ほたるチャン? その服どうしたの?」

「えっ……? 服がどうかしましたか…………あっ!」

「その服、メンズ用だよね? それにサイズが全然ほたるチャンに合ってないにゃ……って!どこ行くにゃほたるチャン!? 今帰ってきたばっかりなのにゃ〜!」

 

 

 

 

「し、白石さんっ! すみませんでした〜〜〜っ!!!」

 

 

 





 皆さま、今年1年お疲れ様でした。 先ほど投稿する際に気がついたのですが、この小説の総合評価が1000ptに到達していてなんだかすごく嬉しい気分になりました。

 これもこの小説を読んでくださる皆さまのおかげです。来年も是非、本小説をよろしくお願い致します。よりお年を。


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姉が美波で美波が姉で1


 タイトルですぐバレると思いますけど今回はあるアイドルの弟が出てきます。
 ただ公式の方では年齢や見た目に名前などは全く情報が無いので、本小説では勝手にキャラ付けをして登場させてますので予めご了承ください。





 

「アー、コウキは兄弟いますか?」

「俺? 俺は1人っ子だよ」

「そうですか……アーニャと同じですね!」

 

 

 とある雨の日、バイト終わりに事務所の中を歩いていると、偶然出会ったアーニャさんと新田先輩に声をかけられた。

 

 それにしても、2人とも相変わらず顔がいいぜ。

 

 

「突然どうしたの? 兄弟の話なんて」

「今、ミナミィの弟クンの話をしていました」

「えっ、新田先輩弟いるんですか?」

「そうだよ。 1人だけね」

 

 

 マジかよ。姉が新田美波とか前世でどんな徳を積んだら実現するんだ? だって家の中に常に新田美波がいるんだぞ。毎日眼福じゃん。

 

 

「てことは新田先輩、お姉ちゃんだったんですね。 なんというか……イメージ通りっすね」

「えっ、そうかな?」

「はい」

「ダー! ミナミィのようなお姉さん、アーニャもほしいです!」

「ふふっ、私もアーニャちゃんなら大歓迎よ?」

 

 

 そう言ってアーニャさんは新田先輩に抱きつく。そしてソレを受け止めて優しく頭を撫でる新田先輩。

 その光景はまるで大型犬が飼い主にじゃれついているようで……うーん、これまた眼福。

 

 

「じゃあ俺も新田先輩の弟に〜」

「………」ジト-

「あっ、嘘です冗談です。だからそんな目で見ないでください」

 

 

 呆れたような視線を向ける新田パイセン。流れで俺も弟に立候補しようと思ったけど流石に無理だったか。

 

 はぁ……でも、俺も新田先輩みたいなお姉ちゃん欲しかったなぁ〜

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 じゃれ合う新田ーニャを邪魔してはいけないので、俺はあのあとすぐに事務所を出て自宅までへの道を歩いていた。

 

 それにしても今日は雨風が強い。傘をさしているのに肩が濡れる。

 

 

「ん?」

 

 

 その時だった。俺の少し前を歩いていた男の子のポケットから何かが落ちた。それなのにその子は気がつかずに歩みを進める。

 

 俺がソレを拾い上げるとどうやら財布のようで……これはちゃんと届けないといけないな、ということでその男の子の背中に声をかけた。

 

 

「おーい! そこの君〜!」

「……えっ、俺ですか?」

「そうそう君。 これ落としたよ」

「うわっ! ま、マジか! すみません、ありがとうございます!」

 

 

 男の子は自分のポケットを何度か叩いて自分の財布が落ちていることを確認すると、綺麗なお辞儀を披露しつつ俺に礼を言った。

 

 普通にいい子で良かった……ヤンキーとかだったらヤバかったけど。

 

 

「全然気づきませんでした……何やってんだオレ…」

「ははっ、まぁ俺が後ろにいて良かったよ」

「本当にありがとうございました!」

「いいよいいよ礼なんて」

 

 

 ここまで感謝されるとは……やっぱり人助けはするもんだな。気分が良いぞ。

 

 と……まぁそんなやり取りもそこそこに、俺とその子はその場から再び歩き出そうとしたのだが、背後から大きなトラックが3台連続で走ってきたのが視界に入った。

 そしてそのトラックが俺たちの横を通り過ぎる時、丁度そこにあった大きな水溜まりをタイヤで激しく擦った。

 

 

 バッッシャァァァァ!!!

 

 

「ぶふぉっ!?」

「うわっ!」

 

 

 水溜まりの水が激しく飛び散り俺たちに直撃する。さらに背後から続けてやってきたもう2台のトラックからも同じような攻撃が連続で繰り出された。

 

 

 バッッシャァァァァ!!! バッッシャァァァァ!!!

 

 

「ちょっ! ぶふっ!」

「ぐわーっ!」

 

 

 狙い澄ました水攻撃3連続を受けた俺と名も知らぬ少年は全身がぐっしょりと濡れる。髪の毛も衣服も搾ったら水が溢れ出てくるくらいぐしょぐしょだ。

 

 なんだかついこの間、ほたるちゃんに会った日のことを思い出す。

 

 

「………」

「………は、はっくしょい!」

「大丈夫?」

「は、はい……へいきで……はっくしょい!」

 

 

 男の子は大丈夫だと言うがその体は小刻みに震えている。ただでさえ冷え込む日なのに、こうも全身が濡れてしまったら寒いのは当然だ。

 

 

「うぅ……さむっ」

 

 

 このままだとこの子は風邪をひいてしまう。俺は頭を少しだけ悩ました結果、まぁ同じ男子同士だし問題無いだろうという結論に至った。

 

 

「よければちょっと俺ん家来ない?こっから近いんだけど」

「……えっ?」

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

「今風呂沸かしてるからちょっと待っててね」

「は、はい。すみません」

「いいから、いいから」

 

 

 いつも通りの部屋にいつもと違う光景。今日初めて会ってまだ名前も知らない男の子が部屋の真ん中にちょこんと座っている。

 

 自分で連れてきておいてなんだけど、そりゃあ居心地は悪いよな。

 

 

「急に連れてこられて、そりゃあ気まずいよね。ごめんね」

「い、いえ! そんな事ないです」

「でもあのままだと確実に風邪引きそうだったしさ、ほっとけなくて」

「……優しいんすね、お兄さん」

「俺の体は半分が優しさでできてるからね」

「ははっ、なんですかソレ」

 

 

 少しだけ張り詰めた空気が和んだ気がした。

 

 見たところ俺の方が年上だしちゃんとしてあげないとな。

 

 

「俺は白石幸輝、18歳ね。大学生でここには一人暮らし」

「あっ、お、俺は新田涼介って言います。15で中3です」

「新田くんね、よろしく。俺のことは好きに呼んでいいよ」

「涼介でいいですよ。えーっと……白石さん」

 

 

 ようやく自己紹介ができた。というか中学生だったのか……まぁ身長も顔つきも確かに大人って感じではなかったけど。

 

 

「おっ、風呂沸いたな。涼介くん先に入ってきなよ」

「い、いやいや! 白石さんの家なんだから白石さんが入ってくださいよ!」

「気にしなくていいって、そっちの方がびしょびしょなんだから先入りなよ」

「で、でも……」

 

 

 向こうは譲る気が無いらしい。でも俺よりどう見ても涼介くんの方がびしょびしょだから先に入ってもらいたいんだけど……

 

 

「うーん、それならもういっそのこと2人で入る?」

 

 

 軽いジョークのつもりでそんな提案をする。まぁ断られるだろうけどそれが嫌なら先に入りなさいと言えばいい。完璧な流れだ。

 

 

「……じゃ、じゃあそうしましょう」

「…………えっ?」

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 

 カポ-ン

 

 

「ふぅ……」

「よいしょ……っ」

 

 

 なんだこの展開はたまげたなぁ……

 

 軽いジョークのつもりだったのに、なぜか今俺は涼介くんと裸のお付き合いをしている。

 とは言っても2人とも湯船に浸かってる訳ではなく、俺は髪や体を洗っていて、涼介くんが今は湯船に浸かっている。

 

 今日初めて会った子と家の風呂に入ってるってのも中々面白い展開だな。

 まぁ、ウホッ♂イイ男! なんて展開にはならないので安心してほしい。

 

 ふっ……そういえば男子校時代はよく友達と銭湯とか行ってたっけ。

 まぁこうして裸の付き合いをする事で深まる男の絆もあるしな。せっかくだしここは涼介くんと交流を深める事にしよう。

 

 

 

「白石さん、なんで笑ってるんですか?」

「ん? あぁいや……昔はよく友達と一緒に風呂とか入ってたっけな〜って思い出してね」

「へぇ……俺、学校行事とか以外のプライベートで、家族じゃない人と風呂入るの初めてです」

「俺が初めての相手か……」

「変な言い方しないでください」

 

 

 ジト目で俺を見ながら一息つく涼介くん。それなりに打ち解けてきたかな?

 

 というか……今の涼介くんの顔誰かに似てる気がしたんだよなぁ。あのジト目を見たことある気がするんだけど……うーん、わからん。

 

 

「……白石さんって、男らしいですよね」

「……俺が!? あははっ、そんな事全然ないよ!」

「そうなんですか?」

「うん、だって俺初対面の女の子と話すだけで緊張するもん」

「えっ……そんな感じ全然しませんでした」

「涼介くんは男だしね、それに年下だし俺からすれば話しやすいよ」

 

 

 あ〜、それにしても俺って中学生からすれば男らしく見えるのか…? まぁ俺も中学生の時なんかは大学生ってだけで大人に見えてたし、大学生補正も入ってそうだな。

 

 

 

「白石さんって身長はどのくらいあるんですか?」

「えーっと、この前測った時は178とか179とかだったっけな。もしかしたら今測ったら180いってるかも」

「いいなぁ……俺もそんなふうになりたいです」

 

 

 そう言って少しだけ暗い顔をする涼介くん。確かに涼介くんはあんまり身長が高くはなさそうだけど……気にしてるのかな。

 

 

「涼介くんは?」

「……155です」

「そっか。でもまだ中3なんだしさ、これから全然伸びる事もあるよ。実際俺の友達も高校入ってからアホみたいに伸びたやついるし」

「身長だけじゃないんですよ……俺、全然筋肉もつかないし体重も増えないし……顔もよく女っぽいとか言われるし」

 

 

 そう言われてみれば涼介くんはそれなりに可愛い系の顔をしている。 中性的とでも言うべきだろうか、優しそうなタレ目が印象的だ。

 

 

「男の娘適正アリってやつか」

「あの……本気で気にしてるんで」

「ごめんごめん」

 

 

 拗ねたように湯の中から顔を出してジト目を向ける涼介くん。

 

 うーん…やっぱあのジト目に身に覚えがあるんだよなぁ。

 

 

「いいなぁ、白石さんは筋肉ついてて」

「俺なんか全然だって」

「白石さんで全然なら俺なんか無ですよ。無」

「あははっ」

「それに……」ジ-

「……?」

 

 

「やっぱり大人だ……はぁ」

 

 

 俯いて呟く涼介くん。何やら下半身に視線を感じた気がするけど……気のせいだよな。

 

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

「涼介くん、服それでいい?」

「あ、大丈夫です。……ちょっと大きいけど」

 

 

 風呂を出た涼介くんに俺のシャツとズボンを貸す。どちらもちょっとぶかぶかだけど、まぁ体のサイズが違うし仕方ない。

 

 

「雨、全然止んでないね」

「そうっすね……」

「今出てったらまたびしょ濡れだし、もうちょっと雨宿りしときなよ」

「白石さんがいいなら……」

 

 

 もちろん俺は全然構わない。なんなら久しぶりに家に誰かがいる状況を少しだけ楽しんでいるまである。

 

 

「涼介くんゲームとかする?」

「はい、それなりに」

「よしっ! それじゃあ今からゲーム大会だ!」

「白石さんゲームやるんですか……って、結構持ってるんですね。あっ、俺これやった事ありますよ」

「じゃあまずはこれにしようか」

 

 

 そんなこんなで俺と涼介くん、男2人だけのゲーム大会が開催された。

 1人でやるゲームもいいけど、やっぱり人とやるゲームもいいものだ。

 

 

 そしてゲームを始めてから数時間……

 

 

 

 

 

 

 

「あっ! 白石さんそれズルいですよ! 俺が先に目つけてたのに!」

「はっはっは、このゲームは子どもの頃やりまくったからな! 負ける訳にはいかないのさ!」

「くっ……それなら、これでっ!」

「なにぃっ!? そんなやり方が…!?」

「あははっ! 白石さん油断しすぎ!」

 

 

 うん、めちゃくちゃ仲良くなった。 弟分ができたみたいでめちゃくちゃ俺も嬉しい。

 

 まぁ男同士なんてこんなもんよ。一緒に風呂入ってゲームでもすれば一発でマブダチさ。男子校時代もこんな風によくゲームやって、お泊まり会とかしてたもんだ。

 

 

「ふぅ……白石さん大人気ないですよ〜 さっき白石さんのこと大人っぽいって言ったけど、ちょっとだけ撤回します」

「ふっ、俺は誰であろうと手は抜かないのさ」

「そういうところですよ、ははっ」

 

 

 悪いな涼介くん。俺が勝負事で手加減をするのは小学生以下限定なのさ。

 

 

「はぁ〜楽しかった……ってやば、もうこんな時間かぁ」

「あ〜ごめん、つい夢中になっちゃってたね。門限とかある感じ? もしそうなら俺も着いていって一緒に謝るけど……」

「いや、門限とかは無いんですけど……姉ちゃんが結構うるさくて」

「へぇ〜、涼介くんお姉さんいるんだ」

 

 

 厳しいお姉さんなんだろうか? ……もし怒られるっていうなら俺がちゃんと事情を説明してあげないとな。連れ込んだのは俺だし。

 

 

「姉ちゃん、いつまで経っても俺のこと子ども扱いするんですよ。俺もう来年から高校生なのに」

「まぁまぁ、きっとお姉さんも涼介くんのことが可愛いんだよ。だから心配なんだって」

「はぁ……あんなに小言がうるさい姉ちゃんがどうしてあんなに人気なんだろ」

「ん? 人気って……?」

 

 

 俺の問いに対して涼介くんは困ったようなリアクションを取る。あんまり突っ込まない方がよかっただろうか……

 

 

「えーっと……その、姉ちゃんは……弟の俺が言うのも変だけど結構美人なんですよ」

「へぇ〜、そうなんだ」

「はい。だから……すごい人気者なんです」

「ほぉ〜」

 

 

 美人で人気者のお姉さんか……いいね!

 

 

「はっ!」

 

 

 ちょっと待てよ。 これはまさか……

 

 

 

『あの! 弟をお世話していただいてありがとうございます!』

『いえいえ、困ってる弟さんを見過ごすなんてできませんでしたから』キラ-ン

『あ、ありがとうございます……それで、その……お礼もかねて今度お食事でも…』

『ぜひ、ご一緒させていただきます!』

 

 

 

「なんて展開が!」

「無いですね、姉ちゃんガード固いですし」

 

 

 俺の妄想は涼介くんに一刀両断されて空気と混ざり合い消えた。

 

 くっ……流石にこんな都合のいい展開無いか。

 

 

「姉ちゃん、あんなモテるのに彼氏の1人もいたことないんですよ?」

「……涼介くん、お義兄さんは欲しくないかい?」

「だから無理ですって。ていうか白石さん、姉ちゃん狙ってるんですか? やめておいた方がいいですよ。確かに見た目は……まぁ良いですけど結構小うるさいし、意外と抜けてる部分あるし」

「ギャップってやつだね」

 

 

 話を聞いてる限り全然素敵なお姉さんだとしか思わないけどなぁ……まぁ1人っ子の俺には実際に姉や兄がいる訳じゃないから分からないこともあるのかもしれない。

 

 

「というか姉ちゃんの話やめましょうよ。俺学校でもクラスの男子に凄い姉ちゃんの事聞かれるからウンザリなんです」

「まぁまぁ、男子トークしようじゃないか少年よ」

「実の姉が男子トークのネタにされる方の身にもなってください」

 

 

 というか涼介くんのクラスメイトに知られるほどの人気者なのか。ぜひ一目会ってみたいな……どんだけの美人なんだろう。

 

 

「ん? うわ、姉ちゃんからメールだ……」

「なんて書いてあるか聞いてもいいかな?」

「えーっと、うわ……お父さんとお母さんから姉ちゃんに、俺がまだ家に帰ってないけど知らないかってメールがきたらしいです」

「それでお姉さん直々に涼介くんへ連絡をとった訳か」

「そんな感じです」

 

 

 そう言って大きくため息を吐く涼介くん。よほど姉に小言を言われるのが嫌なのだろう。

 

 

「白石さん、この家の住所って聞いてもいいですか?」

「別にいいけど、どうかした?」

「いえ……姉ちゃんに事情を説明したら、お礼もしなくちゃいけないから迎えにくるって」

「なにっ!? 超美人のお姉さんが俺の家に!?」

「……なにを期待してるんですか、白石さん」

 

 

 い、いやだって…! これはまさにさっき俺が妄想してた展開じゃないか…! これはいよいよ俺にもツキがやってきたか?

 

 あ、でもそんな美人さんと上手く話せるか自信ないや……

 

 

「お姉さん、車とかで迎えに来るの?」

「いえ、歩きだと思います。姉ちゃんはこの近くでアイド……いや、仕事をしているのでその帰りにここに寄るんだと思います」

「キャリアウーマンか。まいったな……年上の美人さんと上手く話せるだろうか……」

「だからなにを期待してるんですかって」

 

 

 そりゃあ……ひょんなことから始まるラブなロマンスよ。まぁ実際には普通にお礼言われて終わりだろうけど。

 

 

「なんかすごいハードル上がってそうですけどね、姉ちゃん外ではしっかりしてますけど、本当に家では結構抜けてる人なんですよ?」

「例えば?」

「この前なんて、俺が家に帰ってきたらリビングに下着でいたんですよ? そんで、まだ帰ってくると思ってなかったのに〜って。普通リビングで着替えますか? もういい年齢なのに」

「ラッキースケベじゃないか」

「実の姉相手のラッキースケベなんてキツいだけですよ」

 

 

 いくら美人でも血のつながった姉のラッキースケベは流石に無理なのか。 また一つ兄妹の生態について賢くなってしまった。

 

 

「それにこの前なんか、間違って消費期限の切れた牛乳飲んで腹壊してたし」

「それは普通に心配してあげようよ」

「あとこの前は、夜中にアイス食ってました」

「そんなに美人なら色々とストレスを抱えることもあるんだろう……偶の贅沢くらい許してやろうぜ?」

「何キャラなんですか、ソレは」

 

 

 涼介くんの話を聞いていると結構楽しそうなお姉さんだと思うけどなぁ。俺は兄弟いないし普通に羨ましいぞ。

 

 

「あっ、姉さんそろそろ着くみたいです」

「……き、緊張してきた」

「あははっ、白石さん……今日は本当にありがとうございました。それと、すごい楽しかったです」

「俺も久しぶりに人と風呂入ったりゲームしたりで楽しかったよ。こっちこそありがとうね」

 

 

 一人暮らしをしていると偶に無性に寂しくなる日があるんだよなぁ……そんな時涼介くんと話したりゲームするのは俺も本当に楽しかった。

 

 

「あの……また、遊びに来てもいいですか?」

「もちろん! またおいで」

 

 

 今日1日で相当仲良くなれたような気がする。大学になら男の友人はいるけど、学外での知り合いって仕事柄俺は女の人が多いから男の友達ができたのは嬉しい。

 

 

 ピンポ-ン

 

 

「あっ、姉ちゃんかな」

「落ち着け落ち着け落ち着け、まずは笑顔だ。こういうのは第一印象が肝心なんだ……」ブツブツ

「白石さん、だから姉ちゃんは狙っても無理ですって」

「うるさい! 夢くらい見させてくれよぉ!」

「えぇ……」

 

 

 心の中で何を言おうか練習しながら玄関へと向かう。そして涼介くんが玄関のドアを開けた。

 

 

「あっ! 涼介! もぅ、心配したんだからね!」

「ごめんって、姉ちゃん」

 

 

「あ、あの! 涼介のこと、本当にご迷惑をおかけしました。私、涼介の姉で……」

「いえいえ、気にしないでください。困っている弟さんを見過ごすなんてできないので……」

 

 

 …………あ、あれ?

 

 

 

「「………えっ?」」

 

「2人ともどうかしたの?」

 

 

 状況を把握できていない涼介くんとは対照的に、俺とお姉さんはお互いに顔を見合わせて目を見開く。ピクピクと小さく震えながら互いに指を差して確認をした。

 

 

「りょ、涼介を助けてくれたのって……」プルプル

「りょ、涼介くんのお姉さんって……」プルプル

 

 

 

 

「「えぇぇぇ〜〜っっっっ!?!?」」

 

「うわっ、2人ともどうしたの?」

 

 

 

 玄関のドアの前に立っていたのは、俺も知っているあの新田美波こと新田先輩だった。

 俺もかなり驚いているが、向こうもまさか俺が出てくるとは思っておらず、今まで見た事ないような慌てふためいた態度を見せている。

 

 

 

 た、確かに名字は新田だけど………

 

 

「嘘だろ〜〜〜っ!!!」

 

 

 いや、ほんと……嘘でしょ…?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・新田涼介(ニッタ リョウスケ)

・15歳、中学3年生、身長155cm

 

女神系アイドル新田美波の実の弟。 本人は身長が低いことや華奢な体つきに加え、顔が美波似で中性的な事がコンプレックス。

男らしくなりたいと思っている。

 

 

 

 





 アイドルの兄妹姉妹の存在って結構明言されてますけど、その中でも新田弟くんは結構人気ですよね。私も好きです。



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姉が美波で美波が姉で2

 

 

 【速報】今日知り合って裸のお付き合いをした男の子の姉が新田美波だった。

 

 いや、意味不明だぜ!

 

 

 

「………」

「………」

 

 

「姉ちゃん、白石さん? どうしたのさ?」

 

 

 俺と新田先輩は衝撃のあまりお互いの顔を見て硬直する中、涼介くんは事態が把握できていないようで俺たちを交互に見た後に首を傾げた。

 

 

「と、とりあえず中にどうぞ……事情を、説明するので」

「う、うん……そう、だね」

 

 

 新田先輩を家の中に通して、リビングにあるテーブルの前に座ってもらう。俺もその正面に座り、その間に涼介くんも座った。

 

 うわ〜い、家の中に新田先輩がいるなんて夢のようだな〜なんて思える展開でもなく、ただただ頭の中が驚きのせいでパニックだ。

 

 

「えーっと……とりあえず状況を説明しますね?」

「あっ、ううん。涼介から事情はメールで聞いてるから……ただ、その助けてもらった人が白石くんだとは思ってなかったけど」

「そ、それを言うなら俺もですよ! まさか涼介くんのお姉さんが新田先輩なんて……」

 

 

 いや〜本当にな。 まさかこんな展開になるなんて思ってもなかったわ。

 まぁでも、涼介くんの超美人お姉さんが新田美波だって言うんなら納得はできる。そりゃあこんな美人のお姉さん人気者にもなるよ……

 

 

「ふぅ……ようやく落ち着いてきました。ちょっとプチパニック状態だったので」

「ふふっ、私も落ち着いてきたかな。改めてお礼しないとね、ありがとう白石くん」

「い、いえいえ! 俺が自分でやったことですし! それに俺も涼介くんとゲームとかやって楽しかったですし……」

 

 

「ねぇ! いい加減説明してくんない!?」

 

「「あっ」」

 

 

 置いてけぼりを食らっていた涼介くんの我慢の限界が訪れた。不満げな顔で俺と先輩の顔を交互に見比べて説明を催促する。

 

 

「えーっと、どこから説明したものか……実はね、涼介くん……」

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

「と、いう訳なんだけど」

「そうね、今の白石くんの説明通りよ」

 

 

「つまり、白石さんは姉ちゃんのアイドル事務所でアルバイトをしているから既に知り合いで、しかも同じ大学の先輩後輩だっていうことであってる?」

 

「合ってるよ。あっ、ちなみに初めて会ったのは大学だったかな。そうですよね?」

「うん。夕美ちゃんの紹介でね」

 

 

 話を聞いた涼介くんはこめかみに人差し指を当てて、うんうんと唸っている。そりゃあこんな話を急にされたら誰だって驚く。

 まさか自分がその日初めて知り合った男と、自分の姉が実は知り合いだったとかそんな話は信じられないだろう。

 

 

「でも私本当に驚いちゃった。そういえば2人とも随分と仲良くなってるみたいだけど、ずっと一緒にゲームしてたの?」

「あ、はい……」

「ちょっ! し、白石さん…!」

 

 

 俺が新田先輩の問いに答えようとすると、涼介くんは何か慌てた様子で俺の肩を掴んで先輩に聞かれないように小さな声で耳打ちする。

 

 

「どうしたの?」ヒソヒソ

「ね、姉ちゃん結構うるさいんですよ。普段からゲームやりすぎるなよ〜とか……それなのに1日中ゲームやってたとか言ったら絶対に説教されちゃいます…!」ヒソヒソ

「なるほど」

 

 

 つまりアレか。涼介くんは俺とゲーム三昧だった事実を隠しておいてほしいってことか。

 まぁ確かに新田先輩そういうのちゃんと注意してきそうなイメージあるな。でも先輩にめっ!って注意されるならそれはそれで……

 

 

「白石くん? どうかしたの?」

「あっ、すみません。何でもないです」

「そう? あ、それで今日は2人で長い時間何をしてたのかな?」

 

 

 再び俺から情報を聞き出そうとする先輩。よほど弟が何をしていたか気になるんだな。

 俺のことを不安そうに見つめる涼介くんを安心させるために微笑みかける。

 

 何も心配をするな少年、俺が適当に誤魔化してやるからな!

 

 

「えーっと……確かにゲームも一緒にしてましたけど、それだけじゃないですよ? ねぇ、涼介くん」

「そ、そうだよ姉ちゃん! 俺たち別にゲームずっとやってた訳じゃないし!」

「そうなの? じゃあ一体何を……」ジ-

 

 

「裸のお付き合いもしました」

「えっ!?」

「ちょっ! し、白石さん言い方ァ!」

「はっ! しまったつい」

 

 

 疑うような新田先輩の視線に焦ってつい変な言い方をしてしまった。

 別に普通に一緒に風呂入ったとでも言えばいいのに……いや、でもやっぱり出会った日に2人で風呂入ってるってのも変な話だな。

 

 

「は、裸のお付き合いって……」

「違うぞ姉ちゃん! 変な意味じゃなくて、普通に一緒に風呂入っただけだから!」

「そ、そうよね……別に変な意味じゃないわよね」

「そうそう! ですよね白石さん!」

 

 

 

「涼介くんは……俺が初めてだったらしいです」

「ど、どういうことなの涼介!?」

「白石ィ!」

 

 

 あっはっは。いやー新田姉弟面白いなぁ……いいリアクションしてくれるぜ。

 

 因みに今のは、『プライベートで家族じゃない人と風呂入るの初めてです』って涼介くんがさっき実際に言ってたことだし、嘘は言っていないぞ。

 

 

「まぁまぁ冗談ですよ先輩。確かに涼介くん可愛い顔してるけど、俺は普通に女の子が好きなんで」

「……」ジト-

「……」ジト-

 

「おぅふ……」

 

 

 2人してジト目を俺に向けてくる新田姉弟。めちゃくちゃ顔が似てるから、受ける精神的なダメージも倍増してる様な気分だ。

 

 あっ……涼介くんのジト目に見覚えがあったのってこういう事だったのか。謎が解けたぞ。

 

 

「で、 本当は何をしてたの? 涼介」

「うっ、まぁ……風呂入ったのは本当で、その後はずっとゲームしてたけどさ」

「はぁ……どうして最初嘘付いたの? お姉ちゃん嘘は嫌いよ?」

「だ、だって姉ちゃん絶対グチグチ言ってくるし」

「涼介のことを思ってのことです!」

 

 

 弟の目を真っ直ぐに見ながら叱る先輩。そしてばつが悪そうに正座をしてお叱りを受ける涼介くん。

 

 なんだか姉弟というよりは親子みたいだな。

 

 

 

「う、うるさいな! 姉ちゃんはいつもグチグチ! 母さんでもあるまいし!」

「んなっ!」

「大体姉ちゃんはいつも俺に色々と注意してくるけど、俺だって姉ちゃんに言いたいことあるんだからな!」

「涼介! お姉ちゃんに向かってそんなこと言っちゃいけません!」

 

 

 軽い口論がヒートアップして姉弟喧嘩を始める2人。俺はとりあえず2人を落ち着かせようと間に入った。

 

 

「ま、まぁまぁ2人とも落ち着いて。喧嘩はよくないですよ〜」アハハ

 

「白石くん! 白石くんはどっちの味方なの!?」

「えっ?」

「もちろん俺の味方ですよね! 白石さん!」

「ちょっ……お、落ち着いて…!」

 

 

 ま、巻き込まれた…! マズいぞ……姉弟喧嘩の火の粉が俺にまで降り注いできた。

 

 

「お、俺はどちらか一方の味方とかじゃなくて2人の味方ですよ?」

「はぐらかさないで!」

「そうですよ!」

「え、えぇ……」

 

 

 な、なんでこんな浮気がバレた二股男みたいになってんだ…? 俺はただ事態をなるべく平穏に収めようとしただけなのに。

 

 

「私の方が付き合いは長いし私よね!」

「人間関係は付き合いの長さじゃなくて深さだよ!」

「ふ、深さもあるわよ! 合宿の夜に1晩中一緒に(トランプ)シた仲だもん!」

「先輩言い方ァ!」

 

 

「お、俺だってもう互いの全裸見たくらいの仲だし!」

「涼介くんも言い方ァ!」

 

 

 くっ…! 何も悪いことなんてしていないのに、これじゃあまるで本当に俺が2人に手を出してる屑男みたいじゃないか!

 

 

「とりあえず落ち着こう2人とも!!」

 

 

 どんどんヒートアップしていく喧嘩を止めるために大きな声で牽制をすると、2人はかなり驚いたようで体をビクッと跳ねさせた。

 

 

「まずは先輩!」

「は、はい!」

「弟さんのことを心配するのはごもっともだと思いますけど、涼介くんももういい年なのであまり細かいことを注意しすぎるのもよくないかと…! もう少し涼介くんを信用してあげてください!」

「……そ、そうね」

 

 

「そして涼介くん!」

「は、はい!」

「確かに色々と言われたらイライラするかもしれないけど、先輩は本気で涼介くんを気にかけているからこそ注意が多くなってるんだ。別に意地悪してる訳でもないし、あんまり強く当たっちゃいけないよ!」

「……わ、わかりました」

 

 

「落ち着いたなら2人とも謝る!」

「……ご、ごめん姉ちゃん」

「私の方こそ……ごめんね涼介」

 

 

 

 冷静になった2人は、互いにペコリと頭を下げて謝罪と仲直りをした。

 

 ふぅ……とりあえず力技で喧嘩を仲裁したぞ。自分が熱くなってる時に自分よりも熱くなってる人を見たら落ち着くという人間の習性を利用したゴリ押し技が決まった。

 

 

「白石くんもごめんね。こんなみっともないトコ見せちゃって」

「それは全然構わないんですけど、先輩もあんな風に喧嘩とかするんだなってちょっと意外でした。普段事務所で見てる姿からは想像できないといいますか……」

「何言ってんですか白石さん、姉ちゃん家では割とこんな感じですよ?」

「り、涼介!」

 

 

 涼介くんの言葉に対して、顔を真っ赤にして声を上げる先輩。

 

 なんとなく思ってはいたけど、新田先輩って意外にイジられキャラだよなぁ…… 弟の涼介くんにもこうやってイジられてるし。

 

 

「さっきも言いましたけど、姉ちゃん意外に家では抜けてるというかズボラというか……」

「あー、ラッキースケベとかの話?」

「そうそう……あっ」

「ん?……ひぇっ」

 

 

「涼介…? 白石くんに一体何を話したのか教えてくれるかな…?」ゴゴゴゴ

 

 

 背中にゾクリとした寒気を感じてゆっくりと顔を先輩の方に向ける。するとそこには顔は笑っているのに目は笑っていない、明らかな怒りのオーラを見に纏わせた先輩がいた。

 

 これはマズい……前に海合宿の時にも見たマジ怒りモードの新田美波だ。

 

 

「ね、姉ちゃん……い、今のは……その!」

「言い訳はいいから、白石くんに何を言ったのか……話しなさい。ね?」ガシッ

「は、はぃぃっ!」

 

 

 背後に修羅を携えながら涼介くんに笑顔の脅迫をする先輩。そのあまりの迫力に気圧された涼介くんは全てを話した。

 

 

「ね、姉ちゃんが……俺が帰ってきた時にリビングで下着姿だった話と、賞味期限切れの牛乳飲んで腹を壊した話と、夜中にアイス食ってた話です……はい」

「……それで全部?」ゴゴゴ

「ぜ、全部全部! 本当にこれしか話してない!」

「そう……ふんっ!」

「あだっ!」

 

 

 先輩は涼介くんの頭頂部にチョップをかますと、次は俺の方へと顔を向けて近づいてくる。俺の体は蛇に睨まれた蛙の様にピクリとも動かない。

 

 こ、怖ぇぇ……!

 

 

「忘れて?」

「えっ」

「涼介から聞いたこと、全部忘れて?」

「わ、忘れてって先輩そんな無茶な……」

 

 

「わ・す・れ・て?」ニコッ

「……も、もう忘れました」

 

 

 俺の肩をがっしりと掴んで顔を近づけてくる先輩。

 綺麗な顔が間近にあって胸がドキドキ〜!というよりはもう別の意味で胸がドッキドキだ。

 

 

 こ、怖すぎる……女神系アイドルの見てはいけない部分だ。

 

 

「分かってくれれば……よし!」

「ほっ……」

「でも白石くん? もしもさっきの話を誰かにバラしたりしたら……ふふっ」

「い、言いません!絶対に言いません! というかもう忘れたので何も分かりませんっ!」

 

 

 ひ、ひぇぇ……怖すぎる。 なんなんだあの含みを持たせた笑みは。もし誰かにさっきのを話したら俺は一体どうなってしまうんだ…?

 

 恐ろしいから考えるのはやめとこう……

 

 

「あ、そうだ姉ちゃん。俺も一つ聞きたいことあるんだけど」

「ん? どうしたの?」

「さっき喧嘩してる時姉ちゃん、白石さんと合宿の夜に一晩中一緒とかなんとか言ってたよな? 何してたのかなーって……」

「えっ、それは……」

 

 

 新田先輩と目が合う。

 

 合宿の夜に一晩中って言ったらトランプのことだよな。

 アレは酷かった。 俺は眠くて寝たいのに先輩全然寝かせてくれないし、自分が勝つまで止めるつもりないのにめちゃくちゃ弱いし……

 

 

「アレは辛かった……」

「ちょっ! そ、そんな言い方しなくてもいいじゃない」

「いやでも、本当にこっちは大変だったんですよ体力的に。というかむしろ先輩は何であんなに元気だったのか知りたいですよ。朝までピンピンしてましたし」

「そ、そんな事ないわよ…?」

「いーや、先輩だけがずっと元気でしたよ。塩見さんなんて途中で寝てましたし」

 

 

 ダメだ、なんか思い出しただけで眠たくなってきたかも。

 俺はあの日以降もう新田先輩とは対決事の類は絶対にしたくないと思ったんだよな……

 

 

「だ、だって……あの日の夜は、白石くんが私をずっと(トランプで)イジめるから……私どうしても負けたくなくって、気がついたら朝になってて……」

「(トランプで)イジめられてたのは俺の方ですよ。何回もう寝かせてくれと頼んだことか」

「だ、だって……白石くんずーっと元気だから、(トランプし続けても)いいのかなって」

「元気じゃないです! めっちゃ眠かったですよ!」

 

 

(ね、姉ちゃんと白石さんって……どんな関係なんだ…?)

 

 

 俺と先輩が合宿の思い出話に花を咲かせていると、涼介くんは困惑したような顔で俺と先輩の顔を交互に見ていた。

 

 あれ? そういえば何で合宿でトランプやった話になったんだっけ……うーん、思い出せない。

 

 

「さて、じゃあそろそろ帰ろっか。涼介」

「えーっ、もうちょっと白石さんとゲームしたかったなぁ」

「ゲームならお姉ちゃんが付き合ってあげるから……ね?」

「姉ちゃんは弱いから嫌だ」

「うっ……」

 

 

 ツンとした態度を取る涼介くんの言葉に本気のショックを受ける先輩。なんだかその光景が微笑ましくてつい自然と顔が綻ぶ。

 

 

「またいつでも遊びにおいで、涼介くん」

「い、いいんですか?」

「もちろん。もう俺たち友達じゃないか」

「白石さん……ありがとうございます!」

「あっ! じゃあ次は私も入れて3人でゲーム大会しよっか!」

 

 

「い、いや〜 先輩はちょっと……」

「どうしてっ!?」ガ-ン

 

 

 先輩は俺の肩を掴んで思い切りぐわんぐわんと揺らしてくる。

 

 だって新田先輩とゲーム対決とかしたら、あのトランプ事件と同じようなことが起きても全然おかしくないし……というか絶対そうなる。

 

 

「だ、だって先輩とゲーム対決したら、絶対にまた先輩が勝つまで終わらないやつになるじゃないですか! 俺もう徹夜は嫌ですからね!」

「な、何で私が負け続ける前提なの!? 一発目で私が勝つかもしれないでしょ!」

「だって先輩ゲーム弱いってさっき涼介くん言ってましたし!」

「ソレは涼介が強すぎるからで!」

「俺は涼介くんと互角の腕でした!」

「もうっ、ああ言えばこう言う…! 勝負はやってみなくちゃ分からないものよ!」

 

 

 ギャ-! ギャ-! ギャ-!

 

 

(姉ちゃんと白石さん、仲が良いのか悪いのかよく分かんないなぁ……)

 

 

 結局、また後日に新田姉弟と俺を含めた3人でゲーム対決をすることを約束付けさせられてしまった。

 またしても先輩の「もう一回やりましょう」地獄が待っているかと思うと既に憂鬱だ。

 

 

 うーん、今のうちに上手く負ける接待プレイの練習しとくべきか……

 

 

 





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ファッションってよく分からない

 

 

 

「千川さん、頼まれてたコピー終わりましたよ」

「ありがとうございます、白石くん」

「いえいえ、お茶でも淹れましょうか?」

「んー、じゃあお願いしちゃっていいですか?」

「もちろんですよ」

 

 

 千川さんのお茶を用意するために急須へ茶葉と湯を入れて蒸らすと、体と心が落ち着くような心地良い香りが鼻をくすぐる。

 

 やっぱり日本人はお茶だね。

 

 

「千川さん、どうぞ」

「ありがとうございます白石くん。 ふぅ……やっぱり日本人はお茶ですねぇ」

「あっ、俺も同じこと考えてました」

「あら? 以心伝心ですね」

 

 

 冗談を言いながらもお茶を飲む千川さん。普通に淹れただけなのに美味しそうに飲んでくれるからこっちも嬉しくなる。

 

 

「はぁ……ありがとうございました白石くん。今日はもう上がってもらって平気ですよ?」

「わかりました。それじゃあ失礼します」

「はーい、お疲れ様でした♪」

 

 

 笑顔で手を振る千川さんに一礼をして部屋から出る。今日も特に問題なく業務終了だ。

 

 この後は何をしようか……なんて事を考えながら事務所の中を歩いていると、見たことがある人がソファーに座りながら腕を組み目を瞑って頭を悩ませている姿が視界に映る。

 

 

 あっ、北条さんだ。何してるんだろ……?

 

 

 制服姿の北条さんは目を瞑って何やら悩んでいる様子だ。 その北条さんの前の机には、何やらファッション雑誌の類が何冊も開かれた状態で雑に置かれている。

 互いのことを知らぬ間柄でも無いので何やら悩んでいるのならば声をかけようかと思ったが、俺の足はすんなりと北条さんの方へと動きはしない。

 

 

 ……俺、そういえば北条さんと2人で話したことなかったかも。

 

 

 ここに来て俺のビビリが発動。そういえば北条さんと話す時は必ず渋谷さんや神谷さんが一緒だった気がする。もしかしたら2人で話したことが少しはあるかもしれないが、記憶には無いので多分無いんだろう。

 

 それなのに、今こっちから声をかけて馴れ馴れしいなコイツとか思われないだろうか…?

 

 

 、、、、、

 

 

 よし、脳内会議の結果が出た。今回は声をかけずにそっとしておこう。

 何やらすごく悩んでいるみたいだし俺が声をかけても邪魔になるかもしれない。特にファッションの事なら相談にも乗れないし……決して俺がビビった訳ではない。

 

 

「……腹減ったな」

 

 

 すると突然、体に空腹感が襲いかかる。とりあえず軽く何か腹に入れておこう。

 そういえば駅の前に新しくファストフード店が出来てたな……あそこに行こう。ああいう店はアプリでクーポンとかあるから、まずはアプリを入れて……

 

 

「えーっと、あっこれだな。クーポンはっと……」

 

 

「……ポテト」ボソッ

「うぉっ!?」

 

 

 囁くような小さい声が耳元で聞こえたかと思い振り向けば、俺の肩をガッチリと掴んだ北条さんが虚な目をしてスマホの画面を覗き込んでいた。

 

 

「いいなぁ……白石さんポテト食べるんだ〜私もポテトしたいなぁ〜」

「ちょっ! 北条さん!?」

「ポテト食べたいなぁ〜 体にポテト分を補給したいなぁ〜」チラッチラッ

 

 

 な、何だこの遠回しでもなんでもないポテト食べたいアピールは!?

 

 

「……北条さんの分も買ってこようか…?」

「えっ! いいの〜!? さっすが白石さん優しい〜♡」

 

 

 キャピキャピと体を揺らしながら喜ぶ北条さん。若干納得のいかない部分もあるが、約束をしてしまったからにはポテトを買ってくるしかないだろう。

 ただ、北条さんみたいな可愛い女の子にお世辞でも褒められて嬉しいと思ってしまう自分がいることは否定できない。キャバクラにハマる人っていうのはこういう気持ちなのだろうか?

 

 

「じゃあ、あたしここに居るね〜」

「……了解です」

 

 

 満面の笑みを浮かべて元気よく手を振る北条さんに背を向けて、俺は事務所を飛び出してファストフード店へと向かった。

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 

「ほい、買ってきたよ」

「わー! 白石さんありがと〜!」

 

 

 ポテトを買って事務所まで戻る。そして北条さんに渡すと、嬉しそうに微笑みながらソレを取り出して口に運び始めた。

 俺もその正面に座って買ってきたハンバーガーに齧り付く。

 

 

「ん〜! 美味しい〜♡」

「本当に好きだね、ポテト」

「まぁね〜 アタシの動力源みたいなもんだから」

 

 

 そんな冗談を言いながらも北条さんはどんどんポテトを食べ進める。さっき食べ始めたばかりだというのに、既に半分ほどが胃の中へと放り込まれたようだ。

 

 これはもうポテト早食いというよりは、ポテト早吸いって感じだな。

 

 

 

「はぁ〜、やっぱり美味しい〜! 頭使ったからお腹空いてたんだよね」

「そういえばさっき見かけた時も何か悩んでる感じだったね」

「あれ? こっちから話しかける前にアタシがいることに気がついてたの? それなら声かけてくれればいいのに〜」

「えっ……い、いやぁ〜 それは……あはは」

 

 

 痛いところを突かれて苦笑いで誤魔化そうとしていると、正面に座る北条さんはニヤリと妖しげに微笑んだ。

 

 

「ま、どーせ白石さんのことだから……1人で女の子に話しかけるの緊張するな〜、どうしようかな〜、よしっ今日は見なかった事にしよう! とか考えてたんでしょ?」

「うっ……」

「ふふっ、図星? ホント白石さんって分かりやすいね〜」

 

 

 何も言い返すことができない俺は、返事をする代わりに大きなハンバーガーへと齧り付いた。

 

 心の中を見透かされるのってすげぇ恥ずかしいな……

 

 

「お、俺の事よりもさ! 北条さんは一体何を悩んでたの!?」

「んー? あぁ、ちょっとファッションの事でね」

「ファッション……?」

 

 

 そう言うと北条さんは一旦ポテトをテーブルの上に置いた。そして考える人のようなポーズを取って悩ましげな表情を浮かべる。

 

 

「うん、今度の仕事でね? ティーンズ向け雑誌のミニコーナーで、アタシがイチオシする春のオススメファッションコーデを載せてもらえる事になったんだけど……」

「それが決まらない……と?」

「そゆこと」

 

 

 北条さんはテーブルの上に散乱しているファッション雑誌の一つを手に取り、流し見をしながらパラパラとページをめくっていく。

 

 

「自分で着る服ならすぐに決められるし、アイデアもいっぱい沸いてくるんだけど……他の人に紹介するってなると、なーんか考え込んじゃってね」

「なるほど」

 

 

 真剣な表情で雑誌のページをめくり続ける北条さん。どうやら本当に考えが行き詰まってしまっているようだ。

 そして話の合間にハンバーガーを食べ終えた俺は、腕を組み目を瞑って上を向いた。

 

 うーん……どうしたものか。何か力になってあげたい気持ちは満々なんだけど、ファッションの悩みとなると俺は全く力になれそうにない。

 

 

「ねぇ、白石さん」

「ん?」

「ちょっと白石さんの意見も参考にさせてもらってもいい?」

「えっ! い、いや〜 俺全然ファッションとか詳しくないから力になれないと思うけど……」

「いいのいいの! そういう詳しくない人から見た意見も貴重だし」

 

 

 と、言われてもなぁ……本当に女の子のファッションとか全く知らないから、何をどうアドバイスすればいいのかも分からないぞ。

 

 

「あっ、じゃあこうしない? この雑誌に乗ってる服でアタシに似合いそうなのを白石さんが選んでよ!」

「北条さんに似合いそうなのをか……うーん」

「ふふっ、ちゃんと考えて選んでね?」

 

 

 微笑みながら北条さんは俺に雑誌のページを差し出してきた。そこには様々な衣服の写真や、ソレを見に纏ったモデルさんの写真なんかが沢山載っている。

 俺はジーッと目を凝らして雑誌を見つめる。いったいどれが北条さんに似合うのだろうか……?

 

 

「……難しいな」

「うーん、あっ! じゃあこうしようよ! アタシと白石さんがデートするとしてさ、アタシがどんな服で待ち合わせ場所に来たら嬉しい?」

「デッ!? デデデ、デートォ!?」

「例えばの話だよ? ふふっ、白石さんはどんな服を選ぶのかな〜」

 

 

 北条さんはテーブルに肘をつきながら、両手を顎の上に乗せて挑発するような視線で俺を見つめてくる。

 

 ……ほ、北条さんが、どんな服を着てくれたら嬉しいのか……正直北条さんなら割とどんな服でも似合いそうな気もするけど。

 

 ……というかさっきから見つめてくるのめっちゃ緊張するんだが。しかも上目遣いですげぇ可愛いのが尚のこと心臓に悪い。

 

 

「……こ、これと」

「ふんふん」

「……これとか、どう……かな?」

「なるほどね〜」

 

 

 俺が震える指で差したのは、アンティークな花柄模様がかわいいトップスと、ふわりとした印象を与えるひざ丈スカートの二つだ。

 

 え? なんで花柄かって…? そりゃあ春っぽいからだよ! 悪いか!? 俺にはその程度の発想力しかないんだよ!

 

 

「へぇ〜 ふ〜ん……白石さんはこういうのが好きなんだ〜」ニヤニヤ

「す、好きっていうか……北条さんに似合いそうかなって……お、俺なりに真剣に考えたんだよ!?」

「ふふっ、ありがと白石さん。でも〜、ひざ丈スカートっていうのはなぁ……春先だとまだ肌寒いかもしれないし、もうちょっと丈の長いやつでもいいかなって」

「そ、そっか……確かにそうだよね」

 

 

 

「でも、白石さんがどうしても足を出してほしいって言うんなら〜 着てあげてもいいけどな〜?」

「えっ!?」

「オシャレは我慢って言うし〜」

 

 

 そう言うと北条さんはわざとらしく、正面にいる俺に見せつけるように足を組み替えた。彼女の見に纏う制服のスカートがふわりと捲れて、そこから覗く健康的な印象を与えるむっちりとした太ももに自然と視線が吸い込まれた。

 

 

「あっ、今足見たでしょ?」

「み、見てないが!?」

「うっそだ〜 絶対に見たよ〜」

「そっ、そそそそんな事ないよ! 北条さんの勘違いじゃない!?」

「え〜、そうかなぁ〜?」

 

 

 お、落ち着け俺……! 年下の女の子に弄ばれるなんてみっともないぞ。

 ここは年上の男としての威厳と余裕を見せなくては……あっ、また足組み替えた。

 

 心を落ち着けようと深呼吸をしていた最中、またしても北条さんの綺麗な太ももが躍動する。思わず視線が吸い込まれ、嫌な予感がして顔を上げると……

 

 

「……えっち♡」ニヤリ

「〜〜ッッ!!!」

 

 

 小悪魔的な笑みを浮かべる北条さんとガッツリ目が合った……

 これはもう言い逃れができない。俺は彼女の作戦通り、まんまと太ももトラップに引っ掛かってしまったバカな男だということを自分自身で証明する羽目になった。

 

 

「やっぱり見てたんじゃ〜ん、白石さんのむっつり〜」

「くっ…! 殺せ…!」

「ふふっ、照れない照れない」

 

 

 うぅっ!! だ、誰か俺を殺してくれ〜!!もう恥ずかしくてまともに北条さんの顔見れないよ!!

 

 

「白石さんも男の子だもんね〜 そりゃあ女の子の体も見たくなっちゃうよねぇ〜」

「も、もう堪忍してつかぁさい…!」

「え〜、どうしよっかなぁ〜」

 

 

 と、そんな感じで俺が北条さんによっていいように遊ばれていたその時、背後から誰かが声をかけてきた。

 

 

「お〜っす。2人で何の話してるんだ〜?」

「あっ、奈緒〜。 いやね、白石さんがアタシのふとも……」

「ポテト奢るんで堪忍してください加蓮様!」

「……ふふっ、やっぱり何でもないよ〜」

「何だよそれ」

 

 

 今やってきたばかりの神谷さんは、訳が分からないといった様子で不思議そうな表情を浮かべた。

 

 はぁ……ポテト一つで俺の痴態を隠せるんなら安いものだ。神谷さんにまで知られる訳にはいかないからな。

 

 

「何だコレ、ファッション雑誌か?」

「そうそう、今ちょ〜っと悩んでてね〜」

「へぇ……うーん、あたしはあんまり着ないタイプのが多いな」

 

 

 神谷さんは北条さんの横に座り、テーブルの上の雑誌をパラパラとめくっていく。しかしあまりお気に召していないようだ。

 

 

「奈緒は制服以外で普段あんましスカート履かないもんね」

「まぁな〜」

「そうなの? 似合いそうなのに……」

「気をつけて奈緒! むっつり足フェチ怪人が奈緒のドスケベ太もも見てるよ!」

「んなっ…!?」

「ちょっ! ご、誤解だ神谷さん!」

 

 

 北条さんの言葉を受けた神谷さんは、俺から足を隠すように制服のスカートの裾をキュッと握り締める。そして顔を真っ赤にして俺のことをじっとりとした視線で睨む。

 

 こんな時に言うことじゃないけど、そのしぐさは正直グッとくるものがあるよ。神谷さん。

 

 

「ほら奈緒、隠すのは足だけでいいの? 奈緒は足以外もドスケベなんだからもっと隠す部分あるでしょ!」

「ま、待ってくれ神谷さん! 俺は神谷さんのドスケベな部分を盗み見したりなんかしていないんだ! 信じてくれ!」

「騙されちゃダメだよ奈緒! 奈緒みたいなドスケベボディーの持ち主、男子がチラ見しない訳がないんだから!」

「違うんだ神谷さん! 確かにドスケベボディー自体は非常に魅力的だけど、何も男子が年がら年中ドスケベボディーを盗み見している訳じゃ……!」

 

 

「だぁぁぁぁぁっ!!! お、お前らさっきからドスケベドスケベうるさいんだよぉぉ!!」

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 神谷さんが合流してから数分後、とりあえず落ち着きを取り戻した俺たちは再びファッションの話を再開する。

 

 女の子とファッションの話をするなんて、なんかリア充っぽいな……とか思ったり。

 え?その発想自体がモテない奴っぽいって? それは言わないでおくれよ……

 

 

「それで? 白石さんは加蓮にどんな服を見立てたんだよ」

「コレとコレだよ」

「へぇ〜 白石さんはこういう服が好きなんだなぁ」

「……イジるならイジるがよい。俺はもう何を言われても動じない」

「へっ!? あ、いや……あたしは純粋に興味として聞いただけなんだけど」

「さっきまでアタシが色々と言いまくったから警戒しちゃってるみたいだね」

「お、お前なぁ……」

 

 

 軽い感じで笑う北条さんを神谷さんが呆れた目で見る。どうやらいつもイジられる側の神谷さんは俺に同情的なようだ。

 

 神谷さんも、いつも苦労してるんだなぁ……

 

 

「あっ、そうだ! じゃあ今度は逆にアタシが白石さんの服選んであげるよ」

「お、俺の服?」

「そうそう! ふふっ、一回男の人のコーデもしてみたかったんだよね〜」

 

 

 そう言うと、北条さんは楽しそうに微笑みながら雑誌のメンズ向けページを読み始めた。

 

 ファッションなんてこれまでも全く拘ったことないけど、現役アイドルでオシャレな北条さんに服を選んでもらえるっていうのはちょっと楽しみだなぁ。

 

 

「白石さん、何ニヤついてるんだよ」

「いや〜、実はちょっと楽しみだったりして。 女の子に服を選んでもらうとか……なんかこう、ドキドキするっていうか」

「ふ〜ん、そういうモンなのか」

 

 

 見るからにウッキウキの俺に対して、神谷さんはそこまで興味無さげに見える。この淡い男心は理解してもらえなかったようだ。

 

 

「というか別に白石さんそこまで変な服装でもないじゃんか。普通に似合ってるぞ?」

「ははっ、ありがとう。でもきっと北条さんなら俺みたいな無難なチョイスじゃなくて、もっとすごいファッションを考えてくれると思うんだよね」チラッ

「……なるほどな」

 

 

 俺がニヤリと笑い神谷さんに目配せをすると、俺が今から何をしようとしているのか意図を汲んでくれたようで神谷さんも意地の悪い笑みを浮かべた。

 

 

「……確かになぁ〜 加蓮はオシャレだから、あたしたちじゃ考えつかないようなすんごいファッションを思い付くんだろうな〜?」チラッ

「えっ…? ちょ、ちょっと2人とも…?」

「うんうん。 北条さんみたいな流行の最先端を往くファッション番長ならさ、それはそれはもう誰もが感銘を受けるようなファッションを今もう頭の中で考えてるはずだよね!」ニヤリ

「……うぅっ、なにこのプレッシャー」

 

 

 神谷さんとの連携で北条さんにプレッシャーをかけていく。

 さっき散々イジられた仕返しをしてやろうという事だが、神谷さんも日頃のイジられに対するやり返しにノリノリだ。今もすごく楽しそうな表情を浮かべている。

 

 

「お〜い加蓮〜? まだ決まらないのか〜?」ニヤニヤ

「も、もうちょっと待ってよ…!」

「急かしちゃダメだよ神谷さん。今北条さんはその類まれなるファッションセンスを存分に活かしたコーディネートを考えてるんだから」

「そうだよな〜、ごめんごめん。いや〜加蓮がどんだけハイセンスなメンズコーデを見せてくれるのか楽しみだなぁ〜」

 

「うっ、うっ、うぁぁ〜っ!! もうっ!! 変なプレッシャーかけないでよ! ハードル上がりすぎて訳わかんなくなってきた〜!!」

 

 

 プレッシャーに耐えきれなくなった北条さんが大きな声で叫び、その場で頭を抱えてテーブルの上に突っ伏す。神谷さんはというと、いつもイジられている仕返しだとでも言わんばかりに笑顔を浮かべている。

 

 

「もうや〜めたっ! せっかく服選んであげようとしてたのに、白石さんがイジワルするから選んであーげない!」

「な、なにっ!? 女の子に服を選んでもらえるってウキウキしてた俺の気持ちはどうすれば!?」

「あっ、それならあたしが選んでやるよ」

「マジで!?」

 

 

 神谷さん……君はなんて心優しいんだ!

 

 

「どういうのがいいんだ?」

「そうだなぁ……あんまり派手目なのは遠慮したいかな」

「あたしも普段着ではあんまり派手なのは着ないなぁ……もしかしたらあたしと白石さんって服の好みの系統が似てるかも」

「……そういうこと女子に言われるとドキッとするな」

「アンタどんだけ女子に対する免疫ないんだよ」

 

 

 席を立って俺の隣に来た神谷さんと雑談をしながら一つの雑誌を2人で覗く。そのままアレやコレやと言いながらページをめくっていたのだが、急に正面の方から強い視線を感じた。

 

 

「……」ジ-

 

「ん? なんだよ加蓮」

「北条さん?」

 

 

 きゅーっと目を細めて、何かが気に食わないような表情を浮かべる北条さんが俺たちのことを見つめていた。

 

 

「べっつにぃ〜? 2人でなんか楽しそうだなぁ〜とか思ってないですけど? アタシのことほったらかしとか別に気にしてませんけど〜」

「お、おいおい。そんなに拗ねるなよ〜加蓮」

「拗ねてませ〜ん」

「どう見ても拗ねてるだろ、それは」

 

 

 唇を尖らせ、つーんとした表情でそっぽを向く北条さん。そしてやれやれといった様子で肩を竦める神谷さん。

 気まぐれな北条さんに振り回されるのにはもう慣れっこらしい。

 

 

「白石さんだってさ〜? さっきまでアタシが服選んであげるって言ったら喜んでたのに、今は奈緒に選んでもらって嬉しそうだしぃ〜」

「いや、それは北条さんがもう選ばないって言うから」

「……えーんえーん、白石さん結局女の子なら誰でもいいんだ〜。えーんえーん」

「ちょっ!」

 

 

 わざとらしい泣き真似を始める北条さん。それ自体は別に構わないのだが、発言の内容だけを見ると周りに誤解を与えかねない。

 

 

「ほ、北条さん! 変なこと言うのはよそうか!」

「えーんえーん、ちらっ……えーんえーん」

「ぜっっったい泣いてないよね!? 今チラッとこっち見たじゃん!」

「白石さん、もうちょっと付き合ってやってくれ」

 

 

 付き合ってやってくれって言われてもなぁ……というか北条さんもう口にやけてるし!どう見ても泣いてないんですけど!

 

 

「ポテト買ってくれたら泣き止むのにな〜 チラッ、チラッ」

「さっき食ったじゃん!」

「だって、さっき奢ってくれるって約束したもん」

「うっ、確かに……」

 

 

「太るぞ〜加蓮」

「ポテトは揚げてるからカロリー0!」

「どういう理屈だよ」

 

 

 この後、ポテトをねだり続ける北条さんに今度また会った時にポテトを奢る約束をして解散することになった。

 

 因みに後日神谷さんに見せてもらった雑誌にて、多少のアイテムや小物は足されていたが俺の選んだ服を着ている北条さんが載っていたのを見て目ん玉が飛び出そうになったのは別の話…。

 

 





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ハーレムは男の夢


 4月に入って忙しくなり、小説を書いている時間がかなり減ってしまいました。これからは投稿の頻度がかなり空いてしまうといった事もあるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

 そんな中で今回の話はいきぬきを兼ねて書いたおふざけ回です。前々から誰か3人くらいルートを書き終えたらやってみたいなと思っていた内容です。どうぞご覧ください。




 

 

 

※ 今回の話は全編白石くんの夢の中の話です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 

「……あれ、ここどこだ?」

 

 

 ふと、気がつくと目の前には知らない光景が広がっていた。

 

 リビングっぽいその部屋は、綺麗に家具が設置されていて整理整頓が行き届いている。少なくとも狭くてごちゃついた俺の一人暮らししている部屋ではない。

 

 

「……ど、どういうこと?」

 

 

 俺はこの部屋に迷い込んだのか…?

 

 ソワソワとした気持ちで部屋の中を物色していると、一つ気が付いたことがある。恐らくこの部屋で暮らしているのは2人以上だ。歯ブラシも2つあるし、マグカップとかの食器類も確実に1人で暮らしている量ではない。

 

 

「うーん……さっぱり分からない」

 

 

 眉間に皺を寄せながら何気なくタンスの引き出しを開けると、そこには男物の服や下着が綺麗に畳まれた状態で入っていた。ということは住んでいるのは男か…?

 そのまま隣の引き出しにも手を伸ばすと、今度は女性物の衣類や華やかな下着類がいくつか入っていた。

 

 

「ぶーっ!!」

 

 

 俺は、タンスが壊れるんじゃないかというほど勢いよく引き出しを閉める。

 

 ちょっ! な、なんだアレ!? あ、あああああああれって……ぶ、ブラジャーとパンt……

 

 

 

 

「ちょっと、今の音なに?」

「ふぁっ!? ち、ちちち違うんです俺は泥棒とかじゃなくて気がついたらここに居て……! あ、あれ…?」

 

 

 奥の部屋の扉が開いたと思えば、そこから1人の女性が入ってくる。俺はいきなりの出来事に困惑しつつ、部屋に入って来た女性の方へと振り返って手をブンブンと振り回すが……

 

 あれ、この人……なんか見覚えがあるような。

 

 

「帰ってたんなら声かけてよ。変な人が入ってきたのかと思ったじゃん」

「い、いや……えーっと……」

 

 

 俺は女性の顔をジーッと観察する。

 

 この人どこかで……あ、あれ、もしかして?

 

 

「も、もしかして……渋谷さん…?」

「何を当たり前の事を言ってんのさ」

「えーっ!? じゃ、じゃあやっぱり渋谷さんなの!?」

 

 

 目の前の女性はどうやら本当に渋谷さんのようだ。でも、俺の知っている渋谷さんとはちょっと違う気がする。

 俺の知っている彼女よりも大人っぽくなってる気がする……というより確実に成長してる。見た感じ20代中盤くらいの年齢だろうけど、何で大人になってんだ…?

 

 あーもう訳が分かんねぇぞ!

 

 

「え、えーっと……ここは渋谷さんの住んでる家なのかな…?」

「そうだけど?」

「ま、マジか……というか勝手に入っちゃってすんません!」

「勝手に? アンタさっきから様子がおかしいよ?」

「へっ?」

 

 

 

「勝手にも何も、ここは私とアンタの住む家じゃん」

 

 

 、、、、、、

 

 

「は、はぁぁぁぁぁ〜〜〜〜っ!?」

 

 

 え、え、え!? 今何て!? 俺と、渋谷さんの住む家って言ったのか……?

 

 

「あ、あの〜、渋谷さんと俺は何で同じ家に住んでんのかな〜って」

「何でって……夫婦だからに決まってんじゃん」

「ふっ!?」

 

 

 な、なななななな何てこった〜〜〜っ!!

 

 俺と渋谷さんが夫婦!? 一体これは何の冗談だ…!? えっ、何かのドッキリ!? いやそもそもさっきも思ったけど渋谷さんは何で大人になってんだ!?

 

 だ、ダメだ。頭がこんがらがってきた……

 

 

 

「まぁよく分かんないけどさ、帰ったんなら早くお風呂済ませちゃってよ。 今日は……予定があんだからさ」

「よ、予定……ですか?」

 

 

 大人渋谷さんは俺の問いに対して、目を伏せて小さな声でモゴモゴと何かを言いづらそうにしている。

 

 

「……と、とぼけないでよ。今日は、する日だって確認したじゃん」

「するって何を……ですか?」

「だ、だから……あ、あかっ……あかっ」

「あか?」

 

 

 

「……赤ちゃん、作ろうって……本格的に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………ぶーーーーーっっっっっっ!!!!」

 

 

 

 渋谷さんの口から出た言葉を聞いた俺は思わず噴き出してしまった。

 でもそれも仕方ないだろう。だってまさか……あ、赤ちゃんを作るとかあの渋谷さんの口から出るなんて思わないし。

 

 

「あ、赤ちゃんを作るですか!?」

「そう、だけど」

「誰と誰が!?」

「私とアンタに決まってんじゃん」

「何で!? ホワイ!?」

「いや、普通に夫婦だし」

 

 

 俺の問いに対して渋谷さんは、あっけらかんとした様子で答えた。

 

 そうだよ、そもそもの話がおかしいだろ! だって俺と渋谷さんは別に夫婦じゃないし、改めて何で渋谷さんは大人になってんだよ!

 

 パラレルか!? パラレルワールドなのか!?

 

 

「し、渋谷さん。俺渋谷さんと結婚した記憶が無いんだけど……」

「は? ちょっと、冗談でもそんな事言わないでよ」

「冗談じゃないよ! 本当に身に覚えが無いし、そもそも今の渋谷さんは俺の知ってる渋谷さんより大人だし!」

「……アンタ、頭大丈夫? 私たちはちゃんと結婚してるし、あんなことやこんな事まで経験したじゃん」

「い、いやいや! 俺バリバリ童貞だから!」

「……話が噛み合わないね。いいからとりあえずベッド行こっか」

 

 

 そう言って渋谷さんは、俺の手を掴んで今いる場所より奥の部屋へと連れて行こうとする。きっとあの扉の先に行けば夢のような体験が待ってるのだろう。

 

 

「ちょっ! し、渋谷さん! 本気でごぜーますか!?」

「本気も本気。いいから早く…っ!」

「ちょ、ちょっと待ってくれー!」

 

 

 

 

 

 

「そこまでだよ! 凛ちゃん!」

「「えっ」」

 

 

 

 突如として部屋の中に響く声。その声がした方へ俺と渋谷さんが顔を向けると、そこにはまたしても見覚えがあるような顔をした女性が立っていた。

 

 

 

「……まさか、相葉さん…?」

「うん!まっててね幸輝くん! 今助けるよ!」

 

 

 そう言った相葉さんらしき人は、俺と渋谷さんの間に立って手を引き剥がした。

 

 ……も、もう頭がぐちゃぐちゃだ。 渋谷さんに続いて相葉さんまで出てくるなんて。しかもやっぱりちょっとだけ大人っぽくなってる気がするし。

 

 

 

「凛ちゃん、私の幸輝くんに手出しちゃダメだよ?」

「夕美こそ、私の旦那にちょっかいかけるなんていい度胸してるじゃん」

 

 

 向かい合う2人の間にはバチバチと火花が散っている。まさに一触即発といった様子だが、俺は慌ててそんな2人の間に割って入った。

 

 

「ちょっと待った! い、一旦落ち着こうか!」

「私は落ち着いてるよ? 幸輝くん」ギュッ

「おぅふ」

「ちょっと、何してんのさ夕美」ギュッ

「お、おぉ……」

 

 

 両隣から2人が俺の手を抱き寄せる。それと同時にふわりとした甘い香りが鼻をくすぐり、腕には4つの柔らかい感触が伝わる。

 

 ……な、何だコレ天国か…?

 

 

 

「って! そうじゃない! えーっと、相葉さんでいいんだよね…?」

「そうだよ!」

「一応聞くけど、相葉さんは俺とはどのような関係なのでしょうか…?」

「ん? 私たちは恋人でしょ?」

 

 

 そんな相葉さんの言葉を聞いた渋谷さんの瞳が細くなる。そして俺の腕を掴む力が強くなってミシミシと骨が鳴った。

 

 

「ちょっと夕美。コイツは私の旦那なんだけど」

「ふふっ、凛ちゃんったら夢でも見てるのかな? 幸輝くんは正真正銘、"私の"彼氏くんだよ?」

 

 

 キッとした表情を浮かべる渋谷さんと、ニコニコ笑いながらも妙に圧のある雰囲気を醸し出す相葉さん。2人の間にはまたしてもバチバチと火花が散り出す。

 

 

「と、とりあえず一旦落ち着きましょう!」

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 状況を整理しよう。俺は目が覚めたらこの空間にいた。そしてーーー

 

 

 

「えーっと……こちら、俺と結婚した世界線の渋谷凛さんということでよろしいでしょうか?」

「だからそう言ってるじゃん」

 

 

「そして……そちら、俺とお付き合いをしている世界線の相葉夕美さんということでよろしいでしょうか?」

「そうだよ?」

 

 

 俺の前に並んだ2人へと交互に手を差し出しながら確認を取ると、2人ともそれに対して肯定的な返事をした。

 

 えーっと要するに、この2人は本当にそれぞれが俺のことをパートナーだと思っている……いや、思ってるというか実際にそうだってことなのか。

 

 

「まぁ、世界線って意味なら私のが正史なんじゃないかな?」

「ちょっと、聞き捨てならないね」

「ストップ! 火花散らさないでください」

 

 

 少し放っておくとすぐに火花を散らし始める2人。だけど2人からしてみれば自分の旦那を自分の彼氏だと言い張る女と、自分の彼氏を自分の旦那だと言い張る女って形になってるからバチバチになるのも仕方ないのか…?

 

 

 ていうかさ……

 

 

 

「……クッッッッソ羨ましい!!!」

 

「えっ、どうしたの?」

「幸輝くん大丈夫?」

 

 

 あー羨ましい!! つまり目の前の大人渋谷さんのいた世界線では俺が彼女の結婚相手で、大人相葉さんのいた世界線では俺は彼女の彼氏なんだよな!

 

 そんなの羨ましすぎるだろーーっっ!!!

 

 

 

「ぐぐぐぐ……自分で自分に負けるというこの複雑な感情……っ」

 

「ちょっと、変な声出してないでそろそろハッキリしなよ」

「うんうん」

「えっ? は、はっきり……ですか?」

 

 

 さっきまでバチバチしていた2人が、今度は結託をして俺に対してじっとりした視線を向けてくる。

 

 

「アンタは、私の旦那なの?」

「それとも私の恋人?」

「えっ…!」

 

「「ハッキリして!!」」

「えぇぇっ!?」

 

 

 ずずいっと顔を近づけきた2人は、決断を急かすように迫ってきた。俺は咄嗟に後ろへと下がるが、そこには壁があってもうそれ以上下がることはできない。

 

 か、壁ドンされた側の景色ってこんな感じなのかな…? って、そんなこと考えてる場合じゃない!

 

 

「アンタが……あのクリスマスイブの日に告白してきたこと忘れたとは言わせないから」

「私だって! 遊園地でデートしてる時に告白されたもん!」

 

 

 い、いやいやいや! そんなこと言われたって俺マジで身に覚えがないんだけど!? つーか俺から告白したのかよ! すごいな別世界の俺!

 

 

「私でしょ?」

「私だよね?」

 

「「さぁ! どっち!!」」

「そ、そう言われましても……」

 

 

 2人に壁際へと追いやられて、背中についた壁はもうこれ以上下がれないと悲鳴をあげるようにミシミシと音を立てている。

 

 絶体絶命のピンチに追い込まれ、もうダメだと天を仰いだその時……

 

 

 

 

「白石さんは誰のものなのか……その問いに対する答えは、凛さんでも夕美さんでもありません」

「な、何奴っ!?」

 

 

 玄関方面にある扉の向こうから聞き覚えのない声が聞こえてきた。俺を含め、渋谷さんと相葉さんも一旦体の動きを止めて声のした方をジッと見つめる。

 

 

 ま、まさか……渋谷さんと相葉さん以外にも第三の女が!? もしかしてその人も俺の知ってる人物だったり……!

 

 

 

「白石さんは私のものです。長い年月をかけて射止めたのに、奪われる訳にはいきませんね」

 

 

「………いや、誰ーーッ!?」

 

 

 思わず口から叫び声が出てしまった。扉の奥から現れた3人目の美女は、渋谷さんや相葉さんのように俺の知り合いでは無かったからだ。

 

 

「んなっ!? だ、誰とは失礼ですね! 貴方の恋人ですよ私は!」

「い、いや、ごめんなさい。ちょっとマジで分かんないです」

「ありすですよ! あ・り・す!」

「アリス? 有栖、arisu、ありす……えっ!もしかして!?」

 

 

 俺が驚愕の表情を浮かべて美女の方を見ると、彼女は腰の辺りまで伸ばしている綺麗な黒い髪を靡かせて自分の正体を告げた。

 

 

「そうです、私は橘ありす。正真正銘の本物ですよ」

「あ、ありすちゃん!?!?」

 

 

 なんと目の前の美女は自分のことを橘ありすだと名乗った。

 しかし俺は全く合点がいっていない。何故なら俺の知っているありすちゃんと、今目の前にいる美人さんはあまりにも違いすぎるからだ。

 

 い、いやいや! めちゃくちゃ成長してるし分からないって!

 

 

「って、ちょっと待てよ……今ありすちゃん俺の恋人って言った?」

「はい、その通りですが?」

「な、なんてこった……そっちの俺はロリに手を出したってことなのか……っ」

「だ、誰がロリですか! 私は大人です! 今はもう合法です!」

 

 

 あ、あぁ……今になってようやくありすちゃんの面影が見えた気がするぞ。このプリプリとした怒り方は俺のよく知るありすちゃんだ。という事は目の前の美人は本当に……

 

 

「うっ……ありすちゃん。綺麗になったんだねぇ」

「子どもの成長を実感して感動の涙を流す親みたいなセリフやめてください!」

「だ、だって俺の知ってるありすちゃんってこんなだからさ」

「出会った頃でもそこまで小さくありませんが!?」

 

 

 俺が自分の膝の辺りに手をやると、ありすちゃんは顔を真っ赤にしてそれを否定する。

 そんな俺とありすちゃんのやり取りを見ていた渋谷さんは、どこか勝ち誇ったかのような笑みを浮かべた。

 

 

「ふっ、残念だったねありす。どうやら女として見られていないみたいだね」

「そ、そんなことありません! 2人で海へ出かけた時は、成長した私の水着姿にたじたじでしたよこの人は!」

「へぇ、そうなんだ」

「記憶にございません!」

 

 

 ジロリと俺を睨む渋谷さん。言葉こそ発していないが横にいる相葉さんも笑顔という名の圧力を発している。

 

 

「そういえば、2人はまだアイツと恋人の段階なんだっけ?」

「そうだよ?」

「そうですが、それが何か?」

 

 

「いや、別に? ただ私はもう夫婦だけどな〜って思ってさ。ほら、もう結婚してるから私たち」ニヤリ

「「!!」」

 

 

 渋谷さんが勝ち誇ったような余裕の笑みを浮かべながら発したその言葉を合図に、俺を除いた3人は今までで1番激しくバチバチと火花を散らし始めた。

 

 

「わ、私だってすぐに結婚するよ!」

「私もです!」

「ふーん……まぁ今はまだしてないってのが事実だよね。私はしてるけど」

 

 

 そこからは3人による女の戦いが繰り広げられ始めた。まぁ戦いとは言っても、お互いの楽しい思い出話を聞かせ合うだけではあるが。

 とはいえ修羅のような迫力を出す3人の戦いに俺が口出しできる訳もなく、俺は部屋の隅でただただボーッとその戦いを見ていることしかできない。

 

 

 うん。 ハーレムってやっぱ男の夢だし、女の子が自分のことを取り合うやつって一度は経験してみたいと誰しもが思うやつだけど……実際に自分がその立場になるとあんまり良いものじゃないな。

 

 はぁ……というかさ、本当にこの状況はなんなんだよぉ。

 

 

 

「埒が明かないね。やっぱり本人に決めてもらうしかないかな」

「うん、そうだね」

「異論ありませんね」

 

 

「……えっ?」ビクッ

 

 

 3人のジロリとした視線が俺へと注がれる。まるで蛇に睨まれた蛙かの様に俺の体はピクリとも動かない。

 そんな俺のもとへと3人はジリジリとにじり寄ってきて逃げ場を塞ぐ。もちろん俺の後ろには壁があって逃げられない。

 

 

「さぁ」

「誰にするのか」

「決めてください」

 

 

「い、いや……ちょっと、待って…!」

 

 

「「「さぁ!!!」」」

 

 

 3人の手がゆっくりと俺に迫る。その光景は無力な草食動物が3匹の肉食獣に迫られているかのようだった。

 

 

「だ、誰か助けてくれぇぇぇぇぇーーーっ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜

 

 

 

「………はっ!!」

 

 

 勢いよく体がベッドから飛び跳ねる。辺りを見渡すとそこはさっきまでいた部屋ではなく、俺の暮らす見慣れた狭い部屋だった。

 俺の体はまるでマラソンを走り切った後かの様に呼吸が荒く、額へと手を当てるとぐっしょりとした汗を山ほどかいていた。

 

 

 あー、これはつまり……

 

 

 

「ゆ、夢か……」

 

 

 さっきまでの光景は全部夢だったのだ。まさかこのセリフを現実で言うことになるなんて思ってもいなかった。

 

 

「はぁ……」

 

 

 全身から力が抜け落ちる様な感覚の後、俺は後頭部から力無くベッドへと倒れ込む。そして額にかいた汗を自分のシャツで拭いながら夢で見た光景を思い出す。

 

 ……やっぱり、俺があんなに可愛い人たちと結婚してたり恋人になってたりなんて夢に決まってるよな。

 

 

「……あ〜〜」

 

 

 修羅場から解放されてホッとしたような、全部夢の中の話だと分かって残念なような複雑な気持ちが胸の中で渦巻く。

 

 夢だと分かっていれば、もう少しあの状況を楽しむことができたのかもしれないのになぁ。あんな夢みたいな体験がこの先の人生でできる保障なんて無い訳だし。

 

 

 

 いや、でもやっぱり……

 

 

「修羅場だけはもう勘弁だな。ははは……」

 

 

 静かな部屋の中には、乾ききった小さな笑い声だけが響いていた。

 

 

 





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