共喰い少女の彷徨譚 (コットン・コットン)
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魅入られし者
01-01.森に微睡む



 

 

 花が咲いている。花壇に囲まれた庭園。

 

 色とりどりに咲く花、青々と葉を広げた草木に囲まれて、双子の姉妹が笑い合う。

 

「お姉ちゃん見て見て!えいっ」

「わ、すごーい!おみずだ!どこから出したの?」

「えへへ、魔法だよ。おうちの奥のご本を読んだの!」

「えー!だめじゃないエリー、あの本はもっと大きくなってからじゃないと読んじゃダメってお父さん言ってたよ」、

「だいじょうぶだいじょうぶ、ひみつだもん!」

 

 やんちゃ盛りの年頃の妹は、自慢げに自分の悪行を語った。子供らしく微笑ましい振る舞いで、秘密と言いながら大きな声でそれを聞かせるのだ。そう、大きな声で。

 

「ほー。お父さんにもその秘密、教えてくれないかな?」

「うん、あの…ね…?あっ———」

 

 ゴン、と拳骨ひとつ。音はしない。しかし、痛い。怒られた心が痛い。

 親はいつだって、陰から子を見守っているものである。

 

「うぅ…ひっく」

「エリーだいじょうぶ?」

「いたいよぉ」

「よしよし。もう悪いことしちゃダメなんだよ?」

「ごめんなさぁい…」

「まったく…どうやって鍵を開けたんだ?しかもこの年で魔法が使えるなんてなあ」

「…?鍵、開いてたよ?」

「なに?そんな筈は…少し鍵を見てくる。お前たちも疲れたろ。中に入って休みなさい」

 

 父親が不審げに顔をしかめ、娘2人を連れて家に入っていく。

 結局、この後不審者が見つかったりもしなかった。なぜ書架への鍵が空いていたのか、それは未だに謎だ。

 

 


 

 

 声がしたのだ。

 

 懐かしい記憶。幸せだった頃の記憶。アップルパイを焼く母を手伝い、生地の材料を混ぜていた時のことだ。

 

 突然の頭痛に眩み、背の足りない私のために用意された木の踏み台を踏み外し、かき混ぜ棒がボウルをひっかけて流し台へ落とす音を聞きながら床に倒れた。

 

 朦朧とする意識の中、私の背に手を当てて抱きかかえるように呼びかける母の声も遠く、しかし声は、魂から凍えるようなおぞましい寒気を伴い、そして母よりも明瞭に私にこう言った。

 

『生きたければ、殺せ』

 

 何のことなのか。脳裏に問い返すも、声は答えず、症状も自然に引いた。

 

 母はひどく心配した。医者にも診てもらったが何も異状なく、やはりその後、何事も起こることはなかったのだった。

 

 あの時までは。

 

 


 

 

 目が覚める瞬間、ああ、自分は夢を見ていたのだなと理解する瞬間、どうしようもなく虚しくなる。

 花々に囲まれた庭園は今どうなっているだろう。厳しくも優しい父は、料理上手で憧れだった母は…いつだって私の側にいてくれた姉は。

 戻れない日々が恋しくてたまらない。

 

「痛っ…あ、腕が…」

 

 痛む左腕を見れば、蛇が喰らい付いていた。牙からは液体が滴っている。毒蛇だろう。痺れているのはその毒のせいか。お陰で、肉が裂けているほどの大怪我にも関わらず痛みはそれほどでもない。

 

「…食べたいの?」

 

 答えない。当然だ。蛇と人は言葉が通じないし、そもそも会話の意思もないだろう。彼———または彼女だろうか?———にとって、私は食いでのある無防備な獲物なのだから。

 

「ごめんね。死んであげられないんだ、私。腕だけならいいよ…」

 

 蛇の顎に力が籠り、私の腕の肉を引きちぎりにかかる。

 

「あ…が、う、ぁぁ…っ」

 

 毒の麻酔がかかっていても、痛いものは痛い。神経も血管もお構いなしに千切られているのだから当然だ。

 しかし、狂えるようならとっくに狂っている。今更、身体が痛いくらいで何だというのだろうか。

 

 あまり大きな蛇では無い。噛み取られた肉の大きさなど、精々が、親指を丸めた程度のものだ。

 

 蛇は肉を咀嚼するように何度か噛みつき、その後丸呑みにした。

 そうして、次の肉を千切ろうとし———異変に気づく。噛み付いたはずの傷跡がどこにもないのだ。

 なぜだ。今呑んだ肉はどこから抉ったというのか。はて、目の前の大きな獲物は、痺れて動けないはずの猿は、なぜコチラを見て…手を伸ばしてくる…?

 我は、何を喰らったというのか?

 

「だいじょうぶ…」

 

 蛇は、そう困惑するように固まり、こちらを眺めている。再び喰らうでもなく、威嚇するでもなく。私の呪いを感じ取ったとでも言うのだろうか。

 

 もう跡も残らないほど綺麗に治った左腕で、蛇を撫でる。畏れるという感情が蛇にあるなら、まさにそうだろう。蛇は首を垂れるように腐葉土に寝そべり、目を閉じ、大人しくなった。チロチロと覗かせる舌が可愛らしいとさえ思える。

 

「だいじょうぶだよ」

 

 言い聞かせるように。森の中、一人と一匹。遭難したわけではない。しかし、迷子であるのは同じだろうから。

 

 きっと、だいじょうぶ。根拠もない慰めを胸に抱いて、今日も起きる。

 

 

 

 

 

 

 

 蛇の体は表面はひんやりと冷たく、しかし血の通った温度がほんのり優しく暖かい。いい首巻きを手に入れた。

 

「依頼にあった場所は…もう少し歩けば着きそうかな」

 

 いまの私が生業としているのは探索者(クローラー)という職だ。組合に登録することで誰でもなれるが、その内容は人それぞれ。

 

 ちょっとした日雇いの仕事の斡旋所のようにしている人もいれば、私のように人里離れた場所まで冒険に出る者もいる。上位の者たちはそれこそ人外魔境へ出向き、御伽話に出てくるような化け物と戦うこともあるらしいが、そんな凄腕とは会ったことはない。

 

 今日は盗賊の被害が出たということで、ある商人の馬車が襲われた場所へと出向いているのだ。徒歩で。

 

 ちなみに、今の私はせいぜい小さめのリュックに収まる程度の食料と水、それと戦闘用のいくつかの器具くらいしか持っていない。さっきも森の中の腐葉土にそのまま寝っ転がっていた。流石に寒いので、木の葉を集めて腹に被せてはあったが。

 お金が無いのも理由ではあるが、そもそも私にはそれ以上は()()()()のだ。

 

「ただ…この子を連れ歩くなら、餌になるものは持っておいてもいいよね」

 

 さっきは気が滅入っていたのと寝起きでぼうっとしていたのもあって喰われるに任せてしまったが、この子の食事のたびに痛い思いをするのはちょっと嫌だ。肉食ならその辺りで獣を殺して肉を食わせるのも良いが、あまり多くは食べないようだからきっと沢山残してしまう。解体して持っていこうにも、ナイフ一本で精肉出来るほど得意ではない。

 

 つらつらと考えながら歩いていると、森を抜けた。馬車なら半日の距離、蛇行する街道を森を抜けて近道したとはいえ、倍以上の時間がかかってしまった。歩けると言っても、やはり馬を借りるべきだっただろうか…しかし、うっかり死なせてしまったら大赤字なのが怖い。

 

「さて…蛇を巻いていたらちょっと不審だよね。チロ、リュックにお入り」

 

 シャー、と鳴いて蛇がリュックサックにするりと潜り込む。チロというのはこの子の名前だ。連れ歩くのにずっと蛇呼びでは味気ない。名前の由来は…言わずとも分かるだろう。舌だ。

 

 街道を少女が一人歩き。街から離れているのでやや怪しくはあるが、盗賊には格好の獲物だろう。男ばかりだというのは依頼情報にあった。既に人道を外れたケダモノ、うら若き乙女と見れば食いつくに違いない。

 もっとも、もはや乙女ではないのだが。

 

 

 

 

 歩くこと、さらに幾ばくか。日も昇りきり、影もやや短くなってきたころ、彼らは現れた。

 

「おい、止まれ」

 

 止まる。仮にも私とて…まあ、それなりの育ちに見えるはずだ。ものを知らない箱入り娘のように、止まれと言われて止まるバカを演じてみよう。

 

「一人か?」

「はい。一人です…あの、貴方がたは?」

「さてな。何だと思う?」

 

 出るわ出るわ、1、2人と思えば5、6、7と増え、終いには10人から成る大所帯であった。全員薄手の服装だが、意外にも身なりは悪くない。街の酒場にでもいれば、どこかで土木作業の雇われでもしたのだろうか、お疲れ様です、などと思うような出立ちだ。

 街道の前後、さらに森の中から、私を完全に囲うように現れる。15mは離れている。一人で歩いているところから、多少は警戒したということか。

 

「あ、探索者(クローラー)の方ですか?私もそうなんです。このあたりで盗賊が出るって聞いて…これは、是非とも改心して頂かなくてはと」

 

「宗教家にかぶれた気狂いかよ。お前ら、縛れ!」

 

 当たり。一応、盗賊かどうかだけを確かめたかった。依頼にあったやつとは限らないが、危害を加えられそうになった以上はどちらでもいい。

 懐からナイフを取り出す。

 

 …いただきます。

 

「へへ、そんなオモチャで…」

 

 振る。空振り。まだ10mは離れているのだから当然だ。

 

 ———しかし。

 

「ごぶっ…お”…ごっ…?」

「な…?!」

 

 …720。

 

 鮮血。パックリと首に空いた一文字。ドクン、ドクンとリズミカルに噴き出し、鼓動のリズムが視覚的に表現されている。

 

 首を狙ったのが良くなかった。心臓か脳を狙ってあげれば良かった。そうしたら、苦しまなくて済んだよね。

 でもごめんなさい。もう、貴方は死んでいるから、刺してあげられないんだ。

 

「て…てめぇ、何を…あっ」

 

 …720。

 

 許して。許して。次は上手くやったから。ほら、何も分からないって顔。きっと、死んだことも気づいていない。苦しんでいないから。

 

「なんだよ…なんだこれ…ひぃっ!」

 

 今さら怯えたように後ずさる盗賊たち。馬鹿だなあ。そのまま駆け寄って取り押さえたら、それでナイフは使えないのに。

 また一人。声もなく倒れる。片眼から血と、それ以外の何かを垂れ流して死んでいる。

 

 720。

 

 誰も逃げられるはずがない。誰も。

 

「ああ、皆さんどうされたのです?まだ触ってすらいないのに」

「あ、ああああああ!」

 

 男が一人、怯えたまま狂乱したように私に飛びかかり、首を絞めてくる。苦しい。

 負けじと締め返す。けれど柔らかに、力を込める必要も無く。ただ首を絞めるという行動を示す。

 

「死んでください」

 

 私のために。

 

「ああ、あ…う…」

 

 720。

 

 あまりにも急激に、男の顔が青くなり、ものの数秒で息絶えた。窒息死だ。

 あと6人。ああ、無駄だ。私は1人狩れれば良かったのに。

 

「お前…なんなんだよぉ!」

 

 最初に私に話しかけてきた男の声。多分、頭領なんだろう。

 何だ、何だ。正体なんて見ての通りだよ。

 

「ただの女の子ですよ」

「ふざけるなあ!」

 

 足踏みをする。足元には何もないのに、パキッという殻の割れるような感触とグチャリという音がして、目の前で男の頭が爆ぜた。

 

 720。

 

 これで半分。きっと、ああきっと、今回もうまく殺せたはずだ。

 

「ふう…もういいかな。で?まだやる?大人しく捕まる?」

「つ、捕まる…捕まるから…!」

「俺もだ!俺も降参する!」

「助けて…助けてくれぇ!」

 

 生臭い。きっと、獣が寄ってくる。…ここで片付いて良かった。もう殺すのは疲れたから。

 

「じゃあ手伝って。この人たち燃やすから」

 

 ごちそうさま。

 

 

 

 

 

「こっ、ここが(ねぐら)です…」

「うん、ありがと」

 

 愛想良く笑顔を。笑えるような気分じゃなくても笑えるようになって、どれくらい経つだろう。

 …この世界の治安がもっと良かったら、私は生きてこれやしなかっただろう。盗賊たちには、感謝しないといけない。

 

 案内されたのは洞窟だった。森の中にありながら入り口周辺は開けており、少し歩けば澄んだ水場がある。いい立地だ。

 

「さて盗品は…あったあった」

 

 依頼者の商人が命の代わりに置いていった荷物。食料品などはもう消費されてしまっているが、必ず取り返して欲しいとあったものは無事だったようだ。

 

 幸運のブローチ。

 と言っても、特に効果があるわけではない。商人が盗賊たちに襲われたように、盗賊たちが私に遭ってしまったように、幸運を齎しもしない。パワーストーンが嵌め込まれた、よくある、おまじないの品だ。これはパワーストーンとして本物の宝石が埋められていたので盗賊の目についたのだろう。これを奪いさえしなければ依頼も出されなかったと思うと、むしろ呪いのブローチに見えてくる。

 なんて、私が言えたことじゃないか。

 ロケットのように中に写真が入れられるようになっているようで、平たい裏面と表面の境目に爪を入れてカパっと開くと家族写真が見えた。写真なんて高級品を持っているのは、食料品は取り返せなくてもいいなんて依頼を書ける大店商い(おおだなあきない)ならばこそか。

 

 懐にブローチを仕舞い込み、振り返る。

 

「じゃあ、街に連れて行くか、ら?」

「死ねッ!!」

 

 衝撃。

 何を、された?

 

 急速に明度を失っていく視界。大きな石を再び振りかぶり、力任せに下ろしてくる姿が見える。

 ゆっくりと見え…続いて今朝見た夢の後追いのように走馬灯が流れる。

 

 ああ、()()()()()()また…されてるんだろうか。

 

 まあいいや。死ぬ前に、いい思い、させてやっても…別に…。

 

 おやすみなさい。

 

 

 



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01-02.睡眠と気絶と死に違いはあるのか


 

「エリー!起きなさいエリー!遅刻するわよ!」

「ぇぇ…あと少し…」

「ええいこの寝坊助妹め!もっとしゃきっとしなさーい!」

 

 ああ、サリーお姉ちゃん待って…。

 …?

 

 あれ、どうしてここにいるんだっけ。

 

「寝ぼけてるんじゃありません!もうっ、今日は貴方の成人式、見魂(みたま)の儀なのよ?いい加減しっかりしてちょうだい!」

 

 あ、そうだった。えへへ、これで私も大人になるのかあ…。

 

「お姉ちゃんが家を継ぐんだからいいじゃーん…私はほら、この家で魔法顧問になるから…」

「こんな小さい家に私兵なんて要るわけないでしょ!まったく、魔法と料理ばっかり上手くなって」

「あ、じゃあ料理人になる」

「お母さんより上手くなってから言ってよね!」

「あー、それは難しいかなあ」

 

 お母さん、あれで昔はパティシエール目指してたらしいからねえ。お父さんと結婚してその夢は諦めたっていうけど、今でもお菓子作りは磨いてるし…。お陰で社交会のママ友界隈では人気者らしいね。

 

「…よし、準備おっけー」

「ど、こ、が、よ!アンタ、その普段着見たいな格好で行けるわけないでしょ!スティ!スティさーん!助けてちょうだーい!」

「はいはい、居りますよ。どれ、着付けてあげましょうかね」

「お願いします、スティお姉様」

「ほっほ!おばさんでいいんですのにお嬢様ったら…ほれ、できましたよ」

「おばさまの手際はやっぱりすごいですわね…ドレスの着付けがこんなに早いなんて」

 

 わかってましたとばかりにドレスと装飾品一式を持って入ってきたウチの家令の手により、見る間に私の肉付きの薄い華奢な身体は煌びやかかつ慎ましやかな蒼のドレスに包まれた。

 うむ。馬子にも衣装というものだ。私、かわいい!

 

「テンション上がってきた」

「ようやくですのね…」

「サリーお姉ちゃん、早く行くよ。遅れちゃうじゃん」

「エリーの言うことかァーッ!」

 

 

 

 

 式場に着いた。王都ほどではないが、主要都市の教会だけあって大きい。私と姉以外にも、階級問わず多数の貴族たちが参列しているが…たしか、一日につき40の家について儀式が行われるはず。成人している家の者が同席する決まりであるから80人は既に収容している。にも関わらず、教会の中はさらにもう一つか二つはこの貴族の群れが現れても余裕で入れそうなくらい広い。そんな教会の壁をほぼ占めているあのステンドグラス、どうやって作って嵌めたんだろう…?

 

 さて見魂の儀だが、これは貴族の風習である。私、エルスティス・U・オブリビアス、愛称エリーは曲がりなりにも貴族の生まれだ。であるならば、16を迎える、または迎えた年の見魂の儀には必ず出席し、その魂が健全に育っているか、そしてどのような力を宿しているかを見なくてはならないのだ。

 一体どうやって行われるのかと言うと…。

 

「これより見魂の儀を執り行わせて頂きます。こちらは本教会の司教、アルベルト・G・ブライトであります」

「皆さん、ご紹介に与った、アルベルトです。これより始まる見魂の儀では皆さん一人一人の魂を、我らが輪廻の神の前に照らし、自身の清らかなる魂の姿を、そして在り方を知ることになるでしょう。魂の姿とはあなた方の現在。在り方とは、その本質、つまり過去の結晶というべきもの。これを知ることで、貴方たちは自らをより良く知ることになります。ですが、忘れてはいけません。映し出される魂から読み取れることは過去と現在でしかないのです。その魂という彫刻に、どのように手を加え、土を塗り、削り出してゆくのか。未来はあなた方それぞれの手にあるのです。この儀式は、そのための第一歩をより良く歩み出すための、ほんの手助けでしかない事を、どうか忘れないでください。……では、これより名を呼びます。呼ばれた者は答えず、静かに、祭壇を挟んで私の対面にお越しください」

 

 続いて、名を呼ばれた少年が木組みの長椅子からスッと立ち上がり、緊張した面持ちで壇上へ上がり、司教の前に立ち、手を組んで両膝を突き祈る。

 

「主よ。我が主よ。神々の第6位、輪廻の神カルネラ*1よ。ここに見魂の儀を受けんとする若人が祈りを捧げました。どうかその御力で彼の魂を照らし、現世に映し出し給え」

 

 司教の言葉に応えるように、祭壇に光が差す。神々しく照らされた祭壇の上には何も見えないが、見魂の儀を受けている本人と儀式の執行者である司教にだけは魂の形が見えるのだと言う。

 そして、その姿を見れば、その者の本質と、現在もつ能力が直感的に理解できるのだとか。

 

 そう、能力だ。この世に産まれた者は、全員ではないが多くが特別な力を持っている。これは貴族だとか平民だとか、果ては人間かどうかすら関係のない生命共通の特徴だ。もちろん、多くが、と言ったように持たない者も居るのだが。

 たとえば、最も有名な例であるこのメタフィス王国の建国者イルメリア・A・メタフィスは剣に関する能力を持っていたとされる。剣身を伸ばしたり、切れ味を良くしたり、軽くしたり重くしたりなどだ。また、その握る剣はどのような(なまくら)であれ決して折れることはなく、聖剣とも呼ぶべき輝きを得たと伝わる。

 ここまで強力な例は少ないが、空を飛んだり、魔法も無しに火を吹いたりなど、その例は様々だ。だが固有ではなく、似たような例が多く見つかる能力もある。「絶対に転ばない」「一発芸で滑らない」みたいなネタ能力もあるので、まあ無いよりいいくらいの認識である。でも一発芸で滑らないのはちょっと便利かもしれない。

 

「汝の行く末に、大いなる幸福の在らんことを」

「カルネラよ、感謝とともに祈りを捧げます」

 

 締めの言葉と祈りを終え、少年が壇を降りる。これで一人だ。だいたい5分程度だろうか。

 貴族の家名の真ん中にある文字は、その家の格を表している。例えば、先ほどの建国者イルメリアはもっとも格の高い「A」であった。今儀式を行っているアルベルト司教は7番目の「G」である。これは家ごとの固有というわけではなく、どこだったか、他にも「G」格の家があったと思う。

 ではウチの家はと言うと…私の名はエルスティス・「U」・オブリビアスだ。

 

 つまり、21番目となる。

 

 言うまでもなく、かなり下の方である。というか、22番目以降となると「V」「W」は勲功による名誉貴族や騎士爵位のための枠であり、最後の方の「X」「Y」「Z」は例外にあたる特別な格となるので、実質最下位だ。

 したがって、呼ばれるのはほとんど最後の方なのだ。

 

 一人あたり5分、40人なら3時間ちょっと。ああ、暇だなあ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと。ねえちょっと!」

 

 横腹を強めに突かれ、ハッと頭を起こす。お姉ちゃんの小声が耳に心地いい。

 

「もうすぐよ。いい加減起きなさい」

「あ、ご、ごめんお姉ちゃん…」

「いいのよ。…正直、貴方が寝てなかったら私も危なかったし」

 

 珍しい。あの真面目でしっかり者のお姉ちゃんが。

 

「…では、次。エルスティス・U・オブリビアス」

「……」

 

 立ち上がる。

 

 

 

 

 …あれ。

 

 

 

 

 なんだろう。行ってはいけない気がする。なにか、良くないことがあった、ような…。

 

 既視感…。

 

「エリー。早く」

「あ、うん…」

 

 何か、警鐘がなるような感覚。強い抵抗感を覚えながら、足を進め、祭壇の前に立つ。ドクッ、ドクッ、と、心臓が早鐘を打つ。震えが止まらない。汗が滲み出し、背筋が冷たくなるような怖気に襲われる。

 

「…エルスティス。祈りを」

「…はっ…はぁ…はぁ…!」

「…む。どうかしましたか?」

「いぇ…祈ります…」

 

———祈ってはいけない!

 

 両膝を突き、両手を組み、目を閉じる。

 

「主よ。我が主よ」

 

———やめて!もう見たくない!

 

「神々の第6位、輪廻の神カルネラよ」

 

 手が、震える。手だけじゃない、全身が震え、滝のように汗が噴き出す。

 

———お願い、夢ならもう覚めて!

 

「ここに……見魂の儀を受けんとする若人が祈りを捧げました」

 

———お願い、覚めて…。

 

 手の先から、足の先から、さーっと血の気が引く。頭痛が酷い。

 

「……どうかその御力で彼の魂を照らし、現世に映し出し給え」

 

———いや、いやぁ…。

 

 そうして、光が差す…。

 

 

 ああ、思い出した。これは夢だ。この後にあったことも、どうして今、夢を見ているのかも思い出した。

 

 

 神の声が聞こえる。

 

 

『エルスティス。呪われし乙女よ。哀れなる子よ。辿り着いてしまったのですね』

 

「神さま…?」

 

 もう、私の意識は身体を動かせない。夢だと分かって…もうこれは、ただの記憶の再生だと理解して、身体は過去をなぞるように動くだけだった。

 

『既に、儀式は完遂されました。私は神として、貴方の魂を照らし出さねばなりません』

 

『ああ、運命の神よ。なぜ斯様な仕打ちをするのです。この娘に、生きとし生けるものが共にする罪以上に何の罪がありましょうか』

 

『エルスティス。他の何を失おうと、誰が貴方を見放そうとも、私は貴方を見守りましょう。貴方には、きっと輪廻の加護があるべきです』

 

『たとえ、この加護が貴方を苦しめるとしても…貴方には、力が必要です』

 

『運命の神ならぬ私には、行く末を知ることは能いませんが…主神よ。せめて、この穢れなき少女の道筋に救いの在らんことを…ああ、主神よ…』

 

 

 そうして、私は目を開ける。

 

 開けて、しまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こ、これは…っ!」

「え…?」

 

 魂の、形。

 

 私の形を映し取ったような、半透明に光る少女の形に…黒く、ただ黒い闇が絡みついている。

 

 知識が、流れ込んでくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 目を覚ますと、男が私の上に跨っていた。

 

 あ、なんだか懐かしい。最初の夜もこんな感じだった。当てもなく、彷徨い歩いて、喉も乾かないことに気づいて泣いて。

 あの人どうしてるかな…あ、違う違う。そんなわけないよ。だって私が初めて殺した人なんだから。

 生きるために。

 

 あの時は、全身脱がされて、ひどいことされてたけど。

 

「あなたは、ひどいことしないんだね」

「死ね!死ねよ!なんで死なないんだお前!頼むよぉお!」

 

 何度も、何度も、私が寝ている間もずっとかな。半狂乱で石を私の頭に叩きつけている。

 何度目かの時に知ったことなんだけど…一度死んで、それから目が覚めてしまうと、しばらくは死ぬような目にあっても気絶しないんだよね。ぼーっとして、痛いなあ、くらいにしか思わない。私ってホントに生きてるのかな。

 

「死ね、死…ひっ」

 

 腕を、掴んで止める。人の頭ほどの石を振り続けて、腕が腫れ上がってしまっていたから。

 …なんて、そんなこと今さら理由にはならないのは分かっているけど。

 

「だいじょうぶ、だから」

 

 それこそ今さら…人らしい道に戻るつもりもないし。

 自分を犯そうとしたり、殺そうとしたりした相手なら、殺したっていいし…許したっていい。抱きしめたっていい。

 

 大した理由は、ない。ただ、そうしたら、きっと絆されてくれるかなあって。

 

 そうしたら、もしかしたら、この地獄に付き合ってやくれないかな、なんて打算くらいはあった。どうせコイツもアウトロー、私が人殺ししてたって気にしないだろう。

 

 腕の中で、男が恐怖に震えながら…なぜか安心したように力を抜く。なんだ、蛇も人間も同じじゃん。

 傷つけて、驚いて、許されて、懐く。

 

「一緒に、帰ろうか」

「ああ、ああ…はい…っはい…」

 

 懐に手を入れる。よかった、ブローチは壊れていない。

 

 収穫が多い旅だったなあ。

 依頼はこなせたし。命も頂いたし。新しいペットが、2匹も増えた。

 

 また1ヶ月(720時間)、生き延びれるんだ。

 

 

 

 




 

 

○エルスティス・U・オブリビアスの能力

 

☆超虚弱

 

 魂が現世に留まろうとする力が非常に弱く、生命力が極端に微弱である。

 保有者は、僅かな傷によって生命維持を大きく妨げられる。重大な病に非常に罹りにくい代わりに、通常死に至ることのないような軽度の病気によって重篤な症状を引き起こすことがある。

 また、保有者は魔法および魔力の扱いに凡夫の追随を許さぬ程の天賦の才を得る。

 

 

☆死の呪い - 後天付与

 

 保有者は、この能力の詳細を認識してから720時間が経過した瞬間に死亡する。保有者はこの能力以外の要因で死亡せず、生命活動を致命的に阻害するような損傷や異常は最低限の生存が可能な段階まで即座に治癒する。保有者自身の同族、または近縁の種族を殺害することで、死までの猶予を720時間に戻すことができる。

 保有者が明確な殺意を以って攻撃し、その方法が対象の殺害手段として有効である場合、命中せずとも対象は即座に死亡する。非生命体の場合、復帰不可能な状態で機能停止する。

 この能力による死はいかなる手段によっても回避できない。

 

 

☆輪廻の神カルネラの寵愛 - 後天付与

 

 保有者は死後、絶対の安寧を約束される。保有者が輪廻をもつ生命を殺害した時、その生命の死後の安寧を望む場合、これにも適用される。

 また、神々の定めた法の上で、保有者が他者を殺害した時、それが自己、近親、および極めて深い交友関係にある者の生存のためであるならば、これを罪としない(人の法とは独立であるが、序列の神に神官が問うのであれば神は答えるだろう)。

 また、神々の法の上で、保有者は輪廻の神を信仰する最高位神官と同等の奇跡行使権限を得る。

 

 

 

 

 

 

*1
数多いる神の中でも、序列を与えられた力のある神の一柱。あらゆる生命の生誕と死滅を司り、魂に関わりが深い。なお、序列のない神の中に魂の神というそのまんま魂を司る神がいるが、新参のためお株を奪われてしまった。現在はカルネラの使い走りをしている。




Q.つまりどういう状態?
A.誰かを殺さないとひと月で死ぬけど、それ以外ではHP0になったとき必ずHP1で復活するよ。最大HPが1固定だから全快するよ。

Q.最後のはどういう能力?
A.あんまり可哀想だから神さまが憐んで愛してくれたよ。色々な奇跡を振るえるけど、結局はだれかを殺さないと生きられないよ。


 不幸にも得た力が、幸運にも自らの力と噛み合っている。
 この呪いに理由はない。ただ巡りに恵まれなかったのだ。
 その脆さ、その純粋さが、気まぐれな悪魔の目に止まってしまっただけなのだから。


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死者どもの日常-1
02-01.尊厳の前提


※タグにある通り、この小説には残酷な表現が含まれます(大遅刻告知)
※この小説は複数の結末を想定しており、現時点で作者にもどの結末に行き着くかは分かっておりません



 

———俺は、どうしてこの化け物に縋り泣いているんだ。

 

 半狂乱で少女を殴り続ける俺を止めたのは、あろうことか、殴られ続けていた少女であった。訳が分からない。俺はコイツを殺すつもりで何度も何度も石で殴りつけた。実際、俺はコイツの頭蓋が弾け、脳髄が溢れ散る様を見た。何度も見た。即死のはずだ。しかし、俺を止め、抱きしめて止めたのは他でもないその少女だ。

 

 コイツは、不死身だ———。

 

「だいじょうぶ…なんともない…なんともないよ…」

 

 やめろ。耳を貸すな。コイツは不死身の化け物だ。気も確かじゃない。正気の人間がどうして自分を殺そうと———いや、殺したヤツに優しくするんだ。耳を貸すな。耳を貸すな。耳を———。

 

「盗賊になって、どれだけ経つの?」

「ひと月、くらい…」

 

 ああ、ダメだ。

 身体も、心も、言うことを、聞かない。

 

「どれくらい、殺したの?」

「一人…」

 

 だってそうだろう。一度、俺は殺されたも同然だ。今だってそうだ。コイツは俺を殺そうとすれば殺せるんだ。今さら強がって何になる?身も心も屈服させられた犬は従順に隷属するのがお似合いだ。

 

「どうして?」

「馬から、落ちて…ああ、事故だったんだ。殺したら追っ手が来る、殺す気なんて無かった…殺す気なんて」

 

 俺の言葉を遮るように、少女は「でも」と続けた。

 

「貴方が殺したんだよ」

「っ……」

 

 少女は無慈悲に事実を突きつけてくる。

 

「貴方たちが襲ったから、その人は落馬した。事故でも、過失でも、殺した命は帰ってこない」

「……ああ」

 

 いつしか俺は、半狂乱でも無く、泣いてもいなかった。この、容易く命を奪う不死身の化け物に抱かれて、背と頭をポンポンとあやすように叩かれて、俺はどうしようもなく安心していた。きっとこのまま突然に首を絞められても、それを受け入れてしまうだろうくらいに。

 

「でも、私より善いわ」

「え…?」

 

 また俺は、俺のことが分からなかった。コイツは何もおかしなことなんか言ってやしない。数から見て、一人を殺した俺と、何人もを殺した———恐らくは今までにも殺してきたであろう———コイツでは、コイツの方が残虐なはずだ。けれども、今の俺の心には、コイツが心底善い奴で、本当は人殺しなんてするはずもないのだとしか思えなかったのだ。俺はやっぱりおかしくなってしまったのだろうか。

 

「私ね。人を食べて生きているの」

「……」

 

 本当なのだろう。いや、お頭たちの死体は燃やしていたから本当に字のままの意味で喰らっているのでは無いだろうが、そう言い表せるような方法で日々の糧を得ているのだ。

 

「人を殺さないと、死んでしまうの。生きるためには、殺さないといけない。ひと月に一人…さて、私は何ヶ月、この生活をしていると思う?」

 

 さっきの戦いの様子を見るに、戦いにはもう慣れていた。人を殺すことにも慣れていた。ひと月ふた月の話では無いだろう。

 

「半年…いや、一年か?」

「違うわ」

 

 少女は耳に口元を寄せて、囁いた。

 

———ひ、と、つ。

 

 唖然。馬鹿な。

 初めて戦場に出た兵士は、その一戦だけで、殺されるかもしれない恐怖と殺してしまうのだという恐怖からトラウマを抱えるという。俺だって、一方的に追い立てる側で、ただ一人を…ただ一人を誤って死なせた時には怖かった。やはり俺は食い詰めても人殺しでは生きられない半端者だと痛感した。だと言うのに、コイツは。

 

「もっと言うなら、それは()()()()という話で…ちゃんとひと月経つには、あと五日あるけれど」

 

 やはり恐ろしい。もう俺はコイツを怖がれないが、コイツは誰かに近づけちゃいけないヤツだ。

 

「初めて殺したのは、私を犯そうと押し倒してきた相手。締め殺したわ。次に殺したのは、その隣でゲラゲラと笑っていた男。もっとも、一人目が死ぬ頃には泣いて逃げ出そうとしていたけど。ねえ、この人、どうやって死んだと思う?普通じゃないわ」

 

 コイツに出会って死ぬ時点で普通でなんかあるものか。

 

「最初の男とね、私を使いまわそうなんて話をしていたから。お望み通りに押し倒して、跨ってやったの。搾り尽くして殺してやろうと思っていたから一回目で死んだわ」

 

 ああ、思ったよりはいい思いして死んだんだなソイツは。

 

「それでね、それで…次は…ふふ、あはは」

 

 

 

 

 

 それから。

 俺はコイツが殺した、お頭たちを含む総勢9名の悪人の死に様を聞き届けた。それは狂った自慢話のようでいて、その実はどうしようもないほど苦しくて擦り切れそうな悲しみに満ちた懺悔だった。気づいたら、コイツは泣きながら笑っていた。どっちがどっちを抱き締めているのかも分からないまま、もうろくに力も籠っていない腕から逃げることもなく、俺はずっと懺悔を聞いていた。

 

「ね。私より貴方の方が(貴方より私の方が)ずっと善いでしょう(ずっと悪いでしょう)?」

「……ああ。お前に比べたら、盗賊なんか修道服来た姉さんと変わらねえだろうさ」

「だよね。良かった」

 

 なんでこうなったのか、今でも分からない。

 ただ、俺とコイツ、ろくでなし2人組が、しばらくは一緒に生きて行くことになったのは間違いなくこの瞬間だった。多分俺は、どうしようもなく殺す相手がいない時の延命装置にすぎないんだろうが。

 でもな。悪人に裁きを求めるお前は、どれだけ優しくて善良だとしても、やっぱり、間違いなく悪人なんだよ。

 

 


 

 

 何故かは分からないけど、狙い通り絆されてくれたから、これでペット2匹目。もしかしたら私、人に好かれる素質があったりして。無いか。

 

「他の盗賊たちは…」

「居ねえな。皆んな逃げちまったか」

 

 うーん。

 

「ねえチロ。貴方ニオイとか追えないかな」

「シュー」

 

 無理っぽい。

 

「うおっ毒蛇じゃねーか!」

「いい子よ?ね、チロ」

「シュルシュル」

 

 すすっとチロが男の首に巻きついて、顔の横から覗き込んで舌を出し入れする。

 いやまあ、チロがいい子かどうかなんて今朝あったばかりだから知らないけど、この分なら本当に素直な子みたいね。

 

「お、おお…ザルグだ。よろしくな」

「あ、そういえば貴方の名前知らなかった」

「俺もお前の名前知らねえな。自己紹介するか…ザルグだ」

「エリーよ。この子はチロ、今朝起きたら私の腕を食べてたわ」

「いや大丈夫かよ」

「大丈夫じゃない?」

 

 痛いのは好きじゃないけど、まあ最悪食べられても死なないし。あ、でも…。

 

「チロ。お腹空いてもザルグは食べちゃダメよ?どうしても欲しいなら私にしなさい」

「シャー」

「いやいやいや…」

 

 あれ?なんでそんな反応…ああそうか。ザルグにもう能力のこと言った気になってたけど、部分的にしか言ってなかったわ。

 

「そうね。貴方には教えておくわ、私の能力」

「…それって、一ヶ月に一度誰かを殺さないと死ぬってヤツか?」

「ええ」

「能力ってことは…お貴族様だったのか」

「木端もいいところよ。本名はエルスティス・U・オブリビアス」

「最下格じゃねえか」

「お父様もお母様も、資金繰りには苦労してたわ…」

 

 死の呪いについて。虚弱体質について。そして、カルネラ様の…愛情について。

 カルネラ様には感謝しています。浄化の魔法に、聖域の魔法。いくら不死身みたいな身体でも、流石に夜通し魔物に襲われたりしたら寝てもいられないもの。本当はもっと色々できるけれど、今のところこれだけで足りている。

 …殺した彼らが、安寧を得られているというそれだけで、少しは気が楽になる。

 

「なるほどな。720時間…今はどうなんだ」

「716時間よ。この場合、少なくとも716時間ある、という意味ね」

「そこまで正確に分かるのか」

「…頭を離れないの。ふと呪いのことを気にした瞬間に、パッと浮かぶわ。お前を離さないって言われているみたいね」

「…すまん」

 

 …ふむ。

 

「貴方…盗賊という割にものを知っているし、頭も良いように見えるけど」

「ああ、俺も似たような立場だったからな。元貴族だ」

「へえ?」

 

 貴族が盗賊に。似たような格の家の三男坊とかかな。

 下働きとか、野垂れ死ぬとかは分かるけど、盗賊なんて生き方を選んで一ヶ月生き延びれる貴族っていうのも珍しいような。

 

「人より生き汚いだけさ。今日にも死ぬところだったしな」

「死んでないじゃない。私みたいなのに遭っておきながら」

「…お頭だよ。もちろんロクなやつじゃなかったが、一度引き入れると決めたら面倒見は良かった」

「そう…悪かったわ」

「何も悪くねえよ」

 

 …本当、なんでこんな風に語らっていられるのか。

 

「で…いや、そもそもなんでここに来たんだエリーは。俺たちの討伐か」

「できたらそれも、ね。本命はこのブローチを取り返せって依頼よ」

「それは…はあ、幸運のブローチってんでお頭が獲ったヤツか。誰にとっての幸運かって話だな」

「依頼人もこのブローチがあって盗賊に遭ってるのよ。ほとんど呪いのブローチだわ」

「所詮はおまじない、か」

「あるいは、この世に偶然なんてあり得ない、幸運の入る余地なんてないってことかしら…まあとにかく、依頼も最低限はこなせたから街に帰るのだけど、問題は貴方よね…」

 

 盗賊だし。元貴族とか、顔割れてないでしょうね?

 

「顔は知ってるヤツいないと思うぞ。ぶっちゃけ、逃げたヤツらと今まで襲ったヤツらくらいしか問題にはならないと思う」

「ひと月よね。そんなに襲った数はないでしょう?」

「お前の依頼主と…死なせちまった奴が居たところの連中だなぁ」

「…印象に残ってそう?」

「どうだろうな…止まれ、ってお頭が叫んだ時に馬が驚いて落馬したんで、特に俺だけが目立ってたわけじゃないが。馬車の中から人は出てこなかったし。2頭曳きだったから、死ななかった方の御者くらいだな」

「そ、なら多分大丈夫でしょ」

「軽いな」

 

 そりゃあ、ねえ。

 

「その人の分は、貴方の背負うものであって私のものではないもの」

「違い、ないな」

「じゃ、行くわよ。貴方のことは、途中で出会った探索者(クローラー)志望の男ってことにする。多少は身なりが整ってて助かったわ」

「ああ」

「シャー」

 

 …あ。宿、どうしよう。

 

 


 

 道中一泊し、翌日の昼。

 

 意外にも難なく街の門を通過し、依頼達成報告を済ませ、ザルグの探索者(クローラー)登録まで済ませることができた。

 

探索者(クローラー)か…」

「なに?…そういえば、貴方探索者(クローラー)は選択肢になかったわけ?」

「ないでも無かったが」

「…?歯切れが悪いわね。なんでもいいから言ってみなさいな。胸の中でさんざん泣いといて惜しむ恥なんてないでしょ」

「それは言わないでくれ…えっとだな。戦えないんだよ、俺」

「………は?」

 

 嘘でしょ?盗賊やってたのよねこの男?なんで戦えないのに盗賊やってたの?嘘でしょ?というか探索者(クローラー)って戦えなくてもやれるし。子供でも出来るお使いみたいなのもあるわよ。

 

「そんな目で見るなよ!仕方ないだろ、貴族で探索者(クローラー)って言ったら傭兵の亜種みたいに見えてたんだよ!」

「まあ…分からないことも無いけど…」

 

 そういえば、私を殺そうとした時も剣とか斧とかじゃなくて拾った石で殴ってきてたなこの男。武器持ってなかったのか。

 

「剣術とか、昔からダメなんだ。腰の動きって奴がまるで分からない。腰ってそもそも独立して動く部位なのか?」

「…宿で実演してあげてもいいけど?」

「うん?腰を?どうやって?」

「え、そりゃあ…えっと、あれ」

 

 通じない?馬鹿な。この男、見たところ私より2つか3つ上のはず。貴族なら跡継ぎとかでそういう話は避けられない筈だし、というかさっき私の話でエグい場面出てきた筈だし。

 いや待て。そういえば、私の上に跨ってマウントポジション取っておきながら殴りつけるばかりで何もいやらしいことしなかったなコヤツ。

 知識はある上で、精神的にピュア…?あり得るのか?そんなことが?

 

「あの。質問があるのですが」

「なんだ突然。いいけど」

「ええと、まず舞台設定として、宿があるとします」

「おう」

「そこに年頃の男女がペアで泊まるとします」

「おう…人目とか気にならないのか」

「気にならないわけでは無いですが、むしろ見せつけていますね」

「見せつけ…?」

「夜、その部屋からガダゴト、ギシギシと音がします。翌朝、2人ともやや疲れた様子で宿を出ます」

「?…何してたんだ?」

「………」

 

 嘘だろ…。

 

「………あー、えっと、何してたと思います?」

「ええ?そうだな…夜に音立てる時点で非常識な感じだが…翌朝疲れてたから、多分徹夜だろう?よっぽど手間のかかることを、わざわざ夜に…ああなるほど」

「ああ…!分かってもらえました?」

「ああ、百物語*1でもしていたんだろう?どちらかが怖がって暴れていたんだな」

「なんと言うこと…」

 

 分かった。この男ピュアだ。知識と現実が全く結びついていない。信じがたいことだがもはや疑う余地もあるまい。

 

「ど、どうしよう。教える?それとも放っておく?純粋なのは美徳かな。でも流石にこの年でこの貞操観念は…いやでも、教えるとしてどうやって?現実と結びつけるって、教材が無いし…()()()?私は別にいいけど、こんな爛れてしまった娘から適切な観念を教えられるとは思えない…うーん、うーん」

「お、おい。どうしたんだ。こんな通りのど真ん中で頭抱えて」

「黙らっしゃい!貴方がピュアボーイなせいよ!」

「はあ!?」

「シャー…」

 

 …いいや!思考放棄!なるように任せる!知らない!

 

「あ、溶けた」

「さあ、ここが私が借りてる宿よ。2部屋借りる余裕は無いからね」

「…百物語でもするのか?」

「ち・が・う!!」

 

 

 

 

 

*1
夜に複数人で集まって沢山の蝋燭に火をつけ、怪談を語り合う遊び。怪談を一つ語る毎に蝋燭を一つ消し、最後に全ての明かりが消えたら終了。




 最初の経験と、その後の出来事による心労に加え、能力で死ななくなっていることが影響して、エリーは自分自身の扱いが非常に雑になっています。話中に出てきた貞操観念の話のみならず、その他生活の方法などもおざなりです。ザルグがいなければ、この宿もいずれ引き払って完全に山姥のような暮らしを始めていたかもしれません。


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02-02.矮躯に九の魂

つまり猫。


「猫探しですか」

「はい。こっちのザルグが探索者(クローラー)になりたてなので、まずは探索者(クローラー)駆け出しとしてこういう経験も積ませようかと」

「お願いします」

「なるほど、それならちょうどいい。一つ来ていますよ」

 

 結局、何事もなく同衾*1して朝を迎えた我々は、パーティとしての初依頼を受けるべくこの街の組合支部へとやって来ていた。

 

「なるほど…じゃあ、それ受けます。期限は?」

「昨日来たばかりで、あと9日ほどですね。本人達も探しているようで、10日経って見つからなければ諦めるしかないと言っていましたが…」

「じゃあ、依頼人にそのあたりの情報も聞いてみます。依頼人にはどこに行けば会えますか?」

「こちら住所です。子連れで父母ともに健在、日中は少なくとも母が家にいるとのことですから、今から行っても大丈夫だと思いますよ」

「ありがとうございます」

「…あ、ひとつ聞きたいんですが。この街で最近大きな工事とか、災害とかってありました?地図が変わるような」

「ふむ?いや、無かったはずですよ」

「地下も含めて?」

「地下ですか…ちょっと待ってください……いえ、特に無いみたいです。最後に行われた大規模な作業は先月末の定期下水道点検ですね」

「そうですか、わかりました。ありがとうございます」

「いえいえ。ザルグさん、初依頼頑張ってくださいね」

「はい。何とかやってみます」

 

 さて、ここからだけど。

 

「とりあえず、住所の所まで行くけれど…ねえ、ちょっとだけでも盗賊(シーフ)やってたんなら何か出来ることないの?」

「つってもなあ…どちらかと言うと斥候(スカウト)とか野外警備員(レンジャー)に近いぞ。やれる事はあるにはあるが、何にせよ特徴とか手がかりを得ないことにはどうしようもないだろ」

「たしかに」

 

 

 

 

 

 というわけで、例の家にて。

 

「お邪魔します」「失礼」

「いえいえ、依頼を受けてくださってありがとうございます」

 

 家はトイレや浴場を除いて空間がひと繋がりになっている。それなりに調度品が揃っており、生活には余裕がありそうだ。部屋の隅には軍服と思われるカッチリした制服がある。父親は勤務中とのことだが、これは予備だろうか。

 

「良いお宅ですね」

「うん…わたしもミアも、おうちが大好きなのよ」

「そう…ミアっていうのは猫の名前ね?」

 

 お話を伺った所、まず逃げ出した猫は茶色のぶち模様の女の子だとか。尻尾はカギになっていて、耳はピンと立っていることが多い。身体を動かすのが好きで、体型もすらっとしており活発に動く。人懐っこい性格だが悪戯好きなので、捕まえようとすると逃げ出して追いかけっこを始めるかもしれないとのこと。

 これまでにも行方が分からなくなることはあったらしいが、毎度2日もしないうちに帰ってきては泥だらけになった身体を洗って欲しいとせがむようだ。しかし今回はすでに4日が経過しており、どうやらいつも通りではないと決断して昨日の夜に依頼を出したとのこと。

 

「そうか…なにか、猫の匂いが付いたものとか、猫が好きなものとかはあるか?」

「匂いなら、尻尾につけるリボンがあります。いくつかを付け替えて使っているので、そのうちの一つを持っていってください」

「あ…あのね!ミアはこの鈴が大好きなの!この鈴の音がすると、いつも駆け寄ってきて遊んでくれるの…でも昨日おそとでいっぱい鳴らして歩いたのに出てきてくれなくて…だから…っだから…!」

「よしよし、いい子よ、いい子。よく頑張ったわ。私たちに任せなさい。貴方の想いを無駄になんかしない、絶対に見つけてみせるから」

「お兄ちゃん、お姉ちゃん、お願い…」

「…ああ。最善を尽くす。必ず見つけるよ」

「私からも、お願いです。どうか見つけてあげてください。あの子は、この子より賢いくらいですから街の外には出ていないと思うんです。きっと迷子になっているんです。何か気になることがあったら、いつでも聴きに来てください」

 

 

 

 

「…ザルグ」

「ああ」

 

 たかが猫探し、されど猫探し。

 何事もなく生活していた人が、関わりのない探索者(クローラー)組合にまで来て慣れない依頼書を書き、報酬まで出して依頼をする。そこには、人々の様々な想いが込められているのだ。

 

「行こう。街中ではあるが、狩りには心得がある。何とでもしてみせる」

「それでこそ、ね。頑張るわよ」

 

 


 

 

 

 昨日時点で、あの女の子が鈴を鳴らして回ったのは依頼主の家がある住宅街の全域。そう、全域だ。齢6つかという頃、この小さくはない街の住宅街ひとつを回るのは並の根気ではない。まして、今は冬に近づきつつある季節。強くはないが風も吹いており、体力の消費も多くなっていたはずだ。

 

「灯台下暗しとは言うが、多分この辺りにはいないだろうな」

「どうして?」

「すでにあの子が探して回ったからってのも理由だが、何度も出かけてはひとりでに帰ってきていたという話があったろ?この近辺で最近大きな工事があったようでもないのは組合で聞いた通りだし、この辺りで迷うとは思えない。迷ったにせよ、攫われたりしたにせよ、近辺にはもういないだろう」

「何か用事があるのかもしれないじゃない。迷ったわけじゃないけど、帰るわけにはいかないか、あるいはその場を離れられないか」

「それもあり得なくはないが…そうだとしても、鈴を鳴らした時に顔も出さないと思うか?あんなに仲良さそうなのに」

「猫だからねえ、断言はできないわよ…でも、確かにここで時間を使うのは後で良さそうね。私が言ったような理由なら、すぐに事態が動くとは考えにくいもの」

 

 探索者(クローラー)バッジ*2によって投影された地図を見ながら話し合う。支部毎に表示される地図が違うのだが、特に手続きを経なくとも場所次第で自然に変わるのは不思議なものだ。

 

「商店街も普段から連れ歩いていたから、可能性は低い。まず行くべきなのは…」

「行ったことが無いであろう場所から。…あら?この街珍しいわね。貴族街が住宅街に隣接しているわ」

 

 普通、貴族の住む区画は警備や必要になる設備の関係上、あまり平民の住宅区画とは隣接しないことが多い。日々の生活に忙しい民衆は教会なんて中々行かないし、商店街が貴族街の隣にあったところでわざわざ自分で買い出しに行く貴族なんて少ない…ウチは例外だったけど。

 

「本当だ。だがどうする?俺たちもまあ、元は貴族とはいえほとんど身分なぞ無いようなものだろ。とても入れないぞ」

「そうねえ…貴族街の周辺地域で、聞き込みをしましょうか」

 

 

 そうして集まった情報はこちら。

 

 その1。猫の目撃情報はあるが、捜索対象の特徴に合致する情報はない。

 その2。この街で猫が見られることは少なく、飼い猫も少ない。上記の目撃された猫も、珍しいためによく特徴を覚えられていた。

 その3。この街の貴族街は守衛と手続きをすれば平民でも入れる。

 

「いや入れるんかい!警備緩くないか!?」

「はは、この街はそこんとこ、関係が近くてね。まあ警備は大変だし問題も起こらないでもないんだが、そもそも貴族というのはそれなりに強いものだからな。結局のところ、あとはあちらがどれだけ寛容なのかに依るということだろう」

 

 朗らかに笑う守衛さん曰く、そう言うことらしい。

 

 貴族は能力を持つことが多く、そうでなくとも幼少期から護身()()のために魔法や武術を習う。平民はたとえ能力があっても知る機会も無く、両者の間の武力差というものは確かに存在する。

 それでも、基本的に貴族というのは支配し統治する側であるから、意識の問題だけでなく政治的・統治的観点からもあまり民衆と親しげにはしないものなのだが…この街ではそうではないようだ。興味深い。

 

 とにかく、実際に足を運べるというならそれ以上のことはない。早速お邪魔させて頂こう。

 

 

 

 

 

 

「しかし、猫がいないのか…」

「他に猫が少ないのなら目立つでしょう。すぐ見つかるんじゃない?」

「だといいんだが。俺はむしろ状況は良くないと思っている」

「え?」

「猫が少ないということは、この街でどのような場所が猫に好かれるのか、分かりにくいということだ…俺は野外でなら動物の行動もある程度分かるが、街中で狩りをしたことなどないぞ」

 

 それはそうだ。なるほど、集団から行動を予測するという手が使えないのは確かに痛い。

 

「あの目撃された猫を見つけられたらいいのだけれど」

 

 街並みを見渡す。

 貴族街だけあって、先の住宅街と異なり整然とした印象だ。各家には整えられた庭園が見受けられ、館も2階建てのお屋敷ばかり。人通りもあまり多くない。

 こうして平民の立場から眺めてみると、生活というか、住む世界が違うのだと実感する。ウチですら屋敷は2階建てであるし、庭師が素人の母とは言えそれなりに綺麗な庭があったのだ。

 敢えて街並みを公開するのも、それなりの効果があるのだな、と感心する。

 

「流石に、ここで聞き込みするわけには行かないな」 

「ひたすら足に頼るしか…いや、待って」

 

 我らがナンバーツー、チロちゃん。

 野生の勘を見せてはくれまいか!

 

「シャー!…スゥー…シュル…」

「やっぱ無理よね」

「…いや、待てよ。おい、チロ。お前、この街で狩り場を作るならどこにする?」

「?…シャー!」

「ちょっ…待ってチロ!一人で行くと捕まっちゃうから!」

「これは当たり、か?」

 

 どういうわけか、急に腕を抜け出してうねうねと進み出したチロ。森ならばともかく、この舗装された地形で遅れをとるほどの速さではないので見失うことはない。だが、明確に何か目的を感じる動きをしているのが気になる。

 

「え…どういうことよ」

「蛇はな、猫を食うんだよ」

「ええ?!」

「もちろん全部の種がってわけじゃないぞ。あの蛇がどうかも分からないが、もしも蛇の狩りの習性の範疇だというなら、チロが狩り場候補にするような場所は行ってみる価値があるとは思わないか?」

「いや、えっと、私いま猫が食べられる光景を想像しちゃって無理」

「シャー!シャー!」

「首振ってるぞ。食べたりしないってさ」

「食べられないとは言わないのね…」

 

 大蛇というほどじゃないとはいえ、私の細腕くらいはあるものね。体の太さ。

 

「さてと?なんだか奥まったところまで来たな」

「路地裏ね…いかにもって感じの場所。他の路地裏じゃなくて、ここなのね?」

「お、この家新築か?壁塗りが真新しいな」

「シャー。シュルシュル…」

「…ん?おい、あれ!」

「猫!…対象じゃなくて目撃されてた方ね。こっちには気づいてなさそう」

 

 貴族街のはずれ、路地裏の突き当たり。区画を囲う壁の上に、ちょんと座る黒い猫の姿が見える。時どき身を屈め、壁の向こう側を覗いているようだ。この向こうの区画は確か、教会があるはず…。

 

「ちょっと待って…向こうを見てみるわ」

「どうやってだ?」

「カルネラ様の魔法に良いのがあるのよねー」

 

———『第二位奇跡行使権限執行(AFFECTION)聖域策定(sanctuary)

 

 壁の向こう側に薄く光のカーテンが降りる。長方形に区切られたような形のそれは、恐らくは教会の敷地をぴったりと囲っているだろう。

 

「お、おい…」

「続いて…っ!」

 

———『第五位奇跡行使権限執行(PRAY)眼光(follow)

 

 その光景を、私は()()()()眺める。

 

「ちょっと…随分派手じゃないか?」

「大丈夫よ。あれが見えるのは、何かしらの序列神を信仰している人だけ…貴族になら見えるでしょうけど、音はしないからあまり多くの目撃者は居ないわ」

 

 ただ、教会の中はちょっとした騒ぎかもしれないけれどね。

 

 『聖域策定』は、()()()()()で満たされた場所を聖域として定める奇跡。どれだけ満たされているかによって効果が変わり、これだけの街の教会ならかなり強力な聖域効果が見込める。だが、今はそこはどうでもいい。問題は、そこが聖域として神々に認められているかどうか。それが『眼光』の条件に関わるのだ。

 『眼光』は、最も近い聖域の様子を上空から一望する魔法だ。聖域を探知可能な距離の限界は術者の支払った魔力の量に依る。あまり融通の効かない奇跡だが、視界だけは異なる。聖域の範囲外は上空からでもモヤがかかったようで見ることができないが、範囲内であればかなりの解像度で理解でき、障害物も無視して覗くことができる。…無論、神の奇跡であるからには、神によって視界が検閲されることもあるが。

 聖域の作成条件は、聖域の強度や大きさを度外視すれば簡単なものだ。どちらも使える私にはそこそこ便利使いできる奇跡だが、本来はそんな気軽なものではない。第2位の奇跡というのは非常に高位のものだ。例えばアルベルト司教は輪廻の神カルネラ様の特殊奇跡である『見魂の儀』を行使していたが、これは第3位に相当する。こちらも高位ではあるが、大きな街なら一人は使える者がいるだろう。しかし第2位はと言うと、国に1人か2人、と言う希少性になる。ぶっちゃけ、最高司祭とか教会組織のトップ級でなければ使えないだろう。

 

 なので、私がやったことは壁一枚隔てていなければ大ポカなのである。私だって衆人環視の中で本物の奇跡を行使したりなんかしないわい。

 

 …ということを、ざっくりと、奇跡の希少性あたりを省いてザルグに説明する。

 

「ふーん…で、猫はどうなんだ?」

「興味あるのかないのかどっちよ…待ちなさい。猫、ネコ、ねこ…あ?あっ!居たわ!」

「でかした!」

 

 塀の上の第二の猫が眺めていた、ちょうど視線の先だった。教会の鐘付き尖塔の根本、屋根の上だ。きっと、登ったは良いが降りられなくなったのだろう。よくある話だ。

 

「ふう…心配かけさせやがって!」

「でもどうする?屋根の上に猫がいますって言って登らせてもらう?」

「…いや、無理じゃないか?誰かさんのおかげで教会は今騒がしいみたいだぜ」

 

 壁一枚隔てた向こうからでも、「神の奇跡だ!」「この教会から第二位が出たのか…?!」と言った歓声が聞こえる。

 

「…そうね」

「エリー、お前普通にも凄いんだな」

「”も”ってなによ。”も”って」

「自覚あるだろ?」

「まあ、うん」

 

 …壁一枚隔てていても大ポカかもしれない。

 

 

 

 

*1
同じ布団で2人が寝ること。男女が性的な関係をもつことを暗示する場合もあるが、今回はまったく何事もない。当然百物語もしていない。

*2
探索者(クローラー)に多数配布されるバッジ。探索者(クローラー)の存在意義に関係するためその存在自体は重要だが、一つ一つは量産品であるためさして高価でもない。詳しくは省くが、その目的上、空間投影地図や魔導式コンパスなど地理に関する機能が一通り備えられている。



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02-03.家から出ずに仕事をするたった一つの賢い方法

=ヒトに仕事をぶん投げる。


 まず、教会関係者と話をしなければ始まらないので。

 

「あのー、すいません」

「あ、当教会に御用ですか!」

「ごめんなさい今立て込んでるんです!御用件は!」

「あの、飼い猫が屋根に登ってしまったみたいで」

「後にして下さい!」

 

 さもありなん。

 

「いや、仮にも助けを求める小市民がいるのにそりゃないだろ」

「ううん、違うのよ。第二位の出現ってそれだけ冷静さを欠くようなことなの」

「なんてことしてんのお前?」

「本当に反省しております…」

 

 軽く見ていた。教会のてんやわんや上へ下への大騒動を見れば、そう反省するしかない。とりあえず机の下をひっくり返しても第二位神官には会えないと思います。鐘の中にも居ません。

 

 先も述べた通り、第二位奇跡の行使権限所持者というのは非常に稀だ。国に1人か2人と言ったが、これは2人居た歴史もあるというだけで実際にはせいぜい1人である。いない時期もあった。というのも、これはただ敬虔に修行をし、信仰心を高めればよいというものではないのだ。それで辿り着ける境地は第三位である。アルベルト司教も、努力の限界地点であるから結構すごい人なのだ。

 第二位の条件、それは『澄んだ透明な魂』そして『信仰を捨てる』ことである。もちろん、前提として第三位相当の敬虔な信者であることを忘れてはならない。

 

「…ん?それって無理じゃん」

「そうでもないのよ。信者であることと、信仰を抱き続けることはイコールではないから」

「???」

 

 …まあ、まともである程に難しいことかもね。

 

「存在を信じている。けれど、信頼してはいない。こういうことよ」

「?…神さまって、居るもんだろ?」

「知識としてはそうね。けど、その認識と信仰を切り離せる?」

「…いや、無理だ。そういうことか」

 

 そう。つまりこの条件を満たすためには、()()()()()()()()のではなく、()()()()()()()必要があるのだ。信仰ありて後に神あるのではない、神ありて後に信仰ある。「実在すると教えられた」とか「神の存在の証拠を本で読んだ」では、これは信仰と大差ない。この認識を真に人が得るためには、もはや神に直接会うか、または対話するより他にない。人は、体験した物事以外は全て疑い得る生き物だ。究極的には自らの体験の記憶すら疑える以上、体験せずに知るはずのない神の姿や声を知っている、という情報が無ければこの域には至れない。

 

「神が実在し、万能ではなく意思あるものであることを知る。これが、第二位に求められる条件よ。敬虔でなければ神に会う機会など無く、しかし会った後に敬虔は失われる。その時初めて、神は授ける者で無く、代行する者として人を見る」

 

 さらに、生まれ持っての魂の在り方が関わってくるのだから、これは非常に狭き門となるのだ。

 私はこの点、裏道とは行かずとも正規から逸れた道で高位になったと言わざるを得ないだろう。魂は確かに透き通っていたが、敬虔であるが故に神を見た訳ではないのだから。

 

「ってことはエリーは…いや、いい。それよりさ、じゃあ第一位はどうなんだ?」

「何もないわ」

「え?」

「明確な条件はないの。第一位はもう人の域にない、神の使者としての力。そもそも人が自らの力と意思でそこに辿り着くことを、神々の法は想定していない。神が、神の意思によって、生命から選び出して与えるものよ」

 

 だからこそ、私の最高位権限は異常だ。

 

 第一位すら霞む奇跡を、魔法の一種ではない、世界を変える力を行使できることになるのだから。はっきり言って、これが一応は最高位『神官』、つまり人に与え得る力として定められているのは神々の不手際なのではないかと思っている。これだけは、まかり間違っても、たとえ私が狂って正気を失ってしまったとしても行使するわけにはいくまい。濫用すれば本当にこの世界が終わりかねない。

 

 カルネラ様の愛、重すぎ。

 

「ということで突発、神様講座になったわけだけど。そこの隠れて聞いている受講生たち、何か質問ありますか?」

「えっ!?いや、その…あの…」

 

 まあ、そうなるわよね。

 こんな騒動(第二位の出現)、収まるまでに10日はかかる。つまり時間切れになる。こっそり屋上に行けるような技術は私にはないし、もう名乗り出て協力を仰ぐしか無い。ああ、私の考え無し。

 

「その、知識。嘘を言っているようには見えません。…先ほどの奇跡は貴方が?」

 

 教会の扉の影の修道者の群れを掻き分けて出てきたのは、司祭*1服を着た女性だった。

 

「はい」

「何か、示せるものはありますか?」

「…では、別の第二位奇跡を」

 

———『第二位奇跡行使権限執行(AFFECTION)聖別(familiarize)

 

 司祭の着ている司祭服を対象に、奇跡を行使する。『聖別』は、一般的な神官ならよく見慣れた奇跡のはずだ。それもそのはず。同様の現象が起きる奇跡として、各神それぞれの第五位特殊奇跡に『聖別の儀(consecration)』が存在するのだ。

 『聖別』と『聖別の儀』の差は、能動と受動にある。即ち、『聖別の儀』が物品を対象に祝福を()()()奇跡であるのに対して…。

 

「祝福を()()()、『聖別(familiarize)』…ああ、まさに」

 

 第二位は代行者。もはや、何者に与えるべきなのかを選定する立場である以上、必要なものは神への祈りではない。言ってしまえば、祈ることで判断を仰がずとも、現場の判断で祝福を与えて良いという裁量権を得たようなものである。一見、『聖別の儀』と効果が同じに見えるこの奇跡だが、祭壇などの祭具を必要としない、神への祈りが届かないような穢れた場所でも行使できる、というような細々とした違いが存在する。…地味だというのは正直否定できないが、それも仕方のないことだ。

 この奇跡は、その効果よりも()使()()()()ことの方が重要な証明書のようなもの。だからこそ、このような場面では相応しい奇跡だ。

 

 司祭が跪く。

 

「跪くことをお許しください。貴方を一目見れたこと、聖職者として光栄に思います。代行者よ」

「司祭、私は代行者としての扱いを望みません。私は信仰者ではなく一人の探索者(クローラー)、この力は眼前の憂いを払うためにこそ在る」

「存じております。史上、代行者の多くは()()()()()()()のですから」

 

 一通りの言葉の後、司祭は立ち上がった。

 

「もしや、とは思いましたが、やはり教会からではありませんでしたか」

「お騒がせしてすみません…目的のため、どうしてもこの教会を聖域とする必要があったのです」

「目的というと?」

「猫探しです。『眼光(follow)』を使いたかったので」

 

 司祭の後ろがざわつく。当然だ。彼らからしてみれば、聖域を作るなどという未曾有の奇跡が、たった一度第五位の奇跡を使うことの下準備のため、それもただ1匹の飼い猫を見つけるために振るわれたのだから。蟻1匹を殺すために国軍を総動員し徴兵令を発動するに等しい。

 

 いや本当、オーバーなことをしたのは自覚してるので見ないで!ごめんなさい!すみませんでした!

 

「なるほど。…ふふ、貴方が代行者である理由が、少しだけ腑に落ちました」

「そうは見えないのは自覚しています…」

「ええそうですとも。だって貴方…」

 

 ここで、司祭がこちらに歩み寄り、私の耳に手をかけて囁くように言う。

 

「血に、塗れていますから」

 

———はっ?

 

「分からないと思いましたか?…まあ、私でなければ分からないでしょうね。暗部上がりなんですよ、私は」

 

 …どうする。いや、実際私は自分から殺すために殺したりはしていない。全て、自分が襲われた場合、または相手が人の法の外にある罪人である場合だけだ。だが追及され詳しく調べられれば私とザルグの身元が割れる。特にザルグはまずい、彼は弁解の余地なくならず者なのだから。

 

「怯えないで?貴方を敬う心、それは本当です。もし貴方が奇跡を欲のために振るう偽りの代行者であったなら、この手にかけることも厭いませんでしたが…そうではなさそうです」

「殺せると?」

「何やら自負があるようですが…何も、人が死ぬのは心臓が止まった時だけではありませんから」

 

 怖い。偽りの代行者という言葉を否定できないことが尚更に怖い。私は別に、百戦錬磨の戦士ではない。このように研ぎ澄まされた恐怖を突きつけられれば、それを受けずにはいられるものではない。

 

 身体を離し、微笑みかけながら司祭は言う。

 

「安心しました。代行者の記録を見る限り、彼らは奇跡を単なる手段としてしか見ていない。だからこそ、必要な時に、必要なように力を振るい、人々を救ってきた。貴方にもその心があるようですね」

 

 重圧から解放され、背中にドッと汗をかく。

 

「そ、そのように見えたなら、嬉しいものです…」

「…エリー?」

「なんでもない、ザルグ。司祭、一つ頼みがあります」

「なんでしょう?」

「探していた猫は見つかったのですが、どうやらこの教会の屋根に居ます。尾っぽにリボンの付いた、茶ぶちの猫ですが、どうやら降りられなくなっている。彼女を助けるため、この教会の屋根に登らせては頂けませんか?」

「いいですとも。それに、皆には教会の周りを見張らせて落ちたり逃げたりしないよう囲んでおきましょう。聞きましたね、皆さん?猫さんを助けるため、力を貸してくれますか?」

「「「はい!司祭様!」」」

 

 司祭の命に応じ、修道服が教会の周りへ散っていく。

 

「エリーさん…どうやら貴方には、まだその手を血に染めなければならない理由があるようですね」

「……はい。死ぬわけにはいきませんから」

「ならばせめて…その主義を貫いて下さい。確かに、殺しは殺し。正当化される謂れはなく、されるべきでもない。それでも、貴方のその意思の部分は変わるべきではない。その強ささえ捨てなければ、いすれ光明も差すと、私は信じています」

「ありがとうございます」

「こちらこそ、ですよ。代行者エリー。ではこちらへ。屋根裏から屋上へ上がれます」

 

 

 

 

 

「なんか、置いてけぼりになっちゃったな?チロ」

「シュー…シュルシュルシュル…」

「お連れ様?貴方は上がらないのですか?」

「あ、はい!今行きます」

 

 


 

 

 教会の屋上に、その猫は座って居た。

 風の中、鉤型の尾は凛々しく立ち、破けて口に咥えられた可愛らしいリボンがはためく。私たちが上がってくるのを「待っていた」とでも言うかのように静かに4本の足で立ち、振り向く。眼は鋭く細められ、こちらを値踏みするかのようだ。

 

「ミー」

 

 一鳴き。挨拶だ。

 カーテシーができるような服装じゃない。片腕を胴に当てるように、男性式の礼を以て答える。対等な者として。

 そして、ポーチから例のリボンと鈴を出して見せる。信用に足る者であることを示す。

 

「お迎えにあがりました。ミア様」

「ミァー…ミィ」

 

 名残惜しそうに背後の街並みを見返る。この教会はこの街で最も背の高い建築だ。

 

「…あの子が心配していますよ。安心させてあげられるのは、貴方だけです」

「…ミャア」

「おっと…」

 

 隣に立っていたザルグが、胸に飛び込んできたミアちゃんを受け止めて抱える。依頼完了、ね。

 

 一目見た瞬間に気がついた。この猫、降りられなくなっていたのでは無い。そんなバカ猫ではないのだ。ただ降りたくなかった。普段から外出を繰り返していたのは、きっとこの街を一望できる場所を探していたのだろう。何のために、それはミアにしか分からない。

 けれど恐らく、この猫は喋れない自分の代わりになる誰かを待っていたのだ。私のように、猫を探しに来て、それなりに機転の効く探索者(クローラー)を。

 

「司祭…」

「エルザ、と。代行者」

「…では、エルザ司祭。明日、この教会に子連れの家族が訪れるでしょう。彼女たちを、この教会の鐘堂に案内してあげてはくれませんか?」

「ふふ、では紅茶とクッキーを用意しておかなくては」

「ありがとうございます」

 

 

 ザルグの腕の中で、茶ぶちの猫がミャアと鳴いた。

 

 ご期待に添えましたか?お猫様。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 依頼者のお宅に戻るなり、ミアちゃんはザルグの腕を飛び出して女の子の元に駆け寄って行った。どこ行っていたの、心配したんだよ…猫の鳴き声と幼く高い声がお互いを確かめるように繰り返される。

 

「ありがとう、ありがとう…」

「どういたしまして。それと一つ…明日、何か用事などありますか?」

「いえ、ミアの捜索が続いた時のために空けてあります。主人も、明日は空けてくれたはずですが…それが何か?」

「では、あの仲良しの姉妹を教会に連れて行ってやって下さい。ミアちゃんが、こうまでして見せたかったものがあるみたいですから」

「…?分かりました…」

 

「お兄ちゃん、お姉ちゃん!」

 

 背後からの声に振り向くと、笑顔の女の子がいた。

 

「わたし、ミシェルっていうの!ありがと!またね!」

「うん。またね、ミシェル」

「おう。元気でな。ミシェルちゃん」

 

 

 

 

 

 

「しかし、あの猫も対した()()だよな」

「ネコだけに?」

 

 静寂。

 

「……ごめんなさい」

「宜しい。で、だ。どうしてあんなところに登ったりしたんだろうな」

「鈍いわねえ、高いところから見た街並みは綺麗なものよ」

「…でもさ。教会に登るくらいなら、街を囲う壁でも良くないか?」

 

 あ、確かに。

 この街で最も高い場所は教会の鐘堂塔の先端、外壁と鐘堂は同じくらいだ。さっき見た感じでは、鐘堂の方が外壁より少しだけ高いみたいだった。

 教会の屋上、鐘堂塔の根元は、外壁より低い。

 

「何かあったのかしら…」

「猫の気まぐれ、かねぇ」

 

 

 

*1
司教、司祭は助祭と合わせて聖職者の階級を表す言葉。この世界においては、第三位奇跡行使権限を持つ神官のうち、人が各儀式を執り行う役職を管理するために区分したものであり、一種の職業資格名に過ぎない。一応、助祭→司祭→司教の順に階級が上がるが、儀式の実績による昇級制となる。




格好つけていたエルザ司祭ですが、彼女も冒頭の大慌てでは机をひっくり返していました。


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黒の眼差し
03-01.陽下に響く鐘の音



 

「ミシェル。ミア。準備できたの?」

「うん、お母さん!」

「そう。じゃあ、お父さん」

「ああ。ミア、今度はもう勝手にいなくなったらダメだぞ?」

「ミー」

 

 リボン付きの猫と、お揃いのリボンを付けた女の子が、両親に手を引かれて歩き出す。今日はお出かけ。とある親切な探索者(クローラー)が、教会の見学を取り次いでくれたのだ。

 

「しかし、親切な人が居たものだな。ミアを探すだけじゃなく、こんな風に気を利かせてくれるなんて」

「ええ。この街の教会は立派ですもの、きっとミシェルのためになるわ。ミシェル、失礼の無いよう、いい子にするのよ?」

「うん!」

「はは、頼んだぞミアー。ミシェルはやんちゃなところがあるからな」

「ええー?そんなことないのに」

「ミィ…」

 

 

 

 

 

 

「ようこそ、教会へ。お待ちしていましたよ。私はここの司祭をさせて頂いております、エルザです。今日はよろしくお願いしますね」

「は、はい。よろしくお願いします、司祭様!」

「貴方がミシェルさんですね。そこまで畏まらなくても良いのですよ?他ならぬ彼女の頼みですから、今日は教会の中をいっぱい案内して差し上げますね」

 

 この教会のトップであるエルザ司祭の案内は細やかで丁寧だった。

 この街の教会は建物も大きいが、その敷地も広く、設備も充実している。正門から入ってすぐの空間は石畳で舗装された広場のようになっている。左には居住施設と思われる長屋、対面の右側にはいくつかの小屋が並んでいる。おそらく、各行事に使うための祭具などが収められた倉庫だという。

 その他にも花壇や木々がこまごまと庭園を彩るように配置されており、見て歩くだけでも楽しめそうである。

 

「そして、ここが本堂です。私たちが日々祈りを捧げ、聖歌を練習する場ですね。懺悔室もあります。一般の方の懺悔も聞き届けることができる場ではあるのですが…あまり外から訪れる方がいらっしゃいませんね」

「それは…懺悔するような罪を犯してしまった者に、懺悔するような反省の意思があるなら、まずは衛兵に出頭するのでは?」

「そのようですね。しかし、懺悔というと、重く、後ろめたいような印象を抱かれるかも知れませんが、少なくともこの教会の懺悔室というのはどちらかというと人生相談所のようなものですよ?」

「そうなのですか?」

「ええ。例えば、困っている人を見たけれど勇気が出ずに見逃してしまったとか。或いは、些細な嘘をついてしまったとか。悪行の告白だけでなく、最近でいうなら恋の相談を受けたこともあります。まあ、()()()修道女のようだったので背徳感があったのでしょうけれど」

「へぇ…思っていたより身近にあるものなんですね」

「恋…エルザお姉さんも、恋するの?」

「ちょ、ちょっとミシェル!」

 

 聖職者に対して放たれた無邪気な質問に、母親が慌てて叱ろうとするのをエルザが止めた。

 

「恋ですか?…ええ。私も乙女、時に心を弾ませるような出会いを得ることもありますよ」

「そうなの?どんな人?」

「色々です。日々を清廉に生きる人、雄々しく剣を振るい魔を払う人…時に、殿方でないことも」

「との…?」

「お兄さんではない、ということです。女の子だって、カッコいいお姉さんに魅力を感じることがあってもいいでしょう?」

「…!わあ…お姉さん、大人だね!」

「うふふっ」

 

 口元に手を当てころころと笑う姿はひらりと舞う蝶のようで、清らかな司祭服の下に艶麗な美しさを秘めていた。

 

「え、その、恋愛に制約とかってないんでしょうか?」

「あることもあります。ですが、序列神のうち半分くらいはそのあたりを縛ってはいませんね。我が主、カルネラ様は少しだけ言及がありますが、殿方同士の恋愛を禁じるくらいのものです」

「男性だけ?」

「輪廻の神である以上、子孫を残せない組み合わせが信者から出るのは容認できないようです。と言っても罪ではなく、あくまでカルネラ様の助けにはなれないので神官としての力を失う、というだけですが。カルネラ様の懐胎の奇跡があれば女性のみでも子孫を残せるのですが、母胎が無いことには流石に出産できませんから」

「はあ…」

「そもそも、例え何かを”してはいけない”と禁じていても、それは神の役目に反するためであって、罪を定めている神は居ませんね。それは人の役目である、というのが共通見解のようだと神託記録にはあります」

 

 両親とも、中々踏み入った話を聞いてしまったという面持ちであった。宗教家とは言ってしまえば宗教のオタクでもあるので、この手の話を振るとどこまでも深みに入っていくのであった。エルザの言葉が少しずつ速くなっていき、聞き取るのに集中を要する頃に修道士の一人から止めが入った。

 

「あの、司祭。その辺りで…」

「あっ…すいません、つい熱が入ってしまって」

「い、いえ!貴重なお話でした」

「そっそれでは鐘堂に上がりましょうか!景色がいいので、お茶でも飲みながら!」

 

 赤面した司祭に続いて教会内部を登っていく。階段を使って壁際の空中に走らされた回廊へと上がる。教会の入口側を右としてコの字を描くような回廊のちょうど中間、鐘堂の真下となる地点まで来ると、螺旋階段があった。4人と1匹、四角い鐘堂塔の壁面に張り付くように登って行く。

 

「皆さん大丈夫ですか?この階段はやや急なので、疲れを感じたら無理せず言ってくださいね」

「へいき!」「ミー」

「まあ、ミシェルちゃんも猫ちゃんも元気ですね。素晴らしいことです」

「ミァ。ミ、ミァー!」

「ミアって言うのよ。私たちなかよしなの」

「見れば分かりますとも。お揃いのリボン、かわいいですよ…あ、着きました。ここが鐘堂です」

 

 景色がいい、と言う言葉通り、鐘堂からは街の全体が一望できた。外壁よりも僅かに高いため、山や地平の遠景も楽しめる。

 また、鐘堂内のスペースも見た目の印象より広い。5、6人で囲めそうな大きさの簡素な丸テーブルが立てかけてあるが、これを置いてもあまり狭苦しくはならない空間がある。

 

「わあ!すごーい!お母さん見て、高いよ!壁より高いよ!」

「あ、ミシェル!あんまり急ぐと危ないわよ!」

「おお…こりゃすごい。大きな教会だと思ってはいたが、こんなに遠くまで見える高さだったとは。…ああ、司祭さん手伝います。テーブルはここで良いですよね」

「あ、はい。ありがとうございます。……おや、あれは……?」

 

 置かれたテーブルにティーカップを置き、準備を進めていたエルザが、ふと景色の一点を睨むように目を細める。

 

「どうかしましたか?」

「あの黒点…なんだと思います?」

「黒点?…たしかに、何か宙に浮かんでいるような…。少し待って、今双眼鏡で見てみます」

「双眼鏡をお持ちなのですか?」

「ええ。私、ここの見張りの兵士をしているので…非番でもこれは持ち歩くようにしているんです。さて、ええとどの辺りだったかな…」

 

 


 

 

「あー、晴れてるなあ…」

「エリーってさ。口調、ころころ変わるよな」

「あ、これ?クセなんだクセ。今が素だよ」

「へぇ。たしか、一昨日俺に色々話してきた時も最初はそうだったよな」

「あの時は目が覚めてすぐだったからねー。気が張るとお嬢様みたいになるんですのよーオホホホホ」

「それはわざとだろ」

「もちろん」

 

 脱力しながら街を歩く。一昨日、昨日と依頼をこなしたので今日は休日にしたのだ。ザルグもどうやら役に立つようだと分かったし、()()()()もまだ大丈夫。たまには心に良いことをしないと、ね。

 

 現在は正午。…脳裏に浮かぶカウントは670を示している。そろそろ50時間経つらしい。

 まだ余裕でいられる。これが480を切ると落ち着かなくなる。360を切ると、周りからも何か心配されるようになる。それでもまだ平静ではいられるけど…120を切ったことは無い。一番減った時、何か自分でも分からないようなことを叫びながら斬りかかっていたような気がするけど…はっきり覚えてない。

 ただ一つ。その2度目の殺人を犯した時…私には罪悪感よりも、生きることができること、殺すことができたことへの、喜びの方が大きくなっていたことは覚えている。あの自分は、怖い。

 

「…ねえ、本当に良かったの?」

「なんだよ、突然」

「私についてきちゃったこと。あの時、私が昏倒してる間に逃げちゃったら良かったんじゃない?まあ、貴方も冷静じゃなかったから無理だったかもだけど」

「どうだろうな。初日を入れてもまだ3日目だし」

「…それもそうよね」

「ただ、いざとなった時は…エリーのためになら、好きなようにしてくれて良い」

「…え?」

「その時は俺も抵抗するがな。精一杯抵抗して、あがいて、それでもって言うなら仕方ないさ」

「どういうこと?私がザルグのなんだっていうのよ」

「何なんだろうなあ…どう言えばいいと思う?」

 

———なにそれ。私に分かるわけ無いよ。

 

 それきり無言のまま、真顔の2人で通りを進んでいた。

 

 好きなように。それって、殺して良いってこと?どうして?

 

 そりゃあ、私も半分くらいはそのつもりで懐柔して、連れ歩いている節はあるけれど…そんなの分からない。大体、殺すにしても簡単にできるわけないでしょ。これから探索者(クローラー)として共同で動いて、そのうちパーティとして申請して。そしたら、元盗っ人のザルグだって立派に人間扱いだ。それがいきなり殺害なり失踪なりされたら、いくら死亡率の高い冒険するタイプの探索者(クローラー)と言ってもパーティ組んでた私にくらいは調べが及ぶ筈だ。

 それに抵抗ってなにさ。ザルグだって、私が一瞬で人のこと殺せちゃうのを見てたじゃん。そんなの、できっこないって思ったからああやって狂ったように襲いかかって来たんでしょうに。

 

 分からない。誰かの気持ちって、こんなによく分からないものだったっけ。私、お母さんにはよく、優しい子だねって褒められたのに。おかしいな。

 

 

———ゴォン…ゴォンゴォンゴォン……。

 

「…え?今の、鐘の音?」

「教会の方だ。なんだ?まだ昼だが」

 

 教会って…今日はミシェルちゃんたちが見学に行ってるんじゃ…。

 

———ゴォン…ゴォンゴォンゴォン……。

 

「…っ!?おい、行くぞエリー!」

「い、行くって…」

「警鐘なんだよ!この鳴らし方は!」

 

 えっ…?

 

「走りながら話す!いいから!」

「う、うん…どういうこと?」

「ミシェルちゃんの父親は多分兵士だ。昨日上がらせて貰った時、軍服があった」

「ええ、私も見たわ」

 

 予備かと思ったアレだ。

 

「あの軍服、前に実家で見たことがある。ここの制度が同じなら、父親はここの防衛、それも警戒・監視を行う部隊のはずだ!」

「軍の仕組みって国のどこでも同じなの?」

「あの軍服は特別なんだ!この街ではなく王国に所属する兵士でなければ着れないし、無断での複製も禁じられている!その予備を持たされているとなれば相応の立場にある!例えば…」

 

 小・中隊長クラスならば、緊急事態にあると判断した場合、独自の判断で軍としての命令を市民に下すことができる。もちろん、それによって起きた事態に責任を負わねばならないし、判断が誤りであれば処罰もあり得る。

 

「このメタフィス王国の繁栄は先鋭的な軍制度による魔物対策があればこそだ。貴族なら常識じゃないのか!?」

「ウチは木端貴族なんです!知らなくてもしょうがないでしょう!」

「とにかく、ミシェルの父親が教会の鐘を警鐘として緊急に利用しているはずだ。他にも軍関係者が向かっているだろうが、俺たちも教会に急ぐぞ!」

 

———ゴォン…ゴォンゴォンゴォン……。

 

「…分かったわ」

 

 一介の探索者(クローラー)とはいえ、事態を察知したのなら止まってはいられない。私に、まだ少しでもまともな人間のつもりがあるのなら。

 

 

 

 

 

 教会前には、市民からの通報もあったのか、シンプルな軽装鎧の衛兵が居た。そして他にも、鎧ではなく良質な布とレザーが使われている軍服を着込んだ軍人もいる。デザインは昨日見たものと違うが、なんとなく雰囲気に統一感がある。恐らくこちらは王国所属の軍人なのだろう。

 

「む、息を切らせてどうしたというのだ君たち」

「は、はあ、えっとですね…」

「お、俺たち、ここから警鐘が聞こえたので…今日、ここに居る予定のある知人がいたので、心配になって来たんです」

「そうか。それなら安心するといい、街の衛兵が調べて居たが教会では何も起きていないようだよ。私の部下が詳しい事情を聞きに行っているところだ」

「大隊長!」

「君!平静を崩すな!」

「すいません、ですがお耳に入れたいことが…」

「………なに?確かなのか?」

「中に非番のフォンセ中隊長が居りました。警鐘も彼の行動です」

「分かった。これから私は直ちに駐屯地へ戻らねばならん、この場の収集を任せる」

「はっ」

 

 …不穏だ。非番のフォンセというのは、恐らくミシェルの父親となるのだろう。場を任された軍人に話を聞いてみる。

 

「何かあったんですか?」

「…あなた方は?」

探索者(クローラー)のエリーとザルグです。知人が教会にいるので、心配になって来たんです」

探索者(クローラー)…それならば、少し頼みたいことがあります。少々お待ちを」

 

 そう言うと、懐から何か手のひらほどの書類を2枚取り出し、何事かを鉛筆で書き込み、手渡して来た。

 

「これを組合まで持っていって頂きたい」

「これは?」

探索者(クローラー)組合への安全保障協力要請です」

 

 安全保障協力要請…!

 

「簡易のものですが、受付の方に見せれば伝わるはずです。その2枚は同じものなので、お二方それぞれで持ち運んで必ず届けて頂きたい」

「分かりました。必ずお届けします…あの、ミシェルちゃんは大丈夫でしたか?」

「ミシェル…ああ、フォンセ中隊長のお子さんなら、元気そうでしたよ。強い子です。警鐘を鳴らす父親に代わって、私を鐘堂まで案内してくれたのですから」

「良かった…では、行きます。ありがとうございました!」

「いえ、こちらこそ。頼みましたよ」

 

「エリー、安全保障…ナンタラって、何だ?」

 

 安全保障協力要請について。

 これを説明するためには、そもそも探索者(クローラー)組合が何を目的に設立されたものかを説明せねばならない。

 

 探索者(クローラー)の役目とは、その名が示す通り()()()()ことである。人々の生活圏の内外を問わず、あらゆる地点を探索し、探索者(クローラー)バッジを置くことで地理情報を収集・更新することが探索者(クローラー)に求められる本来の活動である。もちろんこれだけでは組織を存続させることができないため、ビジネスを兼ねて依頼というシステムを構築し、資金を確保しつつ探索者(クローラー)を行動させる動機付けを行なっている。

 そして探索者(クローラー)組合は、探索者(クローラー)の活動を通して人類の活動範囲を拡大し、文明を発展させることを理念として動いている。

 この文明発展という理念に基づき、探索者(クローラー)は支部が設置されている国や街の防衛への協力を行っている。災害や魔物の襲来に際し、所属自治体からの要請を受け、救護や防衛に依頼という形で組織的に参加するのだ。

 当然ながら、これは人類同士の戦争などには原則として適用されない。例外として、文明や文化の破壊を目的とした根絶戦争(ジェノサイド)のような状況に対しては介入することもできるが、自治体から要請がなければ組織としての参加は無いという点は徹底されている。

 

「…つまり、この紙を組合に持っていけば何が起きてるのかは組合に伝わるし、私たちもその解決に動けるってことよ。2通あるからってなくしちゃダメだからね」

「なるほどな、当然だぜ」

 

 私たちだって、何が起きているのかを知りたい。否が応にも持って生まれたこの力の使い所があるなら、使うべきだから。

 

 

 

 

 



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03-02.不吉の黒


 

「これは緊急要請の…!伝達ありがとうございます!」

 

 返事も待たず、受付嬢がカウンターを飛び出して「係員専用」扉へ消えていく。

 

「2通とも渡して良かったんだよな?」

「大丈夫よ。同じ人が書いたんだし」

 

 1分も経たない頃、常備しているポーチに入れていた探索者(クローラー)バッジからアラームが鳴り、次いで手の空いている者は探索者(クローラー)支部へ来るようにと通達された。さらにその数秒後、扉から駆け出して来たさっきの受付嬢が別の扉の中から「緊急依頼参加者募集中」の赤文字がデカデカと書かれた看板を持ち出し、支部の入り口に立てかける。

 警鐘が鳴ってからで言うと、だいたい30分くらいだろうか。もっとも計ったわけでもなく、体感での判断なのであまり当てにはならないが。

 

「ここにいる皆さんで、戦える方はいらっしゃいますか!」

 

 来た。手を挙げる。

 

「はい!」「おう!」「いいぜ!」

 

 私以外にも幾人かの探索者(クローラー)が手を挙げる。パーティの代表として挙げている者もいるので、実際には声よりも多くの戦力が居るはずだ。

 一方、ザルグは手を挙げなかった。戦えないと本人も言っていたが、そうなると彼を街に置いて行かねばならないだろうか。それは…どうしよう。

 

「ザルグ、街に残るつもり?」

「…いや、俺も行こう。何ができるかは分からないが、戦力だけでなくとも人手が要るかもしれないからな」

「分かった」

 

 彼は私が守ろう。

 

「なるほど、先遣隊として送るには十分な戦力のようですね…先程、当支部はこの城塞都市ガストから緊急の協力要請を受け、受諾しました。情報は少ないですが、西方面からヴァンパイアが率いる魔物の群れが迫っています」

「ヴァンパイアだと?今は昼だぞ」

「はい、しかし特徴が合致するとの事です。率いる魔物の群れは主に狼型の魔物で構成されており、また少数の翼竜が確認されています。群れの総数は概算で約300、対する本都市は王国駐屯兵が50、ガスト所属の市兵が300です。都市の西側は蛇行する川の向こうに湖沼が広がっており、また急襲であることから都市の戦力を展開するためには時間を要します。探索者(クローラー)の役目は対魔物戦の経験者として、川の左右で遅滞を行い兵力展開の時間を稼ぐことになります」

「推定ヴァンパイアの位置は分かるか」

「捕捉された時点でおよそ6kmとのことです。現在、集結しつつあるのみで接近して来ているわけではないようですが、いつ近づいてくるかは分かりません」

 

 その後も、探索者(クローラー)たちは職員に代わる代わる質問を続けている。職員も落ち着いた様子で答えてはいるが、そもそも私たちが運んできた小さな書面一枚分の情報しかない。それでも、わずかな情報を周囲の地理情報や最近の環境調査記録などと組み合わせて有益な情報を生み出している手腕はさすが大きな支部の職員だ。私の実家のある所の支部ではこうは行かないかもしれない。

 

「妙な話だな。魔物の集団での襲撃は不定期に起こることだが、湖沼に狼の魔物、それに昼間だと言うのに率いているのはヴァンパイアか」

「ヴァンパイアなら問題ないわ。不浄なる者が相手なら何とでもなる」

「それは、能力からすればそうだろうが…見せてしまってもいいのか?」

「浄化の効果をもつ奇跡は射程の制約がないものが多いわ。神の目が届く限り、こちらが相手や場所を示しさえすれば届くのよ。だから後方から目立たないように行使すれば問題なし」

「そううまくいくのかね…まあいい、隠蔽なら任せろ。視線の切り方や気配の隠し方なら分かる」

「やっぱり貴方シーフというよりハンターよね」

「まあな。ただ弓は使えないぞ。ノーコンだ」

「罠は」

「そりゃ使えるが、猟具としての罠と戦いのための罠では物が違うからな。それに、俺は…」

「俺は…何よ?」

「いや、何でもない」

 

 何だったんだ?…まあいいや。言いたくないことなんだろう。

 しかし、とことん攻撃手段ないなコイツ。私が殺傷力お化けだからサポートと暴力でバランス取れるけど弥次郎兵衛(やじろべえ)みたいに極端だわ。

 

「なあ、組織として参加するって言ったが、誰が指揮を執るんだ?」

「誰も?」

「は?」

 

 探索者(クローラー)は元々少数で活動するのだから、配置だけ決めて後は個々に任せるのが一番良い。一応、ある程度力量ごとにまとめた上で2、3パーティ単位で送り出しはするが、その後は各自の判断に委ねられる。

 それに、各支部には1人、あるいは1パーティ、エースが居るものだ。

 

「遅くなった!この私ももちろん参加するぞ!」

「私()ですよ。…遅れました。まだ派遣は始まっていないようですね」

「ええ、あなた方を先遣する予定でしたから。お待ちしておりました、パーティ『遠路洋々』のお二人」

 

 自信満々に支部の扉を勢いよく開け放ち入って来たのは、一振りの大斧を背負った全身鎧で金髪の偉丈夫だった。続いて、革製の丈夫な装備を纏った女性が扉を静かに閉める。

 

「やっと来たか!」

「待ってたぜ主力さん」

「この人達が、あの…!」

 

「随分な歓迎具合だな」

「そりゃそうよ。彼らこそ、この支部の最優秀探索者(クローラー)なんだから」

「見るからに頼もしいな」

 

 実際強い…らしい。私も生で見たわけではないし探索者(クローラー)になって日も浅いので詳しくは知らないが、少数精鋭の風のある探索者(クローラー)パーティとしても少ない2人という人数で、開拓面積No.1、討伐成績No.1、月間依頼達成評価No.3、その他優秀項目多数であるというのは、組合の資料と情報誌から把握してある。彼らの戦績には、今回の首魁と目されるヴァンパイアも含まれている。

 

「ではこれより派遣を開始します。探索者(クローラー)バッジから参加申請をお願いします。申請を行うと、順次派遣される地点が表示されますので、表示され次第そちらへ向かって頂くことになります。現在ここにいらっしゃる方は第一派遣隊として全員同じ地点に設定してあるはずです」

 

 探索者(クローラー)バッジの地図機能を起動すると、ガスト市外南西に赤く明滅する楕円形が表示されている。楕円に指を当てると、組合が把握している範囲の情報がポップアップで表示された。現在表示される情報は先ほど聞けたものとほぼ変わり無いが、恐らく数十分後には斥候役の探索者(クローラー)の報告によって随時更新されるようになることだろう。

 

「では、先陣は私達が行こう!」

「準備のできた者から、続いて下さいね」

 

 開拓や討伐の依頼をこなす方の探索者(クローラー)は常に最低限の準備を持ち歩いている者が多い。『遠路洋々』の2人の後に続いて出発する集団の最後尾に着く形で、私たちも組合支部を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蒼く広がる草原地帯。都市からはおよそ300mほどの地点だ。未だ昼過ぎであり、陽も降り注ぐ快晴だ。緩く吹くそよ風が心地良いが、戦場になることを思えば気を抜いては居られない。周囲の探索者(クローラー)たちもパーティごとに距離を置いて、広く布陣し緊張を保っている。

 

 遠くに見える湖沼地帯には、葦が大量に生えて視界を遮っている。多分、私の背くらいの高さはあるだろう。あそこに飛び込んで戦うのはナシだね。

 

「着いたが…まだ魔物の姿は無いな」

「…ううん。居るわ」

 

 視界には捉えられない。しかし、与えられた輪廻の神の神官としての力が齎す感覚が、その存在を伝えてくる。

 

———『第五位特殊奇跡行使権限執行(PRAY-for-Carnela)霊視(clairvoyance)

 

 瞬間、世界が反転する。白は黒に、緑は赤に、空はくすんだ橙色に。この世のものではない視界の中、先程までは見えなかった人影の群れが見える。

 ゴースト、つまり幽霊だ。あまり日中に現れるものでは無いはずだが、特に日光に弱くも無い。不可視、不可触。五感に対する完全なステルス性と物理攻撃への完全な耐性は存在を知らなければ脅威だが、神官でさえあれば第五位…最下位ではあっても察知できる。カルネラ様の神官ならば、より鋭敏に。そして、実体を持たない彼らはこの世に留まる力が非常に弱い。奇跡でなくとも、単なる魔法によって存在を乱されれば容易く霧散しカルネラの御許に送られるほどに。

 彼らは通常、もはや自我を持たない思念の存在だ。当然ながら陣形も何もなく、ただ一団となってゆっくりと前方から接近して来ている。…神官で探索者(クローラー)という者は少ない。私のような者がいなければ瞬く間に混乱に陥ったかもしれないが、そうはならない。尤も、一流の探索者(クローラー)に対策が無いとは思えないのでもう少し近づいたら『遠路洋々』が察知したかも知れないが…数が多いので面倒になる前に消してしまおう。

 

「還りなさい」

 

 手のひらを遠く翳し、念じて祈る。

 

———『第三位奇跡行使権限執行(DEVOTION)浄化(purify)

 

『オオオォォォォォォ……』

 

 ゴーストの群れは声無き声を上げ、一斉に昇天した。ゴーストの声は神官で無ければ聞こえないため、これに気づいた者はいないだろう。奇跡行使のために使った魔力の動きに気づく者はいるだろうが、周囲の探索者(クローラー)も戦闘準備に支援のための魔法や魔道具を使用している中で私だけに注目される理由もない。

 

「…目。光ってたぞ」

「へ?」

「やっぱり気づいてないのか…昨日もそうだったけど、神官の力を使ってる時のお前、目が薄青く光ってるように見えるんだよ」

 

 え、何それ知らない。神官にそんなことが起こるなんて『寵愛』から得た知識にはないんだけど。エルザさんも何も言わなかったのに。

 

「目元とか照らされて無かったし、光って見えるだけで本当に光ってるわけじゃないと思う。目を瞑って使えば良いんじゃないか?」

「つ、次から気を付けるわ…」

 

 なんだかザルグと一緒に行動するようになって、寂しく無くなって浮かれている気がする。思えばこれまで、人前で神官の力なんて使わなかったのに。

 

「来たぞ!狼だ!」

「やはりただの狼じゃないな!魔物だ!各自、狼の行動に十分警戒するんだ!」

 

 魔物は個体ごとに力が大きく異なる。それもそのはず、彼らは貴族のような能力を本能的に使いこなしているのだ。既存の生物の形に似ることが多いので「〜型」という呼び方をするが、その形に捕らわれていると思わぬ痛手を受ける。形からは体の可動域の制限と、さっきのゴーストのような共通の弱点くらいの情報しか取れないと思って良い。

 最初に受けた依頼で大きな蝶々の魔物が目にも止まらぬ超高速の空中機動をしながらその余波の暴風で鱗粉を撒き散らし始めたのを見た時、私は魔物に対する固定観念を捨てた。

 

 ほら、この狼も。

 湖沼地帯の葦の海を抜け、遠くに現れたのは真っ黒な狼の群れ。瞳は獰猛に赤く輝き、毛皮から滴る水を弾こうとぶるぶると身を震わせている。そして群れの長と思われる個体は、なんと飛んでいた。

 

「おい、一頭デカいやつが飛んでるように見えるんだが」

「能力よ。魔物はみんなびっくり箱みたいなものよ、気をつけなさい」

「マジかよ…」

 

 姿を見せて尚ゆっくりと進軍してくる狼の群れ。…翼竜はどこだろう。あちらの方が速いだろうから、そっちも見えていないとおかしいのだが。

 

———ゥオオオオオォォォォォ———ン!

 

「来る!」

 

 十分近づいたと見たか。空を飛ぶ黒狼の遠吠えを合図に、黒狼が一斉に疾り出す。私たちを含め、第一陣は総勢20名足らず。私の居る場は後方ではあるが、あの数では抜けてくるだろう。

 しかし、自分を「戦える」と評する探索者(クローラー)の個の力は、数では語れないものがあるのだ。

 

「よーし、『遠路洋々』の晴れ舞台と行くぞ!リコリス!」

「はいはい。ちゃんと守って下さいよ?キルター」

「応とも!ッラァ!」

 

 上体を目一杯に使い、団扇のように刃を寝かせて振り抜かれた両刃の大斧が烈風を巻き起こす。いかに奇々怪々の能力を持ち合わせて居ようとも、それを振るう機会が無ければ無意味。豪風に巻き込まれた狼が一絡げに蒼空へと吹き上げられる。

 

「よぅし!やれぃリコリス!」

複製(dupli)予測(calc)照準(set)

 

 偉丈夫(キルター)の後ろで両手を横に広げ、冷淡な瞳の魔法使い(リコリス)が空中の狼を見据える。一言、キィンと音を立て吹き飛ばされた狼の数だけ白光球が浮かぶ。二言、背後に紋様が浮かび陣を成し、複雑に文字が踊り乱れる。三言、光は歪んで矢となり過たず狙いをつける。

 

発射(fire)

 

 四の言。真っ直ぐに撃ち出された光の矢は、バラバラに落下する狼の脳を全て的確に貫いた。絶命。

 

「撃破6。次が来ますよキルター」

「頼もしいものだ!負けんぞ?」

「張り切ってペースを乱さないで下さい」

 

 その他のパーティ達も彼らほどの殲滅力では無いにせよ、少なくとも負傷の気配を感じさせない安定感を覚えさせる。陣を組むでもなく、防衛が得意なわけでもない探索者(クローラー)は、個々の生存と対多数戦闘、そして乱戦のエキスパートだ。

 

 そろそろ、私たちの方にも狼がやってくる。経験の浅い私たちは後方を自然と与えられたため数は少ないが、それでも一ヶ月も経たない駆け出しには脅威には違いない。…普通なら。

 

「相手が魔物なら気が楽で良いものね。さ…死になさい」

 

 私の戦い方は、魔法、奇跡、そしてあの呪いだ。しかし、あのリコリスという人ほど魔法は上手くないし、神の奇跡はこのような正面戦闘にはほとんど使えない。あれは一部を除いて戦略的に用いるべき力だ。

 けれど、呪いはこれらと組み合わせることも出来る。何しろ、殺害方法として正しいのなら即死するのだ。つまり、例え威力の低い魔法でも殺し得るのなら殺せる。

 

浮かび、弾ける水の球(Water Balloon)

 

 前線を抜けて向かって来た狼は2頭。呪い殺すには明確な殺意が必要になる。相手の全てを、明確に、その方法によって殺すよう決意する…私の認識能力の問題で、出来るのは一度に一頭までだ。

 

「爆ぜろ」

 

 ギャウッ、と狼が叫んだような気がした。気のせいだが。

 

 緩やかに浮かんでくるだけの水球を脅威と見なかったか、黒狼は爪でそれを引っ掻いて押し通ろうとした。結果、弾けた水球は見た目と明らかに不釣り合いな威力で狼の皮膚を穿った。強度を無視して食い進む水の礫。ブチ、ブチ、と肌が裂け、肉が裂け、血が吹き出していく様を、私は殺意を込めた瞳で全て捉えていた。至近距離で爆ぜた水球は、黒狼の全身をズタズタの千切りにし、赤い水たまりとなって草原に消えた。

 隣を走る同胞があまりに不可思議な死に方をした事も気にせず、血走り輝く赤い瞳で私に迫るもう1頭の狼が、同じ運命を辿ったのは数秒後のことだった。魔物に理性や知性が無いとは限らない。しかし、多くの場合、彼らに生存のための知恵というものは無いのだ。少なくとも、先天的には。それが、チロのような動物と黒狼のような魔物を分ける明確な差なのだ。

 

 魔物は生きているが、生きていない。

 

「流石だな」

「作業よ。当てなくたっていいんだもの」

 

 第一波は過ぎた。悉くの狼は殲滅され、ゴーストは誰も知らぬうちに去った。さて、長のような()()()()()()()()()()()黒狼はどうするのか。

 

「…総数にして100は狩ったはず。皆は消耗を考えると同じ波があと1回で撤退したい所でしょうけれど、そう単純に来るかしら」

「シャー」

「あ、外だけど出て来ちゃダメよ。今は危ないから潜ってなさい。ね?」

「こいつも肝が据わってんなあ…」

 

 新たな波が、葦の海から這い出て来る。波状攻撃。もし首魁が知恵を持っているならば…長期戦を覚悟するべきだろう。

 

 

 



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03-03.波濤


 

 戦闘開始から、1時間。右方、遠くからも戦闘の騒音が聞こえる。どうやらガスト北西方面は激しくやり合っているようだ。

 

 南西(こちら)とどっちが酷いだろう。

 

「やあ…随分余裕があるな。新人にしてはガッツがあって嬉しいよ」

「どうも…その、リコリスさんは」

「魔力切れ*1です。お荷物になってしまいました」

 

 前線は今や、最前列だった『遠路洋々』の2人が最後列の私と並ぶくらいまで後退している。探索者(クローラー)だけあって死者は出ていないと思うが、既に撤退した者が多く、そう長くは保ちそうにない。

 

 あれから、第二波は予想に反して第一波と同じようなものだった。浮かぶ大黒狼も仕掛けては来ず、怪訝に思いながらも狼たちを薙ぎ払って終わりだった。

 元々長期の波状攻撃などを想定しない探索者(クローラー)は、連戦となると消耗が早い。その分、効率的な休息や回復の方法を知っているのだが、探索行でもあるまいしテントや寝袋で休んだりするわけにもいかない。撤退を始めるパーティも多かった。私たちのような消耗の少ないパーティは残留したが、都市の兵力が到着しだい撤退なり後方支援に回るなりする予定であった。

 しかし、第三波が良くなかった。

 

———翼竜!ここで来るか!

———まずいぞ、対空兵器がまだだ!

———俺たちしか戦えねえってのかよ!畜生3連戦だ!

 

 翼竜。これに共通する特徴は、空を飛び、鱗は硬く、そして火を吹くこと。これを後ろに通せば、外壁を無視して街を襲うだろう。

 

「ザルグ。流石に守れそうにないわ」

「…そうだな。先に戻る」

「ありがとうね」

 

 第三波を察知した段階でザルグを帰したのは英断だっただろう。私としては彼を連れてきた理由は狩人としての力をあてにするより、魔物と探索者(クローラー)の戦闘を見せたかったというのが大きかった。しかしこれ以上は見学させるのも難しい。私の力は、数が増えると対処し難いのだ。

 私自身、死なないと言っても無敵ではない。例のヴァンパイアを殺すべく残っているが、物量で文字通り押し潰されるような状況なら流石に退却せざるを得ない。

 

「かれこれ、もう300は倒していると思うのだがね」

「北西にも同規模の襲撃があるなら、間違いなく当初の見立ての倍は居ます」

「人の遠目なんてそんなものってことかしら、ねっ!」

 

 ミシェルのお父さんや軍人さん達の目がどれだけ良いかなんて知らないが、まさか無尽蔵に増えているなどあり得ないと信じたい。

 

 魔法の矢を形成し、狼を貫く。外したのに狼が死んだ、なんて図を見られる訳にはいかないので、確実に当てられる距離でしか戦えない。当然、ナイフで遠くから掻っ捌くのも無しだ。

 明らかに練度に見合わない威力なので、リコリスさんには何か疑われていてもおかしくはないけれど。いや、魔法使いの間合いでもないからキルターさんにも奇妙に見えるかもしれない。

 

「第三波は長いな!忙しくてバッジの情報も見れんじゃないか」

「他のパーティもよく生き残っているわ…早く軍のバリスタ隊だけでも動いてくれたなら翼竜は気にしなくて良いんだけど」

 

 言っているそばから、上空を旋回している黒い翼竜がこちらへ斜めに降下してくる。口元から紫色の炎がチラチラと溢れている。狙いは私だろう。

 

「ゴァアアアア!」

 

 こういう時、本当なら何度か対空射を行って迎撃を試みるべきなのだろう。だが死の呪いは殺意がある場合()()発動してしまう。撃ち落とすつもりで殺傷力のある魔法の矢を放てば、先程危惧したように命中していないのに撃ち落としたという状況になってしまう。そして恐らく、全ての場合で落下の衝撃で首を折って死ぬだろう。

 確実に当てられる距離より遠くで炎を放って上昇してしまう翼竜は、周囲の目を気にしながら倒すのは難しい。

 

 一直線に草原を焼き払いながら迫る魔法の火炎放射を、横っ飛びに回避する。

 

「くっ…」

 

 いく度目かになる、間一髪の回避。足下スレスレを紫炎が過ぎて行く。通常の炎は燃える草が無くなれば消えるが、この黒翼竜の炎は燃え尽きた草の灰をさらに燃やすように延々と燃え続けている。少しずつ私の行動範囲が削られているのだ。

 

 第二波までと異なり、空からの脅威も警戒しなければならない。幸い、何故か探索者(クローラー)に執着している様子で後ろの兵隊や街には見向きもしないが、奴らを墜とさないことには帰還もできない。

 

「君!魔法で撃ち落とせないかい!」

「私ではあの距離は当てられないのよ…!」

「対空などそんなものです。撃って牽制するべきですよ」

 

 あなた達や兵隊が居なければそうしていたわよ!

 まあ、その場合はとっくに街に狼が雪崩れ込んでいたでしょうけど。

 

「まだまだァ!」

 

 大男が猛る。空中を蹴って噛み付いてくる狼に大斧の柄を噛ませて押し飛ばし、ぐるりと遠心力を乗せて素早く振るわれた刃が宙の狼の胴体を前後に分断する。

 キルターさんの大斧捌きは健在だ。むしろ、リコリスさんがダウンした時から消耗を抑えなくなった分さらに強力になっている。狼のほとんどを彼が引き受けてくれなかったら、私は今頃エサになっていただろう。いや、そうだったら私は形振り構わず翼竜を殺し回ったから彼にとっては裏目に出ていることになるのか。

 

「また来ますよ。撃って!」

「ああ…っもう!」

 

 リコリスさんの声に空を見れば、先程の翼竜が再び私に向かって滑空の姿勢を取ろうとしていた。降下角度が緩く、先程より口元から漏れる炎が激しい。きっと次の放射は長い。この攻撃で仕留めるつもりで来ている。

 

 …しょうがない。どうせエルザさんにはもう見せた札だ。

 

 まさに翼竜から炎が放たれようとした瞬間、私は動いた。

 

「グルルルル…ゴァァアアアアッ!!」

「戒めよ!」

 

———『第二位奇跡行使権限執行(AFFECTION)忠戒(admonish)

 

 虚空から飛び出した光の鎖が翼竜の翼を、顎を、関節という関節を戒める。この奇跡に殺傷力は無い。間違いなく死の呪いを暴発させずに攻撃できる数少ない方法の一つだ。生物を傷つけられる奇跡はほとんど無い。この『忠戒(admonish)』は第二位の極めて高位な奇跡だが、同時に()()()()()()()()()()()()()()()()でもある。根本的に、神の奇跡は争いのためのものでは無いのだ。造物主()被造物()で争いが成立するはずもないので当然である。

 

 飛行能力を失った翼竜は滑空の勢いのまま地面に擦り付けられ、行き場を失った紫炎がボフンという音を立てて不発する。暴発はしないか。

 

「ナイスだ少女よ!喰らえい、我が絶技!」

 

 

 

 そして私がトドメに行こうとした時、それは起こった。

 

 遠くで狼を薙ぎ払ったキルターさんが続け様に斧を振るうと、地を捲り上げながら迸った衝撃波のような何かが墜落した翼竜の全身を巻き込むように引きずり、爆発した。

 

 爆発した。

 

「はい?」

「ふ、これぞ我が絶技!我が斬撃は地を這い、爆ぜるのだ!」

 

 え、なに?何が起きた?まさか、この人の能力?貴族なの?

 

「あー、キルターは貴族ではありませんよ。探索者(クローラー)を長くやっていると、そのような伝手も生まれるということです」

 

 ……まさか。

 

「…エルザさんのお知り合いですか…?」

「ええ。先程の貴方も、見事な奇跡でした。人の身とは思えぬほど」

 

 バレてるじゃん!なんで!?エルザさんにそんな知り合いが居たなんて知らないわよ!?

 

「心配は要りませんよ、エリーさん。エルザさんから頼まれたのです、きっと貴方も戦いに出るだろうから、と」

「私達は遅れて参加しただろう?鐘の音と、バッジのアラームで心配になったので教会まで見に行っていたのだ」

「うう…」

「私がいれば、きっと私が背負われながら魔法を使ったのだと思われるでしょう。遠慮なくどうぞ」

 

 最初から使っていれば良かったわ…あんなに苦労して飛んだり跳ねたりする必要無かったじゃない。死なないと言っても痛いし、あんなに燃え続ける炎なんて当たったらたまったもんじゃないわ。

 

「とにかく、それなら遠慮無く使うわ!狼と、落とした翼竜を頼むわよ!」

「応!いつ落としてくれてもいいぞ!」

「〜〜〜っ!」

 

 

 

 

 

 

 第三波は激戦となったが、それは硬い鱗と素早さを兼ね備えた翼竜に苦戦してのこと。翼竜さえ落とせるなら、あとは全員が慣れ親しんでいる地上戦。時間はかかったものの、負傷者も無く突破した。

 

 後方の兵隊もようやく準備を終えたようで、バリスタ、散弾投石器*2などの兵器と全身鎧の屈強な歩兵が整列している。これなら、一旦後退しても問題ないだろう。

 

 で。

 

「リコリスさん。聞いてるってどこまで聞いてるの?」

 

 エルザさんだって、私が第二位の奇跡を使える『代行者』相当の神官であるとしか知らないとは思うけれど。

 

 数分の休憩でいくらか魔力が回復したようで、今はリコリスさんも自分で動けている。座り込んだ彼女の前で、私は自分について問いただした。

 

「貴方が代行者であるということ、高位神官としての扱いを望まないこと、危険に対する警戒が薄いこと、くらいです」

「え?そんなに無防備かしら…」

「何故か自覚がないようですが、そんな軽装でこの戦場に訪れた探索者(クローラー)は貴方くらいのものですよ。最初お連れだった男性すら、胸当てと脛当てを付けていたというのに。お陰で、貴方がエリーさんだとすぐに分かりました」

 

 言われてみれば、今の私はせいぜい厚手の服を着ている位でほとんど私服であった。鎧など着ても動きにくくなるだけだと気にしていなかったが、なるほど目立つだろう。

 

「それと、先程から気になっているのですが…そのリュック。何か生き物を入れてありませんか?」

「えぇっ…とぉ…その…」

「シュルシュルシュル」

「あっ、チロ!」

 

 話を聞いていたのか、自分から出てきて私の首に巻きついた。

 

「む!?おい、そのヘビ猛毒を持ってるヤツじゃないか!?」

「いや、そうなんだけど!賢い子なので大丈夫なので!」

「いやいやいや…都市によっては取引禁止生物に指定されている危険種だったはずだぞ。ガスト市はどうだっただろうか…」

 

 キミそんなに危ないヤツだったの!?

 私の驚愕の視線を受けて尚、何のことかと言わんばかりにキョトンと見つめ返してくる。いや、すっとぼけるんじゃない。人語を理解できる天才なのは分かってるんだぞ。チロって名付けた後、1回目の呼びかけで返事のように鳴いた時は正直びびった。

 

「本当に興味で聞いてみただけなのですが…なんとまあ。無防備さといい、胆力があると言うか、いや、ええと。すみませんね」

 

 言葉を選ばれている。とても慎重に選ばれているのが分かる。それはそうだ。側から見たら命知らずの阿呆だこれは。間違っていないので尚のこと苦しい。

 

「では話を変えましょうか。この後についてです」

「あ、ああ。退却するかどうかだな!パーティごとに判断は委ねられているが、現状戦線は落ち着いているように見えるぞ!」

「はい。ですので、恐らく再出撃するならば別地点への派遣となるでしょう。恐らくは、この群れの後方を目指すよう指示されるかと」

 

 想定を大きく超える規模の襲撃。その原因を探るべく、斥候役を担うことになるだろう。重要な情報であるから、追加報酬にも期待できる。しかし、どのような脅威が待ち受けているか分からない以上大いに危険を伴うだろう。できるだけザルグとは共に行動したいのでどちらにしても一度支部に戻るつもりだが、調査に連れて行けるかは怪しいところだ。

 

「『遠路洋々』はどうするつもりなんですか?」

「私たちは隠密には向いていません。何せ相方がコレですからね」

「そうだな!」

「…ですから、戦況の悪化に備えて支部に待機します。私も、もう少し休憩が欲しいですからね。本など読めば、魔力も戻ると思うのですが」

 

 恐らく、1パーティのみでの探索になる。その上野外での隠密能力が必須。ザルグも休んでいるから、体力は余裕がある。適任か。

 

「分かりました。ザルグ次第ですが、私は行こうと思います」

「そうですか…お気をつけて。命ばかりは失ってはいけませんよ」

 

 命ばかりは、か。

 

「…ええ。もちろん」

 

 

 

 

 

*1
 魔力とは、魔法を行使するために用いることができるエネルギーである。

 知的存在が思考を行うと、精神力を消費する。この精神力とは定量的に現されない魂の力を指す。思考のために消費された精神力のうち、思考を実際に完遂するために必要な分を引き、余剰として残った精神力が魔力となって蓄積される。いわば、導線に電気を通すことで発生する電熱のようなものである。このエネルギーは放置すれば自然と発散されていくが、魔法使いはこれを溜めておくための術を知っており、熟練するほど素早く、かつ多く魔力を溜めることができる。

 魔力は人体に元から存在するエネルギーではないのでこれが枯渇したとしても何ら体に害は無いのだが、普段から多くの魔力を蓄えている熟練の魔術師は魔力枯渇に伴い急激な疲労感と脱力感を覚えるという。これは当人がエネルギーに満ちた状態に慣れているために起きる一種の錯覚に近い現象である(水泳の後プールから上がった時に身体が重く感じるのとほぼ同じ)。理由はともあれ、魔術師として熟練したものほど魔力枯渇はリソース管理の不足に対するペナルティとして重くのしかかる。

 余談だが、一定の情報量の思考のために消費される精神力は人に依らず一定である。魂が実体の領域から遠いほど、つまり精神体の領域に近いほど実際に必要な精神力は少なくなり、余剰、即ち生産される魔力量も増える。この法則により、人が単位時間に生産可能な魔力の量は理論上の上限が存在する。

*2
 皿が深く広くなったカタパルト型投石器。専用の麻袋に鉛弾を詰めてスプーン状の板の皿に乗せ、弾性力で勢いよく投げ飛ばす。観測手が呪文(ワード)を唱えると麻袋は一瞬で焼け落ち、中の鉛弾が拡散するようになっている。拡散タイミングを調整することで対空、対地に両用でき、弾丸を魔力感知式爆雷に変更すれば地雷敷設にも使える優秀な兵器だが、持ち運びの利便性のために現地で大量の鉛弾を詰める作業を行う必要があり、装填に時間がかかる。数を用意するほどに凶悪化する、消耗戦じみた兵器と言える。



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03-04.黒の眼差し


 

 支部に戻ると、ザルグは仮眠室に居た。休憩と言っても寝るものかと思ったが、彼は頭を枕に乗せつつもガスト市周辺の環境情報をまとめた雑誌を読み込んでいたようだ。開かれているページを覗き込むと、「西ガスト湖沼定期調査・植生」なる項目が見える。

 

「うおっ…帰ってきたか」

「その様子だと、次にすることの予想がついているみたいだね」

「まあな。初めから明らかに不審な点が多かった。戦いが長引くなら、斥候を出すだろうと思ったのさ。参加申請するか?」

 

 ザルグの掲げる探索者(クローラー)バッジが投影する地図には、湖沼一帯を広く囲うように黄色い円が明滅していた。「要調査」の文字が浮かんでは消える。

 

「うん。私、疲れてないし」

「そういや、息は切らしてもすぐ治るよな。それも例の?」

「そう。虚弱だから、体力を使うとすぐに、ね」

 

 この忌まわしい呪いに助けられている以上、もう私は哀れなだけの娘ではいられないのだと、ふと思う。何回も考えたことだ。それでも未だに頭に浮かぶのは、私がまだ、自分を普通の娘だったのだと思いたいのだろうか。

 

「よし。この本を返してくるから、それだけ待ってくれ」

「着いてくよ」

 

 これからの調査は、明らかにザルグにとっては過剰な難易度になる。野外探索の能力だけを見れば十分だが、彼には自衛手段が無いのだ。それでも彼は文句も言わずに着いてくるのだ。私も、彼をそんなつまらない理由で死なせる気はないが。

 

 能力を十全に扱える状況なら、さっき程度の群れが相手でも自信を持って守れる。

 

「返却です。この本ですが」

「はい…はい。受けとりました。ご利用ありがとうございます」

 

 資料室の司書が事務的に受け応えする。

 

「いいぞ。徒歩だよな」

「うん。…あ、そうだ。南門から出るよ」

「西じゃないのか?」

「西だよ。でも、見られないようにしたいから」

「分かった。何かできるんだな」

「そういうこと」

 

 彼の物分かりのよさには、本当に助かる。これからの調査だって、彼の技術が無ければ他に任せて、後の直接戦闘まで待つしかなかっただろう。

 思ったよりも私は、ペットのつもりだった彼に依存し始めている、のだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガスト市南門から少し。周囲に人影なし。

 

光よ、道を譲ろう(Transparent)

 

 透明化の光の魔法。効果は絶大ながら、光に関する魔法で最も初めに教えられるほどに難易度は低い。ただ光に道を譲るだけなので当然だが。*1いくらでも悪用されそうな魔法だが、魔法使いが持つ魔力への感覚には察知されやすい。これをうまく隠蔽しようとすると、やはり相応の熟練を要する。

 

「おっ!?消えた!?」

「ザルグもだよ。自分の手、見える?」

「お、わっ…本当だ。見えないな」

「貴族だったなら、これくらいの魔法の手ほどきは受けたんじゃ無いの?」

「もう分かるだろ。魔法もダメだったんだ」

「うーん、ひどい」

「そう言うなよ…」

 

 もはや言葉も無い。ここまで他者を傷つける術を持たない人を見たことがあるだろうか。だというのに、直接では無いとはいえ殺人の罪を抱えているのだから世の中分からないものだ。

 

「で、もう一つ。星より放たれ、星となる(Gravity Release)

 

 こちらはそこそこ高難度、浮遊の魔法だ。星の引きつける力を無効化する。この力への干渉法を見つけるのにそれはそれは長い苦労があったと聞くが、今となってはその方法は完全に確立されているのでそこはさして難しくない。問題は、その規模だ。星の力は私たちが普段思うよりもずっと強く、これを捻じ曲げるためには多大な魔力を継続的に消費するのだ。つまり、多くの魔力を蓄えられる優れた魔法使いでなければこれを唱えた所ですぐに維持できなくなってしまうのである。浮遊の効果を維持できないというのはつまり、落下するということなので…まあ、事故が起きる。人は打ち所が悪ければ数メートルの落下でも死ぬのだ。

 幸いにも私は魔力を多く生み出し、多く蓄えることが容易い能力を持っている*2ため苦では無いが、やはり多くの人間にとって空は未だテリトリーの外である。

 

「お、お、お…?」

「空の旅へようこそ。初飛行の感想は?」

「な、なんか…内臓が揺れる…不気味な感じだ」

「すぐに慣れるよ。きっと」

 

 それどころでは無くなるだろうからね。

 

「おい、今なんか不穏な———」

「声あげると舌噛むよ?星は尾を引き空を彩る(Blazing Comet)

 

 『星は静かに夜を行く(Shooting Star)』でも良かったんだけど、どうせ透明化で尾を引く様子も透過しているし…こっちの方が速い。ちょっと意地悪してみたくなったのは否定しない。

 

 空高く、雲には届かない高さ。鳥たちの世界まで浮かび上がった私たちは2条の彗星となり、傾き始めた日の下を駆けた。湖沼地帯までひとっ飛びだ。

 

「んむぅうううううっ!?!?!?」

「ふふっ…!何それ!」

「むぅうう!!むううううう!!!」

 

 ちなみに、『星は尾を引き空を彩る(Blazing Comet)』は()()()()に分類される。それなりに頑強な障壁もセットで展開されるので、何かにぶつかってもちょっとやそっとではびくともしない。というか尾を引く部分は炎の魔法の要素だから、障壁が無かったら炎の熱で自滅してしまう。実際に空気が燃え上がるほどのスピードが出ているわけでは無いのだ。考案者がスピード狂らしく、この障壁は風を遮らないので本物の彗星のような速さなど出せない。

 そうとは知らず両手で口を塞ぐザルグの顔は、強風と涙やら汗やらで大変なことになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

「おま、おま…!お前…!エリーお前!お前!おまエリーお前!」

「ごめんなひゃい、ごめんなひゃいい!」

「死ぬかと思ったわ!漏れるかとも思ったわ!」

「あ、漏らひてなひほ(漏らしてないの)?」

「寸での所でな!!!」

ほっへひひれう(ほっぺちぎれる)ひひえうう(ちぎれるう)!」

 

 あ、ちょっとこねたでしょ!私のもちほっぺ!お母さんにもお姉ちゃんにも人気だった私のほっぺ!

 

 しかし漏らさないとはさすが男の子か。初めてこれ使った時の私は…ん”ん”っ!!

 

「ふぃいい…いひゃいい」

「で、ここ何処なんだ?俺はマジで自分の位置見てる余裕なかったから分かんないぞ」

「こひょうひらいの…むほう」

「なんだって?」

「こ、湖沼地帯、の、向こう!水没林に、なってるみたい…いたた」

「なるほどなあ…まあ、しっかり裏まで回ってくれたんだな」

「そりゃあね…こっそり敵陣偵察って言うのに、わざわざ前から行くことないでしょ」

「その上空をド派手にかっ飛ばしたヤツが発言者ってことを除けば完全に同意だよ」

「反省してますからあ…」

 

 そういえば、こういう小気味いい会話に、ちょっとだけ憧れてたっけ。

 

「いいよ、許す立場でもないんだから。後は俺の仕事だな」

「まだまだ魔力には余裕あるから、透明化はもう一度かけておくね。光よ、道を譲ろう(Transparent)…浮遊はどうする?」

「足音が消せるのはいいが、土を踏んで分かることもあるからな…音だけ消せる魔法は無いか?できれば、俺たちには聞こえると嬉しい」

「あるよー」

 

 魔法は好きだったから、色々知っている。小さい頃は勝手に本を読んで怒られたが、魔法の才能があると分かって以降、家の書斎には魔法の本が増えて行った。印刷技術が進んだ今でも、大量生産には遠く、依然として書物は高級だ。お金を工面して揃えてくれた両親は、きっと私に少しでも強く育って———。

 

「———っ、ふぅ。風に戒めを(Air Dome)

 

 空間に満ちている風を、自らの周囲とそれ以外で切り分ける。真空の膜を作る、と言っても良い。音は空気や水が無ければ伝わらない、らしい。本来は水中に潜るための魔法だが、こう言う場合でもきっと有効だ。

 

「これ、本当に聞こえないのか?」

「本来の用途と違うからなあ。ちょっと待って」

 

 一度魔法を解き、距離を取って自分にだけかけ直す。その後、強く足踏みをし、大きな声を出してみる。

 

「ザールーグー!」

「——————」

 

 おや。聞こえない。そうか、真空だから内から外へだけじゃなく、外から内へも音が伝わらないのか。失敗だ、魔法を解こう。

 

「ごめんザルグ、これ外からの音も届かないや」

「そりゃちょっと…ああ、いや。それでいいか。どうせ会話なんて無いだろ。何か話しているような様子が見えたら魔法を解いてくれればいい」

「そう?じゃあもう一度かけるね」

 

 そうして、透明化と消音の魔法がかかった私たちは魔物集団の後方から接近を開始した。

 

 

 

 魔物の群れはすぐに見つかった。例のヴァンパイア共々、かなり平原地帯まで近づいている。これは、あまり戦況は良くないかもしれない。

 

「…でも見た感じ、狼もかなり減ってるように見えるね。もう100匹も居ないんじゃないの?」

「と言っても、まだ戦闘に参加してないのだけで100弱はいるって事だがな。元々の300って概算はどうなったんだ」

「うーん…」

「それと」

 

 ザルグが水を掻き分けて沼地を手で漁り、目を凝らして言う。

 

「フンとかの痕跡がない。魔物って、フンをしないものだったか?」

「いや、それは違うはずだよ。生き物として歪だけど、一応は生命体だし代謝もある。ヘビ型の魔物の抜け殻なんかも有るもの」

「あの数の狼が半日も集まっていたら、少しくらいは居た痕跡があるものだが。俺には、ここに狼の群れが滞在していたようには見えないな」

「足跡は?」

「この沼地じゃなあ…ぬかるんだ泥の沼なら残ったかもしれないが、ここは水かさがある程度に水っぽい。あの大きさの生き物の動向を探る情報源としては、使えないな」

「…ん、待って」

「どうした?」

「魔力が…揺れ、てる?…何か来る!」

 

 直後、信じがたいことが起きた。

 

———オォオオオオン!

———オォオオオオン!

———オォオオオオン!

 

「なんだありゃ…嘘だろ」

「信じたく無かった…けど、間違いない」

「増えてやがる、だと?このペースでか!?」

 

 私の魔力感覚には、ヴァンパイアが魔法を使ったように感じられた。その直後、周囲に魔法陣が展開され、一度に50匹ほどの黒狼の群れが現れたのだ。

 さらに数秒後、同じように50匹が追加された。何度か繰り返され…()()()()程度。減った分を補充して、その召喚は止まった。

 

「冗談じゃない…!これじゃ勝ち目なんてないぞ!」

「どこかから呼び出されたように見えたけど…あと何匹呼べるのか分からない。魔力の消費も、見た感じふらつきとかは無いし、アイツにとっては大した消費じゃないんだ」

「もしかして翼竜も呼べるのか…?」

 

 しばらく待ってみたが、明らかに数を減らしている翼竜が補充されることは無かった。

 

「相手はほぼ黒狼くらいのものか…それでも、この量は」

「難しいね…いずれは突破される。逆に打って出るなら、そうね。早く戻りましょう。この情報を伝えないと作戦の立てようが無いわ」

「ああ…」

 

 ザルグから目を離し、再びヴァンパイアを見る。

 

 

 

 目が合った。

 

「……っ!?」

 

———『第三位奇跡行使権限執行(DEVOTION)庇護(asylum)

 

 反射的にザルグを保護する。黄金に輝くヴェールの球が彼を覆い、直後私たちは極太な虹色の魔力の奔流に呑み込まれた。即座に透明化と消音の魔法が掻き消される。

 庇護(asylum)の結界は内から外に干渉できない代わりに絶対的な防御能力を発揮する。彼は無事なはずだ。

 

「ぐ…ぅうっ、魔を以って魔を払え(Counter Spell)!」

 

 虹色の砲撃に翻弄されかけたのも束の間、私も対抗魔法を発動する。『魔を以って魔を払え(Counter Spell)』は原始的な防御魔法だ。魔法力による攻撃を魔力を呼び水として反らし、散らし、乱すことで無効化する。指向性のある魔法なら常に有効な汎用性の高い魔法だが、原理が単純な分効率が悪い。その攻撃と同じか、それ以上の魔力を消費し続けなくては、完全に受け流すことができないのだから。

 

 私だけなら無防備に受け続けてもいい。しかし、背負ったリュックにはチロが居るのだ。吹き飛ばされ、背面からこの奔流を受けようものなら一溜まりも無い。

 

(にゃに)?これを凌ぐ…にゃるほどお前(おみゃえ)が。自ら来てくれるとはニャ」

「っは…ふぅ」

 

 対抗魔術を解く。会話が通じるのか?

 

「貴方、何者?」

「それはこちらのセリフでもあるニャ。お互い軽く自己紹介と行こうじゃニャいか」

「いいわ…その口調、なんなのよ」

「クセだ。気にするにゃ」

 

 そう言って、燕尾服にシルクハットの吸血鬼は深々と礼をした。

 

「吾輩はジルコン。主よりこの魔物集団を与えられ、監督をやっている」

「エリーよ。そっちの結界のはザルグ。貴方が襲っている都市で探索者(クローラー)をやっているわ。迷惑だから止めてくれないかしら?」

「残念にゃがら吾輩は監督であって指揮者ではにゃいのでにゃ。その力はにゃい」

「じゃあにゃんの…」

 

 ん”っ。

 

「…何のためにいるのよ」

「釣られたにゃ?」

「こ・た・え・ろ!!!」

 

 そこに触れるな!

 

「今の吾輩の役目はにゃ。お前(おみゃえ)を調べること、可能にゃら連れ帰ることだにゃ」

「…私ですって?」

「戦える探索者(クローラー)にゃら、襲撃があれば出てくると踏んだのにゃ。みゃったく主も、調査しろと言っておいて渡すのは狼と空飛ぶトカゲにゃんて、これくらいしか使いようにゃんて無い(にゃい)にゃよ」

「待ちなさい。私が探索者(クローラー)だなんて何処から知ったの」

「おっと、そこは秘密だにゃ」

「惚けないで」

 

 別に探索者(クローラー)である事を隠していたわけじゃ無い。けれど、私は駆け出しに過ぎない。ソロで装備もロクに持たないので目立っては居たかもしれないけれど、こんな街の外の魔物崩れが知っているような事だろうか。

 

「みゃ、そこは主に聞いてくれ給え(たみゃえ)よ———其は迷い子、此は何処?(Cat Swap)

「まずっ———ザルグッ!」

「エリー何が———」

 

 突然、足下に展開されたのは空間を捻じ曲げるテレポートの魔法。結界を解き、何とかザルグの手を掴んだ瞬間、私の意識は暗転した。

 

「さてと、用は済んだし死人が出る(みゃえ)に終わりにするかにゃあ。沈め(void)

 

 私たちの消えた後ろで、狼たちもまた、突然地面に現れた呑み込まれるように沈んで消えて行った。不意に訪れた襲撃の終わりに、兵隊も、探索者(クローラー)も、ただ戸惑うばかりであった。

 

 

 

*1
 我々機械科学文明の住人からすると違和感のある感覚だが、この魔法科学文明と呼ぶべき世界の常識からは自然である。この魔法は体の色素を操作するのでは無く、自身に接触した光の側に干渉し、対象の肉体という物質から影響を受けず直進できるように法則を捻じ曲げている。物理法則を捻じ曲げると書くと大仰に見えるが、全ての魔法は必要なだけの魔力を消費して物理法則を歪める行為であるので特別この魔法が異常ということはない。既にあるものを操作している分、炎や水を無から生み出すより余程易しいのだ。

*2
『超虚弱』の効果。魂が現世から遠く、魔法の扱いに長ける。



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03-05.魔女はどちら様?


 

 一瞬だった。視界が開ければ、目の前にあったのは燭台。この黒を基調とした正方形の薄暗い部屋の四隅に、同じものが置かれているようだ。足元には魔法陣…これはダミーだ。一種の装飾にすぎない。あるいは、ただのおまじないか。それ以外はこの部屋に何もない。

 

 あの吸血鬼が使った『其は迷い子、此は何処?(Cat Swap)』なる魔法を私は知らない。展開された魔法陣の内容と魔力の振る舞いから、物質転送の類いであることは辛うじて分かったが、私の知るものとはかけ離れていた。既存の転送魔法は制御が難しく、私では正しい位置への転送どころか発動させることすら出来ない。しかし、あれは全くそのような複雑さが無いように見えた。

 

「な、なんだ…幻覚か?」

「幻覚じゃないわ。本物よ。魔法で転送されてしまったの」

「そんな事が…いや、じゃあここは何処だか分からないんだな」

「ええ。あの猫みたいなヴァンパイアは、主がどうとか言っていたけれど…」

「猫みたいな?」

「あ、そうか。結界でザルグには聞こえてなかったわよね」

 

 この部屋に出口は一つ。黒檀の扉に閉ざされた道だけだ。

 

「…行くしかないな」

「私から離れないでよ。場合によっては突き飛ばすけど」

「なんだかチグハグだな」

「あら、そんなに私と離れたくない?いいわよ、死ぬような目に遭ってもしっかり捕まえててあげる。私は死なないもの」

「ごめんなさい俺が死ぬので遠慮なく突き飛ばして下さい」

 

 気を紛らわせるような会話をしつつ、扉の先へ。罠が飛び出して来たりもせず、これまた黒一色の薄暗い廊下が続いていた。突き当たりに別の扉があるが、悠に20mは離れている。この建物———お屋敷だろうか?———はかなり大きい造りのようである。

 

「壁かけの燭台、紫に燃えているわね」

「あの遠くから見ていたが、あの翼竜が吐いていたのに似ているな」

「…ああ、合理的だわ。あの炎、草を燃やし尽くして燃えるものが無くなっても消えなかったのよ。明かりに使うのにはもってこいね」

「これが同じ炎かは分からないけどな。試してみるか?」

「どうやって?」

「考えがある。水の球を用意して、浮かせておいてくれ」

 

 頼み通り、ただ浮かぶ水の球を作る。

 

「よし。じゃあ、これに火を移して床に落としてみよう。見たところ、ここの建材は石のようだし火事にはならないだろ」

 

 そう言いながら、ザルグはポーチからマッチを用意して燭台に近づける。程なくしてマッチは紫色の火を宿し、床へと放り投げられた。が、すぐにその炎の色は見慣れた赤へと変わり、水で消すまでも無く燃え尽きて消えてしまった。

 

「あれ?…どういうこと」

「普通の火…なのか?しかし色は…」

 

 その時だった。会話に続くように、もう一つの声が奥の扉の方から響く。

 

「炎色反応さ…植物から取れる薬を使えば、こう言う色になる」

「誰!?」

「はっはっは!家人(いえびと)に向かって誰とはね。まあ無理もないか…あの猫、とんだ乱暴をやってくれたじゃないか」

 

 薄暗い廊下の奥から、コツ、コツ、と足音が響くたび、少しずつその姿が露わになる。つばの広い三角帽子、青い宝玉の嵌った魔法使いの杖、そしてあまりにも露出の多い紫のナイトドレス…って!

 

「横を向きなさいザルグ」

「えっでも敵かも」

「早く」

「はい」

 

 男子に見せていい格好じゃない!透けてるし!ほとんど裸よ!せめて下着は着てよ!痴女!?痴女なの!?私が言える事じゃないかもしれないけど痴女でしょ貴方!?

 

「おや、可哀想に。ほれ、もっと見てもいいんだぞ?気にしないとも、そうでなければこんな服では来ないさ」

「え、いや何を」

「バカ言ってんじゃ無いわよ!ザルグは純粋なのよ!教育に悪いわよ!」

「お前こそ何言ってんの??」

 

 この無自覚天然純粋培養ピュアボーイが!あんなんで性を自覚してみなさい!絶対色々歪んで将来苦労するから!

 

「服を!!マトモな服を着て来なさぁい!風に吹かれて木は空を飛ぶ(Blast Blow)!」

 

 猛烈な突風を瞬間的に巻き起こす魔法。障害物を吹き飛ばすための魔法で、殺傷力は無に等しい。とにかく1秒でも早くあの公然猥褻物を奥の扉に押し込むのだ。

 

「おやまあ人ン家(ひとんち)で乱暴じゃないか———風に吹かれて木は空を飛ぶ(Blast Blow)

「んなっ…」

 

 全く同じ魔法。しかし、乱雑に出力だけを求めて発動された私のそれとは違い、彼女の魔法は正確に私の風を相殺した。ぶつかり合いの中心で圧縮された空気が拡散し、強風が頬を撫でるが既に物を吹き飛ばすような勢いはない。ただしナイトドレスは大きくはためいて捲られる。

 

「魔法では上手(うわて)ってことね…」

「なあ、すぐ後ろで見えない魔法の撃ち合いされてるのすごい怖いんだが前向いていいか」

「今向いたら2度と怖がる必要も無くするわよ」

「はい」

 

 どうしても着替えてくる気は無いってわけ?そんな高等技術を披露してまで…そもそも何者なのよ。

 

「貴方、何者?」

「しがない魔女さ。実名は久しく呼ばれてなくてねえ、ノーフェイス(不信心者)とでも呼んでくれよ」

「魔女…」

「ジルコンが悪さをした様だね。すまなかったよ」

「あの猫言葉のヴァンパイアのこと?」

「ヴァンパイア…?ああ、変装していたのか。まあそうさ、そいつだよ。あたしゃ、ただ話がしたいから取り次いで来てくれと言ったのにまさかあんな大騒動を起こすなんて」

「敵意は、ないのね?」

「無いとも。お前、死なないだろう?そんな相手と殺し合いなんて真っ平御免さ」

「…!エリーのことを知っているのか?へぶっ!」

「前向くなっつったでしょうが!」

 

 ザルグの顔面にハンカチを広げて叩きつける。張り手じゃないだけ優しいと思うことね。

 

「過保護だねえ、その年の男ならとうに恥じらいなり興奮なりすると思うんだが」

「私だってそうであって欲しかったわ…健全な教材がないのよ」

「???」

「で、なんで私の…不死について知っているの?」

「知っているわけじゃない。分かるのさ、命に頓着していない奴っていうのは。年の功というものだね」

「見た目通りの年齢じゃない、と。それじゃ、貴方も不死みたいなものじゃない」

 

 肢体もみずみずしく、顔に皺も見られない。女盛りの20半ばに見えるが、この口調からすると私の母よりずっと年上かもしれない。

 

「それはそうさ、魔女だからね。しかし殺されりゃあ死ぬのも事実…さて、経緯はどうあれ折角来たんだ。他にも話そうじゃないか。こっちにおいで」

「分かったわ…でも条件が一つある」

「あにさ」

「ちゃんと服着て」

「面倒だねぇ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 案内された先は、いかにもお屋敷にありそうな長い食卓のある食堂だった。特に上座も下座もなくノーフェイスがどっかりと座ったので、その対面に私たちも座りこんだ。

 

 ちなみに、服は大人しく着替えてくれた。今は紺色のチューブ・ドレスを着ている。これも首から胸元まで結構露出している上に、(すそ)の左右にかなりバックリと、太ももほどまでのスリットが入っているが、さっきのよりはマシだ。いや、少し麻痺しているのだろうか。

 しかし、案外すんなり着替えてくれたあたり、もしかしたらあの服は、暗器などを隠し持っていないことを示すパフォーマンスだったのかもしれない。問答無用で吹き飛ばそうとしたことを、少しだけ反省した。

 

「まず、あの狼の群れについて語ろうかね」

「ああ。話をつけてくれってだけで、どうしてあんな魔物たちをけしかけたりしたんだよ」

「そもそもそのつもりじゃあなかったのさ。…最近、あたしはホムンクルスの作製にハマってるんだよ。あれはあたしの新作でね」

「ほっホムンクルスですってぇ!?」

「あっはっは!お嬢ちゃんは驚くと思ったよ!そうさ、あの禁忌、ホムンクルスだとも」

 

 ホムンクルスとは、言わずと知れた()()()()のことだ。彼らはフラスコの中で生まれ、その中でしか生きられず、しかし生まれながらにして叡智を授かる…と言われていた。実際に作り出された例は、たしかにフラスコの中で生み出されたがフラスコになど入り切らない程には成長するし、別に特別賢くもない。人道的観点からこれを禁忌と定める国は多く、厳しい所ではホムンクルスどころかエレメント*1の生成すら禁じられていると聞いた。

 

「でもちょっと憧れるわ」

「おっ?エリー、君素質があるよ。基本的な製法は確立できているから、後は熱意と工夫次第だからね」

「私をその道に誘わないで頂戴。禁忌がどうとかはもうどうでもいいけど、街中で衛兵にビクビクして過ごすのは嫌よ」

「お前ならものの数じゃないだろう。蹴散らせばいいじゃないか」

「アンタの名前に納得したぜ、不信心者(ノーフェイス)

「ふぅん…まあ気が向いたら言ってくれよ。こちとら同好の士には飢えてるんだ」

 

 心底惜しそうにこちらを見ながら、とりあえずは勧誘を諦めた様だ。余計なこと言うもんじゃないわね。気をつけよう。

 

「それで、ジルコンにはそいつらの性能評価のついでにエリー嬢ちゃんへの取り次ぎを頼んだというわけさ」

「性能評価?ガストの街を仮想敵にでもするつもり?」

「まさかまさか!とんでもないね!」

 

 いやいやと大袈裟に首を振り、手を振り、ノーフェイスは否定した。

 

「確かに、あたしも魔女だ。やろうと思えば国の一つ二つ落とすくらいは出来る」

「えっマジで」

「でぇきるとも!舐めちゃいけないよ?…でもまあ、そのためにあっちへこっちへ飛び回って火付けをやらなきゃならないし、丹精込めて作った道具も湯水の様に垂れ流しだ。まして、あの王国みたいな大きい国ともなればどれだけ時間がかかるか!その間に神さまにお祈りでもしてた方がまだマシだね。奇跡の魔法にも興味はあるし」

「……」

 

 やばい。私、この魔女と親和性あるわ。言ってること大体分かる。神様の奇跡だって気になる。解析しようとする度にカルネラ様から恥ずかしがる様な、悲しむような思念が届くのでなければ少しは手を出していたかもしれない。

 

「ふっ。その顔は…」

「それより!!じゃあどうしてあんな襲撃になったのよ!」

「言った通り、ジルコンの暴発さ。確かに評価の方法は指定しなかったさ。趣味だし、ジルコンだってあたしの研究には詳しいからちゃんと報告してくれるだろうとね。いや実際、取れたデータは悪くなかったんだけど…」

「好き勝手言うんじゃにゃいにゃ!ご主人!」

「この声っ!?」「シャーッ!」

 

 チロ、貴方は引っ込んでなさい!

 

「ははは、帰ったかい下手人(げしゅにん)!何か申し開きは?ん?」

「申し開きぃ?ご主人こそ僕に労いの一つも言ったらどうにゃ!無理(にゃん)題を見事に達した健気(けにゃげ)にゃ召使いにご苦労の一言も(にゃ)いのかにゃ!」

 

 私たちが入ってきたのとは別の扉から、シルクハットを被り紳士風に着飾った一匹の黒猫が現れた。どこかで見たような気がする…?

 

「あー!あの時の黒猫!?」「…あっ、猫探ししてた時の!」

「にゃ?ああ、あれは吾輩にゃよ。街の見回りがてら、珍しく出会った猫と語らっていたのにゃ。あれは聡い猫だったにゃあ」

「ん?知り合いだったのか?」

「いやその…」

 

 猫探しのうち、教会周辺での出来事をざっと説明する。

 

「なるほどなあ、それをジルコンが私に報告してきたと」

「そうにゃ。第二位の奇跡を使える小娘にゃ。前々からご主人が研究したいと言っていたし、ちょうどいいと思ったのにゃ」

「実際、それを聞いて連れてきて欲しいと言った訳だからな。しかしお前、だからと言って攻め入ることはないだろう」

「吾輩だってどうかとは思ったにゃよ。でも、ご主人から頼まれたホムンクルスどもは目が(はにゃ)せないし、それにゃのに街中(まちにゃか)の住人に(はにゃし)をつけて欲しいだにゃんて言われるし!そうしたら、コイツらが探索者(クローラー)だってことを思い出して、閃いたのにゃ」

 

———“街にホムンクルスを向かわせれば性能評価もできるし、きっと探索者(クローラー)の2人も出てくるんじゃにゃいか?”

 

 見事な複合案だ。街からすればたまったものでは無いという点を除けば。ははは、抜かしおったわコヤツ。

 

「それで死人が出たらどうするつもりだったんだい、この屋敷を引き払うのは嫌だよ」

「そうにゃりそうだったら終わらせて、この2人を連れて帰るつもりだったにゃ。実際、危にゃそうにゃ所のホムンクルスは都度『沈め(Void)』で収納していたのにゃ。一瞬で仕舞えるし、軽傷者は出たようにゃけど死人も重傷者も居にゃいにゃ。なめときゃ(にゃお)るにゃ」

「はああああ〜……すまなかったよ、2人とも。後で街の領主にも謝罪に回らないといけないねぇ」

 

 

 

 

「おい。エリー」

「はい…」

 

 街の皆さんすいません。私が余計な奇跡を行使しなければ起こらなかった襲撃でした。本当に申し訳ない。第二位の奇跡、ここまで影響があるものとは。こうなると『忠戒(admonish)』をばら撒いて翼竜を墜としたのも怖くなってきたぞ。もうこれで終わってください負の連鎖。

 

 

「ま、まあ、私としては特に消費した道具もないから、貴方のような優れた魔法の使い手と知り合えただけでも収穫よ」

 

 まるっと12時間ほどカウントを消費することにはなったけど。

 

「ところで気になっていることが一つあるわ」

「なんだい?知っていることなら答えよう」

「あのゴーストの群れも貴方たちの仕業だったの?」

「……なんだって。ジルコン、お前何かしたのか」

「いやいやいや!?吾輩も知らにゃいにゃよ!いつの(はにゃし)にゃ?」

 

 あゝ負の連鎖のかほり。

 

「…狼ホムンクルスの直前に向かってくるのが見えたから、私が『浄化(purify)』で()し飛ばした*2けど」

「何体くらい居た?」

「ざっと100は。一回きりだったけど、狼の第一波より多かったわ」

「おいおい、まだ何かあるのか?」

「分からないねえ…ただ、あたしらのやったことじゃ無い。…よし、埋め合わせも兼ねて調べてみようか」

「ご主人、その原因にあわよくば全部の責任を押し付けようとしてにゃいかにゃ」

「そそそんなわけないだろう!というかお前が言うことじゃないよ!」

 

 安易に力を振るうものじゃないって、大きな教訓を得ました。力に力は引かれてやってくるんだね。

 

「そういうことだから、ほれ———繋がれて在れ(link)

「きゃっ…」

再びの邂逅(connect)

 

 前触れなくノーフェイスが手を翳し、放たれた光が私の胸に当たって吸い込まれていった。

 

「なっ、何したの…?」

(あー、あー、どうだ。聞こえるだろう)

(えっなになになになに怖い怖い怖い怖い!!!)

(ぎゃあっ!?わ、喚かないでくれ頭が痛むから!?)

 

「ご、ご主人?急に頭を抱えてどうしたのにゃ?ついに狂ったのかにゃ?」

「おい、おい!何されたんだ!?すごい顔色だぞ!?」

「頭がぁ…し、暫しの別れ(disconnect)っ!」

 

 頭の中で急に誰かの思考が入ってきたような感覚。自分の脳が自分ではないナニカを思考しているようで、非常に怖かった。少し冷静になってみると、どう言う魔法だったのか少し分かる。

 

「ご、ごめんなさいびっくりしちゃって…テレパス?」

「うぅ…そうなんだが。他人に使ったのは初めてさね…そうか、初めてだとこうも驚くか…想定外だった…」

「何があったんだ?俺にはさっぱりだ」

「えっとね、ノーフェイスと私が離れた位置に居ても、声を出さずに会話できる魔法をかけたのよ。でも、いきなりだったから驚いて、いろいろパニックになってしまって…それがあっちにも、ね?」

「ああ…エリーってなんだかんだ冷静なイメージあったけど、結構内心は騒がしいんだな」

 

 う、恥ずかしい。

 

「ふう、落ち着いてきたよ。じゃあもう一回いくよ?再びの邂逅(connect)

 

(…どうだい?)

(待って、少し怖いけどああちゃんと聞こえるわ、これどういう魔法なのかしら、じゃなくてああその、ごめんなさいうるさいわよね私いつもこんな感じでちょっと待って今落ち着くから)

 

「すー…はー…すー…はー…」

 

(落ち着く、落ち着く、落ち着く…無心に、何も考えない、心頭滅却…)

(ああいや、そこまで悟りを開かなくてもいいんだ。コツがいるのさ、これは)

(これ、結構危険な魔法じゃない?拒否権なしで相手の考え筒抜けなんでしょ?一方的に受信できたら…)

(いや、それは難しい。お互いの言語化された思考を仮想の頭脳に重ねる様にして実現しているからね、繋がった時点でお互いに丸見えになる。もちろん使う側、使われる側どちらに立っても悪用できるから表沙汰にはできない魔法だが)

(そうよね)

(この魔法は『繋がれて在れ(link)』、『再びの邂逅(connect)』、『暫しの別れ(disconnect)』の3つがセットになっている。『繋がれて在れ(link)』は別途の下準備がいるから、『再びの邂逅(connect)』と『暫しの別れ(disconnect)』を教えておく…一旦切るよ)

 

暫しの別れ(disconnect)

「———ぷはぁっ!はぁ、はぁっ…私、いつの間に息止めてたのかしら」

「顔真っ赤だぞ…無理するなよ」

「どうも、思考に集中しすぎると息を止めてしまう癖があるらしいねぇ…まあいい。これを読みな」

 

 小さなメモ書きのような手のひらサイズの走り書きを受け取る。瞬間、脳裏に『再びの邂逅(connect)』と『暫しの別れ(disconnect)』の原理と行使の方法が明確に浮かぶ。理解できる。これまでのどの書物を読んだ時より、明晰な理解の感覚。

 

「驚いたかい?魔女ともなれば容易いことだ。”人に分かりやすく”。それこそ、上等な知識というものだ」

「いや…これはそういうものじゃないような気がするけれど…ありがとう。()()()()わ」

 

 言いながら、紙をノーフェイスに手渡して返す。これは危険な技術だ。

 明らかに紙に書かれているより理解した内容の情報量の方が多い。というか、紙にはそれだけでは意味不明な図形の羅列しか描かれていなかった。魔力は感じない。きっと、魔法ではない(理解しがたい)力が働いたのだ。

 

「どういたしまして。いつでも通話してくれていいんだよ?ぜひ、その第二位の奇跡についての話も、()()()()()、それ以外も聞きたいからね…ひひ」

 

 恐ろしい。気さくで、朗らかで、粗暴なところもあれ穏やかな気性に見えるこの魔女が魔女たる所以を、きっと今、垣間見たのだろう。

 

 すっと、呼吸の、瞬きの、脳の思考の解像度の合間に差し込んだ様なタイミングでノーフェイスが立ち上がる。あまりにも自然であり、反応できない。気がつけば彼女は私たちを見下ろし、親指と人差し指を合わせるようにして構えていた。

 

「遅くなってしまったね。アンタら、帰るなら支部の前で構わないか?」

「え、あ、おう?」

「よろしい。ではさよならだエリー、そしてザルグくん。また会おう、興味深いお二人さん」

 

 パチン、と気味のいい爽快な音。次の瞬間、まばたきもしていないのに私たちはガスト市の探索者(クローラー)組合支部に立っていた。直前まで座っていたが、立っていた。

 

 夢だったのだろうか———?

 

(なーんて思ってるだろうから言っておくぞ?夢じゃないんだなあ、これが…では今度こそ、またな)

 

 プツっと、通話が切れた。

 

「はは、とんでもない奴に攫われてたんだな、俺たち」

「あは、あははは…はあ」

 

 不死になって、少し驕っていたかもしれない。化け物など、まだまだ。

 

 今の私たちは、人懐っこく世話焼きで、それでいて厄介な魔女に目をつけられた、ただの哀れな山羊であるらしかった。

 

 


 

 

「ふう…」

「ずいぶんお疲れですにゃ?ご主人」

「そりゃあね…久しぶりに、()()()()()()()()()()()()()()()()()

「それはそれは」

 

 最初に思考をのぞいた時…ああ、ゾッとした。

 あんなに直截に死を突きつけられていて、なお不死であるからと笑える者が居るとは。信じがたい。彼女は壊れている。

 

 力、技術、その研鑽…あたしも人を辞めて長い。とっくに魔女に相応しい、化け物の心になったと思っていたが。

 

「ふふ、素質ありなどと上から言って見せたが…底が見えない。果たして虚勢だとは思われなかっただろうか。ああ、恐ろしい。恐ろしいものだ」

 

 こんなに魔女(あたし)を震えさせる。

 

———彼女のようなのを、魔女と呼ぶのだろう。

 

 

 

 

 

*1
 属性を与えた魔力(魔法で作られた水や炎など)に人工的な知能を与え、自律行動させたもの。多くは単調な行動しかできず、魔力を補充してやらねば数時間で消えてしまう。工夫次第では召使いの様に賢いエレメントを作れるが、作製の時間的コストが高い上、魔力補充を要する点で民間の需要と噛み合わず、あまり広まりを見せてはいない。

*2
※「還」の常用の読みにこのようなものはありません




Which is Witch?
Of course, just she is.


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おまけ-1
EX-01-01.人物まとめ(01-01〜03-05)


作者用資料も兼ねています。
よってネタバレを含みます。


☆メインキャラクター

 

*エリー

 

 所在:エルスティス家→?→要塞都市ガスト

 能力:超虚弱、死の呪い、輪廻の神カルネラの寵愛

 

———私より貴方の方が(貴方より私の方が)ずっと善いでしょう(ずっと悪いでしょう)

 

*チロ

 

 所在:ガスト〜ミンドラ間の森林→要塞都市ガスト

 能力:???

 

 ペット1匹目。

 

*ザルグ

 

 所在:?→ガスト〜ミンドラ間の森林→要塞都市ガスト

 能力:???

 

———人より生き汚いだけさ。今日にも死ぬところだったしな。

 

 ペット2匹目。

 

 

 

☆神々

 

○序列神

 

*輪廻の神カルネラ

 

 エリーを寵愛する神。

 

○非序列神

 

*魂の神

 

 カルネラの使い走り。新参。

 

 

☆メタフィス王国

 

○メタフィス王家

 

*イルメリア・A・メタフィス

 

 建国者。剣を自在に操る能力で国を打ち建てた。

 

 

○オブリビアス家

 

 とある大都市…に程近い田舎に屋敷を構える零細貴族。

 領地無し。世襲貴族としては最下格。

 

*エルスティス・U・オブリビアス

 

 所在:オブリビアス家→?

 

 幼少、および成年直前までのエリー。詳しくは該当項目にて。

 魔法と料理が得意。ポケーっとしていたが、体が弱く魔法が得意な自分はきっと魔法に役立つ能力を持っていると考えており、将来は家のために自分の能力を活かせれば良いと思っていた。

 

 

*サリーお姉ちゃん

 

 所在:オブリビアス家→ミンドラ(04-01)

 

 エルスティスの姉。しっかり者で、商才がある。オブリビアス家を商家として大成させ、ある目的のために力を得ようと画策する。

 見魂の儀の朝には中々起きないエリーを引っ張り出した。起こさなければ良かった。

 

*(お父さん)

 

 自慢の書斎がある。エリーのために、魔法書を買い集めた。

 

*お母さん

 

 お菓子作りが得意。パティシエールを目指していた過去がある。

 手ずから世話をしている庭が自慢。

 

*スティ

 

 オブリビアス家の家令。家令とは、家の清掃や物品、帳簿などを管理する、当主の右腕のような存在である。この世界では十分に高齢な女性。

 ドレスの着付けに超人的な手捌きを披露した。サリーに女性として憧れられている。

 

 

○ブライト家

 

*アルベルト・G・ブライト

 

 所在:主要都市(名称未定)の教会→?

 

 司祭。エリー含む、周辺の貴族たちの見魂の儀を担当。根っからの善人。

 ある少女の見魂の儀を行ったことを後悔している。

 

 

○要塞都市ガスト

 

*組合支部の受付嬢

 

 所属探索者(クローラー)向けの受付を担当する受付嬢。他にも、依頼発注などを行う一般向けなど幾つかの受付がある。

 緊急の安全保障協力要請書類をエリーとザルグから受け取り、その後臨時に探索者(クローラー)たちの指揮を執った。

 

 

*モブ探索者(クローラー)A

 

「ヴァンパイアだと?今は昼だぞ」

「推定ヴァンパイアの位置は分かるか」

以上。

 

*ミシェルの父親

 

 王国所属ガスト駐屯部隊の中隊長。早期警戒を担当している。

 ジルコンが変装したヴァンパイア率いる魔物の群れの襲来を察知した。

 

*ミシェルの母親

 

 ミアの捜索依頼を代筆した。夫をよく支え、娘をよく導く良き母親。

 

*ミシェル

 

 失踪したミアを探すための依頼を出した幼い女の子。ミアとは大の仲良しで、お揃いのリボンを付けている。

 

*ミア

 

 所属:要塞都市ガスト

 能力:???

 

 メスの猫。第六感としか思えぬ勘でもってガストに迫る危機を察し、自身の捜索依頼を通して間接的に探索者(クローラー)組合にそれを知らせた功労者。

 ミシェルが大好きで、友として信頼している。尻尾のリボンはいくつか色があるが、どれも大切な宝物。

 

*貴族街の守衛

 

 エリーとザルグに、ガストの貴族街が手続きを踏めば平民でも入れるということを教えてくれた。

 この人がいなければエルザがエリーの第二位神官権限を知ることは無く、ミアは発見されず、エリーとザルグが前線で『遠路洋々』と出会うことはなかった。運命の分岐点となった人である。

 

*黒猫

 

 所属:???

 

 謎の黒猫。詳しくはジルコンの項目にて。

 

 

*教会の職員

 

 エリーから猫を捕まえる許可を頼まれたが、それどころではなかった人(だいたいエリーのせい)。

 

*隠れて聴いていた受講生

 

 教会職員その2。

 エリーが突然ザルグに向かって語り出した奇跡行使権限についての解説を教会のお堂の入り口の陰で聴いていた。

 

*エルザ司祭

 

 教会の最高位聖職者。暗部上がりで、殺人経験あり。リコリスとは知人以上の関係。

 怯えるエリーを諭し、たとえ殺人を止めるわけにいかないとしても、意思を捨てず信じた道を歩めばいずれ救いはあると説いた。

 エリーによって『聖別(familiarize)』された司祭服を持っている。

 

 

*シンプルな軽装鎧の衛兵

 

 ガスト市兵。教会の鐘がなるのを聞いて駆けつけた。

 

 

○王国兵ガスト駐屯部隊

 

*フォンセ中隊長

 

 ミシェルの父親と同一人物。詳しくは該当項目にて。

 

*大隊長

 

 部下の報告を受け、出撃の指揮を執りに行った。

 

*大隊長の部下

 

 ミシェルの父親から襲撃の知らせを聞き、探索者(クローラー)のエリーとザルグに協力要請の書類を預けた。描写はないが、その後他の部下にも届けさせているが、結果的に軽装で足の早い2人が早かった。

 

 

○『遠路洋々』

 

 探索者(クローラー)パーティ。ガスト市においてトップクラスの成績を誇る。ジルコンの襲撃時点で、開拓面積No.1、討伐成績No.1、月間依頼達成評価No.3。

 

*キルター

 

 所在:?→…→要塞都市ガスト

 能力:地を這う一撃

 

 能力を扱える、稀有な探索者(クローラー)。もっとも探索者(クローラー)としての活動期間のうちほとんどは能力なしでこなしており、その上でトップクラス探索者(クローラー)であった。ガスト市内のみならず、メタフィス王国全域でも指折りの実力者。武器は両刃の大斧。

 

○『地を這う一撃』

 

 この能力を意識して地に触れるような軌道の攻撃を行うと衝撃波が発生し、直進する。衝撃波は任意のタイミングで爆散し、範囲への攻撃に変わる。衝撃波の貫通力は低く、岩などに衝突すればその時点で爆散してしまう。

 

 

 

*リコリス

 

 所在:?→?→…→要塞都市ガスト

 能力:???

 

 探索者(クローラー)。隠された出自を持つ。探索者(クローラー)として活動している期間はキルターのように長くはなく、少し前までは初心者の心持ちであったがそうは思われないよう振る舞っている。

 優秀な魔法使いであり、一度に多数の対象を狙うことが得意。ただしその技法は魔力の消費が激しいため、連戦となると良く魔力切れでダウンしてしまう。

 

 

○盗賊団

 

*頭領

 

 不運な男。彼にはカリスマがあった。腕力もあった。声も大きく、よく響き、演説や恫喝も上手かった。道次第では、大成したかもしれない。

 しかし、お腹のすいたエリーを狙ったのが良くなかった。

 

*エリーを昏倒させた男

 

 ザルグ。詳しくは該当項目にて。

 不運。盗賊など、全く向かない、根の優しい真面目な男。にもかかわらず、エリーに出会うまでの僅かな期間で、意図せずに人を殺めてしまった。

 死んだ被害者も不運だが、彼も不運。そこに多寡や貴賤はないのだ。

 

 

○盗賊に襲われた馬車の一団

 

 二頭曳きの馬車。ザルグ含む盗賊に襲われ、一人の死者を出しながら逃走した。

 

*落馬して事故死した御者

 

 ザルグが最初に殺した人間。盗賊頭領の男の叫びに驚いた馬から落馬して不慮に死亡したため、ザルグが殺したとは言い切れない。しかし、ザルグは自分の罪でもあると思っている。重度の脳挫傷により死亡。

 

 

○所属不明

 

*エリーが最初に殺した男

 

 エリーが最初に殺した人間。夜道を一人歩くエリーに、二人も共に性的暴行を働こうとして首を絞められ殺された。窒息死。

 

 

*エリーが次に殺した男

 

 エリーが殺した2人目の人間。エリーが組み敷かれる様を見てゲラゲラと笑っていた。1人目を絞め殺したエリーに組み敷かれ、哄笑(こうしょう)の中で搾り殺された。腹上死。

 

*ゴーストの群れ

 

 ジルコンが率いる狼の群れよりも早く、ガスト市へと接近してきていたゴースト達。出現した理由は現在不明。

 

 

 

☆その他

 

○魔女ノーフェイス

 

*ノーフェイス

 

 所在:?

 能力:???

 

 魔女ノーフェイスの名で知られる…はずの魔女。なのだが、エリーもザルグもその名を聞いたことはない。

 人智を超えたとしかいいようのない技術を持ち、魔法にも長ける。

 

*ジルコン

 

 所在:?

 能力:???

 

 ノーフェイスの召使いの猫型生物。喋る。魔法も使う。結構強い。でも少し抜けていて生意気。

 それでもご主人さまのことは慕っている。

 

*狼型ホムンクルス

 

 ノーフェイスが作成した狼型のホムンクルス。個体ごとに、能力を発現し得る可能性がある。顎の噛み付く力と脚力が強化されており、数を揃えれば王国の正規兵にも劣らぬ戦力となる。が、狼の最大の取り柄である群れの連携は再現されていないため見た目のインパクトほど強くない。

 

 

*襲撃で浮かんで見ていただけの黒狼

 

 所在:ノーフェイスの屋敷→ガスト市外西→ガスト西水没林地帯?

 能力:自己重力解放

 

 このまとめを作成するまで作者にさえ存在を忘れられかけていた黒狼くん。浮かんでいた理由は、エリーが使った『我らは星より放たれ、星となる(Gravity Release)』相当の能力を発現していたため。つまり、浮かんだは良いが推力が無かったのである。内心相当焦っていた。

 

 一応、登場の次の話を書いているときに、知らないうちに『星は尾を引き空を彩る(Blazing Comet)』で吹き飛ばされていたということにしたら面白いなあ、ということを考えていたが、描写できそうないい場面がなかった。悲しい。

 

 よって、地味にジルコンによる回収から漏れて水没林の中に放置されている。まだ息はある…のか?

 

○『自己重力解放』

 

 自身と他の物体との間に働く万有引力を、任意に無視することができる。『我らは星より放たれ、星となる(Gravity Release)』とほとんど同じ効果だが、特に消費するリソースは無い。

 

 

*翼竜型ホムンクルス

 

 ノーフェイスが作成したワイバーンのようなホムンクルス。こちらは個体ごとの能力発現は無く、代わりに滞留性の高い紫色の炎を吐く機能を持たされている。現代で言うナパームとほぼ同等の効果であり、非常に悪辣。ノーフェイスからも、戦力としては高く評価できるがあまり使いたくないし使える場面が無いと言われた。

 炎でエリーの逃げ場を奪って追い詰めるなど、それなりに頭が回るようだ。

 

 

○所属不明

 

*謎の声

 

 死の呪いと関連があると思わしき声。『生きたければ、殺せ』。

 



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EX-01-02.登場した魔術・奇跡(01-01〜03-05)

作者用資料を兼ねています。
以前、そして以降のストーリーのネタバレを含む可能性があります。





 

☆魔術

 

 魔法を分類するカテゴリ。魔法の集合。

 その成り立ちや性質、運用法によって魔法は幾つかの魔術に分類される。

 

○属性魔術 - disasteric magic

 

 古式魔術(classic magic)とも。自然現象を再現することに重きを置いた、魔法らしい魔法。全体的に敷居が高く、魔力の消費も重くなり易いが、発生する現象にある程度の保証性がある。動作が信頼できる武器は良いものだ。

 あらかじめ、詠唱が定まっている。厳密には、属性魔法使いが執筆した魔法書などに、魔法ごとに「このように詠唱し、このように魔力を扱えば、このような現象が起きる」というように記されており、術者はこれを再現する形で魔法を用いている。ところで、作中で「攻撃魔法」という表現があるが、これは一部の魔法書で用いられる慣例的な分類の一つであり、標準の分類ではない。

 これらの魔法は全て、手探りのような研究の産物として先人の魔法使い達が発見したものである。炎の生成ひとつをとっても、温度、大きさ、保有するエネルギーの量(≒持続時間)などさまざまな評価要素(バロメータ)が存在するが、その調整に用いることができる構成要素(パラメータ)は詠唱と魔力のコントロールのみである。そのため、即席で属性魔法を作成するというのは危険な行為となる。ただし、結果を保証しないのであれば、詠唱と魔力が揃いさえすれば何らかの現象が発生することは間違いないため、それ自体は難しいことではない。美しく洗練された魔術を作るのが難しいのだ。

 

 主人公エリーが好んで用いる。

 

 

・浮かび、弾ける水の球 - Water Balloon

 

 登場回:03-02

 

 術者の前方近距離に浮遊する水球を出現させる。水球は術者が操作して移動させられるが、微速のためあまり意味は無い。

 何かに触れると、とても勢いよく弾ける。水量は最低でもバスケットボール大のため、張り手をされるくらいの衝撃はあるし、それなりにびっくりするし、びしょ濡れになる。しかし、それだけの魔法だ。

 効果の割に難度が高く、マイナーな魔法である。しかし消費する魔力に対して生成される水量が多い点は評価されており、全く習得者が居ないわけでもない。

 

 なお、エリーの手によって殺意MAXの浮遊爆雷と化した。一度に一体までしか殺傷できないとしても、一斉に飛散する水の粒の全てが防御不可、絶対貫通の散弾となるのは余りにも無慈悲と言えよう。なお、死の呪いを抜きにした元々の炸裂の威力で死ぬ可能性が実質的に0の場合はこうはならない。この魔法にも、当たりどころが奇跡的に良ければ狼の首をへし折ることがあり得なくはないくらいの威力はあるのだ。

 

 

・光よ、道を譲ろう - transparent

 

 登場回:03-04

 

 かけた相手の姿が消える魔法。

 かける相手ではなく、そこに当たる光に干渉し、光が対象を通過するようにする。エリーは簡単だと言っていたが、属性魔術にしては、という話である。

 

 

・星より放たれ、星となる - Gravity Release

 

 登場回:03-04

 

 浮遊するための魔法。重力を含む万有引力をほとんど無視するようになる。ほぼ、というのは対象の構成物質の間に働く万有引力は無効にならないためである。外部から働く万有引力は全て無視されている。

 浮遊するだけであり、特にその他に物理力を発生させることは無い。そのため、これ単体では浮かび上がるだけで移動できないし、直立時に足裏が地面から受けていた反作用力で少しずつ浮かび上がった結果、効果切れと同時に落下するという事故につながる。

 

・星は尾を引き空を彩る - Blazing Comet

 

 登場回:03-04

 

 対象者を即座に急加速させ、障壁を張りながら炎を纏わせる。炎を纏うのはどちらかと言えば流れ星であり、彗星(comet)は小惑星を覆うガスや小惑星そのものが太陽からの電磁波やプラズマによって削られることで尾を引くのだが、そんな天体の真実など明らかで無いこの世界では、見たままの感性に従って彗星は燃やされたのであった。ほうき星の存在を知っているだけ、博識であったと言うべきであろう。

 この魔法は星より放たれ、星となる(Gravity Release)と同一の人物の作である。同魔法とセットで運用することが前提であるが、別々の魔法のため地上の物体にもかけられる。その場合、名前に反して物体は地を炎で彩ることになるし、地面との間で大変悲惨な摩擦を受けて削れ散ることだろう。上方向への加速も可能なので単体での飛行も不可能ではないが、常に重力に引かれながら飛ぶことになるので制御が複雑になる。

 

 

・星は静かに夜を行く - Shooting Star

 

 登場回:03-04

 

 飛行用魔法セット、第三弾。対象を加速させるのは星は尾を引き空を彩る(Blazing Comet)と同じだが、最高速度で劣り障壁と炎は無いものの、代わりに速度と軌道の制御がかなり精密であり、それも術者にとって理解しやすい制御手段(インタフェース)によって実現されているため、単に飛行したいだけなら圧倒的にこちらが優秀である。魔力の運用も効率化され、外へ漏れ出る部分が少ないため、隠密性も高い。

 

 

・風に戒めを - Air Dome

 

 登場回:03-04

 

 周囲に真空の膜を張る魔法。開発者は潜水を目的として作成したようだが、音を遮断するという副次効果の方が出番が多い。

 膜の大きさと厚さ、即ち真空部分の体積に比例して消費魔力が増加する。エリーほどに魔力を豪快に使えるのなら内部を完全に真空にする攻撃的な運用もできるが、別に相手を拘束する効果はない上に効果範囲が術者の周辺なので単なる自滅になる。

 気象や流体力学と言った分野が未発達のため、真空という概念はほとんど理解されていない。洞窟でカナリアが死ねば、それは間違いなく毒ガスのせいなのだ———そんな未熟な認識の世界で「真空を生み出すために」この魔法を作り上げた魔法使いはやや異質な人物と言える。

 

 

・魔を以って魔を払え - Counter Spell

 

 登場回:03-04

 

 魔法現象に対する対抗魔法。

 魔法によって形作られた物質や現象は、明確に水や土、炎のような形を与えられていれば消えずに残る。しかし、これらも生成された直後であれば魔力を多分に含んでいる。ところで、魔力には水の表面張力のように、あるいは引き合う磁石同士のように、一まとまりである状態を保とうとする力が働いている。この働きを利用し、大量の魔力を任意方向へ傘のように展開することで魔法によって引き起こされた現象を受け流すというのがこの魔法の正体である。発動は早いが魔力の効率は劣悪な上、この魔法の効果はその後の戦いに全く寄与しないため、はっきり言って使えば戦闘でのアドバンテージを失うことが確定している最悪の手段となる。魔法使いにとって、これは本当に他の手が無い時のための緊急回避でしかない。

 属性魔術の時代に開発されたため分類は属性魔術となるが、本質は速攻魔術に近い。

 

 

・風に吹かれて木は空を飛ぶ - Blast Blow

 

 登場回:03-05

 

 突風を引き起こす魔法。

 本当に樹木が宙を舞うほどの突風を起こすことは難しいが、人体程度なら簡単に吹き飛ばせるだろう。推奨距離は5〜15m。

 エリーは半裸のノーフェイスを吹き飛ばすべくこの魔法を放ったが、ノーフェイスは全く同じ強さの風を同じ魔法で発生させて相殺してみせた。

 

 

 

 

 

○速攻魔術 - instant magic

 

 型に捉われず、端的な詠唱から最低限の要素のみを形成する魔法。消費が少なく、発動するだけなら敷居も低い。なお、効率化と高速化を考えた瞬間に底無しの沼と化す。

 定まった詠唱がない。可能なら詠唱を省くことすら許されるが、その上で安定運用することは困難であるため1単語(ワード)の詠唱で運用するのが主流である。

 発生する現象は最低限の概念的指向性を持っているが、属性魔術と異なり明確な形を与えられていない。発動すると半透明の輝く矢や板などが出現し、役目を終えると跡形も無く消滅する。

 鳥を射抜く矢が木でできている必要は無いし、身を守る盾が鉄である必要もない。必要なのは、それが役割を果たしたという結果のみである。削ぎ落とせ。

 

 

○分類が不明な魔法群

 

 既存の体系に無い、特異な魔法たち。いわゆる「その他」の欄である。

 

・虹色の魔力砲撃(詠唱・魔法名不明)

 

 登場回:03-04

 

 魔女ノーフェイスの召使い猫、ジルコンが使った魔法。

 消音で聞こえなかっただけでなく、エリーからは詠唱は無かったように見えていた。見た目は派手だが殺傷力・破壊力は低い。目くらましであり、魔法使いを大量の魔力で押さえつけるための牽制・制圧用魔法でもある。

 純粋な無属性の魔力には色が無いため、この魔法は単なる魔力放出でもない。詳細は不明。

 

 

・其は迷い子、此は何処 - Cat Swap

 

 登場回:03-04

 

 ジルコンが使った魔法その2。

 この魔法により、エリーとザルグはノーフェイスの屋敷へと瞬間移動させられた。この時の移動距離は不明。

 

 

・沈め - void

 

 登場回:03-04、03-05

 

 ジルコンの使った魔法その3。ガスト市を襲った黒狼たちは、この魔法により一斉に闇の中へ沈められた。どうやらこの時の黒狼たちは何処かへと収納されていたようだ。

 

 

・繋がれて在れ - link

・再びの邂逅 - connect

・暫しの別れ - disconnect

 

 登場回:03-05

 

 ノーフェイスが用いる通信用の魔法。繋がれて在れ(link)以外はエリーへ教授されており使用可能。事前に仮想脳の役割を果たす水晶体を用意しておく必要がある。

 

 

 

 

 

 

☆奇跡

 

 神官のみが用いることができる、神の御業(みわざ)

 奇跡の魔法と呼ぶこともあるが、魔力を捧げて神から授かるものであり、正しくは魔法ではない。が、魔力を留めおくための技術が必要となるため、魔法使いでなければ奇跡を行使することは出来ない。

 神官としての位が高まるほど、より高位の奇跡を行使することを許される。ただし、高位の奇跡とは神々の視点でより重要となる機能を持った奇跡のことであり、人々の視点から見ると「何故こんな使い所のない奇跡がこんなに高位とされているのか」と感じる例も多々ある。

 全ての神の神官が共通して行使できる奇跡と、それぞれの神が固有で授ける特殊奇跡が存在する。

 

 行使するためには、祈りを念じる必要がある。これは発声する必要は無く、ただ念じるのみで良い。また、位階ごとに次のような分類が神から示されており、奇跡の名を念じる前にこれを念じること、とされている。神は、割と事務的であった。

 なお、第三位以下の奇跡は神に祈りが届かない場合には発動しない。

 

<位階表(分類名/意訳)>

 

第五位:PRAY/祈祷

第四位:DEDICATION/献身

第三位:DEVOTION/信心

第二位:AFFECTION/祝福

第一位:VULT/神意

最高位:???(不明)

 

 特殊奇跡であれば、それぞれの後に神の名が続く。

 

 信仰の深さ、つまり努力によっては高めることが出来る位階は第三位までである。それ以上の位階には、神の干渉が必要となる。

 第二位には『澄んだ透明な魂』、『信仰を捨てる(=神が偶像でなく実在であると知る)』という条件がある。この世界の価値観の問題から、神と対話した経験がなければこの条件を達することは困難である。第二位の神官は代行者と呼ばれ、神の求める実務的な内容を代行できる資格を持つとされる。聖域策定はその好例であろう。

 尤も、具体的な用法は代行者に委ねられる上、よほどに世界を脅かすようなことがなければ罰則などは無いが。

 第一位は神の側からそうと指名されなければあり得ない。半分おとぎ話のような伝説に登場する勇者のような人物が第一位神官であったとされるが、真偽は不明。教会が秘匿する資料以外でこれを確認することはできないだろう。

 最高位は前例が無い。エリー曰く、ほとんど神そのものと変わらない力であるらしい。もはや魔力のみでは行使できないであろうし、人の身で捧げられる代償には限度があるので本当に神のように振る舞うことは難しいだろうが、やはり過ぎた力であることは否定できないだろう。カルネラはこの権限をエリーに与えた件で他の序列神からこっ酷く叱られたが、それだけで済む辺り神々の視点は人の物とはズレているのだろう。

 

 

○共通

 

・第五位:眼光 - follow

 

 感知範囲内に聖域があれば、最寄りの聖域の様子を上空から見下ろすような視点で把握することができる。感知範囲は行使者の神官としての位階と捧げた魔力の量に応じて決まる。第三位なら、最低でも2〜30kmは感知する。

 視点位置は前後左右上下へ自在に動かすことができるが、その方向を変えることはできない。また、神々の側からの検閲によって光景が隠されることもある。

 

・第三位:浄化 - purify

 

 登場回:03-02、03-05

 

 広範囲を除霊する奇跡。

 視界内でさえあれば、任意の座標を起点として発動できる。ただし、神の力が及ばない場所は起点に出来ない。

 この奇跡の効果は不可視であり、無音で発生する。このため霊的な感覚を有する者か魔法使いでなければ察知できない。ただし、この奇跡が有効な相手はそもそもが霊的な存在なので、あまり意味は無い。

 

 

・第三位:庇護 - asylum

 

 登場回:03-04

 

 他者にのみ行使できる奇跡。対象を完全に外界から遮断する結界を張る。中の者は外へ出ることができないが、あらゆる害ある干渉が結界とその内部を透過し、触れることすらできない。視認はできるため光だけは例外…と思いきや、高出力レーザーや放射線のような害ある光はやはり透過する。例えば深海魚のような太陽光ですら眩しすぎる者が守られている場合、それらも透過する。そして、その場合にも外部からはその姿を見ることができる…太陽光が透過しているはずなのに。詳しい原理は謎であり、まさに神の奇跡と呼ぶ他ない現象の一つ。なお、言葉は良かれ悪かれストレスを生じさせるため、常に遮断されてしまう。

 形状が常に正確な球のためか、対象の最大長によって捧げる魔力は加速度的に増加する。展開中は常に魔力を捧げ続けることになるが、行使者が気絶しても魔力は徴収され続け、結界が維持される。

 この奇跡は、行使者が対象を「守ろう」という意図で行使しなければ発動しない。

 

 

・第二位:聖域策定 - sanctuary

 

 聖なるものに満たされた領域を聖域として策定する。

 聖域はアンデッドのような世界の摂理に反する存在の侵入を拒む。侵入側の力の大きさと聖域の強さの比較次第では侵入されることもあるが、それでも大きく力を削がれることになる。

 通常は魔物には反応しないが、策定者が内部に居る状態であれば、拒絶する対象を追加で定めることが出来る。エリーは一人で旅をするとき、この機能を用いて魔物除け、虫除け代わりにしていた。カルネラ様は泣いていい。

 

 

・第二位:聖別 - familiarize

 

 物品を祝福する。

 この時祝福を授けるのは、代行者としての神官その者である。自分を名義人として祝福を授ける、そういう奇跡だ。

 各神が持つ特殊奇跡に、それぞれ同様の効果を持つ聖別の儀があるが、あちらは神に祝福の名義人を頼むことになるため祭壇などが必要である。一方、こちらは神に祈らずとも独自判断で神の力を引っ張ってこれるため、祭壇が無かったり、祈りが届かなかったりする場合でも行使できる。

 

 

・第二位:忠戒 - admonish

 

 登場回:03-03、03-05

 

 視界内の対象を聖なる鎖で束縛する。この鎖は通常の物理的手段では破壊されない。

 発動すると、突如として対象の周囲に輝く魔法陣がいくつも現れ、タイムラグなく鎖が射出される。鎖はうねりながら身体を正確に捉え、関節を極めるように四方八方から拘束する。回避は難しいが不可能でも無く、拘束後も膂力によっては強引に脱出されてしまうことはあり得る。

 

 

 

 

○序列6位 輪廻の神 Carnela(カルネラ)

 

・第五位:霊視 - clairvoyance

 

 自分にのみ行使出来る。

 視界の色相が反転し、魂を視認することが出来るようになる。ゴーストのような、実体のない不可視の存在を見るために用いる。この奇跡があるので、冒険型探索者(クローラー)や軍人のような魔物と戦う者たちの間ではカルネラ信仰が人気である。神官であれば信仰する神を問わず察知はできるので、必須ではないが。

 

 

 

・第三位:見魂の儀

 

 自分、または眼前の他者の魂の”影”を映し出し、その者の能力を読み取る奇跡。対象が他者の場合に限るが、行使に詠唱を要する珍しい奇跡である。この奇跡の実現そのものには詠唱は必要ではないのだが、数ある中でも特に濫用されるべきでない奇跡のため、このような制限がかけられている。

 

祈祷文:

 主よ。我が主よ。神々の第6位、輪廻の神カルネラよ。ここに見魂の儀を受けんとする若人が祈りを捧げました。どうかその御力で彼の魂を照らし、現世に映し出し給え。

 

 

・第三位:懐胎の儀

 

 カルネラ様から新たな魂を授かり、母胎へと導く。女性のカルネラ信徒に対してのみ行使できる。自分が女性なら、自分にも行使できる。ただし、カルネラ様の御前として扱われる儀式場で伴侶として誓った相手が居り、その相手と離縁しておらず、お互いに愛し合っている場合でなければ行使しても何も起きない。

 この奇跡によって授かる子は例え両親ともに女性であっても、しっかりと両親の血を引いた子として生まれてくる。それどころか3人以上で関係を持っている場合でも、その全員の祈りさえあれば問題なく奇跡は発動し、全員の血を引いて生まれてくる。遺伝子を確認する術はこの世界には未だ乏しいが、遺伝子的にも間違いなく血の繋がりを確認することが出来る。

 さらに、以下に示すような複数のご利益がある。

 

・少なくとも母胎に起因する理由では、流産や死産、早産その他出産まで生じ得る異常が発生しなくなる。なお妊娠中に負傷するなどの外的理由で受ける悪影響には関係ない。

・生まれてくる子は後天的な能力として、『カルネラの加護』を得る。

 

 以上のご利益から、この魔法はカルネラを信仰する貴族たちの間で広く用いられている。

 

能力について:

○カルネラの加護

 

 保有者が他者のために祈るとき、その相手が既に死者であり、かつ魂が現世に留まっているならば、その在処の方向と距離を知ることができる。既にカルネラの元へ送られた後であれば、その旨を知ることができる。

 祈りが心からのもので無ければ、これは働かない。

 

 

 

 



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リコリスを守れ!
04-01.実録!要塞都市の闇に迫る!!


シリアス回。


 どんな街にも、裏側というものは存在する。その違いは統制されているか否か。それだけだ。

 

 たとえばこのガスト市にも、暗部はある。

 

「おや、エリーちゃんか。こんな早くから飲みに来たのか?成人したって言っても、その体じゃアルコールは早いと思っているんだけどね…」

「余計なお世話よっ!…リンゴジュースで」

「はは、毎度!…追加注文はあるかい?」

「そうね。ドリアンはあるかしら。エールのつまみに食べてる人を見て、気になってたのよね」

「あー、すまないね…それなら今は切らしてるんだ。今度入荷する予定なんだけど」

「そう?残念ね…あ、少しお手洗いに行ってくるわね。良いリンゴジュースを頼むわよ?」

「…ああ。自慢のを用意しておくよ」

 

 洒落たバーのカウンター席を立ち、カウンター脇の扉からお手洗いへ。入り口は左だ。手前は男子、奥が女子用の入り口になっている。周囲に人の目が無い事を確認し、私は一番奥の「STAFF ONLY」の扉を開ける。

 

「よう。待ってたぜ、期待のルーキー」

 

 暗部世界の案内人。情報屋兼、裏のギルドの受付。前回、最初に来た時の挨拶は「新顔か。裏へようこそ、小娘」だった。

 

「ふざけないで。この世界でルーキーに期待する奴がいるわけないじゃない」

「そりゃそうだ、誰だって自分の畑を荒らされたくは無い…今日は?」

「情報が欲しい。それと、一応依頼も見たい」

「依頼は手頃なのが来てるぜ。情報から行くか?」

「ええ。…オブリビアス家の情報、なんでも良いわ。どんなのがある?」

「まあ、特に隠蔽もされてないちっこい家だからな。なんでもあるぜ。…ああ、長女は最近動きがあったな…パン一切れだ。聞くか?」

 

 無言で相応のお金を手渡す。パン一切れというのは、金額を言い換えた隠語だ。しかしその単語が示す通り、大した金額ではない。よかった。もし大金が要るような情報があるなら、それは何か大きな物事に巻き込まれているということだから。

 

「確かに。それじゃ、これを。説明も要るかい?特に入り組んだ情報でもないが」

 

 そこには、姉がある都市で小さな商会を立ち上げ、一家を巻き込んで慎ましやかな商売を始めたという旨の情報があった。その都市の名はミンドラ。このガストからは地平線の向こうに位置しており見えないが、そう遠くはない。馬車を急ぎ走らせれば2日で着くだろう。()しくも、私が先日盗賊を退治した街道の向こうにある街だ。もしかしたら、あの盗賊の残党が逃げ込んだ先かもしれない。

 

 姉は賢く、利に聡く、慎重ながら決断力がある。きっと上手くやるだろうな。

 

 もう、あれから2週間が経った。魔女との邂逅以降、ゴーストの謎が解けることもなく時間は過ぎ…カウントは362まで減っていた。前にここまで減った時も、ここで()()を貰ったのだが…あの時に比べれば、今の私は少しだけ落ち着いている。少し震えが止まらず、食事が摂れないくらいのものだ。

 

 頭の奥に耳をすませば、遠くで、声がする。

 

———……れ……ころ……。

 

 まだ聞き取れない。だが、聞き取れずとも言っていることは分かる。知っている。

 

「…いいえ。商会の名前は分からない?それだけ聞きたいわ」

「まだ決まってないらしい。とりあえずオブリビアスの名をそのまま使っているが、ゆくゆくは別の名前を付ける気でいるらしいぞ」

「そう。それじゃ、依頼を見せて」

「他は良いのか?」

「ええ。彼らが無事だと分かったもの」

「そうか。…その手の情報がもし入ったら、宿まで知らせを遣る」

「いいわよ。手間でしょ?」

「こう言う仕事をしてるとな、手が震えてるような子供にはいい顔して、自分を慰めたくなるんだよ。黙って慰み者になってくれりゃいい」

「…もう、子供じゃ、ないけど。ありがとう」

「ガキだよ、俺には。じゃ、今の依頼はこんな感じだ」

 

 並ぶのは、探索者(クローラー)支部の掲示板と同じようにまとめられた依頼書の数々。違うのは、討伐対象として「特定の個人」が挙げられているものが混ざっていることだ。

 

「俺としては、これとこれはオススメしない。ヤバい案件って奴だ」

「どうして?」

「コッチはよく見りゃ分かる」

 

『討伐対象:ベルトランド・F・クラウス』

 

「F?どうして…」

「なんでこんな偉い奴が狙われるのか、理由を考えりゃロクなことがないだろう?」

「…そうね」

「そんでコッチは…ここだ」

 

 もう一つの“ヤバい”依頼書の補考欄には、こうあった。

 

『確実に証拠は残さず、生捕りにすること。それ以外は問わない』

 

「対象は…ゴンドラム、”F・クラウス”…」

「な。匂うだろ」

「…うん。本当ね」

「依頼書一枚だけじゃなく、全てを相互に組み合わせて考えるんだな。ここはまだ安定してるほうだから単純に見抜けるが…王都みたいなぐるぐる渦巻いてるような所は魔窟だ。多分俺も、あそこで仕事はできねえな」 

「私は、一人殺せればいい。報酬は安くても構わない。…多分、私もそこでは働かないわ」

「ああ。良い心がけだ。裏は報酬がいいが、それ目当ての奴が生きていける場所じゃない」

 

 さて、今の2枚を除くと依頼書はあと3つ。『殺し』、『誘拐』、そして『工作』だ。当然私に必要な依頼は『殺し』…だけど。

 

『依頼人:アンベラル・フューリー』

『討伐対象:リコリス・メイヤー』

『補考:対象はトップ探索者(クローラー)パーティ、『遠路洋々』の一員である。暗殺者として十分な実力を持った者の受注を求める。必ず指定した日時に仕留めること』

 

 これは、どうしよう。

 

「…依頼人の情報を買うのは、タブーだっけ」

「いいや?多少高くはなるがな。情報屋は信用の商売だ。情報とは信用だ。なら、情報を取引するのが仕事である以上は、”信用”にも値を付けなくちゃならん」

 

 机上のパイプを咥えて火をつけようとするが、私をチラと見て思い直した様に机に置き直す。恐らくは鎮静効果のある香草(ハーブ)だろう。別に吸っていてもいいのだが。

 

「ここに来た以上、その情報と信用は質に入ったも同じ。お前も例外じゃない。利用するなら、そのリスクを受け入れるか…或いは、自分からの”信用が持つ価値”を高めるか、どちらかを選ぶものだ」

「それなら2つ買いたい情報がある。この依頼人の素性について、そして依頼の動機について」

「ふむ。コイツはそれなりに高いぞ。合わせて”ケーキ1ホール”だ。先述の理由で値引きは通らない」

 

 『ケーキ1ホール』。その金額は物品の価値で例えるなら、小貴族がプロポーズに送る指輪程度か。平民なら、家を建てるのと同じくらいだろう。人生によっては、この額の支払いの機会などないかもしれない。

 

 彼女とは特別親しくはないが、悪人には見えなかった。この依頼が悪意に基づいたものならば、もはや私はこの依頼を受ける気はない。しかし、他の…もっと腕のいい暗殺者がこれを受けたら?

 私が彼女にこのことを伝えたら、警戒するはずだ。『遠路洋々』の実力ならば安心できる。しかし、私の信用の価値は地に落ちるだろう。

 真相を聞き、依頼人が悪意で動いているのなら…場合によっては、()()するだろう。しかし、その場合、私の信用の価値はどうなるだろうか?

 

 この情報は、私にとってのリコリスの命の価値を知ることは、それだけの大金を支払う価値があるだろうか?

 

「…お前、考えが読みやすいな」

「えっ?」

「一つ、教えてやろう。信用の価値は、一種類じゃない」

 

 きょとんとした顔を浮かべているだろう私に、再び男は説明を始めた。

 

「お前が想像したように、この依頼書は悪意で出されることもあれば、義憤や正義心のような善意…とは言えなくとも、純然たる悪意とは言えない感情によって出されることもある。情報を売るとき、相手によってお前の信用の価値も変わる」

「売る相手によって?私じゃなくて」

「そうだ。もしお前が、悪意を許さないような奴なら…政治や、嫉妬のために盗みや殺しを依頼するような奴への売値は、高くなる。黒く汚れた奴らが高潔な人間と親しくなり、その詳細を知ることは難しいからな。そして、その逆も然りだ。この世界は決して光に満ちた世界じゃないが、闇だけじゃない。全てが混ざり合って無秩序、それが暗部なんだ。分かるか?」

「…分かる。全てが、悪じゃない…」

「そうだ。ここに来てしまったお前が、悪でしかないということもない。そうでなければならない、なんてこともない。ある意味で、誰もが自由。だからこそ…どうなりたいかは、お前が決めるんだな」

 

 彼女を身を削って助ける?彼女のために?

 

 私はそんな英雄じゃない。もし英雄がこの世に居るなら、英雄が道半ばに倒していくような化け物の類いだ。たとえ魔女(ノーフェイス)よりは人間に近いとしても、人間そのものとは言いがたい。

 

 けれど、それでも人でありたいと思ったから、もう一度お姉ちゃんに会いたいって思うから、私は殺す相手を選んでいるんだ。

 

 いつも、人間でありたい自分と、人殺しの人でなしだと諦める自分が私を取り合っている。けれど。

 

 もし人間でないなら——人間であればこそ——悪”人”には。

 

「おじさん」

「ああ…いいんだな?」

 

 私は、私の現金財産の6割にあたるその額を、払った。

 

「うん。ありがとう」

「ふん…無秩序と言っても、商売人としては最低限の常識くらいは知ってて貰わなきゃ張り合いが無いからな。それじゃあ、まずはこれを受け取れ」

 

 紙一枚。依頼書と同じくらいの大きさ。片面は白紙、もう片面は箇条書きの文面で埋められている。私にとって重要な点をまとめると、こうだ。

 

『依頼人名アンベラル・フューリーは、「G」のミドルネームを持つ貴族家フューリーの三男であった男の名である。今代のフューリーの家督の相続についての争いがあった記録は無く、彼は自ら現職への道を選んだようだ。現職は、「F」のクラウス家における、家令である』

 

「…?おじさん、この下…」

「祝いだ。お前は、お前らしく選んだ。中身を見抜いた上で、な」

「…いくらだったの?」

「男に贈り物の値を聞くものじゃない」

 

『クラウス家は現在、一つ下の家格「G」を持つ貴族アイリス家と政治的抗争の状態にある。その詳細については別料金。現在はアイリス家の優勢でほとんど決着した状況。これについても詳細は省くが、クラウス家は悪評が多く多方面から恨みを買っている。その最後の起死回生をかけた策が、行方不明扱いであるアイリス家の長女の()()である』

 

「ちなみに、その起死回生の策とやらはクラウス家の手の者でやるつもりらしいな。少なくとも、俺らの元への依頼は来ていない」

 

『この依頼の依頼人名、アンベラル・フューリーはなりすましの偽名である。本名はギリア。アイリス家次女、ギリア・G・アイリスである。アイリス家長女の死亡が確定すると、彼女は家督相続権を得る立場である』

 

 なりすましか。ここでは珍しいことではないと聞いた。

 

『なお、アイリス家長女の名はリコリス・G・アイリスである』

 

「リコリス…そう」

 

 そういうことか。エルザ司祭との関係も、おかしなことじゃ無い。いやむしろ、リコリス名のまま身分を隠して生活できているのは何者かの手引きがあってこそ…待て。

 

 エルザ司祭との繋がりが、アイリス家長女としてのものだというのなら、エルザ司祭はアイリス家そのものとも繋がりがあるはずだ。高位聖職者という立場は貴族との関わりが深く、当人が相応に格の高い貴族であることも珍しくない。「G」の格を持っていた、アルベルト司教*1のように。

 

 

 

———『血に、塗れていますから』

———『暗部上がりなんですよ、私は』

 

———『キルター()貴族ではありませんよ』

———『エルザさんから頼まれたのです』

 

 

———『起死回生の策とやらはクラウス家の手の者で———』

 

 

 

「エルザ司祭の近況について。いくら?」

「そいつは無理だ。…あの女は硬い。情報が欲しければ、それ自体が一つの依頼になる。一つ有るには有るが、ここ(暗部)でその名が出たってことはもう知ってるだろう?」

「この、リコリス殺害依頼の現時点での受注者数は何人*2?」

「1人だな。依頼が発注された当日のことだ」

 

 …まずい。

 

「ありがとう。もう行くわ」

「ああ待て。まずは、と言ったろ。もう一つ渡さなきゃならん情報がある」

「なに?」

「今のは依頼人の動機だ。多少色は付けたがな。で、素性がまだだろう」

「それは…偽名とか、某お嬢様がどうとか…」

 

「ギリアはこの街に居る」

 

 …!?

 

「当然だ。ここに来てこの依頼書を書いたんだからな。名義を代行できるったって、あの風貌でアンベラルの部下の使用人を名乗るのは無理だ。化粧までしてやがった、世間知らずだな」

「どこ、どこに住んでるの?」

「ここだ」

 

 簡易の地図。しかし、記された地名と地形を記憶に照らせば、一つの地点が浮かび上がる。

 住宅街と隣り合わせの、貴族街。その外れにある、邸宅。

 

「アイリス家の別荘だ。つい先月竣工したばかり…このタイミングでな」

 

 教会と、壁一つ挟んだ向こうだ。

 

 

———『なんだか奥まったところまで来たな』

———『お、この家新築か?壁塗りが真新しいな』

———『猫!…対象じゃなくて目撃されてた方ね』

———『ちょっと待って…向こうを見てみるわ』

 

 あの時、すぐ隣に居たのか———!

 

 

「これで全部だ。さ、自由にしな」

「おじさん、次は依頼受けるから。報酬は貢がせてね」

「バカ言え」

 

 階段を駆け上がり、扉を開けようとして———寸前、息を整える。いけない。一般人には、この向こうはトイレでしかなく、この店はただのバーなんだから。

 

「ふう」

 

 いかにもスッキリした風を装って、トイレの扉を開ける。カウンターには、すっかり温度差で汗をかいたリンゴジュースが。

 

「飲み干すには、いい塩梅ですよ」

「ありがと。お代、置いとくね」

 

 お礼、お礼だ。人殺しでなきゃ生きられないのに、私はお礼を言わなきゃいけない人ばかりだ。一息に飲み干したリンゴジュースは、程よく甘く、酸っぱい。それらを引き立てるのは、微かな塩だろうか。汗をかくのにちょうどいい一杯だ。

 

「ぷはっ…」

「頑張って下さいね」

「うん」

 

 洒落たバーを飛び出し、宿に向かう。ああ、でも。

 

 彼を巻き込んで良いのだろうか———。

 

 

*1
エリーこと、エルスティス・U・オブリビアスの見魂の儀を担当した神官。

*2
 暗部の依頼は何人でも受注でき、その達成は早い者勝ちである。「自分こそが依頼を遂行した」と示すことの重要さは、表も裏も変わらない。



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04-02.白状

 ザルグ、ああ善き人ザルグ。

 

 貴方は命を捧げると言った。

 

 でも、心まで捧げても良いの?

 


 

 

「いいぞ」

 

 あっけらかんと彼は言った。

 

「本当にいいの?」

「ああ。…葛藤はある。でも、手を下すのはエリーだろ」

「うん」

「決めたのか?」

「まだ。本人を見て、それから決める」

「そうか。背負うべきだと思ったモノを背負うつもりなら、言うことは無い」

「シュルシュルシュル…」

 

 暗部ギルドとの関わり。リコリスさんの窮状。そして、ギリアの滞在するアイリス邸への潜入と、場合によっては殺害。今伝え得る全てのことを、彼には伝えた。

 

 この2週間、彼は本当に逃げなかったし、私を助けてもくれた。というか身の回りの世話のうち料理以外は私には出来ないのでそこからもう助けられている。

 

 だからと言って、全幅の信頼を寄せるのは早計だとは思う。別に裏切られても、いい。私が信じて言葉を交わせるとしたら、それはもう、ザルグを置いて他に無いのだから。一度は完全にその命を手中に収めた彼しか。一度は私を殺した、彼しか。

 

 残り360時間の供を、任せられるのは。

 

「それで、協力はするけど。具体的な方法はあるのか?ギリアって奴をどうにかしただけじゃ終わりそうにないよな」

「そうだね…」

 

 現在、リコリスさんは少なくとも2つの脅威に晒されている。一つはクラウス家による誘拐計画。もう一つは、リコリスさんの実家アイリス家の次女、ギリアによる殺害計画だ。

 

 私は、恐らく理不尽に命を狙われているリコリスさんを守りたい。しかし、まだ決意はしていない。リコリスさんが何故命を狙われるのか、それは家督の継承権のためだけなのか、それを知らなければ、決め切れはしない。

 

 それに、私の信条に引っかかる部分は他にもある。彼らは今はまだ犯罪者ではないのだ。将来、高い確率で、悪事を働くであろう人間たちであって、今はまだそれを、極めて高解像度で想像している段階である。エルザさんにも言われた、自分の意思と信念の問題に関わる大事な部分だ。もちろん、彼らが決定的にその計画を実行に移してしまったのなら、例え未遂でも躊躇いはしないけれど。その点、ギリアはもう偽名での依頼を済ませているからかなり黒に近いグレーゾーンだ。いただきますまであと一歩と言った位置にいる。

 

 エルザさんと言えば…客観的に、彼女も怪しくはある。

 

 彼女は法を犯してでも、誰かを殺めるつもりがある。なぜなら、私にそう諭したから。輪廻の神は殺人を禁じていないし、彼女の信念には反していないだろう。だが、その刃が何処を向いているのかが分からない。

 

 誰が私の餌で、誰が餌にするべきでないのか。これを見定めなくてはならない。これは信念のための戦いであると同時に、私を生かす糧を得るための狩りでもあるのだから。呪いに食わせる餌はどんな下郎の(もの)でも良い。しかしエゴに食わせる方の餌は、上等でなければならない。なぜなら、自らが自らに行った欺瞞は簡単に剥がせてしまうから。私が信念を———悪人でないことを捨てないためには、手間をかけて悪を見定めなければならない。

 

 即ち、何がギリアに姉を殺させるのか。

 

 私も妹の立場であるけれど、確証を持って言える。たとえ残りの猶予が半刻も無く、目の前に姉一人しか人間が居らず、他に殺せる当てがないとしたら…死への恐怖に暴れるこの身を磔にしてでも、姉を殺しはしない。私にとって家族は、あの屋敷の者は全て敬愛すべき相手だった。数秒先に生まれただけの姉であっても、私よりずっと真人間だった。ちょっと魔法が使えただけで、成長するにつれ虚弱が浮き彫りになった私と比べれば、そのために消費して良い命とは思えない。

 

 この世に消費して良い命など、無いかもしれないが。

 

 


 

 

 根城にしている宿屋の一室。すっかり帰り慣れたこの部屋では、常に消音魔法を張っている。気が抜けて、うっかり秘密にすべきことを誰かに聞かれてしまうかも知れない。

 

 依頼にあった指定日時まで、あと1週間ある。つまり24×7で、ええと。

 

「168時間。360から引いて、192時間になるな。」

「はやっ…ていうか、覚えてくれてるんだ。私のカウント」

「少ない取り柄の一つだからな、咄嗟の頭の回転は」

 

 死ななくなってから、私の危機回避能力はかなり弱まっていると感じる。人は学ぶ生き物だ。本来なら死ぬ様な状態を何度も経験した結果、”それは大丈夫だ”と身体が学習してしまったのだろう。

 

 それでも、この前のジルコンとの戦いではザルグを守るのには成功したので、判断力そのものは無事だと信じたい。

 

「それが取り柄なら、接近戦とか得意そうな気がするんだけどなー」

「実際、小盾(バックラー)を持てば持久戦はできるんだが…持たせて貰えなかったんだ」

「あー、うん。そういう…」

 

 ザルグの素性は知らない。語りたがらないし、聞こうとも思わないが、きっと何処かの家の三男か四男あたりだろう。

 

「そんなことより。大丈夫なのか、エリーは」

「え?」

「震えてる」

 

 ……。

 

「やだな、そんなこと無いよ」

「目も泳いでる。たまに焦点があってない…集中力が落ちてる証拠だ」

「ねえ、どうしたのよ。やめてよ急に…」

「呼吸だっていつもより浅い。昨日寝てる時は、心拍も———」

 

「止めてって言ってるでしょう!?」

 

「…」

 

 違う。彼は私を心配してくれただけだ。悪いのは怒鳴った私だ。落ち着かないと。

 

「私———私だって———」

 

 深呼吸すれば、それで落ち着く。そうしなさい。深呼吸するのよ、私———。

 

「私は———…私は、いいから……」

「良いわけ無いだろう」

「———ッ!」

 

 激情に駆られ、ベッドに座る彼の襟首を掴んで押し倒す。

 

 ダメだった。ダメだろう。仕方ないんだ。

 

「貴方にっ…!貴方に分かるとでも言うの!?たった2週間過ごしただけの貴方に!私の恐怖が!苦痛が!貴方に!!」

 

 1週間!

 

 あと半月で死ぬ人間が、1週間も座して待つ!!

 

 そして自分のために!!あれこれと理由をつけて!!

 

 生きた、自分と同じ形の生き物を惨殺しなくちゃならない!!

 

 何度も殺した?人の血も、死体も、見慣れた?だから怖いことない、エサだと思って…殺せると!?人をペットにも出来る、化け物なら殺せるだろうと!?そんな風に、誤魔化して———!

 

「———全部怖いに決まっているじゃない!!!」

 

 顔をこれでもかと近づけて、全てを叫ぶ。ああ、そうだ。もうペットでもない、玩具(おもちゃ)にしよう。どうとでも扱ってしまえ。

 

「怖いって、言ったな———はは、ははは」

 

 笑った?私の、私のこの、叫びを、笑うのか?

 ふざけているのか?怯える私の感情を弄んで、遊んでいるのか?

 

「ふざけ———」

 

「———良かった。それで良かったよ」

 

 ……?

 

「俺も怖かったんだ。エリーが、殺しても死なない化け物なのは知ってたが、いざ暗い所に通うのを見たら心までそうなっているんじゃないかと思った」

「そうに……そうに、決まって……!」

「違う。怖がっているうちは人間だ。死ぬのが怖くない人間なんていない。死んでもいいと思ってる人間は、その怖さより重い理由があるだけだ。怖くないわけが無い」

 

 何も、答えられない。

 

 胸の内を、無理やり封を切られた感情が荒れ狂っているのに、どれも今は出てこようとしない。

 

「怖いんだろ?慰めに俺を殴りつけたって良い。人間なら、そういうことだってするさ」

「……それで?格好つけてるつもり?」

「違う。それは違う!俺を分かってくれたのはお前だろ、エリー」

 

 のしかかられたまま、ザルグが袖で私の目元を拭う。

 

 はて、私はいつの間に泣いていたのか?

 

 言葉にして吐き出して、この男を殴りつける筈だった感情は…なぜこの眼から流れているのか。

 

 望まぬ初夜と、野犬どもの餌と、凍える様な野ざらしの風に枯れ果てた涙はなぜまた流れているのか。

 

「お前が人間で居たいなら、そのためなら何だって分かって見せるし、何だって捧げるよ」

「…今だって馬鹿でしょ。女の目元を拭うのにハンカチも出せないの」

「悪かったな…さっきも言ったが、ほとんど身一つで追い出されたんだよ。襲撃の時の報酬あるし、今度買う」

 

 分からないよ、ザルグ。子供みたいに馬鹿で、男女のことは驚くほど知らないし…勝手に貴方のこと連れ回してる私にこんなことしてくれる。

 ねえ、女の子のこと勝手に抱きしめるなんて変態だよ。髪を撫でるとか、女の子の命をなんだと思ってるの。そこまでして、私のこと何とも思ってないんでしょう?

 

 貴方が分からないよ、ザルグ。

 

「殴らせてよ…貴方を、物のように扱わせてよ…私は、私は…」

「それで()()で無くなれるほど、人間は潔白な生き物じゃないだろ」

「私には、神さまみたいなことだってできるから」

「神さまが人にやってもいいって言った力だろ。良かったな、神さまのお墨付きで人間だ」

「家族に…何も言ってない…」

「よくあるらしいな。若気の至りって言うんだと」

「人を…殺して、善人のように…」

「ああ。お前は悪人だ」

 

 悪、人…。

 

「それでも人間だろう」

「それじゃ…お姉ちゃんに会えないよぉ…!」

「会ったっていいじゃないか。胸張って行こうぜ、頑張って生きてるって」

「できないよ!」

「できる。やるんだよ。会わなきゃ始まらないだろ。追い出されたんじゃないなら、会えるって」

「会いたく、ないよ…」

 

 私は良い子じゃ無いのに。会えやしない。あの素晴らしい姉に、こんな薄汚れた悪人の自分を見せられない。この呪いを背負わせられない。オブリビアスだって貴族の家だ、ただでさえ長男が居なくて、次女が出奔したあの家が、それでも貴族の体を保っているのは姉の尽力あってこそだ。女性の身で、いつプチっと潰されてもおかしくないような小さな家をどのようにして支えているのか、最早私には想像すらつかない。元々政治は得意ではなかった。

 

「今すぐじゃなくてもいいんだ。その呪いをどうにかする方法が見つかったら行けばいい。何も背負わせなくて良い様になって、それから会いに行って安心させてやればいい。開き直れよ、生きてるお前より死んでるお前の方が好きだなんて、そんな家族じゃないんだろ」

「そんな楽には…」

「人間が怖がるのなんて死ぬ事だけで十分だ、違うか」

 

 …違うよ。

 

「…そうか」

「でも…考えてみる」

 

 身体の震えは止まらない。ただ、少しだけ、今までよりはっきりとものが見える気がした。自分が怖いもの、それが死なのか、それとも別の何かなのか。

 

 ありがとうね、ザルグ。ごめんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 座して待つ、とは言ったが。本当にただ待っているだけで良いはずも無い。

 

 これから1週間ほど、リコリスさんの周辺を警戒しなければならないのだ。あの依頼を受注した暗殺者が張り込んでいるかも知れないし、誘拐犯だっていつ来るかは分からない。その辺りを知っていそうなギリアが1週間後を指定したのだからそれよりは後に来るのだろうが、確証は無い。

 

 今は、『遠路洋々』が借りている宿の近辺を目指して街を歩いている最中だった。

 

「第一にさ。リコリスさんの居場所なんて分かるのか?」

「分からないわよ?」

「じゃあどうすんだよ」

 

 そもそも私はプロでは…いや、立派に依頼を一つこなした以上はプロであるべきなのかもしれないが、専門家ではない。猫探しならともかく、相手が専門の暗殺者だというなら簡単に探し出せはしないだろう。人探しでも、リコリスさんを探して怪しまれるのは嬉しく無い。

 

 だから、専門家を頼った。

 

「情報屋から、この街の有力な人物の居場所は聞いてあるわ。トップ探索者(クローラー)の『遠路洋々』もね」

「準備がいいな」

「この街について、最初の()()の報酬で買ったのよ。こういう事するなら必要かなと思って」

 

 実際には、そんな有力者をどうこうしようなんて大きな依頼はそうそう無い。あの『クラウス家』に関する2件の依頼も、ずっと前から塩漬けになっている依頼だ。ここから現場までの距離が遠すぎる。なんで王都に住んでもおかしく無いような「F」格の家の依頼がガストにあるのか。どれだけ恨まれているんだ。

 

「着いたわ…風に暫しの別れを(Air Dome)

「街で魔法使っていいのか?」

「他の魔道具とかに紛れて分からないものよ。気付く人は気付くでしょうけど、どんな魔法かまで分かるのはそれこそノーフェイスみたいなお化けぐらい」

 

 今回の消音の範囲はほとんど私たち2人分のスペースだけ。周りの人が半端に範囲に巻き込まれると、会話中にいきなり相手の声が聞こえなくなって驚いたりするかも知れない。これを避けるためだ。

 

「あの宿よ。流石にいい宿ね」

「むしろ家を買えないのか…いや、買うわけにいかないか」

 

 そうだろう。いざとなったら移住しないといけないだろうから。

 

「誘拐犯なら白昼堂々ってことは無い。暗殺はあり得るけど」

「あの姿を消す魔法で何とでもできるんじゃないか?」

「あれ、説明しなかったっけ?あの魔法バレやすいのよ。よほどの魔法使いじゃないとリコリスさんくらいの魔法使いにはバレバレよ。普通に忍び込んだ方がマシなくらい」

「エリーは?」

「無理。寝ててもバレる。逆に、リコリスさんが寝てる私に透明化して近づこうとしても分かる」

 

 ジルコンの時みたいに魔力の気配で満ちていたら分からないが、こんな魔道具があって紛らわしい程度では誤魔化せないだろう。基本、あれは戦いで活きる魔法だ。

 

「まあ、気長に張りましょう。ほら、いい宿の近くにはいいカフェがあるものよ?」

「カフェかあ。コーヒーどんなのがあるかな」

「私は飲めないからミルクかしら。注文お願いね」

「お前いいとこのカフェでミルク頼むのが恥ずかしいからってよ…はあ」

 

 何でも捧げるって言ってくれたもの。料金は別で払うんだからいいじゃない。

 

 

 



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04-03.聖職者の刃


 

 かつての記憶。

 

 今では白い手袋に覆われ、清いヴェールに頭を包み、神聖なる衣服に身を包んだ私の手は、かつては黒く染められていた。

 

 

 

 

 

「……」

 

「全く、生意気な奴め。噛み付いてきおってからに。このワシがいなければ、お前など永遠に辺境の小領主に過ぎなかった恩を忘れて、ワシを貶めようなどと」

 

 眼下で文句ばかりを言っている、豚の様な男。この王都には数は少なくとも珍しくはない、典型的な悪徳貴族という奴だ。

 

 そして、私のターゲットでもある。

 

「ああ忌々しい。こちらとてお前の弱みを握っているのは間違いないというのに」

 

 依頼主は、この男が忌々しいと口にした相手、成り上がりの地方領主だ。最近新たな領地を与えられ、領内が急速に発展しているらしいが…この男が一枚噛んでいた様だ。

 脛の傷を消すべく、この男の殺しを依頼したのだろうか。

 

「はあ…あー、メイド!居ないか!」

「は、はい。旦那様」

「酒が飲みたい。31年製の赤ワインがあるはずだ、あれを持って来い」

「承知いたしました」

 

 ……頃合いか。

 

「旦那様、お持ち致しました」

「おお、待っていたぞ!注いでくれ」

「では、少々お待ちください…」

 

 キュポン、と音を立てて栓が抜かれた。瞬間、その瓶口を目掛けて小さな錠剤を投げつける。錠剤はワインボトルの瓶口に吸い込まれる様に入り、ワインに音もなく素早く溶けた。

 

 トク、トク、トク、と赤紫の毒液と化した年代物の銘酒がグラスに注がれ…盆に乗せて豚の前に差し出される。

 

「んっ…んっ…んっ…はあ、美味い。やはり、ここのワインはいい甘さとコクだな…ああ、お前は下がって良い。後は自分で注ぐ」

 

 毒液をそうと知らずに飲み込んだこの男だが、まるで何とも無いかのようだ。遅効性なので当然だが。

 

「眠くなってきたな…ふぅ」

 

 眠りについたことを確認し、天井裏から板を外してするりと降りる。その口と鼻に麻痺毒で湿らせた布を当て、麻酔状態にし、酒瓶を突っ込んで文字通り溺れるほど飲ませる。意識が無いのでかなりの量が溢れたが、構わない。泥酔していたのだと思うなら好都合だ。

 

 そうして、寝台に上がった彼は2度と目覚めることは無かった。

 

 

 

 

 

 

 後日。「D」格———王国に同時に5つまでしか存在することはない———の当主であった彼の急死は大いに取り上げられたが、日頃の酒癖もあり誰も暗殺を疑う者は無かった。

 

 その一方、依頼者の屋敷の客間で。

 

「良くやった。分かっているとは思うが、報酬は既に、指定した場所に別口で届けさせてある。色も付けておいた、期待してくれ」

「ありがとうございます」

「それじゃあ、また何かあったら…」

 

 そう告げられた瞬間、どこからか気体が漏れ出るような音が聞こえ始める。

 

「……これは」

「うっ…ガスか…!?」

 

 依頼者が崩れ落ち、先程まで座っていたソファに座り込む。

 コイツの仕込みじゃ無いのか?

 

 ナイフを取り出す。手頃な果物用と同じ大きさだが、通常のナイフと異なり、その刃は紅色に波打ち、側面には鈍く煌めく紋章が刻まれていた。

 

「済ま、ないね…巻き込んだ、ようだ…」

「…よくあることだ」

「ぁ…」

 

 完全に意識を失った。息はある、脈も問題ない。睡眠薬の類か。

 

 私は耐性を持っているとは言え、いつまでもこのままとは行くまい。どう切り抜けるか———。

 

「……」

 

 善政を敷くとして知られる、新進気鋭の領主。家格は…「K」だったか、しかしこの様子では屋敷の者はどうなったのか。

 

「助ける理由など、あるはずもないが」

 

 私は、ナイフでカーテンを引き裂いた。端と端を結んで袋の様にし、彼を包む。

 

 そして———。

 

 

 


 

 

 

 ……懐かしい夢でした。

 

 ()()()()()()

 

「ええ…守りましょう。貴方との大切な誓いですから」

 

 目が覚めたのは、真夜中。街中の路地裏で野宿をしていた。姿は変えている。元々たった一人フリーで活動していた私にとって、今でも変装はお手の物だ。

 

 建物と建物の間からは、目標が宿泊している大きな宿が通りの対面に見える。いくつかの部屋からは明かりが漏れているが…目標の部屋に明かりは無い。

 

「動きは無し。決行日まで、あと1週間…」

 

 勘は鈍っていない…と言いたいが、残念ながら聖職者となって久しい現状、私の腕はやや衰えたと言わざるを得ないだろう。それでも、分かる気配がある。

 

 エリー。貴方もまた、その手を汚すことを選んだのですね…貴方は、もっと清い方だと思っていましたが、思い違いだったのでしょうか。彼女に罪は無い。貴方が手を下して良い相手では無い。無実なのです。

 

 私のような汚れた者ならば、いざ知らず。

 

「ギリア。契約は守りましょう。貴方の計画を完遂することが私の役目」

 

 リコリス・G・アイリスは…私にとっては死なねばならない者なのですから。

 

 


 

 

 ひりついた空気を感じる。もはや慣れた空気。殺意や、警戒と言った、野生に近い研ぎ澄まされた死の気配だ。

 

 絶対に暗殺者はここに来ているのだ。

 

「状況からしてエルザさん…だと思うのだけど」

「教会まで行って確かめてみるか?ここに居るなら、教会には居ないはずだろ」

「貴方一人で?この状況でそんなことしたら、貴方が殺されるかもしれないわよ。それに、もう私はここを離れられないわ」

 

 もう5日が経過した。私たちは昨日から『遠路洋々』が滞在する宿に泊まっている。やや高いが、数日であれば許容できる。元の宿の宿泊費が完全に無駄になっているので、すごくもったいない気がしてしまう。いや、実際勿体無いのだが荷物を引き払う訳にも行かないので仕方ない。

 

 完全に失敗した。この緊迫した空気に気を取られ、警戒せねばとばかり思い、エルザさんの所在を確かめることを怠ったのだ。恐らくここに居る、しかし私にはそれが確信できない。

 

 もう指定日が近い。今ここを離れれば、その間に誘拐犯が来るかもしれない。指定日より遅いだろうというのは推測だ。Xデイは明後日に迫っている以上、ここを離れるのは良くない。

 

「ちょっとやそっとの誘拐犯に誘拐できる相手とは思えないがなあ」

「それはその通りよ。でも、対処の最中に暗殺者が不意打ちしてきたら?」

 

 強者だろうと人は首を斬られれば死ぬのだ。

 

「まあ、そうかもな」

「…あのさ、私の首を見ながら言わないでよ。分かってるから」

「いや、エリーって首が飛んだらどっちから再生するんだろうなって思っちまった」

「あー…ごめんね、答え知ってるんだけど聞きたい?」

「え”」

「頭。脊椎と脳のうち、より多くの体積が残っている側から復活する…んだと思う。もちろん検証なんてしてないけど…意識が残ってたものだから、首の下からズルズルと生えるのが…二度とやりたくない」

「うわぁ、グロ…うっぷ」

 

 でも、正直身体からじゃなくて良かった。もし身体から首が生えてくるとしたら、”生存のための最低限”に含まれない髪の毛は生えてこなかった気がする。女の命とも言える髪を全て失うなど、考えたくもない。

 

「あ、でももし身体からだったら今頃ハゲて…」

刺 す ぞ

「ごめんなさい」

 

 全く…。でも、息抜きにはなった。

 

 気が抜けないが、何も起きない日々。ザルグが居なければ、どうなっていたか。

 

 …カウントは残り240時間。ああ、早く…決着がつかないものか。

 

「…お?おい、あの大斧って」

「キルターさん!?」

 

 この所、一切宿屋から出ないものだから本当に居るのか不安になっていたくらいだったが。とにかく追わないと。

 

 


 

 

 追って来たようだな!はっはっは!このキルターの勘!その程度では誤魔化せんよ!

 

「はーっはっは!」

「キ…キルター?今日はいつにも増して暑苦しいですよ?どうかしましたか?」

「いやなに、健気な者も居るものだとな!」

 

 この所、嫌な緊張感が我々を取り巻いていた。この殺気のような張り詰めた感覚!まさしく戦場!血も滾ろうというもの!

 

「久々に依頼を見にいくんですから、そんな熱気を撒き散らすのはやめてくださいね」

「ふふん。それはこの熱視線の主人に言ってくれよ?」

「誰も見てませんよ暑苦しい」

「そんなことはない、感じて見るんだ!肌を刺すような緊迫!虎視眈々と期と好機を狙う獣の視線の如き鋭い空気を!」

「やめてください暑苦しい見苦しい」

「はーっはっは!」

「…はあ」

 

 むう。リコリスを拗ねさせると長いからな。この辺りにしておこう。

 

「しかしリコリス。気づいては居るだろう?」

「…まあ、はい。何かが起きていますね」

「ああそうだ。我ら戦う探索者(クローラー)にそうと気づかせる、何かが起きている。この街中で、だ」

「厄介ごとでしょうかね?」

「それはそうだろう。しかも、狙いは私か、リコリスだ」

「そうですね。私には漠然とした緊張感でしか分かりませんが、キルターにはほとんど見えているのでしょう?」

「それはな」

 

 気配が2つ…いや、3つ?

 2つはてんで素人だが、1つは手練れだろう。これに奇襲をかけられれば、我らとて磐石とは言いがたい。

 よほどに気を凝らさなければ、ふと意識を外した間隙に消え、判らなくなってしまうのだ。

 

「恨み辛みかな?」

「妬み嫉みなら分かりますよ。でも開拓主体の私たちが恨まれることは考えにくいです」

「では探索者(クローラー)が差し向けたと。あるいはその探索者(クローラー)本人か」

「んー、どうでしょう。その場合の犯人はガスト所属探索者(クローラー)となりますが、3人パーティでキルターを騙せるほどの隠密技術があるような者は知りませんね」

「や、明らかに技術が乖離している。動きにも連携が無い。それどころか、警戒しあってすらいるように思える。きっと2人と1人は別口だろう」

「なおさら解りません」

 

 うむ。分からんな。

 

 リコリスに分からんなら、私にも分からん!止めだ!

 

「よし。気にせず探索者(クローラー)活動に勤しむとするか!」

「良いのですか?」

「リコリスがウチの最高頭脳だ。リコリスに分からんなら、私にも分からん!」

 

 思ったままを言う!私はセンサーだ!伝えるのは私の役割だが、考えるのはそうではない!

 

 さあ!5日ぶりだが元気よく行こうではないか!

 

「頼もう!」

「失礼します…扉は閉めてください」

「すまん!」

「もう…」

 

 


 

 

「困ったな、堂々と組合に入っていったらまずそうだ」

「どうせ存在はバレてるでしょうからねえ…自首するようなものよ」

 

 多分依頼を受けるのだろう。この状況を認識していて依頼を受けるとは、何か考えがあるのだろうか。

 遠目に組合支部を眺めながら、道の脇で立ち尽くす。依然、透明化と消音をかけているので街行く人々からは見向きもされない。

 

「暇になったわね」

「ああ、そうだな…ぅお!?」

「きゃ、何よ急に…なにこれ」

 

 足元の石畳の隙間に、柄のグリップが無いナイフ———スローイングナイフ———が突き刺さっていた。通常のナイフなら持ち手になっている部分は金属が剥き出しであり、それぞれ大きさが違う穴がいくつか空いている。その一つに結びつけられた紐のもう一端に、端切れのような大きさの羊皮紙が結ばれていた。

 

「矢文ってやつか。初めてだ」

「今時ね…間違って人に当たったら大変だもの。…これ、きっとエルザさんからよね」

 

 外に出たのだから当然か。しかし、何のつもりだろうか。これから暗殺をしようという人間が、わざわざナイフで文を寄越し、存在を知らせてまで伝える内容とは?

 

 スローイングナイフで紐を切断し、文書を開けた。そこには、ただ2つの文のみが記されていた。

 

———この件から手を引け。次は無い。

 

 署名も無い、口調も淡々としており差出人を示す情報などは無い。しかしエルザ司祭であるのはきっと間違いないのだ。

 獲物を横取りするな、という意味にも見えるが。

 

「どう思う?」

「いやあ、俺としては何とも…まず、エリーが言ってたエルザ司祭とのやりとりや暗部がどうってのも、ピンとこないんだよ。本当にエルザ司祭で合ってるのか?」

「確信しているわ」

「だとして、エリーに信念とか、意思とか、そういう話をした人なら…少なくとも獲物がどうなんて話にはならない気がするんだ」

「同意よ。第一、暗部()()()なら評判など気にする必要もない。司祭が金に困ることも」

 

 では、どのような意図か。

 

「けれど、彼女にはリコリス・メイヤー…すなわち、リコリス・G・アイリスを殺すに足る、不明な動機がある」

 

———『リコリス殺害依頼の現時点での受注者数は何人?』

———『1人だな。一昨日、依頼が発注された当日のことだ』

 

 恐らくは、受注者はエルザ司祭なのだ。

 

「それさ、聞いてる限りは憶測にしか思えないぞ」

「…えっ?」

 

 馬鹿だが賢く鋭いザルグは、私の論を否定した。

 

 



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04-04.ザルグの推測


 

「えっ?」

「それって、こう言う論理だろ?」

 

 ザルグが示した論理は次のようであった。

 


 

 依頼発注当日に依頼を受注した者が居る。この者は、依頼が発注されることを知る手段がある(≒ギリアとの繋がりがある)、あるいは足繁く暗部に通っているか、さもなくば偶然に訪れたかのいずれかに当てはまる筈だ。

 

 エルザ司祭が受注者ならば、現職の聖職者に後ろ二つはほぼあり得ない。よって、エルザは何らかの方法で依頼発注を知り得た。それは、エルザが発注者ギリアと繋がりがあるからだ。

 

 しかしだ。ここで俺たちは論理の循環(ループ)に陥っていることに気づかなくてはならない。

 

 この論理は、「エルザ司祭が受注者ならば」から始まっている。現状、「エルザが受注者」であるから「ギリアとエルザが繋がっている」と言いながら、「ギリアとエルザが繋がっている」から「エルザが受注者」であると主張しているのだ。これは、この論理の外から、いずれかが真実である事を示さねば解決しない。

 

 したがって、エルザとギリアに繋がりがあることを示そう。

 まず一つ、エルザはリコリスと知り合っている。これはリコリス当人から聞いた事実である。

 二つ、リコリスは実名を残したままこの都市に生活している。「G」格のアイリス家の権力を相手に、これは通常不可能である。

 

「ここで憶測1、アイリス家はリコリスを追跡していない()()()()()()。まあ、「G」の家ともなれば上の家以外に対しては大抵の自由が効くから、これは確証が無いだけで俺も賛成ではある」

 

 そして、しかしながら、長女の出奔に際し何の対処もしないことも考え難い。

 

「ここで憶測2、エルザはリコリスの出奔への対処であった()()()。つまり、リコリスのお目付役であると言う憶測」

 

 さらに、証明その3。ギリアがこの街に来ている。ここまでの論理が全て正しい事を前提とすれば、この時点でアイリス家次女ギリアと推定アイリス家の従者エルザに主従に近い関係があることは自明だ。

 

 この論が崩れない限り、先述の循環(ループ)論理(ロジック)循環(ループ)から解放される。

 

 さて、元の論を膨らませよう。

 エルザはギリアを通して、リコリス・メイヤー殺害依頼の発注を知り、受注したと考えよう。今、俺たちは矢文…ならぬナイフ文を何者かから得た。このナイフ文の送り主は誰か。

 

「エリー、お前はそれがエルザ司祭だって確信しているんだよな?」

「え、ええ…そうよ。他にそんなことをする理由のある人が居ない」

 

 消去法は有名だが、それは列挙された選択肢(カノウセイ)の中に必ず真実が含まれている場合に限るのだ。

 

「じゃあ、まずは肯定的に行こうか。エルザ司祭はこれを俺たちに送った。状況的に、「この件」とはリコリス殺害依頼のことだろう。俺たちは客観的には、この依頼を受けた暗殺者集団の一つに見えるだろうな。エルザ司祭はその暗殺者に向けて、こんなメッセージを送った。それは、何故?」

 

 選択肢を列挙し、消去していこう。

 

 1.暗殺者としての手柄を横取りされないため。

 

「これはすでに否定したな。もはや暗部を生業としていないエルザ司祭が手柄やお金にこだわる理由が少ない」

 

 2.特にエリーにリコリスを殺害されたく無い理由がある。

 

「うん?これってアリなの?その理由を探しているんじゃないの?」

「ナイフ文の文面をよく見てみろ。それは宛先すら指定されていない」

 

 ナイフ文はこうだ。『この件から手を引け。次は無い。』

 

「つまり、ここからは次のような分岐が考えられる」

 

 3.特に俺、ザルグにリコリスを殺害されたく無い理由がある。

 4.エリーと俺、どちらにもリコリスを殺害されたく無い理由がある。

 5.そもそも、誰にもリコリスを殺害されたく無い理由がある。

 6.送る文面を間違えた可能性。

 

「2はエリーがエルザに諭されたって話を考えるとあり得る。近い関係にある俺についても同じだろう。だから3、4もあり得るな。聖職者であるから5もあり得る…と言いたいが、先に言った通りにエルザがリコリス殺害依頼を受注したのだとしたら、これはあり得ないだろう。エルザはリコリスの生存を重要視していない。6は…まあ、否定はできないが、これを認めると論の全体が偶然で話をつけられてしまうので棄却(リジェクト)

「じゃあ、エルザは私たちが相手だからこの文を送って来たって事?」

「ああ。そう考えられる…ことになる」

「端切れが悪いじゃない。何かあるの?」

「まあな———」

 

 ここまで滔々(とうとう)と語り続けたが、その全てを台無しにしてしまう”何か”を俺は持っている。この推理はまだ憶測に過ぎないどころか、現状、単なるこじつけと言ってもいいのだ。

 

「———だってさ、お目付役がエルザである必要あるか?」

 

 その一言を喰らったエリーの表情は、面白いほどに混乱していた。自分が信じていた、行動の理由全てが基盤のない砂上の楼閣でしか無かったことを悟ったのだ。

 

「え…いや、だってリコリスとエルザは、知り合いで…あ」

「分かっただろ?」

 

 そうだ。リコリスも知らない、アイリス家の他の臣下を差し向けてもいい。むしろ、出奔するような娘につけるならその方が自然ですらある。さらに、アイリス家はリコリスを連れ戻すつもりが無いという憶測に賛成こそしたが、では何故?現状からそう考えざるを得ないだけで、連れ戻さない理由は不明なままだ。

 

 循環(ループ)は、再び閉ざされた。基礎を失った楼閣は、今にも砂の海に倒れ伏そうとしている。

 

 残念ながら、これは全て、リコリスがエルザと知り合いである、という一点を論拠に拡大された妄想でしかない。

 

 司祭という高位聖職者であること、暗部の経歴があること、そう言ったエルザの特殊性がエリーに(もたら)した、錯覚なんだ。少なくとも、このままでは。

 

「じゃ…じゃあ!この緊張感は?ザルグ、貴方のような観察眼と狩人の才を持った人ですら感じられない、死に慣れた私でようやく分かる程度の死の気配は?こんな恐ろしい暗殺者がエルザ司祭の他に居るっていうの?」

「いや…分からない。だが、その可能性は低い」

 

 それでも確かなこととして、リコリスを狙った依頼は発注され、受注されているのだ。

 

 要塞都市ガストは確かに大規模な都市だが、しかし商業よりも軍備のための都市であり、実質この街が一つの砦のようなもの。指揮系統の混乱を防ぐ意味合いもあって、ここに本拠を置く貴族は少ないだろう。大きな商会も無く、ほとんどの店は支店か、または八百屋のような小さな商店だ。

 エリーの暗部初依頼の報酬で有力者の情報を粗方買えてしまったことからも分かるように、この街には恨みを買うような権力者が少ないのだ。優れた暗殺者がこの街に留まるのは、自然ではない。

 さっきエリーの考えを否定するような口調でものを言ったが、こういう背景も考えれば、実は安易に切って捨てられるほど荒唐無稽でもないのだ。

 

「何か、まだ見落としている情報があるはずなんだが」

「でも、もう、時間が無いわ。あと2日、いえ今日は依頼の準備、明日は依頼の遂行について行かなくちゃいけないでしょうからもう1日すらない…手遅れよ。いずれにせよ、私たちはリコリスが殺される所を見ている訳にはいかないわ。このまま警戒を続けるしか無い」

「そう、だな」

 

 暗雲立ち込める事件。

 

 俺たちは何を見落としているのか。エリーの論理を成り立たせるための、パズルの最後の1ピースなのか。それとも———すべてをひっくり返すような何かなのか。

 

 未だ、真実は(よう)として知れぬままであった。

 

 


 

 

 それでも時間は進むもので。

 

 私たちは釈然としない悩みに頭を抱えながら、漠然とした不安を抱きつつ、漫然と『遠路洋々』を追い続けていた。瞭然としているのは、街並みを明るく照らす太陽のみであった。それも傾き始めていたが。

 

「ああ…いい日差しね」

「そうだなあ…これくらい、現実もハッキリしてたら良かったんだが」

 

 燦々と降り注ぐ陽光。ああ、太陽よ。光の神よ。全てを見ておられるならば、我らにその一片(ひとひら)を授け———。

 

 ん?…全てを見る…。

 

「ああーーーーっ!?」

「わあっ!なんだなんだよ急に叫ぶなよ!」

「忘れてたのよ!忘れてたのよお!」

「何を!?」

「神の奇跡ぞ、我にあるッ!」

 

———『第五位奇跡行使権限執行(PLAY)眼光(follow)!』

 

「見えるじゃん…」

「…ああ、あったな、そんな技」

 

 今、他ならぬ私によって、この街の教会は聖域となっているのだ。

 

 つまり、その中の様子は全ての神官に筒抜けであるということを、私はすっかりと忘れていた!

 

「……エルザ司祭、居ないや」

「他の神官や修道士たちの様子は?」

「いる…いつも通り?何も起きてない、かな」

「司祭が居ないのに?あらかじめ不在を伝えてあったってことか…?」

 

 エルザ司祭の不在。動揺のないその他の修道士。

 

 …分からない。自信がない。私は、私の行動決定のプロセスに信頼を置けなくなっていた。今でさえ、重要な情報源を1つ忘れていたのだから。

 

「なあエリー、さっきはああ言ったが、お前の言ってたことは1から10までデタラメだったって訳じゃないんだぞ?」

「そう、そうよね…それは分かってるんだけど…」

 

 せめて、ギリアの屋敷に忍び込む余裕があったら良かったんだけど…。

 

「ねえ、帰ったらギリアの屋敷を聖域にしてみていい?」

「いや、効果的ではあるけどそれやったらまた色々と大騒ぎだろ」

「教会には話通ってるし、案外そうでもないかも」

「住処を聖域に指定された素晴らしい貴族サマを犯罪者として突き出す方法があるなら考える価値もあると思うがな」

 

 そりゃそうよね。

 

「もっと静かに、地味に発動できないのか?」

「神さまってみんな派手好きなのかしらね…」

「無理なんだな…あ、店に入った。あれは、鍛治工房か」

 

 『遠路洋々』の御用達店を図らずも知ってしまった。

 

「あー…なんかデートみたいね。これ」

「ただ歩いてるだけじゃんか」

「いいじゃない、お散歩デート」

 

 不思議と…こないだの癇癪のおかげもあってか、ザルグも話していると震えが収まるようになって来たのだ。

 心を、許しているのだろうか。実際にコイツと恋仲として付き合えるかは別として、そのように見られること自体は嫌ではない。

 だが、絶対に本物になることもないだろうなと思う。なんか、嫌じゃないが、そうじゃないのだ。もちろん、飛び越して夫婦だとか言う話でもない。姉よりは大事じゃないし、それほど深い感情でもないだろうから…うーん。

 

 今まで読んだ物語の表現の中に、この感情を表せる言葉は無かったなぁ。

 

「そういうものなのか、デートって」

「そうよー。恋人じゃなくたってするものだし、何したってデートはデートよ…昔はお父さんやお母さんともデートしたわ。懐かしいなあ」

「…そっか」

「んん?なんか変な顔…」

「そう見えるのか?」

 

 複雑ねえ。私よりよっぽど乙女な心してそうな顔。

 

「乙女みたいな顔」

「げっ、やめろよ!」

「あははっ!」

 

 緊張と恐怖の中ですら、背中を預けられる人が居るなら人は楽しく笑えるらしい。それとも、緊張と恐怖が楽しいのかしら…いや、少なくとも今はまだ、そこまで狂ってないみたいだ。

 前にカウントに急かされた時より、ザルグという外付けの余裕があるからだろう。

 

「はは、ま、家族に愛されてるなら良いことだ。早く顔出せるといいな」

「顔を…」

「やっぱりダメか?」

 

 ザルグは、どうして。

 

「どうして、そこにこだわるのかしら」

「う…それを聞くか」

「私の秘密を知ってるんだから、貴方のも話しなさいよ。知りたいわ」

 

 きっと地雷だろうが、敢えて踏むのだ。そうして私に近づいた、ザルグのやり方に則るなら…それで上手くいけばいい。行かなかったら、その時だ。

 

「で?多分どっかの三男でしょ」

「残念、ハズレだ。これでも長男なんだな、これが」

「へ?そんなんで?」

 

 なんて勇ましくない長男なんでしょう。剣の一つも握れませんわよ奥様。

 

「そんなんでもだ。当然、家に都合が悪いんで…居なかったことにされた。次男が、対外的には長男だ」

「あれ…?これ聞いて大丈夫なやつ?」

「ダメに決まってんじゃん。分かってて聞いたんだろ?」

 

 地雷ってそう言う意味(お前は知りすぎた)だとは思わなかったなー!私は!

 

「でもま、それで息子を殺せない程度にはまともな…いや、俺と同じで小心者だったんだろうな。俺を表に出したら、どうなるか。息子を殺すなんて、どんな(ばち)が当たるのか。恨まれて、呪われたら。そう思えば、俺を殺せなかった。そうして、俺は飼い殺しにされた」

「…あれ、一つ質問」

「はい、そこの君」

「先生、出産を隠すことができたってことは、飼い殺しが始まったのは誕生直後の話ですよね?どうして攻撃力ほぼ皆無の平和男だと分かったんですか?」

「ふむ。良い質問だ生徒E」

 

 誰が生徒Eだ。名有りのメインキャラに相応しいお嬢様を捕まえて。

 

「先に言うと、俺はこの点、エリーに親近感があるんだ」

「親近感?」

「ああ。例のクソ儀式だ」

 

 見魂の儀、かしら。

 

「って、仮にも私の主の授けた奇跡なんだからクソって言わないで頂戴」

「主を捕まえて”仮にも”って言ってる時点でお互い大概だろ。…小心者の両親は生まれたばかりの俺の能力を見たんだ。彼らは臆病で、だけど正しかった」

 

 何かしらを持っていた、そういうことね。

 

「俺の能力は…平和主義、って名前だ。実際そのまんまの能力だよ。臆病な両親の子供に相応しい、ある意味では正統な子孫なんだろうなあ」

 



 

○平和主義

 

 保有者は、他者に対し、殺害し得る行動を試みた時、必ず失敗する。

 保有者と友好関係にある者は、文化的な充足感を得た時、より強い幸福を感じるようになる。

 

 



 

「だから、お前を殴りつけて、殺せた時…誰よりも俺が驚いた。パニックだった。何をしたって、エリーが、目の前の恐ろしくも儚い少女が、俺の手で死ぬことなんて無いと思っていたから。本当に、何をしても()()()()から殺せてしまうなんて、予想できるわけがない」

 

 ああ。貴方だけが残っていたのは、そういうことだったのね。

 

「エリーとの関わり合いで、この能力も捨てたもんじゃないかもしれないって少しだけ思うよ。俺はエリーの獲物を奪わないで済むし、エリーが何かを間違えた時は殴ってでも止められるし…あとは」

「うん…そうだったのね。私が、こんなにも落ち着いて居られるのは本当にザルグのお陰だった」

 

 ザルグは少しだけ、照れ臭そうに鼻を掻いて、目を逸らしてはにかんだ。

 

「だから思うんだ。こんな腑抜けた男にすら怯える俺の親を思えば、エリーはもっと家族に会って欲しいって。だから何度でも言うと思う。鬱陶しいだろうけど」

「はあ。私が…会えるまで?」

「だろうな」

「それじゃ一生じゃない」

「何とかしようぜ、そのうちに」

 

 そのうちに…できるだろうか。

 いや、できると思おう。ザルグの喉が枯れてしまう前には、解決しないと。

 

「駄弁るのは終わりだな。『遠路洋々』が出てきた」

「そうね。斧が変わってる…整備に出したのかしら」

「襲撃の時にも、酷使しただろうからな。無理もない」

 

 明日が過ぎ、明後日の夜になれば…その時にこそ事態は動く。リコリスを守らないと。私のために。

 

 

 



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04-05.影走る夜


 

 

 指定日。すでに空は茜と言うにも薄暗く、宿の窓からは遠くに沈み行く夕陽と、浮かび上がる満月のどちらもを拝める。

 

「来るかしら」

「来るだろうな」

 

 『遠路洋々』は…まさかのリコリスさん単独行動中だ。なんでよ!私たちの視線には少なくとも気づいて居たでしょうが!あのデカブツ斧男(キルターさん)も一緒に出たのに、なんで別行動始めるの!

 

 これでは、当然暗殺者も来るだろう。いかにも罠としか思えない誘い具合だが、それにしたって無防備すぎる。キルターさんが潜んでいる、ということもない。彼は…なんとホテル向かいのちょっと良い感じの酒場に入っていったのだ。ちなみに、表情がギリギリ分からない程度の遠くにリコリスを捉えるこちらの現在地は、例の情報屋が潜むバーの屋根上。あのホテルからは、ざっと100mは離れている。

 

 今日の昼に入市した、馬車の一団も確認した。商人みたいな格好を装っては居たが…。

 

「いや、黒ね。私の能力が言っているわ、あの荷馬車の中身は()()()()()()()って。しかも、感触から言って7人…ようやく来たのね、待ってたわよ獲物」

 

 さらに彼らはこの宿にほど近い安宿を借りたのだ。黒に黒を重ねても黒だが、すなわち黒であり、つまり黒だった。

 

 というかもう、誰が黒だったとか白だったとか今はどうでもいい。もうリコリスを取り囲んでいる気配がするのだ。襲ってきたヤツは問答無用で間違いなく悪人だ。

 

「…明らかにリコリスさんも警戒してるし、もう加勢していいんじゃないか?」

「暗殺者はどうするのよ。控えが必要でしょ。それに、多分リコリスさんだって強いわよ」

「そうなのか?クラウス家の手の者って言うからそれなりのプロだと思うんだが」

「まあ、普通に8人相手に戦ったら私じゃ勝てないくらいには強いわよあのゴロツキども。ただ、()()をやってのけたリコリスさんに数のアドバンテージは…あ、出てきたわ」

 

 屋根の稜線に潜み、私たちは眼下の()()()()()()()の戦いを見つめる。

 

 


 

 

 立ち止まって常備リュックを落とした女を見て奇襲を諦めたか、男どもがぞろぞろと現れる。大通りは、8人で余裕を持って包囲できる程度には広い。

 

「や。リコリスだな?」

「如何にも、リコリス・メイヤーとは私ですが。何用でしょう」

「はは、メイヤーね…まあいい。見て分からないか?クラウス家だ」

「くら…?」

「惚けんなよ…そら!」

 

 会話の最中に抜き放たれたのは銃…ではなくボウガン。木製のため音は小さく、光沢もない。夜闇に紛れての攻撃にはうってつけだ。

 毒液の滴る矢が、柔肌を穿たんと静寂を泳ぐ。目にも止まらぬ早撃ち、反射の限界である0.3秒よりも速く距離を詰めた鏃が、魔法使いの腹へと迫る。

 が、しかし。彼女は読んでいた。

 

緩衝(cushion)

 

 端的な詠唱。その魔法は既存魔法のどれにも当てはまらないが、しかし、同時によく知られている。これはある名によって総称される、()()なのだ。

 ごく簡単な意味を持った言葉によって魔力に指向性を与え、属性の無いエネルギーのままに扱う技法。属性を持った魔法のような自然現象や災害の再現ではないため規模は小さくなるが、発動が速く、1回の発話で同種の魔法に限り多重に起動でき、発現する魔法の改変がかなり自由だ。さらに、複数種の魔法を並列して扱うことも簡単にできる。魔力消費も、一つ当たりの量で見れば少ない。

 速攻魔術(instant magic)と呼ばれる実践的な魔術は、現代では軍役の義務がある貴族の魔法使いの間で属性魔術よりも一般的な、非実体の携行兵器(マルチウェポン)である。

 

 毒矢は()()()()()()()()1()0()()()()()()()()()()()、包み込むように受け止められた。

 

「へぇ。流石、トップ探索者(クローラー)になっただけあるか」

「終わりですか?」

「…行くぞ」

 

 開戦。8人のうち、3人がナイフを持って駆け出し、リーダー格を含めた5人はボウガンを構えて狙いをつける。

 

緩衝(cushion)

 

 ずべーっ、と。ナイフ3人が全員コケた。

 

 至ってシンプルな方法。彼女は、駆け出した3人の、接地している足首を緩衝(cushion)の重ねがけで固定したのだ。

 

 顔面からベタっと転んでいる見た目はコミカルだが、やっている事はエグい。ボウガンから発射された(ボルト)をほぼ初速の状態から停止させた緩衝力が、足首を押さえ込むのだ。バランスを崩して上体が倒れ込む中、足首はほとんど移動しない。結果、完全に軟骨は離れ、アキレス腱は切れ、男3人の足首は痛々しい紫に染まった。もはや、早急かつ適切な治療無くしては立ち上がることも(まま)なるまい。後遺症を覚悟するべき負傷だ。

 

 あっけなく崩壊した前線だが、襲撃者たちは動じない。曲がりなりにもプロ、心構えは当然備えているのだろう。先ほどのような毒矢が合わせて5本、僅かに間隔をずらして放たれる。なんという技巧か、弾着は全くの同時となるように放たれた5矢は、それぞれ左腕眼球、左肩、やや遠めに右脇腹、左大腿、そして心臓を正確に狙う。

 

 彼女が魔法使いでなく、一介の剣士であれば、この時点でほとんど詰みであった。弾着、先と同じ0.3秒未満。一般的に盾を持つ側である右腕で身を庇い左へと飛べば右脇腹以外の4発が上下様々の箇所へ殺到し、唯一右半身を狙った脇腹への矢は外側へと狙いをずらしてあり、回避すれば当たるという理不尽な配置。太腿を狙う低い矢が下を潜り抜けることを許さず、心臓を狙う矢が中央を潰すため半身ですり抜けることさえ不可能。跳躍すれば次発の良い的。ただ一人を確実に負傷させ、戦闘力を奪うために最適化された連携は曲芸とも呼ぶべきか。

 

 だが。彼女は魔法使いなのだ。その手は認識の数だけ、その速さは脳の速さの分だけ、その札は積み重ねた研究の分だけ。彼女のような魔法使いを相手取るならば、「詰ませる」のではない。「削り取る」べきなのだ。

 

複製(dupli)

 

 既に展開されている緩衝(cushion)が、複製される。照準もつけず、ただ置くだけで良い。その程度の魔法ならば———50も100も。どの位置であろうと。彼女にはまったく問題では無かった。

 

 開戦から僅かに5秒。1対8の小戦争は、既に趨勢を決していた———いや。

 

「魔法使いに矢で挑むなど。愚かな。矢など、我らの初歩だというのに」

 

 初めから、勝敗など決まり切っていた。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう。

 

 初めから、分かりきった勝負だ。これは。

 

「手を引けと。伝えた筈だ」

 

 銀の長髪が、月下に靡く。

 

 黒。黒のヒトガタが立っている。それ以外、髪しか形容すべき点が無い。服の継ぎ目やシワもない…人である、としか認識できない。

 

 その姿は、目の当たりにしているとは思えないほど、闇に包まれて居たが…私は、やはり、と。

 

 ただ、観念するように、希望するように、絶望するように…呟くしか無かった。

 

 エルザさん、と。

 

 経緯など語るほども無い。あの1対8の戦いが始まってすぐ、黒い影のような者がザルグを反対側の路地へと蹴り落とし…私と相対した。なんと言っても5秒しか経過していないのだ。

 

 しかし、5秒あれば。ザルグを殺すには十分なはずだった。ザルグは生きている。弾け飛ぶように蹴り飛ばされ、落下し、呻いている。恐らく骨も折れているだろう。だが意識はある。致命傷には遠い。

 

 殺すどころか、手加減しなければこうはならないだろう。

 

「貴方が…どうして貴方が」

「こちらの台詞だ。何故、退かない」

「…こうする意外、思いつかないからですよ」

「ならば、殺す。貴様は殺す」

 

 誓うように掲げられた波打つナイフ。血のような、気高い紅紫の煌めきを放つ。恐ろしい影のヒトガタが、荘厳な神像のように祈る。

 

 死ねない私の、死闘。運命が扉を叩く音を聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 稜線に隠れていた私は、片膝を突いて座り込むような姿勢だった。先手を影に譲る以外無く、私は両腕をクロスして強烈な前蹴りを受けようとし…トン、と軽く掬うように押された腕が容易く首筋を晒す。

 

 目にも止まらぬ、無音の一閃。右をすり抜けるように通り抜けた影の斬撃に、私の首の右半分はバックリと裂かれた。寸断された頸動脈が盛大に血を噴き、鮮やかに紅いシャワーが屋根裏を濡らす。

 

 一死。

 

 意識を失い、仰向けに倒れる。

 

「こんなものか」

 

 (とど)めを刺すのは、殺す側の常識だ。胸を膝で押さえつけて固定し、心臓に刃を突き立てる。

 

 二死。

 

 ショック。痛みと衝撃に目を覚まし、見開いた私にぎょっとしたように影が飛び退がる。様子を伺う隙に、血を吐き出しながら、亡者のようにふらりと立ち上がる。

 

———生きたければ、殺せ。

 

 ドクン、と再生した心臓が跳ねる。強制的に与えられる恐怖。

 

 ダメだ。殺すわけにはいかない。

 

「どういう仕掛けだ…?」

 

———私が知りたいよ。

 

星より放たれ、星となる(Gravity Release)———星は静かに夜を行く(Shooting Star)

 

 隙を逃さない。

 浮遊し、彗星の推力を纏う。音もなく、熱もなく。夜の空を疾駆する。

 

「速い…属性魔術?何個目だと…!」

 

 『光よ、我は道を譲ろう(Transparent)』『風に戒めを(Air Dome)』『星より放たれ、星となる(Gravity Release)』『星は静かに夜を行く(Shooting Star)』。4つの並列運用。超虚弱の能力が齎した魔法への才能は、この程度で底など見えはしない。

 

 本来の私の魔法使いとしての実力は、リコリスさんよりも上のはずなのだろう。しかし、子供の時分から好んで学んだ魔法は、生活に役立ち、かつ夢のように美麗な属性魔術(disasteric magic)だった。詠唱が長く、並列運用も加減も難しく、単発の魔力消耗も大きくなり易いこの魔法は実践的な速攻魔術(instant magic)と対比して古式魔術(classic magic)とも呼ばれ、戦闘、取り分け少数対少数の白兵戦に用いるには既に時代遅れの魔法として淘汰されつつあった*1

 

 影が、エルザさんが油断している内にどれだけの魔法を重ね、維持できるのか。それが重要になるだろう。効果の持続する魔法はこの身に海の如く蓄えた魔力が枯渇するか、膨大な魔力によって掻き消されるか、意識的に魔力供給を遮断するまでは継続する。一度発動すれば、死体からでも魔力を吸い取って動き続けるのだ。これは私にとって、この上なく有難い性質だった。

 

「しかし———空中戦なら勝てるとでも!」

「くっ…」

「アンデッドならば…それなりの殺し方をする迄だ」

 

 聖水の瓶———紅の刃が、我が神カルネラの祝福を受け、(あで)やかに濡れる。摂理に反して不死を得た本物の亡者ならば忌み嫌うべき光が、私に微かな希望を示している。

 まだ、驚かせるチャンスはありそうだ。

 

 どうやってか、空を蹴るように私の飛行に追い縋る影。交錯、交錯、また交錯、彗星の、稲妻の、見えざる軌跡が、曲線と直線の螺旋となって高空を縦横無尽に巡る。

 交錯の度に、眼を、腹を、喉を、膵臓を突かれる。三、四。星が飾る、上も下も無いような暗闇で、(眠り)再生(目覚め)を繰り返す。

 やはり勝ち目は無いのか。そもそも、どうなればいい?どうすれば私にとっての勝ちなのか?目的も定まらず、歯を食いしばり、がむしゃらにナイフを振り、迷い、惑い、死中を彷徨う。

 

———生きたければ、殺せ。

 

 煩いのよッ———!

 

「何者だ…何なのだ!何故死なない!祈りが通じない…!?」

「アッ…ゴゥッァ…ウゥ、ぐ…ぎ、ぃっ!」

「死ね、死ね!死ぬがいい怪物め!お前などに彼女を殺させなどしない!」

 

 五。八、いや九。十一…次は…ああ、何度目か。最早分からない。神経も傷付かず痛みは常に限界以上を訴えるが…それを受け取る精神はとうに麻痺した。

 

 眼球を深く刺される。脳に達したか、意識を一瞬失う。制御を誤り、体勢を崩し、蹴り飛ばされて石畳に墜落する。高速の摩擦に四肢が千切れ飛び、衝撃で路面が抉れる…消音をかけていなければ、どうなっていたか。

 これだけの戦闘が、全て無音。誰にも気づかれていないのだ。それは、影にとっても、私にとっても、重要な条件だった。

 

 ああ、どうすれば良い。どうなれば良い。

 

 殺さず、殺させず…影を止める、影を止めるのだ。

 

———『第二位奇跡行使権限執行(AFFECTION)忠戒(admonish)

 

「———!」

 

 ()()()()。全身の関節目掛けてシャラシャラと微かな金属音を立てながら流れ出る鎖を、何に気づいてか避けた。瞬間移動したかのようなスピードのバックステップ。奇跡の魔法に詠唱は要らない。予兆なく、祈りの思念によってのみ起動したはずの魔法を影は避けた。

 

 諦めるものか。

 

———『第二位奇跡行使権限執行(AFFECTION)忠戒(admonish)

———『第二位奇跡行使権限執行(AFFECTION)忠戒(admonish)

———『第二位奇跡行使権限執行(AFFECTION)忠戒(admonish)

 

 何度も、何度も鎖を呼ぶ。これは効くのだ。だから避ける。だから、私に時間を与える。

 

 諦めるものか————。

 

『忠戒』、『忠戒』、『忠戒』…!

 

「一、つ…覚えを…よくも繰り返す!」

 

 諦めるものか————嗚呼。

 

 何度も見た、走馬灯…。

 

「っ…!?なんだこれは…幻覚か?!」

 

 世界が白んでいく。

 

 

 

 


 


 


 

 

 

 走馬灯は好きだ。

 

 死の間際に、ときどき見える記憶の再生。

 

 一番良いところは…時間が経たないこと。嗚呼、過去は幸せに満ちていたから、何処を思い出したって良いものなんだ。

 

 いつの記憶かな…。

 

 

 

「昔、昔。妖精の国がありました。女王様はとてもよい王様で、みんなに好かれておりました」

 

 お母さんの声だ…久しぶりに聞くなあ。

 こんな絵本あったっけ…やだな、忘れちゃってるんだ。

 

「ある日、女王様はかぜをひいてしまいました。熱を出して、うーん、うーんと苦しそう。みんなは女王様を助けようと、知恵をしぼって考えます」

 

 他の妖精の何倍も大きな、きれいな女性の妖精が、苦しそうに目をつぶっている挿絵。

 その右で、円卓を囲んだ小さな妖精たちが首を捻って悩んでいる。

 

「そこで、三角の帽子を被った子が言いました。私なら、薬を作れる。任せてくれ!」

 

 円卓の一番向こうで、魔女のような格好をした妖精が手を挙げている。

 

「三角帽子の子の薬はとても良く効きました!女王様はうーん、うーん、の声は止みました。熱も下がりました。これで一安心です。あとは目を覚ませば、何もかも元通り!」

 

 先ほどと違い、すやすやと眠っている女王を、妖精たちが取り囲んで万歳をしている。

 

 けれど、魔女がいない。

 

「ところが次の日、みんなが女王様に会いに行くと、目を覚ました女王様が大声を上げて泣いていたのです。どうしたの?みんなが心配そうに訊ねました」

「あれ?なんでないてるの?」

「ふふ…女王様は言いました」

 

『わらわの好きだったバラが、無くなってしまった!』

 

「そう言って見せた植木鉢には、花だけがなくなってバラが植えてありました」

「ひどい!」

「そう、ひどいことです。妖精たちは、だれがそんなことをしたのか、あちこちを探して周ります」

 

 家という家。城の部屋という部屋。国じゅうを、妖精たちが汗をかきながら駆け回っている。

 

 やはり魔女はいない。

 

「そうしていると、ひとりの妖精が三角帽子の妖精の家で手紙を見つけました」

「あれ?三角帽子の子、どこだろ」

「ほんとだー、どこにもいないよぉ、お母さん」

「…手紙にはこう書いてありました」

 

 手紙の内容は、手紙の挿絵という形で絵本に記されていた。手紙は女王様に合わせた大きさで、妖精たちが、きょとんとした顔で手紙を取り囲んで上から覗き込むように眺めている。

 

———女王様。私は旅に出ます。

———女王様を助けるために、私はくすりを作りました。

———そのくすりには、女王様が大切にしていたバラが必要でした。

———私は、女王様の宝物をくすりにして飲ませてしまいました。

———この両手で、花を摘んで、さびしい茎と葉だけにしてしまいました。

———女王様はきっと、私が()()()はず。

———だから、この三角帽子の顔を貴方に見られないように、私は旅に出ます。

———女王様。だいすきです。ごめんなさい。

———さようなら。

 

「え?え?」

 

 幼い私は、おろおろとして、戸惑うばかり。

 

「っ…ひっく……」

 

 隣のサリーお姉ちゃんは、泣いていた。お姉ちゃん、このお話が分かってたんだ…。すごいなぁ、お姉ちゃんはすごいや。

 

「手紙を読んだ女王様は、植木鉢をそっと机に置きました」

 

 円卓の真ん中に、花の無いバラの植木鉢が置かれる。

 

「女王様は、言いました」

 

『このバラに、永遠の魔法をかけた。もはや枯れることはない。このバラは、花がある時も美しかったが、花が無くなって、もっと美しい。』

 

『この美しいバラをわらわにくれた妖精に、お礼が言いたい。どうか、探してきてくれないか』

 

「女王様はまた泣いていましたが、もう大声ではありません。静かに、静かに、涙が床に落ちる音が響きます」

 

 やがて。

 

「ぼくが行く!」

 

 大きく1ページを使って、勇ましい表情の妖精が描かれている。

 

「わたしも!」「ぼくも!」

 

「妖精たちは、三角帽子を探す旅に出たのです」

 

「がんばれー!」

 

 私は、幼い私はただ無邪気に、旅に出る妖精たちを応援する。

 

「がんばって…がんばって…!」

 

 姉は、涙を拭いながら、切望するようにお母さんのスカートを握りしめていた。

 

「妖精たちが、三角帽子の子を見つけられたのか。それはまた、別のおはなしです…」

 

 そこで、絵本は終わっていた。

 

「えー!」「えぇっ…?」

 

「あ、ほらほら。そんな顔しないで?この絵本はここで終わりだけど、妖精たちはきっと頑張るわ」

 

「でも、わたしもそれ見たいのにぃ」

 

「…そうだ!」

 

 

———わたしとエリーで、この絵本の続きを作りましょう!

 

 

 


 


 


 

 

 

 私が…作るんだ。

 

 勝機を…希望を…皆で笑い合う朝を!

 

愚かな女王より、愚かな君へ(Forgive me, dear my friend.)———」

 

「何だ…?何だと言うんだ…!?」

 

 私が、作るんだ————!

 

 


 

 

 

*1
 魔法とは、詠唱に対応した一つの現象を指す言葉である。

 対して、魔術とはそれらの魔法を技法や形式ごとに分類するための、カテゴリーを指す言葉である。




 殺し文句、と言う言葉があるように、死に得るのは命だけではない。


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04-06. 愚かな女王より、愚かな君へ(Forgive me, dear my friend.)


 

 夜が深まる。仰向けで転がる私の上には満天の星空が広がっていた。

 

 さっきまで駆けていた星の空。

 

 新たな魔法の誕生を祈るように、星々は強く瞬いている。

 

 そうだ。この魔法は、まだ誰も唱えたことのない魔法。

 

「あ…ああ…お前…何をした…?」

 

 声が震えている…?

 まだ、何もできてなんていない。

 

愚かな女王より、愚かな君へ(Forgive me, dear my friend.)

 

 『忠戒』、『忠戒』…。

 

 夜の闇から光が溢れる。聖なる鎖が、夜闇に舞う影を照らし出し、その身を戒めるために伸ばされる。

 

「あぁっ!」

 

 しかし、最早手慣れた様子で影は鎖を弾き飛ばしながら範囲を脱する。近づいてくる。ナイフが振りかぶられて、降ろされる。

 

 ただ、さっきまでと違って、とても感情が剥き出しになっている。

 

「お前の、ような、半端者が!神の奇跡を騙るなァ!」

 

 胸を袈裟懸けにされる。肺に血が混じり、呼吸を妨げる。

 

「がほっ…みにくく涙し みにくく叫ぶ(The sin, selfish, is mine.)

 

 第二節を詠む。

 まだ、まだだ。この魔法の効果は、奇跡にも匹敵する。

 この程度の詠唱で済むのなら、魔力で済むのなら、全く安すぎる。

 

「何度!何度だ!何度祈ったかなど知れない!誰もこの罪を赦しなどしない!」

 

 ザルグ、私はやっぱり頭が悪い。貴方よりバカかもね。

 ようやく分かったんだ。誰だったのか。

 

愛を解せぬ 我こそ罪人(I hurt you, I’m true sinner.)

 

 あまりにも高速で、精緻なナイフ捌き。私には目で追うこともできない。されるがままに、胴体を切り刻まれる。死ぬまで殺してやる、と言わんばかりに。

 

「偽りの代行者…!」

 

 それでも、口だけは止めない。

 この詠唱を止めたら、きっと奇跡は起こらないから。

 

 なんの戦いの心得もない、ただの小娘が、この羅刹を倒さなければ得られない奇跡。そんな無謀で、ありもしない奇跡。

 

行方の知れぬ 最愛の友よ(Where are you, my best friend.)

 

「神は!何故語らない!私は何故赦されない!あの子に罪を与えろと言うのか!」

 

 馬乗りになってナイフを握る左手を大きく振り上げた隙を突き、『星は静かに夜を行く(shooting star)』の効果を使って急上昇し、すぐに急停止。身体全体を板に見立て、影を慣性で投げ上げる。

 

「誰にもリコリスを殺させる訳には行かないんだよ!」

 

 ああ、分からず屋め。

 

 私だってそのつもりなんだよ。

 

愛を知らぬとは なにゆえか(What kept away you from me.)

 

 たった一度、この悪鬼に、悪鬼たる自分を忘れさせることができればそれでいい。あと2節。詠い切る。

 

「あの子を…あの子に同じ道を歩ませるなんて…!」

 

 体勢を崩したのも束の間、影は即座に私へ飛びついた。2人、空中で雁字搦めに絡まって墜ちていく。

 

「だから死ねぇ!死んで頂戴よ!その目を止めろ!心で、死ねぇ!」

 

 首を絞められる。息が出来ない。けれど、その指に私のナイフを突き立てるのは嫌だ。

 

「ぐぇ…ひ…我は泣けども 今や叫ばじ(I miss you, I wish you.)

 

 カエルのような声。掠れ、音も出たか分からないほどの声。されども、確かに詠唱は進んだ。

 

———『第一位奇跡行使権限執行(Vult)

 

「うぁっ…!?」

 

 第一位権限。奇跡の代行ではなく、主体的執行を行う。()()()()()()()()()()()()()()()()聖別された司祭服を締め付け、身体の自由を一瞬だけ奪う。

 

 墜ちながら、詠う。

 

 最後の———一節を!

 

手折られし花、咲かずとも(Forgive you, dear my friend.)

 

「——————————」

 

 鐘の音のような音が響く。()()()()()()()ことによる影響、余波。いつか聴いた警鐘のようで、しかし今は、決着を告げる音色として。

 同時、再びの落着。下になるのは私だ。何本かの骨が折れたのを感じたが、影にはダメージはない。

 

 影は…止まった。

 

 あれだけ激しかった猛攻が、ピタリと止み。

 影は、微動だにせず固まっている。

 

 時間停止、というものだ。影の主観、意識の時間をそのままに、客観、肉体の時間を止めて固定した。間違いなく、大魔法。長文の詠唱と法外な魔力を要求し、世界の根底とも言うべき時間と空間の法則に干渉する、おとぎ話のマジックを、私は再現した。

 

 流石に、ゴッソリと魔力が無くなった。全てを回復するには、1週間はかかるだろう。もう一度戦えと言われたらもう無理だ。

 しかし、それは必要ない。

 

 私は、この影に、殺しも殺させもせずに、勝った。

 

「聞こえている、でしょう…エルザさん。お分かりでしょうが、エリーです」

 

 透明化を解除。消音は、影———エルザさんに近づけば聞こえるはずなので、そのまま。

 

「貴方の時間…客観的な時間を止めました。今、貴方は身体を動かせませんが、意識はあるはずです」

 

 ようやく訪れた説得のチャンス。二度はない。返答が期待できない今、私は十分に説得した上で、彼女を解放しなくてはならないだろう。

 

 しかし…残念ながら、私には、全てを正直に告白する以上の方法など、分からない。

 この、暗殺者ではない、何事かの信念に於いて羅刹となった女に、私たちの意思を信じさせるためには、それを置いて他に無いのだ。

 

「まず…私は貴方を誤解していました。私は貴方が、あの依頼の真の発注者ギリア・G・アイリスと結託し、リコリスを殺そうとしている…そう考えていました」

 

 これは、違ったのだ。私とザルグの推理が、それぞれ真実に辿り着けなかった理由はここだ。私たちは根底を間違えていた。

 

「ですが違う。貴方はあの依頼を受注した上で、リコリスを殺すつもりは無かった。そうでしょう?」

 

 一呼吸置く。

 

「私たちは、あの依頼を見て、知り合いのリコリス・メイヤーの命が危ないと思い、その近辺を警戒していただけなのです。…私たちが怪しく見えるのは当然です。私が、貴方を暗殺者と見做していたように」

 

 まして、エルザさんは私が人殺しであることを見抜いていた。

 

 その口から元暗部であると聞いただけの私とは違う。鍛え上げられた血への嗅覚を持つであろう彼女には、私が、それこそ全身血塗れの猛獣に見えたことだろう。しかし、彼女はそれでも私を一度赦したのだ。

 

 それを裏切るように、この依頼に関わったのは私だ。たとえ、遂行する気が無かろうと、受注してすら無かろうと。

 

「私は血に飢えた獣のようなのでしょう、しかし私は、人間のつもりでありたい」

「……」

 

 固まっているままのエルザさんからは、ただ驚愕の表情しか読み取れない。

 

「私たち2人にリコリス・メイヤー殺害の意図はありません。貴方が諭してくれた道を違えるつもりもありません。私の信念は、未だ、迷いの中にある。それでも、追い求めることを諦めない意思を、捨てるつもりも無いのです。…分かって頂けませんか?」

 

 なんと口の回らない女だろう。

 もっといい説得もあったろうに、幾度も殺されて掴んだ奇跡に、このような拙い言葉しか並べられはしないのだ。私には所詮、ザルグを引き入れた時のような、狂気の魅力しかないのかもしれない。

 

 もはや、彼女の返答を見る以上にするべき事は無い。

 

 死ぬことは無くても、磔にされれば終わりだ。時間が経って冷静さを取り戻したであろう今、この魔法も2度は通じないだろう。

 

「今から魔法を解きます。もしそれでも私が危険だと思うのなら…私に抗う術は無い」

 

 

「…お前は」

 

 影が、再び動き出す。その手が懐へと動く。審判を待つように、私はただ見つめていた。

 

 


 

 

「がっ…くそがぁ…!」

「決着です。朝になったら衛兵に突き出しますので、大人しく縛られていなさい」

 

 終わった。呆気ない…まさか本当に、私一人ならどうとでもなると思っていたのでしょうか。どうしようもなく、愚鈍です。

 

「終わりましたよ、()()()()。全く、私一人にやらせるなんて」

「問題なかろう!リコリスは強い!この程度の雑魚ならば、さっさと釣り出して仕舞うのが早い!」

 

 単独行動はキルターの策。街に何者かが潜んでいる今、徒らに時間を使うべきでは無い。探せば隠れようとする悪しき輩であれば、あちらから出向くよう釣り出して一網打尽にしてしまえ、というのは単純で強引ではありますが、実現可能ならば良い案です。

 

「同意したのは私です。不平はここまでにしておきます。何より、このような些事(さじ)(かかずら)っている場合ではない」

「ああ、向こうだな」

 

 先ほどから、激しく何者かが戦っている。馴染みのない魔法の気配、それも複数。しかし、その出所は一つだけ。

 さらに、何者と戦っているのかはまるで掴めない。これだけの魔法の使い手を相手に、高精度の隠密を保ったまま戦っている者が居る。

 ただ…。

 

「行きましょう、見過ごせません」

「もちろんだとも!」

「夜中です。静かにお願いします」

応!

 

 

 …先ほどの巨大な魔力の後、ぴたりとその気配が止んだ。

 

 急がなくては。

 

 


 

 

「…お前は」

 

 影の、懐に伸ばされた手が引き抜かれ…()()()()()()()()()()()。認識を阻害していた力が失われ、その姿が露わになる。

 

 私の血に銀の髪を染め、闇色の司祭服に身を包んだエルザさんの姿が、あった。

 

「いえ、エリーさん、貴方は」

「……」

「彼女を殺そうとしていたのでは、無いのですか…?」

「いいえ、いいえ。私たちに、その意思はありません」

「私は…私は何という…」

 

 司祭服(キャソック)は格闘戦には向かない。スリットの上に布を被せるように改造され足の可動域が確保されているようだが、下半身にまとわりつくヒラヒラとした布は動きを阻害していた筈だ。

 

 だというのに、あの異常な戦闘力。

 

「エルザさん、もし貴方に、既に戦う意思が無いのなら場所を移しましょう。ザルグが心配です」

「わかり、ました…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 リコリスさんが戦っていた場所の裏通り、最後に見た時とほぼ同じ位置にザルグは居た。壁に寄りかかり、肩で息をしている。

 

「はぁ…はぁ…痛っ…!ててて…」

「ザルグ!」

「あ、エリー…無事か」

「無事じゃないのは貴方でしょ!」

 

 急いで駆け寄り、神の奇跡を行使して治療を行う。

 

———『第四位奇跡行使権限執行(DEDICATION)治癒(heal)

 

 その抑えている手の上、お腹の上の方に私の手を重ね、祈る。温かな奇跡の光が手のひらから溢れ出るようにザルグの身体に吸い込まれて行く。

 

 もっと上位の奇跡を使えたら良かったんだけど、もう魔力が底をつきかけている。今はこれが限界だ。一応、他の脅威にも警戒しなくちゃいけないから、飛行のための魔法を解くことはできない。リコリス殺害依頼の指定日が過ぎて失敗扱いになるまでは、油断できないだろう。

 

「…どう?」

「ああ…だいぶ楽になってきた。なんとか立てそうだ」

「良かった。無理はしないでね?どうしてもダメなら、おぶって行けるから」

 

 手を突いて、ゆっくりと立ち上がるのを見守る。どうやら言葉は嘘では無さそうだが万全とも思えない。一度撤退して、大きい方の宿に置いてくることも考えた方がいいかもしれない。

 

 だけど、今は話を聞かなきゃならない人が居るんだ。

 

「結局エルザさん、なのか。そんな人には見えなかったんだがなあ」

「私は…変装とか、情報欺瞞とかは得意でしたので」

「はは、プロの得意分野じゃあ仕方ねえな」

 

「お話します。私が、貴方がたを襲った理由も…リコ…いえ。リコリスの殺害依頼を受けた理由も…全て」

 

 そして、意を決した表情で声を発そうとしたエルザさん———。

 

 

 

 

「ちょっといいかね?その話、我々にも聞かせて頂けないだろうか」

「エル…?」

 

 

 ———その後ろには、険しい表情の、あの2人(『遠路洋々』)が立って居た。

 

 

「———っ!…リコ、リス…」

 

 信じられない、信じたくない。その一心で、しかしリコリスさんは、聞かずにいられないのだろう。

 目を見開いた表情は、困惑と、少しの恐怖で歪んでいた。

 

「私の…殺害…?…嘘ですよね。そんな、そんなことは無い、そんなはず…嘘ですよ」

「……」

「言ってくださいよ!嘘だって、お茶目な冗談だって!言ってくれればそれで笑いますから!だから!」

「わ、私は…」

「待って、エルザさん!」

 

 このままじゃ、エルザさんが大切な友人を失ってしまう。勘違いとはいえ、リコリスさんのため()()()()()()とはいえ、それでは、聖職者として捨てた刃を握り直してまで友人を守ろうとしたエルザさんが報われない。それはダメだ。

 

「リコリスさん、私から事情を説明します。私もまだ、全てを知っているわけではありませんが…エルザさんは貴方を殺そうとなんてしていない」

「貴方は…エリーさん?」

「はい。あの襲撃でお世話になった、エリーです」

「お願いします…エルザは私の大切な…友人なんです」

 

 エルザさんに目配せをする。頷きの返答。隣合い、私から口火を切る。私の身の上を明かすことになるが、構わない。

 もともと、大ぴらにするつもりは無いが、こんな時にまで隠すほど隠してもいない。

 

「事の発端は、私がこの街の暗部である依頼を見つけたことです———」

 

 探るように、なぞるように。2人の口から、事件が紐解かれる。

 

 



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04-07.事の全容


 

 リコリスさんへの説明。既にエルザさんにもした説明だ。そこに、私がこの街の裏の世界にも関わっているという情報が加わっただけ。

 

「それじゃあ、エリーさんは」

「…犯罪者ではあるのでしょうか。未だ、法を犯していない者は手にかけて居ないつもりですが」

「リコ、私はエリーを認めました。彼女の犯した罪はは欲や快楽のためでは無い。人の罪は人の法で裁かれるべきだとしても、この世界の法は未熟です。新たな悲劇を産まぬうちに除いてしまうこともまた罪だとして、しかし悪とは思わない」

「…」

 

 それは違う。

 

 一度はそう考えたが、ザルグが言った通り私は罪人で悪人だ。それでも相手を選ぶのは、自分の良心への慰みが必要なだけなのだ。

 

「今の私が発する言葉に、さほどの意味もあるとは思えませんが…どうか、エリーさんを責めないであげて下さい」

「…今は置いておきましょう。失礼、話を続けてください」

「はい。今分からないこと、それはエルザさんの目的です。…ここに暗殺者など居なかった。じゃあ、貴方の目的は何だったんですか?」

「私の目的は……」

 

 その口が一度、閉じられる。しかし、その瞳に迷いなどは無かった。

 

「……妹、ギリアを止めること」

 

「———は?」

「……」

 

 やはり。

 

「ギリアは、ギリア・G・アイリスは私の実の妹です。私の名、捨てた過去の名、それは———」

 

———リコリス。リコリス・G・アイリス。

 

「かつて貴方と同じ名でありました。リコリス・メイヤー」

「リコリス…G・アイリス…エルザが?」

 

 それが、エルザさんが生まれ持っていた名前だった。

 

「この事件の全てを明かすには、リコリス・アイリスという愚者を語らねばなりません」

 

 


 

 

 リコリス———即ち私、エルザ。

 愚かな私は、人を人とも思わぬ人形です。

 

———来るな、来るな化け物め!」

———なんだ、何故避けられるんだ…銃弾なんだぞ…!

———殺さないでくれ、殺さないでくれ!

 

 アイリス家には、ある慣わしがあります。

 それは、男は戦士に、女は影者になるという悪習。

 昔より、アイリス家は他貴族たちからの暗殺・裏工作の依頼を受けつつ、戦争で武勲を立てることで表と裏の両面から王国に貢献してきた家系です。

 私の世代では男児に恵まれず、戦士となった男児は居りません。男児が居ない場合、長女が次期当主となるのは良くあることではありますが…長女である私は、あまりにも、人を騙し、殺す事に長けていた。

 それを見た私の父が、私に継がせるはずの家督を妹へと継がせたのです。

 

 それは良かった。私は当主などできる人間では無いですし…ああ、でも。当時の私にはもう一つの理由がありました。

 

「その頃の私は、自分の力を振るって生きて行けるなら…()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その時の私にはそれが全てだった。家を盲信する暗殺者、ですらなく。快楽を求める殺人者ですらなく。

 私はただ、自分に出来ることで日々の糧を得られるなら、それで良かった。そう、言うならば…その仕事にやり甲斐を感じていた。

 人々の命を奪う仕事にやり甲斐を感じていた。

 

「私について、誤解しないで欲しいことは、今でも私には、それが良くない事だと言う通念が、知識でしか無いということです」

「え…?」

 

 ごめんなさい。エリーさん。私は本当は、貴方を諭せるような人間では無いのです。

 

「彼との出会いが無ければ、私は今でも、昔の私に戻れる。さっき、貴方にそうした様に」

 

 きっと生涯、私には命の尊さ、重さというものが理解できない。

 何故かは分かりません。しかし、どうしても分からない。何故、人を殺すことが良くないことなのか。

 私とて、知人の死を前に涙を流したことはあります。それはある時は寿命という摂理であり、ある時は不運な事故であり、ある時は悪意ある殺人でした。失われたことは悲しい。しかし、生きる以上は当然です。

 

 人は死なねばならない、とは思いませんが、人が死ぬことは、何故(なにゆえ)であろうとも、自然ではありませんか———それが私の偽らざる本音なのです。

 

「貴方は狂っていたのですか…エルザ」

「生あらば、死ある。善も悪もそこには無い。違いますか?」

「私は、私の友人がそのような外道だとは思わなかった。私を殺そうとするのも…貴方の邪悪あればこそ」

「……ですが、その私の本音は、今の私を動かす理由とは真逆なのですよ」

 

 私がかつて愛した、たった数週間の間だけ愛した男が居ました。

 

「彼は、貴方…リコの様に、生死に対して恐らく通常の感覚を持っていた」

 

 その彼が私に遺したもの、ただ命を糧に目的なく生きていた私に与えたもの、それが意思と信念。

 

「それは…!」

「ええ。…かつて血を浴びていた私に、曲がりなりにも人らしくあるための光をくれた人。それ()以外にも、生き方があると教えてくれた人の言葉が、きっとエリーさんにも必要だと感じたのです」

 

 だからこそ、いざとなれば、その信念に反してでも、意思の下に私が殺さねばならぬ人だとも感じたのです。

 

「今は遠きディアズ…彼とのことは語れば長くなるので省きましょう。しかし、あの人を巡る一件で、私はアイリス家には居られなくなった。アイリス家は表向き出奔として私を捜索していますが、実情は恐らく始末人」

 

 もちろんそんな者に遅れを取る私ではありませんが、今の私は無闇に人を殺さぬと決めた身です。

 

「私は自ら私についての情報を欺瞞し、足取りを追わせないようにしていました。最近は追っ手も控えめになり、ようやく、ただのエルザ司祭としての活動に専念できるかと思った所…あの子が、ギリアがこの町にやって来たのです。何の因果か、ギリアは私の教会に訪れた」

 

 ギリアは当主になる子であったので、私のような影者としての訓練は全く受けていません。

 この遠い要塞都市にアイリス家(武闘派貴族)の次期当主として見学に訪れ、気まぐれに立ち寄った教会で私を見つけたのは…単なる偶然だったのです。

 

「懺悔室に訪れ、ギリアは罪を告白しました」

 

 懺悔室の、修道士(シスター)懺悔者(ギリア)を隔てる壁の下には、互いの声を通すために溝が開けられています。その日、偶然にも———これまた偶然にも、懺悔を聞き届ける役を果たす番であった私は、その向こうに居るのが妹であることを、声を聞いた瞬間に悟りました。

 

「私の…この人でなしの姉を家に留められなかった事を、暗殺という悪しき仕事を任せ、次女の自分が家督を継ぐ事になってしまったことを、告白しました。そして、何より…」

 

———私を、愛しているのだと。

 

「よりにもよってこの姉の前で、ギリアはその罪を打ち明けてしまった」

 

 その場で声を変えるなりして、当たり障りなくギリアの心を解してやれたならそれで良かった。ですが、実の妹からの告白に、私は動揺してしまった。私は、私の声のまま、答えてしまった。

 

「ギリアも直ぐに気付いてしまいました、壁の向こうにいるのが私だと」

 

———その声は…お姉様?お姉様なのですか?

———わ、私は…貴方の姉などでは。

———そんなことは無い、そんなことは無い!ああ、お姉様…!私は!

 

「エリーは知っているかも知れませんね。しばらくして、ギリアはこの都市にアイリス家の別荘を建てたのです。理由はただ一つ、彼女は私の近くに居たかっただけ…ですが、私がそうであるように、ギリアもまた普通では無かった」

「リコリス殺害依頼」

「はい。彼女は私と同じ年頃で同名であるリコリス・メイヤーを殺害し、リコリス・G・アイリスの死体として偽装することで、私をアイリス家の追跡から解き放とうとした」

「エルザ、貴方は止めなかったのですか」

 

 止められるはずも無かった。

 彼女は私が反対すれば、一人でも手を回して実行に移すつもりで居たのですから。

 

「アイリス家とクラウス家の抗争、あれはギリアが仕込んだ事です。私には及ばぬ策謀の才能…彼女はクラウス家から抗争を仕掛けるよう誘導した上で、私と同名の探索者(クローラー)がこの都市に居る情報を流し、彼らにリコを誘拐させる様に誘導した」

「可能なのですか?」

「分からない。しかし現にクラウス家は急な抗争を仕掛け、敗北し、起死回生を託して偽りの長女に誘拐を仕掛けた。全て私の存在がギリアに露呈してからの事です。私は妹の頭脳が、空恐ろしくすら思えた」

 

 その類稀なる異才の全てが、私一人のために、私を無視して振われていることに、危機感を覚えた。

 

「そして私は、慣れたやり方を使う事を決めた」

「内部からの、撹乱と工作」

「…流石に見えたぞ。エルザさん…いやエルザ。アンタはギリアの計画に乗った上で、それを失敗させ、ギリアの殺人計画を暴こうとした」

「それもまた、予定の一つでした。未遂であれば、貴族であれば、投獄か修道院送りで済むでしょう。ですがもう一つ、本命は、彼女の追跡を完遂させること」

 

 両手を広げる。十字架に磔にされた罪人の様に。

 

「エリーさん。私を、殺してくれませんか」

「はい?」

 

「私の死体が必要なら、話は簡単です。私を死体にすれば良い。アイリス家も、死人を追い続ける事は無いですから」

「いや、ちょっと」

「それに、私は貴方を殺そうとした…あの人の信念を裏切ってしまった」

 

 貴方は私とは違った。自分で、立派に意思を持っている。殺すべきでは無い貴方を、何度も切りつけ、心臓を突き刺した。

 

「死ぬほどの痛みを貴方に与えた私は、同じだけの報いを貴方から受けるべきです。ですから———」

 

 私を殺して、ギリアの前に差し出せば、それで今回の事件は終わりです。

 

 リコリス・メイヤーが殺害されることも、無くなる。だから———

 

「エルザさん」

「…はい」

 

 

 

 

 

「歯、食い縛って下さいね」

「え…?」

 

 


 

 

 私は。

 

 右の拳を、強く握りしめ。

 

 肩を引き、体を弾ませるようにして助走を付け。

 

 

 

 

 細腕にあるまじき剛力を以って、この大馬鹿姉さんの頬を、力一杯に殴り飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

「ふごぉっ…!?」

 

 

 

 1mは飛んだだろうか。一瞬浮き上がり、吹っ飛ばされたエルザが仰向けに石畳に倒れ、後頭部をごちんと打ち付けた音がした。

 

 頬は真っ赤に腫れている。すぐに青くなるだろうけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

「人の、姉が!!!」

 

 叫ぶ。

 

「知らないとこで!!!」

 

 カッとなった頭で、叫ぶ。

 

「死んでんじゃ無いわよぉーーッ!!!」

 

 ここに居る分からず屋の馬鹿娘に、ただ、叫ぶ。

 

 

 

「な…何を…?」

 

「もっと話し合えとか、妹とイチャつくのに人の命かけてんじゃないとか、色々言いたいことあるけど!」

 

 まだ呆けたような女の襟首を掴んで、顔を近づけて、まだ叫ぶ。

 

 ギリアの思ったことなら、私にだって分かる。

 

「やっと生きてたって、出会えた姉が勝手に死んで…!」

 

———エリー?どこに行くの?エリー!?

———…ごめん、お姉ちゃん。

 

「それで誰が喜ぶのよぉッッ!!」

 

 

 

 

 

 ああ、似ている。

 

 本当に似ている。

 

 そりゃ分かるはずだよ、私のことが。

 今なら私にもアンタのことがちょっとは分かる。

 

 たしかに私は、場合によってはアンタに殺されるべき化け物だった。

 

 十字架を背負って歩いているのは、お互い様だ。

 

 だから、しょうがなくムカつく。

 

 

 

 握っていた襟首を、突き飛ばす様に放す。どさっ、と、女が右肘を突いて倒れ、呆然と私を見つめる。

 

「…エリー、ほら」

「…ん」

 

 ザルグが私の頬を新品のハンカチで拭う。何でか分からないけど、ハンカチが濡れてしまった。

 

 背中に当てられた手が、暖かい。

 

 

 

 きっと、エルザには、ザルグが居なかったんだ。

 

 生まれた時からそう生きるしか無くて…正しく在るっていうことがどういうことか、教えてくれる人を失って。

 

 寄り添ってくれる人が居ないまま、ここまで来てしまった、私なんだ。

 

「許さないわよ…あんなに痛い思いして、出来るか分からない魔法まで使って…勝手に死なれて、たまるかってのよ…」

「ですが、それではギリアは…」

「話し合いなさいよ」

 

 ごめんなさい、サリーお姉ちゃん。

 

「今まで自分だけで逃げて来れたんでしょ。だったら、もっと良く話し合いなさいよ」

 

 今までずっと、逃げてばかりで。探したよね。

 

「貴方のこと、大好きなら…きっと話を聞いてくれるから…2人で話して、決めなさいよ。それでも死にたいって言うなら、勝手に死ねば?私はアンタは殺さない」

 

 会いに行くよ。こんなに全身汚して帰ったの、初めてだけど。

 

「私の手の血は、死んで欲しい奴の血だけで十分よ」

 

 いっしょに叱られて、くれるかな。

 

「……」

 

 

 

 

 

 それきり何も言わないエルザの顔からは、何も読み取れない。

 

 けれど、もう両手を広げようとはしなかったし。

 

 自分を刺すつもりも、無いようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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04-08.死んで欲しい


 

 見知った宿の天井だ。

 

「…あの宿、居心地良かったなあ」

「しょうがないだろ、まさかエリーが情報買うのに全財産の6割も出してたなんて」

 

 他に使う当てもないと思ってたんだもん。

 でも、一度あの布団の柔らかさを覚えると…ああ。

 

「なんか魔法作ろうかしら」

「布団が柔らかくなる?」

「それに暖かくなるわ」

「そりゃいいな、ぜひ俺にもかけてくれよ」

 

 本当に作れたらね。

 

 

 

 

 

 

 

 あの後、私は『遠路洋々』とエルザを置いて宿まで帰ってきてしまった。

 勝手に死ぬのは許さないと言った直後に勝手に死ねばいいと言った矛盾に気がついて急に恥ずかしくなったのだ。やはり私は頭がよろしくないらしい。

 

———残り109時間。

 

 …ふう。

 

 ま、今回は…死んで欲しい奴も居ることだし。一ヶ月、生き延びるとしましょうか。

 

 

 

 

 

 


 

 “エルザ司祭”としての朝を迎えた。

 

「……神よ」

 

 今日も、貴方は私の罪を教えては下さらないのですね。

 

「リコに、謝りに行かなくては…あぅっ!」

 

 殴られた頬が痛む…治そうと思えば、治せるのですが。

 

 神は。神は私のような、自分の罪が何なのか分からない、懺悔すら出来ない者にも、奇跡を扱うことをお許しになられる。

 

 だからこそ、私は司祭(第三位神官)なのだから。

 

「ああ、でも。一つだけは」

 

 ディアズ。貴方の示してくれた、償うべき罪の一つが分かりました。

 

———エルザ。君のために、償うべき罪がある…。

———ディアズ…!喋るな、これ以上は…。

———君の、エルザの…しあわせの、ために…償うべき…つみが…。

 

 家族と、話をしましょう。たった一人私を見てくれていた家族と。

 

 

 

 

 

「お姉様っ……!!」

「あ、ギリア、ちょっと!?」

 

 教会からアイリス家の別荘までは、貴族街の壁を挟んですぐ近くです。貴族街の北側入り口も近い。

 教会の皆に出かける事を伝え、出発してから10分も歩かない内に、その屋敷の中に入れました。

 

 そして、ギリアが抱きついてくるまで2秒も有りませんでした。

 

「ごめんなさい、ごめんなさいお姉様…!失敗したのは私のせいです、お姉様は…!」

「良いのです、良いのですよギリア…」

 

 既に、依頼は取り下げられました。

 ギリアが昨日を指定した理由は、殺害をクラウス家の誘拐犯たちの罪として擦りつけるためです。彼らが捕縛された今、それは不可能でしょう。

 

「ギリア、すみませんでした。貴方の手を汚させてしまった」

 

 体を離し、その綺麗な手を取る。

 指抜きの白手袋を嵌めた手は、私の傷だらけのそれと違い、絹の様に滑らかで、白く、柔らかい。

 

 リコが殺される事こそ無かったものの、ギリアが誘発した抗争によってクラウス家の者たちに死人が出ているのは確かです。

 クラウス家であれば、無実の者ということも考えにくいですが…彼らに雇われた全ての者が罪人だったなどという事は無いでしょう。

 

「いいえ、リコリスお姉様。私はお姉様のためなら、なんだって捧げましょう。大丈夫、次善の策もあります…都合の良い者も見繕ってあるのです」

「ギリア」

「…お姉様?」

 

 こちらから、抱きしめる。

 

「お…おっおっおっ…おね、おねえさ…っ!?」

「ギリア、貴方に会ったことは全くの偶然なのです。私はもう、アイリスからはほとんど追われていない———」

 

 それから、ギリアを抱きしめたまま、私の現状を全て説明していきました。

 

 ギリアはどこか様子がおかしかったようですが…とにかく、全て頷いて聞いてくれた。

 もう、私のためにこのような非道をすることも無いでしょう。

 

「リコリス…私の友人の、リコリス・メイヤーにも、後で謝罪に行きましょう。何と詰られるかは分かりませんが、それでも、そうするべきですから」

「はひ…おにぇえしゃま…」

 

 ええ。笑顔で頷いてくれる。ギリアなら、家族なら分かってくれる。

 

 これで良いのですね、エリーさん。

 

 

 

 

 


 

 

 なんですか、これは。

 

「この度は、私、ギリア・G・アイリスの企てによってその身を脅かしたこと、誠に申し訳もありません。謝罪として、我らに望むものがあれば申してくださいませ。アイリス家次期当主としての総力を以って、償いとさせて頂きたく思います」

「本当に、申し訳ありませんでした。リコリス。妹共々、とても許されないことかと思います。妹の言う通り、思うようにお裁きを…ただ、命を以ってというのであれば、どうかギリアは…」

「待って、エルザ。待ってください。待ちなさいエルザ!」

「はい」

 

 頭を片手で抑えるようにして、目を瞑る。

 

 昨日明らかにされた、我が()()エルザとその妹による私の殺害計画。今はもう破綻し、依頼も取り下げられた様だが、これはその謝罪ということらしい。

 

 なんとまあ…「G」格の貴族二人が、揃って頭を下げて!

 

 一介の探索者(クローラー)に過ぎない私にどう裁けというのですか!私の方が困ります!

 

「ええと、2人とも、とりあえずは頭を上げて…」

「しかしリコリス様、貴方はエルザお姉様の親友で…」

「上げなさい!」

「ひゃい!?」「は、はい!」

 

 …この程度で狼狽える2人が、1人は大貴族を没落させ、1人はかつて裏世界に名を馳せたらしい暗殺者だというのですから、分からないものです。

 

「いや、リコリス?お前に自覚は無いかもしれんが、その顔の時のリコリスは正直”竜”を相手にした方が良いくらいだぞ?」

「は?そんなわけ無いでしょう」

「はい!そんなわけありません!」

 

 キルターも大袈裟なんですよ。竜の方が怖いに決まっているでしょう。

 

「まず…今回の件。私はそんなに怒っては居ません」

「えっ…?そ、そうなのですか?」

「冒険する探索者(クローラー)にとって、命を狙われるなんてことは日常茶飯事です。ご飯を食べる回数よりも、多いくらいですよ」

 

 それこそ、先の襲撃のように。

 魔物や獣どもは、もっと狡猾、かつ陰湿に、命を狙ってくることも多いものです。

 

「わ…私にとってショックだったことは、そんな些事ではなく…エルザ」

「私ですか?」

「そうです。…親友のつもりだった、貴方に、命を狙われるような理由があったのかと、そう感じたことですよ」

 

 私のことなど、依頼であれば殺しても良いと思っていたのか。

 あるいは、そう思われるようなことを知らぬ間にしてしまっていたのか。

 それがショックだったのです。

 

 もちろん、その後の狂人の告白もそれなりにショックでしたが、それは別の意味ですし、私が謝られるような事ではありません。

 

「ですが、そうでは無いのでしょう?」

「はい。私は…ギリアの計画を破綻させるつもりで動いていました」

「…お姉様、ごめんなさい」

「私は良いのです、今朝話したでしょう。それよりも、リコに」

「はい。リコリス様、申し訳ありませんでした」

「まあ…貴方の謝罪も受け取りましょう。そこそこ危険な冒険をした時の依頼報酬に相応しいものを要求しますから」

 

 本命はエルザですよ。エルザ。

 

「エルザ、貴方に求めるものは謝罪ではありません」

「では、何を?」

「私と、もう一度誓って下さい。私と貴方が、無二の親友であると」

 

 たとえ人の心を理解し切れぬ狂人であっても、いや、だからこそ。私は貴方と心を分かち合う友で居たい。

 

 それが偽らざる私の気持ちです。

 

「良いですよね?」

「リコ…貴方は、まだ私を友であると…」

「そう欲します」

「ああ…嗚呼…!ごめんなさいリコ…!ごめんなさい…!」

「な、泣いてないで早く誓って下さいよ…改まってこんなこと言うの恥ずかしいんですから。ほら」

「誓います…!誓わせて下さい!私は、リコの無二の友でありましょう…リコも、私の無二の友であると…!」

 

 良い声です。

 ここにいる貴方は、人間に見えますよ。エルザ。

 

「誓いますよ。私も、エルザの無二の友であることを。…お帰りなさい、エルザ」

「ああああぁ……!リコ…ディアズ…私は…!」

 

 

 

「むう…なあ。ギリア殿」

「キルター様、貴方にも、大切なメンバーを…」

「ああ、それはいい。リコリスが言ったのと同じで、私には貴殿に謝罪を求める理由が無いからな…それよりだ」

「はい?」

「女性たちの友情というのは、このように涙に溢れたものなのか」

「…どうでしょう。私も、あまり普通の女子の生活ではありませんし…ただ、そうですね。私から見て、特にそのような疑問は抱きませんでしたよ」

「では、その握りしめた拳は何だね」

「え…?あ、本当だ私ったら!おほほ、おほほほほ…!」

「恋慕もほどほどにしてくれ給えよ。リコリスが背中から刺されるようでは仕事に困る…」

「まさか!まさか!そんなことは致しませんよ!ええ!」

 

———よもや、女性に対して刺される心配をする事があるとはなあ…。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生を実感する。

 

 どれだけ死を望み、人生に絶望していようとも。

 

 喉が渇いた時に飲む水が、清涼感をもたらすように。

 ずっと頭を苦しめていた悩みが解決した時、解放感に打ち震えるように。

 溜まりに溜まった性欲を発散した時、普段よりも深い恍惚に耽るように。

 

 死に近い者が生を実感することは、忘れがたく、抗いがたい、生理的な快感をもたらすものだ。

 

 いっそ中毒的ですらある程に———。

 

「ねえ?そうでしょ?」

「…何だお前」

 

 現在位置、変わりまして()()()()()()()()()()()

 当然無賃無断の乗車だ。ザルグは町に置いて来たし、無音もかけてある。透明化もかけていたけれど、今は解除している。

 

「ほら、お金貰って人のこと(かどわ)かそうとしてたでしょ?」

 

 悩むのをやめた結果…死んで欲しい奴(主観と独断による悪人)を嬲り殺すのは、それなりに楽しいという事に気がついた。

 

「私最近ね?悪い人に懺悔させるのって楽しいなーって思うんだけど…これって、分析するに、2つの理由があるんだよ———」

 

 一つ、相手も悪いことしてるから、罪悪感が無い。

 もう一つ、悪いことして()()()()するのって、気持ちいい。

 

「———で、ちょっと気になったんだ」

 

 リコリスさん———探索者(クローラー)の方のリコリスをそう呼ぶことにした———が戦っていた集団のリーダーっぽかった人が、縄で手首を後ろ手に縛られた上で座らされて居る。

 縄が床の近くに固定されているせいで、立ち上がることもできないようだ。良く見ると、胡座を組んだ足も足首のあたりで縛られている。

 

 その顔に…ニヤッと微笑んで、鼻と鼻が触れそうなほど近づいて、聞いてみる。

 

「悪くない人に悪いことするの、楽しかった?」

「ぐっ…!?」

 

 果物ナイフで、胡座を組んだその太ももを突き刺す。動脈は避けて、痛がるように。

 

「ねーえ、答えてよ。私もう、どんなに追い詰められても良い人は殺さないって決めちゃったからさ、そうしたら経験者に聞くしか無いでしょ?」

「てめぇ…!おい!御者!兵士!助けろ!」

「む・だ♪音、消えてるもの」

 

 あ、少しずつ顔が強張って来た。怖い?怖がってるんだ!

 

 あー、ストレスが消えていく。

 

「ね、だから答えて?」

「し、知るかよ!仕事でやるんだ、楽しいも何も…」

「なんだ、つまんない」

 

 脇腹を刺す。

 血が溢れると外にバレるから、魔法で水の球を胴を覆う様に作って浮かせておく。

 わぁ…脇腹って、刺されるとこんなに血が出るんだ。もう真っ赤っかになっちゃった。ザルグは刺されないように気をつけないと。

 

「やった…♪」

「がぁぁ…!」

「すごいすごい、()()()()()()()の初めて!」

 

 こうすれば手加減できるんだ!

 そっか、今までは怖いから必死だったけど、楽しんでやれば肩の力も抜ける。

 殺意なく、呪いも出さずに攻撃できるんだね。

 

「ねぇ、ほんとに楽しく無かったの?やったぜ、みたいな達成感とか」

「う…あ、ある…あるから…」

「ほんと!?ね、詳しく教えて?どう思ったの?ちょっと教えてくれたら、その分だけ治してあげるから」

 

 苦しみと痛みに呻きながら、少しずつ言葉を発し始める。

 

「最初は…浮浪児の、女……ふー…罪悪感と、やっちまったって…嫌な感じで…いっぱい……」

「ふーん。おじさんもそうだったんだ」

 

———『第四位奇跡行使権限執行(DEDICATION)治癒(heal)

 

 先に、ナイフは抜いてあげる。くっついて抜けなくなったら面倒だから。

 

「あ…ぅ…畜生、悪魔だ…」

「分かるよー、脇腹を刺されるとさ、痛みよりも前に異物感と熱さでおかしくなりそうになるんだよね。もちろん、痛みもきっついけど」

 

 野犬の牙が折れたまま残った時は本当に嫌だった。治る前に掻き出せて良かったけど、二度とやりたくない。

 

「で、ほら。つぎつぎ」

 

 完全には塞がって無い。血の出るペースが落ちたかな?ってぐらい。

 

「そんで…あの家に雇われて……次は、町娘だった…顔のいい奴で、それだけを目当てに連れてって…クラウスのボンボンに引き渡してからは知らない…」

「それで?その時は?」

「哀れだった…そんで、金を貰って…最初とは比べ物にならない額だ…美味い飯食って、全部忘れた……」

「飯?男だったら、ほら。こーいうのとか、行かないの?」

 

 股座に手を伸ばし、それらしい動きを示唆する。

 

「女の、嫌がる顔が焼き付いてて…そういう気分じゃなかったな」

「へー、男心って複雑」

 

 ムード気にするのって女だけじゃないんだ。

 

———『第四位奇跡行使権限執行(DEDICATION)治癒(heal)

 

「お、治って来たねー。あと1回くらい話してくれたら治り切るかも」

「血が…足りない……」

 

 あ、フラフラしてる。

 

「頑張れ!もう血は止まってるよ!このままだと傷口が傷んじゃうよ!あと少し!」

「はあ…はあ…くそが、クソ女がよ…テメェみてえ奴なら、いくら売っ払っても美味え酒が飲めるぜ…」

「それは空想でしょ?私はリアリティのある実体験が知りたいの!」

 

 ほら早く。

 

「できれば一番、気持ちが良かった例をお願いね?」

「そんなもの、あるかよ…人一人売り払うんだ。しかも、あのクラウス…到底碌な目に合わねえ。男も女も、俺なんかに捕まって、哀れで無ぇヤツが居たものか」

「そっかぁ…じゃ、もう用済みかな」

「は?」

「良い感じに料理もできたし———いただきます」

 

 ()()()()

 

「あ…」

「アンケートにお答えいただき、ありがとうございましたー。安らかに眠れるらしいから、来世は悪いことしないでね?」

 

 首が飛ぶ。ごろり、何をされたのか、分からないまま…死んだ。

 

———720。

 

 ごちそうさま。

 

「んーっ!あぁ…ふぅ。さて、とぉ…残りはどうしよう」

「ひっ…」

 

 ま。サクッと殺そうか。

 

「アナタたちも、死んで欲しいのには変わり無いからね———ほら、チロ?」

「シャー?」

 

 あれは、食べていいよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザルグー。ただいま。

 

 え?あ、うん。ちゃんと片付けて来たよ。後も綺麗にして来た。

 

 チロが食べ残しちゃったから、残りはさっぱり消しとばしたかな。

 

 うーん。もったいないから、生かしたまま保存できるようにしたいなあ…そういくらも見つからない物だもん。魔法、本格的に頑張ろっと…ノーフェイスにも聞いてみようかな。

 

 え、次どこに行くのかって?

 

 “どこに行くのか”なんて聞く時点で分かってるんでしょ?うん、ミンドラだよ。お姉ちゃんの居る———。

 

 

———商業都市、ミンドラ。

 

 

 



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