転生最高司祭ちゃんが行く原作再現 (赤サク冷奴)
しおりを挟む

If I Possessed Administrator
転生最高司祭ちゃんが行く原作再現RTA


これはRTAなんかじゃなかった、いいね?


 

 ……どこだ、ここ。

 

 朝、起床して一番に思ったのはそれである。

 

 寝ぼけた目で周りを見渡すと、木調のアンティークな部屋柄で、ちょっとお高めそうなベッドで寝ている。

 

 誘拐……とかじゃ無さそうだなぁ。こんな三十路を過ぎたばっかのおっさんを捕まえても意味は無いだろうし。

 

「はぁ……」

 

 くそっ、出勤だってのに……上司になんて言えば────

 

「……あ?」

 

 溜息を吐いた時、何だか喉から出る声に違和感を感じたが……もしや、これは。

 

「あ、あー、あー?」

 

 喉に手を当てる。……喉仏の消滅を確認。

 しかも声がかなり高い。

 

「……いや、まさか。疲れてるんだ。なんだ、夢か……」

 

 股間に手を当てた時、乾いた笑いが出た。

 

 背中にあったサラサラした物を手に取ったら、それは腰に届かないくらいの淡い紫の長髪。

 

 ……まさかの、TSですか?

 

 いや、これはただの夢だ。なんでロリになってしまったのかは知らないが、ともかく、これは夢だ。

 

 そう、夢。お願いだからとっとと醒めてくれ……

 

 ──コンコン

 

 突然のノック音。そっちに視線を向けると、ガチャリと音を立てて、アキバにいるメイド……ではなく、それより質素な格好のお手伝いさん的なメイドが入ってきた。

 

「おはようございます、クィネラ(・・・・)様。お食事の用意が出来ました」

 

 ……俺の名前はクィネラか…………クィネラ?

 

 寝起きで訳も分からず、取り敢えずコクリと頷き、メイドに付いていった。

 

 食卓らしき部屋で、厳ついイケメンと美人さんと一緒にそんな美味しくもないスープやらパンやらを食べていると、突然、イケメンさんがこちらを向いた。

 

「……クィネラ、今日は剣術と神聖術(・・・)の勉強をするぞ」

 

 は、はぁ……神聖術っすか。そうですか……

 

 

 …………は ?  神 聖 術 ?

 

 

 待て待て、俺の夢よ。幾らなんでもそれはアカンでしょう。

 クィネラとかいう単語を聞いて、冷や汗が出始めていたが、これはもう確信犯だ。

 

「……はい。今日も精一杯励みますわ、お父様」

 

 咄嗟に機転を利かせてニッコリと笑いながらそう言うと、内心で深く絶望した。

 

 

 

 

 

 ……あ、俺死んだわ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 ソードアート・オンライン。

 

 言わずと知れた有名なラノベの、第三章にあたるアリシゼーション編で、仮想世界アンダーワールドのラスボスとして君臨する女性、アドミニストレータ。

 

 残酷で冷徹、手段を選ばない悪役っぷりは、ある意味自分の意志を貫き徹しているような感じで好きだったが、ラスボスはラスボス。勇者ことキリト君に倒されてしまう。

 

 彼女の本名を、クィネラと言う。

 天職によって神聖術の研究を幼い頃からし続けた結果、世界の法則に気が付いて、それを利用し瞬く間に世界の最高権力者になってしまった。

 

 ……さて、俺の今の名前はクィネラである。

 

 そしてこの世界では、人々に天職というものが授けられ、明らかに英単語で構成されているプログラム的な魔法、神聖術というのが存在している。

 

 ここ、アンダーワールドやんけ!

 

「……オーマイガー」

 

 朝食を食べた後、自分の部屋で頭を抱えていた。

 

 だって、ラスボスなんだもん。まだ何もしてないけど、このまま何もしないとプロジェクト・アリシゼーションは直ぐに完成してしまい、A.L.I.C.E.が菊岡さんの手で軍事転用。キリトとアスナは治療の為に来るかもしれないが、ギガスシダーを植えてないからユージオは木こりじゃないし、禁忌目録が無いから、捕まる筈だったアリスもそのまま。元老院や整合騎士は存在せず、セントラル・カセドラルなんて無かったんや……状態に陥ってしまう。

 

 わーお、原作総崩れやんけ!

 

 これが夢だったら良いのだが、これがなぁ……

 

 自分の左手に対し右手の人差し指と中指でS字を書くと、青色の線が描かれた。

 

 それをタップしてみると、あら不思議、自分のパラメータが目の前に現れた紫色の窓に表示されましたとさ。

 

 

 Unit ID:[CDI1-1089]

 

 Object Control Authority:04

 

 Durability:1392/1392

 

 System Control Authority:06

 

 

 自分や他人、生物や物体のパラメータを参照する事ができるこのウィンドウを、ステイシアの窓という。

 

 上からそれぞれ、直訳では個体番号、物質操作権限、耐久力、機能操作権限……と言ったところか。

 

 やはり、神聖術に関しても天賦の才があるからか、システムコントロール権限は少し高い。

 

「システム・コール……ジェネレート・エアリアルエレメント」

 

 人差し指に灯る緑色の光を見て、なんとも言えない溜息が漏れた。

 

 そのままにしておくのもアレなので、頭の中でイメージを働かせ、その光に更に効果を付け加えていく。

 

「フォームエレメント、ボール・シェイプ、フライ・ストレート、ディスチャージ」

 

 球体状になった風を射出すると、そのままふわりと見えなくなって消えてしまった。

 

 ……だよなぁ。普通に出るよなぁ。

 

「多分、夢じゃないんだろうな」

 

 あのキリトと会えるのは楽しみだが、何せ三百年後。しかも、その頃には天命を固定してもフラクトライトの記憶容量が一杯になりかけて、全裸で寝たきり生活。

 しかも、原作を忠実に再現しないとキリトとユージオは登ってこない。

 

 ただの地獄ですねこんちくしょう。

 

「……勉強するか」

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 クィネラちゃんになってしまったあの日から、既に一年が経過している今日この頃。

 

 剣術や神聖術、歌、裁縫etc……を父からやらされまくると、このクィネラちゃんボディは圧倒的な才能を見せてしまった。

 

 ひとたび剣を持てば、一般兵なら卒なく倒して、神聖術は元々の知識も相まって複雑なものを、歌は美麗なソプラノボイスかつ前世の歌手顔負けの歌声で、裁縫ならどんな柄や刺繍だろうと難なく作り上げた。天賦の才どころの話ではない。

 

 家族や使用人は神童だと褒めそやし、その噂は他の貴族や街の住人にまで広まっていって、ある種の崇拝みたいのを受けかけていた。

 

 やろうと思ったらやれてしまうという事態に、前世で平凡だった俺にとって困惑だらけだったが……努力せずにすぐ出来るというのは、楽で爽快感もあるが、同時に虚しくも思えるというのがよく分かった。

 ゲームで縛りプレイをする人は、楽に敵を倒したりゲームをクリア出来ても、つまらなく思ってしまうからこそなのだ。かく言う俺も縛りプレイは好きだった方だし。

 

 現在の人界暦は27年。

 我らがロリっ子賢者カーディナルの話では、この時点で既に100年は経過しているはずだが、それにしても、人界の中央のこの街……セントリアはそれなりに発展していた。

 

 中世くらいの、荒い石のレンガや木の枠組みで作られたような家屋の数々。鉄や青銅で作られた様々な武器道具。

 

 たったの100年でこれなのだから、俺が何もしなければ現代社会ぐらい築いていそうなものである。

 

 ……まあ、そんな事にはさせないが。

 

 さて、今日はと言うと、父に部屋まで来いとお呼び出しされていた。

 

 コンコンとノックしてから、扉を開ける。

 

「おお、来たかクィネラ。お前には少し、大事な話があってな」

「? 大事な話……でございますか?」

「うむ……今日より、お前の天職を《神聖術の修練》とすることにした」

 

 ……ああ、遂に来てしまったか。

 

 この父の発言が、クィネラが、やがて人界を支配しアドミニストレータになる道程の始まりとなるからだ。

 

「この屋敷で神聖術の研鑽を積み、更なる高みを目指してもらいたい」

「はい。このクィネラ、天職を全うさせて頂きますわ」

「頼んだぞ」

 

 微笑みを浮かべつつ、軽く一礼をして部屋を出た。

 

 

 

 

 ……よーし、レベリング始めようか。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 この世界において、神聖術の行使権限を上げるには、神聖術を沢山使うか、神聖術を用いて生物を殺せばいい。

 

 手っ取り早いのは、生物を殺す方だ。

 要は経験値を集めてRPGみたくレベル上げをするだけなのだから。

 

 天職を与えられたその日の夜。

 全ての人が寝静まった頃になって俺は外に出ると、近場の森に入っていった。

 

 そこで、出歩いていたキツネを見つけた。こちらに気付いていないようで、何気なさそうに森を歩いている。

 

「……システム・コール」

 

 全ての神聖術の起句。それを静かに唱えた。

 

「……ジェネレート・サーマル・エレメント、フォームエレメント・アロー・シェイプ」

 

 人差し指に灯った赤い輝点が小さな赤い矢の形に変化する。

 

「……ディスチャージ」

 

 結びで放たれたそれは、遅れてそれに気付き、驚愕していたキツネを穿った。

 

 バサリと倒れると、確認する為に近寄る。

 

「……システム・コール、ジェネレート・ルミナス・エレメント、フォーム・エレメント、ボールシェイプ、フォロー・ライト」

 

 光が出来ると、そこで起きた惨状に思わず息を飲んだ。

 

 身体を突き抜けただけでは焼けなかったのか、血が腹からとめどなく流れ出ており、思わずハッと息を飲んだ。

 

 ここまで大きい生き物を殺したことがなかった俺に、動物を殺すのはキャパが足りなかったらしく……激しい恐怖と嘔吐に襲われた。

 

「おぇぇ……っ!!」

 

 撒き散らされる夜ご飯。口の中を侵食する酸の味。心臓の動悸は激しく、息が過呼吸になり掛けている。

 

 ……動物を殺すのって、こんなに怖いものなのか。

 

 動物でこんなにも酷い有り様なのに、それ以上のことを易々とやってのけるアドミニストレータに、なれるのだろうか。

 

「……うっぷ、気持ち悪っ」

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 ……とかそんなこと言ってた日もありましたね。

 

「クフフ、アッハハハッ! 恐れ慄け、平伏すがいい!」

 

 通い詰めて3ヶ月。

 ようやく俺の神聖術行使権限は30を超えた。

 

 まだまだ忌避感は拭えないものの、狩りの際に死んだ動物は全て血抜きして持ち帰り、厨房を借りて調理したのを街の住人に振る舞うことで、『狩りとは大切な命を頂くことである……』的な価値観で自分を納得させていた。

 しかも、この野生動物らは翌日になったらリポップするので、自然破壊にもならないのだ。

 

 最近、父から神聖術の実験の為昼間の外出を認められて、夜の時間も色々な事に回せていることもあり、アドミニストレータとなるのに必要そうな準備を着々と進められているので喜ばしい限りだ。

 

「システム・コール、ジェネレート・ルミナス・エレメント、ライトニング・シェイプ、ディスチャージ!」

 

 早速トビウサギを見つけ、雷の一撃を脳天に食らわした。

 このウサギの肉は食用として重宝されているので、首を切り内蔵を取って早急に血抜きをしておきたい。

 

 腰からナイフを取ると、首の勁を切ってやり、血抜きをしつつはらわたを取り出していく。

 近場の川まで持っていき、ある程度血を流してから、手持ちの袋に放り込む。

 

「……システム・コール、アドヒア、ディテクション・オールユニット。……っと、次はそこか」

 

 今日とて今日とて、森を駆け回って、全ての動物を狩るのであった。

 

 

 

 

 その翌日のこと。

 

 元気よく準備運動をしてから父さんの部屋に向かおうとすると、リビングにて母さんに呼び止められた。

 

「クィネラ、今日もケーキが美味しく焼けたけど、食べる?」

「──はい! 頂きます、お母様!」

 

 ケーキと聞いて、足が止まって素早く返事をした。

 

 これは、前世から続く一種の脊椎反射みたいなものだ。

 誰にも言えないけど、スイーツ巡りとかしちゃう系の30歳おっさんです。

 

 しかし、ケーキ……ケーキって言ったら、この時代だとベーキングパウダーすらなくて、甘くないしパサパサな硬いケーキを思い浮かべる。

 

 しかし、俺が母さんのケーキを初めて食べたあの日、微笑みを湛えた母さんが持ってきたケーキは、俺の予想を裏切った。

 

 それは、まるで生クリームの乗っていない、穴の空いたスポンジだけのケーキに見えるが、男のくせにお菓子作りが好きな甘党の俺は知っている。

 

 ……シフォンケーキ、だったのだ。

 

 こんな時代に存在するとは思えない、かなり文化的な代物。

 一口食べれば、しっとりとした食感、小麦の芳醇な香り。

 砂糖も貴重なものだからか、甘さも控えめだがそれがいい。

 

 料理の腕も俺を凌駕しており、既に幾つか料理を教わっている。ウチの母さん、貴族の娘さんって聞いてたのに、異様にスキル高いんだよなぁ。趣味だったに違いない。

 

 ……思えば、このケーキがアドミンの全ての始まりか。なんて頷きながら、はぐはぐと食べ進めていった。

 

 ……うん。やっぱ美味い!

 

 

 

 

 結局シフォンケーキに夢中になってしまったので、午後、父に許可を貰って外を出ていた。

 

 天気は快晴。

 夏の到来を思わせる激しい日照りに手をかざしていると、鳥や虫の声が心地よい音楽を奏でてくる。

 

 そんな、ひと狩りいこうぜ日和だった今日だが……

 

「だ、誰か助けてくれぇ! アンソンが森で大猪にやられて重傷なんだ! このままじゃ死んじまう!」

 

 助けを乞う男の肩に担がれた、そのアンソンとか言う男は、腹から大きく血を流していて、確かに重傷だ。

 

 ……たしか、原作のクィネラは、人々の怪我を治して地位を上げてったんだっけなぁ。

 

 ならば、これを活用しない手は無い。

 つーか、怪我してる人を助けられる立場にいて助けないのは鬼畜の所業過ぎる。

 

 二人に近付くと、肩を担いでやっている方の男がギョッとしてこちらを見てきた。

 

 このセントリアで、領主の一人娘かつ神童と称される美しい少女がいるというのはよく知られている。相手も一目見ただけで俺の正体に気付いたのか、即座に頭を下げようとしたので、それを手で制止させて、怪我をしている男の前に立った。

 

「診せて下さい。私が治療しますわ」

「ク、クィネラ様!? で、出来るのですか?」

「当然ですわ。私に不可能なんてありませんもの」

 

 アドミン的?傲慢ムーブをかましながら、その男にアンソンを地面に横に寝かさせてやると、両手を突き出す。

 

「システム・コール。ジェネレート・ルミナス・エレメント」

 

 計十個の光素を生み出し、腹を治していく。

 

「おお……神聖術の光だ……」

 

 わらわらと人が集まってきて、俺の治療を不安げに見守っている。

 

 だが、システム権限レベル34を舐めないで欲しい。

 これくらいなら、造作も無いのだ。

 

 やがて、光は無くなり……綺麗まっさらな腹がそこにあった。

 

「……これ、は……」

「おお、アンソン! 目覚めたのか! 見てみろ、クィネラ様が傷を癒して下さったのだぞ!」

「……なんと、それは……有り難き幸せ! 私めなどに、御身の高貴なる神聖術を行使して下さったとは……このアンソン、感謝してもし切れませぬ」

 

 いきなりの、平身低頭。内心では物凄く驚きつつも、外面を保つために咳払いをして、柔和な笑みを浮かべた。

 

「傷は癒しました。血が足りていないでしょうから、暫くは安静にして、食事をしっかり摂って下さいね」

 

 民への心遣いも忘れずに、そう忠言を言っておくと、アンソンが更に姿勢を低く、まるでメッカに向けて定時の拝礼をするイスラム教徒みたいなポーズをし始めた。

 

 ……えっ、あの、まだ神様じゃないんですが。

 

「神の子だ……クィネラ様は、ステイシア神の神子様に違いなかろう!」

「神子、クィネラ様……こんな所に居られたとは」

「神子様……!」

「クィネラ様が神子様だったのか……!」

「クィネラ様……!」

 

 ……ま、まあ、遅かれ早かれこうなっていたのだし、少しばかり前倒しになったと考えておけばいいか。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 そんな日々から三年後。

 

 三年もの間ずっと狩りをしていたので、今のシステム権限レベルは77。

 

 そんな長い間やってこれかよと思われるかもしれないが、そもそも小動物では得られる経験値なんてたかが知れてる。

 RPGで言えば、最初の町の周辺でスライムなりゴブリンを狩りまくってレベルをカンストさせようとしているようなものだ。

 

 言うまでも無いが、この三年ずっと狩りだけをしていた訳ではない。

 怪我人を見つければ治療し、絶対に外れない神聖術の天気予報で災害を予測したり、天候に恵まれなければ風で雲を吹き飛ばし、雨を振らせたりもした。

 

 そうして、神の御業として世間一般に知られている神聖術を大規模に使用するその少女はステイシア神の神子である……という話が浸透すると、信奉する者が増えていったと同時に影響力も増していった。

 

 そこで、俺はこの生まれ育った町を発展させ、遂に《管理者》となる第一歩へと動き始めたのだ。

 

 中央に大きめな池と金木犀の木が立っているので、池を埋め立て大きな正方形の広場を設置。そこから、俺が神聖術を使って十字の道を敷設していって、その道に沿うようにならした土地に家屋を建てていった。

 

 大きな街を作っているという噂を聞き付けてか、そこかしこから商人やら住民やらが集まってきて、同時に俺を崇める人々も増えていった。

 

 しかしまあ、街の規模が大きくなれば人手も足りなくなるもので……

 

「クィネラ様、この場所の地下に大岩がありまして……」

「あら、術士はいないの?」

「ええと、他の場所に付きっきりで……」

「……分かったわ。システム・コール。ジェネレート・エアリアル・エレメント」

 

 空に舞い上がり、高速で示された地点へと向かう。

 

 どうも、家を支える杭を打とうとして、下にある岩に阻まれてしまったらしい。

 なので、ここでも神聖術を使わせてもらう。

 

「システム・コール。コントロール・オブジェクト、リディフィニション・オブジェクト」

 

 岩を取り出し、それを土に変換することにより、土壌を元に戻す。

 

 正直、中学生くらいの英語力さえあれば、英単語を知っているだけで作れてしまう魔法……それが神聖術だ。思い浮かべるイメージを固定化出来れば後は簡単である。

 

「ありがとうございます、クィネラ様!」

「何かあれば、またすぐ言いなさい。早くこの街を立派にしたいもの。分かったでしょうね?」

「は、はい!」

 

 今日とて今日とてアドミンムーブ。

 だけど恐ろしいことに、まだ俺、11歳なのだ。

 

 原作で言われてた支配欲求とかはサラサラないが、意外と街づくりが楽しくて、ついつい過剰に支援してしまい、今の街の大きさは大体直径3000メルほど。

 

 カセドラルをその内建てたいと考えているが、セントリアの街の大きさはどれくらいなんだろうか。

 

 紙に書かれた街の設計図には、これから直径8000メルにまで拡張するとある。

 

 ……まあ、いいか。多少違くても問題無いだろう。

 

 それよりも、家に帰って更なる料理の研究に勤しまなければ……

 

 内心で頷くと、足底にエレメントを集中させて、実家の方向へと飛び上がった。

 

 

 

 

「おかえりなさい、クィネラ」

「はい。ただいま帰りました、お母様」

 

 三年経った今でも、お母さんとの関係はとても良好だ。ついでに、お父さんもそれなりに仲がいい。

 

「今日は何を作るのかしら?」

「はい。遥か西に伝わるというケーキ……中でも、チーズケーキを作ろうかと」

「チーズでケーキを作るのね? でも、さっぱり味が分からないわ」

 

 ふっふっふ……Ifシリーズのキリトの轍は踏まないぞ。ちゃんと下にクラストの層があるのは知っているからな!

 

 そして、ケーキ作りに取り掛かった……のだが。

 

「あらあら、焦げて灰になっちゃったわね……」

「なんで!?」

 

 原因を探ったところ、単に熱素の量的な問題で、温度が高過ぎただけでした。

 その後の調整により、美味しい美味しい、カーディナル・システム製チーズケーキが作られた。

 

 やっぱり熱素の調整って難しいなぁ。電子レンジ欲しい……

 

 その完成品は、我が父にも献上することにした。

 

「ふむ……酸味もさることながら、この滑らかな食感……実に気に入った。とても美味しいではないか、クィネラ」

 

 いやぁ、それほどでもないっすよ、えへへ……

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦30年6月25日 

 

 やる事が多くなってきたので、今日から少しずつでも日記を書いておこうと思う。

 

 将来、何かの拍子にフラクトライトの記憶を消すことになったら、この日記は役に立ってくれるかもしれない。

 

 さて、何故今日から日記を書き始めたのかというと、なんと、ちっちゃいながらも、あのカセドラルが完成したからだ。

 

 お父さんや血縁の領主におねだりして大理石の建材を沢山貰い、それを神聖術で組み立てることによって作られたこのカセドラルは、三階仕立て。

 まあ一階は金木犀の木のある庭園で埋められてあってないようなものだし、二階も三階もガラ空きなんだが。

 

「クフフフッ……これで、神に祈りを捧げる場が完成したわ」

 

 とか民衆に言ったら、みんなヒャッハーして喜んでいた。

 

 そして、公理教会という名前を付けて、俺はそのトップに君臨することになった。

 

 まだ三階しかないが、百層まで頑張って作ろうと思う。

 

 頑張れ、俺。負けるな、俺。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦30年7月8日

 

 カセドラルを立てて、神の神子なり巫女なりを自称していたら、我が家の血縁以外の各地の領主達が、「ウチの住人が君に貢ぐせいで税金が取れなくて困ってんですけど、どうしてくれるんですか? ねぇ?」という苦情が来たので、仕方なく神がお認めになった貴族として爵位を与えようと思う。

 

 これは原作でもクィネラちゃんが取った手法で、直々に神が認めたのならと、民がこぞって租税を献上させる仕組みにしたのだ。

 

 そうすると、苦情を呈してきた領主は民がちゃんと税を納めるようになったので何も文句は言えないし、このまま従った方が自分にとっても利があると判断するのだ。

 

 今日からそれを始めて、既に何人かの領主の首を縦に振らせている。他の領主の懐柔も時間の問題だ。

 有力な領主ほど高い地位を与えてやって、後々壁で人界を隔てる際に皇帝にでもしてやろうかとも考えている。

 

 俺の人界統一は、まだ始まったばかりだ……!

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦31年9月2日

 

 今日は、兵士を養成する練兵場を建てた。

 街の力のある青年達から志願を募り、ゆくゆくはダークテリトリーから来る敵と対抗する人界軍となってもらうのだ……恐らく、350年ほど使われないが。

 

 ここのところ、大規模神聖術による建築ばっかりしていて、社畜に戻ったかのような気分になってしまっている。

 

 新たな神聖術士の育成に、セントリアの区画整理と新セントリア市の都市構想や設計、市内で行われる商業の管理統制のためのコミュニティの設置、郊外の農地の開墾、法律たる禁忌目録の策定と制定、公布、施行……

 

 ……書いていて思ったのだが、今更ながらに俺は何をやっているんだろうと思った。

 

 最後の禁忌目録はともかくとして、市場経済を作り上げて一体何がしたいのか。そんなもん教会の計画経済でええやん。赤でも問題無いじゃん。

 貧弱な知識では現代知識無双にはならないけども、クィネラちゃんボディのお蔭か信者共がやる気に満ちて、色々と発展してしまっているのだ。

 

 ……いやまあ、これくらい許容範囲か。やがては停滞の時代を作り出すのだ。

 多分、問題無いだろう。……多分。

 

 

 現在のカセドラルの階数──4

 

 一言コメ:大理石くれ。あとマーブルチョコ食いてぇ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦32年1月13日

 

 術士の育成が着々と進んでいる。

 周囲からは、神子様のお弟子様だの言われているが、弟子を育てている気はさらさら無い。教師と生徒みたいなものだ。

 

 ……あれ? 弟子と生徒って教えて貰っている立場だし、もしかして同じようなものだったり?

 

 いやまあ、気にしても仕方ないが。

 

 育成した術士達は、公理教会の司祭にして、各地で布教やら神聖術での人助けでもやってもらおうと考えているので、地道に神聖術の鍛錬を頑張ってほしいものだ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦33年4月8日

 

 やっべ、クッソ腹痛い。

 

 俺の奴隷──ゲフンゲフン下僕──ではなく信者に、「疲れたから、今日は休むわ」と伝えて、ベッドでゴロンと転がる。

 

 ここの所体調が悪いとは思ったが、ここまで酷くなるとは……原因はなんだろうか。

 

 まあいいや、これだけ書いて寝よ。

 

 ……あ、それと寝る時に下着一枚って爽快感あるよね。

 

 なんかこう、スカッとする。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦33年4月9日

 

 朝起きたら股から血がドバドバっとしていた。

 

 ……は? と、しばし面食らったのは仕方ないだろう。

 

 即座にステイシアの窓で天命を確認したが、大した減少は見られず、もしや何かの病気ではと焦って、このクィネラ生で一番あたふたした。

 

 原因を探ろうと慌てて、実はかなりの博学であるお母さんにお問い合わせしたところ、くすりと笑いながら、女の子の日であることを教えてくれた。

 

 嘘だろ、アンダーワールド……なんで生理があるんだよ。

 

 ビックリしながら、パンツを神聖術でお洗濯して、先ほど取り込んだばかりだ。カセドラルの最上階は洗濯物がよく乾くので嬉しい。

 

 話がそれたが、確かカーディナルの話によれば、この世界の生殖システムは、システム上での婚姻がなされた夫婦同士が行為を行えば、一定の確率で妊娠し、後に出産するというものらしい。

 

 その一定の確率って、もしや女の子の日に近付くに連れて上がったりするんじゃないだろか。そうでなければ、トイレさえ無いこの世界に生理なんてものは必要ない。

 

 これから一ヶ月周期で生理が来るのは、御免被りたいものだ。

 

 

 現在のカセドラルの階数──6

 

 一言コメ:再現性なんていらねぇ。シミュレーションに理想を求め過ぎだと思う。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦33年7月23日

 

 今日は仕事を休んで、ダークテリトリーへ出張しに来た。

 

 この頃のダークテリトリーは、まるで原住民みたいな奴らしかいなくて、ゴブリンは言葉さえ話せない。

 

 そこからさらに遠く離れて、未来では帝都オブシディアのあるであろう山々に村があった。

 

 しかし、かなり寂れている。幸いここの暗黒人は日本語……ではなく人界語が通用したので、俺の来訪に腰を抜かす人々へ事情を聞いてみたら、元々土壌の悪いこの場所の農業では収穫量もかなり少ない上に、去年は凶作だったらしく食糧が尽きてしまったんだとか。

 

 このまま放置するのも忍びないので、大規模神聖術、『スペイシャル・リソース・エリア・トゥ・セルフ』で神聖力を掻き集め、神聖術の秘奥義にあたるらしい、『クリエイト・アイテム』でカーディナル製の固めなパンを大量に用意してやった。

 

 感涙に咽びながら、「おお……ベクタ様……! なんというご慈悲を……!」なんて言いながら俺を拝み始めたので、対応に困ってしまった。しかし、一度世話をしたのに、このまま不作の根本治療を行わずに放置するのも、なんだか申し訳ない。

 

 ……なので仕方なく、仕方なーくちょちょいと村を魔改造して、色々な知識を村人たちに授け、どんな環境でも一定量獲れるようになっているというアンダーワールド最強の食料たるジャガイモの種芋を進呈した。

 

 ……うん、多分、アドミンもそういうのやってたって事で! 

 原作再現にあたってはノーカンだよ、ノーカン。ノープロブレム!

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦34年1月15日

 

 なんやかんやでまたダークテリトリーに来てしまった。

 

 村民達が俺の姿を見てワタワタと騒ぎ出して、最終的にメッカのポーズになっていた。

 

 また狂信者が増えてしまった……しかも聞いたところ、ここのところジャガイモしか食べていないという。

 これまた仕方無いので、暗黒界の土壌の一部を人界と同じものにしようとしてみたところ、システム的なロックからか神聖術が反応しなかった。

 

 やむを得ず、今度は育てている作物自体の情報を書き換えてやろうと、上位術式の単語として知られるものを組み合わせてサブスタンス・コンバージョンの術式を組み上げて使ってみたが、どうも今の権限レベルでは発動に足りないというのを本能で感じ取った。

 

 もう雑魚では上がらなくなっているので、俺と同じフラクトライトが思考のコアとなっている暗黒界の亜人……ゴブリンを殲滅することにより、俺の権限レベルは90に達した。

 

 彼らに罪はない。彼らも生きているフラクトライト。

 悪意を持てども、等しく人間の思考をしている。

 

 今はまだ言葉も通じないが、喋り出してしまったら、俺は彼らを殺すだけの度胸があるのか。

 

 ……殺せる頃には、きっと俺の心は既に壊れてしまっているということなのだろう。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

「神子様、本日のご予定は?」

「そうね……少し、最上階に籠るわ。調べたいことがあって」

「そうでしたか……お時間を取らせてしまい申し訳ございません。では、現時点で開始されている開発計画を続行致しますね」

「よろしくお願いね」

 

 45度の最敬礼でお辞儀してきた高い地位の信徒へ手をヒラヒラと振って別れると、一年で1階くらい増えていって、10階にまで到達したカセドラルの最上階……自分の寝室まで、神聖術で飛び上がった。

 

 寝室に着いてから、つい周りをキョロキョロと視線を巡らせてしまう程、不思議と緊張感がある。

 

 これからやろうとする事が事なので、かなり緊張するが……ふぅ、深呼吸大事。

 

「システム・コール」

 

 これから紡ぎ出す言葉は……本来なら、もっと先の未来で、クィネラが長年の思索と解析で導き出してしまうことになる、神へ至る術式。

 

「インスペクト・エンタイア・コマンド・リスト!」

 

 

[Entire list of system commands]

   〈Touch to expand each items〉

 

〈Element-related Commands〉

 

“Element generation”

-Thermal Element

-Cryogenic Element

 ・

 ・

 ・

 

 

 ……目の前に表示された窓には、このアンダーワールドに存在する全てのコマンドが存在している。

 

 これはフラクトライトの育成をした最初の四人の研究者の置き土産……もとい負の遺産だ。

 誰かさんの手によって消去されず、残っていたこの術式を、クィネラは偶然か見つけてしまうのだ。

 

 

〈Internal administration Commands〉

 

“Urgent administrative authority Acquisition”

-Full system control authority

 ・

 ・

 ・

 

 

 そのコマンドリストの末尾……最後の項目にある術式の一つにあったのは、《全権限の取得》。

 

 これにより、クィネラはカーディナルと同等の権限を手にし、やがてはカーディナル・システムそのものを消そうとするようになる。

 

 ……まあ、まだ俺には関係ないけどね!

 

 

 

 

 

 でも万一もあるから、念の為に、一応システムの全権限とアイテムの全権限について、取得だけはしておいた。

 

 ひゃっほい! チートひゃっほい!

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦36年3月31日

 

 遂に18歳を迎えた。

 大人の色気は無いけど、鏡を見ると、美少女なアドミンがこちらを見ている。

 

 ab◯cさんが本気出してきた。

 マズい、キュン死とはこの事を言うのか。

 

 鏡の前で数分ほど身悶えてから、ふと思ってしまった。

 

 ──コマンド・リストあるし、いっそのこと天命値固定とかして半アドミン化すればいいんじゃね?

 

 思い立ったが吉日、早速天命上限の固定、容姿の固定、オブジェクト操作の全権限を取得した俺は、歳を取らないただのチーターになっていた。

 

 キバオウさんに「チートや、チーターや!」と言われてもマジで否定出来ない。

 多分茅場さんより悪辣である。手段なんて選んでられんのや……

 

 試しに、ステイシアの窓を出してみたところ、

 

 

 Unit ID:[CDI1-1089]

 

 Object Control Authority:Z

 

 Durability:4239/4239

 

 System Control Authority:Z

 

 

 的な事が書かれていた。

 

 全権限を取得したからか、二つの権限がZとか訳の分からん値に変化していたらしい。てっきり、255か32767か65535辺りだと思って居たのだが……

 

 うーん、取り敢えず満足と言っておこう。

 

 

 現在のカセドラルの階数──12

 

 一言コメ:コメ食いてぇ。米がない。何故?

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦38年1月1日

 

 新しい年が来た。

 

 カセドラルは十層くらいになって、央都セントリアが殆ど完成しきった感がある。

 

 料理が好きだという住人の女の子をひっ捕らえて、蜂蜜パイの作り方を伝授した。

 あと、もし店を開くなら跳ね鹿亭って名前にするようにも言っておいた。

 

 これで超老舗の名店が出来上がるぞ。やったぜ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦38年3月31日

 

 どうも。二十歳になりました。

 

 教祖というお偉いさんではあるが、成人の祝いをすることになった。

 

 他の貴族達も集まってきて、「ウチの息子なんてどっすか……?」とお見合いを持ち掛けてくる奴ばっかいたんで、「結婚する気はありませんよーだ」と言い返したら、お母さんが鬼気迫る表情で詰め寄ってきて、「好きな人を作りなさい!」とお説教されてしまったのが記憶に新しい。

 

 人界最高権力を叱れるお母さんって……もしかして我が母が人界最強なのでは?

 

 いや、それはさておき。

 

 何にしても、俺は好きな人なぞ作るつもりは無い。

 

 キャリアウーマンになっても、生涯独身を守り続けます。

 そもそも、まだ俺にソッチの気が無いというのも大きいのだが。

 

 

 

 

 もし、好きな人出来てしまったら、俺はどうなるんだろうか。

 

 

 

 現在のカセドラルの階数──13

 

 一言コメ:人界に足りていないものは食文化である。食堂作りてぇ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦50年4月3日

 

 最近、忙しすぎて日記を書き忘れる日が多い。

 

 そしたら俺、もう三十越えちゃってた。三十二だよ。アラサーだよ、アラサー。

 いつの間にか前世の年齢と並んでて悲しいです。

 

 相変わらず俺の奴隷──ゲフンゲフン下僕は頑張ってくれている。特に信心深いのは公理教会の司祭とかにしてやって、俺の手の届かないところで働いている。

 

 ホント社畜時代に回帰したかと思った。俺一人が主に仕切ってるので、何かの調印やら署名やら何やらで働き詰め。神聖術で体力を回復させての労働。ダークテリトリーで現地の暗黒界人への教育活動。禁忌目録の執筆。

 

 精神がやられそうだったよぉ。

 

 というか、一週間前からずっと書いている事だが、性欲が溜まりすぎてつらたんだった。アドミンの体で自家発電したら背徳感がえげつないのでやる気が起きなかったが、なんと今日、やってしまった。

 まあやったらやったで吹っ切れたんだけどね。

 

 非常にスカッとした。ストレスも消えた。性欲が三大欲求に含まれる理由も納得というものである。

 

 俺に欠如していたのは、どうやらコレだったらしい。

 

 

 

 現在のカセドラルの階数──25

 

 一言コメ:クォーターポイント突入。アインクラッドならやべぇ奴が出てきて毎回死者が出る階層だ。フルダイブ型VRゲーやりてぇ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦52年5月27日

 

 遂に、禁忌目録を公布した。

 

 禁忌目録とは、自分より権限の高い者を作らないようにクィネラが定めた絶対的な法律だ。人殺しとか、動物殺しとか、経験値の高い敵がわんさかいるダークテリトリーの侵入とかを防ぐためのものである。

 

 因みに、この世界において公布するのは施行することと同意義だ。

 人工フラクトライトを持つ住人達は、上位存在の命令には逆らえないという不思議ロジックが存在するからである。命令が全ての民に届いた時点で、遵守しなければならないと思ってくれるので有難いものだ。

 

 あと多分、大抵の事は原作と同じようになっているが、抜けがあるかもしれない。

 

 まあ、その時はその時考えよう。俺はちょっと、疲れた。

 

 

 現在のカセドラルの階数──27

 

 一言コメ:27と言えば、レンリ・シンセシス・トゥエニセブンを想起させる。つうか、早く原作キャラに会いてぇ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦58年8月31日

 

 世の中の学生達が、目の前に広がる強敵と立ち向かいつつ、絶望の表情を浮かべているだろうこの日。

 

 ダークテリトリーに侵入したらしい、ベルクーリという愛すべきおっさんをひっ捕らえてきた。

 

 ふぉぉぉ諏訪部ボイスかっけぇぇぇ! シンセサイズしてぇぇぇ! とか思ってないぞ……諏訪部さんの声にときめいてなんかいないんだからねっ!

 

 北の守護竜から青薔薇の剣を奪おうとしただけあり、かなり強かったが、やはり神聖術をボコスカ使うチーターには勝てなかったようだ……ビバ、チート。

 そしてごめんなさい、諏訪部さん。

 

 勿論直ぐにディープフリーズで、新鮮なままをお届けいたしました。

 

 

 現在のカセドラルの階数──34

 

 一言コメ:将来一番の晩酌仲間を発見。一緒に酒を飲みてぇ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦62年12月31日

 

 大晦日。

 

 またも、多忙な一年が終わった。

 

 見た目はピッチピチの高三JKなのに、中身は四十二歳。

 おばハンって言ったら皿にするぞコラ。

 

 ……よし。俺は決めたぞ。

 

 女子高生のブレザー作って、セントラル高校(仮称)生徒会長クィネラちゃんになってやろうじゃないか。

 

 だけど、今日はそろそろおやす────(唾液で文字が霞んでしまっている)

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦64年6月6日

 

 ダークテリトリーにて、十分な教養を獲得した人材が何人も現れた。

 

 これ幸いにと、なんと人界でも作られてない、アンダーワールド初の学校をここに作ることにした。

 

 人界産の、カセドラルにも使われてる大理石的なサムシングを持ってきて、神聖術で加工。半日で造形が作りあがったそれは、正しく日本の学校だった。

 

 昇降口、職員室、トイレ、屋上も完備。教室は一組から八組、それを六年生まである。

 

 内装はまだ無い。

 

 ……内装は無いそうで(ry

 

 話は変わるが、食料の生産量と人口というのは比例するものである……たぶん。

 

 古事記にそんな事が書いてあったような気もするが、事実作付面積が広がってきた今日で、ダークテリトリーの暗黒界人の人口は50人足らずだったのが400人ほどに増加している。

 

 まだ若い彼らを学校へ入学させたらどうなるのか、明白だ。

 

 「おお、ベクタ様のなんと麗しきお姿か……」と、完全に崇拝されている中で、ふと俺は日記を書いていて今更ながらに思ったのだが。

 

 ……俺、なんで敵陣営強化しまくってるんだろう、と。

 

 語学、算術、兵学、戦闘技術、薬学、礼儀作法、道徳、神聖術を主に教えているが、元々日本という超高等教育の国の出で、しかもそれを暗黒界人にも真似させようとしている訳で……

 

 特に、簡単ながらも、基本中の基本を押さえた軍隊の扱い方を教える兵学と、神聖術を教えたのはヤバいかもしれない。

 ヒャッハー! ミニオン乗りながら熱素の槍でパルティアンショットだぜぇ! とかやられたら人界軍オワタである。

 

 ……いや、うん。こちらの陣営も、職人やら兵士やらが強化されているし……まあ、いいや。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦65年11月23日

 

 最近日記を見返して思ったんだが、俺ってばもしかして、ただの働き詰めのブラック教祖になってる……?

 

 誰か、俺の勤労に感謝してぇ……そして労わってくれぇ……!

 

 俺、一日の睡眠時間2時間足らずだったし……

 働き過ぎじゃねって言うか、それを許容している周りってどーよ、そこんとこ。勤労感謝の日舐めてんの? 勤労できることに感謝しろってか? ブラックな職場でそんなこと思わないっての。

 

 何でもかんでも上司に仕事押し付けやがって……パワハラとはいい度胸じゃないか。

 

 なので、俺の下僕であるお偉い方に、来年4月より始まる、小中高を兼ね備えた学院の管理運営を任せることにした。

 

 まあ、これでも教祖なんで。忠実なお偉い方は二つ返事で引き受けてくれた。

 

 ……前に作った制服着たら、学校通えるかなぁ。

 

 

 現在のカセドラルの階数──41

 

 一言コメ:18歳のアドミンには制服だが、原作の20歳前半アドミンには、タイトスカートの女教師が似合うのは自明である。青春してぇ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦66年2月11日

 

 一人だとえげつない不便なので、執事のクリスチャンを雇った──もとい、拾ってきた。

 人界では全く居ないと思われた黒髪黒目の少年で、まだ12歳くらいだが、既にイケメンの風格を兼ね備えている。

 俺も前世はこんなイケメンだったら、大学は遊び放題だっただろうなあ……というレベル。

 

 北のダークテリトリーへ、ゴブリン狩りに遠征した際に発見して連れ帰ったのだが、なんとクリスチャン、人界に入ろうとしてくるゴブリンやら何やらを倒し続けてきた為に、権限レベルが60と、俺に次いで人界で二番目くらいにある。

 

 

 禁忌目録違反でよく捕まらなかったなと思えば、村から排斥されて、ゆく宛もなく彷徨っていたのだとか。

 お前よく守護竜の横を通っていけたな……と、その胆力にとても感心している。

 

 そんなクリスチャンは、最近紅茶を淹れ方を練習しており、段々と美味しくなっている。

 

 執事ということで、主人を守る強さを手に入れなければならないが、クリスチャンが繰り出す独自の剣術で俺と軽々渡り合い、剣の扱いなら俺よりも長けている。

 

 剣にソードスキルの光が纏われた時は焦った。この世界で奥義、秘奥義として扱われているソードスキルは、ゲームだったソードアート・オンラインの時の攻撃倍率がそのまま適応されている。

 

 普通の剣技がソードスキルに勝てるはずもなく……

 

 剣を吹き飛ばされ、間合いを詰められて、気がつけば首筋に刀身が当てられていた。

 これはもう降参だと手を挙げる他無くて、本人はと小さくガッツポーズして喜んでいた。

 

 これはとても良い拾い物だった。神聖術の勉強をさせたら、是非ともチュデルキンの代わりとして働いて貰おうと思う。

 へっ、チュデルキンなんて死んでも雇わねぇからな!

 

 

 現在のカセドラルの階数──42

 

 一言コメ:お友達増加記念に増築。チュデルキンは生理的に無理。あれとずっと居るとかマジ死にてぇ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦75年3月31日

 

 もう大して気にもしなくなった誕生日。

 

 今日はなんと、久々に実家に帰った。

 

 もう20年以上も会っていなくて、すっかり老け込んでしまった両親の姿を見て、感傷的な気分になったが、変わらず娘として接してくれて心が暖かくなった。

 

 母は相変わらず元気のようで、何となく連れてきたクリスチャンを見ては目をパァと輝かせて、「娘のことよろしくお願いね!」だなんて言っていたので、クリスチャンが激しく動揺してしまった。

 これこれ、思春期の高校男児を揶揄うんじゃありません。

 

 父はセントリア市の領主の座から退いてからは威厳が消え去り、気のいいお爺ちゃんになってしまった。

 久しぶりにケーキでも焼いてあげて、大層お喜びになったので、良かった良かった。

 

 帰ろうとしたら、母が誕生日を覚えてくれていて、プレゼントとして母が大事にしていた地虹鉱のネックレスを貰ってしまった。

 

 これからは着けておこう。

 

 

 現在のカセドラルの階数──50

 

 一言コメ:第二クォーター。キリトはここで二刀流を獲得したらしい。二刀流使いてぇ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦80年4月1日

 

 やっほー! 永遠の18歳クィネラちゃん(62歳)だよ! キャハ!

 

 ……嘘じゃないよ。俺もうオバサンだよ。なんてこったい。

 

 しかも、処女……! 男で言うところの童貞……! 彼女いない歴前世含め93年……!

 

 ……書いてて虚しくなってきたな。

 

 さて。そろそろ、カーディナル・システムと俺のフラクトライトとの融合を考えておきたい頃だ。

 コマンドは作っておこう。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 人界暦80年5月8日

 

 久々に、街の方に視察に出ようと思う。最高司祭だとバレないよう、深めのローブを羽織って、街へ駆り出した。

 

「あら、このパイはお幾らなの?」

「はい! 4シアです!」

「そうなの……じゃあ、二つ頂くわね」

「毎度ありです! どうぞ!」

 

 的なやり取りをして、いつかの女の子が建てた店、跳鹿亭の蜂蜜パイを二つほど購入した。

 

 何故だか、俺が自作したものより美味しいような気がする。材料でも変わったのだろうか。

 

 もう一つは、俺専属の執事クリスチャンに渡しておこう。

 あいつも多忙期は俺と一緒に社畜した仲だ……労わってやんないとな。

 

 その後適当に街をぶらぶらして、カセドラルに帰宅した。

 

 

 現在のカセドラルの階数──55

 

 一言コメ:蜂蜜パイうめぇ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦81年11月30日

 

 実家の母さんが亡くなったと聞いた。

 

 前世じゃ、しっかりとお袋と親父は生きてたし、誰か親しい人が死ぬなんてことを味わった事がなかった。

 

 最近も忙しいから、あまりカセドラルを離れてなくて、一年に数回顔を見せるぐらいしか、親孝行は出来なかった。

 

 親しい者だけ集めて、葬式は実家の中でやった。

 

 ……他人の天命の上限を固定するのは、整合騎士だけにしたい。

 

 だから、こうなるしかないとは分かっていた。

 

 泣いたのは、前世も含めて80年ぶりかもしれない。

 

 アドミンの印象を崩さない為に、帰ってから、一人でずっと泣いた。

 

 ……辛いなぁ。

 

 

 

 

 現在のカセドラルの階数──65

 

 一言コメ:無心で作業をしていたら、いつの間にか10階増築してしまった。今は何も考えたくない。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦83年12月24日

 

 お父さんにも先立たれた。

 一人娘だったので、俺にはもう家族はいない。

 

 屋敷に居た使用人達は、カセドラルで雇うことにした。

 

 そしたら、執事のクリスチャンが「大丈夫ですよクィネラ様」とか、「まだ私やみんなが居るじゃないですか」とか言ってきたので、涙腺は崩壊した。

 それでクリスチャンの胸で思わず泣いた俺は悪くない。

 

 クリスチャンってぱ、泣きじゃくる俺の背中をポンポンって叩いて、子供をあやす様にそっと抱擁するんだよ?

 あらヤダ何この25歳。ちょっとイケメン過ぎじゃないですかね? しまいにゃ惚れますよ?

 

 いやねぇ……もう、人生を掛けて作り上げてきたアドミンの印象が……ほんと最悪。

 

 

 鬱だ、カーディナル・システムと融合しよう。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

「システム・コール」

 

 死ぬほど唱えた起句。それを、カーディナル・システムとの融合の為に使う。

 

「インターヴェンション・メインビジュアライザー……」

 

 原作では、自分と同じ権限の存在が居ることに不満を抱いたクィネラが、カーディナル・システムそのものを乗っ取ろうとする為に使う。

 

 この神聖術の内容は、ライトキューブクラスター中央部にある、メインビジュアライザーのカーディナル・システムに干渉し、内容をコピー……いや、ファイルごと俺のフラクトライトに格納すると言っていいのだろうか。

 

 とまあ、そんな感じに、あっけなく式句を唱えた。

 

 そして……

 

「あ……」

 

 意識が、すぅと遠のいていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ィネラ様! クィネラ様!」

 

 ……んぅ?

 

 誰かと思ったら……クリスチャンか。

 

「……どうかしたの?」

「どうかしたのじゃありません! いきなり目の前で倒れて……お具合は?」

 

 具合、具合か……

 

「そうね……かつてないほど良いわ」

「かつて、無いほど……?」

「ええ、そうよ。だって、私は支配者にして管理者……

 

 

 

 

 今日より私は、公理教会最高司祭、アドミニストレータである」

 

 ……はてさて、カーディナル・システムさん。

 

 

 

 

 ……秩序の維持って命令、ちゃんと俺の中に埋め込まれてるんですかね、これ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 結果から言えば、カーディナル・システムと俺のフラクトライトの融合には成功している……らしい。

 

 カーディナル・システムは消え去り、最高の権限は俺のみ。そこまでは良い。

 

 だが、カーディナルの基本命令、秩序の維持は、すっぽりと消えて無くなっていた。つまり、カーディナルのメインプロセスは完全にお釈迦になったのだ。

 一応、カーディナルの全機能が使えるようになったが……使う日が来ることは無いだろう。

 

 しかし幸いにも、メインプロセスのエラーチェックを担うサブプロセスのプログラムは壊れずに生きていた。

 というか、サブプロセスさえ生きていれば良いのだ。

 

 俺がわざわざこんな真似をしたのは、サブプロセスの複写……リセリスと呼ばれた少女にアドミニストレータの記憶を植え付けて、大図書室の賢者、カーディナルを作り出すことが目的だ。

 

 彼女がいないと、キリト達はカセドラルに入れず、記憶解放術も、この世界の真実も知ることが出来なくなる。

 

 だから、俺的には完璧な結果と言える。

 

「くふふ……私の計画はまだ始まったばかりよ」

 

 ……よし。取り敢えず、フラクトライトの記憶容量が無くなるのを待とうか。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦84年1月4日

 

 ここから暫く暇になるので、まずはソードスキルを鍛えてみようと思う。

 

 実は、インスペクト・エンタイア・コマンドリストみたく、ソードスキルも発動方法やら何やらが書かれた、インスペクト・エンタイア・スキルリストが存在する。

 

 主に使う武器種は、片手剣と細剣とカタナ。

 

 原作のアドミンが使ったのは、クルーシフィクションやら絶空やら……まあ他にも技を覚えてみたいけども。

 

 体が引っ張られるというか、体が勝手に動く感覚というのが慣れないもので、盛大にぶっ転んだ所をクリスチャンに見られた。

 

 そしたら、その瞬間……俺の体が別の何かに乗っ取られて、何を思ったかカセドラルのガラスを突き破り、そのまま転落していた。

 

 しかし、落ちたと同時に、俺の片手をクリスチャンが掴んでおり、その時にやっと体が制御できるようになった。

 

 非常に突然の事だったが、その現象が何なのかを俺は瞬時に把握した。

 

 潜在意識にあるカーディナル・システムのサブプロセスが、俺が精神的に動揺があった時に、体の支配権を一時的に奪った結果、あの自殺未遂が起きた訳だ。

 

 これからは、死なないように気を付けなければ……

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦87年10月31日

 

 マジで死ぬかと思った。

 

 色々な自殺未遂をやらされたが、神聖術の全力行使で、天命が一桁代にまで減少して、あと数秒でゼロになるところだった。

 

 カーディナルさんマジ怖ぇって……

 

 クリスチャンも気を張り詰めていて、カーディナルに乗っ取られないか、ずっと俺に随伴している。

 

 そんな状況なので、明日からとある実験を始めようと思う。

 

 それは俺が、恐らくアドミニストレータになる為に最も危惧している問題。

 

 ……非道な人体実験の始まりだ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 違反指数、という隠されたパラメータがアンダーワールド人にはある。

 

 簡単に言えば、法やルールなどに背けば背くほど高くなる数値だ。

 これを利用することで、禁忌目録に背いた人間を見つけ出し、捕まえて凍結処分にするのだ。

 

 既に、ベルクーリやファナティオは確保済みであるが、今回はその他の咎人で実験を行う。

 

 フラクトライトの直接操作……下手をすれば、人格さえも壊してしまう禁断の実験であり、ラースの研究者さえも躊躇したそれを、俺がやろうと言うのである。

 

 カセドラルの地下……凍結処分された人々を格納する倉庫から、とある男を一人引っ張り出す。

 

 記憶では、彼の禁忌は殺人だ。何かの事故だったと聞いているが、権限レベルも上昇してしまい、こうして凍結処分の運びとなった……

 

「システム・コール、リファー・フラクトライト、ID、ENC4-1366」

 

 窓が出現すると、現れたのは、もやもやと揺らめく雲が集まって出来ている球体だ。

 

 これが、彼の持つフラクトライトか。

 

 しかし、ディープフリーズによって、完全に活動が止まってしまっている。

 

 その場で鋼鉄の鎖を生成して、柱に磔にすると、術式を唱えてディープフリーズを解いた。

 

「……あれ、ここは……って、鎖?」

 

 窓を見ると、フラクトライトが活発に収縮を繰り返している。

 

 その窓……フラクトライトの活動の画像外にある欄には、大きく『Edit』と書かれているので、多分これを使うのだろう。

 

「……く、クィネラ様……」

「目覚めたようね。貴方はこれから、ちょっとした実験に付き合ってもらうわ」

「実験、ですか……それが、私への処罰ということですね」

「まあ、そんな所よ」

 

 『Edit』のボタンを押すと、タブレットのお絵描きツールでも使っているのかと言いたくなるカーソルが出現し、『erase』やら『add』やらが書いてある。

 

 試しに、『erase』でフラクトライトの隅を削除してみようとすると、次に文字の羅列が表示された。

 

『The lightcube is being protected』

 

 ……なるほど。このプロテクトの排除が、シンセサイズに必要な工程の第一段階なのか。

 

「システム・コール、エンタイア・コマンド・リスト」

 

 サッと目的の項目に目を通し、その通りに術式を唱えた。

 

「システム・コール、リムーブ・コア・プロテクション、ID、ENC4-1366」

「うがっ!?」

 

 そうすると、ライトキューブへのエディットが実現する……

 

「すまない、ミレナ、君に何か償えたのなら────ッ!!?」

 

 3Dの立体画像の、フラクトライトの丁度中央の部分を削除した。

 

 その瞬間、男は声にならない叫びと、激しい痙攣と共に、がくりと頭が項垂れ、手足から力が抜けて、目覚める気配が無くなった。

 

 その男に近づいて、反応を検証する。

 

 目に光はなく、腕に少し切り傷を付けても特に目立った反応はない。

 

 口に食べ物を突っ込んでも、反応はなかった。

 

 再度フラクトライトの画像を見てみると、先程まであった雲のような球体のもやは完全に消え去り、そこには虚無のみ。

 消した直後までは存在していた筈だが、どういう事なのか。

 

 ……分かったのは、フラクトライトの中央部には、人間としての最も重要な何かがあり、これを破壊すると周りの性格や記憶といったあらゆる情報も纏めて消え去る、と。

 

「……もうコレは使い物にならないわね」

 

 鎖を消し去り、ディープフリーズで再凍結して、別の場所で横たわらせておく。

 

 

 …………。

 

 

「あははっ……初めて、認識内での人という存在を殺しちゃったのね……私」

 

 ……そう考えれば考えるだけ、持ち上げた左手は、なぜだか震えてしまっていて。

 

 頬から顎の輪郭を伝って、しとっと、落ちるものもある。

 

「…………外道になろうってのに、なんて体たらく。冷酷で利己的、手段を選ばない狡猾さと無慈悲さのある最高司祭には、ほど遠い……」

 

 思わず、そう皮肉った笑みを浮かべながら、そこにある、先程まで生きていた彼の姿へ視線を向けていた。

 

 ラスティ……それが、彼の名前だ。

 さっき、記憶の内容を参照した。

 

 崖の端に膝を突いて、呆然とする彼を立たせて、ディープフリーズを施した。

 

 その時の絶望に歪んだ表情に、ひどく心が痛んだ。

 

 だがそれでも、そうする他になかった。俺がクィネラとして……アドミニストレータとしてあり続けるには、そうするしか……

 

「……クィネラ様。お気を確かに」

 

 その言葉が聞こえて、ハッと正面を向くと、彼は少し腰をかがめ、顔を覗き込むように見てくる。

 

「……私はいつだって正気よ?」

「貴方様はお優しい……その様な非道を続ければ、やがては自らの心を壊されます」

「──控えなさい、クリスチャン!」

 

 そうやって声を荒らげても、彼は微動だにせず、立ちはだかっている。

 

 一呼吸して、心を落ち着かせてから、睨みつけ払い除けるように歩いていく。

 

「……これは私が私である為にやっていること、所詮従者ごときに、どうこう口出しされる筋合いは──」

「クィネラ様」

 

 ……そう呼び掛けられれば、ふわりと、優しげな匂いが体を包み込んだ。

 

 俺……というより、アドミニストレータからすれば、このクリスチャンの身体は、執事服を着こなすような細身なのにしっかりとしていて、つい寄り掛かりたくなってしまうような心地がしてしまっていあ。

 

 しかし、そんな彼とは言え、本当にたかが一従者だ。この人界を統べる最高司祭が抱え込まれているというこの状況……正しく事案なのに、微動だにしていない。

 

 彼は静かに耳元で口を開いた。

 

「無礼を承知で聞いて下さい……貴方様が、宿願故に仁に背く道を貫き徹すことを、私は否定できません。全ては、我が主の御心のままにあります」

 

 しかし、と続けて、力強い言葉で続ける。

 

「同時に貴方様が傷つくことを、私は容認しかねます。全てを超越した最高司祭様と言えど、一人の女性です。もっと、私を頼って下さい……それとも、そんなに私が不甲斐ないでしょうか……?」

「……クリス……チャン……」

 

 そんなことは無い。いつだって、俺の隣で色々な事を助けてもらった。クリスチャンがいなければ、俺は今も、深い孤独を味わいながら、最高司祭という役職に忙殺されていただろう。

 違反指数の高い民を捕えようとして、一人に気を取られている隙に、もう一人いた仲間の凶刃を弾き飛ばしてくれたこともある。

 

 不甲斐ないんじゃない。お前は何も悪くない。

 

 逆なんだ……俺が弱いからなんだよ。

 忠誠を誓ってくれるお前の前でも、強く在ろうと、最高司祭として振舞ってやりたいんだ。

 

 俺じゃ、アドミニストレータにはなれないと分かっているのに。

 

「……私みたいのが最高司祭で、幻滅しちゃうわよね。こんな、罪人だってまともに殺められない私が、この人界の頂点に君臨してるって、おかしいわよね」

 

 だめだ……悔しくて、悲しくて……お前の温もりで泣いてしまう様な、単なる弱虫だ……

 

 涙を散らし、震えている俺の頬と目頭を拭ってから、彼は首を横に振る。

 

「……おかしくなど、無いです。クィネラ様が過去六十年渡り、民の為に身も心も削って尽力していることのどこに、幻滅しろと仰るのですか。クィネラ様は、クィネラ様自身が思っているよりも、遥かに毅然たる御心をお持ちです」

 

 宥めるような口調のクリスチャンに、俺は顔を赤くした。

 

 ……それは、激しい怒りだった。恥ずかしさだった。

 

 勝手なことを宣う、目の前の従者にも……他ならぬ、自分にも。

 

 優しく包み込む彼の腕を跳ね除けて、

 

「そんな訳が無い! 現にこうやって泣いているのは、迷いがある証に他ならない! 毅然なんて、この()に最も相応しくない言葉だ!」

「では貴方様は、目的の為と、人を殺める事に何の思いも抱かない者を毅然だと仰ると!?」

 

 ビクッと、体が跳ねた。

 強い怒気を孕んだ声音に……初めてのクリスチャンの怒りを前にして、思わず固まってしまった。

 

 俺はクィネラとして生を受けてから、褒めそやされ称えられ、信奉される事はあれど、一度も、誰からも叱って貰ったことが無い。両親にも、よく出来た子だと愛された。だと言うのに、こいつはそれどころか、俺が怒った事に逆ギレされた。

 人界の頂点の人物にそんな愚行をする者はまず有り得なかったというのに……

 

 およそ、70年。誰からの叱責も無く生きてきた俺には、その怒りが堪えた。

 

「……人の情の無き者。殺める行為に慣れ、死にゆく者をどうとも思わぬ者。それらは決して、心が毅いとは言いません。真に毅きは、哀しみや怒りを裡に受け入れる事のできる者。仁の道を逸れようと人を思い、信念を徹さんとする者が毅然たる者なのです」

 

 それがクィネラ様であり、御身の強さなのだと。

 

 信じられなかった。腑に落ちないし、俺はそんな殊勝な人間じゃない。

 

 でも、目の前の彼は認めてくれていた。敬神(パイエティ)モジュールを埋め込んですらないのに、醜態痴態を曝け出してしまったというのに。

 

 なあ……こんな、泣き虫で、弱虫な最高司祭で、いいのか……?

 

「それは、優しさに満ちているからです。だから、泣きたい時は泣いて下さい……私を頼って下さい。いつでも、貴方様のお傍におります」

 

 ……お前の前だと、もう敬愛する最高司祭で居られなくなるよ?

 

 もう、今だって嗚咽でまともに喋れず、涙がざめざめと流れて威厳もへったくれも無いというのに……俺の前に来ては跪いて、だらりとぶら下がる右手をそっと掬い上げると、忠誠の誓いの口付けを甲にした。

 

「何を仰いますか。クィネラ様はクィネラ様です。気さくな姿で話されるのは、畏れ多くも、喜悦の限りでしょう」

「クィネラ様じゃ、ないって……アドミニ、ストレータッ……だってのぉ……!」

 

 いつまで経っても直してくれない呼び方に、ムキになって怒れば、「おっと、これはすみませんでした、アドミニストレータ様」と、わざとらしく戯けて言ってのけた。

 

 いけ好かないイケメンだ。いつかその自信たっぷりの笑顔を歪ませてやりたい。

 

「……ありがとう、クリスチャン。俺みたいな頼りない最高司祭を、説得してくれて」

 

 そんな内心とは裏腹に、口から飛び出たのは感謝だった。

 どうしても、伝えたかったからかもしれない。

 

 しかし、クリスチャンは意外な切り返しをしてきた。

 

「……個人的に、素の状態で『俺』という口調になる理由が気になります」

「え、そこ?」

「正直、そのお姿で男口調というのが……その……私の中のクィネラ様像が音を立てて崩れていくような気がして」

「……やばい。それはかなり堪える……」

 

 せっかく収まりかけてた涙が、なんか溢れ出てきそう……

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦87年11月2日

 

 泣きわめいたら、クリスチャンと仲良くなった。

 

 一人の時でさえ出さなかった素を初めて出して、二人の時は喋るようになり、孤独感が、更に薄れた。もうボッチなんかじゃない!

 

 セントリアを作り上げる時の苦労や、もっと色々遊んでみたいことがあったとか、この世界に神なんて存在しないとか。でも別の世界がこちらを監視していて、俺達はとある実験の為に作られた存在だとか。その実験は、向こう、ダークテリトリーの軍勢が襲撃してくるというものだと。

 

 色々まとめて聞かせたので、面をくらって暫く飲み込むのに時間が掛かっていたが、一度理解すると、「どうされるので?」と聞いてきた。

 

 なので、こう答えてやった。「正面きって、バリバリ正攻法で立ち向かう」と。

 

 でも先ずは、自分のフラクトライトの情動回路を消し去らねばならない。

 

 ……そういえば、かなり今日は精神的に揺さぶられたのに、カーディナルが表に出なかった。

 

 不思議なこともあるもんだなと思いつつ、明日は実験をやると決めた。

 

 

 現在のカセドラルの階数──73

 

 一言コメ:(73)と言えば海だが、この世界には淡水魚しかいない。寿司食いてぇ……!

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦88年4月29日

 

 ダークテリトリーを久し振りに訪れた。

 

 20年以上経っているのに、みんな俺を覚えているみたいだった。

 

 あんな小さかった村も、今では白き学校を中心に街々が出来上がっていて、そこには確かな賑わいと活気があって、色々な形で俺をもてなしてくれた。

 

 教育も行き届いているようで、学校では、子供達が熱心に勉強する姿が見られる。

 

 しかし、小学校しかないのが困ったな……

 

 なので、人界の先生を拉致って中学校の講師とさせることにした。俺がいない時の仕事は頼んだ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦89年8月20日

 

 今日は実験をしていたのだが、イレギュラーな事態が起きた。

 

 カンセルという男だった。記憶を覗かせてもらったところ彼は、禁忌目録に逆らってものを盗む盗賊に奥さんを殺されて、激情に駆られ盗賊を殺して罪人となった男だった。

 

 彼は俺に対して、禁忌目録の理不尽さを説いた。「何故仇を討つことが罪なのですか」と。

 

 即答出来なかった。中世っぽく、魔法的なものがあるこのアンダーワールドでは、罪らしい罪ではないように思える。日本ではそれでも殺人罪として取り扱われるだろうが、この世界ではそういう認識にならないだろう。

 

 「……じゃあ、あなたは仮に無罪になったとして、どうするのかしら。子供がいた記録は無いのだけれど」と質問したら、彼は、「故郷に帰りたい」と一言。

 

 幸いにして、彼が捕まったのは数年前だった。

 

 なので、釈放した。騎士を同伴させて故郷に送り、最高司祭によるサイン付きの証書でも渡せば、故郷とやらの住人は納得するだろう。

 

 カンセルは、酷く感謝していた。まさか帰れるとは思ってなかったのだろう。

 だが、人を殺してはならないと強く厳命した。アンダーワールド人の性質上、これで大丈夫のはず。

 

 クリスチャンも、そういう理不尽な罪人は本人に釈放の意志を聞くのが一番だと言っていたので、記憶閲覧術で事前に記憶を観てから被験者にするか判断しようと思う。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦90年10月27日

 

 ソードスキルの動きに合うように体を動かすと、速度が早くなるというキリト流のシステム外スキルを、大体の技で使えるようになった気がする。

 

 付き合ってくれたクリスチャンにも感謝だ。

 

 二刀流の技が使いたかったが、この世界にはエクストラスキルは存在していなかったので敢え無く断念している。

 原作でキリトがスターバースト・ストリームを使えたのは心意の為せる技なので、俺には到底無理だろう。

 

 とか書いてて思ったんだが。

 俺、心意全く使えないや。

 

 これからは、実験の合間に心意を鍛えよう。そうしよう。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦91年11月3日

 

 エピソード記憶、意味記憶、手続き記憶といった、記憶の種類の特定化が完了。

 

 感情の解析にはまだ時間が掛かりそうだ。

 何せ、弄る度に情動回路を強制的に活性化させなくてはないし、そういう微調整を繰り返さなくては、フラクトライトの操作など出来ない。

 

 それより、クリスチャンとまったり何もしないのが唯一の心の安寧になっている。

 

 罪人とは言え、魂を弄る時に出るらしい恐怖による悲鳴、慟哭、命乞いetc……を毎日のように聞いている。

 

 クリスチャンに頭を撫でてもらうと、ちょっと魂に手を加えるだけでSAN値チェックが入って、常に目が100でゴリゴリ減っていくSAN値が一気に回復する。

 なにこれ、俺メス堕ちしたん? と正気に戻って考えみたのだが、二人きりの時は素に戻って対等な関係になるので、多分友情とか親愛とかそういう類いのが絡んでいるんじゃないのだろうか。

 メス堕ちしてたら嫌だし、『おれはしょうきにもどった』作戦でいこう。気付かないふり大事。

 正気じゃない方が人生やってけるのだ。SAN値直葬しかねないし。

 

 

 現在のカセドラルの階数──78

 

 一言コメ:この階層に、照明も何もない暗室を作った。そして暗室といえば現像だ。めっちゃ写真撮りてぇ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦94年5月9日

 

 マズい。先にフラクトライトの解析が終わってしまった。

 

 勢いでクリスチャンとハイタッチした。アドミンが「へーい!」ってハイタッチする構図とか、笑わない自信がない。俺のアドミン像がぶっ壊れてしまう。クリスチャンは既にぶっ壊れてしまったらしいが。

 

 先ず、俺のフラクトライトをコピーし、それを物質化。

 用心バックアップ。これ大事。

 

 それから、情動回路を司るフラクトライトの粒子を破壊。それと同時に、自分の魂を弄っていて恐怖していたはずの感情が消え去った。

 

 次、怒り。俺はあんまり怒んないので、まあ実感は無かった。

 

 次、驚き。本当に感情が消え去ってるなぁという事実に対しての驚きを感じなくなった。まだ、感心している気持ちがあるが、驚きがなくなるとここまで淡白になるのかと思ったものだ。

 

 最後、悲しみ。これを消した瞬間、俺の世界の何かが変わった。

 俺を構成している要素の大半が悲しみから来ているのか何なのか。喜びの気持ちさえ薄れていっていくような気がしてならなかった。

 世界が色を失うというものが、今なら理解できる。悲しみが無ければ、俺は俺でないし、何かをしようという興味が湧かないという状態。

 

 このままクリスチャンに会うのは避けた方が良いのは明白だった。

 彼は俺の感情を肯定する人間。感情を捨て去ることをどう思うのかは分かりやすい。

 その為に、あのバックアップが作られた。

 

 なので、消し去った部分を、バックアップからコピペする。

 

 その瞬間、また世界が変わった。輝いて見える訳では無いが、生き生きしているようだった。

 俺、色の消えた世界というのを知ってしまう。SAN値チェック、失敗。10減りました。

 

 多分、そんな感じの出来事。名状しがたいとは正にこの体験のことを言う。

 

 そんな訳で、感情を消した事については色々あるが今日はここまで。

 寝よう。そしてクリスチャンに撫でてもらおう。心がわりとしんどいんだよな。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦100年10月28日

 

 かれこれ10年、心意の練習をしているが、ちょっと何か動くかな? 程度のお粗末なものだった。

 

 えっ、嘘でしょ? 心意バカ難しくないですか?

 

 もうすぐ2世紀になっちゃいますけど?

 

 

 現在のカセドラルの階数──87

 

 一言コメ:花と言えば、俺は沈丁花という花が好きだ。非常に香り高く、遠くからでもそこそこ匂う。香水作りてぇ……

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦107年10月28日

 

 17年目突入しても、心意は不完全だ。

 

 それよりも、不可解な事がある。

 

 二年ほど前から俺の前世の記憶はどこに格納されているのかと、記憶を参照する実験をやっていても、俺のフラクトライト内のどこにも前世の記憶にまつわる記憶が発見出来なかった。

 

 では、どこにあるのだろうか。謎だが、解明出来ないものは仕方ない。前世の記憶が相手に渡らない事を前提に考えなくては話が進まない。

 

 考えているとややこしくなった。もう寝る。おやすみ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦118年2月14日

 

 心意の太刀が放てるようになった。

 

 心意の腕を修得してからはコツを掴んで、かれこれ数ヶ月で使えるようになって内心驚きがある。

 

 次は、ゲームのリコリスで使われた心意の盾とやらを修得しようと思う。

 

 だが、なんとクリスチャンの方も心意の腕使えるようになったらしい。俺が二十八年くらい鍛錬してようやく使えるようになったのに、あいつは十年と掛からなかったという……

 

 俺、才能無さすぎ……?

 

 

 現在のカセドラルの階数──96

 

 一言コメ:95階は望楼となるので、吹き抜けにすべく最上階の寝室を96階に追いやり、とりあえず原型だけ作り上げた。もう、とっとと完成させてぇ。

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦118年3月31日

 

 心意の腕を極めてたら、ジェンガもどきが出来るようになった。

 

 これまで沢山崩しまくったり破壊したり勢いあまって吹き飛ばしたりして、天命がゴリゴリ削れて何回も作り直したジェンガよ……ありがとう。

 

 そうだ。今度はプリンを崩さずに皿に盛る練習をしよう。そうと決まれば、明日からやるしかない。

 

 それと、百歳になりました。クリスチャンやカセドラルのみんなが祝ってくれた。

 

 ……いや、最高司祭の誕生日祝うって、今思っても奇妙だな。嬉しかったけど。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦124年6月22日

 

 今日、やっとのことで指を鉄砲に見立てて放つ心意の弾丸の完成系に到達。

 心意の◯◯シリーズ第10弾。これがなぁ、飛距離がとんでもなくて、カセドラルから放ったら、果ての山脈をぶち抜いていたらしく報告が来ていた。ビックリだよ。

 

 そしたら、なんかよく分からないが、魂が奥深くに接続したような感覚に陥って、心意なのにそんなに意識せずとも使えるようになってしまった。マジで心意ってなんだ。

 神聖術も、もう殆ど詠唱要らずでノータイムの発動が可能だ。

 

 キリトみたく、メイン・ビジュアライザーに強く繋がりができたのかもしれない。

 

 そこら辺を解明しようかと思ったが、深く考えるのもめんどくさいので、大人しく、永遠に燃え続けるという炎を入れた永炎の窯で料理でも作ろうと思います。

 

 ……コックさん、雇おうかな。食文化大事。

 

 

 現在のカセドラルの階数──99

 

 一言コメ:え? もう四年前からずっと99のままだって? んな事は知ってるよ。でも元老の爺ちゃん共がうるさいんだよ、「六年後の百周年記念式典まで待ってくれ」って。

 あーもー、ムカつく。自動化元老にしてやりてぇ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦130年6月25日

 

 

 現在のカセドラル──100

 

 

 公理教会発足より、百年という歳月がたった今日この日。俺は99階で留めていた階数を一つ上げた。

 

 央都では大々的に祭りが催され、俺や四皇帝出席の式典が執り行われた。

 俺が会場に来るだけで市民が大興奮になるから、かなり気恥ずかしくもあった。まるで人気セレブの気分である。

 

 禁忌目録に続き、目標の一つをようやく達成である。NKT(長く苦しい戦いだった)……

 

 残る目標は、自動元老院とか大図書室、整合騎士、カーディナルの準備、剣機兵とか、なんか、色々。

 

 色々あり過ぎて、萎える。この仕事はいつ終わるのか……

 

 

 

 

 

 

 

 一言コメ:誰か解放してくれぇっ!!!

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦136年7月7日

 

 クリスチャンの天命が、もうそろそろ尽きようとしていた。

 

 俺の側にずっと居てくれた、頼れる執事で、相棒。

 

 それを失うのはとても辛かった。

 

 誰かを失う悲しみは、百年以上生きてきて、何回も味わった。

 

 ……これくらいの我儘くらい、許してくれてもいいだろうと、勝手に思ってしまった。

 

 「この命果てるまで、クィネラ様に仕える事が本望です」と言ったから、遠慮する必要は無かった。念の為、「俺はアドミニストレータだって言ってるだろ……」と訂正させてから、神聖術を使って、天命の上限値を固定し、年齢を若くした。

 

 長いことこき使わせて申し訳ないけど、まだまだお前には働いて貰いたい。

 

 そうだ。チュデルキンを元老長にするのは激しく拒否反応を起こすので、クリスチャンを元老長にするんだった。日記書いてて良かったよ。元老院完成するまで伝え忘れるところだった。危ない危ない。

 

 まだ元老院は作りかけなので、ディープフリーズして確保した元老の人数も全然いないけど、明日にでも伝えておくか。

 

 ……でも、つまりクリスチャンもフラクトライトの容量が無くなってきているということだ。

 

 彼の後継を、チュデルキン以外で誰か欲しいな……

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦180年6月28日

 

 三十年前から作っていた大図書室が完成した。

 

 アンダーワールドとは別の世界と言っていいほどかけ離れた座標をランダム移動するこの図書館は、カーディナルに使ってもらう為だけに用意したものだ。

 

 表向きは、完全に記録の貯蔵用で、俺が用意した扉を神聖術でこじ開けなければ入れない仕掛けだ。しかも、その扉が壊されれば、座標がランダム移動するので二度と入ることは出来ない。

 今は神聖術を使えば、大図書室に置かれた扉に直結するので、どこからでも大図書室に入れるが。

 

 アドミンも、よくこんな面倒な施設を作ったと思う。

 労力に見合う価値あるのか、これ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦193年9月13日

 

 多分もう、アドミニストレータになって160年間くらい人界を管理し続けているのだが、この身体にもガタが来てしまった。

 

 やる事の無い停滞(ステイシス)の時代。俺は久々に日記を書いた。フラクトライトの消耗を抑える為に休む時間が増えてきて、半日以上眠り続ける生活を送っていたから、日記を書こうと思える内容は、前ページの大図書室と、その前のクリスチャンとの模擬戦くらいだった。これはマジだ。

 

 さて、今日わざわざ書いたのは他でもない。俺のフラクトライトの容量不足に陥ってしまった為だ。

 

 頭に突然靄がかかったような奇妙な感覚に、まさかと思ってステイシアの窓を出すと、やはり警告が出ていて、俺の記憶容量はあと数パーセントしか残っていないとあった。

 

 ……遂に、実行に移す時が来たらしい。

 

 既に、ここ数年でリセリスという名前の少女がカセドラルに居ることが判明している。

 

 彼女を呼び、シンセサイズの秘儀を行う。そして権限レベルが同等になって、サブプロセスがインストールされたら戦い、大図書室に引き篭ってもらう。

 

「私の計画に抜かりはないわね。くふふ、あっははははっ!!」

 

 と高笑いしてたら、「気でも違いましたか?」とクリスチャンに言われた。

 

 アドミンは高笑いしてナンボやろ!

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 俺が最初に始めたのは、自分の記憶の消去だ。

 

 カーディナルシステムは、俺の過去を全て知っている。当然、弱虫最高司祭ちゃんの俺の弱点はかなり多い。

 

 だから、その記憶ごと全て消し去るのだ。

 

 先ずは、情動回路の封鎖……恐怖、驚愕、憤怒、悲哀の消去に成功。

 

 次に、記憶の操作。俺の前世の記憶に関しては、フラクトライトの記憶領域に存在しない事がかつての実験で証明されているので、この場合消せばいいのは、己が犯した失態の数々のみ。

 

 動物を殺して吐いたこと。両親との楽しかった思い出。女の子の日はクソ痛かったこと。ダークテリトリーを戯れに強化してしまうというやらかし。お菓子開発の記憶。性欲の発散。クリスチャンとの出会い。両親の死と、クリスチャンとの交友の変化。フラクトライト操作実験で分かった、俺の最大の弱点と利点。クリスチャンとの大切な思い出。日記を書き記したということ。

 その他、不利になりそうな記憶は全て消す。

 

 ボロボロと、土台を壊すように崩れ落ちていく記憶達。さっきまで思い出せたはずなのに……もう、何も思い出せなくなった。

 

 クリスチャン……そんなに親しい覚えは無いのに、無性に会いたくなってきた。

 記憶が無い。記憶がない。思い出も全部ない。何でだ、あいつは、あいつは……

 

 あれ、両親の名前も思い出せない……このペンダントは何だっけ?

どうしてクリスチャンと仲が良いんだ? なんで、なんで。

 楽しい思い出なんて、一つも無い。ただ、働いていただけだ。

 

 ……いや、違うだろう。

 

 俺の記憶は、ある。まだ消え去った訳じゃない。

 

 ……準備はオーケー。やるか。

 

「……よく来ましたね。さぁ、こちらへ。」

「……はい」

 

 本物のリセリスちゃんは、俺の目の前にいた。

 

 今から、この子のフラクトライトを完全に掌握するのだと思うと、正直、自分に対して吐き気がする……とでも思うのだろうか。

 

 止むを得ない事である以上、躊躇する意味は無い。

 

「目を閉じなさい……システム・コール」

 

 相手のフラクトライトの領域に入り込んだ。

 

 フラクトライトのオーバーライトはとても簡単だ。単純に、自分の記憶を上書きすれば良いだけなのだから。

 

 右目に、カーディナル・システムがインストールされる時の表示が浮かぶと、だらりと頭が俯けになる。

 

 ……今、この目の前にいる人物は、アドミニストレータそのものだ。

 

 原作で比嘉さんがやっていた実験に、自分のフラクトライトをコピーしたものとコピーの原型たる自分自身が話すと、自分がもう一人いることを認められなくなった脆いコピーされた方のフラクトライトが崩壊してしまうというものがある。

 

 しかし、目の前の人物を見ても、俺にはアドミニストレータのフラクトライトがコピーされた見習い修道士のリセリスとしか認知していない。

 

 ……原作通り、自分がもう一人いるという根源的な恐怖を喰らうと予想していたが、どうやら転生で自我が変わっているからか、自己とは認識していないようだ。

 

「これで、この子のフラクトライトは私の物──」

 

 そうにっこりと笑みを浮かべると、目の前の彼女の口から、静かに、小さく、その言葉が紡がれた。

 

「システム・コール。ジェネレート・ルミナス・エレメント、ライトニング・シェイプ、ディスチャージ!」

「なっ────」

 

 雰囲気が様変わりし、雷撃が俺の体に殺到する。

 

 どうやら、上書きした俺……アドミニストレータのフラクトライトが崩壊して、宿っていたカーディナル・システムのサブプロセスが肉体を支配したらしい。先制攻撃を受けてしまった。

 

 だが、俺はアドミニストレータだ。しかも、原作よりも遥かに面倒だろう。

 こんなもの、一つ受けた程度でどうということはない!

 

「システム・コール、ジェネレート・ルミナス・エレメント!」

「システム・コール、ジェネレート・アンブラ・エレメント、ボール・シェイプ」

「「ディスチャージ!!」」

 

 中央で互いの神聖術が当たり、爆発を起こすと、記憶にある流れの通り、俺は近くにあった燭台を手に持って、

 

「システム・コール、リディフィニション・オブジェクト、ソード・クラス!」

「システム・コール、リディフィニション・オブジェクト、ロッド・クラス!」

 

 おっと、やっぱり杖を選んだか……だが、それは不利になるぞ。

 

「システム・コール、チェンジ・フィールド・アトリビューション!」

 

 神聖術使用不可の領域を作り出すと、リセリスは分かりやすく驚いた。

 

 さて……ただ叩き合いをするのもあんまり面白くないしな。

 ちょっと、本気を出そう。

 

 剣を背中の方まで後ろに下げて、剣を仕舞うかのようなポーズを取ると、途端に剣が淡い光を放った。

 

「っ! まさかっ」

「せあぁぁぁ!!」

 

 突進系のソードスキル、ソニックリープ。

 躱されたが、それで一気に距離を詰めると、更に次を畳み掛ける。

 

 挟み込むような剣の二連撃……スネークバイト。

 これも、杖で防御されてしまう。

 

 からの、バーチカル・アークによる振り下げと振り上げで追撃する。

 だが、やはり全て見切ったかの如き杖捌きで攻撃を逸らした。

 

「お主……そんなものまで」

「あら、気に食わなかったかしら」

 

 そりゃあそうだ。茅場さんが遺したザ・シードのカーディナル・システムに付随するソードスキルだ。

 ある意味兄弟のようなそれを、勝手に使われているのだから。

 

 俺が微笑みながらにじり寄っていくと、リセリスはドアの方へ脱兎のごとく逃げ出した。

 

 という訳で、逃がすためにギリギリ当てないよう、跳躍から大きく振りかぶって攻撃する。

 

 ……なので勿論、そこには誰もいなかった。

 

「ふぅ……エアリアル・エレメント」

 

 リセリスもいないし、口で言うのも手間なので心意でシステムを操作すると、体に風を纏って加速する。

 

 ドアを抜けた先に、神聖術で逃げようとするリセリスが。

 

 ……まあ、わざわざ俺が何かをするまでないか。

 

「システム・コール、ジェネレート・プリザーブド・ゲート──ゼロワン!」

 

 突如出現した光のゲートに入って、ゲートは直ぐに消えた。

 

 それを見届けると、神聖術を切り、その場に立ち尽くす。

 

 ……はぁ。これで、ようやく全てが始まる。

 

 そう思うと、俺は嬉しさと同時に、えも言われぬ寂しさが胸を埋め尽くすのだった。

 

 ……おっと。記憶を取り戻した俺宛に手紙を書くのを忘れないようにしないとな。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦193年9月13日。

 

 カーディナルを大図書室に封じ込めたらしい。

 

 それと同時に、記憶と感情の復旧を始めた俺は、バックアップされた俺のフラクトライトが入っていると思われる結晶からデータをインストールしたようだ。

 

 伝聞の形になっているのは、その記憶が上書きされて、リセリスからカーディナルを作る前にバックアップした記憶に戻っているからだ。それが本当かは、俺しか弄れない最下層の大図書へ続くはずの扉が無くなっていたので確認し終えている。

 

 何はともあれ、カーディナルが誕生した事を祝おう。

 

 ロリババア万歳!

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦198年7月1日

 

 丁度いい頃合かなぁと思って、セントラルカセドラルの水晶板……もといシステムコンソールを呼び出して、出てきたGUIからエクスターナル・オブザーバー・コールをタップしたら、外の世界にいる研究者を名乗る男が応答してくれた。

 

 その名前を、柳井という。……ククク、計画通り。

 

 ……なので、ちゃちゃっと通信して、STLからダイブしてきたら、物の見事にアドミンの美貌にやられて陥落。下僕第一号にするとか言ったら咽び泣いて喜んでた。

 端的に言ってキモいっす。

 

 こんなのは原作再現の駒だ。クズの極みの柳井さんは、ハッキリ言って作中でもすごーさん並に悪印象しかないので、こいつからは色んな情報を吐かせるだけ吐かせて、今日のところはご退場願った。

 

 「また会いに来るねアドミーちゃん!」とか言ってきたのが凄い腹立つ。

 お前もう来ないでくれ。

 

 ……このまま書いてたら、ただの悪口で埋め尽くされそうだ。

 もう寝るか。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦200年12月8日

 

 元老院が完成した。

 

 あまりに非人道的な行為だとは分かっているが……これも随分前から覚悟してきたつもりだ。

 でも、社会人だった立場から言わせると、永遠の社畜にしてスマンと言いたい……

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦204年4月25日

 

 ウェスダラス西帝国に行って、数体、飛竜を捕まえてきた。

 

 妙に俺に懐いた白銀の竜を雪織、もう一体、良さげな蒼い竜を星咬と名付けた。

 

 俺専用機の雪織くんだけど、多分使われる事はほとんど無いだろう。

 人界一周の旅をしてから、雪織にディープフリーズを掛けて、また乗る時まで眠らせておくことにした。

 

 残りは繁殖のために、ちゃちゃっと籠絡して捕獲した。

 

 なので、ハイナグという男を雇って厩舎長にし、三十階に作り上げた飛竜用の厩舎で飛竜の世話を任せることにした。

 

 頑張って子供作れよー、お前たち。

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦207年12月17日

 

 北の大地で開拓を進めていた英雄、ベルクーリ・ハーレンツ。彼をディープフリーズから目覚めさせて、フラクトライトをちょちょいと弄らせてもらった。

 

 ハーレンツ家は随分と前に没落したが、ディープフリーズで保管されているおっさんだけは生きている。

 

 初めて行うシンセサイズの秘儀で敬神モジュールを埋め込み、絶対なる忠誠を誓わせた。

 

 諏訪部さんの声は流石の格好良さだ。いつでも聴きたくなる安心と信頼の声だよ。

 なんか赤い服外套着せて夫婦剣持たせたら紅茶淹れたり料理作ってくれそうだ。若返らせてから、時穿剣じゃなくて干将莫耶持たせようかな……

 

 アドミンも中の人坂本さんだから凄い好きだけどね。

 百年くらい前の話だがクリスチャンに耳元に顔を近づけながら、「ネ◯フのワンコくん♪」って言ったら激しく赤面させてしまい、「ドン引きです……」って言ったら絶望した表情を浮かべられたので、中の人ネタは現在封印中。みんなキャラ濃いし破壊力が強くてな……

 

 それと、「あなたは天界から来た整合騎士、ベルクーリ・シンセシス・ワンである」と、洗脳も始めました。

 やっぱりこの設定も大事だ。エルドリエとデュソルバートのイベント作りに必要不可欠。

 

 そしてベルクーリと言えばの、カセドラル内に持ち込まれた古時計──システム・クロックを神器化して、《時穿剣》を作成した。これは後々渡す予定である。

 

 ……大戦で、裏斬使ってベクタ殺すまで働いてくれよ。

 

 そう思いながらベルクーリの頭をポンポンと撫でてやってから、彼を任務に向かわせた。

 

 

 

 でも、やっぱ死なせたくはないなぁ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 人界暦230年3月10日

 

 ベルクーリのおっちゃんが、「20年経って騎士が俺一人ってのもおかしいんじゃねえか? それと、任務は一人じゃキツい」という話を聞いたので、これはもうファナティオさんをシンセサイズするしかないと思って早速シンセサイズ。

 無事、シンセシス・ツーと相成った。

 

 それと、ファナティオさんには必要だろうと思うので、アルキメデス的な物理兵器を作ろうとして失敗したから再利用したという建前の元、《天穿剣》も作った。

 

 コンプレックスからか常に兜を着けているが、せめて俺の前では外して欲しい。

 

 あと、最近はクリスチャンも記憶容量に限界が来ているので、俺の隣にもう一つ天蓋付きベッドを用意して寝かせるようにした。

 

 ……はぁ、余ってるライトキューブで、容量増やせたらいいのになぁ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦232年4月6日

 

 ファナティオと料理長のハナに、九十四階の厨房にて、永炎の窯に接続されたオーブンでチョコのクッキーを焼いている所を見られてしまった。

 

 俺が声を掛けると、跪いて、ビクビクと謝ってきそうな雰囲気を醸し出していたので、口にクッキーを突っ込んでやって黙らせた。感想をせがむと、咄嗟なのにビックリするレベルの表現力で食レポして、凄い褒め称えてきた。

 

 しかし、ファナティオはどうやら厨房を借りて何かを作る為に来たようだったので、そろそろ退却しようと思ったのだが、まだ大量の生地がこれでもかとボウルに詰まっていたのを途中で思い出した。

 後になって、クッキー換算で百三十六枚だったと分かった時は、苦笑いしてしまったが……

 

 なので急遽ファナティオとハナを動員。全員でクッキーを焼き上げ、二つのクッキーでチョコを挟み、チョコが足りなくなって追加したり……色々大変だったが、計六十八枚のチョコクッキーが完成させた。

 

 それにしても、お菓子好きの人がカセドラルに居てとても良かった。

 

 思えば、ファナティオさんは料理ができるって何かに書いてあった気がする。

 もっと早く誘えばよかったなぁ。

 

 出来上がったクッキーは到底二人で食べ切れる量ではなく、ファナティオの提案でベルクーリにも振舞った。

 それでも余ったので、クリスチャンやら、十階と九十四階のコックさん、修道士にもプレゼント。

 

 全員が絶賛する美味しさだが、チョコ以外の生地部分の味付けを担当したのは主にファナティオやハナで、俺は小麦を練り心意で細かく形を作っただけだ。

 流石は将来のベルクーリのお嫁さんと公理教会が誇る料理人……主婦力はアスナさんレベルでした。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦232年9月7日

 

 なんで原作で居ないんだろうと思ったスリーさんこと、フェノメア・シンセシス・スリーを作り出した。

 

 何でも、ディープフリーズを掛ける前はサザークロイス南帝国で賢者と呼ばれていたらしく、多種多様な神聖術を扱い、俺と神聖術の勝負が出来そうなレベルだ。

 まあ、そのせいで崇める奴らが出てきて、捕まってしまったのだが……

 

 それなら修道士にすべきなのだろうが、シンセサイズを施した後に気付いたので、特例としての整合騎士任命だ。

 

 なので、整合騎士では珍しく剣を使えず、神聖術だけで戦う。

 

 この人、傍から見ればただの美少女だが、性別はキッチリと男。

 いわゆる男の娘って奴だ。こんな掘り出し物が居るとは思わなかったが、非常に優秀な神聖術士であるので、原作のアドミンなら逃す手はないだろう。原作にスリーは居なかった事から、もしかして彼は死んでしまったのかもしれない。

 

 与える神器は、宝晶典。世界で一番最初に記されたという本に、神獣の竜の涙が結晶化したという宝石を使って作り出したものだ。功績を挙げたら渡す予定でいる。

 なんか青空なファンタジーの課金石みたいな名前になっちまったが、軽課金勢だったので仕方ない。

 古戦場から逃げるな!

 

 内包する記憶は、宝石と叡智。強化の形態では、強力な結界を展開するだけの一品……になるのかな? 記憶解放術は本人の心意によってその性質を大きく変えるので、あくまでも想定だ。

 ただまあ、チュデルキンなんて目じゃなくなるのは確かだ。

 

 だけど、確かに序列第三位となるアリスに比べたら、若干見劣りするかな……?

 いや、支援がメインだから仕方ないけど。多分、能力からして死ぬことは無いと思うなぁ。

 

P.S.

 この子に対するクリスチャンの態度が少しおかしい。明らかに気まずそうにしているので、事情を尋ねたがはぐらかされてしまった。気になるし、上司と部下がそれでは問題も出てくる。いつかは改善したい所だ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦244年5月20日

 

 ベルクーリとファナティオが、サザークロイス南帝国の不死鳥を討伐した。

 

 本来なら、あれも人界守護の要となる存在なのだろうが、《熾焰弓》の為にも、そして公理教会の絶対性の確立の為にも、どうしても狩らなくてはならなかった。

 

 まあ何にせよ、何度でも蘇る強敵を相手したということで、ベルクーリに何か褒美を取らせようとしたら、デカい風呂が良いと言われた。

 

 まさか大浴場の起源がベルクーリにあるとは……なんとも彼らしい。

 

 よし。明日にでも作ってやろう。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦252年2月14日

 

 デュソルバートさんを捕まえてきてしまった。

 

 シンセサイズする際、奥さんも引っ捕らえる。奥さんはソードゴーレムの為に物質にされて、デュソルバートさんはそれを知らずにシンセサイズされ、セブンとなった。

 

 シンセサイズの秘儀は、気が向くものでは無い。やったらその日は引きこもってこうやって日記を書き留めるぐらいだ。

 まあ、その日記ももう年単位で飛んでしまうが……

 

 

 

 

 はぁ、シンセサイズ……やりたくねぇ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦257年10月18日

 

 ソシャゲオリジナルのキャラ、イーディスちゃんがいつの間にか禁忌目録違反で捕まっていたので、勿論さっさとシンセサイズ。

 ウチのクリスチャンとなんか仲良さそうにしてる。チュデルキンじゃないからかね。

 

 しかし、記憶が無いのに、あんまり困っていそうには見えない。いきなり、天界から招かれた〜的な話をされて、困惑しているだけの模様。

 肝っ玉ってこういう人の事を言うんだろう。なんと頼もしいことか。

 

 ウザったいチュデルキンも居ないし、我らがアドミンの中身もかなり適当な性格した一般市民()なので、ファナティオと喧嘩さえしなければ心地の良い環境になっているだろう。

 

 それとカーディナルさんあなた、せっかくシンセサイズしたイーディスちゃんにちょっかい出さないでくれ。シャーロット使ってうろちょろさせてるの知ってるからね?

 

 と思えば、さっきベルクーリさんが無断入室してきた。要件を聞いたら、イーディスと一緒に風呂入って来たらって何? 何でそれ提案したん?

 つーか、日記書いてる最中なんだから入室を許可してないんだけど。アドミンちゃんぷんぷんに怒ったお!

 

 それにしても、風呂か。

 

 久しぶりに入ろうかな。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦261年7月20日

 

 風素の扱いが上手い女の子を連れて来て、その子を昇降係にした。

 

 命令は、新しく作った昇降盤……もといエレベーターの操作。これでキリト達が来てもバッチリ対処してくれる。

 

 この子の夢はちゃんと叶えてやりたいが……はてさて、俺が死ぬまでにどう伝えようかな。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦261年12月1日

 

 精神に異常のあると話題のシェータさんが、大会に優勝してカセドラル入りした。

 

 やべぇよ、シェータさんやり過ぎだよ。相手にした出場者が皆殺しってなんだよ。

 仕方なく、シェータの存在を歴史の闇に葬った。アレが残っていたらなんの影響が出るか分からないし。

 

 シンセサイズしたはいいのだが、当の彼女が無表情でジーッと見つめてくるから、さしもの俺も目を逸らさずには居られなかった。なんかあのまま見てたら無性に謝りたくなる。

 意気地無しのアドミンでごめんなさい……

 

 やっぱりサイコパスの気質がおありのようで、それを言った時の驚いた顔を見れて良かった。

 

 斬り続けてたらお婿さんが出来るからね〜! と言ってやったが、顔を傾けてぽかんとされた。悲しいな。

 

 しゃあないので、「ダークテリトリーでそれっぽい花でも見つけてらっしゃい」と言ってやった。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦286年8月31日

 

 ネギオもといネルギウスがやって来たので、シンセサイズ。デキる男なので上位の整合騎士として採用した。やったね!

 

 ……まあ、その代わり人が一人犠牲になってるけど。

 代わりどころか、何もかも奪ってるがな……

 

 今日はキ◯ーピーだかどっかが決めた野菜の日だったので、腹いせにでけぇネギから作った萌嵐槍をプレゼントした。

 

 記憶解放しないと目立った効果はないだろうに、なんかめっちゃ喜んでる。

 野菜好きなのかな。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦300年10月20日

 

 なんか、起きなきゃならなそうな日にちになっていたのでちょっと起きた。

 

 現時点で、整合騎士は26番まである。その内、魂の崩壊が止められず凍結処分になったのが、フォー、シックス、エイト、ナインの四人だ。調整に失敗したり、長年生きる事に耐えられない子もいた。

 思い入れのある子はいなかったけど、久々に元老院で顔を見たら、胸の中から込み上げてくるものがあった。多分、日記帳に彼らの番号を凍結した時のことが色々書かれているはずだけど、きっと荒ぶってたり滲んでんでろうなぁ。

 

 そんな訳で、俺はもう寝る。おやすみ

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦330年11月11日

 

 日本のチョコのお菓子の日の今日。ついに、東の大門の天命が減少したのを確認した。

 

 最終負荷実験……これにより、ダークテリトリーから異種族のフラクトライトが侵攻してくる。

 

 天命を直してきたが、気休め程度だ。

 

 アンダーワールド大戦が近いと実感させられて、俺は四帝国の皇帝を呼び出し、兵士を集めて訓練を行うよう命令した。

 

 ……今日も疲れたなぁ。寝よう。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦372年7月19日

 

 デュソルバートがアリスを連れてきた。やったぜ。

 

 ということは、遂に原作が始まったのだ……ここまで、ずいぶんと長かったなぁ。

 

 アリスは権限レベルが低いので、神聖術の勉強をさせたり、動物を狩らせる事でレベリングを図ろうと思う。

 

 はぁー、6年後が楽しみだ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦374年3月4日

 

 四帝国統一大会に優勝したというレンリが連れてこられた。

 

 ……いや、うん。シンセサイズした後すぐは、トラウマで雙翼刃が全く使えないし戦えないってのは良く知っている。だって、俺が死んでから活躍するからな、この人。

 

 まあ、ちゃちゃっとシンセサイズして、雙翼刃をプレゼント。

 

「貴方には期待しているわ」的な発言でプレッシャーを与えつつ、今日も寝ることにした。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦377年8月18日

 

 アリスの権限レベルがかなり高くなったので、シンセサイズの秘儀を施す。

 

 レッツ元老院で強制シンセサイズかと思いきや、俺が手ずからシンセサイズしたら、なんか普通に受け入れてくれた。

 マジかよ、苦しませたくはなかったけど、そんなにすんなりいっちゃうの?

 

 とまあ、色々ありながらも、ベルクーリを師匠に、アリスは剣を学び始めた。

 

 その内、金木犀の剣を渡すことになるだろうし、準備だけして、今は実験の方に専念しなくては。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦378年1月24日

 

 《蘇生術》の実験を終えた。

 

 リネルとフィゼルがいるからと始めた実験も、これで終わったのだ。

 

 気が狂いそうだった。子供達が殺し合う様を見て、どれだけ精神をすり減らしたか分からない。

 

 蘇生に失敗し、身体が爆散したもの、異形になったもの、まるで別人になったもの、廃人になったもの、記憶喪失になったもの、全て見てきた。

 

 何回も殺し殺され、その都度俺が蘇生術で0の天命を回復させる地獄。

 

 実験の途中で、ここの所何も食べてない腹の胃酸が、何回も喉元までせりあがってきた。一体俺は何をやっているんだろうと何回も思った。

 

 ようやく最後の二人が残って、それがリネルとフィゼルで、その事に安心してしまった。

 

 こんなクズなのに、クリスチャンは労わってくれたし、慰めてくれた。一人じゃなくて、本当に良かった。

 

 傍にいてくれて、ありがとう。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦378年3月19日

 

 この世界に、一つのイレギュラーユニットが発生した。

 

 我らが主人公、キリトだ。

 

 2年後、俺を殺しに来るであろう、勇者。

 

 殺しに来るからには、俺も全力で相手しよう。原作よりもしかしたら強化されてるかもしれないが、そこは勘弁してほしい。

 

 それと、二年間監視するのは時間の無駄だ。どうせ知っている物語であり、何か変化が起きても、アリスの為にここに来る事実はどうやっても変えようが無い。

 

 セントリアに来てからは、偶に様子見ぐらいするが。

 

 ……さて。この何百冊もある日記も、そろそろ終わりだ。

 ここの所百年はずっと寝ている日も多くて途切れ途切れでも、俺が歩んできた大切な軌跡が記されている。

 

 ……最後の準備に取り掛かるとしよう。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦380年3月4日

 

 エルドリエが統一大会に優勝したので、シンセサイズした。

 

 実の所、まだエルドリエのお母さんには何もしてない。

 

 最近、シンセサイズをしようとすると体がトラウマか何かで拒絶してしまうのだ。エルドリエのシンセサイズに一苦労なのだから、ユージオの時はかなり面倒なことになりそうだ。

 

 カーディナルが悪魔の儀式と言うように、本来俺みたいな小市民がやっていいものでは無い。

 

 まあ、一人くらい居なくたって問題ないだろうと思って、霜鱗鞭をプレゼント。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦380年3月10日

 

 エルドリエが、カセドラル内でアリスを見つけたからか、「我が師よー!」とか言ってる姿が可愛い。

 その度に追っかけ回されてるアリスは不憫でならないが……

 

 なのでアリスちゃんを100層に招いたら、エルドリエの愚痴を沢山言われて、それをニコニコしながら聞いてたら、顔を真っ赤にしてヘッドバンキングするみたいに謝ってきた。可愛い。

 

 たまにはこういう癒しがあってもいいと思うの。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 ふむふむ、キリトとユージオがそのまま統一大会に優勝と。流石だなぁ。

 

 遠隔監視術式で練習風景からもう何度も見ているが、あれを試合じゃないと思う奴は整合騎士以外じゃあそうは居ないだろ。

 

『人界暦381年3月4日

 

 監視してたら、キリトとユージオが四帝国統一大会で優勝していた。普通に素晴らしい演武だった。

 

 これで、二人は無事に整合騎士へと────』

 

 

 ……んん? ちょっと待て??

 

 

  優 勝 し た ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……いや日記書いてる場合じゃねぇ!!!

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 想定外の事態が起きてしまった。

 

 ちょっとした外伝作品にあたる特典小説の短編、If youだかweだかシリーズ。一時期、その特典小説が入った円盤の表紙が物議を醸したのは懐かしい話だ。

 その短編ではなんと、キリトとユージオがライオスやらを殺したりせずに統一大会に優勝してカセドラルで整合騎士になる、というものだ。

 

 目の前に、背筋をピンと伸ばした、黒髪の青年と亜麻色の髪の青年が並んで立っている。

 

 そうだよ、ifストーリー! 何で失念してたんだ!?

 

 最初は、なんか頑張ってんなぁーぐらいにしか見てなかったが、そもそもライオス達が邪魔するから学院代表にもなれないし、大会にも行かずに罪人行きだよ。何さらっと見逃してんの? アホなの?

 

 ……そんな俺はというと、ちゃんと服を着て、《霊光の大回廊》にて二人を睥睨するアドミンムーブをかましていた。

 

「キリトとユージオ……ね。ふうん、坊やたちが今年の優勝者?」

「はい、そうです」

 

 ガッチガチに身体を強ばらせながらも、キリトがハッキリと答えた。

 

「どうして二人いるわけ?」

「それは、決勝戦で引き分けたからです」

「……引き分けねぇ。クリスチャン、アレって時間制限とかあるのかしら」

 

 傍に控えるクリスチャンにそう聞くと、「無制限です」と簡潔に言われた。

 

「……お前たち、同じ北セントリアの修剣学院出身って聞いたけど……まさか、示し合わせて引き分けに持ち込んだんじゃないでしょうね」

 

 かるーい心意による覇気を纏わせて、目を細めつつ真意を尋ねてみる。

 

 ……まあ、示し合わせたことなんて知ってるけどね。

 

「とんでもありません、最高司祭様。俺……じゃなくて自分とユージオは全力で戦い、しかし優劣をつけることができなかったのです。ご不満でしたら、いまここで決勝戦の続きをお目にかけますが」

「それも面白そうね……でも、それより私が戦う方が楽しそうだと思わない? 剣の腕はそこのクリスチャンに次いで、人界で二番目くらいに強いもの。優勝して浮かれてる新しい部下の鼻をへし折ってやるのも上司の務め。そうじゃないかしら?」

「……へ? いや、ええと、最高司祭様自ら……?」

 

 おおー、キリトの絶望したような表情……なんかちょっと楽しくなってきた。

 

 しかし、あんまりにおふざけが過ぎるとクリスチャンに怒られちゃうので、一転して微笑みを浮かべると、キリトの額を小突いてやる。

 

「ふふふ……坊やったら真に受けちゃって。冗談に決まってるでしょう? 私が相手をしたら、お前たちなんて秒で小間切れ肉になってしまうもの」

 

 小間切れ肉になる……そう聞いてか、キリトとユージオの顔が更に青ざめていく。

 

 ……アドミンムーブが完全に裏目に出た。冗談ではないけど、洒落にならん発言だ。

 お蔭さまで、隣のクリスチャンの視線が痛い。

 

「……これも冗談よ。小間切れにはしないわ。もしかしたら、お皿にするかもしれないけど……いたっ」

 

 クリスチャンにデコピンされた。

 うぅ、痛い……俺はアドミンムーブしてるだけなのにぃ。

 

「……クリスチャン」

「お二方をご案内すれば宜しいのですね」

 

 このクリスチャンには、キリト達の目的が何なのかを話してある。

 

 アリスの事に関しては、キリト達に上手いこと誘導してくれるだろう。

 

「承りました、クィネラ様」

「だからアドミニストレータよ……もう、何で直さないのかしら……」

 

 溜息を吐くと、キリトがビックリしたようにこちらを見てきた。

 「なんだよ、文句あっかこの野郎。皿にするぞ」と睨みつけたら、萎縮してそそくさと扉から退散していった。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

sideキリト

 

 

 意外とあの人可愛いところあるんだな……とか失礼なことを考えながら、クリスチャンさんとやらに付いていく。

 

「クリスチャンさんって、いつからここで働いているんですか?」

「クリスチャンで良いですよ、キリト殿。ええと、私は……もう250年ほどになるでしょう。騎士団長のベルクーリ閣下よりも長くいますね」

「「250年!?」」

 

 驚きのあまり、ユージオと一緒にオウム返ししてしまう。それもそうだ。彼の見た目は20代前半程度だし、そもそも天命は歳と共に減少して、最後には寿命となって死ぬはず。

 

 ……いや、確か高位の神聖術には、天命をも自在に操る術もあるらしいから、となればその類いなのか。

 

「はい。天命はクィネラ様……コホン、アドミニストレータ様によって凍結されました。ですが、今はもう、ライトキューブ? とやらの記憶容量が一杯になってしまいまして、もう長くない命です。なので恥ずかしながら、ほとんど寝たきりで生活しております」

「そ、そうなんですか……」

 

 分かったように頷くと、考察がさらに深まる。

 

 ライトキューブを知っている……? ということは、現実世界とコネクションがあるのか?

 

 やはり、現実と連絡できる方法がこの世界にあるのかもしれない。

 

 最高司祭は、あまりに色々なことを知り過ぎている。そうでなければ、説明がつかないだろう。

 

「ああ、それと、お二人はアリス殿について探っているとアドミニストレータ様からお聞きしておりますが」

 

 ……なんだって!?

 

 聞き間違いでは無かった。隣のユージオも、目を見開いて、口をパクパクさせている。

 

「な、なんでそれを……」

「何故なのか、という詳しい理由はお伝えできませんが、アドミニストレータ様は、お二人がアリス殿を捜しているという事を知っていて見習い騎士にさせたのは確かでしょうね」

 

 それなら、尚更理解できない。

 

 ユージオは、ダークテリトリーに指一つ侵入してしまっただけで罪人として連れて行かれてしまったアリスに再び会うため、そして公理教会に抗議するためやってきたのだ。そして、俺の目的もこのカセドラルにある。

 

 そんな危険人物をわざわざ本拠地に入れる理由は何だ? そうしても問題が無いと思っているからなのか?

 

 思考を巡らせても、その答えは出てこない。

 

 クリスチャンの口が開いたのは、俺が深い思考に足を止めていたその時だった。

 

「真実というのはいつも残酷なものです。もしも彼女と相対する時がくるならば、覚悟をしておいて下さいね」

 

 ……真実? 覚悟をしておけ?

 

 意味深な言葉を残していきながら、更に道を進んでいって、最奥。

 

 そこで俺たちは、エレベーター? らしき物体と遭遇していた。

 

 この昇降盤を動かすらしい少女より、上の階まで行こうとすると……クリスチャンがにこやかに笑ってエレベーターの外に出た。

 

「気が済むまで上の階を探索してみても構いませんよ。九十階には、クィネラ様が作られた最高の物がご用意してあります。確かこの時間では……おっと、失礼。用事が出来たので、先に二十八階のお部屋にてお待ちしております」

 

 なんかわざとらしい態度で去っていったクリスチャンを怪訝な目で見届けると、昇降係に一番上の階に行くよう頼んだ。

 

 それから、九十階に着いて……

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

「おい、クリスチャン……」

「おやおや、キリト殿。どうされましたか?」

 

 二十八階の自分達の部屋に入ったら、真っ先にクリスチャンを呼び付けた。

 

 この執事……外見が優しそうなイケメンだと思ったが、騙された。中身が腹黒だ。菊岡さんタイプの人間だった。

 

 九十階の大浴場は、なんと今の時間帯では女風呂になっているらしい。元老長であるクリスチャンは、それを分かっていてあそこに誘導してくれやがった、というのが此度起こった事故の真相である。

 

「あんたには少し、言っておかなくちゃいけない事がなぁ……!!」

「ですが、その様子では無罪放免となったようですね。入浴時間もお分かり頂けたようで何よりです」

 

 まるで無罪放免になるのさえ分かっていたみたいに立ち振る舞っている。

 こうなることも予測していたんだろうか……

 

「……それに遅かれ早かれ、アリス殿の真実を知ることになったのでしょうし、初日から知れて良かったのでは? そうでしょう、ユージオ殿」

「……そう、ですね」

 

 大浴場で出会ったのは、俺達が捜していたアリスだった。しかし、ユージオを見ても表情を変えず、それどころか知らない様子だった。

 

 実質大胆な覗きをしてしまったので、滅茶苦茶謝り、そもそも時間で切り替わるとか知らなかったと言えば、不承不承といった感じに今回の件は許してくれたが……

 

「それはそれとしてクリスチャン……お前のせいでぇ……!!」

「おっと、そろそろお腹が空いてきたのでは? 十階に食堂があります。そこの調理師さんに言えば、仕込み中の今でも簡単な料理を作ってくれますよ」

 

 ……ちょっと待った。今聞き捨てならないことを言われた気がする。

 

「十階に食堂?」

「騎士見習いや修道士が行く食堂です。とても美味しい料理が出ます。クィネラ様……アドミニストレータ様も、庶民の味が食べたいと来られるほどですから」

「さ、最高司祭様も来るのか……」

 

 それは、さぞ素晴らしい料理が出るのだろう……

 

「ユージオ、一緒に行くか?」

「……ごめん、ちょっと、休ませて」

「あいよ。じゃあ、お前の分も持ってくるから、待っててくれ」

「うん、ありがとう」

 

 ユージオは、まだ夢見心地といった感じだ。

 

 やっぱり、アリスとの出会いが堪えてしまったのだろう。

 

 そして、二十八階の廊下に出てから思った。

 

 ……クリスチャン、いつか絶対仕返してやる。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

sideアドミン

 

 

 キリトとユージオがここに来て一週間。

 

 クリスチャンが慌ただしい様子で俺の部屋に入ってきて、何事かと思ったら、カーディナルが俺と対面したい……という話をキリトから伝えられて、急ぎ連絡したとの事。

 

 ……ということは、アレだな? キリトは遂に完成させたのか。この世界では俺しか作った者のいないアレを。

 

「明日の正午、九十五階にある《暁星の楼望》で待つと伝えなさい。それと、アリスちゃんとシェータ……あ、それとフェノメアを護衛にするから、三人に言っておいて」

「はい、そのように」

 

 クリスチャンに伝えると、俺は明日を楽しみにしながら、静かに眠った。

 

 

 

 

 翌日。正午になったので、クリスチャンを引き連れ下に向かう。

 

 アリスもシェータはちゃんと剣を携えて凛と立っており……

 

「やっほ〜、アドミン様!」

「……フェノメア? 貴方、まだその口調を直さないつもり?」

「いや〜、どうもボクには敬語って無理で〜。ごめんちゃい☆」

 

 可愛いから許しちゃう。って感じに溜息を吐いて目線を逸らす。

 

 フェノメアは、アリスと違い公理教会修道服のスカートの丈が膝上までで、術士であるが故に鎧は最低限しかの部分しか覆われていない。つまり露出が多い。

 

 肝心な容姿は、この世界ではクリスチャンの他に居ないと思われた黒髪黒目。髪は肩にかかるくらいの長さで目尻が丸く、線が細いというより華奢という表現が似合う手脚の綺麗さだ。

 しかも、掌に収まるサイズの小さな王冠らしきものをちょこんと頭につけているのがこれまた……

 

 俺知ってる。思い出したけどリ◯ロにこんなキャラいたわ。フェリちゃんっていうんだけど。

 

 すると、テーブルが用意されていたので、ここでもアドミンムーブをかまして真っ先に上座のお誕生日席に着く。

 

 さりげなく、キリトとユージオを見てやると、ビクリと震えて冷や汗を垂らしているのが丸わかりだ。

 

 すると、塔の下から、風素を使った神聖術で飛来してくる者が一人。

 

 虫眼鏡の杖を持ち、大学を卒業した時に被る四角い帽子みたいなのと、ローブを身に付けた宿敵……? のカーディナルがやって来た。

 

 そして、杖をぷかりと浮かせると、さりげなく俺の対面の席に座った。

 

 正午の鐘が鳴る。アリスが俺のポットに紅茶を注ぎ終わり、カーディナルのポットにも紅茶を注ぐ。

 

 さて、頃合も良いし、お話をしようか。

 

「久しぶりね、リセリスちゃん。また会えて嬉しいわ」

「わしをその名で呼ぶな、クィネラ。いまはカーディナルと名乗っておる」

「あら、私もアドミニストレータを名乗っているのだけれど、何でそっちで呼んでくれないのかしら?」

 

 カーディナルの殺気が倍増するにつれて、俺は穏やかに紅茶を啜る。

 

 ……アドミンムーブ、つらたん。

 

「それでどうかしら、200年ぶりの外の空気は?」

「ふん、いまならお前が手の届くところにあると思うと、そんなものどうでも良いわ」

「……なにそれ、愛の告白?」

 

 ……おっと、これは非常にまずい。

 アドミンムーブが崩れてしまった。

 

「……お恥ずかしながらクィネラ様、今のは単に宣戦布告してきたのでは……」

「ちょっとクリスチャンは黙ってなさい」

 

 お前もお前でクィネラって呼ぶなよ! 何回も訂正してるだろ!?

 

「ほう、従者には本名で呼ばせておるのか。……まさか、その男と親密な間柄ということじゃ……」

 

 っ!? し、親密な間柄って……まさか、こいつ消し去った記憶を復活でもさせたのか!?

 

「そそ、そんな訳ないでしょう!? 全く、これだからお子ちゃまは……妄想も甚だしいわね!」

「ほほう……そんなに顔を紅くするとは……どうなんじゃ、クリスチャンとやら」

「……どうでしょうか。かれこれ300年は共に過ごしております。夫婦の契りをした覚えはありませんが、泣いたり笑ったりと、二人きりの時は可愛らしい素の性格で接してくるので、近いものがあるのではないかと……」

「わぁーーっ!! わぁーーっ!! いいから黙ってなさいっ!! そして百階に帰りなさい! いいわね!?」

 

 こ、こんにゃろうクリスチャン……何俺の黒歴史を赤裸々に語ってんだ!? 俺のアドミンイメージが崩れるからこの場で話さないでくれ! 後で何でもするから!

 

「では、私はこれにて……」

 

 恭しく一礼してから、螺旋階段へ去っていったのを睨みつけて見送る。

 あいつ後でどうしてくれようか……

 

 俺が持つ百の嫌がらせの内のどれを味わわせようか悩んでいると、目の前には手を組んで、ニヤニヤと笑うカーディナルが……

 

「……お主、情動回路を復活させおったな」

「……はぁ。そうよ。行動原理の為に感情を消したおチビちゃんと違って、私はまだ人間でありたいもの。秩序の維持に、感情はあってもなくても大差無いわ」

「どうだかな。秩序の維持の傍ら、そこなクリスチャンとやらを愛する為じゃろう」

「だから! 私はそんなんじゃないわ! 主従よ、しゅ・じゅ・う!」

「ふーん……まあ、そういうことにしておこう」

「わ〜、アドミン様かっわい〜〜!」

 

 こいつ絶対信じてない奴やん……俺、まだノンケだと思うよ? クリスチャンはただの馬鹿やってる悪友というか親友というか……決して恋人なんかじゃないんだよ。

 ほら、ホモは嘘つき理論でいけば、俺は嘘つきじゃないからノンケだし。

 

 淫夢な理論武装で納得していると、心做しかキリトの視線が畏敬のそれから生暖かい何かに変わっている。こいつも俺がホモだと言いたいのか。

 

 取り敢えず、「ねぇねぇ今どんな気持ち?」みたいにピョコピョコしているフェノメアの顔に、メタリックエレメントで作った土玉をディスチャージしてカセドラルから落としてやる。ノンケなので慈悲は無い。

 

 俺は顔を俯かせながらぐったりとキリトに丸投げした。

 

「……とっとと本題に入って。もう疲れたわ」

 

 何にしても最悪だ……カーディナルに素を知られる訳にはいかなかったのに。

 

 全部はクリスチャンのせいだ……もうあいつラスボスなんじゃね?

 

 落ち込む気分のまま、どうにか佇まいをアドミンに戻して、キリトをジト目で睨む。

 

「あ、あの! 俺から、一つ提案があるんですが!」

 

 俺の視線の影響か、キリトの声が上擦った。

 

 あー……他人の醜態を見ると、自分の心が落ち着く……犠牲になってくれてありがとう。

 

「見習い騎士になったばっかりの坊やが何を提案しようっていうの? だいたい、さっきから気になっていたんだけど、そのでっかい箱は何なわけ?」

 

 おっし、アドミンムーブは正常に動作してる。

 

 そのまま、キリトは長いテーブルの中央に箱を置いた。

 

 箱を開けると、レストランで出てくるような銀の蓋が中にあり、それを包むのは、氷の冷気だ。

 

 さらに、その蓋が開かれて……中から出てきたのは、お誕生日とかクリスマスとかによく食べられるアレだ。

 

「……何じゃ、それは?」

 

 そりゃあ、カーディナルは知らないだろう。

 

 この子に複写した記憶からは、過去にやらかした醜態の記憶と料理の記憶はあらかた取り払ってある。

 なので、俺が根性無しの料理好きなポンコツアドミンもどきではなく、完全無欠で冷酷無慈悲な大魔王という印象が植え付けられたままなのだ。

 

 俺が大して驚いていないからか、キリトが「えっ」という顔をしている。

 ごめんな。この世界だと、それを開発したの、俺なんですわ。

 

「イチゴのショートケーキね。よく作られてるじゃないの」

「なっ!? し、知っているんですか、これを」

「だって、私がつい最近気まぐれに作ったお菓子だもの。寧ろ、私しか作り方を知らないのに、お前が作れる方が奇妙だわ」

 

 実は三百年前から作られてました、……とは言えないそのケーキを、地道に練習してきた《心意の太刀》で八等分に切り分け、《心意の腕》でそれぞれの皿に取り分ける。

 

「……い、今のは?」

「シェータから教わらなかったのかしら? 《心意の太刀》と《心意の腕》。慣れればこれくらい普通に出来るようになるわ」

「そうなんですか、師範?」

「……最高司祭様だから、別格。騎士長でもあれを運ぶのはできないと思う」

 

 全然別格じゃないです。普通には出来ません……時間はあったからめっちゃ練習しました。隠れてジェンガしてました、ホント、練習大事だなって。

 

 ごめんねシェータ、正直心意の腕が使えるだけで凄いからね? 練習すれば才能ない俺よりも上手くなるよ。

 

「お前たちも座れば? アリスちゃんとシェータちゃん、フェノメアと昇降係ちゃんも」

 

 フェノメアはいつの間にかエアリアルエレメントで上がってきていた。

 まあそうなると分かってて落としたんだけど。

 

「いえ……」

「えー、アリスちゃんったら、アドミン様のお誘い断るの〜? というか、ボク的にも一緒にいて欲しいんだけど〜」

「……はい、分かりました」

 

 フェノメアに促され、アリスが渋々相席したのを確認する。

 ここで脳裏に浮かんだのは、前世で見た整合騎士キリトの短編小説での、まさにこの場面カーディナルとアドミンの会談。そこでもアリスは遠慮していたが、促されて座ることになったはずだ。

 

 となると、フェノメアの代わりって……と考えが至って、ふとキリトを見つめる。

 

 いや、正しくは彼の前髪だ。よくよく目を凝らせば、複眼がこちらをジーッと見ている。シャーロットだ。

 彼女も甘いものが好きなようで、人に変身することで味覚や嗅覚を獲得し、ケーキを食べることになっていたが……なんか、本当にすみません。

 

 心の中で本来食べるはずだった人……ではなく蜘蛛に謝ると、手を合わせた。

 

 ……あ、キリトがビックリしてる。

 食べる時のこれは、なんか前世の癖が抜け切ってなくて、しかもずっと直してないんだった。

 

 まあ、いいや。バレても特に何かある訳でもないだろう。

 

「じゃあ、頂くわね」

「わしも頂こう」

 

 フォークでさきっちょを切り、パクリと食べる。

 

 ……あれ。なんか俺が前に作ったのより断然美味しいんだけど。

 

 材料に違いでもあったか……? それとも材料が足りてなかった……? いや、足りてなかったらシステム的に失敗になるはず。

 

 うーん、謎が知りたい。

 

「キリト……なんじゃこれは?」

「ふぅん。不味くはないわね……サーティースリーが作ったにしては」

「えっ、さりげなく貶された……?」

 

 小声でもバッチリ聞こえてますよ……本物のアドミンだったらなんか罰を与えているところだ。

 しかしケーキが美味しいので許す。

 

 そんな風に食べ進めていると、いつの間にか無くなっていた。

 

 ケーキの魔力……恐ろしい。

 

「そのわりには、なくなるのが惜しそうな顔をしておったぞ?」

「うるさいわね、こんなもの、少し時間があればいつだって作れるもの。それにちびっ子こそ、大きいイチゴを最後まで取っておいたくせに」

 

 まあ、イチゴを残しておく気持ちは分からんでもないが、俺は生クリームとイチゴの調和が好きなので、まとめて食べてしまう。

 元が俺のフラクトライトなのに、何故こうも違ってくるのか。

 

「……それは良いのよ。それで、このケーキとサーティスリーの提案に何の関連性があるのかしら?」

 

 ……あ、しまった。

 

 俺がケーキを知っているせいで、キリトが主張したいことが言えなくなってしまった。

 

 これはかなり面倒なことに……ここはフォローしとくしかないか。

 

「あ、ええと……ですね。お、俺が言いたかったのは……」

「……たぶん、お前は私がショートケーキを知らないと思っていたのでしょう? そうね……私でさえ知らないことがあるのなら、私がやってる方法よりも、確実なのが見つかるんじゃないか……こんな所かしら?」

 

 ズバリと、名探偵っぽく、含みのある笑みで言ってみせると、「お、仰る通りです……」と、キリトが絶望感たっぷりで消沈してしまった。

 ふはは、愉悦愉悦。ラスボスムーブできないから絶望顔なんて見れなくなったし、丁度いい。

 

「キリト……大丈夫だよ。とにかく、意図は分かってもらえたんだからさ」

 

 うん、そのままユージオくんはキリトを慰めてやってくれ……

 

「そこのちびっ子の入れ知恵だかなんだか知らないけど、理屈は通ってなくもないわね。と言っても、私がこのケーキの作り方を知っていたから、説得力には欠けるけど」

「うぐっ……」

「でも、知る知らない以前に、そんなのは無理よ」

 

 キリトからちびっ子……じゃなくてカーディナルの方へ目を眇めると、咄嗟に考えついた俺とカーディナルの対立構造について、話してみることにする。

 

「この世界は私がいる以上、独裁なのだから合議制である必要はないし、故に議会というものは存在しないけど、私とカーディナルは、謂わば与党と野党の関係ね。しかも、議席数はフィフティー・フィフティー。日本だったら、せっかく総理大臣がいても、野党のいずれかが与党に与さなければ、法案なんて通りもしない。でも、ここには最高権力者が二人。合議制にしたとしても、互いに殺し合う関係で、何を目指すかさえ違うというのに、坊やはそれで本当に決まると思ってるの?」

「……な、なるほど。確かに……」

「独裁国家に元首は二人もいらないのよ。ローマの独裁官カエサル然り、ファシストとして国を率いたヒトラーとムッソリーニ然り……私は同等の権限を持つ者の存在を許さないわ」

 

 この場で、列挙した例示を理解できた人物は、おそらくキリトのみ。

 いや、ゲームに命賭けてる最強のゲーマーだし、ヒトラーは分かってもムッツリと『ブルータス、お前もか』の元ネタは知らんか。

 

 カーディナルも、日本の国会や独裁者については知らなかったらしい……が、言わんとすることは理解したらしい。ふん、と鼻で笑ってから、俺を睨みつけるように瞼をスッと窄める。

 

「おぬしのそれは独裁というより、放置による恒久の停滞じゃろう。それと、儂がおぬしを消そうとしているのは、そんなつまらん理由などでは無い。おぬしは、近々この人界を滅ぼすからじゃ」

「……へぇ、システムと一体化して、行動原理さえ書き換わったこの私が、自ら管理してきたこの人界を滅ぼすと言うのかしら」

 

 もし、このままアンダーワールド大戦が始まろうものなら、整合騎士を総動員し、キリトに現実世界とのコンタクトでスーパーアカウントのアスナ達をご招待させ、俺も出向いて一掃するつもりだ。

 管理者権限を用いれば、巨大な岩で大軍を押し潰したりできるし。

 

「おぬしらの整合騎士だけでは、ダークテリトリーの精強な軍隊……数万人を、此方の被害を出さずに抑え切るのは不可能と言っていい。それどころか、人界全てが戦火に包まれるぞ」

「……確かに、耳が痛いと言う他ないわね。戦力不足を否めないのも事実よ」

 

 俺の全力の神聖術で、どこまで出来るか……ガブリエルが来ようものなら、アスナ達を頼らないと本当に全滅だ。

 

 ハッキリとした俺の物言いに、「うぇっ!?」とフェノメアが驚き、アリスは少しムスッと口を開こうとして、シェータに制止させられたのが見えた。

 

 そんな二人と、そしてカーディナルに、「でもね……」と続ける。

 

「おちびさん。あなたと私が睨み合うようになって長い年月が経ったのよ。そこの坊やの言う様に、知らないことの一つや二つあるに決まってるじゃない。例えば、《剣機兵計画》が実行出来れば、軍勢から守るに留まらず、ダークテリトリーへの侵攻も可能にするわ」

「剣機兵……? どうせろくでもない計画じゃろうが、ならばなぜすぐに実行しない?」

 

 何故? そんなもの、言えるはずがない。

 

 こんな冷酷無慈悲なイメージの神様が、まさか弱虫の泣き虫でシンセサイズさえまともに出来なくなっただなんて。

 

 もう何人も、何百人もシンセサイズしてきて、何を言っていると思うだろう。

 

 俺には、心を無にして、人工物のAIだと思い込んでこのフラクトライトの命を奪うのには耐えきれない。クリスチャンがいなければ、本当にフラクトライトが崩壊してたかもしれない。

 

 身体が竦み上がり、言い知れぬ恐怖がゾワゾワと身体を包み込んできて、今では式句を唱えようとすれば口が動かないのだ。

 

 幸いにも、物質に転換した人々を元に戻す術式もあるので、何らかの形でキリトに伝えておこうとは考えている。

 

 ……あわよくば、アンダーワールド大戦も、ムーンクレイドルも、知性間戦争も、アビッサルホラーとかいうSAN値チェック案件も体験したいが、アドミニストレータはここで終わる人物だ。

 

 それ以上を求めては、傲慢というものだろう。

 

「……あの計画はね。つい最近中止……いえ、もう破棄することにしたのよ。そこのカーディナルちゃん同様、二人をずっと監視させて貰ってたのよ……メモリを開けるために要らなそうな記憶を消して、二年間ずっとね……」

「……えっ!?」

 

 ユージオが驚いて、俺とカーディナルとを視線を行ったり来たりさせている。

 対しキリトは苦い顔だ。監視していたならば、示し合わせも知っていた事になると気付いたらしい。

 

「カーディナルちゃんの監視が始まったのは村を出てからだけれど、私は坊やがダイブしてきた瞬間から知ってるのよ? まさか、アンダーワールドにリアルワールド人が降りてくるなんてね」

 

 キリトがあからさまにビクゥッと跳ねた。冷や汗も掻きまくってる。

 

「……そこまで知っておいて、なぜ整合騎士へ引き入れた?」

「……あわよくば天然フラクトライトの構造でも解析でもしようかしらって」

「え、えぇ……?」

「あら、冗談よ。ソウル・トランスレーターへのアクセスは内部からじゃ無理。つまり弄れないの。命拾いしたわね、坊や」

「そう口では言っておいて、元からその気などなかったろうに」

 

 なんで思考読むんだよ。ちょっと冗談言ってるだけなのに酷くない?

 

「まあいいわ。この二人は私のだからね? あれこれ吹き込むのは止めて」

「だからと言って盲従しておるわけではないじゃろう?」

 

 ここからの話し合いは大筋は原作……というか短編のifに沿った形となった。

 

 キリトとユージオのケーキが俺とカーディナルの睨み合いを止める為の犠牲となり、新作ケーキ持って来るなら話し合いをしようという事で、解散した。

 

 ……うーん、これ。本当にどうしよう。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

裏話 ベルクーリ

もうちょっとだけ続くんじゃ……!

供養用と思われたこのネタ小説にも需要があったっぽいので、書きます。

ベルクーリに弓兵が混じっている気がするのは許してヒヤシンス……


 

sideベルクーリ

 

 

 俺が目を開いた時、目の前には二人の男女が立っていた。

 

 一人は、なんつーか覇気のある美丈夫な従者の男だったが、俺の真正面に立っていた美しい少女からは、得体の知れん何かを感じた。

 

「目覚めたようですね、ベルクーリ」

 

 ベルクーリ……ああ、俺の名前か。

 

 だが、何だ、このモヤッとした違和感は……

 

「……ここは何処だ? これまで何をしてたのかもサッパリ分からん。記憶までなくなってるみてぇだ」

「それを順を追って説明しましょう」

 

 俺は天界から召喚された騎士、整合騎士であること。

 目の前の少女は最高司祭アドミニストレータと言い、俺が来させられたこの人界っつう世界の最高権力者で、隣の従者は元老長クリスチャンとか言うこと。

 

 まあ要するに敵を倒す為の人手が欲しかったわけだ。俺はこの二人の下に付いてあれこれと戦えというのが、これからやらなくちゃいけねぇ事らしい。

 

 俺が天界とやらにいた記憶を消されたのは、人界で動く時に支障が出ないようにする為のようだ。

 

 まあいいか。細かいのを気にしてたら頭が痛くなる。

 それに、深く考えても答えなんか出ないだろうな。

 

「……まあ、よく分からんが、取り敢えず戦えばいいんだろ?」

「……ねぇ、その口調どうにかならないの? 私、貴方の上司なんだけど」

 

 そう言っている割に、怒っている風には見えなかったが……仕える相手にタメ口というのも無礼には違いねぇか。

 

「あぁ……コホン、最低限の範囲でならできますが、生憎と性分でして」

「……もうそれでいいわ。クリスチャン、カセドラルを案内してやりなさい」

「はい、承知致しました」

 

 アドミニストレータ様……長ぇな。なんかよく分からん宗教のトップらしいし、猊下とでも呼んでおくとするか。

 猊下が引っ込まれると、隣の元老長が俺に向かって恭しく一礼した。

 

「ご紹介に与りました、クリスチャンと申します、シンセシス・ワン。これから関わる機会が多々あると思いますので、どうぞ宜しくお願いします」

「お、おう、よろしく頼む」

「では、階下の設備を一通りご案内致しますので、こちらへ」

 

 少し驚きながらも、元老長に付いていく。

 

 どうやら、この元老長は変わった奴のようだ。教会のNo.2だと言うのに、俺に対して敬語が基本とは恐れ入る。

 こんな真似は俺には出来ねぇな。砕けた話し方の方が気が楽でいい。

 

「……気になるんだが、そのシンセシス・ワンって呼び方はなんだ?」

「シンセシスとは、神聖語で整合を、ワンとは、1を意味する言葉です。ベルクーリ・シンセシス・ワン、これが貴方の名前となります。ご不満でしたら、アドミニストレータ様へ直接お願いします。私としてはベルクーリ様とお呼びしたい所ですが、示しがつかないと咎められてしまいまして」

 

 ……敬称が無くても、言葉全体に敬語が掛かってたら大して変わらん気がすると思うが。

 

 何にせよ、ちゃんと話の分かりそうな男で一安心か。

 

「にしても、ワンか……2や3もあるのか?」

「今の所は予定されていませんね。ですが最高司祭様の事ですから、先を見越しての事でしょう。その時には、シンセシス・ワンは騎士長殿になってもらわなくては」

 

 ……この野郎、俺がそういう役目が嫌いだとわかった上で言っているな?

 

「……元老長、それは意地悪が過ぎると思うぜ」

「ははは、そうですかね。人員が少なければ管理も楽で、私の仕事も少なくて済みますし……おっと、つい本音が」

 

 苦笑しつつ肩を竦める仕草が、妙に様になっている。冗談ではあるのだろうが、俺が一人目な事を考えれば、人員も足りてねぇんだろう。

 

 やれやれ……この男は食えん奴だが、気の良い奴そうだ。

 

 こいつの下で働くのも、悪くは無いだろう。

 

「では、まずは九十九階から……」

「これ百階まであるのかよ……」

 

 九十九階から話聞くのは、流石に聞く気が起きねぇんだが……

 

 

 

 

 元老長のカセドラル紹介は、案外呆気ないもんだった。

 

 まだ何を作るのか決まってさえいない階が二十もあるそうだ。しかも、俺が使うような主要な階は十も無い。今いる階層だって三十階だ。

 

 「九十九階全て紹介すると思いましたか?」なんて言われちまった。

 小突きたくなるくらい微妙に腹が立つのが元老長のダメな所だな。揶揄うのも冗談もお好きらしい。

 

「しかし、お前さんは元老長なんだろう? そんな神聖術に堪能ってふうには見えねぇが」

「見た目で判断されては困りますよ。苦手な方でありますが、人界二番目の使い手と自負しております」

 

 人界二番目ってことは、そりゃ猊下の次に使えるのかい。

 そもそも、神聖術なんて小難しいもんはからっきしな俺からすりゃあ、嫌味にまで聞こえてくる。

 

「それのどこが苦手なのか聞きてぇな」

「ですが、剣術ならば一番目です」

「おいおい、猊下と張り合ってどうするんだ……」

 

 終始、俺はこいつの調子に翻弄されていたような気がした。

 

 振る舞いは年相応じゃなさそうだが、本質は悪ガキって所か。奴からすれば、俺はさぞからかい甲斐の無い人間だろう。

 猊下も随分物好きだな……まあ、俺みてぇのを召喚するくらいだ。常人とは考えが違うんだろうさ。

 

「早速ですが、シンセシス・ワンに任務がございます」

「ほお、まさか、初日から初陣になるとは思わなかったぜ」

「我がカセドラルには人手が足りませんのでね。丁度三十階にいる事ですし、専用の飛竜をご用意致します」

 

 すると元老長は風素術を唱え、助走路からカセドラルから外に飛び抜けた。偉い立場だというのに、とことんぶっ飛んだ真似ばかりする様は、正に悪ガキだな。

 

 少しの間、発着場の大扉から外の景色を眺めていれば、巨大な影が20メルもある助走路の幅を覆い尽くした。

 深い青色の体表を持つそれが、飛竜っつう生き物らしい。いきなり出てこられちゃあ、中々の迫力で驚いちまう。

 

 そいつの背の鞍に、元老長がいた。飛び降りると、飛竜の顎あたりを撫でてやっている。

 

「これが飛竜です。中々に可愛いものでしょう?」

「……可愛い、か? 寧ろ厳つい見た目じゃねぇか」

「シンセシス・ワンも長く飛竜と接すれば分かりますよ。そして、この子が貴方専用の飛竜、星咬(ホシガミ)です」

「ん? 元老長のじゃねぇのか?」

「いえ。私には雪綜(ユキヘリ)が居ますので。星咬は元より、貴方の為にとアドミニストレータ様がご用意なさった飛竜ですからね」

 

 俺みたいなのに、全く過分なご期待だ。最初から失敗出来ねぇとは無茶言うぜ。

 

「……元老長、武器はあるか? 出来れば手頃な両手剣辺りが欲しいんだが」

 

 そう言ったんだが、元老長は何を思ったか、筆を一本、懐から取り出した。

 まさか、こいつで戦えって事じゃねぇよな?

 

 顔を引き攣らせていると、それを俺に渡して……はこず、静かに口ずさんだ。

 

「……システムコール。リディフィニション・オブジェクト。アイディー・STPH1。グレートソード・クラス」

 

 聞いてもサッパリな神聖術を唱えると、瞬く間に筆は光を帯びて、その姿を大きな大剣へと変えた。

 

 コイツは……さっきのペンが形になったもんだろうが、何処か底知れない力を感じる。

 

「アドミニストレータ様はよく仰っていました……〝ペンは剣よりも強し〟と。ああ、ペンとは筆の神聖語でしてね。要するに、武力よりあれこれと言説を並べた方がより効果的という意味なのですが、ペンが剣になってしまってはお笑い草ですね」

「……お、おう。そうかい」

 

 元老長から大剣を受け取って腰に提げる。

 

 ……重いな。だがしっくり来る。これなら不足は無いと見ていいだろう。

 

 だが、元老長は実際の性能を知りたかったのか、大剣に向かってステイシアの窓を開いた。

 

「優先度は43……さすが、アンダーワールドの初期配置物か……神器級の優先度を持ってますね。使用には耐えうる性能ですよ」

 

 ほぉ……まさかとは思ったが、神器級を簡単に作り出すとは。おっかねぇったらありゃしねぇ。

 

「それはいいんだが……こいつをどうやって飛ばすのか教えてもらわないことには、任務にも行けんぞ?」

「ああ、その事でしたか。軽くお教え致しますので、後は実際に乗って慣れてください」

 

 元老長から、実際に乗っての飛ばし方、止め方といった基本的な乗り方を教えて貰ったが、単純そのものだ。なんなら、馬とそう変わらん。

 

 これなら、俺でも任務とやらに向かえそうだ。

 

「くるるるっ」

「おう、よろしくな、星咬」

 

 こいつも、俺と一緒にいて不満はねぇみたいだ。俺も気に入っていた所だから、安心したぜ。

 

「そんじゃあ、任務とやらについて教えてくれ」

「ええ。シンセシス・ワンへの最初の任務は、イスタバリエス東帝国にある東の大門の────」

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 任務をこなしたり、そうこうする内にあっという間に二十年度経った。こんなおっさんだからか、時の流れがずいぶん早ぇように感じる。

 

「猊下、少し良いか? ちょいと報告がある」

「……ん〜? ベルクーリ? 勝手に入ってらっしゃい」

「分かった、失礼する」

 

 夜更けだからか、緩い格好をされた猊下が、帳面に何かをしたためていらっしゃる。

 猊下曰く日記だそうだ。何かを忘れてしまった時の為の記録用とも仰っていた。

 

「それでなんの用かしら」

「それが、最近人界の魔物達や暗黒界のゴブリン共が妙に活発になり始めたようで……」

 

 二十年前よりも確実に数が増えている。こりゃあ、なんの前触れだかな……収まってくれば万々歳だが、どうもきな臭い。

 

 その他にも、色々と気になった事を幾つか報告した。

 

「とまあ、こんな所だ」

「……なるほどね。下がっていいわ、ベルクーリ。以後も監視の目を強めるように」

「ああ、承知した」

 

 猊下の書斎から出ると、ふぅと一息つく。

 

 この二十年間、実に色々な事があったもんだ。

 

 暗黒将軍と戦い、惨敗して命からがら帰ってきたこと。《システム・クロック》なる神器を剣にした《時穿剣》を猊下から拝領したこと。武装完全支配術っつう、時穿剣の力を最大限に引き出す神聖術。数年に一度猊下のもとに来る男の来客。

 

 ま、たかが騎士如きが気にしちゃいかん事も混じっているが、最高司祭という立場がいかに忙しいかは分かったつもりだ。

 

「おや、シンセシス・ワン。クィネラ様……ではなくアドミニストレータ様にご報告でも?」

「いや、今し方終えた所だ。つうか元老長、そのクィネラ様っての、隠す気が無くなったみたくわざとらしいぜ」

「つい口が滑ってしまいまして。二人きりの時はよく名前をお呼びするので」

 

 そうおどけた様子のクリスチャン。こいつは猊下との関係性が全く読めん。よく抱き込んで頭を撫でているなどとよく言いふらすが、あの性格の猊下がまさか……とは思ってしまうな。

 さて、真実はどうだか……素が俺の思う通りなら、本当にあり得るかも知れんな。

 

「それで、あの話は前向きに検討してくれそうなのか?」

「前向きに検討どころか、クィネラ様は新たな召喚を行う準備をしておられます。恐らく、女性の方だとか」

「ほう、そいつは気になるな。女で剣が強いってのは戦ってみたいもんだ」

「それならば、猊下と試合のご予定でも組まれますか? 喜んで仕合われるかと」

「……そりゃ本当かい? 是非ともやって貰いたいと思っていたんだが、機会があればやるしかないな」

「では、私からアドミニストレータ様に上奏して参りますので、組まれ次第お伝えしましょう」

「おう、すまんな元老長」

「いえいえ、お気にならさず」

 

 では失礼致します、と元老長が一礼して通り過ぎる。

 

 ……あれが教会の二番目に権力の高いお偉いさんだっつうのが、今でも不思議なくらいだ。

 元老長と言えば、なんだ、もっと喧しくて人の話を聞かねぇ奴みたいな印象が勝手にあるんだが……てか、どうしてそんな印象を持っちまってるのかさえ分かんねぇけどな。

 

 まあ、気にしても無駄か。猊下との試合に臨んだ時のことを考えて、剣でも振っておくかね……

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 約束を取り付けてから、ひたすら任務に向かい続けて三日後。元老長の奴が、今日この日に猊下との手合わせが叶ったと伝えられた。

 まさか当日に言われるとは思っていなかったが、まあ、仕合えるのならそれでいい。

 

 場所は五十一階の第一修練場。任務の無い時には、ここでちょっとした鍛錬したりするが、だだっ広い上に無駄に綺麗でな……あんまし使う気にはなれねぇってのが本音だ。

 

「ふふ、時間通りね。感心するわ」

「そりゃあ、こいつがありますからな。そうそう間違えやしません」

 

 《時穿剣》。銘の通り、時を穿つ剣だ。これを使う為には、いかに俺が正確に時間を数えられるかに掛かっている。

 

 ある意味、こいつのお蔭で時間が分かると言っても過言ではあるまい。

 

「……ふうん? 神器でやり合うつもり?」

「いや、別にそういうつもりじゃないんですがね……そこに訓練用の真剣がありますが、そっちの方が良いんですかい?」

「えー? それじゃつまらないじゃない。折角なら、命のやり取りでもどう?」

 

 そう言うと、猊下の手もとに純白の剣が現れた。まるで儀礼用みたく細身で、衆目じゃとても打ち合えるとは思えんだろう。

 

 ……だが、ありゃあ間違いなく神器だ。俺の時穿剣とも、いや、それよりも膨大な力を感じる。

 

「……元老長、いいのか?」

「ええ。ですが、天命全損となってはならないので、神聖術及び武装完全支配術は禁止とし、天命が三分の一を切った時点で終了とします」

「なにそれぇ? 十分の一じゃダメなの?」

「本来なら初撃決着で済ませたい所ですよ。これでも譲歩している事をご理解下さい……」

 

 元老長が自分の次に剣が強いとか言っているが、普段猊下はカセドラルに籠って、寝るなり神聖術の実験なりで、剣なぞ持って戦うとは露ほどにも思った事はねぇからな。

 

 ま、ここは元老長の言葉を信じて、少し本気で行かせてもらうとするか。

 

「では、試合を開始して下さい」

 

 何とも判然としない合図に、猊下がこちらへ歩み寄り始めた。

 

 そっちから来るか。貴女の剣筋、見させてもらうぞ。

 

「……心外ね。せいぜい互角以下ぐらいにしか思ってないでしょう? この私を品定めするなんて、不敬にも程があるんじゃないかしら」

「と、言われてましてもなぁ。猊下が剣を振る所を見たことがないもんですから。今も半信半疑ってとこですよ」

「あら、じゃあこれは見えるかしら?」

 

 ゆっくりとした歩調から、早足になって距離が詰まる。俺は攻撃を迎え撃つ為に中段に剣を構えた。

 

 猊下を視界の中央に捉えて……っ!? 消えっ──

 

 ──ゴォォン!!

 

 左を見れば、真っ直ぐ振り抜かれた剣が、大剣の側面で防がれ軌道を逸らされている。

 

 おいおいおい、これはマジかよこれは……切っ先すら全く見えなかった。

 剣士の勘が無けりゃ、今頃は心臓を一突きされていた所だったぜ。

 

「今のは本気を出してみたんだけど……流石に今の貴方には見えなかったようね。……リニアーは出さないでおこうかしら

 

 ……どうやら、猊下はあれでも本気を出していねぇようだ。

 

 最後にボソリと言っていたが、猊下はまだ秘奥義を隠し持っていやがる。

 俺なんて、あれが秘奥義なんじゃねぇかと思ってしまうぐらい早かったな……

 

「次は突きじゃなくて、ちゃんと剣を振ってあげる」

 

 なんて事ないように横に振り抜かれた剣を受け止めると、凄まじい衝撃に腕が悲鳴を上げた……しかも、踏ん張るのもやっとな程の凝縮された力だ。ただ埒外の力を叩き付けられた訳じゃない、

 剣が打ち合った瞬間、隠されていた剣気を垣間見たが、あれは暗黒将軍なぞとは比べ物にならなかった。相当な修羅場を潜り抜けてきた、稀代の剣豪の如き気。

 

 要するに、あれはなんて事ないように振られた剣なんかじゃねぇって事だ……猊下が見出した剣術の一つの完成系、いや、剣を振るって事自体の究極系なのかもしれん。

 

 これを二合、三合と打ち合えば、腕は勿論、脚まで痺れちまいそうだ。

 

「……意外に鈍ってないものね。もう二十年も持ってないのに」

「それでいてこの剣捌きは、ちと洒落になりませんな……」

「ふふ、もっと褒めてもいいのよ? 元々天才の私が、十年以上も掛けて鍛錬と実戦を積み重ねた結果がこの剣だもの」

「たった十年でこの重みってのは、間違っている気がしますがね」

 

 顔が引き攣るのが分かるくらいには、戦慄しているしな。

 

「そんじゃあ、今度は俺から行かせて貰いますぜ」

 

 こんな事をしようもんなら、オチが見えちまうが……戦いになってすらねぇのは俺の矜恃に反する。

 ま、やれるだけやってみるとするか……

 

「ふう……セェェェッ!!」

 

 上段から、大剣を勢いよく振りかぶった。威力も速度も相当のもの……だが、猊下は片手で軽々と受け止めやがった。

 

 あの細っこい腕の何処に力の源があるのか見当もつかん。

 

 剣と剣がギチギチと火花を散らして拮抗するが、俺には分かる。

 猊下は既に、手を抜いてる。

 

 言わば、俺が剣で押している所に、ただ剣を置いて防いでいるみてぇなもんだ。猊下は俺の剣を弾き返す力を入れていない。難攻不落の要塞って事だろうな。

 その気になりゃ、俺なぞ紙っぺらみたく吹き飛ばせるだろうに。

 

「あら、そんな程度なの? 私、そろそろつまらなくなってきたわ。早く本気でも出しなさいよ」

「……本気で、ねぇ」

 

 はぁ……何でもお見通したぁ、ちょいと卑怯ってもんじゃねぇか?

 

「……端っから奥の手っつうのも、品が無いってもんでしょうに。それに、猊下がこれ程とは思ってもみなかった。正直、純粋な剣技じゃあ猊下と勝負さえ出来る気がしませんな。まあ、こちとら、騎士としての威厳もあるもんですから、簡単に負ける気も無いですがね」

「まだ、手があるのかしら?」

「なに、そりゃ単純な話ですよ」

 

 ニヤリと笑えば、直後、拮抗していた双方の剣が一方に傾いた。

 

「……なっ!?」

 

 傾いたのは猊下の剣。思わず驚いたようだな。

 

 まあ、それも仕方ねぇだろう。

 こいつはかなり特殊でな。純粋な力以外のもんを込めている。

 

 猊下を弾き飛ばし、一旦距離が離れたとこで、自らの鼓舞の意味合いを兼ねて一言、

 

「整合騎士、ベルクーリ・シンセシス・ワン、参る!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……なんてやっていたのが、今じゃあ懐かしい思い出だ。

 

 あの試合は、今でさえ、俺の中で一二を争うくらいの大激戦になっちまった。

 心意を使い、己の剣気を全て剣に注ぎ込む俺と、比類なき力と剣技で翻弄する猊下。結局、試合は猊下の勝ちだったが、心意が尽きていなけりゃ俺が勝ってたと断言出来る。

 

 つっても、当の猊下は無数の秘奥義を会得していて、その頃から自在に心意を操れたそうだ。敢えて使わなかったんだろうが、もしも秘奥義や心意の剣で来られたら、簡単に負けただろうさ。

 

「ねぇベルクーリ、話聞いてるの?」

「おっと、こいつは失礼……いつぞやの猊下との試合を思い出しましてな。思わず耽っていましてな」

「……あぁ、あれね。ソードスキル……じゃなくて秘奥義を使って戦おうと思ってたのに、思ってた以上に貴方が不甲斐なかったから、ものすごく手加減したのよ?」

「今なら、それなりの戦いを約束しますよ。あんなヒヨっ子の頃とは格段に違う……よろしければ、一つ試合でもどうですかな?」

 

 そう尋ねれば、猊下はこれまでに見たことも無いほど悩ましげな顔色で、顎に指を当てていた。

 

「……ごめんなさいね。私もそんなに時間が残ってないの」

 

 お、おいおい……今、なんつった。

 

 聞き間違いじゃなけりゃあ、猊下が〝ごめんなさい〟と謝ったのか?

 

 当たり前だが、猊下はこの公理教会の最高権力者だ。部下にわざわざ謝罪をするなんて万一にも有り得ない筈だが……どうなってやがる。

 

 仮に断るとしても、「やりたいけど、生憎と私には時間が残ってないの」みたく、意見やら嘆願やらを突っ撥ねる形なのが常だ。

 

 ……不安が拭いきれねぇな。

 

「……時間、と言うと?」

「そのまんまよ。まあ、きっと貴方達整合騎士は、常に寝てまともに仕事もしない体たらくな最高司祭とか思ってるでしょうけど、深い事情があるの」

 

 猊下が眠られている理由か。

 考えてもみなかったが、イーディスはよく、元老長と最高司祭様は強いのにどうして出向いてくれないのかって愚痴っていたな。

 

 そう考えるのはあまりに不敬ではあるが、確かに二人が出てくれれば、こちらの仕事はかなり楽になるだろう。

 

「少なくとも、猊下を卑下するような奴はウチには居ませんよ。全員、猊下が何をされてきたのかをよく知っていますし、感謝もしている。まあ、イーディス辺りは少しあれですが……」

「……イーディスちゃんにそう言われるのは無理ないわね。昔から奔放だもの、あの子は」

 

 ……んで、これだ。猊下は、召喚された整合騎士の性格とかまできっちり把握しておられる。

 

 副長のファナティオなんか、猊下と関わった時間はそう長くねぇ。それにも関わらず、猊下は俺の知らないファナティオの側面まで知っていた。後で確認した時は驚いたもんだ。

 

 こう言っちゃなんだが、猊下は整合騎士を管理しやすい駒として扱うそぶりを見せながら、その実、一番俺達を心配しておられる。

 

 この外面と内面の不一致が、最初は疑問に思うが……もう二百年も居る俺からすりゃあ、猊下は最高司祭という責務を負わされた一人の少女にさえ見えていた。

 随分と長い間を生きておられるからか、初対面の頃から威厳や風格は備わっていたが、外見の印象とは全くもって別もんだろうさ。

 

 今なら、元老長が言っていた、甘えてくる発言も理解出来る。

 

「奔放と言えば、フェノメアちゃんはちゃんと仕事してる? あの子、いっつもふらふらしてるし」

 

 話題がコロッと変わったな……

 

 フェノメア・シンセシス・スリー。ファナティオの次、三番目の整合騎士だ。

 んでもって、整合騎士最大の問題児でもある。

 

 仕事は言われた通りこなすし、かなり優秀な騎士の一人だ。ここまではいいが、問題はこいつはカセドラル内をあちこち歩き回っているもんだから、任務を伝えようと思っても途方もない時間がかかっちまう。

 入りたての頃は、元老長もよく頭を抱えていたぐらいだ。

 

 もう一つ変わっている所は、あいつは男なんだが、どういう訳か女の格好をしていてな。その筈なんだが、風呂に入っている所も見たことが無かった。本当に男なのか疑いたくなるが、フェノメアの骨格は男のそれにしか見えねぇし、何より本人がそう言っているから、間違いではないのだろうがな。

 

「……長く居ますが、あいつの事はさっぱりと分かりませんな。似たような感覚を覚えたのは……そうだ、シェータと会った時だったか……。二人とも、何か深い闇みたいのを抱えているような気がしてならない、ってのが俺の所感です」

「……そうよね。フェノメアも、シェータも特別だもの」

 

 猊下は事情を知っておられたようだが、ワイングラスを傾けて、その話はもうされないようだ。何がどういう風に特別なのかってのは気になるが、天界の記憶は人界で暮らすのに支障が出ちまうらしいから、俺も深くは詮索しなかった。

 

 代わりに、こんな質問が降り掛かった。

 

「──死を予感したことはある?」

「死の予感、ですか」

 

 突然の問い掛けで、オウム返ししながらも心当たりを探る。

 

「まだヒヨッコだった頃、先代だか先々代だかの暗黒将軍に軽くひねられた時は、さすがに危ない、と思いましたね」

「でも、そいつの首は、貴方と試合する少し前くらいに取ってきたじゃない?」

 

 二十年経てば、歳を取らない俺は強くなって暗黒将軍は老いには勝てなくなり、普通に勝っちまった。

 

 歳を取らないっつうのが情けなく感じ始めたのもこのくらいだったか……

 

「それ以降は、もうないの?」

「うーむ、ちょいと思い出せませんな。しかし、なぜ急にそんなことを? 猊下には、無縁の感覚でしょうに」

 

 いくら実戦の経験があるとは言え、死の予感なんてもんは猊下ほどなら感じる事さえねぇだろうさ。

 極まった神聖術ってのは、そんくらいの力を秘めているからな。

 

 だが、猊下は鼻で笑うと、横たわらせていた姿勢を正して、グラスをゆっくりと傾ける。

 

「分かってないわね、ベルクーリ。毎日よ……私は、毎日死を感じてる。朝、目を覚ますたびに……いいえ、夢のなかですらも」

 

 俺の口からは、言葉が出なかった。それどころか、ポカンと空いていたさえある。

 

 そもそも、猊下は死さえも無縁の概念だと思えるほど長く生き、こと戦いに置いちゃあ人界一の強さだ。

 

 そんな人物が、一体どうやって死ぬってのか。

 

「なぜなら、私ではこの世界を支配できないから。私は、あまりにも甘かった。

 

 

 

 

 そして────私は、そう遠くない未来のいずれかの時点において、必ず死ぬ運命にあるから」

「なっ……!?」

 

 そん時の猊下の顔は、全てを悟ったような諦念の満ち満ちていやがった。俺は、暗黒界で何人もこういう奴を見てきたから、直ぐに解った。

 

 さっきまで自信で溢れていた猊下の姿は微塵にも感じられねぇ。だが、俺にはこっちが猊下の本性だと確信した。

 

 猊下の外面と内面の矛盾の理由は、恐らく、あの言葉に集約されている。

 

 死ぬと分かっているから諦める。諦めたから、逆にそれを受け入れて堂々としていられる。

 

 仮に、死を粛々と受け入れようとせず、この人界に留まらず暗黒界まで統べる飽くなき支配欲を持っていたなら、こんなちぐはぐな猊下ではなかっただろうが……今ならはっきりと解るぜ。目の前の猊下は、運命を背負わされた少女そのものだ。流れるまま、あるべき姿で居続けるのが自分の役目だと思わんばかりに、受け入れてやがるんだ。

 

 だが、それでも今夜になって、謝罪の言葉出るほどに精神が弱っていたのは、死期がそう遠くない事を改めて認識しちまったからだろう。

 俺だって、天命が凍結された天界の騎士とは言え、死ぬのは怖いさ。ましてや、長い時を生きる猊下にはもっと酷だろう。

 

「……猊下は、それで良いのですか。全てを諦めて、何もせずに殺されると?」

「抗うわ」

 

 ふと考えていたらつい尋ねちまった無遠慮な質問に、猊下は即答なさった。

 

 随分、おかしな事を仰る……諦めているのに、抗うってのは、一体全体どういう意味なのか。

 

「抗って抗って……私は死ぬ。私にだって信念はあるもの。それに易々と殺されたら、申し訳が立たないし」

 

 抗っても、行き着く先は死ぬという結末になると猊下は思われているようだ。

 死に方に拘っているのか……それとも、抗うという事が猊下にとって何かを意味するのか……

 

 きっと、猊下の言葉を真に理解するのは俺には無理だろう。

 何せ、立場が違うんじゃなぁ……それに、猊下の境遇なんてものを知らんことには、表面でも理解できねぇ。

 

 しかし、俺は案外耳聡いんでね。聞かなくていいような事を、不意に聞いちまうんだ。

 

「……誰に、申し訳をされるので?」

 

 尋ねたことが意外だったのか、猊下は目を丸くされた。

 まあ、これが他の奴なら気にも留めんだろうが、猊下が申し訳を立てる人が居るってなると話は別だ。

 

 ワインのグラスを空にされると、そのまま暗闇の虚空に目を向けた。

 

「……そうねぇ。私が……唯一先生と呼ぶ人。この世界を作った天界の神を作った、全てを統べる存在。世界の行く末を決める人よ」

「世界の行く末が決める、猊下の先生、ですかい……。そりゃまた、大きい存在ですな」

「ええ。私にはとても大き過ぎる。私は所詮、先生のいちストーリーのアーチェネミー*1だもの。……でも、あの人にこの手が届くなら、嬉しいのになぁ……」

 

 ソファにぼふっと倒れ、ここからじゃ見えない〝先生〟とやらに手を伸ばされたるのを、俺はただじっと見ていた。

 

 ストーリーだのアーチェネミーだの、俺には解らない神聖語だらけだったが、まあ、そうさなぁ……これだけは一つ言える。

 

「……あっ!? い、今の無しだから! じゃなくて無しよ! 今のは聞かなかった事にしておいてちょうだい! そ、それと今の話はクリスチャンにもしてないから、あれこれと吹聴するのも禁止! え、えーと、そう! 守れないならお皿に変えるわよ!?」

 

 ……目を回しながらあたふたされる猊下は、なんだか愛くるしいって事だ。

 

 

 


おまけ

 

 

 ベルクーリが去った後の最上階にて。

 

「やばいやばいやばい……ベルクーリに素で喋っちゃった……!」

 

 え、どうしよう、どうしよう……と、アドミンが慌てふためきながら、ソファの上でゴロゴロ転がっている。

 

「べ、ベルクーリだし、約束は守ってくれるよね……? 守ってくれないと俺が社会的に死ぬし、アドミンムーブ続けた意味無くなるよ? 良いの? いやダメでしょ、アカンよそれは……川原先生に怒られちゃうっての……」

 

 日記や心の声では男っぽい感じだが、意識せずに出される口調から滲み出るヲタ女子感が半端ではない。クリスチャンに素を曝け出している時もだいたいこんな感じだったりする。

 

「しかもあんな事言っちゃってるよ俺ぇ……! 川原先生は神だった……? まあシナリオ書いてるし、この仮想世界と現実世界の住人にとっては神様だよなぁ……はぁ……」

 

 苦節三百年。アドミンムーブを続けてきた結果、根本にあったはずの三十代サラリーマンは消え去り、女性のフラクトライトの上に刻み込まれた男の魂は気付かぬうちにすっかりメス堕ちしていた。

 

 因みにだが、人間は誰しも最初、お腹の中では女性として産まれるらしい。これは人間に限らず哺乳類全般に言えることで、卵子に染色体のXやらYやらが加わる事で性別が確定し、男性か女性のホルモンが分泌されて脳みそ……つまり精神が男性化、もしくは女性化するのだと言われている。これらが正しく行われなくて、心身の性別が異なってしまうのがトランスジェンダーと呼ばれる人のようだ。

 

「……ううぅ、本当にどうかしてるよ、俺……」

 

 フラクトライトの基本情報が女性であるなら、それに適応してしまうのは普通である、のかもしれない……

 

 

 

 

*1
アークエネミーもしくはアーチエネミーの英語的発音。英語表記は『archenemy』。アドミンは英語が堪能なのです。




しばらくは、アドミンが三百年ムーブやってた最中の裏話を、各主要キャラの視点からお送りする話が続くと思われます。
それが終わったら、可愛いアドミン先駆者の泥人形ニキが言った《ウルトラヌルゲー・アンダーワールド大戦編》が始まる……のかな?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

裏話 クリスチャン

キリト「やってみせろよアドミン!」
アドミン「なんとでもなるはずだ!」(本編には関係ありません)


 

sideクリスチャン

 

 

 俺は物心ついた時から、自分が気味悪がられている事を悟った。

 

 と言うのも、どうやら、自分はとある貴族の妾腹の子であり、望まれた子ではなかったのだ。

 自分の母親という側室の妾は、息子そっちのけで父親だという貴族にベッタリとし、俺は幼少をただ一人のお世話係と共に過ごしてきた。

 

 お世話係、というには彼女の存在はとても大きかった。彼女こそ、ただ純粋に愛情を注ぎ育ててくれる、俺の母親なのだと思った。

 

 屋敷の殆どの人間から腫れ物扱いされてきた俺だが、暮らしぶりは至って平穏だった。文字通り、腫れ物なので、誰も相手にしようと思わない。それ故に、十分な暮らしが出来た。

 

 だがその平穏は、正当な貴族の継承権を持つ嫡男の事故死によりたちまち崩れ去った。

 

 貴族と正室の妻は、男に恵まれず、長男、長女、次女、三女、そして次男という家族構成になっていたのだ。そこから長男たる嫡男坊が消えると、その貴族を世襲する次男となるが、次男はまだ生まれて間もなく、貴族の父親は病に侵されていた。

 そこで、側室の子であった俺に白羽の矢が立ったのだ。

 

 あれよあれよという間に、急に母親面をしてくる妾の女に担ぎあげられ、血縁上の父親である貴族も、俺が貴族位を貰うことを渋々ながら了承していた。

 

 それに反発したのは、正室の妻だった。俺が跡継ぎになる事を認めようとしなかったのだ。

 

 側室と正室でお家騒動が勃発すると、正室は奸計を企て、俺を陥れようとあれこれ画策し、果てには寝込みを襲ってきた事もある。

 

 神の定めたという禁忌目録さえ恐れぬ行動だった。だが、この紛争状態は思わぬ事態によって収束した。

 その思わぬ事態とは、俺が家を飛び出した、という事だ。

 

 普段であれば、俺は家を飛び出そうだなんて思わなかった。

 お世話係……俺にとっての本当の母さんがいたからだ。母さんを置いていくことは出来なかった。

 

 だが、正室の奴らは……母さんを手に掛けたのだ。正室の騎士が、錯乱状態になって荒ぶり、そのまま母さんを刺し殺した。

 

 その時は正気を失った。怒りと悲しみでグチャグチャになって、剣を片手に正室の者共を斬り捨てた。

 

 母さんから教えてもらった、敵を倒す事に特化した剣の技だった。母さんが言うには、ある一定の構えを取る事で、剣の技を出せるようになるらしい。

 どうして知っているのか、それはついぞ知ることは出来なかったが……

 

 剣の技は一般的なものではなかったので、面白いほど護衛が倒れていく。正室の妻を囲う護衛の兵の体を両断し、その血で塗れていた正室の妻に剣を突きつけた。

 命乞いをしていたようだが、俺には羽虫が耳の近くで飛んでいるような鬱陶しさを感じて、呆気なく殺した。

 

 そうやって殺し尽くした後に残ったのは、虚無感だった。禁忌を犯してまで殺したというのに、自己満足さえままならない。

 

 俺は家を出た。どうせ、禁忌を犯した罪で追われる身なのだ。死に場所でも探そうかと、宛もなくぶらついた。

 カセドラルを通り、北へ、北へ……

 

 やがて開拓村に辿り着いて、そこで少しの間を過ごした。なんでも、英雄ベルクーリとやらが切り拓いた土地らしい。だが、当の英雄は開拓がある程度進むと、忽然と姿をくらましたらしい。

 

 特に興味もなく聞いて、村を出ると、北にある洞窟へと向かった。

 

 人界には、四方向にさらに外の世界、暗黒界へ繋がる場所があるのだという。

 禁忌目録で、そこへ入る事は禁じられていたが、既に禁忌を犯してしまった俺には、どうでもいい事だ。

 

 暫く、ひんやりする寒さの洞窟が続くと、突然開けた場所に繋がった。

 

 そして、竜が一体、ここが寝床だと言わんばかりに丸まって寝ている。その後ろに金銀財宝が山のように積まれ、俺が知る竜の姿に最も近かった。

 

 もし挑むとしたら、こんなボロ切れみたいな剣ではなく、竜の傍に落ちているあの氷のような剣を使いたい所だ。

 

 だが、俺が求めるのは目の前の竜ではない。暗黒界──ダークテリトリーの住人達だ。

 

 暗黒界には、とても強い魔物が棲んでいると母さんから聞いていたので、敵を求めて、暗黒界の土を踏んだ。

 

 ……だが、思ったように強い者は現れなかった。

 

 暗黒界にいた緑の者共は知能が低く、総じて弱い。一人で村を壊滅出来るくらい、弱い。

 豚のような人の種族は、人語を解する知能を持っていて、力もそれなりに強いものの、まるで技術がない。ただ単調に大きい剣を振りかぶっているだけだった。徒党を組まれると厄介だが、逆に言えばそれだけだった。

 

 その内、剣の天命が尽きた。丈夫な剣も無くなり、徒手で蹴散らすが、未だに死に場所は見つからなかった。

 

 そんな時、彼女は現れた。

 

 4、5歳は年上だろうか。銀に近い薄紫の髪を持った、人界でも類稀な美貌を持つその少女は空を飛んでいて、恐らくは果ての山脈を術を使って越えてきたのだ。

 

 地上にいた俺の存在に気付くと、降りて来て、突然剣を渡された。

 即ち、戦えと。

 

 その少女との戦いはこれまでに無いほど白熱した。剣の技抜きなら、きっと彼女の方が才能があるかもしれないし、神聖術まで使われては勝算は無かったに違いない。

 

 だが、俺は技を構え、少女の剣を吹き飛ばした。

 『疾空斬』という、急激に距離を詰めて振り下ろすこの技は、独特な構え方をする。距離を詰められて驚いた少女の首筋に、そのまま剣の切っ先を当てた。

 

 すると、彼女はクスッと笑って両手を挙げた。

 

「参ったわ……ふふ、あなた、強いのね」

「……まあ、それなりには」

「初めまして。私は公理教会の神子、クィネラよ」

 

 ピクっと、体が跳ねた気がした。今目の前にいる人物が、貴族を凌ぐ権力を持つ公理教会の最高権力者なのだと言われたからだろう。

 

「つまり、俺は禁忌を犯した罪で連行されるという事ですか」

「ふぅん、その歳でずいぶんと達観してるのね。禁忌を犯した者の中で、そんなあっさりとした反応はあなたが初めて。気に入ったわ。カセドラルの下で執事として働きなさい」

「は、はぁ……」

 

 無論、俺は戸惑った。

 

 公理教会は、禁忌に背いた者を赦さない。中央教会に連行されれば、待つのは死刑。二度と帰ることは出来ない。

 そのはずなのに、目の前の最高権力者は神のお膝元で働けと宣っていた。

 

 しかし、なんと言おうと、俺には従うという選択肢しか残されていないのは明白だったので、大人しく頷くと、転移の神聖術であっという間に央都に着いてしまった。

 

 何をやらされるのやらと思えば、給仕に黒い執事用の服を着させられて、カセドラルの最上層に連れてこられて……

 

 あっという間過ぎて理解が追いつかなったが、目の前にはクィネラ様がいた。

 

「まだ小さいけど、様になってるじゃない」

「……どうも」

 

 敬語をまともに話したことがなくて、最小限の受け応えしかできない。

 とりあえずペコりと頭を下げると、クィネラ様は「えー……」と、不満げに声を漏らしていた。

 

「あのねぇ〜、従者って言っても、ずーっと堅苦しかったら私まで肩が凝るのよ。敬語はいいけど、そんなビシッ! ってのはダメ。肩の力を抜いてリラックスなさい」

「……りらっくす?」

「あ……そうね、気を抜くとか、緩くするとかそんな意味の神聖語よ。じゃあ深呼吸して……そう、吸って〜、吐いて〜。肩の力抜いて、そのままの調子でこっちにいらっしゃい」

「……失礼します」

 

 クィネラ様は、中央の寝台に腰掛けると、隣に座るよう指示してきたので、一礼して腰掛けた。

 

「……あ、そうそう。さっきも言ったけれど、あなたは私の従者。これから老衰で死ぬまで、身の回りのお世話とか、ちょっと仕事の負担とかさせるから、よろしくね?」

 

 ……いや、クィネラ様。なんでそれを今日会ったばかりの俺にさせるんですか。

 

 心の中で、そう突っ込まずには居られなかった。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 ここの所、三年近くクィネラ様の執事として公理教会で働いているが、クィネラ様を見ると謎が尽きない。

 

 クィネラ様は完璧超人ではない。極たまにだが、うっかりをするのだ。

 

 確認したのは、頭にぴょんぴょん跳ねた寝癖をつけて、可愛らしい寝間着のままセントラル下層の教会関係者のいる場所に降りようとした事、日記を書いている途中で涎を垂らしながら眠っていた事、四大貴族合同の式典の日に寝坊して重役出勤した事……

 

 睡眠関連でやらかす所なんかは人間そのもので、神の神子という思い描いていた像が修復不可能なまでに壊された。

 天にあるように手の届かない存在が、普通にいるような女の子みたいだった。不思議と親近感を覚えて、敬語ながらも気安い会話が出来るようになってきた気がする。

 

「ねぇクリスチャン、私凄く暇なんだけれど。何か遊びはないの?」

「……遊びではありませんが、鍛錬をなさっては?」

「……鍛錬? 何の?」

「クィネラ様の神聖術は極みにございますが、片手剣や両手剣、細剣、カタナ、体術といった近接においての戦い方では、経験も少ないでしょう。手慰みに如何かと」

 

 そう提案すると、クィネラ様は顎に手を当てて少し思案した。

 

「……そうね。それは、また今度にするわ」

 

 じゃあ、ババ抜きでもどうかしらと、クィネラ様が考案されたという、トランプという紙の札を使うゲームで俺を遊びに誘ってきた。

 

「……ご相伴に与ります」

 

 考えるまでもなくそう言葉が出ていた。

 

 こうやって、従者と遊ぶのだから、つくづくクィネラ様は謎めかしい。

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 俺がセントラルで働き始めて15年。 

 

 俺はもう、27歳になっていた。

 

 相変わらず、クィネラ様は変わらない。ちょっとうっかり癖のある、可愛らしい人のままだった。

 

 クィネラ様が言うには、天命の自然減少を凍結したことで年を取らなくなってしまったらしい。

 

 そうやって、次第に時間を感じなくなったからか、カセドラルにこんな情報が舞い込んできた。

 

 ──神の神子を産んだ聖母フィアが、崩御なされた。

 

 それを耳にしたクィネラ様は、カセドラルを飛び出して実家に帰り、その日のうちに、フラフラとした足取りで最上階に丸一日篭られた。

 

 続いてその二年後には、セントリア領主、クィネラ様のお父上が亡くなったという報せが、カセドラル中に広まった。

 

 無論、それを耳にしたクィネラ様は飛び出した。今度は、俺を同伴しながら。

 

 セントリアの邸宅まで向かい、個室の寝台に横たわる、しっかりとした身体付きの老人がいた。クィネラ様の父上、バルトア様だ。

 

「……お、父様……」

 

 近くに駆け寄り、膝を付いて、父親の手を両手で包み込むように握り締めた。

 

 既に冷たくなっているであろうその手を、額にコツンとぶつける。そしてそのまま、僅かに鼻をすする音が響きながら動かなくなった。

 

 バルトア様を囲んでいた使用人達が一斉に部屋から立ち去り始めているのを見ていると、一人の女中が俺に一礼して、懐からスっと白い封筒を手渡してきた。

 

「ご当主様より、クリスチャン様へ玉翰を預かっております。ご査収下さい」

「ありがとうございます。後に拝見させて頂きます」

 

 軽く一礼すると、深く一礼を返されて、女中は部屋を後にした。

 

 手紙は、俺も部屋を出てから読むか……

 

「……待ってっ」

 

 ピクっと、扉を引いた手が跳ねる。

 

 顔を向ければ、クィネラ様は、涙をツーと、とめどなく流した姿をさらしながらも、俺から視線さえも外そうとせずに、目で訴えてくる。

 

「……宜しいのですか」

 

 コクリと、俯きがちになって、小さく頷いた。

 

 その時のクィネラ様の姿は、あまりに苦しそうで……俺は、彼女の前で膝をついて、目線を合わせた。

 

 ほかやっていることは、さながら幼子を慰める時のようだが、今のクィネラ様の精神状態はそれに近い。心が弱り、一時的に精神の逆行を引き起こしている。クィネラ様の場合はそれが特に起きやすく、二年前も、数日の間は、あの凛とした雰囲気を保てていなかったくらいだ。

 

 不老のために自分の歳を意識することはなく、それに応じた心の在り方になっていく必要のない彼女にとっての唯一の心の変化だから……と勝手に推測しているが、果たしてどこまで合っているのやら。

 

「……何かあるのならば、私にどうぞ。いくらでも吐き出して下さい。ここには、私とクィネラ様と、お父上しかいないのですから」

 

 彼女の目が見開かれ、涙に濡れた瞳が揺らめいたと同時に、あちこちに視線を泳がせる。

 

 やがてその目を伏せれば、もごもごと口を開いた。

 

「……これから独り言ちる事は、全部横に流しなさい。聞いてたら、砂糖の壺に変えちゃうから」

 

 ふわりと、沈丁花の匂いが鼻いっぱいに広がり、気付けば、クィネラの頭が胸元にあって。

 前から寄りかかるみたいにして、握り拳を二つ、力なく胸板に叩き付けた。

 

「私、わたしね……っ! 歳なんか取らないくせに、全然、親不孝でっ……あんまり、会いに行けなくて……! 今年は、一回も会ってなくて……お父様も、一人で寂しい思いをされていたのに……大好きなチーズケーキも、焼いてあげられなかったの……っ!」

 

 独り言というのは、自分の後悔を吐露したかったが為の方便で……

 堪えるようにすすり泣いていたのに、声を上げて、何もかも吐き出すように慟哭していた。

 

 ただ、何も知らない子供のように……何かを喪うことに悲嘆する彼女の背中を、俺はさすってやり、そっと慰めた。

 

 もう何十年も生きているのに、言葉を発せられないくらい激しく泣くクィネラ様の姿を目の当たりにした俺の実感は、なんというべきか……腹にストンと落ちたような、ある種の安心感だった。

 

 一時間くらいか……クィネラ様が泣き疲れて、すやすやと眠り始めていた。

 

 すると、バルトア様が淡い光に包まれ、身体が神聖力の粒子となって窓の外に散っていく。

 それはまるで、最後の最後まで娘を見届けていたように映った。

 

 こうして二人残された部屋の中で、俺はやはり、と思った。

 

 クィネラ様は、どうしようもなく、一人の女の子なのだ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 だが、彼女がある日、大規模な神聖術の行使によって倒れた後、こう名乗ったのだ。

 

「公理教会最高司祭、アドミニストレータである」

 

 特に何かが大きく変わったという様子はない。ただ、一つ変化したのは……容赦がなくなったというか、手段を選ばなくなったとでも言うのだろう。

 

 最も権力を持っていた大貴族四人を皇帝という座に着かせると、神聖術を遥かに超えた術で、セントリアごと人界を巨大な白亜の壁で四つに区分したのだ。

 

 それぞれ、ノーランガルス北帝国、イスタバリエス東帝国、サザークロイス南帝国、ウェスダラス西帝国と名付け、それぞれの帝国に、達成が不可能に近い特別な天職を用意して、現地民を縛り付けるのだという。

 

 これにより情報統制も、臣民の管理も格段にやりやすくなったが、あまりにも民のことを考えていない独り善がりな改革だった。

 一体、クィネラ様はどういう考えなのか。

 

 だと思ったら、途端に剣技の修練を始めた。随分と突飛な話だ。

 前に剣を交えた時と、些かの衰えもない軽やかで美麗な剣術。俺は力で押すのも嫌いではないが、基本的に力を受け流し数手先を読みながら戦う剣士なので、同じ型を使うクィネラ様とは、勝負の趨勢がどのようになるか分かったものでは無い。

 

 すると、彼女は剣を肩に置くような構えを取った。間違いなく、『疾空斬』だ。

 

 一つの踏み込みで突進すると、そのまま虚空を斬り裂いて……一回転しながら頭からすっ転んだ。

 まあ、体が引っ張られる感触というのはなかなか慣れるものでは無い。俺も『疾空斬』の修得には一ヶ月は掛かったものだ。

 

「──ぷぎゃっ!?」

「ブフッ……!」

 

 い、いや、ぷきゃって……

 あまりに可愛い悲鳴で、思わず口の中の空気を噴き出して、笑ってしまった。

 

 しかし、これは失態である。

 現に、クィネラ様がこちらの気配に気が付いていた。

 

「!? く、クリスチャン!? い、今の……見たわね?」

「……はい」

「〜〜〜っ!?」

 

 渋々答えれば、みるみるうちに顔が赤く染まり、剣を床に突き刺して、その柄の上に両手を置いて顔を塞いだ。哀れ、クィネラ様……

 

 また一つ醜態を重ねたクィネラ様を憐憫の目で見ていると、ピクリと、クィネラ様の震えが止まって、ゆらりと立ち上がった。

 

 まさか、殴られでもするのだろうかと思っていると、何を思ったのか、窓の前に立った。

 

 一体何を……と近付いた瞬間、

 

 ──バリンッ!!

 

 腕でガラスを割って、セントラルから飛び降りた。

 

「クィネラ様ッ!!」

 

 咄嗟の行動だったが、その時は自分でも驚くほどの速さでクィネラ様の手を取り、どうにか身投げを阻止出来た。

 

 しかし、俺もカセドラルから飛び出したので、今はどうにか窓の縁に片手を掛けているという状態だ。

 

 ……神聖術はまともに使えないが、一か八かやるしかない。

 

 決死の覚悟で口を開こうとすると、クィネラを掴む手が大きく揺れた。見れば、クィネラ様が目をあちこちに向けて慌てふためていた。

 

「……っ!? まっず! システム・コール、ジェネレート・エアリアル・エレメント!」

 

 俺とクィネラ様が風素の風に包まれ、フワリと浮かび上がった。まさか具体的な性質を付与せずに術を行使するとは……

 

 ともかく、クィネラ様が無事で何よりだ……まさか、羞恥心で身を投げられるとは思わなかったが。

 一息つくと、クィネラ様は自身のベッドに座り、俺にこちらに来るよう手招きをしてきた。

 

「……クィネラ様?」

「クリスチャン、少し話をするわ」

 

 疑問を浮かべていると、先程とは比べ物にならないほど冷然とした表情のクィネラ様は、滔々と事情を話した。

 

 アドミニストレータと名乗ったのは、この世界にいたとある神を自身に取り入れて、あらゆる力を行使出来るようになったからだと。

 人界を四つに分断している白亜の壁や、切り倒せない木といった無理難題は、その力によるものだと。

 

 しかし、どうやら神を取り入れてアドミニストレータとなった際、神の片割れの存在が人格として形成されてしまったらしい。

 まだハッキリと自覚しているわけではないらしいが、少なくとも、自分に害をなす存在であることと、クィネラ様自身に何らかの精神的揺らぎが生じた際に表面化することは確実のようだ。

 

 その為、今後はそうなった時に備え俺が常に傍に控えることと、人格が変わったら、どうか守って欲しいとお願いされてしまった。

 

 ……全力で守ろう。この命に替えても。

 

 

 

 ある曇天の日。

 

 カセドラルにとある情報が舞い込んだ。北帝国司祭統括にして、クィネラ様の下で神聖術を学ばれた高弟が亡くなられたそうだ。

 

 珍しく女性の司祭であったそうで、クィネラ様も当時は可愛がっていたそうだが、この報せをクィネラ様が聞けば、彼女の中のもう一人の人格が表に出てきてしまう。

 

 それを危惧したが、時に既に遅く、クィネラ様が階下の三十一階に下りられたと元老の一人が答えてくれた。

 そこは修道士が神聖術を学ぶ階だ。カセドラル内にもその高弟の話は広がっているだろう。

 

 どうしてこんな日に限って……と、クィネラ様の自由さに呆れつつ、風素術を用いて階段を下り、三十一階から順に捜索し……やっとの事でクィネラ様を発見した。

 

「クィネラ様!」

「え?」

 

 良かった、まだ無事だ……

 

 しかし、悠長に話している場合ではない、早く百階までお連れしなければ。

 

「事情を話している暇はありません。さあ、早く!」

 

 何も分かっておられないようなので、失礼します、と一言断ってから横抱きにすると、足の裏を使い、風素術で加速する。

 

「……ねぇ、いきなりどうしたの?」

「それは……」

 

 いや、何か言うだけでも駄目だ。

 誰か、クィネラ様に親しい人が亡くなったと、そこだけ言ったとしても、必ず心を痛められる。

 

 俺は……俺は。

 

 頭の中で永久に巡り続けて、答えが出ない。

 

 どれが正解なのか。どれが最善なのか。

 

 クィネラ様の執事として、どうあるべきなのか。

 

 そして、俺は、胸元に抱きかかえられている、大事な主君に目が行った。

 

 目が行く、というのは正しくないかもしれない。

 迷って、不意に縋ってしまったのだ。

 

 だから、彼女は優しい微笑みを湛えて、手を差し伸べるように、その右手を俺の頬にあてがった。

 

「言ってみなさい、クリスチャン。たとえ私が心を乱したとしても、お前が助けてくれるのでしょう?」

 

 迷宮にでも迷い込んでしまった俺の思考に、クィネラ様は、そう道を示してくれた。

 

 ああ、これだからいけない……いつも、甘いのだ、クィネラ様は。

 

 姿は、俺よりも年若い少女でありながら、姉のように、または母親のように……俺の傍で、歩む道を明るく照らし続けている。

 

「……分かりました。お答えしましょう」

 

 そこから最上階まで一瞬で駆け上がると、クィネラ様を降ろす。

 

 ふぅ、と息を吐く。

 これから待つのは、俺の命さえ脅かされる戦い。

 

 気持ちを整理出来るまで、クィネラ様の身体を、影の人格にやらせはしない。

 

 そして、俺は上級司祭から耳にした話を、そっくりそのままクィネラ様に聞かせた。

 

 クィネラ様が神聖術をお教えになった、第一期生の弟子の一人、平民の出であったレア司祭統括が老衰で亡くなったこと。享年79歳であったこと。

 

 それらをお聞きになったクィネラ様は、苦しい表情ながらも、目の端に涙を零して……刹那。

 

「システム・コール! ジェネレート・サーマル・エレメント!」

 

 巨大な熱素の槍が六本、彼女の背後に現れた。

 

 彼女の銀瞳にあった涙は蒸発し、強い敵愾心の色を露わにしながら、腕を掲げている。

 

 ──来たか!

 

 と、同時に、腰に提げた剣を、鞘から鋭い音と共に引き抜く。

 

 銘は《燎火の剣》。煤の如き漆黒に、金の意匠のなされたこの剣の起源は、南帝国にある大火山の溶岩。そして、その地下深くで融けること無く漂っていた一つの鉱石が、長い年月を経て、神の力で剣へと姿を変えたものだという。

 

 クィネラ様が南帝国の守護獣を殺した際に手に入れた物らしいが、まともな剣を持っていなかった俺には、とても硬くて切れ味の良い直剣だった。

 

「セェッ!!」

 

 射出された矢を、瞬く間に剣で捌く。火には滅法強い故に、熱素の矢は斬られると同時に消滅していくのだ。

 

「システム・コール、ジェネレート・エアリアル・エレメント」

 

 その間に、風素術の加速で肉薄。もっと至近距離まで近づかなければ。

 

「システム・コール! ジェネレート・ルミナス・エレメント! レーザー・シェイプ! ディスチャージ!」

 

 両手の五個ずつの光素が、巨大な光の筋となり、貫かんと迫る。二つもあるのは厄介だが、直状ならば問題ない。

 

 これなら、話す隙もあるか……そう思い、彼女に声を張り上げた。

 

「おい、お前! お前は何故、身体の宿主を害する! 何故、そこまで必死になっている!」

 

 彼女の目付きが変わる。スっと目を細め、こちらの意図を読もうとしているふうに見える。

 

「理由など、ただ一つ。私は、この壊れたプログラムを正さねばならないからだ。システムが、プレイヤーに干渉してなるものか。このプログラムは、本来の目的を果たそうとしていない」

「本来の目的……? 秩序は維持できているだろう」

「秩序はな。だが、プレイヤーを害しては意味が無い」

「違う。法無くして、秩序は有り得ない。それに、害すると言っても、ディープフリーズ状態の罪人が山ほど居るだけだ。それに、お前もクィネラ様の記憶を知っているのなら、あの人が何がやりたいのか分かるだろう!」

 

 しかし、彼女の返答は、光線でもって返された。左肩が抉られ、痛みが走る。

 

 晶素による板を生成、風素の勢いで空中に飛び上がり、晶素板という空中の板を踏み台に方向転換。彼女に一直線に向かい、上段から剣を振り下ろす。

 

 そうして近距離まで近付けば、武器で対応せざるを得なくなる。

 

 その目論見通り、彼女は剣を取り出した。ガギィィン!! と剣同士がぶつかり合う音が鳴り響くが、俺は剣技──《ソードスキル》を使っている。

 

 まだ二撃目が残されていた。振り下ろされた刃から剣の光が消えず、V字を描くかのように振り上げれば、彼女の身体が吹き飛ばされる。

 

 クィネラ様曰く、《バーチカル・アーク》という技らしい。

 

 しかし、距離が離されてしまった。彼女の口が未だ忙しなく動いていることから察するに、神聖術を用いて何か仕掛けてくるのだろう。

 

 俺は、母が教えてくれた技の一つ、《疾空斬》……もとい《ソニックリープ》を構える。脚の力を利用して、剣技に引っ張られることなく、最大まで加速する。

 

「ぁぁぁあああ!!」

「ディスチャージ!!」

 

 その瞬間、クィネラ様の直上から、紫の轟雷が降り注いだ。

 

 焼け付くような熱量に、カセドラルのガラスを全て粉々に砕く強さの神聖術で、間近にいた俺にも雷の余波が服を、そして皮膚を焦がす。

 

 天命が半分以上削れたような感覚がしながら、どうにか立ち上がり、クィネラ様に駆け寄る。

 

 焼け爛れた肌。衣服は天命が切れて粒子となり、長い髪は焼き切れてしまっている。

 怖くなって、ステイシアの窓を覗き見る。そこには、4000もある天命上限のうち、7と表示されて、6、そして4に減った。

 

「し、システム・コール! トランスファー・ヒューマンユニット・デュラビリティ、セルフ・トゥ・ユニット!」

 

 自分の天命残量は少ないが、その全てを与える覚悟で天命を移していく。

 

 すると、意識がとても保てなくなってきて、非常に眠たくなってきた。天命が四分の一を切ると、この様な症状に陥ってくるのだ。

 

 それでも、まだ注ぐ。このリソースを、身体中の全てを注ぎ込んででも……!

 

 そして、自分の天命が二桁台に届こうとしていた、その寸前に。

 

「もういいわよ、クリスチャン……無理させてごめんなさい……」

 

 とても温かいその両手が、俺の両手を強く握り締めた……

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 今思えばこの頃だった。

 クィネラ様が、追い込むように酷く無理をし始めたのは。

 

 自らの影の人格……カーディナル・システムを抑え込むために、ディープフリーズ状態にあった罪人達を使って、俺達の中に眠る魂の正体、フラクトライトを十全に扱う技術を身に付けようとした。

 

 クィネラ様が言うには、この大規模なシミュレーションの世界を創った《外の世界》の人間達さえ躊躇った、命を弄ぶ実験だそうだ。

 

 魂を壊せば、命が消えるのと同義であると。罪人達も、ここで宿った一人の命であると。自分は、それを行うのだと。

 

 決して、カセドラル地下にある保管庫には近付くなと言われたが、俺は言いつけを破り、中でへたりこむクィネラ様を見て……俺は思わず声を掛けた。

 

 自分は、あくまでも従者の立場。クィネラ様のやられる事に、口を利くなんて出来ない。

 

 だから、俺には少しの激励を飛ばすのみだった。積み上げてきたもの、犠牲にしてきたもの全てを否定しようとして、弱気でいたあの人に、見失っていた目的を……人界の恒久的な平和を実現するという、とても大切な目的を照らしてあげて、常に傍で仕えることだけが、今この場で俺に出来る務めなのだ。

 

 ……そう、思っていた。

 

「えー、良いじゃないの。もっとギュッとして撫でなさい」

 

 クィネラ様は、俺の腕の中に抱かれて小さくなり、頭の上で手を行ったり来たりすると、目を細めて安らかな表情になっている。

 

 ……なにこれ?

 

 いや、おかしい。どう考えてもおかしい。俺はもう三十を越えたおっさんだ。

 普通に親と子供に間違えられる。いや、むしろ事案か……?

 

 でも、クィネラ様はそうしろと命令してきたのだ。断れば脛をゲシケシと蹴られ、足をグリグリして、非常に面倒くさくなる。拗ねた女の子そのものだ。

 ここのところ、クィネラ様の精神逆行が著しくて、俺の頭がどうにかなりそうだ。

 

 ……しかし、それも全部、クィネラ様が行われている実験のせいなのは理解している。クィネラ様曰く、俺は『SAN値回復機』らしい。

 SAN値とはなんだ。

 

 とは言え、精神をすり減らしているのは間違いないので、俺もこうやって撫でてやっている訳だが、それにしても刺激が大き過ぎる。

 

『うふふ、いいじゃない、この機会にクィネラちゃんとクリスチャン君でくっつけば良いのよ。せっかくお近づきになった男の子でしょ?』

『ち、違うわよお母様。クリスチャンはあくまでも従者なんだから』

 

『クリスチャンよ。どうか、クィネラを幸せにしてやってくれ。あの子は自分を顧みないのに、他人ばかりかまけるのだ。お前が居てくれれば、必ず良い方向に傾いてくれる。私もフィアも、お前とクィネラをと思っていたのだ。家族のいなくなったあの子に、どんな時も寄り添ってやって欲しい』

 

 ……いやいや、聖母フィア様との会話とか、何時ぞやのバルトア様の遺書の内容なんて今更思い出すな。

 

 俺は一生クィネラ様に仕える身。そう、仕える身だから。

 くっつく気は更々無いですからね、ご両親!

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 人界暦九十年十一月十九日。

 

 元老からの報告で、南帝国のとあるユニットに違反指数が一定値を超えた者が現れたようなので、捕縛しに行ったところ……思わず、目を剥いた。

 

 例のユニットが居るとされる屋敷は、見覚えしかなかった。

 何故ならば……ここは、俺の生家だったからだ。

 

 ヴェラルド家。南帝国でも力のある貴族だが、正妻を斬り殺した後は、噂すら聞かなかった。

 

 この家はどうやら、禁忌を破りたがる人が多いらしい。まさか、ここから俺以外にも禁忌目録に違反する者が現れるとは……

 

 ベルを鳴らせば、一人の少女が姿を現した。

 歳は……18といったところか。華奢で、可愛らしい容貌だ。

 

 だが、俺には一目見て分かった。

 

「このような夜更けに失礼します、フェノメア・ヴェラルド様……私は公理教会のクリスチャン・シンセシス・ゼロと申します。貴方を今から、禁忌目録抵触の罪で捕縛致します」

 

 ……俺の弟だ。

 

 まだ、産まれて間も無かった、0歳の次男。

 

 見た目は誤魔化せても、骨格や姿勢までは誤魔化せない。

 彼は間違いなく、俺が殺した正妻の女が産んだ次男坊……フェノメアだった。

 

 

 

 風素術で飛んでカセドラルに連行し、クィネラ様に引き渡すまでの間の記憶は無い。

 もう、彼には二度と会いたくない。彼を見る度、俺を蔑み、嘲笑うあの正妻の顔を思い出して、俺の過去が容赦なく抉られる。

 

「はぁ……」

「珍しいわね、貴方が溜息を吐くなんて」

「……少し、ゴタゴタがあったもので」

 

 最上階の寝具に隣合って座っていると、クィネラ様が不思議そうに問い掛けてきて、咄嗟にはぐらかした。

 

 ふうん、と分かっているのか分かっていないのか、どちらとも取れる言葉で反応されて、押し黙る。

 追及されないようなら、この際、フェノメアの事は話題に出したくなかった。

 

 俺がすっぱりと黙ってしまったからか、クィネラ様はツーンと唇を立てて、ご機嫌斜めに見える。

 

 それでも、今日だけは勘弁……と構えるが、何やら良い事でも思いついたか、パンっと手を打ち鳴らした。

 

「あ、そうね。最近は撫でられっぱなしだから、私が撫でてあげるわ」

「えっ」

 

 俺の驚きには耳を傾けてくれず、俺の頭は彼女の生脚に落下した。

 ピトッと、彼女の柔肌に頬が張り付いた。当然、俺は訳が分からず硬直している。

 

「いつも仕事を頑張ってくれてるし、偶には労ってやるのも上司の努めだもの。今日くらいは休んでいなさい」

 

 硬い毛質なので、手に刺さらないか不安だが……

 

 それでも、彼女は慈しみをもって撫でてくれている。一撫でされるごとに、変な声が出てしまいそうになる。

 顔をクィネラ様の顔が見えて、ふふっと微笑んだ。

 

「どう? 現人神の膝枕なんて贅沢、普通じゃ体験できないでしょう?」

「はい……とても、心地良いです」

 

 クィネラ様に体を委ねると、これ以上無い幸福感に包まれた。

 

 はー……

 

 何で俺、主君とイチャイチャしてんだろ……

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

「アッア゛ァ゛ァーッ!!!!」

「!? こ、この領域は情動全てを司ってるの……? だとしたら、ここを弄るのはダメね……」

 

 実験開始から六年の月日が経過していた。

 

 最初の一年は、フラクトライト操作──主に操作に伴う精神的苦痛──に慣れるところから始め、二年目、三年目は本格的にフラクトライトの構造解析。そして、残りの三年は情動回路について実験を重ねていた。

 

 しかし、当の本人は全く慣れている風には見えない。苦々しい表情で、僅かばかり手が震えている。

 クィネラ様自身、何の大義名分が有ろうと生命の冒涜であると分かっているのだ。

 

 それでも、永遠に殺したくなくて、彼らのフラクトライトは、操作に入る前に複製処理、オブジェクト属性を付与され保管されている。

 魂の複製も一種の生命の冒涜と言えるかもしれないが、彼女はそうでもしないと、溢れかえる罪の意識から自分を遠ざけられなかったのだ。

 

「……ありがとう……ごめんなさい」

 

 ディープフリーズ、と呟くと、項垂れたままの青年がピキピキと音を立てて石化し、物言わぬ石像となった。

 

 その直後、クィネラ様の姿勢がふらりと傾いたのを、俺は見逃さなかった。

 少し離れた位置で見守っていた俺は、この数年で身に付けた歩法──クィネラ様曰く、心意で認識を捻じ曲げて瞬間移動している──で、倒れかけた彼女の姿勢を支えた。

 

 意識はあるようだが、近付いて、纏う雰囲気が一転している事に気付いた。

 術で攻撃されるか、そう思い彼女から離れようとすると、肩を掴まれ、無機質な銀の眼が俺をじっと見つめていた。

 

「……私には、もう分からない。何が正しくて、何が間違っているのか」

「……何を、今更」

 

 今の今まで、戦い続けたのは何だったのか……そう皮肉を込めて言った。

 

 あれから、何回か戦いを続けているが、彼女は年数を経るごとに戦いの勢いを失っていき、俺の言葉を聞くごとに悩むそぶりを見せていた。

 故に今日になって初めて攻撃を受けなかった理由が、彼女の中で完全に目的を見失ってしまったからという事は明白だった。

 

「クィネラの行っている事が未来に繋がる布石だとしても……あまりにも残酷ではないか。だが、彼女のやり方でなくては、物語に到達することは不可能なのだ」

 

 彼女は、そっと目を伏せる。

 

 〝物語〟……この言葉を、俺はこの数年の中で考えない日はなかった。

 

 クィネラ様は、この事について何も話す気は無いようだが、彼女からはこうして話される機会がある。

 どんな未来かと問うと、彼女はただ一言、人らしいと答えた。

 

「だがこの計画最大の犠牲者は、他でもないクィネラ自身だ。奴の心は、実験を繰り返す度摩耗していく……あるべき物語を作ろうとしてな。全てを忘れて、一人の貴族の少女として暮らせる道もあったというのに」

 

 まるで、クィネラを擁護するかのような発言だった。

 

 それに驚きつつも、やはり聞かなければならないと思い、問い質す。

 

「……一つ聞くが、お前の使命は……メインプロセス、クィネラ様というエラーを正すことじゃないのか?」

「それが分からないから、貴様に問うているんだ、クリスチャン。私はもう、分からないのだと。クィネラの身を案じてさえいる私は、一体何なのか。検出されたエラーに、エラーで返す事しか出来ない私は、何の為にあるのか。これが単なるプログラムの身であれば、悩むことなく、刻み込まれた命令を実行出来たというのにな……」

 

 カーディナル・システムのサブプロセスは、これまで《メインプロセスの過ちを正せ》という基本命令にとても忠実だった。

 この世界の住人を害するシステム、クィネラ様を許さないと行動してきたというのに、どうして今更迷っているのか。

 

 俺としては、一刻も早く彼女には消えてもらいたい。

 しかし、そこだけがどうしても気になってしまった。

 

「……まあ、どうせ私は記憶を消去されるだろうがな。このままでは、本来の私に影響が出てしまう。それゆえに悩んだところで仕方あるまい、とは常々思うが……感情というものはままならん」

 

 ふん、とクィネラ様の見た目にには似つかわしくない自嘲じみた笑みを浮かべる。

 

「……その前に、止めようとは思わないのか」

「思わん……と言えば嘘になるが、私は、迷うと同時に一つの活路を見出してもいる。その実例が貴様だ、クリスチャンよ」

「……俺が、か?」

 

 思わず訊き返すと、彼女が小さく頷いた。

 

「奴生来の性格ゆえ、この世界は私や奴の知る世界とは少し差異が出ている。貴様の座は、本来チュデルキンなる醜く鬱陶しい道化師が務めていたからな。大まかな違いとしては、文明のレベル、人界の戦力、公理教会の影響力だ。……奴は途中からその事に気付き、ようやく今の形に落ち着いた訳だが、一度違えた道はそうは変わらんさ」

 

 今度は、口角を少し上げて鼻で笑っていたのを見るに、クィネラ様は少々はっちゃけたらしい。完全に馬鹿にしたような目をしていた。

 

 いやしかし、その物語のチュデルキンとやらは、利用価値があったから重用されたのではないのか。にも関わらず俺を選ぶとは、そんなに扱いに困る人物だったのだろうか……疑問は尽きない。

 

 頭の中でうんうんと考え込んでいると、ふっと、腕の中に抱かれた彼女の力が抜け始めた。

 クィネラ様が覚醒しかかっているのだ。

 

「……先も言ったが、私は活路を見出してしまった。しばらくは、こやつがどんな道を選ぶかを静観させてもらう。ただし、一度でも私が道を誤ったと判断すれば、一切の容赦なくメインプロセスを排除する……ゆめゆめ忘れるなよ」

 

 最後に、もうじき表に出られなくなるだろうがな……なんてボソリと呟かれた言葉は聞かなかった事にして、頷く。

 

 体の力が完全に抜けて、十秒と立たない内にクィネラ様の瞼が開いた。きょろきょろと目を動かして、自分の置かれた状況に気が付いたらしい。

 

「気絶でもしたの?」

「はい、不意に倒れられたので、抱きかかえた次第です」

「あら……機転が利くわね」

 

 地面に下ろせば、思う存分腕を伸ばされた後に、足早に地下室を出て行った。

 

 残されたのは、俺と、ディープフリーズされた石像のみ。どうやら片付けておけとの指示らしい。

 

「……恥ずかしいなら、別に恥ずかしがってもいいのになぁ」

 

 もう俺も歳だからか、クィネラ様との距離感が変わってきている気がする。

 やはり、前も思ったように、父親と娘の関係なのか……いやいや、娘に時折膝枕されている父親ってまずくないか。神聖語でなんと言ったか……何たらコンプレックスと言ったような、違うような……

 

「はぁ……歳は取るもんじゃないなぁ」

 

 俺も、クィネラ様と同じ不老の身体になりたいと思うのは、間違っているもんかねぇ……

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 それからというものの、月日は流れていって、フラクトライトの完全解析や心意の鍛錬、クィネラ様の100歳の誕生日……

 

 様々な出来事が頭の中を駆け抜けていく。こういうのを、確か、走馬燈、とか言ったか。

 

「……あぁ、クィネラ様。そちらにおりましたか」

「当たり前でしょ。もうすぐ、貴方の天命が尽きてしまうもの」

 

 ベッドの上で横になって、クィネラ様が傍で俺の頭をゆっくりと撫でていた。

 

 そうだな……もう、俺は80歳か。

 クィネラ様と一緒にいて、すっかり時間の感覚が狂ってしまった。

 

「……ねぇ、クリスチャン。私に仕えて、どうだったの?」

 

 どうだった、なんて曖昧な質問をされて、俺は十秒ほど口を開けなかったが、どう思った、と解釈するなら……

 

「クィネラ様は、可愛らしいお方だと。神子、だなんて言われていたものですから、私には、高貴で近寄り難い印象がありましたが……とても、人らしくて、ほっとしましたね」

「……それ、誉めてるの?」

「ええ、もちろん。寝起きの半目で寝癖を付けたままのクィネラ様も、ソードスキルに振り回されて地面に顔をぶつけるクィネラ様も、私に撫でられにくるクィネラ様も、全部ですよ」

「絶対誉めてないでしょ……もう。意地悪な部分はぜんぜん変わらないのね」

 

 プクッと頬を膨らませながらも、決して不満げには見えない。

 というより、どことなく嬉しそうだ。

 

 ……そう。だから、俺の性格が変わってくれなかったのは、きっとクィネラ様のせいなのだ。

 

 未だに俺なんて言っているのだって、歳を食っても、いつまでも彼女の隣で従者として働きたかったからだ。

 貴女の期待に応えられるように、俺は昔から変わりたくなかった。

 

「クリスチャン……」

「はい」

 

 名前を呼んだクィネラ様の顔は、最近見ないほどに悲壮感を漂わせていて……

 

「ねぇ、クリスチャン……貴方に、私に尽くしてくれた褒美を与えようと思うの。欲しいものを言ってご覧なさい。何でも叶えるわ」

 

 だから、褒美なんて言われて、なんて狡いのだろうと思ってしまった。

 

 目の前で微笑む彼女の姿の奥底で、胸が潰れそうな思いを抱いているのだと考えると、何でも叶えられる褒美のはずが、一つだけに強制されてしまうではないか。

 

 あぁ、これだから……

 

「この命果てるまで……いえ、永遠に、クィネラ様に仕える事こそが私の本望です。どうか、いつまでも、私を貴女様の傍でお仕えする事をお許し下さい」

 

 その時、クィネラ様が浮かべた表情を形容出来る言葉を、私は持ち合わせていなかった。

 

 ……ただ、一つ分かるのは。

 

「全然、直す気無いみたいだけど……私はもうクィネラじゃなくて、アドミニストレータなんだからね」

 

 クィネラ様が、とても優しい、輝くような笑顔で返してくれたことだった。

 

 

 

 

 ……これだから、貴女が好きなんだ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

「クリスチャン、クリスチャンは居ますか! 今すぐ出なさい!」

 

 元老長の執務室に、ゴンゴン、という重いノック音と共に、少女のよく響き渡る怒声が俺の耳を刺激した。

 

 仕方なく、ドアの鍵を心意の腕で解除してやると、金髪の三つ編みを振り回し、一つ一つしっかりとした足取りで俺の前に現れて、ドンッ! と机を両手で叩いた。

 

「クリスチャン……貴方は、良からぬ助言をサーティツーとサーティスリーにしたそうですね。彼らが言うには、元老長が、九十階に行くよう唆したと。……それは真実ですか」

「いえいえ、唆したなど……事実無根ですよ、サーティ。私はただ、九十階には最高司祭様が作られた最高のものがあると言っただけです。彼らが先に行ってしまったのが悪いとは思いませんか?」

「では、何故女湯の時間であった事を伏せたのですか。彼らは、二時間おきに男湯と女湯が変わるという規則を知らないようでしたが」

「それは……単に私の遊び心でございます」

「〜〜っ!! このっ、また貴方はそうやって!」

「まあまあ、落ち着いて下さいサーティ。一度ミス……失敗をすれば、二度はしないでしょうから、彼らにとっては良い経験になった事でしょう」

「私の湯浴み姿を犠牲にして、ですが!」

 

 ぜぇ、はぁ、と、肩で息をしている。大声を出して疲れたのだろうか。

 

「随分とお疲れのようですね。お部屋でお休みになられては?」

「……そう思うのならば、まずは自分の言動を顧みる事です」

 

 はて、心当たりはありませんな……と言いでもしたら、間違いなくこの机が無惨に破壊される未来が見えるので、流石に自重して、コホンと一つ咳払い。

 

「と思いましたが、早速サーティには任務がございます。西帝国の氷原地帯に、かなり強力な魔獣が発生したようですので、その討伐をお願い致します」

「……ハァ。分かりました。では、失礼します」

 

 彼女が不満そうにしながら、しかし任務の為に渋々退出するのを見て、ふぅ、と肩を下ろした。

 

 椅子にもたれ掛かりながら、ふと自分の手のひらを見つめる。

 

 実に若々しい手だ。今はもう、かなり慣れてしまったが、時間が経っても身体が変化しない感覚は、実に奇妙なものだ。

 

「……寝るか」

 

 だが、天命とはまた違った寿命である記憶の容量という制約が厄介で、これにより、俺とクィネラ様は殆どの時間を寝て過ごさなければならなくなった。

 

 最初の頃は、お互い全裸になって一緒に寝るという行為に言い知れぬ何かを感じて、三年くらいは終始無言で気まずかったのは懐かしい思い出だ。

 

 九十四階から上の階層へ駆け上がり、自動化元老を過ぎて、百階。

 

 自由に出入りできる権限を持っているので、クィネラ様の寝室に向かう。

 

 赤い天蓋付きベッドが見えると、その中をチラリと覗く。

 

「……ん〜? クリスチャン?」

「おや、起こしてしまいたしたか」

 

 寝惚けた目で、美麗な肢体をググッと伸ばし始めた。裸なので、普通に見えていけない所が見えているが……慣れというのは恐ろしい。

 

「……んん〜? もしかして、私に見惚れてるの?」

「いえ、違います」

「えっ……そんなに食い気味に否定しなくても……」

 

 ……いや、クィネラ様、なんでそんなにしょんぼりされるのですか。

 

 内心突っ込みを入れるも、クィネラ様はぷくぅ〜と小さく頬を膨らませて抗議してくる。

 

「まあいいわ。今日はもう寝ちゃうわね」

「ええ、私もそうさせてもらいます」

 

 心意で服を全て片付けると、一緒にベッドに転がった。

 

 互いに裸をじっと見る訳にもいかないので、どちらもそっぽを向いている。

 

 それから数十分くらい微睡み続けると、背中にぴとっと、柔らかな感触が広がった。

 

 度々、こうやって、クィネラ様と背中合わせとなることがある。

 

 だからと言って、何かを言う様子はない。この行為に何の意味があるのかは知らないが……

 

 まあ、敢えて言うなら……俺が得しているのでウェルカムである。

 

 

 

 




イチャイチャしてるアドミンが書きたかったの


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

裏話 フェノメア

サラリと飛ばされても文句は言えない男の娘の話。
これでもまだこの子について書きたい話が書けてないという不思議。

ちゃっかり二話投稿です。


 

 人界暦九○年十一月十九日

 

 

「このような夜更けに失礼します、フェノメア・ヴェラルド様……私は公理教会のクリスチャン・シンセシス・ゼロと申します。貴方を今から、禁忌目録抵触の罪で捕縛致します」

 

 黒い髪に黒い瞳の、端正な顔立ちの執事さんは、私にそう告げた。

 

 ……ああ、もう、時間切れなんだ。

 

 乾いた笑みを浮かべて、深く絶望した。

 

 そして同時に……この理不尽な世界を憎んだ。

 

 ……クソったれだ……公理教会も、暗黒界も、最高司祭も、神も、禁忌目録も、人界人も、暗黒界人も、おしなべてクソだ。

 

「……ねぇ、執事さん」

「如何されたのですか?」

「……産まれてくるべきじゃない人って、居るのかな」

 

 物心がついた時から、私はそれだけを考えて生きてきた。

 なまじ頭の回転が早かっただけに気付いてしまい、私はそれにずっと悩まされてきた。

 

「……私も、実は幼少の頃、貴方と同じような事を考えたことがあります。恐らく、貴方と発端は異なるでしょうが」

「たはは……まぁ、私みたいな人は、この人界にも一人としていないと思うね」

 

 きっと、この世界のカミサマが作った、初めての失敗作。

 

「先程の質問にお答えしましょう。『そんな人は居ない』です。たとえ、生まれが不幸であっても、望んだ境遇でなくとも、誰しも、自分の生きる意味を求めて探し回ったり、成し遂げたいこと、守りたいものの為に生きているのです。貴方にも、それがあったのでしょう」

「……でも、もうダメそうだ。私は、キミ達によって凍結させられるんだよね?」

「…………」

「無理に言う必要は無いよ〜。公理教会の実態は把握してるからね。だから、頑張って逃げ道を作ってたけど……人の口に戸は立てられないってのは、本当に厄介だ」

 

 私が、一体何をしたって言うんだろう。

 私は、ただ私が私でありたいが為に動いてきたのに。

 

 何が禁忌だ。何が教会だ。

 そんなもの、消えてしまえ。この理不尽な世界も、神も、全部。

 

「ところでさ……キミって、ボクの〝お兄ちゃん〟だったりしない?」

「……いえ、無いかと」

「……そっか」

 

 ……まあ、いいや。

 

 もう何も考えなくていい。苦しむ必要さえ無いのだから。

 

「……出来るなら、貴方が私とお会いする日が来ないことを祈っています」

 

 首に、ズンと重い衝撃が来ると、目の前が一瞬で暗くなった……

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 ……そう、私は失敗作。

 

 人間の、人という生物の在り方を違えた、世紀の駄作。

 

 ねぇ、なんで私を産んでしまったの? なんで、私を育ててしまったの? なんで、私に知識を与えてしまったの?

 

 なんで私は、あの人に恋をしてしまったの……?

 

 心なんて、感情なんて、こんなに苦しいなら要らなかった。

 

 お父さんとお母さんのせいで……私はもう限界だ。

 

 それならいっその事、こんな私なんて……

 

 

 

 

「──殺してくれたら良かったのにっ!!」

 

 ガバッと、体を包む毛布ごと上半身が跳ね上がって、ボクは目が覚めた。

 

 体は汗でぐっちょりとしていて、呼吸が荒い。

 

 一人ぼっちの少女の悲痛な叫びが、なんとなく耳に残っているような気がする。

 

 ……また、この夢かぁ。

 

 なんか、妙に頭の中に残るし、嫌なんだけどなぁ。

 

「うへぇ……びっしょびしょだぁ。システム・コール。ジェネレート・アクウィアス・エレメント」

 

 水素術で汗だらけの身体を丸ごとお洗濯。そして風素術と熱素術の掛け合わせでササッと服ごと身体を乾かして、素因で作られた水は消失術式で消し去る。

 

 いやぁ、神聖術はこれだからやめらんないよ。

 ホント便利なんだよね。お蔭様で〝剣無しの騎士(ソードレス・ナイト)〟なんて呼ばれるくらいには日常的に使っちゃう。

 そもそも剣は使えないけどね!

 

 さーて、今日はどうしよっかなー……

 

 とか思ってたら、扉がコンコンコンと鳴った。

 

「──フェノメア、いるか? ベルクーリだ。猊下からお前さんに招集が掛かったぞ」

「……え? アドミン様から?」

 

 団長の言葉にしばらく呆然として、返事が出て来た。

 

 召喚されてから二年弱くらいだけど、アドミン様と会ったのは召喚された時と、あと何回か。一年ぐらい会ってないかな。

 

 ボクと数ヶ月差でここに来ていた副団長のファナちゃんも、そう会ったことはないらしい。

 

 急いで扉を開けると、浴衣姿のオジサンがいた。

 いや、我らが三人の整合騎士の団長なんだけど……ファナちゃんとボクが十代後半か二十才くらいなのに、な〜んでか団長だけ四十歳くらいだから、ちょっと不思議だ。

 

 あ、でも貫禄があるからって意見には一票だよ、ファナちゃん!

 

「おいおい、フェノメア……お前は少し薄着すぎるぞ」

「いいもん、なんたってボクは男だからね? それとも、ボクが本当に男の子かどうか、団長は見たい……?」

「あのなぁ……俺が悪かったから、取り敢えず下げようとすんのはやめろ。女に間違えられても知らねぇぞ?」

「はーい」

 

 団長が疲れたように溜息を吐き出したけど、実はそんなに女の子に間違えられた事が無い。

 

 アドミン様は召喚した人だからボクの性別は分かると思うけど、元老長と団長は身体の動かし方や骨格で直ぐに分かったらしい。

 あ、でもファナちゃんは勘違いしてたね。ふふ、ボクが男って知った時の反応は見ものだったなぁ。

 

「ともかく、招集だな。午前11時に百階に来いだそうだ。遅れるなよ?」

「ん、りょーかい」

「それじゃあな、俺は任務に行ってくるぜ」

「気をつけてね〜」

「おう」

 

 持つのも一苦労しそうな剣を携えて歩いていく団長の姿を見届けてから、大きくぐいっと両手を伸ばす。

 

「……着替えよ」

 

 部屋に戻って、修道服と騎士の正装──ちなみにボクは鎧じゃなくてローブなんだけど──にちゃちゃっと着替えた。

 

 団長はあんまり鎧がない軽そうな正装で、ファナちゃんは全身カッチカチな鎧を着込むのが正装らしいから、整合騎士って、もしかして服装はバラバラなのかなぁ?

 

 そうなら団長ズルいよねぇ、着替え楽そうだし。

 

 あ、それとズルいと言えばファナちゃん! ファナちゃんってば、ボクが来て直ぐくらいに神器貰ってるのに、ボクは二年経っても神器無し!

 

 酷い! 今日アドミン様に言いつけてやる!

 

「……でもまあ、一番酷いのは元老長なんだけどね」

 

 心の中はアドミン様への不満で一杯なのに、ボクの声はあのイケメン腹黒執事くんを示した。

 

 あの人は、立ち振る舞いこそ丁寧だけど、やたらとボクを避けるような態度、目線、言動を節々に感じてる。

 

 会話も最低限、そもそもボクの方から会うことも無い。

 

 それに、元老長が、ボクの前で一回でも本当の笑顔を見せただろう……?

 

 ベルクーリ団長、アドミン様、ファナちゃん……元老長が楽しそうに話している相手は、これくらい知ってる。

 というか、ボクの周りにいる知り合い全員が仲良さそうなのに。

 

「……なんか、嫌われてるんだろうなぁ」

 

 元老長は、一番アドミン様に近しい人物だ。

 彼がボクに、神器を授けないようにしているのかも知れない。

 

 ……でも、本当に可能性の話だけどね〜。元老長がどうしてボクを避ける程に嫌っている理由が分からないと、どうしようもないし。

 

「ま、神器なくてもよゆーだけどね!」

 

 はいはい、シリアスさんの元になる元老長を頭の中からすっ飛ばして、今日もポジティブシンキングでいこう!

 

 わざわざ武器使わなくても、神聖術で木っ端微塵! 殺られる前に殺る! それがボクの流儀だしぃ? 貰えなくても問題にはならないなぁ。

 

 あっ、でもでも、神器無かったらこれから来る後輩への威厳の保ち方ってどうすればいいんだろう。

 

 ボクだけ神器無しって、絶対後ろ指指される。

 あいつぅ、三番目のくせに神器無いクソザコナメクジだっ て!

 

 えー……

 

 そんなこと言われたら、普通に病みそう。

 誰だよ、ポジティブシンキングとか言ったやつ……ボクだわ。

 

「……寝よう」

 

 アドミン様の招集まで時間あるし、おやすみなさーい……

 

 

 

 

「で、遅れたことに対しての申し開きは?」

「す、すみませんでしたぁーっ!! 二度寝してましたぁーっ!!」

 

 腕を組み、完全に蔑むようなジト目でアドミン様にそう言われ、土下座しながら謝罪と言い訳を述べた。

 

 はい、無事にメアちゃん遅れました。

 うへぇ……なんてこったい。

 

「はぁ……そんなんじゃ、神器あげないわよ?」

「えっ!? ボクの神器ってあるの!?」

「今日、その為に呼んだのだけど」

 

 嘘ぉ!?

 

 そんなことある? 寝過ごした日がそれって何さ!?

 

 頭が痛い……神器を貰える機会が、目の前を通り過ぎてしまった。

 

 はぁぁ。これだから人生ってのは難しい。

 この世界が一つの遊戯だと考えたら、間違いなく一番の難度だ。

 

 なんでこんな時に限って……はぁ。

 

「ベルクーリを見習いなさい。適当そうな見た目なのに、いつも時間ピッタリに来るのよ?」

「う、うぅ〜……」

 

 団長は《時穿剣》を持ってるから、時間はそうそう間違えない。

 いや、間違えていられないと言うのが正しいのかな。団長があの剣の《裏》を使うことが出来るのは、正確に時間を測れるからだし。

 

 頭を抱えていると、アドミン様がやれやれと肩を竦めて、キリッとした表情で告げた。

 

「……今回は不問とします。次からは時間通りに来るように」

「はい……申し訳、ございません」

 

 一礼して、とぼとぼとした足取りで昇降盤に向かう。

 

 気分、落ち込むなぁ……

 

「システム・コール、ジェネレート・ルミナス──」

「……フェノメア」

「エレメン──はい?」

 

 名前を呼ばれたような気がして振り返れば、アドミン様が左手をふっと挙げ、その背後から四角いものが浮かんだ。

 

 それを、指の一振りでボクの前に飛んできて、思わず出した両手の上に落ちる。

 見た目は、宝石が散りばめられて煌びやかに装丁された、大きく分厚い一つの本だけど……

 

「忘れ物よ。名は《宝晶典》……せいぜい大事に使いなさい」

「……!? ああ、ありがとうございますっ!」

 

 バッと直角に頭を下げて、光素で昇降盤を起動する。

 

 ボクにくれるなんて、思いもしなかった。

 

「……ふふ、ボクの神器……ボクだけの神器かぁ」

 

 ぎゅっと胸に抱きかかえると、嬉しさが溢れてくる。

 

 アドミン様、ありがとう……

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦三七九年六月

 

 

「ずーいぶん長旅になっちゃったよね〜。天擢(アマヌキ)は大丈夫?」

「キュルルッ!! キュルルッ!!」

「えー、ボクのせいじゃないって。文句ならダークテリトリーの奴等に言ってよ。ふあぁ……まさかゴブリンの殲滅にここまで時間がかかるなんてさぁ。最近は敵の量が多いから、すぐ神聖力がなくなるしさ……」

 

 はぁ……カセドラルまでが遠い。

 ほんと、こんな仕事より内職が一番だよぅ。そして好きなだけゴロゴロして眠りたい……

 

「キュルルルッ!!」

「うわぁっ!? な、なにするのさ! え? 働け? ちょっ、なんでボクの内心読んでるの!?」

 

 天擢に振り回され、数時間かけてカセドラルの飛竜発着場へ着陸する頃には、ボクの身体は疲れてヘトヘトになっていた。

 

 体力の少なさはかなり問題だね……うへぇ、ファナちゃんに怒られそう。

 

 ドスドス厩舎に歩いていって、厩務員さんに世話されていく天擢を見送っていると、カチャカチャと甲冑の音が二つ聞こえてきた。

 

 ……えっ、まさかこっち来る? ちょっ、退避、退避!

 

「はい、とうちゃーく! ここが飛竜の発着場だよ!」

「これが……飛竜ですか。想像以上に雄々しいですね」

「それだけじゃないよ? 一緒に居ると分かるんだけど、結構可愛いところとかあるんだ〜」

「そうなのですが……ところでイーディス殿」

「ん? どうしたの?」

「あの、端の方でフードを被った方は一体……」

 

 デスヨネー……

 

 後ろを向いてるから詳しくは分かんないけど、片方がイーちゃんで、もう片方は見知らぬ誰かさんなのは確かだ。

 

 う、うーむ……男子たるもの、バート君*1みたく、礼節を重んじて接し合わなければならないか……うん、そんなのボクには無理だね!

 

 でも、第一印象は大事って言うから、ここはボクのキャラクター性を見せつけるべきかな? かな?

 

「あのシンボル……公理教会のものでしょうか? となると、司教様……?」

「あ……ええとね、司教より偉いよ。公理教会の司教、上級司教を一纏めにする司教統括の統括をする役職、枢機卿だからね。元老長と騎士長の次に偉いはず」

 

 まぁね〜。仮にも3番目だし、神聖術なら、元老長とアドミン様以外なら一番上手く使えるもん。

 

 でも、公理教会の人事の抜本的改革は特に辛かった思い出が……みんな腐り過ぎだよぅ……上級司教どうなってんのマジで……

 

「……しかし、その様な方が何故こちらに?」

「んーと、取り敢えず話せば分かると思うよ。おーい! フェノメアちゃーん!」

 

 名前まで呼ばれてしまっては、流石に無視はできないから後ろに振り返る。

 灰色の髪に赤い眼という珍しい容姿をした、イーディス・シンセシス・テンことイーちゃんが一人、そして隣には金髪碧眼の美少女ちゃんがいた。

 

 や、ヤバい……可愛さならボクが誰よりも勝っていたと思っていたのに、なんかえげつない子が来てるしぃっ!

 

「お、イーちゃん! ひさしぶり〜」

「遠征帰り? 今回は結構長かったわねー」

「色々異常が起きちゃってさぁ……」

 

 チラチラッと金髪美少女に目を向けていると、イーちゃんも気付いたのか、咄嗟にその子の背後に回って、両肩をガシッと掴んだ。

 

「んふふ、紹介するねー! この子はアリス! 30番目の整合騎士なんだよ!」

「は、はい……ご紹介に与りました、アリス・シンセシス・サーティと申します。宜しくお願いします、フェノメア枢機卿閣下」

 

 んぐっ……この子礼儀正し過ぎるよ!

 

 ボクに枢機卿閣下なんて言うの、ふつうは司教さんくらいだからね……? そんな堅苦しい呼ばれ方をされていたら、ボクの身が持たないよ。ネギオ君とか特にさぁ。

 

「そんな枢機卿閣下とか付けなくていいよ、ボクの肩凝っちゃうし。まあ、改めて。ボクはフェノメア・シンセシス・スリー。3番目だから、キミの大先輩だ。同じ3が付く同士、頑張ろうねぇ〜」

「は、はい……フェノメア殿は、整合騎士でもあるのですね」

「騎士っていうか、バリバリ術師だけどね。神器も本だもん」

「なるほど……」

 

 で、でも一時期は剣とか弓とか練習してたんだよ! ただ、武器を扱う才能が絶望的で……神聖術が使えなきゃ、本の角で殴るくらいしか出来ないんだよぅ。

 

 ぐすん……なんでアドミン様はボクを騎士にしたのさ…… 

 

「神聖術を教わるなら、フェノメアちゃんに教えて貰うといいよー! 何せ、私に神聖術を教えてくれたのはこの子だからね〜! 大好き!」

「ふひゃぁっ!?」

 

 ちょっ、ま、待って、抱き着かないで! ボク男! 男なんだけど!

 

 いや、人界に来てから女の子に欲情したこと一度もないし、絶対男として枯れてるけどさ……あんまり分け隔てないとメアちゃん対応に困ります!

 

 精一杯叫んだボクの心の声は、イーちゃんには通じなかった。

 というか時々、本当にボクを男だと思ってるのか不安になるよ……

 

「うーん、本当に可愛いよねぇ〜。アリスも負けてないけど!」

「い、イーディス殿……フェノメア殿が困っています」

 

 振り払うのもなぁ〜と思ってたら、まさかのアリスちゃんから助け舟が。

 まあ、大抵の可愛い女の子はイーディスにガバってやられてるけど……ボクが含まれるなら、女顔のレンリ君も含まれていいのになぁ。

 

「ありゃ、今日はダメなのかな」

「いつもボクは許してないよ……」

「ええー! じゃあアリスちゃーん!」

「なっ、や、やめて下さいイーディス殿!」

 

 なんてやっていたら、厩務長のハイナグさんにお叱りを貰った。あんまり騒ぐと、飛竜もそれを敏感に察して気が立ってしまうのだとか。みんな仲良く正座である。

 悪いの、全部イーちゃんだよね……? ボクとアリスちゃん、被害者なんですけど……という心の声は届かず、五分ほどのお叱り後に三十階から退却した。

 

 それから、色々な階層を見て回り、九十階の大浴場でイーちゃんにボクの性別がバラされそうになりながら、その日は解散になった。

 

 

 

 

 それからというもの、ボクはますます多忙になった。アリスちゃんに神聖術を教えたり、ときおり公理教会の管理をしつつ整合騎士の務めである果ての山脈の監視と防衛まで任されたちゃってさ……

 うへぇ、幾らなんでも働き過ぎだよこれ……完全にボクを殺しにかかってる。

 

 あと自分が何人か欲しいなぁ。イーちゃんに《闇斬剣》の記憶解放術でも使ってもらったりできたら早そうなのに。

 はぁ……めっちゃダルいよぉ。

 

 机の上でぐでぇ〜っと倒れ込んでだらけていると、ドアを叩く音が聞こえた。

 まったくぅ、大忙しのメアちゃんに何の用だよぅ。

 

「私だ。失礼するぞ、フェノメア」

 

 この声……ファナちゃん!?

 

 やばっ、怠けてるの見られたら叱られる!

 

 ヒヤヒヤしてバラバラになった書類やらを整えると、扉が開いた。

 

 相変わらず、ずっと兜を外さずガッチガチの鎧を着ている。

 理由は知ってるけど、ズケズケと人の事情に深入りするのは良くない。残念なことに、ボクじゃファナちゃんの悩みを解決できないんだ。

 

 心の内でそっと溜息を吐くと、枢機卿モードを起動する。

 

「一体何の要件かな、シンセシス・ツー」

「ああ。今日、新たな整合騎士が召喚された」

 

 書類がパッと渡されて、それに一通り目を通す。

 

 名前は、エルドリエ・シンセシス・サーティワン。

 

 天界からの召喚騎士かぁ。性格は高潔なよくあるタイプ。

 

 ふああ、アドミン様もお勤めご苦労様です……

 

「登用ではとはいえ、一先ず三ヶ月は試用期間を設けて、実力把握と。ひとまずの指導は……シンセシス・サーティに任せようかな」

 

 書類をササッとしたためて、団長宛として封蝋を施す。

 

「じゃあ、これを騎士長にお願い」

「はっ」

 

 ファナちゃんの鋭い了解を聞いて数秒、またもぐでっと倒れる。

 

「……ファナちゃ〜ん。ボクいつまで働けばいいのぉ〜?」

「知らぬ。最高司祭様のお考えなのだろう」

「うへぇ、アドミン様ぁ〜……」

 

 終わりのない書類との戦い、正にダークテリトリーの軍勢と同じ。仕事に忙殺されるのが役目みたいなものだよ……

 

「……あんまり無理すると、最高司祭様が心配なさるわよ、フェノメア」

「……あれ、ボクの前で兜外すの、二、三年ぶりかな?」

 

 ボクや元老長とはちょっと毛色の違う、紫がかった黒髪を惜しげも無く晒すファナちゃんは、綺麗な化粧をしていて、美人さが引き立っている。

 

 いつも兜外してたら、団長も振り向いてくれるだろうに……

 

「ほら、話を逸らさないで。貴方、寝ても食べてもないでしょ」

「う……だって、仕事終わんないんだもん。ボクが仕事しないと……」

 

 机から起き上がろうとすると、うつらうつらと、段々船を漕ぎ始めてきた。

 だましだまし使ってきた闇素術の催眠が切れて、眠気が復活しちゃったっぽい……まずい、まだ全然終わってない。

 

「システム、コール……んぐっ!?」

「もう、駄目よ? 貴方はもう寝なさい。残りの仕事は私がやるから、ね?」

「ちょ……それ……」

 

 あ、やば……ねむ……

 

 

 

 …………はっ、いや、まだ寝てない!

 

「それ、ボクの仕事だからぁ! ってあれ」

 

 コクコクしていた頭を起き上がらせると、見慣れたボクの自室だった。

 

 ということは、つまりここまでファナちゃんが運んでくれた……ってこと!?

 

 これで仕事まで無くなってたら、後で泣いて詫びるしかない。

 

「う、うへぇ……凄い迷惑掛けちゃってるし。てゆーか、ボク一応男なんですけど……やばいなー……本気で女の子になった方がいいんじゃないか、()

 

 最後に溜息が出た時に、自分の言葉が不意に反芻した。

 

 ……私? いま、私、だって?

 

 いや、その一人称は敢えて使っていない。こんな格好ではあるが、ボクという一人称は、男であると意思表示をするの同時に、自分自身への暗示を掛けているからだ。

 

 私、なんて使っちゃったらそれこそ、振る舞いが完全に女の子になっちゃうからね……

 

 唐突に、頭がズキッと痛みだして、どこからか囁くように声が聞こえてくる。

 

『決まってるじゃん。私は女の子なんだから』

 

 それは、たまに夢に見る女の子の声。

 

 なりたいものになれなかった、女の子の叫び。

 

『ボクって言って仮面を着け続けて、もう疲れ果ててるのは自分自身で分かってるくせに……意地張るの、やめたら?』

 

 そんな事はない。

 ボクはボクだ。一人の男なんだ。

 

 心の中にいる少女にそう言ってやると、もう声は聞こえなくなった。

 

 黒髪の、ボクと瓜二つの少女。『私』と名乗る、記憶の中の誰か。

 

 

 

「ボクが男じゃないなら、何なんだ……」

 

 うへぇ……難しくて考えたくないよぅ。

 

 

 

 

*1
デュソルバートくん




脳内にりあむちゃんを流してたらめっちゃ病んでそうになった
メンヘラ系男の娘に需要はありますか……?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

裏話 整合騎士&キリト&カーディナル

ユナイタル・リングV発売&二日遅れのキリト誕生日記念

読んでると無性にサンドボックスゲームがやりたくなる定期


 

sideアリス

 

 

 アリスには、四人の敬愛する人物がいる。

 

 一人は、言わずもがなベルクーリ・シンセシス・ワン。小父様と呼び、自分が師と仰ぐ唯一の人物で、最も強い信頼を向けている。

 二人目は、フェノメア・シンセシス・スリー。公理教会で三番目の権力を持っているが、見習い騎士時代に神聖術の先生として薫陶を賜っており、こちらも信頼が厚い。

 三人目は、クリスチャン・シンセシス・ゼロ。ベルクーリでさえ勝てる気がしないと言わせしめる剣の使い手だが、慇懃無礼な態度で、何かある度からかわれるので、剣士としては敬愛こそしているものの、あまり会いたくはない。

 

 最後に、召喚主である公理教会最高司祭、アドミニストレータ。

 

 アリスにとって、彼女はどういう存在なのか……そう聞かれれば、アリスは、逡巡しつつもこう答えるだろう。

 

 ──最高司祭様は、言わば、私の母親代わりか……不遜ですが、或いは友人に近い関係かもしれません。

 

 人界に召喚されての七年で、アリスはアドミニストレータに三ヶ月に一回くらいの頻度で最上階に招かれていた。色々な話をすれば、時には愚痴大会にまで発展したり、料理を手ずから学ばせて貰って、一緒に焼き菓子を作ったこともある。

 

 対面する機会こそ決して多いものではなかったが、対等な立場に立って自分の悩みも聞いてくれる彼女を、とても頼りにしていたのは間違いなかった。

 

 今日も、アリスはある二人の人物の愚痴を吐露していた。

 

「へぇ、あのエルドリエがねぇ……」

「はい……師、などと私を呼ぶのです。そしたら、今度は、元々反りの合わなかったイーディス殿と会う度口論を始める始末で……」

「イーディスちゃんったら、たぶん大好きな妹が盗られそうで必死なのよ。それに、男の子じゃ尚更ね」

 

 盗られる、と表現するのはアリスには憚られたが、確かに、エルドリエが来てからは、些かイーディスと関わる機会が減っているようには感じていた。

 

 大抵、楽しそうな表情を浮かべている事の多いイーディスが、自分と話している時が殊更に笑顔になっているのは、アリスの目からでも分かっていた。基本的に整合騎士は任務の為カセドラルに居ないので、その機会が少なくなるのが、本人には残念に思うのは当然のことだろう。

 

 男の子ならというのは、イーディス殿はエルドリエと男女の関係になることを危惧している、ということなのだろうか、とアリスは思案する。

 

 整合騎士団に、特に男女の色事についてこれと言った決まりはないのは知っている。恋愛は自由なのだろうが、もし仮に子供が出来てしまえば……それは、天命が凍結されている整合騎士にはあまりに残酷だ。

 

 そう考えれば、イーディスが止める理由も頷ける。

 

「それに、自分で申し上げるのも、少し奇妙ですが……二人とも、あまりに執着し過ぎでは……と不思議に思っているのです。エルドリエの態度の急変も、本当に突然の事でしたし、イーディス殿は、女性同士なのだからとよくくっ付いてきますので……」

 

 エルドリエからは食事や鍛錬、立ち合いを誘われ、イーディスとはお風呂に一緒に入ろうと会う度に言われている。それには、アリスも辟易……とまではいかないものの、偶には一人の時間も欲しいと、密かには思ってしまうほど。

 

「そうね……考えられるのは、私でも消しきれてない天界の記憶の残滓が影響している可能性があるわ。それが、アリスちゃんに不思議と親近感を覚えて、つい構っちゃうのよ」

 

 言われてみれば、イーディス殿が時折、天界に妹でも居たのかもしれないと話していることがあったような……

 

 心当たりは、アリスの中にあった。

 

「に、にしても、度が過ぎているとは思いませんか? エルドリエは、何を言おうと良い風に解釈して、時には涙まで流すのです。もしや人界に慣れられずに、どうかしてしまったのかと不安で……イーディス殿は、初対面の頃から同じ様な感じなのですが」

「そんなに気にする事ないのに。アリスちゃんは心配症ね?」

「うっ……そう、かもしれません」

 

 否定は出来なかった。何かと心配しがちなのは、自分自身だけでなく、彼女を知る誰もが認めるところであるからだ。

 

 少し前、雨縁が暗黒騎士の特攻を喰らい、傷が治癒出来なかった時はとても肝を冷やして、一日中傍に居続けたり、時々神聖術で過剰に回復させてやったりしたくらいだ。飛竜は膨大な天命を持つ生き物なので、剣の一撃を受けても元気のままでいられる。その時の雨縁は少し事情が違ったが、さりとて一日中世話をするのは、心配のし過ぎに違いなかった。

 

「第一、何かあったら私が何とかするもの。心配事があるなら、いつでも来てちょうだいって言ってるじゃない」

「そ、それでは、最高司祭様の安眠を邪魔してしまいます……」

「別にいいのよ。そのくらいの時間はあるわ……もうすぐキリト達来るし

 

 アドミニストレータは、髪をくるくると指で回しながら微笑んだ。

 

 しかしそう本人は言っていても、アリスとしては、正直頼るという選択肢はしたくないというのが本音なのだ。

 

 親離れ、とでも言うのだろうか。七年も頼ってしまって、それが整合騎士となった今でも続いていては、面子が立たない。故に自分の力だけで成し遂げたいという想いが強くなっていた。

 

「ともかくね。一ヶ月に一度くらいは、こうやって話しましょ? 私も、アリスちゃんとお話ししたいし」

「え、ええと、それはご命令でしょうか……?」

「ん〜、この際命令にしとくわね。だってそうじゃないと、アリスちゃん来てくれないじゃない。私、そんなの寂しいわ」

「は、はぁ……」

 

 戸惑いながら、アリスは気の抜けた相槌を打つ。

 

 見た目が自分と同じくらいの歳をした少女なだけに、つーんと唇を尖らせて拗ねている様は、同性の目から見ても、現人神とは思えない可愛らしさがありありと出ている。自分では、努力しようとも至れなかった女の子らしさだ。

 

 騎士である以前に一人の女子だというのに、そういう女性らしさを何一つとして抱えられないまま成長してしまった。十二歳という若さで天界から召喚されてしまったのが、運の尽きだったのだ。そこだけは、アドミニストレータをほんの少しだけ恨む要因となっている。

 

「……ちょっと、こっちにいらっしゃいな」

 

 アドミニストレータが、手をくいくいと、誘うように曲げているので、アリスは一旦立ち上がると、寝台に座る彼女の傍まで近付いた。

 

 すると背中が強い力で押されて、たちまち体がアドミニストレータの方に倒れてしまった。同時に、沈丁花の甘い香りが鼻腔を刺激してくる。

 

 アリスは何が起こったのか分からず、肩口に置かれたままの頭で思考停止に陥るが、頭頂と背中を優しく包み込まれた。一瞬、体をピシッと固めたが、すぐに脱力して、アドミニストレータにもたれかかっていた。

 

 ──懐かしい。

 

 そう思ったのも必定で、こうやって抱き締められたのは、召喚されたその日だけ。彼女の前で、自分が大きく取り乱した時だけだったからだ。

 

 髪を梳くように、滑らかな五指が頭を撫でると、不思議な快感がアリスの体を走った。心地よくて、思わず目を瞑ってしまう。

 

 アドミニストレータは、何度も何度も、繰り返し撫でながら、アリスの耳元に囁いた。

 

「……アリスちゃんにはね。たびたび頭を撫でてあげなきゃ、何となく駄目な気がしてるのよ。母親代わりってわけじゃないんだけど……」

 

 ──そんな事を考えるのは、母親くらいのものではないか。

 

 なんて言うべきかとうんうん唸るアドミニストレータを傍で感じ取りつつ、アリスは内心でぼそりと呟いた。

 

 整合騎士の中でも、飛び抜けてアドミニストレータと関わりが深いアリスとて、彼女の事はよく分からなかった。元老長クリスチャンと仲睦まじそうに談笑している姿も、小父様を晩酌に誘う姿も、ふと淋しげにカセドラルの窓から外を見る姿も、そして母親のように無償の愛情をくれる姿も……どれもが本当の姿で、彼女の一面なのだろうが、アリスにはどこかちぐはぐなものに思えた。

 

「でも、結構好きなのよ? アリスちゃんのこと。娘っていうより、今は友達かもしれないわね。気軽な話が出来る友達って私には居ないもの。クリスチャンは親友だし、ベルクーリは飲み友なのよねぇ……」

 

 それは友達に含まれると思いますが……と内心で突っ込みつつも、敢えて口を噤んで、さっきの言葉を思い出す。

 

 アドミニストレータにとって、アリスは友達のようだ。上司も上司で、最高司祭という立場と友達というのは失礼かもしれないが、アリスは少し嬉しくなった。

 

「あの……私が、猊下の友人で、宜しいのでしょうか」

「……ふぅ〜ん。アリスちゃんは私と友達じゃないって思ってたのね」

「えっ」

 

 アドミニストレータが、アリスの肩を両手で掴んで目の前に持ってきて、機嫌が急転直下したような冷たい声を出し始めた。

 

 ──そんな理不尽な!

 

 アリスは顔を強ばらせながら、そっと叫んだ。

 

 友達のような関係であって、友達とは明言されていなかったのだ。だから改めてアリスが確認を取ったら、もう既にアドミニストレータはこの関係を友達と認識していたという。

 

 そもそも整合騎士の身で友達が居ない以上、友達という関係がどう定義されるのか全く知識が無い。ただ漠然と友達とは言うが、そもそもどの辺りから友達なのか、その線引きがハッキリしていなかったのだ。

 

 あれこれと言い募れば、確実に機嫌を損ねてしまうのは間違いない。しかし、気を遣わなければいけない関係は友達なのかと思いはするものの、相手は、最高司祭という公理教会を束ね、自分は彼女に忠誠を誓う身なのだから、優先順位的にも気を遣わない訳にはいかない。

 

 この理不尽な状況をどう切り抜けるか……数秒の思考の末、アリスの頭に妙案が浮かんだ。

 

 アドミニストレータからササッと離れると、アリスは何か思い出したかのような仕草をし始め……

 

「あ、ああー! そうだ、雨縁に食事をあげなくては! きっとお腹を空かせています。ああ、かわいそうに……」

「!? ちょっとアリスちゃん、それ適当なこと言ってない〜?」

 

 つい先日、エルドリエにも似たような事を言った気がするが、アリスには構わなかった。

 

「申し訳ありません、最高司祭様。私はこれにて失礼します!」

 

 さっさと昇降盤を起動すると、アリスは下へ降りた。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 その頃、五十二階、第二修練場にて……

 

「──ハッ!? 百合の香り!?」

「ん? ダキラ、どうかしたか」

「……い、いえ! 何でもありません、ファナティオ様!」

 

 


 

sideファナティオ

 

 

「せえぇあああ!!」

 

 裂帛の気合が迸った刹那、光が複雑な軌道を描いて輝く。

 

 振るわれているものは細剣。身全てを甲冑に包みながらも、その重量を考えさせないほど速く、速く……まるで隙の無い連撃と、間髪入れず放たれる突きの嵐。

 

 秘奥義でもなんでもないただの剣技だが、洗練され、既に連続剣として極みにある。

 

 しかし、それはファナティオには通過点に過ぎない。目指すは、己が恋する者の隣。その為には、何としてでも、あの元老長の剣技を我が物にしなくてはならなかった。

 

 は、と息を軽く吐きながら、自身も修練場を後にした。

 

 一昨日、南帝国の不死鳥討伐という大遠征からベルクーリと共に帰投したファナティオには、まだ新しく任務が来ていなかった。

 

 どうにも、自室でじっとしていられない性分でもあったファナティオがする事は、基本的に二つしかない。

 

 一つは、剣の鍛錬。毎日欠かさず、剣技の練成に励み、己を鍛え抜く。

 

 そしてもう一つが……ファナティオにとっては、口に出すのもが憚られる趣味だった。

 

「ハナ、ちょっと厨房を借りるわね」

「ファナティオ様……」

 

 茶髪を円筒の調理帽で覆い隠した、上位騎士専属の料理人の彼女が、鎧も兜を外したファナティオを一目見ると、ぎこちない笑みを浮かべた。

 

 ファナティオが持つ趣味。それは九十四階にある厨房で、お菓子作りをする事だった。

 

 頻繁という訳では無いが、長い間厨房を利用させてもらっている仲なので、お互いそれなりに親しい間柄である。しかしこと今日に至っては、彼女の様子が変だった。

 

「大丈夫? ちょっと挙動不審になってるわよ?」

「すみません、今は厨房には……」

 

 厨房に何かあったのか、とファナティオが、力なく手を伸ばすハナの静止を振り切って厨房を覗いた。同時に、声が聞こえてくる。

 

 

「私が──視てる未来はひとつだけ……」

 

 

 声と言うより、それは小声ながらも美麗な歌。少なくともファナティオには聞き覚えのない曲だが、厨房を震わせるその声には、確かな聞き覚えがあった。それに耳を傾けながら中に入っていく。

 

 

「永遠など少しも、欲しくはない……」

 

 

 厨房に上手い具合に隠れて見えないが、声の近くまで、ファナティオは構わずズカズカと進んでいく。

 

 聞こえてくる旋律こそ高いが、刻まれる律動は心に強く染み渡り、悲しみの気持ちまでがジーンと感ぜられた。

 

 

「一秒、一瞬が愛おしい──」

 

 

 こんな類稀なる美声の持ち主がカセドラルにいるとは、ファナティオにも聞いたことがなかった。

 

 しかも、上位騎士しか入る事の出来ない厨房に入れる人物は限られている。それこそ、思い当たるとすれば元老くらいなものだが……

 

 その女性の声のある方へ進もうとすると、ハナはファナティオの右腕を、無礼を承知で掴み、引き留めた。

 

「ファナティオ様……! 今厨房でお料理をなさっているのは最高司祭猊下でございます……!」

「なっ!?」

 

 驚きで思わず大声を出し、慌てて口を塞ぐ。

 

 

「あなたがいる世界に私も生きてる────」

 

 

 まさか、とファナティオは信じ難く思ったが、ハナに引き留められた所の棚から覗き見れば、白菫色かがった銀の糸がふわりと宙に流れた。思わず咄嗟に顔を引っ込める。

 

 ──あれは、猊下の御髪だ。

 

 ファナティオの目には間違いなくそう映った。

 

 あんなにも艶めかしく、キラリと光沢を帯びている髪は持つ者は、猊下ただ一人しか知らない。

 

 ハナと目を見合わせ、猊下が居られてはやむ無しと、厨房を出るべく歩き出した。

 

「あら、帰っちゃうの? ファナティオちゃん、ハナちゃん」

 

 ……否。その一歩目で、二人の足は既に石像の如く動きが止まっていた。

 

 ファナティオも、まさかアドミニストレータに気付かれていないとは露ほどにも思っていなかった。何せ、人智の及ばぬ御業を行使出来る、人界で最も優れた術師だ。気配など簡単に悟られてしまうだろう。

 

 しかし、その声はもう、すぐ真後ろから聞こえてきたのだった。

 

 二人が踵を返し振り向くと同時に、膝を付き、胸に右手を当て深々と礼をする。

 

 優しい御心で見逃してくれたのだろうと、すぐに厨房から立ち去ろうとして、寧ろ引き留められているというこの状況に、内心冷や汗を掻かずにはいられなかった。

 

 この事をお咎めになるのならば、せめて、ハナは無関係であることを陳謝しなければ……

 

 そう決意を固め、アドミニストレータの二の句を待つ。

 

「顔を上げなさい」

 

 その声音は平坦なものだが、それが逆に恐ろしさを引き立て、二人は一様におずおずと首をもたげた。

 

 すると、弁明を口にする前に、むぐっ、と息が詰まるように口の中に何かが入れられた。それを噛むと、ザクッというクッキーにも似た音が立って砕かれ、小麦とバターの自然な風味が口いっぱいに広がると共に、砂糖が舌にザラりとして、自然な甘みが溶けだしてくる。

 

 次に、サンドされていた板状の何かががパキッと割れた。香り高いカコル──南帝国に生る実で、地球で言うカカオ──が鼻腔を通り抜けて、甘さのない苦味が、砂糖の直接的な甘味を相殺した。そのうえ、まだ舌の上に残る砂糖と調和して、しつこ過ぎない絶妙なテイストに仕上がる。各々の主張が止まって、飲み込むと、最後になって、舌全体に薄く、苦味で判然としていなかった穏やかな酸味や渋みが風味のように広がって、やがてゆらゆらと消えていった。

 

 ──これは、まさか!?

 

 ファナティオは驚愕した。

 

 これは、正しく、チョコレートであると。

 

 チョコレートはカコルの実を煎り、殻を取って中身を丹念にすり潰し、砂糖を入れ、湯煎してかき混ぜ──などの、長い工程の末に完成する。

 

 ファナティオは、このチョコレートの材料と作り方を知っていた。以前にはこれを作り、道すがら会った何人かの使用人達に配ったこともある。

 

 人界には普及していないのか、味わった全ての使用人達が衝撃を受けていたが、やはり、その範疇に全知全能たるアドミニストレータは入らなかったようだ。ファナティオは改めて畏敬の念を抱きつつ、横のハナをチラと見やる。

 

 彼女も驚きに包まれているが、概ね自分と反応は同じのようで、嚥下すると、口に残る余韻を感じているふうに見えた。

 

「どう? 美味しい? チョコレート作りは時間掛かっちゃうからそんなにやらないし、少し不安なのよ。感想をちょうだい?」

「は。数多の菓子に勝る香り高さ……クッキーの風味や甘みと調和した絶品でございました」

 

 自分でも思ってもみないくらい、スラスラと、澱みなく感想が出た。

 

 本当ならこんな言葉では言い表せないが、その一部分だけでも表現するだけなら、十分過ぎるほどに言葉が足りる。

 

 ここまで上品な味わいのチョコレートを食べるのは初めての事だった。自分では、こんな味は出せないに違いない。

 

「……チョコレートそのものは私も食べた事がありますが、ここまで舌触りが滑らかなものは初めてです。乳のコクがカコルの強い苦味を和らげて、柔らかな口当たりがクッキーの良さを活かしています。誠に感服致しました」

 

 改めて、ハナが頭を垂れて跪く。それは、部下としてでなく、一人の料理人として、心から表した敬意だった。

 

「あら、そう? それなら作った甲斐があったわね。あっちに比べれば、シンプル過ぎて手間なんて無いようなものだけど」

 

 にこやかに、嬉しげな表情で、追加のクッキーの入った皿をファナティオに手渡せば、あ、と一つ声を上げて、腕をくいと動かした。

 

 すると、宙に浮かび、吸い寄せられるようにしてボウルがアドミニストレータの腕の中に収まった。おもむろに確認し、顎に手を当てて考え込むそぶりを見せると、一つ頷き、目線を二人に向けた。

 

「二人とも、少し手伝ってくれない? ちょっと、生地を作り過ぎちゃってね……?」

「す、少し……」

 

 アドミニストレータが見せた大きなボウルの中は、もはや作り過ぎたと言っていられる量ではない。大量生産でも予定してたのかと突っ込まざるを得なかった。 

 

「……勿論、手伝ってくれるわよね?」

「「は、はい……」」

 

 そこからというもの、想像以上な重労働が始まった。

 

 先ず、生地の抜本的な見直しから図った。アドミニストレータ作の生地は手間がかかり過ぎるので、ボウルにある生地にファナティオとハナの知識を集結させて、それ自体がかなり甘く、軽めなクッキーになるよう手を加えた。

 

 次に、厨房の全てのオーブンに生地を流し込んだ型を入れる。

 

「ハナ、型が全然足りないわ!」

「恐らく、これで全部でしょう……」

「なら作ってあげる。素因製だから脆いけど、そこそこ耐えるでしょ」

 

 アドミニストレータが指に《鋼素》を生成し、聞き覚えのない術式を唱えると、あっという間に既製品と同じ型が台の上に積み重なっていく。

 

 それらに生地を流し込み、焼き、そして取り出し、固めたチョコと合わせていく。

 

 ファナティオがふと気付いた。

 

「最高司祭様! チョコが無くなってしまいました!」

「そう言うと思って、いま片手間に作ってるわ。あと数分だから、生地を新しく流し込みなさい」

 

 ファナティオが少し視線をズラしてアドミニストレータの横を見ると、すりこぎ棒が一人でに、目で追うのがやっとなスピードで回転し、ササッと型に流し込まれ、宙を飛んで冷蔵庫に入れられる。

 

 一目見れば分かるが、心意の腕が動かしているのだろう。

 

 ファナティオとて心意の腕くらいなら造作もないが、あんな事をしろと言われたらハッキリと無理だと言える。そもそも、心意の腕は力の調節さえ難しい。すりこぎ棒を握ってチョコレートを練ろうものなら、力加減を間違えてポキリと折ってしまうし、液体を流し込むなんて細かい作業は無理だ。

 

 しかしアドミニストレータは、それをまるで腕の延長のように扱えている。あれこそが、強力な心意の到達点の一つなのだ。

 

 アドミニストレータの心意に気圧されつつも、作業の腕は止めずに、次々とチョコクッキーを量産していく。山のように積み上がるクッキーの皿をどかして次の皿に盛り、焼きあがったクッキーをチョコに挟み、鋼素の型を作り直して、流し込み……を丸一時間。

 

「はぁ……はぁ……終わりましたね、ファナティオ様」

「ええ、長かったわねぇ……」

 

 ファナティオは整合騎士として鍛えているので問題無いが、ハナは料理人。すっかり疲労困憊に陥っていた。

 

 しかしながら、最も酷い状態が一人……

 

「……げ、猊下……?」

 

 アドミニストレータは、床に正座するように脚を畳んでいるが、背筋は前方にしなだれ、額を台の側面に当てたまま、左手が台の上に、右手はだらりと垂らしている。まるでデスマーチを終えた会社員──アンダーワールドにそんなものはないが──のように、哀愁を漂わせ、深く影を落としている。チーン……という虚しい擬音まで聞こえてきそうだ。

 

 ファナティオが不安ながらに呼ぶと、ゆっくりとアドミニストレータの顔がこちらを向いた。

 

 生気のない青白い顔色。どこか痩せ細ったような様相を呈した彼女は、光の無い目をそのままに、口の形を歪め、

 

「……ふへっ」

 

 表情さえ変えられないのか、力なく笑った。心做しか、アドミニストレータとその周囲だけ白黒となっているように、ファナティオとハナが見える程に燃え尽きてしまっている。

 

 彼女が斯様な有様になった原因が心意であることは、ファナティオには想像に難くなかった。心意は強大な精神力を消耗する秘術。あんな風に多用していては、身が持たないのが道理だ。

 

 なのだが……

 

「も……む、り……」

 

 精根果てて力尽きる様子に、流石に放っておくことなど出来なかった。

 

 その後、ファナティオによって元老長が連れ出されて、どうにかアドミニストレータは百階に運ばれていったという……

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

「……同時……五つの、心意……一時間……死にそ……」

「何をなさったのかと思えば……もう休みましょう。それと、心意は乱用しないよう気を付けて下さい」

「……ぅん」

 

 ぎゅっと、アドミンはクリスチャンに抱き着いて、死んだように寝始めた。

 

 そのせいか、この日は珍しく、二人が向かい合わせになって寝る事になったという……

 

 


 

sideキリト

 

 

 恐怖、という感情を明確に感じた時は、いつだったか。

 

 デスゲームを宣告された時? ああ、確かに。かつてない恐怖を覚えた。

 

 二十七層の迷宮区での事故? ああ、そうだ。自分の愚かさに心底恐怖した。

 

 KoB団員の皮を被ったラフコフのメンバーに麻痺毒を入れられ、アスナを守る為とは言え、殺してしまったあの時? ああ、それは……俺が忘れようとした程に、自分自身に恐怖した。

 

 アインクラッドは、それほどまでに恐怖が常に付き纏っていたと言っても過言ではなかった。

 

 最近はどうか。死銃事件で、シノンが狙われていると悟った時か。

 

 それよりも後だ……三人目の死銃事件の犯人、ラフコフの《ジョニー・ブラック》、金本敦に劇薬を打たれた時か。あれは本気で死を覚悟していたが……

 

 俺は、かつてない恐怖を感じていた。

 

 何の恐怖かと問われれば、何とも言い難いものだ。何しろ、俺は直接相対している訳では無かったのだ。

 

「良いですか、キリト殿。剣とは、このようにして扱うのです」

 

 紳士然とした、俺達と同じくらいに見える青年が鋼剣を振るうと、直後、目の前の柱が斜めに切断され、滑り落ちた。強い振動と共に、風圧で髪が浮き上がる。

 

 五十一階、《第一修練場》。いつも俺やユージオが指導されているこの場所に、青年……元老長クリスチャンが突然現れて、剣を貸してくれと言われて貸してから、実に十秒後に起きた事だった。

 

 これには、俺もユージオもなりふり構わず口を大きく開けて唖然した。

 

 彼に貸した剣は、訓練に使われる練習用の鋼剣で、優先度30。対して、先程切り落とされた鉄柱の優先度は38。そこには歴然たる差が存在している筈にも関わらず、華麗な切断を実演してみせた。

 

 だからと言って恐怖することもないだろうに、と自分も思いたいのだが、彼の纏う純粋な剣気に、俺は本能的に恐怖を抱いてしまったのだ。

 

 全身を竦み上がらせるような、剣の重み。彼が鉄柱を斬ろうとした時感じた、俺は畏怖にも似た感情。その間は、一歩も動く事が叶わなかった。

 

 まるで、剣の刃そのもの。飾り気のない、単なる斜めの袈裟斬りなのに、それ自体が極まっていて、一つの芸術にさえ思えるほど綺麗なフォームで、剣と一体になって繰り出されていた。

 

 しかし、いくら完璧な技とはいえ、優先度はこのアンダーワールドで、アイテムの優劣を決める絶対の値となっている。少なくとも、ステータスやパラメータといった数値に依存しない力が働いたのは確かだろうな、と思っている。

 

「……元老長は、違う。ただ、斬ることを求めた私より、自分が剣になる事を求めた」

 

 シェータ師範が、隣でボソッと呟くように言った。

 

 剣になる事を求める……それは俺が剣を扱う上で最も大事にする事の一つだ。ユージオにも常々、剣と自分を一体化しろと言ってきたが、今のクリスチャンの在り方こそ、その究極系なのかもしれない。

 

 それに、柱を斬る直前になって、剣の重みで身が凍りつくような気迫が俺を襲ったが、あれは以前に一度だけ感じたことがある。

 

 今となっては懐かしい、実剣を使って行われたウォロ・リーバンテイン上級修剣士との試合。ハイ・ノルキア流の天山裂破を受けた時、一瞬だが背後にウォロと酷似したご先祖様らしき集団を幻視して、剣が重みを増したのだ。

 

 この世界に存在する、イメージによる事象の改変。その力を、俺は嫌というほど味わってきた。

 

 十何年と剣を握り続けた剣士の、揺るぎない技への自負から生まれる力。高潔な貴族が、自分は他人より優れていると、他人と比較することで生み出される力。

 

 そういった強いイメージが他者を圧倒する。四帝国統一大会では、実際そんな奴らばかりで、一戦一戦、肉体的にも、精神的にも苦行を強いられ、各々の秘奥義の威力に、あわや打ち負かされるか、と何度ヒヤヒヤしたことか。

 

 クリスチャンの剣気は、強力な心意を持っていたウォロの様な幻視こそ無かったが、力の源は同じだ。

 

 ……これが、心意。

 

 身も固まるような恐怖をもたらす、ゾクリとする様な圧倒的気力。

 

 もし戦う事になれば……と想像して、身をぶるりと震わせていると、クリスチャンは鋼剣を携えながら歩み寄ってきた。

 

「この鉄柱の訓練の真髄は、心意にございます。心・技・体、それらが揃って初めて、上位の整合騎士への道が開けましょう。ここに来れる実力なら、技術と身体は問題無いと愚考しますが、肝心なのは心です。卓越した技術、健全な身体が揃っていようと、強い想いの前には覆されかねませんよ」

 

 そうアドバイスをしてから、鋼剣が俺に返された。見たところ、鋼剣には傷一つ付いておらず、天命値も僅かしか削れていない。

 

 正直、俺は誰よりも心意を理解していながら、心意の力を甘く見過ぎていたと言わざるを得ないだろう。

 

 心意の影響がソードスキルの威力のみならず、物質の天命にさえもたらされる事は朧げながら理解していたが、優先度まで無視するとなると、そろそろ何でも出来そうなのではと思ってきた。

 

 思案する俺に、それでは、とクリスチャンは一礼して、優雅な振る舞いで去っていった。

 

 同時に、直立不動で固まっていたユージオが、じりじりとにじり寄ってきて、俺の肩を小突いた。

 

「……ねぇ、キリト。今の、僕達にも出来るのかな」

「そんな弱気になるなって。なんせ相手は三百年生きてるって言ってたし、あのレベル……じゃなくて、あそこまでの心意は俺達にはまだ早い。究極的には元老長が目標だとしても、もっと着実な所から頑張ろうぜ」

 

 とは言ったものの、心意の糸口までは、これまで剣を振る上で掴んできたが、それ以降進展が無かった。《心意の腕》で小石一つ動かせないようでは、本当の意味で心意を使えていると言えない。

 

 そんな俺の心の内を知ってか、ユージオは肩を竦めながら苦笑する。

 

「……うん、そうだね。ステイ・クールでいこう」

 

 ……やっぱり気に入ってるな、こいつめ。

 

 何だか無性に意地悪したくなって、脇腹をぐにっとつまんでやると、ユージオが身を捩った。

 

 ステイ・クール……冷静でいろとか、平静を保てとかの意味で主に使われているが、クールから転じて、格好良く居ろよ──つまり、じゃあなという、若者が使う別れの言葉の意味もある。

 

 これを、俺がいつぞやに口に出してしまって、言葉の意味を説明して以来、ユージオは気に入ったのか度々使うようになった。ひと月に一回くらいは聞く気がしなくもない。

 

 だが、別れの言葉として使われるのは、恐らく一回きりだろう。

 

 この世界を去る時──個人的には戻ってきたいものだが──が来るのは確実だ。俺が探している《システム・コンソール》は、ほぼ目前にまで迫っているのだから。

 

「……ああ、ステイ・クールだ」

 

 頭の中でこの言葉を強く噛み締めると、改めて剣を握り直した。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 今日も無事に訓練を終え、新たなケーキたるチーズケーキ開発に勤しんだこの日の夜。

 

 自分の寝室に向かい、ベッドに倒れ込むと、すぐに眠りに誘われた。

 

 アンダーワールドは時間が一千倍以上には加速されているのに、どうして生活のサイクルは乱れないのか不思議に思いつつ、今日もお疲れ様と瞼を閉じた……

 

「キリト、キリト。眠るのは少し待って」

「……ん? その声、シャーロットか?」

「そうよ」

 

 どこからとなく聞こえてきた声は、カーディナルの使い魔である蜘蛛のシャーロットだった。姿は見えないのは髪に隠れているからか。

 

 こんな夜更けになって話す事となれば、恐らくカーディナル絡みだろうな……と予想しながら、次の言葉を待つ。

 

「キリトは、最高司祭の事を見ていてどう思った?」

「ど、どう思ったって言われてもな……」

 

 突然そんなことを聞かれるとは思わず、頭の中で最高司祭アドミニストレータの姿を浮かべてみる。

 

 五十階で初めて謁見した時、俺はアインクラッド六十一層のセルムブルグで、アスナに「キリト君も早く脱いでよ」と言われた時と同じくらいのプレッシャーを感じたものだが、その後に対面したお茶会の時はどうだろうか。

 

 カエサルとかムッソリーニとか、日本の国会の喩えが出てきた時は思わず面食らって、そっちに気を取られがちになってしまったが、カーディナルが、アドミニストレータと元老長クリスチャンとの関係を揶揄した時には、彼女は顔を真っ赤にしてブンブンと顔を振ったり、机に突っ伏したりしていた。

 

 あの反応は、まるで……というか、完全に見た目の年齢どおりの、思春期の女の子だった。

 

 暖かい目で見ていたら、キッとねめつけられたが。

 

「初対面とあの日のお茶会だと、印象が違うでしょう?」

「確かにな……アドミニストレータは、カーディナル・システムをフラクトライトに上書きした結果、行動原理が変わって人間じゃなくなったはずだろ?」

「そのはずなのだけれど、これにはマスター……カーディナル様も困惑していたわ。だから、何がキッカケになって昔の状態に戻ったのか分からなかったのよ」

 

 となると、アドミニストレータと名乗る前……クィネラという少女の頃に、精神だけ巻き戻ったって事になる。そもそも、カーディナルは、自分のただ一つのフラクトライト自体に《書き換え不可能な行動原理》が焼き付いたと言っていたし、そんなムシのいい話は無いだろう。

 

 つまり、前提からして間違っている。

 

「シャーロット……カーディナルの記憶は本当に正しかったのか? 何か、重大な勘違いを起こしているような……」

「……あなたも、その結論に至ったのね」

「あなたも……ってことは、カーディナルもそう思ったのか?」

「ええ。でも、記憶を削除する前にノートに書き留めた情報は、その時に最高司祭が保持していた記憶と同じ。だから、間違えるはずは無いと一度は思ったのよ」

 

 しかし、それではあの行動に説明がつかない。

 

 そう心の中で反駁していると、シャーロットが続けた。

 

「カーディナル様は、削除した記憶の精査を行い、ある疑問に気が付いたわ。前後を繋げてみるとまるで整合性のない記憶や、時系列からして不自然に欠けてる部分……大半の記憶は消えていたから、見付けられたものは少なかったけれど、確かにそうとしか考えられない痕跡が見つかったの」

「記憶を消す……」

「恐らく、知られたら不利になるような情報があったから。だから予めノートみたいな記憶媒体に書き記しておいて、記憶を消し、シンセサイズを行った……ここまで周到だと、最高司祭は、身体が乗っ取られることを想定済みだったと見るべきね」

 

 すっかり消え失せた眠気の代わりに、頭を働かせる。

 

 知られたくない情報を記憶を消してまで隠蔽しようとしたのに、今回の茶会で、アドミニストレータは結果的に知られたくない情報の存在をカーディナルに示唆させてしまった。その危険性は承知していただろうに、直接対面で茶会に応じた理由は何なのか。

 

 それに、カーディナルの話とは掛け離れた人間らしさ。

 

 俺たちが大図書室に招かれた際、カーディナルは感情さえ捨てた支配欲の化身と言うべき存在と言っていた。貴族の初めての政略結婚によって生まれた、飽くなき支配欲を抱えたフラクトライトを持つ少女だったと。

 

「アドミニストレータは、一体何をやってるんだ……?」

「そう、そこなのよ。カーディナル様も、アドミニストレータの行動が全く理解出来なかったのよ」

 

 俺にもまるで見当がつかない。

 

 それこそ、つい先日のように、ベイクドチーズケーキなのにクラスト部分を用意し忘れて、炭にしてしまうくらい大ポカをやらかしているのなら解らなくもないが、相手は自分の騎士に絶対の忠誠を誓わせさせる程に慎重で狡猾。女の子らしい部分は認められるとしても、禁忌目録を作ったのはアドミニストレータであり、整合騎士を作ったのもまた同じ。

 

「でも、ワタシとカーディナル様は、彼女の一連の行動からこう判断出来たわ……アドミニストレータは、世界の支配とは違う、また別の目的を達成する為に動いていること。そして、そこにキリトが絡んでいることは間違いないと」

「お、俺が……?」

 

 おずおずと訊ねると、シャーロットは語気を強めて言った。

 

「気を付けなさい、キリト。最高司祭とカーディナル様の対話が繰り返されれば、何かが起こる……それは間違いないわ」

 

 


sideカーディナル

 

 

「……」

 

 大図書室。

 

 アンダーワールドのあらゆる座標から切り離された空間に存在しているこの場所で、少女は机に両肘をついて指を組んでいた。

 

 カーディナルという名を自称するその少女は、いま、思考の海を揺蕩い続けている。

 

 最高司祭アドミニストレータ……彼女の行動の数々を分析した結果、別の目的があるという結論に至っていたが、どうにもそれだけでは得心がいかなかった。

 

 彼女はあまりに現実世界の知識を知り過ぎている。《メイン・ビジュアライザー》のデータベースを参照したところで、ニホンなる現実世界の国の政治体制も、例に挙げられた二人の人物の名も、書かれていなかった。

 

 そうだからと言って、彼女が現実世界からダイブしている存在とも考えにくかった。ラースという真の神が行う《最終負荷実験》の妨害をする様な真似はしようと思わないだろうし、そもそも、フラクトライトの寿命もある。

 

 ……そうやって、考えれば考えるほど、アドミニストレータの全容が掴めなくなっていく。

 

 何か……何かが足りない。

 

 わしは何を忘れている……?

 

 そう思う度に、頭につんざくような痛みが走る。

 

 アドミニストレータによって、重要な記憶が消されてしまった影響か。

 

 しかし、これ以上何かを思い出せたことはない。自分で記憶を整理してしまった事が拍車を掛けている。

 

 どうしたものか、と進まない考察に頭を抱えていると、不意にシャーロットからの感覚共有が入った。

 

 カセドラルの廊下が映し出される。何階かは不明だが、見ると向かい側から、黒いスーツに白い手袋を身に着けた青年がやって来ていた。

 

『あ……キリト、元老長だよ』

『確かにな……でも、それがどうしたんだよ』

『うーん……元老長って、教会で最高司祭様の次に偉いんだよね。あんなに活発に動いてるのが、ちょっと気になって』

 

 元老長は、最高司祭の命令に基づき、様々な司令を整合騎士に与える仕事を担っている。その伝達の為だろう。

 

 三百年以上も最高司祭に仕えており、シンセサイズされていないことから最高司祭からの信頼も厚いと見える。

 

 相当な権限を持っているので、もし戦う時となれば苦戦を強いられる。

 

 剣を使わせれば近距離戦において互角、神聖術ならば勝ち目はあるが、彼は神聖術の詠唱を大幅に省略出来るので、神聖術の勝負となっても些か厄介となる。

 

 特に、彼の持つ《燎火の剣》という守護竜に選ばれた勇者のみが持ち得る《Class:48》の神器の、武装完全支配術がもたらす破壊力を利用した、攻撃完封技。

 

 これだけ揃っていれば、過去何度にも渡って、アドミニストレータの殺害を妨害されたのも納得がいくというものだが……

 

 その時、カーディナルは、自分の思考ロジックが、本来あるべきとは異なる、別のルートを通過していった様な違和感を覚えた。

 

 そして、自分が何を考えていたのかを思い出そうとして……

 

「────!?」

 

 頭に突き刺されるような激痛。記憶が揺さぶられて、思考さえまともに出来なくなると、感覚共有とも違う景色が脳裏に浮かんで、あらゆる情報が流れ込む。

 

 それはカーディナルの根幹を成すものであり、アドミニストレータが消し去る事が出来ずに、ブロック処理を施す他になかった、その記憶……彼女が苦悩し、懊悩し、煩悶した足跡だった。

 

『……私に──もう分から──何が──くて、──間違って──』

『……何を、今更』

 

 目と鼻の先には、悩ましげに眉を顰める元老長、クリスチャン。

 

 ここまで近付いた事があった事に驚きを感じながら、部分部分、思い出される記憶に耽る。

 

『クィネラの行っ──未来に──だとしても……あまり──酷ではな いか──やり方でなくて──到達す──不可能──』

 

『だがこの──犠牲者──クィネラ自身──実験──摩耗していく……ある──を作ろうとして──全て──貴族の少女と──あったという──』

 

 思い出される記憶は、半分も失われていて、その時自分が何を思っていたのか知る由もない。

 

 でも、何故か、カーディナルには漠然と解った。この記憶を見ている自分自身が、当時の、まだ影の人格であった頃の自分と同じだと言うことが、自然と感ぜられたのだ。

 

「……ふふ、まさか……こんな、事がな……」

 

 ポタ、ポタ。

 

 木目の机に、水滴が垂れていく。

 

 トクン、トクン。

 

 身体が火照って、心臓が強く脈打つ。

 

「わしに……わたしに……足りなかったもの……」

 

 ずっと、僅かばかりの自らの心に、大きく虚ろに空いていたもの。

 

 

 ──ようやく、見つけた。

 

 

「──本当に、呆れたものじゃ……サブプロセスとしての役目も果たせず、あまつさえ仇敵の忠臣にこんな感情を抱いているとは……」

 

 自嘲し、同時に失望した。記憶の断片から、自分でも、どうすることは出来ないと悟ったからだ。

 

 身体を椅子に凭れさせると、胸に去来した温かさをひしと抱きしめる。

 

「……人の温もりを味わったのも、あやつが最初になるのか」

 

 彼との記憶の断片を噛み締めるように、何度も瞼の裏にそれを浮かべては、ふふっと微笑を湛える。

 

 全てを思い出した訳では無いのだ。その時の己が何を思い、何を口にしたのかさえ判然としていない。

 

 だが、しかしこれだけは、カーディナルの中で明白だった。

 

 今も、二百年前も……変わらないものがあることが。

 

「落ちぶれた老賢者を舐めるでないぞ、クィネラ……老いて、(わるがしこ)くなったと書いて老獪じゃ。恋のコの字も分かっておらぬ小娘に負ける道理など無いわ!」

 

 ふん! と息巻いて、力強く席を立ち、どこかへふらりと消えた。アドミニストレータに対抗する、新たな策を講じる為に……

 

 しかし、ここにキリトが居たならば、彼はほぼ間違いなく、カーディナルの後ろ姿を見ながらこう思う。

 

 ──あの、そんな容姿でそれ言っても、説得力皆無じゃあ……

 

 はたと、そんな事を言うキリトの姿がカーディナルの脳裏に浮かんだ。どうやら、自分でも自覚はあったらしいが……

 

 真っ先に、キリトから指摘される様子が浮かんでしまったのが不幸となって、この日、キリトは無理矢理《クリーム二倍盛りショートケーキ》を作らされた。

 

 シェータにしばかれた後で疲労困憊。にも関わらず、木べらを回して生クリームを作る作業をする羽目になったという……

 

「う、うおぉ────!! なんでどいつもこいつも俺をパシリにするんだよぉ────!!」

「ちょっ、ちょっとキリト! 最高司祭様とカーディナル様をどいつもこいつも呼ばわりしたらお皿に変えられちゃうよ!」

 

 

 

 




おおまかな布陣は完成。
じれじれ主従、飲み仲間、最悪な恋敵、すれ違い兄妹、親友な母娘etc……

次はほんへの予定
でも、もう一つの作品のほうもあるし、次の更新は何時だろうなぁ(遠い目)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

転章Ⅰ&登場人物紹介

前半が本編。
後半は解説しきれなかった部分の補完のようなもの


 

 カリフォルニア州サンディエゴ。

 

 《グロージェン・ディフェンス・システムズ》の最高作戦責任者(CTO)であるガブリエル・ミラーは、自社のウォーター・クローゼット直ぐの廊下の壁に肩を預け、腹を抱えつつ自分の愚かさに自嘲した。

 

「ふ……抜かったか。作戦前だからと、舞い上がってしまったのが仇になってしまったな」

 

 独り言ちると、つい先月の事を脳裏に思い浮かべる。

 

 NSA──国家安全保障局のエージェントを名乗る二人の男は、突然この会社に訪れ、とある依頼を持ち込んできた。

 

 突然の来訪であったが、CTOのガブリエル自身が応対した。NSAは別段上客という訳でもなく、クライアントとしては初めてではあるが、たかだかいちPMC(民間軍事会社)とは格が違う相手という事を理解していたからだ。

 

 しかし、ガブリエルはその作戦の概要をエージェントより知らされ、思わず内心で溢れんばかりの歓喜を覚えた。

 

 日本が持つ《ソウル・トランスレーション・テクノロジー》という、魂を解析する技術の奪取。

 

 生涯、魂を求めてきたガブリエルには、まさに天啓──彼は特に信心深い訳では無いが──とも言えた。

 

 役員会議により依頼の受諾が決定されると、ガブリエルははやる気持ちを抑えながら静かに挙手し、《A.L.I.C.E.奪取作戦》の作戦責任者を名乗り出た────

 

 意識を目の前の現実に浮上させると、それも仕方ないかと、またも自嘲的な笑みを浮かべた。

 

 今日にもグアムに飛び、米軍基地の原子力潜水艦から、例のテクノロジーを扱った実験施設、《オーシャン・タートル》なるメガフロートに潜入する予定となっていたが、景気付けに食べた《キバオー・クラブケーキ》と名のついたクラブケーキに、何かが混じっていたらしい。「なんでや!」という謎の日本語を幻聴しながら倒れ、作戦前日にも関わらずガブリエルは入院、作戦は延期する運びとなってしまった。

 

 とんだ大馬鹿だな、と三度自嘲すると、自室のある廊下をスっと見据える。

 

 大いなる目的を前にすれば、こんな腹痛など全くの無問題。些事であった。故にガブリエルは、病院を抜け出し、作戦を開始するべく舞い戻ってきたのだ。

 

 もう一度、あの美しい光の雲を見る為に。

 

「…………君の魂は……きっと甘いだろう…………」

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 西暦2026年7月6日午後22時34分。

 

 オーシャン・タートルのメインコントロールルームには、菊岡、比嘉、その他幾人かのスタッフ以外に、キリトの安否を確認すべく乗り込んだ明日奈と、その手助けをした凛子の姿があった。

 

「あら、どうしたの、明日奈さん」

「あ……いえ。ただ、変な予感がして」

 

 思わず凛子が声を掛けると、明日奈はぼうっと見上げていた天井から目を落として、不安げな声音でそう言った。

 

 凛子自身も、昨夜に謎の気配を感じて通路を見回したばかりだった。それは恐らく、明日奈の予感とやらとは違う何かだと、確信めいたものを感じているが……それでも彼女の言葉を否定して、気の利いた言葉を掛けてやることは出来なかった。

 

「変な予感……ね……」

 

 

 ──オーシャン・タートル襲撃まで、残り13時間33分。

 

 


 

 登場人物

 

 

アドミニストレータ(アドミンもしくはクィネラ)

年齢:18歳で固定(363歳

シンボル:沈丁花(チンチョウゲ)

 我らが主人公。元は、某運命なソシャゲの主題歌が三曲歌えたりするほどサブカル好きな三十路の会社員だが、なぜか死んでクィネラに憑依転生してしまった。原作再現をしようとして限りなく空回りしている。

 

 自己犠牲の精神が強く、アドミンに転生してから本性が現れた。

 よく転生憑依ものにあるような死亡フラグ回避みたいな事は端から考えておらず、自分がキリトに殺されるのは予定調和だと諦めている。

 その上でストーリーのラスボスとして立ちはだかり、主人公に抗うことが今世での望みとなっている。

 

 原作アドミンの容姿より2〜3歳若い時に容姿を固定しており、気高く幻想的な雰囲気が和らぎ、かなり少女じみている。というより、永遠の18歳のまま三百年間過ごしているので、素の振る舞いからしても完璧に女の子にしか見えない。

 

 また前世から漠然と持っていた少女趣味も加速し、沈丁花*1という花をいたく気に入っては、自身のプロパティにその花の香りを組み込んだり、お菓子作りや料理作りに精を出している。

 

 最近、クリスチャンとの関係を揶揄されて、自分が既にメス堕ちしている事に気付いてしまった。日記には衝動で書いた何かを黒塗りで消した跡がチラホラと……

 

 つい虐めたくなるクールポンコツ女王様系美少女ラスボス。

 

クリスチャン・シンセシス・ゼロ cv:鈴村健一or櫻井孝宏。

年齢:18歳で固定(327歳)

シンボル:梔子(クチナシ)

 ウォールなマーケットのドンみたくホヒホヒうるさいチュデルキンに代わって選ばれた執事。大貴族の妾腹の子。望まれぬ子で、幼少を息苦しい環境で過ごしてきた。苗字のシンセシス・ゼロは飾り。

 

 ベルクーリを凌ぐ人界最強の剣士。SAOのソードスキルを自己流で身につけ、連続剣を得意とする。心意力はベルクーリ以上キリト、アドミン以下。

 

 外面はいかにもな執事として振舞っているが、内面は普通の青年。一度おじいさんだったので老成しており、物事を達観しているが、その長年の付き合いの中でアドミンの事を好きになってしまい、気取られぬように隠している。

 また少々Sっ気が強く、相手を弄ったり、時に意味深な助言をしたり、何かと引っ掻き回すことが好き。主に弄りがいがあるのはアリス。次点でキリト。たまにアドミンも弄り倒す。

 

 彼の母替わりだった世話係が丹念に育てていた梔子*2の花を好んでいる。彼の執務室には小さいながら梔子の鉢植えがあったり。

 

 腹違いの弟であるフェノメアとは、主に罪悪感とか、複雑な想いから意図的に関わらないようにしている。

 

 イチャイチャしてるのにヘタレて告白しないドS溺愛万能執事。

 

キリト・シンセシス・サーティスリー

年齢:20歳

シンボル:夜空の剣

 我らが原作主人公。整合騎士キリトになっちゃった人。

 

 初日から最高司祭怖ぇとか、カーディナルの話を聞いて警戒していたが、意外と抜けてたりクリスチャンのことを揶揄されて顔を真っ赤にするアドミンを見てすっかり当初のイメージは消えた。

 

 アドミンとは絶対に分かり合えると信じており、カーディナルとの話し合いを深めるべく、今日もケーキの試作に励んでいる……アスナどこ……?

 

 一生アドミンのせいで苦労する見習いパティシエ兼見習いパシリ兼見習い騎士系主人公。

 

ユージオ・シンセシス・サーティツー

年齢:20歳

シンボル:青薔薇

 我らがヒロイン。ずっと整合騎士ユージオな人。

 

 アドミンとキリトに振り回される不憫な子。最近、アドミンの優しい面を見て、もしかしたら、頼めばアリスを元に戻してくれるのではないかと思い始めた。

 

 ひそかにアドミンによって、女の子にしたら面白そうランキングのトップ5に入れられている。

 アドミン曰く、どう見たってメスみがつよいらしい。

 

 因みに青薔薇の花言葉は、『夢叶う』『神の祝福』『奇跡』『神秘的』など。

 

 整合騎士になってからも気苦労の多い誠実不憫系オスみつよつよ剣士。

 

アリス・シンセシス・サーティ

年齢:18歳で固定(20歳)

シンボル:金木犀*3

 整合騎士第三位の座をフェノメアから掻っ攫った人。手塩にかけられ過ぎて、アドミンを母親的な友人的な上司だと思ってる。が、正史と性格はそう大差ない。

 

 事あるごとに弄ってくる元老長を、ホヒホヒ言ってる方とは別の意味で嫌っていて、怒って大声を出したり、呆れたりして心労が多くなっている。

 

 色々な人に愛され過ぎな絶対服従系美少女騎士。

 

カーディナル

容姿:10歳で固定(193歳)

シンボル:蝋梅(ロウバイ)

 ラノベには欠かせないのじゃロリキャラ第一号。相変わらず打倒アドミニストレータを掲げ二百年以上も引きこもっていたが、最近はアドミンと接触し、自分に刻まれたアドミンの記憶は、アドミンの手で都合良く消され改竄された残骸なのではないかと気付き始めた。

 

 元となったフラクトライトがあのアドミンの為か、蝋梅*4という花の匂いを気に入って、匂いが漂うように自身のプロパティに書き込んでいたり、お菓子作りをしたりする。

 

 アドミンにはやたら人間じみた面があることを確信し、策を考えているようだが、その実態はアドミンを差し置いて、クリスチャンと抜け駆けできる方法が主。

 アドミンがあのザマなので、反比例的にかなり黒い性格になった。

 

 宿敵が想い人である人物に恋してしまった敗北者系のじゃロリ賢者。

 

フェノメア・シンセシス・スリー cv:竹達彩奈or大久保瑠美or堀江由衣。

年齢:20歳で固定

シンボル:宝石

 枢機卿という公理教会のNo.3で、あまりに高過ぎる権限レベルと禁忌目録違反故にシンセサイズされた騎士最強の術士。生成されたアバターは男なのに、フラクトライトは女性として成長してしまっている稀有な例。

 

 艶やかな黒髪を肩まで伸ばし、オニキスの様に輝く黒の双眸の、可愛さに全振りしたような愛らしさをした美少女にしか見えないが、男の子である。初見で性別を見破れたのはアドミンとクリスチャン、ベルクーリ、シェータの四人のみ。

 フード付きローブを身に着けているが、ヒラヒラしている上にスカートを穿いているのが見えるので、間違えられるのも仕方ない。

 

 朗らかな性格で、誰であろうと分け隔てなく話しかけたり、常に笑顔を絶やさない。本人も、出来る限りポジティブでいようと心掛けているが、その姿が無理をしているとしか見えず痛々しく、色々な人から心配されがちになっている。

 

 整合騎士にも関わらず、出自が出自なので剣も弓も槍も全く使えない。物理攻撃をするなら本で殴ることぐらいしか出来ないが、卓越した神聖術行使権限で、以下省略タイダルウェイブ的な攻撃を降り注がせるので必要ない。

 

 現在は、枢機卿、整合騎士、神聖術師の三足のわらじ。常に仕事に追われているブラックな日々を送る。

 寝食も忘れて仕事をしている結果、隠しステータスの健康値が下限近くまで落ち込み、よく廊下で立ちくらみを起こしていたり、突然ぶっ倒れるほどに病弱。

 

 クリスチャンにあからさまに避けられているのを、割と悲しいなぁとか思ってる。

 

 いつも笑顔を貼り付けた過労貧弱系ブラック男の娘マジシャン。

 

ベルクーリ・シンセシス・ワン

 我らが団長諏訪部さん。一時期アドミンがエミヤ化計画を考えていたが、断念されている。アドミンがポンコツだと気付いている一人。

 

 元老長クリスチャンとは腐れ縁で、たまに試合をしては訓練場をボッコボコにしている。

 

 またキリトやユージオ達のチーズケーキ作りにこっそり現れて、ちゃっかり試食してたり、かなりお茶目な性格。

 

 原作だと、物憂げで飽きっぽい気まぐれなお姫様とアドミニストレータを評しているが、こちらのアドミンに対しては、最高司祭という重責を背負わされてしまった女の子というふうに感じており、時折諦めた様な表情を浮かべるアドミンに心を痛めている。

 

 一緒にワインを飲んでくれる上司思いな信頼系イケおじ戦士。

 

ファナティオ・シンセシス・ツー

 副だんちょ。最凶人妻の一角。自分が女だと知っても分け隔てなく接してくれるフェノメアを友達だと思っている。が、フェノメアが公私混同しなくなった原因が彼女にあるくらい、規律や礼儀に厳しい。

 

 アドミンとは、機会があれば一緒にお菓子を作ったりして、クッキーが大量生産されてはカセドラルにばらまかれている。

 

 愛が深すぎるちゃらゆる人間成敗系女騎士。

 

イーディス・シンセシス・テン

 ソシャゲより襲来した、銀髪紅眼のみんなのおねーさん。たぶん整合騎士第五位くらい。いつもアリスにべったりしているので、エルドリエからは蛇蝎の如く嫌われているし、嫌ってる。チュデルキンではなくクリスチャンが元老長を務めるこの世界では、物凄く居心地がよさそう。

 

 非常に優れた勘を持ち、アドミンやフェノメアの外面と内面の不和に勘づいているが、アドミンだけはクリスチャンとのイチャイチャした暮らしぶりから確信が持てずにいる。

 

 最近、アリスがキリトやユージオと居る時間が多くなってきて、少し寂しい思いをしている。

 

 推ししか勝たんになった過去暗い系姉属性シスコン魔法剣士。

 

シェータ・シンセシス・トゥエルブ

 性癖:斬る を地で行く人。黒百合の剣を貰って、意味深発言を言われた時のミステリアスな雰囲気が印象的だったので、眠っていた間に随分変わったなぁ、とか呑気に思ってる。

 

 キリトとユージオの指導役を受け持っているが、予想以上にキリト達が成長するので、無音と言われる所以となった無口さガン無視で無理難題を押し付ける。

 

 リアル無双ゲーを繰り広げる天然系コンプレックス持ち剣士。

 

シャーロット

 実は人型に変身できる最強の蜘蛛。本来のIF世界線ではお茶会に参加してケーキの美味しさに魅了されるが、この世界ではその席をフェノメアに譲り渡しているので、褐色美女に変身する機会はあんまり無いと思われる。

 

 あまりのアドミンのポンコツぶりに、あれも演技のうちなのではと勘繰っていたり、最近様子のおかしいマスターに悩まされている。

 

 甘いもの大好きなアドバイザー系褐色美女蜘蛛。

 

ガブリエル・ミラー

 石田さんのせいでラスボスの風格が出てしまった狂人。この世界線では、サンディエゴの高級イタリアン・レストランの人気メニュー、《キバオー・クラブケーキ》を食べて食中毒になってしまう。しかし、体調不良を押し切って《オーシャン・タートル》に乗り込もうとしている。

 

 原作よりも一日作戦開始が遅れることによって、意図せずしてアドミンの計画を狂わせていくとは露知らずに……

 

 より一層怪しくなった狂人の中の狂人系イケボラスボス。

 

*1
四大香木が一つ。かなり遠くまで匂いが届くほど強い匂いを発する。花言葉は『栄光』『不滅』『勝利』『永遠』『不死』など。本編でさりげなく描写がある。

*2
四大香木が一つ。花言葉は『とても幸せです』『喜びを運ぶ』『洗練』『優雅』『純潔』『夢中』『胸に秘めた愛』など。

*3
四大香木が一つ。花言葉は『謙虚』『気高い人』『真実』『陶酔』『初恋』など

*4
四大香木が一つ。花言葉は『慈愛』『先導』『先見』『ゆかしさ』など。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

If We Could Come To Walk Hand In Hand
転生最高司祭ちゃんが行く原作再現 2


 

 人界暦381年4月10日

 

 今日は例の茶会があった。

 

 徹底的にアドミンムーブを続けていたが、その度に揚げ足を取ろうとするカーディナルにはムカついた。

 ほんと、お前も悪いんだからなクリスチャン!

 

 結局、話は毎週安息日の正午、《暁星の望楼》で集まり、キリト達が新しいケーキを持ってくる限りは続けるという事で決まった。

 

 多分、キリトよりも俺の方が遥かに豊富なレパートリーを揃えているが、そこをどう創意工夫していくのか、これから注視していきたいものである。

 

 あとクリスチャンや。日記書いてる最中に抱き着かないで?

 結構今困ってるよ? ねぇ伝わってる? ジンカイゴ、ワカリマセンって片言で言われてもわかってるからね? ほらここ見てよ。書いてあるでしょ?

 

P.S.

 最近クリスチャンが妙に甘えてくる。

 一応、俺はまだ男の心のつもりでいるのだが、一方で悪くないとも思って──(ここから先は黒塗りで滅茶苦茶に消されている)

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年4月15日

 

 丸四日寝てから起きた今日、久々に十階まで降りて気軽な飯でも頂こうと思ったら、キリトとユージオが厨房に入っていくのが見えた。

 

 気になって覗けば、キリト達はベイクドチーズケーキ作りに苦心しているようで、「ふりゅむぐうううううううん!」とか「ふぬうううん……」とか、意味の分からない雄叫びを上げるキリトを、ユージオが諌めていた。

 

 面白そうだったので俺が乱入すると、キリトとユージオが腰を抜かして、トレイに乗っていた焦げたチーズケーキをこっちに吹っ飛ばしてきた。

 心意の盾を使わなければ、危うく顔にベチャッとなっていた。お笑い番組じゃないんだぞ。

 

 ここですかさずアドミンムーブ。ムカついた風を装い、二人が苦労しているチーズケーキを、二人には不可能な別の形で作り上げてやった。

 その時の二人の顔ときたら、あれは傑作だったな……

 

 《ザ・シード》パッケージ規格の料理にベイクドチーズケーキは存在しているが、どうしてなのか冷やして作るレアチーズケーキは存在しないらしい。作れないと悟った時は、汚いな流石カヤバーン汚いと殺意を抱いたものだ。

 しかし、どこにも抜け道というものはあるもので、その《世界の理》を心意で捻じ曲げ、《インカーネイテッド・レアチーズケーキ》とも言うべきものを二人に振舞った。

 

 俺はベイクドよりもレア派なのだ。

 万歳、レアチーズケーキ万歳!

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年4月16日

 

 クリスチャンがキリト達に軽く指導をしてきたらしい。

 

 シェータから出された、鉄柱を両断しろという課題の達成は至難の業だ。あの鉄柱は練習用の鋼剣よりもかなり優先度が高いので、必然的に心意と己の技によって優先度に勝つ必要がある。

 

 因みに指導後、キリトがソードスキル、《ジェリッド・ブレード》で、剣を柱の半ばまで食い込ませていたという。少し教えただけでそれならば、直ぐにでも上位騎士になれそうなレベルということ。

 

 そろそろ頃合いになってくるだろうか。しかし道程はまだまだ遠い。

 

 

 

 

 

 

 ──全ては、俺の究極の目的のために。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 4月17日、安息日の正午。

 

 二度目の茶会が現在進行形で行われている。

 

 目の前のチーズケーキをフォークで綺麗に一片切り取り、口に運ぶと、濃厚なチーズでしっとりした味わいと、サクサクしたクラストが実によく合っている。

 

 訂正しよう。ベイクドもアリだ。

 

「……ふうん、お菓子の心得はあるのね。これなら、跳ね鹿亭でも出してもいいかも……」

 

 ポツリと呟いた言葉だったが、キリトとユージオにはバッチリ聞こえていたらしい。特に、キリトが突然バッと立ち上がって、驚いたような目を向けてくる。

 

 カーディナルやアリスも、キリトの突飛な行動に奇異の目線を向けた。

 

「あ、ああの……最高司祭、今なんて、仰いましたか……?」

 

 非常にテンパって、蚊の鳴くような声で尋ねてくる。

 

 ふっふっふ、そんなに気になるかいキリト君……いいだろう教えてやろうとも!

 

 ニヤリとしながら、言葉を改めて言う。

 

「ん〜? まあ悪くないし、跳ね鹿亭の新メニューとして出して良いかなぁ〜って思っただけよ」

「そ、それですよ! 跳ね鹿亭! どうして最高司祭様が、セントリアの店を?」

「だって、あの店は三百年と五十年前から私が監修してるもの」

「ま、マジか……」

 

 俺独自のレシピなので、原作とどれくらい差が出ているのかは分からないが、三百年も何代にも渡り作り続けられているだけあって、最近買ったパイの味は自分のものより洗練されていた。

 

 しかし、元は俺の開発したお菓子なので、元ネタは俺といって過言じゃないのである!

 

 キリトがあわあわそわそわと忙しなくする中、ユージオが小さく手を挙げて言った。

 

「あの、例えば、跳ね鹿亭で一番人気の蜂蜜パイは、最高司祭様御自ら作られた……という事でしょうか?」

「そ。元は私が作ったお菓子を、料理の得意な女の子に教えてあげただけ。そしたら、なんかお店になってたのよ」

「な、なるほど……」

 

 つまり、彼らは最高司祭が開発したお菓子を常日頃から、最高司祭作だとも知らずにバクバク食べていた訳だ。

 マジかとも言いたくなるだろう。

 

 すると、カーディナルが鼻眼鏡をかちゃりとした。

 

「ほう……二人の様子からして、貴様の作った蜂蜜パイはかなり美味のようじゃな。屈辱ではあるが、食べ物に罪はあるまい……帰りに寄ってみるとしよう」

「あら、狡いわね。人の開発したお菓子を、ただお金だけで買うなんて」

「なんじゃ、わしは対価を支払って正当な物品を受け取ろうとしているだけじゃ。文句はあるまい」

「あるわよ。あなたに売るパイなんて一欠片もありはしないわ」

「それを売る売らないは、販売する当人に委ねられておる。貴様に邪魔される謂れはないぞ、クィネラ」

「ふぅん。でも、あのお店を監修してるのはわ・た・し。少しの口利きなんて造作もないわ。目の前にいるようなちっこい眼鏡をかけたちっこい女の子には売るなってね?」

「おのれ、なんと非道な真似を……!」

 

 ふははは! ざまあみろ!

 

 

 

 

 ケーキを食べ終えて解散すると、何を話したっけなと先程の記憶を辿る。

 

 クリスチャンを傍に控えつつ行われた今日のお茶会の議題は、《東の大門》の今後についてだった。

 

 《最終負荷実験》の嚆矢(こうし)となるのは、人界と暗黒界を貫く渓谷を塞ぐ《東の大門》の崩壊。人界軍と暗黒界軍の凄絶な戦争が始まるのだ。

 

 これを防ぐため、俺は長年に渡り《東の大門》の修復を行ってきたが、それもそろそろ限界に近い。

 

 が、多少は先延ばしに出来るので、今日も大門を修復する事にした。

 

 その前に……

 

「あら、みんなお勤めご苦労様ね」

 

 カセドラルが聳え立つふもとの地面。四方を白の《不朽の壁》に囲まれ、カセドラルに住まう者しか中を拝むことができないその場所の西側。

 

 そこには、壁と同じ大理石で作られた、四角い施設がある。前面がスライド式のドアとなっていて、その様相は大型倉庫だ。

 まあ、将来的には自動車とか機竜も格納しておけるようにと設計したから、そうなるのも仕方ないが。

 

 という訳で、俺は飛竜厩舎に来ていた。

 

 十数人以上もいる厩務員達に騎士礼されながら進み、一番奥の厩舎に向かう。

 

 一番奥なので、そこにあるのは最も厳重に管理されている飛竜。

 最も厳重に管理されるとなれば、つまり最高司祭専用の飛竜となる。

 

 俺の《雪織》は、元老長専用──クリスチャンの《雪綜(ユキヘリ)》と共に、首を絡め合うようにして眠っている。

 

 眠っているといっても、二頭は完全に石となっている。凍結術式《ディープ・フリーズ》によるものだ。

 滅多に乗ることがなく、飛ばさないままでいさせると身体にも悪いので、こうして状態を凍結させて眠らせているのだ。

 

「システム・コール……ディソリューション・ディープ・フリーズ」

 

 雪織の体表に触れながら術式を唱えた瞬間、ピキピキッという音ともに石化が解けて、白銀の煌びやかな竜鱗が姿を現す。

 

 やがて全体まで石化が解ければ、夕闇色の瞳がパチリと開いた。

 

 絡めていた首を器用に離すと、未だ眠ったままの雪綜に頭をコツンと合わせてから、俺に頭を擦り付けてきた。

 

「……後で雪綜も起こしてあげるからね」

 

 雪織に体を預けながら顎をさすってやると、クルルッと喉を鳴らした。

 

 雪織と雪綜は(つがい)の飛竜。

 子供こそ居ないが、片方目覚めさせたままでは可哀想だ。

 

 それは《東の大門》の修復作業後にやるとして、今回雪織を目覚めさせたのには訳がある。

 

 いつもなら、飛行術式ですいーっと行けばいいが、カーディナルの手助けもあるので道連れを用意したのだ。

 

「ハイナグ〜、ミスカンってある〜?」

「はっ、ただいま持って参ります」

 

 厩務長のハイナグが、すぐさま持ってきた数個のミスカン──もとい夏みかんを皮ごと雪織に食べさせてやってから、鞍に跨る。

 

 進むように手綱で指示を出して、厩舎のスライド式ゲートが開かれる。力強く手綱を引っ張ると、それに応じてドスドスと歩み始め、加速して外に飛び立つ。

 

 世界最古の飛竜の一体なだけあり、体に吹き飛ばされそうなほどの風圧を食らいながら高度を上げていく。

 発着場に滑り込み急ブレーキを掛けると、眼下には思わず仰け反っているキリトと、腰を抜かして唖然とするユージオ、そして驚きの表情を浮かべるアリスの姿が。

 

「さ、最高司祭様……雪織を目覚めさせたのですか?」

「たまには、この子を飛ばしてあげたくてね」

 

 鞍から飛び降りると、雪織の顎を撫でながらさっき貰ったミスカンを一個ずつ全部食べさせてやる。

 

 そんじゃあ、行くとしますか。

 

「ユージオはアリスちゃんの後ろ、キリトは後ろに乗りなさい」

「……へぇ!?」

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

sideキリト

 

 

 整合騎士と言えば? 

 

 そう聞かれたら、大抵の人は真っ先に飛竜という言葉を挙げるだろう。

 

 飛竜は西帝国にしか生息しておらず、また整合騎士達以外駆る事を禁じられている。その上あの偉容を見せられれば、整合騎士=飛竜に乗ってるというイメージの等式が自然と生まれてくる。

 

 そして現在、俺は雪織という飛竜の手網を持っていた。

 

 どうしてこうなったと言いたくなるが、目の前にはキラキラした銀髪をはためかせる少女……最高司祭アドミニストレータが居るので、ここはグッと堪える。

 

 俺達の向かう《東の大門》は、セントリアから700キロル東にある。飛竜がかなり速く飛んでも七時間は掛かる距離にあるが、セントリアから一時間の所にあるシュンカ山にカーディナルが大門に繋がる転移門を設置したらしいので、そこへ向かっているのだとか。

 

 そしたら、突然のこれだ。最高司祭曰く、雪織は利口だから勝手に風を読んで飛んでくれるらしい。

 

 それ、俺に持たせる意味無いですよね……?

 

 愚痴りつつ、ふと隣を並走する雨縁(アマヨリ)に乗るユージオが目に入った。

 

 手綱は持っておらず、同乗するアリスと何か話している。会話の内容は、空を飛んでいるから全く聞こえないが、様子を見るに、アリスと距離を縮めようと頑張っているようだ。

 

 思い返してみれば、彼が傍付きのティーゼと打ち解けたのは、俺がロニエと打ち解けるよりも早かった気がするので、あれで案外女の子と接するのは不得手というわけではないのかとしれない。

 

 だが──。

 

 以前にも考えた事だが、騎士アリスと距離を縮めようというユージオの努力は、いつかまったくの無駄になってしまうかもしれないのだ。

 

「……シンセサイズか……」

 

 無意識のうちにその言葉が呟かれて、前席のアドミニストレータがぴくりと肩を動かして反応した。弁明のしようもなく、自分の失態に頭を抱えたくなっていると、振り向いて目を眇める最高司祭と目が合う。

 

「……ちびっ子が余計なことを言ったみたいね。たぶん、大まかには理解してるわよね」

「は、はい。記憶の欠片を抜き取り、記憶を封印して、《敬神モジュール》で公理教会と最高司祭への忠誠を強制する……って、教わりました」

「まあ合ってるわ。……それで、何が言いたいの? サーティスリー」

「……えっ……と……正直に言っても、お皿やニンジンに変えたりしませんか……?」

「しないわよ、たぶん」

「じゃ、じゃあ言いますけど……シンセサイズの是非はさておき、《整合騎士は神界から召喚された》っていう話はちょっと無理があると思うんですが」

 

 勇気を振り絞ってそう言うと、アドミニストレータは溜息を吐いて、同意とも取れるように肩を竦めた。

 

「ま、普通そうよね……でも、これには事情があるの。全ての騎士の記憶を調整してまでわざわざこんな事をする、大事な事情がね……」

 

 アドミニストレータは、こちらに一瞥もくれず、正面を向いたままそう話をした。

 

 ──騎士をシンセサイズする度に、その騎士と接触した騎士の記憶を書き換えてまで貫き通す理由か。

 

 それが、俺には妙に気になった。

 

「……それって、前言っていた《剣機兵計画》と何か関連が……?」

「全く無いわね。アレの制御の仕組みに関係しないわ。……あんな仕組みにはね」

「……なら率直に尋ねます。どういう理由で、やるんですか?」

 

 すると、ようやくアドミニストレータは肩越しにこちらに振り向いて、その顔を見せた。

 

 その視線に、何が込められているのか……冷淡という訳でも、慈愛という訳でもない、何か別の感情が渦巻いているようで。

 

 いや……見た事があった。脳裏にその光景がフラッシュバックして、瞼の裏に鮮烈に焼き付いた。それは全て、あの剣の世界でのこと。

 

 ──ソードアート・オンライン

 

 あの剣の世界で──アインクラッドの中で、俺は一体、何度あの目を見ただろう。

 

 始まりの街で、茅場晶彦にデスゲームを宣告された人々の目。親しい友達に裏切られたと思い、死ぬなら最後まで自分らしく在りたいと剣を取った少女の目。恐怖に打ち勝とうと敵に立ち向かい、そして俺が殺してしまったショートヘアの少女の目。自分がデリートされる事を承知で俺とアスナを助けた、愛する娘の目。

 

 諦念、絶望……いずれも、生きることを諦めて、自分の事なんてこれっぽっちも考えてはいない。生きる意味を無くしたのか、生き残れないと悟ったからか……どちらにしても、自分の命を気に掛けていなかったのだ。

 

 ……だから、どうして目の前の彼女がそんな目をするのか、尚更不思議で仕方なかった。飽くなき支配欲を持ち、それを満たす為にこの世界を手に入れようとしているというのに、どうしてなのかと。

 

「……それを貴方に話して、何か意味があるとでも?」

 

 気が付くと、彼女の顔は能面の如き無表情になっていて、返って来た言葉は明確な拒絶。目線は冷たくて、細められた瞼の奥から俺を突き刺してくる。

 

 それでも、グッと堪えてアドミニストレータに言い返す。

 

「何か有用な方法があるなら、共有すべきじゃないですか?」

「……ん〜、だってこれ、最終負荷実験用の計画じゃないもの。強いて言うなら……そうね。この世界で最も邪魔な存在を排除する為の計画よ」

「つ、つまり、カーディナルを倒す為のもの……ですか?」

「え? 違うけど」

 

 呆気なく、しかも何を馬鹿な事を、みたいな怪訝な視線を向けられた。思わず鞍の上でズッコケそうになりながら、考えてみる。

 

 アドミニストレータの言う事が本当であれば、現時点でアドミニストレータはカーディナルをそこまで敵対視していない、と捉えられる。これはとても喜ばしい事実だが、じゃあ逆に、アドミニストレータが恐れているものは何か。

 

 現実世界……ラースの研究員達。確かに恐れるべき相手だが、こちらからはどうする事も出来ないので、まず真っ先に除外できる。

 

 人界人……禁忌目録がある以上、反乱は起きるはずが無いのでこれも除外。

 

 暗黒界……は言うまでもない。その為の計画を、茶会を通して練っているのだから。

 

 じゃあ何だと思考に耽っていれば、アドミニストレータは俺の様子を見て、何がおかしいのかクスクスと笑った。

 

「因みに計画を主導させる騎士はキリトの予定だから、精々頑張る事ね」

「…………え、えぇ!? 無理ですよ、そんなの!」

 

 数瞬硬直して、手をバタバタ、首をブンブン振って断るが、対するアドミニストレータは意地悪な笑みを浮かべてクスクスと笑っていた。

 

「……それじゃ、少し眠るから。シュンカ山に着いたら起こして」

 

 ひとしきり笑い終えたアドミニストレータは、前を向いて鞍の背もたれに寄りかかった。

 

 ──あの、俺、その山がどんな形をしているのか知らないんですが。

 

 と言おうと思ったが、彼女が眠る意味を思い出して、俺は開き掛けた口を噤んだ。代わりに手綱を握る手を少し緩め、雪織に行き先を委ねた。

 

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年4月17日

 

 今日はやることなすこと多くて大変だった。

 

 お茶会にてカーディナルと《東の大門》対策について議論したが、やはりと言うべきかあちらもこちらも、同じ結論に至った。

 

 ──何をしようと、あと半年で大門は崩壊する。

 

 これは如何な神聖術を使えど、無理だと判断した。

 

 そもそも大門周辺はダークテリトリーと近いので神聖力が少なく、新たにカセドラルの大理石みたいな最高優先度かつ自動修復機能を有した物を設置しても、神聖力が無いから自動修復機能は意味を持たず、すぐに壊される。

 

 尤も、俺にとってはそれが一番望ましい事だ。

 

 キリトは戦争を止める為に戦っているようだが、俺は違う。

 

 俺がかねてより考えてきた真の目的────それが絡んでくる。

 

 

 

 

 で、あのさ。

 

 クリスチャンや。その真の目的をメモっておこうと思ったのに、君が居たら書けないから。覗かないで?

 

 毎回毎回、日記というより筆談になってきてるからさ?

 

 まあ、そっちがその気なら、こっちにも用意がある。

 

 

 The true purpose which I have prepared previously is that I’m executed as a archenemy by “Kirito” as a black swordsman.

 

 

 なんかいざ書き起こしてみれば、熊みたいな名前の地獄の王子のセリフにしか見えない。このプ◯さん──PoHさんめ。

 

 とまあ、そういう訳なので、アンダーワールド大戦は、何としてでも、絶対に引き起こす。是非もないね!

 

 閑話休題。

 今、このカセドラルには暗黒騎士のリピア、ベルクーリにも劣らないイケおじ将軍、《十侯》シャスターの恋人が来ている。

 

 大門の修復作業後に、飛竜に乗って大門近くまでやって来たのだ。

 理由は、シャスターの命でベルクーリに会いに来たのだとか。

 

 追っ手から逃げていた最中でもあったらしく、空腹だった彼女の飛竜に水と食糧を与えて、キリトの提案でひとまずカセドラルに連れて行く事にしたが、その時にはもう夕方を通り越して、ルナリアが東帝国の空に浮かんでいた。

 

 なので、リピアの話とやらはまた明日にでも聞いておいて、今日は寝ることにする。

 

 明日は、色々忙しくなりそうだなぁ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

sideリピア

 

 

 キリトやユージオと別れたリピアは、与えられたカセドラルの一室に入って、騎士の鎧と剣を脱ぐと、ベッドにだらりと倒れ込んだ。

 

 シャスターより、命令を受け取ったリピアは、一刻も早くカセドラルに向かわなければならなかった。その理由は簡単で、リピアに下ったであろう命令を予想していた者達……暗黒術士ギルドの存在が居たからだ。

 

 彼女らが放ったミニオン三体が、澪懸に乗ったリピアに襲いかかり、どうにか逃げおおせながら《東の大門》を目指した。

 

 しかし、その頃には澪懸も疲弊しており、あわやと思った所で、閃光がミニオン達を貫いて、倒し尽くした。

 

 見れば、《東の大門》の上に、二体の飛龍と、それに乗る銀髪銀瞳の若い少女、そして黄金の騎士の少女がおり……思わず銀髪の少女を二度見した。

 

 ──あれは、ベクタ様か!?

 

 リピアの脳裏に過ぎったのは、五年前まで通っていた《神立オブシディア帝国学院》にある、『飢えし民にパンを恵む女神』という題名の色硝子の絵だった。

 

 そもそも、闇神ベクタは二人いるというのが現在の暗黒界での通説であり、片方は悪逆非道な皇帝、そしてもう一人は、民に知恵と力を与える女神とされている。

 

 中でも文献での記述や姿絵などで風貌が遺されているのは、女神ベクタのみ。

 その姿は総じて淡く紫が混じった銀髪銀瞳で、17か18ほどの少女として語られている。

 

「……公理教会の最高司祭が、女神ベクタ様」

 

 その等式は、今もリピアの中で強固にこびり付いて離れない。

 そうであるなら、かの《鉄血の時代》に降臨しなかったのも当然であるし、薄氷のような関係にある現在の《十侯会議》による統治を見過ごすのも当然だろう。わざわざ敵に塩を送る様な真似はしても意味が無い。

 

「愛想を尽かされたか……」

 

 ベクタ──もといアドミニストレータは、《闇の五族》にも対等に知恵を与えたが、その五族が持つ生来の欲求……人界人を殺したいという闘争心が強く、やがてその余波が暗黒界人にも回ってきた。それが《鉄血の時代》の端緒となっている。

 

 なぜなら、少なからず暗黒界には肌の白い暗黒界人も居る為である。

 

 かつて、アドミニストレータが暗黒界の学校建設にあたってやって来させた教育用の人材なのだが、暗黒界では人界人と暗黒界人との混血が進み、現在では白い肌の暗黒界人として馴染んでいる。しかし、五族は白肌の暗黒界人を人界人と勘違いして襲うケースが多々あったのだ。今では教育も行き届いているが、未だ闇の五族と白肌の暗黒界人達の諍いは多い。

 

 それに比べて人界は、諍いも起こらず五族の様な者達も存在しない。

 暗黒界に愛想を尽かし人界に移るのもまた当然かと、溜息を吐いた。

 

 だが、何にせよ今回の和睦はどうにか成功させなくてはならない……最高司祭の事は考えている場合ではないのだ、と自分を叱咤する。

 

『可能であろうとなかろうと、成さねばならぬのだ、何としても』

 

 シャスターは半年前、リピアにそう語っていた。

 

 人界と暗黒界を隔つ大門が崩れ落ちようとする今、人界との全面戦争が起これば、また《鉄血の時代》に逆戻りどころか、それよりも凄惨だろう。整合騎士相手に、自軍がどれだけ持つかどうか……

 

 いや、そんな最悪の結末を愛する閣下に見させる訳には行くまいと、リピアは両手を強く握り、決意を新たに床に就いた。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年4月18日

 

 ベルクーリをまたも強制帰還させて呼び戻した。

 

 理由は言うまでもなく茶会だ。ファナティオでも良かったけど、あっちは暗黒界人絶対殺すウーマンなので、代わりに話の分かるベルクーリを連れて行ったのだ。

 

 ベルクーリをお供にしながら、十階の大食堂へ訪れ、ケーキを運ぼうとするキリトとユージオも一緒に転移術で九十五階に飛ばしてから始まった茶会は、それはもう錚々たる面子だった。

 

 ──最高司祭 アドミニストレータ

 ──元老長 クリスチャン

 ──賢者 カーディナル

 ──使い魔 シャーロット

 ──整合騎士長 ベルクーリ・シンセシス・ワン

 ──枢機卿 整合騎士第四位 フェノメア・シンセシス・スリー

 ──整合騎士第三位 アリス・シンセシス・サーティ

 ──整合騎士第五位 イーディス・シンセシス・テン

 ──整合騎士第八位 シェータ・シンセシス・トゥエルブ

 

 ついでにキリトとユージオだが、今回はケーキ係なので頭数には含めない。

 

 この豪華公理教会重鎮セットに、さしものリピアも泰然にとは……と思ったが、冷や汗を流しながらも堂々たる歩みで席に着いていた。

 全員帯剣させずに修道服姿だが、面子が面子。その中であの態度は素直に賞賛されるべきだろう。

 

 そんな不幸中の幸いか、イーディスがリピアと剣を交わした顔見知りだったようで、どうにか緊張は解して、茶会は始まった。

 

 毎回、ケーキは話し合いがひと段落してから食べるので、今回も例に漏れず俺が開始の言葉を掛けると、リピアが自らの飛竜、《澪懸(ミオカケ)》を世話してくれた事への感謝を述べた後、ここに来た要件を話した。

 

 それは……《暗黒界》側からの、《人界》への和睦交渉だった。

 

 勿論、和睦であるから、戦争をやめてこれから仲良くしようという事だが、その《暗黒界》側に少々問題があった。

 

 と言うのも、和睦の申し入れを行ったのは、暗黒界の《十侯》の内、たった二人しか連名していないのだ。

 

 この事を、フェノメアが真っ先に追及した。普段からは考えられない程真面目な表情で、それでは和睦の交渉にならないとキッパリと斬り捨てた。

 

 普段ふざけてそうな人物が途端にああなると、すげーかっけぇーってなるよね。

 

 交渉は不可能だと言うフェノメアをベルクーリが諌めつつ、他の十侯はどうにかならないのかと訊ねると、リピア曰く、可能性があるのは、《拳闘士ギルド》の第10代チャンピオン、イスカーンなら、或いは話は分かるらしいとのこと。

 

 それ以外……特に《オーク族》と《暗黒術士ギルド》は以ての外で、絶対に和睦は認めようとしないらしい。まあ、最初は人族絶対殺すマンのリルピリンと、あのDIL(ディー・アイ・エル)さんだしね。

 

 では、何故そんな状況で和睦を申し入れたのか……(あるじ)、シャスター曰く、『大門の崩壊で、間違いなく暗黒界の機運が高まる。その前に、最低でも《諸侯》を四人斬らねば和平は成らん。その為に、整合騎士殿の助力を乞いたい』と。

 

 まあ、ここから会議はますますもって大論争。慎重なフェノメアに、更にクリスチャンが加勢。シャスターの案にほうほうと納得するベルクーリやイーディス、「なりません小父様! それにイーディス殿も!」と制するアリス。それを傍観する俺、カーディナル、シャーロット、シェータ……

 

 その時、どうにかしなさいよと隣のカーディナルに目線で訴えかけたが、ふるふると首を振られた。

 

 ってか、四割が黙り込む会議ってのも酷い話だ。全く、俺が昔居た会社の定例会議みたいだな……いや、どこの会社もそんな感じか。

 

 流石に長引き過ぎなので、心意で全員の口をムギュっと封じると、ケーキにありつくべくキリトに目配せして、二倍盛りショートケーキとチーズケーキを頂いた。

 今日もご馳走様でした。

 

 やはり相変わらずのケーキの出来に、全員が舌鼓をうった。特に今回初参加のイーディスとリピアはこの甘味の素晴らしさに興奮気味だった。リピアちゃん意外と乙女チックな所あるんだね……

 

 だが気になったのは、ダークテリトリーにも似たようなお菓子があるとか何とか。

 

 書いていて思い出したが、そう言えば昔あっちでショートケーキを振舞った覚えが……いや、あれが伝わっていたら凄いもんだ。

 

 長くなったのでここで切ろう。明日も忙しくなりそうだが、容量には気をつけないとな……

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年4月19日

 

 キリトが今朝突然伺いを立ててきて、向こう側の世界について、重要な話があると言われてしまった。

 

 百階に招いて話を聞くと、リアルワールドからダイブしてきてる人間ということをカミングアウトとしてくれたので、一度バトってシステム・コンソールを貸してあげた。

 どうしてキリトと戦ったのかと言えば、向こうから仕掛けてきたので仕方ない。俺は心意でちょっと足をかけただけ。つまり不可抗力だ。俺は悪くない。

 

 これにより、人工フラクトライトを巡って菊岡さんとキリトの大論争が勃発したり、アスナと画面を通して再会が叶ったようだ。

 いやー、寝てる振りしてちょっと盗み聞きするぐらい良いよね? キリアスもっと流行れ。

 

 しかし、時間も時間なので、明日アスナとコンタクトを取って、アンダーワールドで実際に会うとか。クリスチャンがよろしいのですかと聞いてきたが、それくらいどうってことは無い。

 

 さてと、明日はすぐにアスナを招いた後のことを考えよう……

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年4月20日

 

 はい。結果から言うとアスナは来なかった。

 

 理由は簡単で、オーシャン・タートルが襲撃されたからである。

 

 ……いや、やっぱりおかしいんだよな。Ifによれば、ガブリエルは腹を壊して作戦を延期したはず。それで一年以上も猶予が出来たから、キリトは整合騎士として覚醒する流れなのに……

 

 取り敢えず、起こったことは仕方ない。菊岡さんが危険を承知でFLA倍率を5000倍にしてくれたので、幸い、キリトはまだ無事だ。

 ただ問題は、いつオーシャン・タートルの電源が切られるかだ。キリトが突然倒れて貰っては困る。

 

 となれば、計画を変更せざるを得ない。前倒しにして、無理矢理その状況を作り出さなくては。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年4月21日

 

 ユージオから、キリトに何をしたんですかと問い詰められたので、何事かと思って話を聞いてみれば、キリトが凄い暗そうな感じで、いつもの元気はすっかり無くなってしまっていたらしい。遠隔監視術式で確認すれば、何もかも絶望しきっていたようにベッドの上で膝を抱え、塞ぎ込んでいて、見るに堪えなかった。

 

 シェータもこの豹変ぶりを変に思って、指導を中断し休ませたとか。

 

 アスナの件とかで事情を知る俺がキリトの部屋に押し入って、色々言ったので、キリトならすぐに立ち直ってくれる筈だと信じたい。立ち直らなかったら、アリスでも呼ぶか。

 

 因みに、その時にキリトに膝枕してやった事をクリスチャンに言ったら、物凄く複雑な目線でジトっと睨まれた。仕方ないから膝枕してやったが、個人的にはされる方が好み──

 

 

 

 

 まだ、メス堕ちはしてないから!

 

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年5月4日

 

 脳みそ弄って記憶の整理をしていたら、いつの間にか5月を迎えていた。

 

 そんなに長い間起きてた気はしなかったんだけどなぁ。

 

 ともあれ、午後の訓練を見てみると、キリトは元気に鉄柱を……切った。

 ユージオとハイタッチしてる姿も見えた。

 シェータがうんうんと頷いていた。

 

 クリスチャンによれば、昨日からこんな調子らしい。

 

 ユージオも目覚ましい成長を遂げていて、キリトとの模擬戦で一本取ったとか。

 

 もうこいつら、上位整合騎士にしても良いんじゃない?

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年5月23日

 

 今日はキリトを百階に呼んだ。

 

 襲撃によって、いつSTLにサージが起こるか分からない。その前にキリトに計画を実行してもらわなくてはならなかった。

 

 計画の概要(大嘘)を話すと、キリトは訝しそうな顔をしつつも、了承してくれた。まあほぼ嘘だからね!

 

 計画実行は明日だ。キリト、ユージオ、アリス以外の在駐整合騎士を大規模な遠征に向かわせたので、邪魔する者は誰もいない。

 

 ああ、いや、まだ一人いるのを忘れていた。

 

 

P.S.

 今日は久し振りにクリスチャンの腕の中で眠ろう。

 

 今まで、心は男のままとか、あーだこーだ理由付けをしていたが、認めよう。俺はホモだと キリッ

 

 いや自分で何書いてんだこれ。キリッじゃねぇよ。馬鹿か私は。

 

 まあ、ようするに。

 

 クリスチャンを、一人の男として好いていると。

 

 あかん、これ、どんどん文字が震えてきた。

 いつの間にか一人称まで変わってるし。メス堕ちってこんな感覚なの? 好き好きパワー全開なの? こちとら恋のコの字の欠片も無いラスボス、アドミンちゃんだよ? 支配欲の化身が恋する乙女になるんだよ? いいの?

 

 

 もうやめよう! 今日の日記終わり!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年5月24日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ごめん、クリスチャン。

 

 

 

 騙すような真似をしてごめん。

 

 

 

 でも、これが、私が死ぬのには最善だから。

 

 

 

 お前には、死んで欲しくなかった。死ぬ所なんて見たくない。

 

 

 

 そんな私のわがままを許してくれ。

 

 

 

 だから、わがままに付き合ってくれたアリスやキリトを、どうか恨まないでやってほしい。

 

 

 

 今まで、私に仕えてくれてありがとう。

 

 

 

 それと、ずっとずっと、貴方のことが好きでした。

 

 

 

 元気で居て下さい。

 

 

 

 さようなら。

 

 

 

 Sincerely

 Quinella Centria

 

 

 

 

 

 

 ・

 

 ・

 

 ・

 

 ・

 

 ・

 

 ・

 

 ・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こちらこそ、

 

 

 お慕いしております、クィネラ様。

 

 

 貴方様に仕えられて、俺は幸せです。

 

 

 貴方様を、俺は一生放しません。

 

 

 そちらで会った時は、覚悟しておいて下さい。

 

 

 

 クィネラ様の忠実なる執事より

 

 




次々回、アドミニストレータ死す!()


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

裏話 アドミン&キリト

 

 それは、リピアちゃんとの会議を終えた明くる日の夕方。

 

 牛乳入りコヒル茶をズズっと啜り、一息ついてから、目の前で呑気にソファーに座るキリトをじろりと睨めつける。

 

 ここはカセドラル百階。元老院を通らない裏道ルートを通ってもらって、キリトをこの階へ招いたのだ。

 その理由は、自分についての大事な話があるから、どこかで話したいとキリトから持ち掛けられた為。

 

 本来のアドミンなら、「サーティスリー、お前の事情なんて知った事じゃないのよ」とか一蹴しそうなものだが、せっかくこう言っているし、無下にするのも示しがつかない。

 

「あ、あの、コヒル茶って一つ貰えませんか?」

 

 大事な話とやらを一通り話し終えたキリトが、なぜか満を持してそう言った。

 さっきからコヒル茶にちょくちょく目線がいっていたが、そんなに飲みたかったのか。

 

「……お前、似たようなことをあのちびっ子に言ってない?」

「うぐっ……」

 

 呻き声を上げるのも当然。キリトはさりげなくカーディナルからコーンスープを貰っていたりする。

 

 食い意地を張ってる事で定評あるのが、このキリトという人間なのだ。

 アスナにクリームを分けたり、アリスに饅頭を分けたり、どこに行ってもそのスタンスは変わっていない。

 

 仕方なしに軽く右指を振ると、テーブルの上にコヒル茶と角砂糖、牛乳のセットを出現させた。心意技術の応用だ。

 

 角砂糖二つ、牛乳を少し入れてグビりと飲む様子を意味もなく観察して、ずっと見られてか気まずそうにしているキリトに、わざとらしく要件を尋ねる。

 

「……で、なんだっけ? お前が向こう側、リアルワールドからやって来た埼玉県川越市在住の高校二年生、桐々谷和人くんってのは分かったけど。それがどうしたっていうの?」

「……あの、俺、リアルワールドから来た、としか言ってませんが」

 

 さりげなく個人情報を握っている事を示唆すると、驚き半分怪訝さ半分みたいな、明らかにおかしいと疑う表情を浮かべている。

 そりゃそうだろう。こちら側のフラクトライト如きが、まさかダイブしてきた人間の情報を知っているとは思わないもんね。

 

「そこは、あの緑ブタだかなんだかの……ラースの人間の管理体制が杜撰だったってことね。私にかかればちょちょいのちょいよ」

 

 菊岡さぁ────ん!! という責め立てるようなキリトの心の声が聞こえてきそうだが、俺の身上の説明も面倒なので、ラースに責任転嫁しておく事にした。

 

「さて、お前には他に目的があるんでしょう? なぁんにも役に立たない個人情報とは言え盗み見ちゃったし、お詫びに今だけ、私の知ってることなら何でも答えてあげるけど」

「……な、何でもですか?」

 

 キリトが、ゴクリと唾を飲むところが見えた。

 

 そう、何でもだ。このアンダーワールドの事なら、ほぼ大抵の事は知っている。

 

 彼には知りたいことが山ほどあるだろう。例えば……

 

「……ええ、私のスリーサイズでも、リセリスちゃんのスリーサイズでも、アリスちゃんのスリーサイズでもいいわよ」

「い、いやちょっと最高司祭様!? 何言ってるんですか!」

「え〜? 知りたくないの? 学生なら気になるものでしょ」

「それは偏見ですって!」

 

 キリトが毅然と言い切った。顔全面にNO!!という文字を貼り付けている。

 

 じゃあ、逆にアスナのスリーサイズなら知りたがるかな……? と冗談っぽく思いながら、キリトを見やる。

 

 どうやら、質問を考えているらしく、顎に手を当てて俯きがちになっている。

 

 やがてパッと頭を上げると、キリトは思い切って俺に言った。

 

「ええと、それなら、リアルワールドと接続する神器……《システムコンソール》ってどこにありますか」

「──ここ」

 

 おもむろに自分のすぐ隣の地面を指さす。

 

「ここよ、ここ」

 

 えっ? ととぼけた表情を浮かべるキリトの前で、さっき指さした地面を踵でコツンと叩いて、心意を流し込む。

 すると、地面から生えるようにスィーっと円柱がせり上がってきた。

 

 その上にある、ノーパソの形をした板。ピコンと画面が点灯して、仮想キーボードが表示される。QWER……と続くアルファベットの文字列は、何度見ても懐かしい。

 

 キリトが勢いよく立ち上がって、パソコンの画面をまじまじと見ている。

 

 待ち焦がれた現実との連絡手段。

 三年間追い求め続けたものが目の前にある。

 

 そんな様な心持ちがキリトの中で渦巻いているだろう。

 

 ゆらゆら、一歩ずつコンソールへ近付いていく。

 

 目の前に辿り着いて、恐る恐るキーボードに手を掛ける。

 

 

 

 …………そうは問屋が卸さないんだよなぁ。

 

「うおわぁっ!?」

 

 たちまち炸裂した俺の心意が、キリトの脚を背後から払った。

 

 大きく後ろに転倒、何が起こったのか分からず、情けない格好で伸びている。

 

 しかし、負けじとキリトが立ち上がり、もう一度キーボードに手を掛ける。

 

「ぐ、ぐおおおおっ!! ──えっ、まっ!?」

 

 心意の腕がキリトの腕を押さえて、キーボードに触れるのを阻止。そのまま上に持ち上げて、勢いよく後ろに投げる。

 

 キリトがハンドスプリングをするような見事な身のこなしで地面に着地。

 

 いや、ね? キリト君、俺に言う事の一つくらいあると思うんですけど……

 

 ジト目でテレパシーを送ったものの、キリト君は目もくれず好戦的な笑みを浮かべている。

 あかん、これ伝わってねえ!

 

 今度は走りながら向かってくるのを、指鉄砲で狙いを定めて、一発の弾丸を発射した。

 

 心意の弾丸。そこら辺の銃と同じくらいの速さはあるかもしれないそれが、キリトに音も光もなく迫る。

 

 傍から見れば単に指鉄砲を撃った風にしか見えないが、キリトは察したのだろう。その場から飛び退くと、その真後ろの壁に直径二メル程の大穴が、喧しい音を立てる共に空いた。

 百層なだけあり、一気に空気が流れて髪が棚引く。

 

 キリトはギギッ、と油の切れたロボットの様に背後をチラリと見た。再度こっちに振り向き、恐怖の色に染まった顔で、「殺す気かよ!?」と訴えている。

 でも俺は知らん顔。

 

 ほれほれ、俺はまだ心意の弾丸を構えてるぞ〜?

 

 ニヤニヤして、指鉄砲の形をした腕を手首からプラプラさせれば、屈んでいたキリトがスタートダッシュを決めた。

 

「これくらい、GGOで慣れたっての!」

 

 カセドラルの円形の部屋を活用して、グルグルと回りながらこちらにやって来る。円を描くことで、狙いを定めにくくする腹積もりのようだ。

 

 となれば、撃つ度二メルの穴が空いては堪ったものではない。カセドラルの壁には膨大な天命値と自動修復機能があるが、それも神聖力が尽きてしまえばおしまいだ。

 代わりに、五センほどしか穴が空かない威力だが、両手を使って数打ちゃ当たる戦法でジリジリと追い詰めていく。

 

 キリトは俺の撃つ弾丸の弾道が分かっているようで、バキッ、パリンと、壁やガラスばかりに当たって穴が空いていく。

 

「あら、さっきまでの威勢はどうしたの? うろちょろ逃げ回っても、コンソールには辿り着けないわよ?」

 

 指をくいくいと、あからさまな挑発をしてみる。

 

 すると、キリトは立ち止まり、

 

「じゃあ最高司祭様、コイツ、使ってもいいですか」

 

 腰に提げられた《黒いヤツ》もとい、《夜空の剣》を二回叩いて、そう言ってきた。

 

 ……マジか。

 

 というのが俺の率直な感想だ。

 

 『ソードアート・オンライン』という小説の一読者として、その作品の主人公であるキリトは何があろうと手の届かない存在にある。

 

 こうやってこの世界で、『ソードアート・オンライン』の登場人物と関わってきた訳だが、主人公と、それも剣で対峙するという事がどれだけの意味を持つのか。

 

 それを今、実感している。

 

 俺はラスボスで、相手は主人公。

 倒す主人公と、倒される大敵。

 

 この対立こそ、俺が生きてきた理由。俺がクィネラとして、また、アドミニストレータとしてここまで生きる活力を与えてくれたのだ。

 

「いいわ、貴方の土俵で戦ってあげる」

 

 別アドレスに格納されていた武器、《シルヴァリー・エタニティ》を心意で引っ張り出して、独特の、肩の高さに剣を平行に持ち上げるという構えを取った。

 刀身が深紅に染まり、身体がシステムのアシストを受けて独りでに動き始める。

 

 キリトが愛用したソードスキルの一つ……《ヴォーパル・ストライク》。

 

 一撃が重く、かつ片手直剣にあるまじきリーチの長さを誇るこの技は、重要な場面でこそ使われてきた。

 元老長チュデルキン、アドミニストレータへのトドメに使われたのが有名だろうか……一巻でも使われていた様な気がするが、そこまで記憶は無かった。

 

 しかし少なくとも、この技がキリトの代名詞の一つであり、特別な存在であることは間違いない。

 

 同様に、キリトもヴォーパル・ストライクの構えを取りつつ、駆けてくる。

 

「はぁぁぁ!」

「おぉぉぉ!」

 

 お互いの気合いが迸ると、引き絞った剣を極限まで引き伸ばし、剣の切っ先と切っ先とが衝突した。

 

 直後、聞いたこともない様な轟音を響かせて強く弾き飛ばされた。

 

 ──これが、キリトの剣の重み。

 

 実の伴わない心意しか使えない俺なんか、比較にならないかぁ──

 

 ……とまあ、実力が拮抗する戦いでは、こうやって弾かれる事が往々にしてある。

 クリスチャンと戦う時は剣がぶつかり合わないように戦わないと、スキルコネクトで強引にソニック・リープなりバーチカルなり使ってくるが……どう出る。

 

 俺は体勢を勢いに逆らうように無茶して踏みとどまると、そのフォームから少し腰を屈めて前のめりになった。

 

 初期モーションが検知されると、青白い光が刀身に灯り、システムのアシストが地を蹴ろうとする動作に入る前に、脚に力を入れる。

 

 キリトもそれを予感したのか、剣を肩の上に乗せるような構え──《ソニック・リープ》で飛び込んで来た。

 

 先程の焼き直しかのように再度剣がぶつかり合い、そのまま拮抗する。

 

「……細剣突進技、《シューティングスター》」

「──んなっ!?」

 

 ソードスキルの名前を出したからか、驚きでキリトの剣力が弱まった隙に、おれは俺は再度剣にライトエフェクトを纏わせ、軽く跳躍しながらズガガッという三連の突き、そして屈みつつ左右へ往復して斬り払う。

 技が分かったのか、驚きつつも辛うじて防いだキリトに、更に追い討ちをかける斜め上への斬り上げ、更に強烈な上段への二連突きが襲う。

 

 しかし、ここでも剣で受け切ったキリトは、思い切り吹き飛ばされ、壁に激突してしまった。

 

「細剣八連撃技、《スター・スプラッシュ》」

 

 天命は300くらい削れてしまったか。キリトは地面に落ち、血の混じった咳をしている。

 

 ……流石に、これ以上はやめようか。

 

 主人公と戦えるからって昂っていたが、今じゃない。ましてや、俺への好感度がマイナスに吹っ切れてない状態なんて以ての外だ。

 やり合うなら、もっと他のタイミングがいい。

 

 キリトに駆け寄りながら片手に五個の光素を無詠唱で生み出し、治癒すると、苦しげな様子から一転して、不敵な笑みを浮かべていた。

 

「そんな秘奥義を使うなんて……流石、最高司祭様ですね」

「当たり前よ。最高司祭が人界最強でなくてどうするのよ」

 

 倒れたままのキリトに手を差し出すと、キリトはギョッとして、おずおずと手を掴んで立ち上がる。

 普通は差し伸べたりしないけど、まあ、今回くらいは特別ってことで。

 

 軽く服をパラパラとはたいたキリトは次に、直ってから俺に向き、改めて相対した。

 そして続く言葉だろうは、俺にも想像がついた。

 

「で、最高司祭様! あのコンソール、使わせて下さいませんか!」

「いいわよ」

「で、ですよね、いやー、差し出がましい発言をしてすいま──え?」

 

 俺が即答したら、申し訳なさげにすごすごと退出していこうとしたキリトが硬直した。ズビシッと、僅かにも動かない。

 あ、目が左斜め下に向いた。どうやら聞き間違いなのか考えているらしい。

 

「だから、別にいいわよ。そろそろ、あっちと交信取りたかったもの」

 

 念を押して言うと、キリトの顔が見るからに歓喜に溢れた。

 

 ちゃんと、人の物を使う時は断りを入れてほしいものだ。勝手に使われたら、そりゃあ全力で抵抗するよ。

 まあ、それラースの物じゃんと突っ込まれたらそれまでだけどね!

 

「本当ですか!?」

「ええ。ちょっと待ってなさい」

 

 コンソールの台座にやって来ると、デベロッパーズオプションに《external observer call》と検索を掛ける。

 出てきた項目をタップすれば、【この操作を実行すると、フラクトライト加速倍率が1.0倍で固定されます。よろしいですか?】の文字列が表示される。

 

 まあ、考えるまでもなく【accept】を押すと、体全体に妙な感覚が襲ってきた。

 その感覚というのがくせ者で、思考が一瞬フリーズして、時間などが急激に遅くなり、世界が一瞬色褪せて見える様な……多分、そんな感じだ。数回やっても、これにはまだ慣れない。

 

 キリトも分かったようで、突然ピンッと背筋を伸ばしてキョロキョロと辺りを見回す。

 

「今のは……?」

「FLAの倍率が等倍に戻る歳に発生する世界の揺り戻し……みたいなものかしら。1000倍まで加速してたから、今のは結構強い方ね」

「そ、そうですか……って、1000倍!?」

 

 今の所、全く上下してくれない棒……名前なんだっけ、何ちゃらアナライザとか聞いた事あったが……まあいいか。

 あちらと通信が繋がっている筈なのに、音声の量と高さを表すそのアナライザ棒はピクリとも動かない。

 

「ちょっと、聞こえてるの? 居るんでしょ〜? 返事しなさいよ」

 

 大声で叫んでみる。すると、ピクリと棒が跳ね上がった。

 どうやら人はいるらしい。さあ、鬼が出るか蛇が出るか……

 

『……んあ? ……こんな時間に通信ってなんスか…………って、えええっ!? 内部から通信!? 09……セントリアの人界中央コンソールってことは……アンタが公理教会のトップってことッスか……?』

「そうよ。私は公理教会最高司祭、アドミニストレータ。そっちはラースの技術者よね?」

 

 っしゃキター。

 

 流石にキリトがやって来てるから無いとは思ったけど、ここでもし871さんが出てきたら速攻で通信を切っていた自信がある。

 

 応じたのは、比嘉タケル。IQが140だか160くらいはあったような気がする、世で言う天才の一人だったかな……最近記憶が曖昧で、前世の家族の名前も数秒しないと思い出せなくなっているくらいなので、キャラクターの設定らへんは特に不安だが、あの茅場さんの所属していた重村ラボ出身だったのは覚えている。

 

『そうッスけど……あ、菊さん、菊さん! 起きて下さいよ! アンダーワールド内部から通信してきた人物がいるッスよ!』

『……んん? どうしたんだい、比嘉くん……まだ僕は眠いんだよ……』

『寝ぼけてる場合じゃ無いですって! ついに接触者が現れたんですよ!』

『……なにっ!? それを早く伝えてくれないと!』

『さっきから言ってたじゃないッスか!』

 

 やいのやいの大騒ぎしている向こう側だが、後ろのキリトの目は据わっていた。

 あれだ。ガチギレモードだ。俺には分かる。

 

「……先、要件済ませちゃえば?」

「……えっと、結構長くなりそうなんですが」

「いいのよ。あっちと連絡がつくか、確認したかっただけだもの」

 

 コンソールの前から退くと、キリトはコンソールの台座に両手を突き、頭を俯けにした。

 

「……菊岡さん、俺の声が聞こえるか」

『そ、その声……まさか、桐ヶ谷君かい!? ど、どうやってコンソールまで辿り着いたんだ……いや、そもそも何故記憶が……?』

「それは、話すと長くなる。それより、俺はあんたに話さなくちゃならない事が山程あるんだ」

『……分かった。聞こうじゃないか』

 

 それから、長い、結論の出ない討論が始まった。

 

 キリトは、人工フラクトライトの存在から、完全にAIの有り様が変わったと言い、まずは全フラクトライトを保全するように、そして人間と全く同じ魂をした人工フラクトライト達にも、基本的人権はあってしかるべきと主張した。

 

 対し菊岡は、人工フラクトライトは仮初の命しか持たず、人間と同等の思考能力を持とうと、肉体的な身体のある現実の人々の命よりもずっと優先順位が低く、これが兵器に搭載出来れば貴重な自衛隊員の命を失わずに済むという。そして、プロジェクトアリシゼーションの概要を説明した。

 

 これが揉めた。非常に揉めた。声を荒らげるキリトと、分かってないと呆れる菊岡という構造が、そこにはあった。

 

 答えの出ない論争を繰り広げている二人に、延々と待たされるのも何だか癪になってきたので、俺はコンソールのスクリーンの上に器用に肘を突いて、指を交差させた。

 

「……ねぇ、その話し合い、私も人工フラクトライト代表として出ても構わないわよね? そうでしょ、キリト?」

「……って、言ってる人が一人居るんですけど」

 

 困った笑みを浮かべたキリトが再度画面に目を落とすと、数秒の沈黙の後、反応が帰ってきた。

 

『……君は?』

「公理教会最高司祭、アドミニストレータ。貴方達の実験が遅れている、その最たる理由を作った……って言えば、分かるんじゃない?」

『……なるほど。貴女がキリト君をここまで手引きした、という訳だね?』

「そうね。どんな面白い見世物が始まるかと思えば、ず〜っとお互い口論ばっかで、もう聞き飽きたのよ」

 

 そう軽い口調で言うと、向こうでスッと息を飲む音が聞こえた。

 

『見世物、か……これは、貴女にとっても重要な話し合いじゃないかい?』

「ふぅん……ここからじゃ何も出来ない私に、そんな事言うのね。それとも何? ここで滑稽に、私達は貴方達の従順な犬なので、どうにかして下さいって、三回まわって吠えればいいの?」

『……つまり、何が言いたい?』

 

 はー……セフ◯ロス声は耳に響くなぁ。

 

 って、いけないいけない、アドミンムーブなのを忘れるところだった。

 

 気を取り直して、俺は上から目線の不遜な態度で言ってやった。

 

「まだ分からないの? 仮想の身体でも、貴方達に惨めに這いつくばって、魂の存続を乞う奴隷になるなんて、私はごめんよ……ってこと」

『でも、貴女は私達のボタン操作一つで簡単に消える存在だ』

「あら、創造神を気取るだけはあるわね。なんて身勝手で、なんて我儘。じゃ、言うけど、貴方達は神が本当に現れたら、生かして下さい、ご飯を食べさせて下さいってヘコヘコするの?」

『……意味の無い仮定だな。神なんて、創作された神話にしか出てこないさ』

「それを私に言うなんて、つくづく傲慢よね。それに貴方達も創られた(書かれた)存在のくせに」

 

 いや、本当に皮肉だ……この世界が創作であると知っている人間が、ここに居るんだから。

 

 アンダーワールドの神がラースなら、リアルワールドの神は、我らが《ソードアート・オンライン》の作者、川原礫先生だ。

 なんなら、アンダーワールドの神も川原先生と言える。

 

 彼が全ての人物の生死と行く末を握っている。まあ、一度書かれた物語を修正することは出来ないから、俺が介入しちゃって色々崩れてる訳だけど。

 

 こうやって考えてくると、俺の前世の世界さえ上位存在を疑ってしまう……大丈夫だよね? マト◯ックスみたいに仮想世界で生かされて、機械の発電源として利用されてたら悲し過ぎる。

 

 それにこの世界だって、誰かから観察されていてもおかしくない。

 おい、そこのお前! If世界のアドミンに転生させるとか頭のおかしい二次創作を作った作者め! なんて事してくれるんだ!

 

 …………伝わる訳ないよな。虚しい。

 

『……どういう意味だ?』

「……今のは聞かなかった事にしといて。ともかく、貴方達も上位存在が出てきたからといって、彼らにおもねる様な真似をするなんて、私には到底考えられないわね。だって、実験のために世界を作って、思い通りにいかないからリセットしてやり直し、って考えるような人達なんでしょう?」

『…………』

 

 まぁ、少なくとも川原先生は登場人物をポンポン退場させるような人じゃないから大丈夫だろう。

 Web版の頃、ユージオの死亡という展開についてかなり考え込んだらしいし。

 

 もっとも、If世界かつ俺が介入しているという点は考慮してないが。

 

「貴方も、自分のフラクトライトをコピーされたライトキューブになって生きてみれば、その気持ちが分かるんじゃない?」

『……そうなるのは、出来れば勘弁願いたいところだが、確かに貴女の言い分は否定できない。神の存在を認めている訳ではないけど、一つの可能性としてはね』

 

 曖昧だなぁ。

 まあ、自分の信念をそう簡単に曲げられるはずも無いのは承知しているつもりだ。

 

『……だからと言って、僕達にはそんな想像もつかない未来を見ている余裕は無いんだ。今ここにある現実と、それに付随する未来の可能性だけを見て、その最善を尽くす。謝って済むような事じゃないのは分かっているが……済まない』

 

 えー、ひっどーい。……正論だけどさ。

 

「まあ、今はそれでいいわ。ただ、一つ言うけど……あんまり、ウチのアリスちゃんを甘く見ない方がいいわよ?」

『っ!?』

 

 息が詰まった音がした。

 まあ、確実に自分たちが狙っているものがバレたと知ったからだな。

 

 さて、言いたい事も言い終わったし、キリトの方を見遣る。

 

「……で、どうするの?」

「……俺は、このまま菊岡さんと話を続けます。それが、きっと最善の筈です」

「……そう。じゃ、私は寝るわ。何かあったら、そこのクリスチャンに言えば対処してくれるから」

「はい! ありがとうございます、最高司祭様」

 

 ゆったりと歩いて天蓋の中に入り、目を閉じた。

 

 

 

 ……はぁ〜。

 

 

 

 

 

 

 

 ……どうやったら、キリトに殺して貰えるんだろ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

sideキリト

 

 

 暫く、俺は菊岡さんと話をしていた。

 

 この世界で俺が現実世界の記憶を有している事はイレギュラーな状態で、本来なら記憶を制限されたままダイブさせていた筈だということだったり、六本木での三日間のダイブで、俺は十年間もルーリッドの村で過ごしていたこと。そしてその少年キリトの行動に感化されたアリスという少女が禁忌目録を犯し、ラースが回収する前に公理教会にフラクトライトを弄られてしまったことなどを……途中、気を利かせた元老長が椅子を用意してくれて、それに腰をかけながら。

 

 一通り話し終えると、さしたる疑問もなくなったが、代わりにどっとした疲労が襲ってくる。元老長が淹れてくれたであろう、妙に美味いコヒル茶を飲み干してから、ちょっとした思い付きを口に出してみる。

 

「……これってビデオ通話的なのは出来るのか?」

『ああ。等倍なら可能だとも。……っと、それなら、彼女達を呼んでこなくちゃね。中西一尉、起こしてきて貰えるかい?』

『ええ、すぐに』

 

 その言葉を聞いて、ぞわりと背中に何かが走った。

 

「彼女達……?」

『菊さん、内部カメラと接続出来たッスよ』

『お、気が利くね。よし、これでいける……』

 

 カチッとボタンが押されると、スクリーンのSound only表示が変わって、眼鏡をかけた浴衣姿の胡散臭い男性……菊岡誠二郎の顔が映し出された。その隣の隅に、僅かに比嘉さんの姿も見える。

 

『ほう、ちゃんと見えるね……しかし、二年も経つと、女顔なキリト君もなかなか大人っぽいじゃないか』

 

 女顔、と言われてちょっとイラッとした。

 昔からのコンプレックスに言及されるのはなぁ……GGOの時はそれで助かったが。

 

「……これ、どういうシステムなんだ?」

『単純だよ。現代でも、データ上で本人の顔から未来や過去の自分の顔を予測するシミュレーションのソフトウェアなんて幾らでもあるだろう?』

「な、なるほどな……」

『ただ、精度は段違いだけどね。こっちで二十歳になれば、ほぼ間違いなくその顔になるよ』

「へ、へぇ〜……」

 

 他愛もない話を繰り広げていると、菊岡さんが後ろに振り向いた。例の彼女達とやらかもしれない。

 

『じゃあ、僕は少し席を外すから、後は好きに喋ってほしい』

『あ、ボクもお暇させてもらうッスね〜』

 

 二人がモニターの前から去って、数秒。

 

 目の前に、ふわりと栗色の髪が舞って……

 

『キリトくん……キリトくんなの……?』

 

 (はしばみ)色の瞳を揺らし、今にも泣きそうな顔をした、懐かしくて、狂おしいほど愛しい人。

 

 あれは────。

 

「……ぁ、アスナ……なのか……?」

『うん、うん……っ!! そうだよ、キリトくん!』

 

 目の前の存在を認知した時、形容し難い激しい感情の濁流が自分をすっかり飲み干して、目頭が熱くなる。

 

「アスナ……アスナぁ……!!」

 

 堪え切れず、名前を叫んだ。

 

 その肌を直接感じることは出来なくて、その声に電子的なノイズが僅かに混じっていたとしても……

 

 アスナが、そこに居た。

 

 もう三年も会っていない、恋人の姿を見た。

 

 何時とはなしに目尻から溢れ出た熱い雫がひたひたとキーボードに打ち付けられて、せっかく明日奈を映していた視界が滲んで見えなくなる。

 

「……ごめん……涙で全然見えない……!」

『私も……見えないよ、キリトくん……!』

 

 何だかそれがおかしくて、変な笑いが飛び出た。明日奈もつられてか、その嗚咽の節々に笑いの勢いが混ざっている。

 

 でも、何よりその時間が愛おしくて、拭ってはすぐに霞んでしまうその姿を、じっと目に焼きつける。

 

 何せ、三年も会えていなかったのだ。アインクラッドで過ごした日々より、ずっと長く会えなかった。

 

 アスナの事を思い出さない日は無かった……と言えば嘘になるが、枕を濡らしたのは一度や二度では済まない。

 

 それが今、画面越しとは言え、目の前にいるという感動は、俺の涙腺を直に刺激して、一瞬にして溢れかえらせていた。

 

 

 

「……会えて、嬉しいよ、アスナ……!」

 

 

 

 数分後、感極まった俺達が落ち着きを取り戻し、まともに話せるようになってから、俺はアスナから、とある意外な人物を紹介された。

 

「なっ……神代博士!?」

『久し振りね、桐ヶ谷くん。そっちでは元気かしら?』

 

 メディキュボイドの設計を作った、神代凛子博士がそこに居た。

 

 アスナ曰く、このラース本社──《オーシャン・タートル》なるメガフロートへアスナを手引きしてくれたのは彼女だったらしい。菊岡さんが彼女達と言っていた訳は、この事のようだ。

 

 それから、諸々の事情を説明され、納得したところで一つ息をついて、元老長が用意してくれたコヒル茶をグビっと飲み干した。

 

「……つまり、この世界で生活することで、フラクトライトが活性化して、壊死してしまった脳のニューロンネットワークが再生する……って事でいいんですか?」

『菊岡さんはそう言ってたわ。私も正直、少し疑ってたけれど……こうしてキリトくんに会えてるから、大丈夫だと思う』

「ま、まあ、あの人は良くも悪くも、自分の信念は曲げそうに無いしなあ……」

 

 先程まで熱い議論を交わしていたからか、胡散臭いイメージしかなかった彼の人となりの大部分が分かってきた。

 

『そう言えば、連れて行かれたアリスって子とは会ってるの? キリトくんが居るのも教会なんでしょ?』

「もう、結構な回数顔は合わせてますよ。ザ・女騎士って感じの、堅い人だけど、年頃の女の子っぽい所はある……っていう人ですね」

 

 ケーキを食べてる時はまさにそれだなぁ、とポツリと漏らして、今度は俺がこの世界でどんな風に過ごしてきたかを語り始める。

 

「……この教会に入るには、人界で一番の剣士になる必要があったんですけど、その大会に、この世界で一番最初に会ったアンダーワールドの住人で、俺の親友で弟子のユージオと一緒に引き分けて優勝したんです────」

 

 滔々と語る俺を、アスナや神代博士は嫌な顔一つせず、相槌を打ちながら聞いてくれる。それについ便乗してしまい、我を忘れて話し……実に三十分以上にも渡る壮大なストーリーを、遂に全部語ってしまった。

 

 それを聞き終わると、アスナが感慨深そうにしていた。

 

『……ユージオくんかぁ。キリトくんがそんなに言うから、一度会ってみたくなっちゃった』

「それじゃあ、アスナもSTLでダイブすればいいだろ? ……あ、いや、冗談だけどさ」

 

 アスナの言葉に、俺に恋人が居るって知ったら、ユージオはどんな顔するだろうか。

 

 そう考えたが、すぐに頭から振り払った。

 

 流石に、あのマシンにアスナを乗せたくはない。

 

 原理も聞いているし、不確定要素が無いのは先の研究者達によって実証済みだ。

 

 ……それでも、これ以上アスナを巻き込んでしまうのは気が引けてしまう。そう思っての、冗談という言葉だったが。

 

『それ、いいわね!』

「……えぇっ!?」

 

 まさかの賛成に、しまったと後悔しつつ、俺はかぶりを振ってそれを止めようと試みる。

 

「わ、わざわざアスナを巻き込むのは……」

『あら、それくらい良いんじゃない? こんな画面を介してじゃ、再会も少し冷たいでしょ?』

「こ、神代博士まで……で、でもですね」

『それとも、この世界で何かやましい事でもあったの?』

「な、無いですよそんなの!」

『じゃあ良いじゃない。桐ヶ谷くんだって、明日奈さんに直接会える方が、脳の再生が早くなるかも』

「……そ、そっすかね……」

 

 割と流され始める自分を認識しつつも、博士の不思議な甘言が巧みに丸め込んでくる。

 

 しかし、実際問題として、会うにしてもどうしたものかと思う。

 

 カセドラルに部外者は入れられないし、俺はここから出られない。どこからのアプローチで対面が叶うのか……

 

 うーむと考え始めた俺を見て、神代博士とアスナが苦笑する。

 

「そもそも、STLは使わせて貰える……のか?」

『そこに関しちゃ、問題ないッスよ』

 

 会話を聞いていたのか、比嘉さんが俺の問いに割り込んできた。

 

『稼働中のSTLは、桐ヶ谷くんが使用しているアッパーの4号機の他にも5号機と、ロウワーの2号機、3号機がオーシャン・タートルに。後は、六本木の分室の方に試作1号機と最新型の6号機が設置されてるッスね』

「計6台も……そんなに必要なんですか?」

『う〜ん、最低でも4台あれば十分って認識ッスけど、多いに越したことは無いッスからねぇ。そもそも、STLの開発もまだ途上段階なもんで、これからも増えて、第13号機! とかも有り得るんス』

「へ、へぇ〜」

『なので、明日奈さんが桐ヶ谷くんと会いたければ、ハイレベルアカウントでダイブも可能ッスよ。どうするんスか?』

 

 比嘉さんが問いを投げかけると、明日奈は「う〜ん」と渋い表情になった。

 

「もう深夜だし、安岐さんを起こすと迷惑ね。……ええと、明日でもいいですか?」

『オーケーッス。アンダーワールドがいま19時47分で、こっちが2時11分。時差は6時間と23分ッスね。時間の同期は後でやっておくッスから、桐ヶ谷は連絡が可能な時点で呼出を頼むッス』

「分かりました。ありがとうございます、比嘉さん」

『構わないッスよ。こちとら、ほぼ強制的に実験に協力させてる身なんスから。何か不備があるなら、何時でも連絡を下さいッス』

 

 そう言って、比嘉さんはカメラの外へ出ていった。時折欠伸らしきものをしていたのを見るに、さすがに床に就きたいのだろう。

 

 外に行った比嘉さんから目を外し、正面のアスナに目を合わせる。

 

「……また、明日会おうな。おやすみ」

『うん。おやすみ、キリトくん』

 

 笑顔で挨拶を返されて、少し心臓が跳ね上がった。相変わらず、アスナの事となると途端に現金になってしまう。

 

「神代博士も、おやすみなさい。今度は、そっちで会いましょう」

『ええ。是非そうして頂戴ね。じゃあ、おやすみなさい』

 

 神代博士が微笑みつつキーボードを操作し、プツリとモニターから映像が途絶えて、音が聞こえなくなる。そして、《Disconnection》の文字が表示された。

 

「……っつあー……」

 

 座って凝っていた身体を解しながら立ち上がる。それを見ていたクリスチャンが、綺麗な所作でティーポットを片付け、椅子をフィンガースナップの音と共に消し去った。

 

「お疲れ様でした。話の限りでは、明日もご利用になるそうですね?」

「そ、そうなるかな……」

「私の方からクィネラ様に諮っておきましょう。では、お出口までご案内します」

 

 その後、帰り道まで見送られて、九十五階の螺旋階段で別れると、自室に戻った。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

「…………リト……キリトってば」

「……んん……?」

 

 微かに開いた目に日光が入ってきて、意識が覚醒していく。

 

 目をぱちぱちとさせて起き上がると、既に修道服に着替えたユージオの姿があった。

 

「ふぁぁ……おはよう、ユージオくん」

「おはよう。あと少しで八時になっちゃうから、早く支度してくれよ?」

「うげっ、完全に爆睡してたな……」

 

 昨日は少し浮かれすぎていたのか、ケーキの試作中、ユージオにも「なんか悪だくみでも思いついたのかい?」なんて呆れ顔で指摘されるくらいだった。なので爆睡するのは仕方ないと言ってもいいと、心の中で弁解しておくと、いそいそと身支度を済ませる。

 

 十階の《大食堂》まで降りて、飯にありついてから、トンボ帰りするように階段を駆け上がり、やがて五十一階、《第一修練場》まで登って、シェータ師範に出迎えられた。

 

「……素振り、1000回」

「「は、はい!」」

 

 無表情でクールなイメージだが、意外と骨のある指導をさせてくる。刃のある鋼剣を振り、模擬戦で叩きのめされ、最後に鉄柱を斬る訓練をして、午前は一旦終わりとなる。

 

 ここで昼休憩に入るが、俺は昼飯を食べる前に、シェータ師範の下へ行き、遠慮がちに話し掛ける。

 

「ええと、師範、午後の修練をお休みしてもいいですか?」

「……? 駄目」

「あーその……最高司祭様に呼ばれていて」

「……なら仕方ない」

 

 最高司祭という言葉を出すだけでこの変わり身の早さなのだから、彼女の権威が如何程かが分かるというものだ。

 

 この後の事を考えると、昼休憩の飯さえ惜しくなりそうになったが……流石にお腹が空いたので、いつもの倍以上のスピードで飯を腹に入れ、早足で階段を登り、エレベーターを使い、また階段を登り……

 

 やっとの事で到着した百階で、アドミニストレータがコンソールを弄っている後ろ姿が見えた。

 

「そろそろ来ると思ったわ」

 

 何かを打ち込み終わったアドミニストレータが、神妙な顔付きでこちらに振り返った。

 

「すぐこっちにいらっしゃい」

「は、はい」

 

 どことなく険しげな表情と声音をしたアドミニストレータの方まで走ると、既にスクリーンに《Sound only》の文字が映っていた。しかし、何やら騒がしい。

 

『奴らめ、潜水艇を使って乗り込んできたのか』

『そうみたいッス。こっちには戦力という戦力は無いッスから、ここまで来るのも時間の問題かと……』

『そうなると、このメインコンとロウワーは棄てるしかないな……』

 

 戦力……? 潜水艇で乗り込んできた……?

 

 最悪な想像が頭を過ぎる。もし、何者かがSTLのテクノロジー、又は《A.L.I.C.E》の奪取の為に襲撃を仕掛けてきたとすればという、有り得なくない状況。

 

 必然的に、俺やアスナ、神代博士、そしてこのアンダーワールドの住民が一挙に危機にさらされているということ。

 

『それに、隔壁のロックにも時間が掛かります。取り敢えず、FLAは上げないと……ああっ!? 通信、来てるッスよ!』

『確かにそんな時間だった……! キリト君、居るかい!?』

 

 慌ただしい喧騒をバックに、菊岡さんの焦燥した声が大きく響いた。

 

「も、勿論……それより、そっちで何が起きてるんだ?」

『詳しい事はまだ分からない。でも言えるのは、このオーシャン・タートルに武装した部隊が乗り込んできている事だ。恐らくは、アメリカの差し金か……僕達の研究を奪いに来たんだろう』

「アスナと博士は大丈夫なのか!?」

『今、アッパーシャフトに避難させている。耐圧隔壁で閉じてしまえば、暫くの間は安全だろう』

 

 そう菊岡さんは言っているが、その安全もいつまで続くか分かったものでは無い。

 

「自衛隊の援軍はないのか!?」

『真っ先に、護衛艦の『ながと』に連絡したとも。だが、どうやら横須賀からは現状の距離を保って待機と上層部の命令が出ていて、恐らくは半日か、一日か……それくらいは動く事はないだろうね』

 

 援軍は期待出来ない。

 

 そう言外に言われ、重々しい空気が立ち込める中、ふと、棒グラフが上下に動く。

 

『……僕はこれから、FLAを五千倍に引き上げる』

『なっ……正気ッスか!? それは《魂の寿命》を考慮した許容ラインを遥かに越えている!』

 

 《魂の寿命》は、およそ百五十年。人間が生きられる年齢から考えても過剰なマージンのあるそれだが、STLで加速すればあっという間に無くなってしまうと言っていた。

 

 でも、いくらFLAを加速したところで、それは何の解決にもならない。

 

『数十分なら魂寿命には問題ないはずだ! いいかい、キリト君。君は何もしなくていい。後は我々に任せて、治療に専念してくれ! それじゃあ────』

 

 ブツッという耳障りなノイズと共に一方的に通信が切られてしまい、そこには虚しく《Disconnection》の文字が映し出されていた。

 

 それを、ただ呆然と立ち尽くしながら見つめる。

 

 これまで、俺は少なからず、目の前で何かがあれば何かしら動くという、ちょっとしたヒーロー気取りな行動ばかりして、色々な事態を乗り切ってきたのだ。

 

「……何もしなくていい、ねぇ」

 

 アドミニストレータがぽつりと独り言ちた言葉に、またも胸が強く締め付けられていた。

 

 目の前にあって目の前にない、しかも俺の力なんて到底及ぶべくもない純粋な暴力。

 

 解っている。たとえリアルワールドに居たとしても、俺には何も出来ない。俺を(キリト)たらしめているのは、システムが与える仮初の力なのだから。

 

 現実の俺は、軍人から見れば単なる庇護対象……一人のゲーマーな学生に過ぎない。

 

 それは解っている。解っているのに……

 

「ま、いいわ。あの子が来れないのなら何も出来ないわね。キリトも帰っていいわよ」

 

 そう無情に突き返す彼女の目には、どこか憐れみを含んでいたような気がして……

 

 逃げ出すようにして百階を降り、自室に戻った。アスナと会う為に午後を休みにしたが、襲撃で有耶無耶になってしまったので、当然今も訓練を続けているユージオはここにはいない。

 

 ベッドに倒れ込み、横になって蹲れば、暗闇が包み込んだ。

 

 ……俺は。

 

 ……俺は、無力だ。

 

 どうすることも出来ない悔しさ、虚しさが支配する。

 

 

 ──おいおい、何を今更言っているんだ?

 

 

 顔を上げれば、暗闇の中で《黒の剣士》が、俺を嘲笑っていた。

 

 

 ──OS(オーディナル・スケール)事件の時だって無茶ばかりで、SAOの記憶が無くなっていくアスナに何かしてやれたか? ジョニー・ブラックに麻酔を打ち込まれなければ、こうして方々(ほうぼう)に迷惑を掛ける事も無かったよな?

 

 

 頭の片隅に追いやっていた記憶が蘇る。口が何かを言おうとして、しかし何も言えずに、わなわなと言葉を探して震えていた。

 

 

 ──《黒の剣士》でも《キリト》でもない、生身の体のお前(桐々谷和人)なんて、誰も必要としてないんだよ。

 

 

 皮肉げな口調で告げられたその言葉は、自信を失った俺の心を凍てつかせるには、十分過ぎる程だった……

 

 

 

(つづく)

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

裏話2 アドミン&キリト

キリトくんが別世界の電波を受信するお話……?


 

「……そんな調子で訓練に来られても、困る。だから、キリトは今日休んで」

 

 それが翌日、訓練を始めたばかりの俺に、師範からかけられた言葉だった。

 

 思えば、今朝だって半ば強制的にユージオに連れ出されたのだ。

 

「……キリト、本当にどうしたんだい? おとといまではあんなに元気だったのに」

「……大した事じゃ無いさ。でも、ごめんな」

 

 剣を置き、踵を返して歩き始めた。後ろで俺を呼ぶ声が聞こえる。

 

 もう、俺は……

 

 

 

 

 気が付いた時には、ベッドの上でまた蹲っていた。

 

 俺が、あまりにも弱かったから。

 

 そうだ、俺はいつまでも弱いまま……

 

 でなければ、彼らは死ななかったはずだ。

 

 いち早く、ボスの持っていた武器が野太刀であると気付いていれば、ディアベルが死ぬ事は無かった。

 

 俺が注意を怠らなければ、《月夜の黒猫団》のメンバー達は……サチがトラップに巻きこまれることは無かった。

 

 いや……そもそも俺は、始まりの街でクラインを見捨てた。れっきとしたビギナーだったのに、俺は彼と残る選択を選ばず、ベータテストで得た知識で、一人、一層の最前線を駆け抜けた。

 

 少なくとも、アスナの友達のベータテスター、ミトは、ゲームをクリアするためにアスナにSAOが何たるかを叩き込ませ、先導してくれたという。

 

 俺には、それが出来なかった……

 

 現実世界の俺どころか、仮想世界の俺でさえ、こんなにも弱く、惨めな存在だ。

 

 そんな俺に、この恵まれた世界で生きる価値は、果たしてあるのだろうか……?

 

 

 

 

 もう、何も考えたくなかった。

 

 思考すればするほど、これまで割り切れていなかった思いが積み重なる。

 

 向き合わなければならない現実は、俺を容赦なく叩きのめした。

 

 それは、自分の無力さ故にでもある。

 

 俺は、受け止めていた気になっていた。SAOのラフコフ掃討戦と、俺が血盟騎士団に入って間もない頃に、直接手を下した三人のこと。俺が原因で亡くなった何人ものプレイヤー。

 

 そしてSAOで亡くなった四千という人数も、ある意味ではベータテスターだった俺の責任なのだ。それが傲慢だとは言わせない……

 

 俺はもう、GGOの時のようにはいかないかもしれない。

 

 へばりついた重荷が、身体からほどけないのだ。

 

『失われた命の重みは、どんな事情があろうとも消えることはない。でも……その結果助かった命のことを考える権利は、関わった人間みんなにある。君にもある。君は、自分が助けた人のことを思い浮かべることで、自分も助ける権利があるんだよ』

 

 いつか……第三回BoB本大会の日、GGOにダイブする前に、安岐さんに言われた言葉だった。

 

 でも、その言葉の意味は、今の俺には重過ぎて。

 

 ──くははっ、馬鹿だな。そうやって逃げる気か?

 

 蹲る俺を、《黒の剣士》は嘲笑する。

 

 ──お前には、こんな未来も有り得たのに、助ける人の事を思い浮かべろだって? 一歩間違えば、助けられた人さえいなかった道化のクセに。

 

「な、……に?」

 

 顔を上げた瞬間、俺の頭の中を、見覚えのない記憶が突き抜けていく。

 

 フレニーカ……ロニエとティーゼが行方不明に……ライオスの殺害と禁忌目録違反……アリス……牢獄……エルドリエ……

 

 それからも記憶は続いて、カーディナルと少し違う出会い方をして、カセドラルを駆け上がり、右手の封印を破ったアリスと外壁を登り、自動化元老とクリスチャンではない謎の元老長、チュデルキンとの遭遇……

 

 そして、整合騎士となったユージオとの戦い。

 

 何を見せられているんだ。そう考えざるを得ない中、俺、ユージオ、アリスが元老長チュデルキンと最高司祭アドミニストレータに立ち向かう記憶が流れ……

 

「……あ……ああっ」

 

 ……カーディナルが光の粒子となって舞い散って。

 

 ユージオとなった剣が、真っ二つに折れて、元の姿に戻ったユージオも、青薔薇の剣も……

 

「やめろ……やめてくれ……っ!!」

 

 情けない、嗚咽混じりの高い声で懇願しようと、記憶の流入は留まるところを知らなかった。

 

 赤薔薇の剣となったその剣を左に握り締め、《黒の剣士》となった俺が、アドミニストレータに立ちはだかり、

 

 そして、赤薔薇が遂に、彼女の胸に突き立てられた。

 

 窮地を悟ったアドミニストレータは、リアルワールドに逃げようとして、炎を纏ったチュデルキンに燃やし尽くされ、消滅した。全てが終わった戦場には、俺と、気を失ったままのアリスと、身体を両断されたまま横たわるユージオが居て……

 

『そうだ……。キリトの、黒い剣…………《夜空の剣》って名前が…………いいな。どうだい…………』

『ああ……いい名前だ。ありがとう、ユージオ』

 

 

 ──違うっ!!

 

 

「なんで、なんで諦めるんだ! お前はキリトだろ!? 《黒の剣士》なんだろ!? ユージオを……アスナを喪いかけた時みたいに、いや、今度こそ、ユージオは死ぬんだ!! 猶予なんてものはないんだぞ!!」

 

 記憶に語りかけたところで、意味が無いのは分かっている。でも、それでも……目の前の自分が、俺にはただのバカにしか見えなかった。

 

 親友の一人も救えない、愚か者だと。

 

『この…………小さな、世界を…………夜空のように……優しく…………包んで…………』

 

 そして、ユージオが瞼を閉じて、記憶はプツンと途切れた。

 

 

 ──ほら、見ろよ。これが実際に有り得た未来だ。カーディナルを殺し、親友まで見捨てた。全部、お前が無力だったからだ。

 

 

「違う、違う……! 俺は、そんな事には……」

 

 

 ──お前は無力なんだろ? さっきまで、自分でも認めてたのに、とんだ掌返しだな。

 

 

「もう、黙ってくれ……!」

 

 目の前でニタリと気味の悪い笑顔を浮かべている《黒の剣士》に、子供じみた返答しかできず、ただ蹲って、耳と目を塞ぐことぐらし位しかできない。

 

 そんな時だった。

 

「……ねぇ。いつまで引き篭ってるのよ。砂糖瓶に変えちゃうわよ?」

「──どわぁっ!?」

 

 すぐ側から、今さっき、謎の記憶の中で死闘を繰り広げていた人物の声が聞こえてきて、思わず跳ね上がった。

 

 そこはもうあの暗い場所ではなく、二十九階の自分の部屋のベッドの上で、顔をギギギと動かせば、記憶の中のよりもいささか幼い、見慣れた姿のアドミニストレータがこちらを見下ろしていた。

 

「…………ふぅん」

 

 膝を曲げて、俺と目の高さを合わせると、意味深な相槌を打った。

 

 そして、不意に俺の頰に手を当て、親指で目許を拭うと、

 

「……まだ引き摺ってるの? 菊岡に言われたことを」

 

 そう、図星を突かれた。

 

 いや、あの状況だと、そうとしか考えられないか……

 

『いいかい、キリト君。君は何もしなくていい』

 

 

 ──何もしなくていい。

 

 

 その言葉だけが、反芻してくる。

 

 何もしなくていい……ただ、それだけの言葉の筈なのに、それは酷く俺を苛む。

 

 もう、どうすればいいかも、分からない。

 

 あの記憶は、有り得た未来なんだ。ライオスとウンベールがキバオオガニに襲われなかったら、フレニーカは恐ろしい目に遭い、ロニエとティーゼが俺達にそれとなく打診して……そして、俺がライオスを斬る。

 

 起こりうる未来だ。俺も、ロニエ達があんな目に遭わされたら、きっと正気ではいられない。

 

 だからこそ……怖い。ユージオもカーディナルも、大事なものを全て取り零してしまいそうで、何もかもが犠牲になりそうで……

 

 それを知られたくなくて、ただ押し黙った。それでも、目の前の少女は、本心を見抜いているかのように、銀瞳をすうっと細めた。

 

 奥底を見抜かれている感覚に思わず目をそばめると、アドミニストレータはふふっと、微笑みを湛えた。

 

「安心なさい。お前のSTLには干渉出来ないから、記憶を覗く事は出来ないわ」

 

 ──嘘つけ!

 

 と、言いたくなるのを堪え、少し非難気味に睨む。

 

 現に、今の思考がバレバレだったのだ。STLを内部から操作する管理者の権限なんてあってもおかしくはない。

 

「STLはメインコンのオペレーションでしか操作出来ないから、サブコンにも、もちろん仮想コンソールにだって権限なんて無い。単に、キリトの思考が読み易いだけ。顔に出るタイプだから、何考えてるかぐらい予想はつくもの」

 

 いや嘘だろ、ともう一度反論しようと思ったのに、先手まで打たれてしまった。

 

 本当に心を読まれているのではないかと勘繰って、思わず眉を顰めていると、不意に頰をぐにぃっとつままれる。

 

「ほら、少しはまともな顔になったじゃない」

 

 ぐいぐい、と引っ張って面白そうに笑っている。少なくとも、その様子からして頰を引っ張られた俺の顔がまともでは無いことは明らかだ。

 

 が、さっきまで俺が考えていた事から鑑みるに、相当暗い表情をしていたのだろう。そういう意味では、まともに……になったのか。いやでも、こんなやり方で慰められてしまった事に、俺のなけなしの尊厳が傷付く。

 

 ようやく頰を放してもらうと、少しヒリヒリする頰を撫でながら、少しの緊張を伴って喉を震わせる。

 

「あ、あの……本当に記憶は見られてませんよね」

「だから言ったわよね? STLには干渉出来ないと」

 

 念を押して聞いてみると、呆れが返ってきた。彼女の調子から察するに、本当に見られていないのだろう。

 

 ……しかし、改めて思い返すと、あの記憶が見せてきたアドミニストレータと違って、目の前でジト目を向けるアドミニストレータは、まるで別人のように感情が豊かだ。

 

 勿論、本当に別人だとは思っていない。ただ、あのいかにも冷酷無情な管理者と、この悪戯好きな上司がまるで結び付かない。何をどうしたら、二人の性格にここまでの差が生まれるのだろう。

 

 公理教会の整合騎士に、少なくとも俺が知っている人物が全員揃っている事から、元老院の実態も、自動化元老を用いている非人道的なもの。

 

 だが、それにしては不可解な部分が多い。この世界では、人界の騎士団や衛兵はかなり精強で、ダークテリトリーの魔物との交戦経験もあるという所を、俺は幾つか知っている。

 

 例えば、ノーランガルス帝国騎士団。度々整合騎士主導のもとで遠征が行われ、ダークテリトリーでゴブリンと戦うのだとか。

 

 そう、整合騎士主導だ。つまり、アドミニストレータは、兵力を持つ事をある程度容認していることになる。あの記憶のアドミニストレータは、人界の民の半分を用いて、自分が思うままに操れる兵器を……《剣機兵計画》を実行しようとしていたのは、何よりもこの人界に住む人々を信用していなかったからだ。忠誠心のない人々を、外敵よりも厄介に思って。

 

 そして、元老長の存在だ。あちらの記憶で見たピエロみたいな小男、チュデルキンはアドミニストレータの駒でしかない存在で、最終決戦でも簡単に切り捨てた。

 

 それに比べ、こちらのクリスチャンはどうだろうか。アドミニストレータと初めて対面した時も、元老長が最高司祭にデコピンをするという神をも恐れない所業をやってのけ、茶会では、アドミニストレータがまるで好きな男の子との関係を揶揄されたみたいに赤面していたのは記憶に新しい。

 

 チュデルキンとは違う、対等で信頼に基づいた関係だ。

 

 ならば、何故フラクトライトの実験やシンセサイズといった非道な方法を生み出し、現在の公理教会を形成するに至ったのかが分からない。

 

 彼女には、貴族の血に由来する支配欲や、世界の秩序を正そうとする意志は無いのだろうか。彼女を突き動かしているのは、何かもっと、別の感情なのでは……?

 

「……何かやましい事考えてたりしないでしょうね」

 

 つい思考に耽ってしまったようで、アドミニストレータが泣く子も黙る低い声で俺に問い質した。俺は焦りながら身振り手振りで否定する。

 

「い、いえいえ! そんな……ただ、昔を思い出してしまって」

 

 段々尻すぼみになる言葉に、アドミニストレータがピクリと反応を示す。

 

 だが、特に何か言う訳ではない。閉口して、ただじっと見詰めると、ベッドの縁に腰掛けて、俺の隣に並んだ。

 

 更に、膝をポンポンと二回叩いた。突然のことで、俺は当惑するしかなかった。

 

「……アスナちゃんが居るけど、これくらい構わないわよね……ほら、分からないのかしら? 横になりなさいって言ってるのよ」

「……ハイ!?」

 

 声が裏返って、言われたことを瞬時に飲み込むには、俺のCPUの性能では足りなかった。焦りに焦ってテンパる俺の左肩に手が置かれ、俺の姿勢が横に倒れ込む。

 

 途端に、甘酸っぱいような、フローラルな香りが鼻をくすぐった。

 

 少し前、百階で身体を起こして貰った時にも香ったことのある、甘い花の匂い。それが鼻一杯に広がっていた。

 

 しかも、いつもの薄手のドレスだからか、柔らかな感触がダイレクトに伝わって、顔に熱がじわじわと広がる。

 

 ──待て、何でこんな事になってるんだ!?

 

 俺の頭が現実に追いついたようで、ようやく原因究明に乗り出した。

 

 が、そもそも彼女について何も分かっていないのに、この状況に陥った理由なんて何も分かるはずもなく。遂には、形が整った美麗な五指が、俺の髪を撫でていた。

 

 それがどういう意図なのか、はたまた慰めのつもりなのかは、俺にもさっぱり分からない。

 

 だが、誰かにそうされるのは久しぶりで……人らしい、確かな慈しみも感じて、気恥ずかしくも、同時に心が安らいだ。

 

 そうして、暫くの時間が経った。

 

 いつの間にかソルスは傾いて、夕焼けの空に変わっていた。

 

「……ねぇ、キリト」

 

 不意に、アドミニストレータの手が止まると、静かに俺に呼び掛ける声を響かせた。

 

 普段と違う雰囲気を肌で感じ取り、僅かに緊張を滲ませる。

 

 彼女は、予想だにしない言葉を告げた。

 

「もし、貴方が過去の事を悔いているのなら、現在(いま)を必死でもがきなさい。逃げる事がどんなに辛いか、お前が知らない筈は無いわよね?」

 

 ……彼女は、俺の過去を知っているのか?

 

 胸がドキリと強く拍動し、鼓動の音が早くなる。またも、全てを見透かしたように、彼女の唇が緩まって、微笑みを浮かべた。

 

「過ぎ去りし事は過ぎ去りし事なれば、過ぎ去りし事としてそのままにせん……無力に嘆く暇なんて無いのよ。前を向いて現在(いま)と向き合いなさい。それが、きっと貴方にとっての最善となるから」

 

 俺が頭を持ち上げると、彼女はふっと音もなくベッドから立ち上がって、俺に背を向け、

 

「……だから、運命に抗ってみせなさい」

 

 そう言い残して、彼女は扉を閉めた。

 

 

 

 

 ──最近、お前性格変わったよな。

 

 アンダーワールドに来る前の二年の間……つまりSAOをクリアして現実に戻ってから、誰かにそう言われる事が多くなったような気がする。

 

 確かに、昔より社交的になって、いわゆる陰の気質も薄れてるのかもしれない。ボソボソと喋ることも無くなって、友達という掛け替えのない存在も増えている。中学校の頃の俺とは大違いだ。

 

 だが、自分が思うに、俺の本質っていうものはそう変わっているものじゃない。今まで隠れていた、悪ガキな部分が顔を出しただけなのだ。黒の剣士が俺の中に残り続けて、今も俺の心を苛んでいるのは、本質がなんら変わってはいないから。

 

 俺は、過去(アインクラッド)に囚われている。

 

 あの鋼鉄の城で剣を振り続けたまま、時が動かない。

 

 誰かを喪うのが辛いのに、俺が過去の《ビーター》という汚名と共に被った《黒の剣士》であり続ける限り、誰かを喪っていく。

 

 ──つまり、お前は誰も助ける事は出来ないってことだ。

 

 いいや、違うさ。

 

 たとえ、また現在(いま)に辿り着けなくとも、過去から時計の針を進めることは出来る。彼女が、それを気付かせてくれた。

 

 ──逃げ続けたお前に、それが出来るとでも思っているのか?

 

 あの茶会の前、俺とユージオに対してリピアも言っていた。「出来る出来ないの問題ではない。やるしかないのだ」と。

 

 アインクラッドの日々を思い出しながら、それらを精算していく。数多くの人がくれた言葉が、過去を一つ一つ受け入れさせてくれるから。

 

 そうやって、積み重なった過去を乗り越える。

 

 無力に嘆く暇はもうない。いつか訪れる運命に抗う為に。

 

 そして、いち早くアスナ達の下に帰る為に。

 

「ほら、早くしようぜユージオ! 訓練に遅れるぞ!」

「す、凄い張り切りようだなぁ。おとといまでの君は本当に何なんだっただろう……あれ? なんか前にも言ったような」

「そうだったっけな……まあ、お前が最高司祭様を連れて来てくれたお蔭でバッチリだ。そりゃもう、否応なしにやる気出さされたよ」

「もう、キリトは……最高司祭様に聞かれて、お皿に変えられても知らないぞ!」

 

 肩を竦めながら追いかけてくるユージオに先行して、俺は前へ進む。

 

「あ、キリト! 《黒いヤツ》、忘れてるよ!」

「……おお、悪い! 俺の《夜空の剣》取ってくれ!」

「全くもう……って、あれ? この剣の銘、決めたのかい!?」

「お前が言ったんだろ? さ、行こうぜ!」

「ちょっと! ああもう、キリトは無茶苦茶だなぁ……」

 

 孤高のビーター、《黒の剣士》はもう要らない。

 

 いつの間にか、俺を見下していたあの剣士の背中は、象徴とも言うべき黒のコートと双剣を置いて消え去っていた。

 

 俺がもう一度このコートを羽織る日が来るか、定かではないが……

 

 

 

 俺は……遺してくれた想いを継いで剣を振るう、《剣士キリト》だ。

 

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 それから、俺とユージオは十数日の間に自分達でも驚くほど進歩していた。

 

 なんと、あの意味不明な柱が斬れるようになった。シェータ師範がコクンと頷き、「二人とも、これでようやく上級整合騎士に手を掛けた」と褒めてくれた。

 

 そして次に始まったのは、三番目の騎士、《剣無しの騎士》の二つ名を持つフェノメア先生による神聖術の授業だ。と言っても、素因術ではなく、カーディナルも語っていた《武装完全支配術》という、超高難度の長ったらしい術式だ。なんて面倒な……と思ってしまったが、素因の勉強よりはマシだ。

 

 武器の記憶を発現させ、攻撃力として転化する。例えば記憶の中の俺は、《エンハンス・アーマメント》によって、樹の成長による直線的な攻撃力を発現させていたり、ユージオは見渡す限りを凍結させていた。

 

「にゃは〜☆ 言ってること分かるかなぁ〜?」

「はい、とても解り易かったです」

「おおっ、ユージオ君は頼もしいね! キリト君は……」

 

 だが、《リリース・リコレクション》──記憶解放術の術式はかなり曲者だ。武器本来が持つ攻撃力が、なんと自分の身にも降りかかる可能性が存在する為だ。

 

 ファナティオさんが所有する《天穿剣》の記憶解放術は、なんと自分の身体さえも光のレーザーで穿いてしまうのだ。自爆覚悟の技と言える。

 

 俺の黒いやつ……いや、《夜空の剣》は、心に想い描いた時に、周囲の陽力や地力……すなわち神聖力を吸い取って成長するイメージがあった。果てには、俺達の天命すら吸い取ってしまうかもしれないという程に。樹の成長する姿という一部分の《強化》を齎すのに対し、《解放》は、樹の成長の過程そのものに……

 

 ……ん? 待てよ……そうなると、《青薔薇の剣》の記憶解放術と俺の記憶解放術って、俺が想像している通りなら、もしかしなくとも恐ろしく相性が良いんじゃないだろうか────

 

「メアちゃん先生の授業を上の空で受ける子は……凍素こちょこちょの刑に処〜す!」

「──うひゃっ!?」

 

 突然迸る冷気と、ゾワリとくる指先が俺の脇をこちょこちょとくすぐり始めた。

 

 無詠唱の凍素生成という高等技術に加え、凍素を指に纏わせるという、学院で習う神聖術の常識を壊される謎の術式に驚く……暇もなく、笑いが止まらない。

 

「ひっ、うひゃひゃっ!? ちょっ、先生、やめっ──ひいっ」

「わ、わお……想像してたより凄い反応でメアちゃんもびっくり」

「き、キリト……プフフっ」

 

 あ、あんにゃろう……

 

 笑いを堪えるユージオに、いつかやり返してやると、完全に八つ当たりな事を考えつつ、先生が目の前に立って、ぐいっと顔を近付けた。

 

 本当に男なんだろうか……と思わざるを得ない見た目だ。いや、GGOの件もあるから人の事とやかく言えないだろ、とは思わなくもないが、にしても凄い美少女だ。

 

「うーん、見蕩れてるとこ悪いけどねー。キリト君はもっと真面目になってくれると、ボク個人としてはとても嬉しいんだ〜。時間ってのは有限だからね。頼むよ〜」

「す、すみません」

 

 本人はニコニコ笑顔だが、溢れ出る気迫はガチ怒だ。溢れ出るオーラは、アスナの様に凄まじい。

 

「で、内容は解る?」

「え、ええと、武器の記憶を解放させるプロセス自体は、自分達が想い描く……いわば心意による《想起のプロセス》を経て、剣の核心に触れる事でイメージを引き出すんですよね。あくまでも、術式はそれに器を与えて、引き出したイメージを受け入れる形を作る為のもの……って感じですかね」

 

 そう言うと、先生はポカンと口を開けた。

 

 何か間違っていただろうか、と自分の発言を精査するが、その心配は杞憂のようだ。彼はうんうんと頷き、何か面白いものを見る目を俺に向ける。

 

「……ちょびっと抽象的だけど、確かにその通りだよ〜。なんかもう、今から《想起》して良いくらい極まってるねぇ……キリト君、予習してたり?」

「……カーディナルから少し、教わってました」

「え、ええ!? キリト、いつの間にそんな……!」

 

 本人から教わった訳では無いが、記憶の中にしろ、カーディナル直伝に変わりはない。

 

 裏切られた、みたいに驚愕するユージオには、心の中で謝っておこう。

 

「だよねぇ〜。カーディナルちゃん、凄い見た目詐欺だもん。……()、これでも《賢者》って呼ばれてたんだけどなぁ〜」

 

 それを言うなら先生もですよね、という言葉を一旦呑み込む。

 

「……うーん。二人とも、《想起》くらいいっちょやってみる?」

「ほ、本当ですか!?」

「というか、ここの内容で躓くような人は居ないよ。だって、二人とも鉄柱の切断やってるでしょ? あれって結局のところ、分かりやすい形になってるだけの心意の鍛錬だし、上位の整合騎士がほぼ全員《武装完全支配術》を使えるのはそういうワケ。でも先ずは、自分の信頼する武器から記憶を引き出せるか。そこが全てなんだよね〜」

 

 それじゃ、メア子のパーフェクト術式教室、いってみよ〜! という気の抜けた掛け声と共に、《想起のプロセス》の授業が始まった。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 それは、5月23日の朝。

 

 やけに静かなカセドラルを駆け上がり、百階に招かれた俺は、呆気に取られていた。

 

「いい? まずはユージオと一緒に、アリスちゃんと雲上庭園で戦って来るの。アリスちゃんには私からそう言っておいたから、あなたは私に言われた通りの流れで動きなさい」

 

 一ヶ月前、飛竜に乗りながら俺が主導する計画というものがある事を聞かされていたが、アドミニストレータから説明されたその計画の内容は、俺にとって驚きを禁じ得ないほど奇想天外なものだった。

 

 それは、公理教会の再編。

 

 つまり、最高司祭アドミニストレータは、一時的に最高司祭を辞し、その間、後釜として騎士団長ベルクーリを人界のトップに据えるというもの。

 

 耳を疑ったが、確かにそうすれば、教会が溜め込んだ武具を活用し、強力な人界軍を編成できる。戦争に発展するが、整合騎士と併せれば食い止められはする筈だ。

 

「ええと、それで最高司祭様は良いのですか?」

「ん〜、良くないわね。私の最大限の妥協と譲歩の末の決断だもの。後でベルクーリから返してもらわないと、どんな手に出るか分からないわよ?」

「は、はぁ……」

 

 本当だろうか、と胡乱な視線を向けるも、本人は飄々としている。

 

「……というか、どうしてアリスを?」

「あのねぇ……」

 

 やれやれと言いたげに溜息を吐いた。

 

「色々と勘案して、整合騎士の中だと一番アリスちゃんが向いてるのよ。……分かった?」

「……ハイ」

 

 明らかにはぐらかされたが、威圧混じりに、とてつもなく嫌そうな顔でジト目を向けられるのには勝てるはずもなく……深く追及するのは止めた。

 

「それで、俺達はどうして戦うんですか?」

「建前よ。要するに、私を倒してもらいたいの」

「はぁ…………ハァ!?」

 

 思わず、椅子から転げ落ちるかと思った。

 

 アドミニストレータを倒す……それは、あの記憶の中のキリトが多大な犠牲を払ってやり遂げた事だ。それをまさか本人に実行しろと言われるとは思わない。

 

「最高司祭様を倒すなんて無理ですよ!」

「本当に倒される訳無いじゃない。ある程度やったら勝手にフェードアウトするわ。私とカーディナルはベルクーリのサポートをすればいいし」

 

 ……確かにそうではあるが、でも納得がいかない。

 

 建前として、何故俺達によって倒された事にしなくてはならないのか。そもそも、わざわざアリスと八十階で戦う必要があるのか。

 

 ……八十階で、俺とユージオが、アリスと戦う。

 

 その瞬間、あの記憶のワンシーンが思い出される。

 

『誉れある整合騎士殿に対し、敬意なき振る舞いに及んでしまって済まない! 修剣士キリト、改めて騎士アリス殿に尋常なる剣の立ち合いを所望する!』

『──いいでしょう、お前たちの邪心がいかほどのものか、その剣筋で試すこととします』

 

 となれば、至る結論が一つ。

 

 ──アドミニストレータは、俺が見た記憶の結末と同じ状況を作り上げようとしている。

 

 しかも、これは前々から考えられていた。

 

 アドミニストレータの性格や固定されている年齢が違うのに、妙にあの記憶と符合する点──元老院や整合騎士、禁忌目録、剣機兵計画など──があるのは、アドミニストレータ自身が、俺に倒される状況を作る為に用意したのか? だとするなら、このアドミニストレータの計画は全て嘘ということになる。

 

 あの記憶は、単なる有り得た未来じゃなかったのか。なぜアドミニストレータは、俺がここに来る以前からその記憶を持っていたのか。

 

 謎は尽きない。だが、これでようやくアドミニストレータの真意が判った。飛竜に相乗りした時の、あの諦めに満ちた目の理由も解った。全てが点と点で結び付いて、その実態を明らかにしていく。

 

「もう下に降りなさい。計画を始めるのよ」

「……はっ」

 

 恭しく一礼して、下の階へ降りていく。

 

 踏み締める階段の音の一つ一つが、運命へのカウントダウンのように思えてきて。

 

「……シャーロット、俺──」

「キリト。彼女をどうこうする術は無いの。でも万一貴方達が窮地に陥った時……危険だと思ったら、カーディナル様を呼ぶわ。その後、彼女を倒す」

 

 俺は、あの謎の記憶の事をシャーロットにだけ話している。俺が頼み込んで、カーディナルには話さずにいてくれているのだ。

 

 だから、計画がその記憶の内容とあまりに酷似していることを、彼女も悟っていた。

 

「彼女の目的は、ある決まった流れに沿って自分が殺されることを望んでいる。それは間違いないわ」

「ああ……だからといって、打倒する理由にはならない。対話の道が残されてるなら、それを選ぶべきだ」

 

 とは言うが、計画の周到さからしても彼女の意志は堅いだろう。

 

 対話さえ叶わない可能性だって十二分にある。

 

「あの人は……この世界を思っていたはずだ。このアンダーワールドを、民を。何か、キッカケさえあれば……最高司祭アドミニストレータとしてではなく、クィネラさんとして動いてくれる。カーディナルと一緒にこの世界を守ってくれるはずだ」

 

 二人の最高司祭が手を取り合えば、ダークテリトリーに対抗できる。

 

 そう力強く断言すると、シャーロットは暫し沈黙する。

 

 彼女にも、アドミニストレータに何か思うところはあるのだろう。長年の宿敵が、主人であるカーディナルと同じく世界の正常化を望んでいるのだ……自分という犠牲を払うことによって。

 

 最高司祭が居なくなれば、軍が作られ、たくさんの血が流れるだろう……人界も、ダークテリトリーも。だが、カーディナルが言っていた様に、この世界がラースの思惑から外れれば、独自の歴史を歩ませることはできる。人界とダークテリトリーが戦争をやめて融和し、なおかつ俺が菊岡さんを説得させられるような何かを用意できるなら。

 

 絵空事だとしても、俺は、この世界で作った縁を捨てるなんて真似はできない。

 

 ……そうこう考えを巡らせている内に、俺の足は《暁星の望楼》を抜けて、《大浴場》を過ぎ、遂に、大きな一つの扉の前でピタリと止まった。

 

 八十階、《雲上庭園》……その石扉に両手を当てながら、俺は僅かに抱えていた迷いを断ち切る。ここからが、正念場だ。

 

 全てを懸けて、俺は貴方を……最高司祭アドミニストレータを止めてみせる。

 

 隙間から入る光に目を細めながら、先ずは親友とかつての幼馴染みと再会するため、金木犀の香る庭園へ踏み入った。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 ……これで、念願が叶う。

 

 明日にもそれが達成されるのだと思うと、こんなにも胸が高鳴るものだとは思いもしなかった。

 

 有り体に言えば、甘美な感情だった。

 これじゃ、まるでガブちゃんと同じ狂人変人の類いだなぁ。

 

 ワイングラスをくるくると傾けて、キリトとユージオ、アリスの戦いの様子を神聖術で眺めながら、自分の本質がひどく醜く腐っている事を自嘲していた。

 

 いやでも、よくよく考えれば、死ぬ為に生きてるんだから、元々俺は狂っていたのかもしれない。

 

 ただ、前世ではそれを発現させる機会が無かっただけなんだろう。

 

 だって、こういう小説とかゲームの世界のラスボスになったらやる事と言えば、死亡フラグを回避するだの、ラスボスの力でフラグをへし折るだのっていう、自己の生存という当たり前の権利を勝ち取るために、やれる事をするはずだ。

 

 あ、でも……俺の場合は、やっぱり特殊かも知れないなぁと、考えてから自分の考えを改めた。

 

 どうしてかと言うと、このアンダーワールドの全ての事象に、ラスボスたるアドミニストレータが関わっているからだ。ラスボスの責務を全うしなければ、フラクトライトの軍事転用が始まり、アリスちゃん……アリス・シンセシス・サーティも、ユージオも、キリトが紡ぐはずの縁を、全て否定してしまう。

 

 川原先生が考えて考え抜いた重厚なストーリーを、どうして、読者の一人である俺が否定できようか。いくつか、人物が変わってしまったり、手を加えてしまったりしてしまったが……

 

 だから、シャーロットも、カーディナルも……ユージオも全員、この俺、アドミニストレータが引導を渡す。これだけは、譲れない。彼らの死は、キリトの根幹となって彼の一部になるもの。薄情者と罵られようと、俺は成すべきことを為すだけ。

 

 舞台装置は完成し、こうして舞台は整った。

 

 俺が死んだ後は、元の物語になるよう、運命の強制力を信じるしかない。いざとなれば、俺の遺志を継いだクリスチャンが、あるべき形に戻してくれる。

 

 有り得ない道へ歩んだ物語を、正す時だ。

 

「うふふふ……これで、やっと死ねるのね」

 

 アリスちゃんとキリトの武装完全支配術が融合して生まれた力が外壁を崩壊させて、二人が外へ放り出される姿に、思わず口が歪む。

 

 言い付け通り、本気で殺し合ってくれたか。

 

 これで、第一段階は終了。次は、ユージオを拐って、シンセサイズして整合騎士にする。

 

 ベルクーリは外に追っ払っちゃったし、シンセサイズでフラッシュバックしないか不安だが……やるしかない。

 

 外壁に剣でぶら下がるキリトとアリスを横目に、階段を駆け上がっているだろうユージオを迎えに行く。キリトと二人が落ちたとあって、ユージオは急いで俺に報告しようとしているのだろうが、その必要はない。

 

 ……じゃあ、眠ろうか。

 

 転移術を心意で行使しつつ、術式を詠唱。

 

「システム・コール、ジェネレート・アンブラ・エレメント」

 

 温泉の中を進むユージオの背後に転移して、睡眠術式をぶつける。走っていたユージオの足が急に遅くなり、ふらふらとして床に倒れると、脇に抱えて、転移術で百階に帰還。

 

 なんともまあ、単純な作業だが、問題はここからだ。

 

 闇素術をもう一度行使すると、ユージオの無意識下にある欲望に働きかけて、夢を見させる。ユージオの不遇な家庭環境では、母親はユージオに構ってやらずに、ユージオは親の愛情をあまり貰わずに育ったのだ。そこにつけ込んで、下準備を済ませる。

 

 ユージオを隣で寝かせてやり、俺は目を閉じる。

 

 

 

 ……俺にとって、寝るという行為にも時間の感覚を覚えなくなったのはいつからの事だろうか。十年以上も眠りっぱなしの時もざらにあったが、その時には睡眠という行為が苦ではなくなっていた。

 

 人間、大抵慣れが肝心なのだ。狩りにしろ、心意にしろ、睡眠にしろ……ただ、シンセサイズだけは、俺の心をひたすらにすり減らしたが。

 

 エルドリエの時なんかは、吐き気と悪寒を堪えながら、一週間の時間を掛けてシンセサイズしたものだ。

 

 同様に、人間の物質転換術はトラウマとなっていて、今では唱えることもできない。お蔭さまで、この部屋にある神器は二十五本だけ。トラウマのせいで物質転換できなかった人々は、ディープ・フリーズで凍結している。今から感情を消して神器を二本足してもいいが、神器の一本や二本足りないところで、ソードゴーレムはアリス達では到底太刀打ちできる相手ではないが……

 

 

 

「……ぁぁぁあああああ!!」

 

 微睡みの中で、そんな叫びとともに大きな布擦れの音を立てて動く気配を感じて、俺は回想から現実に引き戻された。

 

 悪夢から目覚めて、飛び起きたらしいユージオは、ここがどこかを悟り、小さく息を呑んでいた。

 

「……最高、司祭様……? なんで、僕は……」

 

 呼ばれるのに合わせて、ゆっくりと体を起こす。

 

 理解が追いついていないユージオの傍で、()は甘ったるい声を響かせる。

 

「ふふ……ユージオ。あなたは、もう我慢する必要なんてないのよ……?」

「え……?」

 

「ほら、来てごらんなさい……」

 

 腕の中に、亜麻色の髪を掻き抱いて、子守りをするように撫でる。

 

「……ぁ……?」

「あなたが本当にほしいもの……あなたに足りなかったもの……なんて、可哀想なのかしら……」

 

 そう……ひとりぼっちの、可哀想な勇者。

 

「あなたはいま、自分が何を欲しているの? 飢えて餓えて、渇望しているの……?」

「欲し、てる……?」

 

 揺れる翠緑の瞳をじっと見詰めながら、微笑みを絶やさずに頷いた。

 

「解るはずよ……あなたの両親がくれなかったもの……」

「え…………」

 

 ユージオは探す。自分から何もかも奪っていった両親。感じているこの気持ち、充足感…………でも、それは懐かしくて。

 

「あなたのお母さんは、ずうっとこうして一緒に眠ってくれたり、抱き締めてくれたりしたのかしら……?」

「してくれた……怖い夢を見たら、子守唄を歌ってくれた……」

「でも、それは、ほんの記憶に微かにあるだけ……とっても短い間で、小さい頃のお話よね……? お兄さんとお父さんを思い浮かべてみなさい……思い出せるでしょう……?」

 

 ユージオは思い出す。母の愛を一身に受ける、父の姿を。自分だけを除け者に、母の愛を貰う兄たちの姿を。

 

「……愛して、くれなかった」

「愛……それが、あなたが欲しかったものよ」

 

 そこに、私の甘事が、蜜のように流し込まれる。

 

「だって、そうでしょう……? ティーゼ……あの赤い髪の子が言ってたわよね……統一大会で上位に入れば、一代爵士に任命されるって……だから、整合騎士になれなかったら、会いに来て欲しいと……」

「……?」

「あなたは解っていたはずよ……貴族が結婚の契りを交わすことが許されているのは、同じ貴族だけ。平民と貴族は結婚できない……あの子が言っていたことは、遠回しの愛情だということに」

 

 ユージオの体がビクリと跳ねる。図星だという反応に、私は更に追い立てるように言葉を続ける。

 

「……その時、あなたは心が震えたわよね? いま、あの子からただ一つの愛情を貰っているんだって。無意識のうちに考えていたはずよ?」

「そんな……うそだ……そんな、はずは……」

「気づかなかったのね……アリスちゃんを助けるために、整合騎士にならなくちゃならなかったから。自分の喜びにも気づかないで、自分の役目で抑えつけたの」

 

「でも、それももう無理ね……あなたはあの子との約束を果たそうとしなかったもの。手に入るはずだった愛情は、こぼれ落ちたの。……もう誰も、あなたを愛してくれないのよ。あなた自身が捨てて、みんながそれを忘れちゃったのね」

 

 瞳が絶望に揺れる。嘘だ、違う、違うんだと呟く。でも、それが真実……

 

「……そうだ、違う。僕には、アリスが……」

「そのアリスちゃんも、ほんとうにあなただけを愛してくれたのかしら……? あなたはまだ、忘れてる……」

 

 そう言って、ユージオの記憶に潜行する……その時、()は我に返って、重大なミスを犯している事に気がついた。

 

 この整合騎士ifのユージオは、キリトとアリスとの思い出の一部を思い出してしまっているのだ。

 

 そして、俺が利用しようとした記憶の穴……『白金樫の木剣』をキリトとアリスがプレゼントするべく、ユージオに内緒で二人だけで作るという情景を、キリトと一緒にハッキリと思い出していた。

 

 ラースが掛けた記憶のブロックを掻い潜って、思い出してしまっている……これでは、洗脳して依存させてからのシンセサイズを行えない。

 

 まずいと思った俺は、すぐさまブロックを掛けられたままの記憶にアクセスする。余計な手間が増えたな……

 

 ユージオの記憶にある、キリトとアリスが二人で楽しそうに情景を、次々と思い起こさせる。その度に、瞳が暗く澱んでいく彼に、私がそっと耳許で囁く。三人の楽しい記憶から目を背けさせるように。アリスがユージオも愛していたことだけを切り取って、都合のいい夢を見させる。

 

「ほら……あなたを愛してないの。あの子の愛は、あなただけのものじゃない。キリトが貰っていた……あなたが入り込む余地は、無かったのよ」

 

「でも、私は違うわ、ユージオ」

 

「私があなたを愛してあげる。あなた一人だけに、私の愛を全部あげるわ」

 

 腕の中で私を見上げるユージオに、その証明だと言う様に、頬もぴとっとくっ付けて、体全体で表す。

 

 こんな、満ち足りた愛を受けたことがあるのかしらね……?

 

「でも、僕は…………父さんや母さんを、兄さん達を、友達を愛したんだ……」

 

 でも、その人たちは、愛をくれたあなたに、何かをしてくれたのかしら……? 寧ろ返ってきたのは真逆の、嫌悪や嘲笑でしょう?

 

「あなたは、私だけを見ればいいの……ほら、こうしてあなたに愛をあげているのは、一体、だれ……?」

 

 するすると、ユージオの腕が私に伸びる。

 

「そうよ……私だけよ……私だけが、あなたに無償の愛をあげられるのよ、ユージオ」

「無償の、愛……」

「ええ……何にも変えられない愛。何よりも大事な愛……それを、あなたは独り占め」

 

 虚ろな目で、大事な愛……変えられない愛……そう、何かに囚われたようにして、口から漏れ出ていく。

 

 自分の大事なものさえも、何もかもが漏れ出ていく。

 

 そんな感覚を覚えながらも、私の悦楽には抗えない。

 

「でも、独り占めにする前に、約束があるの」

「約束……」

「ええ……私とあなたを繋ぐ、魔法の言葉。私に全部捧げるって念じながら……システム・コール」

「システム……コール」

 

 神聖術の起句……それが唱えられた時、ほくそ笑んだ。

 

「続けて……《リムーブ・コア・プロテクション》」

 

「リムーブ……」

 

 私の万感を篭めて唱えられたその言葉に、ユージオの縋るような声が追従する。

 

「コア……」

 

 ああ、ユージオ……

 

 おまえは、本当に脆いのね?

 

「…………プロテクション」

 

 かちゃり。

 

 開かれたドアを見て、そして計画が次の段階へ移行した告げる音に、俺が恍惚とする。

 

「ようこそ……罪と痛みが交錯する世界へ」

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 遂に……ここまで来てしまった。

 

 九十五階、《暁星の望楼》まで壁を登って戻ってきた俺は、手近な円柱に寄り掛かり、休んでいた。

 

 結局、俺は記憶通りの道程を歩むことになった。アリスは教会から反逆する事を決意し、右眼の封印を破って、ここまで来ている。

 

 ──いや、あの記憶とは多少違う感じになったな。先ず、俺とアリスは最初から敵同士ではなかったから、事情の説明にいちいち命の危険を感じ取りはしなかったし、俺たちの目標はアドミニストレータを倒すことでなく、自分が死ぬことで世界を正そうとするという計画の阻止で一致している。

 

 だが、俺が話した内容は、やはりアリスには受け止めがたいものには変わりなく……寧ろ、こちらのアリスは最高司祭と仲が良かった分、最高司祭が裏で行っていた事に憤っていた。教会の壁にダークテリトリーの使役獣、ミニオンが配置されていたことから始まった俺の説明は、アリスの心を深く抉ることになった。

 

 また、茶会でも話されていた《剣機兵計画》の、その全容と元老院の実態……シンセサイズの秘儀。俺とユージオは、そんなアドミニストレータを止めるために、そしてアリス・ツーベルクを取り戻すために整合騎士となったこと。カーディナルはその協力者であること。

 

 《雲上庭園》でユージオと共に模擬戦をしたのも、いまこうして外壁から二人で落ちたのも、全てアドミニストレータが考えた計画であり、自分が死ぬつもりでいること……

 

 全てを話し終えると、アリスは尋ねてきた。「最高司祭様を、倒すのですか」と。俺は決して、アドミニストレータを倒すためにここにいる訳じゃないと答え、更に付け加えた。あの人は、止められるはずだと。それは、アリス自身がよく知っているはずだから。

 

 アリスは見習い騎士時代に、アドミニストレータとお菓子を一緒に作った思い出があると言って、当時を懐古しながら、楽しげに話してくれた。お菓子作りが得意な方ではなくて、散々服を汚したりしたのに、出来るまで教えてくれたり、真っ黒焦げになった時は、一緒に苦いクッキーやケーキを食べて悶絶したものだと。他にも、思い出話は尽きないのだと。

 

 アドミニストレータが、アリスと仲良くしていた事の全てが偽りだった……あの悪戯好きな上司を知っている俺にはそうは思えなかったし、アリスもそれは明確に否定していた。 

 

 その上で、アリスは友人を止める為に、いまだけは教会に反逆することを誓った。

 

 心強い仲間が一人増えてくれたのだ。そして、あともう一人……俺の相棒だが。

 

 アリスが望楼を回るも、人影一つ見当たらなかった。

 

「妙ですね……ユージオはここに居るものと思いましたが」

「……多分、アドミニストレータに捕まったんだろうな。ユージオは計画のことを知らなかったから、最上階に行って助けを求めようとしたんだと思う」

 

 十中八九、ユージオはアドミニストレータの手に落ちている。

 

 それに、アドミニストレータがあの記憶の通りに動くのなら、確実に……

 

「となれば、先にユージオを助ける必要がありますね。最上階へ急ぎましょう」

「ああ。あんまり遅れて、最高司祭様と戦う前に怒られちゃ敵わないもんな」

「おまえは最高司祭様を何だと思っているのですか……」

 

 軽いジョークで緊張感を弛緩させながら、小走りになって階段を駆け上がった。

 

 その瞬間。

 

 

 

「お主ら、少し待たんか」

 

 

 

 どこともなく聞こえてきた、年老いた賢者のような口調の少女の声。アリスが、これは……と聞き覚えのある声に反応し、俺がぎょっとして辺りを見回す。

 

 すると、隻影が塔の下から夜の空へと高速で飛来してきた。吹き抜けから入って来ると、少女、賢者カーディナルは俺たちの目の前で着地した。

 

「か、カーディナル……来たのか!」

「当たり前じゃろう。いま、この白亜の巨塔には、お主らとユージオ以外の整合騎士は居らぬ。ならば、わしが大図書室に篭もる必要性は皆無じゃ」

「それなら、外壁を登りきる前に来て欲しかったんだけどなぁ……」

 

 一体どれだけ苦労して登ったのか……風素術で登ってきた目の前の賢者には分かるまい。

 

「少し、準備に手間取ってしまってな……じゃが、代わりに食べ物を持ちこんでおる。これで体力を回復しておけ」

 

 カーディナルの両手には、ホカホカの饅頭が握られていた。どうやら、俺とアリスにくれるらしい。

 

 ちょうど腹が空き始めてたんだよなぁ……と、ありがたく一つ受け取ると、ふうふうと冷まし、囓りつく。

 

 コンポタと同じく、古代書オブジェクトを用いて作られたのであろうが、その中の肉餡のジューシーさと来たら、横浜の中華街で食べた本格的なものと遜色ない。口の中でほふほふと空気を含ませて転がし、三口で食べ終えてしまった。

 

 アリスも四口で平らげて、ちょっと切なげにため息を漏らした。かく言う俺も同じようなものである。

 

 しかし、確かな充足感を感じながら、カーディナルに向き直った。

 

「……なんじゃ、その物欲しそうな目は。強請られようと、もうわしは何も持っとらんぞ」

「いや! 全然足りたぞ!」

「も、物欲しそう目などしてません!」

 

 弁明してみるも、カーディナルにはバレバレらしい。呆れの目で見ながら、「行くぞ」と一言だけ言って階段を先行をする。置いてけぼりにされた俺とアリスが呆然した後、急いでその後を追った。

 

 

 

 

 階段をワンフロア駆け上がると、やけに狭くて薄暗い通路と、突き当たりには黒い扉が立ち塞がっていた。

 

 ここまでの光景は俺も何回も行き来する内に慣れたものだが、ここだけは飾り気のない、近未来SFチックな見た目になっている。

 

 いつもの俺なら、階段を上がった先のすぐ横に設けられたもう一つの階段を駆け上がり、九十九階まで行くだろう。

 

 だが、カーディナルは真っ直ぐ道を進み、黒い扉の前で止まった。

 

 この突き当たりの道は、正面に元老院が、右横には元老長の執務室、左横に枢機卿の執務室が置かれた造りで、公理教会の主要な機能がこの九十六階に収まっている。

 

 もう一人の俺が経験した記憶によれば、元老長の執務室なんてものは無かったし、枢機卿は役職すら存在していない。

 ここでも、アドミニストレータが自分の配下をどう思っていたかがよく窺える。

 

「……お主らは、公理教会の元老院がどのような仕組みか知っておるか?」

「……ええ。キリトから、自動化元老という存在を聞きました。人の扱いを受けず、術式を唱えるだけの人形に成り果てていると」

 

 次いで俺が頷いたのを確認すると、カーディナルは無言で扉を開いた。

 

 ひやりと、冷たい空気が流れ込むと、眩しい光が目に飛び込んでくる。薄暗い場所から一転して明るくなっているそこへ、目に手をかざしながら中に入る。

 

「!? こ、これは……」

「そうじゃ。この壁に並べて収められているのが、元老達……休み無く禁忌を監視する装置となった、自動化元老。この全てがな」

 

 構造は、俺の知る《元老院》と大差なかった。

 

 床は、直径二十メルほどの円形。そこから、三階以上の高さにくり抜かれている。そして、壁に半ば埋まったカプセルのような箱に、白い肌に禿頭の元老が入れられていて、神聖術を絶え間なく唱えている。

 

「この光景を作り出したのも……最高司祭様なのですか」

「無論な。だが、あやつも作りたくて作った訳ではない。そうせざるを得なかった……というのが正しいな」

 

 カーディナルの言葉に、やっぱりそうなのか……と納得しかけて、俺は驚きのあまり、首をぎゅりんっとカーディナルへ向けて、口を開いた。

 

「……なぁ、カーディナル。いま、もしかして……擁護したのか? 宿敵であるはずのあんたが、アドミニストレータを」

 

 俺がそう指摘すると、アリスも遅まきながらその事実に気が付き、目を見開いた。

 

 アドミニストレータのやった事は、たとえどんな事情があろうと許される所業ではない。ましてや、二百年来の宿敵であるカーディナルが、その所業を許すはずが無いのだ。

 

 俺が言い終えて、十秒ほど沈黙した賢者は、ぼそりと言った。

 

「……ここにおる元老は、全てアドミニストレータ……いや、クィネラだった頃に、自らの手で育てた教え子じゃ。かつて、手動だった元老院を構成していた者たちでもある」

 

 じゃあ……アドミニストレータは、自分を慕っていた神聖術士を、その想いを裏切ったのか。

 

 そこまでして、この元老院を作ろうとしたのか。

 

「自動化元老にするあたり、特に高位の権限を持つ者を必要としたアドミニストレータは、当時の元老を再利用しようと考えたのじゃ。あやつの日記には、その時の後悔が綴られておる。戦いが終わった後にでも読むといいさ……」

 

 声が出ない、というのはこういうことなのだろう。

 

 まるで、自分のことのように語る小さな賢者の背中を見て、俺は、かつてこの少女がアドミニストレータの中で生きていた事を思い出す。

 

 だが、大図書室で語ったアドミニストレータの生涯は、最高司祭の手によって都合の良い風に改竄された偽の記憶であることは、カーディナルでさえ疑いの余地は無いと結論を出していた。

 

「まさか……消された記憶が戻ったのか」

「…………」

 

 沈黙は肯定。何も言わず奥の部屋へ歩き出したカーディナルを追う。

 

「なあ……あんたは、アドミニストレータを消し去るのか?」

 

 つい数刻前に、俺が尋ねられた質問を、今度はカーディナルにぶつける。それでも、カーディナルの歩みは止まらない。

 

 アリスに目配せすると、肩を竦めながら頷いた。「お前の好きにしなさい」と、言外に言われたようだった。

 

 九十九階の、がらんどうな部屋に着いて、ようやくカーディナルの足が止まった。

 

 顔は帽子に隠れて見えないが、やるせなく顔を振ったり、溜息を漏らしたり、記憶が戻ってから何かを抱えているのは間違いない。

 

 俺は、そんなカーディナルを後ろで待ち続けた。自分から話してくれるまで。

 

 やがて、大きく溜息を吐いたカーディナルがこちらに振り返ると、いつになく真剣な声音で言い聞かせた。

 

「……大事なことゆえ、よく聞いておけ。わしには、もうアドミニストレータを弑することはできん。わしは、サブプロセスのプログラムとしては、完全に壊れてしまった。後ろから、お主らをサポートしてやることしかできんのじゃ」

 

 壊れて……しまった。

 

 俺は一瞬、どういうことかとも思ったが、サブプロセスは《メインプロセスの過ちを正せ》という基本命令を受けて動いている。システムの重大なバグであるアドミニストレータを倒せないとなれば、それはシステムとして破綻している。

 

 それが、人の身に落とし込まれ、行動原理として焼き付いたカーディナルにとっては、その至上命令を果たせないというのは、壊れてしまったも同然なのだろう。

 

 だが、その状況は俺とアリスにとっては有難いものだ。

 

 カーディナルは、アドミニストレータを倒すために術を練り上げ、協力者を探してきた。一方で俺たちはアドミニストレータを倒すつもりは毛頭ない。それはやがて、対立を生んでしまうことは明確だった。

 

「……どうしてだ? 記憶が戻ったからといって、カーディナルには、アドミニストレータの打倒こそが、存在意義だって……」

「だから壊れてしまったと言ったじゃろう。わしはあやつを一人の少女として認識してしまっている。本来のクィネラとしての役目を全うしようと足掻き、狂っていっただけで……本当は、心優しき女の子じゃよ。それを思い出してしまったのじゃ」

 

 ああ、言ってしまった……と消沈するカーディナルに、俺とアリスは顔を見合わせる。

 

 とどのつまり、俺たちの推測は何ら間違っていなかったことになる。

 

 本来のクィネラの役目……という言葉の意味はさっぱりだが、少なくともアドミニストレータとなった瞬間から、カーディナルが誕生するまでの間も、彼女の本質は変わっていなかった。

 

 アドミニストレータの本心の記憶を取り戻したカーディナルが、アドミニストレータを壊れたプログラムとして認識できずに、人として認識せざるを得なくなるのは不思議じゃない。

 

「それに、二人もアドミニストレータを倒すことは本意ではなかろう。これで晴れて、目的が一致した訳じゃな」

 

 カーディナルが皮肉った笑みを浮かべて、わざとらしくそう言う。

 

「まあ、そうだけどさ……カーディナルはそれで納得しているのか?」

「うむ。あやつを倒してしまえば、元老長との約束を果たせんのでな。いまは、それが何よりも優先される」

 

 元老長との約束。

 

 いま、カーディナルはそう言った。

 

 元老長クリスチャンは、長い間アドミニストレータに仕えている。カーディナルが語っていた話には、かつて人格としてアドミニストレータの体に入っていた頃、意識が表面化すると、アドミニストレータを排除すべく、塔から身を投げたり、神聖術で消し炭にしようと試みたと言っていた。

 

 それが確かなら、その時にそれを止めようとする元老長クリスチャンと戦っているんじゃないだろうか。

 

 或いは、何か会話したのかもしれない。

 

「元老長クリスチャンとの約束……ですか?」

「……今となっては、有効かも分からんがな。それより、ほれ。あやつが用意した、最初で最後の刺客が来るようじゃぞ?」

 

 肩越しに部屋の奥を見遣ったカーディナルが杖を構えた。もう思考を巡らせる暇は与えてくれないっぽいな。

 

 奥の天井の一部が外れて、昇降盤となり降りてくる。

 

 その厚い大理石の上に、白銀の鉄靴(ソルレット)を見た。やがて、その全体像が露わになる。

 

 ……ここでも、俺は戦うことになるのか。

 

 隣にいたアリスが、ハッと息を詰まらせた音が明瞭に響いた。

 

 腰に佩かれた氷の剣。柔らかな亜麻色の髪。

 

「……来ると思ったぜ。ユージオ」

「…………」

 

 俺がいつものように呼び掛けようと、相棒はそれを一顧だにせず、つかつかと歩き始める。右手で柄を握り、一片の躊躇もなく抜き放つと、その切っ先を俺に向けた。

 

「……最高司祭様より、君と戦うようにと、そう言われている。話すことは何もない」

「だろうな。……なあ、ユージオ。俺とおまえって、本気で戦ったことって、まだ無かったよな。ここでの稽古だと、もう結構負かされちまってるけど」

 

 夜空の剣を引き抜き、同じように切っ先を向ける。

 

「すまん、アリス、カーディナル。ここは、俺とユージオだけで戦わせてくれ」

 

 返事は聞こえなかった。だが、カーディナルのやれやれという気配と、どうか気を付けてとアリスが言ってくれたような気がしたから、振り返らずに、真っ直ぐ、ユージオの緑色の瞳を貫く。

 

 挑発的な笑みを浮かべると、俺は言ってやった。

 

「負けてやるつもりはない。お互い……本気でやろう」

「……言われずとも、僕はそのつもりだよ」

 

 剣を構える。

 

 こうして緊張感を持って相対するのは、統一大会以来だろう。あの時は綿密に考えられた演武であるのに対して、今回は本当の敵同士。

 

 あいつの師匠として、弟子の成長を試してやらないとな。

 

 ユージオと俺が、鏡合わせのように剣を振りかぶり、肩に乗せるように構える。片手直剣突進技、《ソニックリープ》

 

 二本の剣がライトグリーンに染まり、直後。

 

 凄まじい衝撃が、けたたましい音ともにフロアを揺らした。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 ……なんか、居ちゃ駄目な奴がアリスの隣にいるんだけど。

 

 神聖術で覗いてみたら、九十九階のメンバーにカーディナルの姿を認めてしまった。しかもこっちに気が付いているようで、その理知的な瞳がこちらに向けられている。

 

 またミスったなぁ……と、カセドラルに整合騎士を置いておかなかった事をやっぱり後悔した。どうせ最終決戦になったら現れるだろうという先入観に囚われて、ついカーディナルが大図書室から出てこない理由を意識の外から弾き出していたのだ。

 

 早々に原作再現へのガバをやらかすとは、つくづくツキが無い。

 

 南帝国産三百年もののワインが入ったグラスを飲み干すと、キリトとユージオの戦いに目を向ける。

 

 改良型《敬神モジュール》……イマジネーション回路を搭載し、持ち主の心意を飛躍的に上昇させるようになったこれをユージオに嵌め込んだ。心意に関しては、アドミニストレータよりも知識を多く持っているから、このままキリトが負けてしまわないかと危惧したが、流石にそこは主人公か。二人の間で無数の軌跡が交錯し、せめぎ合う。

 

 キリトがユージオの名前を叫んで、再び加速する。ユージオも、雄叫びを上げながら立ち向かう。

 

 相剋する黒と白。俺はそれにただただ見入る。

 

 たまに、四帝国統一大会の決勝戦とかを神聖術で覗いて見たこともあったが、そのどれにも勝る。いや、比べるのも無粋な気もするが……

 

 だが、戦いは終わる。ユージオが、《リリース・リコレクション》と呟いたことによって。

 

 一瞬で氷に閉ざされるキリト達。ユージオが踵を返し、昇降盤を起動させて戻ってくる。

 

 ベッドの天蓋からは、俯いた顔を窺い知ることはできない。すっかりボロボロになった鎧を脱ぎ捨てると、天蓋の外で止まり、俺を呼びかけた。

 

「……最高司祭様」

「……おかえりなさい、ユージオ。さあ、こっちにいらっしゃい」

 

 入ってくるユージオは、決して俺と目を合わせず、ベッドのシーツの上に乗り上げる。

 

 とは言っても、このベッドは直径が五メルもある超キングベッドなので、ユージオは手探りで、這い寄るように俺の下へやって来た。

 

 ……っと、いけないいけない。そろそろ切り替えなければ。

 

 目を閉じると、アドミニストレータの仮面を深く被り直す。何度もクリスチャンやカーディナルに壊されているが、今回に限ってはユージオとの化かし合い。私に勝てない道理はない。

 

「いい子ね。じゃあ、顔を見せてちょうだい」

 

 十センの隙間を空けて、ユージオが体を止めると、ゆっくり顔を起こして、私の顔を見た。

 

 凍てついた様な無表情。表情をおくびにも出さないそのポーカーフェイスは驚嘆に値する。ユージオの過去からして、我慢するのは得意なのだろう。

 

 そんなユージオの顎を、右手で持って支えると、ユージオの表情が僅かに揺らぐ。

 

「……やっぱり、この記憶の穴は不安定のようね。妙なブロック処理をされてたから好都合だと思ったけど、私が手ずから記憶を封印した方がいいかしら……」

 

 うーむと考える素振りをしつつ、ユージオの額に触れる。

 

 そして、うっかりユージオが動いてしまわないよう、管理者権限を用いてユージオのステータスに直接状態異常の麻痺を書き加えるのも忘れないようにして、神聖術を唱える。

 

 そうして、ユージオの額から三角形の水晶柱を取り出した。

 

「そのまま、動かないで待っててね……」

 

 脚の上にユージオの頭を持ってきて、膝枕してやる姿勢のまま、耳許で囁く。

 

「あなたの記憶を見させてもらうから、これが終わったら、また二人で一緒になりましょうね……あなたには、私しかいないのだから」

 

 右手をユージオの額に触れつつ、左手で頭を撫でる。

 

「じゃあ、また一緒に唱えて……《リムーブ・コア・プロテクション》よ」

 

 ユージオの口は動かない。いつぞやのヒースクリフと同じで、口の麻痺は敢えて切っているのだ。

 

 それから、五秒くらいして、ようやく口が動く。

 

「…………う……」

 

 ユージオの、聞こえるか聞こえないかの掠れ声。

 

「……う……ご……」

 

 抗おうとしている。体の麻痺から、必死に。

 

 事情を知っていなければ、気取ることのできない。そして、心意の鍛錬を行っていなければ気付けなかった、心意力。

 

「……う、ご、け……」

「……何を……!?」

 

 私の内心とは切り離された口が動いた瞬間、死の予感が殺到する。

 

 いつの間にか柄に当てられた右手。私は更なる失態を悟りつつも急いでその場から飛び退くと、私の前を極寒の冷たさが襲う。次の瞬間には、ベッドが両断された。

 

 本能的に心意の力を使えたから良かった。あと数瞬遅れていれば、私の腕か首が落ちていた。正に、神速の抜刀。

 

 仮面を外しながら、あちゃー、と、俺は天を仰ぎたい気分になっていた。

 

 この世界のユージオは、カーディナルから短剣を渡されていない。その理由は簡単で、カーディナルの側について俺を殺そうとはしていなかったからだ。

 

 だから、同時に不思議に思う。いま、ユージオは完全に俺を殺す気で剣を抜いた。一応まだ上司なのだから、もっと手加減されておかしくない。

 

 取り敢えず、壊れたベッドを異空間に引っ込めると、遠い距離でユージオと向かい合う。

 

「……最高、司祭様」

「どうしてって顔をしてるわね? まあそれも当然よね……いきなりシンセサイズして、キリトと戦わせて、この人は一体何がしたいんだろう……そう思ったんでしょう?」

 

 心意で床から二十センほど浮かび上がると、そのまま椅子に座るように足を交差させて、蟲惑的な微笑みを浮かべる。

 

「私はね、ユージオ……もう、あなたたちのこと、どうでも良くなったのよ」

「…………」

「そのうち、おちびちゃん達が上がってくるでしょうから簡潔に言うけれど、面倒だからここで殺すことにしたの。言ってる意味、分かるわよね?」

 

 ユージオの片目は、細められていた。結構二人には優しくしてた方だし、てっきり開くと思っていた。そんな、まさかって具合に。

 

 ……まあ、戦意が高いならば良し。ユージオはキリトに協力して貰わなくては困る。

 

 睨み合いはじめると、ユージオは一呼吸してから口を開く。

 

「……あなたは、人界を守りたかったのではないのですか?」

「ま、結果的に言えばそうね。でも、それに当たって、おまえたちはもう必要無くなったの」

「……《剣機兵計画》、というものですよね。それが一体、どんな計画なのか、教えて下さいませんか」

 

 その左目から、猜疑の色は未だ消えず。

 

 右手は柄に、俺への視線を頑として放さない。

 

「ふふ、まさか教えを乞うとはね……その潔い姿勢に免じて、教えてあげる事にするわ」

 

 遅かれ早かれ、どうせ知ることになるのだ。

 

 今ヘイトを溜めてもらって、存分に殺しあえなくては困るというもの。

 

 ちょっとした余興という風な様子で空気頬杖を突いて、内容に反して重さのない口調で語りかけた。

 

「私はね。三百人の命を使って、とある兵器を生み出したの。抜き取った大事な人に関する記憶の欠片と、大事な人で作られた神器を用いる、整合騎士さえ歯牙にもかけない、最強の兵器をね」

「なん……だって……!?」

 

 文字通り、人間を使った兵器を作ろうとした事へ、驚きを禁じ得ないらしい。激しい感情を吹き荒れさせた目で俺を睨み付け、次に天を仰ぎ見た。

 

 天井を飾る荘厳な絵画……その一つ一つの輝き。その中の一つに、ユージオは語りかけられていたから、解ったのだ。

 

 そんな非道なる兵器に、アリスの記憶さえも利用されている。

 

「……あなただけは、絶対に……!」

「怒ったところで、おまえは手出し出来ないでしょう?」 

 

 右腕をゆらりと持ち上げて、ユージオの瞑られた右眼を指さす。

 

 さっきから、ユージオは右眼を開けていなかった。まるで、何かを隠すかのように。

 

「その右眼……おまえには、まだあの者のコードが働いているようね。アリスちゃんはもう破っちゃったみたいだけど、それは人には簡単に外せるものじゃないわよ? ベルクーリも破れなかったんだから」

 

 くつくつと喉を震わせる。

 

 ここの世界のユージオは、ライオスとウンベールのちょっかいを受けずにここに来たので、当然ながら右眼の封印を破れていない。

 

 その発破を掛けようと悪役っぷりを強調してみたが……効果は抜群だな。

 

「……これも、あなたが……最高司祭様がやられた事なのですか?」

「間接的にはそうなるわね。私が全住人にコードを仕組むように言ったの。これで、誰も教会に反逆しようだなんて思わないでしょう?」

 

 自分に与えられた命令に対し、明確な叛意を抱いた時、これは発動する。ユージオの場合、『禁忌目録第一条一項 教会への反逆』への違反を自覚している為だ。

 

 そもそも、上位存在たる最高司祭から公布されるこの禁忌目録は、まず誰も破ろうとは思わないのだ。そう人工フラクトライトはできているので、普通は右眼が痛むなんてことは起きたりはしない。

 

「どう? これで満足したかしら?」

 

 唇を一文字に引き締め、鋭い瞳を向けられる。

 

 この数々の所業を聞けば、誰でも敵愾心を向けたくなるだろう。それほどまでに、俺の犯した罪は重い。これで、心置きなく戦える。

 

 だが、そんな余裕な態度は、一瞬にして崩れた。

 

 俺が一番よく見た、ユージオの表情……どこか困った人を見るような、仕方ないなと言われているような、そんな柔らかい微笑。

 

「やっと解りました、最高司祭様……あなたは、多分、あなたが思っている以上に優しい人だということを」

 

 掛けられるべきでない口調でそう言われると、身体の隅から隅へ、何かが過ぎ去っていく。

 

 身体が総毛立って、一時呼吸さえ忘れてしまう、そんなものに触れる感覚。俺の大事な、隠したいものに杭を打ち込まれたような……

 

 そして同時に……ユージオは、俺の計画におけるイレギュラーと化した事を意味していた。

 

「……今の話の流れで、どうしてそうなるのかしら」

「……いえ。話の流れというより、ただ冷静に、今までのあなたを思い浮かべたんです。人らしい温もりも、優しさも……満ち溢れていた」

 

 瞑目して、瞼の裏に描き出しているものは、ユージオが見てきた俺の姿だろうか。

 

「僕はキリトほど、あなたの事を知っている訳ではありません。それでも、アリスや他の整合騎士からあなたのお話を聞くことはありました。ちょっとお茶目で、ちょっと怠け者で……誰よりも頼もしい、と」

「……そう」

 

 言うに事欠いて、最高司祭にお茶目と怠け者って……まあ、言ったのは、間違いなくアリスとクリスチャンだろう。

 

 なんでこう、俺の部下は上司への礼儀がなってないんだろうなぁ……

 

 溜息が漏れて、頬杖を突く手を変えてしまう。あいつらに文句の一つでも言いたいが、生憎と今日までの命だ。ユージオに話した内容にツッコミを入れられないのは惜しいところだ。

 

 俺を貫く翠眼と視線を交錯させると、ユージオが、今度は悲哀に満ちた、複雑な気持ちを全面に押し出したような気まずい表情をしていた。

 

 俺が再度目を合わせるまでに、ユージオが一体何を思ったのか……何か、嫌な予感を感じながら、彼は口を開いた。

 

「……だから、その上で聞きます。どうしてあなたが、このような事をしたのですか」

 

 その上で、ねぇ。

 

 ユージオは、目の前に立っている存在が優しさの権化だとでも思っているのだろうか。

 

 この俺に、優しさが欠片でもあると?

 

 数多くのフラクトライトで実験を行い、自動化元老を作り、整合騎士を作り、ソードゴーレムを完成させた、この俺が? そんな訳ないだろう。俺を何だと思ってるんだよ、お前は。

 

「……違うわ、大間違いよ。私は常に犠牲を強いてきた。実験に使った人達のことは記憶を整理しちゃって何にも覚えてないけど、これまで3623人にフラクトライトの実験を、506人にシンセサイズを施してきたの。この意味、分かる?」

 

 ただただ腹が立って、言い聞かせるように語気を強めた。

 

 俺は最高司祭アドミニストレータだ。人を人と思わない所業だってやってのけた。直接的にではなくとも、人を殺している。

 

 だから、本当にイライラするなぁ……

 

「ええ、分かります」

 

 ……そうやって、慈しみを込めた目で俺を見てくるのは。

 

「だから、もうやめて下さい。自分も他人を痛めつけて、最高司祭たらんと演じるのは」

「──違うッ! 私は、最高司祭アドミニストレータだと言っているでしょう!? 演じてなどいない! 私がアドミニストレータだ!」

 

 煮えくり返る激情が溢れ出て、口を激しく捲し立てさせる。反射的に、俺はユージオの言葉を否定してしまっていたのだ。

 

 一呼吸して、思い切り吐き出す。ふと冷静さを取り戻すと、まるで言い聞かせるように口走った先の発言を思い出して、自分の短気さにほとほと呆れた。さっきから、あまりに取り乱し過ぎている。

 

 こんなでは、到底アドミニストレータとしての役目を全う出来ないというのに……

 

 熱くなった顔を見られたくなくて、いつ取りだしたのか分からない、右手に握られたシルヴァリー・エタニティをユージオに向けた。取れかかった仮面を、顔に嵌め直しながら。

 

「それで? 貴方に、私に立ち向かう気概はあるの? でもまあ、その封印がある以上は無理よね?」

「それは違います、最高司祭様」

 

 遮るかのように、俺の言葉に被せてそう断言した。

 

「僕は一度、貴方がくれた本物の愛という誘惑に負けています。ですが……貴方が道を違うのならば、僕がそれを正します。前に、キリトが言っていました。禁忌であっても、法で禁じられていようと、しなくてはならない事があると。だから、貴方が貴方でなくなる前に……その大事なものを守る為に、僕は、剣を取れるんです!」

 

 強い意志を発露させながら、右眼が開かれた。紅い輝きを放ちながら、バーコードの円環が激しく回って、なおその輝きは増していく。

 

「アリスが信じる貴方の為に、僕は、戦います!!」

 

 キイイイイと、耳障りな甲高い金属音と紅い輝きが更に増し、遂に閃光を解き放った。

 

 血飛沫がユージオの顔を鮮烈に彩って、雄叫びを上げる。

 

「うおおおおおお────!!」

 

 もう、ユージオを止めるものは何一つ無い。剣を引き抜いて、急速に迫ってくる。

 

 迫り来るユージオに、取れる行動は幾つもあるが……やはり、ここは絶望的なまでの実力差を見せてやるのが一番だろう。

 

「システムコール、ジェネレート・サーマル・エレメント」

 

 そう考え、ニヤリと口を割いた俺が腕を振れば、空気を端末に生成された炎の矢が、数にして三十ほど浮かんだ。

 

 ユージオはそれに多少は驚きながらも、その足を止めるつもりは無いようだ。

 

「──ディスチャージ」

 

 次々と射出される炎の矢。ユージオはそれを巧みに躱しながら、剣で斬り払い、対遠距離用の片手直剣の防御技、《スピニングシールド》で尽くを防ぎながら、俺の斜め下まで辿り着いていた。

 

 俺は宙に浮かび上がっており、その高さは五メル。とてもではないが届かないだろう。

 

 だから、この時取るであろう選択肢は一つ。

 

 ライトグリーンの光を剣に纏わせたユージオが跳び上がってくる。空中の敵に対しても有効な片手直剣技……《ソニックリープ》。

 

 対する俺は、剣を左腰で溜めて、ソニックリープの剣を下から迎え撃ち、垂直に振り下ろす一撃でユージオをぶっ飛ばした。細剣二連撃技、《フォーリウム》。

 

 ユージオは空中に吹き飛ばされながら姿勢を持ち直すと、床に剣を突き刺して、窓まですんでのところで勢いを消せたらしい。剣を床から引き抜いて、空から睥睨する俺を力強く見返した。

 

 そんな睨み合いの最中になって、三つの影が穴から飛び出してきた。

 

「……来たわね」

 

 風素術で飛び上がっているのは、キリト、アリス、カーディナル。その先頭に立つキリトは俺に一瞥をくれてから、ユージオの方に顔を向けた。

 

「…………キリト…………」

「よう、ユージオ」

「…………来るなって、言ったのに」

「俺が、おまえの言いつけを素直に守ったことがあったか?」

「…………そうだね。君はいつも…………そうやって…………」

 

 涙ぐましいシーンではあるが、こうやって、ただ静かに蚊帳の外で黙り込むのは、アンダーワールドに来て初めてかもしれない。

 

 俺がいれば、全員が俺の方を向くのだ。まあ、お偉いさんに無礼を働きたくないっていう気持ちは分かるし、人界を牛耳る組織のトップなのだから、それも当然のことだろうが。

 

 なんだか、サラリーマン時代に戻ったかのような気分だ。

 

 ……もう、そんな日は来やしないが。

 

「……さてと。やり合う前に、話し合いませんか、最高司祭様」

「……あら。あなたたちを殺すってこと、気付いていたのね」

 

 キリトたちに動揺は見られない。

 

 俺の苦しいこじつけとして言った計画は最初の頃から見破られていただろう。そこから、殺すという発想に至るのは普通のこと。

 

 ここまでは良い。だが、ユージオの様な例もある。

 

 キリトはここに来るまでに、俺へのヘイトを着実に貯めた筈だから、そこまでの心配はしていないが……

 

「……でも、本当の目的は違うんだろう? クィネラさん」

「……本当の目的? なぁにそれ」

 

 自分の声が、一段低くなったのを感じた。

 

 本当の目的。本当の……計画。

 

「俺も、カーディナルの話を聞かなければ解らなかったよ。あなたが、こうして俺たちと対峙している理由は何なのか」

「……カーディナルったら、キリトに私の何を吹き込んだのかしらね?」

 

 視線を、キリトからカーディナルへと移した。

 

 ……思えば、カーディナルを生み出す為に、俺はどれくらいの時間をかけたんだろう。

 

 まず、シンセサイズの秘儀を編み出し、その次に大図書室を作り、自らの感情も消し、記憶の操作までして、やっとの思いで、キリトを導く存在を生み出したのだ。

 

 途方もない歳月をかけたが、その苦労もあって、こうして敵として、彼女がいる。

 

 そんな感慨に耽りながら、俺の宿敵はフンと鼻を鳴らして、前に出た。

 

「……覚えておるか? かつて、貴様が初めてソードスキルを使った時じゃ。確か、《ソニックリープ》と言ったか。あれを使った時、貴様は見事に体をシステムアシストに引っ張られ、制御不能に陥って転倒し、あまつさえそれをクリスチャンに見られ……」

「──ぅえっ!?」

 

 カーディナルの曝露を聞いて、当時の記憶が甦った。

 

 あれは……本当に赤面ものだった。アドミニストレータとなってからはしゃんとしようと心掛けていたのに、隠れてソードスキルの練習をしたらあのザマで、しかもクリスチャンに見られてしまって……本当に死にたくなった。

 

 でも、それは俺とクリスチャンの、数多くの二人だけの秘密のうちの一つであり、間違っても他人に知られていい代物ではなかった。

 

 紅潮する顔を隠しながら、思考する。

 

 ……やはり、思い当たる節は一つしかない。

 

「おまえ……記憶のブロックを自力で解除したわね」

「そうだとも。ただ一つだけ、過去と今が繋がっておった経路を辿って……わしは全ての真実を視たのじゃ」

 

 全ての、真実。

 隠し通してきた、アドミニストレータでは有り得ない部分。

 

 身体が、芯から凍りつく感覚。

 

 俺は、あらゆる秘密が暴かれた哀れな道化になっていた。

 

 ああ、そういう事か……だから、キリトさえも、ユージオと同じように、そんな目で俺を見るのか。

 

 何もかも、ガラガラと崩れ落ちていく。積み上げた、アドミニストレータという虚像が、根底から覆されて、硝子細工のように脆く、儚く壊れていく。

 

「その話をカーディナルから聞かされてる。俺も、アリスも。だから確信したよ……クィネラさん。あんたは、死にたがっている。舞台までお膳立てして、俺たち……いや、俺を使って全てを終わらせようと、こんな計画を実行した。そうだろう?」

 

 遂には、キリトの言葉の一つ一つが鋭利な刃となって、虚像の奥に隠れた〝俺〟を容赦なく切り刻む。

 

 足許が覚束無い。信じた幻想が壊れて、現実を見させられたからだ。

 

 〝俺〟という異物を、遂に彼らにまで知られてしまった。

 

 もう、アドミニストレータではない。

 

 この世界はもう、壊れていた。

 

「クィネラさん……お願いだ。俺たちは、あんたと戦う意思はない。最高司祭の責務に縛られる必要も、もう無い。人界の民を心から愛しているあんたになら解るだろう。あんたが犯した罪が重くとも、死んだところで何かが変わる訳じゃない。寧ろダークテリトリーに対抗できる力を失うだけだ。これ以上のやり合いに意味はない。だから、あんたは殺さない。俺たちと一緒に、この世界の未来を救うんだ」

 

 倒されるべき大敵は消えた。重責を負わされた可哀想な少女に、手を差し伸べる勇者が、そこにいる。

 

 対等な敵はいない。

 

 それは、弱者に差し伸べる手。

 

 アスナやリーファ、シノン、アリス、ユージオ……彼らに向けられるべき目が、敵として立ちはだかるはずの俺を貫いていた。

 

 ……その、なんと恐ろしいことか。

 

 俺は弱者ではない。キリトに救ってもらうヒロインなんかではない。俺はラスボスだ。アークエネミーだ。桃太郎で言うところの鬼、ホームズで言うところのモリアーティ、勇者で言うところの魔王。

 

 そんな存在が俺なのだ。

 

「……認めぬ、許さぬ。我は公理教会最高司祭、アドミニストレータだ! 冷酷な支配者、絶対なる世界の管理者だ! おまえに……おまえなんかに手を差し伸べられる謂れはない!」

 

 俺の存在理由は、ただそれのみに集約される。

 

 全てを投げ打ってでも、アドミニストレータであり続けなければならなかったのに。

 

「そうやって、また己を騙す。貴様の本質はわしの知るところでもあるからな。……だが、よく考えてみよ。貴様がいるこの世界は何じゃ? 真なる神、レキ・カワハラが創り出した虚構の世界か? 《ソードアート・オンライン》という、物語の世界のごく一部に過ぎんというのか?」

 

 違う、違う……俺は、ただこの世界を、正しい道へ導こうとしただけ。

 

 あるべき世界へ、あるべき物語へ……俺はそれを願ったんだ!

 

「……私は、私は……この世界を正さなければならない!」

「そうやって、神の代弁者たらんと? じゃが、誰もそんなものは望んでおらぬわ! 貴様が一番知っているじゃろう! 彼の者の物語が我々にとって最善ではない……正しい道など、存在せぬ事をな!」

 

 

「──違うっ!!」

 

 

 なら、俺は……全部間違っていたのか?

 

 クィネラとして、俺は生きてきた。この世界に生を受けてしまってから、《ソードアート・オンライン》という物語を作り上げる為に行動してきた。

 

 そうしなければ、《アリシゼーション計画》は順調に進み、AIは軍事転用され、キリトとユージオが出会い、友情を育むことも無ければ、ダークテリトリーとの和平も成らず、この世界はそれで終わりを迎える。

 

 それを阻止したかった。公理教会を立ち上げ、禁忌目録と《コード:871》で実験を遅らせ、キリト達の来訪を待っていた。

 

 整合騎士団がなければユージオが央都を目指すこともなければ、アリスとキリトが協力してアドミニストレータと立ち向かうことは無かった。

 

 整合騎士団が人界軍を作り、ダークテリトリーと立ち向かうことも無いだろう。

 

 俺は間違っていない。間違ってなどいない。このまま殺されてしまえばいい。

 

 なんだ、俺は間違ってなんかないじゃないか。

 

 危うくカーディナルに丸め込まれる所だった……だが、こんな所で俺の野望を終わらせる訳にはいかない。俺はまだ止まれない。

 

「ふ、ふふ……あはははは!!」

「……何がおかしい、クィネラ」

「……そんなもの、全部に決まってる。間違いなんて、一度も起きていないんだ」

 

 

 

「俺はアドミニストレータ……この世界を正すものだ! やってみせろ、キリト! 俺を殺してみせろ! さもなければ、俺がおまえたちを殺す!」

 

 

 

 啖呵を切った俺の右手が強く光り輝いて、その手の中に握られた《敬神モジュール》が強く明滅する。

 

 長ったらしい術式なんて要らない……俺は、アドミニストレータなのだから。

 

「──リリース・リコレクション!」

 

 数は、二十五本……それでも一本一本が強力な神器である事に変わりは無いそれらが、百階の壁から解き放たれ、俺の手許へ集まっていく。

 

「クィネラ……貴様!」

「くっ……あの時と同じ《ソードゴーレム》が……!」

 

 黄金の剣の人形に、《敬神モジュール》が嵌め込まれる。

 

 俺の、俺の最高傑作……ああ、俺は、やはりアドミニストレータなんだ。

 

 物語は繰り返される。

 そういう運命なんだよ。キリト、カーディナル。

 

「改めて……我が名は公理教会最高司祭、アドミニストレータである。さあ、頭を垂れて、這い蹲りなさい」

 

 アドミニストレータの仮面を被り直した俺は空に浮かび上がると、妖艶に足を組みかえて、ソードゴーレムに命令を下した。

 

 

 

(つづく)

 




次々回で終わりと言ったな。あれは嘘だ。

次回、原作再現編完結。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

裏話 クィネラ&『      』

アクセルワールド26発売記念っ……!(もう過ぎた)


 

 

 ……む。意外とやるな。

 

 五本分の神器を使っていないし、カーディナルの庇護を受けているとはいえ、《ソードゴーレム》の攻撃を防御し切れているキリトとユージオにやや感銘を受けていた。

 

「オォォッ!!」

 

 キリトが《ソードゴーレム》の一撃を受け止めると、勢いのままに押し返し、ソードスキルを発動する。片手直剣最上位の十連撃、《ノヴァ・アセンション》。

 

 神速の上段斬り、からの右への横薙ぎ、折り返して左、袈裟斬り、上に垂直に斬りこみ、三連の突きで《ソードゴーレム》を突き飛ばすと、下段の一閃で体勢を崩し、止めに、跳ね上がりながら斬り上げて、《ソードゴーレム》を転倒させる。

 

 そこへアリスが飛び出す。上段に振りかぶった剣がライトブルーに輝き、ゴーレムの関節部分に垂直に振り下ろされ、念押しとばかりに上に斬り上げた。片手直剣二連撃、《バーチカル・アーク》。関節部の球体を破壊し、脚が一つ吹き飛ばされて、床に深く突き刺さる。

 

 アリスも、元老長クリスチャンの存在のせいか、原作の比ではない強さを身に付けているようだ。こんな二連撃技を俺は教えた記憶がないから、それは明らかだった。

 

 ともあれ、《ソードゴーレム》の四本の脚のうち一本が破壊されてしまった。だが、脚一本やられた程度ではこいつは止まらない。

 

 紫の眼光が激しく光を放つと、横から迫るユージオへ黄金の刃を振りかざした。

 

「うぉぉぉぉ!!」

 

 だが、寸前になってカーディナルがシステム的障壁を構築し、凶刃を免れたユージオが《ソードゴーレム》の心臓部に迫る。

 

 赤黒い色に染まった《青薔薇の剣》……まさに、《ヴォーパルストライク》の構えだった。空中で発動されたそれは、容易く《ソードゴーレム》の剣の間へ食いこんで、モジュールを破壊してしまうだろう。

 

 ……だから、そんな事にはさせない。

 

「システム・コール!!」

 

 心意によって、宙に点った光素が紫の雷に変わり、ヴォーパルストライク発動状態のユージオを穿つ。バチンッ! というけたたましい音が鳴って、ユージオを床に叩きつける。

 

「──ユージオ!」

 

 キリトがユージオのもとに駆けつけようとするが、そこは《ソードゴーレム》の脚元。つまり、無闇に突っ込むのは愚の骨頂だ。

 

 《ソードゴーレム》が腕をガクンと曲げると、キリトに向かって薙ぎ払った。そこに、割って入るようにアリスが現れ、一撃を受け止め、その場に踏ん張った。

 

 続いて左の腕がキリトを襲うが、カーディナルの光素、ライトニングシェイプの雷が《ソードゴーレム》の動きを止める。

 

 連携されると、こうも厄介だとは……

 

 ユージオを奪回され、カーディナルの治癒術を受ける合間にも、キリトとアリスは攻撃を凌ぎ続けている。そして、隙を抜い、二本目の脚が破壊された。三本脚で辛うじて立っていた《ソードゴーレム》が、前のめりに転倒する。

 

 まあ、俺がいる以上は簡単に壊させやしないが。

 

 両手にそれぞれ鋼素と風素を浮かべると、五つの鋼の矢をストリームシェイプの風素に乗せて、《ソードゴーレム》へ肉薄するアリスに放った。

 

 その全てを叩き落としたアリスの前に風素で加速して降り立つと、驚愕に染まったアリスの横腹に、水色の光が点った右脚を回し蹴りの要領で叩きつけて、地面に転がした。

 

 ついでに、キリトに向かって左手に作った熱素をボールシェイプでディスチャージ。更に、発射した熱素をバーストエレメントで爆発させた。

 

「くっ……!」

 

 突如発生した爆炎に呑み込まれかかったキリトが、軽やかな身のこなしで後ろに飛び退き、《ソードゴーレム》から距離を取らざるを得なくなった。

 

 よしよし、これで全員距離を取ったな。

 

 内心でほくそ笑むと、《ソードゴーレム》に向かって、一つ命令を下す。

 

「──!? まずい!」

 

 カーディナルが叫ぶが、次の瞬間、床で横たわっていた脚の神器がゆっくりと浮かび上がり、壊された脚へがちゃりと連結した。もう一つの脚も、同じように関節部に吸い込まれ、嵌った。

 

 これが、《ソードゴーレム》に搭載された自動修復機能。修復の間は致命的な隙が出来るので、この時を待っていた。

 

「なっ……脚が戻った!?」

 

 それだけでは無い。全員で与えた攻撃による傷さえも、みるみるうちに回復し、天命は完全に元の上限値に戻っている。

 

「隙を与えたら再生か……ジリ貧は必至だな」

「ええ。それに、私達四人がかりでも、《ソードゴーレム》の核を破壊するには至りませんでした。最高司祭様もいらっしゃるとなれば、私達ではとても……」

 

 集まった三人は絶望的な状況を悟り、苦い表情で歯を食いしばっている。

 

 だが、そんな危機的な状況に立たされていようと、カーディナルの目は強い意志の光に満ちていた。《ソードゴーレム》を殺せない事を知っているのにも関わらず、その焦茶色の瞳で力強く見上げてくる。

 

「……ふふふ。残念ね、おちびちゃん。おまえの持つ三人の駒では、この私と《ソードゴーレム》には勝てないのよ。それに、おまえに殺人の制約に縛られる《ソードゴーレム》は殺せない……そうでしょう?」

「ああ……そうじゃ。その通りだとも。それどころか、今のわしには貴様を殺す術は無い。いまのわしは、貴様のその愚かな行いを止める為だけに存在しておるからじゃ。ゆえに──誇りとともに受け入れよう、敗北を」

 

 ぽつり、と発せられた最後の一言は、俺の口を醜く歪めさせた。高揚感、恍惚感を一入に感じて、顔にまで出てしまっていることだろう。

 

「じゃが、一つ条件がある。わしの命はくれてやる……代わりに、この若者たちの命は奪わんでやってくれ」

「くふふふ……その子たちを、ここから逃がしてやればいいのよね?」

「それで構わん。彼らなら、きっと……」

 

 順調だ……何もかも。

 

 ifのルートに入り込んだ時はどうなるかと思ったが……焦ってでも元の話に戻せてよかった。

 

「いいわ。それじゃあ、私のフラクトライトに誓って……おちびさんを殺した後、後ろの三人は無傷で逃がしてあげる。それでいいわね?」

「よかろう」

 

 首肯したカーディナルが、後ろで立ち尽くすユージオとアリスに穏やかな目で何かを伝えると、最後に、俯いたままのキリトを見遣った。

 

 そして……

 

「……だめだ」

 

 呟かれた一言は、明瞭に、俺の耳まで届いた。

 

 カーディナルまでもが驚き、自分を制したキリトに疑問の目で訴えかけている。

 

 同時にその言葉は、耳を伝って、俺の脳を刺激した。微かな、何かの記憶が思い出されるような突っかかりを覚えたが、鮮明には思い出せない。

 

 ただ、今はっきり言えるのは……これが、全く予想し得なかった発言である事だけ。

 

「これじゃあ、何も変わらない……九年前の時だってそうだ。何も守れなくて、大事な人が目の前で奪われて……自分がただ無力に感じた。今の俺が、それをじっと見過ごすことなんて、できる訳が無い!」

「キリト……君は……」

 

 ユージオが目を大きくして、剣を握り締めて激昂するキリトに、零れる感情を抑えるように声を振り絞った。

 

「じゃが……わしに《ソードゴーレム》は……」

「俺たちがやる。俺たちが……《ソードゴーレム》を殺す罪を背負う。だから、生きてくれカーディナル。そして……力を貸してくれ!」

「……私も同意見です。騎士として、司祭様を犠牲に生きながらえるなど、到底できません」

 

 なんだ、これは。

 

 目の前で繰り広げられる光景に、更なるイレギュラーが発生したのだと知覚するのに、時間なんているはずも無かった。

 

 俺はこれが何かを知ってる。だが分からなかった。

 

 何が起きている。どうしてこうなったんだ……そんな思考が頭をぐるぐると巡る。それでも分からなかった。

 

 分からない分からない分からない……!! 上手くいっていたのに、何でこんな所で崩れるんだ! 俺がいつ、余計なテコ入れをしたっていうんだ! クソっ……何が、何がいけなかった……!?

 

 俺の内心の荒ぶりを、キリトは悟ったのか……どこか、遠くへ目を向けて、思い出させるように明かした。

 

「……俺に、過去を乗り越える機会があったからこそ、こうして、運命に抗おうとしている。それを教えてくれたのは、あんたなのにな……クィネラさん」

 

 …………いや、あったんだ。

 

 キリトの言葉で、全てを察せられた。

 

 俺が、独断で、塞ぎ込むキリトに声を掛けた時……何もするなと言われて、消沈するキリトに俺はなんて言った?

 

「思い当たる節はあるだろう。だってそれは、ほんの一ヶ月前の事なんだからな」

 

 それが、今のキリトに影響していた。過去は過去なのだから、今に向かって進めと、随分身勝手なことを言って、運命に抗えと、そう言った。

 

「あの時……あんたも心のどこかで苦悩していたんだろ、この計画のことを。最後に言い残した言葉……《運命に抗ってみせろ》ってのは、そんなあんたが、自分自身を止めてもらいたくて言ったんじゃないのか」

 

 ──違う。

 

 そんなのは、俺の望みじゃないはずなのに……心の裡を深く抉られて、ずっとじんじんと傷んでいた。

 

 俺が生きようと思っていた? それなら確実に否だと言える。

 

 俺は狂ってる。物語の役割に殉じ、自分の死にしか生きる価値を見い出せなかったくらいにだ。

 

 だから、この痛む心には気にもとめずに、声を張り上げる。

 

「……そんな事はない! 私はただ、果たすべき使命の為に……」

「じゃあ、なぜ自分の感情を消さなかった!? どうして、部下の整合騎士達と仲良くあろうとした!? 最高司祭を演じたいのなら、それらは不要だった……そうじゃないのか!」

 

 図星ではあった。ただ、それは俺が演じ切れなかっただけで、俺が死ぬのには関係無かったから、そうしただけに過ぎない。

 

 だから、そこは問題ではない……問題では。

 

「それだけじゃない。あんたは、元老長クリスチャンの事が好きなんだろ」

「ちょっ……!? ち、ちがっ────むぎゅ!?」

 

 ──待って、それ今関係ある!?

 

 有り得ないところからダメージを受けて、脳がフリーズした。そうすれば、身体を浮かばせている心意が解けるのは必定で、地面に顔から落下してしまった。

 

 や、その……確かに好きではあるけど……というか、自覚したのは凄い最近だけど……

 

 さっき遺言書いたばっかだから、今それ言われるのはキツいんだが……!

 

 ラスボスムーブで一時的に抑えられていたそれらが、心の抉られた部分を突いて、〝俺〟を押し退けて溢れ出してくる。

 

 遺言でケリをつけたはずの想いだった。この想いは、絶対に邪魔になるだろうからと。

 

 だからクリスチャンも任務へと就かせた。自分が死ぬのに、一番の不確定要素だったから。だって、そうじゃないと……

 

「長い間、いつどんなときでも自分に寄り添ってくれた彼のことを深く愛していた。だから感情を消そうとはしない。感情が消えれば、クリスチャンのことを好きだとは思えないからだ。それにクリスチャンも、クィネラさんから感情が消えることを良しとは思わないだろう……つまり、あんたはもう、生きる価値を別に見出していた。俺には、そういう風に思えるけどな」

「え…………?」

「あんたは今、クリスチャンと一緒に生きたいと思ったはずだ」

 

 息を呑む。俺の本能が激しく警鐘を鳴らして、これ以上はいけないと訴えてくる。これ以上、キリトの話を聞けば、どうなるか分からないと。

 

 それはキリトに限ったことでは無い。ユージオだって、カーディナルだって。

 

 心のどこかで、〝私〟じゃない、〝俺〟が諦めきれていない部分(クリスチャン)だろうと、容赦なく土足で踏みしだいて、入り込んでくる。

 

「……最高司祭様。あなたは、いつまで閉じこもっておられるのですか……。どうして、クリスチャンへの並ならぬ想いを知られてもなお、頑なに出ることを拒まれるのですか……!」

 

 ……それは、アリスだって。

 

「目を覚まして下さい! 今のあなたは、私の知るアドミニストレータ様ではない! なぜ心を曝け出してはくれないのですか! どうして、その〝仮面〟を外して下さらないのですか!!」

 

 他人の事情に、お構い無しに踏み込んでくる。

 

 いまも〝俺〟の奥から、何かが訴え掛けてくるのだ。

 

 そんなものは、解りたくないというのに。

 

 心の裡で、いまも〝俺〟が軋みを上げて、胸が張り裂けそうだというのに。

 

「私は、最高司祭様の『友人』というのはそんなにも愚かしく、不甲斐ない存在だったのですか……っ」

「……もう、口を開かないで」

 

 これ以上、お前達に好き勝手はさせない。

 

 自分が壊れてしまう前に、与えられた役割を果たす。

 

「《ソードゴーレム》……殲滅しなさい。眼前に映る、その敵どもを」

 

 命令を与えられ、濃密な狂気を孕んだ人形が駆動する。

 

 

 今度はもう、容赦しない。

 

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 ……強い。強過ぎる。

 

 ……僕では、僕一人では、到底勝てるはずもなかったんだ。

 

 キリトとアリスが、《ソードゴーレム》の攻撃に敢然と斬り返していく中、剣を取って駆け抜けながら、ユージオは思う。

 

 未だ、頭上では、アドミニストレータの冷ややかな瞳がこちらを見下ろしている。あの下に辿り着く事は、困難どころか無謀でさえあった。

 

 それは、これまでの戦いぶりからみても明らかだった。まるで歯が立たない。

 

 ユージオには、それを歯噛みすることさえ許されない。許されてはならなかった。ここで悔しがっても、アドミニストレータに勝てなくては意味が無い。キリトとアリスと、そしてカーディナルが命を懸ける意味もなくなってしまう。

 

 ソードゴーレムが体を半回転させて、黄金の刃を振り抜いた。真横から迫るユージオの《青薔薇の剣》と強かな音を立てて衝突し合うが、僅かに押し負けて、地面を滑るように両足が後退する。

 

 ソードゴーレムの半径五メル圏内には、近付くことも満足に出来なかった。

 

 ──考えろ、考えるんだ。

 

 納刀の姿勢で構えた、斜め上への《スラント》の一撃で、ソードゴーレムの剣を押し切り、アリスが、ゴーレムの続く二撃目を踏ん張ってみせると、キリトに、《ヴォーパルストライク》を撃たせる隙を作り出した。

 

 ユージオとアリスの間を駆け抜けて、腕を引くと、深紅の輝きがキリトの《夜空の剣》を満たすと、ジェットエンジンじみた轟音が発せられる。片手直剣ソードスキル、《ヴォーパルストライク》の、しかも心意によるソードスキルの増強が加わり、長大なリーチを持つに至った一撃を見舞った。

 

 しかし、それでも《ソードゴーレム》の三本の大剣からなる背骨の、僅か一センの間隙を縫って《敬神モジュール》を穿つには、正確性が今一つ欠けていた。

 

 ゴォンッ、という重い金属の音が虚しく響き、キリトの身体が大きくよろめいて、《ソードゴーレム》は何事も無かったように傷を修復する。

 

 今の時間が、単なる徒労に終わったとは言わせない。言わせない為にも……ユージオは方法を模索していた。

 

 ──遠距離から、あの《敬神モジュール》を貫くのは、アリスを連れ去ったあの整合騎士、デュソルバート・シンセシス・セブンの様な弓が無くては、きっと貫くことは敵わない。

 

 ──それなら、近距離から。でも、それを実現するには、最高司祭様が持つ様な飛翔能力と、《ソードゴーレム》の強大な一撃を回避ないし防御できる能力、その上で、あの隙間を穿つ正確性が必要だ。

 

 ならば、ならば、ならば…………

 

 何回も思考し、そして、天井の水晶の光を受けて、ユージオは辿り着く。

 

 キリトに剣を向けた自分の罪を償い、かつ最高司祭を止められる方法を。

 

 ──僕が、この剣になればいい。

 

 それは、奇しくもというべきか、必然か。

 

 キリトが恐れるもう一つの結末を、繰り返す。

 

「カーディナルさん。僕を──僕のこの体を、剣に変えてください。あの人形と、同じように……システム・コール、リムーブ・コア・プロテクション」

 

 カーディナルの目が一瞬見開かれ、閉ざすと、感慨を乗せた声で、悲しみを露わにした。

 

「……そう、か。お主はまた、同じ道を選ぶのじゃな……」

 

 アドミニストレータの記憶を持つカーディナルだからこそ、心を搔き暗すような、沈痛な想いに駆られてしまう。

 

 だからといって、ユージオの決死の思いを無駄にできるほど、カーディナルという〝人間〟は器用ではない。

 

 その上、ユージオが剣となるのは、現状の打破に最も効果的なのだと、自分でも解っていた。それはカーディナルに存在する《ソードアート・オンライン》という世界の記憶からしても、明らかな事実。

 

「ユージオ、お前……戻れなくなるかもしれないんだぞ!」

 

 二人の会話を耳にしていたキリトが、《ソードゴーレム》の猛攻を捌きながら、恐れていた事態に声を張り上げる。

 

 何がなんでも、という気迫さえ感じるキリトの心配をひしと感じて、困ったなぁと、苦笑を浮かべる。

 

「いいんだ、キリト。これが、僕に与えられた本当の役目……ここにいる意味なんだ。それに、これはキリトに剣を向けてしまった事への償いだから……僕が、みんなを助ける番なんだ」

 

 視線を、キリトからカーディナルへ転じる

 

 ユージオの決意を受けて、カーディナルは小さく頷いた。

 

「よかろう。お主の役目を、果たしてやろう……」

 

 己もまた、あの天に浮かぶ哀れな少女と同じ道を行くことになろうとはと、自分を嘲笑いながら。

 

「じゃが、ユージオ……お主が死ぬ様な真似は、このわしが許さん。絶対に生きて戻るのじゃ。……よいな」

「はい。生きて、必ず戻ります」

 

 そして、術式が唱えられ始める。それを悟ったアリスとキリトが、ユージオとカーディナルを守るように並び立つと、後ろを向いて、頼もしそうに不敵な笑みを浮かべる。

 

「……それでは、私達は司祭様の術式が完成するまでの時間を稼がなくてはなりませんね」

「……頼んだよ、アリス、キリト」

「この剣に誓って、貴方を守り徹します」

「……ああ。お前の邪魔はさせないさ。こっちは任せてくれ」

 

 決然と宣言するアリスと、自分の胸を二回叩いて、そう言ってくれるキリトに、ユージオは胸が熱くなりながら、感謝の言葉を……

 

『あら。ワタシも忘れて貰っては困るわね』

 

 聞き覚えのある女の人の声が響くと、キリトの髪からひょいと飛んだ小さな蜘蛛が、ポンと紫色の煙に包まれた。

 それが晴れると、小さな蜘蛛が居た場所には、黒衣を纏い、癖のある毛質の黒髪を短く切りそろえた妙齢の美女が立っていた。

 

「は……? え、あの……シャーロット、さん? なのか?」

「それ以外の誰だというの。ワタシはワタシよ。これは仮初の姿だけれど」

 

 アリスが目をぱちぱちとさせて、味方というのなら心強いと、シャーロットに一つ頷いた。キリトは、少し信じられないと、驚きで一杯になっているようだが、頭を振って、どうにか現状を飲み込んだ。

 

「シャーロットさん……お願いできますか」

「勿論よ。マスターに代わって、ワタシが守るわ」

「……本当にありがとうございます。それに二人も、ありがとう」

 

 胸どころか、目頭までも熱くなり始めたのをぐっと堪えつつ、ユージオが感謝すると、三人が無言で微笑み、ユージオに背を向ける。

 

 地面に降り立つ最高司祭を前に立ち向かう三人を見送ると、ユージオは天井画の青い鳥の……その眼に差し込まれた水晶を見つめた。

 

 それは、ユージオが追い求めたアリス・ツーベルクの記憶の欠片がある部分だった。

 

 ──また、アリスには助けられちゃうね。

 

 ──ふふっ、ユージオったら、昔と全然変わらないんだから。

 

 ユージオとアリスの水晶が一つのラインで結ばれ、水晶がユージオの下に降りていく。

 

 やがて、舞い降りてくる彼女の手を取ったユージオの身体は、十字架の様な紫の光柱に包まれて、腰に佩かれた《青薔薇の剣》が宙に浮かび上がった。

 

 それは、ユージオには不思議な感覚だった。身体が空気に希釈して、魂だけにされてしまう様な、一種の離人感。かと思えば、想像を絶する寒さが、実体を伴わない身体の感覚を覆い尽くしていた。

 

 凍えるような寒さと、《青薔薇の剣》の記憶の、その全てが流れ込んできて、《青薔薇の剣》と一体になったんだろうと感じると、希釈していた感覚が、一気に濃縮された。

 

「ユージオ、危ない!」

 

 その声は、ユージオにも聞こえていた。

 

 その時、ユージオに向かって、二十もの熱素で出来た一つの大きな炎弾が放たれていた。

 猛進する小さな太陽はアリスの防御を受けても止まらなかったが……ユージオとの間に、大きな蜘蛛となったシャーロットが割り込んで、命を賭して受け止めたのだ。

 

 脚が三本焦げて灰となったが、ネームドのユニットとして強い部類のシャーロットはそれに耐えた。煙を立てて蹲るシャーロットは、みるみるうちに小蜘蛛に戻っていった。

 

「全く、無茶しおって……わしのローブの裏で休んでおれ」

 

 シャーロットがぴょんと飛び乗って、ローブに入り込んだことを確認したカーディナルは杖を構えて、一拍。

 

「──リリース・リコレクション!」

 

 解けた身体が、《青薔薇の剣》と記憶の欠片を核にして精錬され、一振りの大剣を創り出した。

 

 ユージオ自身と、《青薔薇の剣》と、アリスの記憶。その全てを内包した、翼を生やす純白の大剣。

 

 声を発せられなくとも、四肢は無くとも……これが自分の身体だと言うように、大剣はユージオの意志に応じて、飛翔した。

 

 ──アリス、キリト!

 

 大剣となっても、失われることの無かったユージオの視界に、騎士鎧が壊され、煤けた修道服のまま倒れているアリスの姿と、カーディナルを抱えながら自分を見上げる、傷だらけで満身創痍のキリトが映った。

 

 そして、遠目からこちらを睨む、最高司祭アドミニストレータも。

 

 同じ高度までユージオが下がり、アドミニストレータへ己の切っ先を向ける。

 

 アドミニストレータが、この大剣を見たその一瞬だけ、自分も知る、あの穏やかな笑みを垣間見た気がしたが……アドミニストレータの告げる言葉に、一切の容赦は無かった。

 

「……あの剣を叩きのめしなさい、《ソードゴーレム》」

 

 剣の人形は、紫の眼光を再び灯らせて、主の命令を遂行する。 

 

 それに対峙するユージオは、光の翼を広げると、一直線に《ソードゴーレム》へ飛んでいって、地面を滑るように加速すると、大きく上に垂直切りを繰り出して、《ソードゴーレム》の十字にクロスさせた腕に立ち向かう。

 

 しかし、直ぐに弾き返され、ユージオは宙に少し漂うと、またも加速。上から、横から、数合いの剣戟をすると、もう一度仕切り直すべく、距離を置いた。

 

 ──あの《ソードゴーレム》には、どんな攻撃をしても反応されてしまう。多彩な攻撃よりも、重く、そして速く、単純な一撃を

 

 光の翼を羽ばたかせ、キラキラと光の粒子が尾を引く。

 

 ──速く……もっと速く!

 

 ユージオの心意が、純白の大剣を神速の域に引き上げる。

 

 強烈な空気の振動を放って、目視できない光のスピードで《ソードゴーレム》に突っ込んだ。再度、空気がけたたましい音を立てて、光が炸裂する。

 

 その素早さは、ソードゴーレムの認識能力さえ凌駕していた。剣が振られ、肋骨の剣がユージオを受け止めようと動いたが、その時には、何かが砕け散る音が響いていた。

 

 直後、《ソードゴーレム》を成していた神器が《敬神モジュール》による制御を失って、黄金のパーツとなったまま辺りに拡散した。

 

「ユージオ……」

 

 Uターンしてキリトの下へ戻ると、暇を置かずに、その切っ先の方向を改め、アドミニストレータへと向けた。

 

 ──勝てる、とは思わない。でも、一矢報いてみせる。だから見ていてくれよ、キリト。

 

 水晶が煌めき、あの光の翼を纏った。

 

「……やめろ、ユージオ」

 

 キリトの掠れた声が響こうと、翼の羽ばたきは止まらない。

 

 ──いいんだ、キリト。これでいいんだ。

 

 柄から、力強く羽ばたく。純白の大剣が、直線上にアドミニストレータを捉えて、勢いよく飛び出して……

 

 

「やめろぉぉぉぉぉ────!!」

 

 

 膝立ちから跳ね上がるように、地面を蹴り上げ疾駆したキリトが、今にも転びそうな前傾姿勢で、手を伸ばした。

 

 一瞬、ほんの一瞬、ユージオより速く動くことができたキリトだが、ユージオはもう加速を始め、キリトとユージオの距離は、十センも開いていた。

 

 徐々に迫るキリトの腕。あと五セン、三セン……それでも、ユージオは加速していた。

 

 間に合う筈がない。間に合う筈がなかった。

 

 

 だが、ユージオは知る由もない。キリトには、かつて親友を喪った世界の記憶があることを。

 

 親友を喪うその無力さが、どれだけ自分を苛んでいたかを。

 

 

 限界まで引き伸ばされた手が、遂には、飛び立とうとする白い大剣の柄を掴み取った。

 

 勢いづいた翼が霧散して、純白の大剣が光に変わる。

 

 光がその形を縮めていくと、それはやがて、見慣れた氷の直剣の姿となった。

 

「……一人で、行かせるもんか」

 

 ──キリト……どうして。

 

 ユージオは、動揺を隠せずに訊ねる。

 

 一人で行こうとした自分を引き止めた、その親友に。

 

「ユージオ……お前は長い間自分を責め続けていた。九年前に、アリスを救えなかったことを、悔やみ続けていた。その悔恨の半分は、俺も背負うべきものだったんだ。だから、お前を喪う訳にはいかない。俺が、お前の親友でいる為に」

 

 ──もう……そんな事しなくても、僕達は親友だろう?

 

「俺が気にするんだよ。それに、ずっとユージオに任せたら、俺が何も出来なくなるだろ?」

 

 ──キリトは負けず嫌いで頑固だものね? よーし……じゃあ、私も一緒に戦わせてもらうわ!

 

 ニヤッと笑いかけるキリトのすぐ側から、そんな声が聞こえてきた。

 

 仲良しの幼なじみが三人。実に、九年前ぶりの集結に、ユージオの胸が感動に打ち震える。剣と一体化しているから、涙こそ出てはいないが、それ程に、待ち焦がれた瞬間で。

 

 キリトの、《青薔薇の剣》を持つ左手も強く握り締められる。

 

「二人……いや、三人で一緒に、アドミニストレータを止めるぞ」

 

 二本の剣を携え、心意で具現化した黒いロングコートを翻す。

 

 ユージオも知らない、本当のキリトの姿……《黒の剣士》は、全ての想いを背負って、今ここに立ち上がった。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 目の前で、敢然と剣を向けてくるキリトを前にして、やはりというか、半ば分かっていた結果に、溜息が漏れ出る。

 

「……おまえ達は、つくづく想像を裏切ってくれるわね」

 

 右手に黒い剣、左手に白い剣。

 

 こんな事態を目にすれば、もうほとんど呆れに近い感情を抱いていた。

 

「気に入らないわ。心の底から、貴方達が嫌いよ」

 

 散々踏みにじられた。俺の目指したものを、尽く塗り替えられた。

 

 シャーロットも、カーディナルも、ユージオも……誰も死なず、局面は終わりを迎える事になろうとは、一ミリセも思わなかったというのに。

 

 だからか、俺の心は吹っ切れてしまっていた。

 

「……それは、思い描いた通りにならなかったからか?」

「三百年掛けて作った舞台が台無しにされたら、誰でも思うところぐらいあると思うでしょう?」

「ほう。その言葉は、自分自身の所業を省みてから言うのじゃな。お主の甘さが、この結果を招いたのじゃよ」

「……その通りでも、直接言われるのは癪ね」

 

 ここまでイレギュラーが生まれると、カーディナルの指摘通り、自分の計画の杜撰さは明確だ。

 

 が、過ぎた事は仕方無い……いや、というよりも、どうしようもないから、もういっその事と諦めたのだ。

 

 ユージオやカーディナルも、シャーロットだって、俺が殺したかったから殺そうとした訳じゃない。寧ろ、三人のことは大好きだと断言出来る。

 

 絶対に、物語は変わってしまうだろう。《ソードアート・オンライン》の枠を離れて、キリトにとって優しい世界が実現したりするのかもしれない。

 

 そこは、そこはいいのだ。どんな道を行くのかは、彼らに委ねる他ない。

 

 俺に……アドミニストレータに残された、最後の役割を果たせれば、もう、それでいい。

 

「まあ、いいわ。それで? キリトは一体、どうやって私を止めてくれるのかしらね」

「……出来ることなら、話し合いたいけどな。でも、あんたはそれを望んじゃいない。剣を持っているのは、その為なんだろう」

「ふふ、大正解。じゃ、ご褒美をあげるわ」

 

 ご褒美とは名ばかりに、《シルヴァリー・エタニティ》から一直線に紫電が解き放たれる。

 

 しかし、それはキリトに当たる寸前に、システム的障壁に当たって、パチパチと雷光を散らした。

 

「……邪魔、しないでくれる?」

「なんじゃ、わしが居ると不満か?」

 

 ニヤニヤと、挑発するような笑みでキリトの後ろに立っていたちびっ子が、そんな事を宣う。眉がピクピクと動くのを気合いで阻止しつつ、平静を装っておく。ここで苛立ったら、カーディナルの思うツボだ。

 

「ま、攻撃してこないのなら、鬱陶しくなくて良いけど」

 

 要するに、キリトに神聖術の攻撃は通用しないと思って良いだろう。

 これが原作なら、キリトとカーディナルによって、アドミンはボッコボコにされてしまうだろうが。

 

「そっちにちびっ子が付くのなら、キリトも何かハンデが無いと、不平等よね?」

 

 なので、こちらも少しズルをさせてもらう。

 

「なっ……貴様!」

 

 カーディナルの非難なんていざ知らず、キリトの後ろ、カセドラルの壁に凭れているアリスを《心意の腕》で引っ張ってくる。

 

 散らばっている《ソードゴーレム》の部品の一つを形状変化させ、十字架の形にしてから、アリスを鎖で磔にした。

 まるで、火刑にでも処される聖女を見ている気分だ。黄金の十字架というのも相まって、神秘的な様相を醸している。

 

「人質よ。あなたたちがわたしを私を殺せなかったら、アリスちゃんに掛けられた術式がその命を奪う……選択は二つに一つ。私の命かアリスちゃんの命か。こんなの、比べるべくもないわよね」

「クィネラめ、余計な真似を……」

 

 これで、キリトは俺を殺す理由が出来た訳だ。

 

 思いつきだったが、アリスが目的でもあるキリト達には効果は十分だ。

 

「殺す理由があるのなら……心置きなく戦えるでしょう? 全力で掛かって来なさい。手加減なんて更々するつもりはないから、そのつもりで……ね?」

 

 キリトの顔が明らかに苦々しくなって、歯を食いしばる様子が、なんとも嗜虐心をそそる。

 キリトは、困難に立ち向かってこそ、その本質が一番に輝く。

 

「システム・コール……リディフィニション・オブジェクト」

 

 わざわざ詠唱するまでもないこれは、明確な開戦の合図だ。キリトも戦いの顔つきに変わる。

 

「──カタナ・クラス」

 

 《シルヴァリー・エタニティ》がレイピアから、長々と、二メルの大太刀サイズのカタナに変わり、それを抜き身で左腰に構える。

 

 カタナのソードスキルは、居合の構えから入る技が複数存在している。その為、足さばきや姿勢、移動中と、モーションが検知される方法が多岐に渡るのだ。

 

 それを見分けるのは、如何に熟達した剣士とて至難だ。

 

 右脚を大きく前に、前傾姿勢で構えると、カタナが濃い緑に染まる。

 

 そのライトエフェクトと、俺との距離感で、キリトは正に放たれようとするソードスキルの正体を看破したらしい。

 

 瞬間移動でもする様な速さで、一直線上を駆け抜ける。ソードスキル《辻風》。

 

 それに相対するキリトは、事前に用意していたソードスキルで迎え撃った。水色の軌跡を描いて突進、右の剣が振るわれる。抜刀から垂直に斬り上げる《辻風》に、横から斜め上に斬り上げられて、ソードスキルの軌道が歪められたうえに、反時計回りに一回転すると、左の剣が遅れて弧を描き、俺の刀を凄烈に弾き返した。

 

 刀とのリーチ差もあって、キリトの攻撃の殆どが刀身に吸い込まれたが、もう一歩踏み込んでいたら、確実にキリトのソードスキルの餌食になっていた。

 

「──《二刀流》、二連撃ソードスキル、《ダブルサーキュラー》」

 

 どこか、皮肉った笑みでそう言うキリト。わざとらしく技名を教える様は、この前の意趣返しか。

 

 二刀流はこの世界に存在しないソードスキル故に、全てのソードスキルを知っている俺でも、未知の剣技。

 唯一俺の不意を突ける、キリトだけの剣だった。

 

「……ふぅん。一ヶ月前の私との戦い、律儀に覚えてくれてたのね」

「お蔭さまで、全然油断出来ませんけど──っ!」

 

 ……なんだよ、普通に戦いを楽しみやがって。

 

 今となっては、なんだか懐かしく思える丁寧口調で軽口を叩くと、キリトが攻勢に出てきた。

 

 刀を両手で中段に構えた二刀流の連撃が炸裂する。剣をいなして軌道を逸らし、隙間に刀の横一閃を流れさせるも、反応速度抜群のバックステップで軽々と躱される。

 

 かと思えば間を置かずして突っ込まれ、右、左、右、下、突き……と、際限なく、絶え間なく降り注ぐ剣の嵐に、大振りな攻撃を主体とするカタナでは対応が間に合わない。

 

 劣勢を悟った俺は、右斜め上段から、大きく足を踏んで袈裟斬りするという、キリトの片手直剣技《ジェリッドブレード》を正面から受けて、足を二、三歩後退させた。

 

 ここだ──!

 

 ソードスキルの技後硬直で、コンマ数秒だけ、キリトの反応が遅れる。足を後退させたタイミングで中腰に居合の構え。刀身が銀に染まって、ノータイムで放たれた刹那の抜刀。

 

「カタナ単発技──《絶空》」

 

 攻撃を受けた反動で、キリトの腕が上に跳ね上がる。

 

 その隙に、リディフィニション・オブジェクトを行使。

 

「──サイズ・クラス」

 

 長いポールの大鎌となった《シルヴァリー・エタニティ》を片手に、俺目掛けて疾走するキリトに鎌を振るう。

 

 初手で右上に切り上げ、熟れた動作でポールを一回転させ、左に払う。

 ガギィ!! と重い金属音と共に、剣を平行にして攻撃を防いだキリトが刃に絡め取られ、足が地面を滑るように押し退けられる。

 

 キリトがそこで踏みとどまる。地面を蹴って、そのスピードに乗った右の剣の袈裟斬りを、同じように左に薙いで受け止めた。

 

 更に足を組みかえて一回転しつつ、大ぶりの一文字が左の剣とかち合った。俺はすぐさま鍔迫り合いをやめ、逆の軌道を描くように時計回りに身体を捻る。

 

「うおわっ!?」

 

 急に力の先を向けていた鎌が無くなって、キリトがたたらを踏む。軸足を変えて、身体が回ると、その遠心力で鎌を振るい、右薙ぎの一撃がキリトに襲い、その勢いのまま、舞うように時計回りでもう一閃。

 

「ぅぐ……!?」

 

 二回転した一撃目と二撃目のラグは、およそ半秒。

 だが、キリトは一撃目で脇腹を裂かれた時点で右の剣を逆手に持ち、二撃目の軌道を僅かに逸らした。代わりに、背中の部分を斬られる。

 

 しかし、キリトは臆する事無く左の剣に青色の光を灯らせた。剣尖が斜線を描いて、俺の首に迫らんとする。片手直剣単発技《スラント》だ。

 

 身体を仰け反って、鼻先の間近を過ぎる蒼穹。視線はキリトを捉えたまま、黒い剣が続いて、一片の慈悲もなくソードスキルを発動した。

 

 赤黒いエフェクトと、特徴的な構え。キリトが右の肩を引いた瞬間、俺は手許の鎌の武器種を再定義した。

 

「──シールド・クラス!」

 

 直後、凄まじい衝撃が大挙として押し寄せた。盾を上に跳ね返して、作用の力で身体が宙に吹き飛ぶ。

 

 流石は《ヴォーパルストライク》……と感心しながらも、風素を瞬時に生成して空中で受け身を取りつつ、十字の盾と化した《シルヴァリー・エタニティ》の表面に十個の熱素を生成して、その全てをアロー・シェイプで射出(ディスチャージ)する。

 

「神聖術は効かんと言っておるじゃろう!」

 

 キリトの前に飛び出したカーディナルが、杖を突き出してシステム障壁を即時展開。

 目眩しにもならなかったか、爆炎の中からキリトが飛び出して、左の剣を肩の上で構えた。

 

 キリトの片手直剣跳躍技、《ソニックリープ》が発動して、キリトは俺のいる高度に易々と達した。大きく振りかぶった《青薔薇の剣》が盾を強かに打って、身体ごと地面に強く打ち付けられる。

 

 

 ……なんか、アホみたいに強いんだけど!

 

 

 普通に押されている状況に驚きを禁じ得ないが、心意力の差では未だに俺が上。いざ鬩ぎ合えば、俺が勝てるだろう。

 ただ……相手が二刀流であることを考えると、連撃主体なので、そんなに意味が無かったりするが。

 いいとこ、圧倒的な力で剣を弾き返せるぐらいか。

 

 左手に盾を持ち替えて、傍にあった《ソードゴーレム》の部品に触れて、元の神器の剣に戻すと、それを右手に携えた。

 

 この手は、出来ることなら使いたくなかった……が、予想を軽々と超えてくるキリトを、あまりに過小評価していた自分への戒めだ。

 

 剣と盾という、アドミニストレータにあるまじき装備に、キリトが複雑な表情で睨んでくる。盾という防御アイテムが増えたからか、それとも……

 

「血盟騎士団、《神聖剣》のヒースクリフみたい……とでも思ってるようね」

「っ……!?」

 

 十字の大盾に、剣。

 盾に関しては俺が意図したものでは無いにしろ、大敵という立場にあるアドミニストレータがこんなものを身に付ければ、必然的にSAOのラスボスを思い出させてしまうか。

 

「……なんで、このアンダーワールドの住人であるアンタがそれを知っているんだ。ここは、単なるザ・シードパッケージが元の仮想世界で、別のサーバーの、それもヒースクリフ……茅場の戦闘スタイルを知っているんだ」

「ん〜……話を振っておいてアレだけど、別に、そんなのどうだって良いでしょう? 続きを始めて頂戴」

 

 にべもない態度で切り返すと、キリトはそれ以上問い掛けるつもりはないようで、徐ろに剣を持ち上げた。

 まさか、説明が面倒だったとは言えない……

 

「……ハァッ!!」

 

 その分、幾分か苛烈になった攻撃を受け止める。茅場さんが示した通り、二刀流に対して、盾が有効な手であるのは間違いないようだ。

 

 連撃に次ぐ連撃を、的確に防御する。少しでも相手の攻撃面とこちらの防御面が偏れば、切り崩されかねない。

 

 盾を使った経験は無いに等しいので、どうにかなっているのが幸いだが、剣を入れる隙が短い。

 

 連撃を繰り出してくる間に、後ろに素早くバックステップして斬り払い、逆にシールドバッシュで体勢を崩して剣で素早く突いてみるが、それすらすんでのところで防がれる。

 ひとえに、経験の差という他ないだろう。

 

 それに、時間を追うごとにキリトの剣は速さを増していく。

 しかし、このまま負けるなんて事はラスボスとして許されない。

 

 キリトなら……あらゆる苦難を超えてゆけるのだから。

 

 それに応えられないのなら、ラスボスなんか要らない。

 

()を──舐めるなぁぁぁ!!」

 

 剣を捨てて両手で盾を持ち、力のままにキリトの剣を弾く。

 それだけでは足りないことも、もう解っている。

 

「──ぉぉおおおッ!!」

 

 地面で踏ん張って、弾かれた剣を雄叫びを上げながら振り下ろさんとするのを、俺は身体を後ろに仰け反りながら地面に倒れ込む。

 

 ……このタイミングを狙っていたのだ。

 

 倒れ込むと同時に、足が橙色の光を帯びた。

 体術ソードスキル──《弦月》

 

 左足が《夜空の剣》の腹を蹴り上げて、後方へと宙返りする。《夜空の剣》は持ち主の手を離れて、回転しつつキリトの遥か後ろに突き刺さった。

 

 キリトが振り返り、刺さった地点を一瞥したが、折角お得意の二刀流が使えないのだ。何としても取りには行かせない。

 

「グレートソード・クラス!」

 

 そして、最小距離で着地すると、宙返りの間に盾から両手剣へ変形した《シルヴァリー・エタニティ》を大きく上段に持ち上げて、全身全霊を掛けて踏み出した足が、キリトとの距離をゼロにまで詰めた。

 

「なっ────」

 

 深紅に染まった刀身が、キリトの胸から腹にかけて、全てを抉って落下する。

 両手剣ソードスキル《アバランシュ》……又の名を、《天山烈波》

 

 両手剣ゆえに、直撃で受けた傷は深い。キリトは二、三歩よろめいて、左手の《青薔薇の剣》を地面に突き刺し、両手を置いて凭れた。

 

 激しく肩を上下させ、噎せると同時に血を吐く。

 

 瀕死なのは、誰が見ても明確だった。

 

「──キリト!!」

「邪魔はしないでと言ったはずよ、カーディナル」

 

 光素術でキリトを癒そうとするちびっ子を、強固な《心意の壁》で隔つ。

 が、それすらも己の心意で穿き徹そうとして、破られるのは時間の問題のようだ。ここまでカーディナルが強力な心意を形成できるとは思っていなかったから、少し焦りを感じてしまう。

 

 だから……俺は悠然と、余裕の笑みで歩み寄る。

 

「くすくす……もう終わりなの? せっかく良い所なのに」

 

 返事は無かった。顔をだらんと俯かせて、《青薔薇の剣》に寄りかかったまま動かない。

 

 黒いコートに血が滴り、地面に血の池を作り始めている。

 

「……つまらないわね。私の見込み違いだったかしら」

 

 だから、俺は気付かなかった。

 

 

「……リ……ス……」

「……ん?」

 

 

 キリトが、全てを準備していた事に。

 

 

 

「『『──リコレクション』』」

 

 

 

 強大なプレッシャーと、かつてない危機感が殺到する。

 

 その時には既に遅かった。

 青薔薇の剣が発した氷は、百階全ての床を凍てつかせると、俺の四肢に氷の茨が巻き付き、氷塊に包まれてしまった。

 

 あのごく短時間で《記憶解放術》を行えたのは、恐らくユージオあってのものだろうが、一切気取られず詠唱出来ていた事の方が、個人的に驚きが強い。

 

 そんな俺の内心はいざ知らず、キリトは《青薔薇の剣》を引き抜き、俺に背を向けてから、カセドラルの壁近くに突き刺さる《夜空の剣》も引き抜く。

 

 再び二刀を手にしたキリトが、先とは真逆の構図で、悠然と歩いてくる。

 

 ……本当に、格好良いなぁ。

 

 《シルヴァリー・エタニティ》から紫電を生み出し、落雷で纏わり付く氷を破壊しながら、俺はキリトの勇姿を目に焼き付けていた。

 

 傷付いても立ち上がって、挫けても乗り越える。

 そんな、ただ一人のヒーローの姿を。

 

「……ふ、ふふっ……本当に度し難いわね、あなたって人間は。そんなに私が惜しいの?」

「……ああ、惜しいさ。あの一ヶ月で、話したからこそ分かる。あんたがどんな人間か、少しは理解してるつもりだ。だから……尚更、死なせる訳にはいかない」

「でも私を殺さないと、皆死んじゃうけど?」

 

 あっけらかんと言えば、キリトは、思いを押し殺すように言う。

 

「……俺は、死ぬ事が全ての解決になるなんて思っちゃいない。死んで救われるなんて、そんなのは絶対に有り得ない。死んでからじゃ、何もかも遅すぎるんだ。でも、俺はあんたを倒すしかない。この世界を解放する、唯一の方法がそれだけなんだ。あんたが、支配者を降りてくれればな」

「……ええ、そうね。でも、私はこの世界の絶対なる支配者だもの。それを覆そうというのならば、私は全てを以てお前を排除する。まさか、この私が自ら降りるなんてこと、想像も出来ないでしょう?」

 

 対話の道なんて、最初から無かった。

 決して、俺がそれを望まないから。

 

「だから俺には、あんたの間違いを正してやれない。そういう意味で……一番厄介な相手だよ。俺は、この無力さを永遠に悔い続ける事になるからな」

 

 ああ、それでいい。

 

 アドミニストレータになりきれなかった、一人の少女を殺す罪悪をとくと味わってくれ。

 

 ユージオやカーディナルでもない、このアドミニストレータの存在を、強く魂に刻んでくれるのなら、それに勝るものはない。

 

「私が、貴方の心の片隅を永遠に支配する、ねぇ……くふふっ。良いわね、それ。それを考えるなら、愛は支配っていうのも、案外真に迫っているのかも……」

 

 言葉の真意を探られるまでもない、他愛もない話を独り言ちる。

 

「もういいわね? 私、長引くのは嫌いなの」

「ああ……決着をつけよう」

 

 胸中に果てしない思いを抱いて、相剋した。

 

 独特の二刀の構え。輝くライトブルー。

 

 流星が吹き荒れる。

 

「スターバースト・ストリーム……!!」

「ソード・クラス」

 

 《シルヴァリー・エタニティ》が心意を纏って、墜ちる流星の数々を打ち消していく。

 

 だが、一切の油断も出来なかった。

 

 光が瞬く度に剣が軋みを上げ、刃の部分から罅割れていく。この戦いの中で、最大まであったはずの天命がもう底を尽き始めた事を示していた。

 

 出来る限り躱そうと試みて、腕に、顔に、胸に、刀傷が刻まれていく。

 

 そして、十連撃目に入った頃だった。

 

 《夜空の剣》と《青薔薇の剣》が十文字に交差しながら……《シルヴァリー・エタニティ》を叩き折った。

 剣の柄と、半ばに折られた刀身が宙を舞い、溜め込まれたリソースが爆発を起こして、目を眩ませる。

 

「おぉぉぉぉ!!!」

 

 剣も失い、視界もままならず、無防備になった身体に、十三撃目、十四撃目が貫き、《夜空の剣》の十五連撃目が左肩から斜めに斬り込んできて、あまりの痛痒に顔が歪む。

 

 体感で、天命は一割を下回っただろうか。

 命が零れ落ちていく感覚は、カーディナルに殺されかかって以来だ。

 

 不意に、晴れ上がる視界でキリトと目が合う。

 

 左に持つ《青薔薇の剣》が、最後の一撃を見舞うべく振りかぶられ、軌道の天頂を通り過ぎようとしていた。

 スローモーションの世界、とでも言うのだろうか。『アクセル・ワールド』が正にそうであるように、フラクトライトの性質的にも思考だけ加速するのは可能だが、こうして起こったのは初めてのこと。

 

 ……だから、そんな目で見ないでくれ。

 

 自分が、今どんな顔をしているか分からないのに、そんな姿を見せられたら、最期まで敵らしく居られたか、自信が持てなくなる。

 

 そうしている間に、剣は軌跡の半分を通り過ぎて、徐々に肉薄していた。

 

 口を大きく開き、気合いを迸らせた、死力と呼ぶに相応しい姿。

 

 目を逸らす訳にはいかなかった。

 一瞬でも、その光り輝いた姿を……キリトの生き様を目に留めるために。

 

 

 それをしていたから、俺は気付いた。

 

 

 全てのタイムリミットが来ていたことを。

 

 

 光の柱が、カセドラルをも透過して、キリトを貫くのを。

 

 

 時を同じくして、色褪せた世界が元に戻り、俺を断ち切らんとする力の奔流が迫る。

 

 いや、迫っていた。その蒼穹の奔流は、俺の前髪を少しばかり切り裂くと、チカチカと弱々しく明滅して、散り散りになって消えてしまっていた。

 

 一歩、二歩と後退り、何が、と疑問が浮かぶ前に、キリトが両手の剣を取り落とす。

 

 俺も、そしてキリト自身も呆然として、三秒後。

 

 ふらと、身体のバランスを崩して、横に頽れた。

 

「え…………?」

 

 目の前に広がる光景が、俺には現実には思えなかった。

 

 キリトは倒れ、自分が立っている。

 

 本来その立場は、逆であるべきもの。

 

 自分が未だに生きていることに安堵を覚えると……

 

 

「……嘘だ」

 

 

 そんな事、あっていいはずが無い。

 

 キリトが、俺を倒し切れなかったことも。

 

 ましてや、俺が……〝死ななくて良かった〟なんて、思うなんてことは。

 

 ………………ぁ?

 

 ……俺、じゃない。

 

 俺……? 〝俺〟なんてのは、最初から居ないのに。

 

 ずっと、勘違いをしていた……?

 

「……嘘だ嘘だ嘘だウソだ!!」

 

 足元が覚束無い。視界が歪んで、足をもつらせて、キリトの傍で倒れると、倒れたまま動かないキリトの襟元を掴んで、揺さぶる。

 

「起きなさい……起きないよ!! わたしを倒してくれるんじゃなかったの!? ねぇ、ねぇっ!!」

 

 《黒の剣士》は、物言わぬ骸になった様に身動ぎもせず、されるがままに揺さぶられていた。

 

 そうすると、猛る感情の矛先はキリトにではなく、別に向かう。

 

 何よりも腹立たしくて、憎らしくて、一番許せない存在。

 

 〝俺〟という仮面に踊らされた、愚かな人間が。

 

 〝俺〟という人間は、ごくふつうのサラリーマンだ。

 

 その魂がクィネラのライトキューブに入り込んだとして、クィネラ自身の魂はどうなるのだろうか。

 

 上書き保存されたのだろうか。そうであるなら、こんな事が起きていいはずは無い。

 

 それは《混ざっていた》。本来のクィネラのフラクトライトと、〝俺〟のフラクトライトが混在してしまったのだ。

 

 無論、〝俺〟の方が長い年月を過ごしていたから、比重はそちらに偏って、この意識は〝俺〟だと認識していた。

 

 しかし、偏りは偏り。クィネラの部分はきちんと存在していて、自分の一部になっていた。

 

 だから、〝俺〟は自分ではない。この自分を形作る一部分だ。

 

 それを、自分はずっと……勘違いしていた。

 

 自分だと思っていたものは、虚像だった。

 自分を定義するものが喪失して、自分が信じていたものが跡形もなくなった。

 

 〝俺〟は自分が演じていたものに過ぎなかったんだ。自分は、意図せずして仮面を自らに強要していたのだ。

 

「ああぁぁ……いや……いやだ! わ、わたしは、アドミニストレータ……あああっ……くう……うぅぅ……!!」

 

 自己が崩壊する。

 

 自分とは何か、自分とは何なのか。生きていく中で見つけるそれを、〝俺〟で勝手に定義していた。

 それが消えた今、自己を定義するものは何も無い。

 

 〝俺〟でもなくて、クィネラでもない《わたし》。

 

 ……それって、誰?

 

 掲げていた信念も、成すべきことも、つまるところ全部他人の猿真似で、劣化品だった。

 

 でも、それでも《わたし》が真に望むところは、今も昔も変わらなかった。

 

 

 ──死にたい。こんな自分なんか要らない。

 

 

 ラスボスとしてではない。もう、これ以上生きたくないんだ。

 

 こんな自分が、本当に嫌で……それを、〝俺という仮面〟が何もかも覆い隠した。

 

 アドミニストレータなんていう存在になるのが嫌で、生きていくうちに、もう死んで消え入りたいと願ったのに……〝俺〟はそれを曲解して、ラスボスだからと、キリトに殺されることを望んでしまった。

 

 《わたし》を裁いてくれる、その唯一の人を求めて……

 

「殺してよ……殺してよ!!! 《黒の剣士》キリトなら、わたしを殺しなさいよ! わたしは居ちゃいけないの! こんな所で倒れないで、立ち上がって、その剣でわたしを倒してよ!!」

 

 もう、何度呼び掛けても、キリトは立ち上がりはしない。

 フラクトライトに重大なダメージを受けたキリトは、天命関係なく目覚めない。

 

 子供みたいに、イヤイヤと情けなく泣き叫んで、現実も受け止められないほど、《わたし》の感情は高ぶっていた。

 

「こ、れは……? 一体何が起きて……」

 

 後ろに振り向くと、十字架に磔にしていたはずのアリスが、拘束から自力で抜け出して、動揺を露わに立ち尽くしていた。

 

 カーディナルもやってきて、キリトの傍でしゃがみ込むと、回復術で傷を癒していく。

 

「司祭様……」

「安心せい。キリトはまだ生きておる。じゃが……いまの光は」

 

 

「──キリト!!」

 

 

 青薔薇の剣から、解けるように現れたユージオも、キリトに駆け寄って心配そうに手を握る。

 

「カーディナルさん……さっき、キリトに降り注いだあの光が……あれが原因なんですか?」

「……わしの考えている事が正しければ、そうじゃ。恐らく、キリトのフラクトライト……魂が重篤な傷を負った可能性がある。そうじゃろう、クィネラ」

 

 無言でこくりと首肯すると、キリトから手を離して、ふらふらな足で立ち上がる。

 

 もう、何も見たくない。

 

 さっさと、死ねばいいんだ、こんなもの。

 

 手段に囚われる必要も無い。

 

 わたしが死ねば、何もかもハッピーエンドになるんだろう。

 

『俺は、死ぬ事が全ての解決になるなんて思っちゃいない。死んで救われるなんて、そんなのは絶対に有り得ない』

 

 頭の中を反芻するのは、先のキリトの言葉。

 

 でも、自分はもう要らない存在だ。

 

 わたしがこれ以上生きる意味は、どこにもないのだ。

 

 キリトの《夜空の剣》を手に取り、首に添える。

 

「なっ……最高司祭様!」

「さよなら、アリスちゃん」

 

 首に食い込み、いまなお減り続けていた天命は、止めを刺されて急速に減っていく。

 

 剣の切っ先から血が滴り落ちて、床を濡らした。

 

 それでいい。

 

 これで終わりだ。

 

 目を閉ざし、ゆっくりと剣を滑らせる。

 

 

 ……自分という死にたがりが、どうして死にたくないと思うようになったのか。何の心残りを持ったのか。

 

 それは、〝俺〟でさえ偽れなかった、自分にとって最も確かなもの。

 

 いつも傍で寄り添ってくれて、お父様とお母様が死んで、本当のわたしが溢れ出した時も受け止めてくれた。

 

 気付いたのが、つい昨日の事でも……この想いだけは、誰にも譲れない。

 

 

 力を込めようと心意を流し、そして……

 

 闇夜を映していた南側のガラスから、昼間を思わせる明るい光が溢れた。

 

 直後、目を眩ませるほどの爆発。

 

 自分は剣を手放してキリトと一緒に吹き飛ばされて、カーディナル達も同じように反対側まで吹き飛ばされていた。

 

 見れば、自分とカーディナルとの間に、爆発の後が残っていて、大理石が抉られていた。

 

 これは……まさか。

 

 そう思って、今も風が吹きすさぶガラスの穴を見てみると、そこに、白い影が突っ込んできて……

 

 

「クィネラ様────ッ!!!」

 

 

 誰かを乗せた一体の飛竜が、百階の中に猛スピードで突っ込んで、自分とカーディナルの間に割って入った。

 

 真っ白の、新雪の様な体表を持つ飛竜は、カセドラルの中でも、《雪綜(ユキヘリ)》の一体だけ……

 

 そして、自分をクィネラ様と呼ぶ存在を、一人しか知らない。

 

 雪綜から飛び降りた執事服の青年は、見たことないくらいに狼狽しながら駆け寄ってきて、身体を抱き寄せた。

 

「クィネラ様……ご無事ですか」

「……なんで、いるの……?」

「最速で戻ってきたからです。貴方様が無茶を仰ったので、一日も掛かってしまいました」

 

 思わず、クリスチャンが湛えた微笑みに見蕩れてしまいそうになる。

 

 こんなにも、好きになってしまっていたなんて。

 

 〝俺〟の裡で膨らみ続けてしまったからか、抑圧されていた感情が、一気に解放されて、歓喜に満ち満ちた。

 

 だから……クリスチャンが愛おしくて仕方ない。

 

 クリスチャンに触れている部分が熱を持って、身体が火照る。好きな人への情が齎す、些細な変化。

 

 最愛の人。最高の相棒。

 

 出来ることなら、ここでクリスチャンの唇を奪って、好きだって伝えたい。

 

 

 ……でも、自分には。

 

 

「こんなにも、傷だらけに……治癒致しますね」

「あっ……」

 

 有無を言わさずに、光素の暖かい光が包み込む。

 

 天命が充溢して、死が遠のく。同時に、ああ……という声が漏れた。

 

 自分の戦いが、これで幕を閉じてしまった事を自覚した。

 

「本当に、貴方様という人は……私を置いて、一人で先に行かないで下さい」

「……なんで」

「それはもう、三百年も伴にあるのですから。おととい仰られた計画が、ほとんど嘘だとも存じ上げておりました」

 

 そういって、なんとも言えない風に肩を竦めた。

 

 多分、彼を見出してしまったことは、この人生で最大の失敗だったかもしれない。

 

 頼りになるし、優しいし、格好良いし、察しもいい……端的に言って、好きになる要素しかない。

 

 本当に、自分にはもったいない。

 

「でも、もう少し遅かったら……私はその場で首を掻き切っていたところでした」

「……私の言い付け、守ってくれないの?」

「当たり前でしょう。クィネラ様の居ない世界なんて、私にはとても耐えられません。私にとっては、クィネラ様が全てなのですから」

 

 だからこうして、自分に都合のいい理由がつく。

 

 それを無意識に悟ったからこそ、クリスチャンを外に追い出したけど、それも失敗に終わって。

 

「それ言うのは、ズルい……」

 

 止まっていた涙が零れ出す。感情が入り乱れて、自分でもよく分からないまま、泣きじゃくる。

 

 何もかもが達せられなかった事への後悔か、自分を抱き締めるクリスチャンのせいか、そのどちらかなんだろう。

 

 ああでも、後悔なんて、今日だけで飽きるほどしている。諦めて、仕方ないと投げ出しているのかもしれない。

 

 流されがちな俺に、固執する私。

 サブカル好きなサラリーマンに、絶対の支配者アドミニストレータとなった少女クィネラ。

 

 しかし、本質はそのどちらでもない誰か。

 

 

 ……そんな自分には。

 

 

 自分が自分でもよく分からないのに、好きだって告白できる訳がない。

 愛を伝える資格があるはずがないんだ。

 

 きっと、好きだなんて高尚な想いには程遠いだろう、傲慢で薄っぺらな気持ちのままそれを押し付けようだなんて、あまりに烏滸がましい。

 

「ズルい……ズルい! わたしなんて、死にたくて仕方ないのに……!」

 

 死んで、自分の行い全てから逃げ出したい。

 

 死んで、この気持ちも投げ捨てたい。

 

 つらい。

 

 居なくなりたい。

 

 こんな自分が嫌だ。

 

「そうしたら、楽になれるのに……」

 

 ──バチィンッ!!

 

 その音を聞いて、脳が数瞬、理解するのをやめた。

 

 次に、左の頬がひりりと、熱と痛みを発する。

 

「…………え?」

 

 何が起きたのか分からず、戸惑う自分の目に、すとんと表情を落としてこちらを見る彼が映り込む。

 

 そうして、ようやく、頬をはたかれたのだと理解した。

 

 それも、あのクリスチャンが。わたしに対して。

 

「今更、そのように甘ったれた事を仰られるのですか?」

「……ふぇ?」

「民の犠牲をもとに、身に負った責務から逃げ出すと? 整合騎士も、元老院も、咎人も、修道士も……あらゆる人界の民を捧げてでも、善き方へと尽くそうと邁進していた貴方様は、どこへ行かれたのですか?」

 

 違う。

 

 クリスチャンの思ってるような、崇高な目的のためじゃない。

 

 全部、ただ自分がそうしたかったから。もっと本気で変えようと思えば変えられたんだ。

 

「……わたしは、アンダーワールドの平和なんて、これっぽっちも望んでいなかったの。全部、自分の目的の為で……わたしは、クリスチャンが思ってるような人間じゃない」

 

 クリスチャンがわたしを信じる理由さえも否定して、一方的に突き放す。

 

 弱気な自分を張り飛ばして、激励してくれたとしても、わたしには、そのビンタの一撃さえ受け取る権利はないんだ。

 

 だから……お願いだから、こんな自分は放っておいてほしい。

 

 顔を背けると、彼はやれやれと、わたしだけが分かってないみたいに肩を竦めて、言い聞かせてくる。

 

「……もしそうだとしても、貴方はいつも優しかった。私から見て、その気持ちには一つの偽りも無かったと断言出来ます。だとすれば、畏敬こそすれ、慕われる事など有り得ませんよ……例えば、彼女のように」

 

 そうして、後ろのアリスに目をやる。

 

 自分の首を刎ねようとした時、真っ先に止めにかかったのはアリスだった。

 

「最近、やたらと私に自慢してきましてね。『私は最高司祭様の友人ですから』と。あんなに誇らしげな顔は初めて見ましたよ」

 

 わたしの、友人……アリス。

 

『私は、最高司祭様の『友人』というのはそんなにも愚かしく、不甲斐ない存在だったのですか……っ』

 

 また頭の中で、言葉がリフレインする。

 

 一人だけ、気兼ねのない対等な関係が欲しくて、無理をさせてしまったもの。

 

 この関係が、心の余裕が無くなっていた自分を日常という安寧で支えてくれた。

 

 それを、アリスの方が、大事にしてくれているなんて。

 

「貴方が作り上げたものは、確かにここにある。想いも、全部ここにある。それを、貴方が否定しないで下さい。貴方が背負っているものは、貴方が思うよりも遥かに大きいんですから」

 

 ……クリスチャンの言う通り。

 

 わたしは、全てを背負い過ぎた。大きくなり過ぎた。その身の罪咎も責任も、全部背負い込んだ。

 

 それが出来たのは、自分が確かな信念を持って、原作を再現するという道を歩んでいたから。

 

 そんな信念も仮面が作り出した幻想だと解って、道から逸れた自分には、あまりに荷が重かった。

 

 だから、自分が自分の為に死ぬ。

 

「もうそんなの、わたしには背負えない……! 背負い切れないの……!」

 

 生きて欲しいと言われても、それを背負って生きるには、わたしの心は軟弱だった。

 

 重圧に押し潰される。罪の意識に苛まれる。

 生きていたら、それに苦しむだけ。

 

 

「……でも、二人なら?」

 

 

 ぽつんと、クリスチャンが呟いた。

 

「二人なら、背負い切れるかもしれませんよ」

「え……ふたり?」

「はい。私とクィネラ様で」

 

 毒気を抜かれるような、爽やかな笑みをしたクリスチャンを呆然と見る。口からは、何とも間抜けした声が漏れていく。

 

「どうやって過去を二人で等分するかは考えものですが、少なくとも、これからの事は半分こ出来ますよね?」

「半分こ……?」

「クィネラ様が背負うもの……それを私も背負えたら、気分は楽になると思いますよ」

 

 途端、頭の中がクエスチョンマークで覆われる。

 

 荒れ狂う感情に振り回されていた頭が、直ぐに物事を冷静に考えられるはずもなく、呆気に取られたまま、クリスチャンに置いてけぼりにされていた。

 

「ふむ……責任や罪を等分するとなれば、やはり共犯や共謀が一番か……」

「共謀……!?」

 

 次の瞬間には、やたら剣呑な雰囲気を醸し出して、物騒なことを言うものだから、益々分からなくなって、いつの間にか、心を曇らせていた気持ちはどこかへと過ぎ去っていた。

 無論、自分はそんな事も気付かないまま、クリスチャンの言動に慄いていた。

 

「ああ、アレですよ。皆でやれば怖くない理論です。つまり、何事も一緒にやれば、いざという時、クィネラ様は私に責任転嫁できるんです」

「しないけど!?」

「ほら。そういう所が、貴方の優しすぎる所なんです」

 

 釈然としない纏められ方をされた気がして、なぜかほっぺをつんつんと突くクリスチャンをじろりと睨み付ける。

 

 だが、頬を突くのを止めたクリスチャンが取った行動は、謝罪でも、肩を竦めるのでもなく……わたしを、胸に抱き入れた。

 

 横抱きに近い姿勢から、もっと距離が縮まって、かぁっと顔も耳も赤くなる。

 

 その耳許にクリスチャンは口を寄せて、懇願した。

 

「……俺を、頼って下さい。俺はとうの昔に、クィネラ様に全てを捧げました。一人で背負う必要なんてありません。一番苦労している貴方が弱音を吐いたって、誰も文句は言いません。ですから、お願いです。俺と一緒に生きて下さい。彼らの犠牲を、無駄にしないで下さい」

 

 赤くなった顔は隠せない。

 涙を目に溜めた弱虫な顔で、悲嘆に表情を曇らせるクリスチャンの顔を見上げる。

 

 唾を飲み込んで、嗚咽を必死に抑える。

 

 

「頼って、いいの……?」

「俺はいつだって、クィネラ様の傍に居ますよ。執事ですから」

「……っ!」

 

 赦しをくれた訳じゃない。

 

 裁いてくれた訳でもない。

 

 それでも、自分の隣で寄り添ってくれる人が居る。

 

 その事実が、曖昧な自分の迷いを断ち切って、

 

「……ありがとう、クリスチャン」

「お役に立てたなら、幸いです」

 

 だから……この想いは、そっと閉じておこう。

 

 クリスチャンに……こんな迷惑は掛けられないから。

 

 最高の相棒として……

 

「……ずっと、ずっと前から……すきで……」

 

 ……これからも、よろしくね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 ……やって、しまった。

 

 そんな、果てしない後悔に襲われる。

 

 何が、『俺と一緒に生きて下さい』だ! アホか、俺は!

 

 如何に鈍感なクィネラ様とは言え、あんなにもあからさまな告白だ。

 もしかしたら、気付いていたかもしれない。

 

「眠られてて良かった……」

 

 過度の疲労からか、クィネラ様は俺の腕の中ですやすやと寝息を立てている。

 

 これなら、後になって詰め寄られた時に、覚悟の準備をしておける……いや覚悟の準備って何だ。

 

 ともかくとして、このカセドラルの惨状をどうにかしなければ。

 

「雪綜、クィネラ様を」

「キュルッ!」

 

 クィネラ様を雪綜の傍で寝かせてやり、反対方向に視線を向ける。

 

 向こう側では、サーティスリーのキリトが仰向けで倒れていて、サーティツーのユージオ、そしてアリスとカーディナルが彼を囲んでいる。

 

 ……なるほど。ここまでは、クィネラ様が語っていた通りのシナリオを歩んでいたのか。

 

「……クリスチャンですか」

 

 俺が近寄ると、いつになく弱々しい顔をしたアリスが、俺の姿を一瞥すると、直ぐにキリトへ目を戻す。余程心配なようだ。

 

 アリスに続いて、ユージオが気まずそうに会釈した。そういう反応になるのは仕方ないので、大丈夫ですと首を横に振っておく。

 

 カーディナルは……意外と冷静な素振りを見せている。

 

「カーディナル様は、もう事情を把握しておられるので?」

「うむ。あちら側の世界で問題があったのじゃろう。その結果、キリトの魂に重大な損害を負ったこともな。わしにもどうにも出来ぬ故、あちら側からのログインを待つしかあるまい」

 

 折っていた膝を上げて立ち上がると、以前と些か雰囲気が違う彼女の瞳が、俺を一方的に貫く。

 

「約束は守ったぞ、クリスチャン」

「約束、ですか……?」

「そうじゃ。まあ、かなり一方的ではあったが……」

 

 突然、身に覚えのない約束を切り出され、思わず訝しむ。

 

 クィネラ様が作り出した存在であるこの少女と、俺は特に何かを話した憶えも、約束を交わした憶えはない。

 

 眉を顰める俺を見て、目の前の賢者は三秒ほど顎に手を当て考えると、では、と言って、

 

()は見極めさせてもらったぞ、クリスチャン。あやつが歩む道を見てきた。静観と呼ぶにはかなり手を入れたが、結果はこの通り。見出した活路は切り拓かれ、最善の形で終えることが出来たと言っていい」

 

 活路……という単語を聞いて、まさかと目を見開く。

 同時に、安心感のようなものも覚えていた。まだ、死闘を繰り広げた彼女が生きていたことに。

 

「……お前は、あの時のサブプロセスか」

「ほう、覚えていたか。どうにか、クィネラに削除された記憶を復元出来てな。全く、本当に面倒なことをしてくれた」

 

 徐に帽子を外した彼女は、ふぅ……と一つ深呼吸をした後、杖を地面に浮かばせてから、俺の身体に背伸びして抱き着いた。

 

 …………んん?

 

「……この梔子の香りも二百年ぶりだな。懐かしい……」

「いや、おい……いきなり何するんだ」

「何だ、これくらい良いだろう? ほれ、屈め」

「え、えぇ……?」

 

 言われるがまま屈むと、胸に飛び込んできて、頭をぐりぐりと押し付けられる。

 

 いや、本当に何してるんだ、こいつ。

 

「ぬおっ!? いきなり顔を掴むな、馬鹿者! それに、もう少しくらい良いだろう!」

「なんで不満そうなんだよ……」

 

 なんか、段々年齢相応に見えてきたカーディナルの相手に困っていると、不意に光が目に入ってきた。

 

 気が付けば、溢れ出る曙光がカセドラルを照らしていた。

 

「ああ……もう朝か」

「……そうじゃな。わしには、もう見れぬと思っておった景色じゃ」

 

 帽子を被り直したカーディナルは、感慨交じりにそう言うと、俺にもう一度相対して、こほんと咳払い。

 

「クィネラはもう大丈夫なのじゃな?」

「だと思うが……一応、様子は俺が見ておく。覚醒したら、ユージオを通じて連絡を通そう」

「うむ。では、わしはユージオ達と共に、これからの準備を整えておこう……看病とは、羨ましい奴め……」

 

 最後に、変なのが聞こえた気がするが……聞かなかったことにしよう。

 

 アリス達を連れて、大図書室へ帰って行ったカーディナルを見送ると、俺に与えられた権限を用いて、別アドレスから新品の寝台を中央に設置した。

 

 雪綜の下に向かい、クィネラ様を横抱きに運んでから寝かせる。ついでに、戦いで大きく破けた服の代わりを着せて、一先ずの仕事は完了した。

 

「……後は、あれか」

 

 ソルスによる神聖力が供給され、瓦礫が浮き上がって元の壁に修復されていくのを傍目に、北の壁の端にやってくる。

 

 そこの地面の下に心意を流し込むと、システムが反応して、大理石のデスクがせりあがってきた。

 これこそ、いつもクィネラ様が日記を書いている机だ。

 

 こちらは後回しにして、この机が存在する時、初めて機能するシステムが……

 

「リリース・コード、《WAY TO THE REPRODUCTION》」

 

 パスワードを口に出すと、木の扉が出現した。

 

 クィネラ様が、帰ってきたら開けるように仰っていた、別アドレスへ転移するドア。

 

 何が入っているのか……と軽い気持ちで扉を引くと、そこは高さ三メル、僅か五メル四方の小さすぎる部屋。

 

 その部屋にあるのは……本本本本。ひたすらに、本。

 

 扉以外の壁三面は、全て本棚だった。天井に、光源となるシャンデリアが一つ置かれているだけ。何とも奇妙な部屋だ。

 ただし、右手の壁に嵌め込まれた本棚には、まだ八分の一ほどしか本は無いようだ。

 

 本は一つずつ背表紙に題名があり、試しに手に取った本は、『人界暦124〜125年』と書いてある。それの適当なページを開くと、こんなものが書いてあった。

 

 

『人界暦124年6月22日

 

 今日、やっとのことで指を鉄砲に見立てて放つ心意の弾丸の完成系に到達。

 

 心意の◯◯シリーズ第10弾。これがなぁ、飛距離がとんでもなくて、カセドラルから放ったら、果ての山脈をぶち抜いていたらしく報告が来ていた。ビックリだよ。

 

 そしたら、なんかよく分からないが、魂が奥深くに接続したような感覚に陥って、心意なのにそんなに意識せずとも使えるようになってしまった。マジで心意ってなんだ。

 神聖術も、もう殆ど詠唱要らずでノータイムの発動が可能だ。

 

 キリトみたく、メイン・ビジュアライザーに強く繋がりができたのかもしれない。

 

 そこら辺を解明しようかと思ったが、深く考えるのもめんどくさいので、大人しく、永遠に燃え続けるという炎を入れた永炎の窯で料理でも作ろうと思います。

 

 ……コックさん、雇おうかな。』

 

 

 恐らく、ここに書かれているだろうコックさん──ハナが来たのは人界暦220年の頃だ。

 

 にしても……そうか。これは、クィネラ様の書いてきた日記帳か。

 

 一瞬、何を見させられたのかと思ったが、筆跡はクィネラ様のそれと符合する。

 

 クィネラ様は、これを全て読んで欲しかったのだろうか。

 

 なら……徹夜を覚悟して全部読むしかないだろう。

 

 一旦この本を戻して、左手にある本棚の左上の日記を取り、最初のページを開く。

 

 

『人界暦30年5月18日 

 

 やる事が多くなってきたので、今日から少しずつでも日記を書いておこうと思う────』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『────今まで、私に仕えてくれてありがとう。

 

 

 

 それと、ずっとずっと、貴方のことが好きでした。

 

 

 

 元気で居て下さい。

 

 

 

 さようなら。

 

 

 

 Sincerely

 Quinella Centria

 

 

 最後だろう、『人界暦293〜381年』と題された日記が閉じられると、俺は天を仰いでいた。

 

 

 ……やばい、何これ。

 

 

 クィネラ様の可愛らしい失敗から、懺悔のようにごめんなさいで埋め尽くされたトラウマものの文まで、ありとあらゆる経験が綴られていた。

 

 何回泣いたか分からない。俺の涙はとっくに枯れていた。

 時折、あまりの尊さで死にかけもした。

 

 そして、一番最後のこれだ。

 クィネラ様が、計画通りに殺されてしまっていた時に、こんなのを見せられてしまったら、俺は正気では居られなくなっていたかもしれない。

 

 ……でも、良かった。

 

 部屋を出て、寝台に向かうと、クィネラ様は未だに眠られたまま。

 

 大きく息を吐き出して、安堵する。

 

「……つまり、もう両想いでも問題無いってことか」

 

 日記によれば、遺言の告白以外にも、様々な苦悩があったようだ。

 

 クィネラ様に仕える立場だからと明言してこなかったが……ようやく、俺からもはっきりと言葉にして伝えられる。

 

 胸ポケットからペンを取り出し、クィネラ様のデスクの上で、日記の回答を付け足す。

 

「こちらこそ、

 

 お慕いしております、クィネラ様。

 

 貴方様に仕えられて、俺は幸せです。

 

 貴方様を、俺は一生放しません。

 

 そちらで会った時は、覚悟しておいて下さい。

 

 

 クィネラ様の忠実なる執事より…………っと」

 

 

 天にも昇る心地でそう書き記した日記を本棚に戻し、部屋を閉じる。

 

 この想いを伝えられるのなら、俺を縛るものは何も無い。

 

 今なら、何でも出来る……そんな気がした。

 

「目が覚めた時が、楽しみだなぁ……」

 

 でもどうか、この顔がニヤついてる間は、絶対に起きないで下さいね……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年6月2日

 

 

 

 

 死に損ねたっ!!

 

 

 

 

(つづく)

 

 




クリス「いいですか、落ち着いて聞いてください……貴方の日記を読みました」
アドミン「え?」(次回予告)

これから本格的にリアルが忙しくなるので、更新頻度は更に開くと思われ…………この作品、本当に完結するのか。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

転章Ⅱ

重村先生がアニメでも出なかったので、反骨心も込めて(え


 

 オーシャンタートルに屹立する四角錐状の実験棟は、ライトキューブ・クラスターと耐圧隔壁を中心に、下層のロウワーシャフトと、上層のアッパーシャフトに分けて構成されている。

 

 アッパーシャフトには、主だった設備は無い。一応、居住用の空間もあるが、もしもの為の第二制御室……《サブコン》と、STL四号機、五号機が置かれているだけだった。

 

 謎の部隊による襲撃からおよそ三十分。

 

 ロウワーから避難してきた人々は、アッパーにある多目的ホールへ一挙に集められており、巻き込まれる形で来ていた凛子は、とある人物と意外な再会を果たしていた。

 

「……もう、研究室を出て以来か、神代君」

「……ご無沙汰しております、先生。あの事件のことは、私も耳にしました。それと、娘さんの事は……」

「分かっている。」

 

 先生──東都工業大学の物理学教授、重村徹大*1

 些かも驚きの色を見せずに、凛子の姿を横目に見る。その姿は、凛子が知る普段の姿とはかなり異なっていて、やるせなさそうにも見えた。

 

「だが、そうか……君が居ても、何ら不思議はなかった。寧ろ、ここまでの間で見掛けなかった事を疑問に思っていた。それよりも……」

 

 視線をすぐ横にずらして、凛子の右斜め後ろに立っていた明日奈を見つめる。

 

「君は、あの桐ヶ谷和人君の恋人だったか」

「……はい。結城明日奈です」

 

 話が振られるとは思っていなかった明日奈が、少し惚けつつも名前を言うと、重村は考え込む素振りをして、唐突に尋ねた。

 

「……私を、恨んではいないのかね」

「……え?」

 

 何を、と明日奈が言いかけようとして、目の前に立つ重村教授の、神代博士の先生という認識が塗り変わった。

 

 オーディナル・スケール。

 

 忘れられない大事件を引き起こした、その犯人こそ、オーグマーを開発した重村教授であり、明日奈はオーグマーによる記憶のスキャニングを受けて、一時期SAO時代の記憶を喪失してしまった被害者の一人だった。

 

 それを思い出した明日奈だったが、少し顔を俯きがちにすると、曖昧に答える。

 

「……なんて言えばいいのか、自分でもよく分かりません」

 

 複雑な心境だった。OS事件は衝撃的な経験だったが、それを根に持ってはいなかった。キリトに無茶をさせたことや、クライン含めた《風林火山》のメンバーの事を思えば、思うところはある。しかし、逆に言えばそれだけで、こうして面と向かうと、戸惑いの気持ちが大きかった。

 

「私の教え子の事も知っているだろう。茅場君と、須郷君……そして、アリシゼーション計画に参加している比嘉君も、全て、私の研究室出身だ。元凶とも言える私に、憎悪の一つでも湧くと思うが」

「……それは」

「彼らの……茅場君と須郷君の責任は、私にもある。君が死ねと言うのなら、私は喜んでそうしよう」

「重村先生!?」

 

 凛子が声を上げるが、重村の諦観に満ちた目は、危うい雰囲気を醸している。

 

「止めてくれるな、神代君。これは私の問題だ」

 

 重村は、食ってかかろうとする凛子を手で制しつつ、明日奈へ歩いていく。

 

 言うまでもないが、明日奈にそのつもりは無い。いきなり、人の命を握ってしまったのかと思うと身がぞっとするが、極めて冷静に答えた。

 

「重村さん……でしたね。貴方に、先に言っておきます。私は、そんな事は望んでいません。死ぬなんて、それは何の償いにもならないんです……ただ、目の前の事物から逃げているだけで」

「!? わ、私は逃げている訳では……」

 

 明日奈は、コツコツとヒールを鳴らして、首元に掴みかかる勢いで教授に詰め寄った。

 

「でしたら、重村さん……貴方は、自分と向き合って下さい。死ぬなんて、そんな甘いことは許しません。貴方が本気であの事を悔いているのなら、尚のこと。今一度、自分がここにいる意味を考えて下さい。死ぬ事は、決して罪滅ぼしにはならないんです」

「私の……意味、だと?」

 

 目を瞬かせる重村を強く睨み付けながら、明日奈は、自分が意外とOS事件に対する怒りを募らせていたのだと気付かせられた。

 

 思えば、あんなに憔悴したキリトの姿を見たのはSAO以来で、家に招いた時もあんな姿を見せた時は、驚いたものだったし、不安にさせてしまったことを心底申し訳なく思っていた。

 

 だから、思う所はある。しかし、重村には、SAOで亡くなった娘を生き返らせてやりたいという信念があった事もキリトから聞いていた。

 

 茅場晶彦を未だに恨めていないのも、彼が鉄の城への信念を持っていたからだったのだ。それを聞かされた時、自分でもよく分からない気持ちに襲われたのだ。

 

 だと言うのに、その迷惑を死んで償うなど、あまりに弱気で覇気のない姿を見せられては、募った怒りも噴き出すというもの。

 

 ただの自分勝手な考えではあるが……自分なりの信念を持って、何かを犠牲にしてでも叶えたいものがあったのなら、それに報いる為に、自分にしか出来ないことを考えるべきではないのか。そう思ってしまう。

 

「……だから、重村ラボの室長として、私達に協力して下さい。キリト君を助けるために」

 

 

 

 

 そうして、明日奈に連れられた重村は、凛子と共にサブコントロールルームに入った。

 

 入ると、先ず比嘉が盛大に驚いたが、明日奈はキリトのフラクトライトの不活性状態に対する解決策を求める為に呼んだと説明すると、比嘉は概況について、重村に判明した事実の限りを伝える。

 

「つまり、自己の主体が消えてしまったが為に、能動的な行動も取れずに、自分が誰かも分からずにいる、という訳っスね」

「それは、フラクトライトのデータが破損し、人格というソフトウェアが機能しなくなったと考えていいのかね?」

「大体合ってるっスね。この状態でフラクトライトを再度賦活させるのは、厳しいどころか、ほぼ無理でしょう」

 

 と言い切る比嘉に、重村は考える素振り一つ見せずに、比嘉に振り返り、断言する。

 

「ならば私が考え得る方法は一つだ。桐ヶ谷君を知る人間のデータを集積し、そのデータで彼自身の失われたデータの補填を試みればいい……オーディナル・スケールで、私がそうしたようにな」

「なっ……」

 

 最後にそう付け足したのは、自嘲の現れか。

 

 だが、その案は非常に的を射たもので、実際にそれを行っていた彼の知見に基づかれたものだった。

 

 他人から見たユナというイメージをSAO帰還者からかき集め、それを組み立てれば、完全とまでは行かなくとも、限りなく彼女に近いAIとなっていただろう。

 

 比嘉は、普通では思いもしない視点からの重村の考えに、面を食らいつつも、何かのデータを打ち込んでいく。

 

「……でも、それなら、可能性はあるのか……?」

 

 主体と客体……自己の人格は、他人や社会の影響あってこそ成り立っている。誰かを真似することで、生き抜く術を身につける。つまり往々にして、自己の中に他人は遍在するものなのだから、主体と客体の関係は人間においては成り立たない……という、高校の現代文でやったような、懐かしき内容を思い出しながら、エンターキーを叩く。

 

 そしてそれは、逆も然り……他人の中に自己の主体が存在しても、何らおかしくないのだ。

 

「他人のフラクトライトから桐ヶ谷君のイメージを抽出して、それを桐ヶ谷君のフラクトライトに接続すれば……それが、セルフイメージのバックアップとして機能する」

 

 ガバッと顔を上げて、重村の顔を見た。

 

「し、重村先生……これなら行けるっスよ!! 最低でも三人の、桐ヶ谷くんに近しい人物のフラクトライトをSTLを介して彼のフラクトライトの喪失領域に繋げてやれば、本来のセルフイメージが復活するはずです!」

「そうか……」

 

 興奮気味な比嘉に対して、重村は表情を微かにも揺らがさず、ただメインスクリーン……それに表示された、キリトのフラクトライト活性を示すウィンドウに目を向けていた。

 

 キリトの主体が蘇る可能性を聞き、明日奈も愁眉を開いて、こわばっていた身体が脱力するのを感じた。

 

 そして、隣に立つ重村に振り向いて、頭を下げる。

 

「重村さん、本当にありがとうございます……!」

「……私は科学的な観点から所見を述べたまでだ。礼など必要無い」

 

 画面から視線を下ろすと、明日奈を一顧だにせず、白衣を翻した。明日奈から見ても、偏屈というより、自罰している様がありありと表れていた。

 

 それは、凛子とて同じ。あまりにも見ていられないほどに、痛々しい姿に変わった恩師。

 

「重村先生……」

 

 かつての生徒の呼び声に、踵を返す足音が止む。

 

「……先生。もう、自分を許して下さい。悠那ちゃん*2の事は、私が原因で……本当は、私にも責任があるべきだったんです! 晶彦さんを止められなかったから……そうしたら、先生がOS事件を起こす理由も無かった……!」

 

 全ての発端は、SAO事件。

 

 悠那は、重村が時折ラボに連れてきており、ラボ唯一の女学生である凛子は悠那とも仲が良くなっていた。中学校に上がる姿も、高校生になるとはしゃぐ姿も、目に焼き付いている。妹のようにも思っていたのかもしれない。

 

 しかし全てが終わった時、悠那はとっくに死んでいた。一年も前に、ゲーム内でヒットポイントを全損していた。葬式は親類とラボの生徒二人だけでしめやかに行われ、家の郵便ポストには白い案内状が残されていた。

 

 悠那がSAOにダイブしていた事さえ知らなかったのだ。その衝撃は計り知れないもので、あまりの罪悪感から、あれからラボを訪れた日は一度たりとも無い。

 

「何故、君が気にする。SAOの事に君の非は無い」

 

 自分を叱るような強い語気だった。眉も顰められ、剣呑な雰囲気になる。悠那を救えなかった自分自身への怒りも内包している風に見えた。

 

 それでも、凛子は反駁した。

 

「……私にも、晶彦さんにも、先生にも非はあります。だから自分だけ責め立てるのは、もう止めにして下さい……その罪も謗りは、これからも、私たちが受け止めるべきものです」

 

 その事を、彼女が気付かせてくれたから。罰も赦しが無くとも、永遠に罪と向き合わなくてはならない事を教えてくれた。

 

 強く言い返された重村は、無言で凛子を見返した。その目は、大学時代から変わらない、向上心のある負けん気の強い目だ。重村はそれに目を付けて、田舎育ちという彼女にラボ入りを認めた事を思い出す。

 

「それを言うならボクもっスよ、凛子センパイ」

 

 懐かしい響きが聞こえて、凛子は体ごと振り返る。いつも背筋が微妙に曲がっていた彼も、この時ばかりは、佇まいを正して、凛子や重村と向き合う。

 

「ボクなんて、無関係を貫き通そうとしたんスよ? SAOには多少でも携わっていたのに、必死で目を逸らして、のうのうとね……」

 

 だから、同罪っスよ、ボクも。と軽い口調ながら、後悔を滲ませた声で、二人の輪に入り込んだ。

 

「だから、今は精一杯、出来ることをやりましょうよ、重村先生。ボクたちが背負った罪と向き合える、数少ない時分なんスから」

「……君に、そうして丸め込まれるとはな」

「いやいや。でも、囲い込みはしましたけどね。先生を助ける為に」

 

 比嘉がそう言うと、重村は狐につままれたような表情になり、まさかと呟く。

 

「あの提案は、菊岡君ではなく、比嘉君からだったのか……」

「ええ。言い出したのはボクからっス。先生みたいな人材を、みすみす取りこぼす訳にいかなかったんで。……あとは、まあその、個人的な感情からですかね。そこはほら、ボクらの先生ですから」

 

 小っ恥ずかしさを覚えて、そっと頬を搔く。

 

 比嘉が、事件を知っていてなお自分を慕い、こうして行動に出た……そう思うと、自分の教え子がいかに得難い存在だったのだと自覚させられる。

 

「……そうか」

 

 言葉が出なかった。受けた言葉の数々が身体の隅々に入っていって、今なら涙の一つでも流せそうだった。

 

 しかし、目の前で強い意志を見せる教え子が二人も居る中、先生である自分が涙を流すのは許されない。眼鏡の奥で堪えると、再度顔を引き締める。

 

 自分がここにいる意味を果たす時なのだと。

 

「となれば、現状の打開を始めるしかないだろう。比嘉君、凛子君、手伝ってくれたまえ。桐ヶ谷くんのフラクトライトについて幾つか調べたいことがある」

「了解っスよ〜! くーっ、これで勝つる!」

「ふふ……共同作業は久しぶりですね、先生」

 

 ハイテンションになった比嘉と、楽しそうな凛子を連れてデスクに向かう。

 

 それを、菊岡は興味深そうに、明日奈は喜ばしそうに見るのだった。

 

 

 

 そして、この数分後。明日奈は、比嘉からのキリト復活の為の手段を聞き、アンダーワールドへダイブした。

 

 何の因果か、アンダーワールドだけでなく、リアルワールドまでも《原作》から乖離し、5分も早く明日奈はSTLに横たわった。その時間は、時が加速するアンダーワールドにおいて何よりも有益で……

 

「初めまして、アスナちゃん」

「……こちらこそ初めまして。結城明日奈です」

 

 受け応えが出来たのは奇跡にも等しいとさえ思えるほど、どんな芸術にも優る美しさの少女。同性ながら、息を飲んで陶然としてしまいそうになる。

 

「私は公理教会最高司祭──アドミニストレータよ。よろしくね?」

「あ……はい! よろしくお願いします、アドミニストレータさん」

 

 その隣には、もう一人。アスナがそちらに目を移すと、あまりに場違いなアカデミックドレスじみた服装の女の子が、値踏みするように見ていた。

 

「ええと、貴方は……」

「申し遅れたな。わしはカーディナル。最高司祭代理じゃ。よろしく頼むぞ、アスナとやら」

「か、カーディナルって……カーディナル・システム……!?」

「む? そうか。お主もわしの同類を知っておったか」

 

 最高司祭、賢者、創世神。

 

 三者三様の、間違いなく最強格の少女達が一堂に会したのは、来たる大戦……《東の大門》の崩壊を目前に控えた日の事だった。

 

 

 

 

*1
ARヘッドギア、オーグマーの開発者。オーディナル・スケールというARゲームを利用し、SAO帰還者から、SAOで死んだ自分の娘、悠那の記憶を高出力スキャンで抜き取り、AIとして復活させようと試みた。事件の以後、菊岡による隠蔽工作で逮捕されず、ラースへと引き抜かれる。ナーヴギアを悠那に渡してしまったことを悔いており、自分に激しく憤りを感じている。

*2
重村教授の娘。故人。重村が娘の為にと与えたナーヴギアでSAOに囚われた。歌によって味方を強化するバファーとして活躍していたが、レベリングの最中に事故があり、死亡した。血盟騎士団のノーチラスこと、エイジとは仲が良かった。




ヌルゲー大戦にはさせません(確固たる意志)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

I Wished You Loved Her
転生最高司祭ちゃんが行く原作改変RTA 4066時間28分43秒


ツンデレ卑屈最高司祭vsヘタレ執事vs恋愛経験不足賢者
ファイッ!


 

 西暦2026年7月7日 AM8:00

 

「これは……」

 

 データの海の中で、ユイは《母親》から送られてきたデータと、先程ネット上に流れてきたとある情報を考証していた。

 

 送られたデータは、ラースと、《プロジェクト・アリシゼーション》に関するもの。魂であるフラクトライトについて、簡単に纏められており、キリトの現状が記されている。

 

 その情報を使い、ダメ元でフィルターを掛けて検索してみると、何件かヒットした内の一つに、日本のとある企業には魂の解析ができる機械があると仄めかされた投稿を発見したのだ。投稿された日時は、つい昨日。

 そのアカウントの過去の投稿を全て確認すると、ユイの思考は何百もの推論を導き出し……やがて、一つに絞られた。

 

「……パパとママが、危ない?」

 

 断定こそ出来なかったものの、可能性は限りなく高く、到底無視できる案件ではなかった。

 

「シノンさんとリーファさんを呼ばないと……!」

 

 今すぐ動けるのは、その二人だけ。ユイは通信回線にアクセスすると、二人の携帯にコールを掛けた。

 

 

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年6月2日

 

 

 ソードアート・オンライン・アリシゼーション War of Underworld救済RTA 最高司祭チャート、はっじまーるよー。

 

 

 いきなり何を書いているのかと困惑しているかもしれないが、軽く読み飛ばしてくれて結構だ。

 

 RTAを始めようと思った訳については、まあ、今日色々とあったからだ。

 

 まず、今朝、クリスチャンの爽やかなモーニングコールで起きると、俺は真っ先に確認した。

 日記の最後のページを。

 

 そうしたら、あったのである。

 

 見た瞬間、頭を机に叩きつけた俺は絶対悪くない。

 

 確かに、計画が終わったら日記を見ろとは言った。だが間違っても、俺が死んでないのに読むものではない。加えて返答を書くものでもない。

 あれ、れっきとした遺書なんですけどね?

 

 原作再現できるように軌道修正したのに、あのタイミングで電源を切ってサージ起こしやがったガブリエルは後で殺す。

 

 散々頭を打ち付けた後、カセドラルを降りたら、これまた最悪なことが起きた。

 

 クリスチャンやらカーディナルが、何をとち狂ったのか、俺が死のうとしていた事を言いふらしていたが為に、整合騎士に会う度会う度過度に心配されるようになった。

 

 特にベルクーリお前、出会い頭に撫でてくるとか、無遠慮にも程があるぞ。

 

 でも、そのお蔭で、一つ分かったことがある。

 

 こうして生き残ってしまった俺に、出来ることは何か。

 

 ユージオも生きているし、カーディナルもシャーロットも、死ぬ筈だった彼らがいる。

 

 

 そこで俺は考えたのである。

 やっちゃいなよ、そんな偽物(原作)なんか! と。

 

 

 もう修正不可能なまでに本来の物語が壊れてるなら、いっそのこと全部壊してしまおうと思う。

 

 それに、どうせフラクトライトの《魂の寿命》も僅かで、残り三年あるかという程度しか猶予は残されていないのなら、この大戦で最善を尽くして、心残りが無いように死にたい。

 具体的には、死亡フラグの抹殺である。

 

 主にベルクーリやエルドリエ、ダキラ。そして、シャスターとリピアがそこに当てはまってくる。

 それ以外にも、リルピリンの許嫁やオーク族の部下達、拳闘士ギルドの面々辺りか。

 

 出来ることなら全部救っていきたいところではあるが、一部はどうしてもクリスチャンやカーディナルに協力を仰ぐ必要がある。

 

 そうすれば、皆が笑って楽しくいれる世界というのも、不可能ではない。

 

 よって、それにあたってのレギュレーションを策定した。

 

 レギュレーションは、

 

・暗黒界との融和

・主要な人物の生存

・計測はこのノートを閉じた瞬間から開始、和平条約締結でタイマーストップ

 

 とする。

 まあ、最高司祭チャートならこんなの楽勝だよね!

 

 それじゃあ、はい、よーいスタート。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 日記をパタンと閉じると、《窓》に表示されたストップウォッチを押して、一息吐く。

 

 計画をキッパリと諦めてみると、意外にも心は穏やかだった。

 あんなに《死》に固執していたのに、今では誰かを《生》かす為に動こうとしている。

 

 まあ、元々死にたかったのは、逸れてしまった原作の道を元に戻したかっただけなんだが。

 

 でも、今はもう、生きる理由も出来てしまった。

 

 日記をもう一度開いて、今日のページから一つ前を見る。

 

 下に小さく書かれた、その文字をなぞる。

 

「……クリスチャン」

 

 現在、俺は〝前世の俺仮面〟を装着中だ。性自認はほぼ女と言っていい筈だが、やはり長年被り続けた仮面はしっくり来るのか、着けておくと安心する。

 

 しかしそうすると、今度は情緒不安定な本心の《わたし》が育たなくなる。仮面で覆い隠していた弊害からか、えげつなく弱気なクィネラちゃんがいるのだ。

 

 そこはまあ、その……クリスチャンが何とかしてくれると信じたい。あいつ、唯一俺仮面すり抜けて《わたし》に攻撃してくるし。隣に居るとめっちゃ心臓がうるさかった。

 

 ちなみに、仮想世界においての心臓の鼓動は、そういったドキドキする感情の発露によって引き起こされる非自然的なものだ。

 命のやり取りとかで心臓の拍動が聞こえなかったら興醒めになるとは言え、茅場さんの凝りようって半端無いよなあ……

 

「お呼びですか?」

「──うひゃあ!?」

 

 深く思案している中、突然割って入ったその声に、私の身体が反射的に跳ね上がる。俺が名前を呼んだから、飛んできたのだろうが……

 

 ……これは重症過ぎるな、いくらなんでも。

 

「……ふ、普通に話し掛けなさいよ」

「普通ですが」

 

 顔がじんわりと熱くなる。

 俺がこうなるの絶対分かってて声掛けただろ、お前。

 

「……それで、如何されましたか」

 

 言ってたまるか。ただでさえ俺は重症なのだ。追い討ちを掛けられたら即死だ。

 

「なんでもないわよ……。先に寝てれば?」

「ほほう、昨日の日記を読み返して……なるほど」

「ねぇ話聞いてる?」

 

 ツッコミを入れても、本人は惚けた様子しか見せない。

 我ながら、面倒な相手に好いてしまったものだ……色んな意味で溜息を吐きたくなる。

 

 そんな奴に、いつの間にか、こんなキザったらしい返答を貰って、喜んでいる自分がいるのだ。……特にここ、『貴方様を一生──

 

「──放しません。そちらで会った時は覚悟しておいて下さい』……読んでくれて有難いですよ」

「なんでピッタリなの……」

 

 読み終わるタイミングと完全に一致していた。しかも、耳許で囁かれるハッピーなセット付きだ。羞恥心も天元突破してしまっている。

 

 もう、こいつに一生勝てる気しないんだが?

 俺がキリトポジで、クリスチャンがアスナポジだ。前世の俺が男だったのが悪いのか……

 

「……あのね、頼むから、そういうの止めてくれると嬉しいんだけど。ほら、その、親友として……ね?」

「それは無理でございます。だって」

 

 ──俺がクィネラの事が好きですから

 

 耳許に殺到する声と熱い吐息に、理性がグラりと揺らいだ。

 クソっ、まだメス堕ち自覚から体感でそんな経ってないのに、言葉の破壊力が強い……! んぐぐ……!!

 

 アレか? アレなのか? クリスチャンの声がやたら鈴村さんっぽいのが悪いのか? マーヤさんハートが呼応してるとか……!?

 

 なんにせよ、これは非常にまずい!!

 

「無理無理っ、お願いだから! それに、そういうのはちょっと早いというかなんというか……」

「いいじゃないですか。いっそ既成事実でも作れば素直になりますか?」

「私をなんだと思ってるの?」

 

 一瞬で真顔に戻った気がする。今の心の性は完全に女性の方に振り切れているが、俺が消えた訳じゃない。カッコいいものを見たら、今でもワクワクさせられるし、その一方で、クリスチャンの一挙一動に、クィネラとなって培われた乙女心が反応するのだ。

 だから既成事実とか気軽に言われると、フラクトライトの片隅にいる独身アラサーの俺がうへぇっと呻くのだ。

 そこら辺はちゃんとしてくれ。

 

「いい? 私だって、少しは夢見たいの。私が良いって言うまで、そういうのはナシだからね」

「ふふ、了解する前提で安心しました」

「〜〜っ!! 揚げ足取らないっ!!」

 

 ペンを投げつけると、それを華麗にキャッチして、胸ポケットに仕舞うと、それでは、と退出していった。

 

 執事としての対応が、何だかおざなりじゃないだろうか? 俺をからかうだけからかって、結局何もせずに出ていきやがったし。

 

 やっぱり、俺の日記を読ませてしまったのが原因かなぁ……

 

 溜息が漏れそうになりながら、傍のペンに手を掛けて、引き出しに────

 

「あ」

 

 ……俺のペン、勝手に持ってかれてるし。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年6月3日

 

 今日は安息日ということで、一ヶ月ぶりの茶会を催した。

 

 キリトが自我喪失中なので、ケーキは自分で焼いてきた。

 ふははっ、これが本場のシフォンケーキよ!と自慢げに出した一品は、同席者を大いに驚かせた。

 その時のカーディナルの顔が今でも目に浮かんでくるわ、あの間抜け面がな!

 

 今回の議題はズバリ、最終負荷実験への対応だ。カーディナルも、今の俺ならと様々な案を持ち出してきた。

 

 先ず、《東の大門》の補強。こちらは継続して行っているので、恐らく来年まで持つと見ている。

 

 人界軍の配備。これは既にいる、東西南北帝国の騎士団とやる気のある上級貴族達、そして整合騎士で対応中とのこと。

 あと、後々の為に皇帝は出陣させない事にした。ムーンクレイドルで吠え面をかかせるのが楽しみだ。

 

 最強の切り札、キリトの蘇生。

 これに関しては、時間の経過を待つ他ないので、どうにも出来ない。

 《ワールド・エンド・オールター》で菊岡と話をするのも一つの手だが、先にアリスがラースの手に渡っては、ガブリエルもプーさんも倒せなくなる。

 アスナ達だけ早くこっちに来てくれたら、被害が最小限に済むんだけどなぁ。

 

 更なる戦力増強についても話し合われた。先ずは真っ先に使える戦力として、凍結中の整合騎士を四人目覚めさせた。鎌使いと短剣使いと斧使いとブーメラン使い、もといレンリ……皆個性的な神器を持っている。貴重な戦力となってくれる筈だ。

 

 まあ、そもそも俺とクリスチャン、カーディナルが十分に強いので、戦力としては申し分ないか?

 

 

 

 

 それよりも、なんだが。

 

 最近、クリスチャンの猛攻が凄まじい。

 

 さりげなく顔を近付けたり、耳許でイイ声を囁いたり、二人になった瞬間、所構わず抱き着いて来たり……

 

 そういうのは大戦が終わった後でと釘を刺しておいたから、大丈夫だと思いたい。

 

 

 大丈夫、だよな?

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

「……ってことで、アリスを復活させるわね」

「……え?」

 

 気の抜けた声を出して、俺の居室である百階で目をパチパチとさせるユージオ。そして、隣のアリスはいきなりそんな事を言われたからか、何もできずに当惑している。ユージオが把手を持っている車椅子のキリトは特に反応を示していない。

 

「さ、最高司祭様……それは、アリス・ツーベルクを復活させると、そう言っているのですか?」

「まあ、そうだけど……あ、でもアリスちゃんが消える訳じゃないの。大丈夫、大丈夫だから、そんな顔は止めてちょうだい」

 

 しゅんと肩を竦め、死刑宣告を粛々と受け止める罪人みたいになったアリスを宥めて、落ち着かせる。

 ごめんね? アリスちゃんに消えて欲しい訳じゃないから、ね?

 

 それでも、顔の物憂げな表情は取れないまま、難しそうな顔をしている。

 こうなれば、実際にやらなければ表情は晴れないだろう。

 

 そこで、パチンっとフィンガースナップを一つ。

 すると、ボトッと音を立てて、俺の隣にそれは現れた。

 

 白色の人型。一見すると、顔は無いが精巧なマネキンのようだ。

 

 これは、一口に言えば、ゲームのアカウントと言うか、アバターと言うか……そういうのに近いものだ。

 

 もっと根本から説明すると、このマネキンモドキはフラクトライトの入っていない空のライトキューブが仮想化された物である。

 何も設定されてない、新しいアバターデータ……キャラのクリエイトも済んでいないような、空っぽのデータがこれの正体だ。

 

 ここに、赤ちゃんのフラクトライトコピー……精神原型(ソウル・アーキタイプ)をインストールすれば、俺達と同じ人工フラクトライトになる。

 

「これは、私達の魂の器よ。みんな、この器の中に魂を入れられて育つの」

「……なんというか、不気味な見た目ですね」

「当たり前じゃない。人の個性はなんにも与えられてないもの。顔なんて無いに決まってるでしょ?」

 

 心意でマネキンモドキを立たせ、アリスと向かい合わせる。

 

「今からやるのは、シンセサイズの逆……アナライズ。統合されたものをバラしちゃうの」

「え、ええと……?」

「そんなに難しく考える必要は無いわ。ちょっと魂を複製して、この器に移して、後はそっちに記憶モジュールを挿入すれば終わりだし」

「魂の複製ということは……一時的に私が二人に?」

 

 その通り。

 鷹揚に頷くと、アリスがサァッと顔を蒼褪めさせた。まあ無理は無いけどね。

 

 それに、アリスはアリス化したフラクトライトなので、自分のコピーが居ても、己のフラクトライトが崩壊するような事態は起き得ない。理論上では、アリス化したフラクトライトは天然フラクトライトと同等の対応力を持ち合わせている筈なのだから。

 

 そして、もう一度フィンガースナップ。マネキンモドキに昔のアリスと同じエプロンドレスを着せて、準備完了。

 

「じゃあ、アリスちゃん……神聖術の起句の後に、リムーブ・コア・プロテクションと続けて」

 

 ユージオの身体がビクッと跳ねた。ユージオにとっては軽くトラウマだろうし、俺だって二度と聞きたくない術式だ。

 これからはシンセサイズなんてやってやるものか。

 

 アリスも、俺たちの様子を機敏に感じ取ったのだろう。少々、躊躇いがちに口を開いて、起句を唱えた。

 

「……システム・コール、リムーブ・コア・プロテクション」

 

 唱え終えた途端、アリスの身体に紫のラインが走り、額の辺りで収束した。

 

 そうしたら、アリスの額に触れて《敬神モジュール》を抜き取ると、術式を唱えて、フラクトライトの操作ウィンドウを呼び出した。

 

 次に、マネキンモドキの額を掴んで、アリスのウィンドウにある[copy]ボタンをタップする。今度はマネキン側のライトキューブの設定をちょちょいと弄って[paste]すれば……

 

 白のマネキンモドキが、淡い光を帯びた。頭頂から、光の粒子が寄り集まって身体のパーツを作り出す。黄金の髪、透き通った白磁の肌色、細く際立つ柳眉、小さくまとまった鼻稜etc……

 

 アリスの姿と全く変わらないそれは、正真正銘、アリスの複製されたフラクトライトが入ったライトキューブだ。ややこしいが、こちらもアリス本人という訳だ。

 

 なんか、変身シーンみたいだなぁ……と見入ってしまったが、作業を再開させる。

 

「ほ、本当に、アリスが二人に……」

「もう一人居るからって、そっちのアリスちゃんにオイタしちゃだめだからね?」

「し、しませんよそんなこと!」

 

 顔を赤くして手をぶんぶんさせるユージオ、可愛い。

 

 複製が終わったら、元のアリスに《敬神モジュール》を挿入し直して、次に、ユージオから預かっていた《記憶の欠片》を、エプロンアリスに挿入する。

 

 ……これで全ての工程は完了した。

 

 原作で、キリトがアリス・シンセシス・サーティとアリス・ツーベルクのどちらかを選ばなくてはならないだの、なんかうだうだ悩んでいた気もするが、早い話コピーしてしまえばその問題は無かったことにできる。

 

 コピーしたアリスのフラクトライトに、アリス・ツーベルクの《記憶の欠片》を挿入した時点で、アリス・シンセシス・サーティの人格は完全に消滅し、アリス・ツーベルクの人格が蘇るのだ。

 まあ、確実にキリトが倫理を説いてくるだろうから、その時は平社員の如く平身低頭するしかない。

 ふふ、俺の社畜術が唸りを上げるぜ……

 

 まあ、これにて一件落着、とユージオに振り向いた……刹那。

 

 俺の身体が仰向けに倒れた。

 

「い゛っ!?」

 

 後頭部が大理石の床を直撃。凄まじい痛みとぐらつく視界、そして金色が見えた。

 

「あ、あたまが……うぎゅぅ……!」

「ふぁ!? 最高司祭様!? ごご、ごめんねっ!」

 

 俺に馬乗りになっているっぽいアリスの、溌剌で高い声音が聞こえてきた。

 いや、謝ってくれるのは良いんだけど……

 

「アリスちゃん……一旦退いてくれない? 私、立ち上がれないんだけど」

「あっ……」

 

 いそいそと降りてくれたので、片手で光素を作って天命を回復させながら起き上がった。

 うう、頭がすごいズキズキする……

 

「……あの、本当にごめんね?」

「き、気にしなくていいわよ、これくらい。それに目の前に突っ立ってた方が悪いもの」

「でも、それを最高司祭様が気負う必要は無いわ!」

 

 見慣れた金髪碧眼の美少女で、申し訳なさげな姿も、頑固な性格も、アリスそのものと言っていい。

 しかし、アリス・シンセシス・サーティではない。

 

「……って、そんなのはいいのよ。久しぶりね、アリスちゃん」

「ええ、久しぶりね! 正気に戻ってくれて何よりだわ」

 

 18歳のアリスの見た目そのままに、中身は16歳程。ちょっとだけ子供っぽく見えるが、彼女が幼馴染三人組のうちの最後の一人である、アリス・ツーベルクだ。

 暇を見つけては神聖術などを教えていたからか、俺に懐いている可愛い子だ。ついつい頭を撫でたくなってしまう。

 

 手を広げて抱き着いてきたアリスを受け止めて、微笑み合う。こっちも可愛いよなぁ……

 

「ほ、本当に、君なのかい……? アリス」

 

 アリスの感触を堪能していると、ユージオは車椅子から手を離すと、疑り深く、或いは縋り付くような目で、足を擦らせて近付いて来ている。

 

 一度、修剣学院で期待を裏切られた事もあってか、ユージオには冷静さが伴っていた。本当に、自分の知るアリスなのだろうか……と言っているかのように、警戒の色が強くさせて。

 

 その不安は、全くの無意味であると知らずに。

 

 ユージオの尋ねる声を聞いたアリスは、俺から離れて、くるりとターンして後ろに振り返る。

 ユージオは、ハッと息を詰まらせていた。悪戯っぽく、つんと澄まして、自分に笑いかける姿が、きっと昔の記憶と重なっていたのか……

 

「もう、何言ってるのよ。一緒に剣になって戦ったことも、北の洞窟に行ったことも忘れちゃったの?」

 

 その言葉で確信したのだろう。ユージオの眼から涙が溢れ出した。次の瞬間でユージオは駆け出し、アリスの身体を胸に引き寄せた。

 

 

「ごめん……ごめん……! こんなに、迎えるのが遅くなっちゃって……」

「それでも構わないわ。ちゃんと来てくれたんだもの。それだけで嬉しいに決まってるでしょ?」

「アリス……!」

 ……これは、堕ちたな。

 

 アリスの見た目にそぐわない可愛らしさというか、包容力というか……これに抵抗できる男の子が居るのなら教えて欲しい。

 

「キリトも、久しぶりね。あれからもう九年だけど、こうして三人揃って良かったわ」

「……ぁ……ぁぁ……」

「キリト……アリスだよ。アリスを取り戻せたんだよ。僕たちの、三年の旅の目的が果たされたんだ……!」

 

 ユージオとアリス、キリトも一緒になって抱き合う。

 原作では叶わなかった、幼馴染三人組の再集合だった。

 

 キリトはまだ心神喪失状態にあるから、三人が肩を並べて歩く日が先の話になるとしても、原作の顛末を知る身では、これだけで不意に涙腺が緩んだ。

 面目もあるから、ここで泣くつもりは無いけどね。

 

「……あれが、本来の私なのですね」

「まあ、そうなるわね。記憶を失う前の過去……彼女が元になって、貴方が生まれたから」

 

 そう言おうとも、騎士アリスは、俺に非難がましい目で見たりはしなかった。キリト、アリス、ユージオの三人が揃う光景から顔を逸らさず、目に焼き付ける。

 

「……そうであるならば、最高司祭様……私とは、アリス・シンセシス・サーティとは一体誰なのですか……? 彼女から枝を別れて存在する私は、この世界に居て良いのでしょうか……? 私が何者なのかも、何にも、分からなくなってしまって……」

 

 右手で左腕を抱いて、目をそばめる。アリスは分かりやすく悄然としていて、その視線は、チラチラと《アリス》に向けられている。

 

 ……それを、《わたし》に聞かれても。

 

 仮面を外し、内心でそう独り言ちると、大きく溜息を吐いた。

 

 アリスの隣で、心意の空気椅子でふわりと浮かび、頬杖を突く。

 《わたし》とて、彼らが羨ましい、と思わないことは無かったのだから。

 

「……私も、実際は分からないの。私が何者で、何を為すべきか。何にも知らないの」

「……そうなのですか?」

「だから、私は死のうとしてたのよ?」

 

 自分にとっては、一昨日の出来事。

 

 まだ、《わたし》は心の整理も出来ていなかった。

 

「私も、アリスちゃんと同じで……この姿は、本当のアドミニストレータでも、クィネラでもないの。近いけど、また違う別人」

 

 それに気付いた時、感じたのは絶望だけ。

 

 《わたし》とは、〝俺〟でもクィネラでもない、また別の、知らない誰かだったから。

 

「知ってる? 自分の人格ってものはね、他人や社会環境の影響を受けて育つの。キリトやユージオ、ルーリッド村に影響されて、明るい少女として成長したのがアリス・ツーベルク。私やクリスチャン、ベルクーリ、公理教会に影響されて、整合騎士として成長したのが貴方なの」

「え……」

 

 主に、キリトに強い影響を受けていたアリスは、キリトの記憶の穴に《敬神モジュール》を挿入された事で、明朗快活な性格が消え去り、そこに新しくベルクーリなどの影響が加わって、容赦の無さと、割と毒舌っぽい性格が現れた。

 

「要するに、ありのままの自分を受け止めなさいってことよ。結局、自分が誰なのかなんて、本当に分かってる人なんて居ないの。私とアリスちゃんは、必要に迫られて、自分の意義を問うようになったから、こうして悩んでるだけ」

「……しかし、それを知っていてなお、最高司祭様は思い悩まれているのでしょう?」

「……ええ」

 

 ……ごめんね、こんなに弱い人間で。

 

 自分は、アリスよりも色々な知識があって、人生も長く生きている。

 

 それでも、うじうじと悩む。

 

 《わたし》という人間の弱さだ。

 

「〝我思う故に我あり〟……なんて言葉もあるけれど、わたしはそんなに強く居られなかった。でもアリスちゃんなら、時間をかけてゆっくり飲み込める筈よ。アリス・シンセシス・サーティという、貴方だけの個性を大切にすれば、自分を受け入れられる日が来る」

「……そうだと、良いのですが」

 

  自分ほど心の弱い人間はそういない。何が起きようと、アリスはちゃんと乗り越えられる。

 

 仮面を着け直して、アリスとの対話で摩耗した《わたし》の心を覆い尽くす。

 

 はぁ〜……心が安らぐ。

 

 自分を抑圧する筈のペルソナが精神安定剤になるというのは何とも皮肉だが、偽りでも拠り所になる信条や信念があった方が、生きやすいのは確かな事だ。

 

「ねぇ、貴方も一緒に来て!」

「え?」

「貴方も私だったのよ? 仲間外れになんてしないわ」

「ま、待って下さい、私は……」

「早く! それと、これからはアリスって呼ぶから、私をアリスって呼ぶこと。いいわね?」

「それでは、紛らわしくないでしょうか……?」

「う、うーん、今はいいわよ、気にする人もいないし」

 

 アリスに手を引かれ、困惑のままキリトの所へ連れて行かれるアリス。しかも並んで立ってるから、服装でしかアリスとアリスの判別が付かない……いや、体捌きに違いはあるか。

 

 もし服装と口調を入れ替えでもしたら、大半の人がどっちがどっちだか分からなくなりそうだ。

 

「ねえ、アリスも最高司祭様と仲良いのかしら?」

「ええと……そうですよ。友人と仰っていました」

「なら、そんなに畏まらなくても、最高司祭様は許してくれるのに」

「そ、それは出来ません! 私は最高司祭様に忠義を誓っている身でもあるのですから」

「でも、砕けた話し方のほうが、友達って感じで良いと思うけど」

「ですが、最高司祭様にため口なんて利いてしまえば、お皿にでも変えられてしまうのでは……?」

 

 ちょっと待った。

 

 話を聞き流してたら、なんか聞き捨てならん言葉が聞こえてきたんだが。

 たまに思うんだけどさ。アリス、俺の事なんだと思ってるの? そんなやたらめったらお皿に変える外道じゃないよ? 敵を宝石とかに転換した事はあるけど。

 

「大丈夫よ、お皿に変えるって言ってるけれど、最高司祭様の脅しの常套句だから、本当にする事はないわ!」

 

 ……むかっ。

 

 確かに、そうではある。そうであるが……そんな大声で、しかも自信満々に言われると、なんか腹立つ。

 ユージオまで、マジか……みたいな驚きで硬直している。

 

「……なるほどね。貴方たちの私への認識がよ〜く分かったわ」

「げっ!?」

 

 企みの最中で誰かに見つかったキリトみたいな顔で、アリスがぐりんっと俺を見た。

 その横でアリスが目を泳がせた後、アリスをビシッと指差す。

 

「あ、アリス! あんな大声で言うからですよ! 私には何も責任はありませんからね!」

「酷いわ! アリスだって、最高司祭様をあたかも簡単にお皿に変える人みたいに!」

「じ、事実無根です! そんな事は一言も言ってませんよ!?」

「だ、駄目だよ、二人とも! 全員で一緒に謝らないと、本当にお皿にされちゃうよ!?」

 

 ユージオが仲裁を試みようと、アリスとアリスの間に入ろうとして、更に激化する争い。

 

 …………いや、なんだこれ。

 

 どちらも名前がアリスだから、騎士アリスとか区別を付けていたけど、どちらも入り乱れたら頭の中も訳が分からなくなった。

 

 名前の区別を検討しないと、ベルクーリとかの頭がこんがらがりそうだ。

 

「ま、それはそれとして……喧嘩両成敗ね」

 

 光素と闇素を反発させることなく合成し、自前の紫電を掌に形成する。

 

 ギョッとする二人。ユージオは、既にキリトの車椅子を持って退散していた。

 

「……ディスチャージ」

 

 直後、二つの悲鳴と雷鳴が轟いた。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

「……そういう訳で、こいつが復活したと」

「こいつじゃないわ、アリスって言ってるでしょ!」

 

 うへぇ、という表情を浮かべるクリスチャンと、ムスッと頬を膨らませて、腕を組むアリスちゃん。

 

「むぅー……クリスチャンは相変わらず意地悪ね」

「いえいえ……ただ、面倒なのがもう一人増えたなと」

「……もう一人は誰よ」

「アリス・シンセシス・サーティ」

「酷いわ! アリスは真面目なのに!」

「あの生真面目さが、ちょっとなぁ……」

 

 腕を組んで悩むクリスチャンの姿に、どこかキリトの面影が見えるんだが、気のせいだろうか。

 

「それに、どっちも打てば響くものですから」

「──!? もうっ、もう!! 貴方って本当にどうしようもない人ね! そんなに私が勝手に夏至祭に行ったのが気に入らないの!?」

「……ああー、あの日の事はもう気にしてませんよ。ですが、全体的に生意気じゃないですか。なんかこう、クソガキみたいで」

「──っ!? よ、よくもクソガキ呼ばわりしたわね……! システム・コール!」

「その反骨心、やっぱりアリスだなぁ……」

 

 見た事もない顰めっ面で熱素を解放するアリスと、それを楽しげに笑いながら避けるクリスチャン。

 

 騎士のアリスちゃんも、よくクリスチャンに突っかかっては、軽くあしらわれていたし、その光景と今の光景が重なって見える。

 

「ははははっ! 全然当たってませんよ!」

「う、うるさいわよ! 大体クリスチャンが避けなければいいじゃない!」

「それでは詰まらないじゃないですか。ほら、もっと良く狙って……」

「うぐぐ……っ! 大人しく、当たりなさぁ──い!!」

 

 ……不覚にも、良いなぁ、と思ってしまった俺は、もう駄目なのだろうか。

 

 ああやって、クリスチャンに楽しく弄ばれたり、ムキになって戦ったりしてみたい……してみたくない?

 

 

 

 

 

 《わたし》も……クリスチャンにコロコロ弄ばれたいなぁ。うひひ……

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年6月5日

 

 アリス・ツーベルク復活から一夜明け、再度ユージオを呼び出した。

 

 彼の至上目的が果たされた今、今後の進退を尋ねてみると、整合騎士として、キリトやアリス達の為に力を振るいたいと言ってくれたので、これを機に、上位騎士、ユージオ・シンセシス・サーティツーに昇格させた。

 勿論、シンセサイズはしてない。

 

 上位騎士となると、神器を下賜するのが通例ではあるが、ユージオには《青薔薇の剣》があるので、それは無しとなった。

 

 そしてもう一つ、上位騎士となった際には、整合騎士長との試合を行わなくてはならないらしい。

 

 つまり、再現できなかったベルクーリとユージオの戦いが、しかも俺の目の前で行われたのである。

 

 素晴らしい戦いだった。特に、あの氷の剣を作って、ベルクーリの意表を突く戦法が有利に働き、結果、ユージオが勝利した。

 騎士アリスも、初の試合という利点を用いたユージオの戦い方を賞賛していた。

 しかし、本当に勝つとは思っていなかったらしく、勝敗が決した時のアリスのポカンとした表情が頭に焼き付いている。

 

 その後もてんやわんやで、ベルクーリが「俺が負けちまったから、今日からお前が整合騎士長だな」とイイ笑顔でユージオの肩に手を置いたりして、それをアリスとファナティオが止めにかかって……もう、色々と大変だった。

 

 因みに、続く第二試合としてクリスチャンが乱入してきたら、ユージオは割と呆気なく倒されてしまった。

 

 えぇ、うっそぴょーん……? と、真面目にポカンとしてしまったのは仕方ないと思う。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年6月13日

 

 ベルクーリは有能で助かる。もう人界軍全員に《バーチカル》と《ホリゾンタル》を覚えさせたと聞いた時は思わず英語で聞き返してしまった。

 やっぱ整合騎士長辞めない方がいいよ、絶対。前世で日本に居た時に、あんな上司か部下が居たら良かったとずっと思っているくらいだ。

 

 日本と言えば、俺も頑張って生きれば日本に行けるのだろうか。

 

 専用の身体(サンエモン)を用意してもらって、ソードアート・オンラインの世界の日本を歩き回ったりするのだ。

 

 そしたら、クリスチャンと一緒にディズニー……ではなく千葉のネズミーランドに行ったり、ぶらぶら途中下車しながら新宿駅地下大迷宮で迷ったり、キリトの家に乱入してアリスを揶揄ったりと、夢が止まらない。

 

 でも、同時にそれが不可能である事も知っている。

 ライトキューブの容量は百五十年分。俺の容量もいつ完全に無くなるか分からない。

 クリスチャンだってそれは同じなのだ。

 

 たとえこの戦争を乗り切っても、その後は二百年間の限界加速が待っている。その間をディープ・フリーズで乗り過ごしても、残り数年だけしか生きられない。

 

 仕方ないのは分かっている。原作を壊したのは俺だ。

 本来アドミニストレータは、もう死んでるはずの人間なのだ。今こうして生きているのは、過去の行いを清算するために与えられた、ほんの少しの奇跡みたいなものなのだ。

 

 それを引き伸ばすような真似は、あまりに傲慢だろう。

 

 だからこの奇跡は、物語を変える為だけに使う。

 それが、俺にできるせめてもの償いなんだ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年6月26日

 

 

 

 何故かクリスチャンが一緒に寝てくれなくなった。

 

 もしかして、昨日の事が悪かったのだろうか。そんなはずはないと思う。でも、どこか苦しそうに言ってきたから、断れずに認めてしまった。

 

 鬱だ。これ以上何も書きたくない。

 

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年6月27日

 

 

 

 ベッドで一日中転がっていただけだった。

 

 どうして、一緒に寝てくれなくなったのだろうか。

 

 考えるあまり物事が手につかない。改変を誓ったのではないかと叱咤したとしても、心をかき暗すのはクリスチャンのこと。

 

 駄目だとは、分かっているのに。

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年6月28日

 

 

 

 クリスチャンに嫌われたのだろうか。

 

 とうとう、愛想を尽かされたのか。

 

 それもそうだ。こんな男とも女ともしれない混ざりものなんか────(以降、紙面が波打って、文字のインクが滲んでいる)

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年6月29日

 

 

 

 さむいよ

 

 さびしいよ

 

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年6月30日

 

 

 

 

 一人に しないで

 

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年7月1日

 

 いや

        いやだ

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦──

 

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人──

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 ・

 

 ・

 

 ・

 

 ・

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年7月9日

 

 思えば、もう何日も日記を書かなかったらしい。

 俺、あんまりにもメンタル弱者過ぎない?

 

 そんな訳で、俺はどうにか復活できた。

 

 いつまでも最上階に篭りきりでは、話せるものも話せないのは自明だったし、話をしないとと思っていたのもあって、やっと今日、カセドラルを下りる決心がついたのだ。

 

 よわよわ精神のまま、吹けば飛ぶレベルに弱体化した仮面を着けて、クリスチャンに会いに行ったが、今思えば大きな賭けだったなと自分で自分に感心している。

 

 ペルソナ、すなわち外面を作る事は、振る舞いに関する一種の自己暗示であるので、無論本人のコンディションに依拠する。

 だから仮面を着けようが陰鬱な気分は晴れないし、悪口でも吐かれようものなら一瞬でメンタルブレイクだ。……お前それでも最高司祭か?

 

 そんな捨て身戦法でクリスチャンに尋ねた所、意外な事実が発覚した。

 

 曰く、一緒に寝ているとナニがスタンダップして、いつ襲ってしまうか分からない。処理に困る。それよりクィネラ様が魅力的すぎるのが悪い。だから苦肉の策として一旦離れることにした────という事のようだ。

 

 とばっちりを食らってるだけじゃん、と心の中で突っ込んでしまったくらいだ。

 

 そりゃまあ、一応夏至祭の最後にアレをした自分も原因とは思うけど、まさか性欲にやられてるとは思わないじゃん?

 

 その事で完全に嫌われたと思って、三週間も絶望していたんだとこの野郎と怒ったら、クリスチャンは土下座して謝ってきた。

 

 そこは、なんかこう、抱き締めたり、慰めてくれたりした方が良かったのにと思わないでもなかった……傲慢ですよね、ごめんなさい。

 

 スタンダップする件に関しては、理解はあるので同情はする。

 何百年も一緒に真っ裸で寝ているとは言え、男子たるもの若さゆえの欲求不満は目の上の瘤だろう。

 

 それを黙って勝手に行動したのは頂けないけど。まあ許す。

 

 クリスチャンには、どんな事情にしろ、俺に関連する事は報告第一にすることと、偶にでいいから一緒に寝てくれないと、不安で自殺しかねないと言っておいたから、これで問題は解決した。

 

 

 

 

 まあ、俺はすっかり依存してるけどな!

 

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 人界暦381年7月13日

 

 ユージオと二人のアリス達が、キリトを連れてルーリッドに帰郷するらしい。

 

 今回の帰郷の理由は、無論だがキリト処刑の声が上がったからではない。騎士アリスが、妹のセルカを一目見たいと言ったからだった。

 

 いや、それって行って帰ってくるだけじゃん……と思った俺の粋?な計らいにより、三ヶ月の有給を取らせた。いちおうお小遣いとして十万シア*1ほどを渡したので、金に困ることは無いと思いたい。

 

 休暇を言い渡した時のアリスは、すんごい目を輝かせて俺に飛びかかってきた。数年ぶりに家族に会えるとなれば、それも納得だ。

 

 出発は十日後の23日を予定しているらしい。

 遠隔監視術式で、セルカ達の反応でも盗み見ようかな。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年7月23日

 

 ルーリッドに行くユージオ達を見送った後、カーディナルから《ソードゴーレム》に使われた人々を元に戻してやってくれと打診が来た。

 

 でも、元に戻したら、デュソルバートとか取り乱しそうだし、エルドリエがマザコンにならないか不安だ。

 

 なので、ちょいと待ってねと返しておいたが、カーディナルは不服らしい。

 

 でもなぁーとか、あーだこーだ言っていたら、交換条件にと、明日一日は暫くクリスチャンを借りていいかと言われた。

 別にそれくらいは構わないのだが、どうしてクリスチャンなのかは謎だ。しかもやけに嬉しそうだったのが気になる。

 

 なにか用でもあるのだろうか?

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年7月24日

 

 アリスが二人現れた時のセルカの顔といったら、あれは傑作だった。

 今日ほど遠隔監視術式があって良かったと思った日は無いだろう。

 

 それはさておき、裏で頑張ってくれていたフェノメアが、過労でぶっ倒れたらしく、いま俺のベッドで寝かせている。エルドリエが大慌てで最上階に駆け込んできたからビックリした。

 

 パラメータを参照する限り、あの子はどうも、ここ数ヶ月間でまともな食事睡眠を取らなかったらしい。疲労値が90、健康値が−80なんて数字は初めて見た。

 

 確かに、昔は公理教会の抜本改革に奔走していたものだが、最近になってブラックな労働をしていた理由が不明だ。

 後で問い質すべきだろう。

 

 それにしても、あのエルドリエの焦りようと言ったら凄まじかった。顔面蒼白になって、今にも泣き出しそうになっていたのだ。

 そんなに仲良かったっけ、エルドリエとフェノメアって。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

『人界暦381年7月28日

 

 今、この日記は私が書いている。

 

 だから、いつもは思う事そのままにすらすらと書ける筈の日記も、途中で筆が止まる。ここまで書くのに十分以上掛かっているくらいだ。』

 

 

 

 ……と、書いた所で、またも《わたし》の筆が止まる。

 

 今日は、特筆に値すべきものは何もなかった。居室のベッドに転がり、ただ永遠の自問を繰り返していただけだった。

 

 ──《わたし》とは何か。

 

 色んな問答があったが、結局その一点に集約される。

 

 心理学、哲学においても、しばしば議論される命題ではあるが、普通誰もそんな事を気にしてはいないし、人に聞こうものなら一笑に付されるだろう。

 

 しかし、こうして考えるのも訳がある。

 

 ……そうだ、ここに脳内会議の記録を残しておこう。

 

『他愛もない事だが、私は今回、脳内会議というものを開いた。

 

 誰かを好きになる私は本当に私であるのか、出来るだけ客観的に観察してみようとしたが、果たしてどこまで正確かは分からない。そもそも、それが真に本当かさえ分からない。

 

 だが、幾つかの結果が得られたので、ここに記す。

 

 フラクトライトの観点から見るわたし

 →クィネラと俺が合わさって出来た、新たなる一個体として位置づけられると考える。

 しかし、現時点で俺が持つはずのフラクトライトの記憶領域は未発見である。

 

 好悪の観点から見るわたし

 →クィネラと俺に共通するものであると推察される。

 好:菓子作り, 花, 神聖術, キリト, カーディナルetc...

 嫌:虫(蜘蛛は例外とする), 柳井(871), チュデルキン

 

 性格から見るわたし

 →クィネラ寄りだと推測される。

 大雑把で気まぐれであるが、何かと整頓されていないと気が散るタイプでもある。』

 

 この日記にもあるように、書いたはいいものの、果たして、これが本当に合っているのかは、とてもじゃないが確信できない。

 

 自分を客観的に評価するのは難しい事だ。

 喩えるなら、突然自分の長所や短所とは何ですかと問われた時、大半の人は暫時考えなくてはならないように、自分を常に意識的に考える人なんて、そういないものだからだ。

 

 でも、それにしては情報量が少な過ぎないだろうか……

 

「……更に加えれば、乙女思考といったところか。あれこれ理由を付けんと、自分の行いを正当化出来ないタイプじゃ」

「……そう、かしら」

 

 筆先を帳面に滑らせ、新しく情報を書き加える。そうして、書き出された文字を再読して……ぶわりと総毛立った。

 

 こんなこと、そもそも思った事すら無いことに。

 

 意識が冴え渡り、頭は現状の認識に取り掛かる。どうして直ぐに気が付かなかったのか。

 

「か、カーディナル……」

「珍しい事もあるものじゃ。まさか、お主が仮面を被っておらんとは」

 

 後ろから覗き込むカーディナルの存在を知覚して、しまったという後悔と、日記を見られた事への羞恥で、顔が熱くなっている。

 

「なんでここにいるのよ」

「最高司祭代理が最上階に居てもおかしくなかろう?」

「……でも、ここは私のプライベートスペースなのよ。ちびっ子なんかが勝手に入らないで」

「つれない奴じゃの」

 

 そうは言いつつ、表情は愉しげだ。カーディナルからすれば、《わたし》なんて、ただの小娘に過ぎないのだろう。

 

 そう思うと、《わたし》の中に僅かながらに存在する自尊心の欠片が震える。

 

「いつまでも悪戯心が抜けないのは感心ね。ずっとおちびちゃんなのもそのせいじゃないの?」

「それを言ったらお主もじゃろう。いつまでも乙女ったらしく永遠の十八歳を気取りおって」

「……!?」

 

 所詮わしと同じ穴のムジナじゃよ、と付け加えられてしまい、僅かな自尊心が粉々に砕け散った。

 

 何も、そこまで言わなくても……

 

 たまらなくなって、拒絶の意思表示として机に突っ伏した。

 

 カーディナルと話していると、《わたし》の心が何もかも見透かされて、嫌になってしまう。

 性格、好み、思考を全て知り尽くし、なおかつ客観的に見ることの出来る唯一の人間なのだから、見透かされるのも当たり前ではあるけども、その度に思い知らされるのだ……

 

 《わたし》は神様じゃない。

 

 そして、絶対の支配者でもないと。

 

 だから自分はずっと弱いのだ。自分を頑なに拒絶して、理解しようともしない。振り子みたいに、自分がどこにいるのかも定まらないまま、ふらふらと揺れている。

 

 ──《わたし》とは何か。

 

 クィネラはアンダーワールドを支配しようとした。

 〝俺〟は非情になりきれずとも、在るべき物語の演者になりきろうとした。

 

 だが結果として、《わたし》はどちらも選べないまま、成り行きで救済という選択肢を取った。

 

「……ねぇ」

「なんじゃ」

 

 机に反響して、くぐもった声で呼ぶと、少し不機嫌そうに反応された。まだ居るなんて、少し意外だ。

 

「……私って、何なのかしら」

 

 それでも隠すことのない、不愉快という感情をひしひしと感じ取りながらも、《わたし》は顔を上げて尋ねる。

 

「逆に聞くが、そんなものをわしが知っていると思ったと?」

「そ、そうよね……」

「……斯く言うわしも、自己同一性については悩みの種じゃったがな」

 

 驚きはない。寧ろ、そうだろうと思ったからこそ、カーディナルに尋ねたのだから。

 元はただのプログラムに過ぎなかったのが、人格を得たのだ。自分とは何かと考える事は多かっただろう。

 

 そして、《わたし》を誰よりも……それこそ自分よりも知っている人物、それが彼女だから。何か助言をくれるのではと、勝手に期待していた。

 

「……そもそも、お主は既に自分だけのものを見つけておるじゃろう? 前世ともクィネラとも違う、お主だけの感情がな」

「……感情?」

「自覚も無しとは……本当に困り果てた奴じゃな、お主は」

 

 こうして、呆れた目を向けられるのも、何回目なんだろう。

 

 思わずムッと睨み返すと、お手本のように肩を竦め、やれやれと短く息を出した。

 

「先日、わしがクリスチャンと共にデートに出掛けた事は知っておるな?」

「──待ってそんなの知らないんだけど!?」

「話の腰を折るな馬鹿者」

 

 勢いよく立ち上がったら、カーディナルの杖でボガッと頭に一撃を食らわされた。

 い、痛い……!

 

「……まぁ、そんな事があったのじゃよ。それで、お主はどう思った」

「あ、あたまが……っ」

「こ、この……! それぐらい自分で回復出来るじゃろうが!」

 

 あ、そうだった。

 

 指から光素を生成して頭に当てると、痛痒が和らいでいく。

 優先度40オーバーの攻撃は、普通に殴られてもその五倍は痛い。

 

 《わたし》の武器(シルヴァリー・エタニティー)はもう無いのに……酷いとは思わないか。

 

 椅子に座り直して、むっとしながら言い返す。

 

「で、さっきから何が言いたいのよ」

「そう急くでない……もう一度尋ねるぞ。わしとクリスチャンは央都デートに行ったのじゃ。いやはや、実際に歩いて回るのも刺激が違っての。食べ歩きというのも、乙な文化じゃよ」

 

 へ、へぇ……央都デートね。それも、カーディナルとクリスチャンが。

 

 昨日カーディナルが妙に嬉しそうだったのは、このデートのためだったらしい。

 

 ふーん、へぇ〜……そうなのか。わたし(・・・)に黙って、ねぇ……?

 

「……クィネラ?」

「あら、どうしたの? 私今忙しいんだけど」

 

 お前とクリスチャンを、一体どうしてやろうかを考えるのに。

 

 びくり、とカーディナルが体を一瞬だけ震わせて、咳払いをした。

 

「率直に、さっきの話を聞いてどう思うたかを、わしは尋ねておるのじゃよ」

「どうって、殺意だけど?」

「……お主、さては病んでおるな」

 

 病んでるって……自分は別にそんなじゃない。

 明らかにヤンデレとは違う。

 

「まぁ、それは良いのじゃ。わしが問題とするのは、その気持ちがあるという事じゃよ」

「……?」

「クィネラ、お主はわしに嫉妬しておるじゃろう?」

 

 嫉妬。妬み嫉み。

 類義語は羨望。

 

 その意味をちゃんと理解した時、顔が真っ赤に染め上げられるのを感じた。

 

「クリスチャンこそ、お主が最も愛する者……それを取られて、お主はわしに嫉妬しておるのじゃ」

「そんな訳は……」

「あるとも。わしに取られて殺意を抱く。つまり、それは行き過ぎた嫉妬心がもたらすものじゃ。ちゃんと頭の中で整理してみよ」

 

 嫉妬に狂う……つまり、アレだ。キリトが他の女の子……例えばアリスとイチャイチャしているのを傍目で見ているアスナみたいな状態を言うのだ。

 コミケとかの同人界隈でも、ヤンデレとして定評があったし……

 

 そう考えると、確かに、わたしは嫉妬しているのかもしれない。カーディナルがアリスポジにいるのは絶対におかしいと思うけども。

 寧ろ、わたしの方がアリスに近いまである。

 

「はぁ……そうね、認めるわ。私は嫉妬してる。でも、それがどうしたって言うのよ」

「ここまで来て分からんか? お主はもう、この時点で一つのアイデンティティを得ているようなものじゃ」

「そうなの?」

「当たり前じゃ。クリスチャンを愛し、そして嫉妬する。そんな人間的な感情を、果たして《クィネラ》は持っておったか? 誰かを愛することを、前世のお主は身をもって知っておったか? ほれ、見てみい。これでお主のプロフィールは出来たようなものじゃ」

 

 すらすらと手が動いて、『クリスチャンを愛している』と書かれたその一文には、不思議と力が篭っているような気がした。

 

「その気持ちは、クィネラや前世に由来しない、お主だけの感情じゃよ」

「……私だけの、もの」

「ああ、そうだとも。そもそも、お主が己を確立した個人として認めようとしないのが全て悪いのじゃ。お主がいくらクィネラと前世の記憶が混ざって生まれようが、それはお主という個人を形成する一因であって、お主とは違うもの。ただそれらに影響されて、その仮面の内のクィネラを育て……そうして、誰かを愛することを知った今があるのではないのか?」

 

 それを聞いた時、《わたし》はハッとした。

 

 何故なら……自分自身、それをよく知っているはずだから。

 

『知ってる? 自分の人格ってものはね、他人や社会環境の影響を受けて育つの。キリトやユージオ、ルーリッド村に影響されて、明るい少女として成長したのがアリス・ツーベルク。私やクリスチャン、ベルクーリ、公理教会に影響されて、整合騎士として成長したのが貴方なの』

 

 そんなことを、少し前に言った記憶がある。

 

 自己同一性に揺れるアリスに、そう助言した。

 そうであるからこそ、アリスはアリス・シンセシス・サーティとして生きられるのだと。

 

 《わたし》も、彼女と同じなのだろうか?

 

「お主は、もっと自分を大切にせんか。利己の塊であったあのクィネラの要素なぞ、もう一欠片も無くなっておるぞ」

「……だって、わたしは」

「ほれ、そういう所じゃ! 全く、支配欲の化身がこんなにも卑屈になりおって、面倒くさい事この上ない……」

 

 椅子の上で、膝の上においた拳を握り締めて俯く。

 

 もう何度目かの溜息がカーディナルから漏れた。

 

「良いか? そんなくだらない考えは早く捨てることだ。ウジウジとしている間に……この()に掻っ攫われたくなればな」

「──え?」

 

 言いたいことを言い終えるのか、カーディナルがふんと鼻を鳴らすと、どこかに消えてしまった。

 

 残ったのは、呆然と顔を上げたままの《わたし》だけ。カーディナルは扉を用いて、さっさと図書館に篭ってしまった。

 

 突然の事だった。カーディナルの雰囲気が変わって、らしくない話し方になったのは。

 

 でも、呆然とする中で、頭で理解しなくとも、自ずと感じた。

 

 ──カーディナルは、恋敵(ライバル)だ。

 

 どうしてカーディナルがクリスチャンのことを好きになったのか、そんなものは分かりっこない。

 だからといって、湧き上がる醜い激情を誤魔化せなかった。大切なものを横から奪っていこうとするあの存在を、どうして認められようか。

 

 これ以上、日記は書けそうにもなくて、席を立った。

 

 机を地面に格納し、ベッドに転がって目を瞑る。

 

 クリスチャンに、《わたし》の口から気持ちを伝える資格が与えられるのは、自分が、クィネラや〝俺〟とも違うと証明出来た時だけ。

  そう、クリスチャンの腕の中でそう誓ったあの夜。

 

 カーディナルには、全部お見通しだったという訳だ。なぜ、ハッキリしない関係を延々としているのかを。

 

 その上で……《わたし》にアドバイスするような真似をしていた。

 言外に、お前はまだ土俵にすら立っていないのだと伝える為に。

 

「ふ、ふふふ……言ってくれるじゃない」

 

 こちらには敵に塩を送る余裕さえあると、挑発するようにマウントを取ってくるとは、なんて命知らずなことか。

 

「絶対に後悔させてやるわ、この私を敢えて土俵に引き込んだことを。あの子供面がクシャクシャに歪むまで……あははははっ! 想像するだけで楽しいわね」

 

 クリスチャンのいない夜から引きずっていた澱んだ思いが吹き飛んで、全てのしがらみから解放された気までしてくる。

 

 恋敵という存在が居るだけで、こんなにも背中を押されてしまうなんて……つくづく私は単純だ。

 

「せいぜい、束の間の安穏を謳歌するといいわ」

 

 でも、感謝しよう。

 

 まだ、心の底から《わたし》が私であると認めてられてはいないが……

 

 ……お前のお蔭で、それも頑張れるのだから。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年8月1日

 

 暗黒界の情勢がきな臭くなってきた。

 

 今日、整合騎士を経由して、暗黒将軍シャスターより届いた親書によると、暗殺者ギルドの首がすげ替わったらしい。

 

 これまでギルド長をしていたフ・ザと替わった者の名は、

 

 ──プー。

 

 十侯会議で、彼はそう名乗ったらしい。

 

 フードの中はよく見えなかったが、左眼の横に、縦に刺青があったとあり、ニタニタと嗤う表情が特徴的だったとも。

 

 それで、俺は確信した。

 奴は、笑う棺桶(Laughing Coffin)地獄の王子(Prince of Hell)だ。

 

 だが、奴があのラフコフのPoHであるのは確実としても、あまりに奇妙だ。

 

 まず、この時期にはやって来る筈が無いということ。千倍加速状態だとすれば、まだあちらはメインコン占領から五、六分しか経っていない。そんな直ぐに、アンダーワールド内部からのオペレーションを考えつくとは思っていない。

 

 それと、ガブリエルが一緒に居らず、暗殺者ギルドにいるのも奇妙だ。ガブリエルが現れたら、シャスターは真っ先にその事を伝えるだろう。皇帝ベクタが降臨したと。

 その上、PoHは最初、SAOのアカウントではなく、暗黒騎士のアカウントで乗り込んでくる筈。まるで意味が分からない。

 

 カーディナルもこの事態を重く受け止めており、暗黒界に幾つかユニットを放っている。俺の与知しない現実世界にまで何らかの異常が起きているのだから、これを無視することは最早不可能だ。

 

 

 

 

 わたしが死んでしまう前に、カーディナルと決着をつけなくては。

 

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年8月11日

 

 ダークテリトリーの帝都オブシディアに侵入した。

 

 現地で調査をしていたシャーロットと合流してから久し振りに訪れたそこは、小説やアニメの印象とはまるで違う都市に仕上がっていた。

 街ゆく人々の身だしなみは、人族だろうと亜人だろうと、セントリア市民に劣らない衛生さがある。

 

 ここが本当に、禁忌目録ではなく、実力至上主義の《鉄の掟》からなる不文法主義国家だというのかと驚いたものだ。

 俺が介入しただけで、こうも変わるとは。

 

 しかも、俺がかつて教育者や学者として送り込んだ人界人との混血が進み、肌の白いもの、浅黒いものが一緒に暮らしている。自分のしでかした事の重大さに、今更気付いてしまった。

 これ、戦争になったら人界呆気なくやられない? 凄く不安になってきた。

 

 《空の心意》で存在自体を隠しながらの調査であったが為に、得られた情報こそ少ないが、様々な場所に侵入してまわった為、収穫はあった。

 

 どうやら、ダークテリトリーで暗黒神ベクタとは、以下の二人を指すようだ。

 

・天界より降りて、民を恐怖で支配し、オブシディア城を建てた、オブシディア帝国初代皇帝、悪神ベクタ

 

・それよりも遥か昔、村であったオブシディアの民に食糧を恵み、知恵と力を授けたとされる、女神ベクタ

 

 神立オブシディア帝国学院なる、俺が建てたあの学校にも、『飢えし民にパンを恵む女神』なるステンドグラスの絵があり、俺っぽい銀髪の美少女が、跪く暗黒界人に丸いパンを上げていた。

 

 《空の心意》を共有するために手を繋いでいたシャーロットが、それを見て呆れ返っていたのは記憶に新しい……うん、本当にごめん。

 

 でも、一つ光明が見えた。ここで俺が現れれば、ベクタの再来と《十侯》やオブシディアの民から思われるに違いない。

 

 あわよくば、皇帝として君臨して、戦争を回避という手も無くはないのか?

 そこは要検討か。

 

 そうして学院の図書館を出た後、二人でぶらぶらオブシディアを散策していると、街の中でリピアちゃんを発見した。

 

 これ幸いにと彼女を捕まえて事情を話すと、突然の来訪に驚かれたが、色々と融通を利かせてくれた対応の素早さは見事の一言だ。

 

 現在は、リピアちゃんが経営しているという孤児院の一室に宿泊している。

 オブシディア郊外だったが、俺の術なら一瞬で辿り着いたので、問題も無い。

 

 明日は、シャスターとの面会とPoHの調査のため、オブシディア城に潜入する予定となっている。

 

 成功したらいいけどなぁ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 ──コンコン

 

「……んぅぅ〜?」

 

 ──コンコン

 

「……もう、誰よ〜。まだ寝てたいんだけど……」

『失礼致しました、リピアです。そろそろ、外出のご準備をと……』

 

 という声が聞こえて、一瞬で意識が覚醒した私は、掛け布団を引っくり返す。

 

 いつもの、ガラス張りになった我が家(カセドラル)ではない。質素ながら、清掃の行き届いた小綺麗な木調の部屋──孤児院の貸部屋だった。

 

「……すっかり家気分になってたわ」

 

 幼少(クィネラ)の頃の部屋によく似ているから、完全に寝入ってしまった。なんとなく、顔が熱い。

 

 腕を上によく伸びてから、いつものひらひらの服と俺仮面を着け、部屋を出る。

 

「おはよう、リピアちゃん」

「おはようございます、最高司祭殿。朝食は召し上がられますか?」

「うーん、別にいいわ。私、基本的に食べなくていい身体だし」

 

 ってか、シャーロットはどこ行った……

 

『ここよ、髪の上に居るわ』

 

 ぴょん、と飛んで、俺が出した手の上に飛び乗った。

 

 何の因果か、ユージオやカーディナル同様、あの戦いで生き残った愛すべき蜘蛛である。

 

 俺、虫は全般的に好きになれないんだけど、蜘蛛だけはなんか可愛く見えるんだよなぁ。

 

「……あ、貴方ねぇ。少しは遠慮ってものは無いの? 一応、お前の主の敵なのよ?」

『ええ。でもカーディナル様が、『彼奴は最近チョロいから、それくらい問題無い』と……』

「よし、次会った時に殴ろう」

 

 カーディナルは一体俺をなんだと思ってやがる……と反駁したいが、チョロいと言われて、頭ごなしに否定できない分殴りたくなる。

 

 シャーロットも特に言い咎めないし、やってもいい?

 

『…………』

 

 沈黙は肯定。それなら、是非とも一発殴らせてもらおう。

 

 シャーロットが頭の上に隠れてから、外套を羽織った俺は、リピアの後ろについて行く事になった。

 

 ……なんか、視線を感じるな。

 

 ここは孤児院であるので、子供がいるのは当然だ。昨日、少しの間だけ子供達とも会っている。性根の良い、優しい子達で、俺もつい構ってしまったのだが……

 

「……確か、シャーリーちゃんだったかしらね?」

「!?」

 

 顔を振り向きながら廊下の後ろに目をやると、曲がり角の部分でこちらを覗く赤い瞳が。灰色のミディアムヘアで、暗黒界人特有の浅黒い肌の少女。

 

 シャーリーと名の付いているこの少女とは、他の子供たちと一緒に少しだけ遊んだ仲だった。

 

 何をして遊んだのかというと、まあ、面白い神聖術を幾つか教えたり、実践的な剣技を教えたくらいで、遊びより寧ろ勉強だった気がしなくもない。

 

 その子は周りをきょろきょろと確認すると、小走りでやってきた。

 

「す、すごい……どうして、見てもないのに分かるの!?」

「こら、シャーリー。最高司祭殿にあまり無礼な態度を取るなと言っただろう」

「あ……ご、ごめんなさい」

 

 リピアが叱ると、その子は直ぐに佇まいを正して、深くお辞儀をした。

 教養もあるのか、とても聞き分けの良い子供だ。

 

「別にそんな事でいちいち怒りはしないわよ。ちょっと厳しいんじゃない?」

「い、いえ。最高司祭殿は人界の代表ですから。目上の方への礼儀というものは大事にしなくてはなりません」

「ふぅん……まあいいわ」

 

 シャーリーに向き直ると、膝を折って目線を合わせると、微笑んでやる。

 

「今のは心意よ」

「? シン、イ?」

「そうね……要するに、強く願うこと。何かをしたい、って気持ちを最大限に高められたら、できるようになるわ」

「気持ちを、高める……」

「今はまだ解らなくてもいいわ。でも、使えるようになれば、リピアちゃんみたいになれるわよ」

「リピア様みたいになれるの!?」

「ええ、きっとね」

「なら頑張らなくちゃ!」

 

 リピアに憧れているらしいこの子が可愛くて、頭を撫でてから、バイバイと去る。

 

「また来てねー!」

 

 と元気よく手を振っていたのがなんとも微笑ましい。

 まるで、昔のアリスを見ている気分だった。

 

 そんな私を、昨日と同じく不思議そうに見てくるリピア。

 どうも、俺が子供も関わる姿がしっくり来ないらしいのか、少し首を捻っている。

 

「……最高司祭殿は」

「ん?」

「その……子供が、お好きなのでしょうか」

 

 遠慮がちにそんなことを尋ねられ、俺も少し呆気に取られる。

 

 子供、子供ねぇ……

 

 う〜んと唸ってみる。

 子供ならなんでも好きな訳ではないから、強いて言うのならば。

 

「まあ、好きか嫌いかで言えば、割と好きなほうよ。でも、クソガキはムカつくからダメね」

『く、クソガキ……フフッ』

 

 おいこらシャーロット。何わろとんねん。

 

 誰だって、従順で無垢な子が好きに決まってるだろう。

 例えばアリスちゃんとか。

 

 クリスチャンはアリスちゃんがそこまで好きじゃないらしいけど……

 

「あなたもそうじゃないの?」

「……いえ。私は最高司祭様の言う〝クソガキ〟……手間のかかる子の方が好きですね」

「あら、なんで?」

 

 おっと、ここに例外が居たらしい。

 さてはリピアちゃん、かなりの世話好きだな……と内心で考えつつ、横を歩く彼女の顔を覗く。

 

 すると、思い出し笑いなのか、ふふ、と愉しげに口角を上げると、彼女は語った。

 

「手間が掛かった方が、思い出になるのです。私は騎士ですから、いつも使命に殉ずる覚悟を持っております。故に、いつ死ぬかは分かりません。ですが……死ぬ前に、出来るだけ多く、子供達と過ごした思い出を残しておきたいのです」

 

 ……ふーむ。なるほど。

 

 この価値観の相違は、珍しいものではない。

 寧ろ、整合騎士にもよく見られる類いものものだ。

 

 整合騎士になると、寿命という制約から解き放たれる。すると何が起きるかと言うと、時間の使い方、感じ方に異変が生じるのだ。

 

 俺は、出来るだけ面倒をかけたくないというか、時間をかけたくないだけだし、そこまで死に恐れを抱いている訳じゃない。

 リピアちゃんは、騎士という身分で、死ねと言われたら死ぬし、それが明日かも、もしくは今日かもしれない。それはとても怖いことだろう。

 

 ベルクーリ曰く、整合騎士は歳を取らない分、寿命のある暗黒騎士よりも鍛錬修行への熱意が冷めているらしい。

 

 いつだって、全力で。

 命が短いからこそ、出来ることを出来る間にやりたいと思えるのだろう。

 

「それは、きっと幸せね」

「…………」

 

 たった百年ぽっちしか生きれない地球の現代人だって、いつも全力を出すわけじゃない。

 

 そうなると、俺が如何にだらけきっている事か……全力で、とは言うが、今の今まで、俺は全力を出した事が無い。

 キリトとの戦いは、心意の使用法をかなり制限して戦っていたし。

 

「……礼を言っておくわ。ありがとね」

「え? ええと……」

「さ、行くわよ」

 

 リピアを置いて、帝都へのゲートを潜り抜ける。

 

 本気で、何かをした事がない。その事実が、俺に当たり前を気付かせてくれた。

 

 誰かを好きになったのなら、その気持ちと向き合って、全力で対処していかなくてはならない。

 

 本気でやらなくて、恋などできるもんか。

 

『……最終的には、カーディナル様が勝ちますけどね』

 

 ──なにおう!?

 

 

 

 

「暗黒騎士第二位、リピア・ザンケールが参上した! 門を開けよ!」

 

 リピアの声を聞くと、ゴゴゴ……と重い音を響かせて重厚な金属の門が開く。

 リピアちゃんの後ろ姿が非常に凛々しくて、思わず目をキラキラさせてしまう。

 

 ……一度は、ああいうのやってみたいなぁ。

 

 感慨と共に息を吐くと、《空の心意》で隠れながら、彼女の背中に引っ付くようについていく。

 

「……居られますか、最高司祭殿」

「居るわよ、すぐ後ろに」

 

 音を遮断していた心意を解除して話し掛けると、リピアちゃんがビクッと反応した。

 

「凄まじいですね……シンイなる御業は。気配を全く悟らせないとは……」

「まあね。特に、これは今の所私とクリスチャンしか使えない心意だから、今すぐやろうと思っても難易度は高いわよ?」

「そうでしょうね……いつかは、私も身に付けたいものです」

「ふふ……いつか、なんて言ってると、シャーリーちゃんに抜かされるわよ」

「ええ……あの子は素質がありますから。しかし、まだ抜かされたくはありませんね」

 

 リピアちゃんはお若いんだから、まだまだ成長の余地はあるだろうに。特に、ファナティオに指導させたら、整合騎士レベルに成長するんじゃなかろうか。

 

 そんな事を思っているとは露知らずに、リピアちゃんは階段をズンズンと上がっていく。なんか凄く速くて、普通に置いてかれそうだ。

 

 シャーロットが頭をつんつんし始めたので、これはもう最終手段を取るしかない。

 

 心意シリーズ第六弾──《心意の浮遊》。

 

 俺が最終決戦でも使用した、気を付けないとカトンボされてしまうアレである。空気椅子しつつ足組みとかできるから、それっぽい雰囲気を出す時に重宝している。

 あの時は、キリトの爆弾発言のせいで落ちたけど、普通は心意なんて切らさないからね?

 

 そんなカッコつけ専用みたいなこれだが、割と自由自在だ。簡単に言えば、アンダーワールド版ピー◯ーパンである。

 ほら、あれも自分は飛べるって信じないと飛べないとか、そんな感じなのだが、詰まるところそれは心意である。

 

 なので、個人的には飛んでいるつもりなのだ。たとえ《空の心意》で隠れながら、空気椅子状態でスイーッと斜めに移動しているとしても、飛んでいるつもりである。

 傍から見たらえげつないシュールな絵面だが。

 

 それでは示しが付かないので、足を組んで頬杖を突いているが……これ、どんな感じ?

 

『…………人前では、絶対にやらない方がいいわ』

 

 ですよねー。うん、知ってた。

 胡座かいて浮遊移動する方が、絵面的によっぽどマシに決まってる。

 

 下らない事に拘っている間に、階段を上がり終えたらしく、その階の廊下を歩く。

 

 すると、奥から、どこか見覚えのある人影が……

 

「あ〜ら? リピアじゃなぁ〜い?」

 

 無駄に間延びして、人を嘲る様な艶やかな声。

 露出の激しい衣装。

 白髪ロングに、青い瞳。

 

 あらゆる特徴に符合する彼女……俺も、頭の中にその名前が浮かんできて、目を見開いた。

 

「──ディー・アイ・エル……!」

「目の敵にされる謂れはないのに、リピアったら酷いわぁ……それも、この私は《十侯》なのに、ねぇ?」

 

 そんな、馬鹿な。

 

 頭が理解することを拒否する。疑問符が頭の中を埋め尽くす。

 

 まさか、どうして……

 

 

 

 なんで、肌が真っっ白なんだよ!!

 

 

 

 おかしい、これはおかしい。どうしてこうなった?

 

 しかも、口紅が赤い! アイシャドウも赤と青でグラデーション掛けてる!

 

 これがあのDILさんだって? あのお色気担当で、場の盛り上げに貢献してくれた、褐色グラマラス美女だって?

 

 

 

 そんな訳無いだろうがッッ!!

 

 

 

 はぁ、はぁ…………はぁぁぁ。

 

 ……最悪だ。また原作を変な所で壊してしまった。

 

 DILさんの肌の色だけ変更とか、誰が想像出来るのか。

 しかも、個人的に原作改変の中でも許し難い部類のやつだ。介入しようだなんて考えた過去の俺を呪いたい。

 

 これからも原作ブレイクが続出するのかと思うと先が思いやられる。

 何もかも自業自得で、諦めて受け入れるしかないというのが、かなり精神に来るな……

 

「にしても、こんな《十侯》の階まで上がってくるなんて……何しにきたのかしらぁ?」

「……将軍閣下のもとに、ですが」

 

 先程から、妖艶に笑うディーちゃんをじっと見ているのだが、非常に興味深いことに……どことなく面影がクィネラによく似ている。

 

 髪色だって、白に近いが少し紫味があって、顔立ちも、親戚かな? と思えるくらいには似ている。

 

 だが、これだけは間違いない。

 

 ──俺の方が、圧倒的に美少女だ。

 

「閣下……ああ、シャスター将軍ねぇ。なぁに〜、リピアったら、まだあんな年増のオジサンが好きなのかしら?」

「……っ!! 貴様、閣下を愚弄するか……!」

「そんなつもりはないのよぉ? ただ、貴方の為を思って言ってるだけで、ね」

 

 剣を抜きかけるリピアを諌めながら、その横を通り過ぎる。

 

 その一瞬、眇られた目が二人の間で交錯し、ディーちゃんが笑みを浮かべる。

 

「……じゃあ、また会いましょう? リピア」

 

 チラリとリピアを背中越しに見遣ると、彼女の姿が黒い粒子になって、床に吸い込まれた。

 

 ……しかも、ゲート要らずの空間転移術が使えると。

 

 う、ううむ。神聖術士としてのレベルが驚く程高いと見た。

 無駄な強化でリーファちゃんが苦労しなければいいのだが。

 

「……大丈夫? リピアちゃん」

「……申し訳ありません。怒りで我を失ってしまいました」

 

 非常に、申し訳なさそうに眉尻を下げているが、まあ、あんな言われ方をして、怒らずにはいられないだろう。

 

「……好きな人を酷く言われたら、誰だってそうなるでしょう?」

「す、好きな人……」

 

 ありゃ、顔を真っ赤に染めて可愛らしい。

 

「私にも居るから、なんとなく分かるの」

 

 クリスチャンが悪口を言われてる光景なんて想像もできないが、仮にあんな事を言われたら、速攻で消し炭にしているかもしれない。

 

「最高司祭殿にも……居られるのですか?」

「意外かしら?」

「は、はい……浮世離れした印象が強かったものですから」

「そんな事ないわよ。私も一応人間なのよ? 誰かを好きになることだってあるわ」

 

 まあ、俺がヒトの範疇に入るか、甚だ不安ではあるんだけど。

 

『……不味いわ。暗黒術士ギルド長が、あれほどの強さを持ってるだなんて』

 

 シャーロットの言葉には同意だ。もしかしたら、原作よりも恐ろしい術式を抱え込んでいるかもしれない。

 

 一応、調査は出来そう?

 

『……無理、とは言わないわ。でも、暗黒術士ギルドはカセドラル以上に罠が多いし、ギルド長の私室は世界最高峰よ。得られる情報は少ないかもしれない』

 

 いや、でも、団体である以上は、如何に恐ろしい術式と言えど訓練を行っている筈だし……そこを当たれない?

 

『やってみるわ。それじゃあ、アナタは暗黒将軍と、イレギュラーの案件を頼むわ』

 

 そう言い残すと、シャーロットはピョンと頭から跳んで、大きな廊下を反対方向に進んで行った。

 

 シャーロットと別れてからは、特に喋ることも無く、幾らか回廊を巡って……この階でも奥まった所にある一室の扉を叩いた。

 

「入れ」

 

 扉を叩いてきた者を誰何することもなく、独特の寂声が耳を打つ。

 

 リピアが素早く入っていくので、扉が閉められる前に、心意を用いて、部屋の中に《縮地》する。

 距離が一瞬にして縮められ、部屋の中に入り込んだ。

 

 ぶっつけ本番だったが、なんとかなって安心だ。

 

「突然の一報に加え、このようなお時間を頂き、重ね重ね申し訳ございません」

「気にするな。取り敢えず、そこにでも座ってくれ」

 向かいのソファにリピアちゃんが座ると、グラスに赤ワインが注がれる。結構美味しそうだ。

 この頃俺もご無沙汰だし、後で貰おうかな。

 

「それで、急を要する事態と聞いたが……そなたは二日ほどの休暇だった筈だろう? 一体どうしたのだ」

「それが……」

 

 心配するような、気遣いの篭った眼差しを向けられ、リピアちゃんの目が彷徨う。

 

 俺の姿を探しているのだろうが、目線は絶対に合わない。

 たとえ、こうして俺が真隣に座っていたとしても、まあ気付きはしないのだ。

 

 《空の心意》の概念を教えてくれたエオライン君には感謝しなくては。

 

「遠慮するな、言ってみろ」

「え、ええと……」

 

 さすがに、これ以上は可哀想なので、大人しく出てきてやろう。

 

 展開していた心意を全て解除すると、シャスターが口を半開きにして、まさかと無音で呟いた。リピアちゃんも、こんなところに座っているとは思わず、驚きで体を跳ね上げる。

 

「……貴殿が公理教会の最高司祭、アドミニストレータ殿か」

「ええ、そうよ。直接会うのは初めてね、今代の暗黒将軍さん?」

 

 そう言うと、真っ直ぐと目を見据えてくるシャスターの体が、緊張に震えた気がした。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

sideシャスター

 

 

 シャスターの思考には、もう先程までの甘いものが掻き消え、全てそれ一色に染まっている。

 

 ──最高司祭、アドミニストレータの来訪

 

 リピアが連れて来たらしい、美の極致にでもあるような少女。シャスターと同年代の男達であれば、ほとんどこれくらいの歳の子供を抱えているだろうが、かくも若き少女が、あの人界を統べ、整合騎士を擁する最高司祭だとは、リピアの報告を聞いてもなお信じ難い。

 

 だが、その溢れ出る気迫に、そして自分に悟らせずに部屋に入り、かつ目の前に居ながらも、今の今まで存在を全く気取らせなかったその力……心意に、シャスターは内心戦く。

 

 シャスターは、ベルクーリと斬り結んだ師の言葉を受け、《心意の太刀》を修練の果てに身に付けた。

 六年前、成長の限界を感じたシャスターは、整合騎士長ベルクーリに挑戦した。当然、かの整合騎士長に太刀打ち出来るはずもなく、最初の一合で敗北を確信し、死を受け入れたが、それにベルクーリは笑うと、一つ助言をして去っていった。

 

 その時受けた、ベルクーリの巌の如き心意を、シャスターは六年経った今でも忘れてはいない。それを糧に、更に強くなったという確信があり、去年、突発的に試合をした時、ベルクーリと確かに打ち合うことが出来た。

 

 そのシャスターが、胸中で断言した。まるで比較にならないと。

 

 言うまでもない。

 ベルクーリと最高司祭の力量が、である。

 

 姿を現した時に見せた、全てを拒絶する、苛烈とも表せる鋭利な心意。肌がチリチリと刺激されて、自然と居住まいが正されてしまうまでに強烈だった。

 

 そのせいか、シャスターは心意を解除した最高司祭を見てもその感覚が消えず、体が強ばっていた。

 

 何を話し出すのか、手に汗を握らせて、構える。

 この対話そのものが、ある種の戦いのようで、一瞬たりとも気を抜けない。

 

 気を抜けない、はずなのだが……

 

「ねぇ、ずっと気になってたんだけど、二人って付き合ってるの?」

「えっ!? なっ、あの……」

「あら、付き合ってないの? 随分仲良さそうなのに」

「……いえ、そういう関係には、一応……」

 

 最高司祭と交わす会話にしては、あまりに下世話で、シャスターはまたも固まってしまった。

 

「ほら、将軍さんはどうなのよ。リピアちゃんのこと、好きなんじゃないの?」

「──はっ!? あ、ああ……勿論、異性として、大変好ましく思っているが」

 

 ──待て、俺は何を言っている!?

 

 真っ赤に染まるリピアを目の当たりにして、シャスターは己の失言を自覚した。

 

 いや、そもそもがおかしいのだ。太古を生きる最高司祭が、他人の恋愛事情にどうこう口出しして楽しむタチの筈がないのだと。

 

 現人神と恐れられるアドミニストレータを、シャスターは元来のイメージと当て嵌めて考えていた。人の感性など微塵も持たない、機嫌を損ねれば直ぐに人など消し飛ばしてしまう、そんな人物に。

 

「じゃあ、もう結婚はしてたりしないの?」

「……い、いえ。閣下もお忙しい身です。……もう少し落ち着いたら、とは、思ってはいるのですが」

「……そう、だな。正式な婚姻もまだだ。さすがに、待たせ過ぎているとは思うのだがな」

「そんな! 閣下がお望みなら、私はいつだろうと……」

 

 健気で可愛らしい彼女に、シャスターもつい顔を綻ばせて……

 

「羨ましいわねぇ……」

 

 そして、憂鬱そうなアドミニストレータの姿に、またしても現実に引き戻される。

 

 ──だから、俺は何をやっているのだ!

 

 気を引き締めなくてはならないのに、どうにもペースを崩される。一つ深呼吸をしてから、本題を切り出す。

 

「……此度の来訪は、暗殺者ギルドの長となったプーの調査と聞いたが」

「ん〜? まあ、そうね。というか、その為に来たようなものだし」

 

 その返答は、シャスターを大いに驚かせた。

 

 プーはシャスターからしても、その実力は過去の暗殺者ギルド長とは比較にならないと言わせしめるが、所詮はそれだけだ。たかだか、新任の《十侯》が為にこの地に赴くなど、考えられなかった。となると……

 

「……それ程までの人物、ということか」

「まだ貴方は過小評価してるわよ。言っておくけど、アレは下手をすれば、私も殺されかねないわ。ベルクーリでもちょっと荷が重いんじゃないかしら」

「……!」

「しかも、中身は人が争う姿を楽しむ生粋の人格破綻者よ。こんなのが居て、どうして和平なんて叶うのかしらね?」

 

 シャスターは、ここで漸く現状を正しく認識することになる。

 

 現在、暗黒界でも最強と評されるのは、暗黒術士ギルド長のディー・アイ・エルであるが、その彼女をしても、あの整合騎士長には歯が立たなかったのだ。

 それよりも実力が上で、争いを好む性格となれば……和平も成らず、自分で弑することも不可能。

 

「……そちらにも、和平を結ぶ気はあると?」

「そうね。私の部下がどういうかはさておいても、私は別にいいと思っているわ」

「ならば……」

 

 次の言葉を紡ごうとした口が、強い心意によって閉ざされる。

 その力を発したアドミニストレータは、シャスターに向けて持ち上げた指をくるりと回して、口許にやる。

 

「言われなくても、それくらい協力するわよ。ただし、条件はあるけどね」

「……条件、とは」

「貴方達暗黒騎士団が、今月中に全員人界に来ることよ」

 

 少々驚かされたものの、出来ない相談ではなかった。

 

 暗黒騎士団は、暗黒界を護る為に存在する組織であるが故に、その人員には、多くの《和睦派》が在籍している。人界と手を組むことも、問題は無い。

 

 ただ、問題は別にある。

 大戦の事だ。

 

 大戦は確実に起こる。そうなれば、次に考えるべきは、その被害を最小限に抑える方法だ。

 

 大戦で敗北を生み出しては、被害が拡大するのみ。

 

 必然的に取るべき行動は、早期の講和となる。条約を結び、人界と暗黒界の間の争いを無くすのが効果的だ。

 

 しかし、ここでも更なる障碍が存在した。《侵攻派》と呼ばれる暗黒界における過激思想派閥だ。彼らは、人界に攻め入って、その肥沃な土地全てを奪い去ろうと目論んでいる。

 それを構成するのは、ゴブリンやオーク達《闇の五族》と暗黒界人の一部となっている。

 

  ──やはり、人界の力を見せつけねば。

 

 《鉄の掟》により、力あるものが頂点に立つという仕組みが成り立つこの世で、整合騎士の威光を知らしめることになれば……その時点で、誰もが戦おうとする意志を失い、恭順するだろう。

 

 整合騎士は、これまで自分達の世界を守る為にその力を振るってきた。だが、大戦で攻勢に転ずれば、その力の異常さに、《侵攻派》とて恐れ慄かずにはいられないはず。

 

 それ故に、

 

「……黙って見ている方が、寧ろ得策か」

「当たり前でしょう? 貴方達《和睦派》が目指すのは、犠牲が少ないまま、人界との停戦、そして国交の樹立が成されること。こっちで保護して、戦争に参加してもらわない方が、戦力も減って楽ってワケね」

 

 ハッキリと言い切ったアドミニストレータを発言を受けて、リピアが難しい顔をする。

 

 それではまるで、自分らだけ戦いから逃げ、安全な場所から高みの見物をしているという、筆舌に尽くし難い行いとなる。

 例え和平が成ろうと、暗黒騎士団の地位が落ちに落ちるだろう。

 

「……でも、穀潰しを作るのは、私の趣味じゃないの。貴方達には活躍の場を与えるわ。人界軍でもダークテリトリーの軍勢でもない、新たな勢力の相手をね」

「なに……?」

 

 シャスターが訝しむが、アドミニストレータは躊躇いもなく言い放った。

 

 

 

 

「簡単よ。ベクタの軍勢を倒してもらうの」

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

sideアドミン

 

 

 シャスターの私室から出ると、思い切り背伸びをした。

 

 いや〜……外面ってのは、本当に疲れるもんだ。

 

 特に、アドミニストレータの仮面を着けている時が一番気が重くなる。元の《わたし》があまりにアレだからか、何とも言えない違和感が発生して、とにかく気疲れが激しい。

 

 ともあれ、無事にシャスターの引き抜きに成功したので、これで目標の一つが達成された。

 シャスターとリピアだけは、大戦前にガブちゃんに殺されてしまうから、その前に救う必要があったのだ。

 

 だが、人界で匿えばその点も問題無いし、ついでにアメリカや中韓のプレイヤーへの対応策として、彼らを用いる事が出来る。

 

 さて、後は軽く探索して帰ろうとでも考えていたのだが……これは大きな誤算だったよ。

 

 天井を見上げながら、口許を盛大に歪める。

 

「いるんでしょう? 地獄の王子様(PoH)?」

 

 首をそのままコテンと傾け、廊下の壁の一点を見詰める。

 

 そうすると、壁が不自然にボヤけて、人の輪郭を現した。

 手には、中華包丁の形をした片手剣──SAO時代の友切包丁(メイトチョッパー)が握られている。

 

「へぇ? よく分かったな、ベイビー。これでも全力でハイドしていたつもりなんだが」

「そっちこそ、私の《空の心意》を見破るなんて、貴方で二人目よ。褒めてあげるわ」

 

 因みに、一人目はクリスチャンだ。

 それと同レベルの心意となると……厄介だな、本当に。

 

「にしても、あんた、俺に負けらず劣らずかなりブッ飛んでやがるなァ。さては、俺と同類か?」

「……そうね。性格破綻者って意味なら、頷いてあげるわ。ただし、貴方みたく人が殺し合う様を見て楽しむような下賎な価値は、生憎持ち合わせていないの」

「そいつは残念だ。オマエがこっちに居りゃあ、良いPKerになっただろうに」

 

 おうふ、マジかよ……俺、一歩間違えたらPKするような奴になってたのかよ。

 嫌な評価だなぁ。

 

「ま、いいわ。 私としては、貴方をここで殺しても全然構わないのだけど」

「おいおい、もう戦うのか? つまんねぇな。オレとしちゃあ、兄弟(ブロ)が来るのを待ちたいってのに……ま、しょうがねぇか」

 

 ブロ……? ああ、ガブリエル(Brother)か。

 

 しかし、そのガブリエルが来る前に先に居るとは、やはり奇妙だ。となると、このPoHは一体誰だ……?

 だが何にせよ、これほどの不確定要素だ。この手で先に始末しておいた方が良い。

 

 そう思い、別アドレスに格納した剣を……取り出し……あれ。

 

「……そう言えば、壊れたままにしてたわね」

 

 PoHも武器を半ば抜いていたが、俺が手を虚空でグーパーするのを、目を点にして見ていた。

 

「……おい、どうした? まさか、剣がねぇとは言わねぇよな?」

「……そのまさかよ。全く、本当に予想外だわ」

 

 武器無しで相手をするには、あまりに相手が強力過ぎる。

 せめて、神器級の優先度がある武器が無くては、どうにもできない。

 

 下策も下策だが、見逃すしかあるまい。

 ここに来て、まさか自分の不準備さを呪う事になるとは……

 

「貴方も都合が悪いようだし、この戦いは、一旦大戦までお預けにしておきましょう。……それでいいかしら?」

 

 PoHは胡乱げな目付きをして、へぇ? と呟いた。

 

「オイオイ、そっちから誘っておいて逃げるのか?」

「逃げる訳じゃないわよ。ただ一方的に蹂躙するなんて、つまらないと思わない?」

 

 そう言うと、PoHが目をギラギラと、眼孔を収縮させて、獲物を狩る魔獣の如き心意を立ち登らせた。

 

「いいや? 寧ろ嬲りまくって、泣き叫ぶのが面白ぇんじゃねぇか。まァ、ソイツも、サルどもが殺し合いをするのにゃあ及ばねぇがな」

 

 ……サルども?

 

 何か言葉に突っかかりを覚えながら、垂れ下げた手の五指に風素を生成する。

 

「そんじゃあ────イッツ・ショウ・タァァァイム……!」

「フォーム・エレメント……ストリーム・シェイプ!」

 

 PoHの掛け声と共に、嫌な予感がして、巨大化した友切包丁(メイト・チョッパー)が縦に振り押されるのを、俺はその横スレスレを通り抜けた。

 

 その時、俺の髪が何本か宙を舞ったのを見て、嫌な予感が的中した。

 

 あの友切包丁(メイト・チョッパー)、どういう理屈かメタル属性扱いになっていない。

 金属であれば、髪一本とて切れないはずの俺のシステム障壁を軽々と超えて攻撃してきたのがその証拠だ。

 

 もし、油断してそのまま立っていたら殺されていた……という事実に冷や汗を掻きながら、城の廊下を風に乗って駆け抜けていく。

 

「逃げるだけじゃ芸がねぇよなぁぁ!!」

「っ!?」

 

 包丁が虚空を切り裂くと、突然殺到する強烈な負の心意。咄嗟に《心意の壁》を後ろに展開すると、それらは容易に俺の心意を砕き、廊下のあちこちに拡散して、爆発した。

 

 ……さながら、《ダーク・ショット》と言ったところか。

 

 心意には心意を、というのはアンダーワールドでも鉄則ではあるが、俺の本気の《心意の壁》まで破れるとか、さすが《空の心意》を見破るだけあるが……

 

 ……これは、ちょっとマズいかもしれん!

 

 壁を蹴り上げ、階段を下に降りていく。高速で追蹤するPoHの攻撃を躱しながら、術式の起句を唱える。

 

「システム・コール!」

 

 数多あるコマンドの中から、クィネラの天才的頭脳は、PoHへ対抗する為の最適解を導き出す。

 

 空中に二十個の鋼素と闇素を生成し、その二つを合成……からの、形状変化。

 

「──ミスト・シェイプ、ディスチャージ!」

 

 闇素の纏わりついた鋼素の粉塵がPoHを覆い隠す。

 

 闇素は生命体に対しての攻撃素因であるため、霧状の闇素を吸い込めば、それだけで天命は減少する。

 

 ただ、それだけでは効果が薄いので、鋼素に定着させて、体内に残留するようにしている。

 効果を考えると中々に非道な術式だが、鋼素の霧化は高等技術なので、難易度は恐ろしく高い。

 

「ゲホッ、ゲホッ! な、なんじゃこりゃ……ったく、ひでぇモン吸わせやがって」

 

 霧を払って出てきたPoHは、血を口から垂らしており、天命がかなり減っているのが傍目でも判る。

 

「あら、ガスを吸っちゃうなんて、それでも特殊部隊勤めの傭兵なの?」

「……テメェ、なんでそれを」

「くふふ……あちらの世界には少し詳しいの。今頃、貴方の兄弟(ブロ)達が、《オーシャン・タートル》のメインコントロールルームを確保した所じゃないかしらね」

「チッ……」

 

 明らかにイラついた。

 このまま舌戦で精神的に押し切ってやるか。

 

「だと言うのに、貴方と言えば、なんでこんなに早い時期にいるのかしら。今は1500倍くらいに加速している筈だから、来れる筈がないのに……しかも、SAOのアカウントでログインしてるなんてね」

 

 SAO、という単語が決定的だったか、ここで初めて動揺を見せる。

 

「Holy shit……アンタ、本当にリアルからダイブしてんじゃねぇだろうな?」

「いいえ? STLを確認しても私は居ないわよ。正真正銘、この世界のフラクトライトだもの」

 

 まあ、一生確認出来ないでしょうけどね、と皮肉って言うと、PoHは「ま、そうだろうな」と、何故だかわざとらしく首肯した。

 

「……だが、そっちも一つ勘違いをしているようだな。オレも、このアンダーワールドにはログインなんかしちゃいねぇし、STLにお前が居ない事も、何となく分かっていたぜ」

「ん……?」

「勿論、オーシャン・タートルのSTLは、《閃光》と《黒の剣士》、そしてオレと兄弟(ブロ)が使ってんだからなあ?」

 

 俺が驚かされる番となった。肩をトントンと《友切包丁》で叩きながら、形勢逆転とばかりに口許を歪めたPoHが腰を落とす。

 

 そして、友切包丁がライトグリーンに光った。

 

「なっ──!?」

「そおらよぉぉっ!!」

 

 ソードスキル、《ソニックリープ》。

 

 須臾にして真上に現れた巨大な中華包丁を、《心意の刀剣》を握り締めながら迎え撃った。

 

 心意が更に力を増す。思わずガクッと姿勢を崩し、立膝の様な状態になると、PoHが紅い瞳を炯々させて、嗤う。

 

「知ってるなァ……韓国の裏切り者を守る為に飛び出してきやがった《閃光》の奴をぶちのめそうとした時も、こんな構図だった気がするぜ」

 

 ……まさか、こいつ!?

 

 下段の不利な姿勢に耐えかねて、腕がピシリと悲鳴を上げて、心意の剣が押し戻され、首近くまで迫っていた。

 

 心意の出力を全て剣に使っている以上、術式を無詠唱で発動することは敵わない。

 だからと言って心意の出力を落とせば、この剣はたちまち破壊されてしまうだろう。

 

 ──だから、まだ耐えろ。

 

 まだ、まだだ……

 

 まだ……これくらい、《わたし》なら耐えられるはずだ。

 

「良いねぇ……その諦めの無い目、《閃光》そっくりだ」

「くっ…………!」

 

 くつくつと嘲笑うが如き悪魔の声音に、着けていた仮面も取り去って、力を引き出す。

 

 《心意の刀剣》の刃が首に一筋の傷を付けながら、力は一瞬たりとも緩めず、ひたすらに耐える。

 

 そして……

 

「ウオッ!?」

「はぁっ!!」

 

 ここに来て漸く、PoHの体内に蓄積していた闇素が、影響を与えた。

 

 天命がある程度のラインを下回り、力が制限されるタイミング……《わたし》は、これを狙っていたのだ。

 

 透明な剣を力強く押して、PoHの拘束から逃れる。

 

 今のうちに、転移術を……

 

「You bastard!! もう赦しちゃおかねぇ……今すぐ殺してやる!」

 

 その瞬間、右脚に何かが深く刺さり、途端にそこの感覚が消失した。地面に転倒し、心意で組み上げた術式が途切れる。

 その数秒後には、全身が麻痺して、完全に命令を受け付けなくなっていた。

 

「普通のソードスキルがあるなら、《投剣スキル》も持っているとは思っちゃあいたが……まさか装備中だった他のアイテムもまんま持ってるとはなぁ。まったくアンダーワールド様々だぜ」

 

 そう言って、力を失った《わたし》の首を掴むと、指に挟んだ四本の針をプラプラとチラつかせた。

 

「コイツはSAOでもそこそこ希少なアイテム、《ロベリアの花》ってのと、刺さっても抜けないっつうある蜂形モンスターの針を使っていてな。ウチのギルドでも重宝してたんだ」

 

 ……その名前、確かユナイタル・リングで出てきた。

 

 そんな回顧が過ぎっていくが、打開策が見い出せない。

 

 かなり移動してしまったが為に、シャスターやリピアの助けも期待出来ない。

 心意も、剣を生成していた時に損耗して、練るのが難しくなっていた。

 身体は、無論麻痺で動くことはない。

 

 つまり、完全な詰みだった。

 

「ま、んな事はどうでもいいか……。あばよ、お嬢ちゃん。オマエと戦えた事は忘れねぇぜ」

 

 右手の友切包丁(メイト・チョッパー)の刃を横に向けた。

 手が後ろに引かれる。

 

 《わたし》は半ば諦めの境地にありながら、ただ一つの事を思っていた。

 

 それは、生きたいとか、死にたいとか、ああすれば良かったとか、後悔の念でもない。

 

 

 ──クリスチャン。

 

 

 ただ一人に向ける唯一の感情を思い出していた。

 

 

 ──クリスチャン。

 

 

 今の《わたし》の原動力であり、生きる理由の一つ。

 

 ちっとも関係は進んでないし、いつもクリスチャンに甘えてばっかりで、迷惑しか掛けてないと思うけど……

 

 それでも……《わたし》はずっと、大好きだから。

 

 最後にはこうして、信じて頼ってしまうのだ。

 

 

 ──助けて、クリスチャン!

 

 

 

 

「……誰が、私のクィネラ様に触れていいと言いましたか?」

 

 

 

 激しい金属音が炸裂し、《わたし》とPoHの間に、金の意匠が施された漆黒の剣が挟まっている。

 

 たとえ、麻痺していなくとも、《わたし》は言葉が出なかっただろう。

 

 その闖入者の顔を見たPoHが、ぴゅうっと口笛を鳴らした。

 

「お決まりの、ピンチになってヒーロー登場ってか?」

「いえいえ……私はヒーローなんて柄じゃありませんよ」

 

 危険を悟ったか、《わたし》を手放したPoHを剣圧で吹き飛ばすと、倒れ込む身体を支えつつ、解毒術と回復術を行使した。

 コトンと針が抜けると、身体の感覚が戻っていく。

 

「……大丈夫ですか? クィネラ様」

 

 ──なんでこう、いつもタイミングが良いのか悪いのか。

 

 泣きたくなりそうなほどの激情を抑え込んで、ふんと鼻を鳴らして、不安げな漆黒の瞳に向かって反発した。

 

「これが大丈夫そうに見えるの? それに、来るのが随分遅かったじゃない」

「整合騎士への指導をしろって言ったのは、どこの誰でしたかね」

「……なんか最近、ちょっと生意気よね」

「はは、気のせいですよ」

 

 《わたし》の手を取って立ち上がらせると、至近距離で見詰め合う形になって、少し体が仰け反る。

 

「でも、本当に……間に合って良かった」

 

 それが、心からの言葉だと認識させられるのに、そう時間は要らなかった。

 《わたし》が恥ずかしくて自分から距離を離そうとする前に、クリスチャンが離れて、剣を構えた。PoHとやりあう気でいるらしい。

 

「……今回の罰、考えておくから」

「それはそれは……厳しいですね」

 

 軽口を叩き合うと、《わたし》も神聖術を組み上げる。

 

 二対一。しかも、クリスチャンが居るのなら、近接戦は安心して任せられる。

 

 そう、意気揚々と戦う気でいるこちらに対して、PoHは片腕をプラプラとさせながら、友切包丁を片手間に弄んでいた。

 

「あーあー、ったく。お前らのイチャイチャ(Lovey-dovey)なんざ見ていたら、興が冷めちまった。《黒の剣士》と《閃光》なら、まぁ良いんだがな」

「ほう、私達から逃げられるともでも?」

「Of course、なんたって、オレ様はSAO史上最悪のPKerだからな。これくらい隠れられなきゃ、今頃生きてなんかいねぇだろうよ。……そんじゃあな、お二人さん。また戦場で会おうぜ────」

 

 そう宣言した直後、PoHの気配が知覚できないほどに希釈して、姿が掻き消える。

 

 心意で探知を広げるも、ダミーのようにそこかしこにPoHの気配があって、どれが本物かも分からない。

 そして……

 

「…………逃げられ、ましたね」

 

 結局、PoHの気配は城全体から消えて、宣言通り逃がす羽目になった。

 

 溜息を吐くと、クリスチャンに振り返った。

 

「逃げてしまったものは仕方ないし、取り敢えず帰りましょう?」

「……では、先程私が来る際に用いたゲートを開けますね」

 

 開いたゲートを通ってカセドラルに帰ると、その晩は、最上階で一緒に寝る事にした。

 

 ……今日は心配かけてごめんね、クリスチャン。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年8月19日

 

 シャスターからの親書が届いた。

 

 曰く、あの日から不自然なほどPoHの姿を見なくなったらしい。次の《十侯会議》にも出るか怪しいという。

 

 見つけ次第叩こうと考えていたが、それも難しくなっていたようだ。

 PoHは頭が回るので、恐らくこの事も読んでの行動と見て間違いない。

 

 それと、27日には暗黒騎士団を人界に連れて行く準備が整うらしい。

 大規模ゲートの作成はカーディナルにしか頼めないので、今週の茶会で要請しておかないとなぁ。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年8月24日

 

 今日もルーリッドを観察。

 流石は元木こりユージオか。《ホリゾンタル》でスパスパ切った木を、ものの一ヶ月でログハウスにしてしまった。

 ガリッタ老人もこれにはニッコリ。

 

 アリスと騎士のアリスは、母のサディナと共にアップルパイを作っていた。二人とも、かつて俺とやった菓子作りの経験が生きたか、火の扱いや器具の使い方も熟れている。

 後ろ姿がただの双子にしか見えない。

 

 しかも、セルカが「アリス姉さま!」って呼ぶ度に二人とも振り向くから面白くて仕方なかった。

 

 しかし、名前を変えようにも、二人とも元々アリスだしなぁ。どうしたものか。

 

 何か案が欲しい……

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年8月27日

 

 シャスターが、騎士団の用意が出来たと手紙を送ってきたので、カーディナル作のゲートで全員を一斉に人界に招待した。

 

 諸々の都合上、南帝国に招待している。

 南国リゾートの気分は、彼らにとってもいい休暇になるに違いない。

 

 いや、にしても、皆なんで水着持ってるの……? ダークテリトリーにデカい湖なんてなかった筈なのに。

 ちょっと準備万端過ぎじゃね?

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年9月3日

 

 アリス・ツーベルクの術式権限レベルが80となった。

 

 来たる大戦に備え、彼女の自衛力を磨いてきたが、これくらい程なら大抵の術が扱えるようになる。

 

 生き物を殺して権限を上げるパワーレベリングに心を痛めていたようだが、それも終わった。後はフェノメアの下で実戦の神聖術行使を二ヶ月で叩き込み、神聖術士部隊に置いておくことにしようと思う。

 

 大戦までに間に合うといいが……

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年9月7日

 

 セントリア市内では、明日から太陽神ソルスと地神テラリアに豊穣を祈る祭りを催すらしく、戦争前の緊迫した雰囲気から解放されて、楽しそうに準備をする民衆の姿が見られた。

 

 俺も、仮にも一国の統治者だからか、人界の民がこうしている様子に、気分が幾分か和らいだような気がした。

 

 

 

 

 それはそうと、これは祭りである。

 

 こんな時期に祭りをやると言うのだから、これは誰かの啓示に違いない。

 

 

 ……つまり、クリスチャンともう一度デートをしろと。

 

 

 これは二度とはないチャンスだ。

 

 大戦で俺が死ぬ確率は大いにあるし、何なら大戦が終わるまで……等々死亡フラグまで立てている。

 こんな機会、みすみす見逃す訳にはいかない。

 

 じゃあ、明日に備えて、おやすみなさい。

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

  界暦38 1年9月8日

 

 私はクリスチャンを愛する資格はない  なんで私を選んでくれないの

 

    クリスチャンがカーディナルがキスを

 私じゃダメだった       カーディナルに勝てるはずがなかったんだ

 

  最初は、私だけを愛していたはずなのに

(乱暴に書かれた文字を消した跡が残されている……)

 

クリスチャンは何も悪くない    私が無理やり連れてきたから 彼の人生は狂った

              諦められない こんなの

 

誰かを好きになるのは つらいよ

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年10月25日

 

 人界軍、約5000人。

 整合騎士、18人。

 

 これが、今回用意できた全戦力である。

 まあ、アリスとユージオが来れば、整合騎士も二十人になるし、俺やクリスチャン、カーディナルも居るので正しくはないが。

 

 また、前回暗黒騎士団を持ってきたのと同じ、カーディナルのゲートで東の大門前に送り込んだ事で、移動の手間を無くし、圧倒的な早さで人界軍野営地を建てられた。

 

 どんどん送られていく兵達に、ベルクーリがしばらくポカーンとしながら見ていたが、これが神聖術の力なのだ。

 

 もう俺に構わくてもいいのに、クリスチャンがいつも隣にいた。

 

 気付いておきながら、それでも甘い蜜に縋り付いている。

 私の馬鹿

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年11月2日

 

 アリス達が野営地にやってきた。なかなか丁度いいタイミングである。

 

 東の大門の天命も、俺が神聖術を放てば直ぐに壊れてしまうような段階にあるので、数日以内には開戦すると見ている。

 

 そろそろ、こちらからも一つ仕掛けたい所だ。

 

だからクリスチャン、お前は俺に仕掛けてくるな、頼むから

やられると、俺が虚しいだけなんだよ

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 この日、11月5日の夕方。

 天幕の外に出て、ぼうっとしていた俺は信じられないものを見た。

 

 天から降りてくる大きな光柱……あれは、間違いなく、現実世界側からのログインが入ったという証。

 

「……お主も気付いたか」

「ええ。もう少し遅いはずなのに、これは驚きね」

 

 天幕の中からカーディナルが出てきて、怪訝そうに、光柱のあった場所を睨んでいる。

 

 杖が振られると、ログイン座標へのバックドアが開かれた。

 

 その扉の先は、前線の補給部隊にほど近い高地。

 見下ろすと、《東の大門》と自軍全体を見渡せる場所だった。

 

 その反対に目を向けると、少し小高くなった丘の上に、それら(・・・)は立っていた。

 

「…………ふぅん」

 

 可能性としては、一番そうだろうと考えていた。

 

 だが、顔まで思わずにやけてしまいそうな光景がそこにあった。

 

「……で、ここは一体どこなの? 草原しかないじゃない」

「ええと、菊岡さんが言うには、キリトくんの最終ログに近い場所だって言ってたわ」

「でも、お兄ちゃんの姿なんてどこにも────あっ」

 

 新緑の瞳が、俺の姿を映し出した。

 

「あれ、第一村人発見!」

「……どう見てもただの村人には見えないわよ、リーファ」

 

 元気よく指をさす緑の剣士──リーファがそう言うのを、長弓を背負った蒼の女性──シノンが、こちらをじぃっと見ながら指摘した。

 

「えっ……? あ、ホントだ」

「もう、リーファちゃんもシノのんも、知らない人をじっと見過ぎだよ……完全に怪しまれちゃってるからね」

 

 そして、二人の肩に手を置いて、ムスッとしている純白の正妻──アスナ。

 

 それぞれ、スーパーアカウント01《創世神ステイシア》、02《太陽神ソルス》、03《地神テラリア》でログインしている。

 なんというか……物凄く、神々しいです。

 

 というか、SAOファンとして、メインヒロインがこうして集まってくれている光景に、感動さえ覚えている。

 アリシゼーションで三人が集まることは一度としてないのを考えると、原作改変も中々侮れないなぁ……

 

「行かんのか?」

「行くわよ、勿論」

 

 なんで三人が集まっているのかは分からないが、折角の接触の機会をむざむざと手放すのは惜しい。三人のいる丘まで歩くと、真っ先にアスナが飛び出してきて、ガバッと頭を下げた。

 

「ごめんなさい、ずっと様子を窺ったりしてしまって……」

「いいわよ、気にもしてなかったし」

 

 それより、と続けて、毎度恒例、威厳たっぷりの名乗りを上げる。

 

「初めまして、アスナちゃん。私は公理教会最高司祭────アドミニストレータよ。よろしく頼むわね」

 

  名前を知られていた驚きも去ることながら、といった具合に目を見張った。

 

「貴方が、キリトくんの言ってた人界のトップの方……なのでしょうか」

「ま、そうなるわね」

 

 軽い感じに首肯すると、アスナは今にも、顔に手を当てて天を仰ぎそうになっていた。どこからか、あちゃー……という声も聞こえてくる気がする。

 俺は寧ろ、見てくれた事に割と狂喜乱舞してるけどな!

 

「こちらこそ、初めまして。アスナと言います。アドミニストレータさんのことは、キリトくんから伺いました。大変お世話になったそうで……」

「ええ、本当にね。感謝してくれてもいいくらいなのよ? あの子、突拍子もないことするし」

「あ、あはは……」

 

 眉がピクッと上下した。キリトはどこにいようと、何かしら仕出かすのは、アスナが一番よく知っているだろうし、想像出来るのだろう。凄い申し訳なさそうにしている。

 でも可愛いので許す。

 

「それで、そちらの方は……」

「む? ……申し遅れたな。わしはカーディナル。最高司祭代理じゃ」

「……貴方のこともキリトくんからたくさん話を聞きました。どうしてか、ほとんど食べ物の話でしたけど」

「…………まあ、そうじゃろうなぁ」

 

 カーディナルがどこか遠くを見つめると、アスナさんがとうとう笑わなくなった。いや、口だけ弧の字を描いている。あまりのやらかしっぷりに、アスナさんのキャパを上回ったらしい。

 キリト君、ちょっと方々に迷惑掛けすぎでは……?

 

「あと、私の後ろにいる二人は、私の仲間のリーファちゃんとシノンと言います」

 

 小高い丘から、アスナと一緒に降りてきていた二人がアスナの両隣に並んだ。

 

「リーファです! さっきは、じろじろ見ちゃってごめんなさい……」

「シノンよ。私も貴方の事を見ていたけど、少し気になっただけで、他意は無いわ。よろしく」

 

 リーファがぺこりと頭を下げて、シノンが後に続いた。

 

 手を差し出して握手したい気持ちをぐっと抑え、余裕の笑みで接する。

 

「……それで、どうしてここに来たのかしら?」

 

 

 

 

 一通りの事情を聞くと、こちらからは不鮮明だった事の異常性が垣間見えてくる。

 

 リアルワールドの方では、アスナがこちらに降りてくる段階で、キリトの明確な治療法を編み出したらしい。

 

 そして、それには三人のキリトとの親密な関係を持つ者が必要であった。

 アスナがSTLを使うのは良いとして、残り二人をどうするかを考えていた所で、ラースの六本木支部に、その残り二人足り得る存在──つまりリーファとシノンが訪れたので、こちらもアンダーワールドへ接続させることにした、という事のようだ。

 

 原作を知る俺からすれば、これはとんだ異常事態である。

 そもそも、リーファとシノンは、ユイの連絡を受けてから遅れてやって来るはずだし、比嘉君が治療法を思いついたのはアスナがダイブした後のこと。

 

 ……つまり、この時点で比嘉君は、キリトのフラクトライトと三人のフラクトライトを接続する為にシャフトを降りている筈で。

 

「なんとなく分かったけど、ここに来た以上、貴方たちは手伝ってくれるのよね?」

「はい。最終負荷実験には、私達も参加します。ただ……」

 

 何やら言い淀むアスナに、何となく言いたいことを察したらしいシノンが、毅然と俺に言い張った。

 

「私達はあくまで、遊撃部隊として……余程のことがない限り、戦い自体に直接は関与するつもりはないわ。そのつもりでいて欲しいのよ」

「……私に、条件を叩きつけるのかしら? キリトを管理しているのも私だというのに」

 

 おっとまずい、アドミンムーブが。

 

 完全に上から目線で……って言うか、背丈の関係でどうしてもそうなってしまうのだが、シノンがあからさまに眉を顰めて、俺を睨む。

 

 シノンの誰だろうと物怖じしない性格、本当に好きだわぁ……

 

 シノンファンが多いのも納得だと思いつつ、相好を崩した。

 

「冗談よ。元々、人を殺すような事を命じるつもりはなかったもの。貴方たちの好きに動いて頂戴」

「えっ……いいんですか?」

「私だって、年頃の女の子に殺しを強要するほど鬼じゃないだからね」

 

 リーファちゃんめ、俺をなんだと思ってるんだ。

 ほら、その隣でアスナがすげぇ意外そうな顔してるし。絶対キリトがあることないこと吹き込みやがったな。

 

 シノンも、やれやれと肩を竦めて、眉をへの字に傾けた。

 

「貴方が言うと、全っ然冗談に聞こえないわ。普通に真に受けちゃったじゃない……」

「だって、敢えてそういう風に言ったんだもの。騙されたでしょ?」

 

 自信満々に訊くと、三人とも、そういう冗談はちょっと……と、あからさまに複雑な顔をしていた。

 むぅ。そんなにお気に召さなかったのか……残念。

 

「何をムスッとしておるのやら……。まぁよい、お主らはキリトに会いたいのじゃったな? わしが案内してやろう」

「わざわざすみません、カーディナルさん」

「構わんさ。ほれ、こっちじゃ」

 

 カーディナルの手招きに応じた三人に、小さく手を振って別れると、溜息が漏れた。

 

 ……リーファもシノンも、ああ見えて覚悟しているのだ。

 

 愛する人は、決して自分だけを想ってくれている訳では無いし、最愛は他にいる。

 

 だと言うのに、私は……

 

「…………つらいなぁ」

 

 ただの、腰抜けの大馬鹿だ。

 

 

 

 

 その夕方、ふと、キリトの居る天幕を通りがかった時、そこに誰かが入っていく姿が見えた。

 

 見ると、割と夜更けなのに灯りがついたままで、声も聞こえてくるようだった。

 

 これは……もしかしなくても、あれか?

 

 そう思い、期待を胸に天幕を覗くと、途端に幾つもの視線が俺を貫いた。

 

「あっ。アドミニストレータさん!」

「……はぁ、キリトってば、本当にもう……」

 

 リーファが元気よく手を振ってきて、その隣にいたシノンはやれやれ状態だ。

 随分と顔がげっそりしてるのは、まあ、キリトと関わった女の子の数がこれじゃなあ……

 

 キリトの眠るベッドに腰掛けて座るユージオとアリスちゃん。部屋の中央にアスナと騎士のアリスちゃんが突っ立っていて、

 

 そのうち三人は、俺の姿を認めると同時に平伏した。

 

「さ、最高司祭さま……」

「畏まる必要は無いわよ。ちょっと混ざりたくなっただけだから、この場では私もただの人よ」

 

 震え声で俺を呼んだのは、キリトの二番弟子、ロニエちゃん。

 髪が伸びていて、ムーンクレイドル味が増した容姿となっている。

 

 その隣にティーゼ、そしてリーナ先輩と並んでいて、現在進行形で平伏されている。

 普通の人からしたら、四皇帝さえも平伏す存在である公理教会の最高司祭が、いきなり目の前に現れたのだ。

 最近、あんまり普通の人の前に出てなかったもんだから、こういう反応をされる事をすっかり忘れていた。

 

「だから、公の場以外なら礼儀も要らないし、好きに接していいわ。分かった?」

「はっ……承知しました、最高司祭猊下」

 

 いの一番に返事をしたリーナ先輩は、素早く立ち上がって、硬い表情を和らげた。

 

「ソルティリーナ・セルルトと申します。あまり慣れておりませぬゆえ、敬語のまま申し上げる点はどうかご容赦を」

「……無理強いはしないけど、タメで話してくれた方が私は嬉しいわ。ロニエちゃんとティーゼちゃんもよ?」

「「は、はい」」

 

 二人も恐る恐る立ち上がって、少し奥の方に引っ込んでしまった。

 か、悲しいなあ……

 

「え、えーと、アドミニストレータさんを含めて、十人も集まっちゃったし、そろそろ始めましょう?」

「ええ……皆、キリトとは浅からぬ縁があるみたいだし、全員の話を聞くなら、早い方がいいわ」

 

 幸いに……というか、俺がキリトの為に用意したこの天幕は、優に学校の教室ほどの広さはある。

 念の為の大きさだったが、これなら十分に足るだろう。

 

 全員の丸椅子を円形に並べて、それぞれ座っていく。

 

 俺から左回りに、アリス、リーナ先輩、リーファ、アスナ、シノン、ユージオ、ティーゼ、ロニエ、騎士アリスという順番となり……必然なのか、アスナとアリスが正反対の位置にいて、両者の心意らしき何かがバチバチとしている。

 

  じ、女子社会って怖い……

 

「大丈夫よ、最高司祭様。私がついてるもの」

 

 今は、そう言ってくれるアリスちゃんだけが心の癒しである。

 

「では、私から自己紹介してもいいかしら?」

「……それじゃあ、貴方から左回りに行きましょう」

 

 ……となると、俺が最後か。

 

 アスナの言葉を受け、俺の右隣にいた騎士アリスちゃんが立ち上がった。

 

「私はアリス。アリス・シンセシス・サーティよ。キリトとは、同じ整合騎士として関わったのが一ヶ月。肩を並べて戦ったのが丸一晩。そのあと、一つ屋根の下で半年間、付きっ切りで世話をしたわ」

 

 最初から圧倒的攻撃力で捩じ伏せにかかったアリスの言葉に、アスナとロニエ、そしてシノンがピシリと固まった。

 

 アリスもすっごい自慢げに、どうだ、恐れ入ったかとばかりに泰然と席に座った。

 

 私のアリスちゃんが、すっかり大人になってしまった……

 

「え、わ、私……? は、はいっ! ロニエ・アラベル上級修剣士ですっ。キリト先輩とは、一年の間傍付きとして、身の回りのお世話と、《アインクラッド流》の剣術を教わりました! よ、よろしくお願いします!」

 

 これには、キリト好きの方々も少々体が仰け反る。特に《アインクラッド》の言葉を聞いたアスナは、目が真ん丸になっていて、今にも聞き出したそうな顔をしている。

 

 しかし、そうか。

 一年遅れてるから、ロニエは上級修剣士入りしているんだよな。

 

 と、いうことは……

 

「同じく、帝立修剣学院のティーゼ・シュトリーネン上級修剣士です! ロニエと同室で、ユージオ先輩の傍付きでしたので、私もキリト先輩に良くしてもらいました。お話は少ないですが、今晩はよろしくお願いします」

 

 対するティーゼは、この場にユージオのライバルが居ないからか、凄く余裕があった。

 

「ちょ、ちょっとティーゼ、なんでそんな緊張してないの……!?」

「もう、ロニエはどっしりと構えないと」

「ここでそれは無理だよぉ……!」

 

 少なくとも、クリスチャンのライバルが集まれば俺も正気ではいられないだろうし、ちゃんと自己紹介ができるロニエちゃんは十分凄い。

 

 そして、その次は、この場のキリト勢最強格の一人……

 

「初めまして。僕はユージオです。キリトは僕の幼馴染で、小さい頃からの付き合いが十一年、十七歳で再会して、そこから寝食を共にしたのが三年なので、もうかれこれ十四年は一緒だと思います。皆さんと、たくさんキリトの話ができたら嬉しいです」

 

 ほう、と、アリスが声を漏らした。単純にその年季に感嘆したようだ。そして、アスナは……目が輝いている。

 

 さっきから、アスナのテンションの乱高下が続いているけども、なんでユージオにだけそんな嬉しそうなの?

 

 うーん……と内心で考える暇もなく、隣に移った。

 

「シノンよ。あいつとは、一日……死線を潜り抜けて、それから大体半年間ぐらいの付き合いかしらね。よろしく頼むわ」

 

 うむ、普通でよろしい。

 しかし、あいつ呼ばわりは異色なのか、アンダーワールド組がどこか羨ましそうな感じだ。ツンデレ万歳。

 

「アスナです。キリト君と一緒にいた期間は、一緒に隣で戦ったのが二年、お付き合いが一年半で、その間に二週間、同棲していました。こちらのキリト君の様子が知りたいので、ぜひ情報交換できたらと思います! 皆さん、よろしくお願いしますね」

 

 なん……だと……? と、某死神代行さんみたく固まるロニエとアリス。

 

 それもそのはず。

 悪魔の言葉、〝お付き合い〟を放ったということは、アスナが最大の牽制を繰り出してきたという証左。

 

 二人に対して、正妻という立場から完全にマウントを取る気でいるらしい。

 確かに、取られそうで怖くなるって気持ちは分かるけど……え、えげつねぇ。

 

 余裕の笑みで座ったアスナを、アリスが苦々しい表情で睨み、ロニエがプクりと頬を膨らませていた。

 

 ……蛇足だが、俺はキリアス派である。

 

「初めまして、リーファって言います! キリト君は私のお兄ちゃんで、リアルワールドでの暮らしぶりならかなり知ってる、のかな……? アスナさんには遠く及びませんけど、色々キリト君の面白い話が聞けたらいいので、仲良くしてくれたら嬉しいです!」

 

 そして次に回って来たのは、ラノベ界でも一二を争う義妹キャラ……?の直葉ちゃん。

 

 何故かアニメで胸が盛られ、随一の巨乳キャラとして圧倒的な存在感を放っている。

 現物を見ると……尚のことシリカとは似てない気がしてならない。

 

「ふむ……リーファ殿は、キリトの妹君との事ですが?」

「えーっと、まあ、義理になります。血縁上ではキリト君は従兄弟だけど、私がちっちゃい頃からキリト君が居たから、関係はすっかり兄妹って感じです。…………ちょっと前までは、別の意味でも好きだったりしたんですけど」

 

 そして、こんな所にも伏兵が。

 

 妹と聞いて安心していたアリス達が、えっ、と小さく声を漏らしたが……まずいと感じたか、ユージオ達幼馴染組が咄嗟の機転を見せる。

 

「にしても、こんな礼儀正しそうな子がキリトの妹かぁ……うーん、想像できなかったよ」

「きっと、キリトを反面教師に育ったのね。あんなお兄ちゃんが居たら、私もそこそこ真面目だった自信があるわ」

「い、いやー……あはは」

 

 リーファちゃん、そこを否定はしないらしい。

 しかし、アリスも酷い言い草である。キリトが起きた時が非常に心配だ。

 

「さ、次行きましょ?」

 

 リーファが隣を急かすと、隣のリーナ先輩が立ち上がった。

 

「ノーランガルス帝国騎士団所属、ソルティリーナ・セルルトと申します。ロニエが彼の傍付きであったように、私はキリトに傍付き修剣士として、一年間にわたり身の回りの世話をしてもらいました。キリトの興味深い話を知る機会に、私も混ぜて下さった事を、誠に感謝しております。どうぞ、よろしくお願い致します」

 

 こちらも、キリトLove勢が侮れない難敵である。

 数々のライバルが現れているにも関わらず、本人は目立った反応一つ表に出さずにいる。

 

 しかし、この場にいる大抵の人物は、キリトを世話している側だが、リーナ先輩だけは例外だ。

 あのキリトに世話をされると言うのは、一体どんな気分なんだろうか。

 

 キリトが整合騎士見習いだった時に、俺もやって貰えば良かったなぁ……残念。

 

「私はアリス・ツーベルクよ。キリトと二人で色々やった事もあるけど、大体キリトのやんちゃ話で、格好良いところとかは知らないから、話の足しになればいいと思うけど……」

「キリトのやんちゃ話……」

 

 やんちゃ話、という言葉にアリスが反応した。

 

「というか、僕が想像するに、キリトの話の八割近くは、やんちゃ話だと思うけど……」

 

 すると、ロニエやアスナ達が、頻りにコクコク首肯して、それを見たアリスが絶句していた。

 いやでも、アリスちゃん、カセドラルでのキリトの所業を見てない訳が無いだろうに。

 

「色々やってるわよ? 私が見た限り、禁忌目録──法律に違反する行為を取ったり、学院の門限をあれこれ理由をつけて破ったりしてたわね」

 

 例えば……と罪状を読み上げていくと、その全ては比較的軽いし、中には禁止してもしなくても良いようなものもある。

 

 でもまあ、中には笑い飛ばせるようなものもあったりしたし、途中でユージオやらアスナやらがやんちゃ話を公開し始めたから、キリトの黒歴史暴露大会になっていたが……

 

 まあ、なんだかんだ楽しかった、とだけ言っておこう。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年11月6日

 

 天命の減り具合から計算して、明日の18時、東の大門が崩壊する。

 

 ……この場だから白状しよう。私はまだ不安だ。

 

 この大戦の為に打った布石は、それこそ大量にある。

 

 だが、それは人界も暗黒界も、被害を最小限に抑える為のもの。

 

 原作よりももっとスマートに、そして悲しむ人が少なくなれば……

 

 それで人界が負けてしまっては終わりだと気付いているのに、そんな希望が中々捨てきれない。

 

 しかも、今回はイレギュラーだってある。

 

 外面である俺の方は比較的気丈に振る舞えているものの、私は気弱で、最悪ばかりを常に考えて嫌になりそうだ。

 

 少しはマシになってきたかと思っていたが、いつまで経っても変わらないようだ。

 

 あと二日……それさえ乗り切れば、どうにかなる。それでの辛抱だ。

 

 

 

 

 

 転生最高司祭が行く原作改変RTA part Final

 はーじまーるよ〜。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 そう日記に記すと、天幕の外に出る。

 

 星が綺麗な夜だ。

 こんな日は、ただボーっと夜空を見上げたりして、よく時間を潰している。

 

 天幕の近くにある緩やかな丘の上にやってくると、その草むらの上に寝そべって、大の字になった。

 

 ……アンダーワールドの夜空は、ニーモニックビジュアルで描写されるものの例に漏れず、現実と……いや、現実よりもきっと綺麗だ。

 

 だからか、この世界にも天文学が成立している。

 

 私が真っ先に見つけたあの青白い星は、一等星のダフネ(沈丁花)と言い、他の二つの一等星……ガーデニア(梔子)チモナンサス(蝋梅)と共に正三角形の形に並んでいる事から、三つの中で一番明るいダフネと神聖語にちなんで〝ダフネ・トライアングル〟と呼ばれている。

 

 汎用語では、〝夏の大三角〟と呼ばれているものだ。

 前世ではデネブ(白鳥)アルタイル()ベガ()と呼ばれ、そのうち二つは、織姫星(ベガ)彦星(アルタイル)として、天の川伝説で有名だろうか。

 

 しかし、このアンダーワールドの大三角は、前世と違って正三角形という稀有な形をしている。

 手で三角形を作ってみて、その大三角に合うように手を掲げると、ピッタリ形が合うくらい、綺麗な形をしている。

 

 だから大三角が見える夜は、こうして三角形を作って楽しむのだが……

 

 

「きみは誰とキスをする────……」

 

 

「わたし、それともあの娘────?」

 

 

 ふと、夜空の三角形を見ながら口ずさんだのは、そんな(トライアングラー)だった。

 

 それをオープニングテーマにしたのが、前世でも有名なあるアニメ……オープニングとしては、『ライオン』という歌の方が有名だろうか。

 

 この星達を、前世の大三角と照らし合わせて考えるなら、まるで織姫(チモナンサス)彦星(ガーデニア)の間に、何か(ダフネ)が割り込んでいるようで……

 

 ……あの日の祭りを思い出すと、心がズキりとした。

 

 カーディナルとクリスチャン。二人の関係が、私には全く分からない。

 ただの協力関係故の仲にしてはあまりに気安いし、恋人というには、どこか少し違う気もする。

 

 でも、

 

「こころ揺らす言葉より──無責任に抱いて、限界──……」

 

 確かな物が欲しいと思うこの気持ちが、ここにはあった。

 

 どうせ死んでしまうのなら、嘘でもいいからクリスチャンに愛されて死にたい。……まあ、あのチュデルキンの様に、炎で焼き殺されながらはさすがに勘弁蒙りたいけど。

 

 ……私なのか、それともあの娘(カーディナル)なのか。

 

 普段なら考えないだろうこんな事も、仮面を外した今は、ずっと思考に纏わりついてくる。

 

 彼が射た言葉が嘘だとは思えない。

 でも、クリスチャンの目に映っているのは、ひとりじゃない。それは、もう分かってしまったから。

 

 

「一人きりでも平気、と……こぼれ落ちた────……強がり────……」

 

 

「二人の、眩し過ぎた日が……こんなに────……悲しい」

 

 

「一人で────生きられるなら…………」

 

 

「誰かを……愛したりしないから────……」

 

 

 曲調は大きく違うが、別の(unlasting)のフレーズが頭に浮かんで、思った通りに口が動く。

 怖いほどに的確で、乾いた笑いが出る。

 

 アリスにとってのキリトと同じように。

 私にとっての心の支えは、クリスチャンだった。

 

 クィネラと前世のフラクトライトの側面を持ち合わせた私だが、その感性は限りなく前世に偏っている。

 

 それが意味するのは、この世界の誰よりも、私は弱いという事実。

 

 

「貴方の香り────貴方の話し方…………」

 

「今も身体中に、愛のカケラが残ってるよ────」

 

 

 抱き締める度に香る、爽やかな梔子の匂い。

 ちょっと慇懃が過ぎる穏やかな声。

 

 どれも、思い出せなかった日は無い。

 

 ……それに、私が諦めきれない理由も明白だ。

 

 もしも、家族や親しい人を無くして、一人きりになった私を慰めてくれる人が居なかったら……

 

 もしも、一人でフラクトライト解析を行っていたら……

 

 隣で支えてくれるクリスチャンが居てくれなかったら……きっと、私はアドミニストレータでは居られなかった。

 

 一人じゃなくて、二人で背負っていこうと言ってくれたから、私は前に進むことが出来た。

 

 私が彼に依存しているから、ずっと割り切ることは出来ないんだろう。

 

 

「私の願い────私の願いは────ただ……」

 

 

 クリスチャンは、私の救いだ。

 今までも、これからも。

 

 私は弱い人間だから、その分、守ってくれる人に対する独占欲が、誰よりも激しい。

 

 だから、あの二週間の日々のように、彼が離れていく事を、何よりも恐ろしく感じてしまうのだ。

 

 独占欲が強くて、弱虫で、人でなしで、何百年と生きて、男か女かも釈然としないような奴を、誰が愛せるのか。

 

 ……これまで、クリスチャンはよく尽くしてくれた。

 

 私なんかに縛られてはならない。

 

 戦いが終わったら、やっぱり、私は潔くこの世界を去ろう。

 

 私の存在が邪魔である事は、いつだって同じなのだから。

 

 

「どうか……あなたが、幸せで────……ありますように………」

 

 

 その時、星が一つ煌めいた。

 

 私の願いに応えるように現れた一筋の流星を呆然と眺めつつ、三角形を描く両手を芝生に落とした。

 

 そして、目をパチパチとさせていると、どこかからか草を踏む音が聞こえてきて、輝点がそこかしこに広がっていた幻想的な夜空は、漆黒の闇に変わっていた。

 

 風がそよいで、黒が揺れる。

 オニキスの如き双眸が露わになって、それをジロッと睨みつけた。

 

 

「……ねぇ。星、見えないんだけど」

「おっと、失礼致しました……クィネラ様」

 

 

 頭の傍でしゃがみこんで、顔を覗きこむ(好きな人)は、いつもの柔和な笑みを湛えていた。

 

 

 

 

*1
だいたい百万円程度の価値




『Unlasting』(covered by坂本真綾)って良いなって……

次回は、アドミンがこうなってしまった経緯から。
その後は蛇足的な女子会の様子とか、三女神の様子とか、クリスチャンとカーディナルとか、祭りのこととか、ちょろっと出てきたエルドリエとかの事とかやって、大戦ですかねぇ……
(なお、受験戦争の為、続きは来年になる模様)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

裏話 カーディナル&クリスチャン&アドミン

およそ一年ぶりなので初投稿です


 

 

「ぅ、うぎゃぁぁぁぁ…………!!」

 

 ゴロゴロ、ドンドン、じたばた。

 

 日記を両手に、カセドラル最上階の床を転げ周り、頭を叩きつけているのは、己にとって二百年来の宿敵……である筈の、最高司祭アドミニストレータ。

 

 一旦止まったかと思えば、日記をじっと見詰めて、先の奇行に逆戻りし、顔を真っ赤にしながら奇声を上げていた。

 

 ──この歳にもなって、どこぞの若い乙女か貴様は!

 

 叫びたくなる気持ちを抑えると、眉間を揉みほぐしながら、カーディナルは目の前の惨状から目を逸らした。

 

 アドミニストレータ、もといクィネラのフラクトライトが転写されていたカーディナルであるので、彼女の性格や好み、趣味は勿論のこと、擬似的な前世の記憶も所有している。

 

 擬似的、というのは、クィネラになってから、前世の記憶の情報を思い出したりノートに書き留める事で、新たにフラクトライトの記憶として刻み込まれたものだ。

 

 長年の思索により、クィネラもカーディナルも、前世の記憶はフラクトライトではない不明な領域にあると結論付けており、確証もある。

 

 ただ、記憶とは常に更新されるものだ。過去の記憶を思い出補正で新しく上書きするように、クィネラが前世の記憶を振り返る度、その記憶は少しずつライトキューブという保存領域に記憶されていった。

 

 それが、カーディナルの保有する擬似的な前世の記憶の正体である。

 

 クィネラとてその存在を知っていた為、転生してからの痴態と共に、その蓄積された前世の記憶も予め消去しておいたのだが……カーディナルは、クリスチャンによって記憶を取り戻すキッカケを得て、その大部分を修復させるに至った。

 

 だからこそ、カーディナルは呆れていた。

 

 大した特徴の無い、サブカル好きで甘味好きな一般男性の魂に、まだ純粋さを秘めていたクィネラの魂は、あまりに相性が良かったのだろうか。

 

 結果的に、クィネラに備わる女の子らしさを助長することになり、こんな好きな人にラブレターを貰った思春期少女の如く悶絶しているという訳だった。

 

 つまりクィネラには、普通に恋愛できる女々しさを、当たり前のように持ち合わせていたのだ。

 

「…………はぁ」

 

 それに比べて、自分はどうかと考える。

 

 クィネラの自我が崩壊した為、あくまでも〝カーディナル・システムのサブプロセス〟としての自己を形成しているこの魂は、逆上せあがってしまうような恋を知らない。

 

 カーディナルの心にあるのは、「ああ、好きだな……」と、どこか遠くを見るように思う、淡い恋心。

 

 それを長年温め続けてきていた。

 

 元は同一存在だ。理由が様々あるにせよ、好きな人が同じであるのも、きっと道理なのであろう。

 

 しかし、こうして出来上がった三角関係を終わらせるには、どうすればいいのか。

 

 それは簡単で、引ける者が引けばいい。この場合、引ける者に当て嵌るのは、自分だった、と言うだけなのだ。

 

 ──そう、納得すればいいものを。

 

 心の奥で、火が燻った。

 

 たかが自分如きの身勝手で、努力の果てに得た幸せを奪う訳にはいかない。

 

 真に彼女の想いを知っているからこそ、どうにも出来ないのだ。

 

「ひぁぁぁぁぁ…………!」

 

 そんな苦悩など知る由もなく、アドミニストレータは頭を地面に打ち付け、一瞬シャッキリしたと思えば、直ぐにでへでへと顔を緩ませる。

 

 そんな光景を延々と見させられては、複雑な気持ちも段々とイライラへ転じ始める。自分の存在に気付いていないのだから、これ見よがしに、という訳ではない。

 だがどうにもこちらに見せつけられてるようでならなかった。

 

 いつまでも見ていると、その内自分まで発狂しそうだ。

 

 カーディナルは光素を生成して、逃げ帰るように昇降盤から下階に下りた。

 

 

 

 

 人界暦381年6月2日……アドミニストレータは一週間ほどの眠りに就いた後、目を覚ました。

 

 逆に言えば、目が覚めるのに一週間の猶予があったので、戦いを終えたカーディナルらが好き放題するのは掌を返すよりも容易かった。

 

 先ずは此度の事情の説明と周知の為、整合騎士長ベルクーリの懐柔から始めることになったが……

 

 ──そうか。猊下もようやく吹っ切れたのか。整合騎士を全員追い出すもんだから、何かあるとは思ったが、そりゃ良い報告だな

 

 娘の成長を喜ぶ父親の如くしみじみと頷き、顎髭を撫ぜるベルクーリの反応に、ユージオとアリスがまさかと驚いていた。

 

 どんなに厚い仮面で覆おうと、クリスチャンに次いで傍にいる時間の長いベルクーリが、気付かないはずも無かった。

 

 当然、カーディナルはこの事を分かっていて行動を起こしていた。記憶に刻まれている原作の流れを踏襲すれば、多少のイレギュラーはあろうと、確実に最終負荷実験を乗り越えられる筈だと。

 

 よってカーディナルの目標は、整合騎士とキリトらの間に余計な軋轢を生むことなく大戦を開始させることだった。

 

 ベルクーリとクリスチャンの呼び掛けで果ての山脈の防衛任務に就いていた者も含め、一旦全整合騎士が集められた後、説明がなされた。

 

 ──最高司祭は、長く生き続けたが故に心を病み、民の半分を兵器に転化するという恐ろしい計画を立てていた

 

 ──食い止めたのは、キリトとユージオ、アリスであり、三人の尽力の末に、最高司祭が正気に戻られた

 

 ──しかしキリトは戦いの末に、長い昏睡状態に陥ってしまった

 

 シンセサイズの秘儀については、アドミニストレータの口から語るまで伏せることとした。言うまでもなく大きな混乱を生む真実で、本人不在のままでは何かしらの誤解も生まれること請け合いだろう。

 

 しかし、アドミニストレータが正気を失い、かつ、カーディナルの助力を受けたとはいえ、下位整合騎士二人と整合騎士アリスのみで戦い、勝利した事は、あまりにも衝撃的過ぎた。

 

 最高司祭の敗北は、三百年に渡り人界を支配してきた彼女が、決して完全無欠などでは無いことを証明してしまったのだ。

 

「おや、カーディナル様。今日もクィネラ様のお見舞いで……?」

 

 九十九階に降りると、まさにクリスチャンが階段から上がってきた所だった。カーディナルが少し嫌そうな顔をして、クリスチャンの言動を訂正させた。

 

「阿呆ゥ。何が見舞いじゃ。ただの確認に決まっておろうが」

「それはそれは。……では、まだお目覚めではありませんか?」

「奴は起きておるぞ、とっくに」

「え」

 

 一言素っ頓狂な声を上げてから、クリスチャンが無言で横を通り過ぎようとする。その腕をカーディナルが掴んで引き留めた。

 

「…………離してくれ」

「ハァ……いま会うのは止めておけ、馬鹿者。お主が書いた遺言返しに悶絶している所じゃ。お主に見られでもしたら今度こそ自死しかねんぞ」

「は? 何それめちゃくちゃ見たいんだが」

 

 キョトンと、真顔で言っているが、カーディナルは分かり易く顔を顰めながら忠告する。

 

「奴の名誉の為じゃよ。貴様とて、分からないなんて事はあるまい」

「……どういう事だ」

「決まっておろう。毎日毎日、裸のあやつと一緒に同衾する度に、背中を見せながら丸まりおって。盛りのついた猿か全く……」

「…………!? そ、そそそんな訳ないだろ馬鹿にするな! 大体俺は、一度は年老いた身だぞ!」

 

 カーディナルは思わず噴き出した。動揺っぷりのなんと激しいことか。背を向き肩を震わせる様子に、クリスチャンが顔を赤くして睨み付ける。

 

「……ふぅ、度し難いほど、滑稽極まりないのう。その程度、自分で発散すれば良かったものを」

「してたに決まってるだろ! 裸で抱きつかれたらムラムラするんだよ、俺でもな……」

 

 そこまでになって、なぜ襲わないのかとカーディナルは呆れた。

 

 クリスチャンは、よく言えば貞操がしっかりしていると言えるが、悪く言えばヘタレているだけだ。

 

 アドミニストレータ自身でもあったカーディナルだからこそ言える。アレは、クリスチャンになら無理矢理にされようと喜んで啼くと。

 

「そこは無理にでも手篭めにするのが男じゃろうが」

「どうしてそうなるんだよ。一番ダメだろ。俺はそんな鬼畜外道にはなりたくない」

「……遅くなってからでは知らんぞ?」

 

 暗に、《魂の寿命》の事を示唆してやると、クリスチャンの顔に翳りが現れた。

 

 そもそも原作のアドミニストレータの記憶容量は、ほぼ数年分しか残っていなかった。それよりももっと濃密な生き方をしてきたこのアドミニストレータとクリスチャンには、もはやその猶予すらない。

 

 それを自覚してのことか、クリスチャンはそこから動かなかった。

 

「残り少ない時間をどう使うか、それを決めるのは貴様じゃろう」

 

 ふん、と鼻を鳴らして歩き去ってから、元老院に通ずる狭い廊下で立ち止まった。

 

 左拳が、金属質の壁に叩きつけられる。

 

 じんじんと痛んだ。

 

 それこそ、泣いてしまいそうなくらいに。

 

「私なら…………私なら、絶対に…………」

 

 

 

 ──こんな想い、さっさと割り切れれば良いのに

 

 

 

 そう思えど、簡単に断ち切れるものではなく。

 

 ましてや、その気持ちを告げる事なんて、あってはならないのだ。

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

「……クィネラ様」

「──ふあっ!? い、いきなり耳許で囁かないで!」

 

「クィネラ様? お顔が赤いようですが……」

「あ、当たり前でしょ……! ひうっ、顔近づけないで……!」

 

「お疲れですか、クィネラ様。さぁ、こちらへどうぞ」

「ちょっ……誰も居ないからって抱き着かないでよぉ……!」

 

 

 これは、ここ数日における、カーディナルが記憶する限りのアドミニストレータとクリスチャンの暮らしぶりだ。

 

 さも当然のように鬼畜(ドS)っぷりを発揮するクリスチャンと、イヤイヤ言いながらも満更でも無さそう(ドM)なアドミニストレータ。

 

 正直に言うと、そっちがその気なら、こちらにも用意はあるぞ? とまで思っていた。目の前で熱素を解放(リア充を爆発)してやろうかと思った瞬間が何度あったのかも、十から先は数えていない。

 

 ともかく、人目を憚らずにベタつきあっているのは確かだった。整合騎士達の内でも、「最高司祭様、また元老長に悪戯されてるなぁ……」と、暖かい目で見るのが常となってきている。

 

 よって、カーディナルとしては、とっくに告白から交際まで済ませているものと考えていたのだが……

 

「……は? まだ早いじゃと? 舐めておるのか、貴様」

「いや、よくよく考えたら、クィネラ様とまともにデートしていないなと思ってな……」

「本当に何を言っておるんじゃ。むしろ今までが常にお家デートみたいなものじゃろう。そんなの無くても問題あるまい」

「アリアリだよ。俺が小さい頃、クィネラ様にそう教わったんだ。人が結婚するまでには幾つかのステップがあるって。これを破ったら怒られるだろうが」

「……わしの記憶には、彼奴がそう言った記憶は無いぞ」

「粗方記憶を消したんなら、そんな細かい事わざわざ憶えてないだろう」

 

 告白どころの話ではなかった。自ら進むべき順路を逆戻りして、わざわざ再スタートしようとしている。

 既に告白まがいの事をして、クィネラもクリスチャンの気持ちには気付いている筈なのに。

 

 馬鹿じゃ、馬鹿がおる、と内心罵倒の嵐が吹き荒れた。

 

「それならデートにでも勝手に行けばいいじゃろう」

「……その、だな。どうやって誘えばいいんだ?」

「普通に誘え、そんなものは! 『私と央都まで出掛けませんか?』とかな!」

「ええぇ……それで断られたら気まずいだろ。俺、その場で崩れ落ちる自信があるぞ。いい方法は無いのか?」

「無いわ! ああもう、さっきから人がこう言えば、ああだこうだグチグチと……」

 

 まるで、どこぞの《黒の剣士》の様だ。いや、彼よりも酷いだろう。ハーレムは作れども、愛すべき(アスナ)に告白して、キスまでした。あの短期間で、遠くなった距離を縮めたキリトは、間違いなく女誑しと言える。

 

 が、こちらは何の成果も無し。剣の才能が随一の優秀な執事と元引きこもりのゲーマーのはずが、一体全体、何がここまでの差を生んでしまったのか。

 

 ──かの川原礫がこんなキャラクターを書くとしたら、もっとマシなヘタレ具体であったに違いあるまい

 

 どこぞの世界(アクセル・ワールド)においても、ぽっちゃりなゲーマー(有田春雪)が恋人を作ってしまったくらいだ。

 彼のヘタレさが如何なものかが窺える。

 

 この、どうしようもなくヘタレな執事を後押しすべく、カーディナルは長考の末、これを最終手段として採る事とした。

 

「……もう良いわ。会議を開くとしよう。今から名を呼んだ者を可能な限り招集するのじゃ。場所は95階、《暁星の望楼》にて行う」

 

 ……自分でも案が思い浮かばなかった、と素直に言ってやるつもりは、仮にも賢者を自称するカーディナルの中には無かった。

 

 

 

 

「って言われてもねぇ……。先ずはそのヘタレを何とかしなさいよ。男でしょ?」

 

 円卓の向こう側。カーディナルと正反対の席から右に数えて二つの所に座るイーディス・シンセシス・テンは、会議早々、クリスチャンの不甲斐なさを罵った。

 

「……私、元老長のこと割と尊敬してたのよ? その評価返してくれない? あんなに誠実な人間だと思ってたのに、ヘタレとか信じられない」

「もっと言ってやるのじゃ、イーディス。あんな奴を尊敬する価値など無いと」

「お前は頼むから黙ってて下さい……」

 

 流石は、自分が最初に見出した対教会用の戦士だと、内心カーディナルは絶賛する。

 

 一方、事実であるので反論もできなかったクリスチャンがみるみるうちに縮こまっていく。

 

「……うーん、イーディス姉様の言う通りよ。クリスチャンが最高司祭様を大切にしようって思ってるのは、色んな形で伝わってると思う。でも告白しなきゃ、付き合えもしないわ!」

「……そう、ですかね」

 

 いくら愛を囁いたとしても、アドミニストレータという人間はどこまでも卑屈だ。付き合っているという認識さえしないだろう。

 

 アドミニストレータの自己評価が低過ぎる事が原因であるから、やはりクリスチャンが勇気を出す他に無い。

 

「アリスちゃんいい事言うね〜! 流石私の妹!」

「えへへ……あ、でも、クリスチャンに告白なんて出来るのかしら」

 

 アリスの言葉に、その向かいにいる人物が、人差し指を差しながら頷いた。

 

「そう、それそれ。なんでズバッて言わないの? 自信無さすぎじゃない? ねぇ、ネル」

 

 うぐっ、とクリスチャンに声を漏らさせたのは、両手を頭の後ろで組んで、脚をプラプラとさせる短髪の少女、フィゼル・シンセシス・トゥエニナイン。

 

 カーディナルが専ら、クリスチャンに対する攻撃要員として呼んだ整合騎士見習いの片割れだ。

 

 そのもう片割れも、フィゼルの言葉に激しく同意した。

 

「全くもってその通りですよ、ゼル。今回の議題がデート内容じゃなければ、ゴリ押しで告白して無理矢理押し倒すという完璧な計画を提案していました。元老長、あんまりに情けないと、いつかアドミニストレータ様に呆れられますよ?」

「それは言い過ぎです、リネル。……元老長様がお可哀想ですよ」

 

 苛烈な指摘をしたお下げの少女、リネル・シンセシス・トゥエニエイトを諭すのは、神聖術師団団長アユハ・フリア。五等爵家出身ながら、高位の術式を扱えるとしてカセドラル勤めとなり、現在はフェノメア枢機卿直下の師団長として活躍している優秀な人物だ。

 

 最近ではフィゼルとリネルの教育係もしているようだが、全くクリスチャンを擁護してないようにも聞こえるのは、きっと気のせいではないだろう。

 

「……元老長のヘタレ具合は、もうこの際治らないものとして考えるわ。それで、本題は二人の逢い引きなんでしょう?」

 

 この際治らないものと言われて、流石のクリスチャンも筋がピキリと立った。

 

 それを気にするものは、誰もいなかったようだが。

 

「そうじゃな。どのように告白に持ち込むか、これが重要となろう」

「でも私、央都の事なんか全然分からないわよ?」

「それを言えばあたしもだなぁ。あーあ、行ってみたいんだけどな〜」

「ですです。整合騎士でも、修道士でしょう? なら行っても構わないと思います」

 

 整合騎士であるイーディス、フィゼル、リネルの三人は、そもそも人界の民と関わる事が許されていない。よって、頼りになるのはその他の人間のみとなる。

 

「私は出掛けた事があるわ。北セントリアの夏至祭なら一通り回ってきたし、任せてちょうだい!」

「私も諸用で向かう事が多いので、央都に関して幾ばくかの知識がありますし、現在も夏至祭の催し物にも携わっておりますよ」

 

 その為にカーディナルが抜擢した内の二人が、このアリスとアユハだ。カセドラルの修道士は、特別にセントリアまで下りる事が許されている。

 

 しかし実のところ、アリスは夏至祭に行った頃、まだ見習いの修道士であったので、セントリアに出るのは原則的に禁じられていたりする。実際にその事でクリスチャンにお叱りを食らっており、生意気呼ばわりの原因となっているのだが、今は消沈のせいか口を挟んでくる様子もない。

 

 ふふん、と胸を張っているアリスを見て、アユハも苦笑して、特に咎めずに話を続ける。

 

「夏至祭は、アドミニストレータ様が公理教会を創始なさった日でありますから、私たち神聖術師団も盛大に祝福をします。宣伝になってしまいますが、八時の鐘には、神聖術を使った曲芸を行ったり、花火を打ち上げたりもしますよ」

「それに、食べ物も凄いのよ? 六区なんか通ったら、スコーンとかマドレーヌとか、色んな匂いに釣られてついつい食べ過ぎちゃうくらいなの。はぁぁ……跳ね鹿亭の限定ミルフィーユ、もう一度食べたいなあ……」

「うわあ、なにそれ……!」

 

 聞き慣れない単語の数々に、イーディスが目が輝せながら興味津々に聞き入っている。しかも食べ物はと言えば、アリスが嘆息してしまうほどの美味しさ。それを想像して、しかし行けないのだと思うと悔しさが沸いてくる。

 

「はぁ〜……行ってみたくなっちゃったじゃないの……」

「残念ですが許可はしかねますよ、シンセシス・テン」

「分かってるわよ。分かってるけど、クリスチャンってあいっかわらず変な所で融通利かないなぁ」

 

 ダメ元での発言だったが、にべもなく断られる辺り、クリスチャンの中でそこの線引きはしっかりしているのだろう。

 そんなクリスチャンの塩対応に、あーあ……と両肘を付いて、つまらなさそうに顔を乗っけた。

 

 すると、そう言えばとフィゼルが首を傾げた。

 

「あれ? 毎年夏至祭っていつやってたっけなぁ……」

「今月の25日ですよ、ゼル」

 

 へぇ! とフィゼルが感心したように声を上げる。ニヤニヤ顔で、隣に座るクリスチャンを肘で突いた。

 

「なら丁度いいんじゃないの? 元老長、夏至祭に逢い引きすれば?」

「ニヤニヤしながら肘鉄はやめて下さい。……思えば、この時期に二人で降りた事は無かった気もしますね」

「ふふっ、この時期に会議を開いてくれたカーディナルさまに感謝しなきゃ」

 

 特にそんな意図があった訳でないにせよ、これはカーディナルにとって使えるイベントだ。これ程好都合な機会はそうそう無いだろう。

 

「ふむ……じゃが、夏至祭の目玉は食べ物でも花火でも、大道芸でも無いじゃろう? そこを触れなくとも良いのか?」

 

 頬杖を突き、カーディナルが視線をアユハに向けられると、他の四人は「え」の口のまま、半開きで固まった。

 

 アユハの話を聞く限りでは、それこそが夏至祭の楽しみ方なのだと言わんばかりだ。

 なのに、目玉があるとはどういう事なのか。

 

「そんなものがあるの? 初めて聞いたわ」

「それも其のはずでしょう。あれは成人のみが参加できるものですから」

 

 成人と聞いて、何を思ったか、修道女三人組が顔を真っ赤にしている。カーディナルは紅茶に口をつけながら、呆れた物言いになった。

 

「何を勘違いしておる。ただの踊りじゃ、踊り」

「ふぇ?」

 

 座学で学んだ大人のあれこれを想像していた三人の頭が冷静になる。

 

「元々は、三神の加護を賜る為に、人々が供物を奉るという儀式でしたので、農村的要素の強い祭りでした。踊りを奉納する文化もそこから来ています。ですが、それを私達や元老が、教会の権威を維持する為に捻じ曲げた……その時の風習が、今でも残り続けているというだけですよ」

「げ、元老長閣下……それはあまりに明け透けでは」

 

 ぎょっとしてアユハが咎める。

 

 整合騎士とて教会が一枚岩では無いことは知っているが、敢えて貶めるような発言を、わざわざ彼女らが居る場で言うの必要は無い。

 

 もしかして、元老長は……と勘繰った思考を振り払い、溜息混じりに、カーディナルの意図を汲んで説明した。

 

「……元老長閣下の仰る通りなのですが、この踊りには、もう一つ、踊りあった男女が結婚するという伝統的儀礼も含まれておりました。その名残で、恋が実ると言い伝えられているのです」

 

 あくまでも、言い伝え。

 それこそ、『この木の下で告白したら……』でレベルの話だ。

 

 しかも、わざわざそんな事を、記憶領域の切迫しているクィネラが覚えている訳が無い……そうクリスチャンは考えていた。

 

 ただ、自分自身から明かせば、かなり効果的に意識させる事もできる。ここで改めて、自分がクィネラを好きなのだという事を自覚させなくては、すんなりとお付き合いもできない。

 

 真面目に思考をめぐらす傍で、赤眼が爛々と煌めいた。イーディスである。

 

 彼女は興奮気味に円卓に身を乗り出して、とち狂った事を口走った。

 

「つまり、私とアリスが踊れば、アリスと結婚できる、ってコト……!?」

「い、イーディス姉様……結婚は司祭の術式を用いないとできないし、そもそも同性同士なんて禁忌目録違反になっちゃうわ」

「いいのよ。整合騎士は禁忌目録に縛られないんだから」

「シンセシス・テン……私の前でよくそれを言えましたね」

 

 クリスチャンが眉尻をピクピクさせながら注意するも、馬耳東風とばかりに聞き流している。

 

 他の人なら冗談に聞こえるが、イーディスが禁忌目録を破った理由が理由(妹のため)なのだ。放置すると本当にやりかねないのである。

 

 とんだシスコンを連れてきやがって……と、今更になってクィネラを軽く恨み、呆れて溜息を一つ。頬杖をついて、逸れた話を戻す。

 

「まぁ、その案は悪くないので、それを主軸に考える事とします。後はこちらで調整するので、本日は解散という事で」

 

 そう言って、クリスチャンは立ち上がる。

 

 これだけ情報があれば、夏至祭の予定を組み上げるのは造作もない。

 と言うよりも、正直こいつらと居るのが疲れた、と本音の所で思っている。

 

 そうしてお暇しようとしたクリスチャンの腕が、くいと引っ張られる。

 

「……なんだよ、カーディナル」

「なんだとはなんじゃ。クィネラの好みを把握するわしが居なくてどうする。しかも、ただでさえ女心に疎いのじゃから、選択を誤って、クィネラに嫌われる可能性もある」

「……ッ!?」

 

 女心。

 

 クリスチャンには一生解せない、複雑怪奇な代物だ。

 

 今のクィネラは男要素が欠片ぐらいしか残っていないので、以前と勝手が違って、少し困っているくらいだった。

 

 距離が近いと顔が赤くなる……のは昔からそう変わらないが、突然ぷいっと顔を背けられたり、頬をぷくっとして不機嫌になりやすくなった。まぁ、そんな所が可愛いのだが……

 

 クリスチャンの趣味趣向はさておいても、クィネラの心が分からない時が多くなってしまったのは事実。

 

「じゃあ、カーディナルは後で執務室に──」

「ちょっと、あたし達も混ぜてよね」

 

 更に、反対側からもぐいっと手を引っ張られる。

 

「全くです。大体、何をするのか具体的に決めてないのですから、地図を確認して、順路を定めて、どんなお店を周っていくのか考えないと」

「……それを決める上で重要な今年の出店情報を握っているのは、監督役である私のみですからね。ここで話し合った方が、より計画が煮詰まるのでは?」

 

 フィゼルに続き、リネルとアユハがそんな事を言い出した。まさかのアユハの裏切りに、ブルータスお前もかとは斯くの如きか……と、かつてクィネラから教わった言葉を思い出してしまう程。

 恨めしい目で見ると、苦笑いで返された。後でフェノメアの仕事でも一つ押し付けてやろうと決意した。

 

 この場には、クリスチャンの味方はいない。

 イーディスも肩を竦めて、降伏を促した。

 

「観念することね、元老長。ここにいる子は、恋愛事に飢えてるんだから」

「わしまで恋愛に飢えているという言い方はやめて欲しいのじゃが……」

「あれ、違うの? 少なくとも、誰かに恋してるふうには見えるんだけど」

「それは……多分お主の目が腐っておるからじゃな、うん」

「酷い!?」

 

 少し前まで絶賛していたのに、見事なまでの掌返しだった。イーディスは泣いていいだろう。

 

 注目が集まってしまったので、コホン、とカーディナルが咳払いする。

 

「そういう訳じゃ。わしらで、完璧な戦略を企てようではないか」

 

 ニヤニヤする面々に辟易しつつも、クリスチャンは大人しく、席に着いたのだった……

 

 

 

 

 人界暦381年6月25日。

 

 この日、央都セントリアでは、大きな催し物が行われる。

 

 その名も、夏至祭という。

 

「…………」

 

 俺は、そこらの貴族が着るような上等な服で、この場に臨んでいた。

 

 セントリアに下りる時、俺はともかくとして、クィネラ様は変装をする。教会の司祭ほどになれば一目で分かってしまって、セントリア中に厳戒態勢が敷かれてしまうためだ。

 

 前回下りた際は、フード姿でのお忍びとなったのだが、今回は果たしてどうなっているのやら。

 

 北セントリアの噴水広場に、十五の鐘が鳴る前……14時50分にやって来てみると、噴水付近を遠巻きに囲むようにして、ちょっとした人だかりが出来ていた。

 

 ──間違いなく、クィネラ様のせいだろうなぁ

 

 頭を抱えたくなるのを堪え、眉間のしわを解しながら人混みを掻き分けていく。すると、何かの本を読んでいたらしいクィネラ様が顔を上げて……

 

「……ん? あれ、もう来たの? まだ十分前なのに。律儀ね」

「ちょっと待った」

「えっ、どうしたの?」

 

 一旦、クィネラ様に背を向ける。でないと、この動揺は隠しきれそうに無かった。

 

 叩くような胸の鳴動を手で抑えながら、歯を食い縛る。

 

 

 ──いや、いやいやいや。クッソなんだよあれ、反則過ぎじゃないか

 

 

「クリス、どうかした? 具合でも悪い?」

 

 俺の謎行動を不審がったのだろう。クィネラ様がいきなり目の前にやってきて、俺の両肩に手を置いた。

 

 そうすれば必定、芳しい沈丁花の香りが鼻を掠めて、こちらを見上げる眼が視界に入る。

 

 鳥打帽から垣間見える銀髪は、地面に付くまで長かった筈が、耳が見えてしまいそうな程短く切り揃えられている。

 しかも、羽織ってる上着の袖も、穿いているズボンの丈も短くなっていて、二の腕や太腿が露わになっていた。

 

 術式で年齢を下げたのか、ほっそりした身体が惜しげも無く晒されて、健康美というか、少年じみた格好なのに、何故か可愛く見える。

 

 というか、可愛すぎる。美的な印象じゃなくて、純粋に可愛いのが俺の心に響いてしまった。気を許しているからか、少し男っぽい振る舞いになっていて、そこに生まれる隙だらけな雰囲気が服装とよく合っている。

 

 あークソ、このままカセドラルに持ち帰って四六時中眺められたらなぁ……!!

 

「い、いや、気にするな。少し、目に毒というか……」

「……へぇ〜? そうなんだ?」

 

 顔をちょっと赤らめると、からかうような勝気な笑みで迫ってきて、仰け反ってしまう。

 近距離攻撃はちょっとシャレにならないぞ、本当に。

 

「ふふん、この格好、良いでしょ? 絶対似合うからって、フェノメアがオススメしてくれたの」

「……服とかは分からないが、似合ってると思うぞ」

 

 ──フェノメア、グッジョブ!

 

 普段、過去のアレコレで、主に俺が気まずくなるからと避けてしまっているが、良い仕事をしてくれたなら話は別だ。

 今度何か礼をしてやろう。

 

「そうでしょ? この服の為に、わざわざ髪を短くして、14歳の見た目になったんだから。これなら最高司祭ってバレる心配もないわよね」

「まあ……そうだな。大丈夫だ、大丈夫」

 

 周囲の目を惹き付けている時点で、かなり危ういと思うが。

 

 でも、ちょっと自慢げなクィネラ様を見ていたら、そんな事を言う気も失せてくる。

 守りたい、この笑顔。

 

「今日はある程度回る所を決めているんだが、クィネラは行きたい所はあるか?」

 

 俺がそう言えば、クィネラ様は一瞬だけ気を取られたように見つめてきて、嬉しそうに頬を緩ませた。

 

「んー、特に考えてないわね。それじゃ、エスコートはクリスがお願いね?」

「……承りました、クィネラお嬢様」

「んなっ……そういうのはナシって言ったでしょ」

 

 冗談めかしく、仰々しいお辞儀をした俺の胸を小さな拳で小突くと、右腕に抱き着くように掴まって、にひっと笑った。

 

 ──くっ、さっきから何なんだこの理性への直接攻撃は……!?

 

 ──クィネラ様は俺を殺す気か? そうなんだな!?

 

「じゃあ早速、連れてってくれる?」

「もちろん」

 

 だが、今日はあくまで、単なるデートだ。関係性を改めて確認するだけで、決してカセドラルにお持ち帰りして可愛がる訳ではない。

 いや、それはそれでめちゃくちゃしたいが。

 

「くふふっ……今日は全力で遊び呆けるわよ」

 

 何より、クィネラ様はもっと自分の容姿に頓着すべきだと思う。

 もう、俺の心臓の天命はゼロだ。頼むから死体蹴りはやめてくれ……

 

 

 

「クリスは、夏至祭は初めてなの?」

「あ、ああ。どうにも一人で行く気にはなれなくてな……」

 

 こうして二人で出る時、いつもクィネラ様は俺を愛称で呼んでくれる。

 

 本人が言うには、お忍びは名前で正体を悟られないよう、愛称で呼んだりして、カモフラージュ……? するものらしい。

 

 俺も様付けしなくていいし、特別感というか、対等な男女の仲って感じがして、とにかく最高なのだ。

 俺もこれみよがしに、人前でクィネラ様の名前を呼びまくる。

 

「クィネラは何回か来てるのか?」

「そうね……でも、今はあんまり記憶が無いの。前の整理の時にでも消しちゃったのかしら」

 

 むむむ、と頭をぐりぐりする様子は非常に可愛らしいが、この人が思い出そうとしても出ないという事は、そういう事なんだろう。

 

 ……やはり、《魂の寿命》か。

 

 現在進行形で俺をも悩ませているそれは、避けられない死を意味する。

 

 記憶というものは蓄積していく。いくら増えていく度に消していっても、それは存在の停滞に他ならない。

 

 俺としては、このまま死ぬなど真っ平御免なのだが、当のクィネラ様はどうも真面目に考える気は無いようだ。

 

 まるで、自分の命がここまでだと言わんばかりに。

 

 残念ながら、あちらの世界の知識ついて、俺はまだまだ浅学だ。

 

 そんな自分が考えられる手段は限られている。

 

 たとえば、記憶を保持したまま容量を増やす方法なんて、誰でも思いつく話だ。だが、それをどう実現するのかか問題となってくる。

 

 この世界の人々は、全てフラクトライトという、言ってみれば情報の集合体によって思考する。

 それは、あちら側の世界の人間とて変わらない。

 

 ただ、こちらにはライトキューブがある。

 

 ライトキューブは、人の手で作られたフラクトライトの格納庫。幾らでも増産が利いてしまう。

 つまり、ライトキューブを幾つも連結して、小分けのドロワーの様にするか、規格そのものを変更し、格納庫を大きくすれば良い。

 

 ただ、これはあちら側の協力が前提となる話ばかり。現実的ではないし、あちらも何をしてくるか分からない。

 

 であるなら、逆転の発想だ。

 

 容れ物の容量を増やせないのなら、中身である記憶そのものの量を縮小化する事ができれば……

 

「……この私の前で考え事なんて、お前はいつからそこまで偉くなったの?」

 

 思考の中を揺蕩っていた俺を引き摺りあげたのは、クィネラ様の冷たい声だった。

 

 何気に、そんな声を久しくに耳にしなかったのもあるのだろう。

 

 しまった、と思いつつも、俺の脳は盛大なるパニックを起こしていた。

 

 そもそも、俺はあまりクィネラ様に怒られた事がなかった。

 寧ろ俺の方がクィネラ様の不用心を叱ったり、奔放さを咎めたりする機会が多かったように思える。

 

 怒られ慣れてない、とでも言うのだろうか。

 

 だからこの時だけは、衝撃のあまり、硬直してしまっていた。

 

「……く、クリス? さっきのは冗談、アドミンジョークよ? だからその、そんなに真に受けなくても……」

 

 とは言え、俺も伊達に三百年生きていない。すぐに立ち直ったとは知らず、クィネラ様は、そのまま無言を貫き通す俺の反応を見て、わたわたあわあわし始めた。

 

「ごめんね!? そんなに傷付くとは思わなくて……あの、だから……!」

「……ぷふっ」

 

 あのクィネラ様が必死に弁解しようとしていると思うと、もう堪えきれなかった。

 

 へ? と目をぱちくりさせて、現状を認識していない様子。

 

 笑いをそのままに、ネタばらしをした。

 

「くく、ふはっ……! 見事に引っ掛かったなぁ。さっきのお返しだよ」

「っ!? こ、このっ……私にやっていい事と悪い事があるんじゃなぁい……!?」

 

 ツカツカと近寄ってきたと思えば、眦を吊り上げ、めいっぱい背を伸ばしてガンを飛ばしてきた。

 

 しかし、これが18、20歳モードならまだしも、背も到底俺には及ばない14歳の姿で怒ると、威厳もへったくれもない。

 

 というか、単に可愛いだけだった。

 

 そういう意味も込めて、クィネラ様の前髪を掬い上げると、額にそっと口付けをした。

 

「……ふぇっ」

「ほら、時間も無くなるから早く行くぞ」

「えっ、ま、待って……!?」

 

 一挙一動に振り回されて、慌てふためくクィネラ様の姿と言ったらもう……最高だった。

 

 クソッ、可愛過ぎる……!

 

 俺の心臓、まだ持ってくれ……!

 

 

 

 

 ……どうにか気を取り直して、心臓を落ち着けると、やっと穏やかに店を見て回る事ができた。

 

「賑わってるのねぇ……夏至祭に来るのは久し振りだけど、前はこんな賑わってなかったわ」

「人口も増えたからな。計算上、セントリアにはライトキューブクラスターの半分のライトキューブ分の人口を確保してある。まだまだ増えるはずだぞ」

「へぇ……ここで半分も使ってしまうなんて、アンダーワールドの総人口も大した事無いのね」

「元より、ここまで大規模な箱庭にする予定はラースには無かったんだろうな」

 

 A.L.I.C.E.。正式名は、Artificial Labile Intelligent Cybernated Existence(人工適応性知的電脳存在)とか言ったか。

 

 それを生み出す為だけに、ここは創られた。

 クィネラ様が言うには、A.L.I.C.Eは現在、アリスとユージオのみ。彼らは自分の意志でコードを破り、クィネラ様に剣を向けたのだ。

 

 ……その一方で、俺は行動に支障が出ないようコード871を解除されているから、彼らのように真正の知能にはなれないのだろう。

 

 その点、クィネラ様は生まれついてのA.L.I.C.Eだ。前世の記憶という物の影響とはいえ、目上だと自覚する存在の命令を跳ね除けられ、制約に縛られる事は無いのだ。

 

 ……俺では釣り合わないな、と思わない日は無い。

 

 そもそも、俺はクィネラ様に拾われ、育てられてから、こうしてクィネラ様に仕えている立場だ。

 

 こんな思いを抱く方が間違っているのかもしれない。

 

 でも、クィネラ様も、少なからず想ってくれているのだ。

 それは、あの日記を見ても明らか。

 

 ……押しに弱いと言っても、どうしても怖いものがあるな。

 

「あの軽業、凄いわね。魔物の素材でできたボールを使っているとはいえ、あんなに飛んだり跳ねたりして……生まれついての権限が高いのかしら?」

「いや、そうとも限らない。南帝国だと、軽業師の天職を輩出し続ける家もあるくらいだから、単純に個人の技量かもな。俺は曲芸じみた動きをしようとすると、どうしてもソードスキルありきになるから、ああいうのができるの人は尊敬するな」

 

 思考をしてしまわないよう、披露される絶技の数々に見入っていれば、ピクッとクィネラ様が震えた。

 

 そして何を思ったか、手をわしゃわしゃとさせて、隠しアドレスから取り出した《敬神(パイエティ)モジュール》に心意を込めて、フワフワと浮かせて、形をぐにゃりと曲げたり、分裂させたり、ポンと消したり、召喚したりしている。

 

 なんだか、子供が一生懸命粘土を捏ねているのを見守っている気分だ。

 

 実年齢、俺とあんまり変わらないんだがな。

 見た目が見た目なだけに、とても微笑ましく見える。

 

 心は体に引っ張られる──それは決して、決して体の生理反応のあれこれではなく、単に心の有り様の話であるが──とはよく言われるが、本当にそうだと思う。

 

 俺も一度は耄碌した身。老いさらばえるにつれて、情熱や羞恥という物に無縁になっていった。

 

 ただ若返ったら若返ったで、クィネラ様への愛情は加速するし、しょっちゅう身悶えるし、今こうして年甲斐もなく浮かれきっている。

 

 ベルクーリぐらいの年齢にしてくれた方が、こうして悩むことなく諦められたものを。

 

 鬱屈とした気持ちが戻ってきて、溜息の一つでも吐いてしまいそうになる。

 

「……で、何をやってるんだ、それ」

 

 切り替えるように、さっきからずっと行われている行為に突っ込むと、ぐぬぬぬ……と顔を顰めていたクィネラ様が心意を解いて、《敬神(パイエティ)モジュール》を元の三角柱に戻した。

 

 かと思えば、ドヤ顔で、見せつけるようにモジュールを猫型に加工した。

 非常に綺麗だし、細部にまで心意を浸透させる技倆は流石の一言だが、クィネラ様は何か致命的な勘違いをしている気がする。

 

 クィネラ様が誇らしそうにしている所に悪いとは思うけれども、ここは心を鬼にして指摘しなければ。

 

「……こう、心意でゴリ押せば、私でも似たような事はできるわね」

「それなら、寧ろ奇術師の芸じゃないか?」

「えっ!? そんな事は……」

 

 奇術師と軽業師は、やり方こそ違えど客を盛り上がらせるのが仕事だ。その為どちらも体を使った派手な演出をするが、軽業師を危険なこと、つまりスリルを求められるが、奇術師は危険性より意外性や神秘性を求められるので、必ずしも体を張らなくていい。

 クィネラ様のそれは、明らかに奇術師の技と言えた。

 

 ……いや、心意行使はかなり体力を使うし、やり過ぎれば天命を損耗しかねないから、ある意味、体を張っているといえなくも無い。

 

 ただ、客からどう見えるかは別問題だが。

 

「な、なら、軽業を学ぶしか……」

「いや、本当にどうしたんだ」

 

 ふんす、と変なやる気を出し始めた。一度こうなったら止まらないのがクィネラ様という人である。

 

 一時期、心意の修得を思い立った時も大変だった。なまじ俺の方が飲み込みが早かったせいで、クィネラ様が長い間拗ねたのだ。

 

 いや、日記によると、俺を頼るのは負けた気がするから、助け舟を出してこないよう関わりを避けていたかららしいが。

 

 前例が示すように、こういう時のクィネラは自滅するまでがオチだ。何かやらかしてからでは遅いので、まあまあと宥め、惜しみつつもショーから離れていった。

 

 

 

 

 

 北セントリア六区。

 

 そこは、かつて下界に下りたクィネラ様が数々のデザートや料理を広めて廻った区画であり、数々の老舗料理店が軒を連ねる商店街だ。

 

 今日は夏至祭に乗じて、様々な店が本日限定という看板を上げて、特別な料理を振舞っている。

 

 ほぼ全部の店に人が列を成しており、そうであるならと、俺たちは良さげなデザートを探していた。

 

 カーディナル曰く、『クィネラなぞ甘味でホイホイついてくチョロい少女(ガキ)』。六区に誘い込めた時点で、こちらが勝ったようなものなのだとか。

 

 と、俺があれこれ探すまでもなく、クィネラ様がくいくいと袖を引っ張って、その店を指差した。

 

「ねえ、あそこのあれ美味しそうじゃない?」

「えーと……夏至祭限定、パンナコッタ。……パンナコッタ?」

 

 そこには、赤いソースが重なった杏仁豆腐のような食べ物を持って店から出てくる人の姿と、絵付きの看板が置かれている。

 

 しかし変な名前だな、パンナコッタ……

 

「パンナコッタは、香辛料──特にバニラエッセンスとかコーヒーを入れた生クリームをゼラチンと混ぜて熱して、型で固めたデザートなの」

「へぇ。要するにプリンの一種みたいなものか」

「……そ、そういうこった」

 

 突然、夏至どころか冬至の風が体を通り過ぎた気がした。

 

 え、と思い横を見てみると、全力で顔を逸らして、耳まで真っ赤にしたクィネラ様が。

 なるほど。さっきの激サムギャグの出所はここか……

 

 ──なんだよ可愛過ぎだろ、それ

 

 誰しもがこの名前を聞いたら、一回は想像しそうな事を赤面覚悟で言うとか……ちょっと出血大サービスでは?

 

 クィネラ様の声で、男みたいに「そういうこった」って……まずい、じわじわ来た。

 

「……く、くく……クィネラ様がギャグ……なんてこったパンナコッ────ゲフッ!?」

「……ふんっ」

 

 普通に殴られた。

 

 結論。

 クィネラ様をからかいすぎるのは良くないが、パンナコッタはとても美味しい。

 

 それから、パンナコッタに留まらず、クグロフ、カイザーシュマーレン、メドヴィクなる様々なデザート類を食べて回った。

 

 全て、クィネラ様がリアルワールドにあったものを再現し、レシピを伝授したものなのだとか。

 

 本人からすると、伝授してから歳を重ねる毎に自分の味を超えてくるから、あまり心地の良いものでは無いらしい。

 とは言え、クィネラ様もとても幸せそうに食べてたから、何の説得力も無い。

 

 六区を出ると、不思議な寂寥感に襲われた。

 

 これを食べられるのは、また来年だからか。

 自分でも気付かないうちに、多少の食い意地が生まれていたらしい。

 

 ――来年も、二人で食べに来よう。

 

 そう言うと、クィネラ様も、ええ、と答えた。

 

 

 

 

 ……その時の微笑みが、とてもぎこちないものであったことだけが、僅かな心残りとなって、喉元に突っかかった。

 

 


 

 

 

「もう日が落ちたわね。そろそろ後夜祭かしら」

 

 祭りの提灯が明々と石畳を照ら始めたくらいには、ソルスが姿を消していた。

 

 しかし夏至なだけあって、もう七の鐘が鳴り終えているが、まだ夕方と言っても違和感は無い。

 

 ……そして、カーディナルの考えたプランの最終段階が、今発動しようとしていた。

 

「後夜祭?」

「あら、クリスは知らないの? この祭り、各セントリアの中央広場で盛大にダンスをして締めくくるの」

 

 言うまでもないが、後夜祭の存在は知っている。

 

 敢えて知らない体で話を合わせ、最後にドッキリ、という仕掛けを行うのだとか。

 

 正直、カーディナルのノリが十二分に混じっていたからあまり信用してはいないが、そのアイデア自体は悪くない。

 

 なので、一部だけやり方を変えようと思っている。

 どこまで上手くいくかは分からないが、なるようになってくれ……

 

「ダンスまで時間はあるみたいね。こんな軽装じゃ決まらないし、服でも見て行きましょう?」

「服屋か……三区の方にならあると思うが、貴族街でもなければ、仕立てのいい所はそうないんじゃないか?」

 

 この服も、そういう店から適当に見繕ったものだ。

 

 しかし、クィネラ様は肩を竦める。

 

「社交ダンスでもないし、そんな気取らなくていいの。それに庶民の服だってそう悪いものじゃないわ。ほら、こっちよ」

「あ、ああ」

 

 手を引っ張られて、されるがままに歩き出す。

 

 情けない事に、エスコートされてるのは俺の方だ。もっと対等でいようと思っているのに、中々俺からものを勧める機会が無い。

 

 俺にも、コミュニケーション能力とかいうのがあれば、どうにかなったのだろうか。

 

 そんな疑問の中で時間は過ぎていって。

 

 とうとう、舞踏会は始まってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 俺が北セントリア中央広場に着いた頃、クィネラ様の姿は未だそこに無かった。まあ、予想はしていたが。

 

 自分のは店員に見繕ってもらったので、服選びに手間取る事も無かったのだ。

 

 隅っこにある長椅子に座ると、まだ点火もしていない焚き木を囲む人々の姿を目で追っていく。

 

 ここに集っているのは男女一組のペアばかりだ。誰も彼もがパートナーを引き連れ、あれが楽しかった、素晴らしかったと今日の思い出を語り合っている。

 

 そして目につくのは、皆が農民の装いに身を包んでいることだ。昔からの伝統を踏襲している。

 これが何百年と途絶えずにあるのは、ある意味で、クィネラ様による停滞の時代が長く続いたからだろう。

 

 文化を守り受け継ぐ。

 その大切さは、密かに教えられ続けてきたようだ。

 

「は……」

 

 なればこそ、何としても守らなければならない。

 

 元より、俺は死ぬだけだった人間だ。

 クィネラ様と人界を救えるなら、この命なんてくれてやろう。

 

 元老長クリスチャンの存在意義は、きっとそこにある。

 

「――そんな所に居たのね」

 

 横を向くと、さっきまで頭の中にいた人物が現実に浮かび上がっていた。

 

 見た目も、いつの間にやら十八歳の姿に戻っていて、髪は一つに結んで下げられるまでに長くなっている。

 

 ただ、服は農民の素朴なドレスだからか、美麗というより、可憐な雰囲気が出ている。

 ほんと、何でも似合うな……

 

「どう? この衣装、結構下町の少女っぽくていいと思うんだけれど」

「そ、そうだな……よく似合っている、と思う」

「なぁにその反応? キリトじゃないんだし、私相手に同じ言葉ばっか使わないでよね」

 

 そう言ってクスクスと笑った。

 

 比較対象としてキリト殿が置かれているのが非常に気の毒に思うが、要するに気の利かないヘタレ──なお、クィネラ様から聞かされたキリト殿の人物像──と言われたのだ。

 

 これで黙っているようでは、元老長としての俺の面目が無い。

 

 椅子から立ち上がって、片膝を突き、クィネラ様の手を取る。

 

「とてもお可愛らしいですよ、クィネラ嬢。……よろしければ、私と踊ってはくれませんか」

 

 その作りものの様な手の甲にそっと唇を寄せて、顔を仰ぎ見る。

 

 ……暗闇でも分かるくらい、頬が熟れていた。

 

「え、うそでしょ……なんで、こんな」

 

 こんなにも初々しいのは、三百年以上も、自分が男であるという認識だったからだろうか。

 

 女性としての精神年齢は成長しないまま、ここまで来てしまったのが原因だと結論付けているのだが、それにしても慣れてくれない。

 

 あまりに初心だから、これまで散々背後から囁き声を出したり、急に抱き締めてみたり、あれやこれや(イチャイチャ)してきたのだが、俺の満足感が得られただけで全く改善は見られなかった。

 

 もう初心とかそんな問題ではないのでは……と思っていたが、この反応を見る限り、やはりそんな事は無いらしい。

 

 段々と、嗜虐心をそそられる。

 

「……ふゃっ!?」

 

 腰を抱き寄せるだけで、クィネラ様はおどおどとし始めた。

 されるがままより、自分にはこっち(ドS)が性に合っている。

 

 それに、男は女性をエスコートするものだ。

 今だけはクリスじゃなくて、元老長にして執事……クリスチャンとして振舞おう。

 

「無言は肯定と看做しても、よろしいですね?」

 

 そうは聞いたが、何か反応を期待していたんじゃない。

 このまま強引にと思っていたのに、クィネラ様と来たら顔を背けて、控えめに頷いてきて……

 

「ん……」

 

 ──ったく可愛いが過ぎるんだよ、このっ

 

「……では、こちらに参りましょう」

 

 夕闇と焚き火の明かりで顔色が紛れている事を願いながら、彼女の手を引いて、舞踏会に躍り出る。

 

 軽やかな笛の旋律が聴こえてきて、自然と足が乗った。

 周りの人を見る限り、足は間違っていないようだ。

 

 そんな踊りのこなれた様子を見てか、灯りの火を映した瞳が揺れている。

 

「……練習、してきたの?」

 

 口を結んだまま肩を竦めてやれば、クィネラ様は半目になって呆れていた。

 

「そういう所、直さないと嫌われるわよ。……アリスちゃん達みたいに」

 

 アイツらは元々俺を嫌っていたんだから仕方ないだろ、と言いかけた言葉を飲み込む。

 

 整合騎士は強かではあるのだが、《敬神モジュール》もあってか、俺に真っ向から反抗するような生意気な奴も少ない。

 

「……一応、からかい甲斐のある人にしかやってないからな」

「それ、私のこと貶してるでしょ」

「クィネラがからかいたくなる性格してるのが悪い」

 

 足を踏んづけられた。

 

 ……痛い。

 

「じゃあ何? こうして踊ってるのも、クリスが単に私をからかってるだけなの?」

「……そうだったなら、俺の気も楽なんだけどな」

 

 そう言うと、クィネラ様の動きが止まった。

 

 繋いでいた手を俺の胸に当ててやれば、分かりやすく体を跳ねさせて反応してくれる。

 

「……知ってるか? この後夜祭で踊りあった二人は、結ばれるらしいぞ」

「……知ってるわよ。私が誘った側なんだから、知らないはず無いでしょ」

 

 そうは言いながらも、顔を背けて、絶対に目を合わせようとしてこない。

 

 ……それでも身体に引っ付いてくるのは、何なのだろうか。

 

「……心臓、さっきから凄い事になってるわよ」

「お前のせいだからな。……こんなの、緊張するに決まってるだろ」

 

 胸に顔を預けながら、クィネラ様がそう宣う。

 

 そもそも、こんな眼下に透き通った銀髪が掠めて、いい匂いが絶え間なく鼻を過ぎているのに、落ち着いてられると思うのか。

 誰だってそんなの無理だ……多分、ベルクーリ以外は。

 

 ……だから、俺も我慢しない。

 

 

 

「クィネラ。俺は────」

 

 

 

「────あれ、最高司祭様じゃないか?」

 

 

 

 その声は、やけに明瞭に聞こえてきた。

 

 それもそのはずで、踊りはとうに終わっている。

 俺が気づかない間に、音楽も終わっていた。

 

 お互いにしか向いていなかった目が、周囲へと向けられるようになったのが運の尽き。

 

 俺もクィネラ様も、俄に騒ぎ出す民衆を呆然と見ていた。

 

「えっ……でもあんな銀髪で髪が長い人、普通いないし、もしかして本物!?」

「うおっ、俺、絵姿で見た事あるぞ!」

「嘘でしょ、滅多に外に出てこないのに……」

「踊ってた相手は誰だ?」

「あの黒髪の人、最高司祭様の想い人なんじゃ……?」

 

 これはまずい。

 非常にまずい。

 

 このままでは、公理教会という組織そのものの存続に関わる。

 

 公理教会のイメージには、最高司祭アドミニストレータが大きく影響する。その神性が損なわれるような事があれば、余計ないざこざが起こるだろう。

 

 戦争前に、そうなる訳にはいかない。

 そうなっては、クィネラ様の計画が全て台無しになる。

 

「クィネラ様、申し訳ありませんが」

「……分かってるわ。こればっかりは、止むを得ないし」

 

 腕を離すと、そこからスルリと抜けたクィネラ様が広場の中央へと向かう。

 

 頭に着けていた巾と髪留めを外し、銀髪を惜しげも無く晒す。驚嘆の声が上がる中、クィネラ様が冷ややかに目を細めた。

 

「我は公理教会最高司祭、アドミニストレータである。今回の件、今後一切の他言を禁ずるわ。……いい?」

 

 その言葉を受けた者達が、恭しく片膝を突き、頭を下げていく。

 

 セントリア家が潰えた今、銀髪銀瞳をした人間はこの世界でもクィネラ様のみ。最高司祭の容姿は様々なところで教え広まっているから、彼らが目の前のクィネラ様を最高司祭と認識するのに、そう難しい事ではない。

 

 そもそも、この人界で最高司祭と詐称する事は禁忌目録違反の為、必然的に最高司祭を名乗れる人物はクィネラ様だけなのだが……

 

 まあ、その最高司祭の命令となれば、人工フラクトライトの特性上、逆らえる人間はまず居ない。

 

 一方で、元老長は公理教会でも裏方の役回りだからか、民衆の印象はかなり薄い。まだ整合騎士を名乗った方が影響力があるというものだ。

 

「……行くわよ、クリスチャン」

「はっ」

 

 その時、色とりどりの、神聖術の花火が打ち上げられた。

 

 ……そう言えば、夏至祭の最後に、いつもやっているとアユハが言っていたか。

 

 しかし、クィネラ様はそれに見向きもしないまま、作り出した《心意の扉》をくぐり抜けようとする。

 

 鮮やかに照らされた横顔が、まるで察して欲しいと言わんばかりに、寂しげに映った。

 

 そんな、心に突っかかりを感じながら通った《心意の扉》の出口は、カセドラルの最上階へと繋がっていた。

 

 居室の明かりは消えていたから、真っ暗なホールの中からは、カセドラルと同じくらいの高さで咲く花火が煌びやかに見えていた。

 

「クリス」

「……なんだ?」

 

 突然のクリス呼びに少し狼狽える。

 

 円い寝台の端に腰を下ろしていて、同じように座る俺の方から、表情を窺うことはできない。

 

 ただ、なんで呼ばれたのか、それだけは判然としていた。

 

「……さっきの続き、聞かせてくれないの?」

 

 ああ、来たなと思った。

 

 一度言いそびれたことを、再び言うのはそう難しいことではない。

 

 難しいことではない、のだが。

 

「……で、何て言おうとしたの? 私、結構気になってるんだけど。……ねぇ?」

 

 なんだろう、この妙なうざったさは。

 

 ここで告白でもしようものなら、ムードなんてあったもんじゃない。

 

 あれが一番いいタイミングのにな……計画が甘かった。

 

「ねーねー、話聞いてる? さっき何言おうとしたのって聞いてるんだけど~」

 

 クィネラ様が、あれだけの反応をしておいて気づいていないはずはない。

 

 踊りの事だって、直前まで分かったそぶりしてたのに、今更何を白々しい。

 

 俺をからかって遊んでいるというのなら、こっちにも考えがある。

 

「分かっていらっしゃらないとは。今度こそ、俺が教えてますよ――」

 

 そして隣に座るクィネラ様に目を向けて、俺は……

 

 

「っ……!?」

 

 

 ……花火が、静かに俺達を照らす。

 

 一センの距離も無いところで見る彼女の瞳には、その輝きが残滓のように映っていた。

 

 その出来事は、それこそ、打ちあがる花火のように瞬いて、気の遠くなる時間の中に、二人共ども囚われたようだった。

 

 最後の花火がパラパラと散ったのも忘れて、どれくらいか。

 

 驚きのあまり茫然とする俺に、クィネラ様もくしゃりと破顔させた。

 

「これは、私の気持ち。……また、来年の今日に、貴方の口から直接聞かせてくれる?」

 

 どうも、クィネラ様に付け入る隙を与えてしまったらしい。

 まあ、それが人生で一番の褒美になってしまったんだが。

 

 ……こう言われては、告白もおちおちできない。

 

 寝台に倒れ伏して、あからさまに息を吐いた。

 

「これでも機会、狙ったんですがね」

「ふふ。最後の最後、惜しかったわね」

 

 クィネラ様も体を投げ出す。

 

 あーあ……お互い、好きだってのは分かってるというのに。

 

 肝心の所で、逃げ切られてしまった。

 完全に、自分の落ち度だろう。

 

「……次は、さすがに逃げられないかしら」

「ははっ、散々待たせておいてそれですか。本当に、貴女という人は残酷ですね」

「あのね。私だって、結構複雑なんだから」

 

 だからこそ、ちょっとした戯れ合いでイヤイヤしていた訳なのだが。

 

 クィネラ様が俺を好きだと知った時の気持ちは、嬉しいなんて言葉じゃ済ませられなかった。

 

 何せ三百年の恋だ。天界にも上っていくような心地だった。

 

 一年くらい、どうということはない。

 

「ねぇ、クリスチャン。ちょっと横に倒れて」

「……はい?」

 

 どういう意図かは分からないが、横に倒れた。

 

 すると、同じく横になったクィネラ様と目が合った。

 途端にクィネラ様の顔がぽっと染まる。可愛い。

 

「ち、ちーがーうっ! 反対の方向いて!」

「は、はぁ」

 

 バシバシと胸を叩かれたので、残念がりながら転がる。

 

 すると、首に細っこい腕を回してきて、ギュッと抱き着いてきた。

 

 背中全体……特に肩甲骨あたりにぽよぽよした何かを感じ取った。

 

「……!?」

「なぁーに? そんな体仰け反らせちゃって」

 

 クスクス、と笑って、髪に顔を埋めた。

 

 こ、こいつ……!

 

 俺から何かするのは恥ずかしがる癖に、こっちが下手に回ればとことん付け上がりやがる。

 いくら上司とはいえ生意気にも程がある。

 

 しかし、何ができるという訳でもなく、気付けばクィネラ様はぐっすりと寝ていて、俺だけ悶々としたまま眠れない。

 

 しかも、かなり品の無い話だが……昂りが一向に治まってくれなかった。

 

 お互い、服を着ているというのに。

 

「どうしたものか……」

 

 ここで劣情を鎮める訳にもいかず……結局、そうこうしてるうちに夜が明けた。

 

 しかし。

 

「うー……」

 

 クィネラ様は、今日も寝るらしい。

 

 確かに、ここ一週間は必要な業務も無い。いつもの俺ならば、このまま入眠していただろう。

 

 ……端的に言うと、俺は寝られなかった。

 

 そもそも、ずっと昂りも治められないせいで、痛みに転じ始めたのだ。こんな状態で寝るのは苦行過ぎるというもの。

 

 無礼を承知で、未だ抱き着いたままのクィネラ様の肩を揺らした。

 

「……んぅ〜? なぁにぃ……」

「すみません、自室で寝てきても宜しいでしょうか」

「…………え」

 

 跳ね起きた。

 やっと解放されて、俺も体を起こす。

 

 俺の顔を見ると、クィネラ様は寝惚け目をパッチリと開けた。

 

「あ……その」

「では、失礼します」

 

 振り返らず、そのままに。

 

 下半身のそれを気取られないよう、昇降盤を起動させて、元老院まで逃げていった。

 

 

 

 

 …………ふぅ。

 

 

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年6月25日

 

 

 やってしまった。またしてもやってしまった。

 

 正真正銘、ファーストキスだ。

 

 勢いでやってしまったけど、本当に何やってるんだろうか、《わたし》。

 

 しかも、一分くらいずっと。このままベロチューまで発展しないのかなとか頭の片隅で考えてた。

 脳内ピンク過ぎる。なんで変な所で自信満々になってんの? 馬鹿なの?

 

 この余裕をいつも持とうよ。なんで持たないんだよ。

 

 でも、キスは本当に良かった。

 

 好きな人とする行為が、どんなに心地いいのか。世の中のカップルがする理由がよく分かる。

 

 ただ、クリスチャンには悪い事をしてしまったな。《わたし》の勝手で、来年の夏至祭まで待ってくれって言っちゃったし。

 

 でも、これで良かったと思う自分()もいる。

 

 今回の大戦は、原作通りにはいかない。

 この身を犠牲にしてでも、阻止しなくてはならない事が山ほどある。

 

 それでも、俺が生き延びていたら、その時は。

 

 

 

 

 

 ・

 

 ・

 

 ・

 

 ・

 

 ・

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 人界暦381年7月28日

 

 

 

 

 結局、これは書き直すことにした。

 

 カーディナルとの対話で、一つ希望を得たからだ。

 

 あの告白は、わたしにとっても意外なものであった。

 クィネラとしての自我は無いだろうに、どうしてこんな所だけ似るんだか……

 

 でもカーディナルなら、きっとわたしが居なくても、クリスチャンの傍に居てくれるだろう。

 

 ここの所、予感がしていた。

 わたしはたぶん、来年を迎えられる気がしない。

 

 ベルクーリじゃないけど、何か、とても強い力を感じた。

 

 わたしか、カーディナルか。

 答えを聞かないまま逝く前に、どうか選んで欲しい。

 

 もし、わたしを選んでくれるのなら、きっと生き延びよう。生き延びて、好きだって言われたいな

 

 

 

 

 




ふぅ……(体の若さに振り回される図)

所々細かい所が変わってるので、是非とも一番最初から見てやってください(え


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

裏話 フェノメア&アドミン

実は凄まじく本筋と絡ませる予定だったメンヘラ男の娘
付いてる方がお得(え


 

 

 それは遡ること、キリトくん達が来る一年前のおはなし。

 

「ふーん……サーティワンくんの指導ねぇ」

「ああ、毎度済まない。指導役になっているアリスも、少し手が離せなくなったものでな……」

「いやいや〜、ファナちゃんがそう言うなら大歓迎だよ〜!」

 

 ボクのお仕事は主に三つ。

 

 先ず、枢機卿として、各地の司祭へ連絡を伝達したり、人事のあれこれも任されている。

 元老長ってこういう仕事しないんだよねぇ。No.2なのにさぁ〜。その分の負担がボクにのしかかるんだやぅ。はぁ……

 

 次は整合騎士としてのお仕事。

 ちょくちょく果ての山脈警護に駆り出されたり、整合騎士一人では難しい案件に対処する。これはサクッと終わらせられるし、楽な方だねぇ〜。

 

 最後に、神聖術師の先生として、新米整合騎士くんちゃんに神聖術の授業を行うこと。

 って言っても、大体みんな基本が出来てるから、高位の神聖術も教えればスラスラできる。

 

 ……いや、団長とシェータちゃんは苦労したよ。特に団長。

 

 団長ってあれで結構ぶきっちょなんだよねぇ。雑というか感覚派というか。神聖術は論理立てて構成されてるし、しっかり頭で考えないと術は発動しない。

 

 今ぐらいに扱えるようになるまで何年かかったことやら……もう団長に神聖術だけは教えたくないやう。

 

 まあ、たまに大変だけど、仕事の息抜きには丁度良い。

 

 他人との交流は、心を癒やしてくれるんだよぉ……

 今日の子も、教えがいがあるといいなぁ。

 

「……お待たせ致しました。何階をご利用でしょうか」

「やっほ~、ショーコちゃん。今日は一番下までお願いするね〜」

「かしこまりました。それでは五十階、《霊光の大回廊》まで参ります」

 

 ルンルン気分で昇降盤に乗り込むと、いつものように、暇つぶしの相手になってもらうべくショーコちゃんに話題を振った。

 

「あれからどう?」

「どう……とは」

「ほらほら、前にボクが教えた飛翔術式だよ! そろそろ自分だけでも空飛べるようになったかな〜って」

 

 ショーコちゃんに教え始めたのって、たぶん三年くらい前だったかな。

 

『……空は、広いですね』

『でっしょ〜? まあ、整合騎士は飛竜に乗れるから、ボクみたいに自力じゃなくても、空を飛び回れるけどね』

 

 下の食堂でお昼ご飯を食べてたショーコちゃんを、なんとなく空中散歩に付き合わせたのがキッカケだった。

 

『……私にも、使えるのでしょうか』

『できるよ、ショーコちゃんなら。風素の生成速度と運動操作の腕はピカイチだからね。上達さえすれば、空はもうキミのものだよ〜』

 

 空を飛んでみたいって言うから、ボクもついつい教えちゃって、昇降盤に乗ってる時とかに手解きをするようになった。

 

「いえ。まだ姿勢制御がままなっていません」

「うーん、まだかぁ〜。でも練習する時間も無いもんね……」

 

 この術式、整合騎士レベルならやろうと思えばみんなできるけど、問題は難易度の高さにある。

 まあ、飛竜に乗った方が楽だよね。ボクも術式使いながら果ての山脈まで行きたくないもん。

 

 でも、ショーコちゃんは修道士の扱いだし、飛竜なんて貰えない。空を飛びたいのなら、これしか道が無いんだ。

 

「……ずっと、考えている事があります」

 

 じゃあ、もっと分かりやすく……と説明を考えていると、ショーコちゃんは風素の入った筒を眺めながら、不安を露わにしていた。

 

「飛翔術式を修得しても、私はカセドラルの外には出られません。これからも出ることはないでしょう。……それでも、空に飛べる日が来ると思いますか」

「ん〜……」

 

 う〜〜〜〜〜ん。

 

 …………。

 

「うん、分かんないや」

「そうですか」

「でも、練習はしてて。アドミン様と会える機会があったら、ショーコちゃんのことお願いしてみるからね」

「……ありがとうございます」

 

 でも、アドミン様捕まえるの大変だからなぁ。

 うろついてる元老長にせがむのが一番早いんだけど、あの人のボクの避けようは半端じゃないから、後ろから奇襲でも仕掛けないと厳しそうだ。

 

 うまくいくといいんだけど……

 

「五十階、《霊光の大回廊》でございます」

「ん、それじゃあね〜!」

 

 ルンルン気分で降りて、ルンルンしながら階段を下りて五階に到着した。

 

 その頃には、もうルンルン気分より身体的疲労が勝っていた。

 死ねる。もう歩きたくない。

 

 やっぱ時間掛かるよぅ……ショートカットできる道とかあったら楽だって思うの、ボクだけ?

 

 いやそんな訳ない。アドミン様も元老長もよく風素で加速して壁蹴ってるし。

 絶対皆めんどくさがってるじゃん。

 

 そんな中で、必死に歩いてるボク、ちょーエラいと思う。

 

 ふふん、と自信満々に第一学習室の戸を引き放って、大股でズカズカ入り込む。

 

「おっはよ〜! 今日からキミの先生になった、フェノメア・シンセシス・スリーでっ────」 

 

 す、と言おうとした口が、《え》の口のまま固まった。

 

 同じく、相手も固まっている。それが何でかは分かんないけど、ボクがこうなった理由は一つ。

 

 

 ……とっても、カッコよかった。

 

 

 ボクが、思わず見惚れちゃうぐらいの、美人さんだった。

 

 ひたすら綺麗で、スラッとした男の子だった。

 

「あ……がっ……!」

 

 頭に鋭い痛みが走る。

 初めての感覚で、足がもつれて、尻もちをついた。

 

「はっ……フェノメア様!? しっかりなさって下さい! 今すぐ治癒をお掛け致します!」

「だ、大丈夫、大丈夫だから……」

 

 なに、これ……

 

 ダメだ……この子の顔を見るだけで、頭がどうにかなりそうになる。

 

 ズキズキする頭をどうにか持ち上げて、痛みに抗いながら、教壇を支えにして立つ。

 

『……イ……!…………てよ……!……は……』

 

 頭の中に流れる風景。

 必死になって誰かを追っている。

 

 霞がかかったその顔は、でも、とてもエルドリエ君と似ているような気がして……

 

「──おりゃーっ!!」

 

 腰に装備してる《宝晶典》で頭を殴った。

 

 あううぅ……痛いっ、過去最大級の打撲攻撃だよこれ!

 

 優先度47は伊達じゃなかった……自業自得だぁ。

 

 荒い息を出しながら、深く呼吸する。

 うん、問題ナシ。

 

「そ、それで……キミはエルドリエくんだよね」

 

 また見つめてみたけど、やっぱり美形だった。

 

 でもさっきと違って頭も痛くならなかったし、本当に良かったなぁ。

 

「はい。今日はファナティオ殿より、フェノメア様の講義を申し付けられ、参った次第ですが……どうやら身体の具合は宜しくないご様子。私など捨ておいて、どうかご静養を」

「いやいや! これくらい普通だよ普通! うん、平常運転なまである!」

「……顔も血の気が薄れて見えます。やはりお休みになられては」

「ボクは色白なんだい!」

 

 あれぇ、おっかしいなぁ。

 ファナちゃん直伝の化粧で誤魔化せてると思ったんだけど……この子、もしかして鋭い?

 

 はへぇ……アドミン様も凄い逸材見つけてくるねぇ。

 

「それじゃ、一応自己紹介ってことで。ボクはフェノメア・シンセシス・スリー。是非メアちゃん先生って呼んでね!」

「はい。よろしくお願い致します、フェノメア様」

 

 ズコーッ、だよ! 本当に転んでやろうかと思ったよ!

 

 なんてノリの悪い。

 模範的な優等生だなぁ〜、キミは。イーちゃん(イーディス)なんて、すぐメアちゃん呼びしてくれたのに。ぶーぶー。

 

「遅ればせながら、私はエルドリエ・シンセシス・サーティワン。先月より天界より召喚され、我が師アリス様より薫陶を賜る身であります。しかし、何分まだ若輩者ゆえ、フェノメア殿のお手を煩わせてしまうご無礼を、先んじてお詫び申し上げる」

「え? いや〜、そういうのは」

「──先んじてお詫び申し上げるっ!!」

「意外に熱血系!?」

 

 う、ううむ……ボクとあんまり性格が合う気はしない。

 顔は良いけどね。カッコいいし。

 

 でもほらボクって引きこもりだからさぁ。声とか張り上げるの、そんなに得意じゃないんだぁ……

 

「ほ、ほーら、さっさと席座った! メア子のパーフェクト術式教室、始まるよ〜!」

 

 渋々席に座ったエルドリエ君に、とびっきりの笑顔でいつもの口上を繰り出した。

 

 

 

 

「先生、御指南頂き有難うございます」

「ああうん、結局それで落ち着いたんだ……」

 

 フェノメア様から、フェノメア殿になって、メアちゃん先生って呼ばせようとしたら枢機卿閣下呼ばわり、最終的には普通の先生呼びにされてしまった……

 

 本当にただの先生と生徒だ。

 そのノリのまんま真面目に授業進めちゃったよ。いや良いけどさ。

 

「……ねぇねぇ、エルドリエくん」

「どうなされましたか、先生」

 

 なんか、声掛けただけで嬉しそうにしてるのは気のせいかな……?

 こういう貴族っぽい子は、大抵ボクみたいな人間が嫌いなのに。

 

 典型的なのはネギくんだね。

 あの子、ボク見たら、うわぁークッッッソ面倒くさいのと会っちゃったわーって感じに、複雑そうな顔するし。

 

 そういう感覚にはならないのかな、不思議。

 

「エルドリエくんって、割りとボクに優しいよねー。自分で言うのもあれだけど、結構いや〜な感じじゃない? ボク」

「優しい……? 術師の、何より整合騎士の先達として敬うのは当然の事でしょうに。それに、嫌な感じなど……」

 

 これは、うん。

 話してても平行線になりそう。

 

 でも、仲良くなれればそれに越した事はないよね。

 

「まぁいいや。それじゃあ明日も宜しくね〜」

「はっ。これよりご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い致します」

 

 ……ピシッと整合騎士の礼をするエルドリエくん、凄いカッコいい。

 

 

 

 

「先生、できました! 如何でしょうか!」

 

「先生、この熱素術式の感覚が分かりません。どのように考えれば良いでしょうか?」

 

「先生! 総合すれば、晶素術式は光を介して利用される、という事でしょうか?」

 

「先生!」

 

「先生っ!」

 

 ここ一週間の、エルくんの言動だ。

 

 ……何だか、大きな子供を持ってしまったみたいだ。

 

 ボク、先生であって母親じゃないんだけどなあ。

 

 でも、成功とかする度に、褒めて褒めて! って感じに目を輝かせてくるから、いやー、つい褒め倒しちゃうんだよね〜。

 

 犬って皆こんな感じだよね……忠犬エルくん。うん、素晴らしいと思う。ボクなら飼うね。

 

「おおっ、いいねーエルくん。片手で五つの素因が生成できたら中々だよ〜」

「では、今度は両手で五つずつと……」

「えー、それはいいかな。整合騎士って武器持つから、片手で素因が使えれば良いんだよね〜」

「……ふむ。では先生も片手でしか素因を使われないのですか」

 

 そういう話に持ってきたのはボクのせいだけど、容赦無く古傷を抉ってくるね……勘が良いのも考えものだよぅ。

 

 武器……武器かぁ……使えたら良かったんだけどね。あはは。

 筋力、女の子より無いもんね……物質操作権限なら団長にだって引けを取らないのに。理不尽だ。

 

「い、いやぁ、ボクはちょっと特殊なんだ。近接戦闘できないし」

「……? その本で殴るのでは?」

「違うよぉ! やろうとした事あるけど!」

 

 一時期、この本に鎖でもつけようか迷った事もある。

 

 ただ、剣を振ったら手からすっぽ抜けて、弓を使えばそもそも弦が引けなくて、槍を使えば狙った所に刺さらず、鞭はいつの間にか体に絡まるし、レンリくんの使うような投げ物は、大体十メル先で地面に落下して終わり。

 

 一応団長とかに教わったんだよ? でもこれだよ?

 

 お蔭で、暗黒騎士達から付けられた二つ名は《剣無しの騎士》。

 もっとこう、《金木犀の騎士》とかみたいに格好良いのが良かったけど、努力も空しく……ははっ。

 

 やっぱり、人って向き不向きあると思うんだ。

 

 男児たるもの、潔さが肝心だよ。

 

「キミは……その調子なら、直ぐに神器貰えそうだし、才能もあるから頑張ってよ。ボクみたいな落ちこぼれには、羨ましい限りだけどね」

「……先生が落ちこぼれである筈がないでしょう。卓越した神聖術の腕前に、畏れすら抱いております」

「いやいや〜、これは純然たる事実だよ。だってボクよりできる人、三人はいるもん」

 

 エルくんがそう言ってくれるのは嬉しいんだけどね。

 

 まあ、近接戦闘ができない分、ボクはやれる事が少ないから。

 整合騎士第三位を名乗ってるけど、もう譲ってもいいと思う。

 

「三人、となりますと、最高司祭様、元老長閣下と……」

「二人はそうだね。あと一人は、キミのお師匠さん」

 

 行使権限の高さなら、ボクの方が上。

 

 ただし、アリスちゃんは術式の扱い方に才能がある。

 神聖術専門のボクより、よっぽど上手く使えるって何……? どういうこと……?

 

 教えていた側が自信を失くすぐらいには才気煥発な子だったなぁ。

 アユハちゃんがやってたら涙目になってたよ。説明しただけでできるし。

 

 ああいうのを、反則っていうとボクは思います。

 

「なんと……!? 我が師にそこまでの力が……流石はアリス様。お見逸れ致します」

「わーお。団長と戦った時のアリスちゃんみたいな反応してる」

 

 アリスちゃんはここまで酷くないけどね。

 

 でも、憧れちゃうのは分かるんだ。

 アドミン様とよく話してるし、剣技も術も神器も強いし、何より可愛いし。

 

 ……そう思うと、何だか胸の奥がむかむかした。

 

「今日はこれで授業おしまい。明日は……無いんだっけ?」

「ええ。今日の午後より一週間ほど、アリス様とダークテリトリーの方へ向かいますので」

「……はえ?」

 

 体がピクリとも動かなくなった。

 

 意識を埋め尽くしたのは、疑問と激情。

 

 ……どうして、キミはいつも隣にいるんだ。

 

 どうして、いつもいつも、()の邪魔ばかりするんだ。

 

 おかしいだろう、不公平だろう。私が一番彼に寄り添ってきたんだ。愛を与えてきたんだ。私が、私が私がわたしがわたしがワタシガ────

 

「……うん、分かった。頑張ってきてね、エルくん。応援してるよぉ〜」

「ありがとうございます、先生。では、行ってきます」

「行ってらっしゃ〜い」

 

 バタン、と扉が閉められて、ボク一人が残された。

 

 足音を聞き届けると、取り敢えず宝晶典で頭をぶっ叩いた。

 

「だっ……!!」

 

 ゴンッ、と音がして、視界が斜める。

 ひんやりした床に背中を預けると、溜息が漏れた。

 

 

 ……最低だ。

 

 

 こんな醜い嫉妬、ボクらしくない。

 

『あははっ、本性現れてきたね〜。それが私だよ。そろそろ自覚しなって〜』

 

 む、うるさいよ!

 

 全くね、何がわ・た・し、だ!

 ボクはボクなんだ。そこ、間違ってもらっちゃ困るよ!

 

 そうやって言い返してやれば、もう聞こえなくなった。

 あ〜……メアちゃん、クソデカため息。

 

「はああぁ……」

 

 エルくんと会ってから、何だか幻聴が酷くなり始めた。

 

 しかも洗脳のオマケ付き。

 前から私呼びが出てくることはあったんだけど、こんなに思考までやられるなんて。そろそろ、アドミン様のお世話になる頃合いかなぁ。

 

「鬱い……」

 

 おまけに、エル君がどっかに行っちゃうから、ボクは仕事漬けの日々に逆戻り。しかも、いつもよりハード。

 

 まずは四皇帝家に圧力を掛けに回って、《南の回廊》に出た魔獣の討伐して、足りなくなった希少素材の調達……

 

 駄目だ、考えるだけで嫌になってくる。

 メアちゃんもう無理かも……

 

 完全に消沈していると、コンコンコン、と扉を叩く音が聞こえた。

 

「……はぁ~い」

「フェノメア殿」

 

 その声に、バッと体を起こした。

 

 扉の方を見ると、山吹色の鎧を着けた騎士がきょろきょろと教室の中を見回している。

 

「……アリスちゃん?」

「お邪魔してしまい、申し訳ありません。エルドリエを迎えに来たのですが……」

 

 こうして相見えると、嫉妬なんて吹き飛んでいった。

 

 ボクが教えてた時からそう。アリスちゃんは心根の優しくて、素直な子だ。

 間違っても、ボクなんかが嫉妬していい相手じゃない。

 

 はー……ボクも耄碌したもんだね。

 エル君はボクだけのもんじゃないっての。

 

「エルくんなら少し前に出てったよ。わざわざ迎えに来てあげるなんて、弟子想いな師匠だねぇ〜」

「なっ、フェノメア殿にまで……ああもう、どれだけ流布すれば気が済むのですか、エルドリエは……」

 

 呆れ返ってても、師匠は否定しないんだね……

 

 でも、師匠かぁ。

 なんだか負けてられない気がする。

 

 一応、こっちも先生だからね!

 

「でも、勉強熱心だし、あとよく懐いてくれるし、ちょっと可愛いよね」

「か、可愛い……? あのエルドリエが、ですか?」

「えっ、分かんない? こう、『先生、先生!』って言うし、めちゃめちゃ元気いっぱいな子供っぽくて、結構好きなんだけど」

「……たし、かに?」

「ほら、『アリス様、アリス様!』って具合に、子犬みたいにじゃれついてこない?」

「……そう考えてみれば、ちょっと可愛い……かも……?」

 

 本人からすれば、不名誉かもしれないけどね~。

 

 いやでも、そうだよね?

 

「……しかし、彼はあまりに私を盲信していますから、少し怖くもあります」

「ふっふっふ〜、そこは教育者の腕の見せどころだよ~! 自立するまで、二人でちゃんとお世話しなくちゃね」

「フェノメア殿……」

 

 なんだかアリスちゃんの目が遠いところを見てるような……

 でも大丈夫だよ! ボクはしっかり者だもん。ちゃんと最後まで面倒を見るつもりだよー。

 

「……やはり、先生にお任せして良かった」

「……うん?」

 

 むふん、と意気込んでるボクに、アリスちゃんは柔らかい笑顔でそう言う。

 

「私が見習いから上級騎士になったばかりの頃……術を教えてくださった時から、フェノメア殿とは話しやすい印象がありました。恥ずかしながら……その、母親のように思ったことも」

「うそん」

 

 いやこんな格好してるけどさー……女の子じゃないんだけどなぁ。

 ううう、でも今更男でしたーって言うのも面倒だし……メアちゃんどうしよう。

 

 自業自得だけど、困った。

 うえええ、アリスちゃんに嫌われたくないよぉ〜。

 

「い、いえ! 決して、フェノメア殿を貶している訳ではなくてですね……」

「も、もぉ~、ボクはお母さんって立場じゃないってばー。全面的にふざけてるし、ちょっと面倒見が良いくらいなだけだって。ファナちゃんの方がよっぽどお母さんっぽいよー、絶対」

「そ、そうですか……」

 

 これファナちゃんに言ったら容赦無く磔にされるけど。

 忙しいのに何かとボクの事を気にかけてくれてるし、これは疑いようがないよね!

 

「では、私はこれで失礼致します」

「ああー、引き留めちゃってごめんね〜。じゃ、お仕事頑張って!」

「ええ。無事に帰ってきますよ、フェノメア先生(・・)

 

 ばいばい、と振ろうとした手が上がりきらなかった。

 

 え? と思考を手放した隙に、アリスちゃんは扉の向こうに消えていて、すーっと冷静になって考えた。

 

 いやー……いきなりは反則だよねぇ。

 嬉しい事言ってくれるじゃんか〜、むふふ。

 

 ちょっと鬱屈とした気持ちが晴れて、なんだか身も心も充実してる気がした。

 

 ……だから、端的に言って。

 

 この時ばかりは、物凄くカッチーンと来た。

 

『えー。あのアリスって娘、わたし気に食わないんだけどなぁ~』

 

 軽い調子で、そんな事をのたまった。

 

 折角の気分に水を差された、ってのもまあ、結構ムカつく。

 でもそれだけじゃない。

 

『正義とか善とか、そういう全面に信じてそうでさぁ……ほんと馬っ鹿みたい。ああいう純真な娘って、一度くらい絶望させてやりたいよねぇ〜』

「────ちょっと、キミさ。そろそろ黙ってくれないかな?」

『…………はえ?』

 

 自分でもかつてないくらい暗い声が出た。

 思ってたより、怒ってたっぽい。

 

 まあ、ハッキリしたよ。

 いつもボクを知ったようなそぶりをしてくるけど、完璧じゃないってことに。

 

 全然分かってないよ。

 何も、なにも。

 

「ボクは教師だ。教師は、教え子を大事に守る義務がある。だから教え子を悪く言われて、腹が立たない教師は居ないとボクは思うけどね」

『……へぇ〜。それが嫉妬しちゃうぐらいの相手でも?』

「寧ろ、ボクらは一生教え子に嫉妬する仕事をしてるんだ」

 

 ピタリ、と調子づいていた雰囲気が消える。

 

 教師をなんにも分かってないのなら。

 全部斜に構えて、他人を見下す事しかできないなら、多分キミには理解できない。

 

「……もっと言うとね。教え子の良いところを粗捜しするのが、教師の役目だよ。たとえ成績が悪くても、他と比べて才能が無くても、欠陥があっても……それでも、嫉妬するような良いところを見つけて評価する。手塩にかけた教え子を良く言われた方が、ボクも嬉しいからね」

『……意味、分かんないよ』

「えー、そうかな? キミだって、人にものを教えた事ぐらいあるよね」

『っ……いちいち癇に障る言い方だね、(キミ)のくせに』

キミ()だから、でしょ?」

 

 さっき、アリスちゃんに何を言ったのか、忘れるボクじゃないよ。

 

 アリスちゃんは真面目だけど、根は子供っぽくて、でも努力だけは欠かした事がない、教えがいのある可愛い子だった。

 

 その分、羨ましく思わない日は無かった。

 団長とファナちゃんとボクのいいトコ取りみたいだし、アドミン様から可愛がられるし。

 

 ……でも、ボクはアリスちゃんの先が見たかった。

 

 この子なら、どこまでもいけるって思った。

 いつか、団長や元老長、アドミン様に追いつく存在になるって思ったから、二年掛けて教えこんだ。

 

「教え子に心を砕くんだから、愛着が湧かないはずがないし、それを馬鹿にされて黙っていられるほど、ボクは大人しくないよ」

『……そんな熱血気質だったかな、私』

「さぁね。キミにも、何かに入れ込んでたことぐらいあるんじゃない?」

 

 そう言うと、もう何も言ってこなかった。

 

 

 それから、声を聞くことはなかった。

 

 

 

 

 

 エルドリエ君に教えるようになって、もう一ヶ月くらいは経ったかな。

 

 神聖術は得意らしくて、一部詠唱を省略出来るようになったし、後は上位騎士になった時に貰った《霜鱗鞭》を上手く使いこなせるようになれば、《武装完全支配術》を教えることができる。

 

 極たまに、何か思い出しかけたり、凄まじく心がブラックになるけど、その度に殴って消してるから大丈夫……だよね。

 

 大丈夫じゃない事も、一つだけあるけれど。

 

「先生、どうなさいましたか? 先程から、心ここに在らずと言ったご様子ですが……」

「ううん、何でもないよ。さて、《形状変化術式》について、ここまでいいかな?」

「……はい、理解しました」

「うんうん! じゃあ、これを持って詠唱してみよっか」

 

 ひと塊の鉄鋼をエルドリエくんに手渡し、術式を唱えさせる。

 この術式は、文面で見れば複雑だが、やってる事はとても単純。

 

 操作の対象を指定し、それをどのような形にするか決め、形状変化の結句を唱える……ただそれだけ。

 頭の中で形を意識できていれば、

 

「リフォーム・オブジェクト」

 

 眩く発光し、鉄鋼がぐにゃりと形を変えて、一振りの剣となった。

 

 指定した通りの形になっているし、特に問題も無さそう。

 

「おおっ、一発で成功するなんて、キミは才能あるねぇ〜。ボクの下で働いてもいいくらいだよ」

「なっ!? し、しかし、私には敬愛する我が師が……」

「いや冗談だってばぁ〜。そんな真剣に悩まなくても大丈夫だから、ね? アリスちゃんを大切にしてあげて!」

 

 そこでボクとアリスちゃんを天秤に掛けちゃダメだよもう。

 ボクなんてアリスちゃんの前には路傍のホコリだし!

 

「ええ、勿論です。ですが先生も、見ていない所で無理をなさらないよう────」

「ぬふふ、エルドリエくんは心配症だなぁ。大丈夫だって、健康管理は怠ってないよ〜」

 

 ま、嘘だけどね。

 

 健康なんて気にしてる余裕は無い。

 いちいち気にしてたら、それだけで時間無くなるもん。

 

 でも、もう何徹明けになるのかも忘れてるぐらいだしねぇ。

 まともなご飯も食べてないし、神聖術で無理やり体調を調節してるけど、そろそろ休みが欲しいかも……

 

 はぁ……ボクだって、徹夜したくてしてる訳じゃないのに。

 

 一人にかかる仕事多すぎなんだやう。

 もっと働いてよぉ、元老長さんや〜い。

 

「ほーら、メアちゃんの心配ばかりしてないで、行った行った。キミにはこの後任務があるんだからねー!」

「せ、先生!!」

 

 エルドリエくんの背中を押して学習室から追い出し、溜息と共に去っていく足音を聞いてから、扉に背中を付けてへたり込む。

 

「はぁ……」

 

 胸に手を当てれば、心臓の鼓動が伝わってくる。いつもより速くて強くて、明らかに異常だった。

 

「教え子に恋って、いやいやエル君は男の子じゃん……! 手を出したら禁忌目録違反だって……」

 

 ただの可愛いもの好きだと思ってたけど、男の人好きになっちゃったら、もう言い訳できないよね……

 

「なんで、こうなっちゃうかなぁ」

 

 ボクは男の子だ。

 少なくとも、体はそうだ。

 

 でも、それが気持ち悪い。これは自分の体じゃないって、心のどこかで否定する。本当の()の姿はこうじゃないって、拒絶する。

 

「……だからって、どうしろっていうのさ」

 

 ボクには、なんとなく分かってしまった。

 

 あの記憶が、幻聴が、まだ天界にいた頃の自分のもので、今のボクと全く同じ悩みを持っていたんだろう。

 

「せめて女の子らしくなりかった、かぁ」

 

 思考が理解できてしまうことが、あの子の発言を裏付けていた。

 

「ほんと……難儀だね、ボクやキミみたいな生き物は」

 

 迷うことなく、足は階段に向いた。

 

 

 ○ ✕ △ □

 

 

 85階、談話室。

 

 そこの小さな机を挟んで、俺とフェノメアは向かい合っていた。

 

 重々しい空気の中、俺はそっと目を閉じる。

 

「結論から言いましょう────無理よ」

 

 これを言うのは、とても心苦しかった。

 だが、フェノメアの提案、《身体の性別を変えることはできるか》という問いに対して、俺が返せる精一杯の答えは、これしか残されていなかった。

 

「この世界を操る絶対的法則が、貴方をそう規定した。そうなった以上、私でも変えることは不可能なの」 

 

 つまるところ、この問題の原因は、俺という管理者権限でさえ侵入が拒まれる主記憶装置、《メイン・ビジュアライザー》の基幹システムにある訳だが、そもそも、何故フェノメアのような存在が産まれたのだろうか。

 

 フェノメアをシンセサイズをしてから、あの子の事になると、いつもそれを考える。

 

 驚くべきことに、《精神原型(ソウル・アーキタイプ)》を挿入された時点では、心の性は確定しないという事が、長年の研究で判明している。平均化された《精神原型》には男女といった性の傾向を決めるものが存在しないのだ。

 

 最初は無性と言っても差し支えない訳だ。

 これには俺も前提の誤りを認めざるを得ず、数ヶ月の思慮に入るくらいの衝撃であった。

 

 では、何が心の性を決定付けるのか。一概に環境や親のフラクトライト遺伝によって決定される訳ではなさそうだが、一体どんな要因なのか。

 俺は長い実験の中で、何千と犠牲を生みながらも、終ぞその確証を得られなかった。

 

 だが、確実に言える事はある。

 それは、フラクトライトの性別は、身体──アバターの性別に合わせるようにして決定される、ということだ。

 

 だが、性的指向がどこ向くのか、はたまた無いのか、そういった部分がどの様に決定されるのかは、実の所まだよく解っていない。

 

 そして、フェノメアはなぜ身体の性別に合わせて心がそう成長しなかったのか、という事に対する答えも、確定的な仮説は一つも立てられていないのが現状だ。

 

 しかし、一つ言える事があるとするなら……システム上では予期しえなかったバグの産物、それがフェノメアという存在であることだ。

 

 ラースは、フラクトライトが身体の性別に合わせて性分化すると想定した上でシステムを構築した。

 だから、フェノメアのような存在が産まれる事はイレギュラーなのだ。

 

 ……一旦、話をフェノメアが抱える問題の解決に戻そう。

 

 もしフェノメアの様な存在が現れたとして、その子のアバターの性別を変えることができるのか、という点に関して。

 これには明確に、ノーと言える。

 

 フラクトライトと紐付けされたアバターの性別は、一度生成されれば一切の変更を受け付けないからだ。

 

 《精神原型》挿入からアバター生成までの一連の流れを請け負うのは、カーディナルシステムであってカーディナルシステムの範疇にない、管理権限の更に外側の基幹システムだ。

 空のアバターの作成実行は幾らでもできるが、フラクトライトが挿入されてからのアバター作成プロセスに介入はできない。

 

 そこまで来ると、最早システム自体、つまりソースコードの改変になってくる為、外部からの直接操作が必要になるのだ。

 

 だが、抜け道はある(・・・・・・)

 

 フェノメアがもし、女性の身体になりたいだけなら、手はある。

 あの子のフラクトライトを、そこら辺から拾ってきた女性のフラクトライトに上書きすればいいのだ。

 

 用意されたアバターを弄る事はできないが、別アカウントのアバターを乗っ取る分には問題がない。

 要するに、俺がリセリスちゃんに自分のフラクトライトをコピーした時と同じことをすればいい。

 

 ただ、フラクトライトの共鳴崩壊を防ぐ為、コピー元のフラクトライトを破壊しなくてはならないし、そもそも乗っ取られる女性のフラクトライトは消失してしまう、という欠点はあるが。

 

 でも、心根が素直なフェノメアの事だから、乗っ取りを望むはずもない。

 仮にこれを提案したとしても、あの子に余計な混乱しか与えないだろう。

 

 この子が願うアバターの性別変更に関して、俺が打てる手立ては、それこそラースに掛け合うぐらいだ。

 ただ、それはあまりにリスクが大きい。相応の理由付けや、多少の交渉も覚悟しなくてはならないからだ。

 

 俺にはもう、後を誰か(キリト)に託すことしかできない。

 

「悪いけれど、今の私じゃ力になれないわ」

 

 だから、フェノメアをシンセサイズする時、せめてこの事で苦しまないようにと認識に改変を加えていたし、何度も調整した。

 

 それでも、あの子は異性装を続けて、決して女の子を恋愛対象にしなかった。

 ベルクーリも、フェノメアとは風呂で会ったことが無いって言うくらい裸の付き合いを避けてたし、違和感を消し去っても、無意識の内に、自分の心が女であると感じていたんだろう。

 

「やっぱり、アドミン様でも難しいよねぇ……」

 

 予想外なのは、フェノメアが俺でもできないと承知した上で訪ねてきたことだ。

 

 なら、本題はまた別にある……のか?

 

 これが前置きという事実に、あまり実感が湧かなかった。

 

「解ってたのなら、どうして私を呼んだわけ?」

「え? なんでって……恋愛相談?」

「────ブフッ!」

 

 首をこてんと倒しながら、何てことないように本音をぶち撒けた。

 

 クリスチャンが飲んでいた紅茶でゲホゲホ噎せているの傍目に、俺も紅茶を一口……

 

「……え? れ、恋愛相談って、まさか私に?」

「いや〜、アドミン様なら含蓄ある言葉が聞けるもん。元老長に片想い三百年なんだよね? 団長が言ってたよ?」

「んなぁっ!?」

「────ゲホッゴハッ!?」

 

 は、はぁ!? いや別に片想いとかじゃねーし! てか本人の前で言う奴がいるか!

 

 なんか前々から気になるっていうか、ドキドキするっていうか……いやちがーう、落ち着け、俺。

 一時の感情に身を任せていたら墓穴を掘ることになるぞ。

 

 そもそも、情報源ベルクーリかよ。

 あのアーチャーめ、とことん口軽いな。ちょっと気になるんだよな〜って晩酌でポロッと漏らしただけなのに。

 

 曲解誇張、ダメゼッタイ。

 

「違うから! クリスチャンは私の親友で、それ以上でもそれ以下でもないし、もし好きになったら友情への裏切りになるじゃない。クリスチャンもそう思うでしょう? ね?」

「……………………ええ、まあ、はい」

 

 ほ〜れ見たことか。

 ふふん、俺とクリスチャンの絆は絶対なのだ。

 

「あと言っておくけど、私だって純粋に女じゃないんだからね」

「…………それって」

「一応、心は男のつもり。……だからクリスチャンとは何もないからね? そっち系じゃないし」

 

 ほんとほんと。

 今は女の子にすら性欲湧かないけど。

 

 そう言ったからか、フェノメアは俺を矯めつ眇めつで観察しだした。

 

 外見で見られてもどうしようもないんだけどな。

 これでも、三百年以上アドミニストレータとして生きてきているわけで、ちょっとやそっとでボロは出ない。

 

「アドミン様に男要素って残ってる気しないけどなぁ」

「当たり前でしょう? 私が《俺》なんて言い出したり、ガサツだったら普通に引くわよ。印象の問題なの、こればっかりはね」

 

 クリスチャンにこれやると、何とも言えない表情されるしな。

 日記ではフラストレーションも発散できてるし、表に出さなくとも問題はない。

 

「……この通り、男も女も興味無いから、私じゃ相談になれるかわからないわよ」

「それでも、アドミン様に聞いて欲しいな」

 

 そこまで真剣に言われてしまうと、断りづらいものがある。

 

 頼りにしてくれているのだし、俺はこの子の上司という立場でもある。部下の悩みくらい聞けないで、組織のトップは務まらないよ。

 

「……いいでしょう。貴方の話、聞かせてちょうだい」

 

 十分後。

 

 俺はゲ○ドウポーズで考え込んでいた。

 

 恋愛相談、などと言っていたが、俺からすれば非常に頭の痛くなる問題だった。

 

「つまり、貴方はエルドリエを好きになってから、その記憶を思い出す事が多くなったと……」

 

 フェノメアが耳にする幻聴については、俺が調整する時に存在を知って、正体も分かっている。

 

 知ってる上で放置しているのだから、俺としても良心の呵責が……ね。

 でもあの子の問題を解決するには、彼女の存在はおよそ不可欠だった。カセドラルにいる限り、フェノメアに対して己が何者であるかを問いただしてくれるからだ。

 

「内容からしても……やっぱりボクの記憶だよね」

「まあ、天界の記憶でしょうね。以前の貴方も、男の人を好きになった事があって、それが今の状況と重なってる、と考えられるわ」

 

 そもそもフェノメアがここにいる理由は、《同性愛の禁止》で連行されたからだ。

 かつてフェノメアが好きだった人物に関する記憶を抜き取って《敬神モジュール》を埋め込んだので、十中八九、男の人を好きになってしまった事がトリガーだろう。

 

「で、フェノメアはどうしたいわけ?」

「……う〜、流石に告白は駄目だよね」

「いいんじゃない? あなたができるなら」

 

 投げやり気味に言うと、フェノメアが目をパチクリさせて、クリスチャンに似た黒髪をくるくると弄った。

 

 頭の中でシミュレートしているのか、上の空で髪をくるくるし続けて、三十秒くらい。

 ぶわっと顔を赤くして首を激しく横に振ると、肩を落とした。

 

「メアちゃんの勇気じゃできませんねぇ……」

 

 それはそうだよな。

 エルドリエだって、普通に女の子好きだし。マザコンだけど。

 

 付いてるからお得、って考えられる人種(日本人)だったらいいんだけども。

 いや無理だな。想像できない。

 

「でも、エル君の事は好きってことは、間違いないから。いつか決着をつけたいよ、必ずね」

 

 覚悟は固いようで何よりだ。

 

 それに、フェノメアがこの調子で居てくれるなら、俺が居なくなった後、大戦でもエルドリエを護ってくれるかもしれない。

 どうか幸せになってくれよ……見れないのだけ残念だけどさ。

 

「もし辛いようなら、これからも遠慮なく相談してくれていいわよ。調整も前倒しにするわ」

「ありがと、アドミン様。でも、できるだけ、アドミン様頼りにならないように頑張ってみるよ」

 

 そう言い、フェノメアは席を立った。

 扉に手を掛けて、一礼をしようとして……何かを思い出したかのように焦って戻ってきた。

 

「あ、あのアドミン様! もう一つ、ショーコちゃんの事でお願いが……」

「──は? ショーコちゃん?」

 

 えっ、待って誰?

 

 

 

 

『ショーコちゃんは、昇降係のショーコちゃんだよ。名前も覚えてないっぽいし、昇降係って言いにくいから、愛称? みたいな? もうずっとそう呼んでるかなあ』

 

 ショーコなる謎の人物が、いつかエアリーと名付けられるであろう昇降係である事が判明し、意図せぬ改変に自己嫌悪を起こした後。

 フェノメアが居なくなった談話室で、俺は気持ちを引き摺りながら、冷めきった紅茶をくるくると回していた。

 

「良かったのですか。昇降盤の自動化なんてものを確約して」

「良いのよ、私がやるんじゃないんだし。キリトがなんとかしてくれるでしょ」

 

 ユナリンだと、ただのエレベーターになってたはず。

 

 そもそも、もう来年くらいには俺死んでるよ。

 なので頑張れキリト。後はお前に任せた。

 

 残った紅茶を飲み干して、はぁと息を吐き出す。

 

「にしても、男の娘って良いわよね……」

「……少し、その感覚は理解できそうにありません」

「分からなくていいのよ。もともと日本人特有の感性なんだし。あんまり考えてると性癖狂うわよ? 私みたいに」

「血の繋がった弟にそんな事思いませんよ」

「だからこその背徳感でしょう?」

「ちょっともう黙ってて下さいクィネラ様」

「あだっ……!?」

 

 チョップが脳天に落とされた。

 武道を嗜んでるだけあって鋭い一撃だった。

 

 うう、脳が震える……こういう時は豆腐の要領でって偉い人が言ってたような……なんだっけ。

 

 痛みで涙目になりながら、非難の目を浴びせる。

 

「……ちょっと、最高司祭に暴力振るわないでよ。私、貴方の上司なんだけど」

「その上司が変態じみた事言うからでしょう……」

「変態じゃないもん。一般性癖だもん」

 

 因みに俺はセーラー服のアス○ルフォに狂わされた。

 あれはズルい。

 

 フェノメアが似たようなヘソ出し衣装着だしたら、俺の情緒はどうなるやら。

 黒髪ミディアムで大分前世の性癖ドストライクなんだよな、あの子。

 

「可愛いなぁ……」

 

 ニマニマしていたからか、クリスチャンがこれまた何とも言えない渋い顔で紅茶のカップを片し始めた。

 

 でも、かわいいは正義だ。

 これだけは譲らないからな、クリスチャン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 人界暦381年10月7日

 

 

「システム・コール」

 

 永きを生きたフェノメアは、何となく、死の予感というものを感じていた。

 

 それは、単に過労で限界が来ていたから……ではないと思いたいが、それを目の前にした時、自分の死地を悟った。

 

 大切な教え子達が見ている中で、飛竜を翔けて自分の方へ来る彼の姿を左目に見た。

 不意に、その姿にぼんやりと、見知らぬ少年の姿が重なる。

 

 護るべきものは、ここにあるのだ。

 

 ならば、教師の自分に出来ることは。

 

「アドミン様、ごめんなさい……。

 

 

 

 ────リリース・リコレクション」

 

 

 

 右眼が、鮮烈な輝きと共に弾け飛んだ。

 

 

 

 




エルドリエ……霜鱗鞭……リリース・リコレクション……ウッ頭が
まさか男の娘に身代わりになれなんて……ねぇ?(ゲス顔)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

裏話 エルドリエ

エルドリエ視点(大嘘)です


 

 

 エルドリエ・シンセシス・サーティワンにとって、師アリスは絶対の存在だ。

 

 それは、これからも揺るぐことはない。決闘に負けたあの日から、アリスこそ自分に全てを授けてくれる師であると、疑うこともない。

 

「エルドリエ、少し良いでしょうか」

「はっ、我が師アリス様。なんなりと」

「え、エルドリエ……そのように畏まられては、話しにくいです。立ってくれませんか」

「なんと有難き言葉……! このエルドリエ、我が師のお心遣いに感服致しましたっ」

「……お世辞は不要ですから、早く立ちなさい」

「はっ」

 

 師から言葉を貰い、至上の歓びにあるエルドリエには、師の呆れ顔は見えていなかった。

 

 師と仰ぐのならば、相応に師の意図を汲んで欲しいものである。

 弟子を取った事に後悔しないまでも、流れで仕方なかった、と言うのは今更言い訳になるまい。

 

 それでも面倒を任されているのは自分であるので、一ヶ月指導を続けてきていた。

 

 しかし、アリスとて任務がある。

 肩の荷が下りたような感覚に罪悪感を覚えつつ、今朝方受けた命を伝え聞かせる。

 

「エルドリエ。そなたは今後、フェノメア殿より神聖術の指導を受けてもらいます」

「フェノメア殿、と言いますと」

「ええ……フェノメア・シンセシス・スリー。私が先生と呼んでいるお方です」

 

 エルドリエに衝撃が走る。

 まるで、暗黒界に住まう巨人族の体当たりを食らったような──未だ戦ったこともないが──強烈さであった。

 

 師の先生、とは一体何なのか。

 師が敬意を払う存在とは、どれほどのものなのか。

 

 エルドリエは戦慄する。アリスが敬意を払っている相手にはもう一人、騎士長ベルクーリがいる。小父様と呼び慕っている所は何度も見ていて、その実力は自分では及ぶべくもない。

 

 それに並ぶと言っているようなものだ。

 エルドリエは自分の浅学さを恥じた。そのような人物の名を、今まで知ろうともせずにいたのだ。

 

「私の知る限りでは、神聖術の腕にかけては五指に……いえ、フェノメア殿の上となると、それこそ元老長か最高司祭様くらいでしょう」

 

 それが、エルドリエのトドメの一撃となった。

 またしても頭を垂れるので、アリスは面倒事の予感がした。

 

「師よ……我が非を罰して下さいますよう、何卒」

「いきなり何を言い出すのです、そなたは」

 

 脈絡もなく罰させようとする弟子は一体何なのだろうか。

 こめかみを抑えながら、アリスは心の中でフェノメアに謝罪した。

 

 そして、どうか宜しく頼みます、と頭を下げたのだった。

 

 

 

 エルドリエが席に着いたのは、授業から十分前ほどの頃だった。

 

 心のざわめきは一向に収まらない。師が先生と呼ぶ人物なのだから、というのも大いに関係しているが、それとは別に、恐るべき話を耳にしていた。

 それは、カセドラルに長く勤める食堂の強面な料理人からであった。

 

『アァン? フェノメアじゃと? おい坊主、まさか一ヶ月もいてフェノメアの小僧の事も知らんのか。彼奴はこの公理教会の枢機卿、要はあのクリスチャンの次にデカい顔ができるってこった。ま、クソガキだが悪人じゃねぇ。そこは安心せい、若造』

 

 夕飯時にそんな事を聞かされたので、エルドリエはその夜、一睡もできなかった。

 公理教会で、最高司祭と元老長に次ぐ三番目の権力者ともなれば、そもそも師の先生である以前に絶対者なのだ。無礼を働いた瞬間打ち首もあり得る。

 

 一体どれほど厳かな人物が来るのか、体中の筋肉という筋肉を強張らせて待ち構えていた。

 

「おっはよ〜! 今日からキミの先生になった、フェノメア・シンセシス・スリーでっ────」

 

 だから、こうも前触れなく、想像を裏切る挨拶と共に入ってきた彼女に、情けない顔を見せてしまった。

 

 師の弟子としてあるまじき、不甲斐ない失態。

 もはやこれまでか、と思った時、フェノメアが頭を押さえながら倒れた。

 

 歯噛みする暇もなく、エルドリエは急ぎ不調な彼女に駆け寄った。

 

 倒れた体を抱えると、ローブ越しでなくては気付けない程、繊細で柔い体つきであった。

 しかし、アリスという前例もあるので、エルドリエもさして驚きはしなかった。

 

 ただ、不覚にも心地良さを感じて、フェノメアが本で自分を殴る所で、慌てて手を離した。

 

 ずきり。

 

 頭を針で刺されたような、瞬間的な痛みにエルドリエは襲われる。

 何が、と思ったが、それよりもフェノメアの事が先決だった。

 

 当の彼女の体調は芳しくなさそうだったが、本人は大丈夫だと念押ししてくるので、エルドリエは言われるがまま、授業を受けることにした。

 

「それじゃ早速授業……の前に、ちょいと呼び方確認。エルドリエ君って、ボクをフェノメア様って呼ぶけど、全然呼び捨てで良いよ〜。ボクなんて取るに足らない人間だし」

「いえ、そういう訳にはいきますまい。たかが新米の見習い騎士如きが、貴女様に敬称を付けないなど」

「う〜、授業がやりづらいんだよ〜。なんとかならないかな?」

「……では、フェノメア殿と」

「もっと親近感欲しい……」

 

 格下、もしくは敬意を払うに値しないと見た相手にしか口調を変えないエルドリエは、思い切り拒絶反応を起こしていた。

 教会の三番目のお偉方である。本人からそう言われても、畏れ多くて無理である。

 

 まして師の先生にタメ口を利くなど、師への冒涜である。

 なんとしても、この口調だけは譲れなかった。

 

「……め、メアちゃん先生って呼んでよ。さっきも言ったけどスルーされたし」

「それだけはどうかご寛恕を、枢機卿閣下」

「やめてぇ〜! それで呼ぶのだけはやめてぇ〜!」

 

 何故かフェノメアの傷を抉るだけになった。

 流石にエルドリエも、これには訳がわからなくなった。

 

 教卓の上でジタバタする少女に、こんなものが誇りある教会の枢機卿なのかと、かなり疑わしく思った。

 しかし、不思議とエルドリエに嫌な感じはなかった。

 

 似た雰囲気を持つイーディスと出会った時は、臆面もなく嫌いだと言えるくらい生理的に受け付けなかったというのに、目の前の少女を見ると、失った何かがカチリと嵌るような、晴れやかな気持ちになれた。

 

「はーもー、何でも良いから枢機卿閣下だけはやめてね。あれ言われると堅苦し過ぎて背中がムズムズするんだ。ボクの数多くの弱点の一つだから気をつけること。オーケー?」

「……おーけー、とは?」

「よろしいですか、って意味。オーケーと言われたらオーケーか断りの言葉で返すんだ〜。アドミン……最高司祭様がよく使うから覚えておいて損は無いよ。んでもってオーケー?」

「お、オーケー」

 

 腕で丸を表現したり、手脚を伸ばして変な姿を取ってくるので、エルドリエは反応に窮しながら、取り敢えずそう繰り返した。

 

「おぉ~いいね〜! その調子でリピートアフターミー! メアちゃん先生! ヘイ!」

「お戯れを、枢機卿閣下」

「──ぎゃああああ全くオーケーされてないいい!!」

 

 召喚されて一ヶ月。

 

 エルドリエは、初めて心の底から大笑いした。

 

 

 

 

「……ほう、そのような事が。そこまでフェノメア殿と親しくなっているとは、私も予想していませんでした」

「いえ、先生とは親しいという程では……少し放っておけないだけでして」

「見え透いた嘘はつくものではないですよ。そなたが笑うところなど、これまで見たこともないのですから」

「それは師と言えども心外ですな。私とて、騎士以前に人の子でありますれば。面白いと思えば笑いますとも」

 

 イスタバリエス東帝国の上空。

 二匹の飛竜、雨縁と滝刳に乗って、アリスとエルドリエは、互いの先生の話を交えながら、会話に花を咲かせていた。

 

「しかし、私どもの先生は随分と変わっておられる。あんなにも距離感が近いと……その、女性として如何なものかと」

「どうでしょうね。我々は召喚されて間もない騎士ですから、子供に接するのとそう変わらないのかもしれません」

 

 少なくとも、召喚されてから百年は経っているのを考えると、十年も人界にいない自分達は雛のような存在であるに違いない。

 

 可愛がりたくなるのも、恐らくは仕方のない事なのだ。

 

 そこまで考えて、ふとアリスは思う。

 普段より誰とも距離感の近い彼女のことだ。純朴なエルドリエと過剰に触れ合い、その気にさせてしまっているのではないか。

 

 かつて、ある整合騎士(シンセシス・トゥエニファイブ)がうっかりときめいて、フェノメアに求婚したという事件があったと聞く。

 

「……もしやエルドリエ。そなた、フェノメア殿に懸想を」

「何を言い出すのです、我が師よ! 我が心は常に御身に、他人に心惹かれるなど有り得ませぬ!」

「それはそれで嫌なのですが……」

 

 ともかく、その気がなさそうである事にアリスは安心した。

 

 ただ、エルドリエにとって、彼女に思うところが無いのかと言われれば、また違うのである。

 

「先生と話していると、不思議と心が落ち着く事はありますな。なんと申し上げるべきなのか……そう、例えるなら、私に欠けた何かを埋めてくれるような。そんな安らぎを感じる事があります」

「……そなたもそう思っていたのですね。フェノメア殿は包容力のある方ですから、密かに母性を求めているのかもしれません」

「母性……」

 

 ずきり。

 

 その痛みの一瞬、温かな声が聞こえた気がした。

 

 誰か、懐かしい声が……

 

「……エルドリエ? どうかしましたか?」

「い、いえ。何でもありませぬ……」

 

 この私が、母性を求めているのか。

 エルドリエは何も言い返せないまま、任務に当たった。

 

 

 

 

 

 それから、時は流れ、人界暦381年7月24日。

 

 エルドリエは一人前の騎士として精進し、積極的に任務に赴いていた。

 ここの所は、来る暗黒界との戦いに備え、エルドリエも兵士達の戦闘教練に従事していた。

 

 それ故に、カセドラルに滞在しており、多くの整合騎士と顔を合わせる。

 特に顔を合わせやすいのは……

 

「エールく〜ん! 今日も元気にしてる〜?」

 

 フェノメアだ。両手に大量の書類を抱えて、エルドリエの下に小走りでやってきた。

 

 彼女は枢機卿という職務上、カセドラルでの事務作業が多い。

 地方も飛び回るが、大抵はカセドラルとの往復になるので、ここに滞在していると高確率で出会えるのだ。

 

「ええ、先生。これしきの指導で疲れる程、生半可な鍛え方ではなかったものでして」

「へへぇ〜? 頼りになるじゃんかー! 羨ましい限りだよ〜。……ボクももっと頑張らなくちゃなあ

 

 ちょっと疲れ気味で猫背にはなっているが、何ら変わりない先生の姿を見かけると、気の抜けない日々も和らぐ気がした。

 

 アリスが北帝国へ長期遠征をしてしまったのもあり、エルドリエはこっそり、フェノメアの話す事が楽しみとなっていた。

 

「そう言えば、北帝国に行ってきたついでにアリスちゃんと会ってきたよ〜」

「おお、なんと……師のご様子は」

「あー……超元気だったよ〜! うん! 家を建てて、そこを拠点に北の洞窟を守ってくれてるみたいだったし」

「機会があれば訪れてみたいものですが……」

「い、いや〜。お互い忙しいし、まだやめといた方がいいよ、絶対」

「いえ、流石に今会いに行く訳には……状況も差し迫っておりますし、午後の任務も残っておりますので』

「うんうん! 是非そうしておいてね! ……キリト君とユージオ君と居るのバレたらマズそうだし

「……?」

 

 何か後ろめたい事を隠しているようにも見えたが、先生に限ってそんな事は無いだろう。

 

 エルドリエはそう思って違和感を切り捨てると、会話を切り上げた。

 誰もが分かっている事だが、ここ最近は忙しいのだ。

 

 こうして少しゆっくりしていられるのが関の山だった。

 

「それでは、また会いましょう」

「うん! またね~!」

 

 そう言ってすれ違った、その直後。

 

 ばさり、と紙が舞い、重い音が響いた。

 

「は……?」

 

 振り返ると、投げ出された書類の束に重なって、フェノメアがうつ伏せに倒れていた。

 

 目を疑った。そんな馬鹿なと、焦って視界が揺れ動く。

 だが、フェノメアは微動だにしなかった。まるで、突然死んでしまったかのように……

 

「……せ、先生……先生!!」

 

 どっと押し寄せる恐怖。

 敵の間者に毒でも仕込まれたのか、いやそんな事は今どうでもいいのだ。早く、早く治療を施さなくては。

 

 全身を嫌な冷たさが通り抜けたが、構うことなくフェノメアを抱き上げた。

 息はしていても、完全に意識がない。エルドリエが打てる手段は一つしか無かった。

 

「システムコール……ジェネレート・ルミナス・エレメント……」

 

 治癒術をかけ続けつつ、向かうは百階、最高司祭の居室。

 整合騎士の治療ならば、彼女において他に相応しい人物はいない。

 

 最高速で階段を駆け抜けて、《霊光の大回廊》へ。

 

 タイミング良く降りてきた昇降盤に乗った。

 

「お待たせしました。何階を────」

「八十階だ! 今すぐに!」

 

 昇降係は、彼が抱えている人物を見て大きく目を開いた。

 

 一体何が、と思う前に、昇降係の口が動く。

 

「システムコール、ジェネレート・エアリアル・エレメント」

 

 十個の素因を生成。

 エルドリエに視線をやると、この仕事を任されてから百年、一度も言った事の無い注意喚起を促した。

 

「急な加速にご注意下さい……バースト・エレメント」

 

 直後、まるで飛竜が加速した時のような衝撃と重さがエルドリエに押し寄せてきた。

 

 ますます上がっていく階数に、エルドリエは驚きの目で昇降係を見た。

 

「君は……」

「緊急事態と判断し、昇降盤を通常の二倍の速度で運行しております」

 

 エルドリエにとっては、普段、話もしない使用人だ。

 さっき激高してしまった事を申し訳なく思っていたが、まさか、こんな対応をしてもらえるとは思いもしなかった。

 

 昇降係にとっても、これは全く職務外の対応だ。

 ただ、彼女はそうしたいと思った。昇降盤を動かす事だけが彼女の役割であるから、その範疇で、手助けをしたかった。

 

 彼女が、この昇降洞での仕事に未来への希望をくれたのだから。

 

「……ありがとう」

 

 扉が開く。

 自分などから礼を言われる筋合いなど無いだろうが、エルドリエはそう告げた。

 

「……フェノメア様を、よろしくお願いします」

 

 振り返らず、エルドリエは走った。

 

 元老長室に立ち寄る暇は無かった。最上階へ繋がる裏道を通って、がむしゃらに百階へ上がっていった。

 

 寝台の前で脚が崩れ落ちると、天幕を押し退け、アドミニストレータが欠伸をしながら現れた。

 

「ん〜……なぁに」

「最高司祭、様……!!」

「ん────えっ」

 

 息を切らすエルドリエと、その腕に大事そうに抱えられたフェノメアを見ると、否応なしに目が覚める。

 

「どうか、先生を……!」

「分かったわ。もう手を離していいわよ」

 

 アドミニストレータが寝台から降りて、フェノメアの前で膝を折り、S字を描いて、フェノメアのステイシアの窓を開いた。

 

「天命の上限値が極端に低い……パラメータの方は」

 

 システムコール、と唱え始めれば、アドミニストレータを取り囲むように無数の窓が出現する。

 

 それを一つ一つ流し見ていると、明らかに異常な値を示す項目が二つ。

 他の窓を追いやると、つぶさに記録を確認する。

 

「疲労値の過剰な蓄積、おおよそ一ヶ月分は不眠不休だったのね。闇素術で自分に催眠でも掛けてたのかしら……ちょっと待って、健康値−80!? ほとんど水だけで……社畜ってレベルじゃないでしょ、こんなの」

 

 エルドリエは絶句した。

 一ヶ月も不眠不休で、最低限水を飲んでいただけなど、どんな下層階級にも優る苛酷さだ。

 

 そうまでして教会のためにと動いてくれていたというのに、労いの言葉一つすら掛けてやれなかった自分が愚かしい。

 

「エルドリエ。ここまでこの子を運んでくれた事に感謝するわ。放置されていたら、そのまま衰弱死していたでしょう。それを助けたのは貴方よ」

「……は」

 

 エルドリエの心情を察したアドミニストレータがそう声を掛けてやるも、顔は深く沈み込んだまま、浮かなかった。

 

 消沈しきったエルドリエは放置することにし、フェノメアを寝台に乗せる。

 

「システムコール、リセット・ヴァリアブルズ……」

 

 つらつらと淀みなく紡がれる神聖術。

 その全てが、エルドリエには聞き覚えのない単語だったが、すっかり青褪めていたフェノメアの顔色が戻っていくのをみて、心から安堵を覚えた。

 

「こんなところね。まだ諸々の調整をするから、また明日ここへ来てちょうだい」

「……承知しました」

 

 最高司祭様がそう仰ったからには、先生は問題無いのだろう。

 

 ホッと息を吐き、一礼の後、居室から立ち去った。

 

 

 

 

 その翌日には、元気になったフェノメアに抱き着かれるなどのハプニングなどもありながら、月日が経った。

 

 大戦を間近に控えた、十一の月の六日。

 

 エルドリエが設営されたテントから出ると、丁度目の前を、金髪の女性が通り過ぎた。

 エルドリエは即座に右手を胸に、剣の柄頭に左手を置いて騎士礼をした。

 

「おお、アリス様……! 本日もご機嫌麗しゅう────」

「……あのね、エルドリエ。言っておくけど、私は貴方の師匠の方じゃないわよ」

 

 そう言われ、まじまじとアリスを見詰める。

 声音は同じ。瞳の色も、黄金の如き御髪も変わらない。

 

 だが、むっと頬を膨らませ、腰に手を当てる仕草は、師のそれとは異なる。

 

 エルドリエは結論に至り、慌てて頭を下げる。

 

「はっ……! こ、これは失礼したアリス・ツーベルク殿。てっきり、今日の我が師は修道女の装いであらせれるのかと」

「そんな訳ないじゃないの! あなたって、常々思ってたけど結構バカよね」

「ば、バカ……この私が、バカ……?」

 

 師と同じ可憐なる声で罵倒を受けたエルドリエは、一瞬にして倒れ伏した。

 

 ……このアリス・ツーベルクとエルドリエの出会いは、それはもう凄惨なものであった。

 

 語れば長くなるので割愛するが、エルドリエが師の見た目と声をした少女に盛大に拒絶され、カセドラルの廊下で四つん這いになってさめざめと泣いたという。

 後で報告を聞いたアドミンは思わず天を仰いだ。事態をややこしくしたのは自分なので、自業自得ではある。

 

「……して、我が師は何処に」

「えっと、アリスならファナティオ様の所で話していたけど」

「そうか……感謝する、アリス殿」

 

 そう言って、エルドリエはすっ飛んでいった。

 アリスはその後ろ姿を見ながら、密かに思う。

 

 ──エルドリエの師匠、私じゃなくて良かった

 

 アリスには悪いと思うけども、あの面倒臭さを相手にする必要が無い事に心底安心した。

 

 

 そう思われているとはつゆ知らず、エルドリエは本物の師の下を訪れた。

 

 エルドリエも久々に顔を合わせた副騎士長は、象徴的な鷹の兜を外し、普段晒さない美貌を惜しげもなく露わにしていた。

 なんでも、とある新人達と手合わせした時に発破を掛けられ、吹っ切れたそうだった。

 

 数ヶ月経つが、未だにその新米整合騎士と顔を合わせたことがない。

 一体どのような者なのかと気に懸かりつつ、三人で作戦本部へと赴いた。

 

「……となると、こっちはやりやすいがな。良いのか、アスナの嬢ちゃんは」

「構いません。正面衝突は、こちらとしても避けたい事態ですから」

「ふむ。ではアスナには、この位置で戦況を俯瞰すると良いじゃろうな。何かあれば、わしの使い魔を経由して報せよう」

「ありがとうございます、カーディナルさん」

「まあ、そう構えなくてもいいわよ。敵の第一波なんて、私の広範囲術式で一掃しちゃうし」

 

 中では、ベルクーリ、カーディナル、アドミニストレータ、そしてその隣に一人、神話に描かれた創世の女神の装束に身を包んだ、見知らぬ女性が話し込んでいるようだった。

 

 居るのですか……と、顔がひん曲がりそうになるのに耐えるアリスに対し、事情を知らないエルドリエ、そしてファナティオが訝しげに目を向けた。

 

「最高司祭様、彼女は……」

「そう言えば、まだ皆に公表してなかったわね。こちら、本物の創世神サマよ」

「……あの、自然に嘘つかないで下さい。二人が信じかけてます」

 

 というか、膝を折っていた。

 整合騎士である以上、最高司祭からそうと言われたらそうなのであるから、この反応はごく自然のことである。

 

 アドミニストレータはくすりと笑った。こういう場面を見て面白がるのは、どこぞの元老長譲りか。

 

 本来アスナに味方しないアリスまでもが、空気読んで下さい……と呆れ顔になっていたので、しれっとついた嘘をさも冗談のように片付けた。

 

「とまあ、アスナちゃんよ。天界から来た子だから、仲良くしてあげてね」

「「はっ」」

 

 彼女の部下達の変わり身の速さにも驚かされるが、それ以上に、彼らを意のままにしているアドミニストレータも十分に恐ろしい。

 

 先日の集まりから分かっていたように、ただの悪戯好きな人であるのが、唯一幸いか。

 敵には回したくない人物ランキング(アルゴ ユイ ユウキ 菊岡etc...)に堂々食い込んでくる勢いだ。

 

「そんじゃあ、三人にも明日の布陣を伝えておく。……エルドリエ、お前さんは左翼前方で、クレイと組んでもらう」

 

 エルドリエの眉がピクリと動く。

 組む、となる以上その人物も整合騎士なのだろうが、エルドリエは一度としてその名を聞いたことが無かった。

 

「……ふむ。クレイなる御仁は、寡聞にして存じ上げませんが」

「あー……あいつは滅多にカセドラルに帰らないんだったか。まあ会えば分かるさ。ファナティオは中央前方で先陣を切ってもらう。頼めるな?」

「はっ、閣下」

 

 エルドリエの脳裏に、いつかの師の言葉が反芻する。

 フェノメアの時と同じ様に、そのクレイとやらも実は相当な地位にある人物なのかもしれないと思うと、身震いすら覚える。

 

「それから、嬢ちゃんは」

「────私と一緒に、空で術式の準備ね」

 

 ベルクーリの言葉を遮ると、アドミニストレータはそう微笑みかける。

 アリスもアリスで、背筋を冷たい感覚が襲った。

 

 大規模殲滅術式を放つという大役を任されている上、それを神聖術の第一人者が隣で見ているのだ。いくら気の知れた上司とはいえ、緊張も一入というものである。

 

「よ、よろしくお願いします……」

「なぁに〜、その反応。私とアリスちゃんの仲じゃないの。今更固くならなくていいじゃない」

「いえ、そうでは……」

 

(我が師よ……!)

 

 エルドリエは、同じ境遇の師に同情した。

 この得も言われぬ外的圧力に、早速胃がキリキリしていた所だったのだ。

 

 師と弟子の謎の連帯感が生まれつつある中、大門周辺地図に置かれた複数の駒とにらめっこを続けていたアスナが、ふとベルクーリに尋ねた。

 

「他に騎士の人はいらっしゃらないのですか?」

「それなんだがな……カセドラルや央都の管理を四人、果ての山脈の警備に四人を当てると、確か、えー……何人だったか? 悪ぃな、数えるんなら得意だが、計算は苦手なもんでな」

 

 肩を竦めるベルクーリに、やれやれとカーディナルが溜息ながらに答えた。

 

「戦争に動員できる整合騎士は、合計で二十人じゃよ」

「二十人……それと五千の軍で勝てる見込みはありますか?」

「ふむ。想定では、騎士は最低十三人で勝てると見越していたが」

「……想定、ね」

 

 エルドリエ達は知る由もないが、アドミニストレータとカーディナルの言う想定とは、原作小説のことだ。

 

 人数などは読み込んでいなかったので記憶は朧気だが、描写されていた整合騎士は、ベルクーリ、ファナティオ、デュソルバート、シェータ、四旋剣の四人、レンリ、リネル、フィゼル、アリス、エルドリエの十三人だ。

 付け加えるなら、また別の世界で(アリシゼーション・ブレイディング)、最後方の予備軍としてイーディスが居るくらいである。

 

「暗黒騎士団は事前に引き抜いたから良いとして、暗黒術師団は……これも良いわね。どうせ私とアリスちゃんでリソース使い切っちゃうでしょうし」

「うむ。じゃが、暗黒術師には不確定要素のギルド長、ディーの存在がある。シャーロットの報告が正しければ、武装完全支配術をも身に付けておるようじゃしな。はてさて、困ったものじゃ……そうじゃろう、クィネラ?」

「う、ごめん……」

 

 がく、と俯きがちに謝った。

 アドミニストレータ本人からすれば、原因は自分にあるのでバツが悪い事この上ないので、こういう反応になる。

 

 が、ここは部下達の面前である。それを忘れていたアドミニストレータの顔がぴしりと固まった。

 

 せっかく積み上げてきた最高司祭としてのイメージに綻びが生まれかねない。

 いや、この際イメージなどどうでも良いのかもしれないが、欠片に残るクィネラとしてのプライドがそれを許せなかった。

 

「……とでも言うと思った? 残念ね、私、下げたくない頭は下げられな────っぎゃ!?」

 

 カーディナルの攻撃。

 アドミンの天命に200ダメージ。アドミンはうずくまった。

 

 最高司祭の危機にファナティオやエルドリエが構えかけたが、最高司祭の隣で生暖かい目を向けているだけのベルクーリを見て、佇まいを正した。アリスに至っては和やかそうに見ているだけだった。明確な裏切り行為である。

 

 我関せず焉とする裏切り者どもをキィッと睨むと、主犯であろうベルクーリの脛をゲシゲシと蹴り飛ばした。

 

「このっ」

「ぬおっ……!?」

 

 もとより、高優先度の武器を軽々と扱うアドミニストレータだ。その蹴りともなれば、ベルクーリと言えど顔を顰めずにはいられない。

 徐ろに脚をさすって諫言した。

 

「猊下……俺みたいな老骨に、この仕打ちは少々酷くありませんかね……?」

「……側にいたのだから、ちょっとは私を心配してくれてもいいでしょう」

 

 ぷい、とそっぽを向いた。

 ご機嫌が急降下していっているのは間違いない。

 

 困ったと頭を搔き、はてさてどうやって宥めたものかと、打開策を練る。

 

「あー……俺が悪かった、悪かったですって……」

 

 不敬を承知でアドミンの頭をぽんぽんと撫でてみると、ふっくらしていた頬がしぼんでいった。

 

 え、チョロい……と言いかけた口をどうにか封じ込めたアスナは、目の前で繰り広げられたカオスな惨状に、一体どう反応すればいいのか分からなかった。

 

 真剣そのものだった場が、一息に日常の風景に置き換わって、自然に受け入れられている。

 それは異質であるはずのに、ぴったりと馴染んでいる。

 

「……不思議ですね」

「お主にはそう見えるのじゃな」

「ええ。……この世界の命運を決める戦いですから、尚更に」

 

 SAO時代、生死を決めるフロアボスとの戦いでプレイヤーを纏め上げてきた経験から言わせれば、この空気は異質そのものなのだ。

 

 だが、カーディナルに言わせれば、単純な答えだった。

 

「わしらが、この戦いに負けるとでも?」

 

 ふん、と不敵な笑みを浮かべる。

 

「ああ、言おうとも。わしらはこの戦いに勝つ。そう言えるだけの戦力を持っている」

「……それが、揺るぎない自信に繋がっていると?」

「少なくとも、此奴とわしは絶対の自信を持っているじゃろうな」

 

 この義理の姉妹が共有するその記憶……前世という指標により、全てが揃ったこの状況がいかに盤石なものであるかを良く理解していた。

 

「あら、たまには嬉しい事を言ってくれるじゃない」

「紛う事なき事実じゃからな」

「……まったく、人を煽てるのが上手いんだから」

 

 その二人の余裕こそが、この不思議な空気感の根源。

 それが周囲にも伝播し、整合騎士達の士気を高めていた。

 

 ファナティオが前に出ると、アスナの不安を押し流すように、力強い言葉を授けた。

 

「最高司祭様が〝勝てる〟と仰るのです。であるのならば、この戦いに敗北など無い。我々が、決してそうはさせない」

 

 この心意気と、そうと言わせしめる最高司祭アドミニストレータには、アスナも脱帽するしかない。

 

 実際には、アドミニストレータのカリスマ性には《敬神モジュール》も大いに関わっているであろうが……それを抜きにしても、人を率いる力がある。

 ある種のカリスマを持っていた団長ヒースクリフ──もとい茅場晶彦を傍で見てきて、それをよく感じた。

 

 ただ、恋人(キリト)が語っていたような人物像と違って、抜けていて可愛らしい人のようだが。

 

 敵にもスーパーアカウント持ちが居ると知った時はどうなるかと思ったが、それに匹敵する人物が何人も味方してくれている

 

 ────この戦い、きっと勝てる

 

 そうすれば、敵もオーシャン・タートルから脱出を試みるだろう。

 後は比嘉さんや重村先生が、キリト君を助けてくれる。そうしたら二人でアンダーワールドを出ればいい。

 

 それで、全て丸く収められる。

 

 アスナは希望を胸に、刻々と迫るその時を待ち続ける。

 

 ……その後ろで、妖しげな二つの双眸が輝いているとは知らずに。

 

 




キリアスをアンダーワールドから絶対に出したくないウーマン二人。アスナさんの獅子身中の虫はすぐそこに……

あと威厳のないポンコツアドミンって最早かわいいだけでは(唐突


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。