ウマ娘ッ!クレイジー・ダービィーッッ!! (ウマ娘(たぬき))
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#001 鎮魂歌なら奏でない/旅路の果てに集いし星々

※冒頭より、競走馬の予後不良を想起させるシーンあり。


 

1

 

 

 一九九八年十一月、秋の天皇賞。快晴の良馬場を、全国から集いし優駿達が疾駆する中で、それは起きた。

 先頭を行く緑のメンコを付けた栗毛の馬が、突如としてその歩様を乱したのだ。

 

『ああっと!?先頭馬に故障発生です!なんという事だ!』

 

 一枠一番で出走していたその牡馬は、まごう事なき今大会の大本命。鞍上に「天才」と称される名ジョッキーを迎え、古馬となり馬体も仕上がったこともあってか、オッズは驚異の一.二倍。正に、彼の為に(あつら)えられたレースであった。しかし。

 

『これは大変!やはり府中の二〇〇〇mには、魔物が()んでいたッ!』

 

 得意の大逃げをブチかまし、破竹の勢いでコーナーを攻め立てる様は、観る者全てに驚愕を与える。そんな名馬は────丁度、第三コーナーを回った辺りでたたらを踏み、一瞬で馬群に呑まれた。おぼつかぬ足どりは、尋常ならざること明白。思うように動かぬ患部は……左前脚。素人目でも直ぐわかる。

 もう、()()()()

 

「なっ……!?」

 

 観客席からその様子を双眼鏡で覗いていた黒髪の少年は、降って沸いたアクシデントに驚愕する。

 

『敵は己自身!打ち勝つ事は出来ません!』

 

 後続とぶつからぬよう、なんとかコース外に馬体を持ち出そうとする騎手。鞍上を振り落とすまいと腐心し、よろめきながら歩く馬。激痛を堪えているだろう悲痛な様は、居合わせた観衆から声を奪うに十分であり。

 

「……おいおい、『また』かよッッ……!」

 

 まるで()()()()みたいな特徴的な髪型の少年は、唸るように拳を握った。

 

 

 

 

 2

 

 

 

 

 見立ては骨折。全治は不明。問題は、その後の余生の過ごし方。驚きを以って迎えた事故の今後を脳内で整理していけば、地頭は良いこの少年。()()()()()機転の速さ故か、血が上ったアタマは凪の如く冷静になっていく。

 

「じいちゃん。……あの怪我、現役引退だけで済むか?」

 

 策謀の海に思考を落とすと、傍らで観戦していた祖父に問いかける。落ち着き払うのがいやに早いのは、()()()()を以前に経たから。

 新幹線で実家のある東北くんだりから都会の競馬場に来て、観戦中に目の前で馬が故障する。そんな、ありがたくない光景を。

 

「……ううむ……正直、あの歩様では無理だろうよ」

 

 警察官を長年務め、非番の日には競馬観戦が趣味の一つであるナイスミドルは、意図して唇を湿らせ、語る。そうでもしないと、二の句が告げそうになかった。

 

「気の毒だが……予後不良は免れんな。おそらく診療所で診てもらってから『処置』をするだろうから、()()()()()()()とは思うが……」

 

 その場で投薬処置をするなら、馬の周りに天幕なりを張ってから行う筈。駆けつけた獣医らが誘導をかけ、馬運車も来ていることから、つまりそういう事なのだろう。重々しい顔立ちのまま、祖父が返すと。

 

「そうか。ならよじいちゃん、俺ァこれからちょ〜っと外すぜッ!」

 

 実の孫は生来のクレバーさでもって、何事かを考えついたらしい。用を成さなくなった単勝馬券をポケットに突っ込むと、瞬く間にターフから踵を返した。向かう先は……馬運車の行く先。

 

「外す!?って、どこに行くんじゃあ()()ッ!?」

 

「便所!場外で待っててくれッ!必ず戻っから!」

 

 そう言って瞬く間に人混みを掻き分けた彼は、あっという間に何処かへと駆けていく。

 G1レース一番人気の馬が、事故で競走停止。今頃はスポーツ新聞が号外を用意している事だろう。悲嘆と怒号に覆われる場内を、鮮やかに疾駆する。

 

 

 

 

 3

 

 

 

 

「ココも……ハズレかッ!クソッ!」

 

 器用に小声で悪態を吐きつつ、人の目と監視カメラの死角を縫って、壁に穴を開け進む。もちろん監視網も警戒しながら。尤も、平成初期の民生品カメラの精度は、令和のそれと比べれば玩具同然であるのだが。

 壁をブチ抜き、隠れながら走り回って、未だ収穫無し。事故発生から、この時点で既に二〇分が経過していた。

 

(間に合うか?!流石に、『絶命した後』じゃあどうにも出来ねーぞ……!)

 

 焦る。そういえば……奇しくも()()()()()()、宝塚記念を観戦した時もこんな事があった。あの時はその場で処置用の帷幕(いばく)が張られ始めたので、悲嘆のあまり気が触れた観客を()()()、負傷した馬に近づいた記憶がある。無論、係員に制止されたがなんのその。()m()の距離まで接近し、獣医や騎手らが此方に意識を向けた一瞬の隙を突いて『能力』を発動。喧騒に紛れて撤退した。

 黒くて小柄な馬で、その時ちょうど目が合ったのを覚えている。確か『淀の刺客』とか物騒なあだ名が付いていた気がする。歳を考えると、今頃は種牡馬でもやってるのだろうか。……にしても。

 

(二回観戦して、二回とも出走馬が故障ってのは、縁起でもねェーな……)

 

 自分の乗り物運の悪さが遠因かと、少し邪推。

 幼少期に高熱が出て死に掛けた時、病院に向かう為に乗っていた車が、偶然の降雪で立ち往生したことを思い出した。

 ……馬も公道では軽車両、すなわち乗り物として扱う事を考えると、自分は金輪際、乗馬体験牧場などの類には近寄らない方が良いのかも知れない。競馬場に来るのは今日を最後にしよう。そう、密かに固く決意した時。

 

「……おっしゃ、ビンゴだ」

 

 何度目かの壁をブチ抜いて。果たして目の前に現れた馬房に、()は居た。

 

 

 

 

 4

 

 

 

 

「お邪魔しまーす……ああ、急に物音立てて悪りィーな。怪しいモンだけどワルモンじゃあねェーんだ」

 

 伝わらないだろうが、馬に近付いて話しかける。唯一不幸中の幸いだったのは、今この瞬間、馬の周りにたまたま、図ったように人がいない事。

 この様子では薬を取りに行っているのか。だがいつ誰かが来るとも知れない。いずれにせよ直ちに去るべきだ。問題は症状だが。

 

(こりゃあ酷えな。単に折れてんじゃあない、()()てんのか)

 

 寝藁の上に力なく立つ、件の競走馬の姿は……直視に耐えぬ程に、痛々しかった。成る程、天井からフックで吊り下げられた布で胴を吊られ、プラプラと揺れる左脚が接地しないよう配慮されている。が、それだけだ。

 激痛ゆえか全身から滝の様に汗を流し、口からは泡を吹いている。胸郭は不規則に上下動し、息は荒い。麻酔を取り敢えず打ってもらった程度だろう。

 クビは力なく垂れ下がる中で、充血した眼だけはこちらを向き、警戒している。無理もない。馬は本来、臆病で警戒心の強い動物だ。大きな物音を立てて見知らぬ人間がテリトリーに入ってくれば、まずは逃げる。その素振りすら出来ぬ程に、衰弱度合いは深刻なようだった。

 

「馬に『同意書書け』なんて無理な話だからよォ〜、時間もねェーし勝手させてもらうぜ?つーわけで────」

 

 遠くから話し声、正確には啜り泣くような声と、説き伏せるような声音が聞こえる。おそらく数分もしない内に、スタッフ達が戻ってくるだろう。

 

「────ささやかだけど、快気祝いだ」

 

 氷山の一角を掬ったところで、毎年多くの競走馬が殺処分される現実は変わらない。走らぬ馬が駄馬とされ、桜肉になるのもありふれた話だ。経済動物と称される、その全てを救う事は出来ない。出来ると思うほど傲慢でもない。

 それでも『覚悟』を決めたのだ。自分が背負える分だけでも、助けられる罪無き命は、全て溢さず掬い上げると──!

 

クレイジー・ダイヤモンドッッ!!

 

 唱えし背後に顕現するは、銀に煌めく不可視の幽体。その拳の一振りで、全ては在るべき形に還る。

 

 

 

 

 5

 

 

 

 

「信じられん」

 

「何が起こったんでしょう……?」

 

「……馬房、留守にしてたのってどんくらいだ?」

 

「ほんの五分足らずです」

 

 数分後。悲痛な面持ちでやってきた関係者一同を出迎えたのは、ぶんぶんと尻尾を振る馬の姿であり。即座に獣医師達が検査を始めるも、全員がなんだか狐につままれたような面持ちだった。

 致死量の薬剤を携えた獣医をはじめとするスタッフの眼の前で、先程まで息も絶え絶えだった件の馬がすっくと立ち、何事も無かったように左脚を掻いているのだ。胴を吊っていた幕は何処にもなく、足元の寝藁は何故か瑞々しい。馬房はワックス掛けでもしたかのようにピカピカだ。いつの間に差し入れられたのか、もそもそとバナナまで食べている。

 

「不審者にでも入られたか?」

 

「まさか!中央競馬場のセキュリティを誰にもバレずに突破するなんて、数分じゃあ無理ですよ」

 

「それもそうか……いや、じゃあなんで置いてもないバナナなんか食べてんだ」

 

「ボクが知りたいっすそんなん……ご丁寧に一房ずつ皮剥いてボウルに入ってるし……」

 

 ヒトが話している間に馬の方はというと、気付けば四本目のバナナを平らげていた。時折、歩様を確認するかのように左脚を掻いている以外、別段代わり映えはない。

 ちなみに先程まで騎乗していたジョッキーは、たてがみに縋り付いておいおいと泣いている。普段クールで理知的な男であるのに、この珍事が余程に嬉しかったらしい。

 

「手術でもしたのか?」

 

「いや、脚に治療痕は……全く見当たらない……なんだこれは……?」

 

「そもそも馬服なんて着ていなかっただろう?誰が付けたんだ?」

 

「……この馬服、胴を吊ってた布と同じクリーム色だが……まさか……」

 

 粉砕骨折との見立てを下した獣医らは、おそるおそる左脚を触診した。が、痛がる素振りも全く見せない。完全に治っている。まるで『最初から、折れていなかったのでは』というレベルで。馬服に関してはもう意味が分からない。

 そんな時、仔馬の時から面倒を見てきた厩務員は思い至る。そう言えばここへ戻ってきた時、この馬は何をしていたのか、と。健康体で手持ち無沙汰な場合は、いつも左回りにクルクルする妙なクセがある。だが。

 

「壁?」

 

 窓もドアも無い、ただの灰色の壁。まるでそこに誰かいるのか、或いは何かがやってきたのか。耳を前へ向け、つぶらな両の眼でじっと、壁の一点を見つめていた。注視していれば、何者かの痕跡がわかるとでもいうのか。

 

「……そこに、何かあるのか?スズカ」

 

 しかし。スズカと呼ばれた馬は、単に己の名を呼ばれただけと解したのか。「ぶも」、と一声小さく啼いたのみであった。

 

「白昼夢にしちゃあ、悪趣味すぎないか?」

 

 怪奇現象だろう、と調教師はボヤく。確かにこの馬は一度、競争能力を失った。もう駄目だ、と関係者の誰もが思った。彼を仔馬の頃から手塩にかけて育ててきた厩務員、そして騎手が「やめてくれ」と懇願したため、皆で説得に当たらざるを得なかった。馬房に戻るのが遅くなった僅かな間に、スズカは馬頭観音にでも遭ったのだろうか。その数分のタイムラグが、命を救う事になったとでもいうのか。

 傍らでひとしきり泣き終えて目を赤くしていた騎手は、悪夢を拭うかの様に、いささか乱暴に目を擦って呟いた。

 

「…………大けやきの悪戯、でしょうかね」

 

 ────後に、史上最速のマイラーとして、近代競馬史に名を残した偉大な栗毛馬。九八年の天皇賞にて「幻の故障」と呼ばれた珍事の真実を知る者は、ただ一人しか居なかった。故に後年のアメリカ遠征に赴く直前、記者団にこの秋天の顛末を問われた主戦騎手は、「原因は分からないのではなく、無い」と即答している。

 

 そして、約一四年後。この世界はとある神父の超能力(スタンド)によって閉じられ、否応なしに分岐を辿る事となる。枝分かれした幾つもの並行世界の一つでは、競走馬の魂を宿した少女達が、今日も縦横無尽にターフを駆ける。

 新たな邂逅を果たした名バ達が織り成すのは、走り出す『物語』。

 肉体が……という意味だけで無く、青春から大人へ、という意味で────

 

 

 

 

 6

 

 

 

 

「……また、この夢?」

 

 やけに鮮明だけれど、あるはずのない事象を見て、モヤモヤする時がある。一度も会ったことがなくとも、忘れられない人がいる。ソレはウマ娘に宿る魂・ウマソウルがもたらす記憶……らしい。要出典。

 

(うーん……)

 

 西暦二〇XX年。東京都府中市にあるトレセン学園高等部所属の「私」ことサイレンススズカは、翌日に遠征を控えているにも関わらず、寮の自室で遅くまで考え事にふけっていた。

 中等部を卒業してからこの方、ずっと空いている隣のベッドには、こんど転入生が越してくるらしい。慣れない環境だろうし、出来るだけサポートはしてあげたい。……口下手の自覚がある私としては、話しやすい子だとありがたいのだけど。自分と同じタイプだったら、会話に詰まる自信しかない。

 

(……って、それ以前に、まずは自分の心配ですね)

 

 まだ見ぬ後輩の心配をする前に、まず自分がちゃんとしなければ。

 中央の門戸を叩くくらいだ、己の走りに自信はあった。入校後もあのマルゼン先輩らを擁する名門チーム・リギルにスカウトされた。そこまでは良かった。けれど、その先が伸びていかない。

位置取りは好位先行、適度に控え末脚で差す」。ルドルフ会長をはじめとする多くの名バが用いたこのやり方こそ最も確実な、いわば勝利の方程式。

 でもこの定石が私は、嫌で苦手で仕方なかった。バ群に埋もれると息苦しいし、無理にごちゃごちゃ考えると目の前が暗くなる。自主練しないと落ち着かないから、オーバーワーク厳禁と言われても追加で走りたくなる。けど。

 

(どう言い訳しても私の勝ちが遠のいてるのは、事実ですし)

 

 もちろん、今のトレーナーさんを嫌っているわけでは無い。彼女──東条ハナさんは凄く良い人だ。「キミのハイペースではいつか脚が壊れる」と釘を刺し、私のクセを考慮したメニューを組んでくれている。事実、蹄鉄の片減りも改善されてきた。

 でも、そんな統制を効かせるリギル式レーシングに……真綿で首を絞められるような、閉塞感を覚えているのだ。大事な試合の、前だと言うのに。

 

「………………今度こそ、勝たなきゃ」

 

 自分に言い聞かせる様に、ぽつり。独り言に返事をくれるかも知れない相部屋の子は、まだ居ない。

 

 

 

 

 7

 

 

 

 

 特に意味は無いけれど、よれた靴紐を固く結び直す。泥の跳ねたレース後の勝負服は、今の私にお似合いだった。

 

「…………五連敗、か」

 

 ゼッケンを付けたまま、諦観混じりに呟く。

 回想から数日後。異国の地・香港にて私は、自身が刻んだこれまでの戦績を、否応なしに振り返らざるを得なかった。

 日本ダービー、九着。神戸新聞杯、二着。秋天、六着。マイルCS、一五着。そして今回の香港カップ────五着。ウイニングライブは、辛うじて一度だけ。センターの振り付けは、もはや練習する意味が無い。

 

(…………帰ろう)

 

 一着の子に群がるカメラと、勝者の笑顔から目を背けるように、惨めたらしくターフを去る。敗者となった時に胃の腑に落ちる、冷たくて暗い感覚に絡め取られるように、足取りはどこまでも重い。

 あれ程までに焦がれた、生涯一度しか出られぬトゥインクル・シリーズ。そのクラシック戦線を、私は散々な結果で終える事になった。

 

(向いて、なかったのかな)

 

 フラフラと。夢遊病者のように飛行機に乗って帰国し、寮に戻ってベッドに突っ伏し、現実から逃避する。

 クラシック三冠なんて夢のまた夢。叩きの弥生賞で負けたから、皐月賞は出走権すら持ち得なかった。ダービーは惨敗。菊花賞はスタミナを懸念され、出走自体が潰えた。秋天に負けた事で、天皇賞連覇の夢も立ち消え。どころか、重賞だって覚束ない。……なんて、無様な。

 

「……私、どうやって」

 

 学園に来たことを、ちょっとだけ後悔した。昔から走るのは大好きだった。ただ楽しく駆け回れればそれで良かった。もう今は、無心で走れない。気持ちと身体が噛み合わない。ごちゃごちゃ考えているうちに理想のフォームは崩壊し、滅茶滅茶なメンタルだけが残った。

 

「どうやって、走ってたんでしょう」

 

 勝ち方を考えるのは大事なことだし、研鑽を怠るべきではない。でもそうして行くうちにいつのまにか、走りに楽しさを見出せなくなっていた。負け始めて最初の頃に感じていた「悔しい」という感情が、摩滅を始めてとうに久しい。あるのはただ、息苦しさ。

 

(なんで、こんなところに居るんだっけ)

 

 トレセン学園から毎年、志半ばにして去る子は一定数いる。地元じゃ負け知らずで意気揚々とやって来た子達が、ひと月も経たずに帰っていく光景は、もはや風物詩として知られる。……この部屋もじき、そうなるだろうか。

 

「…………泣いてるの、わたし……?」

 

 先日洗ったばかりの枕は、いつの間にか湿っていた。灯りを落とした部屋の中、毛布で顔まで覆い尽くし、わずかばかり現実から距離を取る。

 

 寒い。

 

 長い夜が、まだ明けない。

 

 

 

 

8

 

 

 

 

「新しいトレーナーさんが来る?」

 

 次の日。軽くメイクをして目元の腫れを無理矢理ごまかした私は、「タキオン」ことアグネスタキオンと一緒に大講堂の長椅子に腰掛けていた。件のトレーナーさんの紹介があるらしい。すでに多くの生徒達が集まってきており、喧騒でごった返している。

 

「でも、どうして秋のこんな時期に?」

 

 普通は四月ではないだろうか。アレかな、急な転勤とか?

 

「ああ。なんでもアメリカのトレセン学園に居たらしくてね。向こうだと年度切り替えは秋口だろう?都合が良いのはむしろ今、という訳だ」

 

「なるほど……」

 

 なんでも私が香港へ何日か遠征に出ている間に、そんな話がでてきたらしい。理事長から乞われての電撃移籍だそうだ。コーチングの対象として、伸び悩んでいる生徒が何名かピックアップされている、なんて話もあるらしく。

 

「それから……正誤は分からないが、高身長の美男子という噂だぞ?」

 

「あら、そうなの?タキオンの理想って面食いだったかしら?」

 

「私が、かい?いや、モルモット君に優れた面貌まで望まないさ。白衣の似合うヒトなら『素敵だ』、と思うかもしれないけどね」

 

「白衣……というと、タキオンの勝負服みたいな?」

 

「当たらずとも遠からず、かな。私が丈を余すような白衣を、完璧に着こなせるようなヒトなら或いは。もっともそんな人間は、化学者か医者くらいだろうけど」

 

「少なくともトレーナーではない、ってことね」

 

「ああ」

 

 さらり、とそこまで述べるタキオン。翻って、自分はどう思うだろうか。アメリカに親しい知己もいないので、正直そこまで興味をそそられない。ただ折角学園に来るのだし、良い指導で芽が出る子が居るといいな、なんて思ったり。

 

「……あのね、タキオン」

 

 そんな中で、心中を吐露する相手を求めて口を開く。こんな時、親友のエアグルーヴだったら止めに来るのは分かっている。もちろん彼女を軽視するわけじゃない。でも、より冷静な返答をくれるのは、きっと自分の脚の具合すら酷薄に分析出来る、目の前の彼女の方だろう。

 

「……なんだい?」

 

 ワントーン落ちた私の声音を捉えてか。笑顔を引っ込めたタキオンが、脚を組み直して私を見つめる。

 

「実はね。…………式が終わってから、詳しく言おうと思うんだけど。私、この学園を────」

 

 しかし。間髪入れずのルドルフ会長の司会進行が始まって、長台詞は遮られた。そして流れるような紹介を受けて「彼」が颯爽と登壇した、その瞬間に。

 

「……えっ?」

 

 タキオンに告げようとした諸々の言葉が、全て飛んでいって。

 

(あの人って、もしかして……!?)

 

 気付けば、釘付けになっていた。

 長い手脚。頑健な体躯。色白で彫りの深い面立ち。オールバックの黒髪に、垂れ目がちの碧眼。それはもしかしたら、夢の中で幾度も観た彼が、『成長したらこうなるのかな』と思えるくらいには、面影を残す姿だった。

 

(……いや、まだ早計かも分からない)

 

 もしかしたら他人の空似かも知れない。でも……もし、もし、声まで同じなら……!?……なんて、思っていたら。

 

『はじめまして。ご紹介にありました通り、今秋より米国トレセン学園より転属いたしました、東方仗助と申します。若輩者ではありますが、学園の福利厚生向上に努めると同時に、レースを通して日米の架け橋となれるよう尽力していきたい、と考えて────』

 

 ぽかんと、口が開いたのを自覚する。ウマ娘の聴力は、人間の可聴領域を軽く上回る。その上で判断すると。

 

「…………うそ」

 

 寸分違わず、同じだった。

 

 

 

 9

 

 

 

「スズカ?」

 

 壇上を凝視して動かぬ私を、訝しむ様にタキオンが案ずる。一方の私はというと、それどころではなかった。跳ね上がりそうになる尻尾を手で抑え付け、掛かり気味になる呼吸を殺す。

 コレだ。コレだコレだコレだ!

 

「……私、あの人知ってる……!」

 

「はっ?いやさっき、アメリカに知り合いなんていないって……」

 

 心がざわめく音がする。目が合う。気が合う。ウマが合う。いやもう絶対これは運命ッッ!!私の中のウマソウルが、かつて無いほど轟き叫ぶッ!

 

「夢の中で見たの!何度も!何度も!

 

あっ、ふーん…………

 

うわぁ……』という表情を見せるタキオンをさておき。思わず口角が上がるのを自覚する。その後の話なんて、全く耳に入っていない。まるで新しいオモチャを見つけた幼児の様に、心が快哉を叫んでいた。

 

 私の中のウマソウルが(いなな)くのなら、きっと彼と私は好相性のはず!一度でいい、ダメ元でいい、話を聞いて走りを見てもらおう!ここを辞すのは、それからだって遅く無いはず!

 今の気持ちを例えるなら、『天祐まさに、我にあり!』って感じで!

 

やっと、みつけた……!

 

 

 

 

 10

 

 

 

 

 式が終わるまで、黙って座っていたことを褒めてやりたい。今すぐ席を立ちたい思いで一杯だった。閉会のことばが結ばれたと同時、脱兎が如く駆け出した。

 

「失礼しますッ!」

 

 あちこちで偏執狂的な聞き込みを経て。保健室に挨拶に来ていたらしい、という彼の匂いを追って、ノックもそこそこにドアを開けた。あとから思えば失礼この上ない行動だった。

 

「あ、あのッ!」

 

 果たして、意中の人はそこにいた。私の頭で考える理想……というより、私の(ウマソウル)に直接働きかける、と言う意味での意中の人が。

 

「お、いらっしゃい。ワリィね、バタバタしちまってて」

 

 デスクから振り向きざまに返事をくれた。式の台詞とはうって変わって砕けた口調、どうにもこっちが素であるらしい。

 

「どっか悪いようには……見えねーな?今日はどうした嬢ちゃん?」

 

 ええっと。……落ち着け、落ち着け、深呼吸。マズイ、喋ろうとすると声が上擦る。

 

「い、いや特に故障とかではなくて、その……」

 

「ああ、サボりか?口裏なら合わせとくぜ」

 

「いいえいいえ健康体なので全然全く問題ないです!」

 

『掛かる』ってこういう時の事を言うのか!冷静に言葉を紡ごうとしても、心臓が早鐘を打ち出して、頭がまともに回らない!

 一方で彼はというと、私の反応を見つつ、出席簿のようなものに何事か書こうとする。

 

「そうか。ま、折角来たんだ、一応話くらいしてくか?取り敢えず、名前だけでも教えてくれ」

 

 あ。この期に及んで名乗ってなかった!

 

「申し遅れました、こ、高等部一年の、サイレンススズカでしゅっ……!」

 

 しかも噛んだ!は、恥ずかし過ぎる…………っ!……ところが黙って聞いていた彼、これにちょっと苦笑いしただけで。

 

「『サイレンススズカ』か。理事長から名前は聞いてっから知ってんぜ?才能の塊だ、ってな」

 

 苦笑いされてるぅ!しょ、初対面でこの体たらくは流石に堪える……!

 ……そんな訳で、挽回せねばとテンパりにテンパった結果。

 

「と」

 

「と?」

 

とりあえず、これから私と付き合ってください!

 

 勢い余って、手まで握ってシャウトした。そんなわけで、あの……いささか掛かり気味だったので。

 

もう私、貴方のことで頭がどうにかなりそうなんです!

 

「……お、おう……?」

 

 思いきり誤解を招く表現だったのは、大目に見ていただきたいんです。

 

 

 

 

 11

 

 

 

「ちがうんです……その、愛の告白とかじゃなくて……」

 

「し、仕方ないよ、生きてればそんな事もあるよ。ライスもそういう経験…………あ、いや、無いかも……

 

そりゃあそうよね……

 

「ご、ごめんね!非難するつもりじゃなかったの!」

 

 先程、私の爆弾(自爆)発言で凍った空気の保健室にタイミング悪く入ってきた、ライスシャワーに背中を摩られる。妙な空気が漂うのを光速で察し、くるりと踵を返そうとした彼女を引き留めて今に至る。

 彼──東方仗助さん──は兎も角、私が冷静になるのに、結局10分くらいかかった。

 

「ありがとう、ライス。……えっと、そのね。実は私、真面目な話があって来たの」

 

「おにい……仗助さんに?」

 

「ええ、もちろん」

 

 そう。何のために来たかって、凄腕トレーナーと噂のこの人に、私の走りを見てもらいたくて。

 

「ひ……じゃなくて、トレーナーさんは、もう指導する子を決めてたりするんですか?」

 

 ところが。

 

「トレーナー?」

 

 東方さんのカバンから、何やら取り出そうとしていたライスがぴくりと動きを止め、若干ぎこちなくこちらへ向き直る。……え?なにこの空気?

 

「……その、ええっと、スズカさん」

 

 どこか言いにくそうに、彼女は小さく告げた。同時に頬をかきつつ、東方さんも呟く。『確かに、自己紹介の時の説明じゃあ分かりづらかったか……?』なんて口ぶりのあとに。

 

「んー…………言うより何より、コレが一番分かりやすいか?」

 

『っつーかアレだ、ここに着いたらさっさと着替えとくべきだったな』と述べた彼がトランクから取り出し、颯爽と羽織ったのは。タキオンが纏うそれに酷似した、シミひとつない白衣。…………白衣?

 

「……トレーナーさんじゃなくて、お医者さんなんです。仗助さんは」

 

 ライスシャワーの柔らかい声音が、私の耳朶をひたと打つ。

 医師。ドクター。医療従事者。学園においても、確かに必要な役職なんだけど。……why?

 

「そーゆーこった。んじゃあ、改めて。日本トレセン学園所属の心療内科医・東方仗助だ。トレーナー業はかじった程度なんでな。()()()()()()()()()()()ってくらいなんだ、すまねェーな。まあ、よろしく頼むぜ?」

 

 カラッとした笑顔を向けた東方さんが、今しがた首から吊り下げたネームプレートには、顔写真と共に『Dr. HIGASHIKATA』と記されていた。

 そう。最初から最後まで、私の勘違いだったらしい。

 

「……そ、そうなんですね!早とちりしてすみませんでした……!」

 

 居た堪れなくなって、逃げるように足早に退室する。呼び止めるようなライスの声が聞こえた気がしたけれど、スルー。ごめんなさい、後で菓子折り持って謝りに行きます。だって。

 

(ライス、どこか居心地良さそうだったもの)

 

 なんとなく、私に付き合わせるのに気が引けたから。

 しかし。結果として、いきなり来ていきなり帰るとは、傍から見たら意味不明な女でしかない。勝手に期待していたヒトは、トレーナーさんでも何でも無い。走りを見てもらうアテが外れて、本来なら昨日みたいに、失意に塗れていておかしく無いのに。なのに。

 

 

 

(顔が熱い。拍動が落ち着かない。風邪……とは、多分違う)

 

 胸の高鳴りが一向に収まらないのは、何故だろう。

 

 

 

 




【ひとくちメモ】

・サイレンススズカ……掛かり気味。覚醒はまだ。

・アグネスタキオン……脚の爆弾がまだ解除されてない。

・ライスシャワー……間が悪い事が多い。私生活は幸せそう。

・東方仗助……当初は警察官志望だったが、色々あって医者になった。


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#002 『漆黒』の意思/最速の『左』

いまさらな世界観の解説(読み飛ばしても可)

・この世界線のウマ娘
……時間軸としてはアニメ一期前のパラレルワールド。主要キャラであるスズカとライスは前世の歴史が改変された影響で、搭載されたウマソウルに変化が生じている。
 要するにこのss、「怪我に苦しんだ名バが獲れなかった頂点を獲りに行く」RTA(なおガバ)。

・この世界線のジョジョ
……やはりパラレル時空。そもそも馬車が無い世界のため、一部冒頭の転落事故が発生しない。一巡も発生していないので正史と細部がかなり異なる。スタンドや波紋は存在するが、ssの主旨と外れるので極力闘わせない。
 他キャラも出す予定だが、あくまでトレセン学園が舞台のため、黒幕や裏方での出演が多くなる。とどのつまり、「拳を使わずとも覚悟で道を拓く」ジョジョの話。





 

 1

 

 

 日本トレセン学園、保健室。二学期初めに新任医師が越してきて以来、はや二週間の時が経った。この間、保健室への生徒の往来はひっきりなし。……と聞くと、さぞ生傷や怪我の絶えない少女達が多いのかと思いきや、しかし特段そんなことはなく。

 

『浜風を切り裂いて見事スタンドインッッ!今季四二号ですッ!流石は横浜(ハマ)の大砲、ここ一番でやってくれましたッッ!!』

 

あああアッ!?!なぁにを晒してるんですかッッっ!?

 

 部屋付の四〇インチTVに映る甲子園の実況中継をスマホ片手に眺めるは、野球をこよなく愛してやまぬ1人の()()()生。「ターフの名優(令嬢)」とも称されるその美しい面立ちを、しかし彼女は怒髪天をつかんとばかり、わなわなと震わせていた。

 

「まったくもうっ!フルカウントだからといって甘い球を置きに行くからですっ!ユタカの先発ノーノーが台無しじゃあありませんかっ!」

 

 画面を通して映し出される、シーズン終盤のデーゲーム。継投を失敗して逆転に持ち込まれた試合の流れは、完全に彼女が贔屓とする球団から離れており。傍らで彼女のカルテを書いていた部屋の主は、やんわりと釘を刺す。

 

「あのなあマックイーン。此処でマンガ読もうがTV観ようが自由だけどよ、保健室では静かにな?」

 

「……ゴホン、これは失礼ドクター。私としたことが取り乱しました。先程ウマッターで私のことを、『にわか珍カスだから推せない』などと煽る書き込みを見かけたもので、『だったら今から詳しく実況してやりますわ』と宣言したのが発端でして、ええ。普段はここまでしませんのよ?」

 

「いや、寮生でDAZN契約して野球観てるってウマ娘、俺は他に知らんぞ……?」

 

「……あの、何処からそれを?」

 

テイオー

 

「あ、あの子はどうして余計なことまで……っ!」

 

「ぶわっ」と出た冷や汗を拭う。無論、他にも野球好きの学生はいるが、ハイライトくらいしか観ない。むしろ多忙の合間を縫って、時折とは言えフルで観ている彼女・メジロマックイーンがレアケースである。

 試合展開に忿懣(ふんまん)やるかたないとばかり、テレビを消して仗助に顔を向けた彼女は。

 

「して、飛び込みで入ってきておいてなんですが、違う話もありまして」

 

「うん?」

 

 内心で「切り替え早ェーなあ……」と思いつつ、同意を示すと。

 

「……その、私のお婆様からのお話、と言えばお分かりですか?」

 

 申し訳なさそうな、どこか言いづらそうな顔で彼女は呟いた。

 

 

 

 

 2

 

 

 

 

「あー、大体わかった。メジロ家御当主さんからのスカウト、蹴ったことか?」

 

 これに彼女、我が意を得たとばかりの表情を見せた、が。

 

「ええ。一応、翻意されるおつもりは……無さそうですわね」

 

「ああ」

 

 血筋ゆえかこの男、一度決めたらなかなか反故にしない主義である。

 

「……そうですか。残念ですが、御本人がそう仰るなら致し方ありませんの。でもお婆様、『袖にされた』と泣いておりましたよ?」

 

「おいおい、嘘泣きだろ?あの女傑はそんな程度で泣かねえって」

 

「あら、アレで意外と繊細な方でしてよ?」

 

「そりゃあ違いねぇ。孫もそう見える

 

「まあ。お上手ですね。……ん、今私ディスられました?

 

「んなこたねェーって。……おし、んじゃあ話戻すけど、不安部位の触診だけするぜ?」

 

「あ、はい。お願いします」

 

 本題はそっち。膝あたりまで捲ってくれるか?、と促されるまま手が触れた……瞬間。

 

「ひゃっ!?」

 

「悪い!大丈夫か?」

 

「い、いえ身構えていてもちょっと吃驚しただけで別に殿方の手が太腿を撫でる感覚が未知のもので普通は嫌だと思うのでしょうがなんでしょう不思議とそこまで…………って、ドクター?」

 

 マックイーンの誰何(すいか)に反応はない。どころか、こちらの脚部──いや、患部だろうか──を診る彼の眼光が、やけに鋭い。引き絞られた青い眼は、一切の横槍を許さぬとばかり、動作確認に神経を注いでいる。足首と膝の可動域を確認された、そのあと。

 

「…………此処か」

 

 彼は────何かに『アタリを付ける』ような仕草を一瞬見せ、再び彼女の脚に『手を添えた』。途端。

 

「……えっ?」

 

 先日からずっと感じていた、脚の僅かな違和感が。()()()()()()()()()

 

 

 

 

 3

 

 

 

 

 一仕事終えた感のある保険医は、彼女のまえで「フー……ッ」と軽く息を吐く。まるで『間に合ってよかった』というような、安堵の表情であった。

 

「そのままで聞いてくれ。(けい)靭帯炎の兆候かと思ったが、もう今治した(なんともない)。ただ今後は走り方を若干、『修正』する必要がある。後でタブレットにデータ送っとくからチェックしといてくれ」

 

けいっ……

 

 事実なら引退濃厚ともされる故障を示唆され、血の気が引いていく感覚をマックイーンは覚えた。青褪めた患者をフォローするように、校医は続ける。

 

「悪りィわりィ、脅かそうと思ったわけじゃあないんだ。つっても過信はしねェーで、セカンドオピニオンは求めてくれよ?俺の本業、メンタル面の治療だからな?」

 

 だが、彼女は返答するどころでは無かった。

 

(……なんですの、これは……!?)

 

 それは、かのメジロの令嬢を以ってしても()()()()()であったッ!脚に『わずかな違和感』を覚えたから此処に来たのに、一片残らずたちどころに消えたのだからッ!

 

(手品?奇術?あるいは詐術?単なるプラシーボ効果?……いいえ、断じて否ッ!私の脚は今、確実に『プラス』の方向へと向かったッ!ただしその『理由』まではわからないッ……!分かっているのは眼前の、初対面のこの医師に、『何か』をされたということだけッ!)

 

「……ドクター、東方」

 

 面を上げ、静かに訊ねるッ!彼女は今、無性に、とてつも無く、十全に『納得』したかったのだ!!

 

(学園の商売道具でもあるウマ娘(わたくしたち)の脚には、とんでもない額の保険金が掛けられているッ!その事実を、米国トレセン学園に勤めたこの方が()()()()()()()()ッッ!!)

 

 G1タイトルホルダーともなれば「同じ重さの銀より高価」、と称される彼女達の脚を、事後報告で弄くり回す!そんな事が出来るのは余程の『ド低脳(クサレ脳ミソ)』か、もしくは────余程、自分に自信のある奴のどちらかだろうッ!そして間違いなく、彼は『後者』の人間だッ!

 

「……これは……一体()()()()ことなんですの……?」

 

 しかし問うた瞬間、マックイーンの耳がピクリと動いた。聞きつけたのは、この部屋に誰かが来る足音。……潮時か。

 

「……聞いておいてごめんなさい。『飛び込み』だと、どうにもここまでのようですわね」

 

「ん?………………ああ、()()()()事か」

 

 遅ればせながら察した仗助が納得したタイミングで。ドアの前に、音の主が到着し。

 

「『予約時間』だ。先客は居るがノックは要らねーぜ、()()()

 

「はいっ!じゃあお言葉に甘えまして……ってあら、マックイーンも来てたのね?」

 

 ひょこ、と首を覗かせたのは、先日紆余曲折を経てリギルからスピカへと移籍したウマ娘、サイレンススズカであった。

 

 

 

 

 4

 

 

 

 

また後日、じっくり伺わせて頂きますわ』。ちょっと気になるセリフを残したマックイーンを見送ると、おもむろに私──サイレンススズカは、東方さんへと向き直った。予約を入れたからには、もちろん聞いて欲しいことがあるゆえだ。

 

「どうだ、最近調子は?」

 

「戦法を変えてから良い方に戻りつつあります、おかげさまで。……あ、そうそう私、先週のヤンジャンでグラビアに載ったんですけど」

 

「俺も見たぜ。ゴールドシップが焼き増しで配布してたヤツだろ?」

 

「はい。いやでも、バストアップの写真で『最速の機能美』って煽り、悪意あると思いません?」

 

「気にしなくて良いと思うけどよォー……」

 

「参考までに東方さん、先週号に載ってた()の中で誰が一番好きですか?」

 

「生徒にンなコト言わねーぞ?」

 

「そこをなんとか」

 

「ならない」

 

「…………あ、あの、大変失礼なんですが……もしかして幼女趣味だったり「ノーマルだ」あっ、ハイ」

 

 良かった、流石にそれはもうどうしようもない。タキオンあたりなら、「なら私が試薬で小さくなってみよう」、とか言い出すかもしれないけれど。

 

「まあアレだ、なんつーか……吹っ切った、って顔してんな、お前さん」

 

「……出てました?顔に」

 

 あらら。世間話でお茶を濁してからと思ったけど、筒抜けだったみたいだ。

 

「そのツラ見りゃあ大体わかる。仁義は切ってきたんだろ?」

 

「ええ。ついさっき会えたオペラオーの分も含めて、全員分済ませてきました。せめてもの()()()ですから」

 

 仁義……すなわち、チーム・リギルへのお別れの挨拶だ。

 

「ご苦労さん。おハナさんはなんて?」

 

「『謝らなくて良いのよ。むしろ貴女のポテンシャルを引き出せなかった私に責任がある』、と」

 

「……出来た人だな」

 

「ええ、本当に。私にはもったいないくらいのお人でした」

 

 もちろんリギルのメンバー一〇人にも、一人ひとり挨拶して回った。会長とグルーヴをはじめ、何くれとなく気にかけてくれたマルゼン先輩、グラスにエル……。おハナさん──東条トレーナーの面子を潰すに等しい行為ゆえ、『メンバーの誰かに殴られるくらいは甘受すべきだ』、と腹を括って臨んだのだけれど。

『名残惜しいけど、スピカにお嫁に行ってきなさい。いつかまた、ターフで会いましょう』。……おハナさんの言葉を結びに、皆快く送り出してくれた。

 

「……この恩は、これからの『走り』で返すつもりです」

 

「頑張れよ。……新しいトレーナーのとこはどうだ?冲野だったよな?」

 

「いい人ですよ?脚触られたりはしましたけど…………あの、なんで電話かけ出したんですか東方さん」

 

「いや、ハラスメントで理事長に通報すっかなと」

 

「や、やめてください!ホントは素敵な人なんです!きっと!たぶん!

 

「DV男を庇う彼女みてーなこと言うなって……マジでいいのか?」

 

「いいですいいです!トレーナーさんいなくなったらスピカが空中分解しちゃいます!」

 

 慌てて受話器を抑えて説得。まあ、太腿(トモ)の張り具合を知りたかっただけみたいだし。私も思わず蹴り飛ばしたからおあいこだろう。え、あいこじゃない?そんなぁ。

 

「『まだちょっと細いかもな、もっと筋トレしてダスカみたくムチムチを目指してもいいんじゃないか?』って言って、スカーレットにも蹴られてました」

 

「何言ってんだアイツは……。……筋トレ用品なら、一応こんなんで良けりゃあ有るぜ?」

 

「なんですかこれ……プロテイン入りバナナシェイク?」

 

「貰い物だ。七箱あるし良かったら飲むか?特保(トクホ)の試供品だけど」

 

「いいんですか?」

 

「感想シートに記入してくれりゃあ幾つでも」

 

「頂きます!」

 

 ご好意に甘えて有り難く頂戴し、その日の夜、試しに一本寮部屋で頂いた。

 

「うーん、初めて飲むのに何か懐かしい味…………って、あら……?」

 

 なんで、そんな感想が出てきたのかしら。またウマソウル案件

 なんとも名伏しがたい、妙な感覚が頭をよぎる。何故だろう。ずっと昔、自分でも覚えていないような頃に……彼に、こうして奢ってもらったような気がした。

 

 

 

 

 5

 

 

 

 

「ライスの話が聞きたい?」

 

 業後の自主トレを終えたあと、人けの少なくなった更衣室にて。たまたま鉢合わせしたライスシャワーに、私・サイレンススズカは雑談がてら思い切って話し掛けた。すると。

 

「学食のお米はもうじき新米らしいよ?北海道産のコシヒカリとゆめぴりかだって」

 

「はえ〜、温暖化で暖冬だし、今は本州じゃなくても稲作が出来るのねぇ……いや、じゃなくて!(ライス)じゃなくて貴女の話!ライスシャワーの!」

 

「ああ、(ライス)

 

「うん。……うん?

 

「大丈夫、伝わってるよ?」

 

 コントみたいな会話をした後、取り付けたのは了承のサイン。ただし、彼女は若干苦い顔をしていた。誰かに話すには、少々躊躇われるような事があるのだろうか。であれば……聞くべきじゃないわね、うん。

 

「あ……ごめんなさい、話しづらければ全然大丈夫なの!この話はなかったことに……」

 

「いや、そんな事ないよ?でも……長いし、半分以上は暗い話だよ?正直、あんまり面白くないよ?あとね……」

 

 そこで一旦瞑目したあと、ライスはまるで、『不甲斐ない過去の自分を悔いている』、かのような表情を私に見せた。いや、むしろ後悔というより……韜晦(とうかい)か。

 蒼い焔がその左眼にボウッ、と一瞬、宿ったように幻視した。

 

「……スズカさん、グロテスクな話に耐性ある?

 

「えっ」

 

 不穏な言葉を前置きした後で。翌日、カフェテリアで彼女が語ってくれたのは、確かに暗く、けれど……これからの私の『』を指し示す、確かな一助になる話だった。

 

 

 

 

 6

 

 

 

 

 ────あれは確か、『私』ことライスシャワーが、中等部に入ってからのことだった。レースに初出走すると決まってから、数日経って迎えた夏休みの半ば。商船業を営む実家の仕事の関係で、家族共々アメリカはテキサス州まで赴いていた時分のできごと。

 

「わああ……!」

 

 一日がかりの商談がある父母と離れ、お祖母様と先んじてホテルに着いていた(ライス)はその日、サプライズで初めて貰った勝負服に有頂天になっていた。

 青い薔薇を象った帽子、オフショルのドレス、ワンポイントに斜め掛けのベルト。シックな装いの落ち着いたデザインで、私は一目で気に入った。

 

「喜んでくれて何よりよ。じゃあ、私は支配人さんとお話ししてくるからね。何かあればスマホで呼んでちょうだい?」

 

「はーい!」

 

 おばあ様の言葉に答えて、ホテルから外へ踏み出す。正直、すごくワクワクしていた。これを着て、軽く走ってみたい。試運転感覚で私は、信号も交差点も人影もない、思い切り走れる場所を探して、スマホのマップ片手にうろうろしていると。

 

「すごっ、何ここ……?」

 

 小走りしながら辿り着いたのは、ローンスターパーク・レーストラック。シーズンを外しているからか、人も少なく閑散としたそこは、当時中等部だった私には、余りにも大きく見えた。

 芝ではなくダート。右回りではなく左回り。スケート場も併設されており、『競技』色の強い日本や欧州のレースと異なり、『エンターテイメント』性を重視するアメリカらしい、豪快さを垣間見ることが出来たし、なにより。

 

「こんな大きいレース場、初めて見た……!」

 

 整備された大規模グラウンド。抜けるようなテキサスの青空。乾いた清涼な空気。日本のそれとはまた違った雄大な大自然の中、私は思わず駆け出していて。

 

「あははっ♪」

 

 気付けば、全力で走っていた。周りに誰もいない中で思い切り走るのは、まるで新雪降りたてのスキー場を貸し切りで滑り降りるような、そんな爽快感に満ちていて。

 

(最近は、ホントにいい事続きだなっ!赤信号にも引っ掛からないし、鳥のフンも落ちてこない!お財布も失くさなくなったし……!)

 

 その頃の私は、有り体に言って浮かれていた。私は幼少期から、運悪く貧乏クジを引いたりすることが多かった。それがトレセン学園に入学して以来、パッタリと止んでいたのだ。やっと自分にも『ツキ』というのが回ってきたのかと、安堵しつつあった頃だった。

 だからだろうか。その日の私は、()()()()()()()()()()()()()()()()くる可能性に、気付かなかった。

 

 なんの気なしに第三コーナーを回った瞬間。……いつのまにか、()()()()解け、伸びきっていた足首のリボンを、私は気付かずに思い切り──踏み付けた。

 

「な」

 

 踏んだリボンが脚に絡まった時、時速六〇キロは超えていたと思う。外ラチを走っていたから、目の前にフェンスがあって。

 だから。ぶつかったら大事故になる。これが最善手。そう思って、リボンに引っ張られた足を咄嗟に捻ったのが────最悪手だった。

 

「しまっ……」

 

ボギンッッ!!…………前触れもなく、破砕音みたいな、身体から出てはいけない音がして。私は制動も出来ずにつんのめり、きりもみ回転するように柵へと叩きつけられた。

 一回転、二回転。ぶつかった柵が折れ、身体が場外まで投げ出され。矮躯が歪み、脳が揺れる。身体の下敷きになった左脚が、やけに熱く感じて────目をやると。

 

「a」

 

 声にならなかった。先程まで全力駆動していた、私の左脚は…………骨が肉を突き抜け、外へ剥き出しになっていた。

 

 

 

 

 7

 

 

 

 

────ああaアアアaaアッahh?!

 

 自分でも聞いた事のないような猿叫が、己の口から放たれる。間欠泉の如く一気に傷口から鮮血が()()()()、意識が遠のく。歩こうとしても全く起き上がれない。動けない。どうにも……大動脈を損傷したようだった。

 

「がgッ、ゴフッ……」

 

 息が、うまく出来ない。捻じ切れた皮膚と筋繊維と血管は、出来の悪い現代アートみたいで。一部は骨から剥離して、髄液までが溢れていた。ピンクと、白と、黄色と。焼きごてを押し付けられたような感覚が、「痛覚」であると分かった瞬間。

 

痛……ッ────!!

 

 痛い。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!

 血、止まって!止まってッ!お願いだからッッ!これ以上失血すれば本当に死んじゃ────

 

あぐッ…………ゔ、ヴaあぁあッ…………!

 

 やっちゃった、どうしよう、どうしようどうしよう!?ほとんどパニック状態で、まともに頭が回らない。いっそ失神できればどれだけ楽だっただろう。

 苦し紛れに手で傷口を抑えようにも、全く効果がない。瞬く間に涙が溢れ、大出血で目の焦点は合わなくなり、歯の根はまるで噛み合わない。傷口は痛くて熱くてたまらないのに、襲ってくる寒気と怖気で身体が硬直する。

 

(きゅうきゅうしゃ呼ば、えっと、あ……スマホ、すたーと地点におきっぱな、し……)

 

 ……その先は、脳が散漫な思考すら拒否した。感覚を失った左の爪先が、死後硬直みたいに意思に反して痙攣する。

 

「フュー……、フュー……」

 

 口から、ガスの抜けたような音がする。苦しい。過呼吸で、肺に上手く空気が入っていかない。這いずって移動することも、出来なかった。ペタ、と頬が濡れたのは……己の発した血溜まりが、顔まで浸しに来た証左。

 左脚、どころじゃない。向かう先は緩慢ですらない──────苦痛に満ちた、死。いっそ「舌を噛み切った方が楽かも」とまで考えた、そんな時。

 

 

おい、誰かいんのか!?さっきすげー音がし……ッッ!?

 

 血の海の中。今際の際に、切羽詰まった男の人の声が聞こえて。そこで今度こそ、私の意識は闇へと落ちた。

 

 

 

 

 8

 

 

 

 

 目が覚めると、医務室の天井がそこにあった。

 

「ッッ…………!?」

 

 がば、と。掛け布団を勢いよく捲り、ベッドの上で驚愕する。

 

「……なんで、生きてるの?ライス…………」

 

 私たしか、脚が折れて。そこまで考えて、異変に気付く。

 

「あれ…………?」

 

 服は病院着になり、左腕は点滴に繋がれている。そんな程度の違いこそあれど。……左脚は、なんともなかった。まるで、怪我なんて最初からなかったみたいに、傷一つなくそこにあった。

 

「あんなの、あんなのが、夢だったの…………?……ゔ…………ッ!?」

 

 傷口の断面と、吹き出した体組織を思い出して、猛烈な吐き気がこみ上げる。自分の身体だというのに。急いで、手近にあった洗面器を引っ掴んだ。

 

「ゔ……お……えッ…………」

 

 薄い胸を抑えて、えづく。胃の中は空っぽだったからか、胃液しか出なかった。

 

(……あの時、わたし、確実に)

 

 折れた筈だった。多分、いや、間違いなく死んでいた。よくて下肢切断レベルの大怪我だった。

 

「がふッ…………ゔっ……」

 

 何か、忘れてることが多すぎる気がする。あれから何時間経った?今は何月何日?ここは何処?誰が私を運んでくれたの?

 混乱のあまり、ベッド脇のナースコールらしきボタンを押すことに思い至ったのは、部屋付のシンクで汚した洗面器を洗い、口をゆすいでからだった。

 そんな時。

 

もしもぉ〜し?

 

「わひゃあああっ!!?」

 

 背後から柔らかい声音と共に、入り口のドアがスライドする音を聞いた。急いで振り向くと同時、誰かに覗き込まれている気がする、も。

 

「……だ、誰?何処にいるの?」

 

 声はするのに、なぜか姿()()()()()()。仕方ないのであてもなく、虚空に向かって話しかけた時。

 

「ありゃ?……あ、やらかした!()()()()()まんまだったか!」

 

 そういうと、まるで……SF作品に出てくるような光学迷彩を解除するように。黒髪の女の子が、何もない空間から姿を現した。尻尾もないし、耳の位置もヒトのもの。紛れもない人間……だと思うんだけど。

 

「じゃじゃーん!コレで見えるよね?でしょ?うん、見える見える!」

 

「な、なんですか、()()……!?」

 

 急に現れた一時的な衝撃で、吐き気も忘れて私は問いかけた。な、なに?映画とかでよくある、透明人間?

 

「いやぁ〜悪いねぇびっくりさせちゃって?あたしは(しずか)=ジョースター。ここに居るのは義父(パパ)の会社がこのレース場の管理(オーナー)してるからだよん♪」

 

 貴女のスマホから勝手に親御さんまで連絡させてもらったよ、と言う彼女は、立て板に水のごとき口調でペラペラと話し出し。

 

「あと透明化(コレ)はね、親族勢揃いで『DIOの残党共を壊滅させた』時以来のクセでね〜?直さなきゃとは思ってんだけど……ってあたしの話はどーでも良いや!まずは……」

 

 というと彼女、部屋の外へ向かって大きな声で呼びかけた。

 

お義兄ちゃーん!患者さん起きたよー!

 

 とまあ、そんな感じで。「静・ジョースター」と名乗った彼女──のちにお姉さまと呼ぶことになる──との初邂逅は、実にフレンドリーなものだった。

 更に、そこから間を置かずして。

 

「────はじめまして、東方仗助ってもんだ。色々いきなりで混乱してんだろーけど、まあとりあえず、脚の説明するってとこからか?」

 

 呼び掛けに応えてやって来たそのヒトと、初めて目が合った時。

 

(あれ……?)

 

 ドクン、と。その青い眼に、自分の知らぬ原初の記憶を呼び起こされたような、そんな気がして。

 

(ライス)、この人のこと、知ってる……!?)

 

 私自身も予期しない、自分の中の琴線に何かが触れた。

 

 

 

 

 9

 

 

 

 

 ガチリ、と時計の秒針が鳴る音で、現実に引き戻される。自分がいつの間にか固唾を飲んでいたことに、その時初めて気がついた。

 

「昔話はこれで終わり。……あんまり、面白くはなかったでしょ?」

 

「いいえ!そんな事ないわ!」

 

 舞台を現代に戻して、カフェテリア。私──サイレンススズカはライスシャワーの話を、ただ息を呑んで聞いていた。彼女が中等部の時、初出走を半年近く延期していたのは知っている。今なら分かる、その表向きの理由は。

 

「『スランプ』って風の噂で聞いてたけど……」

 

「ううん。本当はPTSDの治療。全力で走れるようになるまで結局、半年かかっちゃったの」

 

 あはは、と苦笑いを浮かべるライス。なんでもないように話しているけれど、フラッシュバックや恐怖と闘いながら、苦心して今の自分にたどり着いたようだった。

 

「……知らなかったわ。元通り走れるようになったのは良かったけれど、ライスが昔、そんな大怪我していたなんて……」

 

 凄絶な話だった。その頃まだ心療内科医の卵だった東方さんに治療や指導を受けつつ、二人三脚で頑張ってきたのだそう。やがて「お兄さま」と呼ぶようになったのは、彼女なりの親愛の証のようだ。

 

「それに『クレイジー・ダイヤモンド』……?東方さんって、何者……?」

 

 狂った金剛石。そんなバチカンで奇跡認定されそうな異能については、後でまたおいおい聞くとして。

 ライスの言うお兄さま……東方さんの親族はアメリカで不動産業を営んでおり、件のテキサスのレース場も管理されていたらしい。ライスの実家は商船会社を経営する傍ら、ホテル業もしている関係で、業務提携の話が持ち上がったのだとか。以来、家族ぐるみの付き合いが続いているそうで。

 

「うーん、…………『誇り』をくれる人、かな?」

 

「誇り?」

 

「うん。一緒にいるだけでも、卑屈な自分が変わっていく。覚悟を決めれば、自分に誇りを持てるようになる。そんな気持ちにさせてくれる人」

 

 彼曰く、『身体の怪我なんて問題じゃあねェーよ。大事なのは(ココ)だ』だそう。医者らしからぬ発言だけど、今なら納得。

 

「恥ずかしくて中々、本人に面と向かっては言えないんだけどね?あとは……これかな?」

 

 照れ笑いする彼女が、おもむろにスクールバッグから取り出してくれたのは、一振りの短剣。

 

「それって……ライスが勝負服につけてる懐剣、よね?」

 

「うん。これはね、お兄さまからのプレゼントなの。G1に初めて挑んだ時に貰ったもの」

 

 刀身に「LUCK」と銘打たれた短剣は、かつて彼のご先祖が振るった長剣の残骸を回収し、打ち直したモノらしい。「吸血鬼との闘いで破壊された」という伝承を秘めるソレは、今はライスの腰に帯びられている。

『危険物持ち込み禁止』のレース規定を満たすために刃を潰してあるから、斬れ味は無いけれど。『この剣にたくさんの幸運(LUCK)と、そして勇気(PLUCK)を貰っている』……宝物を抱くように、ライスは述べた。

 

 そんな二人が出逢った、言ってみれば幸運の地は。

 

「……アメリカ、ねえ」

 

 独り言のように呟くと。

 

「……これはライスの偏見だけど、ね。スズカさんには、アメリカは結構合ってると思うよ?」

 

「へ?」

 

「だって、向こうのレースコースは全て、()()()だもの」

 

「あっ」

 

 そう。競技としての公平性を重視するアメリカは、競バ場の規格が連邦全域で統一されているらしい。そして私といえば、現在進行形で蹄鉄が片減りするくらいの左回りフリーク。右回りより圧倒的にタイムも早い。

 

「『いつか』の話だけど、目指してみてもいいんじゃない?ってライスは思うな?」

 

 海の向こう。日本とは成り立ちも、考え方も、何もかもが異なる地。世界一を目指すアスリートが綺羅星の如く集う、スポーツのメッカ。

 ならば、一介の競技者でもある、私がいずれ目指すべきは。

 

(アメリカ、か…………)

 

 私には、好きな走り方がある。──誰もいない、真っさらな先頭をひた走りつつけてぶっ千切る、脳が焼き切れるくらい爽快な大逃げ。

 

 私には目標がある。──これまでに受けた恩を返すため、スピカで誰にも負けない走りを見せ、結果を残すこと。

 

 そして、ライスと語り明かしたその日。私に大きな、『夢』が出来た。

 

 ────『左』で、世界の頂点に立つことだ

 

 

 

 

 




【ひとくちメモ】

○ウマ娘

・ユタカ……たぶん投手兼野手の二刀流。

・マックイーン……セリーグ派だけどパリーグTVもチャンネル登録してる。

・ライス……一人称は会話する時は「ライス」、思考する際は「私」で統一。怪我は概ね史実準拠。実家業は馬主さんの稼業から引用。彼女の夢はまた次回。

・スズカ……今話はこの子の目標設定回。「先頭の景色は譲らない」「大逃げで恩返し」「目指せ左最強」の三本立て。


○ジョジョ

・スタンド……ヒトと同じく、ウマ娘でも基本的に見えない。

・静=ジョースター……4部原作だけだとキャラが分からないので捏造。

・DIOの残党……ジョースターの親族と財団、パッショーネ総出で討伐。弓と矢は全て破壊済。まともに描写すると本筋と逸れる上、大長編になるので割愛。


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#003 ライスシャワーは砕けない/眠れる奴隷、目醒めし時

ライスの目標設定回。


 この私──ライスシャワーには密かな、しかし大それた夢が()()()ある。

 

 ひとつは、とあるレースで一着を獲ること。具体的に言えば毎年、米国で行われる『ブリーダーズカップ・ワールド・チャンピオンシップ』で、だ。この北米大陸最高峰のレースは奇しくも来年、私にとって──色んな意味での──思い出の地でもある、「ローンスターパーク・レーストラック」にて開催が決定している。

 

 あくまでクラシックの頂点を競う日本ダービーや英仏の2000ギニーと異なり、バ体が完成された猛者が世界中からやってくる、という特徴もある。賞金が総額2000万ドルを超えるということもあってか、海外では注目度も高い。そんな中、日本勢の戦績は未だ奮わない。

 ダートが主流であり、『芝』は傍流とされるアメリカ特有の価値観が、日本勢の意欲を削いでいることもある。『海外遠征で狙うなら、まず欧州を優先する』という日本ウマ娘の風潮もある。

 だけど……ウマ娘がレースを避けていては、未来永劫『夢』にたどり着くことは出来はしない。それに。

 

(……英国ダービーもケンタッキーダービーも、規定でクラシック級の子たちしか挑戦出来ない。でも現実として、トレセン学園の生徒の中でも、クラシック戦線を消化不良で終える子たちの方が……圧倒的に、多い)

 

 かくいう私だって、三冠もティアラも持っていない。……ブルボンさんの三冠を阻んだのは私だけれど。

 現状に鬱屈した思いをどこかで抱え、まだ見ぬ『本領』を発揮したいと望む生徒は、私以外にもきっと居るはず。

 もし、その現状にも一石を投じたいと願ったなら、必要なのは。

 

(────『結果』に至るまでの『過程』を、正しきものとすること……なんでしょう、ね)

 

 背に星の痣を持つ人々と長年付き合ううちに心に刻まれた、己の思考を内省しつつ。

 スクールバッグへ御守りがわりに忍ばせた短剣を一瞥(いちべつ)し、静かに保健室のドアをノックする。

 そうそう、二つ目の夢をまだ語っていなかった。それは────

 

 

「つまりですねドクター。ライスは出来れば『在学中に貴方とうまぴょいしたい』と考えて────」

 

「ちょっと何言ってるんですブルボンさぁん!!??」

 

 一瞬で引き戻された。

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

「……ライスこそ、いきなりなにやってんだ?」

 

 ダイナミック入室を果たした私に掛けられたのは、呆れ半分のお兄さまの声。……うう、こんな醜態を晒したくなかった。

 

「い、いやいやいやいや、お兄さまコレはすこォ〜し取り乱しただけっ!ライスはいつも通りのライスだよ?」

 

 勢いよく開けたドアをそ〜っと閉めて、慌てて取り繕うと。

 

「『うまぴょい伝説』の事か?カラオケで『デュエット』するくらいなら良いけどよォー、野郎が歌うにはキツくねェーか?」

 

「あ、うん確かにそうだよね、うん……!」

 

(……良かった、お兄さまは転勤して来てまだ3週間足らず!学園内のスラングには未だ疎い!『考える』んですライスシャワー……この「死地」を切り抜ける方法を……っ!)

 

 直ぐに軌道修正を図る。まだ間に合う、今なら間に合う!直ちにどうにかディレクション!

 

「いいえドクター、日本のトレセン学園で言う『うまぴょい』とは、すなわちうま()モガもがもがっ…………あにふふんでふ(なにするんです)はいふ(ライス)?」

 

「ブルボンさん、お願いだからちょっとこっちに!」

 

「おいおい、まだ予約時間だぜ?」

 

「ごめんなさいお兄様!ちょっとだけブルボンさんお借りしますっ!」

 

「5分までなー?」

 

「はい!」

 

 慌てて彼女の口を塞ぎ、部屋の外まで連れて行く。プライバシー保護の為に扉は分厚いから、ヒト耳のお兄さまには聞こえない事を見越して。

 

「ぷはっ…………いきなりなんですかライス、貴女らしくもない。『うまぴょい』を知らぬ歳でもないでしょうに」

 

「おおおお兄様とするわけないでしょう何言ってるのかな!?かな!?」

 

「落ち着きなさいライス。『掛かって』いますよ」

 

「あ、ごめんなさ……いやこれライスのせいですか?

 

 眼光鋭いブルボンさんの勢いに、危うく呑まれるところだった。

 

「まったくです。私を何年ヤキモキさせるんですか。我々にはヒトより遥かに強いパワーがあるんですよ?いいですか、『お兄さまの前でだけ、悪い子のライスになってもいいですか……?』とでも言って押し倒せば」

 

犯罪教唆はダメですブルボンさん」

 

 まずい、彼女をどこかで差し切らなければ。爆弾処理が終わっていないのに、逃げ切られたら収拾がつかない。咄嗟にそう思って、半ば強引に話題を変えることにした。

 

「と、ところでブルボンさん、今日は診察?」

 

「私ですか?……いいえ。先週、全校生徒一人ひとりに配られたiPadのことで来たんです」

 

「新学期になってから配布されたやつ?…………あ、まさか」

 

「ええ。フリーズしてしまったのでこちらに来たのですが、ドクターが触れたら『直った』ので、気のせいだったのかと」

 

 ……うーん、どっちだったのだろう。彼女の機械音痴……というか家電破壊癖?は、都会生活では深刻な問題だ。

 彼女の実家のご家族はキャンプや釣りを好み、なんでもDIYで作ってしまうようなアウトドア派の方々なため、地元や自宅では特に不便はなかったらしいけれど。

 

「叩けば直ると思ったんですが、更にブラックアウトしてしまいまして。……というよりライス、あと35秒で5分が経過しますがよろしいので?」

 

「あっ……すみません、お待たせしましたお兄さま!もう大丈夫です!」

 

 慌てて、先程閉めたドアを開ける。お兄さまはというと丁度その時、愛用のミルにコーヒー豆──配合は信頼のトニオ・ブレンド──を投入しているところだった。

 

「珈琲シバくとこだったし別にいーぜ?なんならお前らも飲むか?……ってどしたブルボン?嬉しそうな顔して?」

 

「いいえ。ただ……昔と比べてライスが、よく笑うようになったな、と」

 

 突然、親友にそんなことを言われた。

 

「……そう、ですか?」

 

 彼女の言葉に一瞬、眼を瞬いたお兄さまはというと。

 

「……あァ、そりゃあ同感だ」

 

「ええ。思えば春天を獲った、あの日以来からでしょうか。……覚えていますか?あの春のこと」

 

 賛意を示したお兄さまと、ブルボンさん。ふたりから目線を向けられて、私は過去へ思索を巡らせた。

 

「……うん。今でもはっきり、思い出せるよ」

 

 克明に覚えている。無我夢中で走り切ったあの3200mと、その後の顛末を。

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

『マックイーンの独走ッ!?なるか、なるかっッ!?』

 

 目が痛くなるくらいの、向かい風の強い日だった。10万人超の観客の熱気が、手に取るように伝わってくる。誰も彼もが観たいのだ。メジロマックイーンさんが、「春天三連覇」という前バ未到の領域に手を掛ける、その瞬間を。

 

(……残り、1000mッ!)

 

 前年の有マ記念は、仕掛け遅れて8着と惨敗。トウカイテイオーさんばかりを気にしていたら、メジロパーマーさんに逃げ切られた。お兄さまの前では格好つけて平静を装ったけど、その夜は自室でひとり、己の不甲斐なさに大泣きした。

 

(……ゴメンね、マックイーンさん)

 

 今度は、間違えないから。だから。

 

4角(ココ)でっ、差し切るっ!!!)

 

 3(コーナー)から上げ続けたギアを、フルスロットルまで持って行くッッ!!

 

『ライスシャワー、ライスシャワーだッ!昨年の菊花賞で、ミホノブルボンの三冠を阻んだライスシャワーが上がってきたッッ!!』

 

 ヒートアップした実況の音声が木霊する。息を呑む観客の、悲鳴じみた声が聞こえる。「また悪役になるつもりか」、と聞きたくもないノイズまで拾ってしまう中、自らを鼓舞する様に言い聞かせる。

 

「……『ライスシャワー』は、『悪役(ヒール)』じゃあない────」

 

 家族が、お兄さまが、お姉さまが、ブルボンさんが、腰に帯びた短剣が。

 私に至上の『幸運』と、『勇気』をくれた。だから私はレースを通じて、あまねく誰かに届けたい。

 たとえ体格に恵まれなくとも、ストライドで劣っていても筋量が少なくとも、臆病でも、気が小さくても引っ込み思案でも、『頂』に立つことは出来るんだとッ!

 いつもは誰かに疎まれてもいい。憎まれ役でも構わない。でも…………今、この日、この時だけはッ!

 

「────『ヒーロー』だッッ!!」

 

 そうして、一着へと躍り出た。場内に轟き渡るは歓声────ではなく、アナウンス。

 

『「関東の刺客」ライスシャワーッッ!!天皇賞でも圧倒的人気の、メジロマックイーンを破りましたッッッ!!!』

 

 予想に反して……いや、予想通り、声援はない。ただ静寂があるのみだった。

 

(これでいい。……これで、良いんだ)

 

 黙して、一礼。笑顔は意図してかき消した。拍手がパラパラと聞こえた気もするけれど、今はさて置き。

 足早にターフを去って地下に戻ると……見知らぬ人がひとり、壁にもたれて立っていた。

 

(……誰?関係者の方?)

 

 カメラを携えているところから、おそらくは記者の方だろうか。なんとなしに目線が合った、次の瞬間。

 

「あらぁ?あらあらあらコレはまったく!」

 

 まるで私を待ち構えていたように立っていたその人は、こちらを見るなり哄笑を浮かべ。

 

「スぃませぇん、そこのアナタ?取材、受けてくれませんかねぇ?」

 

 さりげなくあたりを見回しても、他に誰もいない。ならば私のことだろう。だけれども、何となく……直感的に、嫌な気がした。

 

「『取材』ですよォー『取材』!ほんのチョッピリでいいから答えてくれたまえよォォ〜、天下の公器に、ね?」

 

 普通、レースが終わった直後の取材はマナー違反。生来の性分ゆえ断りきれなかったこともあって、「手短にお願いします」とだけ伝えると。

 

「んじゃ〜あ最初の質問なんですケドねェー?メジロマックイーンの栄誉を阻んだことはどう、お思いで?」

 

 疲労困憊の私を出迎えたのは、記者の酷薄な声だった。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「え……」

 

 身構えていても、二の句が告げなかった。黙していると、『臆している』と捉えたのか。彼は口元を歪めると、下卑た笑みを向けてきた。

 

「観客は『正直』ですよねェ〜?皆さん沈んじゃってましたもん?」

 

 愉悦に歪んだような嗤いを含み、舐め回すようにじろじろと見つめられる。

 

「でもねェー困るんですよォ〜ライスシャワーさぁん?コッチにもね、撮らなきゃあならない『絵』ってモンがあんですよぉ〜?おかげでね、我が社は輪転機差し止めですよ!」

 

 大仰に首を傾け、殊更に私の「非」を強調し。

 

「明日の朝刊に『マックイーン大勝利』って書くつもりだったのになあ〜?発行部数減ったら、あんたのとこに損害賠償かけてもイイってことかな!?」

 

 降りかかるのは、罵詈雑言の嵐だった。菊花賞の経験も踏まえていたから覚悟はしていたけど、でもやっぱり。

 

(……ああ…………堪えるなぁ、結構)

 

貴女と、貴女を取り巻くその全てに、幸福が訪れますように』。────お父さまとお母さまの願いを、私は体現できていたのだろうか。結局こうして、名も知らぬ誰かを不幸にしているだけじゃないか?自罰的な思考に、沈んでいこうとした時。

 

「でもねェー、一個だけあんの!帳消しにする方法が!」

 

 聞きたい?聞きたい?と、彼は口角をニヤニヤと上げて問うてくる。そして……こちらの返答を待たず、畳み掛けてきた。

 

 

「アンタがね、ここでシてみるんだよ!マスターベーションをなぁ!!」

 

「…………はっ?」

 

 何を言ってるんだろう?と思った。理解できる、出来ないではなくて……意味が、分からない。二の句が告げないでいると、更にヒートアップし。

 

「オイオイオイオイ、何ぼさっとしてんだよナニのハナシだよッッ!!分かったらソッコーでパンツを下ろすんだよ!!ヒールだろうがヒール!自分でも分かってんだろッ!?アンタはヨゴレなんだよおォォォォッ!独占映像出さなきゃ『補填』できねーんだよッ!!G1奪取のウマ娘AVデビューってな!」

 

 ……ガリ、と。自分が奥歯を噛み締める音が、どこか遠くに聞こえた。

 

「『嫌だ』とか言わないよねェー!?売り上げが落ちて困ってんだよコッチもさあ!?そこをね、アンタが一肌脱いで、マス掻いてくれりゃあ収まるワケ!いいでしょう減るもんじゃあないし!いやならキモチよぉーくなれるオクスリあげるから、騙されたと思ってキメてみ?な?みィーんな喜ぶから!」

 

 身に纏った短剣の柄を、がしりと掴む。……喜ぶ?みんな、喜ぶだって?莫迦にするな。ふざけるな、侮辱するのも大概にしろ……ッ!その戯言は、私の『誇り』に唾を吐いたと同義だッ!!

私がそんなことをして、私の家族が、友人が、お姉さまが、お兄さまが、喜ぶわけがないだろうッッ!!!

 

 あまりの怒りに目の前が明滅するのを、自覚しながら────

 

 

「……『結果』にご不満なら、しましょうか?()()()()

 

 ────自分でも驚くほどに、冷たい声が口から出てきた。

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

「あ?」

 

 惚けたような顔を見ても、もう止まらない。滑り出した舌鋒は、遠慮の無い言葉を紡ぐ。

 

「『どうぞ』と言ってるんですよ。貴方、『覚悟』して来てるんですよね?……トトカルチョじみた予想を裏で組んで、理想の結果が出ないと満足しない……そう看做される『覚悟』がおありなら、どうぞ?」

 

「なんだとキサマァ!コッチが下手に出てやりゃあ舐めやがってッッ!!」

 

「……成る程、()()が貴方の『本性』ですか」

 

 ……言い訳させてもらうなら、普通ならこんなことは言わない。身体とメンタルを追い込んだ故の、極限に近い精神状態も相まってそうさせたのかもしれない。

 履き潰した靴は合計で27足。毎日出来る血豆を見て、『女の子の脚じゃないな』、と自嘲しながらも走り続けた。

 食事は野菜と果物に無糖ヨーグルト、お豆腐にプロテインのみ。好きなスイーツは全部絶って、視界にすら入れないよう尽力した。

 軽量化によるスピードアップを狙って、落とした体重は最大で12キロ。余りに絞りすぎた弊害か、一時的に生理も止まった。

 言い返せば、それくらいに賭けていた。

 

「『困難』を遠ざけ、『挑戦』する矜持を持たぬ者は、臆病者の(そし)りを免れない!まして走りに手を抜くウマ娘など、誰一人として見たくはない!言うまでもない事でしょうッッ!」

 

 ────この私・ライスシャワーは世間様から、いわゆる『悪役(ヒール)』のレッテルを貼られている。エゴサすれば当たり前みたく悪口が出てくるし、初めて入ったレストランで店員に退店を要求された事もある。街を歩いていてゴミや生卵を投げつけられたりもした。誹謗中傷の手紙なんてしょっちゅうだ。殺害予告を受けた経験だってある。

 

(でも……こんな、『悪役』と称される私でもッ……──吐き気のする『悪』は分かるッッ!!)

 

悪とはッ!手前自身の為だけに誰かを利用し、踏みつける奴の事だッ!!

 

「さあ────『悪夢』と罵るか、『栄誉』と讃えるかッ、この場でハッキリしてもらいましょうかッ!!」

 

 形勢が不利となったことを悟ったのか、見る間に彼の顔が歪んでゆく。無意識に気圧されたのか。己の足がジリジリと後退している事に、果たして彼は気づいているのだろうか。

 

「な、なんだその眼はッッ!『殴る』のか!?もしかして私を『殴る』つもりかッ!?だったらキサマは犯罪者だっ!通報してやる!刑事事件にしてやるッ!精液臭い檻の中で、死ぬまで罪悪感に苦しみ続けろッ!」

 

「この期に及んでまだ言いますかっ……!」

 

 この、外道がッ──!

 怒りのボルテージが頂点に達し、思わず拳に力を込めた────その時。不意に、がし、と肩を掴まれた。

 

「……!?」

 

 不思議と、嫌な感じはしなかった。もしかしたら。淡く薄く、細い絹糸のような期待を込めて振り向くと、……そこに居たのは。

 

「悪ィ。遅くなった」

 

「……お兄、さま……?」

 

 今日、焦がれるくらいにどうしようもなく、一番来て欲しかった人だった。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「誰だ、貴様は「退け」……なんだと?」

 

「────退け。俺が『お兄さま』だ

 

 有無を言わさぬ言葉の圧が、特段に強い。間違いない。これは……相当に怒っている時のお兄さまだ。

 

「キサマ、それが目上の者に対する態度かッ!?週間デイブレイク首席編集長のこの私にッッ!!」

 

「紙資源のムダ遣いだな。『週間マッチポンプ』とでも改名したらどうだ?」

 

「我が社を侮辱するとはどこのウジ虫だクソカスがァァッッ!!名を名乗れ名をッ!!殺してやるっ!社会的に抹殺してやるッッ!!」

 

 見る間に顔を歪め、器用に歯軋りまでし始めたその様に、お兄さまは「はァ〜〜ッ」とため息ひとつ。もはや、「……哀れすぎて、かける言葉も浮かばない」って感じで。

 

「もう調べはついてんだよ。角界の『八百長相撲』に絡んでたのに飽き足らず、今度はレースをダシに『違法賭博』か?なあ、『オッズ1.6倍のマックイーンに全ツッパして負けた』記者さんよォ〜?」

 

「ッッっ!?」

 

 問い詰められた記者さんが青褪めたのも、むべなるかな。

 当たり前だけどレースは陸上競技、すなわち()()()()。ウイニングライブを含めれば人気商売──興行としての側面もある。けれど、勝手にレースを賭けの対象にするのは御法度だ。バレたら社会的制裁を受けることは確実だし、胴元には十中八九、反社会的組織が絡んでいる。

 

(……あ、だからこの人は私を反社に差し出して、自分の保身とスッた分の補填をしようとしたってことですか!……何というか、この上なく下衆な発想ですね……)

 

 一度クールダウンしてしまえば、いつもの思考が戻ってくる。

 お兄さまの口ぶりからして、証拠は押さえてあるらしい。普通はこの時点で大人しく、お縄につくべきなんだけど……。

 

「い、言うに事欠いて私を『脅す』気かッ!?この私がッッ!!ブタ箱になど入るわけがなかろうッッ!ジャーナリストの同志が黙っとらんからなぁッッ!」

 

「お仲間はパクられてる最中だぜ?見てみるか?勤め先がガサ入れ喰らってるところをよ」

 

 するとお兄さま、タイミング良くスタンドでリモコンを引き寄せ、TVを付ける。……東京地検特捜部の方々が、今まさに都内の某社に入っていくところが、画面に映し出されていた。この様子だと、どの局も特番編成を打っているようだ。

 

「な、ななななななッ…………?!」

 

 気が触れたように液晶へかじりつき、眼を大きくひらいた記者さんは、その場からしばらく動かなくなった。

 その間隙を縫うようにして。お兄さまは振り向いて、こちらへと向き直る。

 

「なんともねー……って訳じゃあねーか。よく頑張ったな、ライス」

 

 いつになく、柔らかい口調で。

 

「ふぇ」

 

 気付けば、ごく自然に頭を撫でられていた。

 

「あ、あの」

 

()()()()だ。走りといいさっきのタンカと言い、アウェーの中であそこまでよくやった。『カッコいい』ぜ、ライスシャワーは。……だから、こっから先はよォ〜……『大人』がカタをつけなくちゃあな?」

 

 それが俺の責任だ。言い切った頼れるヒトに、こんな状況だというのに、えもいわれぬ艶を感じた。

 

「お兄さま……」

 

 トクン、トクン。レースの時とは違う鼓動で、うるさいくらいに心臓が跳ねる。顔を見るだけで、不思議と安心してしまう。涙が零れそうになる。どれだけライスが罵られようと、この人は分かってくれる。そんな確信があるから、何度バッシングされたって、明日からもまた頑張れる。

 

「……てことでアンタ、いい加減這いつくばってねーでさっさと起きな。俺も今、相当自制してる方なんだ。手前の妹分にここまでされて怒らねえほど、人間デキてないんでね」

 

 ……ふふ。なんだかんだ言って優しくてカッコよくて、スマートなお兄さまのことです。記者さんに関しても既に通報したみたいだし、今後の手順だって頭の中にバッチリ入ってるはず。

 そうだ、今日は私、お兄さまと夕飯をご一緒する約束もしていたんだ。楽しみだなあ────

 

「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れダマレえいいいいいっ!私は上級国民だッゆえに無罪だ!悪いのはキサマだ!キサマのような底辺がチョーシに乗るからだっ!大体なんだ輩のような髪型をしよって!ふざけているのかッッ!!?」

 

 

 

あっ。

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

ドガシャアァァァァンッッ!!!────まるで、重機と重機がぶつかった時みたいな破壊音を奏でて。やはりというべきか、『不用意な』発言をした見知らぬ記者さんは、まっすぐ数メートルくらい向こうに吹っ飛んでいった。

 傍らで目にもとまらぬ──ウマ娘の動体視力でも見えないって相当マズい──おそらくは拳が放たれたのを、制止する間もなかった私は非常にテンパっていた。

 

「あ、あわわわわわわ……!」

 

 なんてことを!さすがにソレはマズイですお兄さまっ!控えめに言って傷害罪、どころか殺人未遂……!

 

(……あ、両手を白衣に突っ込んだまま!よかった、スタンドで殴っただけで直接手は出してない!)

 

 現行犯でもまだ言い訳は効く!万が一目撃者がいても、相手が勝手に吹っ飛んだだけに見えるだろう!ならば!

 

(大丈夫かなあの人?『失敗した福笑い』みたいな顔になってるし、いや今すぐ治るだろうけど……あ、鼻の穴がコンセントみたいに修復されていってる……)

 

 うん、死にはしないだろうし放っておこう。するとやっぱり問題は……。

 

────テメェ……俺のこのアタマが何だって?

 

「ヒィィィィィッッっ!!?!いだぃいだぃいだいぃぃよおおママぁァァァ!!?う、腕も脚も折れてるよぉ、これ!?ねえ?キミ、医者を、医者を呼んでくれよおっっ!!しし死んでしまううっっ!!」

 

「『医者』なら眼の前にいんだろ?なんなら『手術』してやろーか?外科医の免許は持ってねェーけどなァッッ!!」

 

 ヒトは、「自分より怒っているヒトを見ると、一周回って冷静になる」そうだけれど、ウマ娘も例外ではないらしい。

 

「今の一発は俺の分。んでもってこっから先は────『ライスシャワーを侮辱した』分だ」

 

まずいッ!お兄さま連打(ラッシュ)する気だ洒落にならないっ!!よって怪我人さんから目を逸らしてでも今やるべきは、最優先課題の処理だ!

 

お、お兄さまッ!?お願いだから落ち着いて!ね、ねっ!?

 

 後ろから羽交い締め──実際は体格差のせいで腰に抱きついてるだけなんだけど──にし、お兄さまを慌てて抑えにかかる。

 この時ばかりはウマ娘である自分に感謝した。ジョースター家特有の爆発力といえど、或いは……と思ったんだけど。

 

(ひっ、『引き摺られる』っ!?ウマ娘の膂力を持ってしても『引き摺られる』ってどういう事ですかッ!?)

 

 正直、これじゃあ承太郎さんあたりがいないと厳しい。けど……がんばれ、がんばれライス!今が踏ん張りどころだろうッッ!

 

「あのね、お兄さまっ!ライスね、ウイニングライブのリハやりたいの!だから振り付けとか変じゃないか、事前に観てくれると嬉しいなっ!」

 

 必死に問いかけると、「あン?」と一言。よかった、何とか声は届く!

 

「それとね、ライスは気にしてないから!……あの、ホントにほんとだよ……?」

 

 実際のところ、気にしていない。私が耐えられないのは、自分の家族や友人含めた、大事なものが「傷つけられる」こと。だから、「私自身の為に本気で怒ってくれる人が、眼の前にいる」時点でもう、私に不満なんてない。

 するとお兄さま、少し周囲を見渡したのちアタマをかいて、バツが悪そうに私に向き直る。

 

「……あっちゃー悪りィなあ〜〜ライス。髪型を貶されると俺、つい『かァーッと』なっちまってよォー、直さなきゃとは思ってんだけどなァ〜?」

 

うん、よーく知ってるよ……?

 

 かつてお兄さまが研修医時代、(セクハラと盗撮の常習犯だった)研修先の医局長を物理的に吹っ飛ばしたのもそれが発端。証拠を捉えて穏便に自首をうながしたら、逆上した医局長が『禁句』を言ってしまったのだ。

 病院7階の窓を割り、きりもみ回転しながら階下の愛車へ激突した医局長は、「なぜか」無傷で逮捕されたらしい。ちなみに愛車は廃車になった

 

(お兄さま、この『クセ』さえ直れば完璧なんだけどなぁ…………)

 

 閑話休題。放物線を描いて飛翔した記者さんはというと、────やはりというべきか、泡を吹いて気絶していた。身体の一部は直前まで観ていたTVと一体化しており、まるで不法投棄された産業廃棄物のようだった。

 

「こりゃあ資源ゴミにもならねェーな。テキトーに『直し』て警察に引き渡しとくわ」

 

「…………い、いいんじゃない、かな……?」

 

 ──よし、歌とダンスの練習しよう。そうして(ライス)はこの日、色々ごちゃごちゃと考えるのをやめた。

 

 当日、観客席にいたブルボンさんいわく。その夜のライブでセンターを務めた私は、どこか吹っ切れたような笑顔を振りまいていた……らしい。

 

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 さて。マックイーンさんの三連覇を阻んだこともあり、翌日以降の私は公私共に大炎上を覚悟していた。ところが。

 

「な、なんですかこの数……!?」

 

 約一週間後。私のもとに届いていたのは、なんとファンレターとファンメールの山だった。電子含めた沢山のお手紙を、抜粋すると以下のような内容だったり。

 

「己に課せられた『マイナス』を『ゼロ』に戻し、自らを使い潰してでも目的を為そうとする『漆黒の意思』を感じた。ようこそ、『男の世界へ』」……今更だけど、私は女です。

 

「これは『試練』だ。愚鈍な大衆に打ち克つという、貴様への試練だ。ソレを乗り越えた以上、入団する資格は充分にある」……イタリアから届いたもの。入団先は不明。

 

「神父たる私が()()しよう、神に代わって。ああ、ところで君は『天国に行く方法』を知っているかい?天国とは……」……長いので以下略。

 

「私は美しいものが好きでね。美しくなければ『反応』しないんだ。貴女の腕を映像越しに見た時、私は思わず(※ここから先がお兄さまの付けた墨塗りで読めない)」……などなど。

 

一部怪文書もあるけれど、ほとんどが応援のメッセージだった。

 お兄さまが「どっかで既視感あるな……なんでだ?」と首を捻っていたのは、ついぞ分からなかったけど。

 でも。

 

「あんなタンカは、流石にもう切れないかな……」

 

 舞台を冒頭の保健室に戻して、一言。慣れないことはするものではない。ところが、これを聞いた傍らのブルボンさん。

 

「いいえ。私は胸がスッとしましたよ、ライス。普段は私達のしょうもないコラージュ画像ばかり作っているネットユーザーでも、こういう時はまとまるんですね、と」

 

「あー……確かに」

 

 私自身、手のひら返しを受けただけによく分かる。彼らは熱し易く冷めやすいけれど、一時の団結力はものすごい。

 

「コラージュか……アメリカでもあったな。あんまりタチの悪いやつなら、削除依頼出しとけよ?」

 

 お兄さまのごもっともな指摘に対し。

 

「大丈夫ですよ、悪質なものはトレセンのサイバー対策チームが消していますから。ネットに残っているのは例えば……コレですね。『園児服を着せたタマモクロスをベビーカーに入れ、西松屋を散歩するスーパークリーク』のコラです」

 

悪質じゃねーか

 

「……あの、あながち有り得ないとも言えないんです」

 

「おい、嘘だろ……?」

 

 スズカさんみたいな台詞を吐いたお兄さま。

 もっとも、藪を突くと自分も赤ちゃんにされる可能性があるので、この件に関してはあのゴールドシップさんも静観しているのが現状だったり。

 ただ、外野からでは判断しかねることもある。ふたりと最も親しい同期のオグリキャップさん曰く、「戦友同士の厚い友情の証」だそうなので、そういう理解でいいのかな……?

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 さて。保健室でてんやわんやしていた、翌日の業後。私──ライスシャワーはひとり、学園の寮の()()()()()へと向かっていた。

 目的は……ヒールから脱却した私が抱くようになった、『もう一つの大それた夢』に付き合ってくれる生徒を探すため。

 その為には。

 

(まず、最初のひとりから)

 

 はじめに声を掛ける相手は、実はもう決まっている。なぜなら……もし、この提案を受け入れてくれたなら、彼女が『一番時間がかかる』から。

 怪我をする以前、デビュー前から常に()()()()を抱えながらレースを走り切った彼女が、『全力で走れるようになる』には、年単位の調整が要るらしい。

 彼女のトレーナーさんでもある()()()()()とは今日これから、お兄さまがお話をしてくれる、との事だ。

 

「……がんばるぞ、おー」

 

 自分に言い聞かせるように小さく、気合を入れる。

 相手はルドルフ会長と並び、この学園では『レジェンド』と称されるウマ娘。やり過ぎるということはない。『彼女』の住むここはひとり部屋だから、ルームメイトに気を使う必要もない。

 

「ライスシャワーです。……入っても、よろしいでしょうか?」

 

 最上級の敬意を表して、ノックを4回。果たして間もなく、静かに部屋のドアが開いた。

 

「いらっしゃい。とりあえず、上がってあがって?」

 

 制服を綺麗に着た、彼女の栗毛がふわりと揺れる。均整のとれたスタイルは、密かに憧れていたり。

 

(やっぱり綺麗だなぁ……モデルさん体型だし、乗ってるクルマとかも「らしさ」があって素敵だし。私もいずれ、こういう風になりたいな……なんて)

 

 思いつつ部屋に上がる。すると手慣れた手つきで、紅茶まで出して頂いた。アールグレイの馥郁たる香りが鼻腔に抜けるのを感じると同時、秒針が一つ回って、音を刻む。

 

「それで……『大事な話』ってなにかしら、ライスちゃん?」

 

 私の中のウマソウルがもたらす感覚に基づいて。何というか……自分にとって他人のような気がしない、そんな大先輩に、私は提案する。

 

「結論から申し上げますと……『我々日本勢で、全米最強の座を獲りに行きませんか?』、というお話です。()()()()()()

 

 私の、()()()()()大それた夢。それは────最高峰のレースに『チームで出走し、勝利する』こと

 

 そして何より、私自身も見てみたいのだ。尊敬してやまないこの方の……『全力の走り』を。

 

 

 

 

 




【ひとくちメモ】

・ミホノブルボン……スパルタの風。脚の治療を終えたところ。

・雑誌記者……再起不能。

・ライスのファンの人たち……彼女の持つ「漆黒の意思」に喝采を送る。

・マルゼンスキー……激マブ。ドリームトロフィーリーグにそろそろ移籍予定だった。


※この世界のギャンブル……「競馬」はない。ただしカジノ、競艇、競輪などは公営賭博として存在する。闇賭博はもちろん違法。

※仗助の髪型……高校卒業の時期と同じくして、憧れた人の象徴でもあった学ランとリーゼントをやめた。なお、髪型を揶揄されると今でもブチ切れる。


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#004 私の、たった一つの望み/我が名は日本総大将

メンバー集結回。


 

「生まれついてのO(オー)脚なんだけど、治るかしら?」

 

 近々、ドリームトロフィーリーグ移籍を真剣に検討していたウマ娘・マルゼンスキーは、学園の保健室で世間話もそこそこにそう言い放った。外向気味の彼女の両脚は、韋駄天のごとき快足を生む加速装置であり、同時に……全力疾走を頑なに阻む、「爆弾」でもあったからだ。

 だから、多少でも良い方向に向かうなら万々歳。先日ライスシャワーの話を聞きつけてここに来たのは、そんな一縷の望みも込めてのものであり。

 

「もちろん治るぜ?ただ……」

 

「ただ?」

 

 今しがたまで彼女の脚を鋭い眼で診ていた校医は、長い指をバキリ、と一度鳴らして答える。

 

「……急に変えるとおそらく、走り方にも悪影響だ。数ヶ月かけて徐々に『矯正』してくのがベターだな」

 

 至極あっさりとした返答。『クレイジー・ダイヤモンド』……にわかには信じがたいその異能が、力の源泉だろうことは疑いない。降って沸いたような景気の良い……いや、あまりに都合の良い話に、半信半疑なのも事実だったが。

 

「おハナさんが言ってたぜ?『望むならいくらでも、花道は用意してやりたい』、ってな」

 

「あの人が、そんな事を……?」

 

『目一杯に仕上げたことは一度もない。マルゼンスキーは常に脚部不安を抱えていたからな。おまけにいらん規則のせいで、辛い思いばかりさせてしまった』……過去を振り返る担当トレーナーの訥々(とつとつ)とした述懐は、ただひたすらに痛々しかった。

 

 学園最強と称されるチーム・リギル最初のメンバー。東条ハナが初めて担当した俊英。そして……アメリカのウマ娘であった彼女の母・シルが日本で産んだ、とある英国人との間の子ども。ソレがマルゼンスキーである。

 かつて英国クラシック三冠を獲った「伝説」ニジンスキーを祖に持ち、()()()()()以外は伝説と瓜二つ。当時再燃した外車ブームから「スーパーカー」とも形容された彼女は、なるほど確かに強かった。これまで出走した8度のレースは全戦全勝。合計着差は驚異の61バ身。彼女が出ると聞けば、出走を回避する者まで現れる始末。

 

 だが、当時の日本競バ界は利得者らの思惑が多々絡み合った結果、国内G1において「日本国籍非保持者への出走を認めない」、などの出走制限を課していた。そして父母が揃って外国籍ゆえ、マルゼンスキーは生まれついて()()()二重国籍。かつ()()()()()()、日本への帰化申請を出すこと自体が出来なかった。

 すなわち……クラシック登録を「し忘れた」のではなく、「登録すら許されなかった」のだ。生まれ育った日本に深い愛着を抱き、自ら帰化を望んでいたにも関わらず。

 結局は皐月賞も菊花賞も天皇賞も出られぬまま、シニアへ突入した彼女。クラシック級最後の試合を制したのち、直後の記者会見で「キャリアに未だ敗け無し。この栄誉以上に望むことはありますか?」と、なんの気無しに記者に問われた時。

 

 いつもはちょっと古くさい言い回しでマスコミを沸かせる彼女が、初めて一瞬、固まった。それから数拍おいて、ようやっと。

 

 

 

 

『……望みが、叶うなら……出て、みたかったです。日本……ダービーに』

 

 絞り出すような声音で、彼女は小さく呟いた。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 自分が何を言ったのか、言い終わった後に気づいたのだろうか。慌てて笑顔を貼り付けた彼女だったが、思いと裏腹。言葉を紡ぐ度に表情は暗くなり、口角は下がり、更には……目尻に、光るものが見えはじめて。

 

 

『……大外枠で良い、他の子の邪魔もしない。賞金も要らない。だから────』

 

 ────だから、……ダービーに、出たかった。

 

 言い終わる頃には、下を向いて震えていた。それは、「楽しく走る」をモットーに、競技中でも笑顔を絶やさなかった少女が人前で初めて見せた、最初で最後の嗚咽だった。

 涙がぽたり、と床に一滴、落ちたタイミングで。『……ごめんなさい、今日はこれで』と言い残し、足早に去った彼女を尻目に。その場に居合わせたカメラマンや記者らは、呆然とするほかなかった。

 

 てっきり彼らも視聴者も、「マルゼンスキーは全勝のキャリアに傷を付けたくないから──言い方は悪いが──格下狩りに終始している」とばかり思っていたからだ。

 もちろん、彼女が実は「二重国籍の長期滞在者」であったことも知らなかった。『実力もあるが走りは堅実、勝てない相手とは闘わない。ともすればヒールになりかねない役回りを面白トークでかわす、(さか)しいウマ娘』。それが世間の評価であったのに、まさか……!

 

()()()()持っていなかったのか、「出走資格」を……!?』

 

『彼女は「出なかった」んじゃない、「出られなかった」んだ!』

 

『だが……どうする?大手メディアで糾弾するか?』

 

『しかし中央に睨まれたら、重賞の放送枠貰えなくなるぞ?』

 

 そうなったらまず間違いなくクビだろう。誰だって食い扶持は失いたくない。……黙すか、声をあげるか。しばらく沈黙していた彼らだったが、やがて、誰からともなく。

 

『でもよ……()()()()ダンマリってワケには、いかないんじゃあないか?』

 

 奇しくもその言葉は、その場に居た者の総意であった。折りしもスマホが普及し始めて間もない時期。彼女に嵌められた「枷」の仔細は、TVで大っぴらに放送できずとも、黎明期のまとめサイトやSNSを介して、多くの日本国民へと届いていた。

 

 国民的スポーツの「負の側面」を大っぴらに垣間見た国内世論は、にわかに沸騰。「出生差別に繋がりかねない。中央はレイシストの集まりか」「気丈に頑張ってきた少女から偏狭な作為でチャンスと青春を奪い、あまつさえ泣かせるなど鬼畜の所業」「そもそもこの規定、憲法に抵触しないか?なんで今まで放置されてたんだ?」……などなど、右派左派問わず批判が殺到。

 抗議のメール・投書・電話は優に30万件を超え、果ては国会で国籍法改正が論議されるまでに至った。

 

 当時の中央競バ会がダース単位の更迭人事を実行し、のちURAに発展改組され規則を大幅改定したのは、これらの動きが大きく関わっている。業界のイメージ刷新を兼ねたさまざまな施策の一環として、「競バ」を「レース」と横文字に無理やり直したのもこの頃から。

 ちなみに「皇帝」シンボリルドルフがその高い志を抱く様になったのも、一連の大騒動を同じチームで間近に見続けたからこそ。

 

 そう。彼女の涙は奇しくも……後に続くウマ娘達に、確固たる「道」を切り拓いたのだ。

 

 

 

(……思えばあれからもう、3年近く経つのね…………)

 

 学園の保健室で、マルゼンスキーは回想から現実へ意識を戻す。

 諦めたはずだった。天覧試合で拝謁の栄誉を賜ることも、あるいは無敗の三冠を達成することも、出走さえできれば可能だったんじゃないか。

 別に日本に帰化せずとも、その気になれば英国ダービーや米ケンタッキーダービーには出られただろう。父にそう促されもした。でも彼女が最も強く望んだのは、生まれ育ったこの国で得る「誉れ」だったのだ。

 

 巻き戻せぬ過去を振り返って、一瞬だけ寂しげな眼をした彼女に対し。傍らに居た男は直感で「何か」を察したのか、まるで学生の頃のような、悪戯っぽい笑みを浮かべて。

 

 

「……なあ、今から軽く走ってみねェーか?外」

 

「えっ?」

 

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 

「なんていうか、ものすごく……」

 

「ああ。活気づいてんな」

 

「ええ」

 

 言われるがままジャージに着替えたあたし──マルゼンスキーが見る休み時間の校内は、いつもより賑やかだ。そう形容するに相応しい光景が、グラウンドのあちこちに広がっていた。どこを見ても生徒、生徒、生徒。

 ここ一月ほど、あたしは新学期編成に伴う生徒会の事務作業を手伝ったりしていたから、日中はあまり外に出ていなくて分からなかったけど。

 

「これも貴方が?」

 

「おそらく。赴任して今日までで、大体200人近く診たからな。その足で早速トレーニングってとこだろ、結構なこった」

 

「そうね。あっちで薙刀振るってるのはウチのグラスちゃんで、物陰で素振りしてるのはマックイーンちゃん。テラスでブレイク中のタキオンちゃんのトレーナー君は虹色に光ってる……たまげたわねぇ、すごいわドクター」

 

誰も走ってねえけどな

 

 校費で学園の生徒全員に、CTスキャンをはじめとした精密検査を受けさせる。得たデータも併せて患部を修復し、場合によってはカウンセリングも行う。アメリカで確立したこの方法により、米国では昨年、レースを絶望視されていたウマ娘達が続々と復帰したばかりでなく、怪我に伴う引退がゼロ件だったという。

 

「よっ、ほっ、とっと……アップはこんなとこかしら、ねっ?」

 

 その立役者が何を隠そう、今となりに居るDr.東方さん。ルナちゃん……おっと、ルドルフからの情報によれば、この人の所属を巡って各国のトレセン上層部で暗闘が繰り広げられていたとか。

 

「十分だ。……そんじゃあいくか、『晴れの良バ場・芝1500m』を一本。軽く流すだけでいいからな?」

 

「そりゃあもう。あんまりやり過ぎたら、おハナさんに怒られちゃうわ」

 

「違いねえ。さて、問題は走るスペースだが……なんか、綺麗に空いたな」

 

「あ、あら〜……ごめんなさいね皆……」

 

 後輩ちゃん達が『モーセの十戒』がごとく、おあつらえ向きとばかりターフを空けてくれた。悪い気がするけれど、皆してキラキラした目でこちらを見てくるので引き下がるのも駄目だろう。録画しようとしてるのか、スマホを構えて待機している子まで出てきた。

 ……あのね、皆。OGがちょっと走るだけよ?レースどころか練習よ?

 

「おっし、ブチかましてけ」

 

 と思ってたら、まさかの校医に煽られた。

 

「イケイケねドクター。ひょっとして昔はヤンチャしてた?」

 

「い〜や、カワイイもんだったぜ?」

 

「どーだか」

 

 後でライスちゃんに聞いてみようかしら?……そんな軽口もそこそこに、スタートダッシュの姿勢に入り。天高く弾かれた25セント硬貨が、ターフに口付けする刹那。

 

 ダンッッッ!!──鮮やかな緑を、軽く蹴ったつもりだった。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

(えっ……!?)

 

 踏み出した一歩目から、すでに別モノ。いつもの蹴り方、いつものペース。腕の振り、息の入れ方、目線の位置、その他もろもろ普段の通り。だけど。

 

(……脚の()()が、尋常じゃなく早いッ!力が「伝わりすぎてる」……いや、「正しく伝わってる」ってこと!?)

 

 跳ぶと言うより「飛ぶ」ような感覚。今まで膝あたりでいくらか抜ける感覚のあったパワーが、余すところなく爪先まで伝播する。自分自身は筋力もスタミナも変わってないはず、ただ脚の形を、歯列矯正よろしく整えただけ!だと言うのに!

 

(こんなに違うモノだなんて……ッッ!?)

 

 コーナーを曲がり風を切る。ギアを上げてスパートする。慣れ親しんだ感覚が、ここまで新鮮だったとはっッッ!

 

「……足裏は親指の付け根、母趾球(ぼしきゅう)で常に地面を弾く、理想的なギャロップ走法。体幹も一切ブレてねーし、腕も左右に流れてない。一朝一夕じゃあ中々身に付かない技術だ。特に新入生、よォ〜く見て参考にしとけよ?」

 

 ギャラリーと化した後輩ズに向かって、何やら解説していた担当医を横目に、あっさりゴール。皆に礼を言ったのち、ドクターからアイシング用品を渡されると同時、ストップウォッチをチラつかされる。

 表示されたタイムは──1500mの、自己ベストだった。

 

()()()()()()()ぜ、おめでとさん」

 

「……自分でもびっくりよ。つい全力疾走しちゃったこと、おハナさんに黙っといてくれるかしら?」

 

「今回だけな?」

 

「アリガト。…………ねえ、ドクター」

 

 わずかに1500m。しかし逡巡を振り払うには、十分な距離だった。だから決めた。もう決めた。いま決めた。

 

「どうした?」

 

 新しい夢が、出来てしまった。本当は来年、エスカレーターでドリームトロフィーリーグに行っても良い。そう思っていたけれど。

 

「……あたし、『出たい』わ。いや、『勝つ』わ。ブリーダーズカップで」

 

 空いたスペースで再び自主練を始める子たちで、周囲が喧騒を取り戻す中。

 

「獲ってやろうじゃない。シニア『最強』の座を、ね」

 

 あたしの言葉に一度瞑目した彼は、ニカっと笑って即答した。

 

「歓迎するぜ。サンキューな、決断してくれてよ」

 

「もちのロン!よぉーし、それじゃあOGだけど頑張っちゃうぞー、お姉さん!」

 

 勢いも冷めやらぬまま、更衣室に戻ったのち。再び保健室に寄って話を詳しく聞いていくと、開催日は約一年後。チームで出るため最低でも「メンバーはあたしを含めて5名はいる」とのこと。あとひとりはライスちゃんで確定として……そこまで考えたあたしは、弾かれた様に面を上げた。

 

「それじゃあ、のこりの3名様を集めれば良いのね?」

 

「平たく言やあな。なんだ、もしかしてアテがあんのか?」

 

「ふっふーん、任せてちょ〜だい♪」

 

 そう。思えばこの時すでにあたしの脳内では……勝利どころか「全勝」のビジョンが、浮かび上がりつつあったのだ。

 

 

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 

 

「そういうわけで東方さん。来年()()5()()でアメリカにカチコミかけるので、どうぞご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします」

 

待て待て待て待て

 

 更に数日後。私・サイレンススズカは、マルゼン先輩とライスに揃って口説かれ?あれよあれよという間に保健室にいた。なんだか最近は毎日来ている気がする。今日はメンバーも多いし。

 当の東方さんといえば、「昨日飲んだ冲野がニヤついてたのはこーいうことかよォ〜……」と零していた。あらら、トレーナーさん何も言ってなかったのね?

 

「トレーナーさんからは、『来年の話だし気が早いと思うだろうが、長期目標として見据えてくれ。ドクターにはサプライズな?』とだけ」

 

「なぁーにがサプライズだあのヤロウ……」

 

「あ、あはは……」

 

 恐るべしは一週間足らずのあいだに根回しを全て整える、マルゼン先輩の政治力といったところだろうか。ウチのトレーナーさんに話を通した上で、『貴女の夢と目標を叶える過程を、あたしにも手伝わせてくれないかしら?』とか言われたら、私としてはもう舞い上がる他なかった。

 ライスが「最初に先輩を誘って人選も相談した」と言ってたけど、もしかしてここまで織り込み済みだったのかな?

 

「そういうわけで、とりあえずミーティングしましょう?今更だけど一応自己紹介でもする?」

 

 これに名乗りをあげたのは、新学期になって様変わりした保健室のあちこちを眺めたりしていた、()()()()()おふたりだった。まずは──

 

「はいはーい!じゃあトップバッター、天下無双のナンバーワン・ウマドル目指してます、スマートファルコンでっす!てことでハイ、これファル子の公式ウマッターだからフォローしてね♪あ、でも鍵アカは絶対覗いちゃダメだぞ?」

 

「サラッと闇深いの混ぜんなって」

 

 スマートファルコン、通称「ファル子」。プロフは自己紹介の通り。「ダートに強い」となれば、まずこの子の名前が上がるくらいに手堅い人選だ。戦法は私と同じ「逃げ」。個人的にはなんかこう、一緒にユニットでも組めそうなくらいの親近感を勝手に感じている。

 

「コホン、お次は『私』ですね、ドクター。このエルコンドルパサー、不退転の決意で臨みます……ッ!」

 

「いつから中身グラスになったんだ」

 

 エルコンドルパサー、通り名はエル。私からすればリギルの元同期であり、グラスと並び「世代最強」と目されるダービー候補でもある。あとダスカもそうだけどスタイルに中等部らしさが感じられないキャラは見ての通りハイテンション。……実は仮面を外すと、とってもシャイな子なんだけどね。

 

「ちなみに我々としてはこのチームで、東方さんにトレーナー兼メンタルコーチ兼主治医兼エステティシャン兼美容師兼ネイリストをやってほしいです」

 

「後半3つは各自でやれ」

 

「お兄さま、ライスの自己紹介は聞かないんですか?」

 

「いまさら俺の知らない情報あるか……?」

 

「あっ……仰る通りですね、さすがですお兄さま!

 

 もはや無条件でキラキラした眼を向けるライスを尻目に。

 

「ね、みんないい子達じゃない?自由でのびのびしてるでしょう?」

 

「無政府状態だろどっちかっつーと」

 

「この流れでついでに質問してもいいかしら?」

 

「どんな流れだどんな」

 

 年長格たるマルゼン先輩が場をまとめる。自然と精神的支柱を兼ねてくれてるのはありがたい。なお、ツッコミ役はこの場の最年長者になりつつある。

 

「あ、じゃあ東方さん。先日貰ったプロテイン、言い値で買うので余りを全部頂いても良いですか?」

 

「はい!『実は理事長にウマ耳がある』って話の真偽、知ってるってホントなの?」

 

「『ドクターは女難の相が出てる』とフクキタルが言ってマシタ!心当たりあるって事でイイんデスか?」

 

「お兄さま、『またお見合いを蹴った』と風の噂で伺ったんですが……」

 

「『たづなさんと昔付き合ってた』って風聞が流れてるけど、実際どうなのよ?」

 

学級崩壊かここは

 

 

 ちなみに後でコッソリ聞いた限りでは、質問に一つだけホントの話が混じっていたらしい。

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

「よぉし、集中集中……!」

 

 アメリカ遠征チームと顔合わせをした翌週。G2・毎日王冠を来月に控えた私は、叩きとなるG3レースのパドックに立っていた。

 新たに属したチーム・スピカの声援を受けつつゲートイン。この狭苦しい感覚は好きじゃないけれど、同時にここから抜け出た時の景色は、この上なく──美しくて、たまらない。

 

 パンっ、と。乾いたゲートの開くに乗り、即座に…………!

 

(……駆け出すっっ!!)

 

『おおっと、サイレンススズカ一気に先頭へ躍り出たッ!連敗記録を更新中の彼女だが、今日はシニアの意地を見せることが出来るのかッ!?』

 

 スタートからギアを落とさず、タレずに加速。あえて名をつけるなら「コンセントレーション」とでも言おうか。脚の負荷は当然大きい。下手を打てば破滅的な走り方ゆえ、大失速する可能性ももちろんある。でも。

 

(それが……どうしたっ!!)

 

 私が見たいのは、誰にも邪魔されない景色ッ!私が皆に与えられるのは、私の叶えるべき夢とは、ターフの果てのその先にあるッッ!!

 私の走り方に、激しい『叩き合い』は要らない。大外からの『ごぼう抜き』もない。何故ならッッ!!

 

(このサイレンススズカに、『駆け引き』はない……ッ!あるのはただ────)

 

『サイレンススズカ、第4コーナーを曲がって更に加速ッッ!止まらないッッ!!もはや彼女は誰にも止められないのかッッ!?』

 

 いついかなる時でもたった一つのみ掲げる絶対の金科玉条、ソレはッッ!!

 

(────ただ『逃げて、差す』!それだけよッッ!!)

 

 一切の減速をせず、ゴール板の横を駆け抜けた。……瞬間。

 

『サイレンススズカ、四馬身差の一着でゴールインッッ!!実に五試合ぶりの白星は、復活の狼煙となるかッッッ!?』

 

(…………勝った……っ!)

 

 やっとだ。やっと、不甲斐なかった自分への『リベンジ』を果たした。今日この場で、燻っていた自信が「確信」に変わった。ぶっ千切った瞬間に脳髄から溢れ出るこのエンドルフィンこそ、私にこれから先、走り続ける覚悟をくれるッッ!!そう!

 

(私の辿るべき正しい『道』とは、この「大逃げ」に他ならないッッ!!!)

 

 濁流のように迸る思いを押さえつけつつ。観客席に愛想を振り撒き、小さく手を振る。なお、心の中では飛び上がってガッツポーズ。

 ターフを去って地下へと戻り、「手応えはどうだ?」とトレーナーさんに問われたのに対し、ノータイムで。

 

最ッッッッ高にハイな気分ですッッ!!まるで正月元旦に下ろしたてのショーツを穿いた時みたいな高揚感ッ…………」

 

 そこまで一息に言い切って。

 眼前のトレーナーさんが、「お前そんなキャラだったか?」という顔で絶句しているのに気付き。ようやく自分が、紙面に載せられないようなコメントを流したことを自覚する。

 

「……というのは冗談で。私は叶えるべき夢のため、そしてファンの皆様と支えてくれた方々のため、自分の走りをするだけです」

 

「もうちょいはやく繕ってな?」

 

 善処します。

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

「お、遅れて大変申し訳ありません……っ……!北海道から来ました……スペシャルウィーク、と、申します……!」

 

 そんな訳でG2レース・毎日王冠の叩きとして、あるG3レースに出た日の夜。門限をとうに過ぎた栗東寮に、息も絶え絶えな新入りの子がやってきた。

 ゴール手前の観客席に居たという彼女は、私のウイニングライブを観戦している最中に遅刻に気付き、走ってここ府中までやってきたらしい。最初は電車と地下鉄を駆使しようとしたが、帰宅ラッシュに伴う激混みで諦めたという。

 

「い、いらっしゃい……あの、全身草まみれだけど大丈夫……?」

 

「あ、失礼しました!山道走ってる途中で野生のオオカミさん達を見つけて、群れにくっついてけもの道をショートカットしてきたんですっ!」

 

割と大発見してない?

 

 もう絶滅してなかったっけ?……ともかく、小枝やら葉っぱやらをあちこちに引っ付けてきた彼女──暫定的に心の中でスペちゃんと呼ばせてもらっている──は、なにやらム⚫︎ゴロウさんのごときスキルを持っているようだった。

 さて、既に時刻は夜の9時すぎ。スペちゃんをお風呂場に放り込んだのち、夜食(夜鳴きそば)を二人して掻き込んだ私たちは、「学用品と服の荷解きだけして早めに寝る」方針で一致した……のだけれど。

 

「あら?何かしら、これ?」

 

「えっ、何です…………あっ」

 

 目ざとく見つけたのは、荷造りされた衣類の下に隠すように入っていたもの。割とスペースを取っていたソレの正体は。

 

「ふるさと納税の返礼品リスト……?どうしたの、こんなに大量に?」

 

 というと彼女、少しばかり困ったような顔をして。

 

「その……私の地元、ウマ娘が私しか()()()()()()()……いなかったんです。で、気付いたらあれよあれよと言う間に、地元の観光大使にされてまして……」

 

「あー、納得したわなんとなく……」

 

 要するに過疎地域振興のための、広告塔に抜擢されたらしかった。確かにスペちゃん可愛いし人懐こいし、広報を担うにはうってつけだろう。

 彼女いわく、そんな中でもせっかくトレセンに受かったけれど、寒村になりつつある地元の現状にも気兼ねしてしまい、とっさについた方便が。

 

「『日本一のウマ娘になって、この村の税収を5000%上げるから楽しみにしててください』って大見得切って出てきたんです」

 

ひょっとしたら日本一になるより難しいんじゃ……?

 

「だ、大丈夫です!そしたら長期休みでマグロ漁船に乗って補填しますから!

 

「流石にそこまではしなくていいと思うわ」

 

 老婆心ながら心配。遠洋漁業なんかに出てたら、出席日数が足りなくなっちゃうだろう。聞けば育てのお母様に冊子の存在を知られる前に、箱詰めして空輸してしまったらしい。今になって手を焼いているのが現状、といったところか。

 

「……とりあえず、一冊頂いてもいいかしら?」

 

 前例がないわけじゃない。かつてはタマモクロス先輩とかも、経済的な事情を抱えたまま入校してきたらしい。いざとなれば生徒会に頭を下げて、なんとかハケるくらいには持ち込みたい。問題は、むしろ中身。この手の事業はリピーターがつかなければ話にならない。

 

「い、いやいやスズカさん、初対面の方にそこまでやって頂かなくても「スペちゃん」……はい?」

 

「こういう時はお互い様よ?『自分の夢を叶えたいけど、地元だって見捨てたくない』……当たらずとも遠からず、ってところでしょう?」

 

「す、スズカさんっ……!」

 

「いいのよいいのよ、気にしないで」

 

 どさくさ紛れに抱き締めて背中をトントン叩くと、ちょっと涙目だった。色々と思うところがあったんでしょう、この薄い胸でよければいくらでも貸してあげるわ。かわいい同寮生を助けるためだし、こんな時くらい一肌脱ごう。

 ささやかだけど、5000円分くらい出せば良いかな?と思って冊子を一冊もらい、パラパラとめくると。

 

「私が好きでやってるだけだし大丈夫…………ってなにこれ、『返礼品限定・北海道ミルクジェラート、今年のフレーバーはシャインマスカットと沖縄バナナ』……?」

 

 1ページ目から、ラインナップがいきなり強い。そのほかも見てみると……定番のROYCEのチョコポテトに六花亭のレーズンバターサンド。生キャラメルに特選どさんこ味噌ラーメン、四つ葉のチーズセットに毛ガニと帆立。スモークサーモンといくらと雲丹の詰め合わせ、あたりが破格の値段でギッシリだった。

 ……なんだこれ、神か?

 

「あの、スズカさん……?」

 

「スペちゃん」

 

「はい」

 

「10万円分買うわ。寄附金控除の申請書もらえるかしら?」

 

「は、ハイただいま!」

 

写真だけで食欲ソソられすぎてバイブスがアガりますね、全部食べたら脳がキマるわ。困った時は持ちつ持たれつ。こういう関係構築は大事ね、うん。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「……ところでスズカさん、ずっと気になってた事があるんですが」

 

 室内照明を最小に設定した部屋の中。真新しい布団にくるまったスペちゃんは、ベッドの向こうの私に向かって問いかけてきた。

 

「なあに?」

 

 彼女の居る方へ寝返りを打ち、返答を待つ。なんでも言ってごらんなさいスペちゃん。なんだって教えてあげるわ。

 

部屋の隅でビカビカに光ってる金色の鯛の置き物って、なにかの御神体とかですか?」

 

あれね、いくら捨てても戻ってくるの

 

「えっ………………?」

 

 途端に「こんな時間に聞くんじゃなかった……!」とばかり青褪めた表情を浮かべるルームメイトを、適当に宥めすかす。ちなみに誓って嘘じゃない。世の中には知らない方がいいこともあるのよ、スペちゃん。

 まあこの手のブツに詳しいフクキタルが言うには「遠ざけるのではなく、綺麗に磨いてやればきっと御利益がある」らしいから、ああやって置いているんだけどね。

 

 あ、ちなみに残った返礼品リストは、栗東(りっとう)寮内だけで瞬殺でした。うーん、めでたいめでたい。

 

 

 

 

 

 

 

 




【登場キャラが増えてきたので今更なメモ】

(このssのキャラの呼称一覧)

 ・ライス……全てさん付け。最近「さすおに」なる概念を知った。

 ・スズカ……呼び捨てか「先輩」付け。スペにのみちゃん付け。歳上は親友のエアグルーヴのみ「グルーヴ」呼び。スランプを抜けた。

 ・マルゼン……一人称は平仮名で「あたし」、畏まった場でのみ「私」。ウマ娘にはすべて「ちゃん」付け(ルドルフ除く)。

 ・エル……片仮名で「アタシ」。歳上にはさん付け。その他の点はマルゼンと同じ。大事な事を言う時はカタコトが外れる。

 ・ファルコン……TPOに応じ「ファル子」と「私」を使い分け。

 ・スペ……誰に対しても呼び捨てはしない。学園周辺で狼、カワウソ、胴体が異様に膨らんだ蛇などを目撃している。

 ・仗助……基本は「ドクター」。ライスとカレンチャンのみ「兄」呼び、スズカとスペのみ苗字に「さん」付けで呼ぶ。

 ・金色の鯛の置物……蟄ヲ蝨貞卸險ュ蠖灘?縺九i蟄伜惠縺吶k縲∽ス懆??ク崎ゥウ縺ョ鄂ョ迚ゥ縲ゅ←縺薙°繧峨→繧ゅ↑縺冗樟繧後※縺ッ縲√>縺、縺ョ髢薙↓繧?i豸医∴縺ヲ縺?k縲ゅヵ繧ッ繧ュ繧ソ繝ォ譖ー縺上?碁剄繧頑寺縺九k轣ス蜴?r閧ゥ莉」繧上j縺励※縺上l繧玖カ?クク縺ョ蟄伜惠縲阪i縺励>縺後?∵棡縺溘@縺ヲ窶ヲ窶ヲ?


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#005 Make debut!/覚醒、シン・テイオーステップ

 米欧二正面作戦、欧州方面行きアニメ主人公's回。次話からまたアメリカ組へ。やっと主役が出揃った……ことに伴いタグ追加。



 

 スペシャルウィーク。この名前は亡くなった実の母から贈られた、たった一つのプレゼント。そんな私には、母と同じくらい大好きだった、2歳上の姉がいた。

 

『もぉ〜はやいって!まってよぉ〜おねえちゃん!』

 

 実の父は顔も知らない。ある日を境にぷっつりと消息を絶ったらしい。親権調査をしたけれど、例によって行方不明。両親は駆け落ち同然だったことから、母方の祖父母も頼れず仕舞い。父が娘2人に遺したのは、生前贈与した幾らかの蓄えのみ。

 早逝した実母に代わり、私達を引き取ってくれた育ての親は、名をティナさん──お母ちゃんと呼んで久しい──という。ふたりは学生時代から、無二の親友であったらしい。お母ちゃんいわく、私は『交換留学で出会った時の、若い時のあの子そっくり』とのこと。

 とまあ、そんなわけで。ただでさえ人口の少ない田舎町に、ウマ娘は私と姉のふたりだけ。

 

『ほーら、ここまでがんばりなさい?もうちょっとよ?』

 

 人間の同級生には、私達の身体能力についてこられる子がいなかった。それゆえ私は、雨の日でも雪の日でも毎日、泥だらけになるまで姉と一緒に遊んでいた。()()()歳下だったこともあってか、かけっこではいつも勝てなかった。悔し泣きしている私を慰めてくれたのも、外で遊んで疲れて寝こけた私をおぶって帰ってくれたのも、お姉ちゃんだった。

 

『……生きなさい。あなたは……「スペシャルウィーク」なんだから』

 

 …………時が経ち、育てのお母ちゃんと()()()()暮らすようになってからも、産みの母と姉を忘れた事は一度もない。『頑張ってきな、あの子の分まで。忘れんじゃあないよ、あんたは決して「孤独」じゃない』。……地元を発つ時、お母ちゃんに掛けられた言葉は、私の「夢」をより強固にしてくれた。この夢は私の目標であり、願いであり、そして誓いでもある────

 

 

「……ペちゃん、スペちゃんっ!」

 

「ふぇ?」

 

 軽く揺さぶられて、覚醒。寝起きでぼやけた視界に入るのは、ウマ耳に艶やかな栗毛。綺麗な流し目と、仄かにただよう儚げな雰囲気、そして楚々とした佇まいは、まるで。

 

「………………おねえ、ちゃん……?」

 

「えっ?」

 

 言い終わったその時、我に帰った。目の前の女性はスズカさん……だし、ここトレセン学園の寮内だし、第一いま何時だっ!?

 

「あっ………………ご、ごめんなさいッ!」

 

 しまった!慌てて布団を跳ね除け、傍らの時計を目端に入れる。時刻はすでに……朝食時間に突入していた。

 

「す、すみませんとんだ粗相を……」

 

 同部屋の先輩たるスズカさんは、私の姉と雰囲気があまりにもよく似ている。先日レース場で初めて見た時、思わず彼女に釘付けになるくらいには。

 無論、勝手に同一視するのは双方に失礼な事この上ない。しかし寝ぼけた頭でつい、ぽろっと溢れてしまった。今後は気をつけなければ。

 

「……近道、通っていきましょ?とっておきを案内するわ」

 

「3分で支度しますっ!」

 

 洗面台に突撃し、慌ただしく身支度を始める。「慌てなくて大丈夫よ?」と、優しい声が扉の向こうから聞こえてきた。

 もし、姉が「成長していたら」、今頃はスズカさんのようになっていただろうか。

 

(……声までほぼ同じだとは、流石に思わなかったな)

 

 トレセン学園に編入して、早や数日。学内の模擬レースに出ることになった日の朝のこと。久しぶりに、懐かしい夢を見た。

 

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 

「力が欲しいか……『力』が……?」

 

「はい!欲しいです!」

 

「よかろう、これが『力』じゃ……!」

 

「やったあ!ありがとうございますっ!」

 

「……ゴルシ、スペちゃん。ふたりして何してるの?」

 

 朝食を摂りに来た寮生らでごった返す、朝のカフェテリアにて。私・サイレンススズカのルームメイトである──所属チームを教えたらスピカに即日加入した──少女・スペちゃんは、スピカ最古参たるゴールドシップと、何やら同席して駄弁っていた。

 

「や、スペのうどんに餅入れてた」

 

「なんと四つも貰っちゃいました!」

 

「……ああ、(ちから)うどんね?

 

 うどんに焼き餅を叩き込んだ、糖質が限界突破している料理を眺める。今日スペちゃんが出る予定の、模擬レースでの願掛けもゴルシなりに込めたのだろう。

 時刻は丁度、朝の7時半。同じ年頃の人間さんのそれと異なり、ウマ娘は大食漢が多い。レースの莫大な消費カロリーを、食事のみで賄う必要があるから……という事もあるのだけれど。

 

「スペちゃん、出走予定が午前中なのに、朝からそんなに食べて大丈夫?」

 

 ゴルシの隣に同席したテイオーが指摘する。他の子と比べて、やけに量が多いスペちゃんのお盆の上。気付けばうら若きティーンエージャーだというのに、お腹がポッコリ出てしまっている。無論おめでたではない。

 

「全然平気ですよ?『トレセン入る』って決めた時期から、()()()()()()()ことにしてまして」

 

 同部屋のこの子は、ウマ娘の中でも一際よく食べる。朝から山盛りご飯にうどん、ベーコンエッグとサンマの塩焼き、千切りキャベツにお味噌汁と牛乳。ついでにバナナと梅干しも添えて栄養バランスも良い。オグリキャップ先輩に引けを取らない、豪快な朝餉(あさげ)だった。

 

「私、通常のウマ娘の3倍食べる事にしてるんです」

 

赤い彗星リスペクト?

 

「アタシか?」

 

「ゴルシじゃない」

 

 勝負服がちょっとクワトロ大尉っぽいデザインの芦毛ガールを脇に置き。健啖家な同寮生が言うには。

 

「いやぁほら、『剣道三倍段』って言葉あるじゃないですか?」

 

 剣道三倍段。得物を持った敵に無手で伍するには、敵の三倍以上の段位……すなわち実力が必要、という説だ。「三倍」はどうもそこからあやかったらしい。

 

だから三倍食べれば、レース初心者の私でもみんなに追い縋れるかなって

 

「な、なるほど……?」

 

 回答を聞いて宇宙猫みたいな顔になったテイオーの表情が、妙に印象的だった。

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 晴れ渡るターフを、いささか緊張した面持ちの生徒たちが踏みしめる。学園指定のジャージの上からゼッケンを身に付けた生徒たちの数は、全部で12。いずれも、トレセン学園では初出走の子たちばかり。

 

「当たり前だけど、ほぼ全員が新顔ねえ」

 

 この学園において、模擬レースは非常に大事なイベントだ。トゥインクル・シリーズは各トレーナーと契約を結んだウマ娘しか出走できないし、レース結果は今後のスカウトの是非を左右する。大敗すれば未勝利戦を繰り返し、デビューが遅延していく事態に陥るのだ。

 

「まあ、(わたくし)たちに限ってはスカウトではありませんけれど」

 

「スペちゃん、出走前にチームに加入してるって時点で前代未聞だもんね」

 

「つっても初出走となりゃあ、普通はアガっちゃうもんだけどな」

 

 上からマックイーン、テイオー、ゴルシ。チームスピカ高等部が勢揃いだ。でもって、私たちは今日の主役のひとりである、肝心のスペちゃんに視線を送る。彼女、パドックに居るには居るのだけれど。

 

良お~~~~しよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよし!まだ小さいのにかしこいですね〜っ!えらい!」

 

 間もなく出走予定だと言うのに、何処からやって来たのか分からぬウリ坊の頭を、笑顔でわしわしと撫で回していた。

 地元では「近所の乳牛と取っ組み合いをしていた」などというエピソードを持つ彼女、動物の扱いはお手の物らしい。

 

この上なくいつも通りだね

 

「大物だなぁ、スペの奴」

 

「…………学園付近に、イノシシなんて居たかしら?」

 

「私、入校以来初めて見かけましたわ……」

 

 一応ここ、東京の府中市よ?絵面が珍しかったのもあってか、授業中のウオッカとダスカに、ゴルシが様子を写メってグループライン経由で画像を送る。ウオッカから「パないっスね先輩」なる即レスが返ってきた。

 

「え、ご飯が欲しいんですか?あげません。餌目当てで人里に降りて来てたら、いずれ射殺されちゃいますよ?」

 

急にシビアになりましたわね

 

「野生動物に生き方を説いてる……」

 

「ていうか意思疎通できるんだ」

 

 幾度かの言葉を投げかけると、スペちゃんに頭を擦り付けていたウリ坊は、名残惜しげに山間部へと姿を消していった。その頃合いを見計らって、私はひとり、彼女に向かって歩みを進める。

 傍らまで近付いて……そっと、小さな声で語りかけた。

 

「…………気持ちの整理、ついた?」

 

「………………よく分かりますね、スズカさん」

 

 私、結構ごまかすの上手なんですよ?……大きな眼を更に刮目した同寮生は、驚嘆とばかり呟いた。

 

「負けた子の泣いてる顔は見たくない。でも、勝負事である以上は仕方ない。……分かるわよ、私もそう思った経験あるもの」

 

 生来素直な性分なのか、スペちゃんはチームの皆から率先してアドバイスをもらっている。中でも、私の言葉は特によく聞いてくれる印象がある。同部屋のよしみなのか、「多少は気の置けない仲」と思ってくれているのか、あるいは……もっと、()()()()があるのか。

 

「ええ。ソレに加えて、『自分が今日()()()()()()()()()』なんて、傲慢の極みだと思います。でも、……最初の一歩目から、つまづいてなんていられないんです」

 

 ……ダービー制覇が、私の第一目標ですから。大きなビジョンを掲げた彼女は、靴紐を結び直して立ち上がり、一瞬瞑目。そして。

 

「……よし、行ってきます」

 

 再び彼女が目を開けた、瞬間ッッ!!

 

「ッッ……!?」

 

 思わず、私は息を呑んだッッ!!心のどこかで「純朴な少女」「田舎から来た元気娘」「ピュアな道産子」……そう思っていた彼女の眼に、ドス黒いまでの黒炎が立ち昇っていたからだッ!!目的を果たすためなら己の命すら捧げるとでも言わんばかりの、苛烈なまでの「意思」の力をッッ!!

 

「見ててくださいね。子連れのヒグマと長年デッドヒートして鍛えた、私の末脚

 

「……へっ?」

 

 ヒグマ?ってあの羆?北海道物産展とかで、木彫りのお土産になってよく売られてる、あの?……パワーワードに頭が茫然としているうちに、スペちゃんはスタスタとゲートに入ってしまった。

 と、その時。

 

「すまん、遅れた!……いや、ギリギリ間に合ったか。スペのやつ、調子はどうだ?」

 

 件の「アメリカ遠征計画」の打ち合わせで、到着が遅延したトレーナーさんが私たちに駆け寄って、問い掛けた。これにちょっと間隔を空けて、私とスペちゃんのやり取りを見守っていたメンバーが答える。

 

「心配いりませんわ。荒削りのようですが、鍛え方が凄まじい。テイオーを『里中(さとなか)(さとる)』とするなら、差し詰め彼女は『山田太郎』といったところでしょうか」

 

「マックイーン、ボクとスペちゃんは何に例えられたの……?

 

「……ありゃあヤベーぞ、トレーナー。デビュー前の練習量にしちゃあ度を越してる。他の奴らが自信喪失しねーか心配になっちまう。例えるなら、『一般人の中に東方不敗が混じってる』ようなもんだ」

 

すまん、分からん

 

 出走、開始。

 

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ……スペちゃんの初出走一位を記念して、乾杯!」

 

『カンパーイ!!!』

 

 その日の夜、夕食後の部室内にて。昼間に見学出来なかったダスカさんとウオッカさんも交えて、私……スペシャルウィークは祝勝会を開催してもらっていた。簡単……と言ったら、他の出走者の子たちに失礼か。結果としては、二着以下とは大差勝ちで幕を閉じたのだった。

 

「お母ちゃんが言ってました!こういう日は勝ち酒を飲むもんだって!」

 

「スペちゃん、未成年だから思いとどまって、ね!?」

 

「こんなこともあろーかと樽酒持ってきたぜェー!コイツを浴びて宴だオメーらァ!」

 

イェーイ!!!

 

「イェーイではないでしょう貴女達!停学になりますわよ!?」

 

 スズカさんとマックイーンさんが収拾を図ろうとしてる横で、私はスカーレットさんと話し込んでいた。

 

「試合結果、親御さんに送られたんですね?」

 

「ええ。()()()()()、見守ってくれてると思うので。あ、あとは姉もですね」

 

 キャンペンガール。私のひとり目のお母ちゃん。

 余命幾ばくもないにも関わらず、命と引き換えに私を産んでくれた、大恩ある存在。彼女がいなければ、私は今ここに立ってすらいない。

「貴女の一生が健やかで、幸せなものでありますように」。……それは、後に育てのお母ちゃんから聞いた、彼女の最後の言葉。

 

「お姉さんか、いいなぁ……。アタシひとりっ子だから、姉妹がいるって話聞くと、単純に羨ましいなーって思います」

 

「うーん、良いことも、辛いことも両方でしたよ?昔はよくケンカもしてましたけどね?」

 

 オースミキャンディ。「日本一のウマ娘になる」と言ってはばからなかった、大好き()()()私の姉。

 

 ──今はもう、この世に居ない。

 

「しっかし……シーザーサラダにフライドポテト、ピザにターキーにローストビーフ、舟盛りに締めのアイスクリームまであるとは!いやぁ〜良いチームメイトを持ちましたね私!」

 

 ふたりの遺志は、私が受け継ぐ。日高の墓前で誓った日から、今日まで歩みを止めた日は無い。

 

「そりゃあどうも。しっかし健啖家っスね、先輩」

 

「はい!在学中は残食ゼロを目指してますから!」

 

 ウオッカさんへの答えは、誓って嘘ではない。決めたのだ。天国に居るふたりの分まで、しっかり食べて、学んで、走ると。

 だから私は、今日もご飯を3倍食べる。

 

「いただきます!」

 

 そう。私達の夢は、ここから始まる。

 

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 

「トウカイテイオーでエゴサかけるとね、予測変換で『怪文書』って出てくるんだよ?ナニコレ?」

 

 スペシャルウィークが模擬レースを終えた翌日。

 秋口の日も暮れかけた、放課後の保健室にふらりとやってきたテイオーは、PCに表示された意味不明な長文の数々に、辟易しながらひたすら眼を通していた。なお、テイオー自身はこんなもの一枚だって書いていない。

 

「あぁ〜〜わけわかんないよぉーもう!市場(マーケット)はボクに何を求めてるのさ!?」

 

 有マ記念で見せた奇跡の復活を経て、近々己の進退を真剣に考え始めていた彼女は、形の良い頭をバリバリと掻いてボヤく。なんでもウマッターで『#しっとりテイオー』なるハッシュタグを見つけ、興味本位で覗いたことが発端らしい。

 ところが彼女の脚を触診していた校医・東方仗助は、コメントにお構いなしとばかり診察を進めており。

 

「左足首、右にもう10度捻ってくれ」

 

「あ、うん……ってちゃんと聞いてよドクター!何さ、みんなしてボクのこと『卑しか女杯優勝候補』とか『在学中にデキ婚しそうなウマ娘ステークス筆頭』とか!営業妨害だよこんなの!訴訟!」

 

「はいはい、あとでサイバー対策チームに連絡しとくわ」

 

「いや、話題の中心には居たい

 

「内容は選べよ……」

 

 とどのつまり、話を聞いてほしかっただけのようだった。「医者の類いが苦手」とされる彼女であるが、どうにも苦手なのは注射であり、医者と会話をすることは苦でないとのこと。

 

「ところでドクター」

 

「うん?」

 

「今度スズカ達で組むっていう、特別遠征チームの話だけどね」

 

「お、もうそこまで話回ってたのか」

 

 聞けば情報通のテイオーによると、スズカ達がカフェテラスでチーム名候補を話し合ってるところにお邪魔したらしい。で、出た候補が。

 

「『オールボディ・オールゴースト』『はちみー無礼(なめ)隊』『モブロック』『素晴らしき先頭民族の会』『ウマネストisナイトメア』だって。どれにするの?」

 

「全部ボツ」

 

 ライスが発案した『ブルームス』を正式採用したのは、この数日後の話である。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

「いやあ、ビックリってのが先立つねぇー。4()()()()骨折が一瞬で治るのは、感無量というかなんというか……」

 

 ぴょこぴょこと、左足を捻ったり捩ったりしている彼女は答える。施術に関しては先に聞いた通り。骨を構成するカルシウムとコラーゲンなどを無菌室で培養(SPW財団謹製)し、これらを物理的に外部から叩き込んで()()()骨を再構築したらしい。手術時間は一瞬だったので実感はないが、なんとなく脚が頑丈になった気がする。

 

「人間含めた有機物の材料なんて安いモンだからな。値段つけらんねェーのは、それこそ命と魂くらいだ」

 

「おお、前半だけ聞くと悪の科学者みたいだねっ!」

 

「人聞き悪りィなオイ」

 

 新学期に併せて無菌室や大型冷凍庫が併設されたのは、ひとえに手術のためらしい。

 

「ま、これで施術と診察は完了だ。なんか質問あるか?」

 

 彼女好みの、ミルクとガムシロップを大量に入れてマッ缶並の甘さになったコーヒーを手渡した校医は、そう静かに先を促す。彼女は実に50分近くの診療予約を入れていたから、今日は最後の患者だった。

 激甘コーヒーに目を丸くしながら、テイオーは思ったままを口に出す。

 

「なんだろ……?うーんと……まだ、実感は湧かない……かな」

 

「……気持ちが追いついてない、ってトコか」

 

「…………そだね。ここまで至れり尽くせりなのに……身勝手な話、だけどさ」

 

 伏し目がちに、彼女は語る。それは入学当初の天真爛漫な彼女からは、欠片も見られなかった、憂いと…………陰鬱で、耽美な色香を帯びた表情だった。

 

「…………もしキミさえ、あの時居てくれたなら、って思ったりしたんだ」

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 あの時。かつてトウカイテイオーが無敗の三冠を目指していた、クラシックに挑んだ時のことだ。菊花賞に挑めていたif。三冠を達成したif。あるいはグランドスラムを成し遂げたif。それら全ての夢想は、叶わなかったゆえに持ち得たもの。

 

「有マで勝ったあとに、さ。『また脚が折れてた』って診察が下ったんだけど……不思議とね、後悔は無かったんだ」

 

 今の彼女は無敗でもない。三冠も持ち得ていない。幼少から持ち続けた志は砕け、かつて抱いた夢は霞の彼方に散っていった。度重なる疲労骨折で、いわゆる『折れ癖』がついた。全盛期の重力に囚われずに飛ぶような走りは、もう出来なくなっていた。

 それでも、あの雨の日にマックイーンに誓った約束は、傷だらけのガラスの脚で果たしてみせた。ただし。

 

「微細なヒビが脚のそこかしこに入ってた。坂路どころか、プールで泳いでも身体が痛くて。……まるでおばあちゃんみたいだなって、自分で思ってさ」

 

 捧げた代償は、タダではなかった。

 僅か150センチの細身な体躯では、載せられる筋肉量も少ない。体格に恵まれないウマ娘は、本来はレースをスローペースに持ち込み、隙を見て差すのが定石。それをテイオーは類稀な柔軟性と身体操作能力、大きいストライドでもって、フィジカルの不利をかき消していた。

 しかし同時に、その柔らかで派手な走法こそが……元々繊細な脚に、多大な負荷をかけ続けていた。

 

「牛乳飲んだり小魚摂ったり、苦し紛れに色々やってたんだけどね?」

 

 骨密度が生来低く、骨折しやすいのも災いしていた。

 脚をまた折るようなアクシデントが有れば、10代のうちから杖を手放せない生活になるだろうこと。慎重に暮らしてもやがて将来、閉経後に骨粗(しょう)症を高確率で発症し、クシャミをしただけで肋骨が折れるような身体になっていくだろうこと。QOLを維持できるのは、精々が50代前半までだということ。そこから先は……車椅子か、寝たきりか。

 

「……今年限りで引退しようって、決めた矢先だったんだ。奇跡の代価は安くない。それは分かってたから」

 

 挫折は確かに無駄ではなかった。世間知らずだった子供が、打ちひしがれてなお勝ち得た道のり。泣いて、もがいて、足掻いて得た、奇跡。でも……競走能力を失った先に続く道は、一体どこにあるのだろう。

 

「本当は今日、マックイーンと走って……それで最後にするつもりだった」

 

 翻意するきっかけになったのは、紛れもなくクレイジー・ダイヤモンド。ヒトの形をしているというその幽体は、テイオーの眼には見えない。仗助の後ろに、「力強いナニカが存在する」ということくらいしか分からない。まるで。

 

「カンダタに垂らされた、蜘蛛の糸みたいだなって」

 

 芥川龍之介の記したそれは、地獄の亡者に幸福をもたらす気まぐれ。もし、眼前のこの人が、もう数年だけ早くここに居てくれれば。そう思ってしまったのは、きっと彼女だけではないだろう。怪我に泣いたウマ娘など、世にごまんと居るのだから。

 

「だから、これからは目標探しの旅、ってとこかな?ちょっと、ゆっくりしてみることにするよ」

 

 思えば入学から今までひた走ってきた。ここらでひと息入れて、自分史を振り返るのもありだろうか。

 独白を静かに聞いていた担当医は、頃合いを見計らっていたのだろうか。瞬きを二、三おり混ぜたのち、落ち着いた語り口で切り出した。

 

「……テイオー。静養ついでに一つだけ、考えといて欲しいことがあってな」

 

 アメリカ遠征の他に、学園から別件でもう一つだけ話を貰っている。続きをテイオーが促すと、いわく。

 

「別メンバーでの()()遠征。まだ試走段階だが、企画倒れにはならないってことは確実だ」

 

「ヨーロッパ、行くってこと?」

 

「なんだ、腹案に有ったのか?」

 

「ううん。……凱旋門を諦めてからは、考えたこともなかったや」

 

 時期は米国行きと同じく来年度だが、選抜メンバーはアメリカ組とは全員別。定員は希望制で、例によって5名。レコメンドにリストアップされた中には、テイオーの名前も挙がっているという。

 

「……っと、そうこうしてるうちにこんな時間か」

 

「え……わわ、遅れちゃうマズいマズいっ!ごめん、ボクもう行くねっ!」

 

「あーっと、ついでにコレ持ってきな」

 

 慌ただしくスクバを抱えたテイオーに対しおもむろに、机上に置かれた銀貨を投げ渡す。その正体は。

 

「コイン……いや、25セント硬貨?」

 

「ホイッスル代わりだ。多分ご利益あんぞ?」

 

「なにそれ?……まあいいや、じゃあお言葉に甘えるよっ!」

 

 また来るね!とだけ残し、ぱたぱたと彼女はターフへと駆けていく。

 

「……さーてと、んじゃ残業こなしたら、店仕舞いすっかな」

 

 タブレットをスリープにして、凝った目元を手で抑える。

 

 思えば数年前までは、世界各地でDIOの残党共と闘いの連続だった。仗助だけでなく、波紋の技術やジョルノのスタンドがなければ継戦能力を維持できなかっただろうし、SPW財団らの財力がなければ、経済的に壊滅していただろう。

 

 自らの夢を希求できるようになったのは、本当にここ数年のこと。

 前世というものが自分にあったのかは知らない。ただどうにもレースに魅せられてしまうと同時……どことなく、彼女達を放って置けない危なっかしさも感じるのだ。

 ブラインドを下ろすと、すっかり秋の帷が落ちかけていた。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「ただいま、ドクター」

 

 約1時間後。すっかり日も落ちた保健室に再び現れたテイオーは、口調に反してどこか晴々とした顔立ちだった。残業を終えて帰り際だった仗助を、めざとく捕まえたのは僥倖。やはり己は「持っている」と、確信した顔立ちだった。

 先刻渡された25セントを握ったまま、彼女は開口一番畳み掛ける。

 

「お代は払うからさ。()()、貰ってもいい?」

 

 いうが早いが彼女、ポケットから何かを綺麗に投げて寄越した。持ち前の反射神経を活かしてキャッチした、仗助の手の中に収まったのは……ゲーセンで使う用だろうか、ピカピカ光る500円玉だった。

 ……交換しろ、ということか。

 

「いいけどよォ〜、()()()、思いっきり損してんぞ?」

 

「ううん。コレが良い」

 

 ピン、と指で弾いた硬貨が、再び彼女の掌に収まる。

 

「ちょい待ちな、釣り合うように小銭出すから」

 

 おもむろに引き出しの中の小銭箱を弄り出す彼が、座ったまま後ろを向いたのを見計らって。……彼女は入り口のドアを静かに施錠し、差し足で彼の後ろに忍び寄る。

 

「ねえ、ドクター」

 

 音も無く、気配を殺し。

 

「なん……ッッ……!?」

 

 二の句が告げなかった。いつの間にやらゼロ距離まで近付かれていた彼女に……背中から両腕を回されて、そっと抱き締められていたのだから。

 咄嗟に机上のスタンドミラーで彼女の顔色を伺うも……前髪に隠れて、表情は見えなかった。

 

「テイオー、だよな……?」

 

 反射で出しかけたスタンドを、被りを振って霧散させ、短く問う。殺気が無かったからか、この位置まで気付かなかった。奇しくもそれは……舞踊の如き軽やかな「全盛期の彼女の足捌き」が完全復活した、傍証でもあった。

 

「……どうした?」

 

 長年の戦闘勘も、危険は無いと告げている。『掛かって』はいないようだし、耳も絞られていない。むしろ上機嫌に分類されるだろう。

 シャワーを浴びてからここへ来たのだろうか。衣擦れした華奢な体躯から、仄かにトリートメントの香りが漂い、そして。

 

「ふっふ〜ん、ドキッとした?」

 

 してやったり、とばかりおもむろに顔をあげた悪戯っ子は、満面の笑みだった。何かの意趣返しだろうか。意図を掴むには、いかんせんまだ付き合いが浅過ぎた。

 

「ねぇねぇ、どうだッ……って痛ったーいっ!今スタンドでボクのアタマ叩いたでしょ!?なにすんのさぁ!」

 

「ハネてた髪の毛直しただけだ、文句言うな」

 

「え、嘘!?さっきちゃんとセットしたのに!?」

 

「嘘だ」

 

「……ぶー。いじわる」

 

「コレに懲りたらもう止めな。ウマ娘に背後奪られたら、フツーの人間は落ち着かねーッての」

 

「フツーの人間さんじゃないでしょ、ドクターは?大体こんなの、モテる男は慣れてるでしょーに」

 

「ご丁寧に鍵まで掛けて言うことか?」

 

「退路を絶っただけだもーん。むしろホメるとこじゃない?」

 

「いい根性してんなあオメー……」

 

 通常、ヒトが一対一でウマ娘に組み敷かれたら逃げ場はない。しかしこの男は違う。肉体的スペックも侮れず、更にそのスタンドパワーとスピードは、並のウマ娘を凌駕するらしい。だからこそ、心拍に一切の乱れがないのだろう。

 

「……どーだったよ?走ってみて」

 

脳内でうまぴょい伝説鳴りっぱなしだった。なんならトレセンの制服着た、キタサトコンビとも併走してたよ」

 

耳鼻科と脳外科を要受診……と」

 

「待ってドクター比喩だよ比喩!メタファー!

 

「わーかったから耳元でシャウトすんなって!」

 

 イマジナリーフレンド染みた、成長していた後輩達の姿を幻視したのはさて置き。自壊の不安も明日への杞憂も、将来への悲観もなくなったのは、喜ばしいことこの上ない。だから。

 

「これはお礼……じゃないな、ランナーズハイってやつ?普段のボクなら、こんな柄にもない事しないんだからね?」

 

 小声で「……それから、ね」と続ける。両腕の力を、意図してちょっと強めた。

 

「まだ、ちゃんと言ってなかったね。『ありがとう』。キミのおかげで日本も、この学園も、そして────」

 

 音もなく、広い背中からするりと離れる。左の首筋に星形の痣があるのを、この時初めて知った。

 

────ボクもまだまだ、強くなれる

 

 世界は広い。いずれまだ見ぬ地平線の、果てまでも駆けてみたい。

 その為なら何度でも羽撃いてやる。目指すは海の向こう。待ち受けるはレース発祥の地での、新たな闘い。

 

「じゃ、今度の土曜は()()ボクと付き合ってね、ドクター!遠征の話、詳しく聞いときたいからさっ!」

 

 ついでに「ちゃーんとエスコートしてよね?」なんて注文までつけて、彼女は嵐のように去っていった。

 自由だなぁ、アイツ……と思いながら、白衣を脱いで帰り支度を済ませる。……そこで仗助、ようやっと気付いた。先程髪の毛に隠れて伺えなかった、彼女の視線の先にあったものは。

 

「もしかして、俺の()()()()()()()見てたのか……!?抜け目ねェーヤツだなマジで……」

 

 トウカイテイオー。のちにシンボリルドルフの跡を継ぎ、トレセン学園次期生徒会長となる才媛の、再出発の日。

 

 ────彼女の道は、ここに再び拓かれた。

 

 

 

 

 

 

 




【今更スピカの紹介】※ウオダスはまた今度

 ・スペ……「宿命を背負う」主人公。託された夢と願いを成就せんとする、漆黒の意思を備える。LUK値にバフが掛かっており、ゲートはほぼ内枠だったり、レースの日は殆ど晴れてたり、よく希少生物と遭遇したりする。怪我知らずは原作準拠。二郎は全マシマシチョモランマ派の中等部生。

 ・テイオー……「運命に抗う」主人公。幾多の栄光と挫折を経て、黄金の意思を持つに至った。いわゆる「ツキを持ってる」子。キャラとしてはアニメとアプリ版を足して2で割ったくらい。最近ちょっと大人びてきた、はちみー濃いめ固め多め派の高等部生。

 ・マックイーン……繋靭帯炎が完治した、名門メジロ家の御令嬢。教養家であり、オペラとバレエに精通。絵画やクラシックへの審美眼も併せ持つ。なお、ドカベンは彼女曰く「必修科目」。その他タッチ、MAJOR、ダイヤのAなどを愛読。

 ・ゴルシ……業界最古参のVTuber、兼学園一のハジケリスト。実は未来からやってきた説、そもそもウマ娘ではない説、しれっとスタンド使える説など、彼女をめぐる妙な噂は数多い。今でこそ傾奇者だが、幼い頃はむしろ栗毛に近い髪色で、深窓の令嬢然とした雰囲気を纏っていた……らしい。




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