魔法少女リリカルなのは 愚王の魂を持つ者 (ヒアデス)
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第一章 無印・A’s
第1話 御神家


 地上の街から遠く離れた空の上。巨大な鋼鉄の船から放たれる死の光を前にして、俺は心の中で叫ぶ。

 

《――、もういい! お前は逃げろ! ここまでで十分だ!》

 

 死を前にした辞世の句のつもりでも、恐怖で気がふれたつもりもない。

 その証拠に俺の中から“彼女”の声が返ってきた。

 

《いいえ! 私もご一緒させてください! 最後(最期)までお供させていただけると仰ってくれたはずです!》

 

 その返事に俺は“彼女”を道連れにする申し訳なさを感じるとともに、嬉しさからつい笑みをこぼしてしまいながらぼそりと口に出して呟いた。

 

「……馬鹿野郎」

 

 その一言を言い終わるか終わらないかといったところで、膨大な量の光は瞬く間に俺()()を飲み込み――

 

 

 

 

 

 

「――うわああ!」

 

 その瞬間、俺は悲鳴を上げながらがばっと跳ね起きた。

 

 思わずきょろきょろと首を動かし辺りを見回す。

 そしてここが様々な私物があふれる自分の部屋だと確認すると、口からふぅと安堵の吐息が出てきた。 

 

「……またあの時の夢か」

 

 もう何度目になるだろう。自分が死ぬ瞬間の、いつ見ても慣れない嫌な夢だ。

 ……いやそれだけじゃない。この夢は自分勝手に“彼女”を道連れにした、俺の罪の象徴のようなもので……。

 

 無意識のうちに拳を固く握り、唇を強く噛んでしまう。

 だが、そこで耳に届いてきたピピピという無機質な音が、過去の記憶を漂う俺の意識を現実へと引き戻した。

 音は枕元に置いた携帯(スマホ)から響いている。目覚ましのために設定したアラームの音だ。早寝早起きの習慣が身についているおかげか無駄に終わる日も結構多いが、今日は別の意味で自分の目を覚ますのに役立ったらしい。

 

 

 

 

俺の名前は御神 健斗(みかみ けんと)。年は8だが、二ヶ月後の6月初めにはもう一つ年が増える予定。私立聖祥(せいしょう)大学付属小学校という学校に通っている小学三年生だ。

 

 そして信じられないと思うが、俺には前世の記憶があり、前世で俺はベルカという世界にある、グランダム王国という国を治めていたケントという国王だったらしい。

 戦続きの世界で、(ケント)は《闇の書》()()()()()魔導書を手に何度も戦ってきた。

 先代の王だった父を失い、《ヴォルケンリッター》という四人の騎士たちと出会って、彼女たちとともに戦い俺は順当に勝利を重ねていった。

 そんな中で俺は一人の美女と出会い、恋に落ちた。

 しかし、闇の書の正体とそれがもたらす脅威を知り、その上ベルカを平定せんと立ち上がった《聖王オリヴィエ》からの宣戦布告を受けたことで、俺たちを取り巻く運命の歯車は大きく狂う。

 俺はさんざん悩み抜いた末に、闇の書と聖王オリヴィエの板挟みになっている状況を逆に利用して、オリヴィエに自らを討たせ……。

   

 それらの記憶は二年前、小学校に上がったばかりの時に、とある出来事がきっかけで思い出したものだ。幼い頃から何かを忘れているような奇妙な感覚はあったが、()()に触れなければ前世の記憶がこうもはっきり蘇ることはなかっただろう。

 もちろん最初はそれを頭から信じることはできなかった。絵本や童話に出てくる偉そうな王様に憧れるあまり、自分が作りだした夢物語だと思おうとした。

 だが、ケントだった頃の記憶を取り戻してからしばらくしてある女の子と出会い、彼女と言葉を交わしていくうちに俺は自分の記憶を信じられるようになった。なぜなら、その時に出会った女の子は……。

 

 まあ、あの子のことはさておき、記憶を取り戻した俺は母との稽古を通して《固有技能(スキル)》を使いこなせるようにしたり、“先生”からあることを教わったりなどやれるだけのことはやっている。

 前世で果たせなかった、守護騎士たちや“彼女”を闇の書から救い出すという使命を成し遂げるために。

 

 

 

 ……そろそろ準備をしよう。身支度を整えてあの人の手伝いを……せめて朝食と弁当作りくらいはしないと。

 

 そう決めながら俺は白い制服を着てから部屋を出て洗面台へと向かい、黒い右眼と緑色の左眼を備えた顔についた汚れを洗い流してから歯磨きを済ませ、短い黒髪にクシを通す。

 

 

 

 

 

 

 身支度を整えてから俺はキッチンのあるリビングへと向かった。

 そこにはすでに先客がいて、開きっぱなしのベランダに出たり入ったりしながら洗濯物を干している。俺はそんな彼女に向けて――

 

「おはよう母さん!」

 

 俺が声をかけると、長く垂らした黒髪をたなびかせながら母はこちらを振り向き、微笑を浮かべながら挨拶を返してくれる。

 

「おはよう健斗。相変わらず早いな。もう少しゆっくりしていてもいいのに」

 

 そう言ってくれる母さんに感謝しながらも……

 

「俺が寝てたら、洗濯に加えて朝食や弁当の用意まで母さんだけでしなきゃいけなくなるだろ。それだと時間までに間に合わなくなるよ。母さんまだ料理苦手なままでしょ」

 

 苦笑しながらそう言うと、母さんはうっとうめく。そんな母さんを見ながら俺は服の上にエプロンをかける。

 

「いつも通り朝食と弁当は俺が用意するよ。決まったものしか出せなくて悪いけど」

「それくらい構わない。おかげで随分楽させてもらっているんだから。……しかし、昔からどんなに頑張っても料理は苦手なんだが、まさか息子に追い抜かれるとはな。ありがたいが正直悔しいとも思ってしまう」

 

 悔しがる母さんに勝ち誇るように笑みを見せてから、俺はキッチンへと向かい朝食を作り始める。弁当は昨日の夕食の残りでいいか。どうせまたあいつが余分に作ったものをくれるだろうし。母さんには悪いけど。

 

 

 

 彼女は御神 美沙斗(みかみ みさと)。俺の母親()()()()()()()()()()()人で、海鳴警察署に勤めている警察官……らしい。

 さっき本人が言っていたとおり料理が苦手で、どんなに猛特訓しても最近まで食べられるものが一切作れないほどだったが、俺を引き取ってから少しは上達した。もっとも俺の方が早く上達してしまい、その腕を振るう機会も滅多になくなってしまったが。

 

 俺と母さんには血の繋がりがない。いわゆる養母と養子という関係にある。

 俺は生まれた時から両親がおらず、物心ついた時から施設で育ってきた。数年前にある夫婦が俺を養子として引き取ってくれるという話になったが、その夫婦も急な事故で亡くなってしまい、俺は再び行くところがなくなってしまった。

 そんな俺を引き取ってくれたのが美沙斗さんだった。

 それ以来、俺と美沙斗さんは義理の親子として二人で暮らしている。

 

 

 

 

 

 

 ほどよく炊けた白米とほうれん草、目玉焼きに味噌汁といった定番の朝食を前に、俺と母さんはテーブルについて手を合わせ朝食に手を付ける。

 

 食事を始めてからしばらくして、母さんはふいに尋ねてきた。

 

「……今日もひどい寝起きのようだったが、また悪い夢を見たのか?」

「……うん、まあ。でも大丈夫だよ。朝の用意をしているうちにそんなものきれいさっぱり吹き飛んだ」

「そうか……」

 

 跳ね起きた時に発した叫び声は母さんの耳に届いていたらしい。

 俺は母さんを安心させようとそんな嘘を付いてごまかすが、母さんは察しが付いている様子を見せながらも何も聞かず、再び食事を口に運んだ。

 

 “彼女”とともに死んだ時の記憶……前世の記憶を思い出す前から、度々夢となって蘇る最期の瞬間。それは今でもなお脳裏に焼き付いている。忘れられるわけがない。

 母さんにはその夢の内容は話していない。一度だけつい話してしまったような気もするが、さすがに実際にあった話だとは思っていないだろう。

 前世のことも当然話していない。自分が王様だったなんて、それこそ夢の中だけにしておいたほうがいい話だ。……それでも、いつかは母さんにすべてを話す時がくるのだろうか?

 

「ところで最近あの子を見ないが、またあの子がうちに遊びに来たり泊まっていく予定とかはないのか?」

 

 ふいに話題を変え、窺うように尋ねてくる母さんに俺はそっけない口調で……

 

「今のところそんな予定はないよ。その時が来たらまた知らせる」

「ああ。おばさんはいつでも歓迎するから遠慮なく遊びにおいで、ってあの子に伝えてくれ」 

 

 わずかに語気を強めて言う母さんに俺は「わかった」と告げる。

 ……そろそろあいつの料理が食べたくなった、ということか。

 

 さっき話した通り、母さんは料理が苦手で、俺はそんな母さんの一段くらいはましな腕だが、それでも料理上手な幼なじみには足元にも及ばない。

 あいつがこの家に来た時はなにかしら料理を作ってくれて、その日は俺も母さんも絶品な料理を味わうことができるのだ。

 法律と状況が許されるのなら、今すぐあいつを養子か嫁にしたいと母さんは本気で思っているらしい。養子はともかく嫁っていうのは、まさかと思うが……。

 

「おっと。そういえば、お前にこれを渡しておかなければな」

 

 そこでふと思い出したように母さんは懐に手を入れ、茶色い封筒を俺に向ける。俺は空いている左手で封筒を受け取った。中身はお札が一枚。実際に中身を見たことはないが、一万円札一枚と見て間違いないだろう。

 それを確認して俺は母さんに尋ねる。

 

「また海外に出張? 今度はどこの国?」

「イギリスだ。向こうの警察と合同の仕事があってな。すまないが私が留守の間、また向こうに泊めてもらってくれ。それはお世話になる時に掛かる食費だから、いつも通り兄さんか奥さんに渡しておくように」

「ああ、わかった」

 

 俺は封筒を手元に寄せながらそう答えた。

 母さんが海外に出張する度に向こうの家に泊めてもらうのも、食費などの経費が入っている封筒をあの人たちに渡すのもいつものことだ。もっとも経費に関しては受け取ってはもらえるものの、すぐに母さんのもとへ返されているようだが。

 母さんがよく海外に出張する理由は依然謎のままだ。数年前に登用された一介の女性警官がなぜ海外への出張を繰り返しているのだろうか。恭也さんや姉さんなら知っているかもしれないが。

 

 俺がそんなことを考えているところで、母さんは表情を引きしめて、

 

「健斗、なんならあの家に移ってもいいんだぞ。兄さんも奥さんもお前が望むなら養子や里子にしてもいいと言ってくれている。その方がお前のためにも――」

 

 母さんが言い終わる前に、俺は首を横に振った。

 

「俺の考えは変わらないよ。今まで通りこの家で生活させてほしい。向こうのにぎやかな家庭も悪くないけど、母さんと静かに暮らす今の生活も気に入っているんだ。もちろん俺がいると迷惑だったり、姉さんが帰ってくるとなったら無理に居座ることもできないけど」

「迷惑なわけあるものか……わかった。ただ、気が変わったらいつでも言ってくれ。生活用品はすでに向こうにもあるようだから、引っ越し業者の手も借りずにすむと思う」

「はいはい。考えておくよ」

 

 ほんの少し顔をほころばせる母さんにそう答えながら、俺は味噌汁をすする。

 とりあえず、今日からしばらくは高町さんちの厄介か。ノートパソコンも持って行く必要があるな。



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第2話 将来

 四月初旬の平日。

 今日は晴天で、ベルカでは見たこともない青空が頭上に広がっている。

 

 マンションを出てしばらく歩いたところにあるバス停で立ち止まり、そこでメールやLINEが来ていないか確認しながらスクールバスが来るのを待つ。

 先輩からはいつも通りモーニングメールが来ているが、あいつからはまだ来ていない。

 珍しいと思うと同時に一抹の不安を感じているところに、ちょうどバスがやって来た。

 

「おはようございます」

 

 いつも通りバスに乗り込みながら運転手に挨拶をすると、運転手はうなずきだけを返す。

 そしてバスの中を見渡すと、車内の視線が一斉に俺に向けて注がれてくる。

 彼らの視線は俺の左右違う色の両目に向けられており、そのほとんどが奇異なものを見る視線で不快感を催すものだった。ベルカでは王族の証とされたオッドアイも、この世界では異質なだけのものらしい。

 これまたいつも通り、彼らの横を素通りしながら奥へと進んでいると、

 

「健斗! こっちこっち!」

 

 バスの一番奥から届いてくる聞き覚えのある声が聞こえて、俺はそちらに顔を向ける。

 見ると奥から、俺と同じ年の男子が俺に向かって手を振っていた。

 

「よう雄一。相変わらず元気だな」

 

 挨拶混じりの返事をしながら俺は彼の隣に腰を下ろす。

 

 茶色がかった髪に黄色い瞳の整った容姿を持つ彼は赤星 雄一(あかぼし ゆういち)。俺のクラスメイトにして無二の友人、そしてオッドアイによって同年代から変な目で見られることも多々ある俺にとって数少ない理解者の一人でもある。

 

 雄一と話しているうちにバスはいくつかのバス停を通過し、やがてあるバス停に到着する。しかしそのバス停には誰もおらず、それを見て……

 

「あれ? 誰もいないな。はやての奴、今日は休みか?」

 

 雄一が呑気な声でそんなことを言っているが、俺の方は内心気が気ではなかった。

 まさか、もう“施術”が効かなくなってしまったのか? あんな対処療法がずっと効くとは思っていないが……。

 戸惑う俺たちをよそに、バスは次の目的地に向かおうと昇降口を閉めて走りだそうとする。

 だがそこへ――

 

「待って! 待ってください!」

 

その声が届いて昇降口の扉は再び開き、バスの中に白い制服を着た女の子が飛び込んでくる。

 

「おはようございます! すみません、遅れてしまいました!」

 

 挨拶とともに謝罪する女の子に対して運転席から反応はない。おそらく俺たちを入れた時と変わらず、うなずきだけを返しているのだろう。

 女子はあたりを車内を見渡し、俺と雄一の姿を認めるとこちらに向かってまっすぐ向かってくる。それと同時に他の子供から妬みが込められた視線を向けられるが構わず無視する。

 

「健斗君、雄一君、おはよう!」

「おはよう。はやて」

「ようはやて、おはようさん」

 

 挨拶しながら俺の隣に座ってくる女の子は八神(やがみ) はやて。

 俺と雄一のクラスメイトで、朝から度々話題に上がっていた俺の幼なじみである

 短く切り揃えた茶色がかった髪につけた十字の髪飾りと青みがかった瞳、柔らかい関西弁が特徴のかわいらしい女の子だ。

 

「遅かったなはやて。今日は休みかと心配したぜ、健斗が」

「ごめんなあ。美味しそうな料理の作り方を載ってる動画見てたら、いつの間にかけっこう時間が経ってもうて。そのせいでいつもより遅れてしもたんや」

「おい! 人を無視して勝手に話を進めるな。『はやての奴、今日は休みか?』なんて言っていたのは雄一の方だろう!」

「そんなのどっちでもいいだろう。お前だってはやてを心配してたことに変わりはないんだから」

「それほんまか? 嬉しいな。気分ええから今日のお昼は私のお弁当から取ってもええよ。今日も少し作りすぎてもうたし」

 

 雄一の言葉を否定できずにいるとはやては嬉しそうにそんなことを言ってくる。もっとも、はやてから弁当を分けてもらうのはいつものことではあるのだが。本人曰く、料理は得意だが配分は苦手でつい作りすぎてしまう、とのことらしい。

 とはいえ家で作る料理の方は足りない事もなければ余る事もないので、それが本当なのかどうかはわからない。

 そんなことを話している間にバスはいくつものバス停を通って、俺達が通っている『聖祥(せいしょう)大付属小学校』へと近づいてきた。

 

 

 

 

 

 

 私立聖祥学園。

 そこは小学校から大学までを含んだエスカレーター式の私立学校であり、他の学校と比べて高度なカリキュラムが組み込まれていることで有名な先進校でもある。

 その代わり、この学校に通い続けるには高い学力と学費が要求されるため、学園の生徒は厳しい教育を受けた御曹司や令嬢であることが多い。

 しかし聖祥の生徒が絵に書いたようなお坊ちゃまやお嬢様ばかりかというとそうでもなく、俺やはやてのように親が高所得だったり学費を払えるあてがある一般家庭の子もいるし、優秀な成績を見込まれて学費を免除されている子供もいる。もちろん品行や成績には気を付ける必要があるが。

 つまり、俺たちが通う聖祥は、海鳴市でも群を抜いて高い偏差値を誇る名門校というわけだ。

 

 しかし所詮は小学校。精神的に二十年以上生きている俺にとって、小学校の授業などほとんどが退屈なもので……。

 

 

 

 

 

「~~やっと終わったー!」

 

 キーンコーンというチャイムの音とともに教師が4時間目の終わりを告げた直後に、俺はぐっと背伸びをして約一時間ぶりの自由と昼休みの始まりを満喫する。さすがに上記の言葉は教師が出て行った後に言ったものだが。

 何しろ4時間目の授業は算数。前世であれの100倍は難しい数式を解いてきた上に、ああいう学問は世界や時代が異なってもほとんど変わらない。真面目にやるとかえって眠くなるというものだ。

 そんな事情は露知らず、隣と後ろから俺を咎める声が聞こえてきた。

 

「こらこら健斗君、お勉強させてもらっているのにそんなこと言ったらあかんよ」

「はははっ! でも気持ちはわかるな。こんなに腹が減ってちゃ頭に入るもんも入らねえ。早くメシにしようぜ!」

 

 そう言って雄一は弁当がしまってあるランドセルのあるロッカーの方に向かい、ほとんど同時にはやてもロッカーへ向かう。なんだかんだ言って二人とも早く昼食にありつきたいらしい。俺も二人に続いてロッカーの方に向かい弁当を取り出すことにした。

 

「じゃあ早速昼飯にするか、それとも学食に行ってデザートでも買ってからにするか?」

 

 弁当箱が入った袋を手にさっそく雄一はそう尋ねるが、そこへはやてが、

 

「あっ! それなんやけど、すずかちゃんたちから一緒にお昼食べんかって誘われてるんや。もちろん健斗君や雄一君も連れてきって」

「じゃああいつらと一緒に食うか。場所はあいつらのクラスでか?」

 

 俺の問いにはやてはふるふると首を横に振り、ぴんと伸ばした人差し指を上に向けて言った。

 

「屋上や!」

 

 

 

 

 

 

「大体あんた、理数の成績はこのあたしよりいいじゃないの! それで取り柄がないってどの口が言うわけ!?」

「だってなのは、文系苦手だし体育も苦手だしー!」

「ふ、二人ともやめなよ! ――ほ、ほら、はやてちゃんたちももう来てるよ!」

 

 屋上に来た俺たちの目に映ったのは、地面に押し倒されたなのはと、彼女の背中に乗っかり顔を引っ張りながら声を荒げているアリサ、二人を止めようとして俺たちを見つけるすずか、そしてそれを遠巻きに眺めている生徒たちだった。

 皆の視線が集まっているにもかかわらず、プロレスもどきを続けている二人に俺は思わず口を開く。

 

「……何やってるんだお前ら?」

「あっ、健斗! ちょうどいいわ、あんたもあたしに加勢しなさい! なのはってばあたしより理数の成績がいいのに特技も取り柄もないなんて言うのよ! これはあたしに対する挑戦だわ! 宣戦布告だわ! いいじゃない、何で勝負する? 文系? 理系? それともこっちでケリをつける!?」

「やめてアリサちゃん! ほっぺが伸びる―!」

「やめないわ! あんたが抱いている将来の野望とやらを聞かせてもらうまでは――」

「いい加減にしろ!」

「――いたっ!」

 

 俺たちに気付きながら、なおもなのはに技(?)をかけ続けるアリサの頭を手刀で小突く。するとアリサはなのはのほっぺから手を離して、頭を抱えながら怒鳴った。

 

「何するのよバカ健斗!」

「これ以上人前で醜態をさらすなバカ師匠! 見てみろ! お前たちが騒いでいるせいでみんなこっちを見ているぞ! この状況でこれからメシを食うこっちの身にもなれ!」

 

 まわりを示しながら強く怒鳴り返すとアリサはばつが悪そうな顔になって、渋々なのはの上からどく。そこへはやてと赤星が割って入り、昼食を取りながら話を聞こうということになった。

 

 

 

 

 

 さっきまでなのはに乗っかり、頬を引っ張っていた少女はアリサ・バニングス。

 オレンジ色の髪を赤いリボンで左右をサイドアップした、緑色の瞳を備えた美少女で犬派。

 日米にまたがる大企業『バニングス建設』の経営者一族の一人娘で、学校のテストは100点取って当然だとうそぶくほど優れた成績を残し、いくつかの習い事にいそしむお嬢様である。

 

 なのはとアリサのいさかいをオロオロしながら眺め、今ははやての隣で食事を取りながら談笑している少女は月村(つきむら) すずか。

 白いカチューシャで留めた前髪からウェーブが掛かった長い紫色の髪を垂らした美少女で猫派。

 工業界において重要な位置を占める『月村重工』の社長夫妻の娘で、アリサと違って見た目通りの深窓のお嬢様だが、意外にも身体能力が高く体育で彼女に勝てる者は男女問わず誰もいない。

 月村家は古くから名家として知られる資産家でもあり、親戚には月村家と同等の資産を持つ家がいくつか存在し、俺と先輩がお世話になっている綺堂(きどう)家のお嬢様も月村家と縁が深い親戚だったりする。

 

 そして最後に、アリサに組み敷かれていた少女は高町(たかまち) なのは。

 栗色の髪を緑色のリボンでツインテールに束ねた、美しいというよりかわいいという表現が合う少女。髪を束ねるリボンの色にこだわりはなくほぼ毎日変わる。

 商店街にある『翠屋』という喫茶店を営む夫婦の末娘であり、俺の従姉妹にあたる。

 

 経済界を動かすほどの大企業の令嬢二人がなぜなのはや俺たちとつるんでいるのかというと、それは二年前、俺たちが一年だった頃に起こったある出来事がきっかけなのだが、それは割愛しておこう。

 それより、今はなぜあんなことになっていたのか聞く方が先だ。

 

 

 

 

 

「将来の職業ねえ……」

 

 はやての弁当から拝借した煮っころがしをつまみながら、俺がつぶやいた言葉になのはは小さく「うん」と言う。

 

 俺たちが退屈な算数の授業を受けていた頃、なのはたちのクラスでは社会科の授業が行われており、校外学習で見た商店街の様子を元に仕事や将来のことについての授業が行われていたらしい。

 それがきっかけで、なのはも自分の将来について考えるようになったそうだ。小学校生活もまだ半分以上残っているのにそんなことを考えるとは、我が従姉妹ながら真面目な奴だ。

 しかし、それがどう転んでプロレスもどきをすることになるんだ? それがいまだにわからない。

 

「すずかちゃんとアリサちゃんはもう将来何になるか決まってるんやろ?」

 

 はやての問いにアリサとすずかはこくりとうなずく。

 

「もちろん! 一杯勉強してパパとママがやってる会社を継がないと! そのためにこの学校に通わせてもらってるんだから!」

「私はお父さんたちの会社に入るかはわからないけど工学系の専門職につきたいなって。はやてちゃんたちはどんなお仕事につきたいの?」

「俺は草間一刀流を継ぐために剣道の道を進もうって思っている。まっ、勇吾兄さんも店を継がずに剣道家になるかもしれないから、いつかは兄さんに勝たなきゃいけないけどな」

 

 すずかの問いに雄一は意気揚々とそう答える。ちなみに勇吾兄さんとは雄一の兄ではなく従兄弟にあたる人で、なのはのお兄さんの友達でもあり、俺もよく知っている。

 意気揚々と答える雄一に対し、はやては……

 

「私は……料理得意やし、調理師さんにでもなろうかなって思ってる」

「それいいよ! はやてちゃんが作るお料理やお菓子すごくおいしいし!」

 

 どこか煮え切らない様子で答えるはやてに対して、すずかは目を輝かせながらそう言って、はやては苦笑いでそれに応じる。

 アリサもそれに続いて、

 

「そうね。もういっそ調理師と言わずに、はやてがお店開いちゃえばいいじゃない。はやての料理なら絶対人気出るわよ。なんならはやてが翠屋継げば? なのはは継ぐ気ないみたいだし」

「い、いやいや、継がないとは言ってないよ! 他にやりたいことがあるかもしれないというだけで!」

「うーん、それもええかもしれんな。その時が来たらよろしくななのはちゃん」

 

 はやては冗談交じりにそう言ってなのはに笑いかけ、なのははますます慌てる。しかし……

 

「まっ、それはいいとして、あんた去年まで将来の夢はお嫁さんとか言ってなかったっけ。そっちはどうなったのよ?」

「えっ……」

 

 アリサのその発言に場が固まる。すずかに至っては突然のことに口をあんぐりと開けていた。

 それに対して、はやてはしどろもどろになりながら答えた

 

「そ、それやけどな、さすがに9歳にもなってそんなこと言ってられんし、そろそろ真面目に将来考えた方がええとおもってな。結婚するにしても今はどこも共働きが当たり前やし」

「ふーん、それもそうね」

 

 はやての答えにアリサは腰に手を当てながら納得したような声を上げる。そこへ――

 

「ア、アリサちゃん!」

「――な、何よすずか?」

「駄目だよそんなこと聞いたら。はやてちゃんたちだって色々あるんだから。今のところ失恋したようには見えないけど……」

「あっ! ごめん。うっかりしてたわ」

 

 すずかはアリサの手を引っ張って俺たちから距離を取り、声をひそめながらアリサと囁き合う。しかし位置の関係で、俺を含めた何人かには彼女たちが何を話しているのかほとんど丸聞こえだった。

 失恋か……その可能性もあるにはあるが。

 

 アリサが言った通り、はやての去年までの夢はお嫁さんだった。幼少から得意だった料理の腕を今もなお上げているのも、いいお嫁さんになるためだと言っていたのを覚えている。

 しかし一年前にある出来事が起こって以来、はやてがそういった夢を語ることはなくなり、さっきのような堅実な事ばかりを口にするようになった。俺との距離もわずかに開き、以前に比べてうちに泊まることも少なくなった。

 

 そこではやてはぱんと手を打って、俺の方を向いて言った。

 

「そうや! 健斗君は将来どうするつもりや? 何かやりたい仕事とかあるん?」

 

 その問いに一同は一斉に俺の方を向いた。アリサとすずかも内緒話をやめて、じっと耳を傾けている。

 それに対して、

 

「将来か……」

 

 そう呟いたきり俺は何も言えなくなってしまう。

 将来などまったくと言っていいほど考えていなかった。今の俺にとっては将来よりも先に何とかしなければならないことがある。そっちの方だけで精一杯だ。

 悩んでいる俺を見かねたのか、すずかは助け舟を出すように言った。

 

「やっぱり健斗君も将来は刑事さんかお巡りさんになるのかな? 健斗君のお母さん、すごい刑事さんだって聞くし」

「まあ、警察関係の仕事につくのも悪くないんだが、母さんは事あるごとに警官にはなるなと口癖のように言っていてな。俺が刑事や警官になると言えば絶対大喧嘩になると思う」

「ああ……」

「それはありそうだね。ドラマとかで見る限り、刑事ってかなり大変そうな上に危険な仕事らしいし」

「美沙斗さんらしいな」

 

 俺の答えにすずか、なのは、はやてが納得の声を上げる。だが――

 

「えっ!? あんた、うちに就職するんじゃないの? そのつもりでプログラミング教えて、パパにもあんたのことをよろしくって伝えてあるんだけど」

 

 心底驚いたようにアリサはそんなことを言ってくる。これには俺も、

 

「おいおいアリサ先生、俺はそんなこと一言も言ってないぞ! まさかそんなことのために俺にプログラミングを教えてくれていたのか?」

「当たり前じゃない! でなきゃあたしがあんたなんかにあそこまで丁寧にプログラミングなんて教えるわけないでしょ! っていうか先生って呼ぶな! あたしはまだ小学生だ!」

 

 そうだったのか、どおりでアリサの両親が俺に対してやたら親しげに接してくると思った。

 そういえばデビッドさんは俺に「小学生の頃からもうそんなプログラムを組んでいるのか。これならうちでも即戦力だな」とか「君とは長い付き合いになりそうだ。これからもよろしく頼むよ」とか言っていたな。てっきりただの社交辞令だと思っていたが。

 それに加えてジョディさんからは「健斗君はもう好きな子とかいるの? いないならうちのアリサなんてどうかしら?」なんて言ってきたな。そっちも娘の男友達に対するジョークかと思っていたのだが。

 ……もしかして、あの人たちの中では俺って将来の幹部候補やアリサの許嫁のようなものになってるんじゃ?

 参ったな、先生(アリサ)からプログラミングを教えてもらっているのは()()を何とかするために必要だからであって、それを将来に生かすつもりはないんだが。まあ、今の問題を片づけたら将来のことも考えなくちゃいけないし、バニングス家の会社に就職するのも悪くはないが。

 

「……選択肢の一つとして考えておく」

 

 結局俺はなのはと似たようなことを言ってお茶を濁すことにした。

 

 しかしこの中でこれといった将来を思い描くことができずにいるのは俺となのはだけか。俺となのはに血の繋がりはないが、育った環境によるものか妙なところが似てしまったのかもしれないな。

 そんなことを思いながら、はやての弁当箱の中からつまんだ肉団子を口の中に入れた。



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第3話 高町家

 学校が終わってはやてや雄一と別れ、行きとは違う経路を進むバスに乗って、俺は海鳴商店街の近くにある家に向かう。

 

 住宅地から少し離れた場所に、塀に囲まれた二階建ての和風の家がぽつんと立っている。

 ここは『高町家』。なのはが家族と一緒に住んでいる家であり、俺にとっても母が海外に出張する度にお世話になる、もう一つの家と言っても過言ではない場所だ。

 

 俺はインターホンを押して一分近く経っても応答がない事を確認してから、鍵を差し扉を開けて家の中へ入った。

 

「ただいまー!」

 

 インターホンに誰も出なかったことや玄関先に靴がないことから、誰もいないだろうと思いながらも礼儀として一言告げてから靴を脱いで家に上がる。

 本当ならお邪魔しますと言うべきなのだろうが、数年間の間に何度も通い続けているにもかかわらず他人行儀過ぎるのもかえって失礼だろうと思い、今は最低限の節度を守りながら自分の家のようにすることにしている。

 

 リビングまで来たが家の中からは物音一つしてこない。喫茶店を営んでいる士郎さんと桃子さんは当然として、姉さんもまだ学校から戻っていないのだろう。

 こんな時間に家にいるのは小学校から戻ってきた俺と――

 

「ただいま恭也さん。そこにいるんでしょ」

 

 首を動かさずに後ろに向かってそう告げる。するとそちらの方から――

 

「気付かれたか。さすがに美沙斗さんに鍛えられているだけはあるな」

 

 年齢に会わないほど渋い声を聞いてから、俺はようやくそちらの方に体を向ける。

 そこには、すっきりした短い黒髪と黒目を備えた整った容姿の青年が立っていた。

 青年はかすかな微笑を浮かべ、柔らかい目線で俺を見下ろしながら声をかけてくる。

 

「お帰り健斗。かーさんから聞いたが、今日からしばらくここで暮らすそうだな」

「うん。しばらくの間またお世話になります」

 

 俺の挨拶に恭也さんはふっと笑ってから、

 

「そう固くなるな。たまにしか帰ってこなくてもお前もこの家に住む家族に変わりはない。遠慮せずに堂々としていろ」

「うん。そうさせてもらう」

 

 そう言ってくれる恭也さんに俺は素直にうなずく。

 

 彼は高町 恭也(たかまち きょうや)

 この家の長男でなのはの兄にあたる。今年から大学に入り翠屋の手伝いやバイトをいくつかしているものの、高町家の中では比較的自由な時間が多い。

 趣味は渋く表情の変化に乏しい物静かな人だが、さっきのように足音を立てずに背後に忍び寄るなどして人を驚かせようとする、いたずら好きの面もある。昔はなのはともども素で驚かされたものだ。

 

 恭也さんは気配を探るような仕草をしてから俺に聞いて来た。

 

「健斗一人だけか? なのはは一緒じゃなかったのか?」

「なのははアリサやすずかと一緒に塾に行ったよ。だから俺一人だけで帰ってきた」

「そう言えば今日は塾の日か。健斗は塾に行ったりしないのか?」

「そんなところに行かなくても大丈夫だよ。まあ成績が落ちたりしたら強制的に行かされることになるだろうから気を付けてはおくけど」

「そうか。油断せずにしっかりな」

「ただいまー!」

 

 恭也さんが言い終わると同時に、扉がガラガラと開く音と明るい声が玄関から響いてくる。

 この声だけで俺も恭也さんも、誰が帰って来たのかすぐにわかった。

 それからしばらくして、三つ編みに編んだ長い黒髪に黄色いリボンをつけた女性がこちらに顔をのぞかせてきた。

 彼女に対して恭也さんと俺は挨拶する。

 

「おかえり美由希」

「おかえりなさい美由希姉さん」

「ただいま! 恭ちゃん、それに……健斗君も来てたんだ。久しぶりだね」

 

 目線を下げて俺に笑いかける姉さんに恭也さんはうなずきながら……

 

「ああ。今日からまたしばらくここで生活するそうだ。いつも通りよろしく頼むな」

「またお世話になります」

「うん。またよろしく! 自分の家だと思って気兼ねなくくつろいでてね」

 

 姉さんはそう言って俺に微笑んでから、恭也さんと言葉を交わし自室へと向かって行った。

 

 彼女は高町 美由希(たかまち みゆき)

 この家の長女にあたる人で、恭也さんの妹でなのはの姉……そして美沙斗さんの実の娘でもある。

 その昔、ある事情で美沙斗さんは自身の兄である士郎さんに幼い美由希さんを預け、そのまま姿をくらましたらしい。そして数年前、俺となのはが出会ったのをきっかけに、美沙斗さんと美由希さんは再会を果たすのだがその話は置いておこう。

 そんな訳で俺と美由希さんは従姉弟であると同時に、美沙斗さんを母とする姉弟でもある。

 見た目通り明るい性格で、恭也さん同様俺に対しても暖かく接してくれる。しかし恭也さんと違って、俺とこの人との間にはわずかな隔たりがある。

 無理もないか。俺が高町家への養子入りを断って美沙斗さんのもとにいるから美由希さんは――

 

「おい、健斗!」

 

 不意に声をかけられ、考えに沈んでいた俺の意識は現実へと引き戻される。

 我に返り声の方を振り向いてみると、恭也さんが険しい顔で俺を見下ろしていた。

 

「どうした? 大丈夫か?」

「あっ、うん、大丈夫。ちょっと考え事をしてただけだから」

 

 俺がそう答えると恭也さんは険しい顔のままで「そうか」と言った。俺はすかさず彼に告げる。

 

「もう部屋に行っていい? 宿題を片付けなくちゃいけないし」

「ああ……」

 

 恭也さんがうなずいたのを見て、俺は彼に背を向けて部屋に行こうとする。そんな俺に向かって恭也さんはまた声をかけた。

 

「健斗、あまり気にするな。あの時、お前がした判断が間違っているとは思わない。それに俺が思うに美由希はお前に――」

「わかってる!」

 

 振り向かずにすげなくそう答えると俺は今度こそ恭也さんと別れ、自分の部屋に向かって行った。

 わかっている。姉さんなりに複雑な思いを秘めながら俺に歩み寄ろうとしてくれていることくらい。

 

 

 

 

 

 俺は部屋に入ると同時に扉をガチャリと閉める。

 高町家は広く、今この家に暮らしている五人が使っている部屋を除いてもまだ結構な数の部屋が余っており、その中の一室に机などを置かせてもらい俺の部屋ということにしてもらっている。

 俺は机にランドセルを置くと、宿題を片付けるべくランドセルの中にある()()()()()()()を取り出す。

 ノートパソコンを立ち上げると先生(アリサ)から預かったノートをパソコンの傍らに置き、ソースを書き込むためのソフトを開きながら、ノートに書かれてある今日の課題を確認してプログラミングに取り掛かった。

 学校の宿題? そんなもの寝る前の数分で片付く。

 

 

 

 二年前、アリサに出会って以来、彼女に教わり続けているのがこれだ。

 アリサは普段の言動や振る舞いこそあれだが、厳しいしつけと教育を受けたやんごとなきお嬢様であり、そしてIQ200の天才少女でもある。

 彼女は学校の勉強や習い事以外にもいろいろな知識を有しており、プログラムについてもかなり精通しているらしいとすずかが言っていた。

 それを知った俺はすぐさまアリサのもとへ向かい、言葉通り頭を下げて彼女に頼み込んだ。俺にプログラムのことを教えてくれと。

 アリサは教室の真ん中で頭を下げる俺を前に慌てふためき、俺に頭を上げるように言ってから――

 

「どうしてもというなら教えてもいいけど。学校の授業と違って決まった答えがあるものじゃないし、その授業さえつまらなそうに聞き流しているあんたが簡単に習得できるほど甘いものじゃないわよ。それはわかってるんでしょうね?」

 

 いつもと比べて、険のある声色と釘を刺すような口調で問いかけるアリサに、俺は真剣な表情で首を縦に振った。

 アリサはしばらくの間俺をじっと眺め、やがて「いいわよ」と言って応じてくれた。最後に「いつまで続くかしらね」とも付け足しもしたが。

 

 それ以来、俺はアリサにプログラミングを教わり、彼女の指導や参考書の解説を参考にプログラミングに打ち込み続けている。

 すぐに投げ出すものだと思っていたのだろう、はじめは参考書に載っている文言を噛み砕いた解説をしてからぽいと課題を出す程度だったアリサも、プログラムの教示を続けていくうちに熱心に教えてくれるようになっていった。

 俺がアリサを先生や師匠と呼ぶのもそのためだったりする。まさか俺をバニングスグループの社員に仕立てるためだったとは思わなかったが。

 

 

 

 母さんとの稽古と同様に、こうしてプログラミングに打ち込んでいるのは必要があるからだ。《夜天の魔導書》のプログラムを改変するための技術を習得する必要が。

 

 ヴォルケンリッター(守護騎士たち)や“彼女”を闇の書の呪いから救うには、原形をとどめていないほど改変されてしまった魔導書のバグを修正する必要がある。せめて主を食い殺す自動蒐集機能と、世界を滅ぼすほどの暴走を引き起こす防衛プログラムだけでもなんとかしないと。

 でなければこの世界は過去の主がいた世界のように滅び、騎士たちや“彼女”もまた不毛な蒐集に明け暮れた挙句、自らの手で世界を滅ぼしていくことになる……それこそ永遠に。

 こうして転生に成功した以上、俺の手で魔導書を止め彼女たちを助けてやらなくちゃいけない。そして今度こそ、俺は“彼女”と……。

 

 

 

 

 

「健斗くーん! ご飯だよー!」

 

 画面上にソースを打ち込み続けるうちに扉の向こうからそんな声がかけられた。もうなのはが塾から帰って来たのか。プログラミングに熱中しているうちにかなりの時間が経過していたらしい。

 

「ああ、今行く!」

 

 お言葉に甘えていったん休憩と行こう。プログラムというものは焦って作り上げてもろくなことにならない。

 バグを蓄積しすぎて元の形を失った夜天の魔導書のように……。

 

 

 

 

 

 

 高町家の外観からはかけ離れた洋風のリビング。

 そこには湯気が漂う夕食がテーブルに置かれ、それを食するためにこの家に住む家族が集まっていた。

 その中の一人に俺は母から預かった茶色い封筒を渡す。

 

「桃子さん。これ、母から預かった食費です」

「はいどうも、ちゃんと受け取ったわ。だから遠慮しないでいっぱい食べてね」

「はい、じゃあお言葉に甘えて。いただきます」

 

 桃子さんは封筒を収めながら俺の頭を撫で、夕食を食べるように促す。

 俺が渡している封筒はいずれも数日後には母のもとに戻っているらしいが、母にとっては食費を渡し続けることで感謝の気持ちを忘れていないことの示しとしているのだろう。俺に対する情操教育の意味合いもあるに違いない。

 それを知っているから桃子さんも食費を突き返すようなことはせず、大切そうに懐にしまって見せる。

 

 彼女は高町 桃子(たかまち ももこ)

 喫茶翠屋の経理とパティシエールを務める、なのはと同じ栗色の髪を長く下ろした優しげな女性。

 なのはたち三兄妹のお母さんで、俺の伯母でもあり、母になっていたかもしれない人だ。

 

「そうそう。遠慮せずにちゃんと食えよ。こんなうまい料理を食えるなんて幸せな事なんだからな」

「とーさん、朝もまったく同じことを言ってたよ」

「あれ、そうだったか? まあいいじゃないか、本当のことなんだから」

「もう、あなたったらやめてよ!」

 

 姉さんのツッコミに動じないどころか、士郎さんは奥さんの作った料理の自慢を続け、桃子さんまでがそれを乗ってくる。いつ見ても新婚みたいな夫婦だ。

 

 彼は高町 士郎(たかまち しろう)

 翠屋の店長(マスター)で、すっきりした黒髪の四十近くには見えないほど若々しい男性。

 三兄妹のお父さんで、桃子さん同様彼もまた俺の伯父であり、父になっていたかもしれない人でもある。

 それとなんの偶然か、あいつに声が似ている。

 

 

 

 そんな夫婦に勧められるまま、俺も彼らと同じ食卓について食事を進める。

 今までのやり取りを見ればわかる通り、高町家では父母と兄妹――恭也さんと美由希姉さん――の仲がいい。過ぎるがつくくらい。

 そのため普段は士郎さんと桃子さん、恭也さんと姉さんがそれぞれ楽しげに語らい、残った俺となのはが学校や塾のことについて話すことが多いのだが、この日は違った。

 

「フェレット?」

 

 訝しげな声をあげる士郎さんになのははコクリとうなずく。

 

「うん。塾に行く途中で傷だらけになって倒れてるのを見つけて、動物病院で手当してもらって明日まで置いてもらえることになったんだけど。アリサちゃんもすずかちゃんも犬や猫を飼っているからフェレットなんて飼えないし、健斗君のおうちは……」

 

 そう言ってこちらを見るなのはに、俺は肩をすくめながら首を横に振る。

 見ての通り、俺は度々家を空けて高町家にお邪魔していて、その間は母さんも海外に行ってて帰ってこない。つまりうちではフェレットとやらの面倒を見る者が誰もいないのだ。だったらまだ……。

 それはわかっていたのだろう、なのはは俺から士郎さんの方へ視線を向ける。

 それに対して、

 

「フェレットか……」

 

 士郎さんは腕を組み、難しそうな顔でうなりながら口を開いた。

 

「ところでなんだ、フェレットって?」

 

 かと思いきや、士郎さんは表情を戻してそんなことを尋ねてくる。それを見て、皆はガクリと肩を落としたり呆れた表情になった。

 そんな中、内心では俺も士郎さんとまったく同じ疑問を浮かべていた。かくいう俺も動物にはあまり詳しくない。フェレットなんて初めて耳にする言葉だ。アリサたちのように犬や猫を放し飼いにしているような家では飼えないくらい、小さな生き物だろうということはなんとなくわかったが。

 一方、他のみんなはフェレットについて知っているようで、物知り顔になって士郎さんに説明する。

 

「イタチの仲間だよ。父さん」

「だいぶ前からペットとして人気の動物なんだよ」

「結構小っちゃい動物よね」

「うん。手の上に乗せられるくらい」

 

 ……ふーん、フェレットって結構有名なんだな。この中で知らないのは俺と士郎さんだけか。結構ショックだ。

 そんな内心を押し殺しながら夕食を口に運ぶ俺の視線の先で、桃子さんは柔らかい声で言う。

 

「少し預かるだけなら、かごに入れておいてなのはがちゃんとお世話できるならいいけど……恭也、美由希、健斗君、どう?」

「俺は特に異存はないけど」

「私も」

「俺もないよ」

 

 恭也さんと姉さんに続いて俺もそう答える。ペット一匹買うのに反対するわけがない。そもそも居候である俺にまで尋ねる必要はないと思うのだが……まあ桃子さんなりの気遣いだと受け取っておこう。

 

 

 

 

 

 こうして高町家で初めてペットを飼うことになった。

 明日すぐに迎えに行くとなのはは言っていたが、そのフェレットとの対面は思いのほか早く訪れる。

 だが、その裏で起きていたこと、これからなのは()()が遭遇することを俺が知るのは相当後になってからだ。

 こっちはこっちでかなり大変なことが起こり続けることになるからな。



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第4話 久しぶりの魔法

 夕食が終わって風呂に向かって行くなのはを見送りながら、俺は部屋に戻りプログラミングを再開する。

 ちなみに高町家の男子は一人で風呂に入れるようになるのが早く、逆になぜか女子は風呂の独り立ちが遅いらしい。そのため前世(ケント)の記憶を思い出す前も、()()()()()なのはや他の女性陣と一緒に風呂に入ったことはない。その反対になのはは小学一年まで士郎さんと一緒に入っていたそうだ。今でも時折一緒に入ることがあるらしい。

 小学三年くらいの娘と一緒に風呂に入ることができる父親が世間でどれくらいいるのか知らないが、つくづく士郎さんも親馬鹿だなと思う。それとも娘を持つ父親というものはみんなこういうものなんだろうか?

   

 ソースを一通り打ち込み、頭を休めるついでににそんなことを考えている時だった。

 

《……ますか? ……の……えま……》

 

 ――!

 

 突然頭の中に響いてくる声に、思わず顔を上げる。

 この頭の中に直接語りかけてくる感覚、これはまさか――

 

 俺はパソコンを放ってカーテンを開けて外を見る。しかし家のまわりには誰もいない。

 ……幻聴か、そうだよな。魔法技術がないこの世界に思念なんて飛ばしてくる者など……――!

 

 カーテンに手をかけながらふと下を見ると、私服を着直したなのはが家の外へと飛び出していくのを見かけた。

 なのはの奴、まさかさっきの声を聞いて? じゃあやっぱりさっきのは幻聴ではなく――いや、そうだったとしてもなぜなのはが?

 

 

 

 

 

 色々な思考が頭の中を駆け巡り、俺はいてもたってもいられず部屋を飛び出し玄関へと向かう。しかし……

 

「健斗、お前までこんな夜遅くにどこへ行くつもりだ?」

 

 玄関を出たところで声をかけられ、俺は思わずそちらの方を振り向く。

 

「恭也さん……姉さんまで」

 

 俺の後ろには無表情で俺を見下ろす恭也さんと、丸い目で俺を見る美由希姉さんがいた。

 姉さんは柔らかい笑みを浮かべながら諭すように言ってくる。

 

「外はもう暗いよ。気になるものがあるなら、また明日学校帰りに行けばいいじゃない」

「いや、そうじゃない! こんな時間になのはが外に出て行ったんだ! すぐに追いかけないと!」

 

 俺がそう叫んでも恭也さんは驚いた様子もなく、腕を組んだまま言った。

 

「なんだ、お前も気付いたのか」

「お前もって……まさか恭也さん、なのはが出て行ったことに気付いて……」

 

 俺の問いかけに恭也さんはかすかに首を縦に振る。そういえばこの人、俺に声をかけた時に『お前まで』と言っていたな。最初から気付いていたというわけか。多分姉さんも。

 

「おそらく、さっき夕食の時に話していたフェレットの様子を見に動物病院まで向かったんだろう。あのなのはにしては珍しいけどな」

 

 ……言われて見ればその可能性もあるか。恭也さんの言う通り、聞き分けのいいなのはにしては(はや)りすぎる気もするが、なのはが何者かからの思念を受け取ったなんて事に比べたらそちらの方が現実味のある話だろう。……我ながら未練がましいな。ここはベルカじゃないというのに。

 

「恭也さんと姉さんは追いかけないの? もう暗いし女の子一人じゃ危ないと思うけど」

 

 俺がそう言うと恭也さんも姉さんも難しい顔でうなった。

 

「確かにお前の言う通りだ……だが」

「健斗君も知ってると思うけど、あの子があんな勝手な真似をするなんて、ずいぶん久しぶりのことなんだよね」

 

 ……ああ、そういうことか。

 姉さんの言葉に俺も、二人がなのはを追いかけようとしない理由に思い至る。

 なのはは9歳にしてはしっかり()()()()子で、家族に対してもわがままなどを言ったことはないそうだ。少なくとも俺はなのはがわがままを言うところを一度も聞いたことがない。

 なのはがそんな風になったのは十中八九幼少時代の経験によるもので、この二人も士郎さんと桃子さんも思うところがあるのだろう。

 そのなのはが誰かの了承も得ずに外へ飛び出した。おそらくフェレットがいるという動物病院に向かって行ったとみて間違いないと思うが……。

 

「あの動物病院の近くには交番もあるから、滅多なことは起こらないと思うが」

「……30分だけ待ってみるのはどうかな? もちろんそれ以上過ぎたらすぐに探しに行くよ」

 

 ……それまではなのはの好きにさせてやりたいということか。

 恭也さんと姉さんの言葉に俺はため息をつく。なんだかんだ言ってこの二人も妹馬鹿だな。元妹持ちとして気持ちはわからなくもないが。

 

「わかった。じゃあなのはが帰ってきたらもう一度顔を出すよ。なのはがこんな真似してまで入れ込んでいるフェレットっていうのがどんなのか、俺も気になるから」

「うん。わかった」

「あいつが帰ってきたらお前からもきつく言ってやってくれ」

 

 二人の返事に手を振って応じながら、俺は踵を返して自分の部屋へ戻る。

 

 

 

 

 

 部屋に入った途端、俺は扉を閉め右手を突き出して手のひらを上に向ける。そして……

 

「ベラィヒ・ズーヘ」

 

 そう唱えた瞬間、俺の右の手のひらの上と足元に紺色の三角形の魔法陣が浮かび、それとともに脳裏にここら一帯の地理となのはがいる大まかな位置が頭の中に流れ込んできた。

 ……なのはは今この家から1キロほど先にまっすぐ向かっている。……とりあえず誘拐などはされてはいないみたいだな。

 

 探索魔法でなのはの位置を確かめて安堵の吐息をつく。あの辺りは大きな交番があるため閑静なわりに治安はよく、犯罪などが起こったことは一度もない。何かあったとしてもすぐにパトカーに乗った警官たちが駆け付けてくるだろう。

 ……しかし魔法を使うのは前世以来だが、思っていたよりもうまくいくものだな。

 

 

 

 

 

 

 それから魔法でなのはの反応を探りながら待つこと20分。なのはは目的地らしき場所へ立ち寄ってから、ようやくこの家に戻ってくるようだ。

 

 俺は魔法を解いて再び表に出る。そこにはすでに恭也さんと姉さんがいて、片手を上げたり一声かけてきたりして俺を迎えてくれた。

 それからすぐにこの家に近づいてくる者の気配を感じ、恭也さんの指示で俺たちは扉の左右でこの家に近づく人物を待った。

 その人物は抜き足差し足忍び足といった足取りでそろりと家の扉に近づいていく。その人物に対して恭也さんが――

 

「おかえり」

「――お、お兄ちゃん!?」

 

 恭也さんに声をかけられた途端、なのはは両手を後ろに隠しながらそちらの方を振り返る。なのはの後ろには俺と姉さんもいるのだが、今の恭也さんは額に皺を寄せた表情をしており俺から見てもかなり怖い。

 青い顔で後ずさるなのはに恭也さんは低い声で言葉を重ねる。

 

「こんな時間にどこにお出かけだ?」

「あの、その……えっと、えっと……」

「あら、かわいい!」

「お姉ちゃん! 健斗君まで!」

 

 姉さんの弾んだ声に反応して、なのははこちらの方を振り向き俺と姉さんに気付く。

 俺たちからは丸見えのなのはの両手には、黄色い毛並みと緑色の両目の小さな動物が乗せられており、姉さんの視線はその黄色い小動物に釘付けになっていた。

 その小動物を見て俺も思わずつぶやきを漏らす。

 

「それがフェレットか。なのはが好きそうな生き物だな。でも、さすがにこんな時間に飛び出して取りに行くのはどうかと思うぞ」

「健斗の言うとおりだ。俺たちが一体どれだけ心配したと思っている。それに預かっていたフェレットが突然いなくなったりしたら病院の人も困るだろう」

「あっ、それは……」

 

 恭也さんがそう言うと、なのはは何故か顔を青くしながら明後日の方を向いた。まるでもっとまずいことがあるかのような……。

 

「おいなのは、一体何を――」

「まあまあ! 恭ちゃんに健斗君もそのくらいでいいじゃない。こうして無事に戻って来てるんだし。それになのははいい子だからもうそんなことしないもん……ね?」

 

 向こうで何が起こっていたのか問おうとする俺の言葉をさえぎって、姉さんはなのはの擁護をしつつ言い聞かせるような口調でそう尋ねる。なのはもそれは察したようで恭也さんに向き直って……

 

「その……お兄ちゃん、健斗君、内緒で出かけて、心配かけちゃってごめんなさい」

 

 そう言って頭を下げるなのはに恭也さんは「うん」とうなずいて応じ、俺も渋々首を縦に振る。

 それを見て、姉さんは嬉しそうな笑顔でぱんと両手を叩きながら口を開いた。

 

「はい、これで解決! いつまでも外にいたらこの子もこたえるだろうし、そろそろ家の中に戻りましょう! ……それにしてもかわいい動物。かーさんなんかこの子見たらかわい過ぎて悶絶しちゃうんじゃない」

「確かに、簡単に想像ができるな……んっ?」

 

 姉さんに抱き上げられるフェレットを見ながらそんなことをつぶやくと、姉さんに抱かれているフェレットと目が合って思わず怪訝な声を上げる。

 

「どうした健斗?」

「……いや、何でもないよ」

 

 恭也さんの問いかけに、首を横に振りながらそう告げる。

 恭也さんは釈然としない顔で「そうか」と言い、俺たちは士郎さんたちへの報告も兼ねて家の中に戻ることにした。

 そんな中で、フェレットという小動物はまだ俺の方をちらちらと見ていた。

 

(オッドアイにケントか……妙な偶然もあるものだな。さすがにあの“愚王”とは関係がないと思うけど……でも、僕が見たところこの人……)

 

 

 

 

 

 

 翌日の学校にて、教室に入ってすぐに俺の机の近くにいるはやてと雄一を見つけ、机にランドセルを置きがてら二人に声をかける。

 

「おはよう、はやて、雄一」

「おはよう、健斗君」

「おはようさん。今日は向こうから登校してきたのか。てっきり休みかと思って心配してたぜ、はやてが」

「な、何言うてるんや!? 健斗君は昨日からなのはちゃんのうちに泊まるって聞いてたやないか! 帰りのバスも一緒やなかったし。そりゃあ向こうで物騒なことがあったし、心配してなかったと言ったら嘘になるけど――」

 

 雄一の戯言に反応して色々と言い訳を並べるはやてだったが、はやてが口走った言葉の中に不穏なものが混じっていることに気付いて、俺は片眉を上げる。

 

「物騒な事?」

 

 思わずそうつぶやいた俺に、はやては「そうやそうや!」と言ってきた。

 

「実は夕べ、なのはちゃんの家の近くで大きな事故があったらしいんや。でもそれがおかしな事故でな。電柱が倒れたり、地面がえぐれたり、近くにあった動物病院なんて建物の中がボロボロになるくらいひどい状況やったそうや。まるでそこらだけ嵐が過ぎ去ったような」

「ああ、そういえばニュースでそんなこと言ってたな。あそこ高町の家の近くだったのか」

 

 ……動物病院って、なのはが昨夜向かった場所じゃないか。あいつそんなこと一言も……そういえば昨夜その動物病院のことが話に上がった途端、なのはの奴、言いづらそうに目を泳がせていたな。

 昨日の幻聴や妙なフェレットといい、まさかその不可解な現象って――

 

「健斗君?」

「えっ?」

 

 はやてに声をかけられ、俺は我に返り慌てて顔を上げる。

 

「どうしたんや健斗君? 怖い顔して」

 

 視線の先ではやては怪訝そうな顔で俺を見つめている。そんな彼女に――

 

「い、いや、何でもない! ちょっと考えごとをしていただけだ!」

 

 とっさに口から出た定型句に、はやては「ふーん」と言い、雄一は意地の悪い笑みを浮かべながら、

 

「はやて、聞いてやるなよ。女の子に向かって、自分がいる場所の近くでそんなことが起きて怖くてたまらない。なんて言えるわけないだろう」

「なんやそうやったんか。そんな意地張らんでも怖い時はそう言ってくれてええんやで。頭くらい撫でてあげるわ」

「いい、結構だ! こんな男のたわごとをいちいち真に受けるな!」

 

 俺の頭に手を伸ばす仕草をするはやてを片手で制しながらそう強く言う。そんな俺たちを眺めながら元凶はクククと笑っていた。

 まあいい、なのはのことも気にかかるが今は……

 

「ところではやて、今度の日曜はなのはのお父さんがコーチやってるサッカーチームの試合の日だけど、やっぱりお前も行くのか?」

「うん、なのはちゃんたちに誘われてるさかい。健斗君も行くやろ?」

 

俺の問いにはやてはうなずきながら問いを返してくる。その問いに俺もうなずいて。

 

「ああ。じゃあせっかくだから一緒に行かないか。俺がはやての家に寄るから、その後一緒に現地まで」

「うん、もちろんかまへんよ。じゃあ日曜日待ってるからな!」

 

 この場で交わした約束にはやては嬉しそうに顔をほころばせ、雄一は「若いっていいね」などとほざくが、そっちの方は無視して授業の準備をすることにした。

 

 ……今回もどうにか理由をつけてはやての家に行く口実を作れたか。今は何も起こってないとはいえ、あの“施術”を欠かすわけにはいかないからな。もっともその効き目もいつまで持つのかわからないが。



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第5話 《固有技能》対《神速》

 日曜日の早朝、桜台にある裏山にて。

 

 うっそうとした木々の中、小太刀より少し大きい子供用に作られた刀を右手に握り、いつ敵が襲い掛かって来てもおかしくない状況で、あえて目を閉じ呼吸を整える。

 閉ざされた視界を補うように聴覚が研ぎ澄まされ、そよ風に揺らされる葉の一枚一枚がさざめく音や、山に住む春蝉たちの鳴き声が耳に届いてくる。

 

 そこへ右側の茂みからガサッという耳障りな音が聞こえた。反射的に体がピクリと動く。だがそれと同時に、その音がブラフであることを瞬時に見抜く。

 あの人にしてはあからさますぎる。

 そう察したと同時に、後ろからざっという草を踏み分ける音と何者かの気配、そしてこちらに向けられる冷たい殺気を感じた。

 俺は即座に後ろを振り返る。

 そこには二振りの小太刀を両手に持った三十代ほどの長い黒髪の女が、俺に向かって真っすぐ突っ込んできていた。

 俺は彼女の姿を確認すると同時に、すかさず《固有技能(スキル)》の発動を念じる。

 

 フライングムーヴ!

 

 その瞬間、周りの動きは止まったようにひどく緩やかになり、今までやかましくさざめいていた葉の音も鳴いていた虫の声も一切耳に届いてこない。

 しかし、そんな状況の中で、敵である黒髪の女は勢いを殺さぬまま俺に向かって突っ込んできた!

 

「はああああっ!」

 

 まわりの世界が止まっている中で、女は俺に向けて鋭い刃を突き出してくる。

 

「――くっ!」

 

 俺は体の前に刀を立てるように構え、女が繰り出す刃を受け止める。あまりの衝撃に刃がギィンと震えた。相変わらず、年端のいかない子供に対して容赦のない攻撃だ。

 とっさにそんなことを思ってしまうものの、相手にとってそれは初撃でしかなく――

 

「はああっ!」

 

 こちらが刃を受け止めて硬直した隙を見計らって、女はもう一本の小太刀を振り上げ、がら空きになった俺の体に向けて振り下ろす。

 

 フライングムーヴ!

 

 反射的に発動した二度目の固有技能によって、相手の動きは緩やかになる。

 その隙に俺は左に跳んで斬撃をかわす。本来ならここから反撃したいところだが……

 

「――! ふっ!」

 

 凍り付いた時間の中で俺が斬撃を避けたのを知覚し、女は素早い動きで俺から距離を取る。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ほどなく技能が解け、世界が音と動きを取り戻す中で俺と黒髪の女は互いに正面から対峙し睨み合う。

 グランダム王家が遺伝子強化で編み出した固有技能《フライングムーヴ》に知覚強化で並び立つとは、いつ見てもとんでもない技だな。

 

 おののく俺を冷たい目で見据えながら、女は両手に持った二振りの小太刀を構える。それに対して俺も両手で刀を握り構えた。

 

「はああああっ!」

「おおおおおっ!」

 

 互いに相手に向けて刀を振り上げる。双方ともまだ技は使っていない。

 俺の刀と女の太刀の一振りが金属音を鳴らしながらぶつかる。こちらが両手で刀を握っているのに対して、あちらは細腕一本で小刀を振るっている状態だ。それ故に力同士の衝突ならこちらに分があり、俺が刀を押し上げると女はそれを抑えきれずわずかにうめく。

 だが、そこで女はもう一振りの刀を振り下ろしてきた。

 俺はそれに対処するために――

 

 フライングムーヴ!

 

 技能によって三度(みたび)世界は静止する。それと同時に腕や脇腹にずきりと痛みが走るのを感じた。やはり今は一度に三回までが限界のようだ。

 それをこらえながら俺は剣を振り上げ、静止したままの女が振り下ろそうとする刃に刀をぶつける。

 

「はあああっ!」

 

 刀をぶつけられた衝撃で太刀は女の手から離れ、空中をくるくると回る。女が驚きで目を剥くと同時に技能が解けて、俺たち以外の世界が動き出す。

 

 女は残る一本の小太刀を俺に向ける。対して俺は両手に持った刀を持ったままでいる。

 一見俺の方が有利に見えるが、実際にはこちらのほうが圧倒的に不利になってしまった形だ。なぜならこちらが技能を使い果たしてしまったのに対して、あの女は……

 

「勝負あったな。降参しろ、もうお前に勝機はない」

 

 そう勧告してくる女に俺は首を横に振る。

 

「まだ勝負はついてない!」

 

 そう言って剣を構える俺を見て、女はふっとため息を付き薄く笑った。

 

「いい気迫だ。ならば私も全力で応えるとしよう。来い、健斗!」

「行くぞ! はあああっ!」

 

 俺と女は再び剣を振り上げる。

 すると俺の目の前から女の姿がかき消えた。それを目にして俺は臆しかけるも、震えかける足に渇を入れてその場に踏みとどまる。

 

 やがてその時は訪れる。

 それは一瞬の間の出来事だったに違いない。しかし集中力によるものか恐怖によるものか、俺にとってはとても長い間に感じられた。

 

「はああっ!」

 

 神速によって走る姿も見せずに突然俺の前に現れた女は、俺を袈裟斬りにせん勢いで太刀を振り下ろしてくる。それに対し、女の動きを予測していた俺は刀を振り下ろされる太刀に向けて思い切りぶつけた。

 俺の刀と女の小太刀は真正面からぶつかり、あたりにけたたましい金属音が響き渡る。

 

「くっ……」

 

 その衝撃のあまり女がうめき声を漏らすのを聞いた瞬間、これを唯一の勝機と判断しあらん限りの力を刀に込めた。

 

「ああああああっ!」

 

 次の瞬間、一本目に続き二本目の小太刀が宙を舞い女の手から離れる。

 

「――まだだ! くらえ!」

 

 だが女は自分の手を離れた得物に一切の執着も見せず、片手の指のすべてを真っ直ぐ伸ばして手刀を作り俺の首を狙う。

 だが、それさえ予測していた俺は即座に身をかがめ、女の手刀を避ける。

 そして女の腕が身体の真上を通り過ぎると同時に、女の首元めがけて刀を振り上げ、女の首に当たるギリギリのところで刀を止めた。

 

「……俺の勝ちだね。母さん」

 

 母さんの首に刃を突き付けながら勝利を告げると、母さんはふっと唇の端に笑みを浮かべた。

 

「ああ、見事だ。言いつけ通りフライングムーヴという技の使用制限を守ったうえに私に刃を突き付けるとは……強くなったな健斗」

「母さんの指導がいいからだよ。母さんが数年間、厳しくも丹念に俺を鍛えてくれたから、()()()()()一日に三回はフライングムーヴを使えるところまで来れた。本当に感謝している」

「世辞はよせ。 それに免許皆伝には程遠い。今のお前はようやく『御神の剣士』に並べるところまで来た、といったところだ」

 

 刀を下ろしながら礼を告げる俺に、母さんはまんざらでもなさそうな顔を見せながらもそう言い、最後に釘をさすことも忘れなかった。

 今の俺なら『御神の剣士』に並べる……それは言葉通りの誉め言葉でもあるが、俺を『御神の剣士』にするつもりはない、ということも意味している。

 この修行はあくまで俺が固有技能を使いこなすためのもので、俺を『御神の剣士』にするためのものではないのだ。

 

 

 

 

 

 俺は御神美沙斗さんに引き取られて以来、彼女に剣の稽古をつけてもらいながら、定期的に真剣と真剣をぶつけ合う鍛錬をしている。

 これは『御神流』の師弟が行っている実戦形式の訓練であり、俺の固有技能の精度を推し測る唯一の方法でもある。

 発動中はまわりより早く動けるようになる固有技能《フライングムーヴ》。

 その技能を発揮している間の俺の動きを捉えられるのは、俺自身を除けば、フライングムーヴと極めてよく似ている《神速》という技を扱うことができる『御神の剣士』しかいない。

 

 実のところ、美沙斗さんが俺を引き取った理由もこのフライングムーヴがきっかけだったりする。

 ある出来事がきっかけで俺がまわりより早く動けるようになる能力を持っていることを知った美沙斗さんは、俺を施設から一時的に預かる形で自分の手元に置いた。

 幼い俺はそこで美沙斗さんの指示通りに剣の修行に打ち込み、修行を通して固有技能の扱い方を修め、それを無闇に行使しないことと間違っても悪用したりしないように強く言いつけられ、俺は首を縦に振ってその約束を守ることを誓った。

 本来なら俺はそこで施設に戻される予定だったのだったが、美沙斗さんは念のためにもうしばらく様子を見るとして俺を傍に置き続けた。もしかしたらこの頃にはすでに、美沙斗さんは俺の事を手放したくないと思い始めていたのかもしれない。

 

 そうして俺は一年ほど美沙斗さんのもとに居続け、御神健斗という名前で幼稚園に通い、そこで八神はやてという似た名字の女の子と出会い、さらに高町なのはという女の子とも知り合いになった。

 今思えば俺にとっても美沙斗さんにとっても、それが最大の転機だったのだろう。

 しばらくして俺はなのはの家族と顔を合わせることになり、彼女の両親や兄姉と会うことになる。

 だが、俺の名字が御神だと聞くとなのはのお父さんとお兄さんはたちまち妙な顔になり、俺の家族についてあれこれ聞いてきた。最初は伏せておいた方がいいかとも思ったが、彼らのなりふり構わない様子とすでにかなりの事をなのはに話したこともあって、俺は自分の素性と美沙斗さんの事を高町家の人たちに話した。

 そこで俺は美沙斗さんがなのはのお父さんの妹であること、なのはのお姉さんが美沙斗さんの実の娘であることを知った。そして彼らもまた美沙斗さんのおおよその現状を知ることになり、美沙斗さんはお兄さんや実の娘と久しぶりの再会を果たす。

 

 それから高町家への養子入りの話が出るなど色々あったものの、俺は正式に美沙斗さんの養子になり、美沙斗さんも士郎さんのつてで警察官として海鳴警察署に登用されることになった――ただの警察官ではないようだが――。

 いずれも俺がまだ前世(ケント)の記憶を思い出す前の出来事だ。

 

 

 

 

 

「健斗――」

「おっと、サンキュ」

 

 昔のことを思い出していた俺に向かって、母さんはふいに木の幹に引っ掛けていた水筒を投げつけてきた。俺はそれを受け取ると躊躇なく水筒に口をつける。激闘でほてった体に冷たい水分が駆け巡っていくのを感じる。

 俺が水筒の中身を飲み終わるのを見計らって母さんは言った。

 

「では今日の稽古はここまでにして、どこかで食事をとるとするか。その後私は家に帰る予定だが健斗はどうする? はやてちゃんのところへ遊びに行くのか?」

「ああ。士郎さんがやってるサッカーチームの観戦に行く予定で、俺がはやてを迎えに行くことになってる」

「そうか。くれぐれも気を付けて。兄さんにもよろしく伝えてくれ」

 

 その言葉に「わかった」と言いながら俺は帰り支度を始める。

 

 そう、今日はこの後はやての家に行く予定だ。そこで俺は週に一度の施術をはやてに……。




 今回の話はプロローグとして第一話の前に載せる予定だった話です。しかし健斗の夢から始まる話の都合上、健斗の過去話と一緒に今回に回しました。


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第6話 最初の友達

 早朝の裏山での母さんとの稽古から二時間くらいが過ぎた頃。はやての家で二人の女性が帰り支度を始めていた。

 

「じゃあはやてちゃん、健斗君、私たちは帰るから後の事はお願いね」

 

 ヘアバンドを外して髪を下ろしながら理亜(りあ)さんはそう言ってくる。

 

「お疲れ様です。私たちの事は気にしないで、帰ってゆっくり休んで下さい」

 

 はやては二人にお礼とねぎらいの言葉をかけた。

 一方、相方と違い髪を短く揃えた麓江(ろくえ)さんは……

 

「邪魔者がいなくなったからって変な事始めたら駄目だからね。そういうのはあと9年か10年ぐらい後でないと」

 

 いやらしい笑みを浮かべながらそんなことをのたまう麓江さんの脇腹を理亜さんが小突く。そんな姉妹漫才をしながら二人は支度を整え、八神家を後にした。

 

 彼女たちは理亜(りあ)さんと麓江(ろくえ)さん。

 姉妹でホームヘルパーに就いていて、数年前から定期的に八神家を訪れて、はやての世話をしている。

 はやての両親は数年前に事故にあって亡くなっていて、彼女以外誰もいない。そんな彼女を助けるために後見人が手配してくれたのがあの二人だった。

 

 彼女たちがいなくなって家には俺とはやてだけが残される。

 これから始めることは、傍から見れば麓江さんの言う変な事に見えるのだろうか? とはいえ“施術”を怠るわけにはいかない。

 

「じゃあ始めるぞ。はやて、ソファに座って」

「……う、うん」

 

 俺の言う通りはやてはソファに座る。その表情は硬い。

 対して俺ははやての前に立ったまま彼女に声をかける。

 

「そんなに緊張しなくていい。いつも通りすぐに終わるからリラックスして」

「う、うん……それはわかってる、わかってるけど……」

 

 そう言いながらなおも硬い表情でどぎまぎしているはやての前で、俺は手を後ろに回す。

 後ろに回した手の先に魔法陣が展開し、双方の手のすべての指に魔力がじわじわと集まっていく。

 これで準備は整った。

 

「よし、こっちはOKだ。はやての方も準備はいいか?」

「う、うん……こっちもええよ。いつでも大丈夫や」

 

 はやてはそう言ってソファに座り直し、足の先に広がっているスカートの裾をぎゅっと握る。

 それを見て俺もはやての前に膝を下ろし、ひざまずくような格好になりながら両手を前に出し、彼女の足に近づける。

 そしてゆっくりとはやての右足首を掴んで床から持ち上げ丁寧に揉みほぐす。次にふくらはぎ、膝といったように徐々に上の方に手をやり揉んでいく。太もも辺りはさすがに気がとがめたが、だからといってそこだけをおろそかにするわけにもいかず、太ももにも手をやってそこも丹念に揉み、左足も同じように魔力がこもった指でゆっくりと揉んで魔力を浸透させていった。

 本当なら脚に加えて()()がある胸の辺りにも魔力を与えた方がいいのだが、さすがに男の俺が女の子の胸を揉むわけにはいかない。せめて5歳とか、もっと幼い頃からなら胸へのマッサージも行うことも可能だったのだが……いや、それはそれでまずい気もするな。

 

 

 

 

 

 俺は一年前からこうして理由をつけて週に一度はやての家に行き、彼女にマッサージと称して魔力を込めた施術を行っている。

 

 そのきっかけとなったのは一年前。俺たちが小学二年生だった頃だ。

 その年のある朝、はやての足が突然動かなくなり、彼女の家を訪れた理亜さんによって発見され病院まで搬送されるということが起こった。

 当然ながらその日はやては学校を休み、それを知った俺たちは授業が終わってすぐに病院へと駆け付けベッドで横になっているはやてと面会した。アリサやすずかなどはその日の予定にあった習い事を急遽(きゅうきょ)取りやめたくらいだ。

 そして俺たちははやて本人と彼女を担当した石田という女医から、突発性神経麻痺という症状を聞かされた。

 医師は一通りの自己紹介とはやての病状を説明してからすぐに、俺たちにはやてに近しい親戚に心当たりがないかを尋ねた。しかしそんな心当たりがないことを告げると、医師は深刻そうにため息をついて病室から出て言った。

 それはつまりはやて本人には言いづらく、両親などの保護者にだけ打ち明けたいことがあるということだ。例えばはやてはもう二度と歩けなくなる可能性があるとか、あるいは麻痺が足から全身に広がっていって……などといった最悪の事態を。

 だが、はやての足が動かなくなった詳しい原因をいまだに見つけられていない医師たちと違って、俺の方はある可能性に思い当たっていた。はやての部屋に眠る《闇の書》と呼ばれる魔導書が原因である可能性に……。

 

 前世の世界(ベルカ)でサニー・スクライアという考古学者が発見した、《闇の書》の正体を記した古文書。その中に記されている魔導書の《自動蒐集機能》についての説明の中にこんな文言があった。

 

【一定期間蒐集が行われないと所有者自身から魔力を蒐集する現象の発生。

 所有者が魔導師なら一定時間の経過で元に戻るが、所有者が非魔導師だった場合、無理な蒐集によって身体に障害が出る可能性が考えられる】

 

 この文言通りだとすれば、はやての足の麻痺は魔導書に備わっている自動蒐集機能が原因の可能性がある。もっとも、そうでなければ俺が打てる手などなかっただろうが。

 

 それから数日後の土曜日、はやての足は動かないままで、移動には常に看護師の補助と車椅子が欠かせないようになった。その時に見たはやての表情は今でもはっきり覚えている。

 それでもはやては俺たちを見つけると、ぱっと顔を輝かせ努めて明るく振る舞った。だが、その裏ではやてがどんな思いを抱いていたのか俺たちには推し測ることはできない。

 そしてその夕方、俺は一縷の望みをかけてはやてにあることを申し出た。足にいいマッサージを知っているからそれを試させてはくれないかと? 

 それを聞いて、はやてはしばらくの間きょとんとした目で俺を見続けた。だがやがて「ええよ」と言って、俺が足に触れることを許してくれた。

 さすがにはやてもこの時点では俺に何の期待もしていなかっただろう。自分のために何かしたいのなら気が済むまでさせてやろうという感じだった。

 そんな彼女に俺は『施術』によって彼女の体内に魔力を流し込み、魔導書に奪われているだろう魔力を補った。

 それからしばらくして彼女の足は再び動くようになり、一週間後には退院して今まで通りの生活に戻れるようになった。

 

 だが、医学的には足が麻痺した原因も突然治った理由も不明なままで、はやては一か月おきに精密検査を受けることを義務付けられ、はやて自身の振る舞いにもわずかに影が見えるようになった。

 将来の夢だったお嫁さんについて話すことがなくなったり泊まりに来ることが減ったり、微妙に距離を取るようになったのだ。

 もしかすれば再び歩けなくなった状態になった時に、俺や他のみんなに迷惑をかけたくはないと思うようになったのかもしれない。

 だが、それを承知のうえで俺は今もはやてのそばに居続けている。

 俺が施した施術によってはやての足が治った以上、彼女の足が動かなくなった原因は闇の書……夜天の魔導書にあるのは明らかだ。

 夜天の魔導書がはやてを苦しめているというならば、それはあの時魔導書の呪いを解くことができなかった『ケント』が負うべき責任だ。

 それに『健斗』としても、最初に出来た友達をこんな形で失いたくなかった。

 

 

 

 

 

 やがて俺は両足をまんべんなく揉み終えて、はやてに告げる。

 

「よし終わった。もう楽にしていいぞ」

「もうええんか……そ、それでどうやった?」

「……? いつも通り問題なかったが……」

「そ、そうか……前に比べてゴツゴツしたとか、太くなったとかそういうのもあらへん?」

「……いや、いつも通りだったぞ」

 

 俺がそう答えるとはやては「そうか」と言って安堵したような吐息を吐く。その仕草に俺はつい首を斜めに傾けた。

 そんな俺にはやては続けて聞いてくる。

 

「なあ健斗君、私にしているようなマッサージってなのはちゃんとかにもしてるん?」

「いや、はやてだけだ。どうしてまたそんなことを?」

「べ、別に何でもあらへんよ! そうかそうか私だけか。それならまあええかな」

 

 嬉しそうに顔をほころばせるはやてを見ながら俺はまた首をひねる。今の返答のどこに彼女が気分を良くする所があったのだろう?

 

「まあいいや。そろそろ行こうか。今から行けば試合が始まるまでには十分間に合うはずだ」

「うん!」

 

 俺はソファに座るはやてに手を差し出す。はやては嬉しそうな顔でその手を掴み立ち上がった。

 その笑顔を見て俺は改めて決意を固める。

 

 

 

 ヴォルケンリッターも、“彼女”も、はやても、必ず俺が助け出す!



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第7話 幼いカップル

 海鳴商店街近くの鉄橋が見える河原にて。

 

「うわぁっ! かわええなぁ。これがなのはちゃんが飼ってるフェレットか!」

「うん! ユーノ君っていうんだよ!」

 

 なのはが飼っているフェレットらしき黄色い小動物を手に乗せて、はやてが目を輝かせる。そんなはやてになのははユーノというフェレットを自慢げに紹介し、俺とアリサとすずかはそれを遠巻きに眺めていた。

 

 俺たちの近くには二種類のユニフォームを着た少年たちがたむろしており、俺たちの近くにはジャージを着た予備らしき少年たちとマネージャーの少女が一人、そして彼らを引率している両チームのコーチがいた。

 二人のコーチのうち一人はご存知、なのはのお父さんにして喫茶翠屋の店長(マスター)、高町士郎さんである。

 

 士郎さんは店長として翠屋を営む傍らで、翠屋JFCというサッカーチームを立ち上げてそのコーチをしており、今日はその翠屋JFCと桜台JFCというチームの試合の日で俺たちはその応援に駆けつけてきた。

 もっとも俺が観戦に来たのはサッカーに興味があるわけではなく、いつもお世話になっている士郎さんへの義理立てとはやての家を訪れる口実作りのためなのだが。まあスポーツ観戦もたまにはいいか。

 

 そんなことを考えていると、またあのフェレットがはやての手の上に乗せられながらじっと俺を見ていた。

 

 

 

 

 

 

《あの人は、この前なのはの家にいた……》

《うん、御神健斗君だよ。お父さんの妹さんの息子さん。お母さんが仕事で外国に行っている間はうちに泊まっていくの。前にも話したよね》

 

 はやての手に乗せられているフェレット()()()()生き物、ユーノとなのはは口に出さず思念だけでそんな会話をしている。《念話》という、魔導師なら誰でも使える魔法だ。

 

《うん、それは覚えてる。ただ……変な事を聞くけど、あの人が魔法のような術を使ったりしているのを見たことはない?》

《ううん、ないよ。どうしてそんなことを?》

《うん。実は――》

 

 ユーノが何か言おうとしたところで笛の音があたりに響き、なのはとユーノ、そしてまわりにいた子供たちは全員そちらの方を向く。

 見れば士郎が首に掲げていたホイッスルをくわえて河原の中央に立っていた。彼はホイッスルから口を離し、声を張り上げて少年たちに告げる。

 

「みんなー! 試合を始めるぞー! こっちに集まれー!」

「お前たちもだー!  ぐずぐずするなー!」

 

 士郎に続き桜台JFCのコーチまでもが号令をかけると、両チームの選手たちが中央に集まって整列し一礼をする。その間に予備の選手やマネージャー、そしてなのはを含めた五人の観客たちは何人かずつに分かれてベンチへと腰かけた。

 いよいよ試合が始まるようだ。

 

 

 

 

 

 

 河原に設けられたサッカー場では、一つのボールを巡って両チームの選手が激しい攻防を繰り広げている。

 アリサとすずか、そしてはやては声を張り上げて選手たちを応援していた。俺はといえば彼女たちのように声を出して応援するのは恥ずかしいので心の中で声援を送り、なのはも無言で試合を見守りつつ時折フェレットと視線を交わしていた。まるでフェレットと会話をしているように……いかん、どうもこの前の幻聴以来、そっちの方に考えが囚われてしまっているようだ。

 

 桜台の選手が鋭い蹴りを加えてボールを飛ばし、翠屋の選手はあまりに速い速度で飛んでくるボールを受け止められず逃してしまう。彼の後ろには翠屋チームのサッカーゴールがあり、誰もが翠屋チームの失点を覚悟していると……。

 ふいにゴールの端からゴールキーパーがボールに向かって飛び込んできて、両手でボールを掴み相手の得点を阻止する。それを見た瞬間翠屋側から大きな歓声が上がった。

 向こうではアリサとすずかが興奮した様子で何やら言っている。おそらくあのキーパーのことだろう。その反対側のベンチでも予備の選手二人が激励を送っており、その横で黄色がかった髪の少女が熱を帯びた視線をキーパーに向けていた。結構かわいいな――いてっ!

 

「何見とるんや健斗君。試合をしているのはこっちやで」

 

 突然脇腹をつねられ、そちらの方を見るとはやてが不機嫌そうな声でそんなことを言ってきた。

 はやての言う通りまだ試合は終わったわけではなく、返って来たボールを巡って選手たちが攻防を始めている。とはいえ現在の得点は翠屋チームが2点、桜台チームが1点。キーパーの働きで向こうの得点が防がれた以上、翠屋チームの優勢に変わりなく士気も高いままだ。

 おそらく翠屋チームが勝つだろうな。

 

 

 

 

 

 

 俺が予想した通り、試合は翠屋JFCの勝利で終わり、士郎さんの提案で祝勝会も兼ねて選手たちは翠屋で食事をとっていた。もっとも士郎さんのことだから負けてもおごっていただろうけど。

 例のゴールキーパーとマネージャーも隣り合って食事をしている。やはりあの二人……。

 

「お似合いやなあの二人。あの様子じゃ誰かが割って入る隙もないわ」

 

 翠屋の外に置かれた机に座りながらあの二人を眺めていると、俺の隣からそんな声がかけられた。その声の主は言うまでもなく、俺の隣でケーキを食べているはやてだ。

 まあ、あの二人については俺も同感だ。

 

「そうみたいだな。あのまま仲良くしていてほしいものだ」

 

 紅茶をすすりながらそんな感想を述べる俺にアリサは、

 

「そう言うわりに機嫌悪そうね。そんなにモテたかったらあんたもサッカーやれば。おじさんから誘われてるし、運動もできる方でしょう?」

「別にモテたいなんて考えてない。それに今は忙しいからサッカーなんてしている暇はないよ」

「忙しいって、ずっとパソコンかたかたやってるだけでしょうが。そんなんじゃいつまで経っても彼女なんてできないわよ」

 

 フォークを向けながら、俺にプログラミングを教えている当の本人がそんな事を言ってくる。

 失礼な、剣の稽古を始めプログラミング以外にも色々やっている。それに彼女だって……

 

「それにしてもこの子、改めて見るとテレビで見たフェレットとは少し違わないかな? 動物病院の院長先生も変わった子だねって言ってたし」

 

 くだらない言い合いをしている俺とアリサをよそに、ユーノというフェレットを見ながらすずかはそんなことを言い、それを聞いてなのははギクリとしたような顔になる。

 

「あー、えっと……ちょっと変わったフェレットってことで。ほらユーノ君、お手!」

 

 そう言いながらなのはが右の手のひらを差し出すと、ユーノは即座に自分の手をなのはの手に重ねる。それを見て女の子たちはうっとりした目をユーノに向けた。

 

「か、かわいい!」

「かしこいかしこい!」

「二人とも、あんまりもみくちゃにしたらあかんで……まあ、撫でたくなる気持ちはわかるけど」

 

 アリサがユーノの頭を撫でたのを機に、すずかまでユーノを撫で始める。はやては二人をなだめるようなことを言うものの、隙あらば自分もユーノを撫でてみたいと思っているせいか本気で止めようとはしない。

 そんな時にベルが鳴る音が耳に届き、それと同時に翠屋のドアが開いて中から翠屋JFCの選手たちがぞろぞろと出てきた。

 最後に出てきた士郎さんが選手たちにねぎらいの声をかけている。選手たちは士郎さんの労いに大きな返事を返して帰路に向かって行った。

 ゴールキーパーをしていた少年も彼らに続こうとバッグに手を伸ばし、その中に入っていた宝石のように眩く輝いている菱形の青い石を取り出し――

 

「――!?」

 

 それを見た瞬間、俺の脳裏に火花が散ったような感覚が走った。

 何だあれは!? あの石から感じるのは……まさか魔力!? 

 

 少年は俺の視線に気付かずに石を見ながら笑みを浮かべ、その石をポケットの中へと入れる。

 そこへマネージャーの少女が駆けてきて、二人は並んで歩いていった。

 ……宝石のような石、彼女らしき少女……あいつまさか。

 

「どないしたんや健斗君? ……またあの二人か、健斗君も飽きへんな――」

「悪い! 急用ができたから俺はもう帰る!」

 

 はやてが言い終わるのを待たずに、俺は席を立ってあの二人の後を追った。

 

「健斗君?」

(まさか……でも私は何も感じなかったし、気のせいだよね? ……そんなことより今は……)

 

 

 

 走り去る健斗の背中を眺めながら、呆気にとられたようにはやては彼の名をつぶやく。その横でなのははもしやとは思うものの、その思考も休息を求める本能の訴えによってせき止められてしまった。

 

 

 

 

 

 

「今日もすごかったね」

「そんなことないよ。ほら、うちってディフェンスがいいからさ」

 

 なのはたちを置いてあの二人を追って走り出してすぐに、少年と少女の背中が見えてきた。道を歩きながら言葉を交わしている二人に向けて俺は声を上げる。

 

「おーい! ちょっと待ってくれー!」

「「……?」」

 

 二人は後ろを振り返って俺を見ると揃って首をかしげた。それはそうだ、俺とこの二人は初対面なんだから突然声をかけられる道理がない。

 

「君は誰だ? 僕たちに何の用?」

 

 少年は少女をかばうように前に出てそう尋ねてくる。その表情と声色は明らかに不機嫌そうだ。そりゃ彼女と二人でいるところに見知らぬ男が声をかけてきたら気分も悪くなるわな。

 我ながらそう思いながらも少年に向かって口を開く。

 

「俺は御神健斗。君が入っている翠屋JFCのコーチをやってる高町士郎っておじさんの親戚なんだ。今日の試合も見てたんだけど、覚えてないか?」

「コーチの親戚? 全然似てないけど。目の色も左右違うし」

 

 士郎さんの親戚を名乗りながらまったく似ていない俺に、少年は不審なものを見る目を向ける。そんな中、少年の後ろにいる少女は俺を見ながら、

 

「でも言われてみると確かにこの人も河原にいたような……あっ、思い出した! かわいい女の子たちと一緒にいて、こっちの方をちらちら見てた人だ!」

「……」

 

 少女がそう言った途端、少年の俺を見る目に敵意が満ちていくのを感じる。……あれ? おかしいな、さっきより状況が悪くなっている気がするぞ。

 

「それで、コーチの親戚の人が僕たちに何の用なの?」

 

 剣呑さの帯びた声で少年は再度尋ねてきた。その声からは用が済んだらさっさと消えろという内心まで伝わってくる。俺は額に冷や汗がにじんでくるのを感じながら、どうにか頭と口を動かす。

 

「君に一つ聞きたいんだけどさ、青くてきれいな石を拾ったりしなかったか? 君がさっきそんな石をそのバッグから取り出すのを見たんだけど」

 

 俺がそう尋ねると少年は表情を和らげて、「ああ」と言いながらポケットに手を突っ込んだ。

 

「……これの事?」

 

 少年はそう言いながらポケットから取り出した石を俺に見せる。それを前にして、

 

「そう! それだ!」

 

 目当てのものを目にして俺はそんな声を上げる。だが少年は手を引っ込めて。

 

「や――やらないぞ! 僕が先に見つけたんだからな! 欲しかったらお前も自分で探せよ!」

 

 少年はかばうように手で石を覆いながらそう吐き捨てる。

 よほどその石を渡したくないんだろう。きれいな石というだけならともかく、これから彼女にプレゼントする予定の石を知らない男なんかに渡したくないに違いない。

 だったらここは……

 

「いや、実はその石、俺の友達がなくした石かもしれないんだ。変わった色をしているし、最近このあたりを歩いてる途中でなくしたっていうから、もしかしたらと思うんだけど」

「そ、それは……」

 

 俺の話を聞いて少年は苦い表情になる。そこへ後ろの少女が思わぬ援護をしてくれた。

 

「ひょっとして、その友達ってあなたの隣にいた女の子ですか? 十字の髪飾りを付けた……」

「ああそう! その子! その子が持っていたものなんだ。八神はやてっていう俺の幼なじみの」

「へー、幼なじみですか」

 

 少女は弾んだ声で幼なじみという言葉を口にする。俺は好機とばかりに彼女に聞かせるように言った。

 

「ああ。あの石をなくして以来あいつ元気がなくてな。何とか見つけ出してあいつを元気づけてやりたいんだがなかなか見つからなくて。似たような石を探してもいるんだけど、あんな変わった色の石全然見つからなくてな」

 

 俺がそう言うと少女は悲しげに顔を曇らせる。そして少年に向かって、

 

「ねえ。その石、この人に渡してあげられないかな? こんなきれいな石、きっとすごく大切にしてたんだと思う。それをなくしたままじゃ、はやてさんって人がかわいそうだよ」

「うっ……」

 

 彼女からそう言われて少年はうめく。

 無理もない。石をプレゼントする予定の当人にそんなことを言われたら揺らぎもするというものだ。

 少年は悩む素振りを見せるものの、やがて仕方なさそうにため息をついた。

 

「……わかったよ。でもお前にやるんじゃないぞ。この石の持ち主かもしれない八神って子に返すんだからな。ちゃんとその子に返してやれよ。いいな!」

 

 そう言いながら少年は石を乗せた手のひらを俺に向ける。俺はそれに手を伸ばしながら、

 

「ああ、もちろんだ。これではやても元気になるよ」

「私がどうかしたん?」

 

 不意に後ろからした声に、俺はまさかと思いながらギギギと首をそちらに向ける。少年と少女もそいつの方を見ているようだ。

 そこにはこの石の持ち主ということになっている俺の幼なじみ――八神はやてがきょとんとした顔で俺と後ろにいる少年少女を見比べていた。

 

 

 

 なんでこういう時って味方側の人間が状況を悪くするんだろう?



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第8話 ジュエルシード

「はやて……お前、すずかたちと一緒にいたんじゃあ……?」

 

 顔から血の気が引いていくのを感じながら問いかける俺に、はやては平然としながら、

 

「すずかちゃんなら車で迎えに来たノエルさんと一緒に帰ってったで。(お姉)さんとお出かけする用事があるそうや。アリサちゃんも似たようなもんでもうおらんし、なのはちゃんもえらいお疲れみたいでお父さんとおうちに帰っていったわ。それで私も健斗君と帰ろうと思ってここまで来たんやけど……私が元気になるってなんのこと?」

「いや、これはだな……」

「おい、どういうことだよ?」

 

 言い訳を探しているところへ後ろから声をかけられ、俺は再びそちらを向く。青い石を譲り渡そうとしていた少年は、眉を吊り上げながら俺を睨みつけていた。今のはやてとのやり取りで大体察したらしい。

 一方、少女は状況が飲み込めずに俺とはやてを見比べている。

 

「えっと……あなたがはやてさん? 彼が拾ったこの石ってあなたのじゃあ……?」

「はっ? ――ちゃいますちゃいます! そんなもの今初めて見ましたわ!」

 

 石を指さしながら問いかける少女に、はやてはぶんぶんと首を振る。

 はやての話を聞くうちに少年の額に浮かぶ青筋はどんどん増えていき、彼は憤怒に顔を歪めながら口を開いた。

 

「……お前もしかして、その子のものだって嘘ついてこの石を僕から奪うつもりだったのか?」

「いや待て! 待ってくれ! 確かにそれははやてのものじゃない。ただこれには事情があって――?」

「――!?」

「この嘘つきめ! 汚い真似で彼女に渡すつもりだったこの石を……コノ石ヲ……」

 

 俺を罵倒するうちに、少年の雰囲気がだんだんおかしくなっていく。

 件の石は少年の怒りに呼応するように光り輝き、それと同時に少年は見る見るうちに変貌していった。

 

 

 

 

 

 

「――!」

 

 付近に突然現れた魔力反応を察知して、なのははベッドから飛び起きる。

 そんな彼女に、傍らにいるユーノが声をかけた。

 

「なのは!」

「うん。ユーノ君も気付いた?」

「ああ! この距離、かなり近いよ!」

 

 ユーノがそう言うやいなや、なのはは急いで部屋から飛び出す。

 

 この反応を彼女とユーノはよく知っていた。

 この現象を発生させている宝石《ジュエルシード》を探し集めるために、なのはは連日連夜街中を駆け回っていたのだから……そう、こんな真っ昼間にベッドに倒れ込むほど疲労を溜め込むくらいに。

 なのはがすぐ近くにあったジュエルシードの反応を見落としたのもそのせいだと言っていい。しかも運が悪いことに、ユーノもその時はアリサやすずかにもみくちゃにされて、ジュエルシードの反応を察知できる状態ではなかった。

 それを暴走前に察知できたのはただ一人……。

 

 

 

 

 

 

 

「どうしたの? 一体何が――」

 

 少年の異変に気付き彼に声をかけようとする少女に、少年()()()()()は体の向きを変える。

 それを見てはやてはほとんど反射的に――

 

「あかん!」

 

 はやてが少女に向かって飛び込むと、そこに黄土色の腕が伸びてくる。

 しかし腕は二人に届かずに空を切り、はやてと少女は重なるように倒れ込んだ。

 少年だった怪物は地面に倒れる二人を見下ろしながら一歩足を進める。はやても少女も気絶しているのかぐったりしたまま動かない。

 このままだと――

 

ゲフェングニス・デア・マギー(封鎖領域)

 

 とっさに詠唱を唱えた瞬間、三角の魔法陣が足元に展開し、辺り一帯に紫色の霧がかかって俺たちのすぐそばにいたはやてと少女の姿が搔き消える。

 そして後に残されたのは紫がかった街と、その中で対峙している俺と完全に人の姿でなくなり、巨大化した黄土色の怪物だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

「――消えた!? さっきまでジュエルシードの反応があったのに」

 

 家を飛び出し、ジュエルシードの反応を追って街中に出たなのははジュエルシードの反応がなくなったことに戸惑い、あたりを見回す。

 そして彼も

 

「まさか……」

 

 ユーノはつぶやきを漏らしてからなのはの肩から降りて、ある詠唱を唱えた。

 

『サーチ』

 

 ユーノがそう唱えると彼の足元に円状の魔法陣が浮かび、なのはは期待を込めた目でユーノと魔法陣を見つめる。

 だが、なのはの期待とは裏腹にしばらく経っても何も起こらない。

 

「駄目だ。ジュエルシードの反応が感じられない。何らかの結界に封印されているのは間違いないはずなのに」

 

 そう言ってユーノが首を振るとなのはは肩を落として落胆する。だが今のユーノにはそれを意に介している余裕もなかった。

 

(僕の知っている結界とはまったく違うものが使われているというのか? 僕が知らない結界魔法なんてほとんどないはず……いや、まさか)

 

 

 

 

 

 

 俺が張った結界によって切り取られた空間の中で俺と黄土色の怪物は対峙する。他には誰もいない。この紫の街の形をした結界の中にいるのは俺と怪物だけだ。

 特定の人間を空間ごと隔絶する結界魔法。夜天の魔導書を通して覚えた魔法の一つだが、ベルカではこのような魔法は使い道がなかったため、実際に使うのはケントだった時を含めてもこれが始めてだ。

 

 さわやかなスポーツ少年とは似ても似つかない怪物は、ブシュルルというくぐもった声を上げながら俺のもとへと一歩足を近づけてくる。そしていきなり地を蹴って、俺に向かって一気に飛びかかってきた!

 俺は後ろに跳躍して怪物の突進をかわしながら、人差し指に魔力を集め――

 

「フレースショット!」

 

 俺がそう唱えた瞬間、指先に魔法陣が展開しそこから紺色の魔力弾が放たれる。

 怪物は魔力弾を何発か受けてから、黄土色の腕を振るい魔力弾を払いのける。

 怪物の体から煙が吹き出ていたものの怪物は傷一つ負っていない。

 この程度で倒れる玉ではないか。

 健在な怪物を見て半分残念に思いながらも半分安堵もしていた。

 怪物が負ったダメージが奴の中にいる少年に影響しないとは限らないからだ。

 俺は確かに見た。怪物があの少女に向かって腕を伸ばす直前に、躊躇して動きが鈍っているところを。それがなければはやての助けも間に合わず、あの少女の体は怪物の腕によって裂かれていただろう。

 彼の心はまだ死んでいない。生きたまま怪物に取り込まれている。なんとかしてあいつを助け出してやらないと。

 

「ブラッディダガー!」

 

 詠唱を唱えると虚空から二本の赤い短剣が出現し、俺の手元に収まった。

 俺は今度こそ救うべきものを救う。そのためにお前の技を借りるぞ!

 俺は短剣に魔力を込め、それを怪物に向けて一気に振り下ろす。

 

「シュヴァルツ・ヴァイス!」

「ブシュルルル!」

 

 その一撃に怪物は大きくよろめくものの、短剣も魔法の威力に耐えきれずボロボロと砕け落ちる。

 それを見て怪物は俺に向けて大きな腕を伸ばしてきた。俺は首をひねり間一髪でそれを避ける。しかし一瞬遅れたのか、頬に攻撃がかすりそこから生温かい血が流れる感触がしてくる。

 その感触に身が固くなるのを感じながら、がら空きになった怪物の胴体にもう一本の短剣を突き刺し、後ろへ跳躍する。

 

「ブシュルルル!」

 

 その瞬間、短剣は爆発を起こし、怪物はうめき声を上げながらのたうち回る。

 それにしても戦いにくいな。魔具も魔導鎧もない状態だと攻防共にこうも心許ないとは。せめてどっちかあるだけでもかなり違うんだが。

 

「ブシュルルル」

 

 うめき声を上げながらその場をのたうち回っていくうちに、怪物の額にXの文字が浮かび上がる。それを見てある直感が俺の脳裏を走った。

 あそこだ! あそこに強い一撃を加えればあの怪物は消滅し、少年は解放される。

 前世からの経験からそう確信した俺は、怪物に向き直る。それに対して怪物の方もすぐに持ち直して俺の方を向いた。

 俺は怪物の急所に一撃入れるべく、奴に向かって突貫した。

 

「はあああっ!」

「ブシュルル!」

 

 怪物は俺に向かって腕を突き出す。さっきと同じ要領で奴の攻撃を見切ってかわそうとするが――

 

「――!」

 

 突然怪物の腕が枝のように無数に分かれ、俺は思わず目を剥く。

 この距離では普通によけようとしても間に合わない。だったら――

 

 フライングムーヴ!

 

 固有技能を発動させた瞬間、俺以外のものの動きが止まったように緩やかになる。

 その間に俺は斜め前に移って無数に分裂している怪物の腕から逃れる。

 

 そこ一旦技能を解くと俺以外のものは再び動き出す。もちろんあの怪物も含めて。

 技能を解いてなおも俺は前進し、怪物と距離を縮めていく。

 怪物の急所が届くまであの十歩。

 

「ブシュルルル!」

 

 だがそこで怪物はもう一本の腕を振り上げる。腕の先はもう何十本にも分かれており、捕まったらがんじがらめにされて動けなくなるのは間違いないだろう。

 俺はもう一度固有技能を発動しようと意識を集中する。

 だがその時怪物の動きが鈍り、腕は俺に突き出されることなく宙ぶらりんのままになる。

 まさかあいつか? あの少年が中からあの怪物を押さえたのか?

 そんな考えを抱きながら俺は腕の横を素通りし、怪物に肉薄する。

 俺は奴の前で立ち止まり右腕を後ろに下げながら、

 

「シュヴァルツェ・ヴィルクング」

 

 そう唱えた瞬間、俺の腕は紺色の魔力光に覆われるとともに力がみなぎっていくのを感じる。

 腕力と筋力を強化させ鉄をも砕く力をもたらす魔法、これもあいつから学んだ技だ。

 俺は✕の文字が浮かぶ怪物の額に狙いを定めながら右腕を大きく振りかぶり、一気に打ち出した。

 

「あああああああっ!」

「ブシュルルルルル!」

 

 魔力によって強化された俺の拳が怪物の額に命中した瞬間、怪物の額はひび割れ、中から菱形の青い石が飛び出てくる。

 青い石は俺の手の中に収まりながら強い光を放ち、辺りは真っ白に包まれた。

 

 

 

 

 

 

「うっ……んっ……」

 

 辺りが夕暮れに包まれる中、道の端で気を失っていたはやてはようやく目を覚ます。彼女に対して俺は声をかけた。

 

「ようはやて。目は覚めたか」

「健斗君? ……あれ? 私何でこんなとこで寝とるんや?」

 

 はやては頭を押さえながらそんなことを聞いてくる。そんな彼女に、

 

「それはこっちの台詞だ。お前、あの二人と一緒に道端でいきなり気を失ったりしたから心配したぞ」

「あの二人……?」

 

 そう言いながらはやては首を巡らせ、やがて少し離れた場所で横になっている二人を見つける。そして仲良く並んで寝そべっている二人のうち少年の方を眺めて、

 

(さっき、あの子が化け物になったような気がしたんやけど。でも健斗君はああ言ってるし、あの子は彼女と一緒に寝とるし……夢でも見たんかな?)

 

 ぼんやりしながらはやては首をかしげる。その時。

 

「はやてちゃん! 健斗君!」

 

 不意にかかってくる声に俺とはやてがそちらの方に顔を向ける。

 見るとなのはがユーノというフェレットを肩に乗せながら、こちらに走ってきていた。

 

「なのはちゃん!?」

 

 息を切らせてこちらにかけてくるなのはを見てはやては思わず声を上げる。なのはは俺たちの前で立ち止まって荒く息をつきながら、

 

「はぁ、はぁ……二人とも大丈夫? 何もなかった?」

「……いや、俺たちの方は何もなかった。日差しが強すぎたせいか、はやてとそこの二人がしばらく気を失ってたぐらいだ。そうだよなはやて?」

「う、うん、そうみたいやな。でもこの通りもう何ともないで! そこのお二人さんもすぐに目が覚めるやろ」

「そうか。何も起きなかったんだ」

 

 俺たちの返事に釈然としない様子を見せながらも、力こぶを作るはやてを見てなのはは安堵の吐息をつく。そして彼女は再び口を開き、俺たちにあることを尋ねてきた。

 

「……ところではやてちゃん、健斗君、宝石みたいにきれいな青い石を見なかった? この近くにあったと思うんだけど……」

 

 その問いを聞いて俺はポケットに手を突っ込み、その中にあの石があることを確かめ、そしてなのはに素知らぬ顔で言った。

 

「……いや、そんな石見てないな」

「そうか」

 

 俺の答えになのははがっかりしたように肩を落とす。そんな彼女の横ではやてはこくりと首をかしげていた。

 

(青い石? そういえばそんな石を巡って健斗君とキーパーの子が喧嘩しとったような……もしかしてあの石は健斗君が? ええんかな、きれいやけどなんか不吉な石やったし)

 

 

 

 

 

 

《ユーノ君、ごめん。ジュエルシード見失っちゃったみたい。反応が消える前は確かにこのあたりにあったはずなんだけど……》

《いいよなのは。見失ったものは仕方ないさ。それにもしかしたらあのジュエルシードは……》

《ユーノ君?》

《いや、何でもない。とにかくなのはは気にせずゆっくり休むといい。ジュエルシードを探しているうちにあの種もひょっこりどこかで見つかるさ》

 

 怪訝そうに呼びかけてくるなのはにユーノは首を横に振ってそう言った。それになのはもうなずきながら、

 

《……うん、そうだね。明日もまた頑張ろう》

 

 ジュエルシードを手に入れられなかったためか、いつもより元気が足りない声でそう言うなのはにうなずきを返す一方でユーノは考えを巡らせていた。

 

(ジュエルシードは暴走すれば恐ろしい代物だけど、それでも《ロストロギア》の中では比較的制御が容易な方だ。魔導師のもとにある限りは大丈夫だろう……もっとも、いつかは返してもらわないといけないけど)

 

 

 

 

 

 

 はやてに続いてカップル二人も目を覚まし、その二人に対して健斗が何やら言っている。

 そんな彼らを遥か高くから見つめる者が何人かいた。

 

 そのうち一人は、薄茶色の短い髪の上に白い帽子をかぶった女だった。胸元が開いた黒いインナーの上に白いコートを着ている。

 

(ジュエルシード……マスターから聞いた通り、恐ろしい力を秘めているみたいですね。その暴走をたった一人で止めるとは。あの少年、ただものではないようですね。私たちのように別の世界からこの世界にやってきたのでしょうか? それに彼の隣にいる女の子は例の……いずれにしろ、近いうちにあの子たちからジュエルシードと“あの魔導書”を譲ってもらう必要がありそうですね。間違ってもあんな子供に危害を加えるような真似はしたくはないのですが)

 

 健斗やはやてを見て決意を固める女。さらにその別の方には……

 

 

 

 

 

 

 女から離れた場所で眼下を見下ろす者がもう一人いる。

 青い短髪で白い生地に青いラインがいくつも入ったトップスと青と白が混じったズボンを着ており、白い仮面をかぶっているため顔は見えないが体格などから男だと思われる。

 女同様、彼もまた健斗とはやてを見下ろしながら考えを巡らせていた。

 

(御神健斗……八神はやてと合わせて彼のこともずっと監視していたが、やはりただの子供ではなかったようだな。彼も《闇の書》が生み出した守護騎士か? 守護騎士の中にあんな少年がいたという記録はないが……事と次第によっては、彼もあの魔導書や主ともども永い眠りについてもらうことになるかもしれないな)

 

 

 

 

 

 ジュエルシードと闇の書、二つのロストロギアを巡る戦いは健斗たちの知らないところですでに幕を開けていた。



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第9話 訪問者

 ある日の夜明け。

 ビルが立ち並ぶ海鳴市の市街地にて、ある建物の屋上に金髪の少女がたたずみ、彼女の後ろには赤い狼と白い帽子をかぶった女が控えていた。

 

 少女は、長い金髪を黒いリボンで二つに結び、袖のない上下一体型の黒い服に桃色の短いスカートを付け、黒い靴下、ブーツ、それらの上に羽織った黒いマントといった黒ずくめの出で立ちをしている。

 その姿を見れば多くの人間が悪魔を連想するだろう。しかし赤い瞳で街を眺め下ろす彼女の表情は悪魔とは真逆の、天使のような美しさを醸し出していた。

 

 少女の後ろにいる狼は全身のほとんどに赤い毛を生やしており腹と尾の先の毛が白い。そして狼の額には赤い宝石のような石が埋め込まれていた。

 

 黒い柄に金属だけの握りをつけた杖のようなものを手に持ちながら、少女は眼下の街を見据え口を開く。

 

「ロストロギアはこの付近にあるんだね」

 

 少女の口から漏れたつぶやきに、彼女の後ろにいる帽子を被った女はうなずき、

 

「そうです……どのようなものだったか覚えていますか?」

 

 女の問いに少女は首を縦に振りながら答えた。

 

「形態は青い宝石、一般呼称は《ジュエルシード》……ちゃんと覚えているよ。あの人が欲しがっているものだから」

 

 少女の答えに女は満足そうにうなずき、狼の方は不愉快そうにそっぽを向く。

 そんな狼を横目で見て女は苦笑いを浮かべながら、少女に向けて言った。

 

「ええ、その通りです。あのお方の悲願を叶えるのに必要なそれを集めてくれば、あのお方もきっとフェイトのことを褒めてくれるはずです」

 

 その言葉にフェイトと呼ばれた少女は複雑そうな笑みを作って、

 

「……うん、そうだね。すぐに集めてあの人の所へ持って行かないと。……あなたは私たちと一緒には行けないんでしょう?」

 

 わずかな期待を含ませた声でそう問いかけてくるフェイトに、女は悲しげな笑みを向けて謝った。

 

「ごめんなさい。私はあのお方から別の探し物を手に入れるように言われていますので」

「ううん、いいよ。私にはアルフもいるし。こっちのことは気にしないで、あなたはもう一つの探し物の方に専念して」

 

 半ば自分に言い聞かせるようにそう言ってフェイトは彼女への未練を断ち切る。アルフと呼ばれた赤い狼は、フェイトを慰めるように鳴き声を上げた。フェイトはアルフに「ありがとう」と声をかける。

 そんな彼女たちに女は懸命に作った笑みを向けながら言った。

 

「ありがとうフェイト、アルフも……ではジュエルシードの捜索はあなたたちにお任せします。私はあのお方が求めるもう一つのロストロギア――《闇の書》の入手にあたります!」

 

 

 

 

 

 

 魔力を持つ謎の宝石を手に入れてから一週間後。

 例のごとく、俺ははやての体に魔力を送り込むための施術を行うために彼女の家に訪れていた。

 施術を終えてから俺は書斎に行き、一番奥の本棚にしまってある一冊の本を見る。

 鎖が巻き付けられている、剣十字が付いた茶色い表紙の本。

 俺はこの本が何なのか知っている。

 

 《闇の書》。あらゆる魔法を収集する書物で、666ものページを埋めて完成させた暁には所有者に大いなる力をもたらすと言われる伝説の書だが、その正体は所有者と世界に破滅をもたらす禁断の魔導書である。だがそれも過去の所有者が魔導書に無理な改変を施したことで起こる不具合によるものであり、本来は《夜天の魔導書》という名で、多くの魔法を後世に残すための記録書だった。

 この本がもたらす災厄を防ぎ、あいつらと“彼女”を救うために俺は再び生を受けたのだ。

 

 魔導書の前で俺はポケットから青い石を取り出す。この世界には存在しないはずの魔力を秘めた謎の石を。

 いまだ空白だろう魔導書と魔力を持つ石、この二つをかけ合わせればもしかしたら――。

 

「健斗君!」

 

 部屋の外から響く声に反応して、俺は慌てて石をポケットに戻す。その直後にこの部屋の主であるはやてが顔をのぞかせてきた。

 

「何や、ここにおったんか。またその本眺めてたん?」

「ああ、まあな。鎖に巻かれてて目立ってるからつい」

 

 肯定しながらそう言うと、はやては部屋に入って来て書物を手に取る。

 

「確かにこんな鎖が巻かれてたら気にはなるな。これのせいで私もまだこの本読んだことないし。……でも懐かしいな。覚えとるか? 二年前、健斗君この本持ちながらぼろぼろ泣いてたんやで」

「目にごみが入っただけだ。あの時もそう言っただろう」

「それにしてはえらい泣きようやったけどな。健斗君があんなに泣いてる所を見たのあの時だけやし、よく覚えてるよ」

 

 その言葉に俺はばつが悪くなって顔を渋くする。それを見てはやてはふふっと笑い、続けて言った。

 

「……それからやったな、健斗君が体を鍛えたり難しいことを勉強しだしたりしたのは。あれってその本と関係あるん?」

 

 そう言われて思わずぎくりとしてしまう。まったくその通りだからだ。

 母さんとの稽古で腕を磨いているのも、アリサからプログラミングを教わっているのも、夜天の魔導書を冒している呪い(バグ)の解呪と守護騎士たちや“彼女”を救うためだ。今でははやても救わなければならない者たちに入っている。

 しかしそれをここで言うわけにはいかない。だから俺は……

 

「そんなわけないだろう。どっちもそんな本と関係なく始めたことだ。だいたいプログラムの勉強や体を鍛えることがその本とどう関係するっていうんだ?」

「そ、それは……」

 

 そうまくしたてた途端はやては口ごもる。この本の正体を知らないはやてには俺の主張に対して反論する術はない。

 そんな彼女に対して――

 

「それよりもう準備はいいのか? これからすずかの家に行くんだろう」

「あっ、そうやった! すずかちゃんちのお茶会に誘われてるんやった! そろそろさくらさんが迎えに来てくれるとこや」

 

 言葉を詰まらせるはやてに俺はあえて逃げ道を作ってやる。狙い通り、はやてはそれに乗っていそいそと準備をしようとする。その手に茶表紙の本を持ったまま。

 

 ちなみにさくらさんとはすずかの親戚にあたる人で、はやてとも親しい。俺にとっても先輩繋がりで知り合った個人的な友人だ。

 

 すずかの家で行われているお茶会とやらに、俺は行かない。女の子たちがお茶を飲みながら世間話に興じている中に、俺が混ざっても居心地が悪いだけだ。なのはの付き添いとして恭也さんも一緒に行くようだが、あっちは忍さんと会うためだろうし、俺が一緒にいても邪魔にしかならないだろう。

 用事(施術)も済んだところだし、俺とはやてはここでお別れだ。

 

 そんな時、ピンポーンというチャイムの音が響いた。

 

「噂をすれば。もうさくらさんが来たんかな?」

 

 はやては玄関の方へと駆けだし、俺もその後に続いた。すずかの家には行かないとしても、せめてさくらさんに挨拶だけはしておかなくては。

 

 

 

 

 

 はやてと俺が玄関の前まで向かっている間に、またチャイムの音が響く。

 はやてはドアの前で「はいはい、今開けます!」と言いながら鍵を開け、ドアを引いた。

 しかし、そこにいたのはさくらさんではなかった。

 

「こんにちは……あらっ?」

 

 ドアの向こうにいたのは白い帽子をかぶった女だった。ドアが開いてすぐに女は挨拶をしてくるが、俺を見た途端軽く声を上げる。

 怪訝に思いながら俺も顔を上げて女の方を見た。

 帽子からはみ出ている薄茶色の短い髪に青みがかった瞳、黄色いワンピースの上に白い上着を羽織っている二十前後といった若い女だ。容姿からみて外国人だろうか?

 

 一方、はやては警戒心をあらわにしながら女に尋ねる。

 

「……すみません、どちら様でしょうか?」

「あっ! これは失礼しました。私は収集家のリニスという者です。八神さんの家に珍しい本があると聞いて伺ったのですが、少々お時間を頂いてもいいですか?」

「収集家? わざわざ来ていただいてなんですけど、うちにある本で珍しい物なんて……まさか」

 

 そこではやては目線を落として自身の手元にある本を見、リニスという女の視線もその本に移る。

 ――その瞬間リニスの青い瞳に獰猛な光が宿るのを見て俺はびくりとした。こいつまさか!

 

(鎖に巻かれた本……その本で間違いなさそうですね。それに《ジュエルシード》を拾った少年までいる。うまくいけばここで《闇の書》と《ジュエルシード》がまとめて手に入るかも)

 

 リニスははやてに視線を戻し――

 

「ええ。多分その本だと思います。ちょっと見せていただいてもよろしいでしょうか? 傷つけたりはしませんので――?」

 

 そう言いながらリニスは本に向かって手を伸ばすが、それをさえぎるように俺が間に割って入ってきたのを見て笑みを消し、後ろにいるはやても不思議そうな声を漏らす。

 

「健斗君……?」

「……どうしました?」

 

 リニスも俺に向かって問いを投げてくる。思わぬ妨害に気分を悪くしたのか、その声はさっきより一段低い。

 俺はそんな彼女に向かって……

 

「すみません。ただ、その本は彼女の両親が遺した形見で、そんな大切な物をそう簡単に見ず知らずの人に渡すわけにはいかないんですよ」

「……」

「ご両親の……そうでしたか」

 

 両親の形見と聞いた途端はやては顔を曇らせ、リニスはばつが悪そうな顔をする。はやて同様リニスも両親という言葉に強く反応したように見えるが、彼女も親というものに何か思うところがあるのだろうか?

 しかしリニスはためらう様子を見せながらも、再び顔を上げて言った。

 

「失礼しました。まさかそのようなものだったとは知らず……ですが私にとってその本はどうしても欲しい物なんです。もし譲っていただけるのなら相応の値段で買い取らせていただきますが」

「相応の値段……」

 

 それを聞いてはやては悩むそぶりを見せる。金に目がくらんだわけではない。

 

 はやては両親が亡くなってから、父親の友人である『ラガー・グリム』という人の援助を受けて生活しており、感謝と親愛を込めてはやてはその人の事を“グリムおじさん”と呼んでいる。

 はやてに生活費を送ったりヘルパーの手配をしてくれたりなど、グリムさんの援助がなければはやての生活は成り立たない。

 それらの費用ははやてのお父さんの遺産を管理して捻出しているようだが、若くして亡くなったはやてのお父さんの遺産だけで足りるようなものではない。明らかにその人自身も相当の出費をしてくれているのだろう。

 そのため、はやては働けるようになったら、グリムさんにこれまでかかったお金の返済をするべきだと考えているようだ。援助に関してその人から見返りなどは求められていないし、返す必要はないと俺も思ってはいるのだが。

 

 このリニスという女があの本をどれくらいの額で買い取る気かは知らないが、その金をグリムさんへの返済に充てることもできるのではないかと思ったのかもしれない。

 もっとも本を買い取るために子供に払う額なんてたかが知れているだろうし、そうでなくてもこの本を売るわけにはいかないのだが。

 

 そんな俺の思惑を知ることなく女は言葉を続ける。

 

「もちろん他にも何か珍しい物があれば買い取らせていただきますよ。例えば……青く輝く菱形の石とか」

 

 菱形の石だと!?

 

「――はやて、ドアを閉めろ!」

 

 俺がとっさにそう叫ぶと、はやては慌ててドアを閉め一瞬で鍵を閉める。そして俺の方を向いて、

 

「いきなり何なん? あの人やっぱり怪しい人?」

「ああ! 詳しいことは後で話す! それより急いでこの家から抜け出さないと!」

 

 はやての問いに答えながら、俺ははやての手を引いて庭へと回った。あいつなら鍵なんて簡単に破れる気がする。早くこの家から脱出してあの女から離れないと!

 

 

 

 

 

 

 扉を閉めあわただしく駆け出していく二人の足音を聞きながら、リニスは舌打ちを鳴らした。

 

(逃げられてしまいましたか。ジュエルシードと闇の書のことを知っていたみたいですね。ということはあの少年はやはり……いえ、それよりこれからどうすれば? あんな子供を傷つけるわけには――うっ!)

 

 考えを巡らせていたリニスの脳裏にずきりとした頭痛と強い想念が伝わってくる。手段を選ぶなという主からのお達しらしい。

 

(わかりましたよ。やります、やりますから大人しく待っててください!)

 

 心中で主にそう答えてからリニスは耳を澄ませる。彼女の耳は人間よりはるかによく、犬より優れているほどだ。その聴覚が家の中を駆ける二人の位置を正確に捉えていた。

 ジュエルシードを持つ少年と闇の書の主である少女は庭の方へ向かっている。どうやら脱出して外へ逃げるようだ。

 家の中にこもる気はないと知ってリニスは安堵した。いくらなんでも人の家に押し入って暴れまわるようなことはしたくない。

 そしてリニスはある魔法の発動を念じる。すると円状の魔法陣が彼女の足元に浮かび上がり、その上に立ちながらリニスは一言唱えた。

 

バリア(結界)

 

 

 

 

 

 

「――! これは……」

 

 はやてとともに庭へ飛び出し、塀を乗り越えて公道に出た俺は魔力の反応を感じて足を止める。

 そして周囲の景色が紫がかると、はやても異変に気付き辺りを見回した。

 

「なんなんこれ? 急にまわりが」

 

 そして……

 

「見つけましたよ」

 

 後ろから届いてきた声に俺とはやてはそちらを振り向く。

 

「あなたたちが持っている《ジュエルシード》と《闇の書》はこの世界の人間の手に余るものです。大人しく渡していただけないでしょうか。あんまり強情だと力ずくで奪い取るより他になくなってしまいますよ」

 

 わがままを言う子供に言い聞かせるような口調でリニスという女はそう告げてきた。

 

 女の格好は先ほどまでと違い、白い帽子はそのままに、胸元が開いた黒いインナーの上に白いコートを着こんでおり、その手には金色の球がついたステッキのようなものが握られていた。



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第10話 VSリニス

 周囲が紫色に染まる中、戸惑いを隠せずに辺りを見回す俺とはやての前にリニスという女が迫ってきた。

 リニスはさっきまでとは装いを変えており、金色の球がついたステッキのようなものを持っている。周囲の風景やリニスの今の服装を見て、俺は彼女の正体をおぼろげながらに察する。

 一体どこの世界から来たのかはわからないが彼女はおそらく……。

 

「《ジュエルシード》と《闇の書》を渡してください! そうすれば二人ともここから出してあげますし、子供のお小遣いには充分なくらいのお金は出してあげます」

 

 そう言ってリニスはステッキを突き付けてきた。

 もし本当に彼女がそうならあれは魔具と見ていいだろう。ではあの服が彼女の魔導着か……。体のラインが浮き出たインナーに、胸のあたりが開いたコートという結構色っぽい服だ。

 ついそんなところを見ているとリニスが顔をひきつらせた。

 

(何かよこしまな視線が……まさかこの子)

 

 そして隣からも、

 

「こんな時に何を見とるんや健斗君!?」

「い、いや、俺は何とかしてあの女の隙を突こうと――」

 

 呆れた声でそんなことを言うはやての方に、俺は慌てて顔を向け言い訳を言う。そんな俺にリニスも呆れたため息を吐いた。

 

「最近の子供はませてますね……フェイトがいなくてよかったです……それはともかく、そろそろその本と青い石を渡していただきたいのですが。先ほどの様子だと石の方も肌身離さず持っているんでしょう、けんとさん?」

 

 はやての言葉から知った俺の名を呼びながらリニスはそう確認してくる。

 とっさにあの場から逃げ出したのは失敗か――いや、この女ならジュエルシードという石の反応を調べる術くらい持っていそうだ。どの道魔導書には気付いていたみたいだったし、あの時の判断は正しかったのかも。

 俺はポケットから青い石、ジュエルシードを取り出す。それを見るとリニスはわずかに目を見張りながら安堵したような吐息をつき、はやては「えっ?」と戸惑いの声を上げる。二人とも俺がジュエルシードを大人しくリニスに渡すつもりだと思っているみたいだ。

 そんな二人のうち、はやての方にジュエルシードを放った。

 

「これって……」

 

 はやてはジュエルシードを受け取りながら再び戸惑いの声を漏らす。そんなはやてに、

 

「それと本を持ってできるだけ遠くに逃げろ! その間に俺がこいつを何とかする!」

「……」

 

 はやてに向かってそう言うとリニスは眉を吊り上げ険しい顔つきになる。片やはやては困惑から抜け出せない様子のまま声を張り上げた。

 

「な、何とかするって、相手は健斗君よりずっと大きい大人やで! 勝てるわけ――」

 

 勝てるわけないと言いかけてはやてはその口をつぐむ。はやても俺が母さんを相手に剣の稽古をしていることぐらいは知っている。それを思い出してもしかしたらと思ったのだろう。

 実際並みの大人相手なら負けない自信はある。問題は相手が温和そうな見た目とは裏腹に戦いの心得がありそうだということと、現世では初めて見る魔導師だろうということ、そして今の俺には魔具も魔導鎧もないということだが。

 

「聞きわけのない子ですね。あの子の爪の垢でも飲ませてあげたいくらいです。それともお尻を何度か叩いて大人の怖さを教えて差し上げるべきでしょうか」

 

 ため息を吐きながらリニスはステッキを持っていない方の左手を開いてみせる。前世の俺を教育していた家庭教師を思い出す仕草だ。今回ばかりはそんな仕打ちを受けるわけにはいかないが。

 俺は一度呼吸を整えてから両手を開き、ある呪文を唱えた。

 

「ブラッディダガー!」

 

 その瞬間、俺の手元に二本の赤い短剣が現れ、すかさずそれを掴み取る。

 

「――えっ!?」

「それは……?」

 

 それを見てはやては驚いた声を上げ、リニスも目を見張る。

 俺は二本の短剣を構えリニスを睨みながら叫んだ。

 

「逃げろはやて!」

 

 それに反応してはやては後ろに向かって一気に駆けだす。

 後に残されたのは二本の短剣を構える俺と魔具らしきステッキを持つリニスだけだった。

 

 

 

 

 

 

 健斗から強い口調で逃げろと言われ、はやては反射的に後ろに向かって走る。

 

(なんやのこれ? あのリニスって女の人は一体何なん? 何であそこまでしてこんな本や石なんか欲しがるん? それに健斗君あんなナイフどっから出したん? やっぱりこの間のことって夢なんかやなくて……ああもうわけわからんことだらけやわ! 誰か私にも説明して!)

 

 心の中でそう叫びながらはやてはひたすら走る。

 だが健斗たちがいた場所から届いて来た刃と杖がぶつかる音を聞いて、思わず足を止めた。

 

 

 

 

 

 

 俺が振るう赤い短剣とリニスが持つステッキの棒部分がぶつかり、その度に甲高い金属音があたりに響く。そんな中で俺とリニスは互いに言葉を放ちあう。

 

「あなた、一体何者ですか? この間の結界といい、その短剣といい、私でも知らない魔法を使うなんて。なぜあなたみたいな人が魔法が使われていないような世界にいるんですか!?」

「その言葉、そっくりそのまま返すぞ! お前みたいな魔導師がなぜこの世界にいる!? ジュエルシードという石と闇の書を手に入れるために来たのか?」

「ええっ! ジュエルシードも闇の書も私にとって絶対に必要な物ですから! だから大人しく渡してください! この世界で暮らすあなたたちには必要ない物でしょう。それともあれらを使ってよからぬことでも考えているんですか? あなたと同じ名前とオッドアイの悪い王様のように」

 

 杖を振るい短剣を弾きながらリニスが放った最後の一言にまさかと思いながらも、俺も短剣を振るいながら言葉を返した

 

「必要ないなんてことはない! 俺の目的を叶えるためにあの本は絶対に必要な物なんだ! だいたいお前こそジュエルシードや闇の書を手に入れてどうするつもりだ? よからぬことに使おうとしているのはそっちじゃないのか?」

「――そ、それは……」

 

 問いをぶつけた途端リニスの目が泳ぐ。その隙をついて俺は短剣に魔力を込めた。

 

「シュヴァルツ・ヴァイス!」

 

 詠唱を唱えた瞬間、短剣と俺の足元に三角の魔法陣が浮かび、紺色の魔力光が短剣を包み込む。三角の魔法陣と魔力光を帯びた短剣を見てリニスは驚きに目を剥いた。

 しかしリニスもまた――

 

「バルバロッサ!」

Scythe Slash(サイズスラッシュ)

 

 リニスが叫んだ瞬間、ステッキが声を発し、彼女の足元とステッキに円状の魔法陣が浮かび上がり、黄色い稲妻からなる刃が先端から飛び出てくる。

 リニスは稲妻の刃がついたステッキ、《バルバロッサ》を振るい上げる。

 俺は反射的に短剣を手放しつつ後ろに跳躍した。

 宙に浮いた短剣はステッキによって弾き飛ばされ空中で爆発する。それを見て思わず野球のホームランを思い浮かべながらも、すぐに気を取り直しリニスの周囲に浮かんだ魔法陣について考えをめぐらす。

 

(あの円型の魔法陣、俺が知っているものとはまったく違う。確かサニーが魔法を使う時に浮かんでいたものとまったく同じものだ。じゃあ、あいつはもしかしてサニーと同じ世界の……)

(あの三角形の魔法陣、私たちが知るものとはまったく違うものですね。確か《ベルカ式》の魔法陣があんな形だったような……まさかあの子は)

 

 リニスは何やら考え込むそぶりを見せてから、俺の方を向いて口を開いてきた。

 

「もう一度聞きます。あなたは一体何者なんですか? なぜ魔法が使えるような人間がこの世界にいるんです?」

「……さあな。俺はずっとこの地球という世界で生まれ育って来たんだ。魔法が使えようが使えまいがそれは確かな事実だ」

 

 俺がそう言うとリニスは少しの間考える素振りを見せて再び口を開いた。

 

「……あなたのお名前をお伺いしてよろしいですか?」

「健斗……御神健斗だ」

(けんと……あの愚王と同じ名前ですか。ベルカ式の魔法といいオッドアイといい、妙な偶然ですね。……いえ、今はそんなことどうでもいい)

 

 リニスはしばらくの間何かと比べるように俺を見てから、再び口を開く。

 

「……御神健斗、ジュエルシードと闇の書を渡してください! 確かに我が主はその二つのロストロギアを使ってある願いを叶えようとしていますが、その願い自体は決してよこしまなものではありません! もし万が一危険な使い方をしようとすれば、私がこの身に代えてでも止めてみせます――ですからどうか!」

「そんな言葉信用できない! それに言っただろう、俺にも叶えたい目的があるって。そのためにあの本もジュエルシードも失うわけにはいかないんだ! お前こそさっさと諦めてここから立ち去れ、リニス!」

 

 残り一本の短剣をリニスに向けて俺はそう言い切る。対してリニスは諦めたようにため息を吐いて、バルバロッサというステッキを両手に構えた。

 交渉決裂、もうお互いに言葉では止められない。止まれない。

 

 

 

 

 

 もしリニスの言う通り、彼女の主がよこしまな人物ではなく、その願いが誰にも迷惑が掛からないような慎ましい願いだったとしよう。

 だとしても、闇の書――夜天の魔導書を安全に使うなんて現状では絶対に不可能だ。

 魔導書の頁を埋めるには多くの魔導師のリンカーコアから魔力を奪い取る必要があり、この時点で多くの人を傷つけることになる。もっともこちらに関しては代替案があるが。

 だが、そうやって魔導書を完成させても、書の管制人格が主を乗っ取って世界を滅ぼすほどの無差別破壊を引き起こす。それは到底リニスに止められるものじゃない。

 

 そもそも夜天の魔導書を譲るということ自体がまず不可能だ。

 夜天の魔導書には転移機能があるため、誰に貸そうが渡そうがすぐに主の元に戻ってくる。そのため前世では魔導書を渡して戦争を回避するという手段を取ることができなかった。

 

 だがそれらをリニスに言うわけにはいかない。

 無差別破壊に関しては信じてもらえるかわからないし、転移機能の方は証明するのは簡単だがそうなったらはやてごと捕まえようなんて考えかねない。

 結局向こうが力ずくでくる以上、こっちも力ずくでリニスを追い返すしかないわけだ。

 

 

 

 

 

 再び刃と杖がぶつかる。

 しかしやはり厳しい。

 こっちは十にも届かない子供で相手は二十くらいの大人。背丈も腕力も歴然とした差がある。何よりこっちは投擲用の短剣で、向こうは魔具という魔導戦のための武器。最初からこっちが圧倒的に不利だ。にもかかわらず遠慮なく杖で殴りかかってくるリニスにフェアプレイの精神というものはないのか?

 その挙句、さんざん剣戟を繰り返してからリニスは頃合いと見てステッキを振り上げ――

 

「バルバロッサ」

Haken Slash(ハーケンスラッシュ)

 

 リニスとバルバロッサがそう唱えた瞬間、バルバロッサの先端から三枚もの稲妻の刃が飛び出て、リニスはその刃を俺に向けて振り下ろす。

 俺は頭上に迫る刃つきの杖を見据え……

 

 フライングムーヴ!

 

 技能の発動させた瞬間、俺以外のものの動きが急激に緩やかになる。

 後ろで俺の名を叫んでいたはやても、刃を振り下ろそうとしていたリニスも今の俺から見れば止まっているも同然だ。

 その間に俺は頭上にある杖を避けて潜り抜け、リニスの隣に立ち、技能を解除する。

 

 次の瞬間、リニスは標的が消えたことに気付いて慌てて杖を止める。その一方で俺は腕を伸ばし彼女の首元に刃を突き付けた。

 

「勝負あったな。武器を捨てろ」

 

 勝利を確信し、俺は彼女にそう告げた。

 しかし、彼女は武器を捨てるどころか無表情で……

 

「……怖い子ですね。この国の子供は戦いとは無縁だと聞きましたが」

 

 リニスがそう言った瞬間、突然彼女の姿が消え、体に強い衝撃が走る。

 

「――ぐあああっ!」

 

 そして気が付けば俺の体は道の端にある壁に叩きつけられていた。

 リニスはステッキを振るいながら悠然と俺を見下ろす。

 

「人の首に刃を突き付ける真似をする子がこんな街にいるなんて、聞いた話とまったく違うじゃないですか。予定より少しきついお仕置きが必要かもしれませんね」

 

 そう言いながらリニスは俺にステッキを向けてきた。

 速い。技能を発動させる瞬間も与えないほど。これがリニスの本領、あるいはその一端か。

 

「健斗君!!」

 

 あのバカ、逃げろと言ったのにまだあんなところに。

 棒立ちしたまま声を上げるはやてに俺は内心で毒づく。

 そんなはやての胸元には鎖に巻かれた我が最大の怨敵にして、あいつらや彼女が眠る揺り籠でもある《夜天の魔導書》があった。

 

 

 

 

 

――主およびサブマスターの危機を検知。主を防衛するプログラムを実行する必要性ありと判断。

 

――魔導書の起動、および『守護騎士プログラム』の実行準備を開始。



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第11話 ヴォルケンリッター、再臨

「うっ……今まで手を抜いていたのか」

 

 背中に走る激痛をこらえながら身を起こし、眼前のリニスに毒づく。

 一方、リニスはすました顔で俺を見下ろしながら言った。

 

「子供相手にいきなり本気を出すわけがないでしょう。ですが、あなたには少しきつめのお仕置きが必要だと思いましたので。刃なんて危ない物を人の首筋に近づけてはいけませんよ、御神健斗」

「刃付きの杖を振り回しているお前が言うな!」

 

 そう言いながら俺は虚空から新しく二本の短剣を取り出し、両手に掴む。

 リニスも今度は驚かずに冷めた目でそれを眺めていた。

 

「――ふっ!」

 

 二本の短剣を手に俺は間髪入れずにリニスの懐に飛び込み、刃を振るう。

 リニスはステッキ型の魔具――バルバロッサを振るい俺の短剣を払い続けながら、ふいに姿を消す。その直後、再び体に衝撃が走り、俺は後方に吹き飛ばされ地面に倒された。

 やっぱり速い。まともに戦っていたら一方的になすがままにされるくらい。

 今の俺がこいつに勝つ方法は一つだけ。

 

「はああっ!」

 

 俺が身を起こすと同時に、リニスはステッキを振るいながら再び姿をくらます。ここから一気に攻撃を加えて追い込んでいく腹らしい。だがその焦りと慢心が命取りだ。

 俺はここであえて目を閉じて、足音と気配で相手の位置を掴む。

 リニスが俺に迫るまであと十三歩、それを承知のうえで俺はあえてこの場に留まり続ける。

 

 あと十歩……七、五、三――今だ!

 フライングムーヴ!

 

 技能が発動した瞬間、再び俺以外の動きは緩やかになり、あのリニスもほとんど止まったような状態になる。その中で俺は静止したままのリニスに近づき彼女のわき腹に刃を向ける。そして……

 

 

 

「ぐあああっ!」

 

 技能を解いた瞬間、リニスの口からその整った容姿や優しげな声色からはかけ離れたうめき声が上がった。

 無理もない。俺に迫っていたところで突然自分の腹を刃で切り裂かれたのだから。命に別状はないはずだがそれでも相当の激痛を伴うはずだ。

 罪悪感を感じながらも、追い打ちをかけようと彼女を見上げたところで俺は目を剥いた。

 

「――!」

 

 今の攻撃で彼女の頭から今までかぶっていた白い帽子がずり落ち、薄茶色の髪の上に乗っている、猫のような耳が露わになっていたのだ。

 その耳を見て口から思わずその言葉が漏れる。

 

「守護獣……?」

 

 この女、ただの人間じゃなかったのか。ザフィーラのような守護獣、もしくはシュトゥラの南にいた魔女、それともフロニャルドの猫型種族か?

 一方で、俺が口にした言葉に対しリニスは訝しげに目を細める。

 

「守護獣? 何を訳のわからないことを――ぐぅ!」

 

 リニスは懐疑に満ちた言葉とともにうめき声を上げながら脇腹を押さえる。それからすぐに脇に添えた彼女の左手から黄色い魔力光が漏れ、みるみる血が止まっていった。治療魔法か、多才な女だな。

 魔法による止血を終えると、リニスはステッキを構えながら俺を睨む。その表情に笑みはなく、先ほどと違い余裕がないのがこちらにも伝わってきた。

 俺もまたリニスに向けて二本の短剣を向け、構える。

 

(体への負担を考えるとフライングムーヴが使えるのはあと一回。是が非でもここでけりを付けないと)

(先ほどから妙な技を、一瞬だけ私を凌ぐスピードを出すなんて。一部の魔導師が持つ《希少技能(レアスキル)》でしょうか? これ以上彼の攻撃を喰らったらまずいですね。ここでなんとか凌がないと……待てよ、さっきは彼のもとに到達する寸前で突然刃が私の前に現れた。あれと同じ状況を作り出せれば何とかなるかもしれません)

 

 リニスはステッキを片手に持ち、前のめりになる。今度もそっちから仕掛ける気か。好都合だ、向こうから近づいてくれる分こっちは最小限の動きで済む。

 内心でほくそえみながら、リニスを迎え撃つべく短剣を握る手に力を込める。

 十中八九ここで勝負が決まる。

 

 俺とリニスは睨み合い、十秒ほどが過ぎてこちらに向かって風が吹いてきたと同時に、リニスがこちらに向かって来てその姿を消す。

 それを見て俺は目を閉じて、聴覚に意識を集中させる。

 

 奴がこっちに来るまであと十五歩……十三……十。

 

 ひたすら聴覚を研ぎ澄ませた結果、遠くではやてがゴクリと喉を鳴らす音さえ聞き取れるようになるが、それを無視してただただリニスの足音だけを数える。

 

 あと十、七、五、三――今だ!

 フライングムーヴ!

 

 技能が発動して再び俺以外のものの動きが緩やかになる。リニスも先ほどのように鬼気迫る顔で俺に迫っている。

 俺はリニスに近づき、さっきと同じ部位に刃を向けた。これでリニスにダメージを与えたら即座に彼女の上に乗っかって首筋に二本の短剣を当てる。そこまでやればリニスがいくら速くても逃れることはできないはずだ。首筋に二本の短剣を当てられた状態で無理に逃げようとすればシャレにならないことになる。

 

 俺は技能を解く。この攻撃、そして更なる追撃に備えて心を研ぎ澄ませながら。しかし……

 

 

 

「なっ!?」

 

 技能を解いた瞬間、俺は予想外の光景に口を開ける。

 リニスはそこで俺の手を握りながら動きを止めていた。それに気付いた瞬間彼女に握られている手から鈍い痛みが走ってくる。この女、まさか俺をストッパー代わりにすることで、一瞬にして自身の動きを止めたというのか?

 リニスは不敵な笑みを向ける。

 

「御神健斗、私の勝ちです」

 

 その瞬間頭に強い衝撃が走った。リニスがステッキで俺を殴りつけたのだ。

 リニスはさらにステッキを大きく振り上げる。

 

Scythe Slash(サイズスラッシュ)

 

 ステッキの魔具、バルバロッサから稲妻の刃が飛び出て、リニスはそれを俺に振り下ろす。

 

やめてええええ!!

 

 はやての悲鳴が響くものの間に合わず、ステッキに付いた刃はそのまま俺の体を切り裂き、激痛が俺を襲う。

 

「ぐあああっ!」

 

 死んだ……と思った。この一撃を受けて生きていられるわけがないと。しかし……

 

「はあ……はあ……ぐうう……」

 

 体が真っ二つになるほどの一撃を喰らいながら俺は生きていた。しかし、決定打に等しい攻撃を喰らったことに変わりはなく、俺は立っていられずそのまま地面に横たわる。

 リニスは俺の息の根を止められなかったことを惜しむでもなく、淡々と見下ろしながら言った。

 

「勝負ありましたね。まさかあなたのような子供にここまで手こずるとは思ってもいませんでした。ですがそれもここまでです。大人しくジュエルシードと闇の書を渡すと言ってくれませんか。《非殺傷設定》にしてあるとはいえ、これ以上の攻撃は加えたくありません」

 

 非殺傷設定? 何を言っている?

 そんな疑問が口から出そうになるものの、気を失いそうになるほどの激痛のせいで、うめきと呼吸音しか口からは出てこない。

 リニスはステッキについた雷刃を俺に向けた。

 

 

 

 

 

 

 リニスという女が健斗に刃を向けるところを見てはやては息を呑む。そんな中でそんな彼女が抱えている魔導書の内部では……

 

 

 

――サブマスター戦闘不能。守護システムの起動を急ぐ必要ありと判断。

 

――魔導書の解錠、および守護騎士プログラムを実行。

 

――『夜天の魔導書』の起動を開始します。

 

 

 

 

 

 

「まだ抵抗するというのならこれであなたの意識を断ち切ってから――」

やめて!

 

 そう叫んで俺とリニスの間に誰かが割って入る。しかしこの結界にいるものなど、俺とリニス以外にはあいつしかおらず。

 

「もうやめて! なんで健斗君がこんな目にあわんといかんの? 健斗君や私があんたに一体何をしたって言うんや!」

 

 悲痛な声でそう訴えるはやてを見てリニスは気まずい表情になる。

 俺は懸命に声を絞り出してはやてに言った。

 

「バカ、早く逃げろ! 奴の目的はお前が持っている石と本だ!」

 

 俺に続いてリニスもまたはやてに向かって言う。

 

「ええ。ジュエルシードと闇の書を手に入れずして帰るわけには行きません。我が主にとってその石と本はどうしても必要なものですので」

「そんな物が欲しいならさっさとあげる! せやからもう健斗君を傷つけんといて!」

 

 そう叫んで、はやては差し出すように闇の書をリニスに向ける。

 リニスは気まずそうな様子を見せながら口を開いた。

 

「そうしていただけると助かります。私としてもこれ以上の戦いは本意ではありませんので……それで、約束していたお金の方ですが」

「そんなんいらんわ! はよこの本と石持って行って! 健斗君から離れて!」

 

 はやてがそう一喝すると、リニスはばつが悪そうにしながらも魔導書を受け取らんと手を伸ばす。

 駄目だ。そんなことをしても闇の書はすぐはやての元に戻って。それを知られたら今度ははやて自身がリニスや彼女の主に狙われるように。

 それにあの本がないとあいつらや“彼女”に会うことが……

 

「……やめろ」

 

 俺はリニスを止めようと声を上げる。だがリニスは俺の声など無視して魔導書を掴もうとする。

 しかし、リニスが書を手にすることはなかった。

 リニスが魔導書に触れようとしたその瞬間、魔導書の前に白い壁のようなものが一瞬だけ現れ、それに触れた途端リニスは弾かれたように手を引っ込める。まるで電流が流れたかのように。そして――

 

「えっ?」

「――これは!」

 

 リニスが手を引っ込めると同時に、魔導書は彼女から逃れるように空高く浮かび上がった。 

 まさか――!

 

『Ich entferne eine Versiegelung. (封印を解除します)』

 

 魔導書がそう告げた途端、書を縛っていた鎖を繋ぐ錠は砕け鎖は地面に落ちて行く。それを見てはやては思わずつぶやきを漏らした。

 

「な、何やこれ? 本が勝手に――わ、私、こんなの知らへん!」

「これが闇の書……」

 

 宙に浮く魔導書を見上げながら、魔法の存在自体知らないはやてと闇の書についてそれなりのことを知っているリニスはそれぞれ異なる反応を見せる。だが俺はこの現象を見たことがある。

 同じだ。魔導書が勝手に宙に浮いたことも、書から漏れる言葉もあの時とまったく同じだ。

 そんな俺たちをよそに書は告げる。あの時とまったく同じ言葉を。

 

『Anfang.(起動)』

 

 魔導書がそう告げた瞬間、はやての胸元から白い魔力光が出てきて、書は瞬く間に光を飲み込んだ。

 先ほどのことで警戒しているのか、それともあまりの出来事に妨害する気さえ起こせないのか、リニスは唖然としながらはやてと闇の書の様子を眺めているだけだ。

 そして魔導書の回りから紫の円状の魔方陣が顕れた途端、彼女たちは再び俺の前に現れた。

 

 彼女たちははやてを守るように、その前に立ちはだかりながら述べる。

 

「闇の書の起動を確認しました」

 

 先頭に立つ桃色髪をポニーテールで束ねた女がそう言って、

 

「我ら、闇の書の蒐集を行い主を守る守護騎士にございます」

 

 彼女の後ろに立つ短い金髪の女性が言葉を続け、

 

「夜天の主のもとに集いし雲」

 

 次に最後方にいる褐色肌の大男が、

 

「《ヴォルケンリッター》――何なりとご命令を」

 

 最後に二つに分けた三つ編みの赤毛の少女がそう締めくくった。

 

 あの時とまったく同じ言い回しだ。あれからどれくらい経ったかは知らないが、ケントだった頃の俺の前に現れた時と全然変わらず、懐かしさでつい笑みがこぼれてしまいそうになる。

 あの時と違うのは彼女たちがひざまずいていないことと、

 

「まっ、命令がなくても最初にやることは決まっているみたいだけどな」

 

 赤毛の少女の言葉に桃色髪の女がうなずく。

 

「ああ。我らが主と闇の書に害をなそうとしたこと、その身をもってあがなってもらおうか」

 

 そう言って桃色髪の女は剣を抜きながらはやてから視線を移し、彼女の反対側にいるリニスをねめつける。

 それに対してリニスはただただ呆然とするばかりだった。



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第12話 主

 ポニーテールに束ねた桃色髪の女騎士シグナムを筆頭に、夜天の魔導書から現れた《ヴォルケンリッター》は武器を構えながらリニスを見据える。彼女たちが着ている服は最初会った頃に着ていた黒い服だ。

 彼らを前にしながらリニスは慄きを隠せずにいた。

 

(《守護騎士ヴォルケンリッター》……闇の書から現れる、人の姿をした魔妖ですか。闇の書の伝説や愚王伝などにも守護騎士のことは書かれていましたが、まさか実在していたなんて……まずいですね。彼らが本当に守護騎士なのかどうかはともかく、私だけではあの四人を相手になんてとても)

 

 魔導書の主であるはやて本人も――

 

「な、何やあんたら? あんたたちもこの本と石を狙っとるんか? せやったら――」

 

 はやてがそこまで言った途端、シグナムは彼女の方を向いてはやてはびくりとする。そんな主にシグナムは首を横に振って言った。

 

「いいえ。先ほど皆が申した通り、我々の役目は主たるあなたを守り闇の書の頁を蒐集することです。奴を退けるまで主はここに留まっていてください」

「主? 何をいうてるの? 私は――」

「ザフィーラは主の護衛を、シャマルはその少年を治療してやれ。主のご友人に当たる方だろうから丁重にな」

「うむ!」

「ええっ!」

 

 はやての問いに答えずにシグナムはザフィーラとシャマルに指示を下す。二人は意気揚々とそれに応じてはやてと俺のそばに付いた。

 ただ一人指示を与えられなかったヴィータとシグナムが前に出て、リニスに一歩詰め寄る。シグナムとヴィータからあふれ出る気迫にリニスは無意識に後ずさりかけるも、懸命に自らを奮い立たせその場に踏みとどまった。

 

 

 

 

 

 その一方、火花を散らしている彼女たちの後ろでは……

 

「大丈夫? じっとしていてね、すぐに治してあげるから……クラールヴィント」

『Ja』

 

 シャマルは俺のそばで屈み、両手をかざしながら指輪状の魔具に語り掛けると、魔具クラールヴィントから返事とともに緑色の魔力光があふれる。すると俺の体からみるみる痛みがなくなっていった。相変わらず見事なお手並みだな。

 はやてはもう驚くこともせず、ぽかんとその光景を眺めていた。

 

「どう、体の具合は? 外傷はないみたいだし、治療魔法をかけたからもう痛みはないと思うけど」

 

 俺を見下ろしながら尋ねてくるシャマルに、

 

「ああ。もう何ともないよ。ありがとうシャ――」

 

 彼女の名前を言おうとしたところで剣戟の音が届いてきて、俺たちはそちらの方を見る。

 見ればシグナムたちとリニスが互いの得物をぶつけ合っている所だった。

 

 

 

 

「せやああっ!」

 

 シグナムが勢いよく振り下ろした剣をリニスはステッキで受け止める。

 

「だあああっ!」

 

 だがその横からヴィータの槌が迫り、それを見たリニスは左手を上げる。もちろん素手で掴み取ろうとしているわけではなく、

 

Defensor(ディフェンサー)

 

 ステッキの詠唱とともに、リニスの左手の前に黄色い盾が現れ、槌は盾によって阻まれる。しかし衝撃までは防げていないようで、攻撃を受け止めているリニスの顔は辛そうだ。

 

(強い。闇の書から出てきただけあって並みの魔導師とは一味も二味も違う。こんな相手が二人もいたのでは勝ち目がありませんね。後ろにいる大男と御神健斗の治療をしている女性もただの治療要因とは思えませんし。ここを凌ぐにはあの大魔法を放つしか――でも)

「紫電一閃!」

 

 その一言とともにシグナムの剣は薬莢を排出し炎をまとってリニスに迫る。リニスはとっさにステッキを掲げることでそれを防ごうとするが、シグナムが渾身を込めて放った必殺の一撃がそれだけで防ぐことができるはずもなく、ステッキは高い音を立てながら砕け落ちる。リニスは慌ててステッキの先端についていた金色の球を掴み取った。

 そこへ更なる一撃が襲い掛かってくる。

 

「テートリヒ・シュラーク!」

 

 ヴィータの槌もまた薬莢を排出し風を切り裂きながらリニスに迫る。ステッキを失ったことと魔具の本体を回収することに気を取られたリニスにそれを防ぐ術はなく、ヴィータの槌がそのままリニスの頭に振り下ろされ辺りに鈍い音が響き、さすがの彼女たちもそこで攻撃の手を緩めた。

 ここでリニスに死んでもらっては困る。彼女はここで生け捕りにして主や仲間のことを喋らせねばならないし、闇の書の頁を増やすためにはここで彼女の魔力を回収しなくてはならない。

 シグナムは後ろを振り返りながら叫んだ。

 

「シャマル!」

「ええっ!」

 

 シャマルがそれに応えると、彼女の指にはまっていた四つの指輪は長い紐に変化して大きな輪を作る。それを見て思わず――

 

やめろシャマル! 今は無闇に頁を集めるな!」

「えっ――!?」

 

 俺が叫ぶとシャマルは驚いた顔をしてこちらを見、輪の中に入れようとした手を止める。

 

(この子、なんで私の名前と頁の事を? それに……)

(左右異なる瞳にあの口調……まさか)

(似ている……年も髪も左眼の色も違うけど、顔つきとかはかなり。でもあいつは……)

(この少年は一体……)

 

 言葉をかけられたシャマルを始め、シグナムとヴィータも唖然としながら俺の方を見、ザフィーラも大きく張った目で俺を見つめていた。

 しかし、ヴィータはすぐに気を取り直し、顔を振りながら怒鳴ってきた。

 

「うっせえ! お前に指図されるいわれはねえ! あたしらに命令できるのは《闇の書の主》――そこの女だけなんだからな!」

 

 ヴィータに指さされ、はやては「えっ、私?」と自分を指さしながら声を上げる。相変わらず、主に対してもぞんざいな口の利き方と振る舞いをする奴だ。案の定シグナムから「無礼が過ぎるぞ」と注意が飛んでくる。

 そこでザフィーラがふと上を見上げて、

 

「――上だ! お前たち、上を見ろ!」

 

 ザフィーラの鋭い声に俺たちは上空を見る。そこには頭から血を流しているリニスが浮いていた。

 

(やはりまともにやり合っては勝ち目がない。ここはもうあの大魔法であの魔導師たちを一掃するしか……しかし、ここからだと子供たちまで巻き込んでしまう。それにあのお方のお体にまで負担が……でも、ここを切り抜けるにはもうこれしか……)

 

 リニスは厳しい表情で俺たちをしばらく見下してから口を開き始める。その声は小さく、聞き取ることができない。俺たちに向けて言ったものではないようだ。

 

 

 

 

 

 

「我が主、あなたから授かった使命を果たすため、今一度(ひとたび)だけあなたから力をお借りすることをお許しください」

 

 眼下にいる健斗たちに聞こえない声でリニスが唱えるように言うと、彼女の体に大きな魔力が宿ってくる。大魔法を放つのに必要な魔力が主から送られているのだ。

 

 

 

 

 

 

 上空にいるリニスが何事かつぶやくと、魔力反応が彼女から漏れてくるのを感じる。明らかにさっきまでとは違う。

 シグナムもそれを感じ取ったのか、他の騎士に向けて叫んだ。

 

「皆、構えろ! あそこから攻撃してくるつもりだぞ! シャマルとザフィーラは急いで結界を張って主たちをお守りしろ!」

「ああっ!」

「ええっ!」

 

 シャマルとザフィーラはそう応えながら手をかざし、それぞれ緑色の障壁と白い障壁を張る。しかし、それを見てもリニスは攻撃を止めようとしない。リニスが仕掛けてくる攻撃は彼らの結界を破るほどのものだというのか?

 一方、シグナムとヴィータは身を守ろうとするそぶりを見せず、ただ空中にいるリニスを見据える。

 

「……ヴィータ、いいな」

「ああ。いざとなったらどちらかの身と引き換えにあの女を仕留めんぞ」

 

 その言葉を聞いてはやては思わず目を見開いた。

 

「どちらかと引き換えってまさか……冗談やろ?」

 

 その問いに二人は答えずリニスを睨み続ける。

 リニスの足元に円状の魔法陣が浮かび、彼女はバルバロッサの本体である黄色い球を持って俺たちに向けて告げる。

 

「もう一度だけ言います。ジュエルシードと闇の書を渡してください! そうすればあなた方にこれ以上の危害は加えません。ですが、これだけ言ってもシードと書を渡さないというなら……」

 

 そこで彼女が持つ黄色い球が淡く輝くが俺たちは応えずにリニスを睨む。その中でただ一人はやてが何か言おうとするものの、俺が手で制すると言葉を引っ込めた。

 リニスは厳しい目で俺たちを見下ろし、「そうですか」と言った。

 そして彼女は詠唱を唱え始める。

 

「煌めきたる天神、いま導きのもと降りきたれ。撃つは雷、響くは轟雷……」

 

 リニスが詠唱を唱えて行くごとに魔法陣とバルバロッサの本体の輝きが増す。そしてリニスは片手を上に掲げ――

 

「サンダー――」

《ゴホッ! ゴホ、ゴホッ!》

「――!」

 

 だがそこで急にリニスは手を引っ込めた。途端に魔法陣は消えバルバロッサも輝きを失う。

 俺たちは怪訝な顔でリニスを見上げる。しかしリニスは苦い表情を作るだけだった。

 

(やはり、今のあのお方ではこれほどの魔法に耐えることが――仕方ありません!)

 

 そこでリニスはバルバロッサの本体を前に突き出して俺たちに向ける。

 バルバロッサは激しく光り輝いて辺りを照らし、俺たちの視界は真っ白に塗りつぶされる。

 俺は目を閉じて光を防ぐとともに聴覚を研ぎ澄ませリニスの気配を探った。

 

 しかしいつまで経ってもリニスが迫ってくることはなく、やがて光が収まって俺たちが目を開くと空中からリニスの姿は消えていた。辺りの風景も結界が張られる前に戻り人々の賑わいや物音が聞こえてくる。

 そこで俺たちはようやくリニスが逃げた事に気付いた。

 

「ちっ、あの野郎、怖気づいて逃げやがったか。もう少しでとっ捕まえてやるとこだったのに!」

 

 ヴィータはそう毒づいて拳をもう片手の平にぶつけ、パンという軽快な音を出す。しかしそれは、絶体絶命の危機を生き延びることができたことからの安堵を誤魔化すための強がりでもあるのだろう。長い間彼女と戦ってきた他の騎士やかつて主だった男の生まれ変わりでもある俺にはそれがわかった。

 シグナムはヴィータを見てふっと笑みを浮かべてから、表情を戻しはやての方に歩み寄る。

 

「主、お怪我はありませんか? 我々がついていながらこのような目に合わせてしまい、誠に申し訳ありません!」

 

 そう言ってひざまずき頭を下げるシグナムにはやては両手をぱたぱたと振りながら、

 

「え、ええですよ別に! こうして無事でいられたし。むしろあなたたちのおかげで助かりました。ほんまにありがとう!」

「い、いえ! 主を守る騎士として当然のことです!」

 

 責めるどころか礼を言いながら微笑むはやてに、シグナムは目をぱちくりさせながらそう返す。そんな彼女にはやては、

 

「せやから頭を上げて、膝をつくのもやめてくれませんか。こんなとこ人に見られたら恥ずかしいし」

 

 そう言ってはやてはきょろきょろと辺りを見回し、シグナムは彼女に言われた通り腰を上げて立ち上がる。

 リニスが張った結界は当人が逃げたことにより解除されており、いつここに人が現れるかわかったものではない。ただでさえ守護騎士たちは変わった服を着ており目立ってしまう。それに加えてザフィーラは狼の耳と尻尾を出している状態だ。

 ようするに俺もはやても誰かに見つかる前に一刻も早くこの場を去りたかった。俺は一度咳払いをして皆の視線を集めてから、

 

「とりあえずここは一度家に戻らないか? いつまでもこんな所にいるわけにもいかないし、お互い色々話さなければならないこともあるだろう」

「そ、そうやな! リニスって人もいなくなったし、そろそろうちで落ち着きたいわ。皆さんも一休みしたいでしょ?」

 

 はやての問いに騎士たちはきょとんとするも、戸惑う彼らの中からシグナムが進み出てきて口を開いた。

 

「主がそうおっしゃられるのなら我々はそれについて行くだけです。どこへなりとお供いたします。我が主」

「主ってそんな……私はそこらにいるただの女の子ですよ」

 

 シグナムの物言いに今度ははやてが戸惑って片手を振りながらそれを否定する。しかしシグナムが彼女への態度を曲げることはないだろう。そのことは俺がよくわかっている。

 一方、シグナムやザフィーラとは正反対に、主に対してもとげとげしい態度を隠さないヴィータはじっとはやてや俺の方を見ていた。

 

(今度の主は変わった奴だな。あたしらに礼を言ったり休まないか尋ねてくるなんて……こんな主あいつ以来だ。それに主のそばにいるガキは何だ? オッドアイといい振る舞いといい、色々なとこがあいつにそっくりだ。でもあいつはあの時ゆりかごの攻撃で死んじまったはずだし、あんなガキでもなかったはず……それに何でだ、主ほどじゃねえけどあいつの言うことは聞かなきゃいけないような気がする。この感覚は一体?)

「ほんならそろそろおうちへ帰るか。皆さんも遠慮なくついてきて――」

 

 そう言って歩き出そうとしたところではやては足をつまずかせる。俺は慌てて彼女を受け止めた。

 

「大丈夫か?」

「あっ、ごめん。安心したせいかな。ちょっと足がすくみかけたわ」

 

 はやてが歩けそうなのを確認して、俺は彼女から手を離す。

 はやては俺と肩を並べて歩きだし、騎士たちもそれに続いてくる。そうして俺たちは守護騎士を連れてはやての家に戻ることになった。

 しかし足か、まさか……

 

(なんでやろう? 一瞬足に力が入らんようになって……もしかして)

 

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、健斗たちがいた所のそばから仮面をかぶった男が現れた。一週間前も遠くから健斗を観察していた男だ。

 彼は健斗とはやて、そして守護騎士たちの背中を見送りながら、あごに手をやり思案を巡らせる。

 

(守護騎士が現れたか。予定とはかなり違う形だがこれで次の段階に進めるな。しかし八神はやても不憫だな。それが結果的に自らの寿命を縮める羽目になるのだから。……だが、ここにきて闇の書を狙う者が現れるというのは想定外の出来事だな。主とやらや仲間もろとも消すか? ……いや、闇の書を奪おうと、あれは主でも使うことができない代物だ。むしろああいう輩は何か使い道があるかもしれん……ここは一旦あのお方に指示を仰いでみるか)

 

 そこまで考えてから男は一瞬にしてその場からかき消えた。まるで最初から誰もいなかったかのように。



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第13話 同居

 ジュエルシードと闇の書を求めて突然襲撃してきたリニスを退けて、俺とはやては夜天の魔導書から現れた守護騎士たちを連れてはやての家へと戻る。

 その道中で、はやてにつられたふりをして久しぶりに再会した守護騎士たちを見て思ったのは……。

 

 でかい、ヴィータ以外みんなでかく見える。そのヴィータも俺と頭一つ分しか違わない。

 

 考えてみたら当たり前なのだが、魔導書の主だった頃の俺は18歳なのに対し、今の俺はその半分にも届かない齢で、背丈もあの頃に比べたらはるかに小さい。

 かつてはザフィーラ以外みんな俺より背が低かったが、今では俺より低いのがヴィータしかいない。まるでコ○ンのような状態だ。

 他の事に対しては前世の記憶を取り戻す前というクッションがあったから違和感を覚えずに済んだが、さすがに前世で一緒に過ごした人たちと並んで立つと違和感を感じずにいられない。あの名探偵は小さくされてから一日も経たずに、よく近所の博士や幼なじみに平然と接することができたものだと思う。

 これは“彼女”と会った時もそれ相応の心の用意をしておいた方がよさそうだな。

 

 永い時を越えて再会した守護騎士たちを見ながら、そんなことを俺は考えていた。

 

 

 

 

 

 

 家に戻ってからはやては守護騎士たちをリビングに通しながら置いてきたままのスマホを拾って、さくらさんに「遠方から来た親戚の相手をしなくてはいけなくなったので今日はもう迎えに来なくていい」と言ってから皆をソファに座らせて麦茶を出して、自身もソファに座って口を開いた。

 

「それじゃあ改めて……私はこの家に住んでいる八神はやてです。さっきは危ないところを助けてくれて本当にありがとうございます」

 

 そう言って頭を下げる主にシグナムは戸惑うそぶりをしながら、

 

「い、いえ、先ほども申しましたが、主を守る騎士として当然のこと。礼など不要です。それに我らに対して敬語なども使う必要はありません。主として堂々とお振る舞いください」

「主って、私そんなに偉い人ちゃうよ。……ま、まあ、ひとまずお言葉に甘えて普通に喋らせてもらうな。ええと……」

「《剣の騎士》シグナムです。将として守護騎士を束ねながら主はやてにお仕えします。どうかお見知りおきを」

 

 そう言ってシグナムはひざまづかん勢いで頭を下げる。それにはやては手を振りながら何か言おうとするが、それをさえぎるようにヴィータたちが口を開き始めた。

 

「《鉄槌の騎士》ヴィータだ。いちいち敬語なんて使ってたら話しにくいからこの喋り方で話させてもらうぞ。それが気に障るんならあんたの前ではなるべく喋らねえようにする」

 

 ソファの上であぐらをかいてそんなことを言うヴィータにはやては、

 

「い、いやいや! 別に敬語じゃなくてかまへんよ! っていうかその話し方の方が私も気が楽やし、いっぱいお喋りしよなヴィータちゃん!」

「ちゃんなんかつけんじゃねえ! ヴィータって呼べ! 次に余計な敬称付けたら絶対口きかねえからな!」

 

 主に当たるはずのはやてに対してヴィータは怒声を上げる。

 シャマルはその隣でくすくす笑い声を上げていたが、はやてからの視線に気付いてはっとしながら名乗り出る。

 

「――し、失礼しました! 《湖の騎士》シャマルです。他の三人のように戦いの役に立つことはできませんが、参謀として他の騎士たちへの指示や支援を行いますので、よろしくお願いします主はやて!」

「《盾の守護獣》ザフィーラ。この呼び名にかけて何者であろうと主には指一本触れさせません」

 

 残る二人が名乗りを終えるとはやては恐縮した様子で、

 

「よ、よろしくお願いします」

 

 とだけ答えた。

 今まで敬語なんてほとんど使われたことがなかったのに、いきなり主などと呼ばれたらこうなるか。少しずつでも慣れてもらうしかない。

 

 さて、最後は俺か……ここで前世と同じ名前を言っていいものなのか迷うが、まあこの姿を見ても気付かれていないみたいだし、今更名前くらい言っても変わらないか。

 

「俺は御神健斗。はやての友達でよくこの家に遊びに来ているから守護騎士の皆さんともちょくちょく会うことになると思いますので、どうかよろしくお願いします」

 

 そう自己紹介をすると騎士たちはピクリと眉を吊り上げる。

 

(けんと、か……やっぱりこいつ)

(あの方と同じ名前か。オッドアイといい、やはり似ているな)

(この子、まだ名乗ってもいないのに私の名前を知っていたし闇の書の頁の事だって……でもまさかね。あの方がこんな子供になって生きているはずがない。あれから何百年も経っているし)

(だが見た目だけではなく匂いまでまったく同じだ。こんな偶然など果たしてあるのか?)

 

 騎士たちはじっと俺を見る。その視線に俺は苦笑いを返すしかなかった。

 そこではやては闇の書を抱えるように持ちながら、

 

「ところでリニスって人も言ってたんやけど、闇の書やジュエルシードって一体何なん? これらがただの本や石じゃないってことはよくわかったけど」

 

 そう言ってはやては騎士たちの方を見る。確かにこんな騎士たちが出てくるような本がただの本なわけがない。人を怪物に変え、リニスのような者が狙っているジュエルシードについてもしかりだ。

 将として主からの問いに答えるべく、シグナムが口を開いた。

 

「では、私から簡単に説明させていただきます。

 《闇の書》は、『ベルカ』というこの世界とは別の世界で作られた魔導書で、他の魔導師や魔法生物から魔力を集めていくことで頁が埋まっていき、666すべてを頁を埋めて完成させた暁には所有者たる主に莫大な力をもたらす書物です。

 その力をもってすれば叶えられない望みなどほとんどないでしょう。死者の蘇生や時間への干渉などよほど途方もない望みでなければ、おそらくどのようなことでも」

「……ようするに、完成させればたいがいの願いが叶う本っちゅうことか。リニスさんがあそこまでして欲しがる理由がやっとわかったわ。……でも、何でそんなもんがうちにあるん? この本、私が物心ついた時から書斎の棚にあったんやけど」

 

 はやての問いにシャマルが言った。

 

「おそらく、主はやてに魔導師として優れた資質がおありだからではないでしょうか。闇の書は優れた魔導師やその資質を持つお方のもとへ現れますので」

「優れた魔導師って私が? けど、魔法なんて私今まで一度も使えたことないよ。何かの間違いと違う? 健斗君ならともかく」

 

 はやてがそう言うと騎士たちはほうという声が漏れそうな顔を俺に向ける。

 ヴィータも俺を見ながら、

 

「へえ、お前魔法が使えんのかよ。魔法がまったく使われてない世界じゃあ珍しいな」

「そう! そうやねん! 私も初めて見てびっくりしたわ! 何もないところから突然赤いナイフを取り出したりして。あんなこと、いつの間にできるようになったんや?」

「赤いナイフ、だと?」

 

 はやてがそう言うとシグナムは俺を見ながらそんな言葉を漏らす。

 そんな彼女たちに俺は――

 

「……そ、それはだな……リニスをびびらせようと、以前見たアニメの真似をしたら偶然できたんだ。あの時は俺も正直驚いた。まさかあんな物が出てくるなんて」

 

 何とかそんな言い訳を搾り出すものの、はやてや騎士たちは、

 

(絶対嘘やわ。前の時もおかしな呪文唱えてたし、リニスさんと言い争ってた時も闇の書のこと知ってるようなこと言ってたもん)

(魔法を使うには複雑な構築式や変換コードを頭に入れておかねばならないのだが、そんなものを何かの真似をして偶然できるものなのか? それに赤いナイフなどまるで……)

 

 視線が冷たい。明らかに信じていない目だ。

 はやてはため息をついてシグナムの方を向きながら言った。

 

「……まあええわ。じゃあジュエルシードっていう石は何なん? こっちの方は一週間くらい前に、健斗君が手に入れたものやねんけど」

「それについては私にもわかりません。その石に強い魔力が込められているのはわかるのですが」

「たぶん《ロストロギア》って奴だろう」

「ロスト……ロギア?」

 

 両腕を首の後ろに回した格好のヴィータが言った言葉を復唱しながら、はやては首を斜めに傾ける。そんな主にシャマルが言った。

 

「ロストロギアとは、消滅してしまった世界や文明から発見された遺産のことです。そのジュエルシードという石もどこかの世界から流れ込んだものでしょう」

 

 ロストロギアか、それなら前世でも聞いたことがあるな。闇の書や聖王のゆりかごが一部でそう呼ばれていた。もっとも、どちらも実在が疑われていたからロストロギアという言葉を知る者さえ滅多にいなかったが。

 

 俺が過去を思い返しているところで、シグナムは身を乗り出しながらはやてに尋ねる。

 

「それでいかがいたしましょう? 主はやてがお命じ頂ければ、我々はすぐにでも闇の書の頁を蒐集しに行きますが」

 

 それを聞いて俺はついに来たかと身を固くした。

 はたしてはやてはなんと答えるだろうか? もしはやてが騎士たちに頁の蒐集を命じた場合、俺はどう言って彼女たちを止めるべきだろうか? 

 俺の気も知らずヴィータは不機嫌そうに言う。

 

「さっきはこいつが妨害したせいで蒐集できなかったけどな。まったく。あの女なら3、40ページはいっただろうし、とっ捕まえたら色々吐かせることもできただろうに」

「……」

 

 そんな恨み言にぶつけられるも俺は何も言い返さずにいる。

 黙ったままの俺に対してヴィータが何か言おうとするものの、はやてが口を開こうとしていることに気付いてその言葉を飲み込んだ。

 

「シグナムさん、一つ聞いてもええか?」

「はい。何なりと」

「例えば……例えばなんやけど、もし私の足が動かなくなるようなことがあっても、闇の書の力があれば治ると思う?」

 

 その言葉に俺はハッとする。やはりさっきのは……。

 シグナムも察したようで、はやての足に目をやりながら答える。

 

「その程度完成した闇の書なら容易にできるはずです……足がお悪いのですか?」

「――う、ううん! ちゃうちゃう! 確かにずっと前に一度だけ動かんようになったことはあるけどな、今は何ともないよ! 例えばの話や!」

 

 はやては両手をぶんぶん振りながらそう答える。はやての顔と手はやや俺の方に向けられており、シグナムよりどちらかというと俺に言っているようでもあった。

 そんなはやてにシグナムは釈然としない顔をしながらも頭を下げて言った。

 

「そうでしたか。出過ぎたことを言いました、お許しください。……それで、闇の書の頁の蒐集はいかがいたしましょう? 段取りや蒐集する対象などはどのようにすれば」

 

 その問いを聞いた瞬間俺の体に緊張が走った。守護騎士たちに対してはやては何と言うつもりなのか。

 はやては自分の足に目を落とした後、心の中の誘惑をを吹っ切るようにふるふると首を横に振って言った。

 

「……ううん、私は闇の書を完成させる気はない」

「はっ――?」

「本気ですか? 主はやて」

 

 ヴィータとシグナムからそんな声が上がる。他の二人もぽかんと口を空けていた。

 そんな守護騎士たちを前にはやては言葉を続ける。

 

「さっきシグナムは、闇の書のページを集めるには多くの魔導師や生き物から魔力を集める必要があるって言ってたやろう」

 

 その言葉にシグナムは「はい」とうなずいた。はやてはそれを受けて、

 

「だったらあかんよ。例え体を治すためやとしても、自分の身勝手で他の人を襲うようなことしたらあかん。そんなことをしてまで私は闇の書を完成させたくない」

 

 それを聞いて守護騎士たちは唖然とし、リビングに長い沈黙が流れる。

 それはそうだ。歴代の主の中で闇の書の完成を望まない者などはやてが初めてに違いない。かつての俺(ケント)を含めて、多くの所有者が莫大な力を求めて闇の書を完成させようとしたのだから。

 

 守護騎士たちが戸惑う中、俺はほっと息を吐く。

 やはりはやては莫大な力に目がくらんで闇の書を完成させようとする奴じゃなかった。

 それぐらいわかっているつもりではいたが、はやてだって闇の書の力で叶えたいことぐらいあるのではないかとは思っていたし、足の事を言った時はまさかとは思ったが、どうやら杞憂だったようだ。

 

 もちろん、それですべてが丸く収まったなどとは露ほども思っていないが。

 

 

 

 

 

 はやてが闇の書の蒐集をしないと告げてから、騎士たちは顔を見合わせたり本当にいいのかと窺うようにはやての方を見るが、はやては笑みを返すだけだ。

 やがてシグナムはぽつりと言った。

 

「では主はやて、我々は一体どうすれば? 頁の蒐集を行わない以上我々がすることは何も……」

 

 するとはやては手を合わせながら、

 

「それやねんけどな、うちは両親がいなくて私一人だけやねん。後見人のおじさんが用意してくれたヘルパーさんが来てくれるし、健斗君や他の友達もよく訪ねてきてくれるけど、やっぱり一人やとさみしい日もあるし怖い時もあるんよ。

 ……それで、もしよかったら、私と一緒にこの家に住んでくれんかな?」

「えっ?」

「はあっ!?」

 

 はやての言葉にまたもやシグナムとヴィータは驚きの声を上げて、ザフィーラも目を見張る。

 

「私たちが主と一緒にこの家に住む、だけですか?」

 

 シャマルの問いかけにはやてはうんとうなずく。

 

「そう、それだけや。それだけでもすごく助かる。それにな、私が知っている限り騎士っていうのはご主人様のそばにいて守るもんやと思うんやけど……違ったかな?」

 

 はやては不安そうな声色でそう尋ねる。それにシグナムは首を横に振って、

 

「……いえ、主のおっしゃる通りです」

 

 そう言いながらシグナムは覚めたような顔になってはやてを見る。

 主のそばにいてその身を守るもの。それが本来騎士のあるべき姿であり、シグナム自身が憧れた姿だったのかもしれない。

 しかし、気が遠くなるほどの年月を頁の蒐集に費やすあまり、それを忘れてしまっていた。一時期は主君(かつての主)より騎士の位を与えられ、憧れていた通りの騎士として主や力なき民を守っていたにもかかわらず。

 シグナムはしばらくして再び口を開き、

 

「主はやてがそれをお望みなら我々はあなたの近くにこの身を置き、その身をお守りしましょう。騎士の剣にかけて……お前たちも異存はないな?」

 

 そう言ってシグナムは他の騎士たちを見回す。それを受けて……

 

「まっ、今の主が頁の蒐集をしないっていうなら、あたしらがそれをとやかく言うことはできねえ。ここに住むっていうのも文句はねえよ。むしろありがたいくらいだ」

「そうね。頁の蒐集はしないにしても、私も主のそばを離れるべきではないと思うわ。あれくらいでリニスって人が闇の書を諦めるとは思えないし」

「同感だな。それに主や健斗が言っていた通りなら、リニスの後ろには主という者がいるらしい。はったりという可能性もあるが、奴一人だけだと決めつける方がかえって危険だろう」

 

 ザフィーラの言葉に続いて俺も、

 

「ああ。俺もあいつが言っていたことが嘘やはったりとは思えない。リニス自身はジュエルシードや闇の書を強奪することに乗り気じゃなかったみたいだし、それを命じた主がいるというのは本当だと思う。だとすれば他にも……」

「その主って奴の手下――リニスの仲間がいるかもしれねえってことだな」

 

 ヴィータの言葉に俺はこくりとうなずく。しかしそこでヴィータは顔をぷいとそむけた。彼女を怒らせるような事でも言ってしまっただろうか?

 

(ちっ、主の友達だからって、なんであたしが初対面のガキと話なんか……やっぱりこいつを見てると調子が狂っちまう)

 

 不機嫌そうに鼻をフンと鳴らすヴィータの事はひとまず置いてといて、俺にはやてに向き直って尋ねる。

 

「しかし大丈夫か? いきなりこの四人と同居なんて、食費とか色々お金がかかると思うが」

 

 するとはやては手をひらひら振って、

 

「ああ、それは大丈夫や。3年生になっていろいろお金がかかるやろうって、今月からおじさんが生活費を多めに送ってくれるおかげで結構余裕があるんや。やからシグナムさんたちの食費くらいどうにかなると思う。なんなら健斗君もうちで一緒に暮らすか? 私は全然かまへんよ」

「バカ、それじゃあ母さんはどうするんだよ。あの人一人だけじゃまたろくなもん食わなくなるぞ」

 

 俺がそう言うとはやてはわざとらしく「そやったそやった」と言いながら舌を出して笑った。

 

 それを言うなら、むしろはやての方が俺たちの家に来てもらうべきだと思う。だが、はやての生活の援助をしている“グリムおじさん”がいるためにそれもままならない。母さんもグリムさんに会って、はやてをうちに引き取ることができないか話がしたいと言っていたが、世界各地を転々としているらしく連絡を取ることすらできないとこぼしていた。

 もっとも母さん自身も海外出張が多く、そのたびに俺を高町家に預けているため、あまり強くは出られないみたいだが。

 

 しかし、こうやって考えてみると妙に引っ掛かる。生活費の急な増額といい何か変だ。……考えすぎか?

 

 

 

「じゃあ、そうと決まったらさっそく準備しよっか。みんなはちょっとここで待っててな!」

 

 はやてはいきなりそう言い出すとソファから立ち上がってリビングから出て行き、たたたと階段を駆け上げる音を響かせる。それに騎士たちは顔を見合わせて首をかしげたり、俺に尋ねるような視線を向ける。しかし、はやてが何をしようとしているのか俺にもさっぱりわからず、肩をすくめることしかできなかった。

 それからすぐに階段を駆け下りる音を響かせながら、はやてはリビングに戻ってきた。その手には二つのメジャーが握られている。そこでようやく俺は彼女の意図を察した。しかし騎士たちは主が何をしようとしているのかがまだわからず呆気にとられたままだ。

 

「それじゃあさっそくみんなのサイズを測ろうか。その服のままやと外にも出られんやろ。私はここで女の子たちのサイズを測るから健斗君は別の部屋でザフィーラのサイズを測っといてくれん?」

 

 そう言ってはやては俺にメジャーを渡してくる。それを受け取りながら、

 

「ああ。それはいいが、俺たちもここで測っちゃ駄目なのか? 別に体のサイズを測るぐらいで裸になるわけじゃないんだし」

 

 するとはやてを始めとする女性陣は呆れた目で俺を見る。隣にいるザフィーラまで呆れたようなため息をついているようだ。なぜだと思って首をひねっていると、

 

「あちゃー、相変わらず健斗君はそういうところが鈍いなー。あのな、男の子は服をちょっとずらすだけで済むのかもしれんけど、女の子はブラを買うために胸のサイズまで測る必要があるんやで。服着たまま胸を測れると思うか?」

「あっ!」

 

 そういえばそうか。シグナムやシャマルならブラジャーは必須だ。それを買うために彼女たちの胸は測っておかなくてはならないだろう。ヴィータはまだ必要ないと思うが――

「おいてめえ、今なんか失礼なこと考えてただろう」

「い、いやいや、別に何も考えてない!」

 

 凄んでくるヴィータに対して思わず俺はそう言った。なんでこういう時は鋭いんだ?

 

「そういうわけやから健斗君は別の部屋でザフィーラの体を測ってほしいな。できれば二つ以上離れた部屋で。間違っても覗いたりしたらいかんよ。でないと……」

 

 はやてがそう言うと他の女性陣は冷たい視線を俺に向けてくる。シグナムやシャマルはともかく、ヴィータならまじで()りにきかねない。

 

「わ、わかったわかった! 俺は離れた部屋でザフィーラを測る。行くぞザフィーラ!」

「うむ、任せた」

 

 

 

 そう言ってザフィーラとともに慌ててリビングから出て行く健斗を見ながらシグナムたちは、

 

《なあ、あの健斗という少年だが……》

《ああ。見た目といい、ああいう鈍いとこといい》

《似てるわよね。あの方に》

 

 そう思って三人がかつての主を思い出そうとしているところではやての声が響いてきた。

 

「じゃ、男子たちがいなくなったところで早速みんなのサイズを測るで! さあ脱いだ脱いだ!」

「えっ!? いきなりですか? こういう時って体を測りながら徐々に脱いでいくものじゃ?」

「何言うてんねん! どうせ胸測る時にほとんど脱ぐんやから今脱いでもおんなじことや。健斗君もあれだけ脅かしとけば覗こうなんて考えんやろうし、男子たちの事は気にせんで大胆にいこう!」

 

 手をワキワキさせながら迫るはやてに女性陣は思わず身の危険を感じる。それにヴィータは呆れたため息を吐きながら、また変な主のもとに来たなと思わざるにはいられなかった。

 

 なお、この日を境にはやては胸揉みに目覚め、巨乳に見とれる男心にも理解を示すようになったという。

 

 

 

 

 

 

 その夜、海鳴市の隣の遠見市にあるマンションの一室にリニス()()の姿はあった。

 同居人が帰ってきたことに気付いて、リニスは家事で濡れた手をエプロンで拭いながら玄関に向かう。そこには黒い私服の少女と赤い狼がいた。

 リニスは少女の方に声をかける。

 

「お帰りなさいフェイト。どうでしたか、ジュエルシードの探索は?」

 

 リニスに問われると少女、フェイトは淡い笑みを浮かべて口を開く。

 

「少し邪魔が入ったけど大丈夫だったよ。ちゃんと手に入れてきた。《ジュエルシード・シリアルXIV》を」

 

 フェイトの報告に赤い狼、アルフは嬉しそうな鳴き声を上げ、リニスも笑みを浮かべた。

 

「そうですか。さすがフェイトです。教師として私も鼻が高いですよ……アルフの方は?」

「私の方は全然見つからなかったよ。あんたの方は?」

 

 リニスの問いにアルフは首を横に振りながらそう答えリニスに聞き返した。人間が発するものとまったく同じ言葉を話しながら。

 リニスはそれに驚くことなく苦笑いをしながら、

 

「面目ありません。私の方は見つけることはできたのですが、失敗してしまいました。こちらも思わぬ邪魔が入ってしまいまして」

「リニスの方にも? それに……」

「あんたが失敗しただって? 邪魔したのっていったいどんな奴だい?」

 

 思いがけない事実にフェイトとアルフは驚く。

 そんな二人にリニスは口を開いた。

 

「闇の書から現れた、守護騎士と名乗る四人組です。そしてあと一人はフェイトくらいの齢の男の子でした。時折私より速く動くことができる子で、何らかの技能(スキル)だとは思うのですが」

「守護騎士、それに私ぐらいの男の子がリニスを……」

「へえ……」

 

 師が追い詰められたという事実にフェイトは胸をぎゅっとつかみ、アルフは獰猛に目を光らせる。そんな彼女たちにリニスは言った。

 

「大丈夫です。私だって大魔導師と名高いあのお方に仕える使い魔。その気になれば闇の書やジュエルシードを手に入れることくらい簡単な事です。フェイトとアルフもその時が来たら……わかっていますね」

 

 リニスの問いにフェイトはこくりとうなずく。

 

「うん。多分ジュエルシードのいくつかは、今日邪魔をしに来たあの白い服の子が持っている。でも大丈夫だよ、その時は……迷わないから」

「ええ、いい子たちです。フェイトも、アルフも」

 

 リニスはそう言ってフェイトの頭を撫でる。フェイトはくすぐったそうにしながらまんざらでもない顔でそれを受けてから、しばらくして顔を上げた。

 フェイトの視線の先――部屋の上には額に入れられた写真があった。

 そこには優しそうな長い黒髪の女性と、緑色のワンピースを着たフェイトに瓜二つの少女が映っていた。

 フェイトは写真の向こうにいる黒髪の女性に心の中で告げる。

 

(待ってて母さん……すぐに帰ります)



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第14話 日常

 守護騎士たちがはやてと共に暮らすようになってから数日後。

 

 

 

「健斗君、ちょっとええか?」

「んっ? どうした?」

 

 授業が終わって休み時間になるなり、はやてに呼ばれて俺は彼女に聞き返す。

 するとはやては……

 

「鎧のデザインについて考えてるんやけど、健斗君の意見も聞かしてくれんかな?」

「鎧だと……?」

 

 はやての口から出てきた思いもよらない単語に、俺はつい怪訝そうな声を漏らしてしまう。そんな俺にはやては「そうや」とうなずいてから、声を潜めて言った。

 

「リニスさんみたいに闇の書を狙っている人がまた来た時とかに備えて、シグナムやシャマルから《騎士甲冑》いうのを作ってほしいって頼まれたんやけど、甲冑とかようわからんから健斗君の意見を聞いてみたいと思ってな。男の子って鎧とか結構好きやろ?」

 

 騎士甲冑か。守護騎士たちの武器は最初からあったようだが、甲冑は毎回主が考えそれに沿って魔力で作られた鎧を身に付けて、騎士たちは戦いに赴くのだ。

 そういえば俺も守護騎士の主だった頃は、彼女たちの騎士甲冑を考えていたこともあったな。

 

「鎧か……」

 

 懐かしく思いながら俺は腕を組んで考える。

 前世の頃に騎士たちに着せていた黒鎧をもう一度着せるのはあまりにも味気ない。折角の機会だし、あいつらが新しい鎧を着た所を見てみたいところだ。あんな黒鎧を提案してもはやては却下するだろうしな。しかしさすがに一から考えるのは俺でも難しい。

 そう悩んでいると……

 

「鎧だって? 二人して何を話しているのかと思えば、鎧なんかの話をしていたのかよ」

 

 呑気そうな声に俺とはやてはそちらに顔を向ける。

 そこには案の定、俺とはやての友達にして俺たち三人組の残る一人――赤星雄一がいた。

 彼を見て俺たちは一瞬ギクリとするものの、守護騎士の話は聞こえていなかったようで、男女顔を付き合わせながら鎧なんかの話をしている俺たちに雄一は呆れた顔を見せる。

 そんな雄一に対して俺は何でもないように答えた。

 

「ああ。最近見たFa○eっていうアニメの影響で鎧とかにはまってて」

「そうそう。それでセ○バーのような女騎士が着ている鎧を一度見てみたいと思っててな。雄一君の家にはそういう鎧とかないかな? 雄一君んちは代々続く剣道一家やったやろ」

 

 でまかせを吐きながらそんなことを問いかけるはやてに雄一は……

 

「そりゃ俺の家やおじさんとこには鎧もいくつかあったと思うけど、女が着る鎧なんてまずないぜ。そもそも歴史上何人かいた女武将だって男の武将が着ていた鎧を胸当てを当てたりしてそのまま使い回していただけだ。女が着るための鎧なんて実際にはほとんどないんじゃないかな」

「そっか、それはつまらん話やな(それじゃ面白くないやんか! 特に胸当てなんか絶対あかん。そんなもん付けたらシグナムやシャマルの胸が見えんようになってまう!)」

 

 雄一の話を聞いてはやては肩を落とす。

 そんなはやてに雄一は続けて言った。

 

「まあ、女の剣士や戦士用の鎧なんてそれこそアニメや漫画にしかないだろうな。それでも実際に見てみたいんならおもちゃ屋とかでフィギュアでも探すしかないんじゃないか。この近くのデパートにも『といざるす』って店があっただろう」

「ああ、あそこか。小っちゃい頃は健斗君と一緒に美沙斗さんに連れて行ってもらってたなぁ。小学校に上がって健斗君が突然大人びるようになってからは行かなくなったけど。……でも確かにあそこなら騎士甲冑を作るヒントになりそうなものがあるかもな」

 

 はやては感慨深そうに二年以上前までの思い出をふけってからつぶやく。唐突に幼い頃の思い出を暴露され俺は気恥ずかしさからつい下を向き、そんな俺の隣で雄一はこらえるような笑い声を漏らしていた。……今日こいつには弁当を分けないようにはやてに言っておくとしよう。

 

 そんな事を考えていると――

 

《健斗、私だ。どうだ、そっちの様子は? 主はやての身に何か起きたりはしていないか?》

 

 突然脳裏に届いて来たシグナムの声に、俺は声に出さず思念だけで返事を返す。

 

《今のところはいつも通り。俺もはやても平穏に過ごせているよ。結界が張られそうな様子もない。そんな気配があったらシグナムも気付くだろうけど》

《無論だ。そんな気配私が見落とすはずがない。では私は引き続き学校の外から見張っている。健斗は今まで通り主の側についていてくれ》

《わかった》

 

 そう伝えるとシグナムはすぐに思念通話を切っていった。

 

 現在、学校の近くにはシグナムと犬(?)の姿になっているザフィーラがいて、異常が起こらないか見張ってくれている。そしてはやての近くにはこれまで通り俺がついてやっている。

 

 夜天の魔導書は現在もはやての家に保管されてあり、家の周りには魔法によるワイヤーやセンサーが無数に張られているが、リニスや彼女の主がはやて本人を狙わないとも限らない。

 それを踏まえて守護騎士と相談した結果、はやてが外出している間は二人以上の騎士がはやてに付いていくことになったが、さすがに学校の中までは付いていくことができない。そのためはやてが学校にいる間は俺がはやての側に付き、校舎の近くには主にシグナムとザフィーラが待機することになった。

 もっとも、肝心のはやてはまだこのことを知らないが。

 

 最初はシャマルが校舎近くを見張ることになっていたのだが、サングラスにコートという怪しい出で立ちで行こうとしたため、それを止めてシグナムたちが見張りにつくことになったらしい。

 シャマルってあんな天然だったっけ?

 

 

 

 

 

 それから半日ほど経ってすべての授業と帰りのホームルームが終わり、多くの生徒と同様に俺とはやても教科書やノートをランドセルに入れて一緒に帰路に就き、そこで俺ははやてに今日は泊っていっていいか? と尋ねた。はやては「別にええけど」と言ってから、続けて「でも」と言って、

 

「ちょっと寄るとこあるから、うちに帰るのちょっと遅くなるよ。なんなら健斗君もついてくる?」

 

 その言葉に俺は首をかしげながらもはやてについて行くことにした。

 今の状況ではやてを一人にしておくわけにはいかないというのもあるが、休み時間の事からなんとなく守護騎士がらみの用事ではないかと思ったからでもある。

 

 

 

 

 

 その帰りのバスの中で……

 

「そういえばはやて。お前の家に来ているヘルパーさんたちにはあいつらのことはどう言ったんだ?」

「……ああ、そういえば言っとらんかったな。理亜(りあ)さんも麓江(ろくえ)さんもヘルパー辞めたんよ。家庭の事情で田舎に帰るって」

「えっ、辞めたって二人ともか?」

 

 驚く俺にはやては「うん」とうなずく。

 

「……それっていつのことだ?」

 

 その問いにはやては人指し指をあごに乗せて……

 

「うーん、二日くらい前やから……あの四人が来た次の日や! 間違いない。あの人たちの事をどうごまかそうか迷ってたところに、派遣会社から電話がかかって来たもん!」

「守護騎士たちが来た次の日に?」

 

 その復唱に対してはやてはまた「うん」と言った。

 

 何だその出来過ぎたタイミングは。あまりにタイミングが良すぎる。

 そういえばグリムさんも、今月に入ってから急にはやてに送る生活費を増やしていたみたいだったな。まるではやての家に住む人間が増えることを見越していたみたいだが……。

 

「グリムさんはそのことについて何か言って来たか?」

 

 その問いにはやては首を横に振って……

 

「ううん、おじさんからは何も。連絡してきた派遣会社の人が代わりのヘルパーさんを出そうかって言ってきたぐらい。もちろん、親戚の人たちと暮らすことになったからもうヘルパーさんは必要ありませんって断ったけどな」

「……そうか」

 

 はやての説明に俺はそれだけを返す。

 確かに守護騎士たちのことをごまかす手間が省けて、俺たちにとっては都合のいい流れではあるが……。

 

 ……生活費の増額、守護騎士と入れ替わるようなヘルパーの退職。偶然が重なっただけか、それとも……。

 

 

 

 

 

 

「おせーぞ主! ……って、お前も一緒だったのか」

 

 スクールバスを途中で降りてからはやてと二人で30分ほど歩き、デパートの入り口に着いた途端先に来ていたヴィータはそんな言葉を投げかけてくる。それにはやては気を悪くした様子もなく、

 

「ごめんな。授業が長引いてしもて」

 

 と手を合わせて謝ってから辺りをきょろきょろと見まわした。

 

「……シグナムはまだ来てないんか?」

「え……ええ。ちょっと所用で出かけていて遅れるって言ってました」

 

 ヴィータの隣にいたシャマルはそう答える。

 二人はカジュアルな私服を着ており、まわりにいる人々と何の遜色もない。昔の彼女らを知っている身としては新鮮に思いながらも違和感を感じずにはいられなかった。

 そんなことを思いながら現代の服を着ている二人を眺めていると、

 

「おい、何じろじろ見てんだよ?」

「い、いや……別に何でもない」

 

 刺々しい声で凄むように聞いてくるヴィータに、俺はそんな定型句を返すしかなかった。

 ヴィータは不機嫌そうな様子を隠さずに舌打ちを鳴らす。

 

「ちっ、変なガキだな。初めて会った時からあたしらの事をじろじろ見やがって。言いたいことがあるならはっきり言えってんだ」

「まあまあ、堪忍したってな。会ったばかりやから健斗君もどう接していいんかわからないんや。それにさっきのはその服着たヴィータがかわいかったからつい見とれてたのかもしれんで」

「あら、そうだったの? よかったじゃないヴィータちゃん!」

 

 両手を出しながらヴィータをなだめるついでにそんなことを言い出すはやてと、それに便乗して自身をからかうシャマルにヴィータは、

 

「よ、よくねえ。こんなガキに見とれられたって気持ちわりいだけだ! てめえもいつまでもあたしなんか見てんじゃねえ! シャマルでも見てろ!」

 

 ヴィータの言葉に従ってシャマルの方に視線を移す。するとシャマルは「ええ!?」と顔を赤くしながら一歩下がった。昔と変わらず大きいままだな。どこがとは言わないが。

 そんな俺たちに見て呆れたようなため息をつきながらヴィータは首の裏を掻き、

 

「ったく、主から呼び出されてシャマルと一緒にこんな所に来てみたらとんだ災難だよ。おい主、なんだってあたしらをこんな所に呼び出したんだ?」

「ああ、それやけどな――」

「遅れて申し訳ありません主!」

 

 はやてが言おうとしたところで後ろから声をかけられ、俺たちはそちらに顔を向ける。

 声と口調でわかる通り、やってきたのはヴィータたち同様現代の服を着た守護騎士シグナムだった。ザフィーラの方は姿が見えない。途中で別れたのか。

 言葉をさえぎられながらも、シグナムの姿を見てはやては顔をほころばせる。

 

「別にかまへんよ。私らも来たばかりやし。見ての通り健斗君も一緒やけど構わへんか?」

「ええもちろん。主はやてのご友人なら我々にとっても大切なお方ですから。……よろしくな健斗」

 

 俺に強い視線を向けながらシグナムはそう言ってくる。その目には信用はするが万が一の場合は容赦しないという意思が込められていた。

 それを知りながら俺は返事を返した。

 

「ああ、こちらこそシグナム」

 

 

 今の俺と守護騎士たちの関係ははやてを介した知り合い、というだけでなくはやてと夜天の魔導書を守るために協力している同士でもある。しかし守護騎士たちから信用されてはいないようで、シグナムやヴィータからは時折このように厳しい目を向けられることもある。なぜか魔法が使える上に闇の事を知っている俺は彼女たちから見れば不審そのもので、警戒されるのも無理はないと思うが。

 

 シグナムははやての方に顔を向けながらヴィータがしたのと同様の疑問をぶつけた。

 

「それで主はやて、なぜ我々をこのような場所へ? 一体ここに何の用事が?」

 

 それにはやては「ああ、そやそや」と人差し指をぴんと伸ばして言った。

 

「みんなから頼まれた騎士甲冑のヒントを探しにな。どうせやったらみんなと一緒に見て回った方がええやろ!」

 

 

 

 

 

 

 海鳴デパートの三階、ここにその店はあった。

 『といざるす』。世界各地に展開している有名なホビーショップで、この店も星の数ほどある系列店の一つだ。積み木からテレビゲーム、果てはスポーツ用品まであるため、子供だけでなく大人もこの店によく足を運ぶ。俺とはやても小さい頃はよく母さんの引率でこの店に連れて行ってもらったものだ。

 はやては久しぶりに入る店を見渡しながら中に入っていった。騎士たちは戸惑いながらはやての後に続き、俺も彼女らに続いた。

 

「ここは……」

「ええからええから。こういうとこにこそ騎士甲冑いうのを作るヒントがあるかもしれんのや」

 

 棚に並んでいる数々のおもちゃを眺めながら困惑気味につぶやくシャマルにはやてはそう言ってのける。

 俺はそんな二人について行きながら、ほほえましさ半分呆れ半分で思わず笑みを漏らした。そんな俺とは対照的にヴィータは何やってるんだかと言わんばかりの顔をしながら両手を頭の後ろに組みながら歩を進める。

 だがそこでヴィータは不意に足を止めて顔の向きを変えた。怪訝に思いながら俺も足を止めるとヴィータの視線の先にあるものに気付く。

 

 それはうさぎのぬいぐるみだった。

 黒い蝶ネクタイを付けて、口は縫い合わせたような四つの×印が付けられ、目の赤一色で塗られ瞳は入っていない。身も蓋もない言い方をすればあまりかわいいとは言えないぬいぐるみだった。

 しかしヴィータはそのぬいぐるみが気になっているようで、主や他の騎士そっちのけで食い入るようにぬいぐるみを眺めている。……そういえば似てるな、前世でヴィータに買ってやった不格好なうさぎのぬいぐるみに。あのぬいぐるみは翌日にアロンドという少年傭兵に盗まれ、彼の手で破壊されてしまったらしいが。

 もしかしたらいまだに未練があるのかもしれない。あのぬいぐるみにもアロンドにも。

 

 はやてやシグナムたちも足を止めてぬいぐるみを眺めるヴィータを見る。

 やがてはやては踵を返し、ヴィータの方に向かって行った。

 

 

 

 

 

 

 デパートの三階にて、フェイトは連れを待っていた。

 辺境の山奥で育ってきた彼女たちがこのような建物に入るのは初めてのことで、連れは興奮を隠しきれずあちこちを見て回っているようだった。

 フェイトもこういった施設に興味がないと言えば嘘になるが、今はある人から頼まれた物を探す方が先決で、こんなところで時間を費やしている余裕はないと思っていた。今日は怪我をした同居人に代わって買い物をしに来ただけだ。

 その同居人リニスはこの前の戦闘で脇腹に付いた傷がまだ残っており、フェイトたちに言われた通り大人しくマンションの部屋で家事をしている。本当なら家事などさせず治療に専念してもらいたいのだが、フェイトのお世話係としての使命感がそれを許さないらしい。

 そんなリニスを思い出してフェイトは苦笑し、同時に彼女が負った傷の事も思い出してふと思った。

 

(私が手も足も出ないくらい強かったあのリニスに傷をつけるなんて。どんな子なんだろう? 私と同じくらいの男の子だって聞いたけど)

 

 フェイトが彼らの姿を見たのはそんな時だった。

 

 

 

 

 

「良かったわねヴィータちゃん。いいもの買ってもらえて」

「う、うっせえ! あたしが頼んだわけじゃねえよ! で、でも一応礼は言っとく。ありがと……ある……は、はやて!」

「気にせんでええよ。ぬいぐるみなんて買うのも久しぶりやし。よかったら私にもたまに見せてな」

 

 赤毛の少女に礼を言われて、茶髪の少女はまんざらでもなさそうに笑う。

 桃色髪の女性と金髪の女性もそんな二人にほほえましそうな眼差しを向けている。

 そんな彼女たちから距離を取って黒髪にオッドアイの少年がついて来ていた。

 

 兄弟だろうか? しかしそれにしてはみんなまったく似ていない。

 フェイトが首をかしげていると、少年は急に立ち止まってポケットから四角い端末を取り出し、画面を見ながら言った。

 

「――悪い! すぐにすむからみんなは先に言っててくれ」

 

 そんな少年を見て連れの女性たちは怪訝な顔をするが、茶髪の少女は察しが付いたようで少年に向かって言う。

 

「わかった。私たちは先に一階に降りてるから健斗君も電話終わったらすぐ来てな!」

 

 少女の言葉に少年は端末を持っていない方の手を上げて「おう」といい、端末を耳にあてる。

 デバイスかな? と思いながらフェイトは少年を見続ける。

 そんな彼女に気付かないまま少年は言った。

 

「……もしもし母さん、一体何の用?」

「――!」

 

 少年の口から出てきた母さんという言葉を聞いて、フェイトは思わずその目を見張った。

 

 

 

 

 

 

「……ああ。メールで伝えた通り今日ははやての家に泊まるよ。…………いや、二人きりじゃないって! この前からはやての親戚が来ていてその人たちも一緒だよ。……なんでそこでがっかりしてんの? ……ああ。今度の連休の旅行はその人たちとも一緒に行くことになると思う。……そういうわけでこっちの事は気にしないで仕事頑張って……じゃあ」

 

 そう言って通話ボタンを押して会話を打ち切る。

 相手は案の定母さんで、用件は今日のお泊りについての詳細と今度の連休に行くことになっている旅行についてだった。

 もう9歳にもなる息子相手に過保護な親だと嘆息する。勉強を命じた後はほとんどほったらかしだった前世の父とは対照的だ。

 そこでふと顔を上げると少女がじっとこちらを見ていることに気付いた。

 

 二つに分けた長い金髪のそれぞれに黒いリボンをつけ、瞳は赤く、黒いワンピースを着ている美しい少女だ。髪の色や顔つきから見て外国人か外国系なのは間違いないだろう。

 俺は彼女に頭を下げながら、

 

「ごめん。うるさかったか?」

 

 俺が謝ると少女は首をゆっくりと横に振って、

 

「別に。気になったからなんとなく……お母さんと話をしていたの?」

「ああ。今日は友達の家に泊まるってメールで伝えたら、根掘り葉掘りいろんなことを聞かれたよ。ただ友達んちに泊まりに行くだけなのに過保護な親だ」

 

 笑いながらそうこぼすと少女はむっとした表情になって言った。

 

「いいお母さんじゃない。それがどんなに恵まれてるかあなたにわかる? ……私は母さんとはもう2年くらいずっと……」

「えっと……ごめん」

 

 少女の剣幕に俺は自然と謝罪の言葉を口にする。すると少女ははっとしながら顔を伏せた。

 

「――う、ううん! 私の方こそごめん。ついかっとなって……」

 

 少女も俺に謝り、俺たちの間に冷たい沈黙が流れる。居心地悪く感じながらもどう言っていいのかわからず、かといってここから立ち去るのもなんとなく気が引ける。

 俺も少女も互いにどうしたものかと考えていると、上の方からサバサバした女の声が降り注いできた。

 

「フェイト―! ちょっと来て! すごくいい眺め! フェイトも一緒に見ようよ!」

 

 側にある階段の上には、白いタンクトップに短いデニムパンツを着た女性が俺たちの方を見下ろしていた。階段に隠れて顔から上は見えないが手足と腹回りがほとんど出ており、かなり露出が高い格好だ。

 その女性の方に向かって少女は声を張り上げて「うん! 今行く!」と言って数歩歩き、俺の方を振り返って言った。

 

「連れが呼んでいるからもう行きますね。さっきはごめんなさい。ただの八つ当たりだから気にしないで」

 

 そう言って、少女は頭を下げて階段を上がっていった。

 

 

 

 言われなくてもわかってる。家族という面において今の自分が恵まれていることくらい。

 あの人がいなければ俺は今も施設で暮らしていたかもしれないし、母さんのおかげで前世では感じることができなかった母のぬくもりというものを知ることができたのだから。

 

 しかし、あの子フェイトっていうのか。運命(フェイト)という重々しい名の通り、複雑な事情を抱えていそうな子だったな。

 

 

 

 

 

 

 それから俺たちはデパートを出て、はやての家へと帰った。

 はやての家にはザフィーラが犬(?)の姿ではやてたちの帰りを待っており、はやてはザフィーラに抱き着きながら「ただいま」と告げ、ザフィーラは無言でされるがままになっていた。

 ザフィーラは、八神家では唯一の男であることとはやてが犬を飼いたがっていたため、外に出る時だけでなく家の中でもほとんどその姿でいるらしい。

 

 それからはやてはリビングで機嫌よさそうに料理を作り、その間に俺たちはといざるすで撮ったフィギュアの写真をプリントアウトしたりして、騎士甲冑の構想を練るための準備をしていた。

 それからすぐに夕食は出来上がり、はやてとシャマルはテーブルに食事と食器を置き、その隅の床で座っているザフィーラの前に犬用の皿に盛り付けられた食事を置いていく。

 ……本当にそれでいいのかザフィーラ? こういう時ぐらい人型の姿になってもいいと思うんだが。

 

 

 

 その夕食の席にて。

 

「うめー! やっぱりはやての作るメシはギガうめーな!」

 

 そう言いながらはやては皿を傾けながら食事を口の中へとかきこむ。それを見てシグナムは呆れた表情で、

 

「ヴィータ、さすがに見苦しすぎるぞ。ちゃんと食事を箸で掴みながら食べろ。その箸もそろそろちゃんと持てるようになれ」

「まあまあ、欲しいもんが手に入ったばかりなんやし今日ぐらいは仕方ないんちゃう。お箸もそのうちちゃんと持てるようになるよ」

 

 はやてはそう言ってシグナムをなだめる。その表情は相変わらず緩みっぱなしで機嫌がよさそうだ。料理を褒めてもらえたこともあるのだろうが、やっとヴィータに名前で呼んでもらえたのがうれしいらしい。

 

「そうそう、はやては話が分かるな。ちゃんとしたメシや服もくれるしあったかいベッドに寝かせてくれるし、今までの主と大違いだ!」

 

 ヴィータがそう言った途端、騎士たちの動きがピタリと止まる。俺も思わず息を飲んでしまった。

 そんな中ではやてはこくりと首をかしげる。

 

「今までの主って、闇の書の所有者だった人たちのこと? その人たちの所ではちゃんとしたご飯とか食べさせてもらってなかったんか?」

「ああそれがよ、あいつらときたら――」

「よせヴィータ!」

 

 ヴィータは過去の主について語ろうとするが、シグナムにさえぎられて言葉を飲み込む。シグナムはそのままはやてに向かって言った。

 

「失礼しました。主はやてがお気になさることではありません。

 主はやて。従者に過ぎない我々の事を気にかけていただき、あなたには感謝の念に尽きません。このご恩にお応えするため我々は身命を賭してその御身を守り、いかなる命にも従う所存――」

「気にせんでええよ。主としての務めを果たしてるだけや。そんなことよりはよご飯食べよ。お喋りばかりしとったらご飯が冷めてまうで」

「……はい、ではお言葉に甘えて」

 

 はやてに言われて、シグナムはそれ以上の言葉を引っ込めて食事を続ける。

 

 シグナムがヴィータを止めた理由は俺にもわかる。彼女たちが歴代の主から受けた仕打ちは壮絶なもので、年端もいかない少女が知るにはあまりに刺激が強すぎる。

 そんな中で、今まで話に割り込むことができず沈黙を保っていたシャマルが口を開いた。

 

「まあ、はやてちゃんの前にも何人かよくしてくださる方もいたんですけどね。中でもあの方は……」

 

 そう言ってシャマルはちらりと俺を見る。ヴィータも俺を覗き見るように視線を寄こしながら、

 

「ああ、あいつが主だった時はいろいろ良くしてくれたな。はやてのように衣食住を与えてくれたり、本当の騎士として兵の教育を任せてくれたり、あいつほどいい主はいなかった」

 

 その話にはやては顔を明るくして、

 

「なんや、やっぱりいい人もおるんやないか! どういう人なん? そのご主人様」

 

 その問いに騎士たちはまたもや俺の方を見て迷うようなそぶりを見せつつ、やがてシグナムが口を開いた。おいおい、それってもしかして……

 

「ベルカにかつて存在した、グランダムという国を治めていた国王だった方です。その名を『ケント』と言いました」

「ケントか、健斗君と同じ名前やね……あれ? そう言えばリニスさんもなんや言ってたな。健斗君と同じ名前とオッドアイの悪い王様がいたって……それってもしかして」

 

 はやての言葉にシャマルは「ええ」と言って、

 

「おそらくリニスが言っていた悪い王様と同じ人物だと思います。あの方は闇の書を完成させるために、自国の国民を犠牲にしようとしました。その目論見はオリヴィ――聖王という王様によって阻まれ、それによってあの方も命を落としましたが、その後あの方がベルカの人々からどういう風に言われるようになったかは想像に難くありませんね」

「自国の国民って――えっ、それ本当なん?」

 

 いい主と思われた王が起こしたまさかの蛮行にはやては疑問に満ちた声を上げる。それにヴィータも、

 

「ああ間違いねえ、あたしらもはっきりと見た。それにあいつは自分の国の都を襲う前の日ぐらいから様子がおかしかった。あたしらから騎士の位を取り上げて王宮から追放したり、腹違いとはいえ実の妹をけなしたりな。あれが本性だって知って、あたしらの誰もが奴に失望したもんだよ」

「そっか、やっぱりろくでもない人やな。その人と同じ名前を持っている人たちにとってもいい迷惑や。健斗君もそう思うやろ?」

「えっ!? あっ……ああ」

 

 はやての問いかけに一瞬反応に困りながらも、俺はどうにか相槌のみを返す。

 それを聞きながらヴィータは芋に箸を突き刺し、それを口に入れながらしみじみと言った。

 

「ケントを含めて、過去の主はどいつもこいつもろくな奴じゃなかった。頼むからはやてはあいつらのようになるなよ」

「もちろん! 私は絶対にみんなにひどいことしたり捨てたりなんてせえへん! せやからヴィータたちもそんな人たちの事さっさと忘れることや」

 

 はやての言葉にヴィータはもちろん、シグナムとシャマルも異論はないというようにうなずいて見せた。

 ……やはりあれだけの事をすれば恨まれもするか。俺がケントの生まれ変わりだということは当分の間隠したままの方がいいかもしれない。もしかしたらずっと。

 

 

 

 

 

 そして夕食を終えて、俺たちはスマホで撮ってきたフィギュアやネットで集めた写真などから騎士甲冑のデザインを考え、その日のうちに無事騎士甲冑は完成してその場でお披露目となった。

 ヴィータとシャマルはドレス風の服で甲冑という名称からかけ離れた意匠だが、魔力はしっかり込められているため肝心の防御性に問題はない。

 ザフィーラは甲冑とは名ばかりの軽装で硬そうな部分が手甲とブーツしかないが、こちらも防御性に問題はないという。

 問題はシグナムの甲冑だ。彼女が着ているのは戦いやすいデザインの一番鎧らしい格好なのだが……エロい。

 脚の部分がほとんど出ていて、前掛け(?)とコートの部分がその中を覆い隠している。

 (ケント)が着せていた時はシグナムが一番無骨だったぐらいなのに、現代では逆に彼女の甲冑が一番エロくなってしまった。

 

 一言だけ言いたい、どうしてこうなった? 




 作中で雄一が女用の鎧はほとんどないと言ってますが、実際には少なからず存在していると言われています。雄一も剣道家の卵ながら、まだ小学生で知識が浅いということにしてください。


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第15話 新たな蒐集方法

 間もなく夜中になろうという時間帯。

 この家にいる全員が寝静まった頃を見計らって、俺は部屋から出て廊下を歩く。

 暗闇の中、師に教わった通りのやり方で気配を殺しながら床を歩き、慎重にかつ急いで歩を進める。

 それからほどなくして、堅い扉に閉ざされた目的の部屋の前に辿り着いた。自分がさっきまでいた部屋から出て一分少ししか経っていないだろう。

 俺は扉の取っ手を掴み、取っ手をひねりながら扉をそっと奥へ通す。

 その際にぎぃという耳障りな音がするが、こんな音すぐ近くにいなければ気付かれるはずがない音だ。そう自分に言い聞かせながら扉を閉める。

 

 そして俺はこの部屋に誰かいないか気配を探った。しかし、この狭い部屋の中で気配どころか息遣いさえ聞こえてこない。俺が来るのを察知して先客が潜んでいるということはなさそうだ。

 安心するあまり口からため息が漏れる。はやてだけならともかく、守護騎士たちなら俺の動きなど簡単に察知できそうだからな。

 そして俺はこの部屋の奥にある本棚へと向かった。

 

 ここははやてのお父さんが生前使っていた書斎で、彼が仕事に使う専門書などが仕舞われてある場所だった。だが、今はこの部屋を使っている者は誰もおらず、きれい好きなはやてが毎日掃除しに来たりする以外は時々こうして俺が忍び込むくらいだ。

 もちろん目的はただ一つ。

 《闇の書》、いや《夜天の魔導書》は以前と変わらず、茶色の表紙とそこについている剣十字を露わにした向きのまま本棚に置かれていた。しかし、この間まで書を縛り付けていた鎖はもうない。

 

 守護騎士たちは再びこの世に現れた。だが“彼女”は今もまだこの本の中に……。

 

 守護騎士が召喚される具体的な条件は今もわからない。年齢は明らかに違うだろうし、(ケント)の時もはやての時も何らかの危機に陥っていたのは同じだが、他の主が皆そうとは思えない。

 守護騎士が召喚される条件というものはなく、魔導書が主を取り巻く環境や時期を見計らって騎士たちを呼び出している、というのが俺が今立てている仮説だ。

 

 だが“彼女”の方はそうではない。“彼女”を魔導書から呼び出すには二つの条件がある。

 まず一つは、400ページ以上の頁を埋めること。

 二つ目は魔導書の主が書の《管制人格(マスタープログラム)》の起動と具現化を希望すること。ただし、すべての頁を集めていない状態で管制人格を具現化させてもその力は半端なものになるらしい。

 それでも“彼女”の力は俺が知る何者よりも強いし、何の準備もなく全ての頁を埋めるわけにはいかない。

 そもそも俺にとって“彼女”の力なんてどうでもいい。あいつに再び会えさえすれば。

 

 とにかく“彼女”に会うためには魔導書の頁を400ページ以上埋める必要がある。しかし俺が知る限り、頁を増やす方法は、魔導師から強引に《リンカーコア》を引きずり出して魔力を奪うしかなかった。

 さすがに魔導師を無差別に襲うような真似はしたくない。だが、今のままではいつまで経っても“彼女”に会えないうえに、魔導書の方が業を煮やしてはやてを取り込んで別の世界に転移しかねない。そうなったら今までの努力はすべて水の泡だ。

 

 しかし、その問題を解決するかもしれない物が俺の手の中にある。言葉通りの意味で。

 俺は手を開いてその中にあるものを見た。

 宝石のように青く輝く石。リニスはこれを《ジュエルシード》と呼んで、闇の書とともに奪おうとしていた。

 実際この石には膨大な魔力が封じ込められている。こいつを使えばもしかして……。

 

 今日はやての家に泊まった本当の目的がその検証だ。

 はやての家に住むようになった守護騎士の様子を一度見ておきたかったのも本当ではある。しかしどちらかというと、やはりこちらの方が重要だ。それもできる限り早く済ませておきたい。万が一リニスにこのジュエルシードを奪われるようなことになる前に。

 

 そう思うとこうやって考え込んでいる時間も惜しくなり、俺は早く検証を済ませようと魔導書に手を伸ばそうとして、その寸前で手を止める。

 

 シャマルの事だ、間違いなく魔導書の前に不可視のセンサーを張っている。これ以上不用意に手を伸ばせばセンサーが反応して、守護騎士の誰かがこの部屋に踏み込んでくるだろう。だったら……

 

「俺だ。ちょっとこっちまで来てくれないか」

 

 そう呼び掛けてしばらくすると、魔導書は音もたてずに浮かび上がり俺の手元までふわふわ飛んでくる。俺は書を掴み取って頁を開き、月明かりを頼りにその中を読む。

 頁はすでに15ページほどが魔法の構築式で埋まっている。そのうち5ページは記述式ではなく魔法資質について書かれていた。おそらく一年前に主であるはやてから蒐集したものだろう。残りの10ページがあれからずっとはやての脚に注ぎ込んだ俺の魔力分か。

 

 俺は魔導書を棚の縁に置いてジュエルシードを近づける。

 あの少年は自分たちをだまそうとした俺への怒りであんな変貌を遂げた。そこから考えて、この石は所有者の感情や意思に反応して力を発揮するのではないかと思う。

 俺はジュエルシードを魔導書に近づけながら石に命じた。

 

「ジュエルシード、お前が持っている魔力を半分ほどその魔導書に分けてやってくれ」

 

 すると案の定ジュエルシードは暗闇の中で青く輝き、あの怪物の額にも表れたXの文字が浮かび上がる。

 それに呼応するように夜天の魔導書も紫色の光をまとい、またたく間に頁を増やしていく。

 これだけで一気に頁が全部埋まったりしないだろうなと冷や冷やしながら見守っていると、頁の増加は収まりジュエルシードの輝きも弱まっていく。どうやら魔力の移譲は無事に行われたようだ。

 俺は安堵で胸をなでおろしながら新たに増えた頁を数える。

 ……25ページか、ジュエルシード一つにつき魔導書の頁を50ページは増やすことができるということになるな。

 

 彼女と会うための最低条件である400ページには全然届かない。しかし、人を傷つけることなく頁を増やす方法を見つけられたというのは大きな前進だ。問題はジュエルシードは他にも何個かあるのか、全部でいくつあるのか。

 400ページ埋めるには8個、666ページすべて埋めるには14個必要になる。ジュエルシードがそれぐらいあればいいのだが。

 

 魔導書を棚に戻し――もちろん魔導書自身に本棚まで戻ってもらって――俺は書斎を後にする。

 この場でジュエルシードの魔力をすべて使うことも考えたが今はやめておくことにした。

 ジュエルシードを手元に残しておけば、これを餌にリニスたちを誘導する手が使える。現時点でその手段を断ってしまうのは得策ではないと思った。

 

 

 

 

 

 部屋に戻っていく健斗の後ろには、狼の姿をしたザフィーラが彼の様子をじっと窺っていたが健斗がそれに気付くことはなかった。

 

 

 

 

 

――『夜天の魔導書』40ページまでの蒐集を完了。



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第16話 旅行

 今日は合同旅行に出かける日で、俺もはやてたちと一緒に準備をしていた。

 とはいえ、大まかな準備は昨日のうちに済ませてあり、後は身支度を整えて家を出るのみだった。

 ……だが、その前に済ませておかなくてはならないことがある。

 

「はやて……いいか?」

「う、うん。いつでもいいよ。健斗君の好きにして……」

 

 ソファに腰かけるはやての前にひざまずきながら、俺は彼女に確認する。はやては顔を赤くしながらもこくりとうなずいた。

 俺は手を伸ばし、彼女の足を揉んでいく。

 

 そう。一週間に一度の“施術”である。これから旅行に出かけるため、今週のうち施術を行える機会は今ぐらいしかないのだ。

 いつものように、椅子に座ったままじっとしているはやての足を丹念に揉み、魔力を浸透させていく。

 右足が終わり、左足も下から揉んでいき太ももまで揉み終えたところではやては尋ねてきた。

 

「……お、終わった?」

「ああ。今日はこれで終わりだ。じゃあそろそろあいつらを呼んで――」

「おーいはやてー! もうすぐみんな来る頃だけど、そろそろ出た方が…………」

 

 突然ドアが開き、ヴィータがリビングに入ってくる。

 彼女の視界の先にはソファに座るはやてと、彼女の太ももに手をかけている俺の姿があって……。

 

「な……な…………何してんだお前はーー!!

 

 それを見た瞬間、ヴィータは家中に響き渡るほどの大声を上げる。

 俺ははやての足から手を離しながら。

 

「ち、違う。これはお前が考えてるような事じゃない。これには理由があって――」

「どんな理由があったらはやての足を揉むことになるんだ!? てめえはやはり殺す! 今すぐ殺す! 二度とはやての前に現れないように殺す!!」

 

 ヴィータはそう言いながらグラーフアイゼンを手に持ち、俺ににじり寄る。はやては急いで立ち上がり。

 

「待ってヴィータ! ここでそんなん振り回したらリビングがめちゃくちゃになってまう! せめて庭に出てからにして!!」

「はやては下がってろ! こいつは生かしちゃおけねえ! ――死ねえ健斗!!」

 

 俺よりリビングが大切なのか、と突っ込む間もなくヴィータは大槌を振るい上げ、俺は急いで庭へ逃げる。

 それから他の騎士たちが来るまでの間、俺はヴィータに追いかけ回されていた。

 

 

 

 

 

 

 五月初頭。

 その時期には祝日が三日続けて並んでいる日があり、運が良ければ土日と合わせて四・五日は続けて休める。いわゆるGW(ゴールデンウィーク)と呼ばれる日々だ。あいにく今年のゴールデンウィークは三日ほどだが、それでもシルバーウィークや年末年始と並ぶ大型連休には変わりない。

 高町家では二年前から、連休の間に翠屋の運営を店員に任せて家族旅行に出かける恒例の行事があり、俺たち一家を含む高町家の知り合いも一緒に行くことなっているのだが、うちの母さんやバニングス・月村家の両親は仕事が忙しいために旅行に参加できず、子供たちを預けていくだけの時が多い。

 今回の旅行もその例に漏れず、高町家以外で参加しているのはアリサとすずか、忍さんと月村家のメイド姉妹、そして俺とはやてと守護騎士たちである。

 

 

 

 参加者はそれぞれのグループに分かれて車に乗り、俺たちはノエルさんが運転する車に乗せてもらえることになった。

 

「すみませんノエルさん。うちの子たちを乗せてもらって」

「いえ、はやて様たちのお役に立てて私もうれしいです。こういった旅行の時はいつも忍様の車に乗せていただくだけのことが多く、メイドとしては逆に肩身が狭いもので。まあファリンはそんなこと気にせずにあちらに居座っているんでしょうけど」

「あははっ! それは目に浮かびますなぁ」

 

 忍さんたちが乗っている車を流し見ながらノエルさんは苦笑をこぼし、つられてはやても笑う。

 

 俺たちが乗っている車を運転している、短い紫髪の女性はノエル・K・エーアリヒカイト。

 月村家に仕えるメイド長として、妹のファリンさんとともに月村家の屋敷で働いている。

 

「それより本当によろしかったのですか? はやて様だけならなのは様たちと一緒の車に乗ることもできたと思いますが」

「まあそうかもしれませんけど、私がなのはちゃんやすずかちゃんとべたべたしすぎるとアリサちゃんがあぶれてしまいますし、今は……」

 

 そこではやてはこちらを振り返り、ノエルさんもバックミラー越しに後ろを見た。そこでは……

 

 

 

「おい、もうちょっとあっち行けよ! ――っ、変なとこ触んなエロガキ!」

「どこも触ってねえよ! お前こそ少しは我慢しろ。四人も乗っているんだから!」

 

 勝手に寄って来たばかりかあらぬ疑いまでかけてくるヴィータに俺は抗弁する。

 同じ後部座席に座っているシャマルとシグナム、そしてシグナムの膝の上に座っているザフィーラ(犬型)は、くだらない言い合いを続けている俺たちを呆れた目で見ていた。

 

 

 

「……こんな風に喧嘩ばかりしてる子たちを監督していないといけませんので」

「なるほど、はやて様も大変ですね」

 

 そんな言葉を交わしながら、はやてとノエルさんは笑みを漏らしていた。

 

 

 

 

 

 

 車中でそんなやり取りをかわしながら、長い旅路の末に俺たちを含めた一同はとある山の中にある旅館にたどりついた。

 旅館に着くなり一同は旅館の周りを見渡したりしながらも、それもそこそこに切り上げて自分の荷物をまとめ始める。特に女性陣はいつもより動きがいいくらい熱心だ。

 その光景に守護騎士たちは首をかしげるものの、すぐにその理由を知ることになる。

 

 

 

 

 

 旅館のまわりを散策してくるという士郎さんや桃子さんと別れ、残った俺たちは今夜泊まる大部屋で寝泊まりの準備をしていたが、しばらくして……

 

「よし! 準備も終わったしそろそろ温泉に行くで!」

「もうはやてちゃんったら、まだ着いたばかりだよ」

「まあ、あたしたちも準備を済ませて早く温泉に入りたいと思っていたところだけど」

 

 手を振り上げて息巻くはやてにアリサとすずかは思い思いの反応を見せるものの、二人とも異存はないらしく入浴道具を取り出し始める。

 その一方でシグナムたちは湯の用意もせずためらうばかりだった。はやてはそれを見咎めて、

 

「どないした? みんなも入るやろ? 温泉なんかに入れるのは年に二回ぐらいしかないんやからここで入っとかんと後悔するで。特にシグナムはお風呂好きやろ」

「い、いえ。私はあくまである――はやての安全を守るためについて来ただけなので……それに」

 

 シグナムは言い訳しながらはやてのバッグを見る。そこには彼女の家から持ってきた夜天の魔導書が入っていた。俺のリュックにもジュエルシードという魔力を持つ石がある。

 万が一リニスや彼女の仲間が狙ってくるかもしれないことを考えれば、荷物から目を離すべきではないのだが……。

 

《心配は無用だ》

 

 脳裏に声が届いて、俺たちは部屋の隅で――もちろん犬の姿で――座り込んでいるザフィーラを見る。

 

《お前たちが湯に向かっている間は、私が主の荷を見張っていよう。ジュエルシードとやらが入っている健斗の荷も含めてな。シグナムたちも健斗も心置きなく湯に浸かってくるといい》

 

 確かに皆が浸かる温泉に犬の姿をしたザフィーラを入れるわけにもいかないため、彼だけはここに残ることになる。ザフィーラに任せておけば最低でも魔導書が奪われるようなことにはならないはずだ。

 ザフィーラに推されて、彼以外の騎士たちは迷いながら湯に向かう用意を始める。

 そんな中で……

 

「んっ? おいあんた、そのペットも一緒に連れて行く気か?」

「うん! ユーノ君にも温泉を堪能してほしくて」

 

 ヴィータの問いに、なのははユーノというフェレットを両手に抱えながら答える。

 なのはの腕の中で抵抗するように動き回っているユーノを見てヴィータは、

 

「そいつ、嫌がっているみたいだけど大丈夫か?」

「うーん、恥ずかしがってるのかな? いつもは私がいない時に動物用のお風呂で済ませているみたいだし」

 

 なのはは首を傾げながら不思議そうにユーノを見る。

 俺もユーノを見ながらまるで人間の男子みたいだなと思っていると、はやてがやって来て、

 

「健斗君の方はもう温泉に入る準備はできた?」

「準備? 一応できてはいるが……」

 

 そう答えるとはやては満足げにうなずいて――

 

「じゃあ健斗君も一緒にはいろっか。一緒にお風呂に入るなんて久しぶりやからな」

「――なっ?」

「お、おい! 本気かはやて? こいつもあたしらと一緒に入るなんて」

 

 はやての発言に俺は思わず戸惑いの声を上げ、ヴィータははやてに問いを投げる。

 そんな俺たちを前にはやては平然と、

 

「うん。別にええやろ。海鳴じゃ10歳までは混浴OKやし、昔は私たちとも一緒に入ってたんやから。なあなのはちゃん!」

「……う、うん、小学校に上がるまでは何回か……でも、さすがに今は恥ずかしいかな」

 

 そう言ってなのはは顔を赤くしながら縮こまる。

 

「はやてやその子みたいな幼い子供の純真な心につけ込んで……てめえ、楽に死ねると思うなよ」

(なのはが、家族以外の男と一緒にお風呂に……)

 

 その一方で二人の話を聞いてヴィータが俺に対して殺意のこもった視線を向けて、なのはの腕の中ではユーノがうつろな目をしていた。やっぱりただの動物には見えない。

 

「……俺は恭也さんと男湯の方に入るよ。見ての通りなのはも恥ずかしがっているみたいだし」

「ええー、つれないな。しゃーない、また今度の旅行で誘おうか」

 

 そう言ってはやては残念そうに肩をすくめながらも、思いのほかあっさり引き下がった。俺たちが慌てふためくのを見て楽しんでただけか。

 

(久しぶりに健斗君と入ってみたかったのは本当やけどな。でも健斗君の前でみんなの胸を揉むわけにもいかんし、今回はからかうだけにしとこか)

 

 

 

 

 

 

 そんなやり取りをしてはしゃぐ妹分たちと弟分を眺めながら、忍と美由希は……

 

「はやてちゃん、相変わらず健斗君にぞっこんね。お姉ちゃんとしてはどう? 健斗君の相手にはやてちゃんは」

 

 忍の言葉に美由希も健斗とはやてを見ながら、笑みを浮かべて言った。

 

「そうですね。二人とも仲がいいし、母さん……美沙斗母さんもはやてちゃんの事を気に入っているみたいだから、あの二人が一緒になったらきっとうまくいくと思います……ただ」

「……ただ?」

 

 ただという一言に忍は眉をひそめその言葉を復唱する。

 そこへ美由希は続きを話す。

 

「私が見た限りなんですが、健斗君が好きな子ははやてちゃんじゃないと思うんです。はやてちゃんの事はあくまで幼なじみや妹として見ていて、あの子が本当に好きな人は別にいるような」

「ふうん、なんだかんだで健斗君のことよく見てるわね」

「数年も一緒にいれば大体わかりますよ。血が繋がっていないとはいえ姉弟ですから……健斗君はそう思っていないかもしれませんけど」

 

 美由希は義弟を見ながら薄い笑みはそのままに、重い口調でそう言った。

 

 

 

 

 

 

 温泉を巡って子供たちがそんな騒ぎを繰り広げている頃、旅館の近くにある池のほとりに士郎と桃子の姿はあった。

 元気が有り余っている子供たちと違い、夫婦そろって静かに池を眺めている。

 桃子は日々の疲れを口から吐き出すように息をつきながら、

 

「いいわね、こういう休日は」

「……ああ。そうだな」

 

 妻がこぼした一言に士郎は心底同意しながら相槌を打つ。

 

「お店も少しは若い子たちに任せておけるようになったし」

「子供たちもまあ、実に元気だし」

 

 士郎の言葉に桃子はふふっと笑い……

 

「それに……あなたも」

 

 その言葉と視線に、士郎も桃子の方を見てわずかに影の含んだ笑いを浮かべた。

 

「ああ。そうだな」

 

 士郎がそう言うと、二人はどちらからともなく池の方に視線を戻す。

 小川へと流れていく水を眺めながら士郎は口を開いた。

 

「俺はこれからはずっと翠屋の店長だからな。もう桃子や子供たちに心配をかけることはないさ……なのはに寂しい思いをさせることもない」

 

 その言葉に桃子も顔をわずかに曇らせながら「……うん」と首肯する。

 

「俺が前の仕事でドジ踏んで大怪我したばかりにお前たちに苦労をかけ、あの子には寂しい思いをさせてしまった。すまないと思っている」

「……そうね。私はともかく恭也と美由希、なのはのことを思うと何でもなかったなんてとても言えないわ。特になのはは私たちがいないところではずっと泣いていたみたいだったし……健斗君とはやてちゃんがいなかったらどうなっていたことか」

「ああ。あいつらには感謝している。健斗には特にな。美沙斗がまっとうな道に戻れたのも、美由希と和解することができたのもあいつがいたからだ」

 

 美沙斗の名前が出て桃子は神妙な顔になって尋ねる。

 

「……あの人は、まだご主人とそのお姉さんの仇討ちを?」

「みたいだな。あれでも以前よりはずっとましだ。“奴ら”をこのまま放って置くわけにはいかないというのもわかる。……以前の俺なら、美沙斗と共に奴らとの戦いに身を投じていたかもしれない」

 

 士郎の言葉に桃子は不安そうな表情になる。そんな桃子に笑いかけながら士郎は言った。

 

「……安心しろ。俺はもう戦うことはないさ……もう戦いたくても戦えない。……だが、俺と違って美沙斗はまだ戦いから抜け出す事はできないだろう。これまでのようにしばしば俺たちが健斗の面倒を見ることになる。場合によってはあいつをうちで引き取ることになるかもしれない。いずれにしてもお前には苦労をかけるが……」

 

 士郎の言葉に桃子は優しい笑顔を向けて、

 

「なにを言ってるの。美沙斗さんがお仕事に行ってる間に健斗君を預かるなんて、もうよくあることじゃない。それに健斗君を預かることを苦労だと思った事なんて一度もないわ。あの子いい子だし、なのはの話し相手もしてくれるし。もっとうちに来てほしいくらいよ。我が家の子供にできなかったのが本当に残念」

 

 そう言って肩をすくめる桃子に、士郎はふっと笑みを漏らした。

 

「……ありがとう。こんな不甲斐ない夫だがこれからもよろしく頼む。恭也と美由希となのは、それから美沙斗や健斗ともどもな」

「うん……」

 

 桃子はうなずく代わりに士郎の方に肩を寄せる。そんな妻を士郎は強く抱き寄せた。




 美沙斗が追っている“奴ら”についてはとらいあんぐるハート3をプレイしたりストーリーを調べればわかります。リニス一味や仮面の戦士とは関係がありません。


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第17話 アルフ

 恭也さんと共に半年ぶりの温泉を堪能してからほどなく恭也さんは上がり、俺もそれからすぐに湯舟から出て、火照った体を冷ますついでに旅館の庭を眺めていた。そこへ……

 

「あっ! 健斗君や。おーい! 健斗くーん!」

 

 横からはやての声が聞こえてきて、俺はそちらに顔を向ける。そこには浴衣を着たはやてと、彼女に続いてこちらに向かってくる浴衣姿のなのはとアリサとすずか、ヴィータがいた。機嫌よさそうな足取りで歩いてくるはやてとは対照的に、他のみんなはなぜかぐったりしている。女湯の方で一体何があったんだろう?

 姉さんたちやシグナムたちの姿は見えない。俺たち小学生とは違って学業の他にバイトなどもこなしている彼女らは、日々の疲れを癒すためにまだ温泉に浸かっているのだろう。

 

「健斗君もお風呂から上がってたんか」

「ちっ、茹で上がるまで入ってればいいのに」

 

 みんなと一緒に歩いて来ながらはやてとヴィータはそんなことを言ってくる。

 そんな彼女たちに返事を返そうと俺は口を開きかけたが、そこへ――

 

「ハァーイ、おチビちゃんたち!」

 

 俺の後ろから調子はずれな声が響いてきて、俺となのはたちはそちらの方に顔を向ける。

 そこにはいつの間にか、俺たち同様浴衣を着た一人の女が立っていた。

 

 背中まで伸ばした赤い髪と青い瞳、整った容姿ながら全体的にさばさばしていそうな印象を与える外見の十代半ばほどの女だ。

 女の額には赤い石のようなものが埋め込まれており、まるでザフィーラみたいだなと思うと同時にまさかという考えが頭に浮かぶ。

 その合間にも女はこちらに歩み寄って来てこちら――いや、なのはを見下ろしながら口を開いてきた。

 

「ふむふむ……君かね、うちの子をあれしてくれちゃってるのは」

「えっ……?」

 

 意地の悪そうな笑みを浮かべながら眺めまわしてくる女に、なのはは戸惑いの声を漏らす。それに構わず女は続けた。

 

「あんま賢そうにも強そうにも見えないけど。まあいいや。次は……」

 

 そう言いながら女はなのはを一通り眺めてから、今度は俺の方に視線を移してきた。

 

「黒髪にオッドアイ、それにあいつの腹に付いた傷からするのと同じ匂い……あんたか、あたしたちのお師匠様に傷を入れてくれやがった奴は。さえない見た目のわりにおっかないことする子だね」

 

 俺を見下ろしながら女はそう吐き捨てる。その低い声と視線に込められた憎しみと敵意に反応して、思わず背筋に鳥肌が立つのを感じた。

 そんな中、女に絡まれている俺となのはを守ろうと、アリサは勇気を振り絞って一歩足を踏み出す。だがそれより一瞬早く――

 

「おい、そこのおばさん!」

 

 荒い口調を発しながら赤毛の少女が女となのはの間に割って入り、少女に対してなのはは思わず「ヴィータちゃん!」と声を上げる。

 

 自分の倍ほどの背丈の女を相手にしながらひるむどころか、逆に相手がしり込みするほどの威圧感を漂わせながらヴィータは言った。

 

「いきなり現れてきたと思ったら、ガキ相手になにくだらねえ真似してんだ。昼間から酔ってんのか? それとも頭でも打って自分が何してるかわかんなくなっちまったか? だったらこんな所をうろついてないで部屋で寝てるか病院にでも行けよ。おばさん」

「お、おばさんって、あんたこそ一体何様――」

 

 ヴィータに凄まれて女は気圧されそうになるもののすぐに気を取り直して声を荒げようとするが、そこで女ははっとした表情になる。

 見ればはやてとすずかはカチカチと肩を震わせながら身を寄せ合い、アリサは踏み込むタイミングを失いながらもその場できっと女を睨み、ユーノも危険を察知したのかなのはの肩の上で立ち上がり、そんな中で俺となのはは女と対峙し続けていた。

 女はしばらくヴィータとなのは、そして俺を見下ろしていたが、やがてアハハと笑い声を上げた。

 

「ごめんごめん! 人違いだったかな。知り合いが言ってた子たちによく似てたからさ」

「何だ、そうだったんですか」

 

 女の弁明になのははほっと胸をなでおろす。だがヴィータとアリサはまだ警戒心をむき出しにしながら女を睨んでいた。彼女たち同様に女を見据える俺もさほど変わらない目つきをしていたと思う。

 女は気まずそうにしながらもきょろきょろと視線を動かして、なのはの肩にいるユーノに目を留めた。

 

「あら! かわいいフェレットだね」

 

 ユーノの事を褒められ、なのはは先ほどの事など忘れたように嬉しそうな声で「はい」と答える。

 そんななのはに近づきながら、女は手を伸ばしユーノの頭を撫でた。

 

「よしよし、なでなで」

 

 ユーノは身を固くしながらもなのはの肩から動かず、されるがまま女に頭を撫でられている。

 少しの間ユーノの頭をなでると、女は満足したようにユーノから手を離した。すっかり安心しきったのか、なのはは女に対して笑みを向けている。

 だがそこで、俺()()の脳裏に女の声がよぎってきた。

 

《今のところは挨拶だけね。忠告しとくよ。子供はいい子にしておうちで遊んでなさいね……おいたが過ぎるとがぶっといくわよ!》

 

 なのはを見ながらそこまで言うと、女は俺の方に視線を移して……

 

《この前はリニスの方からその子の家に押しかけたそうだし、千歩譲って正当防衛ってことにしてあげる……でも、これ以上あたしらを怒らせたくなかったら、さっさとジュエルシードと闇の書を渡しな。でないとあんたの方はがぶりじゃすまないよ。今だってこの場で食い殺してやりたいのを抑えてるくらいなんだ》

 

 一瞬だけ憎々しげに顔を歪めてそれだけを言うと、女は顔に笑みを戻し、

 

「さーて、もうひとっ風呂行ってこようっと!」

 

 と、わざとらしい独り言をこぼしながら俺たちの横を通り過ぎて行った。その背中を俺たちは呆然と眺める。

 それからしばらくして、すずかが心配そうな声で「なのはちゃん」と声をかけた。それになのはは「あっ……うん」と気の抜けた返事を返す。

 そんな彼女たちの横で、しびれを切らしたようにアリサが声を荒げた。

 

「なーにあれっ!? ヴィータの言う通り昼間から酔っぱらってんじゃないの? 気分わるっ!」

「同感だな……まあ酔ってるぐらいならまだいいが」

 

 アリサに同意を示しながらもヴィータはそんな言葉を付け足す。ヴィータももう気付いているようだな。

 そんな二人に、なのはは両手を前に出しながら言った。

 

「ま、まあまあ、くつろぎ空間だしいろんな人がいるよ」

「だからといって節度ってもんがあるでしょう! 節度ってもんが!」

 

 文句を垂れるアリサになのはは苦笑いを浮かべる。その笑みはいつもよりずっとぎこちないものだった。

 

 さっきの言葉や思念から察するに、あの女はリニスの仲間と見て間違いなさそうだな。

 ただ、女の言葉は俺だけでなく明らかになのはにも向けられたものだった。

 なのはを敵対している魔導師か何かと勘違いしているのか? それとも……。

 

 いや、それよりもリニスの仲間がここにいるということはもしかして……。

 それに思い至るやいなや、俺はこの中で唯一魔法についての話ができる相手に思念を向けた。

 

《ヴィータ、ちょっといいか?》

《何だいきなり? あたしは今気分が悪い。用件があるならさっさと言え》

《ああ、実はお前たち守護騎士に頼みたい事があるんだが》

《あたしらに? あたしらは今の主であるはやての命令しか聞かねえ。それをわかって言ってんだろうな?》

《その主の身の安全に関わる事だ。あの女がリニスの仲間だという事はとっくに気付いているんだろう》

 

 そう指摘するとヴィータはちっと舌打ちを鳴らし、

 

《……言ってみろ。聞くだけ聞いてやる》

《ありがとう。実は……》

 

 

 

 

 

 口に出さず思念だけで相談を交わしている健斗とヴィータの横で、なのはは先ほどの女の話を思い返していた。なのはが考えているのは、奇しくも健斗が抱いているものとまったく同じもので……

 

(さっきの女の人、この前の女の子の知り合いかな? でもあの女の人、健斗君にも何か話していたような……リニスとか闇の書とか、一体何のこと? それにあの女の人の言い方だと、健斗君もジュエルシードを持っているような……)

 

 そして、なのはとともに女の思念を受け取っていたユーノも、女の言葉を反芻しながら考えにふける。

 

(《闇の書》……管理局が血眼になって探している、世界を滅ぼすほどの力を秘めた第一級指定のロストロギア。ここでその名前を聞くなんて……あいつら、ジュエルシードに加えてそんな物まで狙っているのか? それにさっきの様子だと健斗という人は……まさか……)

 

 

 

 

 

 

 その頃、自分たちの邪魔をしている魔導師たちに“挨拶”を済ませた赤毛の女は、一糸まとわぬ姿で湯に浸かっていた。

 湯から伝わってくる快感に身を任せながら……

 

《あー、もしもしフェイト、こちらアルフ。ちょっと見てきたよ。例の白い子とオッドアイの男の子》

 

 そう伝えると、間も開けずアルフの脳裏にフェイトという主の声が返って来た。

 

《そう。どうだった?》

 

 主の問いにアルフはうーんともったいぶってから、

 

《まあ、白い子の方はどうってことないね。フェイトの敵じゃない。オッドアイの子もちょっと脅かしたら例の子と一緒にガタガタ震えてて、正直とてもリニスに傷をつけられるような子には見えなかった……ただ》

《……?》

 

 得意げに言った後でつぶやいた一言に、フェイトは首をかしげた時のような声を漏らす。そんな主にアルフは真剣味を帯びた声で言った。

 

《その二人と一緒にいた三つ編みの女の子、あいつはただ者じゃない。戦争のように激しい戦いを潜り抜けてきたような、そんな凄みを感じさせる子だったね。思わず身震いしちまったよ》

《そう。アルフがそこまで言うならただの女の子じゃなさそうだね。闇の書から出てきた守護騎士かな?》

 

 フェイトからの問いかけにアルフは肩をすくめる。

 

《さあね。少なくともまともにやり合うべき相手じゃないと思う。そっちの様子はどう?》

《こっちの方は次のジュエルシードの位置がだいぶ特定できたところ。今夜には捕獲できると思うよ》

《んー! ナイスだよフェイト! さすがあたしのご主人様!》

 

 フェイトからの朗報にアルフは思わず感嘆の声を上げる。うまく行けば、先ほど会った魔導師たちに勘付かれることなく終わらせることもできるだろう。

 

《うん、ありがとうアルフ。夜にまた落ち合おう》

《はーい!》

 

 フェイトとの念話が途切れてからもアルフは湯舟いっぱいに張られた湯を堪能し、大きな胸を揺らしながら「くつろぎくつろぎ」と独り言を漏らす。

 気が緩んだせいか彼女の髪から犬のような耳が飛び出し、アルフは思わず「おっとと」と声を上げながら耳を抑えた。もっともこの浴室には彼女以外の客はいなかったため、耳を出しても特に問題はなかったが。

 

 

 

 魔導師フェイトが使役する、狼型の使い魔アルフ。

 先程の挨拶が痛恨のミスであったことに彼女はまだ気付いていない。

 

 

 

 

 

 

 それから夜も更けて高町家と関係者が泊まっている客室では、土産を買いに行っている美由希とノエル、隣の寝室で本を読んで子供たちを寝かしつけているファリンを除いた大人たちや恭也を始めとする青年たちが、ビールや茶などの飲み物を手に取って乾杯をしていた。

 彼らが何度かコップに口をつけたところでファリンが寝室から出てくる。

 それを見て桃子はファリンに声をかけた。

 

「あらファリンちゃん、子供たちもう寝ちゃった?」

「はい桃子さん、なのはちゃんたちはもうぐっすり……ただ、健斗君とヴィータちゃんはどこへ行っちゃったんでしょうか? まだ戻ってきてないみたいですけど」

「健斗とあの子が? ……そういえば、はやてちゃんが連れてきた青い犬も見当たらないな。どこに行ったんだ?」

 

 ファリンの報告に士郎は眉をひそめると、彼らとともに酒を酌み交わしていたシグナムとシャマルは急にあたふたしながら、

 

「そ、そういえば、ザフィーラに旅館のまわりを散歩させてやりたいとあの二人が話していたのを聞いたような。なあシャマル!」

「え、ええ! さっき二人でザフィーラを連れて外に出かけていくのを見ました。きっとすぐに戻ってくるんじゃないかと」

 

 シグナムとシャマルは弁明するように言葉を並べるが、そこで忍は口元にいやらしい笑みを浮かべる。

 

「二人で仲良く犬のお散歩か。しかもこんな夜遅くに。もしかしてあの二人……いやあ、健斗君も隅に置けないね。喧嘩するほど仲がいいって言うけどもうそんなところまで進んでるなんて。はやてちゃんが知ったらどうなるやら」

「忍、勘ぐり過ぎだ……。しかし今度は健斗か、なのはといい最近の子供は。そのうち平気で夜遊びするようにならなければいいが」

 

 恋人をたしなめつつ恭也は素直だったはずの弟分を案じながらも嘆かわしいとばかりにため息をつき、そんな恭也を桃子と忍はなだめた。

 

 

 

 

 

 

 一方その頃。

 旅館の近くにある小川の上にかかっている桟橋(さんばし)の上にフェイトとアルフの姿はあった。

 アルフは桟橋の縁に座り、向こう側の茂みを見ながら隣に立つフェイトに尋ねる。

 

「あそこかいフェイト? 次のジュエルシードがあるのは」

「うん、あそこで間違いない。発動と同時に手に入れれば、あの子たちに気付かれてもすぐに逃げられる」

「ふーん。まあ確かに、白い子とオッドアイの男はともかく、あの三つ編みとやり合うことにならなければそれに越したことはないか。……それにしても、あんたのお母さんは何でジュエルシードや闇の書みたいなロストロギアなんて欲しがるんだろうね? あのおばさんならそんなもんなくても大抵のことはできそうなのに。リニスにそれを聞いてもはぐらかされてばかりだしさ」

 

 アルフの問いにフェイトは複雑そうな顔をしながらも首を横に振り……

 

「さあ。わからないけど理由は関係ないよ。母さんが欲しがってるんだから手に入れないと……そろそろ構えて。発動したらすぐに封印にかかる」

「ああ、いつでもいいよ。かかってきやがれってんだ!」

 

 フェイトの号令にアルフは拳をもう片方の手のひらにぶつけて応じた。

 

 

 

 

 

 ……それからしばらくの間、フェイトとアルフはジュエルシードが発動するのを待ち続けるが、やがて怪訝な顔をしながらジュエルシードがあるはずの場所を見る。

 いつまで経ってもジュエルシードが発動する気配を見せないのだ。今夜には自分たちが何か仕掛けるまでもなく、勝手に発動するはずなのに。

 

「フェイト、ジュエルシードは確かにあそこにあるはずだよね?」

「う、うん、そのはず。探知魔法で探しておいたから……それなのにどうして?」

 

 アルフに問われてフェイトはそう答えながらも場所を間違えたかとうろたえる。

 そんな彼女らに――

 

「お探しのものはこれかな?」

 

 突然声をかけられ、フェイトたちはそちらへ振り返った。

 

「あ、あんたたちは――」

 

 桟橋の前にいる彼らの姿を見てアルフは思わず声を上げる。フェイトもまた彼を見てつぶやきを漏らした。

 

「あなたは……」

 

 そこには三つ編みに結んだ赤毛の少女と青い狼、そしてフェイトが以前にも会った黒髪にオッドアイの少年がいた。

 

 先頭に立つ黒髪の少年は手に持ったそれを彼女らに見せつける。

 彼の手にはXVIIの数字を浮かべながら青い輝きを放つ、フェイトたちが探し求めていた2つ目のジュエルシードがあった。



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第17.5話 対局

17話の昼と夜の間にあたるエピソードになります。健斗とノエルの関係をクローズアップしたくて書きました。なお作者はチェスをやったことがありますがドがつくくらい下手です。ですので途中から「AIのべりすと」様の手を借りて文章を作りました。自分でも手を加えていますが、局の流れがおかしくなってるかもしれません。ご了承ください。


「どうぞ」

 

 温泉から上がり客室に備え付けられた椅子に座ってくつろいでいる恭也の前に、ノエルは湯気の立つ淹れたての茶が入った湯吞みを置いた。今は二人とも旅館が用意した浴衣に身を包んでいる。

 恭也は湯呑を掴みながら、

 

「ありがとう。しかし、ノエルも今日は仕事じゃないんだからのんびりしていいんだぞ」

「はい。のんびりさせていただいてますよ」

 

 恭也の労いにノエルは両手に盆を持ったまま、にっこりとしながら言う。

 そこへ――

 

「じゃあノエルさん、お茶を出して回るのはそのくらいにして俺と一局やりませんか? 久しぶりに」

 

 その声につられて恭也とノエルは出入り口の方を見る。

 連れの少女たちの前に立ってノエルに声をかけてきたのは、黒髪に黒の右眼と緑の左眼の少年。恭也にとっては弟に等しい家族であり、ノエルにとっては恭也に続く好敵手にあたる人物だった。

 彼の手にある二つに折られたボードを見て、ノエルは不敵な笑みを作りながら言った。

 

「至らぬ点もあると思いますが、私でよければ喜んでお相手いたします。健斗様」

 

 

 

 

 

 

 それからしばらく経って対局の準備が整ってから……

 

「「お願いします!」」

 

 

 対局前の一礼をしてから、俺は白のポーンを2マス前に進める。

 それを見てノエルさんはつぶやくように言う。

 

「最初に動かすのはクイーンとビショップの斜め上にあるポーンですか。典型的な手ですね」

「それだけ有効な手ということですよ。持ち時間には注意してください」

「ご忠告ありがとうございます。では私もクイーンやビショップが動かしやすくなるように……」

 

 そう言いながらノエルさんも俺が指してからちょうど10秒後に、俺が動かしたのと真逆の位置にあった黒のポーンを2マス進めた。

 

 

 

 

 

 俺とノエルさんはすずかや恭也さんを介した知り合いで、共通の趣味をもつ同好の士でもある。その趣味というのがチェスを始めとする盤面遊戯だ。

 

 前世で一国の王子として育った俺は、いずれ軍を率いる時に備えての教練の一環として盤上遊戯を仕込まれ、気がつけば王族としての嗜みとして知り合いや友人たちと何度も打つようになった。

 そして現世で生まれ変わった今でも、恭也さんを始めとする知り合いとチェスや将棋を打っている。

 

 ノエルさんの方は数年前まで趣味らしい趣味もなくメイドとしての仕事だけをしているような人で、たまに休息を取っている時などはただじっと座っているだけだったという。それを見かねた先輩がさくらさんと示し合わせていくつかの室内遊戯を勧めた結果、囲碁にはまるようになったらしい。先輩は「麻雀にはまったら面白かったのに」などとこぼしていたが。

 

 

 

 チェスを嗜む俺と囲碁の虜となったノエルさん。そんな俺たちが知り合って対局を重ねるようになったのは、ごく自然な流れだろう。

 とはいえ、メイドとしての仕事をしている時のノエルさんが対局をするようなことはない。忍さんたちからの許可が出てもだ。そのため俺とノエルさんが対局できるのは年に何度かある彼女の休日か合同旅行の合間くらいしかなく、旅行先での対局はほとんど恒例行事となっている。 

 そのため……

 

「おっ、やってるやってる!」

「チェスか、懐かしいな。俺もボディーガードを引退するまではアルバートとよく打ってたもんだ」

 

 不意にがらりと戸が開き、外に出ていた面々が部屋に帰ってきて、部屋の中央に置かれた盤面を見ながら忍さんと士郎さんはそんな言葉を漏らす。

 シグナムもはやてのすぐそばまで足を運びながら、盤面を見下ろしてぽつりと言った。

 

「……懐かしいですね。あの方と打っていた頃を思い出します」

「あの方って……もしかしてケントって王様のこと?」

 

 声を潜めながら尋ねるはやてに、シグナムは首を縦に振って答える。

 

「ええ。何度か相手をさせていただきました。まず駒の進め方を教わるところから始めて……それからお互い暇な時によく打っていましたが、さすがに相手は一国の軍を率いる王。まったく相手になりませんでした」

 

 確かに盤面遊戯でシグナムが俺に勝った事は一度もなかった。だがそれは経験不足による差で、対局を重ねていくごとに差は縮まっていき、最後の頃になると危ない局面も何度かあった。あと五局ほど打てばほとんど互角になっていたと思う。

 あの頃を思い出しながらしみじみと語るシグナムに、はやてはふーんと言ってから……

 

「じゃあ今度私とやろうか。うちにもチェスと将棋あるし。……父さんが遺したものやから縁起悪いかもしれんけど」

「そ、そんな滅相もない! ……ですがよろしいのですか? そのような大切なものを私が使っても」

「うん。部屋の隅にしまっているより、使った方が父さんも喜ぶやろうし。まあ、私は健斗君やノエルさんに比べたらルール知ってるぐらいの素人で、シグナムからしたら弱すぎると思うけど」

「い、いえ、最初は誰でもそのようなものです。……では主はやて、家に帰って落ち着いたらお相手をお願いできますか?」

 

 シグナムの言葉にはやては「うん! もちろんや!」と大きくうなずいて顔をほころばせた。

 

 

 

 

 

 その間にも対局は進み、四十手を越えたあたりですずかはおたおたしながらアリサに聞いた。

 

「ど、どっちが勝ってるの? 駒がごちゃごちゃしてもうわからない!」

「今のところややノエルが優勢ね。でも健斗も負けてない。ノエルが相手だと私でも勝てないくらいなのに」

「あははっ、さすがのアリサちゃんでもノエルには勝てないか……というより、チェスでノエルに勝てる人なんてもういないと思うけど

 

 盤面を見ながら冷静に解説するアリサに、忍さんは乾いた笑いを浮かべながらそんな言葉を漏らす。

 

 

 

 忍さんの言う通り、ノエルさんは強い。

 チェスでも将棋でも囲碁でも、常に最適と思われる手を即座に打ってくる。しかも何十手打ってもまったく疲労する様子を見せない。まるでコンピュータを相手にしているようだ。

 将棋や囲碁なら持ち駒や石の置き方次第で勝てる見込みはあるが、チェスではもう俺も恭也さんもノエルさんに勝てなくなってしまった。あと数年すれば将棋や囲碁でも彼女に勝つことはできなくなるかもしれないと恭也さんは言っていた。

 ちなみにノエルさんの隣でぽかんと見ているファリンさんは、姉と違ってめちゃくちゃ弱い。チェスも将棋も、いまだにルールブックを見ながらでないと駒も動かせないし、特殊ルールや禁じ手は何一つ知らない。二歩ぐらいなら見逃してやるのが暗黙の了解になっているほどだ。

 ただ、それについて忍さんが一度だけ「人間に似ているという点ではある意味ノエルより優秀ね」とつぶやいたことがあるが、その言葉の意味は未だに分からない。

 もしかしたらと思うが……まさかな。

 

 とにかくまともにやったら、チェスでノエルさんに勝つのはかなり困難だ。そのためいくつか対策も立てている。なるべくキャスリングやアンパッサンといった特殊ルールを使うようにしたり、お互いに一手数十秒の持ち時間を課したりなど。

 特に重要なのは後者の持ち時間。

 身内同士の遊びに制限時間なんてシビアすぎる、制限時間が短すぎるとよく言われるが、持ち時間を無制限にしたり何分も取っていたりしたら、それこそノエルさんには絶対に勝てない。彼女なら一分もしないうちにすべての駒の動きを読み取って、俺がどの駒を動かしてもそれに合わせた手を瞬時に考えつけるだろう。

 それを阻止するための方法が、わずか30秒の持ち時間だった。

 さすがのノエルさんも30秒の間にすべてのパターンを予測することはできない。どこかで何らかの隙が生まれるはず。

 それにこのような早指しは、リニスとの戦いの予行演習としても役に立つはずだ。

 

 実は今回ノエルさんに勝算が最も薄いチェスを挑んだ理由もそれだったりする。

 この前リニスに負けたのは魔具や魔導着がなかったせいもあるが、最大の敗因はやはり固有技能に頼り切っていたことだろう。技能を使っている間は動けない奴が相手だからと油断しきっていた。

 あいつに勝つには、こちらも高速で体と頭を動かすのに慣れる必要がある。

 

 その練習がこのチェスだった。

 

 

 

 

 

 対局はクライマックスを迎え、互いの駒は敵陣やその付近で相手のキングを巡って激しい攻防を繰り広げるようになった。

 その攻防のさなか、こちらのキングを守っていたルークが取られてしまう。

 

「チェックです。これでルークを二つとも失ってしまいましたね」

 

 ルークを掴んでチェックを宣言しながら、ノエルさんはフフッと笑う。

 彼女の言う通り、これで俺はクイーンに続いてルークを二つも失ってしまった。大駒と呼ばれるこの二種を失ってしまったことは大きな痛手だ。対して向こう側はクイーンこそ失ってはいるもののルークが一つ残っていて、そのルークも今はこちらの陣地に入り込んで俺のキングを討ち取る機会を虎視眈々と狙っている。

 

 このままではどんなに守りを固めても、俺のキングが取られてしまうのは時間の問題だ。これを打開するにはこちらが相手のキングを取るしかない。その要となりそうなのが……。

 俺は攻防をかいくぐって敵陣に潜入したポーンを見る。あと1マス進めれば盤の端に至りクイーンに成ることができる。それが成功すれば俺は再び大駒を手にすることができる。何より相手のキングを取るための大きな武器になるだろう。

 しかし、そんなことは(ノエルさん)もとっくにわかっているに違いない。追いつめたこちらのキング以上に自陣に踏み込んだポーンにちらちらと目を向けている。このままポーンを動かしたら近くにいるナイトでクイーンに成ったばかりのポーンを取るだろう。それはまずい。

 

(ここはやはりナイトを使うべきか……)

 

 ルークを使えば敵のポーンを取りつつ、相手側のキングにも手が届く。だが、そうなると今度は自分のキングを守る手段がなくなってくる。それにこちらから攻めるにしても、先ほどまでのように一気に詰め寄るようなことはできない。ルークは敵陣に足を踏み入れてしまえばほとんど動かせなくなるからだ。

 それならいっそビショップを使ってみるか? いや、それも駄目だ。さっきはクイーンを取ったポーンがそのまま敵陣に入ったことで相手に有利な展開を許してしまったが、もしここでナイトを使ったらまた相手のキングに手を届かせることができる。ただ、そうすると今度は俺の方の手番になるのだが、ルークはまだ自陣にいるので動くことができない。

 つまりルークを動かすためには、先に敵陣に侵入させたポーンをどうにかしなければならないわけなのだが、それをしようと思ったら今度はポーンの動きを邪魔するナイトを取らなければならないし、そもそもポーンの後ろはもう敵陣なので動けない。結局ルークを敵陣に入れるにはナイトでポーンを取ることが一番確実なのだ。ただ、これも難しい。なぜならナイトで取ったポーンはすでに敵陣に入っているのだから、今さらナイトでポーンを取っても敵陣に入ることはない。そのままポーンだけを相手にすることになるだけだ。

 つまり、俺は次の一手でポーンを捨てなくてはならないことになる。

 

「……」

 

 20秒ほど考えた末に俺はポーンを進める。

 対して、彼女はビショップを動かす。その次の手番で俺はビショップを進めた。

 

 これでいいのか? 本当にこれが正しい選択なのか?

 だが、そのおかげでポーンで取れる範囲が大きく広がった。そして相手のキングに手が届いた以上、これ以上こちら側が不利になることはまずないだろう。ならば無理をしてでも攻め込むべきなのではないか?

 いや、待てよ……。

 俺は考え直す。

 確かにポーンで相手のキングに届くようになったということは、それだけこちら側に有利になったとも言える。しかし、それはあくまでポーンが敵陣に入り込んでいる間だけの話だ。もしも相手がその隙を狙ってこちらのキングに直接攻撃を仕掛けてきたらどうなる? ナイトがあるとはいえ、こちら側から攻撃できるのはせいぜい一か所かそこらだろう。それに対して向こう側は複数箇所を同時に狙うことができる。こちらのキングに届くまでにいくらでもこちらのキングを攻撃するチャンスはあるはずだ。そうなったらこっちとしては防ぎようがない。

 俺はキングの前にビショップを移動させる。

 とりあえずこれで大丈夫だろうか……。

 いや、まだ足りない。もっと安全策をとっておくべきだ。

 そこで俺はポーンを前進させて相手のビショップを取り、それをさらにナイトで取りに行くという戦法をとった。こうすれば少なくとも二方向からの同時攻撃を受ける心配はない。

 しかし、これだとせっかく敵陣に踏み入れたポーンが再びこちら側に戻ってきてしまう。それにルークもすでにこちらのキングの近くまで来てしまっているので、ルークとビショップで同時に攻められると防ぎきれないかもしれない。やはりここはポーンを捨ててナイトで相手のクイーンを狙うしかないか。

 

 ここはポーンを後退させて……いや駄目だ。

 

 ナイトでクイーンを狙ったところでこちらの攻撃が成功する保証などどこにもない。むしろ失敗して逆にこちらのキングが狙われるようなことになれば目も当てられない。

 どうすると自問しながら俺は盤上を見渡す。

 

(……そうだ!)

 

 俺の中で一つの答えが出た。

 俺はナイトを動かす。

 

(どうして?)

 

 俺の行動を見てノエルさんは心底驚いた様子を見せる。

 

「――まさか!」

 

そう、そのまさかだ。

 

 ノエルさんがルークでこちらのキングを狙いに来る。それを予想していた俺はビショップでそれを迎撃した。

 

(そんな……)

 

ルークが取られるのを見て彼女は愕然とする。

俺はすかさずナイトを動かして、相手のキングを取りにいった。

 

(くっ……)

 

ノエルさんは必死に抵抗を試みるが、これ以上打つ手がなく……

 

 

 

「チェックメイト。俺の勝ちだ」

 

 俺がそう告げるとノエルさんは盤面に目を走らせるも、ほどなく打開策がない事を悟り、自らの手でキングを倒しながら言った。

 

「参りました……リザインします」

 

 悔しさをにじませた声でノエルさんが投了(リザイン)した瞬間、まわりからわぁっと声が上がった。

 

「すごい! 健斗君、ノエルに勝っちゃった!」

「な、なかなかやるじゃない。まあ私だってあれくらいはすぐに思いついたけど」

 

 すずかとアリサが口々にそう称える。その横ではファリンさんと忍さんがノエルさんの肩を叩きながら慰めていた。

 

「惜しかったね、お姉様」

「いえ、私の完敗です。勝負を急ぎすぎました」

「うーん、確かに終盤は指すのが少し早すぎたわね(演算能力の高さがかえって裏目に出ちゃったか。持ち時間がもう少し長ければ確認を怠ることもなかったんでしょうけど。まさかあの子、そこまで読んで……)」

 

 その一方で、恭也さんは誇らしげに俺の頭を撫でながら言った。

 

「よくやった健斗! まさかチェスでノエルに勝つとは。二人の対局を見ていたら俺も打ちたくなったな。どうだ? 次は俺と囲碁でも」

「気持ちは嬉しいけどさすがにちょっと疲れたよ。一時間は休憩させてほしい」

 

 俺がそう言うと恭也さんは納得した様子で肩をすくめながら、

 

「そうか……じゃあノエル、今度は俺と一局やらないか? さっきの雪辱を晴らすためにも」

「ええ! このままではすっきりしませんし、喜んでお相手させていただきます」

 

 俺と違って、ノエルさんは威勢よく応じて道具がしまってある荷物の方へ向かう。……この人疲れを知らないのか?

 そんな中で不意に脳裏に声がかけられた。その声はシグナムやはやてと一緒に対局を眺めていたシャマルのものだ。

 

《健斗君、ジュエルシードを見つけたわ。君が推測した通りこの近くの川の方にあるみたいだけど、どうする?》

《やっぱりか。わかった、頃合いを見計らって回収しに行ってくれ。念のためにシグナムかザフィーラも一緒に連れて。くれぐれもみんなに見つからないようにな》

《わかったわ!》

 

 俺の指示に、シャマルは思念による返事とうなずきを返す。

 ジュエルシードの位置を掴むことに成功したらしい。やはりこの手にかけて彼女ほど優秀な奴はいないな。

 とにかく、これで向こうとの戦いにおいても先手を取ることができた。後は向こうの顔を拝むだけだ。

 

 

 

 俺は部屋の中央に視線を戻す。

 すでに囲碁の準備が整い、恭也さんとノエルさんが対局を始めていた。その対局は先ほどのチェスに劣らない熱い戦いだったがこれ以上は控えておこう。

 

 そうして今回の旅行の定例行事にして、今夜の戦いの前哨戦は幕を閉じた。



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第18話 フェイト

 電球が消され光源が部屋に差し込んでくる月の光のみとなった寝室にて、他の子たちの()()()()が寝入っている中で八神はやては目を開いた。

 ファリンが読んでいたグリム童話は何度も読んだことがあり、話の流れを知っているはやてにとって眠気を催すほど退屈なもので、ある意味寝る前に聞かせる話としてはうってつけだった。だがその眠気も、昼間に起こったことを考えた途端どこかへ行ってしまう。

 

 

 はやては布団に包まれた体をよじって隣の布団を見る。

 

(……やっぱり行ってしもたか)

 

 隣の布団にはヴィータが横になっているはずだった。だが、今そこには誰もいない。おそらく自分たちと離れた所に敷かれた布団で寝ているはずの健斗も。

 おそらく、いや十中八九、昼間に出会った長い赤毛の女が絡んでいるのだろう。あの時の健斗やヴィータの様子からして、彼女がリニスの仲間だということくらいははやてにもわかった。

 今頃は、健斗たちとあの女性が魔法による戦いを繰り広げている最中だろうか。

 

 そんなことを考えていた時だった。

 

「ユーノ君、起きてる?」

 

 ふいになのはは、右端で寝ているアリサに抱かれているペット(フェレット)に向かってそんな声をかける。

 ペットを飼っている人間にはよくあるらしい行動だ。しかし、フェレットなんかに話しかけても何の反応も帰ってくるはずがない。

 はやてはそう思っていたが……

 

「う、うん……はぁ」

 

 アリサがいる方から声とため息がしてはやては目を見張りそうになり、懸命にそれをこらえる。

 アリサじゃない。明らかにアリサの声ではないし、彼女にしては反応が妙だ。

 なのはと誰かの声はそこで途切れ、再び部屋に静寂が戻る。だがそれで会話が止まったとは限らない。それはここ数日の間の守護騎士と健斗の様子を見て知った。《思念通話》という魔法によるものらしいが。

 しかし、それを使っているということは……

 

(もしかしてなのはちゃんも……まさか……でも)

 

 はやてが今考えていることはあまりに突飛すぎる話だ。だがそう思わずにはいられないほど、はやてのまわりで色々なことがありすぎた。

 はやては目を閉じながら体を動かし、さりげなくなのはの方に体を向ける。

 それから徐々にゆっくりと瞼を持ち上げる。

 なのははむくりと起き上がって何かを見下ろしている。はやてはそれを見ようと焦る気持ちを抑えながら、細めた目を動かし、なのはの視線の先を見る。

 そこではやてが見たものは――

 

 

 

 

 

 

 旅館の外にある、先ほどまでジュエルシードがあった場所の近くにかかっていた桟橋(さんばし)の上には、案の定、昼間に会った赤毛の女と、彼女の相方らしき長い金髪を二つに分けた髪型の少女がいた。

 赤毛の女は白いタンクトップに短いデニムパンツの上に黒いマントを羽織り、金髪の少女は黒いワンピースを着ている。

 赤毛の女の頭の上についている犬のような耳と腰のあたりから生えている尻尾を見て俺たちは眉をひそめるも、女の方は俺たちの視線など気にせずに問いを投げた。

 

「あんたたちがどうしてジュエルシードを? まさか、私たちより先に見つけていたのか?」

 

 その問いに、俺は内心で気を取り直しながら首を縦に振る。

 

「あっ……ああ。リニスやジュエルシードと闇の書のことを知ってる怪しい女がいたからもしやと思ってな。それでこの付近を探してみたら、案の定これを見つけたというわけだ。昼間俺たちに声をかけたのは失敗だったな」

「ぐっ――」

「……アルフ」

 

 うなり声を上げる相方に金髪の少女は目を向ける。女はうろたえながら少女の方を振り返った

 

「ご、ごめんフェイト。フェイトの邪魔をしたりリニスを傷つけた奴がいたからつい――」

「いい。それを許したのは私だから。それに取られたのなら……あの人たちから奪い取ればいいだけ」

 

 若干の間を空けながらフェイトという女の子はそう答える。それを聞いて、アルフというらしい赤毛の女は気を取り直したように俺たちに言った。

 

「そ、そうだよ! フェイトの言う通りだ。おいあんたら! 痛い目にあいたくなかったら大人しくそのジュエルシードを渡しな! あんたらが持っているもう一つのジュエルシードと闇の書って本も含めてね!」

「闇の書まで! てめえら、やっぱりリニスの仲間か! 闇の書とジュエルシードって石ころを集めて何をしようってんだ?」

 

 鋭い口調と視線でヴィータは凄むものの、アルフはひるむ様子も見せず、馬鹿にするような笑みを浮かべながら言った。

 

「さあね、答える理由が見当たらないよ。それにさ、昼間に言ったよね。これ以上あたしらを怒らせないうちにジュエルシードと闇の書を渡せって。あたしもフェイトも大事な仲間を傷つけられて腹が立ってるんだ。特にあいつに傷をつけたオッドアイのガキは、今すぐ食い殺してやりたいくらいにね!」

 

 そう言うとともにアルフの青い目は細くなり、赤い髪は異様なほどに逆立ち、たちまちのうちにアルフは赤い狼へと姿を変えた。その額には人間の姿をしていた時と同じく赤い宝石のようなものが埋め込まれている。まるでザフィーラのように。

 

「赤い狼……やっぱりあいつも」

「うむ、あの女も守護の獣だったらしい。しかも私とほとんど同じ姿をしている。実に興味深いな」

 

 ヴィータに続いて、今まで沈黙していたザフィーラもようやく声を発する。それを聞いて、狼になったアルフの口から人間が発するものと変わらない言葉が出てきた。

 

「へえ、あんたも《使い魔》だったのか。あたしと同じ種族なんて確かに妙な偶然だね。そう、そいつが言ったとおり、あたしはフェイトに作ってもらった魔法生命。製作者の魔力で生きる代わり、命と力のすべてをかけて守ってあげるんだ」

「使い魔……あの子が作った魔法生命だと?」

 

 俺はアルフが言った言葉の一部を自身の口から漏らす。じゃあまさか、リニスもアルフって奴と同じ使い魔なのか?

 

 驚愕する俺の前でフェイト右手を上げる。その手の中には三角形の黄色い金属が握られていた。

 

「《バルディッシュ》、起きて」

『Yes,sir!』

 

 その瞬間フェイトが持っていた金属が黄色く発光し、フェイトの体はその光に包まれる。

 魔導着か魔導鎧を装着する気か!

 そう思って、光に包まれているフェイトを見ながら構えたところで――

 

「なにぼっとしてんだ!」

 

 その一声が届くと同時に、アルフが大きな口を開いて俺に向かってくる。その口からのぞくするどい牙を見た瞬間俺は思わず――

 

 フライングムーヴ!

 

 技能を発動させた瞬間、俺以外のものの動きは止まっているかのように急激に緩やかになる。

 俺に食らいつこうとしている狼も宙に浮いたままだ。

 その隙に俺は狼の進行方向から離れつつ彼女たちの姿を見据え、そして見てしまった!

 

 フェイトの体は白くて綺麗な肌をしており、胸は年相応に未発達ではあるがすでに膨らみ始めている。少なくともなのはやはやてよりは大きい。彼女たちと変わらない歳であの大きさだと将来は結構大きくなるのではないだろうか。それでもアリサやすずかには負けると思うが……。

 

 フェイトを見ながらそんなことを考えている間に技能が解けて再び時間は動き出し、フェイトは瞬く間に黒ずくめの魔導着を装着し鎌のような魔具を手にする。

 袖のない上下一体型の黒い服、その腰回りに付けた桃色の短いスカート、黒い靴下とブーツ、その上に羽織った黒マント……結構露出が多い恰好だ。

 リニスといい狼になる前のアルフといい、なんでこの一味は揃いも揃って露出度が高い服を着ているんだ? 彼女らの主とやらも露出過多な恰好をしているのだろうか? ……若くて美人な女だといいな。

 

 一方、アルフは俺が一瞬前までいた方に向かって鋭い勢いで跳んでいくものの、手ごたえがないと気付いた瞬間に四つの足で地面を削りながら動きを止めて、不思議そうに辺りをきょろきょろと見渡しながら再び俺の方を向いた。

 

「――いつの間にあんなところまで? リニスが言っていた通り妙な動きをしやがるガキだ……あん?」

 

 そう毒を吐きながら再び俺に向かってこようと、前足の片方を踏み出すアルフの前に、ある者が立ちはだかった。そいつは俺たちを襲う赤い狼とは色違いの青き狼、守護獣ザフィーラだった。

 

「彼女の相手は私に任せてくれ。名と在り方は違えど、彼女も私も主を守護する獣。一対一で勝負がしてみたい」

「……」

 

 そう言いながらザフィーラはアルフをまっすぐに見据える。それに対してアルフもザフィーラを見返しながらフェイトを横目で見た。

 そんな使い魔に向かってフェイトは首を縦に振り、

 

「いいよ。アルフは彼の相手をお願い」

「フェイト!? でも――」

「大丈夫、あの二人くらい私だけで充分。私は強いから」

「……わかった。でも、何かあったらあたしを呼びな。すぐに駆け付けてやる」

「うん。アルフこそ無茶しないでね」

「オッケー!」

 

 主を心配しながらもアルフは吼えるような声でそう言い残し、ザフィーラに向かって飛びかかった。ザフィーラはそれを真正面から受け止め、二匹の獣は激しくぶつかり合いながら、互いに全力が出せる森へと移っていった。

 

 

 

 

 

 ザフィーラとアルフがいなくなって、俺とヴィータは橋の上でフェイトと対峙する。ヴィータもフェイトと同時に着替えていたらしく、彼女も今ははやてが考えた赤いドレス状の騎士甲冑を装着し、アイゼングラーフという槌を手にしている。

 フェイトも鎌のような形をした魔具を俺たちに向け、俺は腰に提げた刀の柄に手をかけた。

 フェイトが持っている魔具は見た所リニスのバルバロッサと互角、いやそれ以上……この刀で渡り合えるか?

 

 フェイトは彼方で自身の使い魔と戦っているザフィーラに目をやりながら言う。

 

「いい使い魔だね。私の力を分けたアルフと互角に渡り合うなんて」

「ザフィーラを使い魔なんてもんと一緒にすんな。……で、相棒にはああ言ってたけどやっぱりやる気か?」

 

 ヴィータの問いにフェイトはこくりとうなずいた。

 

「もちろん。私はロストロギアの欠片を、ジュエルシードを集めないといけない。そしてあなたたちも同じ目的なら、私たちはジュエルシードをかけて戦う敵同士ってことになる……だから」

 

 不意にフェイトの体は俺たちの前からかき消えた。そしてほぼ同時に、すぐそばから敵意と気配が感じて俺は叫ぶ。

 

「後ろだ! 避けろ!」

 

 俺とヴィータは空中に飛ぶ。その直後にフェイトの鎌が俺たちがいた場所に振るわれた。

 それからフェイトもまた宙を飛び、俺たちを追いながら先ほどの言葉の続きを言った。

 

「賭けて。それぞれのジュエルシードをひとつずつ」

 

 その間にもフェイトは瞬く間に俺たちに追いつき、ジュエルシードを持つ俺を狙って鎌を振るう。それに対して俺は瞬時に刀を鞘から抜いて、彼女の攻撃を受け止めた。

 速い。リニス同様、彼女の最大の武器はやはりスピードのようだ。だが――

 

「――甘い!」

 

 俺は両腕に力を込めてフェイトの鎌を弾き返す。

 やはりまだ幼いためか、リニスに比べたらスピードも腕力もかなり劣る。武器ならあちらに分があるが。

 

「テートリヒ・シュラーク!」

 

 ヴィータが上から大きく槌を振り下ろし、フェイトは即座に鎌を前に突き出す。

 だが衝撃を受け止めることはできず、フェイトはうめき声を漏らしながらヴィータから距離を取ってすぐさま左手を突き出し、円状の魔法陣を手の先と足元に展開する。

 それを見て俺も右手を突き出し、三角形の魔法陣を自身の手の先と足元に展開した。

 

Thunder Smasher(サンダースマッシャー)

「ラグナロク!」

 

 フェイトの魔法陣から金色の光線が、俺の魔法陣から紺色の光が、互いに向けて放たれる。

 二種の光線は空中で衝突する。だがフェイトが放った金色の光は俺が撃った紺色の光よりやや勢いが弱く、紺色の光は金色の光を飲み込んでそのままフェイトに向かっていく。

 それを見て俺は右手を下ろした。

 そこへ――!

 

Scythe slash(サイズスラッシュ)

 

 上から降り注ぐ無機質な声を耳にして、俺は頭上を見上げる。

 そこには金色の魔力刃が飛び出た鎌を振るい上げるフェイトの姿があった。

 だが、俺はあえて彼女に向かって飛翔し、振るい下ろされる鎌を潜り抜けてフェイトに肉薄し、彼女の首元に向けて刀を振り上げた。

 

「――っ!」

 

 自身の首筋に向けられた刃を見て、フェイトはこわばった表情で息を飲む。

 

「俺の勝ちだな。約束だ、お前が持っているジュエルシードを渡してもらおうか」

「私の、負け……?」

 

 恐怖に歪んだ口からそんなつぶやきを漏らすフェイトに、俺は首を縦に振った。

 

 

 

 彼女は強い。

 今の時点で並の魔導師では足元にも及ばないほどの魔力を持っており、それをうまく行使するための応用力と判断力も兼ね備えている。

 一言で言えば天才だ。ベルカの戦乱を戦い抜いた猛者でさえ、これほどの資質を持つ魔導師は数えるほどしかいなかっただろう。この先の経験次第では俺や守護騎士どころか、クラウスやオリヴィエに並ぶ魔導師にもなれるかもしれない。

 

 だが、やはりまだまだ未熟だ。

 実戦でのやり取りや駆け引きもまるでなっていない上に、体が発達していないため身体能力が低く肉弾戦には不向きだ。

 そして、何より覚悟が足りていない。この期に及んでジュエルシードをひとつずつ賭けることを持ち出したのがその証拠だ。

 本当に俺やはやてからジュエルシードと闇の書を根こそぎ奪うつもりなら、有無も言わさず俺たちを倒し、それからシードと書を奪い取るべきだった。

 この子は、フェイトは人から何かを奪うにはあまりにも純真すぎる。

 

 

 

「もう一度言う。お前が持っているジュエルシードを渡せ。そしてもうジュエルシードや闇の書から手を引くんだ」

「で、でもそんなことしたら母さんが……母さんの夢が……」

 

 悲痛な声でそう漏らすフェイトに、俺は情を捨てて告げる。

 

「お前の母親がどんな夢を持ってジュエルシードと闇の書を欲しているのかは知らないが、これらは安易に手を出していいものじゃない。何より俺にとってもジュエルシードと闇の書は必要な物なんだ。悪いが諦めるように母親に伝えてくれ。納得できないならそちらから来てほしいともな。交渉くらいはするつもりだ」

「交渉……あの人にそんなこと――」

「健斗、後ろだ!」

 

 フェイトが何か言いかけたところで眼下から声が上がり、俺は反射的に後ろを振り返る。そこにはいつの間にかザフィーラと戦っていたはずのアルフが迫って来ていた。

 

「ぐああっ!」

 

 アルフはすさまじい勢いで俺を跳ね飛ばし、たまらず俺の体は横へと弾き飛ばされる。

 アルフは俺に構わずフェイトの方に向かい、人間の形態に戻りながら彼女に寄り添った。

 

「大丈夫かいフェイト!? ――!」

 

 アルフはフェイトに声をかけてからぎろりと俺を睨む。

 殺気に染まったその目を見て、思わず身がすくんでしまった。

 アルフはそのまま俺に襲い掛かろうとするものの、後ろにいるヴィータやザフィーラを見て動きを止め、舌打ちしながらフェイトに言った。

 

「……退くよフェイト。状況が悪い。退散した方がよさそうだ」

「でもアルフ、この人たちはジュエルシードを。それにリニスの代わりに闇の書も手に入れなきゃ――」

「このままやったらフェイトが持ってるジュエルシードを奪われかねない。もしジュエルシードをひとつも手に入れられなかったなんてことになったら、さすがにどうなるか」

「それは……うん、そうだね」

 

 アルフの説得にフェイトはまだ何か言おうとするも、アルフの硬い表情を見て渋々うなずく。二人の顔に浮かぶ汗を見て、俺もなんとなく彼女らの主がどういう人物なのか察しが付いた。

 アルフは振り返りながら俺たちに向かって、

 

「聞いての通り、今回はここで引き上げさせてもらうよ。でも、今度会ったら必ずあんたらを殺して、ロストロギアをひとつ残らず奪い取ってやる。命が惜しかったら四の五の言わずにジュエルシードと闇の書を渡すことだ――いいね!」

 

 そう言い捨てるとアルフとフェイトは俺たちに背を向けてどこかへ飛んでいく。

 それを見て――

 

「あっ、おい待て! くそっ、すぐに後を――」

「待てヴィータ! 追わない方がいい!」

 

 急いで彼女らを追おうとするヴィータを手で制して止めた。ヴィータは不満もあらわに、

 

「なんでだよ!? あいつらを捕まえてリニスや親玉の居場所を聞き出さねえと!」

「いや、健斗の言う通り、ここは逃がしてやる方がいいかもしれん。追いつめられた者ほど恐ろしいものはない。特にあのアルフという女なら健斗の首を食いちぎるくらいのことはやりかねん」

 

 ザフィーラの言葉を聞いて、俺もヴィータも背筋が冷たくなるのを感じた。

 

「……確かにあいつならそれくらいはやりそうだな。わかったよ。そんなところ見たらメシがまずくなるし健斗に何かあったらはやてが悲しむ。今日の所はあれくらいで勘弁してやるか」

「ああ、俺もそれがいいと思う。ジュエルシードもまたひとつ手に入ったしな」

 

 両手を首の後ろに回しながら吐き捨てるヴィータに、俺は手に入れたばかりのジュエルシードを見せながらそう告げる。これの使い方を知らないヴィータは「そんなものが一体何の役に」と言いたげな目を件の物に向けた。

 

 それに収穫はもう一つある。彼女らが言ったことからすると、リニスやフェイトたちの主はフェイトの……。

 

 

 

 

 

 

 健斗と守護騎士二人の姿が見えなくなってからアルフとともにフェイトは地上に降り、この場を後にすることもなく地面に膝をつけて愕然とした。

 

(負けた……私が、同じ年くらいの男の子にあっさりと……)

 

 フェイトはこの二年間、リニスの指導の下でひたすら魔法の修練に打ち込んできた。大魔導師たる母に恥じぬ娘であろうと、家族や自分自身すら顧みずにひたすら研究に打ち込んでいる母の悲願を叶える手助けをするため、ただ一心不乱に。

 自分が天才だという自覚などない。自身に優れた力が備わっているというのなら、それは母から受け継いだ資質とリニスの指導によるものだろう。

 

 だからこそ悔しかった。

 大魔導師と呼ばれる母の資質を受け継ぎ優秀な教師の指導を受けてきた自分が、同じ年くらいの子供にあっけなく負かされたということが。

 何よりも――

 

『――甘い!』

 

 バルディッシュを弾いた時に少年が言った言葉が、フェイトの頭にこだまする。

 

 甘かった。戦い方もジュエルシードにかける意気込みも。

 だからジュエルシードを横から取られ、敗北を喫することになる。

 アルフのせいじゃない。すべて自分の甘さが招いたことだ。

 

「私は甘かったの? 本気でジュエルシードを手に入れようとしなかったからこうなったの? 私は母さんのためにジュエルシードを集めようとしたのに。その思いは確かだったはずなのに……」

「フェイト……」

 

 ひざまずきながらフェイトはぶつぶつとつぶやき続ける。それをアルフは黙って見ているしかできなかった。

 

 

 

 

 

 そんなフェイトたちを、なのはと彼女の肩に乗っているユーノは遠くから眺めていた。

 

「あの子たちはこの間の……なのは」

「う、うん。ジュエルシードがかかわっているかもしれないし、何があったのか事情を聴きたいところだけど……」

 

 なのははユーノに言われた通り少女に声をかけようとするものの、何かに取り憑かれたようにぶつぶつとつぶやきを漏らす少女の様子にただならぬものを感じて、それ以上動くことができないでいた。

 

 なのはとフェイトは、数日前に月村邸の庭で暴走したジュエルシードを巡って戦ったことがある。結果は実力を十分に発揮できなかったなのはの敗北に終わったが。

 

 今の少女の様子は明らかに前とは違う。あの時よりはるかに危うい気配を漂わせている。

 ユーノもそれを感じ取ったのだろう。なのはに対して、

 

「……いや、話ができる状態じゃなさそうだ。何があったのかは気になるけど刺激しない方がいい。見つかる前にここを離れよう」

「……う、うん。そうした方がいいかもしれないね」

 

 ユーノに言われるがまま、なのはは何度か少女たちの方を振り返りながら渋々その場を後にする。

 

 

 

 

 少女のただならぬ様子にやむなく彼女たちに背を向けるなのは。

 自分の甘さと弱さを思い知らされたフェイト。

 そしてなのはが抱える秘密の一部を知ったはやて。

 

 この三人の少女が抱えるわだかまりがきっかけとなって、海鳴どころかこの世界そのものを()()()()揺るがす事態が起きることになるとは、この時点では誰にも予想しえなかっただろう。



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第19話 アリサ

「生意気にカチューシャなんかつけてきてんじゃないわよ! あたしによこしなさい!」

 

 月村というクラスメイトが身に着けていた白いカチューシャを奪い取ると、彼女は手を伸ばしながら言った。

 

「……か、返して。それはお父さんとお母さんがお姉ちゃんと一緒に買ってくれた……」

 

 でも、それに構わずあたしは、

 

「はっ? 聞こえないわ! とにかくこれはあたしがもらってあげるから、あんたはまたパパとママやお姉ちゃんって人から新しいの買ってもらいなさい! あたしの目に映らないくらい地味なのをね」

「そ、そんな……」

 

 彼女は目に涙を浮かべてべそをかきそうになる。

 その時だった。

 

 パンッ!

 

 そんな擬音に相応しい快音があたりに響く。

 気がつけば、あたしの前には茶髪の女の子が片手を振り上げて立っていた。そしてしばらくしてから、頬からじわりとした痛みが伝わってきた。

 彼女が近づいてきたことにも、ひっぱたかれた事にも気付かなかった。

 

 頬をさすりながら呆然としているあたしに対して彼女は口を開いた。

 

「痛い?」

 

 その言葉に戸惑いを覚えながら。

 

「――あ、当たり前でしょ! あんな風に叩かれたら誰だって――」

「痛いよね……でも、大事なものを取られちゃった人の心は、もっともっと痛いんだよ!」

 

 あたしの言葉をさえぎって放たれた一言に思わず唖然としてしまう。気付けばまわりにいた子たちも、カチューシャを取られた子も彼女の後ろで口を広げたままあたしたちを見ていた。

 とにかくこんなことをされて黙っていられるわけない。ここで謝ったりカチューシャを返したりすれば彼女に負けたみたいじゃないか。

 彼女の言うことを理解していながらそんなくだらない意地を張るくらい、この頃のあたしは未熟だった。

 

「だ、だから何よ? 大切なものだってはっきり言わないこの子が悪いんじゃない! 私は絶対に謝ったりなんか――」

「ちょっとええか?」

 

 ふいにすぐ傍から声がかかって、思わずそちらの方を向く。あたしと相対していた子たちもだ。

 そこには茶色がかった短い髪に十字の髪飾りと二本のヘアピンを付けた女の子がいた。月村の友達だろうか? うちのクラスの子じゃないが。

 一方、彼女もあたしの事を知らないのだろう、臆することもなくまっすぐあたしに向かって言ってくる。

 

「すずかちゃんはええ子から大きな声で怒鳴ったりとかできないんや。まあ正直、大切なもの取られたんやから、すずかちゃんはもう少し怒った方がええとは思う……やけどな、相手が何も言わんからって勝手に人のもの取り上げたりしていい理由にはならんけどな。違う?」

 

 その子はにこやかな笑みを浮かべながらも額に青い筋を立てて、低い声で問い詰めてきた。

 ……怖い、あたしを叩いた子よりずっと。子供ながらにそう思った。

 彼が来たのはそんな時だった。

 

「おい! お前たち一体何をやってんだよ? 君、大丈夫か? 一体何があった?」

「うっ……うう…………」

 

 やっとあたしに優しい声をかけてくれる人が現れた。その安心から目がぼやける。そしてついに――

 

「うう……うっ、うわあああああん!!

「えっ!?」

「ちょっ、ちょっと――」

 

 涙と感情を抑えきれず、子供みたいに声を上げて泣きじゃくってしまう。それを見て彼も女の子たちもオロオロしだした。月村なんて、私が握っているカチューシャのことも忘れたように懸命に私をなだめようとする。でも自分でも泣くのをやめられない。

 その声を聞きつけたのか、それより前に騒ぎが起こっていることを知って来たのか、すぐに数人の教師がやって来た。その中には担任の先生もいる。

 

「ちょっとあなたたち! これは一体何の騒ぎ――御神君、まさかあなた……」

 

 泣いているあたしの前に立っている彼を見て、教師たちは彼に疑いの目を向ける。彼は慌てて――

 

「――えっ、俺!? 違います! 俺も今来たばかりで、この子にわけを聞こうとしたら急に泣き出して――」

「言い訳は職員室で聞きます! 早く来なさい! 場合によってはお母さんにも学校まで来てもらいますからね!」

違います!!

 

 先生が彼の腕を掴んだ瞬間、月村は大きな声を上げる。その声に、先生たちや女の子たちは驚いた顔で彼女を見た。もちろんあたしと彼も。

 いつも無口で、カチューシャを奪われた時もろくに物を言えないような子があんな声を上げるなんて。

 

 それから月村をはじめ、あたしたちが先生に事情を話したことで彼の潔白は証明された。その代わり喧嘩をしていたあたしたちの親が学校に呼び出されて、あたしたちはひどく叱られる羽目になったけど。

 

 

 

 それが彼女たちや彼――御神健斗と友達になった最初のきっかけだった。

 

 

 

 

 

 

いい加減にしなさいよ!!

 

 突然アリサの大声が屋上中に響き渡る。俺たちは思わずそちらを向いた。関係がない生徒たちも含めて。

 しかし、それが目に入っていないようにアリサは怒鳴り続ける。

 

「こないだから何話しても上の空でぼうっとして!」

「あっ……ごめんねアリサちゃん」

「ごめんじゃない!」

 

 なのはの謝罪もさえぎってアリサは声を荒げ、しばらくなのはを睨み続けるとふんと鼻を鳴らして背を向けた。

 

「あたし別の場所で食べてくる。今のなのはを見てるとご飯がおいしくなくなりそうだから」

「ア、アリサちゃん!」

 

 そのまま屋上を出て行くアリサと、申し訳なさそうな顔で頭を下げながら彼女を追うすずか。

 彼女らの背中を見ながら、雄一は落ち込んでいるなのはに声をかけた。

 

「気にすんなよ高町。バニングスって機嫌が悪いと誰に対してもあんなふうだからよ」

「ううん。今のはなのはが悪かったから」

「いや、今のは完全に八つ当たりだろう。ずっとちやほやされてまた調子に乗ってんのかもな。また高町が一発ひっぱたいて目を覚ましてやったらどうだ?」

「そ、そんなことできないよ! 私が話も聞かずにぼうっとしてたから怒られただけだし――」

 

 軽口を叩きながら励まそうとしている雄一に、なのはは両手を振ってそう言い切る。

 そんな二人を眺めながら俺ははやてに向けてぼやいた。

 

「一発か。またあの時みたいにアリサが泣き出したり、俺が疑われるようなことにならなければいいけどな」

「…………」

 

 はやては俺が振った話題に返事もせず、食事にも手を付けずうつむいたままだった。……こいつもか。

 

 あの旅行以来、はやてもこんな風に反応が鈍くなることが増えた。そのことでヴィータから疑われ問い詰められたこともあるが、身に覚えはまったくない。

 むしろ、はやてと同じようにぼんやりするようになったなのはと関係がある気がする。俺たちが知らないところで喧嘩でもしたのか?

 

 とにかく、なのはやはやてに関しては俺が何をしようがどうにもならないだろう。むしろこの件でフォローする必要がありそうなのは……。

 

 

 

 

 

 

 はやてたちと別れて中庭の方に行ってみると、案の定アリサとすずかはそこにいた。

 ただ事でない様子で何やら言い合っている二人に近づこうとする者はいない。例外は俺だけだ。

 

「よっ、二人ともそんなところにいたのか」

「あ、あんたは――」

「健斗君!」

 

 片手を上げながら近づくと、二人は見開いた目をこちらに向けてくる。

 構わず歩を進める俺にアリサはぷいっと顔を背けながら、

 

「何しに来たのよ? はやてと一緒にいなくていいわけ?」

「雄一みたいなことを言うなよ。いつも一緒にいるわけじゃない。……それにはやての奴も最近何を話しても上の空でな、そろそろ反応を返してくれる奴と話したいと思っていたところなんだ」

「あっ……そういえばはやてちゃんも……」

 

 俺と同様にはやてを心配していたすずかは顔を曇らせる。

 

「それであたしたちを追っかけてきたってわけ? あんたもつくづく物好き――いえ、変わり者ね」

「変な風に言い直すな。物好きな奴でいいだろう。……まあいい。すずか、ちょっとアリサを借りたいんだが構わないか?」

「うん。私はいいけど……」

「なんであたし本人じゃなくてすずかに聞くのよ? すずかもうんうんうなずいてんじゃない!」

 

 アリサは声を荒げるものの、結局すずかは校舎に戻り、校庭には俺とアリサだけが残された。

 

 

 

 俺は傍にあったベンチを下ろしながら口を開く。

 

「ここで話していると一年の頃を思い出すな。覚えているか? 俺たちが初めて会った時のことを」

 

 それに対してアリサはその場に突っ立ったまま。

 

「……あたしがすずかたちと話すようになった時のことね。そういえばもう一人いたっけ、あたしをいじめたって誤解されて職員室に連れて行かれそうになってた奴が」

 

 俺が言った言葉を訂正しながら、くくくと意地悪そうに笑うアリサ。それに対して俺はため息をつきながら、

 

「あの時は危なかったな。すずかがかばってくれなかったら、俺は母親とお前のお父さんの二人から叱られていたかもしれない」

「確かに。そうなったらもっとひどい目に合っていたでしょうね。あんたのお母さん怖そうな人だし、パパもあの頃はあたしにめちゃめちゃ甘かったから」

「今でも甘いだろう。帰りは必ず執事さんが自家用車で迎えに来るんだから……まあ、悪さをした子供を叱るくらいの分別は持っていたみたいだが」

「……そうね」

 

 アリサは笑みを消して、しみじみとした口調で言う。

 

 

 

 

 

 アリサのお父さん、デビッドさんが一人娘を溺愛していることは、聖祥学園の関係者にとっては周知の事実だ。

 そのためアリサが泣かされたことを知って、教師たちはびくびくしていた。事を知ったデビッドさんが学校に怒鳴り込んでくるのではないかと。しかし、だからといってデビッドさんを含む親たちに何も伝えないわけにはいかない。

 教師たちは彼らに連絡を取る一方で、どうやってデビッドさんの怒りを沈めるか頭を抱えていたらしい。

 

 しかし、それは杞憂だった。

 デビッドさんは教師たちやアリサから詳しい事情を聞くとすぐに娘を叱り、彼女とともにすずかやなのはたちに謝罪したからだ。

 それから娘たちは仲良くなって一緒に行動するようになり、デビッドさんと士郎さんもサッカーの話題で意気投合し、高町家とバニングス家は月村家ともども家族ぐるみの付き合いをしている。

 

 

 

 

 

「でも、あれから数日後にあんたがあたしのクラスに来て、プログラムのことを教えてほしいなんて言い出すとは夢にも思ってなかったわ。そっちの勉強はどう? 最近はあたしの方も色々あって課題も出してないけど」

「参考書を読んだりして続けてはいるよ。プログラミングの技術で成し遂げたいことがあるからな。今の技量で通じるとは思えないが……」

 

 何しろ先史時代の研究者たちが総出で当たっても修復できなかった闇の書が相手だからな。アリサでも無理だと思う。もっとプログラムや魔導機器に詳しい技術者が味方にいればいいんだけど。

 

「ふーん、あたしに次いで学年2位の成績を取ってるあんたでもできない事か。ちょっと興味あるわね」

 

 学年2位という言葉に頬が引きつる。

 この学校に入学してからの3年間、俺たちの学年の成績の順位はアリサが総合1位、俺が2位という結果が続いている。俺の方が実質的に彼女よりはるかに長く生きているにもかかわらずだ。体育もすずかに負けて首位を取れていない。おかげで他の生徒から『万年2位』なんて陰で呼ばれている。

 全教科常に100点なんて反則だろう。たまには誤字で点数落とせ。

 

 頭に浮かんだ考えを振り払うように俺は咳払いをして。

 

「……それはともかく、ずっと1位を取るくらい頭のいいお前なら俺が言いたいことくらいわかるだろう」

 

 俺がそう言うと、アリサはまた不機嫌そうに腕を組みながら言った

 

「わかってるわよ! なのはやはやてが黙っているのは、あたしたちに心配かけさせたくないからだってことくらい。多分あたしたちじゃどうすることもできないってことも……」

「いや、できることならある」

 

 その言葉にアリサは「えっ?」と言いながら俺に顔を向けた。そんなアリサに対して俺は続ける。

 

「待つことだ。あいつらの悩みが解決するか、俺たちに打ち明けたくなる時をじっと待つんだ。……俺たちじゃ役に立たないかもしれない。でも、あいつらがくじけて弱音を吐きたくなったら、それにじっと耳を傾けてそれからなのはやはやてを慰めてやる。それが俺やお前たちに出来ることじゃないのか?」

 

 そこまで言ってアリサの方に顔を向けると、彼女の呆気にとられたような表情に気付き急に恥ずかしくなる。しまった、ちょっとクサすぎたか。

 だがアリサは呆れも笑いもせず、ぷいと顔を背けて鼻を鳴らした。

 

「ふん、健斗のくせに知ったようなこと言っちゃって。あんたに言われなくても待つわよ! あの子たちの親友として力になれない自分に腹を立てながら!」

「……ありがとう。あいつらもお前に感謝してると思うよ」

 

 礼を言うとアリサは照れ隠しにふんと顔を背ける。

 その顔が微笑ましくて思わず笑ってしまい、アリサは抗議の声を上げた。

 だがしばらくしてから、俺は真剣な表情を作って……

 

「……なあアリサ」

「……何よ? 笑ったと思ったら、また真面目な顔になって」

 

 表情と声色を変えた俺にアリサは怪訝そうな目を向ける。そんな彼女に俺は続けた。

 

「……もしかしたらなのはとはやてが抱えているのは、お前にとってあまりに信じられないような話かもしれない。もしそんな話を打ち明けられた時、お前はそれを信じることができるか?」

 

 それを聞いてアリサははぁと言いかけるも、すぐに神妙な顔になり宙を見上げる。

 やがて彼女は再び俺の方を向いて……

 

「当たり前でしょ! 私たちに心配させまいと黙って耐えてきた子たちが今さらどんな嘘をつくって言うのよ?」

「……それもそうだな」

 

 アリサが言ったことに俺はそれだけを返す。

 アリサの言い分はもっともだ。この期に及んでアリサたちに嘘がつけるほど、なのはもはやても器用ではあるまい。さすがに魔法の石や魔導書なんて話を本当に信じてくれるとは思えないが、彼女ならもしかしたら……。

 そんなことを思っていると、

 

「……健斗」

「ん? どうした?」

 

 ふいにアリサに名を呼ばれ、俺は思わず彼女の方を見る。

 

「なのはやはやてが隠してることって、もしかしてあんたが隠してることと関係があるの?」

 

 そう言われて俺は思わず目を見開いてしまった。

 

 

 

 

 

 

 思い切って尋ねた途端に、彼はかっと見開いた目をあたしに向ける。

 わかりやすい。相変わらず詰めが甘い奴。

 あんたが何かを隠していることくらいずっと前から気付いてたっつーの。そうでなきゃ、あたしにプログラムを教えてほしいなんて頭を下げてまで頼んだりしない。

 

 それを抜きにしてもこいつは不思議な奴だった。

 授業を真面目に聞いていないのに、あたしの次にいい成績を取っている。特に理数に関してはすでにおおよそのことを知り尽くしているんじゃないかってくらい。

 でも、国語や社会ではわずかに追いつけていない部分もあって点を取り逃してしまう。あたしだったらそんなヘマをしたりしない。

 

 あたしに似ている――でも明らかにあたしと違う。

 あたしが生まれながらに何でもわかるとしたら、彼は生まれながらに何でも知っている。

 いうなればそんな違いだ。

 

 それに彼は年相応に振る舞う一方で、あたしたちを年の離れた妹やその友達のように見守っていることがある。彼と幼少の頃から過ごしてきたというはやてもその例外じゃない。

 だからだろう。時折彼が十くらい離れたお兄さんのように感じる錯覚を覚えるのは。

 

 そんな彼があたしに頭を下げて、必死にプログラムを学んで習得している。怖いくらい熱心に。

 何もないなんて思う方が無理だった。

 

 特に最近は変だ。

 突然血相変えてカップルを追いかけたり、はやての家族だっていって旅行について来た人たちと仲良くしてたり、その旅行の夜にヴィータって子とこそこそ抜け出したり。

 

 

 

 御神健斗は大きな秘密を持っている。多分なのはやはやてが抱えているものより、もっと大きな秘密が。

 図星を突かれて驚いている彼を見て、ますますその確信は強まった。



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第20話 二人目の魔法少女

 同日の夕方、フェイトたちが住むマンションでは。

 

 

「うーん、こっちの世界の食事もなかなか悪くないよね!」

 

 そう言いながらリビングでドッグフードをたいらげるアルフ。そこにリニスが通りがかるのを見つけて、アルフは食べかすを口に付けたまま顔を上げた。

 

「あっ、リニス。またお姫様のところにいくの?」

「ええ。そろそろ食器を下げないと……ちょっとでも食べていればいいんですけど」

 

 リニスが小さく付け足した言葉にアルフも顔を曇らせる。

 リニスはそれ以上何も言わず、アルフも黙って彼女について行った。

 

 

 

 

 装飾もなく、生活に必要な家具だけがある無味乾燥な部屋。

 その部屋の隅に置かれたベッドにフェイトは横たわっていた。眠ってはいない。ただ横になって数日前の事を思い返していた。

 思い出すのはオッドアイの少年との戦い、そして敗北。

 負けた瞬間を思い出すたびに、フェイトは強くシーツを握りしめる。

 

 なぜ私は負けた? なぜ私が見つけたジュエルシードが彼らに奪われた?

 いや、その理由はわかってる!

 

 ――甘い!

 

 少年に言われたその一言がこれ以上ないほど明確な敗因だった。もっと必死にジュエルシードを手に入れようとはしなかったからああなったのだ。

 そう悔いているところで――。

 

「フェイト、食器を下げに来ました」

 

 部屋の主に声をかけながら、リニスと彼女に続いてアルフが部屋に入って来た。

 

「……また食べてませんね」

 

 机に残されたままの食事を見ながら、リニスはため息を漏らす。そんなリニスを見上げながら、フェイトは顔を上げる。

 

「食べたよ……少しだけど」

 

 明らかに無理をしている様子でそう言いきる彼女に、リニスとアルフは心配そうな眼差しを向ける。

 アルフの方を見ながらフェイトは言った。

 

「アルフ、そろそろ行こうか。次のジュエルシードの大まかな位置特定は済んでいるし、あんまり母さんを待たせたくない……それ、食べ終わってからでいいから」

 

 フェイトの言葉にアルフは慌てて自分の左手を見る。無意識のうちにドッグフードの箱を持って来てしまっていたみたいだ。

 アルフはドッグフードを背中に隠しながら言った。

 

「あたしはいいよ! 食べた方がいいのはフェイトの方! あんた、この前からろくに食べてないし寝てもいないじゃないか! あのオッドアイと三つ編みに負けた時から――あっ!」

 

 そこまで言ってアルフは慌てて自分の口を押さえた。

 しかしフェイトはそれを咎めずに、

 

「大丈夫……あの時のことは気にしてないから。それより今はジュエルシードを集めないと。あんな人たちに構っている暇なんかない」

「フェイト……」

 

 そう言いながら懸命に笑みを向ける主にアルフは言葉を飲み込む。

 そんなアルフの隣で、リニスは顎に手を載せて思案していた。

 

(いえ、フェイトの報告通りなら御神健斗と守護騎士もジュエルシードを集めているはず。その目的はわかりませんが、フェイトたちが再び彼らと遭遇する可能性は高い。白い服の魔導師とやらも気になります。……このままだとジュエルシードが手に入らないどころか、フェイトが手に入れたたった一つのジュエルシードさえ奪われてしまうかも)

 

 リニスが考えている間にも、フェイトはベッドから立ち上がり黒い《防護服(バリアジャケット)》に身を包んでいく。

 フェイトは部屋の中央まで歩を進めながら言った。

 

「私はアルフと一緒にジュエルシードを手に入れてくる。リニスも傷が治ったのなら、そろそろ闇の書を取りに行って。母さんの願いを叶えるためには、ジュエルシードと闇の書の両方が必要だから」

 

 そう言ってフェイトは部屋を出ようとする。アルフもそれに続こうとした。

 しかし……

 

「待ちなさい!」

「……?」

「……リニス?」

 

 突然の制止にフェイトとアルフは後ろを振り返り、怪訝そうな顔をリニスに向ける。

 そんな二人にリニスは言った。

 

「フェイトの言う通り、私たちの責務はあの方が求める二種のロストロギアを手に入れることです。……ですが今まで通りのやり方だと、彼らの妨害によってジュエルシードも闇の書も手に入らないままに終わるかもしれません」

「それは……」

「まあ、あいつらが邪魔しに来るのは十分あり得るけどさ」

 

 リニスの言葉にフェイトとアルフはばつが悪そうになる。特にフェイトはやはり数日前の敗北がこたえているのだろう、悔しそうに顔を歪める。

 そんな二人を見回しながらリニスは告げた。

 

「ですから、今回はジュエルシードを確実に手に入れるために……私たち全員で行きましょう!」

「えっ?」

「あたしら全員で……?」

 

 リニスの提案にフェイトとアルフは驚いて顔を上げる。

 そんな二人に向かってリニスはこくりと首を縦に振り、笑みを向けながら言った。

 

「ええ。うまくいけばジュエルシードが手に入る上に、邪魔者が二人くらい減るかもしれません」

 

 

 

 

 

 

 下校してからすぐに家に戻り、傘立ての中から刀を取り出す。母さんが俺用に用意した子供用の真剣で殺傷力もある。

 リニスやフェイトが持っている魔具に比べたらやや心許ないが、短剣(ブラッディダガー)よりはこちらの方がまだいい。

 問題はこれを持って外に出れば思い切り銃刀法違反になることだな。特に街中だといつ警官にしょっ引かれるかわからない。だが、フェイトやアルフはともかく、リニスが現れたら素手や短剣ではとても太刀打ちできない。警官とかに見つかったら結界とかを使って逃げるしかないか。

 刀袋に入っている得物を握りながらそんなことを考えていると、懐にあるスマホから着信音が鳴った。相手はシャマルだ。俺はすぐに通話ボタンを押す。

 シャマルは名を告げてからすぐに言った。

 

『ジュエルシードがある場所がわかったわ』

 

 やっと見つかったか。思わずそう言いかけるもののそれを抑えて。

 

「そうか、ありがとう……で、それはどこにある?」

『……街中よ、市街地の真ん中にあるみたい。そんなところにあってよく今まで発動しなかったものだわ』

 

 シャマルはため息混じりに呆れた声をこぼす。

 確かに持っている者の感情に反応して暴走するような魔法石が市街地なんかにあって、何も起こらなかったのは奇跡だ。

 いや、もしかしたら……

 

「もしかしたら街の地下に埋まっているのかもしれない。元々この世界にあったものとは思えないし、次元転移で道路をすり抜けて地下に埋まっていたのかも」

『――あっ! 確かに、考えてみればその可能性は高いわね。それなら今まで発動も暴走もしなかったのもうなずけるわ。……っていうか健斗君、よくそんなことに気付けるわね。管理世界の人間でもないのに』

「そ、それは……い、今までの話からそう考えたんだよ! ワープとか次元間の移動ってそんなことが起こりそうなイメージがするだろう?」

 

 俺の言い訳にシャマルは怪訝そうにうなる。

 彼女が頭を悩ませている間に俺は話を戻すことにした。

 

「と、とにかく、俺は今からジュエルシードを取りに行く! できればお前たちにも手を貸してほしいんだが」

『あ……ああ、リニスやフェイトって子たちもそのジュエルシードを取りに来るかもしれないものね。わかったわ! はやてちゃんが帰ってきたらシグナムたちもそこに向かわせる』

「頼む!」

 

 はやてはまだ戻ってきていないのか。だとしたら守護騎士たちはしばらく動けそうにないな。彼女たちにとって優先するべきなのは俺やジュエルシードではなく、闇の書とその主の安全なのだから。

 

 俺は舌打ちをこぼしながらスマホをしまい、刀を手に家を飛び出して市街地へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 フェイトたちと健斗がそれぞれの家から出て数時間後。

 夏に入る前のこの時期はまだ日が暮れるのが早く、18時を過ぎるころには空はどっぷりと暗くなる。それでも月明かりと星々のきらめき、そして街中の建物から灯る明かりのおかげで視界には不自由しないのだが。

 

 光を放ち街を照らす建物のひとつ、その屋上に彼女たちはいた。

 フェイトは人々であふれる街を見下ろしながら口を開く。

 

「大体このあたりだと思うけど、大まかな位置しかわからないんだ」

「確かに。これだけごみごみしてると探すのも一苦労だぁね」

 

 アルフはそう言って、狼の姿のまま大きなため息を吐いた。

 そんな彼女たちの後ろからリニスはフェイトに向かって問いかける。

 

「フェイト……本当にやるんですね?」

 

 その言葉にフェイトは重々しい表情で首を縦に振った。

 

「うん。ぐずぐずしているとあの人たちが来ちゃうかもしれない。ちょっと乱暴だけど周辺に魔力流を打ち込んでジュエルシードを強制発動させて、場所を探り当てるよ」

 

 もう手段は選ばない。何が何でもジュエルシードを手に入れないと。

 そう心に決めながら、フェイトは眼下の街に向かってバルディッシュを構える。

 そんな主を見て、アルフも覚悟を決めたように表情を引き締めて言った。

 

「待った! それくらいあたしがやるよ」

 

 そう言い出したアルフにフェイトは見開いた目を向ける。

 

「アルフ! でも……」

 

 そんな主にアルフは笑みを見せながら言った。

 

「主がそこまでやろうとしてんのに使い魔がじっと見ていられるもんか。ここはあたしに任せときな」

 

 アルフがそこまで言うとフェイトは薄く笑って。

 

「じゃあお願い」

「そんじゃ!!」

 

 アルフが気炎を上げると同時に、彼女の足元に円状の魔法陣が浮かび、そこから瞬く間に茜色の光柱が空へと伸びる。

 その様子を、リニスは教え子たちの後ろでただじっと見守っていた。

 

(いよいよですか……さて、誰が来るのやら)

 

 

 

 

 

 

 俺が市街地に着いた頃には空はすっかり暗くなっていた。それにもかかわらず街は明るく、人々は昼と変わらずに街中を闊歩している。

 守護騎士たちの姿は見えない。まだ俺一人だけらしい。

 

 そう思っていると突然雷が鳴り、それと同時に街の明かりが一斉に消えていき、人々は慌てふためきながら屋内へと逃げ込む。そんな中、俺は空を見ながら状況を分析していた。

 魔力反応を伴う稲妻、明らかにただの自然現象じゃない。間違いなくあいつらの仕業だろうな。

 

 街の真ん中に雷が落ち、そこから青い柱が立ち昇る。この反応は二度ほど見たことがある。ジュエルシードだ。

 俺はすぐそちらに向かって駆けた。

 

 

 

 

 

 

「見つけた!」

 

 雷が落ちた場所から昇った青い柱を見つけてフェイトは思わず声を上げる。

 一方、彼女の隣にいるアルフは周囲が紫に染まっていくのを見て、

 

「……でも、あの子も近くにいるみたいだね」

「そのようですね。そしてやはり彼も……」

 

 紫色の街の中を走る人影を見つけてリニスもつぶやく。

 フェイトはバルディッシュを構えながら言った。

 

「早く片付けよう。バルディッシュ!」

『Sealing form set up』

 

 バルディッシュはそう告げると自らの形を砲撃用に変える。

 フェイトは射撃砲に形を変えたバルディッシュの先端を青い柱に向けた。

 リニスはそれを見届けながら、

 

「では、そちらは二人に任せます。私はあちらの方を」

「うん」

「おう!」

 

 そう返事を返す二人に背を向けて、リニスは眼下の街へ跳んだ。

 

 

 

 

 

 

 青い光を目指して駆けだすと同時に周囲が紫色に染まり、街中にいた人々が姿を消していく。

 リニスかアルフあたりが張った結界魔法だろうな。だがこちらにとっても好都合だ。

 人目を気にする必要がなくなったことで、俺は宙を飛び空からジュエルシードがある場所を目指す。

 ビルの屋上で金色の光が瞬いたのはまさにその時だ。

 まさか、あんな遠くからジュエルシードを狙い撃つ気か?

 

 俺は急いで件の場所まで飛ぼうとする。だが――

 

『Scythe Slash』

 

 頭上から無機質な声がして俺は反射的に真後ろへ跳ぶ。その直後俺がいた場所に黄色い刃が付いた杖が振るい下ろされた。

 

 それを振るってきたのは女だった。

 胸元が開いた黒いインナー、その上に羽織った白いコート、青みがかった瞳、薄茶色の短い髪、耳を隠すために付けた白い帽子、そして9歳の子供に対しても容赦なく大人げない攻撃……忘れるわけがない。

 

「リニス……」

「久しぶりですね御神健斗。やはりここに来たのはあなたでしたか」

 

 ジュエルシードがある場所へと急ぐ俺の行く手を塞いだのは、高位の魔導師によって作られた猫型の使い魔にして、現状において最も厄介な敵でもあるリニスだった。

 俺は自然と彼女を睨む。彼女も目を細めて俺を見据えた。

 

 その時ビルから金色の光がジュエルシードに向けて放たれ、その反対側からも桃色の光が放たれた。

 二つの魔力がジュエルシードと衝突し、あたり一帯がまばゆい光に包まれる。俺もリニスもたまらず腕で顔を覆いながらそちらを見た。

 

 ほどなく光は収まり、表面にXIXの文字を浮かべながら宙を漂うジュエルシードが現れる。

 そこに向かって一人の少女が歩いて来た。

 聖祥の女子制服によく似た白い服を着ていて、赤い宝石が付いた杖を左手に持っている。

 その少女は俺がよく知っている人物で――

 

「……なのは?」

 

 その声に反応したのか、空に浮かんでいる俺たちに気付いたのか、なのはもこちらを見上げてつぶやく。

 

「健斗君……?」

 

 さらに、なのはの後ろにはユーノというフェレットもいて、なのはとともに俺たちを見上げていた。

 

(やっぱりあの人は……)

 

 なのはたちがいる反対側にはリニスの仲間の少女フェイトもいる。

 

(あの人も来たのか……)

 

 

 

 こうして俺はとうとう、なのはまでもがジュエルシードに関わっていたことを知った。ジュエルシードを求める二人目の魔法少女の存在を知ったのである。



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第21話 VSリニス 再び

 リニスたちの魔法によって強制的に発動したジュエルシードのそばに現れたのは、俺の幼なじみにして従姉妹でもある少女高町なのはと、ユーノというなのはが飼っているフェレット(?)だった。

 

「なのは……なんでお前がここに?」

 

 なのはは俺の問いに答えず、逆に聞き返してきた。

 

「健斗君こそどうやって結界の中に? それになんで健斗君が空を飛んでいるの?」

 

 ……?

 なのはが発した疑問の片方に俺は眉をひそめる。

 なぜなのはの口から結界なんて言葉が? その言い方だと、この結界はリニスたちではなく、なのはたちが張ったような言い方じゃないか。

 

「なのは、伏せて!」

 

 俺となのはが固まっているところで、ユーノはそう叫んでなのはの前に飛び出す。同時に彼女らの真上から赤い狼が飛びかかってきた。フェイトが従える使い魔、アルフだ。

 アルフとぶつかる寸前にユーノの前に緑色の障壁が現れ、アルフはそれに弾かれる。

 しかしアルフは空中で巧みに体をひねることで、難なく地面に着地した。

 

「はああっ!」

 

 アルフに呼応するように、リニスもまた雷刃が付いたステッキを振るって来る。

 俺は刀を取り出し、リニスの杖――バルバロッサを受け止めた。

 

 

 

 

 

 

 健斗とリニスが空中で戦いを繰り広げている真下で、なのははフェイトと対峙したまま戸惑っていた。

 なぜ健斗が結界の中に入ってこられたのか、なぜ空を飛んでいられるのか、なぜ白い帽子とコートを身に着けた女性と戦っているのか、色々と疑問は尽きないもののひとつだけ確かなことがある。

 

 健斗もまた自分と同じ魔法を使う魔導師だ。その事をなのはは初めて知ることになった。

 

(健斗君がなんでここに来れて、何のために女の人と戦っているのかはまだ分からない。でも今は――)

 

 なのはは頭上で戦う彼らから視線を下ろす。

 そこには数週間前にすずかの家の庭で出会った黒い服の少女がいた。

 なのはは足を一歩だけ前に踏み出しながら、目の前の彼女に向けて口を開く。

 

「この間は自己紹介できなかったけど、私なのは――高町なのは! 私立清祥大付属小学校三年生! ……あなたの名前は?」

 

 なのはの自己紹介に対して、目の前の少女もまた口を開いた。

 

「私はフェイト――フェイト・テスタロッサ……でも覚える必要はない」

 

 フェイトは黒い杖をなのはに向けて構えながら続けて言った。

 

「私はそのジュエルシードを手に入れたいだけだから!」

 

 そう口にするやフェイトの杖から『Scythe Form』という声とともに雷の刃が飛び出し、フェイトの手にした杖は鎌のような形に変わる。それを手にフェイトはなのはに向かってくる。

 なのはは両足に魔力でできた桃色の翼を生やして頭上に跳び、フェイトの一撃を躱す。

 空高く浮かび眼下にいるフェイトを見ながらなのはは思った。

 

(フェイトちゃんどうして……どうしてそんなに寂しい眼をしているの?)

 

 

 

 

 

 

「サンダースマッシャー!」

 

 リニスがそう口にした直後に彼女の杖から黄色い光線が放たれ、俺はそれを避ける。

 光線を避けた俺の前にリニスが迫って来たのはまさにその時だ。こちらに向かってくる動作さえ見せないほど速い動きだった。リニスはすでに杖を振り上げていて、俺にまっすぐ得物を打ち下ろしてくる。

 俺は相手が現れると同時に刀を前に突き出す。

 俺の刀とリニスの杖は真正面から衝突し、火花を散らしながら空中でぶつかり合った。

 何度か剣戟を繰り返してから、俺とリニスは得物をぶつけた反動を利用して後ろへ跳び、互いに距離を取って睨み合う。

 

(相変わらず速いな。動作がまったく見えない。一瞬でも気を抜いたらすぐに叩きのめされてしまう……恐ろしい奴だ)

(この前と比べて身体能力が劇的に上がったわけでもない。それなのに技能なしでも私の攻撃を受け止められるようになっている。得物が変わって調子が出ているのもあるのでしょうが、私との再戦に備えて修練もしていたようですね。これでこの子がデバイスを手にしたりしたら……)

 

 リニスは俺に向けて武器を向け、それに合わせて俺も刀を構える。

 

(……でも)

「――!」

 

 その直後に、リニスは一瞬にして俺の眼前まで距離を杖を振るってきた。

 俺はわずかに狼狽しながらも、かろうじて刀を前に突き出しリニスの杖を受け止める。

 その衝撃からはリニスの強い闘志とともに殺気までもが伝わって来る。

 

 負けるわけにはいかない。主のためにも、フェイトのためにも――。

 

「私はまだ負けるわけにはいかない!」

 

 そう叫んで勢いを付けながらリニスは杖を振り下ろしてきた。かろうじて刀でそれを受け止めながら俺もまた叫ぶ。

 

「負けるわけにいかないのはこっちの方だ!」

 

 力を振り絞り勢いのままに刀を振り上げ、その衝撃でリニスの杖は弾かれる。

 俺はそのままリニスを斬らん勢いで彼女に向かっていくが、リニスは刃を避け一瞬にして俺から距離を離す。

 そんな相手に俺は再び刀を向けた。

 

 こんなところで負けたら、二度と夜天の魔導書を止めることができなくなってしまう。“彼女”に会うこともできなくなってしまう。だから――。

 

「俺は負けるわけにはいかない!」

 

 どれだけ優秀な魔導師やその使い魔が相手だろうと、負けるわけにいくものか!

 

「そうですか……」

 

 リニスはつぶやきを漏らしながら固い表情で杖を構え、俺たちは睨み合いながら対峙する。

 そんな時だった。

 

フェイトちゃん!

 

 俺たちよりやや高いところから響いて来た声に、何があったのかと俺もリニスも思わずそちらに顔を向ける。そこにはフェイトという少女に対して、桃色の杖を向けているなのはの姿があった。

 

「ぶつかり合ったり競い合うことになるのはそれは仕方のないかもしれないけど……だけど、何もわからないままぶつかり合うのはわたし嫌だ!」

 

 フェイトに杖を向けたまま、なのはは必死に訴え続ける。

 

「私がジュエルシードを集めるのはそれがユーノ君の探し物だから。ジュエルシードを見つけたのはユーノ君で、ユーノ君はそれを元通りに集め直さないといけないから。私はそのお手伝いをするだけのつもりだった。だけど……

 ユーノ君のお手伝いをするようになったのは偶然だけど、今は自分の意志でジュエルシードを集めてる。自分が暮らしている町や自分のまわりの人たちに危険が振りかかったら嫌だから。

 それが私の理由!」

 

 なのはの言葉に響くものがあったのか、フェイトはおずおずと口を開こうとする。

 

「私は……」

フェイト! 答えなくていい!

 

 だが、フェイトの言葉は眼下からの声にかき消される。そこには赤い狼の姿でユーノを追っていたアルフがいた。

 

「優しくしてくれる人たちのトコでぬくぬく甘ったれて暮らしているようなガキンチョになんか、何も教えなくていい! あたしたちの最優先事項はジュエルシードと闇の書を手に入れることだよ!」

 

 主に向かってアルフがそう吼えると、フェイトは口から出かけていた言葉を飲み込んで鎌をなのはに向け、なのはは息を飲んだ表情でフェイトを見る。それが隙になってしまった。

 フェイトは瞬時に向きを変えてジュエルシードの方へと向かい、なのはは慌ててフェイトを追う。そこに俺とリニスが割り込む余裕はなかった。

 

 真下に向かって滑空しながら、フェイトはジュエルシードを掴み取ろうとするようにまっすぐ鎌を伸ばす。

 なのはは自身の中にある魔力を振り絞り速度を上げながら、フェイトと同様にジュエルシードに向けて桃色の杖を伸ばす。

 その結果……

 

「えっ……?」

 

 そんな声が何人かの口から漏れた。

 

 なのはの杖とフェイトの鎌は同時にジュエルシードを捕まえていて、ジュエルシードは二つの魔具に挟まれる形となっていた。

 

 その瞬間、ジュエルシードを捕えていた二つの魔具の先端にひびが走り、ジュエルシードから大量の光があふれ出した。

 

きゃあああああ!

 

 光はそのまま二人や街を包み込み、俺たちの視界は瞬く間に真っ白に塗りつぶされた。

 

 

 

 

「しまった!」

 

 

 

 

 真っ白な視界の中から聞こえてきた男の声は幻聴に違いない。結界に閉ざされているこんな場所に俺たち以外の人間なんているわけないからだ。

 その時の俺はそう思っていた。



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第22話 新たな勢力

 街は揺れ、それとともにジュエルシードから発せられる光はどんどん膨張していって、なのはたちを包み込んでいく。

 それを目の当たりにして俺とリニスはたまらずに叫んだ。

 

「なのはー!」

「フェイト!」

 

 最悪の想像を思い浮かべて叫ぶ俺たちの前で、なのはとフェイトがそれぞれ光の中から飛び出してきた。二人とも大きな傷を負っている様子はない。彼女たちを見て、俺もリニスもほっと胸をなでおろす。

 なのはたちが出てきてからすぐに地震も光も収まり、地面に着地した彼女らの間には、青い輝きを放ちながら宙を浮かんでいるジュエルシードがあった。

 その輝きを見てすぐに察する。

 

 まだだ、まだジュエルシードは収まっていない! このままだと――。

 

 フライングムーヴ!

 

 

 

 技能の発動を念じた瞬間に俺以外のものはピタリと動きを止める。ジュエルシードを挟んでいるなのはとフェイトも、二人を見守っているユーノとアルフも、そして俺の傍らでジュエルシードを注視しているリニスも今はピクリとも動くことができない。

 

 その間に俺は空中から地面に向かって飛び降りるように下り、ジュエルシードのすぐそばに着地する。

 

 そこで俺は技能を止め、まわりのものは一斉に動き出した。

 

「えっ……?」

「健斗君……?」

「――しまった!」

 

 突然ジュエルシードのそばに現れた俺を見て、なのはもフェイトも思わず目を見張り、空中ではリニスが声を上げている。

 そんな彼女たちに構わず俺は青く輝き続けるジュエルシードを見据えてから、両手でそれを掴み取る。すると――

 

「ぐあああああ!」

 

 ジュエルシードを握った瞬間、それは逃れようとするように眩い光を放ちながら脈動し、すさまじい激痛と熱が両手から伝わってきた。

 それを見て――

 

「駄目だ! いますぐジュエルシードを離せ! そんなことをすれば君が――」

 

 向こうからユーノというフェレットが叫んでくるのが聞こえてくる。だが、かといってジュエルシードを離すわけにはいかない。

 

「おとなしくしろ……この…………ぐぉぉっ」

 

 そう言っている間にも、握りこんだ手の間からジュエルシードの光が漏れて、手のあちこちが裂けて血があふれ出てくる。それでも俺は歯を食いしばり、ジュエルシードを握りこむ両手に力を込め続ける。

 なのはたちもフェイトたちも今ばかりは手を出すことができず、ジュエルシードを握り続ける俺を遠巻きに眺めることしかできないでいた。

 

 それからしばらく経って、徐々にジュエルシードの発光は収まっていき、かの石は眠りについたようにその動きを止めた。

 俺は血まみれの両手を開き、それを確かめる。

 どうやらこれで収まったみたいだな。

 

 ――そう安堵した瞬間だった。

 

「はあっ!」

 

 その声を聞いて思わずそちらに顔を向ける。

 そこには杖を振るうリニスの姿があった。今の俺にはそれを避けることも受け止めることもできず――

 

「ぐああっ!」

「健斗君!」

 

 リニスの一撃を受けた俺はそのまま地面を転がり、それを目にしたなのはは思わず叫ぶ。

 苦痛を耐えきった末にようやく手に入れたはずのジュエルシードは俺の手から宙へ飛び、リニスは何のためらいもなくそれを掴み取る。

 だが彼女はそれだけでは足らないとばかりに、俺のすぐそばまで飛んできて倒れている俺に向けて杖を振り下ろし、杖から生えてきた雷刃を首筋に付きつけて言った。

 

「まだです! まだあなたはジュエルシードをいくつか持っているはず。それをすべて渡しなさい!」

 

 血走った目を向けながらリニスはそう告げてくる。

 ここで拒むようなことをすれば確実にやられる。

 そう確信して俺は懐からジュエルシードを取り出し、彼女に向けて差し出した。

 

「これだ……俺が今持っているのはこれだけだ」

「……」

 

 リニスはジュエルシードを奪い取りながらも、鋭い形相で俺を睨みながら口を開いた。

 

「これだけではないでしょう。最低でももう一つジュエルシードを持っているはずです。それも渡してください……さもないと」

 

 そう言いながらリニスはわずかに杖を動かす。杖から生えた雷の刃はわずかに首を伝って、かすかな痛みと痺れを与えてくる……もう一つの石も渡さざるを得ないか。

 言われるがままもう一つのジュエルシードを差し出そうと、俺が懐に手を入れた時――

 

「やめてリニス!」

「フェイト……」

 

 フェイトが叫んだ途端、リニスははっとした顔になって彼女の方を見る――今だ!

 

「でああ!」

 

 リニスの気がそれた隙をついて首元に付きつけられた杖を握り、一気に振り上げる。

 

「きゃあっ!」

 

 杖を握られた瞬間リニスは我に返ったようにこちらに顔を向けるものの、あらぬ方に得物を振るわれたまらず地面に倒れる。

 その間に俺は急いで立ち上がり、リニスから距離を取った。

 すぐにリニスも腰を上げ、態勢を整えながら鋭い目で俺を睨む。そして……

 

「……目当てのものは手に入りました。フェイト、アルフ、引き上げますよ」

 

 リニスがそう告げるとフェイトとアルフは何か言いたげな顔をしながらもそれを口に出すことはできず、リニスが背を向けると同時に彼女に続いて二人もこの場から去っていった。

 俺は彼女たちが去った後も荒い息をつきながらその場に立ち尽くしていた。

 

「健斗君、大丈夫? あちこち血だらけだけど」

「……」

 

 そんな言葉をかけながら近づいてくるなのはと、彼女に続いてやってきたユーノの顔を見る。そんな二人に向かって俺は言った。

 

「大丈夫……とはさすがに言えないな。手当てがしたいから家まで連れて行ってくれないか? 今日はなのはの家に泊まることにする。色々と聞きたいことがあるからな。なのはにも……ユーノにもな」

 

 俺がそう言った途端、なのはとユーノは気まずそうに顔を見合わせてため息をついた。

 こいつ、やっぱりただのフェレットじゃなかったか。

 

 

 

 

 

 

 ほぼ同時刻、とある建物の中にて。

 

「申し訳ありません我が主。ジュエルシードなるものの奪い合いの末に、彼女たちは件のロストロギアの暴発を引き起こしてしまいました。私が見張っていながらこの失態、誠に申し訳ありません」

 

 頭上に浮かぶ魔法陣の前に浮かぶ《空間モニター》の前にひざまずきながら、仮面をかぶった男は申し訳なさそうな声で相手に詫びる。

 彼の前にあるモニターには映像は表示されておらず、地球で使われるものとは異なる文字が浮かぶのみだ。

 そのモニターの向こうから声が返ってきた。デバイスを通して声を変えているが、かろうじて男だとはわかる。

 

『よい。誰にも気付かれないように御神健斗を監視するよう頼んだのは私だ。このような状況を想定していなかった私のミスだ。お前が責任を感じる必要はない』

「はっ。失態を許していただいただけでなく、そのような言葉をかけていただき感謝します、我が主」

 

 責めるどころか従者を安心させるように諭す主に仮面の男は感謝しながら頭を垂れ、それから少しして仮面の男は顔を上げながら問いを発する。

 

「それで主よ、“海”の状況はどうなっていますか? 地球だけで収まるような災害ではなかったように思えますが」

 

 仮面の男の問いに、モニターの向こうの主は重々しくうなってから答えを返した。

 

『うむ、お前の言う通りだ。ジュエルシードの暴発の影響で、小規模だが《次元震》が発生してしまったらしい。すでに“管理局”もそれを察知して、地球に向けて調査隊を派遣するとのことだ』

「……そうですか。厄介なことになりましたね。これから動き出そうという時に」

『案ずるな、すでに手は打ってある。お前はただ言われたことをやってくれればいい。……それで、ジュエルシードと闇の書を狙う魔導師たちについてだが……』

「はっ、先日報告した通り彼女たちの正体は掴めています。彼女たちの主も、その居場所も――」

 

 仮面の男の報告に主はしばらく沈黙する。時折ふむという声を発しているところから今後について思案していると考えて、仮面の男は口を挟まず平伏したまま待ち続ける。

 じっくり3分ほど経ってから主は再び声を発した。

 

『……リスクもあるが利用してみるのも手か』

 

 

 

 

 

 

 次元空間に浮かぶ巨大な施設。

 本局と呼ばれるその施設は、発達した魔導技術を持つ『管理世界』を始めとする数多の世界の平和と安定を保つための組織『時空管理局』の本部であり、その内部では次元空間内で常に発生している災害や犯罪に備えて、無数の局員が忙しなく働いていた。

 その本局内にある執務室にて、一人の女性がオペレーターからの連絡を受け取っていた。

 

 

 

『ハラオウン提督、運用部のロウラン提督から通信が入っています。お繋ぎしてよろしいでしょうか?』

「ええ、お願いします」

 

 ハラオウン提督と呼ばれた緑髪の女性がそう告げた直後に、彼女の前に浮かぶ空間モニターに映る人物はオペレーターから眼鏡をかけた紫髪の女性に切り替わった。

 椅子に座ったままのハラオウンに対して女性は口を開く。

 

『リンディ・ハラオウン提督、お疲れ様です。今よろしいでしょうか?』

「レティ・ロウラン提督、そちらこそお疲れ様です。また新しい要請でしょうか?」

 

 リンディの問いにレティは首を縦に振ってから言った。

 

『ええ。400ベクサ先の次元空間で小規模の次元震が発生したことはご存知ですか?』

 

 レティの問いにリンディは「いいえ」と首を振る。

 それを聞いてレティは話を続けた。

 

『そうですか。では簡単に説明します。

 今から数時間前、400ベクサ先の次元で、ある管理外世界を起点とした小規模《次元震》の発生が観測されました。現地には未確認のロストロギアが落下したという報告も届いており、次元震の調査とロストロギアの回収が決定しました。

 その調査と回収をハラオウン提督に要請したいと考えているのですが……いかがでしょう? 引き受けていただけますか?』

 

 連絡を取って来た経緯について簡単な説明をしてから、レティはやや強い声色でリンディに尋ねる。

 管理局におけるリンディとレティの階級は同格で、それ故に要請という形をとっているが、これは運用部から下された実質的な捜査命令だ。別の事件の調査や捜査をしているという事情でもない限り、これを断ることなどできない。

 そして現在、リンディや彼女が率いる部隊が捜査している事件などはなく、手すきの状態だった。そのためリンディに返せる返答は一つしかない。

 

「わかりました。当該世界の調査、謹んでお受けします。どうか我々にお任せください」

『ありがとうございます。執務官を始めとする人員については提督にお任せしますので、可能な限り速やかに調査隊を組織して現地へと向かってください。状況によっては本局からの増員やその他の支援にもすぐにお応えしますので……気を付けてね、リンディ』

「ええ、わかっているわ。ありがとうレティ」

 

 友人としての口調に切り替えて気遣いの言葉をかけてくるレティに、リンディもまた友人としてそう答えた。

 リンディは顎に手を乗せ、そのままの口調で言葉を続ける。

 

「それにしても400ベクサ先の次元か。まさかと思うんだけど次元震の震源となった世界って、もしかして……」

 

 それに対してレティはため息をつき。

 

『相変わらず勘がいいわね。そうよ、あなたが想像した通り、次元震が起こったのは《第97管理外世界》……現地で“地球”と呼ばれている世界よ』

「地球……グレアム提督の故郷か」

 

 地球と聞いてリンディは思わずそんなつぶやきを漏らしてしまった。管理局によって97の番号が振られたその世界については、亡き夫や息子ともどもグレアムからよく聞かされていた。リンディの趣味も彼から聞かされた“日本”という国の話がきっかけである。

 上官でもあり親しい友人でもある人物を思い出し感慨にふけるリンディに、レティは思い出したように言った。

 

『あっ、そうそう、今回の事はグレアム提督の耳にも入っていてね。彼から頼まれたことがあるのよ』

「提督から? 一体何かしら?」

 

 リンディの問いにレティは、

 

『ええ、今回の調査隊にリーゼ姉妹を加えてやってくれないかって。もちろん指揮官の許可が取れればだけど』

「リーゼ姉妹を?」

 

 リンディの復唱にレティはこくりとうなずく。

 リーゼ姉妹とはグレアムが若い頃からその手足として従えていた使い魔で、グレアム同様ハラオウン一家と親しい。リンディの息子クロノとは特に。

 リーゼ姉妹はグレアムが前線を退いてからもその力を振るっていたが、数年前に姉妹揃って管理局を退職。それ以降は嘱託として、局に対し一時的に力を貸すだけの関係だった。その姉妹が捜査に加わるとは。

 

『ただ、彼女たちも都合があるから、姉妹の内どちらかしか協力できないかもしれないと言っていたわ。それでもよければ』

 

 その言葉にリンディは首を縦に振った。リーゼ姉妹はそれぞれ優れた体術と魔法の使い手であり、主が欠けた今でも管理局で最強のチームと言われている。そのどちらかだけでも加わってくれるなら願ってもないことだ。

 

「構わないわ。ぜひお願いしますと提督に伝えてくれる」

『わかったわ。機会があったらあなたからもお礼を言って。……それと、くれぐれも何かあったらすぐに伝えて。管理外世界とはいえ、()()が関係していたら管理局にとっても見過ごせないことになるわ。あれから11年しか経っていないし、その可能性は低いと思うけど』

「わかってる。魔法が発達してない世界とはいえ油断するつもりはないわ。クロノにも気を引き締めるように伝えておく」

 

 その言葉にレティは固い表情で強くうなずいた。

 

 

 

 かくして二つのロストロギアが関わるこの事件に、とうとう時空管理局がその腰を上げた。

 様々な勢力が動く中、物語は動き続ける。



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第23話 プレシア・テスタロッサ

 あの戦いの翌日。

 

 昨日発生した地震を告げるニュースを眺めながらの朝食の後、勤め先(翠屋)へ向かう士郎さんたちと学校へ登校していくなのはたちを見送って、俺は自分の部屋へと戻る。昨日の怪我の件で念のために病院へ行くように桃子さんから勧められたため、今日は学校を休むことにしたのだ。

 急な泊まりでノートパソコンもないためプログラミングもできず、スマホをいじっているところでLINEが届いてきた。

 

『健斗君、今日学校休んでるんだって。仮病? 暇なら久しぶりにどこかへ遊びに行かない?』

 

 ……先輩か。

 

『昨日怪我したから病院に行くために休んでるだけ。くだらないこと言ってないで勉強しろ。あんた来年受験だろう!』

 

 平日の朝からたわけた誘いをかけてくる先輩にそう返信すると、さくらさんまで加わってきて先輩を叱りつけ、LINEの画面は先輩とさくらさんのメッセージであふれかえっていった。何やってるんだあの二人は。

 

 

 

 

 

 昨日の戦いの後、俺はなのはと彼女が飼っているフェレット()()()()()()()ユーノと一緒に高町家に戻り、怪我の治療を理由に泊めてもらうことにした。

 全身傷だらけになった俺を見て高町家のみんなはひどく驚いて色々と質問攻めにあったものの、なのはが一緒にごまかしてくれたおかげで転んだだけだと言い訳できた……と思う。

 それから怪我の手当ての手伝いをしてもらうことを理由になのはと二人きり――正確にはユーノを含めた三人――にさせてもらい、俺はなのはとユーノから今まで彼女たちが今まで行ってきたことと、《ジュエルシード》という宝石や《レイジングハート》という魔具について聞き出した。

 

 

 

 ユーノの正体は『ミッドチルダ』という異世界から来た魔導師で、各世界に点在する遺跡の調査を手掛けている考古学者でもあるらしい。本名はユーノ・スクライア。

 《ジュエルシード》はユーノが指揮していた調査団がある世界の遺跡から発見した21個の魔法石だったが、ミッドチルダまでジュエルシードを輸送していた時空艦船が原因不明の事故にあって地球に転移してしまったらしい。そして、その多くがこの海鳴市に散らばった可能性が高いとのこと。

 ジュエルシードは魔法技術によって生み出されたエネルギーの結晶体で、強大な力が秘められている半面扱いが極めて難しく、生物が触れただけで暴走してしまうほど危険な代物だ。

 そんなものを異世界に落としてしまったことで責任を感じたユーノは、自らの手でジュエルシードを集めてミッドチルダに送り届けるべく地球にやって来て、単独でかの石を集めるつもりだった。

 だが、暴走して思念体と化したジュエルシードとの戦いで傷ついて倒れていたところを、塾へ向かう途中だったなのはたちに発見され、動物病院に運び込まれた。

 しかし、ジュエルシードの思念体の魔の手はユーノがいた動物病院にまで及び、そこへ駆けつけてきたなのはに対し、ユーノは《レイジングハート》という球状のデバイス(魔具)を貸し与えた。

 なのはが秘めていた魔法の才能は相当なもので、ジュエルシードやレイジングハートが起こした出来事に翻弄されながらも、杖となったレイジングハートを使いこなして思念体を倒し、ジュエルシードを封印することに成功した。

 それ以来なのははユーノとともに、海鳴市の各地に眠るジュエルシードを探してはレイジングハートに封印して回っていたとのことだ。

 

 何らかの目的でジュエルシードを探している、フェイトという魔導師と遭遇したのもその最中らしい。ただし、なのはもユーノもリニスの事は昨日初めて知ったとのことだ。

 このことからリニスは闇の書の入手を、フェイトとアルフはジュエルシードの収集にそれぞれ専念していると推測できる。

 昨日のように三人揃ってジュエルシードの入手に動いたのは、かの石を確実に手に入れるためと、俺のようにのこのこやって来た邪魔者を倒しておくためだろう。結果的にはリニスの思惑通りに進んでしまったというわけだ。

 

 

 

 長くなったが、ここまでが俺となのはたちの間で共有した情報だ。そんなことはとっくに知っているという声がどこかから聞こえる気がするが、少なくとも俺にとっては初めて知った情報ばかりだし、多分気のせいだろう。

 

 それにしても面倒なことになったな。誰も傷つけたりせずに夜天の魔導書の頁を埋めるためには、どうしてもジュエルシードが必要なのに。それに“スクライア”って姓は聞き覚えがあるぞ。ユーノってもしかしてあいつの……。

 

 

 

 

 

 

 海鳴市の隣、遠見市の市街地にそびえ立つ高層マンションの屋上にはフェイトとアルフ、そして次元の向こうにいる自分たちの主のもとへ向かおうとするリニスの三人がいた。

 

「リニス、本当に私たちは戻らなくていいの?」

「……報告だけなら私だけでできますから。フェイトはアルフと一緒に昨日の疲れを取ってからジュエルシード探しを続けてください。私もすぐに戻ってジュエルシード探しの手伝いか闇の書の奪取にかかりますから」

 

 不安そうな、そして残念そうな表情で尋ねてくるフェイトに、リニスは励ますような笑みと言葉をかける。

 フェイトは「わかった」と言いながら首を縦に振った。

 そんな二人をアルフは無表情で見守る。リニスの内心を見透かしているように。

 

 数えるほどもない母と会える機会だ。数ヶ月ぐらい前までだったらフェイトも一緒に連れていっただろう。

 しかし、今の主とフェイトを会わせていいものかと考えると、リニスは首を横に振らざるを得なかった。

 リニスが知っている限りでも主の心身は日を追うごとに悪化しており、とても実の娘に見せられる状態ではない。それにもし、何かのはずみでフェイトがあの秘密を知ってしまうようなことがあったらどうなってしまうか……。

 一晩考えた末に、やはり自分だけが行った方がいいとリニスは判断した。

 

「じゃあ、せめてこれ……母さんへのお土産」

 

 そう言いながら、フェイトは両手に持っていた箱をリニスに差し出す。中身を崩さないように慎重な手つきで持っている。その箱は甘いもの好きなら見慣れている物で……。

 

「……ケーキですか」

 

 フェイトから箱を受け取りながらリニスはそうつぶやく。

 

「そんなもの、あの人は喜ぶのかねぇ?」

 

 怪訝そうにこぼすアルフに対してフェイトは苦笑しながら言った。

 

「わかんないけどこういうのは気持ちだから。贈り物ってもらうだけでも嬉しいものだって聞くし」

 

 その説明にアルフは「ふーん」と声を漏らし、リニスは……

 

「わかりました。責任を持ってあのお方に届けます。だから二人ともいい子で待っててくださいね」

 

 その言いつけに対しフェイトは強くうなずき、アルフはふんと鼻を鳴らす。

 そんな二人に笑みを向けてからリニスはあらぬ方向を見た。その視線の先には雲一つしかない青空が広がっているようにしか見えない。だがリニスたちはあの空の向こうに、この世界とは異なる次元空間に浮かんでいる、自分たちの本当の住み処の存在を感じ取っていた。

 

「次元座標876C-4419-3312-D699-3583-D146-0779-F3125……」

 

 長々しい数字と文字の羅列からなる座標を唱え終わると、リニスの足元に黄色い魔法陣が浮かぶ。

 

「開け(いざな)いの扉、《時の庭園》 テスタロッサの主のもとへ」

 

 そして次の瞬間、魔法陣から光の柱が立ち昇って空高く向かっていった。

 もうリニスの姿はない。リニスが立っていた場所をフェイトとアルフは不安そうな顔で眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 休み時間、授業から解放されたクラスメイトたちがはしゃいでいる中、はやては隣の空席を眺めていた。

 いつもならそこには御神健斗という幼なじみが座っている。でも彼は今日学校にいない。メールですずかから聞いたところ、昨日怪我をして病院で診てもらうために休んでいるとのことだった。

 健斗の席を眺めているところにもう一人の男友達、赤星雄一が声をかけてくる。

 

「よっ、はやて。やっぱり健斗がいないとつまらないか?」

「雄一君……」

 

 雄一は健斗の席に目をやりながら、

 

「ったく、小3にもなって転んで大怪我なんて相変わらずドジな奴だ」

 

 はやてを元気づけようと軽口を叩く雄一だったが、はやては健斗の席へ視線を戻す。

 

(いくら健斗君が破天荒とはいえ、転んだだけで病院に行くほどの大怪我を負うような真似はしないやろう。昨日もジュエルシードっちゅう石を探しに行ってたらしいし、そこでリニスさんやあの女の人とかと戦ったりしたんやろうか……なのはちゃんはそのこと知ってるんかな?)

 

 数日前の旅行中にはやては見た。なのはがユーノというフェレットのような動物と話をしているのを。それからしばらくしてなのはもユーノと一緒に旅館を飛び出して……

 

(やっぱりなのはちゃんも健斗君や守護騎士みたいな魔法使いだったりするんかな? あれ以来怖くてなのはちゃんと話すこともできんけど……やっぱりこのままじゃもやもやして落ち着かん。一度なのはちゃんとお話してみようか)

 

 

 

 

 

 

 《時の庭園》

 地球がある次元の近くの空間にそれは浮かんでいた。

 草木一つない荒涼な浮島。その島の地面からは無数の岩が突き出ており、その岩の中で最も大きなものの中に彼女たちの本拠地があった。

 

 

 

 研究用のデバイスとロストロギアについて記された無数の資料が載せられた机の向こうで、黒衣の装束を着た妙齢の女が椅子に腰かけていた。

 机の前に立っている使い魔が差しだした戦利品のひとつを掴みながら、女は声を漏らす。

 

「……確かに《ジュエルシード》。間違いないわ」

「……はい。言いつけ通り手に入れてきました。どうかお納めください」

 

 神妙な顔でそう伝える使い魔、リニスの言葉を聞いて主である女はふうっと息をつく。

 

「よく頑張ったわ……って言いたいところだけど、私はあなたたちに何と言ったかしら?」

 

 その問いにリニスは口をつぐむが、主から再度「何と言ったかしら?」と尋ねられ懸命に声を絞り出す。

 

「……あの世界に散った21個のジュエルシード、そして八神はやてが持つ《闇の書》を手に入れてくること……です」

 

 リニスがなんとかそう伝えると、女はなおもジュエルシードを弄びながら顔を上げてリニスの方を見た。

 

「そうよ……でも、あなたからはジュエルシードを3つだけしかもらっていないのだけれど。残りのジュエルシードと闇の書はどこにあるのかしら? フェイトが持っているの? それとも……」

 

 もったいぶるようにそう問いかけてくる主に対し、リニスはぎゅっと唇を噛み――

 

「申し訳ありません。思った以上に難航して、ほとんどのジュエルシードと闇の書は今も97管理外世界にあります」

 

 気まずそうな声でそう伝えるリニスの前で、女はわざとらしく大きなため息をついてみせた。

 

「そう……一月近くかけてたった3つ。あなたがついていながら」

「……申し訳ございません。すべて私の責任です」

 

 リニスはもう一度謝って深く頭を下げる。そんな彼女の前で女は首を大きく横に振った。

 

「こんなに時間をかけて書物一冊手に入れられず、ジュエルシードもたった3つしか手に入れられなかったなんてね……ひどい、あまりにひどすぎるわ……しかも――」

「――っ!」

 

 そこでリニスの目の前で火花が散った。女がその手に持っていたジュエルシードをリニスの顔に投げつけてきたのだ。

 思わず顔を抑えるリニスの前で、女は椅子から立ち上がりながら怒鳴り声を上げた。

 

「これは何? 魔力が半分しか残ってないじゃない! ジュエルシードをたった3つしか入手できなかった挙げ句こんなものを掴まされたというの!? この“大魔導師プレシア・テスタロッサ”が生み出した使い魔ともあろう者が!」

 

 主――プレシア・テスタロッサの怒鳴り声を聞き流しながら、リニスは顔を抑えたまま床に転がり落ちたジュエルシードを見る。確かに彼女の言う通り、よく見れば他の二つよりその輝きは弱々しいように見えた。

 

(あっさり渡してくると思ったら、もう使った後だったんですか……小賢しい真似を)

 

 そのジュエルシードは、昨夜リニスが手に入れた2つのうち健斗が元々持っていたものだった。しかし、すでに何らかの用途に使われた後のようで、そのジュエルシードには半分しか魔力が残っていなかった。完全に枯渇していなかったのは幸いだが。

 それでも抜け目ない敵に対して、リニスは心中で毒づかずにはいられなかった。そしてこうも思った。やはりフェイトを連れてこなくて正解だったと。

 そこでプレシアは落ち着きを取り戻すために呼吸を整え、リニスが持っている箱に目を向けた。

 

「ところでさっきから気になっていたけど、それは何? ジュエルシードと闇の書が入っているようには見えないけど」

 

 そこで初めてリニスは笑顔になって、ケーキが入った箱を主に向けた。

 

「フェイトからのお土産です。ここに戻ってこれないからせめてお菓子だけでもって」

「あの子から……そう、ふふ」

 

 フェイトからのお土産と聞いて、プレシアは小さく笑いながらリニスのもとへと歩み寄る。主の笑顔につられて、リニスは笑みを深めながら言った。

 

「そうなんです。よければ後で――」

「フェイトに伝えてくれないかしら?」

 

 リニスの言葉をさえぎってプレシアは声を発した。リニスは不安を覚えながらも主に尋ねる。

 

「何をでしょうか――」

「そんな物を買ってる暇があったら、言われたことをちゃんとおやりなさいってね!」

 

 リニスが聞き返した瞬間、プレシアは怒声を上げながら彼女が持っていた箱を忌々しそうに払いのける。箱は勢い良く地面に落ち、その中からケーキがこぼれた。

 それを見てリニスは愕然としながら心の中でフェイトに詫びる。責任をもって届けると言いながらその約束を破ってしまったことに。

 その一方でプレシアは床にこぼれたケーキに目もくれず、不機嫌そうに椅子まで戻り腰を下ろす。そしてあたかも今気付いたように言ってみせた。

 

「そもそもジュエルシードを集めてくるのはあの子の役目だったはずよね。あなたに任せたのは八神はやてから闇の書を奪ってくることだったわ。なら私はあなただけでなく、あの子も叱らないといけないかしら?」

 

 プレシアがそう言った瞬間、リニスは勢いよく顔を上げて言葉を返した。

 

「ち、違います! フェイトに非はありません! 闇の書を手に入れられていないのもジュエルシードが集まらないのも、すべて私の責任です!」

 

 リニスの弁解をプレシアは否定せずに……

 

「……そう。そんなに無能な使い魔を使い続ける意味はないわね。あなたを維持し続けるのも辛くなってきたことだし、そろそろ契約を解消してお互い楽になることにしましょうか」

「ま、待ってください! フェイトとアルフだけでは、すべてのジュエルシードと闇の書を手に入れることなんて到底できません! もう一度! もう一度だけチャンスをください! 私があの子たちを指導して、あなたが望むロストロギアを手に入れてみせます!」

 

 必死にそう訴えるリニスの前でプレシアはふっと息をついて言った。

 

「……あと一度だけよ。今度失敗したらあなたとの契約の解消か、フェイトに罰を与えるかのどちらかを取らせてもらうわ」

「……はい。寛大な処置をありがとうございます」

 

 内心忸怩(しくじ)たる思いを抱えながら頭を下げるリニス。彼女の胸中を見透かしながら、プレシアは勝ち誇ったように机の上に置いた手を組んで言った。

 

「いいこと。あなたにもフェイトにも何度も言ったことだけれど、もう一度だけ言うわ。私の夢をかなえるには、ジュエルシードと闇の書という二つのロストロギアが必要なの。そのために()()()()()()()()のあなたを生かし続けているのよ。ジュエルシードに加えて闇の書を手に入れるために!」

 

 その言葉にリニスはピクリと眉を寄せる。

 リニスは元々フェイトを鍛え上げるために作られた使い魔だった。フェイトが今のような優れた力量を身に着けた時点で、リニスは主との契約を終えて消滅するはずだったのだ。

 しかし、闇の書が実在する事を知ったプレシアによって新たな契約が結ばれ、生き永らえている。

 その代償はあまりに重い。

 

 リニスは顔を上げてあらためて主を見る。

 

 そこにいたのは亡者だった。

 長く美しかった黒髪はぼさぼさに乱れ、絶世の美女と呼ばれるほどに整っていた容姿は病と不摂生によってがりがりに痩せ細り、多くの異性を虜にしていた瞳はぎょろりと細くなっている。胸元やへそ、左右の脚の(もも)などあちこち肌が露出している服を着ているが、血色がないため色気はほとんどない。

 

 いつ息を引き取ってもおかしくない状態でいながら、ある願いを成し遂げるためだけにプレシアは動き、生き続けていた。

 

「早く闇の書を手に入れてきなさい。そのために残りわずかな命をすり減らしてまであなたを維持し生かしているのよ」

 

 そんな亡者と化した主にリニスは先ほどまで抱いていた恐怖心でも忠誠心でもなく、憐れみから返事を返した。

 

「……はい、必ずや」



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第24話 結集

 午後。

 平日で待合時間がほとんどなかったこともあって怪我の処置は早く終わり、病院を出てどこかの店に行こうとしたところで石田という医師に捕まった。

 

 石田 幸恵(いしだ さちえ)。海鳴大学病院に勤める神経系の女医で、足の様子を見るために一年前から通院しているはやての主治医でもある。

 責任感と優しさを備えた人物で、天涯孤独な上に原因不明の麻痺を発症したはやてを常に気遣ってくれていて、はやての友達である俺やなのは、すずかたちからの信用も厚い。

 はやての現在の同居人でもある守護騎士たちともすでに顔見知りなのだが、はやての親戚を名乗って一緒に暮らしている彼女たちを不審に思っている節があり、今日もシグナムたちについてあれこれと尋ねられた。まあ、そのおかげで予定よりうまい昼食にありつくことができたが。

 

 そして石田先生と別れて、これから家に戻ろうという時に彼女たちと鉢合わせた。

 

 

「……よう」

「こんにちは健斗君」

「ヴィータ! シャマルまで!」

 

 高町家に戻ろうとする俺の前に現れたのは、石田先生との話にも挙がっていたはやての同居人のうち二人だった。

 

「なんでお前たちがここに? 病院に行くなんて話してなかったよな?」

 

 疑問に思ってそう問いかけるとシャマルが口を開いた。

 

「お昼近くになってはやてちゃんから連絡があってね。怪我の手当てのために学校を休んだって聞いたから、ここまで来てみたの」

「まさか医者のおばさんとデートしてるとは思わなかったけどな。そのためにズル休みしたんじゃねえだろうな?」

「あら! 親しげに話してると思ったらそういうことだったの? 私は応援してるわ。恋愛に歳の差は関係ないもの。でも、そのために学校を休むのはいけないわね」

「ち、違う! 病院でたまたま会って、はやてのこととかを話してただけだ!」

 

 戯言を言ってからかってくるヴィータとそれを真に受けるシャマルに対し、俺は反射的に声を張り上げる。……それと、あの人の齢についてはあまり大きな声で言わない方がいいと思う。もし本人が聞いていたらどうなることか、考えただけでぞっとする。

 

「それで、なんでここに来たんだ? ……まさか」

 

 気を取り直すために咳払いしながら問いかけると、シャマルは表情を引き締めてから口を開いた。

 

「次のジュエルシードが見つかったわ」

「本当か!?」

 

 その報告に俺は思わず驚きの声を上げる。

 まさか一日も経たないうちに次のジュエルシードがある場所がわかるとは。しかもリニスたちに手持ちのジュエルシードを奪われた直後に。これが神の思し召しか。

 

「そうか。ならぐずぐずしていられないな。あいつらに奪われたジュエルシードの穴を埋めるためにもすぐに向かわないと。でもなんでお前たちが直接来てくれたんだ? 昨日だって携帯で教えてくれたのに」

 

 そう尋ねるとヴィータは腕を組みながらばつが悪そうに口を開く。

 

「……はやてに頼まれたんだよ。お前がジュエルシードを探しに行ったりするようなら、何人かだけでもついてってやってくれないかって。昨日の怪我ってリニスたちと戦ったせいなんだろう? あたしらの中から誰か一人でも駆けつけていれば怪我なんかせずにすんだかもしれねえからな」

「仮に怪我しても私がついていれば治療できるしね!」

「……そうか」

 

 両腕を軽く上げて意気込むシャマルに苦笑しながら心の中ではやてに礼を言う。

 確かに守護騎士の誰かがいれば昨日のような事にはならずに済んだかもしれない。

 ……やれやれ、前世の頃からまるで成長していないな。こいつら(守護騎士)がいないとろくに勝機も掴めやしないままだ。こいつらが頼もしすぎてつい頼ってしまうというのもあるのだろうが。

 不甲斐なく思いながらも俺は、

 

「わかった。お前たちの主殿の厚意に甘えさせてもらおう。協力してくれ」

「おう」

「わかったわ」

 

 俺の頼みにヴィータは面倒そうに、シャマルは快くそう言ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 空が赤みがかり始めた頃。住宅街のバス停に清祥学園のスクールバスが停まり、運転手にお礼を言いながら二人の少女がバスから降りる。

 体の向きを変え、足を進め始めたところで片方の少女が口を開く。

 

「ごめんななのはちゃん。急にお邪魔することになってもうて」

「ううん。はやてちゃんが遊びに来てくれるのなんて久しぶりだし、みんな喜ぶよ。健斗君も驚くだろうなあ」

「せやな。なのはちゃんのおうちに着いたら、真っ先にお部屋に行って驚かせたろか」

 

 そんな言葉を交わしながら、なのはとはやては幼なじみがいるだろう高町家へと向かっていく。

 そこでなのはは、自分たちの前にそびえ立つ電柱の隅にいるペット――いや相棒の存在に気付いた。彼の首には紐が巻かれていて、そこには赤い球が付いている。それを見てなのはは急に声を上げた。

 

「ああ! お母さんから買い物頼まれてたのを忘れてた! ごめんはやてちゃん、私買い物済ませてくるからはやてちゃんは先におうちに行ってて!」

「あっ、そんなら私も一緒に――」

 

 とはやては言いかけるものの、なのはの様子がおかしいことに気付いて、

 

「……やっぱりお言葉に甘えさせてもらおうかな。じゃあ先に行って健斗君と一緒に待ってるから」

 

そう言ってはやては手を振りながら高町家の方へ向かっていき、彼女の姿が見えなくなったところでなのははユーノから彼の首に提げられていたレイジングハートを受け取った。

 

「レイジングハート、治ったんだね。よかった……」

『Condition green(状態は良好です)』

 

 顔をほころばせながら声をかける主にレイジングハートがそう返事を返す。

 なのははレイジングハートに続けて問いかける。

 

「また一緒に頑張ってくれる?」

『All right, my master!(はい、マイマスター!)』

「……ありがとう」

 

 その返事を聞いてなのはは礼を言いながらレイジングハートを胸に抱いた。

 

 

 

 その光景を塀の影に隠れて覗いていたはやては、ただただ唖然としながら眺めるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 その頃、フェイトとアルフは海鳴市の市街地にある建物の屋上にいた。探し物が反応を示す時をじっと待っている。フェイトはすでに防護服(バリアジャケット)を装着し、アルフも戦闘に備えて赤い狼の形態をとっていた。

 

「バルディッシュ、どう?」

『Recovery complete(修復完了)』

「そう。頑張ったね。偉いよ」

 

 フェイトが右手のグローブに付けた金属片、バルディッシュとそんな言葉を交わしていると魔法陣が現れる音が響いて、フェイトとアルフは後ろを見る。

 そこには白い帽子で猫耳を隠した自分たちの師がいた。

 フェイトは彼女に声をかける。

 

「お帰りリニス。母さんの様子はどうだった?」

 

 フェイトに対しリニスは()()()笑みを作って、

 

「相変わらず熱心に研究に励んでいましたよ。フェイトがジュエルシードを3つも集めたって聞いたらとても驚いちゃって」

「……そう。あのケーキはちゃんと渡してくれた?」

「ええ、ひと段落したら後で食べるって。でもとってもおいしそうだって言ってました」

「……そっか、じゃあロストロギアを集めて庭園に帰る時にもう一度買っていこうかな」

 

 そう言ってフェイトは小さく笑う。リニスの表情と赤く腫れた額を見て、彼女が言ってることのほとんどが嘘だとフェイトもアルフも気付いてしまった。

 リニスは顔を引き締めながら言う。

 

「次のジュエルシードがある場所、見当はついてるみたいですね」

 

 その言葉にフェイトはうなずいた。

 

「うん。もうすぐ発動する子は近くにいる」

「そうですか。では今まで通りあなたたち二人でジュエルシードを取りに行ってください。私は闇の書を手に入れてこないといけませんので」

「……わかった。リニスも頑張ってね」

 

 フェイトのねぎらいにリニスは笑みを浮かべて応じる。

 

 本当なら、御神健斗や守護騎士が邪魔しに来た時の事を考え、今回も二人と一緒にジュエルシードの入手に当たるつもりだったのだが、そういうわけにもいかなくなった。

 とうとうプレシアから最後通牒を突き付けられてしまったからだ。もしここで成果を上げなければ、プレシアは本当にリニスとの契約を解除するか、罰と称してフェイトに鞭を打つだろう。()()()()

 

 最低でも、自分の役目である闇の書だけは手に入れなくてはならない。闇の書さえ手に入れればフェイトを守ることはできるはずだ。

 ジュエルシードは、闇の書に注ぐエネルギーの(もと)にすぎないのだから。

 

 リニスはフェイトたちに背を向けて足元に魔法陣を浮かべ、闇の書がある場所を探知しようとする。八神はやての家にあるとは思うのだが、はやてか守護騎士の誰かが持ち歩いている可能性も十分ある。いずれにしても十分な警戒のもとで守られているだろうが。

 そして……

 

「――えっ?」

「「……?」」

 

 突然声を上げたリニスをフェイトとアルフはきょとんとした目で見る。

 

「どうしたんだよ? 八神って子から闇の書を奪いに行くんじゃないの?」

 

 アルフはそう問いかけるものの、リニスはそちらの方を向いたまま驚愕の表情でつぶやいた。

 

「……闇の書は向こうからこちらに近づいてきている……次のジュエルシードがある場所まで」

「えっ……?」

「何だって!?」

 

 

 

 

 

 

 海鳴臨海公園。

 

 

「はああっ!」

「オォォォォッ!!」

 

 樹の怪物に向かって刀を振るうも、怪物が自身の前に張った障壁によって弾かれてしまう。

 

「バリアか、生意気なヤツだ」

「元が植物だからかしら? 防衛本能が強いみたいね」

 

 障壁を張って俺の攻撃を防ぐ怪物を見て、ヴィータとシャマルが面倒そうにつぶやく。

 

 

 

 俺たちがこの公園に来た時にはすでに公園の樹があのような怪物に変化していた。目と口を模したような穴が3つついており、二つの枝を腕のようにぶんぶん振り回している。間違いなくジュエルシードによるものだろう。あのサッカー少年が怪物に変化した時とよく似ている。

 

「オォォォォッ!」

 

 怪物のうなり声とともに地面から突き出てきた根が俺に襲い掛かる。俺は上空に飛んでそれをかわした。

 接近戦に強いタイプか、やりづらい相手だな。

 そう思って舌打ちを鳴らしていると、

 

「いくよ、バルディッシュ」

Arc saber(アークセイバー)

 

 少女の高い声と無機質な声の後に光の刃が地面すれすれを這うようにすれすれを飛んできて、根を刈り取っていく。

 刃が飛んできた方を見ると黒い鎌のような魔具を持った金髪の少女が立っていた。その隣には赤い狼もいる。

 

「フェイト! アルフ!」

 

 二人を見つけて上空で俺は思わず声を上げる。もう来たのか。

 彼女たちだけではない。俺が飛んでいる場所から向こう側では怪物に向かって杖を構えている白い魔導着を着た少女がいた。

 

「撃ち抜いて、ディバイン」

『buster!』

 

 レイジングハートの先端に浮かぶ環状魔法陣から桃色の光線が放たれ、怪物に撃ち込まれる。

 

「オォォォッ」

 

 レイジングハートが放った光線を障壁で阻みながらも、怪物は苦しげにうめく。フェイトはそれを見て即座に指で文様を描き魔法陣を作った。

 

「貫け轟雷」

『Thunder smasher!』

 

 魔法陣に向けてフェイトが魔具バルディッシュを振るうと、魔法陣から金色の光線が放たれる。

 

「オォォォォォォッ!」

 

 二人の少女からの砲撃によって怪物の体は崩れていき、悲痛な声を上げⅦの数字が浮かんだジュエルシードを放出しながら樹の怪物は消滅していった。

 フェイトは浮遊して、宙に浮かぶジュエルシードを挟んで二人の少女は相対する。

 

 二人を取り囲みながらも俺たちは手を出すことができないでいた。

 下手にジュエルシードに衝撃を与えればまた昨日のような惨事が起こりかねない。

 それに。

 俺は上空の二人と地上にいるアルフを注意しながら辺りを見回した。

 

(リニス……奴もここにいるのか?)

 

 

 

 

 

 

 はやては口をあんぐり開けながら上空を見上げ、その場に棒立ちしていた。

 もう何が何やらわからない。

 なのはを追って公園まで来てみれば、彼女は健斗たちが樹のお化けと戦っているのを見つけると、すぐにレイジングハートという球を杖に変え身に着けている服まで変えながら上空を飛んだのだ。

 そしてお化けがいるだろう真下に向けて杖を構え、桃色の光を撃ち放った。

 そして今、なのははジュエルシードという青い石を挟んで金髪の少女と対峙している。

 もう疑いようがない。なのはも健斗や守護騎士と同じ魔導師なのだ。

 そう確信しながら上空に浮かんでいる二人を見上げていると――

 

「あなたも来ていたんですね」

「――っ!」

 

 ふいに声をかけられて、はやては反射的に後ろを振り返る。

 そこには白い帽子と白いコートを身に着けた女性が立っていた。

 

「リニスさん……」

「お久しぶりです、八神はやてさん……先日お会いして以来ですね」

 

 幼なじみの姿に驚いているはやての前に現れたのは、彼女が持つ闇の書なる本を狙うリニスという女性だった。



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第25話 時空管理局

 自身の前に現れた人物を見て、はやては無意識に一歩後ずさる。

 そんなはやてを守るように二人の男女が割り込んできた。

 

「シグナム! ザフィーラ!」

「主、お下がりください!」

「――」

 

 シグナムはリニスを睨みながら彼女の前に立ちはだかり、その後ろでザフィーラが主をかばうように自身の体でその姿を隠す。

 二人を前にしてリニスは前に向けて踏み出しかけていた足をぴたりと止めた。

 

「(……この二人だけなら何とかなるかも。他の二人や御神健斗と合流される前に早く決着をつける必要がありますが)――バルバロッサ!」

『Yes,ser』

 

 リニスがおもむろに懐から金色の球を取り出しながらその名を発すると、球もまた声を発し取っ手を形成してステッキへとその形を変える。

 それに対してシグナムも首に付けたアクセサリーを握りながら言った。

 

「レヴァンティン!」

『Anfang』

 

 瞬きする間もなくシグナムははやてが考えた騎士甲冑に身を包み、彼女が首に着けていたアクセサリーも剣になった。

 シグナムとリニスは互いに武器を向けながら睨み合う。しかし――

 

「待って!」

 

 ふいにはやてが声を上げ、三人は彼女の方に顔を向けた。

 

「シグナム、ちょっと待ってくれんかな。リニスさんにいくつか聞きたいことがあるんや」

「主? しかし――」

 

 異を唱えかけるシグナムだったが、はやての瞳を見て言葉を飲み込む。リニスもまたはやての表情を見て、

 

「……何でしょう?」

 

 リニスの問いに対しはやては足を一歩前に進めた。その隣ではザフィーラがリニスに向けて注意深く構えを取っている。

 はやては深く息を吸ってから言葉を発した。

 

「昨日健斗君が学校を休むくらいの大怪我をして帰ってきたそうなんですが、何か心当たりがありませんか? 本人は転んだだけなんて言ってたみたいですけど」

 

 据わった目を向けて問いかけてくるはやてに、リニスは一瞬言葉を詰まらせながらも、

 

「……お察しの通りです。私がやりました。彼が持っているジュエルシードを奪うために」

 

 それを聞いてはやてはきっとリニスを睨む。それを見てリニスはぴくりと肩を震わせた。魔法が使えないはずのただの少女に対して。

 それに気付いたのか、はやては一度目を閉じ表情を緩めてから再び口を開いた。

 

「そんなに欲しいんですか? あんな石ころと闇の書っていうこの本が」

 

 はやてはそう言って鞄を掲げ、なのはに見せるために持ってきた闇の書を取り出す。その瞬間リニスの視線が鞄に向き、シグナムとザフィーラは構えを強くする。それに対して、はやては闇の書を隠そうともしないまま言った。

 

「闇の書についてはシグナムたちから一通りのことは聞きました。平たく言うと何でも願いを叶えるような本なんでしょう?」

 

 その言葉にリニスはこくりとうなずく。さすがにそこまで万能ではないが、完成した闇の書があれば叶わない事の方が少ない……と言われている。

 はやては続けて、

 

「ひとつだけ……ひとつだけ約束してくれるならこの本、リニスさんにあげてもいいですよ」

「――!」

「――なっ!」

 

 それを聞いてリニスとシグナムは思わず息を飲み、ザフィーラも目を見張る。

 それに構わずはやては強い口調で言った。

 

「その代わり、もう二度と健斗君にひどいことしないでください! 守護騎士やなのはちゃんにもです! そう約束してくれない限り闇の書はあげられません!」

「……もし約束できないと言ったら?」

「この場で闇の書をちぎって破り捨てます」

 

 ほとんど間を空けずに放たれたその言葉を聞いてリニスは再び息を飲み、はやてを止めようと前につんのめる。しかしシグナムとザフィーラに阻まれて、それ以上近づくことはできなかった。

 そんな彼女にはやては迫るように言った。

 

「どうしますか? 私の友達に手を出さないと約束して闇の書を受け取るか、それとも闇の書を台無しにされる危険を冒して無理やり奪おうとするか……言っておきますけど脅しなんかじゃありません。こんなもののために誰かが傷つくくらいならない方がいいって考えてます――何なら今すぐにでも」

 

 そう言いながらはやては闇の書を両手で掴む。それを見て――

 

「ま、待ちなさい!」

「……」

 

 書を掴む両手に力を込めるはやてにリニスは思わず声を張り上げる。はやては書を掴んだままリニスを見た。

 

「待ってください。私だって健斗さんたちを傷つけたくはありません……ただ、私たちが手に入れなければならないのは闇の書だけではないんです。前にも言ったように、ジュエルシードという石も一緒に手に入れてくるように主から言われていて。それを巡って私たちは健斗さんやあの女の子と対立している状態なんです。彼らがジュエルシードを渡してくれない限り、はやてさんとの約束を守れる保証は――」

「じゃあ私からリニスさんたちにジュエルなんとかを渡すように健斗君となのはちゃんを説得します。あの二人が聞いてくれるかはわからないけど、今はただ健斗君となのはちゃんに危害を加えないと約束してください。でないと本当に……」

 

 今にも闇の書を引き裂きかねない様子を見せるはやてを前にしてリニスは気圧されていた。健斗やなのはとは別の意味で厄介な相手だ。その上でこの少女は彼らを凌ぐほどの魔法の才を秘めているというのだろうか、だとしたら恐ろしいという他ない。

 要求に応じた方がいい。リニスがそう思っている時だった。

 

「お待ちください主はやて! 闇の書の主はあなただけです! 書を他の者に渡すことなど――」

 

 敵に背を向けてそう言い募るシグナムにはやては笑みを向けながら、

 

「ごめんなシグナム。私とこの本のためにみんな頑張ってくれているのに。でもこんなもののためにみんなが傷つくのはもう嫌なんや。だったらここでリニスさんに渡した方がええ。この人たちが闇の書やあの石をどう使うつもりかはわからんけど、きっとそんなに悪いことに使うつもりやないと思う……そうですよね?」

「……」

 

 はやてからの問いにリニスは言い淀む。確かに自身の主プレシア・テスタロッサの望み自体は人々や世界に害をなすものではない。闇の書の過去の所有者たちなどと比べたらあまりに小さな願いだろう。

 だがリスクはある。第97管理外世界と呼ばれるこの世界を危険にさらすようなリスクは。それを承知の上でリニスは言わずにおいた。

 

「違います主! 私が言いたいのはそういうことではなく――」

「わかりました。その条件を飲みましょう。フェイト……私の仲間たちを下がらせて、ジュエルシードについては譲っていただけるように健斗さんやあの女の子と話し合うと約束します。はやてさんからも彼らを説得していただけると助かるのですが」

 

 シグナムの言葉をさえぎって放たれたリニスの返答にはやてはうなずきを返す。そしてはやてはリニスに向けて闇の書を差し出した。

 なおも何か言おうとするシグナムの横でリニスはそれを受け取ろうと手を伸ばす。

 ――その時だった。

 

そこまでだ!

「えっ?」

「……?」

 

 上空から降り注がれたその声にリニスは手を止めて、はやてと騎士二人も思わずそちらを見上げる。

 その瞬間、彼女たちのまわりに数十もの円状の魔法陣と黒いコートの身を包んだ男たちが現れた。

 

 

 

 

 

 

 地上にいるアルフや公園のどこかに潜んでいるかもしれないリニスに注意しながら上空で対峙する二人の様子を窺っているところで、周囲や上空に円状の魔法陣が次々と出現し、その中から紫色のコートを着た男たちが何十人も現れて俺たちを取り囲んでくる。

 そしてなのはとフェイトの間に黒髪の少年が現れた。

 黒いコートを着て、シリンダーのようなものを先端につけた杖を持っている少年だ。

 彼は左右にいるなのはとフェイトを視線で止めながら声を張り上げる。

 

「時空管理局執務官クロノ・ハラオウンだ! 『執務官』の権限で君たちを拘束する! 大人しく投降しろ!!」

 

 頭上に突然現れた少年の口から出た宣告に俺となのはは戸惑い、守護騎士やフェイトたちは息を飲む。

 そして……

 

「『時空管理局』……またあたしらの邪魔をしに来たのか」

 

 ヴィータはそうつぶやきながら忌々しげな目で少年を睨んでいる。まるで長年の怨敵と出会ったかのように。

 その一方、少年は部下らしき男たちに取り囲まれている俺たちを見回し、その途中で向こう側に目を向けた瞬間その目を一杯に見開いた。彼につられて俺もあちら側に目を向ける。

 そこにははやてとリニス、そしてはやてを守るために彼女のそばについていたシグナムとザフィーラがいた。

 それを目にした少年はさっきよりはるかに張りつめた声で――

 

「――急いであの茶髪の女の子を捕まえろ! 彼女が持っているのは、第一級の捜索指定がかかっているロストロギアだ!」

 

 それを聞いて、すでにはやてたちのまわりに現れていた男たちがはやてを捕まえようと彼女に迫り、シグナムとザフィーラははやてのそばに立って主をかばった。

 リニスも突然現れた男たちと対峙しながら……

 

(とうとう嗅ぎつけられてしまいましたか。しかもよりによってこんな時に。私一人だけならまだしも、このままではフェイトとアルフが――)

 

 

 

 

 

 俺たちもリニス一味も、突然現れた黒コートの連中に包囲されて身動きが取れなくなる。

 何だこの状況は? 何なんだこいつらは? なんでこんな連中に俺たちが拘束されなければいけないんだ?

 そう思っていると――

 

「フェイト!」

 

 眼下からの声に上空にいる三人が下に顔を向ける。

 その直後少年に向けて茜色の光弾が放たれた。少年は手を突き出し魔法陣で光弾を防ぐ。

 次の瞬間、男たちを突き飛ばしながら赤い狼アルフが上空に飛んできた。

 

「撤退するよ。離れて」

 

 そう言うとアルフは少年に向けて光弾を撃ち放つ。少年と彼のすぐそばにいたなのはは真横に跳んで球を避け、その隙にフェイトはジュエルシードに向かっていく。

 だが――

 

「こいつ!」

「大人しくしろ!」

 

 ジュエルシードの間に何人かの男が現れ彼女の行く手を阻む。それを前にしてフェイトは動きを止めた。

 そして男たちはフェイトを捕まえようとその手を伸ばす。さすがに見ていて気分がいいものじゃない。

 そう思っているところで――

 

「やめて! フェイトちゃんにひどいことしないで!」

 

 フェイトと男たちの間になのはが割って入り、悲痛な声で訴える。しかし男たちは不愉快さを隠さずに、

 

「貴様!」

「構わん、二人まとめて捕まえ――ぐあっ!」

 

 なのはとフェイトを捕まえようとした二人のうち一人が太い声を上げながら落下し海に落ちていった。彼が身に着けているのが魔導着なら死にはしないと思うが。

 海に落ちた仲間を見て男たちが信じられないものを見る目でこちらを見る。その反対側からは……

 

「あなたは……」

「健斗君!」

 

 俺はなのはとフェイトの前に立ち、かばうように彼女たちの前に立った。

 

 

 

 

 

 

 一方、地上では黒コートの男たちに囲まれている状況にかかわらず、守護騎士たちは唖然としながら上空を見上げていた。

 

(……いつの間にあそこまで)

(それも無数の管理局員に囲まれた状態で……だが)

(あのような光景はあの頃に何度か見たことがある……確かあれは)

(《フライングムーヴ》……嘘だろ。まさかあいつ本当に……)

 

 

 

 

 

 

「いつの間にここまで……いや、どうやってあの包囲を潜り抜けてきた?」

 

 目の前で仲間をやられた男は憎々しげに俺を睨む。だが俺は彼らに構わず――

 

「おいあんた!」

「――!」

 

 上役らしい少年に向かって怒鳴ると少年はこちらを見返してくる。俺は彼に向けて怒鳴った。

 

「これは一体どういうことなんだ? いきなり現れてきて俺たちを拘束しようなんて強引すぎるにもほどがあるぞ! あんたたちは一体何者なんだ?」

 

 すると少年は怪訝そうな顔で口を開いた。

 

「僕はクロノ・ハラオウン。時空管理局に所属する執務官だ。さっきちゃんと名乗っただろう。わかったら武器を引いて投降するんだ。君たちには聞きたいことが色々とある」

「――わからねえよ! そんな組織や職業一度も聞いたこともない! 一体何の権利があって俺たちを捕まえようとしているんだ?」

「管理局を知らないだと……まさか、君はこの世界の人間なのか? 魔導師なのに……」

 

 クロノという少年は信じられないものを見るような目を向けてくる。魔導師なら……魔法がある世界から来た人間なら知っているような組織なのか? そういえば、守護騎士たちやフェイトたちはこいつらを知っているようなそぶりだったが。

 

「フェイト、お前はこいつらを知っているのか? あいつが言う時空管理局とやらについて」

「えっ――う、うん。あなたたちは知らなかったの?」

 

 フェイトに向かって尋ねると彼女は誤魔化そうともせず、あっさりそう言ってのける。むしろ俺たちが知らなかったことに驚いているようだ。

 じゃああいつらは、本当にどこかの世界から来た警察のような組織なのか? だとしたらここでフェイトたちやリニスを捕まえてもらうのも手だが。

 だが、さっきクロノははやてを見た瞬間血相を変えて彼女を捕えるよう部下に命じていた。このままこいつらに従うのも危険だ。せめてはやてとなのはだけでも見逃してもらえるように話を付けないと。

 クロノという奴を見ながらそう思っている時だった――。

 

「ぐあっ!」

「――!」

 

 俺たちの前にいたクロノの部下たちが突然あらぬ方に飛ばされて眼下の地面や海に落ちていく。

 そして彼らがいた場所には、今までいなかったはずの人物が浮いていた。

 青い短髪に、青いラインがいくつも入ったトップスと青と白が入り混じった色のズボンを着て、白い仮面をかぶった……多分男だ。

 

「何者だ? こいつらの仲間か?」

 

 仮面の男に向かって杖を向けながらクロノは声を張り上げる。

 仮面の男はクロノの質問に答えず、クロノは再び問いを発しようとした。

 だが次の瞬間、仮面の男は一瞬でクロノの眼前まで移動し、彼の腹にするどい蹴りを入れた。

 

「うわあっ!」

 

 衝撃を殺しきれずクロノはうめき声を上げながらあさっての方に飛んでいった。こいつリニス以上に速いぞ!

 そう思った瞬間、今度は俺のすぐ前に仮面の男が現れると同時に腹に鈍い痛みが走った。

 

「ぐあっ!」

「健斗君! ――うっ!」

 

 俺が殴られた直後になのはの周りに二つの輪が出現し、彼女の体を拘束する。

 そして残ったのはフェイトとアルフだけとなった。まさか今度は彼女たちにまで。

 俺もおそらくなのはもそう思っていたが、

 

「フェイト・テスタロッサ、アルフ、退け」

「――えっ?」

「はぁっ?」

 

 突然現れた乱入者に名前を呼ばれ二人は戸惑いの声を上げる。あいつらの仲間……じゃないのか?

 

「ジュエルシードはまだ他にもある。闇の書もここで手に入れようとする必要はない。あのリニスという猫と一緒に退け」

「でも――あっ!」

「逃げるよフェイト! こいつの言う通りだ!」

 

 アルフは迷うそぶりを見せるフェイトを強引に背中に乗せてその場から飛び去り、仮面の男もそれに続く。

 俺は彼らを追いかけようとするが、仮面の男は顔だけをこちらに向けて言い放った。

 

「そのままじっとしていろ!! そして時を待て! これが正しいとすぐにわかる!」

「……?」

 

 言い聞かせるような口調でそう言い残すと、彼はものすごいスピードでこの場から飛び去る。

 首をかしげながら下を見ると、地上で多数の局員たちが倒れているのが見えた。リニスも騒ぎに乗じて逃げたようだ。

 

 

 

 

 

 

 次元空間。

 時空管理局次元航行艦船8番艦『アースラ』・ブリッジ内。

 

「魔導師の一部と乱入者は逃走」

「追跡は?」

「いずれも多重転移で逃走してます。追い切れませんね」

 

 前部にいる眼鏡をかけた茶髪のオペレーターからの報告を聞いて、女性艦長は後部の席に腰かけたまま「そう」と言いながら息をつく。彼女は続けて指示を出した。

 

「すぐに医療班を向かわせて。それから彼らをアースラに迎え入れる準備を。私と執務官が直接事情を聞くことにします」

「危険です! あの中には第一級指定ロストロギア――《闇の書》の所有者が――」

 

 紫髪のオペレーターからの警告に対し艦長は首を横に振り。

 

「いえ、彼女の方からこちらに攻撃してくる様子はありません。むしろ戦闘に巻き込まれただけのようにすら見えます。あの少年と白い服の少女も魔法が使えるものの管理局について何も知らないみたいですし、こちらの方から説明する必要があると思います。すぐに準備して」

 

 艦長の指示にオペレーターは慌てて「はい」と返事をする。

 それを聞きながら艦長は手元のデバイスに手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 苦しげにうめきながら戻って来たクロノや拘束から解放されたなのはと一緒に地上に戻り、俺たちははやてや守護騎士たちと合流した。

 

「はやて、大丈夫だったか?」

「う、うん。シグナムとザフィーラが守ってくれたおかげで」

「そうか。ありがとう二人とも」

「……い、いや。それが我らの務め……だ」

 

 俺の労いに対してシグナムはつっかえながら答える。まるで俺に対してどんな口調で話したらいいかわからずにいるような。ザフィーラも心なしか落ち着きのない様子で俺を見ている。

 それを見て内心首をかしげていた時だった。

 

「おい……」

 

 隣からそんな声が聞こえて俺はそちらに顔を向ける。

 そこには俺に向かって体を向けているヴィータとシャマルがいた。ヴィータは顔を伏せていて俺にはその表情は見えない。

 

「ああ、ヴィータとシャマルもありがとう。お前たちが手伝ってくれたおかげでジュエルシードは……あいつらの手に渡らずに済んだ」

 

 この公園にあったジュエルシードは今クロノの手にある。おそらく俺たちのもとに渡ることはないだろう。残念だがリニスたちの手に渡るよりはましだ。それにまだ望みはある。

 そう思ってヴィータとシャマルにも礼を言ったのだが……

 

「なんで……」

 

 ヴィータの口から出たその言葉に「えっ」という声が漏れる。

 そんな俺の胸倉をつかみながらヴィータは――

 

「なんで……なんでお前が生きてんだ!?

 

 その言葉に俺は目を剥き言葉を失う。まさか……

 

「なんでお前がここにいる!? お前はあの時死んだはずだろう!」

 

 まさか気付いたのか? よりによってこんなところで。

 はやてが止めようとするのも構わず、ぐらぐらと体を揺らされながら放心する俺にヴィータは再び叫んだ。

 

なんでお前が生きてるんだ!? ()()()!!



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第26話 アースラ

「なんでお前が生きてんだケント!? お前は死んだはずだ! ゆりかごの魔力砲に飲み込まれて!」

 

 俺の胸倉をつかみそう繰り返すヴィータ。はやてはヴィータに駆け寄る。

 

「な、何言ってるのヴィータ? 健斗君は生きてるよ。ほら、このとおりピンピンしてるやんか」

「うるせえはやて! お前は黙ってろ! あたしはこいつに聞いてんだ!」

 

 突き飛ばさん勢いでヴィータは現在の主(はやて)を怒鳴る。それを見かねてシグナムはヴィータを俺やはやてから引きはがそうとするが、シグナムも混乱から抜け出せておらずその動きには精彩がない。

 そんな時、俺達の頭上に魔法陣が現れた。

 

『クロノ、お疲れ様。ちょっといいかしら……これは何の騒ぎ?』

 

 魔法陣に映し出された緑髪の女性は俺たちを見て困惑の色を浮かべる。しかしクロノは姿勢を正しながら――

 

「いえ、何でもありません。他愛のない(いさか)いのようです。それより申し訳ありません艦長。一部の魔導師と乱入してきた男を取り逃がしてしまいました」

『まあ、あの状況じゃ仕方ないわ……でね、ちょっと彼らと話をしたいんだけど』

 

 そう言って緑髪の女性はクロノの返事も待たず、俺たちの方に顔を向けた。

 

『初めまして、時空管理局所属艦『アースラ』の艦長リンディ・ハラオウンです。部下たちの非礼は私からお詫びします。魔法を使うことができる人間がまさか管理外世界にいるとは知らず。そのお詫びも兼ねて、あなたたちを私たちがいる船に招待したいと思うのですが……いかがでしょうか?』

 

 リンディと名乗る女性の言葉に、俺たちは懐疑的な表情になる。

 絶対お詫びがしたいだけではないだろう。俺たちから色々と聞き出したいという顔をしている。

 とはいえ聞きたいことがあるのはこちらも同じだ。それに相手はかなりの組織。ここで拒否しても連中にとって俺たちを取り押さえるなんて造作もないことだ。

 俺はリンディに向かって一歩進み出てから言った。

 

「条件があります」

『何でしょう?』

 

 条件という言葉にリンディは眉をひそめることもなく聞き返してくる。そんな彼女に――

 

「艦長さんがいる所まで俺たちを案内するのは誰か一人だけ……そこのクロノって人にやらせてください」

「――なにっ!?」

 

 俺から指を差されてクロノは思わず声を上げる。リンディは『構いませんよ』と首を縦に振り、憤るクロノに構わず俺は話を続けた。

 

「それと、あなたがたの船とやらへ行く前に俺たちの保護者に連絡をさせてください。帰りは遅くなるでしょうからそう伝えておかないと」

 

 二つ目の条件に保護者たちへの事前連絡を加えた。

 その連絡によって、俺たちの帰りが遅くなっても彼らが心配するようなことはなくなるが、俺たちがいつまで経っても帰って来なければ間違いなく大騒ぎになる。

 異世界の人間にとっては痛くもかゆくもないことかもしれないが、この間の地震を始め、魔法がらみの怪現象がこの町で多々起きている。万が一俺たちの失踪がそれに関連付けられたら彼女たちにとってまずいことになる……かもしれない。

 

『ええ、もちろんです。お父様やお母様に心配をさせてはいけませんからね。どうぞ連絡してあげてください。もちろん、遅くなった場合はこちらに泊まっていただいても構いませんから』

 

 俺の意図を承知の上で、リンディは保護者への連絡を許可してくれる。さすがに今の時点で彼女たちの船に泊まっていくつもりは毛頭ないが。

 

「それとこれはお願いですが、そこにいるはやてはもちろん、なのはも魔法が使えるものの、異世界についてはほとんど何も知らないただの民間人です。それを踏まえたうえで対応していただけませんか」

 

 魔法陣によるモニターをぽかんと眺めているはやてとなのはの方を示しながらそう求めると、リンディは固い表情で答える。

 

『……わかりました。彼女たちの処遇については慎重に考慮すると約束しましょう。決して悪いようにはしません』

「絶対ですよ……」

 

 そう念を押すと、リンディは固い表情のまま首を縦に振って通信を終えた。

 俺は連れの方を振り返りながら、彼女たちに指示を出す。

 

「そういうわけで、これからリンディさんって人たちがいる船にお邪魔することになった。いざとなったら俺が命を張ってでもお前たちをここに帰してやる。ただ、万が一のためになのはは桃子さんに、はやては石田先生に連絡を入れておいてくれ」

「う、うん!」

「わかった」

 

 指示通り、なのはとはやてはスマホを取り出して保護者またはそれに近い人に連絡を入れ始める。それを眺めながら俺はクロノに顔を向けた。

 

「じゃあ連絡をすませたら行こうか、クロノ・()()()()()君。艦長さんが息子思いのいいお母さんであることを祈ってるよ」

「……君、性格悪いだろう」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で俺を睨む彼に、俺はニヤリという笑みを向けた。

 

 

 

 

 

 

「頭の回る子ね。子供とは思えないくらい駆け引きがうまいわ。さりげなく人質まで取ってるし……本当に小学生かしら?」

 

 

 

 

 

 

 リンディという艦長に告げた通り、それぞれ親などに連絡を入れてから、俺たちは魔法陣を通って時空管理局の船、アースラに足を踏み入れた。

 クロノに先導されながら、俺たちはリンディがいる場所まで進む。

 

「ここって一体……?」

 

 船の中だという実感がわかないのだろう、通路を見回しながらなのはは口を開く。

 無理もない。次元空間の中を飛んでいるためか飛行機や水上船と違って、この船には窓というものがないらしい。一面壁だらけでとても船の中とは思えない。

 そんななのはの気も知らずユーノは型通りの説明をする。

 

「時空管理局の次元航行船の中だね。えっと……簡単に言うと、いくつもある次元世界を自由に移動する……そのための船」

「あ、あんま簡単じゃないかも」

 

 なのはの言葉にユーノは困ったように「えっとね」と説明しようとした。その慣れない説明ぶりを聞いて俺はたまらず口を挟む。

 

「宇宙船みたいなものだ」

「宇宙船……」

 

 相槌を打つなのはに俺はうなずいて話を続けた。

 

「俺たちが暮らしている地球の他にもさまざまな世界や次元があって、この船はそれらの世界や次元を行き来するための船らしい……ようするに宇宙空間に浮かぶ惑星とそこへ行くための宇宙船だと考えればいい。次元が宇宙のようなもので、この船はその中を飛んでいる宇宙船もどき」

「ああ! そういうことか!」

 

 宇宙に例えた途端、なのははストンと胸に落ちたような声を上げる。

 なのはは機械に詳しく、それらが出てくるSFが大の好みという一面がある。こういう例えの方が彼女には伝わりやすい。

 俺はうなずいて話を続ける。

 

「クロノやリンディって艦長が言う時空管理局というのは、察するにその別の世界や次元の中で起きる犯罪を取り締まっている組織といったところだろう……違うか?」

「いや、それで合ってる」

 

 前を歩くクロノに確認すると彼は前を向いたままそれだけを告げた。そして……

 

「ふーん、詳しいな。他の次元世界に行ったこともないのに。さすが異世界で王様やってただけはある」

 

 その声に反応して顔を向けると、後ろの方でヴィータが拗ねたように両手を首の後ろに回しむすっとしながら歩いていた。

 明らかに俺に対して不満がある顔だな。無理もないが。

 一方、ヴィータが言ってたことの意味がわからず、なのはとはやては顔を見合わせながら首をかしげていた。

 

 

 

 そんなことを話している間に電子式のドアを潜り抜けて次の通路に入る。

 そこでクロノはこちらを振り向いて――

 

「いつまでもその格好というのも窮屈だろう。《バリアジャケット》と《デバイス》は解除して平気だよ」

 

 そう言われてはやてともども戸惑っていると、なのはと守護騎士たちは魔導着を元の服に戻し、魔具を元の状態に戻していく。

 ああ、そういうことか。現代では魔導着はバリアジャケット、魔具はデバイスと呼ぶんだったな。ユーノから一度聞いたことはあるんだが、まだ慣れない。

 なのはたちの除装を見届けた後もクロノは先に進まず俺の方を見て……

 

「その剣――いや刀か。そのデバイスも待機モードにしてくれないか。その状態のままだと不安なんだが」

「いや、これは魔――デバイスじゃないんだ。魔法の力を持たないただの武器」

「魔法の力を持たない……そんなもので今まで戦っていたのか?」

 

 驚きに目を剥くクロノに俺はうなずいて見せる。

 

「もちろん魔力を付与したり、別の魔法を駆使したりもしたけどな。さすがにそうでもしないとリニスとかには勝てない」

「そうか。艦長の元へ行くまでにそれを預けてもらうことは……」

 

 その言葉に俺は首を横に振る。

 

「まだお前たちを信用できない。そこに大勢の局員が待ち構えているとか罠が仕掛けられていないとも限らないし、鞘に収めたまま持っていくぐらいはさせてもらう」

「……いいだろう。でも僕も艦長も事情聴取ぐらいでそんな卑劣なことはしない。……じゃあ、君も元の姿に戻ってもいいんじゃないか」

 

 クロノは俺から視線を落としユーノにそんな言葉をかける。するとユーノは、

 

「ああ、そういえばそうですね。ずっとこの姿でいたから忘れてました」

 

 その言葉にほとんどの者たちは首をひねる。もしかして……。

 そんな俺たちの前でユーノは緑色の光に包まれ人の姿になった。

 文様が入った上着に短パンを着た、二本のアホ毛が跳ねあがってる金髪に緑がかった瞳の少年だ。

 彼を見てザフィーラ以外の騎士たちとはやては驚きの声を上げ、なのははカタカタとユーノを指差しながら、

 

 

 

ふえええええええええっ!!

 

 

 

 アースラ中に響いたのではないかと思われる絶叫に俺たちはたまらず耳をふさぎ、ところどころにある部屋から青いスーツを着た局員がわらわらと出てくる。

 それにかかわらずなのははユーノを見ながらあたふたとパニックっていた。

 呆れた顔で尋ねてくるクロノの問いにも答えず、なのはとユーノは言い合いを続ける。

 

 どうやらジュエルシードの暴走体の攻撃を受けてユーノは無意識の間にフェレットのような小動物に変身したまま気を失って、そこへなのはが傷ついた彼を拾って動物病院に預けたらしい。ユーノが人間だと知らないまま。

 それだけならそこまで驚かなくてもと言いたいところだが、なのはがショックを受けている理由はわかる気がする。

 ユーノは今までの間ずっとペットとしてなのはの部屋で暮らしていて、旅行の時に至っては彼女たちと一緒に女湯に……俺も少し腹が立ってきたな。こいつの正体を士郎さんや恭也さんにバラしてやろうか。

 そこでクロノは咳払いをしながらなのはたちに声をかけ、艦長が待っている応接室へと急ぐように促す。

 応接室へ向かう彼の後に続いて俺たちは再び通路を進んだ。

 

 しかしやはり似てるな。サニー・スクライアにそっくり……いや瓜二つだ。

 スクライアという部族姓だけでは判断できなかったが……もしかしてこいつ、サニーの子孫か?



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第27話 闇の書

「艦長、来てもらいました」

 

 先頭に立つクロノはそう一声かけてから応接室に入り、俺たちもその後に続く。

 俺たちを捕まえようと、大勢の局員が手ぐすね引いて待ち構えているのではないかと身構えたが、そのようなことはなかった。

 

 俺たちの目に広がったのは、いくつかの盆栽に鹿威し、竹藪などが設置された和風チックなインテリアに囲まれた部屋だった。

 その部屋の中央にある畳台の上に、彼女は座っている。

 

 緑色の長いポニーテールに髪の色と同じ緑がかった瞳、三角記号のような模様を額につけた、魔法陣に映っていた女性と同じ人物だ。

 彼女は俺たちに向かって一礼して……

 

「ようこそ皆さん、お待ちしていました。アースラの艦長リンディ・ハラオウンです。さあ、どうぞどうぞ、遠慮せず座って」

 

 予想以上に気さくな艦長と部屋の内装に圧倒されながら、俺たちは彼女に勧められるがまま畳台の上に座る。一方、クロノは隅の方で、俺たちに出す緑茶と羊羹(ようかん)の用意をしていた。

 

 

 

 

 

 《ロストロギア》と《ジュエルシード》、それらが暴走した際に起こる《次元震》、そして最悪の災害《次元断層》の説明を終えて、リンディは自身の緑茶に角砂糖を入れる。それを見てなのはとはやてが顔をしかめた。

 一方、リンディは彼女たちの胸中も知らず、砂糖が入った容器を差し出しながら言った。

 

「あら、あなたたちも欲しい? 遠慮せず入れていいのよ」

「い、いえ……」

「遠慮しときます」

「そう……あなたはどう? お茶に砂糖入れない?」

「いえ。俺もお茶はそのまま飲みますから」

 

 首を横に振りながらそう答えると、リンディはつまらなそうに容器を引っ込める。

 前世では毎日のように紅茶を飲んでいたし、緑茶に砂糖くらいなら俺もそこまで引かないが、リンディのように角砂糖数個とその上ミルクまで入れるのは明らかにおかしい。そんなものを日常的に飲んでいると確実に体を悪くするぞ。

 

 そんなことを思っている俺の前でリンディは美味そうに緑茶を飲んでから、はやてに向けて口を開いた。

 

「八神はやてさん、だったわね?」

「は、はい!」

「あなたが持っているその本は、元々はやてさんの家にあった物なの?」

 

 リンディの問いに、はやては膝に置いた魔導書を持ち上げながら答えた

 

「え、ええ。物心ついた頃からうちにあって。せやから両親のどちらかが持ってた物だと思ってました」

「あなたのご両親は?」

「……二人とも亡くなってます。数年前に二人でどこかへ出かけた時に事故にあったらしくて」

「そうだったの……。ごめんなさい、辛いことを聞いて」

 

 謝るリンディにはやては顔を曇らせながらも「いえ」と首を横に振る。リンディははやてが落ち着くのを待って再び話を始めた。

 

「じゃあ話を進めるわね。はやてさんが持つ本――《闇の書》はさっき話したジュエルシードと同じ……いえ、それ以上に危険な力を持つ、魔力蓄積型のロストロギアなの。魔力を蒐集して白紙だったすべての頁を埋めると、途方もない力を持つとされる――」

「あっ、その話はシグナムたちから聞いてます。何でも願いが叶う魔法のランプみたいなもんやと思ってましたけど」

「……そういう風に言われてもいるわね。闇の書の所有者となった人たちはその力を求めて、多くの魔導師を襲って闇の書を完成させようとしたわ……闇の書から召喚される四人の騎士たちの力を借りてね」

 

 そう言ってリンディは彼女たちに目を向ける。

 それに対してシグナムたち守護騎士は憮然と、あるいは平然と座り続けていた。

 そんな中でリンディの隣に座るクロノが声を発する。

 

「その所有者の中でもっとも有名なのが、“愚王ケント”だ」

「愚王……」

「ケント?」

 

 はやてとなのはは思わずと言った風に俺の方を見る。だが当然俺の事ではない……表面上は。

 

「闇の書が作られた場所でもある、ベルカという世界にいた王様だ。治めていた国の名前から取って《グランダムの愚王》と呼ばれている。守護騎士を始めとする大勢の軍を率いて周辺の国や街を攻め落とし、最後は自国の都の住民を糧に闇の書を完成させようとした、ベルカ……いや次元史上最悪の王だよ」

 

 ……予想以上の悪評だな。次元史上最悪ときたか。

 そこへ追い打ちをかけるように――

 

「それ以外にも王という権力を笠に着て色々な悪事を働いていたようね。きれいな女性を何人もさらってそばに置いたり、攻め落とした国の女王様やお姫様を無理やり妻にしようとしたり――って、まだあなたたちには早すぎる話だったわ! 忘れてちょうだい!」

 

 リンディが漏らした話に一同、特に女性陣が冷ややかになる。彼女らの中で愚王ケントがどういう存在なのかが決定づけられたようだ。どうしてそんな話ばかり残っているんだ?

 話が逸れたことに気付いたのか、もしくは男である彼にとって居心地が悪いのか、クロノは咳払いをして、

 

「ま、まあ、そいつは聖王によって討ち取られたんだが、その際に闇の書も愚王と一緒に消滅してしまったんだ」

「……? 消滅って、闇の書はちゃんとここにありますよね? はやてちゃんの家にずっとあったって……」

 

 はやてが持っている魔導書を見ながらなのははそう主張する。

 それを聞いてリンディは顔を固くした。

 

「それが闇の書の一番恐ろしいところなんだけどね。闇の書には、所有者が死んだり書物自体が破壊されたら、再生して別の所有者のもとへ転移する機能があるの。闇の書が何百年も前から存在しているのもその機能によるものらしいわ」

「そうだったんですか!」

 

 再生機能の話を聞いてはやては驚きながらも納得したような声を上げる。次々と別の所有者のもとへ渡っているにもかかわらず、魔導書に傷が一つもついてない理由がようやくわかったからだろう。

 

「闇の書の頁は再生する度に白紙の状態に戻るという。そのため数百年の月日を経ても闇の書が完成したことはない……と思われていた」

 

 クロノが付け足した言葉になのはとはやて、そして守護騎士たちが眉をひそめる。

 彼に続いてリンディが言った。

 

「でも闇の書が出現した世界では、毎回のように大規模な破壊が確認されていてね、世界自体が消滅した例もあるみたいなの。次元断層より規模は小さいみたいなんだけど」

「だがそれを踏まえると、闇の書は世界そのものをまるまる一つ破壊するほどの力を持っていると考えていい。そのため65年前に発足して以来、管理局はずっと闇の書の転移先を探し続け、書を確保しようとしてきた。それは君の隣にいる守護騎士たちも知っているはずだ」

「そうなん!?」

 

 クロノの言葉にはやては驚きながら守護騎士たちを見る。

 守護騎士たちの何人かは困惑した様子を見せながらも、やがてヴィータがぶすっとしながらもその口を開いた。

 

「ああ。そいつが言った通り、それくらい前の頃から時空管理局って奴らがやって来るようになって、当時の主に対して闇の書を渡せって言ってきたんだ。でも当然主がそんなの聞くわけがなくて、逆にそいつらから魔力を奪おうとあたしらに攻撃を命じた。そっからは全面抗争だ。あたしらも奴らも互いの力を尽くして戦った。その結果は……」

「結果は……?」

 

 はやての問いにヴィータは言葉を詰まらせ、しばらくの間うんうんうなりながら続きを言おうとするものの、やがて弱々しい声で、

 

「…………覚えてねえ。いつの間にか新しい主のもとにいたんだ。シグナムは覚えてるか?」

「……い、いや、実を言うと私もその後のことは……お前たちは?」

「……私もあんまり」

「…………」

 

 ヴィータだけでなくシグナムもシャマルとザフィーラもその時のことを思い出せずに眉をしかめる。

 

 なるほど、管理局との戦いの末に魔導書が完成してしまったか、もしくは魔導書と主が滅んでしまったんだろうな。その後の事を知る術はこいつらにはない……それ以前と同様に。

 

 守護騎士たちの様子にクロノはリンディと顔を見合わせ、クロノはしばらくの間考えるそぶりを見せてから再び口を開いた。

 

「……そうか。なら仕方ない、話を続けよう。彼女の言う通り、管理局と闇の書の主は書を巡って何度も戦ってきた。主を捕らえ、闇の書の確保に成功したと思われたこともある……だが」

「失敗したんだな」

「……」

「……ああ」

 

 俺がそう尋ねるとリンディとクロノは顔を伏せ、クロノは悔しげな声でそう答えた。

 冷静な彼にしては珍しい姿に俺たちは少し驚く。……ふむ、もしかしてこの二人。

 そしてほどなく、リンディは気を取り直すように顔を上げてから口を開いた。

 

「とにかく、このように闇の書にはわかっていない部分も色々あって、もしかすればあなたたちの世界を滅ぼしてしまうかもしれないほど危険な物なの。……はやてさん、それからユーノ君、《ジュエルシード》も《闇の書》も一個人、それも管理外世界の人間が持っていていいものじゃないわ。ただちに我々時空管理局に渡してください。そうしていただけるのなら、あなたたち二人となのはさん()()一切の責を問わずに元の生活に戻れるようにすると約束します」

 

 リンディの言葉に、はやてとユーノは顔を見合わせて。

 

「……僕は元々ジュエルシードを集めたら管理局に送り届ける予定でしたから、それに異存はありませんが」

「私も闇の書でなにかしようなんて気はありませんし、そんな話聞いたらリンディさんたちに任せた方がいいとは思います……ただ」

 

 はやては守護騎士たちを横目で見ながら言葉を詰まらせる。それを見てクロノとリンディも難しそうな顔で視線を交わした。

 さすがに今の時点で守護騎士を解放するわけにはいかないか。それに俺も多分ただでは帰してくれなさそうだ。

 それに問題は他にも色々ある。例えば……

 

「待ってください!」

 

 おもむろにそう言った途端、リンディだけでなく皆の視線が俺に集まる。

 無遠慮な視線を浴びながら俺は声を上げた。

 

「あなたたちはさっき、闇の書は別の所有者のもとへ移る際に自ら選んだ所有者のもとに転移すると言ってましたが、そんな魔導書を他の誰かに渡すことなんて簡単にできるんですか?」

「そ、それは……」

「……」

 

 俺の指摘にクロノは小さくうなり、リンディも口を閉ざす。

 

 そう、夜天の魔導書には何者かに盗まれたり奪われた時に備えて転移機能が組み込まれている。この機能によって誰かに渡したとしても、魔導書はすぐに所有者のもとに戻ってきてしまうのだ。リニスたちもまだそれを知らないようだが。

 

「だ、だが彼女は闇の書の所有者だ。彼女が闇の書に命令すれば、僕や艦長が闇の書を預かることができるようになるはずだ。そうすれば他のロストロギアのように管理局のもとで保管することだって――」

「そうは思えない。自分で持ち主を決めるような魔導書だ。所有者といえど簡単には放棄できないんじゃないかと思う。放棄できたとしても、その瞬間に次の所有者のもとへ転移することだって十分あり得るぞ。今までの所有者のようなあさましい奴のもとにな」

「……確かに、その可能性は十分考えられるな」

 

 クロノはあごに手を乗せながら返事を返す。俺はさらに――

 

「次に、これもさっきクロノが言ったことだが、当時の闇の書の主を捕らえたことがあるという話だったが、肝心な闇の書を封印することには失敗したんだろう。その時何が起こったのか俺にはわからないが、同じような事態が起きないという保証はどこにある?」

「それは……」

「……」

 

 そう強く指摘するとクロノはうめくような声を漏らし、リンディも顔を曇らせる。

 

 やはり、その時の話をするとこいつもリンディも苦しげな反応を見せる。この二人、明らかに関わりがあるな。

 しかし、前に夜天の魔導書が存在していたのは、最低でもはやての物心がつく前の出来事だ。リンディはともかく、俺たちと同い年くらいのクロノが直接関わってたとは思えない。となるとおそらく……。

 

「なら君はどうしろというんだ!? そんな危険な物をずっと八神はやてに持たせておくつもりなのか? それとも、今すぐ闇の書を破壊するべきだと言いたいのか?」

 

 たまりかねたのかクロノは足元を叩きながら怒声を上げる。この問いにはさすがに俺も閉口せざるを得なかった。

 

 このまま一生はやてが魔導書を持っているわけにはいかない。リニス一味のように魔導書を狙う者が現れるかもしれないし、はやての体にもいつ麻痺が起こるか。

 だが魔導書を破壊させるわけにもいかない。今、魔導書を破壊したところで別の所有者のもとで再生して悲劇を繰り返すだけだ。それにそんなことをしたら守護騎士たちははやてのもとから消滅し、俺はもう二度と“彼女”に会えなくなってしまう。

 だから、別の方法を取るしかない。

 

「……それについてだが、俺に考えがある」

「考えだと……?」

 

 俺が口にしたことをクロノは思わず復唱し、他のみんなも怪訝な目を向けてくる。

 俺はうなずいてから言った。

 

「ああ。ずっとはやてのそばにいたから俺も闇の書についてはある程度知っている。こんな時に備えて闇の書を無害化する方法をずっと考えていたんだ」

「闇の書の……無害化だと?」

 

 自分の耳を疑っているように聞き返してくるクロノに俺はうなずきを返す。

 俺は前世の記憶を思い出した時からずっと考えていた。闇の書と呼ばれるくらい変わり果てた魔導書を元に近い姿に戻す方法を。ヴォルケンリッターと“彼女”を呪い(バグ)から解放する方法を。

 

「ああ。俺がジュエルシードを集めていたのもそのためだ。管理者権限を得るには……魔導師を襲ったりせずに頁を埋めるにはどうしてもあれが必要だった。……だが今のままではジュエルシードを集めることすらままならない……だから」

 

 俺はそこで勢い良く背中を曲げ、リンディとクロノに向かって深く頭を下げた。二人や周りのみんなが息を飲む声が伝わってくる。だが構わない。

 

「頼む! 闇の書を元の……《夜天の魔導書》に戻すために俺に力を貸してくれ!」

 

 畳の上に敷かれた絨毯に頭をすりつけて必死に頼み込む俺を、リンディとクロノも他のみんなも唖然としながら見ていた。

 

 

 

(健斗……やはりお前はヴィータが言っていた通り、主ケントの……しかし闇の書の無害化、そして夜天の魔導書とは一体? ……まさかあの時、主ケントの態度が変貌したのは――)



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第28話 旅立ちの前夜

 来客の()()()()が地球に帰ってから、アースラ内にある通信室という部屋では。

 

「すごいやー! ほとんどの子がAAAクラスの魔導師だよ!」

 

 先ほどの戦いを映したモニターを眺めながら感嘆の声を上げる副官に、クロノは「ああ……」と相槌を打つ。

 

 エイミィ・リミエッタ。

 茶髪をショートカットに切り揃えた見た目通り快活な女性で、アースラの通信主任と執務官補佐を兼ねるスタッフである。

 上官であるクロノとは士官学校時代からの知り合いで、彼とタメ口で話しているのもその縁からだ。

 

「魔力の平均値を見ても白い服の子で127万、黒い服の子で143万、最大発揮時はさらにその3倍以上。クロノ君より魔力だけなら上回っちゃってるね」

 

 エイミィの説明に対して、クロノは心なしか拗ねるように言葉を返す。

 

「魔法は魔力値だけの大きさだけじゃない。状況に合わせた応用力と的確に使用できる判断力だよ……ただ、それらを含めてもあの四人はさすがだな」

 

 一部のモニターに映っている守護騎士たちを見てクロノはそんな言葉を漏らす。それを聞いてエイミィも彼女たちが映っているモニターに顔を向けた。

 

「特にシグナムという剣士とヴィータという女の子は群を抜いている。防御と支援を受け持つ他の二人と組んだらどれほど脅威になるか。管理局が手を焼いていたのもうなずけるな。……そして彼女たち以上に気になるのが――」

 

 モニターに健斗の姿が映ったと同時に二人は彼を注視した。

 

「あの戦闘で発揮した魔力値は最低でも178万。しかもデバイスではない普通の刀に魔力を付与(エンチャント)していただけらしい。もし大規模な魔法が使えて、秘めた魔力を発揮したらどれほどのものになるか。応用力と判断力もかなり優れている。まるで十数年以上魔法を学び続けていたようだ。とても9歳とは思えない」

「そうだね。だからクロノ君もリンディさんも、彼の事を守護騎士かもしれないって思ってたんだっけ」

 

 エイミィの言葉にクロノは「ああ」と首を縦に振る。

 

「彼が魔法を使った際に浮かんでいる魔法陣は紛れもなく《ベルカ式》のものだ。その中でも特に古い――古代ベルカ式はベルカ人の間でも廃れた体形で、古代ベルカ式を使っているのは《聖王教会》の一部の騎士か《三家》の血族ぐらいだ。そんな魔法を管理外世界に住む人間が使えるわけがない。それもあって御神健斗の正体は管理局の記録にない守護騎士だと睨んでいたんだが……」

 

 そこでピーという電子音とともに扉が左右に開き、アースラの艦長であるリンディが室内に足を踏み入れてきた。業務を済ませたため今はゆったりとした私服に着替えている。

 クロノとエイミィは後ろを振り返りながら、彼女に声をかけた。

 

「艦長、お疲れ様です」

「お疲れ様です」

「二人ともお疲れ様……ああ、彼女たちのデータを見ていたのね」

「はい……それで、彼に対する返答は?」

 

 クロノの問いにリンディがたちまち眉間に眉を寄せ、難しい顔つきになった。

 

「……クロノは健斗君の提案に反対なのよね?」

「はい。管理者権限とやらを得るためだけに闇の書の頁を増やすなんてあまりに危険すぎます。それに回収したロストロギアを上の許可なく使用するなど、明らかに職権乱用――いや、『次元管理法』に反する行為です。それが発覚したら艦長は職を失うどころか犯罪者として逮捕されてしまう。あなたの部下としても執務官としても到底見過ごせません」

「クロノの言う通りね。でも、これは闇の書が起こす悲劇を終わらせるまたとないチャンスだわ。闇の書の所有者が協力的な姿勢を見せるなんて初めての事だもの」

 

 リンディの指摘にクロノは言葉を詰まらせる。

 

 リンディの言う通り過去の所有者は皆、闇の書の引き渡しに応じないどころか、頁を埋めるための魔力を求めて局員に攻撃を仕掛けてくる者ばかりだった。そのため今までは主ごと闇の書を破壊するしか方法が取れなかった。11年前に初めて闇の書と主を確保することに成功したのだが、それも結局……。

 だが今回は違う。現在の闇の書の主、八神はやては書の完成を望まず、闇の書を管理局に渡してもいいという意思を見せている。

 しかし、彼女から闇の書を譲り受けたとしても、あの本を封印できる保証はまったくない。現在の主を見限った闇の書が別の所有者のもとへ転移してしまうか、下手をすれば11年前のような惨劇がアースラや本局で繰り返されてしまう恐れさえある。

 かといって健斗が出してきた提案はあまりにリスクが高い。法的にも言葉通りの意味でも。

 それ以外に考えられる手段としては……

 

(はやてさんを闇の書ごと、どこか人のいない場所に隔離してしまえば――)

 

 頭の中に湧き上がった考えを振り払うように、リンディはぶんぶん頭を振る。そして怪訝な顔で自分を見る息子とその副官に「何でもないわ」と言った。

 

(冷静になれ。そんなこと許されるわけがない。それに、はやてさんが死んでしまった後はどうするの? 所有者が死んだら、その時点で闇の書はどこかに転移してしまうのよ。今までと同じ一時しのぎにしかならない……だから彼の提案を聞いて迷っているのだけど)

 

 思い直しているところで疑問を思い出し、リンディはそれを口にした。

 

「それにしても健斗君は一体何者なのかしら? ベルカ式の魔法を使い、主でも守護騎士でもないにもかかわらず闇の書に関してあそこまで詳しい知識を持っているなんて。少なくとも《夜天の魔導書》なんて名前、私は初めて聞いたわ」

 

 それを聞いてクロノも眉間にしわを寄せながら返事を返す。

 

「そうですね。少なくとも八神はやての側にいただけでは、あそこまでの事は知りえないでしょう。他にも何か隠しているはず。ですが、彼が立てた案が有効だという証拠にはなりません」

「ええ。だからもう少し判断材料を増やすために、彼をあそこに行かせたのだけど――」

「艦長、こちらにいましたか。言われた通り、ユーノって子を《無限書庫》まで案内してきました」

 

 再び電子音とともに扉が開き、猫の耳と尻尾が付いた女性が部屋に入ってきた。リンディたちは扉の音と彼女の声を聞いて一斉に後ろを振り向く。

 

「お疲れ様アリア。ごめんなさいね、急に本局まで行かせちゃって」

「いえいえ、ちょうど待機中でしたし。ロッテがいない分私が働かなくちゃいけませんから」

「リーゼ、久しぶりだ」

「リーゼアリア、お久し」

「クロノ、エイミィ、お久し」

 

 リンディへの報告を済ませたところでクロノとエイミィに声をかけられ、リーゼアリアは二人に挨拶を返しながらエイミィと軽く手を打ち鳴らす。

 

 リーゼアリア。

 一房だけ前にぴょこんと跳ねた長い薄紫色の髪と青みがかった瞳の女性の姿をした猫の使い魔で、ハラオウン母子とエイミィとは旧知の仲にある。とりわけクロノとは昔からの師弟関係にあり……。

 

「この子たちが現地で戦っていた魔導師? ……ふーん、クロノの好みっぽいかわいい子だねー」

 

 高町なのはという少女が大きく映っているモニターを指さしながら、アリアは意地悪な笑みをクロノに向ける。クロノは慌てて、

 

「――へ、変な事を言うな! 彼女たちの力を分析していただけだ! もしかしたら明日から一緒に行動することになるかもしれないからな」

「照れるな照れるな。仕事一筋だったクロノにもようやく春が来たか。後でロッテにも伝えてあげないと」

「そ、それだけはやめてくれ! あいつにそんなこと言ったら何をされるか」

 

 クロノとアリアの掛け合いに、リンディはエイミィと一緒になって笑い、ふと表情を引き締めてアリアに尋ねた。

 

「ところでユーノ君の様子はどうかしら? 探索魔法に長けているとはいえ、無限書庫の中から闇の書に関する資料を探し当てるなんて、並大抵のことではないと思うけど」

 

 それに対してアリアは肩をすくめながら、

 

「私もそう思って手伝うって言ったんですけど。すごいですねあの子。十冊以上の本を直接目を通さず魔法で中身を読み込んでいくなんて。そのうえ手がかりがあるみたいで、予想より早く見つかるかもしれないって言ってました。あの《スクライア一族》の一人とは聞いてましたけど、まさかあそこまでとは」

「そ、そうか。本来あそこはいくつかのチームが年単位で調査する場所なんだが……これを逃がす手はないかもしれないな」

 

 クロノが付け足したつぶやきにエイミィとアリアは苦笑し、ユーノに同情した。

 そんな中、リンディは再び顔を曇らせ視線を落とした。健斗の案に対して彼女はまだ答えを決めかねていた。

 

 

 

 

 

 

 リンディたちとの話の後、俺たちはアースラから元いた公園に戻り、ほとんど言葉も交わさないままそれぞれの家に帰ることになった。リーゼアリアという使い魔らしき局員に連れられて無限書庫へと向かったユーノ以外は。

 

 そしてどっぷり日が暮れた頃、俺はマンションに戻ってすぐ今日の夕食を作っている……珍しく早く帰ってきた母さんと一緒に。

 火をかけた鍋に調味料と具材を入れている俺の横から、延々と野菜を切る包丁の音が響く。

 剣の修行の賜物なのか、俺も母さんも料理の腕はともかく刃物の扱いだけは上手い。これにかけてははやてにも負けない自信がある。

 

 包丁を振るいながらふと母さんは口を開いてきた。

 

「さっき遅くなると連絡してきたが、さすがに泊まってはこなかったか」

「ああ。今日ぐらいは家に帰った方がいいと思って」

「……今日ぐらいは、か」

 

 そう言ったきり母さんはしばらく口を閉ざし、包丁の音と鍋が沸騰する音だけがキッチンに響く。その沈黙にたまりかねたのか、むしろいい頃合いだと思ったのか、俺は料理の手を止めて母さんに告げる。

 

「……向こうからの返事次第だけど、明日から少し遠くに行かないといけないんだ。……しばらくは帰ってこれないと思う」

「…………そうか」

 

 少し長い間を空けて母さんはそれだけを言った。

 

「……何も聞かないの?」

 

 たまらず問いかけると母さんは人参を切り続けながら、

 

「なんとなくこんな日が来ると思っていた。二年前、別人のように様子が変わったお前を見た時にな。この子は何かを成し遂げようと……いや、何らかの悔いを晴らそうとしている。そんな風に見えたんだ」

 

 かなり具体的だ。しかも合ってるし。

 

「行くなと言っても無駄なんだろう。この日のために二年もの間ずっと準備してきたんだからな」

「……ごめん」

 

 寂しげに言う母さんに俺はそうとしか言えなかった。娘に続いて息子までも自分のもとから去ってしまうかもしれないのだ、辛くないわけがない。しかし、母さんはその気持ちを押し殺すように言ってくれた。

 

「構わない。我が子の旅立ちを見送るのも親の務めだ。……お前の気持ちもわかるしな」

「……?」

 

 最後の一言の意味が分からず俺は首をひねる。そんな俺に対して母さんは得意げな笑みを向けて、

 

「“リヒト”さんに会えるといいな」

「――っ!」

 

 その一言に俺は思わず菜箸を落としてしまった。

 

 

 

 その後、いつも以上に細切れになった具材が入った鍋を親子二人でつつき、それから部屋に戻ってプログラミングをしながら向こうからの連絡を待った。

 リンディからの返事が来たのは21時を回った頃だった。

 

 

 

 

 

 

 同時刻、八神家。

 

 夕食を終えてから騎士たちが出発の準備をしている中、はやては一旦抜けて父の書斎にいた。

 闇の書は両親の存命時の頃からずっとこの部屋に収められていた。ここになら何か手掛かりがあるかもしれないと思ったからだ。

 それにリンディに話したことがきっかけで、またあの日の両親の行動に対する疑問が湧き上ったのだ。

 

 あの日、なぜ両親は幼い自分を置いて出かけて行ったのか? ようやく一人で歩けるようになったばかりの自分を置いてどこへ行こうとしたのか?

 

 書斎にある本のうち題名のない物を棚から引っ張り出し、目を通しては棚に戻していく。

 それを繰り返していくうちにある本を見つけた。

 表紙に『diary』と表記された厚い本。闇の書に比べたら三分の一にも満たない厚さだが。

 父が遺した日記と見てすぐに棚から本を引き抜く。その拍子に一枚の書類が落ちた。

 しもたと思いながらはやてはその書類を拾い上げるが、【養子縁組届書】という文字を見た瞬間ぴたりと固まった。

 

(養子ってまさか――いや、例えそうやとしても父さんも母さんも私に優しくしてくれたし、そこまでショックを受けることじゃないやないか。それに健斗君だって美沙斗さんの養子だけど本当の親子みたいに仲いいし、恭也さんたちと桃子さんだって、だから血の繋がりがないくらい――)

 

 そう考え直しながらはやては書類を読み続ける。しかし下の方に書かれていた名前を見てそんな考えはきれいさっぱり消え去った。

 

【養親:八神 ○○・八神 △△

 養子:□□ 健人(改名可)】

 

(健人ってまさか……いや落ち着け。けんとなんてよくある名前やないか。偶然や偶然)

 

 動揺しながらもはやてはどうにか書類を読み終え、二つ折りに畳む。

 どうやら両親は健人という子を養子として引き取ろうとしていたらしい。名前からして多分男の子だろう。もしかして両親があの日向かった先は……。

 そこではやては隅に置いたままの父の日記を見た。もしかしたら『健人君』について何か書かれているかもしれない。そう思って日記に手を伸ばすと――

 

「はやてー! ちょっといいか―?」

 

 リビングの方からヴィータの呼び声がして、はやては日記に伸ばしかけた手を止めながら、

 

「どないしたーん?」

 

 そう返事をしながら日記を置いてはやてはリビングに向かおうとした、その時――

 

「えっ――きゃっ!」

「なあ、向こうに持っていくものなんだけど、バナナはお菓子に入るの――おい! どうしたはやて!?」

 

 床に倒れているはやてを見つけてヴィータは思わず声を荒げ、それに気付いて他の騎士たちも駆けつけてくる。

 

「はやてちゃん!?」

「主、一体どうなされた?」

 

 心配そうに声をかける騎士たちに見守られる中、はやてはうめきながら懸命に立ち上がろうとする。しかし、

 

(足に力が入らへん。まさかこれって……)

「もしや足が――シャマル、急いで救急車を呼べ! それと石田先生にも連絡を!」

「わ、わかったわ!」

 

 シグナムからの指示を受けてシャマルは電話があるリビングへと向かう。それを見てはやてはとっさに、

 

「ま、待ってシャマル! これは――あ、あれ?」

 

 シャマルを止めようとしたところで再び足に力が入り、はやては立ち上がる。

 それを見てシャマルは書斎に戻ってきて、他のみんなもはやてに声をかける。そんな騎士たちにはやては笑いながら、

 

「あかんあかん。ずっと立ったまま調べ物してたせいで足がつったみたいや。みんなごめんな、驚かせてしもて」

 

 それを聞いて騎士たちはしばらくはやてを見てから、

 

「なんだ、びっくりさせんなよ。何事かと思ったじゃんか」

「ええ。心臓が縮み上がっちゃうかと思いました」

 

 ヴィータとシャマルは安心したとばかりにほっと息をつく。しかしシグナムは固い表情のまま、

 

「……本当に大丈夫ですか主はやて? やはり一度病院に行かれた方が。主まで管理局の連中と同行する必要があるとは思えませんし」

 

 そう言ってくるジグナムにはやては手をひらひら振った。

 

「平気や平気や。立ち作業してたら結構よくあることやし、いざとなったらシャマルがおるしな」

「はい、お任せください。風の癒やし手の異名にかけてどんな不調が起ころうと私が治してみせます!」

 

 両腕を軽く上げながらそう言ってみせるシャマルにはやては「頼りにしてるで」と声をかける。そんな主を見てシグナムは、

 

「わかりました。ですが今日はもう主はお休みください。準備は我々が済ませますので」

 

 その言葉にはやては躊躇いながらも首を縦に振った。

 

「……わかった。ほんならそうさせてもらおうかな。この本バッグにしまったら一足先にお休みさせてもらうわ」

 

 それを聞いて騎士たちはそれぞれ一言残してリビングへと向かっていく。

 はやては皆を見送った後で例の日記を拾い、もう一度自分の足を見た。

 

(もしかしてこの足の症状って……まさかな)



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第29話 利用

 翌日。

 

 早朝からマンションを出てはやてや守護騎士たちと合流し、俺たちは昨日クロノたちと遭遇した場所である海鳴臨海公園に向かった。ほとんど同じ時間になのはもやって来て、ほどなくクロノが転移魔法で現れる。昨日と同じく彼がアースラまで案内してくれるらしい。

 なのはは心配そうにユーノはどうしたのかとクロノに尋ねたが、ユーノはまだ無限書庫で闇の書の手掛かりを探している最中らしい。今頃はぐっすり寝ている頃だろうとも。

 そう伝えてからクロノは青い魔法陣の上に乗るように俺たちを促す。これも昨日とまったく同じだ。

 ただ一つ違うのは、なのはたちが向かうのは和風チックな応接室ではなく会議室であることと、

 

「君は僕と一緒に艦長室まで来てくれ。艦長が君と二人で話したいそうだ」

 

 と俺にだけ言ってきたことだった。

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、《時の庭園》。

 

 宮殿のように広く立派な意匠の廊下を三人は歩く。ろくに手入れもしてないのだろう、床には埃が積もり、いくつかの柱には蔓が絡まっている。

 そんな廊下を眺めながら歩いているフェイトとアルフを先導するように、リニスは主のもとまで歩を進める。その顔には冷たい汗が流れていた。

 クロノ率いる局員たちから逃げてから翌日の今日になって、プレシアからの呼び出しがかかった。リニス一人だけでなくフェイトも連れてくるようにと言われた上で。アルフについては特に言われていない。だがそれはアルフを評価しているわけでも寵愛しているわけでもなく、どうでもいいとしか思っていないからだろう。そもそも彼女の存在を記憶しているのかさえ怪しい。

 そんなプレシアがフェイトを連れてくるように命じた。嫌な予感しかしない。

 

 

 

 

 

 二年前、使い魔としてリニスが生み出された時からプレシアは彼女にフェイトの世話と教育を任せ、自身は研究室にこもりロストロギアを始めとする何らかの研究に没頭していた。何度かフェイトと顔を合わせたこともあったが無視することがほとんどだった。

 リニスはプレシアに対し、フェイトとの時間を設けるように何度も訴えたもののそれらは聞き入れられないままに終わった。唯一の例外はフェイトが魔導師としての修練を終え、そのお祝いとして一緒に食事をとったことだった。それもリニスがプレシアに頼んでなんとか実現させたことだ。

 

 それが変化したのは一人前の魔導師となったフェイトに、プレシアが直に“お使い”を頼むようになってからのことだ。

 その日もフェイトはアルフを伴って、母の研究に必要なあるロストロギアを入手しに向かっていた。件のロストロギアは強力な幻獣が守っており、フェイトの力量を持ってしても危険な役目だった。

 しかし、その役目にリニスが同行することは許されなかった。フェイトの実力を確かめたいというのもあるが、リニスの役割は第97管理外世界にある闇の書の入手であり、こんな雑務で力をすり減らしてもらっては困るとのことだった。

 そして多少の怪我を負いながらも、幻獣を倒しロストロギアを手に入れて帰って来たフェイトをプレシアは研究室まで呼び、迎え入れた。それを見た時リニスは思わず笑みを浮かべたほどだ。

 そしてプレシアはフェイトから受け取った品を一通り検分し終えてからもう一度フェイトを呼び、彼女の頬を思い切りひっぱたいた。リニスもアルフも、フェイト自身も何が起きたのかわからなかった。一つだけわかったのは、そのロストロギアはプレシアの目的にはまったく役に立たない物だったということだけだ。

 その日からだ。リニスがプレシアのもとからフェイトを離すことを考え始めたのは。

 

 そして現在、三人はジュエルシードと闇の書がある海鳴市の隣町に居を構え、プレシアへの報告は(もっぱ)らリニスだけで済ませている。

 しかし今度ばかりはそういうわけにもいかない。最後通牒を突き付けられてもなお闇の書は手に入れられず、そればかりかとうとう時空管理局が介入してきてしまった。

 こんな不始末をした上でプレシアに逆らうことなど、リニスに出来るわけもなかった。

 

 

 

 

 

 自分たちの身長の何倍ほどもある巨大な扉の前までたどり着き、扉の奥に向かってリニスは声をかける。

 

「プレシア、ただいま戻りました。フェイトとアルフも一緒です」

 

 しばらく経っても返事がない。リニスとフェイトは怪訝な顔になり、アルフが文句を言いかけたところで扉は大きな音を立てながら奥へと開いていく。

 フェイトはごくりと唾を鳴らしアルフは心配そうな顔をしながら、リニスとともに奥へと進んでいった。

 

 扉の奥……《玉座の間》と名付けられた広い部屋にプレシア・テスタロッサはいた。女王のような貫禄で玉座に腰かけている姿とは裏腹に、プレシアの肌は異様に白く、以前見た時より一段とやつれている。

 そんな母を見て、フェイトは思わずリニスを振り切って玉座に向かって駆け出した。

 

「母さん!」

「フェイト……」

 

 プレシアも玉座から立ち上がり数歩前に進む。しかしフェイトが部屋の半ばまで来たところで、彼女はおもむろに言う。

 

「ジュエルシードはどうしたの?」

「――!」

 

 その言葉を聞いた瞬間フェイトはぴたりと動きを止めた。対してプレシアは歩み寄りもせず、玉座の前に立ったまま繰り返す。

 

「母さんの夢を叶えるためにどうしても必要なロストロギア……集めてくるようあなたに頼んだはずよね。それはどのくらい集まったのかしら? リニスからは3つしか貰っていないのだけれど」

 

 母からの問いにフェイトは肩を震わせながら、

 

「ご、ごめんなさい……なかなかうまく見つけられなくて、私たちが見つけたジュエルシードは昨日リニスに届けてもらった3つが全部です。……あっ、でも、そのうち2つはリニスが手に入れてくれたもので、リニスがいなかったらもっと少なかったと思います」

 

 その報告を聞いてリニスは思わず余計な事をと思った。リニスをかばったつもりだろうが、余計にプレシアを怒らせただけだ。

 だが、リニスの予想に反してプレシアは表情を変えずに「そう」とだけ言って、フェイトのもとまで歩いてきた。フェイトは戸惑いながら母の返答を待つ。

 プレシアはフェイトの目の前まで来るとぽつりと言った。

 

「ごめんなさい」

「えっ……?」

 

 思わぬ一言にフェイトは顔を上げる。リニスもアルフもフェイトの後ろで驚きに目を見張っていた。

 

「ごめんなさいフェイト。研究があるとはいえ、あなたの世話をリニスに任せてろくに構いもせずにほったらかしにして。その上急に知らない世界に行ってロストロギアを集めて来いなんて危ないことを言って」

「そ、そんな、違うよ! 確かにこの家で母さんと話したことはほとんどなかったけど、母さんがずっと私の事を考えてくれていたのはちゃんとわかってた! 私たちと一緒に過ごすことができないのも大切な研究があるからで。そんな母さんの役に立てるように一生懸命魔法を覚えたんだから。だからこれぐらいなんともないよ! まだ少ししか集まってないけど、母さんのためにジュエルシードも闇の書も全部手に入れてみせる!」

 

 懸命に声を張り上げ、フェイトはずっと溜め込んでいた想いを母に向けてすべて吐き出した。プレシアはぽかんとしながらも目の前にいる娘が言ったことを噛みしめるように沈黙し、やがてフェイトに向かって柔らかい笑みを浮かべた。

 

「そう……いい子ねフェイト。本当に」

 

 そう言いながらプレシアは左手を伸ばした。フェイトはじっとその時を待つ。ずっと待ち焦がれていたその時を。

 

「だから、言いつけを守れなかった時はちゃんと叱ってあげないとね」

「……えっ?」

フェイト、下がって!!

 

 リニスが叫んだのとフェイトの頬からパンッという軽快な音が響いたのはほとんど同時だった。

 気が付けばプレシアの左手はフェイトの右側に向かって振り上げられており、右の頬から伝わってくる痛みに気が付いてフェイトは愕然とした。

 同じだ。“お使い”を果たした後の……あの時とまったく同じだ。

 

「フェイト!」

「プレシア! あなたという人は!」

 

 アルフとリニスは同時に声を上げる。そんな二人にプレシアは冷ややかな目を向けた。

 

「リニス、昨日言ったはずよ。今度失敗したらあなたとの契約を解消するかフェイトに罰を与えるかのどちらかを取らせてもらうって」

「えっ……?」

 

 プレシアが告げた言葉にフェイトは戸惑いの声を漏らす。片や、リニスは意を決したようにプレシアに向かって言った。

 

「確かにそうです。ですから責任を取って私が――」

「そうしようかとも思ってもいたわ。あなたとの契約を切れば私はわずかでも生き永らえることができる……けど考えてみれば私にも手抜かりがあったわ。あなたにフェイトを任せてばかりでろくに関わろうとしなかった。私が見ていない事をいいことにあなたはさんざんフェイトを甘やかして、その結果この子はお使い一つろくにできない子になってしまった。私がしっかり叱っておかなかったから!」

 

 そこまで言ってプレシアは自らの手元に杖を出現させる。その杖は一瞬で鞭の形になりフェイトを震え上がらせた。プレシアは愉悦の笑みを浮かべながら鞭を振るい上げ――

 

ふざけんな!!

 

 その瞬間、怒声とともに鞭を振るおうとしたプレシアの胸倉を赤髪の女が掴み上げた。

 

「アルフ……」

 

 呆然と呟くフェイトの前でアルフは憤怒に歪んだ顔を近づけながらプレシアに吐き散らす。

 

「フェイトが今までどんなに頑張って来たか、あんたにわかるか! あんたに笑ってほしいから、優しいあんたに戻ってほしいから、フェイトもリニスも必死になって頑張ってきたんだ! それを――」

 

 一方、プレシアはしらけたと言わんばかりの淡泊な表情で、

 

「ああ、そういえばあなたもいたわね。早く契約を解除しなさいと言ってるのに」

「ぐあっ!」

「アルフ!」

 

 プレシアの左手から稲妻が放たれ、アルフは壁に向かって吹き飛んで背中を強く打ち付ける。プレシアはアルフがいる方に体を向けながら言葉を漏らした。

 

「ちょうどいいわ。あなたはフェイトたちにとって邪魔でしかないと思っていたところだし、私が直接引導を渡してあげましょう」

「やめて母さん! 悪いのは私だよ! お願い、どんな罰でも受けるからリニスとアルフには――」

 

 プレシアを止めようとフェイトは彼女にしがみつく。プレシアは苛立たしげにフェイトを払いのけようとした。

 そこに――

 

 

 

「やれやれ。少々やり過ぎだ、プレシア・テスタロッサ」

 

 

 

 不意に男の声が響き、一同は思わずそちらの方を見る。

 いつの間にここまで入りこんでいたのか、入り口の近くには仮面をかぶった男らしき者が立っていた。

 

「――あんたは!」

「昨日私たちを助けてくれた……」

「……」

 

 男を見てフェイトたちは戸惑いの声を漏らす。

 そんな中、ただ一人男のことを知らないプレシアは……

 

「……どなた? フェイトたちの知り合いみたいだけど、ご覧の通り今は忙しいの。帰ってちょうだい。それとも不法侵入で通報した方がいいのかしら」

 

 屋敷の主であるプレシアからそう脅されるものの、男は動じずに肩をすくめて。

 

「どうぞご自由に。もっとも、今のあなたたちが管理局に通報することができればの話だが」

「――っ」

 

 その返しにプレシアは悔しげに唇をかむ。無論管理局に通報などできるわけがない。フェイトたちは現在管理局から追われており、プレシアが黒幕である事もすでに暴かれているかもしれないからだ。

 

「あなた、何者なの? こんな次元のはずれまで迷い込んできたわけじゃないでしょう。私の名前や時空管理局に追われていることまで知っているぐらいだし」

「もちろん。あなたたちに用があって来た。とりわけ魔導工学の権威として、数々の実績を持つテスタロッサ女史にな」

「昔の話よ……それで、一体私たちに何の用かしら?」

 

 賞賛と取れる言葉にかかわらずプレシアは忌々しそうに顔を歪める。彼らの会話にフェイトとアルフは頭上に疑問符を浮かべ、リニスは男に警戒の眼差しを向けた。

 それに反して男は敵意がないことを示すように手を広げながら、

 

「なに、そう構えなくてもいい。あなたたちを管理局に突き出そうというわけじゃない。むしろその反対だ。()()()に協力がしたい」

「協力……ですって?」

 

 思わず聞き返したプレシアに男はこくりとうなずく。

 

「そうだ。私もあるロストロギアを狙っているんだが、管理局が現れて困っていたところでね。優秀な協力者を探していたところなんだ。どうかな、ロストロギアを求める者同士、私と手を組んでみるというのは?」

「……そうね」

 

 男からの提案に、プレシアはあごに手を乗せながら考えを巡らせる。

 プレシアとて、管理局を相手にすべてのジュエルシードと闇の書を奪い取れると考えているほど愚かではない。これからは管理局の手に落ちていない残り11個のジュエルシードを探し出し、確保していくしかない。闇の書もあきらめた方がいいだろう。

 しかし、管理局の目をくぐって残りのジュエルシードすべてを手に入れることなど不可能に近い。14個以上のジュエルシードを必要とするプレシアにとって、もはや詰んでいるも同然の状況だ。

 だがフェイトたち以外の手駒がいればまだ何とかなるかもしれない。自分やリニスに気付かれずに《玉座の間》にまで侵入してきた、この仮面の男のような手練れがいれば。

 

「あなたが狙っているロストロギアは? ジュエルシードと闇の書、どちらが欲しいの?」

「……闇の書だ。闇の書を手中に収め完成させたいと思っている」

 

 男の答えにプレシアは納得する。

 すべての頁を埋めて完成した闇の書には神のごとき力が宿るという。それを手に入れて数多の願いを叶えたいと思う者はいくらでもいるだろう。

 かくいうプレシアもその一人だ。もっとも彼女の願いは、他の者に比べればあまりにもささやかなものだが。

 

「あなた一人だけ? 他にも仲間はいるの?」

「いない。仲間なんていたら女史のように優秀すぎる人間に声はかけないさ」

 

 男は即答で答えてみせる。だが、だからこそ怪しい。最初から問いを予測していたみたいだ。プレシアはそれを承知の上で質問を続ける。

 

「あなた一人が味方になって私たちにどんな得があるのかしら? あなたが加わるだけで管理局を凌げるとでも?」

「ああ、私に考えがある。それに女史がジュエルシードについて詳しいように、私も闇の書に関してある程度調べていてね。仲間にしてくれた暁には私が知りうる限りの事をあなたに伝えよう。フェイト嬢とリニスという使い魔が持つデバイスを強化する方法もな」

「デバイスの強化ですって――」

 

 その言葉にプレシアは目を見開き、名前を呼ばれたフェイトとリニスも身をすくめる。

 男は彼女たちの反応など意に介さず。

 

「そうだ。女史なら《カートリッジシステム》という名前くらい聞いたことがあるだろう。例の守護騎士たちのデバイスにも組み込まれている、先史ベルカの主流だった強化機構だ。それを組み込めばあの四人にも十分対抗できるはずだ。現状では使用者に負担がかかりすぎるのが難点だが」

「それぐらい構わないわ。でも先史ベルカの機構なんて本当に再現できるの?」

 

 プレシアの問いに男は大きく首を縦に振り。

 

「もちろん。危険なために現代では廃れただけで製法自体は残っているからな。部品も『ベルカ自治領』で簡単に手に入る。……さて、どうする? 私と組むか、それともこのままフェイトたちに任せるか。彼女たちだけでは残りのジュエルシードを集めることすら難しいと思うがね」

「……」

 

 プレシアは思案するそぶりを見せる。しかし彼女の中でほぼ答えは決まっている。主導権を握るためにもったいぶっているだけだ。だがそこへ――

 

「待ってくださいプレシア! 窮地に追い込まれたからといって、安易に見知らぬ者を引き入れるのは危険すぎます! 彼は明らかに私たち――いえ、あなたを利用しようとしているようにしか見えません! そんな人に私たちの武器を預けるなど――」

「黙りなさい!! あなたが決めることじゃないわ!」

 

 突然沈黙を破り異を唱えるリニスをプレシアが一喝して黙らせる。

 男が自分を利用しようとしていることなど百も承知だ。ならこちらも彼を利用してやればいいだけのこと。何よりフェイトたちに任せてももはや悲願の成就はままならない。多少のリスクがあろうと、これはプレシアにとってまたとない好機だった。

 これ以上余計な事を言わないようにプレシアはリニスやフェイトたちを睨みつけ、そしてわざとらしく咳払いをしてから男に向き直った。

 

「わかったわ、あなたと手を組みましょう。ジュエルシードに関しては私たちが、闇の書についてはあなたに一任するということでどうかしら? もちろん困った時はお互いに手を貸すということで」

「ああ、それで異存はない。ジュエルシードと闇の書を手に入れた後の事は話し合って決めていくとしよう」

 

 そう言いながら男はプレシアに右手を差し出す。それに対してプレシアも右手を差し出し……

 

「ええ、もちろん。悲願の達成に向けてお互い頑張りましょう」

 

 プレシアと仮面の男は固い握手を交わす。

 フェイトたちは警戒に満ちた表情で男を睨み、そんな彼女たちに男も視線を返した。その表情は仮面に隠れてうかがいようもないが、不敵な笑いを浮かべているに違いないと彼女たちは思った。



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第30話 愛剣

 遠見市、フェイトたちが住んでいるマンションにて。

 

 

「君から預かっていたバルディッシュだ。約束通りお返ししよう。それと、これがデバイスの威力を高めるのに必要な《カートリッジ》だ。出かける前に装填しておいてくれ」

「……あ、ありがとうございます」

 

 仮面の男が差し出した待機状態のバルディッシュと小さな箱を、フェイトはおずおずと受け取り再び口を開いた。

 

「あの、リニスのデバイスも預かっていたって聞いてますけど……」

「ああ、先ほど《時の庭園》へ寄った際に渡したところだ。昨日入手したジュエルシードと母君の薬と一緒にな」

「ふん、あの鬼ババにジュエルシードを1個や2個届けても逆ギレするだけだっただろう。ひどい事されたんじゃない?」

 

 腕を組みながら尋ねてくるアルフに男は肩をすくめながら……

 

「心配してくれてありがとう。女史に渡したのは1個だけだが、特に何もされなかったよ。まあ、私の役目は向こう側にある闇の書とジュエルシードを手に入れてくる事だから、怒るわけにもいかないんだろう」

「あっそ、そりゃよかったね」

 

 男の返事にアルフは不愉快そうにそっぽを向く。リニスやフェイトなら平手打ちが飛んでくるのに、男は何もされないのが不満なのだ。

 そんなアルフに苦笑するような声を漏らしながら、男はフェイトに視線を移して尋ねた。

 

「私のようなよそ者が、君たち家族の中に入り込んできたことがまだ不満かな?」

 

 男からの問いにフェイトは首を横に振りながら答える。

 

「……いえ、母が決めたことですから。私が反対するつもりはありません」

「まっ、あたしもご主人様(フェイト)がこう言ってる以上、とやかくは言えないよ。あんたには二度も助けてもらったわけだしね」

「それは気にしなくていい。私としても無用ないざこざで戦力を減らされては困るからな。では用事も済んだし私は失礼する。これから寄る所があるのでな」

 

 そう言って踵を返そうとする男にアルフは尋ねる。

 

「寄る所ね。これから闇の書を奪いに行くわけでもなさそうだけど、何しに行くんだい?」

 

 アルフの問いに男は振り返りながら……

 

「ある雑用を頼まれていてな。これからそちらに行かなくてはならないんだ」

「ふーん、ロストロギアを狙っているほどの奴がそんなことしてるとはね。それとも、管理局って奴らの動きをあんたが()()()知っていることと関係があるの?」

 

 アルフの探るような問いに男は首を横に振った。

 

「何を言っているのかわからないな。そろそろ本当にお暇させてもらうぞ。君たちも早く準備を済ませてジュエルシード探しに行くんだな」

 

 そう言うと男はカードを取り出し、魔法陣を出現させることもなく一瞬で部屋から消える。それをぽかんと眺めてしばらく経ってから、フェイトはふとアルフに声をかけた。

 

「そういえばアルフ、あの人と結構話してたね。アルフはあの人の事嫌いなんだと思ってたけど」

「ああ、大嫌いさ。フェイトやリニスが失敗したのをいいことに、鬼ババに取り入るような奴なんてね。……ただ、なんとなくだけど、あいつってあたしたち……ううん、リニスと同じ感じがするんだよね。何でだろう? 全然似てないはずなのに……」

 

 アルフは腕組みしながら考えこむも、結局彼女が男に対して抱いた違和感の正体はわからなかった。

 

 

 

 

 

 

 その頃、海鳴市近郊の森では。

 

 

「ラケーテンハンマー!」

 

 ラケーテンフォルムによる噴射を利用してヴィータは巨鳥の上まで飛び、巨鳥の頭にアイゼングラーフを叩きこむ。

 その衝撃で巨鳥は真下に落ちる。ヴィータはすかさず相方に向かって叫んだ。

 

「高町――なんとか、今だ!」

「なのはだってば! いい加減覚えてよ!!」

『Divine Buster!』

 

 なのはの砲撃魔法によって地面に倒れている巨鳥は跡形もなく消し飛び、巨鳥がいた場所からジュエルシードが浮かび上がる。ジュエルシードに向かってなのはがレイジングハートを構えると、ジュエルシードは吸い込まれるようにレイジングハートの先端に収まった。

 

 

 

 一方、その様子をブリッジから見ていたランディはジュエルシードを回収した二人を労い、彼女たちをアースラの中まで転送する準備を始める。

 連携して巨鳥を倒しジュエルシードを回収する二人を見て、リンディも感嘆の声を上げた。

 

「うーん、二人ともなかなか優秀だわ。なんだかんだ言いながら息もぴったりだし、あの二人だけでもこのままうちにいてくれないかしら」

「艦長、補給班から通信です。本局から物資が届いたとのことですが」

 

 アレックスからの報告にリンディはすぐに気を取り直し。

 

「すぐに繋いで……私です。何が届いたの? …………」

 

 

 

 一方、通信室ではクロノとエイミィがジュエルシードとリニス一味の捜索をしていたが……。

 

「あー、ダメだ。やっぱり見つからない。あの子たち、よっぽど高性能なジャマー結界を使いながら行動しているみたい」

 

 リニスたち三人が表示されているモニターを睨みながら、エイミィがそう愚痴をこぼす。クロノもモニターを眺めながら、エイミィの説明に補足を加えた。

 

「多分、フェイトって子と一緒にいる使い魔のどちらかがサポートしているんだろう。もしかしたらあの仮面の男も彼女たちに協力しているのかもしれない」

「だろうね。おかげでもう3個もこっちが発見したジュエルシードを奪われちゃってる」

「しっかり探して補足してくれ。頼りにしてるんだから」

『クロノ!』

 

 弱音を吐いてる部下を叱咤しているところでモニターの一部にリンディが映り、彼女に向かってクロノは「はい」と言って応じる。リンディは通信越しに、

 

『例のデバイスとバリアジャケットが届いたらしいわ。健斗君のもとまで届けてくれる?』

「ええ、構いませんよ。彼は今も……」

 

 クロノの問いにリンディは固い声で答えた。

 

『まだ続けているでしょうね。芳しくないみたいだけど』

 

 

 

 

 

 

『ERROR︰問題が発生したためプログラムを終了します』

 

 くそっ、またか!

 魔力モニターに出現したメッセージを見て内心で毒をつく。そんな俺の胸中を察したように、

 

「気にしたらあかんよ健斗君。朝からずっと作業しっぱなしやしそろそろ休憩したらどうかな。焦らんでも時間ならまだまだたっぷりあるよ」

「……ああ」

 

 読書を中断して部屋の隅から声をかけてくれるはやてに、俺はどうにかそれだけを返す。しかし、彼女の言葉に甘えて本当に休憩していいのかと考えると、それは躊躇われるものがあった。

 

 

 

 アースラに乗ってからの数日間、なのはや守護騎士たちがジュエルシードを取りに行っている間、俺はマリエルという技術スタッフが作った『コピー・ザ・ナイトスカイ』というソフトを使って、プログラムを修正している。

 夜天の魔導書のシステムにアクセスするには、全頁の蒐集と管制プログラムの認証が必要だ。今の時点では主であるはやてにすら管理者権限がなく、プログラムを改変することはできない。

 そのためマリエルさんに夜天の魔導書のプログラムだけを再現したソフトを作ってもらい、プログラムを修正するための練習をしているのだが……まったくうまくいかない。

 魔導書の機能のほとんどは元の形がわからないほど改変されており、ちょっとソースを書き換えただけだとこの通りエラーが起きてしまい、自動蒐集など一部の機能を停止しようとしてもたちまちのうちに防衛プログラムによって阻まれてしまう。もしこれが本番だったら、アースラもろとも魔導書に喰われていたところだろう。

 まったく、魔法を記録するだけの書物を考えもなしによくここまで弄ってくれたものだ。

 

 

 

 そんな風にひたすら闇の書もどきのプログラムをいじっている俺(とユーノ)の部屋で、なぜはやてが電子書籍を読んでいるのかというと、さっきまではやてに頼まれて例の施術を施していたからだ。

 今はヴィータもいないし施術をするには都合のいいタイミングだが、少し引っ掛かる。まだ一週間経ってないし、何よりはやての方から施術を頼んできたことなんて今までなかったのに。

 ……本当に時間なんてあるのか? 

 

 

 

「健斗君、ちょっと昔のことで聞きたいことがあるんやけどええかな?」

「ん? 何だ急に?」

 

 考え事をしている最中にはやてに声をかけられて思わず聞き返す。するとはやては言いづらそうにしながらもおそるおそる口を開いた。

 

「あのな、健斗君にとって思い出したくないことかもしれないんやけど……健斗君は施設にいた頃の事って覚えてる?」

「ああ……あの頃か」

 

 久しぶりにあの頃について聞かれ、ついそんなつぶやきを漏らす。

 母さんに引き取られる前、あの施設にいた頃の事は覚えてはいるがあまり気分のいいものではない。このオッドアイが原因で他の子供からからかわれたり一部の職員からも奇異の目で見られたり、はっきり言って嫌な事ばかりだった。

 

「物心がついた後ならある程度は覚えてはいるが、どうしてあの頃の話なんか?」

「うん。健斗君って美沙斗さんに引き取られる前にも一度だけ養子になる話があったって言ってたやんか。その時のことも覚えてる? 健斗君を引き取りたいって言ってた人たちと会ったこととか」

「ああ、確かにその人たちと一度だけ話したことはあるな。優しそうな夫婦だったよ。そういえば二人ともはやてにそっくりだったな。関西弁に似た話し方をしてたし、特に奥さんなんかはやてがそのまま大人になったような――」

「それほんまか!?」

 

 あの夫婦について話したらはやては突然食いついたように顔を近づけてきて、あまりの迫力に俺は思わず椅子を引いてしまう。それを見てはやては我を取り戻して椅子に座り直した。

 しかし彼女は落ち着かない様子で再び何か言おうとして躊躇い、やがて大きく息を吸ってから意を決したように声を発した。

 

「その夫婦なんやけどな…………実は――」

「健斗、少しいいか?」

 

 はやてが何か言いかけたところで部屋にクロノが入って来て、俺たちは慌ててそちらの方を見る。そんな俺たちを見てクロノは呆れた顔をしながら、

 

「……お邪魔だったか?」

「じゃ、邪魔やない! 普通に話してただけや!」

「ああ、ちょっと昔の事を話してただけだ。それよりどうしたんだ? なのはたちの方で何かあったのか? それとも……」

 

 俺が尋ねるとクロノは真面目な顔に戻って言った。

 

「いや、そっちじゃない。君に頼まれたデバイスとバリアジャケットが届いたから、それらを渡しに来たんだ」

「本当か! ありがとうクロノ――さん」

 

 そこで俺はクロノさんが年上だったことを思い出し慌てて彼に敬称を付ける。するとクロノさんは首を横に振って、

 

「いい。君たちは艦長が預かっている民間協力者で僕の部下じゃないんだ。無理に敬語や敬称を使う必要はない。年がわかった途端急に敬語を使われても不愉快だしな」

「そうか。じゃあ遠慮なく今まで通りの話し方にさせてもらうよ」

「私もその方がええわ。クロノ君とは先輩後輩とか抜きの友達として付き合いたいし」

 

 俺とはやての返事にクロノは拗ねているようなまんざらでもないような顔でそっぽを向く。

 アースラに乗ってから知ったのだが、クロノはこう見えても14歳で、俺たちより年上だったらしい。それを知っててもついタメ口になってしまい、とうとうこうして本人からお許しが出た形になった。

 

「で、“あれ”とバリアジャケットは? 持ってきたんだろう」

「ああ、これだが……そんなに楽しみだったのか? こんな物をもらうのが」

 

 そう言いながらクロノは剣の形をした小さなアクセサリーを差し出してくる。俺は興奮を隠しきれないまま意気揚々とそれを受け取った。形が変わったとはいえ、こうして触れるのはずいぶん久しぶりだ。

 

「へー、シグナムのレヴァンティンみたいやな。その中にバリアジャケットって服もあるん?」

 

 はやての問いに俺――ではなくクロノが首を縦に振った。

 

「ああ。デザインも健斗に注文された通りのはずだ。ちょうどいい、ここで装着してくれないか。着心地とか問題がないか聞いておきたい」

「あっ、それええな! 私も健斗君の新しい武器と服が見たいと思ってたんや」

 

 そう言って二人はじっとこっちを見る。確かに一度はじっくり見ておきたいところだが……。

 

「……どうした? 早くバリアジャケットを着てくれ」

「そうそう、バリアジャケットって一瞬で着れるんやろ? ここで裸になれって言ってるわけやないし、はよ見せてな」

 

 いや、この前フェイトが装着しているところを見た限り、現代でも一瞬だけ裸になるみたいだが。もちろんフライングムーヴでも使わない限り、普通は体を見ることなどできないが。

 俺の気も知らずはやてとクロノは早く着ろと催促してくる。

 ええい、うじうじしても仕方ない。ここは一つ腹を決めるか!

 俺は剣型のアクセサリーを前に掲げ――

 

「《ティルフィング》――Installieren(インストリーレン)!」

『Ja Meister!(御意!)』

 

 次の瞬間、俺の体は紺色の光に包まれ、瞬く間に紺色のコートと服が身を包み、手の中に収まるほど小さなアクセサリーはグランダム王国の国章を刻んだ柄が付いた、手頃な長さの剣に変わる。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 そうして、あっと言うほどの間もなくバリアジャケットとデバイスの装備は完了した。

 それを見てはやてはぱあっと目を輝かせた。

 

「はー! やっぱり間近で見るとかっこええな。アニメの変身シーンみたいや。でも服のデザインはS○Oのパクリみたいやな。キリ○が着てるのにそっくりやん」

「仕方ないだろう。デザインセンスなんてないからアニメやゲームから借りてくるしかなかったんだ。でも色は違うぞ。あっちは黒で俺のは紺色だ」

 

 一方、クロノはバリアジャケットについてあれこれ言い合う俺たちに呆れた目を向けていた。

 

「君たちが何を言ってるのか僕にはまったくわからないが、バリアジャケットについては文句なさそうだな……でもデバイスの方は、()()()()()()()()()()?」

 

 クロノが放った問いに俺もはやても口を閉ざす。

 

 俺が今持っている剣は、ベルカ史上最悪の王と言われた《愚王ケント》がかつて愛用していた剣だ。ケント亡き後、この剣は一度も使われることなく、“ある一族”によって代々受け継がれてきたという。その一族の名は……

 

「《セヴィル家》から借り受けたものだが、とても縁起がいいものじゃない。ベルカ制覇を果たせなかった愚王の怨念が宿っていると言われるくらい不吉なもので、一族内で何度も破棄の声が上がっていたほどだ。剣の貸与を頼んだ時に向こうは相当驚いていたみたいだな」

「……」

 

 怨念どころか生まれ変わりがここにいるんですけど。剣とか関係なしに。つーか俺って死んでからずっと悪霊みたいな扱いされてたのか。

 

「でも愚王さんの剣を代々受け継いでたってことは、セヴィル家ってもしかして……」

 

 物怖じする様子も見せずティルフィングを眺めながらつぶやくはやてに、クロノは首を縦に振って言った。

 

「ああ。愚王ケントの異母妹『ティッタ・セヴィル』を始祖とする一族だ。ベルカ自治領で最も大きな力を持つ家のひとつで、ダールグリュン家やエレミア家と並んで《ベルカ三家》と呼ばれている」

 

 ベルカ三家か……ティッタの子孫がそんなに偉くなっているとはな。後世で散々扱き下ろされている兄とはえらい違いだ。

 他の二つの家も聞き覚えがある名前だ。元々大帝国の皇族だったダールグリュンは納得できるが、エレミアの子孫まで名家になっているとは。

 

「へぇ、愚王の妹なのにえらい出世やな。普通なら迫害とか受けてそうなもんやけど」

 

 はやての口からそんな疑問が出てくる。そこは俺も心配していたところだ。それがどうして?

 その疑問にクロノは笑いながら答えを返した。

 

「兄と違って立派な人物だったからな。10万もの敵軍に単身で立ち向かったほど勇敢な騎士で、ベルカ全土が荒廃していく中懸命に領地の運営に取り組んだと言われている。不当に王宮から追放されたこともあるぐらい兄とは不仲だったし、そんな境遇もあって愚王の妹だからと冷遇されることはほとんどなかったみたいだ」

 

 ティッタについての説明を聞いてはやては「はぁー」と感嘆の声を上げる。そんな中俺はティッタの一族が弾圧されなかった理由に納得する反面、ベルカの荒廃という言葉を聞いて気分が沈んでいくのを感じた。

 

 

 

 

 

 ケント()が死んだ後、ゆりかごに乗った聖王オリヴィエによってベルカは10年も経たずに平定され、数百年続いた戦乱は終結した。

 しかし、日の光が常にさえぎられているほどの天候不順や《禁忌兵器(フェアレーター)》による大地の汚染が回復することはなく、平和を手にしながらベルカ全土は滅亡へと進んでいった。

 そんな中、聖王連合の主導によってベルカの住民たちは他の世界へ移住していった。

 とりわけ最も多くの人々が向かって行った世界こそ『ミッドチルダ』。聖王連合はベルカに並ぶほどの魔法技術を持つミッドチルダへの侵略を目論んだのだ。

 しかし、ミッドチルダの魔法は戦いにおいても優れていて、個人戦ではベルカ側が優勢だったものの、距離や範囲は完全にミッドチルダ側が勝っており、それに加え開発されたばかりの《質量兵器》の投入が決め手となって、次第にベルカは追いつめられるようになった。

 そんな中で双方の仲裁に動いたのが聖王を崇める宗教団体《聖王教会》、そしてダールグリュン・エレミア・セヴィルの家々からなる《ベルカ三家》だという。

 その結果両軍は武器を収め、ベルカ人は荒れ地だった北部の開拓を条件に、そこでの定住が認められた。

 それから百年ほどは、よほどの理由がなければ北部から出られないなどほとんど流刑人扱いだったが、聖王教会の信徒拡大、他の世界との戦への参加、各世界での人権意識の高まりによってベルカ人の地位は徐々に回復し、そして聖王教会とベルカ三家が時空管理局の創設に寄与したことで、北部の一部分を『ベルカ自治領』とすることが認められた。

 

 ケントが死んだ300年前から現代までの間にこれほどの事が起きていたらしい。あの戦乱がもう少し違う形で終わっていれば、その歴史も違うものになっていたのだろうか?

 だとすれば、多くのベルカ人に苦難を強いた歴史の元凶であるケントは、やはり愚王と呼ばれても仕方がないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 俺が落ち込んでいる間にベルカ三家についての解説は終わっていたようで、クロノは俺に声をかけティルフィングについての話を再開した。

 

「それで、そろそろ話を戻すが、本当にそんな剣を使うつもりなのか? さすがに怨念なんて信じていないが、心理的な影響は否定できない。僕としては剣を返して他のデバイスを使うことを勧める。君ならストレージデバイスでも十分力を発揮できるだろう」

 

 純粋な親切心からそう忠告してくれるクロノに俺は首を横に振って言う。

 

「いや、これがいい。俺にはやっぱり剣がしっくりくるし、持ち主がどんな馬鹿でも剣に罪はない――そうだろうティルフィング?」

『Ich kann diese Frage nicht beantworten, aber ich folge einfach dem Meister(その問いにはお答えいたしかねますが、私はただマイスターに従うだけです)』

 

 俺が問いかけるとティルフィングはそう答えてくれた。

 騎士や臣下みたいな受け答えをする奴だな。それにところどころ言い方に含みがあるし、もしかしてこいつ俺の正体に気が付いているんじゃあ……。

 クロノは呆気にとられた顔になってから再び口を開いた。

 

「そうか。そこまで言うなら僕からはこれ以上何も言わない。返却はいつでも可能だから気が変わったら言ってくれ。それじゃあティルフィングについての説明に入らせてもらう。

 ティルフィングは300年前に持ち主が死んでから一度も使われてなかったが、セヴィル家が抱える技師によって定期的に補修が施されていた。だから武器として使用する分には問題ないんだが、そのままだと古すぎて現代の魔法戦にはとても対応できない状態だったんだ。

 そこでセヴィル家は数十年前、ティルフィングにAIを組み込んでアームドデバイスとして改良しなおした。でなければさっきみたいに会話もできなかっただろう。ちなみに“例のシステム”も組み込まれてあるが、今のところ使用者に大きな負担がかかって安全とは言えないから多用しない方がいい。まあ、そっちも君に任せるよ。

 ……だいたいこんな所だが何か質問は?」

「いや、今ので大体わかった。ようは守護騎士たちのと同じ武器になったということだろう。あとは使いながら覚えていく。よろしくなティルフィング!」

『Ja, mein Gebieter!(御意!)』

 

 俺とティルフィングのやり取りを見て、クロノはため息をつきながら呆れたように言った。

 

「本当に気に入ったみたいだな。変わった奴だ。愚王の遺品なんて泥棒でも盗まないと言われてるくらいなのに」

「でも健斗君にはぴったりの武器やと思うよ。もう仲良くなってるみたいやし」

 

はやてはほほえましそうな笑みで俺たちを見守り、ふいに視線を宙に向けて……

 

(そう言えばあの事まだ言ってないままやけど、とても言い出せる雰囲気やないな。また今度にしとくか。でもやっぱり気になるな。

 赤ちゃんやった頃の私のそばに闇の書と健斗君が現れたなんて)

 

 

 

 

 

 

 時空管理局の本部、本局の中に『無限書庫』と呼ばれる巨大な空間がある。

 そこには管理世界、管理外世界問わずあらゆる世界の書籍とデータが集められており“世界の記憶を収めた場所”と呼ぶ者さえいる。

 本局が建設されるはるか以前から存在する場所であり、アルハザードの遺物という説もあるが正体は未だに謎。

 管理局が巨額の費用を投じて、無限書庫を飲み込むよう次元空間内に本局を建設したのも、無限書庫を押さえるためだと言われている。無論、内外にはミッドチルダを始めとする特定の世界を過度に重視しないためと回答しているが。

 

 書庫という名の通り無数の本と本棚が置かれているにもかかわらず、内部は無重力で、そこに足を踏み入れた者は飛行魔法を使っていないにもかかわらず宙を浮遊する羽目になる。

 彼らも宙を漂いながら闇の書の手掛かりを求めて、ひたすら書庫にある本を漁っていた。

 

 

 

「ユーノ、新しい本持って来たよ!」

 

 猫の耳と尻尾がついた薄紫色の短い髪の女性が、何十冊もの本を両手に抱えてユーノのもとまで飛んできた。それを見てユーノは内心、姉妹揃って器用だなと思いながら礼を述べる。

 

 リーゼロッテ。

 リーゼアリアの双子の妹で、彼女もアリア同様ある人物が作った猫の使い魔である。

 体術に優れ、10年近く前からクロノに格闘を教えていた。

 

 ユーノはロッテから受け取った本に検索魔法をかけて中身を調べる。そして……

 

「――あった!」

「えっ、本当!?」

 

 ユーノが上げた声に反応して、ロッテは思わず彼に声をかける。

 ユーノは彼女の方を向いて興奮を隠せない声のまま返事をした。

 

「はい! 多分これに間違いないと思います。まさか本当にあったなんて」

「そりゃ無限書庫だもん。その気になりゃ闇の書に関する資料だって見つかるよ。あたしとしてはこんなだだっ広い書庫からたった一冊の本を見つけ出せたのが驚き。……クロノが目を付けるわけだ」

「クロノ? 彼がどうかしたんですか?」

 

 ユーノの問いにロッテはしまったと言いたげな様子で首を振って――

 

「いやいや、何でもない何でもない。それよりこれからどうする? このままアースラに戻るつもりなの?」

「はい、そのつもりです。早くリンディさんたちに伝えないと。あいつにも聞かなきゃいけないことがあるし……」

 

 ユーノがそう答えるとロッテは考えるように目を閉じてから言った。

 

「それなら君の友達に本局まで来てもらってもいいかな? 実は父様がその人たちに会いたいって言ってるんだ」

「グレアムさんが?」

 

 眉を寄せて尋ねるユーノに、ロッテはこくりとうなずいて答える。

 

「うん。実は父様とあたしたちは君の友達と同じ第97管理外世界、地球の出身でね。父様も久しぶりに地球の人たちと話がしたいんじゃないかな」

「そうだったんですか! そういうことならなのはたちにもここに来てもらおうかな。じゃあそれでお願いします」

「あいよ。じゃあ片付けしてから戻ろうか。女の子が多いみたいだし、友達に会う前にシャワーでも浴びた方がいいんじゃない……何ならあたしの部屋のを貸すけど」

 

 ロッテのニヤリとした笑みに、ユーノは身の危険を感じてぶんぶんと首を振る。リーゼ姉妹、特にロッテに関しては本能的に恐怖を感じてしまう。

 ユーノに振られたロッテは愚痴を言いながら片づけを始める。ユーノはほっと胸をなでおろしながら問題の本を掴み取り、ページを開いた。

 

(……著者名は『サニー・スクライア』。中身も闇の書――いや、《夜天の魔導書》について詳しく書かれている。健斗って人が言った通りだ。でもなんであの人がこんなことを……健斗……ケント……)

 

 ユーノはまさかと思いながら頭を振ってその考えを追い出す。

 とにかく今はこのことをリンディさんやなのはたちに伝えないと。

 そう思いながらこの場を後にする準備を始めた。



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第31話 グレアム

 300年ぶりに愛剣ティルフィングを手にしてから一時間くらいが経過した頃。

 ユーノから例の本を見つけたと聞いて、彼を迎えに俺たちは『本局』という時空管理局の本部に来ていた。

 本局の中は想像通りアースラのような未来的な場所だったが、窓の外には大きな街と青空が広がっており、次元空間の中に浮かんでいるようには思えない。

 

 色々な意味で想像以上な本局内を見回しながら歩いていると、ある部屋の前に着いた。

 俺たちを先導していたクロノが扉の向こうに声をかける。

 

「グレアム提督、クロノです。ユーノ・スクライアを引き取りに来ました」

「クロノか、入りなさい」

 

 中から壮年の男の声が返ってくると、クロノは数歩進み「失礼します」と言いながら部屋に入っていった。多分俺たちも入って構わないだろう。

 なのはは戸惑いながら、向こうから呼ばれたんだからとはやては堂々と部屋に入り、俺もその後に続いた。

 すると突然、部屋の中にいた女性がクロノに飛びかかって来て――

 

「クロスケー! お久しぶりぶり―!」

「ロッテ、ちょ、離せこら!」

「何だとこら、久しぶりに会った師匠に冷たいじゃんかよー! うりうりー!」

 

 そこまで言って女性はクロノを自分の胸の中に抱き込む。クロノはたまらず部屋の奥にいた男に向かって、

 

「提督、これを何とかしてください!」

 

 しかし、男は彼を助けようとせず。

 

「はははっ、久しぶりの再会なんだ。ロッテの好きにさせてやってくれ。それに……クロノもまんざらではないんじゃないか?」

「そんなわけないでしょう」

「うにゃー♡」

「わーー!」

 

 許可が下りると女性はとうとうクロノを床に押し倒し、あれやこれやと過激なスキンシップを取る。はやてとなのはは顔を赤くし手で顔を覆いながら二人を眺め、シグナムも赤面しながらそっぽを向き、ソファに座っていたユーノも一瞬目を奪われそうになりながらも目をつぶってこらえている。

 ……えーと、まさかこんなものを見せるために呼ばれたわけじゃないよな? 

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、俺となのはとはやては並んでソファに座り、一人用のソファに腰を沈めている壮年の男と対面する。

 髪と同じ灰色の髭を口元とあごに蓄えた貫禄のありそうな人だ。リンディさんが着ているものと同じ制服だが、肩に付けた肩章が彼女より高い地位に就いていることを示している。だが先ほど見せた様子から意外と気安い人なのかもしれない。

 

「恥ずかしいところを見せてしまったね。初めまして、私はギル・グレアム。時空管理局の顧問官を務めている。まあ、顧問官と言っても隠居目前にお情けでもらった肩書きだよ。固くならなくていい」

 

 グレアム提督の自己紹介に対し、俺たちの後ろに立っているクロノは「恥ずかしかったのは僕ですよ」と呟く。ちなみに彼の顔にはまだキスマークがいくつも残っている。

 キスマークを付けた当の本人はグレアム提督の後ろに立って、

 

「あたしはリーゼロッテ。グレアム提督の使い魔でクロスケの師匠だよ。ちなみにアースラにいるアリアはあたしの姉。わけあって、あたしはそっちに行けないけどよろしくね!」

 

 そう言いながらウインクを投げるリーゼロッテに俺たちは「よろしく」と返す。この人忍さんと声が似てるな。アリアさんの方もファリンさんに声が似てるし、どういう偶然だ?

 そんな事を思っている俺の隣で、はやては呆然と呟く。

 

「ギル・グレアム……」

「……? いかにも。私はギル・グレアムだが、なにか気になることでも?」

 

 怪訝そうに問いかけるグレアムさんにはやては両手を振って、

 

「い、いえいえ! どこかで見たような名前やと思いまして。テレビかなにかで見たんやと思います」

「そうか。きっと番組のインタビューか何かだろう。欧米では珍しくない名前だからね」

 

 グレアムさんは気を悪くした様子もなく笑い飛ばす。それを見てはやてはほっと息をついた。

 だが、もしかしてこの人……

 

「すみませんグレアムさん、もしかしてあなたは……」

 

 俺の言いたいことを察したのだろう。最後まで言い終わらないうちにグレアムさんは首を縦に振って言った。

 

「ああ。君が思っている通り、私も君たちと同じ世界の出身だよ。イギリス人だ」

「えぇ、そうなんですか!?」

 

 片や、なのはは気付かなかったようで驚きの声を上げる。するとユーノは苦笑しながらこちらを向いて、

 

「僕もそれを聞いて驚いたよ。管理局の偉い人がなのはたちと同じ世界の出身だったなんて」

 

 ユーノの言葉にグレアムさんは温和な笑みを浮かべ、ユーノを含め俺たちに向かって口を開いた。

 

「私たちが生まれた世界――地球に住む人間のほとんどは魔力を持たないが、稀にいるんだよ。君たちや私のように高い魔力資質を持つ者が。……私が魔法の存在を知ったのは50年以上前になる。自宅の近くにあった林の中で黒いコートのような服を着た人が倒れているのを見つけてね。彼を助けたのがきっかけで私も魔導師となり、その後も色々あって彼が勤めている時空管理局に入ることになった。……魔導師になるところまではなのは君とそっくりだな。ユーノ君から聞いた時は私も驚いたよ」

 

 そう言ってグレアムさんはおかしそうに笑い、なのはは「はぁー」と声を漏らす。

 ひとしきり笑ってから、グレアムさんは表情を引き締めて俺たちに向き直った。

 

「ユーノ君、なのは君、はやて君、健斗君。君たちはリンディ提督のもとで我々に協力してくれているそうだが、それに当たって一つだけ約束してほしいことがある」

「……何でしょうか?」

 

 突然の要求に俺は問いを返す。それに対しグレアムさんは厳しい口調で続けた。

 

「君たちは魔法やロストロギアの存在とその恐ろしさを知り、それでも何らかの思いや考えがあってリンディたちに力を貸してくれているのだろう。それは立派な事だ。ただ、君たちを心配してくれる人たちや送り出してくれた人たちのことも考えながら行動してほしい。それができるなら、私は君たちに何も制限しないと約束するよ……できるかね?」

「――はい!」

 

 母さんや高町家の人たち、石田先生などそれぞれの保護者を頭に浮かべながら、俺たちはグレアムさんに深いうなずきと返事を返す。それを見てグレアムさんは満足そうな笑みを浮かべた。

 

「うむ、いい返事だ。君たちをここに呼んだのは、久しぶりに同じ世界の人間と話がしてみたかったのもあるが、何よりもそのことを伝えたかったからだ。世のため人のために動くのはいい事だが、自分をおろそかにしてはいけない……」

 

 そこでグレアムさんは顔を上げながら、

 

「長くなってしまったな。そろそろお開きとしようか。リンディにもよろしく伝えておいてくれ」

「はい。大事なお話を聞かせていただいてありがとうございました!」

 

 なのはが礼を言うと、彼女と一緒に俺たちもグレアムさんに深く頭を下げる。

 そしてソファから立ち上がり、他のみんなとともに部屋を出ようとしたところで――

 

「ああ、待ってくれ健斗君。君はもう少しここに残ってくれないか?」

「……?」

 

 いきなりグレアムさんに引き留められて、俺は立ち止まりながら首をかしげる。他のみんなも意外そうな顔でこちらを振り返っていた。

 

「クロノ、もう少し彼を借りても構わないか? 話しておきたいことがある」

「……? ええ、僕は構いませんが」

 

 怪訝そうな顔を見せながらもクロノは首を縦に振り、他のみんなを連れて部屋を出た。それからグレアムさんはロッテさんにまで出て行くように告げる。

 ロッテさんは一瞬考える素振りを見せてからそれに従った。

 そして俺は再びソファに腰を下ろし、グレアムさんと一対一で対面する。

 明らかにさっきより空気が重い。俺は緊張を解くために口火を切った。

 

「クロノと仲がいいんですね。ただの上官と部下には見えませんでしたが」

 

 グレアムさんは俺と違って緊張する素振りもなく答えを返す。

 

「ああ。現場を退いてからしばらく士官学校で教鞭をとっていた事があってな。クロノはその頃の教え子だ。もっとも彼の両親とは家族ぐるみの交流をしていたから付き合い自体はもっと長いがね」

「そうなんですか! そういえばアリアさんとロッテさんがクロノに体術や魔法を教えていたって聞きましたけど、彼女たちも士官学校で?」

 

 そう尋ねるとグレアムさんは首を横に振って、

 

「いや。リーゼたちはしばしば教導隊の手伝いをすることもあったが、クロノの指導は彼に頼まれて個人的に行っていたものだ……ほんの5歳だった頃からな」

「5歳!? そんな頃から?」

 

 思わずそんな言葉が口から出る。ユーノやクロノがもう仕事をしているように、管理世界は就業可能になる年齢が早いとは聞いているが、さすがに5歳は早すぎる気がする。

 グレアムさんもそう思っているようで苦笑を浮かべながら話を続けた。

 

「ああ。色々な力を身に着けて一日でも早く管理局に入りたいと言ってな。私としてはもう少し考えた上で進路を決めてほしかったが、彼の熱意に押され母親(リンディ)からの許しを得たこともあって、リーゼたちに彼の指導を任せることにしたよ」

「なんでまた。両親に憧れて同じ道にというのはわかりますが、いくら何でも早すぎ――いや焦りすぎでしょう。一体何があいつをそこまで駆り立ててるんです?」

 

 答えが返ってくるかわからないまま発した問いだったが、グレアムはあごに手を乗せ、考えるそぶりを見せてからゆっくりと口を開いた。

 

「……ふむ、そうだな。君のように闇の書と関わっている者なら、今後に備える意味で知っておいたほうがいいかもしれん。ただ、あまり軽々しく話すことではない。それを肝に銘じてくれるのなら教えてもいいだろう」

 

 グレアムさんの声色が一層重たいものになる。俺は深いうなずきと返事を返した。

 

「……はい。絶対軽い気持ちで言いふらしたりはしません。だから、どうかお願いします!」

 

 頭を下げるような勢いで頼み込むとグレアムさんは「わかった」と言って、重々しい口調で話を始めた。

 

「あれは11年前の事だ。

 ある世界で闇の書の出現とそれによる被害が確認され、私は艦隊を率いて現地に向かい事態の収拾にあたった。

 守護騎士を退け、さらに闇の書を持っていた魔導師をねじ伏せ、結果として我々は闇の書が完成する前に闇の書とその所有者を押さえることができた。それ以前は《アルカンシェル》によって、主ごと闇の書を破壊してきたことを思えば初の快挙だった。闇の書には転移再生……《転生機能》と呼ばれるものがあるからな。主を葬ろうと闇の書を破壊しようと一時しのぎにしかならない。

 だから闇の書の確保に成功した時は歓喜に震えたよ。我々の手で数百年の悲劇に終止符を打つことができたと……正直浮かれていた」

 

 そう言ってグレアムさんは話を切り、重いため息をつく。対して、俺はまったく同じ話を聞いたことがある事に気付いた。

 初めてアースラに乗った時、リンディさんとクロノから聞いた話とまったく同じだ。あの二人もその話をした時に重苦しそうな反応を見せていた。だからあの人たちを信用してみることにしたのだが、そうなると……

 

「ともあれ、我々は確保した闇の書とその主を本局まで護送するべく、艦船に彼らを乗せた。無論別々の艦にな。その時、闇の書を乗せた船の指揮を執っていた者こそが……」

「クロノのお父さん……ですか?」

 

 俺の問いにグレアムさんは首を縦に振る。やはりクロノの父親が絡んでいたか。

 

「クライド・ハラオウン。

 私の部下の中でも最も優秀な男だった。いずれ私に代わって艦隊の指揮を取り、もしくはそれ以上の地位に就くことも期待されていたほどの者だ。そんな男だからこそ私は彼に闇の書を預けた……その決断が彼の命を奪うことになるとは思わずにな。

 闇の書と主を護送している最中の事だ。

 彼が指揮する艦『エスティア』に封じていた闇の書が、突然暴走を起こすという事態が起きたのだ。中には多数の武装局員が詰めていたが彼らには為すすべもなく、エスティアのコントロールは見る見るうちに主なき闇の書によって奪われてしまった。後に生き残った者から聞いた話では、どこからか生えてきた頑強な(つる)のようなものが艦内のあらゆる場所まで伸びてきたらしい」

 

 《防衛プログラム》の仕業か。

 前世で管理者権限がないまま魔導書のプログラムにアクセスしようとした時に、書の中から伸びてきた蔓が脳裏をよぎる。“彼女”によれば、あれも防衛プログラムが引き起こした過剰反応によるものだったそうだ。エスティアという船を乗っ取ったのもそれに間違いなさそうだな。

 

「多くのクルーが逃げ惑うしかできなかった状況の中で、クライドはただ一人艦に残り他のクルーを避難させつつ、闇の書と艦の暴走を止めようとしていた。しかしそれはかなわず、闇の書に管制システムを奪われたエスティアは他の艦に向けてアルカンシェルを撃とうとしたのだ。それを止めるにはエスティアを撃墜するしかなかった――他ならぬアルカンシェルでな」

 

 そこまで言ってクライドさんを偲ぶようにグレアムさんは目を瞑り、しばらくの間沈黙する。

 やがて彼は深い息をついて言った。

 

「その後、私は艦隊司令の役職から下りることにした。あの一件で上層部から責められることはなかったが、部下の命を奪った私が大勢の命を預かる地位にしがみついていていいのかと思ってな」

「そんな、あれは闇の書の暴走によるものです! グレアムさんがクロノのお父さんを殺したわけじゃあ――」

 

 自分を責めるグレアムさんを見ていられずつい慰めのような言葉をかけようとするものの、彼は首を横に振り……

 

「……いや、私の責任だ。主の手を離れてもなお闇の書があれほど危険なものだとわかっていたら、持ち帰ろうなどとはせず、転生してしまうことを承知で破壊していた。そもそもあの時点で闇の書を封印する方法を思いつけていたら――」

「えっ……?」

 

 興奮のあまりグレアムさんの口から漏れた言葉に思わず聞き返してしまう。するとグレアムさんは我に返ったように片手を振りながら返事を返した。

 

「ああいや、何でもない! 口が過ぎたようだ。……ともかく、ここまで話せばわかっただろう。クライドの息子クロノが管理局に入りたがっていた理由が。そのために幼い頃から必死に力を身につけようとしたわけも。君たちは闇の書に関与してしまった人間だ。なのは君やはやて君、それ以外の人にも今の話を伝えなくてはならない時もあるかもしれない。だが……」

「わかっています。さっきも言ったようにクロノを茶化したり、言いふらしたりなんか絶対しません!」

 

 肝に銘じながら強く返事をするとグレアムさんは満足そうにうなずいた。

 

「そうか。君を信じているよ。では暗い話はここまでにしてそろそろ本題に入ろう。健斗君、イギリスに興味はあるかね?」

「えっ……それはまあ。イギリスに母の友達がいるらしくて、よくその国の話を聞かされてますから興味がないこともありませんけど……」

 

 突然の問いに困惑しながらなんとかそう答える。そう言えばグレアムさんはイギリス人だって言ってたな。

 一方、グレアムさんはほうっと笑みを浮かべて……

 

「そうか。ではイギリスに行ける機会があれば挑戦してみたいと思うかね?」

「イギリスに? それってまさか――」

 

 俺の問いにグレアムさんはこくりとうなずいた。

 

「ああ。もし君にその気があるなら、健斗君がイギリスに留学できるように私が手配してもいい……そして留学するのならばだが、その間は私の家に下宿しないか?」

「グレアムさんの家に? しかし、あなたは本局に勤めていて――」

 

 そう言うとグレアムさんは一度目を閉じてから……

 

「これはまだリンディやクロノにも言ってないんだが……私は近いうちに管理局を辞めようと思っている。その後はイギリスに帰って、そこで余生を過ごすつもりだ」

「それは……」

 

 確かに、見た限りグレアムさんはかなりの高齢だ。管理局に定年があるのかは知らないが、そろそろ退職を考えてもいい年齢だろう。だが今の話を聞いた後だと……。

 グレアムさんは俺の考えなど見透かしているようで。

 

「確かに君が考えている通り、クライドの死に対して責任を取りたいと思っていたのが大きな理由だ。だが、闇の書が今もどこかの世界に存在していると思うと、管理局から離れることができなくてな。教官の真似事や顧問官をしながらずっとここに居座り続けていた。しかし、今回闇の書が見つかったと聞いて決心がついたよ。今回の事件がどのような形で終わっても、私はここを去ろうと考えている」

「そうでしたか……」

 

 グレアムさんに対して俺はそれしか言えなかった。

 彼は魔導書が起こす悲劇を防ぐために時空管理局に居続けていた。だが、次に魔導書が活動する時には、グレアムさんは年齢的に戦うことも指揮を取ることもできない。

 彼が闇の書事件に携われる機会は今回で最後なのだ。

 

「ただ、今まで仕事に熱を入れ過ぎたせいか老境を迎えても独り身のままでな、リーゼたち以外に家族はいない。とりわけ息子や孫と呼べるものができなかったことに未練を感じてな。教え子や部下といった関係もあって、クライドやクロノともくだけた付き合いはできなかった」

「すぎるがつくぐらい真面目ですからね、クロノは。多分彼のお父さんも」

 

 俺が苦笑すると、グレアムさんもまったくだと言うように笑いを返し、真顔に戻って話を続けた。

 

「それで、もし君がよければ下宿という形で一緒に住んでみないか。もちろん生活費や学費は私が出すし、勉学や友達との付き合いを優先して構わない。私を利用するつもりで頼ってくれていいんだ」

「……」

 

 グレアムさんからの申し出に俺はどう答えていいか迷った。正直そこまでイギリスに興味があるわけじゃない。しかし“彼女”を救った後はその先の生活についても考えなければいけない。今とは違う生活で得たことはきっと将来の役に立つはずだ。

 だが、今はそんなことを考えている余裕はない。

 

「……少し時間を頂けませんか。落ち着いて考えてみたいので」

「もちろんだ、じっくり考えなさい。答えが決まったらリーゼに伝えるかここを訪ねて来るといい。待っているよ」

「ありがとうございます」

 

 返事を待ってほしいという頼みに対し、嫌な顔せず肩を叩いて励ましてくれるグレアムさんに俺は深く頭を下げながら礼を述べた。

 

 

 

 

 

 

 グレアムからの厚意に対しすぐに返答できなかったためか、入って来た時よりかしこまった様子で部屋を辞する健斗と入れ違いにリーゼロッテが戻ってくる。

 彼女を迎えながらグレアムはソファにどっしりと腰を下ろした。

 そんな主の対面に座りながらロッテは問いかける。

 

「どうだった? あの子は」

 

 その問いにグレアムは首を振りながら……

 

「さあ、どうかな。今のところどちらとも言えない。もし事が終わっても彼が存在し続けるようなら、またお前たちに一仕事頼むかもしれん。それよりそちらの様子はどうだ? テスタロッサたちがまたいくつかのジュエルシードを手にしたそうだが……」

「前に手に入れたのと合わせると合計6個ってところだね。あれだけならまだ次元断層を起こすことはできない。もちろん万が一のことがないように、あたしが目を光らせとくよ」

 

 ソファの背もたれに腕を乗せながらロッテはそう豪語する。そんな彼女に……

 

「そうか。すまんな、お前に危険な役目を押し付けてしまって」

 

 一方、グレアムは視線を落としながらロッテに詫びる。それに対してロッテは慰めるように手を振った。

 

「何言ってんの父様。元々あたしがミスしちゃったせいだし。それに今のプレシアならあたしとアリアでねじ伏せられるよ。闇の書だって《デュランダル》があれば……」

「ああ。今度こそ闇の書を封印し、長年の悲劇に幕を下ろさなければ。そのためなら……」

 

 グレアムはそう言って虚空を睨む。罪悪感をにじませながらもその目には強い決意が灯っていた。



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第32話 愚王の生まれ変わり

 翌日。アースラに戻って来たユーノを含めた俺たちは、アースラの食堂で賄いのクッキーを摘まんでいた。

 俺と守護騎士たち、特にヴィータとの間には相変わらず気まずい空気が流れており、はやてを介して同じ場所にいるものの会話を交わすことはなかった。

 そんな俺と守護騎士たちを心配そうに眺めつつも、何か話題を出そうとなのはは口を開いた。

 

「きょ、今日も空振りだったね」

「リニスたちや変な仮面に先を越されてるみたいだからな。しばらくかかるかもって愚痴ってる奴も結構いるみたいだ」

 

 ヴィータの相槌になのはは「そっか」と返す。

 

 ヴィータの言う通り、あれからリニス一味や仮面の男が3個もジュエルシードを手にしているのに対し、こちらは2個。もし一味と仮面の男が手を組んでいるとしたら完全に後手に回っている状態だ。

 向こうもアースラなみの組織を抱えているのか? それとも……。

 

 ふいにユーノは申し訳なさそうな顔で、なのはに向かって言った。

 

「ごめん。すっかりなのはを巻き込んじゃって。一週間近くも家族と離れて寂しくない?」

 

 それを聞いて、なのははユーノの方を向きながら首をぶんぶん振る。

 

「ううん、ちっともさみしくないよ。ユーノ君やはやてちゃんたちも一緒だし、ヴィータちゃんともすっかり仲良しになったから!」

「あたしは仲良くなったつもりはねえけどな。けど本当に大丈夫かよ? そろそろ家族に会いたくなってくる頃じゃねえの?」

 

 ヴィータの問いになのはは首を横に振った。

 

「平気……昔は一人で家でいることもあったから」

 

 なのはのつぶやきに俺とはやては眉をひそめ、ヴィータもなのはの様子を見て目をパチクリさせた。

 なのはは薄く笑いながらその時の事を話し始める。

 

 

 

 

 なのはが幼稚園に通ってた頃の事だ。

 当時、士郎さんはまだ要人警護の仕事を続けていて、桃子さんも念願の夢だった喫茶店を開業したばかりだった。

 

 そんな一家にある不幸が襲い掛かった。

 士郎さんが仕事先で大怪我を負って、意識不明の状態で病院に担ぎ込まれたのだ。

 桃子さんたちは士郎さんが一命をとりとめたことに胸をなでおろしながらも、これからの事に頭を悩ませた。

 当時の翠屋は開店したばかりでほとんど固定客がおらず、休業している余裕はなかった。それに幼いなのはをはじめとした子供たちもいる。かといって士郎さんを放っておくわけにもいかない。

 悩んだ末に桃子さんは店を畳む決意まで固めていたという。それを止めたのが恭也さんと美由希姉さんだった。

 恭也さんは桃子さんの反対を押し切って学校を休んでまで店を手伝い、姉さんは学校から帰ったら士郎さんの様子を見るために夜遅くまで病院に詰めていた。

 

 そんな中、なのはは家族から取り残される形となり、幼稚園から帰ったら後はほとんど一人で過ごしていたという。

 あの日もなのははただ一人公園で(たたず)んでいた。

 そんな彼女の前に二人の悪ガキが現れた。

 

 

 

 

 

「……それがはやてちゃんと健斗君?」

 

 シャマルの問いに、はやてがこくこくと首を振った。

 

「そうそう、健斗君ってば一方的になのはちゃんに声かけて『新しい遊びがしたくなったけどはやてと二人だけじゃできない。暇ならお前も付き合え』なんて言いながら、無理やりなのはちゃんを引っ張って来たんや」

「おいおい、一人でブランコを漕いでるなのはを見つけて『あの子さっきからずっとブランコ乗ってるな。健斗君、ちょっとあの子連れてきて。二人だけで遊ぶのも飽きてきたところやし』と言ったのはお前だろう」

 

 人聞きの悪い言い方に俺はたまらず口を挟む。

 あれはほとんど、はやてが指示したことで俺はそれに従っただけだ。まあ俺も、家に帰らずずっとブランコに乗ったままの女の子の事が気になってはいたが。

 

「それで次の日も公園に行ったら、健斗君とはやてちゃんに声をかけられて一緒に遊んで、気が付いたら毎日三人で遊ぶようになったんだ」

 

 なのはがそう締めくくると、ユーノは感心したような顔で、守護騎士たちはぽかんと俺の方を見た。

 

《昔から変わらないわね。その時の様子が目に浮かぶようだわ》

《ああ、あの頃も理由を付けてはヴィータなどを連れて回っていたな》

《けっ、あたしは騙されねえぞ。散々あたしらに優しくしておいて、最後の最後であいつは……》

 

 そこでふいに、なのははユーノの方を見て言った。

 

「そういえば、この中でユーノ君の事だけあんまり知らないね。ユーノ君の家族は?」

「ああ、僕は元々一人だったから」

 

 ユーノの言葉に、なのはをはじめ俺たちはえっ、と思いながら彼に目を向ける。ユーノは何でもない事のように口を開いた。

 

「生まれた時から両親がいなくてね。まあ、部族のみんなに育ててもらったから、スクライアの一族みんなが家族と言えるけど」

「じゃあ、ご先祖様のこととかもわからないのか? お前みたいにあちこちの世界で遺跡の調査をしていたとか、そんな先祖がいるような気がしたんだが」

「あっ! そうだ。それについて君に聞きたいことがあるんだけど――」

『民間協力者の御神健斗君、ハラオウン提督と執務官がお呼びです。至急艦長室まで来てください。繰り返します。民間協力者の――』

 

 問いを返そうとするユーノの声をさえぎって、女性局員によるアナウンスが響いてくる。

 民間協力者の御神健斗、間違いなく俺の事だ。

 

「悪い。リンディさんたちに呼ばれてるみたいだから、ちょっと艦長室まで言ってくる」

 

 そう言って俺はみんなと別れ艦長室へと向かう。ユーノは不満げな顔で俺を見送っていた。

 

 

 

 

 

 

 アナウンスどおり、艦長室にはリンディさんとクロノが俺を待っていた。

 艦長室の壁側にはいくつもの提灯がかけられ、部屋のあちこちには火鉢が置いてあったり、この前の応接室ほどではないが和風チックに飾りつけがされている。

 俺はリンディさんに勧められて、デスクの前にあるソファの片方に座る。

 もう片方のソファにはクロノが座っており、俺たちの間にある机の上に置かれた書物に目を落としながら彼は口を開いた。

 

「この本、昨夜の間に全部読ませてもらったよ。興味深い内容だった」

「闇の書……いえ、夜天の魔導書を改変するには、魔導書の頁をすべて集める必要があるなんてね……あなたの言った通りだったわ」

 

 デスクに座ったままリンディさんはそう言った。

 

「君がジュエルシードを集めようとした理由と、魔導書の頁を増やそうとした(わけ)はよくわかった。しかし、やはり危険すぎる! 頁を集めて魔導書を完成させたりなんかしたら――」

「わかってる! 俺もどうしようか考えているところだ」

 

 俺はそう言い放ってクロノの言葉をさえぎった。

 色々解決しなければならないことがあるが、一番の問題はそこだ。

 夜天の魔導書を完成させた途端、書の主は管制プログラム《システムN-H》に乗っ取られ、世界を丸々一つ消滅させてしまう。主や管制プログラム……“彼女”の意志とは無関係に。

 

 そこでリンディさんは咳払いをして自身に注目を向けさせた。

 

「まだジュエルシードも集まっていないのに、あれこれ言い合っても意味がないわ。それより、今はあなたについて聞きたいのよ……御神健斗君」

 

 そこでリンディさんは両手を組みながら厳しい目を向けてくる。クロノも同じような目で俺を見ていた。こういうところは親子そっくりだな。

 

「この本はユーノ君が昨日無限書庫で発見したばかりのもので、ここに書かれていることは私たちも初めて知る事ばかりだったの。闇の書が元々は《夜天の魔導書》と呼ばれていたことも、管理者権限の取得にすべての頁を集める必要がある事もね。それらをどうして地球で暮らしていた健斗君が知っていたのかしら?」

「最初は君の事を守護騎士の一人だと思っていた。君が使っている魔法も現在では廃れたベルカ式だしな。でも調査した結果、出生に引っ掛かるところはあるけど、君が9年間地球で育ったのはまぎれもない事実だったんだ。主が十分成長した頃に現れる守護騎士とは明らかに異なる」

「それにあなた、無限書庫やその本の著者についても知っていたみたいね。ユーノ君から聞いたわ。“サニー・スクライア”が書いた本を探すように、あなたから指示を受けたと。おかげで思ったよりも早く魔導書について知ることができたけれど。でも、その反対にあなたに関してはわからないことが増えてしまったのよ。

 健斗君、あなたは一体何者なのかしら? どうして夜天の魔導書ばかりか無限書庫のことまで知っているの?」

 

 リンディさんたちからの追及に俺は口をつぐむ。

 とうとう突っ込まれる時が来たか。

 

 

 

 俺たちの前にある本は、サニー・スクライアという考古学者がガレア王国の地層から発見した古文書――いや、正確に言えば古文書の内容を書き写した写本だ。

 300年前、俺はサニーが見つけたあの古文書を読むことで、闇の書の正体を知った。

 その時、サニーから次元空間に浮かぶ巨大な書庫についても聞いた。現在は無限書庫と呼ばれ、本局内の施設として組み込まれているあの書庫を。

 

 つまり、俺がベルカ式の魔法を使えるのも、夜天の魔導書や無限書庫について知っているのも――。

 

 

「どうした、答えられないのか? 場合によっては取り調べという形で聞き出さなくてはならなくなるんだが」

「もちろん、健斗君が管理外世界の人間であることを踏まえた上で慎重に対処します。でも、少なくともこれ以上あなたに協力することはできなくなるわね。あなたが何者なのかわからない限りは」

 

 二人は冷たい声色で問いを重ねる。

 俺はしばらくの間沈黙を守り、躊躇いながら口を開いた。

 

「……ケント」

「えっ?」

 

 二人のうち、どちらかからそんな声が漏れる。俺自身、緊張のあまり判別している余裕はない。

 

「ケント・α・F・プリムス。闇の書の持ち主の一人だ。以前あなたたちも話していただろう」

「以前って……もしかして愚王ケントのことを言ってるの?」

 

 リンディさんの問いに俺は首を縦に振る。

 

「グランダムという国を治め、自国の民を犠牲にして闇の書を完成させようとした暗君……人呼んで《グランダムの愚王》だ」

「それぐらい知ってる! 聖王の前に立ちふさがった最初の敵として有名だからな。だが、それが君と何の関係がある?」

 

 もったいつけた言い方に業を煮やし、クロノは声を荒げる。

 いいだろう。ここまで来たら俺としても最後まで言った方がすっきりする。

 

「俺がその愚王の生まれ変わり……だと言ったら」

「何?」

 

 唖然とするクロノに向かって俺は繰り返す。

 

「俺が愚王ケントの生まれ変わりか何かだとしたらどうだ。そして前世の記憶をすべて持っていると言ったら。それならベルカ式と呼ばれている魔法が使えるのも説明がつくだろう。魔法は自らの中にある魔力と蓄えた知識によって行使するものだからな」

「ちょ、ちょっと待って、本気で言ってるの? もしそうだとしても、この本の著者と無限書庫のことはどう説明するの? 愚王ケントとは何の関係も――」

「この本を書いた、サニー・スクライアとは知り合いだったんですよ。ガレアを制圧した時からね。愚王について書かれた本とかに若い女の学者が出てきませんでしたか?」

「そ、そういえば愚王伝に、愚王に目を付けられるほど容姿端麗な学者がいたとか。まさかその人が……」

 

 リンディさんは頭を抱えながら記憶を呼び覚ます。

 愚王伝なんてものがあるのか……ろくなことが書かれてないんだろうな。

 

「無限書庫についても彼女から聞きました。そこにこの本を保管しておくともね。だからユーノに頼んだんですよ、“サニー・スクライア”という著者名で探してみてくれと。思った通り、彼女は無限書庫にこの本を残していたってわけです」

 

 そう言って俺は本を掲げる。

 リンディさんは信じられない面持ちで俺を見ていた。だが――

 

ふざけるな!

 

 その声に俺もリンディさんも思わずそちらを見る。クロノは椅子から立ち上がり歪んだ顔で俺を睨みつけていた。

 

「お前が愚王の生まれ変わりだと? いい加減な事を言って誤魔化そうするんじゃない! あんな暴君が生まれ変わって再びこの世に現れるなんてことがあっていいものか! そんなものの生まれ変わりを騙ってまでなぜ正体を隠そうとする? お前は一体何者なんだ? 御神健斗!」

「さっきから言っているだろう。その暴君の生まれ変わりだ。多分な」

「貴様! まだ言うか」

「クロノ、落ち着きなさい! 健斗君も挑発しないで」

 

 クロノは俺に迫り胸倉をつかもうと手を伸ばす。リンディさんもデスクから立ち上がり息子を止めようとした。

 その時、突然空間モニターが映り――

 

『エマージェンシー! エマージェンシー!』

 

「――?」

「……?」

 

 室内に響いた声にクロノは手を止め、俺たちはモニターの方を見上げた。

 

『捜査区域の海上にて、大型の魔力反応を感知。待機中の局員はただちに持ち場に急行せよ。繰り返す。――』

 

 捜査区域、魔力反応、まさか――

 

「すぐにブリッジに向かいます! あなたたちも来て。さっきの話はまた後にしましょう」

「はい!」

「わかりました!」

 

 リンディさんの後に続いて俺とクロノもブリッジへと向かう。それまでの間、俺たちが会話を交わすことはなかった。



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第33話 命令違反

 海鳴市の街から離れた海上にフェイトとアルフは浮かんでいた。例によってフェイトはバリアジャケットを装着し、アルフは狼の姿でいる。

 

 フェイトは手にしている得物に呼びかける。

 

「いくよ、《バルディッシュ・アサルト》」

『Yes,Sir!』

 

 新たな名で呼ばれた武器はそう答えるとともに、弾倉(シリンダー)から2発の薬莢を排出する。

 その瞬間デバイスに膨大な魔力が加わり、フェイトはバルディッシュを落としそうになるほどの衝撃を覚えた。

 

(想像以上の反動、これがカートリッジシステム)

「フェイト、大丈夫?」

 

 後ろにいる相棒の声でフェイトは我に返る。

 泣き言を言っている暇はない。管理局やあの子たちが来る前に、ジュエルシードを手に入れないと。

 自分にそう言い聞かせて、フェイトはアルフにうなずいてみせる。それを見てアルフも動きを止めた。

 それを確かめてからフェイトは再び眼下の海を見下ろし、バルディッシュを構え、詠唱を始める。

 

「アルカス・クルタス・エイギアス 煌めきたる天神よ、いま導きのもと降りきたれ」

 

 フェイトのまわりに無数の光球が出現する。その中心でフェイトはバルディッシュを振り上げ……

 

「はああああっ!」

 

 フェイトがバルディッシュを振り下ろすとともに、光球は無数の稲妻となって真下に広がる海へと落下する。

 それに反応して海中から光の柱が立ち昇った。その数は……

 

「5つ――アルフ、空間結界のサポートをお願い!」

 

 フェイトは後ろを振り返り、相棒に呼びかけた。

 

「ああ! 任せときな」

 

 アルフはそう答えながら、健気な主を守ろうと決意を固める。

 その直後、海の中から昇っている光の柱は竜巻となって二人に襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 

 ブリッジに着いてすぐに頭上のモニターを見てみると、荒れている海と強風に耐えながら竜巻に近づこうとしているフェイトの姿があった。

 艦長席の近くに立っていたリーゼアリアさんはその場に立ったままつぶやく。

 

「呆れた。話には聞いていたけど、ずいぶん無茶な真似をする子だね」

「ああ、間違いなく自滅するだろう。あれは個人で出せる魔力の限界を超えている」

 

 クロノもアリアさんに同調するようにそう言った。

 その時、後ろのドアが開いて、なのはたちが駆け込んでくる。

 

「こいつは――」

「――フェイトちゃん!」

 

 モニターを見た瞬間、ヴィータとなのはは目を見張りながら彼女の名を口にする。

 そして、なのははすぐに後ろを振り向いて――

 

「あの、私急いで現場に――」

「その必要はないよ」

 

 だがクロノがそう言った瞬間、なのはは足を止める。

 なのはを見ながらクロノは言葉を続けた。

 

「放っておけばあの子は自滅する。仮に自滅しなかったとしても、力を使い果たしたところを叩けばいい」

「でも――」

「今のうちに捕獲の準備を」

 

 なのはに構わずクロノはオペレーターたちに指示を出す。アレックスさんが「了解」と答え、他のオペレーターとともに粛々とフェイトを捕まえる準備を始めた。

 なのはは彼らの上司を見るが……

 

「私たちは常に最善の選択をしないといけないわ。残酷に見えるかもしれないけど、これが現実」

 

 リンディさんは席につきながら諭すように言う。心なしか辛そうな声で。

 それを受けて守護騎士たちは淡々と、なのはは苦しげな顔でモニターを見上げる。

 モニターの向こうで、フェイトとアルフは今もジュエルシードが生み出した竜巻を相手に悪戦苦闘していた。

 

 リンディさんとクロノが言うことはもっともだ。

 あの海上は今、強制発動したジュエルシードによって荒れ狂っている。魔導師でもあそこに向かうのは危険が大きい。そしてフェイトたちも並の局員では歯が立たないほどの実力者だ。助けたところで、その直後にこちらに襲い掛かって来る危険は十分ある。

 クロノが言った通り、彼女たちが倒れるか弱ったところで何人かの精鋭を出して、ジュエルシードと二人を確保するのが一番危険が少ない方法だ。

 しかし……

 

『私は母さんとは2年くらいずっと』

『母さんの夢が……』

 

 ……本当にそれでいいのか?

 

 そう思いながら、俺はモニターを見上げる。すると……

 

「……待ってください」

「……?」

「何だ、君まで」

 

 この期に及んでまだ異を唱える気かと、リンディさんとクロノは訝しげな顔や声を向けてくる。俺はモニターを見たまま言った。

 

「ちょっとよく見てくれ。フェイトが持っているデバイス。あれ、以前見た時と形が違っていないか?」

「なに……?」

「――あっ!」

 

 そう指摘すると、クロノたちは目を凝らしながらフェイトの手元を注視し、なのははいち早く気付いて声を漏らした。

 よく見るとバルディッシュの先の部分の形が少し変わっているのがわかる。

 あれはまるで……。

 

 

 

 

 

 

 強風に耐えながらフェイトは竜巻を真正面に捉える。

 フェイトはバルディッシュを構え、つぶやいた。

 

「バルディッシュ、カートリッジロード」

『Load Cartridge』

 

 そう答えながらバルディッシュは薬莢を排出し、刃の形へと変形する。

 負荷と魔力の増大を肌で感じ取りながら、フェイトはバルディッシュを振り上げた。

 

「プラズマスマッシャー!」

 

 フェイトがバルディッシュを真横に振るうと金色の砲撃が放たれ、竜巻を弾き霧散させる。フェイトはすかさず相棒に告げた。

 

「アルフ!」

「おう!」

 

 竜巻の中から現れたジュエルシードをアルフは咥え取る。

 これで一つ。

 心の中でそうつぶやきながら、フェイトは次の竜巻を破壊に備えてカートリッジをロードした。

 

 

 

 

 

 

「《カートリッジシステム》! なぜ彼女のデバイスにあんなものが?」

 

 信じられないように声を上げるクロノに俺も心の中で同意する。

 あれは俺たちの時代(300年前)にはとっくに廃れていた技術だ。現にこの前までフェイトのデバイスにカートリッジシステムなんて組み込まれていなかったはず。

 それがなぜバルディッシュに? そしてなぜ今になって?

 

「しかもほとんど使いこなしているみたいだね。このままだと、あそこにあるジュエルシードを全部取られちゃうかも……さすがにそれはまずいね」

 

 アリアさんは歯ぎしりしながらそうこぼす。確かにここでフェイトが5個手に入れれば、彼女たちは11個ものジュエルシードを手中にしてしまう。それは確かにまずい。

 だが、それなら――

 

「クロノ、このままだとジュエルシードを取られてしまう! 危険だが、ここは俺たちも……」

「……っ」

 

 そう言うとクロノは厳しい顔で俺を見る。彼にとっても、フェイトたちがジュエルシードを集めてしまう事態は避けたいところだろう。

 クロノは渋々うなずきかけるが……

 

「……その必要はなさそうだ」

「……?」

 

 横からかかってきた声に、俺たちは思わずそちらの方を見る。

 モニターを見上げながら、俺たちに声をかけてきたのはシグナムだ。

 

「このままだと潰れるぞ――あの少女がな」

「えっ……?」

 

 思わぬ一言になのははモニターに顔を戻す。そこでは……

 

 

 

 

 

 

 カートリッジのロードを終え、フェイトは再び刃状のバルディッシュを構える。

 

「プラズマ――うあっ!」

 

 2つ目の竜巻に向けてバルディッシュを振るおうとした瞬間、バルディッシュから電撃が漏れてフェイトはたまらずひるむ。その不意を突くように竜巻からあふれた強風がフェイトを煽る。

 

「ぐぅっ、フェイト、フェイトー!」

 

 

 アルフはフェイトを助けようとするが、竜巻から漏れ出ている青い稲妻が彼女をがんじがらめにし、竜巻に引きずり込もうとする。

 片や、強風にあおられたフェイトは海中に叩きつけられかけるも、あわやというところで体勢を立て直しバルディッシュを持ちながら荒い息をついた。

 

 

 

 

 

 

「過度なロードが、デバイスとあの少女自身に負荷をかけているようだな。あのデバイスもカートリッジシステムと相性がよくないようだ。おそらくこれ以上は持たんだろう」

「そんな……」

「じゃ、じゃあプランはそのままでいいな。あの子が弱ったところを見計らって出るぞ。君たちは来なくていい。さすがに民間人には危険すぎる」

 

 シグナムの説明になのはは唖然とし、クロノはうろたえながらも俺たちに釘を刺してくる。フェイトに変な情を持っていることもあって、邪魔にしかならないと判断したんだろう。

 

 その時、なのははモニターから後ろにいるユーノに視線を移し、じっと見つめ合う。

 こんな時に何を――いや、こいつらまさか!

 

 そこで突然転送ポートが光に包まれ、床に魔法陣が浮かんだ。

 

「君は――」

 

 なのはたちと転送ポートを見て察したのだろう、クロノは声を上げる。

 それに構わずなのはは転送ポートに向かって駆けだした。

 彼女の行動に俺たちは目を見張り、ユーノはなのはをかばうように両手を広げる。

 なのははポートの上に立ってから、

 

「ごめんなさい。高町なのは、指示を無視して勝手な行動をとります」

「あの子の結界内へ――転送!」

 

 ユーノが印を結び、なのはの姿が立ち消える。

 それを見て俺は――

 

「俺も行かせてください! なのはを助けてやらないと!」

 

 リンディさんを見ながら言うものの彼女は目を閉じて首を横に振る。俺はたまらず――

 

「なんでだよ!? なのはは俺たちにとって大切な仲間だ! あんたはそれを知って、俺たちになのはを見殺しにしろって言うんですか?」

 

 互いの立場も忘れ、リンディさんにそう怒鳴るものの彼女は何も答えず唇を噛む。

 代わりにクロノが言った。

 

「僕も艦長も竜巻が収まるかフェイトが弱るまで出るなと言った。それを無視して飛び出したのはなのはの方だ。そんな彼女を危険を冒して助けに行けと命じるわけにはいかない。それが組織というものだ。頼むからわかってくれ!」

 

 苛立った様子でクロノはまくし立てる。その苛立ちが俺に対するものなのか自分に対するものなのか、俺にはうかがいようもない。

 だが――

 

「それはこっちの台詞だ! 頼むからそこを通してくれ! 俺はなのはを助けに行きたいだけだ! お前たちが何と言おうと俺はあそこへ行く!」

 

 転送ポートをふさいでいるクロノに向かって言う。すると――

 

「クロノ君! 私からもお願い!」

 

 声につられて、俺たちは思わずそちらを見る。

 

「はやて……」

「クロノ君、リンディさん、お願いします! 健斗君を行かせてあげてください! なのはちゃんは私にとっても大切な友達や。それにフェイトちゃんも悪い子には見えへん。あの子たちもリニスさんもきっと何か理由があってジュエルシードを集めてるんや。だからお願い! あの子たちを助けに行く許可をくれるぐらいしてくれんやろうか!」

 

 はやてはそう言って深く頭を下げる。そして……

 

「私からも頼む! 健斗を行かせてやってくれ」

「私からもお願いします!」

「はやてはあたしらが守る。だからたの――お願いします!」

「……」

 

 主に続くように守護騎士四人も頭を下げる。

 リンディさんもクロノも一蹴することができず困ったように顔を見合わせる。

 そしてとうとう……

 

「行け……」

 

 クロノはつぶやくように言う。そしてリンディさんも、

 

「その代わり、帰ってきたらなのはさんともどもたっぷりお説教ですからね」

 

 二人はそう言ってゲートを示す。俺は思わず笑みを浮かべて、

 

「はいっ! ありがとうございます!」

 

 そう答えながら俺は転送ポートへ向かい、ユーノも俺の後ろについて来る。

 俺たちの後ろからはやての声が掛けられた。

 

「健斗君、ユーノ君、気を付けてな!」

 

 はやての声に俺は片腕を上げて応じる。

 転送ポートの上に立つと視界が白くなり、俺たちは空中に投げ出された。

 

 

 

 

 

 空中でバリアジャケットとティルフィングの装着を済ませ、俺とユーノは竜巻と強風で荒れている海上に出た。

 俺たちを見るや、アルフは稲妻を引き千切り、怒涛の勢いでこっちに向かってくる。

 

「フェイトの邪魔をするなぁーー!」

「違う! 僕たちは君たちと戦いに来たんじゃない」

 

 ユーノは片手で結界を開き、アルフを止めながら説明する。

 

「ああ。どちらかというとお前たちを手伝いに来たんだ。不本意ながらな」

「ユーノ君! 健斗君まで!」

 

 ユーノはアルフから逃れながらバインドで竜巻を縛り上げる。

 

「まずはジュエルシードを停止させないとまずいことになる。だから今は封印のサポートを!」

「フェイトちゃん、手伝って。ジュエルシードを止めよう!」

 

 そう言いながらなのははフェイトのそばに降り、レイジングハートを向ける。

 するとレイジングハートの先端から桃色の魔力があふれバルディッシュへ移る。

 回復したバルディッシュは煙を吐き出しながら、

 

『Power charge(エネルギー充填)』

『Supplying complete(供給完了)』

 

 バルディッシュとレイジングハートはそれぞれの主に報告する。だが、傍目から見れば「ありがとう」とそれに対して「どういたしまして」と言っているように聞こえた。

 

「フェイトちゃんが持ってる1個はそのままで、あとの4つはきっちり半分こ」

 

 なのははそう言いながら竜巻に視線を戻す。

 四つの竜巻はユーノのバインドによって縛られ、動きを封じられていた。

 しかし、竜巻の力を完全に封じることはできず、ユーノは弾き飛ばされそうになる。

 だが、アルフが繰り出したバインドによって竜巻は完全に縛られ、動きを止めた。

 

「よし、今のうちにやるぞ。フェイトはどうする?」

「私もやる。あなたたちだけに任せておけない」

「じゃあ、三人一緒にせーので行くよ!」

 

 なのはの号令を合図に、俺たちはそれぞれの持ち場につく。

 

「ティルフィング、いけるな」

『Natürlich Meister(もちろんです。マイスター)』

 

 ティルフィングは返事とともに薬莢を吐き出した。強い負荷と魔力だ。シグナムやヴィータはこんな武器を使っていたのか。

 そう思いながら俺は剣を振りかぶり、

 

「フィンブル!」

「ディバインバスター!」

「サンダーレイジ―!」

 

 俺たちのデバイスから強烈な砲撃が放たれる。

 竜巻は消し飛び、海中から4つのジュエルシードが浮かび上がった。

 ジュエルシードはちょうど、なのはとフェイトの間を浮かんでいる。

 だが、なのははジュエルシードではなく、自分の胸に手を当ててフェイトをまっすぐ見ながら言った。

 

「友達になりたいんだ」

「――っ!」

 

 それを聞いてフェイトは大きく目を見開く。そんな言葉をかけられるなど思いもしなかったように。

 

 

 

 

 

 

 その時、モニターがすべて警告を知らせる映像に変わり、艦内に耳障りなアラームが響く。

 エイミィは計器を操作しながら声を発した。

 

『次元干渉!? 別次元から本艦及び戦闘区域に向けて魔力攻撃来ます! ――あ、あと6秒!』

「なっ!? すぐに魔力シールドを――」

 

 クロノが言い終わる前にアースラに紫の雷撃が降り注ぎ、艦内が大きく揺れる。

 

「きゃあっ!」

「主!」

 

 はやてはたまらず床に倒れ、シグナムは主をかばうように覆いかぶさる。

 

 

 

(余計なことを。5個のジュエルシードに目がくらんだか……果たして間に合うか?)

 

 

 

 

 

 

 突然彼女たちのそばに紫色の雷が落ちる。途端にフェイトは怯えた目で空を見上げた。

 

「か、母さん……」

「やばい、避けろ!」

 

 そう言いながら俺は思わずフェイトのもとへ飛び、彼女を突き飛ばす。罪悪感を覚えたもののそれも一瞬、雷撃が頭上から降り注いで――

 

「ぐああああっ!」

「健斗君!――うわ!」

 

 なのはのもとにも雷撃が飛び、すれすれで躱す。

 そんな中、アルフは人型に戻ってフェイトを担ぎ、ジュエルシードのもとに飛ぶ。

 だがジュエルシードの寸前まで行ったところで、どこからか現れたクロノが杖を突きつけながら彼女の行く手を阻んだ。

 

「邪魔を――するなぁーー!!」

 

 アルフはクロノの杖を掴みながら魔力弾を飛ばす。

 その衝撃でクロノは海面に叩きつけられた。

 その隙にジュエルシードを取ろうとアルフはそちらを見る。しかし――

 

「二つしかない?」

 

 まさかと思い、アルフは下を見る。

 クロノは見せつけるようにかすめ取っていた二つのジュエルシードを掲げる。それらは青い光となってクロノの杖の中に収まった。

 

「うぅぅうあああっ!!」

 

 それを見るや、アルフは逆上し奇声を発しながら魔力弾を海へ投げ落とした。

 せり上がって来た大量の波が俺たちを襲い、再び目を開けた時にはフェイトとアルフの姿はどこにもなかった。彼女たちのそばに浮かんでいた、残り2つのジュエルシードとともに。

 

 

 

 

 

 

「逃走するわ。捕捉を!」

「は、はい! ――これは!?」

 

 リンディの指示を受けて、ランディはすぐにフェイトたちと雷撃を放った者を追跡しようとするが、すぐにその手を止める。

 リンディは苛立ちを隠せないまま声をあげた。

 

「どうしたの?」

「システムが攻撃を受けていて、航行を維持するだけで精一杯です。とても追いかける余裕はありません!」

「システムに攻撃……そんな……」

 

 馬鹿なという言葉をかろうじて飲み込みながら、リンディは椅子に座り直す。

 そんな彼女の傍らでは守護騎士たちが次々と立ち上がっていた。だが……

 

「主、大丈夫ですか?」

「う、うん。びっくりした――!」

 

 はやては腰に力を込めて立ち上がろうとする。だが、彼女はいつまで経っても倒れたままの姿勢でいた。

 ヴィータははやてに近づきながら――

 

「おい、どうしたはやて? もう雷はやんだみたいだぞ……おい?」

 

 ヴィータが呼びかけ続けるものの、はやては立ち上がろうとしない――いや、立ち上がれない。

 

(うそ、うそやろ……足が、まったく動かへん!)

 

 他の守護騎士たちも、リンディを始めとした一部のスタッフたちも、異常な事態を察知し騒然となって彼女のそばに駆け寄っていた。




・原作に詳しい方に向けた補足

 当作品内では、闇の書が関係する事件という事で、アースラを守るシールドが原作より強固に張られています。そのためプレシアの雷撃だけではシステムをダウンさせることができませんでした。ですが、何者かがシステムにクラッキングしたことでフェイトたちを追跡することが不可能な状態になってしまいました。


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第34話 一時帰宅

「指示や命令を守るのは、個人のみならず集団を守るためのルールです。勝手な判断や行動があなたたちだけでなく、周囲の人たちをも危険に巻き込んだかもしれないということ。それはわかりますね?」

 

 会議室にリンディさんの声が響く。その声を俺となのはとユーノは真正面から受けていた。

 なのはとユーノは力なく「はい」と言う。

 そしてリンディさんは俺に顔を向けて言った。

 

「健斗君、私たちの許可を取ってから出たことは評価します。ですが、あの時の物言いは仮にも上官に対して使っていいものではありませんでした。以後気を付けるように!」

「はい、肝に銘じます」

 

 謝るとリンディさんはこくりとうなずき、再びなのはたちを視界に捉えた。

 

「本来なら厳罰に処すところですが、結果としていくつか()るところがありました。よって今回のことについては不問とします」

 

 その言葉になのはとユーノは顔を見合わせる。それに水を差すようにリンディさんは「ただし」と続けて、

 

「二度目はありませんよ! いいですね?」

「はい」

「すみませんでした」

 

 なのはとユーノはそう言って、俺は黙って頭を下げる。

 リンディさんはふっと息を吐き出して、

 

「では、お叱りタイムはここまでにしましょう。あなたたちにとっては正直それどころではないでしょうしね」

 

 それを聞いて俺たちは顔を曇らせる。

 

 海上にいた俺たち同様、アースラも何者かによる攻撃を受けていた。

 まず、別の次元から船に向けて雷撃が降り注ぎ、それがやんだ頃に逃亡したフェイトたちと何者かを追跡しようとしたところで、船のシステムがクラッキングを受けて航行がやっとの状態に追い込まれたらしい。

 だが、俺たちにとって一番大きな問題はその後に起こった事……はやての足が完全に動かなくなってしまったことだ。

 

 現在、はやては医務室で精密検査を受けており、守護騎士たちもそれに付き添っている。アースラの医療スタッフなら麻痺の原因も特定できるかもしれない。だが、おそらく彼らにもはやての足を治すことはできないだろう。

 

 リンディさんはリーゼアリアさんと一緒にいるクロノの方を見て言った。

 

「クロノ、あなたたちや船を攻撃した人物について心当たりがあるって言ってたけど、そちらの方は?」

「はい。エイミィ、モニターに」

「はいはーい!」

 

 クロノに命じられてエイミィさんはいそいそと空間モニターの準備を始める。

 それからすぐに長机の上に白衣を着た女性の姿が浮かびあがった。長い黒髪を下ろした、フェイトによく似た整った顔立ちの女性だ。

 

「僕らと同じミッドチルダ出身の魔導師、プレシア・テスタロッサ。研究者としても優れた人物で、最年少で修士課程を修め、幹部候補として民間企業に就職したそうです。彼女の部下の中には、後に傀儡(ゴーレム)研究で功績を収めたティミル博士もいたらしいと」

「ティミル博士を部下に抱えていたほどの人が!? 私たちを攻撃したのはそのテスタロッサ女史で間違いないの?」

 

 リンディさんの問いにクロノはうなずきを返す。

 

「はい。登録データもさっきの攻撃の魔力波動と一致しています。そしてあの少女、フェイトはおそらく……」

「フェイトちゃん、あの時母さんって……」

 

 雷撃が降る直前の事を思い出しながらなのははつぶやく。俺もうなずきながら、

 

「ああ。以前俺と戦った時も、母親のためにジュエルシードを集めていると言っていた。プレシアって人がフェイトの母親と見ていいだろう。そして彼女たちに指示を出しているのも……」

「フェイト・テスタロッサという少女の事を聞いた時からプレシアの関与が疑われていましたが、確証がなかったので伏せていました。ですが、()()()()()()()彼女が黒幕と考えてもう間違いないでしょう」

 

 クロノの推察にリンディさんは納得した様子を見せる。だが、そこでユーノが声を上げた。

 

「あの、プレシアからの攻撃とは別に、アースラのシステムがクラッキングされたって聞きましたけど、そちらの方は?」

 

 クロノは首を横に振って――

 

「それについてはまだわからない。魔力攻撃と違って、そちらの方は痕跡が何一つ残ってないんだ」

「そのクラッキングもプレシアさんじゃないの? 優秀な研究者だって言ってたし」

「いや、いくら優秀でも、魔法を撃ちながらクラッキングなんてできるもんじゃない。次元跳躍魔法なんて大掛かりなことをしている時ならなおさらな。それだけでも正直信じられないくらいだ。人間(わざ)じゃない」

 

 なのはの推測を俺はそう言って否定する。次元レベルの攻撃なんて、《聖王のゆりかご》でも条件が揃わないとできないくらいだ。それをたった一人の人間が行ったなんてとても信じられない。

 その疑問にクロノが答えた。

 

「おそらくロストロギア級の媒介を利用したんだと思う。プレシアは自身の魔力こそ低いものの、外からエネルギーを取り込んで自身の魔力に変える《希少技能(レアスキル)》を持っているそうだ。それを踏まえるとSSランクの魔導師でも勝てるかどうか」

 

 《希少技能》……ベルカ王族が持っていた固有技能のようなものか。固有技能と違って一代限りの能力ではあるが、その力は勝るとも劣らない。本質的には同じものだろう。

 

「もっとも次元魔法は精神的に相当負荷がかかる。とてもクラッキングの片手間に出来るものじゃない。クラッキングを行った者は別にいるとみていいだろう。でも、おかしなところがあるんだ」

「アースラを含めて、管理局のシステムは極めて高いセキュリティで守られているのよ。それを外部からクラッキングできる人間なんてそうそういるものなのかしら?」 

「そうなんですよ!」

 

 リンディさんが疑問をもらすと、エイミィさんは声高に口を切る。

 

「防壁も警報も全部素通りして、いきなりシステムに攻撃するなんて――《スカリエッティ》じゃあるまいし!」

 

 その名前が出た瞬間、リンディさんとクロノ、アリアさんまで顔をしかめる。おそらくそいつも管理局が追っている犯罪者なんだろうな。それもかなりたちが悪そうな感じだ。

 

「その人くらいすごい技術を持った人の仕業ってことかな?」

「あるいはある程度の組織なのかもね」

 

 なのはに続いてアリアさんもそんな推測を立てる。

 その可能性もあるが、もしくは……

 

「いずれにしろ、クラッキングを行った者の正体はまだつかめていない。それより今はプレシアについてだ。エイミィ!」

 

 クロノが呼びかけると、エイミィさんは端末を見ながらプレシアの経歴を話し始めた。

 

「プレシアは10年ほど前まで民間エネルギー企業で設計主任として勤めていましたが、《ヒュウドラ》という魔力駆動炉の開発を担当した際に安全を無視した開発を強引に進めて、その結果事故を起こして解雇されました。本人の希望による退職という形にはなっていますが。

 それまでの間ずいぶん揉めたみたいです。危険な開発を指示したのは会社側で、自分は何度もそれに反対したと。でも、結局自分から告訴を取り下げて会社を去ったそうです。

 それからは地方に移って職を転々としていましたが、しばらく後行方不明になって……それっきりですね」

「家族と行方不明になるまでの行動は?」

「それは――」

 

 リンディさんの問いに答えようとしたエイミィさんをさえぎって、クロノが代わりに報告した。

 

「それはまだわかっていません。いま本局に問い合わせて調べてもらっているところです」

 

 ……?

 ここまで調べておいて家族のことはわかっていないだと? こいつら何か隠しているな。

 一方、リンディさんは気にすることなくクロノに尋ねる。

 

「時間はどのくらい?」

「一両日中には」

 

 それを聞いてリンディさんはふむと唸り。

 

「プレシア女史もフェイトさんも、あれだけの魔力を放出した直後ではそうそう動きは取れないでしょう。その間に最後の1個を手に入れておきたいところね」

 

 その言葉に俺たちは表情を引き締める。

 俺たちのもとにあるジュエルシードは11個、リニス一味改め《プレシア一味》のもとには9個。

 どちらの手に渡っていない“最後のジュエルシード”がどこかにあるはずだ。

 もっとも、夜天の魔導書の頁をすべて埋めるには11個や12個じゃ足りない。最低でも2個以上はプレシアたちから奪う必要がある。それに……

 

「なのはさん、健斗君」

 

 ふいにリンディさんに名前を呼ばれて、俺たち――呼ばれていないユーノまで――は顔を上げる。

 そんな俺たちにリンディさんは思わぬことを告げた。

 

「あなたたち、一度家に帰る気はない?」

「えっ、でも……」

 

 突然そう言われて、なのはは戸惑いの声を漏らす。

 まさか不問にすると言っておきながら、結局俺たちを追い出すつもりじゃないだろうな。

 睨むようにリンディさんを見ると、彼女は息をついて、

 

「あまり長く学校を休みっぱなしでもよくないでしょう。ご家族と学校に少し顔を見せておいた方がいいわ。それに最後のジュエルシードなんだけど、あなたたちが住んでいる場所のすぐ近くにあるみたいなのよ」

「「ええっ!?」」

 

 俺となのはの声がハモった。

 

「そういうわけだから一時帰宅を許可します。ジュエルシードを見つけたらすぐに連絡するから、いつでも動けるようにしておいて」

「はっ、はい!」

 

 リンディさんの指示になのはは素直に返事を返す。

 俺は……

 

「……あの、はやてのことは」

「心配しなくていいわ。はやてさんの事は私たちが責任を持ってお預かりします。守護騎士さんたちが彼女のそばを離れるとは思えないし、その点も含めて信用してくれていいと思うけど」

 

 苦笑しながら付け足すリンディさん。彼女に対して、

 

「わかりました。どうか、はやての事をお願いします」

 

 不安を感じつつも、俺はそう答えながら頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 同時刻、《時の庭園・玉座の間》にて。

 

「プレシア! どういうつもりですか!? フェイトや管理局の船を攻撃するなんて!」

「あれだけの好機を前にぼうっとしている子が悪いのよ。それに管理局を放っておいたらあの子が捕まっていたかもしれないわ。結果的にうまく行ってよかったじゃない」

 

 怒りを隠さずに詰め寄るリニスに、プレシアは悪びれもせずに言い放つ。

 そんな彼女の正面で、仮面の男は呆れたように首を横に振った。

 

「フェイトはともかく管理局の船を攻撃したのはやりすぎだ。あそこには八神はやてと管理局が回収したジュエルシードがあったんだぞ。攻撃元を辿られてこの場所を突き止められる恐れも高かった。監視システムをダウンさせてなければどうなっていたことか」

「それに関してはあなたのおかげで助かったわ……いえ、あなたのお仲間のおかげで、かしら?」

 

 意地の悪い笑みを浮かべるプレシアに男は両手を広げながら言った。

 

「何のことやら。とにかく、あんな真似はこれっきりにしてくれ。万が一八神はやてに死なれたら、闇の書は別の世界に転移してしまう。次元空間に投げ出されたら闇の書でも守り切れる保証はない」

「そうね、確かに少々迂闊だったかもしれない。……わかったわ、もう私からあの船には手出しはしない。これでいい?」

「ああ、わかってくれて何よりだ」

 

 男は首を縦に振る。もう少し強くこの女を見張っておこうと心に決めながら。

 

「それで、管理局も我々も入手していないジュエルシードが1つだけ残っているんだが、あれに関してはどうする? フェイトはしばらく動けないようだが」

「そうね、あなたかリニスに行ってもらいたいところなんだけど……」

 

 プレシアはあごに手をやって考える。

 男を仲間にして以来、リニスは常に自分のそばにつくようになった。理由はもちろん、プレシアを謎の男から守るためだ。

 男がいつ現れるかわからない状況でリニスが自分の手元を離れるとは思えないし、離すべきではない。

 では、肝心の男はというと……

 

「悪いが私は行けない。闇の書を手に入れる絶好の好機が訪れたからな。そろそろ私が動かなくては。それについてはあなたの攻撃のおかげかもしれない」

「皮肉は結構よ。でも、確かにあちらにある闇の書を逃すわけにはいかないわね。じゃあ最後のジュエルシードはまたフェイトに取りに行ってもらおうかしら」

「待ってください。フェイトは魔力をすり減らしていて、とてもジュエルシードを取りに行ける状態じゃ――」

 

 リニスはまたいきり立ってプレシアに抗議しようとする。そこで男は思い出したように言った。

 

「いや、もう一人いるじゃないか。フェイトと違って余力を残している者が」

 

 その一言にプレシアは首をかしげかけるも、すぐにああと気付く。

 

「もしかして、フェイトが飼ってるあの使い魔の事を言ってるの? 反抗的で私の言うこともろくに聞こうとしないわよ。役に立つのかしら?」

「主の傷を舐めさせているよりはましだ。それに私が動く際の目くらましにはなってくれるかもしれん。最後の1個は総力を挙げて奪い合うもの、というセオリー(お約束)をあえて破ってみるのも手だと思うぞ」

「……わかったわ。その代わり必ず手に入れてきて。闇の書もだけどジュエルシードもよ。最低でも5つ、出来ればそれ以上、取れるだけ取ってきてちょうだい」

「ああ。闇の書を完成させるには9個だけでは足りないからな。期待して待っているといい」

 

 男の大口に対し、プレシアはそっけなく「お願いね」とだけ言った。

 そして玉座のすぐそばにある台に立てかけられた写真立てに視線を移す。

 

(もう少し、もう少しで私たちは幸せを取り戻せるわ。幸せに過ごしていたあの頃を……)

 

 その写真には若い頃のプレシアと、幼いフェイト()()()()()少女が仲睦まじく並んでいる様子が映っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「どうだ?」

「…………うーん、ダメみたいやな。足に力が入らん」

 

 施術を施してしばらくの間、はやては足を動かそうとするもののピクリとも動く気配はない。明らかに今までとは違う傾向だ。

 魔力を注いだだけでは治せないほど進行しているのか。

 

「悪い、はやてを守ると言っておきながら。でも、あの足揉みにそんな意味があったとはな」

 

 俺に謝りながらヴィータはそう漏らす。

 ヴィータには、旅行に出かける時など、はやてに施術を施しているところを見られて追い回される事もあったが、施術の意味を知った今はもう怒るどころではなくなったようだ。

 はやてに布団をかけながら彼女に告げる。

 

「じゃあさっき言った通り、少し家に戻るよ。ジュエルシードが俺たちが住んでいる場所のすぐ近くにあるみたいだから。二日後くらいには戻れると思う」

「わかってるわかってる。私の事は気にせんでええから、久しぶりに美沙斗さんや学校のみんなに顔見せてき。そう言えばエイミィさんとクロノ君も一緒に行くんやって?」

 

 はやてが尋ねると隅の方からエイミィさんがやって来た。

 

「うん。私たちもご家族にご挨拶くらいした方がいいからって。なのはちゃんの家には艦長が、健斗君の家には私とクロノ君が行くことになったの。それで一つ聞きたいんだけど、健斗君のお母さんってどんな人? 一応聞いておきたいな」

 

 その問いに対して、はやては満面の笑みを浮かべながら答えた。

 

「すごく優しい人ですよ。子供好きで私にも良くしてくれましたし。私にとって、もう一人のお母さんって感じです」

「そうなんだー。会うのがとっても楽しみ!」

「……」

 

 確かに優しくて子供好きではある。でも多分、エイミィさんの想像とはだいぶかけ離れているんだろうな。教えなくていいんだろうか?

 そこで、はやては俺を呼んで別の話を切り出す。

 

「ところで健斗君、美由希さんと……お姉さんとはどうなん? お話とかしてる?」

「姉さんに? そりゃまあ、高町家にお邪魔してる時はちょくちょく世間話とかしてるが」

 

 思わぬ名前に首をひねりながら答える。すると、はやては呆れた顔になって、

 

「そんなん挨拶だけしてるのと変わらへんやん。そんなんじゃずっとぎくしゃくしたままになってまう。これもええ機会や、明日辺りなのはちゃんのおうちに行って、お姉さんとじっくり話してきた方がええ。決戦前に心残りは残さんもんや」

 

 そう言われて俺はしばらく悩むものの、やがて頭を掻きながら答えた。

 

「……わかったよ。正直、俺も姉さんとはこのままじゃいけないとは思っていたしな。姉弟同士ぶつかってみるのもたまにはいいかもしれない」

「いや、何も喧嘩しろとは言ってないんやけど。まあそれぐらいがちょうどええか」

 

 はやてはそう言って俺の肩を叩く。

 そんな俺たちを見てエイミィさんはくすくす笑う。

 それから少しして俺は守護騎士の方を向いた。

 

「そういうわけだから俺はしばらくここを離れる。それまでの間、はやての事をお願いします」

 

 そう言って頭を下げると、シグナムは何か言いたげな顔をしながらも無言で首を縦に振った。



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第35話 新たな魔法少女(?)そして吸血鬼

「どうぞ」

 

 テーブルの上に湯気の立った熱そうな緑茶が置かれる。

 そのお茶をエイミィさんはぎこちない様子で手に持った。

 

「あ、ありがとうございます」

「ありがとうございます」

 

 彼女とは対照的に、クロノは落ち着いた様子で緑茶を口に運ぶ。

 片やちびちびと湯呑みを舐めるように飲むエイミィさんを見て、母さんは眉をしかめながら……

 

「お口に合いませんでしたか?」

「い、いえいえ、すごく美味しいです! 美味しすぎてすぐに飲んじゃうのももったいないなと思って」

「……そうですか」

 

 母さんは不安そうな顔をしながら、それ以上の言葉を飲み込んだ。

 思った通りになってしまったか。

 

 優しくて子供好きな母親と聞いて、桃子さんやリンディさんみたいな人を想像したに違いない。

 しかし、うちの母親は表情の変化が少なく、一見するとかなり気難しそうに見える。エイミィさんもすっかりたじたじだ。母さんからすれば、まずいものを飲ませて相手の機嫌を損ねていないか不安なだけなんだろうけど。

 母さんはなおも心配そうな顔でエイミィさんに尋ねる。

 

「息子が厄介になっているとのことですが、そちらにご迷惑をかけたりはしていませんか?」

「い、いえいえ! 迷惑だなんて。むしろ――」

「迷惑どころか予想以上に役に立ってくれていますよ。彼がいなかったら今の半分ほども進展していなかったでしょう。お母さんがよろしければ、あと何日か息子さんをお借りして構いませんか? それまでの間、責任を持ってお預かりすると約束します」

 

 エイミィに割り込んでそう頼んできたクロノに、母さんはぱちくりと目をしばたかせる。

 

「ずいぶんしっかりしているな。いいご両親に育てられたと見える」

「いえ、まだまだ未熟です」

「クロノ君だったね。健斗とはうまくやれているかい?」

 

 その問いにクロノは首を縦にも横にも振らずに答えた。

 

「実を言うと何度も喧嘩をしてしまいました。僕も彼も意地が強いから互いに引き際を見失っちゃって。でも、それが楽しいと思う時もあります。故郷にもう一人友人がいますが、彼を叱ることはあっても喧嘩なんてしたことはありませんから」

 

 クロノの口から出た言葉に俺は唖然とする。

 クロノの奴、そんなことを思っていたのか。いつもマジギレしていて楽しそうには全然見えなかったんだが。

 エイミィさんは知っていたのか、俺にウインクしてきた。俺は目をそらして湯呑みに口をつけることでごまかす。

 

「そうか。不愉快な思いをさせてしまうかもしれないが、クロノ君さえよければこれからも健斗と仲良くしてやってくれ」

「はい。一緒にいられる限りそうしたいと思います」

 

 そんな言葉を交わしてから母さんは茶を勧め、クロノはそれを受ける。

 それを見計らって俺は口を開いた。

 

「あさってまではこっちにいられるんだけど、明日は高町さんの家に泊まろうと思っている……姉さんと話したいことがあるから」

 

 そう言うと、母さんはあっさりと首を縦に振った。

 

「ああ、じっくり話し合っておいで。今のような関係ではお互い息苦しいだけだろう。クロノ君とエイミィさんはどうします? うちでよければ遠慮せずに泊まっていってくれて構いませんが」

「じゃあ、お言葉に甘えて夕食だけでもご馳走になります。ご迷惑をかけると思いますが」

「別に迷惑なんて思ってない。ゆっくりしていってくれ」

 

 母さんとクロノは互いに笑みを浮かべてそんなやり取りを交わす。それを見て、

 

《エイミィさん。うちの母とクロノって……》

《うん、似てるよね。親子って言われたら信じちゃうくらい》

 

 

 

 その後、エイミィさんが作った料理をごちそうになり、それを通してエイミィさんも母さんと打ち解けることができた。クロノの年齢を聞いた時は、さすがに母さんも驚かずにはいられなかったが。

 

 

 

 

 

 

 翌日、スクールバスに乗って久しぶりに学校に行ったが、教室に入った途端クラスメイトたちが一斉に俺を取り囲んだ。

 

「御神、この一週間どこに行ってたんだよ?」

「八神がお前んちの養子になって、外国に引っ越す準備をしているって聞いたけど本当か?」

「御神君だけ? はやてちゃんは帰ってきてないの?」

「もしかして一緒に外国行ってる間にデキちゃった? 二人きりの解放感にあてられちゃった?」

「ええ!? 赤ちゃんって結婚する前にできるの?」

「当たり前じゃん。結婚なんて役所に書類届けるだけなんだから。そんなことしなくたって子作りくらいできるでしょう」

「そういえばパパも他の女の人との間にできてたな。それがママにバレて大騒ぎになってるとこで」

「そんな家庭の事情聞いてないよ。それより子供は男の子? 女の子? 生まれたらすぐに教えて!」

「俺たちが勉強なんかしている間に、御神と八神は子供ができるようなことしてたのかよ!」

「別のクラスの高町も一緒に行ってたらしいけど、二人とも手込めにしたのか!?」

「それ本当かよ! あんな美少女二人をどうやってたらしこんだんだ?」

「まさかアリサちゃんとすずかちゃんも毒牙にかける気じゃねえだろうな?」

 

 雄一を押しのけて、クラスメイトたちは矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。その質問はどんどん過激になっていき小学生にあるまじき単語が溢れるように出てくる。

 彼ら彼女らから繰り出される質問は担任の教師が来るまでやむことはなく、教師も内心気になっている様子でHR前後に廊下の隅でこっそり聞き耳を立てていた。もうやだこのクラス。

 

 今までろくに話さなかったクラスメイトとの距離が縮まった半面、最近の子供の恐ろしさを思い知った時間だった。成熟が早すぎるにもほどがあるだろう。もしやと思うが、こいつらも俺や先輩みたいに前世の記憶をそのまま持っていたりしないだろうな。

 

 

 

 

 

 

 放課後、アリサとすずかの二人は学校のすぐ近くで迎えの車を待っていた。一週間ぶりになのはが登校してきたにもかかわらず、二人ともなのはと話をすることができていない。

 

 アリサはまだなのはと仲直りができておらず、それに加えてバスの時から同級生たちがなのはを取り囲んであれこれ質問していたため、すずかも彼女に話しかけることができずにいた。

 

 休んでいたのがなのはだけならここまでの騒ぎにはならなかっただろう。しかし、なのはとまったく同じ期間に学校を休んでいた生徒が他のクラスに二人いる。それが御神健斗と八神はやてだった。

 三人は幼少を一緒に遊んで過ごした幼なじみであり、しかも健斗となのはは戸籍上では従兄妹にあたる。

 噂は噂を呼び、思春期を目前にした子供たちが彼らを放っておくはずがなく、なのはと健斗は登校してすぐ同級生たちから質問攻めにあった。

 

 

 

 そして今に至る。

 

「まったく、みんな子供なんだから。なのはがはやてや健斗と仲いいなんて入学前からじゃない。ちょっと三人一緒に休んだぐらいで変な事ばかり考えるんだから」

「し、仕方ないよ。まったく同じ日に休んで同じ日に登校してきたんだから、みんな事情を聞きたくなっちゃうよ。私だって気になるし。特にはやてちゃんと健斗君の事とか」

 

 アリサをなだめようとするすずかだったが、途中から顔を赤くしながら両手の人差し指をくっつける。それを見てアリサも顔を赤くしながら、

 

「あ、あんたまで何言ってんのよ? 健斗みたいなヘタレにそんな度胸あるわけないでしょう! でも、はやてだけ学校に来なかったみたいだけど、どうしたのかしら?」

「う、うん。さすがにみんなが言ってるようなことはないよね……多分

 

 顔に赤みを残しながら、すずかは顔をうつむかせる。

 すると暗がりで青く光っているものが目に入った。

 

「あれ? ……なんだろう。あそこ、何か落ちてる」

 

 アリサもすずかの視線を追ってそれを見た。

 

「あっ、本当。何か光ってるわね。誰か宝石でも落としたのかしら?」

 

 そう言いながらアリサはそれが落ちている方へと歩いていく。もし時間があったら学校に届けようと。

 しかし、アリサが触れた瞬間それは急にまばゆい光を放った。すずかはたまらず――

 

「アリサちゃん! そこから離れて!」

 

 だがそれは間に合わず、アリサは光に包まれる。そして……

 

 

 

 

 

 

「――! この反応は」

「もしかして……」

 

 大きな魔力を感じて俺となのはは足を止めてそちらを振り返る。

 その直後に、

 

《なのはちゃん! 健斗君!》

 

 エイミィさんの声が脳裏に届いてきた。おそらくなのはにもエイミィさんの声が聞こえているだろう。

 俺は声に出さずに返事を返す。

 

《エイミィさん、どうしました? まさか……》

 

 尋ねると向こう側からうなずくような気配とともに、

 

《うん。最後のジュエルシードが発動した。すぐに回収しに向かって。民間人が巻き込まれているみたいだから急いで!》

「《はい!》――なのは、聞いたか?」

「うん! すぐに行かなくちゃ!」

 

 そう言うやいなや、訝しげな顔で俺たちを見る生徒たちに構わず俺となのはは反応があった場所へと向かう。ここからでも気配が伝わってくる。かなり近いぞ!

 

 そして、駆け付けた俺たちが見たのは思わぬ光景だった。

 

 

 

 

 

 

「見つけた!」

 

 発動したジュエルシードの反応を見つけてアルフは立ち上がる。

 フェイトやリニスと違って、アルフには発動前のジュエルシードを探知する能力はない。故に今まではほとんどフェイトとともに行動してきた。しかし今、フェイトは昨日の怪我の治療と来たる戦いに備えて休んでいる。そのためアルフは今朝から一人だけで屋外に出て、ジュエルシードが発動するのをじっと待つしかなかった。

 そして夕方になって、ようやく目的のブツが活動を始めたらしい。

 

 

 

 彼女が最後のジュエルシードを探しているのはリニスに頼まれたからだ。とはいえ、リニスにそれを命じたのはプレシアであることに疑いようはない。仮面の男の入れ知恵かもしれないが、それはどうでもいい事だ。

 問題なのは、もし自分が断れば疲弊したフェイトにこの役目が回ってくるだろうという事だ。

 

 アルフとしては管理局を敵に回してまでロストロギアを集めることに乗り気ではない。むしろプレシアなど放って、フェイトとリニスと自分の三人で逃げた方がいいと思っている。

 しかし、どんなに粗雑に扱われようとフェイトは頑なに母を裏切ろうとはしない。リニスも同様だ。

 その上リニスはプレシアの使い魔という身だ。もしプレシアに逆らえば、あるいはプレシアに見限られたら、リニスは主との契約を解消されてこの世から消滅してしまうだろう。

 そのため、もしフェイトを説得してプレシアから逃げるという道を選べたとしても、それはリニスを見捨てるのも同然の選択だった。

 

 

 

「あの鬼ババなんかのためにあたしが動くことになるとはね。忌々しいったらないよ」

 

 わざと声に出しながらそう毒づき、アルフは拳を手のひらにぶつける。

 フェイトの前ではできなかった行為で乗らない気を奮い立たせ、アルフはジュエルシードのもとへ飛んだ。

 

 それからすぐにアルフは現場に到着するが、彼女が見たのは思いもよらない光景だった。

 

 

 

 

 

 

 炎をまとった刃が振り下ろされる。

 すずかはそれを空高く跳躍してかわした。

 刃はそのまま空を切り、すずかが立っていた地面をあぶり焼いた。

 すずかは後方の地面に着地し、長すぎて動くのに邪魔なスカートを自らの手で引き千切る。白い素足が露わになるがそれどころではない。

 

「そこをどいテ。私はなのはに謝らなくちゃいけないノ」

 

 言葉とは裏腹に、殺意をみなぎらせながらアリサは口を開く。

 すずかはきっと顔を上げて、

 

「どかない。今のアリサちゃんをなのはちゃんに会わせるわけにはいかない。なのはちゃんに会いたいのならまずその剣を捨てて。それに私服だと学校に入れないから、ちゃんと制服に着替え直して」

 

 そう言葉をかけられるもアリサは気に留める様子もない。

 今のアリサはピンクの上着に短くて赤いコート、赤いミニスカートにそこからはみ出たスパッツを着ている。

 今まで何もつけていなかったはずの手には金属でできた籠手が装着されており、その手には炎をまとった剣が握られている。

 この姿を見て誰かに謝りに行くなどと言われても到底信じられないだろう。

 

 対してすずかはスカートこそ自らの手で破いて短くしているが、一応清祥初等部の制服のままだ。

 しかし、彼女の人差し指からは剣のように長く鋭利な爪が飛び出ている。

 そんな姿で対峙する二人の姿は明らかに異常で、さっきから五分も経っていないとはいえ誰の目にも止まらなかったのは奇跡と言っていい。見つかったら学校中大騒ぎになっている。

 

 事の発端はアリサが地面に落ちている青い石を拾ったことだ。

 アリサはまばゆい光に包まれ、光が収まる頃にはあのような格好になっていた。

 そしてアリサは「なのはに謝りに行く」と言って学校の敷地内に向かおうとしたのだ。

 当然すずかはそれを見過ごせるはずもなく、アリサを止めようと立ちはだかった。しかしアリサは手に持っていた炎の剣を躊躇なくすずかに振るった。

 それに対抗するためすずかも“秘めていた力”を解放し、アリサに立ち向かった。

 

 顔色一つ変えず剣を振るうアリサに対し、すずかの顔色はさえない。突発的な事態で混乱しているのもある。だがそれ以上に……

 

(最近飲んでないから調子が出ない。このままだとアリサちゃんが敷地の中に……)

「ファイアストーム!」

 

 その一声とともに炎の刃が振り下ろされ、すずかは長爪を前に突き出す。

 その瞬間――

 

(しまった!)

 

 爪は半ばから折れ、炎をまとった剣がすずかに向かって振り下ろされる。

 得物を失い、避けることもできず、その一撃を覚悟してすずかは目を閉じる。

 

「はあっ!」

 

 そこに黒髪の少年が乱入しアリサの剣を受け止める。

 彼の後ろには茶髪を短いツインテールに結んだ少女がいた。

 

「ディバイン、シュート!」

 

 少女は躊躇いながらも杖のようなものから桃色の光線を撃ち出す。

 アリサは後ろに跳んでそれを難なく避けた。

 すずかは少年と少女に目を向ける。

 

「健斗君! なのはちゃん!」

「すずか、下がっていろ!」

「アリサちゃんは私たちが止めるから!」

 

 アリサの攻撃からすずかを守ったのは健斗となのはだった。

 いつの間にか周りは紫がかり、周囲から人の気配が一切なくなっている。そして健斗となのはも制服とは違う服を着ていた。

 それを目にしてすずかは頭に疑問符を浮かべる。これは夢なのか? はたまた狐にでも化かされているのか?

 すずかがそんなことを考えている間に、アリサは態勢を整え、

 

「なのは……」

 

 なのはを見つけるとアリサは彼女に向きを変えて剣を構える。

 それを見てすずかも気を改めた。今はアリサちゃんを止めないと!

 

「健斗君!」

「ああ。ここは俺たちに任せて、お前は校舎まで逃げるんだ」

 

 そう言いながら健斗は剣を構える。その彼に向かって――

 

「ちょっとだけ血を飲ませて!」

「おう――えっ?」

 

 いきなりの事に健斗は思わずすずかの方を振り返る。

 すずかは返事も待たずに強い力で健斗の腕を掴み、素早く袖をまくりながら彼の腕に、自らの鋭い犬歯を突き立てた。



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第36話 最後のジュエルシード

 海鳴市内にある最後のジュエルシードの発動を知って、ブリッジに集められたアースラのスタッフたちが見たのは異様な光景だった。

 ブリッジのモニターには、炎をまとった剣を振るう金髪の少女と、人間離れした身体能力と長く伸びた爪で彼女と戦っている紫がかった髪の少女が大きく映し出されていた。

 

 ランディは困惑しながら状況を報告する。

 

「発動地点で二人の少女が交戦中。赤い服の少女からはジュエルシードの反応が確認されています。しかしあれは……」

「取り込んだ人間を魔導師に変えただと? こんなこと今までになかったぞ!」

「もしかしてあの子もなのはちゃんたちみたいに魔導師の才能を持ってて、ジュエルシードがその力を引き出しちゃったってことかな?」

 

 驚愕しているクロノに続き、エイミィは私見を述べる。それを裏付けるようにアレックスが追加の報告を上げた。

 

「赤い服の少女の魔力値は約300万。ジュエルシードの力を借りているとしてもかなり高い数値です!」

 

 その報告にクロノはさんびゃくと口に出しかけた。この前計測したなのはたちの魔力値の倍近くはある。しかも彼女はまだ武器を振るっているだけだ。魔法を使ったらどれだけ魔力値が増えることか。

 うろたえている部下たちの頭上で、リンディは席にもつかずに問いかけた。

 

「もう一人の少女は? あちらはジュエルシードによる影響ではないみたいだけど」

「わかりません! あの少女からは魔力反応が一切感知できません。おそらく持ち前の身体能力だけで戦っているのではないかと。あの世界の住人は自分の意思で爪を伸ばしたり、魔法なしで高く跳べたりできるのでしょうか?」

「馬鹿な事を言うな! なのはもはやても健斗にも、あんな体質や能力はなかったはずだ!」

 

 ランディの推測をクロノは怒声を張り上げて否定する。しかし、だとすればますますもってわからない。魔法も使わず、ジュエルシードに取り憑かれた少女と自前の能力だけで戦っている女の子は一体何者なのか。

 

「武装局員を送り込んで結界だけでも張ることはできないのか? あんなところを現地の人間に目撃されたら厄介なことになる!」

「人員の選出と準備に最短でも10分はかかります。現地にいる二人が到着する方が早いかと」

 

 ランディの報告にクロノは舌打ちを鳴らす。現場は見るからに危険な状況だ。物理的にも情報漏洩的にも。目撃者が出た場合、記憶操作系の魔法をかける必要が出てくるかもしれない。

 もどかしく思いながらクロノたちは健斗たちの到着を待った。

 

 それから一分ほどで彼らは到着した。爪の少女は危ないところだったが、健斗に助けられて大きな傷は負っていない。

 しかし、その直後にアースラスタッフたちが見たのはさらに信じがたい光景だった。

 

 

 

 

 

 

「……何やってんの、あの子?」

 

 眼下を見下ろしながらアルフは思わずつぶやいた。

 すでに来ていた健斗やなのはを見て疎ましいと思ったのもほんのわずか、健斗の隣にいた少女の行動を見て彼女は思い切り怪訝な表情を浮かべる。

 

 

 

 

 

 

「ちゅる……んっ、あむ……じゅる」

 

 すずかが突然俺の腕に嚙みついた途端、腕の中からなにかが抜けていくような感覚がする。まさか俺の血を飲んでいるのか?

 

(熱くてとろとろしてて甘い。輸血用の冷たい血とは全然違う……とっても美味しい)

 

 思い切り歯を突き立てられているにもかかわらず、痛みはまったくない。強いて言えばアリサを注意しながら、こっちをちらちら見てるなのはの視線の方が痛い。

 一方、すずかはわき目もふらずに何かを吸い続ける。そして……

 

「ふう、ちょっと飲みすぎちゃった……んっ」

 

 満足したのか、そう言いながらすずかは俺の腕から口を離すが、その直後に名残惜しそうに腕を一舐めした。

 そして、すずかは手の甲で口元を拭いながら前を見る。その姿は小学生とは思えないほど妖しい色気があった。

 すずかの視線の先には、俺たちなど気に留めずなのはをじっと見るアリサがいた。

 

「なのは……」

「アリサちゃん、ひとまず落ち着こう。まずすずかちゃんに謝って、それからみんなで話を――」

「うン……なのは、お話しシヨウ」

 

 なのはの訴えにアリサはいつもと違う抑揚で応えながら、炎をまとわせた剣を構えた。

 明らかにいつものアリサじゃない。おそらくなのはに謝りたいとか話がしたいという願いを、ジュエルシードが曲解して叶えた事によるものだろう。怪物化せず人型を保っているのもそのためかもしれない。

 そして、いつも通りじゃないのはアリサだけではなく……

 

「だから――お話しするのに剣なんていらないでしょう!」

 

 すずかが腕を振るうと、彼女の両手の指から身の丈ほどの長い爪が飛び出てくる。それを見て俺もなのはも思わず目を向けてしまった。まさか、この子も魔導師だったりするのか?

 

「はあっ!」

 

 俺たちが止めようとする暇もなく、すずかは目にもとまらぬ速さでアリサに肉薄し、二本の長爪でアリサに斬りかかる。

 アリサは炎の剣と籠手で長爪を防ぎ、剣を大きく振るって二本の爪を弾いた。

 たまらずすずかは後退するものの、さっきと違って爪にはヒビ一つ入る様子はない。まさか、俺の血を飲んだためか?いや、それより――

 

「すずか、あまり切り込みすぎるな! 勢い余ってアリサを傷つけたらシャレにならんぞ」

「うん。私か健斗君のデバイスでジュエルシードを封印すれば、アリサちゃんは元に戻るはず」

「邪魔を――しないデ!」

 

 そう言いながらアリサは躊躇なく剣を振り下ろす。

 

「シュヴァルツ・ヴァイス」

 

 魔力を込めた剣でアリサの剣を弾き、その衝撃でアリサはのけぞる。その隙に俺は後ろに跳んで――

 

「なのは!」

「うん。ディバインバスター!」

 

 すずかや俺が戦っている間にチャージを済ませていたなのはが、レイジングハートから桃色の砲撃を打ち出す。それはまっすぐアリサに向かって行ったが……

 

「タイラントレイヴ」

 

 アリサが地面に剣を突き刺すと、彼女の周囲から炎でできた壁がせり上がって砲撃を防ぐ。

 それを見て俺となのはは唖然とした。

 

 

 

 

 

 

「な、なんなの? あの子たち」

 

 アルフはそう呟かずにいられなかった。

 何なんだこの町は。何なんだこの世界は。ここは魔法が発達していない一介の管理外世界のはずじゃなかったのか。あんな化け物がいるなんて聞いていない。

 正直さっさと退散したい。何のために使うかわからないロストロギアなんかのためにあんな化け物たちとかかわっていられるか。

 ……と思うのだが、

 

(管理局に渡っていないジュエルシードはもうあれ一つしかない。ここであたしが逃げたらあいつらに取られるか、フェイトがあの女たちと戦うことに……こうなったらもう一か八か!)

 

 

 

 

 

 

 アリサの剣を防ぎながら俺は考えていた。

 なのはの放った砲撃はアリサの魔法で出現した炎の壁によって阻まれてしまった。なのはの大技を防ぐことのできる壁だ。並大抵の攻撃で壊すことはできないだろう。とはいえ、ジュエルシードによって増幅した魔力がすぐに切れるとは思えない。

 壁を出す前にアリサ本人かジュエルシードを叩くしかないんだが、

 

「はぁっ!」

 

 俺の一撃を剣で防ぎアリサは自ら後ろに跳ぶ。その瞬間に――

 

「ディバインバスター!」

 

 再びなのはが砲撃を撃つ。しかしアリサは素早く剣を床に突き刺し、

 

「タイラントレイヴ」

 

 再び地面から炎の壁がせり上がり砲撃をかき消す。

 隙が無い。剣戟がやんだ瞬間に、アリサは最小限の動きでなのはの攻撃を防ぐ壁を作り出してしまう。とてもジュエルシードに操られているだけとは思えない動きだ。

 

 どうする? なのはのデバイスにカートリッジシステムがあれば強引に壁を破壊することもできるんだが。もういっそ俺が壁を破壊するか。明日の戦いを考えたらできるだけカートリッジを消費したくないが、クロノたちの応援を待っている余裕もない。

 

 俺は剣を構える。それだけで俺の意図を察したのか、ティルフィングの中から弾倉(マガジン)が動き出す音がする。

 その瞬間――

 

「であああああっ!」

 

 雄たけびのような声とともに頭上から赤い狼がアリサに突進してくる――アルフ! あいつも来てたのか。

 アリサは声の方を見上げる。

 

「フレイムウィップ」

 

 アリサが剣を振るうと、剣の刀身が鞭のように伸びてアルフに襲い掛かる。アルフは前足で炎の鞭を蹴り飛ばし、落下によってさらに勢いをつけてアリサに迫る。

 だが、アルフの足が自身の胸元まで伸びたところで、アリサは空いている左手でアルフの足を掴み、彼女を地面に叩きつけた。

 

「ぐあっ!」

 

 アリサは刃の形を戻し、それでアルフを斬らんと剣を振り上げる。

 

「――っ」

 

 そこでアリサは顔を歪め一瞬動きを止めた。それを見抜いたのか。

 

「はあっ!」

 

 その声に反応してアリサが視線を移す。その直後に剣のように長い爪が振り下ろされた。そんなものを振るっているのはもちろん――

 

「アリサちゃん! 目を覚まして!」

「すず……か」

 

 つぶやきとともにアリサの目に光が灯る。その瞬間彼女の持つ剣の先端にⅢの数字が浮かんだ。これは――

 

「なのは!」

「うん! 私にも見えた!」

 

 そう答えながらなのははチャージを始める。今のうちにあれをアリサたちから引き離さないと。

 

「シュヴァルツ・ヴァイス!」

 

 魔力をまとわせた刀身を思い切り振るい上げ、アリサの手から剣を払い上げる。剣はなおも炎をまとわせながら宙に舞い上がった。

 なのははそれにレイジングハートを向けて、

 

「スターライト、ブレイカー!!」

 

 レイジングハートから打ち出された桃色の光は炎の剣を包み込みながら空へと打ち上げられる。

 炎の剣は粒子状になって霧散し、そこから青い光が漏れた。あれが……。

 なのははジュエルシードに向かってレイジングハートを構える。

 

「させるか!」

 

 その瞬間を待っていたように、アルフが起き上がって人型になりながら上空へ飛び上がろうとした。

 だが、なのはは即座にレイジングハートをアルフに向ける。

 すると、アルフのまわりに桃色の輪が現れ、彼女の体を縛りあげた。

 

「ごめんなさいアルフさん。でも私、フェイトちゃんとちゃんとお話しして、フェイトちゃんの悩みを解決してあげたいから。だから話していただけませんか。フェイトちゃんとフェイトちゃんのお母さんとの間に何があったのか。どうしてジュエルシードと闇の書を手に入れようとしているのか」

 

 アルフに鋭い視線で睨まれながらも、なのはは毅然とそう言ってのける。そんななのはにアルフはたじろいだ顔を見せた

 そこに――

 

「アリサお嬢様!」

 

 結界が解けた瞬間、口ひげを生やし眼鏡をかけた老紳士が駆け込んできた。バニングス家に仕える執事、鮫島さんだ。

 彼は俺たちのそばまでやって来て、アリサを始めとする女の子たちを見る。

 ジュエルシードから解放されて気を失っているアリサ、なぜかスカートが大きく破れ生足をさらしているすずか、輪で縛られているアルフ。そんな彼女たちを見回してから、

 

「……健斗様、どういうことか説明していただけますかな?」

 

 鮫島さんは低い声で俺にそう尋ねてくる。その声と眼光に殺意が込められているように感じたのは気のせいではないだろう。

 執事からあふれる威圧感に身を震わせる俺を見て、アルフは「ざまあ」と笑った。

 

 どう説明すればいいんだこれ?



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第37話 尋問

 あの後、鮫島さんが運転するリムジンの中で、俺となのははすずかと互いの事情を打ち明けあった。このリムジンはアリサの送迎の他に、デビッドさんと取引相手との商談や歓談に使われているため、運転席と後部座席の間に防音ガラスを張ることができる。そのため鮫島さんに俺たちの話を聞かれる心配はない。

 

 

 

 すずかを含めた月村家は、《夜の一族》と呼ばれる種族に属する一族らしい。

 《夜の一族》の多くは、一般的な人間にはない様々な能力や高い身体能力、200年以上の長い寿命を持っており、月村家を始めとするいくつかの家は、その能力を生かして莫大な財力と大きな権力を築き上げたとのこと。

 その反面、《夜の一族》の人たちが生きていくには人間の血を飲み続ける必要があり、血を飲まないと、すぐに死にはしないものの、体が弱くなったり成長に遅れが出たりするのだそうだ。そういえば、さくらさんも昔は体が弱くて同年代の中ではかなり小さかったと言ってたな。

 《夜の一族》について知った俺たちは、その記憶を消すか秘密を守りながら生きていくかのどちらかを求められ、《夜の一族》の秘密を守ることを選んだ。

 

 それと引き換えに俺たちはすずかとアリサに、魔法やジュエルシード、そしてバインドで縛られたまま俺たちの横に座っているアルフの正体について話した。

 そのアルフはバインドで縛られたまま、憮然とした顔で俺たちの隣に座っている。

 一通りのことを話し終えたところでリムジンは町外れの公園につき、俺となのははそこで下りてアリサたちと別れた。そして捕まえたままのアルフを連れてアースラへと移った。

 

 

 

 

 

 

 アースラ内の一室にクロノとエイミィさんが待っていて、対面上に俺たちを座らせてから、アルフに向かってクロノは口を開く。

 

「時空管理局、クロノ・ハラオウンだ。君たちがプレシア・テスタロッサの命令で動いていることはもう掴んでいる。君たちが半ば無理やり加担させられていることも。正直に話してくれれば悪いようにはしない。君の事も、君の主フェイト・テスタロッサの事も、リニスというプレシアの使い魔についてもだ」

 

 なのはがかけたものより強力なバインドを両手に掛けられた状態で、アルフは不満そうに答えた。

 

「ふん、確かにあんたの言う通りだ。フェイトとリニスにジュエルシードと闇の書を集めさせていたのはプレシア――フェイトの母親だよ。フェイトもリニスも親子や主従関係を理由に、嫌々あの女に従わされたんだ。あたしは使い魔としてフェイトについていただけだけどね。でも、それ以外の事は本当に何も知らないよ。あの女がなぜジュエルシードや闇の書なんかを手に入れようとしたかなんてさっぱりだ」

「じゃあ先日、お前たちを助けた仮面の男については知らないか? フェイトのデバイスにカートリッジシステムを組み込んだのもそいつだろう? 昨日の竜巻騒動の後に起こったクラッキングもプレシアやお前たちを助けるものだった。これらの事から仮面の男とプレシアが手を組んだと、俺たちは睨んでいるんだが」

 

 俺からの問いにアルフはあっさりと首を縦に振った。

 

「ああ。あんたら管理局が現れた翌日にあの男がアジトにやって来てね、自分を仲間にしてほしいってプレシアに頼んできたんだ。その見返りになんとかシステムって仕掛けをフェイトとリニスのデバイスに仕込んだんだよ。でも、それ以上の事は知らないね。クラッキングっていうのも今初めて聞いた。何のことだかさっぱりわからない」

 

 思った通り、あれは仮面の男が組み込んだものか。それにリニスのデバイスにもカートリッジシステムが組み込まれているのか。やはり一筋縄ではいかないようだな。

 クロノは軽くうなずいてから、

 

「わかった、そいつの事はもういい。それよりプレシアはどこにいる? さっき言った通り、知っていることをすべて話してくれれば、フェイトについてもリニスについても悪いようにはしない。さすがに首謀者であるプレシアは無罪放免というわけにはいかないが。それとも口では憎らしく言ってても君もプレシアをかばいたいのか?」

「はっ、馬鹿馬鹿しい! あの鬼ババをかばいたいなんて思うわけないだろう。フェイトを――実の娘を無視したりひっぱたいたりするようなババアなんかさ!」

 

 アルフは心底不愉快そうに吐き捨てる。

 それを聞いて、

 

「フェイトちゃん……お母さんにそんなことをされていたなんて」

 

 なのははそう呟いて悲しげに顔を曇らせる。そんななのはを見てアルフはきまりが悪そうな表情を浮かべ、こいつならもしかしたらと考え込むように目を伏せる。

 だが彼女は首を振りながら、

 

「いや駄目だ! 鬼ババはともかくフェイトとリニスのことは裏切れない。フェイトはまだ母親についていく気でいるし、リニスはフェイトとあたしの面倒を見てくれた恩人なんだ。ここであたしがしゃべったらあの二人を裏切ることになっちまう」

 

 そういうことだったのか。娘を放置していた母親に代わって、リニスがフェイトとアルフの世話をしていたのか。正当防衛とはいえリニスに傷をつけた俺をアルフが憎んでいたわけだ。

 

 下を向いて首を振り続けるアルフを見て、クロノはため息をつきながらエイミィと顔を見合わせる。

 ここでプレシアの居場所を言わなかったら、彼女が捕まるまでアルフは毎日取り調べを受けるに違いない。そんな仕打ちを受けさせるために俺たちはアルフを助けたわけじゃない。

 それにプレシアと仮面の男、そして“もう一人の黒幕”を捕まえない限り、夜天の魔導書の解呪に挑めないままだ。はやての足の事も考えるともう余計な時間はかけたくない。

 だからか、無意識のうちに俺は口を開いていた。

 

「仮にあいつらが管理局を凌いで、闇の書とそれを完成させるだけのジュエルシードを手に入れたとしても、待っているのは破滅だけだぞ」

「えっ……?」

 

 アルフは顔を上げて怪訝な顔を見せる。なのはとエイミィさんも同じような顔を俺に向けて、クロノは何か言いたげにしながら黙って耳を傾けた。

 

 俺はアルフに聞かせるように話を続けた。闇の書を完成させた主の末路と、そのまわりで起きることを。

 それを聞いてなのはとエイミィさんは真っ青な顔になり、アルフは……

 

「嘘だろ……闇の書って持ち主に大きな力を与えるとか、その力であらゆることを可能にするものとしか聞いてないよ。……じゃあ闇の書を完成させたら、あの鬼ババはフェイトとリニスを巻き込んで……」

 

 愕然と呟くアルフに俺はうなずいてみせる。

 

「正確にはそこに闇の書の主も加わる。完成した闇の書を使えるのは書の主だけだからな」

「闇の書の主って――はやてちゃんが!?」

 

 なのはの問いに俺はまたうなずく。

 

「ああ。そして俺の考えでは、仮面の男はそれを知っていた上でプレシアに手を貸したんだと思う。闇の書を狙っている上に、書の完成に役立つロストロギアを集めているプレシアは利用するのにうってつけだからな。彼女の拠点で闇の書を暴走させれば犠牲を最小限にできるとも考えているんだろう」

「最小限ってフェイトたちが……あいつ、そんなことのためにあのババアに近づいて――」

 

 アルフは呆然と呟きを漏らし続ける。それに続いて、

 

「健斗君、もしかして君は仮面の男の正体に心当たりがあるの? その人の目的に気付いているみたいな言い方だけど」

 

 エイミィさんに問いかけられて、俺は「それは……」と口ごもりながらクロノを見る。クロノは首をわずかに横に振る。それを察して、

 

「あくまで俺がそう考えているだけだ。だが、闇の書を完成させれば、主やその周囲にいる者は暴走に巻き込まれてまず助からない。それは確かな事実だ。そうだなクロノ」

「ああ。何なら今までに起きた闇の書事件の記録を見せてもいい。少なくともこれまでの間に、闇の書を完成させた後も生きている主はいない」

「そんな――」

 

 クロノの言葉で確信が付いたのだろう、アルフはそう呟くのがやっとだった。俺は畳みかけるように言う。

 

「プレシアも闇の書の伝説や仮面の男の甘言に乗せられるだけの人じゃないだろう。ジュエルシードを使ってまだ何か企んでいるかもしれない。だがさっきも見た通り、ジュエルシードは制御が難しすぎて願望器としてはほとんど役に立たない。それをどう使おうとプレシアの望みをかなえる結果になるとは思えない。すべての望みを失ったプレシアはリニスとフェイトを置いて、あるいは巻き込んで……」

 

 そこまで聞いてアルフはかっと目を見開く。ようやく悟ったのだ。彼女たちを救う方法が一つしかないことに。

 アルフは気が抜けたようにうなだれ、ぽつりと言った。

 

「……話すよ。プレシアとリニスがいる、《時の庭園》がある場所を」

 

 そして俺となのはをじっと見て、

 

「だけど約束して。絶対にフェイトとリニスを助けるって。あの子たちはただプレシアのためだと思って頑張っていただけなんだよ」

 

 アルフの頼みに俺となのはは強くうなずいた。

 

「もちろんだよ。私だってフェイトちゃんを助けたい。それにプレシアさんにもフェイトちゃんと仲直りしてほしい。そして、それが終わったら友達になってほしいってお願いの返事を聞かせてもらう。だから何が何でもフェイトちゃんたちを助けるよ」

 

 そう誓いを立てるなのはをアルフはじっと見る。その目にうっすら涙がにじんでいるのが見えた。

 なのはに続いて俺も親指を立てながら宣言する。

 

「俺もリニスにはさんざんやられたからな。このままやられっぱなしじゃ気が済まない。そろそろあいつに借りを返してやりたいと思っていたところだ。それにプレシアに逃げられたり死なれたりしたら俺にとっても困るからな。意地でもとっ捕まえてやる」

 

 それを聞いてアルフはぷっと笑いを漏らし、最後の一言を聞いてなのはとエイミィさんは首を傾げ、その一方でクロノは硬い表情を浮かべる。

 

 フェイトもリニスもプレシアも助け出さないといけない。特に“夜天の魔導書の解呪”にプレシアの協力は絶対に必要だからな。



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第37.8話 閑話1 姉弟

 これは明日までの繋ぎにもならない話だ。

 何年も居場所を奪い合っていたと思いこんでいた姉弟がお互いの勘違いを正し合うという、ただそれだけのホームドラマ。

 

 

 

 

 

 夕食を終えてからしばらくして、俺は二階にある美由希姉さんの部屋へと向かった。

 

「姉さん、いる? ちょっと話したいことがあるんだけど」

 

 ドアを叩きながらそう呼び掛けると、部屋の中からごそごそと音がして、

 

「健斗君? ちょっと待って。今開け――!」

 

 大きな物音がして向こうから悶絶しているような声が漏れる。まさかと思いながら俺はドアを開けた。

 案の定、部屋の中では姉さんが足を抑えながら苦悶の声を上げていた。

 

「大丈夫、姉さん?」

「だ、大丈夫。よくある事だから」

 

 また机の角に足をぶつけたみたいだな。確かによくある事だ。

 姉さんは、士郎さんや恭也さんから剣術の指導を受けているだけあって運動神経は抜群だが、普段はぼんやりしていて物にぶつかったりすることが多い。いわゆるドジっ子だ。

 姉さんのパジャマ姿やシャンプーの匂いなどから、

 

「お風呂入ってたの?」

「うん。なのはと一緒にね。健斗君も一緒に入りたかった?」

 

 からかうように笑みを浮かべながら尋ねる姉さんに、俺は首を横に振った。

 

「まさか。もうそんな年じゃないよ。それに、そんなことしたら士郎さんや恭也さんに朝までしごかれる羽目になる」

 

 そう言うと姉さんは「それもそうか」と言いながら笑う。

 さすがにしごかれはしないと思うが不機嫌にはなるだろうな。初めてこの家に泊まった時に桃子さんやなのはと一緒に入った後は、実際そうなったし。

 あれ以後、この家では一人だけで風呂に入るようになった。もっともそれからさらに後で、前世の記憶を取り戻して精神年齢が上がってからは女性や女の子と入浴すること自体まったくなくなったが。

 

 ひとしきり笑ってから姉さんは表情を引き締めて、

 

「明日からまたなのはと一緒に出かけるんでしょ。準備とか大丈夫?」

「準備くらいとっくにできてる。ただ、出かける前に一度姉さんと話しておきたいと思って」

 

 その言った途端、姉さんは眉を寄せる。

 

「話? 別にいいけど私でいいの? なのはじゃなくて」

 

 俺は首を縦に振った。なのはも明日の戦いに備えて集中したいだろうし、そういうことはどちらかといえばユーノの方が役に立つだろう。

 俺は俺で、万が一に備えてできるだけ未練はなくしておきたいところだ。

 

「ああ。これを機会に姉さんと話さなければいけないと思ったんだ。姉さん……美由希さんが美沙斗さんのもとに帰れないのは、やっぱり俺のせいじゃないかと思ってさ」

「あっ……」

 

 俺が訪ねてきた理由に気付いて美由希さんは息を飲んだ。

 

 

 

 

 

 なのはと出会ってから一年くらい経った頃、俺たちが小学校に上がる直前に、意識不明だった士郎さんの意識が回復した。

 それによって美由希さんも家や店の手伝いに入れるようになり、桃子さんも家庭の事に目を向けられる余裕ができた。

 そして高町家の人たちは、やむを得ずとはいえずっと一人ぼっちにさせていたなのはに謝り、彼女の友達になった俺やはやてを家に招いて何度もお礼を言った。

 だが、俺が名乗っていた名字が御神だと知った途端、恭也さんは俺の家族についていくつか聞いて、彼らのお父さん――士郎さんに会って欲しいと頼んできた。

 後日、病室で俺は士郎さんと会って、迷いながらも自分の素性と美沙斗さんの事を話した。

 それから数週間後、士郎さんは退院してすぐに美沙斗さんに会いに行ったそうだ。そして幾ばくかのやり取りを経て美沙斗さんは高町家の人たちと対面する。実の娘、美由希さんを含めて。

 

 それからすぐ、美沙斗さんは俺に士郎さんたちの養子になるように勧めてきた。

 当時、美沙斗さんは仕事に戻る機会をうかがっていて、俺の引き取り先を探している最中だったらしい。そこへ士郎さんたちが俺を引き取ってもいいと言ってきたそうだ。

 士郎さんが復帰した高町家は引き取り先としては申し分なく、御神流の師範で《神速》を会得している士郎さんなら俺の稽古相手に適任だと思ったのだろう。

 そして美沙斗さんは俺を高町家へと連れて行き、士郎さんと桃子さんに頭を下げてその場を立ち去ろうとした。それを見た瞬間、俺は無意識のうちに美沙斗さんのズボンの裾を引っ張って彼女を引き留めていた。

 その後、美沙斗さんから高町家に残るように強く説得されたものの、士郎さんたちのとりなしもあって俺は美沙斗さんとともに家に帰ることになった。

 仲が良かったなのはと、弟を欲しがっていた恭也さんは残念そうに俺たちを見送り、美由希さんは複雑そうに笑いながら眺めていた。

 

 その後、結果的に俺は正式に美沙斗さんの養子になり、美沙斗さんも前の仕事と完全に縁を切って警察官になった。

 ただあれ以来、特に前世の記憶とともに成熟した精神を取り戻してからずっと考えていた。

 

 

 

 

 

「俺がこの家に移らずに美沙斗さんのもとにいるから、美由希さんはお母さんのところに帰れないんじゃないかって。ずっと謝りたかった。ごめんなさい美由希さん。でも、それでも、俺は今まで通り美沙斗さんのところで――」

「なんだ。そうだったのか」

 

 美由希さんの口から漏れた言葉に俺は続きを飲み込んで、

 

「……美由希さん?」

 

 そう言いながら顔を上げると、美由希さんは優しい笑顔を浮かべて俺の頭に手を伸ばした。

 

「実はね、私も君と似たようなことを思ってたんだ。健斗君がこの家に来ないのは、私に遠慮しているからじゃないかって」

「えっ……?」

 

 言っていることの意味が分からず疑問の声を漏らす俺の頭を撫でながら、美由希さんは話を続ける。

 

「健斗君も聞いていると思うけど、昔母さんはある理由で士郎さん(とーさん)に私を預けてね。その際母さんがついたひどい嘘とかが原因であの人を憎んでいたことがあったんだ」

「ひどい嘘?」

「剣の家に女の子はいらないって。いくら何でもひどい嘘だと思わない? そんな訳で誤解が解けても母さんの事を許せないままで、あの人のところへ戻れって言われても難しかったと思う。だから健斗君が母さんと一緒に帰るのを見た時ほっとしたの。母さんのところに健斗君がいるなら、私はまだこの家にいられるなって。

 だから、私の方こそずっと君に言いたかった――ありがとう健斗君。私の代わりに母さんの子供でいてくれて」

 

 そこまで言うと感極まったように美由希さんは俺を抱きしめた。耳元でしゃくりあげるような声が聞こえてくる。

 そうか。俺も美由希さんも同じような勘違いをしていたのか。その勘違いが今になって解消されたというわけだ。俺もこの人の事をドジっ子だと笑えないな。

 

 

 

 それからしばらくして美由希さんは俺を解放して目元をこすりながら口を開いた。

 

「ところで一度聞きたかったんだけど、どうしてあの時母さんを選んだの? あの人一見怖そうに見えるし修行も厳しいだろうから、十中八九ここを選ぶと思っていたんだけど」

 

 その問いに俺は目をそらして恥ずかしさを誤魔化しながら――

 

「あ、ああ見えて美沙斗さんにも色々いいところはあるんだよ。はやてだって懐いているし。剣の修行だって俺が望んでやっていることだ」

 

 はやてはともかく、俺が美沙斗さんに気を許した一番の理由はシグナムやシャマルに似ているからだと思う。全体的な雰囲気や剣に長けている所はシグナムに、料理が下手な所はシャマルに。心のどこかであの二人と美沙斗さんを重ね合わせていたんだろう。

 美由希さんは納得したようにうなずいて、

 

「そっか。じゃあ、あの人の事は今まで通り母さんって呼んであげてくれないかな。私の事も姉さんで。なんならお姉ちゃんでもいいよ」

「最後のは遠慮する。恥ずかしいし。ちゃん付けなんてシャマルはよくできるもんだ」

「シャマルさんって、はやてちゃんと一緒に住んでる人たちの?」

 

 姉さんからの問いに俺は首を縦に降った。

 姉さんは少し考えるような素振りを見せて再び口を開く。

 

「そういえばあの人たちが住むようになって、はやてちゃんの家もにぎやかになったらしいね。それでさ、今年の健斗君たちの誕生日は別々にお祝いしないかって母さんから提案されてるんだけど、健斗君はどうかな?」

「別々に?」

 

 聞きながら俺は首をひねる。

 俺とはやての誕生日はまったく同じ日で、はやてが一人暮らしだったこともあって、俺とはやてと母さんの三人で祝うのがほとんどだった。

 だが、今年からは守護騎士たちがはやての家に住むようになった。あいつらだけでもかなりにぎやかになるだろう。

 

「俺は別にいいけど、何で姉さんがそのことを?」

「う、うん。最近は私と母さんの仲も良くなってきてね、一度食事でもしないかって話になってるの。私と母さん、それに健斗君の三人で。一週間後は健斗君の誕生日だし、ちょうどいいと思うんだけど」

「そうだったのか。ありがとう、ぜひそうしてほしいって母さんに伝えてくれ」

「一緒に住んでるんだから健斗君が伝えた方が早いと思うけど」

 

 そう言いながら姉さんは苦笑していたが、すぐに真面目な顔になって。

 

「そういうことだから絶対無事に帰ってきてね。健斗君もなのはも。家族が死んだり大怪我を負うのはもう嫌だから」

「ああ、必ず戻ってくる。俺もなのはもはやてたちも、それからフェイト()()も誰一人欠けることなく!」

 

 初めて聞く名前に、姉さんは眉を寄せながらも強いうなずきを返した。そしてお風呂の話をしていたような笑みを浮かべて――

 

「あっ、家族での食事だけどもう一人呼んでもいいよ。健斗君が寝言で言ってた“リヒトさん”って子、私も気になるし」

 

 その言葉に俺は思わずうっとうなる。

 母さんと姉さんの仲が良くなっているのは事実みたいだな。



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閑話2 プレシア

 【Keep out(立入禁止)】のフラッグが掛けられたロープをまたいで寮の一室に入って来たプレシアが見たのは、全身を覆う防護服を着た何人かの救急スタッフと、寝そべっているように床に横たわっている飼い猫、そして愛娘の姿だった。

 スタッフの制止も振り切り、プレシアは部屋に駆け込んで娘を抱き起こし何度も呼び掛ける。しかし、娘は長い金髪を床に垂れ落したまま、二度と目を覚ますことはなかった。

 呆然としている間にスタッフたちはプレシアから娘を取り上げてどこかへと連れ去り、室内にはプレシアだけが取り残された。彼女の様子からこれ以上の危険はないと判断したのだろう。

 プレシアは呆然としたまま娘も飼い猫もいない部屋を見回す。そして床に落ちていたそれを見た。

 それは画用紙だった。そこには飼い猫を抱えた娘と娘の手を繋いでいる母親(プレシア)の姿が書かれていた。それを見た瞬間、プレシアの口から、喉から、声にもならない声が上がる。

 

 それが彼女にとっての新たな始まりだった。幸せだった日々を取り戻すための、『不可能』に抗い続ける日々の……。

 

 

 

 

 

 

「はあっ、はあっ」

 

 荒い息をつきながらプレシアは身を起こす。机には点けっぱなしの魔力モニターと大量の本と資料。床にもそれらの一部が散乱していた。どうやら机に突っ伏した際に落ちてしまったらしい。

 プレシアはそれらをすぐに拾おうとはしなかった。ここにあるものは一通り目を通した。しかし、そのどれにも自分が求めているものは載っておらず、そんな紙屑を背中を丸めて拾う気になどなれなかった。

 

 ――あのリニス()()()に片付けさせておくか。

 

 そう思ったところで喉の奥から異物感がこみ上げ、口元を手で覆い何度か咳をこぼした。

 手に生暖かいものがこびりつくものの構わず机の上を見回す。だが机の上には空のコップが何杯か置かれているだけだった。薬どころか水の一滴もこの部屋にない。

 ちっと舌打ちをこぼしながらプレシアは椅子から立ち上がり、部屋を出る。保管室にある薬と水を取ってくるためだ。いつもなら使い魔に持ってこさせるのだが、研究の行き詰まりと吐血による不快感を紛らわすため外の空気が吸いたい気分だった。

 

 しばらく歩いて保管室に辿り着き、薬と水をあおるように飲みながらプレシアは考える。

 自分は一体どこで道を間違えたのだろうか。

 

 

 

 

 

 プレシア・テスタロッサ 40歳。

 第1世界ミッドチルダの北西にあるアンクレス地方で生まれ育ち、学業において優秀な成績を収め続け、10を越える頃に首都に移り住み、年上の学生たちに混じって魔導工学を学び、最年少で修士号を取得して、『アレクトロ社』というエネルギー企業に研究者として就職した。

 その時、プレシアとともに同じ会社に就職した人物がティミル。学院で共に学んだ同期であり友人だった。彼女も数年ほど飛び級しており、他の学生よりもプレシアと年が近く優れた才覚を持っていた。特に《傀儡(ゴーレム)》に関してはプレシアさえ及ばないほどの知識と技術を持っている。

 

 ティミルとともに会社で働き続けて成果を上げて、ほどなくプレシアは主任となりティミルはその補佐となった。それでも二人は年齢や役職とは関係なくくだけた付き合いを続けて、お互いに無二の友人だと思っていた。

 入社から数年後、ティミルは同じ職場の男性と結婚し、彼女に遅れる形でプレシアも21歳で結婚。さらに1年後、ティミルは男の子を、プレシアは女の子を出産した。

 まさか将来はこの子たちが結婚することになるのではとプレシアは思い、ティミルからは「そうなったら面白いわね」とからかわれた。今思えばそんなことを考えている時が一番幸せだったかもしれない。

 

 その後、娘が2歳になる頃に生活のすれ違いによる喧嘩がもとで夫と離婚。夫を恨みティミルに散々愚痴をこぼしたが、幸いにも給料面の不安はなく、上司やティミルを始めとする同僚たちの助けもあって、娘を育てながら仕事を続けることができた。

 

 3年後、プレシアは5歳になった娘と娘が拾って来た山猫と生活しながら魔導研究の仕事を続けていた。

 そんな彼女にある仕事が舞い込んできた。

 周囲の酸素を魔力に変換する新型魔力駆動炉《ヒュウドラ》。その開発のプロジェクトリーダーにプレシアが抜擢されたのだ。

 依頼元は業界屈指の企業グループ『ヴァンデイン・コーポレーション』に連なる工業会社で、アレクトロ社にとって創設以来の大きな仕事だった。それを30足らずの女性研究者に任せるなどよほどの事ではない。しかもこの仕事を成功させた暁にはプレシアとティミルに管理部への栄転が約束されるという。それを知って二人とも喜んだ。

 しかし、このプロジェクトがプレシアとティミルの運命を大きく変えることになる。

 

 駆動炉の開発は他社が製作していたものの引継ぎで、完成までに指定された納期もかなり厳しい。それでもプロジェクトを成功させようとプレシアたちは開発に力を注いだ。

 しかしそれをあざ笑うように、本社からは再三にわたって不要なシステムや機能の追加案が届けられ、ついに嫌気がさした何人ものスタッフが異動願いを出してプレシアたちのもとを離れた。

 そして、彼らと入れ替わる形で本社から新たなスタッフが送り込まれた。そのスタッフたちの中に『主任補佐』として送られた男がいた。

 主任補佐はチェックやテストのほとんどを省略した“効率化”を提案し、それは責任者であるはずのプレシアを通り越し上層部によって採用された。

 プレシアを始めとする元のスタッフたちはこれに強く反対したが、何人ものスタッフがいわれのない理由によって解雇、左遷され、それをまざまざと見せられた他のスタッフたちは一斉に口をつぐんでしまった。

 そして異動したスタッフに代わって補佐の子飼いたちがその後に就き、プレシアたちは開発から遠ざけられた。

 名ばかりの責任者となりながらも、プレシアは数少ない仲間とともに安全チェックを続けていた。

 それからしばらく経って、プレシアの訴えと取り組みに上層部もついに心を動かされたのか、プレシアに対し主任職の他に『安全基準責任者』という肩書とそれに伴う報酬の増額を提示した。しかし、それを受けるのに強く反対したのがティミルだった。今すぐに会社を辞めるべきだ、そうしないと一生悔やむことになると。

 苦楽を共にした親友の裏切りにプレシアは激怒し、それ以上の会話を拒否した。そしてほどなくティミルは会社を辞めて二度とプレシアの前に現れることはなかった。彼女が言い残した言葉の意味にプレシアが気付くのはずいぶん後になってからだ。

 

 そして10日後にあの事故が起き、安全基準()()()だったプレシアは事故の責任を被る形でアレクトロ社を退職し、首都から姿を消す。

 片やティミルはスポンサーからの援助でゴーレムの研究を続け、数年後、多くの次元世界にその名を轟かせる。

 こうして、将来を嘱望された二人の魔導師は真逆の道をたどることになってしまった。

 

 

 

 

 

 後悔してもしきれない過去と元親友への妬みを噛みしめながらプレシアは研究室へと戻る。

 その途中で彼女たちの声が耳に届いて来た。

 

 

 

 

 

 

「『聖王さまの魔法によって愚王ケントはこらしめられ、闇の書もベルカからしょうめつしました。めでたしめでたし』……これでおしまいです。さあ、そろそろお休みの時間ですよ。二人とももう横になって」

「えー、まだ眠くなーい!」

「駄目だよアルフ、リニスには母さんのお手伝いもあるんだから。そろそろ解放してあげないと」

 

 大きな図体とは裏腹に子供のように不平をこぼすアルフと、それを注意するフェイト。しかしフェイトもまだ眠くはなさそうだ。絵本のチョイスを間違えただろうかとリニスは考える。

 そんなリニスに向かってアルフは尋ねた。

 

「ところでさ、聖王さまに倒された愚王ケントって一体何やったの? 今読んでた本には書かれてないみたいだけど」

「ベルカという世界を支配するために他の国を攻撃したり滅ぼしたりしたんです。聖王さまはそれをやめさせようとしたんですが、愚王はそれに聞く耳を持たずに侵略を続け、聖王さまは仕方なく愚王を倒すことにしたんです」

 

 突然の問いに困った様子も見せず、リニスは教科書通りの答えを返す。しかし、そこでフェイトは首をかしげながら新たに問いを発した。

 

「他の国を攻撃したから愚王は倒されたの? でも、それなら聖王さまも同じことをしているよね。なんで聖王さまはみんなから尊敬されて愚王は悪く言われているの?」

「えっと、それは……」

 

 リニスはフェイトの問いに舌を巻きながら、どう説明するか思案する。

 

 実のところ歴史の教本のようなものに書かれているようなことで、聖王と愚王がやったことに大差はない。どちらも敵対する国に攻め込んで支配下に置いたことに変わりはないのだから。

 そして古代ベルカでは他の国々も同じことをしていた。そうしなければ自国を守れなかったからだ。《シュトゥラの覇王》、《ガレアの冥王》、《雷帝ダールグリュン》も例外ではない。

 

 しかし愚王ケントは他の王たちとは違い、自国や占領地で様々な悪行を犯していた。

 グランダム復興債と称して他国の王侯貴族から金を巻き上げたり、《禁忌兵器(フェアレーター)》と呼ばれる兵器を何のためらいなく使用したり、中立を保っていた都市を闇の書の力で脅迫して併合したりなど。

 それらに加えて、無類の好色ぶりが彼を愚王と呼ぶにたらしめている。常に複数の美女を侍らせて各地を回り、打ち負かした冥王イクスヴェリアに結婚を迫り、占領した都市から美女をさらって王宮に軟禁したりと、その手の話が異様に多い。

 間違ってもそんな話をフェイトたちには教えるわけにはいかないなと思いながらリニスは思案する。

 愚王ケントが行った擁護しようもない悪行と言えば……。

 

 そこでリニスは愚王が犯した最大の悪事を思い出してポンと手を打った。

 そして咳払いをして再び話を始める。

 

「愚王ケントが《闇の書》という魔導書を持っていたのはさっき話しましたね。愚王は闇の書を完成させるために他の国を攻撃して、その国の兵隊たちから魔力を奪っていきました。そして最後は、自分が治めている国の都に住んでいる人々を犠牲にして闇の書を完成させようとしたんです」

「ええっ!?」

「自分の国の人たちを?」

 

 ほぼ同時に声を上げるアルフとフェイトに、リニスはこくりとうなずく。

 そして二人は納得したように……

 

「確かにそれは悪い事だね。愚王って奴が悪く言われてるわけがわかったよ」

「うん。でも、そこまでして完成させようとした闇の書ってどんな魔導書だったんだろう?」

 

 腕を組んで考えるフェイトにリニスは答えた。

 

「詳しくはわかりませんが、完成させればどんな願いでも叶う本と言われていますね。愚王ケントはそれを使ってベルカを支配しようとしていたそうです。愚かにも自分の国の民と引き換えにしようとして。――さあ、お話はここまでです。そろそろ寝ましょう。明日はとっておきのイベントがあるんですから。寝坊したら後悔しますよ」

 

 わずかに寂しそうな顔をしながらリニスはフェイトに毛布を掛ける。フェイトもアルフもそれ以上は言わずに毛布に身を包んだ。

 

 

 

 

 

 

「闇の書……」

 

 眠りにつくフェイトたちや灯りを消しているリニスを横目に、プレシアはそうつぶやきながらその場を後にする。

 

 プレシアも愚王ケントや闇の書ぐらいは知っている。授業で愚王の話を聞いた時はなんて愚かな王様だろうと軽蔑したものだ。闇の書についても、愚王の所持品に変な尾ひれがついただけのものと思っていた。

 しかし《アルハザード》よりはまだ現実味があるのでは。何より実在している可能性が0でない以上、調べてみる価値はあるかもしれない。

 

 

 

 それからプレシアは研究室に戻り、次元ネットで闇の書に関する情報を読みあさった。

 信憑性がまるでない情報に辟易し、何度やめようかと思いながらもプレシアはネットを漁り続け、そしてようやく信用できそうなサイトを見つけた。

 

 そのサイトによれば、《闇の書》は数百年前から多くの主を渡りながら存在してきた魔導書で、愚王ケントは数多いた持ち主の一人に過ぎないという。

 闇の書は最初は白紙の状態で、魔導師の《リンカーコア》、もしくはその中にある魔力を吸収して頁を増やして膨大な数の魔法を記録していき、666もの頁を埋めて闇の書は完成する。

 完成した闇の書は、記録しているかどうか関係なく、その膨大な魔力で魔法式を作り上げ、あらゆることを可能にするという。

 ただし、闇の書を使える者は書に選ばれた主のみで、どんなに魔力があっても、死者の蘇生や時間に干渉することはできない。

 

 最後の文を読んで、プレシアは思わずブラウザを閉じかけた。

 死者の蘇生と時間への干渉。プレシアの目的はその二つのどちらかを介さない限り達成しえない。

 死者を蘇生させることが直接叶えば言うことはない。直接蘇らせることが叶わなくても、過去を改変することさえできれば“あの子”を救う方法などいくらでも思いつく。

 しかし闇の書の力を扱えるのは主のみで、その力をもってしてもプレシアの望みは叶えられないという。その上、闇の書を完成させるためには多数の魔導師から魔力を集める必要がある。余命が間近に迫っている今、とてもそんなことをしている余裕はない。

 

(私には無用の物かしら? でもこれに書かれていることが確かなら、闇の書は私が知るどのロストロギアよりも強い力を持っている。ジュエルシードやレリックよりも……)

 

 あっさり見切るのは惜しい。何か有効的に使える方法があるのではないか。例えば他のロストロギアと組み合わせて使うとか……。

 

(魔力さえ吸収させればページは増えるのよね。リンカーコアからでなくても、魔力を持つ結晶体などから移すことができるんじゃないかしら。ジュエルシードみたいものから……)

 

 ジュエルシードのようなロストロギアを使えば短時間で頁を増やせるかもしれない。しかし主しか使えず、死者や時間に干渉することのできない魔導書など本当に役に立つのだろうか?

 

(もし主にしか使えないものだったとしても、主を味方に付ければいいだけの話。娘一人を甦らせてもらう事を条件に、闇の書を完成させる手伝いをするというのよ。向こうにとっても悪くない話のはず。残る問題は、闇の書の力では直接死者を甦らせたり時間に干渉したりはできないことだけど……いや、逆に言えば()()()()()()()()()()()()()()ということじゃないかしら……ジュエルシードの代わりに闇の書の力で次元断層を起こすことだって――)

 

 そこでプレシアは確信した。闇の書は自分の望みを達成するために役に立つと。

 闇の書の力で“あの子”を取り戻せればそれでよし。それが叶わなければ闇の書や余ったジュエルシードを使って次元断層を起こし、“アルハザード”へ行けばいい。

 問題はこのサイトに書かれたことのどこまでが本当なのか、闇の書は今どこにあるのか。

 

 そこまで考えてプレシアは通信端末を手に取った。関わり合いになりたくない男だが、管理局から情報を盗み出せる者などプレシアが知っている限り、“彼”しかいなかった。

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、プレシアは苛立たしげに端末を机に放り捨てた。

 

(相変わらず腹が立つ男ね)

 

 プレシアが連絡を取った男はすぐに闇の書について調べてくれ、その情報を余すことなく教えてくれた。どうやらあの男は闇の書にはまったく興味がないようだ。相変わらず、自身の研究とそれによって造り出したものにしか興味がないのだろう。

 現に闇の書に関する情報と引き換えに、あの男が立てた理論をもとにして作った“人形”の出来具合などを詳しく尋ねられた。それだけならまだしも、“あの子”のことを茶化すような――。

 それを思い出しプレシアは机を叩く。

 

 しかし必要な情報は手に入った。

 “彼”によれば、管理局の顧問官ギル・グレアムがすでに闇の書を探し当てていて、現代の主を監視しているらしい。

 現在、闇の書は第97管理外世界にあり、八神はやてという少女が主となっているとのこと。両親は事故で亡くなっており、通いのヘルパーに補助してもらいながら一人で生活している。

 それを知ってプレシアは都合がいいと思った。

 このような少女なら連れ去るなり言いくるめるなりどうとでもできる。先に闇の書を奪ってから考えてもいいだろう。

 

 闇の書の入手や八神はやての略取もフェイトにやらせるか。いや、どの道ジュエルシードが必要なことに変わりはない。フェイトにはそちらに専念させるべきだ。それにフェイトと八神はやての身体年齢はほぼ同じ。万が一親しくなって変な影響を受けたら面倒なことになる。

 あの犬は当てにならない。むしろ今すぐ排除したいくらいだ。もっとも、いまさらそんなことをしてもフェイトに離反される恐れを生むだけだろうが。

 残る手駒は一つだけ……。

 

《リニス、私よ。すぐに来てちょうだい》

 

 

 

 念話で呼び出してからしばらくして、ノックの音ともにリニスが研究室に入って来た。

 彼女は憤慨した様子で口火を切ってくる。

 

「プレシア、まだ起きていたんですか! あれほど食事と睡眠を摂るように言ってるのに」

 

 就寝の邪魔をされたことに怒っているのかと思いきや、そんなことに腹を立てていたのか、とプレシアは思った。

 詰め寄るようにリニスは問いかけてくる。

 

「まさか忘れてませんよね? フェイトが一人前の魔導師になったお祝いに、あの子と一緒に食事を取るって約束」

「それくらい覚えてるわ。ちょっと夜更かししたくらいでこなせなくなるものじゃないでしょう。それより覚えているかしら? あなたとの契約の事」

 

 そう言った瞬間、リニスは辛さと不安さが入り混じったような顔になった。

 

「はい、もちろん覚えています。あなたとの契約はフェイトを一人前の魔導師に育て上げること。それが遂げられた今、私はもう……」

 

 そこまで言ってリニスは暗い床に顔を落とす。そんな彼女にプレシアが声を浴びせてきた。

 

「それなんだけど事情が変わったわ。あなたにやってほしいことができたのよ」

「えっ……?」

 

 プレシアの言葉にリニスは顔を上げる。

 そこでプレシアは闇の書とその在り処、持ち主についてリニスに話す。リニスは驚愕しながらもそれを聞き、やがて口を開いた。

 

「……つまり私に、第97管理外世界にある闇の書を手に入れてきてほしいと」

「ええ。わざわざ使い魔を作るのも面倒だし、あなたにはもう一仕事してもらうわ」

「しかし、私のような使い魔を維持するためには常に魔力を消費し続ける必要が……プレシアの体調を考えるとその負担は決して軽いものでは――」

「元々残り僅かな命よ。あなた一匹使役する程度で大差はないわ。それとも、私やあの人形のもとで働くのがもう嫌なのかしら? それなら無理にとは言わないけど」

 

 その問いにリニスは片手を振って、

 

「い、いえ、わかりました。ではご命令通り、もうしばらくの間あなたにお仕えさせていただきます。ですが、闇の書はすでに八神はやてという少女が所有しているんですよね? それを奪ってこいと……」

「やり方はあなたに任せるわ。ただし、必ず闇の書を持って帰ること。邪魔する者がいれば躊躇わずに排除して構わないわ、八神はやて以外はね」

 

 その命令にリニスは躊躇いを覚えながらも主に問いかける。

 

「……フェイトには他のロストロギアを?」

「ええ。本命はまだ別にあるから。あの子にはそれを集めてきてもらうわ。あなたは闇の書を、あの子には他のロストロギアを手に入れてきてもらう……問題あるかしら?」

「いえ、わかりました。ご命令通り闇の書を手に入れて参ります。……ただ、いくつかお願いしてもいいでしょうか?」

 

 プレシアは眉を吊り上げながらも「何かしら?」と続きを促した。

 

「まず現地での活動に備えて、私が使うデバイスを作らせてください。デバイスなしでは私も力を十全に発揮できませんから。バルディッシュほど高性能でなくて構いません」

「それくらい好きになさい。デバイス一つ大したことはないわ」

「ありがとうございます。次に、可能な限りフェイトとアルフのサポートをさせてください。あの子たちでもいきなりロストロギアを相手にするのは危険すぎます。せめて私に補助をさせていただければと」

「……わかったわ。その代わり闇の書は確実に手に入れてくるのよ」

 

 リニスはこくりとうなずいて再び口を開く。

 

「そして最後に、もし……もしもあなたの願いが叶ったら、その時はフェイトとの関係を見直していただけませんか。フェイトも“あの子”同様、血を分けたあなたの娘です。ですから――」

 

 それにプレシアはしばらく押し黙り、リニスはじっと主の様子を窺う。

 やがてプレシアはぽつりと言った。

 

「考えておくわ。“あの子”がフェイトの存在を認めるようなことがあればね。じゃあ、そこにひざまずきなさい。新しい契約を結ぶ儀式を行うわ」

「はい」

 

 リニスは床に片膝をつき、プレシアは杖を出現させそれをリニスに向ける。

 こうしてプレシアとリニスの間に『闇の書を主のもとに届ける』という契約が結ばれた。この契約が彼女らの今後の運命を大きく変えることになる。



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閑話3 日記(一部抜粋)

 初めての日記形式ですので今まで以上にいたらぬ部分が多々あると思います。本編を2020年とした日付になっていますが計算しやすくするためでそれ以上の意味はありません。ご了承ください。


2011年6月4日

 

 今日、ついに僕と妻の間に待望の子供が誕生した。名前は『八神 はやて』。

 栗のような茶色がかった髪とぱっちりした目元が特徴のかわいい女の子だ。将来は妻に似た美人になるだろう。世の男どもが放っておかないに違いない。結婚? まさか、お父さんは認めませんよ。はやてはずっとお父さんたちと一緒に暮らすんだ

 

 さて、我が子の誕生とは別に一つ気になっていることがある。

 はやてが眠っているベッドにはいつの間にかもう一人赤ん坊がいて、はやてとその赤ん坊の間には鎖が巻かれた茶色の表紙の本が置かれてあった。

 赤ん坊は黒髪のどこにでもいそうな男の子だが、目の色が左右違っていて、右目が黒く左目が緑色だった。オッドアイというものだろうか、実際に見るのは初めてだ。

 赤ん坊ははやてと本、そして僕たちを見た後すぐに寝入ってしまった。妻はそれを見てくすくすと笑っていた。

 仲良く眠る赤子二人を妻とともに眺めた後、僕は看護師を呼び出して赤ん坊と本を引き取ってもらった。すぐに両親のもとに会えるだろう。

 

 

 

6月5日

 

 あの茶色の本がまたはやてのベッドに戻ってきた。何度病院に返してもその都度はやてのベッドに戻ってくる。病院側も一通り患者を当たってみたが、持ち主らしい人は見つかっていないそうだ。

 それを聞いてもしかしたらと思い例のオッドアイの赤ん坊について聞いてみたところ、あの子も両親らしい人が見つからないままで、現在乳児院という施設に預ける手続きを取っている最中らしい。

 

 

 

6月9日

 

 妻が退院し、はやてを連れて家に戻ってきた。初めての我が家にはやては落ち着かない様子でしばしばぐずり、僕と妻はなんとかはやてをあやした。

 僕たちの荷物の中にはあの茶色の表紙の本がある。何度届けても戻ってきてしまい、とうとう病院の方から僕たちで処理してほしいと頼まれてしまったからだ。

 あの子も今頃は乳児院で過ごしている頃だろう。早く両親が迎えに来てくれればいいのだが。

 

 


 

 

2013年6月14日

 

 あれから早いもので、はやても2歳になった。

 あの本は僕の書斎の本棚に収まったままで、今ではすっかり見慣れてしまった。鎖のせいで相変わらず中身を見ることはできないが。

 そう言えば、今日の夕食時に妻からあのオッドアイの赤ん坊の話が出た。

 妻の友達にある養護施設に勤めている職員がいるとのことで、その人によれば最近オッドアイの子供が乳児院から移って来たらしい。右目は黒で左目が緑とのことで、間違いなくあの赤ん坊だろう。その子の名前を決めようとした時に“けんと”と名前らしき言葉を言ったため、そのまま『健人』と名付けられたらしい。

 妻もあの子の事は気にしていたようで、なんとかうちで引き取れないかと言っていた。僕としては子供が一人増えるくらい構わないのだが。しかしはやてと仲良くなりすぎると、僕は違う意味であの子からお義父さんと呼ばれることになる恐れが……それはさすがに許せな――

 

 

 

7月5日

 

 妻と話し合った結果、健人君を引き取るために養子縁組の審査を受けることにした。縁もゆかりもない子を養子に取るにはいくつかの審査を受ける必要があるようだ。それだけ大きな責任が問われているということだろう。

 はやてに兄弟ができるかもしれない事を本人に話したらすごく喜んでいた。公園デビューも難しい昨今では子供同士が知り合う機会も少なく、寂しいと感じているのかもしれない。

 

 


 

 

2014年6月1日

 

 養子縁組の審査に落ちてしまった。

 幼い実子がいる事と、僕ら自身養子を取るには若すぎることが理由らしい。もしかすれば妻がはやてを身ごもった後に籍を入れたことも原因の一つかもしれない。

 落ちてしまったのは仕方ない。もうしばらくは妻の友達を通して様子を見てみるとしよう。妻のそばでむくれているはやてには申し訳ないが。

 

 


 

 

2015年4月6日

 

 仕事先でとある外国人と知り合った。口元と顎にひげを生やした『ギル・グレアム』というイギリス人だ。

 僕の父親ほどの年齢の男だが、気さくな人ですぐに仲良くなった。

 グレアム氏はもうすぐ4歳になる僕の娘、はやてのことを何度も尋ねてきた。

 彼ははやての成長ぶりや日々の振る舞いを耳にしてはほほえましそうに笑い、そんな彼に僕もはやての事をいろいろと教えたが、あの子のそばに現れた茶色の本に話が移った途端、グレアム氏の目がギラリと光った。まるでその話が出てくるのを待っていたかのように。

 そして彼は茶色の本のことばかり聞いてくるようになった。あの本が欲しかっただけか。そう思ってがっかりしたもののこうも思った。ここまで娘自慢をさせてくれたんだ、あんな本が欲しいならあげてもいいだろう。鎖が巻かれていて中身が読めないような本が欲しいのならだが。

 だが、本とともにはやてのそばに現れた赤ん坊、健人君の事を話した途端、彼は驚愕し、健人君に関することを次々と聞いてきた。はやてや本の時よりも事細かに。

 明らかに尋常ではないと思った僕は仕事を理由に逃げるようにその場を去った。

 

 しかし、こうして後になって考えてみれば僕の方が過剰だったのかもしれない。色々不思議なところがあるとはいえ健人君はただの子供だ。グレアム氏があの子の事を知ったところでどうということもないだろう。……しかしなぜだろう、どうしても嫌な予感がぬぐえない。

 

 

 

5月10日

 

 妻の同意を得た上で再び養子縁組の審査を受けることにした。所帯を持って数年経っていることと仕事で昇進したことで、今度は合格する見込みが高いらしい。

 また落ちてしまった場合にがっかりさせないように、今度ははやてには内緒にしておこう。それにあの子の驚く顔が見られると考えたら、ギリギリまで内緒にしてみるのも悪くない。

 

 


 

 

2016年4月17日

 

 ようやく審査に合格した。後は本人と面談してお互いに同意すれば縁組は成立するとのことだ。

 

 

 

4月24日

 

 妻とともに施設を訪問し健人君と対面した。あれから実に5年ぶりの再会になる。向こうは覚えていないだろうが。

 僕たちと会った時、健人君は左目に眼帯を付けており、怪我でもしたのと尋ねた妻に彼は首を横に振るだけだった。そこで僕たちは彼が眼帯を付けている理由を悟った。おそらく緑色の左目を隠すためだろう。

 健人君と話してみて抱いたのは、年の割にしっかりしている、しかし誰も寄せ付けようとしない子供という印象だ。

 施設の人に聞いたところによると、目の色が左右違うことで他の子供との間で常にいさかいが起き、職員の中にも彼の目を気味悪く思っている人がいるらしい。そんな状況の中で、健人君は一年ほど前から左目に眼帯をつけるようになったとのことだ。

 もしはやてまで施設の子や一部の職員と同じ反応を見せれば、彼を再び傷つけるだけかもしれない。

 考え直した方がいいかもしれないと思いながら、僕と妻は施設を後にした。

 

 その夜、はやてに左右の色が違う目を持つ人たちの事を話した。はやては興味深そうな顔でそれを聞いて、会ってみたいと何度も言った。そこに嫌悪感や忌避感はない。

 そんな娘を見て、この子なら健人君と打ち解けることができるのではないか、僕と妻はそう思った。

 

 

 

5月15日

 

 あれからおよそ一月、僕たちは考えた末に健人君を養子にすることにした。すでに施設や本人の了承も取ってある。

 家に着いたら、まずあの本を彼に渡そう。あの本と健人くんの間には深い繋がりがあるような気がしてならない。まあ、いらないとつっ返されるとは思うが(笑)。

 

 すぐに彼の信用を得ることはできないだろう。しかし健人君に認められるようになるまで、僕らは努力を続けるつもりだ。そしていつかは僕らやはやての事をかけがえのない家族だと思ってほしい。

 

 今日の午後に健人君を引き取りに行く予定になっている。その後、家に戻った時にはやてがどんな顔をするのかとても楽しみだ。

 

 

 


 

 日記はここで終わっており、これ以降のページはすべて白紙である。



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第38話 正体

 夜中、アースラでは。

 

 

「アンロック」

 

 少年が手をかざすと彼の手の先に魔法陣が浮かび、ドアが開く。

 その部屋にはいくつもの小箱が置かれてあった。その半分以上に“あのロストロギア”があるはず。

 

 ここは保管室。艦が本局に到着するまで、回収したロストロギアを保管しておく部屋だ。

 保管されているロストロギアには封印処理が施されており、その上、この部屋の中は《アンチ・マギリング・フィールド(AMF)》という結界が張られているため、ロストロギアといえども魔力で動くものなら暴走する危険は少ない。

 

 少年は適当な箱を手に取っては開錠魔法で開いて、中に入っているジュエルシードをくすねていく。

 そして5個のジュエルシードを懐に入れると、それ以外の箱には見向きもせずに保管室を後にした。

 闇の書を完成させるのに必要なのは5個。それ以上をあの女に与える必要はない。

 

 

 

 

 

 

 病室の明かりはすでに落とされており、はやてはただ一人そこで就寝していた。

 しかし不意に響いた声と、部屋に入ってくる誰かの気配が彼女を眠りから覚まさせた。

 

「アンロック」

 

 聞き覚えのある声とともに扉が開き、扉の向こうから一人の少年が医務室に入ってくる。

 廊下から漏れる照明に映し出されたのは、短めの黒髪に緑色の右眼と黒い左眼のオッドアイの少年。彼を見てはやては思わず起き上がった。

 

「――健斗君!?」

「おっと悪い。起こしちまったか」

 

 医務室に足を踏み入れながら健斗は張った目ではやてを見る。

 

「どうして健斗君がここに? 明日まであっちにいるんじゃ――」

 

 はやての問いに健斗は笑みを向けながら、

 

「早めにアースラに戻って来たんだよ。はやてがこんな状態なのに俺が家でのうのうと過ごしているわけにはいかないだろう」

「……?」

 

 健斗の口から出たある言葉にはやては違和感を覚える。

 

(そういえば健斗君のあれって……まさかこの人)

 

 疑念を浮かべながらもははやてはおくびにも出さず、健斗に声をかけた。

 

「そうやったんか。“あの人”とお話はできた?」

 

 そう問いかけると健斗はうなずきながら、

 

「ああ。母さんもはやての事を心配してたよ。実はあの人に言われてきたんだ。家にいる暇があったらはやてちゃんのそばにいてあげなさいってね」

「……」

 

 その言葉で違和感は確信に変わった。はやては表情を消して尋ねる。

 

「それで、こんな時間に何の用? さっきまでぐっすり寝てたところやったんやけど」

 

 不満そうに問いかけるはやてに健斗は片手を立てて謝る。

 

「悪い悪い。でも、ここはもうプレシアたちにバレてるだろう。今のうちにはやてだけでも安全な場所に移った方がいいってことになったんだ。お前と闇の書を狙って、いつあいつらがやってくるか。そうなる前に――」

 

 そう言って健斗ははやてのベッドまで歩み寄り、足を動かせない彼女を抱えようと手を伸ばそうとしてくる。そこで不意にはやては言った。

 

「あんたがこんな風に私をさらおうとしているみたいに?」

 

 そこで健斗はピタリと動きを止め、はやてに顔を向ける。

 

「何のことだ?」

 

 素知らぬ様子でとぼけようとする健斗に対して、はやては呆れたように顔を振りながら言った。

 

「しらばくれても無駄や。あんた健斗君やないやろ。結構似てるけど、色々おかしなところだらけや」

「おいおい、冗談にしてもきついぞ。俺が健斗じゃなかったら何だっていうんだ? お前を守るために家を飛び出してアースラまで戻って来たっていうのに」

 

 心外そうに健斗は詰め寄る。そんな彼にはやては尋ねた。

 

「その家やけどな、どっちの家や? 聞いとらんかったわ」

「……? そりゃあ俺の家に決まってるだろう。俺と母さんが二人で暮らしてる……」

 

 そう言う健斗にはやては首を横に振って、

 

「ううん。実は今日、健斗君はなのはちゃんの家に泊まってるはずなんや。その理由は知ってます?」

 

 その問いに健斗は答えられず黙り込む。それに質問した本人が答えた。

 

「なのはちゃんの家には美由希さんって人がいてな、健斗君を引き取った美沙斗さんの本当の娘さん。少し複雑やけど、健斗君の義理のお姉さんって言えばわかるかな。その人と一度話してきた方がいいって私の方から勧めたんや」

「……まさか、お前がさっき言ってた“あの人”っていうのは」

 

 健斗が漏らした言葉にはやてはこくりとうなずき、

 

「うん、その美由希さんの事や。ちょっとうっかりしてたな。うっかりと言えば目も違うよ。本物の健斗君の目は右が黒、左の目が緑色やねん。あんたは見事に真逆やな」

 

 それを聞いて健斗らしき者はしまったという顔で右手で目を押さえようとする。だが、健斗(?)は目元まで伸ばしかけた手で頭を抱えながらフフと笑った。

 

「やれやれ、()()()()()勘が鋭いな。御神健斗に化けたのは失敗か。無理やり連れて行くようなことはしたくなかったんだが」

「……やっぱり、目的は私と闇の書ですか?」

 

 はやての問いに健斗そっくりの少年はうなずいて答える。

 

「ああ。闇の書だけ奪ってもすぐに君のもとに転移してしまうのでね。それを防ぐには君も一緒に来てもらうしかないというわけだ。まったく、こんな誘拐のような真似をしなくてはならなくなるとは。私も堕ちるところまで堕ちたものだな」

 

 自虐的な笑みを浮かべる少年をはやては鋭い目で見る。少年は笑みを消して言った。

 

「安心してくれ。君に危害を加えるつもりはないし、加えさせるつもりもない。ほんの少しあっちで過ごして、その後は少し長い眠りについてもらうだけだ。御神健斗にも()()()()()()()()手を出すつもりはない」

「……ひとつだけ質問してもいいですか?」

 

 そう尋ねるはやてに少年はうなずいて促す。はやてはそのまま口を切った。

 

「さっき、私を抱こうとした時にあなたはかなりの角度まで背中を丸めてましたよね。一年前、初めて足が麻痺した時に、ある人に抱きかかえられて救急車に乗せてもらったんですけど、あなたの姿勢はその人とまったく同じものだったんです」

「……」

 

 少年は無表情で耳を傾ける。はやてはさらに続けた。

 

「その人は双子の妹さんと一緒にヘルパーとしてうちに来てくれて、両親のいない私のお世話をしてくれた人でした。私や健斗君についてかなり詳しいみたいやし、まさかとは思いますけど…………理亜(りあ)さん……なんですか?」

 

 理亜というヘルパーの名で呼ばれ、少年は唖然とした表情をする。そして少年は中年の女性のような声で、

 

「……本当に勘が鋭いわね、はやてちゃん。こればかりは知ってほしくなかったけど」

 

 信じたくなかったという顔ではやては唇をかむ。そして……

 

「そうだったんですか……じゃあ、やっぱり“グリムおじさん”が」

「……すまない。本当なら君は何も知らないまま友達や騎士たちと日常を過ごし、幸福のまま永い眠りについてもらう予定だったのだが。恨むのなら私かプレシア、あるいは私たちを散々引っ掻き回しこのような方法を取らせる原因となった御神健斗を恨んでくれ」

 

 健斗と同じ声でそう詫びて、少年ははやてに手を伸ばす。理亜とまったく同じ姿勢で。

 そんな彼のまわりに青い粒子が浮かび上がった。

 

「……?」

 

 少年は思わず辺りを見回す。

 その瞬間、粒子は紐になって少年を縛り上げた。

 体を締め付けられ、うめき声を上げる彼の後ろから声が響いてきた。

 

「ストラグルバインド……相手を拘束して強化魔法や変身魔法を無効化する。戦い以外にこういう時にも役に立つ魔法だ」

 

 その声に反応して少年は後ろを振り向く。同時に少年の体は青い光に包まれ、その光は捕らえた者の偽りの姿をはぎ取り、()()の真の姿をさらけ出した。

 少年の代わりに現れたのは、臨時局員としてクロノたちと行動を共にしていたリーゼアリアだった。

 アリアは身悶えながら扉の向こうにいる人物を睨む。

 

「くっ……こんな魔法教えてなかったのに」

「一人でも精進しろと教えたのは、君とロッテだろう」

 

 そこにいたのは悲しげな顔で師の顔を見るクロノだった。

 

「はやて、大丈夫か!?」

「はやてちゃん!」

「この女が主を……」

 

 そこで病室の明かりが付き、クロノの後ろから守護騎士たちが次々に部屋へと入ってくる。

 彼女たちを眺めながらアリアは観念したように目を伏せた。

 

 

 

 

 

 

 同時刻、本局。

 

 ノックの音に、部屋の中にいた老人が顔を上げる。

 

「グレアム顧問官、よろしいでしょうか?」

「……入ってくれ」

 

 グレアムがそう告げると、失礼しますという一声もなくドアが開き、十人近くの武装局員が部屋に入ってくる。

 グレアムは動じる様子もなく、彼らの指揮者を見上げた。

 指揮者はグレアムを見返しながら厳かな声で告げる。

 

「ギル・グレアム顧問官。次元犯罪者プレシア・テスタロッサとの共謀、および捜査攪乱の容疑で逮捕します。ご同行を願えますか」

 

 有無を言わさない響きが込められた通達にグレアムは首を縦に振り、彼らとともに部屋を後にした。

 

 

 

 こうして、リーゼアリアと、彼女たちを通してプレシア一味に手を貸していたもう一人の黒幕、ギル・グレアムは逮捕された。

 しかし、仮面の男ことリーゼロッテは未だプレシア一味のもとにいたまま。この事件の解決にはあと幾ばくかの時間を要する。



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第39話 時の庭園 突入前

 翌日、家を出る前に俺となのはとユーノは、俺の部屋でクロノたちとそれぞれの状況を確認していた。

 そこで俺たちは、俺に化けたリーゼアリアさんが艦内に保管していたジュエルシードを盗み、はやてをさらおうとして捕まったことを知る。そして……

 

「じゃあ、おとといのクラッキングもアリアさんの仕業だったんだな」

『ああ。外部から管理局やアースラのシステムに入るのは限りなく困難だが、内部からなら簡単に入り込める。そして、それらの行為を指示したのが……』

「アリアさんの主――ギル・グレアムさんか」

 

 俺の言葉にクロノは首を縦に振る。

 一方、俺の隣では、

 

「あのアリアさんが。それにグレアム提督まで……」

 

 あの二人、特にアリアさんがはやてを連れ去ろうとしていた事を知って、なのはは顔を曇らせる。

 アリアさんとはアースラの中で何度も会話を交わし、一緒に食事をとったこともある。その彼女とグレアム提督が闇の書を狙ってプレシア一味と内通し、はやてを彼女らのもとまで連れて行こうとしたという。ショックがないわけがない。

 しかも彼女は理亜(りあ)というヘルパーに化けて、何年もの間はやての家に通っていたらしい。俺もなのはも理亜さんとは何度も顔を合わせている。普通なら混乱をきたすところだろう。

 

「彼らが闇の書を狙っていた理由は闇の書の力を手に入れるためか? それとも……」

 

 違っていることを承知で尋ねる俺に、クロノは首を横に振り……

 

『闇の書を永遠に封印するため、だそうだ。グレアム提督は11年前から闇の書を探し、同時に闇の書を“永久封印”する方法を考えていたらしい』

 

 やはりか。

 以前、グレアムさんは闇の書を封印する方法がどうと口走っていた。クラッキングを仕掛けたのがアリアさんではないかと疑っていた時から、もしやとは思っていたが。

 

「でも、どうやって闇の書を封印するつもりだったんだ? 11年前も失敗したんだろう?」

 

 ユーノはクロノにそう問いかける。それを聞いて俺は思わず顔をしかめた。そういえばユーノやなのはとかはクロノの父親、クライドさんの事をまだ知らなかったな。

 しかし俺の懸念に反して、クロノは平静を保ちながら答えた。

 

「完成したばかりの闇の書を主ごと凍結させる。そうすることで闇の書は転生することなく()永久的に活動を停止するらしい……主とともにな」

「主とともにって、もしそれが実行されたらはやてちゃんは……」

 

 グレアムさんたちが行おうとしたことを知って、なのはは言葉を詰まらせる。

 永久封印か、300年前にそれを思いついててジュエルシードみたいなものがあれば、俺もそれを実行していたかもしれないな。魔導書と俺自身を封印するために。

 しかし言葉通り凍結させるだけだとすれば、その方法には穴がある。

 

 まあそれは置いておこう。

 

「リーゼロッテさんはどうしてる? ロッテさんもグルだったんだろう。彼女も捕まったのか?」

 

 そう問いかけるとクロノは首を横に振り、重い口調で答えた。

 

『昨日から行方をくらましている。グレアム提督も通信で彼女に呼びかけているんだが応答がないままだ』

 

 それを聞いて部屋に沈黙が訪れる。やはりそう簡単に捕まるタマではないか。主の呼びかけにも応じない辺り、意志も固いようだ。

 

「グレアムさんとアリアさんはどうしてる?」

『アリアはアースラの護送室、提督は本局の留置室に勾留している。次元犯罪者と共謀した上に捜査妨害を行った犯罪者だからね。ただ、それほど大きな罪には問われないだろう。次元犯罪と比べれば軽いものだし、彼らの企ても未遂に終わっているから……健斗は不服に思うだろうが』

 

 こちらに視線を向けながらクロノをそう付け足す。俺の表情は穏やかとは言えないものだろう。何も知らない少女、それも俺たちの友達を魔導書もろとも封じ込めようとしておいて、重い沙汰は下されないというのだから。

 しかし、それをクロノ一人に言ってもどうにもならない。詰め寄りたい気持ちを殺しながら俺は問いを続ける。

 

「一通りの区切りがついた後で彼らと話すことは可能か? できればアースラに呼び出して」

 

 それに対してクロノは少し考えてから、

 

『……まだ事件は解決していないから、捜査の一環として話を聞くことは可能だ。そちらは僕が手配しておく。これも執務官の職務の内だ』

「頼む。じゃあそれまでにロッテさんも捕まえた方がいいな。プレシアたちの所にいるとみて間違いないんだろう?」

 

 俺の言葉にクロノはうなずきを返す。

 そこへなのはが一歩進みながら口を開いた。

 

「クロノ君、レイジングハートは?」

『ああ。もう改修は済ませてある。受け取ってくれ』

 

 クロノがそう言うとなのはの手元にレイジングハートが転送されてくる。見た目は変わっているようには見えない。

 レイジングハートを手に取るなのはに、クロノは念を押すように言った。

 

『くれぐれもみだりに乱用しないでくれ。まだ実用化が進んでいないため、使用者への負担が大きく危険な技術であることに変わりはないんだ』

「うん、わかってる。絶対にフェイトちゃんに勝って話を聞いてもらうよ!」

 

 そう息巻くなのはを見て俺たちは不安げな顔になった。どんな無理をしてもフェイトをねじ伏せるという意思がありありと伝わってくる。

 

《ユーノ、なのはを頼む。無茶しないか見てやってくれ》

《うん。君の方こそ気を付けて》

 

 それからなのははクロノからある物も一緒に受け取る。

 そうして俺たちは高町家を後にして決戦の場へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 同時刻、《時の庭園》の玉座の間で、リニスと仮面の男を左右に置きながらプレシアはフェイトと相対していた。

 プレシアが宙に手をかざすと、彼女のまわりを浮かんでいた9つのジュエルシードはフェイトのもとに集まった。

 フェイトは不思議そうな顔でジュエルシード、そしてプレシアを見る。

 そんなフェイトにプレシアは告げる。

 

「このジュエルシードを賭けてあの子と戦いなさい。そしてあの子が持つジュエルシードを手に入れてきて。闇の書を手に入れるのに失敗した今、すべてはあなたにかかっているわ」

 

 母の命令にフェイトは固い表情で答えた。

 

「はい。必ずジュエルシードを手に入れてここに帰ってきます」

 

 そう言い残してフェイトはこの場を後にする。

 それを見届けてから仮面の男はプレシアの方を向いて言った。

 

「いいのか? 集めたジュエルシードをすべて預けたりして。もしフェイトが負けたら……」

「その時は私の手元に戻せばいいだけよ。転送くらいいつでもできるわ。もっとも、その時は腹をくくるしかないけれど」

 

 プレシアの言った言葉の意味を察し、男は息を飲む。

 それはたった9個のジュエルシードだけで“あそこ”へ旅立つということだ。地球だけでなく複数の平行世界を巻き込む災害――《次元断層》を起こして。

 プレシアは意地悪い笑みを浮かべながら男に問いかける。

 

「それで、あなたはどうするつもりかしら? ここを出ても捕まるだけだと思うけど」

 

 男は居住まいを正しながら……

 

「このまま君たちに協力させてもらおう。私もまだ諦めるつもりはないのでな。その代わり万が一にも闇の書を手に入れることができたら……」

「ええ、私の願いが叶ったら闇の書と主はあなたにあげるわ。永久封印するなりご主人様を助けるのに使うなり好きになさい、リーゼロッテさん」

 

 それを聞いてバレていたかと思いながら男は仮面を外す。

 途端にがっしりした体格を持つ男の輪郭は崩れ、黒衣の局員制服を着た女の姿に変わった。

 

(ごめん父様、アリア。闇の書を封印するために今まで頑張って来たんだ。ここまで来て諦めることなんてできないよ。あなたたちの分まであたしは最後まで戦い抜く。……切り札もまだあたしの手にあるしね!)

 

 決意を固めるロッテの手には銀色に光るカードがあった。

 

 

 

 

 

 

 海鳴臨海公園、健斗は魔法陣に乗ってアースラに戻り、なのはとユーノだけが残る。

 健斗を見送った向きのまま、なのはは口を開いた。

 

「もう健斗君はいないよ。出てきて、フェイトちゃん」

 

 返事も足音もない。あたりに響くのは風に吹かれた木々のざわめきの音だけだ。

 ユーノは左右をきょろきょろを見回す。

 一方、なのはは新たに加わった気配を感じ取って後ろを振り返った。

 そこにはバルディッシュを構えながら電灯の上に立つフェイトの姿があった。

 神妙な顔で自分を見下ろすフェイトを見て、なのはも彼女の決意を悟る。

 

「私からジュエルシードを取っても、闇の書を持って行っても、フェイトちゃんのお母さんの願い事は叶わない。多分そんなことはもう気付いてるよね。それでもフェイトちゃんは立ち止まれないんだね?」

 

 フェイトは答えず、じっとなのはたちを見下ろす。

 なのははそのまま続けた。

 

「ただ捨てればいいってわけじゃないよね。逃げればいいってわけじゃもっとない。私たちにとってのきっかけはジュエルシード。だから賭けよう――お互いが持ってる全部のジュエルシードを!」

 

 そう言ってなのはが球体型のレイジングハートを掲げると、そこから12個のジュエルシードが浮かび上がる。

 母が言った通りの流れとなったことにわずかに戸惑いながら、フェイトもバルディッシュから9個のジュエルシードを出した。

 それを確認してなのはは口にした。相方の新たなる名前を。

 

「《レイジングハート・エクセリオン》、セートアップ!」

『Drive ignition(駆動開始)』

 

 なのはとデバイスの言葉を聞いてフェイトは目を剥き、その間にもなのははバリアジャケットに身を包み、レイジングハートも杖に形を変える。

 

『Accel mode, standby, ready(アクセルモード、準備完了)』

「カートリッジシステム、君のデバイスにも……」

 

 以前と違う形状のレイジングハートを見て、フェイトは思わずつぶやきを漏らす。

 なのははフェイトに杖を向けながら言った。

 

「私たちのすべてはまだ始まってもいない。だから、本当の自分を始めるために……始めよう、最初で最後の本気の勝負を」

 

 

 

 

 

 

 アースラに戻ってからクロノやリンディさんのもとにも向かわず、俺はバリアジャケットに装着しながら転送ポートへと向かう。

 アルフの自供によって、すでに《時の庭園》の次元座標は特定されている。

 フェイトがなのはと戦っている間にアースラに配備されている《武装隊》と一部の魔道師が庭園に踏み込んで、リニスとプレシア、そしておそらく彼女たちと一緒にいるリーゼロッテを捕まえることになっている。

 でも多分彼らだけじゃ、あの三人にかなわない。

 

 転送ポートにはすでに何十人もの武装局員がいて、俺が駆け付けてきたことに気付いた瞬間、ぎょろりと視線を向けてきた。そのほとんどが初めて遭遇した時に俺たちを取り囲んだ人たちばかりだ。

 

「何の用だ? ここは子供が入ってくる場所じゃないぞ」

 

 白のメッシュを入れた黒髪の男が人波をかき分けてながらこちらに向かってくる。リンディさんとは違った、軍人ならではの貫禄がある人だ。

 

「民間協力者の御神健斗です。敵の本拠地に踏み込むと聞いてきました。俺もお供させてください!」

「お供だと? そういえば提督から民間の協力者が同行するかもしれないと言っていたな。武装隊には組み込まず協力という形で」

「じゃあ――」

 

 リンディさんが彼らに出した指示を聞いて、俺は踏み込むように声を張り上げる。しかし男は睨むような目で俺を見下ろして、

 

「待て待て! そう簡単に同行を許すわけにはいかん。これから俺たちが向かうのは、世界のひとつやふたつは滅ぼせる危険なロストロギアを集めている次元犯罪者の拠点だ。君の身に危険が降りかかっても誰も守ってはやれないぞ。それをわかって言っているのか?」

「はい。守るつもりはあっても守られるつもりはありません。だから俺も一緒に行かせてください! あそこには決着をつけたい奴とこの手で捕まえたい奴がいるんです!」

 

 訴えるようにまくし立てると男は俺をじっと見る。

 

「お前は確か、提督と執務官の反対を押し切って、半ば強引に艦を飛び出したことがあったそうだな」

「……はい」

 

 この前の命令違反を思い出しながらそう口にすると、男は神妙な顔で口を開いた。

 

「そうか……それだけの胆力があれば大丈夫か」

「待ってください。あれは友達を助けるために――えっ?」

 

 必死に何か言おうとした途中で相手の言葉の意味に気付き、俺は思わず口を止める。

 

「ロストロギアが暴走している現場に入っていくような奴なら行かせてやっても構わない。そう言ったんだよ。聞こえなかったか?」

 

 男はそう言って二ッと笑う。それにつられるように、

 

「大嵐の中を突っ切っていくなんて普通あんなことできねえ。しかも提督や執務官に逆らってよ」

「そんでロストロギアを押さえて金髪美少女を助けちまうんだからよ。俺もあんな活躍がしてえぜ。何を隠そう、凶悪な次元犯罪者から女の子を助けてモテるために武装局員になったんだ」

「じゃあもう少し活躍しろよ。いつも危なくなったらすぐ逃げちまうじゃねえか」

「AAA以上が加わってくれるなら願ってもないぜ。俺たちから頼みたいくらいだ」

 

 笑い合いどつき合いながらそんなことを言い合う武装局員たちを俺は唖然と見る。黒髪の男は笑いながら言った。

 

「とまあ、実はみんな最初から君が加わってくれるのを期待していたんだ。AA以上の魔導師は貴重だからな。ただ一応意思は測っておきたかったし、この前の意趣返しをしてやりたい奴も多くてな。俺なんかあの時お前に殴られて海に叩き落とされたんだ。これくらいの仕返しは許してくれ」

「えっ……」

 

 そう言われて俺はもう一度男を見上げる。そういえば、なのはとフェイトを助けるために海に突き落とした奴がこんな髪型だったような。

 記憶を呼び起こしている俺に向かって、男は右手を差し出した。

 

「第一小隊及び武装隊全体の指揮を取っているギャレットだ。短い間だがよろしく御神君」

「こちらこそよろしくお願いします。ギャレットさん」

 

 ギャレットさんの手を握り返しながら俺もそう返す。

 ギャレットさんは握手を続けながら、

 

「ついて来てくれるのはお前だけか? 二つ編みの女の子はともかく、他にも何人かいただろう。確かなんとか騎士っていう……」

「ああ。守護騎士たちならアースラに残ると思います。あいつらにははやてを守るという役目がありますから」

「勝手に決めんな。誰が残るって?」

 

 その声に俺とギャレットさんは手を離しながら後ろを振り返る。

 そこには騎士甲冑を装着しているシグナムとヴィータがいた。

 

「主はやての頼みだ。管理局と健斗に力を貸してやってくれとな」

「はやてのそばにはザフィーラとシャマルがついてる。連中は本拠地にいるみたいだし、あの二人だけでも大丈夫だろう」

 

 それだけ言ってヴィータは俺たちや武装局員から離れた場所へ行き、ギャレットさんも部下の所に戻って、俺とシグナムだけが残される。

 居心地の悪い沈黙の中、シグナムはぽつりと言った。

 

「健斗、お前には関係のないことかもしれんが、一つだけ言わせてくれ」

「えっ……?」

 

 突然そう言われ、俺は思わずシグナムを見上げる。

 

「他の者はともかく、私はかつての主、ケントの事を恨んでなどいない。あの方が我らを御前(おんまえ)から除いたのは、我らに対し不満に思われるところがあったからだろう。主の不興を買った己の未熟を呪いはすれど大恩ある主を恨みなどしない」

「……」

「だが、まっとうな説明もなく我らを突き放した主()()()()()を信用できるかと言われれば、正直難しいものがある」

 

 剣呑な雰囲気をまとわせながらそう告げるシグナムに俺は押し黙ることしかできない。それだけのことをあの時の俺はしたのだから。

 そんな俺にシグナムは言葉を付け足した。

 

「だから、この戦いを通して、もう一度我らの信用を得てみせろ御神健斗……私からはそれだけだ」

 

 その言葉に俺は思わず顔を上げる。

 だがシグナムは俺の返事も待たず、皆から離れた場所に立った。

 ちょうどそこにクロノが現れ、大きく張り上げた声で俺たちと武装隊に告げた。

 

「これより《時の庭園》に突入する。任務はプレシア一味の逮捕。特に首謀者のプレシア・テスタロッサは絶対に逃がすな!」

「はっ!!」

 

 その号令とともに俺たちは魔法陣を踏んで《時の庭園》へと転移する。

 なのはとフェイトの戦いと並行して、『時の庭園攻略作戦』が今始められた。



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第40話 時の庭園 突入

『Transfer reaction.Many intruders in the garden(転送反応。庭園内に侵入者多数)』

 

 辺りに警告音声が響き、プレシアとリニスは顔を上げる。

 

「来たわね」

「……はい」

 

 プレシアの言葉にリニスは顔を引き締める。彼女に向けてプレシアは言った。

 

「行きなさい。使い魔として主である私と“あの子”をあいつらから守るのよ。そしてあのオッドアイの子供を捕まえてきて。闇の書の主の友達だというあの子供を」

「はい。しばしお待ちを、我が主」

 

 冷たい表情のまま一礼し、リニスは玉座の間を後にする。

 彼女の姿が見えなくなった瞬間、プレシアは激しく咳き込み、紫色の口から咳と血があふれ出てきた。

 口元を押さえ最期の訪れを感じながらもプレシアは強く思う。

 

「まだ終われない。もう一度……もう一度“あの子”に会うまでは。――クレッサ、あなたと一緒に造った人形たちをここで使わせてもらうわ!」

 

 プレシアが念じると彼女の足元に魔法陣が浮かび、庭園のあちこちから何かが浮かび上がる音が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 アースラの転移ポートから移動した先は、雷が鳴り響く次元空間に浮かぶ巨大な島だった。

 辺りに生えている地面から突き出たような尖った岩、舗装された床の先にある巨大な扉。

 それらを見回しながら俺はまさかと思った。

 

 ――『移動庭園』! まさかここって、サニーが拠点として使っていた移動庭園なのか?

 

「な、なんだこいつらは!?」

 

 その声に俺は気を改めて前を見る。

 すると床から金属でできた巨大な異形が飛び出てくる。

 それと同時に頭上からアースラのオペレーターの声が聞こえてきた。

 

『庭園敷地内に魔力反応多数! いずれもAクラス。総数60……80――まだ増えています!』

 

 俺たちの前に立ちはだかる異形を見て、俺はまた前世で遭遇したものを思い出し、ヴィータとシグナムも声を漏らす。

 

「こいつら、リヴォルタで現れた――」

「フッケバインたちが使役していた異形……こんなところで目にするとはな」

「《傀儡兵(ゴーレム)》を知っているのか。なら話は早い。おそらく防衛機構として庭園の各所に配備された傀儡兵だろう。もしかしたらプレシアが直接造ったものもあるのかもしれない。何しろ彼女は昔――」

 

 クロノが言い終わる前に、傀儡兵たちは武器を持って俺たちの方へ向かってくる。それを見て俺たちは武器を構えるが、クロノは手で制する。

 

「この程度の数、君たちが出るまでもない」

 

 そう言ってクロノは杖を構え――

 

Stinger Snipe(スティンガースナイプ)

 

 クロノのデバイス、《S2U》から伸びた光の鞭が複数の傀儡兵を弾き飛ばす。続けてクロノは杖を突き出し――

 

「スナイプショット!」

 

 二撃目の鞭が棒立ちしている傀儡兵たちを貫く。だが一番奥にいる銀色のゴーレムは斧で鞭を防いだ。

 クロノは一瞬で銀色の傀儡兵の前まで迫る。傀儡兵はクロノめがけて斧を振り下ろすが、クロノは跳躍して斧をかわし、傀儡兵の頭に杖を突き立てる。

 

Break Impulse(ブレイク インパルス)

 

 次の瞬間、傀儡兵から光が立ち昇り、激しい爆発を起こした。

 クロノはそこで降りながら、俺たちに声を飛ばした。

 

「さっさと行くよ! ここはまだ入り口だ」

「ああ!」

 

 

 

 

 

 閉ざされている扉を無理やりこじ開け、俺たちは屋敷内を駆け抜ける。

 奥まで広がる廊下は宮殿のようで、俺が知っている頃より豪華な造りになっている。だが大まかな経路は昔から変わっていないはずだ。

 ところどころに伸びている左右への通路に構わずひたすら奥へと突っ走る。

 クロノや武装局員、300年前は移動庭園に入ったことのない守護騎士たちも訝しげな目を向けながら俺に続いた。

 

 何個目かの扉を蹴破って室内へ踏み込むと、中にはさっきよりはるかに多くの傀儡兵たちが俺たちを待ち受けていた。

 俺たちやクロノに続いて、ギャレットさんも武器を構えながら部下たちに指示を出す。

 

「俺たちもかかるぞ! 相手は決められた行動しか取れない機械だ。Aクラスの魔力を持つ傀儡兵だろうと十分対処できる!」

「「「応!!」」」

 

 それに従い武装局員たちも格上の魔力を持つ傀儡兵に攻め入る。

 

「紫電一閃!」

「ギガントハンマー!」

「シュバルツ・ヴァイス!」

 

 武器を振るい、砲撃を打ち込みながら、次々に傀儡兵の数を減らしていく。

 その最中、皆から少し離れた場所で傀儡兵を破壊した時だった。

 

「はああっ!」

 

 頭上から猛烈な勢いで蹴りつけようとする者の気配を感じ、俺は寸前でシールドを張る。

 しかし勢いを完全に殺しきれず、うめき声をこぼしながら後ろへ下がってしまう。

 俺に蹴りを入れてきたのは……

 

「リーゼロッテ!」

「あれ、健斗君? ごめんごめん間違えちゃった。そこらじゅうで敵と味方が入り混じっているからついうっかり」

 

 ロッテは頭を掻きながらわざとらしく舌を出して謝る。

 彼女を睨みながら剣を向けると、彼女は慌てたように両手を前に出して、

 

「わわっ! そんなに怒らないでよ。わざとじゃないんだって。あたしも君たちと一緒に戦うよ。一緒にプレシアを捕まえよう!」

 

 拳を上げながらそんなことをのたまうロッテに俺は剣を向け続けながら、

 

「しらじらしい演技はよせ。お前が闇の書を狙って暗躍していた仮面の男だということはもうわかっているんだ。さっきの蹴りも以前あいつから食らったものとまったく同じだったしな」

 

 そう指摘してやるとロッテはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

 

「やっぱり騙されてくれないか。健斗君は小学校に上がった時ぐらいから急にお利口さんになったもんね。やっぱりそれも闇の書に触ったせい?」

「さあね。あんたなら聞かなくてもわかるんじゃないか。ヘルパーとしてずっとはやてや俺を監視してたんだからな――麓江(ろくえ)さん」

「確かに、父様やあたしたちはあんたの正体に関して大体の見当は付けてる。闇の書に飲み込まれたはずの主が今頃になって復活したせいで面倒なことになっちゃったよ。本当ならプレシアなんかと手を組まなくても、守護騎士たちが頁を集めるのを待つだけでよかったのに」

 

 そこまで言ってロッテは憎々しげな目を俺に向ける。それに対して俺は笑みを向けた。

 

「そりゃ何よりだ。ダチ(はやて)を凍結なんてさせるわけにはいかないからな。もっとも、そんな企み、俺がいなくても守護騎士やなのはとクロノ、もしかしたらすずかによって阻止されたと思うけどな」

「ぬけぬけと。とっ捕まえる前に、邪魔された恨みも込めて少し痛い思いをしてもらおうか!」

 

 俺たちは睨み合いながら互いに剣と拳を向ける。そこへ――

 

「スティンガーブレイド!」

 

 ロッテに向けて何十枚の刃が降り注いで、ロッテは後ろへ跳んで刃をかわす。それを放ったのは、

 

「クロノ!」

「健斗、先に行け! こんな奴にかまっている暇はないはずだ」

 

 クロノは立ちふさがるように俺の前に立ち、そうまくしたてる。

 俺は彼に対して――

 

「わかった。ここは頼む」

 

 そう言い残してロッテを横切ろうとする。当然彼女が許すはずもなく――

 

「させるか!」

 

 ロッテは俺に飛びかかる。だが――

 

 フライングムーヴ!

 

 技能を発し、動きが止まっている間に俺は飛びかかろうとする彼女の横をすり抜けて広間を抜ける。

 その間に傀儡兵は一掃されて武装局員たちもこの場を去り、広間にはクロノとロッテだけが残された。

 

 

 

 

 

 

 健斗に襲い掛かろうとしたロッテだったが、突然彼の姿は消え、ロッテの体は空を切る。ロッテは地面に足を伸ばし、ミミズ状に床をえぐりながら大きく位置をずらして着地した。

 

「ちっ、希少――いや固有技能か。やっぱりあのガキ……」

 

 舌打ちしながら忌々しそうに零すロッテにクロノは杖を向けながら口を開く。

 

「ロッテ、大人しく《デュランダル》を渡せ。お前が持っていることは提督から聞いているんだぞ!」

 

 クロノが言うとロッテは銀色のカードを取り出し、見せびらかすように指に挟む。

 

「ああ、もちろんこの通りあたしが持っているよ。闇の書の永久封印には絶対に必要な物だからね。どうしてもっていうならクロスケに()()()もいい。けど条件がある」

「条件だと?」

 

 眉をひそめるクロノに、ロッテはデュランダルと呼ばれるカードを指に挟んだまま言った。

 

「今すぐ闇の書と八神はやてをあたしに差し出して。それと父様とアリアの解放もね。デュランダルを扱えるのはあたしが知る限り父様とあの子だけだから。身内としての情ももちろんあるけど」

「民間人ごとロストロギアを凍結させるような行いに加担しろと言うのか?」

 

 ロッテの言わんとすることを悟り、クロノは声を荒げる。しかしロッテも激情に染まった表情で言葉を返した。

 

「そんな綺麗事にこだわってたら、また闇の書を封印できる機会をなくしちゃうよ! それでクライド君みたいな……あんたの父さんみたいな犠牲者が大勢出るんだ! クロノはそれでいいの!?」

 

 父の名を出されてクロノも思わず顔をしかめる。だが彼は首を横に振って、

 

「だからといって罪のない人間を犠牲にしていいわけがない。それじゃただの生贄だ。法に携わる者として到底見過ごすわけにいかない。君たちの主もそれに気付いていたからこそ大人しく捕まって、洗いざらいを白状したんだ。あの人の教えを受けた僕にはそれがわかる」

「あんたなんかに何がわかるんだ!? はやてちゃんを犠牲にすると決めるまで父様がどれだけ苦しんだか、あたしたちがどんな思いであの子と接してきたかあんたにわかるか! 過去の主たちのような悪人だったら気が楽だったと何度思ったことか!」

 

 感情のままにロッテは吼える。しかしクロノは冷静なまま返した。

 

「悪人だとしても法を犯していない限り、誰にも彼らを裁いたり殺める資格はない。それに凍結させただけでは闇の書を封印し続ける事はできない。凍結した闇の書をどこに隠そうとどんなに守ろうと、いつかは誰かが見つけて使おうとする。アルカンシェルで消滅させた時と同じ一時しのぎにしかならないんだ。そんな計画のために大切な友達を差し出せるものか!」

 

 その指摘にロッテはたじろぐ。だが彼女はなおも退こうとしない。

 

「……それでも、少なくとも封印が解けるまでは闇の書が世に出ることはない。100年か200年、あるいはずっと……そのためにも――こんなところで引けるもんかぁぁ!」

 

 獣のように叫びながら、ロッテは猛然とクロノに向かってくる。

 クロノはやっぱりこうなったかと思いながら彼女を迎える。

 グレアムの理性的な部分を反映したようなアリアと違い、ロッテは若かりし頃のグレアムが持っていた直情的な部分が移ったような性格をしている。クロノの冷静沈着な所は彼女を反面教師とした部分もあるだろう。

 

「ちょうどいい。これを機に白黒つけさせてもらうか。いつまでも師匠を越えられないなんて情けないからね」

 

 そう言いながらクロノはロッテにS2Uを向け――

 

「ブレイクキャノン!」

 

 

 

 

 

 リーゼロッテを振り切ってから、螺旋階段に囲まれた吹き抜けの中で、俺たちは今まで以上の数の傀儡兵と戦っていた。

 入口の前でクロノと戦ったものと同型の銀色の傀儡兵が俺に斧を振り下ろす。それを受け止めるべく剣に魔力を込めようとした。

 だが――

 

「はあああっ」

 

 赤い狼が真上から傀儡兵に飛びかかり、首元の魔力線を食いちぎった。

 

「アルフ! なぜお前がここに?」

 

 俺が問いかけるとアルフはこちらを向きながら、

 

「あんたらに加勢したいって言ったら一時的に釈放してくれたんだ。時の庭園なら逃げようがないしね。それより気を付けて。厄介な奴が近づいているよ」

 

 アルフが言い終わると同時に壁を突き抜けて、2問の大筒を背負った巨大な傀儡兵が現れた。

 それを見て局員たちは様々な場所から砲撃を放つが厚いバリアにさえぎられ、傀儡兵に届かない。

 

「バリア付きの大型傀儡兵……まさかあれはティミル博士とプレシアが共同で造ったという――全員退避! あれを喰らったらひとたまりもないぞ」

 

 ゴーレムが下に向けて大筒を向けるのを見てギャレットさんは叫ぶ。

 しかし彼らが逃げる前に大筒から光を漏れる。

 彼らを救おうと俺は二度目の技能を使おうとした。

 だが――

 

「ギガントシュラーク!」

「シュツルムファルケン!」

 

 巨大化したグラーフアイゼンがバリアを砕きながらゴーレムをよろめかせ、弓になったレヴァンティンから放たれる矢がゴーレムを貫く。

 これは……

 

「シグナム、ヴィータ」

「健斗、アルフ、お前たちは先に行け!」

「こいつはあたしとシグナムで十分だ。お前らはとっととリニスとプレシアを捕まえてこい」

 

 俺たちを横目で見ながら二人はそう言い放つ。

 俺とアルフは、

 

「わかった。ここはあんたらに任せるよ」

「ありがとう二人とも」

 

 そう言って俺たちは二人に背を向けようとした。そこへ――

 

「健斗」

「えっ?」

 

 ヴィータから声をかけられ、俺は思わず振り返る。

 ヴィータは俺に背を向けたまま言った。

 

「もう一度だけお前を信じるからな。今度裏切ったら、こいつでお前の顔を平らになるまでぶんなぐってやる」

「ああっ! 肝に銘じる」

 

 ヴィータとそんな言葉を交わしてから、俺はアルフとともに先へ急いだ。

 その後に続く20人ほどの局員たちを連れて。



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第41話 時の庭園 リニス戦前

 吹き抜けを過ぎて俺とアルフ、ギャレットさんを始めとする20人ほどの武装局員たちは、屋敷内を駆け抜ける。

 階段を登ると柱のように出っ張った壁についている扉と、左右に広がる通路を見つけ、初めて俺は足を止める。

 サニーが使っていた頃は、左の方に無数の本と資料を置いた部屋があったはずだ。あの古文書を読んだのもその部屋だった。

 

「アルフ、あっちの方は?」

 

 左側の通路を顎で指すとアルフも俺が指している方を見ながら言った。

 

「あっちはプレシアの研究室がある方だよ。あたしたちが住んでいた頃はいつもあの部屋にプレシアがこもっていたんだけど、今はどうかわからない。少なくともあたしたちっていうか、フェイトやリニスと会う時は右側の奥にある《玉座の間》がほとんどだ。ちなみにあれはエレベーター。最上層に直通してる」

『みんな、ちょっといい?』

 

 アルフが説明し終えたところで、頭上にモニターが現れエイミィさんの姿が映る。

 俺たちは一斉に彼女の方を見上げた。

 

『《時の庭園》について調べてみたんだけど、庭園の最上層にある駆動炉の中には、ジュエルシードと同系のロストロギアが内蔵されているみたいなの。もし複数のジュエルシードと駆動炉を同時に発動させれば、《時の庭園》や97管理外世界の近くで中規模以上の次元震、最悪の場合次元断層が起きちゃうかもしれないって計算が出て……』

 

 それを聞いて局員たちがざわめく。

 プレシア側が持っていたジュエルシードは今、なのはとの勝負で賭けるためにフェイトの手にある。しかし、プレシアが何の手も打たずに、むざむざすべてのジュエルシードをフェイトに預けるとは思えない。転送魔法などでいつでも手元に戻せるようにしていると考えるべきだ。

 

『だから、ここからはプレシアを捕まえる方と駆動炉を押さえる方の二手に分かれてほしいんだけど。できれば駆動炉の方を優先して』

 

 エイミィさんの指示を聞いて局員たちは顔を見合わせる。

 駆動炉はプレシアにとって、ジュエルシードが集まらなかった場合の切り札を兼ねているに違いない。そのまわりには間違いなく多くの傀儡兵(ゴーレム)が配置されているはずだ。指定された通りにしか動けない故の隙があるとはいえ、一体一体がギャレットさんと同格の力を持つ傀儡兵。これ以上部隊を分けたくないのが本音だろう。

 

「ギャレットさんたちは駆動炉を止めに行ってくれませんか?」

「えっ……?」

 

 そう言うとギャレットさんは戸惑いの声を漏らす。俺はさらに続けて言った。

 

「俺とアルフがプレシアを捕まえに行きます。ギャレットさんは部下を連れて駆動炉を止めてください。ここに来るまでかなりの傀儡兵を破壊してきましたし、総数自体はもうそんなに残ってないはず。武装隊が全員で行けば駆動炉を制圧できると思います」

「確かに万が一のことを考えたら駆動炉は押さえておきたいが、君とその使い魔だけで行く気か? いくらなんでも危険すぎる! せめて我々の中から10、いや8くらいは連れて行くべきだ」

 

 そう言いながらもギャレットさんの顔色はさえない。やはりこれ以上隊の数を減らすのは避けたいのだろう。敵側だったアルフを信用できないというのもあるに違いない。

 ……言い方を変えるべきか。

 

「プレシア・テスタロッサはSSランクに匹敵する魔導師でしたね。フェイトを教育するために作られたリニスも、主に匹敵する力を持つ使い魔だとか」

「あっ……ああ」

 

 確認するような問いにギャレットさんはぎこちない相槌を返す。俺は続けて言った。

 

「クロノが言っていたんですが、俺の力量はSランクの魔導師と同等以上だそうです。アルフもフェイトとともに管理局を凌いできただけあってそれなりの実力です。何が言いたいかわかりますか? ……プレシアやリニスに太刀打ちできるのは俺たちくらいしかいないってことです」

 

 そこまで言うと多くの局員たちが不愉快そうな顔になり、その中から少なくない人たちが声を上げようとする。

 それより先にギャレットさんが俺に問いかけた。

 

「つまりプレシアたちに対し勝ち目のある君たちに彼女らの逮捕を任せて、我々は傀儡兵の掃討と駆動炉の制圧に注力するべきだと?」

 

 俺は首を縦に振る。

 

「はい。言うまでもなく駆動炉の制圧も重要な役目です。駆動炉さえ止められるようにしておけば、プレシアが何をしようと次元断層は起こりませんから。駆動炉制圧を優先しろというエイミィさんの指示にもかないます。だからプレシアの方は俺たち――いや俺に任せてください!」

 

 強めの口調でそこまで言うと、ギャレットさんはしばしの間目を閉じてから口を開いた。

 

「確かにリミエッタの言う通り、次元震や次元断層を引き起こすわけにはいかん。何としても駆動炉は押さえておかなくてはならんだろう。しかし、これだけの事をしたプレシアを逃がすわけにはいかない。もし彼女たちを取り逃がすことになればその責任は重いぞ。君はアースラにいられなくなるし、俺や執務官も何らかの処分を食らうかもしれん」

 

 その言葉に俺は真剣な表情でうなずき。

 

「はい。個人的な理由もありますし、何としてもプレシアを捕まえて見せます。だからギャレットさんたちは駆動炉を止めてください。そして俺たちが住む地球を守ってください――お願いします!」

 

 そう頼んだ途端、局員たちは落ち着きを取り戻す。彼らを軽視するつもりはない。むしろ俺にとっても、駆動炉を押さえることはプレシアとリニスを捕まえること以上に重要な事だ。次元震や断層が起これば地球もただでは済まなくなるから。

 ギャレットさんは真剣な表情で首を縦に振った。

 

 それからすぐ、武装局員たちが何人かに分かれてエレベーターに乗り込んでいる横で、アルフは俺に尋ねる。

 

「じゃあ、さっさとリニスを説得して鬼ババをとっちめに行くかね。研究室と玉座の間、どっちの方へ行く?」

「すぐそこだし、まずは研究室の方から見ておこう。この状況で部屋にこもって研究や調べ物をしているとは思えないが一応。アルフはここで見張っておいてくれ」

「あいよ。でも、まるであの部屋を知ってるような言い方だね。ここに来たことがあんの?」

「……まあ、かなり昔にな」

 

 何気なく尋ねるアルフに俺はそれだけ言って、そそくさと研究室へ行った。

 当然、プレシアもリニスもそこにおらず、無数の本と丸まった紙があちこちに散らばっているだけだった。

 

 

 

 

 

 

 《玉座の間》へ続く道には傀儡兵が一体もおらず、俺とアルフはそのままダイニングルームらしき広間へと出た。

 真っ暗な次元空間だけが映る窓、無数の電球をつけたシャンデリア、長い間使われていないだろう暖炉のみがあり、食事に使うテーブルなどはどけられた後のダイニングルーム()()()広間の中心に彼女はいた。

 

「来ましたね、御神健斗……アルフも一緒でしたか」

「リニス!」

 

 リニスを見つけ、俺の隣でアルフは声を上げる。

 リニスはアルフの顔を見て安心したような顔を見せるものの、すぐに表情を引き締めて俺の方に顔を向けた。

 

「一週間ぶりですね。もっとも、最後にあなたを見た時は管理局から逃げるのに必死で、お話しする暇はありませんでしたが」

「そのまま捕まってりゃよかったものを。と言いたいところだが、そのおかげでお前と決着をつける機会ができたんだ。そう思うとこんな流れになったのも悪くないかもしれないな」

「そういう悪いところばかり男らしいですね。将来彼女を泣かせることになっても知りませんよ」

 

 リニスはため息をついて仕方なさそうな笑みを浮かべる。

 そんなやり取りをかわす俺たちに割り込むようにアルフは声を上げた。

 

「リニス、もうやめよう! いつまでも鬼ババなんかの言いなりになってたらだめだよ。ジュエルシードも闇の書も願いを叶える力なんてない危険な物なんだ。だから――」

「主に背いた瞬間に私は契約を解除されて、この世にいられなくなります。本来、使い魔とはそのように服従させ消費していくものです。アルフも知っていると思いますが」

「そ、それは……」

 

 指摘混じりの反論にアルフは言葉を詰まらせる。気まずい表情で頭を下げるアルフにリニスは首を振って言った。

 

「いいんです。あなたの言うこともわかりますから。度々暴走を引き起こしていたジュエルシードはもとより、闇の書にもプレシアが求めるような力はないでしょう。それがとても危険なものであることも察しが付いています。ロストロギアの中でも屈指の力を持つ魔導書――そのようなものを歴代の所有者があっさり手放すとは思えませんから。愚王ケントが闇の書と心中するような形で死亡したのも、もしかしたらそのせいかもしれません」

 

 リニスは俺を見ながらそう言ってのける。闇の書だけでなく、俺についてもとっくに見透かしてるような目だった。

 それを誤魔化すように俺は声を発した。

 

「そこまで気付いているならご主人様に教えてやったらどうだ? 他の方法を探すように言った方がいいとも」

 

 リニスはあえてその話に乗ったように首を横に振る。

 

「あの方は私が何を言っても聞いてくれません。それに方法なら色々と探しました。ですが、あの方の願いをかなえる方法も品も見つからなかった。そして、もうあの方に残された時間は本当にわずかだけとなってしまいました。今すぐ集中治療を受けない限り今日一日も持たないかと」

 

 リニスが告げた事実を聞いて俺とアルフは唖然とする。

 プレシアが重い病気を患っていた事は聞いていたが、まさかそこまでとは。しかもそんな状態になってまだ研究にのめり込んでいるなんて。もはや執念という言葉すら生温く思える。

 だからこそ不憫に思う。そこまでして見つけ、求めていたものが、自分にとどめを刺すものでしかないんだから。

 

 俺の胸中を知ってか知らずか、リニスは真剣な表情を作りながら言う。

 

「御神健斗、無理を承知でお願いします。闇の書と八神はやてさんの身柄と引き換えにするための人質として、しばらくの間私たちのもとにいてもらえないでしょうか? おそらく数時間もしないうちに、あなたもはやてさんも無事に解放されることになると思います」

 

 プレシアの寿命が尽きて、同時にリニスも消滅するからか。

 それを理解した上で俺は首を横に振る。それを見てリニスはやはりと言う顔でつぶやいた。

 

「……聞くまでもありませんでしたね。あなたならそう言うと思っていました」

「ああ。プレシアの手にジュエルシードと闇の書が渡ったらそれだけで洒落にならないことになる。そんな奴に大切な幼なじみを預けるわけにはいかないし、プレシアの余命が幾ばくもない以上そんな()()に付き合っている暇はない!」

 

 その啖呵を耳にしながら、リニスは仕方なさそうに懐から金色の球を取り出す。

 

「わかりました。では力ずくであなたを捕まえるとしましょう――《バルバロッサ・サプレス》!」

『Yes,boss』

「はっ、やれるものならやってみろ――ティルフィング!」

『Ja Meister』

 

 アルフが見守る中、リニスは以前とは少し違う形の杖を構え、俺は愛剣を構える。

 三度目にして最後となるリニスとの戦いが今幕を開けた。



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第42話 時の庭園 VSリニス3

「おいリニス! 本当にやるのかよ?」

 

 武器を構えるリニスに向かってアルフは声を上げる。

 俺はリニスを見据えながら、後ろにいるアルフに向かって言った。

 

「下がっていろ! こいつは俺と奴との戦いだ。お前は手を出すなよ」

「ええ。アルフは自分の身を守る事だけを考えてください。あなたを案じている余裕はありませんから。――行きますよ!」

 

 そう言うやいなや、リニスは俺の視界から消える。

 俺は彼女の姿を捉えようとはせず、もう一つの感覚器官である聴覚を研ぎ澄ませた。草木に紛れた母さんを迎え撃つ時のように。

 

 ――そこだ!

 

 足音と気配が迫ってくるのを感じ、剣を正面へと突き出す。

 その瞬間、ギンと甲高い音が眼前で響き、目の前に杖を握りしめているリニスが現れる。攻撃を防がれたことでリニスはわずかに動揺したのか力が緩んだ。

 俺は剣を握る手に力を込めてリニスの杖を弾き、彼女に向けて刃を振り下ろす。

 彼女は避けようともせず左手を向けて、

 

「プラズマスマッシャー!」

 

 リニスの左手から稲妻が漏れるのを見て、俺はとっさに真横に移動する。その直後、リニスの手から放たれた光線は壁を貫いて大きな穴を空けた。

 リニスは広げたままの左手を俺に向け、複数の光球を出現させる。

 

「プラズマランサー――ファイア!」

 

 その一声とともにすべての光球が俺に向かって飛んでくる。俺はさらに横に跳んでそれをかわした。しかし――

 

「ターン」

 

 俺のいる方にリニスが手を伸ばした瞬間、光球は壁にぶつかる寸前に動きを止めて再び俺めがけて飛んでくる。

 小賢しい真似を――。

 

「シュヴァルツ・ヴァイス!」

 

 まっすぐ飛んでくる球を魔力を込めた剣ですべて弾き落とす。その瞬間否が応にも俺は無防備に横を向いている姿をリニスにさらけ出す形になる。

 彼女はそれを待っていたように杖を構えた。

 

『haken form』

 

 リニスの杖、バルバロッサは二発の薬莢を吐き出しながら、長剣の形に変わる。俺は舌打ちしながら――

 

「パンツァーシルト」

 

 攻撃を防ぐべく左手の先に障壁を張るが、バルバロッサはあっさりとシールドを砕いて、俺の体を弾き飛ばした。

 

「ぐあっ!」

 

 俺は床を転がりながらもある程度の位置まで来たところで手を付け、剣を肩に担ぎながら態勢を立て直す。

 斬りつけられたにもかかわらず、切り傷は付いてない。『非殺傷設定』のおかげか。

 

 現代、特にミッドチルダ製のデバイスは、人体や物体に傷をつけず魔力ダメージのみを与えられるように設定ができるらしい。この『非殺傷設定』と呼ばれる機能によってほぼ確実に犯人を死傷させずに捕らえられるようになり、誤って味方や民間人を攻撃してしまっても死なせてしまうようなことはなくなった。

 初めてリニスと戦った時に、ばっさりやられたにもかかわらず死なずに済んだのも非殺傷設定によるもののようだ。

 とはいえ痛みまでは抑えることができないらしい。あるいはある程度痛みを感じるようにしてあるのか。まだ肩が痛む。

 

「はあっ!」

 

 その一声とともに再びリニスの姿がかき消える。右か、左か、また正面か? あるいは――。

 直感的に俺は上を見る。リニスは俺の真上を浮き、

 

「サンダーレイジ!」

 

 彼女がいた場所から雷が降ってくる。俺は床を蹴ってその場から離れる。俺が立っていた場所は雷を受けて黒い煙を噴き出していた。

 その煙に紛れてリニスが踏み込んできた。俺は剣を前に突き出しながら魔力を練り上げる。

 

「はあっ!」

「やあっ!」

 

 刃と刃がぶつかり合い、互いの目の前で黒と黄が混じった色の火花が散る。それにひるまず俺たちは再度武器を振るい、剣と杖をぶつけ合う。

 向こうは大人でこちらは子供、単純な力比べでは分が悪いが、

 

「はああっ!」

「――っ?」

 

 衝撃を表面にぶつけるのではなく裏側に撃ち通すことで、威力を“徹した”打撃で相手の杖を払い、振り下ろした刃を振り上げて二撃目を与える。リニスは巧みに杖を振るいそれを防ぐが、思わぬ方向からの斬撃に動揺を隠せずうめき声を漏らしてしまう。こちらの攻撃を防ぐために相手の得物が真上を向いた隙に、剣を引き戻しながら一瞬の間に相手を見定める――そこだ!

 俺が三撃目として放った突きは、リニスの防御を“貫き”ついに彼女の杖を弾き上げ、無防備な胸元をさらす。

 俺は渾身を込めてリニスの胸元めがけて剣を振り下ろした。

 

「シュヴァルツ・ヴァイス!」

「ああぁっ!」

 

 魔力と渾身がこもった一撃を受けて、リニスは弾かれたような声を上げながら後ろへと下がる。

 リニスが羽織っていた白いコートの前留めは切れて黒いインナーがすべて露わになり、そのインナーにも大きな切れ目と焦げ跡がついていた。

 そんな姿をさらしているなど気付いてないかのようにリニスは呆然と呟く。

 

「今の太刀筋は一体……?」

 

 俺はそのつぶやきに答えず息をつきながら剣を下ろした。

 そんな中、今まで戦いを傍観していたアルフは呆気にとられながら思った。

 

(あのリニスがここまで追い込まれるなんて。あいつがリニスに傷を入れたと聞いた時は、何か卑怯な手を使ったんだろうとしか思ってなかったけど……あの健斗って奴なら、もしかして本当にリニスを――)

 

 攻撃を受ける寸前に身をひるがえすことで辛くも決定打を免れたリニスは、ボロボロになったコートを脱ぎ捨てる。戦っている間に帽子も落としており、彼女の姿は黒一色に染まり、耳と尻尾が露出している。

 

「やりますね。まさか私がよそ様にこんなみっともない姿を見せるなんて」

「いや、なかなか似合ってるんじゃないか。ずいぶん昔に出てたアニメキャラに似てる気がするし。俺は悪くないと思うけど」

「どんなアニメですか。そんなものばかり見てるからエッチな子になっちゃうんです。まさかフェイトにそのアニメのことを教えたりしてませんよね?」

 

 リニスが疑わしげな声で尋ねると、アルフも冷たい目で俺を見た。

 いや、俺が成熟してるのはたぶん前世の記憶を受け継いだことによる精神年齢のせいだ。それにお前らの格好の方がよっぽど教育に悪い気がする。もう影響を受けてるっぽいし。

 

 そこでリニスは真剣な表情に戻し……

 

「このままだと本当に負けてしまうかもしれませんね。そろそろ奥の手を使わせていただきます!」

Sonic and zanber form(ソニック アンド ザンバーフォーム)

 

 バルバロッサが応えるとリニスの体が黄色の光に包まれ、その形を変えていく。

 そして、光が収まった頃に現れたのは、さらに布面積が減ってレオタードのような形になったインナーに身を包んだリニスだった。バルバロッサも大剣のような形になっている。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

「その姿は……そんな恰好一度も見たことがない」

「この格好では耳も尻尾も隠せませんからあまり見せたくないんです。フェイトがもっと強くなったら見せる機会もあったかもしれませんね」

 

 驚くアルフにリニスは顔を赤らめながら説明する。そんな彼女に俺は口を挟んだ。

 

「装甲が薄くなったように見えるが――まさか防御を捨てて速度に当てたのか?」

「ええ。リーゼロッテさんやあなたに対する切り札としてずっと温存してきました。この状態の私より早く動ける者は存在しません。防御の心配などする必要はない――あなたの剣が空を泳いでいる間に斬り伏せますから」

 

 リニスは軽々と大剣を振り回しながら言い放つ。

 今までも目に留まらない速さだったのが、さらに格段に速くなったというのか。それが本当だとしたら並みの魔法や剣術だけではかなわない。やはり技能を使わずに勝てるほど甘くないか。

 

 数十歩ほどの距離を空けて俺とリニスは互いに剣を向け合う。あまりの緊張感にごくりと唾を飲み込んだ。

 俺は一歩足を踏み出し、そこで止まる。

 リニスはまだ動かない。ただじっと俺を見据えている。

 俺はさらに一歩踏み出そうと足を上げる。その瞬間、リニスの姿が消えかけ――

 

 フライングムーヴ!

 

 俺は技能を発動する。

 俺の前には踏み出そうとするリニスと、俺の目の前にもう一人のリニスが!

 技能が働いているにもかかわらずリニスは剣を振り下ろしてくる。俺は剣を振り上げてそれを受け止めた。

 

 その瞬間技能は解け、二つの剣は鈍い金属音と火花を散らしてぶつかり合う。リニスは続けざまに攻撃を繰り出す。反射的に剣を繰り出し、何度か凌ぐが大剣の重量と速すぎる連撃に耐えられず、ギリギリのところで飛びのくが衝撃を殺しきれず、吹き飛ばされるような形でリニスと距離を空けた。

 

「躱しましたか。今ので仕留めるつもりだったのですが」

 

 おいおい、速すぎるなんてもんじゃないぞ。技能中でもあんなにくっきり残像が残るなんて。確かにこいつより速い者などいないかもしれない。攻撃を受け止めるだけで貴重な技能を使ってしまった。残りはあと一回のみ。

 

「ここは出し惜しみせず一撃で昏倒させた方がよさそうですね……プラズマ――」

 

 リニスが剣を真横に構えると、彼女の足元に魔法陣が現れおびただしい電撃が大剣に集まり、大剣からは6発の薬莢が吐き出される。それを見てアルフは叫ぶ。

 

「健斗、もういい! 今すぐ降参しろ! さすがにあれはヤバイ。あんなの食らったら丸一日は気絶したまま――いや、何日かは動けなくなるかも」

「それはちょうどいいですね。目が覚めたらすべてが終わっているということじゃないですか。私からすれば少し羨ましいくらいですよ」

 

 悲痛な声で降参するように促すアルフに対して、リニスは笑みさえ浮かべながら冷酷に告げる。

 本当に俺を丸一日気絶させるつもりなのか、あるいは恐怖心をあおることで俺を降参させるつもりなのか。いずれにしろ答えは決まっている。

 

「来いリニス。俺は必ずこれを凌ぐ。そして今日こそお前に勝って、壁を一つ乗り越えさせてもらうぞ!」

「本当に身の程をわきまえない子ですね……ならば受けてみなさい! 我が最大の技――プラズマザンバー!」

 

 そう告げた瞬間リニスの像がぶれる。俺は迷わず――

 

 フライングムーヴ!

 

 三度目の技能が発動した瞬間、再び二人のリニスが俺の前に現れる。本物はもちろん俺の眼前で雷撃をまとった剣を振り下ろそうとしている方だ。これを食らったら間違いなく今日丸一日は意識が飛ぶ。これを防がないわけにはいかない。

 俺は先ほどと同じく相手の剣めがけて自分の剣をぶつける。

 

 技能が解け、互いの剣からは耳をつんざくような音と雷撃が部屋中に駆け巡る。体中が痺れるのは剣がぶつかった衝撃だけではないだろう。だがひるんでいる暇はない。

 

「ティルフィング、カートリッジロード! 可能な限りすべて装填!」

『Ja!』

 

指示した瞬間、ティルフィングの弾倉から薬莢があふれるように出てきて、急激に魔力が増大し、その代わり体中に負荷がかかる。特に腕からは骨がきしんでいるように痛みがする。だがこうでもしないとリニスの剣を受け止めきることはできない。

 

「ぐぐっ……」

「このっ……」

 

 話している時からは考えられないくらいの歪んだ形相でリニスは剣を押してくる。だがカートリッジのロードによって拮抗状態を保つことはできた。あともう少し……

 

「だああああ!」

 

 渾身の力を込めて剣を押し返し、リニスの剣を弾き上げる。その衝撃でリニスは足を半歩後ろへ下げ、その隙に俺は後ろへ跳ぶ。

 

「また後退ですか。でも、これであなたは技能を使い切ったはず。今度こそ終わりです!」

 

 勝利を確信した故の喜びと失望がないまぜになったような声で、リニスは高らかに叫ぶ。それを聞きながら俺は念じた――今世初となる四度目の技能行使を。

 

 フライングムーヴ!

 

 恐る恐る目を向けると、リニスは俺に向かって口を広げたまま、俺やリニスの間を忙しなく視線を交差させているアルフ、あちこちに放射している雷撃すら動きを止めている。

 成功だ。前世でもエクリプスの力を借りなければ叶わなかった、四度目のフライングムーヴがついに成功した。

 だが肝心なのはここからだ。カートリッジ全ロードの負荷も相まって体中に激痛が走り、これ以上リニスと鍔迫り合いを続ける余裕はない。

 この一振りで奴を仕留めるしかない。それが出来なければ俺の敗北(まけ)だ。

 制止した空間の中で俺は剣を振りかぶる。その最中、師の言葉が脳裏に蘇った。

 

『お前が《フライングムーヴ》と呼んでいるその技は、我々『御神の剣士』が極意とする《神速》に似て非なる技だ。知覚と体の動きにずれが生じる神速と違って、制止したも同然の空間の中で自由に行動できるお前の技、いや力は、使いようによっては我々が辿りつけなかった領域にも易々と踏み入れることができる。私や兄さんが会得できなかった御神流の奥義《閃》さえもな。その代わり、身体にかかる負荷も神速以上のようだ……果たして、お前は《フライングムーヴ》を使いこなすことができるかな、健人』

 

 俺はリニスを視界に捉える。リニスはすでに剣を構え、数歩俺に向かって来ている。やはり速い。技能中にこれだけの動きをするとは。

 はたして当たるか、いや、当てて見せる!

 息をつき、狙いを定めて、俺はリニスに向かって足を踏み出した。

 

 

 

 技能は解け、一瞬前まで数十歩も先にいたリニスは今、俺の眼前にいる。

 リニスは驚愕の表情を浮かべながら光のような速さで剣を振りかぶろうとする。そして俺の剣も彼女の胸先を捉えていた。

 

「プラズマ――ザンバー!」

「シュヴァルツ・ブリッツ()!」

 

 次の瞬間、リニスの大剣が俺の肩に入り、すさまじい激痛と痺れが襲ってくる。

 それに対して俺の剣はリニスの胸を深く斬り裂いていた。

 ……勝った。

 そう確信した俺に応えるように。

 

「お見事……あなたの勝ちですよ。御神健斗」

 

 リニスはそう言って笑い、どさりと倒れた。

 

「リニス!!」

 

 アルフは倒れているリニスに駆け寄って、彼女を抱き起こし何度も名を呼ぶ。

 そんなアルフにリニスは笑みを作りながら言った。

 

「大丈夫ですアルフ。あちらも非殺傷設定みたいですから死にはしません。そうですよね?」

「ああ。加減して勝てるとは思えなかったからな。現代に非殺傷設定とやらがあって助かったよ」

「まるで非殺傷設定がない時代から来たような言い方ですね。もしかしたら、あなたは本当に……」

 

 俺の物言いにリニスはふふと笑い、アルフは首をかしげる。

 リニスは俺を見上げながら、

 

「本当に強くなりましたね。数週間前までは技能を使わないと私の攻撃を避けることも受け止めることもできなかったのに。なんででしょう? 負けて悔しいはずなのに、嬉しいとも思ってしまいます。不思議ですね」

「なんでって、そりゃあこれで鬼ババの言いなりにならずに済むからだろう。全力でやってやられたんだ、命令に背いたことになんかなるもんか。もうリニスは自由だ。それでほっとして嬉しくなったんだ」

「いや、多分違う」

「「……?」」

 

 アルフの言葉を否定すると、二人は怪訝な表情で俺を見上げる。俺は体をかがめ、リニスに視線を合わせながら言った。

 

「リニスのおかげで俺はここまで強くなった。あんたがいなければジュエルシード集めはもっと簡単にいっていただろうし、プレシアの所へも難なく辿りつけていたと思う。でも、あんたという壁がいなかったら四回目のフライングムーヴを成功させることはできなかったし、今の技も思いつかなかった。

 だからまあ、リニスは俺にとってライバルであって、師匠みたいなものでもあるんだ。あんたもそう思ってるんじゃないか。だから弟子の成長が嬉しいと感じたんだ」

 

 そう言うとアルフとリニスはしばらく目を丸くしてから、

 

「い、いやいや、冗談じゃないよ! あんたはリニスと戦ってただけじゃないか。何よりそれじゃあ、あんたとあたしたちが兄弟弟子ってことになっちまう。そんなのあたしゃごめんだよ!」

「でも、そういう師弟関係もありかもしれませんね。体でぶつかり合って鍛えるのも。結果的には短期間で私より強くなっちゃいましたし」

 

 いやだいやだとぶんぶん首を振るアルフに対して、リニスはフフと笑う。

 そしてリニスは笑みを消し、扉の向こうへ顔を向けた。

 

「プレシアはその先にある《玉座の間》にいます。そしてあの部屋の側には……あなたならもう知っているんでしょう」

「ああ。10年くらい前にプレシアがどんな目に合ったのかも、彼女の“娘”のことも――全部クロノから聞いた」

 

 俺の言葉にアルフは首を傾げる。一方でリニスは「そうですか」と言って、

 

「私が言えた義理ではないと思いますが、どうかあの方を救ってあげてください。プレシアは私やフェイトが差し伸べた手を拒んで、ずっと一人で悲しみと孤独に耐えてきた人なんです。だから……」

「任せろ。お前たちの事情はともかく、俺にとってこのままプレシアに自滅されては困る。嫌でも彼女を捕まえてアースラまで連れて行かせてもらうぞ。あれほどの技術者はそうそういないらしいからな」

「……お願いします」

 

 それだけを言うとリニスはアルフの膝に頭を預けて目を閉じ、浅い呼吸を立てながら眠りについた。

 

「アルフはここでリニスを診てやってくれ。非殺傷設定とはいえ結構深く入ったからな。一人だと立つのもきついはずだ」

「わかった。あんたも気を付けて。弱っているとはいえ、大魔導師を名乗るほどの力を持ってる人だから」

 

 その忠告に俺は首を縦に振ってから、その場を後にした。

 いよいよ、残るはプレシアただ一人。



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第43話 時の庭園 プレシアとの対峙

 健斗がリニスに勝ってプレシアのもとへと向かっている頃と同時刻。互いに全力を振り絞った二人の少女の長い戦いにも決着がつこうとしていた。

 

 おびただしい桃色の光がなのはの前に展開された魔法陣に集まっていく。それは二人の戦いで周囲に散布された魔力の光だった。その中にはフェイトが放出した金色の光も混じっている。

 それを見てフェイトは心の中でずるいと叫びながらも、砲撃を撃つ前になのはを倒すために飛ぼうとする。しかし手足に何かが巻き付いていてこの場から動くことができない。フェイトは自分の体を見る。彼女の四肢はいつの間にかバインドによって拘束されていた。

 フェイトは身をよじらせるが彼女を縛り付けている魔力の縄はびくともしない。

 エクセリオンモードとなったレイジングハートを向けてなのはは叫ぶ。

 

「これが私の全力全開、スターライト――ブレイカー!!」

 

 その瞬間、レイジングハートから桃色の巨大な光線が放たれ、空中にいるフェイトを飲み込みながら海へと直撃する。その衝撃で真下の海からはすさまじい高波と爆発光が立ち昇った。

 

 

 

 アースラのスタッフたちは唖然とモニターを見上げる。

 

『うわぁ……フェイトちゃん、生きてるかな?』

 

 スピーカー越しに漏らしたエイミィの呟きに誰もが心のうちで同意した。非殺傷設定でもさすがにやりすぎだ、せめて受け身だけでも取らせてやるべきでは、と思うものの口には出せない。

 フェイトと言う少女は次元犯罪者の一味で、余計な感傷を持つべきではない。それに自分たちは過去にフェイトを見捨てようとしたことがある。そんな自分たちに高町なのはを非難する資格はない。そう思っていたからだ。

 リンディは椅子に腰かけたまま、ため息とともに言葉を吐き出す。

 

「どうやらあっちはひと段落したようね。《時の庭園》の方は?」

「はい、リーゼロッテはハラオウン執務官によって捕縛。リニスは戦闘不可能。駆動炉もまもなく制圧が完了するとのことです。残るは玉座の間にいるプレシア・テスタロッサですが、そちらには御神健斗が一人で……」

 

 アレックスの報告にリンディは難しい表情をしながら尋ねる。

 

「技能もカートリッジも使い切った状態の健斗君だけでプレシアのもとに……。クロノと守護騎士たちは? あの子たちは今どうしてるの?」

「執務官は後続の武装局員にロッテの身柄を預けてから玉座の間へ向かっています。守護騎士二名も大型傀儡兵(ゴーレム)を破壊してからまっすぐそちらへ。どちらも問題の場所へたどり着くまでには時間がかかります」

「そう。心配だけどクロノたちが到着するまで彼に任せるしかないわね。無事にプレシア女史を捕まえられるといいんだけど……彼の言う通り、闇の書のプログラムを改変できそうなのは彼女くらいだし

「艦長?」

 

 リンディが漏らした小声にアレックスは怪訝な声で聞き返す。リンディは首を横に振って言った。

 

「何でもないわ。こちらから健斗君の様子を見ることができる?」

「はい、御神君に取り付けたサーチャーを通してあちらの様子を確認できます。映像に出しますか?」

 

 尋ねてくるアレックスにリンディは「お願い」と答える。

 アレックスは「わかりました」と言って、《玉座の間》の様子を映した。

 

 

 

 

 

 

 プレシアが座る玉座のすぐ脇に置かれた鏡型のモニターには、攻撃を受けて海に落ちていたフェイトと、彼女を助けだし抱きかかえるなのはが映し出されていた。フェイトの頭上では敗北を認めた証としてバルディッシュが排出した9つのジュエルシードが浮かんでいる。最後の悪あがきに必要なジュエルシードを。

 プレシアは玉座から立ち上がり、おぼつかない足取りで歩を進める。

 

「もういいわ、フェイト」

 

 そう言いながらプレシアは部屋の中央へとたどり着き、紫色の魔法陣を足元に浮かべた。

 

「……あなたはもういい」

 

 魔法陣が光ると、向こうの空に暗雲が立ち込め、なのはとフェイトは頭上を見上げる。暗雲から漏れる紫色の雷光を見てフェイトは恐怖で体を震わせた。

 ジュエルシードを回収するついでに“お使い”を果たせなかった出来損ないに罰を与えようと、プレシアはフェイトに狙いを定め魔力を込める。

 そこへ突然扉が開き――

 

「フレースショット!」

 

 詠唱らしき言葉とともに向こうから魔力弾が飛んでくる。プレシアは自身の前に障壁を張り、魔力弾をかき消した。

 しかしその間に、なのははフェイトを抱えジュエルシードを回収しながら雷雲から遠くへと逃れる。そこには何人かの局員がいて、アースラに繋がる魔法陣まで用意されてあった。

 もう回収はできない。

 

「――誰!? 一体誰よ、こんな事をしたのは?」

 

 邪魔をされたことに逆上し、プレシアは苛立った声を扉の向こう側へ投げつける。

 あの失敗作を甘やかしていたリニスか? もしくはアルフという犬が戻って来たのか? それとも管理局の狗たちがとうとう自分のもとへとやって来たのか? 

 ――どれも違う。

 

 扉の向こうから、不機嫌な表情で玉座の間に足を踏み入れてきたのは、黒髪に左右色違いの眼を持つ少年だった。

 彼を見てプレシアは眉をひそめながら問いかけた。

 

「あなたは……」

 

 

 

 

 

 

 

 怒声を浴びせられながら《玉座の間》へと足を踏み入れる。俺の視線の先には、俺に丸い目を向けながら部屋の中央に棒立ちしている女がいた。

 女は黒髪をまっすぐに流している中年で、あちこち肌をが露出した黒いドレスを着ている。だがガリガリの体と病的としか言えないほど白すぎる肌のせいで、お世辞にも色気があるとは言えない。記録に残っていた10年前のプレシア・テスタロッサと特徴は一致していたが、別人だと言われれば納得してしまいそうなほどかけ離れている。

 女は気を取り直し、怒気を取り戻しながら問いを重ねてきた。

 

「何のつもりかしら? いきなり部屋に上がり込んできた上に、あんなものを投げつけてくるなんて。あなたのせいでジュエルシードを回収することができなかったじゃない」

「そりゃ悪かった。危険そうな魔法を使おうとしてたんでついな。それについてこっちも一つ聞きたい。あんたが回収しようとしたジュエルシードの真下にはフェイトって子がいたな。もしさっきの魔法を使っていたらあの子はどうなっていたんだ?」

 

 俺の問いに対して女は肩をすくめて言った。

 

「別に。ちょっと痛い思いをするだけよ。あの歳になってまだお使いのひとつも果たせないような子を教育するには必要な事だわ」

 

 子供を虐待する親の典型的な言い訳じゃないか。

 頭を抱えたい気持ちを抑えながら俺は言葉を吐き出す。

 

「あんたがプレシアさんか」

「ええ、私がプレシア・テスタロッサよ。そういうあなたはどなたかしら? あなたみたいな子、知り合いにはいないけど」

「御神健斗だ。いきなり押しかけてすまないがプレシアさんに用事があって来た。話を聞いてくれないか」

 

 そこでプレシアは眉を吊り上げて、

 

「みかみけんと……もしかして、あなたが闇の書の主、八神はやての友達かしら? 確かに左右違う目の色をしてるわね」

 

 そう言いながらプレシアは俺の顔――いや、目をじろじろ眺める。すれ違った人などが向けてくる奇異なものを見るような視線と同じものだった。

 不快感と視線を振り払うように俺は尋ねる。

 

「俺やはやての事を知っているのか?」

「ええ。八神はやての事は現在の闇の書の主として把握していたし、あなたの事もリニスから聞いているわ。八神はやてにまとわりついている邪魔者としてね」

 

 それを聞いて頬が引きつるのを感じた。俺の目に対する視線といい、このおばさんは遠慮というものを知らないのだろうか。

 気を悪くする俺に対しプレシアは平然と続ける。

 

「でも今は助かったわ。あなたのおかげで闇の書を手に入れられるかもしれないもの」

「……?」

 

 プレシアの口から出た言葉に俺は眉を持ち上げた。まさか……

 

「御神健斗、私に協力してくれないかしら。そうしてくれたら、私の願いを叶えた後で闇の書の力をあなたのために使わせてあげるわ」

「何?」

 

 思わず聞き返す俺にプレシアは表情を消しながら続ける。

 

「私の願いはもう一度“アリシア”に会いたい。ただそれだけよ……あの子のことは知っているかしら?」

「アリシア・テスタロッサ。10年ほど前に駆動炉の事故で亡くなった、あんたの実の娘だったな」

 

 俺の言葉にプレシアは首を縦に振った。

 

 

 

 

 

 

「アリ、シア……?」

 

 アースラ艦内で、モニターに映った母親を見ながら、健斗が言った名をフェイトは呆然と呟く。両手にかけられた重々しい手錠も今は頭にないようだった。

 

(アリシア……そういえば時々見る夢の中で、母さんが私の事をそう呼んでいたような……それってまさか――)

 

 

 

 

 

 

 プレシアは10年ほど前に実子『アリシア・テスタロッサ』を亡くした後、会社から受け取った和解金を手にミッドチルダの首都を去り、地方で魔導研究の職に就いた。

 プレシアは新たな職場で私生活も投げ打ってひたすら研究に没頭し、その成果で多大な報酬を手にしてはまた別の会社へ移り次の研究に着手した。

 そうして彼女は着実にノウハウと資金を溜め込んでいった。

 

 そうして数年が経ち、彼女が最後に勤めたのが生命研究を行っている“企業”だった。

 そこでプレシアは何人かの優秀な研究者たちとともに人造生命の研究を行っていた。それが《プロジェクトF.A.T.E(フェイト)》、または《プロジェクトF》と呼ばれる研究だ。無論これはミッドチルダの法に反する行いであり、明らかな違法研究だった。

 プレシアが去った後に判明したのだが、その企業はある次元犯罪者が立ち上げたダミー会社で、実態は使い魔とは異なる人造生命を造り出すための研究施設だったらしい。

 その後プレシアは“企業”を抜け、これまで蓄えた私財の大半を使って《時の庭園》を購入し姿をくらます。

 

 さらにその後、プロジェクトFの成果を得たプレシアによって生み出されたのが……

 

 

 

「ええ、そうよ。あの子はプロジェクトFの研究を元に造りだした“アリシアのクローン”。フェイトと言う名前もプロジェクトからそのまま取ったの。偽物に付ける名前を考える暇なんて私にはなかったから」

 

 そこでプレシアは皮肉な笑みを浮かべ、続けて言った。

 

「最初はアリシアとして育てていたんだけどね――だけど駄目だった。アリシアにそっくりなのは見た目だけで、肝心の中身が全然違っていたのよ。利き腕も魔力資質も性格さえも……アリシアの記憶はちゃんと受け継いでいるはずなのにね。

 だからアリシアの代わりにするのはやめて、“フェイト”と言う名前と教育係を与え、魔導師として育てることにしたわ。本物のアリシアを生き返らせるために必要なロストロギアを集める道具にするためにね」

「その教育係がリニスか」

 

 フェイトに関することから話をそらすためにかけた問いにプレシアはこくりとうなずいた。

 

「アリシアと一緒に死んでしまったリニスという飼い猫がいてね、あの猫を使い魔として蘇らせたのよ。あっちも元のリニスと違って従順すぎる失敗作だったけどね。下僕としては優秀よ」

「使い魔の特性に気付かずに造って失敗作扱いか、大した大魔導師だな。それで娘を蘇らせるために、今度はジュエルシードと闇の書に目を付けたというわけか」

 

 大魔導師という呼び方に頬をひくつかせつつも、プレシアは「ええ」と肯定する。

 

「どちらも他のロストロギアよりはるかに優れた力を持っているからね。だからフェイトたちをあなたたちの世界に向かわせたのよ。フェイトにはジュエルシードを、リニスには闇の書を回収させるために」

「だが、どんなに魔力を秘めたロストロギアだろうと、死者を蘇らせることや過去を書き換えることはできない。技術そのものが確立されていないからな。闇の書を完成させようともそれは変わらないはずだ」

 

 俺はそう指摘するもののプレシアは動じずに笑みを浮かべて、

 

「さあ、どうかしら。闇の書を完成させればどんな願いも叶うとも言われている。死者の一人くらい生き返らせることができるかもしれないわ。もっとも、闇の書を使ってもアリシアを取り戻すことができなければ、当初の予定通り“アルハザード”へ向かうまでだけど」

「アルハザード――だと!?」

 

 プレシアの口から出てきた言葉に俺は目を剥いた。

 

 ベルカが発展するよりはるか以前の太古に存在した、《忘れられし都 アルハザード》。

 先史時代のベルカに技術革新をもたらしたのも、アルハザードからやって来た魔導師だと言われている。あの古文書によれば《聖王のゆりかご》もアルハザードから流出したものだとか……。

 だが、アルハザードは多世界大戦の時代にはその存在を確認できなくなっていて実在そのものが危ぶまれていた。一説では次元断層に飲み込まれたとも――まさか!

 

「プレシア、あんたはまさか、そのためにジュエルシードを集めて……」

「ええそうよ! 闇の書の力をもってしても叶わない夢も、アルハザードの秘術をもってすれば可能となる。あらゆる魔法が究極の姿に辿り着く“次元世界の永遠郷”でなら! そのアルハザードへの道を開くために次元断層を起こす必要があるのよ!」

 

 唖然とする俺に対して、プレシアは勝ち誇ったようにクククと笑う。そして……

 

「もっとも、闇の書の力でアリシアを蘇らせるのならそれに越したことはないけれどね。そうなったら次元断層を起こす必要もなくなるかもしれないわ。そこでさっきの話に戻るんだけど、あなたから八神はやてにお願いしてくれない。私に闇の書を預けてほしいってね」

 

 やはりかと唇をかむ俺を見ながらプレシアは続ける。

 

「できれば闇の書を完成させるために必要なジュエルシード14個もお願いするわ。管理局の船にいる守護騎士を使えば難しくはないはずよ。さっきも言った通りアリシアを生き返らせた後は闇の書に用はなくなるわ。あなたと八神はやてとで好きに使いなさい。……それと、あなたが望むならもう一つ付けてもいいわ」

「もう一つ?」

 

 間を空けて付け加えた言葉に尋ね返すと、プレシアは感情のない声で言った。

 

「フェイト……あの失敗作もあなたにあげるわ。煮るなり焼くなり好きにしなさい」

「なっ……?」

 

 まさかの一言に俺は自分の耳を疑う。しかしプレシアの表情に嘘や冗談を言っている様子はなかった。



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第44話 時の庭園 決着

「母さん、何を……何を言ってるの?」

 

 自分の耳を疑いながら、フェイトはモニターの向こうにいる母親に聞き返す。

 彼女と同じ問いをプレシアの前にいる健斗も言った。

 

『何を言っている? それじゃあまるで……』

『闇の書と引き換えに、あの失敗作をあげるって言ったのよ! アリシアの代わりにもならなかった人形をね!』

 

「――!」

 

 プレシアの口から吐き出された言葉の刃が、フェイトの胸に深く突き刺さる。

 聞いているうちにだんだん気が遠くなり、立ち続けるだけの気力もなくなっていく。隣で誰かが自分の名を呼んでいるがフェイトの耳には入っていなかった。

 彼女の目と耳はまだモニターに映っているプレシアに向けられている。

 

『たった21個の石ころを集めてくるくらいの事もできなかったばかりか、一月前まで魔法の使い方を知らなかった素人に負けるなんてね。リニスもどきや何とかという犬ともども実に使えない子だったわ。あの二匹と一緒にあなたに差しあげるから、情を注ぐなり慰みに使うなり好きにしなさい』

 

 母だと思っていた人からの罵倒にフェイトは耐えられず、とうとう……

 

(……モウ、ドウデモイイヤ。私ナンカドウナッテモ)

 

 その思考を最後にフェイトは意識を閉ざしかける。そこへ――

 

『おいババア』

 

 その声にブリッジにいた者たちは皆プレシアから視線を外す。彼は続けて言い放った。

 

『なのはのライバルと俺のライバルを馬鹿にするな』

 

 その一言をきっかけにフェイトもその目に光を取り戻し、再び立ち上がって彼の方を見る。

 今までずっと自分を支配していた母に対峙している御神健斗という男の姿を。

 

 

 

 

 

 怒気を含んだ一言にプレシアは呆気にとられながらも、再び口を開く。

 

「な、何を言ってるの? あなたには関係ないでしょう。あの出来損ないやリニスもどきのことを私がどう言おうが――」

「偉そうな口を叩くな! あいつらを頼らなきゃ何もできないババアが!」

 

 勢いのままに怒鳴りつけるとプレシアは呆然としながら言葉を飲み込んだ。俺は一息ついて再び口を開く。

 

「フェイトたちがジュエルシードを集めている間、あんたは一体何をしていた? あいつらが9つ集めたのに対し、あんたは自分の手でいくつぐらいのジュエルシードを手に入れたんだ? まさか1つもないなんて言わないだろうな、()()大魔導師」

「ぐっ……」

 

 返答に窮してプレシアは唇をかみしめた。俺はさらに畳みかけるように続ける。

 

「そもそも計画に現実味がなさすぎる。完成しても何が起こるかわからない魔導書と、どこにあるかわからない次元世界の永遠郷(アルハザード)とやらが最後の望みとはな。もしアルハザードがあったとしても――」

黙れっ!

 

 つんざくような大声とともに紫色の雷が飛んできて、避ける間もなくそれは俺に直撃した。同時に、遠くに浮かぶアースラからなのはやエイミィさんの悲痛な呼び声が聞こえたような気がした。

 雷撃による煙が立ち込める中、プレシアは憤怒に染まった表情で咆える。

 

「お前なんかに何がわかる。長い時間を費やして、身を削って造りあげた“アリシア”が偽者だとわかった時に私がどれだけ絶望したか、あなたなんかにわかるわけがないわ。あれがアリシアでないと知った以上、あの子を取り戻すにはロストロギアや伝承の類に頼る以外になくなった――そして知ったのよ。アルハザードの存在とそこへ行くために必要なロストロギア、ジュエルシードと闇の書の事をね!」

 

 煙を吸い込んでむせたのか、プレシアは何度か咳をこぼし()()()()()()()()()()()()続ける。

 

「どれだけの世界を次元断層に沈めようと、私はアリシアを取り戻す。そしてもう一度やり直すのよ。私とアリシアの過去を、アリシアと過ごすはずだった未来を――」

やり直したいのはお前だけじゃねえ!!

 

 視界を覆う煙を吹き散らす勢いで叫んだ途端ちょうど煙は晴れ、驚愕に目を剥くプレシアの顔が映る。

 

「なぜ……なぜ立っていられるの? あの攻撃を受けて、なぜ……」

 

 口を震わせながらプレシアは何ごとかをつぶやく。

 俺は剣を抜き、プレシアに向かって疾走する。

 プレシアは杖を前に突き出し、剣を受け止める。

 そうして鍔迫り合いを続けながら、俺は再び口を開いた。

 

「過去をやり直したいのはお前だけじゃない。誰にだってやり直したい過去やなかったことにしたい出来事はたくさんある。俺だって過去に、ベルカに戻ってやり直したいことは山ほどあるんだ!」

 

 昨日、高町家に泊まった日の晩にある夢を見た。

 《聖王のゆりかご》からオリヴィエを救い出し、ある魔導師の力を借りて夜天の魔導書の暴走を止めることに成功した夢を。

 その後も夢は続いて、守護騎士と和解し、“彼女”やエリザ、フィーとも結ばれ、彼女たちとの間に子供もできた。それから数十年が経って、成長した子供と再会するところでその夢は終わった。

 俺の行動次第でそんな未来も選ぶこともできたかもしれない。でも……

 

「でもそうはならなかった! 俺はゆりかごの主砲によって“彼女”と一緒に死んで、300年後のこの世界にやってきた。あそこからやり直すことなんてできない!」

「何を訳の分からないことを。それ以上おかしな話を聞かせないで!」

 

 怒声を上げながらプレシアは剣を払い、雷撃を放ってくる。

 俺は身をよじり直撃を逃れるが、先ほどの戦闘の痛みがぶりかえしたため、完全にかわすことはできず、雷撃を肩に食らってしまう。

 だが、全身に伝って来る苦痛を押し殺しながら俺は言った。 

 

「過去をやり直したいというあんたの気持ちはよくわかる。願うだけに収まらず、それを実現しようとしたのは正直大したものだ。だが、そのためにどんな犠牲を出してもいいというなら、お前もアリシアを死なせた奴らと何も変わらないぞ」

「何ですって?」

 

 俺の一言にプレシアは動きを止め眉を引きつらせる。そんな彼女に向けて言い放った。

 

「だってそうだろう。世界を次元断層に沈めるというのは、その世界に暮らしている人々の子供たちを殺すということなんだからな!」

「――!」

 

 虚を突かれたようにプレシアは大きく目を見開く。

 

「そしてもう一つ、お前は――」

「黙れぇ!」

 

 プレシアは耳をふさぐ代わりに、杖を掲げ俺に向けて魔力弾を撃ち出す。それを避けようと俺が身をよじったその時だった。

 

「うっ、ごほっ、げほげほ、がほぉっ!」

 

 プレシアはえずいて杖を手放し、両手を床につけながら盛大に血を吐き散らす。避けるまでもなく魔力弾は逸れて床に穴を空けただけだった。

 アルフやリニスの言った通りだったか。

 プレシアはプロジェクトFを始めとする実験の際に、危険な薬品を吸い込み続けた結果呼吸器系の病を患った。しかし、プレシアは症状が悪化しても咳止めなどの緩和剤を飲むだけで済ませ、ろくに治療も受けず無理を重ねていった。その結果、プレシアの体はもう余命を通り越し、いつ息絶えても不思議ではない状態が続いていたという。

 アリシアを生き返らせる一念だけで持ちこたえていたようだが、それももう限界なのだろう。

 

「……もう時間がない。早くアルハザードへ行かないと。ジュエルシードでも闇の書でもいい。どんな手段でも、一刻も早くアルハザードへ……」

 

 自分に言い聞かせるように言葉をこぼしながら、プレシアは血だらけの床に手を付けたまま立ち上がろうとする。

 そんな彼女の前にモニターが現れた。そこに映っていたのは――

 

「フェイト……」

 

 失敗作や出来損ないだとなじっていた彼女を見上げながら、プレシアはその名をつぶやく。

 

『母さん』

 

 そんなプレシアをフェイトは悲しげな表情で見つめながら口を開いた。

 

『あなたに言いたいことがあってきました』

 

 それを聞いてプレシアは体をすくめた。彼女がフェイトに行っていたこと、行おうとしたことを思えば罵声が飛んできてもおかしくないからだ。

 しかしフェイトの口から出てきたのは……

 

『私は……私はアリシア・テスタロッサじゃありません。アリシアになることができなかった、ただの失敗作でしかないのかもしれません。だけど私は……フェイト・テスタロッサは、あなたに生み出し育ててもらったあなたの娘です。あなたが望むならどんなことをしてもここから脱出して、あなたを守るために戻ります。あなたにとって必要な物ならどんな物も手に入れます。私があなたの娘だからじゃない。あなたが私の母さんだから』

「……」

 

 フェイトの言葉を聞いて、プレシアは彼女を見上げながら沈黙を続ける。

 プレシアがジュエルシードと闇の書の奪取や、自身の前に立ちはだかる俺を排除するように命じれば、フェイトはその通りに従うだろう。それはわかっているはずなのにプレシアは彼女に何も言葉をかけない。

 そうこうしているうちにスタッフたちの声が聞こえ、モニターは消滅した。プレシアはモニターがあった虚空を見つめる。そんな彼女に俺はさっき言いかけた言葉の続きを言う。

 

「もう一つお前は重大な事を見落としている。アルハザードに行ってそこでアリシアを生き返らせることができたとしても、その後はどうするつもりだ? 母親を失い、たった一人アルハザードに取り残されたアリシアがそこで生きていくことができるのか?」

「えっ……?」

「原因はわからないがアルハザードはとっくの昔に滅びてしまった世界だ。そんな世界にアリシアを育てられる人間はいるのか? 衣服や食料はあるのか? 自分以外の人間はおらず食う物もなく、寒さをしのぐことすらできない。そんな地獄のような所かもしれない場所にお前は娘を置き去りにするつもりなのか?」

「――っ!」

 

 プレシアは声にならない声を漏らし、口を開いたまま固まる。

 ミッドチルダや先史ベルカ以上の魔法文明があったとしても、食料や水など人が生きていくために必要な物が今のアルハザードにあるかわからない。

 アリシアを生き返らせることばかりに固執して、その後の事を考えていなかった――考えようとしなかった。

 それに気付かされてプレシアはがっくりと顔を落とす。生きる気力を失っている状態だ。このまま放っておけば数分もしないうちに死んでしまうだろう。

 

 ――そうはさせるか!

 

「闇の書の力を使わせてやってもいい」

 

 その一言にプレシアは「えっ」と声を漏らす。

 

「闇の書に死者を蘇らせる力などない。でも、あんたの娘がまだ()()()()()()()()()のなら、わずかほどだが可能性はあるかもしれない。だが闇の書……夜天の魔導書は過去の所有者たちが改変したせいで、災厄を起こすしかできない魔導書になってしまっている。今のままではアリシアを蘇らせることはできない」

「それは、本当なの……?」

 

 その問いに俺はうなずき……

 

「夜天の魔導書を使用するには魔導書のプログラムを書き換える必要がある。そのプログラムは複雑であんたみたいな優秀な技術者がいないとまったく手出しができないものなんだ。だから……」

 

 そこで俺はプレシアの肩を掴み、彼女の頭を上げさせながら言った。

 

「だから選べ。すべてを諦めてここで死を待つか、フェイトにロストロギアを奪わせてどんな所かもわからない次元の永遠郷を目指すのか、それとも俺とともにここを出て夜天の魔導書の修復に協力するかだ!」

「……」

 

 プレシアは答えない。何を選ぶかなんて決まっているのに、ようやく見つけた希望にまた裏切られるのが怖くてそれを口に出せない。

 俺はとうとう彼女の胸倉を掴み、無理やり腰を浮かせながら叫ぶ。

 

「立てよプレシア! 死ぬまでここで呆けている気か? それともフェイトがジュエルシードや闇の書を取って来てくれるまで待っている気か? ――どこまで人を失望させるつもりだ。娘や使い魔に頼ってばかりいないで、本当に欲しいものぐらい自分の手で掴み取ってみせろ。“大魔導師”プレシア・テスタロッサ!」

 

 プレシアは胸倉を掴まれたまま呆然と俺を見る。やがてプレシアはふっと笑いながら、

 

「……協力する。夜天の魔導書の修復とやらに協力してあげるわ。だからあなたたちの所に連れて行ってちょうだい。今の私にどこまでできるかはわからないけどね」

 

 小さい、しかし尊大さを残した声でそう言ってプレシアは目を閉じる。

 すると後ろから――

 

「プレシア! しっかりしてください!」

 

 悲痛な声を上げてリニスはプレシアのもとへと駆け寄り彼女を抱きとめる。

 俺の後ろにはクロノとヴィータ、シグナム、アルフまでいた。プレシアを叱咤している間にここまで辿り着いたらしい。

 クロノは俺の隣に並びながら、

 

「健斗、プレシアは……まだ生きているのか?」

 

 その問いに俺は首を縦に振った。

 

「ああ。危ういところだったがさっきの一押しで持ち直したらしい。大したおばさんだよ。危険な状態に変わりないが」

「ならば私が彼女をアースラまで運ぼう。早く治療する必要があるだろうからな」

 

 シグナムの申し出にクロノが首を縦に振ると、シグナムはリニスからプレシアを預かりそのまま抱きかかえた。

 不安そうに主を見守るリニスに、

 

「リニス、アリシアはどこだ? この部屋の近くにいるんだろう?」

「――こっちです! 玉座の後ろにある保存室に」

 

 我に返ったように先導するリニスの案内で、豪奢な玉座によって隠されていた隠し通路と、無数のポッドが並ぶ保存室を見つけた。

 その保存室の一番奥にプレシアの娘、アリシア・テスタロッサが眠るポッドがあった。

 ポッドは青緑色の液体で満たされており、その中をアリシアは一糸まとわぬ姿と胎児のような姿勢で()()()()()()()()。溺愛していた娘の葬儀もせず墓だけを立てたと聞いてもしやと思っていたが、やはりここにあったか。

 

 リニスの手を借りて俺たちはアリシアのポッドを運び出す。死者を冒涜するかもしれない事への忌避感を覚えながら。

 

 

 こうして長きに渡るプレシア一味とグレアム一味との戦いは終わった。だが、これですべてが終わったわけではない。

 夜天の魔導書は今もはやての体を蝕み続けており、“彼女”もまだあの本に囚われている。だからまだ終わりじゃない。むしろ……

 

 ここからが本当の戦いだ!




アリシアに関しては私も迷いましたが、この作品では生存でいきます。アリシアが助かる見込みがないとプレシアが働いてくれないのと、アリシアの友達になる予定のあるキャラを出したいのと、プレシア、アリシアを絡めた日常回をやりたいのが理由です。ご了承ください。


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第45話 もう一つの決着

 《時の庭園》攻略後、意識を失ったプレシアはアースラに運び込まれてすぐに緊急手術を受け、翌日経った今も病室で眠り続け、フェイトとリニスはつきっきりで彼女のそばについていた。一方、プレシアを好ましく思っていないアルフはただ一人部屋で大人しくしている。

 彼女たちは被疑者という立場だが、闇の書対策の協力者としてアースラ艦内ではある程度自由に行動できるようにはなっている。もちろんブリッジや物資の保管庫などの重要施設への立入は禁止され、移動には常にスタッフの随伴させる必要があるなど色々制約はあるが。

 

 一方、リーゼ姉妹は俺たちへの協力や上記の優遇措置を拒否し、一介の被疑者として護送室から出てくることはなかった。そんな中、彼女たちにを指示を出していたギル・グレアム提督の身柄が本局から送られて来た。

 

 

 

 

「失礼します」

 

 その一言とともに車椅子に乗ってるはやてと、その車椅子を押しているヴィータを始めとする守護騎士たちが会議室に入ってくる。

 会議室には俺とクロノとエイミィさんとリンディさん、そしてグレアムとリーゼ姉妹がいた。

 はやてに対しよからぬ企てを目論んでいたグレアムとリーゼ姉妹を見て、守護騎士たちは身を固くする。

 

 そんな中、クロノは何度かグレアムに事件について確認してから、一通の手紙と二枚の写真を取り出し、机に置きながら尋ねた。

 

「八神はやての父の友人を騙って生活の援助をしていたのは提督ですね?」

 

 クロノが置いた写真ははやてが自宅の庭で守護騎士たちと撮ったものと、校内で俺や雄一、すずかやなのは、アリサと一緒に撮ったものだ。

 そして手紙の方は、丁寧な活字体による英語で【To Mr.Lagah Grim(ラガー・グリム様へ)】という宛先人の名前が書かれてある。

 どれもはやてがある人物に宛てて送ったものだという。その人物が……

 

「ラガー・グリム。はやてを援助してくれた人物の名前だそうです。でも『Lagah Grim(ラガー グリム)』という名前の綴りを並び替えると、『Gil Graham(ギル グレアム)』という名前になるんです。……グレアム提督、あなたが使っていた偽名で間違いありませんね?」

「ああ」

 

 クロノが口にした推測をグレアムは首を縦に振って認める。

 それに続いて、はやては車椅子をわずかに前に進めながら言った。

 

「綴りの事はクロノ君と健斗君に指摘されるまで気が付きませんでした。でも、父の日記にグレアムさんのことが書かれてましたから、本局でグレアムさんに初めて会った時からもしかしてって思ってました。……やっぱり、あなたが『グリムおじさん』やったんですね」

 

 その言葉にグレアムはこくりとうなずき、

 

「永遠の眠りにつかせる前に幸せな生活を送らせてやりたい。そう思って金銭面の援助やリーゼたちをヘルパーとして送ったりなど、できる限りの手助けをさせてもらっていた。リーゼたちについては監視の意味もあったが」

「この前本局で会った時に、俺にイギリスへの留学とグレアムさんの家に下宿する話を持ち掛けたのも、俺を手元において監視するためですね?」

 

 俺の問いにグレアムは首を縦に振る。

 

「そうだ。はやて君の父君から聞いた話やベルカ式の魔法を使っていたことで、健斗君が闇の書と関わりのある存在だということは推察できた。それゆえに、闇の書を封印した後も君がこの世に存在し続けるようなら、しばらくの間私たちの目の届くところに置いて見張っておく必要があると思い、あの話を持ち出した」

「そして、封印した闇の書やはやてを解放しようとしたり怪しい動きをすれば、始末するか闇の書と同様に封じ込めるつもりだったんですね?」

「……ああ、そうだ」

 

 その問いにグレアムは少し間を空けながらも再び首を縦に振った。そんな彼を見てリンディさんとクロノは悲しげな表情を浮かべる。

 俺はというと落胆半分納得半分といったところだ。どおりで話がうますぎると思った。あれも結局、俺が守護騎士のような闇の書のプログラムかどうかを探るための餌だったというわけだ。

 だが言い換えれば、そこまでしてグレアムたちは闇の書の脅威を払いたかったということだ。闇の書に関わるものは何一つ逃さないように。

 だがその決意も、良心の呵責と永久封印の欠陥に気付いたことで折れたようだ。

 

「……グレアムさん、私から一つだけいいですか?」

 

 その声を聞いて俺たちはそちらの方に顔を向ける。

 グレアムに向かって声をかけたのは、表情一つ変えず今までの話を聞いていたはやてだった。

 グレアムは苦そうな顔で、

 

「何かね?」

 

 と尋ね返す。それに対してはやてはグレアムの方まで車椅子を進めながら話を始める。

 

「正直に言うと、私はさっきまでグレアムさんたちを憎んだり責めたりするつもりはありませんでした。闇の書は過去に数え切れないほどの人たちの命を奪ったり不幸にしてきたって聞きました。放っておけばこれからもそんなことを繰り返していくかもしれないとも。私一人が犠牲になることでそれを止められるなら黙って受け入れるべきなのかもしれません」

「――主!」

「はやて、お前まさか――」

 

 はやての口から出た言葉に騎士たちは驚きの声を上げる中、はやては車椅子を動かし続けグレアムの眼前まで来る。

 はやてはグレアムの顔面を捉えるようにじっと見つめ、次の瞬間、はやては右手を大きく伸ばし、グレアムの頬をひっぱたいた。

 普段のはやてからは思いもよらない行動に俺を含めほとんどの者たちが唖然とする一方、グレアムは叩かれた箇所をさすりもせずそのまま佇む。

 彼に対しはやては荒い声で言った。

 

「でも、それは私だけが犠牲になる場合の話です! あなたたちは守護騎士たちや健斗君まで犠牲にしようとした上に、フェイトって子とあの子の家族まで危険にさらそうとした。いくら何でも許せることじゃありません!」

「……すまない」

 

 グレアムは心底申し訳なさそうな声で謝りながら頭を下げる。しかし、はやての怒りは収まる様子はない。

 

「私だけじゃありません! 守護騎士や健斗君、この場にいないフェイトさんたちにも謝ってください!」

「確かに君の言うとおりだ……守護騎士殿、健斗君、すまなかった」

「……ごめんなさい」

「……ごめん」

 

 はやての言う通りグレアムは俺や守護騎士にも謝罪をして、リーゼ姉妹たちも主に続いて謝り、守護騎士たちは戸惑いを隠せないまま謝罪を受け入れる。

 そんな中俺はクロノに尋ねた。

 

「クロノ、グレアムさんとリーゼたちはこの後どうなるんだ? 昨日聞いた話ではそんなに重い罪にはならないと言っていたが」

 

 低い声で問いかけるとクロノは「ああ」と言って、

 

「昨日も言った通り、グレアム提督とリーゼたちにかかっている容疑は、プレシア一味との共謀とそれに連なる捜査妨害の二つだ。時空管理法においても捜査妨害は犯罪に値する行為だが、プレシアたちが逮捕された今はもうさしたる問題ではなくなった。プレシア一味との共謀についても、彼女たちが暴走しないように抑えていた面もあったことから、一味に対する内偵だったのではないかと指摘する声も上がっている。闇の書とともにはやてを封印しようとしたことは問題視こそされたものの、未遂に終わったということで目をつぶるつもりのようだ……つまり」

「グレアムさんたちの行いを擁護している者がいる……ということか」

 

 俺の一言にクロノはこくりとうなずく。

 

 グレアムが封印しようとしたのは、世界一つを滅ぼす力を持ち、破壊しても再生する極めて厄介なロストロギアだ。グレアムが考えた永久封印以外に闇の書を葬り去る方法はいまだ見つかっていない。

 もしかしたら、グレアムに代わって闇の書の永久封印を行おうとしている者がいるのかもしれないな。だとすれば、ぐずぐずしている暇はないかもしれない。

 

「おそらく捜査妨害によって発生した損害や罰金を退職金から差し引いたうえでの希望辞職という形になるんじゃないかしら。リーゼさんたちもたぶん同様でしょうね」

「……」

 

 リンディさんの推測を聞いて俺はしばらく沈黙する。

 それで納得できるわけがない。

 グレアムたちははやてを永久封印という名目で殺そうとしただけでなく、そのためにプレシアと手を組んで彼女を誘拐しようとしたのだ。それを頭を下げたぐらいで許せるわけがない。

 

「グレアムさん、やはり俺は納得いきません。あなたを許したはやてにとっては余計なお世話かもしれないが、友達が殺されそうになったのに、犯人(あなた)たちは頬を叩かれただけでそれ以上のお咎めはなしというのはどうしても納得できないものがあります。ですが管理局はあなたが犯した罪を裁くつもりはないようだ。だから、はやての前で生々しいとは思いますが、ここはもうお金で決着をつけませんか。はやてや守護騎士に危害を加えようとした慰謝料という形で」

 

 俺がそう言い出した途端、皆の目が点になる。クロノに至っては浅ましい真似をと言いたげな目をしている。

 だが、グレアムを法的に罰する事ができない以上、これしか方法はない。

 それにこれは、はやてを“おじさん”に対する引け目から解放するにはちょうどいい機会かもしれない。

 

「それで君たちの気が済むなら出せるだけは出そう。いくら欲しい?」

 

 尋ねてくるグレアムに俺は両手を振って――

 

「あ、俺の分はいいです。俺に対しては監視するだけでどうこうするつもりはなかったようですから。はやてと守護騎士の分だけで結構です」

「何? まさか……」

 

 怪訝な声を漏らすグレアムに対し、俺はもったいぶるように続ける。

 

「そうですね……はやてを一生を奪おうとしたんですから一生には一生ということで、はやてが一生暮らせる分……は個人的にちょっと妬ましいですから、はやてが成人、もしくは学校を卒業して働くようになるまでの生活費を慰謝料として支払うのはどうです。もちろん守護騎士の分も含めて」

「健斗君、それってまさか――」

 

 何か言おうとするはやてに構わず、俺はグレアムに向かって言った。

 

「援助なんて体裁のいいものじゃない。あなたが危害を加えようとした被害者に対して支払うべき慰謝料です。彼女たちに申し訳ないと思っているならしっかり払ってください」

 

 念を押すように厳しい口調でグレアムにそう告げる。グレアムはじっと俺を見返していたが、やがてこくりとうなずいて……

 

「わかった。そういうことなら払わないわけにはいかないな。はやて君が独り立ちできるようになるまでに必要な分は私が責任を持って出そう。慰謝料としてな。はやて君は生活のことに関して何も心配せず、ゆっくりとこれからの人生のことを考えるといい。守護騎士たちと一緒にな」

 

 そう言ってグレアム()()は最初に会った時のような温和な笑みを浮かべる。

 俺ははやての肩を叩きながら言ってやった。

 

「聞いたかはやて。おまえが大人になるまでの生活にかかる費用は、今まで通りこの“おじさん”が負担してくれるそうだ。言っておくがこれは慰謝料だ。働いて返そうなんて考えるな。しっかり貰っておけ。お前にはその権利と義務がある」

「――うん! ありがとう健斗君、グレアムおじさんも!」

 

 顔をほころばせながら俺とグレアムさんに礼を述べる。

 一方、俺はまた表情を引き締めて、再びグレアムさんに顔を戻して言った。

 

「それと、まだ生きているかはわかりませんが、例の留学と下宿の話はここでお断りさせていただきます。もう少しはやての様子を見ていたいですし、あなたを完全に許したわけではありませんから」

「……そうか、残念だ」

 

 グレアムさんはそう言いながら肩を落とす。その仕草は孫との同居を断られた祖父のように寂しげなものだった。監視とは別に俺との共同生活を心待ちにしていた部分もあったのだろうか。

 そこへ――

 

「でも、闇の書――いや、夜天の魔導書はどうするの? このままだとはやてちゃんは魔導書に浸食されちゃうし、局も魔導書を凍結しようと動き出してくるかもしれないよ」

 

 ロッテの問いに皆が押し黙る。

 はやての足は依然麻痺したままで、それに加えわずかながらだが内蔵機能が低下している兆候まであるらしい。侵食は確実に進んでいる。

 それにこのまま手をこまねいていたら、管理局の本隊が『闇の書の凍結』に乗り出すかもしれない。

 

 色々な意味で時間が迫っている。にもかかわらず魔導書の修復はほとんど手付かずのままだ。頼みの綱は《時の庭園》から連れてきたプレシアだが、彼女は今……

 

「……リンディ、クロノ、デュランダルは今はどうなっている?」

 

 突然尋ねてくるグレアムさんにリンディさんは顔を上げながら答えた。

 

「ロッテから押収した後、アースラの一室に保管しています」

「提督の私物ですから、後で返却することになると思いますが」

 

 母親の答えを補足するクロノに、グレアムさんは「そうか」と答え、少しの間考える素振りを見せてから言った。

 

「クロノ、この場でデュランダルをお前に譲ろう。持っていてくれ」

「――えっ!?」

「この十年間、クロノにはリーゼたちを通して、また私自身も魔導師として持ちうる限りの技量を叩き込んだつもりだ。お前ならきっとあれを使うことができる。私たちの代わりに使ってやってくれ。十年もの月日をかけ、技術の粋を集めて造り出した最高傑作たるデバイス――《氷結の杖・デュランダル》を」

 

 その言葉に対し、クロノはしばらく目を閉じて考え込む。やがてクロノは首を縦に振り。

 

「わかりました。遠慮なく受け取らせていただきます。闇の書の呪いを含めた次元災害や犯罪から多くの人々を守るために」

 

 その返事にグレアムは固い顔でうなずいてから、俺の方に視線を向けた。

 

「健斗君、資格はないかもしれないが一つだけ言わせてくれ。この中、いや、全次元中で夜天の魔導書について最も詳しいのはおそらく君だ。魔導書の呪いを解き、その上であの書を救えるのは君しかいないだろう。願わくば、闇の書の呪いとともに愚王という汚名が少しでも晴れることを願っている」

「はい、必ず闇の書が起こす悲劇とやらを終わらせて見せます。魔導書の主も守護騎士も管制人格である“彼女”も、誰一人犠牲にしないやり方で」

 

 期待と望みが込められた言葉をかけてくれるグレアムさんに対して、俺ははっきりと返事を返した。

 

 とはいうものの、夜天の書の修復がうまく行くかはプレシアにかかっている。だが彼女は果たして俺たちに協力してくれるのか? アリシアの後を追ってそのまま、なんてことにならなければいいが。

 

 

 

 

 

 健斗がそんなことを考えてる一方ではやては……

 

(“彼女”か。やっぱりその人が健斗君の……)

 

 そう考えた途端、胸にずきりとした痛みが走るのを感じた。それが“彼女”への嫉妬によるものなのか、闇の書の侵食によるものなのかは、はやてにもわからない。

 

 

 

 

 

 

「ニャフッ」

 

 ふいに聞こえた鳴き声と、もふもふした感触で目が覚める。

 下を見ると薄茶色の毛並みの猫が自分の膝に乗っていた。

 どこかで見たような……。

 ぼんやりした頭で考えていると。

 

「こら、だめだよリニス! ママのお昼寝の邪魔しちゃ」

 

 明るい声色に反応してそちらに目を向ける。そこにいたのは長い金髪と赤目の少女だった。

 その子を見て思わず……

 

「アリシア……?」

「あっ、やっぱり起きちゃった。もう、リニスのせいだからね!」

 

 そう言ってアリシアはリニスという山猫を抱き上げる。怒っているようなことを言いながらも口の形は笑みを作ったままだ。

 無邪気に戯れる娘と愛猫、そして目の前に広がる原っぱ。

 同じだ。昔アリシアとピクニックに来てた頃とまったく同じだ。

 

(もしかして、今までのは全部夢だったのかしら? アリシアとリニスが死んだ事も、フェイトを生み出した事も、アルハザードへ行こうとしたことも……あるいは……)

「どうしたのママ? まだ疲れてる?」

 

 考えているところで、身を乗り出して不安そうに尋ねてくるアリシアに、プレシアは首を横に振った。

 

「ううん、大丈夫。起きたばかりでちょっとぼうっとしていただけ。もう平気よ」

「ならよかった。今までずっとろくに休まないで頑張ってたみたいだから」

 

 そう言ってにっこり笑う愛娘を見てプレシアは思った。

 

(どっちでもいいわ、この子が私のそばにいてくれるのなら。こんな生活を取り戻すために今まで精いっぱいやってきたんだから。それが叶ったのなら、ここがどんなところだって――)

 

 アリシアはプレシアを見たまま尋ねてくる。

 

「本当にもう大丈夫? 明日からまたお仕事なんでしょう?」

 

 それを聞いてプレシアは思い出しながら憂鬱になる。

 そうだった、自分は今ヒュウドラ開発の責任者をしているんだった。とはいえ実権を奪われてすっかり名ばかりの責任者になってしまったが。だからといって仕事を投げ出すわけには行かない。

 

 そこまで考えてプレシアは――

 

(……いえ、仕事なんてもういっそ投げ出してもいいのかも)

 

 ヒュウドラ完成の成果はほとんど補佐のものとなり、プレシアに約束されていた栄転の話もなかったことになるだろう。もうあんなプロジェクトや会社にしがみつく必要もない。クレッサも言っていたじゃないか、会社を辞めたほうがいいと。

 あの時は腹を立てたが、彼女の言う通りそろそろ潮時かもしれない。もし自分のいないところで事故が起きたりすれば、どれほどの被害が出るかが気がかりではあるが……。

 

「ママ?」

 

 また心配そうな顔で尋ねてくるアリシアに、プレシアは笑いながら首を振って。

 

「いいのよ。ママ、しばらくお仕事はお休みすることにしたわ。今まで頑張ってきた分ゆっくりさせてもらおうかしら……そうね、アリシアが学校に行くぐらいまで」

「ほんと!」

「ええ、一ヶ月後には会社に行かなくてもよくなると思うから、その後はずっとアリシアと一緒にいられるわ。そうだわ、お休みがもらえたら東部へ遊びに行きましょう。あそこにあるパークロード、行ってみたいって言ってたでしょう」

「うん――でも」

 

 プレシアの提案にアリシアは目を輝かせるものの、笑みを薄くして……

 

「……やっぱりだめだよ」

「えっ……?」

 

 訝しげに聞き返すプレシアにアリシアは言った。

 

「今ママが頑張らないとあっちが大変なことになっちゃう。闇の書って呼ばれている本が暴走して、あっちの世界を飲み込んじゃうんだ。大勢の人や動物を巻き込んで」

「それは……」

 

 プレシアが言葉を詰まらせるとアリシアは薄く笑う。彼女に合わせたように、野で戯れていたリニスも今はじっとプレシアを見上げていた。

 

「ママだって気付いてるんでしょう。ここはママの夢の中だって。私もリニスも本物じゃない。ママの記憶と“ある人”の力で再現しただけの存在。言ってみれば偽物のアリシアとリニスってところかな」

 

 それを聞いてプレシアが息を飲む。

 偽物という言葉は、自分が今までフェイトと使い魔(リニス)にさんざん投げかけた言葉だった。そしてこの少女と猫も本物のアリシアとリニスではない。しかし、フェイトや使い魔リニスと違って、彼女たちはプレシアの記憶と何一つ変わりない姿と仕草だった。

 そんな娘たちに偽者なんて言葉をかけられるのか……かけられるわけがない。

 アリシアに瓜二つの少女は笑みを浮かべたまま続ける。

 

「それにね、ママが諦めたら私は妹に会えないままになっちゃう。ママは覚えてる? 私とした最後の約束」

「約束……」

 

 呟くように繰り返すプレシアにアリシアはこくりとうなずいて、

 

「あの事故が起こる前に行ったピクニックで誕生日プレゼントに何が欲しいって聞かれて、私言ったんだ。『妹が欲しい』って」

「……それは」

 

 思い出した。確かに、忙しい日々の合間を縫ってようやく取れた休みに出かけたピクニックでアリシアとそんな約束をした。

 しかしその直後に事故が起こってアリシアが死んでしまい、そんな約束すっかり忘れてしまった。いや、思い出すのを拒否した。果たせなかった約束なんて思い出すだけでも辛すぎるから。

 

「あの金色の光に包まれた後、私は聖王さまのもとへも行かずにずっとあの中で眠ってる。ママが今見てるような夢をずっと見ているの。ママや妹に会いたいって願いながら」

「……」

 

 プレシアは唇を噛みしめる。健斗という少年が言っていた通りアリシアはまだ死んでおらず、本当に生きているというのか。

 それは嬉しい。しかし死ぬこともできずポッドに閉じ込められて長い眠りを強いられるなど、ある意味死ぬより苦しい事ではないのか。自分は今までずっとアリシアをそんな目に合わせていたというのか。

 しかし、目の前にいるアリシアはプレシアを責めることなく、

 

「いいの。ママは私を生き返らせようとしただけだから。ママのことを恨んだりなんか全然してないよ。それにママがあそこに入れてくれたおかげで私は念願の妹に会うことができるかもしれないから」

「妹……あの子の事を言ってるの? アリシアの体の一部から作ったフェイトの事を?」

 

 アリシアは首を縦に振る。

 

「うん! ママの血を引いていて私より後に生まれたんだから、フェイトは紛れもない私の妹だよ。私と違って勉強熱心でとっても強い自慢の妹。本物のアリシアもきっとそう思うはず」

「――!」

 

 プレシアは愕然とする。

 自分は今までフェイトの事をアリシアの偽物や失敗作としか思っていなかった。しかし、目の前にいるアリシアはフェイトが自分のクローンだと知りながら妹だと言ってみせる。

 アリシアの代わりではなく、アリシアの妹としてフェイトの事を見ていればよかったのだろうか。アリシアの次に生まれたもう一人の娘だと。だとすれば……

 

「気付くのが遅すぎるわね。私はいつも気付くのが遅すぎる」

 

 つぶやきとともにプレシアの目から涙がこぼれる。アリシアは左手の人差し指をプレシアの顔に伸ばしてその涙をぬぐい取りながら、

 

「だからママ、もう一度だけ頑張って。ママならきっと闇の書なんて呼ばれてる魔導書の呪いを解くことができるはずだよ。お仕事ですごい機械をいっぱい作って、私の妹まで作ってくれた、すごくて大好きな私のお母さんなんだから!」

「アリシア――」

 

 プレシアはアリシアを抱きしめようとする。だがプレシアの両手は空を切り――

 

 

 

 

 

 

「――母さん!」

「プレシア!」

 

 目を開けると白い天井が目に飛び込んでくる。《時の庭園》にこのような天井がある部屋はない。

 不思議に思いながら視線を下げると、アリシアが大きくなったような金髪の少女と白い帽子をかぶった短い薄茶色の髪の女が傍に立っていた。

 プレシアはぼんやりしたまま……

 

「フェイト……リニス……」

 

 彼女たちの名を呼びながらプレシアは身を起こし、まわりを見回しながら、

 

「ここは? 死後の世界ではないみたいだけど」

 

 心なしか残念そうにつぶやくプレシアに対し、二人は……

 

「ここは時空管理局の船だよ。母さんはこの船に運び込まれて手術を受けてから、ずっとここで寝ていたの」

「死後だなんて、冗談でもそんなことを言わないでください。手術は無事終わって、あなたはこのとおりピンピンしてます。でも、その様子だと大丈夫そうですね。よかった」

 

 フェイトは安心した様子で説明し、リニスは言葉通り胸をなでおろす。それを見て、プレシアは疑問を通り越し内心呆れながら二人を眺めた。

 なぜこの二人は自分なんかの無事を喜んでいるのだろう? ジュエルシードや闇の書を手に入れられてないことを理由に、散々彼女たちを貶めてきた自分なんかを。この場にいないフェイトの使い魔の方がよほど正しい気がする。

 そう思いながらプレシアはふと上を見上げる。そこには主のもとを離れていた闇の書がふわりと浮かび、プレシアにお辞儀をするように上下に動いた後、フェイトたちに気付かせることなく消失した。

 

(もしかしてさっきの夢はあの本が? そういえば、夢に出てきたアリシアも“ある人”とか言ってたわね。……なるほど、健斗って子が言ってた通り、ただ強い力を持つだけの魔導書じゃないみたいね)

 

 プレシアはふふっと笑みをこぼし、それを見てフェイトとリニスは驚く。こんな表情今まで一度も見たことがなかった。

 そんな中、プレシアは思った。

 

(だとしたら健斗や夢のアリシアが言ってたように、アリシアはまだ生きているのかも。でもアリシアが死に限りなく近い状態にあるのは確か。あの子を目覚めさせるには闇の書の力が必要。それでもごくわずかな可能性らしいけど……)

 

 そこでプレシアはフェイトとリニスの方を向いて口を開いた。

 

「フェイト、いきなりで悪いけど近くにいる局員を捕まえて、私が目覚めたって言ってくれないかしら。この船の責任者や御神健斗にもすぐに伝えてほしいとも。リニスはまだここに残って」

「えっ――あ、はい。行ってきます!」

 

 プレシアの指示を受けてフェイトは局員を呼びに外へと向かう。残されたリニスはプレシアの方を見て尋ねた。

 

「プレシア、一体何を? まさかもう研究を再開する気じゃあ……」

 

 その問いかけにプレシアは首を横に振って、

 

「さすがに今は無理よ。今日一日くらいは休ませてもらうわ。でも明日には掛かりたいと思ってる。闇の書……夜天の魔導書とやらを修復する作業にね。ただ、その前に済ませておきたいことがあるの。リニス、手を出して。あなたと新しい契約を結ぶわ」

「――っ!」

 

 新しい契約という言葉にリニスは目を見張る。

 今のリニスとプレシアの契約の内容は『闇の書を主のもとへ届ける』というもの。今のままではプレシアが闇の書を手にした瞬間、リニスは消滅してしまう。

 それを防ぐために、プレシアはリニスと新たな契約を結びたいという――それはつまり、今後もリニスを傍に置きたいという意思の表れだった。

 

「はい、わかりました。主がそうお望みなら」

 

 リニスは微笑みながら、言われた通りプレシアに向かって両手を伸ばす。

 それを掴みながらプレシアはなぜかそっぽを向きながら……

 

「それと、契約が終わった後とかであの子に伝えてくれないかしら……フェイトがよかったら、今度一緒に食事をしないかって」

「……」

 

 顔を赤くしながらそんなことを言ってくる主に、リニスはぷっと噴き出しかけて――

 

「わかりました。契約が終わったらすぐあの子に伝えてきます」

 

 そんな使い魔に抗議の声を上げながらプレシアはリニスと手を取り合い、三度目の契約を結ぶ。その内容は『主に従うのも背くのも自由。猫らしく自由に生きよ』という、フェイトとアルフが結んだ契約と似たものだった。

 

 翌日、プレシアは自ら言った通り、技術協力者として夜天の魔導書の修復作業に取りかかる。

 最後の戦いに向けての準備が今始まった。



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第46話 アースラ内でのテスタロッサ一家

 翌日、朝食を摂り終えてからユーノは夜天の魔導書を修復する手掛かりを求めて無限書庫へと向かい、俺は一人部屋に残ってプログラムの修正に打ち込んでいた。

 そこへふいに……

 

「健斗、いますか? まさかこんな時間まで寝てたりなんてしてないでしょうね?」

 

 何度もドアを叩いてくる音と甲高い声が響き渡り俺はドアに顔を向ける。

 その声はリニスか? それにしては声が少し幼いような……。

 

「待ってろ、今行く」

 

 そう言ってドアの前に行きロックを解除する。

 するとドアは自動で開き、その向こうにいた人物たちが姿を現す。

 ドアの向こうに立っていたのは、Tシャツとオーバーオールのスカートを着て、薄茶色の髪を短く切り揃え、猫のような耳と尻尾を付けた、()()()()()()()()()()()()()だった。

 

「リニス……の妹か?」

 

 思わず問いかけると彼女は腰に手を当てて――

 

「妹なんかじゃありません。リニス本人です。藪から棒にその言い草、本当に失礼な子ですね」

「まあまあ、いきなり私たちぐらいの大きさになったんだから無理もないよ。気にしないで健斗、ただのいじわるだから」

「そうそう。なんだかんだいってリニスも楽しんでるみたいだしな。会う人会う人みんな今のリニスを見て驚くもんだから。健斗はどんな顔すんのかなってここに来るまで何度も言ってたんだぜ」

「アルフ! 変な誤解をされそうなことを言わないでください!」

 

 リニスの隣には、フェイトとアルフと彼女らの監視についてるトゥウェーという局員の女性がいた。アルフの方はリニスと違って大人のままだ。

 

「一体何の真似だ? なんでたった二日でリニスが俺ぐらいまで縮んでいる?」

「よくぞ聞いてくれました!」

 

 そこでリニスは俺の方に向き直って得意げな笑みを見せた。

 

「あなたはもう知っていると思いますが、使い魔というものは動物を素体にして作った魔法生物なんです。だから使い魔には寿命というものがなく、主や使い魔自身の意志である程度姿や大きさを変えることができるんです。特に人間の形態はあくまで利便性や効率を高めるために備わったおまけですから、伸び縮みしたぐらいでは驚くに値しません」

 

 なるほど、言われてみれば確かに思い当たる節がある。リーゼ姉妹もグレアムさんが若い頃に作った使い魔らしいが、見た目は20代近くだからな。仮面の男やヘルパーのおばさんに化けてたのはただの変身魔法だろうが。

 ということは、ザフィーラも俺たちぐらいの年の子供になることができるんだろうか? 仲直りできたら一度試してもらおう。

 

「それで、何で子供の姿なんだ? 子供料金で映画でも観に行く気か?」

 

 そう問いかけるとリニスは頬を膨らませながら。

 

「違います! 仮にも収容中にそんなところへ行けるわけないでしょう。この姿になったのはプレシアの負担を減らすためです」

「プレシアさんの負担を減らすためだと?」

 

 おうむ返しに聞き返すとリニスは「ええ」と首を縦に振った。

 

「また使い魔の説明になりますが、使い魔の命と体を維持するには常に術者から魔力を貰わないといけません。フェイトも日常的にアルフに魔力を分け続けています。プレシアの病気が悪化した理由の一つは、私のような高性能な使い魔と契約し続けて魔力と体力を消費しすぎていたのもあります。だからプレシアから分けてもらう魔力を最小限に抑えるために体を小さくしたんですよ」

「高性能って自分で言うなよ。それも負けた相手に対して」

「単純な能力なら私の方が圧倒的に上のはずです。この前の戦いだって固有技能なんてなければ私が勝ってました!」

 

 そう啖呵を切りながらリニスは上体を突き出してくる。それを見て俺は……

 

「ちなみに体を小さくした場合、それに合わせて精神も幼くなるのか?」

 

 リニスは首を横に振って。

 

「いいえ、体をどう変えようと中身はそのままのはずです。言ったでしょう、人の姿はあくまでおまけだって」

 

 いや、絶対影響受けてると思う。こんな態度や言動、前までのお前なら取らなかった。見ろ、フェイトやトゥウェーさんはともかくアルフにまで笑われてるぞ。

 

「いや、ちょっと待て。プレシアさんの負担を減らすためにそんな姿になったってことは、お前は当分――」

「戦いのお役には立てませんね、申し訳ない事に。プレシアからはこの体を維持するために必要な魔力しかもらっていませんから、今の私に戦いに使う力なんてとてもありません」

 

 きたよ弱体化イベント。散々苦労させられた強敵ほど仲間になった途端、弱くなったり戦えなくなったりするやつ。あれってゲームやアニメだけの現象じゃなかったのか。

 

「何頭抱えてんの? モニター見過ぎて頭痛くなった?」

「気にしないでくれ。あまりにお約束過ぎてつい頭を抱えたくなっただけだ」

 

 アルフからの問いにそう返すものの意味が通じることはなく、彼女と他の二人は首を斜めにかしげる。

 俺は気を取り直して言った。

 

「それで、わざわざリニスの子供姿を見せに来てくれたのか? その気持ちは嬉しいが早く魔導書のプログラムを修正しなくちゃならなくてな。そろそろ作業に戻りたいんだが」

「ああ、そうでした。私たちもその件で来たんです」

「何?」

 

 俺が聞き返すとリニスの隣にいるフェイトが用件を口にした。

 

「私たち母さんに頼まれてきたの。健斗を呼んできてほしいって」

 

 その返事を聞いて納得する反面、意外にも思って目をわずかに見張る。フェイトの口からそんな言葉が出てくるとは。それも笑顔を浮かべて。

 そう思っていると……

 

「フェイトちゃーん!」

 

 遠くから不意に明るい声が耳に届いて、俺たちはそちらを振り向く。見ればなのはが手を振って俺たち――いや、フェイトに向かって駆け出していた。

 なのははフェイトの隣にいるリニスを見て、

 

「あれ、この子、リニスさんの妹さん? 初めまして。高町なのはです」

 

 リニス本人に自己紹介をするなのはを見て、フェイトとアルフはぷぷとこらえるように笑い、俺も思わずにやけてしまう。

 リニスは俺たちに憤慨しながらも、なのはに対してリニス本人であることと体を小さくした理由を話す。なのはは驚きながらもリニスに謝ってフェイトに向き直った。

 

「おはようなのは。なのはも健斗に用事?」

「ううん、フェイトちゃんと模擬戦したいと思って探してたの。でも健斗君に用事があるなら遠慮したほうがいいかな?」

 

 不安そうに尋ねてくるなのはに対して、フェイトは首を横に振った。

 

「大丈夫、母さんの元に健斗を送っていくだけだから。それが終わったら一緒に模擬戦できると思う」

 

 俺たちが見守る中、なのはとフェイトはそんな会話を交わす。内容は一般的な女子同士が交わすものとはかけ離れているが。

 あれからなのははフェイトに積極的に話しかけたり一緒に食事をしたりして、今ではお互いに名前で呼び合う仲になっている。

 急速に仲を縮めている二人を見てリニスは……

 

「フェイト、健斗のことは私に任せて、あなたはなのはさんと一緒に模擬戦に行って来なさい。よければアルフも二人に付き合ってあげて」

「いいの?」

「あたしはフェイトの付き添いのつもりだからそう言ってもらえると助かるけど」

 

 リニスの申し出にフェイトとアルフはしばらく考えるものの、すぐ笑顔を浮かべて。

 

「わかった。その言葉に甘えさせてもらうね。じゃあリニス、母さんによろしく言っておいて」

「またね。リニス、健斗、あの鬼ババに何かされそうになったら遠慮なくやり返しな」

 

 何割か本気でアルフはそう言ってくる。それをやんわりと注意しながら、フェイトはアルフやなのはと一緒に訓練室へと向かって行った。

 そんな二人をリニスは、友達と遊びに出かける娘を見送る母親のような顔で見送る。見た目はフェイトと同じくらいだけど。

 それから俺とリニスはトゥウェーさんの同伴のもとで、プレシアさんがいる部屋へと向かった。

 

 

 

 その道中でリニスから今朝、プレシアさんとフェイトが一緒に食事を取ったことを聞いた。二人とも何を話していいのかわからず、互いをちらちら見ながら食べるだけに終わったものの、プレシアさんなりにフェイトに歩み寄ろうとしているらしい。

 そしてリニスとプレシアさんの関係にも変化があり、プレシアさんが目覚めてすぐ二人は新しい契約を結んだそうだ。その詳しい内容は教えてくれなかったものの、今までと違って猫の耳と尻尾を露出している姿を見れば大体想像はついた。

 時折軽口を挟みながらそんなことを話しているうちに、プレシアさんがいる特別室が見えてきた。

 

 

 

 

 

 

「プレシア、失礼します。健斗を連れてきました」

 

 そう一声かけてドアをくぐるリニスに続いて、俺とトゥウェーさんも部屋に入った。

 モニターを睨みながらすさまじい速度でタイピングをしているプレシアさんは、顔の上に眼鏡をかけて、私服の上に白衣を羽織った出で立ちをしており、普通の研究者のように見える。

 ただ、彼女は昨日まで昏睡状態だったわけで……

 

「いきなりそんなペースで作業して大丈夫なんですか?」

「だらだらしている余裕なんてないでしょう。ちゃんと休みを入れながらやってるから心配しないで」

 

 そんな返事を返すプレシアさんからリニスに視線を向けるものの、リニスは仕方なさそうに首を振るだけだった。

 

「ありがとう。リニスはもう自由にしてていいわ、彼と話したいことがあるから。……できればあなたも外れてほしいんだけど」

 

 リニスに続き、トゥウェーさんに向かってプレシアさんはそう告げる。

 トゥウェーさんは迷うようなそぶりを見せるものの、今のプレシアさんが俺と戦ってもまた途中で倒れるのが目に見えているうえに、戦いの余波で機器が壊れたら彼女が数時間かけて組んだコードのほとんどが台無しになることから、プレシアさんが何か仕掛けてくるようなことはないだろうと俺の方から説明して、リニスと一緒に部屋から出て行ってもらった。

 ドアが閉まり終えると同時に俺はプレシアさんに声をかける。

 

「どうです? 夜天の魔導書のプログラムは」

 

 そう問いかけると、プレシアさんは呆れたように息をついて……

 

「ひどいわね。元のプログラムへの影響も考えず、次々に余計な改変を加えていったみたいでほとんどバグだらけよ。これじゃ暴走しない方がおかしいわ。プログラムをいじった主たちはテストやデバッグを行なっていなかったのかしら? あいつみたいな人間はいつの時代にもいるものね」

 

 彼女の口から忌々しそうな一言が漏れる。たぶんヒュウドラ開発の関係者の事だろうな。

 

「ところで、今まで夜天の魔導書の修正はあなたが行っていたって聞いたけど、それは本当?」

 

 プレシアさんの問いに俺は首を縦に振りながら。

 

「ええ、そうです。といっても、ほとんど防衛プログラムに弾かれてうまくいってないんですが」

「見せて頂戴。あなたの技量と現在の進捗を確かめておきたいわ」

 

 俺は部屋から持ってきた端末をプレシアさんに渡す。彼女は俺から借りた端末を魔力PCに繋げ、モニターに表示されたソースを眺めた。そして……

 

「全体的に構文が長いわね。普通のソフトなら問題ないでしょうけど、夜天の魔導書が相手だと命取りだわ。修正プログラムが走っている間に防衛プログラムに阻害されてしまう」

 

 いきなり駄目出しされてしまった。これでも目一杯短くしたつもりなんだが。

 しかし、口調とは裏腹に感心したような目でプレシアさんはソースを眺め続ける。

 

「でも、構文の長さとところどころある問題点を直せば十分活用できるかしら。プログラムの事は誰から教わったの? その歳にしては結構な腕だけど」

「学校の同級生からです。同じ学年にめちゃくちゃ頭のいい奴がいまして、そいつに教えてもらいながら参考書やネットによる独学と合わせてプログラミングを覚えました」

「そう、魔導師や管理世界に住んでる子だったら協力を仰ぎたいところなんだけど。――そうだ、一つ気になるものがあるんだけど、これが何かわかるかしら? 一ヶ所だけどうしてもアクセスできない所があるのよ」

「えっ……?」

 

 そう尋ねるとプレシアさんは別の画面を開き、そこに映っているファイルをタッチする。だが、彼女がクリックしてもファイルの中身は表示されず、代わりにエラーメッセージが画面上に広がった。

 

『You do not have access permission. This file can only be accessed by "System U-D" or a user who has permission from the system(アクセス権限がありません。このファイルにアクセスできるのは『システムU-D』、または、当該システムから許可を得たユーザーのみです)』

 

 アクセス権限がないだと?

 本物ならともかく、疑似プログラム《コピー・ザ・ナイトスカイ》の上では俺たちは管理者権限をパスした状態になっているはずだ。それなのにアクセスできない場所が存在するだと?

 どういうことだ? これじゃあ夜天の書の主もファイルとやらを見ることができないということに……。

 いや待て、システムU-D、どこかで聞いたような……。

 そこで思い出して俺は「あっ」と声を上げた。

 

「そう言えば一度だけ聞いたことがあります。夜天の魔導書にはもう一種管制プログラムがいて、そいつは主が見つからなかった時にしか姿を現さないと。多分そいつの許可がないと、魔導書の主でも今のファイルにはアクセスできないのかも」

「そう。いつ誰に聞いたのかはあえて尋ねないでおくわ。とにかく、その管制プログラムが現れない限りファイルは無視しておくしかないわね。バグと関係がなければいいんだけど……」

 

 そう言ってプレシアさんはため息をつく。そんな彼女に向かって声を上げた。

 

「そうだ、俺からも一つ聞いていいですか? 魔導書とは関係のない事なんですけど」

「何かしら?」

 

 プレシアさんは面倒そうに聞き返す。そんな彼女に対して俺は話を切り出した。

 

「ジュエルシードを運んでいた輸送船を墜落させたのはプレシアさんなんですか? 管理局やユーノはそう考えているみたいですけど」

 

 そう尋ねるとプレシアさんはふうとため息をついた。

 

「ジュエルシードを手に入れるためだけに、何人もの乗員が乗っていた船を落とすような人間がこんな部屋で過ごしているのは気に入らないかしら? あなたがそう言うのならすぐにでも護送室という部屋に移動してもいいけど。作業に必要な端末と次元ネットさえ使えれば別に構わないわ」

「いや、今のように差し迫った状態でそんなことを言うつもりはありません。ただ、もしプレシアさんがジュエルシードを手に入れるために罪もない人を殺したとしたら、あなたを擁護する機会があったとしても俺はあなたを助けようとは思わないと思います」

「あらそう。まああなたが擁護したとしても懲役数百年は覆らないでしょうけどね……もっとも、収監されるまで持つかもわからないけど」

 

 そう言いながらプレシアさんは自嘲気味の笑みを浮かべる。その言葉が意味することを察して俺は眉をひそめながらも、それを抑えながら言った。

 

「ただ、俺は輸送船を攻撃したのはプレシアさんじゃないと思ってるんですよ」

「――えっ?」

 

 プレシアさんは笑みを消して俺に顔を戻す。俺はさらに言った。

 

「だって、あんな石ころ次元空間なんかから落ちたら、()()どこの世界に落ちるかなんてわかりませんよ。次元のはざまに落ちて回収不可能なんてことにもなりかねませんし。それにリニスやフェイトたちが現れたのは、ジュエルシードが落ちて二週間くらい経った後だった。プレシアさんが意図的に地球へジュエルシードを落としたのならその時点、あるいはその前にフェイトたちを向かわせると思うんです。実際その二週間の間になのはは5個もジュエルシードを取って、フェイトはそれに大きく後れを取ることになりましたから。

 だからプレシアさんにとって輸送船が攻撃されたのは予想外の出来事だったんじゃないかって思ってるんですが、実際のところはどうなんです?」

 

 俺の指摘と問いを聞いてプレシアさんはしばらく黙りこむ。だがやがて……

 

「ええ。あなたの言う通り、あれは私にとって予想外の出来事だったわ。当初は輸送船がミッドチルダについたところをフェイトに襲わせてすべてのジュエルシードを手に入れる予定だったんだけど、いつまで経っても輸送船が来ないってあの子から聞いて、調べてみたら輸送船が事故か攻撃を受けて墜落したことを知ったのよ。

 あれからしばらくの間ジュエルシードがどこに落ちたのか、血眼になって探したわ。そしてあなたたちが暮らす世界にジュエルシードが落ちていたことを知って、すぐにフェイトたちを向かわせたのよ。でも案の定、ジュエルシード集めは大きく遅れてこんな有様になってしまったわ……本当、あれは思いもよらない事だった。信じられないなら別にいいけど」

「いえ、それなら説明がつくと思います。管理局が信じるかは分かりませんけど。じゃあ、あれはやっぱり事故だったんでしょうか?」

 

 俺の言葉にプレシアさんはあごに手をやりながら、

 

「それにしてはタイミングが良すぎるわ……やっぱりあの男の仕業かしら?」

「あの男?」

 

 おうむ返しに聞き返す俺にプレシアさんは手を机に戻しながら言った。

 

「『ジェイル・スカリエッティ』。私が最後にいた“企業”の創設者で、そこで行われていた研究を裏から取り仕切っていた男よ。さまざまな学問や技術に精通している稀代の魔導師で、十年以上も管理局から逃げ回っている次元犯罪者でもあるわ。プロジェクトFの基礎理論を作ったのもこの男なの」

「プロジェクトFの基礎理論を!? そんな男がなぜ輸送船を? やっぱりジュエルシードを狙って――」

 

 俺はそう問いかけるもののプレシアさんは肩をすくめながら言った。

 

「どうかしらね。もしくはジュエルシードの収集を通して、フェイトの力量を確かめたかったのかもしれないわ。プロジェクトFの技術で生み出したあの子に、スカリエッティは興味津々だったみたいだから」

「その話、クロノやリンディさんには?」

「もう話した。でも、私の証言で捕まるタマじゃないわ。かなりの力を持つスポンサーやクライアントがバックについているみたいだし。それより、私からも夜天の魔導書とは関係ない事で一つ聞きたいことがあるんだけどいいかしら?」

「何でしょう?」

「あなたは《時の庭園》から私を連れ出す時に、アリシアが完全に死んだわけじゃないかもしれないって言ってたけど、どうしてそう思ったのかしら? 私でさえあの子が死んでしまったとばかり思っていたから、プロジェクトFやアルハザードに頼るしかなかったのに」

 

 その問いに俺はクロノから見せてもらった記録を思い出しながら口を開いた。

 

「アリシアの死因って、酸素欠乏による窒息死でしたよね?」

「え、ええ……」

 

 アリシアが死んだ時のことを思い出したのかプレシアさんは辛そうな返事をする。そんな彼女に向かって――

 

「俺もそんなに医療に関する知識はないし正直あまり自信はないんですけど、アリシアが窒息する寸前に彼女のリンカーコアが反応して、主を守るために一時的な仮死状態にしたんじゃないかなって思ったんです。ベルカで似た例がありましたし」

「ベルカで?」

「ええ。魔導事故にあって、両腕と主要な臓器を失って仮死状態になった子供が。その子供は心肺蘇生を受けても治らず死亡宣告まで出されましたけど、その数刻――いや、数時間後に息を吹き返して回復したそうです。もしアリシアにもその子と同じことが起きていたとすれば……」

 

 ちなみに、その仮死状態から蘇生した子供というのはオリヴィエの事だ。あちらも死亡ギリギリの状態だったらしく、体内にある《聖王核》がなければそのまま死んでしまっていただろう、と本人から聞いたことがある。

 

「もっともアリシアの場合、そのまま放っておいたら本当に死んでしまったと思います。でも仮死状態のアリシアをポッドに入れてコールドスリープのような状態を保っていたとしたら、まだ彼女が生きている可能性があるのではないかなと思ったんです。もしそうなら夜天の魔導書の魔力とシャマルの治療魔法で、アリシアを完全に蘇生させることもできるのではないかと考えたんですが……」

「……」

 

 不安そうな声色で締めくくる俺に対し、プレシアさんは腕を組み難しい顔で黙り込む。

 やはり厳しいか……だが、今更になって望みが薄いから協力をやめるなどと言い出されても困るぞ。

 そんな俺の内心を見透かしたようにプレシアさんはため息をついて――

 

「安心しなさい。ここまで来てやめるなんて言わないわ。こうなった以上他に道もないし……あの子にも頑張れなんて言われたし」

「えっ?」

 

 最後の一言が聞き取れず俺は聞き返してしまう。だがプレシアさんは首を振りながら話題を戻した。

 

「何でもないわ。とにかく時間が足りないからあなたにも手伝ってもらうわよ。ヒントはここに書いておくから、今まで書いたものの書き直しと修正しやすいサブまわりから始めて頂戴。しあさってまでにはサブを終わらせて――うっ」

 

 紙に書き込んでいる途中でプレシアさんは突然息を詰まらせ、口に手を当てて乾いた咳を何度も吐き出す。俺は慌てて彼女のそばに駆け寄った。

 

「プレシアさん!?」

 

 しかし、プレシアさんは咳をしながらも俺に手を突き出しながら言った

 

「大丈夫、これくらいいつものことよ。悪いけどそこにある水と薬を取ってもらえるかしら」

 

 彼女に言われるがまま、机に置いてある水が入っている容器と薬を差し出す。

 プレシアさんはあおるようにそれを飲んで息を吐き出した。

 

「大丈夫ですか? 今日はもう休んだ方が……」

「そんな暇なんかないわ。間に合わなかったらどの道何もかも終わりなのよ。あなたもこれを持って早く作業を始めなさい!」

 

 そう言ってヒントが書かれた紙を突き出すプレシアさんに、俺は「はい」と言いながら紙を受け取る。

 

 プレシアさんの病は完治したわけじゃない。あくまで余命を数日延ばしただけだ。

 プレシアさんの肺に巣食っていた腫瘍はすでに全身に転移しており、数時間かけた手術でもすべてを取り除くことはできなかったらしい。持ってあと一週間――いや、その間にまた無理を重ねたらもっと短くなるかもしれない。

 だが、彼女の手を借りなければ夜天の魔導書の修復なんて到底出来ない。

 何も出来ない自分に歯がゆさを感じながら、俺はプレシアさんの仕事場を後にし自分の部屋へと戻った。

 

 

 

 それから三日間、俺とプレシアさん、本局から業務の合間を縫って手伝ってくれるマリエルさんとともに、夜天の魔導書の修復作業のうちサブの機能の修復をあらかた終わらせ、俺もマリエルさんもいよいよ本格的に防衛プログラムの改変に移ろうという時だった。

 プレシアさんが倒れて医務室に運び込まれたのは……。



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第47話 淫獣

 夜天の魔導書を呪われた闇の書と呼ばせたプログラム――言うなれば《闇の書の闇》。

 元々は夜天の魔導書とその主を守るための防衛プログラムだったが、過去の主たちの改変によってさまざまなバグを引き起こし、周囲を無差別に滅ぼし尽くした挙句、主や魔導書をも自滅へと至らせる元凶となり果てた。

 

 プレシアさんはこの防衛プログラムの改変を主に担当しており、俺とマリエルさんもサブ機能の修復を終わらせてからそちらを手伝う予定だったのだが、その予定が狂ってしまった。

 4日目になって、プレシアさんの病状が再び悪化し倒れてしまったのだ。

 現在プレシアさんは病室のベッドで眠っており、数日前と同様にフェイトとリニスがつきっきりで彼女の看病をしている。

 

 一方、俺やマリエルさん、リンディさんを始めとするアースラ首脳部は作業半ばで倒れたプレシアさんの心配をする暇すらなく、レティ提督という運用部の幹部を交えて修正作業についてどうするべきかを話し合っていた。

 

 プレシアさんが四日間詰めていてくれたおかげで大部分の修正は終わったようだが、俺とマリエルさんだけではやはり心もとない。何しろ相手は無数の世界を食らって来た“闇の書”だ。わずかなバグやミスが最悪の結果につながりかねない。

 そのため、後の修正作業は夜天の魔導書に詳しい俺が中心となって引き継ぎ、それに加えてプログラムに深い造詣を持つ協力者二人をチームに加えることになった。

 そのうち一人はミッドチルダ東部にある、レティ提督の実家の近所に住んでいる女の子。

 そしてもう一人は管理外世界に住んでいる少女で、俺たちもよく知っている人物だ。

 

 

 

 

 

「本局から来ました、マリエル・アテンザです。今まで通信越しに健斗君とプレシアさんの手伝いをしてましたけど、レティ提督の計らいで少しの間アースラに出向することになりました。よろしくお願いします」

「シャリオ・フィニーノです。レティさん――じゃなくて、提督の紹介で民間協力者としてしばらくの間こちらにお世話になります。どうぞシャーリーって呼んでください」

 

 短い緑色の髪の白衣を着た女性と、肩までかかるほど長い茶色い髪の少女はそう自己紹介して俺たちに頭を下げる。二人とも眼鏡をかけていて見るからに優秀そうだ。

 俺たちも名前と簡単な肩書を名乗り返して、彼女たちに楽にするように言った。

 そして……

 

「なにこのスター○ォーズや○レックに出てくるような船? 魔法っていうから、お菓子の家かきれいなお城にでも連れて行かれるのかと思ったら。あんたたち、いつからSF世界の住人になったのよ?」

「ここに来るまでの間、すれ違った人たちみんな私たちを見て怖がってたみたいだけど、どうしたんだろう?」

 

 マリエルさんとシャーリーの自己紹介も耳に入っていない様子で、アリサは室内を見回しながら、すずかは考えながら言葉を吐き出す。

 

 新たにアースラへやって来た四人のうち、シャーリーとアリサが夜天の魔道書の修復作業に加わる協力者だ。

 アリサは小学3年生にして、そこらのプログラマーが足元にも及ばないくらいのプログラミングに長けており、魔法の知識抜きなら俺やマリエルさん以上の腕の持ち主だろう。また魔導師としても、俺やなのはたちに匹敵する才能を隠し持っているらしい。

 シャーリーことシャリオ・フィニーノは、わずか7才にして義務教育終了を前にしているほどの才女で、卒業後は時空管理局に入局する予定だという。メカニックデザイナーを目指しているほどのメカオタでもあり、プログラミングもすでに習得しているらしい。

 魔法の知識はほとんどないもののずば抜けたプログラミング能力を持つアリサと、デバイスに関しては豊富な知識を持つシャーリー、二人合わせれば結構すごい力を発揮するんじゃないだろうか。

 まあ、それはともかくとして……

 

「何ですずかまでここに? アリサしか呼んでないはずだが」

 

 俺の問いに彼女たちを連れてきたなのはは苦笑いを浮かべる。

 彼女に代わってそれに答えたのは……

 

「いくらなのはの頼みでも、突然知らない場所へ連れて行かれるって聞いて不安にならないわけないでしょう! だからすずかにもついて来てもらったのよ」

「うん。でも、どっちかというと、私の方から連れて行ってほしいってお願いしたの。はやてちゃんもここにいるんでしょう? この前はやてちゃんだけ学校に来なかったからずっと心配で」

 

 キンキン声でまくしたててくるアリサと落ち着いた口調で伝えてくるすずか。こんな場所に来てもいつもと変わらない二人の様子に、俺となのははこんな状況にかかわらずつい笑ってしまう。

 何度か会話を交わし彼女たちが落ち着いた頃を見計らって彼女たち、主にアリサとすずかに向かってクロノが口を開いた。

 

「アースラの責任者代理のクロノ・ハラオウンだ。艦長はロウラン提督と打合せの最中なので僕の方から簡単に説明させてもらう。御神健斗とマリエル・アテンザは我々のもとで闇の書、または夜天の書と呼ばれる魔導書の修復を行っているんだが、彼らと作業をしていた技術者が病気で倒れてしまって手が足りないんだ。フィニーノさんとバニングスさんにはその人の代わりをお願いしたいと思っている。月村さんは自由にして構わないが、艦内を回る時は誰かと共に行動するようにしてほしい。こちらからのお願いで来てもらってるのにこういうことは言いたくないが、重要な場所も多いところなのでね」

「何よ、あたしたちに来てほしいと言いながらずいぶん偉そうに指図してくれるじゃない。親の顔が見てみたいものね」

「ま、まあまあアリサちゃん。こんなすごい船だもん、入っちゃいけない場所くらいあるよ。それより八神はやてという女の子はどこにいますか? はやてちゃんが今どうしているのか気になって……」

 

 責任者代理を名乗る自分たちと同い年()()()()少年にアリサは食って掛かり、すずかはそれを抑えながらはやての居場所を尋ねる。

 クロノははやてが病室にいる事を告げてなのはとトゥウェーさんにそこまでの案内を頼みながら通信室へ戻り、すずかはなのはとトゥウェーさんに一緒に医務室の方へ行こうとする。

 すずかが俺の横を歩くその瞬間――

 

健斗君、ちょっとお願いしたいことがあるから、お仕事終わった後で時間もらえるかな? すぐ済むから

 

 突然耳打ちしてきたすずかに、俺は思わず「えっ?」と言いながら振り返る。しかし、すずかはそのままこちらを振り向かないまま、なのはたちに付いていった。お願いってまさか……。

 俺は唖然としかけるも後ろからの視線に気付き、慌てて三人の方を振り返って、彼女たちに発破をかけてから仕事部屋として用意された部屋に向かった。

 

 

 

 

 

 

 そして半日後、修正作業が終わり、俺は言われた通りすずかと合流した。そして俺はすずかを自分の部屋に連れて行き……

 

 

 

「かぷ……んむっ……ちゅっ……んっ……ちゅぷ……やっぱり美味しい。癖になっちゃいそう……健斗君の血」

 

 俺を椅子に座らせ、その前にひざまずいた状態で、すずかは俺の腕にかぶりつき、うまそうに血をすすり続ける。

 この前の一件で俺の血の味を覚えて以来、輸血用の血では物足りなくなってしまい、あれからずっと俺から血をもらう機会を伺っていたらしい。

 あれってそんなにうまいものなのか? 口を切った時など意図せず味わったことは何度もあるが、とてもうまいとは思えない。

 だが――

 

「じゅ……はむっ……ちゅちゅ――じゅぷり」

 

 俺の疑問に反して、すずかは一心不乱に血を吸い続ける。

 そこでかすかに目がくらんだ気がした。

 

「すずか……そろそろ」

「あっ、ごめん。つい飲みすぎちゃった。これくらいにしておかないとね」

 

 すずかは腕をぺろりと舐めてから口を離す。

 すずかを含む夜の一族の唾液には血液を固める力と痛覚を止めながら傷を治す力があり、血を吸った後にその箇所を舐めるのも、俺の腕についた傷を治すためらしい。おそらくそれ以外に他意はないだろう……多分。

 

「じゃあそろそろ行こうか。仕事の後だし腹もペコペコだ」

「うん。私が吸っちゃった血の分まで健斗君にはいっぱい食べてもらわないとね」

 

 そんな言葉を交わしながら俺たちは部屋を出る。そこで彼女たちを見つけた。

 

「健斗君と――すずかちゃん!?」

 

 一緒に部屋を出る俺たちを見てはやては仰天した声を上げる。

 はやての車椅子に手をかけながら、ヴィータは問いかけてくる。

 

「何やってたんだよそんなところで? ここって健斗とユーノの部屋だろ。お前らまさか……」

「ち、違うよヴィータちゃん! 健斗君が仕事から帰って来たところで偶然会って、お夕飯まで時間があったからちょっとだけお話をしてたの! ねえ健斗君」

「あ、ああ。そうなんだ」

 

 慌ててごまかすすずかと俺に、ヴィータは「ふーん」と言い、他の守護騎士ともども疑わしげな目で俺を見る。

 そう言えばこいつらは俺の正体に気付いているんだったな。子供同士ならともかく、片方が20近くの精神を持つ男となったら不快にも思うだろう。

 一方、はやては平然とした顔で、

 

「夕ご飯の前に二人だけでお話か。まあ友達やし、そういうこともあるやろ。それよりちょうどええ所で会ったわ。すずかちゃんたちも私らと一緒に行く? 今日の夕食はスタッフさんたちの紹介を兼ねた、すずかちゃんたちの歓迎会になるそうや」

「うん、もちろん一緒に行くよ。ねえ健斗君」

 

 そう言ってくるすずかに「ああ」と相槌のようにうなずく。

 

 そうして俺とすずかははやてたちと一緒に食堂に向かうことになった。先頭を進むはやての表情に気付くこともなく……。

 

(健斗君とすずかちゃん、二人だけで部屋に入って一体何を? もしかして健斗君、すずかちゃんと……)

 

 

 

 

 

 

「あー、疲れたわー! なんなのよあのプログラム、何回書き直してもエラーばっかり。あんなメチャクチャなの初めて見たわ」

「そっかそっか、お疲れ様だねー」

 

 食堂に入って俺たちが見たのは、机に突っ伏して愚痴をこぼすアリサと彼女の肩を揉みながら労いの言葉をかけているなのはだった。相変わらずこっちの方はお嬢様には見えないな。

 

「おっすアリサ。お疲れさん」

 

 片手を上げながら声をかけると、アリサは突っ伏したままこちらに顔を向けた。

 

「あ、健斗。お疲れ。あんたがあたしたちより遅く来るとはね」

 

 どういう意味だそれは。と内心で突っ込みながら、俺はアリサの向かい側に座る。

 それからマリエルさんとシャーリー、フェイトとアルフも食堂にやって来て、彼女たちと雑談している所でリンディさんたちアースラ首脳部がやってきた。

 艦長の来訪に思わず姿勢を正す局員たちにつられて、アリサも背筋を伸ばす。そんな彼女にリンディさんは楽にするように言って……

 

「初めまして。アースラの艦長、リンディ・ハラオウンです。いきなり来てもらった上に無理を言ってごめんなさい。その代わりと言っては何ですが、私たちにできることがあれば何でもおっしゃってください。出来る限りの事はしますから」

「い、いえ、こちらこそ友達がお世話になっているみたいで。アリサ・バニングスです。短い間ですがよろしくお願いします!」

「月村すずかです。私たちの方こそわがままを聞いてくださってありがとうございます。出来るだけ迷惑をかけないようにしますので」

 

 アリサとすずかは立ち上がりながら自己紹介する。そこでアリサはふと眉を持ち上げた。

 

「あれ、ハラオウンってもしかして……」

 

 アリサはリンディさんの横にいるクロノを見る。彼は相変わらずむすっとした表情で、

 

「僕の母親ですが……なにか?」

 

 わざとらしい敬語で尋ねるクロノに、アリサはぎこちなく笑いながら、

 

「……いえ、お若いお母様だと思って」

「あらあら、最近の子はお上手だこと。遠慮せずいっぱい食べてね!」

 

 アリサの口から出た誉め言葉にリンディさんは気を良くする。そういえばアリサの奴、クロノに『親の顔が見てみたい』とか言ってたな。はからずもそれが叶ったわけだ。

 

 その時、リンディさんたちに遅れて食堂に入って来る者がいた。彼を見つけるや、なのはは手を振って声をかけた。

 

「あっ、ユーノ君! おーい、こっちだよー!」

 

 なのはの声と姿によってユーノはこちらを見つけ、歩み寄ってくる。

 

「やあ。もうみんな来ていたのか」

「おう。お前の方はどうだった? 無限書庫の方は」

 

 俺が尋ねるも、ユーノは空しそうな表情で首を横に振る。収穫はなしか。

 ユーノはそこでアリサたちに気が付いた。

 

「君たちは――初めまして、ユーノ・スクライアです。どうかよろしく」

「……?」

 

 少し驚いた様子で自己紹介するユーノにアリサとすずかは怪訝そうな顔になりかける。それをこらえながらアリサは言った。

 

「アリサ・バニングスよ。こちらこそよろしくお願いするわ。それにしてもユーノ君か。奇妙な偶然ね、なのはのペットもあなたと同じ名前なのよ……って、ごめんなさい。失礼だったかしら」

「い、いや、そんなことはないよ」

 

 ユーノは冷や汗を流しながらそれだけ答える。そこへなのはが――

 

「気にしなくていいよ。フェレットのユーノ君はこっちのユーノ君が変身したものなんだから!」

 

 ……えっ?

 

 その時、俺とユーノの頭上にそんな言葉が浮かんだ。守護騎士の一部も唖然とした顔でなのはを見ている。

 アリサはしばらくの間固まってから、

 

「何よなのは。いきなりそんな冗談を言うなんて。珍しい事もあるもんね」

 

 そう言ってアリサはあははと笑う。その横顔に一筋の汗を流しながら。

 しかし、誰も彼女に続いて笑おうとしない。それに気が付いたのか、アリサの笑いもだんだん小さくなっていく。

 そこですずかは、

 

「ユーノ君、なのはちゃんが言ってることって、本当なの?」

 

 重い口調で問いかけられユーノはこくりとうなずいた。もはやアリサの口から笑い声は出ておらず、笑顔のまま硬直している。

 

「ユーノ、こうなったらもういっそ、あれを見せてやれ。男なら覚悟を決めろ」

 

 クロノに脇を小突かれながらそう言われ、ユーノも首を縦に振り一歩前に進み出る。

 

「じゃあ……いくよ!」

 

 ユーノは立ち止まったまま、念じるように目を閉じる。途端に彼の体は光に包まれ、見る見るうちに小さなフェレットもどきになった。

 それを見て何人かの女性局員が黄色い声を上げるも、肝心のアリサとすずかはあんぐりと口を開けている。

 

「うそでしょ……私は温泉であの子のあんなところやこんなところを……」

 

 アリサは目を虚ろにして口をパクパクさせ、ぶつぶつつぶやきを漏らしている。

 それを見て、

 

「あの、大丈夫? とにかく僕も魔導師でこんな事が出来たりするから、今後ともよろしく――」

 

 ユーノは心配そうに彼女に近づく。するとアリサは、

 

近づかないで変態!!

 

 突然アリサに怒鳴られユーノは思わず立ち止まる。困惑する彼に対してアリサはまくし立てるように言った。

 

「ケダモノ! 性欲の化身! よくも純真な乙女を騙してくれたわね! あんたのせいで穢されちゃったじゃないの! まだ男の子と手も繋いだことないのに……どうしてくれるのよ、お嫁に行けなくなったらあんたのせいだからね! ぜったいに許さないわ! この――淫獣!!」

 

 ありったけの罵声を浴びせられ、ユーノはその場に縮こまる。それでもアリサの気は収まらずしばらくの間わめき続けていた。

 

 

 

 その後、なのはやはやてになだめられアリサはなんとか落ち着きを取り戻したものの、この日からしばらくの間、ユーノはアリサから“淫獣”と呼ばれるようになった。

 その一方で……

 

「ユーノ君、私たちこれからシャワー浴びるところなんだけど、ユーノ君も一緒に来ない? 背中洗ってあげるよ!」

「け、結構です! 僕は一人で行きますから!」

「えー、同い年の女の子たちとは一緒にお風呂に入ったのにー。私達とも入ろうよー! フェレットの姿でもいいからー! 大人の女もいいぞー!」

 

 女性局員にもみくちゃにされながらユーノは彼女たちから逃れようとする。うちの女性陣は白い目でそれを見るも、男からしたら結構羨ましい。

 ああいう光景を見てたら、アリサに淫獣と呼ばれるくらい安いものだと思わなくもない。

 

 

 

 

 

 夜天の魔導書の修復に残された時間はあと三日。



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第48話 過去夢

 ユーノに対するアリサの大激怒から始まった歓迎会の後、はやてとザフィーラ以外の守護騎士はアースラに男女それぞれ一つしかない浴槽に浸かっていた。

 女性用の浴槽はリンディ、エイミィなどがスタッフたちの暗黙の了解で優先され、後は早い者勝ちだが、はやてが動けなくなって以来はやて本人と彼女の世話をする守護騎士が優先して入る形になっている。

 その浴槽に浸かりながら、はやては開口一番に言った。

 

「ケントについて聞きたいんやけど」

 

 はやての口から出た言葉に、シャマルはきょとんとしながら言葉を返す。

 

「えっと……健斗君の事でしょうか? 彼の事なら、私たちよりはやてちゃんの方が詳しいはずじゃあ――」

 

 天然めいた聞き返しに対してはやては首を横に振り、

 

「ちゃうちゃう。そっちやのうて、何百年か前にベルカにいた王様の事や。今では愚王ケントって呼ばれてる……その人の事は覚えてるやろう?」

「ああ、あいつのことか。前に一度話しただろう。闇の書の頁を集めてる間はあたしらにいい顔しといて、あとわずかで闇の書が完成するってなった途端急に態度を変えて、あたしらをお城から追放した主だってさ」

 

 ヴィータは不愉快そうにそう吐き捨てる。それに続いてシグナムも胸をかばったままの体勢で、

 

「あの方については艦長とその息子からも一通り聞いているはずですが。まだ何か足らない事でも?」

 

 シグナムの問いにはやてはこくりとうなずく。

 

 

 

 彼女らの言う通り、愚王ケントについては騎士たちやハラオウン親子から一通りの事は聞いている。

 闇の書を完成させるために他の国や都市へ攻め込み、自分の国の都に住む人々をも犠牲にしようとして聖王に討たれた暴君であると。

 だが闇の書の危険性を知った今、ケントがただ闇の書の力を求めてそんな凶行に走ったとは思えない。()がそんな事をするとはどうしても思えない。

 それにケントに関することで一つ気になっていることがある。それを聞くためはやては久しぶりに、守護騎士たちと風呂に入っていたのだ。もちろんここは女湯なのでザフィーラはいないが。

 ちなみに冒頭まで、はやてはシャマルとシグナムの胸を揉みしだいており、一番長く揉まれていたシグナムは今も羞恥から抜け出せずにいる。その反面、シャマルはシグナムの胸に妬ましげな視線を向けていた。大きさはシグナム以上なのだが形が悪いのだろうか?

 

 

 

 それはさておいて、ケントについてあることを尋ねるべく、はやては意を決しその口を開いた。

 

「あのな、ケントって人には奥さん……お妃様とかおったん?」

「えっ……?」

 

 はやての問いにシグナムは思わず間の抜けた声を上げ、他の二人もはやてを見たままぽかんとする。

 そんな彼女たちにはやては言葉を重ねた。

 

「いや、女好きとか好色とか、そっちについて色々言われてるけど実際はどうやったんかなあって。とりあえずそのケントって王様にお妃様とかおった? シグナムたちやったら知ってるやろう?」

「いえ、あの方に妃殿はいませんでした」

 

 シグナムは即座に首を横に振って言った。それに続いて――

 

「お妃様どころか恋人らしい人さえいなかったわよね。熱心に迫ってくる人はいたけど」

「えっ、ほんまか? 誰やそれって!?」

 

 シャマルの口から出た言葉にはやては身を乗り出しながら問いかける。シャマルは気にすることなくすぐに答えを返した。

 

「確か、エリザヴェータっていう貴族のお嬢様です。戦いの途中でケント様に命を助けられたらしくて、それ以来熱心にアプローチするようになって――」

「一緒に風呂に入ったりまでしたからな。最初に会った時からは想像もできねえ」

「おふろ!? おふろって、ここみたいなお風呂のこと?」

 

 自分たちが浸かっているバスタブを指さしながら繰り返すはやてに、ヴィータはこくりとうなずく。

 

(一緒にお風呂ってかなりの仲やないか。もしかしてそのエリザヴェータという人が健斗君の言ってた“彼女”なんか? いやでも、健斗君は“彼女”って人の事を、夜天の魔導書のなんたらって言ってたな。そう考えるとエリザヴェータって人やない気がする)

 

 そう考えてからはやては問いを重ねる。

 

「他にはおらんかった? 守護騎士たちみたいに闇の書と関係があって、ケントさんと仲が良かった女の人」

 

 その問いにヴィータは腕を組みながら、

 

「うーん……仲がよかったかはともかく、あたしらみたいなのつったらあいつぐらいだけど」

「あいつ?」

 

 おうむ返しに聞き返すはやてにシグナムが答えた。

 

「闇の書の管制人格です。闇の書を400頁以上集めた時に現れるプログラムで、主と融合して戦うことができる《融合騎》でもあります」

「融合騎……」

 

 新たに聞く言葉を復唱するはやてにシグナムはうなずく。シャマルが続いて、

 

「決まった名前はなく、《闇の書の意思》と呼ばれることがほとんどでした。ケント様はあの子に“リヒト”という名前をつけてそう呼んでましたけど」

「リヒト……」

 

 聞いたことがある気がする。幼稚園の頃に遊び疲れてうたた寝していた健斗が、寝言でそんな言葉を言っていたのをうっすらと覚えてる。

 その人がケント、そして健斗の……。

 そう考えた瞬間、はやての胸がぎゅっと苦しくなる。

 そこへ追い打ちをかけるようにシャマルは言った。

 

「そういえば、時々赤い顔しながらあの子の事を見ていた事があったけど、もしかしてケント様、あの子の事を……」

「まさか、あいつもあたしらと同じプログラム体だぞ。いくらケントが変わり者でも人間じゃない奴に惚れたりなんかするかよ」

「そうだな。見た目ならエリザも負けていないし、身分でもエリザの方が釣り合う。そんな相手を逃す危険を冒してまであいつになびくわけもないだろう」

 

 ヴィータとシグナムがそう言い返すとシャマルも反論できずにうなる。しかし、はやては内心で二人に対して首を横に振った。

 恋というものはそんな理屈的なものじゃない。幼い頃から健斗に恋し続け、今でも彼を想っているはやてにはそれがよくわかる。

 だが、その彼が想っている人は自分ではなく……

 

(ケントさんがリヒトって人の事を好きやったのはもう間違いない。でも今日はすずかちゃんと二人だけで部屋にいたな。二人とも前までと違う雰囲気やったし。もしかして健斗君、今はリヒトさんやなくてすずかちゃんの事を……あるいはもしかしたら――)

 

 はやてがそう考えていると、ちょうどその時にそれは聞こえてきた。

 

「まっ、単純にあいつやエリザに鼻の下伸ばしてただけだろうけどな。バニーガールの話を聞いた途端目が血走るくらいエロい奴だったし」

「その可能性は高いわね。他にもオリヴィエ様の裸見たり私の胸を揉んだりしてたし。事故ってことで許したけど、本当はわざとじゃないかって今でも思っているのよ。今日だってすずかちゃんと……」

「ま、待て! まだ健斗があの方だと決まったわけではない。それに健斗がすずかという少女といかがわしい事をしていたとは限らん。あの二人が言ってる通り、なにかの相談事をしていたのかもしれん」

 

 シグナムがそう言うものの他の二人もシグナム本人もそれ以上何も言わず、浴室に気まずい沈黙が流れる。そんな中ではやても……

 

(……ま、まさかな。でも男の子ってみんなハーレム願望があるっていうし、まさか健斗君も……うー、気になってしゃーないわ。せめてケントさんとリヒトさんがどんな関係にあったかだけでもわからんもんかな)

 

 

 

 

 

 はやてがそんな疑問を抱いた瞬間、医務室にある夜天の魔導書が紫色の光に包まれた。

 

『Ich erhielt eine Frage vom Herrn. Um die Fragen des Lords zu beantworten, spielen Sie einige der Aufzeichnungen von Submaster Kent und System N-H im Bewusstsein des Lords ab(主からの疑問を受信しました。主の疑問にお答えするため、主の意識にサブマスター・ケントとシステムN-Hの記録の一部を再生します)』

 

 

 

 

 

 

 その夜、眠りについたはやての視界に広い部屋が映った。

 芸術的な造形の家具ときらびやかな装飾がちりばめられた豪華な部屋だ。まるで中世や近代ヨーロッパの王族が住んでいる部屋のような。

 それを見て、これは夢だとはやてはすぐに気付いた。

 

 部屋の奥にある大きなベッドのそばで、長い銀髪の女性と茶髪の男が抱き合って言葉を交わし合っている。

 女は月の光のような色の髪を下ろした赤い眼の美女だった。胸はシグナムやシャマルよりも大きい。どういうわけか彼女の右腕と両脚はベルトのようなもので締め付けられており、艶めかしい色気を醸し出している。

 対する男は茶色い髪と金色の右眼と緑色の左眼を持つオッドアイの青年。冴えない印象を持ちお世辞にも美形とはいいがたいが、見ていて母性と安心感がわいてくる顔。

 

(健斗君にそっくり……この人が『愚王ケント』)

 

 ケントを初めて見るにもかかわらずはやてはそう確信する。では彼のそばにいるのが……。

 銀髪の女性に抱きとめられながらケントは口を開く。

 

「俺と一緒に来てくれるか? リヒト」

「はい! この身、いえ互いの身が朽ちるまで主に誠心誠意お仕えします」

 

 リヒトと呼ばれた女性は目に涙を浮かべながらも笑みを作ってそう答える。

 これだけでも二人が親密な関係にある事がうかがえる。はやては胸に痛みを覚えながらも二人から目を離せずにいた。

 やがてリヒトは顔を赤く染めながら、

 

「我が主。本当にあなたが私を愛してくださるというのなら、どうか今夜だけは私と夜を共にしていただけませんか?」

 

 それを聞いてはやてもびくりと肩を震わせる。もしかしてこれは……

 

「……いいのか?」

 

 そう確認するケントにリヒトはこくりとうなずき、

 

「はい。主の思うがままにしてください」

 

 そう答えた瞬間、リヒトはケントに顔を近づける。それを見て――

 

(駄目!)

 

 二人のそばではやては声を張り上げる。

 だが二人の耳にはまったく聞こえていないようで、はやての制止もむなしく二人は彼女の前で熱い口づけをかわす。

 はやては二人を引きはがそうとするものの、はやての両腕は二人の体をすり抜けてしがみつくことさえできない。

 そうしている間にケントはリヒトをベッドに押し倒す。リヒトは抵抗するどころか彼を誘惑するような瞳と笑みで……

 

「主、来てください」

「ああ」

 

 そう言ってケントは彼女の体に手を伸ばす。はやてはたまらず――

 

だめええええぇ

 

 

 

 

 

 奇声を上げながらはやては跳ね起きる。

 消灯したままの部屋は暗く、次元空間の中を飛んでいるアースラの中では今が夜なのか朝なのかもわからない。だが今のはやてにとってどうでもいい事だった。

 

 はやてははぁはぁと荒い息をついてから、

 

「なんでや、なんであんな所を見せられなあかんねん。健斗君が私以外の女の人とあんなことしてる所なんて、見たくなかった」

 

 はやてはそう言いながら顔を覆い泣きじゃくる。

 夢の中でリヒトという女性と愛を交わしていたのはケントという人物で、健斗とそっくりな別人だ。だが、はやてにとって彼はまぎれもなく健斗に他ならず、また夢の中の出来事も遠い昔に実際にあったことだとなぜか確信できた。

 だからこそ悲しみと悔しさが抑えられない。

 

「なんでや、なんで健斗君はあんな人なんかと。健斗君は私が好きになった男の子なのに!」

 

 怒鳴りながらはやてはばんと毛布を叩く。しかし柔らかい毛布は不愉快な弾力と感触を跳ね返してくるだけだった。自分がしていることの無意味さを思い知らされているようで、いっそう癪に障る。

 

「私の方が健斗君の事を好きなのに。美味しいお料理いっぱい作れるのに。他の家事もいっぱい練習したし健斗君のお母さんとも仲良くできてる。それなのに何であの人と。ちょっと美人やからって、おっぱい大きいからって!」

 

 地団太を踏むようにはやてはばんばん毛布を叩き続ける。しかし相変わらず毛布は相変わらずその形を変えるだけで、はやての憂さを晴らす役に立ってくれない。

 はやては馬鹿馬鹿しくなって手を止め、ぽすんと毛布に頭をうずめながらふと漏らした。

 

「あの人になりたい」

 

 自分がリヒトという人だったら、あの人に代わって健斗を慰めてあげられる。健斗を守ってあげられる。健斗のためだったらなんだってしてあげる。私だったら聖王なんかに彼を殺させたりしない。

 

「私があの人になれたらいいのにな」

 

 繰り返すようにそう呟く。そしてリヒトに関することを記憶から呼び起こしていく。どうにかして彼女に成り変わることはできないだろうかと、叶うはずもない願望を抱きながら。

 そうやっていくうちにふいに昨日シグナムが言った言葉を思い出した。

 

『闇の書の管制人格です。闇の書を400頁以上集めた時に現れるプログラムで、主と融合して戦うことができる《融合騎》でもあります』

 

(シグナムは確かあの人の事を融合騎って言ってた。主と融合することができるって……そうや、その力を使って私が“彼女”になれば……)

 

 はやては顔を涙で濡らしながら唇を吊り上げる。

 

「ふふ、ふふふ。そうや、私が“彼女”になれば全部丸く収まるやないか。健斗君は“彼女”と再会できて、私は“彼女”と一緒に健斗君に愛してもらえる。これなら健斗君にとっても、“彼女”っていう人にとっても、私にとっても全部うまく行く。フフ……フフフ、アハハハハハ!」

 

 はやての笑い声が暗い病室に響き渡る。彼女は最高の方法を思いついたとばかりに心の底から喜び、涙を流しながら笑っていた。

 

 

 

 偶然か、それとも何かの導きか、健斗たちが知らないところで最悪の敵が孵化を遂げていた。



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第49話 作戦前日

 マリエルさんたちが加わってから二日。

 いよいよ期限が明日に迫ってきた。プレシアさんの命は持って明日まで。

 それまでに何が何でも夜天の魔導書を修復しなければならない。その修復はあと少しでできるのだが……。

 

 

 

「ああもう! また強制終了しちゃった。何なのこいつ!?」

 

 机を叩きかねない勢いでアリサは毒づく。その隣でシャーリーが縮こまりながらも、

 

「で、でもエラーが出るまで7秒はかかりましたし、惜しい所まで行ったと思います。あともう少しで修復プログラムが届くはず――」

 

 彼女のフォローでアリサはどうにか気を取り直しながら再びプログラムの編集画面を開く。そんな彼女に俺とマリエルさんは心の中で同意した。

 

「昨日からずっとこんな調子だね。もう何十回も書き直しているのに、防衛プログラムが修正を受け付けてくれない」

「そうみたいですね」

 

 マリエルさんに相槌を打ちながら俺は頭を悩ませる。

 もう修正プログラム自体の改良もあらかたやり尽くした。しかし防衛プログラムがそれをはねのけてしまう。一体どうすれば……

 

「やっぱり行き詰まっているみたいね」

 

 頭を悩ませていると、開閉音とともに低い女の声が聞こえてくる。俺たちはそちらに顔を向けた。

 

「プレシアさん!」

 

 作業部屋に入って来た黒髪の女性を見てマリエルさんがその人の名を呼ぶ。プレシアさんを初めて見るアリサとシャーリーは怪訝そうな視線を彼女に向ける。

 一方、俺は彼女に駆け寄りながら声をかけた。

 

「プレシアさん、もう起きて大丈夫なんですか?」

「ええ、医師の許可も取っているわ。それより私にもプログラムを見せて。今の状況を知りたいから」

「は、はい!」

 

 プレシアさんに促されマリエルさんが修正プログラムのコードを開き、プレシアさんは眼鏡をかけながらそのコードを眺める。

 彼女の顔色は白く、さすがに時の庭園にいた頃よりはましだが大丈夫そうには見えない。こう見えて相当無理をしているはずだ。だが今の俺たちにプレシアさんの申し出をはねのける余裕もない。

 プレシアさんの様子を伺っているとアリサがひっそり話しかけてきた。

 

「ねえ、あの人は?」

「プレシア・テスタロッサさん。フェイトのお母さんで、俺たちの他に魔導書の修正に当たっている技術者だ。前に聞いたことがあるだろう」

「聞いたことあります。ティミル博士と一緒に魔導技術研究院を主席で卒業して、当時急成長していたエネルギー企業に引き抜かれたっていう」

 

 シャーリーもひそひそ話に加わり、そう教えてくれる。メカオタを自称するだけあって――もといメカニックデザイナーを目指してるだけあって詳しいな。

 アリサはふーんと言って。

 

「つまり、あんたたちの世界のエリートってわけね。でも大丈夫なの? 顔色悪いし、今にも倒れそうに見えるんだけど」

 

 アリサの問いに答えられず俺もマリエルさんも押し黙る。

 一方、プレシアさんは俺たちの話など気にも留めず、しばらくの時間をかけてコードを眺めてから言った。

 

「確かにもうほとんど直すところはないわね。技官一人と子供三人が組んだとは思えない。でも……」

 

 そこでプレシアさんは軽やかな音を響かせながらエンターキーを弾く。だが、モニターにはやはりエラー画面が出てプログラムは強制終了してしまった。

 プレシアさんはそれを見届けてから――

 

「防衛プログラムを改変するのは難しいみたいね。やっぱり今の夜天の魔導書はプログラムの改変さえ攻撃とみなして拒絶するようになっているのかしら」

「プレシアさんもそう思いますか?」

 

 尋ねる俺にプレシアさんはこくりとうなずく。

 

「私も数日前まで何度もプログラムを書き換えながら試したけど、どうやっても防衛プログラムを書き換えることができなかったのよ。こうなると修復自体ができない状態になっているとしか思えない。探せば何か方法が見つかるかもしれないけど……」

「その方法を探す時間がもうないんですよね」

 

 マリエルさんが放った一言に、プレシアさんが苦い顔をしながらふたたびうなずく。

 手術によって延命したプレシアさんの命も明日尽きる予定になっている。それにこれ以上手間取っていたら、管理局そのものが夜天の魔導書の凍結に動きかねない。俺たちやアースラチームではとても太刀打ちできない相手だ。

 それらを考えたら、防衛プログラムを修復する方法を探している時間はもうない。

 

「こうなったら、防衛プログラムだけを切り離して魔導書本体を修復するしかないんじゃないかしら。切り離した防衛プログラムはアルカンシェルなら消滅させることができるはずよ。問題はどうやって本体から防衛プログラムだけを切り離すのかということだけど……」

 

 プレシアさんの提案を聞いて俺は腕を組みながらうなる。

 確かに《聖王のゆりかご》の主砲に匹敵し、実際に今まで闇の書を消滅させてきた《アルカンシェル》なら防衛プログラムを消滅させることができるはずだ。

 防衛プログラムを切り離す方法もあるにはある。そちらに関してはうまくいく保証はないが。

 だが、まだ問題はある。

 

「防衛プログラムは魔導書を守るために最初から加えられていた機能です。防衛プログラムを切り離しても、魔導書本体が新たに防衛プログラムを再生してしまう可能性は?」

「その危険性もあったはずだけどね。でも、あなたたちが作った修正プログラムで、魔導書本体は元に近い形に戻るはずよ。その状態なら主や管制人格の操作で、防衛プログラムの生成を止めることもできると思うわ。もちろん夜天の魔導書のもとの形がわからない以上断言はできないし、それがうまく行っても防衛プログラムに関わる機能が働かなくなってしまう可能性が高いわ」

 

 プレシアさんからの指摘に俺は思案する。

 

 防衛プログラムに関わる機能か、“彼女”や守護騎士がそれに含まれてなければいいが。

 

「ねえ、防衛プログラムと一緒に夜天の魔導書っていうのを破壊しちゃダメなの? 直せる保証がないならそうした方がいいと思うんだけど――」

「「ダメだ(よ)!」」

 

 俺とプレシアさんはその一言でアリサの意見を一蹴する。

 魔導書の消滅など断じてできるわけがない。そんなことをすれば魔導書や防御プログラムとともに“彼女”まで消滅してしまう。夜天の魔導書の力でアリシアを生き返らせたいプレシアさんにとってもそれは同様だろう。

 

「な、何よ、二人揃って。どう考えてもそれが一番安全じゃない。まさかあんたたち、その魔導書を使ってよからぬことでも考えてるんじゃないでしょうね?」

 

 アリサの反論に俺たちは思わずギクリとしながらも首を横に振って否定する。俺もプレシアさんもよからぬことを考えているつもりはない。ただ大切なものを取り戻したいだけだ。

 

「時空管理局の役目の一つは、あらゆる世界に散らばっている危険なロストロギアを回収することです。ですから夜天の魔導書もできれば破壊せずに本局に持ち帰った方がいいんじゃないかと思います。健斗さんとプレシアさんはそう言いたいんですよね?」

「う、うんうん! そんなところかな!」

 

 管理局の方針を持ち出して説明するシャーリーにマリエルさんが首をぶんぶん振って首肯する。

 アリサはなおも疑わしげな様子で……

 

「ふーん、健斗たちといい管理局って組織といい、どうもきな臭いわね。まっ、この船に乗せてもらってる私にはそれ以上とやかく言えないけど、くれぐれも変なことは考えないでよね。ケントって王様みたいな死に方はしたくないから」

 

 そう言ってアリサは矛を収めてくれた。俺は胸をなでおろしながら彼女たちに向き直り……

 

「じゃあさっきの話をリンディさんとクロノに説明して、あの人たちの許可が取れたら防衛プログラムを切り離すための作業にかかろう。俺とマリエルさんが本体の修正をするから、アリサとシャーリーは修正プログラムの見直しと残っているかもしれないバグの修正を行ってくれ。今までの作業の仕上げみたいなものだから夕方までには終わると思う」

「うん」

「はい」

「わかったわよ」

 

 俺の指示に彼女らは気持ちのいい返事で応じてくれる。その一方で唯一名を呼ばれなかったプレシアさんは不満そうな顔を向けてくる。

 

「まさか、この期に及んで病室に戻れなんて言わないわよね。アリシアが戻って来るかどうかもかかっているし、あなたたちと作業でもしていた方が気が休まるわ」

 

 尖った声をぶつけてくる彼女に俺は首を横に振って。

 

「プレシアさんには引き続き防衛プログラムの修正をお願いします。プレシアさんならもしかすれば防衛プログラムを直す方法を見つけ出してしまうかもしれませんから。そうなったらアルカンシェルが使われることもなくなる。もちろん危ないと思ったらすぐに病室に戻ってもらいますよ。それぐらいの指示を出す権利は今の俺にはある」

「はいはい。わかったわ、ボス」

 

 皮肉のこもった口調でプレシアさんはそう答える。そんな彼女に俺は続けて聞いた。

 

「そうだプレシアさん、一つ聞きたいことがあるんですけど」

「何?」

 

 プレシアさんは急かすように聞き返してくる。そんな彼女に俺は()()のことを伝えた。プレシアさんはどうでもよさそうに――

 

「ああ、あんなものもういらないわ。管理局に接収されたようなものだし、使いたければ艦長親子にでも聞きなさい。じゃあ私はそろそろ仕事をさせてもらうわ。あなたもさっさと説明とやらをすませて戻ってきなさい」

 

 それだけ言って彼女は手近な席に座って魔力モニターを開く。

 そんな彼女たちを作業部屋に残し、俺は隣の部屋に移ってリンディさんたちにさっきの話と明日行う作戦の詳細について説明することにした。

 

 

 

 

 

 

 アースラ、艦長室。

 

「……そう、わかった。あなたたちがそう決断したならその通りにやってみなさい。他に必要な物は? 可能な限り揃えてみせるわ」

『今は大丈夫です。でもいいんですか? 一日で夜天の魔導書の頁をすべて埋めるには、どうしても()()を使わなければいけませんが。それにプレシアさんからの許可が出たとはいえ、アルカンシェルを撃つとなったら……』

 

 空間モニター越しにそう問いかける健斗にリンディは笑みを向けて……

 

「いいのよ、もう覚悟は決めたわ。私がすべての責任を取ります。あなたは夜天の魔導書を直すことだけを考えなさい。明日までには必ず修復プログラムを完成させておいて!」

 

 その言葉に健斗も少し間を空けて、笑みを返しながら答えた。

 

『……はい。ありがとうございますリンディさん、クロノ。協力してくれたお二人やみんなのためにも、夜天の魔導書の修復は必ずやり遂げてみせます』

「ええ、頑張って」

「期待している」

 

 決意を示す健斗にリンディとクロノは激励の言葉を送り通信を終えた。

 クロノはため息をついて……

 

「本当にいいんですか? 押収したロストロギアを無許可で使ったことが知られれば、艦長は……」

 

 念を押してくる息子の問いに答えず、リンディは……

 

「あの魔導書は多くの人々、いえ、多くの人生を食らい、遺族たちの人生をも狂わせてきた。私やグレアム提督たち――そしてクロノ、あなたのように」

「……」

 

 その言葉にクロノは言葉を詰まらせる。そんな息子に対してリンディは続けた。

 

「闇の書によってあの人が命を落とすことがなければ、あなたの人生もきっと違うものになっていたはず。正直に言うとずっと後悔していたわ。あの人を失った悲しみに暮れるあまり、私はずっとあなたに甘えてしまっていたんじゃないかって」

「違う! 執務官になったのは僕自身が望んだからだ! 母さんのせいじゃ――」

「わかってるわ! でも考えてしまうのよ、あの人の事がなければ、もしくは私がもっと早くあの人の死を乗り越えることができていれば、クロノが違う道に進むこともあったんじゃないかって」

 

 クロノの言葉をさえぎってリンディはそう言い放つ。そんな母にさすがのクロノも反論を引っ込めた。

 そんな息子にリンディは笑みを向けて――

 

「もちろん、努力を重ねて執務官になったあなたはとてもすごいと思うわ。誇りに思ってる……そんなあなたに頼みたいことがあるの」

「頼みたいこと? それは一体……」

 

 その言葉にクロノは眉をひそめて聞き返す。

 リンディは席を立ちクロノのそばによって彼の手の上に自分の手を重ねた。何かと思ってクロノはリンディの顔を見上げる。

 リンディは真剣な表情と声色で――

 

「クロノ、万が一の時は、執務官としてあなたが私を逮捕しなさい!」

「なっ――!?」

 

 自分を捕まえろという一言にクロノは目を見開いて驚く。リンディは構わず続けた。

 

「ジュエルシードの使用やはやてさんたちの保護は、あなたやクルーたちに相談もせず私が独断で進めたことよ。あなたがそれを糾弾して私を捕まえれば、あなたやクルーたちに塁が及ぶことはないはず」

「そんな、それじゃ母さん一人が罪を被るようなものだ! それなら管理局に掛け合って、ジュエルシードの使用許可を得てから魔導書を修復した方が――」

「それはできないわ!」

 

 突然声を荒げるリンディに気圧され、クロノは思わず口を閉じる。リンディは一言謝り声を落として言った。

 

「シミュレーションでは実現可能という結果が出たとはいえ、この方法はリスクが大きすぎる。局の上層部が聞いたら、闇の書と主を凍結した方が確実だと答えるでしょうね。プレシアさんの体もいつまで持つかわからない。ここでジュエルシードを使う以外に闇の書の呪いを解く方法はないのよ」

「っ……」

 

 クロノは何も言えず悔しそうに唇を噛む。

 無許可でジュエルシードを使用したことが局に知られれば、リンディは間違いなく、時空管理法で禁じられているロストロギア違法使用の罪で逮捕されてしまう。下手すればそれに手を貸したクロノやエイミィ、レティ、マリエル、そしてシャーリーのような民間人までも。

 彼女たちを守るには、リンディが逮捕される前にクロノが彼女の手に縄をかけるしかない。息子が実の母を。

 

 クロノは顔を歪めながら……

 

「考慮に入れておきます」

 

 それを聞いてリンディは淡い笑みを浮かべた。

 

「ありがとう。最後まで迷惑をかけてごめんね。あなたならもう私がいなくてもうまくやっていけると思うわ。アースラとみんなをよろしくね」

「こちらこそありがとう、母さん。息子としては最高の褒め言葉だ。でも、僕は最後まで諦めるつもりはない。母さんには闇の書の悲劇を食い止めたことを称えられる形でこの船を降りてほしい。夫を失った悲しみを押し殺しながら、母として苦労しながら息子を育て、管理局の士官として大勢の人々の命を救ってきたあなたが報われないのは絶対に間違ってると思うから」

「クロノ……」

 

 息子からの言葉にリンディはとうとう目に涙をあふれさせ、彼を抱擁する。クロノはそれを黙って受け入れていた。

 

 

 

 

 

 夜天の魔導書の修復までに残された時間はあと一日。



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第50話 作戦開始

 《時の庭園》を攻略してから一週間余り、いよいよ夜天の魔導書の修復を実行に移す日がやって来た。

 

 朝早くからなのはやはやてたちと共に会議室で待っていると、リンディさんたちも入ってくる。

 リンディさんとエイミィさんの間から、クロノは大きめのバッグを手に俺たちのもとにやってきた。

 緊張した面持ちで皆が見守る中、クロノはバッグを机に置きガチャリと鍵を開けながらそれを開く。

 その中にはこの騒動を引き起こしてきたロストロギアの一種、21個のジュエルシードが入っていた。

 それを確認してリンディさんを見る。リンディさんは真剣な表情でうなずいた。

 俺も真顔のままうなずきを返し、ジュエルシードのひとつを掴みながら口を開く。

 

「じゃあ、これから闇の書こと《夜天の魔導書》を修復する手順を説明する。何度も説明している暇はないからよく聞いておいてくれ」

 

 厳しめな口調で告げると、みんなは揃って首を縦に振った。

 

 

 

 

 

 夜天の魔導書の修復の段取りは以下の通り。

 

 まずジュエルシードを使って夜天の魔導書を完成させる。

 次に魔導書の主、もしくは“主に準じる者”が魔導書に入り、管制人格と共に防衛プログラムを抑えながら、修正プログラムによって魔導書を修復する。

 その後、書から切り離された防衛プログラムを時の庭園ごとアルカンシェルで消滅させる。

 

 これだけ見ると簡単に見えるが、かなりの危険と不確定要素が絡む作戦だ。そのうえ無事に修復できても、リンディさんを始めとするアースラの幹部はジュエルシードの無断使用の責任を問われる可能性が高い。あるいはもしかしたら……。

 だが、今は夜天の書を修復させる方が先決だ。彼女たちの事は後で考えることにしよう。

 

 

 

 

「――ということだが、みんな、わかったか?」

 

 説明を終えてそう確認すると、みんなは説明する前と同様首を縦に振る。やはりみんな理解が早い。

 俺は満足げにうなずいてから、

 

「じゃあこれから時の庭園に行って魔導書の修復を始めるが、フェイトとアルフはいいのか? プレシアさんについてなくて」

 

 フェイトたちに問いかけると、フェイトは不安そうな顔に、アルフは不愉快そうな顔になる。

 プレシアさんは昨日の作業が終わってすぐに倒れ、現在は呼吸器を装着した状態でベッドで眠っている。管理局の技術をもってしても、もうこれ以上の延命は難しいだろう。完成した夜天の魔導書の力を使わない限りは。

 

 親子としての関係を築きつつも、病に倒れ再び生死の境をさまよっている母親を心配するフェイトだったが、彼女は顔を上げて首を横に振った。

 

「ううん、私も行くよ。母さんにはリニスがついてるし、あの人にとってもこれが最後の希望だから――だから私も自分にできることは精一杯やりたい!」

「フェイト……」

 

 固い決意を見せるフェイトに、アルフは思わず彼女の名を呼ぶ。

 俺はリンディさんの方を向いて、

 

「じゃあ、リンディさんたちはアースラで待機していてください。防衛プログラムが出てきた時、あるいは万が一の時は……」

「ええ。もし何か起これば、私の判断でアルカンシェルを使わせてもらうわ」

 

 リンディさんは強くうなずき、そう言って見せた。

 

 

 

 それを確認して、俺たちは転送ポートから《時の庭園》へと飛ぶ。

 いよいよ300年前にできなかった、『夜天の魔導書の修復』を始める時だ。

 

 

 

 

 

 

 20分後、《時の庭園》の大広間にて。

 

 

 

 12個目のジュエルシードの魔力を夜天の魔導書に移し、600もの頁が記述と式で埋まる。一年前から俺とはやてから吸い取った魔力や魔法資質、そして、以前試しにジュエルシードから移した分も合わせると640頁になる。この十数分の間に魔導書の頁がほとんど埋まってしまった。前世の時とは比べ物にならない速さだ。

 だがそこで――

 

「うっ……」

「はやて! 大丈夫か?」

 

 魔導書の頁が埋まっていく横で、はやては胸を押さえながら小さくうめき声を上げる。ヴィータは思わずはやてに声をかけるもののはやては片手を上げて。

 

「だ、大丈夫、ちょっと胸がつっただけや。……健斗君、私は大丈夫やから構わず続けて」

「あ、ああ、辛かったらすぐに言えよ」

 

 俺の返事にはやてはうなずきもせず魔導書の方を見る。魔導書は主の手を離れ宙に浮きながら……

 

『Die Anzahl der Seiten im Zauberbuch hat 400 überschritten. Es ist möglich, das Masterprogramm zu beginnen und zu verkörpern, was tun Sie?(魔導書の頁が400ページを超えました。管制人格(マスタープログラム)の起動と具現化が可能となりますが、どうしますか?)』

「え、えっと……」

 

 魔導書から響いてくる言葉にはやては戸惑いの色を見せる。主であるはやてには翻訳魔法によって魔導書が発する言葉の意味がわかるはずだが、突然の事に何と言っていいのかわからないのだろう。

 

「『いいえ』だ。まだ管制人格を書から出すわけにはいかない」

「う、うん――いいえ! まだ管制人格って子は出さんでええよ」

『Ich habe es(了解しました)』

 

 そう答えると同時に、魔導書は宙から降りて再びはやての手に収まる。

 そこでクロノが尋ねてくる。

 

「いいのか? 管制人格を呼び出さなくても」

「ああ。あいつには魔導書の中で防衛プログラムを抑えてもらわなければならないからな」

 

 夜天の魔導書を修正する際、防衛プログラムは書を守るために抵抗を始めるはずだ。それを抑えなければせっかく作った修正プログラムも奴に飲み込まれてしまう。“彼女”が具現化できるようになるまでに問題をすべて片付けてかっこつけ――もとい、“彼女”を安心させてやりたいというのもあるが。

 

「じゃあ、最後はこれを使って残りの頁を埋める」

 

 そう言いながら俺は懐からジュエルシードを取り出す。そのジュエルシードの輝きは他のものより弱い。

 これは俺が最初に手に入れたもので、半分ほどの魔力を夜天の魔導書に移した。その後、街での戦闘で不意を突かれてリニスに奪われたものの、今は彼女たちから管理局が押収し、そして再び俺の手に戻った。

 

 俺はジュエルシードを見せつけるように持ち上げながら、説明する。

 

「これには残り半分の魔力に加えて、昨日作った修正プログラムが入ってある。これなら魔導書を完成させて管理者権限を得ると同時に修正プログラムを起動させることが可能なはずだ。……ただ、魔導書のプログラムへアクセスするのは管理者権限を持つ主でなければならない。本当ならはやてに頼みたいところだが……」

 

 俺とみんなははやてを見る。だいぶ落ち着いたらしく今は彼女も平然としている。だがさっきの様子を見るに不安はぬぐえない。それに万が一のことを考えたら……

 

「魔導書の主とはいえ、はやてはほとんど魔法が使えない。そこで彼女の代わりに、俺が魔導書のプログラムにアクセスしようと考えている」

「えっ!?」

「お前がか?」

 

 俺がそう話すと守護騎士たちが驚きの声を上げる。俺はこくりとうなずいて、

 

「以前はやての家に来た時に、お前たちに内緒でジュエルシードの魔力の半分を夜天の魔導書に移したことがあるんだが、その時魔導書に俺のもとへ来るように命令したら魔導書はすんなり俺のもとへと来てくれたんだ。その時に俺の頭の中に、“サブマスター”という言葉が響いた気がする。だから多分、俺は夜天の魔導書の主に近い権限があるんじゃないかと考えているんだが」

「サブマスター……」

「そんな言葉今まで聞いたこともないけど……」

(あの夜の事か。妙だとは思っていたがそんなことをしていたとは)

 

 サブマスターという言葉に首をひねりながらも、守護騎士たちは腕を組んだりして考え込む。今は守護騎士たちも俺の正体に気付いている。過去の主だった俺ならもしやと思っているのだろう。

 

「そういうわけで俺が魔導書の中に入って、修正プログラムを当てながら管制人格とともに防衛プログラムを食い止めてくる。だが、もしかしたら魔導書の修正に失敗してしまうかもしれない。そうなったら……」

「そうなったらって――まさかお前、またあの時のように自分一人が犠牲になる気じゃねえだろうな?」

 

 ヴィータの問いに俺は首を横に振り、

 

「そんなわけないだろう。何のためにリンディさんたちやプレシアさんたちの助けを借りて修正プログラムを作ったと思ってる。でも万が一失敗すればアースラは夜天の魔導書に飲み込まれてしまう。最悪この次元の近くにある地球もな。そうならないように備える必要はあるんだ」

「そりゃあ、確かにそうだけどよ……」

 

 ヴィータは納得できない様子を見せながらもそれ以上は何も言えず口ごもる。そんな彼女に笑みを向けてから俺は皆に向き直る。

 

「それじゃあそろそろ始めるか。俺が魔導書の中で修正プログラムを入れるから、お前たちはここで――」

「待って!」

 

 最後まで言い切る前にはやてが口を挟んできて、俺は言葉を止めて彼女の方を見る。

 

「はやて?」

「修正プログラムを届けるの、私にやらせてくれんかな。やっぱりそれは夜天の書の主である私の役目やと思う」

 

 はやての言葉に皆は驚きの声を上げ、俺も思わず声を上げる。

 

「何を言ってる!? 魔導書の中には管制人格だけじゃなく防衛プログラムもいるんだぞ! 今までどれだけの主がそいつに食われて来たか。それを魔法の一つも使えないお前が――」

「危険すぎるのは健斗君の方や! 夜天の魔導書は主以外のアクセスを受け付けないんやろ。サブマスターなんて健斗君の想像やんか。修正プログラムを届ける前に防衛プログラムを怒らせて魔導書が暴走したらどうするつもりや?」

「そ、それは……」

 

 強い剣幕で指摘してくるはやてに俺は言葉に詰まる。

 確かにサブマスターうんぬんは俺一人の考えに過ぎない。それに俺が夜天の書のサブマスターだったとしても、プログラムにアクセスできるほどの権限があるかどうかはわからない。個人的に妙な確証はあるが、客観的に見れば可能性は低い方だろう。

 ここで失敗したら夜天の書を破壊せざるをえず、魔導書はまたどこかへ転生してしまう。そうなったら今までの努力はすべて水の泡だ。

 こんなリスクの高い賭けに“彼女”や守護騎士たち、そしてこれから先夜天の書に関わるかもしれない人たちの運命を委ねていいのか?

 迷う俺に追い打ちをかけるように――

 

「私なら大丈夫、防衛プログラムも元は主を守るために作られたものやし、管制人格って子もいる。その子たちなら私を傷つけたりはせえへん。だからお願い、私に行かせて! 絶対危険なことはしないから」

「……」

 

 はやてはそう言って目をぱっちりと見開いて俺を見つめてくる。それに対して俺は黙ったまま彼女を見返した。

 

「…………」

 

 本当にはやてに頼んでいいのか? リスクとは別に嫌な予感がするんだが。

 

「健斗君……」

 

 不安そうな声でなのはがつぶやく。

 

「健斗、気持ちはわかるがもう時間がない。早く決めてくれ」

 

 クロノがそう急かしてくる。

 他のみんなも固唾を飲んで俺を見守っていた。

 俺は迷いながらも……

 

「はやて、管制人格に修正プログラムを渡すだけでいい。頼めるか?」

 

 そう言った途端、はやては大きくうなずき。

 

「うん! 任せといて。いざという時の秘策もあるし、必ずここに帰ってくる」

 

 秘策という言葉に疑念を覚えたもののはやてはそれ以上何も言わずに手を差し出す。俺は彼女に修正プログラム入りのジュエルシードを手渡した。

 はやてはジュエルシードをしっかりと手の中に握りこみ、目を閉じる。

 すると……

 

『Sammlung(蒐集)』

 

 次の瞬間、ジュエルシードの魔力が夜天の魔導書へと流れ込み、残りの頁を埋めていく。

 すべての頁が埋まると魔導書は頁を閉じて浮遊し、主に向かって言葉をかけた。

 

『Guten Morgen, Meister(おはようございます。マイスター)』

 

「これが完成した闇の書……いや、夜天の魔導書か」

 

 クロノは思わずといったようにそう呟き、俺たちも魅入られたように魔導書を見る。

 完成した夜天の書を見るのは俺も初めてだ。前世ではそうなってしまう前にオリヴィエに俺と魔導書を討たせたからな。

 

「……」

 

 主であるはやてもこわごわとした様子でそれを見る。

 まだ終わりじゃない。修正プログラムを適用させるには管理者権限を手に入れた主が魔導書にアクセスする必要がある。それに主が望まなくても――

 

 魔導書は自分の方からふわりとはやてのもとへと近づいていき、はやては思わず背筋をそらしかける。守護騎士たちははやてに駆け寄るものの、自分たちの存在意義である《真の主の誕生》を妨げることを躊躇い、本能的に足を止めてしまう。

 彼女らに代わって――

 

「はやて、やはり俺がプログラムを――」

 

 俺はそう言うものの、はやては首を横に振り、

 

「ううん、大丈夫。これは私の仕事やから。健斗君はみんなと一緒にここで待ってて」

 

 そう言ってはやては大きく息を吸い、片手に持ったジュエルシードを握りながら意を決したように魔導書に手を伸ばす。

 はやてが魔導書を掴んだ瞬間、彼女の足元に紫色の三角形の魔法陣が浮かび、そこから立ち昇った紫色の柱がはやてと闇の書を包み込んだ。

 ヴィータはたまらず叫ぶ。

 

「はやて!」

 

 

 

 

 

 

 紫色の光の柱に包まれた直後に、はやての視界に飛び込んできたのは真っ暗な空間だった。

 

「ここは……?」

 

 はやては辺りを見回す。床も地面もなく自分が乗っている車椅子は虚空の上を浮かんでいる。

 

「まさか、ここは魔導書の中……じゃあもしかして」

「来てしまわれましたか」

 

 頭上からかかってきた声にはやては顔を上げる。

 はやての上には長い銀髪の女が浮かんでおり、彼女ははやての前に降り立つ。

 

「あなたは……」

「お初にお目にかかります我が主。私は夜天の魔導書の管制人格――《闇の書の意思》と呼ばれる存在です……このような形であなたとお会いしたくはありませんでした」

 

 悲しげな声で女は言う。

 

 

 

 はやてにとって守護騎士に続く家族であり、最大の恋敵となる女性と初めて邂逅した瞬間だった。



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第51話 健斗、転生の真実

 夜天の魔導書の管制人格、あるいは《闇の書の意思》と名乗る女性をはやてはまじまじと見上げる。

 腰まで届く長い銀色の髪、燃えるような赤い瞳、シグナムやシャマル以上に大きな胸、黒いインナーのような服からすらりと伸びた長い手足、右側だけが長いソックス、女の自分でも見とれてしまうほど美しい容姿。

 

(この間見た夢と同じ人や。この人が健斗君の言ってた……)

 

 はやては両手を膝の上に乗せながら口を開く。

 

「は、初めまして、八神はやてです。闇の書……やなくて、夜天の魔導書の主をしていて――」

「存じております。あなたのもとに夜天の魔導書が転移した時から共に過ごさせていただきましたから……この魔導書の中からずっと」

「あの本が転移した時からずっと……じゃあ、今までの事も」

 

 はやての言葉に女はこくりとうなずいた。

 

「はい。少なくとも魔導書のまわりで起きていたことはすべて見ています。ご幼少の頃から主のそばにいた“彼”の事も含めて」

 

 “彼”という言葉にはやては思わず言った。

 

「彼って、健斗君の事? やっぱり健斗君は……」

 

 女はこくりとうなずく。

 

「はい。グランダム王国の王、ケント・α・F・プリムス……それが彼のかつての名前と姿です」

「かつてって……生まれ変わりってこと?」

 

 はやての問いに女は首を縦にも横にも振らずに答える。

 

「そうとも言えるかもしれません。ですが、一般的に言われる転生とは異なります。どちらかと言えば夜天の書の転移再生に近いでしょう」

「……どういうことや?」

 

 怪訝な顔で聞き返すはやてに女は憐れみと罪悪感の入り混じった顔を見せた。

 

 

 

 

 

 

 夜天の魔導書が完成した際に現れた紫色の光の柱は、はやてと魔導書を包み込んだまま消える様子を見せない。

 

「はやてはどうなった? まさか失敗したのか?」

 

 誰にともなく尋ねるクロノに対し、俺も守護騎士たちも何も答えることができない。

 夜天の魔導書の修正を試みた例は俺が知る限りほとんどない。修正がうまく行ってるのかそうでないのか、それを知り得るのは魔導書の中にいるはやてや“彼女”ぐらいだろう。

 

「万が一の時は――」

「お、おい? 何する気だ? まだはやてがあの中にいるんだぞ!」

 

 銀色のカードを手にしながら身構えるクロノに、ヴィータが詰め寄る。

 俺は二人に向かって――

 

「やめろ二人とも。クロノ、頼むからもう少し待ってくれ。はやてたちがそう簡単に防衛プログラムに飲み込まれたりはしない。あいつらを信じてもう少しだけ待ってくれないか」

 

 そう一喝するとヴィータとクロノは落ち着きを取り戻し、俺の方を向く。

 

「はやて()()か……もう一人は、君が何度か言ってた魔導書の管制プログラムの事か?」

「ああ、“彼女”ならはやてを守ってくれるはずだ。俺はそう信じている」

 

 俺がそう言うとクロノはため息をつきながら再び柱の方を向く。

 そこで俺たちの横からなのはが声をかけてきた。

 

「ねえ健斗君、ずっと気になってたんだけど、健斗君はどうしてそこまで夜天の魔導書の事に詳しいの? 管制プログラム、さんって人の事もよく知ってるみたいだけど」

 

 それを聞いて一同の視線が俺に集まる。さらにユーノも――

 

「僕に古文書の事を話したのも君だったな。なぜ健斗があの本の事を知っている? あの本を書いたサニー・スクライアと君はどういう関係だ?」

 

 そういえばユーノにもその事を話してなかったな。ジュエルシードの発動による竜巻やその後の一時帰宅ですっかり有耶無耶になっていた。

 

「そういや闇の書の持ち主に愚王ケントって奴がいたね。もしかしてそいつの生まれ変わりとかだったりして」

 

 アルフが冗談半分でそう言った途端、守護騎士たちやクロノが眉を引きつらせる。アルフは慌てて――

 

「じょ、冗談だって、いくらなんでもそんな……えっと?」

 

 怒るでも否定するでもない俺たちを見て、戸惑うアルフに俺は苦笑を浮かべながら言った。

 

「まあ、そうとも言えるかもしれないな。クロノたちとか一部の人にはそう説明してたし」

「……?」

 

 曖昧な言い方にアルフもなのはたちも首を傾げる。そんな中、しばらくしてフェイトはおずおずと言いずらそうに口を開いた。

 

「……健斗、怒らないでほしいんだけど、もしかして君は、ケントという王様の……()()なの?」

 

 アリシアの複製(クローン)として生み出されたフェイトの一言に皆は息を飲む。

 そんな中、俺は首を縦に振った。

 

「ああ。多分そう言った方が正しいだろう」

 

 

 

 

 

 

「複製……健斗君が……」

 

 管制人格が告げた言葉を口にするはやてに、管制人格は「はい」とうなずく。

 

「もうご存知の通り、あの方は夜天の魔導書の暴走からベルカを守る為、自らが治める国の都を襲うふりをして、《聖王のゆりかご》と呼ばれる船の前に自らその身を投じ……最期を遂げられました。しかしあの方にとって、それはゆりかごに囚われたオリヴィエを見捨てるも同然の選択でした。そして、シュトゥラの王子クラウスも大切な友たちを失い、ただ一人ベルカに取り残されることになりました。あの二人がどうなったのかは存じませんが、幸福な人生を送ったとは思えません」

「で、でも、そうしないとベルカが滅びるところやったんやろう? ケントさんは悪くないやん! それにその話と健斗君がどう繋がるん?」

 

 管制人格に対しはやては思わずそう言い返す。それに対して管制人格は話を続けた。

 

「ゆりかごの砲撃によって滅んだ後、あの方の精神は魔導書の中に取り込まれ、その中であの方と私はわずかな間だけ言葉を交わしました。こうして主と私が話しているように」

「……」

「そこであの方は涙を流しながら、死地に巻き込んだ私への謝罪と先ほどの後悔を口にされ、そしてこう願われました。“大切なものを救える自分になりたい”と」

 

 その言葉にはやては、健斗がリンディやクロノの反対を押し切って、フェイトとアルフを助けに行った時のことを思い出した。

 あの時の健斗は、まさに大切なものを救おうとなりふり構わずに動いていた。

 ではまさか……

 

「悲しみと後悔に暮れる彼を見ていられず、私はあの方に夜天の魔導書への記録(セーブ)による転生を申し出ました」

「セーブ?」

 

 復唱するはやてに管制人格はこくりとうなずき。

 

「はい。あの方の記憶、肉体や遺伝子、固有技能を始めとする能力。それらすべてを魔導書に記録し、再び現世に解き放つ――それが私があの方に提案した“転生”の正体です」

「……」

 

 管制人格が告げたことに、はやては口をあんぐりと開けていた。

 

 

 

 

 

 

「何百年も経ったせいか髪と片眼の色が変わり、現代での生活の影響で口調もだいぶ軽くなったがな。それ以外は前世の頃とほとんど同じだ。魔法も固有技能も使える。もっとも、自分で気付いてないだけでどこか違うところもあるかもしれないが」

 

 …………。

 

 俺の話を聞いて皆は唖然とする。そんな中で、

 

「やはりそうだったのか。お前は――いや、あなたは……」

 

 シグナムが一歩進み出て声を上げる。続いてヴィータも、

 

「本当にケントなんだな。じゃあやっぱり、ゆりかごが来る前の日にあたしたちを追い出したのは……」

 

 その一言に俺はあの日のことを思い出し、思わず視線を下げる。

 

「すまない。あの時は他に方法が思いつかなかった。だがその話は後にしてくれないか。さすがに今はあの事を謝っている場合じゃない。それにまだ、“彼女”がいないからな」

「彼女ってもしかして……」

「魔導書の管制人格のことか」

 

 シャマルとザフィーラが言った言葉に、俺は首を縦に振る。

 かつてはリヒトという名をつけ、そう呼んだことがある女性だ。だが、その名も俺が主だった時だけの一時的な名に過ぎない。

 今の主――はやてなら彼女のことを何と呼ぶだろうか……。

 

 

 

 

 

 

「正直に言えば、あの方がここを出て再び現世に現れる日が来るとは思っていませんでした。夜天の魔導書はあれからの300年間も自滅と再生を繰り返しています。そんな状況の中で、あの方の体の復元に成功する可能性は限りなく低かったのです。それに万が一転生に成功しても、夜天の書がそばにある以上、あの方は再び魔導書が辿る運命に苦しむことになる。そんなことになるくらいなら、ここで眠っていた方が幸せなのではと思わずにいられませんでした。彼をここに留めようと、幸福な人生を送る夢を見せるような真似もしました。しかし……」

 

 管制人格はそこで言葉を切る。それに代わるようにはやては言った。

 

「ケントさんは転生に成功して、夜天の魔導書といっしょに私のそばに現れた。どこから来たのかわからない不思議な子供として」

 

 管制人格は神妙な表情でうなずく。

 

 父の日記によると、その子供ははやてのそばに現れた直後に、父によって医師の元に送られたものの、両親が見つからずそのまま乳児院へ送られたらしい。

 見つからなかったのも当然だ。その子供を創ったのは他ならぬ夜天の魔導書。実の両親なんているわけがない。

 

「その後、彼は施設を転々としてから今のお母様に引き取られ、再びあなたと夜天の書のそばで過ごすことになります。書に引き寄せられるかのように」

 

 言い終えてから管制人格ははやてを見る。その視線にわずかばかりの嫉妬と抑えようのない羨望が込められているのを、はやては目ざとく察した。

 管制人格は続ける。

 

「そして彼は書に触れて過去の記憶を取り戻し、夜天の魔導書の呪いを解くためにさまざまな手を尽くし、時空管理局はおろか魔導書を狙う人物まで味方にして、夜天の魔導書を修復するプログラムを作り上げてしまいました……本当に大した人です」

 

 そこまで言って、管制人格は上を見上げながら薄い笑みを浮かべる。その顔を見てはやては確信した。

 

(やっぱり。この人は今でもケントさんの事を……)

 

 そこで管制人格は真顔に戻りはやての方を向いた。

 

「ですが、夜天の魔導書の修復がうまく行く保証はありません。修復に失敗すれば主は書に取り込まれ、アルカンシェルによって滅ぼされてしまうでしょう。その前に、彼のようにここで眠りにつくのも手ではありますが……」

 

 管制人格の忠告に対し、はやては表情を変えずに首を横に振った。

 

「ううん、せっかくみんなが苦労して魔導書を直すプログラムを作ったんや。それなのに、私が諦めたらそれが全部無駄になってまう。せやから私は逃げへんよ」

「主……」

 

 はやてに管制人格に近づき、その頬に触れながら口を開く。

 

「実はな、ここに来るまでにあなたの名前を考えてきたんや。管制人格とかシステムなんとかとか、そんな仰々しい名前と違う、あなたにぴったりの名前を」

「名前……」

 

 管制人格はケントに名前を付けられた時のことを思い出す。システム名以外の名前を付けられるのはこれで二回目だ。

 はたしてこの優しい主は自分に何という名前を付けるつもりだろうか。

 

「“八神はやて”」

「……えっ?」

 

 思わぬ言葉に管制人格はたまらず聞き返す。

 はやては戸惑う管制人格の背中に手を回した。その目は先ほどと違って一切の光がない。

 

「あなたの新しい名前。あなたはこれから八神はやてとして健斗君のそばにいるんや。()()()()()()()()()()()

「――!」

 

 はやてはぎゅっと管制人格を抱きしめる。華奢(きゃしゃ)な体には似つかわしくないほど強い力で。

 

(強制融合! まさか、私を――)

 

 はやての真意を知りおののく管制人格に対し、はやては満面の笑みを浮かべて言った。

 

「ええ考えやろう? これなら私もあなたもずっと大好きな人と一緒にいられる。何もかもが解決――ハッピーエンドや!」

 

 

 

 

 

 

 

 その時、何の前触れもなく時の庭園が揺れた。

 

「……な、なに?」

「まさか……」

 

 なのはは思わず声を上げ、クロノとフェイトはデバイスを構える。

 そんな彼らの横で俺はじっと柱を見つめていた。

 

――何が起こった? 一体あの中で何が?

 

 やがて揺れは収まっていき、同時に柱も小さくしぼんでいく。

 その中から一人の女が現れる。

 

「――お前は!?」

 

 彼女を見てシグナムは思わず声を上げた。

 他の守護騎士も呆然と彼女を見、俺も唇を震わせながら彼女の名をつぶやく。

 

「……リヒト」

 

 

 

 

 

 長い銀色の髪に赤い瞳、背中から生えた二対の翼と頭についているもう一対の羽、左右異なる長さのソックス、黒いインナーとその上に羽織った黒いコート、右腕と両足を縛る赤いベルト、両の頬と左腕に浮かんでいる二本の赤いライン。

 

 俺たちの前に現れたのは、夜天の魔導書を制御する“管制人格”の一つにして、300年の時を越えて再会する俺の恋人だった。



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第52話 再会?

 彼と出会ったのは幼稚園の時だった。

 

 あの頃の私は両親を亡くしたばかりで、周りの子たちとは距離を置いていた。迎えに来たお母さんに甘えることができる子を見るたびに羨ましく思わずにはいられなかった。心の中で嫌な事ばかりを考えている自分がいるのがわかったからだ。

 

 誰とも遊ばず何度も読んだ絵本をぼうっと眺め、つまらなさのあまりふいに教室の隅に目を向けると、そこで積み木を重ねている男の子がいた。

 いつも左目の上に眼帯を付けている、この幼稚園に入ったばかりの男の子だ。名前は確か『みかみけんと』。

 崩れやすそうな形に積み上げられている積み木を一片、あるいは二片同時に抜き取り、下の木とはまったく違う方向に載せる。彼はそんなことを延々とつまらなそうに続けていた。

 そんな彼に通じるものがあったのだろう、私は彼のほうに歩いて行ってこう言った。

 

「わたしにもやらしてくれん?」

 

 彼は戸惑いながらもこくりとうなずき、私も積み木遊びに混ぜてもらえることになった。

 その積み木は他のものより小さく、見た目よりずっと難しい。積み上げていくごとにバランスが悪くなり崩れやすくなってしまうからだ。

 私が何度か積み木を崩してしまっても彼は怒らずにじっと見守る。いつの間にか、彼の興味は私がどこまで木を積み上げられるかに移ったようだ。

 そこへ三人組の男の子がやってきた。

 

「おい、そいつとあそぶのなんてやめとけ」

 

 その言葉に私と彼は男の子たちの方を見上げる。そこに立っていた三人の男の子のうち二人は、この前まで一緒に遊んでいた友達――だと思っていた子だ。

 

「そいつとあそんでると変な目がうつるぞ」

「そいつ、右の目と左の目の色がちがうんだ。おれこの間見たんだからな。そいつが母ちゃんと買いものしてる時にその布をはずしてるとこを」

 

 その言葉に私は思わず「えっ?」と声を上げ、まわりにいた子たちも変な目で彼を見る。

 三人は彼を睨みつけながら凄むように言った。

 

「おい、そうなんだろう!」

「ちがうって言うんならその布はずしてみろよ」

「ふつうの目だったらあやまってやる。はやてともあそんでいい」

 

 勝手な事を言ってくる三人に対して、彼は立ち上がる。

 それを見て三人はびくりとしながら、

 

「や、やるのかよ? お前だけでおれたちにかてるとでも思ってんのか?」

 

 そう言って身構える三人に対し、彼はうんざりするようにため息をついて眼帯を外す。

 その左目は確かに黒い右目と違う、緑色の目だった。

 三人はバカにするように、

 

「うわっ、ほんとに右目と左目の色がちがうぜ!」

「色ちがい目のバケモンだ! きもちわりぃ!」

「はやて、早くそいつからはなれろ! こいつといっしょにいたら色ちがいがうつっちまうぞ!」

 

 最後の一人がそう言って私の手を掴んで、彼から引きはがそうとする。

 そのまま私が彼らについて行くと思ったのだろう、彼は黙って窓を眺めているだけだった。

 しかし――

 

「はなさんかいこのあほ!」

 

 私を引っ張ろうとする男の子の手を振りほどくと三人もまわりの子たちも、そして彼もぽかんとした目で私を見る。

 三人に向かって私は言った。

 

「気持ちわるくなんてあらへんもん! 右の目も左の目もすごくきれいな目や。わたしから見れば、人の目をバカにするあんたらの方がバケモンに見えるわ!」

 

 私がそう怒鳴ると、三人を始め、みんなはぽかんとしながらその場に立ち尽くす。そんな中、私は彼らに蹴り崩されていた積み木を拾い、みんなと同じようにその場に立ったままの彼の手を引っ張り、反対側に座り込んで積み木の組み立てを再開した。

 

 その日から私と健斗君は友達になった。ちなみに帰ってからその時の事を理亜(りあ)さんと麓江(ろくえ)さんに話したら二人とも笑いながら……

 

「好きな女の子の取り合いか。最近の子はませてるなー」

「はやてちゃんかわいいからね。こんなかわいい子に選んでもらった男の子は幸せ者だ。その子かっこいい?」

「うん!」

 

 頭を撫でながら尋ねてくる理亜さんに私は勢い良くうなずいた。

 健斗君の顔は目の色が左右違っている以外、正直そこらの子と変わらない。でも他の子供たちと違ってとても落ち着いている。それが私にはとてもかっこよく見えた。

 そういえば、お父さんから目の色が左右違う人の事を聞いたことがある気がする。こうさいなんとかとか、おっどあいとか。多分健斗君がそうなんだろう。お父さんに会わせてみたかったな。

 

 それからは毎日健斗君と一緒に遊ぶようになり、しばらくしてなのはちゃんが、小学校に上がってからは、一緒のクラスになって健斗君と仲良くなった雄一君、図書室で知り合ったすずかちゃん、すずかちゃんたちと喧嘩して仲直りしたアリサちゃんが加わるようになった。

 

 

 

 その間にも健斗君への気持ちはどんどん大きくなっていった。他の男の子にはこんな気持ちを抱いたことは一度もない。

 間違いない、私は健斗君に恋してる。

 

 二年生の頃に初めて足が動かなくなって彼の事を諦めようとしたこともあるけど、やっぱりそれは無理だ。

 健斗君は私が好きな、世界でたった一人の男の子なんやから!

 

 

 

 

 

 

 《時の庭園》内に管制人格()()()()()が現れた頃、アースラでは。

 

「観測機に異常反応! 何だあれは?」

 

 管制人格が映っているモニターを見上げながらランディはそう口走る。

 それに答えるように……

 

『夜天の魔導書の管制プログラム……《システムN-H》』

 

 通信室からエイミィはつぶやきを漏らす。

 リンディは彼女に向かって――

 

「エイミィ、はやてさんはどうなっているの? 彼女の姿が見当たらないけど」

『――状況確認! はやてちゃんの反応(バイタル)はどこにも見つかりません! もしかしたら……』

 

 その報告を聞いて、リンディは険しい顔で管制人格を見る。

 

(まさか、今までの主のように魔導書に飲み込まれてしまったの? だったら今のうちにデュランダルで封印した方が……いえ、まだそうと決まったわけじゃない。もう少し様子を見てみましょう。でも、もしもの時は――)

 

 リンディは内心迷いながらもクルーたちに向かって声を発する。

 

「主砲の発射準備をしつつ待機! いつでも対応できるようにしておいて!」

 

 リンディの言葉にオペレーターたちは戸惑いながらも指示に従う。

 航行艦としては中型に当たるアースラには一つしか主砲を積み込むことができない。リンディの言う主砲とは、地球に闇の書があると知った直後にアースラに搭載した“あれ”をおいて他になかった。

 

 眼下のオペレーターたちが慌ただしく準備を進める中、リンディのそばに立つトゥウェーは冷めた目でモニターを見上げながら……

 

(ふーん、あれが闇の書の融合騎か。伝説に残るだけあって凄まじい魔力量ね。歴代の主が目の色変えて完成させたがるわけだわ。まっ、その主たちのほとんどは闇の書が壊れてることも知らずに飲み込まれちゃったんだけど。“ドクター”もあんなものには興味ないみたいだし。あの方の興味はむしろ……)

 

 そこでトゥウェーは管制人格の前に立つ健斗に視線を移した。

 

(さて、この状況で魔導書の修復なんてできるのかしら。せいぜい見守らせてもらうわよ、健斗君……いえ、《グランダムの愚王》)

 

 

 

 

 

 

 魔力の奔流による柱があった場所から、黒衣の衣装を着た銀髪の女が現れる。

 彼女を見てクロノをはじめ、なのはとフェイトもいつでも対応できるように身構えた。

 

「……」

 

 一方、俺は呆然と“彼女”を見る。

 あの頃と何も変わっていない、俺が魔導書の主だった時とまったく同じ姿のままだ。でもなんだ? 喜びや嬉しさよりも強い違和感を感じる。  

 

 守護騎士たちはそれに気付かず、シグナムが“彼女”に対して問いをかけた。

 

「主はやてはどうした? お前と共にいたのではないのか?」

「……」

 

 “彼女”は答えずに黙り込む。それを見て――

 

「はやてはどうしたって聞いてんだ! まさか本当にはやてを――主を吸収しちまったっていうのか?」

 

 唾を飛ばしながら詰め寄るヴィータに“彼女”は首を横に振った。

 

「いや、主なら無事だ。姿を見せることはできないがな」

「……そうなの。早く出てこれるといいんだけど」

 

 “彼女”の後ろに浮かぶ魔導書を見ながらシャマルはつぶやきを漏らす。はやてがまだ魔導書の中にいると思っているようだ。確かに、普通ならそう考えるのが妥当なんだろうが……。

 

 “彼女”は俺に目を向ける。俺は彼女に向かって、

 

「……久しぶり、だな」

 

 そう声をかけると、“彼女”は笑みを浮かべて言った。

 

「はい、()()()。再びあなたにお会いできてうれしいです」

「――!」

 

 その呼び方を聞いて、“彼女”()()()()()()()()に対する違和感は確信に変わった。

 俺は身構えそうになるのをこらえながら、

 

「そうか……ところではやてはどうしてる? お前なら知ってるはずだろう」

「あの方は姿を見せることができません。そう言ったはずですが」

 

 はやてについて問いかけると、“彼女”は笑みを消し語尾を強めて言い切る。俺は引かずに、

 

「主を置いてお前だけ出てきたのか? 忠誠心が強いお前らしくないな」

 

 そう言うと“彼女らしき女”はぴくりと眉を吊り上げる。ここに来て守護騎士たちも何かおかしいと気付いたようだ。不審そうな目を女に向け、シャマルにいたっては後ずさりまでする。

 そんな俺や騎士たちを前に、

 

「我が主、私をお疑いですか? 悲しいですね。長い時を経てようやく再会できたというのに」

 

 女はそう言ってやれやれと頭を抱える。少なくとも“彼女”ならそんな仕草は取らない。

 

「そりゃ悪いな。俺だってこんな話したくねえよ。ただ、もう一つ気になっていることがある」

「……? 何でしょう。私には何も思い当たりませんが」

 

 女は首をかしげながら聞き返してくる。そんな彼女に対し俺は言った。

 

「いつまで俺の事を“我が主”なんて呼ぶつもりだ? 今の主を差し置いて」

「――!」

 

 その指摘に女も守護騎士たちも目を見張る。女は慌てながら、

 

「そ、それは……私があなたの事を今でも主とお慕いしているからです! 夜天の書が誰の手に渡ろうとその気持ちが変わることはありません!」

 

 その言葉に俺は胸が熱くなりそうになる。あいつを道連れにしてしまった俺なんかのことをまだ慕ってくれているというのか。これが“彼女”の気持ちだったらどんなにうれしい事か。

 だが――

 

「いいや、違う」

「……?」

 

 首を横に振る俺に、女は訝しげな顔をする。

 

「俺とあいつは最後に約束したんだ。次に会う時は俺をケントと呼んでくれって。それにさっきも言ったけど、あいつは主に対して強い忠誠心を持つ奴なんだ。“彼女”が今でも俺のことを主だと思っていたとしても、今の主を置いて俺の事を“我が主”なんて呼ぶとは思えない。

 正直に答えてくれ。お前は誰だ? “彼女”とはやては今どうしている?」

「……」

 

 そう問いかけると、女は何も言えずに口を閉ざす。守護騎士たちとなのはたちは、俺たちの会話について行けず眺めているだけだった。

 女はそのまま黙りこむもしばらくして、

 

「ふふふ……」

「えっ?」

 

 不意に漏れた笑い声にシグナムは戸惑いの声を発する。

 

「名前を呼ぶ約束か、転生の手伝いの他にそんなものをしていたとはな。頑張ってあの子の真似したつもりだが全部台無しだ。それに……えらい妬けるわ」

「えっ……?」

 

 最後の一言を聞いて、今度は俺が戸惑いの声を上げる。関西弁に近い口調、この声……まさか――

 

「健斗、そいつから離れろ!」

 

 クロノの声と女から発せられる気配に反応し、半ば反射的に後ろに跳ぶ。

 その直後、俺が立っていた床を突き破り、細い触手が飛んでくる。

 獲物を外した触手の後ろで、女は魔導書を手に取りながら残念そうにつぶやいた。

 

「残念や。このままこの子の姿で混ざらせてもらうつもりやったんやけど、こうなったら仕方ない。健斗君も騎士たちもなのはちゃんたちもこの本の中に閉じ込めて、みんなで仲良くずっと暮らすことにしようか」

 

 女の声と口調を聞いて、騎士たちもなのはたちもまさかと目を見張る。

 

 

 ……もしかして……はやて、なのか?



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第53話 祝福の風

 床を突き破ってきた細い触手を挟んで、俺たちは“彼女”の姿をした女と睨み合う。

 関西弁に近い口調、それが似合う軽やかな声、俺たちの呼び方、まさかこいつ……

 

「でりゃあああああ!」

 

 その時、突然女に向かってヴィータが大槌を振りかぶる。

 それに対して女は左手を突き出し、

 

「盾を」

Panzerschild(パンツァーシルト)

 

 女が一言呟くと、魔導書はひとりでに開き該当する魔法が書かれた頁を開く。

 女が突き出した手の先に魔法陣が現れ、ヴィータの槌をたやすく受け止めた。

 ヴィータは得物を振り下ろしたまま言葉を吐き出す。

 

「何のつもりだ? いきなりはやての口調を真似しやがって。はやてはどこにいる? あいつに何かしたらいくらお前でもただじゃ――」

「どこってヴィータの目の前にいるやろ。私が“八神はやて”や」

ざけんなああああぁ!

 

 ヴィータは咆えながらさっきよりも強く槌を叩きつける。

 その衝撃で魔法陣は砕け、女は少し後ろへ下がった。

 

「主を吸収した上にその名を騙るとは。てめえ、乱心でもしたか?」

 

 ヴィータは槌を振り下ろし吐き捨てるように問う。女は自虐的に笑いながらそれに答えた。

 

「乱心か、そうかもしれへんな。好きな人を手に入れるためやもん、いつも通りじゃいられへんよ。ヴィータならわかると思ったんやけどな。アロンド君を失った辛さを知ってるヴィータなら」

「――! お前……」

 

 その名を聞いてヴィータは思わずたじろぐ。その一瞬の間に、彼女に対して女は魔導書を向けた。

 

「――なっ!?」

 

 するとどこからか現れた黒い縄上のバインドがヴィータの体に巻き付き、彼女の動きを封じた。

 ヴィータに向かってページを開いている魔導書から声が発せられる。

 

『Absorption(吸収)』

「ああ、あああああああ!」

 

 その瞬間、ヴィータはうめき声を上げながら赤い粒子となり、魔導書の中へと取り込まれた。

 

「ヴィータ!」

「ヴィータちゃん!」

「ごめんなヴィータ。ほんのちょっとだけお休み。その代わり、後でいっぱいおいしいもの作ってあげるからな」

 

 シグナムとシャマルが絶叫する中、女は魔導書に取り込まれていくヴィータにそんな言葉をかける。冷酷な笑みの中にかすかに罪悪感を感じさせる表情で。

 それでもなお彼女は表情を引き締め、シグナムたちに魔導書を向けた。すると彼女たちの体にも黒いバインドが巻き付く。

 

「――ぐっ、何を?」

「完成した魔導書を使いこなしている?」

「まさか――」

 

 消えゆくヴィータと女を見ながら各々がそう漏らす中、女はつぶやく。

 

「シグナム、シャマル、ザフィーラ、お疲れ様。あなたたちもゆっくりお休み」

『Absorption(吸収)』

「ううっ――ぅぅあああああ!」

「うっ、ぁぁあああああ!」

「うぐっ、ううう――であああああ!」

 

 ヴィータに続きシグナム、シャマルも粒子になって魔導書に取り込まれる中、ザフィーラは苦しみながらも女を止めようと彼女に迫る。

 しかし彼の手は女に届くことなく彼女の前に現れた障壁に阻まれ、それに弾かれた瞬間ザフィーラもまた白い粒子に霧散し魔導書に吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

「さて、残ったんは健斗君となのはちゃん、ユーノ君、クロノ君、それからフェイトちゃんとアルフさんか。まだ結構残ってるな」

 

 いきなり四人もの味方を失いおののく俺たちを前に、女は手から離した魔導書を宙に浮かせながらそう口にする。

 その一方、俺たちは身を固くしながら彼女を見ることしかできなかった。

 

 これが完成した夜天の魔導書の力。分身のようなものとはいえ、あのヴォルケンリッターをこうもあっさりと消滅させるとは。魔導書の中に吸い込まれたみたいだが元に戻れるんだろうな?

 それに、あの女の正体は多分……

 

 すくみ上る俺たちを前に、女は右手を宙にあげる。すると女の手の先に大きな黒い球体が現れた。

 

『我が廻りに立つ者たちよ、闇に沈め』

 

 呟くように女が唱えると球体はしぼみ圧縮される。それを見てフェイトは叫んだ。

 

「空間攻撃――みんな気を付けて!」

「デアボリック・エミッション」

 

 女の口から術名が飛び出てくると同時に、球体は急激に膨れ上がり俺たちを飲み込もうとする。

 

 なのははフェイトをかばうように前に立ち――

 

Round Shield(ラウンド シールド)

『スフィアプロテクション』

Round Shield(ラウンド シールド)

Panzerhindernis(パンツァーヒンダネス)

 

 なのは、ユーノ、クロノ、俺はそれぞれバリアを張り、全身を焦がすほどの衝撃をこらえる。

 球体が部屋全体を覆う中、女もその中にいたが、術者である彼女自身は涼しい顔で俺たちを眺めていた。

 

 しばらく耐えていると球体が消失し、俺たちと女は互いに睨み合う。

 そんな中、ただ一人痛そうにしているなのはを見て、フェイトは申し訳なさと感じると同時に、きっと女を睨む。

 そしてフェイトはバルディッシュを構えて――

 

「はあああっ!」

 

 フェイトは瞬時に女の寸前まで踏み込み、バルディッシュから伸びた雷刃を振り下ろす。

 しかし女は魔力がこもった腕で刃をはじき返し、フェイトと女は空中を飛びながら何度か鎌と腕をぶつけ合う。

 女はフェイトから距離を取ってその場に止まり、何らかの攻撃をしようとフェイトに向けて右手を伸ばす。

 その隙をついて――

 

「はっ!」

「ふっ!」

 

女の注意が完全にフェイトに向かっている隙に、ユーノは鎖型のバインドを女の足に、アルフは輪型のバインドで女の右手を縛り付ける。

 女はバインドで縛られた手、それから足を見下ろした。

 女はフェイトに視線を戻しながら、自身のそばを浮かぶ魔導書に向かって言った。

 

「この戒めを解け」

『Breakup』

 

 その瞬間、女の手足を縛るバインドが砕ける。

 すかさず、なのはとフェイトはデバイスを構え。

 

『Plasma smasher』

「ファイア!」

『Divine buster,extension』

「シュート!」

 

 彼女らのデバイスから放たれた桃色と金色の光線が、二方向から女に迫る。だが女は顔色一つ変えず光に向かってそれぞれの腕を伸ばし――

 

「盾を」

Panzerschild(パンツァーシルト)

 

 女の両腕の先に一つずつ白色の魔法陣が浮かび、なのはたちの砲撃を防ぐ。

 さらに女は魔導書に向かって口を開き、

 

「刃()て」

Blutiger Dolch(ブルーティガードルヒ)

 

 女の腰のまわりに無数の赤い短剣が現れる。女は短剣に向かって命じるように言葉を重ねた。

 

「穿て、ブラッディダガー」

 

 命令を受けて、短剣は曲線を描きながら不規則な動きでなのはとフェイトに向かい、二人にぶつかった瞬間爆発を起こす。

 二人はそれを食らいながらも大した怪我を負うことなく、なんとか持ち直す。

 

 

 

「はああああっ!」

「――!」

 

 この機に乗じて俺は剣を振るいながら女に迫るが、女は右へと動き俺の斬撃をかわした。

 不意を突かれたら思わず右に動く癖、昔鬼ごっことかで俺やなのはから逃げる時によく見た動きだ。やっぱりあの女は……

 

 思わぬ攻撃に女は一瞬驚愕に顔を引きつらせるものの、すぐにうっとりとしたような笑みを浮かべる。

 

「健斗君……ちょうどよかった。君だけはなんとしてでも捕まえておかないとあかんのや」

 

 そう言い終えると同時に俺のまわりにいくつもの黒いバインドが現れる。

 俺は身をかがめたり、左右に飛んだりしてすべてのバインドをかわす。

 女はさらにバインドを繰り出そうと手を伸ばすが、その隙に後ろからクロノがデュランダルを向け――

 

「スティンガーレイ!」

 

 詠唱とともにデュランダルから青い弾丸を放つ。

 

「ちっ――」

 

 それに気付いた女は舌打ちしながら障壁を張って弾丸を防ぎ、クロノに向かって足を踏み出す。

 そして一瞬後に女はクロノの眼前に現れた。あまりの速さにクロノは目を見開いたまま棒立ちしていた。

 女は憤怒に顔を歪めながら右手を振り上げ。

 

「邪魔をするなあああああ!」

Schwarze Wirkung(シュヴァルツェ・ヴィルクング)

 

 黒い魔力光に包まれた右手を見てとっさに――

 

「クロノ、避けろ!」

「ぐああああっ!」

 

 俺は声を張り上げるものの間に合わず、クロノは魔力がこもった拳で殴りつけられて大きく後ろに吹き飛び、勢いよく壁に激突した。

 あまりの威力にクロノがぶつかった所は大きく陥没し、そこから半ばぐらいまで大きなひびが入る。

 女は尻餅をつき壁にもたれかかるように倒れるクロノを一瞥して、どうでもよさそうに俺の方に顔を戻す。

 そんな女に俺は思わず言った。

 

「はやて……お前、本当にはやてなのか?」

 

 その問いに女は笑みを浮かべ首を縦に振って言う。

 

「うん。やっぱり健斗君はわかってくれた。そう、私は主から『八神はやて』という名前と意識をもらった。せやから私は紛れもなく“八神はやて”や。でも健斗君が望むんならリヒトと呼んでもええよ。私にとって健斗君が主やから」

「そうじゃない! お前は本当に俺の友達の八神はやてなのか? 守護騎士たちを暖かく迎え入れ、一人ぼっちだったなのはを仲間に入れ、俺のオッドアイを受け入れてくれた、誰よりも優しいはやてなのか!?」

 

 俺はたまらず叫ぶ。

 俺の知ってるはやては身勝手な理由で守護騎士を消し去ったり、友達に危害を加えるような奴じゃない。明らかにはやてとは違う。

 じゃああいつは一体誰だ? “彼女”でもはやてでもなければあの女は誰なんだ?

 

 俺の訴えに揺さぶられたのか、女は顔を曇らせて立ちすくむ。しかし、女は自嘲するような笑みを浮かべて、

 

「そうやな。私がこんなことするなんて、自分でもびっくりしてる。でも、こうしないと健斗君を手に入れることが出来んから…………だから健斗君――君も私たちのところに来テ!!」

 

 女が吼えた瞬間、魔導書から(つる)が伸びてくる。

 俺はその場から飛びあがるものの、足元に黒いバインドが現れ、それを避けようとして動きを止めてしまったところを蔓に捕まってしまう。

 蔓はそのまま俺を勢いよく下に振り落とし――

 

「ぐあっ!」

 

 背中から伝わる衝撃に思わずうめき声を上げる。その直後に蔓は俺を捕まえたまま魔導書の中へ巻き戻っていく。床を掴み、必死に抵抗するものの、蔓は強い力で俺を魔導書の中へ引っ張り込もうとする。

 女は俺を見下ろしながら、

 

「怖がらんでもええよ。騎士たちもみんなあの中にいる。健斗君もそこへ案内するだけや。これからは私と騎士たちがずっと健斗君のお世話をしてあげる。健斗君のお願いならなんだって聞いてあげる。だから、

 無駄なことはせんで楽になり!」

「ぐおおおっ――」

 

 直前までの甘い誘惑とは裏腹に、冷たい声で女は告げると蔓の力はさらに強くなり、俺はとうとう床から手を離し魔導書へと引きずり込まれる。

 そこへ――

 

「スティンガーブレイド!」

 

 女の後ろから無数の魔力刃が飛んできて、俺の足をからめとっていた蔓を切り、女の背中を打ち付けていく。っつか俺の足にもかすったぞ。

 女は再びそちらを見る。その隙をついて女の体を青いバインドが縛り付けた。それらを仕掛けたのはやはり……

 

「クロノ……」

 

 クロノは氷結の杖(デュランダル)を構えながら女を見据え、言葉を放つ。

 

「ようやく確信が持てた。“お前”はもう八神はやてじゃない。どんなロストロギアよりも危険な存在だ。ここで必ず食い止める!」

 

 そう言うとクロノが持つデュランダルの先端が光り、彼の足元に浮かんだ魔法陣からおびただしい冷気が噴き出す。

 

「クロノ、お前まさか――」

「そこをどけ健斗! 早くしないとお前も巻き添えになるぞ!」

 

 床に這ったままの俺に対して、クロノは凄むように怒鳴る。だが――

 

「待て! 魔導書の中にはまだはやてが――」

 

 しかし、クロノは俺が言い終えるのさえ待たず、

 

「僕をどれだけ恨もうと構わない。だが、あいつをこれ以上野放しにするわけにはいかない。あいつははやてを殺した敵なんだ! 受け入れろ!」

 

 俺に、そして自分に言い聞かせるようにまくし立てる。

 対して“はやてを名乗る女”は冷めた目でクロノを見返す。

 

「殺したりなんかしてへんて。何回も言ってるやろ、私が“八神はやて”や。クロノ君、案外頭悪い?」

「黙れ! それ以上はやての声と口調で喋るな! 呪いの魔導書風情(ふぜい)が!」

 

 クロノはデュランダルを振り上げる。それに応じて四機のリフレクターが女の頭上に現れた。

 ――こいつ、マジでやる気だ!

 

「やめろクロノ!」

 

 俺は叫ぶものの、クロノはもはや返事も返さず発動のみに意識を集中させている。

 

「『悠久なる凍土、凍てつく棺のうちにて、永遠の眠りを与えよ』……すまないはやて」

 

 この罪はどんなことをしても償う。

 心の中でそう付け足してクロノは最後の詠唱を唱えようとした。

 

「『凍て――』!」

 

 しかしそこで彼の手元に黒いバインドが現れ、クロノの手を拘束しようとする。

 クロノは即座にそれを見抜きバインドをかわしながら――

 

「『凍てつけ!』」

 

 クロノは改めて呪文を唱え氷結魔法を撃ち込むが、女は標準を見抜き右上に跳んで避ける。俺もそれに続いて真上へと飛んだ。

 デュランダルから放たれた冷気は広間の中心を凍らせ、室内の温度を急激に下げるものの、女や魔導書を凍結させることはできなかった。

 それを見て女は笑い声をあげる。

 

「あははっ! 駄目やなクロノ君! 謝ってる暇があったらさっさと発動させんと。いくら強力な魔法を使っても、そんな甘っちょろい覚悟じゃ私を封印するなんて到底無理や。愛機を託した愛弟子がこんな体たらくなんて、グレアムおじさんが知ったら泣いてまうよ」

 

 それを聞いてクロノは悔しげに唇を噛む。

 確かに今のはクロノのミスだ。女と口論したりはやてに謝っていたりせず発動のみに専念していれば、あいつを凍結させることができたかもしれない。もっとも、そのおかげではやてや“彼女”が凍結されずに済んだが。

 強力な凍結魔法を撃った反動で荒い息をつくクロノから視線を流した直後、

 

「はあああっ!」

 

 女は一瞬で俺の眼前まで跳び、魔力がこもった拳を叩きつけてくる。

 

「――!」

 

 俺は女の動きを読みながら拳を避けるも、相手は間断なく拳を振るい、回避が間に合わなくなり剣で受けざるを得なくなる。あらん限りの勢いで拳を刃にぶつけているにもかかわらず、女はひるむ気配も見せない。

 

「だあああっ!」

「――ふっ」

 

 俺はとうとう剣を振り下ろして応戦するが、女は魔法陣を張って難なくそれを防ぐ。

 夜天の魔導書や“彼女”の力だけじゃない。これが、はやてが今まで自分の身に封印していた魔導師としての力だというのか。

 

「はあっ!」

 

 その時、真下から魔力弾が放たれ、女は慌てて真横に跳んでそれを回避する。

 

「クロノ、またあんたか――」

 

 女は憎々しいという表情で眼下にいるクロノを睨みつける。そこへ――

 

「バスター!」

「スマッシャー!」

 

 今度はなのはとフェイトが砲撃を撃ちこんでくる。

 それらを受け止めることのは難しいと判断し、女は大きく跳びあがって回避する。

 それによって俺と彼女との間に大きな距離が空いた。

 

「どいつもこいつも人の恋路の邪魔を……いい加減にしないと私も怒るで!」

 

 “彼女”の顔で、女は青筋を立てながらなのはたちを威圧する。それを聞いてなのはたちも思わず身をすくめた。

 説得が通じる状態じゃなさそうだな。だが今のままじゃらちが明かない。もっと強い一撃を入れる必要がある。“今までの俺たち”では与えられないくらいの一撃でないと。

 

「ティルフィング、“フルドライブフォルム”を使うぞ。いいな?」

『Ja, lass uns besuchen. Meister(はい、参りましょう。マイスター)』

 

 ティルフィングの応答を聞いて、俺は再び女の前に躍り出る。

 女はわずかに表情を緩めながら俺の方を向いた。

 

「健斗君、そろそろこっちに来てくれへん? さっきはああ言ったけど、守護騎士の後は健斗君さえ入れてしまえば私は満足や。健斗君さえ来てくれれば、なのはちゃんたちにもアースラにも手は出さへん。せやからもう……」

 

 彼女はそう言ってくるも、俺は首を横に振る。

 

「嫌だ」

「……」

 

 女は再び憤怒に顔を歪める。俺は続けて言った。

 

「“はやて”……あえてそう呼ばせてもらうが、今の“はやて”は普通じゃない。おそらく何かに操られているか意識を乗っ取られている。そんなお前の言う通りにするわけにはいかないな」

「ふーん、これだけ頼んでるのに聞いてくれないんか。そんなに私のお願いなんか聞きたくない? せっかく“彼女”になったのに……“リヒトさん”と一つになったのに――このあほんだら!!」

 

 罵りながら“はやて”は再び俺に向かって来る。俺は剣を構えながら告げた。

 

「ティルフィング、《バスタードモード》!」

『Zündung』

 

 二発の薬莢を吐き出しながらティルフィングは巨大な片刃の剣に形を変えていく。

 俺は渾身の力を込めてそれを真横に振り下ろした。

 

「せああああ!」

「きゃああっ!」

 

 巨大な剣に弾かれ、“はやて”の体はあらぬ方に飛んでいく。

 その間に俺は剣を振りかぶり。

 

『B.C.S,stehen』

「シュヴァルツ・ブレイカー!」

 

 さらに二発の薬莢を排出して威力を高める大剣を手に、俺は“はやて”の元へ突貫する。

 “はやて”は態勢を整えながら右手を突き出し、白色のバリアを張った。

 

「はあああっ!」

 

 バリアの上に大剣が叩きつけられ、バリアは耳障りな音を立てて砕け散り、“はやて”の頭に大剣の峰が直撃する。だがバリアが砕けた反動によって、俺はその場から弾き飛ばされた。

 

 俺は落下しながらも体をひねって制止し、“はやて”がどうなったかを確かめるために上を向いた。

 そこには平然と真上を飛んでいる、“彼女”の姿をした“はやて”がいた。

 

――畜生、やはりあの程度では駄目か。

 

 相手を見上げながらそう毒づいた。その時――

 

 

 

 

 

 

「……えっ?」

 

 はやては思わず間の抜けた声を上げる。

 健斗からの一撃を受けた直後、はやての意識は再び魔導書の内部に戻っていた――だがそれだけではない。

 

「――あんた!」

 

 はやての目の前には、夜天の魔導書の管制人格がいた。主の両手を強く握りしめたままじっとしている。さっきまで完全に一体化していたはずなのに。

 

「目を覚ましてください我が主。今のあなたは正常な判断ができない状態です。おそらく知らない間に防衛プログラムの影響を受けて――」

「離して! あんたに何がわかるんや!? ずっと好きやった健斗君がリヒトって人のことを好きだってわかって、その上健斗君が好きな人は私なんかよりずっと美人で胸も大きくて、おまけに健斗君は前世であんたとイチャイチャしてて、私が割って入る隙なんてどこにもないやんか! 健斗君を手に入れるには、もうあなたになるしか――」

「黙りなさい!」

 

 その一言にはやてはびくりと肩を縮め、おそるおそる管制人格を見上げる。その姿は母親に叱られた子供のようだった。

 管制人格ははやてを見下ろしたまま続ける。

 

「そんなことをしても彼の心を掴むことなんてできません。むしろ遠ざかるばかりです。今の彼がどんな目であなたを見ているのか、主にも見えるでしょう?」

 

 管制人格に言われて、はやては再び“外”に意識を向ける。

 そこでは仇か何かのように厳しい目つきで自分を睨む健斗がいた。とても好きな人に向ける顔には見えない。

 それを見て、はやてはさっきまで自分がしたことを思い返す。

 

「……そうや、いくら彼が好きな人の姿をしていても、あんなひどいことする女の子なんて健斗君が好きになってくれるはずないやんか……そんなことも気付かないまま私はクロノ君やなのはちゃん、健斗君にまでひどい事を……それに守護騎士のみんなも…………なんて、なんてあほやったんや、私は……うっ…………」

 

 皆や健斗にしたことを思い出し、はやてはボロボロと涙と嗚咽をこぼす。そんな主を見て管制人格は表情を緩めて言った。

 

「今からでも間に合います。守護騎士たちはリンカーコアも含めて無傷のまま魔導書の中に戻っています。主が願えば再生も可能なはずです」

「それは、本当か?」

 

 はやての問いに管制人格はうなずく。彼女はさらに続けて言った。

 

「その前に我々から防衛プログラムを切り離して外に出なければなりません。防衛プログラムは彼らとの戦いに意識(リソース)を傾けていて、主や私に干渉する余裕がほとんどない。今なら主を防衛プログラムから部分的に離すことが可能なはずです。主、協力していただけますか? 彼の事はその後にしましょう」

 

 その言葉にはやてはこくりとうなずく。それを確認して管制人格は目を閉じ、彼に意識を飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 不意に“女”が不自然な動きを見せる。今度は何をする気だと思っていると、

 

《ケント……聞こえますか、ケント!》

 

 俺の脳裏に“彼女”の声が届いた。

 “女”は俺を見下ろしたまま口を動かしていない。それにその声、呼び方、まさか――

 

「リヒト――リヒトなのか!?」

 

 思わず尋ねると“彼女”は《はい》と答え、

 

《たった今、主はやてを説得したところです。それによって主と魔導書本体を防衛プログラムから離すことは成功しました。ですが私の姿をした、あなたたちの前にいる者がいる限り、主はやては管理者権限が使えず防衛プログラムを完全に分離させることができません。ですから……》

 

 そこでユーノは“彼女”が言いたいことを察して顔を上げた。みんなにも“彼女”の声が届いていたようだ。

 

「健斗、みんな、わかりやすく伝えるよ! どんな方法でもいい、あそこにいる子を魔力ダメージでぶっ飛ばして! 全力全開、手加減なしで!」

 

 うちの従妹の口癖を引き合いにした説明に、彼女たちは思わず声を上げた。

 

「さすがユーノ!」

「わかりやすい!」

『At all!(まったくです!)』

 

 要するにいつも通りやれということだ。

 この上なくわかりやすい説明になのはたちがやる気を見せる一方、例の触手が何本も床を突き抜けて現れる。

 だが、ユーノとアルフ、クロノが繰り出したバインドに拘束され、邪魔な触手はすべて動きを止めた。

 

 

 

 

 

 

「あの、そろそろ離してくれへんかな。もうあなたを乗っ取ろうとか考えてへんから」

「……はい。失礼しました、我が主」

 

 おずおずと言いづらそうに頼んでくるはやてに、管制人格はそう言って彼女の手を離す。

 はやてはなおも管制人格を見上げながら、

 

「ごめんな、私のせいでこんなことになってしもて」

「いえ、あなたの胸中を見抜けなかった私にも責はあります。それに先ほども言った通り防衛プログラムの影響もありました。ですが、これだけは申しておきたいのですが……」

 

 はやてはうなずいて、

 

「夜天の書の一部として、あの子なりに私の願いを叶えようとしてくれたんやろう。ちゃんとわかってる。それともう一つだけええかな?」

「なんでしょう?」

 

 管制人格の問いにはやては気まずそうに苦笑いしながら、

 

「さっき『八神はやて』って名前をあげるって言ったけど、そうすると私の名前がなくなってまうし、あれなしにしてくれんかな。代わりに本読んでる時に見つけたいい名前あげるから」

「どんな名前でしょう? その名前次第で考えてあげます」

 

 意地悪な響きを帯びた声と笑みで管制人格は代わりの名前とやらを訊く。はやては呼吸を整え、それを口にした。

 

「強く支えるもの、幸運の追い風、祝福のエール……『リインフォース』」

 

 「どうやろう?」と聞き返すように目を向けてくるはやてに管制人格――いや、リインフォースは心からの笑みを返しながらつぶやく。

 

「リインフォース……素晴らしい名前だと思います」

 

 

 

 

 

 

「N&F中距離殲滅コンビネーション」

「ブラストカラミティ!」

 

 それぞれ4発ものカートリッジをロードしながら、なのはとフェイトはデバイスの先端に魔力を収束させる。俺も負けるわけにいかない。

 

「ラグナロク、フルチャージ!」

 

 なのはたち同様4発のロードによって魔力を高め、ティルフィングを振り上げる。

 

「「「ファイア――!!!」」」

 

 俺たちのデバイスから放たれた高密度の魔力が“防衛プログラム”に襲い掛かる。

 “彼女”の姿をしたプログラムは光に包まれ、跡形もなく消滅した。

 俺たちは不安な気持ちを抱きながら防衛プログラムがいた場所を見る。

 そこには毒々しい黒い淀みと、その周囲を無傷のまま浮かんでいる夜天の魔導書、そして……

 

「はやてちゃん!」

 

 “彼女”に抱きかかえられているはやてを見てなのはは声を上げる。

 一方、俺は、

 

「リヒト……」

 

 俺の前には、主を抱きながら宙を浮かぶ女性……『リインフォース』という名を与えられた恋人がいた。

 彼女は俺を見て笑みを浮かべながら口を開いた。

 

「ケント……ただいま戻りました」

 

 

 

 

――新名称『リインフォース』を認識。

 

――全頁の蒐集と管制プログラムの認証を確認。管理者権限の使用が可能になりました。

 

――主の管理者権限の使用により、『リインフォース』から防衛プログラム、守護騎士プログラム、『システムU-D』が分離。

 

――修正プログラムのインストールを完了しました。

 

――プログラムの更新により防衛プログラムの生成は無効となります。既存の防衛プログラムが消失しても新たな防衛プログラムを生成することができません。これにより一部の機能が働かなくなる恐れと、本体からの分離により守護騎士プログラム・管制プログラムが意図しない変化を引き起こす可能性があります。



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第54話 “真の”夜天の主

「もうええよリインフォース。そろそろ降ろして。飛ぶくらい自分でできるから」

 

 空中で“彼女”に抱きかかえられながら、はやては“彼女”に指示する。

 それを聞いて……

 

「はい。どうかお気を付けて」

 

 はやてに言われ、“彼女”は慎重な手つきで主から手を離す。

 “彼女”の手を離れ、はやては宙に足を付けた。

 

 はやては俺たちを見回し気まずそうに何か言おうとするも、それをやめて夜天の魔導書に手を伸ばす。主が直接触れずとも魔導書はひとりでに動き、ある頁を開いた。

 その中でわずかに空いてる空白を手でなぞりながら、はやては詠唱を唱える。

 

「リンカーコア送還、守護騎士システム破損修復……お願い騎士たち、もう一度だけ私のもとに」

 

 乞うようにはやてが呼びかけると、彼女を囲むように四つのベルカ式魔法陣が浮かび、その中から四人の男女が現れた。それを見てなのはとフェイトは、

 

「ヴィータちゃん!」

「シグナム!」

「シャマル、ザフィーラ!」

 

 彼女らに続いて俺も残る二人の名を呼ぶ。

 それが届いたのか、守護騎士たちは眠りから覚めたように目を開き、辺りを見回す。そして……

 

「――主!」

「はやて!」

 

 主の気配を察し、彼女たちはすぐに後ろを振り向く。そこには夜天の魔導書の中にいた自分たちの主と、魔導書の管制人格である“彼女”がいた。

 騎士たちから視線を向けられる中、彼女たちに向かってはやては頭を下げた。

 

「……ごめんみんな。過去の主みたいなことはしないって言ったにもかかわらず、自分の身勝手でみんなにひどいことして。謝ってすむことじゃないのはわかってる。でも、もう一度だけ――」

「主はやて、頭を上げてください」

 

 シグナムに言われ、はやては恐る恐る頭を上げる。そんな主に対してシグナムは続けた。

 

「おおよその事情はわかっています。私たちは夜天の書の一部のようなものですから。ですがそれよりも、主が再び我々を必要とし呼び出してくださったことが、何よりうれしく思います」

「防衛プログラムに操られていたみたいだったしな。主を守るのはお前の役目だったはずだけど」

「っ……」

 

 責めるようなヴィータに、“彼女”は気まずそうな顔をする。

 はやては“彼女”を守るように、二人の間に割って入った。

 

「ううん違う違う! リインフォースのおかげで私は正気に戻ることができたんや! この子がいなかったら私はもっと取り返しのつかんことをしていたと思う。そのことについても私はみんなに謝らなきゃあかん。なのはちゃん、フェイトちゃん、本当にごめんな!」

 

 自分たちのすぐそばにいるなのはたちの方を向いて、はやては再び頭を下げる。それに対して、

 

「ううん」

「平気」

 

 なのはとフェイトは笑ってはやてを許す。

 そんな中……

 

「……?」

 

 視界の隅に一枚の頁が映った気がして、俺はそちらに目を向けようとした。しかし――

 

「お久しぶりです……ケ、ケント。ようやくお会いできましたね」

 

 ぎこちなく俺の名を呼ぶ“彼女”につられて……

 

「お、おう……久しぶりだな、リヒト……いや、リインフォースだったか……」

「はい……主はやてからその名を頂きました。これからはそうお呼びください」

 

 顔が熱くなるのを感じながら、リインフォースの方を向いて俺もそう返事をする。するとリインフォース――次から地の文でのみリインと略させてもらおう――も顔を赤くする。名前を呼び合うだけなのに何でこうも恥ずかしく感じるんだろう?

 そう不思議に思っているところで、背後からゴホンと咳払いが聞こえてきた。

 俺とリイン、他のみんなもそちらの方へ顔を向ける。

 そこにいたのは、口元に手を近づける仕草を取りながら飛んでいるクロノだった。彼の背後にいるユーノとアルフは「こんな時に何やってるんだ?」と言いたげな目を向けてくる。

 クロノも似たような心境だったのだろうがそれを飲み込み、俺たちに向けて言った。

 

「水を差してしまうようですまないが、再会を喜ぶのは後にしてくれ」

 

 そう言ってクロノは俺たちの背後を見、俺たちもそれに倣う。

 先ほどまで“リインと同じ姿をしたもの”がいた場所……“そいつ”がいなくなった代わりに、そこには黒い球体のようなものが浮かんでいた。

 

「あの黒い淀み……魔導書から切り離された防衛プログラムがもうすぐ暴走を開始する。もし、それを放っておいたりしたら……」

 

 クロノはそこで言葉を止め、リインはうなずきながら彼の言葉を引き継いだ。

 

「暴走が始まった瞬間に、周囲の物質を侵食して無限に広がってしまう。庭園や管理局の船はおろか、この次元の周囲にある世界まで防衛プログラムに飲み込まれてしまうだろう。特に地球という、主たちが生まれ育った世界が被害を受ける可能性は非常に高い」

「――っ!」

 

 リインが告げた言葉に俺たちは思わず息を飲む。

 一方、クロノは冷静なまま、

 

「落ち着け。奴を止めるプランはもう用意してある。そのプランを考えたのは健斗だろう、しっかりしてくれ!」

「ああ、悪い」

 

 クロノに謝りながら俺も改めて気を引き締める。

 あれを消滅させれば“闇の書の呪い”は完全に解ける。ここから脱出して、アルカンシェルで庭園ごと防衛プログラムを撃ち抜けばそれで終わりのはずなのだが……

 

「あの防衛プログラムは魔導書と主を守るためのシステムだ。はやてたちが自分から離れようとした瞬間、すぐに追ってくるだろう。《時の庭園》から脱出するには、奴の動きを止めてからでないと」

 

 俺の言葉に一同は固い表情を見せる。ヴィータはクロノに向かって尋ねた。

 

「お前が持ってる杖で氷漬けにできねえのかよ? そのために作ったものなんだろう」

「それで防衛プログラムを止められるならいいんだが……」

 

 デュランダルを見ながらクロノは難しい顔をする。そこへシャマルが口を挟んできた。

 

「多分難しいと思うわ。主のない防衛プログラムは魔力の塊みたいなものだから……」

「決まった姿形がない分、再生能力だけなら主や管制プログラムに取り付いていた頃とは比較にならん。凍結させても再生機能によってすぐに脱出してしまうだろう」

「――じゃあやっぱり、やるしかないってことだな」

 

 シグナムの説明の後に、俺はそう告げて黒い淀みを見る。

 毒々しい色の淀みに包まれている防衛プログラムを見ながら、リインが口火を切った。

 

「防衛プログラムはまず、魔力と物理を複合した四層式のバリアを展開するはず。それを破らない限りかすり傷一つ与えられない」

「せやから、まずはバリアを破って……」

 

 リインとはやての次にフェイトが続く。

 

「それから本体に向けて、私たちの一斉砲撃で防衛プログラムを破壊する。その後は……」

「奴が再生している間に俺たちは急いでアースラへ逃げて、リンディさんたちにアルカンシェルを撃ちこんでもらう。それで防衛プログラムが消滅したらめでたく解決だ」

 

 俺の物言いにはやてとなのはは苦笑を浮かべ、何人かは呆れた顔を見せ、俺たちを包む空気はわずかに弛緩したものになった。

 

 その一方で……

 

 

 

 

 

 

「ゴホッ! ゴホッ!」

「プレシア!」

「ちょっとおばさん! 本当に大丈夫なの?」

 

 口に呼吸器をつけ上半身のみを起こした状態で、空間モニターを眺めていたプレシアが咳き込むと、リニスが駆け寄り、アリサが声をかけた。

 すずかも心配そうに――

 

「もう横になってた方が。フェイトちゃんたちの事は私たちが見てますから」

 

 だが、プレシアは耳を貸さずにモニターを注視し続けたまま返事をする。

 

「夜天の書とあの子たちがどうなっているのかだけでも見ておきたいわ。それに私はもう明日まで生きられるかもわからない身……だから私の事は気にしないで――ゴホッゴホッ!」

 

 余命が一日にも満たないというのに、横にならず、娘たちと夜天の魔導書の様子を見続けるプレシアに、アリサとすずか、リニスは呆れを通り越して感心すら抱いた。

 それほどまでに実の娘を蘇らせたいか、それともいまだ素直になれずともフェイトの安否が気になるのか、いずれにせよ並大抵の執念ではない。もっとも、プレシアが体を壊したのもその執念のせいなのだが。

 そんなプレシアに、さしものアリサたちも説得を諦め始めたところで――

 

『プレシアさん……やっぱり起きているみたいね』

 

 プレシアの目の前にもう一つのモニターが現れ、その向こうでリンディが呆れた表情を浮かべる。

 

「何かしら? 事情聴取なら後にして。そんなことをしている場合でもないと思うけど」

 

 リンディの方を一瞥しながらすげなく言うプレシアに対して、リンディは首を横に振る。

 

『そんな状態のあなたに事情聴取なんてする気はないわ。大人しく寝ていろと言っても聞く気はないでしょう。その代わり、一つだけ言わせてもらっていいかしら?』

「……」

 

 プレシアは答えずリンディに視線をやり、『好きにしなさい』と言外に言う。

 

『夜天の魔導書は強大過ぎる力によって、多くの所有者や人々の願いと欲望を引き寄せてきた。あなたも愚王ケントも魔導書を利用しようとした人間の一人でしょう。

 彼らの願いや欲望によって夜天の書は“闇の書”へと変わり、想像もできないほどの被害をもたらしてきた。

 その呪いによって生まれたのがあの淀みよ!』

 

 リンディの言葉につられ、プレシアとリニスはもう一つのモニターに映る黒い淀みを見る。

 あれは歴代の所有者や彼らに関わった者たちの願望や欲望が生み出したものだ。闇の書の主だった愚王ケント、そして闇の書を奪い利用しようとしたプレシアも無関係ではない。

 

『そんな恐ろしい存在を前にしたらほとんどの人は逃げ出すでしょうね。でもあの子たちは真正面から闇の書の呪いに立ち向かおうとしている。フェイト……あなたの娘さんもね』

「……」

 

 プレシアは答えない。リンディは続けて言った。

 

『あの子たちの戦いが気になるのなら気が済むまで見ていなさい。ただ、戦いを見ながら考えてほしいの。身がすくむほどの恐怖を押し殺してあの子たち、特にフェイトさんが何のために“闇の書”と戦おうとしているのかを。以上よ、私から他に言うことはないわ』

 

 そう言って、リンディはそっけなく通信を切る。

 そして、プレシアは再び空間モニターを見ながらぽつりと言った。

 

「……フェイト」

 

 

 

 

 

 プレシアとの通信を終え、リンディは一度だけ息をつく。

 これでプレシアとフェイトの関係が少しでも改善されればいいのだが。もうわずかしか残ってない余命の間もすれ違ったままでは、母にとっても子にとってもあまりに悲しすぎる。

 少しの間そう思ってからリンディは表情を引き締め……

 

「アルカンシェル、チャージ開始!」

 

 リンディの命令にオペレーターたちは一斉に「はい」と答え、端末ごしにアルカンシェルに魔力を注ぎ込む。

 彼らに紛れてトゥウェーも作業をしながら、防衛プログラムと対峙している彼らを見守っていた。

 

(いよいよ最後の仕上げってところね。防衛プログラムとやらを止めてここまで帰ってこれるかしら? できれば愚王とフェイトって子だけでも無事に戻ってきてほしいものね。ドクターが手掛けている《人造魔導師計画》、そして《ファルガイア復活計画》のために)

 

 

 

 

 

 

『そろそろ暴走が始まるけど、準備はできてる?』

 

 通信越しに問いかけてくるエイミィさんに、俺たちははいと答えかける。しかしそこではやては俺たちの服と体に付いている傷に気がつき、

 

「あっ、三人ともちょっと待って……シャマル!」

 

 主の意を察し、シャマルは笑みを浮かべながら言った。

 

「はい、三人の治療ですね……クラールヴィント、本領発揮よ」

 

 そう言ってシャマルは自身の指にはめ込まれているクラールヴィントに口づけし、クラールヴィントは『Ja』と応える。

 シャマルは足元に魔法陣を浮かべながら舞う。

 

『静かなる風よ、癒しの恵みを運んで』

 

 すると、俺たちの傷と服は見る見るうちに元に戻った。

 俺はシャマルに向かって、

 

「ありがとうシャマル。治療に関しては相変わらず見事だな」

「癒しと補助が私とクラールヴィントの本領ですから。ところで、“治療に関して”とはどういう意味でしょうか?」

 

 シャマルの問いに俺は思わず目をそらす。しまった、つい口が滑ってしまった。

 そんな俺たちの横では……

 

「じゃあリインフォース、私たちも初陣の準備と行こうか」

「はい、我が主!」

 

 はやての問いかけにリインは力強いうなずきと返事で答える。

 はやては手にしていた杖を掲げ――

 

「夜天の光よ、我が手に集え。《祝福の風 リインフォース》、セーットアップ!」

 

 その瞬間、リインフォースは紫色の球体となってはやての胸に入り込み、はやての衣装に腰マントと白いジャケットと帽子、背中に二対の黒羽根が装着され、瞳には青みがかかり、髪は雪のように白くなる。

 防衛プログラムの浸食をはねのけ、数百年の時を経て《真の夜天の魔導書の主》が誕生した瞬間だった。

 

 丁度その時、氷漬けの床を突き破って、間欠泉のように黒い魔力の渦が噴き出してくる。

 

「始まる……」

 

 クロノがそう呟いた直後に、黒い淀みを破り、二対の翼を生やした巨大な獣と、獣の頭から上半身だけが生えたような格好で、リインに似た赤紫色の肌の女が現れた。



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第55話 闇の書の闇

「夜天の魔導書を“呪われた闇の書”と呼ばせたプログラム……《闇の書の闇》」

 

 ゴォォォォォォォ!

 

 はやてのつぶやきに、獣の頭から上半身のみを生やした女は声にもならない雄たけびで応じる。主に対して彼女が何を言おうとしているのかは、元主である俺にもわからない。

 わかるのは……あいつも“闇の書の呪い”に捕らわれた犠牲者で、あいつを眠らせてやるしか呪いを解く方法はないという事だ!

 

「チェーンバインド!」

「ストラグルバインド!」

 

 ユーノとアルフが伸ばしたバインドが、防衛プログラムのまわりに生えている尾や触手を縛り、切り刻んでいく。さらに――

 

「縛れ、鋼の(くびき)――せいあ!」

 

 続いてザフィーラの攻撃が、切り裂かれた残骸やまだ残っている尾と触手を薙ぎ払っていく。

 

「ちゃんと合わせろよ、高町なのは!」

「ヴィータちゃんもね!」

 

 初めて名前を呼ばれたことを喜びながらも、なのはもヴィータに釘をさし返す。

 

「《鉄槌の騎士》ヴィータと《(くろがね)の伯爵》グラーフアイゼン」

Gigantform(ギガントフォーム)

 

 2発の薬莢を排出させながら、ヴィータがグラーフアイゼンを振り上げると、グラーフアイゼンの柄はしなやかなに伸び、それと同時に先端が巨大化していく。

 

「ギガントシュラーーク!!」

 

 ヴィータは巨大化したグラーフアイゼンを勢いよく振り下ろす。

 防衛プログラムを包むバリアが彼女を守るが、巨大な槌を叩きつけられた衝撃によってバリアはひび割れ、砕け落ちていく。

 その間になのははレイジングハートを防衛プログラムに向け――

 

「高町なのはとレイジングハート・エクセリオン、行きます!」

『Load cartridge』

 

 4発の薬莢を吐き出しながらレイジングハートは桃色の翼を2対生やす。なのははそれを握りながら、

 

「エクセリオンバスター!」

『Barrel shot』

 

 レイジングハートから突風のような初撃が放たれ、なのはに向かって伸びてきた触手を蹴散らし2層目のバリアまで届く。無論、この程度で壊れるほど脆いはずはない。

 だが、なのはの砲撃がこれで終わるはずがない。

 

「ブレイク――シュート!!」

 

 なのはが握るレイジングハートから、さらに何本もの桃色の光線が放たれ、2層目のバリアを砕いた。

 

 オオオオォォォ!

 

「次、シグナムとフェイトちゃん!」

 

 半分ものバリアを砕かれ雄たけびを上げる防衛プログラムを見下ろしながら、シャマルは二人に指示を出す。

 鞘から剣を抜き、それに応じたのは……

 

「《剣の騎士》シグナムが魂 《炎の魔剣》レヴァンティン、刃と連結刃に続くもう一つの姿」

 

 詠うように言葉を吐き出しながら、シグナムは剣と鞘を繋ぎ合わせる。

 二発のカートリッジと引き換えに、レヴァンティンは弓の形に変化し、弦彈の間に赤い弦を出現させる。

 

Bogenform(ボーゲンフォルム)

 

 魔力で生成した矢をつがえながら、シグナムは弦を引く。

 

「翔けよ、隼!」

Sturmfalken!(シュツルムファルケン!)

 

 防衛プログラムの前に触手が伸びてくるが、彼女とレヴァンティンが放った矢は妨げられることなくまっすぐに跳び、プログラムを守る3層目のバリアを貫いた――あと1つ!

 

「フェイト・テスタロッサとバルディッシュ・ザンバー、行きます!」

 

 3発の薬莢を排出させながら、フェイトは(ザンバー)型のバルディッシュを振りかぶる。

 フェイトが飛ばした衝撃波は防衛プログラムのまわりの触手を切り刻み、プログラム本体をも揺らす。

 フェイトは続けて、紫色の魔力光を帯びたバルディッシュを振り上げ――

 

「撃ち抜け、雷迅!」

Jet Zamber!(ジェットザンバー!)

 

 フェイトがバルディッシュを振り下ろすと、バルディッシュの刃は真下に向かって大きく伸び、最後のバリアを貫いて、上半身のみの女を乗せた獣を切り裂く。

 

 オオオォォォォ!

 

 ――っ。

 衝撃にひるみながら悲しげに叫ぶ女とリインがダブり、胸に痛みを感じた。

 やっぱり辛いな。リインと同じ姿の女が苦しむ姿を見るのは。

 そんな事を考えていると、穴だらけの床から新たに生えてきた尾がフェイトを狙っているのが見えた。

 

「フェイト!」

「――!」

 

 俺が叫ぶと同時にフェイトに向けて砲撃が放たれる。だが――

 

「《風の守護獣》ザフィーラ、砲撃なんぞ撃たせん!」

 

 その言葉とともにザフィーラは白い魔法陣を出現させながら構える。

 ザフィーラが発動させた魔法によって、床から白い杭が伸び、フェイトを攻撃しようとした尾を貫いていった。

 だが、奴の本当の狙いはフェイトへの反撃ではなく――

 

「しまった!」

 

 防衛プログラムを見ながらユーノが叫ぶ。

 防衛プログラムは高度を上げながら新しいバリアを展開させていた。

 

 5つ目のバリアだと!? リインが言っていた事と違うぞ! ――いや、再生機能があるなら新たにバリアを張り直すことぐらいは可能か。なら、これ以上バリアを修復される前に!

 

「だあああああっ!」

 

 思うやいなや、俺はすぐにバスタードモードのデュランダルを何度もバリアに叩きつける。三度目でバリアにひびが入り、さらに力を込めてデュランダルを二度叩きつけると、バリアはガラスのように砕けていった。

 バリアを砕き、荒い息をついていると獣の上にいる女と目が合った。咆えようとしたのか女の口から声が漏れる。

 そこへ……

 

「すまない。“ナハトヴァール”」

 

 ――!

 

 その名を聞いた瞬間、女も獣もピタリと動きを止める。俺は続けて言った。

 

「俺の力ではお前を救う事ができなかった。俺にできるのは、お前を“闇の書”から解放して眠らせてやるだけだ」

 

 ……。

 

「俺もいつかは再び生を全うして、お前のいる場所へ向かうことになるだろう。その時はいくらでも謝る……だから、もう眠ってくれ!」

 

 相手に向かってそう告げる。だがもちろん、獣もその上にいる女も返事を返すことはない。

 そこへ――

 

「健斗君、そこから離れて!」

 

 頭上からシャマルの声が降り注ぎ、俺はすぐに防衛プログラムから離れる。

 上空ではすでにはやてが石化魔法を使用する準備を終え、防衛プログラムの動きを止める魔法を発動させようとしていた。

 

『彼方より来たれ、宿り木の枝』

《銀月の槍となりて撃ち貫け》

 

 はやてと彼女の中にいるリインは、声を重ねながら詠唱を唱える。

 

「《石化の槍 ミストルティン!》」

 

 詠唱を終え、はやてが防衛プログラムに杖を向けると、彼女のまわりに数本の光の槍が出現し、それがプログラムに打ち込まれた。 

 断末魔を上げながら防衛プログラムは石化していき、獣の頭に乗っていた女も固まりながら、自重によって崩れていった。

 

 ――そろそろ頃合いか。

 そう思いながら、石化したプログラムを見る。

 しかし、奴の背中から新たな獣が浮かび上がり、防衛プログラムはより奇怪な姿となって再生を始めた。

 こんなにあっさり石化を破るとは。これじゃあ脱出する暇なんてないぞ。

 俺たちは思わず口を噛む。だが、そんな中クロノは静かに銀色の杖を構えていた。

 彼の足元には冷気を帯びた青い魔法陣が浮かんでいる。

 

『クロノ君、やっちゃえー!』

 

 エイミィさんの声とともに、クロノは白い息を吐き出しながら、デュランダルを振り下ろした。

 

「凍てつけ!!」

Eternal Coffin!(エターナルコフィン!)

 

 デュランダルからおびただしい氷気が放たれ、防衛プログラムの頭上に現れた四機のリフレクターの反射によって、その威力は何倍にも膨れ上がる。

 防衛プログラムは分厚い氷に包まれ、今度こそ動きを止めた。これがグレアムさんがリーゼたちとともに作り上げた切り札か……。

 

「今だ!!」

 

 最大級の氷結魔法を使った反動で自らも氷を被りながら、クロノは俺たちを見上げて叫んだ。

 

『Starlight Breaker』

 

 レイジングハートの声とともに周囲の魔力が杖に集まる。

「全力全開……スターライト」

「雷光一閃……プラズマランサー」

「魔力収束……フレースキャノン」

 

 そして、はやても杖に魔力を溜めながら、

 

「ごめんな。それとありがとう……あなたの応援を無駄にせんから」

 

 はやては悲しげな顔で目を閉じる。だが、彼女はすぐに凛とした視線を眼下に向けて、

 

「響け終焉の笛、ラグナロク――」

 

「「「「ブレイカーーーー!!!!」」」」

 

 ありったけの魔力を注ぎ込み、俺たちは一斉に防衛プログラム《ナハトヴァール》に向けて砲撃を撃ち込んだ。

 エース級四人の攻撃に耐えられず、広間とともに防衛プログラムは崩壊していく。

 その残骸から黒いコアが浮き上がるのを見つけた瞬間に、シャマルは叫んだ。

 

「今よ! 急いでアースラに戻って! 防衛プログラムが再生しちゃう前に!!」

 

 その言葉を聞いた瞬間に、俺たちは返事を返しながら崩壊した大広間を抜けて入口まで飛ぶ。転送ポートは屋敷の外にしかない。

 急いでそこに向かわないと!

 

 

 

 

 

 

「執務官たちは転送ポートに向かって移動中!」

「防衛プログラムの方は生体部品を修復している途中で――は、速い!」

 

 アレックスとともにランディも防衛プログラムの状態を報告するも、早すぎる再生速度に戸惑いの声を上げる。しかし、それを注意している場合ではない。

 

「アルカンシェル、バレル展開!」

 

 エイミィは素早くキーボードを叩きながらアルカンシェルを発射するためのバレルを開く。

 アースラの先端に3つの環状魔法陣が浮かび、中心の魔法陣にまばゆい魔力光が溜まる。

 それを確認して……

 

「ファイアロックシステム、オープン」

 

 リンディが告げると、彼女の前に3つの環状魔法陣とともに正方形のブロックが出現した。その中には鍵穴付きの物体が埋まっている。

 それを前にリンディは指示を告げる。

 

「彼らが《時の庭園》から脱出すると同時に発射します――準備を!」

「「了解!!」」

 

 アレックスとランディは同時に応える。

 彼らが準備を進めている間も、健斗たちは庭園の入り口に向かっており、護るべき主を手元に戻すために防衛プログラムも急激な速度で再生していた。

 

 

 

 

 

 

 床を突き抜けて現れる触手を避けたり切り裂いたりしていきながら、俺たちは猛速度で屋敷の廊下を飛び続ける。防衛プログラムが復活する前にここから脱出しないと。

 この時ほど《時の庭園》の大きさを恨めしく思ったことはない。

 

「見えた! あそこだ!」

 

 クロノが声を上げたと同時に、俺たちの視界にも屋敷の出入口が見えてきた。扉はあらかじめ開けたままにしてある。あれを潜り抜ければ――

 

「あっ――!」

 

 そう思ったところで巨大な尾が床を突き抜けて出口をふさぎ、なのはは思わず声を上げる。

 

「邪魔だああああ!!」

 

 俺はデュランダルは振り上げて入り口をふさぐ尾をひとつ残らず薙ぎ払い、再び顔を見せた出口のそばで叫ぶ。

 

「転送ポートはすぐそこだ! 早く通れ!」

 

 戦闘能力がないユーノを先頭に、皆は続々と出口を通っていく。だが……

 

「フェイト!」

 

 しんがりを務めるように最後尾を飛んでいたフェイトは、突然動きを止めて後ろを振り返った。

 

「フェイトちゃん!」

 

 アルフに続き、なのはも動きを止めて彼女の名を叫ぶ。

 廊下を破壊しながら、再び《闇の書の闇》が現れた。

 無数の生物が絡み合ったようなその姿は先ほどとは似ても似つかない。

 だが、フェイトが見ているのは奴ではなく……

 

(さようなら《時の庭園》。今まで母さんを守ってくれてありがとう。これからは私たちがあの人を支えるよ)

 

 崩壊していく屋敷を一通り眺めてから、フェイトは出口の方を向き、

 

「行こう、アルフ、なのは!」

 

 アルフとなのはの手を掴んで、自慢の高速移動でフェイトは屋敷を飛び出した。

 

「健斗君、早く!」

 

 外にいるはやてに呼ばれ、俺も屋敷から出ようとしたところで、異形化した防衛プログラムからリイン似の女が飛び出し、口をパクパクと開く。

 

 …………。………………。

 

「……ああ。その時まで待っていろ」

 

 さっきの返事を告げてきた女に対し、俺はそう応えてから出口を抜ける。

 俺の背中を見送る女の表情は、やはりリインによく似ていた。

 

 

 

 

 

 

「し、執務官たちがアースラに到着! 次々に艦内に戻ってきます! 後は御神君だけ――い、今、御神君が戻ってきました! これで全員です!」

 

 アレックスの報告にリンディは安堵の吐息をつきかけ、それを飲み込みながら眼前を見据える。

 屋敷を破壊しながら現れた防衛プログラムは、周囲の岩肌をも侵食し、今や《時の庭園》そのものと一体化しているようだった。

 リンディはクリスタルのついた赤い鍵をブロックに差し込む。ブロックは持ち主に警告するように赤く染まる。

 リンディはそれに構わず、《闇の書の闇》を睨みながら鍵を回した。

 

「アルカンシェル――発射!」

 

 リンディが鍵を回した瞬間に、アースラの前に巨大なレンズが現れ、魔法陣に込められていた魔力光はレンズを通りながら拡大し、《闇の書の闇》と時の庭園に向かって放たれる。

 

 光は《闇の書の闇》に命中し、次元空間に巨大な穴を空けながら、《闇の書の闇》と時の庭園を飲み込むように消滅した。

 それを眺めながら、エイミィは慎重な声色で告げる。

 

「効果空間内の物体、完全消滅……再生反応…………ありません!!」

 

 エイミィの報告にリンディは重々しく相槌を打ち……。

 

『準警戒態勢を維持。もうしばらく反応空域を観測します』

「了解!」

 

 そう答えながらも、返事を返した瞬間にエイミィは大きく息をつき、背中から椅子にもたれかかった。

 しかし、艦内に戻ってきた彼らのことを思い出し、体に鞭を打って通信機に手を伸ばす。

 お喋り好きな性格が今ばかりは幸いだった。

 

 

 

 

 

 

『というわけで、みんな、お疲れ様でした! 状況、無事に終了しました!』

 

 艦内に響いたエイミィさんの報告に、俺たちの中の何人かは笑みを浮かべ、何人かは大きなため息をつき、なのはたちは片手を上げてハイタッチを交わす。

 俺とリインも……

 

「ケント、お疲れ様です」

「ああ、リインフォースもな。よく頑張ってくれた」

 

 俺とリインは笑みを浮かべながらねぎらいの言葉をかけあう。

 そして改めて再会を喜ぼうと互いに一歩踏み出した、その時だった――

 

「なのはちゃん!」

 

 突然すずかの声が届いて、俺たちは彼女の方に顔を向けた。

 すずかとアリサは俺たちの方に駆け付けてきて、荒い呼吸をしながらフェイトの方を見る。ねぎらいに来てくれたにしては様子が変だ。

 

「フェイト、今すぐあたしたちと来て!」

「えっ……?」

 

 アリサの言葉にフェイトは思わず聞き返す。そこへすずかが言った。

 

「プレシアさん……フェイトちゃんのお母さんがモニターを見てる途中で意識を失って……それで、急いでフェイトちゃんを連れてきてってリニスちゃんから」

 

 その言葉にフェイトは目を見開き、俺たちの方を見る。

 

「僕たちなら大丈夫だ。行って来てやれ。もしかすれば、これがあの人との……」

 

 言い淀むあまりクロノは言葉を詰まらせる。そんな彼となのはたち、最後に俺の方を向き、フェイトは軽くうなずいてからプレシアさんがいる医務室の方へ駆けだした。アルフも彼女の後を追う。

 俺は彼女の背中を見てから、

 

「リインフォース、シャマル、俺たちも行くぞ!疲れてるところ悪いがはやても付いてきてほしい!」

「えっ?」

「――」

 

 シャマルは戸惑いながらはやてとリインを見回す。

 それに対して、リインは乞うような目ではやてを見た。

 はやては神妙な顔でうなずき。

 

「行こ、シャマル、リインフォース! 今の夜天の書ならプレシアさんを助けられるかもしれん。もしかしたら、あの人の娘さんも」

「は、はい!」

「わかりました。我が主」

 

 俺は、自力で歩けるようになったはやてとリイン、シャマルを連れて、その後に他のみんなも揃ってフェイトたちの後を追う。

 

 

 まだ死なせないぞ、プレシアさん。

 あんたには夜天の書の修復を手伝ってくれた礼と、言いたいことがあるからな。



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第56話 そんな展開ぶち壊す!

「――母さん!」

 

 闇の書の防衛プログラムが消滅したことで、歓喜のムードが沸いているアースラの廊下を通りながら数分。

 医務室についた途端、フェイトはベッドがある奥へと駆け込む。リニスはベッドのそばに置かれていたスツール(簡易椅子)に腰かけていたが、フェイトに気付くと立ち上がりながら彼女を迎える。

 ベッドに横たわっているプレシアさんは、何本かのチューブで繋げられており、呼吸する度に曇りがかかっている呼吸器が口に付けられていた。

 

「母さん! 母さん、しっかりして!」

「…………フェ……イト…………」

 

 フェイトがプレシアさんの手を握り何度も呼びかけると、プレシアさんはゆっくりと目を開けてフェイトの名前を呼ぶ。その声はかすれており、集中していないと聞き逃してしまいそうだ。

 

「…………立派だったわ」

「――!」

 

 プレシアさんの口から出てきた一言にフェイトは目を見開く。

 プレシアさんはさらに言った。

 

「あんな恐ろしい相手に一歩も引かず……それどころか、完膚なきまで倒してしまうなんてね……私ではあんなこととてもできなかった」

「……う、ううん! あれを倒せたのはみんながいたから。私なんてまだまだだよ。母さんやリニスに比べたらまだまだ……だから私はこれからも勉強や修練を続ける! もっと強い魔導師になれるように。母さんの娘として恥ずかしくないように――」

 

 フェイトが話している途中でプレシアさんはふるふると首を横に振り、

 

「違うわ……」

 

 その一言にフェイトは「えっ?」と声を漏らす。

 

「フェイト……私はあなたを生き返ったアリシア、あるいはアリシアの代わりとして育てようとした……でもあなたはアリシアとは全然違っていた。月日を重ねるごとにあの子との違いは歴然としたものになっていったわ」

「ちょ――ちょっとおばさん!」

 

 事情を知らないまでも、二人の会話にただならぬものを感じてアリサは彼女たちの所へ踏み込もうとする。だが、すずかが伸ばした手に阻まれてそれ以上近づくことができなかった。

 アリサはすずかを睨む。しかし、すずかは首を横に振って何も言わなかった。次いでアリサは二人の近くにいるリニスを見るも、やはり彼女も首を横に振るだけだった。

 そこまできてアリサも、二人が自分を制した理由を察して動きを止めた。

 プレシアさんは続きを話し始める。

 

「だから私はリニスを作って、リニスにあなたの事を丸投げした……あなたから逃げようとしたとも言えるわ。……弱いのは私だった。“大魔導師”なんて名乗っておきながら、あなたやリニス……アルフよりずっと弱かったのよ」

 

 それを聞いてアルフも目を丸くする。プレシアさんがアルフの事を認めたのも名前を呼んだのも、これが初めてだ。

 

「フェイト……あなたはもうとっくに私より強い……自慢の娘よ。恥ずかしいなんて思うわけがないじゃない」

「母さん――」

 

 初めての賛辞に、長い間かけられなかった言葉にフェイトはついに涙をこぼす。

 涙をぬぐおうとしてフェイトは今まで握っていたプレシアさんの手を離すが、プレシアさんは手を上げたままフェイトに聞いた。

 

「頭を……撫でてもいいかしら?」

「――!」

 

 フェイトは首を縦に振ってそのまま頭を下ろす。そんなフェイトの頭にプレシアさんは恐る恐る手を近づけ、彼女の頭を撫でた。

 フェイトの頭をゆっくり撫でると、プレシアさんの目からも涙がこぼれる。

 

「ずっと……心のどこかではずっとこうしたかったのかもしれない……ごめんねフェイト。リニスとアルフも……許してなんて言えるはずないけど、“最後”だけでもあなたに謝っておきたい……本当にごめんなさい、フェイト」

 

 その言葉を聞いた瞬間、フェイトははっと顔を上げる。そして叫んだ。

 

「最後だなんて言わないで! 夜天の書だってちゃんと持ってきた! 夜天の書さえあればアリシアを生き返らせることだってできる! そのために今まで頑張ってきたんでしょう!」

 

 それを聞いてプレシアさんはつぶやくように言う。

 

「そう、夜天の書もここにあるの……では書の主たちも……」

「うん! はやても守護騎士たちも健斗もここにいるよ! はやてたちなら母さんとアリシアのために夜天の書を使わせてくれる! ――そうでしょう!?」

 

 フェイトはこちらを振り向き、涙もぬぐわずに同意を求める視線を送ってくる。

 俺たちは数歩足を進めて二人に近づく。

 その足音を聞いて、プレシアさんもわずかに頭をもたげながら俺たちに声をかけた。

 

「あなたたちも来てくれていたの……体を動かすことができなかったから気付かなかったわ」

 

 そう言ってからプレシアさんは俺とリインを見回して、

 

「…………あなたの方は大切な人を取り戻すことができたようね……大事にしなさい……失った後に後悔しても手遅れだから」

「ええ……よくわかってます」

 

 そう忠告してくるプレシアさんに俺はそれだけ答える。

 続いてプレシアさんははやてに顔を向けて、

 

「八神、はやてさん……あなたにも迷惑をかけたわね……こんなことをお願いするのは図々しいと思うけど……あなたが持っている夜天の書をアリシアを生き返らせるために使わせてもらえないかしら……私にできる事なら何でもする。だから……お願いします」

 

 すがるような目で懇願してくるプレシアさんに、はやては首を縦に振った。

 

「はい。うまく行くかはわかりませんけど、私たちにできるだけの事はするつもりです」

「ありがとう…………」

 

 それを聞くと、プレシアさんは安堵の笑みを浮かべて再びフェイトに顔を戻した。

 

「フェイト、こんなことを言う資格があるとは思えないけど、あなたにもお願いしたいことがあるの……もしアリシアが生き返ったらあの子の事をお願い……わがままな所もあるけど明るくて優しい子だから……きっとフェイトを妹だと認めてくれる。アルフとも仲良くなれるはずよ……そうあの子が言ってたもの…………」

 

 本当にかすれるような声でそう言って、プレシアさんは目を閉じようとした。それを見て――

 

「母さん! 待って母さん! いきなりそんなこと言われても困るよ! 嫌だ。やっと笑ってくれたのに。やっとわかりあえたのに。母さん! ――母さあん!!」

 

 フェイトはプレシアさんにすがりつき、彼女の肩をゆすりながら何度も呼びかける。ドラマでよくある臨終シーンのように。

 あとわずかでプレシアさんは息を引き取り、部屋中にフェイトの絶叫がにこだまするだろう。

 

 

 

 そんな展開ぶち壊す!

 

 

 

「シャマル、治療魔法でプレシアさんの病気の進行を止めてくれ。はやてとリインは夜天の書を使う準備を――急いでくれ!」

 

 俺の言葉にシャマルは戸惑いながらもすぐに「ええ!」と答えて、やんわりとフェイトをどかしながらプレシアさんに駆け寄る。

 

「あなたたち――一体何を?」

「喋らないでください! これ以上は体に障りますし治療にも集中できませんから。『癒しの風よ――』」

 

 戸惑うプレシアさんを阻みながらシャマルは治療魔法の詠唱を唱え始める。

 

「ええと……病気を治す魔法が載ってるとこ探すんかな?」

「いや違う。プレシアさんの病気はもう通常の治療魔法で治せる段階じゃないから、夜天の書が蓄えた魔力を付加する方法を探した方がいい。リイン!」

「はい。主はやて、まずは427ページを開いて……」

 

 シャマルの後ろで、はやては夜天の書を広げながらリインが指示する頁を開く。

 だがプレシアさんは病に侵された喉から大きな声を振り絞りながら――

 

「私の事はいいわ! さっき言ったでしょう! アリシアを生き返らせてくれるって! それなのに私の病なんか治してどうするの!? 私よりもアリシアを――ゴホッ! ゴホォッ!!」

 

 無理をして怒鳴った反動で、プレシアさんは苦しげに咳をこぼす。

 そんなプレシアさんに俺はたまらず――

 

「うるさい黙ってろ! 約束通りアリシアは後で生き返らせてやる。だが、まずはあんたからだ! あんたにはさんざん俺たちの邪魔をした事やフェイトたちに行った仕打ちについて、責任を取ってもらわなきゃならないからな!」

 

 大声で怒鳴り返すとプレシアさんは気圧されたように押し黙り、なすがままにされる。

 それによって治療室には静寂が訪れ、シャマルの詠唱と、俺やリインがはやてに指示を出す以外の声や物音がしなくなった。

 

 

 

 空気が読めない行為かもしれない。魔法でも治すことができない重病人をロストロギアの力で助けるなんて、自然の摂理にもとる行いかもしれない。

 それでも俺は目の前にいる人を救わずにはいられない。

 

 『御神健斗』はそのために生まれてきたのだから。

 

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、はやてとリインは魔力付与の準備を整え、シャマルも手を止めて彼女たちの方を見る。

 

「はやてちゃん、こっちの準備は出来ました。いつでも大丈夫です」

「うん。リインフォース、制御の手伝いをお願いできる。魔力が小さすぎても大きすぎてもあかんみたいやから」

「お任せください。我が主」

 

 眼前に夜天の書を浮かべて指示を出すはやてに、リインはこくりとうなずいた。

 

『我が乞うは癒しの力。風の癒し手にあらゆる病を打ち消す力を――《エンチャント・トリートメント》』

 

 はやてが呪文を唱えると、夜天の書から白い魔力光があふれ出してくる。リインはその光を適正な量に抑えながらシャマルに受け渡していく。

 シャマルははやてたちから受け取った魔力光をクラールヴィントにまとわせながら、両手を上げた。

 

「《湖の騎士》シャマル。これより手術(オペ)を始めます。『癒しの光と静かなる風よ。我が手に集いて彼女を死へ誘う影を打ち払わん』」

 

 詠唱とともにプレシアさんの喉が緑色の魔力光が包まれる。その光景を見て、

 

(そういえば、フィーを治した時に使った魔法もあれと同じものだったな)

 

 “夢”の中でフィー――クラリフィエ・エインズ・パスティヤージュの病を治した時のことを思い出す。あの時も同じ方法で夜天の魔導書を使い、彼女の病気を治した。

 だが、あれは夜天の書の暴走を食い止めることができた“もしも”の話だ。実際には俺たちが《フロニャルド》を離れてからしばらくして、フィーは……。

 

 それからもシャマルははやてやリインとともに何度も同じやり取りを繰り返しながら、プレシアさんの治療を続ける。

 リニスもフェイトもアルフも、なのはたちとともにそれを遠巻きに眺める事しかできなかった。

 

 

 

 

 

「……終わりました」

 

 その一言が聞こえると俺は意識を戻して、みんなとともにベッドの方を見る。

 さっきまで呼吸器の力を借りて苦しそうな息遣いをしていたプレシアさんは、安らかな寝息を立てながら眠っており、シャマルは彼女に背を向け俺たちの前に立って口を開く。

 

「成功です。一晩眠って明日になれば元気になると思います」

「――本当ですか!?」

 

 それを聞いてフェイトは目に涙をにじませながらシャマルに尋ねる。シャマルはこくりとうなずきを返した。

 するとフェイトは泣き崩れてリニスにしなだれかかる。フェイトを抱きしめるリニスの目にも涙が浮かんでいた。

 そんな二人を見てアルフは複雑そうな顔を浮かべていたものの、他のみんなは「よかったね」などの声をかけ弛緩した空気が流れる。

 だが……

 

「じゃあそろそろ次の作業に入るぞ。こっちの方は時間が迫っているわけじゃないが、後伸ばしにしていいものでもない」

 

 俺がそう告げると再び皆、特にはやてたちに緊張が走る。

 

 

 

 これから行うことは、現代の魔法では――夜天の書をもってしても不可能と言われている、本当の意味で自然の摂理に反することだ。

 

 夜天の魔導書をもってしてもできないと言われていることが二つある。一つは“時間への干渉”、そして二つ目が“死者の蘇生”。

 それらに関する技術は古代ベルカでも現代のミッドチルダでも確立されていないため、どんなに膨大な魔力があっても時間や死者に干渉することは不可能だ。それこそプレシアさんが考えていた通りアルハザードにしか望みはないだろう。

 

 だからアリシアが()()()死んでしまっていたら、夜天の書を使おうと彼女の蘇生は失敗に終わってしまう。これに関してはオリヴィエから聞いた話を元に立てた仮説とアリシアの生命力に賭けるしかない。

 うまくいったとしても不可能に近い事を成し遂げた代償に、夜天の書に蓄積された魔力はほとんど使い果たしてしまうだろう。そちらに関しては悪い事ばかりでもないのだが。

 

 

 

「みんなは外に出て行ってくれ。ここにいてもすることがないだろうし、フェイトに付き添ってやってほしい」

「私は――」

 

 フェイトが何か言おうとするが俺の真意を察したのかすぐに押し黙る。さらに……

 

「そうですね。ずっとプレシアに付き添っていたのでちょっと疲れてしまいました。お言葉に甘えて一休みさせていただきます。行きましょうフェイト、皆さんも」

 

 リニスがそう言うとフェイトは大人しく首を縦に振り、彼女に付き添うためになのはを始め他の皆もぞろぞろと医務室を後にする。

 そしてこの部屋には俺とはやて、リイン、シャマル、そして()()()患者だけになった。

 俺はカーテンを開けてはやてたちの眼前に“それ”をさらす。

 

 そこには青緑色の保存液に満ちたポッドに入れられたままのアリシア・テスタロッサがいた。

 最期だけでもアリシアのそばにいたいというプレシアさんの希望で、昨日からこの部屋に移しておいた。こうやって隠しておけば人目にもつかないしな。

 アリシアは膝を曲げ、生まれたままの姿でポッドに浸かっている。幼いながらも容貌はフェイトそっくりの整った顔立ちをしているが、彼女の状態を考えたら欲情どころか目を背けたい衝動に駆られる。

 それを飲み込みながら俺ははやてたちの方を見て告げた。

 

「それじゃあ始めるぞ。これから夜天の書を使って……アリシアを蘇生させる」



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第57話 謝罪

 翌日。

 

 昨日の戦闘と治療による疲れが取れないまま、鉛のように重い体を起こし身支度を整えてユーノとともに食堂に向かうと、そこにはなのはたちとシャマルを除いた八神家の面々が席についていた。

 ユーノはあいさつの後開口一番に、

 

「……シャマルさんは?」

 

 察しながら尋ねるユーノにはやては彼を見上げながら、

 

「まだぐっすり寝てる。プレシアさんたちの治療で死ぬほど疲れたみたいやから昼まで起きてこんと思うよ」

 

 昔のアクション映画の台詞をもじった返事に、ユーノは「そう」と言いながらなのはの斜め前の席に座り、俺はみんなから少し離れた席についた。平然と食事をしているはやてとは対象的に疲れた様子を見せているリインに俺は首を傾げる。昨日、はやてとリインは治療を終えてからはすぐにシャワーを済ませて、二人揃って床についただけのはずだが何があったのだろうか?

 

 それからしばらくして、雑談がやんだ頃を見計らって俺は皆に向かって口を開いた。

 

「みんな、ちょっといいか。話しておきたいことがある。特に守護騎士たちには……」

 

 いつもより重い口ぶりに、皆、特に守護騎士たちは神妙な顔でこちらを振り向いた。

 主に何も知らないアリサとすずかに向けて、自分が“愚王ケント”の生まれ変わりであることと、転生前と転生後の簡単ないきさつ、それから俺が“ケント”だった頃に不当な理由でヴォルケンリッターを自身の前から遠ざけたことを語った。

 そして俺は……

 

「すまなかった」

 

 守護騎士たちに向かって頭を下げながら、ずっと言えなかった謝罪を口にする。そんな俺をシグナムとヴィータ、ザフィーラは返事をすることも表情を変えることもなく、ただじっと見続けていた。

 そんな中、はやても立ち上がりながら――

 

「私もみんなには謝らんといかん。過去の主みたいにひどいことしたり捨てたりしないって約束したのに――本当にごめん。せやからもう一度だけチャンスが欲しい。お願い! 今まで通り私と一緒にいてください! もうみんながいない生活なんて考えられへん!」

 

 俺と同様に、はやても守護騎士たちに謝りながら深く頭を下げる。

 過去の主に続き今の主にも頭を下げられて、シグナムもヴィータも戸惑ったように顔を見合わせる。

 それから少ししてヴィータは俺に向かって尋ねてきた。

 

「……さっきはやてが言った通りシャマルはいねえけど、あいつにも謝ったのかよ? 当時はあいつもかなり怒ってたぜ」

 

 そう聞いてくるヴィータに俺は「ああ」と答える。昨日の様子からして朝食には来られないだろうと思って、シャマルには昨日のうちに謝っておいたのだ。

 シャマルは一瞬疲れも忘れたようにじっと目を細めて俺を見ていたが、何も答えずにそっぽを向いて部屋へ戻って行った。ヴィータが言うように、あの時のことで一番怒っているのは彼女かもしれない。

 

 はやてにまで頭を下げられたからか、ヴィータはまだ釈然としない様子を見せながらも片手を振って――

 

「わかったわかった! 元々はやてを責めるつもりはねえし、ケントがあんなことした理由もわかった。それにこんなこと続けてもメシがまずくなるだけだ。そこまでにしてやろうぜシグナム」

「……そうだな。二人とも頭を上げてください。今までの事は水に流しましょう。いずれも私たちの力量が足らなかったことに一因があります。……ただ、健斗、あなたにはひとつだけ言っておかなければならないことがある」

「……何だ?」

 

 俺が聞き返すとシグナムは一度目を閉じて、再び目を開いてから言った。

 

「あなたも知っている通り、我々がお仕えする今の主は、あなたのご友人でもある八神はやて様だけだ。故に昔のように臣下としてあなたに接することはできない。無論、あなたが主はやてと敵対することがあれば我々もあなたの敵となる。それだけは覚えておいてくれ」

 

 その言葉に俺は首を縦に振り。

 

「ああ、はやての事は頼んだぞ。その上で“仲間”としてお前たちを頼りたい。今後ともよろしく頼む」

 

 そう言って頭を下げると、シグナムとヴィータは答えず一回だけうなずく。そこで今まで沈黙していたザフィーラが口を開いた。

 

「それで、夜天の書は無事に修復できたのか? もし再び防衛プログラムを生み出すような暴走を起こす恐れがあるのなら、何としてもそれを防がなければならない。例え夜天の書本体を破壊してでも……」

 

 それを聞いてシグナムとヴィータ、はやても暗い表情になる。

 夜天の書の破壊。それはただ魔導書を破壊するだけでは済まない。魔導書の管制人格であるリインも、同じくプログラムの一部である守護騎士たちもともに消滅させることを意味していた。

 だが……

 

「いいや、書を破壊する必要はない。ケントたちが作った修正プログラムによって夜天の書は元に近い形を取り戻した。それに魔導書本体から防衛プログラムを切り離した時に、お前たち守護騎士も本体から分離した。魔導書を破壊してもお前たちが消滅することはないだろう」

「それは……」

「本当か!?」

 

 聞き返してくるシグナムとヴィータにリインは首を縦に振り、続けて言った。

 

「だが、防衛プログラムによる転生機能や再生機能が失われた以上、魔導書も我々も一度消滅すれば二度と復活することはできなくなる。おそらく個々の修復能力も大幅に低下していくだろう」

 

 その言葉にシグナムたちは複雑な顔を見せるが、シグナムは振り切るように首を大きく横に振った。

 

「ならばそのような事態に遭わぬように気を張っていればいいだけの事だ。再生機能などなくても、我々が主より先に逝くことなどありえん」

「ああ、これからもあたしらではやてを守っていくことに変わりはねえよ。……でもな、夜天の書は管理局の奴らにとって世界を滅ぼす力を持つ危険なロストロギアだ。分離したとはいえあたしらやリインは夜天の書の一部なわけで。夜天の書本体はともかく、連中があたしらを封印しようとするかもしれねえ。その時は……」

 

 そう言ってからヴィータは敵意のこもった目で食堂内を見回す。その視線を受けて遠くで食事していた何人かの局員がびくりと肩を震わせた。

 だがそこで――

 

「多分それは大丈夫だと思う」

「あんっ?」

 

 俺がそう言うとヴィータは怪訝な声を上げて聞き返してくる。続いてシグナムも、

 

「なぜ健斗がそう言い切れる? 管理局は何十年もの間、夜天の書を“最悪のロストロギア”として追い続けていたんだぞ。転生機能を司っていた防衛プログラムが消滅した以上、彼らはこれを好機と見なして、夜天の書を破壊するか封印しようとする恐れが高いが」

 

 その指摘に俺は多少の不安を残しながらも、それをおくびに出さないように努めながら答えた。

 

「お前たちも知ってるだろうが、プレシアさんの治療とアリシアの蘇生に夜天の書の力を使ってな。その時に夜天の書が蓄えた力のほとんどを使い切っちまったんだよ。特に人一人を蘇生させるなんて夜天の書でも不可能に近いことだったから、どんなに魔力があっても簡単な事じゃなかった。シャマルの腕がなければ魔導書の頁は完全に尽きていただろう」

「つまり、夜天の書にはもうほとんど力が残されてないと? だが蒐集機能があれば、また元の力を取り戻すことも――」

 

 ザフィーラの言葉に俺は首を横に振る。

 

「いや、リンカーコアからの蒐集は本来の記録方法じゃない。さっきリインが言ってただろう、『修正プログラムによって夜天の書は本来に近い形を取り戻した』と。修復がうまくいったのなら蒐集機能も停止しているはずだ。夜天の書に新しい魔法を記録させるには、はやて自身が学習して地道に書き加えていくしかない。一生かけてもすべての頁を埋めることができるかどうか」

 

 多分無理だな。心の中でそう加えながら締めくくる。『後世に残すためにあらゆる魔法を記録する』という高尚な目的を持ってた初代主ならともかく、はやてが書を完成させるためなんかに一生を費やすとは思えない。

 あとはそれをいかに管理局の上層部に伝えるかだが、それはクロノやリンディさんに任せるしかないだろう。

 それに俺だって、ここまできて守護騎士とリインフォースが封印されることなんて望まない。もしもの時は徹底的に管理局とやり合うつもりだ。さすがに直接戦う気はないが、プランはいくつか考えてある。

 

「ところで、プレシアさんとアリシアちゃんはどうなったの? さっきの言い方だと二人の治療は成功したみたいだけど……」

 

 なのはの問いに俺は顔を険しくしながら、

 

「昨日シャマルが告げた通り、プレシアさんの治療は成功だ。栄養をつけていけばすぐ元気になるだろう。……アリシアの方は生命活動を再開したんだが、まだ目を覚ましていない」

「そっか……」

 

 そう答えるとなのはは顔を曇らせたまま下を向く。そうなると予想はしていたんだろう。

 人間を蘇生させることは、古代ベルカでも現代のミッドチルダでも不可能な所業だと言われている。生命活動を再開しただけでも奇跡といえるもので、その後はどうなるのか皆目見当がつかない。

 おそらくアリシアが目を覚ますのは何年後か何十年後、あるいは一生あのままという事も――

 

「みんなー! 大変大変!!」

 

 食堂中に大声が響き渡り、俺たちもまわりの局員も一斉に出入り口の方を見る。

 声の主であるエイミィさんは俺たちに手を振りながら駆け寄ってきて、周りの局員に気付くと気まずそうな顔にしながらも俺たちの方に向かってきた。

 

「エイミィさん、おはようございます。どうしたんですか、こんな朝っぱらから」

 

 律儀にあいさつしながら尋ねてくるなのはに、エイミィさんも「ああなのはちゃん、おはよう」と言ってから、気を取り直したように俺たちに顔を向けて言った。

 

「アリシアちゃんが目を覚ましたみたいなの! プレシアさんはアリシアちゃんにすがりついていて、フェイトちゃんたちもどうしていいかわからないみたいで、食事中に申し訳ないんだけどすぐに来てくれない!」

 

「えっ……」

 

 あまりの出来事に何人かの口からそんな言葉が漏れる。

 蘇生してから半日も経たずに目を覚ますなんて、いくらなんでも早すぎる。アニメやラノベだってもう少し時間をかけるところだろう。

 

 テスタロッサ家にとって最大の問題があっけなく解決した瞬間だった。



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第58話 アリシア

「アリシア! 私の事がわかる!? ねえアリシア!!」

「…………?」

 

 少女に近づきながら問いを重ねるプレシアさん。患者衣を着たままベッドに横たわっている、フェイトに瓜二つの幼い少女。彼女たちの後ろでオロオロしているフェイトとアルフとリニス。

 医務室にやってきた俺たちが見たのはそんな光景だった。

 

 俺たちを見てリニスが声をかけてくる。

 

「あっ、健斗! ちょうどいい所に来てくれました。実は先ほどアリシアが目を覚ましたところで、それを見つけた途端プレシアはずっとあんな調子で――」

「ああ。俺たちもそれを聞いて駆けつけてきたところだ」

 

 俺とリニスがそんな会話を交わしている間にもプレシアさんは少女――アリシアに質問を続けるが、アリシアは一言も返さずこくりと首をかしげる。

 まさか、プレシアさんの事がわからないのか?

 怪訝そうに母親を見返すアリシアを見ながら、俺たちやプレシアさんがそんな考えを抱いた時だった。

 

 ふいに、アリシアはプレシアさんに向かって“左手”を伸ばし、その頬を撫でる。

 そして彼女は言った。

 

「……もしかして、ママ? ママなの?」

 

 それを聞いた瞬間、プレシアさんはかっと目を見開いて、

 

「――そうよ! 私の事がわかるのね!」

 

 その言葉にアリシアはプレシアさんの頬に浮かんでいる(しわ)を撫でながらこくりとうなずきながら答えた。

 

「うん。でも私が知ってるママより年を取っちゃってるから、ちょっと迷っちゃったけど」

 

 アリシアの言葉にプレシアさんは苦笑しながら納得する。アリシアが事故にあったのは十年以上も前の事だ。その頃のプレシアさんと今のプレシアさんとではかなり違って見えるだろう。アリシアのように突然十年後に目覚めたのならなおさら。

 

 それからアリシアはフェイトたちの方を見て……

 

「……あの子は? 隣にいる子も見覚えがあるような……」

 

 自分にそっくりなフェイトと、愛猫と同じ耳と尻尾がついたリニスを見ながら、アリシアは言葉を漏らす。

 それに対してフェイトは身をすくめる。アリシア(オリジナル)に対して自分の事を何と説明するべきか、それとも何も言わずここから去った方がいいだろうか。そう迷っているのだろうか。

 そんなフェイトの前で、プレシアさんはアリシアに向かって言った。

 

「あの子はフェイト。アリシアが眠っている間に生まれた……あなたの妹よ」

「――!」

 

 その言葉にフェイトは目を見張り、アリシアは――

 

「――妹!? それ本当!?」

 

 アリシアは身を乗り出して尋ねるや、すぐにベッドから飛び降りてフェイトのもとへと駆け寄る。

 そして彼女はフェイトをしげしげと見上げながら呟いた。

 

「あなたが私の妹……たしかに私に似てるかも。はじめまして、私はアリシア。あなたのお姉ちゃんだよ!」

「わ、私はフェイト。あなたの妹……ということになります」

 

 初対面にもかかわらず物怖じせず自己紹介してくるアリシアに、たじたじになりながらフェイトも名乗り返す。

 そんなフェイトの手を掴んで、アリシアは病室に掛けられている大鏡の前まで移動した。

 

「うわあ、ほんとにそっくり! 本当に私の妹なんだ。私よりちょっと大きいけど」

 二人が映る鏡を見ながらアリシアはそんな言葉を漏らす。片や、フェイトはどうするべきかわからず、アリシアにされるがままになっていた。

 それから、フェイトの手を掴んだままアリシアは病室を見回して……

 

「ところで、ここどこ? おうちじゃないみたいだけど」

「それは……」

 

 アリシアの問いにプレシアが言い淀む。それを見かねてリニスが口を挟んだ。

 

「ここはアースラという船の中にある、病院みたいなところです。アリシアは事故に遭ってから10年間ずっと眠り続けていたんですよ」

「10年! そんなに経ってたんだ。どおりでフェイトが私より大きいわけだ。……ところであなたは? その耳、どこかで見たことあるような……」

 

 アリシアの問いにリニスは丁寧に頭を下げながら答える。

 

「私はリニス。あなたとお母様が飼ってた山猫を元に作られた使い魔です」

「あなたがリニス? そういえばリニスがいないけど、リニスはどこへ行ったの? つかいまって一体なに?」

 

 少女が名乗ったリニスという名前から飼い猫のことを思い出し、アリシアは一斉にまくし立てる。そんな彼女にプレシアさんとリニスは今までのことについて、“真偽を織り交ぜながら”説明することにした。

 

 アリシアは会社で起きた事故によって十年間眠り続け、同じく事故に遭いながら辛くも生還したリニスは使い魔となってプレシアのそばに居続けて、その後二番目の娘であるフェイトが生まれ、それからさらに後にフェイトが拾った犬を『アルフ』と名付けて使い魔にして、さらに紆余曲折を経て今に至る。

 

 そんな、まったくの嘘とは言えないような話にアリシアは「へえー」と相槌を打ちながら耳を傾けていた。

 一通り話を聞き終え、アリシアは大きくうなずいて。

 

「そっか、私が寝てる間にそんなことがあったんだ。私もフェイトが生まれるところとかアルフを使い魔にするところとか見たかったなー」

 

 何も知らず無邪気にそう言うアリシアに、プレシアさんもリニスたちも複雑な表情をする。

 そこでアリシアはぽつりと言った。

 

「ところで一つ聞きたいんだけど。『あたらしいパパ』はどこにいるの?」

「――っ!」

 

 その一言に皆がドキッとし、プレシアさんは冷や汗を浮かべながらアリシアに尋ね返す。

 

「どうしてそんなことを聞くの? もしかして、パパに会いたくなったのかしら?」

 

 誤魔化すような響きを帯びた問いにアリシアは首を横に振って言った。

 

「ううん、私のパパの事は全然覚えてないし会いたいわけじゃないの。でもクレッサおばさんが、妹を作るには『あたらしいパパ』が必要だって言ってたから。今度ママにお願いする時は『あたらしいパパが欲しい』って言ってみなさい……とも言ってた」

「……あの子は~~」

 

 プレシアさんは頬をひくつかせながら、クレッサという人に対して胸中で毒づく。

 クレッサ・ティミル。プレシアさんがアレクトロ社に勤めてた頃の元同僚で、個人的な友人でもあり、会社を辞めてからは傀儡兵(ゴーレム)研究で成功して有名になった人らしい。アリシアの発言やプレシアさんの反応を見るに一癖も二癖もある人物でもあるようだ。

 

 アリシアは俺たちを見回してから、

 

「……もしかして、あのお兄ちゃんたちの誰かが『あたらしいパパ』なの?」

「ええっ!!」

 

 俺とユーノとザフィーラ、いつの間にかリンディさんとともにやって来たクロノを指して、アリシアはそんなことを言い出し、誰かが仰天の声を上げる――多分アリサだろう。

 そんな中、俺はアリシアに言った。

 

「違う。俺たちはフェイトの友達で、彼女のお姉さんが目を覚ましたと聞いてきたんだ。だいいち、俺やそこの二人がフェイトのパパというのは無理があるだろう。背も変わらないんだし」

「それもそっか。じゃあ『あたらしいパパ』はどこにいるの? あっちにいる、アルフみたいな耳つけたおじさん?」

 

 ザフィーラを指さしながらアリシアは尋ねる。

 そんな娘にプレシアは気を取り直しながら言った。

 

「残念だけど『あたらしいパパ』はいないわ。フェイトは……そう、聖王さまがくださった子供なのよ。聖王さまが夢に現れて、起きた時に私の隣でフェイトが寝ていたの」

 

 所々考えるような間を空けながら、プレシアさんはそんな当たり障りもない答えを告げる。

 聖王さまという言葉が出てきた途端、アリシアはすぐに納得して、

 

「そっか、聖王さまがくれた子供か。それならパパがいなくても不思議じゃないね。聖王さまに感謝しなくちゃ!」

 

 そう言って頭上を見上げるアリシアにプレシアさんは何度もうなずく。

 ミッドチルダをはじめ、《聖王教》の影響が強い世界では、聖王がコウノトリのような役目を担っていることになってるらしい……あいつも大変だな。

 

 そこでクロノはゴホンと咳払いをたてて、俺たちの注目を集めてから言った。

 

「積もる話があるようだが、プレシア――君たちのお母さんと僕たちは少し話し合いをしなければならない。君たちはアリシアという子を連れて食堂に戻るといい。その子の分の食事も頼めばすぐに用意できるだろう」

「そうだね。行こうアリシアちゃん。ここで出される食事はどれもおいしいよ!」

 

 話し合いと聞いてなのははすぐにその内容を察し、アリシアの背中を押さん勢いで、彼女を食堂へと誘う。その隣でフェイトはプレシアさんの顔を窺うも、プレシアさんは固い表情でこくりとうなずき、フェイトもうなずきを返してから言った。

 

「アリシア、私たちも行こう。母さんならすぐに戻って来るから」

「う……うん」

 

 幼いながらただならぬ雰囲気を察したのか、アリシアは何か言いたげな顔をするも、十年間満たされなかった食欲に抗えなかったのか、それとも待望の妹からの誘いに惹かれたのか、二人と一緒に医務室を出て行く。

 他のみんなも彼女たちに続いて、ここには“俺たち”だけが残った。



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第59話 罰

「なんで健斗まで来るんだ。君はただの民間人だ。おとなしく食堂か部屋に戻ってろ」

「俺はプレシアさんをアースラに連れてきた当事者だぞ。話を聞いていく権利くらいあるはずだ。それとも聞かれたら何かまずいことでもあるのか?」

 

 そう言いながら艦長室のソファに座り込む俺をクロノは真正面から睨んでくる。そんな息子にリンディさんは言った。

 

「話に立ち会うぐらいならいいでしょう。被疑者の処遇については執務官が最終的な決定を決めることに変わりありませんし、後でごたごた文句を言われても困ります」

「そうそう、こういう話は開かれた形で行わないと」

 

 リンディさんに同意しながら俺はコーヒーをすする。そんな俺にクロノは「調子に乗るな」と釘を刺した。

 そんなことを言い合う俺たちに呆れながら、リンディさんは緑茶に大量の砂糖とミルクを入れ、砂糖とミルクが入った容器をプレシアさんに差し出す。

 

「あなたはどう? コーヒー、そのままだと苦いでしょう」

 

 砂糖とミルクがふんだんに入ったお茶を見て、プレシアさんは顔を引きつらせながら……。

 

「い……いいわ。私は普段ブラックで飲むのよ」

 

 そんな風に、プレシアさんにも断られリンディさんは「マリーは好きなんだけど」と言いながら容器を下げた。

 マリエルさんは好きなのか、これ……?

 

 

 

 それから一連について一通りの確認を終えて、クロノはぬるくなったコーヒーを飲み干してから再びプレシアさんに向かって口を開いた。

 

「プレシア・テスタロッサ。いかなる事情があったにせよ、あなたが今までに行った行動のいくつかは明らかに法に反している。

 今回の件に限定しても、管理外世界への密入界の指示と幇助、同世界およびアースラへの魔力攻撃、そしてロストロギアの違法所持。これらだけでも数十年の禁錮は免れない。ジュエルシードと闇の書の危険性を考えればさらに重い罪になるでしょう」

「――っ!」

 

 クロノが告げた言葉にプレシアさんは唇をかみしめる。そして彼女は言った。

 

「わかっています。私は法に触れることを承知でロストロギアを集め、次元断層を起こそうとした。その罪は一生をかけて償うつもりです。でも、フェイトは――あの子たちは許していただけないでしょうか? 私は一生牢屋に入れられても構わない! でもフェイトたちだけは――」

 

 そう言ってから、プレシアさんは机にぶつかる寸前まで頭を下げる。それを前にしてもクロノは仏頂面のまま答えた。

 

「彼女たちは今までの間、何度も管理局の局員や協力者たちと交戦していますし、微弱ながら次元震を引き起こしたこともある。通常なら主犯とほぼ変わらない刑に処されるところですが――」

「そんな――」

「ですが!!」

 

 無情な宣告にプレシアさんは声を上げかける。クロノは今までより大きく声を張り上げてそれをさえぎった。

 

「彼女たちが置かれた状況はかなり特殊ですし、あなたに命令されて仕方なくジュエルシードを集めていたこともはっきりしている。そのことを踏まえれば、数年間の保護観察――事実上の無罪を勝ち取ることは十分可能です」

「……」

 

 

 その言葉にプレシアさんはほっと息をつく。そこへクロノが「でも」と続けた。

 

「でもあなたはそういうわけにはいかない。時空管理法とロストロギア規制法を知りながらそれに反したんだ。禁錮百年以上……実質無期懲役は確実でしょう」

「そうでしょうね……」

 

 覚悟していながら、辛そうな声でプレシアさんは返事をする。アリシアを取り戻しフェイトと和解することができた矢先に、彼女たちと離れなければならないのだ。自業自得とはいえ、平静を保ち続けるのは難しいだろう。

 

「娘さんたちについては私たちが責任を持って面倒を見るつもりです。少々大所帯ですが、息子も大きいしリニスさんとアルフさんにも家事を手伝ってもらえれば何とかなるでしょう。フェイトさんとアリシアさんが希望すれば養子にすることも考えています。実は昔から娘が欲しいと思っていたので私にとって願ったり叶ったりなんです。もちろん息子(クロノ)を疎んじているわけではありませんけど」

「かあさ――艦長!」

 

 抗議しようとするクロノと両手を向けながら彼をなだめるリンディさん。そんな二人にプレシアさんは小さく笑い、

 

「よろしくお願いします。ご迷惑をかけることもあると思いますが」

 

 感謝の言葉を述べながらプレシアさんは二人に頭を下げる。

 そこへ――

 

「待ってくれ!」

「「……?」」

「……」

 

 突然口を挟んできた俺に、リンディさんとプレシアさんは怪訝な顔を、クロノはやはりと言いたげな顔を向けてくる。

 そんな三人のうち、彼女に向かって俺は言った。

 

「プレシアさん、本当にそれでいいんですか? ようやくアリシアを取り戻すことができたのに、また離れ離れになるんですよ。フェイトだって絶対に納得しない。あいつの事だから『母さんの反対を押し切って、アルフとリニスを無理やり付き合わせて、独断でジュエルシードを集めていた』なんて言い出しかねないぞ。そうなったら保護観察の話もなくなってフェイトも刑務所送りだ。本当にそれでいいのかよ?」

「……」

「フェイトさんなら言いかねないわね」

 

 プレシアさんは押し黙り、リンディさんはそう漏らす。

 俺は乱れた口調も直さずさらに続けた。

 

「だいたい、これだけ人様に迷惑かけておいて、無期懲役なんかで償えると思ってるのか。フェイトたちやアリシアのためにも、あんたはシャバで苦労しながら罪を償うべきだ。リンディさんもクロノもそう思わないか?」

「……確かに、フェイトさんやアリシアさんの事を考えたら、私もそう思わなくもないけど……」

「だがさっきも言った通り、彼女がやったこととやろうとしたことを考えれば、無期懲役は免れない。それを覆すにはよほどの理由が必要だ」

 

 クロノの説明に納得しながらも俺は懸命に頭を働かせる。

 確かにプレシアさんが次元断層を起こせば、地球を始め、《時の庭園》のまわりにあるいくつかの世界が断層に巻き込まれて消滅してしまっていた。同じく法を犯したとはいえ、ロストロギアを封印するために動いていたグレアムさんたちとは事情が違う。

 むしろ無期懲役で済むのが幸い。昔のベルカだったら間違いなく死刑に処されていただろう。

 

 それを承知で俺は、プレシアさんの刑務所送りを防ごうとする。彼女に()()()()()()()()()()()()()()

 

「リンディさん、管理局には司法取引とか減刑措置のようなものはないんですか? 以前、そういうものがあるみたいなことを言っていましたが」

「それは……」

 

 俺の問いにリンディさんは言い淀む。そこへクロノが言った。

 

「確かに君の言う減刑措置――管理局への協力などで更生の意思を示して、上に刑の減免を図ってもらうことは可能だ。管理局、特に僕らが所属する『次元航行部隊』は常に人手不足だからね。だがプレシア氏の場合、それだけで放免されることはないだろう。よくても一生本局暮らしだ。フェイトやアリシアと離れることに変わりはない」

 

 その説明を受けて俺とプレシアさんは顔を落とす。確かに牢屋よりはましだろうが、プレシアさんにとって永遠に娘たちと離れ離れになることに変わりはない。

 俺が唇を噛んでいるところで――

 

「だが、管理局が長年手を焼いていた闇の書の驚異を払ったのは大きい。そのこととプレシア氏の事情、さらに彼女が行った行動について()()()()()()()()説明すれば、酌量の余地ありと判断されることも考えられなくはない」

 

 クロノが漏らした言葉に俺たちは思わず顔を上げる。リンディさんも意外そうな顔で息子を見ていた。

 クロノはコホンと咳払いをして、「今回だけですよ」と言った。

 

「プレシアさん、今までのことを深く反省し、もう二度と法を犯すような真似はしないと約束するのなら、今回に限って懲役を免れるように手を打ってもいい。ただし、もし約束を破って再び犯罪を犯すような真似をすれば、僕たちは容赦なくあなたを逮捕しますし娘さんたちからも切り離します。それを承知していただけるのならですが」

 

 厳しい口調で確認してくるクロノに対し、プレシアさんは首を縦に振った。

 

「ええ、約束するわ。もうロストロギアに手を出したりしない。アリシアが戻って来たのにそんなことをする必要なんてないわ!」

 

 よく通る声でプレシアさんが固く誓うと、クロノはうなずきを返して続けた。

 

「いいでしょう。ではその代わりに、十年前の『ヒュウドラ暴走事故』についてあなたが知っている限りのことを聞かせていただけませんか。あなたの身上について説明するには、僕たちもあの事故について詳しく知る必要がある。それに、あの事故にはあなたも知らない“闇”が隠されているかもしれないんです。あなたの証言によってそれを暴くことができるかもしれない」

「“闇”……?」

 

 クロノが言った言葉を復唱しながらプレシアさんは怪訝な表情をする。そんな彼女にクロノは首を縦に振って説明を始めた。

 

 

 

 

 

 十数年前に起きた、アリシアが死んだ原因でもある『ヒュウドラ事故』。

 その事故において、ヒュウドラの開発を請け負っていた『アレクトロ社』は、設計主任兼安全責任者だったプレシアを糾弾し、彼女に多額の賠償金を請求した。無論プレシアは頑としてそれを認めず、自身が勤めていた会社を相手に訴訟を起こした。

 

 だが裁判において、事故の調査にあたった執務官と執務官補佐は会社側に有利な証拠を提出。さらに会社が雇った弁護士の巧みな弁舌は裁判官や陪審員たちの心を掴み、一審は会社側の勝訴となった。

 それでもプレシアは諦めずに控訴し、第二審に備えて準備をしていたが、それを見計らったように会社はプレシアに和解を提案。告訴を取り下げ裁判を打ち切れば、事故におけるプレシアの責任を追及せず、賠償金の請求を撤回するどころか、一審で費やした裁判費用を埋めて余りある額の和解金を払うと言ってきた。

 

 何かおかしい。プレシアはそう思ったものの、この頃には正直裁判の勝敗などに興味が薄れ始めてきた。

 

 裁判に勝ったところで娘が返ってくるはずもない。むしろ会社側がぶら下げてきた金をうまく使えば、アリシアを取り戻すことができるのではないか。

 膨大な知識と卓越しすぎた頭脳を持つがゆえに、普通なら思いもしないことをプレシアは考えついてしまった。

 そしてプレシアは会社との和解を選択し、その代償に彼女はヒュウドラ事故に関するすべての責任と罪をなすりつけられ、首都クラナガンから姿を消す。

 

 

 

 

 

 ここまでは管理局の記録にも残っていることだ。俺も一週間前の一時帰宅の際にクロノやエイミィさんから聞いている。だが、これからクロノが告げることは俺はもちろん、プレシアさんも初めて耳にすることだった。

 

「僕たちが調べたところ、あの裁判は会社側が勝つように仕組まれた疑いが強いものでした。裁判官や口先の回る何人かの陪審員に賄賂を渡しておき、そして多額の金で買収した執務官たちに会社側が用意した“証拠”を提示させるという、最初から勝者が決まっていた出来レースだった可能性が高いんです」

「……」

 

 裁判の裏で行われていたという裏工作に、俺もプレシアさんも言葉を失い、リンディさんも顔を曇らせる。

 一方、クロノは淡々とした口調で説明する。

 

「本来なら、あの裁判は会社側が圧倒的に不利だったはずなんです。プレシアさんが安全基準を設けていたにもかかわらず、作業員たちはそれを無視して危険な開発を進めていたんですから。傍目から見てもプレシアさんが責任を問われるいわれはない。でも実際には裁判は会社の勝訴で終わっている」

 

 負けるはずだった裁判。それをアレクトロ社は金の力で無理やり勝利に持ち込んだ。確かにそれなら、二審に入る前になって会社が和解を持ち掛けたのもうなずける。裁判官たちに包む賄賂も安くはないし、二審以降は陪審員の人選もより厳正なものになる。それを賄賂だけで勝ち抜いていけるほど甘くはないだろう。

 

 クロノはそこで声色を重くして言った。

 

「それだけじゃない。その裁判から二年後に、ヒュウドラ事故を担当していた執務官の補佐が不審な死を遂げているんだ!」

「それってまさか――」

 

 プレシアさんとリンディさんは目を見張り、俺は思わず声を上げる。

 クロノは首を縦に揺らして言った。

 

「口封じに消されたのかもしれない。アレクトロ社か上司の執務官、そのどちらかの手によって」

「――!」

 

 思わぬ犠牲者に俺たちは驚愕で目を見張る。事故の調査を担当した執務官と彼の補佐官についてクロノは説明した。

 

 執務官は幼い頃から学に秀で、若くしてその資格を取るほど優秀な人物だったが、性格面では横暴なところがあり、自分より立場が低い者にはしばしばそれを露わにしていた。また金銭への執着が強く、執務官の立場を利用して違法に金品を受け取っていた疑いがある。

 一方、彼の部下だった補佐官は、真面目だが気が弱く、上司や先輩に逆らえない人物で、上記の執務官の言うことにも流されるままだった。その上、友人の一人が借金を残して行方をくらまし、金銭的に困ってもいたらしい。

 

 そこから推察すると……。

 

「つまり、その二人は多額の賄賂で会社に加担して、事故の責任をプレシアさんになすりつけた。だが事故や裁判から二年経って、補佐官は良心の呵責に耐えかねて自首しようとしたかアレクトロ社を告発しようとした。そこを会社側の人間か執務官のどちらかに……そう考えてるんだな?」

 

 俺の問いにクロノはこくりとうなずきを返す。

 

「ああ。特に怪しいのは元執務官の方だ。部下が謎の死を遂げてから彼はすぐに執務官を辞め、それ以後は十年間定職につかずに暮らしている。にもかかわらず彼の生活ぶりは派手になる一方で、金が底を尽きる様子はない。彼の実家にそれほどの資産はなく、運用とも無縁だ。ギャンブルはほとんど負けている」

「……」

 

 聞けば聞くほど救いようのないクズだ。そんな奴にプレシアさんは陥れられたのか。

 ともあれ大体いきさつが見えてきた。

 

「悪事をもみ消すために部下を殺し、ヒュウドラ事故と口封じをネタにアレクトロ社をゆすりながら生活しているというわけか。そんな怪しい奴、よく十年も野放しにしてたな」

「……補佐官の件は事故と判断されていたし、一主任の暴走とされていたヒュウドラ事故とは結びつけようがなかったんだ。僕も思うところはあるが、複数の事件と事故が結びつくことなんてそうそう滅多にない。元執務官の現状も補佐官の死も、ヒュウドラ事故を洗い直して浮かび上がったものだ」

 

 管理局の職員、そして執務官の一人であるクロノは、拗ねたような顔で言う。

 それから、彼は気を取り直してプレシアさんに顔を向けた。

 

「今まではヒュウドラ事故があなたの独断と暴走によるものとされ、アレクトロ社とその協力者に手を出せずにいましたが、あなたが再び法廷で証言すれば、ヒュウドラ事故と芋づる式に補佐官の死の真相も明らかにできるかもしれない。それがあなたを弁護する条件の一つです」

「……一つ聞いてもいいかしら?」

 

 プレシアさんは少しの間考えた後、クロノに向かってそう尋ねた。

 「何でしょう?」とクロノは聞き返す。

 

「死亡した補佐官とあなたは何か関係があるのかしら? その人の話をする際、少しだけ声に熱が入っていたし、私の罪を軽くしてまで事故について証言させようとする理由はそれぐらいしか思い浮かばないのだけど。その補佐官はあなた、あるいはご両親と縁がある人なのかしら?」

 

 プレシアさんの問いに、クロノは少し恥じ入りながら首を縦に振った。

 

「実は、死亡した補佐官は父の部下でもある人らしいんです。研修で一時的に父の下についていただけでしたが」

「その人の話は主人から何度か聞いています。『気が弱くそれに伴う失敗が多い奴だが、仕事にはひたむきで将来は化けるかもしれない』と。ヒュウドラ事故と彼の死に主人は怪しいものを感じていたみたいでしたが、主人もそのすぐあとに起こった闇の書事件で……」

「……」

 

 クロノとリンディさんの話を聞いて、プレシアさんは納得すると同時に複雑そうな顔をする。

 死んだ補佐官はプレシアさんにとって、金につられて自分を陥れアリシアの死を穢した者の一人だ。そんな人間の仇を討ってくれと言われても素直にうなずけるわけがない。そう俺は思った。

 だが――

 

「……わかったわ。今回の証言に加えて、あの事故についてもう一度だけ法廷で説明させてもらう。でもアレクトロ社と元執務官の罪を暴けるかはわからないわよ。また裁判官が買収されるかもしれないし、彼らのバックには“あの会社”がついている。そうなったらまた……」

「大丈夫です。あなたの話を聞くのは、次元犯罪を扱う本局の裁判官。どれだけ積まれようと決して買収なんかに応じたりはしません。あなたと会社側、双方の言い分をしっかり聞いて公正な判断を下すと約束します」

 

 了承しながら不安そうに言うプレシアさんに、クロノは力強くそう答えた。

 

 

 

 

 

 

「待ってちょうだい!」

 

 リンディさんたちと別れ、艦長室を出て部屋へ戻ろうとした俺の背に、同じく艦長室を出たプレシアさんが声をかけてくる。

 俺は後ろを振り返って彼女の方を見た。

 

「あなたにはお礼を言わなければいけないわね。あなたが助けてくれたおかげでアリシア――娘たちと暮らせるかもしれないわ。あなたには今まで散々迷惑をかけたというのに」

 

 照れくさそうに、微笑を浮かべながらプレシアさんはそんなことを言ってくる。

 だが俺は首を横に振って――

 

「別に助けたつもりはありませんよ。さっき言った通り、あんたはこれから相当苦労することになる。余計な事を言ってシャバに留めた俺のことを恨むようになるかもしれないぜ」

「えっ……?」

 

 プレシアさんは怪訝そうな声を漏らす。俺は口調を変えたまま続けた。

 

「だってそうだろう。あんたが今までフェイトを無視したり虐めていたなんてアリシアが知ったら、あの子はあんたに愛想つかしてリンディさんのとこに転がり込むかもしれないし、フェイトだってある日突然グレて毎日あんたを罵倒するようになるかもしれない。そうならないように、あいつらに気を使いながら生活するのは相当大変だぞ。とんでもない額の罰金も払わなきゃならないしな。何もせずに牢の中で過ごす方がどんなに楽か」

「……」

「気が変わったのなら今の内だ。艦長室に戻って刑務所送りにしてくれって言えばいい。だが、フェイトたちに償いたいと思ってるなら、残りの人生をすべてあいつらのために使う覚悟でいてくれ。それがあんたに下されるべき“無期懲役”だ」

 

 俺がそう言い切ると、プレシアさんは苦笑して……

 

「厳しいわね。確かにそちらの方が大変かもしれない。でもやるわ。フェイトもアリシアもあれだけ頑張って来たんだもの。私だけ楽な思いはできない」

「ああ、頑張ってくれ。俺もフェイトやアリシアの友達として少しは手助けしてやる」

 

 敵だった頃のような口調のまま、俺は片手を振りながらプレシアさんに別れを告げる。

 そんな俺の背中をしばらくの間プレシアさんは眺めていた。

 

 

 

(『あたらしいパパ』か……私がもう少し若くてあの子が大きかったら、考えてみたかもしれないわね)



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第60話 今後の予定 前編

イノセント化しつつあるプレシアとアリシア。そしてついに1話から伏線を張ってた“先輩”が登場します。


 アリシアとの対面とプレシアさんの処遇を巡る話し合いから昼食を経て、さらに3時間後。

 アースラ内の談話室に俺たちはいた。

 

 

「私がフェイトの妹ってどういうこと?」

 

 クッキーのかすを顔に付けたまま、アリシアは不満そうに尋ねてくる。

 

「私の方が大きくて、周りの人から見るとアリシアの方が妹に見えるからかな……ごめん」

 

 と謝りながらアリシアの顔を拭くフェイト。身長だけでなくその仕草をとっても、フェイトが姉でアリシアが妹にしか見えない。

 しかし、アリシアの怒りは収まらず。

 

「納得できないー! 私の方がお姉ちゃんなのにーー!!」

 

 と、両手を振り上げながら駄々をこねるアリシアに、彼女を何とかしてなだめようとするフェイト。やはりフェイトが姉でアリシアが――以下略。

 

 そう思っているところでアリシアはピタリと動きを止めて言った。

 

「そうだ! フェイトが私のことをアリシアって呼ぶからいけないんだよ! 『お姉ちゃん』って呼んでくれればみんなわかってくれるはず! フェイト、今すぐ私のことを『お姉ちゃん』って呼んでみて!!」

「えええっ――!」

 

 いきなりの要求にフェイトは戸惑いながらまわりを見る。それに対して、皆は興味津々に成り行きを見守っていた。俺もその一人だ。

 アリシアから期待の、皆から好奇の眼差しを注がれる中、フェイトは恥ずかしそうにもじもじしながら口を開き、それを口にする。

 

「お……おねえ……さん」

「ちがーう!! お姉さんじゃなくて『お姉ちゃん』! ほらもう一度!」

「おねえ……ちゃ

「声が小さい!! そんなんじゃ誰にも聞こえないよ。もう一度!」

「お、おねえ…………」

 

 恥ずかしさをこらえながらフェイトはなんとかお姉ちゃんと言おうとするが、アリシア監督はお気に召さず何度もダメ出しを入れる。

 それを眺める俺の隣では……。

 

「アリシアがあんなに楽しそうに……恥ずかしそうにしてるフェイトもいいわ」

 

 カメラ付きの端末を二人に向けながら恍惚の笑みを浮かべるプレシアさんを見て、思わず椅子ごと彼女から距離を取る。

 皆があえて知らないふりをする中、俺は恐る恐る彼女に向かって尋ねた。

 

「何やってるんですかプレシアさん?」

「見てわからない? 仲睦まじい愛娘たちの姿を記録してるのよ」

「そんなもん見りゃわかる! わからないのは、なんであんたがそんな真似をしているかだ! フェイトたちはともかく、あんたは仮にも護送中なんだぞ!」

「だからこそよ。愛娘たちと一緒にいられるうちに、一枚でも多くあの子たちの記録を残しておかなきゃ。今の映像だけで三日は耐えられそうだわ」

 

 そう言って二人の姿を映し続けるプレシアさんから、監視役であるトゥウエーさんに視線を向けるが、トゥウエーさんは笑いながら首を横に振る。止めるつもりはないようだ。

 

 丁度その頃に、フェイトは深呼吸してついにそれを言った。

 

「お…………お姉ちゃん!」

「おおっ。やったー! はじめて妹に『お姉ちゃん』って呼んでもらえたー!! 10年前からの夢がついに叶ったよーー!!」

 

 フェイトの手をぶんぶん振りながらアリシアは大喜びして、プレシアさんはアリシアたちに拍手を送る。

 一区切りついたところを見計らって俺は彼女に声をかけた。

 

「アリシア、喜んでいるところ悪いが、そろそろ本題に戻っていいか?」

「ん? 本題ってなんだっけ?」

 

 アリシアはフェイトの手を握ったまま小首をかしげる。歓喜の瞬間を邪魔されてプレシアさんが抗議の声を上げているが、そっちはしばらく無視しておく。

 

「お前をフェイトの妹“という事にする”理由だ。まだ話してないだろう。言おうとした途端お前が駄々こねたんだから」

「私がフェイトより小さいからそう思われるだけでしょう! フェイトがいつも私を『お姉ちゃん』って呼んでくれればすむ話だよ! フェイトが喋るたび最初に『お姉ちゃん』と言ってくれれば間違える人なんてすぐにいなくなるはずだよ!」

 

 アリシアがそう言うと、フェイトは助けを求めるように俺を見ながら、ぶんぶんと首を横に振る。

 フェイトにうなずいてから、俺はアリシアに言った。

 

「勘弁してやれ。逆に無口になりかねない。人前で自分より小さい子をお姉ちゃんと呼ぶなんて、フェイトでなくてもお断りしたいところだ。それに問題はお前の見た目だけじゃない。お前が正真正銘5歳の女の子という事が最大の問題なんだ」

「……?」

 

 俺の指摘にアリシアはまた首をかしげる。『それのどこが問題?』と言いたげな顔だ。

 

 もはや言うまでもないと思うが、アリシアは約十年間、仮死という状態でまったく年を取らないまま眠り続けていた。対してフェイトは――本当の歳はともかく――俺たちと同じ歳まで成長している。つまり……

 

「フェイトは現在9歳で、アリシアはまだ5歳のまま。だから戸籍上はフェイトの方が姉で、お前は妹という事になる。それにフェイトより年上ということにしてしまうと、お前は学校に入っていきなり三年以上の学年になってしまうぞ」

「……? 何か問題あるの?」

「大ありだ! お前、足し算や引き算も満足にできないだろう! それでいきなり俺たちより上の学年に入れると思うか!!」

 

 学年の意味さえわからず聞き返してくるアリシアに思わず怒鳴り声を上げた。それを聞いてフェイトとリニスがアリシアをかばい、リインとはやてが俺をなだめようとしてくるが、彼女たちも他のみんなも俺の気持ちは察してくれていると思う。

 

 アリシアの学力ではフェイト以上の学年になることはおろか、聖祥に入学する事すら難しいことがわかったからだ。

 

 

 

 

 

 一家の家長であり事件の主犯格の一人でもあるプレシアさんは、判決が出るまでの間、本局へ身柄を移されることとなり、共犯のリニス、フェイト、アルフは事件解決の協力とクロノの働きかけによって、監視を受けながらではあるがある程度自由の身となった。もちろん本局からの要請があれば、ただちにそこへ出頭しなければならないが。

 そして、彼女らと違いただ一人事件に関わりがないアリシアは、プレシアさんが戻るまでの間、ハラオウン家のお世話になることになった。

 

 だが、そこで様々な問題が浮上した。

 フェイトたちはその出生上戸籍が登録されておらず、アリシアも公には十数年前に死亡したことになっている。ミッドチルダでは彼女たちは存在しないことになっているのだ。

 もっともフェイトの場合、事情を知っている管理局によって戸籍を発行してもらうことができるし、リニスとアルフは使い魔だから登録する必要はない。

 問題はアリシアだ。

 

 アリシアのことは本局にも報告していない。もし報告すれば夜天の書を使ったことがバレてしまう。そうなってしまったら、局の上層部から『闇の書を封印するべきだ』と言い出す者が出てくるだろう。それに“死者蘇生”の秘密を知ろうとする者によって、アリシアの身に危険が迫る恐れも出てくる。

 それを考えると、管理局の助けを借りてアリシアの戸籍を作ることはできない。

 

 そこへリンディさんはテスタロッサ一家に『家族みんなで地球に住む』ことを提案した。

 管理外世界への渡航や潜入にあたって、証明書の類を偽装したりするのはよくある事らしい。その気になれば戸籍を作ることもできるとのこと。

 フェイトたち――特にアリシアの居場所を作るために、リンディさんは地球への移住とそこで戸籍を作ることを提案したのだ。

 なお、リンディさんの言う“家族”とは、テスタロッサ家だけでなく、彼女たちを保護するハラオウン家も含まれている。

 

 それを聞いて、フェイトやリニスは遠慮していたものの、アリシアの事を考えるとリンディさんの提案をはねつけるわけにもいかず困った様子を見せていたが、当のリンディさんはグレアムさんの影響で以前から日本に住んでみたいと思っており、艦長職からの引退とテスタロッサ家の保護を機に、海鳴への移住を決意したらしい。クロノもエイミィさん――ハラオウン家と同居予定――も特に異はないそうだ。

 

 もっとも、ハラオウン家が地球に移住する理由は他にもあり、彼女らの他にもアースラスタッフを中心に数十人以上の管理局員が地球に“単身赴任”する予定だが、それを俺たちが知るのは事件解決後からしばらく経っての事だ。

 

 

 

 

 

 そして、話はフェイトとアリシアの通う学校のことになる。

 

 フェイトに関しては日本語の読み書きができないこと以外は問題ない。むしろ理数系は首位を狙えるくらいだ。外国人ということを考慮して、文系の科目を免除してもらえば難なく編入できるだろう。

 そこでも問題は姉の方……。

 

「あらためて聞くが、アリシアはどうなんだ? 足し算か引き算のどちらかくらいは覚えたか?」

「……お菓子や果物を使えばなんとか……」

 

 そう言って、フェイトはなのはたちやリニスともども乾いた笑みを浮かべる。

 それを使っても厳しいか……。

 

 聖祥学園は海鳴屈指の名門校で、入学試験も相当厳しい。フェイト同様文系を免除してもらうにしろ、その分理数が秀でていないと合格は難しい。今の時点で指算すらできないようでは話にならないだろう。

 

「アリシア、ひとまず戸籍上お前はフェイトの妹ということにしておけ。その方が色々問題が起こらずにすむし、お前も楽だろう」

「ええー! やだやだ!! 私がお姉ちゃんなのに! がくねんだって、お姉ちゃんが妹より下なんておかしいよ!」

 

 そう言ってアリシアはまた手を振り上げて駄々をこねる。

 それを見てクロノは大きなため息をついてから、アリシアに向かって言った。

 

「……じゃあこれから課題を出すから、その課題を半年以内にクリアしたら君の戸籍をフェイトの姉にする。学年も好きな所でいい」

「ほんとっ!?」

 

 クロノの言葉にアリシアは目を輝かせる。そんな彼女の前でクロノはモニターを浮かべ、軽快な手つきで画面を叩いた。

 

 すると談話室の中央に置かれているテーブルの上に、数十冊の教科書と問題集が現れた。透けているところを見るに、本物ではなくホログラムだろう。

 それを目にした瞬間アリシアは笑顔のまま固まる。そこへクロノが説明を始めた。

 

「これが聖祥という学校で三年生までの間に学習する範囲だ。これだけじゃ間に合わない生徒のために販売されてる参考書も合わせると……」

 

 クロノが続けて画面を押すと、さらに何十冊の参考書がテーブルの上に追加される。もちろんホログラムだが。

 アリシアは目を点にして……

 

「……これを全部……半年以内に……」

 

 呆然とつぶやく彼女に、クロノはコクリとうなずいてから口を開く。

 

「そうだ。半年以内にこれらの教科書や参考書の内容を理解できたら、フェイトたちと同じ学年に入ることができるだろう。それ以上の学年になるにはあと十冊ぐらい読み込む必要があるが――」

「ちょ――ちょっと待って!」

 

 さらに本を積みあげようとするクロノに、アリシアは手を突き出しながら声を張り上げた。

 途端に動きを止めるクロノにアリシアは……

 

「がくねんはフェイトが上でいいかな……お姉ちゃんだもん、それくらい我慢するよ……」

「そうか。その気があるなら用意するつもりだったんだが」

 

 そう言ってクロノは残念そうに肩をすくめる。まさかこいつ、本気でアリシアを小四以上に仕立てる気だったんじゃないだろうな。絶対教師になってほしくないタイプだ。

 

 ともあれ俺は咳払いをして……

 

「まだ課題はあるぞ。フェイトが通う予定の学校に入るには、やはりそれなりの勉強をしなければならない。参考書の量でいうと……」

 

 俺が目配せするとクロノはまたモニターを操作し、テーブルの上に五、六冊の参考書と問題集が残る。あくまで小学校の受験用なのでそれほど厚さはない。

 しかし、勉強が苦手――というよりまったくしたことがないアリシアは、緊張した様子で参考書を見る。

 そんな彼女に俺は助け舟を出した。

 

「まあ、無理に聖祥に行く必要もないけどな。風芽丘小(かぜがおかしょう)ならそこまで詰め込まなくても入れるし、カリキュラムもしっかりしてるって聞いてる」

「ああ、確かお兄ちゃんとお姉ちゃんの母校だったね。あそこなら住宅街から近いし、徒歩でも通えるかも」

 

 俺に続いて、なのはもそう言ってくる。

 それを聞きながらアリシアは真剣な表情でしばらく考え込むが……

 

「ううん、やる! がくねんはあきらめるけど、私もフェイトと同じ学校に入りたいもん!」

「アリシア……」

 

 意気込んで参考書がある机に向かっていくアリシアに、フェイトはじーんとし、その後ろでプレシアさんも鼻をすすりながらカメラを回していた。

 

 せっかく勉強する気になったのに、簡単に諦めさせることもないか。

 ダメだったら風芽丘小に通わせればいいし、受かったらそのまま聖祥へ行かせればいい。いずれにせよ、受験勉強で得るものはあっても損することはないはずだ。

 それに、これは“あの人”を奮起させるチャンスかもしれない。

 

 

 

 アリシアはホログラムの参考書を掴もうとして、手をすり抜かせてよろめく。そんな彼女に向かって俺は口を開いた。

 

「わかった。プレシアさんも反対する気はないみたいだし、やれるだけやってみるといい。……だがやはり参考書を読むだけで受かるほど聖祥は甘くない。家庭教師をつけた方がいいんだが、リニスもフェイトもいつ裁判で呼び出されるかわからないし、俺たちも勉強を見てやれるほど暇じゃない……そこでお前に紹介したい人がいるんだが」

「……紹介したい人? 誰それ?」

 

 俺の言葉にアリシアも他のみんなも首をかしげる。アリシアの家庭教師ができそうな者など他にいただろうか、と。

 そんな視線を受けながら俺はスマホを取り出し……

 

「ちょっと“先輩”に連絡してみる。多分もう家に帰っているはずだ」

 

 そう言い残して俺は部屋の隅へと移動した。

 

 

 

 移動している健斗を見ながら、なのはは口を開く。

 

「先輩? 健斗君、上級生の友達なんていたっけ?」

 

 そんななのはに対して、はやてとすずかは納得したような顔で――

 

「ああ、あの子か! あの子も来年聖祥受けるんやったな」

「うん。でも、いつも叔母さんと一緒に遊びに行ったりして、勉強してるところを一度も見たことないけど」

「??」

 

 あの子? 先輩なのに聖祥に受験? すずかちゃんの叔母さんとも知り合い?

 どういうことなのかさっぱりわからない。

 

 

 

 なのはが首をひねっている頃、俺はスマホを耳に当てて相手が出るのを待っていた。

 相手はなかなか出てこず、コール音が10回を越えたところでついにコール音が途切れた。

 

「もしもし先輩。俺だけど――」

『――健斗君! うわぁ、久しぶり! 旅行に行ったきりメールもしてこないから心配してたよ! もうハーレム旅行は終わった? いつこっちに帰ってくんの? 最近さくらを誘っても、受験生は勉強しろって断られて退屈しててさぁ。今更()()()()()()なんか落ちるわけないのに――』

 

 俺が話そうとするのを遮って先輩は矢継ぎ早にまくし立ててくる。押し返すように俺は声を張り上げた。

 

「待て! 一度に言われても困る。まず俺の方から話をさせてくれ――“七瀬先輩”!」

 

 

 

 七瀬(ななせ)。海鳴幼稚園の年長生で、来年聖祥大付属小学校に受験する予定。訳あって名字は明かせない。

 前世の記憶を持ったまま新たな人生を歩んでいる、『転生者の先輩』である。



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第61話 今後の予定 後編

 七瀬と出会ったのは、俺が夜天の書に触れて前世(過去)の記憶を取り戻してから、しばらく経った頃だ。

 当時の俺は前世のことを思い出し、ヴォルケンリッターやリヒトを助けると決意していたものの、その記憶が本当に前世のものなのか自信が持てなかった。

 孤児として育ち、生まれつき持っているオッドアイに対する差別を受けたりなど、幸の薄い自分を憐れんで作り出した、妄想や願望によるものだとも思っていた。

 だが……

 

「……もしかして、お兄さんも“そう”なの?」

 

 外出中に偶然出会った、俺より4つは下の幼稚園に入ったばかりの女の子。

 にもかかわらず、大人びた話し方をする不思議な子供だった。

 

 彼女の名前は七瀬(ななせ)

 30年くらい前に事故で死んで、長い間幽霊としてさまよってから成仏し、今から5年前に同じ名前の少女に転生したらしい。前世の記憶を持ったまま……。

 

 それ以来、俺と七瀬は暇を見つけては、さくらさんを交えて話をしたりメールのやり取りをしている。はやてやなのはのような友達とは違う、前世込みの話ができる“相談相手”として。

 

 

 

 

 

 

『……で、あたしにアリシアって子の勉強を見てほしいと』

「ああ。どうしてもお姉さんと同じ学校に行きたいそうだ。先輩暇を持て余してるんだろう。さくらさんから聞いたぞ。受験まで半年なのに全然勉強してないって」

『だって、あたしが小学校に入るための勉強なんかしたって意味ないでしょう。前世で高校生だったんだから。それも学年トップの優等生! そのあたしが小学校の入試に落ちるなんて、健斗君が学校中の女子からモテるくらいありえない』

「言ったな! これでも前世じゃ超がつくぐらい美人の恋人がいたんだぞ! なんなら今度――」

『あーはいはい。そういえば特定の女子にはモテてたね健斗君は。……それはともかく、アリシアちゃんという子が聖祥に受かるようにしてほしいんだったね』

 

 そっけない口調で話を戻す七瀬に、俺は憮然としながら「ああ」と答える。

 すると七瀬は考えるように少し沈黙して……

 

『……その子は今、健斗君の近くにいる?』

「ああ」

 

 俺が答えると七瀬は――

 

『じゃあその子と少しだけ話をさせてくれない。本当にやる気があるのか聞いておきたいから。電話面接みたいなものよ。それぐらいいいでしょう』

「ああ。ちょっと待ってくれ」

 

 それだけ言って俺はアリシアの元に戻り、彼女にスマホを差し出す。

 

「七瀬って子がお前と話したいと言ってる。そいつと少し話をしてくれないか」

「うん! いいよ!」

 

 アリシアが元気よく答えると、彼女に続いて――

 

「プレシアさん?」

 

 思わず名を呼ぶ俺にプレシアさんは真剣な顔で言った。

 

「私からもその子と話をさせてくれないかしら。娘が世話になるかもしれないのに、母親が何も言わないわけにはいかないわ」

 

 そう言われると断る理由はない。俺はうなずいてアリシアにスマホを渡す。

 アリシアは俺がやったようにスマホを耳に当てて、母親の隣で「もしもし」と言って話を始めた。

 

 

 

 

 それを見届けながら俺は再び席につく。そこへフェイトが声をかけてきた。

 

「アリシアの勉強を見てくれる子って誰? ずいぶん親しそうだったけど」

「近所の幼稚園に通ってる子だよ。アリシアと同い年でそいつも来年聖祥を受ける予定だ。すでに合格間違いなしと言われるくらい頭がいいから、教師役にぴったりだと思ってな」

「明るくて元気ないい子やで。アリシアちゃんともすぐ仲良くなれると思うよ」

 

 俺に続いてはやてもそう言ってきた。そこへすずかが、

 

「そういえば、前から気になってるんだけど、どうして七瀬ちゃんのこと、“先輩”って呼んでるの? 叔母さんも私たちのいない所でそう呼んでるみたいだし」

「それは……あいつの許可が取れたらお前たちにも話す」

「……?」

 

 俺の答えにすずかは首をかしげる。その横からアリサが、

 

「そういえば、あたしの事も少し前まで“先生”って呼んでたわよね……まさかバブみとか、そういう変な意味じゃないでしょうね?」

「――ち、違う! そういう意味じゃない!」

 

 距離を取りながらそう言ってくるアリサに続いて、はやてやリイン、すずか、守護騎士などは疑わしそうな目を向け、なのはとフェイトは意味がわからずこくりと首を傾げていた。

 

 俺は誤魔化すように咳払いをして、

 

「ところで勉強といえば、フェイト、最近執務官の勉強をしてるって聞いたけど、お前まさか……」

 

 フェイトは恥ずかしそうに顔を赤く染めながら言った。

 

「うん。将来の選択肢として、執務官を目指してみようかなって。アースラにある教材を借りたりクロノに色々教わったりして勉強してる。すごく難しいけど」

「……それは、“例の事故”の事が関係しているのか」

 

 俺の問いに、フェイトは真剣な表情で首を縦に振る。

 

「うん。母さんが働いていた会社で起きた事故の事は大体聞いたんだけど、無茶な開発を指示した人たちが裁かれず、母さんがすべての責任を取ることになったのは、事故を調査していた執務官が会社の人たちからお金を渡されて隠蔽に加担したからなんだって。それどころか、もしかしたらその執務官は悪事を隠すために、自分の部下だった人を……」

 

 プレシアさんに聞こえないように声を潜めたフェイトに対して、俺たちは沈黙する。

 『ヒュウドラ事故』の責任を巡る裁判の裏側について、俺とプレシアさんが聞かされたのはほんの数時間前の事だ。

 だがそれより前に、リンディさんとクロノはフェイトに事故の裏側について一部だけ明かしていたらしい。もしかしたらフェイトが自力でたどり着き、隠し通すことができなかったからかもしれないが。

 

「事故を担当した執務官がもっとしっかりした人だったら、お金につられるような人じゃなかったら、母さんは責任を取らされずにすんだかもしれない。アリシアを死なせた人たちにもちゃんと裁きを下すことだってできたかもしれない……だから」

 

 フェイトはそこで言葉を止めて、一息ついて続けた。

 

「それにジュエルシードや闇の書みたいな、危険なロストロギアが関わる事件が、今回のように犠牲者が出ずに終わるのはかなり珍しい事だって。ロストロギアを巡る争いの果てに無関係な人が大勢巻き込まれたり、追いつめられた犯人が自らの命を絶ったりして終わることの方が多いって、クロノは言ってた。

 そんなことを少しでも減らせるように、私は執務官になりたい!」

「…………」

 

 確かに、今回はかなり運がよかったと言える。

 俺たちやアースラのクルーたちが一歩でも遅れたり行動を間違えたりしたら、いくつかの世界が夜天の書や次元断層に飲み込まれてしまっていたし、プレシアさんが命を落としてもおかしくなかった。リインフォースを助けられたのもほとんど奇跡に近い。

 

 そんな幸運にも恵まれず、多くの犠牲が出たり世界が滅んでしまうようなことが、他の世界や次元空間の中では何度も起きているらしい。

 フェイトが執務官を目指しているのも、そのような事件や災害に巻き込まれている人たちを助けるためのようだ。無論、プレシアさんの事も大きな理由になっているだろうが。

 

「……そっか、フェイトちゃん()管理局に入るんだ」

「……?」

 

 なのはのつぶやきが聞こえて、俺はついそちらに顔を向ける。

 見ると、なのはとはやては仲間ができて安心したような笑みを浮かべていた。

 

「まさか、お前らも管理局に入る気じゃ――」

 

 荒くなった声で尋ねるとはやては苦笑いしながら、

 

「いやあ、リンディさんやクロノ君のおかげで夜天の書は没収されずに済みそうやけど、管理局のお偉いさんが夜天の書や守護騎士を警戒したままなのは変わらんらしいみたいでな。それを踏まえてみんなで色々話し合った結果、局の魔導師として、夜天の書の力を世の中のために使ったほうがええという事になったんよ。そうした方が監視とか受けずにすむやろうしな」

 

 はやての言い分を聞いて、俺は騎士たちを見る。

 だが、彼女たちも同意のようで、先頭にいるシグナムが首を縦に振るのみだった。

 

 実際はやての言うとおりではある。

 夜天の書が力を失ったとはいえ、管理局がそれを信じるかはかなり怪しい。半ば監視がつく事になるだろうと思っていたし、近い未来、グレアムさん以上の強硬派が、主や騎士ごと魔導書を封印しようと動きかねない。

 それを確実に防ごうと思ったら、はやてたちが局に下るのが一番だ。

 管理局もロストロギア()()()武器を使う魔導師と、高ランクの力を持つ騎士たちの加入を断りはしないだろう。

 

 だが……

 

「なのは、お前もこのまま魔導師を続ける気か? お前はそのまま平穏な生活に戻ることができると思うが……」

「うん。そうだけど、ちょっと前からリンディさんに管理局に入らないかって誘われてて。まずは『嘱託魔導師』っていう形で管理局のお仕事を経験して、やっていけそうだったらそのまま管理局に入ればいいって言われたから、受けてみようかなって思うの」

 

 リンディさんめ、いつの間にそんな話を。少なくとも俺は聞いてないぞ。

 俺は眉間にしわを寄せたまま、なのはに尋ねる。

 

「もう十分わかってると思うが、管理局の仕事は常に危険と隣り合わせだ。そのうち、夜天の書以上に危険なロストロギアに関わることもあるかもしれない。それでも魔導師を続けたいと?」

「うん。ジュエルシードを集めたり、夜天の書を止めたりしている時に思ったの。私のやりたい事、私にしかできない事は、魔法を使うお仕事の先にあるんじゃないかって。まずは嘱託から初めて、それから本格的に管理局の仕事を始めたい。

 私の魔法で困ってる誰かを助けてあげたいんだ!」

「健斗、なのはを巻き込んだ僕が言うのもなんだけど、なのはの才能は並大抵のものじゃない。それを眠らせておくのはすごくもったいないと思う。その力で救うことができる人や命はきっとあるはずだ。なのはがいやがってるならともかく、望んでいるなら応援してあげてもいいんじゃないかな」

 

 ユーノがそう言ってなのはを後押ししてくる。

 確かに一理ある。だが、才能があるからといって、彼女を危険な道に引き込んでいいのか?

 そう考えて俺は悩む。

 だが、なのはの表情からは揺るぎない意思が窺え、俺なんかが何を言っても引き下がるようには見えなかった。仮にユーノ、フェイト、はやてが反対しても、なのはが意見を変えることはないだろう。

 

「ユーノ君ももうこの先どうするか決めてるんだよね?」

「うん。クロノから無限書庫の司書をしないかって言われてる。本局に寮も用意してもらえるし発掘も続けていいって話だから、決めちゃおうかなって」

 

 ユーノの報告になのはは嬉しそうに「そっか」と答える。

 そこへ――

 

「これで将来のこと決めてないのは健斗君だけになってしもたね。何か決めてないの? 魔導師として管理局に入るか、それとも地球で暮らすのか」

 

 はやての問いが耳に届いて、俺は顔を上げて彼女の方を見る。

 問いをかけてきたはやてをはじめ、みんなは興味津々に耳を傾けていた。

 それに対して……

 

「俺は――」

「けんと、電話終わったよ! はいこれ、お返しします!」

 

 言いかけたところでアリシアが戻ってきて、俺にスマホを返してくる。その後ろにはプレシアさんの姿もあった。

 俺はアリシアからスマホを受け取りながら――

 

「そうか。どうだった、七瀬に勉強を教えてもらうことについては?」

「うん。ななせ、私の勉強見てくれるって。ママと一生懸命お願いしたら引き受けてくれたよ。まだ繋がってるから詳しい事はななせに聞いて」

 

 アリシアに応じて、はやてたちから離れて電話に出る。

 俺の進路を聞き出そうとしていたはやてたちがむくれる中、俺は通話口の向こうに声をかけた。

 

 

 

「よう先輩。ありがとな。アリシアも張り切ってたよ。あの子のお母さんも感謝してると思う」

『いいよ。さくらが遊んでくれなくて暇だったし。あだ名みたいなものとはいえ、先輩と呼ばれてるからには後輩の頼みくらい聞いてあげないと。それに、健斗君なりにあたしを心配して話を持ち掛けてくれたみたいだし』

「なんのことやら。お礼に今度翠屋のスイーツでもご馳走するからアリシアのことは頼むな」

『あっ、ちょっと待って!』

 

 通話を切ろうとしたところで七瀬に止められて、俺は再びスマホを耳に当てる。

 

「なんだ?」

 

 俺が聞き返すと通話口からにんまりと笑ったような気配が漏れてきて、

 

『スイーツはいいから、旅行に行ってる間、健斗君がどの女の子と仲良くなったのか詳しく教えてくれない。はやてが健斗君の子供を身ごもったって噂まで流れてるんだけど。そこら辺の真偽も詳しく!』

 

 七瀬からの言葉にたまらず頭を抱える。なんで幼稚園にそんな噂が流れているんだ? 

 否定しつつ、どこで噂を耳にしたのか聞き出しておかないと。



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無印・A's最終話 アースラ、最後の夜

 その日の夕方、アースラの会議室で……。

 

 

「今回の事件解決について大きな功績があったものとして、ここに略式ではありますが、その功績をたたえ表彰いたします……御神健斗君、ありがとう」

 

 リンディさんはそう言って、両手に持った賞状を俺に差し出してくる。

 席に座っているクルーたちや後ろのみんなが拍手を鳴らす中、俺はそれを受け取り一礼しながら言った。

 

「こちらこそありがとうございます。リンディさんたちが協力してくれたから、はやてや騎士たち、そしてリインを助け出すことができました。なんて言ったらいいか」

「ふふっ、助かったのはお互い様だからお礼なんていいわよ。その代わり、管理局に入ったら“例の部署”を希望してくれないかしら。あなたの席は空けておくように言ってるから」

「コホンッ!!」

 

 リンディさんがそこまで行ったところで、クロノは大きく咳払いを被せる。

 後がつまってるからさっさとしてくれ、とでも言いたいのだろう。

 現に彼の後ろには、まだ賞状を受け取ってないなのはとはやてが棒立ちしている。あの二人もさっきと同じ手順でリンディさんから賞状を受け取る手はずになっているのだ。

 

 最初は俺たちの中から一人だけ代表を出して、そいつが表彰される予定だったのだが……

 

「表彰なんてめんどくさい。お前らの中から誰か行けよ」

「わ、私はユーノ君のお手伝いをしてただけだし、表彰ならユーノ君の方が……」

「僕はなのはをサポートしたり調べ物をしていただけだよ。それならフェイトの方が」

「私は無理だよ! みんなを妨害してたし。シグナムたちの方がいいと思う」

「従者の分際で我々が栄誉を受けるわけにはいかん。ここは主はやてが――」

「嫌や嫌や! 一人だけ表彰なんて恥ずかしい事。私も一時はみんなの邪魔してもうたし、やっぱり健斗君の方が――」

 

 なんて押し付け合っているうちに、クロノは業を煮やし、彼の折衷案でそれぞれの代表が受賞する形になった。さすがに容疑者の一味であるフェイトたちは辞退したが。

 

 そんなくだらないやり取りを経て、リンディさんに称えられている俺たちに、クルーたちと他の仲間は呆れながらも温かい拍手を送り、その中には、心の底から嬉しそうに手を打ち鳴らすリインフォースの姿があった。

 

 

 

 その後、打ち上げを兼ねた夕食の後で……。

 

 

 

 

 

 

「は~! やっと、一息つけるー!」

 

 アースラの端にある展望スペースで、ガラス越しに映った次元空間を眺めながら、ぐっと伸びをする。そこへ――

 

「お疲れ様です、ケント。本当によく頑張りましたね」

 

 そう言って“彼女”も俺の横に並んで、夜空のように輝いている次元空間を見下ろした。

 

「お前もな、リインフォース。お前がはやてを正気に戻してくれなかったらどうなっていた事か。でもこれで……」

「ええ、ようやく終わりました。数百年に及ぶ永き呪いも、守護騎士たちの苦難も。あなたのおかげです、主ケント。本当になんとお礼を言っていいか」

 

 その言葉に俺は苦笑を漏らし……

 

()()()だろう。そう呼んでくれって約束したじゃないか。もしかして、またはやてが化けてるんじゃないだろうな」

「私なりの敬意です。今ぐらいは許してください。まさか本当に私たちと夜天の魔導書を救ってくださるなんて。あの頃からあなたには驚かされてばかりです」

 

 リインも笑みを返し優しげな眼差しで俺を見下ろす。あの頃から全く変わらない、きれいな笑顔だ。

 彼女の顔を見ているうちに自分の顔が熱くなっていくのを感じ、慌てて窓の方に顔を戻す。

 そこへ――

 

「ケント、聞いてもいいですか?」

「なんだ……?」

 

 ふいに問いかけてきたリインに俺は聞き返す。リインは……

 

「あなたは、《時の庭園》から脱出する時に防衛プログラム……ナハトヴァールから何か言付けを受けていたようですが、あれはなんと?」

「ああ……別になんてことはない。『私は気長に待つ。だから主たちより先に来てくれるな』って言われただけだよ」

「そうですか……」

 

 リインはそう言ったきり、再び沈黙が訪れる。

 

「明日で地球に帰るからな。この眺めもしばらくはお預けか」

 

 窓を見ながらそうつぶやくと、リインも窓を見ながら言った。

 

「しばらくは、ですか……ケント、やはりあなたも管理局に……」

 

 その言葉に俺はいくらか間を空けて……

 

「入るよ。はやてたちと同じく、まずは嘱託魔導師から。そして自分の希望と適性に合った部署を見つけてから、正式な局員になろうと思ってる」

「……理由をお聞きしていいですか?」

 

 リインの問いに俺は頭を掻きながら答える。

 

「このまま地球で生活を続けて仕事を見つけて平穏に暮らすっていうのも考えたんだけど、それだと俺が前世から身に着けた魔法や固有技能を封印することになってしまう。それはさすがにもったいないだろう」

「……」

 

 リインは何も言わず目線で続きを促す。俺は続けて言った。

 

「時空管理局が発足した世界――ミッドチルダには、ベルカから移住した人々が暮らしている『ベルカ自治領』というところがあるらしい。そこで彼らがどう暮らしているのか、この目で確かめておきたい。仮にもベルカ王だった者としてな」

「…………そうですか」

 

 自嘲気味に最後の一言を付け足すと、リインは間を空けてからそれだけを返す。

 少し空気が重くなる中、俺はもう一つ理由を口にする。

 

「それに管理局にはお前がいるだろうからな」

「――えっ?」

 

 リインは目を見張って俺を見る。

 俺は窓の向こうを見たまま言った。

 

(はやて)や守護騎士たちが管理局に入るんだから、お前もあいつらと一緒に入局するんだろう。お前がどこかで危険な目にあってるかもしれないのに、俺だけのんきに地球で暮らしていられるかよ。同じ局員同士ならお前に何かあってもすぐ助けに行ける」

「……」

 

 リインは耳を傾けながらじっと見下ろしてくる。彼女の目線は今の俺より頭二つ分高い。

 

「ベルカから転生して、状況や人間関係が色々変わって、俺自身見た目もこんなに縮んじまったけど、お前への想いは変わらない。管理局で経験を積んで昇進して……お前よりでかくなる頃には、あの頃よりもっと立派な人間になってみせる。……その時にもう一度告白するから、待っていてくれないか?」

「ケント――」

 

 リインが俺の名を呟いたと思うと、彼女は体をかがめてぎゅっと俺を抱きしめた。

 

「一つだけ約束してください。もう二度と自分を犠牲にするようなことはしないと。そう約束してくれるのならいつまでも待ちます。あなたが自分を認められるようになるまで……自分を許せるようになるまでずっと」

 

 その言葉に俺はたじろぎながらも――

 

「ああ、約束する。待っていてくれ……リインフォース」

「ええ、お待ちしています……健斗」

 

 互いの名を呼んでから、俺たちは目を閉じ、どちらからともなく口を近づけ――

 

――そこまでやっ!!

 

 突然響いた声に、俺とリインははっとしながら顔を離し、声がした方を向く。

 この声と口調はまさか……。

 

 俺たちの視線の先には案の定、肩を怒らせながらずかずか歩いてくるはやての姿があった。その後ろにも――

 

「管理局の船でいかがわしい行為を行おうとするとはいい度胸だな。もしそれ以上の行為に及ぼうとすれば、彼女を未成年淫行で逮捕しなければならなくなるんだが……いいのか健斗?」

 

 クロノは軽蔑した目でじっと俺たちを睨んでくる。

 さらにその後ろからは、他の面々がはやてたちの後に続いてきた。

 俺とリインは慌てて離れるものの、今の光景はばっちり目に焼き付いたらしく……

 

「わ、私たちは何も見てないよ。ね、ねえフェイトちゃん!」

「う、うん……」

「途中までいい話だったのに、なんで最後の最後で下心が働くのよ! 私の涙を返しなさい!」

「何も見えないよ! 私も健斗とリインがなにしてるのか見たい!」

「ア、アリシアにはまだ早いです!」

「若いっていいわね。私も二十年くらい前はクライドと……」

「あなたなんてまだいい方じゃない。私の夫なんてプロポーズした時はいいことばかり言っておいて、いざ結婚したら――」

 

 ……こいつらいつからいたんだ? 場所のチョイスを間違えたらしい。

 

 そう思っている間にもはやては距離を詰めてきて、リインに向かって言う。

 

「リインフォース、主として命令や。健斗君が18歳を越えるまで、彼とエッチな事をするのは禁止します。リインが未成年に手を出して捕まってしもたら私らも困るからな」

「ち、違います主! 私と彼はただ――」

「ああ! 俺とリインはちょっとだけキ――」

「それも立派な淫行だ! 未成年の行為は各管理世界でも厳しく禁じられている。キ…だって例外じゃない!」

 

 俺たちの言い訳をさえぎり、クロノは顔を赤くしながら断言する。

 とことん生真面目な奴だ。14歳にもなってキスもまともに言えないとは。そんなだからエイミィさんやリーゼさんたちにからかわれてばかりなんだ。

 

 ……18歳を越えるまでか。それまではリインとキス以上のことはできないらしい。……彼女に再び告白できるようになるのもまだまだ先だろうな。

 

(危ないところやったわ。ひとまず健斗君が18歳になるまでは進展できんようにしたし、それまでの間に健斗君を振り向かせれば――まだチャンスはある!)

(健斗君ははやてちゃんじゃなくて、リインフォースさんって人のことが好きなんだ。……今までははやてちゃんに遠慮してたけど、あの人に奪われるくらいなら……私が取っちゃってもいいかな)

「――!?」

 

 部屋に帰る途中で後ろから鋭い視線を感じて思わず振り返るが、俺の後ろにははやてとすずかしかおらず、突然振り向いた俺に対しすずかは小首をかしげ、はやては「どうしたんや?」と聞いてきた。それに対し俺は「何でもない」と答えて前を向き直した。

 …………気のせいか。

 

 

 

 

 

 

 5月下旬。

 のちに『J・D事件』と名付けられる、二つの第一級指定ロストロギアが絡んだ事件は幕を閉じた。

 俺たちはアースラの面々に一旦の別れを告げて地球に戻り、アースラはしばらくの休息を取ってから『本局』へと向かって行った。

 事件の容疑者であるプレシアさんたちもアースラに残り、アリシアだけはしばらくの間八神家で預かることになった。

 それからしばらくの後、ハラオウン家とリニス、フェイト、アルフが地球へとやって来る。

 俺たちが時空管理局所属の『嘱託魔導師』に認定されたのはその直後のことだ。

 

 ここから新しい物語が始まる。

 

 

 

第一章 無印・A's 終



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補記 『J・D事件』レポート~動き始める者たち

【『J・D事件』についての報告書】

 

■事件No. AP0057564155-C735542

■事件種別  遺失遺産の違法使用企図による次元災害未遂事件

■担当    巡航L級8番艦アースラ

■指揮官   同艦艦長 リンディ・ハラオウン

■現場主任  執務官  クロノ・ハラオウン

 

■概要

 

 5/8 第97管理外世界を震源とする、小規模次元震を観測。

 運用部幹部職員レティ・ロウランの手配により、リンディ・ハラオウンが艦長を務めるL級8番艦アースラが現地世界へ出動。

 

 5/9 非転移モニタリングの結果、第97管理外世界において、ミッドチルダ式魔法を行使する三名の魔導師と、ベルカ式魔法を行使する四名の魔導師、狼素体の使い魔双方一体ずつ、二体とは別に猫素体の使い魔が一体、魔導師達と知己の民間人一名(※1)。さらに先の墜落事故(※2)で輸送船から紛失したと思われた未確認の遺失遺産『ジュエルシード』、および第一種捜索指定遺失遺産『闇の書』の存在を確認。

 件の魔導師達は遺失遺産の入手及び所有権をめぐっての戦闘行動を行っており、クロノ・ハラオウン執務官率いる武装隊がこれを鎮圧。

 その際に正体不明の魔導師((のち)にリーゼロッテと判明)が乱入し、執務官と魔導師一名に危害をくわえ、フェイト・テスタロッサ、アルフとともに逃亡。その間隙を縫ってリニスも現場から逃亡した。

 

 ※1 七名の魔導師、使い魔、民間人については添付ファイルAに記載

 ※2 墜落事故については添付ファイルBに記載。

 

 同日18時、本局へ提出した初動報告書(No.SSC866E8795)により、巡航8番艦アースラが事件の主担当となる。

 

 5/10 同艦艦長リンディ・ハラオウンの判断により、ユーノ・スクライア、高町なのは、八神はやて、御神健斗、ヴォルケンリッター四名を臨時局員として登用。『闇の書』の所有者である八神はやてと守護騎士一党に関しては監視も兼ねている。

 

 

 

――――――中略――――――

 

 

 

 5/18 深夜。当艦に臨時職員として勤めていたリーゼアリアを、八神はやて誘拐未遂、『ジュエルシード』略取の現行犯で逮捕。ならびに、本局に詰めていたギル・グレアム顧問官をテスタロッサ一派との共謀及び捜査妨害指示の容疑で任意同行。(のち)に逮捕。

 

 5/19 早朝。高町なのはとフェイト・テスタロッサの戦いにあわせ、クロノ・ハラオウンの指揮による『時の庭園攻略作戦』を決行。

 その作戦によって、主犯プレシア・テスタロッサ、フェイト・テスタロッサ、使い魔リニス、リーゼロッテを逮捕。それにおよび、テスタロッサ一派が所有していた『ジュエルシード』、『時の庭園』の動力に使用されていた『改良型ジュエルシード』の全てを回収。

 

 5/20 クロノ・ハラオウンの要望により、重要参考人としてギル・グレアムをアースラに召喚。事情聴取の(のち)にリーゼアリア・ロッテとともに本局へ送還された。

 同日。『闇の書』の封印処理のため、本局への帰還延長の許可を求める申請を提出。運用部に受理され、認可された。

 

 5/27 『闇の書』に内蔵されていた“防衛プログラム”が活動を開始。所有者である八神はやてが取り込まれるという事態が発生したものの、近くにあった『ジュエルシード』との連鎖反応により、防衛プログラムのみが『闇の書』から分離。この際『ジュエルシード』13個が消失。回収不可能となった。

 アースラに搭載した魔導砲アルカンシェルにより、『時の庭園』と防衛プログラムを破壊。

 

 ※『ジュエルシード』の保管不備について、リンディ・ハラオウン、クロノ・ハラオウンの両者は非を認めており、これについての処分を甘んじて受ける意向を見せている。

 

 5/29 食料品等の補給後、プレシア・テスタロッサ、フェイト・テスタロッサ、リニス、アルフ、8個の『ジュエルシード』、『改良型ジュエルシード』を護送したまま、アースラは本局へ帰還した。

 

 

 

 当局は本事件を、きっかけとなった二つの遺失遺産の頭文字をとって『J・D事件』と呼称。(首謀者の名をとって『P・T(プレシア・テスタロッサ)事件』と呼ぶ動きもあったが、減刑により同容疑者が放免される可能性は十分にあり、その後の影響を鑑みて取りやめとなった)

 

 

 

 本事件の解決に協力した民間人に対する報奨は現在検討中。なお、協力者達は皆、嘱託魔導師として時空管理局への仮入局を望んでおり、彼らの魔力、技能を考慮すれば、試験合格はほぼ確実と思われる。

 

 

 

■最終被害結果

 

 8番艦アースラ プレシア・テスタロッサからの魔力攻撃による軽微の損傷

 重傷者 9名 軽傷者 23名

 死亡者 墜落した輸送船の乗員15名

 

 ジュエルシード 21個中13個を喪失

 時の庭園    アルカンシェルにより消滅

 

■容疑者の罪状、処遇

 

・プレシア・テスタロッサ

 

 罪状:違法研究、自身の使い魔への脅迫、管理外世界への魔力干渉、公務執行妨害、遺失遺産の違法収集・所持

 ※ジュエルシードを輸送していた船を墜落させた疑いもかけられているが、そちらについては一切否認しており証拠もあがってないため、輸送船墜落については告訴しない予定である。

 

 通常ならば禁錮数百年が妥当と思われるが、プレシア(姓略)は遺失遺産として登録されていない『ジュエルシード』の効力を正確に把握しておらず、“願いを叶える力を持つ遺物”としか認識していなかった。プレシアの目的は死亡した実娘の蘇生であり、次元震及び次元断層が起きる危険性については予想もしていなかったと供述している。

 違法研究についてもプレシアは深く反省しており、『ジェイル・スカリッティ』という首謀者をはじめ、研究に関わった研究者達の情報提供について全面的に協力するとのことである。

 また、プレシアは新暦52年に起きた『ヒュウドラ暴走事故』で実の娘を失ったことで精神薄弱に陥っていた時期があり、そこを『ジェイル・スカリエッティ』に付け込まれた可能性は否定できない。

 

 上記を鑑みた結果、容疑者の減刑と無期限の執行猶予によって、社会復帰の機会を与えることを法務部に提言する。

 

 備考)プレシアが次元犯罪に走るきっかけとなった、『ヒュウドラ暴走事故』と事故の責任を巡る裁判について不自然な点が多々あり。本事件とは別に再調査の必要があると思われる。

 

 

・フェイト・テスタロッサ

 

 罪状:管理外世界への違法渡航、公務執行妨害、遺失遺産の違法収集・所持

 

 プレシア同様、フェイトに対しても百年以上の禁錮が妥当と考えられるが、テスタロッサ一家は2年前まで、南部アルトセイム地方の山中で外部との接触を断ちながら生活しており、そのような閉鎖的な環境下でフェイトは、使い魔を通してプレシアから洗脳に近い教育を受けていた。それに加えて、フェイトはプレシアから意図的な無視、軽度の暴力といった心理的・肉体的虐待が恒常的に加えられており、自発的な判断行動を取る事が極めて困難だったのは想像に難くない。

 

 上記を鑑みた結果、『次元管理法・児童犯罪条項』に則り、数年程度の保護観察を通して容疑者の更生を促すのが妥当と思われる。

 

 

・リニス

・アルフ

 

 罪状:フェイト・テスタロッサと同様

 

 両者はプレシア、フェイトが作成した使い魔にあたり、使い魔という特性上、主の意向に反する行動を取ることは不可能だったと推察される。その証拠にリニスに対してプレシアから契約破棄をちらつかせた脅迫行為が度々あったことが、プレシア自身の口から語られている。

 それを抜きにしても、両名のような使い魔にまで刑を執行するのは、次元管理法の理念にも一般的な倫理にも反する行いではないかと思われる。

 

 

・ギル・グレアム

 

 罪状:犯罪者との共謀、捜査攪乱、遺失遺産の隠匿、民間人殺害の企図

 

 通常なら五十年未満の禁錮刑が妥当と思われるが、『犯罪者との共謀』に対してはテスタロッサ一派の内偵・抑止を目的としていた可能性があるため、不問とすることを検討中。

 それ以外の罪状についても遺失遺産の封印を目的としたものであり、情状酌量の余地ありと判断。

 一定の罰金刑と退職勧告に留める事を首脳部は検討している。

 

 

・リーゼアリア 

・リーゼロッテ

 

 罪状︰犯罪者との共謀、公務執行妨害、捜査撹乱、誘拐未遂、遺失遺産略取未遂

 

 上記のリニス・アルフと同様、グレアムが作成した使い魔という特性上、主の意に反する行動は不可能と推察される。

 主同様、遺失遺産の封印を目的としていた事情も鑑みて、一切の罪に問わない事を首脳部は検討している。

 

 

 

 上記の容疑者に加え、先の『闇の書事件』の罪状に照らし合わせて、守護騎士四名、『闇の書』の管制融合騎を拘束するべきとの声が上がっているが、『闇の書事件』は全て当時の『闇の書の主』の主導によるものであり、プログラム体に過ぎない守護騎士と融合騎が主の命令に抗う術はなかったと推測され、闇の書が残骸だけとなった今は再犯の可能性も低いことから棄却する方針である。

 

 備考)守護騎士、融合騎を起訴したとしても、新暦54年以前に起きた『闇の書事件』の詳細が記されたデータのほとんどが現存していないため、立件は困難と思われる。

 

 

■遺失遺産の現状

 

 回収した『ジュエルシード』8個と『改良型ジュエルシード』については、後日、本局遺失物管理課に受け渡しの予定。

 

 『闇の書』は現在も八神はやてが所有し、ともに第97管理外世界に在る。

 防衛プログラムの破壊後、『闇の書』からは著しい魔力の減少が確認されており、“転移再生機能”の削除も確認されている。このことから八神はやてが所有しているのは『闇の書の残骸』に過ぎず、管理局が指定している遺失遺産の定義からかけ離れていると判断し、接収を断念した。

 

■追加事項

 

 防衛プログラムが『闇の書』から分離した際、プログラムとともに『闇の書』から分離したと思われる頁の目撃証言あり。『闇の書』の残存プログラムの可能性があり、調査が必要だと思われる。

 

 

 

作成日時 新暦65年5月30日

時空管理局執務官補佐兼巡航L級8番艦アースラ通信主任 エイミィ・リミエッタ


 

 

 

 

 

「これがアースラの連中が上げてきた報告か……一部、我々が聞いた話とは違うな」

「うむ。プレシア・テスタロッサは最初から次元断層の発生を目的としてジュエルシードを集めており、そのジュエルシードも闇の書を意図的に完成させるために使用したらしい」

「ああ、あの船に潜り込ませた“鼠”からはそう聞いておるな。うまい具合に虚構を織り交ぜよったか」

 

 本局内のどこかにある、いくつもの足場が浮かぶ暗い空間。

 そこにくぐもった老人の声が響く。だが、それらの声はスピーカーから響いたような、妙な反響音が混ざったものだった。

 その空間の中心で老人たちは話を続ける。

 

「ロストロギアの無断使用、闇の書の意図的な取り逃し、聴取内容の改竄、あまりに度が過ぎるのではないか。局の許しを得ずロストロギアを使用した時点で犯罪行為だというのに」

「だが、ジュエルシードというロストロギアを使って闇の書を無力化したのも確かだ。その功績は無視できん」

「ギル・グレアムの件もあるからな、下手に連中だけを罰すれば非難は避けられん。それに闇の書が本当に無害なものとなったのなら、管理局にとって大きな武器となる。それを差し引いても四体の守護プログラムと融合騎、そして闇の書の主の力は戦力として申し分ない。この好機を逃したくないというのが本音だ」

「“海”も“陸”も戦力不足は深刻だからな。レジアスあたりがよく不平をこぼしておるよ。ともあれ、闇の書の主たちとアースラが拾ってきたAAA以上の魔導師二人……いや、テスタロッサの娘を入れれば三人か。そやつらが心変わりせぬうちに囲みこんでしまいたいのは私も同感だ」

「奴らに言われるままテスタロッサ親子を解放する気か? さすがに次元断層を起こそうとした犯罪者を自由にするのは……」

「だが、娘の方はできるだけ早く解放するように“奴”からも言われている。我々としても戦力の向上とは別に《Fの産物》の力量を見てみたいところだ。ハラオウンたちの報告を信じ込んだふりをすれば、余計な疑惑を招くことなく《Fの娘》を解放することができるだろう」

「うむ。幸い、あの娘は釈放後すぐに局入りするつもりのようだしな。ジュエルシードと闇の書がない今、母親の方も次元を脅かす真似は出来んよ。第97管理外世界に部署を設ける予定がある。そちらにテスタロッサたちの監視も任せるとしよう」

 

 ある老人がそう言うと他の二人は沈黙し、場に静寂が漂う。そして一人が再び声を発した。

 

「リンディ・ハラオウン、クロノ・ハラオウン……少々独断専行がすぎるが、今回の功績に免じて大目に見てやるとしよう……それが結果的に次元世界の安寧に繋がるのであれば」

「ああ。全ては……」

「次元の海に浮かぶ数多の世界の平和のために」

 

「失礼します」

 

 三人が定例の言葉をかけ合ったところで女の声が響き、三人は会話を中断する。

 それと同時に浮遊する足場に乗って、局員服を着た長い青髪の女が現れた。

 

「ただいま戻ってまいりました。長い間お休みをいただいて申し訳ありません」

 

 直立したまま定型句を述べる女に対し、老人たちは声をかける。

 

「お前か……ちょうどよかった。他の者では調子が出ないと思っていたところでな」

「どうだった、久しぶりの休暇は? ゆっくり羽を伸ばせたかね?」

 

 その問いに女は笑みを深めて……

 

「ええ、とてもいいものが見られました。次に会う時が楽しみです」

「……? まあいい、そろそろ仕事を始めてくれ。お前になら安心して我らの命を預けることができる」

「はい……それでは、ポッドメンテナンスを始めさせていただきます」

 

 女が答えると、彼女が乗ってる足場は老人たちの前まで移動する。

 

 彼女の前にあったのは、黄色い液体で満たされた三本の巨大なポッドと、その中に一つずつ入っている脳髄だった。

 

 

 

 

 

 

「……とまあ、こんな形で終わったわけだが、いかがだったかな?」

 

 洞窟を改造した施設の中で、白衣を着た男が芝居がかった仕草で肩をすくめる。紫色の短い髪に金色の瞳を備えた、整った容姿の若そうな男だ。

 そんな彼の後ろから秘書のようなスーツを着た女が声を響かせた。ウェーブがかった薄紫の髪を垂らし、男と同じく金色の瞳を持つ女。

 

「見事と言う他ないかと。闇の書の侵食をはねのけて制御してしまう主が現れるとは。ですが、プレシア・テスタロッサが捕らわれたのは誤算ですね。もし彼女の口からドクターの情報が漏れれば……」

 

 女の懸念をドクターと呼ばれた男は一笑にふす。

 

「これぐらいで捕まるようなら私も君たちもとっくに拘置所の中さ。いつも通り“クライアント”が何とかしてくれるだろう。とはいえ、彼女が病を克服して一命を取り留めたのは確かに驚きだ。現代の魔法では手の施しようがなかったのだから。しかも死んだ娘まで蘇生させてしまうとは。いやはや、驚くべきは闇の書の力か、それとも“彼”の方か」

 

 そう言ってドクターはまたククッと笑う。それを聞いて女は問いかける。

 

「“ドゥーエ”の報告にあった、《グランダムの愚王の複製》のことですか?」

 

 その言葉にドクターは「ああ」とうなずいた。

 

「闇の書は過去の主たちによる改変のせいで、主を飲み込み、周りにあるすべてのものを破壊することしかできなくなってしまった改悪品なんだよ。使うべき主をも憑り殺してしまうなど道具としては本末転倒だろう。それをプログラム一つで元の魔導書に戻し、あまつさえあの親子を治すために使うとは。なかなかおもしろい事を考える。“愚王”などとんでもない」

「その呼び名はともかく、修正プログラムならドクターにも作ることが可能だと思いますが。プレシアや他の者の手など借りず、お一人だけで」

 

 どこか熱が入った声色で訴える女に、ドクターは笑みを浮かべて言った。

 

「ああ、できると思うよ。だが、私では闇の書の主にプログラムを使わせることはできなかっただろうし、ましてや“破壊の書”を治療のために使うなど思いもよらなかった。人の心を掴む才能に既存の枠にとらわれない発想力……やはり興味深いな」

 

 再び件の少年について語り、怪しげな笑みを漏らすドクターを見ながら、女はため息をついた。

 数百年間、数々の次元世界で猛威を振るった闇の書を修復したのは確かに驚きに値する。だが、少なくとも頭脳面においてはドクターに遠く及ばない。健斗という少年について女はそんな評価しかしていなかった。

 それとも、ドクターにしかわからない何かが彼にあるのか?

 

 内心首をひねりながら女は話を次に移す。

 

「それで、いかがいたしましょう? アリシア・テスタロッサを蘇生させたのが闇の書の力によるものなら、是が非でも手に入れるべきだと思いますが。それがあれば、《生命操作技術》の研究をさらに進展させられるかもしれません。無論、闇の書を使える八神はやてもともに確保する必要がありますが……」

 

 その問いにドクターはわざとらしく「うーん」と考えるようにうなり、首を横に振った。

 

「やめておこう。君の言うことも一理あるが、過去の遺産に頼って夢をかなえてもむなしいだけだ。彼の存在を知れたことと《Fの落とし子》のデータが取れただけでも十分だよ」

 

 ドクターがそう締めくくろうとした、その瞬間――

 

「あらあら~。ドクターのことだから、てっきり闇の書と持ち主の女の子を捕まえてこいって言うかと思ったのに、ずいぶんあっさりと引き下がるんですね~」

 

 ところどころ間延びした甘ったるい声が届き、ドクターも女もそちらを振り返る。

 

 そこには、長い茶髪を二つに結び、金色の眼の上に眼鏡をかけた女がいた。豊満な体のラインが浮き出たウェットスーツのような青い服の上に、毛皮のついた白いコートを着ている。

 

 前触れもなく現れた眼鏡の女に、ドクターと秘書風の女は眉一つ動かさずに応じる。

 

「クアットロか。いつから聞いていたんだい?」

 

 ドクターの問いにクアットロと呼ばれた女はあごに人差し指を当てて。

 

「ウーノお姉様が、ドゥーエの報告がどうとか言ったあたりからです。てっきりドゥーエお姉様が帰ってきたのかと思って、聞き耳を立てちゃいました~」

 

 ほとんど最初からか。舌を出しながらこつんと頭を叩くクアットロを眺めながら、ドクターとウーノはそう判断した。

 侵入者が現れたという様子でもないし、暇を持て余して戻ってきたのだろう。トーレが知ったら憤慨しそうだが。

 それを知りながらクアットロは悪びれもせずに続ける。

 

「それで、本当に闇の書は諦めちゃうんですか? 輸送船を撃墜してこれっぽっちの成果じゃ、亡くなった乗員の人たちが浮かばれませんよ~。なんなら闇の書の力で生き返った女の子だけでもさらっちゃったらどうです? その子の体を丹念に調べれば何かわかるかもしれませんし、私たちのような《戦闘機人》、もしくは《人造魔導師》にしちゃえば、その後も色々と活用できちゃいますよ~♪」

 

 身体をくねらせながら提案するクアットロに対して、ドクターはふむとあごに手を乗せて言った。

 

「それは中々いいアイデアだね。あいにく戦闘機人にするには少し成長しすぎているが、人造魔導師ならうってつけかもしれない……だが、それもよしておこう。プレシアを怒らせると怖いし、《レリック》もなしに娘を蘇らせた彼に敬意を表したい」

「ああ、さっき話してた、なんとかって王様の複製ですか。固有技能が使えるところと剣の腕が立つ以外はただのマセガキにしか思えませんけど。せいぜい《聖王の器》の予備か、《ファルガイア》っていう神様を復活させる生贄にしか使えないんじゃありません?」

 

 馬鹿にするように手を振るクアットロに、ドクターは苦笑を浮かべ、

 

「さて、どうかな。いずれにしろ、我々が事を起こせるようになるまでまだしばらく時間がかかる。闇の書の頁が一枚あちらで眠ったままのようだし、あちこちの世界でも不穏な動きがあるようだ。彼らのお手並みを拝見しながら来たるべき時に備えるとしよう」

 

 ドクターがそう言うとウーノとクアットロは不敵な笑みで了承する。

 

 彼の名はジェイル・スカリエッティ。

 プロジェクトFなどの違法研究を手掛ける犯罪者であり、輸送船撃墜をはじめ今回の事件の原因となるいくつかの出来事を起こした人物でもあり、後々健斗たちにとって最大の敵となる男でもある。

 

 

 

 

 

 

 第16管理世界 『リベルタ』

 『ヴァンデイン・コーポレーション』・役員室。

 

 高級な置物があちこちに置かれてある役員室で、ソファに座る二十代の男と彼の前に立っている初老の男がいた。

 初老の男からの報告に、二十代ほどの黒髪の男はどうでもよさそうに肘をつきながらも耳を傾ける。

 男の名はハーディス・ヴァンデイン。若くしてヴァンデイン・コーポレーションの取締役を務める俊才にして、次期社長となることが見込まれている男である。

 

「アレクトロ社からの救援要請か……」

「はい。ロストロギアの所持で逮捕された魔導師があちらに勤めていた研究者のようでして。その研究者が担当していたヒュウドラの暴走事故について、管理局が再調査を始めたそうです。その件でアレクトロ社から局幹部への根回しと、買収に必要な資金の援助を要請されていますが……」

 

 部下らしき男はそこまで説明するが、ハーディスはある言葉にしか関心を向けず――

 

「ヒュウドラ……ああ、昔下請けに作らせていた魔力炉か。あれは惜しかったね。大気中の酸素から魔力を生み出すエネルギー発生装置。当時は画期的な理論だと思われていたからね。私も色々口出ししたものだよ。あれが完成すれば各世界を悩ませているエネルギー問題が一気に解決するはずだったのに。その機密と特許で我が社もどれほど潤った事か」

 

 そう言ってハーディスは肩をすくめる。その“口出し”のせいで事故が起きたことなど気にもとめていない様子で。

 部下は内心空恐ろしいものを感じながらも口を開き、話の筋道を戻そうとする。

 

「それで取締役、アレクトロ社への救援はいかがしましょう? もし事故の詳細が明るみに出れば、依頼主である我が社にも追及の手が及びかねないとのことですが……」

 

 それを防ぎたかったら今すぐ助けてくれ、ということか。

 アレクトロ社の要求を一言でまとめればそうなる。それを理解してハーディスは部下に尋ねた。

 

社長()はこの件について、なんと?」

 

 それに部下は、社長室がある上の方に目を泳がせて……

 

「取締役に任せるとのことです。後継者であるあなたの力量を見てみたいと言って……」

 

 部下の説明にバーディスは思わず苦笑を漏らした。

 

(事故を握り潰したいのは山々だが、下手に動けば逆に我が社の関与が明るみに出るかもしれない。そこで私の意見を聞きたいという事か)

 

 ハーディスにとって、父は経営者としては凡庸な人間だった。リベルタ最大の企業である事にあぐらをかき、この会社を更に大きくしようとする気概がない。そのくせ息子の才覚を見込んで入社直後から企画室を束ねるほどの地位を与え、重要なことは彼に丸投げするようになった。ヒュウドラの一件もそれが遠因と言える。

 そして祖先がベルカから持ち込んだ《原初の種》にも手を出していない。

 何もかもが普通の人間だ。()()()()()()()()()()

 

 父や歴代について一通り思いを巡らせてから、ハーディスはすでに決めていた結論を口にした。

 

「放っておこう。ヒュウドラ開発に失敗した時点であの会社にはもう用はないし、我が社と事故を関連付ける証拠はすべて隠滅した。もういっそ潰れてもらった方がいいくらいさ」

 

 先ほどと変わらない穏やかな口調でハーディスはそう言い切る。それに対して部下は「わかりました。そのように取り計らいます」と首肯した。

 そこでハーディスは眼前に空間モニターに目を移す。そのモニターにはヒュウドラ開発の責任者だったプレシア・テスタロッサの若き頃の姿が映っていた。

 

「アレクトロ社の元研究員か……やっぱり頃合いを見計らって“消しておく”べきだったかな。買収した執務官の補佐が変な動きを見せていたから、そちらにしておいたけど。そういえばそっちの方は大丈夫かい?」

 

 その問いに部下は首を縦に振り、

 

「はい、あの執務官が一人で行ったことになるはずです。当人に釘は指しておきましたし、もし余計な事を言おうとすれば“不幸な事故”によって命を落とすことになるかと」

 

 淡々と告げる部下にハーディスは鷹揚にうなずきながら……

 

「そうか、それならいいんだ。……しかし、彼女は違法実験の際に体を壊して今頃病死してる頃のはずだが、なぜ今も生きてるんだろうね?」

 

 モニターを眺めたままハーディスはそんな問いを投げる。だが部下にも見当がつかないようで首を横に振るばかりだった。

 一方、ハーディスはプレシアの罪状を思い出しながらつぶやく。

 

「ロストロギアの違法収集か、少し気になるな。――そのテスタロッサという研究者について調べてくれないか。彼女が手に入れた、もしくは手に入れようとしたロストロギア、そのロストロギアに関わった者についても一通り。アレクトロ社に回す予定だった金を使えば、管理局から情報を引き出すこともできるはずだ」

「かしこまりました。そのように取り計らいます」

 

 了承の意を示して退出する部下を見送りながら、ハーディスはある予感を感じて笑みを浮かべる。

 

(現代魔法を超えた力を持つロストロギアか、もしかすれば……後で“レオノーラ”に聞いてみるか)

 

 

 

 

 

 それから間を置かずして、時空管理局の強制捜査と解雇した社員たちからの告発によって暴走事故の全貌が暴かれ、アレクトロ社の重役たちと当時主任補佐だった男、彼らに加担していた元執務官は軒並み逮捕された。

 前代未聞のスキャンダルによりアレクトロ社の業績は急速に悪化し、経営陣のほとんどが丸々いなくなったことも相まって、捜査から三ヶ月後、完全に経営が立ち行かなくなったアレクトロ社は破産申請をし倒産することとなった。

 

 だが、ヒュウドラ暴走事故を引き起こした“真の元凶”が報いを受けることになるのは、まだまだ先の事である。

 

 

 

 

 

 

 第1管理世界*1『ミッドチルダ』

 ベルカ自治領 『聖王教会』・大聖堂

 

 

 “彼女”がいる部屋はカーテンで閉め切られており、日の光が一切届いていない。

 その部屋の中央に無数の紙片が発光し、輪を作りながら宙を浮いていた。それらの中央には黒いワンピース型の衣装を着た女が立っている。

 女がある紙片に向かって睨むように目を細めると、紙片は女の前まで飛んでくる。

 女の眼前に迫ったそれにはミッドチルダ語とは異なる文字が浮かび上がっていた。

 女は文字を視線でなぞり、古すぎる文字による文章に四苦八苦しながら、なんとかそれを読み解こうとする。

 

「【管理より外れた97の世界】……【東の京を覆う鉄の群、それとともに顕れる不滅の闇と王に従う三体の従者】……【彼らに対するは愚者を演じし王と三人の乙女たち】…………これは………」

 

 苦心の末にどうにか文を読み終え、女は技能を解いた。

 すると、まわりに浮かんでいた紙片は輝きを失い、女の手元に集まる。

 それを帯で結びため息をつきながら、女は席についた。

 女は空間モニターを開き、それを操作する。するとカーテンが自動で開き、室内に燦々(さんさん)と照りつく日の光が飛び込み、部屋の主たる女の姿を映し出した。

 

 日光を取り込んでいるように輝く長い金髪の上に紫色のカチューシャをつけ、カチューシャや胸元のリボンと同じ紫色の瞳で窓の外を見上げている美女。

 彼女の名はカリム・グラシア。

 聖王教会が擁している『教会騎士団』に所属する騎士で、時空管理局とも繋がりがある才女である。もっとも後者は、先ほど見せた希少技能の有用性を本局の幹部たちに見込まれたのが大きいが。

 

 その技能――《預言者の著書(プロフェーティン・シュリフテン)》による預言が記された紙片(ページ)を見ながら、カリムは今も考えを巡らせていた。

 

(不滅の“闇”に、愚者を演じし王……これはもしかして……)

 

 預言の中に含まれている二つの単語に、カリムはあるロストロギアとその持ち主だった王のことを思い浮かべる。だが、件のロストロギアはともかく、王の方は300年前に死んでいるはずだ。その王がなぜ“預言”に現れるのだろうか?

 

「騎士カリム、ヌエラです。確認していただきたいものがあるのですが」

 

 ノックの音とヌエラという女の声が響き、カリムは扉を見ながら声をかける。

 

「構わないわ。入ってちょうだい」

 

 カリムが入室を許可すると「失礼します」の一声とともに、黒い修道着を着た女が入ってきた。短く切り揃えた赤紫色の髪ときつそうに吊り上げられた橙色の瞳は、見るからに真面目そうな印象を受ける。

 彼女はシャッハ・ヌエラ。大聖堂に勤める修道女(シスター)で、カリム同様騎士団に所属している。

 

「シャッハ、確認してほしいものとは何かしら?」

「はい。管理局から、古代ベルカにまつわるロストロギアを破壊したとの知らせが届いて、騎士カリムにも確認をしてほしいと司教様から」

「そう。回収ならまだしも破壊なんて穏やかじゃないわね。もしかして《闇の書》かしら?」

 

 カリムは冗談半分で尋ねるが、シャッハは笑いもせず首を横に振るだけだった。

 シャッハから、報告書のデータが入ったカード型の端末を受け取って……

 

「疲れたでしょう。私が報告書に目を通してる間、紅茶の一杯でも飲んでいったら」

「いえ、仕事中ですので遠慮します」

 

 仕事を理由にすげなく断るシャッハに苦笑しながら、カリムはモニターを表示して報告書を見る。だが、その内容を目にした瞬間、カリムは驚愕で目を見張った。

 

(闇の書の防衛プログラム()()を破壊したですって!? しかも闇の書が発見されたのは第97管理外世界――これは)

 

 報告書の内容と先ほどの預言を比べてカリムはもしやと思う。そしてさらに彼女を驚かせたのは――

 

(事件の解決に協力した民間人たちのうち、一人の名前は“御神 健斗(みかみ けんと)”……まさか)

 

 呆然と報告書を眺めるカリムを見てシャッハは心配そうに尋ねた。

 

「騎士カリム……どうされました? 何か悪い事でも……」

 

 その問いにカリムはどう答えたらいいか迷う。

 報告書の中身自体に問題はない。むしろ闇の書が今後猛威を振るう可能性が低くなったのは喜ばしい事ではある。だが預言の事を考えるとそうも言っていられない。

 鉄の群や三体の従者はともかく、《不滅の闇》は明らかに闇の書に関わるものの気がしてならない。

 

(現在の闇の書の主は八神はやてという女の子……管理局に協力していたようだし、悪い人物ではなさそうね。一度話をしてみるべきかしら。できれば御神健斗という人とも会っておきたいわね。確か二ヶ月後に聖王陛下ゆかりの行事が……)

 

 そこまで考えてからカリムは口を開く。

 

「シャッハ、二ヶ月後の『収穫祭』はどうなっているのかしら?」

 

 カリムの問いにシャッハは手元に小さなモニターを開きながら言った。

 

「はい、例年通り開催される予定になってます。別の予定がなければ騎士カリムと私も参加することになってます……ロッサも首に縄を付けてでも連れて行く予定ですが……」

 

 眉を吊り上げながら言うシャッハに、カリムは苦笑を浮かべながら……

 

「そう。あの子のことはいつも通りあなたに任せるわ。ところで、収穫祭に個人的なお客様を招くことはできるかしら? 聖王教の信徒ではないのだけど」

「はい。元々聖王教会の門戸は常に開かれていますので、信徒でなくても収穫祭に参加できるはずです。聖王陛下を侮辱するようなことを言ったりしたりしない限りはですけど」

 

 肯定しながらも念のために釘を刺してくるシャッハに対して、カリムは真剣な表情で言った。

 

「わかりました。私はこれから管理局の方と打ち合わせをします。あなたはもう下がってちょうだい」

「はい、それでは失礼します」

 

 そう言ってシャッハは一礼してから執務室を出る。

 それを見送ってからカリムは通信用のモニターを開き、相手に向かって口を開いた。

 

「教会騎士団のカリム・グラシアです。リンディ・ハラオウン様とお話しさせていただきたいのですが……」

 

 

 

 

 

 

 第97管理外世界 現地名称『地球』

 ドイツ ミュンヘン

 

 ミュンヘンの郊外に、キルツシュタインという伯爵家が所有する広大な敷地と大きな屋敷がある。

 その屋敷の3階の部屋に、キルツシュタイン家の“真の当主”が住んでいた。

 “真の当主”が住む部屋の扉をメイドらしき格好の女がコンコンと叩く。すると――

 

「入るがよい」

 

 メイドが名乗る前に、入室を許可する声が部屋の中から届く。

 失礼しますの一言とともにメイドは部屋へと入った。

 レコード盤から響くクラシックの音楽がこだまする部屋の中で、主は椅子ごと背を向けていた。

 用向きを尋ねもせず背を向けたまま音楽を聴き続ける主に対して、メイドは口を開く。

 

「《総当主》様、ご報告を申し上げます。また新たに《一族》の秘密を知った人間が現れました。今回は数が多く、そのうえ以前と同じ土地ですので直接報告に上がりました」

「同じ土地か。まさか日本の海鳴という町じゃなかろうな。さくらがシンイチロウという男と“契約”をして以来、あそこからちょくちょく《一族》を知る者が出てくるようになったからの」

 

 ため息をこぼしながら尋ねる主に、メイドは「はい」と言った。

 

「総当主様のご推察の通り、相川真一郎と高町恭也と同じ、海鳴市に住む人間です。今回《一族》の秘密を知ったのは、月村俊様の次女――月村すずか様のご学友に当たる方々です」

「ほう。そういえば忍も己が男と“契約”を結びおったな。まさかとは思うが、すずかも“契約”を……」

 

 総当主の問いにメイドは首を縦に揺らして言った。

 

「はい。血を吸った方とその他に秘密を知った方たち全員と、秘密を共有する“契約”を結んだとのことです」

「……すずかが血を吸ったのは男か?」

 

 突然の問いに戸惑うことなく、メイドは首を縦に揺らした。

 

「はい。御神健斗という、すずか様と同じ学年の男子生徒です。実はそのことで総当主様にお伝えしたいことが……」

「ああ、すずかとそやつが出来ておるという話ぐらいなら驚かんぞ。さくらの時は大事な孫を取られて腹もたちはしたが、忍まで“契約”した男とくっついたと聞いて慣れてしまったわい」

 

 そう言いつつ不機嫌そうに片手を振る総当主に、メイドは「いえ」と言って……

 

「すずか様と健斗という少年の関係についてはまだわかっておりません。ただ、御神健斗について気になることがありまして」

「気になることの。一体なんじゃ?」

 

 不機嫌そうなまま尋ねる総当主にメイドはそれを言った。

 

「すずか様のご学友方が《一族》の秘密を知るきっかけになった事件において、アリサ・バニングスがジュエルシードという青い宝石に取り付かれ、すずか様たちとアリサ・バニングスが交戦したのですが……その際、御神健斗は三角形の魔法陣を浮かべる術を使いながら戦っていたとのことです」

「――なぬっ!?」

 

 その報告に総当主は虚を突かれたような声を上げた。メイドは続けて話す。

 

「その後、すずか様と“秘密厳守の契約”を結ぶ際、その代わりというように、御神健斗も魔法のことや『ベルカ』という世界について話していたそうです。私の記憶が確かなら大奥様の出身地がそのような名前だったと思います。彼が使っていた術に関しても……」

「ああ。妻もよくおかしな術を使っておったわい。ハンターに襲われた時はその術で助けられたりもしたのう。儂も少しだけ教わってな、“この姿”を得られたのもそれがあっての事じゃ!」

 

 先ほどとは一転、上機嫌そうに語って総当主は椅子を回転させてメイドに体を向ける。

 そして、十に満たない少年()()()()男が姿を露わにする。長い白髪を垂らし、青眼を備えた整った容姿。

 彼の名はヴィクター。キルツシュタイン家の真の当主にして、《夜の一族》の《総当主》にあたる者だ。

 

 総当主ヴィクターは満面の笑みを見せながら口を開く。

 

「まさか今になってベルカという言葉を耳にするとはのう。そういえば妻がよく言っておったな。あやつの故郷にいた“ケント”という王のことを。興味がわいてきたわい。久しぶりに孫娘(さくら)の顔を見に行くついでに、健斗という小僧に会ってみるとするか!」

*1
時空管理局の発祥地であることから、内外ともに“管理”を抜いて『第1世界』と呼ばれることが多い。他の世界でも自世界を指す時に“管理”を抜くことはしばしばある



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幕間
夜の一族編1 幕開け


 高級ホテルのスイートルームにも劣らない豪華な部屋の中で、高級なブランド物の服を着た赤毛の若い男と、男ほどではないが高級な素材が使われた赤いドレスを着た美女が相対している。

 

「……さあ、おいで」

「遊様……」

 

 遊の手招きと血のように赤い瞳に誘われるように、女は彼の名を呼びながらふらふらと彼の元へ歩み寄っていく。

 しばらくの時間をかけて女が十分に近づいてくると、遊は一歩足を踏み出して彼女と距離を詰め、彼女を抱きとめその背中に手を回す。

 それに対して、女は抜け殻のように虚ろな顔でじっと立ち尽くしている。“明らかに普通ではない”。

 

 遊は口を開き、女に近づけていく。至近距離にまで迫った秀麗な顔面を前にして、女はなおもぼうっとしたままだった。

 遊はさらに顔を傾けて女の唇……を通り越して、彼女の首筋に口を這わせる。

 遊はそこで口を大きく開き、鋭くとがった犬歯をむき出しにして、勢いよく彼女の首に噛みついた。

 

「――あっ――あああっ!」

 

 さすがに彼女も首を噛みつかれた衝撃で悲痛な声を漏らすが、抵抗しようとはせず為すがままにされていた。

 女の首に噛みついたまま遊はごくっごくっと喉を鳴らし、何かを飲み干していく。

 そうしている間に噛みつかれている女はどんどん血色を失っていき、体中が青白くなりはじめた頃に、ようやく遊は彼女の首から顔を離した。その口元には吸い出したばかりの真っ赤な血が付着している。

 それと同時に遊は女の身体から手を離し、支えを失った女は意識を失ったまま床に倒れた。

 だが、遊はそんなこと意に介さず、“眼の色を青に戻し”、口についた血を手の甲で拭いながら思う。

 

(不味い。ドロドロしていてとても美味いとは言えん。苦労して見つけた家畜の血がこの程度の味とは。さくらや月村から隠れるような真似をしなければ、もっと美味い血の家畜を集めることができるものを)

 

 そんな勝手なことを考えているところへ、きぃと扉が開く音が耳に届いてきた。

 その直後に、小太りの中年男がずかずかと遠慮もなく部屋へ上がりこんでくる。

 薄くなった紫色の髪をオールバックで固め、口元にひげを蓄え、遊同様高そうな服を着、それに加えて金縁の眼鏡や純金の指輪などの装飾品で自らを飾り立てているが、必要以上に富をひけらかすようなその姿はかえって彼の低俗ぶりを露呈させているようだった。

 

「おや、遊はん、もう済ませてしまいましたか?」

 

 服を着たまま倒れてる女を見て小太りの男は残念そうにこぼす。遊は男に視線を移し、

 

安次郎(やすじろう)か」

 

 と声をかけた。

 安次郎と呼ばれた中年の男は両手を揉みながら答える。

 

「遊はんにお伝えしたいことがありまして。まだ途中やろうと思ったんですけど、万が一の様子見をかねて来たんですわ。けどまさか血ぃ吸うだけで終わりとは。噂に聞いたんと違って意外とお堅いんですな」

 

 そう言って安次郎は下卑た笑い声をあげる。そんな彼に遊は不機嫌そうに返事を返した。

 

「獣姦の趣味はない。血を頂くついでに愛でるだけならともかく、純血たる私が家畜とまぐわうとでも思ったのか。政略のために綺堂の養子と(つが)わされた俊や、本能のまま下等生物に股を開いたさくらや俊の娘じゃあるまいし」

「そ、そうですか。さすが《氷村家》の嫡子ですわ。俊やさくらたちとは全然違いますな。遊はんについて正解や」

 

 明らかに気分を害した様子で吐き捨てる遊に、安次郎は慌ててゴマをする。だが遊はそれを意に介さず、安次郎が口にした呼び方に異を唱えた。

 

「無礼者が。前にも言ったが私のことは氷村様、もしくは遊様と呼べ。私は数えるほどしかいない純血種にして、《夜の一族》屈指の名門、氷村家の御曹司。お前のような《一族》の血が薄い末席とは違うんだ! 口の利き方には気を付けろ!!」

「し、失礼しました。許してください、遊様」

 

 顔をひくつかせながらも安次郎はペコペコ頭を下げるが、遊の気は収まらず、手近な椅子に腰を下ろしながら文句を吐き続ける。

 

「まったく。お前のような凡俗や家畜どもから無礼を受けるなんて私も落ちぶれたものだよ。それで、伝えたい事とは何だ?」

 

 遊からの問いに、安次郎は取り直したように姿勢を正しながら言った。

 

「《イレイン》の改良が終わったとのことです。他の機体もぐんと性能が上がって、前のイレインに並ぶぐらいになったと聞きます。これも遊様がお力をお貸しくださったおかげです」

 

 安次郎の世辞に遊はつまらなそうに鼻を鳴らした。

 

「ふん。氷村家の財力をもってすればその程度造作もない事だ。その代わり、約束通りイレインたちは私の目的のために使わせてもらうぞ。またさくらが邪魔をしにきたとしても、“あれ”が相手では太刀打ちできないはずだ」

「ええ、存分に使ってやってください。ただし事が済んだら、こちらも約束してもらった通り“あの姉妹”のどちらかを……」

「ああ、それぐらい好きにしろ。なんなら()()まとめて持って行っても構わん。お前と違って私はあんな人形どもに興味はないからな」

 

 そう吐き捨てて遊は懐からシガーケースを取り出し、その中から細長い葉巻を取り出す。それを見て安次郎は慌ててライターを取り出し、遊の葉巻に火をつける。

 葉巻を吸い、甘い煙を口から吐きながら氷村 遊(ひむら ゆう)はこれからの段取りを考えていた。

 

 

 

 

 

 

「健斗君、ノエルがレバー作りすぎちゃったみたいで。よかったら食べて♡」

「……あ、ありがとう。頂くよ」

 

 語尾にピンク色の記号を付けながら、すずかはパックに入ったレバーを差し出してくる。俺はたどたどしく礼を言いながら箸でそれを掴み取った。そんな俺にすずか以外のみんなは冷たい視線を向けてくる。

 すごいデジャブなんだが……。ベルカにいた時もまったく同じ体験をしたことがあるぞ。

 

「過去に体験したことはデジャブと言わないわよ。デジャブっていうのは、初めてのはずなのに同じような経験や体験をしたような錯覚のことを言うんだから」

「ちょっ、アリサ――なんで俺の考えてることがわかった!?」

「だらしなく緩み切ったあんたの顔見てれば大体わかるわ。ところで――そっちは食べてあげないの?」

 

 そう言ってアリサは俺の隣――すずかとは反対側――を箸で指す。ちょうどそこで――

 

「健斗君、レバーもええけどこっちが全然減ってないよ。まさか私が早起きして作ったお弁当が食べられないなんて言わないやろな?」

 

 剣呑な雰囲気を漂わせながらはやては弁当を向けてくる。いつも通りの笑顔なのが逆に怖い。

 

「ま、まさか。そっちも頂くよ」

 

 そう言ってはやての弁当に箸を伸ばすと、すずかも負けじと――

 

「私だって早起きしてノエルのお手伝いしたんだから。遠慮せずいっぱい食べてね!」

 

 そう言ってすずかもレバー入りのパックを突き出してくる。今日も自分で作ってきた分を食べる余裕はないだろうな。

 

 

 

「あの三人、学校ではいつもああなの? 私は今日初めてこの学校に入ったばかりだから知らないんだけど」

「うーん……はやてちゃんが健斗君にお弁当を分ける事はよくあるんだけど……」

「それに月村が加わったのは二週間前からだな。お前らがまた登校するようになってから二日目だ。そのせいか……」

 

 フェイトの問いに答えながら、雄一はまわりを示す。

 屋上には俺たちの他にも大勢生徒がおり、昼食をとりながらも、彼らの視線は例外なく俺たちに釘付けになっていた。

 彼らの多くは、はやてとすずかに挟まれている俺に非難の目を向けており……

 

「あの野郎、はやてちゃんとすずか様を両手にはべらせやがって。どう見ても友達なんて間柄じゃねえよな」

「御神だけ帰ってこなけりゃよかったのに」

「でも本命は他にいるみたいだよ。この間ホテルでお母さんとお姉さんにスマホの写真見せながらそう報告してたって」

「不潔。あんなすけこましだったなんて」

「御神君も所詮男か。うちのパパも今週になって二人目の隠し子が見つかるし」

「あの転校生、いきなり御神君たちとお昼食べてるけど、もしかしてあの子も……」

「おい、“遂行率100%”に連絡はとれたか?」

「駄目だ。親父の話だとまだ向こうにいるらしい」

「これ以上我慢ならねえ! いっそ俺の手で――」

 

 “遂行率100%”って何!? 何を100%遂行すんの?

 

 軽蔑や妬みばかりか殺気まで放ってくる彼らを見て、フェイトはここに編入してきたことを4割ぐらい後悔しているような顔を浮かべていた。

 そんな状況の中でも、はやてとすずかは俺に向けておかずを差し出し続け、喉の通りにくさを感じながら俺は黙々と食事を続けていた。

 

 問題はこれだけじゃない。すずかが出してきたのは鉄分が多いレバーだ。

 もしかしたら今日も……。

 

 

 

 

 

 

「かぷっ…んっ……ちゅるちゅる……じゅるる」

 

 昼食を終えて屋上を出て、昼休みが終わるギリギリの時間に、俺とすずかはもう一度屋上を訪れた。

 誰もいないのを確認すると、すずかはためらうことなく俺の腕にかぶりつき、その中に流れる血を吸い続ける。

 

「じゅぷり……はむっ……やっぱりおいしい。健斗君の血、いつまでも飲んでいたいくらい――んっ……」

 

 すずかはゆっくりと味わうように血を吸い取っていき、数分経っても俺の腕から口を離そうとしなかった。

 腕から血の気が抜けていくのと5時間目まであとわずかしかないことに気付き、

 

「すずか、もうそろそろ。それ以上はヤバイ」

「ちゅぷ……あともう少しだけ……いいでしょう…………健斗君」

 

 すずかは上目遣いに懇願してくる。いけないと思いつつも彼女の目を見てると……。

 

 ……あと少しならいいか。

 

 そう思ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 ちょうどその頃、校舎3階から屋上を見上げている白髪の少年の姿があった。

 ここからではどう目を凝らそうと屋上の様子を見ることはできないはずだ。

 だが、少年はじっとそこを見て……

 

(やはりすずかの言いなりになっておるわい。“洗礼”によるものか、意思が弱いだけか、今のところどちらともとれんのう……んっ?)

 

 足音が近づいてくるのに気付いて、少年はそちらを振り返る。

 見るとそこには若い女の教師が立っていた。

 

「あなた、制服も着ないで何してるの? もう5時間目が始まりますよ。とにかくまずは更衣室へ――」

 

 少年の(はかま)姿に戸惑いながらも、教師は少年を更衣室へ連れて行こうと手を伸ばす。

 だが、少年は“赤い眼で”教師をじっと見て。

 

「触れるな!」

 

 少年が一言発した瞬間、教師はピタリと手を止める。

 少年は教師を見ながら続けて言った。

 

「儂のことは忘れよ。お主は何も見ていなかった……いいな!」

 

 少年がそう命じると、教師は先ほどの剣幕が嘘のように虚ろな目をしながら言った。

 

「……ハイ……私ハ何モ見テイマセンデシタ……」

 

 その答えに少年は満足そうにうなずいて眼の色を戻しながら言った。

 

「ではもう行くがよい。ごじかんめとやらがあるのじゃろう。儂は好きに回らせてもらうでの。案内もいらん」

 

 少年の命令に、教師は「ハイ」と首を縦に振ってその場を後にする。

 それから少年はまた屋上の方に視線を戻す。だが、さすがにもう吸血を済ませたようで、すずかも健斗も屋上を出ようとしているところだった。

 それを眺めながら少年はあごに手を乗せた。

 

(ひとまずもうここに用はないか。まさかすずかやあの小僧が勉強しておるところへ押しかけるわけにもいかんしの。折を見て小僧の方に接触するとしようか。……さくらと会うのはまだ先でいいかの。あれに見つかったら散策もろくに楽しめなくなるわい)

 

 そんなことを考えながら《総当主》ヴィクターは校舎を悠然と歩く。彼が健斗と会うのはそれから間もなくのことだ。

 

 なお余談だが、ヴィクターが術をかけた教師は、5時間目を受け持つ予定がないにもかかわらず職員室で授業の用意を始め、ちょっとした騒ぎを起こしたという。



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夜の一族編2 ヴィル

 放課後になって学校を出てから、俺たちはスクールバスを途中で降りて海鳴デパートに来ていた。目的はフェイトのスマホを買うためである。

 

 フェイトたちやハラオウン家は地球に来たばかりで、ほとんどの人がスマホを持っていない――局員用の通信デバイスはあるが、管理外世界では管理局の任務以外での使用を禁じられているうえに、通信方式が違っているためスマホなど地球の電話とは繋がらない――。

 そのためなのはたちはリンディさんたちとデパートで合流して、フェイトが使うスマホを探すことにした。俺は例によって高町家に泊めてもらうついでに彼女たちに付いてきたおまけだが。

 

 

 

「……な、なんだかいっぱいあるね」

「まあ最近はどれも同じような性能だし、色とかで決めていいんじゃない」

「でもやっぱ性能のいいやつがいいよね」

「カメラがきれいだと色々楽しいんだよ」

「私は性能とかよくわからなくて適当に決めたけど、特に不満とかないよ。アリサの言うとおり色とかで選んだら」

「まっ、確かにスマホなんて格安でもない限りほとんど変わらないしね。フェイトさんならやっぱり黒かしら」

 

 なのはたちがあれこれ言い合い、フェイトより一足先にスマホを買ってもらっていたアリシアと七瀬が意見を述べる中、フェイトはまだ陳列中のスマホを眺めて考えている。

 そんな彼女たちから離れた場所で、俺も販売中のスマホを眺めていた。

 今のスマホも古くなってきたし、嘱託魔導師としての給料が入ったら、母さんたちへのプレゼントの他にスマホを買い替えてもいいかもしれないな。

 

 そう思いながら別の棚に映って品定めをしていると……

 

「そなた、一体何を見ておるのじゃ?」

「……んっ?」

 

 ふいに横から声をかけられて、俺はそちらに顔を向ける。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 見るとそこには俺と同い年ぐらいの少年が立っていた。

 長い白髪を垂らしており、俺を眺める目は青く、黒い紋付き(はかま)を着ている。

 顔立ちや髪の色からして外国人のようだが、彼が着ている袴のせいで一瞬判断に迷う。リンディさんみたいな日本かぶれだろうか?

 

「ふむ……薄くて小さいのう。俗世ではこんな装飾品が流行っておるのかえ?」

 

 陳列されているスマホを掴み取りながら少年はそんなことを呟く。もしかしてスマホを知らないのか?

 俺は思わず口を挟む。

 

「それは電話だよ。スマートフォンっていうんだ。スマホともいうんだが、知らないのか?」

「電話!? これがか? ただの金属板にしか見えんぞ!」

 

 そう叫んで少年は陳列品のスマホをひっくり返しながら、しげしげとそれを眺める。そして……

 

「……どうも怪しいのう。受話器もダイヤルもないではないか。儂が使っておる電話と全然違うぞ。こんな物が本当に電話として使えるのか?」

 

 少年は疑わしそうな目でスマホと俺を交互に睨む。

 スマホどころか携帯電話すら知らないのか。怪訝に思いながら俺は口を開く。

 

「使えるよ。実際にかけてみようか?」

 

 そう言ってスマホを取り出すと少年は目を見張りながら――

 

「まさか――そのままかけるのか? まだ線が繋がっておらんぞ!」

 

 本当に携帯も知らないんだな。貧しいようには見えないが、一体どこの国から来たんだろう?

 ともあれ誰にかけるべきか。はやてたちは認定試験の勉強や夕飯の用意などをしている時間帯で、雄一は実家の道場で稽古をしている頃だ。俺の知り合いの中で自由にしていそうな人は……。

 

 スマホのアドレスを眺めながら考えていると、あの人の名前を見つけ、俺は“彼女”にかける事にする。

 その人の名前を押し、スマホを耳に当てながら待つと、数回の着信音の後にその人と繋がった。

 

「もしもし、俺ですけど……」

『あら、健斗君。どうしたの?』

 

 俺が声を発すると、スマホの向こうから落ち着いた声色の女性の声が届いてくる。すずかの叔母さんで七瀬繋がりの知り合いでもある、綺堂(きどう)さくらさんだ。

 

「すいません、ちょっといいですか? 用事というわけじゃないんですが、ちょっとお話ししたくて」

『あらそう。気持ちは嬉しいけど今ちょっと立て込んでるの。また今度にしてくれないかしら。先輩とアリシアという子のことで私も話したいことがあるから、その時にゆっくり話しましょう』

 

 矢継ぎ早にそう言うと、さくらさんはさっさと電話を切ってしまう。彼に代わる暇もなかったな。

 

 

 

 

 一方的に会話を打ち切った事に罪悪感を覚えながら、さくらはスマホをポケットにしまう。

 

 健斗と七瀬。さくらにとって二人は秘密を分け合う友人だった。特に七瀬は自身の母校――風芽丘(かぜがおか)学園に通っていた“先輩”にあたる。その先輩が見つけてきた新しい友達は、自分にとっても大切な友達だ。

 その友達が声をかけてきてくれたのは嬉しいが――今は彼と雑談をしている場合ではない。

 

「さくら!」

 

 ちょうどそこへ、長い紫髪の女が自分の元へ駆けてきた。その後ろから黒髪の青年も続いてくる。

 

「忍、恭也君。どうしたの? 何かわかった?」

 

 さくらの問いに忍は首を横に振って言った。

 

「ううん。被害者に聞いてみたんだけど、誰かと待ち合わせしていた事以外覚えてないって。ねえ恭也」

「はい。気が付いたら病院に運び込まれていて、後は何も覚えていないとのことです。それ以上は向こうから不審がられそうで聞けませんでした」

 

 姪とその恋人からの報告に、さくらは「そう」と言って押し黙った。

 

(記憶を残したまま解放するほど馬鹿じゃないか。でも、これは間違いなく《夜の一族》に属する者の仕業。もしかしてまた“あの人”が……そのうえこんな時に限って――)

 

 さくらはきっと目を鋭くして、隣にいるスーツ姿の男に声をかける。

 

「《総当主》様は見つかりましたか?」

 

 さくらの剣幕にすくみながら男は首を横に振り――

 

「いえ、そのような報告はまだ受けておりません。月村家の力も借りて捜索しておりますが、依然として見つからず――」

 

 その報告にさくらは顔をしかめるのを懸命にこらえる。彼が悪いわけではない。悪いのは総当主と呼ばれている男の方だ。

 

(長い間ずっと屋敷にこもっていたかと思えば、供も護衛も連れずいきなりドイツを飛び出すなんて。何を考えてるの、“おじいさま”は!?)

 

 内心で憤るさくらの後ろで――

 

「忍、総当主様って、お前とさくらさんが時々話してた……」

 

 小声で尋ねる恭也に忍はうなずき。

 

「綺堂家の大元でもあるキルツシュタイン家の当主、ヴィクター・フォン・キルツシュタイン。さくらのおじいさんで、《夜の一族》の中で一番偉い人よ。一族のみんなからは《総当主》って呼ばれてる」

「総当主か……」

 

 その仰々しい言葉に恭也は戦慄を覚える。

 《夜の一族》は人を凌ぐ身体能力と叡智で、裏表問わず世界各地に隠然たる影響力を及ぼしているという。その頂点に君臨する総当主となれば、どれほどの権力を持つのか想像もつかない。

 

 どんな姿だろうかと考えた途端、恭也の脳裏に立派に整えられたひげを蓄え高級そうなダブルスーツに身を包んだ、威厳のありそうな老紳士が浮かんでくる。

 想像ながら威圧感のある総当主の出で立ちに身を震わせる恭也に、忍は口を挟んできた。

 

「……ねえ恭也、多分あなたが想像している総当主様と実際のあの人はだいぶ違うと思う」

「えっ……?」

 

 その言葉に恭也は戸惑いの声を上げる。するとさくらも忍に続いて言った。

 

「そうね。見た目も中身も恭也君が思い描いてる人とはずいぶん違うと思うわ。実際に見たら驚くでしょうね」

「うん。私も小さい頃、両親と一緒にドイツまで行ってあの人に会ったことがあるけど、だいぶびっくりしたのを覚えてる」

「……?」

 

 しみじみに言うさくらと忍に対して、恭也は頭上に疑問符を浮かべる。

 彼女らが言ってることの意味を彼が知るのは、しばらく経ってからのことだ。

 

 

 

 

 

 

「……どうだった?」

 

 通話が切れたスマホを懐に戻しながら少年に尋ねると、彼は胡散臭そうな目を向けながら言った。

 

「どうじゃったと言われても、お主が一人でぶつぶつ言っておるようにしか見えんかったわい。お主、こっちの医者の世話になっておったりせんじゃろうな?」

 

――このガキ、文明の利器も知らず言いたいこと言いやがって。一体どこの子供だ?

 

 自分の頭を小突きながら尋ねてくる少年に俺は頬を引きつらせる。そんな俺に少年は言った。

 

「まあお主の話を信じるとして、そのすまほとやらで誰にかけておったのじゃ? けっこう親しいようじゃったが」

「俺の友達だよ。結構年が離れてるけど向こうはそう言ってくれてる。さくらさんっていう人なんだけど」

「――さくら!?」

 

 さくらさんの名前を出した途端、少年は素っ頓狂な声でその名を呼ぶ。思わぬ反応に俺はつい彼に聞き返した。

 

「ああ、そうだけど……知ってるのか?」

「あ、ああ。親類に同じ名前の娘がおっての、つい……こほん、失礼した。忘れるがよい」

 

 咳払いしながら少年はそう言ってくる。まあ、『さくら』なんて日本じゃよくある名前だ。彼の言う親戚の娘が俺の知ってるさくらさんとは限らないだろう。あの人も西洋人っぽい顔立ちをしているが……。

 

「そういえば君ってどこの国から来たんだ? 袴なんて着てるけど日本人じゃないんだろう?」

 

 俺の問いに少年は気を悪くした様子を見せずあっけらかんと答えた。

 

「ドイツじゃ! ドイツのミュンヘンからこの国へと来た。それに際して一通り本を読んでみたら、日本ではこの服が正装じゃと書いてあっての。儂も日本にいる間は袴という服を着る事にしたのじゃ。……じゃが、今まで見てきた間、儂の他に袴を着ている者は誰もおらん。あの本に騙されたのかの」

 

 少年は腕を組みながら呆れたように首を横に振る。

 彼の言う通り、確かに日本では袴が正装らしいんだが、明治以降の洋装化と生地の高級化によって和服を着る人はほとんどいなくなり、特に袴や振袖(ふりそで)のように値がはり着つけに手間のかかる服は七五三や成人式のような祝い事でしか着られなくなったという。

 

 しかし、黒い紋付き袴を着ている彼の姿はなかなか様になっており、この少年にはこの上なく似合っていると思わずにいられない。さくらという名前の親戚といい、この少年は日本と結構深い縁があるのかもしれない。

 

「それで、日本には何の用で来たんだ? やっぱりさくらさんって親戚に会いにか?」

「ううむ……まあそれも目的の一つなんじゃが、本当の目的は別にあっての。そっちはおおよそ叶ったと思うんじゃが……」

「……?」

 

 首を縦にも横にも振らず曖昧な仕草を見せる少年に俺は思わず首をかしげる。

 それを見て少年は誤魔化すように――

 

「儂のことはもうよいじゃろう! お主もそろそろ名前ぐらい名乗らんか! 人に尋ねる時は自分もなんたらという言葉が日本にはあるじゃろ。この国で暮らしててそれぐらい知らんのか!」

 

 腕を振りながらそう言ってくる少年に俺はむっとしながらも答える。

 

「御神健斗、少し遠くにある聖祥って学校の生徒だよ」

「おお、やはりか! 初めて見た時からそうじゃろうと思っておったぞ」

 

 名前と学校と告げた途端、少年は顔をほころばせながら言ってくる。まるで最初から俺を知ってたかのような物言いにたじろぎながらも――

 

「そういう君はなんて言うんだよ? 俺も君の名前を知らないんだけど」

 

 そう言い返すと少年は目をぱちくりさせて……

 

「儂か。儂は…………」

 

 少年はそこで言葉を止め、考えるように目を伏せる。

 

『ヴィクター……いかつくてあなたには似合いませんね。ご家族や他の使用人がいない時は……と呼んでもいいでしょうか?』

 

 そして彼は、

 

「ヴィル……儂のことはヴィルと呼ぶがよい」

 

 相変わらず偉そうな、だけどかすかに寂しさが混じった声で少年は告げる。俺が本名を名乗ったにもかかわらず自分はフルネームじゃないのかとか、それは本名じゃなくてニックネームじゃないのかとか、言いたいところはあるがそれを胸の内に留めて俺は言った。

 

「わかった。よろしくな、ヴィル」

「うむ、存外素直な男じゃな。そういう男は嫌いではない。よろしくしてやるぞ、御神健斗!」

 

 そう言って再び顔をほころばせ右手を差し出す少年に俺も右手を差し出し、握手を交わす。

 その時、俺はクラウスと友達になった時のことを思い出した。あの時はどちらかというと、倒れた俺を起き上がらせるために手を貸してくれたというのが正しいのだが。

 

 そこへ――

 

「健斗君!!」

「健斗!!」

 

 聞き覚えのある女の子二人の声が聞こえ、俺とヴィルはそちらを振り向く。

 なのはとフェイトは息を切らせながら俺たちの元へ駆け寄り、ヴィルのことにも気付かずに言った。

 

「アリサちゃんとすずかちゃんを見なかった?」

「……?」

「――!?」

 

 なのはの問いに俺は首を傾げ、ヴィルは目を見開く。そんな俺たちにフェイトが続けて言った。

 

「二人がいなくなったの! ショップの近くを探したんだけどどこにもいなくて。アリシアと七瀬は他の場所を探してるとこなんだけど」

「――なんだって!?」

 

 ヴィルに一歩遅れて俺もその事態が意味することに気付き、荒げた声を上げる。

 

 

 アリサとすずかが何者かによって誘拐されたことに俺たちが気付くのは、それからしばらく経ってのことだ。



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夜の一族編3 誘拐

 目を覚ますと車の中だった。

 後部座席に座らされているものの、手と足は固い縄によってがちがちに付けられており、口にはガムテープが貼られている。

 左隣には眠ったままのアリサがいて、自身と同様に口にガムテープを貼られ、手が縛られている。しかし足の方は縛られておらず、手の縄もすずかほどきつい縛り方ではなかった。アリサの方はそれほど警戒されていないようだ。いや、すずかが過剰に警戒されているというべきか。

 自身の右隣にはコートを着た長い金髪の女が座っており、虚ろな目で前を眺めたままでいる。

 前方の運転席と助手席にはスーツを着た男が一人ずつ座っていた。全身黒で統一しているわけでもサングラスをかけているわけでもない、どこにでもいる会社員といった感じの男たちだ。

 車は自分がよく知ってる海鳴市の街中を法定速度で走っており、停止中に通行人が傍を通ることもある。だが、黒く染められたスモークガラスによって他の車や通行人が自分たちに気が付くことはなかった。

 

 すずかがおおよその状況を把握したところで、助手席に座っている男が前を向いたまま自分に声をかけてきた。

 

「おや、すずかお嬢様、お目覚めになりましたか」

 

 男はバックミラー越しにすずかたちを見ながら続ける。

 

「手荒なことをして申し訳ありません。ですが、傷をつけないように連れて来いと言われてましてね。窮屈だと思いますが、もうしばらくはそのままご辛抱していただきますよ」

 

 それを聞いて確信が強まった。自分とアリサは誘拐されているのだ。前方にいる二人の男と隣のコートを着た女によって。

 同時にさっきまでの記憶がよみがえってくる。確か、フェイトがスマホを選び終えてリンディと一緒に購入の手続きに行って、それとほぼ同時になのはたちが自分たちの元から離れ、自分とアリサだけが残る形になった。

 そこへコートを着た女が近づいてきて、いきなり自分の口元にハンカチを――

 

「――!」

 

 彼女だ! 彼女が自分たちを連れ去ったのだ!

 すずかは隣に座る女を睨みつけるが、女はピクリとも動かずじっと前を見続けている。まるで人形のように。

 そこへ男がまた声をかけてきた。

 

「心配しなくてもお二人に危害は加えたりはしませんよ。そんなことをしたら私たちが主人に殺されてしまいます。だからお嬢様も大人しくしていてください。車内で暴れたりしたら、お嬢様はともかく我々とお友達は無事ではすみませんからな。まあ、あなたの隣にいる《イレイン》がいれば大丈夫だと思いますが」

(イレイン……?)

 

 男が発した言葉にすずかは首をかしげながらコートの女を見る。

 彼女の名前だろうか? そう考えるのが自然だが、彼女を語る男の声の調子から少し違うようにも思えた。

 それに彼女の雰囲気は異様だった。すぐそばにいるのに生気がまるで感じられない。すぐ後ろに張り付かれても気付かないくらいに。だからなすすべもなく捕まってしまった。

 ただものじゃない。少なくとも自分をねじ伏せる力は十分にある。

 それを確信してすずかは抵抗を諦めた。そうでなくても、車内で事を起こせばアリサや犯人たち、外の通行人に危険が及ぶのは確かだ。ここは大人しくしているしかない。

 男はバックミラーから目を移し、前方を眺めながら最後に言った。

 

「目的の場所までしばらくかかります。もう一眠りされてはいかがですか。お友達もぐっすりお休みのようですし」

 

 そう言われたところでこの状況で眠れるわけがない。

 すずかは寄りかかってくるアリサの感触を半身で感じながら、じっと前を見据え続けていた。

 

 

 

 

 

 

 アリサとすずかがいなくなったと聞いてからしばらくして、俺は彼女らを探していた七瀬、アリシア、リンディさんを呼び戻し、ショップの近くで合流した。

 彼女たちは袴姿の外国人少年を見て驚き、彼について尋ねる。そんな彼女らに……

 

「儂はヴィル。健斗とはそこの店で知り合っての。互いの身上を明かし友諠を交わしたところで、お主らの連れが行方をくらましたと聞いたのじゃ。その場面を目にしたわけではないが手助けぐらいはできるかもしれん。儂にも一枚噛ませよ」

 

 ヴィルの申し出に、リンディさんもなのはたちも困ったように目を見合わせる。

 一方、アリシアはけたけた笑いながら。

 

「あははっ。フェイトや健斗たちと変わらないのにおじいちゃんみたいな話し方だね。私アリシア。よろしくねヴィル!」

 

 アリシアの失礼な物言いにフェイトは慌てて彼女を止めようとする。それに対してヴィルは気を悪くせずに言った。

 

「うむ、元気な娘じゃの。こちらこそよろしくするぞ、アリシア。して、そっちの娘はなんという?」

「……七瀬です。こちらこそよろしくお願いします」

 

 アリシアに続いておずおず自己紹介してくる七瀬にも、ヴィルは「うむ」と鷹揚なうなずきを返す。

 

(さくらと同じ目の色によく似た顔立ち……もしかしてこの人……)

 

 七瀬は眉をひそめながらヴィルを見る。

 そんな中、俺はアリサたちに話を戻すべく口を開いた。

 

「とにかく、今はアリサとすずかを見つける方が先決だ。もう一度状況を確認したい。いいか?」

 

 俺がそう尋ねるとなのはと七瀬が中心になって、その時の状況をもう一度教えてくれる。

 

 事のきっかけはフェイトが購入するスマホを選び終わった時だった。

 フェイトとリンディさんは契約の手続きをするために窓口へと向かい、それを待つ間、七瀬とアリシアはジュースを買いに自販機へ向かい、それに付き添う形でなのはも二人について行き、ジュースを買って三人が戻った頃にはアリサとすずかは姿を消していた。

 最初はトイレに行ったのだろうと思い、ジュースを飲みながらその場で待つことにしたがいつまで経っても二人は戻ってこず、とうとう手続きを終えてスマホの購入を終えたフェイトとリンディさんが戻ってきた。その間なんと37分。

 さすがになのはたちもおかしいと思い、ショップの近くを中心に探し回り、リンディさんは店内放送をかけてもらうようスタッフに頼みに行き、途中から俺とヴィルも加わってデパート中を駆け回っていた。だが、結局アリサもすずかも見つかっていない。

 

「あいつらのスマホにはかけたんだよな?」

 

 俺の問いに何人かがうなずきを返し、なのはが答える。

 

「うん。でも二人とも返事をしてくれなくて……」

 

 暗い顔で告げるなのはに俺は心の中で同意した。

 俺もあいつらに連絡を取ろうとしたが、何度かけても向こうに繋がる様子はない。

 もしやこれは……。

 

「何者かにさらわれたかもしれんの」

 

 ヴィルの一言に俺たちは皆彼の方を見る。ヴィルははばかることもなく平然と言った。

 

「そう考えるのが自然じゃろう。アリサとやらはともかく、すずかがお主らに何も告げず外に出たり、いたずらにスマホの電源を切ったりするとは思えん。二人に何かあったと考える方が自然じゃ。この国の治安がいいからといって、誘拐や事故がそうそう起こるはずないと考えるのは現実逃避でしかないぞ」

 

 ヴィルの指摘に、リンディさんを含め俺たちは言い返すことができずにおし黙った。確かにあの二人が俺たちに無断でデパートから出て行くなんて考えられない。しかも二人とも携帯が繋がらないとくれば、あいつらの身になにかあったと考えるのが道理だ。

 過去(前世)でも、ヴィータが誘拐される瞬間を見たじゃないか。

 

「ヴィルの言う通りかもしれない。とにかく、これ以上デパートを探しても消耗するだけだ。二人がデパートを出てどこへ行ったのかを考えよう。場合によっては警察に相談することも考える」

 

 俺がそう言うとみんなはうなずいてから腕を組んだりして考え込む。すでにデパートにおらずスマホも繋がらない相手をどうやって探すのか。

 普通だったら俺たちみたいな素人にはお手上げだが……。

 

《ねえ、私の《エリアサーチ》で街中にサーチャーを飛ばして二人を探すっていうのはどうかな?》

《でもこの街も広いし、見つかるまでいつまでかかるかわからないよ。それなら管理局に協力してもらえばどうかな。今度地球に新しい部署を立てるって言ってたし》

 

 そこでフェイトはリンディさんを見るが、リンディさんは首を横に振った。

 

《それは無理ね。魔法がらみならともかく、そうでない行方不明事件に局の協力を仰ぐことなんてできないわ。それどころか探索魔法の使用許可も下りないでしょうね。あなたたちはもう知ってると思うけど、管理外世界への干渉や当該世界での魔法使用は固く禁じられているのよ。“あの部署”もあくまで地球で起こるかもしれない次元災害や犯罪に対処するための部署よ》

 

 脳に直接届いてきた返事に俺たちは歯噛みする。理屈はわかるがまどろこしいな。管理局の存在を知らず自由に魔法を使えた頃が懐かしい。もちろんあの頃も結界を張ったり、周囲にばれたり被害が及ばないように配慮はしていたが。

 

《なかなか面白そうな話をしておるのう。あの部署とはなんじゃ?》

 

 ――!?

 

 突然割り込んできた声に俺たちは辺りを見回す。

 七瀬とアリシアは不思議そうな顔で俺たちを眺めている。そして彼女らの隣で、ヴィルがニヤニヤと愉快そうな笑みを俺たちに向けていた。

 対して、俺たちは自分の耳を疑いながら彼を見返す。

 

《今の声……ヴィル君だよね?》

《う……うん。私にもそう聞こえたけど……》

 

 ヴィルを見ながらなのはとフェイトは念話でそんな囁きを交わす。

 俺は念を飛ばしてきたと思われる者に思念通話で問いかけた。

 

《まさか、ヴィル、今のはお前が?》

《うむ。儂と稚児どもに隠れて、思念で密談なんぞしおって。しかし管理局とやらも狭量じゃのう。娘二人を探すために魔法とやらを使うぐらいいいではないか》

《――!》

 

 ヴィルが飛ばしてきた思念にリンディさんも目を剥く。こいつ、まじで俺たちの会話を聞いてやがる。

 まさかとは思うが――

 

 そこでリンディさんは怪訝そうに自分たちを見つめる七瀬とアリシアに気付き、ごほんと大きな咳払いをして口を開いた。

 

「と、とにかく、私としては警察に相談して、彼らに任せるべきだと思います。たしか健斗君のお母様は警察官をしていらっしゃると聞きましたが、その方に相談すれば……」

 

 そう言ってくるリンディさんに俺は首を横に振る。

 

「あいにく母は先週から香港に行ってて日本にいないんですよ。その間こっちで起きた事件についてはどうにもならないんじゃないかと」

「お母さんがいない間は健斗君もうちで生活してるんです。私たちについて来たのもそのためで」

「そうなんだ! てっきり健斗の家もこの近くにあるものだと」

 

 なのはの説明でうちの事情を知って、フェイトは口元に手を当てながら驚く。

 その横でリンディさんは再び口を開いた。

 

「そうですか。いずれにしても、(魔法が使えない状態の)私たちでは警察に頼る以外に方法はないでしょう。この国の警察はとても優秀だと聞いています。彼らに任せればアリサさんもすずかさんもきっと無事に帰ってくるでしょう。私たちはそれを待って――」

「それはどうかの」

 

 口を挟んできたヴィルに、話をさえぎられたリンディさんも俺たちも彼に目を向ける。

 俺たちの視線を浴びながらヴィルは言った。

 

「儂の考えでは二人をさらった者どもは警察なんぞ恐れておらん。娘がさらわれればあれの父親は必ず警察に連絡する。それぐらい(さら)い屋どもも予想しているはずじゃ。警察が動いても対処できるようにしてある。そう儂は睨んでおるがの」

 

 ヴィルの説明に俺たちは再び考える。確かにその通りだ。

 この国での誘拐、特に身代金誘拐の成功率は0に等しい。事件が発覚すれば身代金を奪うことは不可能というのが日本における誘拐事件の常識だ。

 そんなことも知らず、大企業の令嬢二人が並んでいるのを見かけて誘拐に及んだのか? 衆人ひしめくデパートの中で誰にも気付かれずに二人をさらった手際を考えると、とてもそうは思えない。

 そもそも二人のうち、片方は並外れた運動能力を持つすずかだぞ。あいつが大人しくさらわれるとは思えない。

 それにさっきから気になっていることがある。もしかしたらこの事件……

 

 

 

 やはり警察に任せるだけでいいとは思えない。俺たちの手で二人を見つけたいところだ。

 しかし、リンディさんの言う通りサーチャーや探索魔法も使わずに二人の行方を追うことなど……

 

――!

 

 待てよ。たしかこの前……。

 

 

 

 

 

 

 車は街中を抜けて広い林といくつかの家が並ぶ郊外に出る。そこを通ってしばらくすると、周りにあるものよりずっと大きな邸宅が見えてきた。月村や綺堂の本家に比べたら手狭だが、別荘としてなら二家が持ってるものにも見劣りしない。

 それを見てすずかは驚きながらも、それ以上に納得もした。男たちの自分への態度や警戒ぶりから、“一族”がらみではないかと思っていたのである。

 

 そしてすずかの予想通り、車は邸宅の前で止まり、すずかとアリサは中から引っ張り出された。

 

 

 

「なにするのよ!? 離しなさい!!」

「このガキ、おとなしくしろ!」

 

 すずかとアリサは男たちに腕を掴まれながら、邸宅の中へ連れ込まれる。車から邸宅の前に来たあたりでアリサもようやく目覚め、車内で何度も抵抗しようとし、今も自身を連れ込もうとする男の手を焼かせていた。

 あまりの抵抗ぶりに男は荒っぽい言葉でアリサをどやしつける。自身が仕えている家と関係がない娘なのも一因かもしれない。

 一方、すずかは助手席に座っていた男に背を押されるままになっていた。自分が抵抗すればアリサに危害が及ぶかもしれなかったし、すぐ後ろにコートの女がいて抵抗できなかったからでもある。

 

 そしてほどなくある部屋の前へとやってきた。

 男はすずかの腕を掴みながらもう片方の手で部屋をノックする。

 

「遊様、連れてきました」

 

 しばらく経って「入れ」という男の声が返ってくる。

 男はそのまま扉を押してすずかとともに中へと入り、アリサともう一人の男、そしてコートの女もそれに続いた。

 

 中は豪華な部屋だった。色鮮やかな花瓶があちこちに置かれ、虎の皮を剥いで作った絨毯が床に敷かれ、天井からシャンデリアが吊り下げられている、至る所に贅の限りを尽くした部屋だ。月村、綺堂、両当主の部屋もここまでではないだろう。

 その部屋の奥に巨大なベッドが置かれ、その上で“女がうつ伏せに倒れていた”。

 それを見てアリサは顔を赤くするものの、女が着衣したまま倒れているのを見て眉をひそめる。

 一方すずかは驚きもせずに、ベッドの手前の椅子に腰掛けている男を見やる。その視線に気づいたように男は立ち上がり、こちらを振り返って言った。

 

「やあ、待っていたよ。君が月村すずか君だね。私は氷村 遊(ひむら ゆう)。君と同じ《夜の一族》の純血種だ。君から見れば叔父にあたる者だよ」

「……叔父様?」

 

 叔父と名乗る男にすずかは困惑の表情を浮かべる。そんな姪に遊は冷涼な笑みを浮かべていた。



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夜の一族編4 純血種

 リンディさんが警察に任せるべきだと主張し、釈然としない気持ちを覚えながら皆がうなずき始める中、俺はスマホを取り出し位置情報アプリを起動させる。

 案の定、すずかのスマホは起動したまま市街地を移動しているところだった。スマホを眺める俺を見て七瀬は声を漏らす。

 

「健斗君、それってまさか……」

「ああ。すずかのスマホがある場所だ。市街地を移動している……この速度、車に乗っているようだな。このまま行くと郊外に出るぞ」

 

 すずかのスマホを示すアイコンと地図を見ながら呟く俺に、皆はさっきまでの話も忘れ視線を注ぐ。

 そして……

 

「健斗君、そのアプリは何? なんですずかちゃんの居場所がわかるようになってるの?」

 

 俺のスマホの画面を見ながらなのはは尋ねてくる。

 俺が今起動しているのは『位置情報共有アプリ』の一種で、グループとして登録した人間の位置がわかるようになるアプリだ。もっとも、知り合いでこのアプリを使っているのは俺とすずかだけで、他のみんなに位置を知らせるようなことはしていない。別の位置アプリならはやてやリインとも使っているが。

 以上の話をみんなにすると……

 

「どうして、すずかちゃんやはやてちゃんと位置アプリを? 友達同士でも常に相手がいる場所がわかるようにするのは、プライバシー的にちょっと……」

 

 少し引き気味に尋ねるなのはに、

 

「いや、俺もそう思ったんだが、はやてやすずかから万が一のためにお互いの居場所がわかるようにしようって、位置アプリを勧められたんだ。それをリインに教えたら彼女も同じアプリに登録することになったんだけど……」

 

 俺がそこまで言うと……

 

(もうあの二人は。これって健斗君の居場所を掴むためだよね)

(探索魔法も使わずに相手の位置がわかるようになるなんて。地球の科学も侮れないな)

(へー、そんなアプリがあるんだ。帰ったらフェイトに登録させよっと)

(健斗君が行方不明になったら、あの二人のどちらかの家から見つかりそうね)

(地球の子は進んでいるというより怖いわね。この世界への移住を決めたのは軽率だったかしら?)

(すずかめ、今までどういう環境で育ってきたんじゃ。健斗も己の居所を掴まれておることに疑問を覚えんのか?)

 

 みんなはため息をついたり呆れたような目を俺に向ける。

 それからリンディさんは気を取り直して、

 

「とにかく、すずかさんの居場所がわかったというのは吉報だわ。アリサさんもきっと同じ場所にいるはず。健斗君、そのスマホをしばらく貸してもらえないかしら? それを警察に持って行けばすずかさんとアリサさんを助け出せるはずよ」

 

 そう言われて俺はスマホのアイコンの()()()()()()()()()、リンディさんにスマホを渡した。

 

「じゃあ私はこれから警察署に行って捜索願を出してきますから、あなたたちはもう帰りなさい。物騒だから家に着くまでは一人で行動しないようにして。くれぐれも自分たちだけですずかさんたちを探しに行こうとしないように。いいですね!」

 

 厳しい口調で注意してくるリンディさんに、俺たちは不承不承ながら「はい」と返事を返した。

 リンディさんは俺たちに別れを告げ、少しだけヴィルを見る。ヴィルが不敵な笑いを返すのを見ると、リンディさんは足早に踵を返していった。

 

「リンディさんの言う通り、私たちは帰った方がいいよね。もうできることはなさそうだし」

「う……うん」

 

 帰宅を促すフェイトになのはは仕方なさそうにうなずく。一方俺は……

 

「あ、そう言えば今日は雄一の家に泊まる約束してたんだった! 悪いなのは。士郎さんと桃子さんたちにはそう伝えておいてくれ! じゃあな!」

 

 そう言って片手を上げながら、俺はなのはたちと別れた。

 

 

 

 

 

「もう真っ暗だけど、健斗、今から友達の家に行くの?」

 

 黒みがかり始めてる空を見上げながらアリシアはつぶやく。それを聞きながらなのはも、

 

「もしかして健斗君……」

「あれ!? ヴィルは? ヴィルもいなくなってる!」

 

 健斗に続き、いつの間にかヴィルまで姿を消していることに気付いてフェイトは辺りを見回す。

 そんな中で七瀬はため息をついて健斗()()が向かって行った方を見た。

 

(まったく、身内の危機となったらすぐ飛び出して行っちゃうんだから。まあ、あのヴィルという人もついてるし大丈夫だと思うけど。さくらから聞いた通りなら、あの人は多分……)

 

 

 

 

 

 

「あなたが、私の叔父様……?」

 

 そうつぶやくすずかに遊はこくりとうなずく。

 

「そうだ。君が叔母と呼んでいるさくらは私の妹に当たる。母親は違うがね。だから私とすずか君は叔父と姪という事になる。こうしてかわいい姪に会うことができて嬉しいよ」

「さくら叔母さんのお兄さん? そんな話一度も聞いたことありません! お母さんや叔母さんからは何も――」

「少し事情があって日本から離れていてね。しばらくの間姿を現す事ができなかったんだ。だが、それまでは父上や母上ともども君の家族と親しくしていたんだよ。そうだったな、安次郎?」

「ええ。《一族》の名家同士、数年前まで家ぐるみの付き合いがありましたな」

 

 遊が尋ねると部屋の隅から答えが返ってきて、そこから中年の男が現れる。彼を見てすずかが叫んだ。

 

「安次郎おじ様!」

 

 すずかを見て安次郎は笑みを浮かべて言った。

 

「すずか、久しぶりやな。元気やったか……なんて言う筋合いはないやろな」

「なんでここにおじ様が? ……まさかおじ様もこの人たちと」

 

 すずかの問いに安次郎は複雑そうな表情を浮かべ……

 

「まあワシにも色々あってな、今は遊様のもとで働いてるんや。急にこんな所に連れてきて悪いと思っとる。そっちの嬢ちゃんも連れてくる気はなかったんや。せやけど騒がれそうになったから仕方なく……ワシはそう聞いとる。じゃが、これもお前を守るためにやった事なんや。わかってくれんか」

 

 安次郎はすまなそうな態度ですずかに説明する。だが――

 

「ふざけないで! 何がすずかを守るためよ! あたしたちを薬で眠らせて無理やりこんな所へ連れてきたりして。これはまぎれもない誘拐よ! それに、そこのベッドで倒れている人は何なのよ!? あの人に一体何をしたの?」

 

 両手を縛られたまま、アリサが三人の間に割って入り、まくし立てるように問い詰める。遊の従者たちが彼女を取り押さえようとするが、遊は片手を上げて従者たちを止め、ベッドに倒れている女を顎で指しながら言った。

 

「彼女については気にしなくていい。急な貧血で倒れているだけだ」

 

 その言葉にアリサは疑わしそうな目を向け、すずかも険しい表情で遊を見る。

 遊は意に介さずに続けた。

 

「それに誘拐とは人聞きが悪いな。かわいい姪が悪い男にたぶらかされそうになっているから、手遅れになる前に保護してあげたんだ。御神健斗というすけこましに傷物にされる前にね」

「――健斗君はそんな人なんかじゃありません!」

 

 想い人を悪く言う遊にすずかは思わず大声を上げるが、遊は肩をすくめて、

 

「どうだか。あいつはすずかの他にも何人もの女の子を手元に置いてるそうじゃないか」

「こいつらがな、お前んとこの生徒から聞いたそうや。昼休み、健斗っちゅう奴はお前と八神という子に挟まれながら昼飯を食わせてもらったそうやないか。羨ましいなぁ。ワシなんて小学校から大学までずっと一人で昼飯食ってたで」

「――!!」

 

 安次郎の言葉を聞いて、すずかは後ろにいる二人の男を見る。それに対して男たちは気まずそうに視線をそらした。

 遊は笑い声を漏らしながら続ける。

 

「それどころか、あの男には君たちの他に本命がいるそうじゃないか。それも俺と同じくらいの齢の女を。くくっ、年端もいかないくせにとんだ節操なしだ。将来が恐ろしいな。

 まあ一族の中でも(めかけ)を囲っている者は多いし、すずかが認めているなら私も目をつむろう……と言いたいところだが、一族の中でも特に位の高い“純血種”とあのような下等生物が一緒になるのを許すわけにはいかないな」

「まさか、あなたはそのために私を……」

 

 遊が笑みを消したところで、すずかもようやく遊が自分を拉致した理由がわかった。健斗と自分が契りを結ぶ前に、自分たちを引き離そうとしたのだろう。だが……

 

「“純血”といっても、私の母は他の家から引き取られた養子で、普通の人間だって聞いてますけど……」

 

 すずかがそう言うと遊はわずかに顔をしかめながらも、かろうじて気を取り直して言った。

 

「それぐらいは目をつぶるさ。元々《夜の一族》は人間の遺伝子が変異して生まれた一族だと言われているしね。少なくとも私の種さえあれば《一族》の血統を守ることができるはずだ」

「――!」

「えっ――!?」

 

 遊がこぼした最後の一言に、すずかもアリサも目を大きく見開く。“種”という言葉の意味は完全に理解しきれてなかったが、ニュアンスから彼が言わんとすることは予想できた。

 現にすずかは唇を震わせて――

 

「なに言ってるんです? あなたが本当に私の叔父だとしたら……そんなこと許されるはずが……」

 

 嫌悪感のあまり、すずかは途中で言葉を止める。それは吐き気をこらえているようにも見えた。しかし遊は動じず……

 

「それなら心配いらない。さっき君が言った通り、君の母親は綺堂家が別の家から引き取った養子でね、私とは血の繋がりがないんだよ。さくらだって私とは腹違いで氷村家の人間じゃない。血筋だけを見れば私と君は遠い親戚に過ぎない。契りを結ぶことは十分可能だ!」

 

 遊が告げた事実にすずかたちは唖然とする。そして遊は言った。

 

「そもそも御神という家畜は左右の目の色が違う病気持ちというじゃないか。そんな奴の側にいたらすずかにも色違いが移ってしまうぞ。幼少から色狂いに加えて病気持ちの家畜とは救いようがない。そんな奴より同種たる私の方が君の相手にふさわしいと思うがね」

寝ぼけたこと言ってんじゃないわよ!!

 

 いきなり響いてきた怒声に、部屋中の者たちがそちらを見る。声を上げたのは顔を歪めて遊を睨みつけているアリサだった。

 

「あんたがすずかにふさわしい? なんの冗談? 寝言は寝てから言って! 健斗に比べたらあんたはすっぽん――いえ、微生物以下よ!」

「なに?」

 

 アリサの言葉に遊は不快そうな声を漏らす。そんな彼に向かってアリサは続けた。

 

「確かに健斗は好きな女の人がいながら他の子にもデレデレしちゃう、むっつりで優柔不断で、おまけに女好きな愚王の生まれ変わりなんて言われてる奴よ。

 でもね、あいつは友達や好きな人のためなら、自分の身を省みず、どんな相手にも立ち向かっていける奴でもあるわ! あいつが今までの間にどれだけ頑張ってきたか知ってる? 私に頭下げて一日中プログラムの勉強に打ち込んで、私たちの知らないところで何度も危険な戦いを繰り返してきて、そしてようやく仲間や好きな人を取り戻す事ができたのよ。

 あんたたちにそんなことができる? できないわよね! 手下を使ってすずかを無理やり連れ去るようなことしかできないんだから!」

「ぐっ……」

 

 アリサの指摘に遊は思わずうめき声を漏らす。アリサはさらに続ける。

 

「それにオッドアイは何らかの疾患を伴うこともあるけど、両目の色が違うだけなら病気でも何でもないわよ。だいたいオッドアイが簡単に移るなら、今頃世界中オッドアイだらけになってるわ。少しはもの考えて喋ったら。あと告白がこれ以上ないくらいキモイ。種なんて女の子を口説くときに使う? 叔父とか姪とか抜きにしてもあり得ないんですけど」

「き……きさま……」

 

 途切れることなく繰り出されるダメ出しに、遊は歯をがたがた震わせる。アリサはとどめとばかりに言った。

 

「ようするに、あんたなんかと比べたら健斗の方が十万倍はましってことよ! あたしだってあんたと結婚するか健斗と駆け落ちするかどっちかを選べって言われたら、コンマ一秒もかけず健斗と駆け落ちする方を選ぶわ! せめて告白の仕方を覚えてから出直してきなさい。このロリコン種フェチ!!」

 

 …………。

 

 アリサが言い切った途端、部屋に静寂が訪れる。それは陰鬱な部屋の空気を払うくらい爽快なもので、すずかはもちろん、遊の従者二人や安次郎も内心胸がすく気分だった。この三人も遊のことをよく思ってはいない。それどころか、すずかに言い寄る時の遊の言動は彼らでも引かずにいられなかった。

 一方、そんなことにも気付かず遊は顔をゆがめながら、

 

「この招かれざる下等生物が……下手に出てればいい気になりやがって……俺に逆らえばどうなるか、その身に思い知らせてやろうか」

 

 そう言って遊は凄んでくる。しかし、アリサは涼しげに笑いながら、

 

「あら、図星を突かれて逆ギレ。つくづく底の浅い男ね。だいたい現代の日本で誘拐なんてうまくいくと思ってんの。警察が動いたらあたしたちがここにいることなんてすぐにわかって、あんたたちは即刑務所行きよ! それがいやならさっさとあたしたちを解放しなさい!」

「刑務所だと。この私がか? ……ふっ、くくく」

 

 アリサなりに虚勢を張って遊たちを脅かしたつもりだった。現に安次郎や部下たちはたじろぐ様子を見せている。だが、肝心の遊はおかしそうに笑う。それを見てアリサは思わず戸惑いを見せた。

 

「な、なにがおかしいのよ?」

「くく。いやなに、なにも知らないのはいいものだと思ってな。お前もすずかと“契約”を交わしたうえで、《夜の一族》についてそれなりに聞かされているようだが、まだ我ら一族の力を完全に理解してはいないようだな」

「一族の力?」

 

 おうむ返しにつぶやくアリサに遊は首を縦に振る。その一方ですずかは――

 

「叔父様……まさかあなたは――」

 

 すずかが何か言いかける前に遊は片手を真上に上げる。すると、今までベッドに寝かされていた女がむくりと起き上がった。

 

「その娘を押さえろ」

 

 遊の命令にアリサはとっさに従者たちや安次郎の方を向く。しかし、その後ろから強い衝撃が走り、アリサは床に組み敷かれた。ベッドから起き上がった女によって。

 アリサは信じられないものを見る目で女を見上げる。その目は虚ろで肌は病人のように青白い。彼女の後ろで遊は勝ち誇ったような笑みを浮かべながら語った。

 

「こんな風に、《一族》に血を吸われた者は血を吸った者を主と見なし、絶対服従するようになる。やはりそこまでは知らなかったようだな」

「そんな、嘘でしょう……」

 

 女に組み敷かれながらアリサは戸惑いと苦悶が混じった声を漏らす。

 

「ちなみに、こうして人間を支配下に置くことを《一族》は“血の洗礼”と呼んでいる。上位種に奉仕する下僕になれるんだ。ぴったりの言葉だろう。……さて、下等生物にしては頭が回るようだからそろそろ気付いただろう。私が君の血を吸えば一体どうなるのか」

「――!」

 

 遊の言葉にアリサは目を見張る。

 遊はアリサの血を吸い、思い通りに操れるようにするつもりだ。そうすれば警察に告げられる心配などなくなる上に、遊は食糧源を兼ねた新たな手駒を得ることができる。

 

「それに最初に君を見た時から思っていたのだが、なかなかいい血色をしている。一度味見をしてみたいと思っていたところだったんだ……光栄に思うがいい。お前も私の――この世の最上位に立つ《吸血種》の忠実な(しもべ)にしてやろう」

「やめて叔父様! アリサちゃんに手を出さないで!!

 

 あらん限りの声を上げてすずかは叫ぶ。それに構わず遊は自らの僕にした女に組み敷かれているアリサの方に一歩足を進めた。

 その時――!

 

「遊様! 大変です!」

 

 ノックもなく従者が部屋に入って来て、食事(吸血)を邪魔されたこともあいまって遊は盛大に顔をしかめて従者を怒鳴りつける。

 

「なんだ貴様!? 我ら《一族》の食事を邪魔することがどれだけの無礼か、わかっているのだろうな?」

「も、申し訳ありません! ですがこの屋敷に突然二人の子供が訪ねてきて、すずかとアリサを出せと言ってきています! 左右の眼の色が異なる白い制服の子供と、(はかま)を着た外人の子供です!」

「なんやて!?」

「「――!!」」

 

 その報告を聞いて安次郎は仰天し、アリサとすずかは驚きに目を見張る。まさか……彼がこんな所まで来たというのか!?

 その一方で、遊はただ一人取り乱す様子もなく、あごに手を乗せて思案していた。

 

「左右の眼の色が違うだと……まさか……くくっ。どうやってここを嗅ぎつけたのかは知らんがちょうどいい。せっかくすずかの友達が訪ねてきたんだ、丁重におもてなしするとしよう。色違いの目のガキを捕らえてここに連れて来い! 袴を着ている方は適当に始末しておけ。敷地から出ない限り銃声も聞こえはせん」

「はっ!」

 

 遊の命令を聞いて従者はあわただしく部屋を出て行く。それを一瞥してから遊は片手を上げた。

 アリサを抑えつけていた女は、アリサから手を離し部屋の隅へと移動する。

 アリサは荒い息をつきながら体を起こし、すずかは彼女の元へと駆け寄る。

 そんな彼女らの前で遊は言った。

 

「気が変わった。君の血を吸うのはもう少し後にしよう。あのガキの目の前でお前を私の(しもべ)にし、すずかを私の物にする。そして我が伴侶に手を出そうとしたことを後悔させながらじわじわなぶり殺しにしてやるわ! ――アハハハハッ!!」

 

 ひとしきりまくし立ててから遊は狂ったように笑い続ける。

 彼の表情が驚愕に染まるのはそれから数分後のことだ。



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夜の一族編5 義兄

 時は少しさかのぼる。

 

 

 

 空が完全に黒く染まる頃、俺とヴィルは海鳴郊外にぽつんと立っている大きな洋館の前にいた。

 

「ヴィル……本当にお前も来るのか?」

 

 そう尋ねた途端、ヴィルは横目で見てもわかるくらい大きくうなずきながら、

 

「無論じゃ! すずかとその友を放っておくわけにはいかんしの。儂も参加させてもらうぞ。嫌ならお主一人で行ってもいいが、儂も儂で勝手に乗り込ませてもらうぞ。お主の背中を追うか、別の箇所を襲うか、悩むところじゃのう!」

「……」

 

 ヴィルがのたまう横で自分の眉間に皺が寄るのを感じる。

 

 本当ならこの屋敷には俺一人だけで乗りこむつもりだった。だが、屋敷の門が見えたと同時にヴィルが現れ、自分も屋敷に乗り込むと言い出したのだ。

 どうやって俺について来た? タクシーには俺と運転手以外誰も乗ってなかったはずだが……。

 それに俺もヴィルについて気になってることがある。俺たちの思念通話に割り込んできたのもそうだが、こいつは明らかにすずかの事を知っている。今もそうだし、デパートの時からそのような口振りを何度もしていた。

 まさかこいつも……。

 

 そこまで考えてから俺はヴィルに言った。

 

「……わかった。ついて来てもいいがくれぐれも俺から離れるな。それにまだすずかたちが誘拐されたと決まったわけじゃない。知り合いや家族と鉢合わせてついて行っただけの可能性がある。まずは屋敷を訪ねて誰が出てくるのか確認する。それまでこちらから手を出すな」

「わかっておるわい。そんなことも考えずに向かって行くほど浅慮ではない。お主のような童と一緒にしてくれるな」

「……わかった。じゃあ行くぞ」

 

 突っ込む気も起きず、俺はそう告げてから門の縁に取り付けられているチャイムを鳴らす。そして俺たちを尋ねる男の声に対して、すずかとアリサという子を探しに来たと告げた。

 それからすぐに屋敷の中から何人かの男が現れ、俺たちを門の内側に迎え入れてくれた。

 

 

 

 

 

 

 その頃、別荘から少し離れたところを白い車が2対のタイヤを滑らせながら疾走していた。その中には車を運転している忍、助手席に恭也、後部座席の中央にはさくらが座っていた。

 市内の女性が多量の血を失った状態で発見される『連続失血事件』。その犯人と居場所がわかったのだ。

 さくらが思っていた通り、首謀者は彼女の異母兄・氷村遊で、被害者の女性たちはこの先にある別荘に連れ込まれていたとのことだ。忍たちが報告した通り、被害者たちは遊がかけた術によって記憶の大部分を失っていたが、さくらが同じ系統の術をかけて聞き出したところ、以上のことが判明した。

 さくらが被害者に術を使うことを考慮していなかったのか、それともさくらたちをおびき寄せるためかはわからない。だが、これ以上の被害を防ぐためにも行かないわけにはいかなかった。

 

 そこでふいに黒い車と遭遇し、両車はキキィと耳障りな音を立てながら車を止める。そして相手を警戒する様子もなく、互いの車の中から何人もの人たちが出てきた。

 相手はお互いにとてもよく知っている人たちで……

 

「ノエル!? ファリン! どうしてあなたたちがこんなところに?」

「忍様!? どうして忍様がここに?」

「……恭也様とさくら様もご一緒でしたか」

 

 驚く忍にファリンは慌てながら、ノエルは冷静さを保ったまま返事を返す。忍はノエルの方に『何があったの?』と視線で尋ねる。ノエルは淡々と言った。

 

「実は先ほど、リンディ・ハラオウン様からすずかお嬢様とアリサお嬢様が姿を消して、そのまま行方が分からなくなってしまったとの連絡を受けました。その後警察からもお嬢様たちの捜索願が出されたと言われて。それで私とファリンがお嬢様たちを助けに行くようにと旦那様たちから命じられました」

「すずかとアリサちゃんが? まさかあの子たちもあいつに……。それで、どうしてあなたたちがここに? もしかしてあの子たちがいる場所がわかったの?」

 

 忍の問いにノエルは首を縦に振りながら、

 

「はい。こういう時のことも想定してお嬢様の鞄にはGPSを埋め込んでいますから。その反応をたどった結果、この先にすずかお嬢様がいらっしゃると推定しました」

「そう……ちなみにそのGPS、私の持ち物にもついてる?」

「…………お答えいたしかねます」

 

 間を空けて返って来た返事に、忍はGPSの存在を確信した。

 

(……そういえば恭也とホテルに行った日やその翌日は、決まって父さんの機嫌が悪くなっていたような……もしかしなくても、私たちが今まで行ってたところはほとんど父さんたちに把握されてたりする?)

 

 顔を青くして後ろを振り返る忍に、恭也は冷や汗をかきながらそっぽを向き、さくらは呆れるように頭に手を当てる。

 恭也は誤魔化すように前に出てきてノエルたちに尋ねた。

 

「お前たちがここに来た理由はわかった。しかし、そんな危険な所にファリンを連れてきていいのか?」

 

 不安そうにこちらを見てくる恭也に、ファリンは首をかしげる。

 ノエルの事は恭也もよく知っている。だがファリンに関しては“ノエルの妹”としか聞かされていない。ある程度想像はつくが、普段のファリンの振る舞いを見ていると……とは思えないのだ。少なくとも危険なことに対処できるようには見えない。

 しかし……

 

「確かに。こういう時はファリンがいた方が心強いかもしれないわね」

「そうね。数年前と違って私との力量の差はあの人もわかってるでしょうし、どこかから《自動人形》を持ってきていると考えた方がいいわ。人形次第ではノエルでも厳しいかもしれない。でもファリンなら――」

 

 納得したように頭を揺らす忍とさくらに、恭也は首を傾ける。

 彼に構わず、さくらは一同に向けて言った。

 

「じゃあ目的地は同じみたいだし、ここからは一緒に行きましょう。すずかの身がかかっているとなればぐずぐずしていられないわ。今度という今度はあの人にきついお灸を据えないと!」

 

 その言葉に忍たちもノエルたちも賛成し、ともに氷村遊の別荘へ向かうことになった。そこで彼女らは一族の総当主との対面、もしくは再会を果たす。さらにその後、総当主と“ある人物”にまつわるとんでもない事実を知ることになるのだが、それを語るにはまだ少し早い。

 

 

 

 

 

 

 門を通って屋敷まで歩いてる所で、俺たちを先導している男たちのうち一人が俺たちに顔を向けながら尋ねてきた。

 

「ところで、すずかさんとアリサさんを探しに来たということでしたが、どうしてその方たちがこちらにいるとお思いになられたんですか?」

 

 それに俺が答える。

 

「すずかたちがいなくなってから、位置情報アプリを使って彼女たちの居場所を探したんですよ。そうしたらここと同じ場所にすずかのスマホの反応があって、もしかしたらここにいるかなと尋ねてみたんです。すみません夜遅くに」

「いえいえ。ところで、よければその位置情報アプリとやらを見せていただけませんか? 何か他にもわかることがあるかもしれません」

「すみません。知り合いにスマホを預けていて見せることはできないんですよ。すずかとアリサはそちらにいないんですか?」

「……さあ、どうでしたかな。なにぶん今日は客人が多かったもので。そのような方たちもいたようないなかったような……」

 

 丁寧そうな口調とは裏腹に歯切れの悪い返事を返す男に、俺たちは確信を強める。一方で男も俺たちに鋭い目を向けた。

 

(確かにこのガキを始末するのは後にした方がよさそうだな。とっ捕まえてスマホを預けた知人の事を聞き出さないと。まあ警察が動く頃には、あの二人は警察に駆け込むことができない体になってるだろうが)

 

 屋敷の前に着くと、先頭の男は動きを止めて俺たちの方を振り返った。

 

「少しお待ちください。主人が参りますので」

 

 そう言って男は後ろの仲間たちに目配せをする。そこで――

 

「健斗――後ろじゃ!!」

 

 ヴィルの声とともに背後の男が手を伸ばしてくる気配を察して、俺は真後ろへ跳ぶ。そこにいる男も俺を捕まえようと太い腕を伸ばしてくる。そこへ俺は右腕を大きく突き上げて、男の顎を思い切り殴りつけた。

 

「ぐあっ!」

「このガキ!」

 

 途端に男たちは本性を現し、俺を捕まえようと敵意をみなぎらせる。そんな中、一人だけ冷たい表情で懐に手を入れてる奴がいた。そいつが狙ってるのは――

 

「ヴィル――避けろ!!」

 

 俺が叫ぶと同時に男は真っ黒な拳銃を取り出し、ヴィルに銃口を向ける。しかし、ヴィルは素早い身のこなしでその場から姿を消し、一瞬後には男の眼前にいた。

 

「なっ――!?」

「ふん!」

 

 それと同時にヴィルの指先から数本の長い爪が伸び、男の銃を分断して地面に叩き落とす。それを見て――

 

「つ、爪が伸びただと!? このガキ、旦那と同じ“一族”の――」

「ティルフィング!」

『Ja Meister!(御意!)』

 

 男たちが驚いている間に俺はペンダント状のティルフィングを剣に変えると同時に、ヴィルに向かって何事かつぶやいている男の体をティルフィングで袈裟斬りにする。その衝撃で男は太いうめき声を上げてその場に倒れた。

 

「剣が急に――なんだこのガキどもは!?」

「構わん、二人まとめて殺れ!」

 

 残っている二人のうち、片方は大声でわめき、もう片方は俺たちに銃を向ける。その標準はヴィルに向いており――

 

「避けろヴィル!」

 

 とっさに俺はそう叫ぶものの、ヴィルは片手を突き出すだけだった。あれはまさか――

 

「死ねっ!」

 

 無防備に立っている()()()()()()ヴィルに向けて、男は銃を乱射する。だが――。

 

「はぁっ!」

 

 ヴィルの左の手のひらから茜色に輝く“三角形の魔法陣”が現れ、銃弾をひとつ残らず弾く。ヴィルは手を握りこんで魔法陣を消しながら、もう片方の手とそこから伸びる長い爪を振り上げ――。

 

「ふんっ!」

「ぐあああっ!」

 

 ヴィルの長爪は空中から男の体を縦に薙ぎ払う。それを見て最後の一人が銃を構えるが、それよりも早く――

 

 《御神流・射抜》

 

「はあああっ!」

「ぐふっ!」

 

 男のもとまで疾駆しながら、彼の右肩を突き、そこから斜め下に彼の体を斬り落とした。

 

 ふぅと息をつきながらヴィルを見るとヴィルは爪を元に戻しているところだった。

 

「うむ。たまには運動もいいものじゃの。しかし、お主にしては躊躇なく斬り捨てたもんじゃの。てっきり殺さないように手心を加えると思ったが」

「それなら大丈夫。生きてるはずだ(非殺傷設定のままにしておいてるからな)。ところでヴィル、連中の台詞をなぞるようだが、お前は一体何者だ? すずかの事を知っていたり、さっきの爪といい、それに加えてなぜお前が魔法を使える? 《夜の一族》が魔法を使うなんて聞いていないぞ!」

 

 俺の問いにヴィルはふむと口を開いた。

 

「そうじゃの。お主が考えている通り、儂は《夜の一族》――俗に“吸血鬼”と呼ばれている種族じゃ。もっとも、魔法という術を使えるのは一族の中でも儂ただ一人じゃがな。そちらについては事を済ませた後で話そう。じゃが……」

 

 そこでヴィルはにんまりと笑い、

 

「ヒントぐらいは教えてやってもいいかの……儂は“お主の義兄(あに)にあたるかもしれん者”じゃ」

「えっ……?」

「ではゆくぞ健斗。同族の拠点に攻め入ることなど一族を統一してからはなかった事じゃからの。この機会に存分に暴れてくれようぞ!」

 

 戸惑う俺をよそに、ヴィルは爪で鍵を破壊して強引に扉をこじ開ける。俺はしばらくポカンとしていたものの、ヴィルに呼ばれて屋敷に足を踏み入れた。

 義兄(あに)か…………ヴィルってまさか“あの人”の……。

 

 

 

 

 

 

「遊様!!」

「どうした。色違いのガキを捕まえてきたのか? それとも勢いあまって殺してしまったか? だとしたら残念だな。あのガキに見せてやりたいものが色々あったのだが」

 

 再び部屋に駆け込んでくる従者に対して、遊は怒るどころか笑みを浮かべながら問いかけてくる。その後ろでは緊張した様子で耳を傾けるアリサとすずか、安次郎と側近二人、そしてコートを着た女がいた。

 彼らの前で従者は――

 

「例の二人はこちらの手勢を返り討ちにして屋敷に侵入しています! 屋敷内の従僕たちも次々に倒されていて、このままではすぐこちらに着いてしまいます!」

「なに――!?」

 

 その報告に遊は目を剥き、すずかたちは安堵の吐息をつく。安次郎たちも遊ほどではないが唖然とした姿をさらしていた。

 

「ば、馬鹿な! 相手はガキ二人だぞ! そんな相手に貴様らは何をやっているんだ!?」

「もちろん全力で捕獲にあたっています! それどころか遊様の命に反して二人とも殺すつもりでやっているのですが、妙な剣技を使ったり爪を伸ばしたりしていてとても手に負えません!」

「爪だと? ……まさか」

 

 爪と聞いて遊はある考えを抱く。この町の周囲に住んでいる《一族》は綺堂家と月村家くらいで、袴を着る子供など心当たりがないが……いや、《一族》の者なら銃を持たせた手勢を返り討ちにできるのもうなずける。そう考えた方がいい。ならば――。

 遊は部屋の奥でたたずむコートの女を見――

 

「安次郎! そいつ以外のイレインを動かして奴らの排除に向かわせろ! 二人とも殺して構わん!!」

「わ、わかりました! おい、聞いたか? 遊様に言われた通りお前の姉妹を――」

 

 安次郎はコートの女――イレインに遊の命令をそのまま伝える。それに対して、

 

「了解……量産機を侵入者の排除に向かわせます」

 

 イレインはそう告げてから再びその場に立ち尽くす。

 それと同時に、屋敷中に配備された《イレイン量産機》が健斗とヴィルを排除するために動き始めた。



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夜の一族編6 失敗作

 武装した男たちを蹴散らしながら屋敷を進み、二階に上がろうとしたところで辺りの空気が変わったことに気付き足を止める。ヴィルも不穏な気配を感じているらしく立ち止まって周囲を見回している。

 その時、階段の上からカツンカツンと足音を響かせながら、大きなスリットの入ったチャイナ服のような格好をした女が降りてきた。右手に鞭をまとわせ、左手には長短二本の鋭い刃が直接腕に取り付けられ、明らかにただものでないとわかる。

 緑色のヘアバンドを乗せた長い黒髪をたなびかせながら、赤く虚ろな目で女は俺たちを見回す。

 そして彼女は言った。

 

「……侵入者を発見」

「――!」

「――ぬっ!」

 

 女が告げると同時に、両脇の通路から鞭が飛び出してくる。俺とヴィルは身をひるがえして鞭を避けた。

 

「侵入者を発見……これより排除に当たります」

「侵入者一名から《一族》の反応あり……マスターからの命令を遂行するため、“絶対戒律(リミッター)”を解除します」

 

 鞭と声がかけられた方に目を向けると、そこから階段の上に現れた女と瓜二つの姿と恰好をした女たちが何人も現れた。全員虚ろな目で俺たちを眺めており、生気がまるで感じられない。

 

「ほう、《イレイン》か」

「知ってるのか!?」

 

 イレインというらしい女を見てつぶやきを漏らすヴィルに俺は思わず問いをぶつける。ヴィルはイレインたちに視線を向けたまま首を縦に振った。

 

「うむ。お主なら気付いていると思うが、あやつらは人ではない。《一族》の護衛や生き血の補給のために、我らの先祖が造った《自動人形》じゃ。人間はおろか、《一族》でもかなう者は()()()()おらん」

「自動人形……」

 

 ヴィルの説明に冷たい汗が流れる。《夜の一族》は人間にはない身体能力と異能を持つ一族だ。だが《一族》はそれで安心しきることはなく、自らを超える力を持つものまでも造り出したらしい。

 しかし、ヴィルの話はそれで終わりではなかった。

 

「そして、あのイレインは自動人形の中でも最も後期に造られた“最終機体”じゃ。戦闘能力ならすべての自動人形の中でも最高の性能を誇る。じゃが――」

 

 ヴィルが言い終わる前にイレインたちが再び鞭を放ってくる。ヴィルはうまくかわすものの、戦慄していたせいか一瞬遅れて腕にかすり、そこから鈍い痛みと強烈な痺れが襲ってきた。

 ティルフィングだけでは厳しいか。まあ今更ヴィルに隠す必要もないだろう。

 

「バリアジャケット装着」

『Jawohl(はっ)』

 

 ティルフィングの返事とともに体が紺色の光に包まれ、コート型のバリアジャケットが装着される。それを見てヴィルが目を丸くした。

 

「ほぉ、“魔導着”か! そちらも300年ぶりに見るわい!」

 

 ヴィルが零した言葉に俺は眉を吊り上げる。魔導着は昔のベルカでバリアジャケットを指す言葉だ。それを知ってるという事は、こいつ本当に――

 

「では儂も備えるとするかの。さすがにイレインが相手だとこのままではきついわい。男の血というのは不満じゃが――」

 

 そういうやいなや、ヴィルは素早く俺のそばへ跳んできて腕を掴んでくる。

 そしてヴィルは袖をめくりあげ、口を大きく開ける。

 

――まさか。

 

 そう思う間もなく、ヴィルは勢いよく俺の腕に噛みついた。

 

「――!」

「ん……んっ……くはぁ! やはり同性の血は口に合わんの。あやつの味に似てなければとても飲めんわい」

 

 勝手に一口分の血を吸っておきながら、ヴィルは不味そうに口を拭う。俺だって男に腕を噛まれていい気はしないというのに。

 

「じゃがまあ、あやつらを片付けるぐらいなら十分じゃ。ゆくぞ人形ども! 一族の総当主を舐めるでないわ!!」

 

 そう叫びながらヴィルは天井近くまで一気に跳躍し、十本の指先をイレインたちに向ける。そして――

 

「はあああああ!!」

 

 ヴィルの指から無数の爪が放たれ、イレインたちはそれをまともに受けて一体また一体と倒れていく。

 しかし、それでもすべてのイレインが攻撃を受けたわけではなく、ヴィルの死角にいたイレインは空中にいる彼に向けて鞭をまとわせた右手を向ける。それを見て――

 

「はああ!」

 

 ほぼ反射的に俺はイレインに突貫し、《雷徹》で彼女たちを斬りつける。

 俺の背後から別のイレインたちが鞭を向けてくる。だが彼女らは空中から降り注ぐ爪の嵐を食らって、その場に倒れた。

 

「――」

 

 残る一体が左手に取り付けた刃で俺に切りかかってきて、俺はティルフィングで受け止める。見た目に反してその力は重く、腕に痺れが伝わってくる。

 ふいにイレインは左手を上げる。その拍子に俺の剣は空を切り、大きな隙を晒してしまう。イレインはそれを狙って再び刃を振り下ろそうとした。

 

「御神流――《疾風(はやて)》!」

 

 空を切った状態のままイレインの首元に狙いを定め、相手が刃を振り下ろすよりも早く剣を振り上げる。

 首から上はどさりと地面に落ち、頭を失ったイレインはその場に立ったまま動きを止めた。

 

 剣を振り刃についたオイルを払っていると、横からヴィルが声をかけてきた。

 

「やるのう! それもベルカの剣術か?」

 

 彼の口からベルカという言葉が出てももう驚かず、俺は首を横に振る。

 

「いや、これは現世で母親から教わった技だ。《御神流》と呼ぶらしい」

「ああ、忍の男もそんな名前の技を使っておるらしいな。なるほど、さくらが手放しで褒めるわけじゃ。魔具とはいえイレインを斬ってしまうとはのう」

 

 やはり忍さんの事も知っているのか。さくらという人も俺が知ってるさくらさんで間違いなさそうだな。

 

「ところで、イレインというのはどのくらいいるんだ? もしかしてこれで全部なのか?」

 

 わずかほど期待しながら問うものの、ヴィルは首を横に振る。

 

「さあの。イレインは失敗作で一体のみしか作られておらんはずじゃ。それがこんなに現れるとは。儂も驚いておる」

「失敗作だと? 自動人形の中で最も強いのにか?」

 

 疑念に満ちた声色で尋ねる俺にヴィルは首を縦に振った。

 

「元々イレインは、《エーディリヒ式》という、人に近い心を持たせるために造られた自動人形なのじゃが、自我が強すぎたせいで主たる一族に反旗を翻しての。一族の技術者のほとんどを殺害したうえで逃亡を目論んだのじゃ。

 それゆえ一族は多くの自動人形を駆り出してイレインを停止させ、失敗作として封印することにしたのじゃ。そのようなものを二体以上も造ると思うか。そもそも技術者のほとんどがイレインに殺されたために、一族は高度な技術を失い、自動人形を造れる者はもう存在せんはずじゃ」

「だが現にイレインは何体も現れてるし、感情らしいものもろくになかったぞ! お前の話と違うじゃないか!」

 

 矢継ぎ早に問いかける俺にヴィルは腕を組んで言った。

 

「ふむ、それなんじゃがな、考えられることがないでもない。イレインにはオリジナルの他に、オリジナルの命令を受けて動く“子機”があっての。親機(オリジナル)に比べれば戦闘能力は低く自我もほとんどないが、親機の命令通りに動く。その子機を改良すれば量産機と呼べるものができあがるかもしれん。それだけでも莫大な金と高い技術が必要じゃが、イレインの設計図と今の人間たちの科学力をあわせれば不可能ではないかもしれん。じゃがそうなると……」

「強い自我と戦闘能力を持つ本物のイレインが別にいるってことか……」

 

 俺の言葉にヴィルはこくりとうなずく。

 

「うむ、この館の主とともにおるはずじゃ。高い戦闘能力を持つオリジナルを自身の傍に置かん理由もないしの」

 

 それを聞いて俺は2階に続く階段を見上げる。おそらくここより上にすずかとアリサに彼女たちをさらった者がいるはずだ。そしてオリジナルのイレインも……。

 それにしても親機の命令によって動く子機か。《マリアージュ》みたいだな。人工知能によって動く兵器も人間のように指揮系統が必要なのだろうか?

 

 そこでヴィルの方を見ると、彼は今まで進んできた通路の方を見ていた。どうしたと言いかけた俺に――

 

「……健斗、悪いがここから先はお主一人で行け」

「えっ?」

 

 突然の言葉に俺は思わず聞き返す。ヴィルは通路の方を見ながら言った。

 

「後ろから大量の追手がきよる。この気配や足音は量産型のイレインと見て間違いなかろう」

「なに!? じゃあさっきのように二人で――」

「阿呆!!」

 

 言いかけた俺にヴィルは鋭い一喝を浴びせる。ヴィルは続けて言う。

 

「このまま量産型を相手にしても体力を消耗するだけじゃ。万全でない状態で勝てるほどオリジナルのイレインは甘くないぞ。……それにさっきのでは到底物足りないと思っていたところじゃ。ここは儂に任せてお主はすずかたちを助けに行け! すずかを不埒者の魔の手から救ってみせれば、少しはお主の事を認めてやろう!」

 

 娘との結婚を認める寸前の頑固親父のような台詞を言いながら、ヴィルは二階を指す。俺はそちらを向きながら――

 

「無茶はするなよ!」

「誰にものを言っておる。さっさと行けい小童!」

 

 激励を交わしたところで通路側からカチャ、カチャという足音が響いてくる。それを背にしながら俺は階段を駆け上がった。

 

 

 

 健斗が去ったところで、ヴィルは大量のイレインと対峙する。彼女らの前でヴィルは獰猛に笑った。

 

「また大量に現れたもんじゃのう。イレインを持つ者と子機の増産ができるほどの資金を持つ者となれば、おのずとすずかをさらった者どもの正体は掴めるが、あやつらは健斗に任せるとしよう。――来い鉄屑ども。お主らに儂の相手が務まるかのう!」

 

 

 

 

 

 

 イレインを何体か倒しながら2階を進むと、広間らしき開けた空間に出た。そこに――

 

「健斗君!」

「健斗!」

「すずか! アリサ!」

 

 広間の奥にいる二人の姿を捕らえ、俺は彼女たちの名を叫ぶ。すると……。

 

「ほう、君一人で来たのか。お友達はどうしたのかな?」

 

 よく通る、しかし陰湿そうな響きを帯びた声がして、俺は彼女たちの隣に目を向ける。

 そこには整った顔の青年がいた。赤毛と碧眼を備えた、見た目だけなら好青年と呼べる印象の男だ。しかし、他者を見下している目つきと口調が彼の醜悪な内面を表していた。

 青年の横には金縁の眼鏡をかけた中年の男と、すずかたちを押さえている男二人。

 そして彼らの後ろにコートを着た金髪の女がいる。紫色の瞳はさっき倒した量産型のように光がない……間違いない。あいつが本物の――。

 

 俺は首謀者らしき赤毛の男を睨む。

 

「お前が二人を連れ去った奴らの首謀者か?」

「その言い方は不服だが、一応そうだと言っておこう。私は氷村 遊(ひむら ゆう)。すずかの叔父にして婚約者だよ」

「婚約者……?」

 

 その言葉に俺はすずかを見るも、すずかは首をぶんぶん横に振る。とりあえずすずかが望んでいる話じゃなさそうだな。

 すずかの横で遊はふんと鼻を鳴らし。

 

「そういう君は御神健斗君でいいのかな? うちのすずかがずいぶんお世話になっているみたいじゃないか。もう一人の女の子と一緒に大変お世話になって……いや、お世話をしてもらってると言った方が正しいのかな?」

 

 そう言って遊は嫌味そうに笑い、後ろの男たちも遊に合わせて笑い声をあげる。彼らに対し俺は左手を振りながら叫んだ。

 

「余計なお世話だ! とにかく二人を解放しろ! でないと――」

「でないと? でないとどうするって言うんだ? その剣で私たちを斬るというのかい? 最近の子供は怖いな。そんなものをどこで手に入れたのやら。見境なしの好色ぶりに加え、気に入らないことがあるとすぐに人を脅かす粗暴さ……やはり君にすずかを渡すわけにはいかない。命が惜しければここから立ち去りたまえ」

 

 俺が持っている剣を見て、遊はそんなことをのたまう。それに対して俺も言い返す。

 

「無理やり女の子をさらったり、銃を持つ男たちや自動人形というのを仕向けてくる奴に言われたくないな。すずかを渡すわけにはいかないのはこっちの方だ。すずかもアリサも俺が連れて帰る!」

「健斗君……」

 

 遊のみならず皆に向けて宣言すると、すずかは嬉しそうに俺の名を呼び、アリサも少し顔を赤くする。

 遊は不快そうに顔をしかめると……

 

「聞き分けの悪い子供は嫌いだよ。私はこう言ったはずだ、命が惜しければ立ち去れと。君がその気ならこちらもそれ相応の対応を取らなければならない」

 

 そう言って遊はピンと指を鳴らす。

 すると今まで遊たちの後ろにいたコートの女が前に進み出てきて、長いコートを脱ぎ捨てた。

 露わになった彼女の格好は量産型と同じように、大きなスリットの入ったチャイナ服のような赤い服を着て、“右手と左手には”それぞれ黒い鞭が巻き付けられ、長短二本の刃が腕に取り付けられている。

 こいつが……

 

「《イレイン》! その色違い目のガキを殺せ! 我らに食われるだけの家畜の分際で尊き純血種に手を出そうとしたことを後悔させてやれ!!」

 

 吼えるように遊が命じると、イレインは刃が取り付けられている両腕を持ち上げながら言った。

 

「了解……これより《夜の一族》に仇なす敵を排除します……」

 

 量産型のように感情のない声でイレインは告げ、俺の眼前に飛び掛かってきた。



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夜の一族編7 新旧エーディリヒ

 イレインはこちらに向かって疾駆しながら両腕を構える。あれは――

 その直後に彼女の右腕から電撃を帯びた鞭が伸びて、俺に向かって襲い掛かってくる。電撃を帯びている以上剣で受け止めるわけにいかず、俺は真横に跳んで鞭をかわす。そこへイレインはもう片方の手から鞭を飛ばしてきた。それをさらに真横へ跳ぶことで避ける。

 俺が鞭を避けている間にイレインは距離を詰めてきて、右腕ごと刃を振り下ろす。力比べじゃこっちが不利だ。なら――

 

「シュヴァルツェ・ヴィルクング!」

 

 魔法によって腕力を強化し、その力でティルフィングを振り上げる。その瞬間、ギィンという反響音を響かせながらティルフィングとイレインの刃は火花を散らし真っ向から衝突した。

 

「ぐぐっ……」

「…………」

 

 渾身の力を込めながら剣を押し込もうとする俺に対し、イレインは声を漏らすどころか涼しい表情で押し返してくる。だが力は互角のようでお互い一歩も引く様子を見せない。その光景に後ろで観戦している遊が声を上げた。

 

「――イレインと互角だと!? 最強の自動人形がなぜあんな小僧に?」

 

 俺もイレインも奴のたわごとに耳を貸さず鍔迫り合いを続ける。

 やがて俺の剣がわずかに押し上げられイレインの顔面に迫る。そこでイレインはもう片方の左手を振り下ろしてきた。その手にももちろん長短二本の刃が付いている。

 それを見て俺はイレインの右手を弾きながら後ろへ跳んだ。イレインはそこで振り下ろそうとした左手を止め、俺に向けてくる。その左手から鞭が飛んできて俺の腹に直撃した。

 

「ぐあああっ!」

 

 鞭の衝撃とそこから伝わってくる電撃で俺は大きなうめき声を上げる。それを見てすずかとアリサが悲痛な声で俺を呼び、遊が嘲笑を浴びせる。だが……

 

「いてえ――バリアジャケットにしておいて正解だったな。制服のままだったらさすがに危なかった」

 

 腹をさすりながら立ち上がる俺を見て、遊はあぜんとした表情になる。

 

「馬鹿な……あれを食らって生きてるだと? 人間ごときならあれだけで感電死するはずだぞ!」

 

 笑ったり驚いたり忙しい遊を無視したまま、俺はイレインに剣を向け相手に向かって飛び込む。

 

「はあああっ!」

「――!」

 

 対して、イレインは鞭を繰り出さず両腕を上げて俺を待ち構える。

 イレインめがけて剣を振り下ろすと、相手は右腕を前に突き出す。俺は剣を止めることなく相手の刃にぶつけた。

 そしてやはりイレインは空いている左手の刃を振り下ろしてきた。俺は一度剣を引き――

 

「はぁっ!」

 

 相手の刃の裏側に《徹》す打ち方でイレインの右腕を弾き、俺に向かって振り下ろされている左腕に刃をぶつける。

 こんな形で反撃が来ると思っていなかったのか、剣はあっさりイレインの左腕を弾いて、彼女は無防備な体を晒す。今だ――!

 

「だああああっ!!」

「ぐああああっ!!」

 

 俺の一太刀がまっすぐ入り、イレインは甲高い悲鳴を上げながら後ろに吹き飛ぶ。しかし完全に倒れる前に両手で床に叩き、その反動で立ち上がって即座に体勢を立て直した。

 今の攻撃でイレインの服は裂かれ、胸元からへそにいたるまで大きな切れ目(スリット)が入っている。

 しかし、彼女はそんなこと気にも留めずに俺を睨み、再び両腕を構える。その目には確かな闘志があった。

 

 

 

 

 

 

「――ふっ! はああっ!」

 

 イレインが振り下ろした刃を茜色の魔法陣で防ぎ、もう片方の手の先から伸びた爪を振り上げてイレインを薙ぎ払う。

 そうしてヴィルは無数に現れる量産型イレインの屍を築いていったが、そんな彼の前に通路を覆うほどのイレインが現れた。それも二階への階段以外の三方向全てから!

 無論、ヴィルは今まで通りイレインたちを圧倒していたが、やがて――

 

「――ぐおっ!」

 

 複数のイレインと爪戟を繰り広げている間に、別のイレインが伸ばしてきた鞭を脇腹に食らい、思わずヴィルはうめき声を上げる。それでも彼は眼前の敵を斬りながら――

 

「しゃらくさいわ!!」

 

 ヴィルは指先から茜色の砲撃を放ち、鞭を飛ばしてきたイレインを吹き飛ばす。しかし、脇腹の傷は深く、ヴィルは思わず傷口を押さえながら残りのイレインたちを睨む。

 

「くっ、血が足りなくなってしもうたか。健斗を行かせたのは失敗じゃったかのう。あやつの不味い血でも今は欲しくてたまらんわい」

 

 さりとてもう遅い。ここで逃げたらすずかや“義弟”を見殺しにすることになる。それでは孫夫婦や亡き妻に合わせる顔がない。ここにいるイレインを全滅させることが自分の役割であり、生き延びる唯一の手段だった。

 脇腹から手を離し、大量のイレインを前にヴィルは再び爪と魔法陣の盾を構える。

 

「はっ、お主ら雑魚ごとき、少々血が足りないぐらいでちょうどよいわい。総当主――いや、義兄(あに)としてケントのもとへは行かさんぞ!」

 

 そう叫んで、爪を振り上げながら、ヴィルがイレインの元へと飛び出そうとした、その時――

 

「……標準セット――ファイエル!」

 

 あらぬ方向から女の声が聞こえてきて、その直後にそこから飛んできた手首がイレインの顔面に激突し、イレインは並んでいた数体の機体を巻き込みながら倒れる。それを見てヴィルはまさかと思った。そこへさらに――

 

「御神流――《薙旋》!」

 

 ぼそりとつぶやいたと同時に、何者かが目にも止まらぬ速さで二本の小太刀を振るい、十体以上のイレインを切り捨てていく。常人には捉えられない剣筋の中を、ヴィルは目を細くして刀を振るっている者を見る。二本の小太刀を振るってイレインたちを倒しているのは、すっきりした黒髪の青年だった。

 彼に続いて、メイド服を着た薄紫髪の女が飛び込んできて、ワイヤーに繋がった手首を左手に戻しながら、その左手に付けた巨大な(ブレード)でイレインを斬りつける。彼女とともに長い爪を伸ばした長い桃色髪の女も戦いに加わった。

 それを見てヴィルは彼女たちの名を呼んだ。

 

「ノエル! さくら! 何故お主たちがここに!?」

「あなたは――!」

「おじいさま!!」

 

 ノエルもさくらもヴィルを見て思わず目を見張り、おじいさまという言葉につられて恭也もヴィルの方を見る。そこに“それ”はやってきた。

 

「お姉様! みんな!」

 

 声とともに、ノエルと同じ紫色の、背中に届くほど長い髪を垂らし、彼女とは微妙に異なるデザインのメイド服を着た女がやって来る。彼女を見て恭也は思わず声を上げた。

 

「ファリン!? まだイレインは残っているぞ! お前は忍と一緒に――」

 

 恭也はそこでファリンの右手を見て続きを飲み込む。今の彼女の両手は手首から先がなく、代わりに大きな筒が付いていた。まるで銃や大砲のように。

 

(まさか――それが彼女の武器なのか?)

 

 そんなことを考えている恭也や、まわりの者たちに向かってファリンは叫んだ。

 

「撃ちます! みんな下がって!!」

 

 その声とファリンから漂うただならぬ気配に、ヴィルも恭也たちもすぐに彼女の後ろに下がる。

 ファリンの両腕に付いた砲身から強烈な“電磁波”が放たれたのはその時だ。

 

「やああああああああっ!!」

 

 その場にいるイレインたちに向かってファリンは両腕から電磁波を放ち続ける。

 電磁波は命中したイレインのみならず、周りにいるイレイン、さらにその隣にいるイレインに伝わっていき、イレインたちはドミノ倒しに倒れていく。それがすべてのイレインに波及するまで十秒もかからなかった。

 

 すべてのイレインが停止したのを見てファリンは大きく息をつき、両腕を下ろす。ファリンの両腕の砲身は小さくたたまれて腕の中に戻り、代わりに十本の指が付いた手首がせり上がってくる。

 

「君、大丈夫だった?」

「う、うむ……これぐらい何ともない。それより、お主は一体……?」

 

 声をかけてきたファリンにヴィルは我に返ったように答える。そんな彼らの後ろから声が届いた。

 

「さすが《新型エーディリヒ》。最終機体()()()()()()()イレインをあっさり全滅させちゃうなんて。普段からは想像もできないわ」

「忍! お前はまだ隠れていた方がいい。どこかに残りのイレインが隠れているかもしれないんだぞ!」

 

 通路から現れた忍に恭也は注意をするが、忍は肩をすくめながら言う。

 

「大丈夫よ。恭也たちがいるんだし、むしろここにいた方が安全だわ……って、あなたはもしかして――」

「おお忍か。大きくなったのう! 前に会った時とは別人のようじゃわい」

 

 ヴィルを見て忍は驚いたように口元に手を当て、ヴィルも忍を見上げながら笑みを浮かべる。それを見て……

 

「忍様、その子を知ってるんですか? お互い会ったことがあるみたいな言い方ですけど……」

 

 ヴィルと忍を見比べながら首をかしげるファリン。そんな彼女に――

 

「控えなさいファリン。このお方は夜の一族を束ねる《総当主》――ヴィクター・フォン・キルツシュタイン様であらせられます。あまりにも無礼が過ぎるとその首を持って贖ってもらうことになりますよ」

「えっ……?」

「――!?」

 

 声を張り上げて怒鳴るノエルにファリンは思わず声を上げ、恭也も目を見開く。二人の後ろで忍はおかしそうに笑い、さくらは悩ましげに頭を抱えていた。

 

 

 

 

 

 

 イレインが飛ばしてくる鞭を避け、足りない腕力を《徹》や《貫》、強化魔法で補いながら彼女と刃を交える。イレインもまた俺の動きを学習したように的確に対応してくる。

 食い入るように戦いを眺めながら遊は言葉を吐き出した。

 

「なんだあいつは!? あんな人間が、あんな子供がなぜイレインと互角に張り合える? 奴は最も後期に作られた最終機体じゃなかったのか!?」

「そ、そのはずです! それどころか、あのイレインは人格の修正とともに戦闘能力も向上させたはず。ノエルでも勝ち目がないはずや。それがなぜただの子供に? それにどういう事や? 今のイレインはまるで――」

 

 イレインの元の持ち主である安次郎も口調を忘れながら言葉を漏らす。イレインの力を知る彼らにとってこの光景は異常だった。

 イレインは完成してすぐ自由を求めて《一族》からの逃亡を図り、自身を捕らえようとした《一族》や自動人形たちを屠ってきた。しかも、今のイレインはその頃より戦闘能力や装備を強化している。総当主でも十分に血を吸った後でなければあれに勝てないだろう。

 そのイレインがすべての力を出しても、9歳の子供を相手に未だ決着をつけることができないでいる。

 そしてそれと同じくらい妙なのは、イレインが漏らすようになった掛け声やうめき声だった。人格に手を加えてからイレインがあんな声を発することはなかった。あれではまるで……イレインに感情が戻っているようではないか!

 

 

 

「はああっ!」

「――ぐっ!」

 

 胸元に入りかけた一撃をかろうじて防ぎながらイレインはうめき声を漏らす。そしてもう片方の刃で俺を叩き斬ろうとするが、俺は後ろに跳んで避ける。そこを狙って鞭が飛んでくるが即座に真横に跳んでかわす。

 イレインの行動パターンはもう掴めた。後はそれをかいくぐって奴の急所に一撃を与えるのみ。

 

 俺は剣を前に構え、イレインも鞭を手元に戻しながら両腕を構える。

 ――次で決める。

 相手を見据えながら、俺もイレインもそう心に決めた。

 

「はあっ!」

 

 イレインが左腕から鞭を飛ばす。俺は体をよじってそれをかわしながら相手に迫る。イレインはそこへ右腕を向けてきた。

 

「はっ!」

 

 二発目の鞭が飛んでくる。俺は真横に跳んでそれをかわして距離を詰めつつ剣を突き出す。それを見てイレインも鞭を地面に垂らしたまま両腕を前に突き出してきた。

 

「はあああっ!」

「ああああっ!」

 

 俺とノエルは剣をぶつけ“最初の”剣戟を交える。魔法によって強化された腕力と《徹》によって、イレインの右腕の刃を弾く。イレインは間髪入れずに空いていた左腕の刃を振り下ろしてくる。俺は一瞬で相手の構えを見切り、イレインの左腕に剣を叩きこむ。

 イレインは両腕を弾かれ、一瞬の間無防備な姿をさらす。そこを狙い――はしなかった。

 イレインは最初に放っていた二本の鞭を振るって俺に叩きつけようとしたのだ。あれを食らったらまずい。

 俺は後ろへ跳ぶ。イレインはその間に両腕を動かし鞭を手繰り寄せる――そこだ!

 

 フライングムーヴ!

 

 技能が発動し、すべての時間が緩やかになる。

 その中で俺はもう一度剣を腰だめに構える。そして一気に彼女の元へ(はし)った。

 制止した時間の中、イレインの人間離れした視覚が俺を捉え、驚きに目を見張る。そんな彼女は人間のようで、“人形”とは思えなかった。

 俺は眼前にいる彼女に向けて剣を振り上げる。御神流の奥義もどきの名を口にしながら――。

 

「シュヴァルツ・ブリッツ!!」

 

 次の瞬間、時間は動き出す。だがイレインの攻撃を避ける必要はない。

 俺の剣は彼女の胸に深々と突き刺さっていたのだから。

 それを実感しながらイレインは笑った。

 

「……あたしが生身の人間……それもこんな子供に負けるとはね…………でも、そのおかげであいつらに仕掛けられたプログラムの影響もなくなったみたい……だから、一応礼を言うわ……もうあなたと戦えないのは残念だけど……」

「戦えるさ。現在の技術ならお前の人格を矯正させることは可能だとわかったんだ。いつか月村家がお前を直してくれるはずだ。その時にまた手合わせをしよう」

「……楽しみにしてるわ」

 

 それだけを言うとイレインは眠るように目を閉じた。

 俺は彼女の胸から剣を抜いて床に寝かせてから、後ろに視線をやる。

 遊はびくりと肩を震わせて後ずさった。

 

「ひっ……ま、待て! 金ならいくらでもやる! 私は《夜の一族》でも名門と名高い氷村家の御曹司。お前が望むくらいの金などいくらでも用意できる! 女だって好きなだけ手に入るぞ! だから――」

 

 典型的かつ俗悪な命乞いを聞いてすずかたちは顔をしかめる。それに対して俺は……

 

「お前からの金なんていらん。さっさと二人を解放して、おとなしく警察が来るのを待ってろ」

「そういうわけにはいかない! 金髪の方は返してもいい。だが《一族》の血統を守るためにはどうしてもすずかが必要なんだ! 彼女だけでも譲ってくれないか。もちろん傷つけたりはしない!」

「すずかや彼女の両親はそれを了承しているのか?」

 

 そう言ってすずかに目をやると、やはり彼女はぶんぶん首を横に振る。まっ、彼女や両親が婚約とやらを了承しているならわざわざ誘拐なんてしないわな。

 

「なら駄目だ。さっき言った通りすずかもアリサも家まで送り返す。いい加減にしないと少し痛い思いをしてもらうことになるが……」

 

 そう言って一歩近づくと遊はびくりとする。だが彼は諦めず……

 

「……本当に取引に応じるつもりはないのか?」

「くどい。さっさと二人を放せ。でないと本当に……」

 

 眼を鋭くして言うと遊はこちらをじっと見て。

 

「そうか……ならやはりお前には死んでもらわなくてはならないようだな!」

「駄目! 健斗君、この人の目を見ないで!!」

 

 すずかが叫ぶ前に遊の目は真っ赤に染まり、俺は思わず動きを止める。

 そんな俺を見て遊は勝ち誇った笑い声を上げた。

 

「ははははは!! どうだ、動けないだろう! これが《一族》が持つ“魔眼”の力だ! 貴様ら家畜ごとき、目を合わせただけで動きを止めることができるんだよ!」

「……」

「はした金で転ぶのなら見逃すなり下男として抱えてやってもよかったのだが、そこまで言うなら仕方ない。お前はここで殺してやるとしよう。無駄に格好をつけたのが命取りだったな」

「やめて!! お願い叔父様! 私はどうなってもいいから、健斗君とアリサちゃんは助けてあげて!!」

 

 すずかが懇願するが、遊は聞く耳持たずに爪を伸ばしながらゆっくり俺に迫ってくる。対して俺はこの場を一歩も()()()にいた。

 すぐ目の前まで来たところで遊は足を止め、嫌らしい笑みを浮かべながら爪を振り上げる。

 

「どれほど腕が立とうと所詮ただの家畜だな。本物の霊長類(夜の一族)には手も足も出まい。特にお前は家畜どもの中でも頭一つ抜けた愚か者だよ。せっかく私が飼ってやろうというのにそれをはねのけるとは……せめてもの憐れみを込めて苦しませないように殺してやろう――死ねぇ!!」

「健斗君!!」「健斗!!」

 

 そう言って遊は俺を切り裂かんと爪を振り下ろし、すずかとアリサが悲痛な叫び声を上げる。

 それに対して俺は――

 

 奴の顔面めがけて思い切り拳を叩き付けた!

 

「ぐはあああああっ!!」

 

 その瞬間、遊は端正な容姿からかけ離れた醜い悲鳴を上げながら、後ろの壁まで吹き飛ぶ。従者たちもすずかも唖然としながら壁に激突した遊を見ていた。

 

「さっきから訳のわからないことを。魔眼だか何だか知らないが普通に動けるんだけど……っていうか、そっちこそ生きてる? つい思い切りぶん殴っちまったけど」

「健斗君……何ともないの? 真正面から魔眼を見たのに」

「……? いいや。この通り何ともないよ。あいつの目の色が変わっただけじゃないのか?」

 

 呆然と聞いてくるすずかにそう答える。

 彼女に言った通り、俺の方は何ともない。目を赤くした遊が睨んできて、ぶつぶつ言いながら俺に近づいて、例の爪で攻撃しようとしたから反撃しただけだ。剣で斬る気も起こらなくてつい素手で殴ってしまったが、非殺傷設定がある分剣で攻撃した方が安全だったかもしれない。

 

 まだまだだなと自戒しながら俺は従者たちに目を向ける。すると中心にいた金縁眼鏡の中年があわただしく口を開いてきた。

 

「ま、待ってくれ! ワシは遊にイレインを貸しただけや! 《一族》の血統にも興味はあらへん! せやけど事業の失敗でできた借金を返すために仕方なく――」

「お、俺たちだって遊に雇われただけだ! いけ好かない奴だけど親がすごい金持ちみたいで羽振りだけはよかったから。それで気が付いたら吸血だの誘拐だのの片棒を担がされるようになったんだ」

 

 従者たちの言い訳を聞きながら俺は盛大なため息をつく。今時ドラマでもこんな言い訳をする悪党がいるのかどうか。もう遊みたいに殴る気も失せてきた。

 

「じゃあ早くすずかとアリサを解放しろ……言っておくが妙なことは考えるなよ」

 

 そう言って俺は剣を構える。これだけ近くにいれば二人を人質に取ろうとしても、銃を叩き落とすことができる。

 それが伝わったのか、男二人はあっさりすずかたちから手を放す。彼女たちは手を縛られたまま目に涙を浮かべて俺の傍へやってきた。あいにく今は抱きとめることはできないが。

 そこへ――

 

「すずか!!」

「お嬢様!」

「すずかちゃん!」

 

 部屋の中に忍さんとメイド姉妹が入ってきてすずかの元へ駆けつける。

 彼女らの後に恭也さんとさくらさん、そしてヴィルが入ってきた。

 

「健斗、お前までいたのか……まさか、これはお前が……?」

 

 部屋を見回しながら問いかける恭也さんに俺はうなずきを返す。

 

「あなた一人だけでイレインを倒したというの? それもオリジナルを……」

「うむ。さくらとすずかが目をかけているだけあってなかなか面白い奴じゃわい。あやつ……お前の祖母に似ておる所もあるしの。海を越えてこの国に来た甲斐があったわい」

 

 横たわるイレインを見ながらこぼすさくらさんにヴィルが続く。すると倒れていた遊が身を起こしながら口を開いた。

 

「そ、総当主……なぜあなたがここに……?」

「総当主やと――!?」

 

 遊の言葉に手下の一人は声を荒げ、すずかも、

 

「総当主って、《夜の一族》の当主たちの中で一番偉いっていう……そんな人が何でここに……」

 

 彼女に対しヴィルは、

 

「まあ色々あっての。その話はここを出た後でするとしよう……今は」

 

 と言ってから、悠然と遊のもとに歩みながら言った。

 

「久しぶりじゃな遊。さくらや忍に続いてあの鼻たれ坊主もでかくなったもんじゃわい。本当ならお前たちの成長を喜びたいところじゃったが、そうもいかんようじゃ。数年前はさくらの取りなしとお前の父親に頭を下げられたことで許したが、他家との不可侵の取り決めを破った以上そうもいかん。正式な沙汰が決まり次第追って伝える故、それまでは刑務所とやらで頭を冷やすがよい」

「ふざけるな……もとはと言えば貴様が……貴様が人間などと共存すると言い出したせいで、異界からさまよってきたなどと抜かす家畜にそそのかされたせいで……何が総当主だ――この裏切り者がああああっ!!」

 

 遊は起き上がりヴィルに爪を突き立てようとするが、ヴィルは素手で遊の爪を受け止め、彼の心臓に自らの爪を突き立てる。

 すると遊は「うぐぐっ」とうめいてからその場に倒れた。

 凄惨に見える光景に遊の手下を含む一同が沈黙する中、ヴィルは遊から爪を引き抜いてから俺たちを見て言った。

 

「安心せい、殺してはおらん。吸血種は心臓のある部分を突けば強制的に眠るようにできておるのじゃ。一族――特に純粋な吸血種は生命力が高いからのう。それぐらいでは死なん」

 

 爪に付いた血をハンカチで拭いながら、ヴィルは俺とすずかたちに視線を移す。

 

「申し遅れたの。特に健斗には素性も真名も明かさずに失礼した。他者と対等に話すなど久しぶりで楽しくてついの。許せ。儂はヴィクター・フォン・キルツシュタイン。キルツシュタイン家の先代の当主にして、《夜の一族の総当主》と呼ばれておる者じゃ。ちなみに儂の三番目の妻の名はアリエル・F・キルツシュタインという。ベルカという世界から来た人間で、グランダム王国の先王がもうけた庶子にあたるらしい。さすがに最後は疑わしいがの」

 

 皆が驚く中、ヴィルはニカッとした笑みを俺に向けた。

 アリエル……腹違いの姉の名をここで聞くことになるとは。



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夜の一族編終 許嫁

『クオン』関連の設定はエクストリームハーツやインフィニティソウルズの話次第で変更するかもしれません。
それとセリフを入れる機会がなかったのですが恭也も話の中にいます。


「あらためて自己紹介させていただきます。月村重工とクオン・テクニクス社の共同開発で作られた、《新型エーディリヒ》および《QON-P0XX》――ファリン・K・エーアリヒカイトです! もう見知らぬ方はいらっしゃらないと思いますが、これからもよろしくお願いします!」

 

 そう言ってかわいらしい敬礼をするファリンさんを俺たちは唖然としながら見る。それに対して、眼鏡をかけた黒髪の男性――この家の主である月村 俊(つきむら しゅん)さんは苦笑を漏らし、ヴィルはワイングラスを持ちながら愉快そうに笑った。

 

「新型エーディリヒとはのう! 儂の知らないところでそんなものを作っていたとは。お主らもなかなかやりよる。まあそのおかげで助かったがのう! わっはっはっはっ!」

「お義兄様が総当主様への報告を怠るとは思えませんが。おおかた適当に聞き流して忘れてしまったんでしょう」

「あー、そうかもしれんのう。何しろ今になって新しい自動人形を作ろうなどと言い出す者が現れるとは夢にも思わなかったからの。ところで“クオン”とはなんじゃ?」

 

 孫であるさくらさんと軽口を叩きながら、ヴィルは『クオン・テクニクス社』について尋ねる。そこへ紫色の髪を短く切り揃えた整った容姿の女性――月村 春奈(つきむら はるな)さんが口を挟んだ。

 

「最近色々な分野で目覚ましい活躍を見せている『クオングループ』の系列会社です。IT関連でも優れた製品を出していて、ファリンの開発にお力を借りる事に。あなたたちも名前ぐらい聞いたことあるでしょう?」

「うん。私とアリサちゃんがよく聞く曲も『クオン・ミュージック』が出してる曲なんです!」

 

 母親に話を振られてすずかはヴィルにそう説明する。ヴィルは「ほう」と言って。

 

「じゃあ、あの武装もクオンとやらが作ったのか? じゃとしたら恐ろしいの。イレインをあっさり倒してしまう武器を民間企業が作っておるとは」

「まさか、あれは私が設計したものよ。ある小説をヒントにしてね。本当は指から電撃が出せるようにしたかったんだけど、さすがに難しくて。まあ腕につけた分、砲身も太くできて威力も上がったけど」

 

 険しい顔でつぶやくヴィルに忍さんが片手を振って否定する。そこへさくらさんが割り込んだ。

 

「軍需産業でもないのに会社ぐるみであんなもの作ったら違法でしょう……まあ私たちは護身用という事で……。クオンには人工知能の開発に協力してもらったのよ。そうでしたよね?」

「ああ。その代わり、自動人形の仕組みをあちらに教える事になったけどね。――もちろん彼らが信用に足ると思ったからです。そうでなければ易々と《一族》の技術を教えたりなんかしません!」

 

 さくらさんに応えつつ、俊さんはヴィルに向かって弁明する。それにヴィルは「まあ、お前がそう判断したのならいいじゃろう」と答えながら再びワインを口に含んだ。

 やはり月村家の当主より一族の総当主の方が立場が上らしい。そんな相手の手前の席で、俺は細々と食事を口に運んでいた。

 

 

 

 

 

 すずかとアリサを救い出し、遊たちを警察に引き渡してから約二時間後。俺たちは忍さんやノエルさんの車に乗せてもらって、月村邸に来ていた。

 移動している間、ファリンさんは量産型イレインを倒すのに大量の電気を消費したためノエルさんの車でぐっすり眠っていたが、屋敷に到着してすぐ車に積んでいたバッテリーを入れた途端、元気に動き回るようになった――バッテリーを入れる所は見ていない――。

 そして忍さんとすずかの両親に招かれて夕食をご馳走してもらうことになり、今に至る。

 

 

 

 話がひと段落したところで、ヴィルはふいにワインを置いてアリサに頭を下げた。

 

「アリサ殿、健斗殿、我々《一族》の騒動に巻き込んですまなかった。氷村家は今も純血種の血筋を保っておる分、人間への憎しみと選民意識が他の家よりも強くての。遊もその影響を受けておったようじゃ。あやつには厳しい罰を与え、二度とこのようなことが起こらないようにする。それで許してくれ」

「安次郎については私からも謝罪する。安次郎は元々私から借りたお金で事業をしていたんだが、失敗が続いて大きな損失を出すようになって、それでも懲りずに危ない事業に手を出そうとしたため、やむなく出資を打ち切ったんだ。しかし、結局別の所から借りた金を事業につぎ込んで失敗し、このような事を。すずか、アリサちゃん、本当にすまなかった!」

 

 ヴィルに続いて俊さんも頭を下げる。そんな彼らに――

 

「いえ、悪いのはあの人たちですし……」

「それに、私がおじさんの立場でも安次郎って人への出資は打ち切っていたと思います。でも、ノエルさんたちを売るだけで借金を返せるほどのお金になるんですか?」

 

 アリサの問いに俊さんは首を縦に振って言った。

 

「さっき総当主と話していた通り、彼女たち自動人形には現代の科学技術でも解明されていないロストテクノロジーが組み込まれているんだ。それをうちやクオンの競合会社に売却すれば、かなりのお金が入って来るだろう。安次郎はそれで再起を図ろうとしたんだと思う」

「おそらくすずかお嬢様と遊様の婚約に際しての結納品として私とファリンを要求し、安次郎様が受け取る約束が交わされていたのだと思います」

 

 俊さんの説明を補足するように、ノエルが隅から進み出てきてそう付け足す。そこへ俺が口を挟んだ。

 

「だが、それならイレインを売ればよかったんじゃないか。性能ならあっちの方が上だと思われていたし、人格も矯正したんだろう」

「それは難しいじゃろうの。あの屋敷で話した通りイレインは過去に暴走を起こし、多くの者を殺めた機体じゃ。遊たちはイレインの精神に手をくわえて自分たちに害しないようにしていたらしいが、根本的な欠陥を修復したわけではない」

「そんな欠陥を直さずに製品化なんてできないわ。多額のお金をかけて造ったロボットが殺人なんか起こしたら、それこそ安次郎は破滅よ。散々責め立てられた挙句どこかの海に放り捨てられるでしょうね」

 

 ヴィルと忍さんの説明に俺はうなずき、納得を示す。

 確かに、いくら性能がよくてもいつ暴走するかわからない自動人形なんか売りに出せるわけがない。だから安次郎は欠陥がないノエルやファリンを奪おうとしたんだろう。ファリンの方は性能面でもイレインを圧倒していたしな。

 

「そうか……ところで、ヴィルやさくらさんが何度か言ってる数年前の騒動って何だ? それらしい事件なんて聞いたこともないけど」

 

 俺の問いにさくらさんはヴィルを見、彼がうなずくのを確かめてから俺に視線を戻し口を開いた。

 

「数年前、私たちの通っていた学校――風芽丘(かぜがおか)学園に遊が転入してきたのよ。それからすぐに何人もの女子生徒が貧血で倒れるという出来事が毎日のように起きるようになった。その話を聞いて私はすぐに気付いたわ。遊が彼女たちをたぶらかし、その血を吸ったと。当然私は何度も彼を止めようとしたわ。でも彼は聞く耳を持たず、むしろその事がきっかけであの人から誤解を受けるようになって……もし何かが違っていたら取り返しがつかないことになっていたでしょうね」

 

 そう言ってさくらさんはぎゅっと唇を結ぶ。その様子に俺とアリサは首をかしげる。遊に接触したことが原因でさくらさんとあの人との間に何かがあったらしい。気になるがそのことには触れない方がよさそうだ。

 

「とにかく色々あったけど、私たちは遊を懲らしめて学校から追い出すことに成功したのよ。でも、遊にそれ以上の制裁が下ることはなかった。私と彼のお父様がかばったから……今さらだけど後悔してるわ。人間を憎む気持ちは理解できても、一族が定めた掟を破って人に害をなそうとしたからには相応の罰を与えるべきだった」

 

 そこまで言ってさくらさんは息をつき、乾いた喉を潤すためにワインを口にする。

 

 そういえばさくらさんと遊は腹違いの兄妹だったな。さくらさんが言った『私と彼のお父様』という言葉はどちらの意味なんだろうか?

 『“私と彼のお父様”』なのか、それとも『私と“彼のお父様”』なのか、そのどちらかによって彼女の言葉の意味は大きく変わる。さくらさんの言い方だと『私と“彼のお父様”』のようだが。

 

 アリサもそれを察してしばらくの間沈黙を挟んでいたが、さくらさんが落ち着くのを見計らって再び口を開いた。

 

「なんで遊って人は人間を憎んでいるんでしょう? あの人は口を開くたびに、私たち人間の事を家畜や下等生物って呼んでいました。お金持ちだからとか由緒ある家とか、そんな理由とは違う侮蔑と憎悪を抱いていたように思えるんです。あの人の事は許せないけど、さくらさんやヴィクターさんの話を聞いてるとますますそれが気になって……」

 

 それを聞いて俊さんとさくらさんはヴィル――いや、総当主ヴィクターを見る。春菜さんと彼女の娘たちもそれに続くが、俊さんたちのそれとは違って純粋な興味による視線だった。

 ヴィクターはワインを揺らしながら、

 

「……そうじゃの、お主たちには話してもいいかもしれん。《一族》の中でも若い者は知らなかったりおぼろげにしか聞いておらん者も増えたことじゃしの……それに“あやつ”が関係している話でもある」

 

 あの人が《夜の一族》の話に出てくるのか!?

 驚く俺に視線をやってから、ヴィクターはグイッと残りのワインをあおり、唇を舐めて語り始めた。

 

「昔は吸血種や獣人種のような“人外”は世界中のどこにでもおってな、《夜の一族》もその中の一部じゃった。じゃが、人間が文明を持ち、国を作り、いたる場所に版図を広げるようになってから、我々のような人外は住処を追われ迫害されるようになった。特に“教会”は千年以上にわたってしつこく我らを追い回してきおったの。人外はすべからず神の意に反する存在じゃと。傲慢もいいところじゃわい。それなら我々より人間からかけ離れた動物や虫、細菌などはどうなる? あれらも神の意に反する存在なのか? 結局人間たちが強い力を持つ我らを勝手に恐れて、追い立てるようになっただけじゃ」

 

 そう言って鼻を鳴らすヴィクターに俺もアリサも何も言えなくなる。アメリカで幼少期を過ごしたアリサは“教会”や彼らの教えと無縁ではなく、俺の故郷であるベルカの宗教組織もヴィクターの言う“教会”に近いものだったからだ。俺自身はシュトゥラやフロニャルドでの経験のおかげで、獣人に差別意識を持ったことはないが。

 

「それに加えて儂ら吸血種は“ヴァンパイアハンター”を自称する狩人たちにも追われておっての。儂の弟や友の何人かは奴らに殺された。その時の恨みは今も忘れておらんよ」

 

 そう言ってヴィクターはぎろりと俺たちを睨み、俺たちは思わず背筋を震わせる。赤くなったその瞳には遊よりはるかに強い憎しみが宿っていた。

 すくみ上がる俺たちを見て、ヴィクターは我に返ったように目をつむり、瞳の色を青に戻しながら続ける。

 

「そんな追っ手から自身や一族を守るために、当時持っていた技術の粋を集めて作ったのが《自動人形》じゃ。儂らはそれを使ってハンターを返り討ちにし、報復として何百何千の人間を連れ去りその血を吸いつくした。じゃが、それがかえって人間たちを煽る結果になっての。奴らは儂らを血を吸う鬼――“吸血鬼”と呼び、手段を選ばず根絶を目論むようになった。そうして人間も吸血種も互いに知恵と力の限りを尽くして殺し合うようになった……300年前まではの」

「300年前……その後からは違うという事ですか?」

 

 春菜さんの問いにヴィクターはうむとうなずく。

 

「儂が亡き父に代わってキルツシュタインの当主を継いだばかりの頃じゃ。儂は数日がかりの執務を終わらせ、少ない護衛を連れてミュンヘンの森を散策していたのじゃが、そこをハンターたちに狙われての。護衛を殺され、儂自身も抵抗むなしく殺されそうになったところで彼女が現れたのじゃ――妙な術を使う女子(おなご)がの。

 ハンターたちはしばらくの間あやつと言い争っていたが、あるハンターがとうとう痺れを切らし、女に銃を向けてここから去るよう脅し付けた。じゃが女は引かず、儂を逃すように訴え続けた。そしてついにハンターたちは儂と女両方を始末しようと決め、銃弾を撃ち放ってきた。じゃが女は腕の先に“三角形の文様”を広げて弾を弾き、袖に忍ばせていた短剣で敵を切り裂き、あらぬ所から出現した縄で敵をふん縛り、最後は儂を両手に抱えて空を滑空して逃げたのじゃ! さすがの儂も夢でも見ているのかと思ったわい」

 

 ヴィクターの話に皆はまるで物語でも聞かせられているかのような反応を示す。だが俺の方は確信が強まった。

 ヴィクターを助けたのはベルカの魔導師だ。バインドや飛行魔法――なにより銃弾を弾くときに使った“三角形の魔法陣”がそれを示している。

 

「その後は? まさかそこで別れたわけじゃないだろう」

 

 俺の問いにヴィクターは首を縦に振る。

 

「もちろんじゃ。人間とはいえ、助けられた礼もせず放逐するほど薄情ではないわい。そのまま娘とともに屋敷まで行動を共にした。“アリエル”という名を聞いたのもその道中じゃ。儂はアリエルを連れて屋敷に戻り、そこで十分な恩賞を与えようとした。じゃがアリエスは恩賞を受け取らず、そればかりか町へ戻ると言いながら反対方向の森の奥へと行こうとしたのじゃ。儂が見かねて聞いてみたところ、アリエルは観念したように自分はこのあたりに来たばかりで道がわからないと言い出したのじゃ。当時あの森は《一族》の根城となっており、人間は森から離れた町から極力出ないように住んでおった。町までの道を知らない人間がいるはずがないのじゃ。儂らは首をひねり、助けてもらった埋め合わせと万が一の監視を兼ねてしばらく女を屋敷に置いておくことにした。

 そして翌日、アリエルは使用人に紛れて家事を行っておった。周囲からの疑いの目も気にせずにてきぱき雑務をこなしながらな。そして一週間も経つ頃にはアリエルは当たり前のように使用人の一列に加わっておった。それからしばらくして、アリエルも《一族》の事や人間との因縁を知ることになるが、あやつは変わらず屋敷に留まり続けた。吸血による“洗礼”に縛られたわけでもなくの。

 そんな彼女を見て、儂をはじめ一族の者たちの心のトゲは少しずつ溶けていった。こんな人間もいたのじゃとな。それから《一族》は少しずつ人間との共存も視野に入れるようになった。《一族》が高度な技術を失った一方で、人間の文明は産業革命によって急激な進歩を遂げ、戦っても勝ち目がなくなったというのもあるがな」

 

 ヴィクターの話に皆は呆気にとられた様子で聞き入る。すべての人間を目の敵にしていた《一族》がたった一人の女性によって変わるとは。その女性が……。

 

「やがて儂はアリエルに惹かれるようになった。正直に言えば最初に助けられた時点で興味はあったが、その頃の儂は同族から娶った妻がおってな、気にしないようにしていた。じゃが、ある時彼女に血を飲ませてもらっての。その時にちょっとの……」

 

 そこでヴィクターの顔が赤くなり、アリサやすずかを見て言葉を飲み込む。

 まさかこいつ、血を吸った後にアリエルと……それも奥さんがいる身で……。

 皆から冷めた目を向けられる中、ヴィクターはゴホンと咳払いをし、

 

「と、とにかく、それから数年後、吸血種の間で流行った病によって妻に先立たれてしまっての。独り身となった儂はアリエルに求婚し、彼女を新しい妻にした。それからしばらくして彼女は女の子を産んだ――それがさくらの母親じゃ」

「えっ? ……それは本当ですか?」

 

 さくらさんからの問いにヴィクターは笑みとうなずきを返す。

 しかし、さくらさんは浮かない表情でヴィクターに手を突き出して言った。

 

「待ってください。アリエルという方は、ベルカという異世界から来た人間で、グランダム王国の先王の庶子だって言ってましたよね?」

「うむ。あやつはそう言っていたの。儂も本当かどうかはわからんが」

 

 ヴィクターの説明を聞いてもさくらさんの困惑は収まらぬまま。

 

「健斗君はグランダムの王様の生まれ変わりだから、アリエルさんとは姉弟にあたるわけで……私はそのアリエルさんの孫だから…………つまり健斗君は私の――大叔父様!?

 

 頭に手をやりながらぶつぶつつぶやいた末に、さくらさんは突然部屋中に響く声でそう叫ぶ。一方、俺も信じられない目でさくらさんを見ていた――この人が俺の又姪だと?

 そんな俺たちを見て、ヴィクターがかっかっと気持ちのいい笑い声をあげていた。

 

「感動の対面じゃのう! 儂が許す。この場で熱い抱擁を交わせい!」

「そんな真似できるか! っていうかその後はどうなったんだよ!? アリエルや一族は?」

「どうもこうも、その後は特に語るほどのことはないのう。アリエルは天寿をまっとうし、儂が一族をまとめた結果、《夜の一族》は人間の社会に紛れる形で歴史の表から姿を消して今に至る。他にも小さな出来事ならいろいろあったが。そんな事よりお主の方こそ聞かせてくれんか。アリエルは本当にお主と同じ世界から来た人間なのか? さくらやすずかたちも気になるじゃろ?」

 

 ヴィクターが問いかけると、アリサやすずか、さくらさんまで俺に目を向ける。

 

「確かに、アリエルさんについてはあなたの方が詳しいはずよね?」

「うん。健斗君――ううん、ケントさんのお姉さんについて、私も聞いてみたい!」

「そうね。話してもらえるかしら、私のおばあさまについて。“大叔父様”なら知ってるでしょう?」

 

 四者からの有無を言わせぬ眼光に屈し、俺はぬるくなった紅茶を飲んでから口を開いた。

 

「とりあえず大叔父様というのはやめてください、さくらさん」

 

 

 

 

 

 かつて、グランダムの王宮で働いていたメイドの中にアリエルという女性がいた。髪は俺やティッタと同じ色の茶髪で瞳は両方とも緑色。

 父上の世話をしていたメイドの娘で父親はいない。その上彼女がメイドになった時から、父上は俺に何度も『アリエスには手を付けるな』と言っていたからすぐにわかった。アリエスが自分の姉だと。

 父上が戦死して俺が王になってからもアリエルは王宮でメイドを続け、“あの日”まで彼女が王宮から去ることはなかった。

 

「という事は守護騎士さんたちやリインさんも……」

「ああ、知ってるよ。直接言ったことはないが、俺の腹違いの姉ということも多分気付いてる。顔立ちは母親譲りだが、俺や父上に似ている所もあったからな。……でもまさかアリエルが地球に移住してるとは思わなかったな。ましてや、あの人の孫がさくらさんとは」

 

 それどころか、血の繋がりがないとはいえ、さくらさんの姉である春菜さんまで俺の又姪ということになってしまう。そうなると忍さんとすずかは……あまり考えたくないな。

 

「まっ、そこは深く考えなくていいじゃろ。前世といっても違う所もある別人じゃ。同一人物だとしても忍やすずかとの血縁はかなり遠い……じゃから、ちょうどいいかもしれんの」

 

 ヴィクターがつぶやいた一言に俺たちが首を傾げる。そこへヴィクターは――

 

「すずか、健斗、《夜の一族》の総当主としてお主たちを婚約者として認める。ここで婚約の契りを結ぶがよい!」

「「――ええっ!?」」

「ちょっと、本気?」

「――なっ!?」

「――っ!」

「まあ!」

「あらあら」

 

 ヴィクターが言い出したことに俺を含めほとんどの者が仰天し、春菜さんと忍さんも口に手を当てたり軽く声を上げていた。

 そんな中、俺はヴィクターに問いかける。

 

「婚約の契りって……俺とすずかがか?」

「無論じゃ。“秘密厳守の誓約”も交わしておるし、年齢的にも丁度良いじゃろう。何よりお主にならすずかを任せられると判断した。ここは素直に応じておけ」

「ま、待ってください総当主! いきなりそんなことを言われても――」

 

 椅子から立ち上がり抗議してくる俊さんに、ヴィクターは不思議そうな顔で応じる。

 

「なんじゃ俊、お前は不満か? 名門校で一二を争う成績、自動人形を倒すほどの力量、友のためなら迷わず敵地に飛び込む度胸、どれをとっても申し分ないではないか。それに加え前世で一国を率いたことも考えれば、月村家の後継ぎ候補としてもこの上ない逸材じゃぞ」

「それは……確かに健斗君なら認めてもいいと思わなくもありませんが……しかし、すずかの意思を無視して決めるわけには――」

 

 一族のトップを相手に俊さんは懸命に言葉を返すものの、肝心のすずかは……

 

「私は……いいよ……健斗君とけ、結婚しても……というよりしたい

「す、すずかーー!!」

 

 顔を赤くしながら答えるすずかに俊さんは悲痛な声を上げる。それを見てヴィクターはおかしそうに笑った。

 

「わっはっはっ! すずかならそう言うと思ってたぞ! 健斗はどうじゃ? すずかと契りを結んで《一族》に加わってくれんかの?」

「お、俺は……」

 

 できるわけがない。俺にはもうリインフォースがいる。リインをあっさり捨ててすずかに乗り換えることなんてできるわけがない。そんなこと、リインだけでなくすずかに対しても失礼だ。

 しかし、不安そうに答えを待つすずかを見てると、言葉が出てこなくなった。

 そこへヴィクターはさらにとんでもない事実を言った。

 

「健斗がすずかと婚約してくれれば、この先すずかに起こる“発情期”の相手も頼めるんじゃがな。一応そのためにファリンを付けておるようじゃが、恋を覚えたすずかがファリン相手に満足できるかどうか……」

「あっ――!」

「……そういえばそれがあったわね」

 

 発情期ってあれだよな。一部の動物に起こる生殖活動をしたくなる状態。人間の場合、発情することはあっても発情“期”というものはないはずだが、思い出したように声を漏らす忍さんとさくらさんの様子を見る限り、《夜の一族》にはあるものらしい。

 そんな言葉を聞くと、どうしても頭の中にいかがわしい行為が浮かんでしまう。それに気付いたのか、ヴィクターはにニヤいた笑みを浮かべながら俺の肩を掴み、小声で囁いてきた。

 

「発情した《一族》の娘は半端ではない。昼夜問わずに求めてきよるからな。すずかの婚約者になれば、発情を抑えるためという名目で思う存分あやつの体を堪能できるぞ」

 

 それを聞いて俺は思わずすずかを視線を向ける。

 今はまだ凹凸に乏しいが、腕や足は丸みを帯びてきて、胸のあたりも膨らみ始めているように思える。発情期とやらが訪れる頃にはあちこち凄い事になるんじゃないだろうか。

 発情期の意味が分からずアリサともども首をかしげているすずかに、ついよこしまな視線を向けていると……

 

「健斗君……」

 

 すぐ横から殺気を感じ、俺はあわてて視線を移す。俊さんは睨みつけただけで相手を殺せるような視線を俺に向けてきていた。

 もしやあれも“魔眼”か? 少なくとも遊なんかよりはるかに恐ろしい眼だ。

 

「一応言っておくが、私も《一族》の端くれでね。こう見えても結構強いんだよ。覚えておくといい」

 

 覚えましたけど、なんでそれを今言うんですかね? もしかしてこの人とも戦わなくちゃいけないの? そもそもすずかと婚約するつもりはないんだけど!

 

「なんじゃ俊。健斗なら認めていいと言ったではないか。すずかも健斗となら契りを結んでよいと言っておる。なら二人が婚約しようとナニをしようと構わんじゃろう。それに、すずかが発情したらどうするつもりじゃ? 苦しむ娘に我慢を強いる気か」

「それはこちらで何とかします! とにかくすずかに婚約は早すぎる! 総当主といえどこればかりは譲れません!!」

 

 我慢の限界を迎えた俊さんはついに激昂し、ヴィクターと激しくにらみ合う。その間に挟まれながら、俺はどうしたものかと頭を悩ませていた。

 二人の争いを収めるため、そしてできるだけ穏便に婚約を断る方法を考えるまでの時間を稼ぐために、俺はヴィクターと俊さんに言った。

 

「とりあえず、もう少し落ち着いてから考えてみませんか。俊さんが言った通り、すずかも俺も婚約は早すぎるし、発情期だって今すぐ起こるわけじゃないんでしょう。なら、それぞれ頭を冷やしてよく考えてみた方がいいと思うんです。二人ともそう思いませんか?」

 

 俺がそう言うと二人は不満そうにしながらも、

 

「……まあ確かに、発情期も婚姻できるようになるのもまだ先じゃしの。いささか不本意ではあるが」

「私はそれで構いません。二人がもう少し成長すれば私も前向きに考えられますしね」

 

 ヴィクターはため息をつきながら、俊さんは眼鏡を直しながら椅子に座り直す。

 そんな中、俺たちの様子を遠巻きに眺めていた他のみんなは、俺に呆れた目を向けたりため息をついたりしていた。

 とりわけすずかとアリサは不機嫌そうに……。

 

「健斗君の意気地なし……」

「あんた、その優柔不断な所を直さないと、いつか後ろから刺される羽目になるわよ」

 

 じゃあどう言えばよかったんだよ? あれ以外に丸く収める方法があるのか? あるならぜひ教えてもらいたい。すずかと婚約せずに済み、なおかつ月村家やヴィルとこれからも仲良くやっていく方法を。

 俺が思いつける限り最善の方法が先送りだったんだ。そのせいで苦労する羽目になりそうなのは否定できないが……。

 

 ひとまず今は事件解決と、すずかとアリサが無事に帰ってきた事を喜ぼう。

 

 そこでふと思い出した。

 そういえば、そろそろ『嘱託魔導師認定試験』とミッドチルダへの“留学”の時期が迫っていたな。




ケントの異母姉アリエルですが、『グランダムの愚王』の6話をはじめ、同作の王宮内で出てきたり話に上がるメイドは大抵アリエルです。


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間話1 10年ぶりの再会

 『J・D事件』の解決から一ヶ月近くが経つ頃。

 

 フェイトたちが地球での生活に慣れつつある中、テスタロッサ一家の家長にして事件の主犯であるプレシア・テスタロッサの身柄は、未だ本局にあった。

 とはいえ、毎日毎時間のように次元犯罪や事故が起こる中、特定の事件の裁判を長々と続ける暇など管理局になく、J・D事件の公判はほとんど終了し、プレシアに下される判決も水面下ではほぼ決定していた。

 そんな中、プレシアの証言によって『ヒュウドラ暴走事故』が再び日の目を見る事になり、魔力駆動炉《ヒュウドラ》の開発を請け負っていた『アレクトロ社』に捜査のメスが入ることになった。

 

 そして、事故の本当の原因を究明するための裁判が行われることになり、プレシアも証人として裁判に出廷することになった。

 

 

 

 

 

『では、テスタロッサ氏はヒュウドラ開発の責任者でありながら現場から遠ざけられ、作業にあたっていたスタッフへの指示もできない状態にあったと?』

 

 モニターの向こうに映る裁判長の問いに、プレシアは首を縦に振って言った。

 

「はい! 主任補佐が着任してから、私の意見はほとんど無視されるようになり、彼がスタッフたちに指示を出すようになりました。魔力炉の不備や安全性を確かめるためのチェックもほとんど無視するように、補佐が指示を――」

『ち、違います!』

 

 プレシアが言い終える前に、それをさえぎる声が別のモニターから響く。そこに映っていたのは、プレシアを差し置いて開発の指揮を執っていた、当時主任補佐と呼ばれていた男だった。

 突然異論をはさんできた彼は裁判官に着席を命じられるが、あちら側の弁護士の口添えによって発言を許され、彼は立ち上がったまま続きを述べる。

 

『確かに納期を前にして開発を急いでいたのは事実です。ですが、我々はあくまで安全を重視して開発を進めていました。しかし主任――テスタロッサ氏はなんとしても納期前までに魔力炉を完成させろと、無理やり開発を急がせたのです。我々や上層部は懸命に止めたのですが彼女は聞く耳を持たずに――』

「それはあなたたちの方でしょう!! 私は何度もチェックを強化するように進言しました。ですがあなたたちはことごとくそれを無視して――」

『静粛に! 双方、一度着席してください』

 

 裁判長に命じられ、プレシアと男は渋々席に座る。それに代わってアレクトロ社側の弁護士が立ち上がった。

 

『先ほど被告が主張した通り、アレクトロ社はあくまでも安全を重視した開発を行うように指示しており、受注先に対しても開発期間の延長を打診しておりました。受注先である、ヴァンデイン・コーポレーション宛てに送った延長打診のメールがそれを証明しています。それに、当時テスタロッサ氏はプロジェクトリーダーの他に『安全基準責任者』という役職に就いており、プロジェクトにおける安全管理を担う立場にもありました。その彼女が現場に入れないどころかスタッフに指示一つ出せなかったなど、とても考えられないことです!』

 

 声高にまくしたててから弁護士は一息つき、元主任補佐とニヤリとした笑みを交わす。それを見てプレシアは思わず唇を噛んだ。

 十年前と同じだ。十年前の裁判でもプレシアが安全基準責任者に就いていたことを理由に、監督不行きの責任を追及され敗訴することになった。

 やはり安全基準責任者などというポストは、事故が起きた際に備えてプレシアにすべての責任を押し付けるための罠だったのだ。

 だが――

 

――そう何度も同じ手を食らうものですか!

 

 心に決めながらプレシアは立ち上がり、裁判官の許可を得て再び口を開く。

 

「確かに私は安全基準責任者として、プロジェクトの安全管理を任されていました。しかし、私の指示が聞き入れられたことは一度もなく、主任補佐のもとで危険な開発が続けられていたのです! その事故のせいでアリシア――私の大切な娘が命を落としてしまいました! にもかかわらず、私が事故の責任を被せられるなど到底納得できるはずがありません!!」

 

 机を叩きながら立ち上がり激しい剣幕で訴えるプレシアに、元主任補佐は思わず身をすくめる。しかし弁護士は動じず――

 

『ではなぜ、告訴を取りやめてしまわれたのですか?』

「――!」

 

 弁護士からの問いにプレシアは言葉を詰まらせる。それを見計らって弁護士はごほんと咳を払ってから言った。

 

『テスタロッサ氏、あなたとアレクトロ社は事故が起きてからすぐ、事故の責任の所在を巡って裁判を起こしてますね。私も当時会社側の弁護を担当していましたのでよく覚えています。あなたが第一審で惜しくも敗訴してしまった事もね。その後あなたは二審へ控訴しながら、社から多額の和解金を提示された途端一転して和解に応じています。もし本当にご自身が潔白だというのなら、和解など突っぱねて司法の場で自身の潔白と会社の非を訴え続けるべきだったと思いますが。娘さんを思うのならなおの事ね』

「……っ」

 

 弁護士なる男の口から“娘”という言葉が出てきた瞬間、プレシアはぎりっと歯を鳴らす。すでに生き返ったとはいえ、(アリシア)の死を会社側の人間に利用されて不愉快に思わないわけがなかった。

 それに対して、弁護士は素知らぬ顔で眼鏡のブリッジを指で押し上げながら続ける。

 

『それを今になって突然翻し、事実とは異なる話を管理局に吹聴されては困りますな。社の方もあらぬ疑いをかけられ非常に迷惑しているとのことです。テスタロッサ氏には今すぐそれらの主張が誤りだったと表明していただきたい。そうしていただかなければ、会社の方も相応の対応を取らざるを得なくなると思いますが』

 

 弁護士がそう言うと、それに便乗して隣に座っていた元補佐までが立ち上がって言った。

 

『そもそもテスタロッサ氏は何らかの罪を犯して逮捕された犯罪者だそうじゃないですか! 我々の点検不備とやらも事件の取り調べ中に言い出したと聞きます。そんな人間の言うことなど信用できると思いますか? 私には自分の罪を軽くしたいばかりについた作り話にしか思えません!』

 

 その言葉に憤然とし、プレシアも思わず言葉を返す。

 

「それを言うなら、あの事故の二年後に殺された執務官補佐の件はどうなんですか? 彼を殺害したのは上司の執務官で、ともにあなた方に買収されていたそうですが。あなた方が補佐を消すように依頼したのでは?」

『そんなことをした覚えはありません! あれは執務官がやった事で会社は何も指示していない! 少なくとも僕はそう聞いている!』

『静粛に! 静粛に! 裁判官の許可もとらず勝手に発言しないように! 審理を続けますので双方席についてください』

 

 再び裁判長に注意され、元補佐は弁護士に、プレシアは執務官に諭されながら着席する。いきなり執務官補佐の話を出され元主任補佐も動揺していたが、弁護士の助言と裁判官たちの反応を見て落ち着きを取り戻す。

 裁判官たちの何人かはプレシア――が映っているモニター――に対し、好意的とは言えない目を向けていた。次元犯罪者と一介の会社員となると、やはり会社員である彼が裁判官たちからの共感を集めやすいようだ。

 不安そうにうつむくプレシアに執務官は彼女に手を重ねながら言った。

 

「大丈夫です。まだ負けたわけではありません。こちらにはまだ秘策がありますから」

「秘策……?」

 

 プレシアは呆然と執務官が言った言葉をそのまま口にする。そこでまたモニターの向こうからアレクトロ側の弁護士が口を開いた。

 

『とにかく、テスタロッサ氏の主張には何の証拠もありません。事故の原因となった施工不備があなたの意に反して行われたものだというなら、それを証明する証拠、もしくは証人を出していただきたい。それができないというのならこれ以上の審理は時間の無駄です。評議に移ってもらい裁判官の皆さんに判断してもらいましょう。管理局に告げた主張がすべて誤りだと表明してくださるなら、それでも構いませんが』

 

 それに対し……

 

「わかりました。プレシア・テスタロッサ氏からの証言は以上とします」

 

 執務官が立ち上がりながらそう答えると、弁護士と元補佐は笑みを浮かべる。そんな彼らを前に執務官は続けて言った。

 

「ではここで、管理局側は新たな証人を召喚し、話を伺いたいと思います。裁判長、よろしいでしょうか?」

「いいでしょう。次の証人をここへ」

 

 裁判長からの許可と出廷命令を聞いて、執務官はモニターを操作する。

 すると関係者たちの前にある人物が映ったモニターが浮かんだ。その人物は長く伸ばした薄黄色の髪と青い瞳の上に眼鏡をかけた中年の女性だった。

 彼女を見てプレシアは思わずつぶやく。

 

「クレッサ……」

『ティミル副主任……』

 

 プレシアと同様、元補佐も彼女を見てうめきを漏らす。そして……

 

『彼女は、傀儡(ゴーレム)研究の第一人者として有名な……』

『なぜこの裁判に博士が?』

 

 プレシアと元補佐のみならず裁判官たちまでが口々につぶやきを漏らす中、執務官は証人として呼ばれた女性に向かって尋ねる。

 

「証人、名前と職業を教えていただけますか?」

『クレッサ・ティミル。傀儡(ゴーレム)の研究と運用指南で生計を立てており、現在は『カレドヴルフ・テクニクス』という会社で技術顧問も務めています。それよりも以前はアレクトロ社で研究職に就いており、ヒュウドラ開発プロジェクトにも副主任として参加していました……そうでしたよね、テスタロッサ元主任、元主任補佐』

 

 ティミルに尋ねられプレシアと元補佐はおずおずうなずきを返す。彼女らが見守る前でティミルは続けた。

 

『結論から申し上げます。プレシア・テスタロッサ元主任が話したことはすべて事実です。主任と私たちが安全管理の徹底を訴える中、補佐たちは上層部の認可を盾にろくなチェックやテストもしないまま開発を続け、そしてあの事故は起きてしまいました。違いますか、元主任補佐?』

『そ、それは……』

 

 先ほどと違い、元補佐は目に見えてうろたえる。

 プレシア同様、ティミルもあのプロジェクトに最初から関わっていた者だ。事故の直前で会社を辞めたものの、プロジェクトに関して彼女が知らないことはほとんどないと言っていい。

 それにティミルは高名な研究者としての名声に加え、清廉潔白な人柄で周囲から多大な信頼を集めている。何度も聞いた話にかかわらず真摯に耳を傾ける裁判官たちの様子からもそれは明らかだ。

 にもかかわらず――

 

『か、彼女の主張にも客観的な証拠は何一つありません! ティミル博士はテスタロッサ氏の直属の部下で親しい友人でもあったそうです。おそらく彼女をかばうために同じようなことを――』

 

 びっしり文字が並んでいるモニターに目をやりながら、弁護士はそうまくしたてる。だがそこで――

 

『彼女たちが正しい事は私()()が証言します』

 

 声とともに初老の男が映ったモニターが浮かび、プレシアは思わず叫んだ。

 

「――所長!」

 

 髪はすっかり白くなり、顔に皺も浮かんでいるが間違いない。自分たちが勤めていた研究所の所長――自分とティミルの上司だった人物だ。

 彼は一冊のノートを手にしながら口を開く。

 

『あのプロジェクトには二人の他にも私の部下が大勢参加していたのですが、そのほとんどがいわれもない理由で解雇されてしまいました。その部下たちの連絡先はこのノートにすべて記されています。彼らに聞けばすべて明らかになるでしょう。あの事故を起こした張本人も含めてね!』

 

 そう言って元所長は厳しい目で元補佐を睨む。それに対して元主任補佐は観念したようにがっくりとうなだれる。

 この瞬間、彼らに勝ち目は一切なくなった。

 

 

 

 

 

 それからはあっという間だった。解雇された社員の口からもプレシアが言った通りの経緯が明かされ、さらに離反した元補佐側のスタッフからの証言で、ヒュウドラに使われていた燃料も違法性の高いルートから入手した物だった事が判明した。さらに時間を置けばより核心に迫る事実が判明し、元主任補佐や彼に指示を出していた経営陣は逮捕され司法の裁きが下されるだろう。

 

 これで本当にあの事故の決着がついた。

 そう思うと急に疲労感が押し寄せてきて、プレシアは椅子の背もたれにもたれかかる。そこで元補佐が映っているモニターが目に入った。モニターの向こうで彼は未だに肩を落としてうなだれている。

 

 思えば彼も不運な人だ。

 彼だって事故を起こしたくて開発に従事していたわけではないだろう。むしろ爆発事故を起こし、工場を訪れていたアレクトロの重役やヴァンデイン社員を危険にさらしたことを厳しく責められ、どこかへ左遷させられたのかもしれない。

 本来なら愚鈍な主任に代わってプロジェクトを成功させて出世の道を歩むはずが、あの事故のせいで何もかもが狂わされた。そう思っているのかもしれない。

 だが、彼を許す気はない。彼は上層部と結託して事故の責任をすべて自分になすりつけ、そのまま逃げていったのだ。それを哀れだからと許す気は毛頭なかった。

 しかし、彼がそんな“悪人”だったからこそ、自分はアリシアを取り戻そうと躍起になり、そして今を迎えることができた。それを思うとやはり複雑な気持ちではある。

 

 

 

「プレシアさん、お疲れ様でした」

 

 感慨にふけっているところで目の前に表示されていたモニター群が消え、執務官が右手を差し出しながら声をかけてくる。

 プレシアも彼女に右手を出して握手を交わしながら返事を返した。

 

「いいえ、こちらこそありがとう。おかげで汚名をそそぐことができそうよ。後は執行猶予が付けば言うことはないんだけど……やっぱり難しいかしら」

 

 不安そうに尋ねるプレシアに執務官は笑顔で、

 

「大丈夫ですよ。ハラオウン総務官や息子さんのハラオウン執務官も各所に働きかけているみたいですし、この裁判の結果も判断材料になるはずです。きっと執行猶予を勝ち取ってお嬢さんたちと暮らすことができますよ!」

 

 そう言ってくれる執務官にプレシアさんは苦笑の混じった笑みを漏らす。彼女が言ったお嬢さんたちにアリシアは入っていないのだろう。アリシアが夜天の魔導書の力で生き返ったことは一部しか知らず、公にはアリシアは今もなお死亡したままということになっている。

 

 執務官はプレシアの手をほどきながら言った。

 

「ところでプレシアさん、これからちょっとお時間よろしいですか? まだ昼食も取ってませんし、プレシアさんと面会がしたいと言ってる方がいらっしゃるんです。それらを兼ねて」

「面会……?」

 

 それを聞いてプレシアは眉を寄せながらもまさかと思う。そんな彼女に執務官は予想通りの名前を告げ、それを聞いてプレシアも面会に応じる事にした。

 

 

 

 

 

 プレシアは執務官とともに本局内をしばらく歩いて、小さな個室に辿り着く。

 その中には三人分の食事が載せられた机と三脚の椅子、そして……

 

「久しぶりね、プレシア。思ったより元気そうじゃない」

「……クレッサ」

 

 わかっていながらも、信じられないような口振りでプレシアは彼女の名を口にする。

 机の向こうには裁判で自分を助けてくれた、10年ぶりに会う親友、クレッサ・ティミルが笑みを浮かべながら立っていた。



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間話2 嘱託魔導師認定試験

 7月上旬。

 時空管理局本局 中央センター・トレーニングルーム――嘱託魔導師認定試験 実技試験会場――。

 

 

 いくつかの窓が点在する広い訓練室の中で俺は試験官と対峙する。

 肩に棘のようなものがついた黒いバリアジャケットを着た試験官は、俺がよく知っている人物だった。

 

「実技試験の監督および模擬戦の相手を務める、クロノ・ハラオウンだ。模擬戦を通して君の戦闘技術を測らせてもらう。遠慮なくかかって来てくれ」

 

 初めて会ったばかりのように、よそよそしい挨拶をしてくるクロノに対して俺も名乗り返す。

 

「第97管理外世界出身、御神健斗です。模擬戦についてですが、一つだけ確認してもいいですか?」

「……なんだ?」

 

 ある程度予想を付けながらクロノは渋い顔で聞き返してくる。そんな彼に俺はティルフィングを向けながら言った。

 

「戦闘技術を測るだけということだが……別に試験官を倒してしまっても構わないんだろう」

 

 俺の挑発にクロノも模擬戦用デバイスとなったS2Uを構えながら答えた。

 

「まだ嘱託魔導師になってもいない奴に倒されてたまるか!」

 

 その返事を合図に俺はクロノに斬りかかり、クロノはS2Uから青い魔力弾を放って応戦してくる。

 俺が嘱託魔導師になるための最後の関門――戦闘試験の幕はこうして落とされた。

 

 

 

 

 

 

 トレーニングルームに点在する窓の向こうにある部屋では、エイミィが試験の経過を記録し、その後ろで青いジャケットと白いズボンからなる士官服を着た二人の女性が、二人の戦いを観察していた。

 一人は総務部に異動したばかりのリンディ・ハラオウン。もう一人は運用部の提督で、違法渡航対策部門の本部長に抜擢されたレティ・ロウランである。

 

「いきなり試験官に宣戦布告とは、噂通り尖った子ね」

「あれくらい許容範囲でしょう。むしろ本気で戦ってくれた方が今の力量がわかって助かるわ。クロノも減点するつもりはないみたいだし」

 

 レティの感想に、リンディは少々少なめの砂糖とミルクを入れた緑茶を飲みながら答える。砂糖とミルクが少ないのは、健斗に見せられた医療番組で糖尿病の恐ろしさを知り、糖類の量を減らし始めたためだ。

 それに密かに安堵しながら、レティは健斗に対する私見を述べる。

 

「魔法知識はほぼ完璧。一般常識や社会知識は難があるけど、管理外世界在住なら仕方ないでしょう。むしろ一ヶ月でよく勉強した方だと思うわ。同じ世界から来た二人と同じくね」

「三人ともフェイトさんに負けてるけどね。あの子はミッド出身だから当然ではあるけど」

「あら、親バカ? 一ヶ月一緒に住んでただけでもうそこまで入れ込むなんて。そんなに娘が出来たのがうれしい?」

「まあね。羨ましいならあなたも作るか貰ってきたら。グリフィス君も兄弟がいなくて一人じゃ寂しいでしょう」

 

 親バカを否定せず、逆に得意げに言い返すリンディに対してレティはすげなく首を横に振った。

 

「結構よ。仕事が忙しいし、あの子も今は士官学校の寮で暮らしてるから寂しいなんてことはないでしょう。ただ、あなたには残念かもしれないけど、フェイトちゃんたちと一緒に暮らせる期間はもう長くはなさそうよ」

「あら。という事はプレシアさんの判決が決まったのかしら?」

 

 予想とは裏腹に、平然と聞き返すリンディにレティはうなずきながら答える。

 

「ええ。禁錮125年、それに保護観察付きの執行猶予が付く予定になってるらしいわ。ある程度の監視付きで特定の世界や地区の中でなら自由にしていいけど、犯罪を犯したらその時点で一生刑務所暮らしってことね」

「そう。今のあの人なら大丈夫だと思うけど……でも、これであの人も局から解放されて普通に生活できるようになるのね。うまく行きすぎて怖いくらいだわ」

 

 プレシアの釈放が決まったことを喜ぶ半面、目論見通りに進みすぎている事にリンディはどことない恐怖を覚える。プレシアが行おうとしたことを考えればもしかしたらとは考えていたし、自分もジュエルシードの無断使用で罪に問われることになるのではと思っていた。

 しかし、そのようなことが起こる気配はなく。プレシアはフェイトたちともども保護観察や執行猶予という形で釈放。自分も事件解決の功労者としてたたえられ、艦長職からの引退と同時に総務部に栄転する事が決まった。無論それらは喜ばしい事ではあるのだが……。

 

(本当にうまく行きすぎている。まるで誰かが私たちの考えを読み取ったかのように……これは本当に手放しで喜んでいい事なのかしら?)

 

「リンディ……どうしたの? 気分でも悪いのかしら?」

「――う、ううん! 何でもないわ」

 

 突然黙り込んだリンディを心配したのか、不安そうに尋ねてくるレティに、リンディはそう言って首を横に振る。レティは訝しげに「そう」と言ってトレーニングルームに目を戻した。そこではまだクロノと健斗が一進一退の攻防を繰り広げている。

 

 あれで不合格ということはないだろう。Sクラスの魔導師ランクを持つ執務官と互角に渡り合う魔導師など、局全体でも数パーセントもいない。むしろこちらからスカウトしたいくらいだ。

 そんな人材が守護騎士も含めて九人も局入りを希望してきたのだから、奇跡という言い方でも足りない。

 レティからすれば、彼らを見つけ出したリンディの栄転は当然どころか、もっといい立場に就いてもいいと思えるほどだった。

 

「もう結果はほとんど決まってるから先の話をさせてもらうけど、あの子たちが嘱託魔導師になった後の予定も決まってるのよね?」

「ええ。みんな正式入局を目指しているみたいだから、それを見据えてミッドの陸士訓練校へ研修に行ってもらうつもりよ。彼らの適性を考えたら空士校に行かせたいところだけど、あそこなら8月の間に短期留学させてもらえるし、地上での戦い方も学ばせておきたいとも思って……何よりあそこには“あの人”がいるから」

「ああ、今は訓練校の教官をしてるって言ってたっけ。確かに、あの子たちみたいに()()()()()()()魔導師の教育には、“あの人”がうってつけね」

 

 レティの言葉にリンディは無言で肯定する。

 先ほどレティが思ったように、あの九人は強い。ほとんどがSSを狙える人材だ。もしかすればかつての《三提督》に匹敵する、《SSSランク》に手が届く者も出てくるかもしれない。

 だが、それ故に彼らは力に頼りすぎるという欠点がある。なまじ強すぎるために、格上の相手に勝つ戦い方や、追いつめられた時にどう行動すればいいかを知らない。

 そんな新人たちに“あの人”のしごきはいい経験になるだろう。もっとも、個人戦に不向きなはやてや守護騎士たちには別の教育を受けてもらうことになると思うが。

 

「それと、短期留学の中頃になるけど、健斗君とはやてさんには一日だけ聖王教会へ行ってもらう予定よ。クロノとエイミィと一緒にね」

「聖王教会に? 8月の中旬といえば『収穫祭』がある時期だけど……まさかそこに?」

 

 レティの問いにリンディはうなずく。

 

「ええ。カリム・グラシアっていう騎士様から招待を受けてて。その子の弟さんはクロノの友達で、私も知ってる子だから信用はできるわ」

 

 リンディはそういうものの、彼女にもレティにも、それがただのお祭りのお誘いだとは思えない。十中八九、健斗とはやてが古代ベルカ式魔法の使い手という事が関係しているだろう。それにレティにはもう一つ気になることがあった。

 教会の騎士の中に、本局の高官と繋がりがある若い女騎士がいるという話を聞いたことがある。“例の部署”に関しても、その騎士と本局長の会合の後に設置されることが決まったらしい。話からするにその女騎士がカリム・グラシアだと思うが……。

 

「わかったわ。クロノ君とエイミィも一緒だから危ないことはないと思うけど、気をつけるようには言ってね。御神君のことが教会のお偉方に知られたら面倒な事になるから」

「ええ。聖王様に真っ向から歯向かった愚王の生まれ変わりだもの。そこはわかってるわ」

 

 リンディがそう言ったところで、ちょうどエイミィが声を張り上げた。

 

『試験終了ーー!! 二人とも戦いをやめてデバイスを下ろして!』

 

 

 

 

 

 

 互いに最後の一撃を入れる所でエイミィさんの声が響き、クロノは荒い息をつきながらデバイスをおろし、俺は舌打ちをしながら床に座り込む。

 

「ちぃ、あと少しだったのに」

「馬鹿か君は。僕との勝敗より合否の心配をしろ。試験前に言ったが、これは君の力を見るためのものなんだぞ」

 

 そう言いながらクロノも無念そうに舌打ちをこぼす。これを機会に白黒つけたかったのはあちらも同じだったらしい。

 そんな俺たちの頭上にモニターが現れ、そこからエイミィさんが告げてきた。

 

『はいOK! この場で結果発表をするから、健斗君はよく聞いてね!』

 

 進行係という名前からほど遠いフレンドリーな口調にクロノは呆れながら、俺は苦笑を漏らして立ち上がる。

 そんな俺に合否を告げたのはエイミィさんではなく、リンディさんと同じ模様を額に付け、紫色の髪を後ろに束ね、眼鏡をかけた知的な女性だった。

 

『試験責任者のレティ・ロウランです。早速ですが、あなたの合否をお伝えします』

 

 その言葉に俺は立ち上がりながら、ごくりと唾を鳴らす。全力を尽くしたつもりだが、やはりこういうのは緊張する。一応多く技を見せるように意識していたが、クロノとの戦いに夢中になりすぎた点は否めない。

 まさかと思いながら見守る俺を観察しながら、レティ提督は沈黙する。

 やがて、彼女はモニターと俺を見比べながら口を開いた。

 

『魔法に関する知識と技術は文句なし。戦闘に関しても攻防ともに隙がなく、合格ラインを満たしてる。嘱託魔導師としては十分よ』

「じゃあ……」

 

 思わずつぶやきを漏らす俺に、レティ提督は笑みとうなずきを返す。

 

『御神健斗君、あなたを時空管理局の嘱託魔導師に認定します。魔導師ランクは空戦S。今後の働きに期待してます。頑張ってね』

「はい!! 精一杯頑張ります!」

 

 威勢のいい声で返事をする俺に、レティ提督をはじめエイミィさんとリンディさんも笑みを浮かべる。

 そしてモニターには再びエイミィさんの顔が映り、彼女は口を開く。

 

『これで嘱託魔導師認定試験は終わりです! お疲れ様健斗君。帰るなり本局で休んでいくなり、自由にしていいよ!』

 

 エイミィさんの言葉に俺は一礼を返し、部屋を出ようと扉の方に体を向ける。だがそこでレティ提督が声をかけてきた。

 

『ああ待って! 休むのはいいけど、帰るのは少し待ってちょうだい!』

「……?」

 

 レティ提督が言った言葉に俺もクロノたちも首をかしげる。一方で彼女の隣にいるリンディさんは、ああと言いかけたように口を開いていた。

 

『試験とは違うんだけど、あなたにはもう一つ受けてもらいたいテストがあるのよ。そのためにはリインフォースもいてもらわないといけないんだけど、彼女は今、はやてさんの試験に立ち会っててまだこちらに来れないの』

「リインがいないとできないテスト……それってまさか――」

 

 察しがついた俺にレティ提督はうなずく。

 

融合型(ユニゾン)デバイス・リインフォース。あなたが彼女と融合できるかテストをさせてもらうわ。その結果次第では、この先彼女と組んで任務についてもらうかもしれないから心しておいて!』

 

 それを聞いて俺は唖然としながらしばらく立ちすくむ。

 普通に考えれば願ってもない話である。だがそれは、はやてとリインを組ませられない何かしらの事情ができたという事を意味していた。




当小説では、クロノはデュランダルを入手した事をきっかけに、J・D事件の解決後にSランクに昇格した設定です。


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間話3 東京臨時支局

 健斗たちが認定試験に合格し、時空管理局の嘱託魔導師になってから数日後。

 ハラオウン家の玄関にて。

 

「……母さん」

「…………久しぶりね、フェイト」

 

 

 

 数分前、朝食を摂っている頃にチャイムが鳴るが、リンディはなぜか立ち上がろうとせず、リニスもわざとらしく食器を洗いにキッチンへ向かい、アルフもテーブルから動こうとしなかった。クロノとエイミィは“新しい職場”の立ち上げ準備に出かけていて、もう家にはいない。

 フェイトとアリシアが首をかしげた頃に二回目のチャイムが聞こえて、フェイトはたまらず玄関へと向かった。

 そして、玄関へたどり着きドアを開けたフェイトの前に立っていたのは、彼女の母親――プレシアだった。

 

 久しぶりに会う母親を見て、フェイトは夢かと思いぎゅっと目をつぶる。しかし、再び目を開けても彼女の姿が消えることはなかった。

 プレシアもフェイトを見ながらぎこちなく口角を上げる。果たしてこの子に笑みを見せる資格があるのか、プレシアは迷っていた。

 ちょうどそこで――

 

「――あっ、ママだっ!」

 

 その声にフェイトは思わず振り返り、プレシアも視線を少しずらす。そこには案の定アリシアが立っていた。

 アリシアはプレシアを見るとすぐに駆け出し、彼女に向かって飛び込む。

 

「ママ、おかえり!!」

「……ただいま、アリシア」

 

 無邪気にすがりつく愛娘にプレシアは自然にそう告げ、微笑みながら彼女の頭を撫でる。

 そんな二人をフェイトは複雑な気持ちで見ていた。プレシアはそれに気付くとアリシアを離しながらフェイトに近づく。そして、優しい手つきでもう一人の愛娘の頭を撫でた。

 

「ただいま、フェイト……待たせちゃったみたいね。元気そうで何よりだわ」

「母さん…………おかえりなさい」

 

 母親からの優しい手つきと言葉に、フェイトは涙ぐみながら小さく返事をする。

 そこでフェイトとプレシアは、近くにリンディたちが立っている事に気付き、フェイトは何度も瞬きをして涙を目の奥へと押しやり、プレシアも照れながら視線をさまよわせる。だが、フェイトの頭からまだ手を放すことはしなかった。

 リニスは苦笑しながらフェイトに詫び、プレシアの前に出てきた。

 

「お帰りなさいプレシア。待っていましたよ」

「ただいまリニス。面倒をかけたわね」

 

 プレシアとリニスはしばらく会わなかった友人のような言葉を交わす。

 そんな中、アルフは家族の中で唯一プレシアに声をかけず、ぷいと顔をそらすだけだった。プレシアは少し顔を曇らせながらも「ただいま」と声をかけ、軽く頭を下げた。

 そこへリンディが出てきて――

 

「プレシアさん、よく来てくれたわね。さあ上がって。あなたの分の食事は用意してあるから。フェイトさんは学校があるからゆっくりお話しすることはできないけど、朝食ぐらいは一緒に摂れるわ」

 

 そう言いながらリンディはプレシアの手を引かんばかりの勢いで家に上げ、リニスはスリッパを用意する。それを見てフェイトはようやく一人分余っていた朝食の意味に気付いた。

 どうやらみんな知ってて、自分とアリシアには黙っていたらしい。

 

(知ってたらもっと早く起きて、ちゃんとしたところを見せたのに)

 

 母親の帰還を内緒にしていたリンディたちを少しだけ恨みながら、フェイトも彼女らの後を追う。

 

 

 

 テスタロッサ家の新たな一歩はこうして踏み出された。

 

 

 

 

 

 

「……んで、今はプレシアさんも加えて、リンディさんたちと一緒に住んでいると」

 

 そう尋ねる俺にフェイトはうなずき。

 

「うん。マンションにまだ空き部屋があるからそっちに住めないか、リンディさんが大家さんに掛け合ってくれてるみたい」

 

 そう答える彼女に俺たちは相槌を打つ。

 まあそうなるだろう。甘すぎるように思えるが、保護観察という形をとる以上、テスタロッサ家が保護観察官(リンディさん)から離れた場所に住むわけにはいかない。さすがにずっと同居するわけにはいかないものの、同じマンションに住んでもらった方が監視がしやすいという事に違いない。リンディさんが甘いことは否めないが。

 

 そんな会話を交わしてる俺たちの横の席では……

 

 

 

「じゃあ問題出すよ。【たけし君は500円を持ってコンビニへ買い物に行き、120円のパンを二つと100円のジュースを二本買いました。さて、コンビニを出た時たけし君の手元にはいくらお金が残ってるでしょう?】」

「えーと……120円のパンが二つで、100円のジュースも二つだから…………えーと…………えーーと……」

 

 七瀬が出した問題に、アリシアは指を折りながら必死で計算するものの、こんがらがった様子で問題文と自身の指を見比べながらうんうんうなる。そこへ――

 

「どちらも二つ買うから、パンが240円、ジュースが200円よ。それを足した値段を500円から引けばいいのよ。240円と200円を足したら――」

「ちょっとプレシアさん! ヒント出しすぎですって! これじゃあすぐわかっちゃうじゃないですか!」

 

 横から出てきて、勝手に問題のほとんどを解いてしまうプレシアさんに七瀬は抗議の声を上げるも、時すでに遅く――。

 

「わかった! 60円だ!! ねえ七瀬、60円であってる?」

「う、うん…………プレシアさん……」

 

 アリシアにうなずきながら、七瀬は恨めしげな目でプレシアさんを睨む。それにプレシアさんは申し訳なさそうにしながらも、

 

「だってアリシアが悩んでいたんだもの。それを見たらつい……」

 

 そう言って目線を泳がせるプレシアに、七瀬はこれ以上怒りもせずため息を吐く。この人が娘“たち”に甘いのはわかってるし、何より自分が怒るまでもなく……。

 

「プレシアさ~ん、あちらのテーブルの片づけはどうしたのかしら~? まだ食器が残ったままなんですけど……」

 

 後ろから低い声をかけられ、プレシアさんは顔を引きつらせながらそちらを振り返る。そこには笑顔のまま眉間に青筋を立てている桃子さんがいた。プレシアさんは真っ青な顔になって――

 

「も、桃子さん。ごめんなさい、アリシアが悩んでる所を見たらつい――」

「ついじゃありません! 早くあっちの食器をキッチンまで運んで洗ってきてください!」

 

 桃子さんに叱られながら、プレシアさんはいそいそテーブルの片付けに向かう。そんな彼女に士郎さんや他の店員だけでなく客たちも失笑を漏らす。この光景もすっかり翠屋の新しい名物だな。

 普段はどんな業務でもてきぱきこなすんだが、娘たちが来た途端仕事を忘れて、そちらにばかりかまけるポンコツ店員と化す。桃子さんが店員を叱るところなんて初めて見たぞ。

 

 

 

 プレシアさんは現在、娘たちと使い魔たちともどもリンディさんの家に厄介になりつつ、新しく開く店の開業資金を稼ぐために翠屋で働いている。

 

 プレシアさんは元々、事故の和解金とその後に就いた仕事の報酬などで莫大な資産を持っていたが、そのほとんどを時の庭園の購入とアリシア蘇生の研究で使ってしまい、その上釈放時に多額の罰金を支払ったため、もうあまりお金が残っていないらしい。

 普通に生活するだけなら数年暮らせる分はあるものの、マンションの部屋の家賃と、フェイトが通っている清祥の学費を引けばすぐになくなってしまうようだ。来年からアリシアも聖祥に入学するとなれば、さらに蓄えの減りが早くなってしまうだろう。

 つまり、今の生活を続けつつアリシアを聖祥に入れるために、プレシアさんはどこかで働かなくてはならないということだ。

 

 とはいえ、ミッドチルダならともかく、地球では表立って出すことができる学歴のないプレシアさんの勤め先を見つけるのは難しく、ミッドチルダで働いた経歴を活かして管理局に勤めるか、アリサやすずかのつてを使ってバニングス社か月村グループに入るかぐらいしかなかった。

 だが管理局は駄目だ。下手に管理局に近づきすぎるとアリシア蘇生がバレてしまう可能性がある。あそことはできるだけ距離を置いた方がいい。

 そうなるとバニングスか月村関連の会社しかないのだが、今はどちらともあるテーマパークの建設に注力しているため残業や休日出勤が多く、家族との時間を取ることは厳しい状態らしい。

 考えた末にプレシアさんはそれらも断り、なんと自分で店を開くと言い出した。

 そして今は、翠屋で働きながら生活費と開業資金を稼ぎつつ、接客のノウハウを習得しているとのことだ。

 そして翠屋で働き出したころから、なぜかプレシアさんの外見が20代前半でも通用しそうなくらい若くなった。年齢は40のままのはずなのに。

 今、あの露出が高い服を着たらほとんどの男の目が釘付けになってしまうだろう。

 

 

「来月くらいから嘱託魔導師としてのお給料も入るし、無理しなくてもいいと言ったんだけど、母さんから自分のために使うか貯金しなさいって断られて」

「それは当たり前よ! フェイトはまだ9歳なんだから。働くのはいいとしても、それで得たお金はフェイト自身が使うべきだわ!」

 

 アリサはそう断言し、彼女の足元にいるアルフ(子犬形態(フォーム))はうなずくように何度も首を縦に振る。しかし、フェイトはいいのかなと迷うそぶりを見せていた。

 

「そういえばリニスちゃんはどうしてるの? 最近見かけないけど。もしかしてあの子も翠屋で?」

 

 そう聞いてくるすずかに、俺は首を横に振って答える。

 

「いいや、プレシアさんとは違う店で働いている。もちろん大人の姿でな。あいつもなんだかんだで主に甘いから、働く場所くらいは分けた方がいいという事になってな」

「まっ、あの様子じゃそれが正解でしょうね。ところでリニスが働いてる店ってどんなところ? 少し気になるんだけど」

「……ここみたいな飲食店だ。そこでウェイトレスとして働いている。普通の喫茶店だから心配はしなくていい」

 

 制服は少し変わっているが。

 アリサに説明しながら、喉元までせり上がってきた言葉をコーヒーとともに飲み込む。そんな俺にアルフは冷たい視線を向けていた。

 そう睨むな。リニスが働く前まではもう少しまともな店だったんだ。それがああなるとは……。

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃいませー! 喫茶キティンへようこそー! お席へご案内します!」

 

 美人ウェイトレスに笑顔で出迎えられ、店に来た客たちは思わず鼻の下を伸ばす。それに対しウェイトレスは少し引きながらも、それを表に出さないように努めながら新しい客たちをテーブルへ案内する。

 

 店の中には彼女の他にも何人かのウェイトレスが働いており、皆、健康的と言える程度に露出した制服やネコ耳カチューシャを頭の上に付けている。

 そんな彼女たちの中でも特に人気なのが、今来店してきた客たちを案内している“リニス・ランスター”だった。

 ウェイトレスとしては年齢が少し高いものの、整った容姿に加え、妹分たちの世話で培ったという丁寧な接客と母性を感じさせる笑顔、そんな姉属性に反して薄茶色の短髪から生えているかわいらしいネコ耳、そんなギャップもふくめた魅力で、リニスは多くの男性客から人気を集めていた。

 

「ご注文は何になさいますか?」

「パンケーキとアイスコーヒー、いいっすか」

「オムレツとメロンソーダ」

「俺はなんでもいいや。リニスちゃんのおすすめは?」

「和風パスタとチーズケーキ、それと当店オリジナルのブレンドコーヒーですね。そちらになさいますか?」

「オリジナルのコーヒーなんてあるの? じゃあ俺もコーヒーそっちにしようかな」

「はい、かしこまりました!」

「ねえ、リニス姉ちゃんの写真撮っていい? 絶対悪い事に使わないから――」

「駄目です! ご注文は以上ですね。それでは料理が出来上がるまで少々お待ちください」

 

 注文に混ぜた撮影の申し込みをすげなく断りながら、リニスは厨房に向かう。

 その直後に、撮影を申し込んだ男は連れの男たちに睨まれた。

 

「バカ! 露骨すぎんだろう。これが原因でリニスちゃんが対応してくれなくなったら、もうお前は連れてこねえからな!」

「わ、悪い。どうしてもリニス姉ちゃんの写真撮っておきたくて。いつまでこの店にいてくれるかわかんないし……」

「まあ気持ちはわかるけどな。この店女の子の露出が高い分給料がいいから、すぐ金を貯めて辞めちまう子多いし。せめて一度だけでもあの耳を触るチャンスがこないかねえ」

 

 最後の言葉に他の男たちは「えっ……」と怪訝な声を上げながら距離を空ける。それに対して発言した男は慌てながら、

 

「へ、変な意味じゃねえよ! あの子の頭の上についてるネコ耳のことだ! 本物かと思っちまうくらいよくできてると思ってな。他のウェイトレスたちがネコ耳付けるようになったのも、リニスちゃんが付けてるネコ耳がきっかけなんだろう」

「ああ。最初は帽子被りながら仕事してたんだけど、お辞儀した時に帽子が落ちてネコ耳付けてるところを周囲に見られちまって。けどそれが一部の客に好評でよ、それを見て店長はネコ耳を制服の一部にしちまったって話だ。しかもそれがきっかけで売り上げが上がるようになったんだと」

「ネコ耳喫茶なんて今まで海鳴にはなかったからな。そりゃ珍しがって客も来るだろうよ。かわいいウェイトレスたちが付けているとなればなおさら。……で、何の話してたんだっけ?」

「こいつがリニスちゃんのネコ耳触ってみたいって話だろ。それぐらい頼めば触らせてくれんじゃねえの。よくできてると言ってもどうせカチューシャだろうし」

「変な言い方すんじゃねえ。リニスちゃんの耳が本物じゃねえことくらいわかってるよ。でも、あの耳を見てるとどうしてもなぁ……」

 

 

 彼らの会話は猫並みの聴力を持つリニスの耳にしっかり届いていた。しかし、リニスはあくまで聞こえていないような振る舞いで、出来上がった料理を盆に載せていく。

 だが思わずにはいられなかった。

 

(人の耳を取り上げて好き勝手なことを……もう少し考えてから決めるべきでした。あのむっつり愚王が持ってきたアルバイトの話なんて)

 

 

 

 

 

 

《なんでリニスにあの店を紹介したんだい? そもそも、なんであんたが店長に話を通すことができるんだ? まさかあんたもあの店の……》

《ちげーよ! いや、何度か行ったことはあるけど。クラスメイトの父親がいくつか店を持ってて、夏に向けて人手を増やしたいから誰か紹介してくれって頼まれたんだよ。そこでリニスに話を持ち掛けたんだ》

《クラスメイトから? なのはたち以外ほとんど友達がいないあんたに、なんでそんなことを?》

《……『学年のアイドル二人と絶世の銀髪美女を侍らせている御神なら、美人の知り合いぐらいいるだろう。せめて労働力として一人くらいよこせ。さもなきゃ“遂行率100%”がお前を狙うことになる』と言われてな。身の危険を感じて仕方なく……》

《……ああ、なるほどね》

 

 俺の説明を聞いてアルフは納得したように首を縦に振る。彼女も俺を取り巻く状況を知ってはいるようだ。

 まあ、リニスは約束通りの条件で働かせてもらっているみたいだし、彼女のおかげであの店も繁盛していると聞く。プレシアさん同様、開業する前の修行にもなるし、ここで辞めさせる必要もないだろう。

 そう自分に言い聞かせている俺の横でヴィルはため息を吐き出した。彼が着ているのは目立つ紋付き袴ではなく、俺たちが着てるものと同じラフな私服だ。

 

「やれやれ、苦労しとるようじゃのう。すずかとの婚約を公言すればそんな脅しを受けることもなかろうに。いい加減腹をくくったらどうじゃ。リインフォースやはやてとやらが気になるなら妾にするという手もあるぞ。儂はそれについて何も言うつもりはない」

「お前になくても周りが言ってくるだろう。少なくとも俊さんや春菜さんは認めないだろうな。何よりすずかが望まないかもしれない」

 

 それに、その形だとリインはまた(愛人)という形になってしまう。もう身分の差はないんだし、今度は正式な夫婦として彼女と添い遂げたい。

 

「ところで、お前はそろそろドイツに帰らなくていいのか? 一応キルツシュタイン家の当主なんだろう?」

 

 俺の問いにヴィルは煽るようにアイスティーを飲み干して言った。

 

「その心配はいらん。儂はあくまで“先代”当主。100年前に家督を息子に譲ってからは、当主としての務めはあやつが行っておるのじゃ。総当主としての指示もこの町から下せばよいしの。儂が所領におらんでも特に問題はない。外にはまだまだ面白そうなものがありそうじゃし、当分はこの町に留まることにする。……さくらを傷物にした男の顔もまだ見ておらんしの」

 

 そう言いながらヴィルはいびつな笑みを浮かべる。俺の知らないところでまたやっかいな事が起きそうだな。

 

 

 

 

 

「じゃあ腹ごしらえも終わったしそろそろ出ようぜ! ここにいたら桃子さんたちの仕事の邪魔になっちまう。勉強ならリンディさんの家でもできるしな」

 

 俺の呼びかけに、みんなはうなずいたり無言で荷物をまとめながら応じる。そこですずかがぱんと手を叩きながら言った。

 

「そうだ! 折角みんな揃ってるし、これからはやてちゃんたちを誘ってデパートに行かない? 私、実はまだ“あれ”を買ってなくて」

「ああ、そういえばあたしも買ってなかったわ」

「あっ、私もまだ買ってない」

 

 アリサが言うと、それに続いてなのはも声を上げる。俺とヴィル、フェイトとアリシアは首を傾げ、七瀬は得心がいったように首を縦に振った。

 

「なんじゃなんじゃ? 女子(おなご)どもだけで納得しよって。一体何を買っておらんというのじゃ?」

「確かにそんな風に言われたら少し気になるな。俺たちも一緒に行っていいか? 荷物持ちくらいできるかもしれない」

 

 下心などなく、純粋な善意からそう言ったつもりだが、アリサをはじめ女の子たちはジト目を向けてくる。それに気圧されながら……

 

「な、何だよ……?」

 

 思わず尋ねる俺にすずかはにっこり笑って言った。

 

「健斗君とヴィル君はだーめ♪ 七瀬ちゃんと一緒にアリシアちゃんの勉強見てあげて」

「なぬっ?」

「ええー! 私も行きたいー!!」

 

 すずかの言葉にヴィルは怪訝な声で聞き返し、アリシアも抗議の声を上げる。一方、七瀬は動じた様子もなくアリシアに言った。

 

「私とアリシアの分は今度買ってもらえばいいよ。先輩たちと違って時間はたっぷりあるし。今は聖祥に入れるように勉強しておかないと。健斗君たちもそれでいいでしょう。“水着”なんて男女仲良く選ぶものじゃないよ」

 

 七瀬の言葉に俺はああと声を漏らしかける。そういえば夏休みに入った後、俺たちがミッドチルダへ研修に行く前に海水浴に行くって話だったっけ。

 

 

 

 

 

 

 そんな事を話しながら、健斗たちが翠屋を出る頃。

 東京都新宿区にあるビル内にて。

 

 

 

 物一つないただっ広い部屋の中に、数十人もの男女が並び、緊張した様子で整列していた。

 その全員が見ているだけで暑苦しさを感じさせるスーツを身にまとっていたが、クーラーから吐き出される冷風のおかげで熱さを訴える者は誰一人おらず、皆前を注視して“支局長”の言葉を待っていた。

 彼らの前には、十近く()()()()ほど低い背丈の少年と、彼より頭一つ分高い背丈の少女が立っている。

 

 背も齢も少年より下の者は誰一人いない。しかし、少年は臆する様子もなく部下たちに向かって口を開いた。

 

「皆さんこんにちは。当支局の支局長に任じられたクロノ・ハラオウンです。我々はこれからこの支局ビルを主な拠点としながら活動することになります。もちろん、それまでの間ずっとこの管理外世界だけに目を向け続けるわけではありません。本局と支局を行き来しながら、もしくは艦船勤務を挟みながら活動することになります。

 にもかかわらず、なぜ本局ではなく、管理外世界に支局を建ててそこを活動の拠点とするのか。疑問に思われる方は少なくないと思います。その答えは数ヶ月前に起きた『J・D事件』……その事件のきっかけとなった二種のロストロギアの片方、《闇の書》が関係しています。それはかつて第一級捜索指定ロストロギアとされていた、危険な魔導書です」

 

 闇の書や第一級のロストロギアと聞いてざわめきが起こる。第一級に指定されるほどのロストロギアの危険性、闇の書がこれまで引き起こした災厄、そのどちらも管理局にいる者ならほとんどが知っている。

 クロノは咳払いをして皆を黙らせ、しばらくして再び口を開いた。

 

「ご存知の方も多いようですね。闇の書は『転移再生機能』、『自動蒐集機能』をはじめとした危険なシステムを司っていた防衛プログラムの消滅によって無害化し、現所有者八神はやてのもとにあります。これが暴走する危険は極めて低く、暴走したとしても対処は可能です。

 ですが事件後に行われた調査の結果、本体とは別に、魔導書のプログラムが一部残存している可能性がある事が判明しました!」

 

 それを聞いて先ほどより大きなざわめきが起こる。エイミィが両手を振って止めようとし、クロノも声を上げるが、ざわめきが完全に収まるまで少なくない時間を要した。

 

「そのプログラムについてまだ断定はできませんが、事件中にプレシア・テスタロッサと御神健斗が見つけた謎の機能《システムU-D》が関係しているのではないかと推測しています。

 なぜ管理局がこの世界に支局を設置したのか。なぜ我々が本来の職務である次元空間の観測や巡回をする時間を減らしてまでここに腰を据えるのか……ここまで言えばもうお判りだと思います」

 

 問いかけるような言葉に答える者はいない。だが、それが肯定を意味していた。

 クロノは声を張り上げて告げる。

 

「『闇の書事件』を真に解決するため、この地球と呼ばれる世界をシステムU-Dの脅威から守るため、『東京臨時支局』は設立されました。みんなの力を僕に貸してほしい。協力してくれないか!」

 

 訴えるような言葉でクロノは締めくくる。それに対する反応はうなずきや心強い返事と、それらとともに皆の手から打ち鳴らされる盛大な拍手だった。

 ここにいる誰もが故郷から離れた世界に身を置き、魔法も管理局も知らない人々を守るために戦おうとしている。

 クロノとエイミィは誇らしい笑みを向けながら、彼らに業務の開始を告げる。

 

 

 

 かくして7月中旬。2年後に起こる“新たな事件”に向けて、『時空管理局・東京臨時支局』は活動を開始した。



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間話4 休日中のひと時

 夏休みに入ってから一週間後、ミッドチルダへの研修を目前にして、俺たちはそれぞれ家族や知り合いを連れて海鳴市から少し離れた海岸に来ていた。

 近くには月村家が所有する別荘があり、そこで一泊する予定になっている。温泉の時と同じ、夏休みを利用しての合同家族旅行だ。今回はあの時よりもさらに二家族ほど増えた大所帯だが。

 

 

 

 

 空から降り注ぐ日の光。白い砂浜。見渡す限りに広がる大海原。

 それを前にして――

 

海だ――!!

 

 目の前に広がる絶景を前に思わず叫ぶ俺に対して、後ろの三人は淡々とした様子で、

 

「まったく。支局を立ち上げたばかりだというのに、こんなところに連れ出して。休み明けに局員たちからなんて言われるか」

「まあまあ。危ない事件が起こる気配もないんだし、今のうちに休んでおくのも大切だと思うよ。僕も整理中の無限書庫が気になるけど」

「若いのにワーカーホリックじゃのう。お主らもあやつみたいに羽目を外してみたらどうじゃ。あんなふうにはしゃげるのは若いうちだけじゃぞ」

「……」

 

 ここまできてまだ職場を気にかける二人にヴィルはそんな言葉をかけ、そんな三人の後ろでザフィーラは人間の姿で言葉を発さず控えている。

 ヴィルの言う通り、お前らももっと喜べよ。せっかく海に連れてきてやったんだぞ。それにもうすぐしたら――

 

「おまたせー!!」

 

 弾むような声につられて後ろを振り返ると、水着に着替えた女の子たちの姿が目に飛び込んできた。

 白い肌を晒しながらも、彼女たちは恥じる様子を見せず俺たちの方にまっすぐ向かって来る。

 

「お待たせ。やっぱり男の子は着替えるの早いね。ユーノ君も水着よく似合ってるよ」

「い…いや……なのはこそ……とても似合ってるよ」

「どうクロノ君? 私の水着。とりあえずトップのビキニとショートパンツの組み合わせにしてみたんだけど」

「べ、別に……水着くらいでどぎまぎするほど子供じゃない!」

 

 水着姿の女子たちに免疫がない男子二人は目に見えておたおたする。

 一方、青色のモノキニ*1を着た七瀬は半裸状態のザフィーラをまじまじと見て――

 

「うわぁ、ザフィーラさんすごい体。ちょっと触っていい?」

「うむ。別に構わんぞ」

 

 当人の許しを得て七瀬はザフィーラの体をペタペタと触り、「はぁ」とか「固いなぁ」とつぶやきを漏らす。それに対してザフィーラはむずがゆそうにしながらもされるがままになっていた。

 

 そんな中で……

 

「ほらフェイト、そんなところに隠れてないで! 一緒に行こっ!」

「で、でもこの格好、下着と変わらないし……」

「水着なんてそんなものだよ! クロノとお風呂に入った時と比べれば何か着てる分大したことないじゃん! いいから私たちも行こうよ!!」

 

 聞き捨てならないことを口にしながら、アリシアはフェイトを引っ張り出そうとする。ちなみにフェイトが着ている水着は濃青色のビキニ、アリシアのはワンピース型の水着だ。どちらも二人に似合っていて可愛らしい。

 ついそんな事を思っていると――

 

「――いてっ! なにすんだ!?」

 

 突然背中に電気の球が当たったような痛みと痺れを感じ、そちらに向かって怒鳴りつける。すると――

 

「「視線がいやらしい!!」」

 

 俺に人差し指を向けた状態のまま、プレシアさんとリニスはそんな言葉をぶつけてくる。

この二人も例外なくビキニを着ていて、プレシアさんは豊満な胸の谷間やその下のくびれを露わにし、リニスはそれに加えて隠しようもない猫耳と尻尾の組み合わせがアンバランスな魅力を引き出している。あの店の客が増えるわけだ。

 だが二人の指からバチバチと火花が走るのが見えて、俺は慌てて彼女たちから視線をそらす。すると、ちょうどそこで彼女たちの姿が見えた。

 

「主、さすがにこの格好は――」

「大丈夫やて。知り合いしかおらへんし、男の子もみんな真面目な子ばかりやから」

 

 黄色いワンピース水着を着たはやてに手を引かれながら現れた彼女を見て、俺は思わず目をぱちくりさせる。

 

 リインが着ている水着は上下一体型の黒いプランジングだった。首元からへそあたりまで大きな割れ目が入っており、ホックの代わりに細い紐で水着を固定するようにできていて、正面からでも横からでも胸肌が見えて色々マズい。

 早く着替えさせなければと思いながらも、もう少し見ていたいという気持ちも沸き、迷いながらもリインに視線を戻す。するとまた――

 

「――うおっ!? 今度は誰だ?」

 

 リインの横辺りから火球が飛んできて、それを避けながら叫ぶ俺に、シグナムは手のひらを突き出し、ヴィータはグラーフアイゼンを肩に乗せながら一言――

 

「「目つきがやばい!!」」

 

 ……そこまで言いますか。あれを見たら男なら誰だって同じような目つきになるぞ。現にそこのむっつり二人――クロノとユーノ――も、ゆでだこのように赤くなりながら目をそらしてるし。

 

計画通り! リインに近づくどころか顔も見れんようになったみたいやな。これで海にいる間は仲が進展することはないはずや)

(はやてちゃんが別のヤガミさんみたいな顔してる……主ながら恐ろしい子)

 

 

「じゃ――じゃあ、みんな揃ったみたいだし、そろそろ海に入るか。暑くてもう限界だ」

 

 そう言って体をほぐそうと準備運動をしようとしたところで――

 

「あっ、健斗君。その前に日焼け止めを塗らせてもらえないかな。日差しが強いし、このままだと真っ黒になっちゃいそうだから」

 

 すずかがそう言うと、他の女の子たちも思い出したようにうなずく。俺たち男子も当然異存はなく。

 

「ああ。じゃあ俺たちは先に準備運動を済ませて海に入るか――」

「待って!」

 

 男子たちに向かって言ったところですずかが声をかけてくる。怪訝に思いながらすずかの方に向き直ると、彼女は顔を赤くしながら……

 

「……あの、健斗君……日焼け止めを塗るの手伝ってくれないかな。背中にまで手が届かなくて……」

「えっ――!?」

「すずかちゃん!?」

 

 突然の頼みに俺とはやては驚きの声を上げる。はやての反応を気にも留めず、すずかは恥ずかしそうに、しかし期待に満ちた眼差しを向けてきた。

 

 すずかのまわりには大勢の女子たちがおり、その中には日焼け止めを持ちながら控えているノエルさんとファリンさんもいる。俺よりも彼女たちの誰かに頼んだ方がいいだろう。

 そう思っている俺の耳元にすずかは口を寄せて、

 

健斗君だったら、背中を塗ってる途中で変なところ触っちゃっても怒ったりしないよ♡

 

 その一言を聞いて思考が固まる。

 俺は彼女のご先祖様に顔を向けて――

 

《おいヴィル。夜の一族の“発情期”ってやつは今ぐらいの頃から訪れるものなのか? 自意識過剰じゃなければ、誘惑されてるようにしか思えないんだが》

《さあてのう。儂が知っておる限り、ほとんどの者は十代半ばを過ぎて発情期を迎えるはずじゃが、恋愛感情を抱いた場合早く訪れることもありうる。まあ多分違うと思うがな。発情期の衝動はお主が思っているほど甘いものではない。……ところでどうする? かわいいひ孫の肌を守るため、早く日焼け止めとやらを塗ってやってくれんかのう。いっひっひっ!》

 

 このエロジジイ……。

 思念越しの会話の末にそう毒づくと――

 

「あー、私もお願いしようかなー。ワンピースやから大丈夫やと思うけど、塗っといた方がええと思うしな……私もちょっとだけやったら、好きなところ触ってええよ♡

「お、おいはやて! そいつにそんなことさせるくらいならあたしが――いや……なんでもねえ」

 

 ヴィータが何か言おうとするも、はやてが彼女に顔を向けた途端言葉を止める。

 リインは……

 

「~~!!」

 

 ちらりとリインに顔を向けるが、彼女は顔を真っ赤にしてぶんぶん首を振る。それを残念に思うと同時に安心もした。あれだけ露出した彼女に触れようものなら、魔が差して背中以外に触れてしまうかもしれない。

 

 暑い日差しの下で、なぜか俺は冷たい汗をかきながらどうするべきかを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 一方、大人たちはパラソルや椅子の組み立てを終えて、日光浴を満喫していた。

 リンディとレティも椅子に寝そべりながら、子供たちの方を眺めて。

 

「いいのリンディ? 向こうでいかがわしいやり取りが行われてるみたいだけど」

「私はこの世界ではあの子たちを取り締まれる立場にないから。美沙斗さんはいいんですか? このままだと健斗君、彼女たちに……」

「息子も分別ぐらいわきまえているでしょう。好きにさせておきます。もちろん万が一の時は徹底的に打ちのめして灸を据えますが」

 

 そう言って、美沙斗もリンディたちの隣で椅子に横たわったまま組んだ手の上に頭を乗せる。そんなことで休暇の邪魔をされてたまるものかと言いたげに。

 美沙斗に倣って、リンディとレティも子供たちを見守りつつ、自分たちの休日を優先することにした。

 

 

 

 彼女らの隣でも何組かの男女がそばにおり……。

 

「はー、すずかもやるもんねー。ひょっとしたらそのうちほんとに落ちるかも。それはそうと、私も日焼け止め塗ろうかな。恭也、背中塗ってもらえる」

「ああ。それぐらいいいが……」

「あっ、それなら私も! 恭ちゃん、忍さんの次は私の背中塗って!」

 

 

「まさかユーノ君が人間の男の子だったなんてね。なのはに気があるように見えるけど、もしかしてなのはも……」

「ううむ……悪い子ではなさそうだが少し頼りないな。なのはを任せるには、もう少し骨のある男でないと……」

 

 

「春菜、やはり今からでもすずかと健斗君を引き離すべきではないだろうか。このままだと発情期を迎える頃には……」

「私は悪くないと思いますけど。勉学にも武術にも秀でて、すずかへの思いやりもある子ですし。会社なら忍と恭也さんに任せて、すずかは自由にさせてもいいと思いますが」

「わかってる。それはわかってるんだが……だがせめて大学を出るまではそういう事とは無縁な方がいいと思うんだ。無縁でいてほしい……」

 

 

「アリサったら、せっかく健斗君にアピールするチャンスなのに。頭はいいし気も回るけど、恋愛事に関してはまだまだ子供ね。デビッドもそう思わない?」

「ははっ、男親としては娘が取られずにすんでほっとしているところだが、アリサがはぶられているのを見ると正直面白くないな。子供たちの中ではアリサが一番可愛らしいはずなんだが」

 

 

 

 それから、子供たちは海水浴、ビーチバレー、スイカ割りなどを楽しみ、途中から親たちも参加したり、美沙斗とシグナムが砂浜の上で剣を交えたり、久しぶりの海を満喫してから、一同は宿へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

「あ~、楽しかったけど疲れたーー!」

 

 露天風呂に浸かりながら、お決まりの言葉とともに大きなため息をつく。そこへ――

 

「年寄りみたいなことを言うな。僕より年下のくせして」

 

 そう言いながらクロノも湯船に浸かりながらふぅと息を漏らす。そんなクロノに俺も言い返す。

 

「仕方ないだろう、中身は20くらいなんだから。そういうお前だってお疲れみたいじゃないか」

「支局を立ち上げたばかりでずっと忙しかったからな。その点君はいいな、学校の授業は楽で、それ以外の時間も自由なんだから。その上かわいい女の子にモテているようだし」

「抜かせ。これでも結構苦労してるんだぞ。それにお前が人のことを言えるか。フェイトとアリシアと一緒に風呂に入ったことがあるらしいじゃねえか。このむっつりすけべ」

「し、仕方なかったんだよ! うちは人数が多いから何人かまとまって入らなくちゃいけないから。プレシアさんもまだこっちに来てなかったし。それに結構大変だったんだぞ。アリシアの背中を洗ってる最中に、腰に巻いたバスタオルを彼女に巻き取られたりして。そのせいで二人にあれを見られて……」

 

 そこまで言ってクロノは恥ずかしそうに顔を伏せる。

 なるほど。女家族の中で育ったあの二人は男と風呂に入るなんて初めてだろうからな。羞恥心より好奇心の方が勝ったらしい。積極的なアリシアならなおさら。その結果、クロノはあの二人に体の隅々を眺められるという事になってしまったわけだ。

 クロノに同情し、互いに再び息をつく。

 男湯には俺とクロノの他にも何人かいたが、士郎さんとザフィーラなど、それぞれ話し相手を見つけたらしく、周りには俺たち二人以外いなかった。

 

 クロノはふと口を開く。

 

「……僕が口を挟むことじゃないと思うが、はやてとすずかのことはどうするつもりなんだ? いつまでもこのままというわけにはいかないと思うが。……まさか、まだ彼女たちの気持ちに気付いていないわけじゃないだろうな」

「……」

 

 んなわけないだろう。その手の事に鈍いとはいえ、あそこまできたら嫌でも気付く。はやてがリインを乗っ取ったり、今日みたいにすずかからあからさまなアプローチをされたらな。だが、彼女たちやみんなとこれまで通りにするには、気付いていないふりをするしかなかった。

 

「わかってるよ。リインのためにもあの二人のためにも、いつかはケリを付けなきゃいけないってことぐらい。でも今あいつらを振ったらまずいことになる気がする。はやてがまたリインを乗っ取るようなことをしでかしたらお前たちだって困るだろう」

「それは……まあそうだが」

 

 あの時のことを思い出したのだろう、クロノは深刻そうな顔で返事をする。

 

「それ抜きにしても、あいつらはオッドアイなんて気にせず仲良くしてくれる友達だ。なんとか無事に解決して今までどおりの関係を続けたいと思っている。だから今はそっとしといてくれ」

 

 そう言うとクロノはしばらく考えて、

 

「……わかった、そっちは君に任せる。だが、くれぐれも誠意のない事はするなよ。仕事柄、それでひどい目に遭った人間を男女問わず何人も見てきたからな」

 

 そう言ってクロノは立ち上がり。

 

「それと、来週から陸士校での研修が始まる。初日から訓練ばかりになると思うから、明日はしっかり休んでおくように。以上だ。僕は先に上がらせてもらう」

 

 その言葉を最後にクロノは湯船から上がって、みんなに声をかけながら浴室から出て行く。

 俺は片手を上げながらクロノを見送り、今の話を思い返す。

 

 はやてとすずかか。なんとかしてあの二人を諦めさせることができればいいんだが。

 とにかく今はミッドチルダでの研修に備えないと。彼女たちやリインのことはそれを片付けてからだ。

 

 他の男たちの談笑や女湯から響いてくる声を聞き流しつつ、俺は決意を固めた。

*1
スクール水着のような上下一体型の水着




定番の水着回でした。絵心と文章力のなさが悔やまれる回です。
今回で間話は一旦終了し、次回から『ミッドチルダ留学編』が始まります。エルトリア編までの繋ぎとなる章ですので楽しみにしてください。


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留学編1 地上部隊

 時空管理局には大きく分けて二つの部署があり、次元空間や管理外世界を含む複数の次元世界に渡って発生する事件の対処やロストロギアの回収にあたる『次元航行部隊』と、各管理世界に駐留し当該世界の治安維持を担う『地上部隊』が存在する。

 『本局』を本部とする次元航行部隊に対し、地上部隊はミッドチルダの首都クラナガンの中央に天高くそびえる『地上本部』を本部としている。

 

 転送ポートで本局を発った俺たちは、その地上本部に来ていた。

 

 

 

 クロノとエイミィさんに連れられて、本部の中や外の景色を眺めながら出入り口がある一階を目指している途中で、青い士官服を着た男と鉢合わせた。

 茶色い髪を角刈りに刈り上げ、頬から口元、顎にいたるまで髭を蓄えた、貫禄のある中年の男だ。彼の傍には茶色い地上部隊の制服を着た、黒髪の男が控えている。

 中年の男は、黒い執務官服を着たクロノと次元航行部隊の制服を着たエイミィさんを見て眉をひそめる。彼に対してクロノは右手を頭の上に当てて敬礼をし、エイミィさんも慌てて敬礼をした。

 

「ゲイズ一佐、ご無沙汰しています」

「執務官と本局の局員か。“海”の人間が地上本部に何の用だ?」

 

 不愉快そうな態度を隠さず問いかけるゲイズ一佐に、クロノは臆する様子もなく答える。

 

「こちらの嘱託魔導師たちを、研修のために第四陸士訓練校へ向かわせるためです。本局と繋がっている転送ポートは地上本部にしかありませんので、勝手ながらお邪魔させていただいてます。すぐに失礼しますので」

「ほう、嘱託魔導師か。てっきり社会見学に来ていた“同級生”かと思ったぞ」

 

 クロノの本当の歳を知ってか知らずかそんな言葉をかける一佐に、クロノは顔をひくつかせながらも「違います」と否定する。

 それに対し一佐は気にする素振りもなく、俺たちに向かって口を開いた。

 

「首都防衛隊の指揮を執っているレジアス・ゲイズだ。こっちは私の部下のゼスト・グランガイツ。本局からここまでよく来てくれた。管理局の局員として歓迎させてもらおう」

 

 不承不承ながらも自己紹介をしてくれる一佐と頭を下げるゼストに対し、俺たちも慌てて。

 

「み、御神健斗です! これから局の魔導師として精一杯務めるつもりです!」

「高町なのはです! こちらこそよろしくお願いします!」

 

 緊張のせいか、まだ慣れていないせいか、敬礼も忘れて名乗る俺たちだが、一佐は意外にも感心したように目を丸くし、ゼストも目を見張った。そして彼らの視線は彼女の方に向く。

 それに対して……

 

「フェイト・テスタロッサです。よ、よろしくお願いします」

 

 恐る恐る、だがしっかりとフェイトは自己紹介を遂げる。しかし一佐は……

 

「テスタロッサだと! まさか、お前がJ・D事件の――」

 

 事件の名と顔をしかめる一佐に、フェイトは思わず縮み上がる。俺となのははフェイトをかばうように前に立ち、そんな俺たちにも一佐は剣呑な顔つきで睨みつける。

 しかしゼストが彼の肩を掴み「レジアス」と呼びながら首を横に振ると、一佐は首をうなずきながらゼストの腕を払い、気を取り直すように咳払いをして口を開いた。

 

「失礼した、挨拶ぐらいはできるようだな。……しかし、本局の魔導師がミッドの陸士校に研修とはどういう風の吹き回しだ? 本局にも訓練校があったはずだが」

「あちらに優秀な教官がいらっしゃると聞いて、ハラオウン総務官とロウラン本部長のお計らいで、一ヶ月の間第四陸士校で学ばせてもらえることになりました。それまでの間彼らと鉢合わせることもあると思いますが、なにとぞよろしくお願いします」

 

 誤魔化しまじりに尋ねる一佐に、クロノは率直に返答する。すると一佐は、

 

「できれば一人か二人はそのまま“陸”に残してくれると助かるのだがな。まあいい。仕事があるのでそろそろ失礼する。行くぞゼスト!」

 

 そう吐き捨てて一佐は俺たちを横切り、ゼストも俺たちに軽く頭を下げて一佐の後に続く。その際、彼から鋭い目を向けられて……。

 

「健斗君、どうしたの?」

「――いえ、何でもありません」

 

 怪訝そうに尋ねるエイミィさんに俺は首を横に振る。そんな俺たちに対してゲイズ一佐とゼストはこちらを振り返ることなく遠ざかっていった。

 彼らを見送ってから、俺たちも急いで一階へ向かうことにした。

 

 

 

(緑の左眼を含んだオッドアイに、“ケント”という名か。まさかとは思うが……)

 

 

 

 

 

 

「すまなかったな。嫌な思いをさせて」

 

 地上本部を出て、用意されていた車に乗り込んでから少しして、クロノは俺たちに謝ってきた。思わず彼の方を向く俺たちにクロノは続けて言う。

 

「“海”と“陸”――次元航行部隊と地上部隊は昔から予算や人員を巡っての衝突が絶えなくてね。特に、先ほどのレジアス・ゲイズ一佐は地上部隊の権限の拡充を訴え続けていて、僕たちのような本局側の人間を目の敵にしているんだ。“海”に比べて“地上”に予算と人員が十分に割り当てられていないのも事実だから彼に賛同する者も多く、こちらも下手に事を構えるわけにはいかないんだ」

 

 派閥争いか。いくつもの世界を束ねるほど大きな組織なら当然起こりうることだが、ミッドチルダに来て早々見せつけられるとは。

 

「それに犯罪者に対する当たりも強い人で、前科のある人を局員に登用する事に反対しているみたいなんだって。あの人みたいに考えてる人は少ないから、気にしない方がいいよ」

「うん、大丈夫……別に気にしていないよ。あの事件のことを知ったら、あの反応も当然だと思う」

 

 気遣うように言うエイミィさんにフェイトは笑みを浮かべながら答えるものの、その笑みはぎこちない。リンディさんたちと違って、自分を犯罪者として見ている人間が現れたことにショックを隠せないようだ。

 しかし無理やり加担させられていたフェイトを毛嫌いしているとは相当だな。プレシアさんやグレアムさん、ヴォルケンリッターとリインにはどれほど嫌悪を抱いているのだろうか。

 フェイトの気持ちを察したのかクロノは励ますように言った。

 

「J・D事件の詳細を知っている者は局の中でも一握りしかいない。特に容疑者に関してはプライバシー保護の観点があるからね。研修先ではさっきのようなことは起こらないと思うから安心するといい」

「う、うん……」

 

 そう言ってクロノは前に体を向ける。俺たちも雑談をする気分ではなく、外に視線を移す。

 窓の外には、途切れることなく続く高層ビルの群れと頭上を這うバイパスが見える。東京都心や一度だけ行ったことのあるニューヨークに似ている。

 ここが第1世界ミッドチルダの首都――

 

「『クラナガン』。ミッドチルダはもちろん、次元世界の中で最大の規模を誇る都市だよ……色々問題もあるけれどね」

 

 言いづらそうに付け足すクロノに、その問題とやらを尋ねることもせず、俺たちはしばらくの間、窓から見えるクラナガンの景色を眺めていた。

 

 

 

 

 

 その後、俺たちを乗せた車は『6番ポート』という施設につき、そこから転移してミッドチルダの北部へと移動し、それからさらに二時間かけて、俺たちは郊外に建てられた建物に辿り着いた。

 なお、それまでの間、飛行魔法は一度も使っていない。現代、各管理世界で飛行魔法を使うには管理局からの許可を取らなければならず、局員でも緊急時でなければ許可が下りることはないとのことだ。窮屈だが、飛行魔法が悪用されるようなことを防ぐには仕方ないことだろう。

 

 ともあれ、ここが俺たちがこれから一ヶ月間通う留学先――『第四陸士訓練校』のようだ。

 

 

 

 

 

 

 到着してすぐ学校から出てきた職員――地上部隊所属らしく、やはり茶色の制服を着ている――に案内されて、俺たちは学長室へと通された。

 学長はゲイズ一佐と同年代か少し上だったが、笑顔を絶やさない温和そうな中老の男性だった。

 

「ええ、総務官たちからもお話は伺っています。そちらの嘱託魔導師さんたちをしばらく当校に預けたいと……それも“彼女”を指導教官につけた上で」

 

 学長の言葉にクロノはうなずく。

 

「はい。ぶしつけなお願いで申し訳ありませんが、お願いできないでしょうか」

 

 心なしか頭をわずかに下げながら頼み込むクロノに学長もうなずきを返して。

 

「ええ、大丈夫です。その手の要望は何度もありますから。それに、教えられる人材が出てくるのは我々にとっても喜ばしい事ですからね。“陸”も“海”も人手不足は深刻ですから。……ですが、訓練校としての性質上手心は加えられませんよ。それでもよければですが……」

 

 表情を硬くして学長はクロノとエイミィさん、そして俺たちを見る。それにクロノが答えようとして――

 

「それは承知しています。ぜひ――」

「はい! こちらからお願いしたいくらいです! どうか厳しい指導をお願いします!」

 

 椅子から立ち上がり俺は学長に深く頭を下げる。すると横にいる二人も……

 

「私も厳しくお願いします! 早く立派な魔導師になって、みんなの役に立てるようになりたいんです!」

「私もお願いします! リンディさんやクロノにここまでしてもらって、自分だけ甘えるなんてできません!」

 

 俺に続いて、なのはとフェイトも立ち上がりながら頭を下げる。それを見て学長は深い笑みを浮かべた。

 

「……わかりました。『短期プログラム』として、一ヶ月の間君たちを当校の生徒としましょう。君たちの担当教官を呼びますので、しばらく待っていてください」

 

 そう言って学長はモニターを浮かべ、学長室に来るように言う。

 それからしばらくして、ドアを叩く音が聞こえてきた。

 

「コラードです」

「どうぞ、入ってください」

 

 学長が許可するとドアが左右に開き、「失礼します」の一言とともに、後ろ髪を団子状に結んだ初老の女性が入ってくる。

 学長は俺たちに視線を戻し――

 

「紹介します。彼女が――」

「ああ、学長、自分から言わせてもらえませんか。教え子には自分から自己紹介したいんです」

 

 女性がそう言うと、学長は納得したようにうなずき椅子に深く腰を下ろす。

 女性は俺たちに向き直る。俺たちも腰を上げて彼女と向かい合った。

 

「あなたたちの担当教官を務めるファーン・コラードです。短い間になりますが、よろしくお願いしますね」

 

 そう言って、ファーン教官は優しい微笑みを見せた。




・原作に詳しい方に向けた補足

原作でなのはたちが陸士校にいた期間は三ヶ月ですが、地球での学業の兼ね合いを考えると無理が出てしまいますので、夏休み中の一ヶ月に短縮しています。


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留学編2 訓練初日

 学長やファーン教官との面談が終わってすぐ、クロノとエイミィさんは早々に訓練校を後にし、俺となのはとフェイトは訓練用の服に着替えてからグラウンドに出て、他の訓練生と一緒の訓練に混ざることになった。

 

 

 

「なんだあいつらは? 訓練の見学か?」

「うわぁ、かわいい! 三人とも10歳くらい?」

「こら、静かにしろ! 訓練中止! 全員集まれ!!」

 

 訓練を止めて俺たちを見ながら騒ぐ生徒たちに、教官は声を張り上げて整列させる。生徒たちは男女とも皆俺たちより大きく、地球でいえば中学生ぐらいの年齢の者がほとんどだった。

 教官は俺たちに来るように視線で促してから口を開く。その合間に俺たちも彼らの元へ向かった。

 

「局に登用された嘱託魔導師で、これから一ヶ月の間だけここで訓練をすることになった。名前だけでいい、簡単な自己紹介をしろ!」

「御神健斗です! 一ヶ月だけですが、よろしくお願いします!」

「高町なのはです! よろしくお願いします!」

「フェイト・テスタロッサです! ご迷惑をかけるかもしれませんが、よろしくお願いします!」

 

 教官に促され自己紹介する俺たちに、生徒たちから拍手が返ってくる。一方、一部の生徒は拍手しながらも仲間と目線と念話を交わしていた。

 

《一ヶ月だけってことは短期プログラムの子? あの年で局に採用されたって相当優秀な子たちなのかな?》

《さあ。でも、あのくらいの子がここにくるのなんて珍しいね》

 

《ミカミ? タナマチ? 変な名前だな。どこの世界の言葉だ?》

《さあな。少なくともミッド生まれじゃなさそうだ。ルーフェンか、もしかしたら管理外の辺境世界かもな》

《管理外世界の出身ねぇ……》

 

 各々の頭の中でそんなやり取りが交わされているとも知らず、教官はまた声を張り上げ――

 

「紹介は終わりだ! すぐに訓練を再開する。お前たちも準備しろ!」

「「「はいっ!!」」」

 

 

 

 

 

【午前 基礎訓練】

 

 俺たちの紹介が終わってすぐ、何人かの生徒たちがグラウンドの各所に三角ポールを設置していき、他の生徒たちはいくつかの列に分かれて整列する。なのはとフェイトは教官の指示で二人一緒に並び、俺は別の列の後方に行かされた。

 そこで……

 

「よっ」

「……どうも」

 

 俺の隣にいた生徒に声をかけられ、俺は短い返事を返す。赤毛と赤い眼が特徴的な、逞しい体つきの精悍な男だ。訝しむ俺に彼は言ってきた。

 

「教官から君と組めって言われてさ。しばらくの間君とペアになるみたいだ。エリックと呼んでくれ」

「こちらこそ。御神健斗です」

 

 返事を返す俺にエリックさんは肩をすくめて、

 

「別に敬語じゃなくていい。ここじゃ年が違ってるのが当たり前だし、みんなほとんど一年で卒業するから先輩後輩なんてものもないしな。堅苦しい言葉遣いはよそうぜ」

「そうですか。じゃあお言葉に甘えさせてもらうよ」

 

 さっそくタメ口になる俺にエリックはおかしそうな笑い声をあげる。

 そこでホイッスルの音が響き、教官が声を張り上げた。

 

「次! Eグループ、ラン&シフト!」

 

 その言葉とともに二人組の男子が列の最前線に出る。それを眺めながらエリックは俺に訓練の内容を説明してくれた。

 

「基礎訓練の名のとおり、内容は難しくない。二人一組(ツーマンセル)でグラウンドに置かれたコーンを避けながら(フラッグ)が刺さっている場所まで走り、旗があるポイントまで来たら陣形を組むって内容だ。……まっ、見てればわかる」

 

 エリックが言い終えたと同時にホイッスルが鳴り、例の男子二人が旗を目指して一気に駆け出す。

 先頭の男子がコーンを避けながら進むが、曲がる時に勢い余って足をコーンに引っ掛けてしまい、相方に怒鳴られながら体勢を立て直すも、今度は前の男を意識するあまり、後ろの男が壁にぶつかってしまい、教官から安全確認違反と視野狭窄の烙印を押され、怒鳴られながら腕立て伏せ20回を命じられてしまった。

 

「次、Fグループ!」

 

 Eグループを叱り飛ばしてすぐに、教官は次のグループを呼び出す。

 次に出てきたのは、二つに結んだツインテール同士の女の子二人――なのはとフェイトだった。

 

「早いな。もうお前の連れの番か。あの女の子たち、どこまでいけると思う?」

 

 新米二人を眺めながらエリックは尋ねてくる。それに対し、なのはと言葉を交わしながら先頭に立つフェイトを見て、俺は言った。

 

「たぶん、片方は一番いい記録を出すと思う」

「なに……?」

 

 エリックが怪訝そうに俺の方を向いた時だった。

 教官がホイッスルを鳴らし、フェイトとなのはが駆け出す。そこから先は、少なくとも俺たち以外の生徒にとっては目を疑うような光景だった。

 フェイトの姿がかき消えたと思った次の瞬間には、彼女は曲がり角のところに現れ、そしてまた消えたと思ったら次の曲がり角に現れ、あっという間に旗のすぐそばまで来てしまった。

 それに対して、なのはは小学生並みの慎ましい速度で息を切らしながらコーンを避け、時間をかけて旗に辿り着く。その側で二人は陣形を展開し、彼女たちの番は終了となった。

 

「え、Fグループよし! 次、Gグループ!」

 

 教官の言葉に今度は誰だと辺りを見回す。そこへエリックは俺の肩を叩きながら言った。

 

「次は俺たちの番だ。どっちが前に出る? 最終的には二人とも旗に辿り着かなきゃならないから、俺はどっちでも構わないが」

「じゃあ俺が前に出る。エリックは後衛(フォロー)を頼む」

 

 そう言って俺は前列に出ながら、足に魔力を込めた。

 

「シュヴァルツェ・ヴィルクング」

 

 詠唱を唱えた瞬間、足に魔力がこもる。

 これは魔導師としての訓練。身体能力を上げるための訓練とはいえ、魔法を使ったらだめということはないはずだ。

 

 グラウンド中に軽快なホイッスルの音が響く。

 その瞬間、俺は足を前に踏み出し、前に向かって駆けだした。

 大人並みの脚力に、後ろのエリックを含めたほとんどの生徒が息を飲む。それを横目に俺はコーンを避けては方向を変え、コーンや壁をかいくぐりながらフラッグのもとに辿り着いた。ほどなくしてエリックも追いついてくる。

 彼の到着を待ちながら所定の位置に付き、エリックとともに陣形を組んだ。

 教官はほうと息をついてから。

 

「Gグループよし! では次の訓練に移る! 訓練用の壁の前に散会!」

 

 教官の指示通り、生徒たちはまた何組かに分かれて各所に設置された薄壁の方に散っていく。

 そんな中、エリックは再び俺に訓練内容を説明してくれた。

 

「次は垂直飛越(すいちょくひえつ)。片方が相手を押し上げて壁の上に乗り、壁に乗った方が地面にいる方を引き上げるんだ。あんな風にな……」

 

 エリックが指さす先では、男子が輪の形を作るように腕を組み、女子がその上に足を乗せる。そのまま男子は手に力を込めて女子を壁の上まで放り上げ、上手く壁の上によじ登った女子は、その上から男子を引き上げた。

それを見ながらエリックは言う。

 

「さすがに今度の訓練は難しいな。一番低い壁ならお前たちでも登れそうだが、お前の相手ができそうなのが、あの二人のどっちかじゃ……」

 

 そう言ってエリックは一番低い壁を登っているなのはとフェイトを見る。

 彼の言う通り、今度の訓練はお互いにある程度の身長と腕力がないと厳しい。押し上げる方はもちろん、押し上げられる方も下にいる相手の手を掴めるだけの身体の長さと引っ張り上げるだけの腕力がないといけないからだ。なのはやフェイトの力じゃ俺を押し上げることも引っ張り上げることも難しいし、身体能力を上げる魔法も習得していない。

 だが……

 

「ん? どうした?」

 

 怪訝そうに尋ねるエリックに俺は言った。

 

「エリック、また協力してくれないか。お前は同年代の中でも身長が高い方だし力もありそうだ。俺を壁の上まで押し上げるくらいわけないだろう」

「――はあ!? まじか? あの上に上がれたとしても、そこから俺を引っ張り上げるんだぞ!」

 

 素っ頓狂な声を上げるエリックに俺はうなずきを見せる。するとエリックは困ったように頭をかいて、

 

「……わかった。俺がお前を上に上げるから、お前はあの上から俺を引き上げてくれ」

 

 それから何組かが壁の飛越に成功したり失敗したりして、俺たちの番が回ってきた。

 

「次はGグループだが……本当にこの組み合わせでやるのか? 無理にやろうとしなくてもいいんだぞ」

「いえ、やらせてください!」

 

 頼むように言うと、教官は仕方なさそうに。

 

「わかった。はじめろ!」

 

 教官が号令をかけると、そびえたつ壁を背にしながらエリックは輪の形に両手を組む。俺はその手の上に足を乗せた。

 エリックは俺を乗せた腕に力を込めて……。

 

「…………――はあっ!」

「――!?」

 

 勢いを付けすぎたのか、エリックに放り投げられた途端、俺の体は壁より体三つ分は浮く。見学していたなのはたちをはじめ生徒たちは動きを止めて俺を見上げ、教官も舌打ちをしながら俺を助けようとする。

 だが俺は、

 

――これならいける。

 

 壁の縁を眼下に収めながら体をひねり、空中で体勢を整え壁の上に着地する。

 そして、俺はすかさず腕に魔力を込めながら下にいるエリックに手を伸ばし。

 

「エリック、掴まれ!」

「……お、おう!」

 

 魔力で補強された腕は自分より5つ近く上のエリックの身体を軽々と引っ張り上げ、エリックはもう片方の手で壁の(ふち)を掴んでよじ登る。その瞬間――

 

 わあああああああっ!

 

 あわやピンチというところで見事壁の上に着地し、課題をクリアした俺に生徒たちは喝采をあげる。なのはとフェイトも感心したように拍手を送っていた。

 一方、エリックは俺の横で釈然としない表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

「午前の訓練はここまで! 一時間休憩とする! 午後までしっかり休息を取れ!」

 

 はい! ありがとうございました!!

 

 教官に生徒たちは一糸乱れず返事を返す。

 それから生徒たちはグループごとに集まり昼食をとりに向かう。俺もなのはたちの所へ行こうとするが……

 

「健斗!」

「……エリック」

 

 エリックに声をかけられ俺は彼の方を振り向く。

 

「さっきは悪かったな。いつもの調子でつい力を入れ過ぎちまってよ。お詫びに今日は好きなのおごってやるよ。一緒に食おうぜ」

「いや、気にしなくていいよ。ただ――」

「健斗くーん!」

 

 言いかけたところでなのはの呼び声が響く。それからすぐ、なのはとフェイトが俺たちの所にやってきた。

 

「健斗君もこれからご飯でしょ。一緒に食べよ!」

「そっちの人は、確か健斗とペアだった……もしかしてその人と食べるつもりだったのかな?」

 

 フェイトの問いに俺はエリックに横目に見ながら、

 

「あ、ああ。よかったらエリックも入れてやってほしいんだが……」

「私は別にいいけど」

「私も。エリックさんが嫌じゃなければ」

「そうか。じゃあ――」

「――ねえ君たち!」

 

 俺が言いかけたところで、女子たちに声をかけられ、思わず言葉を止めて彼女たちを見る。

 彼女たちは気にした様子もなく口を開く

 

「お昼私たちと一緒に食べない? 食事しながらちょっと君たちのこと聞かせてよ」

「えっ……」

「別にいいですけど……」

「やった! じゃあ早速食堂行こ! あそこ持ち込みOKだからお弁当でも気にしなくていいよ!」

 

 なのはとフェイトの同意を得て、女子たちは二人の背中を押しながら食堂へ向かう。

 俺はエリックに向かって、

 

「じゃあ俺たちも行くか。ちょっと賑やかになりそうだけど」

 

 そう言うとエリックは、

 

「……いや、俺はやっぱりいい。女子に囲まれるの苦手だからさ。じゃあまた午後で会おう!」

 

 そう言ってエリックは俺たちに背を向けてそそくさと行ってしまった。そこで声をかけてきた女子の一人が、

 

「おおーい、きみー! 何やってんの? 早くしないと食堂混んじゃうよ!!」

「あっ、今行きます!」

 

 そう返事を返しながら、俺も急いで彼女たちのもとへ向かった。

 

 

 

 

 

 

 その頃、地上本部では……。

 

「レジアス、また昼も摂らずに仕事か……一体何を見ている?」

「……J・D事件の報告書だ。とある筋から手に入ってな。ちょうどいい、お前も見てみろ」

 

 執務室に入って来るなり、伺いも立てず率直に尋ねてくるゼストに、レジアスは空間モニターを操作しながらぶっきらぼうに命じる。ゼストは何も言わず椅子に腰かけながらモニターを開いた。

 それからしばらくして、ゼストが報告書にざっと目を通したころを見計らって、レジアスは再び口を開いた。

 

「今朝、あの執務官が連れていたフェイト・テスタロッサという娘。やはりJ・D事件の実行犯の一人のようだ。そんな人間がなぜ本局や地上本部を自由に歩き回っている? 本来なら牢獄の中にいるはずだぞ!」

 

 忌々しそうに吐き捨てるレジアスにゼストはため息をついてから言葉を返す。

 

「フェイト・テスタロッサは裁判で数年間の保護観察が決まり、嘱託魔導師になったことで管理局内の施設の出入りも認められている。あの子の境遇を考えればそれぐらいの措置が取られるのも無理はないだろう。生まれた時から母親とその使い魔に手駒として教育され、命令を果たしても果たさなくても頬を打たれる日々を過ごしたとあってはな。次元法でも、そのような子供に対しては(いたずら)に未来を奪うような判断を下すべきではないと定められている」

「ふん、詭弁にすぎん。子供がそうそう親の思い通りになるものか。わしの娘など幼い頃から親の言うことに逆らってばかりで、わしの許しもなく管理局に入ると言い出しておるのだぞ。母親に逆らえなかったなど罪を許す理由になるものか!」

 

 レジアスの話をゼストは表情一つ変えずに聞き流す。それに関してはもう何度も聞いた。レジアスが男手一つで育てた娘の将来を巡って、彼女と何度も衝突していることはよく知っている。もしもの時は側近として傍に置こうとしている事も。

 それをよそにレジアスはまだまくし立てる。

 

「それにプレシア・テスタロッサと、テスタロッサ親子の使い魔、そしてギル・グレアムたちまでことごとく無罪に等しい結果を迎えているのはどういうことだ? 次元災害を引き起こすほどのロストロギアを手に入れようとした者たちが、なぜ揃いも揃って野放しになっている?」

 

 誰にともない問いにゼストは首を横に振る。

 

「さあな。さすがにプレシアとグレアムの処遇は俺も解せん。ただ、それについては“最高評議会”が口出ししたという噂があるが」

「――!」

 

 それを聞いた途端レジアスはかっと目を見開く。それを見て、

 

「レジアス……どうした? 何か知ってることでも?」

「な、何でもない! 思わぬ言葉に驚いただけだ。ところで、お前から見て何か気になることはないか? フェイトという娘をミッドから叩き出せそうな情報などは……」

 

 その問いにゼストは首を横に振る。

 

「いや、俺が見た限りそのようなものはない。……ただ」

「ただ……なんだ?」

 

 ただという言葉にレジアスは耳ざとく反応し、迫るように尋ねるが、ゼストはまた首を横に振り。

 

「いや、何でもない。考え過ぎのようだ。気にしないでくれ」

「……そうか」

 

 ゼストが言うとレジアスはそれ以上追求せずあっさりうなずく。こういう時ゼストは何度聞いても答えてはくれないし、おそらく任務に関係がある事ではない。それはこれまでの付き合いでよくわかっている。

 一方、レジアスの反対側で、ゼストはモニターに映る御神健斗の写真とプロフィールを眺めていた。

 

(管理外世界で生まれ育ったにもかかわらず古代ベルカ式の魔法を使い、まわりよりはるかに早く動ける希少技能(レアスキル)を持つ少年か。やはりただものとは思えない……調べてみる必要があるな)

 

 

 

 

 

 

「……というわけで訓練校に入ることになったんですけど、午前中はいい所見せられなくて。やっぱり運動は苦手です」

 

 初日限りの親の手作り弁当を食べながらなのははこぼす。それに対して先輩たちは、

 

「気にしなくていいよ。あたしらも入ってきたばっかの頃はそんな感じだったし。ってか編入していきなりあっさり訓練をこなされてもあたしたちの立場がないって」

「でもフェイトちゃんと健斗君は慣れてるみたいだったね。ランや飛越の時にすごい動きしてたし、ここに来る前からどっかで訓練を受けてきたとか?」

 

 先輩たちは俺やフェイトに話を向けてくる。それに俺たちは、

 

「私は幼少の頃から家庭教師みたいな人から体術や魔法の使い方を教わってて。そのためだと思います」

「俺も親が剣の使い手で、一日中訓練したりしたこともありますから。多分そのためでしょう」

 

 あと前世で、シュトゥラ学術院で騎士としての訓練を受けていたというのも大きいだろうな。あそこにいた頃は数刻間ぶっ通しで素振りや模擬戦というのもざらだった。

 

「へえ。ところで健斗君、君ってベルカ式を使うんだってね。瞳の色も左右違うし……もしかして君、ベルカ王族の末裔とかじゃない?」

「――ゴホッ、ゴホッ!」

 

 前世の頃を思い返している時に、ちょうどそんな話を出されて、俺は思わずむせてしまう。そう言ってきた先輩は「大丈夫?」と言いながらも話を続ける。

 

「聖王戦争とかでほとんどの王族が断絶したっていうけど、生き残っている王族もわずかにいるって聞くからさ。もしかしたらって思うんだけど……」

「まさか――俺は平凡に育ったただの一般人ですよ。王族なんかなわけないじゃないですか!」

「そうだよ。この子たちチキュウって世界から来たって言ってたし、ベルカの王族なわけないじゃん。ごめんね君、こいつ、こういう冗談でからかってくる奴だから」

「あははっ、大げさに反応するもんだからつい。お詫びにフライドポテトあげるから許して」

 

 先輩はポテトを差し出しながら謝ってくる。それに対して俺も苦笑いを浮かべながら「気にしないでください」と言いながらポテトを掴み取った。

 

 

 

 

 

「なあ、あいつちょっとむかつかね」

「ああ。いきなり入って来て、妙な魔法で注目を浴びて、女に囲まれながら飯食いやがってよ。初日から調子に乗りすぎてんじゃねえのか」

「調べてみたんだけど、あいつらやっぱり管理外世界の人間らしいぜ。ミッドから離れた、統一さえしてない世界の」

「未開人ってことか。なら俺たちがミッドのルールってもんを教えてやる必要があるかもしれねえな……お前もそう思わねえか?」

「……」

 

 健斗たちを遠巻きに眺めながら、まわりより少しガラの悪い生徒が囁き合う。その中でエリックは黙々と食事を摂っていた。

 

 

 

 

 

 

 午後の座学は魔法やデバイスに関わる授業で、机に座ってノートを取るという点では地球で俺たちが受けている授業と何も変わらなかった。

 そのため午前に比べたら疲弊することなく、訓練校での初日はそのまま終わりを迎えた。

 

 そして男女別々に分かれて、寮で夕食を摂ってシャワーを浴び、俺は自分に割り当てられた部屋に足を踏み入れた。そこで俺を迎えたのは――

 

「よう健斗、しばらくぶりだな。訓練だけじゃなく部屋も一緒になった。よろしくなルームメイトさん」

「こちらこそエリック。今まではお前ひとりだったのか?」

「ああ。俺一人余っててよ。そこのベッドと机が手つかずだからお前が使うといい」

「サンキュー」

 

 ベッドに寝そべりながら、もう一方のベッドとその向こうにある机を指しながら言うエリックに俺は一言礼を言って、机の近くに荷物を下ろす。

 

「ちなみにエロ本は外に持ち出さなければ持ち込み自由だ。俺は気にしないから好きな時に見ろ」

「……ミッドでも18歳未満はそういうのは見れないんじゃないのか?」

 

 からかうような笑みと口調で言ってくるエリックに俺はツッコミを入れる。するとエリックは悪びれる様子もなく言う。

 

「グラビアならお前ぐらいの年齢でも見れるし買うこともできるぜ。俺は持ってないけど興味があるなら週末にでも買って来てやるが、どうだ?」

 

 そのあたりは地球と同じか。俺は呆れながら。

 

「いい。水着ならこの間見たばかりだからな」

「まじかよ。あの女の子二人か?」

「ああ……」

 

 本当はもっといっぱいいたが、深堀りされたくないので適当にうなずいておく。するとエリックは嘆くような仕草で、

 

「かあー、羨ましいねえ。俺なんて元の世界じゃ海水浴なんかできねえし、こっちじゃ移った後はすぐ訓練校入りだから週末しか自由な時間がねえしよ」

「海水浴ができない? それって一体?」

 

 動植物が一切住めなかったベルカの海を思い出しながら尋ねる。エリックは肩をすくめながら返事をした。

 

「……色々あってな。ところで健斗って管理世界じゃ聞かない名前だけど、もしかしてお前管理外世界の人間だったりするか?」

「……ああ。地球――第97管理外世界ってとこから来たが。それが?」

 

 エリックの問いに訝しみながらも答えると、彼は神妙な顔になって……

 

「聞いた話じゃ、そこって国同士がバラバラに別れていて戦争をしているらしいって聞いたが……本当か?」

 

 その問いに俺はこくりとうなずく。エリックは「そっか」と言って。

 

「悪い。妙なことを聞いた。そろそろ寝ようぜ。明日も早い」

「……ああ。そうだな」

 

 エリックの声色に引っかかるものを覚えながらも、俺は言われたとおり寝支度をはじめ、ほどなく俺たちは眠りについた。

 

 俺の身のまわりで異変が起きたのはその三日後からだ。



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留学編3 管理外人

 訓練校に入って四日目にそれは起こった。

 

 一時限目の訓練に入る前、ロッカーに入れていた訓練用のブーツがズダズダに切り裂かれていたのだ。幸い、訓練の内容上ブーツがボロボロになることはよくあることらしかったのですぐに交換が行われ、当日の訓練に支障はなかった。

 さらにその一時限後、座学で使う教書に落書きがされ、その日に習う箇所のページにいたっては真っ黒に塗りつぶされて読むことができなかった。こちらも隣の生徒が教書を見せてくれたり、授業の内容がすでに知っているものばかりだったため障りがなかったが。

 だが、ブーツや教書の損傷に気付いた時のこらえるような笑い声や、トラブルを乗り越えた時に聞こえてきた舌打ちなどがたまらなく不快だった。

 

 

 

「大丈夫、健斗君?」

「教官に言った方が――」

 

 昼食中、嫌がらせに気付いた様子でなのはとフェイトはそう言ってくれる。しかし俺は、

 

「いや、まだいい。今調べても犯人はわからないだろうし、クラス中に触れ回るようなことをされてもほとぼりが冷めた頃にまた同じようなことをされるだけだ。だったら……」

 

 その先を食事とともに飲み込む。すると。

 

「今度はどうしてやろうかな」

「そうだな、今度は――しっ!」

 

 利用者たちによる雑多なざわめきの中で、そんな会話をする二人組が近づいてきて、俺に気付いた途端口をつぐむ。彼らは一言も交わさず仲間たちがいる席を見つけてそこに座る。そこには――

 

――エリック!?

 

 二人を出迎える男たちの中にエリックの姿を見つけて俺は思わず目を見張る。それを見咎めて。

 

「健斗君?」

「……どうしたの?」

「――い、いや、何でもない! そろそろ次の授業の準備がしたいし、さっさと食べ終えてしまおう!」

 

 怪訝そうに尋ねるなのはたちに俺はそう言う。なのはたちもそれについては何も言わず、話題を挟みながら食事を進める。

 一方、くだらなそうな話にいちいち下卑た笑いを上げる男たちの中で、エリックは無表情で食を進めていた。

 

 

 

 

 

 

 そして翌日の模擬戦訓練でそれは起こった。

 

「はあっ!」

「くっ!」

 

 剣を振るい徐々にエリックを追いつめる。俺は最後の一撃を入れるべく一歩踏み出す。

 そこで不意にエリックは後ろに退いた。彼を追いかけようとしたその時――

 

「危ない!!」

 

 女子の悲鳴とともに、俺に向かって光弾が飛んでくるのに気付く。俺はすぐに――

 

「――はっ!」

 

 空いている方の手でシールドを張り、光弾を受け止める。

 霧散した光弾の向こうでは、明らかに俺に杖を向けていた男がいた。

 彼は悪びれた様子もなく頭をかきながら。

 

「悪い悪い。手元が狂ってお前の方に撃っちまった。大丈夫だったか?」

 

 男は嗜虐的な笑みを浮かべながらそう言ってのける。それに対して俺もあえて何でもなさそうに。

 

「いえ、大丈夫です。気にしないでください」

 

 そう言って俺は彼に背中を晒す。注目が集まっている以上、もう彼は何もしてこれないだろうし、してきたとしても気配を感じ取ることはできる。

 それより気になるのは……。

 

「おい! 大丈夫か?」

「……」

 

 エリックは心配そうに俺に駆け寄ってくる。そんな彼に俺は疑念を抱いていた。

 

 さっき光弾が放たれてきたのはエリックが退いた直後だった。この前の飛越訓練の時といい、まさかとは思うが……

 

「どうした? やっぱりどこか怪我でも?」

「――いや、何でもない。模擬戦を続けよう! ぼやぼやしているとまた一本取ってしまうぞ!」

「――ああっ! 遠慮なくかかってこい!」

 

 そんな言葉を交わしながら、俺とエリックは模擬戦を再開した。

 

 

 

 

 

「……」

 

 ファーン・コラードは何もかも見透かしたように校舎からグラウンドを眺める。しかし、彼女はそれ以上何もすることはなく、ただじっと自身が担当する教え子の様子を眺めるのみだった。

 

 

 

 

 

 

 それから数日間、細々とした嫌がらせが続きながらも先んじてそれに対処することもできるようになり、嫌がらせの失敗と俺がそれを気に留める様子もなく学校に通い続けていることに向こうも業を煮やしてきたのか、それは起こった。

 

 

 

 座学が終わり、次の訓練場所であるグラウンドへ向かうために階段を下りようとした時だった。

 

 ――ドン!

 

 ふいに背中から軽い音がした。

 突然後ろから背中を押され、俺はそのまま階段の下へ落ち――

 ずにそのままくるりと反転し、伸びたままの相手の腕を掴む。

 

「なっ――!?」

 

 俺を突き落とそうとした相手は、食堂で俺たちの後ろを通りがかった二人組の一人だった。

 思わぬ反撃に驚愕の声を上げる男に俺は問いをかける。

 

「どういうつもりですか? なぜこんな真似を?」

「ち、違う! 俺はただ――」

 

 詰問する俺に対し、男は言い訳をしようと口をぱくぱく動かす。しかしそうしている間に、周りにいた生徒たちは腕を伸ばしている彼とそれを掴み続けている俺に気付き、ざわめき始める。

 

「お、おい! なんだあれ?」

「もしかしてあの子を突き落とそうとしたんじゃ?」

「ねえ、教官を呼んできた方がいいんじゃない?」

 

 ざわめきが大きくなり、男は青い顔で周りを見渡す。その一方で何人かの男が俺たちから遠ざかるのが見えた。まるで自分たちは無関係だというように。

 俺を突き落とそうとした男はそちらを見て何か言いかけるものの――

 

こらお前たち! 一体何をしている!?

 

 野太い声がかかって来て、俺と男はそちらを振り向く。

 そこには鬼のような表情で俺たちを見下ろす教官がいた。

 

 その後、俺たちは訓練を欠席して教官からあれこれ尋ねられ、男は俺に謝罪をさせられた後、三ヶ月の停学を命じられた。

 その“報復”と、彼らとの決着は思いのほか早く訪れた。

 

 

 

 

 

 

 転落未遂から二日後の昼休み、俺は一人学内用デバイスなどの備品をしまう倉庫の裏に来ていた。そこにはすでに数人の先客がおり、煙草をくわえながら一斉に俺に目を向けた。その中には訓練中俺に光弾を放ってきた男もいた。

 

「ほう。思ったより早いじゃないか。こっちから迎えに行こうかと話していたところだったんだが、余計な心配だったようだな」

 

 リーダー格らしき金髪の男が煙草を口から離しながらそう言ってくる。それに対して俺は肩をすくめながら返事を返した。

 

「嫌な用事はさっさと済ませる事にしてますから。ロナウド先輩、俺に何の用です? さっさと昼食を済ませて次の訓練の準備をしたいんですが」

「ふん。よくのうのうとそんなことが言えるものだな、マルコを停学に追いやっておいて。お前のせいであいつの経歴に傷がついたんだぞ。どうしてくれるんだ?」

 

 あいつマルコっていうのか。

 心中でそうつぶやきながら俺は肩をすくめて言う。

 

「突き落とそうとしたのはあっちでしょう。本当なら退学どころか逮捕されてもおかしくないと思いますが。それが三ヶ月の停学で済んだんだから、むしろ御の字でしょう」

「黙れ! 貴様のたわごとなどどうでもいい! とにかく階段での一件は貴様の勘違いだったと教官たちに証言しろ! でないと……」

 

 ロナウドが言葉を止めた途端、不良生徒たちは煙草を地面に捨てながら俺を取り囲み、愉悦の笑みを浮かべながらごきごきと拳を鳴らす。

 やれやれ、腐った奴はどこにでもいるもんだな。こんな奴らが管理局員を目指しているとは。

 

「嫌だと言ったらどうなるんです?」

 

 そう言うと、不良たちの一人がヘヘヘと下品な笑いを漏らしながら俺に近づく。そして……

 

「教えてやろうか――こうなるんだよ!」

 

 言いながら不良は大仰に腕を振りかぶって俺を殴りつけてくる。無論黙って殴られるわけがなく――

 

「――っ!?」

 

 俺は体を真横に動かして大振りに振るった腕を避ける。続けて腕を少し後ろに引いて、

 

「はっ!」

「ぐあっ!」

 

 間近にさらした男の顔面に拳を入れると、不良は醜いうめき声を上げてのけ反る。それを見てロナウドたちは慌てた様子で構えた。

 

「中途生――それもガキの分際で俺たちに逆らうか……構わん、やっちまえ!」

「おう!」

 

 ロナウドの命令に応じて不良たちが一斉に襲い掛かる。

 俺はそのうちの一人の懐に飛び込み腹に向かって一撃を叩きこむ。

 

「はあああっ!」

「ぐああっ!」

 

 《徹》という打撃法で、腹から体の内側に衝撃を与えられた男はたまらずその場にうずくまり悶絶する。

 俺はすぐに他の男の背後に移動し、そいつの後頭部に一撃。

 

「ぐあっ――なめるな!」

 

 しかし、思いのほか頭が固かったのか、男は倒れず俺を殴ろうとする。俺はそれを避けて男の顔面を殴りつけ、続けざまに蹴りを入れて真後ろに吹き飛ばす。ちょうどそこにいた一人を巻き込みながら、不良二人はコンテナにぶつかり目を回しながらその場にへたりこんだ。

 残るはあと一人!

 

「最後はあなたですね、ロナウド先輩」

「貴様――!」

 

 ロナウドは俺を睨みつけ、少し迷ってからカードを取り出し杖の形に変える。

 こいつ……。

 

「来い中途生。魔導師の戦いがどんなものか、俺が直々に教えてやる」

「――ティルフィング!」

『Ja Meister!』

 

 杖を向けるロナウドに対し、俺も懐から取り出したティルフィングを剣にして構える。

 そして勝負は始まった!

 

「フォトンバレット!」

 

 ロナウドが撃ち込んでくる弾を避けながら俺は彼に迫る。ロナウドはそこで射撃をやめ杖を振り上げて俺に向かってきた。

 

「はあっ! せあっ!」

 

 ロナウドは杖を振り下ろし力任せに叩きつけてくる。そのたびに俺も剣を振るってそれを受け止める。

 鍔迫り合いを続けていくうちにロナウドに隙が見えて、俺は彼に向けて剣を振り下ろした。

 

「せやああっ!」

「プロテクション!」

 

 だが、ロナウドが突き出した左手から障壁が広がり、俺はたまらず弾き飛ばされる。

 そこを狙ってロナウドは光弾を放ってくる。

 

「パンツァーシルト!」

 

 俺も左手を突き出しシールドで球を防ぐとロナウドは舌打ちを漏らしながら杖を構えた。

 また撃ってくるつもりか。だがこの距離なら――。

 

「はああっ!」

 

 俺は剣を振るいながらロナウドめがけてまっしぐらに突っ込む。だが、それが誤りだった。

 

「――ぐっ! なに!?」

 

 手首と足元に異変を感じるとともに身動きが取れなくなる。これは――

 

「引っかかったな! 動きを止めてしまえばこっちのものだ――死ねぇ!!」

 

 バインドで右手首と両足を縛られた俺に向かってロナウドは光が漏れる杖の先端を向ける。だが――

 

「バレルショット!」

「バインドブレイク!」

 

 ロナウドが撃つと同時に、バインドを破壊しそのまま光弾を斬り落とす。

 

「なっ――!?」

 

 驚愕に目を見開くロナウド。俺は足を踏み出し彼に接近して剣を振り下ろし、彼の杖を弾き落とした。

 剣を向けたまま俺は告げる。

 

「勝負ありだな、ロナウド」

「……」

 

 剣を突き付けられながら、ロナウドは臆した様子も見せずただ沈黙する。俺は続けて言った。

 

「もう二度と俺にちょっかいをかけないというならここまでにしてやる。マルコって奴にもあれ以上の処分を要求するつもりはない。だからもう終わりにしよう」

 

 落とし所を提示する俺に対し、ロナウドはニヤリと笑い。

 

「嫌だと言ったら?」

 

 喧嘩の直前に俺が言ったことと同じ言葉を言う。思わず眉をひそめると突然彼は後ろに跳び、背中に強い衝撃が走った。じりじりとした熱さと痛みを感じながら俺は後ろを振り返る。そこには……

 

「へへっ」

「くくっ」

 

 さっきまで倒れていた奴らが起き上がり、杖を構える。その中の一人が持っている杖からは丸い魔法陣が浮かんでいた。撃ってきたのはあいつか。

 

「形勢逆転だな中途生。この人数が相手じゃ勝ち目はあるまい。訓練校のような所で先輩様に逆らったらどうなるのかじっくり教えてやるよ」

 

 ……ちっ、加減し過ぎたか。ここで目を覚ましてくるとは。

 

「だいたい、魔法を知らない管理外の人間が管理局に入るなんておこがましいんだよ!」

「管理世界に属するどころか、統一さえできていない世界の人間は自分の世界に戻って、同じ世界の人間同士殺し合いでもしてろ!」

「――!」

 

 管理外世界の人間であることを引き合いに出して、連中は好き勝手なことを言う。

 顔を引きつらせながら剣を構えた時だった。

 

「待て!!」

 

 彼らの後ろから響いた声に俺も彼らもそちらに目をやる。いつの間に来たのか、そこには燃えるような赤毛と赤い眼の男が立っていた。彼は鋭い眼と怒りに歪んだ形相でこちらを見る。それに対して――

 

「エリック!」

 

 俺は思わず男の名を叫ぶ。そしてロナウドも。

 

「エリック! いいところに来た。お前も加勢しろ。お前も管理外のガキなんかと組まされて腹が立ってたんだろう。ここで再起不能にして、残り二十日間登校したくてもできないようにしてやろうぜ!」

「……」

 

 ロナウドが呼びかけると、エリックは黙ったままカード状のデバイスを取り出し杖に変える。それを見て俺も剣を強く握る。

 まさかと思ったが、エリックもロナウドたちの仲間か? それとも――

 

「はああああっ!!」

 

 エリックは雄たけびを上げながら杖を大きく振るう。

 そして、すぐそばにいた不良を思い切りぶん殴った。

 

「ぐああっ!」

「なっ!?」

「エリック!? 何をしている?」

 

 仲間に攻撃するエリックに、不良たちは目を丸くしロナウドは思わず問いを投げる。そんな彼らにエリックは言った。

 

「お前らに合わせるのは今日限りだ。子供一人に寄ってたかってデバイスまで持ち出すような情けない連中とつるむくらいなら、管理外のガキと組んでいた方がよほどましだ。お前らのくだらない話を聞かされながらメシを食うのももう飽き飽きだったしな!」

「エリック、貴様――ぐああっ!」

 

 エリックに向かって何事か咆えようとしたエリックの顔面に俺は拳を叩きこむ。たまらず顔を押さえるエリックに、

 

「悪いな、隙だらけだったんで。お前が倒したいのは俺だろう。かかって来いよ先輩」

「このガキ――後悔させてやる!!」

 

 徴発したせいかエリックも拳を突き出して殴りかかってくる。その一撃を貰いながら俺も奴の腹を思い切り殴る。

 リーダーを援護しようと他の不良たちも俺に殴りかかったり杖を向けたりしたが、エリックが振るう杖に蹴散らされる。

 そうして俺たちは不良グループを倒していった。

 

 

 

 

 ロナウドたちを倒してからすぐに、俺はエリックに言葉をかける。

 

「ありがとうエリック。おかげで助かったよ」

「なに、お前があいつらに囲まれているところを見てついな。まっ、お前なら俺がいなくてもなんとかなりそうだったが」

 

 エリックの言葉に答えず苦笑で応じる。そこでエリックは気絶して倒れているロナウドたちを見下ろしながら言う。

 

「ところでこれからどうする? さすがにこれだけ騒げば教官の誰かが駆け付けてくると思うが……逃げるか?」

 

 冗談めかして言うエリックに俺は首を横に振る。

 

「逃げたってどうせすぐにバレる。むしろロナウドたちがある事ないことを言うかもしれないことを考えたら、出頭した方がまだましだ。まっ、それについては心配しないでくれ。ここに来た時から手を打ってある」

「……? わかった。俺も実は最初から逃げるつもりはなかったしな。じゃあここで教官が来るのを待つか」

 

 そう言ってエリックはコンテナにどっしりと座る。そんな彼に俺は尋ねた。

 

「ところでエリック、もしかしてお前も管理外世界から来たのか?」

「……どうしてそう思う?」

 

 コンテナに座ったまま神妙な顔で尋ねるエリック。俺は彼の出自に気付いたわけを答える。

 

「この間話した時からなんとなくな。それにお前が出てきたのって、ロナウドたちが俺を、管理外世界の人間を馬鹿にしたからだろう。でなきゃあそこまで怒ったりはしなかっただろうしな。……そう思ったんだが、違うか?」

 

 聞き返す俺にエリックは薄い笑みを浮かべながら首を横に振る。

 

「いいや、その通りだ。俺の故郷は魔法や次元空間や他の世界へ移動する技術はあるものの、管理局の庇護を受けるか否かで揉めているところでな――今も内戦中だ」

 

 内戦という言葉に俺は目を見張る。

 

「じゃあ海水浴ができないっていうのも……」

 

 エリックはこくりとうなずき。

 

「ああ。内戦しているところで海パン一丁で泳ぎなんてできるわけないだろう。せいぜい妹と一緒に狭い風呂に入ったぐらいさ」

「妹がいるのか?」

「血は繋がってないがな。俺と違って賢い奴だ。ミッドチルダみたいに平和な世界で生まれていたら勉強して大物になれただろうよ。……だからまあ、あいつらが管理外世界に加えて、その世界で起きている争いをネタにして、お前を馬鹿にしているところを聞いて思わずな」

 

 エリックは自嘲気味に言う。そんな彼に俺はさらに尋ねた。

 

「最後に一つ聞いていいか……お前がいた世界の名は?」

 

 ぶしつけな問いにエリックは怒るでもなく、はっと乾いた笑みを漏らして言った。

 

「オルセア……第42管理外世界『オルセア』だ」

「お前たち? ――こんなところで何をしている!?」

 

 エリックが故郷の名を口にすると同時に、教官の野太い声が響く。見れば、実技担当の教官をはじめとした何人もの職員たちが驚きの目で俺たちを見渡していた。

 

 

 

 

 かくして、俺とエリック、ロナウドたちは指導室に連れていかれ、そこで諸々のいきさつを話すことになった。

 当初は私闘を行ったことで俺たち全員に厳罰が下される予定だったが、懐に入れていたデバイスに記録させていた会話内容から、ロナウドたちが一方的に俺に襲いかかった事が判明し、ロナウドたちがマルコに続く三ヶ月の謹慎を言い渡されたのに対して、俺とエリックが言い渡されたのは今日一日の謹慎と反省文の提出だった。

 そして俺たちは自室に戻り、夕食までの間、数枚の原稿用紙との格闘と作文が苦手なエリックの指導に時間を費やすことになった。

 

 

 

 

 

 

「……わかりました。後はこちらで引き受けますから、訓練の監督に戻ってください」

「はい。失礼します」

 

 健斗たちが起こした乱闘騒ぎの報告を聞いてから、学長は教官を下がらせて大きくため息を吐く。そして机の上に置いた両手を組み、傍にいる初老の女性を見ながら口を開いた。

 

「やってくれましたね、あの御神健斗という少年。……これもあなたの読み通りですか? コラード教官」

「さあ、どうでしょう? ロナウド君をはじめ、今年は問題のある生徒が多かったので、彼らと揉め事を起こさなければいいと思っていましたが、残念ながらそうもいかなかったようですわね」

 

 口調とは裏腹におもしろそうに微笑むファーンに、学長は首を大きく横に振る。やはり最初から謀っていたらしい。

 ロナウドたちは未来の陸士候補としては問題が多く、ミッド以外の世界――とりわけ管理外世界の人間への差別心が強い生徒だった。彼らより年少にもかかわらず初日から好成績を収め、第97管理外世界の人間である健斗やなのはたちとロナウドたちが諍いを起こす可能性は十分高かった。

 陸士や武装隊となるからには他の世界に差別意識を持ったままでは困る。また、正規局員を目指す健斗たちにもああいう手合いの者がいる事を知っておいてもらった方がいい。その思いから、ファーンはあえて彼らと健斗たちを同じクラスにした。

 

 そして結果は案の定。ロナウドたちが健斗にちょっかいを出し、そして返り討ちにあった。

 健斗に打ちのめされたことでロナウドたちも少しは思い知っただろう。魔力の資質にミッドや他の管理世界、管理外世界の差はないと。管理外世界から類まれな力を持つ魔導師が出てくることも十分あり得るのだ。

 それに今回のことで、将来的に起こるかもしれなかった争いの芽も摘むことができた。管理外世界出身のエリックとロナウドたちの争いの芽を。

 

「“エリック・グラーゼ”。反管理局思想を掲げる《オルセア解放戦線》に属する活動家の息子。彼についても気にかかるところですが、ひとまず様子を見る事にしましょう。……ところであの子たちですが、訓練校に入って一週間になります。そろそろ総務官たちの要望通り、コラード教官が指導されてもよい頃では」

 

 声の調子を変えてそう言い出す学長。するとファーンは笑みを浮かべながら、

 

「そうですね。地上での動き方や飛行魔法を用いない飛越法も覚えたようですし、そろそろ老骨に鞭打って、私が直接手ほどきをするとしましょうか」

 

 学長も意地の悪い笑みを浮かべながら言った。

 

「ええ、期待していますよ。《高ランクキラー》と呼ばれている、あなたの腕前を」



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留学編4 高ランクキラー

 半日間の停学から週明けの早朝。

 俺たち短期プログラム組はファーン教官に呼び出されて、模擬戦用の小グラウンドに来ていた。

 

「おはようございます、ファーン教官!」

「「おはようございます!!」」

 

 俺に続いてなのはとフェイトも元気よく挨拶をする。

 ファーン教官は微笑みを向けながら……

 

「おはよう三人とも。先週まで他の生徒と一緒に陸士用の基礎訓練をしてもらったけれど、どうだったかしら? 飛行魔法が使えるあなたたちにとっては意味のない訓練だったかもしれないけど」

「いえ……」

「とても有意義な訓練でした」

「地上で動いたり、なんらかの理由で飛行魔法が使えない時などに役立つと思います」

 

 教官の問いに、なのは、フェイト、俺の順に答える。教官は満足そうに笑みを深めて……

 

「そう思ってくれたなら何よりだわ。じゃあ三人ともバリアジャケットを装着してちょうだい。これから実戦訓練に入ります」

 

 戦闘準備の指示に俺たちは返事とうなずきを返し、おのおのデバイスを掲げた。

 

「ティルフィング――Installieren(インストリーレン)!」

「レイジングハート――セートアップ!」

「バルディッシュ――セットアップ!」

『Ja!』

『Standby ready!』

『Set up!』

 

 デバイスの返事とともに俺たちはバリアジャケットの装着とデバイスの展開を終える。

 それに対し、教官も懐から取り出したカードを杖型のデバイスに変えてから告げた。

 

「結構。じゃあまずはなのはさんとフェイトさんから。健斗君は少し待っててもらえる。さすがに三人相手はきついわ」

「……はい」

 

 教官の指示通り、なのはとフェイトはその場に留まり、俺はグラウンドの隅まで遠ざかる。

 

「では始めましょう。私の魔導師ランクはあなたたちより低いAAだけど、()()()()()()()()()()()()()()()――でないとかなり痛い目にあうわよ!」

 

 教官の言葉になのはたちは「えっ?」と困惑する。一方ファーン教官は自分より高ランクの魔導師相手に獰猛な目を向けた。

 

 それから間もなく、俺たちは彼女の実力を知ることになる。別名《高ランクキラー》と呼ばれるファーン・コラード教官の力を。

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、翠屋の厨房にて。

 

「――! フェイトの身に危険が迫っている気が!」

 

 遠い世界にいる愛娘の危機を察知しプレシアは思わずひとりごち、虚空の方に目をやる。すると……。

 

「プレシアさ~ん。お客様をお待たせしている時に、なに手を止めているのかしら~?」

 

 その声にプレシアはびくりとして後ろを振り返る。そこにはお約束通り、笑顔のまま頬をひくつかせている上司(桃子)の姿があった。

 

 

 

 

 

「あの人、またなのはのママさんに怒られてるよ。毎度毎度よくやるねぇ」

 

 何度も謝るプレシアと彼女を怒りながら料理を運ぶように指示する桃子の声を聞きながら、アルフは両手を頭の後ろに組み、呆れるようにつぶやく。

 それに対して、リンディは出されたコーヒーに砂糖とミルクを入れながら言った。

 

「そう言う割に嬉しそうね。プレシアさんがフェイトさんの心配するところを見られて、まんざらでもないかしら」

「そ、そんなんじゃないよ! あたしはプレシアが怒られてる所を見ていい気味だと思っただけで――」

 

 姿勢を戻しながらそう言い訳するアルフに、リンディは「はいはい」と言いながら苦笑を隠すようにコーヒーを飲む。

 口調とは裏腹に、アルフのプレシアに対する態度が軟化しているのは明らかだった。ついこの間までは“鬼ババ”と呼んでいたのが、最近は“プレシア”と名前呼びになっているのがその証拠である。

 アルフは誤魔化すように話題を変えた。

 

「ところでフェイトたちがミッドチルダの訓練校ってところに行ってから一週間になるけど、どうしてるかな? リンディさんは何か聞いてない?」

 

 その問いに、リンディはやや苦みが残るコーヒーから口を離しながら答える。

 

「そうね。そろそろ地上での動き方も身につく頃でしょうし、今頃はファーンさん――あの子たちの担当教官と模擬戦でもしてるんじゃないかしら」

「知り合いなんだっけ。新人だった頃のリンディさんとレティさんを教えてたっていう……」

 

 キンキンに冷えた麦茶を一気に飲みながら言うアルフに、リンディはうなずき。

 

「ええ。かつて本局で《戦技教導官》を務めていた方で、私とレティ、クライドの教育を担当していた先生にあたる人でもあるわ。だいぶ前に本人の希望で陸士校の教官になったけど」

「へえ。ってことはやっぱりめちゃくちゃ強いの? 健斗より上のSSぐらい?」

 

 アルフの物言いにリンディは思わず噴き出し、くくくとこらえるような笑い声を漏らす。それから少しして、首をかしげるアルフにリンディは首を横に振りながら言った。

 

「いいえ。あの人の魔導師ランクはフェイトさんたちより下よ。確かAAのままじゃなかったかしら」

「はあっ!? AA? フェイトとなのはだってAAAは持ってるよ! そんなんで指導なんてできんの?」

 

 予想通り不満そうな声を上げるアルフに、リンディは苦笑と懐かしさの混じった笑みを浮かべながら言った。

 

「アルフさんの言う通り、ファーンさんの魔力量はあの子たちより遠く及ばないわ。戦いに役立つ希少技能(レアスキル)を持っているわけでもない……でもね、そんな弱いはずの先生に、当時の私とレティ、そしてすでにSランクを持っていたクライドはボコボコにやられたのよ」

「えっ――それって一体……?」

 

 まさかの事実に思わず口ごもるアルフにリンディはふふと笑い声を漏らす。そしてリンディはコーヒーを飲み干してから言った。

 

「私たちの他にも、ランクが上にも関わらずあの人に倒された生徒や隊員は多くてね。だからファーン先生には当時からある異名が付けられているわ。《高ランクキラー》ってね……」

「高ランクキラー……」

 

 リンディが言った言葉を口にしながらアルフは顔をこわばらせる。

 

 

 その頃、今まさにミッドチルダでは……

 

 

 

 

 

 

「はあああっ!」

 

 速度を重視したソニックフォームに衣を変えたフェイトが目にも止まらぬ速さでファーン教官の後ろを取り、大剣型(ザンバーフォーム)のバルディッシュを振るう。だが――

 

「ふっ――はぁ!」

「うぁ!」

 

 教官は少し身をよじらせただけでバルディッシュをかわし、手にしていた杖をフェイトに叩きつける。

 そこへ二本の紐状のバインドが伸びてくる。だが教官はバインドが出現する一瞬の間に杖を振るい、バインドを切り裂いた。

 バインドを仕掛けたなのはは目を見張りながらもレイジングハートを構えるが、教官の杖から魔力弾が放たれ、回避するべく真横へ跳ぶ。

 それを読んだように彼女の進行方向には教官の姿が――。

 なのはは慌ててバリアを張ろうとするものの。

 

「遅い――はああっ!!」

 

 バリアは間に合わず、なのはは思い切り頭を殴りつけられそのまま地面に落ちる。

 

――強い。あの二人を相手にしながら、かすりもせず圧倒するとは……あれでAAランクだと?

 

 俺やなのはたちがおののく中、ファーン教官は倒れているなのはたちを見下ろしたまま告げる。

 

「確かにリンディが言った通り、二人とも大した強さね。その年で一線級(エース)なみの魔力と運用技術。AAAランクというのもうなずけるわ……だけど残念。二人がかりでも、たかがAAランクの私を倒すことはできなかったわね」

 

 その宣告になのはとフェイトは悔しそうに顔を歪め、再戦を挑もうと腰を浮かせる。だが――

 

「駄目よ。気持ちはわからなくもないけど、何度もあなたたちの相手をする暇はないわ。彼の力量も見ないといけないしね」

 

 そう言ってファーン教官は杖を構え直しながら俺に視線を向けた。俺も気を改めてティルフィングを握りながら前に出る。すると――

 

「待って! それならせめて、私とフェイトちゃんのどっちかが健斗君と一緒に――」

 

 なのはは立ち上がりながらそう言い、フェイトも無言で進み出る。しかし――

 

「いい! お前たちは下がって休んでいろ。今度は俺が教官と戦う番だ!」

 

 そう言うとなのははなおも食い下がろうとするも、フェイトに止められて仕方なく隅へ下がる。

 そして彼女たちと入れ替わる形で、今度は俺とファーン教官が対峙した。

 

「いいの? また二対一で構わないけれど」

「いえ、俺一人でやります! 相手が強いからと言って数に頼るのは違うと思いますし、サシで戦うからこそ見えてくるものがあると思います。だからファーン教官、一対一で俺と戦ってくれませんか!」

 

 俺の言葉に教官はふむと思案する。そして……。

 

「いいでしょう――ではかかってきなさい。教官として生徒相手にそう簡単に遅れは取らないわよ!」

 

 

 

 教官の言葉を合図代わりに、俺はティルフィングを振り上げて彼女に斬りかかる。

 しかし教官は剣の軌道の正反対に逃れ、俺に杖を振り下ろす。それを剣で受け止めると、教官は鍔迫り合いを続けることなくすぐさま後ろに退いて距離を取る。

 教官はそのまま魔法陣を展開した杖の先端を俺に向けた。

 

「スティンガーレイ!」

 

 次の瞬間、数発の弾丸が俺に向かって放たれる。俺は右に跳んで弾を避けるが、地面を踏んだ瞬間、その中から鎖型のバインドが伸びて俺の手足を縛り上げる。昨日のようにバインドブレイクでほどこうとするものの、そこへ教官は杖に魔力を込めて――

 

「ブレイズキャノン!」

「ぐあああっ!」

 

 フォトンバレットより大きな弾丸を食らってバインドは砕け、俺は後ろに弾き飛ばされる。だがそれほどダメージはなく、瞬時に体勢を整え、そのまま教官のもとへ飛び込んだ。

 

「シュヴァルツ・ヴァイス!」

 

 魔力を込めた刃を教官に振り下ろす。それに対して教官はバリアを張らず、杖を振り上げてこちらの一撃を受け止める。だが――

 

Break Impulse(ブレイク インパルス)

 

 教官の杖が言葉を発した瞬間、目が回るような感覚を覚え、思わず剣を握る手の力が弱めてしまう。それを狙って――

 

「はああっ!」

 

 教官は俺の頭を思い切り殴りつけてから、大きく後ろに後退し距離を取る。俺は頭をさすりながら教官を睨みつけた。

 

 一撃一撃は大して重くない。使ってくる魔法も低級か中級ばかりで普通に相対していれば回避も防御も難しくはない。少なくとも力や技の質は俺の方が上だ。

 だが教官は互いの力量を完全に理解した上で攻撃を受け流し、逆にこちらの防御をかいくぐって確実にダメージを与えてくる。

 魔法の使い方を熟知した上での応用と、長年の経験による判断力。やはりそれがファーン教官の強みか。

 

「剣の腕に自信があるようね。でもそれが災いしているのか、必要以上に踏み込み過ぎる傾向があるわ。遠距離戦は不得手にしても、引くことも覚えないとこの先大きな怪我をすることになるわよ」

「肝に銘じておきます――じゃあ続けましょう!」

 

 互いに不敵な笑みを交わしながら、俺たちは互いに得物を構え直す。

 さっきまでの戦いで、あっちは俺が射撃魔法の類をまったく使えないと思っているはずだ。なら今度は……。

 

 俺は剣の切っ先を教官に向ける。また斬りかかって来るのかと思ったのか、教官も杖を構え射撃の体勢を取る。

 そのためか、ティルフィングの剣先にベルカ式の魔法陣が展開された瞬間、教官はわずかに目を見張る。

 そんな彼女に向けて俺はそれを唱えた。

 

「フレースショット!」

 

 剣先から紺色の光弾が放たれる。それに対して――

 

「フォトンバースト」

 

 ほぼ同時に教官も杖から光線を発射する。光線はこちらが発射した光弾を飲み込み、まっすぐ俺のところに進む。俺は一瞬目線を右にむけ、光線が届くギリギリのところで()へ移動した。

 教官は俺が動いたのと同時に杖を真横に構えながら足を踏み出す。だがそこに俺の姿はなく彼女はすぐに動きを止める。

 

――かかった!

 

 俺はすぐに身をひるがえし、教官の元へまっすぐ向かう。

 その最中、まわりに輪状のバインドが現れる。

 俺はカートリッジを一発ロードしながら剣を構え――

 

「シュヴァルツ・シュターム!」

 

 真横に振るった剣から魔力による衝撃波が放たれて、バインドを斬り裂いていき、教官のところまで飛翔する。

 

「はあっ!」

 

 教官は自身のまわりに円状のバリアを張ることで衝撃波を受け流す。その間隙を縫って俺は剣を振りかぶりながら疾駆した。

 

「はああああっ!」

 

 一太刀入れるとバリアはあっさり砕け、ファーン教官は急いで構えを取る。

 俺は振り下ろした剣の勢いを殺さずそのまま振り上げる。教官も勢いよく杖を振り下ろしてきた。

 

「ああああああっ!!」

「おおおおおおっ!!」

 

 俺の剣と教官の杖が衝突し激しい金属音があたりにこだまする。それと同時に三半規管を直接揺らされるような感覚が俺を襲った。ブレイクインパルスという魔法によるものだろう。そのせいで剣を握る手の力は弱まってしまう。それが今の拮抗状態を作り出していた。

 だがそれも少しの間。鍔迫り合いを続けていくうちに相手の力が弱まるのを感じた。今だ――!

 

「はああああっ!」

 

 渾身の力を込めて教官の杖を弾き、そのまま彼女に向けて剣を振り下ろそうとする。

 だが、俺の腕はそれ以上動くことはなかった。

 

「――っ!」

 

 まさかと思い俺は自分の手首を見る。そこには太い紐状のバインドが何重にもわたって巻き付いていた。

 それに気付いた直後に、首元に冷たいものが当てられる。それは教官が手にしていた杖状のデバイスだった。

 

「勝負あったわね。どうする? このまま一撃撃ち込んだ方がいいかしら?」

「……参りました」

 

 降伏勧告に従い、俺は素直に降参を口にする。すると教官は杖を引っ込めて俺の手首に巻き付いたバインドを解除した。その拍子に俺は地面に尻餅をついてしまった。

 

「健斗君!」

「大丈夫!?」

 

 なのはとフェイトはそう尋ねながら俺を抱き起こそうとする。俺は「大丈夫」とだけ答えて自力で起き上がる。

 そんな俺たちをほほえましそうに、あるいはいたわるようにファーン教官は笑みを向ける。そして彼女は俺たちを見下ろしたまま口を開いた。

 

「見事だったわ健斗君。正直何度か危ないところもあった。でも残念ながら、君も私を倒すことはできなかったわね」

「はい……」

 

 俺は力なく首を縦に振る。どんなに善戦しようが、相手を追いつめようが、負けてしまった事に変わりはない。あれが実戦だったら、容赦なくとどめを食らっていただろう。

 思わず手を握りしめる俺を見て、教官は苦笑しながら。

 

「そう卑屈になることはないわ。あなたは十分強い。なのはさんもフェイトさんもね。私なんかじゃ魔力も力もあなたたちには到底及ばないし、扱える魔法もずっと少ない。いまだにAA止まりだし、そんなに才能がないのよ。……でも、そんな弱い私にSランクやAAAランクのあなたたちは負けた。なぜだと思う?」

「……」

「「……」」

 

 教官の問いに俺はあえて何も答えず、なのはとフェイトは顔を見合わせたりしてから首を横に振る。そんな俺たちに教官はうなずいて言った。

 

「そう。じゃあここで問題を出すとしましょう……『自分より強い相手に勝つためには、自分の方が相手より強くないといけない』――この言葉の矛盾と意味はなにか。それがわかれば私に負けた理由もわかるはずよ」

「「……?」」

 

 ファーン教官が出した問題に、なのはたちは何を言っているのかわからないというように首をかしげる。

しかし、前世や現代で自分と互角以上の敵と戦い、時には打ち負かされてきた俺には、教官が言ってる言葉の意味がわかる気がした。現に彼女は、さっきの戦いで力に勝る俺たち相手に知恵と経験を生かして勝利をもぎ取ってみせた。

 だからおそらくこの問題の答えは……。

 

「ああ。言っておくけど、先にわかったからって無断で教えるのはなしよ。最終日くらいにまた機会を設けるから、それまでに各々自分なりの答えを見つけてきてちょうだい」

 

 答えを頭に浮かべたところで、教官は明らかに俺に向かって釘を刺してくる。それに対して俺は苦笑しながらうなずいた。

 

「じゃあ今日はここまでにしましょう。まだ時間が余ってるけど、午前中は好きにしていいわ。体を休めながらさっきの問題の答えを考えなさい。ただし、自由だからといって学校の外に出たりしないように」

 

 講義の終了を告げる教官に、俺たちはいつも通りの礼を言って片付けに入り、午後の座学まで自由に過ごすことになった。

 

 ファーン教官の出した問題の答えに俺たちが辿り着いたかどうかは、彼女の言った通り短期プログラムの最終日で試されることになる。



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留学編5 一方、はやてたちは……

 健斗たちがミッドチルダの陸士校で訓練を受けている一方、はやても地球と本局を往復しながら、ロストロギア関連の事件を扱う《特別捜査官》になるための研修を受けていた。

 その合間に、はやてはレティやマリエルをはじめとする職員が進めている“ある計画”にも協力をしており……。

 

 

 

 上着をはだけた状態でベッドに横たわるはやての胸に、マリエルはライトのような器具を近づけ、はやての胸の上をなぞるように照らす。

 それを終えてマリエルは言った。

 

「はい、終わり! はやてちゃん、お疲れ様ー! もう起きていいよ!」

「いえ、マリエルさんこそお疲れ様ですー」

 

 マリエルに応えながら、はやては上半身を起こしながら衣服を整える。本局にいる間に着慣れた青い制服を。

 そこへ、同席していた二人の女性がはやてのそばに寄って声をかけてくる。

 

「お疲れ様です、我が主。お体の方は何ともありませんか?」

「なんともあらへんよ。ちょっとした検査みたいなもんや」

 

 心配そうに尋ねるリインに答えると、彼女の隣にいるレティが口を開く。

 

「お疲れはやて。ごめんね、研修中ににこんなことに付き合わせて」

「いえいえ。協力といっても寝てるだけですし働いてるみんなに申し訳ないくらいです。それに私たち《八神一家》が100%力を発揮するためですし、これぐらいなんでもありません」

 

 はやてはそう言って両腕を上げる仕草をする。

 そこでレティはマリエルに顔を向けた。

 

「どうかしら? 今記録したはやてのリンカーコアと魔力のデータで造れそう?」

 

 その問いにマリエルは曖昧な表情をしながら、

 

「今は何とも言えませんね。管理局でも、人型のデバイスが開発された例なんて今までにありませんし。ましてや先史ベルカでも数体しか造られなかった《融合騎》となると、本当にそんなものを今の技術で造れるのかというのが正直なところです。できたとしても《融合事故》が起きる可能性がありますので……」

「そうね。でもこれから私たちが作るのは、先史ベルカよりはるか後の時代に考案された《小型ユニゾンデバイス》。小型化によって融合事故が起きる可能性を極力減らし、そのうえ主以外の人とも融合(ユニゾン)できるようになるらしいわ。ユーノ君が無限書庫から見つけてきた資料によればね」

 

 マリエルとリンディの話にはやてはただ呆然と聞き入る事しかできない。融合騎だのユニゾンデバイスだの言われても何が何やらさっぱりだ。とりあえず自分の新しい相棒はリインと違って小さくなりそうなのはわかったが。

 そんな彼女にマリエルは尋ねてきた。

 

「はやてちゃん。新しいユニゾンデバイスはどんな子がいい? 性別も外見もある程度こっちで決められるみたいだけど」

 

 その問いにはやてはあごに指を当てながら、

 

「うーん、そうですねー。ヴィータは自分より年下の女の子がいいって言ってましたし、それにその子にもリインフォースって名前をつけるつもりですから、リインを幼くした感じの女の子をお願いできます?」

「あ、主! 名前だけならまだしも、姿まで私に似せる必要は――」

 

 はやての注文を聞いてリインフォースはたまらず声を上げるが、マリエルは気にする様子もなくモニターにはやての注文を打ち込む。

 それからふとマリエルは思いついたように言った。

 

「でも、はやてちゃんの家族って女の子ばかりだし、男の子でもいいんじゃない。健斗君そっくりの弟とか欲しいでしょう?」

「えっ――い、いいですいいです! 家族の中で男の子一人やと肩身狭いでしょうし、シャマルとかが甘やかしてしまいそうですから!」

 

 その提案にはやては一瞬迷いながらも両手を振りながら否定し――ザフィーラは八神家ではペットの位置づけで、男には数えられていないようだ――、リインも主に同意するように首を縦に振る。

 そんな彼女たちを見てレティはあごに手を乗せた。

 

(こうしていると姉妹のように仲がいいし、揉め事もないみたいなんだけどね……)

 

 

 

 新型ユニゾンデバイスの開発。

 それを試みるようになったきっかけは、はやてとリインフォースの融合の融合がうまくいかなくなったことが原因だった。

 融合そのものは()()()()()()()うまくいくのだが、相手への補助がうまくいかなかったりリンク機能が働かなかったり、調子が悪い時は融合そのものができない事がある。

 八神はやては夜天の書に主として選ばれたはずの人間だ。そのはやてが書の管制人格と融合できなくなるなど普通では考えられない。何かあったと考えるべきだ。もっとも、レティにはその理由の見当がついているが。

 とにかく、今のような状態ではやてとリインフォースを組ませて実戦に投入するのは危険だ。万が一のことが起こらないように別の方法を考える必要があるだろう。

 

 それに、もし仮にその問題を解決できたとしても、部隊ごとに定められた『所属魔導師の保有制限』の問題もある。

 管理局の部隊は“海”も“陸”も問わず、保有できる戦力が決まっており、主に各員の魔導師ランクの総計で制限が設けられている。優秀な魔導師をなるべく多くの部隊に割り当てるための決まりだが、連携や資質を考慮せず、ランク内に抑えるように配置されるため問題が起こることもある。

 はやてと守護騎士四人については彼らの特性を理由に、半ば強引に自身の直轄に置いているが、さすがにリインフォースまでとなると他の幹部らが黙っていないだろう。

 それを回避する裏技もあるにはあるが、レティはあまり使いたいとは思わない。

 

 そこで白羽が立ったのが、過去の夜天の書の主の生まれ変わりであり、彼女らの不和の原因でもある御神健斗だった。

 一ヶ月前に行った融合テストの結果、健斗とリインフォースの融合は問題なく成功し、補助や相互リンクもうまく出来ている。その後のテストでも融合に失敗したことはない。彼なら十分リインフォースの力を活かすことができるだろう。

 

 とはいえ、夜天の主であるはやての力を十全に発揮するためには、やはり融合騎が不可欠だ。 

 そこでレティたちが考えたのが、はやてと適合する新しいユニゾンデバイスを造ることだった。その作成に必要な資料も、すでにユーノが無限書庫から見つけ出してくれた。なんでも昔のミッドチルダで融合騎を再現しようとした研究者が残したものらしい。

 

 そして、はやてとヴォルケンリッター、リインフォースと相談したうえで上層部に掛け合った結果、はやて専用の小型ユニゾンデバイスを作成することが認められた。

 

 先ほどまで行っていたのは、ユニゾンデバイス作成に必要な、はやてのリンカーコアの型取りである。

 後はそれを基にしてユニゾンデバイスを造るだけなのだが……。

 

 

 

 

 

 数時間後、リンカーコアのコピーと検査、その後の研修も終え、はやてはリインとともに本局内に割り当てられた自分たちの部屋に戻っていた。他の皆はまだ仕事を終えていないようでまだ帰ってきていない。

 

「主、お疲れ様です。お召し物をお預かりします」

「ありがとリイン。それかけたらリインもゆっくりしててええよ」

 

 リインに上着を渡しながらはやては椅子に腰かける。そしてふと思う。

 

――これって夫婦みたいやな。健斗君ちっとも鞍替えしてくる気配もないし、もういっそリインを落としてしまおうか。そしたら今以上にあの胸を好きにできるし――。

 

「お待たせしました我が主……あの、私の顔に何か?」

「い――いやいや! なにもあらへんよ! ちょっとぼうっとしてただけや!」

 

 はやての言い訳にリインは「はあ」と言いながらも、椅子を引いて少し距離を空ける。彼女のよこしまな視線に気付かないほどウブではない。健斗(ケント)を筆頭にそういった視線は何度も感じたことがある。それに当のはやてとは――。

 

「それにしても、なんで融合うまくいかへんのやろうな。最初はともかく、今は仲良うやってると思うんやけどな。お互いもう知らない所もないくらいなのに」

「――ブッ! ゴホッゴホッ! いきなり何を!?」

 

 茶を飲んでいたところへ思わぬ一言をぶつけられリインは思わずむせる。それに対してはやては恥ずかしそうに両手の人差し指をくっつけて。

 

「何って、一緒にお風呂に入ったり一緒のベッドに入った時にお互い激しく求めあったやんか……忘れてしもたん?」

「ち、違います! 主が一方的に触って来て、私からは何もしてません! ……それに胸以外のところは触らせてませんし……」

 

 主の妄言にリインは顔を赤くしながら反論する。はやては開き直ったように「そういえばそうやったな」と言って、

 

「ま、冗談はここまでにしておいて、原因はやっぱりあれやろうな。私ら二人揃って同じ男の子を好きになったのが……」

 

 神妙な顔でつぶやくはやてに対して、リインはしばらく考えながら、

 

「……しかし主、その割にすずかさんとは仲良くしていますよね。彼女も健斗の事を好いているようですが。その事で喧嘩などしてしまったりは……」

 

 不安そうに尋ねるリインにはやては首を横に振った。

 

「私もそこは心配やったんやけど、不思議なことにそんなことが起こる気配がまったくないんよ。多分私らの他に最大のライバルがいるから、お互い同情っちゅうか共感してるからかもしれん」

「最大のライバルですか……それってやっぱり私ですよね?」

 

 リインの問いに、はやては他に誰がおると言うようにうなずいて。

 

「そうや。前世の頃から想い合って、それこそあんなことやこんなこともしたらしいけど、私もすずかちゃんも振られたわけやない。まだまだチャンスはあるはずや。リインには悪いけど私は健斗君を諦める気はないで!!」

 

 そう言ってはやては不敵な笑みを浮かべながら宣戦布告する。

 リインはため息をついて、

 

「健斗も相変わらず罪な人ですね。主やすずかさんの気持ちに気付いていないわけではないでしょうに……」

「そうかもしれんな。早く私たちを振ってしまえば、私もすずかちゃんも健斗君を諦めるかもしれんし、リインを安心させられるやろう。でも今の健斗君にはそれができない。そこは彼の悪いところでもあるけど、いいところでもあると思うんよ」

「……? どういう意味でしょう?」

 

 はやての言ってることがわからずリインは首をかしげる。彼女に対して、はやては物わかりの悪い生徒に対するように言った。

 

「あんな、もしリインが健斗君以外の知ってる男の子から好きですって告白されたらどうする? もちろんリインが健斗君を好きなままの状態でや」

「それは……もちろん丁重にお断りしますが」

 

 リインの答えに、はやては「そうやろな」と言いながらうなずいて。

 

「じゃあその子がリインに振られた後、物陰とかでこっそり泣いてる所を見たらどう感じる? 自分のせいかなって思ったりしない?」

 

 はやてが言った場面を想像したのか、リインは苦しそうに胸を押さえて、

 

「……確かに、責任を感じてしまうとは思います。私の一言でその人を悲しませてしまったんですから――あっ!」

 

 そこまで言って、リインははやての言いたいことに気付き声を上げる。そこではやては甲高い声で「それや!」と言った。

 

「健斗君に振られたら、私もすずかちゃんも仕方ないですませられんと思う。私なんか人目もはばからずわんわん泣いてしまうかもしれん。それがわかってるんやろうな。だから健斗君は私やすずかちゃんの想いを突っぱねることができん。優しい通りこして甘いからな、彼は」

「……」

 

 そう言われるとリインもわかる気がした。

 前世でケントは自分に好意を持ちながらも、帝国の貴族令嬢であるエリザから告白され、彼女を本妻にする算段まで立てていたのだ。さらに“もしもの世界”ではエリザや自分に加えて、ひょんなことからケントを好きになってしまったクラリフィエをも妻にしている。

 身分や世継ぎの問題もあったし、誘惑に負けた部分もあるだろうが、“夢”のようになってしまった最大の原因は彼自身の甘さだと思う。クラリフィエに関しては特に。

 とはいえ、ケントが自分以外の女性を無下にあしらったり冷たく拒絶するようになっても、それはそれで嫌だ。自分が好きな彼はそんな人間ではない。

 

 しばらく黙りこくった末に、リインは苦笑しながら零した。

 

「……なるほど、確かに優しいところや甘いところがなくなった彼は彼ではありませんね。ですがやはり、複雑な気持ちは抱かずにはいられません」

 

 それにつられたようにはやてもあっけらかんと笑って。

 

「そらしゃあない。私もリインも恋する女の子やもん。なんならいっそ、私たち二人とも健斗君のお嫁さんにしてもらう? 私ら気は合うみたいやし案外うまくいくかもしれんよ」

「それは――ちょっと主! またどこを触って――」

 

 言いながら胸に手を伸ばしてくるはやてに、リインはどことなく甘い声で抗議の声を上げる。

 そんな時だった。

 

「ただいま戻りました主はや――!」

「おーす、やっと仕事終わらせて…………」

 

 真横に扉が開き、シグナムとヴィータははやてたちに声をかけようとしたところで言葉を詰まらせ、シャマルは「まあ!」と言いながら口を押さえ、ザフィーラは狼の姿のまま無言で立ち尽くす。

 シグナムは先頭に立ってしばらくの間唖然としながらも、やがて咳払いをして。

 

「失礼しました。私たちは先に戻りますので、主たちは気にせずごゆるりと」

 

 そう言ってシグナムたちは後ろに下がる。

 

「待って!! ちゃうねん! これはスキンシップのようなもので――」

 

 リインの胸から手を放しながら、はやては必死に訴えるもののそれをさえぎるように扉は閉まり、シグナムたちは着替えもせずに部屋から遠ざかる。

 そして部屋には扉に向かって手を伸ばすはやてと、胸を押さえながらきょとんとしているリインだけが残された。

 しばらくしてはやてはリインの方を振り返りながら口を開いた。

 

「えーと……リイン、私たちも本局に用事ないし、そろそろ帰ろっか」

「……はい。そうした方がよろしいかと」

 

 かくして、はやてとリインも部屋を出て海鳴の家に戻り、今日のお勤めを終える。

 

 健斗たちがミッドチルダで訓練に励む中、はやてたち八神家も遠い本局で実務研修と《リインフォース・ツヴァイ》の完成に向けて日々を送っていた。今日のような日はかなり珍しいが……。



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留学編5.5話 サッカー少年(?)

 今回は本編の合間の閑話となります。タイミング的に難しかったのですが、ミッドチルダに来たんだからstrikersキャラを出せというリクエストが来まして。
 次回から本編進めますので、今回は“あの子”との遭遇をお楽しみください。


 ファーン教官との模擬戦から五日が過ぎて二週間目の土曜日。俺たちはエリックも交えて気分転換のために訓練校を離れ、首都クラナガンに来ていた。

 首都の中央には相変わらず、天を貫くほどの高さと威容を誇る地上本部のビルがそびえ立っており、俺たちはバスの中からそれを眺め、改めて地上本部とそれを抱えている時空管理局の巨大さに圧倒され、エリックもいつもとはかけ離れた神妙な顔で地上本部を見上げていた。

 

 

 

 それからしばらくの間、なのはとフェイトに付き合わされる形で俺とエリックもショッピングモールを見て回り、一通り回ってから俺とエリックはいったんなのはたちと別れ、モールを出た先にある公園で休んでいた。

 そこで俺たちは“その子”と出会った。

 

「なあ、あの子たちはまだ買い物なんか続けてるんだろうか? あれ以上見るとこなんてないと思うが」

「さあな。気になるならあいつらのとこに戻ったらどうだ。俺はここで休んでる」

「バカ言え。女の子二人の買い物に大の男が張り付いてられるか――ってか俺も疲れた。ここで休ませてもらうぞ」

 

 言いながらエリックはベンチにへたり込む。俺たちより4つ離れた年長者が情けない、と言いたいところだがエリックの気持ちもわかる。女の子たちがキャッキャ言いながら品定めしている後ろでただぼうっとしているのも結構疲れるものだ。体力はともかく精神的に。

 そう思いながら俺も背中をそらして背もたれに寄り掛かる。

 そんな俺たちとは対照的に、元気に体を動かしている短い青髪の少年がいた。ぴょこんと跳ねたアホ毛が特徴的な、5、6歳くらいの男の子だ。

 

「よっ、ほっ…………――はあっ!」

 

 少年は足先で何回かボールを軽く蹴り上げてから、(ネット)が貼られた場所を見て、思い切ったようにボールを蹴りこむ。

 彼はすぐにボールを持ち上げ、気まずそうにきょろきょろと左右を見回してからふうッと息をついた。後ろにいる俺たちにはまったく気付いていないらしい。

 そこへ俺は人差し指と親指を口に含み、ピーッと甲高い指笛を鳴らした。

 

「――えっ!?」

 

 少年はびくりと肩を震わせて俺たちの方を振り返る。

 

「ナイスシュート!」

 

 彼に向かって俺はそう言って手を打ち鳴らす。それを見て少年はこくりと首をかしげていた。

 片や、俺の隣でエリックはため息をついて、

 

「何をやっている。いきなり指笛を鳴らされて、わけの分からないという顔をしているぞ。……悪いな、こいつの変ないたずらだ。気にしないでくれ」

「いえ。バカにされたわけじゃないのはわかりますから。というより、ほめてもらえてうれしいです」

 

 何度か首を横に振り、少年は顔をほころばせながら答えてくれる。

 そうかと言いながら、エリックは彼が持つ白黒のボールに目を向けた。

 

「しかし変わったボールだな。一体何のスポーツをしてたんだ? 手を使わない球技なんて初めて見るが……」

「ああ。あれはサッカーといって、お父さんが教えてくれたスポーツです。お父さんのご先祖さまがいた世界のスポーツらしくて」

「――!」

 

 少年の説明を聞いて俺は思わず目を見張る。まさかこの子――。

 

「もしかして、君のご先祖様は第97管理外世界――地球から来たのか?」

「ええ、そんな名前だったと思いますけど……もしかしてお兄さんも……」

 

 少年の問いに俺はこくりとうなずく。すると彼は目を輝かせて。

 

「ほんとうですか!? お名前を聞いても?」

「御神健斗だ。そっちのでかいのはエリック。君の名前は?」

 

 俺の問いに顔をほころばせたまま少年は答えた。

 

「スバル! スバル・ナカジマです! まさかチキュウから来た人に会えるなんて。お父さんが聞いたらおどろきます!」

「そうか。俺も驚いたよ、こんなところで同じ世界の、それも同じ国出身の人間に会えるなんて」

 

 同郷の人間とわかり、俺もスバルも興奮を隠さず言葉を交わし合う。

 それからしばらくの間、俺たちは互いの事について話した。

 そして……。

 

「ほう。定期健診の帰りか」

「うん。まだお姉ちゃんの検査が終わらなくて。だからここでお母さんとお姉ちゃんが戻ってくるまで待ってたんだ」

 

 エリックにスバルは明るい口調で答える。この頃には打ち解けてくれたようでたどたどしい敬語もなくなっていた。

 そんな彼に俺も尋ねる。

 

「健康診断って時期じゃないが、どこか悪いのか?」

「ううん、この通り何ともない。でも一ヶ月に一度病院でみてもらってる。……変かな?」

 

 スバルの問いに俺は特に考えもなく「いや」と首を横に振った。

 まあそういう家庭もあるだろう。心配性な両親なのかもしれない。スバルやお姉さんが自覚症状のない何かの病気にかかっている可能性もなくはないが。

 

「何でもない。それより、ボール見てたら久しぶりにサッカーやりたくなってきたな。俺たちも混ぜてもらっていいか。さっきの見てたからエリックも大体わかるだろう?」

「ああ、それもおもしろそうだな。スバル、いいか?」

「あっ……ええと、それは……」

 

 何気なく一緒に遊ぼうという俺たちに対し、スバルは気まずそうに口ごもる。

 俺たちが首をかしげているところへ着信音が鳴った。俺は通信デバイスを取り出し、届いたばかりのメールを開く。

 

「あの子たちからか?」

「ああ。買い物が終わったからそろそろ合流しよう、だってさ。……そういうわけだから俺たちはもう行くよ。スバルはどうする? なんならショッピングモールまで一緒に――」

 

 俺の誘いにスバルはぶんぶん首を横に振って――

 

「ううん! ここでお母さんとお姉ちゃんを待ってる。そろそろ戻ってくるころだから」

「そうか、あいつらにも紹介したかったんだが。じゃあまたなスバル!」

「知らない奴にはついていくなよ!」

 

 そう言い残して片手を上げながら別れを告げると、スバルは元気のいい声で「うん!」と言って俺たちにぶんぶん手を振った。

 

「元気のいい奴だったな」

「ああ。あんな弟がいると楽しいかもしれねえ」

 

 エリックの言葉に「かもな」と言って、俺も笑う。そこで一房跳ねた薄い青色の髪をポニーテールに結んだ女性と白いリボンを付けた長い青髪の女の子とすれ違った。

 もしかして彼女たちが……。

 

 

 

 

 

 

 健斗とエリックが去ってから、入れ違いに二人の親子がやってきた。彼女たちを見てスバルは満面の笑みを浮かべながら駆け寄っていく。

 

「お母さん! お姉ちゃん!」

「お待たせスバル!」

「ごめんね、私のせいで。待たせちゃった?」

 

 不安そうに謝る姉にスバルは大きく首を振り。

 

「ううん、ぜんぜん! サッカーやってたしあっという間だった! ――それより聞いて! あたしチキュウからきた人とお話ししたんだ!」

「チキュウって、お父さんが話してた……」

「ああ、あの人のご先祖様がいた世界ね。それで、その子はもう行っちゃったの?」

 

 母親の問いにスバルは残念そうにうつむきながら「うん」と言う。しかしスバルは再び顔を上げて。

 

「あっ、でもその人たち、管理局の訓練校の生徒だって言ってたから、もしかしたらお母さんやお父さんと会うことがあるかも!」

「そう。その子たちの名前は?」

「えーと、確か……ミカミケントってあたしよりちょっと年上の人と、エリックっていう大きなお兄さん」

 

 顎に指を乗せながらスバルは彼らの名前を挙げる。それを聞いて母親は微笑みを浮かべて、

 

「そう。確かにミカミっていう名前はミッドじゃ聞かないわね。わかった。もしミカミさんやエリックさんに会えたらスバルに教えてあげる」

「ほんと!?」

 

 思わず身を乗り出すスバルに母親は彼女の頭を撫でながら、

 

「ええ、お父さんにもちゃんと言っておくわ。あの人の方が会いたがると思うし……色々な意味で」

 

 不安そうに一言付け足しながら約束する母親の隣で、姉の方は半ズボン姿のスバルを見ながら言った。

 

「でも、その人たちにスバルを紹介したらびっくりするんじゃない。そんな格好でサッカーなんてやってるの見たから、スバルのこと男の子だって思ってるかも」

「そ、そんなわけないよ! ……確かにこの間も間違えられたけど」

 

 顔を赤くしながら言い返しながらも、自分の格好を見ながらスバルはもしかしてと思う。

 

 

 

 その懸念通り、スバルが()()()だと健斗たちが知るのは今から数年以上後のことだ。



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留学編6 聖王教会(前編)

 ミッドチルダ北部。第四陸士訓練校があるところからさらに北の方――そこには『ベルカ自治領』と呼ばれている地区がある。

 

 自治領の住民のほとんどは300年前に滅んだ次元世界――ベルカから移住してきた人々の末裔で、『ベルカ人』と呼ばれている。

 彼らの先祖は侵略目的でミッドチルダに攻め込んで敗北し、そのせいで多くのベルカ人は長年にわたり、侵略者の汚名を浴びながら北部の未開地に押し込められて生きてきた。

 しかし、《聖王教会》と《ベルカ三家》の働きかけとベルカ人たち自身の懸命な努力によって、ミッドチルダ人と同等の権利を得、ベルカ人が住まう極北部を『ベルカ自治領』とすることが認められた。

 そのベルカ自治領のとある山の中に、自治領の統治機関であり、次元世界最大の宗教の総本山でもある、聖王教会の大聖堂が建てられていた。

 

 

 

 

 

 留学から三週間目の土曜日。俺はクロノとエイミィさん、はやてと一緒にベルカ自治領、そして聖王教会の聖堂に足を踏み入れた。

 8月の三週目の土日は、聖王教における『収穫祭』と呼ばれる行事が行われる時期であり、教会の敷地内は多くのベルカ人や観光客らしき人たちでごった返していた。

 ただ意外だったのは、一般的なお祭りのような出店がなかったことと、多くの人たちが運動着のような……ありていに言う汚れてもいい服装をしていた事だった。俺たちは普通の私服――教会のお偉いさんに会うと聞いて少し畏まった服装――を着てきたのだが……。

 

 

 

 敷地に入ってからすぐに、短く切り揃えた赤髪のシスター、シャッハ・ヌエラに出迎えられ、俺たちは聖堂の中に通された。その中には……

 

「あれは――」

 

 広大な聖堂の奥には儀式を行うための祭壇があり、さらにその向こうには腕を組んだ女性の石像があった。それを見て思わず声を上げる俺に、シャッハさんは説明をしてくれた。

 

「ベルカ史上最後の聖王、オリヴィエ・U・X・ゼーゲブレヒト陛下を模した像です。教会の本尊でもあり、あのように大聖堂を訪れる方々に向けて公開しております。とはいえ、ご本人と異なるところも多々あるかと思いますが」

 

 彼女の言葉に俺の口から『いや』という言葉が出かける。

 それぐらい、あの像は俺が知る“オリヴィエ”にそっくりだった。身につけている服もゆりかごに乗っていた時とまったく同じで、違うのは長く下ろした髪型と、彼女の組んだ両手が丸っこい義手ではなく細い十本の指がある本物の手だったことぐらいだ。

 

 聖堂の天井には、像と同じ姿の“聖王”と彼女が従える聖職者や騎士が、大勢の民に囲まれている絵が描かれていた。だが、彼らの中に俺が知っている者はおらず、“クラウス”らしき者も描かれていなかった。

 

 それらを呆然と見ている俺たちの前で、シャッハさんは足を止めて言った。

 

「騎士カリムはまだ寄付者の方々と歓談をしていると思います。お呼び立てして恐縮ですが、しばらくの間ここでお待ちいただけないでしょうか。なんでしたら少し見学しても構いませんよ」

 

 それを聞いてクロノとエイミィさんは礼拝堂を一瞥して言った。

 

「じゃあお言葉に甘えて、久しぶりに聖王様にお祈りさせていただきます。……君たちはどうする? 君たちが地球にある、どこかの宗教を信仰しているなら無理に合わせなくてもいいが」

「聖王様は次元を越えたあらゆる神様たちの騎士でもあるから、違う宗教を信じてる人がお祈りしても問題はないって言われてるけどね……」

 

 クロノに続いてエイミィさんも苦笑いしながら言ってくる。俺は少し考えてから……

 

「いや、俺も一緒にお祈りさせてもらうよ。いいだろう?」

「じゃあ私も。これといって信じてる神さんもおらへんし、せっかくやから」

 

 俺とはやてが言うと、クロノは首を縦に振ってから奥へと向かい、エイミィさんと俺たちもその後に続いた。

 

 祭壇の前でクロノとエイミィさんは足を止め、手を組みながら目をつぶる。彼らの後ろで俺とはやても同じように祈る姿勢を取る。その際、はやては初詣の癖でつい手を合わせてしまうものの、それを見咎める者はいなかった。

 エイミィさんの言う通り、他の宗教や形式に寛容というのは本当らしいな。

 

 そんな事を思いながらも、俺は頭上に立つ聖王像を見上げる。似ているがやはり本人とは違う像を前に俺は目を閉じる。

 

――オリヴィエ、お前が俺と闇の書を消滅させてくれたおかげでベルカを滅ぼさずにすんだ。それに守護騎士たちやリヒトを助け出せたのもお前のおかげかもしれない。ありがとう……それと《ゆりかご》から助け出せなくてすまなかった。

 

 聖王像に祈りながら、天上にいるかもしれないオリヴィエに向かって心の中でそう告げる。

 すると……

 

『謝るなら、私よりクラウスにしてください!』

 

 ――!?

 

 頭上から拗ねたような声が届いた気がして、思わず聖王像を見る。だが、聖王像は変わらず腕を組んだまま虚空を見上げているだけだった。

 

「どないしたん?」

 

 聖王像を見つめる俺にはやては手を合わせながら聞いてくる。それに対して俺は首を横に振って――

 

「――い、いや……何でもない」

 

 そう答えたところでクロノたちも礼拝を済ませた。そこへシャッハさんが再び現れ、歩いてきながら言った。

 

「お待たせしました。騎士カリムが来客との歓談を終えたとのことです。私について来てください」

 

 

 

 

 

 

 聖堂内の通路を通っている途中で、高そうな服を着た一組の夫婦と三歳ぐらいの女の子とすれ違った。

 長い金髪に緑眼の女の子は色違いの俺の瞳を見て目を見張り、女の子の両親はそれを誤魔化すように頭を下げる。俺たちも彼らに(なら)って頭を下げた。そして彼らは女の子に何事か言いながら歩き去っていった。

 その一方で、俺は一度だけ振り返り、あの親子の後ろ姿を見る。

 

――あの夫人と女の子、なんとなくエリザに似ていたような……。

 

 そう思っているとシャッハさんは扉の前に止まる。騎士カリムという人の部屋についたらしい。

 シャッハさんは扉をコンコンと叩く。

 

「騎士カリム。ハラオウン執務官とリミエッタ執務官補佐、それから八神はやて様と御神健斗様をお連れしました」

『どうぞ。入っていただいて』

 

 シャッハさんのノックと挨拶の後に、扉の向こうから若そうな女の声が届き、「失礼します」と言いながらシャッハさんは慣れた手つきでドアを開ける。

 すると執務机の向こうに座っていた長い金髪の女が、椅子から立ち上がった。

 

「皆さん、遠路はるばるようこそいらっしゃいました。聖王教会の教会騎士、カリム・グラシアと申します」

 

 ……グラシア? その名前、どこかで聞いたような……。

 

「お招きいただきありがとうございます。本局執務官のクロノ・ハラオウンです。こちらが補佐のエイミィ、リミエッタ。こちらが…………」

 

 聞き覚えのある姓を名乗る彼女を見ながら首をかしげる俺をよそに、クロノは挨拶を返しながら俺たちを紹介していく。すると――

 

「やれやれ、クロノ君もカリムも堅いな。お互いまったくの初対面でもないんだから気楽にすればいいのに」

 

 ふと、部屋の隅から軽薄そうな笑い声がして、俺たちはそちらに顔を向ける。

 そこにはテーブルの前に座って紅茶をすすっている男がいた。肩までかかるほど長い緑髪と碧眼を備えた、十代半ばぐらいの青年だ。

 彼を見てクロノは思わずといった風に口を開いた。

 

「――ヴェロッサ! 君も来ていたのか」

「ああ。僕みたいな作法知らずが収穫祭なんかに来るのはどうかと思ったけど、首に縄を付けてでも連れてくるとシャッハに脅かされてね。それで久しぶりに教会に来る事にしたんだ。……それに僕も、カリムが呼んだお客様のことは気になるしね」

 

 シャッハさんに睨まれながらヴェロッサという男は軽口を叩き、俺たちに視線を移す。

 そして彼は椅子から立ち上がり、俺たちに名乗った。

 

「初めまして。僕はヴェロッサ・アコース。カリムの義弟(おとうと)で、見ての通りクロノの友達だ。管理局では査察官補佐という役職に就いているが、直接上下関係にあるわけじゃないし今日は勤務外だ。気にせず仲良くしよう!」

 

 そう言いながらヴェロッサさんははやてと握手をする。その際彼は笑みを薄めて、考えるような表情を見せた。

 怪訝に思ったところで、彼は俺にも握手を求めてくる。

 言われるがまま彼の手を握ると……

 

「――へぇ……まさか本当に…………」

 

 ……この人、もしかしてそっちの気があるんじゃないだろうな……。

 そんな考えが浮かび冷たい汗が流れ始めたところで、ヴェロッサさんは俺の手を離しながら笑みを浮かべた。

 

「……いや失礼。僕の癖みたいなものでね、気にしないでくれ」

「いえ……大丈夫です」

「ははっ。そう固くなる事はないよ。クロノにとって友達なら僕にとっても友達だ。敬語なんて使わず普通に話そう!」

 

 そう言ってヴェロッサさんは俺の肩をバンバン叩く。

 クロノの友達か……そういえばあいつ14歳だったな。俺たちと背が変わらないから忘れがちだが。

 そこでカリムさんはぱんと手を合わせながら口を開いた。

 

「では自己紹介も終わりましたし、そろそろ収穫祭の準備に移りましょう。皆さん、作業用の服は持ってきましたか?」

「……?」

 

 そう言われて俺は首をかしげてしまう。収穫祭の準備でも手伝えということだろうか? 今頃になって? そもそも作業用の服なんて持って来てないぞ。

 そう思っていると――

 

「あっ! 健斗君の服なら私が持って来てるよ。ちゃんと美沙斗さんから借りてきた!」

 

 はやてはそう言いながら、床に下ろしていたリュックから上下の服を取り出し、俺に差し出してくる。

 半袖の白い上着に、紺色の半ズボン。これって……

 

「体操服じゃねえか!! なんでこんなものを――?」

 

 叫びながら尋ねると、はやてはいたずらっぽい笑みを浮かべて。

 

「前もって聞いたんやけど、聖王教会の収穫祭は実際に育てた作物を“収穫”する行事らしいんや。それで収穫祭に参加する時は汚れてもいい服を着るのが決まりなんやけど、昨日まですっかり忘れてて。それで今日の朝、健斗君のおうちに行って体操服を借りてきたってわけ。せやから健斗君はそれ着て収穫のお手伝いして♪」

 

 そう言いながらはやては楽しそうにウインクを飛ばす。俺はぶんぶん首を横に振って――

 

「いやいや! 体操服なんて恥ずかしいじゃないか! せめて冬用のジャージとかにしてくれよ! だいいち、それなら訓練校まで迎えに来た時に言ってくれれば訓練服を持ってきたのに――」

「おお! そういえばそうやな。まあでも、今更あそこまで戻るわけにいかんし、ミッドチルダも今は暑いから体操服の方が快適やと思うよ……私はジャージやけど」

 

 こいつ……絶対わざとだ。俺に体操服を着せたいがためにわざと黙ってたな。

 そんな俺たちのやり取りを聞いて、クロノたちは笑い声を漏らし……

 

「くく……いいんじゃないか。初等科ぐらいの子供なら学校の運動着を着てくる子もいるだろうし、年齢的にも君にぴったりじゃないか。そっちの方がうまく溶け込めるかもしれないぞ」

 

 嫌味が混じったその言葉にカチンとくる。たまらず俺は――

 

「じゃあお前も着てみろよ! お前の見た目なら体操服着てても違和感ないぞ!」

「――はあっ!? バカも休み休み言え! これでも僕は14だ! そんな服着れるわけないだろう!!」

 

 俺の物言いにクロノも声を荒げて拒絶する。

 そんな中、他の人たち……特に教会の女性陣は真顔になってクロノを見る。

 クロノはそれに気付き。

 

「…………あの、カリムさん? シスター? なぜ僕をじっと見て……」

「……確かに、健斗君一人だけ運動着というのも可哀想ね」

「そうですね。この後のことを考えるとあんまり目立ちすぎるのも……」

 

 二人の視線と言葉を受けて、クロノはたじろぎ一歩後ろに下がる。一方、カリムさんはシャッハさんに向かって尋ねた。

 

「シャッハ、たしかSt(ザンクト).ヒルデの運動着がまだあったはずよね?」

「はい。ロッサが初等科の頃に使っていたものが1着だけ衣装部屋に……」

 

 そう言葉を交わしてから、カリムさんとシャッハさんは笑みを浮かべながら、獲物を追いつめるようにクロノににじり寄る。

 

「クロノさん、せっかくなのでこちらの運動着を着てみませんか?」

「試しにと思って、まずは一度だけでも」

「い、いや……僕はその――」

 

 クロノは顔を助けを求めるようにエイミィさんとヴェロッサさんの方を向く。

 しかし、エイミィさんは興味津々な笑みを浮かべ、ヴェロッサさんは諦めろというように肩をすくめながら首を横に振るだけだった。

 

 

 

 その直後、教会の片隅にクロノの絶叫が響いた。

 それを聞いて、発案したにもかかわらず俺はクロノに内心で頭を下げた。

 

 そうして俺たちは収穫祭こと、教会主導の“イモ掘り”に参加することになった。

 その後の話はまた後で。



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留学編7 聖王教会(後編)

 収穫祭という名のイモ掘りを終えてから、俺たちはシャワー室で体についた汚れを落として着替えを済ませ、再びカリムさんの執務室に戻っていた。

 

 はやてはスマホを握りしめながら、

 

「ふう……いい汗かいた。写真もいっぱい撮れたし、美沙斗さんも騎士たちも喜ぶわ!」

「イモ掘りの写真なんかであいつらが喜ぶかよ。しかし、まさか教会の行事にイモ掘りがあるなんてな。少し意外です」

 

 カリムさんに向けて言うと、彼女はふふと微笑んで言った。

 

「元々、諸王時代のベルカは、悪天候や戦乱で土壌が荒らされたことで小麦や稲などの収穫量が著しく減ってしまったため、多くの国や地域で芋類が主食となっていました。聖王陛下が率いていた軍の食事もほとんどお芋と野菜ばかりでしたが、陛下はそれに不平を漏らすどころか、兵糧の確保のために《ゆりかご》内で芋といくつかの野菜を栽培するように指示されました。それが聖王教会の前身となる《新派》に伝わって、教会内で芋類の栽培と収穫が行われるようになったそうです。それに外部から信者の皆さんが加わるようになって、『収穫祭』と呼ばれるようになったと言われています」

 

 カリムさんの説明にはやては「へえ」と感心した声を上げる。

 

 その話は本当だろう。あの頃のベルカでは、パンや菓子など小麦を使った料理は手に届かないほどの高級品で、王族や貴族も一週間に一度しか食べられない高級品だった。オリヴィエもシュトゥラで過ごしている頃――特に従軍中は芋を中心とした粗食ばかりを口にしていたという。

 その頃の経験がゆりかごに乗った後の彼女にも影響を与え、こんな形で後世に伝わるとはな。

 

「皆様、お待たせしました! 料理が出来上がりました!」

 

 話の途中でシャッハさんをはじめとするシスターたちが部屋に入って来て、出来上がった料理をテーブルの上に乗せてくる。もちろんメインディッシュは、さっき収穫したばかりの芋を使った芋料理だ。

 

 俺たちはいったん雑談を中止し、料理が並べ終わるのを待つ。

 それが終わるとカリムさんはシャッハさんに自分の隣の席につくように命じ、他のシスターたちが出て行ったところで神妙な顔を作る。

 そして右手で“胸の前に円を描き”、腕を組みながら口を開く。俺たちも彼女に遅れて腕を組んだ。

 

「大いなる神たる主。主の騎士たる聖王陛下。

 今日(こんにち)の恵みとそれを与えられし御主らの慈悲に感謝し、この賜物を糧とします。

 我らと我らが食する賜物にどうか主らからの祝福あれ…………」

 

 そこまで言ってカリムさんはしばしの間目を閉じ、沈黙を保つ。そして彼女は腕を解いてナイフとフォークを持ちながら「いただきましょう」と告げる。クロノたちもそれに続いて、俺とはやてはつぶやくように「いただきます」と言ってから食器を持った。

 “大いなる神”か……久しぶりに聞いたな。ベルカ人の中にはまだ覚えてる者がいるのか……。

 

 

 

 

 

「ベルカ平定後、次元船を使って各世界に散った《新派》や彼らが設立した《聖王教会》の宣教師によって、聖王陛下の偉業と教えは他の次元世界でも広まり、聖王教会は次元世界で最大と言われる規模を持つ宗教団体となりました。元々他の次元世界でも、《初代聖王》陛下が神格化されているところが多かったことも一因ではありますが」

 

 食事をとりながら、カリムさんは聖王教会のいきさつを説明してくれる。それにはやてを含め何人かが適度なタイミングで相槌を返していた。

 それに続いてシャッハさんが補足するように言う。

 

「現地世界にあった宗教との衝突もなくはなかったのですが、オリヴィエという実在する人物を信仰対象としている聖王教の性質上、現地宗教の神々を否定するわけにいかず、いつの間にか『聖王は次元を越えたあらゆる神々の騎士にあたる存在』という話が出来上がり、他の宗教よりずっと制約が少ない事もあって、聖王教は現地宗教の信者をも取り込みながら急速に各世界で広まるようになりました」

 

 そこまで言ってシャッハさんは揚げ芋(ポテト)を口に入れる。

 あらゆる神々の騎士。その話が布教の最中(さなか)偶然出来上がったのか、それとも聖王教の宣教師が現地住民を丸め込むために意図的に作ったのかは不明だ。カリムさんやシャッハさんもその疑念は持ってはいるようだ。

 

「もしかして……聖王教がミッドチルダに広まっているのもその布教がきっかけなんですか?」

 

 敗戦したにもかかわらず、という言葉を飲み込んでから俺は尋ねる。それに気付いているかのようにカリムさんは苦笑しながら首を縦に振った。

 

「ええ。聖王教会はミッドチルダにも宣教師を派遣していましたし、ミッドにも初代聖王陛下を信仰する地域がありましたから。もっとも、ベルカとミッドチルダの戦争中は禁教に指定されていましたが。しかし戦後、敗戦したベルカ人を管理下に置く際、彼らの心理的圧迫を和らげるため、教会に一定の自治と活動の自由を認める代わりに、未開地に住まうベルカ人の監督とミッド政府との仲介を任されたのです。ベルカ人たちの中で大きな力を持つ《ベルカ三家》とともにね」

 

 そして聖王教会は戦後に布教活動を再開し、ベルカ人の代表としての立場も利用することで、ミッドチルダ――さらに後に設立される時空管理局にも大きな影響力を持つようになったわけか。

 たくましいというべきか抜け目がないというべきか。聖王様(オリヴィエ)が知ったらなんと言うかな……。

 

「でも、カリムさんが食事の前に祈っていた、“大いなる神”とは一体なんです? 俺の記憶が確かなら、あの祈りは《ファルガイア》に祈る時の作法と同じものなんですが……」

「――!」

「ほぉ……」

「…………」

 

 俺の指摘に、シャッハさんとヴェロッサ――芋掘りの最中にクロノ込みで彼とまた話し、敬称を取ることにした――は目を見張り、カリムさんは表情を消す。そして……

 

「詳しいですね。だてに“かの王”と同じ名を持っているわけではありませんか。ロッサが見た記憶の件もありますし、やはりあなたは本当に……」

 

 カリムさんはそこで言葉を止める。それと同時にはやてはたまらずといったように口を挟んできた。

 

「健斗君、カリムさん、“ファルガイア”ってなんなんです? 聖王様とは違うみたいですけど……」

 

 その問いにカリムさんは観念したようにふうと息をつき、真剣な顔つきで言った。

 

「ファルガイアとは、《先史時代》の頃から、初代聖王とともにベルカで信仰されていた神の御名です。この次元空間とあまねく世界を創造した神とも、人類が魔法を使えるように導いた神とも言われ、当時のベルカ人からは《高次神ファルガイア》と呼ばれていました」

「高次神……」

「……ファルガイア」

 

 エイミィさんとはやては不思議そうな響きでそれを口にする。カリムさんはうなずき。

 

「とはいえ、現在ではそれを覚えている人間は少なく、聖王教会の教義にもかの神には触れていません。ですが一部のベルカ人はファルガイアを唯一あるいは至上の神と捉え、今も崇めています。私もそのうちの一人ですが」

 

 白状するようにカリムさんは言葉を吐き出す。皆が呆然とする一方、クロノは平然とした顔で聞き入っていた。

 

「お前は驚かないんだな」

 

 尋ねる俺にクロノはうなずいて。

 

「ああ。神格化されたといっても、聖王は300年前にいた人物だからね。それ以前は別の神様や聖王が信仰されていただろうし、それを覚えている人間がいたとしても驚かないよ。むしろ君が知ってることの方が驚きだ。君って信心が浅そうだから」

「んだと!」

 

 クロノの言葉に俺は思わず凄みを利かせる。

 まあ否定はしない。何しろベルカ王族や一部の学者の間では、ファルガイアとは――

 

「アルハザードの統治者、もしくはそれに準ずる最高位の魔導師……それがファルガイアの正体ではないかと言われているらしいね。その様子だと君もそう思っているのか」

「――ロッサ!」

 

 ヴェロッサを咎めるようにシャッハさんは甲高い声を上げる。しかしカリムさんが彼らの名を呼ぶと、二人はすぐに口を閉ざした。

 

「確かにそのような話も聞いています。ファルガイア信仰が生まれたのは先史時代以降。ベルカにやってきたアルハザードの魔導師がその名を口にしたのがきっかけと言われていますから。

 ですが、みだりにそれを口にしないようにしてください。教王様をはじめ、教会の上層部も密かにファルガイアを信仰しています。もし今の話が彼らの耳に入れば、聖王教会に出入りすることはできなくなるかもしれません。特にロッサは気を付けて! 教会側の人間がファルガイアのことを口にすればただではすまないから」

「……」

 

 カリムさんの忠告に俺たちもヴェロッサも黙ってうなずく。

 表向きには“神々の騎士”である聖王を信仰対象としつつ、裏ではファルガイアを崇め立てている者たちがトップにいるわけか。教会の方も色々ありそうだな。

 

 

 

 

 

「さて、食事も終わりましたし、そろそろ本題に入りましょうか」

 

 皿が空いたところで、カリムさんは口元をナプキンで拭いてから切り出す。それを聞いてシャッハさんは椅子から立ち上がり、テーブルの上にある皿や食器を別の机に移し始める。はやてはそれを手伝おうとするが、シャッハさんに止められ椅子に座り直した。

 カリムさんは一度大きな咳払いをして口を開く。

 

「本日あなた方に来てもらったのは、収穫祭への参加と教会の成り立ちを話すためだけではありません……これから近い先に起こる、それもはやてさんや健斗さんの住む第97管理外世界――地球で起こるかもしれない“危機”についてお話しするためです」

「「――!」」

 

 地球や危機という言葉に俺とはやては思わず息を飲む。驚く俺たちを一度見回してからカリムさんは、

 

「もちろん、古代ベルカ式の魔法を使う《騎士》であるあなた方と交流を持ちたいと思ったのは確かですが」

 

 と言いながらも、彼女は真剣な表情を崩すことはなかった。

 カリムさんは俺に向かって言う。

 

「ただ、“危機”について話す前に一つだけお伺いしたいのですが……健斗さん、あなたは《フライングムーヴ》という時を止める技能を使う事ができるそうですが。もしや、あなたはベルカの王族の血を引く御方では? 色違いの瞳も固有技能もベルカ王族が持つ特徴なんですが」

 

 カリムさんの問いに俺は首を振って答える。

 

「さあ、どうでしょう? 物心ついた時から施設で育って、本当の両親を知らないため、答えたくても答える事が出来ません」

 

 前半は本当だが後半は嘘である。俺の身に起きた“転生”の仕組みはもう掴んでいる。俺――“健斗”に本当の両親と呼べるものがいない事もすでに承知の上だ。

 一方、カリムさんは気まずそうに顔を曇らせて……

 

「失礼しました。本局からの資料で知ってはいたのですが。……ではベルカに存在していた『グランダム王国』の王、ケント・α・F・プリムス様を知っていますか? 身体的特徴の一部が一致するのに加え、あなたと同じ固有技能を使っていたそうなんですが」

「……何が言いたいんです?」

 

 俺の問いにカリムさんは迷うように視線を泳がせながらも、すうっと息を吸ってそれを口にした。

 

「御神健斗さん。あなたは、グランダム王ケント様の転生体……かの御方の生まれ変わりではないのですか?」

「……」

 

 彼女がぶつけてきた直接的な問いに俺は口を閉ざして沈黙する。どうするか……。

 

 ケント――《グランダムの愚王》といえば、聖王に歯向かった最大の敵だ。俺がその生まれ変わりだと知れば、彼女や教会はどんな行動に出るか。

 とはいえ、今更ごまかしても無駄な気もする。それにその先の話――地球で起きるかもしれない危機というのは気になるところだ。

 

「……こっちも教えてほしい事がある。カリムさん、あんたが俺の正体に確信をつけた理由はなんだ? さっき俺たちと握手した時のヴェロッサの反応と関係があるんじゃないのか?」

「――」

「……」

 

 口調を崩して問いかける俺に、カリムさんとシャッハさんははたじろぎを見せる。

 そして俺の問いに応じるそぶりを見せたのは……

 

「やれやれ、鋭い勘の持ち主だ。伝記に書かれている“愚王”とは大違いだ」

 

 そう言ってヴェロッサは肩をすくめる。思わず睨む俺に、ヴェロッサは少しこわばった笑みを向けながら言った。

 

「お察しの通り、僕は《思考捜査》という技能を持っててね。それで君とはやて君の思考と記憶を()()()()()()覗かせてもらったんだよ」

「――なっ!?」

「ええっ――!?」

 

 ヴェロッサの告白に俺とはやては仰天して叫ぶ。そんな俺たちにヴェロッサは片手を突き出し、笑いながら言った。

 

「ああ、心配しなくてもあれだけの握手じゃ大したことはわからないよ。“闇の書”や“ベルカ”に絞って読み取っただけさ。まあ少し余分な記憶も見えてしまったけど……いやあ、最近の子はすごいなあ! 健斗君とはやて君が二人きりであんなことをするまで進んでいたなんて!」

「ええっ!?」

「まあ――!!」

 

 説明の後に付け足した最後の一言に、エイミィさんとカリムさんは素っ頓狂な声を上げる。

 否定しようと、俺が声を上げようとしたところで――

 

「バカな冗談はやめなさい!」

 

 シャッハさんはすかさずヴェロッサさんの頭をはたき、彼の頭を掴みながらともに頭を下げた。

 

「申し訳ありません、ヴェロッサの悪い癖が出ただけです。それにカリム。初対面のエイミィさんはともかく、あなたまでロッサのたわごとを真に受けないでください!」

 

 シャッハさんに言われ、カリムさんもエイミィさんも顔を赤くしながらも落ち着きを取り戻す。なんとなくカリムさんたちの力関係がわかってきたな。

 クロノは呆れを隠すように頭の後ろを掻きながら。

 

「とにかく、ヴェロッサは《思考捜査》ともう一つ探索用の希少技能(レアスキル)を持ってるんだ。彼が査察官になる道を選んだのもそれが理由だそうだ」

「そ、そうか……確かに査察向きの技能ではあるな」

「そ、そうやね……」

 

 俺はなんとかそう答え、はやても乾いた笑みを浮かべた。

 

 

 

(まあ、似たような記憶と願望は見えてしまったけどね。本当に最近の子は進んでいるというか……健斗君も彼女()()も大変だ)

 

 

 

 

 それから少し経って……。

 

 

「カリムさんが言った通り、俺はケントという名の王――ベルカで《愚王》と呼ばれていた男です。でも、聖王に恨みは持っていませんし、教会やミッドチルダに何かするつもりもありません」

 

 訴えるように話す俺にカリムさんはうなずいて。

 

「それは承知しています。闇の書――いえ、夜天の魔導書が完成した時の事を考えれば、あなたがなぜあのような事をしたのか想像は出来ます。ヴェロッサの《思考捜査》と先ほどまでのふれあいで、あなたの人となりはよくわかりましたし……それに……」

 

 そこでカリムさんは言葉を詰まらせる。俺たちは怪訝そうに彼女を見るも、カリムさんはごまかすように話題を変えた。

 

「とにかく、あなたを害するつもりはありません。それだけはわかってください。そのうえであなたとはやてさんには先ほど話した“危機”と、それを記した《預言》について聞いていただきたいのですが」

「預言……?」

 

 聞き慣れない言葉にはやてが疑問の声を上げる。

 カリムさんはうなずき、眼前に表示したモニターを使い遠隔でカーテンを閉め、懐から百枚ぐらいの紙の束を取り出しながら部屋の中央へ移動する。

 この光景、一度だけ見たことがあるような……。

 

 カリムさんは紙を束ねている帯をほどく。するとカリムさんの手の上に乗っていた紙束は発光しながら宙に浮き、輪になって彼女のまわりを囲む。

 あまりの光景にはやては口をあんぐりと開け、クロノとエイミィさんも目を見張る。

 輪状に浮かぶ紙の中心でカリムさんは口を開く。

 

「これは私の技能――《預言者の著書(プロフェーティン・シュリフテン)》。空間にあふれる魔力素によって、半年から数年先の出来事をランダムに書き出すことができる能力です。ミッドチルダのまわりを浮かぶ二つの月の魔力の力も借りているため、年に一度か二度しか行う事が出来ませんが。今年は二つの月同士が近づくことが多い周期のためうまくいったようです……内容も前と同じみたいですしね」

 

 そう言ってカリムさんは安堵の吐息をついて、周りを飛ぶ紙片の一枚を手に取り、すうっと息を吸ってから口を開いた。

 

「【死した星より一人の女と《鉄の魂》、もう一人の女が、管理より外れた97の世界へ降りる。

 それに対するは愚者を演じし王と三人の乙女たち。

 されど彼らの力は及ばず、『果てなき鉱石』より《不滅の闇》と“王”に従う三体の従者は蘇り、さらに《鉄に封じられし魂》も力を取り戻し、東の京は鉄の群に覆われる。

 鉄の群は《不滅の闇》とともに97の世界を侵し尽くし、あらゆる法と秩序を砕きながら、他の星と海に広がり続けるだろう。

 姿を変えし獣たちが手を貸さぬ限り】」

 

 …………。

 

 読み終えるとカリムさんは紙片を持ったまま言葉を止め、部屋に沈黙が漂う。そんな中……

 

「“東の京”が鉄の群に覆われ、“管理より外れた97の世界”が侵し尽くされる……それに《不滅の闇》ってもしかしなくても……」

 

 はやては重い口調でそう言い、言葉を止める。続けて俺もカリムさんに言った。

 

「カリムさん。その紙片、俺たちにも見せてもらえますか?」

 

 その問いにカリムさんはうなずきを返す。すると四枚の紙片が俺とはやて、クロノとエイミィさんのもとに飛んできた。

 紙片に浮かんでいる文はベルカ語で、かなり古い言語だった。……俺たちが使ってたものより一時代前のものか。

 

「ご覧の通り、ここに書かれてあるのはベルカ語……それも先史時代で使われていたと思われる難解な文です。そのため解釈ミスも少なくなく、的中率は少し当たる程度です」

 

 そう言ってカリムさんは表情を曇らせる。彼女を励ますようにクロノが言った。

 

「だが、聖王教会や次元航行部隊のトップは、新しい預言が出るたびに必ずそれに目を通す。次元航行部隊の方はあくまでも有識者による予想情報の一つとしてだが」

「今回の預言のことも次元航行部隊のトップ――『本局長』に報告してあって、預言の内容を踏まえてカリムさんと本局長が会談した結果、地球にある部署を建てる事になったんだって。その部署が――」

「『東京臨時支局』……ですか」

 

 俺のつぶやきにクロノとエイミィさんは首を縦に振る。

 夜天の書の影響と残存プログラムが残ってないか調べるために設立された部署と聞いていたが、カリムさんの預言も理由の一つだったのか。どおりで夜天の書がある海鳴市ではなく、“東京”に建てたわけだ。預言と同じ“東の京”の名がついた都市に。

 

「ただ、そこまで用意していただいてなんですが、本当に東京というところで何か起きるのかはわからないんです。先ほども言ったように、紙片に浮かぶ言語は私が知ってるベルカ語より難解なもので、解釈を間違える事も多いんです。もしかしたら私の読み間違いかもしれません。ですが、内容が内容だけに放っておくわけにもいかず、あなたたちにも来ていただいたのですが……」

 

 そう言ってカリムさんは不安そうに口をつぐむ。それに対して俺は紙片を掴み取りながら――

 

「いや、多分、カリムさんの解読は()()合ってると思います。少なくとも預言が正しければ、東京で何かが起きるのは間違いないんじゃないかと」

「――えっ!?」

 

 紙片を見ながら吐露する俺にカリムさんは丸くした目を向けてくる。

 

「間違いないんじゃないかって――まさか……読めるのか? これに書かれてある文が?」

 

 紙片を指さしながら、信じられない様子でクロノは尋ねてくる。

 そんな彼に、俺はうなずいて答えを返した。

 

「ああ……この文字って中期頃のものでしょう。だったら読めると思います。ベルカに住んでた頃、魔法と一緒に、歴史や一昔前の言語の勉強もさせられたので」

「……」

 

 カリムさんに向けて言うと、彼女はぽかんと口を開きながら俺を見る。それと同時に彼女の頬には恥ずかしさから赤い色が浮かんでいた。あれだけ難解だと言った言語を、10に満たない子供があっさり読み解いてしまったのだから無理もない。精神的には20だし、元はベルカの人間だから少し前のベルカ語を読めても不思議ではないんだが……。

 

「ただ、やっぱり俺の訳と所々違いますね。全体的には変わりませんが、やはり微妙に意味が違っている所が……」

「――っ」

 

 子供に指摘されたからか、カリムさんは顔を真っ赤にしながらうつむく。それを見ていられなかったのか――

 

「もういい、君が読めるのはわかった。それで、君が読んだ限り、これにはなんて書かれてるんだ?」

 

 紙片をひっつかみながらクロノはそう聞いてくる。

 俺は肩をすくめ、一呼吸おいてから預言を読み上げた。

 

「【死を目前にした星より一人の女と《鉄の魂》が夜の書物を求めて、それに遅れてもう一人の女が、管理より外れた97の世界へ降りる。

 それに対するは愚者を演じし王と三人の乙女たち。

 されど彼らの抗いはむなしく、《闇の王》と王に従う三体の従者は蘇り、その(のち)、『果てなき鉱石』より《不滅の闇》もまた眠りから覚める。それを機に、《鉄に封じられし魂》も力と体を取り戻し、東の京は鉄の群に覆われる。

 《鉄に封じられし魂》は《不滅の闇》と鉄の群を従えて97の世界を侵し尽くす。そしてあらゆる法と秩序を砕きながら、他の星と海に広がり続けるだろう。

 姿を変えし獣たちが手を貸さぬ限り】」

 

 …………。

 

 そこまで読み終えるとカリムさんと時と同様に、部屋の中に沈黙が漂う。やがてはやてが口を開き。

 

「えっと……そんなに変わったような感じはせえへんかな……少し言い回しは違ってますけど」

 

 カリムさんの方を見ながらはやてはそう言う。ヴェロッサもそれに続いて……

 

「けど、今度の解読では《鉄の魂》とやらの優位性がはっきりしているね。まさか《不滅の闇》を従えるほどとは……正直予想外だよ」

「それに新しく《闇の王》も出てきているね。前の訳だと《不滅の闇》と“王”が同じ人なのか違う人なのか、はっきりしなかったけど」

「それに“三体の従者”、ですか。最初にやって来る三人から色々なものが出すぎて、もう何が何やらさっぱりですね」

 

 エイミィさんに続き、シャッハさんもそうこぼす。

 クロノは大きな息をついて言った。

 

「どちらにしろ肝心なのは、“管理より外れた97の世界”と他の星と海が、鉄の群に侵略されるということだ。それがロストロギアや異世界渡航者によるものなら管理局としても見過ごすわけにはいかない。夜天の書が関係しているならなおさらだ!」

 

 クロノの一言に俺たちは彼の方を向いてうなずく。

 そしてカリムさんははやてに向かって言った。

 

「はやてさん。夜天の書は持って来ていますか?」

 

 その問いにはやては「はい」とうなずき、隅に置いたリュックを視線で示す。するとカリムさんは、

 

「差し支えなければ、後で貸してもらってもいいでしょうか。古代ベルカ式の《騎士》である私たちなら何かわかるかもしれません」

「わかりました。大事にしてください」

 

 もうカリムさんの事を信用したらしく、はやては快く首を縦に振る。

 俺もクロノにたずねた。

 

「ところで一応聞くが、“東の京”が“京都”という線はないか? アジア全体から見れば日本自体が東にあるし、もしかしたらと思うが……」

 

 その問いにクロノは頭を揺らしながら、

 

「その可能性もなくはないが、夜天の書がある海鳴市に近いのは東京の方だ。《不滅の闇》や《闇の王》が夜天の書に関係があるなら、あっちの方で何か起こる可能性が高いと睨んでいる。一応、京都の方にもビルを借りて観測所を設けているけどね」

 

 まあそうなるか。もし京都の方で何か起こったとしても、観測所の転送ポートを通してすぐに駆け付けられるし、夜天の書にまで手が及ぶことはないはずだ。

 

 

 

 ひとまずおおよその方針が決まり、俺たちは一息つける。

 そこで俺はカリムさんに向かって言った。

 

「ところでカリムさん、一つ聞いてもいいですか?」

 

 俺の問いにカリムさんは「なんでしょう?」と言いながら首を傾ける。そんな彼女に俺は“彼女の技能”を見た時から抱いていた、ある疑問をぶつける。

 

「カリムさんのご先祖様に、ベルカで占い師やってた人っていませんでしたか? その人も“グラシア”って名乗ってたと思うんですけど」

 

 それを聞いて皆は質問の意味が分からずきょとんとする。そんな中で彼女はにっこり笑って言った。

 

「当時は“ご先祖様”が失礼をしました。不肖の祖先に代わってお詫びいたします、ケント様」

 

 

 

 

 

 

 その頃、一人の男が教会の敷地を後にしようとしていた。

 

(御神健斗に闇の書の主だった少女。彼らもやはりここに来ていたようだな。執務官とともに収穫に加わっていただけで不審な点はなかったが……やはり考えすぎか? だが、教会の騎士やシスターとともにいたというのは気になる……しかし)

「ゼスト? ――ゼストじゃないか!」

 

 歩きながら考えていたところで声をかけられ、ゼストはそちらを振り返る。そこには短い茶髪に金の右眼と緑の左眼のオッドアイを備えた、五十代ぐらいの齢の男がいた。収穫祭に参加していた信者たちと違い、高そうな紳士服を着ており、隣には運転手らしき男を伴っている。

 顔をほころばせる彼を見て、ゼストは軽く頭を下げてから口を開いた。

 

「当主……お久しぶりです」

「よせ、水臭い。ここ(自治領)を離れて管理局に入局した時から、お前は《ゼヴィル家》つきの騎士ではないんだ。うちに戻りたいというなら話は別だが。まあそれでも、久しぶりに会う友人同士、今日ぐらいは立場を忘れて気楽に話したいところだ」

「そういうわけには……しかしエルスト様までお越しでしたか」

 

 気さくに肩を叩いてくる元主――エルスト・セヴィルに戸惑いながらも、ゼストは尋ねるように言う。それにエルストはうなずき。

 

「ああ。《ダールグリュン》同様、我が家も教会とは付き合いがあるからな。当主として挨拶とついでにいくらか寄付してきたところだ」

「そうでしたか……では収穫祭の方は?」

「最初の方だけ見て、後は枢機卿と一緒に茶を飲みながら歓談していた。ゼストがいると知ったらそっちに顔を出したんだが」

「そうでしたか……」

 

――あの少年の事は知らないようだな。

 

 エルストの言葉と反応から、彼は御神健斗の事を知らないとゼストは判断した。エルストの性格上、知っていたら御神健斗に声をかけていただろうし、自分にもその事を話してくるに違いない。

 もっとも、彼がセヴィル家と因縁深い《愚王》と関係があるのかはまだわからないが。

 

「お前こそ珍しいじゃないか。今までずっと帰ってこなかったのに。仕事疲れで故郷まで羽を伸ばしに来たのか?」

「……まあそんなところです。ところでご子息は? ご一緒ではないのですか」

 

 ゼストの問いにエルストは首を縦に振り。

 

「ああ。あいつの嫁が妊娠中でな、休日ぐらいはついててやりたいそうだ。お前の方はどうだ? 地上部隊の方は相変わらず大変だって聞くが」

「はい。毎日のように、街のどこかで起きる事件の対応に追われています。ですが、理解のある上司と優秀な部下たちのおかげで何とかやれてます」

 

 ゼストはそう言って薄く笑みを浮かべる。その姿からは絶え間なく続く捜査からの疲労感がにじんでいるのがわかった。

 エルストはどうするべきか迷いながらも、責任感と正義感の強いゼストの性格を知る彼は、結局その事には言及せず。

 

「そうか。何かあれば相談しにこい。うちの騎士から手練れを寄こしてやる」

「……その時はよろしくお願いします。では、収穫祭も終わりましたので私はこれで」

「ああ……くれぐれも気をつけろよ」

 

 エルストの言葉にゼストは再び軽く頭を下げ、その場を後にする。

 その背中を見ながらエルストは寂しさとともに、嫌な予感に襲われる感覚を覚えた。近い未来、彼が大きな危険に襲われるような予感を。

 

 

 

 愚王ケントの異母妹――ティッタ・セヴィルの末裔たる《セヴィル家》の当主、エルスト・セヴィル。

 自身にとって、傍系の先祖にあたる《愚王》の生まれ変わりがすぐ近くにいる事を、彼はまだ知らない。



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留学編8 クレッサおばさん

 健斗がはやてやクロノたちとともに聖王教会に行っていた頃、なのはとフェイトは北部の繁華街に来ていた。自然が多い北部の街は首都(クラナガン)に比べれば建物も人込みも少ないが、その分落ち着いた雰囲気がある街だった。

 

「健斗君とはやてちゃんは収穫祭かー。私も行きたかったなー!」

「仕方ないよ。ベルカ式の使い手という所を見込まれて招待されたらしいから。クロノによると支局の方針に関わる大切な話があるらしいし。それに聖王教会の収穫祭ってお祭りみたいなものじゃなくて、聖王様のお話にあやかった、作物を収穫する行事みたいだから結構体力使うよ」

「へー、それはそれで楽しそうかも。訓練のおかげで最近は私も体力がついてきたし、来年は私たちも連れて行ってもらおう!」

 

 そんなことを言い合いながら二人は街の中を歩く。そこでふとフェイトはある店を見つけ、そこを見上げる。

 何かと思って、なのはもフェイトの視線を追ってその店を見上げた。

 

「『ノースホーム』……フェイトちゃん、ホームセンターに興味があるの?」

 

 なのはが尋ねるとフェイトはなのはに視線を戻しながらうなずき。

 

「う、うん。昔、母さんの友達に連れられて、その人の子供と母さんと一緒によくホームセンターに来てたから……私じゃなくてアリシアがだけど」

 

 最後に付け足した言葉で、それがフェイト自身ではなくアリシアからもらった記憶だと、なのはは理解した。

 なのははその事には触れず「そっか」と言ってから、

 

「じゃあちょっと見てみよう。お店で使う植木鉢や花壇とかお土産に持って帰ったら、うちの両親も喜んでくれるかもしれないし!」

「えっ!? ――ちょ、ちょっと、なのは!」

 

 なのははフェイトの手を引っ張り、少し強引にホームセンターに連れて行く。

 そこで彼女らは思いがけない人物と出会う事になる。

 

 

 

 

 

 

「ところでプレシアさんはお友達と一緒に何を買ってたの? こう言ったらなんだけど、プレシアさんがホームセンターって想像がつかなくて」

 

 店の中を歩きながら尋ねてくるなのはに、フェイトはあごに人差し指を乗せながら記憶を掘り起こす。

 

「うーん、うちは日用品とかリニスの餌ばっかりだったけど……おばさんはよく石とか土なんかを買ってたな。傀儡(ゴーレム)作りが得意で、学生時代から何体も作ってたっていうから」

「ゴーレムって、フェイトちゃんの前のおうちにあったっていう……」

 

 言いながら、なのははヴィータから聞いた『時の庭園攻略作戦』の話を思い出す。自分はあの時フェイトと戦っていて、傀儡(ゴーレム)というものに遭遇したことはないが、一体一体が武装隊の隊長クラスに匹敵する魔力と戦闘能力を持っていた人造兵士だったという。

 あの時出現した傀儡のほとんどは《時の庭園》の防衛機構として備わっていたものだが、いくつかはプレシアが自ら造り出したものだったらしい。特に、ヴィータとシグナムが二人がかりで破壊した《大型》は、並のクリエイターが造れるものではなかったという。もしかしたらプレシアでも一人だけであれほどのものは……。

 

「そういえばプレシアさんの友達にすごい博士がいるって言ってたね。確か……」

「クレッサ・ティミルさん。母さんと同じ研究院出身で会社の同僚だった人だよ。傀儡に関しては母さんでもかなわないって言ってた」

 

 なのはの問いにうなずきながら、母親の友人についてフェイトは話す。そのすべてはアリシアが見聞きした記憶だが、フェイトにとっても少し変な所もあるが大好きなおばさんに変わりなかった。

 そんな“クレッサおばさん”のことを思い出して、感慨深げに園芸用の石や土が並んでいるコーナーを見てみると……

 

「ふーむ。北部の土も首都に劣らず結構いいのが揃ってるわね。《ベルカ戦争》で傀儡用の土を作っていた影響かしら? “あれ”の材料にはもってこいかも……」

「――!」

 

 理知的な、しかしどこか調子の外れた声を聞いて、フェイトは勢いよくそちらを振り返る。それにつられてなのはもそちらの方を見た。

 そこには背中を丸くしながら、販売用の土をじっと眺めている中年の女性がいた。亜麻色の髪を長く伸ばし、ゆったりとした私服を着た三十代ぐらいの女性だ。耳元には眼鏡の蔓がかかっているのが見える。

 彼女を見てもなのはは、土いじりが好きそうなどこにでもいる主婦としか思わなかった。だがフェイトは唖然とした顔で彼女を見ながら口をパクパクさせて……

 

「も、もしかして――クレッサおばさん!?」

「……?」

 

 フェイトの声につられて女性は後ろを振り返る。彼女は眼鏡がかかった青い瞳をパチパチさせて……

 

「……もしかして、あなたは…………」

 

 

 

 

 

 

 その後、なのはとフェイトは実家への土産などを注文し、それらを本局に送る手続きを済ませてから、クレッサという女性に勧められて、ある喫茶店に来ていた。休日にも関わらず客はほとんどいない。

 

「二人とも初めまして。クレッサ・ティミルよ。プレシアの友人で、傀儡(ゴーレム)関連の仕事をしているわ」

「た、高町なのはです!」

「……フェイト・テスタロッサです。()()()()()、クレッサさん」

 

 砂糖入りのコーヒーを口に含んでから自己紹介するクレッサに、なのはとフェイトも自己紹介し返す。そんな彼女らのうちフェイトに対して、

 

「クレッサおばさんでいいわ。懐かしくて悪い気はしないもの。まあ、あなたたちぐらいの歳だともう恥ずかしいでしょうから無理にとは言わないけど」

 

 そう言いながらクレッサは苦笑と微笑みが混じった表情を浮かべる。そんな彼女にフェイトは尋ねた。

 

「こんな所でお会いできるなんて驚きです。てっきり首都に住んでいらっしゃると思ってましたから」

「いえ、あなたの想像通り首都暮らしであってるわ。ただ、最近研究に煮詰まっててね。今の勤め先(カレドヴルフ)にはしばらく顔を出す必要もないし、気晴らしのために何週間かほど北部に滞在してるのよ」

 

 そう言ってクレッサは難しそうな顔でコーヒーを口にする。いかに優秀とはいえアイデアがポンポン浮かんでくるわけではないようだ。

 

「息子さんはお元気ですか? 今のお話からすると、もう一緒に暮らしてないみたいですけど」

「ええ。数年前に就職して以来たまに顔を見せに来るぐらいね。まだ結婚できる歳じゃないから、かろうじて独身のままだけど」

「かろうじて……?」

 

 クレッサの口から漏れた言葉になのはは首をかしげる。まるで息子に結婚してほしくないような言い方だが。

 その胸中を読んで、クレッサは自嘲気味な笑い声を漏らしながら言った。

 

「あの子、学生時代から仲がいい彼女がいてね。付き合ってるって挨拶までされたわ。この分だとお互い18歳を越えた途端すぐに結婚して子供までできちゃうんじゃないかしら。そうなったら四十半ばにして私はおばあちゃんよ。そう思うと素直に喜べないわね」

「……そ、そうなんですか」

 

 フェイトはそう返すことしかできない。クレッサの息子はアリシアの幼なじみに当たる。アリシアを通して彼と遊んだ記憶を持つフェイトとしては、彼が独り立ちしていたり結婚を前にした恋人がいたりといった話を聞いて、複雑な気持ちを抱かずにはいられなかった。

 

「ところで、クレッサさんは一体何に悩んでいるんですか? 傀儡の研究をしているって聞いてますけど」

 

 なのはの問いにクレッサは軽く手を振りながら、

 

「ああ。会社から傀儡の人型化を打診されていてね、それで行き詰まってる所なのよ。小型や人型の傀儡は細かい調整が必要な分かなり難しくて。それに自立型だから気乗りがしないのよ」

「クレッサさんが作りたいのは自立型じゃないんですか? 今の傀儡は近くで操作する必要のない自立型がほとんどだって話ですけど」

「詳しいわね。プレシアから聞いたの?」

 

 クレッサの問いにフェイトは「まあ、はい」と曖昧な返事を返す。その話は《時の庭園》で暮らしていた頃にリニスに教えてもらったものだ。リニスの知識はプレシアから写しとったものなので、間接的にプレシアに教わったとも言えなくはないが。

 それを察したのかクレッサはさらりと流した。

 

「フェイトちゃんが言った通り、今の傀儡は事前に与えた命令(プログラム)通りに動く自立行動型がほとんどよ。社から注文されてる新型も含めてね。でも自立型の傀儡は、あらかじめ打ち込んだ命令通りにしか動かない分、動きも制限されて本来の性能を発揮できない事がよく起こるのよ」

 

 その説明になのはとフェイトも納得できるものがあった。《時の庭園》に配備されていた傀儡も隊長級の能力を持っていたが、プログラム通りにしか動けない所をつかれて武装隊に各個撃破されたという。もしプレシアやリニスが近くで操作していればまた違った結果になっただろう。

 

「じゃああれは? 学生時代に母さんと一緒に作った《砲撃用の大型傀儡》はどうなんですか? 院からの評価も高かったみたいですけど――」

「ああ、あれ? あれは試作機よ。どこまで大きな傀儡が作れるか試してみたくてね。卒業前にプレシアの手を借りて作ってみたの。武装を積めば大抵の魔導師じゃ勝てないと思うけど、大きすぎて動きが鈍いし、拠点の防衛以外では役に立たないわ。あくまで趣味作よ」

「「…………」」

 

 あれを趣味作というのか。プレシアも大概だったがこの人も結構ヤバイ。フェイトとなのははそう思わずにいられなかった。

 

「私としては近接操作型の傀儡を研究し直してみたいところなのよ。近くで操作する分応用も利くし、使い手の補助もできると思うわ。ただ、スポンサーやクライアントはこの手の研究に興味を示さないし、今の私は傀儡を運用する機会がほとんどないのよ。プレシアがいれば協力してもらう所なんだけど」

 

 そう言ってクレッサはちらりとフェイトを見る。フェイトは首を横に振って、

 

「すみません。母は今地球という世界で暮らしていて、そこには傀儡を使えるような場所は……」

「ああ。管理外世界で、アリシアちゃんそっくりの()()を育てているって言ってたわね。気にしないで、言ってみただけだから。とはいえ本当に困ったわね。息子もあの子の彼女も傀儡を使うことはほとんどないし、誰に使わせようかしら……」

 

 ぶつぶつぼやくクレッサに謝りながらフェイトは乾いた笑みを浮かべる。

 プレシアの現状は管理局とミッド政府も把握しており、彼女は現在地球に移住し、フェイトと使い魔二体、それからアリシアという実娘そっくりの“養子”と共に暮らしていることになっている。その“養子”は地球の人間で、管理局も実態を把握しようがないとのことだ。

 もっとも、その真相をクレッサもプレシアから知らされてはいるが。

 

 

 

 プレシアとアリシアの話が出たからか、クレッサはおもむろにそれを言った。

 

「プレシアについては私も反省してるわ。あの時、もっと強く彼女に辞職を勧めていたらあんなことにはならなかったんじゃないかって。でも当時、私たちの会社は本当に危険な開発をしていてね。プレシアがいなかったらどんな大事故を起こすのか心配でもあった。実際プレシアたちの働きがなかったら、子供一人が死ぬだけではすまなかったはずよ。それでもね……」

「いえ。あの事故については私も記録を見せてもらいましたから、クレッサさんの心配もよくわかります。それに、あの事故がなかったら私もここにはいなかったでしょうし。事故が起こらなければよかったかと言われると……少し迷ってしまいます」

「……」

 

 フェイトの言葉になのはも顔を曇らせる。クレッサも首を縦に振って。

 

「そうね。あなたにとっては別の意味で複雑な問題だったわね。ごめんなさい、嫌な事を言わせて」

 

 その言葉にフェイトは黙って首を横に振る。

 なのはは重くなった空気を払うために――

 

「あっ、そうだ! クレッサさん、ちょっと聞いてくれませんか! 私たち、教官からある問題を出されたんですけど――」

「なにかしら? 私に答えられることならいいけど」

 

 なのはの問いを機に、訓練校やここにいない友達の事に話題は移り、なのはは一生懸命説明し、フェイトはそれに補足を入れ、クレッサは真剣に二人の話に耳を傾けていた。

 

 

 

 

 

 

「クレッサさん、今日はありがとうございました!」

「コーヒーもケーキもおいしかったです。それに私たちの話も聞いていただいて……」

 

 食事を終え、喫茶店の前で二人はクレッサに頭を下げる。クレッサは笑みを浮かべて、

 

「いいのよ。久しぶりに若い子と話せて私もいい気分転換になったわ。また暇ができたら連絡しなさい。今度は健斗君やはやてちゃんって子たちとも会ってみたいわ」

「はい! その時はまた一緒にケーキ食べましょうね!」

「ちょっとなのは! 少しは遠慮しないと――」

 

 ねだるなのはにフェイトは注意を入れる。とはいえ、今度会ったらまたおごってもらう事になるだろうなと内心では思っていた。

 そんなフェイトに向けてクレッサは言った。

 

「フェイトちゃん、プレシアの事をお願いね。いい子なんだけど時々変な暴走する事があるから、誰かが注意する必要があるのよ。しっかり者の“娘”さんにならそれが頼めるわ」

「はい、任せてください――クレッサおばさん!」

 

 元気よく答えながらも、娘と認められた喜びにフェイトは目に涙を浮かべる。クレッサも“クレッサおばさん”と呼ばれて嬉しそうな笑みを浮かべながら、片手を上げて彼女たちに別れを告げた。

 

 

 

 健斗たちが聖王教会の面々と知り合っている一方で、彼女たちも新たな交友関係を築いていた。



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留学編終 修了試験、その後

 8月末。短期プログラムの最終日。

 

 俺たちは再びバリアジャケットを装着して、ファーン教官と相対していた。

 あの時と同じ、俺はグラウンドの隅に下がり、なのはとフェイトの二人が教官と対峙する。

 

 なのはを後方に立たせ、フェイトは鎌型のバルディッシュを構える。彼女の衣装は高速に特化したソニックフォームだ。

 それを前にファーン教官もカードを杖型に変え、彼女に向けて突き出す。

 

「いつでもいいわよ……来なさい」

 

 それを聞いてフェイトはすうっと息を吸って上半身をかがめた。

 

「――行きます!」

 

 フェイトが声を発したと同時に彼女の姿はかき消える。だが、教官は臆することなく即座に左に跳んだ。

 フェイトは空を切った状態のまま動きを止め、バルディッシュを手に棒立ちする。それを狙って教官は彼女に杖を向ける――その時!

 

「ディバイン――バスター!!」

 

 後方から桃色の光線が飛んできたのを察して、教官はすぐさま後ろに避ける。そこへ今度はフェイトが彼女に迫っていく。

 それに対して、教官は疾走してくるフェイトに向かって杖から複数の魔力弾を撃ち出す。しかし――

 

「――ふっ」

 

 フェイトは魔力弾の軌道を見切り、最小限の動きで弾をかわしながら教官に迫る。そしてカートリッジをロードしながら鎌を振り上げた。

 

「はあああああっ!」

「――はあっ!」

 

 回避できないと悟ったのか、教官は杖を突き出してフェイトと得物をぶつけ合う。その衝撃で互いの得物から火花のように魔力の残滓が舞い散った。

 

「ぐぐっ……」

「……くっ」

 

 フェイトは顔を歪めながらバルディッシュを押し上げる。一方教官も苦しげな声を漏らしながら抵抗していた。

 元々、魔力と身体能力はフェイトやなのはの方が上だ。それを教官は先読みやトラップといった小手先でしのいでいるにすぎない。だが教官にはそれに対する魔法(手段)を持っている。

 

『Break Impulse!』

「ぐっ……これは?」

 

 デバイスが声を発した瞬間、フェイトの姿がぶれ、頭を直接揺らされているような感覚に彼女は顔をゆがませる。そして鎌を握る手が弱くなり、教官はここぞとばかりに杖に力を込める。だが、彼女はフェイトの鎌を弾くと攻撃せずに後ろに跳ぶ。ちょうどそこへ教官がいた所になのはが放った魔力弾が飛んできた。

 なのははレイジングハートの先端を向けながら立て続けに――

 

「ディバインシュート!」

 

 それを見て、教官はとっさに真上に飛んでレイジングハートから撃ち出される魔力弾をかわす。そこへ空中に桃色のバインドが現れ、避ける暇さえなく教官の両手首に巻き付く。

 両手を封じられ、かろうじて杖を持つのがやっとの教官に向かって狙いを定める。

 カートリッジをロードし、2発の薬莢を吐き出すレイジングハートを握りながらなのはは唱える。

 

「エクセリオン……」

 

 そんな中で教官は自分の手首に巻き付いたバインドを解析し、それを打ち砕く。解析の速さもさることながら、攻撃が放たれようとしている状況で、冷静にそれを行える胆力には驚くほかない。

 なのはも内心臆しながらも教官に狙いを定め――

 

「――バスター!!」

 

 レイジングハートから砲撃が放たれ、教官に向かって真っすぐ飛んでいく。教官はすかさず自由になった手を使ってシールドを張って、砲撃を受け止めた。

 しかし砲撃を防ぎ切ることはできず、教官の張ったシールドは瞬く間にひび割れて砕けそうになる。

 それを見定めて教官はシールドから手を離し、真下へ逃れる。なのはの砲撃は外れ空中に向かって飛んでいった。

 バインドを使ったなのは渾身の一撃を、ファーン教官はバインドブレイクとシールドを駆使して回避した。――だが、彼女と戦っているのはなのはだけじゃない。

 

「はあああっ!!」

 

 教官が空中を漂っているほんの一瞬の間にフェイトが飛んできて、大剣型(ザンバーフォーム)に変えたバルディッシュを教官めがけて振り下ろす。教官はとっさに杖で防ぐが、大剣に変わったバルディッシュ相手では、鍔迫り合いに持ち込むことすらできず杖は真っ二つに砕ける。

 杖が完全に割れる前に教官は後ろに下がり刃を避けるが、空中に跳んできて自分に杖を向けるなのはとその横で刃を構え直すフェイトを前にして動きを止めた。

 フェイトは教官に告げる。

 

「勝負ありです。降参してください」

 

 その宣言に教官はふっと笑みを浮かべて……

 

「そうさせてもらうわ……降参よ。もうあなたたちにはかなわないわね」

 

 

 

 

 

「さて、それでは次は健斗君の番……と言いたいところだけど、あなたとはやり合うまでもないわね。私が負けるに決まってるわ」

 

 いったん俺に向けた杖をくるりと回しながら、ファーン教官は肩をすくめてみせる。

 それを聞いた途端思わずよろめく俺に、なのはとフェイトは思わず笑いを漏らした。

 

「ずいぶんあっさり認めるんですね。あれから大して力を伸ばしたわけじゃありませんし、また俺が負けてしまうかもしれませんよ」

「いいえ。もう私の手の内も掴んだでしょうし、この前だってあなたが勝ってもおかしくないくらいだった。もう私なんかじゃかなわないわ」

 

 教官は苦笑しながら首を横に振る。そして彼女は笑みを向けたまま俺たちに言った。

 

「じゃあ聞かせてもらいましょうか。私がこの前出した問題、『自分より強い相手に勝つためには、自分の方が相手より強くなければいけない』……この言葉の意味と矛盾について、それぞれの答えを聞かせてくれるかしら」

 

 教官からの問いになのはとフェイトはお互いの顔を見合わせて、まずはなのはから言った。

 

「フェイトちゃんと一緒にある人と相談して決めたから、同じ答えになっちゃうかもしれませんけど、いいですか……?」

 

 そう確認してくるなのはに教官はこくりとうなずく。なのはも意を決したように言った。

 

「ファーンさんは“魔力で勝る”私たちに対して、“私たちにはない経験と技術”を駆使して戦っていました。だから問題の意味は、『自分より()()()()()()相手に勝つためには、自分が持っている()()()()()()()()で戦う』――だと思います!」

 

 自信満々に言い切るなのはに続いて、フェイトも声を上げた。

 

「そのために自分自身の強みを磨いて、誰にも負けない自信と気概を持って相手に当たる……それが私たちの出した答えです」

 

 なのはより少し落とした声でフェイトは答える。それに教官は笑みを浮かべながら、

 

「そうね。間違ってはいないと思うわ。じゃあ健斗君、あなたはどう思う? なのはさんたちが言った通りでいいと思うかしら?」

 

 そう尋ねられ、俺は軽く息を吐き出してから言った。

 

「まあ、回答の一つとしては間違ってないんじゃないでしょうか。ただ、相手との差を“強さ”と呼んで、それにとらわれすぎるのもどうかと思います。管理局員として犯罪者に対する時に重要なのは、“相手と強さを比べること”ではなく、“どうやって相手に勝つか”だと思います。自分や相手の“強さ”にとらわれてその本質を忘れたら本末転倒です。だから教官の言葉はある意味正しくもあるけど、ある意味間違ってもいる。そういう答えになりましたが……違いますか?」

 

 俺の問いにファーン教官はぽつりと言った

 

希少技能(レアスキル)持ちならではの答えね。それに近い事を言った子を思い出すわ。その子はこの問いかけに対して、“どんなに強い相手も急所に一撃入れれば倒せる”なんて言ってたわ。その言葉通り、その子は初めての模擬戦で私の急所に一撃入れて勝ってみせた。その後、あの子はパートナーの子ともども期待の新人と呼ばれながら首席でここを巣立って、二人とも今では家庭を持ちながらも首都防衛隊のエースとして活躍しているわ」

 

 ……いきなりファーン教官を倒した生徒がいるのか。まだまだすごい人はいるものだ。

 

「つまり私が言いたいのは、強さなんてものは戦力評価の目安でしかないってことよ。総合力で決まる魔導師ランクなんて特にね。魔導師として恵まれた才能を持つあなたたちだから、その意味に気付いてほしかった。そう思って模擬戦と強さについて問題を出したのだけど、わかってもらえたかしら?」

 

 その言葉に俺たちはうなずく。実際にあれだけボコボコにされ、問題の答えとともに教官に負けた理由や彼女に勝つ方法を考えていたなのはたちや俺には、教官が言いたいことはよくわかった。

 

「じゃあこれでプログラムは修了よ! 一ヶ月間よく頑張ったわね。あなたたちの今後の活躍と息災を祈っています!」

 

 満面の笑みを浮かべながら労ってくれる彼女に対する、俺たちの返事はたった一つしかなかった。

 

「「「ご指導ありがとうございました!!」」」

 

 

 

 こうして、訓練校での研修は終わり、俺たちは学長やファーンさんをはじめとする何人かの教官、一ヶ月限りの同級生たち、駆けつけてきた聖王教会の面々やティミル博士に見送られながら、第四陸士訓練校を後にした。

 俺たちを見送った同級生たちの中にはエリックもいて、彼と俺たちは再会の祈願をこめた握手を交わし、ひと時の別れを告げた。

 

 

 

 

 

 

 健斗たちが訓練校を後にしてしばらくして、彼一人だけのものになった部屋にて、エリックは端末を手に口を開く。

 

「親父、今話せるか?」

『エリックか、珍しいな。何の用だ?』

 

 親父と呼ばれた相手は数ヶ月ぶりに聞く息子の声に、さしたる感慨もうかがわせず率直に尋ねてくる。それに対しエリックもなんでもなさそうに続けた。

 

「ちょいと急だが、管理局の訓練校を辞める事にした。一応あんたには報告しなきゃと思ってな」

『本当に急だな。どうした? 安寧に浸かって腑抜けた連中に嫌気でもさしたか?』

 

 端末越しに聞こえる、見透かしたような物言いにエリックは乾いた笑みを漏らし、

 

「色々あってな。訓練校を抜けてしばらくミッドチルダや他の管理世界を見て回る事にした。ろくな情報を掴めなくて悪いがな」

『気にするな。元よりお前から言い出した事。奴らに毒される前に辞めてくれて、私としては安心したところだ。“大義”のためとはいえ、一人息子を手にかけたくはないからな』

「容赦ないな。養子とはいえ一応息子だろう。まあいい。ところで“あいつ”はどうしてる? あんたと一緒にいるのか?」

 

 尋ねるエリックに、相手は首を横に振ったような間を空けてから言った。

 

『いや、私は今“有力な同志”のもとにいてな。娘とはしばらく会っていない。まあ何かあれば現地から連絡が来る手筈になってるから、今のところ無事ではいるだろう』

「そうか。ところで“有力な同志”って、もしかして『ジェイル・スカリエッティ』っていう奴じゃねえだろうな? オルセアでもたまに聞くぐらいの犯罪者――」

『そうだが。それがどうかしたか?』

 

 あっさり返ってきた答えに、エリックは顔をしかめる。そして彼は言った。

 

「大丈夫なのかよ? こっちでも何回かそいつの話を聞いたが、相当やばい奴みたいだぞ。頃合いを見て手を切った方がいいんじゃねえか」

『心配はいらん。傲慢な管理局に鉄槌を下すという、彼の意思は本物だ。何度も話してそう確信した。それに《イクスヴェリア》が見つかっていない現状では、《マリアージュ》の製造に彼の助力は欠かせん。まだ手を切るわけにはいかんよ。まあ本当にまずくなったらマリアージュを使って乗っ取るさ。彼の手勢の少なさを突けば十分可能だ』

 

――簡単に乗っ取られるタマじゃないと思うが。

 

 そう思いながらエリックはあえて触れずに、

 

「――じゃあ俺はしばらく管理世界を見て回る。“あいつ”にも気を付けるように言ってくれ。それじゃあな、“同志トレディア”」

『ああ、こちらも無事を祈る。“同志エリック”』

 

 そう言ってエリックは端末を切り、養父にして同志でもあるトレディアとの通信を終える。

 彼が退学届を出し、訓練校を去ったのはその翌日の事だ。



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間話5 それからの話

 ミッドチルダでの留学を終えてから半年。俺たちは学業の合間を縫って働く“半正規”の管理局員となって任務をこなし、テスタロッサ家もハラオウン家から自立して、それぞれ日々の生活を送っていた。

 

 

 

 そして12月。守護騎士たちやテスタロッサ家とハラオウン家が地球に来て、初めての年末を迎える頃、アリシア・テスタロッサと七瀬はそれぞれの家族に連れられて聖祥小学校の敷地内を訪れていた。

 この日は土曜日で聖祥の生徒はほとんどおらず、代わりに私服を着た子供たちとその家族であふれかえっていた。七瀬の家族とテスタロッサ家もその一部だ。

 滑り止めと受験に慣れるために受けた風芽丘(かぜがおか)小学校以来、二度目の合格発表に緊張しながら、アリシアはプレシアやフェイトたちとともに昇降口前に立てられた掲示板に目を這わせる。

 掲示板に並ぶ無数の数字を見て、まさかと思いながらもアリシアは必死に自分の受験番号を探す。

 そして……

 

「…………あった。――あったよ! 私の番号!! これってもしかしなくても――」

 

 それを聞いてリニスは安堵と喜びに顔をほころばせ、プレシアは感極まってアリシアを抱きしめる。母親に抱かれ、恥ずかしいと文句を言いながらアリシアもこっそり涙をこぼす。

 フェイトも姉の合格を嬉しく思いながら、自分も約半年後の執務官試験に向けて頑張ろうと心に決め、アルフと固いうなずきを交わしていた。

 その9ヶ月後、筆記・実技それぞれ15%以下の難関を誇る執務官試験を前に、猛勉強と試験対策もむなしく不合格に落ち、フェイトは涙をこぼしながら家族や友達に慰められることになるのだが、それは別の話である。

 

 当然そんな未来など知る由もなく、母親から解放されたアリシアは掲示板の前を見回し、親友兼受験仲間の姿を探す。そしてほどなく、アリシアのもとに向かって来る短い紫髪の少女の姿が見えた。その表情はアリシアと違って暗い。それを見て……。

 

「……な、七瀬はどうだったの? まさかと思うけど……」

「七瀬さん、気をしっかり持って!」

 

 アリシアは不安そうに尋ね、リニスは懸命に七瀬に呼びかける。プレシアやフェイトたちもハラハラしながらその様子を眺めていた。

 七瀬は暗い雰囲気を漂わせたまま口を開く。

 

「……予想通り………………合格だったわ!!」

 

 わざと長い間を溜めてそう言い放ち、七瀬は得意げな笑みとVサインを向ける。それを見てアリシアはぱっと顔を輝かせながら七瀬の手を握った。

 

「七瀬も合格だったんだ! おめでとう!! これで来年から一緒に学校に通えるね!」

「当たり前でしょう! あたしが小学校の受験なんかに落ちるわけがありますか!」

 

 アリシアの手を握り返しながら七瀬は息巻く。それを聞いて他の家族もほっと胸をなでおろした。

 無事七瀬も合格したらしい。正直なところ、異世界の学校にアリシアを通わせるのに不安がないわけではなく、テスタロッサ家にとっても七瀬がついていてくれた方が安心だったのだ。

 

「じゃあ早速なのはたちにも教えちゃおう! 結構心配してたみたいから」

「あっ、待って! なのはに教えるのはいいけど、健斗君にはまだ内緒にしておいて。さっきみたいに落ちたふりして驚かせる予定だから!」

 

 それにアリシアは親指と人差し指を合わせたOKサインで応じ、“健斗以外”の面々に合格を知らせていく。

 そんな娘たちを前にしながら、プレシアは――

 

(開業はもうしばらく後にした方がよさそうね)

 

 と、心に決めていた。

 

 聖祥に合格したら、その後二週間以内に入学金と前期授業料を納めなくてはならない。それを納めなければ入学は取り消しになってしまうのだ。

 聖祥の学費は他の学校に比べてかなり高く、特に入学金は桁が一つ違うほどで、今のテスタロッサ家にとって安いものではない。心配したリンディから援助を提案されているほどだ。

 接客業のノウハウを身に着けてきてそろそろ独立を考えていたが、もう少し後にした方がいいだろう。まだまだしばらくは翠屋のお世話になる日々とハラオウン家に頭が上がらない状況は続きそうだ。

 

 

 

その後、翠屋に出勤するプレシアについていく形でアリシアたちと七瀬は高町家に寄り、落ちたふりをした七瀬が『あたしを慰めて』と健斗にすがるのだが、そんな思惑などあっさり見透かされ、額をこつんと小突かれておしまいになる。

 

 

 

 

 

 

 それからさらに数ヶ月後、年が明け、年度も越して4年生に進級してしばらく経ってからの日曜日。俺ははやてに呼ばれて八神家を訪れていた。

 

「こんにちはー!」

「いらっしゃい健斗君! なのはちゃんたちは?」

「さあ。今日は任務もないし、そのうち来るんじゃないか。俺は家から直接来たからさ」

 

 出迎えてくれたシャマルに答えながら、俺は彼女が用意したスリッパを履いて中へと上がる。

 そしてテレビの音が漏れる居間へと顔を見せた。

 

「おーっす。お前らもいたか」

 

 俺が声をかけると新聞を読んでいたシグナムと歌番組を見ていたヴィータは顔を上げて、

 

「うむ。おはよう健斗」

「おーっすじゃねえ。人んちに上がるんなら挨拶ぐらいちゃんとしろ」

「おはようも言わんお前に言われたくはない。ザフィーラ、おはよう」

「うむ」

 

 狼の姿で隅にうずくまっているザフィーラに声をかけると、彼も返事を返してくれる。そして……。

 

「スゥ……スゥ……」

 

 この喧騒の中で、リインはソファにもたれかかって可愛らしい寝息を立てていた。昨日の任務は遅くまでかかったからな。常勤の彼女はまだ疲れが抜けきっていないか。

 俺は彼女に向かって片手を上げ、騎士たちがうなずくのを見届けて居間を後にし、台所に向かうシャマルについていった。

 

「はやては? あいつに呼ばれて来たんだけど」

「はやてちゃんなら図書館に行ったわ。多分すずかちゃんと一緒にいるんじゃないかしら。健斗君もうちの事でわからない事なんてないでしょうし」

 

 それを聞いて納得する。はやてと知り合って5年ちょっと。この家に上がったことは数え切れないほどで、風呂もトイレも使ったことがあるし、冷蔵庫を開けても怒られないほどだ。みんなが揃うまで好きにしていろという事だろう。

 しかし、シャマルが台所にいるという事は……。

 

「ところで、今日の昼食は誰が作るんだ?」

「……私だけど。見てわからない?」

 

 エプロン姿のシャマルはそう言って小首をかしげる。それを見て……

 

「手伝おうか? あいつらが来るまで暇だし」

「いいわよ。健斗君も任務明けで疲れてるでしょうし、家事はお姉さんに任せて子供は遊んでなさい!」

 

 そう言ってシャマルは俺を押し出す勢いで台所から追い出そうとする。せめてもの抵抗に……

 

「俺はさっき済ませてきたからいい。他のみんなの分を頼む」

「そう? いっぱい食べないとあの頃みたいになれないわよ」

 

 残念そうに言いながらシャマルは俺を見送る。そんな彼女に「味見はしっかりしろよ」と言いながら台所を離れた。

 

 

 

 シャマルの料理イベントは回避できなかったか。まあ栄養()問題ないし、はやてたちに頑張って食べてもらおう。

 しかしどうしようか? 今さら居間には戻りづらいし、ヴィータと喧嘩でもしてリインを起こしたくはない。どこかの部屋でスマホでもいじりながら家主たちが帰ってくるのを待つしかないのだが……。

 

 そう思いながら居場所を求めるうちに俺の足は自然に階段を上がっていて、気が付くと二階にあるはやての部屋の前に来ていた。

 さすがにはやての部屋に入るのは気が引ける。あいつもそろそろ男子に見られたくないものの一つや二つくらいある歳だろう。まあ何を見つけても特に驚かないと思うが。

 そう思いながらも別の部屋に行こうと踵を返そうとした時だった。

 

んんっ…………もうたべられません~

 

 部屋の中から漏れる間延びした声に思わず足を止める。

 誰だ? ヴィータも含め守護騎士たちは全員階下にいる。なのはたちがまだ来ていないことはシャマルから聞いたばかりだ。はやても帰ってきていないらしいし。

 

んっ……くぅ……

 

 空耳じゃない。やっぱり誰かいる。はやての家に泊まってる友達だろうか。それとも泥棒……。

 まさかと思い、俺はドアノブを回し、そっとドアを開ける。

 そこにいたのは……

 

「くぅ……くぅ……」

 

 俺は一瞬自分の目を疑った。

 はやての部屋には()()誰もいない。真っ先に目を向けたベッドには布団が敷かれておらず、寝ている者などいない。しかし、はやての机の隣にある小棚の上にはドール用のベッドが置かれてあり、その上には“小人ほどのサイズの女の子”がパジャマ姿で眠っていた。

 一本だけ跳ねている水色の長い髪に十字の髪飾りをつけた少女だ。顔立ちは人形のように整って――というより人形にしか見えないのだが……。

 

「ん~……そんなに押しつけられても、おなかいっぱいですってば~」

 

 人形じゃないよな? なんだこれ?

 よだれを垂らしながら寝言を漏らす女の子が気になって、俺はついベッドの天蓋部分をこんこんつつく。

 すると彼女は「んっ」と声を漏らしながら身じろぎし、うっすらと目を開けた。

 

「…………」

「…………」

 

 俺と少女は見つめ合う。彼女は目をこすり起き上がりながら、髪と同じ水色の目をぱちぱち開く。そして……

 

「おはようございます」

「お、おはよう……」

 

 初対面の――それも彼女から見たら巨人ほどの――男を見ても驚かず、頭を下げて挨拶してくる少女に俺も思わず挨拶を返す。

 そして少女は「ふわ~」とあくびをしながら辺りを見回し、首をかしげながら言った。

 

「はやてちゃんは?」

「……はやてなら図書館に行ったと聞いてるが」

「そうですか。では、しゅごきしたちは?」

 

 疑う素振りもなく、問いを重ねてくる少女に俺は下を指さしながら言った。

 

「あいつらなら下だ。昼飯の用意をしたりテレビ見たりしてる」

「もうお昼ですか。どおりでおなかがすくわけです。ふあ~~!」

 

 さっき寝言でもう食べられないとか言ってなかったか? 夢の中の満腹感など起床と同時に忘れてしまったのか?

 心の中でそう突っ込む俺の前で、少女は不思議そうに俺を見上げて。

 

「ところで、あなたはだれですか? はやてちゃんと同じくらいの大きさですけど」

「俺か。御神健斗だ。はやてと守護騎士たちの友達だよ」

「――あなたがけんとさんですか!」

 

 答えると彼女はぱっと輝かせておもむろに浮き上がり、俺の前まで飛んでくる。俺が手のひらを出すと彼女は躊躇いもなくそこに降りた。

 

「はじめましてけんとさん! けんとさんのことははやてちゃんやきしのみんなから聞いてます!」

「あいつらから……お前は一体何者なんだ?」

「はい。わたしは――」

 

 少女が名乗ろうと口を開いた、その瞬間――

 

「あーー!! 健斗がお人形持って遊んでるー!!」

 

 後ろから響いた声に俺と手のひらに乗っている少女はそちらに顔を向ける。

 そこには俺を指さしているアリシアと、俺にスマホを向けている七瀬がいた。

 

「アリシア、七瀬、お前らいつから? ……っていうか七瀬、俺にスマホ向けて何やってんだ?」

 

 七瀬はスマホを向けたまま、何でもないことのように言った。

 

「人形で遊んでる健斗君を撮影してるだけよ。ああ、ちゃんと顔にはボカシ入れておくから安心して。【わずか10歳で美少女フィギュアに目覚めたオタク小学生】というタイトルでY〇uT〇beに投稿すればかなり伸びるわ」

「投稿するな! これにはわけがあって――」

「ああっ!! ドアが開いてるからまさかと思ったら!」

 

 どたどたと階段を駆け上がる音とともに、部屋の主(はやて)が飛び込んでくる。それを見て少女は俺の手から飛び上がり――

 

「――はやてちゃん!!」

「リイン! 大丈夫やった?」

 

 少女ははやてのもとに飛んでいき、はやての肩に乗る。それを見てアリシアも七瀬も唖然としながら彼女たちを見る。

 そこへ守護騎士やなのは、アリサたちなどが次々にやってきて、部屋の中にいる俺やはやての肩に止まっている少女を見てあれこれ尋ねてくる。そんな中俺ははやてに言った。

 

「はやて、説明してくれ。その女の子は一体なんだ? その子もリインっていうのか?」

 

 その問いにはやてはイラズラっぽい笑みを浮かべ、遅れてやってきた“リイン”は隠し事がバレたように頭を抱える。

 はやてはリインの前に手のひらを出し、彼女がそこに止まるのを見てから言った。

 

「紹介するな。この子は私のリンカーコアから作った新しいユニゾンデバイス。名前は……」

 

 はやてはそこであえて言葉を切り、少女に視線をやる。

 それを受けて、少女は姿勢を正しながら名乗った。

 

「『リインフォース・ツヴァイ』です! マイスターはやてのサポートをするためにつくられました。ふつつかものですが、これからよろしくおねがいします!!」



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間話6 Change us body(前編)

 リインフォース・ツヴァイの誕生からさらに一年。俺たちが5年生に進級した年のある日のこと。

 

 

 

 管理局標準時刻16:26

 とある管理外世界。

 

 

「――くそっ!」

 

 空中で小箱を抱えながら、男は唾を吐くように毒づく。

 そんな彼を俺とリインフォース・アインス、同じ部隊に属する武装局員たちは取り囲んでいた。

 俺は小箱を抱えている男――次元犯罪者に向かって言う。

 

「そこまでだ。管理外世界での不法滞在、およびロストロギアの違法所持の現行犯で逮捕する!」

 

 

 声を張り上げた俺を見て、男は忌々しそうに顔を歪め。

 

「ふざけやがって。せっかくこいつを手に入れたのに、こんなガキに捕まってたまるか!!」

 

 そう言いながら男は小箱を開ける。そこには筒状の形をした銅色の物体――ロストロギアが入っていた。男は素早い動作でそれを掴み取る。それを見て局員たちは一斉に動いた。

 しかし、男は彼らより速くロストロギアのスイッチを押し、俺にそれを投げつける。

 

「健斗――!」

「待て! 来るなリイン――」

 

 犯人に目もくれず、そばに飛んでくるリインにそう叫ぶ。その瞬間ロストロギアは白く発光し、俺たちの視界は白く染まった。

 

 

 

 

 

「この――大人しくしろ!」

「御神捜査官、リインフォース補佐、大丈夫ですか!?」

 

 取っ組み合うような喧騒の中、ある者は俺たちに寄りながら声をかけてくる。俺は彼に向かって返事をした。

 

「……俺なら大丈夫です。犯人の方は?」

「……? 犯人ならこちらで取り押さえました。ロストロギアも()()()()()が――」

 

 御神捜査官? 俺はロストロギアなんて持っていないが……?

 自分の両手を開きながら確認する。すると、むき出しの腕に指出しグローブをはめた手が見えた。こんなもの填めた覚えはないぞ……。それに足がスースーする。

 いや、それよりリインは無事か?

 

 体の違和感に首をひねりながらも彼女のことを思い出し、そちらに顔を向ける。するとそこにいたのは……。

 

「えっ……」

「まさか……」

 

 俺の目の前にいたのは筒状のロストロギアを抱えた、“十代に入ったばかりの少年”だった。

 短い黒髪、黒い右目と緑色の左目のオッドアイ。鏡でしか見たことがないが間違えようがない。

 一方、相手の方も口をパクパクさせながら俺の方を見ていた。まさかと思うが……

 

「お前は……」

「あなたは……」

 

 俺と相手はおそるおそる口を開き、そして叫んだ。

 

まさかリインか!?

もしかして健斗なのか!?

 

 俺とリインは指をさす代わりに言葉をぶつけ合う。一方、まわりの局員は何が起きたかわからず不思議そうな目で俺たちを見、犯人だけがざまあみろと言うように笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 二時間後。本局に戻って犯人を引き渡した後で、俺とリインは技術部に向かって、マリエルさんたちから精密検査を受けていた。

 その結果……。

 

「……間違いありません。二人とも体が入れ替わっちゃってるみたいです。たぶん、回収したロストロギアの影響ではないかと……」

「本人たちがそう思っているだけの可能性は? 二人とも知らない仲じゃないみたいだし、お互いに体が入れ替わったと思い込んでるだけの可能性も……」

 

 レティ提督の意見にマリエルさんは首を横に振る。

 

「いえ、検査の後で個別にプライベートに関わる質問もしてみたんですが、それぞれ本人しか知らないはずの事も知っていたみたいです。健斗君とリインフォースさんの体、あるいは意識が入れ替わってしまったのは確かなんじゃないかと」

「そう……」

 

 マリエルさんの返事にレティさんはそれだけを返しながらあごに手を当てた。

 

 ロストロギアとは滅びた文明や世界が遺した遺産。その中には、ジュエルシードや夜天の書のように世界を滅ぼすほどの力を持つものもあれば、このような不思議な現象を起こすだけのものもある。今回押収したのがそれだったというわけだ。

 

「体が入れ替わるロストロギアですか……犯人はそんなものを使って何をしようとしてたんでしょう?」

「色々できるわよ。自分より見た目のいい人と体を入れ替えたり、お金持ちと入れ替わって資産を奪ったりとか、あるいは…………。まあジュエルシードや夜天の書のようなロストロギアと比べれば、内包している力ははるかに小さいけどリスクがない分使いやすいし、どちらかといえばこういった物を求める犯罪者の方が多いわね」

 

 メガネをかけた新人局員の問いに、レティさんは言葉を途中で詰まらせながらもそう説明する。

 

 新人局員の名はシャリオ・フィニーノ。今年の5月*1に第四陸士訓練校の通信科を卒業し、マリエルさんが主任を務める技術部装備課に配属された新人で、俺やなのはたちとは局員としても同じ訓練校を出たOBとしても、二重の意味で後輩にあたる。

 さらに付け加えると、実家がレティさんの家の隣にあるとのことで、彼女とも親しい間柄にある。

 

 

「とにかく問題は二人を元に戻せるかという事ね。二人を元の体に戻す方法はわかりそう? 犯人から何か聞き出せた?」

「あっ、はい。犯人によれば、あのロストロギアをもう一度二人に使用すれば元に戻るとのことです。こちらの解析でもそのような結果が出ています……ただ……」

「ただ……?」

 

 レティさんが目線で問いかけると、マリエルさんはちらりと俺たちを見てから言った。

 

「精神の入れ替えは両者の脳に大きな負担がかかるため、入れ替わってから24時間――いえ、大事をとって36時間は空けておく必要があるとのことです……つまり……」

 

 それを聞いてレティさんも俺たちも、マリエルさんが言わんとすることを察した。

 要するに、俺とリインは今から丸一日以上、入れ替わった状態で過ごす必要があるという事だ。不運な事に明日は平日。俺には学校が、リインには仕事がある――いや、今は体が入れ替わってるわけだから、俺が仕事に行って、リインが学校に行く事になるのか……。

 

 レティさんたちが沈黙してからしばらくして、俺はようやく口を開く。

 

「明日、リインフォースの予定はどうなっています? 普段俺が学校に行ってる間、彼女は別の部隊の応援に行ってるはずですが……」

「健斗!」

 

 俺が尋ねるとリインが声を上げる。お互い姿と声がそっくり入れ替わってしまっていて妙な感じだが、そんなことを気にしている場合じゃない。

 そんな俺たちを見ながらレティさんは告げた。

 

「リインフォースは明日、一日中航空武装隊に付いてもらう予定よ。シグナムと同じ班」

 

 やはりか。リインは空中での行動に慣れているし、ヴォルケンリッターの将を務めるシグナムとは通じるところも多い。組み合わせとしてはちょうどいいぐらいだろう。それなら何とかなりそうだ。

 

「わかりました。じゃあ明日は俺がリインフォースの代わりに、航空隊の応援に行きます。航空隊なら俺自身研修で行ったことありますし、何とかなると思います!」

「そんな――健斗にそんな真似はさせられません! それならシグナムに事情を話して私が――」

 

 そこでリインははっとして言葉を飲み込む。

 確かにシグナムあたりに事情を説明すれば、“俺の姿をした”リイン自身が航空隊に加わることは可能だ。だが、そうなると地球にいるはずの“俺”はどうなるのかという問題が起きる。

 リインもそれに気付き、俺に尋ねてくる。

 

「健斗、その、学校の方は……やはり行った方がいいでしょうか?」

「……いや、さすがにそれはまずいだろう。授業はついていけているし一日くらい休んでも大丈夫さ。……問題は母さんだな。こんな時に限って明日は非番らしい。あの人に仮病は通用しないだろうし、何とかして学校を休む言い訳を考えないと……」

 

「――いいえ、学校には行きなさい!」

 

 その声に俺とリインは思わずそちらを振り返る。俺たちに向かってそう言ったのは、この場で最も高い立場にいるレティ提督だった。

 

「健斗君やはやて、なのはさんたちの局入りにあたって、私たち管理局は保護者の方々と“本人たちの学業を何よりも優先すること”を約束しました。その約束がある以上例え一日でも、私たちの都合であなたたちに学校を休ませるわけにはいかないの。だから病気でもない限り健斗君には学校に行ってもらいます――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 レティさんは強い口調で俺たちに言い聞かせる。

 それが伝わったのか、リインは覚悟を決めたように胸の前に手を置いて。

 

「……わかりました。私は明日、健斗になったつもりで彼の学校に行って、彼の家で生活します。ちょっと不安ですが学校には主たちもいますし、健斗のお母様とも何度か会ったことがありますから……多分大丈夫だと思います」

「うん、リインさん偉いよ!」

 

 リインの決意にマリエルさんは拍手しそうな勢いで褒め称え、レティさんも強くうなずき……

 

「やっぱり、今の状況では親御さんには伏せておいた方がいいですよね」

「そうね。私たちには彼を元に戻せる確証があるけど、保護者からしたら息子が元に戻るか不安でしょうし、今は話さない方がいいと思うわ。はやてや他の子たちにもまだ言わない方がいいかもしれない」

「はやてさんたちにもですか? はやてさんには話した方がいいと思いますけど」

「いいえシャーリーちゃん。はやてちゃんにも話さない方がいいわ! もし健斗君が女の人と体が入れ替わったなんて知ったら、はやてちゃんショックで寝込んじゃうか、もしかしたらいけない道に走っちゃうかもしれない。ただでさえ胸揉みの癖があるのに、そんなことになったら――」

「マリエル、落ち着きなさい。とにかく今はやみくもに事を荒立てない方がいいわ。はやてたちに事実を話すのは、健斗君とリインが元に戻るか確かめてからで十分よ。とにかく明日、健斗君はリインフォースとして航空隊に、リインフォースには健斗君の振りをして学校に行ってもらいましょう」

 

 シャーリーも加えて、三人はそんなことを言い合う。

 そんな彼女らに……

 

「もしかしてなんだけど……あんたら楽しんでないか?」

 

 そう言うと、レティさんとマリエルさんはギクリとしながら目を宙にそらす。そんな彼女たちの前で俺はやれやれと首を振った。

 

 とはいえ、俺の方は自分から航空隊に行くと言ってしまったし、リインも自分の発言を取り消すつもりはないようだ。

 ここは腹をくくって交換生活を送るとしよう。

 ……それはそうと()()はどうしよう。まあ俺もリインもかつてお互いに体を晒しあった事もあるし、たぶん大丈夫だろう。

*1
ミッドチルダの年度は6月に始まり、5月に終わる形式を取っている。



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間話7 Change us body(後編)

 ある次元犯罪者から押収したロストロギアによって、健斗とリインフォース・アインスの体が入れ替わってから一夜明けて……。

 

 

 

【早朝 健斗side】

 

 いつものように、アラームが鳴る前に目を覚ます。

 最小限の家具しかない部屋で、私物らしいものといえば向こうのベッドのそばに剣が立てかけてあるくらいだった。その剣の持ち主も、カーテンから漏れる朝日を感じ取ってむくりと起き上がる。

 “今の俺”と同年代ぐらいの彼女は宙に向けて背筋と腕を伸ばしてから、起きている俺に気が付き、意外そうな声で言った。

 

「アインス……早いな、もう起きていたのか」

 

 アインスという呼び方に戸惑いながらも、俺は彼女に答える。

 

「ああ……日差しのせいかいつもより早く目が覚めてな。おはよう、シグナム」

 

 言ってしまってからもう少し女っぽい口調にするべきだったかと思うものの、シグナムは気にした様子もなく、

 

「ああ、おはよう」

 

 と言ってベッドから立ち上がり、唐突にパジャマを脱ぎ出す。思わず目を背けるとシグナムは怪訝そうな声で言った。

 

「……? どうした。お前は起きんのか? もう少し寝ててもかまわんが、もう30分もすれば主も他の者たちも起きてくるぞ」

「い、いや起きる。起きるけど、シグナムが着替え終わるまで待つ。だからおれ――わ、私に構わず早く着替えてくれ!」

 

 目を背けながら言うと、シグナムは首を傾げたような気配をしながら「そうか」と言って、再びパジャマを脱ぎ出す。俺は慌てて目をつぶるが、今度は衣擦れの音が耳に届いてくる。俺はそれをただじっと耐えるしかなかった。

 しばらくして、何も音が聞こえなくなってからシグナムが言った。

 

「終わったぞ……本当に大丈夫か? 具合が悪いなら休ませてもらえるよう、私から隊長に言っておくが……」

「い、いや大丈夫! すぐに着替えるから、シグナムは気にせず行ってくれ!」

「う、うむ……」

 

 両手をぶんぶん振る俺に、シグナムは相変わらず怪訝そうな顔を見せる。そこでシグナムは俺の姿を見下ろしながら今気付いたように言った。

 

「いや、着替える前にまずシャワーを浴びろ。お前、昨日帰ってきてから一度も身体を洗ってないだろう」

「えっ――!?」

 

 そう言われて自分の体を見下ろす。俺が今着ているのは昨日リインが着ていた私服だ。

 そういえば昨日は八神家に行ってすぐ、犯人逮捕で疲れたと言ってそのまま部屋に向かって寝たんだよな。はやてたちにバレないようについた嘘のつもりだったが、疲れていたのは本当だったらしい。

 いや、そんな事よりも――

 

「シャワーって……今からか?」

 

 シグナムはこくりとうなずく。

 

「ああ。体調が悪くないならシャワーぐらい浴びれるだろう。そのまま外にというのは女としてどうかと思うぞ」

 

 シグナムはそう言って、強引に俺の腕を掴み上げる。向かう先はもちろん――。

 いやいや、ちょっと待ってくれ! いくら何でも早すぎるだろう。まだ心の準備ができていないぞ!

 そう心の中で訴えてもシグナムに届くはずもなく、俺は風呂場の前まで連れていかれ、半ば放り込まれるように脱衣所に入れられた。

 

 

 そういえば、リインは今頃どうしてるんだろう? もしかしてあっちでも……。

 

 

 

 

 

【早朝 リインside】

 

 なるべく早く、できるだけ見ないように体を洗ってから、私は浴室を出る。

 脱衣場の隅にあるカゴには、聖祥という学校の制服とズボンの丈を短くしたような青い男物の下着(トランクス)が入っていた。

 この数百年、男の体も下着も嫌というほど見てきたはずなのに、今、彼の体や下着を見ると顔が赤くなるほど恥ずかしいと思ってしまう。300年前のケントとの行為の時もここまで恥ずかしいと思ったことはなかった。

 再び迫ってきた死への恐怖と、初めての行為の昂りのせいだったのだろうか? それとも――

 

「健斗! 洗い終わったのならそろそろ上がってきてくれ! ぐずぐずしていると学校に遅れるぞ!!」

「あっ――は、はい! 今行きます!!」

 

 台所から聞こえてくる健斗の母親――美沙斗さんの声に、私は思考を打ち切り、返事を返しながら用意された服を着る。

 ……トランクスって開放的で意外と履き心地がいいな。

 

 そんな事を思いつつ急いで服を着て台所に向かうと、美沙斗さんがおぼつかない手つきでフライパンを揺らしているのが見えた。これから食べるための朝食を作っていたらしい。

 私は、家事をしている主に対していつもしているように、朝食作りの手伝いを申し出た。

 その結果……。

 

 

 

「……うまいな。いつもと比べてかなりおいしい」

「そ、そうかな……いつも通りだと思うけど」

 

 味噌汁を一口飲んで、美沙斗さんはそう言ってくれた。

 そんな彼女に、私は健斗の口調を真似ながら返事を返した。そこへ美沙斗さんが……

 

「ところで健斗、昨日は家に帰ってから、夕食も摂らず風呂にも入らずそのまま寝入ったようだが、大丈夫なのか? 今朝もいつもと比べて起きるのが遅かったようだが」

「ちょ、ちょっと疲れただけだよ。犯人が諦めの悪い奴で結構長い間飛び回る羽目になっちゃって……今はこの通り元気だから、心配しないで!」

「……そうか。私は今日非番だから、何かあれば遠慮なく連絡してきなさい」

 

 力こぶを作りながら言うと、美沙斗さんは妙に硬い言い方で締めて黙々と食事を口に運ぶ。

 私は引っかかりを覚えながらも、時間が迫っている事に気付き急いで食事をとった。

 

 

 それにしても静かな食事だ。向こうだったら守護騎士たちががやがや騒いでいる頃だろうし、去年からはそれにツヴァイも加わるようになったしな。

 

 

 

 

 

【朝 健斗side】

 

 目をつぶりながら体を洗ったり、色々な意味で大変だった入浴――特に胸を洗う時は常に柔らかい感触が跳ね返ってきて、自制心を試されているとしか思えなかった――と、家族6人と1匹による賑やかな朝食を経て、はやては学校に登校し、それを見送ってから二度寝しに部屋に向かうツヴァイと特定の部隊に所属していないザフィーラをのぞく面々は出勤の準備をしていた。部屋の一つが本局への転送ポートとなっているため俺たちも結構余裕がある。

 と思いきや……。

 

「アインス、そろそろ行くぞ」

「えっ? まだ1時間もあるぞ!?」

 

 出勤準備を終え、リビングでスマホをいじっているところでシグナムからそう声をかけられ、俺は思わず反論を口にする。

 しかしシグナムは……

 

「任務や訓練の前にデバイスの点検や体を温めるためのストレッチなど色々やることがある。いつものお前なら言われなくても従うところだろう。……それにお前、化粧もろくにしてないままじゃないか。素面のまま職場に行く気か?」

 

 俺の顔を覗きこみながらシグナムは呆れるように言う。化粧か……そういえばヴィータとツヴァイ以外は化粧をしていく歳だったな。そう思っているとヴィータもテレビから視線を外して、

 

「なんかお前、いつも以上にだらけてねえか。どっかのエロガキそっくりなんだけど」

 

 その言葉に俺は思わずドキっとする。はやてがいなくなって気が緩んでしまっていたか。

 そう思っているところへ、シグナムはまた俺の腕を掴み「ちょっと来い」と言って強引に立たせてきた。

 まさかもうバレたのかと思いビクビクしていると、シグナムは俺をテーブルの前に座らせ、ごちゃごちゃした小物を取り出してきた。それはパフやスポンジなど、俺でも知ってるような化粧道具だった。

 

「時間がないから今日は私がしてやる。少し荒くなるかもしれんが我慢しろ」

 

 そう言いながらシグナムは有無も言わさず、手に持っていたパフを俺の顔に押し当てていく。その拍子にパウダーの粉が顔のまわりに舞い散り、俺はたまらず咳き込むがシグナムは構わずパフを当て続ける。

 そうして俺は人生初のメイクを終えて、シグナム、ヴィータ、シャマルとともに本局へと出勤した。……こう書くと変な趣味に目覚めたみたいだが、断じて違うと言わせてもらおう。

 

 

 

 

 

【朝 リインside】

 

 御神家が住むマンションを出て通学バスに乗り、赤星雄一という健斗の友達と我が主・夜神はやての二人とぎこちなく会話を交わしながら、私は『5年B組』の教室に足を踏み入れる。

 するとそこへ、ヘアバンドをつけた長い紫髪の少女が駆けつけてきた。彼女は確か……

 

「おはよう、はやてちゃん」

「すずかちゃん、おはよう」

 

 すずかという少女は主はやてと挨拶を交わし、私と雄一の方に向かってくる。

 

「おはよう、健斗君!」

 

 すずかは、主に向けたものより幾分ほど深くした笑みを向けて私に挨拶してきた。それに対して……

 

「お、おはよう、すずか……」

 

 私は表情を作る余裕もなく、ぶっきらぼうに答えてしまう。すずかは一瞬きょとんとするものの機嫌を損ねた様子はなく、隣にいる雄一にも挨拶する。雄一の方は片手を上げながら自然に挨拶を返した。

 あの子が私や主にとってのもう一人の恋敵か……確かに手ごわそうだな。大抵の男子ならころりと落ちてしまいそうだ。健斗だってもしかしたら……。

 

 すずかは主はやてと再び談笑をはじめ、私は雄一に続いて机に鞄を置きに行こうとする、

 のだが……

 

「んっ? ……どうした健斗?」

 

 鞄から何冊もの教科書とノートを出しながら、雄一は手を止めて私に尋ねてくる。私は口をまごまごさせながら……

 

「わた……お、俺の席ってどこだっけ?」

「……? 俺の後ろだろう。ほらそこ」

 

 首をかしげながら雄一は自身の後ろの机を指さす。それを見て――

 

「そ、そうだった……去年までと違うからつい」

 

 そう言い訳しながら私はその机に鞄を置き、教科書を……とりあえず全部出しておくか。

 

 

 

 

 

「ねえ、なんか健斗君、いつもと様子が違わない?」

「そうなんよ。バスの中でも私と雄一君の話に相槌打ってばかりやったし」

 

 そう言って、はやてはもう一度健斗()()()()を見て……。

 

(あの仕草、さっき言いかけた一人称……まさかな)

 

 

 

 

 

【昼 健斗side】

 

 ミッドチルダ各地の航空巡回を終えて、俺はシグナムと、一緒の任務に加わっていた『1039航空隊』の面々とともに、地上本部近くの店で昼食をとっていた。

 

「朝は調子が悪そうだから心配していたが、すっかり調子を取り戻したようだな。甲冑の着方を聞かれた時はやはり休ませるべきかと思ったが」

「それは忘れてくれ!! 昨日の疲れがとれてなかっただけだって言ってるだろう!」

 

 軽口を飛ばしてくるシグナムに、むっとしながら言い返す。それを見て部隊のみんなも笑いを漏らした。その中で失礼だと思ったのか、黒っぽい茶髪の男が口を押さえる。彼を見てシグナムは苦笑しながら声をかけた。

 

「別に笑っても構わん。だらけているこいつの自業自得だ。新人だからといって遠慮ばかりしていると、気疲れのあまりお前も調子を崩してしまうぞ」

「ははっ、それもそうかもしんないっすね。すいませんリインフォースさん。見た目の印象と違うからつい」

 

 そう言いながら新人の男は頭の後ろに手をやりながら笑いを漏らす。そこでシグナムは俺の方を向いて言った。

 

「彼とは初めてだったな。今年度から1039空隊に配属してきた……」

「ヴァイス・グランセニック三等陸士です。第4管理世界カルナログ出身で、家族ともどもミッドに移ってきたのがきっかけで管理局に入りました。今後ともよろしくお願いします!」

 

 ヴァイスという新人は食事を止め、立ち上がりながら自己紹介する。元に戻ったら彼のこともリインに教えておかないとな、と思いながら俺は座ったまま――

 

「リインフォース・アインスだ。本局の捜査隊に所属しながら、直属の上司がいない日は今日みたいにあちこちの部隊の応援に回っている。航空隊での経験もそう多くないから新人と変わらない。そんなに固くしないでくれ」

「と、とんでもありません! リインフォースさんのことはシグナム空曹や先輩たちから聞いています。S+ランク捜査官の補佐を務めている優秀な人だって……まあ、想像と違うところもありましたけど」

 

 そこまで言ってヴァイスは、俺の朝の醜態を思い出したのかまた噴き出しかける。それを見てシグナムもため息をつきながら言った。

 

「いいからそろそろ座れ。まわりの客がこっちを見ているぞ。……ヴァイスはまだまだ経験は浅いが狙撃の腕は確かでな、この中では最も見所があるかもしれん。皆もうかうかしてると追い越されてしまうぞ」

「やめてくださいよ、狙撃はそこそこでも魔力は一番低いんっすから。先輩たちの足引っ張らないようにするのが精一杯っす」

 

 ヴァイスは座りながらそう付け足してくる。それに周りのみんなは笑い声をあげ、俺とシグナム、ヴァイス自身もそれに混ざった。

 そこで女性隊員の一人が俺に声をかけてきた。

 

「ところで、リインフォースさんと一緒に働いてる捜査官ってどんな感じの子なんですか? 10歳になる前からロストロギア事件を解決した男の子だって聞いてますけど」

「あっ、私も聞いてる! すごい希少技能(レアスキル)を持ってて、嘱託試験でエリート執務官と互角に渡り合ったって。リインさんと仲いいみたいですけど、やっぱりあれですか? 仕事してる間は上司と部下だけど、休憩中とかは弟みたいに甘えてきたりとか」

「い、いや、彼とは…………」

 

 “俺”を話題に上げてどよめきを上げる女性隊員たちに、俺は言葉を詰まらせる。

 何でもないと言えば嘘になる。しかし今はまだお互い手を握るのがやっとだし、ここで11歳の少年と恋仲にあると言えば、リインは航空隊のみんなや他の局員たちからどう思われるだろうか。

 そう思い、この場をしのぐための言葉を探していると、神妙な顔でそれを聞いていたシグナムがぽつりと言った。

 

「他の者たちと変わらんさ」

「えっ……?」

 

 その一言に女性隊員の一人は声を漏らし、ヴァイスを含めた他の隊員も彼女の方を見る。

 シグナムは続けた。

 

「こういう仕事では、上官と部下の連携が取れないと業務に支障をきたすことも多いからな。場合によっては相手に命を預ける事もままある。それを考えれば、平時からお互い仲を深めておくに越したことはない。さっき話題に出ていたハラオウン執務官とリミエッタ補佐も似たような関係だと聞いているぞ」

「へえ……」

「言われて見ればそうですね……」

「ああ。仲が悪い奴に自分の命なんて預けられませんからね」

 

 感嘆の声を漏らす女性たちに続いて、ヴァイスも首肯する。

 そこでシグナムはちらりとこちらを見て、唇を吊り上げて言った。

 

「まあ、相手の方には下心があるかもしれないがな。年齢以上にませていて、胸の大きい女が好きらしい」

「やだあ♪」

「やっぱりそうなんじゃないですか!」

 

 それを聞いて女性陣は笑ったり胸をかばう仕草をしたりする。そんな彼女たちを男性陣は居づらそうに食事を口に運んでいた。

 そんな中ヴァイスは、

 

「巨乳好きねぇ……そいつとは仲良くなれるかもしれないな」

 

 とつぶやいていた。

 

 

 

 

 

【昼 リインside】

 

「はい健斗君。家で作ってきたレバーだよ♪ いつも通りいっぱい食べてね♡」

「あ……ああ、ありがとう」

 

 レバーがたっぷり入ったパックを差し出すすずかに、私は礼を言いながら箸でレバーを掴み取る。

 その反対側からも――

 

「健斗君、私のお弁当も取ってええよ♪ いつも通り食べてくれるやろ♡」

「う……うん。もちろんだよ」

 

 主からもそう言われ、私はレバーを口に含みながらどの具を取るか品定めする。

 なるほど。これが複数の女子に迫られている男子の気持ちか。ここで主やすずかの好意を跳ねのけるのは私でも難しい。私に好意を持ち続けながらも、健斗が彼女らとの関係を断ちきれないわけだ。

 

(やっぱりちょっとおかしいな。健斗君やったらこれくらいもう慣れてるはずやけど……もしかして()()()……)

 

 主はやては急に押し黙り、すずかのレバーを食べている私をじっと見る。そんな主を見てすずかは首をかしげていた。

 

 

 

 

 

「ねえ、なんか今日の健斗君とはやてちゃん様子がおかしくない?」

 

 少し離れたベンチで、健斗たちを眺めながらそう言ったなのはに、アリサたちもそちらを見ながら。

 

「そう? はやてはともかく、健斗はいつも通り優柔不断なままだけど。我ながらよく付き合ってるものだわ。いい加減他に食べられる場所探そうかしら」

「でも何回もそう言いながら、結局ここで一緒に食べるんだよね。やっぱり健斗たちが心配?」

「そ、そんなんじゃないわよ! 他の場所もごみごみしてうるさいし、仕方なくここに来てるだけ!」

 

 フェイトに指摘されて、アリサは顔を真っ赤にしながら言い訳する。

 それをよそに雄一は口を開いた。

 

「でも、確かに今日の健斗は変だな。自分から話題を振ってこないし、自分の席も忘れるし……ああ、そうだ! もう一つおかしなところがあった」

「何よ、おかしなところって?」

 

 思い出したように声を上げる雄一にアリサは尋ねる。それに雄一はとっくに完食した弁当箱を閉じながら、

 

「いやな、今日トイレに行った時に、ちょうどあいつもトイレに来てよ、『お前も小便か?』って声をかけたんだ。だが健斗の奴、『ああ』とだけ言って、こっちを見ないようにしながら個室に入っていったんだ。小便だと答えておいてだぜ。そんで本当にすぐに出てくるしよ。あの時の健斗はまるで女子みたいだったぜ。なっ、おかしな話だろう」

 

 そこまで言って雄一は同意を求めるように、アリサたちに目を向ける。しかしなのはとフェイトは箸を持ったまま非難めいた目で雄一を睨み、アリサにいたっては顔を赤くしながら肩を震わせて……

 

食事中にそんな話すんな!! この馬鹿あああああ!!!

 

 屋上中に響く大声で叫びながら、アリサは渾身の力を込めて雄一のみぞおちを殴りつけた。

 健斗たちもそれに気付き何があったか尋ねるものの、アリサもなのはたちもそれに答えることはなく、泡を吹いて倒れ保健室に運ばれていった雄一がその時のことを語ることはなかった。

 

 

 

 

 

【夕方 健斗side】

 

「ただいまー!」

「ただいま戻りました」

 

 仕事を終え、シグナムとともに朝とは逆に本局から八神家の二階に出る。いつもの癖で帰宅を告げる俺とシグナムの声を聞いてヴィータが階下から上がって来た。

 

「おかえり。っつか、アインスはまた気の抜けた挨拶だな。健斗が来たかと思ったじゃねえか。やっぱあいつに毒されてるんじゃねえか?」

 

 その言葉にしまったと思い、言い訳しようとしたところではやても二階に上がって来た。

 

「おかえりー! 二人とも早かったなー! シャマルは遅くなるって連絡きたから、先にお風呂済ませよ。ヴィータとシグナムから入ってええよ」

「はい。それではお言葉に甘えさせていただきます」

「ふーん、今日はアインスとか。のぼせない程度にしとけよ」

 

 シグナムはうなずき、ヴィータは意味ありげに俺を見ながらも風呂場に向かう。

 どういう意味だと疑問を抱く俺の肩に手を置いて、はやては言った。

 

「リインは私と一緒に夕食作り手伝って。その代わり後で()()()()()体洗ってあげるから♪」

「えっ――?」

 

 久しぶりという言葉に俺は思わず聞き返そうとするものの、はやては俺の手を引っ張りながら台所へ連れて行く。

 そうして俺は二年ぶりに彼女と夕食を作ることになった。そしてその後は……。

 

 

 

 

 

【夕方 リインside】

 

 学校から帰宅した私を待っていたのは、エプロンをつけた美沙斗さんと、大量の食材や調理器具が散乱した台所だった。それを見て私は思わず尋ねる。

 

「みさ――母さん、これは一体?」

 

 それに対して、美沙斗さんは気まずそうに視線を宙にそらしながら言った。

 

「今日は非番で、一日中時間が余っていたからな。久しぶりに腕を振るってみた……振るってはみたんだがな……」

「失敗したんだね」

 

 私が言うと美沙斗さんは力なくこくりとうなずく。主はやてや健斗から聞いてたし実際朝に見ていたが、本当に料理が苦手なんだな。シャマルでもここまではいかない。

 

「花嫁修業のために幼い頃から家事は一通り仕込まれたんだがな、静馬(しずま)さん*1のためだと頑張っても料理だけは全然上達しなかった。健斗を引き取ってから少しはましになったと思ったが、あの子に任せているうちにまた腕が落ちてしまったらしい。二人の子を持つというのに情けない話だ」

 

 そう言って美沙斗さんは腰に手を当てて苦笑する。剣士だけあって刃物の扱いには慣れているらしく、料理に失敗しても彼女の手には切り傷一つない。

 そんな彼女を見て私の口からも笑みがこぼれた。

 

「一度上達したんならまた上手くなるさ。とりあえず今日の夕食はいつもどおり俺が作るよ。俺もあんまりうまくないけど、簡単なものならすぐにできる」

 

 そう言うと美沙斗さんは肩をすくめながら。

 

「仕方ないな。では私は風呂を沸かしてくる。君としても健斗に会う前に綺麗にしておきたいところだろう」

「えっ――!?」

 

 美沙斗さんの口からこぼれた言葉に私は思わず声を上げながら彼女を見る。美沙斗さんは不敵な笑みを向けながら、

 

「甘く見るな。これでもあの子(健斗)の母親だ。朝の時点でもしやと思っていた。まあ、将来“娘になるかもしれない子”との家事もなかなか楽しいものだったよ。……そうだ。君がよければ夕食の後の風呂は私と一緒に入らないか。異性の体に慣れていないようだし私が洗ってやろう」

 

 そう言われて私は顔を真っ赤にする。それを満足げに眺めながら美沙斗さんは浴室に向かって行った。

 

 

 

 

 

 

 翌日の早朝、俺とリインは目を覚ましてすぐ転送ポートで本局に向かい、件のロストロギアで元の体に戻してもらった。

 俺もリインもお互い色々あったらしく、入れ替わった日の事は詮索せず、必要な情報の交換のみに留めた。

 報告を求めるレティさんや興味深そうに聞き耳を立てているマリエルさんには黙秘を貫かせてもらったが。

*1
美沙斗の亡き夫で美由希の実父



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間話8 真一郎の修行

 海鳴市の郊外にひっそりとたたずむ洋風の屋敷の庭の真ん中で、小柄な青年が一人あぐらを組んでいた。

 

 相手に言われたとおり、芝生の上に座り込み目を閉じながら青年は思う。

 

(魔法だかなんだか知らないけど……早く身についてくれないかな)

 

 退屈なあまり、そんな考えが脳裏をかすめると同時に――

 

「――渇!!」

「いてええ――!!」

 

 肩から斜め下にかけてビシッと快音が響き、激痛が彼を襲う。

 

「なにするんですか!? ヴィクターさん!」

 

 尻餅をつきながらも後ろを振り向き文句をあげる青年に、長い白髪の少年()()()()()()は平たい形の棒をピシピシ手に当てながら言葉を返してきた。

 

「集中が途切れておるからじゃ。おおかた、はよ終わらんかとでも考えとったんじゃろう。そんな調子で魔力を操れるようになると思うか、たわけ」

「ぐっ……わかってますよ。でも四時間以上も座らされるとさすがに――」

 

 図星を浮かべながらも青年は果敢に言い返す。だが、ヴィクターが修行棒を何度か手を当てて快音を響かせた途端、思わず口をつぐんだ。

 そんな彼に救いの声がかかった。

 

「私の婚約者をあまりいじめないでもらえるかしら。万が一の事があったら、“おじいさま”といえども承知しないわよ」

 

 凜とした女の声に二人は振り返る。そこからウェーブがかった桃色の髪を下ろした美女が、こちらに向かって歩いてきていた。

 ヴィクターとまったく同じ色の、青い瞳の彼女を見て――

 

「――さくら!」

「むっ……」

 

 さくらという女を見て青年は顔をほころばせ、ヴィクターはばつが悪そうに修行棒を下ろす。

 

「もうお昼よ、そろそろ休憩にしましょう。あちらでお茶とサンドイッチを用意させてますから」

 

 さくらはそう言って、庭の片隅に設けてられている東屋を示す。そこでは長いエプロンドレスを着たメイドがサンドイッチと紅茶を並べているところだった。

 それを見てヴィクターも「ふむ」と零しながら口を開く。

 

「もうそんな時間か……仕方ない、ゆくぞ真一郎(しんいちろう)。そろそろ腹ごしらえとしよう。腹が空いたままでは覚えられるものも覚えられんからの」

「は、はい! ……ありがとう、さくら」

 

 あわててヴィクターを追いながら、青年は恋人(さくら)に礼を述べる。さくらは苦笑交じりの笑みでそれに応え、ヴィクターは不機嫌そうに「早く参れ」と真一郎を急かした。

 

 

 

 青年の名は相川 真一郎(あいかわ しんいちろう)

 綺堂(きどう)さくらにとってはかけがえのない恋人であり、ヴィクターにとっては大切な孫娘の純潔を奪った男である。

 

 

 

 

 

 

 

「――あれ? この甘さ、もしかして……」

 

 サンドイッチを口に含んで開口一番にそう告げる真一郎に、さくらは笑みを浮かべながら答える。

 

「ふふ、先輩――真一郎さんに教わったとおり蜂蜜も入れてみたんです。卵だけだと味気ないと思って」

「ほう、お主が教えたのか。見た目だけでなく特技まで女子(おなご)っぽいの……本当に女子(おなご)じゃったらよかったんじゃが」

「……料理の得意不得意に男女なんて関係ありませんよ。男の料理人だっているじゃないですか」

 

 ヴィクターにコンプレックス(女っぽいところ)を突かれ、むっとしながら真一郎は言い返す。それに答えず、ヴィクターはサンドイッチを口に放り込んだ。

 

「しかしうまくいかんのー。リンカーコアの生成はうまくいったようじゃから、わずかなり素養はあるはずじゃが……」

「修行方法に問題があるんじゃない。一刻も早く魔法が使えるようになってもらわなければ困るわけでもないんだし、もう少しゆっくり教えた方がいいんじゃないかしら――」

「そんな悠長なことしていられるか。こやつにさっさと魔法を覚えてもらわんと、健斗を誘って街の散策にも行けん。それにさくら、これはお主のためにやっておるんじゃぞ。

 儂やさくらと違い、こやつ……真一郎はただの人間じゃ。このままじゃとそう遠くない先、真一郎だけがどんどん年老いて、真一郎とさくらは親子……やがては祖父と孫にしか見えなくなる。じゃが、自身の身体を操作する魔法だけでも扱えるようになれば、儂のように若い姿を保つぐらいは出来るかもしれん。うまくいけば寿命自体も50年か100年くらいは延ばせるかもしれんの」

 

 そう言われるとさくらも真一郎も何も言えない。

 

 

 

 さくらとヴィクターをはじめ、多くの《夜の一族》は高い身体能力を持ち、人間にはできない様々な能力を行使することができる。

 その代わり、《一族》が能力を行使するためには、人間から多少の血液を吸い取る必要がある。

 

 そして寿命もまた、人間よりも《夜の一族》の方がはるかに長い。どんなに健康に気をつけたとしても、真一郎がさくらよりも早く老い、早く死ぬのは自明の理なのだ。

 しかし、身体の中身や外見を操作する魔法が使えるようになれば、外見だけでも若い姿を保てるうえに、寿命も延びる望みがある。

 だから真一郎も《身体操作魔法》が使えるように、休日の時間を使ってヴィクターから教えを受けていると言うわけだ。

 修行方法には大いに疑問があるが……。

 

 

 

「おじいさまの時はどのようにして魔法を覚えたんです? おばあさまから習ったとうかがいましたが」

 

 さくらの問いに、ヴィクターは茶を啜ってからうなずいた。

 

「儂の時は特に苦労はなかったの。リンカーコアができてすぐに様々な魔法を使えるようになったから、アリエルの方が驚いてたわい」

「そ、そうですか……」

「……アリエルさんって、さくらのおばあさんでしたよね? 人間だったって聞いてますけど、どんな人だったんです?」

 

 真一郎の問いに、さくらも耳をそばだてる。

 そんな中、ヴィクターは再び紅茶を一口含んでから口を開いた。

 

「使用人の身でありながら、儂ら一族に対してもはっきり物を言う女子(おなご)じゃった。昔……ベルカにいた頃は物静かじゃったらしいがの。弟、ケントの死をきっかけに改めたらしい」

「……そうだったんですか。もしかして、アリエルさんがベルカってところを離れたのも、弟さんが亡くなった事と関係が?」

 

 重い話に戸惑いながらも、再び問いかけた真一郎にヴィクターは軽くうなずき。

 

「うむ。弟の死に責任を感じた事と、弟を殺めた“聖王”に従う気になれなかったらしくてな。『聖王連合』がミッドチルダという世界への移住の準備を進める中、アリエルはただ一人、ひっそりと別の世界へ転移したらしい。リヴォルタから戻ってきた守護騎士たちの土産話で聞いた――この『地球』への」

 

 ヴィクターの話に、真一郎は「はあ」と曖昧な相槌を返すしかできなかった。

 学生時代の経験から不思議な存在や出来事には慣れたつもりだが、まさか異世界や魔法に関わる日が来ようとは。

 しかも、自分がさくらの祖父、ヴィクターに認められるには『魔法使い』にならなければならないらしい。自分が勤めている会社に手を回して、休日を増やしてくれたのは感謝しているが。

 

(しかし、こんなお坊さんみたいな修行続けてても、魔法なんて使えるのか? ヴィクターさんさえ効果があるかわからないみたいだし、俺はあと何回あの棒で叩かれる羽目になるんだ……んっ?)

 

 そこでふと頭の中で電球が光ったような気がして、真一郎は声を上げた。

 

「――そうだ。さっきヴィクターさんが言ってた、健斗君に来てもらえばいいんじゃないんですか? ケントっていうアリエルさんの弟と関係ある子なんでしょう?」

「あっ……そうよ。健斗君なら魔法の使い方を知ってるかもしれないわ。さっきも彼と遊びたがってたくらいだし、ここに連れてくるぐらいいいでしょう?」

「――ちっ、気付きおったか」

 

 真一郎とさくらの提案に、ヴィクターは思わず舌打ちを漏らす。それを聞いて、さくらはじとりとした目を祖父に向けた。

 

「おじいさま……まさか最初からわかっていたのかしら? それが一番早い方法だって」

「な、何を言っておる! 儂も今気付いた所じゃ! 決して毎晩さくらをいいようにしているこの(わっぱ)を痛め付けてやりたかったというわけではないぞ!」

「――ま、毎晩はしてませんよ!! ……発情期の時でなければ

 

 真一郎がぼそりと付け足した言葉を聞きながらも、ヴィクターは咎めず、ごほんと咳払いをした。

 

「ま、まあいい……では健斗には後日来てもらうとして、それまでの間に修行を進めるとしようか。お主もさっさと準備せい」

「ええ、まだやるんですか……」

「当たり前じゃ。俊が手がけているオールスなんとかの開園は二週間後じゃぞ。それまでには魔法の一つは使えるようになってもらいたいのじゃ」

 

 不満そうに訴える真一郎にヴィクターは憤然と言い放ち、元の場所へと戻っていく。

 がっくりと肩を落とす真一郎にさくらは微笑んで言った。

 

「ごめんなさい、おじいさまのわがままに付き合わせて。でも、おじいさまなりに真一郎さんの事を認めてくれているんだと思います。あの人が娯楽を我慢してつきっきりで人に教えるなんて、めったにない事ですから」

「はは、それはわかってるよ。なんだかんだで、あの人のおかげで土日はずっとここにいられるしさ……それに、若いままでいられる方法(魔法)があるなら、頑張って使えるようになりたい。将来、俺がおじいさんになってもさくらだけ若いままなんて、かわいそうだしさ」

「先輩……」

 

 真一郎の言葉にさくらはおもわず彼を学生時代の呼び名で呼び、わずかに口を開きながら顔を近づけてくる。真一郎も彼女の方に顔を……

 

「――ええい、何しとる!! 続きをするからさっさとこっちにこんかい!!」

 

 ヴィクターの大声が響き、真一郎とさくらは慌てて顔を離し、彼の方を見る。

 キスしかけていたのは見られていたようで、ヴィクターは不機嫌そうに肩を振るわせていた。

 ヴィクターはさくらに顔を向けて――

 

《さくら、お主はしばらく外に出ておれ。この阿呆の気が散って修行にならんわ》

《……私も出かけようと思っていたから別に構わないけど、くれぐれも怪我はさせないでね。さっきも言ったけど、もしもの時はおじいさまでも許しません》

 

 脳裏で二人はそんな会話を交わす。

 これは《テレパシー》と呼ばれる術で、《念話》や《思念通話》のような魔法同様、()()()()()()()()()普通の人間には聞き取ることができない。

 しかし……

 

「まあまあ二人とも。俺なら大丈夫。ちゃんと修業するから、さくらは気兼ねなく遊びに行っておいで」

「えっ……?」

「……なぬ?」

 

 さも二人の会話が聞こえていたかのように、真一郎は二人の間に割って入り、実の祖父に火花を飛ばすさくらをなだめる。それを見てさくらとヴィクターは怪訝な声を漏らし、

 

「先輩、もしかして……」

「聞こえておったのか、今のテレパシーが?」

「え……そういえば二人とも、今口を開かずにしゃべってましたね。あれってテレパシーだったのか……あれ、でもなんでそれが俺に聞こえてたんだ?」

 

 真一郎は一歩遅れて今の現象に気付き、一人頭を悩ませる。それを見てさくらとヴィクターはほうと息をついた。

 

「おじいさま、これは……」

「うむ、やはり素養はあったようじゃな。これなら近いうちに身体操作ぐらいの魔法は使えるようになるかもしれん」

「本当ですか!? それなら俺も、ずっと若い姿でさくらと一緒に――」

 

 その時の事を想像して、真一郎は期待を隠しきれないように胸を弾ませる。

 しかし、そこでヴィクターは例の修行棒を鳴らし、いじわるな笑みを浮かべた。

 

「そのためには一刻も早く、魔力を引き出せるようにならねばいかんの~。ようやくとっかかりを掴めたことじゃし、午後からはもう少し厳しくいこうかの」

「えっ……さっきまでより厳しく……」

 

 呆然とつぶやく真一郎に、ヴィクターはニカリとした笑みとうなずきを返す。

 真一郎は思わずさくらの方を見るが……

 

「わ、私はそろそろ出かける準備をしないと……じゃあ真一郎さん、頑張ってね。おじいさまもできるだけ加減してあげて」

「ちょ、ちょっとさくら――」

「うむ。儂らの事は気にせず行ってくるがよい」

 

 真一郎の訴えにも耳を貸さず、さくらはいそいそと屋敷に戻る。

 しかしその直後、さくらは真一郎の方を振り返り、同時に彼女の声が()()()届いてきた。

 

《ごめんなさい、おじいさまがああなると誰にも止められないわ……帰ったらまたお夕飯をご馳走しますから、今は頑張って。……それに、私も真一郎さんが長生きできるようになってほしいから》

 

 そう伝えて、さくらはこの場を後にする。

 そんな彼女に助けてなどと言えるはずもなく、真一郎はため息をつきながら後ろを振り返った。

 そこには不機嫌そうな様子に戻ったヴィクターの姿が。

 

「別れは済ませたようじゃの……では修行再会じゃ。その場に腰を付けい!」

「……お願いします」

 

 

 

 かくして、ここにもう一人未来の魔導師が生まれた。

 もっともそれが彼自身やさくらの他にどのような影響を及ぼすことになるのか、今は誰にもわからないが。



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第2章 Reflection/Detonation編
プロローグ 死にかけた星から


無印編との整合を取るためにサブタイトルを第1話にしようか迷ったのですが、今話は状況説明だけで物語が進まないのでプロローグということにしました。


 この世界には、何でも願い事を叶えてくれる『不思議な指輪』もなければ、泣いてる女の子を助けてくれる『魔法使い』もいない。

 そんなものがあったら“この星”は死にかけていたりはしないし、大切なものを失うこともなかった。

 

 だから私は自分で行動を起こす事にした。

 たとえどんな事をしてでも――!

 

 

 

 

 

 EC4280 『惑星エルトリア』

 

 

「DSVCコンバート……GMF起動――」

 

 とうの昔から朽ち果てている教会の中で、奇妙な模様が描かれた石板を見ながら、赤と黒の入り交じったドレスのような服を着た少女が円状の装置の上で何事かをつぶやき続ける。ドレスと同じ赤い髪を右側に束ねた、整った容姿の少女だ。

 そんな彼女の後ろからギギギと内側に開く扉の音と、その直後に響く足音、そして――。

 

「イリス、お待たせ!」

 

 すっかり聞き慣れたその声を聞いて、イリスという赤毛の少女は後ろを振り向く。

 そこには長い桃色の髪と瞳の少女が立っていた。癖のある波打った髪からは髪の毛が一本だけぴょこんと跳ねている。

 彼女を見てイリスもその名を呼ぶ。

 

「キリエ……」

「準備はどう?」

「できてるけど……お姉さんとママさんはどうしたの?」

 

 イリスの問いに、キリエは彼女に近づきながら言う。

 

「アミタはしばらく動けないようにしてきたわ。ママもうまくごまかしてきた。そんなことはいいでしょう! それより、本当にもう“向こう”に行く準備はできてる?」

 

 再度問いかけてくるキリエにイリスは首を縦に揺らす。

 

「うん……でもキリエ、本当にいいの? 危険な旅なのよ」

 

 イリスは心配そうに言葉を投げかけるものの、キリエは平気そうな笑みを向けながら。

 

「平気。イリスも一緒に来てくれるんだし、怖い事なんてなんにも!」

 

 ないと続ける代わりに胸を張る相棒に、イリスは仕方なさそうな笑みを向けて、すぐ脇にある瓦礫の上に置かれた青い板を指して言った。

 

「それ、持ってて……向こうでの私の本体」

 

 本体という言葉にキリエは疑問を持たず、「うん」と答えながら板を拾い上げる。

 それを見ながらイリスはさらに声をかけた。

 

「向こうは空気も違うから、適合調整もしっかりね」

「うん!」

 

 キリエが答えるとイリスの姿が搔き消える。だが、キリエは動じることなく、板を手にしながら円状の装置の上に立った。

 するとキリエが立つ装置にいくつもの円で構成される文様が浮かび上がる。それは昔話に出てくるような、あるいは遠い世界で《魔法陣》と呼ばれるものによく似ていた。

 それと同時に足元から桃色の光が立ち昇り、キリエと彼女が持つ石板型の《端末》を包み込む。

 その端末の中からイリスが言った。

 

「じゃあ行こう。この星とキリエのパパを助ける旅――」

 

 その言葉にキリエはきっと表情を引き締めて真上を見上げる。天井はとっくに崩れ、そこからは毒雨しか降らせてくれない暗雲が見えていた。

 

「うん。どんな苦難が待っていようと――必ずここに《永遠結晶》を持ち帰る!」

 

 イリス、そして死にかけている“この星”に向かって言った途端、キリエたちを包む光は暗雲の向こうへ立ち昇り、はるか向こうの世界へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 キリエとイリスの旅立ちから少し時はさかのぼる……。

 

 

 

 7月20日 

 第97管理外世界『地球』・海鳴市 

 『HOBBY TESTAROSSA(ホビー テスタロッサ)

 

 

『こちらが一ヶ月前に海鳴市近海の海底から発見された巨大鉱石です。海洋学者、和泉隆征(いずみ たかゆき)博士をはじめとする専門家の調査では、巨大鉱石は海底の地面や周囲の岩とは違う成分で構成されている可能性が高く、学会は発見元であるバニングス建設の現地責任者であるデビッド・バニングス氏に、鉱石の譲渡と分析の許可を求めているところとのことです。これに関してバニングス氏は――』

 

「巨大鉱石ね。デビッドさんも『オールストン・シー』の建設中にとんでもないものを見つけてきたもんだ」

 

 テレビに映る、煌びやかな光沢を放つ巨大鉱石とその前で鉱石を示しながら報告を続けるリポーターを眺めながら、俺は口を開く。それに対して……

 

「本当ですね。でもそのおかげで“社会科見学”とは言えそうです。自由研究とはいえ、さすがに遊園地に行くだけではどうかと思いますし」

 

 俺の向こう側に座っているリニスもそう言って、冷たい麦茶を口に含んでふうと息をつく。薄茶色の髪の上には専用の帽子を乗せたままだ。

 

「自由研究なんてそんなもんだろう。難しそうなテーマを嫌々やるんじゃ“自由に研究させる”意味がない。それに、もっといい加減な自由研究なんて色々あるぞ。例えば趣味で見た映画の感想文とか、飼ってるペットの様子を生体観測と表して提出したり――」

 

 俺は過去に他の生徒たちが出した、明らかに手抜きと思われる自由研究をいくつか挙げる。

 

 聖祥の生徒は生活環境こそややばらつきがあるが、名門校の性質上総じて成績に秀でた生徒が多い。彼ら彼女らは常日頃授業をしっかり聞き、毎日のように出される宿題もしっかりしてくる。夏休みの宿題とて例外ではない。

 だがその反面、自由研究のような縛りがない課題までまじめに取り組んでくる生徒は思いのほか少ない。普段学業で多くの時間を費やしている分、自由研究なんか適当に済ませて束の間の休みを満喫したり、その時間を2学期の予習や遅れを取り戻すための復習にあてる生徒が多いからだ。教師たちもそれを知っているのか、自由研究の中身をとやかく詮索したりはしない。かくいう俺もプログラミングの勉強の片手間に、即興で組んだ目覚まし時計のプログラムをそのまま提出した覚えがある。

 

 それを聞いて、生真面目なリニスは嘆かわしいと言いたげに反論した。

 

「それでも学校に提出する以上、ある程度はまじめなものでなければいけません。フェイトが遊園地で遊んだ事を自由研究にするような子だと思われたら――」

 

 その時のことを想像したのかリニスは片手で頭を抱える。そんな彼女に俺はとりなすように言った。

 

「まあ大目に見てやれよ。フェイトにとって初めての遊園地だろう。アリシアも遊園地みたいなところに連れて行ってもらったことはないみたいだし」

「確かに……それもそうです」

 

 リニスはつぶやいて、負けを認めたようにため息をつく。口ではあれこれ言いつつ、あの二人に初めて行く遊園地を楽しんでほしいとも思っているんだろう。

 リニスは茶を一口飲んで。

 

「ところで、つい最近まで新装備のテストをしていたそうですが、どうでしたか? 管理局とカレドヴルフ社の共同で開発している《電磁武装》とのことですけど」

 

 その問いに俺は本局でテストをした時のことを思い出しながら、

 

「物理に重きを置いただけあってすさまじい出力だったな。《アンチ・マギリング・フィールド(AMF)》の中でもかなりの力が出せた。もっとも、魔力的にも物理的にもかなり重かったけどな。俺たちにも持てるような仕組みにしてあるらしいが、今までのデバイスに比べたらやはりな。今のところ、まともに扱えるのは俺とはやて……後はなのはぐらいらしい」

「あなたとははやてさん、そしてなのはさんだけですか……」

 

 リニスは顔をこわばらせながら俺が言ったことを繰り返す。まあ今はまだテスターが十分に集まっていないだけだ。俺たち以外にも新装備を扱える者は出てくるに違いない。フェイトだって十分新武装を使う事ができるはずだが……。

 

「後の問題は、今までの《純魔力武器》に比べて非殺傷設定が効きにくい事だな。物理的にダメージを与えるから、相手にある程度の負傷を負わせるのは避けられない。少なくとも現段階では模擬戦で使えるものじゃないな」

「そうでなければ模擬戦で使う気だったんですか……。まあそれは置いておくとして、法的な問題は大丈夫なんですか? フェイトは新装備が《質量兵器》に該当するかもしれないって懸念しているみたいですけど」

 

 執務官になったばかりの教え子の名を出しながら、自らも不安そうにリニスは尋ねてくる。

 

 《質量兵器》とは“魔力を使用しない純粋な物理兵器”で、管理世界で使用されている魔力武装とは大きく異なる。

 それらは使い方さえ覚えれば誰でも利用でき、都市や世界を滅ぼせるような兵器もある事から、管理局は創設して間もなく、ロストロギアとともに質量兵器の製造・使用を禁止し、魔導師たちが使っているデバイスや魔導砲などを主武装として取り入れたという。

 古代ベルカに存在した《聖王のゆりかご》、地球で使われている銃火器や核兵器も、管理局から見れば“質量兵器”にあたるだろう。そして今回開発されている《電磁武装》も見方によっては……。

 

「確かにそう指摘する人もいるらしい。だがAMFの発生機材はどんどん小型化し、それを狙ったり自ら開発しようとする犯罪者も現れ始めている。もしAMFを発生させることができる敵が現れた場合、今までと同じ魔力頼りの戦い方じゃ痛い目を見るかもしれん」

 

 フッケバインたちのような例もあるしな。

 口に出さず心の中だけでそう付け足す。

 

 

 

 《魔導封じ》と呼ばれていた、一切の魔法が通用しない体と『ディバイダー』という強力な武器を持つ者たち。前世と現世をひっくるめても、あいつら以上に恐ろしい敵を俺は知らない。

 なにしろ上述のように、あいつらには()()()()()()が効かなかったからな。特に一味の首領だったカリナ・フッケバインは魔法が効かず、そのうえ《硬化能力》まで持っていて刃で斬ることもできなかった。俺自身が『エクリプス因子』を得ることなく、あるいは闇の書の意思(リインフォース)の助けがなかったらどうなっていた事か。

 

 考えてみれば、あいつらに関してはまったく解決せずに終わってしまったんだよな。

 守護騎士たちの話では一味のほとんどは肉塊になって死んだが、カリナとフォレストという参謀は逃亡したまま。あいつらに都市襲撃を命じた“雇い主”に関しても何一つわからないままだ。管理局に入局してからベルカの歴史書を読みあさった事があるが、リヴォルタ襲撃に関しては『ある傭兵団が乱心を起こした』としか書かれていない。

 さすがに本人たちはもう生きてはいないと思うが、もしかすれば……。

 

 

 

「“魔法が通じない敵”に対抗するため、ですか……確かに、ベルカ式なら武器をぶつけられるだけましですが、魔力を打ち出す方式が多いミッド式では死活問題ですね」

「ああ。そのために開発されたのが《電磁武装》というわけだ。やや物理に偏っているものの、攻撃に使うエネルギー弾などは魔力でできたものだし、それを見ればまだ質量兵器と呼べるほどのものではない……フェイトにもそう言ってるがな。まだ踏ん切りがつかないらしい」

 

 そう言って首を横に振ると、リニスもその様子が目に浮かぶらしく首を縦に揺らす。まああいつの場合、質量兵器がうんぬんよりも、非殺傷設定が効きにくい事が問題なのだろうが。

 そんなことを考えていると……

 

「店長代理、休憩入ります!」

 

 何人かのスタッフが休憩室に入って来てリニスにそう声をかける。彼女たちにリニスは「お疲れ様」と返事を返しながら、自らも気を取り直したように立ち上がった。

 

「さて健斗“君”、私たちはそろそろお仕事再開ですよ。くれぐれも仕事中は言葉遣いに気を付けてください。私は今、一応あなたの上司なんですから」

「……わかってますよ、リニス店長代理」

 

 リニス――もとい店長代理に俺はそう答えながら腰を上げる。

 

 俺は今、夏休みと局での任務がほとんど入っていない期間を利用して、“職場体験”という形で『ホビー・ テスタロッサ』というおもちゃ屋で働いている。

 今年度に入ってすぐフェイトが執務官資格を取った事と俺たちもある程度経験をこなしてきた事で、本格的な局の仕事を始める頃合いになってきたのだが、その前に局以外での仕事も経験してもう一度自分の進路を考えてみた方がいいとリンディさんやクロノに勧められて、俺は今年からプレシアさんが開いた『ホビー・ テスタロッサ』に、なのはとフェイトは高町夫妻が経営する『翠屋』に、それぞれ数日の間職場体験をすることになった。

 俺の方もなのはたちの方も問題らしい問題は起きていない。強いて言えば……

 

「ところで“店長”は? まだ帰ってきてないんですか?」

「そろそろ追い出される時間だと思うんですけど……それまでは私たちで乗り切りましょう」

 

 壁の上にかけた時計を見ながら仕方なさそうに言う店長代理に、俺は「ですね」とうなずく。

 

 フェイトの職場体験が始まって以来、プレシア店長は隙あらばアリシアともども翠屋に押しかけ、自分が経営している店の事も忘れて長時間娘が働いてる姿を眺めている状態だ。

 働いてる女の子をじっと見つめているその姿は傍から見たら怪しいことこの上なく、フェイトもやりづらそうにしているので、ある程度時間が経ったら業を煮やした桃子さんに追い出されるのが最近のお約束だ。

 それ以前も、フェイトやアリシアに何か起こりそうな気配がするたびに、プレシアさんは『娘☆命』の張り紙が貼られた人形を置いて姿をくらましているが。

 

「いっそプレシアさんを引きずり下ろして、リニスが店長になったらどうです。もうすでに“店長代理”なんて呼ばれてますし」

「……考えておきます。――さあ私たちも出ますよ。職場体験とはいえ甘やかしたりはしませんからね!」

 

 店長代理(リニス)にはいはいと答えながら俺も彼女に続く。その後ろでは休憩に入ったスタッフたちが席について、俺たちが見ていたニュースを眺めていた。

 

『巨大鉱石は8月までの間、『オールストン・シー』内にある水中水族館に展示される予定です。8月と言えば夏休み真っ盛り! お子様と一緒にオープンしたばかりの『オールストン・シー』に遊びに行くついでに、今しか見られないかもしれない巨大鉱石をご覧になられてはいかがでしょうか!』

 

 巨大鉱石を前に、リポーターは『オールストン・シー』の宣伝のような文句で締めくくる。そういえばこの番組のスポンサーも『オールストン・シー』の関連会社だったな。確かクオングループっていう……。

 

 

 

 

 『J・D事件』から二年。

 今世間を騒がせている巨大鉱石がきっかけになって起こる“新たな事件”の事など、この時の俺は知るよしもなかった。



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第1話 オールストン・シー

 海鳴市沿岸の海上に浮かぶ、人工島の上に建設された臨海テーマパーク――『オールストン・シー』。

 地上にはテーマパークのシンボルである《オールストン城》を中心に遊園地が広がっている他、その下にはいくつものパイプラインを張り巡らせた水中水族館が建てられてあり、水族館の一室には一ヶ月前に発見された10m近くの『巨大鉱石』が展示され、オールストン・シーの目玉として早くも注目を集めている。

 

 一週間後の8月1日にオープンを控えた本施設は、もうすでに建設をあらかた終えており、今日7月22日にオールストン・シーの建設と運営に携わった関係者たちに向けて特別公開されることになった。

 その関係者の中にはアリサやすずかの両親もおり、彼らの好意で俺たちも公開前のオールストン・シーに入れてもらえることになった。

 なお、俺たちの知り合いの中には関係者たちの中でも超VIPと呼べる人物がおり、()()()()()は彼の事を遅まきながら思い出すことになる。

 

 

 

 7月22日 9:38

 オールストン・シー 駐車場

 

 

「あいつら遅いな」

「仕方ない。四人揃ってくんれ――勉強していたらしいからな」

 

 がらがらに空いた駐車場でスマホの時計を見ながらぼやく雄一に、俺は言い間違えそうになりつつ答える。

 向こうでは、月村春菜(つきむら はるな)さんとジョディ・バニングスさんも同じようなやり取りをしていた。デビッド・バニングスさんは妻たちに背を向けながらきょろきょろ辺りを見回す。そこで――

 

「来たようですね」

 

 俺の母親――御神美沙斗(みかみ みさと)が口を開いた瞬間に、彼らは母さんの視線の先に目を向ける。そこで青い車と紫色の車が滑るように入り込んできて、俺たちの近くに停まった。

 先に停まった青い車の後部ドアが開くとともに、なのは、アリサ、すずか、フェイトが「おはようございます!」と言いながら車から飛び出してくる。

 それに続いて前方に座っていた桃子さんとリンディさんも車から出てきてジョディさんたちと言葉を交わす。

 そんな中隣に停まった紫色の車からも後ろからアリシアと七瀬が出てきて、運転席からプレシアさんもおりてくる。桃子さんやリンディさんと違い、慣れない様子で挨拶してくる彼女に声をかけたのは俺の母親だった。

 

「お久しぶりですテスタロッサさん。この前まで職場体験という形で息子がお世話になりまして」

「い、いえ、健斗君には私たちの方が助けてもらいました。タダ働きさせて申し訳ないくらいです」

「いいえ、息子にはいい経験になったでしょう。それに最後の日に玩具(ゲームソフト)を頂いたみたいですし、むしろもったいないぐらいです」

 

 かしこまるプレシアさんに母さんは首を横に振りながら笑いかける。それに対しプレシアさんは顔を赤くしながらうつむいた。その様子は照れた時のフェイトとほとんど同じリアクションで、やはり親子だなと思った。

 

 そんな事を思っている俺たちの近くに黒いリムジンが停まった。

 何事かとそちらを見る俺たちの中で、春菜さんとすずかはまさかというように目を見張る。あいつらも来たか……。

 俺たちが見守る中、前から出てきた運転手がきびきびした動きで後方へ行き、後ろのドアを開ける。

 そこから現れたのは――

 

「おお、みんな揃っておるようじゃの」

 

 運転手が開いたドアの向こうから、老人のような口調で声をかけてくる着物姿の少年()()()()()が出てきた。

 彼を見て春菜さんたちは何か言いかけるが慌てて口を閉ざし、代わりにアリサが言った。

 

「ヴィル! あんたも来てたの!?」

 

 それにヴィル――《夜の一族・総当主》ヴィクター・フォン・キルツシュタインは鷹揚にうなずき。

 

「うむ。俊たちの会社が建造に関わった遊戯場が出来たと聞いての。この女子(おなご)と一緒に来てみたのじゃ」

 

 そう言ってヴィルが体を傾けて後ろを示すと、そこから背の高い銀髪の美女が出てきた。彼女を見てなのはたちはあっと声を上げる。

 

「――アインス! どうしてあなたが?」

 

 驚くフェイトの問いかけにリインフォース・アインスは恥ずかしそうにしながら――

 

「私は主や他の皆(守護騎士)と違って予定がなかったから。気晴らしに散歩していたところで偶然彼と会って……」

「すずかや健斗たちの知り合いじゃと聞いての。ちょうどいいからここまで連れてきたんじゃ! ……そうじゃったよな?」

 

 確認するように尋ねるヴィルに、リインは「はい!」と言いながらコクコク二回うなずく。それを見てなのはたちは納得したように息をつく。そんな中ですずかは微妙に不服そうな顔を二人に、そして俺に向ける。

 彼女から目をそらしながら俺はヴィルに念を送った。

 

《サンキュー、ヴィル。彼女を送ってもらって》

《なに、元々ここに来る予定じゃったからの。もののついでじゃ。その代わり、すずかの相手もちゃんとしてやるのじゃぞ》

《……善処する》

 

 すずかの曽祖父に当たる彼からの要求に俺は曖昧な返事でお茶を濁す。

 そんな中、デビッドさんは気を取り直すように俺たちに向かって口を開いた。

 

「そ、それじゃあさっそく見て回ろうか! 広いから、ぐずぐずしてるとあまり見ることができなくなってしまうぞ!」

 

 それを聞いてなのはたちはそれぞれ、賛成と待ってましたの意味で顔を輝かせながらうなずいた。

 

 

 

 それから俺たちはゲートをくぐってオールストン・シーに入場し、園内を歩いてる所でスーツ姿のスタッフに呼び止められた。何事かと思いきや、彼らはヴィルに対して丁重に頭を下げ案内と歓待を申し出てきた。ヴィルは鷹揚な仕草で彼らをねぎらいながらも申し出をはねのけ、彼らに仕事に戻るように言い、そのまま追い返した。

 そのような出来事を目の当たりにして、俺たちは改めてヴィルがただの子供ではなく、デビッドさんたちや春菜さんを凌ぐ権力の持ち主である事を思い知らされた。

 

 

 

 

 

 

 その後、遊園地エリアの散策と稼働しているアトラクションで遊んだり、アスレチック・コーナーでシンクとナナミの競争を観戦しているうちに水中水族館が開くというアナウンスが流れ、デビッドさんの号令で水族館に向かうことになった。……ヴィルはいないか。

 

 雄一に続いて姿を消したヴィルがいないままなのを確認してから、俺は一計思いつき……。

 

《おいリイン……お前、魚や巨大鉱石なんかに興味あるか?》

 

 思念通話で問いかけると、リインは怪訝そうにこちらを見ながら首を横に振る。

 

《い、いえ。魚はテレビや動画で泳いでるところを見せてもらったことがありますし、鉱石なんかに興味は……》

 

 それを聞いて俺はニヤリとした笑みを浮かべる。それを見てリインもまさかという顔をした。

 

《なのはたちはあのまま水族館に向かわせて――俺たちはここで抜け出さないか?》

《――そ、それって!?》

 

 リインは目を見張りながら尋ねてくる。彼女に答えず俺はデビッドさんの方を向き、ぴんと伸ばした片手を向けた。それを見ただけでデビッドさんは俺の意図を察してくれたらしく、苦笑しながら首を縦に揺らす。

 俺はなのはたちが入り口を見ている隙をつき――

 

「――行くぞリイン!」

「あっ――」

 

 戸惑う彼女の腕を引っ張ってこの場を離れる。そして俺たちは初めてのデートに繰り出した。

 

 

 

 

 

「――あれっ!? 健斗君は? アインスさんもいない!」

 

 水族館に続く道を歩いてる途中で健斗の声がしないことに気付いて、なのはは後ろを振り向き、フェイトとアリサ、アリシアもきょろきょろ首を巡らせて二人を探し、すずかはしまったと言いかけて口を覆う。

 そんな子供たちにデビッドは……

 

「きっと水族館に興味がなくて、別の場所に行ったんじゃないかな。健斗君だけならともかくアインスさんも一緒だし、心配はいらないと思うよ」

 

 それを聞いてアリサたちは渋々納得するそぶりを見せる。そんな中で……

 

「どうしたの七瀬? 頭なんか抱えたりして」

「なんでもない。バカップルに呆れてるだけだから」

 

 首をかしげながら尋ねるアリシアに、七瀬はそう言って頭を横に振った。

 

 

 

 

 

 

「…………ふう。ここまでくればいいだろう」

 

 なのはたちから十分離れた所で俺はリインの手を離し、その場で荒い息をつく。

 リインも浅く息を吐きながら口を開いた。

 

「いきなり何をさせるんですか。こんな場所でいきなりいなくなったら、彼女たちが心配しますよ」

「デビッドさんにフォロー頼んだから大丈夫だよ。それより、いつまで敬語なんて使う気だ? 仕事以外の時は普通に話してくれって前から言ってるだろう。こんな子供に敬語なんて使ってたらそっちの方が変に思われるぞ」

「そうでし――そ、そうだったな……まだ慣れなくてつい。しかしいいのか? クロノたちからは、健斗が18歳になるまではいかがわしい事はするなと言われているはずだが……」

「一緒に遊園地回るだけでいかがわしいもあるかよ。それを言ったら、いつもエイミィさんと一緒にいるあの元チビだって同罪だ。あんなむっつりの事は忘れてこっちはオールストンを楽しもうぜ。まずは――おっ! アイス屋だ。ちょうど冷たいものが欲しかったんだ。行こうぜリイン、俺がおごってやる!」

「あっ、待って健斗! それぐらい私が――」

 

 

 

 

 

 アイス屋に向かって走る健斗と彼を追うリインフォース。そんな彼らをどこかから見ている者がいた。

 

(あの子がケントか……楽しそうに笑っちゃって。一度非業の死を遂げたとは思えないわね。……それに加えて、闇の書の管制ユニットまでいるのは厄介ね。あの子じゃとても手に負えない。どうにかしてあの二人を“彼女たち”から引き離さないと……)

 

 

 

 

 

「こうしてみんなでお茶するのも久しぶりですね」

「ほんとに。二年前の海水浴以来かしら。あの時は母親だけでお茶する空気じゃなかったけど。プレシアたちとの付き合いもその頃からだったわよね」

「ええ……あの頃から皆さん、特に桃子さんとご主人には娘たちともどもお世話になっています」

 

 春菜の一言にジョディが相槌を打ち、プレシアに話を向けた。彼女に対しプレシアは気恥ずかしそうに答える。

 

 子供たちが水族館を見学したりデートしたりしている頃、母親たちはオールストン城の屋上付近に設けられたテラスで話を弾ませていた。

 今の会話もその最中に出てきたものだ。

 

「プレシアもとうとう開業か。雇い主としては寂しい? それとも誇らしいかしら?」

 

 ジョディの問いに、桃子は「そうね」と言いながら紅茶を口に含み。

 

「一人前になってくれて嬉しい気持ちはあるんですけど、二年近く世話を焼きっぱなしだったから、いなくなってみると寂しい気持ちもありますね。それに向こうの店員さんに迷惑をかけている話を聞くと、もう少しうちで教育した方がいいんじゃないかと思ってもいます」

 

 そう言って桃子はからかうような笑みをプレシアに向ける。プレシアは思わず反論しかけるも、まったく言い返せないことに気付き、コーヒーを飲んで気持ちを静めた。

 そして彼女はぽつりとこぼす。

 

「確かに迷惑はかけていますね。リニスにもアリシアにもアルフにも……そしてフェイトにも」

 

 その言葉に他の皆も顔を曇らせる。特にテスタロッサ家の事情を知る桃子はなんとも言えない表情を浮かべていた。

 

「私はあの子たち……特にフェイトに対してずっとひどい仕打ちをしてきました。あの子に恨まれていてもおかしくないし、当然の報いだと思っています。でも、あの子は今でも私を母さんと呼んで、アリシアとも仲良くしてくれてる――だから余計に、今のままあの子に甘えていていいのかと思って……」

 

 そこまで言ってプレシアは涙をこぼし、嗚咽まで漏らす。

 そんな彼女の肩に手をかけたのは、一人の息子を持つ母親――美沙斗だった。

 プレシアは涙も拭かず彼女の方を見る。

 

「詳しい事情はわかりませんが、あなたが娘さんへの行いを悔やみ、反省する気持ちがあるのなら今はそれでいいと思います。負い目を感じすぎるあまり娘さんと距離を置くような真似をしたら、娘さんはあなたからの愛情が薄れたと思ってしまうかもしれない。そうなったら前と同じ繰り返しです。わかりますか?」

 

 問いかける美沙斗にプレシアは黙ったまま頷く。そこで、

 

「もっとも、私が偉そうに言える立場ではないんですけどね。私は母親としてはあなたよりひどい、最低の人間です」

「えっ……?」

 

 美沙斗の告白にプレシアは戸惑いの声を漏らす。そんな彼女に美沙斗は自嘲的な笑みを浮かべて言った。

 

「お恥ずかしい話ですが、私は昔夫と親族を失い、彼らの命を奪った犯人たちを追うために、夫との間に生まれたたった一人の娘を捨てたことがあります」

「娘? もしかしてその子は……」

 

 プレシアは、健斗が姉さんと呼んでいた美由希の事を思い出す。それを察して美沙斗は首を縦に振った。

 

「はい、兄の士郎と桃子さんの養子にしてもらっています。それからはずっと娘を兄たちに任せたまま、私は夫と親族の命を奪った犯人たちを追い続けていました。健斗に会うまでずっと……」

 

 美沙斗はそこで言葉を止め、ふうっと息を吐く。

 さっき言った通り、美沙斗はプレシアがフェイトに行ってきた事を詳しくは知らない。だが親として、子供を捨てること以上の悪行はないと思っている。

 プレシアは自分と違って娘を捨てていない。だから彼女はまだ自分よりはましなのだ。美沙斗は心からそう思っている。

 

「もっとも、健斗に対してもいい母親であるとは言えませんけどね。夫たちの仇を取ることを諦めきれず……今も日本と外国を行ったり来たりを繰り返しています。健斗の事もある程度鍛えたら兄たちに託すつもりでした」

 

 そう言って美沙斗はまた自虐的に笑う。そんな彼女にプレシアは何も言うことができなかった。

 娘を手前勝手に逆恨みした挙句、その体に鞭打って犯罪行動を行わせていた自分。

 娘を捨てて夫の仇討ちに走り、養子として引き取った息子の事もろくに見てやれない生活を続けている美沙斗。

 はたしてどちらの方が悪いのか、プレシアには判断ができなかった。

 

 冷たい沈黙が漂う中、次に口を開いたのは、プレシア同様二人の娘を持つ春菜だった。

 

「それなら私と夫も子供をほったらかしてばかりでしたね。忍が生まれた時にはすでに、夫も私も月村グループの要職に就いていて。家や忍の事は家政婦さんたちに任せて、私たち自身はろくに家に帰らず仕事ばかりしている日々を送っていました。そのうえある事が原因で忍と険悪になって、ほとんど話もしない日が続くようになってしまったんです。……そんな時でした。私たちの新しい子供――すずかが生まれたのは」

 

 すずかの名前が出て、皆は思い思いの反応をする。彼女の誕生が月村家に変化を与えたことを察したからだ。

 

「最初は私も夫もすずかに構って、逆に忍はすずかに構わずノエルとばかり遊んでいましたね。でも、すずかがいる日々にも慣れていくうちに、私たちはすずかの事も家政婦さんに任せて再び仕事に打ち込むようになりました。ですがある日、仕事から帰って来た時に、忍がノエルと一緒にすずかの面倒を見ている姿を見て思ったんです。10歳の子供が一生懸命妹のお世話をしているのに、親の私たちは何をしているんだろうって」

 

 生活が苦しくて夫婦二人が一日中働かなければならないのならわかる。しかし月村家にはすでに、家族四人が一生働かずに過ごしても余るくらいの資産がある。

 今以上の贅沢がしたいわけではない。後世に残るほどの偉業を成し遂げたいわけでもない。

 にもかかわらず幼い娘たちを放置してまで仕事に明け暮れるのは仕事熱心ではなく、“仕事中毒”としか言えないのではないか。

 春菜も俊も、妹の世話をする娘の姿を見て、初めてその事に気付いた。

 

「それからです。ある程度の仕事を社員に任せて、家にいた家政婦さんの数も減らして、子供たちとの時間を取るようになったのは。まあそれでも、会社を経営している以上、あまり家にいられる時間は取れないんですけど」

 

 そう言って春菜は苦笑いする。今の自分に迷いがないわけではない。だが春菜も俊も、あの頃よりは“いい親”だと言える。少なくとも美沙斗やプレシアは春菜を非難するつもりも資格もなかった。

 そして彼女も……。

 

「その点うちはまだまだですね。私も士郎さんもお店(翠屋)の切り盛りに忙しくて、今も子供たちに対して、年に何回か旅行に連れて行ってあげる事しかできていません。……特になのはには、小さい頃ずいぶんつらい思いをさせてしまいました」

 

 沈黙を破った桃子の言葉に一同は驚きを見せる。誰もがこの中では一番理想的な母親だと思っていたからだ。

 そんな彼女たちを見ながら、桃子は紅茶を口に運ぶ。そしてふうと息を吐き出してから言った。

 

「ご存知の方もいるかもしれませんが、私の夫は昔海外でボディーガードの仕事をしていて、最後の仕事の時に大きな怪我をして入院することになりました。その頃はお店を開いたばかりで休業するわけにはいかなくて、恭也と美由希にお店や士郎さんの看病を手伝ってもらっていました。幼いなのはを放っておいて……」

 

 最後の言葉に、その時のことを知る美沙斗以外の誰もがあっと口を開く。桃子は表情を消して続けた。

 

「そんな時に健斗君とはやてちゃんと公園で出会って、あの子たちと一緒に遊ぶうちになのはも元気を取り戻しましたが。でも、ふと考えてしまう時があるんです。そこまでして翠屋を守る意味はあったのかと」

 

 桃子は専門学校を卒業してすぐ国内外の洋菓子店で修業し、一流ホテルのチーフを勤めた事のあるほどの腕を持つパティシエール(菓子職人)だ。洋菓子関係をはじめ、ある程度の飲食店なら職に困ることはない。

 翠屋を開いた時にある程度の資金を借りたものの、貸主は銀行や善意で貸してくれた人たちばかりで、返済が滞っても借金取りが押しかけてきたり住処を奪われたりすることはなかったはずだ。万が一の時は、士郎がボディーガードの仕事で蓄えた貯金から出すという手もあった。そして、そのお金は今もほとんど手つかずのまま銀行に預けている。

 

 つまり、あの時翠屋を畳んだとしても、高町家が生活に困ることはないはずだった。それをわかっていて桃子は恭也と美由希の手を借り、なのはを家に置いたまま、翠屋を守る道を選んだのだ。

 

 無論、翠屋の存在に助けられている者も大勢いる。

 士郎のコーヒーや桃子のスイーツを楽しみにしている常連は何人もいるし、日々のしがらみを一時だけでも忘れられる憩いの場所として店を利用する客もいる。そして小遣い稼ぎや生活費の足しにするため、あるいは自らを高めるために、翠屋で働く店員たちがいる。プレシアもかつてその一人だった。

 

 だが、その店を守ることが家族のためになったかといえば、そう言い切ることはできないでいた。

 

「……ジョディさんはどうですか? アリサさんを育てるうえで何か悔やんでいることとか、ああすればよかったと思った事は……」

 

 リンディの問いにジョディはあごに手を乗せて「そうね」と言い、

 

「あたしとデビッドも春菜たちと似たようなものよ。仕事が忙しくて、アリサの世話を執事やメイドたちに任せてて。それにあの子、小さい時から頭がいいものだから、つい色々な勉強をさせたのよ。ただ、人に対する行いややっちゃいけない事には無頓着なまま育っちゃってね。すずかちゃんをいじめて、それが原因で他の子と大喧嘩したって聞いた時はまさかと思ったわ。……そんなわけで、うちも娘を正しく育てられたとは言えないわね」

 

 母親たちの口から出てくる育児に関する後悔や失敗。それらは子育てや家庭を作るということの難しさを表しているのかもしれない。世間でいい両親、理想的な父母と言われる彼女らやその夫らも、そのほとんどが何らかの失敗を犯しているのだから。

 この中で唯一静聴したままのリンディも例外ではない。

 

「そうですね。私も息子に関しては――あらっ?」

 

 リンディが口を開いた途端、彼女の懐にあるスマホから着信音が鳴る。また健斗のいたずらだろうかと眉を寄せるものの、その直後に春菜とジョディのスマホからも一斉に着信音が鳴り響く。彼女らはそれを手に取り、ある者はすぐに電話に出て、あるものは一言言ってその場を離れた。

 そして美沙斗の携帯からも……。

 

「――失礼」

 

 スマホが震えた途端、美沙斗もそれを手に取り桃子たちから離れる。

 相手は警視庁にいる知り合いからだった。

 

「はい。こちら御神――」

『御神さん。今どちらにいますか?』

 

 挨拶を省いた簡潔な質問と切羽詰まった様子から、美沙斗はなにかよからぬ事が起きたことを悟る。彼女も必要最低限の返答を返した。

 

「海鳴です。今日は非番で、家族や友人と一緒にオールストン・シーという場所にいるところで――」

『そうですか……お休みのところ申し訳ありませんが、今からこちらに来ていただけないでしょうか。県警と“あちら”からの許可は得ています』

「……何があったんですか?」

 

 不穏な響きに美沙斗はたまらず問いかける。相手はすぐに返事を返した。

 

『今、テレビでもニュースが流れているところなんですが、都内各地でトレーラーや工事車両など多数の重機が消失する事件が起きています。最初の現場が今日の夜明け前、爆発が起きた場所で……そのことも踏まえて、御神さんの力を借りたいと思っているんですが……どうでしょう、やはり難しいでしょうか?』

「いえ、大丈夫です。すぐそちらに向かいます。息子の事は一緒に来ている親戚にお願いしますので、お気になさらず……ええ、二時間以内にはそちらに到着します」

 

 口早に告げてから美沙斗は電話を切り、桃子たちの元に戻る。ちょうど春菜たちも電話を終えたところで、彼女らも自社の車両が何者かに盗まれたとの連絡を受けていた。

 さらにリンディも、東京臨時支局の支局長を務める息子クロノから同じ事件の報告を受けていて、彼によれば異世界渡航者の仕業の可能性があるとのことだった。

 美沙斗は彼女らに仕事に向かうことを告げ、健斗の事を桃子に頼んでから足早にこの場を後にする。

 もしかすれば健斗たちもこの事件に関わることになるかもしれないという予感を覚え、そうなってほしくないと強く思いながら。

 

 

 

 しかし、彼女の予感は残念ながら的中することになる。皮肉にも彼女自身が襲われた事がきっかけで……。



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第1.3話 アスレチック・コーナーにて

reflection/detonation編1話の序盤と中盤の間のエピソードになります。
健斗とリリカルキャラが“あるアニメ”のキャラたちと出会う話になります。途中から中の人ネタの話になりますので、そういうのが苦手な方はご注意ください。


 オールストン・シーの地上部分は、施設の表の顔である遊園地エリアが広がっており、動かせるアトラクションはまだ少ないものの、関係者とその家族によって所々で賑わいを見せていた。

 俺たちは母親たちと別れ、デビッドさんの引率のもと数少ないアトラクションに触れたり、クオン・テクニクスの新製品『エクストリームギア』を使ったスポーツの体験をしたり、体が空いているスタッフに取材して回ったりしていた。

 

 その道中、真一郎さんとさくらさんがデートしているところを見つけた途端、ヴィルは彼らを追い、そのまま俺たちからはぐれて行った。まあ見た目は俺たちと変わらなくても中身は300ぐらいだし、万が一のことがあってもスタッフが丁重に保護してくれるだろう。

 

 

 

 それからまたしばらくして、アスレチック・コーナーに目を向けてみると……

 

「シンクー! ナナミー! 二人とも頑張ってーー!!」

 

 ふと耳に届いてきた声に反応してそちらを見てみると、俺たちと同い年ぐらいの女の子がアスレチック場に向かって一生懸命声を張り上げていた。ツインテールに結んだ茶髪とぱっちりした緑目が特徴のかわいい外国人の女の子だ。

 彼女の視線を追ってみると、スポーツウェアを着た金髪の男子と黒髪の女の子が、無数に突き出たポールの上を跳ねるように飛びながら前へ進んでいた。

 下にマットが敷かれてあるとはいえ、目がくらむような高さに臆する様子もなく、二人は軽やかにジャンプを続ける。黒髪女子の方は時折バク転でポールに手をつきその反動で前へ跳び、金髪男子は必死にジャンプを繰り返しながら彼女に並び続けていた。

 ほどなくして二人はほぼ同時にポールエリアを抜け、休む暇なく急斜面の坂を駆け上げる。

 坂を駆け上がった先は、左右に揺れる巨大なボールが挑戦者の行く手をさえぎる一本道となっており、その先に白線が掛けられたゴールがあった。

 二人は全速力で駆けつつ、巧みに体をひねり、左右からくるボールを避けながらゴールを目指す。二人の速さは互角で同着もあり得るかと思った。

 だが、ゴールまであと30歩ほどといったところで、金髪男子の横に巨大ボールが飛んできて、彼は思わず後ろに避ける。その間に黒髪女子は最後のボールを潜り抜け、ゴールまでまっすぐ走る。金髪男子もその後に続くものの、時すでに遅く――。

 

GOOOOOOOL!!

 

 黒髪女子がゴールの白線を踏んだ瞬間、スピーカーから大音量が響き、彼女の到着と勝利を告げる。すると彼らの奮闘を見ていた観衆もワアアと歓声を上げた。

 そんな中、金髪男子は止まることなく彼女に遅れてゴールする。だがゴール地点に付いた瞬間、彼はその場に膝と両手をついて倒れ込んだ。

 歓声が沸く中、茶髪の女の子は肩を落とし残念そうな顔で金髪男子の方を見上げる。

 そんな時だった……。

 

「すごーい!!」

「――えっ!?」

 

 思わず声を上げたアリシアに、茶髪の女の子はそちらを振り向く。そして初めて、自分の近くで観戦していた俺たちの存在に気付いた。フェイトは慌ててアリシアを押さえて――

 

「ご、ごめんなさい、うるさかったよね。――アリシア、駄目だよ、いきなり騒いだりしちゃ!」

「だってあの二人、ほんとにすごかったんだもん! それに私だけじゃなくて、みんなだって騒いでるじゃん!」

 

 歓声を上げる観衆を示しながらアリシアはそう指摘する。するとフェイトもばつが悪そうに口をつぐんだ。

 フェイトがアリシアに注意したのは、アリシアが騒いだからだけじゃない。金髪男子が負けたのを見て、少女が落胆しているのがわかったからだ。

 だが、当の少女はぶんぶん片手を振って――

 

「ううん、気にしないで! その子の言う通りだから。……あなたたちも見てたの?」

「うん! 途中からだけど二人ともすごかった!」

 

 少女の問いにアリシアは強いうなずきと笑みを見せる。それにつられたのか、それとも二人を褒められたからか、少女はふふと笑った。……はて、この子の声、誰かに似てるような……。

 

「ベッキー、ただいま!」

 

 少女が笑顔を取り戻したところで、アスレチック場にいた金髪男子と黒髪女子が手を振りながらこちらに向かってくる。親戚なのか二人とも青い目をしている。

 ベッキーと呼ばれた少女は彼らの方を振り向き……

 

「あっ――シンク、ナナミ、二人ともお疲れ様!」

「お待たせー! 私たちの雄姿見てくれてた……ってあれ? この子たちは?」

 

 黒髪少女も大きく手を振りながらベッキーさんに応えるものの、俺たちを見て手の動きを緩めながら目を丸くする。そんな彼女にベッキーさんは言った。

 

「二人の競争を見ていた人たちだよ。たまたま私の近くにいたらしくて……」

「はじめまして、私アリシア! 二人ともすごい動きだった! 特に黒髪のお姉ちゃんなんてエクストリームギアもつけてないのに、プロの選手みたいだった!」

 

 ベッキーさんの横から出てきたアリシアは自己紹介しながら二人、特に黒髪少女を賞賛する。すると彼女は照れたように頭を掻いて。

 

「いやあ、これでもニンジャの末裔だからね! なんとかギアなんかに頼らなくてもあれくらいできるよ!」

 

 ナナミという黒髪女子はそんな冗談(多分)を言いながら、照れくさそうに頭をかく。

 一方、ナナミさんの声を聞いて俺はまたもや引っかかるものを覚えた。今度はなのはもそれを感じたらしく、じっと彼女を見る。

 それに気付かず、ナナミさんは頭から手を離して口を開いた。

 

「あたしは高槻 七海(たかつき ななみ)。ロンドンに住んでる中学一年で、この二人のお姉ちゃんみたいなものです!」

「あっ、そういえば私もまだ自己紹介してなかった! 私はレベッカ・アンダーソン。小学五年生で、愛知県の紀乃川という町から来ました」

 

 ベッキー――もとい、レベッカさんはそう言いながら姿勢を正す。そして最後に、ナナミさんと競争していた金髪男子が声を上げた。

 

「僕はシンク・イズミ。ベッキーと同じく紀乃川から来た、アスレチックが趣味の小学五年生です。どうかよろしく」

「奇遇だな。俺たちもほとんどが同じ学年だ。俺は御神健斗。海鳴というところからやってきた」

 

 そう言うとシンクは「同い年! 本当に!?」と言いながら目を輝かせる。

 そこで、今まで様子を見守っていたデビッドさんも沈黙を破り、シンクに向かって尋ねた。

 

「イズミ……もしかして君、和泉(いずみ)博士の息子さんかい?」

「――そうです! 父さんを知ってるんですか?」

 

 デビッドさんの一言にシンクは目を丸くしながら聞き返す。デビッドさんはこくりとうなずいて。

 

「ああ。うちで見つけた巨大鉱石の調査にあたっていたのが君のお父さん――和泉隆征(いずみ たかゆき)博士でね。その時に彼と奥さんのシェリーさんにお会いしたんだ。その縁で息子さんと友達をここに招待することにしたんだが……そうか君が――」 

 

 デビッドさんはそこで名前と職業を名乗りながらシンクに握手を求める。シンクは快く彼の手を握り返した。

 

 それから他のみんなも一人一人名前を名乗り、ここに来た経緯などを話す。そうしているうちに……。

 

 

 

「へえー。シンクとナナミは従姉弟なんだ」

「うん。シンクのお父さんの妹があたしのママ。それにシンクのお母さんはイギリス人で、あたしの父方のグランマ(おばあちゃん)もイギリス人なんだ。いわゆるハーフとクォーターってやつ」

「――そうだったんですか! シンクさんはもしかしたらと思ってたけど、ナナミさんもイギリスの……。じゃあレベッカさんも……」

「うん、私もイギリス人。シンクとナナミとは小さい頃から家族ぐるみで付き合いがあって。まあ日本での生活が長くて英語もうまく話せないから、イギリス人だって言っても信じてもらえない事も多いんだけどね」

 

 アリシア、ナナミ、フェイト、それにレベッカも加わって四人はすっかり打ち解けたように話す。それを聞いてなのははついに――。

 

「あの、ちょっといい?」

 

 その言葉に、四人はなのはの方を向いて「どうしたの?」と言いたげな顔をする。そんな彼女たちになのはは――

 

「気のせいかもしれないんだけど……ナナミさんって、フェイトちゃんとアリシアちゃんに声が似てない?」

 

 その言葉にレベッカ以外の三人が顔を見合わせる。そしてぷっと笑い――

 

「「「あははー!! そんなまさか!!」」」

 

 “まったく同じ声”で三人は噴き出し――そして笑うのをやめ、再び顔を見合わせた。

 

「えっ……」

「ほんとだ……」

「よく聞くと似てるかも……」

 

 本人たちも気付いたようで、わざとらしく三人続けて喋り、お互いの声を確かめ合う。

 それを見て……

 

「実は、最初アリシアちゃんの声を聞いた時からもしかしたらって思ってたんだけど……本当にそっくりな声ね。世界には同じ顔の人が三人いるって聞いたけど、まさかナナミと同じ声の人がいるなんてびっくり」

 

 レベッカは頬に手を当てながらつぶやきを漏らす。アリシアの声に反応したのはびっくりしただけでなく、ナナミと同じ声に驚いたかららしい。

 そんな彼女も実は……。

 

「レベッカさん、変なお願いだと思うけど、今の言葉を男口調で喋ってくれないか。できれば“僕”という一人称も入れて」

 

 俺がそう言うと、レベッカは「えっ?」と戸惑う。それを聞いて何人かは変な目で俺を見たが、なのはやフェイトも気付いたらしく……

 

「レベッカさん、私からもお願いできないかな。笑ったりしないから」

「うん。勘違いかもしれないけど、知ってる人の声に似てる気がする。もちろん嫌だったら無理にと言わないけど……」

 

 二人からもそう言われ、レベッカは視線を宙に浮かせて少し迷うそぶりを見せながらも。

 

「まあ、シンクの物真似と思えばいいか。……じゃあいくね。

 …………最初アリシアの声を聞いた時からもしやと思ってたけど……本当にそっくりな声だ。まさかナナミと同じ声の人がいるなんて…………僕もびっくりだ」

 

 …………。

 

 途中から興が乗ったのか、決め顔を作りながらレベッカは言い終える。しかしあぜんと沈黙する俺たちを目の当たりにして、彼女はだんだん我に返ったように顔を赤くして、ぼそりと「これでいい?」と聞いてきた。

 だが俺たちの口から出たのは、哄笑でも、彼女に対する返答でもなく……。

 

「クロノ君と同じ声だ!!」

 

 なのはがそう叫んだ瞬間、皆は「あっ!」という声を上げる。

 そう。ナナミがテスタロッサ姉妹と同じ声のように、レベッカもクロノとまったく同じ声だったのだ。

 同じ顔の人間が世界に三人いるのなら、同じ声の人は何人いるのだろう。

 まあミッドチルダみたいな異世界も含めれば、同じ声の人間が何人かいても不思議ではないのかもしれないし、これまでの間にも同じ声の持ち主を何人も見てきたのだが。

 

 困惑するレベッカたちにフェイトとアリシアは簡単にクロノの事を教える。それを聞いてレベッカも「私と同じ声の男の子がいるなんて」と、信じられないような口調でつぶやいた。

 それを聞いて俺の脳裏にあるアイデアが浮かぶ。そして俺はレベッカやナナミに向かって言った。

 

「信じられないならちょっと試してみるか?」

「試すって……?」

「なになに? なんか面白そうな予感がするんだけど!」

 

 可愛らしく首を傾けるレベッカと、俺がやろうとすることを察したらしく身を乗り出してくるナナミ。彼女らに向かって俺はある遊びを持ち掛けた。

 

 

 

 

 

 

『もしもし、プレシアです』

「あっ、もしもし母さん、フェイトだよ」

『フェイト……どうしたの、なにかあった?』

 

 フェイト()()()()声にプレシアは疑うそぶりもなく聞き返す。それに対して“ナナミ”はううんと言って……

 

「ちょっと暇が出来たから母さんの声が聞きたくて……迷惑だった?」

『そ、そんなわけないわ! 私なんかの声でよければいつだっていくらだって聞かせてあげるわ!』

「そこまでしてくれなくていいよ。ところでちょっと母さんにお願いしたいことがあるんだけど」

『なにかしら? フェイトがお願いなんて珍しいわね』

 

 娘への溺愛ぶりを確かめて、ナナミはニヤリと笑みを浮かべて言った。

 

「実はオールストンを回ってる間にお金なくなっちゃって、ちょっとお小遣い貸してもらえないかなって」

『本当に!? いくら必要なの? 一万円くらいあれば足りるかしら?』

「一万! ほんとにいいの!?」

 

 いきなり一万ものお金が出てきたことに驚きながらもナナミは思わず目を輝かせる。すると彼女の横から――

 

「ちょっと! さすがにまずいよ!」

 

 隣からレベッカの声がかかり、ナナミも我を取り戻す。するとプレシアはレベッカの声に気付き――

 

『あら? 誰かいるの? なのはちゃんたちじゃないみたいだけど……』

「あっ! ええと……園内を回ってる間に仲良くなった子たちがいて、その子が声をかけてきたんだ。レベッカっていう子――」

 

 ナナミはそう言って誤魔化し、プレシアも「そう」と納得したような声を漏らす。

 そしてナナミは小遣いに話を戻し。

 

「あっ! よく見たら結構残ってた。やっぱりお小遣いはいいや。ありがとね母さん」

『そう? 別に無理しなくていいのよ。愛娘たちのためなら一万や二万どうってことないんだから。……ところでフェイト、ちょっと声の雰囲気が違わない? ……どちらかというとアリシアに近いような……でもあの子にしても少し声色が違うし……まさかとは思うけど』

「――き、気のせいだよ。じゃあ母さんの声も聞けたしもう切るよ! じゃあまた後でね!」

 

 プレシアが疑念を抱き始めた事に気付き、ナナミは少し強引に話を打ち切り、電話を切る。

 そして彼女は、フェイトにスマホを返しながら言った。

 

「ふぅー、危ない危ない。まさか最後の方で気付きかけるとは。でもフェイトとアリシアのお母さん、いい人みたいだね」

「う、うん。ちょっと行きすぎちゃうところもあるけど……」

「優しくて仕事もできる自慢のママだよ!」

 

 母親への賛辞にフェイトとアリシアは嬉しそうな様子で肯定する。

 ナナミはほほえましそうに二人を眺めてから、次はレベッカを見て……

 

「じゃあ次はレベッカの番ね。クロノ君って人のふりして彼のお母さんに電話をかけるの」

「う、うん……でも、ほんとにいいのかな?」

「大丈夫大丈夫。ちょっと反応見るだけだし、リンディさんにもプレシアさんにも後でちゃんと説明して謝っておくから」

 

 不安そうに言うレベッカに俺はそう言って聞かせながら……

 

「ただ、今度は少し難しいな。クロノこっちにはいないしあいつのスマホもないし、ただ普通にかけただけじゃすぐにばれてしまう。プレシアさんも怪しんでいたようだし、もう一工夫入れないと……」

 

 そう言いながら俺は腕を組み、リンディさんをだま――試す算段を立てた。

 

 

 

 

 

『……もしもし、ハラオウンですが……』

 

 非通知でかけてきた相手に対し、慎重な声でリンディは応答する。そこへ……

 

「あっ、もしもし……クロノです」

『あらクロノ。どうしたの、非通知でかけてきたりなんかして?』

 

 息子()()()()()声を聞いた瞬間、リンディは口調を和らげて尋ねてくる。そんな彼女に、“レベッカ”は健斗に指示された通りに答える。

 

「えっ、本当? ……仕事の都合で一時的に非通知にしておいたんだけど、そのままにしちゃったかな」

『あら、そんな仕事があったの。まあ今は部署も違うし、とやかく詮索はしないわ。ところで何の用事かしら?』

「う、うん……実は――」

 

 仕事で非通知にしていた、という言い訳にリンディがあっさり納得したことに内心戸惑いながらも、レベッカは健斗のスマホ(カンペ)をちらちら見ながら話を続ける。

 

「じ、実は僕、前から考えていたんだけど――エイミィと結婚しようと思うんだ! ……て、えっ!?」

 

 言い終わった瞬間、言った本人が動揺しながら健斗の方を見る。エイミィとは一体誰なのか普通なら気になるところだが、今はそれどころではない。しかし彼女とは逆に、リンディは考え込むように間を空けて……

 

『…………そう。いいんじゃない。で、いつ籍を入れるの? 式は挙げるのかしら? 今は挙げなかったり身内だけで簡単に済ませたりするところも多いけど、やっぱり息子夫婦の晴れ舞台は見ておきたいわね』

「い、いえ、そこまではちょっと――っていうか、いいんですか? 息子さんが結婚するって言ってるんですよ?」

 

 思わず素になって尋ねるレベッカに、リンディはどうとでもなさそうに言う。

 

『ええ。クロノが選んだ人なら反対するつもりはなかったし、エイミィならなおさら反対する理由がないわ。ああ見えてしっかりしてるし、安心してクロノを任せられる』

「そ、そうなんですか……」

 

 厳しい口調ながら、そこからにじみ出る息子への信頼にレベッカは驚くと同時に、クロノという人物の母親に尊敬を覚える。そこへ不意に――

 

『ところで――あなたクロノじゃないでしょう』

「えっ――!?」

 

 突然言い当てられレベッカは戸惑い、否定することも忘れて呆然とする。そんな彼女にリンディは言った。

 

『最初から妙だと思ってたわ。あの子が仕事中に私にタメ口を使ったり、それを直そうとしなかったり。まあ仕事で非通知を使う事はあるのは本当だけど。でも、さっきの受け答えではっきりしたわ。あの子にしては反応がおかしいし、どこか他人事みたいだった。だからあなたがクロノじゃないと確信したの』

「……」

 

 ずばずば言い当てられレベッカは言葉を失う。まるで推理アニメやドラマで犯人を追いつめているシーンみたいだ。そう思っている彼女にリンディはさらに続ける。

 

『ところで、さっきプレシアって人のところにも、彼女の娘さんそっくりな声の子から電話がかかってきたみたいなんだけど、もしかして、それもあなたたちの仕業? たしか、レベッカさんって人の声が聞こえたってプレシアは言ってたけど』

「――す、すみません! そのレベッカっていうのは私のことです! でも、私もナナミもあなたたちから何か取ろうとした訳じゃないんです! お小遣いがどうのっていうのも思わず口から出たことで――」

 

 頭を下げる勢いでレベッカは謝る。そんな彼女にリンディは柔らかい口調で、

 

『ええ、わかってるわ。お金が出てきそうになった途端、慌てて態度を変えたもの。詐欺の類じゃないことはわかってるわ。たぶんフェイトさんやクロノに似た声の友達ができて、私やプレシア相手に通用するか試してみたくなったという所でしょう……そんなわけで、これからそのいたずらを考えた張本人と話をしないといけないわね。レベッカさん、ちょっとその子に代わってもらえるかしら』

 

 優しそうなままの、しかし有無を言わさぬ厳しさのこもった声に、レベッカは「はい」と言いながら健斗を手招きする。話の様子からバレた事には気付いているようで、健斗は仕方なさそうに息をつきながらスマホを受け取り、耳に当てながら「もしもし」と言った。

 その直後――

 

『健斗く~ん! 人様を使ってまた随分たちの悪いいたずらをしてくれたものね~! そのことについて、今からちょっと私と“お話”しましょうか』

「――!!」

 

 その後、俺はリンディさんから二年ぶりの《お叱りタイム》を受け、改めて彼女の怖さを思い知った。我ながら少し調子に乗りすぎたな。

 

 

 

 

 

 それから、俺はナナミとレベッカに向かって……

 

「悪かった。つい調子に乗っちまったみたいだ。とりあえずレベッカたちが悪いわけじゃないのは向こうもわかってくれているみたいだから、安心してくれ」

「あははっ! いいよ別に。あたしたちも承知の上で乗ったんだし。結構楽しかった!」

「もう、ナナミも反省した方がいいと思うけど……。でも、いい人たちだったね。フェイトさんやクロノ君って人、それに顔も知らない私たちのこともよく考えてくれていた」

 

 そう漏らすレベッカにフェイトとアリシアはうんとうなずき、他のみんなも笑みを浮かべる。

 そしてナナミはうーんと背筋を伸ばしながら言った。

 

「じゃあ健斗たちと話しているうちに疲れも取れたし、広場みたいなところでも探して棒術でもしようか」

「おっ、いいね! 今度は負けないよ!!」

 

 棒術という言葉にシンクは目を輝かせながら気炎を上げる。さらに雄一も――

 

「棒術っスか!? それって棒を使って戦う、あの棒術?」

「うん。父方が『高槻流棒術』やってるから……君も棒やるの?」

 

 ナナミの問いに雄一は首を横に振りながら、

 

「いえっ、俺がやるのは剣っす! 実家が『草間一刀流』っていう道場やってるんで」

「草間……そういえば聞いたことあるなあ。関東じゃ『橘流』に並んで由緒正しい流派だって。……じゃあ君もあたしたちとやろうか。棒術と剣術の異種試合っていうのも面白そうだし。シンクもいい?」

「もちろんだよ! 僕も雄一君と試合してみたい!」

「ま、待って雄一君! 水族館はどうするの? 一応私たち自由研究で来たんだよ!」

 

 盛り上がる三人になのははそう言うものの、雄一は片手を立てながら告げた。

 

「悪い。俺はナナミさんたちと打ち合ってくるから、水族館にはお前たちだけで言っててくれ! 俺は元々鉱石をテーマにする気はなかったしな!」

 

 雄一はそう言ってナナミたちのもとに走り寄る。俺たちはそれをあ然としながら見送った。

 ヴィルに続いてあいつも脱落か……。それなら俺も……。

 そう考えているところで、シンクが歩み寄って来るのが見えた。彼は俺に向かって手を差し出す。

 

「じゃあ、しばらくの間雄一君を借りて行くよ。健斗君たちは自由研究頑張って」

「おう。シンクも棒術の稽古頑張れよ! ついでに雄一の奴をしごいてやってくれ!」

 

 そう返事を返しながら、俺もシンクの手を握る。

 

 

 

 そうして俺たちはシンクたちと別れ、アスレチック・コーナーでのひと時は終わりを迎えた。

 

 今から三年後にシンクが……さらにその数ヶ月後にナナミとレベッカを加えた三人が、かつて300年前に俺と守護騎士たちが行ったことのある異世界《フロニャルド》に行くことになるのだが、それは本当に別の話である。



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第2話 暴走

 空に暗みがかかってきた頃。

 

 

 東京郊外にて、かつてドライブインとして営業していた廃墟のガレージに、赤と黒の混じった肩出しのドレスをまとった少女がいた。その体からはほのかに赤い粒子が漂っている。

 少女の名はイリス。地球からはるか遠くにある、滅びかけた惑星『エルトリア』からきた来訪者()()()である。

 イリスのまわりには無数の重機が置かれてあった。どれもこの星に来た、今日の深夜から昼間にかけて“相棒”が集めてくれたものだ。

 

 イリスはその中の一つ、ショベルカーに手をかざす。すると、ショベルカーのまわりに赤い光が走り、そのまま収まった。傍目には何も変わっていないようにしか見えないが……。

 

「ずいぶん揃ったわね」

 

 エンジン音とともに一台のバイクが転がり込んできて、バイクに乗っていた女はイリスに声をかけながらヘルメットを脱ぎ、長い桃色の髪を揺らす。

 彼女はキリエ・フローリアン。エルトリアからやってきた、もう一人の来訪者だ。

 今の彼女はエルトリアを発った時と違い、白いワイシャツに短いスカートといった、この国の学生服(ガールズスタイル)を身にまとっている。

 

 イリスはキリエの方を振り向きながら……

 

「一応全部、《機動外殻》として使えるようにしといた。“ヒーローたち”の居場所と動きも掴んだわ」

 

 そう言ってイリスは自身の眼前にモニターを出現させる。キリエもイリスの方に寄りながらモニターを眺めた。

 イリスはモニターをタッチして次々に画像を切り替え、十字の髪飾りをつけた短い髪の少女が出てきたところで指を止めた。モニターの少女を見てキリエはつぶやく。

 

「この子が……」

「ええ。《闇の書》の現所有者、八神はやて。永遠結晶を手に入れるための《鍵》はこの子が持ってる本の中にある……こっちは私が行くわ。貸してもらえるように“説得”してみる。キリエはこっちの二人ね」

「うん……」

 

 イリスが続けて表示させたツインテールの少女二人の画像を見てキリエはうなずく。そこでキリエは表情に影を落として言った。

 

「ねえイリス……闇の書だけじゃ駄目なのかな? パパとエルトリアを助けるには、永遠結晶でなくても……イリスと一緒に見たデータにも載ってあったじゃない。闇の書にはどんな願いも叶えられる力があるって! わざわざあの子たちを傷つけてまで《鍵》と永遠結晶を手に入れなくても、闇の書さえ借りられれば――」

「駄目よ!」

 

 言い終わる前にその一言で切り捨てられ、キリエは唖然とイリスを見る。

 イリスは続けて言った。

 

「闇の書なんかじゃキリエのパパもエルトリアも救えないわ。あのデータにも載ってあったでしょう。闇の書のせいでどれだけの悲劇が起きたのか、書を完成させた持ち主たちがどうなったのか……あの本はね、『魔法の指輪』のふりをした《すべてを奪う悪魔》なのよ」

「すべてを奪う、悪魔……」

 

 キリエの声から憎悪のようなものが伝わり、キリエは思わず彼女の言葉をそのまま口にする。

 イリスはさらに続けた。

 

「それに今の闇の書に星を救うほどの力はないわ。“資料によれば”防衛プログラムが消滅した影響で、集めた魔力のほとんどがなくなっちゃったんだって。魔力を集める時間だってもう残ってないでしょう」

「……っ」

 

 肩をすくめて言うイリスに対し、キリエは無意識に唇を噛む。

 

――だとすれば、やっぱりパパを救うには……。

 

 キリエの考えを察したようにイリスはあえてその顔に笑みを作って、その言葉を口にした。

 

「《永遠結晶》……星の命をも自由に操ることができる、闇の書から分離した“もう一つの核”。パパとエルトリアを救うにはそれを手に入れるしかない……わかってくれた?」

 

 キリエは黙ったまま首を縦に振る。そして彼女はモニターに再び目を戻し、それに映っているオッドアイの少年を見て言った。

 

「ところで、この男の子はどうするの? イリスが手に入れた記録では、この子もこの星を救った“ヒーロー”の一人みたいだけど。この子の足止めと“データ採り”も私がやっておこうか?」

 

 キリエはそう言うもののイリスは首を横に振り……

 

「いえ、キリエでもさすがに三人は手に余るわ。彼の方は魔力に加えて面倒な能力を持ってるみたいだし、それになにより――」

 

 イリスが言いかけたところで、モニターにザザッとノイズが走り、それと同時にかすかな振動が伝わってくる。

 キリエは顔を上げてその名を呼んだ。

 

「アミタ……」

「……どうやら、“しばらく”は過ぎちゃったみたいね――ぐずぐずしてられない。打ち合わせ通り、キリエはあの二人を。私は闇の書の持ち主のところに行ってくるわ」

「うん! ところで、男の子の方はどうするの?」

 

 バイクにまたがりながらキリエは同じ問いを投げかける。それに対して、イリスは考えるように腕を組みながら言った。

 

「そうね……私の“分身”に行かせるわ」

「分身?」

 

 エンジン音に紛れてキリエの問いが漏れる。それに答えずイリスは心の中でつぶやいた。

 

(今の状態で造るのはリスクが大きいし……こんなに早く使うつもりはなかったけどね)

 

 

 

 

 

 

 同時刻。キリエたちがいる場所から少し離れた森の中に、一人の少女が“空から降ってきた”。

 

「表皮と筋肉層に軽微のダメージ……ナノマシンが修復作業中…………うん。体の方は問題ありませんね」

 

 少女は自身の体を見下ろし、たいしたダメージがないことを確認する。

 森に降ってきたのは緑色の瞳を備え、一本だけ跳ね上がった赤い髪を後ろに結んでいる、見るからに活発そうな20寸前の少女だった。

 

「ここが異世界……この世界のどこかにキリエとあの子が……」

 

 “今の故郷”にはない、うっそうとした森を眺め渡してから少女は考えを巡らせる。

 

(家の地下室にある《遺跡板》の記録を見た限り、キリエはまず夜天の書に関わりのある“四人の子供たち”に接触しようとするはず。その後は《永遠結晶》というものを……でも、それが本当に星を救うものかどうかはわからない――それになにより、自分たちの星を救うためとはいえ、罪もない子供を傷つける事なんて母さんも父さんも望むわけがない。だから――)

「お姉ちゃんがあなたたちを止めてみせます!」

 

 決意を固めながら少女は勢いよく立ち上がり、その拍子に足下からビリッという音が響いた。

 少女はまさかと思いながら足下を見る。着地の衝撃によるものだろう、スカートの右後ろ側は大きく破れ、太ももから先の脚と下着の一部があらわになっていた。

 

(そ、その前に服を作り直さないと――たしかこの国の女の子が着る服は……)

 

 顔を赤くしながら、少女は急いで新しい服の形成に取りかかる。

 

 

 

 毅然(きぜん)としていながら、少し抜けた所のあるこの少女の名はアミティエ・フローリアン。家族からアミタと縮めて呼ばれている、キリエの3つ上の姉である。

 

 

 

 

 

 

 エルトリアから来た姉妹とイリスが動き出している頃。

 オールストン・シーから少し離れた、本土にあるリゾートホテルでは……。

 

 

「ちょうど今ホテルについたところ…………ううん、まだみんなお風呂に入ってないよ……うん。じゃあはやてちゃんが来るまで待ってるから、後で一緒にお風呂入ろうね!」

 

 ホテルについて早々、到着した部屋ですずかははやてに連絡をかけて、俺が傍にいるにもかかわらずそんなことを言う。そこへ――

 

「男どもは関係ないから先に入ってていいわよ。ちょうどいい時間だし、もう今から入ってきたら」

 

 俺を含めた男衆に向かってアリサがそんなことを言ってくる。すると……

 

「じゃあ、俺たちだけでさっさと入っちまうか。ナナミさんとシンクとの稽古で汗だくだしよ」

「儂もそれで構わんよ。久しぶりに数時間も外を練り歩いて、早くさっぱりしたいところじゃしな。デビッド殿はどうじゃ? 事業について相談に乗れることがあるかもしれんぞ」

「せっかくのお申し出ですが、僕も俊が来るまで待つことにしますよ。オールストン・シーに携わる者同士、あいつと色々話しておきたいところですし」

 

 雄一、ヴィル、デビッドさんはそんなことを言い合う。この状況じゃリインと入る事なんてできないだろうしな……。

 

「じゃあ、アリサの言葉に甘えて、俺たちは女の子たちより先に入っちまうか。他にすることもないし」

「おう」

「うむ」

「ええー!」

 

 ……いや、すずかさん、なんでそこで君が不満そうな声を漏らすんですかね? まさか月村邸に泊まった時のように飛び込んでくるつもりだったんじゃないだろうな。もうお互い10歳過ぎてるし、公衆浴場であれはさすがに洒落にならんと思うが。

 そう思っているところでリンディさんのスマホから着信音が鳴り、彼女はスマホを耳を当てる。

 

「はい、リンディです…………えっ!?」

 

 リンディさんはスマホを手に取ってすぐ、驚いたように目を見開き、いくらか返事を返して連絡を終えた。そして彼女はこちらを向き――

 

「健斗君、申し訳ないけどお風呂は後にして。それとすぐにテレビをつけてもらえませんか! チャンネルはその都度指示します!」

 

 俺に向かって言った直後に、リンディさんは親たちに指示をする。それを受けて春菜さんが急いでリモコンを取り、壁にかけられている大型テレビのスイッチを入れた。

 

『昨夜から気象衛星『久遠』と通信が繋がらなくなっており、同衛星との通信を復旧させるべく、気象庁の職員は現在も作業を――』

 

 ナレーターが言い終わる前にリンディさんはチャンネルを変える。次に映ったのは、都心に続く長い道と険しい顔をしたリポーターの姿だった。

 

『三原木四丁目で複数の大型車両が横転する事故が発生。複数の乗用車が横転に巻き込まれた模様です。この事故で死傷者が出たという情報はありません。目撃者によりますと、大型車両は道路上を塞ぐように走行し、一斉に横転したとのことです。また、鳴坂高速道でも多数の大型車両が暴走しているとの情報が……』

 

 リポーターの報告を聞いて、俺たちは目を見張る。

 複数の大型車の事故、暴走……これってまさか。

 

「三原木四丁目って、たしか今はやてちゃんとお父さんが……」

 

 すずかが発した言葉に春菜さんははっとして、俊さんに電話をかける。俺もはやてに電話をかけようとするが、その直前に通知音が響き、それに応えると、眼前にクロノが映ったモニターが現れた。今の彼の姿は二年前と違い、スーツや背丈のためか年相応の精悍さが備わっている。

 

『いきなりですまない。だが今テレビでやってるように、昼間何者かに盗まれた大型車両が各地で暴走しているらしい。それと合わせて、たった今はやてから、複数の機械群とそれらを操っている赤いドレスの少女と交戦しているという連絡があった』

「機械群? それってまさか――」

 

 俺が問いかける前にクロノはうなずく。

 

『暴走した車両が変形したものだそうだ。状況から考えてただの暴走車とは思えない。健斗、なのは、フェイト、リインフォース、すぐに現地へ出動してくれないか。相手が結界を使う様子がない以上、このままだと一般人に被害が出る恐れがある』

「了解!!」

 

 クロノの要請に俺たちは声をそろえて了承する。クロノはうなずいて。

 

『すまない。じゃあなのはとフェイトは鳴坂方面へ、健斗とリインフォースは三原木へはやての加勢に向かって、暴走車を操作している容疑者の確保にあたってくれ』

「うん」

「わかった」

「ああ」

「言われるまでもない」

 

 俺たちはそれぞれの言葉で答える。

 ――その時だった、テレビの向こうでリポーターが新たな情報を伝えてきたのは。

 

『ぞ、続報が入りました! 湾岸道路方面に新たな暴走車両が現れたとのことです! すでに警視庁は装甲車を含めた車両数十台を出動させて、暴走車の対処に向かわせているとの事です。これに合わせて、鳴坂、湾岸各道路は封鎖され、付近の道路にも交通規制が敷かれるとのことです。付近を通行中、通行される予定のある方は、誘導にあたる警察官の指示に従って行動してください』

 

 リポーターがそこまで言うと映像が変わり、湾岸道路を上空から映したものになる。そこには猛スピードで進む何台ものトレーラーや重機と、それらを十台近くのパトカーが追跡していた。

 カメラはちょうど先頭のパトカーを映しており、その助手席には――。

 

「――あの人は!」

 

 “彼女”を見てリインは声を上げる。俺も無意識に言った。

 

「母さん……」

 

 

 

 

 

 

 その頃、湾岸道路では――。

 

 

『警察です! 全車速やかに走行をやめて停止しなさい! 繰り返す! 全車速やかに――』

 

 車線の区別もなく、車道を完全に塞ぎながら前を走りつづける大型車両群に向かって、女性警官がスピーカーを使って何度か呼びかけるものの、車両群は停止どころか減速する気配すら見せない。

 先頭を走るパトカーを運転しながら、早見(はやみ)という警官はスピーカー用のマイクを戻して言った。

 

「止まりませんね。やはり強引に停止させるしかないでしょうか」

 

 その問いに、早見の隣に座る美沙斗は鞘に収められた刀を握りながら答える。

 

「そうですね。このまま街中に出れば、民間人や建物に被害が出てしまうかもしれません。そうなる前にここで食い止めておきたいところです」

「ですね。あの量ではスパイクベルトを使ってもすべて止めることはできないでしょうし、私たちで何とかするしかありません。まずは最後尾の車両から止めます。御神さん、万が一のバックアップをお願いできますか?」

「心得ました。他の車両への配慮は? それと先ほどから報道用のヘリが付いてきているようですが、下げてもらえるよう計らっていただけますか。《御神流》の技を衆人の目にさらしたくありませんので……」

 

 後ろをついてきているパトカーと上空を飛ぶ報道ヘリを見ながら言う美沙斗に、早見は「ご心配なく」と告げる。

 

「今回連れてきているのは私が選んだ精鋭です。暴走車のクラッシュに巻き込まれるヘマはしません。報道機関に対しても、そろそろ上から撤収命令が出ているはずです――ほら」

 

 ほらという言葉に美沙斗が目線を傾けると、今までついて来ていたヘリが遠ざかっていくのが見えた。どうやら指示が届いたらしい。これなら遠慮なく刀を振るうことができる。道路が封鎖されている現状ではカメラや動画に撮られる心配もないだろう。

 

「では行きます。まずはこの車の性能を見せてやるとしましょう。先ほども言った通り、御神さんは万が一のフォローを」

「了解!」

 

 美沙斗が応えると同時に、早見はレバーを前に傾けて思い切りアクセルを踏み、彼女らが乗るパトカーは暴走車群に向かって突っ込んでいった。



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第3話 大型機械と謎の“敵”

 指揮を務める女性警官、早見(はやみ)と美沙斗が乗った車は、ぐんぐん速度を上げて暴走車両の群と距離を縮め、最後尾を走るトレーラーの左側へ隣接する。

 トレーラーを走らせている後輪を右目に収めると、早見はハンドルの右側に付いているレバーをいじった。そうすると()()()()なら方向指示や点灯用のライトが付くはずなのだが……。

 

 レバーをいじった瞬間、パトカーのタイヤのホイール部分がパカッと外れ、そのまま真横にスライドして鋭利な刃物を吐き出す。次の瞬間、それは猛スピードで回転し、巨大なカッターと化した。

 早見は自身が運転するパトカーを右に寄せ、徐々にトレーラーの後輪に迫る。そして――

 

 パトカーから伸びるカッターはトレーラーの後輪にぶつかり、ギィィィィンと甲高い音を立てながら、分厚い後輪を易々と切り裂いていく。程なく後輪は外れ、ふらっとトレーラーがぐらつき始める。

 その瞬間、早見は素早い動作でハンドルを左に切り、トレーラーから距離を取った。

 バランスを失ったトレーラーはその場を横転し、大きな土煙を上げながら地面に転がった。

 後続のパトカー群はブレーキと巧みなハンドルさばきで横転したトレーラーをかわしていく。それを見てながら早見は無線を掴み、他のパトカーに乗っている部下たちに指示を出す。

 

『504はクラッシュした車と中に乗ってる乗員を確保して。他の車両はこのまま私に続いてください。今の調子で私たちが暴走車を停止させていきますので、君たちは私に続きながら停止した車と乗員を順次確保していって――いいわね!』

 

 彼女の指示に無線機を通して、他のパトカーから各々(おのおの)の車体番号と『了解』という返事が返ってくる。

 そんな光景に美沙斗は感嘆の息をつき。

 

「大したものですね。無数の大型車両が暴走しているという事態に関わらず、連携に乱れがない。この車の仕掛けにも驚きました。公用車にあんな改造をするなんて、上はよく許してくれましたね」

「顔が利く上司とか仕事で知り合った政治家とか、御神さんの仕事仲間とか、色々人脈を駆使しましたから。改造費も全部自費で賄うって言ったら、渋い顔をしながらなんとか許してくれました。そんな私に比べたら後ろの部下たちは本当に優秀ですよ。交通警察隊の中でも指折りばかりです。この状況を知った上司が上に掛け合って急遽用意してくれました」

 

 そう謙遜する早見に対して、美沙斗は内心舌を巻いていた。

 一刑事が人脈だけで公用車(パトカー)の改造や、一時的とはいえ人事に口出しできるわけがない。できたとしても、現場には出てこず庁内で采配を振るっているような人物だろう。その事からも彼女が人脈だけでのし上がってきたような人物ではなく、能力的にもずば抜けたものを持っているのがうかがい知れる。

 

(《警防隊》と繋がりを持つだけはある、か……)

 

 そう思う美沙斗の横で、早見は暴走車を追いながら、最初の時のようにスピーカーマイクを手にして言った。

 

『暴走車に次ぐ! ただちに車を止めて降りてきなさい! でないと、他の車両も後ろの車と同じ目にあわせますよ!』

 

 十中八九止まらないだろうと思いながらも、早見はスピーカー越しに停止と投降を呼びかける。しかし彼女の予想とは裏腹に暴走車群は次々と動きを止め、そこに留まった。

 

 まさか、今頃になって投降する気になったのか?

 

 早見は車内で無線を握ったまま、美沙斗と何人かの警官たちはパトカーから出て、固唾を飲みながら停止した大型車両の群れを見守る。

 その時だった!

 

『は、早見警部! こちら504!』

「こちら早見。どうしました?」

 

 先ほど横転させた車両の確保にあたっていた警官から無線が入り、早見は車両群を眺めながら応答する。すると――

 

『先ほど停止させた車両ですが――な、中に誰も乗っていません! 無人の状態です!!』

「なっ――何をバカな! どこかに隠れているという事はありませんか? 運転席の下とか、キャビンの後ろとか――」

『い、いいえ! 二人がかりで調べましたがどこにも――うわあああ!!』

「どうしました? 504、応答しな――」

 

 言いかけたところで早見は言葉を飲み込む。なぜなら……

 

「あ、あれは――」

「う、うわああああ!!」

 

 “それ”を見て、多くの警官が息を飲み、何人かは我を忘れて暴走車()()()()()から背を向けて駆け出す。

 

 今まで高速の上を爆走していたトレーラーと、それらが運んでいた工事車両が形を変え、立ち上がるように変形したからである。まるでアニメや特撮に出てくるロボットみたいに。

 先ほどクラッシュさせたトレーラーとその上に積まれていたショベルカーも変形し、こちらに迫っていた。

 

「く、くそ――!」

「撃て、撃てえええ!!」

 

 変形した大型機械を前に、多くの警察官が拳銃を取り出し、怒声とともに発砲する。しかし、そんな小粒(鉛玉)が鉄の塊に通用するはずもなく――。

 大型機械たちは銃から打ち出された弾を浴びながら、左右についたアームを腕のように持ち上げる。それを見て警官たちは逃げ出すも、そのうち一人が恐怖のあまりつまずき、そのまま倒れてしまう。

 起き上がりながら、思わず後ろを見上げた彼が目にしたのは、眼前に迫って来る大型機械、そして頭上に振り下ろされようとしているアームだった。

 

「う――わああああああ!!」

 

 彼は死を覚悟し、あらん限りの声で叫ぶ。彼を押し潰そうと巨大なアームが迫って――

 

「せええい!」

 

 ――こなかった。アームは一刀両断に切られ、彼のすぐそばに落ちる。あの鉄塊を切ったのは警官と同じくらい――いや、やや低い女だった。彼女を見て捜査官はその名を呼ぶ。

 

「み、御神捜査官!」

 

 長い黒髪をたなびかせ、鉄の塊を切ったにもかかわらず刃こぼれ一つしていない刀と、もう片手に持っているもう一本の刀を振るいながら、彼女は言う。

 

「逃げろ」

「えっ?」

 

 思わず聞き返した警官に美沙斗はもう一度言った。

 

「ここは私に任せて逃げろ! 君たちがどうにかできる相手じゃない! 早く!!」

「は、はい――!!」

 

 美沙斗に一喝され、警官は動転しながらもたまらずその場を離れる。

 

 逃げる警官たちを背に美沙斗は仁王立ちしながら、巨大な機械群と対峙した。

 

 

 

――御神美沙斗……“彼”にとって現代における母親か。なかなか腕が立つようだが……少し腕前を見せてもらうとしよう。

 

 

 

 その直後、三体ほどの機械たちがタイヤを滑らせながら一斉に美沙斗に向かってくる。その状況で美沙斗は目を閉じ――。

 

(御神流奥義之歩法――《神速》)

 

 意識を集中し、再び目を開いた彼女が見たものは、色を失った世界と、停止()()()()()()()()機械群だった。

 

 

 

 これがかつて“表”と“裏”の双方で最強と呼ばれていた、『御神の剣士』の必修にして奥義の歩法……《神速》。

 視覚にすべての意識を集中させることで、自分以外が“止まったように見え”。くわえて一時的に身体のリミッターを外すことで、制止した時間の中を動くことができる。それが瞬間的と言えるほどの高速移動を可能にしているのだ。

 だが、それによる意識と身体への負荷は決して軽いものではない。美沙斗の技量をもってしても多用はできない技だ。そんな欠点も含めて《神速》という技は、健斗が生まれつき習得している《フライングムーヴ》とよく似ている。

 

 

 

 知覚強化によって常より重く感じる体を動かし、美沙斗は大きく左へ動く。

 次の瞬間、世界は再び色と動きを取り戻し、機械群は大きく前へ突き進み、美沙斗のいた場所を通り抜けていく。

 美沙斗は二本の刀を前に突き出し、機械たちに向かって踏み出した。

 

「はああああっ!」

 

 美沙斗は棒立ちしている大型機械のアームに刀を突き入れ、その勢いを殺さぬままもう一本の刀で数倍の質量を持つアームを完全に断ち切り、斬ったアームを踏み台にもう一本のアームに向かって跳び、刀を振るい下ろしてアームを切り落とす。

 

 地面に着地しながら美沙斗は機械たちを睨む。

 

(厳しいな……《徹》と《貫》を駆使しても(アーム)を斬るのが精一杯だ。どうやってこいつらを止める? いや、そもそもどうやったら止まる? 運転手もいないのにどうして動いている?)

 

 頭の中が疑問で埋め尽くされているところで、また機械たちが迫って来て、美沙斗は《神速》でそれらをかわし、アームを備えている機体に向かい、先ほどのようにそれを斬り落としていく。

 

 今は相手の攻撃手段を封じつつ、機械たちを引き付けておくしかない。時間が経てばお上もこの状況を知り、重装備や戦車を備えた自衛隊を動かしてくるだろう。あるいは……。

 

 息子や姪が所属している、異世界の組織を頼ろうとする自分に不甲斐なさを覚えながらも、美沙斗は意を決して二本の刀を構え、機械群を見据える。

 

 そんな彼女をあざ洗うように大型機械の一体が形を変え、バルカン砲のような複数の銃口を輪状に並べた砲身を形成し、それを彼女に向ける。驚愕すると同時に、美沙斗はとっさに《神速》を使いながらその場を離れた。それから一瞬ほどの間を置かず、美沙斗がいた場所に無数の銃弾が降り注がれる。

 回避した先で、それを眺めて美沙斗は自分の首筋にひやりとした汗が伝って来るのを感じた。一瞬でも遅れていたら蜂の巣になっていたのは間違いない。

 そこへタイヤの音が響いてきて、美沙斗はそちらを振り向く。気が付くと大型機械の一部が彼女に迫って来ていた。

 しまったと思いながらも、美沙斗は《神速》でそれを避けようとするものの――

 

「――ぐっ!」

 

 膝と腕に激痛が走り、美沙斗は思わず動きを止める。ここにきて、《神速》を乱発による反動が彼女を襲ってくる。

 

「くっ――」

 

 美沙斗は顔を上げて目の前の光景を見る。

 《神速》は不完全ながらも発動しており、色褪せた世界で大型機械はゆっくりと迫ってくるのが見える。にもかかわらず、美沙斗はこの場を動くことができない。いや、本来ここは人間が動けるはずの世界ではないのだ。

 ならばこれは死の直前に体感するという、“タキサイキア(スローモーション)現象”に違いなく……。

 

(美由希……健斗――)

 

 最期に愛娘と愛息子を想いながら美沙斗は目をつむる。彼女の諦めにより《神速》は解け、世界に色と音が戻ってくる。

 そんな彼女の耳に真っ先に届いたのは――

 

 パンッ!

 

「――!」

 

 乾いた破裂音を耳にして、美沙斗は思わず目を開けた。

 いずこから放たれた弾は大型機械にあたり、そのままどこかへ跳ね返る。だが、それでも彼女は、美沙斗に迫ろうとしていた機械に向けて何発も弾を放ち続ける。予期せぬ方向からの攻撃に機械の方も動きを止めて彼女の方を振り向く。美沙斗も彼女の方を見て……。

 

「早見さん……」

「御神さん、早く離れて! そこにいたら踏み潰されるか蜂の巣になるわよ!!」

 

 銃声に紛れて早見が怒鳴り声を送ってくる。それを聞いた瞬間、美沙斗は痛みすら忘れ無我夢中で足を動かし、その場を逃れた。

 

(しっかりしろ! 端くれとはいえ、銃を出された程度で『御神の剣士』が負けるはずがない! 敵が新たに銃を出してきたのなら銃を落とせばいいだけの事! あるいは――)

 

 美沙斗は逃げながら改めて敵を見回す。

 大型車両がひとりでに変形し、人を襲うわけがない。必ずそれらを操っている者がいるはずだ。どの車両の運転席にもそれらしい人間は乗っていないが……

 ――いや待て!

 

 美沙斗は目を凝らし、後方に立ったままのブルドーザーが変形した大型機械を見る。そいつの肩に黒い影が乗っているのが見えた。よく見ると人の頭みたいな形をしているような……まさかあいつが――。

 それを確認すると、美沙斗は一瞬だけ早見を見る。美沙斗の表情と素振りで、早見は彼女の意図を察した。

 

 

 

 

 その直後、早見はがれきの背後に隠れ、彼女を一瞥もせず美沙斗は駆ける。一番奥の機械がいるところに向かって一直線に――。

 そこへ機械の一体が彼女に向かって弾丸を浴びせてくる。だが――

 

「はあああああっ!」

 

 美沙斗は再度《神速》を使い、弾丸を避け、制止した機械たちの横を走り抜ける。

 その反動でまた体中に痛みが襲ってくるが、さっきと比べればずいぶん軽く感じる。痛みに慣れてきたのもあるが、勝ち筋(ゴール)が見えてきたのが大きいだろう。

 奴を捕まえればこの機械どもも止まるはず――いや、止まる!

 

「ああああああっ!!」

 

 すれ違いざまに機械たちのアームや銃身を斬り落としながら、美沙斗は一心不乱に駆ける。そして――

 犯人(ゴール)は自分から現れた。

 

「なっ――!?」

 

 美沙斗は驚きながらもとっさに刀を突き出す。それに対し、そいつは素手で刀ごと美沙斗を殴り飛ばし、その隙を縫って、懐から青い球体を取り出し、それを剣の形に変えて掴み取った。その剣の刃も美沙斗が知ってるものとは違い、黒い金属でできていた。

 美沙斗は即座に体勢を立て直しながら、目の前に現れた“敵”を見据える。

 

 そいつの姿は一言でいえば異様だった。

 黒一色のSFチックな服をまとい、顔面をヘルメットのようなもので覆っている。ヘルメットの前面はガラス張りだが夜のせいか真っ黒に染まっていて、容姿どころか男か女かさえ分からない。

 

「――何者だ?」

「……」

 

 美沙斗は二本の刀のうち一刀の先端を向けながら、問いを投げつける。だがそれに対して相手は何も答えず沈黙を保つ。

 

「お前が暴走車――この機械たちを操っていたんだな!」

「……」

 

 確信めいた声で美沙斗は違う問いをぶつけるものの、やはり相手は答えない。

 そんな中、美沙斗は慎重に相手の動きと間合いを測る。だが――

 

 ――その直後、いやほぼ同時に、相手は美沙斗の寸前に現れる。

 美沙斗はただちに刀を繰り出すものの相手は剣で受け止め、続けて繰り出された二刀目を素手で掴み取り――それを握り割った。

 美沙斗は驚愕に目を剥きながら後退し、

 

(――《神速》!)

 

 技を発動した途端、世界は色を失い、自分以外のものは動きを止める――はずだったのだが。

 

「――!?」

 

 《神速》の発動中にもかかわらず、“敵”は自分の前に現れ、当たり前のように剣を繰り出してきた。美沙斗は刀で受け止めようとするが、片手刀と両手剣では込められる力に差があり――

 

「ぐあああっ!」

 

 美沙斗の刀は呆気なく砕かれ、彼女自身も肩の上から斜めに斬られる。その衝撃で《神速》は解け――

 

「御神さん――くっ!」

 

 美沙斗が倒れるのを見て早見はすぐに銃を構え、“敵”の心臓めがけて躊躇なく発砲する。

 しかし、弾丸は“敵”の胸にあたったものの、相手の服を破る事すらなく、胸元にあたった後コロコロと足元に落ちた。相手は地面に落ちた弾丸を見下ろしてから、胸を手でぱんぱんと払う。

 

「そんな……」

 

 驚愕のあまり早見は敵を前にしながら、口をあんぐりと開けながら棒立ちする。裏社会でも無敵と言われていた美沙斗をあっさり破り、実弾を受けても平然としているなんて――。

 まるで映画の悪役や怪物みたいじゃないか。

 

 早見に“敵”は剣の切っ先を向け、それを銃のような形に変える。早見もそれを目の当たりにしていたが、もはや完全に理解の範疇を越えていて驚くことすらできない。

 “敵”は銃を握りながら引き金に手をかけ、そのまま指に力を入れる――

 

「フレースショット!」

 

 その時、上空から少年の声と紺色の弾丸が落ちてきて、“敵”の銃を落とす。さらに――

 

「バインド」

 

 再び上空から女の声が降ってきたと同時に、“敵”のまわりに黒い輪が現れ、彼をきつく締めあげる。

 それに反応して今まで動きを止めていた機械群が、上空の敵に向けて一斉に銃口とアームを向け、無数の銃弾とアームを放っていくが、彼らは三角形の盾でそれらを防ぎ、紺色の放射線と黒い槍を撃ち込んで機械たちを破壊していく。

 

 美沙斗の力量をもってしても、完全破壊が難しかった機械群はあっという間に一掃され、縛られたままの“敵”だけが残った。

 早見は思わず上空を見上げる。

 上空にいたのは黒髪とオッドアイの少年と、四本の黒い羽を生やした銀髪の女だった。

 

「あの子たちは……?」

 

 彼らを見て呆然とつぶやく早見。美沙斗も地面に倒れ、痛みにうめきながら彼らの名を呼ぶ。

 

「健斗……リインフォースさん……」

 

 地面に倒れている美沙斗を見つけて、リインフォースと呼ばれた銀髪の女は急いで彼女のもとに降りる。

 健斗という少年も美沙斗を見て悔しそうに顔を歪めるが、リインフォースが駆け寄るのを見て気を取り直し、縛られたままの“敵”に顔を向けて言った。

 

「時空管理局・本局捜査隊、御神健斗だ。次元法違反の容疑、および殺人未遂の現行犯で逮捕する! 大人しく来てもらおうか」

 

 ミカミ…ケント……。

 

 

 

 健斗が名乗った瞬間、“敵”は嬉しそうな笑みをを浮かべた……ように早見は感じた。



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第4話 決意

「お前はどこの世界から来た? 何の目的でこんなことをした? はやてを襲っている赤いドレスの女とはどんな関係だ? ――答えろ!」

 

 リインが治療魔法で母さんの傷をふさいでいるのを横目に見ながら、俺はバインドで縛り付けている“敵”に問いをぶつける。友達(はやて)を襲っている女と関係があるかもしれないこと、母親を傷つけられた怒りで声が上ずっているのが自分でもわかった。

 それに反して“敵”は沈黙を保ったままだった。顔を覆うヘルメットが一層不気味さを際立たせている。

 なんなんだこいつは……?

 

 

 

――“バインド”なる術の解析は完了。破壊はいつでも可能。

 

 

 

「健斗――御神捜査官、美沙斗さんの治療が終わりました。命に別状はありませんが、病院で診てもらった方がいいのではないかと。早く運んだ方がいいと思いますし、容疑者の尋問も後にしませんか? 失礼ながらそんなに感情的な状態では尋問も難しいかと」

 

 母さんを道路の脇に置いてから、そう訴えてくるリインに思わず怒鳴り返したい気持ちがわいてくるが、母さんを一刻も早く病院に送った方がいいのは確かだ。それに……。

 

「…………」

 

 呆然としながらも、俺やリインを交互に見る女性に目を向ける。視線が合うと、警戒心に満ちた表情でこちらを見返してくる。

 今までの様子とスーツ姿からすると、どこかの刑事……母さんの仕事仲間といったところか。やむなく彼女の前で魔法を使ったり管理局の事を言っちゃったけど、夢とかで片づけられるわけないよなあ……。

 

 ピキッ……

 

「……?」

 

 かすかに音がした気がしてそちらを見ると、捕らえた“敵”が体に力を入れる仕草をしていた。

 あれは夜天の書(リイン)が過去に蒐集した術を基に考え出したバインドだぞ。しかも全身をぎちぎちに縛ってある。あれがそう簡単に解けるわけが……

 

 バキィィンッ!

 

 ガラスが割れるような軽快な音ともに奴を縛るバインドが砕け、紫色の闘気のようなものを噴き出しながら“敵”は宙に浮かんだ。その直後に――

 

「ぐあっ!」

 

 リインのうめき声が聞こえ、思わずそちらを見る。“敵”はいつの間にかリインのすぐそばにおり、彼女のどてっ腹に拳を突き入れていた。それと同時に彼の手にはめられている籠手につけられているメーターが紫色に点滅するが、見たこともない白い文字を表示させてから消えた。

 

――エラー……やはり管制ユニットでは《鍵》の器には出来ないか。ならばやはり……。

 

 “敵”はリインを無造作に放り、俺を見上げる。そこで――

 

「フライングムーヴ!」

 

 俺はほとんど無意識のうちに固有技能を発動し、俺以外のものは動きを止める。

 ――にも関わらず、奴は俺のすぐ前まで飛んできていて、いつの間にか拾っていた剣を振り下ろしてくる。俺はすかさず愛剣《ティルフィング》を振り上げ、それを受け止めた。

 すると奴は初めて声を発した。

 

「……最後に笑えばいい」

「――なに?」

 

 状況に合わない意味不明な一言に俺は思わず聞き返す。奴は続けて信じがたい事を言った。

 

「“ケント・α(アルファ)・F・プリムス”…………君は私と同類だよ。途中で失敗しても、最後に笑える結末になればいい。君は二つの世界を巡ってそれを実践した人間だ……違うかい?」

「何を言って……いや……お前、(ケント)を知っているのか?」

 

 その問いに奴はフッと笑い声のようなものを漏らす。続けて返ってきたのは返事ではなく、

 

「ぐあっ!」

 

 みぞおちに鈍い痛みが走る。気が付けばそこに奴の拳がねじ込まれていた。奴がはめていた籠手に再び紫のメーターが灯り、先ほどとは違う“赤色の文字”を表示させた。

 

――目的達成。後は“本体様”に彼のデータを届けるだけか……おもしろい事が起こりそうだ。

 

「であああああっ!」

 

 メーターを見てほくそ笑むような仕草をしている奴に向けて、魔力を込めた剣を振り下ろす。不意を突かれたのか、奴は俺の剣を体にまともに受ける。だが奴はうめき声一つ上げず、右腕を空中に向けた。

 その瞬間、奴の右手は体から離れ、ロケットみたいに飛んでいった。妙なメーターが付いた籠手を付けたまま……。

 

「お前――一体何をした!?」

 

 俺は右手を失った奴の胸倉をつかみながら怒鳴り声を浴びせる。だが奴は――

 

「また…………おう」

 

 それだけ言って“敵”は動かなくなる。まさか――

 

「健斗、大丈夫ですか? ……彼は?」

 

 リインは俺の方に飛んで来ながら、俺に掴まれたままぐったりしている“敵”を見て、訝しげに眉を寄せる。そしてリインもこいつの状態を察したように目を見張った。

 

「息をしていない……こいつもう」

 

 死んでいると言いかけて、俺は内心で首を横に振る。

 そんなバカな。非殺傷設定で攻撃したんだぞ。……そういえば感触が変だ。妙に重いし、全身が固い。まるで金属の塊を持ち上げているような……。

 

 まさかと思い、俺は奴の顔を覆っていたヘルメットを力任せにはぎとる。それを見て俺とリインは目を見張り、眼下では母さんと女刑事さんが信じられないものを見たかのように、ぽかんと口を開けていた。

 

 

 

 “奴”が被っていた()()()()()()ヘルメットの下には何もなく、空っぽだったのだ。

 

 

 

 

 

 

 イリスはアジトで一人じっと待っていた。

 自身による闇の書の“借用”は、アミティエ・フローリアンに邪魔されて失敗。だが、その後キリエが、闇の書とあの二人の《魔導データ》を手に入れる事に成功したらしい。

 そして乏しいリソースを費やして造った“分身”もまた、彼の《データ》を手に入れてくれた。自分はただそれらが届くのを待てばいい。

 そう思って窓を眺めると、ちょうど右手が飛んでくるのが見えた。右手は割れた窓からアジトの中に入り、イリスに向かって飛んでくる。

 イリスは“分身”が遺した右手を掴み取り、愛おしげに撫でながら言った。

 

「ご苦労様。ちゃんと役目を果たしてくれたみたいね……“あの人”をモデルに造ったあなたを失ったのは残念だけど、私の悲願を叶えるには彼のデータも必要だものね。短い間だったけどお疲れ様」

 

 労いと別れの挨拶をしてから、イリスは右手を近くの机の上に置く。それきり右手が動くことはなかった。

 

(さて、残るは……――!)

 

 彼女の事を思い浮かべた途端、外からバイクが走ってくる音が聞こえてくる。そっちも帰ってきたようだ。そう思ってイリスは笑みを作るが、彼女の姿を見た途端、イリスの顔は驚愕に引きつる。

 

「た……ただいま……イリ…ス…………」

「キリエ!! どうしたのその怪我!?」

「お……お節介な、姉が私を押さえてきたから……撃っちゃったのよ……面倒だから自分ごと……あはは、いい気味…………」

 

 キリエは血があふれ出ている腹を押さえながら笑い、強がってみせる。そんな相棒にキリエは飛び寄り――

 

「いい気味じゃないわよ! いいから横になって! 手当てしてあげるから!」

 

 イリスの言葉にキリエは首を横に振りながら右手を開き、そこに握られていた十字のアクセサリーを出した。

 

「こ……これに……闇の書が入ってる…………永遠結晶を手に入れるには必要なんでしょう……それで、《鍵》でもなんでもいいから呼び出して…………」

「キリエ? ちょっと、しっかりしてキリエ!!」

 

 闇の書を差し出そうと手を伸ばしながらキリエは倒れかかり、イリスは慌てて彼女を抱きかかえる。

 そしてホッとした。実体のない体でありながら物に触れられることができる事に。そのおかげで相棒にさらなる傷を与えずに済んだ。

 そう思った後、イリスは首を横に振って自ら浮かべた表情を打ち消す。

 

 

 

 キリエを心配する資格なんて、私にあるわけないじゃない。

 

 

 

 

 

 

 クロノが言った通り、はやては三原木にて、イリスという女が操る大型機械に襲われ闇の書が奪われかける所までいったが、異世界『エルトリア』から来た、アミティエ・フローリアンという女に助けられ、なんとか事なきを得た……()()()()()()()

 

 それとほぼ同時に、なのはとフェイトも鳴坂で、暴走車を操作していたキリエ・フローリアンと交戦し、魔法を解析する能力を持つキリエ相手に苦戦していたが、クロノに依頼され独自に事件を追っていたザフィーラとアルフ、電磁兵器を持って応援に来た守護騎士、そしてイリスを退けたはやてとアミティエの助けを借りて、キリエを追いつめかける所までいった。

 しかし、キリエは《システムオルタ》という加速機能(システム)で形勢を覆し、守護騎士となのはたちを圧倒。リインフォース・ツヴァイが必死に抵抗するがそれもむなしく、夜天の書を奪われてしまった。

 

 俺とリインが戦った“奴”も、キリエとイリスが送り込んできたものだろう。正体はわからなかったが、おそらく彼女らが操っていたロボット。目的は俺とリインをおびき出して、なのはたちやはやてから切り離して戦力を分断すること……。

 

 ――本当にそれだけか? “奴”に殴られた時、なにかを奪われたような気がする。でなければ右手だけを切り離す意味がわからない。

 それにこの状況、カリムさんの《預言》にそっくり当てはまるような……。

 

 

 

 

 

「御神さん、御神さん! 今よろしいでしょうか?」

 

 看護師さんの呼び声に、俺の意識は現実に引きずり戻される。

 

「――はい、なんでしょうか?」

 

 若干慌てた様子で返事を返す俺に、看護師さんは安心させるように笑みを浮かべながら言った。

 

「お母さんの治療が終わったようです。今は眠ってるから会えないけど、明日には面会できるようになるから、その時に会ってあげてくださいね」

「はい、ありがとうございます!」

 

 笑顔以上に優しい言葉をかけてくれる彼女に、俺はお礼を言いながら深く頭を下げる。

 彼女は笑いながら頭を上げるように言ってくれる。しかし、言われた通り頭を上げた途端彼女は笑みを消して……

 

「ただ、お母さんが目を覚ましたら、すぐ何人かの局員と聴取をするかもしれません。もちろん無理はしないように配慮しますが、事件解決のためにどうかご理解ください」

 

 そう言って今度は看護師さんが頭を下げる。さっきとは逆に、今度は俺が彼女に頭を上げるように言った。

 

 ここは一般の病院ではない。本局から派遣された医療魔導師がホテル近くの施設を間借りして作った、“管理局用の簡易病棟”だ。母さんを斬りつけた剣は『エルトリア』という異世界の技術で作られた可能性が高く、普通の病院で検査されたら異世界の材質が発見されていらない騒ぎを起こされる可能性があるらしい。アミティエも同じ施設に運ばれ、治療を受けている。

 そして、この病棟に運ばれた人間がもう一人いる。

 

「ちょっといいかしら?」

 

 後ろからかかってきた声に、俺と看護師さんはそちらを向く。そこには体のいくつかにガーゼと包帯を巻いた、30代ほどのスーツ姿の女性が立っていた。確か母さんの仕事仲間の……

 

「早見と申します。警視庁の刑事で、御神さんとは仕事上ある程度の付き合いがあります。御神健斗さんとおっしゃるみたいだけど、あなたは彼女の……」

「息子です。母がいつもお世話になっているみたいで……」

 

 お決まりの定例句に早見さんは苦笑しながら言葉を返してくる。

 

「お世話になってるのは私の方よ。あの人には色々助けられて。……ところで、あなたには色々聞きたい事があるんだけど、いいかしら?」

 

 笑みを消して尋ねてくる彼女に、俺も真剣な顔を作る。

 

 あそこにいた警察官のほとんどは、大型機械が変形してすぐ逃げ出したためか、記憶操作魔法が効いてあの時の事を夢だと思い始めているみたいだが、早見さんほど深入りした人間の記憶を書き換えるなどそう簡単ではない。

 この人を誤魔化すのは難しそうだが――

 

「健斗!」

 

 後ろからリインの声がしてそちらを振り向くと、駆けつけてくる勢いで彼女がこっちに向かって来ていた。訝しそうな目で自身を見る早見さんにリインは会釈を返すと、俺の方を向いて思念を飛ばしてくる。

 

《アミティエという女性の治療が終わったらしい》

《本当か? 話には聞いていたがすごい回復力だな》

 

 驚く俺にリインは首を縦に揺らす。

 

《ああ。最低限の治療とエネルギー(食事)を補給したらあっさりと。それでアミティエがこれまでの経緯を話したいから、自身の病室に来てほしいと言っている。主たちもなのはたちもこちらに向かっているそうだ》

《そうか。わかった、すぐに向かおう》

 

 思念通話を終えると、早見さんが怪しそうな目でこちらを見ていた。そんな彼女に友達のお見舞いをしてくる別れを告げる。早見さんは何か言いたそうにしながらも、俺とリインの顔を見比べてから「わかったわ」と言って、了承してくれた。

 

 それから十歩くらい進んで振り返ると、早見さんに看護師さんが話しかけているのが見えた。

 あっちの方もはたしてどうなる事か……。

 

 

 

 

 

 

 ……また、助けられなかった。

 はやてちゃんの大切なものを奪われて。キリエさんもお姉さんとすれ違ったままどこかへ行っちゃって。美沙斗叔母さんも大きな怪我をしちゃった。

 

 あの時と同じだ。アリサちゃんとすずかちゃんが誰かにさらわれた時のように……。

 本当にアリサちゃんとすずかちゃんが大切なら、リンディさんや管理局にどれだけ責められても、魔法の力を使ってアリサちゃんたちを助けるべきだった……健斗君はそれが出来たのに。

 

 

 

 私は“あの頃”と変わらないの? 家族が大変な時に何もできなかった頃と――。

 

 そこまで思って私は大きく首を振る。

 いや違う。今の私なら――魔法を覚えた私なら、アミティエさんとキリエさん、イリスさんを助けられるはずだ!

 

 

「助けなきゃ……」

 

 そんな言葉が自然に口から出てくる。

 私はベランダの手すりに手を置き、まばゆい輝きを放つ眼下の街を見下ろしながら、もう一度口を開いた。

 

「今度は、私が“みんな”を(たす)けるんだ!」

 

 

 

 

 

 病棟に向かう前。ホテルのベランダで一人、高町なのはは決意を固めていた。



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第5話 目覚める《王》と《臣下》、そして《騎士》

 深い暗闇の中、そこで(おのれ)は永い時を眠っていた。

 その間、己の頭の中に浮かぶはあの者たちのことだ。

 己と共にいた者たち、不甲斐なき己を置いて去った主……もう誰一人顔も姿も思い出せんが。

 

 腹が立つ。なぜ己は惰弱なのか。なぜ己は主に捨てられる程度の力しか持てぬのか。

 

 (おのれ)はただ求める。

 自ら定めた使命を果たせる力を、その力を存分に振るえる体を……そして己が仕える“主”を。

 

 永遠とも思える時間の中で、在りし日の記憶を失い、深い闇を揺蕩(たゆた)いながら、己はずっと時が来るのを待っていた。

 

 

 

 

 

 

 闇の書とその依り代たる剣十字を目の前に浮かべ、イリスは《鍵》を呼び出す準備を整える。キリエはその後ろで何が起こるか、ただじっと待っている。

 

 闇の書を前にしてイリスは口を開く。

 

「フォーミュラエミュレート……アルターギア・《夜天の魔導書》」

 

 イリスがそう唱えた瞬間、彼女の足元に“フォーミュラシステムで再現した”ベルカ式魔法陣が浮かび上がり、それに応えて闇の書が激しい勢いで頁をめくっていく。その頁には夜天の書に残された魔法や、主たるはやてが新たに記録した魔法の術式が記されていた。

 それが映ったのか、イリスの目の中に“赤い文字列”が浮かび上がった。

 

「コードロック解除……管理者権限にアクセス。《鍵》の場所は構造の奥の奥……」

 

 《夜天の主》にしか使えぬはずの管理者権限を駆使し、イリスは《鍵》とやらを探り当てる。

 すると闇の書は暴風とともに無数の頁を吐き出した。風にあおられ、キリエは家具とともに吹き飛ばされかけるも、テーブルにしがみつくことで何とか踏みとどまる。

 そうしてる間に闇の書は一枚の頁を吐き出し、書から吐き出された頁は宙に浮きながらイリスの前を漂う。それに向かって、イリスは一呼吸置いてから最後の一句を唱えた。

 

「《封印の鍵》――起動!」

 

 そう唱えた瞬間、頁は“紫色の炎”に包まれ、“赤”と“青”の小さな炎を吹き出しながら、イリスの前に留まった。

 

「これが、永遠結晶への《鍵》……」

 

 大小三つの炎を見て、キリエは思わずつぶやく。一方、イリスは“赤”と“青”を見て……

 

(……一つ足りない? “あの子”も一緒に眠ってると思ったんだけど)

 

 彼女がそう訝しんだ。その直後――

 

(われ)はなぜここにいる?』

「――!?」

 

 ふいに“紫色の炎”が言葉(問い)を発し、キリエはすくみ上る。その一方でイリスは平然と炎に声をかけた。

 

「おはよう《ロード》。お目覚めの気分はいかが?」

 

 そう声をかけるイリスに、紫の炎は怪訝な声を返す。

 

『貴様は何者だ? 我を知っている者か? ……思い出せぬ』

 

 悩ましげにつぶやく炎にイリスは答えた。

 

「あなたは《王様》。古い魔導書の中で眠らされていたの。あなたのまわりを回っているのが、あなたの大切な《臣下》」

『《臣下》……』

 

 自身を囲む“赤”と“青”の炎をさしながら言うイリスに、紫の炎もおうむ返しにつぶやく。イリスはそれにもうなずきを返しながら言った。

 

「私たちはあなたたちに失われた力を取り戻すチャンスをあげたいの。永遠結晶に眠る無限の力を」

『永遠結晶……無限の力……』

「取り戻すための力も貸してあげる」

 

 記憶をたどるようにおうむ返しを繰り返す炎に構わず、イリスがそう言って、あたりに散らばった魔導書の頁に視線を向ける。すると頁の何枚かが再び宙を飛び、紫の炎に飛び込んでいった。

 途端に、紫の炎は揺らめきながら形を変え、夜天の主に瓜二つな少女の姿になった。彼女と違い、瞳は淡い緑で、髪のほとんどは白いものの根元の部分が黒い。

 

「これって……」

「闇の書の現所有者のデータをインストールしたわ。悪くないでしょ。……《臣下》たちにも体を与えないと。キリエ、あの二人のデータを」

 

 イリスの指示を聞いて、キリエは「うん」とうなずきながら籠手をはめた右手を掲げる。

 イリスは床に散らばる頁から無造作に二枚選び、キリエの元に飛ばす。頁はそのまま彼女の籠手に触れて燃え上がり、《王》のまわりに浮かぶ炎たちに取り込まれていった。

 

 そして《臣下》たちもまた人の形に姿を変え、データの持ち主たちと同じ姿を取った。

 片方は短い茶髪と水色の瞳の少女。もう片方は長い水色の髪と紫の瞳の少女。髪と瞳の色は違うものの、片方は“高町なのは”に、もう片方は“フェイト・テスタロッサ”に瓜二つで、二人とも髪の毛先だけが黒く染まっていた。

 《王》は自身の両隣に立つ彼女らを見回し……

 

()が臣下……“シュテル”と“レヴィ”」

 

 教えられるまでもなく、《王》は自身に仕える《臣下》たちの名を呼ぶ。それを聞いて……

 

「色々思い出した?」

 

 満足げに確認してくるイリスに、《王》は重々しくうなずき……。

 

「ああ、体を得たおかげか、記憶が少し戻ってきた。我の成すべき事も含めてな」

 

 その言葉とともに三人の足元にベルカ式の魔法陣が浮かぶ。

 

「あらゆる望みは()が手の中に。世界のすべては()が腕の中。無限にして無敵の《王》に――(われ)はなる!!」

 

 おびただしいほどの魔力を纏いながら力強く宣言する《王》と、彼女の隣に控える二人の《臣下》。

 彼女たちをキリエは感嘆の目で見て、

 

「なんかすごい子たちね!」

 

 そう言ってくるキリエに対して、イリスは動じていない様子で答えた。

 

「あの子たちが《鍵》よ。あと一人足りないけど……どうしてかしら? まさか闇の書の中にはいないとか……」

「……ああ、そういえばあの男の子のデータも取ったんだっけ。それはどこに……」

 

 あごに手を乗せて考えるイリスに、キリエは答えながら彼のデータを探す。

 そうして首を巡らせると、先ほどの暴風で飛ばされた“イリスの分身の右手”と、それに張り付いている一枚の頁を見つけた。

 

「あった……こんな所に――えっ?」

 

 キリエが手を伸ばした途端、頁は分身の右手を巻き込んで真っ白に燃え上がる。

 突然の出来事に皆が目を見張る中、それは唐突に()()()()

 

 

 

 

 

 

「『惑星エルトリア』……アミティエ――いや、アミタさんはそこから来たと」

 

 俺の言葉にアミタさんはうなずきを返す。彼女はあらかたの治療が終わった今も入院着姿でベッドに横になっており、その横では彼女が食べた跡と思われる、大量の食器を看護師さんが片付けている最中だった。

 それにあぜんとしながらも耳を傾ける俺たちに、アミタさんは話を続けた。

 

「はい。エルトリアはこの地球から遠く離れた星なんですが、百年以上も前から環境が悪化して、住民たちのほとんどは故郷(エルトリア)を離れ、星の海へと旅立っていきました。私たちが小さい頃にはもう街がいくつか残っているくらいで、今はもう私とキリエと、私たちの両親しか……」

 

 そう言ってアミタさんは言葉を詰まらせる。そこでフェイトが彼女に尋ねた。

 

「アミタさんたちは他の住民の人たちと一緒に行かなかったんですか? その、星の海に」

 

 その問いにアミタさんは首を横に振る。

 

「私たちの両親は科学者で、私たちが生まれる前から、故郷の再生と緑化を夢にして頑張っていました。もちろん私とキリエも」

 

 アミタさんは誇らしげに語る。しかし、彼女はそこで顔を曇らせて……

 

「……ですが、父は数年前から病を患って……今ではもう、ほとんど意識がない状態です。キリエはそれを何とかしたいと必死になって……そして見つけたんです。星の命すら操るという《永遠結晶》と、それを手に入れるための方法を。その《鍵》となるのが……」

「夜天の書……ですね」

 

 はやての言葉にアミタさんは「おそらく」と言いながら首を縦に振る。そこでなのはが尋ねた。

 

「はやてちゃん、永遠結晶について心当たりはある?」

 

 その問いに、はやてはこくりとうなずき。

 

「うん。二年前の事件のすぐ後、アインスから聞いた事がある。夜天の書を作るのに使った材料の一つで、アインスとは別の管制人格(システム)の核なんやて。確か名前はシステム、ユー……」

「《システムU-D》。主が見つからなかった時に目覚めるというプログラムだ。そうだったよな?」

 

 俺が尋ねると、リインはうなずき口を開いた。

 

「はい。ですが、システムU-Dは夜天の書を管理するために造られた――私より上位のプログラムでもあるため、ユーリに関しては私も多くは知らされていません。永遠結晶についてもシステムU-Dの核としか……」

 

 とはいえ、夜天の書の材料になるほどの物質だ。星の命を操る……いや、星を救う力くらいはあるかもしれない。

 そう考えているところで、再びアミタさんが口を開き、キリエの事に話を戻した。

 

「永遠結晶を手に入れるため、キリエは《遺跡板》――こちらの世界でいうコンピュータのようなものを使って、永遠結晶の在り処と、はやてさんたちのデータを集めていました。能力はもちろん、あなたたちが関わった過去の事件など色々と。失礼ながら私もはやてさんたちを探すためにそのデータを閲覧しました。そうしてキリエと私はこちらの世界に……」

 

 そう言ってアミタさんは言葉を終える。そこではやてが思い出したように言った。

 

「待ってください! 私を襲った赤いドレスを着た女の人――イリスって人は誰なんですか? さっきまでの話に出てきてないし、アミタさんたちの姉妹ってわけやないみたいですけど」

「ああ、まだ言ってませんでしたね。私も断定できるわけではありませんが、おそらくキリエが使っている《遺跡板》に内蔵された人工知能だと思います。キリエは子供の頃から、私たち家族に隠れてよくその子とお話ししているみたいでしたから。小型の端末を持ち出せば、こちらの世界でもその人工知能とお話ししたり、ある程度自由に行動させることができると思います。多分はやてさんと健斗さんたちを襲った車もイリスが操っていたものではないかと」

 

 自分を襲った車とイリスを思い出して、はやては難しい顔をする。そこへ今度は俺が質問した。

 

「じゃあ、ヘルメットをつけたロボットは? エルトリアではそんなロボットが使われたりしているんですか?」

 

 その問いにアミタさんは怪訝な顔をしてから首を横に振った。

 

「……いえ、コロニー(宇宙ステーション)に移った人たちならともかく、私たちはそういうものは……キリエかイリスがこの星に着いた時に造ったものではないでしょうか?」

「そうですか……」

 

 俺はそう答えながらも、釈然とできずに内心首をひねる。

 あのロボットには明らかに独自の意思があった。話に聞いたキリエやイリスとは異なる意思が……あれは本当に二人が造ったものなのか? それに……。

 

「じゃあもう一つ。《不滅の闇》と《闇の王》という言葉に心当たりはありませんか? 似たような話を聞いた事があるとかでいい。何か知ってる事は?」

「……? いえ、さっぱりわかりません。そちらの世界の童話か何かでしょうか?」

 

 俺の問いに、アミタさんはあからさまに首をかしげる。まったく見当もつかないという顔だ。

 しかし、はやては思い出したようで。

 

「健斗君――それってまさか」

「ああ。実はこの状況――」

『みんなすまない!』

 

 俺が言おうとしたところで、頭上に空間モニターが出現し、クロノが声を重ねてくる。内心むっとするが、彼の表情と次に告げた言葉でその気持ちは消し飛んだ。

 

『都内のある地点から大きな魔力反応が現れた。アミティエ氏の聴取は中止して、至急そちらに向かってくれ! 僕と武装隊も準備が出来次第、彼女たちの捕獲に向かう!』

『装備も更新が終わり次第届けるから、空の上で受け取ってね』

「――了解!!」

 

 クロノと隣に立つエイミィさんに俺たちは力強く返事をし、キリエたちの元へ向かうことにした。

 そこで何が待ち受けているのか知る由もなく。

 

 

 

 

 

 

 頁が白く燃え上がり、右手ごと魔導データを取り込むことで瞬く間に人の姿を取る。

 それを見てキリエは硬直し、思わぬ形での復活にイリスもあぜんとし、《王》たちも目を見張る。

 

 新しく現れたのは少年だった。

 髪は薄い灰色で、右眼は赤、左眼は碧色。それ以外は《王》や《臣下》たちと同じく、データの持ち主“御神健斗”に瓜二つだった。

 

 彼は辺りを見回し、キリエとイリス、二人の《臣下》、そして《王》を名乗る少女の姿を一通り確かめると、おもむろに口を開いた。

 

「貴女らに問おう。(おのれ)が護るべき――《王》を名乗りし者は誰か!」



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第6話 主従の誓い

「あなたは……」

「……ぶらぶら」

 

 最後に現れた少年を見て、シュテルとレヴィは一言ずつつぶやく。キリエとイリスも、彼の両隣で呆然とその様子を眺めていた。

 そんな中、《王》も少年を見ながら彼に問いを返す。

 

「“護るべき《王》”と言ったな……貴様ごとき(わらべ)(われ)を護ると言うのか?」

 

 《王》の問いに少年はこくりとうなずく。

 

「左様。主や王を守る事こそ、《騎士》たる(おのれ)の使命にして本懐なれば。その言い分から察するに、貴殿が先ほど名乗った《王》で相違ないか?」

 

 《騎士》の問いに《王》は気を引き締めながら答えた。

 

「如何にも。我こそが永遠結晶と無限の力を手にするべき《王》――ロード・ディアーチェである。貴様こそ何者か? 名を名乗るがいい」

 

 その問いに《騎士》を名乗る少年はすぐに答えず、《(ディアーチェ)》に近づき、その姿をじっと見る。それからしばらくして、彼は膝を折り曲げ、床にひざまずいた。

 

「失礼した。己はアレル。先に言ったように、王や主を護るために在る《騎士》である。だが今、己には仕えるべき主も王もいない。故に《王》――ロード・ディアーチェよ。貴君の麾下に加わり、その大望を果たすために(おの)が力を捧げたい。その暁には、貴君が所望する永遠結晶と“無限の力”なるものを手に入れ、御身に献上するとお約束しよう」

「アレル……」

 

 アレルという名をつぶやき、ディアーチェは眉を寄せる。

 なぜだろうか。アレルという名には聞き覚えがある。それに彼には初めて会った気がしない。

 自身の記憶をたどり、頭の中で首をひねっていると……

 

「いかがかディアーチェ――いや、《王》よ!」

 

 アレルに返答を迫られたことで、ディアーチェは我を取り戻す。そして――

 

「う、うむ! 貴様がそこまで言うのならよかろう。ロード・ディアーチェの名において、()が臣下に名を連ねる事を許す。せいぜい励むがよい」

「はっ、ありがたき幸せ。では貴君に忠誠の証を立てたい。どうかお手を」

「う……うむ…………」

 

 その言葉にディアーチェはほのかに顔を赤くしながら、言われた通り甲を向けた手を差し出す。シュテルとレヴィもアレルに対し不思議な既視感を抱きながら、黙ってそれを見ていた。

 だが――

 

「ちょ――ちょっと待って!!」

 

 アレルがディアーチェの手を取り顔を近づけたところで、あらぬ方から声がかかり、ディアーチェたちはそちらに顔を向ける。そこには顔を隠しながらテーブルの影に隠れているキリエと、顔を赤くしながらも四人の様子を窺っていたイリスの姿があった。

 

「何か用か? 桃色の」

 

 心なしか不機嫌そうな様子でディアーチェはキリエに声をかける。キリエは顔を隠したまま言った。

 

「し、臣下とか仲間にするのはいいけど、四人ともそろそろ服を着た方がいいんじゃない……恥ずかしいと思わないの?」

「恰好……」

 

 レヴィがつぶやき、他の三人も自分の体を見る。

 四人は体を構築して間もなく、当然体の上にはなにも着ていない――つまり素っ裸の状態だった。

 しかし、ディアーチェは不満そうな表情のままキリエを指さし、

 

「貴様も大して変わらぬではないか」

 

 と言い返した。キリエも先ほど自分の治療を済ませたばかりで、下着の上にシャツのみという格好で、アレルが出て来た途端慌てて身を隠し、今もテーブルの裏にいる。

 そんな彼女を助けたのは、ディアーチェの臣下の一人、シュテルだった。

 

「ですが、服を着た方がいいというのは一理あります。防御の面でいささか不安のある姿形であるのは確かかと」

「ボクは防御とか気にしないけど、スースーして落ち着かないよね」

 

 シュテルは平らな胸をペタペタ触りながら進言し、レヴィも体を動かしながらそう言ってくる。アレルも立ち上がりながらディアーチェに告げた。

 

「確かに、この状態で戦いになれば不利なのは否めん。王よ、モモイロの言う通り、戦に備えて鎧ぐらいは装着するべきではないか」

 

 アレルに言われて、ディアーチェも気を取り直したようにあごに手を乗せる。その奥ではモモイロという呼び方に対して、キリエが何か言いたげな顔をしていたが、ディアーチェたちは取り合わず……

 

「それもそうだな……ならば」

 

 ディアーチェが首肯すると、彼女のまわりに魔力が渦巻き、その身を包む防護服となった。細部が違うものの、その姿はやはりオリジナルが着ているものに似ている。

 ディアーチェが目を向けるとシュテルとレヴィはうなずき、同じように魔力でできた鎧を着る。そしてアレルも純白の光を纏い、特製の鎧を装着した。

 それを見てキリエは感嘆の息をつき、イリスは服とともに生成された武器を見て彼女らのもとへ進み出た。

 

「じゃあ準備もできたみたいだし、そろそろ動きましょうか。私たちの邪魔をしに来る子たちがいるから、王様たちはその子たちをやっつけに行ってくれる。あなたたちと同じ姿をしているから簡単にわかるはずよ」

 

 イリスが言うと、ディアーチェは肩をすくめて言葉を返す。

 

「我らは誰の指図も受けん。力と体をもらった事は感謝するが、頼み事なら永遠結晶を手に入れた後で――」

「あの子たちの狙いも永遠結晶だとしても?」

 

 その言葉にディアーチェはピクリと眉を上げる。それを見てシュテルが「ディアーチェ」と彼女の名を呼ぶものの……。

 

「行くぞ、シュテル、レヴィ……アレル、貴様も来るか?」

「無論。王の為に力を捧げると誓った身。行かぬ道理はない」

 

 アレルがうなずくと、シュテルは仕方なく主に「御意」と返し、レヴィも「はーい」と声を上げる。

 そして三人は割れた窓の隙間から、夜空に向かって飛んでいった。

 

 

 

「……いいの?」

 

 キリエはそう言いながらイリスに顔を向ける。彼女たちだけを行かせてよかったのか、という意味で。

 イリスは平気そうな顔で、

 

「大丈夫……あの子たち《四つの魂》は、永遠結晶……その持ち主に触れていた時期がある。おのずと解放のために動くはずよ」

「持ち主? そんな人がいたの? イリスはそのことを……」

 

 初めて聞く事実にキリエはイリスに問いかけようとする。だが言い切る前にイリスが――

 

「ええ……()()()()()()()

「――!」

 

 そう答えたイリスの虚ろな目を見て、キリエはびくりと肩を震わせる。

 そして思った。“この子は本当に私たちの星とパパを助けようとしてくれているのか?”と。

 その一方で、イリスはモニターを表示して次の行動の準備をしながら、唇の端に笑みを浮かべていた。

 

(さて、苦労して目覚めさせたんだから存分に働いてもらうわよ、《王様》たち。あの子たちが近くで動き回れば“あれ”は必ず反応するはず…………待ってなさい、《ユーリ》)



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第7話 機動外殻・功殻のアレイオーン

 エイミィさんに言われた通り、キリエたちのもとに向かう途中で代わりの武器を受け取りつつ、俺とリインは武装局員数人とともにバラバラに別れた魔力反応の一つを追って上空を飛んでいた。そして着いた先は……。

 

「オールストン・シー……」

 

 すべての照明が消され、暗闇に包まれた遊園地を眼下に見ながら思わずつぶやく。

 こんな所にキリエたちが?

 そう思った時、虚空から声がかかってきた。

 

『御神班、大型の質量反応がそちらに近付いています。注意してください!』

 

 その言葉に局員たちは辺りを見回す。それらしいものは見当たらないが……。そう思いながら皆があたりを眺めまわしていると……。

 

「……! 上だ!!」

 

 突然リインが上を見ながら叫び、それにつられて俺たちも顔を上げる。

 するとちょうど俺たちの真上を浮かぶ雲が割れ、そこから巨大な鉄の塊が落ちてくる。それを見て――

 

「う――うわあああああ!!」

「に、逃げろおおおお!!」

 

 鉄塊の真下を飛んでいた局員は慌ててその場から遠ざかる。

 その直後、鉄塊は真下の海に落ちていった。幸い巻き込まれた者はいない。

 しかし、鉄塊はそのまま沈むことなく、四脚の足を広げて海の上を歩く。よく見ると鉄塊というよりは巨大な鉄の馬に見えなくもない。その鉄馬の背の上には、幅広の剣を担いだ少年が乗っているのが見えた。

 

「ふーむ、水上に作られた都市か。攻めるに難く守るに易いとはこのこと。特に中央にそびえる城はなかなか。我らが《王》の居城にはちょうどいい。出来ればあの城だけでも無傷で手に入れたいところだが……」

「おい、そこのお前!」

「……んっ?」

 

 オールストン城を眺めてぶつぶつ言ってる少年に向かって声を浴びせると、相手は眉をひそめながらこちらを見上げてくる。そして俺を見た途端「ほう」と驚いたように目を見張った。

 だが、それはこちらも同じだった。俺もリインも武装局員たちも彼を見た途端、思わず息を飲む。

 

「お前は……」

(おのれ)と同じ色違いの目を持つ者か。見た目といい、貴公が“この体”の元のようだな。どうやら当たりを引いたらしい」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 言葉を詰まらせる俺に対し、彼は面白そうにニヤリと笑う。

 

 彼の姿は俺とまったく同じだった。

 薄灰色の髪と、赤い右眼と碧色の左眼は異なるが、それ以外は顔の作りも背丈も何もかも瓜二つだ。他に違う所があるとすれば、ところどころに銀の装飾が施されている純白の鎧を着ている事と、幅広の刃を備えた大剣(クレイモア)を持っていることぐらいだ。鎧の方は色違いだが、前世(ケント)の頃に着ていた鎧に似ている気がする。

 

「我々は時空管理局の者だ! 大規模危険行為の現行犯で逮捕する! お前は何者だ? 名を名乗れ!」

 

 彼を見ながら固まったままでいる俺に代わって、リインが少年に問いを投げる。

 一方少年は、リインの剣幕に動じず背中に担いだ剣を腰のあたりへ下ろしながら言った。

 

「ふむ、騎士として身上を問われたからには答えねばならないな。己の名はアレル。王からは《瞬撃のアレル(アレル・ザ・ヘイスト)》という名も頂いている」

「瞬撃の……」

「……アレル」

 

 リインと俺の復唱にアレルはこくりとうなずき、

 

「そしてこれが《機動外殻》の一つにして、王より与えられし己の愛馬――《攻殻のアレイオーン》!」

 

 その名を告げるやいなや、アレルは自らを乗せる鉄馬の背をとんと一踏みする。

 すると鉄馬はうなり声を上げるかのような仕草で首を持ち上げ、オールストン・シーに向かって一気に突き進む。

 それを見て局員たちはすぐにアレイオーンという鉄馬に向かって砲撃魔法を撃ちこむが、その程度の砲撃ではびくともせず、アレイオーンは海岸の一部を壊しながら陸地に第一歩を踏み出す。

 何人かの局員は諦めたように砲撃をやめ、巨大な鉄馬の様子を見下ろす。そして、その上にアレルの姿がない事に気付いた。

 そこへ突然、彼らの前にアレルが現れる。

 

「はああああっ!」

 

 彼は手に持っていたクレイモアを大きく振るい――

 

「ぐあああっ!」

「ぎゃあああ!」

「うわあああ!」

 

 アレルがクレイモアを一振りした瞬間、三人もの局員が一気に斬り捨てられ、海へ叩き落とされる。彼はさらに数人の局員を見つけ、狙いを定めたように一睨みした。

 

「ひっ!」

 

 その眼光を受け、局員たちは思わずたじろぐ。そんな彼らをあざ笑うように、あるいは失望したような冷笑を浮かべながら彼は大剣を構え、踏み込むように身をかがめた。そこへ――

 

「はああっ!」

 

 俺は奴に接近し、迷わず剣を振り下ろす。アレルは大剣を突き出し、俺からの一撃を難なく受け止めながら口の端に笑みを浮かべた。

 

「貴公か。少々出遅れたようだが、己と刃を交わす気になったのは評価しよう。だが……」

 

 そこで彼はわざと視線を眼下に下ろす。それにつられて下を見ると、地面に上陸したアレイオーンが施設の一つをその巨脚で踏み潰そうとしているところだった。それを見て――

 

「穿て、ブラッディダガー!」

 

 リインは虚空から無数の短剣を取りだし、アレイオーンの脚元に向かって飛ばす。

 アレイオーンの脚にぶつかった瞬間、短剣は爆発し、アレイオーンはひるむように脚を引っ込めた。

 

「健斗、私は局員たちとともにあれの対処にあたります。申し訳ありませんが、それまでの間、健斗は一人でアレルとやらの相手をお願いできますか?」

「おう! こいつは俺が何とかする。あのデカブツはリインたちに任せた!」

「はっ!」

 

 それだけ言って、リインは他の局員たちとともにアレイオーンの元へ降りる。そして空中には刃をぶつけたままの俺とアレルが残った。

 

 

 

 

 

 ちょうど同じ頃、オールストン・シーのエリアBに鉄でできた隕石が落ちてきて、それを撃ち落としたのを皮切りにフェイトと《雷光のレヴィ(レヴィ・ザ・スマッシャー)》が、別のエリアではなのはと《殲滅のシュテル(シュテル・ザ・デストラクター)》が戦いをはじめ、ヴォルケンリッターたちが彼女らが引き連れていた《機動外殻》の対処にあたっていた。

 

 

 

 

 

 

 健斗と別れ、リインは局員たちとともにアレイオーンへの攻撃を始める。しかし、アレイオーンの装甲は強固で、局員たちの砲撃ではヒビ一つ入れる事が出来なかった。

 その上……

 

「はああああっ!」

 

 リインは魔力のこもった槍型のデバイスを振り下ろして、アレイオーンの頭を穿ち、そのまま地面に着地する。

 それを見て誰もがやったと思いきや、アレイオーンは頭を失ったまま、リインめがけて前脚を踏み下ろした。リインは空中に飛んで回避し局員たちは砲撃を再開するも、その間にも斬り落としたはずのアレイオーンの頭は赤く輝きながら浮かび上がり、本体に戻っていった。

 

「再生しただと……先ほど戦った暴走車にはあんな機能付いていなかったのに」

 

 驚くリインの前でアレイオーンは再生したばかりの頭をもたげ、眼下の施設群に向かって真横に振るおうとする。その前にリインは結界を張りながら飛び出し、その頭を受け止めた。

 

「リインフォースさん! この――!」

 

 局員の一人が叫ぶように彼女の名を呼び、砲弾を撃ち続ける。それが効いたのか、アレイオーンの動きがわずかに鈍った。それを瞬時に感じ取り、リインは全身に力を込める。

 

「ぐっ……ぐああああああっ!」

 

 端正な容姿をゆがませ、細い喉から荒々しいうなり声を絞り出し、リインはあらん限りの力で結界を突き出し鉄馬の巨大な頭を跳ね返す。それを受けてアレイオーンはのけ反るように一歩足を下げた。まわりの局員が歓声を上げリインに負けじと、ひるんだ鉄馬に向けて砲撃を撃ち込む。

 弱ったところに無数の砲弾を撃ち込まれて、さしものアレイオーンもよろめくように身をよじらせる。とはいえ、戦況は思わしくない。キリエたちが引き連れていた暴走車と違って、機動外殻とやらには再生能力があるようだ。頭を斬り落としても再生する鉄馬をどうやって破壊するというのか?

 そう思っていたところで、リインの頭の中に女の声が響いた。

 

《アインス! 聞こえる?》

《シャマル。どうした? こちらは今、機動外殻とやらと戦っているところだが》

《その機動外殻の弱点がわかったわ。私たちと戦った外殻には、胸のところに全身の動きを制御するコアがあったの。多分そっちの機動外殻にも――》

《胸だと?》

 

 それを聞いてリインはアレイオーンの背中を見る。くしくも先ほどまでアレルが乗っていた背中の向こう……その向こう側にアレイオーンのコアがあるのだろう。だが、アレイオーンの背中はしっかりとした装甲で覆われており、そう簡単に破壊できないのが見て取れる。破壊できたとしても再生されればコアを攻撃することはできない。

 だが……

 

「やるしかないか……『響け……』」

 

 アレイオーンの真上まで飛び、持っている槍を杖型にし、魔法陣を展開しながらリインフォースは唱える。リインとはやてが()()()使える魔法の中では、最も威力の高い砲撃魔法を。

 アレイオーンはそれを察したように園内に進もうとするが、そこへまたも局員たちが無数の砲撃を浴びせてきて、思わず歩みを止めてしまう。ちょうどそこで――

 

「――溜まった! みんな離れろ!『終焉の笛――ラグナロク!!』」

 

 リインの一喝に局員たちは一斉に散ってアレイオーンから離れる。その直後、リインの杖から高密度に収束された黒色の砲撃が放たれた。

 アレイオーンはなすすべなく砲撃を食らい、背中に大穴を開ける。だが背中の奥にあるコアは無傷なまま、アレイオーンは再び進撃を始める。局員たちがコアに向けて砲撃するが、焦りのせいでほとんどの攻撃は外れてしまい、体内に散った残骸を集めてアレイオーンの背中は修復を始める。リインはすぐに砲撃の用意を始めるが、とても間に合わない。

 その時だった。

 

「であああああっ!!」

 

 着物を着た長い白髪の男が彼方から飛んできて、鋭い爪で再生しかけた装甲を破壊し、アレイオーンの中へ飛び込んでいった。

 

「ヴィクター!」

 

 彼を見てリインは思わず叫ぶ。

 一方、アレイオーンの体内で白い輝きを放つ球状のコアを前に、ヴィクターは獰猛な笑みを向けながら爪を更に長く伸ばした。

 

「月村家の備品をよくもこんな鉄屑に変えてくれたもんじゃ。異界じゃろうが星の人間じゃろうが――《夜の一族》を舐めるでない!」

 

 そう言いながらヴィクターは爪を振り上げコアに向かって、何度も爪を振り下ろす。彼の数倍の質量を持つコアは見る見るうちにひび割れ、白色の光を溢れさせていく。それを見てリインは――

 

「まずい――逃げろヴィクター!!」

 

 そう叫んだ直後、コアは大爆発を起こし、アレイオーンの体もバラバラになって、その場に崩れ落ちていった。その中からヴィクターが出てくる様子はなく、リインは思わず――

 

「ヴィクターー!!」

「なんじゃ騒々しい。まさか儂に惚れたか?」

「――っ!?」

 

 隣から声をかけられて、リインはそちらを振り向く。ヴィクターは無傷なまま彼女の隣を浮いていた。

 ヴィクターはふてぶてしい笑みを浮かべながら言う。

 

「なんじゃその顔は? まさか儂が鉄の馬ごときと心中したとでも思ったか? あの程度の修羅場、ハンター数百人に囲まれた時に比べれば何でもないわい。爆発に巻き込まれた程度で死ぬほどやわではないしの」

「……そうか、無事で何よりだ。しかし、どうしてあなたがここに?」

 

 リインが尋ねると、ヴィクターは憤然とした様子で腕を組む。

 

「リンディという娘から、賊の一味がオールストン・シーに向かってきおると聞いての。しかも、その全員が先ほどの鉄馬や鉄人形を持ってきているというではないか。そこへちょうどユーなんとかという金髪の小童(こわっぱ)が来ての。あやつと一緒に加勢してみることにしたのじゃ」

「ユーノも来ているのか! ……しかし、あなたが《一族》としての力を発揮するには、異性の血を飲む必要があるという事だが……まさか」

 

 訝しむリインに対し、ヴィクターはしたり顔で言った。

 

「いやあ美味かったのう、リンディの血は。異界の女子(おなご)の血も悪くないもんじゃな。聞いた話によると未亡人という話じゃし、儂の新しい妻にしてもいいかもしれんの」

「彼女本人とご子息を納得させられる自信があるなら勝手にしてくれ。ところで健斗を見なかったか?」

 

 先ほどまで健斗とアレルがいた空中を見ながら尋ねるリインに、ヴィクターは肩をすくめた。

 

「あやつなら白鎧を着た童と剣をぶつけながら飛び回っておったぞ。白熱しておるようで儂にも気付かなんだ。あの童の見た目といい、想像以上に厄介なことが起きておるようじゃな」

「ああ。何しろ《システムU-D》が関わる事だからな。何事も起こらずにすめばいいが……」

 

 リインはそう願うものの嫌な予感が消えない。自身の本体であり、いずこにある夜天の書が何かを警告しているような気がしてならない。

 

 

 

 

 ヴォルケンリッターが機動外殻を破壊した頃、はやては自身に瓜二つな《王》と、なのはとフェイトは《臣下》と、そして健斗は《騎士》と戦いを繰り広げていた。

 さらに時を同じくして、遅れていたバルディッシュとティルフィングの改修が終わり、本局から地球に、さらに東京支局が手配した車に載せられ、大急ぎでオールストン・シーへ運ばれていた。



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第8話 瞬撃のアレル

 リインと局員たちをアレイオーンの対処に向かわせてから、俺とアレルは空中で剣をぶつけ合っていた。剣戟を繰り返しながら俺とアレルは言葉を放ち合う。

 

「そういえば貴公の名を聞いていなかったな。己が初めて討ち取る者の名だ。ぜひ聞かせてくれ」

「御神健斗だ。討ち取られるつもりはないがな。そっちこそ聞かせろ。なんで遊園地(オールストン・シー)なんか襲う? お前らの目的は永遠結晶じゃなかったのか?」

 

 聞きながらアレルの剣を弾き、そのまま相手に向かって剣を振り下ろす。アレルもそれを受け止めて、俺に向かって剣を振るいながら口を開いた。

 

「左様だ。だが《王》が永遠結晶と無限の力を手にするには、貴公らを倒す必要があるらしい。それにこのユウエンチという都市も拠点としては悪くない。《王》が力を手にしこの地の制圧を望まれた時に、ここは重要な役目を持つようになるだろう」

「いや、だからなんでそうなるんだよ!? エルトリアって星を救うために永遠結晶を手に入れるんじゃないのか? そもそも《王》って誰の事だ? キリエやイリスの事を言ってるのか?」

 

 俺が問いかけるとアレルは剣を弾きながら、

 

「質問が多いぞ。敵にそこまで教えると思うか(《雷光》がすでに教えていそうな気もするが)。それ以上知りたければ己を倒して見せる事だ」

 

 そこでアレルは俺から距離をとって魔法陣を展開してくる。それを見て俺も魔法陣を張り――

 

「フレース・キャノン!」

「ライトニング・アーティリー!」

 

 互いに紺色の砲弾と光の砲丸を射出する。

 二つの巨弾は真正面から衝突し、互いに相殺し弾け飛んだ。

 それを見届けながら、俺とアレルは小休止するように肩で息をする。

 

 騎士を名乗るだけあって古風な物言いをする男だ。昔の俺でももっと簡単な話し方をしていたぞ。そもそも遊園地を拠点にするって本気で言ってんのか? こっちの世界を知らないためなのか、あの男が天然なのか、いまいち掴めない。複雑な気もするが多分両方だろうな。

 

 とにかく、オールストンにはこいつ以外にも二人敵がいるし、ここから離れた所にはもう一つ魔力反応があるようだ。この騎士バカ一人にいつまでも時間をかけていられない。

 

 相手を遠くに見据えたまま俺は剣を構える。向こうでもアレルが大剣を構えるのが見えた。

 

「アレル、降参するなら今の内だぞ。この武器は物理的なダメージが与えられる分非殺傷設定が効きにくくてな、まともに食らえば大怪我する」

「負傷を恐れて騎士など務まらん。主のためならば死をも恐れず敵に立ち向かうが《騎士》というもの。なあ、ハイペリオン」

 

 俺の忠告にかえって興が乗ったとばかりに、アレルはその手に握った《ハイペリオン》という大剣に語りかける。無人格型の俺の剣も、向こうが持ってる大剣も言葉を返してこない。だが、純粋な武器としての性能はあちらに分があるように思えた。

 しかし、俺には“あれ”がある。速度においては絶対的に優位に立てるあの《固有技能》が――。

 

「いつでもいいぞ。来い!」

 

 大剣を構えたままの状態でアレルはそう声をかけてくる。

 俺はアレルを視界に捉えながら剣の刃に魔力を集めた。

 片やアレルは剣を構えたまま、魔法を使う様子もなくじっとしたままでいる。

 

「行くぞ――」

 

 そう告げると同時に、俺は剣を振り上げながら一歩踏み出す。寸分の差もなくアレルもまた剣を真横に振るいながら足を踏み出した。ここで俺は――

 

 

 

「フライングムーヴ!」

「シャイニング・サブジゲーション!」

 

 

 固有技能が発動し、世界中の時間が制止する。

 俺は止まっているだろう奴に向けて進む。

 ――だが!

 

「――なっ!?」

「――ほう」

 

 すべての――俺以外の時間が止まっているはずの中で、奴は、アレルは()()()()()()()()()()()()()、自分に向かって行く俺を見て唇を吊り上げた。

 

 

 次の瞬間、紺色の魔力光を帯びた剣と、眩しく輝く大剣が激しくぶつかった。

 初撃は上手く受け止めたものの、驚きのせいで手元が鈍ったせいか、次の剣戟で奴の大剣は俺の剣を下から弾き上げ、俺は無防備な体を奴に見せる。奴は俺の剣を弾き上げてすぐ己の腰まで剣を引く。その隙に剣を振り下ろそうとするが、奴はそれより速く――

 

「はあああああっ!」

「ぐあああっ!」

 

 肩から斜め下に掛けて斬られ、思わずうめき声を上げる。

 アレルは続けて二撃目を繰り出そうとするが、防衛本能に従って苦悶の声を上げながら剣を振るい、奴の剣を打ち返す。

 そうして俺とアレルは何度も剣戟を繰り返した後、互いの剣を弾き合って距離を取った。

 

「俺と同じ固有技能だと?」

「やはり同じ能力を持っていたか。だが、相手も同じ能力を持っていると知った瞬間、腰が引けたのは感心せんな。そのせいでいらん手傷を追うことになってしまった」

 

 傷を押さえながら吐き捨てる俺に対して、アレルはまた大剣を肩に背負う仕草をしながら忠告するように言ってくる。

 姿だけじゃなく、同じ固有技能まで持っているのか。いや、それだけじゃない。魔法陣の展開すらせずごく自然に武器に魔力を集めた挙動から、奴は変換資質を持っているとみて間違いない。

 今まで聞いた事も見た事もないが、おそらく奴の資質は――“光”。

 そんな資質が何の役に立つかは分からないが、魔法を使うそぶりがないからといって油断はできなくなった。

 

「……アレイオーンが破壊されたか」

 

 ふいにアレルは眼下を見ながら口を開く。奴に注意しながらその視線を追ってみると、確かに残骸になって横たわっているアレイオーンと、奴による破壊の惨状が見えた。

 

「その割には残念そうに見えないな。王様からもらった愛馬じゃなかったのか?」

 

 そう言うとアレルは苦笑しながら言葉を返してきた。

 

「《王》から賜ったのは光栄だが、空を駆ける(すべ)があるゆえに馬に利便性を感じなくてな。そもそもあれらを造ったのは《王》ではない」

「キリエかイリス、だな。やはりお前の言う《王》はあの二人とは別人か」

 

 ごまかす気もないのか、アレルはこくりとうなずく。

 

「うむ。《王》と利害が一致したようでな、体をもらった恩もあって一時的に手を組んでいる……貴公らの魔導データとやらから作った体をな」

「――俺たちのデータから!?」

 

 アレルが寄こした情報を聞いて俺ははっとする。“奴”やキリエが俺やなのはたちから奪ったのはそれか。じゃあ、こいつらはさしずめ俺たちのコピーといったところか?

 

「健闘の褒美はここまでだ。そろそろ第二戦と行こう。それとも降伏するか? 貴公と先ほどの銀髪の婦女なら己の従者に取り立ててやってもいい」

 

 笑みを見せながらアレルは再び剣を構える。

 俺もそれに倣いながら、

 

「お前の従者なんてお断りだ。だいたい、リインまでなんて変なこと考えてるんじゃないだろうな。俺のコピーならなおさら怪しい」

「その辺は安心しろ。騎士たる者、腐女子に狼藉を働くなどありえん――行くぞ!」

 

 

 俺たちは再び剣を交える。

 俺の剣に()()()()()()()()ことなど気付きもしないまま……。

 

 

 

 

 

 

『高町班、状況クリア。対象シュテルを……』

『御神班とテスタロッサ班も巨大兵器を破壊。ただし、テスタロッサ執務官と御神捜査官はそれぞれ単身で対象レヴィ、対象アレルと交戦中』

 

 空間モニターや念話による報告に耳を傾けながら、妙齢の女性が二人、オールストン・シーの入り口近くに立っていた。一人はリンディ・ハラオウン、もう一人はプレシア・テスタロッサである。

 リンディは次元犯罪を解決する機関の人間として、プレシアは園内で戦っているフェイトの身を案じて、ここに駆けつけて事態を見守っていた。

 そんな彼女らの近くに一台のワゴン車が停まる。その中から犬のような耳と尾をつけて、額に宝石のような者が埋め込まれているオレンジ髪の少女が降りてきた。

 

 彼女はアルフ。フェイトが拾った死にかけの狼を素体として作った使い魔で、現在では主の魔力負担を減らすために、二年前のフェイトぐらいの背丈の少女の姿を取ることが多い。

 ちなみに、アルフの素体となった狼は古代ベルカで繁殖した種で、ベルカ人たちがかの世界からミッドチルダに連れてきた種族だと言われている。

 

 アルフはプレシアの姿を見て、少し身をこわばらせながらもリンディに告げる。

 

「ごめん、遅くなっちゃった! でも、新しいバルディッシュとティルフィングはちゃんと持ってきた! ……フェイトと健斗は?」

 

 その問いにリンディは心配そうな顔でオールストン・シーを見ながら……

 

「二人とも、中で犯人たちを追いかけてる」

「――じゃあ、あたしが届けてくる!」

 

 同乗していた技術部のスタッフからデバイスが入ったケースを取り上げながら、アルフは園内に入ろうとする。そこへリンディが彼女の前に立ってそれを止めた。

 

「普通の魔法がほとんど通じない相手よ。あなたじゃ危ないわ」

「えっ……でも、だったらなおさら、今の装備のままフェイトたちを戦わせられないよ! キリエに続いて、フェイトたちにそっくりな子たちもいるんだろう? 今の武器のままじゃあ――」

 

 そう言われてリンディも戸惑う。

 フェイトたちが現在持っている武器は管理局で支給されてる汎用デバイスで、性能はいいとは言えない。

 それに対して敵は、通常の魔法を無効化するキリエ、イリスに加え、フェイトたちの姿、主武器までをもコピーしたような者たちだ。万が一のことは十分考えられた。

 かといって、(現在)のアルフに届けさせるのはあまりに危険すぎる。

 ならばここは――

 

「私がと――」

「私が届けに行くわ」

 

 アルフからケースを取ろうとしたリンディをさえぎって、プレシアがケースを取り上げる。それを見てアルフは目を丸くし、リンディは険しい顔で彼女に言った。

 

「プレシア。今のあなたは自由に魔法が使えない身よ。もうろくなデバイスも持っていないはず。それに敵の中には魔法が通じない子もいるわ。いくらあなたでも危険――」

「馬鹿にしないで。デバイスがなくったって魔法の百や二百、常に頭の中に入っているわ。少なくとも補助型のリンディよりはまともに戦えるはずよ……それに」

 

 プレシアはなにか言おうとしながらも、続きを飲み込む。そして彼女はデバイス入りのケースを手に園に体を向けた。

 

「とにかく、私はフェイトにデバイスを届けに行ってくるわ。健斗君にも届けたいところだけど……」

「彼には私が届けに行ってきます」

 

 その声に一同が振り返る。

 そこへ車の奥から、帽子をかぶった薄茶色の髪の女性が出てきた。

 

「リニス……」

 

 使い魔兼親友の顔を見て、プレシアはその名をつぶやく。

 そんな彼女をはじめとする一同にリニスは言った。

 

「デバイスの不備なんかで、ライバルに負けてもらっては困りますから!」




原作に詳しい方への補足。

“光”の変換資質は本作独自です。
ただ、変換資質は生まれ持った時から身についたものですから、炎熱・雷撃・冷却以外の属性を持ってる人間がいてもおかしくないんじゃないかと思って設定しました。
“光”は作中世界でも極めて珍しい属性です。それがどんな風に役立つのかは後々……。


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第9話 助け

 健斗がアレルと戦っている一方で、フェイトもまたオールストン・シーの水中水族館で暴れ回るレヴィを止めるべく、奮闘していた。

 館内に被害を出しつつも、フェイトもレヴィも戦いの場を海上ステージに移していた。

 海から直接汲み込んだ水面の上にいくつもの足場が設けられている、イルカのショーなどに使う予定の屋外ステージだ。今の時間、暗闇に包まれているはずのステージは、シュテルが落とした雷によって電力が注がれ、照明どころか噴水まで動いている状態だ。

 戦いながらもフェイトは懸命にレヴィを説得し続け、レヴィもそれに耳を傾け始めたと思いきや――

 

「ちょい待ちフェイト! 今なんて言った?」

「……えっ? 人に迷惑をかけたりと物を壊したりするのは悪い事だって――」

 

 突然問いを投げてくるレヴィに、フェイトはかつて犯した自らの行いを思い出しながら、もう一度繰り返す。しかしレヴィは首を横に振り、

 

「違う違う! その後! “それが命令されたことでも”って言ったよね!」

「えっ……う、うん! 誰に命令された事でも人に迷惑をかけたり物を壊したりするのは――」

「それってさ、ボクの王様のことを悪い人だって言ってるの?」

「えっ――いや、ちが――」

 

 一段低くなったレヴィの声にただならぬものを感じ、慌てて訂正しようとするフェイトだが、レヴィは聞く耳持たずに口を開く。

 

「王様はさ、ボクをいい子だって言ってくれた! ご飯もおやつもくれたし、うんと優しくしてくれた、一緒に眠ってくれた! ボクが世界中でたった一人、この人についていくって決めた人だ。そんな王様を悪い人だとか言う奴は……ボクがこの手で――ブチころがす!!」

 

 《バルニフィカス》という武器の形状を斧型に変えながら、レヴィは言い放つ。

 そして次の瞬間、レヴィはまさに“雷光”の如き速さでフェイトに迫り、彼女を空中から観客席に叩き落とす。それから間を空けず、レヴィもフェイトに向かってバルニフィカスを打ち込もうと地上に降り(落ち)た。

 フェイトはそれを避けながら――

 

「レヴィ違うの。そうじゃなくて――」

「違わない! 王様をディスる奴は悪いやつ。ボクはそれくらいシンプルでいいって、シュテるんが言ってくれたもんね!」

 

 先ほど親友からかけられた言葉とともに、レヴィは満身の力でバルニフィカスを振り下ろす。フェイトはそれをどうにか食い止めながら――

 

「レヴィ、私は――」

「うっさい!」

 

 互いの得物がぶつかっている間に説得しようとするフェイトだが、レヴィはその一言とさらに力がこもった二撃目でフェイトを会場へ叩き込み――

 

「いいから黙って――やっつけられろ!」

 

 怒声を上げると同時にレヴィは瞬時に地上に降り、フェイトを真上に放り上げる。

 空中を勢いよく回りながらフェイトは辛くも体制を整え、眼下を見る。そして彼女が見たのは地面にしっかり足を踏みしめたレヴィと、二又の青い刃を天井大まで伸ばした大剣型のバルニフィカスだった。

 レヴィは渾身の力でそれを振り上げ――

 

「双刃――極光斬!!」

 

 その言葉とともに巨大な刃が降ってくる。フェイトはとっさにデバイスを構えるが、刃を受け止めた瞬間、デバイスはひび割れ、あっという間もなく真っ二つに割れた。すると当然フェイトは巨刃をまともに受ける事になり……。

 

「うああああっ!」

 

 フェイトは刃を食らい、受け身を取ることすらできずそのまま海面に落ちた。

 

 

 

 

 

 

「はあっ!」

「ふっ!」

 

 剣と大剣がぶつかり、金属音と火花が散る。

 魔力のこもった剣を何度もぶつけ合い、、俺とアレルは一歩も引かない攻防を繰り広げる。飛行に意識を傾けるのも煩わしくなり、今は互いに地面に降りて戦っている。

 

「ライトニング――」

 

 彼の象徴である“光”を意味するその言葉とともに、アレルは魔法陣を展開する。

 

「フレース――」

 

 俺も魔法陣を展開し――

 

「アーティリー!」

「キャノン!」

 

 再び、俺たちが放った魔力弾が衝突し、周囲に衝撃波を放ちながら相殺し、打ち消し合う。

 その直後、奴の姿が眼前に現れた――固有技能か!

 

「フライングムーヴ!」

 

 俺もすかさず技能を行使しながら剣を振り上げる。

 そのまま俺たちは剣をぶつけ、剣戟を再開する。その際、俺の剣からピシッという音がするものの、そんなものにかまけている余裕などあるはずがなく――

 

「はああっ!」

「――ぐっ!」

 

 音に反応してかすかに生まれた隙をついて、アレルは勢いよく剣を叩きこんでくる。とっさに俺はその攻撃を剣で受け止めるものの、勢いに押されて数歩後ずさってしまう。

 そこでまたアレルの体がブレる気配がした――これは!

 

「はあっ!」

 

 反射的にパンツァーシルト()を繰り出した瞬間、盾に剣をぶつける音とともに剣を振り下ろした体勢のままのアレルが現れる。

 

「だああっ!」

 

 瞬時に盾を消しながら、俺は剣を振り上げる。アレルはすぐに剣を突き出すも、動揺のせいかその勢いは弱く、俺の剣は奴の剣を弾き上げ、アレルは一瞬無防備な体を晒す。

 

「ああああ――」

 

 そこへ俺は渾身の一撃を叩きつけようと剣を振り下ろした。

 その時――

 

 バキン!

 

「えっ……?」

 

 俺は思わず間の抜けた声を漏らす。アレルも思わず目を見張った。

 俺が振り下ろした剣の刃は突然割れて、半ばから先が折れて宙を舞った。

 それを俺はあぜんと眺める――その間にアレルは大剣を構え直し、

 

「せああああっ!」

 

 彼の大剣はそのまま俺の胴に突き当たり、俺の体は吹き飛んで宙を舞う。

 それを見上げながらアレルは剣を構えた。

 

「いい勝負だったぞ――さらばだ、御神健斗!」

 

 そして、アレルは俺にとどめを刺そうと、剣を振り上げながら地面を蹴った。

 

 

 

 

 

 

 一方、その頃。

 

 

「フェイトはどこー? 死んじゃったー?」

 

 ステージの足場だった残骸が散乱する水面の上で、レヴィは能天気そうな声を上げながら自分と瓜二つの敵の姿を探す。

 そして残骸の上に横たわるフェイトを見て、わずかに体を上下に動かしているところを確認して、レヴィは顔をほころばせた。

 

「あー、まだ生きてる! ――あ、いやいや、王様のためシュテルンのため、一応トドメをね」

 

 フェイトが生きているのを喜んだのも一瞬、レヴィは首をぶんぶん振って自らの役目を思い出す。

 そして、レヴィは薙刀型に変えたバルニフィカスの刃を下に向けて……

 

「そんじゃ……バイバイ、フェイト」

 

 遊び相手を見送るような口調で、レヴィはフェイトに向かって真っすぐ飛び降りようとした。

 ――その時!

 

「はあっ!」

「――えっ!?」

 

 破壊された観客席の方から“紫色の雷撃”が飛んできて、レヴィは魔法陣の盾を張ってそれを受け止める。そして光線が飛んできた方に向かって叫んだ。

 

「なんだよ、今いい所だったのに! 誰だ、そこの黒いオバサン!」

「えっ……」

 

 レヴィの最後の一言を聞いて、フェイトはそちらに顔を向ける。

 そこには黒衣のローブを着て、長い黒髪をたなびかせた、妙齢の女が立っていた。胸元やへそ、脚の付け根あたりを露出したローブ風のバリアジャケットはフェイトも二年ぶりに見るものだった。

 

「フェイトをこんなにしたのはあなたかしら? 愛娘そっくりな子に手を出すのは気が引けるけど、ちょっとお仕置きが必要みたいね」

 

 手のひらの上に紫色の球を浮かべながら、“彼女”はそう口にする。

 それを聞いてフェイトは呆然とつぶやいた。

 

「母、さん……」

「えっ? お母さんって、フェイトの?」

 

 それを聞いて、レヴィは思わずフェイトと彼女を見比べる。そう言えば顔立ちが似ているような気が……。

 そんな事を思うレヴィの前で、

 

「私はプレシア・テスタロッサ。しがないおもちゃ屋の店主で、あなたが傷つけたフェイトの母親――そしてミッドチルダから地球に移住してきた《自称大魔導師》よ!」

 

 かつて武器を交えた少年に呼ばれた二つ名とともに、プレシアは名乗りを上げた。

 

 

 

 

 

 

「はあっ!」

「ぬっ?」

 

 ステッキ状の杖が剣を弾き、アレルは乱入してきた邪魔者を見据えながら地面に着地する。

 一方、“彼女”は空中を飛びながら、眼下にいる敵を見てわずかに驚きながらもきっ、と目を細くした。

 

「何者だ? 健斗の部下か?」

「部下とは心外ですね。私がお仕えする主は別にいます。私の主はあなたごときに後れを取るような方ではありませんよ」

 

 久しぶりに黒いタイツと白いコートのバリアジャケットを身にまとった彼女は、そう言ってアレルに冷笑を浴びせる。

 彼女の後ろで俺はつぶやくように言った。

 

「リニス……なぜお前が?」

「お店の営業が終わったのでプレシアやフェイトたちの様子を見に行こうとしたら、支局の方からフェイトと誰かさんのデバイスを送る途中だと伺ったので、一緒に向かうことにしたんです。案の定、危ないところでしたね」

 

 リニスはそう言いながら苦笑するものの、実際にはクロノあたりの根回しだろう。それよりも――。

 

「新しいデバイスってまさか――あれを持って来てくれたのか?」

 

 リニスはうなずき、なにかを取り出そうと懐に手を伸ばしながらこちらを振り向こうとするものの――

 

「させん!」

 

 その一言とともにアレルの姿が消え、一瞬にしてリニスの真後ろに現れた。

 

「はああ!」

 

 アレルは彼女に向かって剣を振り下ろす。その剣は彼女の体を切り裂き()()()()()()()()()

 

「――ぬっ?」

 

 その直後――

 

「健斗!」

 

 声とともに上空から装飾品のようなものが落ちてきて、俺は片手を上げてそれを掴み取る。それは手のひらに収まるほど小さい、剣型のアクセサリーだった。アレルの剣をかわしたリニスが、上空から“あれ”を落としてきたのだ。

 俺は右手に掲げながら、呼びかけるように唱えた。

 

「《ティルフィング・アクシス》――installieren(インストリーレン)!」

『Ja Meister!(御意!)』

 

 アクセサリー――《ティルフィング・アクシス》は応えながら、以前より少し長い刀身の剣に変わった。

 自身の剣(ハイペリオン)に似たティルフィングを見て、アレルはほうとため息をつく。

 

「それが貴公が使う本来の武器か。ハイペリオンそっくりだ」

「ああ。これならお前にもハイペリオンという剣にも負けない。これで条件は互角――いや、こっちが有利か」

 

 隣に降りてきたリニスを横目で見ながら、俺はそう言い直す。しかし、アレルは臆する様子も見せずに剣を向けてきた。

 

「どうかな? 手負いの貴公に一人味方が加わった程度で、敗れる己ではない。来い御神健斗、そしてリニスよ!」

「ああ――」

「行きます!」

 

 俺とリニスはおのおのの武器を手に飛びかかる。アレルも剣を振るいながら向かってきた。

 

 

 

 

 

 

 それぞれが戦っている頃、水中水族館では……。

 

 

「あらあら、こんなに派手に壊しちゃって。壊し方からするとレヴィかしら。水族館では戦わないよう事前に言っておくべきだったわね」

 

 割れた水槽と水浸しの床を見下ろしながらイリスはつぶやく。そして彼女はこの先の通路に目を向け、そこが無事なままである事を確認して、安堵したように胸をなでおろした。

 

「まっ、この先には行ってないようだし、あの子も今は上でフェイトって子と戦ってる。結果オーライってことにしときましょ。さ、行くわよキリエ」

 

 イリスの言葉に、彼女の後ろを歩いていたキリエは遺跡板を手にしながら「う、うん」とうなずく。遺跡板には赤い光点が表示されており、そこに目的のものがあるとみて間違いないのだが……。

 

「ねえイリス、さっきから遺跡板も見ずに進んでるけど、もしかして最初から知ってたの? 永遠結晶がどこにあるのか……」

「ええ。確証はないけど、見当はついてるわ。こっちの世界のテレビやネットというものでよく取り上げられてたから。その情報を調べれば大体察しはつく」

 

 あっさりそう言ってのけるイリスに、たまらずキリエは叫んだ。

 

「だ、だったらなんで、あの王様って子たち――《鍵》なんか目覚めさせたの? 最初からここに向かっていたら、あの子たちと戦う必要はなかったじゃない!」

 

 その問いにイリスは視線を宙に向けて、考えるようにしばらく黙りこむ。そして……

 

「……見つけるだけじゃ駄目なのよ。永遠結晶を使えるようにするには、それに関わった事があるあの子たちを解放して共鳴反応を起こす必要があるから。管理局の人間を足止めする“囮”も必要だったしね。私とキリエだけじゃあれだけの数の相手なんてできないでしょ」

「そ、それはそうだけど――」

「話は後にしましょう。あの子たちの時間稼ぎもそう長くは続かない。それより早く永遠結晶を手に入れないと。あれはこの奥にあるわ」

 

 迷うそぶりを見せるキリエの言葉をさえぎり、イリスは示すように通路の先を示す。

 その先は、海鳴の海底から発掘された『巨大鉱石』が展示されているホールがある場所だった。



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第10話 それぞれの戦い……そして

「はあっ!」

 

 レヴィはプレシアに接近し、剣型のバルニフィカスを振るう。しかし、プレシアは素早く攻撃を回避し、レヴィの剣は空を切る。そしてプレシアは回避した先から杖を振るって魔法弾を放ってきた。

 

「フォトンバレット!」

「うわ――そんな遠くから卑怯だぞ!」

 

 魔力弾を避けながらレヴィは再びプレシアに斬りかかるものの、プレシアはそれも回避し、彼女も再び魔法弾を放ってくる。レヴィはそれを剣で弾きながら――

 

「さっきからちょこまかちょこまかと。大人のくせにボクと直接やり合う勇気もないのか! 女ならここまで来て正々堂々勝負しろ!!」

「以前持ってたデバイスがあればそうしたんでしょうけどね。リンディに借りた(デバイス)ではとても近接戦はできないわ。悪いけどこのまま遠距離で勝負させてもらうわよ」

 

 剣を振るいながら挑発するレヴィだが、プレシアは乗らず射撃魔法を撃ち放ってくる。レヴィはうわっと驚いた声を上げながらそれを回避し――

 

「このヒキョウもの! だいたい、子供の喧嘩に親が出てくるなんて大人げないと思わないのか!」

「思わないわ! お菓子の取り合いだろうとアニメの言い争いだろうと、愛娘のためならすぐに駆け付けて娘の味方をする。それが母親というものよ! 今の私にとっての座右の銘である『娘☆命』にかけてもそれは覆らないわ!」

「……は? なに言ってんの? むすめいのち?」

 

 プレシアが吐いた妄言にレヴィは怒りも忘れ、そんな声を上げながらも……

 

「なんだかよくわかんないけど、王様からの命令を邪魔する奴はみんなボクの敵だ! フェイトとまとめて成敗してやる!!」

 

 レヴィは得物を構え、先ほどより速いスピードでプレシアに迫る。プレシアも先ほどのように回避して見せるが、フェイトの魔導データから造られただけあって、相手もかなりのスピードの持ち主。戦っていくうちに、徐々に癖を読まれて杖やバリアでガードせざるを得ない場面が出てくる。そうなったら専用のデバイスを持つレヴィに分があり――

 

「はああっ!」

「ぐっ――はっ!」

 

 プレシアは隙を見て空いた左手から雷撃を出し、レヴィが避けた隙に彼女と距離を空け、そこから砲撃を撃ち込む、だがレヴィは易々とそれを弾いた。

 

(リンディにはああ言ったけど、やっぱり厳しいわね。以前のデバイスなしだと使える魔法が限られる。特に、集中する暇がほとんどないこの状況じゃ――)

 

 プレシアは今もってSSランクに匹敵する技量を持つ魔導師だ。その技量からかつて一部の人間から《大魔導師》と呼ばれ、フェイトたちに対して自身もそう名乗ったこともあるほどの。

 その頭の中には百以上の術式が詰まっており、少し集中すればデバイスなどなくても、かなりの種類の魔法を使う事ができる――広域魔法や次元魔法などはやはり難しいが――。

 だが、自分と同じ高速移動型の魔導師を相手にして、術式を組み上げる暇がないこの状況では、一瞬で組めるレベルの魔法に限られてしまう。それでもプレシアの腕をもってすればAAクラスの技くらいは瞬時に撃ち出せるのだが、レヴィほどの相手にはそれも通じないようだった。

 

(Sレベルの魔法ならそう簡単に弾くこともできないんでしょうけど、あの子のスピードならそれも当たるかどうか……敵にしてわかるけど、本当に恐ろしいわね……――!)

 

 内心で愚痴を吐いているところで、レヴィは得物を下に向ける。何事かとプレシアが目を見張っていると……

 

「ちょこちょこと……もう頭にきた――だったら、これはどうだ!」

 

 そう言うやいなや、レヴィは得物を振るって青色の雷撃を水面に落とし、大きな水しぶきを上げてくる。八つ当たりか? ――いや!

 

「はああっ!」

「――っ!」

 

 水しぶきで視界が塞がれたところで、その向こうからレヴィが突撃してくる。プレシアはとっさに杖でガードするものの、レヴィの勢いは強く、あっけなく弾き飛ばされてしまう。そこへ――

 

「はあっ!」

 

 レヴィが剣を振るとそこから青い刃が飛んでくる。プレシアはバリアを張ろうと左手を掲げるが、刃はプレシアの眼前で無数に分裂し、彼女を取り囲んだ。それをバリア一つで防げるはずもなく――

 

「きゃああああっ!」

「母さん!!」

 

 無数の刃に切り刻まれ、プレシアの体は空中から落ちる。幸か不幸か、そこは壊れた足場がある場所で、彼女は思い切り体を叩きつけられた。

 

「まったく、邪魔してくれちゃって。じゃあ、まずはオバサンから……えっ? な、なにこれ?」

 

 先ほどフェイトにしようとしたように、プレシアにとどめを刺そうとレヴィは刃を向けるが、突然現れたブロック型の黄色いバインドが彼女の手足を封じ、身動きが取れなくなる。

 その隙にフェイトは痛む体に鞭打ってプレシアの元へと飛んだ。

 

「母さん――母さん、しっかりして!」

「フェイト……その様子なら大丈夫みたいね。よかった……」

 

 先ほどまで倒れていた娘が自分を抱き起こす姿を見て、プレシアは安心したように笑う。

 

「よくないよ! どうしてデバイスも持たずにこんな無茶を?」

 

 フェイトの問いにプレシアは笑みを浮かべたまま言った。

 

「あの時のように……何もできずに娘を失うようなことは、もうごめんだもの……それにこれくらい痛くもなんともないわ……私のせいで、今までずっと一人ぼっちだったあなたに比べたら……今さら遅いと思うけど……ごめんねフェイト」

 

 そう言いながらプレシアはフェイトの頭に手を回す。その言葉と感触にフェイトは目の奥からあふれてくる涙を止める事が出来なかった。

 だが、フェイトは涙を流しながらも、プレシアに向かって首を横に振る。

 

「ううん……」

「……」

 

 その仕草と表情をどう受け取ったのか、プレシアは顔を曇らせる。フェイトはさらに続けた。

 

「違うよ……私、一人じゃなかったよ。母さんに生み出してもらって、リニスに色々な事を教わって、アルフと出会って、今はお姉ちゃん(アリシア)もいるし、母さんに頼まれた用事がきっかけでできたたくさんの友達もいる。それに……」

 

 フェイトの手から金色の光が漏れ、プレシアの傷を治していく。それとともにプレシアの懐から金色の光が漏れた。それはプレシアが運んできた、フェイトの愛武器――《バルディッシュ》に他ならない。

 

「この子とみんなから道を切り拓く力をもらった……だから、私は一度も一人ぼっちになんてならなかった!」

『Set up!』

 

 その一声とともにバルディッシュは金色の刃を伸ばした武骨な剣《バルディッシュ・ホーネット》に変わる。フェイトは立ち上がりながらそれを掴み取り、一振りしながらプレシアを振り返った。

 

「あの子を説得してくるから……待ってて、プレシア母さん」

「――」

 

 フェイトの言葉にプレシアは涙と笑みを漏らし、うなずきを返した。

 それを見てからフェイトはレヴィの元へ向かう。あちらのバインドを解いて、手足の自由を取り戻しているのが見えた。だが……

 

 あとは子供同士の問題だ。もう親が出ていく必要はない。

 そう思いながらプレシアは愛娘(フェイト)と、愛娘そっくりな(レヴィ)との戦いを見守ることにした。

 

 

 

 

 

 

「はああっ!」

 

 リニスが勢いよく彼に杖を振り下ろす。アレルはそれを難なく大剣で受け止める。そこへ――

 

「はあっ!」

「――」

 

 俺は紺色の魔力弾を撃ち込むものの、アレルはリニスの杖を弾き、一瞬で後ろに逃れる。そしてその直後に――

 

「せああっ!」

 

 アレルは俺の前に現れて大剣を振り下ろす。俺は剣を突き出して防ぎ、今度はリニスが砲撃を撃ち出すが、奴は俺の剣を払いつつ、光を纏った“拳”で弾を弾いた。

 

「えっ!?」

 

 リニスは杖を向けたまま思わず目を見張る。それを目にしてアレルの眼が光った。

 

「リニス、避けろ!」

「――遅い!」

 

 俺が声を上げると同時にアレルは俺の前から消え、リニスの前に現れ剣を振るった。

 

「――ぐあっ!」

「この――」

 

 アレルから一撃をもらい、リニスの体は後ろに跳ねる。

 俺はアレルたちの元へ飛んで剣を振り下ろすものの、奴は大剣を振り上げて俺を弾き飛ばし、再び距離を取った。

 

「リニス、大丈夫か?」

「ええ、(かろ)うじて杖で防いでダメージを抑えました。まさか素手で砲撃を弾くなんて……」

 

 リニスは信じられない面持ちでアレルの右手を見る。籠手に覆われたその手は、今は光を纏ってなどいない。溜めなしの身体強化、あれが《光の変換資質》の力……いや、おそらく他にも……。

 

《健斗、気付きましたか? 彼が能力を使った回数》

《ああ。お前が来る前も含めれば、とっくに“5回”は超えてるってことだろう》

 

 念を飛ばしてくるリニスに、俺はうなずきと返事の念を返す。

 

 俺の固有技能はまわりより速く動けるようになる分、体にかかる負荷は相当なもので、今の俺でも一日に使える回数は5回が限度だ。

 だが、アレルは今の剣戟だけで2回は惜しみなく能力とやらを使っており、その前までを含めるとゆうに6回は能力を使っているはず。にもかかわらず、奴の顔から余裕が消えることはない。

 少なくとも無理して限界以上に能力を使ってるわけではなさそうだ。奴が人間ではないからか、もしくはそれも《光の変換資質》と関係があるのかもしれない。

 

(……あたりがやけに静かすぎる。《雷光》と《殲滅》、まさか《王》も……いつまでも健斗らに構ってる暇はなさそうだな)

「相談はそのくらいでいいだろう。己も暇ではない。他の二人や《王》の様子も見に行きたいところでな――そろそろ決着をつけようか!」

 

 あたりを見回してから、アレルはそう声を張り上げて剣の切っ先を向けてくる。……対策を考えてる暇はなさそうだな。

 

 俺とリニスはそれぞれの得物を構えながらアレルを睨む。アレルも笑みを消して大剣を斜めに構えた。

 

 

 

 しばらくの間、俺とリニス、アレルは一歩も動かないでいた。

 勝負を急ぎたいのはお互い様。しかし、迂闊に動けば相手に攻撃を防がれて、隙を晒すことになってしまう。だが、そんな膠着がいつまでも続くわけもない。

 

「……」

「……」

 

 互いに睨み合ってからしばらくして、アレルはふいに一歩足を進める。

 それをリニスは目ざとく察して彼に飛びかかった。だが、それが彼の狙い。

 

「はあっ!」

 

 アレルは金色の光を纏いながら、速い速度で彼女に向かってきた。リニスはたじろぎながらも立ち止まり、杖を構える。そこで不意に彼の姿がブレた――。

 

「――させるか!」

 

 俺は剣の切っ先を向け、リニスの眼前に向かって魔力弾を撃ち出す。

 しかしその反対側からも金色の砲弾が二発撃ち込まれて、一発は魔力弾に、もう一発は俺の方に向かって来ていた。これを相手にしていたら絶対間に合わない。

 そう悟るやいなや――

 

 フライングムーヴ!

 

 技能を発動すると同時に、3発の魔力弾は動きを止め、その向こうでは静止したままのリニスに一太刀入れようとしているアレルがいた。

 俺は駆けながら剣を腰だめに構え――

 

 御神流・《飛燕》

 

「――はあっ!」

 

 アレルに向けて剣を振るい、斬撃の形をした衝撃波を放つ。

 さしものアレルもそれを見て動きを止める。それと同時に技能は解け、アレルは俺が放った斬撃とリニスの攻撃をその身一つで受ける形になる。

 だが――

 

「甘い!」

「きゃあ!」

 

 アレルは大剣を握りながら体をぐるりと回転させ、飛んでくる斬撃とリニスの杖を同時に弾き飛ばした。

 その衝撃でリニスは後ろに跳ね飛ばされる。アレルはそこを狙おうとするも――

 

「はあっ!」

「――!」

 

 すぐそばから俺が斬撃を打ち下ろすと、アレルはすぐに反応し大剣で受け止める。リニスもすぐに体勢を立て直し彼に雷刃付きの杖を振るうが、彼は素手で難なくそれを掴み取った。

 そして杖を握った左手を大きく振るい、俺に向かってリニスを投げ飛ばしてくる。

 とっさに受け身を取って彼女を受け止めるものの、その隙にアレルは剣を引き、そのまま俺に向かって振り下ろしてくる。そこで俺は、

 

「――《薙》!」

 

 横から剣を入れて相手の攻撃を払い、続けて二撃目で相手の剣を弾き、がら空きになった体に向けて三撃目を叩きこむ。しかしアレルは腕を巧みに操り、剣を翻すことで俺の斬撃を防いだ。

 なら――

 

「フライングムーヴ!」

「笑止!」

 

 俺は四撃目を撃ちながら技能を発動させた。急激な体感時間の変化によって自分の動きすら遅く感じる中、アレルも能力を発動させ俺に向かって剣を振り下ろした。

 

 

 

 剣と剣がぶつかる音とともに技能が解ける。

 

「はぁ……はぁ……」

「……引き分けか」

 

 息を荒げる俺に対し、アレルは一息つくようにそうこぼして後ろに跳ぶ。

 くそ! こいつの能力には回数制限というものはないのか。《光の変換資質》といい、なんなんだこの騎士バカは!?

 

「なかなかやる。己の(オリジナル)とその好敵手だけあって一筋縄ではいかんか……では、今度はこちらから――」

 

 アレルはふいに言葉を止める。なぜなら……

 

「――えっ?」

「……?」

 

 グラグラと地面が揺れ、俺もリニスもアレルも辺りを見回す。

 そして俺たちは見た、園内の中心から空に向かって伸びる“赤い光の柱”を。

 

「なんだ、あれは?」

 

 それを見て、俺は思わずつぶやく。リニスはもちろん、アレルも呆然と“光の柱”に見入っていた。

 

 

 

 

 

 

「やっと見つけた」

 

 筒状のガラスの中に封じられた、赤く輝く巨大な鉱石の前に立ってイリスはつぶやいた。

 それを聞いて後ろにいるキリエもか細い声を上げる。

 

「もしかして……本当にそれが?」

 

 その声にイリスは「ええ」といいながら振り返り、心からの笑みを浮かべながら告げた。

 

「これが()が長い年月をかけてずっと探していた――《永遠結晶》よ!」

 

 

 

 

 

 この世界には、何でも願い事を叶えてくれる『不思議な指輪』もなければ、泣いてる女の子を助けてくれる『魔法使い』もいない。

 だから私は自分で行動を起こす事にした。

 

 私からすべてを奪った――《ユーリ》への復讐を!



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第11話 悪魔

 オールストン・シーの中心から立ち昇る“赤い光の柱”を見て、今までアレルと戦っていたケントもリニスも動きを止めて柱に目をやる。それはアレルも同様だった。

 

(あの光は一体? ……まさか、あれが《永遠結晶》か?)

《アレル! アレル、聞こえるか!》

 

 光に気を取られていたところで脳内に主の声が響き、アレルははっとした。

 

《王! ご無事であったか》

《無論だ。小鴉(ごがらす)ごときに後れを取る我ではない。それより貴様こそ無事か? 今、どうしておる?》

 

 小鴉という単語にアレルは首をかしげかけるも、闇の書の主のことかと思い直しながら答えた。

 

《己は無事だ。しかし、まだ己のオリジナル――御神健斗を打ち破れてはいない。もう少し時間を頂ければ――》

《それはもうよい! それよりレヴィとシュテルが破れた。そのうえ、あの桃色とおさげが何かしでかしおるようだ。我は小鴉を撒きながらそっちに向かっておる。貴様もその場から離れて、急ぎ我と合流せよ!》

《――心得た、すぐそちらに参る》

《うむ。それにあたって貴様に一つ頼みがあるのだが…………》

《……了解した。己に任せておくといい》

 

 主からの頼みに首肯してから、アレルは再び健斗とリニスの方に顔を向けた。

 

 

 

 

 

 

 俺とリニス同様、園の中心から昇る赤い柱を呆然と眺めていたアレルだったが、うなずいたり視線を揺らすような挙動を見せてから、俺たちの方に向き直る。……誰かと思念通話をしていたようだな。あいつが言う《王》って奴か?

 

「御神健斗、リニス、貴公らの相手をしている暇はなくなった。実に残念だが己はこれで退かせてもらう」

「――なっ!?」

「えっ……?」

 

 アレルがふいに言った言葉に、俺とリニスは揃って驚きの声を上げる。当然納得できるはずがなく――

 

「ふざけるな! ここまできて逃がすわけがないだろう!」

「ええ。あの現象やキリエたち、それと《王》という人について教えてもらわなくてはなりませんしね!」

 

 俺とリニスはそう言ってアレルににじり寄る。

 しかしアレルはやれやれというように肩をすくめ、

 

「貴公らとて、己と戦っている場合などではないと思うがな。ならば――」

 

 そう言いながらアレルは左手を掲げ、その手が金色に光る。それを見て俺とリニスは身構える。

 アレルの左手からあふれる光は視界を塗り潰すほど強くなり、俺もリニスも思わず目を覆った。

 そんな中でアレルの声が聞こえた。

 

「焦らずとも雌雄を決する時はすぐに訪れる。それより貴公らは早くあそこに向かうがいい。早くせねば手遅れになるかもしれんぞ――ではまた会おう!」

 

 眩い光の中、アレルはそう言いながら背を向け、掻き消えるように姿を消す。俺はたまらず――

 

「――待てアレル! お前にはまだ――」

 

 そう怒鳴ったところでアレルが止まるはずもなく、光は収まり、俺とリニスが腕をどけながら目を開いた時には、奴の姿はどこにもなかった。

 

「くそ! あの野郎、すぐに――」

「健斗! 待ってください! あれを――」

 

 固有技能を使ってアレルを追おうとした俺を止めて、リニスは空を指さす。文句を言いかけながら彼女が指している方を見た途端、その文句は喉の奥へ引っ込んだ。

 先ほどまで園内から空に向かって伸びていた“赤い光の柱”は今、真っ黒に染まっていた。それを見て俺はアレルが最後に言っていたことをもう一度思い出す。

 

『早くせねば手遅れになるかもしれんぞ』

 

「……一体、あそこで何が起きているんだ?」

 

 黒く染まった光を見ながら、俺は思わずつぶやいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちょうどその頃水族館の展示ホールでは、キリエとイリスは、天井のガラスを破って現れたクロノと彼が率いる武装局員たちに囲まれ、バインドと無数の魔力刃で動きを封じられていた

……のだが。

 

 

「ちょうどよかった……(からだ)を作るための材料が必要だったから」

 

 バインドに縛られた“板状の端末”の中でイリスは冷たく嗤う。その言葉と笑みにクロノは眉をひそめた。それと同時に――!

 

「うぐっ……」

「ぐぅぅ!」

 

 彼とともにイリスたちを囲んでいた局員たちが苦し気なうめき声を上げながら体を曲げ始めた。

 

「ど、どうした? ――イリス、一体何を? ――う゛っ!」

 

 体の中から沸いてくるような激痛に、クロノもたまらずうめく。そして――

 

「ぐあああああー!」

「あああぁぁっ!」

「うぐっ――ぁぁぁ」

 

 クロノと局員たちは喉から苦悶の声を上げ、その体から赤黒い(つた)のようなものを噴出させながら意識を失う。その一方、彼らの体から突き出てきた蔦はイリスに集まり、彼女が映る端末を包み込んだ。

 

「――イリス!」

 

 術者(局員たち)が意識を失ったために、バインドと魔力刃が解けると同時にキリエは、イリスに向かって声を上げる。

 その間にも蔓は端末を完全に吞み込み、見る見るうちに人の形のようなものを形成していく。

 

 そして現れたのは、自分が知るよりも大人びた雰囲気を纏い、髪も背もぐんと伸びた、()()()()()()()の女だった。右側に寄せた髪を束ねるリボンは赤く染まり、服装も胸元や脇、背中など露出した部分が多くなり、今までと逆に黒に配色された部分が増えている。

 

 それを見てキリエは自らの言葉と動きを止めた。だが、『鉱石』を包むガラスが砕け、『鉱石』そのものにもひびが入っていくのを見て――

 

「永遠結晶が――!」

 

 やっと探し当てた結晶が砕けていくのを目にして、キリエは手を伸ばす。だが――

 

「大丈夫よ」

「――えっ?」

 

 背を向けたままつぶやいたイリスの一言に、キリエは彼女の方を見る。イリスは永遠結晶()()()()()()鉱石を見たまま言った。

 

「これはただの“殻”……この中にいる子を守るためのね」

「殻? 中にいる子って一体……」

 

 そう言っている間に鉱石のひびは全体に走り、自らの重みに耐えきれず、鉱石はとうとう根元から崩れ落ちた。そして、その中から鋼鉄の板が何枚も連なった“翼”が現れる。

 

「何これ……結晶の中になんでこんなものが? 永遠結晶って一体?」

 

 疑問のあまり、キリエはイリスに向かって問いを投げる。イリスは彼女に視線を流して……。

 

「あのねキリエ、この“翼”の中には《悪魔》が一羽眠ってるの。途方もない力を持った《悪魔》が」

「悪魔? 何を言って――」

 

 初めて聞く言葉にキリエは戸惑いながら聞こうとする。それに構わずイリスは《悪魔》について話を続ける。

 

「だから星を救うとか、あなたのパパを助けるとか――そんな事には使えないの。これは過去の闇の書と同じ――《星を殺す悪魔》だから」

「だってイリス、永遠結晶はエルトリア救済のための力だって――」

 

 たまらずイリスが前に話していたことを口にするキリエ。だがイリスは冷たい表情で、

 

「ごめんね、嘘をついたの」

 

 すまなそうな様子など微塵も見せずに詫びる。そんなイリスに……

 

「パパの病気も治るかもって……」

「それも嘘。そう言わなきゃ、あなたに手伝わせることはできなかったから」

 

 イリスは淡々と明かす。キリエはすがるような目と笑みで……

 

「イリス……嘘、よね?」

 

 その問いに、イリスは目線をわずかにそらしながら答えた。

 

「そうね、嘘だったわ。あなたに話したことも、あなたに言った言葉も……出会ってからの全部が“嘘”!」

「――っ」

 

 イリスとの思い出をすべて否定する一言に、キリエは笑みを消し、喉の奥からひきつった声を漏らす。

 そんな彼女にイリスは振り返り、さらに続けた。

 

「甘ったれのあなたと付き合うのは大変だったわ。だけど感謝はしてるから教えてあげる」

「……え?」

 

 これ以上何をと思いながらキリエは声を漏らす。イリスは顔色一つ変えないまま、

 

「私は遺跡板のAIなんかじゃない。エルトリアで生まれ育った命。だけどこの《悪魔》に、私は命も家族も大切なものも全部奪われた! 心だけが生き残って、あの遺跡板の中で眠ってた。眠ってる間もずっと探してたの――この《悪魔》に復讐するための方法を!」

「だけど、だからって――」

「“心から願った想いがあるなら他人を困らせても仕方がない”……キリエもそうやって自分の願いを叶えようとしたでしょう。みんなを傷つけて、私を利用して」

 

 その言葉を聞いて、キリエの脳裏に先ほど傷つけた少女たちが浮かび上がる。だが――

 

「違う! イリスのことをそんなふうに思ったことは――」

「どこかの誰かが(こうむ)る迷惑よりも、自分の目的の方が大事。おんなじよ、私もあなたも……お話は終わり。バイバイ、“どこかの誰か”」

 

 キリエの言葉を遮りながらイリスはそう言って、彼女に人差し指を向ける。その指から白い光が放たれようとした時――

 

「待て!!」

 

「――!?」

「……ちっ」

 

 不意に響いた声に、キリエは驚きながら、イリスは面倒そうに舌打ちしながらそちらを見る。そこからオッドアイの少年を先頭に、長い銀髪の女と薄茶色の女、それに続いて数人の局員たちが踏み込んできた。

 

 

 

 

 

 

 水族館の奥に踏み込んできた俺たちが見たのは、赤黒い(つた)のようなものを生やしながら意識を失っている武装局員たちと、その中で対峙している二人の女だった。こいつらが――。

 

「キリエ・フローリアンとイリスだな? ここで何をしている? これはお前たちがやったのか?」

 

 険しい口調で問いを浴びせる俺を、キリエらしき桃色髪の女は助けを求めるように見て、イリスらしき赤毛の女は憮然とした表情で睨みつけてきた。

 

「あんたか。あの騎士気取りはどうしたの? まさか倒してきちゃった?」

「……答える必要はない。知りたいなら大人しく投降しろ。そうしたら教えてやらなくもない」

 

 イリスの問いに俺は誤魔化し混じりにそう答えるものの、イリスは見透かしたように肩をすくめた。

 

「そう、まだ捕まっていないみたいね。足止めすらできない役立たずなのは変わらないけど……所詮は…か

 

 イリスは腹ただしそうに吐き捨てる。そんな彼女に俺は武器を向けながら言った。

 

「そんなことよりそっちこそ答えろ! お前たちはそこで何をしていたんだ? その鉄の板のようなものはなんだ? まさか……」

 

 俺に問われながら、イリスは呆れたように首を振り、

 

「悪いけどあんたなんかとお話してる暇はないの。これから“この子”とやることがあるから。知りたいことはそこの女の子から聞いて。どうせその子も捕まえるつもりなんでしょう。……それに、早く運ばないと何人か死んじゃうわよ。非殺傷設定なんてもの、“この子”の能力(ちから)にないから」

「――なに!?」

 

 イリスの視線と言葉につられて、彼女のまわりで倒れている局員たちを見る。彼らは体から赤黒い蔦のようなものを生やしながら、倒れる事もできず気を失っていた。

 

「どういう事だ? これはお前がやったんじゃ……」

 

 言い終える前に、やはりイリスは首を横に振り、

 

「――これ以上は付き合えないわ。そんなに私に聞きたければついてきなさい。ただし……」

「――うぁっ」

「クロノ!」

 

 クロノのうめき声が聞こえ、思わず彼の方を見る。イリスは平然と嗤いながら。

 

「この子を見殺しにしても構わないならね。今のでギリギリ以上吸っちゃったから本当にやばいわよ」

「てめえ――」

 

 思わず殺意のこもった顔でイリスを睨みつける。一方、イリスは何でもなさそうにふわりと浮き上がり、“鋼鉄の翼”とともに俺たちを見下ろしながら言った。

 

「《愚王》の名と違って本当に甘い子みたいね。……一つだけ忠告してあげる。私たちがこの星にいる間は、お友達と一緒に地上のどこかでじっと隠れてなさい。でないとせっかく恋人と再会できたのに、また死んじゃうことになるわよ。――じゃあね、ケント」

 

 明らかにケントのことを知っている口振りで忠告めいた言葉を残し、イリスと“翼”は天井を突き破って空へ飛んでいく。それを追いかけることは今の俺たちにも、キリエにも出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 その頃、オールストン・シーの地上では、なのはに敗れたシュテルが担架に乗せられながら、レヴィとは別の救護車に運ばれようとしているところだった。

 そんな彼女の脳裏に聞き覚えのある声が響く。

 

《シュテル、聞こえるか?》

《ディアーチェ……ええ、聞こえています》

 

 シュテルはおぼろげな瞳で空を見あげたまま、念で応答を返す。そして再び彼女たちの脳裏に主の声が届いた。

 

《お前たちの手が欲しい。“門”を作る、急ぎ戻れ!》

 

 その命令に、彼女たちは気を取り戻しながら身じろぎする。だが、

 

《……心得ました。しかしまわりに魔導師が何人か。万全な時なら問題ありませんが、今の私では……》

「その心配は無用だ」

 

 その声にシュテルとまわりにいた局員たちが一斉に振り返る。それと同時に――

 

「ぐふ!」

「ぐあっ!」

「きゃあああっ!!」

 

 シュテルを運んでいた救護隊員が手刀で倒され、それを見ていた女性局員が悲鳴を上げる。

 一方、シュテルは担架ごと落ちる前にある者に抱えられる。それを見てシュテルはその者の名を呼んだ。

 

「アレル……どうしてあなたが?」

「王に頼まれてな、貴公と《雷光(レヴィ)》を迎えに来た。《雷光》はすでに――」

「はああああっ!」

 

 アレルが言おうとしたと同時にレヴィの掛け声が届いてくる。見ると、レヴィがアレルたちを捕まえようとした武装局員たちを薙ぎ払っているところだった。

 それと同時に、彼女たちの先に紫色の穴が開く。(ディアーチェ)が開いた“門”と見て間違いないだろう。

 

「行こうシュテるん! アレル! 王様がボクたちを待ってるよ!」

 

 武装局員を蹴散らしながら“門”を見て、レヴィがシュテルたちに向かって叫ぶ。当然シュテルとアレルはうなずき。

 

「ええ!」

「言われるまでもない」

 

 局員たちが止める間もなく、三人は紫色の“門”に飛び込む。

 自分達が仕える《王》に応えるために。彼女の、そして自分たちの願いを叶えるために!

 

 

 それぞれの陣営にとって、次の戦いの幕はすでに上がっていた。



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第12話 『魔法使い』たち

『クロノ執務官と武装隊員16名が重傷。対象キリエ・フローリアンは確保しましたが、対象イリスは上空へと逃走。また対象アレルの手引きによって対象シュテル、レヴィも逃走した模様。ギャレット隊と八神捜査官の隊が共同で対象らの追跡と包囲を――』

 

 

 

「離して!! 私はイリスのところに行かなきゃいけないの!」

「そんな訳にいくか! お前は事件を起こした容疑者の一人なんだぞ! 頼むから大人しくしてくれ!!」

 

 裏切(すて)られたショックから我を取り戻してイリスのもとに行こうと暴れるキリエを、リインが羽交い締めにして押さえつける。それを前にしながら俺はどうするべきか考えていた。

 リインに加勢したいのは山々だが、11歳の俺と16歳のキリエでは体格に差があるし、リインの前でキリエを押さえつけるのは抵抗が――じゃなく!

 イリスの事が気にかかるのは俺たちも同じだ。それに巨大鉱石の中から現れたという“鋼鉄の翼”のことも気になる。おそらくあれが《永遠結晶》の正体で、カリムさんの預言に出ていた……。

 

「……イリスを捕まえた後は大人しくしていると約束できるか?」

「――えっ!?」

「――健斗!」

 

 俺の一言にキリエは動きを止めながら俺を見、リインは咎めるように声を上げ、傍で聞いてた局員たちも驚きに目を見張る。そんな中、俺は言った。

 

「イリスはキリエやアミタさん同様、解析した魔法を無効化する《フォーミュラ》という技術を持っているらしい。それを考えたらキリエの協力は正直ありがたい。それに、こんな事件を起こしてまでイリスが鉱石から目覚めさせた“翼”……あれがおそらく、夜天の書のもう一つの管制プログラム《システムU-D》なんじゃないかと思うが……リイン、どうだ?」

 

 俺が問いかけるとリインは顔を曇らせ、うつむきながら言った。

 

「……はい、間違いありません。あれこそ《システムU-D》――『ユーリ・エーベルヴァイン』です。魔導書の中にはいなかったので、あの時防衛プログラムとともに消滅したかもしれないと思っていましたが、まさか本体から切り離されていたなんて……」

「システム? ユーリ? 何よそれ? そんな話イリスから聞いてないんだけど!?」

 

 初めて聞く言葉に、キリエは俺やリインに食って掛かる。それに対して、

 

「悪いが説明してる暇はない。とにかく、イリスと“翼”を止めるのに協力してくれるなら、俺の責任で同行を許してもいい。ただし、あいつらを捕まえた後は大人しく事情聴取を受けるのが条件だが……どうだ?」

 

 そこまで言うとキリエは神妙な顔で俺を見つめ返して、首を縦に振った。

 

「わかったわ。考えようによっては、あんたたちが私に協力してくれるともとれるしね。その代わり約束して。あたしはともかく、お姉ちゃんとイリスにはひどい事をしないって」

「ああ、あんたたち姉妹にもイリスにも不当な扱いはしないしさせないと約束する。この世界の都市で暴れた以上、お咎めなしとはいかないと思うが」

 

 うなずきを返しながらそう答えると、リインはキリエを離しながら念で声を送ってきた。

 

《健斗、いいのか? 勝手にそんな約束をして》

《仕方ない。フォーミュラというものがどういう技術かわかってない以上、下手に拘束してもすぐ抜け出してしまいそうだ。それに《システムU-D》――ユーリが目覚めたとしたら、はやてたちだけで何とか出来ると思うか?》

《そ、それは……》

 

 その指摘にリインは言葉を詰まらせる。主の危機と管理局の規則、夜天の書の分身としてどちらを優先するべきかを考えれば、リインとしてはやはり主を救う方を優先するべきなのだろう。

 それに拘留中の容疑者に協力を仰ぐケースはいくつかある。二年前の『J・D事件』でも、夜天の書の修復と防衛プログラムの破壊にテスタロッサ一家の力を借りた。それを踏まえれば、キリエを一時的に解放して協力させることくらいはできるはずだ。

 それともう一つ、そもそも管理局にキリエたちを拘束する権利はないはずなのだ。

 

 時空管理局は現在で50近くの『管理世界』を統制下におき、各世界に駐留する地上部隊のみが唯一武力を持つ事が認められ、現地世界においての治安維持も同組織が担っている。

 だがその反対に、自局の管理下に置かれてない『管理外世界』に対しては、必要以上の干渉は固く禁じられている。この地球もそうだし、アミタさんたちがいた『エルトリア』も管理外世界にあたる。管理局がこの件で動いているのは、第一級ロストロギアだった夜天の書が関わってるからに他ならない。

 

 つまり、本来管理局にアミタさんやキリエ、イリスを逮捕する権限はないはずで、監視付きであれば彼女たちをある程度自由にさせてもいいんじゃないのか。執務官であるクロノやフェイトならもう少し詳しい事がわかると思うが……。

 そんな事を話していると――

 

『司令部より各員へ緊急連絡!』

「「――!!」」」

 

 脳裏に届いてきた通信に俺たちは意識を傾けた。思念通話が使えず戸惑うキリエを置いて、オペレーターは報告を続ける。

 

『東京湾の現場に新たな敵性存在が出現。状況から永遠結晶から出現した魔導師であると推察中。イリスの言動から新たに出現した敵性存在を『ユーリ』と呼称する。『ユーリ』の魔力攻撃により武装局員多数が負傷。現地にいる局員は至急現場に――』

「ユーリだと? これは――」

 

 たまらずリインの方を向くと、彼女は険しい顔で首を縦に振る。

 

「はい。あの子……ユーリが持つ能力によるものだと思います――やはり主でも止められなかった」

「――話は以上だ! 行くぞリイン……キリエさんはどうする? 絶対に逃げず、俺の命令に従うと約束できるなら一緒に来てほしいが――」

「行くわ! イリスの真意を聞くためなら、あんたみたいな子供の命令だって聞いてやるわよ!」

 

 鼻息荒く答えるキリエさんに、俺はうなずきで応じる。

 そしてキリエさんとともに俺たちは、イリスとユーリがいる東京湾上空へと飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 ……時は少しさかのぼる。

 

 

 明るい街に囲まれた暗い海を眼下に収めながら、イリスは“鋼鉄の翼”を引き連れて、《王》たちと合流していた。

 

「ちょっと見ないうちにずいぶんボロボロになったわね」

 

 満身創痍だったレヴィとシュテルを見て、小馬鹿にするような口調でイリスは吐き捨てる。それに対して二人は不満げに顔をしかめるも、アレルは泰然と腕を組みながら……。

 

「貴公の方はずいぶん様変わりしたものだな。一緒にいたモモイロはどうした?」

「ああ、あの子なら捕まっちゃったわ。まっ、私はこうして(からだ)を取り戻したし、もうあの子は必要ないけど」

 

 両手を上げてあからさまに肩をすくめる仕草をとるイリスに、アレルは目を細めて彼女を睨む。

 

(裏切りか……口先一つで王と我らを利用した事といい、食えそうにない女だと思っていたが……そろそろ見切り時か。だがしかし……)

「イリスといったな。一体どういうつもりだ? “それ”はなんだ? 貴様らの狙いも永遠結晶だと思っておったのだが」

 

 アレルが“翼”に目を移すと同時に、ディアーチェもそれについて問いを投げる。

 一方、イリスは動じた様子もなく、“翼”に体を向けながら答えた。

 

「どうもこうも、私のすることは一貫してるわよ。王様たちが欲しがってる無限の力は、“この子”の胸の中にある《本物の永遠結晶》に封じ込められている」

「――えっ、胸の中って!?」

 

 レヴィは驚きの声を上げ、シュテルも冷静さを保とうと努めながら、

 

「“その子”の胸から《本物の永遠結晶》を(えぐ)り出せと?」

「もちろん、“この子”は必死になって抵抗するでしょうけど……」

 

 シュテルの問いにうなずきながら、イリスは彼女たちに向き直り意地悪そうな笑みを向けながら告げた。

 

「――舞台はこの世界のすべて! “この子”を殺して勝ち取ってね」

 

「全員動かないで! 次元法違反で逮捕します!」

「――!!」

 

 頭上から突如若い女の声が響き、声の主であるドレス状の甲冑を着た女騎士シャマルをはじめ、守護騎士たちとはやて、そして大勢の武装局員がイリスたちを包囲した。

 目を見張りながら彼らを振り返る《王》たち。それに反してイリスは背を向けたままグーの形に握った片手を上げた。それを見てヴィータは背後から「動くな」と言いながら、プロトカノン(電磁砲)をイリスに向ける。

 それにもかかわらず、イリスは片手を上げたまま――

 

「いつまで寝てんの…………起きな――さいっっ!!」

 

 強く握りこんだ拳を振りかぶり、“翼”に向かって思い切り叩きつける。

 その衝撃で“翼”から火花とともに、波のような波動が周囲に流れてくる。その瞬間――

 

「ぐっ――ぉぉおおおお!」

「ぎゃああああっ!」

「う――ぁああああっ!」

 

 “翼”が広がりその中身が露わになる一方で、局員たちの体から赤黒い杭のようなもの生えてきて、杭に貫かれたままその場に固定され意識を失い、はやてと守護騎士達も身動きが取れなくなる。

 その中心で、扇状に広がった“鋼鉄の翼”を背中に纏いながら、イリスの言う《悪魔》が目を覚ました。

 

 その《悪魔》は幼い子供の姿をしていた。

 ウェーブのかかった長い金色の髪を垂らし、上半身は裸体の上にベルトのようなものが巻き付けられ、手に手袋と付け袖を装着し、脚は膝上を露出させながらも裾の広いズボンを履いている。

 

「やっと会えたわ……《ユーリ》」

 

 幼子の姿をした《悪魔》を前にして、イリスは口を開く。それが伝わったように《悪魔》ことユーリは目を開き、髪と同じ金色の瞳で目の前にいる彼女を見た。

 

「――イリス!」

「目が覚めた?」

 

 忌々しそうな目を向けながらイリスはユーリに尋ねる。そんな彼女に何かを訴えるように「イリス、あなたは――」と言いながらユーリは手を伸ばす。しかし彼女に届く前に、ユーリの目に赤い光が灯り、その腕も体も止まってしまう。

 

「あんた専用の《ウイルスコード》を打ち込んである。すべては私の思い通り――」

 

 そう言いながらイリスは右手を強く握り、ユーリの顔を殴りつける。

 苦悶の声を漏らしながらよろめくユーリの頭を鷲掴み、イリスはさらに言葉をぶつけた。

 

「抵抗は不可能。これは復讐よ。私はあんたからすべてを奪う――あんたが私にそうしたように!」

 

 そこまで言ってから、イリスはユーリに“赤い文字列”――《ウイルスコード》が浮かんでいる両眼を近づけ……

 

「まずは邪魔者の片付け……手伝ってもらうわ」

「イリス、私は――はぐ……うぅぅぐっ――あぁう――ぁぁああああああ!!」

 

 その“命令”を聞いた瞬間、ユーリは苦しげに胸を押さえながら声にもならない悲鳴を響かせ、自身の体に紫色の闘気を纏わせた。それを見て――

 

「テスタロッサ、止めるぞ!」

「はい!」

 

 たった今駆けつけてきたシグナムとフェイトが、この状況を見て即座にイリスとユーリに向かって降下してくる。

 それを見ながらイリスはただ一言「ユーリ」とだけ口にした。

 それだけで命令が伝わったように、ユーリはきっと目を細めて敵を睨む。

 フェイトは構わず突貫するも、ユーリは彼女のそばへ瞬時に移動してその頭を掴み、シグナムに向かって投げつけた。

 強い衝撃に耐えながら、シグナムはその身でフェイトを受け止め、彼女とともに眼下を見る。だがそこにいるのはイリスだけで――

 

「――はっ!」

 

 とっさに後ろを振り返ると、赤い光を纏った右手を突き出したユーリの姿があった。防御する間もなくその右手から放たれた炎を浴びて、フェイトとシグナムは海へと落ちる。

 ――だが、それだけではない!

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛――」

 

 海から浮かび上がった二人の背中が異様な形に盛り上がり、局員たちと同じように赤い杭が突き出してきて、彼女らの体を海上まで押し上げる。

 それを見下ろしながらイリスは自らの顔に嗜虐的な笑みを浮かべた。

 

「生命力を結晶化して奪い取るのがこの子の能力(ちから)の一つ……近寄るだけで皆殺しよ」

「イリス……わたしは…………」

 

 動けなくなった敵を見下ろしながら、ユーリはイリスに語り掛けるが、イリスは意にも介さず。

 

「意思も能力も自由にはさせない。大切な命も無関係な命もすべてを殺して――誰もいなくなった世界で泣き叫びなさい!」

「イリス!」

 

 啖呵を切ったところで背後から声をかけられ、イリスは眉を吊り上げながら後ろを振り返る。

 そこには銃口を向けながら自分に声を浴びせてきた桃色髪の少女と、その左右に浮かぶオッドアイの少年と銀髪の女がいた。

 

「キリエ……それにあんたたちもか」

「N-H……ケント……」

 

 

 

 

 

 

 キリエさんとその両側を飛ぶ俺たちを見て、イリスは面倒そうに吐き捨て、ユーリも俺とリインの名をつぶやく。

 イリスは気を取り直したように表情を消し、俺に向けて声を投げた。

 

「さっき忠告してあげたわよね、地上のどこかで隠れてなさいって。運がよければあんたたちが巻き込まれる前にすべてが終わってるかもしれないわよ」

「そういう奴に限っていつまで経っても気が収まらず、自分が倒されるまで破壊をやめないんだよな。それに俺とリインは、ある意味この事件が起こる前から巻き込まれてる。お前が復讐だか利用しようとしているユーリって子は夜天の書の管制人格の一つでな、できる事ならあの子の事も助けてやりたいってずっと思っていた。2年前、いや、300年前からずっと――」

「あらあら、お優しいこと……でもこの子、かわいい見た目に反して相当えげつないわよ。ユーリは私の家族同然だった『惑星再生委員会』の人たちを殺して、その後私もユーリに殺されたんだから」

 

 それを聞いてリインは驚きに目を見張り、ユーリの方を見た。

 

「ユーリ……本当なのか? お前がイリスたちを……」

「……N-H……わたし、は――うっ」

 

 ユーリは何か言いかけるが苦しげな声を漏らすのみで、首を振る事すらできなかった。そんな彼女に代わるような口振りでイリスが答えた。

 

「そう、この子がみんなと私を殺したの。まだ幼かったグランツ君とエレノア――その子の両親以外はみんな!」

「――えっ?」

 

 両親の名前を出されてキリエさんは思わず声を漏らす。そんな彼女にイリスは言った。

 

「聞いたでしょう。このユーリって《悪魔》が、あなたのパパとママの人生を狂わせたの。この子があんなことをしなければ、あなたたち家族だけがエルトリアに取り残される形で、無為な研究に人生を捧げる事にならなかったでしょうね。少なくともグランツ君、あなたのパパが体を壊すまで無理を続けることはなかったはずよ!」

「――!」

 

 イリスの言わんとすること察して、キリエさんは銃型のザッパーを握りながら唇を強く噛む。眼下にいる悪魔(ユーリ)が、父を病に追いやった元凶だと。

 それだけではない。『惑星再生委員会』には両親だけでなく、研究員や職員として父方母方の祖父母も所属していた。イリスの言うことが本当なら、ユーリは顔も知らない祖父母の仇にもあたる。

 

「どうする? その銃と両親(パパたち)からもらった力で《悪魔》に復讐してみる? そういうなら私は止めないわよ。ただし、今までのように手助けもしてあげないけど。私が考えたやり方の方がユーリを苦しめられそうだから」

「……っ」

 

 イリスが言い終えるのも待たず、キリエさんは眼下で浮いているユーリに銃を向ける。それを見て――

 

「おい、待てキリエさん! 俺たちの指示に従うって約束だぞ!」

「そうだ! イリスの言うことが本当かはまだわからない! まずは――」

「……」

 

 俺とリインの呼びかけにも応えず、キリエさんはユーリに狙いを定め、引き金にかけた指に力を込める。

 その直後、パァンと乾いた破裂音があたりに響いた。

 

「……キリエさん」

「お前……」

「はぁ……はぁ……」

 

 俺とリインは呆然とキリエさんに向かって言う。キリエさんは荒い息をつきながら自らが撃った()()()を睨み続けていた。。

 イリスは信じられないように放心した顔で自らの頬を指でなぞり、その細い指に付いた赤い血を確かめる。そんな彼女に向けてキリエさんは言った。

 

「これ以上あなたに騙されるのも、誰かを傷つけるのに利用されるのももうたくさんよ。だから、まずあなたとユーリを止めて、その後でイリスが言ったことが本当なのか確かめさせてもらう! 今度は私自身の判断で!!」

「キリエ――この馬鹿ガキがぁぁぁ!」

 

 イリスが吼えるとともに彼女の目に毒々しい赤が宿る。それに反応してユーリは再び紫色の闘気を纏いながら、すさまじい速度と勢いでキリエさんに突貫する。

 ここは――

 

「フライング――」

「シャイニング・サブジゲーション!」

 

 俺が技能を行使する直前に、誰かが自身の技の名を叫びながらユーリの前に飛びはだかった。

 薄灰色の髪に、赤と碧色のオッドアイ、前世の頃に俺が着ていたものとほぼ同じ造形の純白の鎧。

 彼を見てユーリがつぶやく。

 

「……アレ、ル……」

「突然の横割りと主の許可なき抜刀お詫びする。だが、己が打つべき敵が誰か確信が付いた。“貴公”は必ずここで止める――勝つのは己だ!」

 

 アレルは自身とぶつかるユーリ――ではなく、その上にいるイリスに向かって布告する。彼の主たるディアーチェたちは呆然とそれを眺め、イリスは、

 

「この……が。役に立たないどころか、いいところで邪魔を――ユーリ、潰しなさい!!」

「い、うっ――」

「ぐぐっ……」

 

 イリスの命令に反応して、ユーリが纏う紫色の闘気がさらに勢いを増し、さしものアレルもうめきを漏らす。彼の能力では闘気で身を守る相手に攻撃する(すべ)がない。

 なら俺が固有技能で後ろからユーリを――

 

『Fire!』

 

 そう思っていた矢先、彼方から放たれた桃色の光線が直撃し、ユーリは動きを止め、アレルも後ろに下がる。

 砲撃を放った少女の体は黒く染まり《結晶樹》が生えかけるが、彼女の防護服に加えられたフォーミュラシステムによる防御機構がそれを跳ねのける。

 少女――高町なのはは、同じくフォーミュラシステムによって改修された《レイジングハート・ストリーマ》を構え――。

 

『System drive,“folmula mode”』

「フォーミュラカノン――フルバースト!!」

 

 なのはが構えるレイジングハートから先ほどより膨大な光が放たれ、それはユーリに直撃し、その余波でシグナムとフェイト、局員たちに突き刺さっていた結晶樹を砕き、彼らは再び意識と自由を取り戻す。

 そのうちの誰かに言ったものか、それともユーリに言ったものか、イリスに言ったものか、あるいはその全員に向かっていたものか、なのはは高らかに告げた。

 

 

 

「待っててください――今度は、必ず助けます!!」

 

 

 

 

 

 わずか11歳の魔導師の声と桃色の魔力の残滓が降り注ぐ中、いつの間にかキリエの傍まで寄ってきたアミティエに、キリエは小さく囁いた。読んでもらった絵本の感想を言うような口調で。

 

 ねえお姉ちゃん、ミッドチルダやベルカという世界の《魔導師》って、『魔法使い』って意味なんだって。

 『魔法の指輪』が嘘でも、悲しい物語が進んでいても、

 泣いてる女の子を助けてくれる“魔法使いたち”はちゃんといたよ。

 

 

 

 

 

“Reflection” End

to be continued “Detonation”




 第二部前半となるReflection編はここで終了です。次からはDetonation編に入ります。その前にラストあたりの展開について弁解をさせてください。

 ここまで読んだ読者様の多くが「最後健斗何もしてねえじゃねえか!」「劇場版通りなのはがおいしいところ持っていってるじゃねえか!」「むしろ健斗よりアレルの方が活躍してるぞ」という突っ込みを入れるような気がします。
 ただ、遅れて来たなのはが健斗やアレルの活躍を黙って見てるだけなんて、私には想像つかない。ラストは原作通りにしようと決めました。
 それに、前後編の作品で前編では活躍してないキャラが、後編で活躍する作品も多くあります。マスタング大佐も散々雨の日は無能と言われながら、その能力は最強クラスということが明らかになりました。まどかも前編ではほとんど巻き込まれてばかりで後編のラストで初めて魔法少女になります。
 つまり何が言いたいかというと――健斗が本格的に活躍するのはDet編からです! フォーミュラシステムも組み込んでいないし、まだ芽が出せないんです!

 以上です。至らぬところもある作品ですが、よければこれからも『愚王の魂を持つ者』をご愛読ください。


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第13話 開戦

 駆けつけてきたなのはとアミタさんを加え、自由になった仲間や局員たちとともにイリスとユーリを囲み、俺は彼女たちに武器を向けながら言った。

 

「イリス、ユーリを解放して、彼女ともども武装を解除して投降しろ。お前とユーリの間に何があったのかはそこでじっくり聞かせてもらう。少なくとも、俺にはユーリが理由もなく人殺しをするような子には見えない。その辺も含めて話し合う気はないか?」

 

 ユーリを弁護するような言葉を交えながら投降を促すも、イリスは険しい表情のまま隣を向いて……

 

「ユーリ」

 

 イリスが告げた途端、ユーリの後ろを浮遊している“翼”はユーリを囲むように動き、ユーリの体は黄色い炎に包まれ燃え上がった。

 

「うっ――ぁぁぁあアアアアアア!!」

 

 悲痛な叫び声とともに、炎の中でユーリの服は溶けていき、再びユーリの身体にまとわりついて新たな服とともに、自身の両側に“鋼鉄の腕”を形成する。

 その余波として生じた雷が海に落ちたと思いきや、海から稲妻が昇ってくる。

 真上を飛んでいた局員たちが逃げ惑う中、海面から昇ってきた稲妻は樹木の形となり、たちまち海の上に小さな“森”が現れた。

 

 それを見てもイリスは動じることなく、俺たちに向かって言葉を投げる。

 

「話し合う気なんてない! 私はユーリに復讐するだけよ。大切なものをその手で滅ぼさせることでね。……私は離脱するから、あんたはあいつらを排除しといて」

 

 復讐対象(ユーリ)に向かってイリスは命じる。それを受けて……

 

「Bestellung erhalten. Vorbereitung der Ausschlussaktion(命令受領。排除行動準備)」

「――ベルカ語!」

 

 ユーリが発した、ドイツ語に酷似した言語を聞いてはやては驚くとともに、ユーリがベルカに――そして夜天の書に関わる者だと確信した。

 その一方で――。

 

「Aktivierung der “Maschinenpanzerung”(《機鎧》起動)」

 

 ユーリは俺たちを睨みながら、“翼”から分離した“五枚の羽”を背後に展開させ、両隣に浮かぶ“鋼鉄の腕”――《機鎧》を構え、無機質な表情で告げる。

 その横でイリスは標的を指さしながら声高に言った。

 

「まずはごちゃごちゃうっとうしい――あのオッドアイからよ!」

「Ausschluss beginnt!(排除開始!)」

 

 俺かよ――!

 

 そう突っ込んだ瞬間に、ユーリは猛烈な勢いでこちらに飛んできて、俺は魔力がこもったティルフィングでユーリを受け止める。

 すると向こうから桃色の光が灯り――

 

「ユーリちゃんごめん――すぐに助けるから!」

 

 なのはが放った砲撃を側面から受けて、ユーリは大きく後退し、彼女が帯同していた《機鎧》はバラバラに砕ける。だが、《機鎧》は瞬時に元に戻り、再びユーリを囲んだ。

 

――再生能力か。夜天の書の管制人格だけはあるな。

 

「健斗、その子(ユーリ)は任せるわ。私はイリスを追う!」

「あっ――待ってくださいキリエ! 私も行きます!」

「頼んだ――っ!」

 

 イリスを追うキリエさんとアミタさんに声をかけた直後、ユーリが突進してくる。そこへ白い鎧を着た男が飛び込んできた。

 

「アレル――」

「ぼやぼやするな健斗! 今はユーリとの戦いに専念しろ!」

 

 そう言いながらアレルはユーリを弾き、俺となのはもユーリに飛びかかっていく。

 何度かぶつかった後、ユーリはふいに俺たちから距離を取り……。

 

「Feuerpfeil(炎の矢)」

 

 その一言とともにユーリのまわりに無数の光点が現れ、俺たちに降り注ぎ、それだけに収まらず周りを飛ぶ局員にまで飛んでいく。それを見てはやては――

 

「シャマル!」

「――はい!」

 

 主からの指示に、シャマルは結界を張る(すべ)を持たない末端の局員たちの前に結界を展開し、他の局員たちは自力で結界を張った。

 

 

 

 

 

「すさまじい力です……ディアーチェ、どうしますか?」

 

 健斗やなのはに混じって、ユーリと戦うアレルを見ながら、シュテルは問いかける。我々も加勢するべきではと。ディアーチェもそう思い、動こうとするものの……

 

「でもさ……あの子、泣いてるよ」

 

 レヴィの一言と、ユーリの金色の両眼からこぼれる(なみだ)を見て、ディアーチェは思わず動きを止める。

 何故だろうか。ユーリという者の顔とあの涙を見ると、ディアーチェ自身にも悲しい気持ちが湧いてくる。

 

(ユーリ……あやつは一体……)

 

 

 

 

 

 健斗たちがユーリと戦っている一方で、キリエはイリスに(ザッパー)と言葉をぶつけていた。

 

「イリス……あんたの目的はいったい何? 何のために私を騙して、王様たちとユーリって子を蘇らせたの?」

「あら、あれだけ言ったのにまだわからない? ユーリに復讐するためって言ったでしょう――それに」

 

 剣をぶつけ合いながら、キリエはザッパーを銃に変え、イリスの額に付きつける。だがそれはイリスも同様だった。

 キリエと銃を向け合いながら、キリエはなおも言葉をぶつけてくる。

 

「家族を裏切ったのも、残された時間を永遠結晶を手に入れるために充てるのを選んだのもあなたの方でしょう……余命わずかな父親と()()()()()()母親を置いて、この星に来ることを選んだのは」

「――えっ?」

 

 イリスの言った一言にキリエは眉を上げる。それを見てイリスは「ああ」と笑みを消した。

 

「そういえばあなたは知らされてなかったんだっけ、母親の病気のこと。グランツ君(あなたのパパ)の研究を手伝って長年《死蝕(ししょく)》に触れてきたのに、何の影響も受けてないわけないじゃない。あなたのママもそろそろ症状が出始めているはずだけど……気付いてなかったみたいね」

「――!」

 

 イリスの言葉にキリエははっとする。

 言われて見れば、最近はアミティエが分担する家事の量が増えており、母・エレノアはその分、椅子に座って休むことが増えていた気がする。調子を崩して寝込むことも何度か――まさか!

 

「とんだファザコンね、今までパパしか見えてなかったのかしら。――じゃあ向こう(あの世)で大好きなパパが来るのを待ってなさい!」

 

 うろたえるキリエを前に、イリスは引き金にかけた指に力を込める。だが、それより先にアミティエが斬りかかって来て、イリスは姉妹から距離を取った。

 アミティエはキリエをかばうように、彼女の前を飛んだまま問うた。

 

「あなたは一体何者ですか?」

「……私は“イリス”。あなたたちと同じ、死にかけた星で生まれた命……“あの日”から今日までずっとチャンスを待ってた。だから……」

 

 そこで真下の海中から大きな何かが現れ、二人に向けて青い光線を放ってくる。アミティエとキリエは辛くもそれを避けるが、そこを狙ってイリスはキリエに向けて銃を向ける。それを見て――

 

「キリエ――」

 

 アミティエはとっさにキリエをかばい、脇腹に銃撃を受ける。

 

「お姉ちゃん!!」

 

 キリエは叫びながら、傷ついたアミティエを抱え、地上に降りる。

 そんな彼女たちを、海上から現れた新たな機動外殻《エクスカベータ》の影が覆う。

 

「誰にも邪魔はさせない」

 

 イリスのつぶやきとともに、エクスカベータは巨大な腕を振るい落とし、姉妹はそれに飲み込まれた。

 

 

 

 

 

 

『60 seconds to the operating limit(稼働限界まであと60秒)』

「っ――ああああああっ!!」

 

 レイジングハートの宣告に焦ったのか、なのはは砲撃を撃ち込むも、ユーリは難なく砲撃を躱し、《機鎧》でなのはを殴りつける。

 そこへ――

 

「フレースヴェルグ!」

「ライトニング・アーチェリー!」

 

 俺は側面から魔力弾を撃ち、躱したユーリに向かってアレルが金色の魔力砲を撃ち出す。ユーリはそれに耐えつつ、俺とアレルに向かって《炎の矢》を撃ってきた。

 俺たちは矢の合間をくぐりながらユーリに近づくが、ユーリは俺に近づき、《機鎧》を繰り出して俺を握り潰そうとしてくる。そこで誰かが飛んできて、俺の胸に入ってきた――この感覚は《融合(ユニゾン)》!

 

《健斗、遅れてすまない。このまま一気に行くぞ!》

「ああっ! ――フレース・キャノン!!」

 

 リインとの融合によって威力が倍加した砲撃を撃ち放つが、ユーリは《魄翼》を纏いながら砲撃をこらえる。だがその上空から――

 

「クラウソラス!」

 

 はやてが射出した無数の光線を浴び、ユーリはたまらず真下の“森”へ墜落し倒れ込む。そこへシグナムが「はああっ」と吼えながら弓型(ボーゲンフォルム)になったレヴァンティンから弓を射ち、ユーリのまわりに転がる《魄翼》に矢を撃ち込む。

 ユーリはうめきながらも、まばゆい光弾を撃ち、分裂した無数の矢をはやてたちに浴びせるが、ヴィータがとっさに展開した結界によって被弾を免れる。

 そして、その後ろからいかつい“杖”を構えた少女(なのは)が飛び出してきた。彼女と彼女から漏れる魔力光を見てユーリははっと目を見開く。

 

「エクシード――ブレイカーー!!」

「きゃああああああっ!!」

 

 彼女が放つ桃色の砲撃はユーリを直撃し、ユーリだけでなく、ユーリの能力(ちから)で造られた“森”をも飲み込み、蒸発させていった。

 

 

 

 

 

『Count minus 9. I managed to shoot(カウントマイナス9。なんとか撃ちきりました)』

「はぁ……はぁ……ユーリちゃんは?」

 

 レイジングハートの報告を聞き、なおも荒い息をつきながらなのはは眼下を確認し、紫色の(バリア)と無数の頁に囲まれながら浮いているユーリを見つけた。それを見て――

 

「あれは――」

《夜天の書の頁……》

 

 俺とともにリインも驚きの声を上げる。

 その光景とディアーチェたちがユーリの元へ降りて行くのが見え、俺とはやてもそちらに向かって降下していった。

 

 

 

「ユーリ」

「おい、ユーリ!」

 

 はやてに続いてディアーチェが呼びかけると、ユーリは目をしばたかせながらゆっくり両目を開き、彼女らを見上げる。

 そんなユーリに俺は声をかけた。

 

「ユーリ、大丈夫か? 加減する余裕がなくてな、すまない」

 

 俺の詫びに構わず、ユーリは俺たちの隣に顔を向けて……

 

「まさか……ディアーチェ……シュテル……レヴィ……アレル――それに、あなたたちは!」

「八神はやて。夜天の書の主です」

「御神健斗。夜天の書とはちょっと関わりがあってな……リイン――もう一人の管制人格も俺の中にいる」

 

 立ち上がりながら尋ねてくるユーリに、はやてと俺は自己紹介をした。

 俺を見てユーリは顔をほころばせ――

 

「ケント、本当に戻ってきて……はやて、ケント、お願いがあります。どうかこれを――」

 

 そこでユーリは手元に出現した一枚の紙片を差し出すように向けてくる。

 

「これに、すべて載っています……ディアーチェたちとイリスの事も……それに――」

「――! 下がれ!」

 

 そこで突然アレルが叫び、ユーリに向かって剣を振り下ろした。

 

「なっ――アレル、何を!?」

 

 突然の従者の蛮行にディアーチェは声を荒げるも、それとともにギィンという金属音が響き、アレルと剣をぶつけているイリスが現れた。

 

「ちっ、また私の邪魔をしてくれる」

「先ほども言ったはずだ、貴公は必ず止めると。そのユーリとやらは、王にとってもシュテルたちにとっても、己にとっても大切なもののようでな。騎士として貴公の好きになどさせん」

「――何が騎士だ! この、恩知らずの()()()がぁぁぁ!!」

「――!」

 

 イリスの一言にアレルは何かを思い出したようにはっとする。それと同時にイリスのまわりで弾けたような爆発が起き、アレルは吹き飛ばされ、はやてはイリスを抱えながら俺たちとともに離れた。

 

 それに対してイリスは先ほどのユーリのように紫色の膜と頁に守られながら、平然とした笑みを向ける。

 その手にある、茶色い表紙の本を見てはやては声を上げる。

 

「夜天の書――」

「便利な本ね。多くの主が必死に完成させたがってたわけだわ――用済みになるまで使わせてもらう!」

「イリス!」

 

 イリスが言い終えるのを待たず、はやてはクラウソラスを撃ち込むが、夜天の書によるバリアに守られているイリスには通じず、イリスは赤い光に包まれて俺たちの前から姿を消す。

 そして、頭上から響いてくる彼女の声が聞こえた。

 

『結構予定が狂っちゃったわね。立て直すまでの時間をもらうわ。それと、最後にもう一度だけ忠告してあげる。くれぐれもその《悪魔》に注意することね。でないとあなたたちも殺されるか、私のようにすべてを奪われる羽目になるわよ』

「待てイリス! 一体何をするつもりだ!?」

 

 たまらず俺は空に向かって叫び、他のみんなも頭上を見上げるものの、返事は返ってこず、イリスが姿を見せる事もなかった。

 そんな中、俺の手元に焼け焦げた一枚の紙きれが落ちてきた。



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第14話 初戦を終えて

 イリスとの戦いを終えて、健斗たちはクロノの指示でフローリアン姉妹とディアーチェたちとともに、支局が用意した指揮船に身を移すことになった。

 実行犯だったキリエやディアーチェたちも今は事情聴取と情報共有に応じる意思を見せており、その一方でユーリは戦いの傷と心因性のショックによって意識を失い船内の医療室で深い眠りについていた。

 そんな中、おおよその聴取とメディカルチェックを終えたディアーチェたち四人は今……。

 

 

 

「さあ、ここよ」

「ゆっくりしてて」

「うむ」

 

 二人の女性局員に連れられ、他の三人より遅れてディアーチェも客室に足を踏み入れる。

 シュテルは上品な仕草で紅茶を口に運び、とっくに紅茶を飲み干したレヴィは退屈そうに足をバタバタさせ、アレルは彼女らの後ろで所在なさげに直立してさせていたが、ディアーチェを見た途端二人は椅子から立ち、アレルはそのまま彼女の方に歩き寄ってきた。

 ディアーチェも他の三人も今は鎧ではなく、支局が用意した私服に身を包んでいる。

 

「王様!」

「ディアーチェ……どうぞ、こちらへ」

 

 柔らかそうなソファを進めるシュテルに、鷹揚なうなずきを返しながらディアーチェは柔らかそうなソファに腰を下ろす。

 そこでふと、今まで沈黙していたアレルがディアーチェの前に立ち、おもむろに(ひざ)をついた。シュテルやレヴィが驚く中、ディアーチェは神妙な面持ちで《騎士》を見下ろす。

 

「王、貴君の許しを得ずユーリと刃を交えた無礼、ここにお詫びする。いかなる処分も甘んじて受けよう。何なりと沙汰を」

 

 そう言って頭頂部が見えるほど頭を下げるアレルに、ディアーチェは首を横に振ってから答えた。

 

「……よい。むしろ動けずにいた我らに代わり、よくユーリを止めてくれた。礼を言う。今後も貴様の働きに期待しているぞ。肝心のイリスがあれで退くとは思えんからな」

「はっ! しかと肝に銘じる!」

 

 一層頭を沈めるアレルに、ディアーチェは「うむ」とうなずいて、

 

「それよりも今後についてだ。シュテル、なにか考えはあるか?」

 

 主に問われて、シュテルは腕を組みながら考えをまとめるように前置きから話す。

 

「イリスが私たちを、闇の――いえ、《夜天の書》と呼ばれる本から呼び出したのは確かです。それはユーリと呼ばれたあの子を探すためであり、我々とユーリを戦わせるためでもあった……私たちとユーリの間に浅からぬ関係があるのは確かです」

 

 その言葉にディアーチェは首を縦に振り、レヴィとアレルもうなずきを返す。イリスの言動や行動、そしてユーリを見た時に湧いてくる奇妙な懐かしさ。自分たちとユーリ、夜天の書に何らかの関係があるのは確かだろう。

 シュテルは続ける。

 

「大いなる力を得るという私たちの目的もありますが、まずイリスの意図を知ることです……そして私たちの事も」

「うーん、二人の事はよく覚えてるんだけどなー。名前も性格も一緒にいたことも」

 

 レヴィはあごに人差し指を乗せながら記憶を呼び覚ます。シュテルとディアーチェも首を縦に振り――

 

「大きな木の下と緑の草原、そこで私たち“三人”は確かに一緒にいました」

「うむ、我も覚えておる。思い返してみれば、そこにユーリもいたような気がする……のだが」

 

 そこでシュテルとディアーチェは視線を流し、レヴィもつられたように“彼”の方を向いた。

 

「アレルについてはほとんど覚えてないんだよねー。ボクたち以外に()()()いたような気はするんだけど……」

「私も貴方に関してはまったく記憶がありません。アレル、貴方の方はどうでしょう? 私たちやユーリ、もしくはイリスについて、なにか覚えていることは?」

 

 レヴィはアレルをじっと見ながら記憶を探し、シュテルはアレルに問いをかけてくる。

 それに対してアレルも宙に視線を向けながら……

 

「残念ながら己も以前の事はほとんど覚えていない。仕えていた主と護っていた供たちがいたことぐらいしか……ただ……」

 

『この恩知らずの()()()がぁぁぁ!!』

 

 イリスが言い残した言葉に、アレルは何か引っかかるものを覚える。それが自分の過去を表しているような……。

 だが、いずれにせよ――。

 

「今、己が仕えている主はディアーチェただ一人。寄る辺なき己を騎士と認めてくれた貴君のために、我が剣と力のすべてを捧げる事をあらためて誓おう」

 

 ディアーチェにひざまづきながら宣誓するアレルを見て、シュテルとレヴィもその場で膝を付き……

 

「貴方を守り、貴方の願いを叶えるために私たちは働きます」

「そのとーり! 今度こそアレルに負けないもんね!!」

 

 おのおの忠誠を誓う騎士と臣下二人を見て、ディアーチェは誇らしく、愛おしく思いながら深いうなずきを返した。

 ちょうどそこで――

 

「お邪魔しまーす! うわあ――ママが言った通り、ほんとにフェイトそっくり!」

「でしょう! 初めてあの子を見た時は生き別れの娘かと思ったわ……まあ、あんなかわいい(むすめ)、手放すわけがないけど」

 

 突然扉が開き、フェイトが小さくなったような金髪の少女が部屋に入って来て、その後から十人近くの人間が入ってくる。

 レヴィを見て歓声を上げるアリシアやプレシアに続いて、アリサとすずかも他の三人に近寄って来て……

 

「へぇ……髪の色や雰囲気は違うけど、確かになのはそっくりね。あたしはアリサ。あなたはなんていうの?」

「本当にはやてちゃんや健斗君にそっくり……あっ、初対面なのに失礼しました。私は月村すずかと言います。友達に似てたからつい」

「ヴィクターじゃ。ヴィルと呼ぶがよい。しかし、見れば見るほど健斗にそっくりじゃのう。お主も固有技能を使うのかえ?」

 

 近づいてくるなり、いきなり挨拶してくる面々に四人ともたじたじになり、そんな中でディアーチェは、彼女らの後ろにいる自分そっくりの少女にジトリとした目を向けた。

 

「……おい小鴉、今の状況が分からぬわけではあるまい。うぬの友人らと戯れてる暇はないのだが」

「いやー、王様たちの事を話したら、みんな会いたがってなー。挨拶くらいええやろうと思って……」

「ここまで連れてきちゃいました!」

 

 はやてと彼女の肩の上を飛んでいるリインフォース・ツヴァイは、いたずらっぽい笑みを浮かべながら告げてくる。それを見てディアーチェは頭を抱える仕草をとった。

 そこでディアーチェは、はやてが持っているビニールポーチとその中に入っているボロボロの紙切れに気が付き――

 

「それは……ユーリが渡そうとした……」

「うん。破損してるけど中のデータはまだ生きてるみたいなんや。王様たちやったら復旧できるんとちゃうかなって」

 

 そう言いながらはやてはポーチから紙片を出して、差し出すようにディアーチェに向けてくる。ディアーチェは首を縦に振り、

 

「うむ、そういう事ならこやつに任せるといいだろう――レヴィ、その紙片の修復を頼めるか」

「うん! ボクに任せて!!」

 

 アリシアとプレシアにまとわりつかれた状態ながら、レヴィは快活な笑みを浮かべながら答える。

 それを見て、はやてをはじめ何人かは意外そうな顔でレヴィとディアーチェを見比べる。そんな彼女ら――主にはやて――に向かって、ディアーチェは得意げな笑みを向けた。

 

「何を驚いておる。データの解析と復元はレヴィが得意とするところ! 我らはもとより、貴様らの中にもレヴィの右に出る者はおらぬだろう!」

 

 そう言いながらディアーチェはレヴィの頭を撫で、レヴィは「えへへ」と甘い声を漏らしながら主にされるがままになる。

 その横でふとアレルは言った。

 

「そういえば、己のオリジナル――御神健斗はどうした? まさかまだ……」

 

 その言葉にはやては心配そうにうつむき、

 

「うん。なのはちゃんやアミタさんたちと一緒に医務室にいる。でも大した怪我やないみたいやし、今頃、治療を済ませてなのはちゃんやアミタさんたちのお見舞いに行ってるんやないかな」

 

 

 

 

 

 

「お大事に」

「ありがとうございました」

「――なのは!」

 

 看護師に頭を下げながら出てくるなのはを見て、フェイトが駆け寄り、俺とキリエさんもその後に続く。

 なのははフェイトと一言交わした後、俺たちの方を見て……

 

「キリエさん、もう動いて大丈夫なんですか?」

「ええ、私の方は大したケガじゃなかったから……それより、あなたの方こそその足……」

 

 脚に巻かれた包帯と杖を突きながら立つなのはを見て、キリエは眉をひそめる。なのはは何でもなさそうに笑みを浮かべながら……

 

「ふんばった時にちょっとひねっちゃって。心配しなくてもすぐ治ると思います」

 

 その返事にキリエさんは安堵の笑みを浮かべるものの、すぐに顔を曇らせておもむろに頭を下げた。

 

「ごめんなさい、全部私のせい。みんなにひどい迷惑をかけて……お姉ちゃんにもどう謝ればいいのか」

 

 キリエさんの謝罪になのはとフェイトは首を横に振ろうとするも、最後の一言を聞いて困ったように顔を見合わせ、フェイトは顔を戻しながら言った。

 

「アミタさんならわかってくれると思います。さっき目を覚まされたみたいですから、一緒にお見舞いに行きませんか?」

 

 フェイトの誘いにキリエさんは不安そうにしながらも、こくりとうなずく。

 そこで俺はふと思いついた()()()――

 

「そうだ、アミタさんのところに行く前にジュースでも買っていきませんか。キリエさんならお姉さんが好きな飲み物くらい知ってるでしょう?」

「えっ――う、うん」

 

 ()()()()()()()、キリエさんはうなずきを返す。それから俺はなのはとフェイトに向かって言った。

 

「じゃあ、俺とキリエさんは自販機に寄っていくから、なのはたちは先にアミタさんの部屋まで行っててくれ。すぐに済ませる」

「う、うん」

「じゃあ先に行ってるね」

 

 俺の言葉を受けて、なのはたちはそう言い残してからアミタさんがいる医務室へ向かう。

 そして彼女らが見えなくなってからキリエさんはおもむろに尋ねてきた。

 

「……で、何の用事? ただジュースを買いたいだけじゃないでしょう。アミタならどんな飲み物でも喜んで飲みそうだし」

 

 その問いに俺は、なのはたちの気配が遠ざかったことを確認してから言った。

 

「フォーミュラを使うために必要なナノマシン、まだ予備があるはずですよね。それを俺に分けてくれませんか。アミタさんが持ってる分はもうわずかしかないみたいなので」

「ナノマシンって……まさかあんた――」

 

 目を見開くキリエさんに俺はうなずきながら言った。

 

「電磁武装が追加されてるとはいえ、このままだとちょっと厳しい。俺のデバイスにも“あれ”を組み込む必要があると思いまして。あなたたちとなのはが使っているものと同じ――《フォーミュラシステム》を!」

 

 

 

 

 

 

 同時刻、ホテル近くに設置されたままの医療施設で、御神美沙斗は目を覚まし、同僚の早見と事情を聞いて駆けつけてきた高町美由希(たかまち みゆき)とともに、空間モニターに浮かぶ“彼”と会話をしていた。

 

『美沙斗さん、目を覚まされたそうですが、大丈夫ですか!』

「ああ、おたくの医療スタッフのおかげで事なきを得た。今は娘とともに早見さんに色々説明していたところだ。管理局の事や魔法について、少しな……」

『そうでしたか……』

 

 その説明と空間モニターを不思議そうに見ながらも落ち着いている早見を見て、クロノは納得すると同時に内心舌を巻く。健斗やなのはの周囲は色々な意味で適応力が高い者が多いと。

 早見という者は警察の中でも特殊な立ち位置にいるようだし、今回の事以外にも何かしら不可思議な事件や存在に相対した事があるのだろうか。例えばこの世界に点在している《夜の一族》のような……。

 

『それで、起き上がったばかりのところ、申し訳ないのですが……』

 

 美沙斗との会話に思考を戻し、クロノは口火を切る。それに美沙斗はうなずき。

 

「まだ事件は解決してない……だから私たちに協力してほしい、という事だね?」

『……はい』

 

 クロノは申し訳なさそうに一言返す。それに美沙斗は首を横に振り。

 

「気にしないでくれ。東京や海鳴に害が及ぶ可能性がある以上、私たちも今回の件を放置しておくわけにはいかない。我々にできる事ならどんな協力もしよう……それで、何が聞きたい?」

 

 その問いにクロノはうなずき、彼女らの前に赤い髪の少女が映ったモニターを表示させる。

 

『この少女が今回の事件の首謀者とされる、『イリス』です。先ほど健斗やなのはたちと交戦しましたが、逃げられてしまいました』

「……この子が、健斗君やなのはと……」

 

 弟と妹の名が出て、美由希は思わず顔を伏せる。

 そんな彼女に気の毒そうな、あるいは申し訳なさそうな顔をしながらも、クロノは続けた。

 

『今までの状況から考えて、あなたたちを襲った人型のロボットはイリスが造ったものだと推測しています。美沙斗さんと早見さんには、局員が撮った交戦記録からイリスの動きを見てもらいたいんです。美沙斗さんたちが戦ったあのロボットと動きを比べながら――あのロボットの映像もサーチャーで記録してありますから』

 

 クロノの頼みに美沙斗はうなずき。

 

「わかった。確かにあのロボットとイリスの動きを比べたら、関連ぐらいは掴めるかもしれん」

『お願いします。美由希さんもなにかわかったら言ってほしい。どんな些細なことでも構いませんので』

「うん。クロノ君たちも頑張ってね。健斗君となのはにもこっちの事は心配しないでお仕事頑張ってって伝えて」

 

 美由希の返事と頼みにクロノは笑みを浮かべながらうなずき、空間モニターの操作方法を教えてから通信を終える。

 それとともにイリスと例のロボットの交戦記録が流れ始め、美沙斗たちは非現実的な光景に目を奪われそうになりながらも、イリスとロボットの動きをじっと注視していた。

 

 

 

 

 

 

 一方、美沙斗たちとの通信を終えて、隣に立つエイミィが見守る中、クロノは銀色のカードを取り出した。

 

「出撃だ、デュランダル。今度こそ本当の意味で『闇の書事件』を終わらせるため、もう一度お前の力を貸してくれ!」

『OK,BOSS!』

 

 主の命令に《デュランダル》は簡潔な、それでいて頼もしい一言で応えた。



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第15話 惑星再生委員会(前編)

 それからしばらくしてアミタさんの見舞いと治療が終わり、彼女とともに医務室を出た頃にリインから“紙片”の修復が終わったという連絡を受けて、俺たちもみんながいる談話室に行って紙片の記録を見る事になった。

 

 

 

 

 

 

 最初に映ったのは荒涼とした大地だった。(ケント)が生きていた頃のベルカでもここまでひどくはない。

 そんな映像とは正反対な、明るい少女の声が響いてきた。

 

 

『資源の枯渇と土壌の砂漠化……命が暮らす星としてはもう死にかけている惑星――それが私たちの故郷『エルトリア』。

 死にかけた星を見捨てて新しい大地へ逃げようとしている人たちが増えていく中、この星に残って、星の再生を目指そうとしている人たちがいます――それが我ら『惑星再生委員会』!

 

 土地を荒廃させる汚染植物《死蝕》の繁殖原因を調べたり、地下深く眠っている水を地上まで引き上げる工事方法を研究したり、厳しい環境でも生きていける生物や家畜の研究をしたり、たくさんの人たちがここで働いています。

 ちなみに私は委員会の制作物の一つ、生体型テラフォーミングユニット『型式・IR-S07』――マスコットネーム《イリス》。危険な任務は私にお任せ♪

 

 願いは一つ。みんなの故郷……この星にもう一度命と緑を。――そのためにみんなで頑張っています!!』

 

 エルトリア各地や『惑星再生委員会』の活動風景と、大型銃を片手に巨大生物の屍に乗ってイリスが自らの性能()を誇る映像、そして最後に施設の中でガッツポーズをするイリスの映像が映り、その横から「はいオッケー!!」と調子のよさそうな男の声がかかった。

 そこで映像は暗転し、PV(プロモーション)の撮影をしていたイリスたちを別の角度から撮った場面に変わる。

 撮影が終わった瞬間、イリスはため息をつきながら大きく脱力し、丸椅子に座っている男の方を向きながら言った。

 

「所長ー、こんな感じでいいのかな?」

「もちろん! 宣伝もばっちりさ!」

 

 イリスの問いに、所長と呼ばれた茶髪の男は満面の笑みを浮かべながら大きくうなずく。

 

「これで追加予算も出るかなあ?」

「出してもらうさ、必ずね!」

 

 なおも不安そうに尋ねてくるイリスに、男は心強い返事を返しながら椅子から立ち上がり、イリスの頭を撫でた。

 

 

 

 

 

 

「ぐっ――」

「――どうした、アレル!?」

 

 ふいに頭を抱えるアレルに気付き、ディアーチェは彼のそばまで駆け寄る。

 そんな主をアレルは片手で制しながら……

 

「急に頭の奥から痛みが走って……大したことではない。慣れぬ映像に酔ったのだろう」

「……本当に大丈夫か? 映像の確認ぐらい我らだけでできる。アレルは休んでても――」

 

 心配そうに言うディアーチェに、アレルは首を横に振った。

 

「いや、己にしかわからない箇所があるかもしれん。このまま同席させてくれ」

 

 アレルからそう言われ、ディアーチェは渋々といった様子で「無理はするな」と言いながら席に戻る。はやては呆然としながらも、なにかに気付いたようにディアーチェとアレルを見比べていた。

 そんな中、壁掛けのモニターを通して記録は再び再生される。

 

 

 

 

 

 

 次に映ったのは毒々しい赤紫色の《死蝕》に覆われた洞窟だった。その中を防護マスクと服で体を覆い、カメラを手にしながらイリスは歩いていく。

 

「えー、この一帯は特に汚染がひどいですねー。汚染濃度レベル9、微生物も死滅するほどのデスゾーン……アンディ、ジェシカ、ちゃんと聞こえてる?」

『ああ、聞こえてるよ』

『大丈夫』

 

 汚染による通信状態の悪化を心配したのか、自分にカメラを向けながらアンディやジェシカという職員に尋ねるイリスに、カメラの向こうから二人の職員が返事を返す。それを聞いてイリスは安心しながら『オッケー』と言い、海底の奥へ歩を進める。

 

 そしてイリスは巨大な扉らしきものの前に立った。だが、扉の隙間を眺めた瞬間――

 

「えっ――うそ」

『イリス……?』

『どうしたの?』

 

 イリスが漏らした言葉に、職員たちは怪訝な声を発してくる。それに対してイリスは独り言のような応答を返した。

 

「人がいる…………――子供だよ!」

 

 言いながら、イリスは扉の奥に向かってカメラを向ける。そこには紫色の膜と、俺たちも見た“鋼鉄の翼”に包まれながら眠っている“ユーリ”の姿があった。

 ユーリは膝を丸くしながら目を閉じ、剣十字がついた茶色い表紙の本――夜天の魔導書を守るように抱きかかえている。

 そんな光景を見て――

 

『ありえない!』

『イリス、近づいちゃだめだ! そのまま撮影だけ――』

 

 職員たちのざわつく声が聞こえてくる中、イリスは「大丈夫」と言いながら扉をくぐり、ユーリの元へ近づく。その足音に気付いたのか、ユーリはゆっくりと目を開いた。

 イリスはユーリの前で立ち止まり、

 

「ねえ、大丈夫?」

 

 そう尋ねるイリスをじっと眺めてから、ユーリはおずおずと口を開いた。

 

「Hier……sind Sie?(ここは……あなたは?)」

「あれ……何語だ?」

 

 ユーリが放った言語に首をかしげながら、イリスはカメラを地面に下ろし、自らマスクを外してもう一度尋ねる。

 

「大丈夫? ケガはない? 君はどこから来たの?」

 

 イリスとは逆に、ユーリには彼女が言ってることがわかるのか、ユーリは穴の開いた天井を指さした。

 そこから漏れる日の光を見て、イリスもユーリが言わんとすることを悟り――

 

「落ちてきたの?」

 

 イリスの言葉にユーリはこくりとうなずき、おもむろに立ち上がりながら、今まで抱えていた魔導書を開き頁の一文を指でなぞる。

 すると――

 

「ダイジョウブ……コンニチハ…………挨拶はこれで合ってますか?」

 

 ユーリの口から、自分たちが使っている者と同じ言葉が出て来た途端、イリスはぽかんと口を開いたまま立ち上がり、

 

「えっと……君はあれかな、天使様かなにか?」

「テンシ……?」

 

 イリスが言ったことを口にしながらユーリは首をかしげる。それを見てイリスはぷっと噴き出した。

 

「まずは外に出ようか。ここは危ない場所だからさ」

 

 イリスの勧めにユーリはこくりとうなずいた。

 

 

 

 

 

 

「今のって夜天の書とユーリやね?」

「はい。間違えようがありません」

 

 ふいに発したはやての言葉にリインは神妙な顔で返事を返し、俺たちも心の中で同意を示した。

 イリスの言った通り、ユーリは過去のエルトリアに存在していた。そして夜天の書も……。

 だが、守護騎士もリインも、エルトリアについては何も知らないらしい。

 

 

 

 

 

 

 再び映像は切り替わり、機材の残骸が散乱している荒れ地と、その真ん中で机と脚立付きのカメラを挟み、椅子に座りながら対面しているイリスとユーリが映った。前の映像から少し時間が経過したらしく、ユーリはつなぎのような服を着ている。

 

「じゃあインタビューを始めます。あなたのお名前は?」

「ユーリ・エーベルヴァイン、です」

「いい名前だねー。ユーリって呼んでも?」

「はい」

「ユーリはどこ生まれのどこから来たの?」

「生まれは『ベルカ』。ここに来る前は『オルセン』にいました」

「それはどのへん?」

「この星ではないです。もっとずっと遠い異世界」

 

 異世界と聞いてイリスは半信半疑な様子を見せながらも、それを抑えてユーリが抱えている本に目を向けた。

 

「じゃあその本は?」

「《夜天の書》――魔導書です。少し危険な所もあるのですが、とてもいい子なんです。私はこの本を安全に管理するために造られました」

「造られた? 本を管理するために?」

 

 ユーリの言葉にイリスは首をかしげる。するとユーリはおもむろに書を手放し、書は落ちることなく、イリスとユーリの間を浮いてぐるぐる回り始めた。

 驚くイリスを前にユーリは書について説明する。

 

「夜天の書は旅する魔導書……主となる人物に出会うために色々な世界に旅をします。私はこの子が主に危険を及ぼさないように、見守ったり説明したり……そんな役目のために生み出されました……ですが…………」

 

 そこでユーリは口を濁し、沈黙してしまう。夜天の書が完成した時に起こる“暴走”の事を思い出したんだろう……。

 ちょうどそこで机の上に置かれた端末に映った所長が、ユーリに声をかけてきた。

 

『ユーリ、ちょっといいかい。その“魔導書”というのは何ができるのかな?』

 

 いきなりの問いにかかわらず、ユーリは気分を害するどころか、安堵したように答える。

 

「主が扱えばいろんな事が出来ます」

『具体的には?』

「できないのは“失われた命を取り戻す事”と“時間に干渉する事”――それ以外なら大抵の事は」

「すごいねー! 『願いが叶う魔法の指輪』だ!」

 

 イリスの言った言葉に、ユーリは「指輪?」と復唱しながら小首をかしげる。キリエさんもそんなことを言っていたな、たぶんエルトリアの童話や絵物語だろう。

 するとまた端末越しに所長が問いかけてきた。

 

『ユーリ、君自身もその本の力を扱えるのかな?』

「ほんの少しでしたら……あとは、私自身も《魔法》をそれなりに」

「――魔法!? ユーリは魔法使えるの?」

 

 例えのつもりで言った“魔法”が使えると聞いて、イリスは目を輝かせながら聞き返す。ユーリが「はい」と言いながらうなずくと、イリスは椅子から立ち上がってユーリの手を握りながら言った。

 

「見せて! あたしの《フォーミュラ》も見せてあげるから!」

 

 

 

 イリスはユーリから少し離れ、金属片を両手に抱えながら自身の足元に円状の《(プレート)》を浮かべる。

 

「私のフォーミュラは、体内に入れたナノマシンを通じて、物質に含まれる《エレメント》に干渉する力」

 

 説明しながらイリスは足元にある大きな岩を指さし、指先から光弾を放った。

 

「それに金属や無機物に干渉する《ヴァリアントシステム》を組み合わせると――」

 

 さらにイリスはバラバラになった岩の欠片を掴み、もう片手に持つ金属片と組み合わせ、赤い大型銃を造った。

 イリスは残骸に銃を向け砲弾を撃ち放つ。砲弾は残骸に命中して爆発し、その欠片が飛び散るのが見えた。それを見てユーリは意味深な表情を浮かべるが、イリスはそれに気付かずユーリの方を振り返りながら――

 

「と、こんな感じの事ができるんだ」

「――すごいですね」

 

 慌てて言ったような賛辞にイリスはえへへと照れ笑いをする。そこへ――

 

「私の魔法もそのフォーミュラと似ていますね」

 

 ユーリはそう言いながら、何を思ったのかイリスが破壊した残骸の方へ歩いていく。怪訝な顔をしながらも、イリスはもしやと思いカメラを構えた。

 イリスやカメラ越しに職員たちが見守る中、ユーリは魔導書を開きながら地面に膝を付き、ベルカ式の三角魔法陣を足元に浮かべる。

 魔法陣から残骸に向かって黒い枝が伸びてきて、残骸だった物質は紫色の光に包まれながら形を変えていく。その形を見て、まるで樹木のようだと思った途端、光は砕け、その中から青々とした木々が現れ、さらに足元の地面にも芝生が広がっていく。

 ユーリはそれを見ながらイリスの方を振り返り……

 

「壊す事にも使えますが、私はどちらかというとこんな風に“育てる”方に使うのが好き……なんですけど……」

 

 あぜんと自分を見つめるイリスを見て、まずい事をしてしまったかとユーリは言葉を詰まらせる。そんな中、イリスは目に涙を浮かべ、カメラを放り捨てながらユーリの元へ駆け寄り、ユーリを抱きしめた。それを受け止められず二人は地面に倒れてしまう。だが、そんなことはどうでもいいと言わんばかりに――

 

「ユーリ……ユーリ――ユーリ!! ユーリは本当に《天使》なのかも! 命に触れる力、育てる力――あたしたちが一番ほしかった力なの!!」

「そうなんですか……?」

 

 ユーリの両手を握りながらまくし立てるイリスに、ユーリは戸惑い交じりに聞き返す。そんなユーリを立ち上がらせながらイリスは言った。

 

「ユーリ、お願いがあるの! 私たちに力を貸して。ユーリの魔法が私たちの希望なの!」

「私が、ですか?」

「ユーリが、だよ!! ……駄目?」

 

 声高く言いながらも、浮かないままのユーリを見てイリスも顔を曇らせる。彼女に対してユーリは、

 

「駄目というか、私なんかでお役に立てることがあるとは……」

「ある! 勝手なお願いだってのはわかってる。だけどユーリが困ってる事や悩んでる事があるなら、それを私たちが手伝う。だからお願い。力を貸して!」

 

 詰め寄るように何度も協力を求めるイリスを見返しながら、ユーリはつぶやくように答えた。

 

「いつまでここにいられるかわかりませんし、ご迷惑をおかけすることもあるかも……」

 

 そう言いながらも、ユーリは意を決したようにイリスの手を握り返して言った。

 

「それでも、私の魔法が皆さんのお役に立つのなら……協力させてほしいと思います!」

「ユーリ……ありがとう! 大好き!!」

「――わぷっ、イリスさん!?」

 

 再び抱きしめられ、今度は倒れはしなかったものの、ユーリは戸惑いの声を漏らす。そんなユーリにイリスは言った。

 

「さんはいらない、イリスでいいよ。所長が付けてくれたお気に入りの名前なんだ!」

 

 イリスの言葉にユーリは躊躇うようなそぶりを見せながら……

 

「じゃあ……イリス!」

「うん、ユーリ!」

 

 

 

 

 お気に入りの名前(マスコットネーム)を呼ばれ、イリスは感極まったようにユーリを抱え上げ、無邪気な笑い声をあげる。そんな彼女の姿は、ユーリに対して憎悪と復讐心を持っている現代のイリスからはあまりにもかけ離れていた。

 そう思いながら俺たちは映像を眺め続ける。その合間もアレルは時折頭を押さえ付けていた。



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第16話 惑星再生委員会(後編)

『委員会に新しい仲間、ユーリが加わって、エルトリア復活の道は大きく開けました。

 ユーリの使う魔法による《生命操作能力》は、植物の復活に大きく貢献。たった二年で施設の敷地内にはずいぶん緑が帰ってきました。

 今はユーリしか使えない魔法技術ですが、それをフォーミュラの術式に変換して私たちやイリスが使えるようになれば、復興は劇的な進歩を見せます。研究チームもその実現に全力で取り組んでいます。

 ユーリもうちに来た当初よりもずいぶん明るくなりました。我らがお姫様――イリスも毎日楽しそうです!』

 

 

 ジェシカという女性研究員による解説を被せながら、ユーリが魔法で植物を育てたり、イリスや委員会の面々と親しげに話したり、首にリボンを付けた三匹の猫と戯れる様子が映し出される。

 そして再び映像は切り替わり、色とりどりの植物の前で屈みこむイリスとユーリの姿が映った。

 

「この子たちは本当に安定しましたね。私が手をかけなくても育ってくれます」

「うん。この果樹園、世界中に広げていきたいね……でも委員会の予算がなー」

「お金、ですか」

 

 ユーリの相槌にイリスは大きく首を縦に振った。

 

「所長、いつも悩んでるの。この二年で復興の可能性は十分高まってるのに、みんな空の上(宇宙)に逃げる算段ばっかりだって。……もっといっぱいお金があって、たくさんの人が手伝ってくれればなー」

 

 そう言ってイリスはせっかく育てた植物にかかりそうなほど大きなため息をつく。

 そんな彼女のもとに薄灰色の毛並みの犬がやって来て、イリスを慰めるように彼女の頬を舐めた。

 

「うわっ! こらお前、くすぐったいってば!」

 

 そう言いながらまんざらでもなさそうに犬を抱えるイリスを見て、ユーリはふふと噴き出し、それから彼女の空いてる手を握りながら言った。

 

「頑張りましょう。復興が進めばみんなもきっとわかってくれます!」

「――うん!」

 

 

 

 

 

 

「あっ――あれれ?」

 

 満面の笑みでイリスがうなずいたところで映像が止まり、レヴィは思わず声を漏らす。

 そんな彼女の上を飛びながらツヴァイが、

 

「途切れちゃいましたね」

「おかしいなー」

 

 うなるように言いながら、レヴィは紙片からデータを読み取ろうとする。

 そんな彼女たちの後ろで……

 

「色々びっくりやな」

「ええ」

 

 声をかけてきたはやてにシャマルが相槌を打つ。それに続いてシグナムも口を開いた。

 

「ユーリか。もう一つの管制人格の事は二年前にアインスから聞いていたが、あんな小さな子だったとは……」

「あたしらと違って、主がいない時に活動するための装置(プログラム)か……お前は当然、ユーリって子の事を知ってたんだよな?」

 

 ヴィータの問いにリインは首を縦に振り。

 

「すまない……終わりのない蒐集に明け暮れていた、当時のお前たちにあの子の事を話せば、それがきっかけで魔導書の破損に気付いてしまう恐れがあった。そうなればお前たちは、魔導書の完成が主の破滅や世界の滅亡をもたらす事を知りながら蒐集を強いられてしまうことになる。それに先ほども言った通り、私もユーリ――システムU-Dについて知っていることはあまり多くない。エルトリアやイリスについても今日初めて知ったばかりだ。まして彼女たちとの間に何があったかまでは……」

「知る(すべ)がないか」

 

 俺の言葉にリインは重々しくうなずく。

 そこでレヴィは復元を諦めたようで……

 

「やっぱりデータが破損してるみたい。再生できる所まで飛ばすね」

 

 そう言いながらレヴィはモニターに目を移し、それに合わせて再び映像が流れ始めた。

 そこで目にしたのは今までとはうって変わった光景だった……。

 

 

 

 

 

 

「ぎゃああ!」

 

 悲鳴を耳にしながら、その主を助けようともせず、男らしき人物は荒い息をつきながら施設内をひたすら走り続ける。

 ほどなくして研究用の広がった空間に辿り着き、開いたままの扉の向こうで三人の職員が手を振りながら声を上げてくる。

 

「早く! こっちだ!!」

「こっちに――」

 

 声に促されるまでもなく、そこに向かって男はまっしぐらに駆けるが、軽い音とうめき声とともに視界が回転し、床の上から三人を見上げる形になる。

 地面に倒れた男を見て三人はすぐに逃げようとするものの、そちらにも無数の光弾が撃ち込まれ、三人は倒れ込みそのまま動かなくなった。

 

 そこでノイズが流れ、次に映ったのは血まみれになって絶命した所長と、彼にすがりついているイリスの姿だった。

 

「なんで――ねえ、嘘だよね? あなたがこんなことするなんて……答えてよ――()()()!!」

 

 涙を流ししゃくりあげながら、イリスは目の前の人物に向かって問いをぶつける。

 それに向かってユーリと呼ばれた人物は悲痛そうな声で告げた。

 

「……私がやりました。ごめんなさい、だけど――」

うわあああああっ!!

 

 耳をふさぐ代わりに、ユーリの声をかき消さんと吼えながらイリスは腕を振り上げる――そこで映像は止まり、次の場面に流れた。

 次に映ったのは結晶樹によって(はりつけ)になったイリスと、返り血を浴びた状態でそれを眺めるユーリとその前を浮かぶ夜天の書――。

 

 

 

 そこで完全に映像は停まった。

 

 

 

 

 

 

「どうなったのー? 何も聞こえなくなったんだけど! 七瀬、手をどかして!!」

「ご、ごめん! つい思わず」

 

 映像が止まってからしばらくして、アリシアのわめき声と七瀬が謝る声が聞こえてくる。殺害現場を見てとっさにアリシアの目をふさいだらしい。

 当然プレシアさんは七瀬を咎めたりなどはせず、アリサも青ざめた顔ですずかにしがみついていた。

 その一方で……

 

「アレル、大丈夫か? さっきよりもさらにひどそうだが……」

「んっ……ああ、もう大丈夫だ。映像が終わった途端痛みが引いてきた」

 

 心配そうに尋ねるディアーチェに、アレルは頭から手を離しながら首を横に振る。

 そんな彼が気になりながらも、このまま呆然としているわけにもいかず俺は話を進める事にした。

 

「『惑星再生委員会』……イリスも言っていた組織の名前だったな。その名前に聞き覚えは?」

 

 エルトリアの住人であるアミタさんやキリエさんに尋ねると、アミタさんはうなずきながら口を開く。

 

「はい、40年ほど前ですが確かに存在していました。事故が起きて職員や関係者のほぼ全員が死亡したと聞いています……委員会に所属していた私たちの祖父母も含めて」

「……」

 

 そこまで言ってアミタさんは口ごもり、キリエさんも唇を噛んだ。

 アミタさんは自分を奮い立たせるように首を横に振ってから続ける。

 

「その事故で委員会はなくなり、エルトリアを救おうとする人々はいなくなりました。当時はまだ子供だった私たちの両親をのぞいて……」

 

 それ以上言うことがなくなったのか、アミタさんは息をついて沈黙する。そんな彼女に代わって……

 

「我らは出ておらなんだな」

「そうだったね」

「ですが、委員会の建物や人々にはどこか見覚えがありました」

「うむ……」

 

 ディアーチェに続き、レヴィとシュテルもそんな言葉を漏らし、アレルも首を縦に振る。

 確かにそれも少し気になるが……

 

「でもユーリちゃんはあの後どうなったんだろう? なんでエルトリアにいたユーリちゃんが、鉱石になって海鳴の海底なんかに?」

 

 なのはの問いに他のみんなは腕を組んだり首をひねりながら考える。それは“夜天の書自身”でもあるリインも同様だった。

 そこへ――

 

「これは俺の実体験も踏まえたうえでの推測なんだが……」

 

 俺が声を発した途端、皆がこちらを見る。実体験と聞いてリインや守護騎士、勘のいい何人かは“ケントの転生”の事を指しているのだと気付いたようだ。一方で、フローリアン姉妹とディアーチェたちは首をひねりながら俺を見ている。

 

「もうみんなも知ってる通り、イリスの力は相当なものだ。それに加えてイリスには通常の魔法を無力化するフォーミュラという力がある。夜天の書を使っても苦戦は免れなかっただろう。イリスとの戦いでユーリはほとんどの力を使い、書の中で眠っていたリインに助けを求める事もできない状態だった。だからあの後、ユーリは“自分自身を蒐集させて”夜天の書の中に戻った……とは考えられないだろうか」

 

 そこまで言うと、シャマルも得心しながらあごに手を乗せて推測の続きを口にした。

 

「なるほど……ユーリちゃんが戻ったことで、夜天の書の転生機能が働いてエルトリアを後にして……」

「何人かの主を経て、夜天の書が私のところにやってきた」

「だからアインスもユーリがどうなったかを知らなかったってわけか!」

 

 ヴィータの言葉にリインははっとしたように目を見張る。そこへ彼女の妹分(ツヴァイ)が口を挟んできた。

 

「でも、それならどうしてユーリはあんな場所に?」

「水族館の鉱石の中だっけ。健斗の言う通りなら、ユーリは夜天の書の中にいたはずだろう?」

 

 続くヴィータの問いにはやてもうーんとうなる。そこで俺の脳裏に、《闇の書の闇》が魔導書から切り離された時に見た頁がよぎった。

 

「――あの頁がユーリだったのかもしれない。《闇の書の闇》と一緒にユーリも切り離されて、《時の庭園》から(はやて)が住んでいる海鳴に近い海の中に転移して、そこで鉱石化して眠っていた……さらに、ちょうどそこがオールストン・シーの建設場所の真下か近くで……」

「――パパの会社が掘り当てちゃったってわけね!!」

 

 甲高く叫ぶアリサに俺はうなずく。そしてデビッドさんは善意か打算からか、発見した『巨大鉱石』をオールストンの水中水族館に展示することにした。それをイリスに狙われた形だ。

 

「まっ、俺たちがああだこうだ言うより、ユーリ本人に聞いた方が早いだろうけどな。幸いアレルのおかげでユーリは無事に確保することができたし、あいつが目覚めたら40年前の事も含めて色々確認してみよう。それにイリスを捕まえれば――」

 

 俺が言ってる途中で通知音が響き、はやてが空間モニターを開く。そこに本局側の総指揮官であるレティさんの顔が映し出された。

 

「こちら捜査本部。対象イリスの拠点を発見したわ。今、最寄りの武装局員が向かっている。念のため、あなたたちも出動準備をして!」

 

 向かっているのは武装局員だけか。結晶樹を使うユーリはこちらにいるし、数次第なら武装隊だけでイリスを押さえられない事もない……か?

 嫌な予感を覚えながらもそれを抑えて、俺はみんなとともに「了解」と応えた。

 

 

 

 

 

 

 同時刻。

 

 都内某所にある資材置き場を兼ねた施設を拠点()()()にして、施設内の管制室にイリスは潜んでいた。

 

 イリスがユーリを目覚めさせた目的は、委員会のみんなを殺した理由を聞き出すため、そして自分を裏切ったユーリへの復讐のためでもある。

 自分を造り(うみ)育ててくれた“家族”を奪った事はなにがあろうと許せないし、自分だけを生かした事も許せなかった。ユーリの力なら、イリスが二度と蘇らないよう完全に死なせることもできたはずだ。

 

 ユーリへの復讐を果たし、“過去”を終わらせる。

 そうしない限り、自分は生きる事も死ぬ事もできない。

 

 そのために八神はやてから闇の書を奪い、《鍵》と称してあの……たちを目覚めさせた。

 正直なところ、ユーリを目覚めさせるだけならあの子たちを蘇らせる必要はなかった。キリエに話した通り、永遠結晶(ユーリ)の居場所は特定できていたのだから。

 

 時空管理局や“ヒーローたち”を敵に回してまで、そんな事をしたのも理由がある。

 委員会にいた頃、ユーリはあの子たちを目の中に入れても痛くないほど可愛がっていた。自分もそれなりに愛着はあったが、今となっては些末な事だ。あの子たちをその手で殺させて、ユーリに自分と同じ“痛み”を味わわせるという復讐に比べれば。

 

 だがふと思う。あの“野良犬”まで蘇らせる必要はあったかと。

 ユーリと殺し合わせるためならディアーチェたちだけで十分だし、奴のせいでせっかく目覚めさせたユーリは自分の手を離れ、計画は大きく修正せざるをえなくなった。

 御神健斗や闇の書の意思、高町なのはも自分の邪魔をしてくれたが、計画を狂わせた一番の原因はあの“犬”にあるといっていい。

 

 十分なリソースもない中分身を造り出してまで、なぜ奴を復活させることにこだわったのか? その疑問がずっと頭にこびりついていた。ディアーチェたちだけ復活させて、あいつらに復讐の一端を任せるだけで十分だったはず……。

 

――私はやらなくていいはずの事に固執し、自分が考え付かないはずのことをやろうとしていた……?

 

「……まさかね、馬鹿馬鹿しい」

 

 ありえない。ユーリへの復讐も、そのためにディアーチェたちを使うのも自分で考え出した事。“誰か”が自分を操って、そうさせたなんてあるわけがないじゃないか。

 十歩譲ってそんな事が起こりうるとして、誰が自分を操るというのだ? 自分を知る者もエルトリアに残っているのも、今やフローリアン一家以外にいないというのだぞ。

 

「ユーリを徹底的に苦しめるためよ。ユーリが助けて、名前まで付けて可愛がってたあの“犬”を殺させることで、あの子の心を痛めつけてやるためよ――そうに決まってる!」

 

 自分に言い聞かせるようにイリスはひとりごちる。その声は室内にこだまするほど大きく、叫んだといっても過言ではないほどだった。

 

 まあいい……ユーリには闇の書同様《ウイルスコード》を植え付けてある。その気になれば、いつでも自分のもとに戻せるはずだ。それに《IR-S07》として“本来の力”を発揮する準備も整えてある。

 そろそろそれを見せる時が――

 

『Eindringlinge erkennen!(侵入者を検知!)』

 

 耳障りな音とともに、闇の書が警告を告げてくる。

 その横に表示してあったモニターには、黒いコートを着た侵入者たちが映っていた。

 うんざりするような待ち焦がれていたような、相反する感情を抱きながらイリスは口を開いた。

 

「この星は(うるさ)くてかなわないわね……始末して」

 

 イリスが命じた瞬間に、侵入者たちはいずこから飛んできたエネルギー弾に頭を撃たれ、その場に倒れた。その向こう側の木の上には目元にバイザーを付け、自動小銃を構えた女たちが立っているのが見える。

 いやいや、手勢はあれっぽちだけじゃない。この拠点の中にはもっと多くの手駒がいるし、他の拠点では今なお多くの手駒たちが生み出されている。

 

 それを思って、イリスは三日月状に唇を吊り上げた。

 

「まずは邪魔者を排除して、それからこの星を丸ごと復讐の舞台に変えてあげましょう! 行くよ、私の分身――《群体イリス》!!」

 

 その告げた瞬間、彼女の後ろの扉が開き、局員たちを撃った者たちと同型の《群体イリス》たちが出てきた。




この話か前回でカリムの預言について触れる予定だったのですが、テンポが悪くなるためカットしました。
設定的には紙片の修復中、みんなでお菓子を食べてる間にはやてが話した事になってます。


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第17話 群体イリス

 拠点内に突入した武装局員たちは、待ち構えたようにたたずんでいた口元をマスクで覆った女に向かって一斉に魔力弾を掃射する。

 しかし、女は平然と立ったまま機関銃を取り出し、思わず攻撃を止めて身構えた局員に向かって機関銃を乱射した。

 

 別の部屋では、バイザーを装着した紫髪の女たちが射撃魔法を難なくかわしながら、局員たちを蹴散らしていく。

 やがて局員たちを一掃したのを確認すると、敵の一人が腕をバルカン砲に換え、シャッターで閉ざされた出入り口に向かって砲弾を放った。

 当然のようにシャッターは跡形もなく破壊され、ぽっかりと空いた出入口から無数のバイクとトラックに載った《イリス》たちが、続々と拠点から抜けていった。

 

 

 

 

 

 

 

「イリスが――増えただと!?」

 

 武装隊の壊滅と同時に届いたその報告を聞いた途端、俺たちは自分の耳を疑った。

 一方、アミタさんは取り乱すことなく冷静な口調で告げた。

 

「父から聞いた事があります。委員会が手掛けていた《テラフォーミングユニット》は、環境と状況に応じて自己増殖機能を持つと。元々星一つ丸ごと改良するのが仕事です。資源の少ないエルトリアですら、それを可能にするほどの能力があった。素材もエネルギーも大量にあるこの星なら――」

 

 そういうことは早く言え!!

 

 ――と突っ込みそうになったが、イリスの正体はあの紙片の記録を見て知ったばかりだった……ユーリより、まずそっち(イリス)の事を聞くべきだったか。

 

『ハラオウン次長*1、イリス本体の捜索はかけられますね?』

『反応マーカーで識別がつくわ。他の《イリス》の位置もユーノ君に手伝ってもらえば――』

『はい、任せてください!』

 

 空間モニターに映っているクロノ、リンディさん、ユーノが矢継ぎ早に話を進めていく。それを聞いてレティさんは彼らや俺たちに指示を出した。

 

『分散した《イリス》を結界から出さないように叩くわ。クロノ君、はやて、出撃して』

『了解!』

「了解です!」

 

 二人の返事を聞いてから、レティさんは俺たちにも目を向けて――

 

『他のみんなも頼んだわ』

「「「はい!」」」

 

 その命令に、俺となのはとフェイトは揃って返事を返した。

 

 エルトリアのテラフォーミングユニット・IR-S07――《イリス》……一筋縄ではいきそうにないな。記録を見た時から薄々思っていたが、惑星の緑地化のために造られたユニットにしては戦闘用に偏り過ぎている……まさかと思うが――。

 

 

 

 

 

 

 健斗たちと別れて、はやてたちとディアーチェたちにアルフを加えた面々は船のデッキに出た。

 

「ほな、私たちはイリスを止めに行くから、ユーリの事は王様たちに任せるな」

「信用していいんですか? もし私たちがこの船の中で反攻でも企てたら……」

 

 試すようなシュテルの問いに、はやては笑みを浮かべて。

 

「イリスから昔の話を聞きたいのとユーリを守りたいという点では、お互い目的は同じやろう。それにこの船に残ってる人たちの中にも、とっても強い子や怖い人が何人かおる。特に私の友達を怒らせると後が怖いで」

「ああ、あの紫髪の娘か。確かにあの娘と会った瞬間、ただならぬ気配を感じたな」

 

 ディアーチェはそう言ってわずかに肩を揺らす。莫大な魔力を持つ、王たる自分があんな娘に敵わないはずがない……はずなのだが、あの娘とその隣にいた少年を前にした瞬間、心の奥から警戒心がわき上がったのを思い出した。

 それに、プレシアという魔導師とリニスという使い魔が侮れない力の持ち主である事は確かだ。勝てる自信がまったくないわけではないが、今は戦う理由もないし交戦は避けた方がいいだろう。

 

「はやてちゃん!」

 

 ディアーチェがそう考えているところで、ツヴァイが自分の何倍もの大きさのケースを運びながら飛んできて、それを主に差し出す。

 はやては礼を言いながらケースを受け取り、それを開いた。ケースの中には黒い表紙の本と紫色の表紙の本が一冊ずつ入っている。

 はやては紫色の本を掴み、それをディアーチェに手渡した。

 

「王様にはこれ……私用の特注魔導書型デバイス。王様やったらうまく使えると思う」

「う、うむ……」

 

――しかし、敵対していた者を信用しすぎではないのか?

 

 そう思いながらも、ディアーチェはなんとか戸惑いを押し殺し、魔導書(武器)を受け取った。

 

 

 

 

 

 

 一方、俺とリイン、なのはとフェイトはフローリアン姉妹を連れて、改修したデバイスやヴァリアントザッパーを取りに、マリエルさんとシャーリーのもとを訪れていた。

 

「シャーリー、マリーさん」

「デバイスの方は改修は済みましたか?」

 

 挨拶するように声をかけたなのはに続いて、俺が問いかけるとマリエルさんとシャーリーは自信満々の笑みを浮かべながらうなずいた。

 

「うん!」

「ちょうどさっき終わりました!」

 

 そう言いながらシャーリーは台に乗せたデバイスを運んでくる。

 その中でレイジングハートは羽を出して主の元へ飛んだ。

 

「お帰り、レイジングハート」

『I'am back(ただいま戻りました)』

 

 俺もアクセサリー状のティルフィングを掴みながら、相棒(デバイス)に声をかけた。

 

「ティルフィング、準備はいいな?」

『Immer wenn Sie eine Bestellung haben(命あらばいつでも)』

 

「アミタさんとキリエさんもご協力感謝です」

「いえ」

「それぐらい当然ですから」

 

 デバイスと再会している俺たちの横で、マリエルさんはアミタさんたちに声をかける。

 そしてマリエルさんは……

 

「ところで、私たちの方でもユーリちゃんが残した頁の解析をしていたんだけど……実は――」

 

 続いてマリエルさんが言った言葉に、アミタさんとキリエさんは目を剥いて……

 

「えっ――」

「それは……本当ですか?」

 

 二人とも自分の耳を疑いながら、マリエルさんに向かってそう尋ね返した。

 

 

 

 

 

 それからすぐ、姉妹を含む俺たちはバリアジャケットを装着しながら甲板に出て、イリスが潜んでいる東京に向かって飛んだ。

 それからすぐになのはたちは、結界に包まれた街の中で暴れ回っている《群体イリス》たちと、彼女らと戦っている局員たちを見つけ……

 

「じゃあ健斗君、私たちはみんなと一緒にあの子たちを止めないといけないから」

「ああ、あんな奴ら、俺たちならすぐに――」

 

 なのはに応えながら俺も武器を構える。だが――

 

「ううん。健斗とアインスは、キリエさんと一緒にイリスさんのところに行って! ここで止まってたら手遅れになっちゃうかもしれないから――ですよね、アミタさん?」

「はい。《イリス》たちはこの星で奪った資源を元に、どこかで生産され続けているはずです。時間が経てば経つほど私たちの手に負えない量に増えていく恐れが……」

 

 険しい顔で問いかけるフェイトと、それ以上に厳しそうな表情で答えるアミタさんを見て、俺も気を改める。

 

「――わかった。俺たちはイリスのもとに向かう。リインとキリエさんもそれでいいな?」

「――はい!」

「ええっ!」

 

 リインとともにキリエさんはうなずきアミタさんと視線をかわす。

 そこで俺たちは別れ、なのはとフェイトとアミタさんは群体イリスと交戦を始め、俺とリインはキリエさんとともに“イリス本体”を探すため街の中心へ飛んだ。

 

 だが、そんな俺たちの所にも――

 

 

 

「――! 健斗、キリエ、気を付けろ、近くに何かいる!」

「えっ?」

「――そこか!」

 

 突然声を張り上げたリインに、キリエさんは怪訝な声を上げ、その一方で俺は間近に存在する気配に気付き身を構える。

 そこへ俺たちに向けて真っ白な光線が放たれた。

 俺たちは身をひるがえしてそれをかわす。

 それとほぼ同時に四脚の《機動外殻》が現れる。あれはアレルが乗っていた《アレイオーン》と同じ――いや、微妙に形状が違う……。

 そう思っていたところで――

 

「へえ、《ケイロス》に気付くなんてなかなかやるじゃん。母様(オリジナル)が警戒するだけはあるね」

「えっ……?」

 

 眼下から届いた女の声にキリエさんと俺たちは思わず、《ケイロス》という機動外殻の足下を見る。

 そこには三十体ほどの量産型イリスと、彼女らの前に立つ白髪の女が立っていた。周りの量産型とは姿が違うがあいつも……。

 女――《固有型イリス》は手に持った大型の銃を握りながら上空にいるキリエさんを見据え、嗤う。

 

「まずはあいつから片付けるとするか……悪く思わないでよ」

 

 そうつぶやくと彼女は銃を真横に構え、右足を前に踏み出しながら目の前にそびえるビルに視線を移し……。

 

「アアアアアア!!」

 

 その場から勢いよく駆け出して、垂直に立つビルの壁を伝い――そのまま屋上まで上がり、近くを浮かぶキリエさんめがけて飛び跳ねた。

 固有型は宙を飛びながら銃を振り上げる。

 

「まさか、それで――」

 

 つぶやくキリエさんに彼女はニヤリとした顔を向けて。

 

「殴るんだよっ!!」

 

 ()()()()()に戸惑いながらキリエさんはザンバーで銃を受け止める。だが見た目によらず固有型の強い怪力と銃の重さに、キリエさんはうめき声を上げながら得物を下げる。そこへ相手はザンバーもろともキリエさんを弾き飛ばし、無防備になった彼女に銃口を向けた。

 

「正直言えば、もう少しまともに戦いたいところだったんだけど――せめて苦しまずに逝きな!」

 

 そう言いながら固有型は引き金に手をかける。だが――

 

「はあっ!」

「つっ――」

「――健斗!」

 

 すかさず剣を振り下ろしながら飛び込むと、固有型は銃で剣を受け止めながらもうめき、キリエさんは思わず俺に声をかける。

 俺は背中を向けたままキリエさんに向けて言った。

 

「こいつらは俺たちが何とかする。キリエさんはそのまま先に進め!」

「えっ? で、でも――」

 

 キリエさんは戸惑いながら俺と対峙する固有型、機動外殻・ケイロス、そして地上にいる量産型たちを見る。そんな彼女に――

 

「こいつらが邪魔しに来たという事は、この先にイリス本体がいる可能性が高い! さっきアミタさんが言ってた通り、時間が経てば経つほど《イリス》たちは増えていって、結界を抜けられる恐れが強くなる。そうなる前に誰かが本体を止めなきゃならないんだ……それに――」

「……」

 

 少し間を空けて付け足すと、キリエさんは怪訝な顔を見せる。そんな彼女に続きを言い放った。

 

「――このままイリスにやられっぱなしでキリエさんは気が済むのかよ?」

「――、ううん!」

 

 キリエさんは首をぶんぶん振りながら答える。そんな彼女を見て固有型は「ハッ」と笑いながら言った。

 

「このまま行かせると思うのかよ! やっちまえ!!」

 

 固有型の命令とともに、ケイロスの口から白い光が漏れる。すると――

 

「来たれ石化の槍――《ミストルティン》!」

 

 頭上から落ちてきた白い槍に貫かれ、ケイロスの頭は見る見るうちに石化し奴の口から漏れていたおびただしい光もそのまま霧散する。

 《石化の槍》を繰り出したのはケイロスの真上を飛んでいたリインだった。それを見て固有型もキリエさんも目を見開く。その合間を縫うように、

 

「今だ!!」

「――っ」

 

 俺が叫ぶと、キリエさんは首を前に揺らしそこから飛び出す。

 

「させるか――やっちまえ!!」

 

 固有型が吼えると、地上から量産型たちがキリエさんに向けて撃ってくる。

 だがキリエさんは超高速ですべての弾を避け、ついでと言わんばかりに十体ほどの機体を破壊していった。それを見て固有型は歯噛みをするが――。

 

「はあっ!」

「――ぐっ」

 

 俺が剣を振りながら迫ると固有型は銃で受け止める。

 

「敵の目の前でよそ見とはずいぶん余裕だな」

「てめえ――」

 

 煽るように言う俺に固有型は憎しげな顔を向けながら力を込める。その横でリインもケイロスの攻撃をかわしながら、コアのある背中を狙って攻撃する。

 キリエさんは一度振り返ってそれらを見た後、意を決したように街の中心部に向かって飛んでいった。

 

 

 

 

 

 

『私は《テラフォーミングユニット》。望む世界を作るため、邪魔なものを排除するのも役目の内――その力を証明してみせるのも私の目的の一つなんだから。……じゃあもう切るわね。見ての通り忙しくてあなたと話してる暇なんてないの』

 

 後ろで群体たちの管制をしている分身を指しながらイリスがそう言うと、クロノの前に浮かぶ空間モニターは黒一色に染まり、彼女の声も聞こえなくなる。向こうから通信を切られたのだ。

 機動外殻を氷漬けにするための広域魔法で吹雪が吹きすさび、術者である自身も雪にまみれながらクロノは嘆息した。

 やはり相手(イリス)の決意は固く、ユーリとの面会を約束するぐらいでは投降してくれなかった。

 

(それほどまでユーリを憎んでいるというのか……家族同然の人たちを殺され、自分自身も動けなくなるほどの重傷を負わされたとあっては無理もないが――)

 

――その復讐のために結界から出て、ユーリのもとに向かおうとしている……。

 

 そこまで考えてクロノは、いやと首を横に振った。

 

(それにしては群体たちの様子がおかしい。自分から僕たちに攻撃を仕掛けてきたり機動外殻を繰り出してきたり、わざわざ目立つ行動をとっている。はやてと交戦した《イリス》は鉄を集めていたらしいし、結界から抜け出すためにしては妙だ)

 

 街にいる《イリス》たちの行動は、本体の性格やこれまでの行いから割り出した分析(プロファイリング)とはあまりに逸脱している。

 

 

(…………まさか!)

 

 

 

 

 クロノがある考えに至った頃、彼の頼みによって、病室でイリスの戦闘記録を見ていた美沙斗たちも……。

 

「このイリスって子、かなりの強さだね。身のこなしも武器の使い方もかなりのものだよ。まるで()()()()()()()()()()()()()()。母さんたちや恭ちゃんならともかく、多分私じゃ勝てないくらいじゃないかな……」

 

 美由希の一言に、美沙斗もうなずかず心の中で同意する。そして早見も……

 

「そうですね、魔法とやらについてはさっぱりですが、剣の腕は相当なものはわかります。ですが私たちが戦ったあのロボットは……」

 

 もう一つのモニターに映されているロボットを見ながら、早見が零した一言に美沙斗もうなずき。

 

「ああ……()()()()()()。少なくともあのロボットを操っていた者は別にいるはずだ」

 

 

 確信に満ちた声でそう言い切った。

*1
本作でもリンディは新暦67年度から本局総務部の次長に就いている。



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第18話 ユーリとの戦い

前話から三ヶ月。お待たせしました。
ついに本格的に連載再開です。


 健斗たちが各地で群体イリスと戦っている頃、いまだユーリは洋上に浮かぶ指揮船の部屋で眠りについている――はずだった。

 

 

 

『ユーリ……起きなさい』

「…………うっ……」

 

 頭の中に聞き覚えのある声が響き、ユーリはベッドに横たわったままうめき声を上げる。彼女はおぼつかない声で何度もうめき、それはやがて声の主の名となった。

 

「ぃ……イ……リス…………」

『ようやく起きた。こっちが必死に結界を破って迎えに行こうとしている時にいい気なもんね』

 

 ため息のような音とともに、呆れ混じりの言葉が返ってくる。

 そんな彼女にユーリは目を閉じたまま言葉を返す。

 

「イリ、ス……もう、やめてください……そんなことをしてもあなたは…………それに研究所の人たちを殺したのは――うぐっ!」

『喋らないで――嘘はもう聞きたくない!』

 

 言おうとした瞬間に喉が詰まったような窒息感に襲われるユーリに、イリスは冷徹な声で告げる。

 

『あんたを起こしたのはくだらない言い訳を聞くためじゃないの。魔女たちと管理局の連中が予想以上に厄介でね、そろそろあんたに働いてもらわなくちゃいけないのよ――とっととベッドから起き上がって舞台に戻ってきなさい!』

 

 イリスがそう“命じた”瞬間、ユーリの目に赤い文字列(コード)が浮かび上がった。

 

「う――うぅぅぁぁあああああああ!!!」

 

 

「どうした!?」

「一体何が?」

 

 部屋の中の絶叫を聞いて、二、三人の局員が部屋になだれ込んでくる。

 だが――。

 

「うぐっ――」

「ぐあああっ!」

「ぎあああああっ!」

 

 部屋に突入した局員の体から赤黒い肉片が飛び出し、彼らは肉片を噴き出したまま気を失う。

 そんな彼らを見下ろしながら、ユーリはベッドから起き上がった。

 

『まずはその船を沈めて。それからこっちに来て、外側から結界を破壊してちょうだい……いいわね!』

「Verstanden(了解)」

 

 いずこから発せられるイリスの命令に、ユーリは短くそう応えた。両眼を毒々しい()で染めたまま……。

 

 

 

 

 

 

「こっちだ!」

「急いで!」

 

 廊下から漏れてくる局員たちの声に、ディアーチェたちは訝しげに顔を上げる。

 健斗たちが去った後、彼女らはアリサたちに絡まれながら、ともに談話室に留まっていた。海一つ越えた街で激しい戦いが繰り広げられているのが嘘のような、平穏なひと時だった。

 そのひと時に不穏な雰囲気がさしこめて来た時――

 

「――君たち、みんないるか!?」

「な、なによ、いきなり――!?」

 

 ノックもなく突然杖を持った男女数人が入って来て、アリサは戸惑いの声を上げる。服装からみて、船の中に詰めている局員のようだが。

 

「船の中で非常事態が発生した。我々が外まで運ぶからすぐにここから避難してくれ!」

 

 先頭に立つ局員がそう告げた途端、彼女たちは困惑した表情を見せる。

 そんな中、ディアーチェは椅子から立ち上がり、局員たちに向かって口を開いた。

 

「何があった?」

 

 その問いに局員たちは躊躇う様子で口をつぐむ。そんな彼らにディアーチェは続けて――

 

「ユーリ、だな……」

 

 その一言に先頭の局員は目を見張りながらも、硬い表情とうなずきを返す。

 それを見てディアーチェは両隣にいるシュテルやアレルと視線をかわし、局員たちに向かって言った。

 

案内(あない)せい。我らもあやつを止めに向かう! ――うぬらはあの者らとともに船から脱出するがいい!」 

 

 続けて避難するように指示するディアーチェにアリサは何か言おうとするものの、すずかは彼女の肩を掴み……

 

「行こうアリサちゃん。私たちじゃ空も飛べないし、局員さんたちやディアちゃんたちの邪魔にしかならない。……それに七瀬ちゃんとアリシアちゃんのことも見てあげないと」

「すずか……そうだったわね。ごめん、うっかりしてた」

 

 親友の言葉に加え自分たちより小さいアリシアたちを見て、アリサは思い直す。プレシアとリニスがいるとはいえ、娘たちよりはるかに目線が高い彼女たちでは見失う恐れもある。アリシアたちと視点が近い自分たちが傍にいるべきだった。

 一方、足手まとい扱いされたアリシアは不満げな顔を見せ、七瀬が彼女をなだめる。

 そんな中、ヴィクターは爪を掲げる仕草を見せて――

 

「儂も手を貸してやろうか。儂なら空も飛べるし戦用の魔法も一通り扱えるぞ。身体能力もこの世界で儂に並ぶ者は存在しないと思うのじゃが」

 

 その申し出にすずかたちは心の中でうなずく。確かに、一部の者から“この星の真の霊長類”と呼ばれている《夜の一族》の頂点に立つ彼なら、ユーリにも対抗できるかもしれない。

 だが、アレルは首を横に振り……

 

「いや、貴老にも幼子たちの搬送と護りをお願いしたい。結界を破ってきた《イリス》が襲ってくるかもしれんからな。相手の数を考えれば婦人(プレシア殿)とリニスだけでは心もとない……それに」

 

 アレルはそこで言葉を区切って、ユーリがいるだろう部屋の方を向き、続けて言った。

 

「あのユーリという者は己たちの手で助けてやりたい。愚かと思うかもしれんが、その役目を誰にも譲りたくないという想いがある」

「ほう……」

 

 アレルの口から出た言葉にヴィクターは呆れるような声を漏らす。しかし、それを否定するようにディアーチェも声を上げた。

 

「いや、我も同じだ。ユーリが苦しんでいるのなら、我らの手で助けてやりたい。できれば臣下以外誰の手も借りずに――故に助太刀は無用! あやつの事は我らに任せて、うぬらは自身や子らの身を守ることだけを考えておれ!」

 

 彼女までもがそう言うと、ヴィクターは何も言わず降参するように肩をすくめた。

 

(健斗やあの娘どもじゃったら、素直に助力を受けておったろうな。能力や魔力資質は似ているが、内面的なところはあの四人とは異なっておる。儂が見立てていた通り、ただあやつらをコピーしただけの存在ではなさそうじゃ……)

 

 そこで議論が終わったと見て、リニスが口を開いた。

 

「――時間がありません。急ぎましょう。私がアリシアと七瀬さんを陸地まで運びますから、プレシアはアリサさんとすずかさんを運んでください!」

「え……ええ!」

 

 (アリシア)を運ぶ役目を取られてしまったと思いつつも、プレシアは気を改めて返事を返す。

 

 そうして、局員たちに先導されながら飛行魔法で船を脱出する彼女たちを見送りつつ、ディアーチェたちも他の局員たちとともにユーリの元へ向かった。

 

 

 

 

 

「あっ――があああああっ!!」

「ひぃぃ――ぐああああっ!」

 

 悲鳴を聞いて駆け足でたどり着いた彼女たちが見たのは、体から赤い肉塊、あるいは杭を噴出させて意識を失っている局員たちと、半壊した通路だった。

 ユーリが眠っていた医務室はすでに影も形もないほど破壊されて、外の景色が見渡せるほどの大穴が空いている。

 

 

 その中心にユーリはいた。

 

 

 腰まで届く鮮やかな色の金髪、人形のように整った容姿、局部は隠れているものの上半身の露出が高い服装、それらは先ほどまでと同じだった。

 だが髪と同じ金色だったはずの瞳は、返り血を浴びたように赤く染まっている。

 そんなユーリの姿を見て、《悪魔》という言葉が浮かんでくる。

 だがシュテルは冷静にユーリを観察し、今の状態を見抜いた。

 

「《ウイルスコード》……最初の時のようにイリスに操られているようですね」

 

 その言葉に反応したのか、警戒心を敵意と捉えたのか、ユーリが鋭い目を向けてくる。

 それを見て――

 

「――逃げろ! 貴公らでは歯が立たん!!」

 

 アレルが反射的に叫んだ直後に、ユーリの両隣に浮いていた《機鎧》が彼に向かって飛んでくる。

 アレルは大剣でその片方を受け止めるものの、もう片方は掌を開き邪魔な“火の粉”ごとアレルを払い飛ばそうとする。

 そこへレヴィが吼えながら斧型のバルフィニカスを振り、もう片方の《機鎧》を打ち払う。

 局員たちは己の無力を悟り後方に向かって退却するが、アレルもレヴィも他の二人も、構わず眼前に目を向けた。

 これでいい。彼らを守りながらではかえって隙を作ってしまう。

 

 《機鎧》はユーリの元へ戻り、アレルとレヴィもディアーチェの横に並び直して再びユーリを見据えた。

 

 

 

『ディアーチェとシュテルとレヴィ……そしてアレルを蘇らせたのは、共鳴反応であんたを探すためでもあったけど、決着の前のちょっとした嫌がらせでもあるの。

 ――大切な子たちと仲良く殺し合いなさい』

 

 

 

「Feindliche Kräfte bestehen aus 4 Gruppen……Ich werde sie beseitigen(敵勢存在四基……排除します)」

 

 脳裏に響く(イリス)の命令に応えるように、ユーリは無機質な声で“敵”の排除を宣告する。

 それを叶えさせてやるわけにはいかない。

 

「私たちの“過去”と、あなたの“今”を取り戻すために」

「ちょっとだけ、我慢してね」

「ゆくぞ、ユーリ」

 

 シュテル、レヴィ、ディアーチェが各々なりに戦意を燃やしながら武器を構える。

 そして彼も掲げるように大剣を両手に持ち……。

 

「務め一つ果たせなかったかつての己との決別と、新たな主への忠義を貫くため――いざ参らん!」

 

 その宣誓と同時に、アレルは光の如き速さでユーリに迫り剣を振り下ろす。ユーリは五枚の《魄翼》でそれを防ぎ、左右の《機鎧》が彼に向かって来るが、シュテルとレヴィがそれらを打ち払った。

 

「アレル、ユーリを外に追い出してください。屋内では私たちも十分に力を発揮できません」

「――応!」

 

 シュテルの指示に応えながら、アレルは再びユーリに向けて大剣を振るう。当然その斬撃は《魄翼》で防がれるが――

 

「はあああっ!」

 

 露わになった側面にディアーチェが飛びこみ、ユーリに向けて杖を叩きつける。

 ユーリは生身の腕でそれを受け止めるが――

 

「あああああっ!!」

 

 ユーリの注意が逸れた隙にアレルは剣を真横に構え、一瞬溜めてから《魄翼》ごとユーリを弾き飛ばす。

 その衝撃でユーリは大穴から外に投げ出され、ディアーチェたちも外へ跳ぶ。

 主を守らんと《機鎧》が飛んでくるが、アレルとレヴィがそれらを受け止め、その背後からディアーチェとシュテルが魔力弾を撃ち放つ。

 だが、ユーリを守る《魄翼》が即座に展開し、無数の光弾から主を守った。

 しかし、それに反して《機鎧》の動きが鈍り、その隙をついてレヴィは空高く跳ぶ。

 

「雷光招来!」

 

 レヴィが指を天に向けると同時に、青色の稲妻が彼女に落ちる。その衝撃に術者である彼女自身もうめきながらも……

 

「ううぅぅ…………雷神――槌!」

 

 自らの身に降り注いだ(いかづち)をエネルギーに変えて、レヴィは青色の砲撃を放つ。

 それはシュテルとディアーチェの光弾と合わさり、絶大な防御力を誇るユーリの盾(魄翼)を砕いた。

 アレルは露わになったユーリに標準を合わせ――

 

「ライトニング――アーティリー!!」

「――アアアアアアアアッ!!」

 

 彼の手から黄金色の砲撃が放たれ、直撃を受けたユーリは苦しそうに喘ぐ。

 それを見てアレルは顔を歪めるも……

 

「手を緩めるな!」

 

 すぐ傍から(ディアーチェ)の声が響き、シュテルが続いた。

 

「ユーリを操作している《ウイルスコード》は、フォーミュラシステムによる行動強制プログラム」

「我らの攻撃で負荷を与え続ければ、ユーリを縛っている糸は焼き切れる」

「だから、痛いだろうけどちょっとだけ我慢して!」

 

 ユーリと同じかそれ以上に悲痛そうな声で訴える仲間たちに、アレルは気を取り直す。

 そうとも。今さっき誓ったばかりではないか。新たな主への忠義を貫くと。

 薄っぺらな同情などでそれをフイにするような不忠(愚か)者が――《騎士》を名乗れるものか!!

 

「謗りは己がいくらでも受ける……だから、今は耐えろユーリ!」

 

 その言葉が届いたのか、砲撃の中で悲鳴を上げながらもユーリはじっとこらえる。

 しかし、そんなユーリの意思とは無関係に赤い結晶樹が伸びてきて、四人に絡みつこうとしてくる。

 それが届いてくる前にディアーチェは魔導書(グリモワール)を開き、そこから射出された無数の頁が結晶樹を粒子状に砕いた。

 

 そうしている間にユーリは再び《魄翼》と《機鎧》を再生させ四人を睨むも、抑えつけるように自らの体を抱きしめ、細い喉から声を絞り出した。

 

「シュテル、レヴィ、ディアーチェ……アレル……イリスは私がきっと止めます。ですから――」

 

 ()()の瞳から涙を流しながらユーリは訴える。それを聞いて――

 

「――私たちに退けと」

「ダメだよそんなの!」

「っ、馬鹿者が! 動けもせずに泣いている子供の言う事か!」

 

 アレルをのぞく三人はそれぞれ返事を返す。それに対してユーリは端正な容姿ををゆがませながら――

 

「あなたたちまで失いたくないんです!!」

 

 そう吼えると同時に、ユーリの前から《炎の矢》が現れ、四人に向かって撃ち出される。

 ディアーチェたちは散開して空中を飛び回るも、《矢》は針路を変えてそれぞれを追ってくる。

 そんな中、アレルは自身に迫る直前で《矢》を斬り落としてユーリに迫る。

 そこへまた新たな《矢》が撃ち出されるも、アレルはそれをかわし、あるいは自らの体で弾きながら相手の元へ迫る。

 追いつめられた末に、ついにユーリは自らの左腕に魔力を込め、殴りつけるように突き出した。

 アレルは剣を放り、開いた手を向ける。

 そんな中、ユーリは再び吼える。

 

「“あの惨劇”の中で残せたのは、イリスの心と――“あなたたち”だけだった!!」

「――!」

 

 ユーリの叫びを聞いた瞬間、アレルの頭に響くような痛みが走る。あの映像を見た時のように――。

 そんなこと気付くわけもなくユーリは続ける。

 

「いつか“故郷”に帰るため、誓った夢を叶えるため――“あなたたち”までいなくなったら、私は――!!」

 

 訴えながらユーリは左手をつき出してくる。

 アレルは開いた右手をさらに伸ばし、ユーリの左手をしっかりと受け止める。

 

 その時――。

 

 

 

 

 

『もー。あいつらまたあたしの部屋を荒らして! “あんた”もしっかりあいつらのこと見張っててよ!』

『む、無茶ですよ。“この子”一人だけじゃ!』

 

 誰だ?

 一体何を言っている?

 

 

 

『あの子が王様で隣の二人が臣下なら、この子は……“騎士”、でしょうか?』

『騎士ってこいつが? ……あははっ。似合わな~い!!』

 

 なんだこの会話は?

 ……まさか。

 

 

 

『“騎士”ならさ、あいつらのことしっかり守ってあげててよ』

『ふふっ。なんだかんだ言って、イリスも“アレル”に頼ってばかりですね』

 

 己はこの二人を知っている。

 この会話を覚えている――思い出した。

 

 

 

 イリス……ユーリ……貴方たちだったのだな。

 大切だった……いや、今も大切な“我が主たち”よ。



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第19話 “四匹”の過去

 遠い昔、己は荒涼な大地の上で生きていた“子犬”だった。

 

 生まれた時からすでに親はおらず、意識が芽生えた時には砂と岩しかない大地の上にいた。

 この地には己など一瞬で丸呑みにできそうな巨獣が何匹も闊歩しており、己は彼らから身を隠しながら、彼らが喰い残したわずかな草木や水、己同様巨獣から逃れていた小動物を喰らいながら日々を生きてきた。

 

 それに疑問を覚えることなどなかった。己以外の畜生の生き死になど歯牙にもかけていなかった。死骸を喰らうか、殺して喰らうかのどちらかでしかなかったのだから。

 ……“あの三匹”に出会うまでは。

 

 

 

 

 

 ある時。己は相も変わらず、満たされることのない飢えをわずかでも紛らわすため、この嗅覚を頼りに己が喰うための食物を探していた。

 そして見つけた。己と同じほどの体躯をもつ茶色い獣を――それも三匹。

 己がとるべき行動は決まっていた。この牙で獣どもの喉笛を噛み切り、その屍を喰らうのだ――一匹でも多く。

 幸い三匹とも己以上に飢えで弱っていたらしく、己を見つけても逃げるどころか起き上がることすらできない体たらくだった。うまくいけば三匹とも仕留めることができるかもしれない。

 

 本能的に舌なめずりをしながら、獣たちと距離を縮める。

 しかしそこで、ある一匹が他の二匹を守るように立ち上がり、己の前に立ちはだかった。見たところあの獣もかなり衰弱しているようだが……。

 その獣を威圧するように己は足を進める。そいつは脚をすくませながらも、後ろの二匹をかばうように己の前に立ち続けた。

 しばらくの間、己と獣は睨み合いを続け――そして獣がわずかにふらついた瞬間、己は獣に飛びかかり、その柔らかい体に牙を立てた!

 噛みつかれた獣はその細い喉からうめきを漏らす。その喉を喰いちぎるため一度牙を離した直後、今度は獣が己の体に噛みついてきた。

 突然の反撃に、たまらず己は前脚を叩きつけて獣を弾き落とす。獣はあっさり跳ね飛ばされながらも、再び立ち上がり己に向かって飛びついてくる。

 己はまた前脚を振り下ろすも、獣は歯を剥き出して前脚に噛みついてくる。苦痛に絶えながら己は前脚を落とし、獣を何度も地面に叩きつける。しかし奴はどれほど地に叩きつけられても己の脚から口を離そうとしなかった。

 そしてついに獣は己の脚の皮を食いちぎり、ぺっとそれを吐き捨てながら再び己の前に立ちふさがる。気付けば他の二匹も飢えなど忘れたように身を起こし、己たちの戦いに見入っていた。

 

 ――その時だ。この地に君臨している巨獣が地の底より現れたのは。

 黒い(うろこ)に覆われた巨獣を見た瞬間、己も獣も睨みあいをやめ、それを視界に捉える。

 その時己が真っ先に考えたのは、獲物を諦め急いでここから逃げる事だった。実際今までもそうして生きてきた。

 だが、獣に食い破られた脚の痛みがそれを阻んだ。空気に触れるだけで激痛が走り、その場から動くことができなかったのだ。

 一方、隣に立つ獣もその場から動かなかった。己の前に立った時のように、二匹の同属を守るように巨獣を睨んでいる。

 そんな己らをせせら嗤うように、巨獣は首を反らして勢いを溜め込む。

 そして巨きく口を開け、己らを吞み込もうと首を下ろそうとした――

 

「ロックオン――はああああ!」

 

 その時、巨獣の背後から甲高い鳴き声と鼓膜が破れるような轟音が響き、巨獣は躰をのけぞらせてそちらを振り返る。

 その背中には巨大な傷――いや、穴が開いていた。

 

 巨獣の向こうにいたのは、二足の脚で立つ生物だった。皮膚はむき出しで頭の上に右側に寄せた赤い毛を生やしており、両手に硬そうな物体を持っている。その隣には似たような生き物がもう一匹……。

 

「イリス、『サンドワーム』です。遠くまで舌を飛ばしてくるから気を付けて――」

「――それぐらい知ってる! ユーリは黙ってそこで見てて!!」

 

 “ユーリ”という長い金色の毛を生やした生物の鳴き声を聞き流しながら、“イリス”という赤毛の生物は手に持った物体を巨獣に向ける。

 その直後、イリスの持っていた物体から丸い物がいくつも飛び出し、それらは巨獣に当たるとともにつんざくような音と黒い煙を噴き出しながら破裂し、巨獣は緑色の血を流しながらうめき声を上げる。

 巨獣はのたうちながらも顔を上げ、二匹めがけて“口がついた舌”を伸ばすが、イリスとユーリは空高く跳んで舌をかわし、イリスはそのまま地面に着地し、ユーリは宙に浮かび続ける。鳥の一種……なのか?

 己たちが呆然と見る前で、イリスは形を変えた物体で舌を斬り刻みつつ巨獣に肉薄して、かの獣を斬り刻んでいく。それからあっというほどの間もなく巨獣は地に倒れ、そのまま動かなくなった。

 そこでイリスは額に浮かんだ汗を片手で拭い……

 

「ふぅー。ここらの掃除も完了。これでしばらくはここも静かになるね」

「そうですね。可哀想ですけど、この子たちもこんな形で生きることは望んでないでしょうし……あれ? イリス、あそこに何かいますよ」

 

 迷いのある様子でイリスに同意するユーリだったが、巨獣の亡骸を見下ろしたところで、こちらに指を向ける。それにつられてイリスもこちらを振り返った。

 それに対し、己と隣の獣はすぐに身を構える。巨獣が倒れたという事は、今度はあの二匹が己らを喰らいにくるという事だ。己は自らの身を守るために、隣の獣は後ろの二匹を守るために、新たな天敵を睨む。

 しかし、あの二匹は敵意など一切もない声で――

 

「猫が三匹と……犬? まだあんなかわいい生き物が残ってたんだ……」

「四匹とも弱ってます。犬の方は脚に怪我まで――」

 

 己たちを見て、慌てた様子で二匹はこちらに向かってくる。

 あの二匹が放っている鳴き声の意味などわかるわけもなく、己たちは脚を踏みしめ必死に威嚇する。しかし、あの二匹は構わずこちらに近づいてくる。

 ついにイリスという赤毛の生物は己の前まで来て……

 

「ひどい傷。さっきの奴にやられたわけじゃなさそうだけど……とりあえずこっち来て。うちで手当てしてあげるし、餌だって分けてもらえると思うから……ほら」

 

 鳴きながらイリスは両手を突き出してくる。己は口を閉じたまま歯を立てて、イリスの手に近づき……

 

「――ぎゃあっ!」

 

 無防備に突き出している右手を噛んだ瞬間、イリスは顔を歪ませ醜い悲鳴を上げた。

 

「イリス――だ、大丈夫ですか!?」

「大丈夫なわけあるか! こいつあたしの手を――」

 

 何事か吠えながらイリスは形相をゆがませたまま己を持ち上げる。そのまま奴は刺すような目つきで己を睨んでいたが……。

 

「……もしかして、あんた、私たちを怖がってる?」

 

 ふいに出てきたその鳴き声に胸の奥を突かれたような、しかし認めがたい気持ちが沸いてきて、己はイリスの手を噛んだまま奴を睨み続ける。

 それを見て何を思ったのか、イリスは口角を上に上げ……

 

「……大丈夫だよ。私もユーリもあんたたちを取って食ったりしないから。“私らのおうち”に着くまで大人しくしてな」

 

 そう鳴いてイリスは己の頭を撫でる。するとそこから温かさが伝わってきて……

 ……そこで己は意識を失った。

 

 

 

 

 

「あれ、こいつ気絶してる……」

「こっちの子たちもです。サンドワームに襲われる前からずっと弱ってたんでしょうね。急いで研究所に連れて帰らないと。……ところでイリス、その子に噛まれたみたいですけど、本当に大丈夫ですか?」

 

 茶色の猫を抱えながらユーリは尋ねる。それにイリスは右手を見せながら笑って答えた。

 

「大丈夫大丈夫。もう痛みは治まったし傷も塞がったから。私の頑丈さと再生力は知ってるでしょう」

「……はい。ですがさっきかなり痛がってましたし……もしかしたらこの子……」

 

 ユーリにつられて、イリスも自身の腕の中で眠っている“子犬”を見る。

 

「うん。若干だけど、私が知ってる犬より咬合力(こうごうりょく)が高い……《死蝕》の影響で“進化”しちゃってるのかも。とにかくその猫たちと一緒に連れて帰ろう。こんな所で育ったらもっと“進化”して、さっきのサンドワームみたいな『危険生物』になっちゃうかもしれないし」

 

 その言葉にユーリも険しい顔で首を縦に振った。

 

 

 

 ――そうだ、思い出した!

 あの後、己は三匹の猫ともども彼女たちが住んでいる施設まで連れて行かれ、そこで二人に育てられた。

 そしてその後……。

 

 

 

 

 

 

「ユーリ……貴方とイリスだったのだな。己に『アレル』という名と《騎士》という役目を与えてくださった“主たち”は」

「ぐ……うぅ……ア、レル…………」

 

 ユーリの手を握りながらアレルは問いかける。それに対して、かつての主の片割れは苦しげな顔とうめきしか返さない。だが愛おしげに自分を見るその眼は、蘇った記憶通りのものだった。

 

(だが、もしその記憶通りなら、“あの惨劇”を引き起こしたのは――)

 

「うぅぅ――アアアアアア!!」

 

 アレルが記憶を掘り起こしていたその時、ユーリはアレルから手を離してすぐ後ろへ跳び、彼女と入れ替わりに二体の《機鎧》が己に向かってくる。

 だが、シュテルとレヴィが一体ずつ《機鎧》を破壊し、苦しむユーリの両腕に魔力の鎖(バインド)をかけた。

 その後ろから――

 

「アレル、助けるぞ!」

「私たちの主人を!」

「ボクらの大切な子を!」

 

 今の主(ディアーチェ)と彼女の臣下たちが言葉をかけてくる。

 それを聞いて――。

 

――この“三人”も思い出したようだな。四つの足で歩いていた……非力な獣だった頃を。

 

 その事実に感慨を覚えながら、アレルは剣に魔力を集める。

 《光の変換資質》によって瞬時に魔力が集まり、あっという間もなく必要な力が彼の元に集まった。

 

「元主よ、今ばかりはご容赦を――ライトニング・フロート!」

 

 アレルの剣からその名のごとく、光の洪水(フロート)が降り注ぐ。

 その時、ちょうど《魄翼》が再生しユーリを守るが、光の洪水はたった5枚の“羽”を並べただけの盾を押し流し、ユーリにも多量の光を浴びせかける。

 その間にディアーチェも発動の準備を終えていた。

 

「ユーリ、お前を苦しめる枷を――今打ち砕く!」

 

 そう吼えるとともに、彼女の前に紫色の魔法陣が浮かび、そこから四発の魔力弾が放たれる。

 それはユーリに命中せず、等身大の球となってすぐそばに浮かぶ。

 そこでディアーチェは己が杖(エルシニアクロイツ)を天に向けて――叫んだ。

 

「――ジャガーノート!!」

 

 その唱えた直後、ユーリを囲む球は瞬く間に膨れ上がり、紫色の巨大な爆風となってユーリをその叫び声ごと呑み込んだ。

 

 

 

 

 

 

「離せこら。アタシを縛ったりしてなにする気だ!」

 

 人聞きの悪い言葉を放ちながら、固有型はバインドから逃れようと足掻く。

 そんな彼女の監視をリインに任せ、俺はモニター越しにリンディさんに経過報告をしているところだった。

 

「こちらは固有型イリス一体を捕らえ、彼女が指揮していた量産型を片付けたところです。他のところは?」

『結界内で暴走していた量産型と固有型はほとんど制圧したそうよ。後は本体だけど、私と本部が彼女の居場所を探してる所。そっちもそろそろ特定できるはずだから――』

「あとはイリス(本体)と、アレルたちと戦っているユーリだけですか……」

 

 そう口にしながら、いやと思う。 

 本当にそれだけか?

 テラフォーミング用にしては高すぎる《イリス》の戦闘能力、未だ明らかになっていない『40年前の惨劇』の真相、そして母さんを襲った謎のロボット……イリスがすべてを企てたにしては不可解な所が多すぎる。

 まさかこの事件にはまだ――。

 

『健斗、今大丈夫か?』

「――クロノ!」

 

 突然割り込んできた上官に俺は声を上げ、リンディさんも目を見張る。

 クロノはモニターに映る母親に目を向け。

 

『次長も一緒でしたか、ちょうどよかった。すぐ各員に捜索を再開するように伝えてください――本当の敵はイリスじゃないかもしれないんです!』

『――えっ?』

「それってまさか――」

 

 戸惑いの声を上げるリンディさんとやはりと思う俺に、クロノはうなずき。

 

『ああ。《イリス》たちの行動を見て、ある疑問が出てきた。さらに、ちょうどそこで御神さんたちから連絡があった。あのロボットの動きはイリスの動きとはまったく異なっていた、と』

 

 ……なるほど。母さんが言うなら間違いないだろうな。姉さんや早見さんって人も一緒に戦闘記録を観てるだろうし。

 だが、イリスの後ろに“黒幕”がいるとしたら……。

 

「クロノ……もしかしたらと思うんだが、この事件の首謀者って…………」

 

 俺は頭に浮かんだ“黒幕”について、クロノとその隣で聞いているリンディさんに伝える。

 するとクロノは首を縦に振り――

 

『ああ……おそらく“彼”じゃないかと思う。まだ確信はできないが。……だが、それだけじゃないんだ』

「えっ……?」

 

 俺は思わず怪訝な声を漏らす。イリスと“彼”……だけじゃない?

 

『いいか、よく聞いてくれ。実は“例の紙片”には40年前の記録だけじゃなく、エルトリアの遺跡板に繋ぐための『アクセスキー』があったんだ。それを使ってある人物と連絡が取れたんだが、“彼女”によると……』

 

 そのままクロノは話を続ける。それを聞いて俺とリンディさんは自分の耳を疑った。

 

 

 

 

 

 

 爆風が収まってからすぐ、ディアーチェたちはユーリの姿を探して辺りを見回していた。

 そしてレヴィが、海の上に浮かんでいるところを見つけ、四人は彼女の元まで降りていく。

 

「ユーリ……起きて、しっかり!」

 

 海水で足が濡れるのもいとわず、レヴィはユーリを抱き起こし、懸命に呼びかける。

 するとユーリはゆっくりと目を開き……

 

「レヴィ……シュテル……ディアーチェ……それにアレル…………ごめんなさい……私は……」

 

 ユーリは四人を順に見ながら涙を流して謝る。それを見てレヴィは責めるどころか、彼女も涙を流しながらユーリを強く抱きしめた。

 

「よかった。元に戻ったんだね……よかった……よかったよー!」

「レヴィ……みんな……ごめんなさい、ありがとう……」

 

 ユーリは二度目の謝罪とともに感謝を告げる。それを見てシュテルとレヴィも微笑ましさと喜びから笑みを浮かべた。

 

「やりましたね」

「……ああ」

 

 だが、その一方で……

 

(なんだ……この悪寒は。この感じ……まさか――)

 

 アレルは落ち着きなく周囲を見回す。ディアーチェもそれに気付き――。

 

「アレル、どうした? お前もユーリに一言くらい――」

――動くな!!

 

 アレルがそう叫んだ途端、他の四人は思わず動きを止める。

 その直後、空中から四発の発射音が響いた。

 

「――ちっ」

 

 アレルは即座に空中へ飛びながら魔法陣を展開し、彼女らに向けて放たれたエネルギー弾を弾きとばす。

 すると、向こうから弾んだ調子の声が届いた。

 

「あらあら、あの一瞬で弾を全部はじき返しちゃうなんて……あなたが執心していた《死蝕犬》だけはあるわね」

「僕としてはあの猫たちの変わりように驚いたけどね。まっ、あの子たちのおかげで僕らも復活させてもらえたから、感謝してるけど」

 

 空中に浮かぶ二人はアレルやディアーチェたちを見下ろしながら軽口を叩き合う。

 片方は短く切り揃えた金髪の女。もう片方は痩せた黒髪の男だった。どちらもエルトリア製の黒い防護服(フォーミュラスーツ)を身にまとっている。

 四人はこわばった顔で二人を見上げる。

 そんな中、アレルは忌々しそうな顔で彼らの名をつぶやいた。

 

「アンディ……ジェシカ……」

 

 

 アンディとジェシカ。

 あの二人は『惑星再生委員会』に所属していた研究員で、40年前に死亡したはずの人間だった。




アンディとジェシカは映画版では黒幕の陰謀で殺害されたキャラクターですが、今作では敵役にさせてもらいました。その理由は伏字で記してあります。映画版の内容を知ってる方やどうしても読みたい方はどうぞ。

ここから先はネタバレにつき伏字。

映画版では『惑星再生委員会』の関係者のうち、マクスウェルのみが敵役になっていますが、イリスの開発は委員会が組織的に行っており、“人造兵士”としての機能もマクスウェル以外に何人か関わっている者がいたらしいです。
さらにマクスウェルが予算を横領した疑いが出た時も、ジェシカは彼に心配そうな声をかけるだけで非難したりする様子はありませんでした。ジェシカに関しては原作でもクロの可能性がありそうです。

そんな理由から、今作ではジェシカともう一人名前が出ているアンディを敵役にさせていただきました。彼らのファンの方、誠に申し訳ございません。


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第20話 本当の敵

「ただいまー。ちゃんとこの子たちの見張りしてたー?」

「荒れてないみたいですし、今日はいい子にしてたみたいですね」

 

 “しごと”とやらから戻ってきてすぐ、イリスがそんな言葉をかけてきて、ユーリが部屋を見回しながらそれに答える。

 イリスも自分の部屋を見て、それから籠の中で眠っている“ねこ”たちとその傍で立っている己を見比べながら……

 

「うん。今日はチビどももあんたも大人しくしてたみたいだね。ちょっと前までは顔を合わせるたび、あの子とケンカしてたから心配だったんだー」

 

 そう言ってイリスは口を吊り上げながら己の頭を撫で、眠ったままの“ねこ”たちに視線を移した。

 

「こいつらいつもくっついてるね」

「真ん中の子が二人の“王様”みたいですね。いつも他の二人の面倒を見てあげて」

「ベルカの王様ってそんなものなの? あたしのイメージじゃ王様って面倒見られてる感じだけど」

 

 イリスの軽口にユーリは片手を振り……

 

「あっ、いえ……私が知ってる王様はヴィータの面倒を見たりもしてたなと思って。他の王様は違ってると思います」

「ああ、ケントってやつ。そいつの話はもういいよ。――じゃあこいつは? 王様とケンカばかりしてる無礼なワンコ君」

 

 話題を変えるついでの問いかけに対し、ユーリは己をじっと見ながら考える。

 

『あの子が王様で隣の二人が臣下なら、この子は……“騎士”、でしょうか?』

 

 ユーリがそう答えると、イリスもじっと己の方を見て……

 

『騎士ってこいつが? ……あははっ。似合わな~い!!』

 

 己と宙に視線を行き来させてから、イリスは腹を抱えて笑い転げる。それを見てなぜか腹の中が熱くなる感覚を覚えた。

 イリスはひとしきり床を転がってから再び立ち上がり、己の頭を撫でながら声をかけてくる。

 

「まっ、それでいいか……“騎士”ならさ、あいつらのことしっかり守ってあげててよ」

 

 そんなイリスと己を見て、ユーリはおかしそうに噴き出した。

 

「ふふっ。なんだかんだ言って、イリスも“アレル”に頼ってばかりですね」

 

 “あれる”……そういえばイリスもユーリも己を見ると、そんな言葉をかけてくるようになったな。“えほん”のとうじょうじんぶつのなまえらしいが、己のこともそう呼ぶことにしたのだろうか。別に構わんが。

 そう思いながら己も一眠りしようと思っていたところで――

 

「やあイリス。ユーリも一緒かい」

 

 “どあ”が真横に開き、ぶよぶよした体の(オス)が入ってくる。イリスとユーリはそれに気が付き、“おうさま”も目を開いた。

 

「あっ、アンディさん」

「どしたの? また私たちに仕事?」

「いやいや違うんだ。ちょっとその犬を貸してほしくてね」

「アレルを? この子、今から寝るところだったんだけど」

 

 言いながらイリスは己を抱き上げる。“アンディ”は何度も頭を下げ――

 

「ごめんごめん……でもほら、一応“あれ”の検査をしないといけないから」

「あっ……」

 

 アンディが声を潜めて付け足すと、イリスもその意味を察して……。

 

「わかった。大丈夫だと思うけど、しっかり診てあげて!」

「よろしくお願いします!」

 

 明るく言葉をかけるイリスと頭を下げるユーリに、アンディは「ああ、任せて」と言いながら己を受け取り、イリスたちの部屋を後をする。

 その時、“おうさま”と目があった気がした。

 

 

 しばらくしてアンディに連れてこられたのは、紅や紫といった毒々しい色の植物が置かれた部屋だった。

 アンディは顔の上に“ますく”を付けながら己に声をかけてくる。

 

「これは《死蝕》といってね。この星を汚染させた原因なんだけど、一部の動物を“進化”させる力を持つ植物でもあるんだ。死蝕そのものの調査はもちろんしてるんだけど、死蝕に触れた生物は死体ばかりしか調べられなくてね。君のように生きたまま確保できて、しかも元の形を保ったまま“進化”してる例は他にいないんだ……って君に言っても分からないか。じゃあアレル、今日も少しだけ検査と()()()()()()()()()()()()()をさせてもらうよ」

 

 イリスたちに向けた笑みとは想像もつかない、歪んだ笑みを向けながらアンディははりのついた“ちゅうしゃき”と鋭く尖った“めす”を近づけてくる。

 

 

 ――その直後、己は意識を失った。

 

 

 

 

 

 

「アンディ、ジェシカ、なぜお前たちが――」

 

 憎悪のあまりアレルは途中で言葉を詰まらせる。そんな彼に生前より痩せた――だが、“あの時”とまったく同じ歪んだ笑みを向けながら、アンディは口を開いた。

 

「なぜ生きているのか、って聞きたいのかい? イリスが復活したのと同じ原理さ。僕たちの記憶をデータとしてイリスの中に保管しておいて、それをこの体に移し替えたんだよ。この星で集めた鉄屑で造った体にね」

「私たちからすれば、あなたたちの今の姿と力の方が驚きよ。あの猫ちゃんたちとワンコ君が人間の姿になって飛び回ってるなんてね。これもユーリの言う“魔法”の力かしら」

 

 生前より若い外見になった――しかしアンディに劣らず邪悪な笑みで、ジェシカも嗤う。

 そんな彼らを見上げながらユーリは立ち上がった。

 

「あなたたちが蘇ってるなんて……じゃあ、やっぱりイリスたちにあんな事をさせているのは……」

 

 その問いにジェシカはうなずきながら答えた。

 

「ええ、多分あなたが考えているとおりの人だと思うわ。まだ結界の中で、生産の指揮を取ってると思うけど」

「僕たちは復活してすぐ、“あの人”から結界外にいるユーリを回収するように言われててね。それで僕とジェシカだけこっそりあの中から抜け出して、ここまで迎えに来たのさ。もちろん協力してくれるのなら君たちにも来てほしいけど」

 

 そう言ってアンディは手を差し出す動作をする。無論ディアーチェたちが応じるわけもなく、四人はアンディたちを睨みながら身構える。

 それを見て、ジェシカはおかしそうに吹き出した。

 

「あらあら、嫌われちゃってるわね。特にアレルなんて今にも噛みついてきそうな顔してるわ。アンディの“実験”はそんなに辛かったかしら」

「実験……何を言っている? ……まさか、アレルが何度も連れて行かれたのは……」

 

 その時のことを思い出し、ディアーチェは顔を歪めながらアンディを睨む。

 アンディは涼しい顔でそれを受け止め、肩をすくめてみせた。

 

「彼の体内にある死蝕をちょっと増やしただけさ。『危険生物』に“進化”したりしないように、細心の注意は払ったつもりだ。まあ、万が一の時は駆除するつもりだったけど」

 

 涼しい顔で言い放つアンディに五人は顔を引きつらせる。自分たちの“家族”の中にこんな奴がいたなんて――。

 そこでジェシカはため息をつき……

 

「お喋りはここまでよ。一緒に来るのが嫌なら、せめてユーリを渡してくれない。でないと、ちょっと痛い思いをするわよ」

「ふっ、学者風情が我らに敵うと思うてか」

 

 凄むジェシカに、ディアーチェは冷笑を返す。

 しかし――

 

「「――“システムオルタ”」」

 

 どちらからともなくそれを口にした瞬間、ジェシカがレヴィの、アンディがシュテルの眼前に()()した。

 目を見張る暇さえなく、二人に向けて(ザッパー)が振り下ろされる。だがその直前に――

 

「――はあ!」

「ぐっ――」

「――ちっ」

 

 アレルはアンディの(ザッパー)を弾き上げ、瞬時にジェシカの前へ移動し、彼女の剣も叩き落とした。

 

「『危険生物』もどきが、やってくれる……」

「確かに……正直ますます捨てるのが惜しくなってきたけどね」

「攻撃を防がれておいて、随分な余裕だな。貴公らこそ命が惜しかったら、主のもとまで案内するがいい」

 

 顔をしかめながらも平然と言葉を交わす二人に、アレルは刃を向けながら通告する。

 しかし……。

 

『おすわり――大人しくするんだ』

「――うぐっ!?」

 

 脳裏に男の声が響いた瞬間、アレルは腹を押さえて苦しむ。それを見て――

 

「アレル!」

「おい、どうした?」

 

 レヴィとディアーチェが心配そうに呼びながら彼のもとへ飛んでくる。

 それを待ってたように――

 

「いけない。ディアーチェ――あぐっ!」

 

 王のすぐ横にジェシカが現れるのをみて、シュテルが飛び込むが、そこに現れたアンディが彼女の腕を斬り落とす。

 

「シュテるん――ぐあ!」

「シュテル、レヴィ――うっ!」

「ユーリ!」

 

 レヴィが斬り伏せられ、ユーリの腹にも鋼鉄でできた拳が入れられる。ジェシカはそのまま意識を失ったユーリを抱きかかえた。

 あぜんとしたまま棒立ちしているディアーチェに、ジェシカたちは見下した笑みを向ける。

 

「……こんな風に、今の私たちにも()()()()()()()の機能ぐらい備わってるのよ。まともに動きを捉える事さえできないでしょう」

「フォーミュラシステムもあるし、魔法を武器にしている君たちでは不利は否めないかな……そしてスピード面で僕たちと渡り合えそうな彼は……」

 

 言いながらアンディは腹を押さえて苦しむアレルを見下ろす。腹から激痛が襲ってきて、立っているのもやっとという有様のようだ。

 彼の隣に立ちながらディアーチェは吼える。

 

「貴様ら、アレルに何をした――!?」

 

 しかし、ジェシカは冷たい仕草で首を振り――

 

「私たちは何もしてないわよ。実体化の際に取り込んだものが、今になってあたったんじゃないかしら」

「アレルは昔から食い意地が悪かったからね。地面に落ちてるものは何でも食べてしまう。《死蝕生物》の(さが)かな――ははっ」

「落ちてるもの……だと」

 

 口にしながらディアーチェは思い出す。アレルが体を得た時に頁もろとも取り込んだ“イリスの分身()()()()()()()()()の右腕”のことを。

 “あれ”がアレルの中で――。

 

「貴様――あぐっ!」

 

 怒鳴ろうとした彼女の横顔に峰が打ち込まれ、ディアーチェは海に叩き落とされる。

 苦しみ続けるアレルのもとにも――。

 

「アンディ……マク――ェル。絶対に許さんぞ……」

 

 苦悶に歪んだ表情で凄むアレルだったが、アンディはつまらなそうな顔で――

 

「残念だよ。今の君の力に《死蝕》がどれほど影響しているのか、後で調べてみたかったんだが。どうやら君たちは駆除しなければいけないレベルまで“進化”してしまったらしい……せめてもの情けだ。これで楽になるといい」

「待て――やめろ!!」

 

 アンディが剣を向けるのを見て、海面に突っ伏したままディアーチェが叫ぶ。

 だが――。

 

「――ぐああああああ!!」

 

 無情にもアレルの胸に深々と刃が入れられ、アレル絶叫を挙げながら海に落ちる。ディアーチェは悲鳴を上げる事すらできず、呆然とそれを眺めていた。

 それはまるで、主人がいなければ何もできない“子猫”のようで……。

 

(同じではないか……我は、あの時から何も変わっていないままではないか……臣下も、騎士も、主も守れずして、何が“王”か――)

 

 地面に拳を叩きつけんばかりに、無力に打ちひしがれるディアーチェ。

 そんな彼女の頭上では……。

 

「どうする? 一応あの子にもとどめを刺しておくかい?」

「放っておきましょう。純魔力系のあの子じゃ、フォーミュラを破る事なんてできないわ。陽動側の《イリス》もほとんどやられちゃったみたいだし、急いで“所長”と合流しないと。あの子の始末はこの星の掃除のついでで構わないわ」

 

 肩をすくめるジェシカに、アンディも「それもそうだね」と返しながら街の方に体を向け、二人は主と配下たちがいる結界の方へ向かっていった。

 

 後には、仲間を救えなかった無力感と自分への怒りに涙を流し続ける“子猫”が一匹……。

 そして……

 

(己は……まだ、ここで倒れるわけには……)

 

 元の主たちと今の主への誓いを胸に抱きながら、海水を掻き分け這い上がろうとする“騎士”がいた。

 

 

 

 

 

『ユーリ、意識消失。ディアーチェたちも瀕死の重傷を負った模様』

『《(イリス)》たちの誰かがユーリを確保したようですが、通信が繋がりません』

「……何が起きている」

 

 モニター越しに告げられる分身たちの報告に、イリスは思わず疑問をこぼす。

 ユーリを確保した事とディアーチェたちを倒した事はいい。しかし、それをなした個体は、なぜこちらになんの報告も応答も返してこないのか。

 量産型なら言わずもがな、自身(本体)とかけ離れた個性を持つ固有型でも、ここまで反抗的な態度はとらないだろう。オリジナルに逆らうコピーが出てくるようでは、《IR-S07(イリス)》が造られた本来の目的である惑星開拓の任務にも支障が生じてしまう。

 何らかのトラブルが起きてるのは明白だった。イリスは思わずもう一度……

 

「何が起きてるの……?」

 

 イリスはもう一度同じ問いを繰り返す。それは誰に向けられたものではなかったが――

 

「利用されてたって事よ、あなたも。ユーリや私と同じように!」

 

 横から響いてきた声に、イリスはそちらを見、分身たちは銃を構える。

 しかし、キリエは彼女らより速く引き金を引き、分身たちの頭を打ち抜いた。

 イリスは“駒”の最期など気にも留めず、キリエと向かい合う。

 

「あんたが今さら何を――それに私が利用されてるって、いよいよ気でも触れた? 無数の分身やユーリを操れる私を、誰が、どうやって利用するっていうのよ!」

 

 荒い語気でイリスは問いをぶつける。それは薄々気付き始めている自分をも否定しているようでもあった。

 そんな彼女にキリエはそれを告げる。

 

「《ウイルスコード》」

「えっ……?」

 

 キリエの一言に、イリスは思わず間の抜けた声を漏らす。そして……。

 

「そ、それが何よ? そのウイルスコードで私はユーリを自在に操る事ができるの! 街中にいる分身たちも手足のように動かせる。その私を利用したり操ったりなんて――」

()()()()()が誰かにウイルスコードを植え付けられたとしたら、どうかしら?」

「――!」

 

 イリスははっと目を見開く。キリエは話を続けた。

 

「あなたがウイルスコードを使ってユーリを操作していたように、あなた自身もウイルスコードで誰かに操られていた。多分あなたが気付かないように、思考に干渉したり少しずつ誘導していく形で。――たとえば研究所で起きた事件。あなたはなぜあれをユーリがやった事だと()()()()のかしら? ユーリは()()()()使()()()()()()()のに」

「そ、れは……」

 

 イリスは目に見えてうろたえる。

 そうだ。研究所での殺人のほとんどは銃によるものだった。キリエの言った通りユーリは銃なんて扱えないし、ユーリの力ならそんなもの使う必要もない。

 あの時、ユーリの力で殺されたのは一人だけ……。

 

「じゃ……じゃあ誰よ……私にウイルスコードを植え付けて、ユーリとディアーチェたちを復活させるように操っていたのは――一体誰なのよ!?」

「……自分でも気付いてるんでしょう」

 

 キリエの一言にイリスは言い返そうと口を開ける――だが言葉が出てこない。

 一方、キリエは淡々とした口調で答えを告げた。

 

「惑星再生委員会所属、地上研究所の所長……40年前、ユーリが()()本当にその手で殺めた人……」

 

 

 

 

 

 

 東京駅と名付けられた、赤煉瓦と黒い屋根を積み上げて造られた建物の前には、無数の量産型イリスが整列していた。彼女らを束ねるべき本体の姿がないにも関わらず、その隊列は整然としたものだった。

 

 “彼”は駅舎の上に立ちながら、満足そうに作品たちを見下ろしていた。

 すっきりした短い茶髪。見た目は二十代、もしくは若作りの三十代前半といったところだろうか。

 そんな彼の隣に、ユーリを抱えたジェシカとアンディが降りてきた。

 

「――やあジェシカ、アンディ。思ってたより遅かったじゃないか」

「ごめんなさい。猫たちと犬相手に手こずちゃって。アンディが未練がましくアレルを連れて行こうとするものだから」

「研究者としては当然の事だと思うけどな。《イリス》の開発に()()()()()()あなたならわかるでしょう――マクスウェル所長」

 

 アンディの言葉に、『惑星再生委員会・地上研究所』の所長だった男――『フィル・マクスウェル』はふっと笑みを漏らした。



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第21話 真相

「所長が……は、はは。何を言い出すかと思えば。所長が私を操ってたなんて、そんなことありえるわけないじゃない。所長はあの時死んだのよ――ユーリに殺されてね! あんただって今そう言ったじゃない!!」

 

 乾いた笑みを漏らしながらイリスは叫ぶ。キリエは否定せずうなずき……。

 

「ええ。マクスウェル所長は確かにあの時ユーリの手にかかって死んだ。でも、死ぬ前に自分の記憶をデータ化してどこか――いえ、()()()()()に隠した。エルトリアではとっくの昔に記憶や意識のデータ化に成功している。“肉体は死んでも精神は生きてる”なんてことが起こりえるのよ」

 

 もっとも、自分自身が死ぬことに変わりはないうえに、データとして蘇ってもコンピュータの中で過ごすか、ロボットになる形でしか生きられない。だから意識のデータ化を試る人間などほとんどいなかったが。

 

「だ、だとしてもおかしいじゃない! 所長がデータとして生きていたとして、なんであの人が私を操ったりするのよ? あんたが所長の何を知ってるの!!」

 

 まくしたててからイリスは荒い息をつく。そんな彼女に――

 

「ええ、私は所長って人の事を知らないわ。だから知ってる人に聞いた」

「――えっ?」

 

 思わぬ一言にイリスは思わず戸惑いの声を上げる

 そんなイリスの前でキリエは懐に手を入れ、青い石板状の“端末”を放った。思わずそれを掴み取るイリスに、キリエは続けて言う。

 

「あの紙片の中に鍵があったの。この世界とエルトリアを繋ぐ『アクセスキー』がね。それでエルトリアにいるママと通信ができた」

 

 それを聞いてイリスははっと目を見張る。あの時ユーリがはやてたちに差し出そうとして、自分が燃やした紙片にそんなものが記されていたとは――。

 

「40年以上も前の事だけど、ママははっきりと覚えていたわ。自分たちが生まれ育った惑星再生委員会のこと。仕事の合間に、小さかったパパとママの面倒を見てくれた“明るいお姉さん”と“その友達”のこと。彼女たちが飼っていた猫たちと犬のことも。……そして家の遺跡版を使って調べてくれたの。委員会の内情やイリスが生まれた経緯、委員会が崩壊した“あの日”の裏で何が起きていたのか――そして“あの日”の記録を見つけ出した」

 

 そこまで言って、キリエは視線を下げて押し黙る。その視線をたどってイリスもちょうど今受け取った“端末”に目をやる。

 それだけでキリエの言わんとすることがわかった。

 

(これに“あの日”のことが……)

 

 そう思った途端、イリスの指は無意識に“端末”のスイッチに伸びた。

 起動した瞬間端末に長い文章が浮かび、敵を前にしているにもかかわらず、イリスは食い入るようにそれを見る。

 そこに書かれていた“真実”は――。

 

 

 

 

 

 

「まったく、“あの時”は驚きましたね。アレルの検査(実験)をしようと思ったら、突然《イリス》が襲ってくるんですから」

「私なんて他の職員と一緒に奥へ逃げようとしたところで、待ち構えていた《イリス》に頭をズドンよ。委員会の解体が決まった上に予算の横領までばれちゃったとはいえ、まさか私たち全員を始末させるなんてね」

 

 ジトリとした目を向けるアンディとジェシカに、マクスウェルは二人に頭を傾け……

 

「すまなかった――とでも言えばいいのかな。だけど、あのまま政府の言う通りエルトリアから撤収しても、惑星再生を果たせず無能の烙印を押された職員のほとんどはつまらない閑職に回されるだけだろう。特に君たち二人は、私と同様査問にかけられ、二度と研究職に就けなくなるほどの処分が下るところだった――そんな未来は御免だろう?

 だったら()()人生に幕を閉じて、“次”でやり直せばいい。来世や生まれ変わりなんかじゃなく、明確な形で復活できる方法で。現に私も君たちもこうして再び現世に戻ってこられたじゃないか――あの時よりもはるかに強い力を身につけて」

 

 そう言いながらマクスウェルは鋼鉄でできた自らの腕を掲げる。それを見てアンディたちは苦笑を返した。

 その力は実証済みだ。強力な魔導師の力をコピーした四匹も、この体と機能の前には形無しだった。

 今の自分たちに加え、オリジナルを含めた無数の《イリス》、さらにユーリまでもが加われば、時空管理局でさえ歯が立たない。少なくとも、現在この星にいる人員程度ではどうにもならないだろう。

 

「他の仲間がいればさらに敵なしなんですけどね。あいつらも復活させるんですか? 材料はとっくに集まってますし」

「それはやめといた方がいいわ。他のみんなはあくまで自衛用として《イリス》の開発に協力しただけで、軍事団体や他世界に売り渡すのは反対だったから。私たちだって、結界とやらの外にいるユーリを回収する役目がなかったら、ずっとイリスの中で眠ってたままだったんじゃないかしら。私たちに相談もなく、あの時の襲撃や今回の『復活プラン』を立てた所長の事だし」

 

 ジェシカの推測を聞いて、マクスウェルはハハッと軽い笑い声をあげた。

 

「確かに仕事もないのに部下を叩き起こす気はなかったな。でも君たち二人は優秀だからね、いずれ手を借りる日が来ると思っていたさ。他のみんなも必要になったら目覚めさせるつもりだ。これからどんどん忙しくなる――“あの子たち”も手伝ってくれれば助かるんだが」

 

 マクスウェルが前に目を向くと同時に、タイヤが滑る音が近づいてくる。

 その音とこちらに迫ってくるバイクに気付き、アンディたちはそちらに視線を向け、量産型イリスたちは銃を向けるが――

 

「かまわない。道を開けてあげなさい!」

 

 マクスウェルが命令すると《イリス》たちは即座に後ろに飛びのき、中央のスペースを開ける。ちょうどそこにアミタと彼女が乗る青いバイクが滑りこんできた。

 

「あなたたちだったんですね――この事件を起こしたのは!」

 

 その場でバイクを止めながら、駅舎の上にいる三人に向かってアミティエは声を張り上げる。

 だが……。

 

「あらあら、話には聞いてたけど……」

「本当にエレノアちゃんそっくりだ。じゃあ、もう一人の子供がグランツ君に似てるのかな?」

 

 ジェシカとアンディは尻込むどころか、知り合いの子供を見つけたような気安い調子で声をかけてくる。しかも両親の名前まで出して……。

 

「父さんと母さんの事を……やはりあなたたちは――」

『ジェシカさん、アンディさん、それにマクスウェル所長……本当にあなたたちなんですね』

 

 ふいにアミティエの前にモニターが現れ、そこからエレノアが三人に向かって尋ねる。

 彼女を見て、マクスウェルは懐かしそうな笑みを浮かべた。

 

「やあ、久しぶりだねエレノア君。元気だったかい……と言いたいところだけど、君もグランツ君も《死蝕》に触れすぎて芳しくない状態みたいだね。特にグランツ君は意識が戻る見込みがないほど末期のようだ。もって半年……だったかな」

『……何が言いたいんです』

 

 マクスウェルたちが復活した方法から彼の言いたいことを察し、エレノアは険しい顔であえて尋ねる。

 そんな彼女の内心を悟りながら、マクスウェルは両手を広げながら言った。

 

「私たちの仲間になる気はないかい。これから私たちが始める“新しい仕事”に協力してくれるなら、君とグランツ君が斃れても、《イリス》として復活させることを約束しよう。もちろん君たちの子供――アミティエ君とキリエ君も一緒だ!」

「――なっ!?」

『……』

 

 彼の提案にアミティエは目を見張り、エレノアはただマクスウェルたちを睨む。

 そして……

 

『“仕事”というのは、《イリス》の軍事利用のことですね……今アミティエたちやあなたたちがいる、地球という星の資源をすべて奪いつくして、その大量の資源を元に生産した《イリス》たちを、他世界の軍隊や武装組織に売り渡していくという……』

「――!」

 

 エレノアの言葉にアミタははっと《イリス》たちを見回し、再びマクスウェルたちを見上げる。それに対し、マクスウェルは説明する手間が省けたと笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

『すべての始まりはマクスウェル博士……地上研究所の所長にして惑星再生委員会の現場指揮者だった彼が発案した、『生体型テラフォーミングユニット』が開発されたことにある』

 

 ベッドに横たわる老年の男はモニター越しにそう切り出す。

 彼はコロニーに住むエルトリア政府の元高官で、フローリアン家の設備を中継する形で、本局にいるレティと話をしていた。

 そんな彼にレティは言う。

 

「あなたたち――エルトリア政府はあくまで星の再生(テラフォーミング)のために《イリス》を造り出したと?」

 

 その問いに元高官は首を縦に振った。

 

『無論だ。荒廃した星を離れ、宇宙に浮かぶコロニーに移住した後も戦争や兵器開発に明け暮れるほど愚かなつもりはない。だが、マクスウェルと一部の研究者はそうではなかったようだ。

 彼らはテラフォーミングユニットとして《IR-S07》……《イリス》の開発を提案し、コロニー内の委員会本部そして政府はそれを認め、巨額の予算を割り当てた。実際《イリス》はテラフォーミング用()()()()、非常に優れた性能を持っていた。適切に運用すれば惑星の再生に役立つほどの……。

 だが、《イリス》には危険生物の駆除や研究所の防衛としては、明らかに過剰すぎる武装と増殖能力が組み込まれていた。増殖能力については惑星全土の環境を修復するために搭載されたのだが、結局それがエルトリアの再生のために使われたことはなかった……』

 

 そう言って、元高官は嘆かわしいと言いたげに深いため息をつく。

 レティはさらに話を続けた。

 

「それを設計したのがマクスウェル所長と彼の部下たち……ですね?」

『そうだ。《イリス》の開発は全面的に地上研究所に任せる形になっていた。それを利用して“人造兵士”としての機能を組み込んだのだろう。もっとも、ほとんどの職員は自衛のためだと信じていたと思うが。

 だが、マクスウェルと直属の部下は最初から生体兵器として《イリス》を開発していた。おそらくその後は《イリス》とともに他世界の軍事組織に移籍するつもりだったのだろう。そのようなことを許すわけにはいかん。

 だから政府は、成功するかわからない惑星再生に巨額の予算を投じ続ける委員会の解体とともに、《イリス》開発の指揮を執っていたフィル・マクスウェル、予算の運用にあたっていたジェシカ・ウェバリー、危険な《死蝕》研究を行っていたアンディ・ペントンを処分し、研究の場から永久に追放するつもりだった。

 しかし、彼らにそれを告げた直後に研究所の職員、家畜までもがすべて死んでしまう“事故”が起きた。現場の状況から《イリス》の暴走、もしくはマクスウェルらによる無理心中だと気付いてはいたが、惑星再生のために投じた予算が兵器開発に利用されたなどと公表するわけにもいかず、結局政府内で秘匿することにした。

 それがまさか、こんな事態を引き起こすとは……』

 

 元高官は再びため息をつき、心底疲れ切ったというようにうなだれる。

 管理局の上層部といえるポストに登りつめたレティには、彼らがそうせざるを得なかった事情もそれが裏目に出てしまった苦悩も理解できた。

 だが、労わる余裕などない。レティはもう一つ問いを重ねる。

 

「では、ユーリという子供のことはご存じですか? あなたや政府の方々はユーリについてどこまで……」

 

 そこで元高官はしばらく視線を宙に浮かせ、ああと思い出したように首を振りながら答えた。

 

『そういえば、委員会からの報告(レポート)に何度か載っていたな。どこからか現れた不思議な力を持つ子供だと……だが、それ以外のことはわからん。君たちはあの子について何か知っているのかね?』

「……いえ。同じくらいの時期にユーリという名前の子供の捜索願いが出された記録がありますので。関係ないとは思いますが一応」

 

 逆に質問され、レティは一瞬悩みながらもしれっと誤魔化してみせる。彼にユーリの正体や夜天の書といった余計なことまで話す必要はない。

 ちょうどそこへ……

 

『すみません。これ以上はお体に障りますので、そろそろ終了させていただきたいのですが』

 

 白衣を着た医者らしき人物が入り込んできて、そう告げてくる。確かに高齢の彼にこれ以上の長話は毒か。

 委員会の解体や“事故”があったのは40年前。当時若手の官僚だった彼も、今は一日のほとんどをベッドで過ごしている年齢だ。

 

「わかりました。今日はこれで失礼します。――ただ、我々管理局は近いうちにエルトリア政府と協議の場を設けたいと考えています。その際にもう一度お力をお貸しいただけないでしょうか」

『ああ、マクスウェルと《イリス》の処遇について話したいのだろう。私も彼らについては君たちに任せた方がいいと思っている。知り合いの議員にもそう伝えておこう』

「お願いします……ではお体に気を付けて」

 

 レティが頭を下げると、向こうも軽くうなずいてモニターを消す。

 

 これでおおよその事情と背景はつかめた。40年前の“事件”を起こしたのも、イリスを操って今回の事件を仕組んだのもフィル・マクスウェル。

 エルトリア政府や委員会本部の落ち度は、彼らが強力な兵器を保有していると知りながら、拘束に踏み切らず暴走を許してしまったことか。それが多くの職員たちの命を奪い、40年の月日を経て地球や他の次元世界にまで脅威を及ぼそうとしている。

 

(エルトリアの政府に引き渡すのは不安がある。やはり監督不備の点を突いて、管理局(こちら)でマクスウェルと《イリス》を収容できるように交渉するしかないか……)

 

 そう思いながらレティはふっとため息をつき、目の前の状況に思考を戻す。

 

「現在の状況は?」

 

 彼女の問いに、真下にいるオペレーターが振り向きながら答えた。

 

「マクスウェルは固有型2体と量産型を連れてアミティエ・フローリアンと対峙。イリス本体も東京タワー内でキリエ・フローリアンと対話中。どちらもまだ戦闘行為には至っていません。もしかすれば――」

 

 姉妹のうちどちらかは寝返るかもしれない。そういうニュアンスを含めて言葉を止める。

 しかし、レティは首を横に振った。

 

「その点も含めて対処するよう現場に指示してあるわ。現場の局員たちは?」

「はい。魔導師数名がマクスウェルのもとへ急行中。ハラオウン執務官は武装隊を率いて拠点の発見、確保にあたっています。ですが、どちらも相当な規模で制圧しきれるか――」

「彼らを信じるしかありません。あなたたちはそのまま状況の把握に努めて!」

 

 レティの一言に、オペレーターたちは一斉に「はい」と答える。レティも現場が映し出されているモニターに目を戻した。

 

(東京一帯に張った結界内はリンディが、その周囲は私たちが目を光らせている……でも)

 

 現在敷ける体制としてはこれがベスト……のはずなのだが。

 

(何か見落としてるような……)

 

 嫌な予感にかられながらレティは東京全域を表示したモニターを注視する。しかし、その予感の源が東京より()()()()()に存在するとは、この時の彼女には考え付く余裕がなかった。



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第22話 足掻き

 今日は天気が悪く、黒い雲が空を覆っている日だった。

 そんな中イリスはグランツやエレノアという“こども”たちを連れて、外に出かけていた。今日のように空が暗い日は巨獣が出にくく、“こども”たちを遊ばせるのに向いているらしい。

 だが、“くるま”を使うため己と王様たちを連れていくことはできず、己たちはユーリと一緒にけんきゅうじょに残ることになった。

 

 ゆえに、己は朝から“この部屋”に連れてこられている。

 

「イリスたちは今頃目的地に着いた頃かな。グランツ君やエレノアちゃんと一緒にたっぷり楽しんできてくれるといいね。この星で遊べるのも今日で最後になるだろうから」

 

 ますくとてぶくろを着けながら、気安い口調でアンディが声をかけてくる。それに対し、己はじっとアンディを見据えるだけだった。

 外を彷徨っていた頃と違い、ここにいれば飢えることも喉が渇くこともない。少なくともえさを与えてくれる限りは“かいぬし”の好きにさせるのが己の務めなのだろう。

 それがイリスたちの言ってた“きし”の役目に違いない……。

 

『“騎士”ならさ、あいつらのことしっかり守ってあげててよ』

 

 ……本当にそうなのだろうか?

 

「じゃあいつも通り検査にしようか。イリスが帰ってくるまで済ませたいし」

 

 考えているうちに“けんさ”の準備ができたようで、アンディは“どうぐ”を手にしながら己に近づいてくる。だが、そこでふとアンディは足を止めてあごに手をやった。

 

「君と死蝕の研究ができるのもあとわずかか……ふむ、いっそ駆除も覚悟のうえで“これ”を丸々一つ入れてみようかな」

「――!」

 

 言いながらアンディが黒色の《ししょく》を高く掲げた瞬間、背筋に震えが走った。

 

――“あれ”を入れられたら、己は己でなくなってしまう!

 

「よし! どうせ廃棄してしまうくらいなら、ここで使っちゃおう――アレル、待たせたね。じゃあいつも通り麻酔を打ってから――ぎゃああっ!」

 

 アンディが己の方を向いた瞬間、己は目いっぱいの力で奴に嚙みつき、とびらまで走る。しかしとびらは固く、己はあっけなく跳ね返るだけだった。

 アンディは肩を押さえながら怒りに歪んだ形相で己を見下ろす。

 

「この恩知らずの野良犬め――誰のおかげでメシが食えてると思ってんだ!!」

 

 アンディは思い切り足を突き出し、己を蹴飛ばす。己は「キャウン」とみっともない鳴き声を漏らしながら再び固いとびらにぶつか――

 

「……えっ?」

 

 る直前に向こうからとびらが開き、アンディは戸惑いの声を漏らす。

 己の体はそのまま向こうに投げ出され、落ちた先には目元を覆った(メス)が立っていた。

 アンディはその雌を見て、ほっと息をついた。

 

「なんだ君か。ちょうどよかった、これから危険な実験をするから一体借りようと思っていたところだったんだ。まずその犬を捕まえてくれ。それから実験の途中でそいつが“進化”しそうになったらすぐに始末を……って、聞いてる?」

 

 アンディがなにごとか言葉を投げかけるも、雌はただじっと立っている。それに耐えかねてアンディが再び何か言おうとしたところで、雌が片腕を突き出した。イリスが巨獣を狩る時に持っていたものに似た物体がついた腕を――。

 

「な、何を――ぐああっ!」

 

 物体からいくつもの光が撃ち出され、アンディは体に無数の穴を空けながら倒れた。

 ――これはあの時と同じ!

 思い出すと同時に、雌は己に空洞の空いた物体を向けてくる。

 

 ――己は立ち上がる際の勢いを利用して(おの)が体を前に投げ出し、急いでその場を離れる。

 その間も雌は間断なく光を放ってきて、そのうち一発が脇腹をかすめる。しかし、痛みは感じなかった。頭にあるのはこの場から逃げ出すこと、そして、このけんきゅうじょのどこかにいる“主”の事だけだった。

 

 

 

 

 

 あの部屋から逃げ出してから、あてもなく走り回っていた己の目に飛び込んできたのは、赤い血を流して倒れている“にんげん”たちと、彼らを狩りまわっている雌たちだった。皆アンディを狩った雌と同じ姿をしている。

 

――次に見つかったら間違いなく狩られる。

 

 そう判断し、嗅覚と聴覚を余す限り研ぎ澄ませながら慎重に、時には素早く移動し、けんきゅうじょ内を移動していく。

 その途中で頭に大きな穴を空けてこと切れている雌を見つけた。確かジェシカという、イリスたちと仲がよかったにんげんだ。もっとも己にとっては、イリスたちの知らないところでアンディの“けんさ”に手を貸していた、いけ好かない雌でしかなかったが。

 

 

 

 それからしばらく歩いたところでようやくユーリの匂いをとらえ、雌たちに注意しながらユーリがいるところに向かう。

 そこはけんきゅうじょのボスがいる部屋だった。たしかマクスウェルと呼ばれている(オス)だ。

 

「《イリス》の設計コンセプトは“無限に増殖する人造兵士”だ。材料とエネルギー源さえ与えておけば、壊すも作るも思いのまま――どこでも役立つ便利な兵士さ」

 

 部屋の中からマクスウェルの声が聞こえてくる。その意味はいつもユーリやイリスが言ってること以上に意味がわからない。だが、それを聞いて不快感がこみあがってくる。

 ユーリも顔をゆがめながら言葉を返す。

 

「イリスがそういう風に生み出されたこと、気付いてはいました。だけど、あなたもみんなもイリスを愛しているって――」

 

 その言葉にマクスウェルは「そうだね」とうなずく。

 ユーリは納得いかない顔で――

 

「なら、どうしてこんな――?」

「“愛情”は人の心を動かす燃料だろう。イリスは私の愛情を受けて、性能以上のスペックを発揮してくれた……だから私はイリスを“愛しているよ”。私の子供であり――よくできた道具としてね」

「マクスウェル! あなたは――!」

 

 ユーリは“茶色いほん”を取り出しながら、マクスウェルに向かって吼える。

 だが――

 

「ふっ……」

 

 マクスウェルはただじっと笑いながら、()()()()()目をユーリに向ける。すると――

 

「――うっ! これは……」

 

 “その目”に見つめられた途端、ユーリは胸を押さえながら床にかがみ込む。

 それを見て、王様たちが鋭い鳴き声を放ちながら格子つきの籠の中から出ようとするのが見えた。あいつら、こんなところにいたのか。

 

「だいぶ前から君に“ちょっとした仕掛け”をしておいた。私が少し念じるだけで君は動けなくなるし、命令すればどんな事でも聞くだろう」

 

 マクスウェルは動けずにいるユーリの方に歩を進め、さらに続ける。

 

「なに、怖がらなくてもひどいことはしないさ。魔法という素晴らしい力を持つ君も、私にとっては“愛しい子供”だ。一緒に新天地で働こう。仲良しのイリスもいる。あの猫たちと犬も一緒だ。不満も不自由もさせないつもりだよ」

 

 そう言って彼はユーリの肩に手を置こうとする。それはいつもの彼と変わらない仕草だったが……

 己には、巨獣より恐ろしい“怪物”が迫っているように見えた。

 

 

「バウッ!!」

「――なっ!?」

「アレル――?」 

 

 気付けば己は、喉から荒々しい鳴き声を放ちながら部屋に飛び込んでいた。

 己はユーリを飛び越え、“主”を喰らおうとする“天敵”の肩に噛みつく。

 

「ぐあ――このっ!!」

「――アレル!」

 

 だが、マクスウェルは激痛に顔をゆがめながら己の体を掴み取り、あらぬ方へ投げ飛ばす。

 己の体は床に落ち、隅に置かれていた物にぶつかる。それは王様たちが入れられていた籠で、己がぶつかった拍子に籠の格子は外れ、今度は王様たちがマクスウェルに飛び掛かる。

 

「くそ――こんどはこいつらか!」

 

 マクスウェルは王様たちも振り払おうとするが、三匹もの猫に一斉に掛かられ、その場で舞い踊るような恰好になる。

 その間にユーリは立ち上がり、鋭い目でマクスウェルをにらみつける。すると部屋の床が盛り上がり、彼の方まで“それ”は伸びていく。

 

「――っっ」

 

 ユーリはためらうように顔をゆがめるものの、両眼を閉じ……

 

「くっ……うああああっ――!!」

 

 苦悶の混じった声を漏らしながら、ユーリが右手を突き出した瞬間、マクスウェルの背後から黒い枝が生え、それは彼の体を貫きながら天井近くまで屹立した。

 

「ぐぁ…………うぅ……くっ……フ、フフ…………フフフ………………」

 

 マクスウェルは口から血と苦痛の声を漏らすものの、すぐにそれは笑声となり、不気味な笑顔をユーリに向けながら彼はこと切れた。マクスウェルの死と同時に枝は砕け、彼の死体は床に倒れる。

 ユーリは目に涙を浮かべながらそれを見下ろすも、すぐに倒れている己に目をやった。

 

「アレル――アレル! 大丈夫ですか――これは……こんな傷を負った状態で」

 

 己を抱き起こしたところで、腹の傷に気付きユーリは息を飲む。そういえば、あの部屋から逃げる時に撃たれていたか……すっかり頭から抜け落ちていた。

 

「アレル、待っていてください。今手当を――」

 

 ユーリは己を抱きながらそんな言葉をかける。

 だが、ちょうどそこで――

 

「ユーリ! 所長! どこにいるの? いたら返事をして!!」

 

 近くからイリスの声が聞こえてくる。いつもと違う切羽詰まった声だった。

 

「イリスに伝えないと……でも、アレルの怪我も早く治さないと――」

 

 ユーリは部屋を見まわす。だが、“くすり”らしきものはどこにもない。その代わり――

 

「――!」

 

 ユーリは床に落ちていた“茶色いほん”を見る。そして……

 

「アレル、この中にいてください。この本の中にいる間は怪我がひどくなることはないはずです――ディアーチェたちも!」

 

 ユーリがほんを開くと、その中からかみきれが飛び出し、己と猫たちの体にまとわりつく。

 そんな中、ユーリは言い聞かせるように口を開いた。

 

「少しの間ここに隠れていてください。窮屈かもしれませんから四人とも仲良くしないといけませんよ。特にディアーチェとアレルは。あなたたちがケンカしたらすぐに部屋が荒れちゃうから」

 

 その間にも、視界が白く塗りつぶされ何も見えなくなる。

 だが、聴覚はかろうじて残っており――

 

「アレル、助けてくれてありがとう……あなたは私にとって“本当の騎士”なのかもしれません。もしかしたらイリスにとっても――」

「ユーリ、こんなところにいた! 所長――は」

 

 言い終える途中でイリスの声が被せられる。それからあわただしい足音が響き……

 

「なんで……ねえ、起きてよ所長!! ううぅぅっ!!」

 

 部屋の中央から涙声でわめくイリスの声が響く。

 

 

 ……それが己が()()()()聞いた最後の言葉だった。

 

 

 

 

 

 

「――アレル! アレル、しっかりせい!!」

 

 目を開くと、白と黒が混じった短い髪の女子(おなご)が映った。彼女は確か……

 

「おう、さま……」

「アレル――気が付いたか!」

 

 名を呼ぶと、“王様”は目に涙を浮かべたまま安堵の笑みを浮かべる。呼称の変化にも気付いていないようだ。

 その後ろでシャマルという金髪の女子(おなご)がほっと息をついた。

 

「よかった。海から這い上がってからずっと気を失っていたのよ。人工呼吸の話も出てたんだけど、必要なかったみたいね……ディアーチェちゃんにとっては残念だったかもしれないけど

「……レヴィとシュテルは、どうした? まさかと思うが……」

 

 ぼそぼそつぶやくシャマルに尋ねると、シャマルと王様は顔を曇らせて隅の方を見る。

 そこには包帯を巻いた状態で横になっている臣下たちの姿があった。白衣を着た男二人が懸命に彼女たちの手当てをしている。

 それを見て――

 

「――不覚! あれしきの痛みで任を忘れ、仲間たちに傷を負わされてしまうとは――」

「お、おい!」

「無茶しちゃだめよ!」

 

 王様とシャマルの制止を振り切り、腹を撫でながら起き上がる。

 

「――!」

 

 そこで気付いた。あの時、己の動きを止めていた腹の痛みがないことに。

 だが、腹の異物感はまだ残ってる。“あの右手”が体のどこにあるのか、はっきりとわかる。

 

――今なら、やれるかもしれん。

 

「己の剣は……ハイペリオンはあるか?」

「あ、ああ、それなら……」

「アレル君のそばにあるわ。ディアーチェちゃんの話だと、海から上がって気絶するまでずっとそれ握ってたみたいよ」

 

 二人の視線をなぞると、確かに己のそばに幅広の刃を備えた大剣《ハイペリオン》があった……一応、刃の幅ぐらいは変えられるはずだ。

 意識しながら剣を取る。すると――

 

「ちょ、ちょっと、まさかそんな状態で行く気!?」

「やめておけ! まだおぬしの体の中には“あれ”が――」

 

 シャマルと王様は慌てた様子で己を止めようとする。そんな彼女のうち――

 

「シャマル……貴公は確か治療魔法の使い手と聞くが、それは本当か?」

「え……ええ。私が治療してあげるから、あなたも休んで――」

「そうか……では事が済んだら応急処置を頼む。できる限りで構わん」

「――えっ?」

 

 戸惑いの声を上げるシャマルをよそに、己は細長の形になった剣を逆手に持ち、腹の中にある“異物”に狙いを定める。

 それを見た瞬間、王様は己の意を悟り――

 

「アレルやめろ! ユーリの事なら我が――」

「はあああっ――ぐああああっ!!」

 

 王様が止めようとするが、その前に刃は己の腹に深々と突き刺さり――中にある“異物”ごと貫いた!

 

「きゃあああっ!」

「アレル!」

 

 シャマルと王様が悲鳴を上げ、レヴィたちの手当てをしていた医者たちも思わずこちらに目を向ける。一方己は……

 

「ぐおおおおぉっ!!」

 

 体が千切れそうなほどの激痛に、意図せず喉からうめき声が漏れる。

 だが――

 

「まだ……だ……ぐおぉぉぉ!!」

 

 まだ“あの右手”は生きている。せめて“あれ”が砕けるまで耐えねば!

 それしきのことができずして、あの仇敵どもを倒し、主たちを助けることができるものか!

 あの時のように縮こまっているような子犬が、“騎士”などと名乗れるものか!!

 

 

 

 

 

「アレル――馬鹿者が! あやつを止めるぞ。おぬしも手を貸せ!」

「ええっ!」

 

 ディアーチェは隣にいるシャマルとともにアレルを止めようとする。しかし――

 

「待ってください!」

「――!」

 

 後ろから声がかかり、ディアーチェとシャマルはそちらを見る。

 

「シュテル……レヴィ……」

 

 彼女らの視線の先では、シュテルとレヴィがあおむけになったまま目を開いていた。

 

「アレルの好きにさせてやって。あんな負け方して悔しいのは、ボクも同じだから」

「それに残念ながら、私たちの方はもう戦えそうにありません。魔力が残っていても、体が動かない状態です。私たちはもう、あなたとアレルに後を託すことしかできない」

「そんなこと……あるものか!」

 

 シュテルの言葉を否定しようと、ディアーチェは大きく首を横に振る。そんな駄々っ子のような姿を晒す主君に彼女たちは告げる。

 

「だからさ……決めたよ」

「私たちの魔力を……残された力のすべてを、(あなた)に渡します」

「――馬鹿な。そんなことをしたらお前たちは――」

 

 ディアーチェはそこで言葉を詰まらせる。そんな《王》に、《臣下》二人は笑みとうなずきを返した。

 

 ディアーチェにすべての力を渡す。

 それはつまり、シュテルとレヴィの体を維持する力をも渡すということでもあり――彼女たちが“ただの猫”に戻ることを意味していた。



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第23話 本当の開戦

 健斗やなのはたち、守護騎士といった主力魔導師がいずこへ向かった後、《固有型イリス》たちはバインドで縛られた状態で放置されていた。無論、彼女らの周りには少なくない数の武装局員が配置されているが。

 それに対して、ほとんどの《イリス》たちはもう抗う気も起こさず、『交信機能』で別の固有型と会話をしていた。

 

《……あいつら、血相変えながらどっか行っちゃったね》

ママ(本体)を操ってる奴の正体と居場所がわかったんだって。今動ける量産型もみんなそいつに操作されてるみたい》

《私たちは何ともないけどね。オリジナルにとってもそいつにとっても私たちは用済みってことか……》

 

 ある《イリス》が諦観の吐息をつくと、他の《イリス》たちもそれきり口を閉ざす。

 自分たちにできることはもう何もない。管理局の魔導師たちが勝つにせよ、オリジナルや黒幕が勝つにせよ、自分たちが始末される未来に変わりはないだろう。

 だが――

 

《なに寝ぼけたこと言ってんだ!》

《……?》

 

 ふいに響いた声に多くの《イリス》たちの頭上に疑問符が浮かぶ。そんな《イリス》たちの脳裏に再び声が響いた。

 

《黙って聞いてりゃ、『私たちは用済み』だの『できることは何もない』だの、辛気臭いことをべらべらと――《イリス》として最後まで足掻いてやろうって気はねえのかよ!》

 

 諦めきった《イリス》たちの中でただ一人啖呵を切ったのは、御神健斗と戦った《ライフル使いのイリス》だった。

 しかし、他の《イリス》たちは冷めた声色のままで……

 

《そうは言うけどさ。私たち固有型はみんな縛られちゃってるし、部下たちもほとんど破壊されちゃったし。足掻いてやろうったって、こんな状態じゃどうすることもできないでしょ》

 

 その言葉に他の固有型も《うんうん》とうなずく。それに対してライフル使いは《はっ》と鼻を鳴らした。

 

《んなもん大した問題じゃねえだろう。別に手足をもがれたわけじゃねえし、こうして話せるだけの機能も残ってる。動こうと思えばいくらでもやりようはあるってえの。んなことより肝心なのは、アタシたちが()()()()やり返すべきか、じゃねえのか》

《……?》

《どいつにって……管理局の連中じゃないの?》

 

 その問いに、ライフル使いは首を大きく横に振って答えた。

 

《そいつは流れ次第だな。確かにアタシもあのオッドアイにリベンジしたい気持ちはある。でもよ、その前にガツンとぶん殴ってやりたい奴がいるんだよなあ》

《ガツンとって、あんた、まさか……》

「――おいお前。そこで何をしている?」

 

 別の固有型が尋ねようとしたところで、ライフル使いの挙動に気付いた局員が彼女の方に寄って来る。

 しかし、ライフル使いは臆した様子もなく。

 

「ちょっと凝ったから首回してただけだよ。これぐらいで外れるようなモンじゃないだろう」

 

 自分の体とバインドを顎で指しながら、ライフル使いは言ってのける。それに対して、局員は疑わしそうに目をすがめるが、ライフル使いは構わず切り出した。

 

「――そんなことより、ちょっとあんたらに相談があんだけど……」

 

 

 

 

 

 

『“あの事件”の後、ユーリは姿を消し、イリスは長い眠りについて、時を経て私の娘(キリエ)と出会いました。どこからがあなたの計画なのかはわかりませんが……』

「全部さ……と言ったらどうする?」

 

 モニター越しに説明するエレノアに、マクスウェルはフッと笑みを浮かべながらのたまう。しかしそこで「あははっ」という笑い声が被せられた。

 エレノアとアミティエ、マクスウェルは笑い声をあげた人物を見る。

 

「全部って、それはちょっとカッコつけすぎでしょう。グランツ君とエレノアちゃんがエルトリアに残ってくれて、そのうえ二人の子供のうち、妹の方が利用しやすい性格に育ってくれるなんて、いくら所長でも予想出来っこありませんよ!」

「それに夜天の書の転生や『J・D事件』も、あなたが予測できない事象だったはずよね。もし夜天の書の転生先がエルトリアのように資源に乏しい世界だったり、アルカンシェルという兵器で魔導書ごとユーリが消滅しちゃったら、計画を大きく変更せざるを得なかったんじゃないかしら」

 

 アンディとジェシカの苦言に、マクスウェルは気を悪くせず軽やかな笑い声をあげた。

 

「はははっ。確かに、さすがの私もフローリアン家の家庭環境や夜天の書には手出しできなかったからね。そこは運に任せるしかなかった。だが、記憶データがひとかけらでもあれば、イリスは何度でも蘇る。あの子の中で眠っていた私たちもね。そしてキリエ君の協力のおかげでイリスと私たちの復活も早まり、一度手放した宝物(ユーリ)を取り戻すこともできた……実に幸運だった。それが正直な感想だよ」

「……」

 

 マクスウェルの話にアミティエはただ唖然とする。

 そんな不確定要素の多い中で自分たちの意識をデータ化し、復活を成し遂げようとしたのか。ただ兵器を売って金儲けがしたいだけの人間ができることじゃない。恐れや慎重さといった感情、そして倫理観までもが抜け落ちている。

 そんなアミティエやエレノアの前でマクスウェルは続ける。

 

「そして、夜天の書の転生先がこの世界だったのも幸運だ。《イリス》を造るための資源がいくらでもある。新たな拠点にちょうどいい。……さて、そろそろ話を戻そうか。私たちに協力すれば、肉体が死んでも《イリス》として永遠に生きることができる。無論アミティエ君とキリエ君もだ。君たちの子供にも手伝ってもらえれば大いに助かる……一緒にこの“新天地”で働かないか?」

 

 マクスウェルは言葉を止めながら手を広げ、部下二人とともにアミティエたちの方を見る。

 その返答は最初から――いや、話を持ちだされる前から決まっていた。

 

『お断りします! 私も娘たちも、そして夫も、故郷を捨てるつもりも、見知らぬ世界や人々を踏みにじって生き続けるつもりもありません!』

 

 エレノアは毅然と彼らの提案を突っぱねる。それを合図としたように――

 

「アクセラレイター!!」

 

 そう叫びながらアミティエが赤色の光を纏う。それに気付いた瞬間、量産型たちが彼女に向けて一斉に銃を撃つが、アミティエは即座にバイクから跳び上がり、煙を噴き上げて大破するバイクを背に、何体かの量産型を斬りつけながらマクスウェルたちのもとへ疾走する。

 フォーミュラスーツを纏う彼女にとっては駅舎の高さなど何の問題ではなく、アミティエは一跳びでその上にたたずむ黒幕たちの眼前に迫る。

 だが、マクスウェルはすでに銃型のヴァリアントウェポンを構えていて――

 

「遅い――!」

 

 その言葉とともに紫色のエネルギー弾が撃ち出され、アミティエに命中する。無論硬いスーツに守られた彼女にとって大したダメージではないが、そこにアンディが現れ――

 

「はあっ!」

 

 彼に蹴りつけられ、アミティエの体はコンクリートの床に叩き落とされる。そこへ銃を構えた量産型が近づいてきた。

 

『アミタ!!』

「慣れない次元移動に、こちらに来てからはずっと戦い続けて……」

 

 思わず叫ぶエレノアに、マクスウェルの声が被せられる。アミティエは懸命に起き上がろうとするが――

 

「ぐっ――ああああっ!」

 

 彼女に向けて量産型は容赦なく銃弾を撃ち込む。マクスウェルは勝ち誇ったように続けた。

 

「そんな体じゃ抵抗するだけ無駄だよ。イリスの言う通り、さっさと帰ればよかったのに……どうして関わろうとする?」

 

 そんな問いを投げつける黒幕を睨み上げながら、アミティエは答える。

 

「……この星も、たくさんの人の故郷です。必死に生きてる人がいる。大切なものを守ろうとする人がいる。見知らぬどこかの誰かのために必死になってくれる人がいる……」

 

 自身にとって安全かどうかもわからない異物(ナノマシン)を体内に入れてまでイリスを止め(助け)ようとしてくれたなのは、傷ついたキリエに発破をかけ再び立ち上がらせてくれた健斗、彼らや自分たちに力を貸してくれる大勢の仲間たちの顔を浮かべながら……

 

「同じだからです! この星も、私たちの故郷も!!」

 

 マクスウェルは否定せず、うなずき。

 

「そうだね。同じだ……同じように私の実験場だ」

 

 アミティエが吐き出した答えを歪な解釈で捻じ曲げながら、マクスウェルは銃口を向ける。それを見てエレノアが思わず叫んだ。

 

『待って! お願いだからやめて――フィルおじさん!!』

「……フッ」

 

 思わず昔の呼び方で懇願してくるエレノアに対して、マクスウェルはもう遅いと言わんばかりの冷笑とともに引き金を引く。

 その銃から紫色の球がアミティエに向かって放たれる。今の彼女があれを喰らえば致命傷は避けられない。

 

『アミターー!!』

 

 モニターの向こうでエレノアは絶叫する。

 

 ――その直後、“桃色の光を纏った”何者かが飛び込んできて、マクスウェルが放った弾を真正面から受け止めた。

 マクスウェルと手下たち、エレノアは驚愕に目を見張る。そんな中、アミティエは“彼女”の正体に気付き、その名を呼んだ。

 

「――なのはさん!」

 

 爆風の中から現れたのは白い防護服(バリアジャケット)を着た少女――高町なのはだった。エネルギー弾を弾いた盾を構えながら、かばうようにアミティエの前に立っている。

 彼女の姿を認めると、量産型は一斉に銃を構える。しかし、あらぬ方から“光の剣”が降り注ぎ、彼女らを破壊していく。

 その剣はマクスウェルらの方にも降り、アンディは「うわ」と漏らしながら、マクスウェルもすぐに回避する。

 そこでジェシカは魔導書を広げる白い帽子の少女に気付き、彼女に向けて銃型のヴァリアントウェポンを構えるが――

 

「――はあっ!」

「くっ……」

 

 突然現れた金髪の少女に斬りつけられ、ジェシカは剣型に変えたヴァリアントで斬撃を受け止める。

 いつの間に奪われたのか、少女はもう片方の腕でユーリを抱えていた。

 

「ほう、もう陽動用の《イリス》をすべて倒してしまったか。では、私たちが相手をするしかないな」

 

 感心の笑みを浮かべながらマクスウェルは紫色の光を帯びる。それを見てアミティエが立ち上がるが――。

 

「あああああっ!」

「――!」

 

 あらぬ方から剣を振り下ろされ、マクスウェルは瞬時に剣型に変えたヴァリアントでそれを受け止める。

 彼を斬りつけてきたのは、黒い髪に黒と緑眼のオッドアイの少年だった。

 マクスウェルは笑みを浮かべたままつぶやく。

 

「君も来たのか……数時間ぶりだね、ケント・α・F・プリムス」

「その声――お前があのロボットだったんだな」

 

 確信する健斗にマクスウェルは笑みで応える。

 彼こそキリエやイリスとは別に暴走車両を操り、美沙斗や早見を傷つけた“謎のロボット”の正体だった。

 

 

 

 

 

 

「フィル・マクスウェル。管理外世界での破壊行為、および民間人への傷害の現行犯で逮捕する。武器を捨てて投降しろ!」

「この状況で恐ろしい事を言うね。武器を捨てた途端、バッサリ斬る気かい?」

 

 互いに得物をぶつけたまま、マクスウェルは言葉を返してくる。そんな彼にわざとらしい笑みを作り……。

 

「どうかな。少なくとも抵抗するよりは安全だと思うぞ。それと俺は御神健斗だ。大昔に死んだ愚王なんかと間違えてんじゃねえ!」

 

 凄むように言うものの、マクスウェルは臆した様子もなく……。

 

「間違えてないよ。君のことはユーリから聞いているし、夜天の書をこっそり覗き見た時に読ませてもらった。書の中に記録されていた、ケントの身体と記憶のデータをね。まさか大昔の異世界にも私と同じ事を考える者がいようとは」

「同じだと――!?」

 

 驚きのあまりつい力が緩んだ瞬間、マクスウェルは剣を弾き上げながら得物(ザッパー)を銃の形に変え、俺に紫色の弾を撃ち込み、ついでとばかりになのはたちの方にも乱射する。

 俺もなのはたちも防御陣や盾でそれを防ぐが、その間にマクスウェルは俺から大きく距離を取った。

 

「残念ながら、君たちに投降する気も斬られる気もない。君たちでは私に勝てないし、そもそも戦う必要すらないんだ」

 

 そう告げるマクスウェルの背後に十体もの飛行型機動外殻が現れ、地上にもこれまで戦った奴より大型の機動外殻が現れた。

 

「武器も機動兵器もいくらでも生み(造り)出せる。そして私は、手にした戦力を自由に操れる。イリスはもちろん――ユーリもね!」

 

 そう言いながらマクスウェルが“赤くなった眼”を眼下に向けると、ユーリの体が《結晶樹》に包まれ、空高く伸びる。フェイトは自身に伸びかけた樹を斬り払いつつ、真上に跳んで逃れる。彼女と対峙していたジェシカも同様だった。

 その横で結晶樹は破裂し、その中から、機動外殻に近い形となった《鎧装》に乗ったユーリが現れた。その瞳は赤く染まっており、再びウイルスコードの支配下にあることを表している。

 

「さあ……君たちも私の手駒にできるかな!」

 

 最後にそう言って、ユーリと機動外殻の指揮を手下二人に任せ、マクスウェル自身は姿を搔き消す。

 ――ここで奴を逃がすわけにはいかない。

 

「俺は奴を追いかける。お前たちはユーリと機動外殻を頼む!」

「その方がええな。じゃあ私は地上を制圧するから、フェイトちゃんはユーリを、なのはちゃんは機動外殻を何とかしつつ、手下二人を捕まえといて!」

「うん!」

「任せて!」

 

 俺とはやての指示になのはとフェイトは威勢よく応える。それにうなずいてから俺はマクスウェルを追いかける。

 姿は見えなくとも、ここから遠ざかろうとするマクスウェルの気配は十分感じ取れた。

 その一方で……。

 

 

 

「逃がさない……エルトリアの人間の過ちは、エルトリアの人間である私が止めないと……」

 

 健斗たちが行動を起こす中、アミティエも腰を上げ、元通りに再生したバイクを呼び寄せる。

 エルトリアが生み出した“真の悪魔”を止めるために。



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第24話 激闘(前)

 健斗とアミティエがマクスウェルを追っていった後、東京駅の周囲ではなのはたちが無数の機動外殻やユーリと交戦していた。

 

「はあっ!」

 

 前より厳めしくなった《鎧装》に乗ったユーリに向かって、フェイトが突貫してくる。さしものユーリも目を見張るが、彼女の一撃は鋼鉄の腕(魄翼)によって受け止められ、もう片方の“腕”が彼女に襲い掛かる。それを避けようとフェイトは真上に飛ぶが、そこにはジェシカが――

 

「はああっ!」

「――ああっ!」

「フェイトちゃん!!」

 

 袈裟切りに斬られるフェイトを見て、なのはは思わず叫ぶ。そんな彼女の前にアンディが現れた。

 

「よそ見をしている暇があるのかい――はっ!」

「ぐっ……きゃあ!」

 

 なのはは盾を突き出して、アンディの斬撃を受け止める。だが、がら空きになった背中に地上の量産型イリスに銃撃され、それをこらえながらなのはは剣を弾き、上へ逃れる。

 

 そんな戦いを見て、はやては歯噛みをした。

 

(敵の数が多すぎる。せめてユーリを何とかしたいところやけど、手下二人が邪魔してきよるし。これじゃあ《ウロボロス》を撃つ準備もできひん――)

《はやてちゃん――下です!》

 

 自身と融合しているツヴァイの声を聞いて、はやては眼下を見る。その直後、《機動外殻・ヘクトール》は白い光線を放ってきた。ツヴァイは主の魔力を借りながら防御陣を張ることで攻撃を防ぐ。

 だが空から新たな機動外殻が現れ、地上からはトレーラーを改造した暴走車がやってきて、はやてに向けてミサイルを放つ。

 ――これ以上は防げない!

 そう思って二人は顔をこわばらせる。

 すると――

 

「おおおおおぉぉぉっ!!」

 

 野太い声を上げながらザフィーラが飛んできて、ミサイルを拳で打ち砕いていく。

 さらに暴走車両の横に大きな渦が開き、そこから飛び出てきた緑色の巨手が暴走車を握りつぶす。まさかと思ったはやてたちの脳裏に声が届いた。

 

《はやてちゃん、ツヴァイちゃん、もう大丈夫よ!》

「シャマル! ザフィーラ!」

 

 はやては思わず二人の名を呼ぶ。

 そんな彼女のもとへ飛行型機動外殻が迫ってくるが……。

 

「でえええええいっ!!」

「はああああっ!!」

 

 ヴィータは巨大化させた大槌(グラーフアイゼン)で外殻を叩き潰し、シグナムが弓状のレヴァンティンから炎を纏った矢を撃ちだし、残りの敵を射ち壊していく。

 

「ヴィータ、シグナムまで――」

 

 残りの二人の姿にはやては歓喜の声を上げる。

 しかし、地上のヘクトールは諦めることなく、はやてたちに向けて砲を向ける。その砲口からは白い死の光が漏れていた。

 だが――

 

「はああああっ!」

 

 あらぬ方から飛んできた黒い魔力砲がヘクトールを吞み込む。それを見てツヴァイが叫んだ。

 

「――アインス!」

「遅くなりました、我が主。ツヴァイもよくここまで主を支えてくれた」

 

 二対の黒翼を羽ばたかせながら、銀髪の美女は主と妹に返事を返す。それは夜天の書の分身にして、ツヴァイが誰より尊敬する姉――リインフォース・アインスだった。

 

「バ、バカな。何であいつらがここに?」

「他の局員は生産拠点の《イリス》たちと戦っているはず……」

 

 ジェシカとアンディは思わずそう口にする。

 そんな彼らにアインスは苦笑するような笑みを浮かべながら言った。

 

「思わぬ味方が現れてな。“彼女たち”のおかげでこちらに来る余裕ができた」

「彼女たち――ま、まさか!」

 

 アインスの言葉にジェシカは顔を引きつらせ、アンディとともに各地の状況を確かめる。

 《イリス》を通して二人が目にしたのは……。

 

 

 

 

 

「こちら、拠点を一つ発見しましたが、量産型に阻まれて動けません! それどころかあいつらどんどん増えて――」

 

 銃弾を浴びせてくる量産型イリスたちを前に、武装局員たちは遮蔽物に隠れながら報告する。彼の言うとおり、こうしている間にも《イリス》たちが次々と拠点から出てきて、いつなだれ込んできてもおかしくない状況だった。

 局員たちは顔を見合わせ、覚悟を決める。こうなったら駄目もとで突っ込み、拠点内の機能を停止させるしかない。成功する可能性は低いし、間違いなく犠牲が出るだろうが。

 そう思っていたところで――

 

「やめておくがいい。お前たちでは入り口まで辿り着くことすらできん」

「えっ……?」

 

 怪訝な声を漏らしながら局員たちは顔を向ける。そこにいたのは長い赤髪の女だった。腰には長い剣を差しており、無数の量産型たちや銃声に臆する気配もない。

 そこで局員たちは彼女の正体に気付いた。

 

「ま、まさか君は――」

「私が先陣を切る。お前たちはその後に続け」

 

 そう言いながら女は遮蔽物をくぐり、量産型たちの前に躍り出る。戸惑うように動きを止めている彼女らを前に、女は剣の柄に手をかけながら名乗った。

 

「《IR-S07=コマンダータイプ・ナンバー04》――推して参る!!」

 

 それを聞いて相手を敵と見なし、量産型は銃を乱射する。しかし、《ナンバー04》はそれをすべて避け、刃で弾きながら突貫し、何体もの量産型を切り裂いた。そして彼らも負けじと――

 

「俺達も行くぞ! 彼女だけに任せては武装隊の名折れだ!」

「――はいっ!」

 

 その直後、遮蔽物から局員たちが飛び出して《イリス》たちに攻撃を仕掛ける。

 他の場所でも……。

 

 

 

 

 

「新手の機動外殻が出現――いったん退避!」

 

 新たに二体の機動外殻が現れ、隊長格の局員はそう指示を出す。

 しかし、新たな機動外殻は局員たちではなく、別の機動外殻に砲口を向ける。

 局員たちが訝しんだところで、機動外殻の肩から女二人の声が響いた。

 

「標準よし――」

「――やっちゃえエクスカベータ!!」

 

 その瞬間、エクスカベータの砲口から白い砲撃が放たれ、射線上にいる他のエクスカベータやヘクトールを貫いた。

 それを見て、それぞれの愛機の上で《ナンバー05》と《ナンバー06》はウインクと笑みを交わした。

 

 

 

 

 

 

「固有型が反乱を起こしてる!? 本体はこっちの言いなりなのに!!」

 

 各地の状況を知って、ジェシカは思わず声を荒げる。それは彼女らにとって無理もないことだった。

 固有型イリスはいわば中継器。本体に代わり、広範囲に広がった量産型を束ねるための中間ユニットにすぎない。それが本体を押さえた状況で勝手に行動するなどありえないことだ。

 しかし、それを否定するように――

 

「んなもん関係あっか! ばーか!!」

 

 その声にジェシカも、フェイトまでもが顔を上げる。そこへ《ライフル使い》の姿とライフルが降ってきた。それをもろに顔面に喰らい、ジェシカは醜いうめき声を上げながらのけぞる。

 

「君は――!?」

「よお。うちの身内(他の固有型)が迷惑をかけたな。こいつはアタシに任せて、あんたはユーリって奴の相手をしてくれ」

「《09》――何をしてるの? 敵はあっちよ! 馬鹿なことしてないで、他の固有型と一緒に局員どもを――あがっ!!」

 

 態勢を整えながらまくしたてるジェシカの頭を、09は再びライフルで殴りつけて言った。

 

「図に乗んな、同じ固有型のくせに! なんでアタシらが他の固有型の命令なんて聞かなきゃならないんだっての!」

「なんでって、私は《イリス》を造った開発者の一人よ。私たちの命令に従うのが当然――ぐああっ!」

 

 ジェシカが何事か言おうとしたところで09は得物を重いランチャーに変えて、再び彼女を殴りつける。イリス同様速く動けようと、動く前に攻撃されてはたまらない。

 

「それこそ知ったことか。アタシら(イリス)を造った奴らは何十年も前に死んだって聞いたぜ。アタシらに命令できるのはもうあの人だけだってーの! そうだろう――」

 

 ジェシカを殴りながら、09は()()()()()()()

 

「――母様よお!!」

 

 

 

 

 

「――!」

 

 ウイルスコードによって、自らの意に反してキリエと戦わされていたイリスは、その声を聞いてびくりと肩を震わせた。キリエも何かを感じ取って動きを止める。

 

『母様ももう気付いてんだろう! こいつらは母様を騙して、戦争の道具なんかにするために利用していたんだ。そんな奴らのために働く義理なんて欠片もねえ! ウイルスコードだか何だか知らねえが、そんなもん気合で破っちまえ! ――アタシらの母親(オリジナル)がそんなもんに負けんじゃねえ!!』

 

 09はジェシカを鉄の塊で殴りながら、母親を()()()()()()()()()()。それを喰らって(聞いて)、イリスは怒りで体を震わせた。

 

「あの脳筋が――それができれば苦労しないわよ!!」

 

 そう言いながらイリスは剣状のヴァリアントをキリエに振るう。しかしその文句と敵意はキリエではなく、勝手なことをのたまう(09)と自分を操っていた父親(マクスウェル)に向けられていた。

 キリエもそれも察して――

 

「はああっ!」

「うぐっ――」

 

 キリエは渾身の力を込めて、(ザッパー)をイリスの頭に叩きこむ。

 先ほどまで自分がかけた言葉と今誰かがぶつけてきた言葉で、イリスはかなり揺れている。さらにショックを与えればウイルスコードの綻びが大きくなり、イリスが自力で破ることも可能になるはずだ。

 

 

 

 

 

 

「は、ははは……何言ってるんだ。気合だけでウイルスコードを破るなんてできるわけないじゃないか。機械ユニットのくせになにを非科学的な……」

 

 イリスと09のやり取りを聞きながら、アンディは乾いた笑い声をあげる。それは嘲りというより、もし本当にウイルスコードを破ってしまったらという不安を紛らわすために見えた。

 彼に追い打ちをかけるように――

 

「どうかな。案外何とかなるかもしれんぞ。己も気合があってこそ、あの男(マクスウェル)の呪縛を解くことができたしな」

「なに――ぐあああっ!」

 

 顔を向けたところを大剣で斬りつけられ、アンディは悲鳴を上げながら吹き飛ぶ。

 一方、アンディを斬りつけた少年を見てなのはは声を上げた。

 

「――アレル君!」

 

 アレルは彼女に顔を向けながら口を開いた。

 

「遅くなったな。こやつは己が引き受ける。貴女は他の仲間を助けに向かうがいい」

「う……うん。私としてはその方が助かるけど、アレル君は大丈夫なの? それにディアーチェちゃんたちは――」

 

 腹に包帯を巻いたままのアレルを見て、なのはは不安そうに尋ねるものの、アレルは首を横に振った。

 

「心配無用、ただの切り傷だ。王も後で来るとのことだ。それより貴女はあの金髪娘の加勢に行ってやれ。ユーリ相手にあの女子(おなご)一人では心もとない」

 

 そう言われてなのはは迷うそぶりを見せるものの、フェイトの事も心配なのか、意を決したように――

 

「……う、うん! くれぐれも無理しないでね!」

 

 そう言って、なのははフェイトとユーリの元へ向かう。

 その一方で……。

 

「アレル……なぜ動ける? お前の体内には“あの右腕”があったはず……」

 

 なのはを追おうともせず、アンディは憎しげにアレルを睨みながら問いかける。アレルは肩をすくめて……。

 

「さてな。09とやらの言葉を借りて、“気合で破った”とでも言っておこう。それより先ほどの続きといこう。昔からの借りを返すいい機会だ」

「黙れ! 貴様なんかにこの僕が――」

 

 アンディは吼えながら《システムオルタ》で加速しながら迫る。だが――

 

「はああっ!」

「ぐあああっ!」

 

 アレルは易々と躱し、逆にアンディに一太刀入れた。

 

「スピードなら己も自信がある。“イリスと同程度”の速度とやらで、どこまで己に追いつけるかな」

「ぐっ――この恩知らずの野良犬めえええ!!」

 

 

 

 

 

 

(なんだ……なんなんだあいつらは!?)

 

 《イリス》やアンディたちを通して状況を知った、マクスウェルの脳裏に浮かんだのはそんな言葉だった。

 ほとんどの固有型が反旗を翻し、そのうえ無力化したはずのアレルまで再び牙を剥いてくるとは。あの犬が現れたということは、ディアーチェや他の猫たちも……。

 

(なにがあいつらをそこまでさせている? おとなしくどこかに隠れていればいいものを。このままだと本当にすべての《イリス》、ユーリまでもが倒されてしまうかも――)

 

 そこまで思って、マクスウェルはいやと首を振った。

 

 ユーリは夜天の書を管理するために造られた最高管理ユニット。あの程度の魔導師が何十人向かってこようが倒されることはないはず。

 万が一ユーリが倒され、他の手駒が全滅したとしても、自身か“切り札”の()()()()()この街から脱出すれば再起は十分可能だ。その《種》もすでに仕込んである――イリスとキリエがこの星に来た瞬間に!

 

 そう思っていたところで、バイクの走行音が聞こえてきた。

 

(アミティエか……いい加減逃げたと思ったのに、懲りない子だね)

 

 マクスウェルは苦笑しながら動きを止め、彼女を待ち構える。娘一人を躾ける時間ぐらいあるだろう。

 そう思い、舌なめずりしそうな顔で待ち構える彼だったが――

 

「――っ!」

 

 ()()()()()()()()バイクを見て、マクスウェルは目を見開く。

 まさかと思ったその時――

 

「せえええい!!」

「ああああっ!!」

 

 空のバイクを眺めたまま目を見張った彼の背後から、オッドアイの少年と赤髪の少女が斬りかかってくる。

 それを見て、マクスウェルは吼えた。

 

「アクセラレーター・オルターー!!」

 

 

 

 

 マクスウェルが叫んだ直後、奴は紫色の光を纏いながら一瞬でアミタさんの眼前に移動し、彼女を蹴り飛ばす。

 アミタさんはすぐに体勢を立て直しザッパーを構えるものの、マクスウェルは瞬時に取り出したヴァリアントで、ザッパーを切り裂き彼女を切り上げた。

 マクスウェルは加速したまま彼女に迫り――

 

「さよなら……アミティエ」

 

 剣を構えながら、ささやくような声で別れを告げる。

 その直後――

 

「フライング・アクセラレイター!!」

 

 そう叫んだ瞬間、俺はマクスウェルの眼前まで移動していた。あまりの速度に自分でも驚きかけるが、それを()()()()飲み込んで剣を振りかぶる。

 

「はああああっ!」

「ぐあああっ!」

 

 剣を叩き込んだ瞬間、マクスウェルは眼下の街に転がり落ちた。

 奴が倒れている間に、俺はアミタさんを抱きかかえながら声を張り上げる。

 

「おいアミタさん――しっかりしろ!」

「健斗さん……まさか、あなたもフォーミュラを……それに、その速さは?」

「キリエさんにナノマシンってやつを分けてもらってな……速さの方は、固有技能とフォーミュラを合わせて使ったせいだと思う」

 

 痛みに顔をゆがめながら答えると、アミタさんは『なんて無茶な』と言いたそうな目を向けてくる。

 そこで真下から奴の笑い声が聞こえてきた。

 

「素晴らしい……エルトリア式フォーミュラと魔導の融合。イリスとユーリを使って私が達成しようとしていた事を、たやすく成し遂げてしまうとは……やはり欲しいな」

 

 笑いながらマクスウェルは立ち上がってくる。その姿に戦慄を覚えながら彼を見下ろす。

 そんな俺たち――いや俺に向けてマクスウェルは言った。

 

「ケント――君も“私の子供”にしてあげよう!」

「――アミタさん、下がってろ! ――ぐおおっ!」

 

 言う間もなく、《アクセラレイター・オルタ》で加速しながらマクスウェルが迫ってくる。その衝撃でアミタさんもろとも弾き飛ばされるも、空中で態勢を整えながら《アクセラレイター》を起動させて奴を迎え撃った。



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第25話 激闘(後)

「ディバイン――バスター!!」

「プラズマスマッシャー!!」

 

 09やアレルに手下二人の相手を任せ、フェイトとなのはは再びユーリと交戦していた。

 しかし彼女を守る《鎧装》は固く、二人がかりで攻撃しても致命打は与えられない。傷を負わせてもすぐ再生してしまう。正直手詰まりだ。

 はやての攻撃の準備が整うまで引き付けておくしかないのだろうか。そう思いながら飛び続ける彼女の前に黒い影が映った。

 

「あの子は――」

「――ディアーチェ!」

 

 そこにいたのは《(ロード)》を自称していた少女――ディアーチェだった。腕を組み、仁王立ちするように宙に浮いている。

 しかし、その姿は船で別れた時と違い、背は高く伸び、黒と白が混じったツートンカラーの髪は背中に届くほど長くなってなり、背中からは赤と青の翼が三対ずつ生えている。

 しかし、威厳に満ちた声は聞き間違えようがなく――。

 

「二人とも手間をかけたな。後は任せろ」

 

 その言葉になのはたちは目を見開き、思わず口を開く。

 

「一人じゃ無理だよ!」

「うん。それなら私たちも――」

「――一人ではない!」

 

 二人の言葉を遮り、ユーリは腕を開く。その左腕にはシュテルの武装《ブラストカラミティ》が填め込まれていた。よく見れば今のディアーチェが着ている鎧の各所には、レヴィが身に着けていた鎧と同じ意匠が見受けられる。

 

「それって……」

「まさか、君はあの二人の力を――」

 

 二人の問いを肯定するようにディアーチェは笑う

 

「シュテルも、レヴィも、我とともにある……この近くで戦っているアレルもな」

 

 そう言いながら彼女は迫りくるユーリに向かって左手を突き出す。すると左手から()()()魔力波が放たれた。

 ユーリは真上に飛んで躱すが、魔力波はぐにゃりと針路を変え、空中を彷徨うユーリと近くにそびえるビルに命中する。

 一撃で《鎧装》の両腕を()ぐほどの破壊力に閉口する二人に、ディアーチェは言った。

 

「ユーリを確保するのはもとより我らの役目。助けがいるのは小鴉たちの方だろう――行ってやれ」

 

 そう言ってディアーチェはなのはたちに目を向ける。その目は有無を許さない――“王”のような威厳があった。なのはもフェイトもうんと言うこともできず、黙ってうなずく。

 そして彼女に背を向けて……

 

「……じゃあ、私たちははやてちゃんの加勢に行ってくるね」

「ディアーチェ()()も気を付けて」

 

 そう言い残して飛んでいく二人に、ディアーチェは「ああ」と応えながらユーリがいる方に目を戻す。そこではユーリに取り付いている《鎧装》が元通りに再生しているところだった。

 それを睨みながらディアーチェは覚悟を決める。

 

(結局、あの頃から抱いていた想いは伝えられずじまいか……)

 

 悔みながらディアーチェは自らの手を握る。その手から三色のおびただしい光が漏れだした。

 

「……さらばだアレル。ユーリとイリスの事は頼んだぞ。生きていれば、我らもお前たちのそばでずっと見守っていよう」

 

 想いを寄せていた《騎士》に別れを告げながら、ディアーチェは“すべての力”を解放する。これを解き放てば、シュテルとレヴィと同様、ディアーチェも人の姿を保てなくなり、ただの猫に戻ってしまうだろう。

 しかし――

 

「申し訳ないがそれは断らせてもらう。騎士として、一度護ると誓った主を一人危機に晒すわけにはいかんのでな」

「――お前は!」

「――!」

 

 あらぬ方から届いた少年の声にディアーチェとユーリは目を見開いてそちらを見る。

 そこにいたのは、アンディと戦っているはずのアレルだった。

 

 

 

 

 

 

「はあっ!」

「ふっ!」

 

 互いにアクセラレイターを発動させたまま、俺とマクスウェルは剣をぶつける。

 アクセラレイターとシステムオルタの改良型である《アクセラレイター・オルタ》を使うマクスウェルと、アクセラレイターとフライングムーヴの重ね掛けである《フライング・アクセラレイター》を使う俺の動きに、アミタさんが付いてこれるわけもなく、隅に隠れながら怪我の回復に努めていた。

 

 そんな彼女の頭上で剣をぶつけあいながら、マクスウェルは声をかけてきた。

 

「ケント、私と組むつもりはないか」

「――何?」

 

 その一言に思わず聞き返すと、マクスウェルは剣をぶつけてきながら言った。

 

「君と私が手を組めば、フォーミュラと魔導を組み合わせた兵器――イリスやユーリを超える存在を生み(造り)出すことができるかもしれない。それをもってすれば、すべての次元世界から争いを消す事も夢ではないはずだ」

「都合のいいことを。あちこちの世界に兵器を売り捌こうとしているだけだろうが! そんな事に手を貸すとでも思うか!」

「私に協力すれば“永遠に生きられる体”が手に入ると言ってもかい?」

「――なに?」

 

 永遠という言葉に俺は思わず戸惑いの声を漏らす。マクスウェルは剣を繰り出しながら続けた。

 

「記憶データと《イリス》の体があれば、肉体が滅んでも別の体に意識を移すことができる。その体が滅んでもまた別の体に意識を移し替えれば、永遠に近い時を生きることも可能になる――かつて君がやったように」

「――!」

 

 その言葉に俺は一瞬動きを止めてしまう。そこへマクスウェルが剣を打ち込んできて、俺は慌てて得物を構え攻撃を防ぐ。

 その間にも奴は剣とともに言葉を放ち続けてきた。

 

「君は一度聖王に自らを討たせながら、自らの記憶を夜天の書に保存しておいた。そして滅びゆくベルカから逃れ、この世界で蘇ることに成功した。私が行ったことは君がかつて行ったことと何も変わらないんだよ」

「それは――ぐっ」

 

 図星を突かれたことと剣を弾かれたことで、俺の喉からうめき声が漏れる。

 確かに奴の言うとおりだ。俺は滅びかけた故郷(ベルカ)とケントという自分を捨てて、この地球で新たな生を得た。守護騎士やリヒト(リイン)を救うためでもあったが、あの世界から逃げ出したい気持ちがなかったかと言われると、否定しきることはできない。

 

「私と組めば、夜天の書に頼るより確実な方法で生き続けることができる。さっき言ったとおり、永遠に生きる事だって不可能じゃない。そうすればあの管制ユニット……リインフォースという恋人とだってずっと一緒にいられるはずだ」

「なに――ぐあっ!」

 

 その言葉につられたせいで一瞬動きが止まってしまう。そこへマクスウェルは鋭い剣先を突き出してきた。俺はかろうじて避けるものの、完全にかわし切れずにわき腹を裂かれてしまう。

 

「何も迷う必要はない。一度行ったことをまた繰り返すだけだ。私とともに永い時を生き、技術と魔法の極みを目指そうじゃないか。もちろんリインフォースも一緒だ。それなら文句はないだろう!」

 

 マクスウェルはなおも攻撃しながら言葉を放ってくる。そんな彼に――

 

「――ふざけんじゃねえ!!」

 

 俺は叫びながら剣を振り上げる。マクスウェルは剣を突き出し、俺の剣撃を受け止めた。

 

「俺があの時どれだけの思いでオリヴィエ(聖王)に自分を殺させたと思う! 故郷とともにどれだけのものを失ったと思ってるんだ! そんなことも知らないで、俺にまた故郷と仲間を捨てろと言ってんのか!?」

「……」

「もうあんな事を繰り返すのはごめんだ。それにこの世界には現代の夜天の主、はやてもいる。あいつを犠牲にするような真似、リインや守護騎士たちが許すわけがねえ!!」

 

 沈痛な思いで言葉を吐き出すと、マクスウェルはふむと顎に手を当てて。

 

「そうか、そういえば現代の主や他のプログラムもいたんだっけね。彼女たちまで抱き込むのはさすがに難しそうだな。……仕方ない。やはり君を一度殺して記憶を取り出すしかないか」

「なに――」

 

 マクスウェルは武器を銃に変え、何発も光弾を撃ち込んでくる。

 俺は剣をふるって弾を弾き落とすが、その一瞬の間にマクスウェルは眼前から消えていた。

 そして――

 

「はああああっ!」

 

 気配に気付いて後ろを振り向くと、頭上からマクスウェルが剣を振り下ろしてきた。こんな時にフライングムーヴとアクセラレイターの負荷が襲ってきて、俺は動けず目を見開くぐらいしかできなかった。

 だがその瞬間、真下からパンと軽い音が響き、マクスウェルが手にしていた武器が砕ける。

 驚きに目を見張りながら俺とマクスウェルはそちらを“見下ろす”。その先には銃型のザッパーを持ち上げるアミタさんの姿があった。

 

「マクスウェル、これ以上、あなたの好きにはさせません。ましてや健斗さんをあなたの野望に利用するなんて――絶対に許さない!!」

「アミティエ、貴様――」

 

 マクスウェルはそこで初めて忌々しそうに歪んだ顔を彼女に向ける。

 だが、そこへもう一人――

 

「ああ。私も同感だ!」

 

 アミタさんの真上から女の声が届いて、俺は思わずそちらに顔を向ける。その声はまさか――

 

「――リイン!」

 

 リインは黒い翼を羽ばたかせ、猛スピードでこちらに向かってきながら、ぎゅっと“黒い魔力光に覆われた”拳を握る。

 そして彼女は大きく拳を振りかぶって――

 

「はああああああっ!!」

「――ぐあああっ」

 

 腕力を強化した腕で思い切り顔を殴られ、マクスウェルは大きくよろめく。

 その隙にリインは俺に手を伸ばし、

 

「健斗――」

「――ああっ!」

 

 彼女の意図を察し、俺も武器を持っていない左手を彼女の手に重ねる。

 すると、彼女の体は黒い粒子となって、溶けるように俺の体の中に入り込んだ。

 

「「ユニゾン・イン!」」

 

 無意識にそう口にした途端背がぐっと伸び、前世と変わらないほどの身長になる。俺自身には見えないが、髪の色も白くなって、瞳の色も右眼だけ赤くなっているはずだ。

 これが夜天の書の最上位プログラム、ユーリにもない力――《融合(ユニゾン)》。

 

「これは――」

 

 初めて見る融合にマクスウェルも驚きを隠せず呆然とする。

 そんな彼を前に俺は再び剣を向け――

 

「アクセラレイター!」

《フェアーテ!》

 

 アクセラレイターとリインの加速魔法を重ね掛けたスピードに、マクスウェルも目で追うことすらできず、ただ棒立ちする。

 そんな彼に()()()は攻撃をふるった。

 

「はあああっ!」

《くらえ、クラウソラス!》

 

 俺がマクスウェルに斬りかかり、さらにリインが無数の魔力弾を撃ち込む。今のリインの魔法にもフォーミュラによる補正がかかっている。魔力攻撃とはいえ、無傷では済まないはずだ。

 

「くそっ、舐めるな――」

 

 マクスウェルはアクセラレイターを起動しながら剣を振りかぶってくる。しかし、そんなもの今の俺たちに通用するわけもなく、剣を振るおうと銃弾を放とうとそれらはむなしく空を切り、その間に俺とリインは何度も斬撃と魔力弾で奴に傷をつけていく。

 

「《はあああっ!!》」

「ぐはああっ!」

 

 リインの魔法で強化した剣を振り下ろし、奴の体を斜め下に斬りつける。

 その一撃をもろに喰らって、奴は大きな悲鳴を上げながら吹き飛んだ。

 そして……

 

「馬鹿な。生体デバイスとの融合、そして加速の重ね掛けだと――そんなもの、人間が耐えられるわけが……」

 

 自身をはるかに上回るスピードとそれを可能にした加速の重ね掛けに、マクスウェルは痛みにうめきながら狼狽する。それに思わずうなずきそうになる自分がいた。加速の連発と重ね掛けの反動で体はすっかりボロボロで、体中に激痛が走りここで倒れてしまいたいくらいだ。

 だがまだだ。この男をここで完膚なきまでに打ちのめしておかなければ――。

 

「アクシス・カノンソードモード」

 

 俺が唱えると、ティルフィングは大きく変形し、砲口が付いた大剣になる。それを見てマクスウェルは傷だらけの体に鞭打ちながらここから逃れようとするが。

 

《はあっ!》

 

 リインの声が響いた瞬間、奴の手足と体に黒い(バインド)が纏わりつき、彼を強く締め上げる。

 身動きが取れなくなったマクスウェルに、“俺たち”は砲剣型のティルフィングを向け、そして唱えた。

 

「シュバルツ――」

《ブレイカーー!!》

 

 その瞬間、ティルフィングの砲口から紺色の魔力砲が打ち出され、マクスウェルを包み込む。奴はうめき声を上げながら耐えていたが、次第に手足が耐えきれずボロボロ崩れ落ちていく。

 俺たちはさらに引き金に込めた指を振り絞りながら魔力を放出した。

 

「――schießen(シューート)!!」

「うぉおあああああああーーー!!!」

 

 紺色の光の中で、マクスウェルの四肢も躰もはじけるように吹き飛んでいく。

 その瞬間、魔力濃度の増大による爆発が起き、周囲を黒く染め上げた。

 

 

 

 

 

 

「――うっ!」

「イリス!」

 

 爆発を見た瞬間、突然頭を抱えたイリスにキリエは心配そうに寄る。

 しかし、イリスは首を横に振って「大丈夫」と返した。

 

 彼女の頭の中に残っていた“所長”の姿にノイズが走り、完全に消失するのが見えたのだ。

 今ならわかる。あれは“父親”の記憶などではなく、自身に寄生していた“支配者”が植え付けた枷だったのだと。

 それが今、自分の中から完全に消え去ったということは……

 

「ふふ……あいつがやってくれたみたいね……あとはこの本の持ち主たちだけど、あの子たちなら大丈夫でしょう……」

 

 そう言って、イリスは安堵と寂しさが混じった笑いを浮かべながら、懐から茶色い表紙の本を取り出す。

 それは彼女がはやてから奪った、夜天の書に他ならなかった。

 

 

 

 

 

 

「味方各員の離脱を確認。健斗君たちとキリエちゃんたちも無事よ」

 

 シャマルの報告にはやては「うん」とうなずく。その頭上には6つの巨大な魔力球が浮かんでいた。

 

(リインを行かせて正解やったみたいやな。今回ばかりはあの子に譲るしかないか……)

 

 悔しげに思いながらもはやては気を引き締め、残りの機動外殻に目をやる。

 そしてはやては杖を空高く掲げながら告げた。

 

「《ウロボロス》発動準備完了!」

 

 その言葉に、はやての中でリインフォース・ツヴァイはうなずいてからオペレートを始めた。

 

《除外範囲選択。弾道セット……発射カウント、6、5、4、3、2、1――ゼロ!!》

 

 相棒がゼロと告げた瞬間、はやては地上に向けて杖を振り下ろす。

 すると魔力球からおびただしい光が雨のように降りそそぎ、地上に残る機動外殻と量産型たちを呑み込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 その“光の雨”をディアーチェたちも眺めていた。

 

 戦闘の影響で街はすっかり見る影もなく、ボロボロに崩れた残骸の中心で、ディアーチェとユーリは倒れ伏し、アレルも瓦礫の一つに腰かけていた。しかし三人とも生きている。それも人間の姿のまま。

 

 ディアーチェが“すべて”を込めた一撃を放とうという時、アンディを打ち倒したばかりのアレルが現れて、彼女とともに攻撃を放ったのだ。

 二人の攻撃によってユーリを縛り付けていた《鎧装》は跡形もなく砕け、ウイルスコードも焼き切れた。

 

「まさか、貴様に助けられるとはな……」

「当然だ。主を護らずして、騎士など名乗れるわけがあるまい……ユーリこそ無事か? 加減などする余裕もなかったが」

「……いえ、あれくらいやらないと解けなかったでしょうから……あなたたちこそ無事でよかった……でもシュテルとレヴィは……」

 

 猫に戻った二人の事を思い、ユーリは地べたに倒れたまま顔を曇らせる。しかしディアーチェはふっと笑みを浮かべて言った。

 

「貴様が心配しなくてよい。あの二人を戻せるあてはある。あやつらに姿を貸した娘たちに頭を下げる必要はあるがな……」

 

 気恥ずかしそうに付け足すディアーチェに、ユーリは彼女の意図を察し笑みとうなずきを返す。一方アレルは主の意図がわからず、“光の雨”を降らせた者たちがいる方に目を向けた。

 

 

 これで40年前からの因縁に決着がついた。

 ……()()()()三人ともそう思っていた。



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第26話 衛星砲

 はやてが各地に撃ち放った《ウロボロス》が機動外殻や量産型イリスを一掃したことが伝わって、本局の対策本部や現場の局員たちに弛緩した空気が流れ始める。

 

 俺は“リインと融合した状態のまま”アミタさんに肩を借りながら地面に下り、そこへちょうどフェイトとなのはがやってきて、周囲の状況と首謀者の状態を確認する。

 彼女らの視線の先で、マクスウェルは上半身のみの状態で地面に倒れていた。

 四肢と下半身が千切れ飛び、目元の皮もはがれて機械部分が露出し、断面からは人体を正確に模したグロテスクな中身が飛び出ている。

 

 大人でも顔をしかめる凄惨な姿にフェイトも目をそむけたくなるが、ぐっとそれを飲み込み。彼の元へ足を進める。

 なりたてとはいえ、自分はもうれっきとした執務官だ。これしきのことで腰が引けるようでは執務官など務まらない。

 

「……フィル・マクスウェル所長。あなたを逮捕します」

 

 自身を見下ろしながら告げる少女にマクスウェルは笑みを浮かべた。

 

「逮捕、ねぇ……」

 

 そうつぶやく彼の声には悔いも憎悪もない。むしろ何も知らない彼女を憐れむような響きさえ感じられた。フェイトがそれに疑問を覚えたところで――

 

「バックアップはどこだ?」

「……?」

 

 突然口を挟んできた俺にフェイトは怪訝な顔をしながら振り向く。その一方で……。

 

「ほう、気付いたか」

 

 マクスウェルは剝き出しのカメラアイを俺の方に向けながら言った。気味が悪いと思いながらも俺は話を続ける。

 

「一応プログラム作業の経験があるんでな。プログラム設計やデータ編集に携わる者なら、ある程度仕上がった作品や出来上がった作品は必ず複製(バックアップ)を取って保存しておく。多分プレシアさんやマリエルさんがこの場にいたら同じ考えに至るはずだ。あんたもこんな状態になった時に備えて、自分の記憶や《イリス》のデータをどこか別の場所に保管しているんじゃないのか」

 

 それを聞いて、一同はハッとしながらマクスウェルに視線を浴びせる。

 マクスウェルはクククと笑い……。

 

「ご名答。私たちの記憶データや《イリス》の根幹システムを記録したバックアップはある場所に保管している――君たちが昼間遊んでいた遊園地の中にね」

 

 ――オールストン・シーだと!? まさか、機動外殻や《イリス》たちが度々あそこを襲っていた本当の目的は――。

 

 ある考えに至ったところで、脳裏に局員の声が届いた。

 

『こちら、オールストン・シーの捜索班。施設内に手が加えられた形跡のあるレールを発見しました。奥にバリケードが張られた箇所があって、今処理班が調べている最中ですが――えっ?』

 

 局員が間の抜けた声を漏らした直後、滑車音とつんざくような破砕音が聞こえてきた。

 

「マクスウェル――お前まさか!」

 

 声を荒げる俺に、マクスウェルは不敵な笑みを浮かべた。

 

「一歩遅かったようだね――それと、君たちが見落としているものがもう一つある。空をごらん」

 

 その言葉に俺たちは空を見上げる。そこには夜明け前にもかかわらず、燦然と輝く大きな星が浮かんでいる。

 それを見て、ホテルで見たニュースが頭の中に浮かびあがった。

 

『昨夜から気象衛星『久遠』と通信が繋がらなくなっており、同衛星との通信を復旧させるべく、気象庁の職員は現在も作業を――』

 

 それを裏付けるようにマクスウェルは続ける。

 

「この星にも衛星技術があってよかった。イリスとキリエ君がここ(地球)に着いた時、彼女たちにも気付かれないようこっそり《種》を仕込んでおいた――《イリス》と“切り札”を生み(造り)出すための素材をね!」

 

 切り札……しかも衛星を利用したってことは――。

 

「“衛星砲”だよ。あの通り、今はちょうどここを狙える位置に来ている。小型だが関東という地区を吹き飛ばすくらいは容易い」

 

 マクスウェルがそこまで言ったところで、オールストン・シーからロケットのようなものが飛ぶのが見えた。コースターとレールを改造してあんなものを。

 ……いや、もしかしたら他にも――。

 

 

 

 

 

「あれは気にしないでくれ。空で待っている娘へのちょっとした差し入れだよ」

「あなたは――」

 

 まさかの隠し玉にフェイトは思わず彼に詰め寄る。それに臆することなくマクスウェルは言った。

 

「取引といこう。私とジェシカとアンディ、そしてイリスとユーリをここから離脱させてもらいたい。そうすれば君たちとこの街のことは見逃そう。それを許さないのなら、この一帯に向けて衛星砲を撃つ! 君自身の命が失われるのはもちろん、友達や家族もいるんだろう」

 

 それを聞いてフェイトの脳裏にプレシアとアリシア、友達やその家族たちの顔が浮かぶ。

 やめてと言いそうになるのをこらえ、代わりに――

 

「――あなたも死にますよ!」

 

 フェイトはそう言って翻意を促すものの、マクスウェルは動じず嘲るような笑みを浮かべた。

 

「死なないのさ、少なくとも私の記憶と意思はね。……五分あげよう。選択の余地はないはずだよ」

「――くっ!」

 

 すでに勝利を確信している口調にフェイトは歯噛みする。だがそこで彼女は、隣にいたはずの健斗()()の姿がないことに気付いた。

 

 

 

 

 

 

「――健斗君!? リイン!」

《二人とも何をやっているんだ!? 今すぐ降りてこい!!》

 

 上空を飛ぶ俺たちに気付いてはやてが叫び、クロノが念話で命令してくる。だが――。

 

《悪いがそれは聞けない。その五分はあの男にとってただの時間稼ぎだ。そこで待ってたりしたら、本当に選択の余地がなくなっちまう!》

《なに? どういうことだ?》

 

 上空を飛ぶロケットを追いながら俺は問いに答える。

 

《クロノ、よく思い出せ。この街はまだ捕縛結界に包まれている状態だ。そこから(結界)の外へ念話の類を飛ばすことはできないはずなんだ。それができればバックアップ入りのロケットが打ち出された瞬間に衛星砲を撃ってる!》

《――!》

 

 そこまで言ってクロノも気付いた。マクスウェルがまだ取引を持ち掛けられる状態ではないことを。

 

《俺の予想が正しければ、あの小型ロケットにはマクスウェルの記憶のバックアップと一緒に、通信を中継する装置が積まれているはずだ。あれが衛星に着いたが最後――イリスとユーリともども奴らを見逃すか、この街を見捨てるかのどちらかを迫られることになる!》

《それは――》

 

 その二択を迫られた先を想像して、クロノはぎゅっと唇を噛む。

 

 マクスウェルは様々な次元世界に《イリス》という兵器を売り捌こうとしている“死の商人”だ。彼やイリス、そして夜天の書の管理ユニットであるユーリの逃亡など、管理局が認めるわけがない。

 管理外世界の一地区を見捨ててでも、管理局は彼らの始末を優先する可能性が高い。それを読んだからこそ、健斗()()は奴の狙いを挫こうとしているのだ。

 

《いいかフェイト、何も気付いてないふりをしてマクスウェルと会話を続けてくれ。万が一俺の推測が外れてて奴がいつでも衛星砲を撃てるとしたら、最後まで気付かれるわけにはいかない》

《う――うん!》

 

 そう言い残してフェイトは会話から外れる。入れ替わるようにクロノの声が響いた。

 

《僕が代わる! デュランダルなら高高度戦闘も――》

《いや、クロノは地上を見張っててくれ。多分他にも――》

《――健斗、ロケットが見えてきた!》

 

 リインの声につられ、俺は眼前に意識を向ける。

 

「……」

 

 あのロケットの中にはマクスウェルと手下二人だけじゃなく、他の研究員たちの記憶も入っている。それを破壊するということは、不慮の死を遂げた彼らを蘇らせる機会を永遠に奪うということだ。

 二年前、俺は夜天の書を使って、本来死んだままのはずだったアリシアを蘇らせた。それに対して、今回俺は研究員たちを死なせたままにしようとしている……そんな命の選択をする権利が俺にあるのか?

 そう思うと迷う気持ちが生まれてくる。だが――

 

《健斗! そろそろ撃たないと! もしあれが衛星に届いてしまったら――》

 

 迷いが生じ始めたところで、リインの声が響き俺は我に返る。

 迷うな。あれが衛星に到達したら、マクスウェルに逃げられ、東京も海鳴も消滅することになるかもしれないんだぞ。

 

 俺は自分に言い聞かせながら、砲剣型(カノンソード)のティルフィングを構える。

 そして――

 

「――はあっ!」

 

 引き金を引いた瞬間、魔力砲が打ち出され、それとともにずしりとした反動が体にのしかかる。その反対に砲弾はまっすぐ飛び、切り札入りのロケットを貫き爆散させた。

 

 

 

 

 

 

 

「やった!」

 

 上空でロケットが霧散するのを見て、フェイトは思わず声を上げる。そこでマクスウェルが「ククク」と笑い声を漏らした。フェイトはしまったと思いながら彼の方を振り向く。

 マクスウェルはなおも不気味な笑みを浮かべたまま……。

 

「やはり気付かれていたか。確かに今の私には衛星砲の発射を命じる術はない。さっき言った“五分”は記憶データと通信機が届くまでの時間にすぎない……一番早くてだがね」

「一番早く……?」

 

 フェイトは復唱しながらまさかと思う。その瞬間、彼女や他の局員たちの脳裏にさらなる報告が届いた。

 

《支局長。街の各所から新たにロケットが何本も打ち上げられています。いずれも衛星に向かって飛んでいる模様です!》

《なに――!?》

 

 驚くクロノに、フェイトも内心でまったく同じ反応を返しながらマクスウェルを見る。そんな彼女にマクスウェルは口を開いた。

 

「何を驚いている。バックアップが一つだけなんて言ってないだろう。せっかく蘇らせたからね、ジェシカとアンディに予備を用意してもらっていたんだ。あのロケットが一つでも軌道上に到達した時点で、私は空にいる娘と連絡が取れるようになる。君たちに交渉の意思はないみたいだし、到達次第すぐに衛星砲を撃たせてもらおうかな」

「くっ……」

 

 フェイトは唇を噛む。どおりでバックアップの存在と在り処をあっさり明かすわけだ。もしかしたら、健斗が我先に飛び出す事すら計算のうちだったのかもしれない。

 

「さあ、どうするね? 今すぐ諦めて私たちを逃がしてくれるなら、助けてあげてもいいが……」

 

 マクスウェルは最後の一押しをしてくる。フェイトはすがりたくなる衝動にかられながらも――

 

「あなたたちが逃げた後、衛星砲が発射されない保証はありますか?」

 

 そう問われて、マクスウェルは苦笑を返しながら答えた。

 

「ないね。ユーリとイリスを退け、私たちを倒した君たちの力は脅威でしかない。正直、今のうちに片づけておきたいのが本音さ……“この体”とユーリを犠牲にしてでもね」

「そうですか……なら、あなたの要求に応じることはできません。事が片付くまで少しだけ待っていてください」

 

 その返事に、マクスウェルはアイカメラをフェイトに向けながら尋ねてくる。

 

「片付くと思っているのかい。いくら彼でも、消耗しきった今の状態でロケットをすべて破壊するなんて難しいと思うが」

 

 それに対し、フェイトは硬い表情で空中を見ながら言った。

 

「大丈夫です。健斗にはリインフォースがついているし――なのはたちもいるから!」

 

 

 

 

 

 

「リイン、ロケットを破壊するぞ」

《ああ。――いや待て! 上からエネルギー反応が――》

 

 眼下のロケットに標準を合わせたところで、空中から碧色の光弾が降ってくる。俺は慌てて盾を展開して身を守るが、上からの攻撃は止むことなく俺たちを襲う。ロケットを破壊したら、あるいはある程度近づいたら攻撃してくるように命令(インプット)されているのか。

 

 そんなことを考えている間に二発目のロケットは距離を縮めてくる。

 

「俺はロケットを破壊する。リインは盾の制御をしててくれ!」

《わかった!》

 

 リインに盾に制御を任せながら、俺は二発目のロケットに狙いを定め撃ち落とす。その間にも三発目と四発目のロケットが見えてきた。

 リインに盾を張らせたまま三発目も破壊する。だが――

 

「――ぐっ!」

《うっ……》

 

 さっきより強い攻撃を受け、俺とリインはひるんでしまう。その間を突いて、四発目のロケットが俺たちの横をすり抜けた。

――あれを通すわけには。こうなったらダメージ覚悟で追うしか――。

 

「――バスター!!」

 

 そこへ桃色の光線が奔ってロケットを撃墜する。この魔力光は――。

 

「大丈夫健斗君?」

「私たちも対処します――はあっ!」

 

 なのはに続いて、アミタさんもライフル型のヴァリアントでロケットを打ち落とす。それを狙ったように彼女の真上から攻撃が降ってきた。それを見て――

 

「アミタさん、上!!」

 

 なのはの声にアミタさんは上を見上げながら回避しようとする。しかし、そこで青色のエネルギー弾が飛んできて、上からの光線とぶつかり爆発した。

 さらに続けて放たれた赤い光弾が、ロケットを撃ち壊した。

 この攻撃は……

 

「お姉ちゃん油断しすぎよ! 前ばかりじゃなく上と下にも気を付けて!」

「キリエもよ。空に注意するのはいいけど、ロケットの破壊も忘れないで」

「キリエさん、イリスまで――」

 

 まさかの援軍に俺は思わず彼女たちの名を呼ぶ。イリスは顔を赤くしながら俺に目を向けた。

 

「あんたたちと()()()()()()には借りを返さないと気が済まないから。……これも返さなくちゃいけないし」

 

 そう言って、イリスは手に持っていた夜天の書を差し出してくる。あれからずっとイリスが持っていたのか。暴走のことを知っていたからか、マクスウェルは魔導書本体には興味がなかったようだな。

 そんなことを思いながら魔導書を受け取り、俺の中である考えが芽生える。

 そこで再び地上からロケットが上がってくるのが見えた。クロノたちやアレル、固有型たちも迎撃にあたってくれているようだが、やはり手が足りない。

 

「群体たちを暴れさせてる間に、ジェシカとアンディがあちこちに仕掛け回っていたみたいね。あれを一つでも撃ち漏らせばすべてが台無しよ。ロケットを全部破壊するより、向こうにある衛星を破壊した方がいいかもしれないわ」

 

 空を見上げながら告げるイリスにつられて、何人かが顔を上にあげる。その中には意を決したように顔を引き締めるなのはもいた。……その顔を見て嫌な予感とともに、俺の中である決意が固まるのを感じた。

 

……“あの時”はできなかった――一時的にでもリインを手元から離すということを。

 

融合(ユニゾン)解除!」

 

 そう言った瞬間俺の体から黒い光があふれ出し、夜天の書に吸収される。それとともに融合が解除され、視線がわずかに下がった。

 

《健斗? いったい何を――》

 

 魔導書の中からリインが声を上げ、みんなも目を見張る中、俺は彼女に言う。

 

「なのは、頼みがある」

「えっ――私?」

 

 突然名前を呼ばれ、なのはは思わず視線を下げて俺を見る。そんな彼女に俺は夜天の書を差し出した。

 

「ロケットをすべて破壊したら、これをはやてのもとに届けてくれ。リインも今はこの中にいる」

「で、でも私は衛星の方を――きゃっ!」

 

 視線を彷徨わせながらなのはは言葉を探す。そこでまた空から攻撃が届き、会話を打ち切らざるをえなくなる。しかも街からは五本ものロケットが飛んできていた。ここで言い争ってる間に撃ち漏らすなんてことになったら後悔してもしきれないだろう。

 内心都合がいいとも思いながら、俺は皆に向かって――

 

「衛星は俺が落としてくる。お前たちはここでロケットを破壊しててくれ。一本も見逃さないでくれよ!」

 

 そう言って飛ぼうとする俺に――

 

「待ちなさい!」

 

 キリエさんは俺のもとまで寄ってきて、赤い銃型のヴァリアントザッパーを押し付けてきた。

 

「せめてこれを持っていきなさい。パパが丹精込めて造った武器だから、役に立たないなんてことはないはずよ」

 

 その言葉に俺はヴァリアントを握りながら。

 

「ありがとう。少しだけ借りていきます」

 

 そう返事を返してから俺は上を見上げる。その瞬間――。

 

《待て……せめて私も一緒に……》

 

 夜天の魔導書から“彼女”の声が響く。それを無視して――。

 

「じゃあ――行ってくる!」

《けんとーーーー!!!》

 

 

 

 リインの絶叫を聞きながら、俺はアクセラレイターを起動させて宇宙(そら)に上がった。



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第27話 まさかの再会

 ずっと前に、俺となのはは似ているところがあると思ったことがある。

 すでにある程度将来を決めている友達の中で自分が進む道を決められていなかったり、理数系が得意だったり、気晴らしの趣味としてゲームをしたりなどいくつかあるが――そんなことじゃなかったらしい。

 

 なのはは誰かを守ることや救うということに関して、異常なほどの信念……いや、執着がある。

 

 二年前の『J・D事件』では、自らの身を挺してジュエルシードの暴走を止め、荒れ狂う竜巻からフェイトを救い、彼女ともぶつかり合った。今回も、本当に味方かわからないアミタさんからもらったナノマシンを躊躇なく体に入れ、強い負荷がかかるフォーミュラを使ってキリエさんとイリスを救い出そうとした。

 いずれもたいていの人間、まして子供なら躊躇ったり逃げ出すのが当たり前だ。

 

 そんな年齢に合わない使命感や守ることへの執着を、なのはが持つようになったきっかけは何なのか?

 

 それはおそらく小学校に上がる前、士郎さんが入院して、桃子さんをはじめ多くの家族が家や店の切り盛りに追われる中、一人だけ何もできずにいたのがきっかけかもしれない。

 その無力感が、魔法という力を使っての人助けや誰かを守る意志の原動力になったんだろうと思う。

 

 そういう点では、なのはは俺とよく似ている。

 

 俺が健斗として生まれ変わったのも、守護騎士やリヒト、クラウスとオリヴィエを守れなかった無力感から、『誰かを救える存在になりたい』と願ったからだ。

 俺となのはは、“誰かを救う”という点に関してよく似た考えを持っている。

 

 

 だからか、決意を固めた顔で衛星を見上げるなのはの顔を見た途端、あいつを押しのけてでも俺が行かなければならないと思った。

 

 

 

 

 

『Es wird bald außerhalb der Atmosphäre sein. Sind Sie bereit?(間もなく大気圏外に出ます。準備はよろしいですか?)』

 

 (そら)からの攻撃を避けながら飛んでいると、ティルフィングが声をかけてくる。

 

「ああ。お前こそ大丈夫か? 宇宙空間なんて初めてだろう」

 

 古代ベルカで造られた年代物の魔具(デバイス)にそう尋ねるものの……。

 

『Kein Problem. Weil ich ein magisches Werkzeug bin, das in „prähistorischen Zeiten“ geschaffen wurde, damit ich sogar im Weltraum arbeiten kann(問題ありません。当剣は宇宙空間の中でも活動できるように、“先史時代”で造られた魔具ですから)』

「――えっ!? そうだったのか?」

 

 “先史時代”という一言に思わずティルフィングを見て聞き返す。確かにこいつは(ケント)が生まれるより前からずっと城に保管されていた剣だったが、まさか先史時代の一品だったとは……。もしかして、初代聖王と関係があったりするのだろうか。

 

『Der Feind wird bald erscheinen. bereit machen(そろそろ敵が見えてきます。準備を)』

 

 その一言に俺は頭上に意識を向ける。もう夜明け前独特の青みと陽光の赤みはなくなり、星空がちりばめられた真っ暗な空間に出た。

 

……これが宇宙。

 

『Meister!』

 

 場違いにも妙な感動を覚えているところで、碧色の光線が放たれて、俺は避けながら光が放たれてきた先を見る。

 そこにはテレビで見た気象衛星とはかけ離れた、いかつい姿(かたち)に変形した“衛星砲”があった。下部の発射口は、遠く離れた東京に向けられている。

 その衛星砲の前に、長い水色髪をたなびかせた《固有型イリス・ナンバー01》がいた。

 

「時空管理局捜査官、御神健斗だ。お前たちを操っていたマクスウェルは拘束し、イリス本体もすでに投降している。あんたも武器を捨てて投降してくれないか」

 

 青い瞳と重々しいエネルギー砲を向けてくる固有型に向けて言葉をかける。真空だがティルフィングが張ったフィールドで音は伝わっているはずだし、奴なら口の動きを読むことぐらいできるはず。だが相手は答えず、砲を下ろす様子もなかった。

 今までの固有型と違い、彼女はマクスウェルが管理局の人間を抹殺するためだけに造った個体だ。答える機能も判断能力もないのかもしれない。

 

 俺は剣を構え、じっと彼女を見据える。

 その直後、砲口から碧色の光が漏れた。それを見た瞬間――

 

「――フライングムーヴ!」

 

 そう唱えると同時に時間が制止し、彼女が撃ち出した光は中途半端に伸びたままそこに留まる。

 すべてが制止している中、俺はエネルギー弾を避けまっすぐ固有型に向かって飛ぶ。

 だがあと少しというところで……

 

「ぐっ……」

 

 体に激痛が走り、うめき声を漏らしながら思わず体を止める。それと同時に固有型も自由を取り戻し、俺に向かってエネルギー弾を撃つ。

 俺はティルフィングでそれを弾き、軋む体に鞭打ちながら彼女に迫る。

 

 そしてとうとう、固有型を間近に捉え、彼女に向かって剣を振り上げる。それに対して、相手も無言のまま巨砲を振り上げてきた。

 

「であああああああっ!!!」

「――――」

 

 ティルフィングと巨砲がぶつかる。武器の重みと腕力の差で押し負けそうになるが――

 

「負けない……」

 

 無理やり置いてきたなのはの代わりを果たすために。

 地上で待っている仲間たちと恋人を守るために。

 新しい人生を過ごした“第二の故郷”を護るために――。

 

「――(御神健斗)はそのために生まれてきたんだ!!」

 

 吼えながら技能を発動させ、再び時を制止させる。それとともに俺は剣を振るいあげ、固有型が持っている砲を弾き上げる。

 そしてさらに――

 

「――ティルフィング――」

 

 得物を手放した固有型に向けて俺は愛剣を構える。すると技能が解け――

 

Canon Sword-Modus(カノンソードモード)

 

 ティルフィングは瞬時に剣型から重々しい銃砲型になる。技能が解けたことで固有型も動けるようになるものの、武器を失った彼女はただ呆然と銃砲を構える俺を眺めるのみだった。

 

「……シュバルツ・ブレイカー!!」

 

 その瞬間、ティルフィングから紺色の砲撃が放たれ、固有型と彼女が守っていた衛星砲を撃ち砕いた。

 

 

 

 

 

「はあ…はあ……」

 

 ……終わったか。

 

 荒い息の後にそう続けようとしたものの、口から出てくるのは乾いた息と乱れた呼吸音ばかりで言葉など一つも出てこない。

 だが……。

 

「あい……つ、は……」

 

 衛星だったものの残骸を見渡しながら、その一言を絞り出す。すると――

 

『Es ist unwahrscheinlich, dass es funktioniert. Aber--(機能している可能性は低いです。ですが――)』

「――」

 

 ティルフィングが告げようとした瞬間、後ろから何者かが覆いかぶさってくる。

 それは下半身が消し飛び、上半身だけとなった固有型だった。

 固有型の左眼は赤く点滅し、そこからピピピという音が聞こえる。

 

「お前――」

 

 今さっきまで出なかった声が喉から漏れる。俺はすかさず懐にしまっていたキリエさんのヴァリアントを取り出し、彼女の体に向けた。そして――

 

「――このっ!」

 

 引き金を引くと青色の光弾が胸を貫き、彼女は俺から手を離し、ゆっくり宇宙へ投げ出される。左眼からすさまじい速度の警告音を鳴らしながら。

 それを見て、俺はとっさに固有型の左眼を掴み――

 

「おおおおおおーー!!」

 

 声を張り上げながら、あらん限りの力で彼女から左眼を引き千切る。そして固有型を突き飛ばしながら、点滅音を発し続ける左眼を投げ捨てようとしたが――

 

「――っ!」

 

 そこに広がっていた青く輝く地球を見た瞬間、思わず腕を止めてしまう。ちょうどそこで――

 

――MEISTER!!

 

 ティルフィングの絶叫とともに、固有型の眼を握りこんだ右手の中からピーーという音が響いた。

 

 

 

 その瞬間、視界が真っ白に塗りつぶされた。

 

 

 

 

 

 

「――! あれは……」

 

 はるか頭上から何かが爆発したような音が響き、フェイトは上を見上げる。

 空には黄と赤が混じった爆風が見え、彼女の足元から諦観の色を含んだ声が響いた。

 

「どうやら、すべての交渉カードを失ってしまったようだね……だが、あの爆発からすると、衛星が破壊されただけではなさそうだな。もしものあがきのつもりで仕込んだ玩具が起動してしまったか」

「――マクスウェル!」

 

 怒りのあまり、フェイトは思わずマクスウェルに歩を詰める。しかし、後ろからクロノに肩を掴まれ彼女は動きを止める。そしてフェイトはしばらくの間唇を噛んでから再び空を見上げた。

 空に映る爆風はもううっすらと消え始めていた。

 

 

 

 

 

 爆発に気付き、リインフォースも上を見上げていた。彼女の傍にはなのはとフローリアン姉妹とイリス、合流したばかりのはやてとツヴァイもいる。主と合流したことでリインはようやく魔導書の外に出ることを許されたのだ。

 その主の事も忘れ、リインは食い入るように上を見続け、

 

「ケント……」

 

 と口にした。

 

 彼が飛び去る時に抱いた予感、そして今の光景は、300年前ケントが《ゆりかご》の主砲によって最期を遂げた時とよく似ていた。

 

 

 

 

 

 

「……ぐっ…………」

 

 うめき声を漏らしながら、俺は目を開く。

 痛みは感じない。だがあの爆発の中で無傷で済むわけはなく、俺の体は血と焼け跡だらけで、右腕は肘から先がなくなっていた。

 だが、まだ生きているだけでも奇跡なのだ。あの爆発の中にいた時点で普通だったら即死していた。

 俺がまだ生きていられるのは……。

 

「おまえが……まもってくれた……のか?」

 

 目の前でバラバラに砕けた愛剣(ティルフィング)に声をかける。ティルフィングは黒い核を点滅させながら……。

 

『Entschuldige vielmals. konnte nicht vollständig verhindert werden(申し訳ありません。完全に防ぎきれませんでした)』

 

 謝るティルフィングに俺は首を左右に揺らす。

 

「いや、俺の方こそすまない……余計なことをしなければ、こんな傷を負わずに済んだのに……」

 

 俺の言葉にティルフィングは……

 

『Nein, ich denke, es ist wie bei einem Meister, der bis zum Schluss versucht hat, seine Pflicht zu erfüllen(いえ、最後まで本分を果たそうとした、マイスターらしいと存じます)』

「本分…………か……」

 

 その返事に俺は苦笑を浮かべながら、彼女の方を見る。

 首から下と左眼を失った状態で、固有型は今度こそ機能を停止していた……だが、生きてはいるはずだ。

 

「よかった……俺は()()()()、リインも、守護騎士も、ユーリも……あの子も救えたんだな」

『……Ja』

 

 ティルフィングは悲しげに返事を返す。俺は「そうか」とだけ言った。

 ティルフィングもあの固有型も、仲間たちに回収されて元に戻るだろう。

 

 それで十分だ……ケントだった時には救えなかった者たちを救うことができた。そう噛みしめながらゆっくりと目を閉じる。

 

 もう、思い残すことはない…………。

 

 

 

『本当にそれでいいんですか?』

 

 

 

「えっ……」

 

 ふいに響いた少女の声に俺は思わず目を開く。

 

 見るとそこは真っ白な空間で、俺の前には長い金髪を白いキャップと青いリボンでまとめ、青いドレス状の鎧を着た少女が立っていた。彼女の整った容姿には、緑色の右眼と赤い左眼が収まっている。それに加えて、彼女の肩から先には機械でできた腕と親指しか付いてない義手がついていた。

 彼女を見て、俺は思わず苦笑を浮かべる。

 

「久しぶりだな、オリヴィエ。まさか聖王様が自ら迎えに来てくれるとは思わなかった……」

 

 再会の挨拶のついでに、冗談めかしてそんなことを口にするものの彼女は笑いもせず……

 

「本当にこれで満足なんですか?」

 

 オリヴィエは再びそう尋ねてくる。彼女は続けて言った。

 

「前の世では果たせなかった、守護騎士様たちとリヒト様を“闇の書の呪い”から助け出す事に成功して、本当なら次元の狭間に堕ちて命を落としていたはずのプレシアや死んだままのはずだったアリシア、先ほどまで戦っていた固有型イリスを救い出し、そしてなのはという子の身代わりまで果たして、その末にあなたは二度目の生を終えようとしている。

 ……()()()本当に満足なんですか?」

「……そうだな」

 

 三度も同じ問いをぶつけてくるオリヴィエに、俺は少し視線を落としながら話す。

 

「ケントだった頃はほとんど知らなかった母親に育ててもらって、はやてやなのはと知り合ったのをきっかけに気のいい友達とも巡り合えて、思わぬ偶然から再び魔法の世界に足を踏み入れて。そしてリヒトや闇の書に誓ったとおり、大切なものを救うことができた……だからもう心残りはない

 ――わけないだろう!!

「…………」

 

 突然声を荒げる俺を、オリヴィエはたじろぎもせず黙って見ている。そんな彼女に続けて言った。

 

「ようやく……ようやくリヒトと再会できたんだぞ! にもかかわらず年齢の問題でキスだってまだ一度もしていないんだぞ。それ以上のことなんてあと7年経たないとできない! それなのに、あんなところで人生終了なんてバカな話があるか!!」

 

 “覚悟したフリ”なんてやめ、涙まで浮かべながら目の前の神様もどきにあさましい未練をぶつける。これでもまだオブラートに包んでるつもりだ。

 そんな俺を見て、オリヴィエは仕方なさそうな笑みを浮かべた。

 

「……やっぱり満足してないんじゃないんですか」

「当たり前だろう! リヒトに会うために俺がどれだけの苦労を重ねてきたと思ってるんだ」

 

 そう言って俺は鼻をすする。300年ぶりに会うからってかっこつけるのも、女の子だからって遠慮するのもやめだ。リインとキスもアレもしないで死ぬなんて冗談じゃない!

 そんな俺を軽蔑することもなく、オリヴィエは首を縦に揺らした。

 

「それが当たり前だと思います。せっかく会えた恋人と離れたくない気持ちは誰にだってあります。あの人だってきっとそう……だから、やっぱり来ちゃいけません」

「えっ……?」

 

 思わぬ一言に俺の口から怪訝な声が漏れる。そんな俺に向かってオリヴィエは両手を広げた。

 

「――あなたはまだこっちに来るべきじゃありません! あなたには今度こそ幸せになってほしいから。リヒト様や、あなたを大切に思ってる人たちを泣かせてほしくないから! だから、ケント様をこっちに行かせるわけにはいきません!!」

「オリヴィエ……」

 

 そう言って彼女は手を広げたまま道を塞ぎ続ける。 

 俺はしばらく彼女を見続けるものの、オリヴィエは手を広げたまま微動だにしなかった。

 俺はついに……

 

「……ふぅ、わかった。俺はこのまま帰らせてもらうよ。帰らせてくれると言われて、断る理由もないしな」

「それならよかったです」

 

 ため息をつきながらそう言う俺に、オリヴィエも姿勢を戻しながら安堵の笑みを浮かべる。

 

 しかし、もし仮にここから出られて命が助かったとしても、その後が大変だろうな。利き()腕が根元から吹き飛んでしまったんじゃあ……。管理局やミッドチルダなら、錬金術漫画に出てきたような自由に動かせる義手もあるだろうか?

 ――そういえば。

 

 俺はオリヴィエの方を振り返り、彼女がつけている義手を見ながら言った。

 

「ただ、そのかわりと言っちゃなんだが、その義手くれないか。右腕だけでいいから」

 

 それに対してオリヴィエはわざとらしい仕草で右腕をかばい――

 

「駄目です! これはエレミアが私に合わせて作ってくれたものですから、ケント様にはあげられません。心配しなくても、ケント様の右腕も管理局とエルトリアの人たちが何とかしてくれるはずです」

 

 その返事に俺は「そっか」と言いながら苦笑を返す。元々オリヴィエの義手が俺の腕に合うわけないし、ここでもらった物が現世で使えるのかは疑問だ。

 

「……そろそろ帰るよ。ぐずぐずしてたら帰りたくても帰れなくなりそうだ」

「ええ。急いだほうがいいと思います。ここは生きている人が長居するような場所じゃありませんから」

 

 別れを告げる俺に、オリヴィエはうなずいて立ち去るように促す。そんな彼女に最後の言葉をかける。

 

「久しぶりに会えてよかった。最後はあんな別れ方で結構ひどいことも言ってしまったからな。すまなかった。でも、オリヴィエのおかげで“今”に繫げることができた――ありがとう」

 

 改まって昔の謝罪と礼を言いながら右手を差し出すと、オリヴィエも顔をほころばせて右の義手で握り返してきた。

 

「それはこちらもです。あの時ケント様が身を挺してくれたから、私もベルカを守ることができました。ありがとう。私もクラウスもあなたの幸せを心から願ってます」

 

 そう言ってオリヴィエは俺の手を離し、代わりに肩に手をかけて俺の体を真後ろに向ける。そこには、ここに場違いなほど真っ黒な穴が渦を巻きながら開いていた。

 それを眺めているとオリヴィエは俺の後ろから……

 

「さようならケント様、本当に会えてうれしかった。……守護騎士さんたちやリインフォースさんもですが、なのはさんという人の事もよろしくお願いします。あの人は遠くない将来、()()()()()()()()がお世話になるかもしれない人ですから」

「――えっ? それは――」

 

 どういうことだと言おうとした途端、オリヴィエは俺の背中をどんと強く押す。その衝撃で俺の体は前へ押し出され、目の前の黒い渦の中に吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 

「健斗! 健斗!!」

 

 間近から声を浴びせられ、俺はゆっくり目を開く。

 

「リヒト……」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 俺の目に映ったのはリインの顔だった。涙をボロボロこぼしながら、ボロボロになった俺の体を抱き留めている。名前を間違えられた事にも気付いていない様子だ。

 

「――健斗! 健斗、大丈夫か!?」

「リイン……なんでお前がここに? なのはやはやてと一緒にいるんじゃあ……」

 

 その問いにリインはしゃくりあげながら後ろを見る。そこには背中に(フィン)を生やしながら浮かんでいるなのはとはやて、フェイトまでもがいた。

 彼女らを見て俺はつぶやく。

 

「三人とも無茶を……フェイトとはやてなんてフォーミュラを使う準備もしてなかっただろうに」

「それはこちらの台詞だ! なんて馬鹿な真似を! もう二度と自分を犠牲にするようなことはしないって約束したじゃないか!」

 

 ……ああ、二年前のアースラ最終日に確かにそんな約束したっけ。

 

「悪い……完全に忘れてた」

「バカ……本当にバカな奴だ…………」

 

 泣きながら悪態をつき、リインはまた俺を抱き寄せる。

 その様子を見てなのはとフェイトはもらい泣きを漏らし、はやても複雑そうな顔をしながら、

 

(悔しいけど、やっぱかなわへんかな)

 

 と思いながら笑みを浮かべていた。




健斗の能力ならほぼ無傷で勝たせるのも可能だったんですが、一度“健斗”としての締めくくりをしたいのと、先のシリーズの展開につなげるため、彼には腕を失うくらいの大怪我を負ってもらいました。劇場版とほぼ同じ流れですが、私の中ではこれがベストです。


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Ref/Det編最終話 帰還~さらにその後

 かくして7月22日夜の初め頃から23日夜明けまで及んだ、『エグザミア事件』は幕を閉じた。

 

 首謀者フィル・マクスウェルと彼の手下二人組は逮捕され、アミタさんとキリエさん、そしてイリスは今もなお本局で事情聴取を受けている。

 

 そして事件からおよそ一週間後、時空管理局とエルトリア政府の間で交渉の場が設けられ、マクスウェルらとイリスの処遇を管理局に一任することと、今回のような事件を防ぐためエルトリア政府内に異世界渡航を監督する部署が設置されることが決まった。

 ウイルスコードによってマクスウェルに洗脳されていたとはいえ、直接事件を引き起こしたイリスの行いを不問にするわけにはいかず、彼女にも何らかの処分が下る可能性があるらしい。もちろんイリスが管理外世界出身であることと黒幕に操られていた事情を考慮して、通常より軽い刑になるだろうとのことだが。

 

 一方、そのイリスに騙されていたキリエさんと、彼女たちを連れ戻すためとはいえ無断で地球にやってきたアミタさんも本局に送られそこで厳重注意を受けているものの、すぐに解放される段取りになっているらしい。

 元々彼女らは管理外世界の人間で、地球や他の次元世界に害を及ぼす気も力もないので当然ではあるのだが。

 

 同じくイリスに騙されていたディアーチェたちや、ウイルスコードで操られていたユーリも、罪に問われるようなことはないそうだ。

 闇の書の管理プログラムであるユーリに関しては、本当に操られていたか疑わしいと難癖をつけて強引に拘束しようとしていた一派もいたみたいだが、リンディさんから“法の守護者”たる管理局員が冤罪を生み出そうとする事の愚を諭され、渋々だが意見を取り下げたらしい。

 現在は、ユーリ、ディアーチェ、アレルも本局にいるものの、魔力を失い猫の姿になったシュテルとレヴィだけはちゃっかり月村邸で飼い猫たちに紛れて匿われているとのことだ。

 

 事件によって発生した被害は、姉妹とイリスたちが総出で修復に当たり、東京支局の働きとバニングス・月村家の協力もあってほとんど表沙汰になることはなかった。

 ただ、人工衛星だけは修復できず、デブリと衝突して軌道を外れそのまま消失したという形になった。それについて気象庁まわりで大騒ぎになりはしたものの、開発元であるクオン・テクニクス社がすぐさま新しい衛星の建造に着手した事で沈静化した。来年には打ち上げる予定らしい。

 

 なお、今回の事件や俺となのはの武装強化の件で、『フォーミュラ』という技術やその有用性も管理局の知るところとなり、局でも採用してみるべきではという声も上がったが、フォーミュラシステムを組み込んだデバイスや俺たちの診察結果を分析した結果取りやめになった。

 あれは常人よりはるかに強い肉体を持つフローリアン姉妹や、人工生命であるイリスだから使える力であり、常人には身体の負担が著しく、現在ではまだ運用面に難があると判断されたらしい。

 俺たちのデバイスからもフォーミュラシステムは一旦取り外されるそうだ。

 

 そして、事件の黒幕であるマクスウェルと手下二人は逮捕後、聴取に必要な程度まで修復されてから、彼らを抱え込もうとした軍事団体や《イリス》の売却先などの裏を取るため、連日厳しい取り調べを受けている。

 その取り調ベの中で、マクスウェルの口から“ある次元犯罪者”との繋がりと、彼らの拠点の一つが判明するのだが……それが後々俺たちの未来を大きく変えるなどとは、この時はまだ夢にも思っていなかった。

 

 

 

 

 そういった流れで事件の事後処理に各所が奔走している一方で、なのはやはやてたちは事件解決の慰労として特別休暇を与えられ、任務が一切ない正真正銘の夏休みを満喫できることとなった。

 そんな中、俺は本局の病室で……。

 

「……なあリイン、もう読み終わったから次のページをめくっていいよな?」

「駄目です! しっかり最後まで読んでください。それと、治ってきているからって勝手に右腕を使おうとしないように! 読み終わったら私がページをめくりますから、健斗は目だけ動かして!」

 

 つい右手で次のページをめくろうとして、リインに叱られる。プライベートにもかかわらず敬語で叱咤する彼女の姿はだらしない上司を叱りつける敏腕秘書みたいで、恋人らしい雰囲気など微塵もない。

 ……あの事件の後からずっとこんな調子だ。明らかに溝ができている。

 二年前の約束を破って、再び我が身を危険に晒した事で相当怒りを買ってしまったらしい。まさかあの一件で、恋人からただの上司と部下にランクダウンなんてことになってないよな……。

 そんなことを考えながらページを流し見していると――。

 

「失礼します」

「やっほー、お見舞い来てあげたわよー! ――ってうわっ、ほんとに生えてる!!」

 

 真横に開いたドアからアミタさんとキリエさんが入ってきて、キリエさんは包帯が巻かれた俺の右腕を見るなり、顔を引きつらせながら後ずさる。

 そんな彼女に――

 

「そんなホラーシーンを見たようなリアクションしないでくださいよ。キリエさんたちのお母さんからもらったナノマシンで治療したんですから。今からでもあの人に言いつけてやりましょうか? モニターですぐにでも話せますから」

「わー、ごめんごめん。この間までなくなってた腕が元通りになってるもんだからつい――」

 

 エレノアさん(母親)の名前を出しながら脅かしてやると、キリエさんは両手を合わせながらペコペコ頭を下げる。それを微笑ましげに眺めながらアミタさんは手に提げた袋からリンゴを二つ出して、リインに手渡した。

 

「ここに来る前にエイミィさんからいただいてきたものです。お二人で召し上がってください」

「ああ、ありがとう。ちょうど休憩にしようとしていたところだったんだ。大したもてなしもできないがゆっくりしていってくれ」

 

 アミタさんからリンゴを受け取りながら、リインは視線でパイプ椅子を指す。二人はベッドの傍にパイプ椅子を立てかけて、そこに座った。

 そしてキリエさんは俺の前に広げられている本を見て……。

 

「で、何読んでんの? まさか、こんな状態で勉強……?」

「……」

 

 彼女の問いに俺は黙ったまま、気恥ずかしさからつい顔を背ける。そんな俺に代わってリインが口を開いた。

 

「職業ガイドの本だ。健斗のお母さんから退院するまでに目を通しておけと言われてな。私や主が看病のついでにその補助をしている」

「ああ、あのこわ――厳しそうな人か……」

「……」

 

 うちの母親の事を思い出し、キリエさんはアミタさんとともに肩を震わせる。

 キリエさんとアミタさんは事件の最初に起こした車両暴走とその時に怪我を負わせたことを謝罪するために、俺の見舞いに本局を訪れた母さんや早見さんと顔を合わせたことがある。その時に母さんから仇を見るような目を向けられたことで、いまだに恐怖心が抜けないのだろう。

 あの時は俺の右腕がなくなったところを見たばかりだったからな。あの人も平静ではいられなかったらしい。

 

「しかし職業ガイドって……健斗さん、管理局を辞めるんですか?」

 

 妹より先に立ち直って、そう尋ねてくるアミタさんに俺は首を横に振りながら答える。

 

「辞めませんよ。魔法の力を活かせるのは管理局ぐらいですし。でも今回のことで親が、他の仕事に就くことも考えてみろってこの本を押し付けてきたんです。俺としてはさっさと読み終えて久しぶりにネットサーフィンでもしたいところなんですが――」

「そうはいきません! さすがに今回ばかりは私もお母さんに賛成です。まさか一人だけで衛星に突っ込んだ挙句、敵を助けるために爆発に巻き込まれるなんて。私がお母さんの立場だったら、魔導師なんかやめろと言ってるところです!」

 

 リインの一言に俺は言葉を引っ込め、アミタさんたちも納得した顔を見せた。

 そんな中俺はごほんと咳ばらいをし――

 

「ところで、エルトリアにはいつ帰る予定なんですか? アミタさんたちの無罪放免はほぼ決まってるそうですが」

「ええ。事情聴取や話し合いはほとんど終わりましたので、一週間後にはユーリやディアーチェたちと一緒にエルトリアに帰るつもりです。あの子たちもエルトリアに帰るつもりでいますし。……本当はイリスも連れていきたいところなんですが」

 

 そこまで言ってアミタさんは視線を落とし、キリエさんも顔を曇らせる。

 姉妹と違って、イリスは実行犯として管理局の施設に収監される可能性がある。黒幕に操られていた事情を汲んで減刑される望みは十分あるとのことだが、本当に減刑される保証がない以上不確かなことを言うわけにはいかない。

 俺たちはしばらくの間沈黙し、室内に息苦しい雰囲気が漂い始めたところで――

 

「そうだ。エルトリアに帰る前にオールストン・シーで遊んでいきませんか。元々正式にオープンしてからもう一度遊びに行く予定だったんです。俺もその頃には包帯が取れるようになるそうですし、ユーリたちも誘ってみんなで一緒に」

「……」

 

 俺の提案にリインはもの言いたげな顔をするものの、アミタさんたちを見て口をつぐむ。

 彼女の言いたいことはわかる。包帯が取れるといっても、当分リハビリ以外でこの腕を使うのは避けた方がいいだろう。俺は大人しめのアトラクションを楽しむか見物に徹するつもりだ。来年あたりにもう一度来るかもしれないし、急ぐ必要はない。だが、アミタさんたちが地球にいられるのはあと一週間しかないのだ。

 

「……そうですね。キリエ、お言葉に甘えて私たちもご一緒させてもらいましょう。もちろんユーリやディアーチェたちも一緒に。レヴィなんて特に喜びそうです」

「そうね……じゃあお言葉に甘えさせてもらおうかな」

 

 イリス抜きで遊園地なんかに行っていいのか迷いながらも、キリエさんはぎこちない笑みとうなずきを返す。

 イリスに関しては釈放後の楽しみに取っておくのも悪くないと思う。オールストンの経営には敏腕で知られるデビッドさんや月村夫婦が関わっているし、多方面で急成長を遂げているクオングループも一枚噛んでいる。そうそう閉園ということにはならないだろう。

 話がひと段落したところでリインはにっこりと笑い……

 

「じゃあ健斗、休憩はここまでにしてそろそろ職業勉強に戻りましょうか。退院までに終わらなかったらみんながオールストン・シーに行ってる間も、健斗は私と一緒にお仕事の勉強です♪」

「……はい、頑張ります」

 

 彼女の言葉に俺は重い声で返事を返す。リインと一緒とはいえ、する気もない転職の勉強など苦行でしかない。

 暗い顔で職業ガイドに目を落とす俺に、アミタさんとキリエさんは同情の笑みを向けてくれた。

 

 

 

 

 

 

 それから約一週間の間、フローリアン姉妹をはじめとするエルトリア組と一緒にオールストン・シーへ遊びに行き、そこでシンクたちと再会したり、ディアーチェたち四人をそれぞれのコピー元の家に泊めたりなど、他愛のない、しかしこの上なく楽しい日々を過ごした。

 だが、そんな日々も長くは続かない。彼女たちには帰るべき故郷と待っている家族がいるのだから。

 

 

 

 

 

 8月も半ばに入り始めた頃、俺たちとエルトリア組は海鳴臨海公園に集まっていた。

 

 なのはとフェイトは5歳ぐらいに見えるほど小さくなったシュテルとレヴィと別れをかわし、ディアーチェも照れくさそうにはやてに礼を告げる。

 一方、リインとユーリも……

 

「リインフォース。はやてと守護騎士の事をお願いします。今のあなたたちならきっと大丈夫です」

「ああ。私たちの事は気にせず、ユーリはエルトリアの人たちの力になってやってくれ。お前とフォーミュラの力があれば星の一つくらい再生できるはずだ」

 

 そう言葉をかけあって、夜天の書の管制プログラムだった二人は互いに握手を交わす。

 そして俺の前にもアレルがやってきて……。

 

「健斗、貴公には借りができたな。己や王たちだけではユーリを救うこともイリスを止めることもできなかった。この借りはいつか必ず返す」

 

 そう言って彼は右手を差し出す。そんな彼に……

 

「別にいいよ。俺たちの方こそお前らに助けられたからな。まっ、どうしても借りを返したいっていうならこっち(管理局)に来い。仕事はいくらでもあるからお前の腕も存分に振るえるぞ」

「悪いがそれはできん。己は《騎士》としてこれからも王のもとにいるつもりだ。皆とともにエルトリアを復興させるという職務もあるしな」

 

 すげなく勧誘(スカウト)を断るアレルに、俺も右手を差し出す。

 そして互いに拳を硬く握り、軽くぶつけあいながら笑みをかわした。

 ちょうどそこへ――。

 

「みんな、お待たせ!」

 

 隅の方から女性の声が届いて、俺たちはそちらに顔を向ける。

 そこには私服姿のリンディさんと、居心地が悪そうに立っているイリスの姿があった。

 キリエさんとユーリは彼女の名を呼びながら走り寄る。そんな彼女たちにイリスは言った。

 

「私は裁判とかいろいろあるから、当分はこっちに残るんだけど……終わった後のこと、今のうちに相談しておかなきゃって」

 

 イリスの一言に、ユーリは「終わった後のこと?」とおうむ返しをする。イリスはつらそうな顔で続けた。

 

「嘘に踊らされてみんなに迷惑かけて……取り返しのつかないこともたくさんした。法で裁かれるのはもちろんだけど、みんなには本当にひどいことをしたから……キリエにもユーリにも、私はもう……」

 

 そこまで言ってイリスは言葉を詰まらせる。俺たちもユーリも彼女に何も言えずにいたが……

 

「まさか、そのまま姿を消すつもりではなかろうな。エルトリアの再生という任務を投げだして」

「――えっ?」

 

 そう言われてイリスは顔を上げる。厳しい言葉をかけながら彼女の前に立ったのはアレルだった。

 

「忘れたのか。貴公はエルトリアを再生させるために、惑星再生委員会によって生み出されたのだろう。よからぬ考えを持っていた者も一部いたみたいだが、貴公に星を治す力があることに変わりはない。その力を活かさずいずこへ逃げ出してしまえば、キリエとユーリだけではなく、貴公を生み出した委員会の者たちをも裏切ることになるのだぞ」

「それは……」

 

 アレルの指摘にイリスは何も言えなくなる。そこへキリエさんが割って入った。

 

「そもそも、今回の事はイリスが私のお願いを聞いてくれたのが始まり。私にも責任があるはずよ。だからそんなに一人で背負わないで。償うのも謝るのも一緒にやっていこう。お姉ちゃんや王様たち、ユーリとアレルもきっと一緒にいてくれる!」

 

 キリエさんの言葉を肯定するようにユーリは「はい」と強く言い、アミタさんとディアーチェたちも笑みを見せる。アレルも大きくうなずいてから……。

 

「貴公がいない間のことは己らに任せておけ。長い間眠っていた分まで働いて、故郷を復興させてみせよう。貴公の仕事がなくなるぐらいな」

 

 そう言って彼は不敵な笑みを向ける。イリスは「そんなの困る」と言いながら、続けて何か言おうとするものの、両目から涙をあふれさせ、口からは文句の代わりに嗚咽が漏れた。それを聞いて――

 

「おいてめえ! なに母様に馴れ馴れしい口利いた挙げ句、泣かせたりしてんだ!」

 

 怒鳴り声とけたたましい足音とともに、長い白髪を四つに分けた女が走ってくる。あの女は――

 

「9号、貴公もいたのか」

「いたのかじゃねえ! はやく母様から離れろ、このド変態!!」

 

 怒声を上げながら9号(ナンバー09)はアレルの手を掴もうとし、アレルは軽々とかわす。それからも9号はイリス(母親)を挟みながら、口やかましく彼に言葉をぶつけていた。

 そんな光景を見ながら……

 

「リンディさん……あいつも連れてきたんですか」

「……ええ。固有型の代表としてイリスさんに付き添いたいって。一人くらいなら大丈夫だろうって許可したんだけど……」

 

 そうでもなかったみたい。リンディさんは苦笑ぎみの表情でそう付け足した。

 

 

 

 

 

 それから9号が大人しくなったのを見計らってから、アミタさんたちは地面に《(プレート)》を浮かべ、その上に立った。

 

「みなさん、本当にお世話になりました」

 

 ともに故郷に帰る家族たちととともにアミタさんは頭を下げる。それに対してなのはとフェイトは手を振りながら返事を返した。

 

「こちらこそ」

「みなさん、お元気で」

 

 彼女らとそんな挨拶を交わしている姉の横からも……

 

「健斗君、リインさん、色々ありがとう。何年かしたらエルトリアに遊びに来て。その頃には安全になるように頑張るから」

「ああ。楽しみにしてるよ」

「くれぐれも気を付けて」

 

 声をかけてくるキリエさんに俺とリインも返事を返す。すると……

 

「そうそう健斗君。最後にお姉さんからアドバイス」

「……?」

 

 おもむろにそんなことを言ってくるキリエさんに俺は眉をひそめる。すると彼女はニンマリした笑みを見せて――

 

「今度リインさんにたっぷり甘えてみなさい。あたしが見たところ、男の子や彼氏を甘やかすのが好きなタイプだから♪」

「――なっ!?」

「え……?」

 

 まさかの発言にリインと俺は思わず声を上げる。

 それに対してキリエさんがウインクを返してきたところで《陣》の光は強くなり、それに押し出されるように彼女たちは天へ飛んでいった。

 

 

 

 

 

 まさかの不意打ちにリインは顔を赤くしながらうつむき、俺も赤面しながらそっぽを向く。そんな俺たちをある者はニヤニヤしながら、ある者はリインなみに顔を赤くし、ある者は嫉妬と不満が混じった目で見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 一方、急激な速度で地球から飛びたった七人は、()()()()()()()()エルトリアの大地に直撃した。

 

「いてて……」

「帰宅というのはもう少し穏やかなものだと思っていたが……」

「なかなか過激です」

「びっくりした~」

 

 空から落ちてきた七人のうち、初めての次元跳躍にディアーチェたち四人は体をさすったりしながら不平の声を漏らす。これが二度目となるフローリアン姉妹も手をつきながらうめいていた。

 幸い彼女たちが落ちたのは山のように積まれた(わら)の上だったため、姉妹もディアーチェたちも怪我はしていないが。

 だがそこで……

 

(……藁? 最近は農作業なんてまったくしてなかったのに……)

 

 アミティエは藁を見下ろしながら首を傾ける。

 父グランツが倒れて以来、自宅周りの農場や牧場の整備にかかる余裕はなく、特にこのひと月はコロニーへの移住の準備で外の掃除すらしていなかった。にもかかわらず、自分たちの足元にはそこらから集めてきたように藁が積まれてある。

 

「まさか……」

 

 キリエもその違和感に気付いたようで声を漏らしながら家の方を見る。そこには……。

 

「みんな……おかえり」

 

 家と農場を繋ぐ桟橋の前には、アミティエそっくりな壮年の女が立っていた。

 無事に帰ってきた娘たちを見て安堵の笑みを浮かべる彼女を見た途端、アミティエとキリエ、ユーリまでもが藁山を下り、そこへ駆け出した。

 

「「「ただいま!!」」」

 

 娘たちにとっては数週間、ユーリにとっては40年ぶりに再会する彼女に、三人はそう告げながらエレノアの元へ飛びこむ。

 ディアーチェたちは藁の上でそれを眺めていたが、抱擁を済ませたアミティエたちと、エレノアの笑みを見て、本能を押さえられなくなったのか一足先にレヴィが、その次にシュテル、そして最後にディアーチェが彼女の元へ走っていった。

 

 そんな中、ただ一人の()であるアレルは主たちに続くことができず、しばらくの間所在なさげに藁の上で佇んでいたものの、手を広げてくるエレノアや他の女子たちから期待の笑みを向けられ、躊躇いながらも藁山から下り、エルトリアに戻ってきた子犬は四十年ぶりの抱擁を受けた。

 

 

 

 

 

◆ 

 

 

 

 

 

 それから時は少し流れ……。

 

 

 

『御神健斗様へ

 新部隊の設立おめでとうございます。

 あれから早いもので8年もの月日が流れました。重ね重ねになりますが、あの時は助けていただいて本当にありがとうございます。

 リインフォースさんや他の皆さんとはその後も仲良くしていますか。

 私たちは秋の収穫に向けて、今年も家族総出で農作業に勤しんでいるところです。もちろん両親には無理をしないように強く言い聞かせていますが。

 

 ユーリとディアーチェとシュテルとレヴィにアレル、それからエルトリアに帰ってきたイリスと彼女の分身たちのおかげで危険動物や死蝕はほとんどなくなって、エルトリアは見違えるほど綺麗になりました。

 今年もコロニーから多くの住民が帰ってくる予定で、またひとつ新しい町ができることになってます。それを祝う催し物が開かれる予定なんですが、我が家からも何か協力できることはないか両親とディアーチェがいろいろ意見を出し合っているところです。健斗さんも何かいいアイデアがあったら是非教えてください。

 

 そのディアーチェですが、ついにアレルと結婚することになり、先日うちでささやかな式を開きました(固有型イリスが全員集まってきたので、最終的には下手なお祭りより賑やかになってしまいましたが……)。

 ちなみにそれからしばらく経って、ディアーチェが作る料理にすっぱいものが増えるようになりました。姉にも理由がわからないらしく、父と母に聞いても「今度教える」と意味深に笑うだけです。なんででしょうかね?

 

 他にも伝えたいことがあるのですが、すべてを書くには時間が足りないのでここで止めておきます。

 健斗さんもお暇ができたら、お友達や仕事仲間と一緒にまたエルトリアに遊びに来てください。

 私たちの故郷はとてもきれいな星ですから。

 

キリエ・フローリアン

 

 

 P.S.

 ヴァイス君とラグナちゃんは元気にしてる? パパもママもよく二人に会いたいって言ってるから、もしエルトリアに来る予定があったらあの二人も誘ってみて。

 じゃあお仕事頑張ってね♡』

 

 

 

 

 

「ふふ……」

 

 キリエさんからの手紙を読み終えた途端、思わず笑いが漏れてしまった。

 あの人もずいぶん丁寧な文章を打つようになったものだ。最初はアミタさんからのものと思ってしまった。追伸で地が出ているのはキリエさんらしいが。

 

 そう思いながら同封されているファイルを開くと、ウエディングドレスに身を包んだディアーチェとタキシードを着たアレルが並んでいる画像と自然が戻ってきたエルトリアの風景の画像が何枚か表示された。

 

 あの二人がとうとうゴールインか。喜ばしいことには違いないが、すっぱいものというのは少し気になるな……犬と猫って子供できたっけ?

 

「なんですそれは?」

「――うわっ!」

 

 考え込んでいるところで突然声をかけられ、俺は思わずそちらを見る。

 机の向こうには茶色の士官服を着たうちの補佐が立っていて、俺と俺の前に表示されている画像を見比べていた。

 

「リイン……いつからいた?」

 

 そう問いかけると、補佐――リインフォースはふぅとため息をついて言った。

 

「『ふふ』と、ニヤニヤいやらしい笑みを浮かべていたところからです。私が入ってきた事に気付かないぐらいお楽しみだったようですね」

 

 そう言ってリインはきっと目を細くする。その様子だと変な誤解をしてるっぽいな。

 

「キリエさんからのメールを読んでただけだよ。ディアーチェとアレルが結婚したらしくて、その式の画像を……」

 

 そう言いながら画像とメールを表示させると、リインはほっとしたような顔になり……

 

「なんだ、そうだったのか……ってそういう事を言ってるんじゃありません! 仕事中にプライベートなメールを読まないでください!!」

「悪い悪い。“お隣”の部隊長からと思ってつい。挨拶まで手が空いてるしさ」

 

 両手をひらひら振りながら言い訳する俺に、リインはまったくと言いたげにため息をつく。

 そしてリインは小さく咳払いをして……

 

「そろそろ挨拶の時間です。三人とももうロビーで待機していますから、“分隊長”も急いでください!」

「ああ、もうそんな時間か。すぐ行く!」

 

 せっついてくる補佐に、椅子から立ち上がりながら応える。

 

 

 

 俺とリインを含めて正規の隊員は五人。協力スタッフを入れても十人に満たない補助部隊か。“お隣さん”に比べたらずいぶん貧相な部隊だ。あっちはどんな魔法を使ったんだか。

 まあよそはよそだ。指揮官になったばかりの俺にはこのくらいがちょうどいい。

 

「――リインフォース」

「……?」

 

 ロビーに向かう途中で役職もつけずに呼びかけると、リインは眉を持ち上げながら俺を見る。

 そんな彼女に――

 

「これからも面倒をかけると思うが、よろしくな、リイン」

「……ああ、こちらこそよろしく頼む。健斗」

 

 改めてそう告げる俺に、リインは力強いうなずきと笑みを返してくれる。それとともに彼女の左手の薬指に填められている婚約指輪に載せられた紺色の宝石がきらりと光った気がした。

 そうしているうちに、ロビーとそこに立っている少年一人少女二人の姿が見えてきた。

 

 このたった五人の小部隊が、俺たちにとって新たな一歩となる!

 

 

 

 

 

愚王シリーズ第二部『愚王の魂を持つ者』 完

第三部『七課の銃剣士』に続く




 ご愛読ありがとうございました。
 『グランダムの愚王』に続き第二部『愚王の魂を持つ者』もこれで本編終了となります。
 ここからはStrikers編に入りますが、第二部だけで百話を超えた事と、健斗の少年時代が終わった事、そして第三部から新しい主人公を登場させるため、『愚王の魂を持つ者』もいったん終了させることにしました。
 番外編と18禁を書いてからすぐに第三部の執筆にかかります。

 ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。健斗が立ち上げた新部隊『機動七課』を舞台とする第三部もよろしくお願いします!


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後話
共学化


 『エグザミア事件』の翌年、俺たちが6年に進級して半ばに入った日の事……。

 

 

「突然ですが、聖祥の中学校と高校を含めた全学科が共学になることが決まりました!」

 

 朝のホームルーム。教壇に立って早々、担任の教師がそんなことを告げてきた。

 それを聞いて……

 

「うちの中学と高校が共学に? 小学校と大学は元々男の子と女の子いっしょだったけど……」

「ということは、来年からも男子と一緒に勉強するってこと?」

「マジで!? ――よっしゃあ!! 男ばかりのむさ苦しい思いしなくてすみそうだぜ!」

 

 クラスメイトたちの中から疑問と戸惑いの声とそれに混じって喜びの声が上がる。まあ、彼の気持ちはわかる。そろそろ男子のほとんどが異性に興味を持つ年頃だし、中学からは女子のスカートも短くなるからな。

 ついそう思っているところで、教師はパンパンと手を叩いた。

 

「はいはい、みんな静かに! もう気付いた人もいるみたいですが、みんなは中学校に上がった後も男女一緒に勉強するようになります。詳しいことは帰りのホームルームに配るプリントに書かれてありますから、持って帰ってお父さんとお母さんに見せておいてください。……ではホームルームを終わります。委員長、号令を」

「は、はい! 起立……礼!」

 

 教師に呼ばれ、すずかが号令をかける。

 それにならって頭を下げながらも、ほとんどのクラスメイトは共学化と来年からの中学生活の方に考えを向けていた。俺とはやてや雄一も例外ではない。おそらく他のクラスでそれを聞かされているなのはたちも。

 

 

 

 

 

 

「まっ、そろそろこうなるんじゃねえかって思っていたけどな。少子化でうちも生徒が少なくなっていたし」

 

 そう言いながら雄一は箸に挟んだ肉団子を口に放る。それに何人かがうなずきを返した。

 

 聖祥学園は小学校から大学院まであるエスカレーター式の一貫校で、そのうえ、中学校と高校、大学の一部の学部は男女別に分かれている。もちろんその分、校舎や体育館などの施設も多く建てられている。

 しかし、少子化による生徒の減少で、学校の規模に対して使用する生徒と教員の数が見合わなくなってきたのだろう。そこで来年から、男女別だった学科や学部を統合して同じ校舎や施設を使用させようということになったに違いない。

 問題は生徒と親たちがそれを認めるかということだが……。

 

「あたしはいいと思うけどね。六年間ずっと男の子と一緒だったし、中学から急に男女別にされてもと思うわ」

「そうやね。今まで男の子に力仕事とかお願いしてきたし、それができなくなるのは困るなぁ(ここで健斗君と離れたら、いよいよリインに勝ち目なくなってまうし)」

「私は力仕事とかは大丈夫だけど、もう男の子とも話せるようになったし、今になって別々にされる方が困っちゃうかな(男女別にされたら、健斗君にお弁当あげたり血を分けてもらうことができなくなっちゃうよ)」

 

 アリサの言葉にはやてとすずかが合いの手を入れる。ちなみに二人はいつも通り俺の両隣に座って、弁当を分けてくれている。

 

「でも男の子と女の子が一緒だと、友達とは違う意味で仲良くなることもあるみたいだし、学生のうちは一定の距離をとった方がいいというのも一理あるんじゃないかな――あっ、別に健斗や雄一と一緒にいるのが嫌という意味じゃないよ!」

 

 手をぶんぶん振りながら付け足すフェイトに、俺と雄一はわかってるというようにうなずく。

 男女の別学を望んだり支持する理由のほとんどは、そこに行き着くだろう。学校も出てないうちに恋愛など早いという声はいまだに多い。

 特に聖祥はいいとこ育ちのお坊ちゃんとお嬢様が多い。手塩にかけて育ててる最中の我が子に悪い虫がついてほしくないと思って、男女別の学校だから聖祥に通わせているという親も多いだろう。

 しかし……。

 

「でも同性だけだって問題があるわよ。中学の先輩に聞いた話だけど、異性の目がないからってあられもない恰好で校内をうろつく子が出てくるし、受けだの攻めだの変な話を堂々とする子もいるっていうし、共学より風紀が悪い面もあるらしいわ。……スキンシップと言って、人目もはばからず胸を揉んでくる子もいるって聞いたわね」

「……た、確かにそれもよくあらへんな(胸か……そう考えると別学も捨てがたかったかも……)」

 

 アリサが付け足した言葉にはやては歯切れの悪い返事を返す。はやての邪な思惑に気付いたのか、アリサは胸をかばいながら続けた。

 

「それに悪い虫って言っても、聖祥の生徒ならよその子より身元はしっかりしてるし、将来も有望でしょう。その子に責任とらせればいいだけよ。聖祥の子同士がくっつくことを望んで共学化に賛成する親も出てくるんじゃないかしら」

 

 ……なるほどね。今は許婚を探すのも難しくなってきたし、男女とも学校を卒業した後はどこかへ就職する時代だ。社会に出て見知らぬ相手にほだされるくらいなら、聖祥の生徒とくっついた方がまだ安心できるということか。

 

「私も男の子と一緒がいいよ、ゲームやマンガとかの話が合う子が多くて楽しいし。最近は弟が欲しいって思ってたりするんだ!」

 

 卵焼きを食べながらそう言ってきたのはアリシアだった。横にいる七瀬ともども、学年の違いなど気にせず口を挟んでくる彼女だったが……。

 

「だから、エリオ君がうちに来るかもしれないって聞いた時は、張り切ってお迎えの用意もしたんだけど、ママがやった事のせいでそれもなしになりそうで……」

 

 そう言ってアリシアは恨めしげにため息をこぼす。そんな姉をなだめるように……。

 

「まあまあ……母さんも今はロストロギアに関わっていないから。エリオも気持ちの整理を付ける必要があるし、落ち着いたらこっちに来てくれるかもしれないよ」

 

 そうなだめるフェイトに、アリシアは「本当かな?」と言いながら顔を向ける。それに対してフェイトは苦笑を浮かべていた。

 

 

 

 向こうの暦で今年度初頭となる6月上旬、ミッドチルダで、“エリオ・モンディアル”という少年が違法組織に拉致されそうになる事件が起こった。

 ちょうどその日、モンディアル家を訪ねる予定だったフェイトたちによって“エリオ”は救出され、違法組織とモンディアル夫妻はその場で逮捕された。

 詳細は省くが、“エリオ”は《プロジェクトF》の技術によって造りだされたクローン人間で、その出生自体が法に背いたものだったらしい。

 

 “エリオ”を生み出す元となったプロジェクトの関係者だったプレシアさんは強い責任を覚え、彼の引き取りを申し出たものの、プレシアさんが過去にフェイトに対して行った虐待歴と、今までミッドチルダに住んでいた被害者をいきなり管理外世界に住まわせる事のリスクを懸念した結果、却下されたそうだ。

 

 そしてそれが原因で、アリシアもついに母親が昔行っていた違法研究やフェイトへの虐待を知り、フェイトを連れてハラオウン家に家出するという事が起こった。

 そのショックでプレシアさんが寝込んでしまい、彼女が倒れている間リニスが店の切り盛りやアリシアの説得をする羽目になったり、結構大変だったらしい……。

 

 

 

 

 

「――ところで、士郎さんたちはもう帰ってきたのか? そろそろ公演も終わる頃だろう」

「う、うん! 昨日連絡がきて、イギリスまでフィアッセさんを送ってから、一週間後にはうちに帰ってくるって言ってたみたい!」

 

 話題を変えようとする俺の意図を察して、なのはは大げさに首を振りながら答える。それに対して俺は本心から安堵して「そうか」と答えた。

 “あの爆弾魔”や“奴ら”が相手と聞いて心配していたが、どうやら無事に終わりそうだな。協力してくれたリーゼたちとグレアムさんにも今度礼を言っておかないと。

 そう胸をなで下ろしたところでアリサが声を上げた。

 

「じゃあみんな食べ終わったみたいだし、そろそろ出ましょうか。早くしないと遊ぶ時間がなくなっちゃうわ!」

 

 その言葉に俺たちはうなずきながら弁当を片づけ始める。

 そんな中、裾を引っ張られ、俺はそちらに顔を向ける。

 すると……

 

「……健斗君、そろそろ飲みたくなっちゃったんだけど……今日もいいかな?」

「……ああ、昼休みの終わりぐらいでいいか?」

 

 俺の確認にすずかは顔を赤くしながらうなずきを返す。

 中学以降も彼女たちと一緒ということは……このやり取りも何年か続くということか。

 

 このまま聖祥を卒業した後は、ミッドチルダか本局に移住して管理局員としてキャリアを積み、いずれはリインと契りを交わす。

 ……だが、そんな人生設計も少し油断すればあっさり崩れてしまうかもしれない。

 そんなことを思う昼休みだった。




空白期間のまとめと三部の伏線をまとめた回です。日常回は終わらせ方が難しいですね。
私用で遅くなりましたが、これで『愚王の魂を持つ者』完結となります。リンクに載せているR-18版の執筆も開始しましたので、苦手でない方は是非読んでいってください。三部『七課の剣銃士』はその後に執筆します。
長めの休載を挟みましたがこれからもよろしくお願いします。


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