【本編完結】色づく想ひ  (ワンダーS)
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prologue


 初めましての方は初めまして、どうも作者です。
 タイトルは歌詞から
 以上


 

 何処か遠くから響いてくる聞き覚えのあるその声に、ふと意識を取り戻した。まるで水底にでも沈んでいるかのような浮遊感を覚えるが、呼吸のできない苦しさは感じない。自分が今何をしているのか、どのような状況にいるのか全く理解できないでいた。

 『…っ!』

 ぼんやりとした思考の中で困惑していると、今一度響いてくる声。確かに聞いたことがある声だ、けれどそれが誰のものであったのか、もう思い出すこともできない。

 続いて草をかき分ける足音が近づいてくる。先ほどの声の主なのか、それとも他の人物なのか。確認しようと目を開こうとするも、どうもうまくいかず、依然と暗闇の中に居る。

 『大丈夫ですか、すぐに助けますからね!』

 すぐ近くから聞こえてきたその声は水の中から聞いているかのように揺らいでいる。この人物と自分との間でフィルターでも掛かっているのだろうか、ますます自らの現状への疑念が生じていく。

 『えいやっ…!』

 そんな掛け声らしきものを挙げたかと思うと、次の瞬間がしりと自らの右手が掴まれた。唐突の事で驚くと同時に、掴まれた部分から先ほどまではぼんやりとしていた感覚が急激に実感を伴っていく。

 ぐぐっと腕が引っ張られていくと、それは徐々に肘、肩へと伝播していき、やがて顏半分が感覚を取り戻したところで、再び声が聞こえてくる。

 「うぅ、強情ですね…!ミオ、手伝ってください!」

 「ちょっと待って、すぐ行くから!」

 掛かっていたフィルターは無くなり、はっきりと声が聞き取れた。呼びかけられたもう一人が応えると、次第に足音が一つ近づいてくる。目の前の辺りで止まったかと思えば、がしりと腕を掴まれる感触が加えられた。

 「合わせるよ、フブキ。」

 「はい、せーのっ!」

 「「うんとこしょ、どっこいしょ!」」

 自分はカブか何かだろうか。聞こえてきた掛け声に心の中でツッコミを入れていると、しかしそんなもの飛んで行ってしまう程に途轍もない力で腕が引っ張られる。すると、胴体から足の先に至るまで一気に液体から個体に変わるように感覚を取り戻していき、やがて全身が実体を伴った。

 そうして、ようやく自らの身体がつい先ほどまで消滅しかけていたのだと分かった。それを理解してぞくりと背筋に怖気が走る。

 助けてくれた二人に感謝を伝えるため身体を起こそうとするが、感覚を取り戻したばかりの身体は言う事を聞いてくれない。靄の掛かっていく思考の中、せめて恩人の姿だけでもと、最後の力を振り絞り目を開く。

 そうして視界に映ったのは心配そうにこちらへと向けられた二対の瞳、そして…。

 (…どうして、獣耳…。)

 薄れゆく意識の中印象的だったのは、それぞれが頭の上に生やしていた白と黒の獣耳だった。

 




 この小説だけど、現時点で公式から情報が少ないから殆ど妄想で書きます。これから先も。  
 もちろん、情報に準じることもある。

 では、気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム


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 どうも、作者です。
 


 

 ゆっくりと意識が浮上していき、微睡の中目を覚ませば真っ先に木造の天井が目に入った。見覚えのない天井に首を動かして部屋の様子を見回してみる。

 「…何処だ、ここ。」

 畳に襖と、如何にも和風といった部屋。しっかりと感覚のある身体でのそりと起き上がれば、窓から差し込んでくる日光が顔を照らした。窓の外に広がっているのは、紅い葉をちらつかせる木々の群らがり。

 山奥にある家の一室だろうかと何となく辺りを付けていると、不意に部屋の襖が外からノックされる。

 「こんこーん、入りますよー。」

 返事をする間も無く開けられた入り口から入ってきた、柔らかな白い長髪を携えた可憐な少女を目にして思わず体を硬直させる。浮世離れした彼女の容姿に見入ったわけでは無い、それよりも俺の意識を引いたのは彼女の頭の上でぴょこりと動く白い獣耳と、後ろに揺れるふわりとした尻尾であった。

 衝撃のあまり何も言えないでいると、彼女は起き上がっている俺の姿を見て目を丸くしてこちらに駆け寄って来る。

 「良かったー、目が覚めたんですね。気分が悪かったりしませんか?」

 「あ、あぁ、大丈夫。」

 声を掛けてくる彼女にそう返しながらも、俺の視線は彼女の頭の上へと注がれていた。獣耳は彼女が話している間にもぴょこぴょこと動いている。

 流石にここまでじっと見られれば気が付いたようで、彼女はくすくすと笑いながら口を開いた。

 「これ、気になりますか?ちゃんと自前ですよ。」

 ほら、と言いながら彼女は自らの獣耳を指さしてさらに大きく動かして見せる。ここまでされては目の前の現実を受け入れざるを得ない。

 「そうみたいだな…。あ、悪い、不躾に見過ぎた。」

 「いえいえ、お気になさらないで下さい。珍しい事は自覚してますので。」

 慌てて頭を下げると、彼女は変わらぬ調子で笑いかけてくれる。その様子から彼女が善人であることは明白であった。

 「いやー、それにしても災難でしたね。」

 にやりと笑う彼女に言われて、ふと意識を失う前の事を思い出す。やはりあれは悪夢などではなく、実際に起こったことだったのだ。

 「まったくだ、もうあんな目に合うのは御免こうむりたい。」

 苦笑いでそう返しながら肩をすくめる。自分の身体が消えかけるなど、体験しないに越したことは無い。

 「改めて、助けてくれてありがとう。おかげでこうして生きていられる。」

 「大げさですよ。でも、どういたしまして。」

 感謝を伝えれば、彼女は素直にそれを受け止めてくれる。そう言えば、記憶の限りでは彼女の他にもう一人黒い少女が居たはずだ。

 「もう一人一緒に居たよな。出来ればその人にもお礼をしておきたいんだが…。」

 「あぁ、ミオですね。ミオなら今は出かけていまして。」

 「そっか、なら帰ってきたらその時にでも。」

 あの黒い少女の名前はミオというらしい。彼女も同様に恩人だ、礼の一つくらいは言っておかねばなるまい。

 「ところで、その右腕の宝石は何なんですか?」

 「宝石?」

 白い少女に唐突に言われてるが、何の事やらピンとこず疑問の声を上げながら自らの右腕へと目を落とす。

 「…なんだ、これ。」

 右腕、正確には右手の甲だ。その部分に人体にはおよそ似つかわしくない宝石が埋め込まれていた。宝石の色合いは無色に近く、何処か濁っている様に見える。こんなもの見た記憶も無いし、ましてや埋め込んだ記憶など当然無かった。

 取ろうにも最早身体の一部と言える程に強く癒着していて、これでは抉りとる他方法は無いが、流石にそこまでしようとは思えなかった。

 「白上もその宝石は見たことが無いですね。その宝石の埋め込まれた右手だけが残っていたので、ぎりぎり助けられたんです。何か特別な能力が有ったりとかは…。」

 少女は右手の宝石を覗き込むと、そのままこちらに視線を向けて問いかけてくる。しかし、心当たりは微塵も無いため、正直に首を横に振る。

 「宝石に関しては分からないが、少なくとも俺は特別な力とかは使えたりしない。」

 「なるほど…なら、考えても仕方ないですね。害も特になさそうですし、今のところはそれでよしとしましょう!」

 場の空気を入れ替える様に手を叩くと、彼女は軽くそう纏めた。確かに分からない事を考えても答えなどでないのだから、他の事に目を向けた方がまだ建設的だ。

 「なぁ、今更ではあるんだが、ここは君の家であってるか?」

 「はい、そうですよ。…そう言えば自己紹介もまだでしたね。

  私はここ、シラカミ神社の神主こと白上フブキです。」

 少女、もとい白上はそんな自己紹介と共に「よろしくお願いしますね。」と中指と薬指を親指にくっ付けて両手でそれぞれ狐を形作る。

 「シラカミ神社に白上か。ありがとう、俺の名前は…、名前は…。」

 今度はこちらの番だと名前を伝えようとして口を開くが、けれどいざ口に出そうとしたところで自分の名前が出てこない事に気づく。

 「…もしかして、名前が分からなかったりしますか?」

 そんな俺の様子を見て何か察したのか若干その顔を青くして問いかけてくる彼女に、無言のまま首肯する。

 「あー…、えっと…大丈夫です、そんな事も偶にはありますよ!…ちなみに、元居た場所とかは流石に…。」

 恐る恐ると聞いてくる白上。必死にフォローしてくれようとしている彼女の目を見ていられず思わず視線を外す。

 「…分かりません。」

 「…。」

 ついには白上も表情を凍り付かせて固まってしまう。非常に居たたまれない気分を感じながら、沈黙に部屋を包まれた部屋で二人向かい合う。

 やがて気を取り直すように白上はこほんと咳ばらいをした。

 「つまり纏めますと…。貴方は何処から来たのか見当もつかず一旦消えかけた上に右腕に謎の宝石を埋め込まれて挙句の果てに自分の名前すら思い出せなくなったと。」

 改めて聞いてみると、俺はかなり危機的な状況にあるらしい。何処か他人事の様に感じるのは、脳が現実を受け入れたくないという精一杯の抵抗なのだろう。

 「…まぁ、そうなる。」

 けれど、何処まで行ってもこれが現実である事に変わりは無い。一言、それだけ返せば、白上はふっと息をつき、立ち上がって窓へと向かう。そして勢いよく窓を開けると、彼女は目いっぱい息を吸い、解き放った。

 「なぁんじゃそりゃぁぁ!!!!」

 




 
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 どうも、作者です。

 



 「うわぁ!?」

 窓の外に向けて白上が叫ぶのと同時に、外で驚いたような女性の悲鳴が上がった。

 声の聞こえからして、どうやら此処は二階辺りに位置するらしい。そんな場違いな事を考えていると、再び先ほどの悲鳴を上げた女性の声が聞こえてくる。

 「ちょっとフブキ、声大きすぎ!」

 「え?あ、ミオ、おかえりなさーい」

 その声に反応するように白上は窓から下を覗き込んで手を振った。白上がミオと呼んでいてことから、出かけていたというもう一人の恩人が返ってきたようだ。

 やがて階段を上がって来る音が部屋の外から襖越しに聞こえて来て、ノックの後襖が開けば、白上とは対照的な漆黒の長髪に一部赤いメッシュを入れ、髪と同じ黒の獣耳を携えた少女が姿を現した。

 彼女はそのままこちらへと視線を向けるとぱっとその顔を輝かせる。

 「良かった、起きてたんだね。体調は悪くない?」

 気遣うように聞いてくる少女。何処かおっとりとした雰囲気を漂わせる彼女に心なしか緊張も薄れた。

 「あぁ、お陰様で。その事でずっと礼を言いたかったんだ、助けてくれてありがとう」

 「ううん、どういたしまして」

 言いながら頭を下げれば、黒の少女こと大神は柔らかな笑みを浮かべてそう返す。

 「そうだ、自己紹介まだだったよね。ウチの名前は大神ミオだよ」

 「大神な、俺は…っと」

 自己紹介をされてこちらもと考えるが、すぐに自分が名無しの権兵衛であることを思いだして言葉に詰まった。

 「ミオ、彼なんですけど記憶が曖昧みたいで、自分の名前も分からないんです」

 代わりに白上がそう説明すると、大神はぱちくりと目を瞬かせてこちらを見る。

 「そうだったの?んー、一回消えかけちゃったのが原因なのかな…」

 そうして少しの間思案する大神だったが、やはり判断材料の少なさから簡単に答えは出ない様だ。

 「さて、ではミオも帰ってきたことですし、ひとまずはこの世界について説明しましょうか」

 「あぁ、頼む」

 ぱんと一つ柏手を打って白上が話題を切り替える。

 ここがシラカミ神社と呼ばれる建物であるとは先ほど白上から聞いたが、それ以外に関してはさっぱりな為正直助かる。

 恩人に対して借りを作ってばかりになるが、それでもここで見捨てられると首も回らなくなってしまう。いつか何らかの形で恩を返すことを心に誓い、彼女らの話に耳を傾ける。

 「じゃあまずはウチから説明するね。ここはヤマトのシラカミ神社。ここに住んでるのはウチとフブキの二人だけで、近くにキョウノミヤコっていう多分ヤマトの中でも一番大きな街があるんだけど…この中で聞き覚えのある単語は有る?」

 確認するように大神に問われて今出てきた単語を頭の中で繰り返す。

 シラカミ神社、キョウノミヤコの二つは初耳だ。けれどヤマト、この単語を頭に思い浮かべると、ぱっと記憶が刺激された。

 「ヤマト…日本?」

 「日本というと、多分地名ですよね。もしかして以前はそちらに?」

 ぽつりとしたその呟きに白上が顔を明るくして聞いてくる。

 「いや、そこまでは…」

 ただ思いついた言葉がそれだっただけで、具体的に自分がそこに居たのかまでは思い出せない。しかし何やら理解したのか大神はそんな俺の様子を見て頷いて見せた。

 「うん、見た感じ全部忘れてるって訳じゃなくて部分的には覚えてる事も有るみたいだね。それなら、もしかすると時間が経ったら思い出す事もあるかも」

 「…そっか、そうだよな」

 噛み締める様に答えながら、大神の話を聞いてホッとしてる自分が居る事に気が付く。

 やはり知らず知らずの内に現在の状況に不安を感じていたのだろう。記憶も曖昧で見知らぬ土地に一人投げ出されて、そんな最中、こうしてこの二人に出会うことが出来て良かったと改めて実感した。

 話がひと段落したところで、今度は白上が口を開く。

 「では続けますね。今現在白上達が居るこの世界はカクリヨと呼ばれています。そして対の存在としてウツシヨという別の世界が存在していまして、恐らく貴方はそのウツシヨからこのカクリヨに迷い込んだんだと思います」 

 「ウツシヨから…」

 白上の説明を受けて口の中でそう繰り返す。

 ウツシヨとカクリヨ。なる程、世界が違うのなら先ほどの地名に彼女らがピンとこないのも頷ける。しかし、そうなるとまた新たな疑問が浮かび上がってきた。

 「…なぁ、ウツシヨから人が迷い込むのはカクリヨではよくある事なのか?」

 「「…」」

 もしかすると同じような境遇の人が居るのではと問いかけるが、先ほどまで流暢に答えていた二人は口を閉ざしてしまう。そんな二人の反応だけで何となく前例は無いのだと察することは出来た。 

 「一応ウツシヨから色んなものが流れて来る事は有るんだけど…、人がって言う話は聞いたこと無いかも」

 「はい、白上も同じです」

 予想通りの返答に、けれど落胆は感じなかった。

 「じゃあ、二人からしても現状は異常なんだな」

 「うん、ウツシヨからものが流れてくるときは基本的に二つの世界を繋ぐ穴が何処かに開いてそこを通って来るんだけど少し前からその穴に異変が起こってるみたいで、ウチとフブキはその調査をしてる所で君を見つけたの」

 「今の所はあまり分かってる事も無いので、異変の詳細については絶賛調査中です」

 そうして、二人は説明を終えた。話を纏めるとここはカクリヨという世界で、俺は異変とやらに巻き込まれて世界を渡って来たという事になる。 なってしまった以上、とやかく考えるのも無意味だろう。それより、今はこれからへと目を向けるべきだ。

 「…もし良かったら俺にもその調査の手伝いをさせてくれないか。雑用でもなんでもやる。だから、頼む」

 少し間をおいて、二人に頭を下げてそう懇願する。

 前例がない以上ウツシヨへ帰る方法は確立していないだろうし、そもそも帰ったところで路頭に迷うのも確実だ。それに仕方がない事とは言え、二人の調査の邪魔をしてしまった。ただでさえ助けて貰った恩もあるのだ、何かしらの形でその恩には報いたい。

 とはいえ、身元も知れない記憶喪失の男にいきなりこんな事を言われても困るだけだろう。撤回しようかと思いなおすが、しかしそれも次の二人の反応で杞憂に終わった。

 「良いの!?」

 「良いんですか!?」

 殆ど同時に聞こえてきた大声に驚きぱっと顔を上げれば、二人が目を輝かせながら食い気味に寄って来て思わず軽く後ろへ仰け反る。

 「あ、あぁ…」

 そんな二人の鬼気迫る様子に困惑しつつ頷くと、ぱっと白上と大神の顔がほころんだ。

 「ありがとう、超助かるよー!」 

 「人手不足ですから願ったり叶ったりですよ!」

 調査が難航でもしていたのか理由は知れないが、取り合えずは受け入れて貰えたようで一安心する。

 「そっか、ありがとう、二人とも」

 「いえいえ、こちらこそ。…しかしそうなるといつまでも貴方呼びと言うのも不便ですね」

 ぽつりと白上の零したその言葉にそう言えばと三人が俺に名前がない事を思い出す。

 「あー…、確かに呼び分けも出来ないな」

 名前が無い状態など、人生の中でも中々稀有な出来事ではなかろうか。適当に名乗ろうとふと考えるも、意外と良い名前が出てこない。

 「…ねぇ、その右手についてるのって宝石だよね」

 すると、じっとこちらを見ていた大神が不意に口を開いた。

 「あぁ、多分だけどな」

 答えつつ見やすいように胸の前あたりまで腕を上げる。相変わらず濁ったままの宝石は手の甲で異様な存在感を放っていた。

 大神はその宝石へ視線を向けると、少しの間考え込んでから顔を上げた。

 「んー、じゃあ名前は『透』なんてどうかな。透き通った綺麗な宝石だし」

 「良いですね、白上も最初見た時から綺麗だなって思ってたんですよ!」

 「…え?」

 大神に同調するように白上が続けるが、しかしそれを聞いた俺は思わず首を傾げる。透き通った、綺麗、どちらも目の前の宝石には到底似つかわしくない言葉だった。

 「あれ、気に入らなかった?」 

 「あ、いや名前は透で良い。ありがとう、良い名前だ」

 紛らわしいその反応に誤解したようで大神はしゅんと頭の上の耳を垂れさせてしまい、そんな彼女の姿に罪悪感が湧き慌てて訂正する。

 すると誤解はすぐに解けたようで、大神の顔に笑顔が戻る。

 「良かったー、じゃあ改めてよろしくね、透君」

 「よろしくお願いします、透さん」

 「よろしく、白上、大神」

 名前も決まり改めて挨拶を終えてから、忘れないうちにと二人に向き直る。

 「一つ気になる事が出来たんだけど良いか?さっき二人はこの宝石が透き通ってるって言ったよな。俺にはこの宝石は濁っているように見えるんだ」

 事情を説明すると、目を丸くした二人はしげしげと宝石を眺めだす。

 「そうなんですか?白上には水晶みたいに見えますけど…」

 「ウチもフブキと同じ。もしかして人によって見え方が変わるのかな」

 三人揃って首を傾げるが、当然考えた所で何が分かるわけでも無い。けれどこの宝石によって俺は消滅せずに済んだのだから、何かしらの手掛かりであることは間違いないだろう。

 それについても聞いてみると、やはり大神や白上も意見は同じ様だった。

 方向性も定まったところでその後も二人から事情を聴いている内に、いつの間にか窓の外の空は焼けるような茜色に色づいていた。

 「そろそろ良い時間ですし、夕食にしませんか?」

 「そうだね。じゃあ、今日はいつもの所に行こっか」

 ふと窓の外を見た白上はそう言うと軽やかに立ち上がり大神も頷いてそれに続く。大神の返事を聞いた白上は「席を確保してきます!」とそれだけ言い残し、すさまじい勢いで部屋を出て行ってしまった。

 「…いつもあんな感じなのか?」

 そんな彼女の背をぽかんと見送りつつ問いかけると、大神は乾いた笑い声を上げる。

 「まぁ、今から行く場所はフブキのお気に入りだからね。勿論、ウチも一推しだよ」

 「それは楽しみだ」

 何となく二人の関係性が垣間見えた気がして小さく笑みを浮かんだ。

 随分と軽いような気のする身体に若干の違和感を覚えつつ立ち上がると、俺は白上を追って大神と共に部屋を出た。




 

 そんな感じで。
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どうも作者です。
感想送ってくれた人まことにありがとうございます。
以上


 

 茜色の空に浮かぶ雲がすぐ近くに見える。どうやらシラカミ神社は山の頂上に位置しているようだった。

 「結構な標高の高さだな…」

 「そうだね、付近だとこの山が一番高いかな。…透君、こっちの道だよ」

 そうして大神に先導される形でシラカミ神社を出て山を下り始めてから暫くして、これは出汁だろうか、何やら食欲を刺激する香りが漂ってきて、胃が空腹を訴えかけてくる。

 「良い香りでしょ。味は多分想像以上だから、期待してて」

 それに気が付いた大神はチラリ振り返る。その顔にはふふんと擬音が聞こえてきそうに得意げな笑みが張り付いていた。

 進むごとに香りをより強く感じる中、空きっ腹を抱えて更に数分程掛けて山の麓まで降りてくると遂にその匂いの元に辿り着いた。

 「『ミゾレ食堂』」

 一軒の和風な建物に掲げられた看板に書かれた文字を口に出して読み上げる。

 「ここなのか?」

 「うん、先にフブキが席を取ってくれてると思うから、すぐに座れる筈だよ」

 答えながら大神は慣れた様子で入り口に下げられた暖簾を潜り、俺もそれに続いて中へ入る。外観的にそこまで大きくはない建物であったが、中は同じく食事をしに来た者たちで賑わっていた。

 テーブル席でジョッキを合わせて笑い合っている者、カウンター席で黙々と料理に舌鼓を打っている者とさまざまであったが、その中でも一際異様な光景が視界に映り目が留まった。

 背を向けていて顔は見えないがその人物はテーブル席に一人座り、ただひたすらにうどんを啜っていた。それだけならまだしもテーブルの上に置かれた空の器は五つは超えている。

 体が大きいわけでも無しによく食べるものだと、その人物の頭で揺れる白い獣耳を目で追いながらぼんやりと考えて…。

 (…白い獣耳?)

 「あー、もう…フブキ、またきつねうどんばっかり食べて!」

 遅れてやってきた違和感に内心首を傾げていると、横で大神がその人物に向けて声を上げた。その声に驚いたようにピンと白の獣耳が立てられ、視線の先に座る白上の肩が震える。

 「んぐっ!?…ミオ、驚かさないで下さいよ!」

 水の入ったコップを一気に呷ってから、テーブル席に座った白上はこちらへと振り返った。そんな彼女に大神は小さくため息を零しつつ白上の元へと進む。

 「そろそろ本当にきつねうどん禁止にする?」

 「そんな…!白上のソウルフードを取り上げようだなんて、狼の風上にも置けませんね」

 「フブキが隙あるごとに食べるからでしょ。狼は関係ありません」

 きゃいきゃいと言い合う二人の声を聞きながら、しかし俺の視線はテーブルに並べられた空の器に向けられていた。

 それらは決して小さな器ではなく普通に丼かそれ以上の大きさで、どう見ても一杯で成人男性が満腹になる量である。それが複数並べられているのは飾りでもなんでもなく、実際に白上が完食したという証なのだろう。

 (…一体、あの体の何処に…) 

 視線を移して、じっと白上を見つめていれば流石に彼女も気づいたようで大神との言い合いも程々にこちらを向いて首を傾げる。

 「ん?透さん、何を見て…」

 言いつつ視線を辿る白上は自然と自らの身体へと目を落とし、そして自分の身体が見られていると気付いた彼女はかっと顔を赤く染めた。

 「ちょっ、どこ見てるんですか!」

 そうしてばっと体を抱くように隠す彼女に、あらぬ誤解を受けている事を理解する。だが別に変な意図は無いのだ、すぐに訂正しようと慌てて口を開く。

 「待て待て、誤解だ。俺が見てたのは白上の腹なんだ!」

 「あぁ、何だお腹ですか…って、本当にどこ見てるんですか!」

 一瞬納得しかけた白上は、けれどやはり許容できなかったようで抗議の声を上げ、次の瞬間ぱしんと軽快な音がミゾレ食堂に鳴り響いた。

 「あだっ…!」

 それと同時に頭部に衝撃が走り地味な痛みが遅れてやってくる、何をされたのかと目を上げれば白上は片手にいつの間に取り出したのか、ハリセンを持っている。どうやらあれで叩かれたようだ。

 「透さん、流石の白上も露骨に見過ぎるのは良くないと思います」

 むっとしたように言う白上だが、その頬にはまだ朱色が残っていた。

 「悪い、何と言うか何処に入ってるのか気になったんだ。後太らないのかなー…と」

 「…は?」

 言い切った途端に周囲の温度が下がった気がした。ぴたりと笑顔で表情を固めた白上は『今何と言ったお前』と言わんばかりにハリセンを刀の様に喉元へ突きつけてくる。

 完全に逆鱗に触れてしまった。マズイと脳が認識すると共に、何とか状況を打開しようと助けを求めて白上については詳しいであろう大神へアイコンタクトを送る。

 『大神、助けてくれ』

 するとそんな念が通じたのか、大神はこちらを向くとその顔にまるで女神と見間違うばかりの優しい笑みを浮かべた。

 そして大神はこくりと頷くと、ゆっくりと口を開く。

 「フブキ、正直ウチもずっとそう思ってた」

 「あー、駄目だこりゃ…」

 ただそれも気のせいであったようだと、続いた大神の発言で即刻思い直した。

 「ミオ!?」

 まさかの裏切りであったのは白上にとっても同じようで絶望と驚愕をその顔に浮かべている。大神にまで肯定されてしまい、これではもう撤回しようにも意味が無くなってしまった。

 「ふ、ふふふ…、いい度胸ですね、二人とも歯を食いしばって下さい!エンチャント!!」

 かなり効いたらしく、顔を俯かせたゆらりと揺れる白上から壊れた笑い声が聞こえてきたかと思うと、白上は勢いよく顔を上げ、若干の涙目のまま手に持っていたハリセンへと指を添わせた。

 するとたちまちハリセンは光を発しながらその形を変化させ、次の瞬間にはハリセンの代わりに大木槌が白上の手に握られていた。

 「事実なんだから仕方ないでしょ!えーっと、何だっけ。…詠唱省略!」

 それに対抗するように大神が言い放つと同時に彼女の両拳へ炎が灯った。

 (なんだ、あれ…)

 瞬く間に空間に満ちた一触即発の空気と、目の前で起こった非現実的な事象に思わず体を硬直させる。そんな俺に構うことなく、遂に二人が互いに動きだそうとぐっと力が込められたその時だった。

 不意に、白上と大神の傍に大柄な人影が現れた。その人影は大きくその両腕を振り上げると、そのまま二人の頭へと振り下ろした。

 「にゃん!?」

 「きゃん!?」

 鈍い音と共にそんな白上と大神の悲鳴が上がる。二人に拳骨を浴びせたその恰幅の良い大柄な女性は腕を組み、呆れたように頭を抑える二人を見下ろす。

 「何暴れようとしてんだい、ここは飯を食う場所だよ!」

 「「すみませんでした!」」

 ドスの利いた声に、二人は流れるような土下座を披露する。多分あれは逆らってはいけないタイプの人間だ。本能が逆らうことを拒否している。 

 「ったく、あんたらは店を壊した前科があるからね…」

 ため息交じりに言う女性の顔は苦々しく歪められている。それは以前に余程酷い目に遭っている事は察するに余りある表情であった。

 「それはミオが…」

 「フブキが…」

 「何か言ったかい」

 女性の言い分に何か反論しようとする二人だったが、ぎろりと女性が鋭い視線を向けるとあえなく口を噤んで首を横に振る。取り合えず、あの三人の力関係は理解できた。

 「それで…」

 チラリと女性の目がこちらを捉えて、びくりと反射的に身構える。

 「あんたは…見ない顔だね、新入りかい?」

 「あ、はい、透です」

 不思議そうにこちらを見やる女性へピンと背筋を伸ばして答える。

 「あたしはミゾレ、このミゾレ食堂の店主さ。…それで、透と言ったね。あんた何でまたこの二人とつるむ様になったんだい。生半可な覚悟じゃ身が持たないよ?」

 「な、失礼な!」

 「酷いよミゾレさん!」

 女性、ミゾレさんが揶揄い混じりにそう言うと、それに呼応して白上と大神から抗議の声が上がる。確かに二人の言うことも分かるが、先ほどの件を鑑みるに何となくミゾレさんの言い分も理解できた。

 「ひょんな事から二人に助けられまして。身寄りも無いので当分世話になるのと、二人のしている調査の手伝いをしようかと」

 「ふぅん…、手伝いと言うと例の件だね…。という事はあれかい、あんたウツシヨから迷い込んできたんだね。」

 「…っ!?」

 唐突にズバリと言い当てられて思わず心臓が跳ねた。ウツシヨなんて単語は一言も使っていない筈だが、どうしてまたこの人はそれを見抜けたのだろう。

 驚いて思わず言葉を失っていると、ミゾレさんもそんな俺の様子を見て何を思っているのか察したのか豪快な笑い声を上げる。

 「さっき子らのワザを見て驚いていたろう?こっちじゃ珍しくはあるけど、存在自体は割と認知されていてね。それを知らないようだったからちょっと鎌を掛けたのさ」

 「成程…」

 納得しつつ胸を撫で下ろす。まさかテレパシーでも使えるのかという考えが浮かんでいたが、どうやらそういう訳でも無いようだ。

 「そう言えば透さん、ミゾレさんにも宝石について聞いてみませんか?」

 「宝石?」

 そうだ、人によって見え方が変わるのなら複数人に聞いておいた方が良い。白上に言われてそう考え、繰り返すミゾレさんへ見やすいように腕を掲げる。

 「これの事なんですけど、ミゾレさんはどんな色に見えますか」

 「…」

 ミゾレさんは無言のまま宝石を眺めると、すぐに驚愕に目を見開いた。

 「…そういうことかい」

 「ミゾレさん、どうしたの?」

 そんなミゾレさんの反応に疑問を感じたらしく、大神が問いかけるもミゾレさんは宝石から目を離さずに尚も見つめ続ける。その瞳には、納得、そして明らかな憐憫が浮かび上がっていた。

 「いや、あたしには無色透明に見えるね。…ま、さっきの件は大目に見ておくよ。透、あんたがちゃんとあの二人の手綱を握っておくんだよ」

 「え?あ、はい」

 言い残してミゾレさんは奥へと引っ込んで行ってしまった。

 「ミゾレさん、どうしたんですかね?」

 「何か知ってるのかな…でも、ミゾレさんが話したくないなら無理には聞けないね」

 一応はミゾレさんからも宝石の色については聞けたし、ミゾレさんの反応は気になるが、取り合えずこれ以上は保留という事で方針はまとまる。

 「それより、何を頼むか決めよ。これメニューね」

 「ん、あぁ、ありがとう」

 席に座ると、そう言って大神からメニューを手渡された。そう言えば元々は食事をしに来たのだと思い出し、先の件は頭の片隅に追いやってメニューを受け取り、目を落とす。

 見る限り和食が中心のようだが、それでもかなり幅広く取り扱っていて内を頼むか迷ってしまう。

 「じゃあ…俺は唐揚げ定食で」

 「ウチはぼんじり定食にしようかな」

 「あ、白上もきつねうどんを追加で!」

 横合いから白上の声が乱入してきて彼女の方へ目を向けると、いつの間にか先ほどまで白上の前にあった器が空になっていた。

 「…まだ食べれるのか?」

 「それはもう、白上のソウルフードですから」

 戦慄気味に問いかけると当然とばかりに白上は胸を張る。

 「うどん以外だと普通なんだけどね…」

 「ミオだって大抵ぼんじりを頼むじゃないですか」

 呆れたように息を吐く大神に、白上は心外とばかりに言い返す。

 ぎゃいぎゃいと再び騒がしくなるテーブル席だったが、周りは特に気にした風も無い。割とこれは日常茶飯事なのかもしれないとふと思いながら、時間は過ぎて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 食事を終えた三人が店を出るのを見送って、ミゾレは先ほどの件について思い返す。

 透の腕に埋め込まれていたあの宝石。いつか文献で見たものと殆ど同様であった。恐らく、いや間違いなくあれと一致するものだろうと、ミゾレは当たりを付けていた。

 「まったく…透は、之から苦労するんだろうね…」

 ミゾレ食堂の中ぽつり零して、ミゾレは自らの家族へと想いを馳せた。





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どうも作者です。



 

 食事を終えてミゾレ食堂を出ると、既に辺りには夜の帳が降りていた。

 白上と大神と共に行きと同じかそれ以上の時間を掛けてシラカミ神社へと戻る。食後の運動にしては些か過剰な気もするが、息を切らす俺に比べ二人は思いの外けろりとしていた。

 「透さん、大丈夫ですか?」

 「大丈夫だ…問題ない。」

 不思議そうにこちらを見る白上にそれだけ返しつつ呼吸を整える。山の頂上付近という事もあり、行きはまだ下りの分マシであったが、食後の帰りの上り坂は最早殺人的であった。

 にも関わらず、何故この二人は平気そうにしているのだろうと訝し気な視線を二人に送るが、彼女らがそれに気づく事は無かった。

 「あ、透君の部屋はさっき使ってた部屋をそのまま使って良いからね」

 「分かった。何から何までありがとう」

 「いえいえ、どういたしまして」

 礼を受けた大神はのほほんとした表情で軽く返答する。

 見ず知らずの人間に対してここまで親切にしてくれるとは、彼女たちはもしかしなくともかなりのお人好しなのだろう。とはいえ、俺が助かったのはそんな彼女らの気質あってこそだ。

 二人の厚意に感謝しつつ、けれどそれに甘えすぎないようにと自戒する。幾ら相手が良いと言ったからとそれで何も返さないという訳にもいくまい。

 (せめて、調査で何かしらの助けにならないとな…)

 心の中で決意を新たに、二人に続いて玄関を潜った。

 

 

 

 

 あてがわれた部屋にて一人、布団の上に寝転がる。それだけで大波の様な疲労感がどっと押し寄せてきた。しかし無理も無い、たった一日にしては今日という日の内容は濃すぎた。

 見知らぬ土地に見知らぬ人達、そしてワザと呼ばれた謎の力。そして何よりも自分の記憶の欠落、この世界に迷いもむ原因と思われるカクリヨの異変。

 (到底、たった一日の情報量とは思えないな…)

 どれか一つでも十分だと言うのに、こんなにも一気に詰め込まれては混乱の一つもする。それでもこうして落ち着いていられるのは、やはりあの二人に出会えたことが大きいのだろう。

 白上に大神。獣耳と尻尾を携えた少女たち。彼女らに助けられて、状況を説明して貰えて、自分の中でも少しは現状の整理をつけることが出来た。

 正直あの二人に出会えてなかったら、などとはあまり考えたく無い。

 (けど、不安はぬぐえない)

 調査の手伝いをすると決めたが、それとこれとはまた話が違ってくる。ふわふわと落ち着かない心地になるが、こればかりはどうしようもない。

 (これから、どうなるんだろ…)

 うつらうつらとしながら考えている内に瞼はどんどん重たくなっていき、いつの間にか俺は深い眠りに落ちていた。

 

 

 「こんこーん、入りますよー」

 そんな声と共に襖が開きフブキとミオが透の部屋へ顔を覗かせる。窓から差し込む月明かりを頼りに部屋を見渡せば、すぐに二人は寝息を立てる透の姿を見つけた。

 「あれ、寝ちゃってるね」

 「今日は色々とありましたから」

 それに気づいたフブキとミオは声を落として小さく笑みを浮かべた。

 「…まだ見えませんか?」

 「うん、無理みたい」 

 不意にフブキが問いかけると、ミオは首を横に振って答える。そんなミオの笑みには紛れも無い安堵が含まれていた。

 「ミオの占星術が外れたのは初めてですね」

 ミオを気遣うような目で見ながらフブキはぽつりと零した。

 「ウチも驚いてる。やっぱり、透君の影響なのかな…」

 再び二人の視線が透へと戻る。それからミオは切り替える様に頬をぱちんと叩くとくるりと透の部屋へ背を向けてぐっと伸びをする。

 「さーて、ウチらもそろそろ寝よっか。フブキ、明日は早起きだからゲームは程々にね」

 「分かってますよー…」

 「こら、そっぽ向いて答えないの」

 確実にそんな調子で言い合いながら二人は襖を閉め、部屋を後にした。

 

 

 

 

  

 瞼を貫いてくる朝日に目を覚まして体を起こす。疲労もあってかあのまま一晩中ぐっすりと眠れたようだ。窓の外を見てみれば丁度朝日が顔を出しているところだった。山の頂上付近な事も有り景色は良い。

 「二人はもう起きてるのか…?」

 彼女らの生活習慣など知らぬ存ぜぬである。取り合えず一階に降りようと部屋の襖を開けると、急に目の前へ黒い獣耳が現れた。

 「「あっ」」

 軽く下を向けば大神と目が合い、二人揃ってそんな声を上げる。どうやら丁度大神も部屋へ入ろうとしていたようだ。

 しかし何故か大神は「やっべー」と明らかに何か失敗したように表情を固めていて、そんな彼女の両手には金属製のフライパンとお玉が握られている。

 それを見てすぐに大神が何をしようとしていたのか察しがついた。恐らく今なお夢の中に居た場合、けたたましい金属音が神社に鳴り響いていたのであろう。

 未然に防ぐことが出来たのは何よりだが、しかしこれは之で気まずさを感じる。

 「えっと…おはよう、大神」

 「おはよう…あ、あはは、透君朝早いんだね…。ウチはフブキを起こしてくるから先に水浴びをしてきなよ、水場は神社の裏手を進んだ所にあるから!」

 大神は誤魔化し笑いを浮かべ、タオルを押し付けながら早口でまくし立てるとそのまま逃げる様に去って行ってしまった。

 「…止めた方が良かったか?」

 そんな大神の背を見送りつつ一人呟く。起こすとは恐らく今先程失敗したものと同じ方法が用いられるのであろう。

 「まぁ…もう手遅れだし、別に良いか」

 若干白上が不憫に思えるが大神は既に行ってしまったし、生憎と白上の部屋の場所を俺は知らない。もしかすると白上が起きているかもしれないという絶望的な可能性に賭けつつ、水場へと足を向けた。

 

 大神に教えられた通りに神社の裏手側の木々の間を進んで行けば、間も無く水音が聞こえて来て小さな滝と湖が見えてきた。

 道中神社の方からがんがんと言った金属音とそれに伴って甲高い悲鳴が聞こえてきたが、そこまで気にしなくとも良いだろう。

 思っていたよりも低い水温に体を震わせつつ水浴びを終えてから再び神社へと戻る。

 冷たい水によってさっぱりとした気分のまま髪の水気を取りつつ居間へと入れば、テーブルの前に座って眠そうに眼を擦っている白上の姿を見つけた。

 「おはよう、白上。今朝は災難だったみたいだな」

 「おはようございます、透さん。ほんとですよ…、もうあんな起こされ方は懲り懲りです…」

 やはり大神の餌食になっていたらしい白上は不満げに言いながらテーブルに突っ伏してしまう。心なしか揺れる彼女の耳と尻尾には力が入っていない。

 「…透さんは大丈夫だったんですね。」

 「あぁ、丁度部屋の前で鉢合わせてギリギリセーフだった。」

 白上がそっと組んだ腕の間からこちらを覗き込む中、今朝の事を思い返し彼女の向かい側の椅子に座りながら答える。 

 本当にタイミングよく起きれて良かった。ほっと息を吐くも、しかし白上としては同士が欲しかったのか少し詰まらなそうにぺたりと耳を垂れさせた。

 「そうですか…。…ん?それなら透さんはミオの悪行を止められたのでは?」

 「妙な所で勘が良いな…」

 ばっと顔を上げる白上から目を逸らす。

 もしかするとあの場で急いで大神を追いかけることも出来ない事も無かった。それこそ大声で呼べば反応くらいは返って来ただろう。しかし俺はそうしなかった、何故なら…。

 「まぁ、止める理由も無かったしな」

 「あー、やっぱり!!止めなかったんだ、白上の安眠が邪魔されるのを見逃したんだ!」

 「あー、聞こえない聞こえないー」

 立ち上がり大声で糾弾してくる白上の声を両手で耳を塞いで聞こえないふりを決め込むが、そこで白上が引き下がる様子は見えず、むしろ無理やりでも声を聞かせようと毛を逆立たせて襲い掛かって来る。

 「狐の怨念を思い知らせてやりますよ!」

 「その程度で…、ちょっ、見た目の割に力強くないか!?」

 その細腕の何処からそんな力が沸き上がって来るのか、全力で抵抗しているにも関わらず普通に手が耳から離れそうになる。

 必死に抵抗する俺と、何とか手を引きはがそうとする白上。そんな俺達の謎の攻防戦は朝食を持った大神が居間に戻ってくるまで続くこととなった。

 「ほら二人ともじゃれ合ってないで、朝ごはんだよ」

 「「ッ!?はいっ!」」

 そんな声と共に漂ってくる味噌汁と白米の香りに俺と白上ははっとしたように戦を止め、我先にと席に着きテーブルの上を片づけ始める。 

 「…もう、二人ともいつの間にそんなに仲良くなったの?」

 そんな俺達の様子を見て大神は呆れたように笑い、それを受けて思わず白上と目を合わせた。

 自然と気安く接していたが、そう言えば昨日が初対面だったことを思い出す。

 「何と言っていいのか分からないんだが…」

 「気が合うと言いますか、絡みやすいんですよね…」

 続けられた白上の言葉に彼女も同じ感想を抱いていたのかと内心驚く。彼女の言う通り、馬が合うのか妙に接しやすいのだ。

 何故かと考えるも答えは出ない。ただ不思議と白上には親しみ易さを覚えた。

 「へー…じゃあウチは?透君、ウチは接しやすいかな」

 「大神か?」

 首を傾げ合う俺と白上の様子を見て大神も気になったらしくそう問いかけてきて、改めて彼女の事を見てみる。  

 確かに大神も話しやすいのだが、しかし白上と同じ感覚かと言われれば違うと答えざるを得ない。白い割烹着を着た彼女の姿はまるで…。

 「「おかんだな(ですね)」」

 「なんでよー!」

 白上と声を揃えて答えれば、そんな大神の悲鳴が上がる。カクリヨに来て二日目、これからも何とかやっていけそうだと思えた。

 雑談交じりに朝食を終えてから、白上の淹れてくれたお茶を飲みつつ俺達は今日の予定について話をすることになった。

 「それでは、今日はキョウノミヤコへ行きたいと思います。」

 高々と宣言する大神へぱちぱちとまばらな拍手が飛ぶ。

 キョウノミヤコ。名前からして何処かの街か都市の事だろう。このカクリヨで訪れた場所はミゾレ食堂とシラカミ神社のみで、街など人の大勢いる場所に行くのはこれが初めてだ。緊張に鼓動が早まるのを感じる。

 「目的は少し前からキョウノミヤコで流れてる変な噂の調査なんだけど…何でも夜に幽霊が街を徘徊してるんだって」

 流暢に話を続ける大神だったが、何故か噂の内容の部分でがたりとテンションを落とした。大神だけではない、よく見てみれば白上も同様に気落ちしている様に見える。

 そんな二人の様子にピンときた。

 「もしかして、二人共幽霊系が駄目なのか?」 

 「「はい」」

 即答である。

 少し前からという事は以前から情報自体は掴んでいたのだろうが、それが原因で調査には踏み切れていなかったようだ。

 「その、昼間はウチとフブキも手伝うから、夜の方は透君にお願いしたいなって…」

 「夜の幽霊は無理なので本当にお願いします、透さんが居ないと本当に詰みます」

 早口で拝み倒す勢いで懇願してくる二人に、何もそこまでしなくてもと思わず苦笑いが浮かぶ。しかし、二人にとっては死活問題なのだろう。必死さがひしひしと伝わって来る。

 「分かった。寧ろそういうのは全部俺に回してくれ、じゃないといよいよ俺の立つ瀬が無くなる。」

 ただでさえ世話になっているのだ、二人の出来ない事を俺は肩代わりできるのなら率先してやっていきたい。そう思い快諾すると、パッと白上と大神の顔が輝いた。

 「ありがとー!いやー、透君に出会えて良かったよー」

 「本当ですねー」

 「…もう少しマシな喜ばれ方をされたいもんだがな…。まぁ任せてくれ。」

 そうしてあらかた方針が決まったところで一時解散となりそれぞれが身支度を整えると、早速俺達はキョウノミヤコへと出発した。

 







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どうも作者です。



 

 天を刺す巨大な神木を中心広げられた街、キョウノミヤコ。

 シラカミ神社から少し離れた場所に位置するその街は住人と様々な土地から集まった旅人で活気づいており、イワレに満ちている反面ケガレもまた多く集まる場所。

 「と、キョウノミヤコの概要についてはこんな感じです」

 そう話終えるのは隣を歩く白上。

 キョウノミヤコへと向かう道中にて、俺はこれから向かう街について彼女から説明を受けていた。

 「白上からは以上ですけど、何か気になる事はありましたか?」

 「そうだな、じゃあ…」

 そう問いかけてくる白上に、ふと先ほどの話を思い返す。聞く限り元々良い意味でも悪い意味でも何かと集まりやすい場所であり、それ故に今回の幽霊の様な噂話も多くあるらしい。

 その辺りは理解できたが、一つどうしても気になる点があった。

 「さっきの話に出てきたイワレって、一体何なんだ?」

 どうも聞き馴染みの無い単語だがカクリヨ特有のモノだろうか。疑問に首を傾げていると、それを見た白上は一瞬きょとんとした後に得心がいったようにぽんと手を打った。

 「あ、ウツシヨにはイワレが存在しないんでしたっけ。イワレは…そうですね、説明が難しいというかどう表現するのが正解なのか分からないんですけど…、いわば世界から貰う経験値で、それを利用して様々な現象を起こすことが出来るものなんです」

 「現象…、ミゾレ食堂で二人が使ったワザもその内の一つか」

 先日のミゾレ食堂で見た不可思議な現象。

 刀の形状がひとりでに変化したり、拳に火が灯ったりしたあれはイワレによって起こされたものであったのかと一人でに納得する。

 「しかもね、世界からイワレを貰う基準もまだ全部解明されてないんだよ。一応自分を認めてくれる誰かに少しずつ溜まっていく、みたいな法則もあるんだけど、絶対にそれだけじゃないし…」

 白上の説明を引き継いで続ける大神も何処か懐疑的で、彼女たち自身、イワレについてそう多くは知らないようだ。

 「取り合えず、そのイワレが多ければ多い程強い力が使える…みたいな認識で良いのか?」

 「うん、それで大丈夫。それでイワレが一定以上溜まるとね、ヒトでもケモノでもなんでも一緒なんだけど、アヤカシっていう一つ上の存在に昇華して、イワレの上限値が拡大してワザが使えるようになるの」

 「こんな風に」と話しながら大神が手をかざすと、その掌の上にぼんと小さな火の玉が生じた。以前もそうだったが、改めて目の前にこうした超常的な現象を起こされると驚きが前面に出てくる。

 手の上に火がある訳だが、見る限り熱さを感じている風でも無い。というか、詠唱は特に必要は無いらしい。

 そして何より、そのワザを二人共が使えるという事は…。

 「という事は白上と大神もそのアヤカシなんだな」

 耳や尻尾も存在の昇華とやらの影響かとそう考えるも、しかし二人は否定するように首を横に振った。

 「いえ、白上達はアヤカシのもう一つ上のカミに属しています」

 「アヤカシの中でも上位の存在が更にイワレをため込むとカミに成るんだよ」

 さらりと言ってのけられたその事実に開いた口が塞がらなくなる。思っていた以上にこの二人はカクリヨでは大物であるらしい。それと同時に偶然とはいえそんな二人に巡り合えた事が奇跡に思えた。

 「通りで、やけに力が強いと思ったんだ」

 今朝のやり取りを思い返しながら呟く。

 得体のしれない人間に特に躊躇も無く近づけるのも彼女たちの気質もあるのだろうが、強大な力を持つが故なのかもしれない。

 「けどそれなら、白上達とは行かずともキョウノミヤコにはイワレを扱える人がゴロゴロいるんだよな…」

 幽霊の正体は知れないが、仮にアヤカシ以上のイワレを持ったものが原因であった場合、俺一人では対処できそうも無い。

 あくまで調査として下手に手を出したり声を掛けたりするのはやめておこう。と、内心決意を固めていると、不意に白上が何か思い出したように声を上げた。

 「あ、そうでした。透さん、護身用にこちらを差し上げますね」

 ごそごそと荷物の中から何か棒状のものを取り出すと、そのまま白上はこちらへ差し出してくる。何かと疑問に思いつつズシリと重いそれを受け取り被されていた布を取ってみると、シンプルながらも見事な装飾の為された一本の刀が姿を見せた。

 「これは…貰っても良いのか?」

 明らかに貴重そうな刀に確認するように白上に問いかけると、彼女は頷いて軽く了承する。

 「はい、その刀は一応シンキ…武器にイワレが宿ったアヤカシなんですけど、白上とは相性が良く無くて…。なのでぜひ透さんに役立てて戴ければと」

 「そういう事なら、ありがたく使わせてもらうよ」

 刀など扱った記憶は無いが、見せかけだけでも持っているだけで変わるものだ。帯や刀差しも持っていない為紐を使って肩に掛けている中、白上は刀を見つめて何やら唸り声をあげていた。

 「うーん…確か何か能力があった筈なんですけど…」

 「…もしかしなくとも、忘れたんだな」

 「ウチもその刀は初めて見るかも」

 どうやら大神も知らないようだ。しかしそうなると実際に試す他確かめる手段も無いだろう。

 白上も同じ結論に至ったのか、こちらへ視線を戻し口を開く。

 「透さん、多分鞘から抜くのが発動条件だったと思うので、一度刀を抜いて見て下さい」

 「分かった」

 言われるがままに刀を持ち上げて、白上の見せてくれる見本の通り鯉口を切り、刀身を僅かに覗かせる。

 瞬間、刀が発光し凄まじい閃光が辺り一面を覆いつくした。

 あまりに突然の事で目を塞ぐことも叶わず、真正面から光を直視し途轍もない痛みが目を貫いた。真っ白な視界の中、意味をなさないうめき声が漏れる。

 近くから同じような声が聞こえてくるのは白上や大神も同様に光を浴びたが故だろう。暫くの間三人揃って仲良く目の痛みに悶え苦しんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 「…取り合えず、何かあっても安全に切り抜けられそうだな」

 刀の効果を身をもって体感した後、率直な感想が口を突いて出た。実際、未だに目がチカチカとしている。これなら信号にも目くらましにも使えるだろう。

 問題点としては自滅になるくらいだが、そもそも戦闘など以ての外な為特に問題にはならない。

 「フーブーキー!」

 「あいたたた、ごめんなさいごめんなさい!?」

 尚、白上は現在進行形で大神に耳を引っ張られている。当然の如く痛いようで、その瞳には若干の涙が浮かんでいた。

 それからも道を歩いていると進むにつれて前方に大きな街並みが見えて来て、だんだんと人通りも増えてきた。

 時折そのすれ違う人の中に白上や大神と同様に尻尾や獣耳を持つ者もちらほらと見えて、改めて自分が見知らぬ世界に迷い込んだのだと再確認させられた。

 都の入り口に辿り着き、ようやくキョウノミヤコへと足を踏み入れる。

 中央の道は多くの人が行き交って居り、道の端には様々なアクセサリーや軽食を並べた露店らしきものが立ち並んでいる。

 「透君、初めてキョウノミヤコに訪れた感想はどうかな」

 「いや、もう言葉が出ないな、これは…」

 大神に問いかけられるがまともな感想が思い浮かばない。噂に違わぬ街の盛況ぶりに、俺は完全に圧倒されていた。

 「そうですよね、いつ見ても人に溢れていて白上もこの街は好きですよ」

 ふと見てみれば、そう話す白上は何処かそわそわとしていて先ほどから忙しなく尻尾を揺らしていた。

 がやがやと活気にあふれた街は最早常時祭りでもしているかのような雰囲気に満ちていて、確かにこれはテンションが上がる。

 そんな俺と白上を見て、大神はくすりと小さく笑みを浮かべた。

 「ふふっ、それじゃあ早く宿を取って自由行動にしようね。あ、でも二人共ちゃんと調査もするように」

 「「はいっ!」」 

 保護者の様になった大神の注意に白上と共に機敏に返事を返す。そうだ、ここには元々調査に来たのだ。それは忘れてはならない。

 それから俺達は手ごろな宿を取って荷物を降ろし、早速街へ出る事となった。

 人が多すぎて進みにくいかと思ったキョウノミヤコだったが、存外道が広いのと道の脇の露店に人が流れている事もあり快適に移動は出来た。

 「…ん?あれは…」

 足を止めている住人に聞き込みをしながら街を回って暫くして、見覚えのある白い獣耳を視界の端に捉えた。

 見てみると白上は両手に大量の袋を下げつつ、楽しそうに次から次へと露店を巡っていた。

 更にそこから数刻後、何やら道端に出来た人だかりが目についた。

 気になって覗いてみれば、今度は見覚えのある黒い獣耳が視界に映った。よくよく見てみればいつの間に出店したのか、露店の中で大神がタロットカードを用いて占いを行っているようだった。

 二人共、方法は違えども結果的には多くの人に話を聞けている事が分かり、これは負けていられないと妙な対抗心に火が付く。

 「ちょいとそこの、こっちに来てみなさい」

 「はい?」

 気合を入れ直し聞き込みを続けようとした所、急に横合いから声を掛けられて振り返る。すると、年配の女性がこちらを見て手招きをしていた。

 どうしたのだろうと招かれるままに近づいて行けば、女性はじっと俺の足先から頭の天辺までを眺めまわす。

 「あんた、そんな珍妙な格好だと悪目立ちするよ。それに刀を後ろに下げてちゃ動きにくいだろうに…こっちに座ってちょっと待ってなさい」

 それだけ言い残して、女性は建物の奥の方へ行ってしまった。状況を掴めないままに事が進んで行く。困惑のままに、座って待っているとやがて女性は何着かの着物を持って戻って来た。

 「ほら、これに着替えて。あと替えようにこれらも持って行きなさい」

 「え…あの、良いんですか?」

 確かに周りを見てみれば基本的に皆着物などを身に纏っていて、恐らくウツシヨの服装のままでは浮いて見えるかもしれない。けれど、見ず知らずの人にここまでして貰うのはどうしても気が引けてしまう。 

 しかし、女性はそんな事お構いなしにぐいぐいとそれらを押し付けてくる。

 「遠慮なんかしてないで持っていきなさい。どうせ使わないんだから、使える人が持っていくべきなんだ」

 そんな女性の強引さに流されるままそれらを受け取り、奥で着替える。サイズも丁度良く、刀を腰に差せるようになり断然動きやすくなった。

 「すみません、ありがとうございます。…あの御礼とか何も出来ないんですけど、本当に良かったんですか?」

 「良いのよ御礼なんて、人生は助け合いだからね、代わりにこれから先困っている人と出会ったら、あんたがその人を助けてあげなさい」

 「…分かりました、ありがとうございます」

 女性に見送られる中、最後に頭を下げてその場を後にする。

 それからも聞き込みを続けるが、出会う人が誰もかれも気さくで親切で、この街がどんな街なのかを如実に表していた。

 この街、いや、このカクリヨに住む人々は皆こんな感じなのだろうか。

 やがて日が暮れて一度宿へ戻る。二人は既に戻っていたらしく、共有の広間でだらりとくつろいでいた。

 「悪い、遅れた」

 「いえいえ…、あ、カクリヨの服に着替えたんですね。お似合いですよ」

 「あぁ、ありがとう」

 にこやかに笑う白上に答えつつテーブルを囲う空いた椅子へ座る。歩き詰めだったためかそれなりに疲労は溜まっていたようで、じんわりと心地よさが足に広がった。

 「それじゃあ揃ったことだし、情報のすり合わせをしよっか」

 大神の一声を皮切りに、俺達は互いに今日の聞き込みで得た情報を共有する。

 纏めると、件の幽霊の話は殆どの人が耳にしているようだった。幽霊は誰も目に留めず、目の前に立っていても素通りしていくようで、何らかの目的が有って存在している、というよりはただそこに在るだけという感じらしい。

 幽霊というだけあって当然の如く触れる事は出来ないらしいが、一人だけその幽霊の身体を通り抜けたアヤカシの男が居た。男はその瞬間意識を失い、次に目を覚ました時にはワザも使えず、身体能力も落ちていたとのことだ。

 この事から、その男はイワレを失ったのではないかと言われている。 

 「…話は以上らしいが、イワレってそもそも無くなるものなのか?」

 その辺りの知識は無いため、率直な疑問を専門家の二人に投げかける。しかしこれに関しては彼女らにとっても異例の事らしく、悩まし気に首を傾げている。

 「ウチはそんな話聞いたことないかも…、ワザを使い過ぎたりするとイワレは消費するけど、イワレを奪われるなんて前例は無いと思う」

 「白上も同意見です。これはますます放っておけなくなりましたね…」

 今の所お手上げの様だ。前例のない以上、もしかするとカクリヨの異変が関わっている可能性もある。

 とにかく実際に幽霊を見て見ない事には始まらない、幸い目撃されることの多い場所も分かっている。窓の外を見てみれば、辺りには既に夜の帳が降りていた。

 「予定通り、ここからは俺一人で行ってくるよ。聞く限りだとイワレが無いなら問題も無さそうだ。」

 言いつつ椅子から立ち上がる。まさかイワレの無いことがここで役立つとは思わなかった。逆にこの二人はイワレの量が多い分、影響が大きいかもしれない。

 「ウチ達も待機はしてるから、何かあったらすぐに合図を送ってね」

 「分かった、その時は頼む」

 対処できない事態が起これば、すぐに刀を抜く。これだけ徹底すれば何とかなるだろう。

 持ち物を確認してから俺は宿を出る。鬼が出るか蛇が出るか、月明かりに照らされた夜道へ足を踏み入れた。

 

 

 





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どうも作者です。

感想と評価くれた人ありがとうございます。

以上


 

 

 宿を出発してから幽霊の出現するという場所まで、道中で遭遇する可能性も考え周囲に目を凝らしながら移動する。昼の喧騒は何処へやら、辺りには人一人存在せず、夜の闇に包まれたキョウノミヤコは不気味な程の静けさに満ちていた。

 そうして暫く進むが道中特に何事も起こらずに目的地へと到着した。少し開けた街道の交差点に当たる広間、話によるとここに幽霊が出現するとのことだ。

 「…まだ、居ないのか」

 辺りを見渡すもそれらしき姿は見えない。

 道の端の出っ張りに身を潜めて幽霊が出てくるのを待つ。まるで張り込みをする探偵にでもなったかのようだが、ぴりぴりとした緊張感はそんな遊び気分を軽く吹き飛ばしてしまう。 

 何が起こるか分からない以上常に警戒している必要があり、想像以上に精神的に負担がかかっていた。

 (けど、弱音を吐いてる場合でも無い)

 不安を押し殺し、ジッと息を潜めてひたすら待ち続ける。

 それからおよそ一時間程経過しただろうか、何の前触れもなくソレは突然現れた。

 闇の中から宙に浮いたままゆっくりと滑るように移動する人影、雲の合間から覗いた月明かりに照らされたソレには顔が無かった。いや、正確には顔を構成するパーツが無かった。

 目も耳も鼻も口も、ましてや皮や肉さえ存在しない。正真正銘、それは骸骨であった。

 (…確かに、何が起こってもおかしくないとは思っていたが…)

 けれど、流石にこれは予想外だ。

 噂で聞くのと実物を見るのとでは訳が違った。目の前の骸骨の幽霊から感じる寒気、怖気は足をすくませるには十分すぎるものだ。 

 人は未知にこそ真の恐怖を抱くと言うが、それが真実であることを今この身をもって理解した。

 (焦るな、まずは様子を見て…)

 ゆっくりと広間の中央へ移動するそれを物陰から観察しつつ心を落ち着かせていると、広間の中央に到着した瞬間、ぴたりと何かに反応するように骸骨霊はその動きを止めた。

 緊張のボルテージが急激に上がっているのを感じる。

 (なんだ…?)

 急な出来事に困惑していると、不意にこちらへと骸骨霊は顔を向けた。

 目が合う。

 無い筈の目と、けれどしっかりと目が合った。眼球などない、真っ暗な空洞の闇に射止められたかのように目が離せない。

 すると、一瞬骸骨の顔が笑うように歪む。それと同時に、今まで身を隠していたすぐそばの壁から青白い骨の腕が透過するようにでてきた。

 「っ!?このっ…!」

 出てきた腕に左半身を掠められつつ、咄嗟に物陰から飛び出る。実体は無いのか触れられたという感覚は無いが、代わりに触れられた部分に寒気を覚えた。

 先ほどの物陰に目をやれば、つい先ほどみたものと同じ骸骨霊が壁中からその姿を現していた。

 (瞬間移動…、いや、もう一体居たのか!?)

 チラリと広間の中央へ視線を向けるも、そこにも骸骨霊が居る。聞いていた情報では一体だった、しかし目の前の現実がその情報が間違いであると告げている。

 (とにかく、白上達を呼ばないと…)

 完全に異常事態だ。すぐさま知らせを送ろうと目を腕で覆い刀を抜き放つが、何も起こらない。昼間までは発生した筈の閃光が発生しない事に瞠目しつつ、不意にイワレを吸い取られた男性の話と、つい先ほど左半身を掠めた霊の腕を思い出す。

 (刀のイワレを吸われたのか、あの一瞬で…!)

 つい動きが止まり、その隙を逃さず二体の骸骨霊は双方向から宙を泳ぐように迫って来る。

 とにかく逃げなければ。その一心で慌てて地を蹴るも、その足元から更にもう一体の骸骨霊が出てきた。三体目の骸骨霊。咄嗟に方向を切り返そうと足に力を籠めるも、そんな複雑な重心移動が安易に成功するはずもなく、あえなく体制を崩した。

 これでは逃げることも出来ない。動きを止めた獲物に群がるように、霊達はそのまま近づいてくる。

 (万事休すか…)

 諦観を胸に目を閉じる、その時だった。

 「あつっ!?」

 突然、急速に右手の甲へと熱が宿る。まるで手が燃えているではないかと錯覚するほどの熱に目を開け右手を見れば、埋め込まれた宝石が小さな光を灯していた。

 今の自分の状況も忘れて呆然と宝石を見ていれば、不意に無風だったにも関わらず、宝石を中心として辺りに風が吹き荒れ始めた。

 その風はやがて渦となり、その風に煽られるように三体の骸骨霊が凄まじい勢いで引き寄せられてくる。だがそんな中でも霊達は逃れようともせず、むしろ流れに身を任せている様にも見えた。

 目の前にまで迫った三体の骸骨霊は、やがて渦の中心にある右手の宝石へと触れ、その中へと吸い込まれていった。

 次第に吹いていた風も止み、右手の熱もほとぼりを残し消えていく。

 「何だったんだ、今の」

 右手へと視線を落としたまま、上手く状況を飲み込めずにぽつりと一人呟く。どうやらとことんまでにこのカクリヨにおいて自分の常識は通用しないらしい。

 今までは見逃してきたが、やはりこの宝石には何かがある。異変に関係してるかは知れないが、少なくとも俺がカクリヨに迷い込んだ原因に関与しているのは間違いない、そんな確信あった。

 とはいえ、今考えた所で答えも出ないだろう。

 (ひとまず、白上達と合流しよう)

 骸骨霊は姿を消した。つまり今回の問題の原因は取り除かれたことになる。けれど、今起こった事象は俺だけでは到底理解しきれないし、二人の見解も聞いておきたい。

 そう考え来た道を戻ろうと駆け出す、その時だった。

 (…なんだ?)

 不意に感じた悪寒、脳の発する警告におもむろに足を止める。それと同時に足先の地面へ上空から凄まじい勢いで飛来した刀が音を立てて突き刺さった。

 「…ようやく、見つけた」 

 あまりに突然の事に体を硬直させている中そんな声が背後から聞こえてきて思わず振り返ると、そこには赤を基調とした着物を身に纏った一人の少女がこちらへ鋭い視線を向けて立っていた。

 その白の長髪は毛先にいくにつれて赤みが増していき、額には綺麗な角が二本生えている。腰に差された刀は二本、内の一本は鞘のみで先ほどの刀が彼女のモノである事が分かる。

 「は…」

 声を発した瞬間、少女の姿がかき消えた。その認識が脳へ到達すると同時に背後へぞわりとした気配を感じた。 

 (あり得ないだろ…)

 振り返った先に先ほどの少女が居ると分かる。けれど、あり得ない。霊のように複数人居る訳でも無いのだ、一個人がそんな速度で移動出来て堪るものか。

 振り返りたくない、けど振り返らないと、確実に命は無い。

 そんな脅迫観念に応じるがままに萎え掛けた心に喝を入れて振り返れば、既に少女はいつでも振りぬける体制で地面に突き刺さったままの刀へと手を掛けていた。

 それを目にしてただがむしゃらに持っていた鞘に入った刀で防御の構えを取り、少女はそのまま刀を振るう。

 とても刀と刀がぶつかりあったとは思えない轟音が鳴り響き、腕に途轍もない衝撃が走ったかと思うと、次の瞬間には俺の身体は後方へと吹き飛ばされていた。

 何度か地面をバウンドして木製の壁へと激突し、突き破った。がらがらとした木の転がる破砕音の中、身体中を蝕む激痛に呻く。

 (誰なんだ、どうして…)

 脳内にはそんな疑念が渦巻く。幸い、木材がクッションになったおかげか致命傷になるような大きな怪我はない、けれど切り傷に打ち身と自らの身体がボロボロであることは明白であった。

 「馬鹿力にも、程があるだろ…」

 人間をたったの一振りでここまで吹き飛ばすなど、到底人間業とは思えない。確実にあの少女は白上達と同様にイワレを扱える存在だ。

 そして先ほど。刀が交差した瞬間に自らの体内を熱い炎が駆け巡り、明らかに体が強化された。だからこそ、地面に叩きつけられてもこの程度で済んでいる。

 恐らくこの体内を駆け巡る炎に似たものがイワレだ。何となく、扱い方は理解できた。

 何故分かるのか、何故使えるようになったのか、考えている暇はない。ただ使えるうちに現状を切り抜けられればそれで良い。

 何とか立ち上がり一つ深呼吸を入れてから、意を決して外へ出る。

 空いた穴から姿を出せば、少女は鋭い視線を向けたまま両手にそれぞれ刀を構え立っている。何らかのワザだろうか、少女の瞳は淡く紅に輝いていた。

 こちらの姿を見つけると、少女はすぐに前傾姿勢を取った。

 (話し合う気は無いみたいだな…)

 覚悟を決め、身体中の痛みを無視してこちらも刀を構える。右手を中心としてかっと熱が体内に浸透しているようだ。

 一瞬の硬直の後、再び少女の姿がぶれる。先と同じ超高速での移動。けれど、今回は何とか視界にとらえている。

 肉薄する少女は左の刀を振りかぶる。その軌道上へ合わせる様に、抜いた刀を合わせる。

 より一層増した轟音と共に衝撃が腕を走るが、吹き飛ぶようなことは無くそのまま鍔迫り合いへと移行した。

 しかし彼女のもう片方の手にはもう一本の刀が握られたままだ。幾らでもやりようはあるのだろう、少女が次の行動に移ろうとしたその時、不意に彼女と視線が交差した。

 「…なんで、そのワザ…」

 そう呟いた少女は驚愕に目を見開き、その動きを止めた。何に驚いているのかは関係ない、ただこの一瞬の隙を逃す訳にはいかない、これを逃せば後は無い。

 痛みに霞む思考の中、最後の力を振り絞り自らの持つ刀へとイワレを流し込み、記憶を頼りに刀に指を這わせて叫ぶ。

 「エンチャントッ!!」

 その詠唱と共に、凄まじい閃光がキョウノミヤコの一角を包み込んだ。まるで目の前に太陽が出現したかのような光量は辺りを白く染め上げた。

 昼間に見た以上の閃光。この暗闇の中こんなものを食らえば一たまりも無い。

 (…俺も含めて)

 目の前にある両手で持った刀が光源なのだから当然直撃する。視界は真っ白に染まり、あまりのショックに薄れていた意識は更に遠のいていく。

 これで白上や大神にも合図は送れたはずだ、後の事は二人に任せよう。そんな思考を最後に、プツリと電源が切れたように俺は意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 次に目が覚めた時、俺は借りた宿の一室に居た。

 先日に続いて再び白上達が運んでくれたようだ。申し訳ないとは思うが、しかし今回ばかりは仕方がない。

 謎の骸骨霊とそして謎の少女との邂逅。まだ体の節々は痛むが、この程度で済んだのはむしろ僥倖だ。

 部屋の中を見渡すも白上と大神の姿は無い。取り合えず事情は聴いておきたい。二人を探して部屋をでようと襖を開けると、誰かが襖の外に立っていた。

 「あ、あの…」

 そう声を発したのは額に二本の角を生やした見覚えのある少女だった。白上と大神はどうしたのか、緊張に身を固める。

 「さっきは攻撃して、ごめんなさい!」

 「へ…?」

 しかし、続いた唐突の謝罪に緊張は霧散しぽかんと口が開く。

 よくよく話を聞いてみれば、彼女もカクリヨの異変について調査をしているとのことで、霊の噂を聞いてキョウノミヤコへ訪れていたらしい。

 そして霊の出る場所へと向かってみると丁度俺の持つ宝石が骸骨の霊を吸収した場面を見たらしく、俺が今回の件の犯人だと勘違いしたようだ。

 「あー…、ならこっちにも非があるな。紛らわしい真似して、悪かった」

 あんな場面を見れば、誰であれ誤解するのも無理はない。

 「ううん、余が早とちりしちゃったから…」

 両者が互いに頭を下げ、今回の事は水に流すことにする。第二ラウンドの開幕かと思っていただけに、ほっと心の中には安堵が広がっていった。

 「お二人共、仲直りは出来ましたか?」

 「透君、怪我は大丈夫?」

 話が纏まった所で、そう言いながら白上と大神がやって来る。見た所先に話はしていたのか、面識はあるようだ。

 「悪い、また迷惑をかけたな」

 「いえいえ、元々白上達が同行していればすれ違いも起こらなかったんですし…」

 「ごめんね透君、一人に任せちゃって」

 そう言う二人は何処か気まずそうで、割と大事になってしまった事に責任を感じている風であった。とはいえ、あの場面を見た以上二人も共犯に見えるだろうし、むしろ被害が少なかった分これで良かった気もする。

 それから俺は二人からあの後の事を聞いた。

 到着した時には俺と少女が倒れていたらしく、先に意識を取り戻した彼女に事情を聴き事の経緯を説明して話を付けたらしい。

 「それで聞いてみると目的も同じなので、これからは一緒に調査をすることになったんです」

 「余は百鬼あやめです。よろしくお願いします」

 「透です。よろしく、百鬼」

 何処か緊張気味に自己紹介をする角の少女、百鬼にそう返しつつ握手をして改めて和解する。一時はどうなる事かと思ったが、良い形に纏まった。

 こうして、俺がこのカクリヨに来て初めて遭遇した事件幕を閉じたのであった。

 

 

 




 

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どうも作者です
自分で確認してこれ違うなって思ったことは修正するかも。足りなかったら足すみたいな。
以上。


 

 キョウノミヤコの調査から三日が経過した。

 あれから二日ほど骸骨霊が再び出現しないか様子を見るも特に何か起こる事もなく、この件については解決したと見て、俺達はシラカミ神社へと帰還する事となった。

 そうして改めてシラカミ神社での生活が開始された訳だが、早くも周囲にはいくつかの変化が起こっていた。

 まず、キョウノミヤコで出会った少女、百鬼が新しくシラカミ神社の居候仲間に加わった。彼女は元々他の場所に拠点を置いていたようなのだが、一緒にカクリヨの異変を調査するにあたって別々の場所に居るのも効率が悪いという事で、共に生活することとなったのだ。

 次に、俺の身体にイワレが宿りだした。

 右手の宝石が骸骨霊を吸収して、百鬼と対峙したあの夜に扱えるようになったこの力だが、時間の経過で失われるような事も無く、今尚自分の体内に意識を向けて見れば明確な力の流れを知覚できる。

 そう簡単に身につく力ではないと聞いていたイワレ。一応大神や白上にも事情を話して使えるようになった原因について話し合ったのだが、やはりこの宝石によるものだと結論づけられた。

 あの骸骨霊はイワレを吸収しているように見えたが実際にはイワレの封印に近しいものであったようで、何らかのイワレを封印したその霊を吸収したことでイワレが溜まったのではないか、とは大神の知見だ。

 しかしイワレを失ったアヤカシの男性にも話を聞きに行ったが、その時には既に男性のイワレは戻っており、宝石が吸収したものの中には含まれていなかったようだ。これは閃光を放つ刀についても同様で、抜くたびにピカピカと光っている。

 なら、俺は何のイワレを吸収したのか。正直この点に関しては揃ってお手上げである。大神の話もあくまで考察であり、実証がある訳でも無い。

 霊も消えた今原因は迷宮入りとなったが、何はともあれ結果として俺も立派なアヤカシの一員となってしまった。

 そして、最後にもう一つ。

 「じゃあ始めよっか、透くん」

 「あぁ、よろしく頼む」

 シラカミ神社から少し離れて、木々の開けた草原にて百鬼と向かい合う。両者の手に握られているのは木刀。ひゅるりと吹いた風に目の前の少女の長髪がなびくのと同時に地を蹴った。

 互いに振り下ろした木刀同士がぶつかり、カンと軽快な音が鳴る。

 イワレを扱えるようになったと分かってから、俺は百鬼に稽古を付けて貰うこととなった。

 当初は戦闘など出来なくとも何とかなると思っていたし、そもそもそこまで物騒な事件だとは思っていなかった。しかし先日のキョウノミヤコの件でイワレを持つ者の力の強大さを実感して最低限でも自分の身を守れる程度の力は必要だと思い、百鬼に頼み込んでみた所「良いよー」と思いの他軽く了承されて今に至る。

 目の前で木刀を振る百鬼が先日とは異なりその瞳に赤い光を灯しておらず、威圧感も感じさせないのはあくまでこれが手合わせ、模擬的な木刀の打ち合いである為だ。

 てっきり刀の振り方からゆっくりと教えて貰えると思っていただけにいきなり手合わせと言われた時は驚いたが、実戦の中で問題点を見つけるのが彼女なりのやり方なのだろう。

 打ち合いが開始してから一分が経過した。

 かなり打ち合っているが、それでも対応できる程度の力で段々と体も温まって来るのを感じる。

 二分が経過。

 気のせいか、少しずつ百鬼の動きの速度が上がってきている。まだ許容範囲内だが、流石に疲労が溜まってきて息が切れてきた。

 五分経過。

 百鬼の瞳に見覚えのある赤い光が灯りだし、その身体には赤いオーラのようなものを纏っている。流石にこのままでは対応できないと以前と同じようにイワレによって身体能力を強化するが、既に彼女の動きを目で捉えるのすら難しい。

 十分経過。

 何事かを呟いた百鬼の背後に鎧武者が顕現した。半透明なそれは背後霊とでも言えば良いのか、それが出現した途端彼女から感じる威圧感に脳が警告を発してくる。

 「百鬼、ストップ、それ以上は無理だ!」

 すぐ近くまで迫った身の危険に慌てて声を上げれば、ぴたりと百鬼は動きを止めて纏っていたオーラと背後の鎧武者も消えていった。

 「ん、一旦休憩にする?」

 「あぁ、そうさせてくれ」

 彼女が木刀を降ろしたのを確認してから、俺は思わず膝に手をついて酸素を求めて乱れた呼吸を整えようと深呼吸を繰り返す。それとは対照的に、目の前の少女は息一つ切らさずに手に持った木刀をくるくると弄びながら不思議そうな顔でこちらを見ていた。

 「透くん、大丈夫?」

 「大丈夫だ…。けど、ちょっと時間をくれ」

 それだけ返して額を伝う汗をぬぐい、ゆっくりと息を整える。吹く風の涼しさを感じつつ、落ち着いたところでようやく顔を上げると百鬼は待ってましたと言わんばかりに木刀を構え直した。

 「いや違う、再開するとかじゃなくて。できれば刀の扱いとかを先に教えて欲しいんだが…」

 百鬼のやり方に従おうと思っていたが、しかしこちとら刀を握って数日の初心者である。最初から何となくで刀を扱ってはいるが、そろそろ正しい扱い方を教えて貰いたい。

 それを伝えると、百鬼は完全に意表を突かれたのかキョトンとした表情をその顔に浮かべた。

 「え、透くん今まで刀使ったこと無かったの?」 

 「そうだけど…、気づいてなかったのか?」

 思わず聞き返すと、百鬼は「うん…」と呆然としたように頷くとしげしげとこちらに視線を向ける。

 「見た限り問題なかったし、大丈夫だと思うけど…」

 「…んー、まぁ百鬼が言うんだったらそうか」

 素人目に見ても百鬼が刀の扱いに秀でている事は分かる。それ程に彼女の振るう刀の軌跡は洗練されていて綺麗だった。そんな彼女が問題ないというのだ、偶然自分のやり方が正解だったのだと納得するほかない。

 だから百鬼もこうしていきなり手合わせから入ったのだろう。しかし当の彼女は「あれぇ…?」と未だに不思議そうに首を傾げている。

 「…本当に、余と会った時に初めて刀を振ったの?」

 「あぁ、事前に教えて貰ったのは刀の抜き方だけだな」

 確認するように問いかけてくる百鬼に、頷いて肯定を示す。

 あの時は刀の能力があればそれで良かったし、そもそも振るう意味自体がそこまでなかった。そんな中まさかイワレを扱えるようになるとは、完全に想定外の事態だったのだ。

 「一応聞いておきたいんだけど、何か細かい所で気になる所とかないのか?あれば変に癖がつく前に治したい」

 こういうのは最初が肝心だ。間違えたやり方で慣れてしまうと、その期間が長ければ長い程修正が難しくなる。

 そう思って聞いてみたのだが、何故か百鬼は表情を固くする。

 「百鬼?」

 「あ…うん」

 呼びかけるとそんな曖昧な返事が返って来る。一瞬逡巡するように視線を泳がせた彼女は、しかし決意するように一度目を閉じてからゆっくりと口を開いた。

 「…じゃあ、身体強化をしてみて?」

 「ん…分かった」

 予想外の点を指摘されて反応が遅れるが、すぐに言われた通りイワレの流れに意識を向けて、身体の中心から浸透させていく。

 (なんか、違うな…)

 感覚が研ぎ澄まされて、力が沸き上がる。先ほどの手合わせの時と同じ感覚、けれど改めて実感してみると何処かキョウノミヤコで使用した時とは感覚が異なる気がした。

 「出来たけど、どうだ?」

 この違いが問題点なのだろうかと百鬼へ確認を取るが、しかし予想外に百鬼は頷いて見せた。

 「うん、大丈夫。…じゃあ、次はもう一つ上でお願い」

 「もう一つ上…」

 何の事だろう。見当もつかないまま何度か試してみるが同じ身体強化を繰り返すばかりで変化は無い。

 「悪い、俺には出来ないみたいだ」

 「え、でも余と戦った時は出来てた」

 真剣な目をした百鬼に言われて、当時の事を思い返してみる。あの時は全身を炎が駆け巡るような感覚を覚えた。確かに、今の身体強化ではその感覚は無くただイワレが身体中を巡っている様な感じだ。

 だがそれが分かったところで、どう再現すれば良いのかが分からなければ意味が無い。

 (あの時は右手の宝石から…)

 と、試しに宝石を起点にしてイワレを流そうとするも、やはり変化は無かった。

 「…透くん、イワレを流すんじゃなくて使って消費するみたいな感覚で、もう一回やってみて」

 それから一拍置いて、目に赤い光を灯らせて百鬼が提案してきた。使って消費、その言葉を聞いて、それだと妙な確信が芽生えた。

 目を閉じ、集中して右手の宝石へ意識を向ける。今度は不思議と何をどうすれば良いのか、直感的に理解できた。

 (ここからここに…)

 感覚に導かれるがままにイワレを扱うと、やがて宝石は熱を帯び始め、血液に乗るようにして炎の様な熱は全身へと伝播していく。 

 「…百鬼、これであってるか?」

 出来た、そんな確信の元ゆっくりと目を開き百鬼の様子を伺う。

 「うん…あってる」

 てっきり満足そうな表情を浮かべていると思った彼女は、けれど悲しみと喜びの入り混じった様な複雑な感情が顔に浮かんでいた。

 「あ、ごめん、ちょっとびっくりしちゃって。…見間違いかもって、思ってたんだけど…」

 そう話す百鬼は見るからに動揺している。思えばキョウノミヤコで意識を飛ばす前、百鬼は何かを見て隙を見せていた。恐らくこれを見たからだと目の前の彼女を見て分かる。

 少し落ち着いてきたのか百鬼がそっと息を吐くと同時、身体強化を発動させた彼女から威圧感を感じる。

 「これが普通の身体強化で、アヤカシになったら誰でも使えるような基本的なワザ。その上が…」

 そこで言葉を区切るった百鬼は赤いオーラを纏い、更に彼女から感じる威圧感が増した。そうして開かれた彼女の瞳は紅に輝いている。

 「このワザは『鬼纏い』って言ってね。余みたいな鬼にしか扱えないワザなんだよ」 

 

 

 






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悪戯

どうも、作者です。




  

 鬼の種族のみに使える身体強化のワザ、鬼纏い。

 

 それが使えることが示す真実、それはつまり

 

 「透君に聞きたいんだけど。

  

  君は鬼なの?」

 

 静かに風が吹き抜ける中、百鬼は真っ直ぐにこちらを見つめている。

 

 その瞳が何を映しているのかは読み取れない。

 

 ただ分かるのは、此処で適当なことは答えてはいけない。そう思わせるほどの真剣味があった。

 なにが正解なのかは分からないが、此処は正直に答えよう。

 

 「違う…と思う。

  俺には自分自身に関する記憶が無いから断定はできないけど。」

 

 「…まぁ、そうだよね。角も生えてないし。」

 

 伏し目がちに百鬼は返す。

 

 その落ち込んだ様な悲しむ様な声に、声を掛けようとするも上手く言葉にできない。

 

 気まずい沈黙が2人の間を流れる。

 

 「ごめんね、変なこと聞いて。

 

  よーし、それじゃあ稽古の続き、始めるよ!」

 

 先程とは変わり、空気を入れ替える様に明るく話す。

 

 これは百鬼の根幹にある悩みというか、闇の部分なのだろう。

 

 そこに立ち入るには、まだ早い。

 そんな資格は俺には無い。

 

 ただ黙って頷く。これが俺にできる今の最良だった。

 

 「それにしても、透君は鬼纏い使いこなせてるよ。

 

  本当に初心者なの?」

 

 「それに関しては、俺自身もそう思うよ。

 

  ただ、感覚的にわかるというか。俺の中の何かがやり方を教えてくれているような気がするんだ。」

 

 実際、鬼纏いを発動しようとした時も、何となく浮かんだ手順で宝石にイワレを流し込んだだけだ。

 

 褒められても、自分の成果じゃないようで複雑な気分になる。

 ただ、この感覚に助けられている面もあるので、あまり悪いものであるとは思えなかった。

 

 「そっか、ありがとう。じゃあ、今度こそ。」

 

 百鬼が構えをとると、そんな雑念も切り捨てる。

 

 しかし、自分から頼んでおいてなんだが、百鬼は本当に楽しそうに刀を振るう。

 戦闘狂なのだろうか。すでに待ちきれないとばかりに体を揺らしている。

 

 これから始まるであろう地獄に冷や汗を流しながら、こちらも刀を構えなおした。

 

 

 

 

 

 「おーい、二人共ー、ご飯だよー!」

 

 その稽古は、大神が呼びに来るまで続いた。

 

 想像以上に実のある稽古になった。

 終始ぼこぼこにされていただけのようにも思えるが、刀だけでなく足さばきや体術まで、かなり参考になる。学んでいくことは大切だが、その見本がいるというのは大きい。

 

 「と、その前に透くんは水浴びしてね。汗だくになってるよ。」

 

 「…あぁ、分かった。」

 

 息も絶え絶えに何とか返事をする。

 

 一つ解せないのは、あれだけ動いておいて百鬼は汗一つかいていない点だろう。

 

 悪戯気に笑いながら手を振る百鬼に、顔が引きつっている自覚がある。

 

 大神が持ってきてくれたタオルを礼を言って受け取り、水場へと向かう。

 

 …今さらっとタオルを受け取ったが、大神の面倒見がよすぎる。

 

 ミゾレ食堂に行くこともあるが基本食事は大神が作ってくれているし、今のようにタオルの準備もよくしてくれる。

 

 改めて大神の偉大さに気づかされた。だからおかんと呼ばれるんだろうな。

 

 待たせるのも悪いので、ざっと汗を流すとすぐに戻る。

 

 テーブルにはすでに全員そろっていたらしく急いで席に着く。

 

 「悪い、遅くなった。」

 

 「いいですよー、そんなに待ってませんし。」

 

 「フブキちゃんもさっき来たもんね。」

 

 「フブキはゲームしすぎだよー、昨日も遅くまでやってたし。」 

 

 てへ、と全く反省していなさそうな白上。大神も慣れっこなのか特に言及はしない。

 

 「百鬼、稽古ありがとな。また頼んでいいか?」

 

 「もちろん、あれくらいなんでもないよ。」

 

 笑顔で快諾してくれる。

 

 よかった、気にはしていないみたいだ。いや、無かったことにしようとしているのか。 

 

 「よーし、それじゃあ全員そろったことだし食べよっか。」

 

 大神の号令でみんな揃って手を合わせる

 

 「「「「いただきます。」」」」

 

 

 

 

 食事の後、白上と大神は用事があるといってどこかへ出かけてしまった。

 何やら、大神の方が主で白上は手伝いに行くらしい。

 

 俺と百鬼は仲良くお留守番となった。

 

 「なぁ、昨日の夜も白上の悲鳴が上がってたけど、今度はどんな脅かし方をしたんだ?」

 

 刀の手入れをしている百鬼にふと気になったことを聞いてみる。

 

 百鬼はいったん手を止めて、唇に指をあてて考える。

 

 「んー、一回肩を叩いてあげてね、振り返った後、また後ろに鬼火で人の顔を設置したの。」

 

 「うわ、えぐいな」

 

 そりゃ、悲鳴の一つでも上がるわな。

 

 これから夜にこの神社を歩くときは気を付けておこう。

 いつ、またターゲットにされるか分からない。

 

 一昨日だったか、夜に廊下を歩いていると横からいきなり人影が現れた。

 

 そこまではよかった。

 

 しかし、だれか確認しようとした際に顔を見ると、その顔がなかったのだ。

 

 驚き、後ろに飛び退ると、百鬼の笑い声が聞こえてすべてを察した。

 

 「…あんまり心臓に悪いのはやめてくれよ?」

 

 百鬼は無言のまま二ヤッとだけ笑う。

 その顔はいかにも悪ガキといった風貌だった。

 

 どうやら、ターゲットにされる日は近そうだ。

 

 せめてもの反撃に全力でいやそうな顔を送っておく。

 その顔を見て百鬼は面白そうに笑っている。

 

 そんなに面白かっただろうか。

 

 そろそろ手持無沙汰になってきたので、百鬼に倣い、刀の整備をしてみよう。

 この機会にこちらも教わっておこう。

 

 部屋に戻り、刀を持ち戻ってくる。

 

 「百鬼ー、刀の手入れの仕方教えてくれー」

 

 「いいよー、透君本当に刀扱ったことないんだね。

  普通一番最初に倣うのに。」

 

 百鬼はふとこちらに視線を送ると、何かに気づいたのか驚いた表情になる。

 

 「どうした?なんかついてる?」

 

 聞きながら刀を抜こうと手をかける。

 

 すると、百鬼は唐突にあたふたしだした。

 

 「ちょ、ちょちょ、待った、その抜刀待った―!」

 

 「え、なんだいきなり」

 

 いきなりこちらに手を伸ばし声を荒げる百鬼に、あわやもう少しのところで手を止める。

 それを確認すると百鬼はほっとしたように息をついた。 

 

 「その刀あの時のでしょ、それ抜いたら前みたいに目が痛くなるよ。」

 

 フブキちゃんから、どんな刀なのか聞いたんだから、と早口にまくしたてる。。

 

 どうやら、前回の目つぶしが少しトラウマになっているらしい。

 それもそうか、あんな至近距離で気絶するほどの閃光を浴びたのだから、かくいう俺も同じ状態になっている。

 

 あー、びっくりした、と胸をなで下ろしている百鬼に、これはチャンスではと天啓が下りる。

 

 「なぁ、百鬼。」

 

 「ん、なに」

 

 声をかけて何か言う前に堂々と刀を抜いて見せる。

 

 「へ、きゃっ…!?」

 

 悲鳴を上げ、百鬼は慌てて腕で目を覆う。

 しかし、抜いた刀から光が漏れることはなく。当然何の影響もない。

 

 それに気が付くと、呆然としたように目を瞬かせている。

 

 その様子に何とか笑いをこらえながらネタばらし。

 

 「実は、ちゃんとコントロールできるようになってたんだよ。

  

  一昨日の仕返しな。」

 

 ぽかんとしている百鬼についに笑いをこらえられなくなる。

 

 やがて現状を把握できて来たのか、段々とそのほほが朱色に染まっていく。 

 

 「な、な…」

 

 何か言おうとしたようだが、自分も同じことをしているだけに何も言えないらしい。

 

 小さなリベンジに、達成感に浸っていると。百鬼の目が座りだした。

 

 あれ、何故か少し悪寒が…

 

 「…透君、今日の夜から覚悟しておいてね。」

 

 華の開くような笑顔で言い放つ百鬼に、代償の大きさを悟る。

 

 それから数日の間、夜中のシラカミ神社には男の野太い悲鳴が数回にわたり鳴り響いたという。

 

 

 

 余談ではあるが、悲鳴が鳴り響くたびに白狐も小さく悲鳴を上げていたとか。

 

 

 






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2人でゲーム

どうも作者です。

評価と感想くれた人、ありがとうございます。

以上


 「あ、いたいた、透さーん!」

 

 百鬼との稽古も終わり、水浴びをして帰ってくると、何やら上機嫌な白上が声をかけてきた。

 ここまで機嫌のいい白上は初めてみる。

 

 「どうしたんだ、何か良いことでもあった?」

 

 聞いてみると白上は、はい!と答えて、ニコニコとしながら後ろ手に持っていた物を見せてくる。

 

 その手には薄い透明な箱状の物体がある。

 何かのパッケージだろうか。

 

 「じゃーん、さっき新しいゲームが手に入ったんですよ!

  ウツシヨから流れてきたらしいんですけど、定期的に奉納してくれる人がいまして!その人が持ってきてくれたんです!」

 

 どうやらゲームのソフトらしい。

 

 目を輝かせながら話しているところを見るに本当にゲームが好きなのだろう。

 その内、頬擦りをしかねない勢いだ。

 

 しかし、確かこういったものは、電気が必要だったと思うが、それはどうしているのだろうか。

 

 「今から発電機を回してくるのでちょっと待っていて下さい!」

 

 「お、おう。」

 

 そんなものまであるのか、そこそこ知識はついてきたと思うのだが、カクリヨについては謎が深まるばかりだ。

 

 「あれ、百鬼、どこ行くんだ?」

 

 白上とすれ違うように百鬼が手荷物をもって今から玄関へ向かおうとする。

 

 「ちょっと行くところがあって、多分明日には帰ってくると思う。

 

  そろそろ行くから、フブキちゃんによろしくね。」

 

 「分かった、気をつけてな。」

 

 手を振って百鬼は神社を出ていく。

 

 しばらくすると、白上が走って帰ってくる。

 

 「透さん、早く、こっちですよ!」

 

 白上は勢いをそのままに俺の腕を掴むと駆け出す。

 

 突然のことにロクな抵抗もできないまま、引っ張られるがままについて行くと、シラカミ神社の白上の部屋へと辿り着いた。

 なんだかんだで、白上の部屋には来たことはなかったな、と少し新鮮な気分になる。

 

 「どうぞ、入ってください。」

 

 「あぁ、お邪魔します。」

 

 テンション高めに言う白上に今一現状を理解できないが、言われた通りに部屋に入る。

 

 「では、飲み物をとってくるので、適当に座っててくださいね!」

 

 慌ただしく部屋を出ていく白上を見送りつつ、カーペットの上に腰を下ろす。

 

 いきなり連れてこられたが、部屋は綺麗に整えられている。

 

 大きめのモニターが窓際に鎮座しており、そばにはいくつものゲームのパッケージとコントローラが積み上げられている。

 

 「透さーん、開けてくださーい。」

 

 部屋を眺めながら待っていると、ドアのすぐ外から声が聞こえてくる。

 

 ドアを開けてやると、そこには片手にコップを持ち、もう一方には大きめの飲み物。そして、ありったけ持てるだけ持ちましたと言わんばかりのお菓子やつまみが大量に。

 

 「おい、これどこから持ってきたんだ?」

 

 確か、白上が食べ過ぎないようにと大神が大量のお菓子を隠しているのを見た記憶があるのだが。

 

 この量は確実にそこから持ち出している。

 

 「ふふふ、ミオは私を甘く見すぎなんですよ。

 

  この白上に、見破れぬ謎はない!」

 

 ドヤ顔で決めポーズをとる白上。

 

 さて、どうしたものか、今日はちょうど大神がいないんだよな。

 まぁ、いないから持ってこれたんだろうけど。

 

 今からでも止めるべきだろうか、ここで止めれば大神から叱られることは避けられるが…

 

 「いつもはばれてしまうんですけど、今が絶好のチャンスなんです。

 

  透さん…」

 

 こちらを申し訳なさそうに見つめてくる白上に観念する。

 

 どうやら最初から共犯者にするつもりだったらしい。

 

 「…分かったよ、その代わり俺も一緒にゲームやらせてくれよ」

 

 そんな顔をされては断れるものも断れない。

 

 半笑いで言ってやると、白上に笑顔が戻る。

 

 「はい、もちろん、最初からそのつもりです!

 

  さぁ、今日はとことん遊びますよー!」

 

 その言葉を皮切りに、俺たちは様々なゲームで遊んだ。

 

 最初にやったのは二人でゴールを目指すアクションゲームだ。

 

 「あ、透さん、そこ壁ジャンプですよ。」

 

 「マジ?あ、落ちた。」

 

 小気味よい音が鳴りながらゲームオーバーの画面に。

 

 く、意外と難しい。

 

 「透さん、まだまだですねー」

 

 「うるせー、次行くぞ次」

 

 半目で笑いながら、煽るように言ってくる白上を無視しながらコンテニューを押す。

 

 この後3回くらい同じ画面を見たのちようやくクリア。

 

 次にやったのが、お互いを吹き飛ばす格闘ゲーム。

 

 割とキャラが多くてどれを選ぼうか迷ってしまう。

 

 「透さんはどのキャラ使うんですか?」

 

 「んー、あ、これ強そう。」

 

 選んだのは王冠を被ったワニ。

 カウントダウンと共に試合が始まる。

 

 白上は黄色いネズミを使うらしい。

 

 「あぁ!!電撃うぜぇ!」

 

 「ダメージを稼いだとこで…そこぉ!」

 

 掛け声とともに、スマッシュがまともに入りKOの文字が画面に表示される。

 

 「くそ、やるじゃねぇか」

 

 「いえ、透さんもなかなかのお手前で。」

 

 次は負けてなるモノか、と気合を入れる。

 

 コツは掴んだ次こそは。

 

 「あ、ちょっと、埋まったんですけど。透さんお慈悲を!」

 

 「問答無用!」

 

 ボクシンググローブを付けた拳で放たれたスマッシュが白上のキャラをとらえる。

 

 再び小気味よい演出と共にKO画面が流れる。

 

 「よし勝った!」

 

 「あぁー、負けたー。」

 

 言いながら後ろに倒れこむ白上。

 

 気が付けば、かなりの時間ぶっ通しでやっていた。そろそろいったん休憩にするか。

 

 同じように倒れこみながら体の力を抜く、ゲームをしていると自然と力が入ってしまうのはなぜだろうか。

 

 隣り合って寝そべっていると、白上が何やらもぞもぞと動き出す。

 

 視線を向けてみると、何やらベットの下に手を伸ばしている。

 

 「どうしたんだ、白上。何か見つけたのか?」

 

 「はい…えっと、あ、取れた。

  

  透さん、映画興味ありますか?」

 

 取り出したその手にはDVDが入ったケースが握られている。 

 もう何でもありな気がしてきた。

 

 そのうち自動車でも出てきそうだ。

 

 そんな、カクリヨに呆れながらも、しかし映画には興味がある。

 

 「映画か…いいな、見ようぜ。」

 

 「そう来なくては!ちょっと待ってくださいねー」 

 

 そういうと白上は手際よくセットすると、程なくして映画が始まる。

 

 どうやら見た感じアクション映画のようだ。

 

 画面を見ながら、ふと気になっていたことを聞いてみる。

 

 「なぁ、白上。なんでここまで良くしてくれるんだ?」

 

 いや、ありがたいんだけど、と当初からの疑問をぶつけてみる。

 もともと、身元不詳の男を家に住まわせるのは抵抗があってもおかしくないのに、白上は笑顔で迎え入れてくれた。

 その理由が知りたい。

 

 白上は画面に目を向けたまま少し考える。

 

 「そうですね…理由といわれるとこれといったものは答えづらいんですけど…

 

  明日後悔したくなかったからです。」

 

 「明日?」

 

 はい、と白上は答えると続ける。

 

 「例えば、あの時。透さんを見捨てて放っておいたとするじゃないですか。 

  それで、ご飯を食べて、ゲームをして、眠って、朝を迎えたとき、私は後悔するんです。

 

  今頃あの人はどうしてるんだろう、お腹を空かせていないだろうかって。

 

  私はそんな思いはしたくないです。」

 

 だから、透さんを助けたのは私のためなんです。と自嘲気味に笑いながら言う白上に、心のどこかでつっかえていたものが取れる気分だった。

 

 あぁ、白上はそういうやつなんだな。

 

 「優しいな、白上は。」

 

 「何ですか―急に。ほめてもお菓子しか出ませんよ。」

 

 照れたように笑う白上に、出るのかよと突っ込みながら差し出されたお菓子を受け取る。

 

 少し、変な空気になってしまったな

 

 「まぁ、どちらかというとお人よしだけどな。」

 

 「あ、褒めてなかったんですね。返せそれー!」 

 

 からかうように言うと白上が掴みかかってくる。

 伸ばされた手からお菓子を遠ざけながら、二人で笑いあう。

 

 やっぱり、こいつとは気が合うらしい。

 この距離感が何とも心地いい。

 

 そんなふざけ合って、笑い合って、時に煽り合いながら、朝まではしゃいでいた。

 

 

 

 

 

 

 ふと、瞼に光を感じて目を覚ます。

 どうやら、遊び疲れて眠ってしまっていたらしい。

 

 隣では白上が体を丸めて眠っている。

 

 欠伸をして伸びをしながら体を起こす。

 

 部屋を見渡せば、昨日のまま散らかったお菓子の残骸たち。

 

 大神たちが変えてくる前に片づけておかないとなと、さらに見渡すと、笑顔のままこちらを見ている大神が目に入る。

 

 …大神?

 

 ぶわっと冷や汗が流れる。

 

 あ、終わったと、心の内で悟る。

 

 「…んー、あれ、透さん、おはようございます。」

 

 丁度よく白上が起きてくる。いや、この場合丁度良くないな。

 

 もう少し幸せの夢の中にいてもよかったのに。

 

 「?黙ったまま、どうしたんです…あ」

 

 詰んでしまった現状に気が付いたのだろう、小さく声を上げると白上も固まってしまう。

 

 さて、どう言い訳したものか

 

 「お、大神、これは、そう、事故なんだ」

 

 「はい、外からお菓子が部屋に飛んできまして、それで…」

 

 「二人共」

 

 大神が口を開いた瞬間そろって押し黙る。

 

 「正座」

 

 「「…はい」」

 

 寝起きとは思えない速度で綺麗な正座を披露する。

 

 そこからはひたすらお説教となる。

 

 途中、白上が悪戯気に笑いかけてきたので応じて笑いあっていると、正座の時間が増えました丸 

 

 

 

 

  





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占い

どうも作者です。

感想くれた人ありがとうございます。

以上


 

 目を覚ますと、まだ日も登っていない早朝だった。

 

 やってしまった、どうせならもう少し寝ておけばよかった。

 しかし、寝ようにも眠れそうにない程には目が覚めてしまった。

 

 仕方ない、外に出て刀でも振っておこうか。

 

 そう思い、階段を下りていると、とんとんと、音が聞こえてくる。

 

 何の音だろうか、キッチンの方から聞こえてくる。

 

 覗いてみると、大神が朝食を作っているところだった。

 

 「大神、おはよう」

 

 「わあ!?びっくりしたー。

  って、透くんか。おはよう、朝ごはんはもうちょっと待ってね。」

 

 耳をぴんと立ててこちらを振り返ると、笑顔を返してくれる。 

 朝から穏やかな笑顔に癒される。

 

 割烹着を着ており、何故か無性に似合っている。

 

 それにしても、こんな時間から準備してくれていたのか。

 

 「なぁ、大神。俺も手伝ってもいいか。」

 

 「え、いいよいいよ、座って待ってて。」

 

 手をパタパタとさせながら断られるがそう簡単に引き下がるわけにもいかない。

 

 「手持ち無沙汰なんだ、何かさせてくれると助かる。」

 

 「んー、…じゃあ、お願いしようかな。」

 

 何とか許可をもらうことに成功する。 

 よかった、これで断られたらどうしようかと。

 

 しかし、毎日四人分の量を一人で作っているのだと思うと大神には頭が上がらない。

 

 「それで、何をすればいい?」

 

 「えっとね、そこのジャガイモの芽をとって皮をむいてくれる?」

 

 「了解」

 

 それからは黙々と包丁を持ちジャガイモやほかの野菜たちの皮をむいていく。

 

 やはり毎日作っているだけあり大神の手際はよく、日が昇りだすころにはあらかたの仕込みは完了してしまった。

 

 「透君、ありがとね。いつもより早く終わったよ。」

 

 「いや、野菜の皮むきしかできなかったし。それより、大神の手際の良さに驚いたよ。」

 

 「それほどでもないけどね。…じゃあ、うちはそろそろ二人を起こしてくるよ。」

 

 そう言って、フライパンとお玉を持つと出て行ってしまう。

 …いつもなら、そのメンツの中に俺も入っているんだよな。

 

 今朝はたまたま早く起きて大神の手伝いをしたが、有意義な時間を過ごせた。

 

 これからも、同じ時間に起きてみようかな。

 

 心の中で呟くと同時に、けたたましい音と、二つの悲鳴が上がった。

 

 

 

 

 「あ、透くん。こっち来て―」

 

 朝食の後、キッチンの前を通りかかると大神の声が聞こえる

 

 どうしたのだろうか、言われるがままにキッチンへと入る。

 

 「ごめん、これ上の方に置いて欲しいんだけど、いいかな。」

 

 その手には少し大きめの箱がある。

 

 「いいけど、なんだこれ?」

 

 持ってみると、大きさの割にそこまで重くない。

 

 「フブキのお菓子。」

 

 即答されたその言葉に、反射的に目をそらす。

 

 あー、そっか、お菓子なんだこれ。

 

 先日のお説教が脳裏に浮かぶ。あれはもう経験したくないな。足のしびれが酷かった。

 大神は、ニコニコしながらこちらを見ている。

 

 わかってます、言いませんし取りません。 

 

 上の棚に箱をしまうと、扉を閉じる。

 この高さだと確実に白上では届かない。

 

 「いやー、まさか透くんがねー。

 

  信じてたのになー。」

 

 からかうように言ってくる大神に両手を上げ降参のポーズをとる。

 意外と意地の悪い面もあるな。

 

 勘弁してくれ。

 

 「ごめんって、反省してます。」

 

 「ふふっ、よろしい。」

 

 笑う大神。

 

 根に持っているわけではないらしい。

 

 しかし、本当にいいやつなんだなと思う。話していて飽きないというか、大神に限らないが気まずくなることがない。

 

 特に、大神は実家のような安心感がある。

 

 「あ、そうだ、透くん占いに興味ある?」

 

 唐突に大神が聞いてくる。

 

 その眼は何かに期待しているように輝いている。

 特に興味があるわけではないのだが、そんな目をされれば、正直に告げるわけにもいかない。

 

 「…あぁ、少しだけど」

 

 頷いて見せると大神は嬉しそうに「少し待ってて」とどこかへ行ってしまう。

 

 時間もかからず、大神はすぐに戻ってきた。

 

 その手には何かのカードの束と、何故か黒いローブを羽織っている。

 

 「お待たせしました。それでは、そちらにおかけください。」 

 

 「は、はい。」

 

 リビングのテーブルに座ると妙に芝居がかった口調で大神が喋る。

 

 何かが始まってしまった。とりあえず、付き合うしかなさそうだ。

 

 「それでは、ちょっと先の未来から三段階で占ってみましょうか。」

 

 すると、カードを裏向きのままテーブルに置くと崩して山にして混ぜだした。それをまとめると三つに分けてさらにカットする。

 

 「では、三枚ほど引いてみてください。」

 

 大神はそれを扇状に広げる。

 

 言われるがままにタロットを引いてみると、促されてそれをテーブルに裏向きのまま置いた。

 

 出てきたのは、運命の輪と、恋人、逆向きの死神だった。

 

 「あ、これはいいカードですね。

  透くん、あなたは近いうちに幸運がもたらせる、もしくは出会いがあるかもしれません。もしかすると、もう出会っているかも。

  そして、その人と愛をはぐくみ、新しい道を歩み始めるでしょう。」

 

 割と幸先の良い結果に少しホッとする。

 

 ここで、あなたの行く先は困難にまみれていますなんて言われなくて良かった。

 別に占いを信じているわけではないが、そういわれると不安になってしまうのが人間というものだ。

 

 ふと、大神がこちらに視線を向けていることに気が付く。

 

 「ん、顔になんかついてるか?」

 

 「…いや、ちょっと気になることがあっただけ、気にしないで。」

 

 そういうと大神はタロットカードへと視線を戻す。

 

 大したことでないなら、まぁ、いいか。

 

 「それにしても、見事にいいカードばっかりだねー。

  うちもこんなに良い引きはあんまり見ないよ。」

 

 「死神が出たときはちょっと怖かったけどな。

  逆向きっていうんだっけ、意味合いが反対になるやつ」

 

 そんなことを一時期調べていた気がする。

 

 記憶の抜けどころは相変わらず謎のままだ。

 

 「そうそう、よく知ってるね。死神の場合は再スタートとか復活、再生だね。

  今回の場合は前後の兼ね合いもかねて新しい始まりっていう解釈だよ。」

 

 割と奥が深いんだな。ただ、カードの意味を伝えるだけじゃないというのも面白い。

 

 「ありがとう、大神。かなり参考になったよ。」        

 

 「どういたしまして、こちらこそ付き合ってくれてありがとうね。」

 

 大神はローブを脱ぐと背もたれにかける。

 

 正直占いにはあまり興味がなかったが、実際には割と興味深かった。

 何だかんだで楽しめるもんだな。

 

 それにしても、愛をはぐくむなんて想像もできないな。

 どちらにせよ、俺は記憶を取り戻して、元いた場所に戻るんだ。

 恋人を作ったところで…

 

 そこまで考えて気が付いた。

 

 今まであいまいに考えいてたが、俺は元居た場所に戻ってどうするのだろうか。

 

 記憶を取り戻してこの世界から出ていく。

 ここに来た当初ならばそんな目標を立てていただろうが、今はどうだ。

 

 (…やめだやめ、考えたって答えは分からないさ。)

 

 思考を強制的に止める。

 そうだ、まずは何よりカクリヨの異変だ。これを何とかするのが最優先だ。

 

 それからのことは、その時考えればいい。

 

 「お茶入れるけど、透くんも飲む?」

 

 「あぁ、貰うよ。」

 

 思考を切り替えるにはちょうどいい。

 

 そう返事をすると、大神はキッチンへ行き、しばらくして、湯呑を二つ持って戻ってくる。

 

 「はい、どうぞ。」

 

 「ありがとう。」

 

 二人でまったりとお茶を啜る。

 

 穏やかな時間が流れる。

 ただ、この時間が続けばいいのにと、思わずにはいられないほどには充実しているのは確かだ。 

 大神もリラックスしているのか、耳がだらりとしている。

 

 「…平和だねー」

 

 「本当、…平和だなー」

 

 和んでいると言いたくなるランキング一位の言葉を二人して呟く。

 

 こうして、二人のまったりとした時間はゆっくりと過ぎていった。 

 

 

 





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再び

どうも作者です。

評価、感想くれた人ありがとうございます。

以上




 

 「みんな、今日は何か予定ある?」

 

 朝食も食べ終わり、これから何をしようかと考えていた時、ちょうど大神からそんな誘いがあった。

 

 「俺は特に無いぞ」

 

 「白上も同じく。」

 

 「余も大丈夫だよ。」

 

 答えるとそれに続く形で、白上、百鬼が口を開く。

 

 しばらく何も無かったため、カクリヨに来て間もない俺はともかく、2人もやろうとしていた事は大抵終わってしまったようだ。

 

 「よし、それでは今日はキョウノミヤコに行きましょう。」

 

 「…今日は…キョウノ…」

 

 ツボにはまったらしく、プルプルと震えている百鬼は置いておいて。

 キョウノミヤコでは、前回幽霊騒動で行ったきりだな。

 

 あの時、百鬼と出会ったが今思い返しても強烈な出会いだった。印象的にも、物理的にも。

 

 しかし、何でまたキョウノミヤコなのだろうか。

 

 「また幽霊が出たのか?」

 

 「いや、そんな話は出てないよ。今回は少し別件。」

 

 違ったらしい。別件と言うことは、また何か起きたに違いないが。

 今回は荒事にならなければ良いのだが。

 

 「それで、何があったんですか?」

 

 白上が手を挙げながら質問をする。

 大神ももったいぶる気は無いのか、すぐに答えた。

 

 「うん、ミヤコで最近、人がいなくなるんだって。

  昨日まで元気だった人たちが、次の日にはどこにもいないとか。」

 

 人が消えるのか、神隠しなんて言葉が頭をよぎる。

 そういえば神隠しといえば、

 

 「あ、透くんピンときた?」

 

 「あぁ、俺も元の世界から見たら神隠しと同じ状況だよな」

 

 そういうこと、と大神が指をさす。

 他の二人も納得ている。

 

 今回は本格的にカクリヨの異変の調査になりそうだ。

 

 「なるほど、上手くいけば今回ですべて解決なんてこともあり得るんですね。」

 

 「透君の記憶の手がかり、見つかると良いね。」

 

 「そうだな…まぁ、期待しすぎないように気を付けるよ。」

 

 百鬼の言葉に曖昧に返す。

 どうやら、今回の結果次第では先日先送りにした問題のツケを払わされそうだ。

 

 (一応、覚悟はしとかないとな。)

 

 とにかく、切り替えようとほほを叩く。

 

 気合が入ったところで話の続きが始まる。

 

 「それで、今回は四人いるのでキョウノミヤコの東西南北で分かれて聞き込みをしようと思います。

  時間は到着してから夕暮れまで、集合は前の宿で。」

 

 瞬く間に方針が決まっていく。

 

 大神は全体的に能力が高いが、こういうことに関しては特に秀でているように見える。

 

 「と、いうことで。説明が終わったところで早速出発します。」

 

 「「「おー!」」」

 

 大神の号令に三人そろって声を上げる。

 

 

 

 急な出発にもかかわらず、十分足らずで全員そろいキョウノミヤコへ向かう。

 

 「あ、そうだった、なぁ百鬼。百鬼レベルの強さのアヤカシって実際どのくらいいるんだ?」

 

 「余?うーん…、アヤカシの中ではいないと思うよ?」

 

 道中、ずっと気になっていたことを聞いてみる。

 

 仮に、戦闘とか暴動みたいなものが起きたとして、百鬼レベルがごろごろといるのなら正直逃げ切れる気がしないのだが。

 何なら、その影響で建物の三つ四つは崩れそうなものである。

 

 百鬼の言葉にほっとしていると、白上がこちらを向く

 

 「あれ、透さん、もしかして気づいてなかったんですか?」

 

 「何に?」

 

 「あやめちゃんはアヤカシではなく、カミですよ?」

 

 こともなげに言ってくる白上に、信じられず百鬼へ視線を向ける。

 

 「うん、余、カミだよ」

 

 自分を指さしながら、軽くカミングアウトする百鬼に、顎が外れてしまうのではないかと思うくらいに口が開く。

 

 いや、確かに言われてみれば戦闘力的にはそうなんだけど、鬼だし…

 てっきり鬼という、別のカテゴリにいるのかと思っていたが、どうやら違っていたらしい。

 

 少しして、何とか落ち着きを取り戻す。

 

 「あー、なるほど。色々納得した。」

 

 道理で、あそこまで身体能力が高いわけだ。

 

 ヒトやケモノがアヤカシになるわけだから、亜人がいるわけで、鬼も言ったみれば亜人の一種だし。鬼というだけで力が強いわけでもないか。

 

 百鬼の強さは膨大なイワレに基づくものらしい。

 

 「今の透君なら、普通のアヤカシの人たち相手なら一方的にやられることは無いから安心していいと思うよ。」

 

 「おう、ありがとう。」

 

 そんな百鬼にお墨付きをもらうと自信の一つでもつくというものだ。

 

 それにしても、改めて考えると数自体が少ないカミが4人中3人を占めているのは、もはや異常というか、奇跡に近いな。

 

 残りの一人もウツシヨからやってきた放浪者。

 このパーティ、今考えるとカクリヨにおける一般人がいない。

 

 たったの数日でよくここまで数奇な人生を歩めるものだ。

 

 「そうだ、少し気になってたんだけど。

  白上と大神は、百鬼と比べてどんなもんなんだ?」

 

 丁度二人は前の方で話している。

 

 正直、あの二人が攻撃的になるところを見たところがない。

 かろうじて、ミゾレ食堂でそんな空気になりかけたが、あれだけで判断がつくほど経験などないし、百鬼ならひょっとすると。

 

 「んー、微妙。二人同時にまでなら多分何とかなると思う。」

 

 そんな期待通り答えが返ってくる。

 

 しかし、やはりこの中では、百鬼が頭一つ抜けているようだ。

 この鬼のそこが知れない。

 

 少し戦慄を覚えた瞬間だった。

 

 初対面の時目つぶしが効いてよかった。

 でないと、全滅ルートが普通に存在している。

 

 あの時の印象最悪だったし。

 

 「なんの話してるんですかー。」

 

 「うわっ!」

 

 「きゃっ!」

 

 いつの間にか背後に回っていた白上が、間から生えてくるように出てくる。

 心臓に悪いなこいつ。

 

 どうやって後ろに回ったんだ、そんな様子は見えなかったのに。

 

 前を見ると相変わらず白上はそこにいる。

 白上が二人?

 

 「あはは、二人共驚きすぎだよ。

  うちのワザも捨てたものじゃないでしょ。」

 

 と大神が腕を振ると、大神の横の場所、もう一人の白上のいる場所が揺らめいて消えたかと思うと、こちらを向いてまた現れる。

 

 「大神って忍者か何か?」

 

 分身だろうか、動きもするし。

 しかし、目を凝らしてよく見るとかすかに景色が透けて見える。

 

 「残念、これはただの陽炎だよ。熱で光を屈折させてそう見せてるんだよ。」

 

 さらっと言ってのけるが、とんでもないことを言っている。

 

 まぁ、炎が扱えるなら、陽炎自体は作り出せるだろう。

 だが、それを操作するとなると話は変わる。確かに原理上は可能だろうが。屈折する光を、狙って複数の色に染めるのだ。一個人では不可能の領域だろう。

 

 「あやめちゃんは、不意打ちに弱いみたいですねー」

 

 「うぅ、気を付けます。」

 

 大神も十分規格外ということが分かったところで、今現在、意趣返しのように百鬼に絡んでいる白上に意識を向ける。

 

 この流れ的に聞けはしないが、白上も何かしらとびぬけていると考えておいた方がいいな。

 

 何かあったときにいちいち驚いていたら身が持たなそうだ。

 

 そんな、驚愕に満ちた道中を得て、ようやくキョウノミヤコへと到着した。

 

 「よーし、それでは早速ここから解散で!」

 

 その大神の一言で、それぞれが決めておいた区間へと向かう。

 現在地が南門のため北までの道のりは遠い。

 

 前回見切れなかった部分も多々ある。そのあたりも観光しつつ、有益な情報を探そう。

 

 「お、あんた、あの時の」

 

 ふいに声をかけられて振り向くと、見覚えのある男性が立っている。

 確か前回、イワレを封印されていたのがこの人だったはず。 

 

 「あぁ、どうも、あれから調子はどうです?」

 

 「おかげさまで最高だよ!よかったらこれ持って行ってくれ。」

 

 言われて押し付けるように渡されたのは袋に入れられた大量の

 

 「トウモロコシ?」

 

 「うちの畑でとれたんだ、持っていきな!」

 

 そう言い残して、足早に去って行ってしまう。

 遠ざかる背中に礼を言うと、軽くてだけ上げ返事をされる。

 

 この量をそのまま渡してくるとは、何とも豪快な人だったな。

 

 そう思いながらも、北側へと足を速める。

 

 

 

 

 

 

 「…あれは…」

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 





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友人

どうも、作者です。

UA5000突破している。感謝

以上



 もらったトウモロコシを手に下げたまま街を回ってみる。

 

 今回の件に関しては、あまり情報が出回ってないらしく、誰に聞いても、誰かが消えたらしいという答えしか得られなかった。

 

 情報なしには何もできない。何をすべきかが定まらないというのは、また、幸先の悪いスタートだ。

 

 小腹もすいてきたことだし、そこらの茶屋で休憩でもするか。

 

 「「おばちゃん、団子と抹茶を一つずつ。」」

 

 誰かと声が被った。

 

 驚いて横を向くと、同じくらいの背丈の男が立っている。

 和服に身を包み、腰に刀を刺している。

 

 「先いきな。」

 

 「あ、どうも」

 

 すっと身を引いて先を譲ってくれる。

 

 なんだ、今日は人の善意によく触れる日だな、などと考えながら、団子と抹茶を受け取る。

 この団子、一粒一粒がかなり大きい。食べ応えがありそうだ。

 

 適当に席を見繕い、座って少しして、先ほどの男が横に座る。

 

 「さっきはありがとうございます。」

 

 「いいさ礼なんか、敬語もいらねぇよ。」

 

 からからと笑いながら答える男に、こちらも自然と笑みがこぼれる。

 このカクリヨには、先程もそうだが、全体的に気さくでフレンドリーな人が多いように感じる。

 

 しかし、次の一言に、その笑みは完全に凍り付いた。

 

 「同郷のよしみじゃねぇか。」

 

 思考が完全に停まる中、何とかその言葉を飲み込もうとする。

 

 同郷

 

 つまりこの人は

 

 「同郷って、ウツシヨのことですか!」

 

 「だから敬語はいらねぇって。少し落ち着けよ。」

 

 思わず立ち上がると、前のめり気味に問い詰める。。

 それでも男は苦笑いを浮かべてゆっくりと制する。

 

 言われるがままに席に戻り、一つ深呼吸を入れる。

 そうだ、落ち着こう。まずは話を聞くべきだ。

 

 「…すまん、取り乱した。敬語無しでいいんだよな?」

 

 「おう、そう来なくっちゃな。中々骨のありそうなやつで安心したぜ。」

 

 確認に聞くと、男も嬉しそうに答える。

 しかし、すぐに笑みをしまい真剣味を帯びた声で、ただ、と続ける。

 

 「あんた、正直すぎだな。

  もっと警戒しとけ。

  今の反応じゃ、カクリヨ出身じゃありませんって答えてるようなもんだぞ。」

 

 「…確かに。ありがとう、気を付けるよ。」

 

 その言葉にいいってことよ、と手が振られる。

 

 少し、無警戒が過ぎたな、反省しておこう。 

 そうか、確かに白上たちが受け入れてくれたからといって、カクリヨの人たちが全員受け入れてくれるとは限らないよな。

 

 しかし、今はそれよりもどうしても気になってしまう。

 

 「それで、同郷ってどういうことなんだ。」

 

 「どうも何もそのままさ。あんたと同じ、ウツシヨの出身ってだけだ。」

 

 こともなげに口にするが、こちらにとっては大事だ。

 何せ、自分の記憶に関する手掛かりをこの男は握っているのだ。焦らない方がおかしい。

 

 「俺には、元居た場所の記憶が節々で欠けているんだ。元の自分の名前すら憶えていない。

  だから、頼む。ウツシヨについて詳しく聞かせてくれ。」

 

 頭を下げて頼みこむ。

 

 何とか教えてもらいたい。自分がどこから来たのか、そこはどんな場所なのか。

 それを知ってどうなるわけじゃないが、それでも知りたいのだ。

 

 これからのためにも。

 

 「そのくらい、茶飲み話にもなるか分からねぇがな。」

 

 そう快諾して、男は話し始める。

 

 「まず、ウツシヨとカクリヨの二つの世界があるのは分かってるよな。

  で、俺たちはウツシヨからカクリヨに、あの穴を通って強制的に連れてこられた。

 

  そのウツシヨだが、文明としてはこっちがイワレ関連のものが発展してて、あっちは機械関連が発展してきた世界だ。

  本来、二つの世界には明確な違いがあったんだが、ふざけたことに、カクリヨにその機械技術の一端が流れつくことがまれにある。俺たちもそんな現象の被害者だな。

 

  その機械技術の一端だと、ゲーム機やモニタなんかが分かりやすい。

 

  ここまでは大丈夫か?」

 

 「あぁ、大丈夫だ。」

 

 問題なく、今の知識と一致している。

 

 実際に、白上の部屋にも存在するし、何なら発電機までおいてある。

 いまいち、それが正しい知識なのか自信を持てていなかったが、ウツシヨのもので間違いはないらしい。

 

 こちらの考えが纏まったところで、男は声をかける。

 

 「続けるぞ。

 

  てか、改めて説明するの難しいな…。

 

  えぇッと、ウツシヨにはこっちと同じなんだが、四季があって、一年のくくりも同じだ。

  カクリヨと比べて、高層ビルとか背の高い建物が多いな。

 

  それで…そう、学校がある。

  同年代の奴らが集まって、同じ空間で教育を受けるみたいな。」

 

 「…学校?」

 

 「お、これが当たりか?」

 

 聞きなじみのない言葉に思わず声が出る。

 何か引っかかるような感覚はあるが、肝心の情報は何も出てこない。

 

 「これはどうだ、クリスマスにハロウィン。」

 

 「それは分かる、12月と10月にあるイベントだよな。」

 

 サンタクロースにかぼちゃや魔女など関連事項も思い出せる。

 

 「じゃあ、誕生日と出身地。これは思い出せるか?」

 

 その問いに答えようとするも、全く思い出せない。

 黙ったまま首を横に振ると、男は合点がいったように頷く。

 

 「なるほど、分かったぞ。

  お前はお前に関する情報につながる記憶がないんだな。

 

  多分、自覚がないだけで忘れていることがもっとあるはずだ。」

 

 そういわれると、引っかかっていたものが、すとんと落ちた。

 

 自分に関する情報につながる記憶か。だから、自分のことも思い出せないわけだ。

 認識できてしまうとそこからは早かった、失っていたものが戻ってくるような感覚。

 

 ゆっくりとぼやけていたものが輪郭を帯びていくような。

 

 「アチッ!!」

 

 すると、突如腕の石が熱を帯びる。

 まるで火で炙られるような感覚に、悲鳴を上げる。

 

 少しして、熱は収まったものの、そこに意識を持っていかれた瞬間、輪郭が霧散していき、元通りとなってしまった。

 

 「…おい、どうした?」

 

 「いや、この石が急に熱くなって。

  これについては、何か知らないか。」

 

 腕を突き出して宝石を見せて、問いかける。

 もしかすると、これに関しても何か知っているかもしれない。

 

 男は興味深げに腕の宝石を見ると、少し間をおいて答える。

 

 「うん、知らねぇ。」

 

 しかし、流石にそこまでは知らないらしく、いい笑顔でそう返された。

 まぁ、そうだよな。このことまで知っていたら、なんて虫のいい話はあるわけがない。

 

 だが、かなり収穫があったのも確かだ。

 何だかんだ、自分の忘れている記憶を正しく認識できていなかった。

 そのことに気が付けたのは大きい。

 

 「そっか、ありがとう。かなり参考になった。」

 

 「なんてことはないさ。俺も久しぶりに故郷の話ができて楽しかったよ。」

 

 この人に会えてよかった。おかげで色々と知ることもできたし、何より、同じ境遇の人間と知り合えたのは精神的に助かる。

 

 「それで、最初から気になってたんだが、トウモロコシもって何してたんだ?」

 

 そんなに大量にと、俺の横側においてある袋を見ながら男が問う。

 

 当然の問いに、つい笑いが漏れる。

 

 「これは貰い物なんだ。ここへは、ちょっと調べものにな。」

 

 「ふーん、…調べものって、神隠しの件か?」

 

 的確に核心をついてきた男に驚きつつも肯定を示す。

 もしかすると、同じ目的なのかもしれない。

 

 「そうか…」

 

 すると、男は顎に手を置き、考え込んでしまう。

  

 「なぁ、その調査、俺も手を貸すぞ。」

 

 すぐに顔を上げると男はそう提案してくる。

 こちらとしては協力者が増えるのは助かるが…

 

 「いいのか?ここまで、世話になりっぱなしだが。」

 

 「いいさ、むしろ渡りに船ってやつだ。

  俺も、その件を調べにここに来たんだよ。」

 

 確認に聞くが、そういうことなら協力した方が効率的だ。

 

 「じゃあ、よろしく頼む。

 

  …えっと。」

 

 そういえば、自己紹介をしていなかった。

 名前も知らずにここまで話していたのだと思うと、おかしな気分になる。

 

 それは、あちらも同じようで、同じタイミングで噴き出す。

 

 「はは、悪い、俺は透。

  本名は分からないからそう呼んでくれ。」

 

 「おう、俺は『茨 明人』だ。

  よろしく、透。」

 

 男、明人はそ言うと手を伸ばす。

 

 「よろしく、明人」

 

 その手を握り、固く結ぶ。

 

 こうして、カクリヨにおいて始めて同郷の友人ができた。

 

 

  

 

 




友人ルート書くのも面白そうだなと、片隅で考えておる。

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報告

どうも作者です。

いつの間にか評価赤く染まっとる。
評価くれた人、ありがとうございます。

以上


 「それじゃあ、本格的な調査は明日からな。」

 

 その一言を残して、明人は人ごみの中に消えていった。

 この世界のことについても知識があるようだし、協力者が増えるのはありがたい。

 

 通りを歩きながらふと考える。

 

 それからも、しばらく調査を続けるも有益な情報は得られなかった。

 

 夕暮れも近づき空が赤らんできた頃には、帰路へとついていた。

 

 「あ、透君。お疲れ様ー。」

 

 宿にいたのは大神だけだった。

 

 笑顔で出迎えてくれる彼女に癒される。

 相変わらず包容力が限界突破している。

 

 「ただいま、大神。

  何か情報はつかめたか?」

 

 大神は静かに首を横に振る。

 

 どうやらこちらも収穫は無しらしい。

 

 今回の件については前回のように目撃情報が無いことから、情報自体が少ない。

 これで、消えてしまった人を知っている人物に出会えれば話は変わってくるのだが。

 

 なかなか、その人物にたどり着かない。

 

 「ただいま戻りましたー」

 

 「ただいまー」

 

 しばらくして、白上と百鬼も戻ってくる。

 

 二人共疲れたのか、よろよろと歩いてくると、すぐに横になってしまう。

 

 何があったんだよ。

 

 「お疲れ様、二人共。

  どうだった?」

 

 「全然です、一応帰り際に怪しげな人物がいたので追ってみたんですけど。」

 

 「撒かれちゃった。」

 

 ぐったりとしながら悔しそうにしている。

 

 この二人から逃げ切るって、どんだけ撒くの上手いんだよ。

 相当の技術か、速度がないと確実に捕まるだろうに。

 

 「そっか、取り合えずそこを中心に調べてみてもいいかもね。」

 

 「だな、その怪しい人物ってのも気になるし。」

 

 しかし、全員で一つの場所を探すわけにもいかない。

 確実に捕らえる事が出来るならともかく、そもそも無関係の可能性すらあるのだ。

 

 大神も同じ考えらしく、難しげに唸っている。

 

 「…それじゃあ、明日はその怪しい人をあやめに探して貰おうかな。

  相手の情報が無い以上、最悪荒事になる可能性もあるし。」

 

 「おー、任せて―」

 

 軽く返事をする百鬼が頼もしく見える。

 実際、頼もしいのだが。普段接してみると割と抜けている部分が多いというか、そういうイメージがあまり無い。

 何というか、強いけどポンコツというのが1番しっくりくる。

 

 「あ、透くん、今余の事バカにした?」

 

 唐突に眼を細めてこちらを見てくる百鬼に、ドキリと心臓がなる。

 何故バレた。鬼は読心術のワザでも継承しているのか。

 

 しかし、馬鹿正直に答えるほど命知らずではない。

 

 「…してません。」

 

 「その間は何。」

 

 目線を逸らしながら絞り出す様に口にする。

 もしかすると、俺は誤魔化すという行為において絶望的に才能がないのかもしれない。

 その疑惑の瞳は強まるばかりだ。

 

 「透さん、それはちょっと…」

 

 「流石に今のはうちも擁護できないかな」

 

 2人に助けを求める様に視線を向けるも、無慈悲に見捨てられる。

 その顔はにやにやと笑っていることから、助けるどころか楽しむつもり満々らしい。

 

 この様に、味方がいなくなってしまうとあたかも崖側に立たされている様な気分になってしまう。

 要はとてつもなく居た堪れない。

 

 これは早めに降参しておいた方が身のためなのかもしれない。

 

 「…ごめんなさい、普段抜けててるのに頼もしいな的なことを考えてました。」

 

 「あー、やっぱりバカにしてたんだ!

  ひっどーい。」

 

 唇を尖らせる百鬼に何とか機嫌は取れないものかと動揺する。

 

 それを見てついに笑いがこらえられなくなったそこの二匹にはいつか仕返しはするとして。

 

 「いや、違うんだ。良い意味で、良い意味で思ってたんだって!」

 

 「へ―、そうなんだ」

 

 だめだ、全然機嫌が直る気配がない。

 つーんと横を向いたままいかにも不機嫌ですと言わんばかりの声音で答える百鬼に頭を抱える。

 

 これでは言葉でどれだけ説明したところで無意味だろう。

 

 ならば行動で示すか。

 しかし、どうすればこの件を行動で謝罪できるのか、皆目見当もつかない。

 

 むしろ、そこの肉食獣たちの腹筋にダメージを与えるだけだ。

 道連れにそうしてやってもいいが、それでは解決とは言えない。

 

 ならば

 

 「あ、そういえばトウモロコシ貰ったんだよ、百鬼も食べるか?」

 

 秘儀話題そらし。

 これにより、今の話題を強制的に無かったことにする。 

 

 

 …無理があるだろ。

 切羽詰まったときほど名案が浮かぶとは言うが、これはどう考えても下策も下策だろうに何故よりにもよってこの選択をしてしまったのか。

 

 これはもう諦めるしかないのか

 

 「そうなの?食べる食べる!」

 

 輝くような笑顔で駆け寄ってくる百鬼に戦慄する。

 例えるならば0.001%のあたりを単発で引いたかのような感覚。

 

 あまりの急激な変化についていけなかった。

 

 しかし、これはある意味チャンス。この機会は不意にできない。

 

 「よし、じゃあキッチン借りて茹でてくるから少し待っててくれ。」

 

 「いってらっしゃーい」

 

 ぶんぶんと腕を振る百鬼に見送られながら部屋から離脱する。

 

 これで誤魔化せているのだろうか、上手くいきすぎて逆に不安になる。

 

 襖を閉める際にちらりと、白黒の二人がピクピクと痙攣しているのが見える。

 笑いすぎて苦しんでいるらしい、思わぬ形で復讐が叶ってしまった。

 

 それにしても、百鬼は今まで騙されたことが確実にある、ないことはあり得ないと思うレベルでチョロかった。

 よくあそこまで純粋になったものだ。

 

 こういうところがあるから、抜けているのだと思ってしまう。

 頼りになるし尊敬しているのも確かなため複雑な気分だ。

 

 宿の入り口の受付で、キッチンを使う許可をもらうと、すぐに向かい人数分のトウモロコシを茹でる。

 

 そこでふと明人のことを話していなかったことを思い出す。

 報告するの忘れていたな。

 

 俺と同じウツシヨからの来訪者なのだからキーパーソンの一人だ。

 カクリヨの異変の解決の為には欠かせないし、何なら一番鍵を握っているかもしれない。

 

 これは、どうだろうか、許されるだろうか。

 まぁ、多分大丈夫か。とにかく後で報告しておこう。

 

 考えが纏まったところで、茹で上がったトウモロコシを取り出し皿に移して部屋まで運ぶ。

 

 「お待たせ―。」

 

 「待ってましたー!」

 

 「トウモロコシー!」

 

 「わーい!」

 

 言いながら襖を開けると、テンションの上がった三人が即座に声を上げる。

 その高揚ぶりに驚きながらテーブルへ皿を置く。

 

 好きなのだろうか、トウモロコシ。

 

 テーブルを囲うように座り、手を合わせる。

 

 「「「「いただきます。」」」」

  

 言うが早いか、四人で1本ずつ取りかじりつく。

 

 噛んでみると、想像以上の甘みが口に広がる。

 フルーツと見間違わんばかりのその糖度に思わず目を見開く。

 

 確かに、これはテンションの一つでも上がるというものだ。

 

 ほかの三人も顔をほころばせながら美味しそうに食べている。

 もしかすると、カクリヨにおいてスイーツの立ち位置にいるのかもしれない。

 

 ケーキなどはこちらに来て食べたことはないが、これ以上に甘いのか気になってしまう。

 少なくとも同程度であることだけは確かだ。

 

 先ほど話すと決めていたのに、あまりの衝撃にまた忘れそうになってしまう。

 

 「さっき伝え忘れていたことがあった。食べながら聞いてくれ。」

 

 言うと、三人はこちらに視線を向け、頷く。

 それを確認すると、話を続ける。

 

 どう伝えるか、とりあえず簡潔に。

 

 「今日の昼くらいなんだけど、同じウツシヨ出身の協力者ができました。」

 

 その言葉に、空気が凍る。

 

 うん、そんな気はしてた。

 そうだよね、割と重要な話題だよね。

 

 「…透さん、ちょっとそこに座ってください」

 

 「え、あの、座ってます」

 

 トウモロコシを置き、笑顔で言い放つ白上。

 ただひしひしと無言の圧力を感じ、軽口をたたくも素直に姿勢を正した。

 

 他の二人からも同じような雰囲気を感じることから。

 さて、どう言い訳したものか。

 今日はこんなことばっかりだ。

 

 その後、約一時間ほどこってりと絞られて、調査の初日は終了した。 

 





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悩み


どうも作者です。


 朝、いつもと違う活気に満ちた声に目を覚ます。 

 そうだ、キョウノミヤコの宿に泊まっているのだった。

 

 窓から外を見ると丁度太陽が姿を現している。

 こんなに早くから人が行き交うとは、流石ミヤコ。

 

 それにしても昨日はひどい目にあった。

 あの後、大事なことは伝え忘れないようになど、基礎的なところで繰り返し説教を続けられた。

 

 忘れていた俺が悪いのだが、足が痺れて30分以上動けなくなるとは思わなかった。

 

 それは別として、明人のことは説明したし、協力してもらえることを話すと喜んでいた。

 やはり、人数が増えることには肯定的らしい。

 

 ということで、今日は明人との調査になる。

 何かつかめるといいのだが。

 

 「透さーん、起きてますかー。」

 

 襖の外から白上の声が聞こえる。

 

 普段は寝坊の常習犯なのに、こういう時はしっかりと起きるのか。

 スイッチの切り替えが激しいのは、百鬼と白上の共通点の一つだな。

 

 「起きてる、すぐ行くから先に行っててくれ。」

 

 そう言うと、はーい、という声と共に襖のそばから気配が消える。

 恐らく、百鬼と大神も起きているだろう。

 

 急いで準備をしなければ。

 

 そして、顔を洗い、着替えを済ませると、食堂の方へと急ぐ。

 

 「あ、おはようございます、透さん。」

 

 しかし、予想に反してテーブルに座る白上は見つかるも、百鬼と大神は見当たらない。

 まだ寝ているのだとすると、百鬼はともかく大神にしては珍しい。

 

 「おはよう、あの二人はどうしたんだ?」

 

 「ミオは今あやめちゃんを起こしに行ってます。昨日は夜遅くまで話し込んでましたし。」

 

 百鬼は百鬼だったらしい。

 

 早く起きるときは起きるのだが、基本的に遅起きな鬼だ。

 しかし、遅くまで何を話していたのだろうか。

 

 「何話してたんだ?」

 

 特に何も考えずに疑問を口にする。

 すぐに失敗を悟るも、時すでに遅く。 

 

 白上は意地の悪げな笑みを浮かべる。

 

 「ガールズトークの内容を根掘り葉掘り聞く気ですか?

  あまりいい趣味とは思えませんね。」

 

 正論すぎる返しに、ぐうの音も出ない。

 

 朝というのは一日の始まりであると同時に、一番危険な時間帯なのかもしれない。

 

 「分かってる、失言だった。

  頭が回ってなかったんだ、許してくれ。」

 

 しかし、白上の表情に変わりはない。 

 さては、分かってやっているな。

 

 「へー、まぁ、そういうことにしてあげましょうか。」

 

 「はいはい、ありがとうございます。」

 

 ここで一度会話が途切れる。

 

 しかし、白上と一緒の時の静寂は特に苦にならないのだから不思議だ。

 見ていて飽きないというのもあるのだろうが。

 

 視線を向けると、今は耳を左右に交互に倒している。

 しばらくして尻尾も同じく動き出し、落ち着いたかと思えば今度は尻尾が回りだす。

 

 壊れたおもちゃか何かに見える。

 

 「…何ですか?じっと見つめて。」

 

 露骨に見すぎたのか、気が付いた白上が首をかしげる。

 それに合わせるように尻尾と耳も同じ方向を向くものだから、ついに笑いがこらえきれなくなる。

 

 「いや…、なんでそんなに…耳と尻尾、動かしてるんだよ」

 

 笑い交じりに言うと、白上も無意識で動かしていたのかみるみるうちに赤面していく。

 

 「あ…、これは癖なんです!あんまり見ないでくださいよ。」

 

 後ろに行くに従い、声が小さくなっていく。

 普段は対して恥ずかしがらないくせに、こういう時は照れるのだからおかしなものだ。

 

 しかし、これはいつもいじられる意趣返しのチャンスなのではなかろうか。

 そうでなくとも、意地悪の一つでもしたくなる。 

 

 「いいんじゃないか?可愛いぞ、白上。」

 

 「あぅ…、ぐぅ、この。」

 

 言ってやると、白上はうめき声をあげ、一瞬うつむいたかと思うとこちらをきっと睨みつける。

 あまりの恥ずかしさにか、潤んだ瞳と視線がぶつかると、瞬間視界いっぱいに白が映る。

 

 「痛い!?」

 

 顔に柔らかい何かが当たっと思うと同時に目に走る痛みにたまらず呻く。

 どうやら、尻尾で顔面を叩かれたらしい。

 

 顔には影響はないが、目に当たったためそれなりに痛い。

 

 「この、いきなりなんだよ」

 

 「それはこっちのセリフですよ!」

 

 噛みつくように言ってくる白上に、そちらがそのつもりならと応じる。

 

 「やるのかこの野郎。」

 

 「やってやりますよこの野郎。」

 

 顔を突き合わせていがみ合う。

 これは始めるしかないか、俺たちの最終決戦を。

 

 食堂に剣呑な雰囲気が充満しだし、まさに一触即発となる。

 

 しかし、そんな状況もすぐに霧散してしまう。 

 どちらからともなく吹き出すと、すぐにそれは笑いへと転じる。

 

 「二人共、朝から何してるの。」

 

 しばらく笑っていると、笑い半分、呆れ半分の声音で大神が言いながら食堂へ入ってくる。。

 

 「おはよう大神。」

 

 「おはよう透君。」

 

 挨拶を返すと大神も席に着く。

 

 「あやめちゃんは起きましたか?」

 

 確かに起こしに行ったはずの百鬼がいない。

 白上も気づいて大神に聞く。

 

 まだ、部屋だろうか。

 

 大神は少し苦笑いをしながら食堂の入り口を指し示す。

 すると間もなく百鬼が目をこすりながら入ってきた。

 

 「おはよー」

 

 明らかに眠そうなその声に三人そろって笑いをこらえる。

 普段ですら朝は弱い中、夜更かしをしたのがこたえたらしい。

 

 そして雑談を交えながら朝食をとると、早速調査が始まる。

 

 同時に宿を出て、そこで分かれると、昨日の団子屋へと向かう。

 明人はすでに到着しているのだろうか。

 

 待たせては悪いと、少し駆け足になって走り始めた時だった。

 

 「おいおい透!」

 

 名前を呼ばれ、後ろからいきなり首に手を回される。

 

 驚き振り向くと、そこには今から落ち合う予定だった明人がいた。

 

 「明人!?何でこんなところに。」

 

 「いいんだよそんなことは。それよりなんだよ透。お前見た目以上に太ぇ野郎じゃねぇか。」

 

 「は?」

 

 ニヤニヤとからかうように言ってくる明人に、何が何だかわからず困惑する。

 

 しかし、明人はそんなことはお構いなしにと話し続ける。

 

 「それで、本命はどの娘なんだ。あのしっかりしてそうな黒髪の娘か?それとも白い狐の娘か?ちょっと抜けてそうな白髪の娘か?なんだよ、カクリヨ生活満喫してるじゃねぇか!」

 

 笑いながら背中をバシバシ叩いてくる明人に、ようやくこうなった原因を理解する。

 

 先ほどの宿から出てくるところを見ていたのか。

 それで、勘違いをしているのだろう。

 

 「いや、本命も何も、あの三人は普通の同居人だよ。」

 

 改めて考えてみると、関係性の説明があやふやな気がするが、まぁ同居人が一番無難だろう。

 自分で言ってみて意外としっくりときたのだから間違いない。

 

 だが、明人はそうでもなかったらしく、楽しそうだった顔が転じて引いたような顔をする。

 

 いや、なんでだよ。

 

 「は、あんな美少女たちと同居しておいて考えたことない?…ちゃんとついてんのか。」

 

 「ついてるよ!…というか、あいつらには恩があるんだ。そういう目で見るのは失礼だろ。」

 

 それを聞いた明人がついには後退り始める。

 その眼は明らかに理解の範疇の外にいるものを見る眼だ。。

 

 なんだその反応は、甚だ遺憾だ。

 

 「あのさ、透。感情ってのは理性とは相反するものでな。いくら頭でどうこう考えても結局は想いは想いなんだよ。

  勝手に色づくものなんだ。

 

  だから、お前がそういう感情を抱いていないってのはつまり。」

 

 「つまり?」

 

 「お前はホモ。」

 

 「よしそこに直れ、叩き斬ってやる。」

 

 どうやら俺たちの友情はここまでのようだ。

 昨日出会って今日敵対するとは、ある意味ドラマがある。

 

 何とも短い友情だった。

  

 「おっと、待て待て、流石に冗談だって」

 

 刀に手を伸ばそうとすると、明人は手を振りながら言う。

 その言葉に、今回だけだぞと思いとどまる。

 

 別に偏見があるわけじゃないが、勝手にそう思われるのは気に食わない。

 

 「だがよ、その前の言葉は本当だぜ?」

 

 「前って?」

 

 その後にすべて持っていかれて気に留めていなかった。

 

 何と言っていただろうか。

 

 「想いは勝手に色づくってことだ。

 

  お前があの娘たちに恩義を感じていようといまいと、それはお前の想いが色づかない証拠にはならない。

  そんなことばっかり考えてると、濁っちまうぞ。」

 

 濁る…

 

 ふと、自分の右腕の宝石に目が行く。

 他の人からは透き通って見えるものだと考えていたが、これは見る人の心を映すのだろうか。

 

 「ま、いつか実感するだろ。その時は相談くらい乗ってやるさ。」

 

 俺があの三人を好きになる。

 これは友人としてではなく恋愛的な意味として。

 

 そんな日が来るのだろうか。

 

 ただでさえ、大きい悩みがどんどんと大きくなっていく。

  

 「そんな難しい顔すんなって。協力してやるから、気楽にいけよ。」

 

 「…分かってるんだけどな。難しいなこういうの。」

 

 悩むことになった原因に言われたくはないが、相談できる友人ができたのは心強い。

 

 しかし、こいつからこんな話題が出てくるとは思わなかった。

 あまり恋愛に聡いタイプには見えないが。

 

 「意外だな、そういうこと言うとは思わなかった。」

 

 言うと明人の表情が少し曇る。

 

 「…あぁ、少しな。」

 

 しかし、すぐにいつも通りの顔に戻る。

 どうやら深く話すつもりはないらしい。

 

 何かあったのだろうか。

 疑問に思うが、あまり立ち入って聞くのもなんだ。

 

 朝から話すような内容でもなかった、これから調査が待っているのだ。切り替えて行こう。

 

 「…よし、そろそろ行くか。」

 

 「だな。改めてよろしくな透。」

 

 拳を突き出してくる明人に拳を合わせる。

 

 こいつとは長い縁になりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





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調査 (上)

 どうも作者です。
 誤字報告、感想くれた人ありがとうございます。
 以上


 

 調査を開始してから早一時間が経過していた。

 

 昨日と同じくなかなか有益な情報は得られないままだ。

 しかし、まだまだ北町は広い、とにかく根気強く探すしかなさそうだ。

 

 「なぁ透、ちょっといいか?」

 

 「ん、どうした?」

 

 次の露店の店主に声をかけようとしていたところで、明人が止める。

 

 何だろうか

 

 振り返り、続きを促してみる。

 

 「少し離れたところで、妙な雰囲気を感じた。

  さっきの娘たちの中に探知系のワザを使う娘はいるか?」

 

 探知系?

 確か全員攻撃的なワザを主に使っていたと思うし、身体強化はできるだろうがそういう話は聞いたことないな。

 

 静かに横に首を振ると、明人は口角を上げる。

 

 「よし、それじゃあ早速向かうぞ。」

 

 言うと明人は力をためて跳躍する。

 屋根の上に着地すると腕を大きく振りこちらへ来いとアピールした。

 

 確かに人ごみの中移動するよりはよいのだが、屋根伝いに移動することを体験することになるとは思ってもみなかった。

 

 それが普通にできてしまう現状に呆れつつ、同じように身体強化をして跳躍する。

 

 「それで、どのあたりなんだ?」

 

 明人の隣に着地し、走りながら問いかける。

 もしかすると、白上と百鬼が見たという不審な人物かもしれない。

 

 「おう、大体ここから南に走って3分くらいだな。」

 

 割と近いような遠いような、キョウノミヤコの全体から見れば近いほうか。

 

 「それにしても、雰囲気を感じたって明人のワザなのか?」

 

 流石にカクリヨと言えどイワレの探知などは基本出来ない。

 というか基本的にイワレがそこら中にあるから出来てもあまり意味がないと言われているらしい。

 

 だが、ワザの関連であればその辺りの調整が効いてもおかしくない。

 

 「そうだ、といっても精度は低いけどな。

 

  出来るのは周辺の流れを読むくらいだ。」

 

 なるほど、だから大体の距離は分かっても何が起こったのかは分からないのか。

 

 しばらく走っていると、目的地に到着したらしく、人のいない場所に向かい明人が降りる。

 それについていく形で同じように降りるとすぐ近くから人の気配を感じる。

 

 件の人物かと、素早く目線を上げ周りを見渡すと。

 

 「あれ、透君?」

 

 「え、大神?」

 

 そこには朝に分かれたはずの大神が立っていた。

 

 なんで大神がここに?

 もしや、このあたりの調査を行っていたのか。

 

 「あー、透。この娘はお前と一緒にいた娘で間違いないよな?」

 

 「あぁ、間違いなく大神だ。本当にここなのか?」

 

 何かの手違いかと明人に確認をとる。

 本人も少し驚いたように目を瞬かせている。

 

 「そのはずなんだが…、どういうことだ。」

 

 手で口を塞ぎ考え込んでしまう。

 

 何に対して考えているのかは分からないが、時間がかかりそうだ。

 その間に一応大神にも確認はしておくか。

 

 唐突のことに呆然としている大神に声をかける。

 

 「なぁ、大神。突然で悪いんだが、ここで何かワザを使ってなかったか?」

 

 「えっと…、ごめん、その前に色々と説明してほしいかな…」

 

 俺の隣、明人の方へ視線を向けながら返してくる。

 そう反応するのが当然か。

 

 ひとまずはと、ここまでの経緯を簡単に説明する。

 

 「…つまり、このあたりでイワレの動きがあったから急いでここに来た、ってことで合ってる?」

 

 「そんな感じ。それで大神がここにいて明人が固まった。」

 

 そして今に至ると。

 

 これは俺も予想外だ。

 まさか知り合いがいるとは思ってもみなかった。

 

 何故ここで明人のワザに反応があったのだろうか。

 

 「ちなみに、大神はここでワザを使ってたか?」

 

 「うちは使ってないよ、使う必要もなかったし。」

 

 確かに、炎を出したところで何をするでもない。

 そもそも探知系ではない以上、どうやら大神ではないらしい。

 

 ならば、ここにいた他の誰かということになるのか。

 それなら、もう一回反応があるまで待つしかないか。

 

 「待て、透。」

 

 そう考え、これからの方針を話し合おうとしたところで明人から待ったがかかる。

 

 「なんだよ明人。どうした?」

 

 「そこの黒髪で間違いねぇ。…あんた、嘘つくの上手いんだな。」

 

 聞くと明人は大神をまっすぐと見ながらはっきりと断言する。

 視線を向けると当人は気まずそうに目を逸らしている。

 

 明人の言葉に間違いはないようだ。

 

 気まずい沈黙が流れる中、ついに耐えかねたのか大神が話始める。

 

 「…うーん、やっぱり無理だよね。ここから逃げ切るの。

 

  透君はうちのワザは熱を操るとかだと思ってるかもだけど、実はそうじゃないの。

  それも間違いじゃないんだけど、実は占術がメインなんだよ。

 

  それで手がかり見つからないかなって試してたの。」

 

 占術というと、前にやっていた占いもその一つだろうか。

 流石に趣味も含まれているだろうが、それがワザとなるのは相当だ。

 

 「占術?」

 

 引っかかる部分があったのか明人がぽつりと呟く。

 

 それ以上追求しないところを見るにただ占術事態に何か思うところがあるようだ。

 

 「そっか、悪かった大神。変に詮索して。」

 

 「いいよいいよ。うちの方こそ調査の邪魔してごめんね。」

 

 お互いに謝罪をして今回のことは水に流す。

 

 ワザのことをあれこれ聞くのは普通に失礼だった。

 今回ばかりは事情が事情なだけに仕方なかったが、これからは気を付けたい。

 

 しかし、これでまた振出しに戻ってしまったな。

 

 「どうする明人、もう一回戻って聞き込みでもするか。」

 

 聞いてみるも、明人から返事はない。

 

 ただまた何か考え込んでいる。

 大雑把に見えるが割と考えるタイプだな。

 

 「…ん、ああ悪い、透。ちょっと用事を思い出してな。

  急だが、これから別行動する。」

 

 明人はこちらを向き、口を開く。

 

 本当に急だ。

 しかし、引き留めるわけにもいかない。

 

 「…分かった、どこで落ち合う?」

 

 連絡手段がない以上、今のうちに決めておきたい。

 

 「時間がかかりそうでな、明日、今日と同じで。」

 

 それだけ伝えると、こちらに来た時と同様に跳躍しどこかへと走って行ってしまった。

 

 残された俺と大神でそれを見送る。

 

 昨日会ったばかりだがいまいちキャラがつかめない。ただ、あいつ自身何か隠していることもありそうだ。

 

 「ねぇ、透君。彼が同郷の?」

 

 「そう、イワレも溜まってるみたいだ。」

 

 カクリヨにおいて、イレギュラーでもない限りイワレは急速には溜まらない。

 そんな中、ワザを使えるまでに溜まっているということはかなり前からカクリヨにいるのかもしれない。

 

 だが、そんな明人もどこかへ行ってしまったことだし、また一人で聞き込みをするしかないか。

 

 「それじゃあ、俺もそろそろ行くよ、邪魔した。」

 

 「あー、待って待って。」

 

 それだけ言い残して、北に向かおうとすると大神が声をかけてくる。

 

 慌てて入れていた力を抜きその場に留まった。

 まだまだ、身体強化の使い方に慣れていない。 

 

 「さっき、占術で試した結果話してないでしょ。

  結果はね北に手がかりがあるみたいなの。だから、うちも北に向かうよ」

 

 「え、北に?…そっか…」

 

 つまり、俺はあるにも関わらず見つけ出せていなかったのか。

 自分の調査能力の無さに絶望する。

 

 大神も俺の顔が暗くなっていることに気が付いたのか慌ててフォローを入れる。

 

 「違うよ!北といってもかなり広いんだから、見つけられないのも無理ないよ。」

 

 優し気な笑みで必死に励ましてくれる彼女に、荒んだ心が少し癒される。

 さっきのこともそうだが、やはり優しい。聖女か何かだろうか。

 

 「とにかく、現地で何度か占術で探してみたいから、今日はよろしくね、透君。」

 

 「よろしく、大神」

 

 大神は空気を切り替えるように手を叩く。

 話がまとまったところで、二人で北へと向かう。

 

 元々明人との調査の予定が大神との調査になるとは思いもしなかったが、着々と解決に進んでいそうだ。

 

 

 

 

 





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調査(下)

どうも作者です。

いつの間にか総文字数が5万を超えている。
次の目標は10万

評価と、感想くれた人ありがとうございます。

以上


 「それで、どこで試す?」

 

 二人で北町を歩きながら大神に話しかける。

 

 普段も話したりはするが、こうして二人きりで歩くというのは初めてで、新鮮な気分だ。

 今にして思えば、基本的にどこかへ行くときは百鬼だったり、白上だったりと一緒だったため、あまりこういった機会がなかった。

 

 横を歩く彼女に視線を向ける。

 

 先ほどの明人の言葉が思い起こされる。

 確かに、優しくて包容力があって、かなり魅力的だと思う。

 

 これはもちろん白上や百鬼にもそれぞれ要素は違うが違った魅力がある。

 それは理解できている。

 

 しかし、これが恋慕につながるようには思えない。

 心のどこかで、ブレーキがかかってているような、そんな感覚。

 

 そもそも、出会ってまだすぐなのだ、急にそんな気持ちになるわけがない。

 

 「そうだね、あんまり人通りのないところがいいな。

  ちょっと目立つから。」

 

 「目立つ?なんかこう、エフェクト的な?」

 

 「そうそう。」

 

 正解とこちらに指を向ける。

 

 それならば路地裏辺りが最適だ、と二人そろって道の脇にそれて細い道へ入っていく。

 エフェクトというと、オーラが立ち上るとか、きらきらと光が舞ったりするのかもしれない。

 

 丁度人通りもなくなり、良い感じの場所を見つけると立ち止まる。

 

 「ここなら大丈夫そうだな。」

 

 「うん、人もあまり来なさそうだし。」

 

 いったん、ここで試す流れとなる。

 

 邪魔をするわけにもいかないため、少し大神から距離をとった。

 それを確認すると大神は一つ深呼吸を入れる。

 

 「それじゃあ、始めるね。」

 

 そう言うと、目を閉じ、手のひらを上に向けて胸の前に持っていく。

 

 すると、青白い光がそこらじゅうの空間からあふれ出し、その手のひらの中心へと集まっていく。

 やがて、それは球体へと形を変えてゆき、綺麗な水晶玉へと変化した。

 

 「…っ」

 

 そのあまりにも幻想的な光景に思わず息をのむ。

 

 こういってはなんだが、その光景と大神の姿は何とも様になっており、その幻想性に拍車をかけている。

 

 これは人前で実行することが憚られるのも納得できる。

 間違いなく、人だかりができて注目の的になるだろう。

 

 しばらくそうしていたかと思うと、大神はゆっくりと瞼を上げる。

 それと同時に手の上の水晶玉も、元の光へと戻り霧散していく。

 

 「…うん、ここじゃないみたい。次はもう少し向こう側に…って、透君、どうしたの?ぼーっとして。」

 

 大神に声をかけられて意識を戻す。

 

 「いや、綺麗で思わず見入ってた。…それが占術なのか。」

 

 「ふふっ、そうだよ。そう言われるとちょっと照れるね。」

 

 頬を搔きながら笑う大神。

 

 正直、地味なものかと考えていたが、実際には真逆のものだった。

 いつまでも見ていたいと思ったのは初めてだ。

 

 「じゃあ、次行こうか。」

 

 その後、いくつかの場所を回ってみるもなかなか当たりは出ない。

 

 何度もワザを使ったためか、大神の顔にも疲労が見え始めてきた。

 朝から動きっぱなしだったのだ、そうなるのも当然だ。

 

 かくいう俺も、そろそろ休憩をはさみたくなってくる。

 

 「なあ、大神。昨日見つけた茶屋があるんだが、いったんそこで休憩しないか。」

 

 「え?…うん、そうだね。うちも休憩したいかも。」

 

 誘ってみると、渡りに船とばかりに了承をもらう。

 

 それなら決まるが早いか。

 幸い、道順は覚えている。

 

 先導して歩くこと数分、すぐに目的地が視界に移る。

 

 丁度よく席も空いている。手早く注文を済ませて、団子と抹茶を受け取ると、席に着く。

 

 「ふー、ようやく一息つけた」

 

 「うちも疲れたよ。

  透君、よくこのお店知ってたね。」

 

 腰を落ち着けると急激に襲い掛かってくる疲労感に足をもみほぐす。

 ずっと動き続けるだけでもかなり疲れるものだ。

 

 大神はこれに加えてワザも使っているのだから、俺以上に疲労がたまっているはずだ。

 

 「昨日偶然な、それにしてもなかなか見つからないな。」

 

 「うん、近づいてはいるんだけどね。」

 

 話しながら、抹茶を飲みくつろぐ。

 休憩をとるのも、調査を続けるうえで大事な要素の一つだ。

 

 「やっぱり、精度が落ちてるみたい。普段だったらもっと広い範囲でもすぐに見つかったんだけど。」

 

 ぼやかれたその言葉に引っかかる。

 

 「落ちてる?なんでまたそんなことに。ずっと使ってなかったとか。」

 

 使わなければ、衰えるようなものだろうか。

 そう推測するも、大神は首を横に振る。

 

 「ううん、ワザが衰えたりすることはないよ、ただ、周囲の影響で通りが悪くなってるの。」

 

 なるほど、キョウノミヤコではイワレが多く集まっていることから、それが影響している可能性があるのか。

 

 後、あった変化といえば。

 

 ふと思い至った可能性にまさかと思いながら聞いてみる。

 

 「なぁ、それって俺がカクリヨに来てからだったりする?」

 

 流石にこれは自意識過剰かと、笑うも。一向に大神が喋る気配がない。

 

 え、本当に?

 

 「えッと…実は最後に透君を見つけた場所を見た切り、精度が落ちてるんだよ…ね。」

 

 気まずそうに語る大神。

 

 もはや、自分が疫病神の類なのではないかと思えてしまう。

 

 「あ、でもいいこともあったから。寧ろ今の状態の方が良いって言うか。

  透君のせいだとか考えてないから、安心して!」

 

 気遣ってかそんなことを言ってくれるも、今はその優しさが痛い。

 どうしようもなかったのは事実だが、それでも申し訳ないと感じる。

 

 しかし、ここでくよくよしても始まらない、いつか何らかの形で報いるしかない。

 

 「そういってくれると助かる。」

 

 ということで、この話題は打ち切ると、しばらく団子と抹茶に舌鼓を打つ。

 

 しかし、自分の知らないところまで影響が出ている物だな。

 

 そういえば、あの二人はどうしているだろうか。

 白上は普通に調査をしているだろうが、百鬼は昨日見つけた人物の追跡をしている。

 

 大した騒ぎも起こっていないようだから問題はないと思うが。

 

 「…二人が心配?」

 

 見透かしたように言い当てる大神にドキリと心臓が鳴る。

 本当に他人の心の機微に聡い。だからこそ、まとめ役を担えているのか。

 

 「俺が心配するほどやわじゃない事は分かってるつもりなんだが…どうしてもな。

  傲慢かもしれないけど。」

 

 自嘲気味に笑いながら答える。

 

 二人共、大神も含めると三人は俺よりも腕っぷしも、経験も遥かに上だ。

 そんな相手の心配をするのは何とも滑稽だろう。

 

 「それは違うよ。」

 

 しかし、大神はその言葉を強く否定する。

 

 「心配してくれる人がいるってことは、それだけで恵まれてる。

  特ににうちやフブキはよく問題を解決してて、頼ってくる人はいるけど、心配してくれる人は少ないんだ。あやめちゃんはいわずもがな。

  もちろん、頼られるのは好きだけどね。どうしても、そういう人たちはこの人たちは頼っても大丈夫って考えちゃうんだよ。

 

  だから、それは透君が人をちゃんと見ている証拠。

 

  うちは透君のそういうところ、好きだよ。」

 

 その言葉に心が少し軽くなる。

 

 だが、最後の一言は必要だったのだろうか。そこまで言われれば流石に照れの一つもする。

 

 本人も余計だったと思ったのか、少し顔を赤くしている。

 それでも否定はするつもりはないようだ。

 

 その事実が、さらに空気を気まずくさせる。

 

 これも、明人が変な話をしたせいだ。今までならこの程度笑って流せた。

  

 「あー、そうだ、そろそろ行くか?」

 

 丁度食事も終わった所で、声をかける。

 今すぐ、この空気を換えたい。 

 

 「うん、十分休んだしね。行こっか!」

 

 同じ思いだったのか、大神も必要以上に明るく答える。

 

 まさか、大神とこんなことになるとは思ってもみなかった。

 白上と百鬼相手でも恐らく同じ結果になりそうだ。

 

 占いでは、近いうちに恋人ができるらしいが…。

 

 (まさかな…)

 

 脳裏にあの三人が思い浮かび、すぐに頭を振ってかき消す。

 

 どこまで恋愛脳になっているんだ。

 

 ふと、いつかと同じく右腕が熱くなる。

 以前より熱が弱くなっているが、ゆっくりと、思考が元通りになる。

 

 どういう原理かは知らないが、今は助かる。

 

 「透君、どうしたの?」

 

 「いや、何でもない」

 

 不思議そうに聞いてくる大神にそれだけ返すと、いつの間にか前にいた大神に追いつくため、走り出す。

 

 





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悪夢


どうも作者です。

保険としてタグ:残酷な描写を追加しました。
お気に入り100件突破してました。感謝

評価と感想くれた人ありがとうございます。

以上


 俺達がキョウノミヤコに来てから、ちょうど二日が経過した。

 

 大神との調査の結果、ある程度までは調査する範囲を縮小させることに成功した。キョウノミヤコの全域を一気に調べていた初日と比べるとこれはかなり大きな進歩だ。

 

 かといって、その狭めた範囲が本当に正確であるかといわれると、あまり確信は持てないらしい。

 昼間にも話したように、大神の占術は今精度が落ちている。

 

 その為、断言ができるほどではないらしい。 

 

 ここは大神を信じて全員でしらみつぶしでもいいから、赴きたいところではあるのだが、的外れである可能性も考えると、人が消えるという噂がある以上、あまり時間を無駄にするのは得策ではない。

 

 かといって、すぐにこのまま向かうのもいささか早計であることもわかっている。

 夕暮れも近いということで、一度宿に戻り方針を話し合うことになった。

 

 俺と大神は調査を切り上げて宿へと足を向ける。

 

 「ようやく、前進できそうだな。」

 

 手がかりが近くにあることに、達成感を感じるよりもようやく見つかったという安堵が先に来る。

 

 丸二日かけて、ようやく全貌に近づけるかどうかのペースに少し億劫になる。

 

 「本当にようやくだよね。

  今回は情報が少なすぎるのが問題だけど…、噂しか聞かないんだもん。」

 

 大神によると、過去にも調査が長引いた例はあるらしいが、今回はその中でも長引きそうだとのことだ。

 

 過去というと、俺と百鬼はおらず。白上と大神の二人の時か。

 今回の半分の人数ということもあるが、大神の占術がフルで機能しているため、調査自体は早めに終わっていたそうだ。

 

 そう考えると、占術の有無は調査において重要であることを思い知らされる。

 

 「まぁ、噂が出始めてまだ日が浅いのもあるだろうけど。それにしてもだよな。」

 

 噂は一週間ほど前から流れ始めているらしい。

 

 前回の幽霊騒ぎでは、実物が目視出来たからこそ、最短で解決できた。

 だが、今回は実例が消えているのだから情報の出ようがない。

 

 それが今回の件を難解にしている原因だ。

 無いものは探せない。

 

 いつの間にか、遠く離れた場所にいたらしい。

 しばらく歩いて宿へと到着する。

 

 すでに、白上と百鬼は戻っていた。

 二人はこちらに気が付くと手を振る。

 

 「おかえりなさい、ミオに透さん。どうでした?」

 

 「ただいま、手がかりまであと一歩かな。

  それで2人に話があるんだけど、良いかな。」

 

 聞いてくる白上に返すと、挨拶もそこそこに大神はすぐに話を切り出す。

 

 二人共了承するのを確認すると、話始める。

 

 「実は、占術である程度範囲が絞れたんだけど、そこをみんなで調査するかどうかの意見を聞きたくて。

  フブキとあやめはどう思う?」

 

 単刀直入なその質問に少し二人は考えると、すぐに答える。

 

 「白上は全員でそこに向かうのがいいかなと思います。」

 

 「余も賛成。」

 

 二人そろって、全員で行くことに肯定的らしい。

 

 今のまま続けて何も得られないより、全員で一気に探したほうが良いと考えるのは普通か。

 確かに、全員でいけばそれだけそのエリアの探索時間は少なくて済むというのもある。

 

 ある程度のリスクは飲んでしかるべきか…。

 

 聞くと、二人共特に何も情報は得られなかったらしい。

 

 これはいよいよ、明日の調査にかかっていそうだ。

 

 俺はそう納得するも、大神は未だ決めかねている。

 やはり、自分のワザに依存した結果であるために、現状の制度では不安が残るみたいだ。

 

 「大神、一回全員で行ってみよう。もし、何もなくてもすぐに他に向かえば問題ないさ。」

 

 少し、後押しをしてみると、二人も同調するように頷いてくれる。

 

 大神も決心が決まったのか、顔を上げる。

  

 「…よし、分かった。それじゃあ、明日はみんなで北に向かおう!」

 

 「「「おー!」」」

 

 大神がまとめると、全員で掛け声を上げる。

 

 それからは、皆疲れがたまっていたのか、夕食を食べるとすぐに解散となった。

 俺自身も早く横になって休みたかったため、部屋に戻るとベットに横になる。

 

 すると途端に強い眠気が襲ってくる。

 もう少し体力はつけた方がよいのかもしれないな。

 

 一人ごちながら、意識は暗闇へと落ちていく。

 

 

 

 

 

 ふと気が付くと、俺は町の通りに立っている。

 あたりには深紅のカーペットが敷かれており、その胸の中には、耐えきれないほどの後悔の念が渦巻いている。

 

 あぁ、どうしてこうなった

 

 あの時こうしていれば。

 

 しかし、もう手遅れだ。もう、取り戻せない。

 チャンスを棒に振ったのは俺自身だ。

 

 どうしようもない無力感に打ちひしがれる。

 

 ただ幸せを享受することさえ許されなかった。

 

 あたりに四つの骸が転がっている。

 

 その事実が俺を苛み、絶望に声を上げた。

 

 

 

 

 「…っ!!!!」

 

 「わっ!」

 

 抑えきれぬ感情に、思わず飛び起きた。

 

 体中から冷や汗が噴き出ている実感がある。

 鼓動は全力疾走の後のように脈打っている。

 

 心は冷え込み、絶望の余韻が後を引く。

 

 乱れた呼吸を整えながら頭を整理する。

 

 あれは夢だ、起きた今ならわかる。

 現実味のある夢などいくらでも見るだろう。

 

 そう、自分に言い聞かせながら、何とか落ち着きを取り戻す。

 

 そういえば、起きたとき誰かの声が聞こえたような気がする。

 

 横に目を向けると、そこには百鬼が心配そうにこちらを見つめていた。

 

 何故百鬼が部屋にいるんだ、と思うも窓から太陽がすでに登り切っているのが見える。どうやら、少し寝過ごしてしまったらしい。

 

 「…あー、悪い百鬼。遅くなった。」

 

 「透くん、大丈夫?」

 

 謝るもそれを無視して百鬼は聞いてくる。

 まぁ、起きて取り乱しているのを見れば当然か。

 

 「嫌な夢、見た?」

 

 「大丈夫、驚かせてごめんな。」

 

 笑いながら言うも、百鬼の顔は晴れない。

 

 どうしたものかと考えていると、百鬼の腕が伸びてくる。

 そのまま頭を掴まれると、さしたる抵抗もできないままに、グイッと引き寄せられた。

 

 そして、百鬼の胸に抱かれる形となる。

 

 唐突のことに理解が追い付かない。何なら、先ほどより困惑している。

 なんでまたこんなことを。

 

 固まっていると、頭に手を置かれる感触がある、どうやら頭を撫でられているようだ。

 流石にここまでくると、一周回って冷静になる。

 

 「あの、百鬼さん?これは一体…」

 

 「余も、小さいころよくこうしてもらってたから、落ち着くかなって。」

 

 落ち着くも何も、もう平気だと伝えたのだが。

 ゆっくりと解こうとするも、抜け出せない。

 

 「もう大丈夫だ、それより早く行かないと。」

 

 「そんな顔で、フブキちゃんとミオちゃんの前に出る気?もっと心配されるよ。」

 

 そこまでひどい顔をしているのだろうか。

 血の気が引いた感覚はあったが、そこまで心は弱くないはずだ。

 

 子供でもあるまいし、悪夢の一つや二つでそんなこと。

 

 「透くん、記憶なくしてるんでしょ。そんな状態で、知らない土地、知らない世界に放り出されたんだもん。

  心が弱ってもおかしくないよ。」

 

 よく頑張ってきたねとやさしく言う百鬼に、心が休まるのが分かる。

 自覚がなかっただけで、ずっと張りつめていたのか。

 

 先ほどの夢がきっかけで、一気にそれが切れてしまったらしい。 

 

 時間は無駄にできないはずなのに、ずっとこのままでいたいと思ってしまう。

 しかし、このままでは話してくれそうもない。

 

 だから、これは仕方がない。

 

 そう自分に言い訳する。

 

 「そっか…なら、少し借りる。」

 

 「うん。」

 

 優し気に言う百鬼。

 

 本当に、いつものどこか抜けている姿からは想像もできない。

 冷えていた心が温まっていく感覚。

 

 どれほど時間がたっただろう。

 

 部屋の扉がノックされる音が聞こえてくる。

 

 「あやめ、透君まだ起きないの?」

 

 その声に、意識が完全に覚醒する。

 

 俺は何をしているんだ。

 

 「百鬼、ありがとう。だいぶ楽になったよ。

  大神も来たし、そろそろ行かないと。」

 

 「えー、もう少し。」

 

 もう少し、じゃないんだよ。

 

 流石にこの態勢を大神にみられるのは避けたい。

 鬼纏いまで使い、何とか抜け出すのに成功する。

 

 「入るよー…二人とも何してるの?」

 

 それと同時に大神が部屋に入ってくる。

 

 まさに間一髪。残念そうな百鬼に苦笑いが出る。

 

 何故楽しくなっているんだ。

 

 「悪い、ちょっと寝ぼけてた。」

 

 「そう?うちとフブキは食堂にいるから、早く降りてきてねー。」

 

 それだけ言うと、大神は部屋を後にする。

 百鬼も立ち上がるとそれに付いて行こうとする。

 

 「…百鬼」

 

 呼び止めると、百鬼は振り向く。

 

 「その、ありがとうな。」 

 

 大神に聞こえないように注意して言う。

 

 百鬼はそれを聞くと嬉しそうに笑い、小さくピースサインを返してきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

  

 

 





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予兆


どうも作者です。

以上


 「悪い、待たせた。」

 

 身支度を整えて食堂に急ぐとすでに三人は席についていた。

 朝食も食べずに待ってくれていたのだと思うと申し訳ない気分になる。

 

 「おはようございます、疲れは取れましたか?」

 

 「あー、まあ、ばっちりだ。いくらでもこき使ってくれ。」

 

 しかし、そんなことは微塵も考えていないような笑顔で、そう返してくれる白上。

 

 先ほどの百鬼との一幕を思い出し、どこか気まずく感じながら答える。

 だが、そのおかげで今までで一番心が軽い。

 

 今日はいくらでも調査を行えそうだ。

 

 今にして思えば、全員で行う調査というのも初めてだ。

 しかも、今回は手がかりへと向かうわけで、何が起こるか予測が立たない。

 

 「ほら、透君も席について。しっかり食べて今日は頑張らないと。」

 

 相変わらずおかんのような大神に促されて席に座ると全員そろって手を合わせる。

 この光景にもだいぶ馴染んだな、と心の片隅で思う。

 

 程よく食べ進んだところで、大神はおもむろに口を開く。

 

 「みんな、食べながらでいいから聞いてね。

  今日の流れのおさらいだけど、まず、透君は昨日の明人君でいいのかな、と合流して。

  うちとフブキ、あやめは先に行って、占術で場所を絞り込んで、特定出来たらそろい次第、そこに向かう。

 

  ここまでは大丈夫?」

 

 俺達は揃って頷く。

 ある程度の場所は覚えているから、少し遅れても合流までは問題なさそうだ。

 

 それを確認すると大神は続ける。

 

 「あやめとフブキが見た不審人物は気になるけど、いったん今日はこの調査に集中。

  理想としては、解決まで行きたいけど…それは高望みだね。

 

  とにかくそういうことで、何か質問はある?」

 

 その言葉に、白上が手を上げる。

 

 「あの、質問というか確認なんですけど。…ミオ、今朝占術の精度が戻ってませんでしたか?」

 

 占術の精度が戻る。

 

 自然と大神へと視線が集まる。 

 そもそも、落ちていた原因が分からないが、それが本当だとするとこれからの進捗に大きく関わってくる。

 

 これはうれしいニュースだと、喜ぶところかと思ったがあまり大神の顔は晴れない。

 むしろ、困ったように眉をひそめている。

 

 「…もう、気づいてほしくなかったのに。そういうところだよフブキ。」

 

 白上へジト目を向けながら言う大神。

 当の白上は引きつったように笑っているが、どこかわざとらしさを感じる。

 

 大神もそれを見て観念したように一つ息をつくと話始める。

 

 「確かに、今朝の一瞬だけ戻ったみたい。

  まぁ、一つだけ結果を出すとまた元通りになったんだけど。

 

  それで、ここまで来たから話すけど、これがその結果。」

 

 そう言って大神がテーブルに置いたのは一枚のタロットカード。

 

 絵柄は…。

 

 「…死神?」

 

 ローブを身にまとい、大きな鎌を持った骸骨が描かれている。

 

 しかし、タロットではよい意味にもとらえられるはずだ。ならばそこまで重く受け止める必要もないはず。

 そんな、甘い考えは次の大神の一言で一蹴される。

 

 「うちの占術にも種類があってね、こういう突発的な時は、周りにあるモノで示してくるの。

  だから、これはそのまま死神そのもの。

 

  みんな、このことを念頭に置いておいて。」

 

 大神の説明を聞き、今朝見た夢がフラッシュバックする。 

 

 深紅に染まった道。

 転がっていた骸は4つ、そして俺を除くと明人を含めて4人。

 

 まだ、決まったわけではないが冷たいものが背中を伝う。

 

 ただの偶然だと思いたい。

 

 ふと、百鬼が視線を向けていることに気が付く。

 その眼は心配に満ちていた。

 

 何故、ここまで気をかけてくれるのか分からないが、先ほどのこともある。

 せっかく百鬼が慰めてくれたのだ。このくらいでへこたれてどうする。

 

 百鬼に大丈夫と目で伝える。

 

 とにかく、今はできることをやろう。

 

 その後は、各自食事を済ませる。

 食事中にするような話題でもなかったか。

 

 しかし、白上があの時指摘していなければ、大神はこの問題を一人抱えたままになっていた。

 結果的に、ベストな形で落ち着いている。

 

 やはり、よく周りに目を向けている。とても真似はできそうにない。

  

 そうこうしているうちに、準備が完了する。

 明人と合流するために一足早く出ることにした。

 

 先ほどの話はこれからともに行動する明人にも無関係ではない。

 説明に時間もかかるため、急遽そう決めた。

 

 三人に断りを入れてから宿を出る。

 

 そういえば、キョウノミヤコの街並みは基本的にどこも似たような作りになっている。

 夢で見た景色も丁度こんな感じだった。これでは、夢の光景がどこでのものなのか分からないな。

 などと、大神のように占術ができるわけでもなしに、考えている。

 

 まだ、尾を引いているらしい。

 頭を切り替えながら、待ち合わせの場所へと向かおうとすると視界の端に見覚えの姿をとらえる。

 

 「…ん?あれは…明人?」

  

 目を向けると、少し離れた路地裏への入り口に明人が静かにたたずんでいる。

 明人もこちらに来ていたらしい。

 

 手を振ってみると、あちらも気が付いたのか驚いた顔をして、こちらへと走ってくる。

 

 「おう、透。なんだよ、早いじゃねぇか。」

 

 「説明することが出来てな、早めに出ることにしたんだよ。」

 

 そして、先ほどの話し合いの概要をかいつまんで説明する。

  

 「なるほど、あの黒髪の娘はあれで本調子じゃないのか。末恐ろしいな。」

 

 恐れおののいたように言う明人に同感する。

 

 確かに、現時点でもかなり有益なワザなのに、あれより上があるのだ。

 もはや、情報戦において右に出るものはいないだろう。

 

 「それで、明人はなんでこんな時間からここに?」

 

 一通り説明も終わった所でずっと気になっていたことを聞く。

 こんなに早く来る必要はなかったはずだが。

 

 「あー、そうそう、今日も同行が出来なさそうだから、それを伝えに来たんだよ。

  誰かが出てくるまで待つつもりだったから、助かった。」

 

 「昨日言ってた用事か。」

 

 肯定するように頷く明人。

 

 今朝のこともある。

 出来れば、一緒に行動したかったが、どうやらそれは無理なようだ。

 しかし、考え方を変えれば、あの夢は実現しないと分かったのだから精神衛生上は結果オーライなのだろうか。

 

 明人は珍しく申し訳なさそうな表情で説明を続ける。

 

 「今日中には目的が達成できそうなんだ。多分、今回の件でも重要な情報が得られるかもしれねぇから、もう少しだけ待ってくれ。」

 

 そういわれては、引き留めるものも引き留められない。

 一人の方が探しやすいこともあるだろう。

 

 「分かった、こっちも今日が山場みたいだから。明日、情報を交換しよう。」

 

 「おう…あ、そうだった、透。」

 

 話がまりかけたところで、明人が声を上げる。

 なんだ、と続きを促す。

 

 「一応、昨日分かったことがあるんだが、今回の件、予想以上に大きい問題だ。

  組織だった動きもあるみたいだから、そっちも気を付けろよ。」

 

 「……は?」

 

 唐突なことに思考が止まる。

 

 それだけまくしたてると、そんな俺を置いて、明人はさっさと行ってしまう。

 最後の最後に爆弾だけ落としていきやがった。

 

 組織だった動き。

 

 つまり、今回は現象ではなく、人為的な事件であるということか?

 仮にそうだとすると、いったい何のためにこんなことを。

 

 人が消える、組織。

 情報が出るたびに問題が増えるな。

 

 どれだけ根深いのか予想すらつかない。

 

 「あれ、透さんどうしたんですか?」

 

 宿から出てきた白上が俺を見つけると声をかけてくる。

 

 少し話し込んでしまっていたな。

 だが、合流する手間が省けたと思えばいいか。

 

 「明人とそこで話してたんだ。

  今日も単独で動くみたいだから、俺もみんなと一緒に行くよ。」

 

 「なるほど、了解しました。

  あやめちゃんとミオもすぐに出てくると思いますよ。」

 

 どうやら、一人だけ先に外に出てきていたらしい。

 周りはよく見ているようだが、落ち着きはあまりないのかもしれない。

 

 改めて、白上を見てみる。

 

 今朝、大神の隠していたことをさらっと言ってのけたのもそうだが、本当に周りの機微に聡い。

 普段は大神がしっかりしているが、こういう時はしっかり支えるあたり、良いコンビなんだな。

 

 流石に見られていることに気が付いたのか、白上が警戒するように後退りをする。

 

 「…何ですか、また変なことを言うつもりですか。」

 

 「変なことって…、人聞きが悪いな。」

 

 まだ、昨日の朝のことを引きずっているらしい。

 思ったことをそのまま言葉にしただけなんだが。

 

 ただ人の往来の中、周りからの視線の温度が下がった感覚がある。

 これはまずいな。どうにかして白上からの信頼は取り戻しておきたい。

 

 「あー、…そうだな、さっきのことだけど、白上って優しいよな。」

 

 「?…はぁ。」

 

 怪訝そうに首をかしげる白上。

 しかし、そんなことはお構いなしに続ける。

 

 「ほら、大神が一人で抱え込まないようにしたんだろ?

  そういう気づかいができるのは素直に尊敬する。」

 

 言うと白上はなぜかこちらにジト目を向けている。

 何故こうなった。どこで失敗したのか分からない。

 

 「透さん、そういうことは気が付いても言わない方が良いですよ。」

 

 言って、そっぽを向いてしまう。

 本格的に機嫌を損ねてしまったか?

 

 後悔が頭をよぎったところで気が付く。 

 よく見ると、白上の横顔がかすかに赤くなっている。

 

 なんだ、そういうことか。

 

 「照れてただけか。」

 

 言った後で失敗に気が付く。

 思わず、考えていたことが口をついて出た。

 

 すぐに口を押えるも後の祭り。

 白上は顔を下げたままプルプルと震え始める。

 

 「…白上…さん?」

 

 恐る恐るといった風に声をかけると、白上は顔を上げてこちらを睨みつける。

 

 「だから、そういうところですよ!」

 

 昨日に引きつづき、通算二度目の尻尾攻撃が目を襲う。

 

 これからどんな困難が待ち受けているのか分からない中、こんなこと考えるのもなんだが、ずっと、こういった日常が続いて欲しいと、ただ願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  





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息子(上)

どうも作者です。



 手掛かりを求めての調査も今日で三日目。

 ここにきて、ようやく進展のありそうな展開に、喜びがわくより先に安堵が胸に広がる。

 

 白上の尻尾により目をつぶされつつ、何とかなだめようと奮闘するも、結局大神と百鬼が宿から出てくるまで成果は上げられなかった。

 

 大神の仲裁もあり、何とか白上も落ち着く。

 

 今回ばかりはただ褒めただけなので、俺は悪くない。そう主張したいところだが、ただ話がこじれるだけなので黙っておく。

 

 白上も、誉め言葉にもう少し耐性を付けてもよいと思うのだが。

 

 その後は、四人揃って目的地へと向かう。

 といっても、目的地を探すための目的地ではあるが。

 

 この四人でキョウノミヤコを歩くというのも、新鮮な気分になる。

 

 道中、他愛もない話をしながら歩き続ける。

 

 「ねぇ、透君。明人君は何かの組織が関わっている可能性がある、そう言ってたんだよね?」

 

 ふと、大神がそんなことを聞いてくる。

 

 「あぁ、あいつも独自で調査してるみたいなんだ。」

 

 ワザも、イワレに限られるが探知できると言っていたし、得意分野なのかもしれないな。

 

 「元々一人で行動してたなら、一人のほうが動きやすいのかもね。」

 

 確かに、やはり集団で行動する以上、個人の行動は制限されることもあるし。そういうのは嫌いそうな印象がある。

 そういえば、白上や百鬼に明人のことは話してあるが、直接紹介はできていないな。

 

 まぁ、機会はいくらでもあるか。

 

 そんなことを考えながら、しばらく歩くと昨日最後に調査した場所にたどりつく。

 

 「確かこのあたりだったよな?」

 

 確認をとるように聞くと、大神も頷く。

 

 そして昨日と同じように、大神の占術で範囲を絞り込んでいく。

 

 「…うん、もう少しあっち側かも。」

 

 大神が方向を示して、全員でその方向へと進み異変がないか、情報はないか調査をする。

 後はその工程の繰り返しだ。

 

 大神だよりにはなるが、今日はそうすると決めたのだ。

 負担を強いるのは申し訳ないが、適材適所。それ以外の部分は他の三人でこなしていく。

 

 そして、変化が起きたのはそれを五回繰り返した後だった。

 

 「…やっと見つかった。」

 

 水晶玉を手に、大神が呟く。

 その言葉に、全員の顔が引き締まる。

 

 やっとだ。

 三日間探し続けて、ようやく見つかった手がかり。

 

 先導する大神に付いて歩いていくと、一つの小さな花屋がぽつりと一つ立っているのが見えてくる。

 店先には、一人の初老の男性が一人立っている。

 あの人物が、占術が示していた手がかりを握っているのだろうか。

 

 しかめられたその顔は近づきがたい印象を放っている。

 

 アイコンタクトをし、一つ頷くと、そこに向かって歩き出す。

 

 「あの、すみません。少しお話を伺いたいんですけど。」

 

 大神が声をかけると、ちらりとこちらを一瞥するもすぐにそらしてしまう。

 

 「…悪いが、俺はただの店番でね。花が欲しいなら適当なのをもっていってくれ。」

 

 気だるげにそう言う男。

 それを気にすることなく大神は言葉を続ける。

 

 「いえ、お花ではなく。

  うち達は、人が消えるという噂についてお話を聞きたいんです。」

 

 それを聞いた男の反応はまさに劇的だった。

 その眼は大きく見開かれて、その口はぽかんと開けられる。

 

 「あんたら、今の話は本当か…」

 

 絞り出すような声に、不穏な空気を感じる。

 もしかしなくとも、この人は何らかの形でこの件に関わっている。 

 

 頷いて見せると、その眼のふちに光るものを浮かべる。

 

 「あぁ、そうか。もう、誰も耳を傾けてくれないのかと思った。…よかった…よかった。

  あんたら、どうかあいつを助けてやってくれ。もう、見てられないんだ。」

 

 その必死な懇願に、思わず何があったのか察する。

 しかし、話は聞いておかなくては。

 

 「…何があったんですか。」

 

 聞くと、男はゆっくりと話し始めた。

 

 「ここは元々俺の店じゃない。とある二人の親子の店なんだ。

  二人共仲良く、平和に暮らしてた。

 

  だが、ひと月ほど前だ。

  そんな日常が壊れちまった。息子がいきなりどこへともなく消えちまった。

 

  あいつも俺も必死になって探したんだ。

  だけどよ、どこにもいやしない。

 

  痕跡一つ見つからない、遠出するような奴じゃないのに。

 

  あいつは朝から晩までずっと探してた。アヤカシでも何でもない、ただのヒトなのに…ずっとだ。

 

  それがひと月続いて、あいつも疲れたんだろうな。女手一つで育てた息子がいなくなって。 

  今じゃ、ほとんど部屋から出て来やしない。

 

  だから、頼む。どうか二人を助けてやってくれ…」

 

 最後には嗚咽交じりになりながら、男は話し終える。

 

 予想以上にこの件は重たいことにいまさらながらに気づく。

 ただの噂であればどれだけよかったか。

 

 実際に人が消えている、その関係者の心情はじかに接してみて、これがどれほどつらいモノか計り知れない。  

 

 ひと月も前。

 

 それだけの時間が立っていながら、ただの噂のみというのもおかしな話だが。この人は心の底から助けを請うている。

 その確かな事実に、この件、もはや事件ともいえるこれを解決せばとますます決意が固まる。

 

 「あの、その女性は今どちらに。」

 

 大神は承諾するように頷くと男へと問いかける。

 男も鼻をすすりながら口を開く。

 

 「…あぁ、上の部屋だ。ただ、最近は口を利くことも少なくなってきてる。」

 

 それでもいいなら一度会って話してみてやってくれ。と、男が言う。

 

 「うちはもう少し、この人と話すから三人は部屋の方に。」

 

 「私も残ります、大勢で押し掛けるわけにもいかないので。」

 

 大神がささやくように言うと、白上もそれに続く。 

 確かに、四人で押し掛けるわけにもいかないし、二人ずつで分かれた方がよさそうだ。

 

 部屋へ向かおうと百鬼に声をかける。

 

 「分かった、行こう百鬼。」

 

 しかし、百鬼から返事はない。

 

 怪訝に思い視線を向けると、百鬼はただそこに立っていた。

 無言で唇をかみしめて、その顔は険しく歪んでいる。

 

 「…百鬼?」

 

 再び呼びかけると、やっと耳に届いたのかハッとしてこちらを向く。

 

 「あはは、ごめん、余なんも聞いとらんかった。」

 

 いつも通りの百鬼に戻る。

 何か思うところがあるのだろうか。

 

 しかし、詳しく聞いている暇もない。

 

 簡単に説明だけすると、すぐにそこの男性、名前はジュウゾウというようだ。に断りを入れて、階段を上がる。

 ジュウゾウさんが言うには、今から伺う人の名前はヨウコさんというらしい。

 

 階段を上がっていくと木造の扉が見えてくる。

 

 立ち止まり、百鬼と目を合わせる。

 百鬼が頷いたのを確認するとドアをゆっくりとノックする。

 

 「すみません、ヨウコさん。少しお話を伺いたいのですが。」

 

 しばらく待ってみるも、誰かが出てくる気配はしない。

 どうしたものか、もう一度同じように繰り返すも、やはり結果は同じ。

 

 ジュウゾウさんの話通り、今は話したくないのかもしれないな。

 

 …仕方ない、一度下に戻るか。

 

 引き返そうと踵を返したその時

 

 「…待って、透くん」

 

 何かに気づいたように百鬼が声を上げる。

 すぐに足を止めて振り返ると、百鬼はドアをじっと見つめている。

 

 すると、ドアの奥から足音が近づいてくる。

 

 二人して黙り込んでいると、静かにその扉が開いた。

 

 「…トウヤ?」

 

 小さくか細い声と共に姿を見せたのは老人と見まがうほどに憔悴した一人の女性。

 

 この人がヨウコさんか?

 

 彼女は、百鬼に目を向けることなく、まっすぐにこちらを見つめている。

 その瞳は驚愕に染まっていたかと思うと、すぐに喜色に満ち、涙を流し始める。

 

 突然のことに反応ができないでいると、やがて女性は口を開く。

 

 「…全く、どこほっつき歩いてたんだい。…この、バカ息子が。」

 

 そして、ヨウコさんは突然俺を抱きしめると、泣き出してしまう。

 どうすればいいのか分からず、思わず硬直する。

 

 この人は、俺を息子といったのか?

 

 百鬼へと目を向けると、百鬼は合わせて、と言わんばかりに頷く。

 もはや、なにも考えたくなくなる。

 

 ここまで弱っていたのか。

 

 ただそれだけ独り言つ。

 

 これから行うことが正解かどうかすら分からない。

 だが、これで突き放すわけにもいかない。そんなことをしてしまえば、すぐにでも壊れてしまいそうな、そんな危うさがこの人にはある。

 

 「…ただいま、母さん。」

 

 言ってしまってから、罪悪感が胸を苛む。

 

 ヨウコさんは、その言葉に心の底から嬉しそうに笑う。

 これでいいのか、これで少しでも楽になるのか。

 

 疑問は絶え間なく落ちて湧いてくる。これは正しいのか何度も自分に問う。

 

 「ほら、そんなとこに立ってないで、早く入りなさい。そこのお嬢さんも遠慮はしないでね。」

  

 ヨウコさんは落ち着くと、嬉し気にそう家の中に入るように促す。

 

 それに従い、家に入ろうとする。

 

 「お邪魔…」

 

 瞬間百鬼に脇腹を突かれる。

 そうだよな、息子が家に帰ってきたのにそれはないよな。

 

 小さく礼を言い、やり直す。

 

 「ただいま」

 

 「おかえり、トウヤ。」

 

 ただそれだけのやり取りに、どうしても違和感がぬぐえなかった。

 

 ヨウコさんに付いて行くと、居間へと通される。

 

 「お茶、入れてくるから少し待ってなさいね。」

 

 上機嫌で言うと、ヨウコさんはどこかへと歩いていて行ってしまう。

 二人でテーブルの横にある椅子に座ると、百鬼へと向き直る。

 

 「なぁ、百鬼。これでいいのかな。」

 

 気になっていたことを問う、誰かと話して楽になりたいというのもあるが、先ほど百鬼も合意していた、その真意を知りたい。

 

 「あの人、今すごく危険だったからこうすべきだった。

  多分、あのままだとケガレに飲まれちゃうから。」

 

 「ケガレ…」

 

 確か、イワレが悪意などに染まったものだったか。

 しかし、ケガレに飲まれるとはどういうことだ。

 

 「ケガレはその属性は違うけど、イワレそのものなの。だから同じように溜め込んじゃう。

  それもイワレの何倍もの速度で。するとどうなると思う?」

 

 イワレを一定以上ため込むと、普通ならワザを使えるようになり、アヤカシになる。

 アヤカシは何も人間だけとは限らない。人間の形そのままでいるケースはどちらかというと少ない。何らかの形で体に変化が起きている。

 

 証拠に、このキョウノミヤコでは人間の容姿のヒトは基本イワレの少ないモノばかりである。

 だが、これがケガレなら。悪意のあるイワレならば。

 

 ふと、ひらめく。

 

 「…まさか、化け物になるとは言わないよな。」

 

 アヤカシと言えども、変化はあれどヒトの形がベースとなっていた。

 しかし、人と認めあうことで溜まるイワレと真逆の性質ならば、それによる変化は人の形がベースとならなくてもおかしくない。

 

 「半分正解。それに追加して、理性がなくなってただ、怨念を晴らすために行動する。」

 

 怨念、ヨウコさんの場合だと息子さんを失ったことだ。

 ならばいるかもわからない犯人を暴こうとするのか?

 どのような手段で?

 理性が飛んでいるのに、犯人かどうか、どう判断を付ける。

 簡単だ、全員を犯人だと思えばいい。

 

 「それは、これで防げるのか?」

 

 「うん、怨念になりえるものを取り除いてあげればケガレは自然と消えるよ。」

 

 そういうことだったのか。

 それならばなおさら、これは続けないとな。

 

 嘘をつくのは心苦しいが、今は、こうするしかない。

 他のことは後で考えるしか無さそうだ。

 

 「お待ちどうさま」

 

 それからすぐに、ヨウコさんが戻ってくる。

 その顔は、絶望とは程遠い笑顔だ。

 

 例え偽りであっても、今この瞬間だけは。

 そう、願わずにはいられなかった。





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息子(中)

どうも作者です。
評価、感想くれた人ありがとうございます。

1万UA感謝

以上


 「それで、あんた、どこほっつき歩いてるのかと思えば。」

 

 ヨウコさんの入れてくれたお茶を飲んでいると、唐突にそう切り出された。

 その言葉に、俺と百鬼は揃って首をかしげる。

 

 どうしたのだろうか。

 

 「まさか、こんな可愛い娘を捕まえてくるなんて。子供の成長は早いわね。」

 

 飲んでいたお茶を吹きかける。

 

 そうか、俺を息子と思っているのなら、息子が恋人を連れて帰ってきたように映るのか。

 こんなことなら、白上もつれてきた方がよかったか。

 

 一瞬そんなことを考えるも、一人ならいざ知らず、二人も女性を連れて帰る息子というのもどうなのだろうか。

 

 実際のところ全く違うのだ、俺は息子として否定しよう。

 

 「違うよ、ヨウっ!?」

 

 また名前で呼びそうになり、隣の百鬼に再び脇腹を突かれ、思わず声が変に途切れた。

 幸いにも、ヨウコさんは突然の奇声にも動じず、ただニコニコとしている。

 

 本当に幸せそうに笑うな。

 

 しかし、中々呼び方が定着しない。

 記憶の欠落で、そう呼んだことが記憶にないのが原因なのか、馴染みのない言葉を使っている気分だ。

 

 とにかく気を取り直して。

 

 「えっと、母さん」

 

 「私たち、結婚を前提にお付き合いさせてもらってます。」

 

 俺の言葉に続けるようにして、百鬼が言葉を紡ぐ。

 その背筋はピンと伸びていて、まるで、重要な話でもするみたいで…

 

 今なんて言った?

 そこまで考えたところで、何が起こったのか理解できなかった。。

 

 百鬼の一人称って余じゃなかったっけ。それ以前に結婚、お付き合い。ここは否定するところではないのか。

 突拍子がなさ過ぎて、脳がバグを起こしそうだ。

 

 様々なことが頭をよぎり、最終的にフリーズする。

 

 「まぁ、そうだったの!こんなに可愛い娘ができるなんて夢みたい…」

 

 うっとりとした様子のヨウコさんとは対照的に、俺の心境はすでに困惑の極みへと達していた。

 

 流石にこれはやりすぎなのではないだろうか。

 ヨウコさんも疑っている様子はないが、どうして百鬼はこんなことを。

 

 今すぐ問いただしたいところではあるが、ヨウコさんの手前そうするわけにもいかない。

 とにかく、今は流れに乗るしかない。

 

 いったん思考を整理すると、ゆっくり口を開く。

 

 「ごめん、少しお手洗いに…」

 

 全然整理がついていなかった。

 この場から一度離脱するために席を立つ。

 

 このままこの場にとどまっていたら、下手なことを口走りそうだ。

 

 百鬼に少しこの場を任せると目くばせをして、居間を出る。

 まだ話し始めて少しだが、その間に想像の一つ二つ上を超えていかれた。

 

 後で百鬼に何故こんなことをしたのか聞いておかないと。

 

 一応ポーズだけではあるが、手洗いへと向かう。

 その道中、ふと小さな部屋のドアが開いていることに気が付く。

 

 他人の家ではあるし、勝手に入るのもどうかと思うが、何故か異様に興味を惹かれる。

 この部屋に入っておくべきだと、強く感じる。

 

 何かに突き動かされるように入る。

 その部屋には掃除道具や、古めの書類などが置いてある。

 

 どうやら、ここは物置のようだ。

 

 ふと、目の前に小さな机が一つ置いてあり、その上に一つロケットが置かれているのを見つける。

 チャームが開けられているそれは、中に入れられた写真が見えている。

 

 「…これは」

 

 その写真に写っているのは若い女性と小さな子供。

 子供の方は分からないが、その女性にはどこかヨウコさんの面影がある。それから察するに、10年ほど前の写真のようだ。

 

 ジュウゾウさんからは旦那さんは子供が生まれてすぐに亡くなったと聞いた。

 女手一つで本当に大切に育ててきたんだということが伝わるようだ。

 

 「…」

 

 それだけに今の自分の立ち位置がそれを引き裂いているように思えてならない。

 

 …戻ろう、今は少しでも情報が欲しい。

 先ほどの話も百鬼に合わせておこう、そちらの方が話がスムーズだ。

 

 ロケットをもとの位置に戻して部屋を出る。

 考えがリセットできた。

 

 「それであの子ったら…あら、早かったわね。」

 

 「おかえり、トウヤくん」

 

 戻ると、ヨウコさんと百鬼は談笑していた。なんだかんだで仲良くなっているらしい。

 しかし、トウヤと呼ばれてもあまり違和感がないな。透と似ているからだろうか。

 

 そんなことを考えながらも、百鬼の隣に座る。

 

 「それで、なんの話をしてたんだ?」

 

 尋ねると、百鬼は少し苦笑いを浮かべると答える。

 

 「トウヤくんの小さいころの話。」

 

 本当に何の話をしているのだろうか。定番であるとは思うが何も忠実にそれに従わなくても良いだろうに。

 

 「それにしてもあんなに小さかったのに、こんなに大きくなっちゃって。」

 

 感慨深げに話しているヨウコさんに流石に顔が引きつる。

 

 母親としてのイベントをすべて行うつもりなのだろうか。

 息子の立場としては気まずいことこの上ない。

 

 そんな思いもむなしく、その話題が止まることはなかった。

 少し恥ずかしいような話、頑張っていた話、楽しかった話。

 

 相槌を打つぐらいしかできなかったが、この親子の思い出を知った。

 これからの調査に関係はないものの、話している時のヨウコさんは幸せそうだった。

 

 「ごめんくださーい」

 

 しばらくして、外から白上の声が聞こえてくる。

 ジュウゾウさんとの話は終わったらしい。

 

 「あら、誰かしら。ちょっと出てくるわね。」

 

 ヨウコさんは立ち上がるとパタパタと小走りで玄関の方へと向かっていった。

 二人にもこの状況を説明しておかないといけない、ということで俺と百鬼もそれに続く。

 

 玄関に到着したヨウコさんがドアを開ける。

 

 「はーい、どなたですか?」

 

 「え、あれ、あ、初めまして…」

 

 ドアの前には白上と大神が立っており、こちらを見ると目を丸くする。

 それはそうだ、意気消沈だと聞かされていた人物が何喰わぬ様子でドアを開けたのだ、驚きの一つもする。

 

 しかし、驚いていたのは二人だけではないようで。

 

 「あなた達は、あのシラカミ神社の?なんでまたこんなところに…」

 

 ヨウコさんもそう言いながら指をさしている。

 

 あのシラカミ神社というからにはやはり、この二人は有名なのだろう。

 最初から一緒にいたために、周囲からどう見えているのかというのには興味があるな。

 

 だが、今はそれは置いておいて。認識の齟齬が生まれないように状況を伝えておかねばならない。

 

 ヨウコさんに断りを入れ、二人に手招きをして玄関から離れる。

 二人も上手く状況を理解できないらしく、離れるなり詰め寄るように聞いてくる。

 

 「ちょっと、透君、ヨウコさんって話せるかも怪しかったんじゃないの?」

 

 「最初はそうだったんだけど…端的に説明すると、俺のことを息子のトウヤさんと誤認しているらしくて、ケガレも溜まってたらしいから、とりあえずその設定で通してる。

  だから、二人もヨウコさんの前ではトウヤさんの名前で呼んでくれ。」

 

 ケガレの名前を出した途端、白上と大神の顔が曇る。

 やはり、彼女らもケガレをため込んだ結果は知っているらしい。

 むしろ、俺がカクリヨに来る前はそれの対処もしていたのだろう。

 

 「とりあえず、分かりました。…しかし、それでは私たちはどういう立ち位置にしましょうか。

  …婚約者とか?」

 

 「あ、それは余がもうやったよ。」

 

 「なんで最初にその案が出てくるんだ…」

 

 もっと他に友人とか協力者でいいだろう。よりにもよってそこが選ばれるのはどうなのか。

 ことの発端でもある百鬼にも問い詰めたくなるが、いまさらだと諦めるしかない。

 

 「うーん、それなら協力者ってことはそのままで良いんじゃないかな。

  一か月の空いた時間の理由にもなるし、これからも行動しやすいし。その間にトウヤさんの捜索をする感じで。」

 

 そうだ、本物のトウヤさんは今も行方不明なのだ。一か月消息がつかめない以上、最悪の場合も想定しておかないといけない。

 

 そう考えると、今のこれも気休めにしかならないな。ずっと、このまま続けるわけにもいかない。

 しかし、それではヨウコさんはまたケガレを溜めこんでしまうのではないか。

 

 「大丈夫だよ」

 

 そんなことを考えていると大神がふと声をかけてくる。

 大神へと視線を向けると、笑みを浮かべている。

 

 「さっき占術で調べたんだけど、ちゃんと元気にしてるみたい。ただ、どこかに捕えられているみたいだけど、多分数日のうちには見つかると思う。」

 

 その言葉に、思わず膝から崩れ落ちそうになるほどに心の底から安堵する。

 

 「ミオちゃん、それ本当!」

 

 百鬼も声を上げて喜んでいる。

 ここにきて、一番の吉報だ。

 まだ、誰に囚われているのかは分からないが、生きてくれている、それが分かるだけでも十分すぎるほどだ。

 

 「うん、ただ今日はもう占術は使えないの。

  朝の占いでかなり消費しちゃってるみたいで、本格的に捜査できるのは明日からになりそうかな。」

 

 ごめんね、と謝りながら言う大神。

 その言葉に、各々が首を横に振る。

 

 「一番の功労者がそんなこと言わないでくれよ、こっちの立つ瀬がなくなるだろ?」

 

 そもそも大神がいなければここまで来れていなかったのだ、こちらが感謝することはあれどもあちらから謝罪されるのはおかしな話だ。

 大神が捜索に有利なワザを持っていることもあり、本人がそれを発揮できないことを気にしてしまうこともあるだろうが、自分にできないことを強制するような人間ではないつもりだ。

 頼りきりになるというのもよくはない、元々、ここには 

 

 「あの、透さん。そろそろ」

 

 白上に袖を引かれて、指をさす方向を見やればヨウコさんがポカンとした顔でこちらを見ている。

 そうだった、二人には説明したが、ヨウコさんには何も伝えていないんだった。

 

 失念していたと、反省する。

 ヨウコさんに説明するため、そばまで駆け寄る。

 

 「トウヤ?あんた、なんでシラカミ神社の方と…」

 

 まだ状況が理解できていないらしく目を白黒させている。

 

 「実はあの二人はある事件の調査をしてて、俺はそれに協力してたんだ。

  百鬼ともその道中で出会ったんだ。」

 

 嘘は言っていない。すべて起こったことそのままに語っただけだ。

 あからさまに嘘ついてもどこかでほころびが生じるものだ。なら、本当のことを織り交ぜた方が何倍もいい。

 

 「事件…危ないことはやってない?」

 

 純粋に心配なまなざしを向けられる。

 少し硬直するが、すぐに頷く。

 

 「大丈夫ですよ、やっていることは聞き込みなどの情報を集めることだけですから。」

 

 後ろから白上も援護をしてくれる。

 そのかいもあってか、ヨウコさんも納得してくれたようで、ほっとしたような顔でそう、と呟いた。

 

 「あんたは昔から正義感は強かったもんね。…でもケガはしないように気を付けなさいよ?」

 

 「あぁ、分かってる。」

 

 母からの優しさを感じながら笑顔でそう返した。

 

 





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息子(下)

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 ヨウコさんに事情を伝えたところで、小さく子犬が唸るような音が聞こえてくる。

 みんなして目を丸くして音の出どころへと目を向ける。

 

 その視線の先には頬を赤く染めた白い狐の姿があった。

 

 「そうね、もうお昼だもの。ご飯作るから、ほら入って。」

 

 そう言って、ヨウコさんは全員を招き入れる。

 特に先ほどの音に触れることなく、玄関から中へと入った。白上は最後尾にて俯きながらすごすごと歩いていた。

 いっそのこと、いじってやった方が良いのではないかとも思ったが、空気的にそうもいかなそうだ。

 

 全員そろって居間へと向かう。

 

 「ヨウコさん、うちも手伝いますよ。」

 

 「あら、本当?それじゃあ、お願いしようかしら。

  トウヤ、二人の案内お願いね。」

 

 そう言い残して、キッチンへと入っていく二人を見送って居間へと進む。 

 案内も何も特にこの家について詳しいわけでもないため、おとなしく座る。

 

 白上は未だに顔を下げたままで丸くなっている。

 そんなに気にしなくてもよいだろうに。意外と繊細というか乙女チックなところがあるのか。

 

 そんな白上を横目に、そういえば聞いておきたいことがあるんだった、と思い出す。

 

 「なぁ、百鬼。さっきの話もなんだが、どうして婚約者なんて設定にしたんだ?」

 

 何かしらの形で近しい関係の方がよいのは理解できたが、やはりどうしても気になってしまう。

 百鬼は少し考えてから、おもむろに口を開く。

 

 「今は理想的で幸せな夢の中にいた方が良いから。

 

  ヨウコさん、パッと見はもう問題なく元気に見えるけど、まだ心の中は乱れてるんだよ。

  だから、自分にとって都合がいいことは妄信的に信じちゃう。普通だったら自分の子供のことを間違えるわけがないんだから。

 

  余も昔に同じような状態になった人を知ってるから分かるの。」

 

 同じような状態になった…。

 

 そういえば、百鬼から身内の話は聞いたことがない。つまり、そういうことなのだろう。

 これ以上無理に詮索するのは無粋だな。

 

 「そうか、ありがとうな。そこまで頭が回ってなかった。」

 

 礼を言い、話を終わらせる。

 

 ケガレが溜まるということは予想以上に精神に影響を及ぼすのだろう。

 ひと月でこの状態なのだ、もう少し来るのが遅ければ身体的な変化はなくとも、持ち直すこと自体が不可能になっていたのかもしれない。

 

 「ゾッとしないな。」

 

 思わず口をついて出てしまう。そう感じるほどに早く解決したい事件だ。

 百鬼も同じようで静かに頷く。

 

 「もー、二人共、暗い話ばかりしてないで楽しいお話をしましょう。

  今は気にしてても仕方のないことですよ。」

 

 いつの間に立ち直っていたのか、白上がそう言って空気を換える。

 危うく、お通夜のような雰囲気でいるところだった。

 こんなところ、見せるわけにはいかないと、切り替える。

 

 「そうだな、悪かった。」

 

 今蒸し返さなくてもよかった。

 素直にそう思う。

 

 「フブキちゃん、お腹大丈夫なの?」

 

 「んん!?いや、そういう方向性の話ではなくてですね。」

 

 そんな中、百鬼の何気なしに放たれた一撃が白上にクリティカルヒットする。

 普段と同じようにただ純粋に疑問に思っての言葉なのだろうが、悪意が無いからこそ余計性質が悪い。

 

 その犠牲となった白上はぐぬぬと唸りながら、忙しくなく尻尾を動かしている。

 

 「?でも、お腹すいてたんだよね。」

 

 持ち前の天然ぶりで着々と白上を追い詰める百鬼に思わず吹き出す。

 この絶妙な噛み合いの悪さが妙におかしく思える。

 

 分かった、これは耐えきれなかった俺が悪い。謝るからそんなにこちらを睨まないでほしい。

 

 「うー、もう、あやめちゃん!」

 

 「わひゃ、ちょっと、くすぐったいよ!」

 

 羞恥に耐え切れなくなったのか、白上は叫びながら百鬼へと襲い掛かる。腰へと手をかけてわしゃわしゃと指を動かせば、笑いながら百鬼は身をよじらせた。

 

 逃げようとする百鬼に、逃がしませんよ!、と白上が追いすがる。

 

 さて、ここで状況の整理だが、俺と百鬼は同じソファに座っている。

 それで、向かいに座っていた白上がこちらに移動している。

 

 そんな中、白上から逃れようとこちらに来るものだから、自然百鬼はこちらへ倒れこんでくる。加えて白上もそれを追ってのしかかってきた。

 

 傍観に徹しようと思っていた矢先、流石に二人を側面から支え切れるはずもない。

 こちらも押されてソファに百鬼が胸の上に乗る形で倒れこんでしまう。

 

 「もう逃げ場はありませんよ!」

 

 そう言い、白上までも伸し掛かってくるものだから起き上がろうにも起き上がれない。

 

 「あははっ、タイム、タイムー!」

 

 笑い声を上げながら、息も絶え絶えに百鬼が言うも白上の手は緩まない。

 

 「ちょっと待て、人の上で暴れるな!」

 

 「狐は受けた恩と恨みは忘れません。」

 

 目の据わっている白上。次の瞬間、胸の上に感じる重みが一つ増える。

 どうやら、白上が完全に体重をかけに来たらしい。

 

 つまんでソファから降ろそうとするも、腕が両方抑えられていてそれも叶わない。

 二人共体重は重くはないため、苦しくはないが、ゴリゴリとSAN値が削れている自覚がある。

 

 百鬼はくすぐられ続けて、笑いが止まらない。

 白上は、楽しくなってきたのか止まる気配がない。

 

 「ちょ、透く、助けて」

 

 「無茶を言うな…。」

 

 助けてほしいのはこっちだ。

 百鬼の言葉に心の中で突っ込みを入れる。

 

 おい、百鬼、うつぶせになろうとするな。

 すでにSAN値がピンチなんだ。これ以上削ってどうするつもりだ。

 

 「三人とも何してるの、ご飯できたよー」

 

 「あら、楽しそうね。私も混ざろうかしら」

 

 「…ヨウコさん?」

 

 料理を持ったヨウコさんと大神が帰ってきて、ようやく白上の動きが止まる。

 空腹には勝てなかったようだ。

 

 解放された百鬼はというと、深呼吸をして、息を整えようと奮闘している。

 中々ひどい目にあった。

 

 一通り場が落ち着いたところで、全員で昼食となった。

 

 「ほら、これあんた好きだったでしょ」

 

 「あ、ありがとう。」

 

 そういってヨウコさんは料理を取り分けてくれる。

 みんなしっかり食べてね、と俺だけでなく全員分の面倒を見ている。

 

 行動がスムーズというか、慣れているような印象を受ける。

 

 「ヨウコさん、凄かったんだよ。料理の手際が良くて、うちも最低限の手伝いしかできなかった。」

 

 「そんなに褒めないで、恥ずかしいじゃない。」

 

 言いながら、まんざらでもなさそうに大神の皿に追加していく。

 少し、盛りすぎているような気もするが、まあ、食べきれる量だろう。

 

 大人数に食事を作ったことでもあるのか、それぞれがちょうどいい量作られている。

 

 ジュウゾウさんの話だと、花屋をトウヤさんとやっていたと聞いていたが、その前にミゾレ食堂のような料理店にいたのかもしれないな。

 

 一口食べてみると、口いっぱいに旨味が広がる。

 店で出てきても違和感がない、むしろそれよりも美味しく感じるほどだ。

 

 それからしばらく、皆揃ってつい夢中になって料理に舌鼓を打つ。

 その間、ヨウコさんは嬉しそうにその様子を見守っていた。

 

 その顔に映る微かな寂しさに気が付かないふりをして、俺は箸を進めた。

 

 夢中で食べ過ぎて、すぐに料理もなくなる。

 皆満足そうにしている。

 

 「食後にお茶でも入れましょうか。トウヤ、手伝ってちょうだい。」

 

 「分かったよ、母さん」

 

 ヨウコさんに声を掛けられ、立ち上がりその後に続く。

 

 キッチンへと入り、ヨウコさんが茶葉の用意をしている間、俺は湯を沸かす。

 そういえば、一対一で話したことはなかった。無理に話をしなければならないというわけでもないか。

 

 しばらく、お湯が沸く音のみが部屋を支配する。

 

 「ねぇ、トウヤ」

 

 「なんだ?」

 

 こちらを向かないままに、静かに呼びかけらる。

 不自然にならないよう努めて返事をする。

 

 「調査のお手伝いしてるのよね。また、しばらくどこかへ行くんでしょ?」

 

 ドクン、と心臓が大きく鳴る音がした。

 今の状況でその話はしてもよいモノか、ただでさえ持ち直したばかりなのに。

 

 答えられずに黙り込んでしまう。

 しかし、逆にその反応で察してしまったのか、ヨウコさんはくすりと笑う。

 

 「嘘が下手なのは相変わらずね。」

 

 「…ごめん。」

 

 つい感じた罪悪感に謝罪がこぼれる。

 

 

 「危ないことはない?」

 

 「多分、ないと思う。」

 

 

 「ケガしないでね。」

 

 「あぁ、分かってる。」

 

 

 「ちゃんとご飯食べるのよ」

 

 「…もちろん、食べるよ。」

 

 

 「いつでも帰ってきなさい。」

 

 「……うん、ありがとう。」

 

 一問一答のように会話が紡がれる。

 やがて、お茶を人数分淹れ終えると、ヨウコさんはお盆を取り出してそれに全員分おいて持ち上げる。

 

 「先に戻るから、トウヤは片付けお願いしてもいい?」  

 

 言葉は発さない、ただ、黙って頷いた。

 ヨウコさんがキッチンから出て行った後も動けずにいた。

 

 唇を噛み、拳を硬く握りしめ、少し上を向く。

 

 そうでもしなければ、この胸の中の罪悪感とも違うもう一つの感情に押し流されてしまいそうだった。

 

 (母親は、偉大だ。)

 

 よく言われるこのフレーズが今、はっきりとその意味を理解できた気がする。

 

 まだ、戻れそうにない。

 しばらくの間、荒れ狂うこの感情に耐え続けた。

 

 

 日も暮れてきたところで、お暇することになった。

 ヨウコさんにも改めて、しばらく帰ってこれないことを伝えて了承してもらっている。

 

 次にここに来るときは、トウヤさんを救出してからになる。息子役をすることも、もうないだろう。

 記憶が欠けていることを今日以上に煩わしく思ったことはなかった。

 

 玄関から外に出る。

 ヨウコさんも見送ってくれるらしく、一緒に外に出た。

 

 階段を降りると、もう花屋は閉めたのかジュウゾウさんはいなくなっていた。

 

 皆がヨウコさんにお礼を言っていき、最後に俺の番となる。

 ここは、息子として何か言うならこうだろうか。

 

 「それじゃあ、行ってきます。」

 

 言いなれておらず、背中がむずがゆく感じる。

 その言葉にヨウコさんは優しく微笑んだ。

 

 「いってらっしゃい。」

 

 それだけやり取りを済ませると、そのまま歩き出す。

 ヨウコさんは姿が見えなくなるまで、こちらに手を振ってくれていた。

 

 必ず、ここにトウヤさんを連れて帰ろう。

 

  

 

 

 






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遭遇


どうも作者です。

評価くれた方、ありがとうございます。

以上



ヨウコさんに見送られ、俺達は宿へと帰路についていた。

 

 今回の事件の被害者に直に遭遇してみて、一時はどうなることかとも思ったが、トウヤさんも生きているようだし、見つける目途もついている。

 大神の占術も、関連づいたものがあればあるほど精度も上がるようだ。

 

 他に被害者がいないとは言い切れないが、明人の言うことが真実であれば一つの組織が関与しているらしいし、トウヤさんに辿り着けば、芋づる式で真相が明らかになるだろう。

 

 そうなれば、一件落着だ。

 

 謎に包まれていた当初の調査と比べて、いささか気が楽になる。

 

 そういえば、明人の調べものとやらはどうなったのだろうか、明日には終えておくと言ってはいたが。

 

 「透君、聞いてる?」

 

 ふと、大神に話しかけられる。

 

 「ん、すまん聞いてなかった。どうした?」

 

 少し考え込みすぎたか、何やら聞き逃してしまったようだ。

 申し訳なく思いつつ聞き返す。

 

 「お昼の後キッチンに行ってから、帰ってくるのが遅かったからどうしたのかなって。」

 

 「…あぁ、そのことか」

 

 キッチンから帰った後も聞かれたが気恥ずかしくてはぐらかしていたのだ。

 改めて思い返しても、これを話せるかといわれると疑問が残る。

 

 しかし、はぐらかしようがないのも事実なわけで。

 幸い、少し前を歩いていて白上と百鬼は聞いていない。

 

 「あー…なんだ、母親ってあんな感じなんだなって。

  そこの記憶が欠けてるから、いるかどうかすら分からないけど。母親に限らず、家族が温かいことが分かって、少しセンチメンタルになってた。」

 

 説明するとしたらこんな感じ。

 そこまで大した理由ではないし、何より自分の弱さをさらけ出すようで。

 

 目線を逸らし大神の顔を見ないようにする。

 そうして、この羞恥からも目を逸らす。

 

 最近、というか今日は妙に弱みを見せてしまう日だ。厄日か何かだろうか。

 

 「…寂しい?」

 

 「寂しくなんてないさ。毎日賑やかだし、調査の手伝いとかやることもできたし。」

 

 どこか不安げに聞いてくる大神に本心を語る。

 正直恵まれすぎているのではないかと思うほどだ。

 

 「その実はね…」

 

 大神は言いにくそうに口を開く。

 

 「透君は助けられることを望んでなかったんじゃないかって、時々そう思うの。」

 

 「俺が?」

 

 なんでまたそんな考えに至ったのか。

 むしろこちらとしては、助けてもらった上に色々と面倒を見てもらえて感謝しかない。

 

 しかし、大神はそうは思っていないらしい。

 

 「透君が本当はあのまま消えてしまいたかったって思ってるんじゃないかなって。

  それで、透君が見つかったのだってうちが原因だし。」

 

 「…そういうことか。」

 

 助けたことへの責任、そういうことだろうか。

 

 例えば、親からはぐれた子猫が腹を空かせて息絶えようとしていたところに、気まぐれでほんの少しの餌を与える。

 

 餌を食べた子猫はその分だけ長生きはできるだろう。

 餌を与えた本人も子猫を助けてやったと達成感に浸れるだろう。

 

 だが、親もおらず、自分で餌も取れない中放置された猫はやがて息絶える。

 それは根本的な救済ではなく、ただ、子猫が苦し時間を伸ばしただけだ。

 

 つまり中途半端に助けるということは、ただの善意の押し付けに他ならない。

 助けるのであれば、最後までその責任は取らなければならない。そうでないのならば、最初から助けようとするべきではない。

 

 大神が感じているのはそういう責任。助けたことによりむしろ不幸になっているのではないかという不安。

 

 助けられたこちら側としては見当違いに思えるが、大神の様子を見るに本気で気にしているようだ。

 

 「んー、そもそもウツシヨでの俺がどうだったかは知らないから、その観点では何とも言えない。

 

  でもさ、少なくとも今の俺は生きててよかったって思ってる。

 

  白上とゲームしたり、百鬼と稽古をしたり、大神の料理の手伝いをしたり、他にもあのまま消えてたら経験できなかったことばっかりだ。もちろん、ウツシヨにいたとしても。

  カクリヨに来たからこそのモノがたくさんある。

 

  だから、俺は助けられたことに感謝こそすれ、恨んだり、後悔するなんてことは絶対にないよ。」

 

 嘘偽りのない本心を語る。

 

 恐らく大神がこのように感じた原因は他にもあるのだと思う。

 だが、それが何なのか、どうすれば解消できるのかは分からない。

 

 それでも、少しでも大神の心が軽くなるのならと、そう思った。

 

 「…そっか、良かった。」

 

 大神は小さくはにかむ。

 まだ影は残るが、先ほどに比べれば断然こちらの方が良い。

 

 「にしても、大神って意外と心配性だな。」

 

 「む、なぁに唐突に。」

 

 からかうように言ってみると、少しむくれたように大神は表情を変える。

 そうだ、こんなしんみりとしたような話より、日常的にするような話の方がずっといい。

 

 「さすがはシラカミ神社のオカンだ。」

 

 「ちょっと待って、そんなあだ名初めて聞いたんだけど。うちっていつもそう呼ばれてるの!?」

 

 びっくり仰天、そんな言葉ピッタリ当てはまるようなそのリアクションに吹き出すと、大神も次第につられるように笑いだす。

 

 割とツボの浅い大神は少し誰かが笑うだけでそれにつられることがある。時々耳にダメージが来る声量を出す時があるが、そこには目をつむる形となっている。

 

 「二人共楽しそうですね、どうしたんですか?」

 

 二人してくすくす笑いあっていると、後ろから白上の声が聞こえてくる。

 どうしたといわれても、しょうもないことで笑っているだけなので説明のしようがない。

 

 何でもない

 

 そう振り向いて説明しようとしたところで気が付く。

 

 (あれ、おかしくないか)

 

 何故後ろから白上の声が聞こえてくるんだ。

 白上は百鬼と一緒に、俺と大神の前を今も歩いているのに。前にも同じようなことはあったが、あの時は大神がワザを使っていた。

 しかし、今はそんな様子もない。

 

 ふと、周りの景色に既視感を覚えた。

 

 (確かに見たことがある、そこには)

 

 どこだったか、この夕暮れ時の茜色の都が…

 

 (深紅の血にまみれた四つの骸が転がっていた。)

 

 今朝見た夢の中での景色と一致した。

 

 「大神っ!!」

 

 「きゃっ!?」

 

 脳が警鐘を鳴らすと同時に、鬼纏いで全力の身体強化を施し、大神を抱き寄せて飛び退る。

 何が起こるのか分からないが、行動をしろと、そこから離れろと何かが頭の中で訴えていた。

 

 後方から光を反射させながら振り下ろされたそれは、左腕をかすめ、鋭い痛みが走る。

 

 「ミオ!透さん!」

 

 今度は本物だ、異変に気が付いた白上と百鬼が何者かとの間に割って入る。

 

 「大神、無事か」 

 

 腕の中の大神に怪我はないか確認する。

 見た限りでは無事なようだが万が一がある。

 

 「うん、でも透君、その腕…」

 

 大神の視線を追って自分の左腕を見ると、袖が切り裂かれて腕は深く斬られている。

 傷口からは、とめどなく血が流れ、袖が赤く染まっている。

 

 確かにかすめはしたがここまで深く切られてはいないはず。

 ということは、何かしらのワザかシンキか。

 

 いくつかあたりを付け、元居た場所に視線を向ける。

 

 「おや、これはおかしい。」

 

 何者かがこちらには一瞥もくれず立っている。

 

 赤いタキシードを身に纏い、頭にはシルクハット。顔にはまるでピエロのような化粧をしたその人物は、視線が集まる中、気にするそぶりも見せずただその手に持つ曲刀を見つめる。

 

 「確実にとれるタイミングでしたが、失敗ですか。

  予定が狂いました。」

 

 淡々と呟くその姿に気味悪く感じる。

 得体は知れないが、少なくとも友好的な関係になるつもりはなさそうだ。

 

 いつでも動けるように、大神を離し、立ち上がる。

 

 「気を付けて、前に話したのがこの人だよ」

 

 「はい、間違いありません。今度は逃がしませんよ。」

 

 白上と百鬼は、視線をそのままに警告してくる。

 

 その言葉で、先日の宿でのやり取りを思い返す。

 確か、この二人係でも逃げ切る程の人物だ、ただ逃走技術に特化しているだけとは思えない。二人に近い実力者であると考えるのが自然か。

 

 緊張が場に走る中、こちらに視線を移すとその人物はゆったりとした動作で大仰に手を広げ、満面の笑みを浮かべる。

 

 「どうも皆さま、初めまして。私、道化師を生業としております、どうぞお気軽にクラウンとお呼びください。」

 

 とても先ほど斬りかかってきたとは思えない明るい自己紹介。

 その手にもつ血のついた曲刀さえなければ、サーカスの始まりにも思えるが、そんな緩んだ空気からは程遠い。

 

 「目的は何。」

 

 警戒心をあらわに百鬼が普段とは違う、初対面の時のような冷たい声で言い放つ。

 今にも斬りかかりそうなその雰囲気にも動じず、その人物、クラウンはにこやかに笑っている。

 

 「目的だなんて、そんな大層なものは何も。ただ、私は材料を取りに来ただけですので。」

 

 「材料?何の。」

 

 聞き返すも、答える気はないらしい、ただ、不気味な笑みを張り付けたままだ。

 大神を攻撃したのはそのついでなのか、それともそれ自体が目的か。

 

 どちらにせよ、ここで逃がすという手は存在しない。

 全員がジリッと一歩前に出る。

 

 クラウンはそんな空気を感じ取ったのか、わざとらしく慌て始める。

 

 「おっと、万全なカミ三人にそれに近しいアヤカシ一人を相手では分が悪い。自己紹介も済ませたことですし、そろそろお暇させていただきます。」

 

 その物言いにふと違和感を覚える。

 

 白上達がカミであることは、まだ、このカクリヨに住んでいれば知る機会もあるだろう。

 だが、俺はまだここに来てせいぜいひと月程しか経過していない。

 

 それを知る人物は限られているはず。

 

 「逃がさないと、言ったはずですよ!」

 

 白上はいつかのように指を刀に添える。

 『エンチャント』そう唱え、刀を振ると金属製であるはずの刀はその形を変え、鞭のようにクラウンへと襲い掛かる。

 

 それを前にして、クラウンは避けるそぶりすら見せない。

 白上の形を変えた刀はそのまま巻き付いていき、完全に身動きを封じる。

 

 「捕縛完了です。」

 

 そう、簀巻きにされて動くことなど叶わないはずなのだ。

 だが、クラウンの笑みは崩れない。

 

 次の瞬間、クラウンの体が透けたように見えたかと思うと、巻き付いていたはずの白上の刀が音を立てて地面へと落ちる。

 

 「そんな、どうして。」

 

 何事もなかったかのように立つクラウンに次は百鬼が、その体がぶれて見えるほどの凄まじい勢いで距離を詰め、刀を振るう。

 流石にこれは受けきれないのか、クラウンは最小限の動きで回避すると、羽織っていたマントに手をかけた。

 

 「それでは皆様、御機嫌好う」

 

 そういうが早いか、手に持ったマントを翻す。

 一瞬、それに姿が隠れたかと思うと、マントが地に落ちる頃には影も形もなくなっていた。

 周囲を見渡すも、それらしき人影はない。

 

 どうやらしてやられたみたいだ。

 

 しかし、姿は見えないが、まだ安全と確定したわけではない。

 一応まだ周囲には気を配る。

 

 ふと、少しふらつき咄嗟に踏ん張りなおす。

 予想以上に血が流れている、応急手当にもならないが紐で腕の根元でも縛るか。

 

 「透君、腕見せて。」

 

 紐を取り出そうとしたところで、大神が待ったをかける。すると、俺の左腕に手を当て何やら呟きだす。

 途端に、触れた個所に熱が灯り、みるみるうちに傷がふさがっていく。

 

 「…うん、これでオッケー。違和感はある?」

 

 完全に傷がふさがり、大神が手を離す。

 確認でいくらか腕を動かしてみるが痒みすらない。

 

 「いや、無い。凄いなこれ、ありがとう。」

 

 「お礼を言うのはうちの方だよ。

  透君、助けてくれてありがとう。」

 

 「どういたしまして。」

 

 礼を言われなれておらず、少し照れながらもそう返す。

 

 しかし、クラウンには逃げられてしまった。あの人物が何者なのか、材料とは何のことか気になることが多い。

 何はともあれ、皆無事でいれた。今はその結果だけでいい。

 

 「また逃げられましたー、自信無くしそうです。」

 

 「余もまた何もできなかった。」

 

 俺は納得したが、そういうわけにもいかない二人が道端にも関わらず盛大に落ち込んでいる。

 一回目の時も相当悔しがっていたことから、今回逃したことはひとしおであろうことが伺える。

 

 大神と二人、苦笑いを浮かべてそれを見守る。

 

 トウヤさんを監禁しているという組織に、得体のしれない道化師のクラウン。

 それらの関係性とその所業を俺たちはまだ知る余地もなかった。

  

 





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理由

どうも作者です。





 クラウンとの遭遇を経て、俺達は宿へと帰還した。

 今日は今回の調査において最も情報量の多い一日だった。

 

 特にトウヤさんの情報が得られたのは大きい。これで、大神の占術で直接探すことが出来る。明日はまずトウヤさんの救助最優先、その後にこの事件の原因の究明、解決をしていく。

 

 連日の調査で皆、精神的な疲労がたまっている。明日の大一番に備えて、今夜はゆっくり休むことに決まった。

 

 「それにしても、透くん凄かったね。さっきの何で分かったの?」

 

 それぞれが共用の部屋でまったりとしていると、百鬼が不意にそんなことを聞いてくる。

 白上と大神も同じようにこちらを見てくる。

 

 さっきのというと、クラウンの最初の奇襲のことか。

 

 「正直よく分からない。何で気付けたんだろ。」

 

 確かに、狙われた大神や、俺より感覚の鋭い白上と百鬼も気が付かない程クラウンはあの場に溶け込んでいた。

 白上の声で話しかけてきたことで違和感を覚えたが、大神はそこにも疑問は感じていないようだった。

 

 予知夢を見たからと言って仕舞えばそれまでだが、仮にあの状況で何も起きていなかった場合、俺はただ大神を強引に抱きしめただけになっていた。

 結果的にそれが最善だったわけだが、そうでなかったらと思うと我ながら危ない橋を渡ったものだ。

 

 何はともあれ、全員無傷とはいかないものの無事に乗り切れた。それだけで十分だ。

 

 「改めて、ありがとうね、透君。」

 

 「偶々だよ。…それより、クラウンのワザが気になるな。声を真似たり、一瞬で消えたり。どんな能力なんだ?」

 

 背中がむず痒くなり話題を変える。

 礼を言われるのは嬉しいが、こうも持ち上げられると逆に居た堪れなくなってしまう。

 

 そう考えて何気なく振った話題だが、これはこれで重要だったりする。

 相手の能力を知っているのと知らないのとでは、安全性の面においても雲泥の差が生まれる。

 

 特にクラウンは殺意を持って刀を振るってきた。

 それはクラウンを明確に敵と断ずるには十分すぎる。

 

 「そうだね、声真似はあの精度だと喉を変形させてるのかも。正確には声帯をだと思うから、一つは身体操作系の技だね。」

 

 「一つは?」

 

 ふと、引っ掛かりを覚えて聞き返す。

 その言い方だと、つまり、複数のワザを使えるということになる。

 大神が自然と話すものだから危うく流しそうになってしまった。

 

 疑問符を浮かべていると、白上が察してくれたのか話し始める。

 

 「そういえば、あまり詳しくは説明していませんでしたね。

  今更ですけど、カミやアヤカシの中には複数のワザを使用する人もいます。例えば、白上は武器の形状変化が主なんですけど。ミオは占星術と炎の操作の二つ使えます。」

 

 その説明に大神の方へ視線を向けると、頷かれる。

 確かに、今考えてみると大神が使っている二つのワザに関連性は見られない。どうやら、ワザは1人につき一つしかないという先入観があったらしい。

 

 「もしかして、百鬼も色々なワザが使えるのか?例えば、あの背後霊みたいなのとか。」

 

 百鬼と手合わせをしてた時に何度か発動させている謎のワザ。あれを出されてからはなす術もなく、一方的な展開になるが、そういえば能力の詳細は聞いたことがなかった。

 

 白上たちは軽く教えてくれたが、自分のワザの事はあまり話すものでも無いのかもしれない、と言ってから気がつくが、百鬼は気にした様子もなく少し考える素振りを見せて答えた。

 

 「背後霊?…あー、あれね!

  あれは背後霊じゃなくて、式神だよ。効果は身体強化に近いかな、鬼纏いにプラスして追加効果があるみたいな。そんな感じ。」

 

 「プラスって…そりゃ手も足も出ないな。」

 

 割と本格的な戦闘訓練が行われていたことに今更驚く。確か鬼纏いだけでも吹き飛ばされていたから、そこを加味すると良く生き残れたものだと、我ながら感心だ。

 

 「もしかすると、透君もワザが使えるようになるかもね。」

 

 「そうなることを願うよ。」

 

 やはり、年頃の男としては特別な能力を持つことに憧れはある。現状鬼纏いを使えるが、あれは身体強化の延長みたいで、中々ワザという認識が薄い。

 目潰しは俺ではなく刀の能力であるし、このままでは百鬼の劣化版だ。劣化百鬼だ。

 できれば応用の効くような能力がいいな。

 

 

 あれやこれやと話しているうちに、いい時間帯になっていた。

 夕食を食べ終わると、皆それぞれ部屋に戻ってしまった。

 

 やることもなく、寝ようにも寝付けなかった俺は少し夜風にあたろうと窓を開ける。

 空には雲ひとつなく、月や星が綺麗に輝いている。

 

 …どうせ眠れないのだ、屋根にでも登ってゆっくり星を眺めよう。

 

 思いついたが早いか、身体強化を使い、窓の枠に足を乗せ鉄棒の要領で身を上げる。

 

 屋根の上に立つと、丁度気持ちの良い風が吹いてくる。

 こうしていると、ちょっとした全能感に浸りたくもなるが、そうするには些か周りが大きすぎる。そういう意味では、百鬼にはいい意味で叩きのめされているな。

 まさかそこまで計算してはいないだろうが。

 

 「…あれ、透さん?」

 

 「ん?」

 

 どうやら先客がいたらしい。

 唐突に話しかけられ、驚いて後ろを振り向く。

 

 昼間に酷い目にあったせいか、少し心臓がざわつく。

 

 そんな心境とは裏腹に、そこには夜でも見分けやすいような、綺麗な白い髪を携えた狐が一匹…失敬、白上が1人屋根に腰掛けていた。

 

 「なんだ、白上か。何してんだこんなところで。」

 

 「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ。」

 

 ほっと胸を撫で下ろしながら問いかけると、白上も小さく笑いながら返してくる。

 それはそうだ。まぁ、考えることは同じか。

 

 「…横、座るぞ」

 

 「はい、どうぞどうぞお座りください。」

 

 「いや、すまないね」

 

 折角なので一緒に夜空を眺めようと隣に腰を下ろす。

 どこか芝居がかった口調の白上に、こちらもそれに乗っかるようにすると、くすくすと2人笑い合う。

 正直、白上とは何をやっても楽しめる気がする。

 

 「透さんも眠れないんですか?」

 

 「まぁ、色々あったからかちょっと興奮したみたいでな。」

 

 別にそれが楽しいことからの興奮であれば良いのだが、今回のはそれとは違って脳は寝ようとしているんだが、体は起きているような、そんな感じ。戦闘本能と言ってもいい。

 カクリヨに来て色々とあったが、殺意を正面から受けたのはこれが初めてだ。百鬼の時は制圧といった感じだったが、クラウンは違った。

 人を殺すということへの躊躇いのなさに、純粋な害意に初めて触れた。

 

 白上も何となく察したようで、それ以上踏み込んでくることはなかった。

 

 「そういう白上はどうしたんだ?」

 

 「私も同じみたいなものです。少し考え事をしたくて。」

 

 少し顔に影を落とす白上。いつも楽しげな顔をしている彼女には似合わないような、そんな顔。

 

 「…邪魔したか?」

 

 話せば楽になる悩みもあれば、その反対もある。一人で考えたいこともあるだろう。

 

 「いえ、むしろ助かります。…できれば話し相手になってもらえませんか?」

 

 その言葉に頷き、浮かしかけた腰を落とす。白上がそう望むのなら、そうしよう。

 

 「奇遇だな、俺も誰かと話したい気分なんだ。」

 

 そう言うと、白上は驚いたようにこちらを見て目を開く。

 なんだ、おかしな事でも言ったか。少しクサイことを言った自覚はあるが、驚くような事でもないだろう。

 

 白上は少しの間こちらを見つめると、気の抜けたように相好を崩す。

 

 「やっぱり、透さんは優しいですね。」

 

 「お人好し筆頭が何を言っているんだか。」

 

 見ず知らずの男を助けるだけでなく、その後の面倒まで見てくれて。そんな彼女にそう言われても皮肉にしか聞こえない。

 ところが、その言葉に白上は自嘲気に笑い、首を横に振る。

 

 「お人好しだなんて、言われる権利は私にはないですよ。」

 

 そんな筈は無い。

 それが通るのならばこの世界は救いようの無いような世界になってしまう。お人好しなんて人は、誰一人存在しないだろう。

 

 だが、白上本人はそう考えてはいないようだ。

 

 何で、どうして。

 そう聞きたいが、これ以上踏み込んでも良いものか、計りかねて迷う。

 

 「理由、気になりますが?」

 

 「今、声に出てた?」

 

 「いえ、そういう顔をしてたので。」

 

 そういう顔とはどういう顔だ。顔に手をやるもそんな事では分かるはずもない。

 そんな俺の様子に白上の顔に笑みが戻るが、また自嘲気なそれに戻ってしまう。

 

 「…まず、先程はありがとうございます。」

 

 「?大神のことか?当然だろ、仲間なんだから。」

 

 例え、仲間でなくとも目の前で人が斬られそうなら助けると思う。何も好き好んで人が斬られる所を見たいとは思わないだろう。

 そういう趣味というか、それが好みな人もいるだろうが、生憎、俺はそのカテゴリには入っていない。

 

 「いえ、それもあるんですが、ミオの予言を覆してくれたことです。」

 

 大神の予言、というと今朝の死神のカードのことか。

 確かに気を付けてとは言われたが、言われてみれば今の所それらしい人は出ていないな。

 たが、不確定な未来を占うのだ、外れる事だってあるだろう。

 

 「それは俺じゃなくて、ただ占いが外れただけだろ?」

 

 しかし、その考えは白上によって否定された。

 

 「あり得ません、いつもの占星術ならまだしも、あの予言は確定事項なんです。」

 

 「…どういうことだ?」

 

 いつもの占星術。

 そもそも俺のようなこのカクリヨにとっての不確定要素から精度が落ちたと言っていた。今朝も大神は重大そうにはしていたが、気を付けてとだけしか言わなかった。

 未来が見えれば、それを回避する事が出来るのも道理だ。

 

 そういうものだと、考えていた。

 

 「ミオの予知能力は二種類あります。一つ目は、見たいものを絞り込んで見る占星術。これは今も昔も変わりません。私もよく占ってもらいます。

  問題が、二つ目のとある事象を見せられる能力です。」

 

 見たいものと見たくないもの。主観で変わるとはいえ、同じ未来ではないのか。

 疑問に思うことはあるが、黙って続きを促す。

 

 「恐らく、透さんが思うミオの能力は占星術の方です。未来を予め知る。これが本来の予知の形です。

  ですが、二つ目は予知と銘打ってはいますが、本質は違いまして。」

 

 「本質が…つまり、未来を知るわけではないのか?」

 

 だとすると話が合わなくなってしまう。未来を知ったからこそ、警告をしたのだと思うが、そうでないとすると、何を根拠に大神は言ったんだ。

 

 「結果的にはそうなりますが、過程が異なるんです。

  二つ目の能力の本質は未来の確定で、まず、辿る未来が確定して、その上でその結果を見る。

  未来が確定しているから、変えようがない。変えようとしてもそれすら確定した未来への過程に組み込まれている。

 

  そんなワザなんですよ。」

 

 未来を知るのではなく、確定するワザ。それも自分では制御不可能。

 纏めてみると簡潔ながら無茶苦茶だ。

 

 そんなもの、どうしようもない。一度見えたらそこに至るしかない。

言っているのはつまりそういうことだ、何が起きようとそれを指を咥えてみていることしかできないということだ。

 

 例え、大切な人が消えてしまうとしても。

 

 あぁ、納得がいった。理解できた。

 白上が何に悩んでいるのか。何故こんな話をしてくれたのか。

 

 「つまり、俺を利用したってことか?」

 

 「…はい、そういう事になります。」

 

 白上は俯き、目を伏せながら答える。

 最初、俺を予知で見つけたと言っていた。そこから、何処かのタイミングで予知とのズレが生じたのだろう。つまり、俺の存在が確定した未来をずらす事が出来るという予測が立ったのだ。

 

 結果は大正解。最悪な未来が見えてもそれを回避することが出来た。それが今というわけだ。

 

 「…軽蔑、しましたよね。」

 

 「いや?寧ろ色々と納得がいった。」

 

 正直、利用されていたと言われても、そこまで悪い気はしないし、逆にそういう事ならどんどん使ってくれとすら思える。

 その程度には、信頼しているつもりだし、恩義も感じている。

 

 そんな背景があるとは思わなかったから驚きこそしたものの、説明されて納得がいった。それだけだ。

 

 「でも、透さんを助けたのも打算があってのことなんですよ?」

 

 白上は、恐る恐るという風に問いかけてくる。

 ひとつ引っ掛かったのがこの点なんだが。どうにも、自分を卑下しているように思える。

 

 「打算だろうと何だろうと、助けてくれたのは事実だろ。

  それに、そういうの抜きにしても、白上と大神は俺を助けてくれただろ?」

 

 「…なんでそう思うんですか。」

 

 「そんな気がするから。」

 

 訝し気に聞く白上に軽く答えてやる。

 

 結局は勘だ。しかし、何もそれに根拠がないわけではない。

 これまで、紛いなりにも同じ屋根の下で生活してきたのだ。時には一緒にゲームしたり、家事をしたり、一緒に怒られたり。

 

 そんな生活を送っていれば、嫌でも人となりはある程度把握できる。

 

 あぁ、こいつはこういう事が好きなんだ、これは苦手なんだな、こういう考え方をするんだなって。

 

 だから、分かる。人を見殺しにするような奴らではない事は。

 この考えには、妙に確信を持てる。

 

 それを聞くと、白上の顔から影が消えた。

 

 「もう、何ですかそれ。」

 

 小さく笑いながら、そう溢すように呟く白上。

 その顔は、憑き物が落ちたように晴れ渡っている。

 

 なまじ事情を知っているだけに、何も出来ない事で悩んでいたのだろう。それも、相手は親友ときた。ずっと悩んでいたのかもしれない。それをおくびにも出さないで、明るく振る舞って。

 

 そんな彼女の負担が消せるのなら、それでいい。

 

 「んー、では白上はそろそろ部屋に戻りますね。」

 

 白上は伸びをしながら立ち上がると、屋根を下りていく。

 少し話し込んでしまったな。

 だが、色々と考えを知って、伝えて、少しは距離が縮んだような気がする。

 

 「透さん、おやすみなさい。」

 

 「おう、おやすみ」

 

 最後にそれだけだ言うと、白上は屋根伝いに部屋へと戻っていった。

 





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原因


 どうも、作者です。

 誤字報告ありがとうございます。
 評価くれた人、ありがとうございます。

 以上

 


 朝、窓から差し込んでくる日差しで目を覚ます。

 

 昨日は眠れないかとも思ったが、白上と話した後は自分でも驚くほどすんなりと眠りにつけた。

 驚いた事もいくつかあったが、どうせ全て後の祭りだ。それらがあったからこその今の俺がある。それに変わりはない。

 

 昨日と違い変な夢も見なかった。もしかすると、あれも大神と同じような予知なのかもしれない。検証をしようにも、生憎と今朝は目覚めるまでぐっすりと熟睡していたから、確かめようがないが、そう言う可能性があると考えておこう。

 

 身体を起こしながら欠伸混じりに目を擦る。

 何はともあれ、今日から本格的な捜索だ。

 

 寝起きだからかぼんやりとしている脳に、頬を叩いて気合いを入れ、ベッドから降りようと顔を横に向ける。

 

 突然、目の前に赤い宝石が現れた。

 いや、これは宝石ではない、瞳だ。

 

 「うおっ!?」

 

 反射的に仰け反って距離を取る。

 見ると、その瞳の持ち主は百鬼だった。どうやら、すぐそこにいた百鬼と至近距離で顔を突き合わせていたらしい。

 

 驚きで完全に目が覚めた。

 

 「おはよう、怖い夢みなかった?」

 

 「え、あ、うん、おはよう。大丈夫だけど…」

 

 何でいるの?何してた?何があった?

 

 目は覚めたが、困惑はしている。

 意表をつかれる形となり、色々と疑問符が頭に浮かびながら返事をする。

 緊急事態かとも考えたが、それなら夢の内容は聞かないだろう。

 

 「うん、それなら良かった。余は先に食堂に行くから、透くんも早くきてね!」

 

 百鬼はそれだけ言い残すして小走りで扉の前まで移動する。

 そのまま出て行くかと思いきや、こちらに振り返ると小さく笑いながら手を振ってくる。

 

 はて、こんなキャラだったか?

 疑問に思いながらも、取り敢えず手を振り返しておく。それを見て満足気にしながら百鬼は今度こそ部屋から出ていった。

 

 「…なんだ、あれ。」

 

 見送りながら、手をそのままに一人呟く。

 どこか雰囲気が軽いというか、距離感が近くなった気がする。特に良い意味でも悪い意味でもなく。

 

 別に距離が近くなるのは良い。問題なのはその詰め方だ。

 例えるなら、今までは少し遠くにいたのが、瞬きの間に目の前に立っているような。

 百鬼なら物理的にできると思うが、それとこれは話が別。理由もなくそんな事されては、こちらとしても嬉しさよりも戸惑いが勝る。

 

 「…」

 

 考えても分からないものは分からない。

 思考を切り替えて、身支度を整えると食堂へと向かう。

 

 「あ、おはようございます、透さん。」

 

 「おはよう、白上」

 

 食堂に到着して、百鬼と白上と合流する。

 白上と、昨晩と同じような挨拶をする。

 珍しい事に、今日は大神はまだ来ていないようだ。

 

 「大神はどうしたんだ。」

 

 「ミオでしたらお部屋です。少しやりたい事があるみたいで、朝食は先に食べて良いらしいですよ。」

 

 そうか、ならお言葉に甘えるとしよう。

 3人で席に座り、それぞれ注文を済ませる。

 

 落ち着いたところで、ふと、百鬼へと視線を向けてみる。

 先程のように様子の変わったところがないか、気になってしまう。

 今のところ、あまり目立った行動も見受けられない。ただ白上と楽しそうに会話をしているだけだ。

 

 …もしかすると、あれは深夜テンションならぬ早朝テンションだったのかもしれない。

 朝早く起きると無性に散歩に行きたくなったり、謎の高揚感を覚える現象だ。

 

 百鬼は、基本的に朝早く起きる事は少ない。少なくとも、朝に強いタイプには見えない。

 だからこそ、少しテンションが上がりすぎたのだろう。

 そうだ、そうに違いない。

 

 少々強引ながらもそう結論づける。

 

 その後は特に何も起きず、平和な食事の時間が流れる。

 この時点ではそう思っていた。

 

 「…あ、透くん。ドレッシングあるよ。はい、これ」

 

 「悪い、ありがとう。」

 

 

 「透くん、おかわりするよね。余がとってくるよ!」

 

 「え、いいのか?サンキュ」

 

 

 「透くん、喉乾いてない?お水注いであげるね。」

 

 「…おう、助かる。」

 

 

 

 透くん、透くん、

 

 一体、このやり取りがたった十数分の間で何度繰り返された事だろうか。

 塩でも取ろうと思えば、先んじて百鬼は塩の容器をとり手渡してくる。水が少なくなればすぐに注ぎ足してくれて、米が無くなれば率先して取りに行ってくれる。

 

 「…あの、透さん。」

 

 「…なんだ、白上。」

 

 容器の水が無くなってしまい、百鬼が替えのものを取りに席を立つと同時に白上が耐え切れなくなったのか話しかけてくる。

 その声が、いやに冷たく感じるのは俺の気の所為だと思いたい。

 

 「あやめちゃんに何したんですか?」

 

 「やめろ、人聞きの悪い言い方をするんじゃない。」

 

 朝方とはいえ、ちらほらと他の席に人が座っているのが見える。

 事実無根とはいえども、変なレッテルを貼られるのは勘弁願いたい。

 

 「あんなに甲斐甲斐しく世話を焼いてるあやめちゃん初めてみましたよ!

  何が起こったらああなるんですか!」

 

 「こっちが聞きたいくらいだよ!本当に俺何したんだよ…」 

 

 白上は先ほどとは打って変わって、感情的に声を荒げる。連動するように尻尾が左右に激しく揺れている。

 

 頭を抱えたくなるとはこういう事か、と嬉しくもない経験を積んでしまった。

 まず、今朝に始まり、百鬼の様子がおかしい。これは確定だ。おかしくないにしてもどこかしら変化が起きている。白上には普通にしているから、対象は俺になっているらしい。

 

 現状は分かった、次に原因だ。

 寝起きでは軽く流してしまったが、流石にこれはスルーできない。

 

 今朝からおかしくなったのなら、それよりも前に何かが起きたはずだ。

 一昨日は基本調査ばかりで、特別何か起こった記憶はない。

 つまり、昨日の出来事が起因している可能性が高い。

 

 そして、昨日百鬼との間で起こった事といえば…

 

 「そういえば、昨日はあやめちゃんと恋人になってませんでしたか?」

 

 「あー、あれな。でも、あれは違うんじゃないかな。」

 

 確かに、状況が状況だっただけに、そういう設定になっていた。

 しかし、あれは百鬼から言い出していたし、説明からしても変に意識するような素振りは見られなかった。

 必要だったからそうしただけで、そこから今の現状に繋がるかと言われると疑問が残る。

 

 「まぁ、そうですよねー。どう見ても恋愛感情0ですし。」

 

 白上も答えを分かって聞いたみたいで、あっけらかんと答える。

 それは良いのだが、こう、ハッキリと恋愛感情が無いと言われるのも少し寂しさを感じる。

 別に良いんだけど。

 

 だが、これでまた振り出しだ。

 他に何か原因になりそうな事があったか。

 

 「…あ」

 

 「何が思い出しました?」

 

 「いや、これは…まぁ、うん。」

 

 いきなり慌てだす俺に、白上は訝し気な視線を送る。

 一応、一つ思いついた。というか、今朝百鬼自身も言っていたでは無いか。

 結果の一つだと考えていたが、これが原因になるのか。

 

 「それで、何があったんですか?」

 

 「…」

 

 …正直、話しづらい。

 悪夢を見て、百鬼が慰めてくれた。

 

 言ってしまえばこの程度。

 しかし、年頃の男として、少女の胸の中で頭を撫でられたと話すのはプライド的な観点でも、体裁的な観点でも避けて通りたい。

 

 「もしもーし、透さん?」

 

 黙り込んだ俺に再度白上から声がかかる。

いつまで経っても口を開かない俺に痺れを切らしたようだ。

 

 そんな白上の声に、顔を上げ、確固たる決意を持って言い放つ。

 

 「…黙秘で。」

 

 「ちょっ!?」

 

 予想だにしていなかったその言葉に、白上は驚きの声をあげる。

 

 そうだ、そもそもこれが原因であると確定したわけでは無い。

 仮に件の出来事を白上に話したとして、それが違っていたらどうなる。

 俺はただ恥ずかしエピソードを赤裸々に語っただけ、恥の上塗りだ。

 

 何でですかー!、と抗議の声を上げる白上を宥めつつ、しかし、これでは埒があかないのも確か。

 

 「もう百鬼に直接聞かないか。」

 

 「…そうですね。さっきは衝撃が強すぎて失念してましたが、それが一番手っ取り早そうです。

  …それとは別に先程の話もお聞きしたいんですけど。」

 

 その提案に白上も頷いてくれる。

 しかし、俺の態度を見て興味を抱いてしまったらしく、食いついてくる。

 

 「黙秘。」

 

 「えー、けちー!」

 

 無論、話すつもりはない。

 わちゃわちゃと言い合っていると、百鬼が戻ってくる。

 

 「お待たせー、…二人ともどうしたの?」

 

 挙動のおかしくなっている、俺と白上に百鬼がきょとんとした顔で問いかけてくる。

 

 「いや、何でもないぞ。」

 

 「ちょっと世間話をしてただけだよー。」

 

 雑な誤魔化しであったが、「そっか」と納得する百鬼に安堵する。

 白上も同じ心境のようで、二人揃ってほっと息をつく。

 

 「透くん、お水注ぐからコップ取って。」

 

 「すまん」

 

 相変わらず、世話を焼いてくれる百鬼に、どう話を切り出したものかと迷っていると、白上がチラチラとこちらに視線を飛ばしながら、背中を百鬼から見えないように尻尾で叩いて催促してくる。

 

 分かってるって。

 

 「あー、その、百鬼。」

 

 「どうしたの?」

 

 こちらを見つめる百鬼。

 正面切っては聞きづらいが、そうも言っていられない。

 心の中の抵抗を押し切って、口を開く。

 

 「今朝は色々と世話を焼いてくれるけど。どうして良くしてくれるんだ?」

 

 「…嫌だった?」

 

 それを聞いあ百鬼は悲し気に瞳を伏せる。

 しまった、聞き方を間違えたか。

 

 「違うんだ、ありがたいんだけど、…その、何でなのかなって純粋に気になっただけなんだ。」

 

 「え、そうなの?

  良かったー。」

 

 安心したように息を吐くと、百鬼は言葉を区切り、少し考えるそぶりを見せる。

 

 「なんか、何かしてあげたいっていうか、守ってあげたいみたいな…そんな感じ?」

 

 もしかして、自分でもよく分かっていないというオチではないだろうな。

 一瞬そう考えるが、どうやら杞憂で済んだらしい。

 

 しかし、そうか、守ってあげたくなるか…

 

 「…良かったですね、透さん。あやめちゃんの保護対象に入ってるみたいですよ。」

 

 「そう、みたいだな。」

 

 白上が何とも言えないような表情で、百鬼に聞こえないように言ってくる。

 

 保護対象…、百鬼からしてみれば確かに俺は色々と劣っているし、昨日のあれこれとか全部ひっくるめてそうなったのかもしれない。

 

 別に、それが嫌だとか嬉しいとかは感じない。ただ、複雑な気分になった。

 

 「一応なんですけど、透さんが好きだからとかそういう系は。」

 

 「うん、白上?」

 

 そんな俺の顔を見て、爆弾を放り投げる白上に思わず目を向く。

 何言ってんだこの狐は。

 

 視線を向けると、白上はこちらに向けてサムズアップをしている。

 任せておけと言わんばかりにウインクをしてくるが、何も任せてないし、むしろ余計な事をしてるんじゃないよ、その耳引っ張ってやろうか。

 

 「?透くんの事は好きだよ?」

 

 「…すみません、透さん。私では力不足でした。」

 

 きょとんとした顔で答える百鬼に、項垂れる白上。

 何故だろう、特に何もしていないのに振られた気分になる。

 

 何はともあれ、おかしな事になっていないのなら良いさ。

 

 しばらくして、大神も合流して食事を終えると今日の調査、もとい捜索についてざっと確認を取り、出発となった。

 

 「ねぇ、透君。最近フブキからうちの事で何か聞いたりした?」

 

 食堂から出る間際、大神からそう声をかけられる。

 ドキリと脈打った心臓を気にしないよう努めて、ポーカーフェイスを作る。

 

 最近も何も、つい昨夜聞いたばかりだ。大神のワザ、その影響もしっかりと覚えている。

 

 しかし、それをここで馬鹿正直に話す必要もない。

 大神も知られたいと思っている内容ではないだろうし、白上も悪気があって話したと訳ではない。

 

 「いや、何も聞いてないよ。」

 

 「やっぱり…もう、フブキったら。」

 

 ため息をつく大神。

 

 あれ、会話が成り立っていない気がする。

 具体的には、反対の意味で言葉が伝わっている。

 

 否定しようとするも、寸前で大神に「分かってる」と手で制される。

 

 「気を遣ってくれたんだよね。でも、透君は分かりやすいんだから、もっと頑張らないとね。」

 

 「なんか、すまん。」

 

 どうやら、俺の演技力不足らしい。明人に指摘されてから気を付けているつもりではあるんだが、中々身に付かない。

 

 もはやそれが元来の性格なのではないかと、最近は思い始めている。

 

 「謝らないで、そもそもうちが原因なんだから。それで、その件でお願いがあるんだけど。

 うちのワザのことで、透君はあんまり気にしないでね」

 

 「気にするなって、なんで。」

 

 俺を使えば、大神のワザで確定された未来を回避できる。

 

 道具として使っているみたいで気が乗らないとか、そういう感情的な話なら、一言頼んでくれれば断りはしない。いくらでも力を貸す。

 

 そう伝えてみるも、大神は首を横に振る。

 

 「これはうちの問題だから、うちのことはうちが何とかする。

  ううん、しないといけないの。」

 

 その声から、確固たる決意が伝わってくる。

 例え、俺が何を言ったとしても大神の考えは変わらないのだろう。

 

 「分かったよ。でもどうしようも無くなったら、その時は頼ってくれ。」

 

 「…うん、ありがとうね。」

 

 言葉とは裏腹に、少し浮かない顔をしている大神に不安感を覚えながらも、遅れて白上と百鬼の後を追う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…言えないよ、こんなこと。」

 

 ぽつりと零されたその言葉は、誰に聞こえるでもなく、消えていった。

 

 





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番人(上)


どうも作者です。




 準備を終えた俺達は、昨日の内に決めておいた捜索地点に向けて歩いていた。大神の話は気にかかるが、今は何よりもトウヤさんの身の安全を確保する方が先だ。

 

 しばらく進んでいると、今までの同じような景色から、見慣れないどこか暗い雰囲気のある路地裏へと景色が変化していく。霧も少しかかっていることが、その雰囲気を助長している。

 

 「ミオちゃん、後どの位かかりそう?」

 

 「…そうだね、あと10分かな。一応、クラウンの事もあるからみんなも警戒はしておいてね。」 

 

 百鬼の問いに、少し間を置いて大神は答える。

 

 その大神の呼びかけに、皆頷き、気を引き締め直す。昨日真っ先に狙われたからこそ、警戒心は俺たちの中で最も強くなっているのだろう。

 実際、いつも以上に周りに注意を配っている印象がある。

 

 大神だけではない、百鬼や白上も人通りが少なくなってきたあたりから、見るからに雰囲気が変わった。百鬼はいつでも刀を抜けるように刀の柄に手をかけている。白上は耳をぴんと立て少しの物音も聞き逃さないようにしている。

 

 クラウンの奇襲性能は昨日の結果を見れば一番警戒しないといけない要素であることだと分かる。

 特にあの偽装と脱出手段は、噛み合いが良すぎる。仮に奇襲に失敗したとしても、あれがあれば安全に追っ手を振り切って見つからない、なんてこともできそうだ。

 

 しかし、不可解な点も多い。

 もしかすると、あの奇襲自体あまり意味のないモノであったのかもしれない。そんな考えが頭をよぎってしまう。そして、この考え自体がクラウンの目的である可能性もある。考え出せばきりがないが、今は俺も気を抜いている場合ではない。

 

 自身に活を入れ、大神に付いて歩き続ける。

 

 そろそろ到着するかという頃、急に百鬼が足を止める。

 自然全員の足も止まる。

 

 「どうしたの、あやめ。」

 

 「静かに、誰かいる。」

 

 大神の言葉を遮るように、百鬼が警告する。

 その視線は、真っ直ぐ向けられている。

 確かに誰かが壁を背に立っている。しかし、俺の目ではまだシルエットがぼんやり浮かぶくらいで、その顔までは見えない。

 

 身構えてゆっくりと進んでいくと、徐々にその姿がはっきりとしてくる。その姿には見覚えがあった。

 

 「…明人か?」

 

 「よう、透と…それにちゃんと他の娘達もいるな。

  待ってたぜ。」 

 

 軽く手を挙げ、こちらに歩いてくる明人。

 しかし、それに反応したのは俺ではなかった。

 

 「止まって。」

 

 そう言い、百鬼はいつの間にか抜いていた刀を明人へと突きつける。

 その目にはありありと警戒浮かんでいる。

 

 明人は、少し目を開くも、黙って言われた通りこちらに向かっていた足を止めた。

 

 「透くんからは聞いてるけど、本人であるかは分からない。

  だから、まだ動かないで。」

 

 慌てて止めようとするが、その言葉で百鬼の考えを理解する。

 

 まだクラウンの擬態能力については詳しく分かってはいない。仮に、姿まで変える事ができるとして、ここで無警戒に近づいて昨日の二の舞に、なんて事にもなりかねない。

 

 ようは今、目の前にいる明人がクラウンの変装ではない事が証明されれば良い。

 その為には、明人本人と俺達の誰か以外答えを知り得ない質問をするのが手っ取り早い。

 

 「明人一つだけ答えてくれ。

  この中で俺と出会った後、最初に知り合ったのは誰だ。」

 

 答えは大神だ。

 これなら、俺と明人と大神しか知らないし、そもそも、白上と百鬼は面識がなかったはず。

 

 出会った場所も、人通りが少なかったからクラウンが偶然その場面に出くわすなんて可能性も低い。

 

 「そこの黒髪の娘だな。それ以外はまだ話した事も無い。」

 

 即答する明人に、百鬼が確認するようにこちらに視線だけ向ける。

 頷いて見せると、百鬼はゆっくりと刀を下す。

 

 「えと、いきなり刀を向けてごめんなさい。」

 

 「理由があったんなら構わねぇよ。それより何があったのか聞かせてくれよ。」

 

 刀を鞘に戻すと、百鬼は明人へと頭を下げた。

 明人は気にした様子もなく、笑ってその謝罪を受け入れると、そう尋ねてくる。

 隠し立てするような事でもない、むしろ、こうやって話している事でクラウンの標的に入っているかもしれないのだ、話しておくべきだろう。

 

 「実はな…」

 

 掻い摘んで昨日のクラウンとの騒動を説明すると、明人は露骨に顔を顰めた。

 

 「…うわ、そんな奴いるのかよ。よく無事だったな。」

 

 「いや、無事では無かったけどな。」

 

 なんだかんだでバッサリと腕を切られていた。血が足りないなんて、聞いた事はあるが実際になったのは記憶にある限りあれが初めてだった。

 

 クラウンが今回の件に絡んでいない事を願わずにはいられない。そう思うほどに、得体の知れない人物だ。

 

 「それで、明人はなんでこんな所に?」

 

 こちらの状況も話し終えたところで、こちらも気になっていた事を尋ねる。

 

 確か、まだ調べ物があると言っていた。ここで待っていたという事はもうやりたい事は終わったのだろうか。それとも、断念して合流を優先したのか。

 

 明人は少し不甲斐なさそうに頭をかく。

 

 「あぁ、それっぽい場所を見つけて、潜入しようとしてたんだが、少し厄介な事になっててな。

  俺1人じゃ、どうにもなりそうにないんだ。」

 

 「それで、うち達もここに来ると踏んで待ってたんだね。」

 

 その通り、と大神の言葉に明人が頷く。

 

 なるほど、調べ物というのはそういう事だったのか。

 明人は、イワレの動きを察知する事ができる。大神と出会ったのもそれが働いたからであった。

 それを利用して、怪しげな場所をしらみ潰しに調べていたらしい。

 

 「ここからは俺も同行するが構わないか?

  勿論、俺が調べた限りの情報は全て提供する。」

 

 そういう事なら、こちらも断る理由はない。元々協力しようと話していたのもある。

 何より人手が増えるのは、トウヤさんの捜索において効率アップに繋がる。

 

 「俺はそれが良いと思う。みんなはどうだ?」

 

 特に問題はないと思うが、一応確認は取っておく。

 集団行動で独断専行はもっての外、相談する事は大切だ。

 

 3人は特に考える素振りもなく、すぐに頷いてみせた。

 

 「決まりだな。それじゃあ、改めて俺は茨明人だ。

  短い間だが、よろしく。」

 

 「私は白上フブキです。よろしくお願いします。」

 

 「余の名前は百鬼あやめだよ、よろしくね。」

 

 一通り初対面だった3人の自己紹介も済んだところで、大神は未だ場所が絞りきれていないことから、今度は明人の案内で目的地へと歩き出す。一応、大神には占星術で周りに他の道順はないかだけ探ってもらっている正解が一つだけども限らないからな。

 

 しかし、その大神の表情が先程からやけに硬い。

 これから敵地に乗り込もうというのだから緊張しているといえばそこまでなのだが、特に根拠はないがそれだけだとは思えなかった。

 

 明人の背中を追って二つほど曲がり角を曲がって行くと、意外にもすぐに明人は足を止めた。

 

 ここまで来て、道を忘れたなんてこともないだろう。

 

 「もう着いたのか?」

 

 「あぁ、その通りだ。入り口はそこだぜ。」

 

 そう言って、明人が指差したのは路地の横に積まれている木箱の内一つだけ少しだけ離れて置いてある木箱だ。

 一応周りを見渡してみるが、それ以外には特に変哲も無いただの通りだ。

 

 まさか冗談ではないだろうな。

 

 そう思い、明人へ確認をしようとするが、それよりも先に百鬼が口を開いた。

 

 「この木箱、実体がないね。幻覚か何かで出来てる?」

 

 「あれ、そうなんですか?私にはただの木箱にしか見えませんけど。」

 

 どうやら白上も俺と同じ状態らしく、首を傾げて疑問符を浮かべている。

 

 「鬼っ娘の正解だ。俺も最初は目を疑ったぜ。なんたって、他の木箱は触ってもちゃんと感触があるんだからな。

  だが、このままじゃ視覚で捉えられないからな。」

 

 説明しながら、明人は懐に右手を入れて指輪のようなものを取り出すと、一人、その木箱へと近づいていった。 

 

 木箱の側まで来ると、徐に右の掌でそれを触れた。

 

 ガラスが割れるような音が鳴り響く。

 

 それと同時に、木箱の輪郭が急激に朧げになっていき、やがてそこには木箱ではなく、地下へと続く梯子が現れた。

 

 「謎の組織の拠点が地下なんざ、定番中の定番だけどな。これで見えやすくなっただろ。」

 

 薄く笑いながら、明人は手に持っていた指輪を仕舞う。

 

 「指輪、レイグですか?見たところワザを無効化してたようでしたけど」

 

 「そんなところだ、詳細は企業秘密。」

 

 白上の質問にあっけらかんとして明人は答えた。

 

 なるほど、なんらかのワザでこの入口を隠していたと言うことか。それが明人によって無効化されたからこうして目視出来るようになった。

 そして、幻覚、それに準じたワザを使う人物にも1人心当たりがあるのが辛いところだ。

 

 「…うん、この下は安全みたい、降りてみよう。」

 

 念には念を入れて大神に下の様子を調べてもらい、一人一人梯子を降りて行く。

 

 「わ、ちょっと寒いですね。少し着込んでくれば良かった。」

 

 「余の鬼火だと、あんまり先までは照らさないから気を付けてね。」

 

 梯子の先はトンネルになっていた。しかし、明かりとなるランタンもない為、暗闇だけが広がっている。

 白上の言うように、気温も低くなっており、周りから水音が聞こえることから、何処かから水が流れているようだ。

 

 「なぁ、番人はここにはいないのか?」

 

 ふと疑問に思い、明人に聞いてみる。

 

 先程の梯子が入口だとしたら、そろそろ遭遇してもおかしくは無いはずだ。それとも巡回路のような物があり、それを把握しているのか。

 

 「番人はこの先だ。

  心配しなくても、そこの暗がりからいきなり襲ってきたりはしねぇよ。なんてったって、刺激しない限り、あれは寝たきりだからな。」

 

 「寝たきり?」

 

 百鬼が怪訝そうに繰り返す。

 明人は見れば分かる、と言わんばかりに明かりを手にし、歩き出す。

 

 それを追うと、すぐに開けた空間へと出る。

 

 「…ほら、見えるか。あれが番人だ。」

 

 明かりが照らす先。

 大きな何かが蠢いている。

 

 暗くてよく見えないと思ったが、違う。

 黒いのだ。

 周囲の闇と同化するように、真っ黒な肌を持ったそれはその大きな巨体を丸める様にして、寝息を立てている。

 

 「…あれって。」

 

 百鬼が何かに気付いた様に目を見開くと、息を呑んだ。

 見覚えがあるのか、あれが何なのか分かるのかと聞こうとした、その時だった。

 

 「…ガッ、ガァガァ、ガガッ」

 

 突然、巨体が動き出し謎の奇声を上げながら目を開いた。

 その大きな目は安眠を邪魔されたからか、はたまた侵入者を見つけたからか、負の感情が渦巻いていた。

 俺たちをその両目で捉えたまま、番人はその太い手足を使い立ち上がる。

 

 大きさにして4メートルほどだろうか。ヒト型ではあるが、その風貌は化け物と呼ぶにふさわしい。

 

 「ち、もう起きたのかよ。あいつの膂力は尋常じゃない、気を付けろよ。」

 

 舌打ちを一つ入れて、明人は刀を抜く。

 

 その言葉に、俺達は戦闘体制をとる。

 いや、違う。正確には百鬼以外の全員だ。当の百鬼は呆然として、番人を見つめている。

 

 「百鬼?どうし…」

 

 言い切る前に、大神が単身で番人へと駆け出した。

 通常であれば、味方のサポートに徹することの多い大神からは考えられない行動。

 

 「南無八幡大菩薩、我が腕に粛清の灯火を。」

 

 前と違った詠唱を唱えた大神の両手に紫色の炎が灯る。その熱は離れたこちら側にも届くほど。 

 

 だが、どこかおかしい。

 確かに相手の力量は未知のまま。しかし、これでは確実に相手の命に届きうる。

 

 これまで、大神の戦闘らしい戦闘は無かったが、こんなに荒々しいものだったか。普段の穏やかな雰囲気とは似ても似つかないその様子に、焦燥感が募る。

 

 迷いの中、気が付いた時には、身体を鬼纏いで強化をして、大神の番人に向けて放たれたその一撃を受け止めていた。

 





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番人(下)


 どうも作者です。

 以上


 

 大神の拳と俺の刀がぶつかり、大きな音を立てて両者の動きが止まる。

 

 幸いなことに、仲間相手に寸前でブレーキがかかったらしく、何とか受け止め切ることが出来た。

 それでも、熱までは消し去ることもできない。放たれた炎が前髪の先を焦がす。

 

 「透君…、邪魔、しないで。」

 

 顔を伏せたまま、大神は呻くようにそう呟いた。

 だが、それは受け入れてはならない、何かを見落としている気がする。気が付かなくてはいけない、何かを…。

 

 「透さん、ミオ!」

 

 それを考えたくとも状況がそれを許しはしなかった。

 

 白上の声が響く。

 

 目の前でじっとしている獲物をただ眺めているわけもない。

 番人はその巨木のような両腕を振り上げると、こちらに目掛けて振り下ろした。

 

 俺と大神はその場から飛び退り、それを回避する。

あまり素早いわけではない。これなら余裕をもって対処できる。

 

 「…は?」

 

 その直後、口から洩れたその声をかき消すように轟音が響き渡り、砂煙が舞う。

 なるほど、明人の言う通りとてつもない膂力を持っているようだ。

 

 だが、それよりも。番人の首元から、俺は視線を離せないでいた。

 あぁ、そういうことか。そういうことだったのか。 

 

 今見えたものを、受け入れたくない。聞いた言葉に意味があると考えたくない。

 そんな結末断じて許せるものか。

 

 しかしそれと同時に、何故大神の様子が変であったのかも理解できた。

 

 何が頼ってくれだ。頼れるわけがないだろう。

 既に起こってしまったことをどうやって変えるのだ。無かったことにするのか。

 

 首元に埋まるようにしてくっついている、その見覚えのある開かれたロケット。

 それに入れられた、一人の母親と一人の子供の親子が笑って映っている、その写真。

 

 その際確かに聞こえた。意味不明なうめき声だと思っていた。

 

 「ガァ、ザン。」

 

 母さん。そう言っていたのだ、ずっとただそれを舌の回らない口で。

 

 落としそうになる刀を痛いほど握る。

 

 「二人とも大丈夫ですか!」

 

 「南無八幡大菩薩…」

 

 白上が声をかけてくるが、それに耳を傾けることもなく、大神はなおも詠唱を唱えると、番人との距離を詰めようとする。

 

 「待ってくれ、大神!」 

 

 肩を掴み、大神を止める。

 

 「離してよ透君、お願いだから…」

 

 「断る、ここで大神を行かせるわけにはいかない。」

 

 大神は俺の手を振りほどこうと身をよじり、前髪が揺れて、大神の瞳があらわになる。

 

 その瞳は涙に濡れていた。

 今にも決壊しそうになりながらも、何とか踏みとどまっている、そんな表情。

 

 それでもなお前に進もうとするお大神を何とか抑えていると、やがて、あきらめたように大神も力を抜く。

 

 「ミオ、透さん、二人共いきなりどうしたんですか。何でこんな…」

 

 「…あの番人がトウヤさんだから。」

 

 白上の問いに答えたのは百鬼だった。先ほどまで呆然としていたが切り替えられたらしい。

 しかし、その表情は今まで見たこともないほど暗いモノであった。

 

 「…そんな。」

 

 「なるほど、ケガレに飲まれたか。」

 

 白上と明人も状況を把握し、その表情を曇らせる。

 

 悪意に染まったイワレである、ケガレ。

 それが蓄積することにより、本来イワレが溜まればアヤカシとなるはずが、意思のない化け物へと変貌してしまう。しかも、その変化は、アヤカシに変化するものと同じであり。

 

 ケガレによって化け物となった後は、一つの心残り、怨念を晴らそうと彷徨い続ける。

 先ほどあの番人、もといトウヤさんが口にした言葉。それが、トウヤさんの心残り。

 

 「こんなこと、話してもどうにもならないよ。もう、元には戻せない。

  だから、うちが終わらせないと。救えなかったなら、せめて…」

 

 そう祈るように言う大神の涙に濡れたその瞳は、覚悟に染まっていた。

 

 大神の言うように元に戻す方法は確立されていない。

 ケガレに飲まれた人間にできることは、もう苦しまなくてもいいように処理するだけ。

 

 大神は知っていた、あの番人がトウヤさんだと。恐らく、今朝の時点から。

 だから周りが気づかないうちに終わらせようとした。自分一人だけ、苦しみを背負って。俺たちに背負わせないようにした。

 

 それに比べて、俺は。

 何が頼ってくれだ。すでに起こった出来事をどうやって変える。無かったことにするんだ。思い上がりも甚だしい。

 

 どうして、こんなに心優しい彼女がここまで苦しまないといけない。幸せな親子が引き裂かれないといけない。

 

 そんな世界の不条理を認めたくなくて。変えたいと強く願って。

 自分の無力さに歯を食いしばる。

 

 どうすることもできない自分への怒りからか、はたまた残酷な世界への怒りからか体中を焼き尽くさんばかりに熱が灯る。

 その熱はどこからか、頭、心臓、背中。

 

 否、例の宝石だ。

 

 右腕の宝石が熱を発していた。この体の中を炎が駆け巡るような感覚、百鬼との初戦闘の時感じたものと同じだ。

 

 それと同時に、自分の中の可能性。閉ざされていたその扉が開かれた。

 

 なんとなく、この宝石について分かった気がする。得体のしれないことに変わりはないが、俺に力を貸してくれるような、そんな意思を感じる。 

 

 何故、この宝石は力をくれるのか。一体全体これは何なのか。

 分からない。分からないが、これでトウヤさんを救えるのなら。こんな結末を変えることができるのなら、何だって使ってやる。

 

 とにかく、それはいいが何かを掴めそうで掴めない。まるで煙を掴もうとしているようだ。

 しかし、形は見えている。今何が必要なのかも。

 

 「一つだけ、試したいことがある。」

 

 「透君?」

 

 突然の言葉に、大神が呆然とこちらを見つめるが、一応は聞いてくれそうだ。他の三人も同様に、少し表情を明るくして、耳を傾けてくれる。

 しかし、そろそろトウヤさんの周りの砂煙が張れる。そうしたら、こちらへと向かってくるだろう。

 

 「トウヤさんを助け出せるかもしれない。力を貸してくれないか。」

 

 「…本当に…助けられるの?」

 

 信じられないといった風に聞いてくる大神に、大きく頷いて見せる。

  

 「上手くいけば。ただ、まだ扱えそうにない。だから時間を稼いでほしい。」

 

 今はまだ何の能力もない。それをこれから探しに行くのだ。

 正確には解決する道具があるかもしれない、それを見つけられる場所に今から向かう。

 

 「どのくらいだ?」

 

 「5分以内に何とかして見せる。」

 

 恐らく、それだけあれば間に合う。

 とはいえ、相手を傷つけない様にするというのは、ただ打ち倒すということに比べて、難易度が跳ね上がる。

 

 しかもトウヤさんの今の膂力は石造りの地面を易々と破壊できるほどであり、それを加味すると、反対されるのも無理はない。

 

 「分かった、余達に任せて。」

 

 だがそんな予想に反して、即答で答える百鬼。

 同じように大神と白上、明人も、協力してくれるようだ。

 

 ここまで簡単に信頼してもらうと逆に不安になってくる。

 だが、同時にありがたいことでもある。

 

 やがて、完全に土煙も晴れて、トウヤさんの眼が俺たちをとらえる。

 その眼からは理性など一かけらも感じない。

 

 最初に動いたのは百鬼だった。

 百鬼は駆け出すと刀を二本、抜き放つ。

 

 「シキガミ降霊『閻魔』!」

 

 そう言い放つ百鬼の背から、高く炎が立ち上がり、そこから鎧武者が形作られる。

 百鬼は、振り下ろされるトウヤさんの腕を足場代わりに軽々と舞い上がり、壁へ天井へと縦横無尽に駆け回り攪乱する。

 

 「エンチャント!」

 

 百鬼に続く形で、白上も援護へ回る。

 刀の形を変化させ、足に巻き付け、腕に巻き付け、動きを制限している。

 

 「オンビシビシ…詠唱省略、陽炎!」

 

 大神が熱を操り、いくつもの分身を作り出すことで、位置を把握させない。

 

 「…これ、俺必要なくねぇか?」

 

 出遅れた明人は完璧に仕上がってしまった時間稼ぎの陣を、遠い目をして呆然と眺めている。

 まぁ、気持ちは分からなくもない。

 

 とにかく、あちらは任せても大丈夫そうだ。

 こちらはこちらで集中させてもらおう。

 

 一つ深呼吸を入れて、未だに熱の灯る右腕へと意識を集中させる。

 やがて、深く深くへと意識が吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どんどんと水の中を沈む感覚。だが、息は苦しくない。ただ沈んでいるだけ。

 下の方にはいくつか光る物体がある。

 

 一つ一つが、それぞれ有益な力を秘めている。

 

 シキガミを生み出す力。

 熱を操る力。

 未来を占う力。

 

 (見覚えのある力が多いな。)

 

 それ以外にも読み取れないが、様々な力がある。これらの中に正解があるのか、もしくはすべてが正解なのか。掴み取るべきはこの中にあるのかも分からない。

 

 どれをつかみ取れば良い…。

 時間はかけられない。どうにかトウヤさんを救い出せる力を見つけなければ。

 

 悩んでいると、突然後ろから力を加えられて、さらに深くへと沈んでいく。

 何事かと、振り向こうにも力が加わりそれすら叶わない。

 

 背中に感じるのは誰かの手のひら。

 

 (押されている?)

 

 そのまま、下へ下へと進み続けると、一つだけ淡い輝きが見えてくる。

直観的に理解した。あれが、目的のものだ。

 

 そう思った俺は、その光へと手を伸ばす。

 

 光を掴む、その直前。

 今まで感じていた背中の手のひらが消えた。

 

 気づけば、体にかかっていた力も同じように消えている。

 

 (一体誰が…)

 

 自由に動くようになった首を後ろに回す。

 

 そこには人がいた。三人の。だが、逆光によってその顔も、姿も見えない。

 そして三つの人影がこちらに向けて手を振りながら消えていく。

 

 

 

 

 「頑張れ…。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「透!おい、聞こえるか!」

 

 次の瞬間、目に飛び込んできたのは視界いっぱいの顔。

 次いで、大きな声で呼びかける明人の声が聞こえてきた。

 

 …視界いっぱい?

 

 「いや近すぎるだろ!なんだよ明人!」

 

 後ろに仰け反り、距離をとる。

 いきなり顔面どアップで目の前に来られるのは心臓に悪すぎる。

 

 「なんだよはこっちのセリフだっての。いきなり目の焦点合わなくなったから何事かと思ったぞ。」

 

 どうやら、宝石に意識を向けてからいくらか時間が経過していたらしい。

 てっきり、俺の意識の中で一瞬の出来事かとも考えたが、そんなに都合の良いことはないか。

 

 「悪かったよ…それで、どのくらい意識飛ばしてた?」

 

 さっき散々かっこつけておいて、やっぱり駄目でした。なんてことになれば、軽く一週間は引きこもれる。…無理か、白上あたりが普通に突撃してきそうだ。

 

 「よかったな、きっかり五分だ。…行けんのか?」

 

 「当然。」

 

 手にしたばかりの新しい力。ワザの存在を確かに感じる。

 扱い方も直観的に理解できた。

 

 「三人共、下がってくれ!」 

 

 トウヤさんに向かい走り出しながら、攪乱している三人に声をかける。

 即座にその声に反応して、三人はトウヤさんから距離をとる。

 

 それを確認しつつ、さらに速度を上げ、トウヤさんの目前へと駆ける。

 

 「ガッ、ア!!」

 

 トウヤさんは俺に気が付くと、腕を大きく振りかぶり、左右へとでたらめに振り回し始めた。

 電柱のようなその腕は、当たれば確実に意識を持っていかれるだろう。

 

 だが、速度は速く無い。

 

 横薙ぎの一撃を下を掻い潜って回避し、トウヤさんの懐へと飛び込む。

 体が大きい分、一度近づいてしまえばこちらのものだ。

 

 狙うは胸の中心。心臓の上。

 ワザの存在を意識して、右の掌をその位置へと当て、発動する。

 

「『結』」

 

 その簡潔な一言を紡ぐと、掌が当たっている部分から薄く、全身を包み込む様に結界が張られていく。

 

 「ガ…ア!」

 

 自分の体が得体の知れないものに覆われていく中、トウヤさんはなおもこちらへと腕を叩きつけようとする。

 しかし、すでに腕の根元まで到達したそれが動きを阻害し、腕を振りかぶった状態で肩が固定される。

 

 ここまでくれば、もう逃げようは無い。

 やがて、結界はトウヤさんの全身を覆った。

 

 これでようやく下準備が完了。

 

 「『封』」

 

 続けて紡ぐと、トウヤさんを覆っていた結界がその内側へと収縮し始める。

 だが、トウヤさんが押し潰される訳では無い。

 

 結界は皮膚を透過し、肉を透過して、骨を透過する。

 そこに物理的な干渉は一切存在しない。

 

 干渉するのはそれ以外。

 トウヤさんを化け物へと変化させる原因となったケガレのみが、結界の内部へと取り残される。

 

 どんどん縮小していき、胸の中心部まで到達すると、当てていた掌を離すと、付随する様に、トウヤさんの体からキューブ状の結界が出てくる。

 中には悍ましい黒に染まったモヤが所狭しと漂っている。

 

 (これで、元に戻れるはず。)

 

 原因は取り除いた。しかし、どのような形で戻るのかまでは分からない。

 宝石からの知識は、ここまでの手順だけ。

 

 ケガレを取り出した部分を中心に、トウヤさんの体がひび割れていく。

 胸から広がっていく様に、ひび割れが全身を覆うと。全身が黒く染まり、やがて灰のように崩れ去っていく。

 

 首にぶら下がっていたロケットが地面に落ち、音を立てる。

 それに続いて、ドサリという音と共に人が倒れ込んできた。

 

 無事に成功した、手応えもあった。宝石からも、何の不備もなかったことが伝わる。

 

 ふと、ここで一つ疑問が生まれた。先程はトウヤさんが灰の中から出てきたのかとも思った。しかし、それにしてはあまりにも音が軽い。

 

 不審に思いながら、トウヤさんと思わしき人物へと視線を向ける。

 

 「…子供?」

  

 そう思わず溢れてしまう。

 

 視線の先には、10歳ほどの子供が横たわっている。

 

 まさか、ワザのどこかに不具合があったのか。いや、そんなはずは無い。

 俺はイワレのみを対象にワザを使用した。それ以外に干渉することは絶対にあり得ない、そう断言できる。

 

 そして、この子供には見覚えがあった。いや、今も見比べることができる。

 

 ロケットの中にある写真。10年前の物だと考えていた。あまりにもヨウコさんの容姿が違っていたから、やつれて老けこんで見えたから。

 俺を息子だと勘違いしていたから。

 

 …違った。

 

 その写真に写るトウヤさんと今目の前にいる子供は同じ容姿をしている。この子供がトウヤさんだ。

 

 自分の考え違いに、体が固まってしまうが、今は何よりトウヤさんの安否を確認しておく必要がある。

 

 「透君、この人が、…いや、この子がトウヤさんなの?」

 

 すぐ後ろから大神の声が聞こえる。いつの間にか全員こちらに来ていたらしい。

 

 「間違いない、写真の子と同じ顔だ。…ただ気絶してるだけみたいだ。一応大神も見てやってくれないか。」

 

 「うん、任せて。」

 

 呼吸も安定して落ち着いている。外傷の類も見当たらない。

 しかし、専門的な知識は何もないため大神に任せておく。

 

 大神は先程とは打って変わり、いつもの穏やかな声で応える。

 

 「やったな、透!大成功じゃねぇか!」

 

 嬉しそうに明人が背中をバシンと叩きながら言ってくる。

 確かに、何はともあれ上手く行った。誰も傷ついていない。これを成功と呼ばずに何と呼ぶ。

 そう思うと、段々と安堵が込み上げてくる。

 

 お返しとばかりに明人の背中を叩こうと腕を上げる。

 

 (…腕が上がらない。)

 

 まるで重しをつけているような腕に重みを感じる。

 確認するも、当然何もついているはずは無い。

 

 腕だけでは無い、身体全体に重みを感じる。

 

 「透さん、大丈夫ですか?」

 

 「ん、あぁ、大丈夫。ただ、倦怠感が酷くてな。」

 

 心配して聞いてくる白上。

 

 一度自覚してしまうと、一気に疲労感が押し寄せてきた。

 十中八九、先ほど使用したワザが原因だ。

 

 「たぶん、ワザの副作用というか、燃費が異常に悪いみたいだ。

  一回使っただけで、しばらく動きたく無い程度には体力を持っていかれた。」

 

 だが、それに応じた効果はあった。

 しかし、新しくワザが使えるようになったのはいいが、相変わらず鬼纏い以外は自分へのリスクが高い。常用はできそうにないな。

 

 「そうだ、透。さっきのは何だったんだ?あんなワザ使えるなんて聞いてねぇぞ。」

 

 明人の言葉に、同じく興味があるのか、百鬼や白上もこちらに視線を向ける。

 

 「まぁ、さっき使えるようになったからな。概要は『結』で覆った対象を『封』で内部に封じる。封じたものは何からも干渉されないし、することもない。という感じ。」

 

 だが、覆ったものがすべて対象になるわけではなく。一つのモノしか対象に設定できない。

 一度決定した対象は再決定は不可能らしい。そして、その総量に応じて代償も決まってくると。

 

 「なるほどな。それでケガレを取り出したってことか」

 

 「ケガレというか、イワレ全体だな。量がそこまで多くなくて良かった。」

 

 これで、白上達のようなカミに成る程の量だったらと思うと結果はあまり考えたくないな。

 

 「うん、大丈夫みたい。しばらくしたら目も覚ますと思うよ。」

 

 そこまで話すと、丁度大神の診察が終わったらしく、声をかけてくる。

 ひとまず、一度引き返したほうがよさそうだ。このまま、乗り込むわけにもいかない。いっそ、二手に分かれるのもありか。

 

 「誰か来てるよ。」

 

 これからのことを相談しようと口を開きかけたところで、百鬼の声がそれを遮る。

 その言葉通り、耳をすませばこちらへと向かう足音が聞こえる。

 

 それは俺たちが入ってきた通路とは反対側。つまり、相手は言わずとも知れる。

 

 やがて、鬼火に照らされてその姿があらわになる。

 

 赤いタキシードに、シルクハット。ピエロの化粧をした道化師。

 今、一番遭遇たくない、その相手がそこにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





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クラウン(上)


どうも作者です

UA20000あざます。

以上


 赤いタキシードに身を包んだ、ピエロの化粧をした男、クラウンが暗闇に満ちた通路からその姿を現した。

 一体何のために現れたのか、こいつの目的は何なのか。

 

 疑問は尽きないが、この事件にクラウンが関わっていたことは確かだ。

 

 全員クラウンの登場に驚くが、すぐに戦闘に備える。

 

 しかし、タイミングが悪すぎる。

 先ほどのワザの行使で俺は戦闘などできそうにない。

 

 白上達は、まだ余力があるだろうが、それでもある程度は消耗している。

 何より、今はトウヤさんの身柄がこちらにある。クラウンがトウヤさんを狙ってしまえば、こちらは守りに回るしかない。

 

 いや、だからこそこのタイミングで出てきたのか。

 

 「ふふッ…」

  

 クラウンは立ち止まり、その相貌をクシャリとゆがめるとおもむろに手を叩きだした。

 

 「ハハハッ、素晴らしい、実に素晴らしい!」

 

 不気味な笑い声と拍手の音が食うかに響き渡る。

 

 「何がおかしいの。」

 

 鋭い目つきで、百鬼が問いかける。

 クラウンはぴたりと制止し、視線をこちらに向ける。

 

 その瞳には明らかに狂気が浮かんでいる。

 前にあったときも、確かにおかしな言動だとは感じたが、少なくとも前はもっと理性的な目をしていた。

 

 「そんなもの、私のシナリオを見事に打ち砕いたことに決まっているじゃありませんか。

  それも完璧に、万全に。

 

  途中までは順調だったのに…やはり、あなたが現れたことが最大の誤算でしたね。」

 

 クラウンはその視線を俺へと移す。

 しかし、言葉の割にはその声には負の感情は見られない。むしろ、さも愉快なことであるように語っている。

 

 何が起きたんだ。

 

 「まぁ、それ以上の収穫があったのでどうでも良いんですけどね。」

 

 「そうかい、ならお前は何でこんな所に来たんだ。聞く限りじゃ俺達に関わる理由は無いんじゃねぇのか?」

 

 明人の挑発的な物言いに、クラウンは明人へと視線を向ける。

 目を少し見開くと、すぐにその顔を歪めた。

 

 「おや、初めてお会いする方もいらしたのですね。改めまして、私、クラウンと申します。以後よしなに。」

 

 「質問に答えろ、お前は何故ここにいる。」

 

 膝をおり、優雅に礼をするクラウンに対して、明人は怒気のはらんだ声で低く、唸るように言い放つ。

 それを受けて、クラウンは残念とばかりに首を振る。

 

 「いえ、ただ番人の反応が消えたので様子を見にきたんですよ。」

 

 「それで、お仲間と一緒にうち達を袋叩きにするつもり?それなら抵抗はさせて貰うけど。」

 

 そうだった、相手はクラウンだけでは無い。

 元々は組織に対して乗り込もうとしていたのだ。組織というのは人の集まりだ、それなら1人だけでこの場に来る訳がない。

 

 クラウンがあること自体が不確定要素だっただけ。先ほどの戦闘が前哨戦に過ぎないのだと思うと、少し気が落ち込む。

 

 「ご安心を、彼らがここに来る事はありません。いくら時間が経てども、私以外がそこから出てくる事はないでしょう。」

 

 そんな予想に反するクラウンの言葉に、思わず目を丸くする。

 

 何だ、仲間が侵入者への対処に向かうのに随分と薄情だな。

 心配いらないと考えられているのか、それとも…。

 

 どうにせよ、増援によって数で押されるという事が無いならそれに越した事はない。

 もちろん、それが真実であると確定したわけではない。警戒はしておくべきだろう。

 

 「質問に答えたのです。こちらも質問をさせていただきましょうか。

  そうですね…、ミスター透。

 

 

  …母親ができた感想はいかがでしたか?」

 

 「は?一体何を…」

 

 言って、とそこまで言って言葉が止まる。その質問の意図を瞬時に把握できなかった。

 恐らく母親とはヨウコさんのことだ。なぜ、そんな質問をする。関係がないだろう。そもそも、遭遇したのはヨウコさんと別れた後で…。

 

 そう、遭遇した。俺達を狙って奇襲を仕掛けてきたクラウンと。

 それは良い、だがタイミングが良すぎる。偶然にしては出来過ぎている。

 

 クラウンは俺達があの場所にいる事が分かっていた。ヨウコさんの家を、知っていた。むしろ、俺達がヨウコさんの家に行ったから奇襲にあった。

 

 他にもおかしい点はある。

 ここに来て、トウヤさんが子供である事がわかった。ならば、ヨウコさんが俺を息子と間違うのは理に適っていない。

 それほど体感時間が長かったからか、願望が溢れ出た結果だとも考えた。

 

 しかし、クラウンの含みのある物言い。そして、今、クラウンは番人の異変に気がついていた。

 

 「…まさか。」

 

 「えぇ、そのまさかですよ。」

 

 やはり、一連の事件に関与していた。それどころではない、こいつが主犯だった。

 

 笑いかけてくるクラウンに、身体の疲労も忘れ刀を抜き斬りかかろうとする。

 だが、それよりも早く誰かが飛び出す。

 

 百鬼だ。

 

 百鬼も同じ場所にいた。ヨウコさんとは俺よりも話して、楽しそうに笑っていた。

 

 俺と同じ結論に至ったのだろう。

 その瞳は激情によるものか、赤く光っている。。

 

 腰の刀を素早く抜き、振りかぶる。

 

 一閃。

 

 加減の見られない、恐らく全力で叩き切るつもりで振るわれたそれは確実にクラウンを捉えた。

 

 凄まじい衝撃音が、空洞に鳴り響く。

 それに続いて衝撃波がこちらまで届いてきた。

 

 「嘘…」

 

 誰かがそう呟く。

 

 言葉には出していないが、俺も同じ心境だ。

 今、目の前にある光景が信じられなかった。

 

 百鬼の振るったそれは、標的に届くことなく静止している。

 

 その間にあるのは一本の曲刀。

 

 クラウンは片手で持った、いつか見た曲刀で百鬼の刀を受け止めていた。

 

 「このっ…」

 

 百鬼はそれを察知すると、すぐにもう片方の刀で斬りつけ、その反動でこちらへ後退する。

 

 それすらクラウンは易々と防ぐ

 その姿に一切の傷は見られない、平然とした様子でクラウンはこちらを見ている。

 

 有り得ない。以前、俺も百鬼に同じように斬りかかられた際には一度は吹き飛ばされ、二度目で手加減された状態でようやく受け止める事ができた。

 しかも百鬼の話ではその時鬼纏いが発動していたらしい。

 

 普通の身体強化のさらに上の強化を使ってようやく手加減された一撃を受け止めたのだ。

 それを片手で容易く。

 

 しかし、クラウンが百鬼と同等以上の実力者であるようにはとてもではないが見えない。

 これは遭遇した後に大神から聞いている。

 

 

 

 

 

 

 

 「なぁ、大神。クラウンはカミなのか?」

 

 先日、夕食後に大神に確認をとっていた。

 仮にクラウンがカミであるなら、俺では相手にならない。可能な限り対峙しないように立ち回る必要がある。

 

 大神は俺の問いかけにすぐに首を横に振った。

 

 「クラウンはまず、カミじゃなくて普通のアヤカシだね。」

 

 「分かるもんなのか、そういうのって。」

 

 躊躇なく言い切ったからには、それ相応の理由があるはずだ。

 ここまで断言できるということは、カミには何かしら特徴のようなものがあるのだろうか。逆に、アヤカシに特徴があるのか。

 

 「うん、カミの総数自体が少ないのもあるんだけど。割と明確に分かれてる点があってね。

 

  カミにはね普通の人間の姿をしてる人はいないんだよ。うちにも尻尾と耳があるでしょ?理由は他にもあるんだけど、やっぱり決定打はこれかな。」

 

 

 

 

 

 

 

 カミに至るには途方もないほどの時間がかかるそうだ、数年どころではない、数十年、時には数百年も。

 

 それ故に、普通の人間ではカミになることは不可能と言ってもいい。だからこそ、イワレはその持ち主の体を変える。その過程として、普通の人間にはない特徴が現れる。

 白上や大神は獣耳、尻尾。百鬼は鬼特有の角。

 

 鬼に関してはまた事情が変わるらしいが、それこそ目に見えるレベルでの変化が起こる。

 

 しかし、クラウンにはそれは見られない。

 顔はただのメイクであり、それ以外はただの人間そのものだ。

 

 それも加味すると、クラウンはカミではなく、アヤカシに分類される。

 そしてカミとアヤカシではその基礎能力には大きな差が存在する、ましてや、アヤカシがカミを上回ることは不可能とされている。

 

 だが、実際に起こった。それが事実だ。

 

 「おや、不可解な顔をしていますね。ただのアヤカシがカミの一撃を防いだことがそんなにおかしいですか?」

 

 クラウンはこみ上げる興奮から、こらえきれないように笑う。まるで、おもちゃを手に入れた子どおのように、無邪気に。

 

 「それよも、質問に答えていただけませんか?

 

 『ねぇ、トウヤ。どうだったの?』」

 

 「っ…!」

 

 「待って、落ち着いて透君。」

 

 ヨウコさんの声を使い、煽るように質問を投げかけるクラウンに再度刀に手が伸びる。

 しかし、それを大神が止めた。

 

 奇しくも先ほどとは逆の立場になった。

 百鬼が止められたのだ。これで俺が向かっても無意味だろう。今は、そのカラクリを探る方が先決だ、

 

 「…残念。この程度では崩れませんか。そうでしょう、だからこそ、ここまで大掛かりな舞台を仕立て上げたのですから。」

 

 「大掛かりな舞台とは?」

 

 肩をすくめるクラウンに今度は白上が聞き返す。

 

 「もちろん。そこの子供とその母親ですよ。」

 

 クラウンは、トウヤさんへと視線を向け、芝居がかった口調で続ける。

 

 「あぁ、引き裂かれた親子。それを救うために正義の味方が敵地へと突入する。

  ありきたりな物語ですが、そこにスパイスを加えるのもまた一興。

 

  突入した先で倒した敵が、目的の子供だった。それを知った正義の味方は動揺し、隙を見せる。

 

  後は、言わなくてもお分かりですよね?」

 

 初対面でのヨウコさんのやつれた顔が脳裏に浮かぶ。

 

 流石に何度もあからさまな挑発に乗りはしない。乗りはしないが、それでも内心腸は煮えくり返っている。

 俺だけではない、他の皆もそろって険しい顔をクラウンに向けている。

 

 やはり、その場でクラウンと遭遇したのは偶然ではなく、必然であった。

 

 「本当は、あの場でそこの黒髪のカミを排除しておきたかったんですよ。ほら、予め知られていては効果も半減というものでしょう?

 思えばあそこから予定が狂って…」

 

 「見つけた。」

 

 嬉々として話し続けるクラウンの声尾を遮ったのは大神だ。

 その手には俺の背に隠すようにして水晶玉が握られている。

 

 「隠し持ってるその指輪。

  レイグ…いや、シンキに近しいものだね。それで身体能力を大幅に上げてる。それ以外の使い道は今のところなさそう。そうでしょ?」

 

 「…えぇ、その通りです。それで、それが分かったからどうしたんですか?」

 

 クラウンは狼狽した様子もなく、懐から赤い宝石のはまった指輪を取り出す。

 

 その指輪を見た途端、凄まじい悪寒が全身を駆け抜けた。

 存在感にではない、圧倒的に美しいわけでもない。ただ、その指輪は存在してはいけない。怨念が目られているように感じた。

 

 一瞬周りに目を向けるが、そう感じているのは俺だけのようだ。

 

 「これで警戒する要素が消えただけ。こうやって、お話しする意味ももうないでしょ?」

 

 そう言う大神の両こぶしに、ぼっ、と音を立てて炎が灯った。

 それに続いて、白上も刀を抜き、百鬼の背にシキガミが宿る。

 

 ただ話を聞いていただけでなく、状況を把握するところを見るに、やはり、この三人は場慣れしている。

 

 遅れて、刀を抜き。戦闘に備える。

 

 まだ、腕が重たい。体中のだるさが残っている。

 当然だ、先ほどから対して時間もたっていない。寧ろ時間が経つ毎に疲労は蓄積されるだけだろう。

 

 「明人、お前戦闘は?」

 

 思えば、明人はあまり戦闘に参加していない。刀を腰に差してはいるが、それを扱う姿は見たことがない。

 

 「残念ながら、ワザがほとんど役に立たねぇからな。身体強化くらいだ。」

 

 「そうか」

 

 なら、今回はトウヤさんの護衛に回ろう。この状態で参戦しても足を引っ張るだけになりそうだ。

 

 少しの間、にらみ合いが続く。

 

 そして、どちらからとも無く、地を蹴り、戦いの火ぶたが落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





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クラウン(下)


どうも、作者です。

以上


 

 まず、先に動いたのは百鬼だった。

 先ほどのリベンジとばかりに、その瞳は爛々と輝いている。

 

 いや、先ほどの件だけではない、百鬼は、クラウンの話を聞いてからここまでずっと切りかかるのを耐えていたのだ。

 

 今回はシキガミを纏った状態での一撃。

 そのひと振りは俺が見た中でも、一段と鋭い。

 

 クラウンはそれを前にして、表情一つ動かさず待ち構えている。

 

 「なんでっ…」

 

 しかし、その斬撃はクラウンに届くことはなかった。

 受け止められたわけでもない、避けられたわけでもない。

 

 通り抜けた。

 

 ただ空を切っただけのその斬撃はは、前方の壁へとその跡を刻むのみであった。

 

 「幻覚…?みんな気を付けて!」

 

 瞬時に状況を把握した百鬼が警告を発すると同時、視界の端で何かが動いた。

 

 「くそっ!」

 

 反射的に体を動かす。

 いつかの時と同じ。意識外から突然猛威を振るう斬撃。

 

 視線を向けた先、クラウンが突如として現れ、左手に持った曲刀を振るう。

 

 衝撃が腕を通して伝わる。

 それだけにとどまらず、全身が後方へと引っ張られるように跳ね飛ばされた。

 

 床に足を押し付けるようにブレーキをかけるも一向に速度は緩まず、勢いをそのままにあえなく壁へと激突する。

 

 瞼の裏で白い火花が散る。

 飛びそうになる意識を何とか繋ぎ止める。

 

 「透さん!」

 

 白上の声が聞こえる。

 まずいな、このままでは完璧にお荷物だ。

 

 震える足に活を入れ、立ち上がる。それと同時に、今一度鬼纏いで身体能力を強化。もう、消耗がどうとか気にしているわけにもいかない。

 特有の高揚感で意識をはっきりとさせ、改めてクラウンへと向き直る。

 

 「これは返していただきますね。」

 

 そう言うクラウンの右手には先ほど封じたトウヤさんのケガレがあった。

 左手にはめた指輪の宝石の部分を近づけると、中身の黒い靄が少しずつ、宝石の中へと吸い込まれていく。

 「ケガレを吸い取る宝石?そんなもの聞いたことないよ、いったいどこで…」

 

 「人間を百人ほど犠牲すれば作れますよ。」

 

 大神の問いにさらりと答えられたその言葉に、ぞっとするとともに、納得もできた。

 

 このままでは、組織全体の今までの行動が露見するのにもかかわらず、クラウン以外誰も対処に当たらせないというのは、どう考えても理にかなっていない。

 相手が複数なのだ、それ以上の人数で袋叩きにした方がよっぽどマシのはずなのに。

 

 「仲間を犠牲にしたのか。どこまで人でなしなんだよ、お前。」

 

 「まぁ、人ではありませんし。どう思われても構いませんよ。」

 

 大して取り合う様子もなく、淡々と話しているクラウンに、鋭い銀色の光が迫る。

 出所を見てみれば、白上が刀を振るっていた。

 

 いや、正確には刀ではなく、鞭と呼んだ方が良い。

 形状変化によるモノだろう。

 

 「パワーアップ演出なんてさせませんよ!」

 

 白上の振るったそれは凄まじい勢いでクラウンへと襲い掛かった。

 しかし、百鬼の時と同様に刀はその体をすり抜ける。

 

 その結果に白上は悔しそうに顔を歪める。

 

 また幻覚なのだとしたら本体はあそこにはいない。恐らく、姿を消して隠れ潜んでいるのだろう。

 

 どこから現れても良いように辺りを警戒する。

 今度は誰の前に現れるのか…。

 

 「透!」

 

 警戒していると、明人が声を上げる。

 

 「そいつの体がイワレで構成されてる、幻覚じゃねぇ!」

 

 その言葉に、クラウンの表情が消えた。

 どうやら、図星のようだ。

 

 明人のワザはイワレの動きを捉える事ができる。信憑性は高いだろう。

 

 なるほど、そういうことなら。

 

 クラウンの手に持っている、ケガレの塊は、俺のワザによって覆われている。

 そこを起点にする。

 

 「『結』」

 

 ワザを発動させる。

 それに反応してケガレを覆っていた決壊が開き、クラウンの右腕を包み込もうとする。

 

 それを目にして、クラウンの顔に焦りが生まれた。

 

 だが、やはり速度が遅い。

 遠隔操作に加え、トウヤさんを相手にした時のように、行動を制限できる程内部ではなく、末端に近い場所なのがあだとなった。

 

 クラウンはすぐに、手放そうとするが、速度は遅くとも指先から手の甲までは覆われている。この状態では、空間に固定される結界からは逃げることは不可能。

 それを確認すると、クラウンは躊躇もせず左手の曲刀を右の手首目掛けて振り下ろした。

 

 今回は通り抜けることなく、クラウンの手首を両断する。

 だが、やはりというべきか、その手首から血が流れる様子はない。

 

 確定だ。これで、クラウンの攻略の糸口が見えた。

 

 「余計なことを言ってくれますね。」

 

 憎々し気に明人を睨むクラウン。

 当の明人は額に冷や汗を流しながら、トウヤさんを背に刀を抜く。

 

 「…まぁ、良いでしょう。とにかく、今は…」

 

 こちらへと視線を向けると、そのまま、曲刀を左手に構え、飛び掛かってくる。

 トウヤさんのいる明人の方へ向かわなかっただけましだと考えるべきか、それとも。

 

 どうであれ、向かってくるのであれば、迎え撃つほかにない。

 

 振るわれる曲刀に、最大の強化をもって刀を合わせる。

 

 轟音を立て、二つの刀が静止する。

 その間には無数の火花が散り、二人の顔を照らす。

 

 「そう、何度も吹き飛ばされてたまるか」

 

 「そうでしたね、あなたもそのワザが使えるのでした。」

 

 意趣返しに発した俺の軽口に、クラウンは吐き捨てる。

 しかし、言葉とは裏腹に俺には余裕がなかった。

 

 いくら鬼纏いがあるとはいえ、ギリギリの体力に無理をして発動しているのだ。ワザが強力だとしても、それを十全に扱う体力が残っていないのでは戦闘など話にならない。

 

 この拮抗状態も、そう長く続けることはできない。

 

 そう判断すると、渾身の力を籠めクラウンの曲刀を横へとずらす。

 そして、がら空きの横腹に蹴りを叩きこみ距離をとる。

 

 効き目はないだろうが、それでも距離をとれば次の対策もできる。

 

 「ぐっ…」

 

 だが予想に反して聞こえたのはクラウンのうめき声。

 見れば、蹴られた個所を抑え、体制を崩している。

 

 乱れた息を整えながら思考を巡らせる。

 

 透過をしなかったのか?

 いや、しなかったのではない、出来なかったのだ。

 攻撃の一瞬だけは透過できない。当然だ、通り抜ける状態でどうして人に触れられる。この時点で矛盾が生まれる。

 こればかりは克服のしようのない透過の弱点なのだろう。

 

 そういうことなら、やりようはある。

 

 相手はイワレ。例え、致命的なダメージを与えたとしても、逃げようと思えば何時でも逃げられる。ならば何が必要か。

 当然逃げられることのない空間。逃げることのできない結界。

 

 片膝をつき、地面へと手を当てる。

 

 「おや、もう限界ですか。なら、これで終わらせてあげますよ!」

 

 ここまで隙をさらしていて、クラウンが見逃すはずもない。

 

 こちらへ駆けてくるクラウンを前に、俺は動けない。受け止めようにも、もう一度実行するだけの余力など残ってはいない。

 先ほどのあれが、正真正銘全力だった。

 

 だから、今度は頼らせてもらうことにしよう。

 

 「余のことも忘れないでよね。」

 

 声が聞こえると共に、間に割って入った百鬼がクラウンの曲刀を止める。

 

 思い通りにいかない結果にか、ただ頭に血が上ったのか、ついにクラウンの表情が憤怒によって歪んだ。

 

 「いいでしょう、そのまま叩き折って…!!」

 

 「させないよ、『鳳仙花』!!」

 

 叫ぶクラウンの横合いから、大神の拳がクラウンへと叩きこまれた。

 人間大の炎の塊がクラウンを包み込み、爆発を起こす。

 

 負傷のせいか、透過もできていない。

 まともに食らったクラウンは、爆発により吹っ飛ばされる。

 

 「『エンチャント』『大狐鳴槌』」

 

 落下地点で待ち構えるのは、白上。

 その手には、いつもの刀ではなく大きな槌が握られている。白上はそれを大きく振りかぶる。

 

 「狐っ端微塵!」

 

 空中にいるクラウンは、それを避けることも叶わない。

 クラウンの胴体へと吸い込まれるように直撃する。

 

 その一撃は、クラウンの体を凄まじい初速をもって地面へと叩きつけた。

 

 「がっ…!」

 

 叩きつけられたクラウンの肺から空気が漏れる。

 いくら強化しているとはいえ、それでも水準としてはカミである三人にとって少し高い程度。本気の攻撃を前にしてはそのダメージは計り知れない。

 

 「諦めてくれ、クラウン。これ以上は無駄だって分かってるんだろ。」

 

 倒れ伏すクラウンに話しかける。

 勝敗は既に決した。

 

 万全の状態で俺一人を仕留めきれず、透過もタネが割れた。そこに、ここまでダメージを追って、五人を相手取るのは不可能だ。

 だから、ここで終わるなら。それが最良のはずだ。

 

 このまま投降してくれるのなら、それが。

 

 「…えぇ、そうですね。ここらが潮時でしょう。」

 

 「なら…」

 

 「ここで、引かせてもらいます。」

 

 その言葉をきっかけに、クラウンの体が透けていく。

 なるほど、壁や地面を通って逃げるつもりか。

 

 なら、仕方がない。

 

 「『結』」

 

 その言葉と共にクラウンの周りを結界が覆った。

 前触れもなく、結界の中へと入れられたクラウンの眼が驚きに見開かれる。

 

 結界の中からは出ることはできない、内側からは何物も通さない。それがイワレであるのならば特に。

 

 「何故、こんなに早く展開はできなかったはず。」

 

 「あぁ、まだまだ練度が足りないからな。だから、用意しておいたんだ。」

 

 準備は整っていた。

 

 地面に手を突いた瞬間から、まず地面に結界を浸透させた。このワザの特徴として、結界を広げる速度は遅いとまではいかないが、それでも実戦で動き回る相手に対して瞬時に覆えるほど早くもない。

 だから、必要な分の結界を床にシートのように設置した。

 

 後は、相手の動きが止まった地点で結界の形を変え、対象を覆いこむだけ。

 形を変えることは、先ほどの一回で試せた。

 

 まさか、地面に叩きつけるとは考えていなかったから、内心結界が破壊されないか冷や冷やとしたものだ。

 

 「なるほど…、これは完敗ですね。」

 

 倒れたまま何度か触れて、出られないことを察したクラウンは、力を抜く。

 

 「それで、私は封印されるので?」

 

 「…その前に、一つだけ聞きたい。」

 

 何なりと、と返すクラウンに、ずっと気になっていたことを尋ねる。

 

 「お前、何が目的だったんだ。仲間を捨てて、無関係な人間を巻き込んで。

  何がしたかったんだよ。」

 

 その問いに、クラウンは即答しなかった。

 ただ、少し宙を見つめ何かを考える。

 

 「目的…。…この指輪を作ることが私の使命だった。

  教えられるのはこの程度ですね。後はお好きに考えてください。」

 

 「そうか」

 

 つまるところ、話すつもりはないようだ。

 聞きたいことは聞けた。

 

 一応、四人の顔を伺うが、特に言いたいこともなさそうだ。

 

 「『封』」

 

 その言葉で結界が圧縮される。

 物理的に押しつぶすわけではない。ただ、イワレとして内部に封印するだけだ。

 

 クラウンの体が分解されていく。実態ではなくイワレとなっていく。

 

 ふと、最後まで、ただ虚空を見つめるだけだったクラウンの視線が一瞬だけ別の方向を向いた。

 

 しかし、その行先を確認する前に封印は完了し、後には手のひらより少し小さい結界と、クラウンの持っていた指輪だけがその場に残された。

 

 終わった。

 

 そう認識した途端、一気に今までの疲労が押し寄せてくる。

 

 まだ、トウヤさんを家に帰せていない。

 迫りくる眠気に抗うも、すぐに負けを悟る。

 

 (また、最後の最後でこうなるのか)

 

 お疲れ様

 

 意識が途切れる前に誰かの声が聞こえる。

 その相手を考える間もなく、俺は意識を手放した。

 

 





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感謝と謝罪と乾杯


どうも、作者です。

以上


 

 意識を失った俺が目を覚ましたのは、翌日の太陽が空の頂点に上ったころだった。

 

 どうにも、体力の限界を超えたワザの行使に体が耐えきれなかったらしい。

 白上によると、割と危険なことであったらしく目を覚ましてすぐ、三人からは説教を食らった。

 

 基本的に、ワザを扱う際、現在進行形で体力やイワレを使用する。

 その為、意識を失うまで使用するということはあまり起こらないらしい。

 

 しかし、俺の場合ワザを使用した後に、その対象に応じて体力が消費される。

 これによって限界を超えてしまったようだ。

 

 だが、あそこでクラウンを逃がすわけにはいかなかった。

 だから、自分の行動に後悔は一切ない。

 

 そう言うと、更なる説教と共に、二度とやるなと念押しされてしまった。

 俺自身、またぶっ倒れて迷惑をかけるのは気が引けるし、やるつもりもない。

 

 あの後の事の顛末は大神が話してくれた。

 

 俺が倒れた後、クラウンを封印した結界と、残されたあの指輪を回収し宿まで帰ってきたのだという。

 ここまでは明人が運んでくれたそうだ。

 

 「途中、トウヤくんも目を覚ましたから透君を宿まで運んだあとで、フブキとあやめがヨウコさんのところまで送ったの。

 

  トウヤくんだけど、どこにも後遺症は無かったよ。」

 

 トウヤさんの現状を聞けて息を吐く。実は、トウヤさんが目を覚ました後記憶が消えているのではないかと考えていた。

 イワレとは世界からの経験値という考え方もある。

 

 それをケガレとしてすべて封印してしまった。仮に元に戻れても中身がないなんてことになったらそれこそヨウコさんに申し訳が立たない。

 

 大丈夫だとは分かっていたが、やはり気にはなる。

 

 「そっか、それを聞いて一安心だ。

  …ところで明人は?」

 

 目が覚めてから明人の姿が見えないでいた。

 運んでもらったなら一言礼ぐらい言いたい。

 

 「明人さんなんですけど、実は…」

 

 

 

 

 「それじゃ、俺はこの辺で。」

 

 透を下ろした明人は部屋の出口へと向かう。

 

 「もう行くんですか?」

 

 「あぁ、これ以上いる理由もないし。

  それに、邪魔する気もねぇしな。」

 

 「邪魔?何の…」

 

 意味深な視線を向ける明人の言葉に大神が聞き返す。

 声には出していないが、白上と百鬼も同じように首をかしげる。

 

 「いやこっちの話。これは時間かかりそうだな。

 

  透が起きたら伝言頼めるか。」

 

 

 

 

 

 

 「と、言うことでして。」

 

 変なところで遠慮するやつだ。

 だが、明人が普段どのような生活をしているのかも分からないし、変に引き留めるわけにもいかないか。案外こちらで家族が出来ていたりもするかもしれない。 

 

 「なるほど、それで伝言って。」

 

 「えッとですね、『決めるときはしっかり決めろよ。』だそうです。」

 

 それを聞いて思わずむせる。

 

 決めるときってつまりそういうことだよな。

 最後の最後まで下世話な事考えやがって。

 

 幸いなことに、これの意味を三人は理解していないようだ。

 

 いや、理解しないからこそ、この言葉を残したのかもしれない。

 どちらにせよ、余計な一言に変わりはない。

 

 「大丈夫?透くん。」

 

 「あぁ、大丈夫。気にしないでくれ。

  ところで、これからの予定とか決まってる?」

 

 これで変に言及でもされると言い訳に苦しみそうなため、すぐに話題を変える。

 

 「後は神社に帰るだけだし、特に決まってないよ。」

 

 少し考えて大神が応えてくれる。

 予定がないなら、大丈夫か。

 

 「良かった、なら行っておきたい所があるんだけど行ってきてもいいか?」

 

 「いいけど…無理はしないようにね。」

 

 「気を付けるよ。ありがとう。」

 

 心配そうにする大神に礼を言うと、軽く身支度だけして、宿を出た。

 

 ああいうところがオカンっぽいんだよな。

 などと目的地へと足を動かしながら考えていると、後ろから足音が聞こえる。

 

 誰かと疑問に思い振り向く。

 

 「あれ、百鬼?どうしたんだ。」

 

 後ろにいたのは百鬼だった。おれに続いて宿を出てきたらしい。

 声をかけると百鬼は横まで走ってきた。

 

 「一緒に行こうと思って。ミオちゃんも心配そうにしてたし。

  それに、どこに行くかは検討が付くから。」」

 

 そういうことなら仕方ないか。

 といっても遊びに行くわけではないし、連れて行くのもどうかとも考えたが。百鬼も一応当事者だしな。

 

 「百鬼はヨウコさんとは?」

 

 トウヤさんを送っていったということは、ヨウコさんにも会っているのだろう。

 

 「昨日会ったよ。透くんが思うほど気にしてなかったけど。それでも行く?」

 

 「当然、筋は通す。」

 

 しばらく、二人無言で歩く。

 やがて、目的地である、ヨウコさんの家に到着した。

 

 「おう、あんた達か。今日は二人かい?」

 

 一回の花屋からジュウゾウさんが声をかけてくる。

 その顔は先日見たものと比べて明るくなっていた。

 

 「どうも、ジュウゾウさん。ヨウコさんはいらっしゃいますか。」

 

 「上にいるはずだ。…君…透君だったか。」

 

 「はい」

 

 答えると、唐突に、ジュウゾウさんは俺へと頭を下げた。

 いきなりのことで面食らっていると、ジュウゾウさんはそのまま口を開く。

 

 「話は聞いたよ、ありがとう。君のおかげでトウヤが、ヨウコが救われた。あの二人の日常が戻ってきた。

  だから…ありがとう。」

 

 「え…あ、いや、そんな大げさな。

  とにかく、頭を上げてください。」

 

 驚きつつも、何とか頭を上げてもらう。

 そこまでされてはいたたまれなくなってしまう。

 

 そして何よりも。

 今日は礼を言われるために来たわけではない。

 

 ジュウゾウさんに断りを入れて二階の扉の前へと歩を進める。

 先日訪れたときと同じようにノックをすれば、すぐに扉が開いた。

 

 「…お兄ちゃん、誰?」

 

 出てきたのは、一人の男の子。

 トウヤさんだった。

 

 何だかんだで初対面だ。なんと話そうか。

 

 「トウヤくん、こんにちは。」

 

 「あ、鬼のお姉ちゃん!」

 

 迷っていると、後ろから百鬼が出てきてトウヤさんに声をかける。

 昨日のうちに会っていたこともあってか、その姿を見てトウヤさんの表情がぱっと明るくなった。

 

 「トウヤー、誰か来てるの?」

 

 そして、奥の方からヨウコさんの声が聞こえ、足音がこちらへと近づいてくる。

 来訪者の姿を見て、ヨウコさんは軽く目を見開いた。

 

 「あら、あなたは。」

 

 「どうも、ヨウコさん。」

 

 

 

 

 

 急な来訪にもかかわらず、ヨウコさんは快く居間まで通してくれた。

 百鬼は空気を察してか、外でトウヤさんと遊んでいる。

 

 「えっと、透さんで合ってるわよね。

  ごめんなさいね、その節はご迷惑をおかけしたようで。」

 

 「いえ、こちらこそ。」

 

 昨日、トウヤさんと再会した時点で、ヨウコさんも混乱していたらしいが、事情を説明すると、きちんと理解してくれたようだ。

 

 だが、俺がしたことは消えない。

 

 「その、すみませんでした。騙すようなことをして。」

 

 そう言い、頭を下げる。

 例え理由があろうと、俺はこの人に対して嘘をつき、騙したのだ。

 

 しかも、自分よりも大切であろう、息子を騙ったのだ。

 あまりいい気分にはならないだろう。

 

 だからこそ、こうして謝罪に来たかった。

 

 「気にしないで、元はといえば私が言い出したことですし。

  それに、こうやってトウヤを、息子を連れ帰ってくれた。

 

  そんな恩人に対して、感謝以外ありませんよ。」

 

 ヨウコさんの視線を追って、窓から外で遊んでいるトウヤさんと百鬼。そして意外だがジュウゾウさんの三人を眺める。

 確かに、あれは尊いモノ、平和の象徴のような光景だ。

 

 「そっか、良かった。それなら…、うん、安心です。」

 

 ヨウコさんが気にしていないと言ってくれるのなら、これ以上気にするのは逆に失礼というものだ。

 しかし、これで心の引っかかりが取れた。そんな気分になった。

 

 これ以上話すこともないし、あまり長居するのもあれだ。このあたりでお暇しよう。

 

 「それじゃあ、俺はそろそろ。今日は時間をとっていただいてありがとうございます。」

 

 言いながら立ち上がる。

 お昼も近くなってきた。白上達と合流することも考えると丁度よい。。

 

 「…そうですか。もう少しおもてなしが出来ればよかったのだけれど。」

 

 「いえ、十分です。お茶も出してもらいましたし。」

 

 見送ってくれるそうで、ヨウコさんも後ろに続いて家を出る。

 下へと降りれば百鬼たちもこちらに気が付く。

 

 「もう、お話は終わったの?」

 

 「あぁ、そっちは遊んでたみたいだけどいいのか?」

 

 「うん、トウヤ君もそろそろ遊び疲れてきたみたいだし、休憩中だったから。」

 

 見れば、確かにちょくちょく目をこすっている。

 今はジュウゾウさんと手をつないで、今にも眠りそうだ。 

 

 「この度は本当にありがとうございました。」

 

 最後、ヨウコさんはそういって俺たちを見送った。

 こちらに手を振るトウヤさんに、そのトウヤさんを抱っこするジュウゾウさん。

 

 その三人の姿を見て、少しだけ胸に寂寥感が残った。

 

 百鬼と二人、宿へと歩を進める。

 

 「知ってた、透くん。ジュウゾウさんってトウヤくんのおじいちゃんなんだって。」

  

 「え、そうなの?じゃあ、ヨウコさんのお父さんってこと?」

 

 「そうそう。」

 

 なるほど、やけに気をかけていると思ったら父親だったからか。

 ということは、あの三人は血のつながった家族ということになる。

 

 先ほどの光景が頭によぎる。

 あの光景を見て、百鬼も少し寂しそうな顔をしていた。

 

 理由は聞けない。そこまで踏み込めるほど、俺は百鬼にとって内側の存在ではない。

 確かに、仲は良くなった。冗談くらいは言い合える。

 

 だけど、誰でも踏み込んでほしくはない領域は存在するだろう。

 

 「最近思うんだけどさ。」

 

 「うん?」

 

 会話も途切れ、二人静かに歩いていると百鬼が声をかけてくる。

 

 「余と透くんって、似た者同士なところあるよね。」

 

 「似てるか…、ちなみにどの辺が?俺そこまでポンコツじゃない自信はあるんだけど。」

 

 もしかすると百鬼から見れば、俺は割とポンコツに映っているのだろうか。

 確かに、剣技などはまだまだだろうが、それ以外はいたって普通だと思っていたが。

 

 「違うよ、なんていうか境遇みたいな。色々と似てるなって思ったの。」

 

 「…そっか。」

 

 いつか、百鬼が話しても良いと思えるようになったら、そのあたりのことも聞いてみたいな。

 

 

 

 「それはそうと、ポンコツってどういうこと?」

 

 「あ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜、キョウノミヤコからシラカミ神社へと帰ってきた俺たちは、この五日間に及ぶ調査のお疲れ様会ということでミゾレ食堂へとやってきていた。

 

 「そんなことがあったのかい。あんた達、良く面倒事を引き当てるもんだね。」

 

 俺たちの話を聞いたミゾレさんからの一言はそれだった。

 この口ぶりだと、白上達は以前にも厄介な事件に巻き込まれているようだ。

 

 その内容を聞いてみたい気持ちはあるが、今はそれどころではない。

 

 「あの、百鬼さん。俺が悪かったです、許してください。」

 

 「つーん」

 

 話しかけるが、つんと顔を逸らされてしまう。

 昼からずっとこんな調子で話を聞いてもらえていない。

 

 どうすれば機嫌を直してもらえるのか。

 

 「それで、あの二人は何してんだい?喧嘩中なら仲裁の一つでもしてやりなよ」

 

 「あー、あれは喧嘩というか、透君が余計な事言っちゃったみたいで。」

 

 「あれま、そりゃ透が悪いね。」

 

 聞こえているが、どうやら援護をしてくれる気はないらしい。

 確かに昼の件は俺が悪かった。それは分かってる。

 

 だからこそ、こうして平謝りしているのだ。

 

 「なぁ頼むよ、何でもするから。」

 

 「…何でも?」

 

 うかつなことを言ったかもしれない。言葉を並べていたら変なところで百鬼が食いついた。

 

 しかし、俺も男だ。男に二言はないという。何よりも、ようやく見えたチャンス。ここで逃すほかはない。

 

 「あ、あぁ、何でも。俺にできる範囲ならだけど…」

 

 腹をくくり宣言する。

 日常系の雑用程度で済めばいいのだが、最悪サンドバックにでも何でもなろう。

 

 「…一回。」

 

 「へ?」

 

 「じゃあ、いつか一回だけ、何でも言うことを聞いて。約束するなら許してあげる。」

 

 横目でこちらをちらりと見る百鬼。

 なんというか、すねた子供の相手をしている気分になってきたが、これを言うとただの火に油となるだけなのでそっと胸の中にしまった。

 

 「分かった、約束する。」

 

 「…なら、いいよ。」

 

 そう言うと百鬼は笑いかけてくれる。

 

 良かった、何をお願いされるかは分からないが、そこは未来の自分が何とかするだろう。

 

 「仲直りできましたかー?」

 

 頃合いを見てか、白上がこちらへとよってくる。

 

 「何とかな。これからはうかつなことは言わないと心に決めたよ。」

 

 「そうですよ、いくら本当のこととはいえ言ってはいけないことはありますからね。」

 

 白上?あの、今ようやく許されたところなのになんでまた導火線に火を付けようとするんだ?

 

 心の中でいつものように『余なんも聞いとらんかった』と言ってくれと祈るが、さしもの百鬼もこれには当然気づく。

 

 「フブキちゃん?その言い方だとフブキちゃんも余のことポンコツだって言ってるように聞こえるよ?」

 

 百鬼の言葉に、俺が冷や冷やとしている中、悪びれる様子もなく白上は答えた

 

 「いや、あやめちゃんはポンコツだと思うよ?そこが可愛いんじゃないですか。」

 

 「なっ…!」

 

 それを聞いて驚愕する百鬼は、助けを求めるようにこちらを見てくる。

 しかし、ここでどう答えても飛び火してくる予感しかしない。

 

 そう感じた俺は、百鬼の視線から逃げるようにそっと視線を逸らした。

 

 許せ、百鬼。でも、俺もそう思うんだ。

 

 「…うぇぇん!ミオちゃん!フブキちゃんと透君がいじめてくる!」

 

 泣きついてくる百鬼を受け止めると、大神はその包容力を発揮してそっと抱きしめ、頭をなでる。

 

 「うんうん、あやめは可愛いね。」

 

 百鬼は満足そうにしているが、ちなみに否定はしていない。

 なんというか百鬼のポンは全員の共通認識のようになっている。

 

 まぁ、丸く収まったようで何よりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 「そら、お待ちどうさま。」

 

 ドンッと効果音が付きそうなほど大きな皿には大量の料理が盛り付けられている。

 から揚げに、サラダ、ぼんじり。他の器にはきつねうどんもある。

 

 「今日は貸し切りにしてあげるから、どんどん食べな。」

 

 「流石ミゾレさん、太っ腹ですね!」

 

 「ははは!褒めても料理しか出ないよ。」

 

 白上が合いの手を入れると、ミゾレさんは豪快に笑う。

 これは、ミゾレさんなりの労いなのだろう。ありがたく厚意に甘えさせてもらう。

 

 テーブルいっぱいの料理を前に、大神がコップをもって立ち上がった。

 それを見て、各々コップや杯を手に取る。

 

 「みんな、この五日間本当にお疲れ様!乾杯!」

 

 

 「「「乾杯!」」」

 

 





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新たな問題(上)


どうも、作者です。

ここから新章。
感想くれた人ありがとうございます。

以上。


 キョウノミヤコでの事件を解決してから、二日が経過した。

 未だに、あの事件に関わってから一週間しかたっていないのだとは信じられない。

 

 それほどにあの五日間の密度は濃かった。

 

 クラウンを封印したあの結界は、神社の最重要保管物として、奥で封をされている。

 これで、仮にクラウンの協力者がいたとしてもそう簡単には手出しすることはできない。

 

 シラカミ神社に帰ってきてからは、元の生活に逆戻り。

 大神の家事の手伝いをして、白上とゲームをしたり、百鬼と稽古をしたり。

 カクリヨの異変自体は解決していないものの、直近でやるべき対処も限られている。

 

 それも相まって、ここに来てからの日常を謳歌していた。

 

 だが、そんな日常の中で一つ問題も発生していた。

 

 「…透くん、なんか弱くなった?」

 

 「はっきりと言いすぎだろ。」

 

 地面に突っ伏し、荒い息を吐きながら、心を砕く剛速球を放つ百鬼に抗議する。

 

 しかし、百鬼の言う通り、戦闘能力が明らかに落ちている自覚はある。 

 

 ここ最近、といってもシラカミ神社に帰ってきてからだが、どうにも以前と同じような動きが出来なくなっていた。

 日常生活には特に影響は出ていないが、特に稽古のような戦闘を行うとその影響がもろに出る。

 

 具体的には、身体強化が上手くできなくなっていた。

 そのため 、受け止められた斬撃で吹き飛んだり、持久力がなくなったりと、散々な目にあっていた。

 

 「んー?透くん、ちょっとそこに真っ直ぐ立ってみて。」

 

 「?分かった。」

 

 休憩して少しは体力が戻ったところで、百鬼が首をかしげながら言ってくるので、言われた通りぴしりと気を付けの姿勢をとる。

 

 すると、こちらを見る百鬼の瞳が赤く光る。

 

 「…うわっ」

 

 「え、何その反応。」

 

 次の瞬間、露骨に顔をしかめ、まるで汚物でも見たかのように目を細めるその様子に、思わず自分の体を見返す。

 見たところ、いつもの運動用の服装なのだ、特にほつれているわけでもない。

 

 「何が見えたんだよ、なんか体についてるのか?」

 

 聞いてみると、百鬼は少し迷うそぶりを見せる。

 

 これは教えた方が良いのだろうが、でもどうやって伝えようか。

 そう悩んでいることが、ありありと伝わってくる。

 

 本当に何が見えたんだ。

 

 「えっと、今透くんのイワレを見てみたんだけど…」

 

 「だけど?」

 

 百鬼は、ぽつりぽつりと口にして、言い淀んでしまう。

 変に溜められると、不安になってくる。

 

 やがて、百鬼は意を決したように口を開いた。

 

 「その、澱んでるっていうか、ドロドロしてて。

  なんかヘドロみたいになってる。」

 

 「ヘドロって…。」

 

 思っていたよりも酷い言われようだった。

 

 恐らく、今の不調はそこから来ているのだろうが、何でまたそんなことになっているんだか見当がつかない。 

 

 百鬼の様子を見るに、一般的なイワレの特性というわけでもなさそうだ。

 

 「前の俺のイワレって見たことあるか?」

 

 「うん、普通のアヤカシが持つようなイワレだったのに、何で急にこうなっちゃったんだろ。」

 

 百鬼は顎に手を当てて首をかしげる。

 

 一難去ってまた一難とはよく言うが、まさかこんなところで直面するとは思わなかった。

 

 「ちなみに、似たようなことになった人を知ってたりは…」 

 

 「ううん、知らない。こんなイワレを見るのも初めて。」

 

 試しに聞いてみるが、やはり、百鬼もこの件に関しては手詰まりのようだ。

 しばらく二人で少し考えてみるも、これといって原因が思い当たらない。

 

 「とにかく、一旦ミオちゃんに相談してみよっか。」

 

 「そうだな。」

 

 大神は占術関係で知識も豊富に持っているし、もしかすると解決できるかもしれない。

 

 元々出来ていたことが出来なくなるのは不安ではある。だが、それ以上に、これからのカクリヨの調査へ影響が出てしまう。

 

 出来れば元に戻るとまではいかないまでも改善位はしておきたい。

 

 話が決まると、揃って大神の部屋へと向かう。

 この時間帯は、家事も終わっていることだし、占いでもしているだろう。

 

 「どうぞー」

 

 襖をノックすれば、中から大神の声が帰ってくる。

 

 了承を経てから部屋に入ると、そこにはタロットを並べている大神の姿があった。

 

 「あれ、透君にあやめ。二人してどうしたの?」

 

 「実は相談したいことがあって…」

 

 ぱちくりと目を丸くする大神に、そう切り出して事情を説明する。

 

 

 

 

 

 「なるほどね、イワレが澱んで上手く身体強化が使えないと。」

 

 話を聞き終えた大神はそう呟くとしばらくの間、黙り込んでしまう。  

 流石に大神でも、イワレが澱むという事態への対処法は知らないのかもしれない。

 

 しかし、そうすると困ったな。

 せっかく恩を返せる機会だったのだが。仕方ない、戦闘が出来なくても、他に聞き込みだったりなんなりで、大神たちの助けになってみせる。

 

 そうだ、鬼纏いや結界のようなワザを使えるようになったから忘れていたが、最初はどれも出来なかった。

 それでも、俺は恩を返すと決めていた。

 

 これはいわば初心に帰っただけ。どんな事でもこの身一つでやって見せよう。

 

 「透くん、なんでガッツポーズしてるの?」

 

 「いや、なんというか自分を見つめなおすちょうどいい機会だなって。

  ワザが使えなくても、できることを探していこうと、気合入れただけ。」

 

 挙動不審に思われたようだ、気を付けよう。

 

 そうだな、まずは素の体力を上げるために走り込みを増やそう。

 あとは、雑用関係の細かいスキルなんかも身に着けるのもいいな。

 

 ほら、少し考えればいくらでもやることはある。

 これから忙しくなりそうだ。

 

 「ねぇ、ミオちゃん。透くんのイワレ、直すことってできないの?」

 

 百鬼が心配そうに大神に尋ねる。

 

 その気持ちはうれしいが、心配はいらない。

 俺は俺なりの新しい役割を見つけて見せる。

 

 そう伝えようと、口を開き…

 

 「できるよ?今のは、ちょっと別のこと考えてたの。」

 

 …できるらしい。やっぱり頼りになる我らが大神さんだ。

 

 喜ばしいことだが、先ほどの決意が丸々無駄になった気がして、何故だか釈然としない気分だ。

 

 「とりあえず、応急処置だけしちゃおっか。透君、こっちに来てもらえる?」

 

 「分かった、よろしく頼む。」

 

 大神は部屋に置いてあった机をどけて、スペースを作ると大きめのシーツを敷いてその上へと誘導する。

 何をするつもりなのか疑問に思いながら言われるがまま移動すると、大神が正面に立った。

 

 その顔は真剣そのもので集中力を高めるためか目を閉じ、深く呼吸をしている。

 

 そして、次の瞬間その眼がかっと開かれた。

 

 「そいっ!」

 

 その掛け声とともに、大神は俺の来ている着物の衿をがしりと掴むと、それを横に広げながら勢いよく下へと引き下ろした。

 

 「ちょ、ミオちゃん!?」

 

 百鬼が慌てたように声を荒げる。

 その顔は見たことがないほど赤く染まっている。

 

 しかし、冷静に分析はしているが、俺自身現状何が起きたのか理解できていない。

 有体に言えば思考がフリーズしていた。

 

 いくら室内とはいえ、そろそろ寒さが増してくる季節だ。

 妙に肌寒く感じる、自分の体を身を見下ろせば、上半身がもろに露出していた。

 

 なるほど、これを見て百鬼はこんな反応をしているのか。

 他人事のように考えるも、現実は現実である。

 

 そもそも、言われれば自分で脱ぐのに何故俺は脱がされたのだろうか。この手順が果たして必要だったのだろうか。

 

 思考がぐるぐるとループする。

 

 「うー、余ちょっと出かけてくる!」

 

 耐えきれなくなったのか、そう言い残して、百鬼は足音を立てながら足早にどこかへと走って行ってしまった。

 

 こうして俺と大神は二人残される形となった。

 

 「あの、大神さん。これは一体どういう…」

 

 「あはは、ごめんごめん。一言声かけてからの方が良かったよね。

  イワレの流れが滞ってるから、それを解消するのにマッサージが必要なの。服着たままだとやりづらいでしょ?」

 

 大神は頬を掻きながら苦笑する。

 

 そりゃ、いきなり脱がされれば誰だって困惑する。

 大神は思っていたよりも天然が入っているのかもしれない。

 

 それにしても、イワレが滞っている。

 つまり、これは肩こりとかそう言った部類の問題だったりするのだろうか。血流が何とかのように。

 

 イワレは神秘的なものだと考えていたところに急に現実味がわいてきて複雑な気分になる。

 

 「それじゃ、そこにうつぶせで横になって。」

 

 思考を中断して、言われた通り、畳の上でうつぶせになる。

 

 「ところで、今の俺のイワレってどういう状況なんだ?」 

 

 少し間が空いたので、先ほどから気になっていたことを聞いてみる。

 

 大神は、俺の背中へと手を置き、触診をしながら口を開いた。

 

 「えっとね、普通イワレが一定以上宿ったアヤカシやカミは無意識でイワレを循環させてるの。循環させてないと、どういう原理かイワレって固まりだしちゃうんだよ。

 

  だけど、それができないって人もたまにいるんだよね。

  透君はイワレの存在しないウツシヨから来たでしょ?

  だから、カクリヨだと生まれてから徐々に身に付いて行くそれが無いから、イワレが固まりだして、扱える総量が実質的に減ったんだよ。」

 

 なるほど、それで身体強化の出力が落ちたのか。

 そういうことなら、恐らく結界の方も上手くできなさそうだ。

 

 幸いなことに、既に発動した結界は俺が持続させる必要ないため、クラウンが出てくることはない。

 

 しかし、先ほどから大神の手が背中に振れているが、少し力を入れれば折れてしまいそうなほどに細い。

 今にして思えば、こうやって触れ合うことは今まで無かったな。

 

 そう考えると、この状況がやけに気恥ずかしく感じてくる。

 

 「それじゃあ、始めるね。」

 

 触診が終わったのか、そう宣言すると改めて大神は態勢を整える。

 

 マッサージを受けるのは初めてだ。

 気恥ずかしさもあるが、少し楽しみな自分もいる。

 

 背中に大神の指が当てられる。

 

 そして…。

 

 「…って、いだだだだっ!!」

 

 この世のモノとは思えない激痛が背中に走る。

 まるで、背中を直接針で縫われながら、その糸を思い切り引っ張られるような感覚。

 

 腕をバッサリ斬られた時も大概だったが、今のこれはそれをはるかに上回っている。

 

 おかしくないか、痛覚神経に直接信号を送りこんでもここまで痛みは感じないだろう。

 

 何をどう圧迫したらこうなるんだ。

   

 「あ、この施術かなり痛いらしいから、頑張れ男の子。」

 

 「いや、頑張るとそういう問題じゃなく…あだだだだ!!」

 

 継続的に背中を押されるため、同じく継続的に痛みが走る。 

 

 もはや拷問か何かとしか思えない。

 俺、何か悪いことしたかな。

 

 あまりの痛みで目がチカチカとする。

 

 そして、この拷問のようなマッサージはたっぷり一時間もの間続けられた。

 

 

 

 

 

 

 「はい、これでおしまい。」

 

 「…ありがとう…ございました。」

 

 息も絶え絶えになりながら、何とか大神に返す。

 

 終わった、ようやく、終わってくれた。

 幾度となく意識を飛ばしそうになりながらも、何とか耐えきった。

 

 まさか、ここまで大事になるとは予想だにしなかった。

 しかし、これですべては解決したはず。

 

 「ちなみにただの応急処置だから、まだ解決してないよ。」

 

 「へ?」

 

 今何と言った。

 この激痛を耐えきってなお、足りないというのか。

 

 というか、何故俺の考えが…

 

 「透君は分かりやすいからね。嫌なら別の方法を探してみるけど…」

 

 大神はこういうが、実際は他の方法などないのだろう。

 それでもこう言ってくれるのは、俺に配慮してくれているのか。

 

 そうだ、大神だって好きでこの方法をとっているわけではない。

 必要だからこそ、こうしてやってくれているのだ。

 

 それに対して、感謝以外抱くのは失礼というものだ。

 

 「いや、大丈夫だ。これを続けてくれ。」

 

 「…分かった、それじゃあ、明日からも続けるね。

  さて、そろそろお昼ご飯の準備しないと。あ、透君は一回水浴びしてきてね。冷や汗凄いよ?」

 

 「それは…いや、了解。ありがとな、大神。」

 

 「どういたしまして。」

 

 申し訳ないと思うと思うとともに、それでも嫌な顔一つせず施術してくれた大神には頭が上がらない。

 

 せめて、部屋の片づけ位は手伝おうとするが、後はうちがしとくから、と背中を押されるようにして部屋を追い出されてしまった。

 

 そんなに汗臭かったりしただろうか。

 自分では分かりにくいが、大神たちからすれば気になるモノだったのかもしれない。

 

 …これからはいつも以上に匂いにも気を付けよう。

 そう心に誓ったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 透を部屋から出した後、へたりと大神は座り込んでしまう。

 

 その表情からは嫌悪の感情は見られない。

 代わりに、その頬にはわずかに朱がさしている。

 

 「はー、恥ずかしかった。」

 

 その脳裏には、先ほどの透の上半身が映る。

 透の前では平静を装ったものの、一人になって一気に羞恥が襲ってきたのだ。

 

 「…明日からも頑張らないと。」

 

 透と同時刻、こちらでも心への誓いが行われていた。

 





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新たな問題(下)


 どうも作者です。
 以上!


 大神の部屋を後にして、言われた通り水浴びをするべくシラカミ神社内を歩く。

 

 肌をなでるような冷気にそっと身震いをする。

 そろそろ水浴びだけでは厳しいものがあるのではないか。

 

 この白上神社には風呂はない。

 基本的に近くの村の銭湯に行くか、水浴びをするかの二択となる。

 

 今はまだ問題はないが、流石に真冬に水浴びでは全身が凍り付いてしまう。

 

 しかし、近くの村といっても山を降りてまた昇らないといけない。

 身体強化を使えば、別に汗をかくほどではないがシンプルに面倒くさい。

 

 白上達はちょくちょく行っているらしいが、俺は最初の一度を最後に、水浴びとなってしまった。

 

 石鹸もあるし、湯があるかないかの問題だと考えていたが、これは銭湯に再デビューする日も近そうだ。

 

 そんなことを考えながら歩いていると、曲がり角から白い狐耳を携えた一人の少女、白上が出てくる。

 

 「あ、透さん。凄い声でしたけど、いったい何してたん…、にゃああああ!?」

 

 「うわ、びっくりした!どうした、白上。」

 

 白上の視線が俺の顔をとらえたかと思うと、徐々にその視線が下がっていき、唐突に奇声、もとい鳴き声を上げた。

 

 何事かと、思わず身構えるが、特に何か起こる様子もない。

 一応辺りを見回してみるが、こちらも特に何もない。

 

 うん?じゃあ、何に対して白上は驚いているんだ?

 

 「どうした白上、じゃありませんよ!

  なんで上半身裸なんですか!」

 

 そういわれて、ようやく自分の体を見返す。

 確かに、何も着ていない。最近鍛えたせいかそれなりに筋肉の付いた自分の上半身が丸出しとなっていた。

 

 なるほど、通りで寒いわけだ。

 

 「悪い、なんかこの格好に抵抗がなくなってた。」

 

 「なんでそうなるんですか。もう、ほら早く着なおして下さい。」

 

 目を逸らしながら顔を赤くする白上に驚きながらも、ささっと着物の袖を通す。

 しかし、百鬼に続いて白上まで顔を赤くするとは、意外だった。

 

 あれだな、住まわせてもらっている以上、汗などもそうだが、もっと色々と気にした方がよさそうだ。

 

 「全くもう、それで。不審者さんはどうして服を脱いでたんですか。もしかして、全員に見せて回るおつもりだったんですか?」

 

 「白上、言い方の意地が悪いぞ。つもりも何も全員にもう見られたよ。」

 

 ジト目でこちらを見ながらからかうように言ってくる白上。

 

 しかし、こればかりは一概に俺の責任であるとは言い切れないはずだ。

 まさか、コンプリートすることになるとは思わなかった。いや、白上以外の二人はもはや必然であったが。

 

 「本当に何してたんですか。特殊な性癖にでも目覚めたんじゃないですよね。」

 

 「違うって、なんかイワレの流れが滞ってるらしくて、ワザが上手く使えなかったんだ。

  それで大神に応急処置をして貰う時に脱がされたんだよ。」

 

 その後のマッサージの激痛で、服を脱いでいることなど完全に頭から離れていた。

 人間適応する生き物だと痛感した。

 

 それを聞いた白上は、目を丸くしている。

 

 「ミオが透さんの服を脱がせたんですか?」

 

 「そうそう、こう、襟をつかんでがばっと一気に行かれた。最初に何が起こったのか分からなかったよ。」

 

 笑いながら言うも、白上は丸くした目を瞬かせている。

 大神がその行動をとったことが心底以外に思っているようだ。

 

 確かに、普段の大神からは想像がつかないな。それだけ緊急性が高かったのだろうか。

 

 「なるほど、透さんも隅に置けませんねぇ。」

 

 「なんだよ、その顔は。」

 

 ニヤニヤとこちらを見て笑う白上に顔をしかめて聞くも、『いえいえ、べつに~。』とかわされて、白上はどこかへと行ってしまう。

 

 相変わらず、怒ったり笑ったりと感情表現が豊かな奴だ。

 しかし、隅に置けないとは、ただ服を脱がされただけで何故そこまで行くのだ。

 

 そこだけ腑に落ちないまま、水浴びをするため、水場まで急いだ。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 「ミーオっ、入りますよー。」

 

 「フブキ、どうしたのいきなり。」

 

 突然部屋に入ってくる白上に、大神は驚きながらもそう返した。

 その顔は先ほどまでのそれとは異なり、普段の表情に戻っている。

 

 しかし、付き合いの長い白上には隠し通せないようで。

 

 「おや、やっぱり平気なんかじゃなさそうですね。聞きましたよ、透さんの服をはいだって。」

 

 「ち、違うよ、マッサージするためにちょっと脱いでもらっただけ。」

 

 意地悪そうに笑う白上に、大神はたじたじになりながらも反論をする。

 だが、そんな様子を面白そうに見てくる白上を前に、すぐに反抗心はなりを潜め、代わりに先ほどまでの羞恥が顔に戻る。

 

 白上はそれを見て、満足げに頬を緩める。

 

 白上も驚いていた。まさか、大神がそのような行動をとる程に、彼に気を許すようになっていたことに。

 

 「…もう、透君には言わないでよ。」

 

 「言いませんよ、こんなに可愛いミオは白上が独り占めです。」

 

 顔を赤くする大神を抱きしめる白上。

 大神もまんざらではないようで、されるがままに白上の胸に顔をうずめる。

 

 彼女らの付き合いは長い。

 ある程度のことは通じ合える程度には。

 

 互いの心情の変化には、特に。

 

 「透さんに会えてよかったですね。」

 

 「…うん、本当に。」

 

 これ以上言葉はいらなかった。

 ただ、この変化が悪いものではないことは確かだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「あー、さっぱりした。」

 

 水浴びを終えて、カミを拭きながら白上神社へと戻る。

 

 やはり、既に水が冷たい。

 そのうち、氷が張ってもおかしくなさそうだ。

 

 「…そういえば、百鬼はどこに行ったんだ?」

 

 出かけるとは言っていたが、それ自体、百鬼にとっては珍しいことだった。

 基本的に、白上や大神に付いて行くとき以外は、白上神社にいることが多い。

 

 もしかすると、出かけるというのはただの建前で、案外その辺にいたりするのかもしれない。

 

 などと、考えながら歩いていると、ふと違和感を覚えた。

 

 視線を感じる。

 

 場所は特定できないが、ひしひしとこちらに向けられる視線。

 確かに誰かに見られている。

 

 白上なら、用があればこんな事せず直接話しかけてくるだろうし。大神も同じく、わざわざ隠れようとはしないはず。

 

 そうなると考えられるのは…

 

 「…ッ!」

 

 背後に気配を感じ、瞬時に後ろを振り向く。 

 が、そこには誰もいない廊下が伸びているだけ。

 

 遅かったか。

 

 再び、背後に気配。

 

 「…そこだ!」

 

 先ほどよりも素早く背後へと振り返る。

 

 が、またしても逃してしまう。

 しかし、今回は視界の端にちらりと白っぽい髪が映った。

 

 なるほど、徹底的に隠れ通すつもりか。

 ならば、こちらにも考えがある。

 

 ワザは使えないが、感覚自体は残っている。

 最大限に知覚を広げ、その瞬間を待つ。

 

 恐らく、一度失敗してしまえば、それを織り込んだうえで対策がされる。

 最初で最後のチャンスだ、逃すわけにはいかない。

 

 シンと静寂が訪れる。

 

 そして、ついにその時が訪れた。

 再び背後に迫る気配。

 

 「そこ、と見せかけてこっち!!」

 

 振り向くその瞬間、全力をもってフェイントをかけ、可能な限りの速度で反対を向く。

 流石にこれには反応できなかったらしい、俺の目の前に映るのは誰もいない廊下でなかった。

 

 しかし、その人物の顔は認識できない。

 というのも、今俺の視界いっぱいに映るのは赤い綺麗な瞳のみだ。

 

 この瞳には見覚えがある。先ほどの思考の中心にいたのだ、見間違えるはずがない。

 一つ疑問なのは、ほとんどゼロ距離で百鬼の眼が目の前にあることだろうか。

 

 何故こんなに近いんだ。

 

 あちらも、唐突のことに呆然としているようで、何も反応を見せない。

 

 しばらく、そのままジッと見つめ合うという、謎の時間が続く。

 

 百鬼の顔が上下逆に見えると思えば、どうやら天井からぶら下がっているらしい。

 なるほど、それで素早く背後に回れたのか。上側の死角をうまく使われたようだ。

 

 だが、ずっとこのままというわけにもいかない。

 

 「何してるんだ、百鬼。」

 

 「…はっ、わわわ!」

 

 声をかけられて、ようやく現状を理解したのか百鬼は、驚いて天井から降りようと身をよじった。

 それが仇となった。

 

 こう、天井から足を下にして降りようとすると、回転をしないといけない。

 しかも、今回は俺がいる側に足をもってくるわけにもいかない。

 

 そうすると、必然、足を俺から見て前方方向に持っていくことになる。回転というのは一方が向こうに行けば、もう片方はこちら側に来るわけで。

 

 つまるところ、俺の額と百鬼の額が衝突した。

 それはもう、綺麗にでこが当たり、鈍い音が鳴った。

 

 さらに、追撃とばかりにあおむけに倒れたところに、百鬼が背中から落ちてくる。

 腹への衝撃と共に、二人、同じ体制で額を抑え悶える。

 

 腹部へのダメージはそこまで無いが、額の方は中々に効いた。

 瞼の裏がチカチカする痛みに耐えながら、なんとか体を起こそうとするが、百鬼が乗っていて起こさないことに気づく。

 

 しかし、なんでまた百鬼は天井にいたんだ。新しい遊びか、それとも恒例の悪戯か。なんにせよ、今は上から退いていただきたい。

 

 「いてて…、おい、百鬼。これはどういうことなんだ。」

 

 「…っ!」

 

 声をかければ、びくりと百鬼の体が動く。

 

 ようやく現状を把握したらしく、急いで上から降りようするも、焦っているのか若干もたついている。

 百鬼の意図が読めないまま、体を起こし、視線を向ける。

 

 が、一向に目が合わない。

 というのも、百鬼の視線が俺ではなく、俺の斜め後ろに向けられている。

 

 視線をたどるも、特にこれといったものは見受けられない、

 

 試しに、百鬼の視界に入るように移動し、視線を合わそうとしてみる。

 しかし、百鬼は俺の動きに合わせて顔をそむけるようにして視線を逸し、頑なに顔を合わせようととしない。

 

 「あの、百鬼さん?」

 

 「えっと、その、あの…。ごめぇーん!!」

 

 問いかけると百鬼はあたふたと目を回してしまい、最終的には引き留める間もなく、叫びがら再び走って行ってしまった。

 予想外の展開に、呆然とその背中を見送る。

 

 ふむ、これはつまり。

 

 (俺が避けられてるってことだよな。)

 

 何かしただろうかと考えると、すぐに原因が思い浮かぶ。

 先ほども理由を付けて逃げ出していたし。そういうことだろう。

 

 原因は分かった。しかし、これはどうしたものか。

 こればっかりは、フォローのしようがない。下手なことをすればこれから先、口すらきけなくなるかもしれない。

 

 …まぁ、所詮は上半身程度。

 飯を食べれば頭の中から吹いて消えるだろう。

 

 そう考えていたのが間違いだった。

 

 その後、皆で揃って昼食となったのだが、相変わらず、百鬼とは目が合わないまま。

 時折視線がぶつかることはあっても、すぐにそらされてしまう。

 

 「あの、透さん。あやめちゃんにどんな裸体の見せ方したんですか。」

 

 その様子を見かねてか、白上が小声で聞いてくる。

 

 「裸体って…。ただ大神にはぎとられたとき居合わせただけだよ。」

 

 その答えに少し胡乱気な視線を向けられるが、事実それ以外のことは断じてしていない。

 まさか、ここまで純粋な反応をされるとは思いもしなかった。

 

 「どんな生活してたらあんなに純粋に育つんだ。」

 

 「…んー、まぁカミになったから、というのもあるんでしょうけど。あやめちゃんの場合は少し状況が違うので何とも言えませんね。」

 

 その言葉を聞いてつい、箸が止まった。

 

 カミになったらどうして純粋になる。

 何の因果関係があってそうなるというのだ。

 

 口ぶりからして、そうなるのが必然のような物言い。

 

 「おい、白上。それってそういう…」

 

 「こーら、二人共。喋るのもいいけど、今は食事中でしょ。」

 

 少し喋りこんでしまっていたらしい。大神から叱責を受けて、それからは黙々と箸を進める。

 結局肝心なことは聞けずじまいだったが、仕方がない。また時間が出来たときにでも聞いてみることにしよう。

 

 

 

 

 「みんな、話があるからちょっと待って。」

 

 昼食後、各々が部屋を出ようとしたところで大神に呼び止められた。

 こういう時は大抵何か手がかりをつかんだか、事件が発生している。

 

 前回のクラウンのこともある、あれも一歩間違えば最悪な結果になっていた。

 

 次だって上手くいく保証もない。

 そう考えれば自然と気が引き締まる。

 

 「…えー、では次の目的が決定したので発表します。

  日時は明日。目的地はイズモノオオヤシロ」

 

 イズモノオオヤシロ、知らない地名だ。

 しかし、その言葉を聞いて、きらりと白上と百鬼の目が光った。

 

 カクリヨでは有名な場所なのだろう。

 そんな場所で、一体なにが起こったのか。

 

 心臓が早鐘を打つ。

 

 そして、遂に大神が目的を口にした。

 

 「温泉旅行に行きます!」

 

 

 

 

 

  

 

 





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道中


どうも、作者です。

評価くれた人、ありがとうございます。

以上


 「温泉旅行に行きます!」

 

 そう告げられた翌日。

 早朝に旅支度を終えると、早速出発することとなった。

 

 そもそも、イズモノオオヤシロが何処にあるのかすら知らされないままシラカミ神社を発つ。

 しかし、白上や百鬼がうきうきと準備していたところを見るに、特に悪い場所ではないのだろうことはうかがえた。

 

 温泉旅行というからには、温泉があって宿があってと、観光などが盛んな場所なのかもしれない。

 少なくとも、血なまぐさい展開とは無縁な場所のようだ。

 

 そう、どういう場所かまでは後回しでいい。

 どうせむかってるのだ、実際に見てみればすぐにわかるものだ。

 

 今問題なのはそこに辿り着くための過程だ。

 

 カクリヨに来て以来、俺はキョウノミヤコとシラカミ神社、ミゾレ食堂くらいにしか足を運んだことはない。

 一応、近辺の情報はある程度聞いているが、その中にイズモノオオヤシロなどという名前は出てこなかった。白上達の反応から、近辺にあるのなら、説明の際にも話題にくらいは出るだろう。

 

 つまるところ、近辺にはないのだ。

 だからこそ、耳にすることもなかった。

 

 しかし、そうなるとどうやってそこに向かうのかということになる。

 このカクリヨで生活してきて見聞きした基本的な移動手段は徒歩のみである。

 

 これは、イワレによる身体強化が普及しているせいで、平均的な身体能力が上がっていることも関与している。

 

 この世界では、イワレを持たない人物の方が少ない。

 多かれ少なかれ、誰だってイワレは持っている。それが一定量を超えたとき、アヤカシやカミとなるが、どうやら、持っているだけでもその量に応じて身体能力は上がるらしい。

 

 もちろん、イワレを能動的に使った身体強化とは比べ物にならない程微細なものだが、カミの基礎的な身体能力が高いのはこのためでもある。

 

 そして、今現在、俺のイワレは澱んでいて使い物にはならない。いや、無理をすれば使えないこともないが、大神からは昨日のうちになるべくワザなどは使わないように釘を刺されている。

 そういうことなので、今の俺はただの一般人と変わりない。寧ろ、イワレによる恩得すら薄くなっているため、平均から見ると下寄りだ。

 

 キョウノミヤコですら、歩きでもだいぶ時間がかかった。

 それ以上となると、少し厳しいものがある。

 

 それを昨日大神に伝えたのだが…

 

 「そのことなら大丈夫、理由は明日になれば分かるから。」

 

 ただそう笑顔で言われた。

 しかし、出発してからも何ら音沙汰はない。

 

 まさか、根性論ではないだろうな。

 気合があれば何でもできる。などと言われても無理なものは無理だ。

 

 若干不安を感じながら歩き続ける。

 

 「透君、何考えてるの?」

 

 黙り込んでいることを不思議に思ったのか大神が話しかけてくる。

 

 「あー、いやどうやって行くの考えてた。正直歩きだとキョウノミヤコくらいが限界だから。」

 

 「昨日の件だね。それなら、そろそろ見えてくると思うよ。」

 

 見えてくる?

 

 生じた疑問はすぐに目の前の光景に塗りつぶされた。

 

 まず感じたのは熱。

 ゆらゆらと揺れる炎を足、胴にそれぞれ纏ったその生物がそこにはいた。

 

 四足歩行の龍。この表現がしっくりと来るだろうか。

 鋭い眼光がこちらへと向けられる。

 

 「大神、この生き物は。」

 

 「麒麟っていってね、ごく一部の人たちが移動用に使ってて、今回は特別に手配してもらえたの。」

 

 ごく一部ということは、それこそ身分の高いか、強大な力を持つカミが使っているのだろうが、そんなところにまで顔がきくのか。

 

 ある程度、分かってきたつもりでいたが、まだまだ俺の知らない面は多そうだ。

 

 見てみれば、確かにその後方に車輪のついた小さめの小屋があり、そこに繋がれている。あれが乗り込む用の荷台だろう。

 だが、荷台というにはあまりにも厳か。麒麟を含めて別世界のものであるような印象を受ける。

 

 なるほど、これならイワレが使えなくても大丈夫そうだ。

 

 これには白上や百鬼も驚いたようで、目を丸くしてぽかんと見つめている。

 

 「…可愛い!」

 

 「触っていいですか?いえ、触ります!」

 

 かと思えば、すぐに麒麟へと駆けよっていくと、その頭をなで始めた。

 怖いものなしか。

 

 「二人共ー、すぐに出発するから早く乗って。」

 

 「「はーい」」

 

 その呼びかけに応じて、一人一人荷台へと乗り込んでいく。

 

 三人が乗り込んだところで、俺も荷台へと乗り込むべく、麒麟の横を通る。

 

 ここでふと興味がわいた。麒麟とはどんな触り心地なのだろうか。

 白上達もなでていたし、と少しだけ撫でてみようと手を伸ばす。

 

 「…」

 

 ぎろりと先ほどこちらを見たものよりも鋭い目つきで睨まれた。

 

 すっと伸ばしていた手を引っ込める。

 なるほど、駄目ですか。そうですか。

 

 「あ、その子男の人嫌いらしいから、触らせてくれないと思うよ。」

 

 「…そうらしいな、実感した。」

 

 再度トライすることもなく、黙って乗り込む。

 

 正直なところ、本当に触ってみたかった。

 なんというか、怖いモノ見たさもあるが、あれは鱗なのか、それとも毛皮なのかそれだけでも確認してみたかった。

 

 意気消沈しながら、荷台へと乗り込む。

 

 荷台の中は、向かい合う形で二つの席が取り付けられており、向かいの壁には円形の窓が取り付けられている。

 片方の席は白上と百鬼が二人で座っているし、俺は大神の隣に座ることになる。

 

 全員乗ったことを確認すると、麒麟が一つ鳴き声を上げるのが聞こえるのと同時に荷台がゆっくりと動き出す。

 

 乗り心地は見た目通り、不快感は一切感じない。

 

 「へぇ、凄いな。こんなに揺れないもんなのか。」

 

 道が補装されているわけでもないのに、揺れが来ない。

 普通、車輪が石などに乗り上げるなどして衝撃の一つでも来そうなものだが、それすらない。

 

 ここまで乗り心地がいいなら愛用されるのも頷ける。

 

 「うん、揺れることはそうそうないかな。これが麒麟の良いところだよね。」

 

 「それは良いんだけど、余はちょっと苦手。」

 

 そう言う百鬼を見てみれば、極力内側によっているように見える。隣同士で座っている白上にぴったりとくっついている。

 白上からくっついているのはよく見るが、その逆とはまた珍しいな。

 

 「?百鬼、何をそんなに避けてるんだ?」

 

 試しに聞いてみれば、百鬼と目が合い、昨日のように再び逸らされる。

 

 「その、窓の外、見てみて。」

 

 百鬼はそう言うと窓を指さした。

 

 昨日と違い会話はできるようになった。これだけでも大きな進歩といえるだろう。

 やはり、こういったことは時間が解決してくれそうだ。

 

 一安心して、百鬼の指さす通り窓の外を見てみる。

 

 「何があるん…」

 

 そこまで言って絶句。

 

 何が見えたというわけでもないが、あえて言うなら地面が白かった。

 ところどころ、その白い地面よりも下の方に緑が見える。

 

 いや、地面ではない、あれは雲だ。

 空を向けば、いつもよりも太陽が近い。

 

 知らぬうちに、俺達は空を飛んでいた。

 

 流石にこれには驚きで声も出ない。

 

 いつも、シラカミ神社から見えているはずのカクリヨの景色だが、こうして空から眺めるのとでは明らかに違う。また異なる良さが見える。

 

 何故か心のどこかで悲しみも生まれていたが、それを踏まえたうえで、この景色に俺は圧倒されていた。

 

 「…綺麗だな。」

 

 「うちも、こうして見る景色は好き。」

 

 零れ落ちるように口を突いて出た言葉に、大神も同調する。

 ふと見てみれば、いつの間にか大神の顔が近くにあった。

 

 窓が一つなのだから、身を乗り出すようにしなければ見れない。二人同時に見ようとすればこうなる。

 

 それが妙に気恥ずかしくて、身を引いて離れる。

 

 「あれ、もう良いの?」

 

 「…あぁ、もう十分見たから。」

 

 そっか、と言ったきり、大神は再び外を眺める。

 

 「景色は余も好きだけど、なんか変に宙釣りになってるみたいで苦手なの。」

 

 百鬼は目を伏せながら言う。

 

 言われてみれば、独特の浮遊感だろうか。風で浮いてるのとも違う。

 あえて言うなら重力がなくなっているように感じる。それを上から支えられているような。

 

 「そういえばそんな感覚あるな。やっぱり麒麟が関係してるのか?」

 

 「そうだよ、麒麟のワザで荷台と麒麟自身を浮かしてるの。

 

  カクリヨにはイワレが一定量宿ったらアヤカシになるけど、それは人間だけじゃなくて動物も一緒。麒麟は後者の動物がアヤカシになったバージョンだね。

  人間みたいにワザの多様性は無くて、動物の種類ごとに統一されてるけど。」

 

 なるほど、モノに宿れば能動的に発動はしないけど、使用されれば発動する。

 動物の場合、能動的に発動できるが、種類は統一される。

 

 イワレというのは知性の有無や程度によってその性質が変わるのかもしれないな。

 

 しかし、これで麒麟の機嫌を損ねることがあれば、はるか上空から地面へと真っ逆さまに落ちることになるのか…

 

 (…大人しくしておこう。)

 

 そっと心に留めておく。

 男嫌いと言えど、無害であればそこまで邪見にされないだろう、多分。

 

 それからしばらく、誰もしゃべることなく、静かな時間が流れた。

 

 百鬼は朝が早かったせいか、うとうととしていたが、すぐに眠ってしまった。

 それにつられるように、白上も寝落ちし、今は二人寄り添って仲良く寝息を立てている。

 

 大神は飽きることなく、ジッと窓の外を眺めている。

 

 朝日に照らされたその姿は一つの絵のようで、つい見入ってしまう。

 

 「大神は、よくこうして景色を見るのか?」

 

 気が付けばそう聞いていた。

 まぁ、どうせ気になっていたことだ、構わない。

 

 大神は外から視線を外し、少し考える。

 

 「昔にね。嫌なことを忘れたい時とか何も考えたくないときは、無理言って乗せてもらってた。」

 

 確かに、この景色を見れば大抵のことは忘れられそうだ。

 

 しかし、この言い分だと、これを借りた人物とは古い仲のようだ。

 てっきり、白上とずっと一緒にいたのだと考えていたが、人に歴史ありとはよく言ったものだ。

 

 「これを貸してくれたのも、今回の温泉の宿の経営者なんだよね。透君のそのイワレもそこなら完治できるとはず。」

 

 なんとなく、勘づいてはいた。

 どう考えても、今回の温泉旅行は急すぎる。

 

 俺のイワレを直すために、今回の温泉旅行を企画してくれたのだろう。

 

 「悪いな、俺のためにここまでして貰って。」

 

 ただでさえ返しきれない恩がさらに重なってしまった。そろそろ返しきれないのではないか。

 

 「気にしないで、うちも透君には助けられてるからお互い様だよ。」

 

 「いや、確かに家事の手伝いはしてるけど、それは住まわせてもらってることで軽く相殺されてるから。」

 

 そもそも家事も軽い手伝い程度で、あまり役に立っている気はしない。

 

 「そうじゃなくて…、もう、本当に気にしなくていいのに…。うちが勝手にやってることだよ?」

 

 言いかけて、あきらめるように息をつくと大神はむくれたような物言いでそんなことを言ってくる。

 本当に、お人よしというかなんというか。

 

 「そうか、それなら俺も勝手に恩を感じてるだけだからな、自分なりに勝手に恩を返させてもらうよ。」

 

 言い返せば、大神は目を丸くしてこちらを見つめる。

 かと思えば、すぐに噴き出した。

 

 「あははっ、何それ、それじゃあ鼬ごっこだよ!」

 

 あまりにもおかしそうに笑うもので、つられて俺も笑い出す。

 

 「そうだな、返し終わらないとウツシヨにも帰れないからな。」

 

 「それでずっとカクリヨにいるの?透君恩に縛られすぎ!」

 

 変なツボに入ったのか、二人そろって笑い続ける。

 

 こうして大神と二人で笑いあうのは、そういえば初めてかもしれない。

 白上や百鬼と一緒の時はそういうこともあったが、二人きりでとなるとあまり記憶にはない。

 

 そのせいか少しだけ、大神との距離が近づいた気がした。

 

 それは別として、こちらはそろそろ頃合いだろうか。

 

 「それで、そこの二人はいつまで狸寝入りをするつもりなんだ?」

 

 「「…!?」」

 

 声をかけてみれば、ピクリと白神と百鬼が反応する。

 流石にあれだけ騒げば感覚の鋭い二人だ、起きていてもおかしくはない。

 

 今の反応を見るに、それでも黙って聞いていたということか。

 

 大神と一緒に前方の二人をじっと見つめてみる。

 

 最初は耐えていたようだが、やがてそれも限界に来たのかゆっくりと目が開かれた。

 

 「ふ、ふわぁー、よく眠りましたー。」

 

 「あ、あれー、二人共そんなにこっち見てどうしたの?」

 

 棒読みのセリフと共に伸びをして白上、百鬼は姿勢を直した。

 

 ここまで白々しいといっそ清々しく感じる。

 

 「起きたなら会話に混ざってくればいいのに…何で二人共寝たふりなんてしてたの?」

 

 大神の言う通り、別に聞かれてまずいような話題でもなかった。

 

 白上は言いにくそうに口をまごつかせ、目を逸らし、百鬼は少し顔を赤くしている。

 

 「いえ、寝たふりというか…。いい雰囲気だったので邪魔すると悪いかなーって。」

 

 「なんか、大人っぽかった。」

 

 そんな二人のコメントに、つい大神と顔を見合わせる。

 

 楽しそうだったのは認める、実際笑い合ってた。だが、それだけだし、いい雰囲気と呼ばれるほどのものは無かったと思うが。

 大人っぽいは本当に分からない。

 

 大神も同じ思考なのかきょとんとしている。

 

 「会話をするのに邪魔も何もないだろう。なぁ、大神。」

 

 「そうだよ、遠慮するなんて今さら感凄いし。」

 

 先ほどは大神と笑いあうことが新鮮だったからまた違うが、大勢で話して笑いあうのも楽しい。

 それに折角四人で来ているのに、話すのが二人だけというのも寂しい。どうせならみんなで話したい。

 

 「そういうとこなんですけどねぇ。まぁ、二人が仲良くなるのは白上としても嬉しいですけど。」

 

 思うところがあるのか複雑そうにしている。 

 それとは対照的に、百鬼は納得したらしく、普段通りの表情に戻った。

 

 しばらく、談笑していると、唐突に麒麟が鳴き声を上げる。

 

 「あ、そろそろ到着みたい。みんな降りる準備して。」

 

 なるほど、先ほどの鳴き声で知らせてくれていたのか。

 体感的にはそこまで経っていないが、もう着いたらしい。

 

 大体出発してから30分ほどだろうか、空を飛んでいたためか速度は体感できなかったし、シラカミ神社からどの程度離れているかは全く分からなかったな。

 

 イズモノオオヤシロ、一体どのような場所なのか、少し期待に胸が膨らんだ。

 

 

 

 

 





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金色の少女


どうも、作者です。

以上



 ふわり、と出発の際と変わらず全く振動のないまま、麒麟は地面へと着陸した。

 

 上からは雲がかかっていたため、降下の途中景色を見ようとしたのだが、まさか、直下で落下するかのように地面に降りるとは思わなかった。

 しかも、ほぼ自由落下かつ、天候が悪いようであまり外の景色が見えなかった。

 

 目の前にあるごちそうを寸前で下げられたような気分だ。

 

 だが、停止した今、ようやく外の景色が見れる。

 

 「…雪?」

 

 窓から外を覗けば、空から白い大粒の雪がいくつも降り注いでいる。

 地面は、先ほど見た雲に負け劣らず白く染まっており、目の前には見事なまでの銀世界が映し出されていた。

 

 「あー、やっぱり降ってるよね…。外は寒いから、みんな上着だけでも羽織った方が良いよ。」

 

 そう言って、既に大神は黒のコートを羽織っていた。

 この口ぶりから、どうやらここに何回か来たことがあるようだ。

 

 言われた通り、それぞれがコートを羽織ったことを確認すると、大神は荷台のドアを開ける。

 

 

 「うひゃぁ、寒いですね。」

 

 途端に冷気が中へと入りこんでくる。

 そのあまりの冷たさに、白上が悲鳴を上げた。

 

 「イズモノオオヤシロって北の方にあるのか?寒すぎるだろ。」

 

 「寒い―」

 

 シラカミ神社付近ですら、まだ肌寒い程度で済んでいたが、ここは肌寒いなんてものじゃない。

 何もはおらずにいれば間違いなく凍死してしまうだろう。

 

 ここまで気候が変化するとは、かなり遠くの方まで来たのだろう。

 

 「そう思うよね、確かにこの辺りも冷えるけど、ここが特別で年中こんな気候。」

 

 特別、つまり何らかのワザか、他の要因があるということか。

 寒いが、外に出ない事には始まらない、勇気を出して一歩外へと踏み出す。

 

 「うお!?」

 

 地面へと踏み出したはずの一歩が、音を立てて雪の中へ埋もれていった。

 唐突の出来事で、つい声が出てしまう。

 

 見てみれば、大体膝のあたりまで足が雪に埋まっている。

 嘘だろ、どんだけ積もってんだ。

 

 驚きながらも、もう一方の足を下ろす。

 何度か足踏みしてみるが、歩けないほどではない。しかし、歩きやすいわけでもなく、気を抜けば転んでしまいそうだ。

 

 俺よりも身体能力の高いであろう、百鬼や白上もここまでの積雪は経験に少ないらしく、歩けてはいるが少しぎこちない。

 

 全員が降りたところで、麒麟は再び空へと舞い上がると、どこかへと飛んで行ってしまった。

 

 「…」

 

 黙って見送っていたが、これからどうするのだろうか。

 辺りは一面雪に覆われていて、視界も悪い。

 

 どちらがどの方角かなど分かるはずもない。

 

 「それで、目的地はどっちだ?寒いし早く行こう。」

 

 まぁ、その辺りは大神が知っているだろう。何度か来ているのなら道順は分かるはずだ。

 仮に身一つでこんなところに放り出されたとしたら、諦めてそこらに横たわるしかない。

 

 「うーん、うちも行き方分からないんだよね。」

 

 そんな頼りの綱の大神は困り顔で首をかしげていた。

 

 「へ?」

 

 え、嘘だろ。流石にここまで来て道が分からないはまずい。

 麒麟も飛んで行ってしまったし、これは普通に遭難に当たるのではないか。

 

 (いや、待て)

 

 決めつけるのは早計だ。

 もしかすると、白上や百鬼が知っているのかも。

 

 それを承知したうえで大神もここに来たのだろう。

 先ほども、自分は知らないという意味で。そうだ、そうに違いない。

 

 ちらりと、件の二人へと目を向けてみる。

 

 「ミオ、冗談ですよね?」

 

 「あれ、余達迷った?」

 

 同じく、大神の言葉に顔を青くしている。

 

 なるほど、理解した。

 どうやら、俺達はこの極寒の大地で凍死するようだ。

 

 まさかこんな所で終わるとは思わなかった。

 

 (そっか、記憶は戻らなかったけど、これまで楽しかったな。)

 

 早々に諦めの境地に至り、目を閉じ軽く走馬灯を見る。 

 どれもこれも、楽しい思い出ばかりだ。

 

 あぁ、そうか。これが幸せというやつか。

 

 「これ、お主、こんなところで何を呆けておるのじゃ。」

 

 ふと、そんな声が聞こえる。

 白上ではないな、大神、百鬼、両方に比べて声が幼いから違う。

 

 目を開け辺りを見回すが、特にこれといった人物は見受けられない。

 …なんだ、幻聴でも聞こえだしたのか。

 

 「どこを見ておる、下じゃ、下!」

 

 再び聞こえる幻聴。

 声の導くままに視線を下げてみる。

 

 「…なんでこんなところに子供がいるんだ。」

 

 「…ほう、主、初対面にもかかわらず大した口の利き方じゃな。」

 

 そこには、ふさふさとした尻尾をいくつも携え頭に獣耳を付けた、着物を着た少女がいた。

 その髪は金を薄く伸ばしたかのような見事な長髪で、その顔は幼げな印象を残しつつ、少しだけ大人びて見える。

 

 そんな少女は、俺の言葉に反応してか、頬をひくつかせている。

 

 幻聴の次は幻視か、しかも見る対象がこれということは、俺の知られざる意識の深層部分がこういったものを求めていたということだろうか。

 

 確かに、以前までの自分は覚えていないが、そういうことなら、思い出さない方が正解なのかもしれない。

 

 「あー!もう、せっちゃん遅いよー!」

 

 本来の自分に戦慄を覚えていると、こちらの様子に気が付いた大神が声を上げる。

 その視線は俺の丁度目の前、金色の少女を捉えている。

 

 大神にも見えているということは、この少女は俺の作り出した妄想などではなく、実在するということ。その事実にほっと一安心する。

 

 「わざわざ出迎えに来てやったというのに遅いとは何事じゃ!…全く、相変わらずカミ使いが荒いヤツじゃな、ミオ。」

 

 言葉とは裏腹に、少女のその表情は穏やかだ。

 そのやり取りは、心を許し合っているのか、とても気安く感じた。 

 

 「お二人は知り合い何ですか?」

 

 どうやらこの少女のことは白上も知らないらしい。

 意外だ、正直大神のことなら大抵のことは知っていると考えていたが…まぁ、人それぞれ独自の付き合いはあるモノか。

 

 「そうだよ、ほらせっちゃん。この三人が前話したうちのお友達だよ。」

 

 「うむ、ミオから話は聞いておる。白上フブキに百鬼あやめ、そして、透じゃな。

 

  妾の名は神狐セツカ。イズモノオオヤシロのイズモ神社の神主としてお主らを歓迎しよう、よろしくの。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自己紹介を終えた俺たちは少女、セツカさんの案内で目的地へと歩いていた。 

 

 最初、セツカさんはこの雪をどう進んでいくのか疑問だった。

 下を向かないと顔が合わない程、セツカさんの身長は小さい。俺の膝のまで雪が積もっているということは、彼女にとっては足がほとんど埋まってしまう。

  

 流石にそこまで行くと、歩行することすらままならないはず。

 

 「早速じゃが、神社の方に案内しよう。こっちじゃ。」

 

 考えていた矢先、言うが早いか、セツカさんはそちらから来たであろう森の方に向けて進みだした。

 だが、雪から足を抜く様子もない。いや、よく見れば、セツカさんの周りだけ雪が存在しない。

 

 どうして、その答えはすぐに示された。

 

 ただ普通に前方へと進む。それだけで、セツカさんの周りの雪は避けるように横へとずれていき、道を開け、後には平坦な道が残っている。

 俺たちが歩きやすいようにか、その幅は全員で横に並んで歩けるほどに広い。

 

 よくよく見てみれば、セツカさんの体の周りを薄い光の粒が舞っている。

 恐らく、この現象はセツカさんのワザか、それに付随するものによる結果であるようだ。

 

 「あまり長持ちしないからの、離れすぎないように気をつけるのじゃぞ。」

 

 振り返り一言だけ残すと、すぐに再び歩き出す。

 

 流石にあの雪をかき分けながら進むのは骨だ。

 その光景を呆然と眺めていた俺たちは、慌てて荷物を持ち、その背を追う。

 

 大神は見慣れているのかさして気にした様子もなくセツカさんに追従している。

 

 「なぁ、白上はセツカさんとは…」

 

 歩きながら後ろの白上にこそりと話しかける。

 大神の知り合いならば白上の知り合いという可能性もまだある。

 

 「一応ミオから話には聞いていたんですけど、初対面ですよ。なんていいますか、あんなに可愛らしい容姿だとは思わなかったので、正直驚いてます。」

 

 なるほど、大神伝いで本当に知り合いなだけであったようだ。

 

 容姿というと、あの幼げな姿のことか。

 かなりぼかしているが、つまり…

 

 「確かに、どう見ても子供だもんな。」

 

 「これそこ、聞こえておるぞ。」

 

 背中に耳でもついているのか、呟いた瞬間セツカさんはこちらを振り返り、目を光らせる。

 

 「「すみませんでした!」」 

 

 白上と二人、同時に謝罪を口にする。

 

 「まぁ、実際に子供の容姿なんだし、仕方ないよ」

 

 「むぅ、あまり言いすぎるようじゃと置いてゆくからの!」

 

 大神の言葉に、セツカさんはそう言ったきり、ぷいと顔を背けてさっさと前の方に行ってしまう。

 あまり触れない方が良い話題だったか。

 

 しかし、大神が触れたということはそうでもないのか?

 何より、セツカさんからあまり怒気が感じられない。

 

 「大丈夫だよ。」

 

 困惑していれば、不意に大神から声がかかる。

 何が大丈夫なのだろうか。

 

 「ああは言ってるけど、せっちゃん人との付き合いに飢えてるの。会話自体久しぶりだから、今だって顔覗いたらニコニコしてると思うよ?」

 

 「あ、ホントだ、凄い笑顔。」

 

 大神の話を聞いていたのか、百鬼がセツカさんの前に回ると声を上げた。

 

 自然、セツカさんへと視線が集まる。

 するとちらりと見えるセツカさんの横顔がみるみるうちに赤く染まっていった。

 

 「こ、これ、ミオ!あまり余計なことを言うでない!」

 

 大神へと詰め寄るセツカさんは、見た目通りの年齢の子供のようでつい頬が緩みそうになる。

 それとは対照的に、詰め寄られている側はさも愉快そうに笑っていた。

 

 なんとなく、二人の関係性が垣間見えた気がする。

 

 「…あの、お持ち帰りしてもいいですかね。」

 

 「フブキちゃん…、流石にやめておいた方が良いよ、一応初対面なんだし。」

 

 何故か呼吸を荒くしている白上を百鬼が若干引きつつなだめている。

 

 しかし、人との付き合いに飢えるとは、この先に人が住んでいるような場所がないのだろうか。

 

 周りを見渡してみれば、当然のようにそこに生き物の気配はなく、ただ、針葉樹が葉をつけているのみだ。

 

 こんなところに町が存在するとは思えない。

 シラカミ神社も山奥にあるが、その道中にはミゾレ食堂もあり、参拝客もごくまれにではあるが来ることもある。大半が悩み相談だが。

 

 だが、この環境では、普通の人間がたどり着くことは困難だろう。

 見たところ、雪を進めるのはセツカさんがいてこそだし、イズモノオオヤシロというのは寒さに強いアヤカシが多いのか?

 

 「どうしたの透君、難しい顔して。何か気になることでもあった?」

 

 不意に、大神から声がかかった。

 先ほどまでセツカさんと話していたはずだが、終わったようだ。

 

 「いや、シラカミ神社の周辺とは違うんだなって。この辺りに村とか、町はないのか?」

 

 「確かに、うちも最初は驚いた。この辺りには人は住んでないよ。」

 

 「こほん、正確にはこの結界の中じゃな。外の方にはキョウノミヤコのように町があり、人が住んでおる。

  一般的にはそっちの方がイズモノオオヤシロとして知られておるが、実際にはこっちの方が本場というか、本殿みたいなものじゃ。」

 

 大神の説明に、落ち着きを取り戻すように一つ咳ばらいを入れるたセツカさんが補足を入れる。

 結界ということは、やはりこの気候は人為的なものなのか。

 

 結界を張る、つまり、守る、もしくは隠す必要のある何かがあるのだろう。

 それが何であるのか、気になるところではあるが、今回の目的はあくまで温泉だ。あまり首を突っ込みすぎるのもよくない。

 

 どちらにせよ、今の俺では何もできない。それだけは忘れないようにしなければ。

 

 「む、そろそろかの。」

 

 歩いていると、セツカさんのつぶやきが聞こえる。

 それと同時に、前方、森の木々の間から光が見えてくる。

 

 進むごとに、その光は大きくなっていき、やがて森を抜けるとその全貌をあらわにした。

 

 まず目に入ったのは、目の前にある大きな建物。 

 シラカミ神社にある本殿と同じ程度の大きさではあれど、ところどころ金で装飾されたそれは、まさに豪華絢爛。

 ランタンには優しい明りが灯され、あたりを暖かく照らしており、降っている雪さえもが、その神社を彩る一部となっている。

 

 「…本当に変わってないんだね、ここは。」

 

 「そうじゃろう、妾を含めて、ここのものは一切変わらずにおる。これまでも、これからもの。」

 

 その光景を見て、大神はほっとしたような、悲しいような顔をして呟いた。

 

 その二人のやり取りの意味を、意図を俺には理解できない。

 ただ、その領域に踏み込んではいけない、そんな気がした。 

 

 たっ、と不意にセツカさんが俺たちの前へと躍り出る。

 その姿は、光に灯されやけに神々しく見えた。

 

 「改めて、ようこそイズモ神社へ。自らの家だと思いゆるりと過ごされよ。」

 

 

 

 

 





 ということでオリキャラの神狐セツカでした。
 気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム。


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イズモ神社(上)

どうも作者です。



 イズモ神社へと到着した俺たちは、その本堂を抜けて、さらに奥へと通された。

 流石に本堂で雑魚寝するわけにもいかないか。

 

 本堂の奥、その先の光景を見て、驚きのあまり一瞬呼吸が止まった。

 

 これが神社?

 いやそんなはずはない、これは神社なんて言葉で収まるモノではない。

 

 これは一つの小さな街の一角だ。。

 広さこそ、キョウノミヤコとは比べるべくもないが、和式の建物が数棟、数軒か、まるで選ばれた建物だけがこの空間にあるかのように、そこに存在している。

 

 少し離れた場所からは湯気が立ち上っているのが見える。あれが恐らく温泉だろう。

 

 同じ神社と言えども、ここまで違うのか。白上や百鬼へと目を向けてみれば、その顔は驚愕に満ちている。

 

 「どうやら、気に入ってらえたようじゃの。」

 

 ちらりとこちらを向くセツカさんに俺たちは揃って頷きを返す。

 確かに、最初の驚愕を乗り越えてしまえば、ここはあまりにも整えられた綺麗な街だ。

 

 「けど、やっぱり広いな。手入れとか大変そうだ。」

 

 聞く限り、セツカさんはここに一人で住んでいるそうだし、流石に放っておいて汚れが溜まらないわけでもないだろう。

 本堂だけでもかなりの広さだ、それ以外の場所もとなると現実味はない。。

 

 これを一人でとなると、それだけで数日はつぶれてしまいそうだ。

 

 「あぁ、そのことじゃな。そこは心配いらん、ほれ。」

 

 セツカさんが指を鳴らすのと、三つ音を立てて煙が立つ。

 

 目を向ければ、煙が晴れ、そこに人型の何かが立っている。

 人型といっても顔は狐のそれだし、体は半透明でうっすらと奥が透けて見える。

 

 「妾のシキガミじゃ、今おるのはほんの一部じゃが、基本的に掃除、料理、洗濯はこやつらに一任しておる。

  滞在中は主らの世話もこやつらがする故、何かあれば申し付けると良い。」

 

 セツカさんが紹介を済ませれば、シキガミはぺこりと一礼をするとふとどこかへと消えていく。

 恐らく、中断していた作業に戻ったのだろう。

 

 しかし、なるほど。

 シキガミか、確かにそれなら手が足りないということもなく、ここで暮らしていける。

 

 真にこの神社は単体で完結しているのだ。

 

 「あれ、私のシキガミよりも性能高いですね。セツカさんってもしかして見た目と違ってかなり年期入ってたりします?」

 

 シキガミを見て、白上が目を丸くしている。

 俺にはシキガミの性能云々はまるで分からないが、彼女もカミである。そう言った違いも目に付くのだろう。

 

 「見た目と違っては余計じゃ。これでも、ミオよりも早くにカミに至っておる。このくらい当然じゃ。」

 

 胸を張り、どやっと効果音が付きそうなほど誇らしげにセツカさんは宣言する。

 

 このカクリヨにおいて力の指針となるのはイワレの総量。そのイワレは自分を認める者に少しずつ溜まっていく。自発的に溜めることが出来ないため、その総量は一重にその人物の歩んできた歴史に依存する。

 長い時間を歩んでいれば、その分イワレに対する理解も進み、その総量も増えるだろう。

 

 もしかすると、セツカさんは俺たちの中の誰よりも、イワレを理解しているのかもしれないな。

 

 そういえば、シキガミと言えば。

 

 「百鬼もシキガミ使えたよな。あの、シキガミ降霊ってやつ。」

 

 「うん、余のシキガミは完全に戦闘用だから、他のシキガミみたいに掃除とかはできないけどね。」

 

 まぁ、あの鎧武者が掃除をしていたらそれはそれで違和感はあるが。

 そうか、シキガミも用途によって色々と存在するのか。

 

 少しだけ、シキガミに興味が出てきた。

 現状、ワザもまともに使えないが、いつかシキガミについて学んでみるのも面白そうだ。

 

 「何じゃ、透はシキガミに興味があるのか。それなら、妾が教えてやらんこともないが。」

 

 「え、良いのか?」

 

 思わぬ申し出に、つい食い気味に聞き返してしまう。

 

 「ほ、本当じゃ。もし透が望むのなら教えてやる。」

 

 セツカさんも不意を突かれたようで、若干後退りながら肯定する。

 

 これは幸運だ。

 独学よりも、知識のある人に教えてもらう方がよっぽど効率的。ましてや、相手はカミになるほどの人物。

 

 いや、割と周りにありふれているが、これは異例中の異例だ。

 

 そんな人から学べるのはかなり嬉しい。

 

 「ありがとうございます、セツカさん。あと、先ほどはすみませんでした。」

 

 意識的ではないとはいえ、驚かせてしまったことに謝罪する。

 それと、言葉遣いも悪かったな。いくら相手が友好的に接してくれているとはいえ、これから世話になるのだ。そのことに礼儀を忘れてはいけない。

 

 「む。」

 

 だが、予想に反してセツカさんの顔色は優れない。

 どこか不満気にも見えるその表情。

 

 だんだんと膨らんでいく頬に、何をしてしまったのか鑑みる。

 

 先ほど気安く話しかけすぎたことだろうか、だが、それ以外に原因は見受けられない。

 

 どう謝ろうか考えていると、セツカさんの頬が最高潮のふくらみを見せる。つついたら爆発しそうだ。

 

 「えっと、セツカさん?」

 

 「それじゃ!」

 

 たまらず声をかけるとそんな声と共に指を指される。

 どうすればいいかもわからず、助けを乞うように大神を見てみると、当の大神は面白そうにこちらを見るばかりで助太刀に入ってくる気配はない。

  

 「それとは…」

 

 「その口調をやめんか!それと、セツカさんではなく、えと、その…、透、主は皆のことを白上、大神、百鬼といった風に呼んでいるのであろう、ならば、妾のことも同じように呼ぶのじゃ!」

 

 怒ったり、赤くなったりと忙しそうにセツカさんは表情を変える。何とも感情表現が激しいらしい。コロコロと変化する様は見ていてほほえましく感じる部分もある。

 

 しかし、敬語ではなく普通の口調で。しかも同じように呼べと。

 つまり…。

 

 「普通に喋れってことで良いのか、神狐?」

 

 試しに普段通りの口調で話しかけてみる。

 これでだめだったら、完璧にお手上げだ。もっと詳細に聞いてみるしかないな。

 

 だが、そんな必要はないことを、すぐに理解した。

 話しかけた瞬間、神狐の顔がぱっと明るくなる。どうやら。これが正解であったらしい。

 

 「うむうむ、最初からそうすればよいのじゃ。…と、案内の途中じゃったな、こっちじゃ。」

 

 神狐は満足げに頷きながら、止めていた歩みを再開する。

 

 それに追従しながらも、俺の思考は困惑にまみれていた。

 そんなに気にするようなことでもないだろうに、神狐は呼び方と口調にこだわっているようだ。ならば、先ほどの対応は正解であるはず。

 

 だが、その理由までは分からない。神狐の好みというか拘りがあるのならそれまでだろうが。 

 …大神ならば何か知っているのではないかと、呼び止める。

 

 「大神、神狐って呼び方に拘りでもあるのか?」

 

 「ん、ないはずだよ?うちもせっちゃんって呼んでるし。

  さっきのはただ距離を感じたからじゃないかな。ほら、せっちゃんってここにずっと一人でいるから。」

 

 「そっか、ならよかった。」

 

 そういうことなら、あまり気にしないでよさそうだ。

 

 しかし、ここにずっと一人でいるのか。

 

 目を上げて、周りの一人で暮らすにはあまりにも大きな境内、イズモ神社を見回す。

 

 こんな場所に、誰とも会うことなく、ただ一人で。

 彼女は何を思って暮らしているのか。何のために、ここにいるのだろう。

 

 「何をしておるのじゃ、置いて行ってしまうぞ!」

 

 見れば、思ったよりも遠くに神狐達の姿があった。

 

 大神は大丈夫だろうが、置いて行かれてはおそらく一人で合流するのは不可能だ。

 慌ててその背を追う。

 

 

 

 

 

 やがて、途中神狐の案内を聞きながら、先ほどから見えていた宿のような施設へとたどり着く。

 まるで、それは屋敷のようで、恐らく、この中でも二番目に大きな建物だ。

 

 こんなものが神社の中にあるということが信じられない。

 いや、街として見れば普通なのか?

 

 未だにどう受け止めれば良いのか分からず混乱する。

 

 宿の中に入ってみれば、正面に階段があり、左右に広めのスペースがある。

 卓球台などもおいてあり、奥の方には男、女と書かれた暖簾が見える。

 

 「主らの部屋は二階に用意させておる。妾は少し用事を済ませてくる故少し失礼するのじゃ。」

 

 「分かった、ありがとう神狐。」

 

 「うむ!」

 

 宿を出てどこかへと向かおうとする神狐。

 その背に向けて礼を言えば、神狐はうれしそうな顔でこちらへと振り向くと大きく頷く。

 

 その様子を見て、大神が小さく笑っている。

 

 「透君、気に入られたみたいだね。せっちゃん凄く楽しそうにしてる。」

 

 「それは嬉しいんだけど。気に入られるようなことしたかな。」

 

 思い返しても、特にこれといったものは見受けられない。寧ろ印象を下げそうなことの方が多い気がするのだが。

 

 「せっちゃんとはちょくちょく連絡とってたんだけど、透君には会う前から割と興味津々だったよ。特にウツシヨ出身なところとか、理由はほかにもあると思うけど。

  最近はキョウノミヤコの件もあって、それで皆のことも伝えてたの。」

 

 「あ、それで余達の名前も知ってたんだ。」

 

 百鬼が納得したように手を打つ。

 何を伝えていたのか気になるところではあるが、取り合えず悪い印象がないのならそれでいいか。

 

 「それはそうと、そろそろ二階に上がりませんか?」 

 

 シラカミの言葉で、話もほどほどに、荷物を持ち二階へと上がる。

 二階は下の回とは違い、主に客間が広がっているようだ。

 

 「あ、シキガミ。」

 

 階段を上がったすぐそばに、先ほど見せられた神狐のシキガミが二体立っている。

 俺たちが上がったことを確認すると、二体並んでゆっくりと廊下を移動し始める。

 

 どうやら、部屋まで案内してくれるようだ。

 

 それに付いて行くと、奥側にある二つの隣り合わせの部屋の前にそれぞれが停止し、襖を開ける。

 

 「あれ、二部屋だけ?」

 

 大神の言葉に、シキガミが呼応するように首を縦に振った。

 それを見た大神の顔が凍り付く。

 

 割と意思疎通が取れてるみたいだな。ただ命令通り動くだけではないということか。

 

 一応部屋を覗いてみるが、ベットと椅子がそれぞれ二つ置いてある。。

 なるほど、四人を二人一組で換算して二部屋用意したのか。

 

 まぁ、確かに折角の旅行だ、一人一部屋よりも何人かで分けた方が楽しみやすいと考えるのは自然なことだ。

 

 だが、一つ屋根の下で暮らしているとはいえ、流石に同室はまずいのではなかろうか。

 幸い、部屋の大きさには余裕がある、最悪毛布だけ持っていくか、もしくは布団があるならそれを借りて、もう一部屋使わせてもらおう。

 

 「えっと、こっちの部屋も開けてみて良いか?」

 

 せっかく用意してもらったところに申し訳ないが、致し方ない。

 シキガミは先ほどと同じように了承するように頷く。

 

 許可も取ったところで、もう一つ隣の部屋の襖へと手をかけ、あけ放つ。

 

 しかし、そこには予想していた光景ではなく、何もないがらんとした部屋がそこにあるのみであった。

 

 「多分、どこの部屋もここと同じだと思う。」

 

 頭痛をこらえるように、頭を押さえる大神。

 あまりに衝撃的過ぎて、つい呆然と突っ立ってしまう。

 

 わざわざ、こんな状態から準備をしてくれていたのだろうか。

 だとしたら、もう一部屋用意するのは難しいか。

 

 「透君、勘違いしてそうだから一応補足しておくね、さっきの二部屋が普通の状態で、こっちが異常なだけだよ。

  あー、もう、せっちゃん余計な気を回しすぎだよ。…シキガミさん、伝言お願いしてもいい?」

 

 声に出していないはずなのだが、さらりと心の内を読まれた気がする。

 なんで分かるんだよ。

 

 こくりと肯定を確認すると、大神は荷物の中から紙を取り出すと、何事か手早く書き留めると、それをシキガミへと渡す。

 

 それを受け取ると同時にシキガミの姿が消える。

 

 「ミオ、セツカちゃんに何を送ったんですか?」

 

 「…うーん、簡単に言うと仕返しかな?それより、部屋分けだけど。」

 

 そうだった、何も解決などしていなかった。

 しかし、大神も何度かここに来たことがあるのだ、何か考えがあるのだろう。

 

 俺と白上、百鬼は黙って大神の言葉を待つ。

 

 「フブキとあやめが一部屋、そして、うちと透君でもう一部屋ね。」

 

 「…へ?」

 

 てっきり、別の場所を用意するつもりなのかと考えていたところに、普通に相部屋の提案をされ、つい大神の顔を見る。

 

 その顔は、何やら決意に満ち溢れている。

 

 「え、俺なら適当なところを借りて寝るから気にしないでいいぞ?」

 

 「駄目、そもそも今回は透君の療養も兼ねてるのに、外で寝かせるわけにはいかないでしょ。」

 

 座った眼をして、断固として意思を変えそうにない。

 

 だが、白上の時とは違い、今回は寝落ちなどではない。

 その分意識はするだろうし、大神も特に気にしないというわけでも…

 

 そこまで考えて、ふと思い出す。

 そういえば、昨日。白上や百鬼は俺の上半身を見て過剰な反応を見せていたが、大神はいたって平然としていたな。

 

 いや、だからと言って…

 

 「…それとも、うちと一緒の部屋は嫌、かな。」

 

 悲し気な目つきでこちらを見つめる大神に、今までの思考を飛ばされる。

 ここまでされては、断れることも断れない。

 

 「…分かった、それで行こう。」

 

 そう言って、ただ頷く。

 

 それが今の俺にできるすべてであった。 

  

 

 

 





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イズモ神社(中)


どうも、作者です。




 部屋に入り、持ってきた荷物を纏めておく。

 ただこれだけの作業のはずなのに、俺の心臓は早鐘を打っている。

 

 理由は…、考えるまでもない。

 

 ちらりと横へと視線だけを向ける。

 

 「ふんふーん。」

 

 鼻歌を歌いながら、黒髪の少女が同じように自分の荷物を整理している。

 傍目に見ても、彼女は魅力的で、可愛らしい。

 

 そんな少女と、この部屋で一緒に過ごすことになるとは思いもしなかった。

 

 「なぁ、大神。」

 

 「?なあに、透君。」

 

 声をかけてみれば、大神はこちらに笑顔と共に振り向いてくれる。

 

 なんで俺と一緒の部屋に?

 

 そう聞くつもりであったが…考え直した。

 今さらだし、先ほどと同じ、捨てられた子犬のような目で見られてはかなわない。

 

 「いや、神狐はどこに行ったのか気になってさ。」

 

 「せっちゃん?うーん、思い当る節はあるんだけど、大半は面白がって離れただけだと思うからその辺りをふらついてるんじゃないかな。

  用事が出来たりしたら、またふらっと出てくるよ。」

 

 面白がって…か。

 

 こちらとしては、おかげさまで変に意識をしてしまって、どうにも落ち着かない。

 神狐は俺たちのことをどうとらえているのか、一度問いただして訂正しておく必要があるのかもしれない。

 

 「こんこーん、入りますよー。」

 

 「さっきフブキちゃんと話してたんだけど、下の温泉行ってみようよ。」

 

 丁度荷物をまとめたところで、白上、百鬼が部屋を訪ねてくる。

 正直、二人きりはまだ気恥ずかしいから、助かる。

 

 「温泉か、良いんじゃないか?」

 

 まだ昼前ではあるが、丁度よく時間もつぶれる。

 それに、いい気分転換にもなる、リラックスすれば、この落ち着かない気持ちも少しはましになるだろう。

 

 「そうだね、うちも久しぶりに入りたかったし、行こっか。」 

 

 必要なモノだけを手に持って、一階へと降りる。

 先ほどとは違い、シキガミの姿は見られない。どうやら、先ほどのは案内のみが指示内容だったらしい。今は大神の伝言をもって、神狐のところにでもいるのだろう。

 

 入り口で三人と別ると、暖簾をくぐり中へと入った。

 

 「おぉ、広いな。」

 

 思わず、声に出てしまうほどの広さ。暖簾の先は脱衣所となっていた。

 手早く服を脱ぎ、もう一方の扉へと向かう。

 

 扉を開けると、寒気がなだれ込んでくる。

 雪は降らずとも、気温が上がるわけでもない。

 

 全身に鳥肌が立つのを感じながら、歩を進める。

 どうやら、露天風呂というやつで、上を見れば雪雲がふわりと漂っている。

 

 早速体を流し、湯の中へと体を入れる。

 

 じんわりと体の中へ暖かさがしみ込んでくる。その感覚に、思わず息が漏れた。

 やはり、水浴びとはわけが違う。

 

 この時期にこれを知ってしまっては、もう水浴びには戻れなくなりそうだ。

 

 しばらく、温泉を満喫していると、異変が起こる。

 

 やけに血流の流れが活性化しているような。いや、似ているが少し違う。

 これは、ワザを使用している時の感覚に近い。イワレが体をめぐり、ゆっくりとではあるが体のこりが取れていくように、肉体的な感覚ではないあえて言うなら、イワレのこりが取れていく。

 

 なるほど、大神の目的としていたものはこれか。

 

 恐らく、これはこの温泉の効能の一種なのだろう。

 温泉に浸かった対象者のイワレに作用する、いかにも神社にある温泉らしい。

 

 「…それで、これはいつまでつかるのが正解なんだ。」

 

 取り合えず、この感覚がなくなるまでつかろうと考えていたが、待てど暮らせど、凝りが取れ続けていくのみ。

 

 これは大丈夫なのだろうか、なんというか、ある程度取れるのはよいのだが、このままだと溶けてしまいそうな気がしてくる。

 

 …そろそろ十分か。

 

 決して不安に負けたわけではない。ただ、長湯も過ぎればのぼせてしまうこともある。

 ましてや、今俺の体はこの世界においてあまり強靭であるとは言えない。

 

 普段のような感覚で行くと、自分も気づかないうちに限界を超えてしまう。

 

 大層な理由付けが完了したところで音をたてて立ち上がる。

 温まった体は外の冷気を感じさせないが、すぐに冷え込むことに違いない。

 

 温泉から上がると体の水気をとり、足早に脱衣所まで向かう。

 そして、服を着ようと手を伸ばして気づく。

 

 「…あれ、俺の着物は?」

 

 伸ばした手は何も掴まない。

 置いておいたはずの着物は、何処へともなく消えていた。

 

 何故、そう理由を考えていると、ふと視界の端に何かを捉えた。

 見てみれば、神狐のシキガミ。

 

 その手には、俺の服と、俺のものではない新しい浴衣がある。

  

 俺がそれを認識するのと同時に、シキガミはこちらへと寄ってくると浴衣を差し出してくる。

 

 これを着ろ、ということだろうか。

 

 受け取り、着てみればサイズは丁度良い。寧ろ、合いすぎて少し怖いくらいだ。

 

 「…これは神狐からか?わざわざありがとうな。」

 

 そう言えば、シキガミは一礼をしてその場から消える。

 俺の元々着ていた服は洗濯してくれるのだろう。

 

 暖簾をくぐり、広めのスペースへと移動する。

 

 さて、これからどうしたものか。

 

 思えば、カクリヨに来てから一人きりということは少なかった。

 正確には一人で暇になる。という経験が未だ乏しい。

 

 やることといえば鍛錬が多かったが、現状そんなことをすれば大神に後から説教を食らうし、ふろ上がりに汗をかくような真似はできれば避けたい。

 

 置いてあるベンチに座り、何ともなしにぼーっとする。

 

 白上達も、まだ温泉だろう。あちらは三人、俺は一人。

 こういう時、男が一人だと肩身が狭いというか。

 

 こちらに来て、同年代同性の友人といえば明人くらいか。

 ろくに挨拶もできないままだったが、また会えるだろうか。

 

 折角同郷の友人に出会えたというのに、あれきりというのは寂しいな。

 

 駄目だ、慣れない一人で、少しセンチメンタルになっているようだ。

 切り替えるように、頬を叩く。

 

 「あ、透さーん!」

 

 呼ばれてそちらを向けば、白上がこちらに向けて手を振っている。

 他の二人の姿は見えない。まだ、温泉なのだろう。

 

 先ほどの影響か、白上がいることがやけに嬉しく感じる自分がいる。

 ふとそんなことを考えたことを隠すように、手を振り返してみれば、白上はこちらへと小走りで近寄ってきた。

 

 しかし、おかしい。やけに白上の頬が赤い。それに、よく見ればその眼をとろんとさせて、何処か妖艶な雰囲気すら感じる。

 

 「どうしたん…」

 

 「どーんっ!」

 

 声をかけようと立ち上がった俺に、白上は小走りの勢いを緩めることなくその身を俺に預ける。

 端的に言えば、ハグをされた。

 

 ぴしり。

 

 そんな音が聞こえるかのように、俺の全身が硬直する。

 

 白上と俺の身長差的に、俺の胸辺りに白上が顔をうずめている形となる。

 

 ぎこちない動きで下を向くも、白上の頭が見えるだけ。その表情はうかがい知れない。

 風呂上がりなことも相まって甘い匂いが漂っており。しかも、薄着なのか柔らかい感触が伝わってくる。

 

 「ちょ、白上!?」

 

 これはマズイ。

 

 慌てて引きはがそうとするも、白上も浴衣を着ており、下手に肩を掴むとはだける可能性がある。

 ならばどこを掴めばいいのかと、伸ばした手をあたふたとさせ、最終的には降参のポーズとなる。

 

 「えへへ、透しゃーん。」

 

 白上は舌足らずに名前を呼びながら、こちらを見上げる。

 目が合えば、その相貌をふにゃりと崩して、俺の胸に頬ずりをする。

 

 そんな普段とは違う。見たこともない白上の姿に、全身の血液が沸騰する。

 触れ合っている部分が炎が付いているかのように熱い。

 

 何があった。何が起こっている。どうしてこうなった。

 

 思考が混乱する。

 

 温泉に入る前、白上は普段と同じであった。特に変わった点など見られなかった。にも拘わらずこのありさま。普通に考えて。温泉で何かあったのだろうが、それより、大神や百鬼はどうしたのか。

 

 こんな状態の白上を放っておくとは考えにくい、だが、実際に白上のみがここにいる。

 

 …いや、今は考えても無駄だ、そんなことよりもこの状況をなんとかしないと。

 

 「透…しゃん…」

 

 「なんだよ…って、おい!」

 

 名前を連呼する白上に返事をしようとしたところで、不意に白上の体から力が抜けた。

 ぐらりと傾く白上を慌てて支える。

 

 「白上、どうした!」

 

 体をゆすってみるも、反応は帰ってこない。ただ、人形のように白上が揺れるだけだ。

 

 意識がない。

 そう認識した直後、口元に手をやり息があることを確認する。

 

 「すぅ…すぅ…」

 

 規則正しい呼吸。

 どうやら、ただ寝ているだけのようだ。

 

 その事実に、安堵のあまりため息が出る。

 

 目の前で急に倒れられるというのは、あまりにも心臓に悪すぎる。

 

 にしても、こんなところで急に寝るなど、普通はあり得ない。

 すぐに思いつくものであの温泉か。

 

 のぼせでもしたのか、あるいはリラックスしすぎたのか。

 その辺りは定かではないが、ここで寝かせるわけにもいかない。

 

 「…よっと。」

 

 寝ている白上を横抱きにして持ち上げる。

 イワレの補助のない今の状態でも軽々と持ち上がる程に白上は軽かった。

 

 このまま部屋まで送り届けようかとも考えたが、勝手に部屋に入るというのもなんだ。一旦、すぐそばの先ほどまで俺が座っていたベンチへと運び、寝かせる。

 

 そうして、改めて白上へと目をやる。

 

 極力めをやらないようにしていたから気づかなかったが、倒れた拍子にか白上の浴衣が少しはだけてしまっている。

 

 「…どんだけ無防備なんだよ…。」

 

 気にしない性質なのか、それとも俺が意識されていないだけか。

 どちらにせよ、ここまでくると一周回って腹が立ってくる。

 

 とはいえ、このままにしておくのも目に毒だ。

 

 このまま寝かすにしても、そこだけ直しておこうと、なるべくその部分を見ないように慎重に手を伸ばす。

 

 自分の鼓動が聞こえる。

 近づくのに連動するように、どんどん脈拍が上がっていく。

 

 ただ乱れた服を直すだけなのに、何故か悪いことをしてる気分になる。恐らく、寝ている女の子に振れるということ自体が、それを助長している。

 

 ゆっくりと、伸ばしていた手がついに白上へと触れようとする。そして…

 

 「寝ている娘に何をするつもりじゃ?」

 

 「どあっ!?」

 

 突如横から聞こえてきた声に、電流が流れた手を引っ込めるように、反射的にその場から離れる。

 

 先ほどとは違う意味で高まる鼓動を抑えながら、声の出所を見やれば、そこにいるのは金髪の狐娘。用事があると、ある意味とんずらをこいていたはずの神狐がそこにはいた。

 

 「ほう、ただ声をかけただけでその反応とは、やはり何かいかがわしいことでもしていたようじゃな。

  こんな少女を眠らせて、何をしようとしておったんじゃか。」

 

 「違う、誤解だ!俺はただ服を直そうとしてだな。」

 

 弁明しようとするが、神狐はニヤニヤと悪戯に笑いながらこちらを面白そうな目で見ている。

 

 そこで理解する。からかわれていると。 

 こちらの事情を理解したうえで、神狐は俺を動揺させて楽しんでいる。

 

 「ま、ここで主らがいくら乳繰り合おうと妾は構わんがの。」

 

 「乳繰り合うって、片方意識ないんだがな。」

 

 そもそも、乳繰り合ってなんかいないし。

 そう誤解されるなら、せめてもう少しそれらしいことをしてからされたいものだ。

 

 「それより、いきなり白上が寝たわけだけど、神狐は何か知っているのか?」

 

 白上が倒れているのを分かったうえで、俺をからかう方向にシフトしたということは、原因が分かっているからこそだろう。

 

 「無論じゃ、お主温泉にはもう入ったのじゃろ?」

 

 「あぁ、入った。」

 

 普通の温泉とはまた違った、全身の疲れが取れるようでもう一度入りたいとも思った。

 やはり、あの温泉に何かあったのか。

 

 「あれは体を温めることもそうなのじゃが、実のところ魂に影響を与える湯なのじゃ。」

 

 「…魂に?」

 

 概念的なものが出てきた。

 元々イワレやワザなど、様々な現象を見てきていたこともあり、それ自体に対する驚きは少ない。ここまで隠された神社の秘湯だ、そのくらいの事実に取り乱しはしない。

 

 しないが、ここに来て新しい概念が増えた。

 魂、それは概念としては割と一般的で、誰でも知っているようなものだ。

 

 だが、それが実在するという。

 実在というか、影響を及ぼせるものであるということに、少なからずの驚きはある。

 

 「そう、魂じゃ。あの湯は、魂の疲労をとり、イワレの流れを調整する。

  イワレは肉体、魂の両方に影響を与える。普段イワレを使用した疲労はその両方に溜まるのじゃ。

  

  そして、肉体の疲れは取れても、魂の疲労は普通の休息ではすべて取れないのじゃよ。」

 

 なるほど、取れないからこそ、疲労が蓄積され続けるということか。

 あの全身の凝りが取れていくような感覚も、魂の疲れが取れる感覚だったのか。

 

 「だけど、それが白上のが寝ている理由になるのか?」

 

 理屈は分かるが、それなら俺も同じように温泉に入って魂の疲労を取り除いているはずだ。

 しかし、眠気など一切感じない。

 

 「それはそうじゃろ、聞けば主がカクリヨに来てから何年と経っておらんじゃろ。

  比べて、こやつは紛れもないカミじゃ。数十年、数百年分の疲労が取れたのじゃ。それは眠りについてもおかしくなかろうよ。」

 

 

 

 

 

 

  




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イズモ神社(下)


どうも、作者です。

評価くれた人、ありがとうございます。

以上。


 

 「長い年月を経たカミはそれに比例した疲労を、魂にため込んでおる。

  だからこそ、それが取れればこうして眠りこんでも、不思議はないのじゃよ。」

 

 説明を終えると、神狐はその尾をゆらりと揺らしながら、白上へと近づく。

 

 しかし、それが分かっていたのなら、事前に知らせてくれていても良かったのではないか。そうすれば、先ほども変に動揺しなくても良かった。

 

 いや、違うか。それこそ先ほどと一緒だ。

 俺はまんまと神狐に化かされたのだろう。

 

 神狐は、白上のすぐそばで立ち止まると、おもむろにその手を白上へとかざした。

 

 「何をするつもりなんだ?」

 

 「なに、少しばかり確認するだけじゃよ。」

 

 言い切ると同時に、白上へとかざされた神狐の右手が、青い光を宿す。

 右手だけではない、尻尾や獣耳の先に至るまでが薄く光っている。

 

 この光景には見覚えがある。

 

、イズモ神社へと来る道中にも、神狐は同じようにしてワザを使用していた。

 これは、神狐がワザを使用する際に起こる規程の現象なのだろうか。

 

 黙ってその光景を見ていれば、その光は伝播するように、白上の全身を淡く覆った。

 

 十秒ほど経過しただろうか、二人を包んでいたその光は少しずつ収まっていく。

 

 「それで、何を確認してたんだよ。」

 

 完全に光が収まったのを見計らい、声をかける。

 

 「この娘の魂じゃよ。疲労が取れておるかくらいならすぐにできるからの。」

 

 「魂って…、そんなことまで出来るのか。」

 

 シキガミを操ったり、雪をどかしたり、今度は魂だ。 

 底が知れない、というのは大袈裟かもしれないが、それでも、そう思わずにはいられない。

 

 「うむ、一応イズモ神社の神主だからの。相応の力を持っておかんと示しがつかぬ。」

 

 ドヤ顔で胸を張る神狐に、思わずぱちぱちと拍手を送る。

 それに気を良くしたのか、満面の笑みを浮かべている。

 

 確かに、能力などの面では底知れない凄みを感じるが、この絵だけはどう見ても、子供が褒められて喜んでいるようにしか見えない。

 

 端的に言えば、やっている事は凄いが威厳は感じない。というやつだ。

 

 「あー、やっぱり。」

 

 心がほっこりとするのを感じていると、後方からそんな声が聞こえてくる。

 振り返ってみれば、大神がこちらを見て、苦笑いを浮かべている。

 

 「大丈夫って言ってたからもしかしたらって思ってたけど…、流石に無理があるよね。」

 

 そう言う大神の背には、百鬼が背負われている。

 どうやら、白上と同じように、百鬼もまた眠ってしまったようだ。安心しきっているようで、あどけない寝顔をさらしている。

 

 どちらも神狐から貰ったであろう浴衣を着ており、それを見て、神狐も満足そうにしている。

 

 「二人は寝てるけど、大神は大丈夫なのか。」

 

 白上と百鬼は眠っているが、大神は眠気を感じているようには見えない。同じカミであるのならば、大神も疲労を残していそうなものだが。

 

 大神はそれを聞くと、少し目を丸くして、納得したように声を出す。

 

 「うん、大丈夫だよ。フブキと出会ってからは入ってなかったから、久しぶりに体の疲れが取れたみたいな、すっきりした気分。」

 

 「もっと入りに来てもよいのじゃがな。こやつときたら、中々帰ってこようとしないのじゃ。」

 

 じとりとした視線を向けられた大神は、肩身が狭そうに視線をそらしている。

 

 そんな二人の会話を聞いていて一つ疑問が湧く。

 

 確か、大神はこのイズモ神社にいたことがあると聞いていた。

 しかし、この言い方では、来たことがあるのは事実であるのだろうが、まるで。

 

 「そうだよ。

  うちね、昔はここに住んでたんだ。」

 

 「え…あぁ、また顔に出てたか。」

 

 そろそろ、思考を読み取られることにも慣れてきた。

 

 だが、やはりそうか。

 数度来たことがあるにしては、大神のここまでの立ち振る舞いはあまりにも自然体であった。

 

 しかし、住んでいたともなればそれにも納得がいく。

 

 さらりと言ってのけた辺り、大神にとっては別段隠し立てすることでもないのだろう。

 いや、ここに連れてきた時点で既にそうであるか。

 

 「ん…」

 

 突然、大神の背の百鬼が身じろぎをする。

 起きる様子はないが、いくら眠かろうと、人の背に背負われたままではん眠りにくいか。

 

 「おっと…、透君、詳しい話はまた後でね。取り合えず、あやめとフブキを布団に入れてあげないと。

  悪いんだけど、フブキのこと運んで貰ってもいいかな。」

 

 「分かった、任せてくれ。」

 

 大神に答えてから、白上の元へと向かう。

 

 無防備に眠っているところに手を出すのは気が引けるが、しかし、いつまでもベンチの上に寝かせるわけにもいかない。

 

 意を決して、先ほどと同様にして横抱きで抱え上げる。

 

 「あ、そうだった。」

 

 部屋に向かうため、階段を上がろうとした時、大神がふと立ち止まった。

 どうかしたのか、と俺と神狐も足を止める。

  

 「ねぇ、せっちゃん、部屋の件なんだけど。」

 

 「あーっと、急用を思い出したのじゃ。今すぐ行かねば…そう、凄いことにってしまうのじゃ!」

 

 振り返り告げられた大神の言葉に、神狐はサッと顔を青くすると、白々しい演技でまくしたて、脱兎のごとく駆けて行ってしまう。

 

 言伝を受け取っていたはずなのだが、なぜのこのこと出てきてしまったのか。

 

 「もう、また逃げる。別にひどいことするつもりなんてないのに…。」

 

 心外だと言わんばかりに頬を膨らませる大神。

 

 「ちなみに、言伝にはなんて書いてたんだよ。」

 

 仕返しとは言っていたが、具体的に何をするとまでは聞いていなかった。

 あそこまで急いで逃げるほどの

 

 大神は歩きながら、虚空を見上げ考えると答える。

 

 「お尻百叩きと正座二時間どっちがいい?って。」

 

 「…いや、それは逃げるだろ。」

 

 神狐でなくても、逃げたくなるのも分かる。

 今回は、事情が事情だからあまり擁護もできないが。

 

 未だ起きる様子のない二人を部屋に寝かせると、俺と大神は自分たちの部屋へと戻る。

 

 椅子も置いてあるのだが、今回はそれに座ることもなく、それぞれのベットに腰掛け、特に会話もなく、静かな時間が流れる。

 

 つい折れてしまったが、やはり同室というのは早まった気がする。

 

 別に、普段のように二人で茶を飲みながら話をするくらいならどうってことはない。だが、一緒の部屋で寝るともなれば話が別だ。

 

 一言でいえば、気まずい。

 

 それだけではない、要因は他にもある。

 

 ちらりと大神へと目を向けてみるが、部屋の向かい側の窓から外でも見ているようで、こちらからはその背中しか見ることが出来ない。

 

 いつもなら、ほんわかと軽く話を振ってくる大神が、今日ばかりは部屋に入って以来一言も喋っていない。 

 

 おかしい、先ほどまでは普通に話せていたはずなのに、この部屋に入ってからはこうなってしまった。

 

 だが、いつまでもこのままというのはお互いの精神衛生上よろしくない。

 

 「あの、おおか…」

 

 「…よしっ!」

 

 勢いよく両頬をぱちんと叩くと、大神はようやくこちらへと振り返る。

 

 その顔は紛れもなく、いつも通りの大神だ。

 少し頬が赤いが、これは今叩いたことが原因だろう。

 

 「透君…。」

 

 「あ、はい!」

 

 大神の鋭い視線に、思わず背筋を正して堅苦しい返事をして、何事かと身構える。

 

 「脱がすね。」

 

 「はい!…ん?脱がす?」

 

 反射的に返事をしたものの、すぐに違和感に気が付く。

 

 いや、まぁ服を脱げというのは分かる。

 あれだろう、例のマッサージをするのだろう。

 

 その為には上半身裸になり直接肌に触れる必要がある。

 割と唐突ではあるが、うん、ここまでは理解できる。

 

 だが、脱がす。

 

 自分でするのであれば、脱ぐ。自分から他人へとその旨を伝える場合、脱いで。

 こうなるはずだ。

 

 脱がす、つまり自分から相手への行動。

 

 何故大神が俺の服を脱がす。

 そういえば、先日も脱がされた。もしかして、そうしなければならない理由が?

 

 あってたまるかそんなもの。

 

 そうこうしているうちに、がっと肩を掴まれる。

 

 「落ち着こう、大神。常に冷静にだ。

  そう、だからまずはその手を離してだな。」

 

 説得を試みるが、がっちりと掴んでいてその力が弱まる様子は無い。

 このままでは本当に脱がされる。

 

 そう判断した俺は、大神の下がろうとする手を掴み抵抗を試みる。

 しかし、残念なことに、現在の俺はイワレによる身体強化は以ての外、普通の身体能力すら下がっており、全力で力を込めても恐らくまだ全力ではない大神にギリ拮抗するのが限界だ。

 

 「大丈夫だよ、透君。痛くしないから、ほんの一瞬だから。」

 

 「俺の精神的な問題なんだよ!…そうだ、自分で脱ぐ、自分で脱がせてくれ。」

 

 そこでふと気づく、大神の顔がやけに近い。

 

 それはそうだ、俺の浴衣の衿を掴んで下げようとしているのだ。腕は曲げなければ下へと力を加ずらい。そうすると、自然と肩から手までの距離は短くなり、当然顔も前へと出てくる。

 

 近づくことで、大神から白上とはまた違った甘い香りがすることに気づく。しかも、地味に乗り上げてきてくるせいで、下手に動けば、それこそ一大事となってしまう。

 

 「大神、この態勢は色々とマズイ!とにかくいったん離れて…」

 

 「でも、これはうちがやらないと。大丈夫だから、うちは大丈夫、大丈夫。」

 

 目をぐるぐると回しながら大丈夫を繰り返す大神。

 駄目だ、話が通じていない。

 

 何が大神をここまで駆り立てるんだ。

 昨日の今日ならぬ、先ほどの今で何が起こったというんだ。 

 

 いくら抵抗をしたところで、相手は万全な状態のカミ。一般人以下の俺がそう長く拮抗できるはずもなかった。

 

 ついに、俺の手もろとも、大神の手が下がる。

 

 「暇なのじゃ!ということで、主らも共に…」

 

 スパンと襖が開き、またもや神狐が登場する。

 何やら誘いに来たらしい、しかし、全てを言い切ることなくこちらを見て固まっている。

 

 それをみて、今一度自らの体制を顧みた。

 

 上半身は案の定何も着ていない。恐らく神狐からは位置合いとして俺の背中が見えているはずだ。

 しかも、タイミングのみならず不幸は重なるもので、恐らく大神の耳が、黒い獣耳が俺の肩越しに見えているだろう。

 

 何故、神狐が言葉を止めたのか。その理由が分かった。

 

 さて、どうしよう。

 一周回って冷静になってきた。

 

 多分、弁明しても無駄なんだろうが、まぁそれ以外に打てる手はないし。

 やることは決まった、あとは実行するのみ。

 

 神狐の方へ振り向く。

 

 「ごゆっくりなのじゃー。」

 

 現実とは時に残酷なものである。

 予想よりも早く、神狐は再起動していた。静かに音を立てて襖が閉まる。

 

 …。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「いだだっ…、それで、何で、ぐっ…、あんなことになったんだ。」

 

 マッサージによる激痛に耐えながら、ベットの横に立ち俺の背に手を当てる大神に問いかける。

 

 「あ、あはは、ちょっと緊張しちゃって。でも、今度こそ大丈夫だから。」

 

 「今度ね、もう服をはぎとられるのは勘弁だぞ。」

 

 気まずそうに笑う大神に軽くジト目を送っておく。

 あの後、神狐を追う気力もなく。大神が正気に戻すことを最優先にした。とはいえ、割とすぐではあったが。

 

 そして、当初の目的であったはずのマッサージへと移行した。

 

 「意外とネジ飛んでるとこあるんだな。いでっ…知らなかった大神の一面が最近よく見える気がするよ。」

 

 いや、むしろこれまでが知らな過ぎただけなんじゃないかとすら思える。

 

 「透君、その言い方すごく意地悪だよ。」

 

 不服そうな大神。

 軽い意趣返しに成功して、笑いがこぼれる。

 

 「大神、ここに住んでたんだって?」

 

 そういえば、部屋に戻る前にそんなことを言っていた。

 そう考えると、大神も慣れ親しんだ場所に帰ってきて、良い意味で気が緩んでいるのかもしれないな。

 

 「うん、そうだよ。正確には少し違うのかもしれないけど、せっちゃんとはその時から色々お世話になってたんだ。」

 

 お世話か。

 どちらかというと、大神が世話を焼いているイメージしかわかないな。

 

 「凄いんだよ、せっちゃん。うちと出会った時にはもうカミだったんだけど、できない事なんてほとんどないくらいでね。皆の憧れの的だったんだ。」

 

 「え、それ本当か?現時点ではあまり想像できないんだが。」

 

 カクリヨの歴史に明るいわけでもないし当時どんな時代だったのかすら分からない。

 

 首をかしげていると、そんな俺を見て大神はくすくすと笑う。

  

 「だよね、ちょっと事情があってね。今のせっちゃんは全盛期に比べて大分力は落ちてるから。」

 

 力云々ではないのだが。いや、言うまい。

 

 しかし、今神狐を語る大神の顔に若干曇りが見えた。

 何かがあったのだろう。神狐が力を失うこととなった何かが。

 

 だが、それも昔のこと。それこそ明確に過去と呼べるほどには。

 既に当人同士で折り合いはついているのだろう。だからこそ、今もこうして二人は遠くからやり取りをしたり、会いに来れているのだ。

 

 それを、藪をつつくような真似はしない方が良い。

 

 「…そっか、ま、俺から見たら神狐も、白上も百鬼も、大神だって。凄いと思うし、憧れだよ。」

 

 追いつける気はしないし、追いつけるとの思っていない。

 それだけ、四人のそれぞれ積み重ねてきたものは大きい。

 

 その教養が、知識が、経験が、時間が、彼女たちを彼女たちたらしめている。

 

 本人を前に言うのも気恥ずかしいが、偽ることのない俺の本心だ。

 

 「…もう、口がお上手ですね、お客さん。」

 

 「いきなりどんな設定だよ。っていだだだ。」

 

 そんな声と共に背中に走る激痛に、顔を伏せて耐える。

 変な口調にツッコむのに精いっぱいだったこともある。

 

 そのほんのり赤く染まった少女の顔を俺は見ることはなかった。

 

 

 

 





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散歩

どうも、作者です。

評価くれた人ありがとうございます。

以上。


 「これでよし、終わったよ透君。お疲れ様。」

 

 「あ、ありがとうございました。」

 

 マッサージを終えた大神の手が背から離れる。

 

 二回目とはいえ、痛いものは痛い。途中雑談くらいはできるようになったが、それでも最後の方には精神的に疲労がたまった。

 

 とはいえ、痛みの分効果も如実に表れている。

 温泉の効能も相まってか、自分でも実感できる程にイワレの流れが良くなっている。

 

 これなら、百鬼に見せてもヘドロのようだとは言われないだろう。

 

 イワレの流れが改善してきたことにより、心なしか体が軽い。

 

 「透君、これから用事はある?」

 

 「ん?いや、特にないけど。」

 

 浴衣を着なおしていると大神が声をかけてくる。

 

 確か神狐にシキガミについて教えてもらうことになっていたが、何時かは決めてなかったし、そもそも肝心の神狐がどこかへと行ってしまった。

 

 適当にくつろぐか、その辺りの探索でもしようかと考えていたところだ。

 

 「それじゃあ、うちとちょっとお散歩しない?良かったら案内できるけど。」

 

 「散歩か…いいな、よろしく頼む。」

 

 何をするか決まったところで、早速部屋を出る。

 一応、白上と百鬼が起きているか確認したが、今もぐっすりと眠っていた。

 

 外に出て、改めてイズモ神社の街並みを見渡す。

 

 こんなにも大きな街とも呼べるほど建造物があるということは、かつてこの神社は人で賑わっていたのだろう。

 

 それが、今は神狐が一人住むのみ。

 そう考えると、どうしても称賛よりも先に、寂寥感が湧いてくる。

 

 「どうしたの、置いて行っちゃうよ。」

 

 「っと、悪い。」

 

 声をかけられて、自分が立ち止まっていたことに気づく。

 すぐに追いつき、二人そろってゆっくりと歩く。

 

 少し冷えるが、歩いていれば適度に暖かくなるだろう。

 

 それからしばらく、大神の案内に従い、イズモ神社を巡った。

 いくら広いと言えど、そこまで寄る場所は無いと思っていたが、それは間違いであった。

 

 ここから見る景色は綺麗だ。

 

 ここにはこんなものがある。

 

 あれはこういう建物だ。

 

 聞けば聞くほど、イズモ神社の魅力が出てくる。

 

 一人で歩けばどうってことのない場所でも、大神の説明によって途端につい足を止めてしまうような場所になる。

 

 「それでね、この庭園は…」

 

 説明をする大神はとても楽しそうで、いきいきとしている。

 いつもは皆の世話ばかり焼いている彼女だが、こうしてみるとただの一人の少女のようだ。

 

 「…て、透君、聞いてる?」

 

 「えっ…あぁ、もちろんだ。」

 

 嘘である。

 大神を見ていて、ほとんど耳に入っていなかった。 

 

 「じゃあ、今さっき言ったことを復唱してみて。」

 

 きらりと大神の瞳が獲物を捕らえた肉食獣のそれに代わる。

 これは、完璧にばれてるな。

 

 逃げようは…なさそうだ。

 

 「ごめん、聞いてなかった。もう一回頼む。」

 

 「もう、変な嘘つかなくても怒ったりしないのに。」

 

 そう言うと、再び大神は説明を始める。

 

 どうやらこの庭園の池では昔、大神が魚を飼っていたらしい。

 それを、神狐と共にここで見ていたとのこと。

 

 しかし、今はそんな面影は一切ない。

 池の中を覗き込むが、そこに生物がいた名残は一切ない。

 

 そもそも、こんな環境なのだ。普通の生物が生息できるとは思えない。

 

 「だけど、意外というか新鮮だな。」

 

 「?何が?」

 

 大神は不思議に顔をこちらに向ける。

 

 「大神に限らず、皆の昔話って聞いたことなかったからさ。あっても割と最近のことだし。」

 

 こうして昔話をしてくれるようになったのは、ある程度気を許されたからなのか、それとも気が緩んでいるからなのか。

 

 どちらにせよ、何処か嬉しく感じる自分がいる。

 

 「確かに、隠してるわけじゃないんだけど、あんまり話さないかも。ちょっと恥ずかしいし。」

 

 大神は照れたように頬を掻く。

 

 どんな人物にせよ子供時代は存在する。

 基本的には未熟ゆえの過ちなどもあり、話すことに抵抗があってもおかしくない。

 

 しかし、今の彼女らしか知らないことからも、どうしても興味を抱いてしまう。

 

 「ほら、透君だって子供の頃は…て、ごめん今の無し。」

 

 突然にしまったという顔をすると、申し訳なさそうにこちらを見つめる。

 

 どうしたのだろう。

 何か言ってはいけないことを言ったような雰囲気。

 

 今の会話の何処にそんな要素が…。

 そこまで考えて、ようやく気がつく。

 

 「記憶のことなら、そこまで気にしなくても良いぞ。正直不便を感じるような事は一切ないし。」

 

 「それでも、思い出したくても思い出せないのに、昔の話をしちゃって。」

 

 本当に気にしてるのであろう、大神の両耳がぺたりと垂れている。

 どういう原理かは知らないが白上といい、耳と尻尾は感情とリンクしているらしい。

 

 見ていて飽きないからずっと見ていたいが、流石にそろそろフォローを入れよう。

 

 「むしろ、聞きたいと思うくらいだからどんどんしてくれよ、思い出話。

  特に大神って普段しっかりしてるから、どういう子供だったのか結構気になる。」

 

 「…そうなの?それなら、良かった。」

 

 ほっと安心したように、大神は息を吐く。

 心なしか、強張っていた表情も緩やかになっている。

 

 人を気遣うのもいいが、過ぎれば逆効果。良い体験になった。

 

 それにしても、三人から昔話を聞かないのも、俺に気を使ってのことなのだろうか。

 …いや、そうなのか?大神はともかくとして、白上や、百鬼は微妙だ。特に百鬼は何というか他に理由があるような気がするが、まぁ、今は良いか。

 

 「最近は、本来の自分に不安すら覚えてるから、戻りたいかと聞かれると微妙なんだよな。」

 

 「大丈夫、透君は透君だよ。」

 

 そうだと良いな、と池を眺めながらなんとなしに考える。

 

 池の水に反射した自分の顔を見る。

 俺は俺か、はたして記憶を取り戻した際にも同じことが言えるのだろうか。

 

 今の記憶を本来の自分が丸々引き継ぐのか、ただ今の状態に本来の記憶だけ戻るのか。

 それとも、今の俺が消えて、元の俺に置き換わるのか。

 

 今の俺にとって元の俺というのは別人に等しい、そうだとすれば、記憶が戻れば今の居場所に元の俺が付くことになる。

 

 それは…

 

 「それは、嫌だな。」

 

 「透君?」

 

 そんな言葉がつい口をついて出てしまう。

 何故こんなことを思ったのか明確には分からないが、何となく、この想像が気に食わなかった。多分それだけだ。

 

 それに、自分に関する記憶が抜け落ちているだけで、今の俺が本来の自分の可能性すらある。

 

 「いや、何でもない。それより、次のところも案内してくれよ。」

 

 「?…いいよ、じゃあ行こっか。」

 

 若干訝し気にこちらを見るが、それ以上踏み込んでくることもなく、俺達は次の場所へと向かう。

 

 それから、一通りイズモ神社を回ると、宿へと戻った。

 回った場所自体は約十か所ほどではあったが、一つ一つの説明を聞いていると、ぞの分時間もかかった。時間帯的には少し遅めの昼ご飯となりそうだ。

 

 宿の扉を開け、中に入る。

 

 「あー、どこ行ってたんですか?」

 

 「あれ、フブキ。もう起きてたの?ちょっとお散歩に行ってただけだよ。」

 

 二階で寝ていたはずの白上がベンチに座って牛乳を飲んでいた。

 白上はこちらに気が付くと、牛乳を飲み干し、駆け寄ってくる。

 

 それにしても。

 

 「白上、その牛乳どうしたんだ?持ってきてなかったよな。」

 

 流石に飲み物を持ってくるのは、しかも牛乳を持ち運ぶわけがない。そこまで好きなら聞いているはずだし。

 

 だが、この宿にはそう言った飲み物は置いていなかった。

 

 「これですか?そこで座ってたらシキガミさんが持ってきてくれたんですよ。」

 

 あそこにいますよ、と言って指さされた方向を向けば、何故か割烹着を着ているシキガミがいる。

 

 「…神狐のシキガミか、何であんな格好を。」

 

 「補給用のシキガミだよ。あの子が外から色々持ってきてくれるの。服はせっちゃんの趣味らしいよ。」

 

 なるほど、食料事情はどうなっているのかと考えていたが、外からの供給だったか。

 

 しかし、趣味ということは服装は時々で変わってくるのだろうか。

 正直、顔が狐だから違和感が半端でない。

 

 「フブキ、あやめはまだ上?」

 

 「はい、揺すってみたんですけど全く起きる気配が無かったので、白上だけ下に降りてきたんですよ。」

 

 まだ、百鬼は起きていないのか。

 

 この場合魂の疲労に比例してその後の睡眠時間も変わるらしいが、それほど疲労が大きかったのだろうか。

 

 「そっか、なら仕方ないね。透君、フブキ、何か食べたいものある?頼んだら大体のものはあの子が作ってくれるよ。」

 

 「なんでもですか!?」

 

 予想外の食いつきを見せたのは白上。

 その眼は期待の為かきらきらと輝いている。

 

 「なんだ、食いたいものでもあったのか。」

 

 白上の好物といえば、きつねうどんがパッと思い浮かぶが、それならミゾレ食堂でそれこそ飽きるほど食べているだろう。いや、あれだけ食べて飽きている様子は全く見られないが。

 

 テンションが上がっているのか、白上は食い気味にこちらに詰め寄ってくる。

 

 「はい!このカクリヨでもめったにお目にかかれない歩くうどん屋マボロシ。その唯一のメニューである幻のきつねうどんは食べれば普通のきつねうどんが霞んでしまうほど絶品と噂なんです。」

 

 「…きつねうどんからは離れないのな。」

 

 しかし、そこまで熱弁されると一度食べてみたくなるな。

 

 白上は期待の視線をシキガミへと向けると、自然、全員の視線が集まる。

 

 「…」

 

 だが、そんな期待は無言で首を横に振るシキガミによって見事に砕かれた。

 

 「流石にそれは用意できないみたい、普通のきつねうどんなら大丈夫だと思うけど。」

 

 「うぅ、そうですか、そうですよね。普通のでお願いします。」

 

 大神の説明を受けて、白上は涙ながらに頷く。

 

 というか、その上できつねうどんを頼むのか。

 この異常なまでの執着はどこから来るのだろう。

 

 そんな一幕を見ていたら、俺まできつねうどんしか考えられなくなった。

 それは大神も同じようで、三人揃って同じものをシキガミへとお願いする。

 

 「そういえば、神狐は良いのか?」

 

 一応、このイズモ神社にいるのは全員で五人。

 百鬼は寝ているから仕方ないとしても、神狐は寝ているわけでもないだろう。誘えるのなら誘いたいが。

 

 「んー、一回どこか行っちゃうと基本的に見つけられないんだよね。出てこないってことは先に食べても良いってことだよ。」

 

 「不思議な方ですねー。」

 

 しばらく、三人で一階のテーブル席に座り雑談をして時間をつぶす。

 最近調査続きだったせいか、何も考えずにこうして話すのは気が楽だった。

 

 それからそこまで時間も経たず、先ほどのシキガミがお盆に三つの器を載せて現れる。

 

 中には、大きな油揚げの乗ったうどんが湯気を立てている。

 

 外の気温が低かったせいか、やけにそれが美味しそうに見えた。

 

 「おかわりはありですか!?」

 

 白上がすかさず聞くと、シキガミは縦に首を振ってこたえる。

 

 「フブキって普段はそうでもないのに、きつねうどんだけは妙に食い意地張ってるよね。」

 

 「それはもう、神聖な食べ物ですから。いくらでも食べれますよ。」

 

 「きつねうどんとの間に何があったんだよ。何の説明にもなってないし。」

 

 話もほどほどに、手を合わせて箸をとる。

 

 かなりの短時間であったのにも関わらず、出汁もきちんと取られている。

 事前に用意でもしていたのか、特殊な調理法をとったのか。

 

 とはいえ俺がいえるのはただ一言。

 

 超美味い。

 

 つい夢中になって食べ進める。

 

 「お代わりをお願いします。」

 

 「速いな!」

 

 こちらはまだ半分も食べていないのに、白上の器を見ればスープすら残さず、綺麗に空となっていた。

 シキガミは、器を回収するとすぐに新たな器を白上の前に置く。

 

 器の中には、先ほどと同じようにきつねうどんが入っている。

 あっけに取られてそれを眺めていると、白上は食事を再開し見る見るうちにうどんが減っていきまた、器が空になる。

 

 そしてまた、シキガミは新しいうどんを白上の前に置く。

 

 「…わんこそばみたいだ。」

 

 「結構熱いと思うんだけど、何であの速度で食べれるのかうちも分からない。」

 

 結局、俺と大神が一杯を食べ終わるころには、白上は四五杯ほどを完食していた。

 

 前にミゾレ食堂で食べているところを見たことがあるが、未だにどこにあれだけの量が入っているのか想像もつかない。

 

 とはいえ、また言葉を間違えてあらぬ不興を買ってはたまらない。ここは何も言わないでおこう。

 

 「それで、これからどうしよっか。」

 

 シキガミが食後にと持ってきてくれたお茶を飲みながら大神が言う。

 

 イズモ神社は大神とあらかた回ったから、散策という気分でもない。

 かといって、何もしないというのももったいない。

 

 「そうじゃな、丁度よい。シキガミについて学んでみるのはどうじゃ?」

 

 「あ、そうだな、折角だし…」

 

 言葉を途切って、声の出所へを見れば、どこから現れたのか神狐が立っていた。

 

 

 

 

 

  





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シキガミ講座


どうも、作者です。



 「あれ、神狐。どこに行ってたんだよ。」

 

 いつの間にやら現れた金色の少女へと問いかける。

 今日会ったばかりだが、奔放な性格をしていることは確かだ。

 

 「ちょっとした野暮用じゃよ。それよりどうじゃ?」

 

 持ちかけられたのは、シキガミ講座。

 ある程度、イワレの流れも改善したことだし、これなら無理をしなければ問題はない筈。

 

 何より、神狐はその辺りも詳しいみたいだし、その当人が誘ってるのだからなおさらだ。

 

 一応、大神に確認をとるように視線を送る。

 

 「大丈夫だよ、今の段階でもうほとんど治ってきてるし、もう一日同じ処方をすれば完治するから。

  それに、シキガミってどちらかというとあんまり負担はかからない技術だし。」

 

 「そっか、なら神狐、よろしく頼む。」

 

 そういうことなら、と神狐に返事をする。

 

 「うむ。白上よ、お主もどうじゃ?どうせ教えるなら一人も二人も変わらんが。」

 

 「いいんですか?そういうことなら、お願いします。」

 

 ということで、二人で神狐からシキガミに付いて学ぶこととなった。

 大神は百鬼が起きたときに誰もいないのはとのことで、部屋の方でゆっくりとするらしい。

 

 神狐に案内されるがままについて行くと、イズモ神社の入り口にあった本堂へと通される。

 

 こんなところ使っても良いのかとも気になったが、特に信仰などはないらしく今ではただの広い居間程度の扱いとなっているらしい。

 

 それでいいのかイズモ神社。

 

 「よし、では始めるとする。準備はよいかの?」

 

 「「はい!」」

 

 正座をして、神狐の問いに元気よく答える。

 それに満足するように一つ頷くと、神狐は説明を始めた。

 

 「まずはシキガミについて話そうかの。

 

  一般的にシキガミとは、アヤカシの扱うワザとはまた違った手法で用いられる使い魔のようなものじゃ。ワザではない故に体力やイワレなどの使用は極めて少なくて済む。

 

  用途も様々じゃ、妾のように家事などの雑事に使うこともあれば、戦闘でのサポートに使うものもおる。」

 

 「白上のエンチャントもシキガミに手伝ってもらってるんですよ。」

 

 そう言う白上の肩に、光と共に小さな白い狐が現れる。

 なるほど、白上が武器を変化させるとき発光していたのはこれが原因だったのか。

 

 「シンキなどの武器に憑依させておるのじゃな。戦闘での使用法としての最適解とも言えるじゃろう。」

 

 白上のシキガミは、こちらをじっと見ると、すぐに顔を逸らしてしまう。

 

 「あ、もう、すみません。この子人見知りでして。」

 

 「気にすんな、今まで姿を見たことがなかったのってそれが原因か?」

 

 「はい…。」

 

 もー。と抗議するように白上はシキガミを指でつつくが、当のシキガミは遊んでもらっているとでも思ったのか、じゃれついている。

 

 「シキガミは基本的に動物の形を取ることが多い、そうでなくともそれに準じた姿となる。

  妾のシキガミも顔が狐であったじゃろう?あのように、どこかしらに特徴が出てくるのじゃよ。」

 

 確かに、白上のシキガミも、神狐のシキガミも狐だ。

 どちらも使用者の特徴と一致しているが、やはりこの辺りも関係してくるのだろう。

 

 イメージの問題か、イワレの問題か。どちらにせよそう言うことなら今の時点で俺がシキガミを使用した場合の特徴は予想がつかないな。

 

 「そういえば、さっき一般的な使い方って言ってたけど、他にも使い方はあるのか?」

 

 ぱっと思いつく使い方はそれこそ、家事、戦闘くらいだ。それ以外というと、大神が伝言を預けていたが、あれが例外的なモノとは思えない。

 

 「そうじゃの。先にシキガミとはワザとは違う、消費の少ないモノと説明したじゃろう。

  逆に、消費をすればその性能や実現可能なことの幅を広げることが出来るのじゃ。

 

  通常、シキガミを扱える数に限りがあるがそれを突破したり、憑依の対象を変えて自らの強化を行ったりの。かくいう妾のシキガミもこの前者に当たる。

 

  つまるところ、シキガミと己がワザを利用し、新たなワザを自分のものとする事ができるのじゃよ。」

 

 新たなワザ。

 

 俺のワザは結界に封じ込めた対象物を封じ込めるものだ。

 それを、シキガミと組み合わせるのか。

 

 …だめだ。まだ見ぬ自分のシキガミが結界の中から悲し気にこちらを見つめる場面しか思い浮かばない。

 

「組み合わせによっては、現時点でのワザの弱点の克服にもつながるからの。じゃが、問題点もある。」

 

 「問題点ですか?」

 

 神狐の言葉に白上は疑問符を浮かべる。

 それは俺も同じだ。

 

 今のところそれ自体にはメリットしか感じない。

 

 「まず、これは習得するには膨大な経験が必要となる。それこそ、カミに至る程のモノでない限り、身に着けることは難しい。

  

  そして、それだけ難易度も高い。

  カミでも扱いきれないものもおるし、ワザの相性もある。

 

  白上の言う、エンチャントとやらは、ただ武器の形状を変えるのみであろう。それ以降の効果はまた別のワザが発動しておるのじゃよ。」

 

 その言葉に、白上がワザを使用した時のことを思い出す。

 

 確かにエンチャントの他にもワザを続ける形で使用している。てっきり、あれもシキガミと組み合わさったものだと考えたが、どうやら違うらしい。

 

 それならば、大神はどうか。

 いや、大神がシキガミを使用しているところを見たことはない。

 

 他に…

 

 そうだ、百鬼のシキガミ降霊。

 百鬼はあれは戦闘用のシキガミだと言っていた。

 

 それを体に憑依させて、爆発的に身体能力を上げるワザとしていたのか。

 

 実際には本人に聞くしかないだろうが、今の話を聞く限りそういう解釈もできる。

 

 「ちなみに、神狐はどんなワザと組み合わせてるんだ?」

 

 恐らく、シキガミの数の限界を拡張しているのだろうが、何と組み合わせたらそれが可能となるのか。

 

 純粋に気になってしまう。

 

 「妾か?そうじゃな…、答えてもよいのじゃが…いや、しかし。」 

 

 「いや、答えにくいのなら無理に答えなくてもいいぞ。」

 

 何やら、悩ませてしまったらしい、顎に手を当てうんうんと唸る神狐に言う。

 

 だが、それでもなお、神狐は何事か考え込んでいる。

 しまったな、もう少し考えてから聞くべきだったか。

 

 「…うむ、ではヒントだけ答えよう。

  妾のシキガミは、魂のワザに関係しておる。これ以上は自分で考えると良い。」

 

 「魂か…、分かった考えてみるよ。」

 

 とは言ったものの、それがどうシキガミに関与しているのかはさっぱりだ。

 

 基礎的な説明が終わった所で、本格的にシキガミを扱ってみることとなった。

 

 「透はシキガミを持っておらぬのじゃろう。なら、まずは自身のシキガミを生み出すところからじゃな。…ほれ。」

 

 「?なんだこれ。」

 

 手渡されたのは一枚の紙。裏返して見てみれば、何やら文字が書いてある。

 

 「シキガミを生み出すためのお札じゃ。それを使って自分に合ったシキガミを呼び出せる。

  使い方はワザを使う要領でイワレを込めるだけでよい。」

 

 「分かった、やってみる。」

 

 言われた通りに、手に持ったお札へとイワレを流す。

 温泉とマッサージの効果か、以前に比べてスムーズに扱える。

 

 これでまだ完治ではないというのだから末恐ろしい効能だ。

 アヤカシである俺でこれなのだから、カミである他の三人はこの比ではないだろう。

 

 …百鬼との鍛錬が今から不安になってくる。

 

 イワレを流し続けると、お札にかかれれた文字に光が宿ってくる。

 それは段々と強く、大きくなっていき、球体を形作る。

 

 目を焼くほどの光ではない。ただその光景をじっと見つめる。

 

 掌を軽く超えるほどの大きさになったところで、少しずつその光は収束を始めた。

 凝縮されるように、小さく小さく。

 

 やがて、光の中から一つの動物の形が見え始める。

 輪郭がそのまま出てきて、完璧に光が収まったところで詳細なその姿が現れる。

 

 つぶらな瞳。

 茶色い羽。

 触れ心地の良さそうな羽毛。

 

 これは

 

 「鳥かの?」

 

 「鳥ですね。」

 

 二人の言う通り、俺の手のひらには一匹の小鳥がちょこんと乗っていた。

 

 物珍しそうにあたりを見回したり、その場で羽を動かしてみたりしているそれは、正に鳥そのもので…。

 

 「えッと…、神狐、シキガミの使い方をもう一回教えてもらってもいいか。」

 

 「うむ、簡潔にまとめると戦闘と家事じゃ。」

 

 恐る恐る聞けば、神狐はあっさりと答えてくれる。

 

 戦闘。どう見ても一撃で撃沈しそうな姿だ。出来て撹乱程度だ。

 ならば、家事はどうだ。

 

 この大きさでどうやって家事をする?むしろ自ら食材になりかねない。

 

 ここまで考えて、思考を放棄する。

 どうあらがっても、両方共に活用できる気はしなかった。

 

 「その、良かったの、透。このシキガミ、伝令に特化しておるぞ。」

 

 「…そうか、ちなみに普通のシキガミと比べるとどれくらい優れてるんだ?」

 

 特化しているのなら、使い方がはっきりしていて助かるな。

 しかし、気になるのが神狐が若干言い淀んでいる点だが。

 

 「…ちょっとだけ早く届け先に到着するくらいじゃな。」

 

 言いにくそうに、苦笑いをして言う神狐に思わず自らの手の中にいるシキガミを見つめる。

 

 どうやら、シキガミの中でもできることの少ない子を引き当ててしまったらしい。

 当のシキガミはジッと見つめるこちらを不思議そうに見上げている。

 

 その仕草が少し、可愛いと感じた。

 

 そうだ、この子はまだ生まれたばかりなんだ。

 出来ないことがあるのは仕方ない。寧ろ当然だ。

 

 伝令しかできない?違う伝令ができるんだ。

 

 それだけで十分すぎるほどだ。高望みをしても仕方ない。

 

 「あの、透さん変な思考になってませんか?」

 

 「楽しそうじゃし、放っておいた方が面白そうじゃ。」

 

 横で二人が何か言っているが、特に気にならない。

 それよりも、この子を見ることに夢中になっていた。

 

 それから、白上も交えてシキガミの応用方法や効率的な扱い方など、白上でも知りえなかった技術、知識を神狐から学んでいった。

 

 それを受けて、改めて神狐が大神よりも早くカミになったということを実感した。大神が博識であるのも占星術によるものかとも考えていたが、神狐と暮らしていたのなら、確かに博識であることにも頷ける。

 

 「こんなところじゃな、今話したのはあくまでも基礎じゃからな。これより先は自分なりに考えてみると良い。」

 

 「「はい、ありがとうございました!」」

 

 そうこうしているうちに、今回のシキガミ講座は終了した。

 外を見てみれば、少し空が赤くなっている。

 

 かなり長い時間が経過していたようだ。

 だが、その分成果もあった。

 

 シキガミでの遠隔通信。

 身に着けることが出来たのはこれのみであったが、これから調査をしていく上で扱いやすく、効率的なモノにできるだろう。

 

 「夕餉も近い、そろそろ戻らねばな。」

 

 「そうですね、あやめちゃん起きてますかね。」

 

 「どうだろうな、流石に起きてるんじゃないか?」

 

 そう言って本堂を後にしようとしたところで、不意に神狐が足を止めた。

 

 「白上、少しばかり透と話したいことがあってな。先に戻っていてくれぬか。」

 

 「?はい、構いませんけど、早く帰ってきてくださいね。」

 

 白上は足早に本堂を出て行ってしまう。

 そして、神狐と二人きりとなった。

 

 「それで、話したいことってなんだ?」

 

 白上を先に帰らせたということは、聞かせたくない話か。

 だが、俺の方からは特に心当たりはない。

 

 神狐は一つ息をつくとこちらへと視線を向ける。

 その眼は、今までで見た者の中で、一段鋭いモノであった。

 

 「主、その宝石についてどこまで知っておる。」

 

 「宝石?」

 

 一瞬何のことかと考えたが、すぐに右腕の宝石に行き当たり視線を落とす。

 相変わらず濁った色をしている。

 

 この宝石に付いて今分かっていることなどほとんどない。

 

 「いや、正直何も分からない。…けど。」

 

 神狐は黙って俺の話を聞いている。

 偽りは許さないと剣呑な雰囲気を纏っているように見えるのは俺の気のせいか。

 

 「最近は、この宝石が俺のことを助けてくれているんじゃないかって、そう考えてる。」

 

 キョウノミヤコでもこの宝石があったから、トウヤさんを助けることが出来た。

 それより以前、百鬼に吹き飛ばされたり、骸骨の霊に襲われたときもだ。

 

 「それだけか?あの三人と共にいるのも他意はないと?」

 

 「あぁ、そうだよ。あの三人には世話になってる。その恩を俺は返したい。それだけだ。」

 

 じっとこちらを見つめる神狐の眼力は衰えない。

 ただ、何かを見通すようにこちらを見続けている。

 

 「…嘘では、ないようじゃの。」

 

 その言葉と共に、先ほどまで感じていた雰囲気は霧散した。

 俺は今試されていたのか。

 

 気づけば、冷や汗をかいている、それほどまでに、神狐のはなっていた雰囲気は、重圧感は凄まじいモノだった。

 

 「それで、神狐はこれについて何か知っているのか?」

 

 大神ですら知らなかったこの宝石。

 何かあるのは間違いないのに何も見えてこない、この宝石について。

 

 神狐なら知っているのではないかと思えた。

 

 神狐は、少し考えるそぶりを見せると、顔を上げ、口を開く。

 

 「知らないといえば嘘になる。じゃがな、これは主にとって悪影響でしかない。故に話すことはできないのじゃ。」

 

 「…そう言うことなら、無理には聞かないが。」

 

 気にはなる。だが話せないと言うのなら無理には聞き出せないか。

 その理由が何であれ、あまり良い話ではないのかもしれない。

 

 ただ意地悪で話さない、というわけでもないだろう。

 

 本当に、この宝石は何なのだろう。

 

 

  




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尻尾

どうも作者です。



 「先は唐突にすまなかったの、透。」

 

 宿へと歩いている途中、神狐が謝罪を口にする。

 それは先ほどの一幕について向けられたものだ。

 

 「ミオから一通り、主については聞いておったが、やはり自分で試しておきたくての。」

 

 「それは別に良いんだけど、仮に俺がこの宝石について知ったうえであの三人と一緒にいた場合はどうしてたんだ?」

 

 あれほど強引に聞き出そうとしてきたのだ、その理由も相応のものであることは予想がつく。

 結果的に今まで通り問題なしとなったが、そうでなかった場合が気になる。

 

 「ん、心の臓を止めておった。」

 

 「へー、心の臓ね。…心臓?」

 

 軽く言ってのけられた神狐の言葉を反芻する。

 

 心臓といえばあれだ、全身に血液を循環させる為のポンプで、生命活動を続けるうえで欠かせない臓器の一つだ。

 

 それが止まる=生命活動が困難に、何もしなければそれこそそこでジエンド。

 

 いや、心臓を止められたくらいでは何の影響も受けないような者もカクリヨにはいるのだろうが、残念ながら、俺はそんな能力は持ち合わせていない。

 

 あれ?

 

 「つまり、さっき俺は生死の境目に居たってことか?」

 

 「結果的にそう言うことになるじゃろうな。

  妾もミオに嫌われたくなかったからの。良かった良かった。」

 

 神狐はからからと愉快そうに笑っているが、対照的に俺は顔が引きつって笑うどころではなかった。

 

 確かに偽りを口にすれば命はないとは考えたが、それは比喩的表現だろう。

 本当に命がかかっていたのなら、出来ればその時に伝えてほしかった。

 

 今さらそんなことを言われたのでは、ただただ恐怖でしかない。

 

 「もうあんなことはせんから、安心せい。」

 

 「安心どうこうではなく、自分の知らないうちに死地にいたってことが問題なんだよ。」

 

 顔が青くなっている自覚がある。

 

 これは、早くも先ほどの成果を見せる時が来たか。

 

 一度立ち止まり右腕を前へと突き出す。

 

 「こい、ちゅん助。」

 

 その呼びかけに答えるように、掌に収まるサイズの小鳥が光と共に出現する。

 

 愛らしいその瞳、ふわふわな羽毛。

 これこそ、俺が求めていたものだ。

 

 「ちゅん助、お前は可愛いな~。」

 

 撫でてやれば、ちゅん助は指にすり寄ってくる。

 その様子に心が癒されるのを感じる。

 

 柔らかな羽毛はいつまでも触っていたくなる程触り心地が良い。

 

 「…長いことシキガミを扱ってきたが、そんな使い方をしたのはお主が初めてじゃ。」

 

 若干引いた風に神狐が言ってくる。

 

 「それじゃあ、そのカクリヨの人々は損をしているな。

  こんなに癒されるのに、それを体験できないだなんて。」

 

 なぁ、ちゅん助。と問いかければ、小さく鳴き声を発して応えてくれる。

 

 これがシキガミの本来の使い方なのではないかとすら思えた。

  

 それを見て、神狐が少し距離を開ける。

 なんだ、言いたいことがあるなら言えよ。

 

 だが、神狐は何も言うことなくただ歩き続けた。

 こちらもちゅん助と戯れながら歩き、しばらく会話が途切れる、

 

 「…主、動物が好きなのかの?」

 

 宿ももうすぐといったところで今まで黙っていた神狐が口を開いた。

 

 「あー、結構好きだと思う。けど、中々見かけないんだよな。」

 

 思えば、このカクリヨで動物と触れ合うことはあまりない。

 シラカミ神社の周辺は山と森で構成されているため、動物自体は生息している。

 

 ただ、シラカミ神社にはイワレの保有量が多い者が集まっており。野生の動物たちは何か感じ取っているのか近づいてくることは極稀な出来事だったりする。 

 

 「それで、それがどうしたんだ。」

 

 「主は…ミオ、白上、百鬼の三人と同居しておるのじゃったな?」

 

 ドキリ、と心臓が強く跳ねる。

 

 「正確には居候だけどな。まぁ、同じ屋根の下に住まわせてもらってるよ、うん。」

 

 何故そんなに確認するように問いを投げかけてくる。

 

 いや、何となく予想がつく。

 しかし、まだばれたわけではない。ただの興味本位な可能性だってある。

 

 先ほどから、心臓が早鐘を打っている。

 緊張の為か、指が震える。

 

 だが、まだ平静を装える。なんてことはない、先の二つの質問に関係なんか。

 

 「主、獣耳と尻尾に触りたいと考えたことはあるか?」

 

 「…っ!」

 

 時が、止まった。

 

 咄嗟に反論しようと口を開くが、肝心の声は出てこない。

 どうする、どうする、どうする!

 

 考えないようにしていた。それを認めてしまうと、彼女等を裏切ってしまっているような気がして。

 

 獣耳、尻尾。どれも俺には無い、未知の領域。

 普通の動物と同じような毛ざわりなのか、それとも、手入れをしている分それとは異なるのか。

 

 だが、そんなこと聞けはしない。

 

 未知を人間は恐れる。

 どんな対応をされるのか知れたものではない。完全に常識の範囲外の代物だ。おいそれと手出しはできない。

 

 「やはり、そうなのじゃな。」

 

 だが、ばれた。

 本人たちにではないが、それに近しい人物にばれてしまった。

 

 言い逃れはできない、決定的な反応を見せたのだ。

 この動揺を隠したところで苦しい言い訳にしかならない。

 

 神狐は今どんな表情をしているのだろう。

 嫌悪か、それともただ無表情か。

 

 恐る恐る神狐の方を向く。

 

 「それなら、触ってみるかの?一応妾もあるぞ、尻尾。」

 

 揺らりと、尻尾が動く。

 

 予想に反して、神狐はいたって普通の顔をしている。

 そんなことより、今何と言った?

 

 「いいのか…触っても…。」 

 

 わなわなと手が震える。

 ちゅん助は驚いて消えてしまうが、それを気にする余裕は今の俺には無かった。

 

 視線を逸らそうとしても吸い寄せられる。

 既に尻尾の虜となっていた。

 

 「ちと恥ずかしいが、先の詫びもかねての。」

 

 そう言って、神狐は後ろを向いて尻尾を寄せてくる。

 目の前で揺れるそれは、毛並みも整っており、触らずとも極上の触り心地であることが分かる。

 

 見ただけでこれだ、実際に触れればどれほど…。

 つい生唾を飲み込む。

 

 しかし、これで本当に良いのだろうか。目の前の神狐へと目を向ける。

 

 彼女の見た目はどう見ても子供にしか見えず、その尻尾を触るというのは、絵面としてはかなりまずいことになっている。

 

 俺の中の倫理観は既に警告を発している。

 その先へ進むなと、踏みとどまれと。

 

 だが、そんな警告も再び尻尾が視界に入ればあえなく霧散してしまう。

 

 震える腕を動かし、目の前の楽園へと手を伸ばす。

 その動きはどうしようもなくぎこちないもので、すぐそばにあるはずなのに遥か遠くのように感じる。

 

 それでも、前に進んでいる。

 少しずつ距離が縮んでいる。

 

 心臓がうるさい。全身の血液が沸騰しているようだ。

 

 もう少し、あと少し、ほんのあと数ミリ。

 

 ついに手が届く、その瞬間。

 

 「あ、透君にせっちゃん、おかえ…」

 

 がらりと宿の玄関が開いいた。

 声から大神だとわかる。こちらに気が付いたようですぐに声をかけようとしてくるが、それが最後まで言い切られることはなかった。

 

 当の俺は尻尾へと伸ばした手をそのままに、体制を変えることなく硬直している。

 

 冷たい風が俺たちの間を通り過ぎた。

 

 どうしよう、大神の方へ振り返りたくない。

 だが、本能的にここで逃げるのは下策だと判断し、壊れたブリキ人形のように首を回して大神へと向ける。

 

 「…」

 

 いつものほんわかとした大神の表情がすっと消えた。

 瞳孔が開いた、肉食獣のような瞳がじっとこちらを見ている。

 

 数秒の間見つめ合うと、大神は何も言わず、恐ろしいほど無表情のまま扉を閉める。

 

 「どうやら、おあずけのようじゃの。」

 

 ふいっとすぐ先にあった尻尾がいなくなる。

 見れば、神狐はこちらへと向き直っていた。

 

 それを残念だと思うことはない。いや、正確には思えなかった。

 

 「それにしても、面白いことになったのう。主、頑張ってミオの機嫌を取るのじゃぞ。」

 

 「機嫌を…取る…。」

 

 …どうやって?

 あれもう完璧に大神の中で何かが確定してないか。

 

 見た目幼い子供に後ろから迫る。

 字面でこれなのだから、その現場を見た大神の心情はいかがなものだろうか。

 

 機嫌がどうこうの問題ではなく、大神の中での透という人物の評価を何とか修正しないと、これから先大神とまともに会話すら出来なくなる。 

 最悪、追い出されて二度と近寄らないでなんて言われる可能性も。

 

 考えるだけで鬱になりそうだ。

 

 「…なんでこうなったんだ。」

 

 「主の自制心の弱さゆえではないかの。」

 

 ごもっともで。だけどそれを煽った神狐に言われるのは何とも納得がいかない。

 

 

 

 結局、百鬼が夕飯までに起きてくることはなかったため、神狐を含めた四人でテーブルを囲む。

 

 昼は麺類だったこともあり、今回は米を含む定食を頼んでみた。

 目の前には揚げたてのから揚げが湯気を上げている。

 

 そんな食欲をそそられるような光景を前に、しかし、胃は痛みに悲鳴を上げていた。

 理由は…考えるまでもない。

 

 じっとこちらに向けられる視線。

 大神だ。

 

 あれから、大神とは話が出来ていない。

 というのも、話しかけられるような状態ではなかった。

 

 大神の目は先ほど見せた肉食獣のそれのままであり、話しかけようにも話しかけずらい。

 それでも、このままというわけにもいかないので、勇気を振り絞る。

 

 「えっと、大神。から揚げいるか?」

 

 皿を目の前の席にいる大神に差し出す。

 まずは軽い話題作りだ。これをきっかけにすればいつものように話せるはず。

 

 そんな思惑が上手くいくはずもなかった。

 

 「…」

 

 大神はから揚げを一つとると、ぼんじりを俺の皿へと乗せた。

 この間視線が外れることはなく、終始無言である。

 

 「あ、ありがとう…。」

 

 これは無理だ。

 大神の視線から逃げるように、目を逸らす。

 

 唯一の救いを求めて白上と神狐に視線を送る。

 流石に横がこんな雰囲気なのでは二人も箸が進まない筈。

 

 「あ、このお野菜新鮮ですね。美味しいです。」

 

 「そうじゃろう、何せ保存には事欠かんからの。」

 

 そうでもなかった。とても楽しそうに食事をしていらっしゃる。

 この様子ではこちらのことなど気にも留めていないだろう。

 

 「…」

 

 誰か助けてくれ。

 その願いも虚しく、時間は流れていった。

 

 

 

 

 夜、良い時間帯ということもあり、一度温泉に浸かることにした。

 リラックスすれば何かいい案でも浮かぶのではないかとも考えたが、特に何も浮かばずに温泉から上がる。

 

 一階の広間に出るが誰もいない。

 まだ上がっていないようだ。

 

 ここで待っていても仕方ないので先に部屋へと戻る。 

 百鬼の様子を見ようとするが、勝手に入るわけにもいかないので断念する。

 

 ベットに腰掛けて、しばらくゆっくりしていると、遂に部屋の扉が開く。

 

 やはり、これしかない。

 しばらく考えたが、こうする以外、今の俺にできることはない。

 

 自分にできる限りの速度をもって、扉の前に移動すると、手を床に付き、膝を床に付き、額を床にこすりつける。

 

 「申し訳ございませんでした!」

 

 流石にこれには驚いたのか、動揺する気配を感じる。

 

 そう、土下座。これこそ最後の命綱。

 もうこれしか頼れるものはなかった。これで駄目なら、他に打つ手はない。

 

 大神は一度足を止めはしたが、横を通り抜けていってしまう。

 血の気が引いた。俺は本当にもう大神とは口をきいてもらえないのか。

 

 「ねぇ、透君。聞きたいんだけど良いかな。」

 

 底冷えするような、感情を感じさせない冷たい声が響く。

 

 「は、はい!」

 

 ぴしりと音が聞こえてきそうなほど、素早く正確に正座の姿勢をとる。

 見れば、大神はベットではなく、椅子にこちらに背を向ける形で座っている。

 

 「さっき、せっちゃんの尻尾を触ろうとしてたんだよね。」

 

 「はい、そうです。」 

 

 変な誤解はしていないようだ。

 てっきり、俺が神狐を襲おうとしているのを見たが故の反応だと思っていたが。

 

 そうなると、やはり。 

 

 「うちとフブキも尻尾あるけど、透君、いつも触りたいって思ってたの?」

 

 こうなる。

 既に顔色は真っ青を超えて真っ白になっているのではないか。

 

 引かれるか?引いてるからこうなってんだよ。

 ここで何とか誤魔化すか?現場見られておいて今さらだ。

 

 「…はい。」

 

 どちらにせよ、正直に答えるほかない。

 

 「いつもは抑えれてるんだ。ちょっと触ってみたいなーくらいの気持ちだ。

  けど神狐の場合は…その、誘惑がいつもの三倍で。抑えきれなくなって。はい、すみません…。」

 

 「ふーん、それで触ったんだ?せっちゃんの尻尾。」

 

 言葉が鋭い。やはり、あまり愉快なものではないのだろう。

 その辺りどう感じるかは、当人次第である。

 

 「いや、触ってない。大神が扉を閉めた後はそのままだった。

  その悪かった、極力そういうことは思わないようにするよ。」

 

 ピクリと、大神の尻尾と獣耳が動いた。

 そっかと呟いた大神は立ち上がり、荷物を漁り何かを取り出すと、こちらに向かい歩いてくる。

 

 そして、俺の前で止まるとこちらにそれを差し出してくる。

 

 「…ブラシ?」

 

 こう、毛を整える用のヤツだ。

 これをどうしろと…まさか、自分で尻尾を生やして何とかしろという意味か。

 

 流石に、生やせないと思うのだが、いや、ワザで何とかなるか?

 困惑している俺をそのままに、大神はまた背を向けて椅子に座りなおす。

 

 「透君、尻尾のブラッシング手伝ってよ。そしたら、今回のことは無かったことにしてあげる。」

 

 「え、でも…。」

 

 嫌なんじゃないのか?

 それなら、何に対して…。

 

 「透君、さっき悪かったって言ってたよね。なら、これでチャラ。

  それとも、他にもやましいことがあるの?」

 

 そう言われては、何も言えない。

 俺は黙って言うことに従うだけだ。

 

 ゆらゆらと揺れる尻尾を優しく丁寧に手に取る。

 幸い背もたれのない椅子のため、窮屈ではなさそうだ。

 

 その触り心地は、予想をはるかに上回った。

 手で軽くすいてみると、何の抵抗もなく指が通る。

 

 さらさらとしたその毛並みは、同時に柔らかく、いつまでも触っていたい。

 

 「…ごめんね、透君。うち嫌な子になってた。」

 

 不意に大神が口を開く。

 

 「何で大神が謝るんだよ。悪いのは俺だろ。」

 

 事の発端は俺が尻尾を触りたいと考えたことだ。

 そして、その欲に抗えなかった。それだけ。

 

 「ううん、違うの。透君がせっちゃんの尻尾を触ろうとしてるの見てたら、何だかもやもやしちゃって。

  嬉しいはずなのに、おかしいよね。」

 

 大神の表情はうかがえない。

 

 あれは怒っていたのではなく、ただもやもやした結果ということだろうか。

 それはそれでどうしてああなるのか知りたいところだが、そう言うことなら。

 

 「それは、神狐を取られるって思ったからじゃないのか?大神にとって、神狐は大切な人なんだろ?なら、そう思っても不思議はないと思うけど。」

 

 「…大切な人になら…普通。」

 

 大神はぽつりとつぶやく。

 

 これで的外れなことを言っていたらどうしよう、と不安になるが。さほど外れてはいないのだろう。

 大神は納得したように、安心したように息をついた。

 

 それと同時に、俺もまた安堵が心に広がる。

 何とか、山場は越えたらしい。

 

 「ね、透君。それだとくすぐったいから、もっと強くしてもいいよ。」

 

 いつもの大神だ。

 

 「了解。」

 

 言われるがまま、ブラシに力を加える。

 大神との関係が保たれたからか、はたまた念願の尻尾に触れたからか、俺の心は高揚し浮ついていた。

 

 時にアドバイスをもらい、時にお褒めの言葉を貰いながらブラッシングを続ける。

 このイズモ神社に来てから、大神の色々な面を知った。

 

 気を許してくれたのか、どうなのかは分からない。

 ただ、今の関係は悪いものではない。そう思えた。

  





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起床


どうも作者です。
誤字報告、感謝。


 イズモ神社に来訪してから一日が経過した。

 外は相変わらずの雲に覆われており、朝であるはずなのにも拘らず薄暗い雰囲気を醸し出している。

 

 横のベットを見れば、既に起きたのか大神の姿はない。

 あの後、結局俺は大神と同じ部屋で就寝した。

 

 神狐に頼んで、他の部屋を使うことも可能ではあった。

 しかし、大神と接しているうちに、変に意識することはなくなっていた。

 

 それなら、わざわざ手間をかける必要もないということで、そのまま二人で部屋を使うこととなった。

 

 ぐぅ、と胃が空腹を訴えてくる。

 朝は何を頼もうかと考えながら、手ばやく身支度を整えて部屋の外に出る。

 

 「あ、透くん。おはよー。」

 

 「百鬼、おはよう。ようやく起きたのか。」

 

 丁度同じタイミングで部屋から出てきた百鬼と鉢合わせる。

 まだ眠たいのか、眼をこすっている。

 

 「ようやくって?

  それより、余お腹すいた。ここってご飯どうしてるのかな。」

 

 一日中寝ていたのだから当然だろう。

 寝ぼけているのか、それとももう気にしていないのか普段通り会話ができる。

 

 「神狐のシキガミが作ってくれるぞ。大抵のものは用意できるらしい。」

 

 「え、そうなの?セツカちゃん凄いね、余のシキガミが料理なんてしたら台所なくなっちゃう。」

 

 多分冗談とかの類ではなく、確固たる事実なんだろうなと理解できる。

 自分でシキガミを使えるようになって、改めて百鬼の扱うシキガミが強力なものであることを実感した。

 

 ちゅん助を一としたら、確実に百鬼のシキガミは千は越えている。

 ここまで差があると、比べるのもかわいそうに思えてくる。

 

 「白上はまだ寝てるのか?」

 

 普段は遅くまでゲームをしていて朝は遅い白上だが、流石に昨夜はすぐに寝ただろうからもう起きて理宇と思うのだが。

 

 「ううん、余が起きたときは部屋にいなかった。

  温泉に入った後の記憶ないんだけど、透くん何か知ってる?」

 

 「温泉から上がってからすぐに寝たらしいぞ。

  何でも魂の疲れが取れる湯らしくて、それで眠気に耐え切れずにって感じ。

 

  白上も同じでしばらく寝てた。」

 

 それにしても、今さっき起きたということは、百鬼は丸一日眠っていたことになる。

 一体どれほどの疲労をため込んでいたのやら。

 

 くぅ~。

 

 不意に小さく子犬の鳴き声のような音が聞こえてきた。

 

 てっきりイズモ神社には他の生物がいないと考えていたため、驚いて辺りを見渡すが、当然どこにも犬の姿は見えない。

 

 そして、百鬼の顔が徐々に赤くなっていることに気づいた。

 それはそうだ、先ほどもお腹がすいたと言っていたではないか。

 

 腹が空けば、腹が鳴る。

 自然の摂理だ。

 

 「…いやー、そんなことよりお腹空いたな!そろそろ下に降りようぜ!」

 

 「そ、そうだね!余もお腹と背中くっつきそう!」

 

 流石に、ここで突っ込むほど鬼ではない。

 武士の情けというやつだ。

 

 謎にハイテンションになりながら、急ぎ足で下の階に降りる。

 

 広間を見れば、既に白上と大神は席について談笑していた。

 二人はこちらに気が付くと手を振ってくる。

 

 「おはようございます、透さん、あやめちゃん。あやめちゃんはともかく、透さんは遅かったですね。」

 

 「遅いって言っても、白上と大神が早すぎるだけで、俺はいたって普通だと思うぞ。遅いのは普段の白上だろ?」

 

 雲で見えなかったが、今頃雲の上では太陽が姿を見せ始める頃合いだ。

 白上は大抵大神に起こされるまでは寝ているのだが、やはり今日は早かったようだ。

 

 図星を突かれたためか、白上は唸るだけで何も言えなくなってしまう。

 

 全員そろったということで、いつの間にか現れていた割烹着のシキガミに朝食を頼む。

 ものの数分で運ばれてくる料理を見て、百鬼は目を輝かせていた。

 

 「本当にシキガミが料理作ってる。…やっぱり余のシキガミも何とかならないかな。」

 

 小声で聞こえてきた言葉に思わず苦笑いが出てしまう。

 その試行錯誤の内にいったいどれだけのキッチンが犠牲になるのやら。

 

 「あやめ、シラカミ神社に帰ったら、食べたいものはうちが作ってあげるから。」

 

 「え、良いの?ありがとう、ミオちゃん!」

 

 同じ考えに至ったのか、大神は百鬼の頭をなでてなだめている。

 相変わらずこの二人は仲がいいというか、母と娘のように見えてくる。

 

 「透さん、昨日ミオとぎくしゃくしてましたけど、もう大丈夫なんですか?」

 

 ぼんやりと眺めていると、白上が横から話しかけてくる。

 気が付いていたのならその時点で言ってほしかった。

 

 とはいえ、解決できたのだから、結果オーライだ。

 しかし、昨日の件については話すのは少し抵抗がある。

 

 内容が内容だけに、勝手に話すわけにもいかないだろう。

 

 「あぁ、ちょっとした行き違いだったから。」

 

 答えれば、それならよかったですとあっさりと引き下がった。

 話もほどほどに、食事を進める。

 

 このイズモ神社に来て初めて四人揃っての食事だ。

 ふと、イズモ神社にいる筈のもう一人の姿がないことに気づく。

 

 「そういえば神狐はどうしたんだ?昨日の夜は一緒にいたよな。」

 

 小さな金髪の狐娘。

 彼女の部屋がどこにあるのかすら知らない。

 

 思えば、基本用事がない時はふらりとどこかへ消えている。

 リラックスできるように気を使てくれているのか、あるいは単に他にやることがあるのか。

 

 「せっちゃんならさっき顔出しに来てたよ。今日の夜は期待しておけだって。」

 

 どうやら行き違いになっていたらしい。

 そうか、明日には帰るのだから今日がイズモ神社での最後の一日になるのか。 

 

 昨日の今日だというのに、この神社の居心地の良さについいつまでも住んでいたくなる。

 そうだな、仮にシラカミ神社を追い出されたときは頼らせてもらおう。

 

 「透くん、昨日の夜って?セツカちゃんと出会ったのって今日だよね。」

 

 「へ?」

 

 今日?

 記憶が確かなら昨日の朝に神狐と出会ったはずだが…いや、そう言うことか。

 

 「なぁ、百鬼。今日でこの温泉旅行は何日目だ?」

 

 「?一日目。」

 

 聞けば、疑問符を浮かべながらも答える百鬼。

 やはり、気が付いていなかったらしい。

 

 「えっと、今日は二日目です。あやめちゃん、丸一日寝てたんですよ。」

 

 それを聞いた百鬼は石化したかのようにぴたりと制止する。

 手から箸が零れ落ちるが、すかさずシキガミが拾い、新しいものを置いた。

 

 「え、じゃあ、余の旅行一日無くなったってこと?余まだ温泉に入っただけ?」

 

 「そうなるな。」

 

 後は、今朝食を食べていることが追加されるくらいか。

 そう考えると、何とも身のない旅行だ。今回の場合は仕方がないが。

 

 「うぅ、余の旅行今日で終わる…。ミオちゃ~ん。」 

 

 「はいはい、今日はいっぱい楽しもうね。」

 

 大神に泣きつく百鬼。

 何かフォローでも入れようかと思ったが、大神に抱きしめられて十分に癒された顔をしているので言葉を引っ込める。

 

 「オカンですね。」

 

 「オカンだな。」

 

 代わりに白上に続く形で、目の前の光景に対する感想を口に出しておく。

 

 「二人共、事あるごとにうちのことオカンにしようとするよね。」

 

 そんな俺たちに大神は苦笑いで応じる。

 

 それは違う、俺や白上が大神をオカンにしようとするんじゃない。大神がオカンだから、率直な感想を伝えているだけだ。

 順序が違う、順序が。

 

 「余、ミオちゃんの子供になる。」

 

 「ちょっと、あやめまで乗らないでよ。」

 

 満足げにしている百鬼がぽつりと呟けば、大神は裏切られたとでも言うように嘆く。

 

 

 朝食を食べ終え、各自で自由に過ごす。

 

 取り合えずやることもないので、ランニングがてらイズモ神社を回ることにする。

 一応、療養もこの旅行の目的だが、適度に運動するくらいなら問題ないだろう。

 

 宿の外に出てストレッチをしていると誰かが扉を開ける音がした。

 

 「透くん、余も一緒に走っても良い?」

 

 外へと出てきた百鬼は俺の姿を見つけると、そう言いながらこちらへと駆けよってくる。

 

 「良いけど、まだイワレは使わないから百鬼にとっては遅く感じると思うぞ。」

 

 身体強化をするのとしないのとでは雲泥の差がある。

 使わないにしても、基礎能力に差があるため、同じ感覚で走るとどうしても差が生まれてしまう。

 

 「大丈夫、ちょっと体動かしたいだけだから。

  起きてから体が軽くて落ち着かないんだよね。」

 

 そう言って百鬼は感覚を確認するように手足を動かす。

 

 丸一日寝てしまうほどの疲労が取れたのだ。感覚がいつもと違うのも当然だ。

 それなら、身体強化をしないでゆっくり運動した方が今の状態に慣れやすいのだろう。

 

 体がほぐれたところで出発する。

 

 「なぁ、今の俺のイワレの流れって分かるか?」

 

 走りながら、雑談がてら百鬼に確認してみる。

 温泉に入った後、百鬼は寝てしまっていたため、現在どのような状態なのか確認することが出来ていなかった。

 

 「ん、ちょっと待ってね。」

 

 後ろに着くように走る百鬼は、そう答えると少しの間無言になる。

 

 「うん、綺麗になってる。」

 

 その言葉に思わずガッツポーズをとる。

 今回は嫌な顔はされていなかった、筈。顔見えないから分からないけど。

 

 「なんでガッツポーズ…。」

 

 小さくしたつもりだったが、がっつり見えていたようだ。

 不思議そうな百鬼の声が聞こえてくる。

 

 「いや、前回無茶苦茶嫌そうな顔してたろ?

  今回は大丈夫そうだから。ちょっとした達成感みたいな。」

 

 「それは、透くんのイワレが酷すぎたの。あんな状態なのに普通に稽古しようとするんだもん。

  普通、しばらく休もうとするはずだよ。」

 

 視線が背中に刺さる。

 

 いや、動きにくいような自覚はあったし、身体強化が上手くできないなって感覚はあった。

 だけど、ただそれだけで休むのも何だか勿体なく感じたのだ。

 

 まさか、素の身体能力まで落ちているとは思わなかった。

 

 「反省してるって。でも仕方ないだろ、まだその辺りの感覚に慣れてないんだ。」

 

 普通にワザを使う分には問題はない程度ではあると思うが、まだ違和感は残っている。

 カクリヨの住人にとっては生まれたときからの概念の一つではあるが、俺は後付けだ。随分慣れてきたつもりだったが、やはりずれはまだある。

 

 「あー、そういえば、透くんウツシヨから来たんだっけ。

  それはそれでおかしいよね。透くん、結構最近なんでしょ?」

 

 「最近って、カクリヨに来たのはそうだな。」

 

 おかしいとは何のことだろうか。

 確かにカクリヨに来たこと自体はイレギュラーではあるらしいが、百鬼が言いたいのはそういうことではないだろう。

 

 「アヤカシになるためには、カミになるものに比べると少ないけど、やっぱり時間がかかるの。

  なのに、透くんは身体強化も、余の一族にしか使えない鬼纏いも使える。

 

  あの骸骨霊をその宝石で吸収したことに関係あるんだよね。」

 

 …そのことか。

 どう答えたものか迷い、少しの間沈黙が流れる。

 

 「…多分、そうなんだとは思う。」

 

 状況としては、あれがきっかけになっていることには間違いない。

 吸収した直後に百鬼と出会い、イワレの力を使って何とか生還したのだ。

 

 だが、これがどういう原理でこうなっているのか、という点については予想もつかない。

 

 「一応、神狐は何か知ってるらしいんだけど。

  悪影響になるからって、教えてもらえなかったんだよな。」

 

 「セツカちゃんが?」

 

 振り返れば、百鬼の視線は俺の右腕、手の甲にある宝石へと向けられていた。

 相変わらず濁った色をしているそれは、宝石ではなくただの石にしか見えない。

 

 そういえば神狐にはこの宝石がどう見えるか聞いてなかった。

 次に会った時に聞いてみるか。

 

 噂をすれば、という奴だろうか。

 不意に視界の端に金色が映った。

 

 「…神狐?」

 

 見間違いではない、確かにそれは神狐セツカ本人だ。

 離れた場所にいて何をしているのか分からないが、丁度よかった、

 

 声をかけようとしたその瞬間、神狐の姿が、まるで幻のように掻き消えた。

 

 「…は?」

 

 目を疑った。

 この両目は確かに神狐を捉えていた。

 

 なのにも関わらず、右にも左にも、上下、奥に手前、どの方向に動くこともなく、神狐は俺の視界から消えた。

 

 「…悪影響って何なんだろ…わぷ!?」

 

 思わず足を止めると、後ろを走っていた百鬼が背中へと突っ込んでくる。

 どうやら、考え事をしていて反応が遅れたらしい。

 

 「あいたた…もー、いきなり止まらないでよ。」

 

 「百鬼、今あそこに神狐がいなかったか。」

 

 額を抑えながら抗議してくる百鬼に問いかける。

 指さして見せると、怪訝そうにしながらも、百鬼はそれを追って先ほど神狐がいた場所を見た。

 

 「…誰もいないよ?多分あの位置だったら、誰かいたら余気が付くと思う。」

 

 そう言うことなら、隠れているというわけでもないか。

 なら、俺の気のせいだったのか?

 

 いや、それはあり得ない。

 確かに、あれは神狐だった。

 

 だが、今誰もいないのも事実で…。

 

 「?それよりランニングの続きしようよ、透くん。」

 

 「…そうだな、多分何かの見間違いだろ。」

 

 百鬼の言葉で再び走り始める。

 

 今ここで話してもきっと答えは出ない。

 色々と理解してきたつもりだったが、まだ重要な部分の答えは出ないままだ。

 

 そしてもう一つ、謎が生まれた。

 いつになれば、この答えを知ることが出来るのだろうか。

 

 

 




 
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完治


どうも、作者です。

評価、感想くれた人ありがとうございます。

以上。


 イズモ神社を軽く五周ほど走り、宿へと帰還する。

 身体強化こそしていないモノの、イワレ自体の補助は復活していたらしく、予想よりも早く目標を達成してしまった。

 

 これでは何か物足りない、ということで、百鬼といつものように鍛錬をしようと刀を持ち出したところを運悪く大神に見つかってしまう。

 

 「まだ治りかけ何だから安静にしなさい。」と軽くお説教を受け、やむを得ず汗を流すべく温泉に入ることとなった。

 

 温泉旅行ということもあり、もっと温泉を楽しみたいようで白上や大神もついでに百鬼と入るらしい。

 また眠ってしまうのではないかとも考えたが、大神曰く一度入れば疲労はすべて取れるため、もうその心配はないようだ。

 

 三人とは入口で別れて、脱衣所へと向かう。

 手早く着物を脱ぎ、浴場へと入り汗を流して温泉へと浸かる。

 

 昨日と同じく体がほぐれていく感覚を楽しみながら、ぼんやりと雲に覆われた空を見上げた。

 頭の中では、先ほどの神狐のこと、右腕の宝石。そして、カクリヨの異変についてぐるぐると思考が回っている。

 

 だが、考えども実のあるモノは浮かんでこない。

 

 「はぁ…、ヒントを貰ったところでなぁ。」

 

 知らない概念にヒントを与えられても何も刺激されやしない。

 神狐は意外とアバウトな性格なのだろうか。

 

 魂を操作して瞬間移動。

 互換性が無さ過ぎて もはや無い方が纏まりが良いまである。

 

 「…やっぱり、神狐は教えてくれないかな。」

 

 「何がじゃ?」

 

 頭の上から神狐の声が聞こえる。

 

 「何って、色々と…うん?」

 

 流れで答えようとするが、途中違和感に気が付き言葉を止める。

 ここは男湯なのだが、何故神狐の声が聞こえる?

 

 体制をそのままに、上を向いていた顔を仰け反るようにしてもう少し上げて声の出所へと顔を向ける。

 

 「…」

 

 「…」

 

 金色の瞳と視線がかち合う。

 早くも見慣れてきた神狐の顔がそこにはあった。

 

 脳の処理が追い付かず、無言で見つめ合う。

 

 「…なんでいるの?」

 

 「ん?なに、背中でも流してやろうかと思っての。」

 

 神狐は得意げに笑みを向けてくる。

 

 そうか、だから男湯にいるのか。

 確かに、背中を流すのなら浴場に入ってくるのも仕方ないか。

 

 ふむ…。

 

 「いや…いやいや仕方なくないだろ!」

 

 働かない脳みそが勝手に納得しようとするのを直前で全力で否定する。

 危うく、状況をそのまま受け入れそうになった。

 

 「そんなに恥ずかしがらずとも良いぞ?」

 

 「恥ずかしがっているわけでは断じてない。」

 

 抗議の視線を送るが、からからと笑い飛ばされてしまう。

 思考が読めない。一体何を考えているのだか。

 

 唯一の救いといえば、神狐がまだ服を着ている事くらいだ。

 紐か何かで着物の袖を上げており、何故か鉢巻を額に巻いている。

 

 「昨日は危うく大神とこじれかけたんだ、勘弁してくれ。」

 

 尻尾を触ろうとしてあれなのだ、流石に背を流させでもしたらようやく元に戻った関係がまたこじれることは確実だろう。

 

 「なんじゃ、ノリが悪いのう。」

 

 「ノリに乗ったら俺のカクリヨ生活が終わりかねないんだよ。」

 

 まだ大神だけだったから何とかなったものの、今回は白上や百鬼にまで話がいく可能性がある。

 そうなれば、数の力も相まって張られたレッテルを撤回するのは不可能だ。

 

 神狐は一応は納得してくれたのかそれ以上反論してくることはなかった。

 しかし、浴場から出ていく様子も同時になかった。

 

 「あの…そこに居られると出られないんだけど。」

 

 「勿論、知っておるのじゃ。」

 

 悪戯気なその表情を見るに、確信犯であるらしい。

 

 とにかく、今は出ていく気はないのだろう。

 無理やり外に連れ出そうにも、それを目撃されれば本末転倒となるだろうし。しばらく、神狐の気が済むまで我慢比べに付き合うしかなさそうだ。

 

 「はぁ、…のぼせる前には出て行ってくれよ。」

 

 まだ一日の半分も経っていないのに湯あたりでダウンはしたくない。

 

 それを聞くと神狐は黙り込んでしまう。

 不思議に思い振り返れば、神狐はあっけにとられたようにこちらを見つめている。

 

 「どうした?」

 

 「予想外の反応じゃったからの、驚いておった。少しくらい怒ると思ったのじゃが。」

 

 まさかとは思うが、怒られようとしてこんなことをしていたのだろうか。

 ますます神狐の意図がつかめなくなる。

 

 「まぁ、別に怒るようなことでもないし。」

 

 こう、倫理観的にマズイ状況から焦りはするが、意味が分からないことをしているなくらいにしか思わない。

 見られる羞恥心は、既に大神の奇行によってそこまで気にならなくなってきたし。何より相手は見た目完全に子供の神狐だ、そもそも気にするようなことはない。

 

 「ふむ、それならあっちに行ってみるのはどうじゃ?」

 

 そう言って神狐は横側の柵を指さす。

 あちらと言われても、特別何か置いてあるわけでもない。

 

 「?何があるんだよ。」

 

 「あっちが女湯じゃ。」

 

 つい神狐の顔を見る。

 こいつ本気で言っているのか?そんなことして見ろ、物理的に俺の首が飛んで燃やされるに決まっているだろう。

 

 「…お前、実は俺のこと嫌いだろ。」

 

 「くくっ、冗談じゃよ、本気にするでないぞ。」

 

 するわけがない。俺が気にしないだけで、あちらは違うに決まっている。

 それより気になるのは神狐だ、先日に比べて明らかに距離が近くなってる気がする。やはり、この宝石について何も知らないと分かったからだろうか。

 

 「ひとしきり楽しんだことじゃし、そろそろ妾は出ていくとしようかの。」

 

 そう言うと、神狐は出口へと歩きだす。

 これで一安心だと考えていたところで、神狐はすぐにぴたりと立ち止まってしまう。

 

 「あっと、透。一度向う側を見ておれ。」

 

 「?いいけど、今度はなんだ?」

 

 「良いから良いから。」

 

 何をするつもりなのか不思議に思いながらも、言われるがままに神狐がいる方向とは反対側をみる。 

 

 「がっ…!?」

 

 だが、神狐の声が聞こえることはなかった。

 代わりに凄まじい衝撃が背中に伝わる。

 

 物理的なものではない。まるで魂そのものが痺れるような感覚。

 その衝撃は背中から伝播して体の末端まで広がる。

 

 気持ち悪い。まるで神経を直接触れられているような気分だ。

 

 「いきなり何する…、って、あれ。」

 

 ようやく落ち着いたところで振り返るも、既にその場から神狐はいなくなっていた。

 後ろ手に背中を触ってみるが、特に変わった様子はない。

 

 それどころか重りが外れたように体が軽くなっている。

 試しに身体強化を使ってみるが、以前のモノよりもスムーズに移行できた。

 

 「治った…。」

 

 そんな確信がある。

 唐突に治るモノなのか、否、理由は明確である。

 

 「…このためだったのかよ。」

 

 ようやく神狐の目的を理解した。

 しかし、それならそれで言ってくれればいいものの、意外と素直ではないところもあるようだ。 

 

 温泉から上がり、広間に戻る。

 大神たちは先に上がっていたようで、白上と百鬼が卓球をしており、大神はそれを眺めている。

 

 「あ、おかえり。透君もやる?」

 

 「いや、遠慮しとく。それより、神狐は?」

 

 一応ざっと見渡してみるが姿はどこにもない。

 聞いてみれば、大神は首を横に振る。またどこぞへと消えてしまったようだ。

 

 「せっちゃんに何か用でもあった?…まさか、また。」

 

 カッと瞳が見開かれる。

 

 「違うから、大神の想像している理由ではないから!」

 

 これでは昨日の二の舞になると必死に説得する。

 しかし、予想以上にすんなりと大神はその眼を普段ものに戻す。

 

 「あははっ、ごめんごめん、冗談だよ冗談。昨日のはうちがおかしかっただけだから、そんなに焦らなくても大丈夫だよ。」

 

 揶揄われていただけのようだ。心臓に悪いからほどほどにしてほしい。

 しかし、先ほどの神狐といい、冗談の内容が妙に俺に効果的な内容なのはなぜだろうか。

  

 まぁ、そういった内容だからこそからかう材料にされるのだろうが。

 

 「やったー、勝った!」

 

 「うぅ、なんでそんな正確に打ち返せるんですかー。」

 

 卓球台の方から、百鬼の歓声が聞こえてくる。

 一方白上は悔しいのか突っ伏してしまっている。

 

 ただラリーをしているのかと思えば、勝負ごとになっていたようだ。 

 

 「二人共、汗はかかないのか?」

 

 見たところ激しいラリーが続いていたようだが、白上や百鬼は涼しい顔をしている。

 

 「うん、このくらいなら平気。」

 

 「お風呂上りに汗はかきたくないのである程度セーブしてますよ。」

 

 その割には本気で悔しがっているように見えたのは気のせいか。

 まぁ、普段あれだけ動き回っても疲れた顔一つ見せないのだ。素の身体能力が違う。

 

 「と、丁度よかった。百鬼、またイワレを見てもらっても良いか。」

 

 「?いいけど、何かあったの?」

 

 先ほど神狐によってイワレの流れが体感良くなったことを手短に説明する。

 もちろん、神狐が乱入してきたことまでは話していない。あくまで、原因となるモノのみを三人に伝えた。

 

 「へぇ、せっちゃんそんなこともできたんだ。」

 

 「あれ、知らなかったのか。」

 

 それを聞いた大神が驚きの声を上げる。

 これは意外だった、てっきり織り込み済みでここに来たのだと考えていたが、違うようだ。

 

 「うん、せっちゃん秘密主義なところあるんだよね。だから知らない事も多いの。」

 

 言われて、シキガミについてもヒントだけ出してはぐらかしていたことを思い出す。

 宝石については話せない事情があるにしても、それ以外の面では割とその性分が働いているのかもしれない。

 

 「とにかくそういう訳なんだ。頼む、百鬼。」

 

 「任せて。」

 

 こちらを見る百鬼の目が赤く光る

 それからすぐに、イワレの流れを見た百鬼の目が驚きによって大きく開かれた。

 

 「…本当だ、もう完璧に元通り…ううん、元より良くなってる。」

 

 「良かった、確認ありがとな」

 

 やはり、間違いなかったようだ。

 これで問題は解決した。ようやく普段通りだ。

 

 「完治おめでとうございます、透さん。」

 

 「おう、おかげさまで。」

 

 白上が手を高く上げたのでそれに倣いハイタッチをする。

 しかし一人、大神だけは気になることでもあるのか首をかしげている。

 

 「…透君、一応最後にもう一度イワレの流れを促進してきたいんだけど良いかな。」

 

 先ほどとは打って変わって、にこやかに言ってくる大神。

 

 その様子に若干不安を覚えるが、そう言うことなら御言葉に甘えることにする。

 百鬼を信用してないわけではないが、念には念をというやつだ。

 

 「分かった、よろしく頼む。」

 

 二人には断りを入れて、部屋に向かう。

 流石に、広間でというわけにもいかない。

 

 部屋に入り、上だけ着物を脱いでベットに横になる。

 

 「結局大神には世話になりっぱなしだな。悪いな、折角の温泉旅行なのに大神に頼りきりで。」

 

 「いいよ、うちが好きでやってるんだから。

  …それより透君。」

 

 「ん?」

 

 三回目の慣れと、イワレが改善したことによって若干和らいでいる痛みに耐えていると、大神は急にその手を止めて呼びかけてくる。

 

 もしや先ほど気にしていたことか。

 それなら、俺にできる範囲なら力になろう。

 

 一人決心していると、大神はその内容を口にする。

 

 「せっちゃんと温泉に入ったの?」

 

 「…」

 

 冷や汗が頬を伝う。

 おかしい、俺は話していないはずだ。なのに何故大神はその考えに至った。

 

 しかし、正確には違う。

 あれは神狐が乱入してきただけで、一緒に温泉に入ったわけではない。それだけでも訂正しないと。

 

 「あ、本当にそうなんだ。」

 

 「って、カマかけたのかよ!」

 

 それにまんまと乗ってしまったのは俺だ。

 

 「別に一緒に入ったわけじゃないんだ、ただ神狐がいつの間にか後ろにいてだな。」

 

 焦って早口で弁明する。

 それを聞いた大神は、予想外にもくすくすと笑う。

 

 「そんなに焦らなくても大丈夫だよ。別に怒ってるわけじゃないから安心して。」

 

 「あれ、そうなのか?」

 

 てっきり昨日のように土下座の一つでもするべきかと考えたが、その必要はないらしい。

 それなら安心だ。早まっていた鼓動が落ち着くのを感じる。 

 

 「うん、繰り返しになるけど昨日のはうちがおかしかっただけだから。透君がせっちゃんと温泉に入っても気になんかしないよ。」

 

 「…あの大神さん、その割には背中の手に力が入ってませんか。」

 

 いつの間にか再開していたマッサージ。 

 しかし、先ほどと比べて明らかに痛みが増している。その内背骨が折れそうだ。

 

 「んー?気のせいじゃないかな?」

 

 白々しく答える大神。

 駄目だ、これはやはり土下座案件だった。

 

 しかし、動こうにも背中を抑えられているため当然ながら動けない。

 

 「いだだだっ、大神!?ギブ、ギブアップ、うごっ!」

 

 次第に増していく痛みについに限界を迎えた。

 情けない声を上げながら降参を宣言するも、当然終わるはずもない。

 

 「…透君のバカ。」

 

 小さく呟かれたその言葉を聞き取ることすらできず、この地獄のようなマッサージは一時間たっぷり続いた。

 

 





気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム。


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三階


どうも作者です。

誤字報告くれた人ありがとうございます。

以上。


 何とか大神の機嫌を直し、下にいる白上と百鬼に合流する。

  

 昼食後は特に予定もなく、四人でボードゲームに興じてみたり、いつの間にか現れている神狐のシキガミが持ってきてくれる飲み物を飲みながら雑談したりと、ゆっくりとした時間が流れた。

 

 それからしばらく経ち、暇を持て余していたところに急に神狐が現れた。

 

 「あ、神狐、どこ行ってたんだよ。それにその恰好は?」

 

 見れば神狐はいつもの着物ではなくメイド服を着ている。

 似合っているが、何故そんな服装を。和の中にいきなり洋が入りこんで違和感しか感じられない。

 

 「この服の方が合っておるかと思っての、それより透。少し手伝いを頼んでもよいかの?」

 

 合ってるって、一体メイド服で何をするつもりなんだか。

 服装に関しては疑問が尽きないが、手伝い自体はまんざらでもない。

 

 首を縦に振り、肯定を伝える。

 

 「うむ、こっちじゃ。」

 

 そう言うと、神狐は階段の方へと向かっていく。

 

 「悪い、ちょっと行ってくる。」

 

 「分かった、頑張ってね。」

 

 「いってらっしゃい。」

 

 「お気をつけてー。」

 

 三人に断りを入れて神狐の後を追う。

 付いて行けば、神狐は二階を通り過ぎ、さらに上の階。三階へと進んでいく。

 

 二階は客間が主であった。三階はどうなっているのか期待に胸を膨らませながら階段を上がる。

 

 階段を上り切る。

 どうやら、この宿は三階建てであったらしい、これより上に続く階段はなく、目の前に大きな襖があるのみだ。

 

 見たところ入り口は目の前の襖以外には見受けられない。

 神狐に促されて、襖を開ける。

 

 「…広いな。」

 

 襖の奥には大きな畳張りの広間が広がっていた。

 しかし、それだけで他には何もない。ただの畳の空部屋のようになっている。

 

 「それで、俺は何をすればいいんだ?」

 

 まだ肝心の内容を聞いていなかった。

 横にいる神狐に問いかける。

 

 とはいえ、何もない中ではやることも限られているだろうが。

 

 「そうじゃな、まずは横の襖を開けてもらえぬか。」

 

 横。

 

 目を向ければ、確かに入り口から見て右側にまた襖がある。

 こちらに何か置いてあるのだろうか。

 

 前まで歩き、襖にと手をかけてスライドさせる。

 

 「…え、外に続いてるのか。」

 

 てっきり部屋が続いているかと思えば、視線の先には相変わらず灰色の空と雪の積もった白い山が見える。そろそろ日が沈む頃合いだろうか、空は一層暗くなっている。

 どうやら、ここはベランダのようになっているようだ。 

 

 前に進んで手すりに手をついて下を覗けば、イズモ神社が一望できる。

 

 「透、その辺りに座布団が置いてあるじゃろうう、それを持ってきてもらえぬか。」

 

 「座布団?」

 

 部屋の中から声を掛けられ左右を見渡せば、確かに天日干しにでもするように座布団が並べられている。

 日光などでもしない中、何故外に置いてあるのかと疑問に思うが、気にせず置いてあった五枚の座布団をもって中に戻る。

 

 「おぉ、それじゃそれじゃ。次はそれを適当な感覚で置いてくれ。」

 

 「適当って言われてもな…こんな感じで良いか?」

 

 取り合えず五角形の頂点に来るように置いてみる。

 神狐は気に入ったらしく。一つ大きく頷いて見せる。

 

 しかし、何故こんなことをとは思わずにはいられない。

 手伝うこと自体に不満はない、世話になっている以上できる限り力になろう。だが座布団を取り込むだけのことに手伝いが必要とは思えなかった。

 

 どうして神狐は手伝いを頼んだのだろうか。

 

 「なぁ、神…」

 

 「ありがとうの、透。それで次なんじゃが。」

 

 理由を聞いてみようするが、神狐と被ってしまう。

 とにかく今は聞けなさそうだ。

 

 今は諦めて、取り合えずはやることを片付けることにする。

 それからしばらく、やはり手伝いの必要のなさそうな作業が続いた。

 

 細かなところの埃を取る。

 

 円形のテーブルを運ぶ。

 

 身の丈程ある瓢箪を持ってくる。

 

 ここまでやれば流石に神狐がやろうとしている事にも目星がついてくる。

 最後に、下の階からシキガミの持ってくる大量の料理たちをバケツリレーの受け取り、テーブルの置いていく。テーブルは大き目なはずだがそれが埋め尽くされてしまうほどの量がある。

 

 ラスト一つの料理を何とかテーブルの上に収めれば、その光景に達成感すら覚えた。

 

 「お疲れ様じゃ。こき使ってすまなかったのう。」

 

 畳の上に座りこみ一息ついていると神狐がねぎらいの言葉をかけてくる。

 

 「このくらいどうってことない。だけどシキガミを使えばもっと楽だったんじゃないか?」

 

 いいタイミングなので気になっていたことを聞いてみる。

聞けば、神狐はシキガミを普通よりも多く同時に使役できるらしい。なら、手が足りないなんてそう起きるとは思えない。

 

 「む…そうじゃな、手伝ってもらったからには答えぬわけにはいかぬな。

  ほれ、これを見てみよ。」

 

 言って神狐はくるりと後ろを向き尻尾をゆらりと前に出す。

 昨日も見たように、見事な毛並みの尻尾が二本。

 

 「…あれ、減ってる?」

 

 違う、昨日みた尻尾は確かに三本あった。

 数え間違えたかともう一度数えるもやはり二本しかない。

 

 「今は少し力が落ちていての、シキガミの使用に制限がかかっておるのじゃ。

  明日の朝には慣れてくると思うのじゃが、こればかりはどうしてもの。それで主に手伝いを頼んだのじゃよ。」

 

 尻尾の数が力の指標になっているのか。

 消費が一定以上になれば減っていくのだろう。

 

 その原因となった出来事と言えば…

 

 「それより、そろそろ三人にも声を掛けねばな。」

 

 考え込んでいるところに神狐が話しかけてくる。

 

 「え、あぁそうだな。じゃあ、ちょっと呼んでくるよ。」

 

 任せるのじゃ、と神狐に見送られて下の階へと降りる。

 

 一階に到着して三人を探して辺りを見渡すが誰もいない。

 そういえば、先ほど料理を運んでいる際も姿を見かけなかったな。

 

 外にでも出ているのか、料理も出来ていることだしすぐに見つけないとな。

 

 三日ぶりの鬼纏い。

 イワレの流れが改善したことで効果が上がっているらしく、危うく床を踏み抜きそうになった。

 

 床に穴を開けたら多分、怒るんだろうな。

 

 慎重に力を込めていざ探しに外に出ようとしたその時だった。

 

 「透君、どこ行くの?」

 

 「へ?」

 

 後ろから大神の声が聞こえてくる。

 今まさに探しに行こうとしたところで急に声を掛けられ、驚き振り向けばそこには髪を少し湿らせた大神が立っていた。

 

 「あぁ、温泉入ってたのか。三人がいなかったから探しに行こうと思ってたんだ。」

 

 恐らく白上と百鬼もその内上がってくるのだろう。

 そう言うことなら、外に出る必要もなく助かる。

 

 「そうだったんだね、何かあるの?」

 

 「俺も詳しいことは聞いてないんだけど」

 

 だが、確証はなくとも流石にあの準備内容を見れば、嫌でも察しはつく。

 

 「…まぁ、見てからのお楽しみということで。」

 

 だが、ここは濁しておく。

 期待していろと神狐は大神に伝えていた。なら俺が憶測でいう訳にもいかない。

 

 それから大神と二人、白上と百鬼が出てくるのを待った。

 

 

 

 

 

 

 「よくぞこのイズモ神社に来てくれた。今宵は思うまま飲んで騒ぐと良い!」

 

 神狐の音頭で杯が音を立ててぶつかる。

 

 最後の夜ということで神狐は宴会を催してくれた。

 先ほどの手伝いははすべてこの為のモノであったということだ。

 

 三階の大部屋の中、五人でテーブルを囲む。

 用意された料理の多さに、三人は見るなり目を剝いていた。

 

 「あ、美味しい。フブキこれ食べてみて。」

 

 「ホントですね、これ好きな味です。」

 

 大神の勧めた肉料理を食べた白上も同意を示す。

 

 「余も食べたい!ミオちゃん、余の分も取って!」

 

 「うん、いいよ。」

 

 百鬼にねだられて大神が皿によそって渡す。

 相変わらず所帯じみてるな。

 

 ふと、横にいる神狐に目を向けてみる。

 

 メイド服を着ているのも、完全に雰囲気のために着ているだけらしい。

 神狐自身は何もせずただその光景を見ている。

 

 「透君にせっちゃんも、これ食べる?」

 

 「いいのか?ありがとう大神。」

 

 手を伸ばしてくるので皿を渡せば、先ほどの料理を取り分けてくれる。

 しかし、神狐は手を振っていらないことをアピールする。

 

 「神狐は食べないのか?」

 

 先ほどから見ているばかりで、何も手を付けようとしないので思わず聞いてみる。

 

 「妾か?うむ、体が小さい故あまり食べれないのじゃ。」

 

 「小さいって、自分から言うのかよ。」

 

 初対面の時も小さいと言われて文句を言っていたが、実は特に気にしていないのか。

 そう考えると、今まで気にしていたのは何だったのだろうかと疑問に思ってしまう。

 

 「自分で言うのはよい、事実じゃしな。ただ他人から言われるのは癪に障るだけじゃ。」

 

 理不尽だ。

 やはりその辺りの配慮は必要なようだ。

 

 げんなりとした気分をもろとも飲み干すように木製のコップを傾ける。

 

 「透よ、せっかく用意したのにあっちは飲まぬのか?」

 

 あっちと言われて指さされた方に視線を向ければ運んできた瓢箪が置いてある。

 確かに、自分で運んできておきながら手を付けないのも勿体なく感じるが…。

 

 「…あれを見た後に飲むのは少し抵抗があってな。」

 

 「あれ?」

 

 疑問符を浮かべる神狐とそろって前を見る。

 

 「ミオちゃん、今度はあれ食べさせて。」

 

 「いいよー。はい、あーん。」

 

 そこには、親鳥から餌をもらう小鳥のように口を開ける百鬼と、それに応じて食べさせている大神の姿がある。

 無論、普段からこんなことをしているわけではない。

 

 「もう酔っぱらっておるのか。じゃが、鬼は種族的にも酒には強かったはずなのじゃが…。」

 

 神狐が言うように、あの瓢箪の中身は酒であった。

 どうやら百鬼は酔うと直情的になるらしく、今も普段以上に大神に甘え切っている。

 

 あんな風になってしまうのではないかと思うと、どうにも飲むのは躊躇してしまう。

 目を離したのはほんの数分だったはずなのだが、既にあの状態になっているのはなぜだろうか。

 

 「あれ、瓢箪の中身もう半分になってませんか?」

 

 白上も気になったのだろう、瓢箪に触れて中身を確認していた。

 軽く白上よりも大きな瓢箪にいっぱいに入っていたはず。どんな速度で飲んだんだ。

 

 体積的に入らないと思うのだが…つくづくカミの体はでたらめに出来ているらしい。

 

 「…透くん、何飲んでるの?」

 

 気が付けば、百鬼がこちらを見ている。

 正確には俺の持つコップにその視線が注がれている。

 

 マズイ、対象が大神からこちらに切り替わってしまった。

 

 「水…ですけど。」

 

 「んー?」

 

 不穏な気配を感じてつい敬語になってしまう。

 それを聞いた百鬼はテーブルを四つん這いでくるりと周り込んで来て、ずいと顔を近づけてくる。

 

 「余のお酒が飲めないっていうの。」

 

 「近い近い、めんどくさい酔い方してるな!」

 

 尚もこちらに向かってくる百鬼を抑える。

 酔いが回っているせいか力自体はそこまで強くないが勢いが凄い。

 

 変に振りほどけば火に油を注ぐことになりそうでそれをすることもできない。

 

 「こら、あやめー、透君に迷惑かけたらだめだよー。」

 

 大神が後ろから百鬼を引っ張り、引きはがす。

 解放されてほっと息をつく。

 

 「ありがとう大神、助かったよ。」

 

 「あはは、こうなったあやめの相手難しいからね。後は任せて。」

 

 大神の面倒見が良くて助かった。

 

 そんな俺と大神のやり取りをジッと見ていた百鬼はおもむろに大神に抱き着く。

 無事にまた対象が大神に戻ったようだ。

 

 これで一安心と思い、水を飲もうとすると、同じ体制のまま百鬼がこちらを見ていることに気づく。

 心なしかその瞳には警戒が浮かんでいるようで。

 

 「透君、ミオちゃんと親し気になってる。」

 

 「…唐突だな、普通じゃないか?」

 

 ちらりと大神を見てみれば、彼女も同じ意見のようで頷いている。

 しかしそれを見て、百鬼の瞳に宿る警戒心がまた一段と強まってしまう。

 

 「むー、ミオちゃんは渡さないからね。」

 

 大神にしがみつく百鬼から宣言される。

 何をどのように解釈しているのかは不明だが、どうにも俺が大神を取り上げることを危惧しているようだ。

 

 「いや、取ろうとしてないから変な心配するな。」

 

 そんな取ろうとして取れるわけでもないのにいらない警戒をされては敵わない。

 

 「やっ!ミオちゃんは余のだもん、絶対渡さないかんね!」

 

 「もうどうしろと…。」

 

 どうやら俺の声は届いていないらしい。

 否定すれどもむしろ大神に引っ付き、駄々をこねだす。

 

 そんな百鬼だったが呂律が怪しくなってきた辺りで、大神によって離されていった。

 

 「大変でしたね、透さん。それにしても、随分と仲良くなられたようで。」

 

 「なんだ、白上も酔ってるのか?」

 

 後ろからシラカミが声を掛けてくる。

 こうは言ったが、白上は酔っているわけではなくただからかってきているだけだろう。

 

 白上は楽しそうにくすくすと笑っている。

 

 「透さんの狙いはミオですか?それともあやめちゃんですか?

  お手伝いしますから必要になったら何時でも言ってくださいね!」

 

 からかい半分だが、恐らく本気で言っているのだろう。

 それにしても、こういうのは本来同性でやるようなやり取りなのではないだろうか。

 

 普通に否定するのも味気ないな。

 どう返そうか考えている時、ふと思いついた。

 

 「えっとな、実は気になっているのが…。」

 

 「いるんですね!はい、誰ですか?」

 

 言えばこういった話が好きなのか白上はピンと耳を立てて目を輝かせる。

 

 「お前。」

 

 「はい?」

 

 指さして答える。

 唐突のことで処理が追い付いていないらしく、白上はきょとんとこちらを見つめる。

 

 「だから、実は白上が気になってるんだ。」

 

 「…にゃっ!?」

 

 もう一度、今度は名指しで答えれば流石に理解できたらしい。

 白上の顔が一瞬で赤くなり、あたふたと挙動不審になる。 

 

 あまりにも劇的な反応につい笑いが漏れた。

 それを見て、ようやく白上も気が付いた。

 

 「じょ、冗談ですか。全く、透さんもやることが幼稚ですね。」

 

 「その割には顔赤いぞ。」

 

 取り繕おうとしているが、顔は紅潮したままだ。

 指摘されて、さらに頬に赤みがさす。

 

 「うぅ、ちょっと夜風に当たってきます。」

 

 そう言い残して白上は横の襖を開けて外に離脱してしまった。

 よし、今回は勝った。

 

 高揚感とは違うやってやったという謎の達成感を覚え、ついガッツポーズをとる。

 

 「…主らはいつもこんな感じなのか?」

 

 そんなやり取りを黙ったまま見ていた神狐が口を開く。

 いつも、と言われても思えば最近はキョウノミヤコに行ったりで、こういったことはそれこそ帰ってきてからだな。

 

 「まぁ、最近はだけどな。」

 

 「そうか…。」

 

 それを聞いた神狐の顔はどこか嬉しそうだ。

 

 「それは楽しそうじゃな。」

 

 何を思ってそう言ったのか、俺が知る由も無かった。

 その後も様々な話をしながら、夜が更けるまで宴会は続いた。

 

 

 





気にいてくれた人は、シーユーネクストタイム。


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詫びと礼


どうも作者です。



 ふと目が覚めた。

 辺りには暗闇が満ち、部屋の四隅にある鬼火のみが淡く輝いているのみ。

 

 いつの間にか眠っていたようだ。

 

 少し離れた場所から規則正しい寝息が三つ。

 昨夜は遅くまで騒いで、そのまま全員揃って寝落ちしたという訳か。

 

 床が畳張りであったこともあり、体に痛みは感じない。

 だが、再び眠れもしなさそうだ。

 

 一度夜風に当たろう。

 

 そう考え、三人を起こさないように音を殺しながら横のベランダに出る。

 

 冷たい。

 眠気の飛んでいくような風が頬をなでる。

 

 上を見れば星が見えるかとも思ったが、そうだ雲に覆われているのだった。

 

 代わりに下のイズモ神社に目を落とす。

 この二日で早くも見慣れてきた光景が広がっている。

 

 明日、いや今日でこれも見納めかと思うと、少し感傷的な気分が湧いてきた。

 思えばたった二日の出来事とは思えない程、イズモ神社での日々は濃かった。

 

 「…あれは。」

 

 景色の中に違和感を覚える。

 遠目に見てもわかりやすい金色。

 

 神狐セツカが池のそばでたたずんでいた。

 

 こんな時間に何をしているのだろう。

 疑問に思うと同時に、体は動き出していた。

 

 足早に階段へと向かい、下へと降りる。

 宿を出てしばらく歩けば、先ほど見かけた場所から動いていない神狐を見つけた。

 

 「こんな時間に何してるんだ?」

 

 声を掛ければ驚いたようでびくりと体を揺らして振り返る。

 

 「…なんじゃ透か。」

 

 誰かと思ったのか、神狐は声の主を見つければ安堵したように息を吐いた。

 人がいないのなら声を掛けられることすら、不慣れにもなるか。

 

 「眠れぬのか?」

 

 「そんなとこ。風に当たってたら神狐を見つけたから気になってな。」

 

 「そうか。」

 

 思うところでもあるのかどこか淡白な返し。

 そして再び神狐は池へと視線を戻す。

 

 昨日と今日。

 二日、神狐と接してきたがこれは初めて見る姿だ。まるで別人と接しているような感覚になる。

 

 しばらく無言の間が生まれた。

 

 「…思い出。」

 

 ぽつりとつぶやかれた神狐の言葉が静寂を破る。

 

 「思い出に、浸っておった。」

 

 ここでようやく、神狐は最初の質問に答えた。

 

 「思い出って、聞いても良いか?」

 

 返事はないが肯定されたようだ。

 神狐はこちらに視線を送らず、どこか遠くを見つめて淡々と語りだした。

 

 「昔、まだこのイズモ神社が人で溢れておった時のことじゃ。

  何かと機会を見つけては宴会じゃ、宴じゃと騒いでおってな。何とも愉快な連中じゃった。」

 

 だった、過去形だ。

 今はもう存在しない、名残であろうこの風景からしか読み取れない。神狐の中にのみ存在する記憶。

 

 何かがあったのだろう。

 このイズモ神社から人がいなくなってしまうほどの何かが。

 

 だが、それを聞き出すことは出来ない。

 興味本位で立ち入るべきではない話だ。何よりもう終わったことだ。聞いたところで俺にできることは何もない。 

 

 それきり神狐は口を閉じ、再び静寂が訪れる。

 

 二人並んで池を眺める。

 普通なら退屈してしまうだろうが、そんな気分は一粒たりとも湧いてこない。

 

 「のう、透よ。」

 

 「なんだ?」

 

 神狐の視線が池からこちらへと移る。

 その瞳に浮かぶ感情は読み取れない。

 

 「…ミオは今、幸せかのう。」

 

 …抽象的な質問だ。

 仲は深まったとはいえ、そこまで察せる程の仲ではない。

 

 大神が今の現状にどんな感想を抱いているのかなどは本人に聞くほかない。

 だが、あえて俺からの主観で見れば。

 

 「少なくとも不幸ではない…と思う。」

 

 白上がいて、百鬼がいて。

 シラカミ神社で暮らしてきて、日常の中で大神が悲し気な顔をしたことは一度もなかった。

 

 それで不幸だと言われては何が幸せなのか俺には分からない。

 

 「それなら…まぁ、良しとするかの。」

 

 その答えに満足したのか、神狐はそう呟き一つ頷く。

 何の意図があったのかは分からない。だが、それで良いというなら良いのだろう。

 

 「…ところで、じゃ。」

 

 そう口にした神狐の雰囲気が一転して、軽いものとなる。

 その顔には不敵な笑みが浮かんでいた。

 

 「透、主も隅に置けぬのう。」

 

 「は?」

 

 話の温度の急降下について行けず、つい間の抜けた声が出る。

 そんな俺を見て楽しそうにしながら、肘で小突いてくる。

 

 「とぼけるでない、して、本命は誰なのじゃ?」

 

 「本命って、別に俺は…」

 

 そこまで言って口をつぐむ。

 今俺は何と言おうとしたのだろう。

 

 あの三人をそういう対象に見ていない。

 そのような関係になるつもりはない。

 

 果たして、今の俺は心の底からそう思っているのだろうか。

 

 「…分からない。」

 

 「うむ?」

 

 聞こえなかったのか神狐はきょとんとした顔で首をかしげる。

 

 「だから、分からないんだ。俺があの三人をどう思ってるのか。」

 

 最初はただの恩返しのつもりだった。

 何もない、この体一つでカクリヨに迷い込んだところを救われた。色々なことを教わった。

 

 けど接していく内に、段々とそれだけではなくなっていることも感じていた。

 

 あの三人ともっと仲良くなりたい。恩に関係なく力になりたい。

 その思いが強くなっていた。

 

 だけどそれが恋愛感情かと言われると、そうであるともないとも言い切れない。

 故に、分からない。

 

 「そもそも会ってからそんなに経ってないし。それに…。」

 

 それに、俺はまだウツシヨに帰るかどうか決め切れていない。

 そうだ、これがストッパーになっているのだ。

 

 例え誰かを好きになっても、ウツシヨに帰ってしまえばもう会えなくなる。

 それを理解しているからこそ、それから先に思考が進めないでいる。

 

 「…そうじゃな、確かに性急であったな。

  個人的にはミオを勧めたい所じゃが、そういうことならまた今度じゃな。」

 

 今度ということは将来的に勧めてくるようだ。

 結構突っ込んでくるな。

 

 「そもそも俺がどう思おうと、相手の考えもあるだろ。どう見ても脈無しだ。」

 

 勧められる大神の心境はいかがなものだろう。

 それこそただの独り相撲にしかなりそうもない。

 

 しかし神狐は納得がいかないようで、うんうん唸っている。

 

 「そうかのう…白上や百鬼はともかくとして、ミオはあれで純粋なところがあるからの。

  間違えても男の服をはぎとるような真似はしないはずじゃ。」

 

 「…そうか?」

 

 …ここ最近だけでも計二回ほどはぎとられているのだが。

 この金色娘、適当なことを言ってるのではないだろうな。

 

 「そうじゃよ、じゃから主にそれをしたということは、そのくらい気を許しておる証じゃよ。」

 

 「…素直に喜びづらいな、それは。」

 

 大神が気を許してくれているのは確かに嬉しい。

 だが、その証が服をはぎとられたというのは、何とも反応に困る。複雑な気分だ。

 

 せめて美談とはいかないまでも、もっと普通であって欲しかったと思ってしまうのも無理はないはずだ。

 

 「ま、その辺りはまだ先の話だ。その時になったらまた考えるよ。」

 

 「なんじゃ、つまらんのう。」

 

 とことん楽しむつもりだったようで、神狐は唇を尖らせている。

 

 仮に誰かのことが気になっているとなったとしても、こいつにだけは教えないようにしよう。

 心の奥底でそっと誓った。

 

 気が付けば、空の雲がうっすらと明るくなっていた。

 どうやらいつの間にか夜が明けたらしい。

 

 「さて、そろそろ戻らねばな。あやつらも起きてくる頃合いじゃ。」

 

 「あぁ、そうだな。」

 

 神狐はくるりと背を向けて歩き出す。

 ふと、目の前にある二本の尻尾に目が行く。昨日、三本から減ってしまった尻尾。

 

 そうだった、聞いておかなければならないことがあったのだ。

 

 「なぁ、神狐。その尻尾が減ったのはやっぱり昨日の…。」

 

 ぴたりと、神狐の足が止まった。

 

 「…鈍感なくせして、気づかなくても良いところには気が付く男じゃな、主は。」

 

 ジトリとこちらを見る神狐。

 その様子から、考えが正しかったことを悟った。

 

 力を失った結果尻尾が減ったと神狐は言っていた。

 つまりどこかで力を使ったのだ。そして、温泉での出来事。あの後俺の体は完治した。

 

 ただの偶然で時期が被ったと考えるにはあまりにもタイミングが合いすぎている。

 

 諦めたのか、一つため息をつくと神狐は話し出す。

 

 「別に妾が何もせずとも、あのままの状態でもいくらか待てば完全にとは言わんが、問題ない程度には治っておった。妾はただそれを少し修正したにすぎんよ。」

 

 「それならなおさら、力を失ってまで何で…。」

 

 それほどのメリットは無かったはずだ。その上で何のためにそんなことをしたのか。

 もちろん感謝はしている。ただそれにつり合うだけのものがあるとは思えない。

 

 「ただの詫びと礼じゃ。ミオが世話になっておるのもあるしの。

  …それと一つ勘違いをしておるようじゃが。」

 

 「勘違い?」

 

 聞き返せば神狐はこちらに向き直ると、腰に手を当てて口を開いた。

 

 「妾にとって力など惜しむものではない。使わぬ力なぞあっても持て余すだけじゃ。

  故に、力が減ることに抵抗など微塵もないのじゃ。それよりも礼を尽くすことの方が妾にはよっぽど重要じゃ。」

 

 堂々とした様子でそう宣言して見せる。

 その顔には微塵の嘘も後悔もない。

 

 ただやるべきことをやった、彼女にとってはその程度の出来事なのだ。

 ならば引け目を感じるのは彼女に対する侮辱にしかならないのだろう。彼女の行いを否定するだけになる。

 

 「…そっか、ありがとう、神狐。」

 

 「うむ、それでよい。」

 

 神狐は満足げに頷くと再び背を向け歩き出す。

 いつまでも立ち止まってはいられない、急いでその背を追いかけた。

 

 

 

 

  

 

 宿に戻ると、既に三人は起きてきていた。

 どこに行っていたのかと聞かれたので、適当に散歩していたと言っておいた。

 

 帰り用の麒麟を呼んでくると、神狐はどこかへと行ってしまったため四人で軽く朝食を済ませ、部屋に戻り荷物を纏める。

 

 「せっちゃんと何かあった?」

 

 荷物もまとめ終え一息ついていると、大神が問いかけてくる。

 

 「ん?別に何もなかったぞ、少し話したくらいだ。」

 

 その答えを聞いた大神は少し複雑そうな表情を浮かべる。

 

 「変な顔になってるぞ、大神。」

 

 「へ?わわっ。」

 

 指摘してやれば慌てて顔に手を当て表情を戻そうとする。

 それにしても急な質問だ。おかしな点でもあっただろうか。

 

 「なんでそんな質問を?」

 

 疑問に思い聞いてみる。

 大神は少し考え、ゆっくりと口を開いた。

 

 「んー、二人の雰囲気が軽くなってた気がして。

  透君がせっちゃんと仲良くなるのは嬉しいんだけどね、変に気になっちゃって。」

 

 どうやら、大神自身よくわかっていないらしい。

 なら言及したところで答えは出ないだろう。

 

 二人でそう結論づいたところで、空から何かが遠くの方に降ってくるのが窓越しに見える。

 そういえば、ここに来る際も垂直に落下していた。十中八九あの麒麟だろう。

 

 まとめた荷物を持ち、白上、百鬼と合流して宿を出る。

 

 見慣れた景色を四人で話しながら歩く。

 この二日で愛着が湧いていたようで、ここを離れることに寂寥感を感じた。

 

 「おーい、こっちじゃ。」

 

 本殿を抜けると、麒麟と共に神狐が手を振って待っていた。

 初日ぶりだが、麒麟は俺達のことは覚えていたようで、こちらを見ると一声鳴き声を上げた。

 

 続々と荷台に荷物を積み乗り込む。

 

 大神が乗り込む寸前、神狐は声を上げた。

 

 「…ミオ、まだ考えは変わらぬか。」

 

 何に対して言っているのかは当人たちにしか分からないのだろう。

 

 「…うん、変わらない。」

 

 答える大神の瞳は浮かぶのは覚悟か決意か。

 それを聞いて、神狐もすぐに引き下がった。

 

 「おっと、透よ、少し主のシキガミをこちらに見せてもらえぬか。」

 

 「?分かった。」

 

 大神も乗り込み、扉を閉めようとしたところで神狐が言う。

 断る理由もない、すぐにちゅん助を呼び出し神狐の方に飛ばせる。

 

 それに対して神狐は何やら光を当てると、すぐにちゅん助は戻ってきた。

 

 「何したんだ?」

 

 「妾の居場所が分かるようになっただけじゃ、何か相談事があればメッセージを持たせて妾まで飛ばすと良い。」

 

 そう言われて、ちゅん助をまじまじと見つめる。

 外見は特に変わっていない。しかし、意識してみると確かに、神狐に向けて飛ばせるということは理解できた。

 

 用事が終わると、神狐は一歩後ろに下がる。

 それと同時に麒麟は飛行を始め、ゆっくりと高度が上がっていく。

 

 「それではの、主ら、また来ると良い。」

 

 手を振る神狐に、それぞれが礼を言い手を振り返す。

 こうして、俺達はイズモ神社を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 「そういえば透君、せっちゃんの尻尾は最終的に触ったの?」

 

 帰り道、大神がふとそんなことを聞いてきた。

 

 「いや、触ってないな」

 

 その代わりと言っては何だが、力を使ってイワレの流れを直してくれたのだろう。

 その答えに満足したのか、大神は礼を言うと窓の外に目を向け、ぽつりとつぶやいた。

 

 

 「…せっちゃんに最後に触れたのっていつだったかな。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…行ってしまったのう。」

 

 同じ頃、彼方へと消えていく四人を乗せた麒麟を見送りながら神狐セツカは呟いた。

 感傷に浸っているのか、その眼は優しげでもあり、寂し気にも見える。

 

 やがて見えなくなる程遠くに行くと、ようやく踵を返した。

 

 「さて、次に会えるのはいつになるかの。」

 

 ゆっくりと歩く。

 イズモ神社の本殿へと進むその姿は足先から、風に舞うように消えていった。

 

 

 

 

 

 

 





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問答(上)

どうも、作者です。
評価くれた人ありがとうございます。

以上。


 いつも通りの朝。いつも通りの日常。

 

 イズモ神社から帰還してはや一か月。シラカミ神社と周辺の山は白く覆われていた。

 

 今もなお降り続ける雪が風に舞っている。

 それと同時に、肌を刺すような寒さに襲われる。

 

 今や習慣となったランニング中、変化していく季節を感じた。

 

 この一か月、カクリヨの異変に関する情報は一つたりとも見つかっていない。

 これは手がかりが見つかっていないのもそうだが、異変そのものが発生していないことに起因している。

 

 何も起こらないから、新しい情報が生まれない。

 別に悪いことではない。異変が起こらないのならそれに越したことはない。

 

 このまま上手く収束してくれれば良いのだが。

 

 そんなことを考えていれば、シラカミ神社へが見えてきた。

 

 いつもなら、丁度よい疲労感を感じるが今はそうではない。

 イワレの流れが改善してから反動か、それとも防衛本能でも働いたのか身体能力が依然と比べ上昇していた。

 

 それはありがたいが、現状に合わせてトレーニング内容を調整しないといけないな。

 

 屋内に入る前に裏に回り、水場へと向かう。

 本来なら温泉に行きたいところだが、現在まだ太陽も昇っていない早朝だ。流石にこの時間帯はまだ開いていない。

 

 服を脱ぎ、意を決して水の中へと入る。

 

 「うおっ、冷たいな。」

 

 流れがあるため氷は張っていないが、それでも体が動かなくなってしまうのではないかと思うほどに冷たい。

 小さな滝の下に行き、手早く汗を流し水の中から上がる。

 

 温まっていた体は、既にその面影すらなく冷え切っていた。

 大神か百鬼にでも火を扱えるようなワザを教わっておいた方が良いのかもしれない。

 

 水気を取り、用意しておいた服に着替え屋内へと向かう。

 

 玄関を抜け居間に到着すれば、楽園はそこにある。

 意識せず、早足になる。

 

 すぐに今に到着する。

 そこにはテーブルに布団を被せ、中で熱を発する文明の利器、炬燵が置いてる。

 

 原理はともかく、冷えた体には打ってつけのそれには予想外の先客がいた。

 

 白い髪に獣耳を頭に生やした少女、白上フブキがぬくぬくと炬燵に入り表情ををふにゃりと崩している。

 

 「あ、透さん、おかえりなさい。」

 

 白上はこちらに気が付くと、緩い笑顔をこちらに向ける。

 心なしか普段に比べて、声にも力が入っていない。

 

 「おう、ただいま。今日は早いんだな。」

 

 基本的に白上は日が昇るまでは起きてこないのだが、今日はやけに早い。

 ここまで早くに起きてくるとということは、今日は何かイベントごとでもあっただろうか。

 

 「いえ、早起きしたわけではなく。さっきまで世界を救う戦いをしていたんです。」

 

 世界を…あぁ、なるほど。

 どうやらゲームを一晩中していたようだ。

 

 通りで顔に覇気がないわけだ。リラックスしているだけかと思えば、それだけでなく今さら眠気に襲われているのだろう。

 

 疑問も解消したところで、冷えた体を温めるべく白上に倣い炬燵へと足を入れる。

 

 「あ~、やっぱり良いな、炬燵は。」

 

 「開発した方は称えられてしかるべきですね~。」

 

 二人そろって炬燵に溶かされる。

 一度入ってしまえば、もう出たくなくなってしまう。

 

 芯まで冷えていた体が、じんわりと温まっていく。

 

 「みかん食べますか?」

 

 「ありがとう、貰うよ。」

 

 白神からみかんを受け取り、皮をむいて一つ口に放り込む。

 少し酸味が強いか、だがそれも最初だけで徐々に甘みが顔を出してくる。

 

 炬燵とみかん。

 ここまで合うとはもはや運命なのではないか。出会うべくして出会った、そんな気すらしてくる。

 

 「それで、白上はもう寝るのか?」

 

 今日は特に予定などはなかったはずだ。

 それを見越しての徹夜だろう。

 

 「そうですね、そうしたい所なんですけど炬燵から出られる気がしないんですよね。」

 

 そう言うと、白上はテーブルの上に顎を置き突っ伏してしまう。

 まさかここで寝るつもりかと思うが、まだ尻尾がゆらゆら動いている。

 

 しかし、その意見には同感だ。そろそろ大神が朝食の準備を始める頃合いだ。手伝いに行きたいのだが、一度覚えてしまったこの暖かさを手放すのはなんとも惜しい。

 

 「ん、透さん、耳がかゆいので掻いてもらえませんか。」

 

 「それくらい自分でやれよ…。」

 

 何もする気きになれないようで、同じ体制のままぺたりと耳が垂れる。

 これほどまでに人を堕落させるとは、炬燵、恐ろしい子。

 

 言いながらも、ゆっくりと白上の頭に手を伸ばす。

 

 「この辺か?」

 

 取り合えず耳の裏側をかいてみる。

 触れてみれば髪とはまた違う、柔らかい感触。以前大神の尻尾を触ったがそれに負け劣らずの素晴らしい毛並みだ。

 

 ひそかに役得に思う。

 

 「あ、そこです。透さん上手ですね~。」

 

 お気に召したようだ。

 感情が現れているのか、尻尾が先ほどよりも激しく左右に動いている。

 

 「…すぅ…。」

 

 しばらく、白上のお願いを聞くという名目で獣耳の触り心地を堪能していると、手の下から微かな寝息が聞こえてくる。

 

 世界を救った歴戦の戦士は迫りくる疲労に抗えず眠りに落ちてしまったようだ。

 結果は聞いていなかったが、この満足げな顔を見るに乗り切ったのだろう。

 

 しかし、このまま寝かせておくというわけにもいかない。

 せめてと、ブランケットを持ってきて白上にかける。

 

 よほど眠気が強かったのだろう、クッションをテーブルとの間に挟んでみたがそれでも起きる気配はなかった。

 

 話し相手がいなくなり、ついでに炬燵の魅力から逃れられたところで台所へ向かう。

 

 「おはよう、透君。」

 

 見事な黒髪と獣耳を携えた少女、大神ミオは既に台所に立ち、調理を始めていた。

 

 「相変わらず朝が早いな、大神は」

 

 「まぁね、透君はさっきまでランニング?」

 

 「いや、白上がいたから少し話してた。その白上は今頃夢の中だ。」

 

 これだけで何かを察したらしい。

 大神は小さく息をつき、苦笑する。

 

 「もう、夜更かしはやめなっていつも言ってるのに…。…透君、そこの魚取ってもらってもいい?」

 

 「分かった。」

 

 魚を人数分トレイに載せ、それごと手渡す。

 大神が魚の下処理をしているうちに、他の品の準備をする。

 

 「大分手馴れてきたね。最初の頃はあんなに手間取ってたのに。」

 

 「言わないでくれ。多分、元々料理なんてしてなかったんだろうから。」

 

 確信が持てないのは、カクリヨにくる以前の記憶が無いからだ。

 自分がどこの誰なのか。どんな人物だったのか。

 

 そんな状態で、白上と大神に助けられて今がある。

 …はて、本当にそうだったか?

 

 いや、確かに覚えている。

 体が消えかけたあの感覚はそう簡単に忘れられるものではない。

 

 「…大神、やっぱり異変の情報は特になしか?」

 

 今朝も考えていたことを聞いてみる。

 

 「うん、キョウノミヤコでの噂以降は特に何も。ウツシヨからものが流れてくること自体はよくあることだったから、偶々のイレギュラーだったのかも。

  それ以外に考えられるとすると、やっぱり…。」

 

 大神は手を止めることなく答えた。

 

 そう、もう一つだけ可能性がある。

 キョウノミヤコでの事件以来、異常な事態は起こっていない。事件自体は異変とは違うものであったが、その首謀者を捉えてから何も起こらなくなった。

 

 それは偶然か否か、確かめる必要はある。

 

 「透君、大丈夫そう?」

 

 大神の手が止まった。

 大丈夫とは、聞くまでもない。封じたままでは会話などできないのだから、当然一度開放することになる。

 

 「一応考えはある。けど、念のために全員そろってからにしよう。」

 

 「そうだね、その方が良いかも。」

 

 これで今日の方針は決まったところで、朝食の準備を片付けてしまう。

 少し気を抜いているとほとんど終わらせてしまうのだから、大神には追いつける気がしない。

 

 皿への盛り付けも終わり、大神は割烹着を外す。

 

 「それじゃあ、うちはあやめを起こしてくるね。」

 

 「おう…ってやっぱりそれは持っていくんだな…。」

 

 対睡魔決戦武器であるお玉とフライパンを装備して台所を後にする大神に、つい顔が引きつる。

 

 今までも、何度かその凄惨な現場を目にしたことがあるが、あれを前に眠りを続けることはまず不可能だ。

 あれを食らわないために俺は朝の鍛錬を続けられているのかもしれない。

 

 今日も犠牲となる百鬼に軽く心の中で合掌する。

 

 取り合えず運ぶ前に、炬燵で寝ているはずの白上を起こしておいてやろう。

 徹夜明けにあの音はキツイだろう、武士の情けというやつだ。

 

 そろそろ大神は百鬼の部屋に着いた頃か、急がないとな。

 そう考え、台所から出ようとすると、死角から何かがこちらに向かってきて衝突する。

 

 「わ、ごめん大丈夫?」

 

 「いや、こっちこそ悪かった。…って百鬼?」

 

 目の前には先ほど大神が呼びに行った筈の綺麗な角を額に生やした鬼の少女、百鬼あやめがいた。

 しかし、件の大神の姿は近くに見当たらない。

 

 「あれ、百鬼、大神とは会わなかったのか?」

 

 「?うん、ミオちゃんとは会ってないよ。」

 

 きょとんとした顔で応える百鬼。

 どうやら行き違いになったようだ。今頃、大神は空っぽの布団を見て驚いているだろう。

 

 と考えていると、百鬼がきょろきょろと台所の中を見渡す。

 

 「朝ごはん作るの手伝おっかなて思ったんだけど…。もう出来てる?」

 

 百鬼の視線の先には、盆に乗った朝食の品々。

 それを見て首をかしげる百鬼にもしやと思いつく。

 

 「もしかして、そのために自分で早めに起きたのか?」 

  

 聞けば、百鬼はこくりと首を縦に振る。

 

 なるほどそう言うことだったのか。

 しかし、現在は朝食を作る時間帯ではなく出来上がっている時間帯だ。

 

 「…百鬼、一応訂正しとくと準備をしてるのはもっと前だぞ。」

 

 「…え、そうなの?」

 

 真実を教えてみると、そんな間の抜けた声が帰ってきた。

 やはり、何やら勘違いをしていたらしい。

 

 折角起きたのに無駄足となったのが応えたようで、百鬼はしょんぼりとしてしまう。

 

 「うぅ、余もミオちゃんのお手伝いできると思ったのに…。」

 

 大神が聞けば狂喜乱舞してもおかしくなさそうな台詞だ。

 また明日にすればよいと思うが、これ以上に早く起きる自信が無いのだろう。

 

 戦闘面ではしっかりしているのに、意外とこういったところで少しばかり抜けた面が見える。

 

 「それならこれ運ぶの手伝ってくれよ。それだけでも大神なら喜んでくれると思うぞ。」

 

 別に朝食を作るだけが全てなわけではない。

 もし作りたいというのならまた違ってくるが、何かしたいなら他にもやれることはいくらでもある。

 

 「本当?分かった!」

 

 先ほどまでの表情が嘘のように明るくなる。

 幸いなことにこの提案に納得できたようだ。

 

 そんなわけで、二人で四人分の朝食を居間まで運ぶ。

 手伝いが出来ているためか、やけに百鬼は機嫌がよさげにしていた。今にも鼻歌を歌いだしそうだ。

 

 …それにしても、何かを忘れているような気がする。

 そもそも、俺は何も持たずに今に戻ろうと…。

 

 「あっ。」

 

 思い出した。

 そうだ、俺は白上を起こそうとして。

 

 それと同時に、居間の方からけたたましい音が聞こえてくる。

 

 「にゃあああっ!?」

 

 そして後から響く白上の悲鳴。

 百鬼がいないのなら大神が寝ているもう一人の方に行くのは当然の摂理だ。

 

 居間に入ってみる。

 案の定というべきか、そこにはお玉とフライパンを構えた大神と、驚いた拍子に足をぶつけたらしい白上がうずくまっていた。

 

 この惨状を未然に防げたのだと思うと少しだけ、罪悪感を感じた。

 

 

 

 その後、朝食をとる中で先ほどの話を二人にもする。

 

 「…というわけでね、二人にも付き合ってもらう形になるけど良いかな。」

 

 大神の説明を受けた白上と百鬼は首を縦に振り、快諾してくれた。

 話を聞いた当初は不安に思う意見もあったが、そこは考えがあると言うとそれなら大丈夫と言ってくれた。

 

 この数か月でそれなりに信頼を得ることが出来ていたことを嬉しく思う反面、裏切れないという思いもまた同時に強くなった。

 

 朝食後、準備を整えてシラカミ神社の最奥へと向かう。

 

 動機が速くなる。

 このカクリヨにおいて真の意味で敵対した者とまた相対することに、緊張からか一筋の汗が頬を伝った。

 

 大丈夫だ、やれるはずだ。

 最悪、無理やりにでも封印をし直せばいい。

 

 やがて、目的の場所へと到着する。

 そこには、台の上に置かれた透明な丸い球体が鎮座している。

 

 キョウノミヤコで捕えた謎の人物。いや、人物ですらないのかもしれない。

 

 「『解』」

 

 ひと月前に発動したワザ。それを今解除した。

 球体は中から膨れ上がるように消滅し、やがてその場所には代わりに人の姿が現れる。

 

 あの時と恰好も、姿も変わっていない。

 

 道化師クラウンはこちらに気が付くと、顔を向け、ピエロの化粧をしたその顔を笑顔に歪めた。

 

 

 





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問答(下)


どうも、作者です。


 「おやおや皆様、お久しぶりです。」

 

 そう言ってクラウンは優雅に一礼をする。

 

 今のところ害意は感じられないが、その様子には違和感を覚える。

 立ち振る舞いこそ紳士的なものだが、クラウンとは敵対関係にある。実際、命を取るつもりで刀を振るってきたこともあった。そしてトウヤさんを俺たちに殺させようとすらした者だ。

 

 だからこそ、俺達はこいつを止めて、封じて今に至る。

 

 それなのに、今のクラウンは落ち着いている、落ち着きすぎている。

 それが逆に不気味に感じた。

 

 「意外だな、てっきり逃げるか襲い掛かってくると思ってたんだが。」

 

 「えぇ、そんな無駄な真似は致しませんよ。」

 

 クラウンはおもむろにこちらに手を伸ばす。

 

 今の距離関係はそれこそ腕一本分。

 手を伸ばせば、当然触れられる距離だ。

 

 しかし、伸ばされたその手は届くことはなく、俺達とクラウンとを隔てる壁に遮られて停まる。

 

 「この結界が突破できないのは、身をもって体感していますので。」

 

 気が付いていたらしい。

 

 そう、既にクラウンは結界の中にいる。

 部屋を半分覆う形で張り巡らせた結界に穴はもう無い。

 

 先ほど封じていた結界を解く前に、覆っておいたのだ。

 これならクラウンを逃がすことなく話ができる。

 

 だが、操作としては解除と維持を同時になさねばならなかった。維持だけならそのまま放っておいても良いが、解除も行うとなれば操作が混ざり両方共が解除されてしまう可能性もあった。

 そのため、万が一を考えて三人にも同行してもらった。

 

 「それで、いまさら私に何の御用でしょう。」

 

 感情を読ませない瞳を向け、問いかけてくる。

 

 「聞きたいことがある。」

 

 一つ息を吐いて聞けば、クラウンは続けろとばかりに目をつむる。

 

 「カクリヨの異変のことは知ってるな。あれを引き起こしていたのはクラウン、お前なのか?」

 

 「えぇ、そうですよ。」

 

 あっさりとクラウンは答えた。

 そこに躊躇いや葛藤など一ミリも感じさせないで、言い切ってのけた。

 

 これには驚き、動揺が顔に出てしまう。

 それを見て小さく笑いながらクラウンは続ける。

 

 「あれは異変というほど大層なものではありませんよ。ただ人為的にカクリヨとウツシヨをつなげようとした。いうなれば、実験みたいなものでしょうかね。」

  

 「カクリヨとウツシヨを?」

 

 大神が聞き返せば、クラウンは一つ頷いて見せる。

 

 「この際だから話してしまいましょうか。

  知っての通り、カクリヨとウツシヨは表裏一体。稀にその間に小さな穴が開くことでモノが行き来することがありますが、基本的にはウツシヨからカクリヨへの流れとなっています。

  ここまではそちらの知識と差異はないはずです。」

 

 確かに、ここまでは聞いている話と一致する。

 俺がカクリヨに来たのもその穴とやらが原因だし、カクリヨにはウツシヨからの漂流物が多く存在する。

 

 大神にも確認をとってみるが、やはり間違いはない。

 

 「先ほども言った通り、ウツシヨから流れ込むだけでカクリヨから流れていくことはありません。

  そこで、こちらからウツシヨへの流れを作ろうとしたのですよ。」

 

 「…それは、何のために。」

 

 一つだけ、そうなのではないかとふと考え付いた。

 しかし、あえて聞いた。もしかしたら間違いではないかと、淡い希望を頼った。

 

 そんな希望をクラウンは易々と破り捨てた。

 

 「ウツシヨに帰るためですよ。」

 

 帰る。クラウンは帰ると言った。ウツシヨへと。

 それが何を意味するか語るまでもない。

 

 だが、そうだというのならどうにも解せないことがある。

 

 「なら、何故お前はトウヤさんを殺させようとした。それに何の意味がある。」

 

 結果的に救えたものの、あれは偶然だ。

 それが起こらなければ、確実に俺たちはトウヤさんの命を奪う選択をしていた。

 

 何がしたかったのか、ウツシヨに帰ることに何の関係があったのというのか。

 

 クラウンは思い出すように宙を見つめると、口を開く。

 

 「別に、ただの嫌がらせですよ。」

 

 「は?」

 

 今何と言った?

 ただの嫌がらせ、意味などないと言ったのか?

 

 「…っ!」

 

 「あやめ、落ち着いて!」

 

 いつの間にか抜いていた刀を手に、顔を怒りに歪めた百鬼を大神が肩を掴んで止める。

 まだ冷静さが残っていたようで、声を掛けられるとすぐに一つ深呼吸を入れて、立ち止まる。

 

 それを見て、クラウンは落胆の息を吐いた。

 

 「残念。この結界を破ってくださるかと思いましたが、期待外れでしたね。」

 

 なるほど、嫌に落ち着いていると思ったが諦めたわけではなく、未だに逃げる方法を探っているのか。

 

 仮に、クラウンがウツシヨの出身だとしても、それで今までしてきたことが消えるわけではない。

 方法が確立すればウツシヨに帰還させることも考えるが、やはり今はまだ封じておくしかない、放っておけばまた被害者が出ることは確実だ。

 

 「でも、それならなおさら分からないよ。ウツシヨに帰るためにうち達に嫌がらせをする必要なんてなかったでしょう?」

 

 百鬼を抑えていた大神が一歩前に進んで問いかける。

 

 実際、クラウンにとっては不利益にしかなっていない。そもそも、トウヤさんに手を出さなければ噂も流れず、俺たちがキョウノミヤコで調査をすることもなかった。

 

 考えてみればおかしな話だ。

 異変が起きて原因を調査されるのは自然な流れだ。しかし、やましいことなどしていなければ、見つかったところで邪魔などされない。帰りたいのならそれに尽力すればよかったものを、ただの嫌がらせのためにその機会を潰すことなどあるのだろうか。

 

 「違いますよ、順序が逆です。ウツシヨに帰れなかったからあなた方に嫌がらせをした。

  元より、目的はあなた方だったんですよ」

 

 「白上達…ですか?」

 

 クラウンの視線は俺以外の三人へと注がれている。

 この三人の共通点といえば、性別。そして…。

 

 「人が消えれば、その付近に住み着いているカミの耳にも噂が入るでしょう。そして解決しようとキョウノミヤコにやってくる。後はそのカミを待ち伏せて始末すれば良い。

  それが私の描いていたシナリオです。」

 

 その瞳には狂気も何も存在しない。

 ただ、当たり前のことを話すように淡々と語っている。 

 

 「どうですか?ミスター透。私に協力してウツシヨに帰るというのは。」

 

 「断る。」

 

 間など一瞬たりともなかった。有るはずもない。

 

 協力というのは、ここからクラウンを出して三人をということだろう。

 そんなことをしてウツシヨに帰ろうとなど絶対に思わない。

 

 「…そうですか、なら私から話すことはもうありません。

  ご質問があればお答えしますよ。」

 

 俺の応えを分かって聞いたのか、クラウンはさして失望した様子もなくすんなりと引き下がった。

 しかし、俺達はまだ肝心なことを聞けていない。

 

 「ぼかすなよ。三人を狙うことが何故ウツシヨに帰ることにつながる。」

 

 元居た場所に帰る者を邪魔するような三人ではない。寧ろ手伝ってくれさえするかもしれない。

 なら、それ以外の何かがあるはずだ。三人を狙う必要のある、何かが。

 

 「それは…」

 

 言いかけたクラウンの言葉が止まる。

 だが、誰もそれを気にする余裕などなかった。

 

 「体が、消えて…。」

 

 百鬼の言葉の通り、クラウンの体が端から順に薄くなり、消えていく。

 あまりに急な出来事に、言葉を失う。

 

 「おや、もう限界ですか。」

 

 そんな中、当のクラウンだけは冷静にその様子を見ている。

 

 「限界って。」

 

 体が消えることなど、何があれば起こりえる。

 封印された影響か?いや、そんなはずはない。封印中は意識こそあるが状態自体はそのままになる。このひと月で変化が起こることはまずない。

 

 しかし、封印を解いてからも変わったそぶりはなかった。

 なら何故…。

  

 「元々、キョウノミヤコで対峙した時点でこうなることは決まっていたんです。まさか、ここまで引き延ばされるとは思いませんでしたが。」

 

 喋る間にも、どんどんクラウンの体は消えていく。

 何とか止められないモノか、考えども案は浮かばない。

 

 「ぺらぺらと話し続けたのはそのお礼とでも思ってください。」

 

 どこまでも他人事のように話すクラウン。

 まだ聞きたいことは山ほどある、謎に包まれていることも。何より同じウツシヨ出身、これが事実なのだとすればなおさら。

 

 だが、それは叶わない。

 そのことはクラウンの現状を見れば明らかであった。

 

 「…最後に一つ。」

 

 今にも全身がなくなりそうな瞬間、今一度クラウンは口を開く。

 その瞳に映るのは、憐憫、そして期待。

 

 「もう一度だけ、キョウノミヤコでカクリヨとウツシヨを繋ぐトンネルが開きます。日時は聖夜。興味があれば行ってみてください。」

 

 その言葉だけを残して、クラウンはその場から消えてなくなった。

 もう結界の中には何もない、誰もいない。

 

 ただ心をむしばむような静寂のみが残されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一人、外を歩く。

 あの後、一応と結界を解いてみたがやはりクラウンの姿はどこにもなかった。

 

 日は既に落ちており、空では星が輝いている。

 

 カクリヨとウツシヨを繋げるトンネル。

 それは、俺が探していたウツシヨに帰るための手段に他ならない。

 

 異変の原因もクラウンで間違いはなかった。

 つまり、それを持ってカクリヨの異変は解決したことになる。

 

 喜ばしいことだ、解決までにここまで時間がかかったが、それがついに報われたのだ。

 

 これで恩も返せたといえるだろうか。

 そこはまだ分からない。だが、その一端でも返せていれば嬉しいな。

 

 …それなのに、心の中にはしこりが残っている。

 

 原因は分かっている。

 例え、悪人であっても同郷の人間が目の前でいなくなった。直接手を下したわけではないにしても、やはり思うところはある。だが、それはそれで納得は出来ている。今さらとやかく言うつもりはない。

 

 それ以上に、今までは異変の解決という共通の目的があった、それがなくなった今これからどうすべきか決めかねている自分がいる。

 

 「…どうするのが正解なんだろうな。」

 

 立ち止まり、空を仰ぐ。

 途方に暮れている、その表現が正しいのだろう。

 

 「何がですか?」

 

 突如として後ろから聞こえてきた声にどきりと心臓が鳴る。

 振り向けば白い狐の少女、白上フブキがいつの間にかそこに立っていた。

 

 「なんだ、驚かさないでくれよ。」

 

 「ふふっ、すみません。隙だらけだったものでつい。」

 

 悪戯気に笑う彼女だが、少しいつもと違う。

 どこか真剣な雰囲気、いつかの屋根の上で話した時もこんな感じだった。

 

 「いつからそこに?」

 

 「ついさっきです。」 

 

 「そっか。」

 

 会話が途切れる。

 いつもなら馬鹿みたいな話でもするところだが、今はそんな気分ではなかった。

 

 「…なぁ、白上。」

 

 「なんですか?」

 

 声を掛ければ白上は優しい声音で答える。

 よく周りを見ている彼女のことだ、最初から話を聞きに来てくれていたのだろう。

 

 「俺さ、これからどうしたらいいんだろうな。」

 

 目的はほとんど達した。

 記憶は戻らなかったが、それでもある程度はウツシヨでもやっていけるだろう。

 

 カクリヨに留まる理由が無くなった。

 これが、今感じている虚しさの原因の大半を占めている。

 

 「…白上は透さんが考えていることは分からないので、具体的なことは言えません。

  けど…。」

 

 そこで言葉を区切ると、こちらの目をまっすぐに見つめる。

 

 「白上は、透さんとゲームをするの好きですよ。」

 

 そう言って白上は微笑んだ。

 

 「ミオも朝手伝ってもらえて喜んでいますし、あやめちゃんだって一緒に鍛錬をしてくれる相手がいて嬉しそうです。それに…」

 

 指折りしながらとめどなく、覚えのある出来事を挙げていく。

 一つ出てくるたびに、謎のむずがゆさを覚えた。

 

 「白上、分かったから、そのくらいにしておいてくれ。」

 

 ついに限界を迎えて、ギブアップを伝える。

 そこまで言われると、流石に照れがくる。 

 

 「すみません、ちょっと調子に乗っちゃいました。」

 

 白上は悪戯気に笑い、頬を掻く。

 

 「とにかく白上が伝えたいのは、私達は貴方の想いを尊重したいということです。」

 

 「…俺の?」

 

 はい、と白上が応える。

 

 俺の想い、俺の意思。

 つまり、白上が言いたいのは。

 

 「透さんがカクリヨに残るなら、白上達は喜んで歓迎します。逆にウツシヨに帰るというのなら、寂しいですけど、激励と共にお見送りします。」

 

 あくまでも、決めるのは俺自身。それ以外のことは気にせず、思うがままに決断をしてほしい。

 そう考えているのか、そう思ってくれているのか。 

 

 それが理解できた瞬間、すっと心が軽くなった。

 

 「そっか。ありがとうな、白上。」

 

 「なんのことですか?

  白上はただ思っていたことを伝えただけですよ。」

 

 すました笑みを浮かべて白々しく言う白上につい苦笑が浮かぶ。

 

 たった数分で、悩んでいたことが馬鹿らしく思えてきてしまった。

 どうやら思っていた以上に、彼女は周りのことを考えているようだ。

 

 「それに、まだ決着がついてなゲームがたくさんあるんですから、付き合ってくださいね。」

 

 「おう、臨むところだ。」

 

 先ほどとは打って変わって挑発的な笑みを浮かべ、神社へと足を向ける白上を追いかける。

 そんな二人の姿を月明りのみが照らしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  




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準備


どうも、作者です。
以上


 数日が経過した昼下がり、聖夜ももうすぐに迫っている頃。

 聖夜にウツシヨとカクリヨを繋ぐ穴が開くという情報を得た俺たちは、それに向けて今から行動を開始して…。

 

 「透くん、こっちの飾りを運んでくれる?」

 

 「あぁ、分かった。」

 

 いなかった。

 

 現在、俺達は揃ってキョウノミヤコまで来ている。

 というのも、時は数日前までさかのぼる。

 

 

  

 「セイヤ祭?」

 

 不意に告げられた言葉を繰り返す。

 

 「はい、そうです。キョウノミヤコで毎年開催されているお祭りですよ。」

 

 「あ、それ余も知ってる!」

 

 そんなものがあるらしい。

 

 白上の説明に、食いつくように身を乗り出す百鬼。

 そういえば、百鬼は元々この辺りに住んでいたわけではないのだったか。それでも知っているということはそれなりに有名な祭りのだろう。

 

 「そのセイヤ祭なのですが、シラカミ神社は毎年そのお手伝いをしてるんです。いつも参拝やお供え物を頂いているので、これも大切なお勤めなんですよ。」

 

 「へぇ、そうだったのか。」

 

 そういえば、ヨウコさんも白上達のことは知っていたな。

 キョウノミヤコで白上達の顔が利くのもそういったことの成果もあるのかもしれない。

 

 俺もシラカミ神社で世話になっている以上、力になるべきだろう。

 

 「ウツシヨへのトンネルの方も正直打つ手はないしね。うち達はこっちに集中しよっか。」

 

 ということで、現在はキョウノミヤコの祭りの準備にいそしんでいる。

 

 「兄ちゃん、次はこっちも頼む!」

 

 「はいっ!」 

 

 飾りの配達を終えると、すぐに他の住人に声を掛けられる。

 どのくらいの規模で行うのか疑問だったが、キョウノミヤコ全体で行うらしく、その作業量は途方もないものであった。

 

 手伝い始めてから今まで、ずっと移動の連続で、北へ西へと屋根図体に駆け回っていた。

 

 「これを設置したいんだが、身体強化無しだときつくてな。アヤカシの連中は他に行っちまって困ってたんだ。」

 

 そう言って巨大な看板をこんこんと叩いて見せる。

 軽く道を横断できるほどの大きさで、確かにこれを素の膂力だけで上にあげるのは困難だろう。

 

 早速、身体強化をして持ち上げてみる。

 予想以上に重たい、木製ではあるがかなりしっかりとした素材で作られている。

 

 「大丈夫かい兄ちゃん。」

 

 「大丈夫です。…よっと。」

 

 手こずってしまい心配をかけてしまった。

 ぎりぎりなため、身体強化に続いて鬼纏いも発動すれば、軽々と持ち上がる。

 

 周りに注意して上へと飛び上がり、位置を確認して取り付ける。

 

 「えっと、ここで合ってますか?」

 

 「あぁ、完璧だ!ありがとうよ!…っと、兄ちゃん。」

 

 問題も解決したところで立ち去ろうとすれば、呼び止められて手招きされる。

 下に降りれば、彼は走って近づいてくる。

 

 「あんたシラカミ神社のとこのだろう?若いのに大したもんだな。」

 

 「どうも…って、ご存じだったんですか?」

 

 俺は一度もそんなことは言っていない。

 なのにこの人は何故俺のことをしているのだろう。

 

 「おう、最近有名でな。何でもシラカミ神社に人が増えて一緒に事件を解決してるって。」

 

 意外だった。

 だが考えてみれば噂にでもなるか。

 

 なんといっても、崇拝の対象である神社に見知らぬ人間が現れたのだ。誰だって気にもなる。

 特に二回、キョウノミヤコに来た時も白上達と行動することも多かった。そうすれば、嫌でも噂の一つくらいたつだろう。

 

 「正直、あんまり実感はないですけどね。」

 

 実際、成り行きに身を任せた結果でもある。

 そもそも基本的に解決といった時には意識を失っているため、実感が湧いてこないのだ。

 

 「はははっ、謙虚なこった。ほれ、これ持っていきな。」

 

 そう言って投げて渡されたのは手のひら大の赤い果実。

 

 「良いんですか?ありがとうございます。」

 

 「おう、兄ちゃんも頑張れよ!」

 

 豪快に笑う住人に大きく手を振られてその場を後にする。

 屋根伝いに移動する途中、貰った果実を一口食べてみる。

 

 瑞々しいそれは、かじれば口いっぱいにさわやかな味わいが広がる。

 それ以上にこれを貰ったことが自分を認めてもらえた証のような気がして、無性に嬉しく感じた。

 

 「あ、おかえりなさい、透さん。」

 

 戻ってくると出る前までいたはずの大神の姿はなく、代わりに他の場所にいていた白上がいた。

 

 「ただいま、白上も戻ってたのか。」

 

 「はい…透さん、何かいいことありました?」

 

 「え?」

 

 図星を疲れて、つい顔に手を当てる。

 もしかして、今までにやけてでもいたのだろうか。

 

 しかし、口角を触っても上がっている様子はない。

 

 「いえ、何だか嬉しそうな雰囲気が出てたので。」

 

 「なんだ、そういうことか。」

 

 屋根を飛にやけ顔で飛び回っているという認識を持たれでもしたらしばらくキョウノミヤコには近づけなくなる所だった。

 安心して、ほっと息を吐く。

 

 「それで、百鬼と大神は?」

 

 「さぁ、白上も先ほど戻ってきたばかりなので。」

 

 耳をへにょっりと曲げて首をかしげる白上。

 確か百鬼もまた様々な場所への運搬をしていたはず、大神はどこかで問題でも起きてその対処にでも回っているのか。

 

 「キョウノミヤコはどうですか?透さん、今まで調査だったりでゆっくりと見て回れていませんでしたよね。」

 

 「ま、今もゆっくり見て回れてるわけじゃないんだけどな。

  それでも、やっぱり良いところだな。街だけじゃなくて住人一人一人がいい人で、親しみやすい。」

 

 思った本心をそのまま伝えれば、何故か白上が嬉しそうに笑顔を浮かべている。

 

 「…なんで白上が嬉しそうなんだよ。」

 

 「ふふっ、だって白上もこの町のことが好きなので。好きなものを褒められると何だか嬉しくなりません?」

 

 だとしても、そこまで喜ぶようなことでは…、まぁ、でもその気持ちが理解できる程度には俺もこの街のことが気に入ってきている。

 

 視線の先でも、アヤカシから普通の人までが揃ってせわしなく動いている。

 こうして一つの事に力を合わせられる。それだけで、この街の良さが現れている。

 

 これは…負けてられないな。

 

 体を伸ばして動く準備を始める。

 

 「もう行くんですか?」

 

 「あぁ、もっと貢献したくなってな。」

 

 心が躍っている。

 この高揚感は何だろう。

 

 居ても立っても居られない。

 

 丁度、人手が必要そうな場所がある。すぐに声を掛けるべく足を前に踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 白上フブキはそんな透の姿を見守る。

 その顔には先ほどとはまた違う、慈愛を含んだ笑みが浮かんでいる。

 

 「良かったですね、透さん。」

 

 受け入れてもらえて。

 

 分かってはいた。彼ならすぐにこの街になじむことが出来ると、上手くやれると。 

 しかし、実際に目にすると感慨深く感じる。

 

 「白上さーん、こっちを手伝って貰えないか!」

 

 「はーい、すぐに!」 

 

 呼ばれた白狐の少女は駆け出す。

 その心には嬉しさの反面、少しの寂寥感があった。

 

 

 

 

 

 

 「いやー、悪いねこき使っちゃって。」

 

 「気にしないでください、好きでやっているので。」 

 

 そう答える俺の両手には数えきれないほどたくさんの荷物が山となっていた。

 屋台やその他装飾だったりと何かとものは必要になるようで、行く先行く先で手伝いを申し出れば、気づけば山のような荷物を抱えることとなっていた。

 

 今一緒に歩いているのは、道案内を買って出てくれた老婆。

 どうやらこれらは一か所に運ぶものも多いらしく、それもあってこうなったのだ。

 

 「さっきから気になってたんですけど、これは何に使われるんですか?」

 

 行く先はキョウノミヤコの中央、大神木のある広間。

 普段は閉じられているはずの場所がセイヤ祭の期間だけ解放されるようだ。

 

 「貴方は最近この辺りに来たばかりだったね。それはね、祭りの最後の後夜祭とでも言えばいいかね、その時のための準備に使われるんだよ。」

 

 「後夜祭?」

 

 道中、頼まれていた荷物を渡しながら聞き返す。

 

 「そうさ、祭りの最後には住人全員で踊るんだよ。

  誰かとペアになって踊るもよし、一人で思うままに踊るもよし。

 

  誰かペアになってくれそうな子はいるのかい?」

 

 聞かれてふと顔が思い浮かぶ。

 頼めば恐らく両省はしてもらえるだろうが、とそこまで考えて思考を止める。

 

 そもそも後夜祭まで参加できるか定かではない。考えるだけ無駄だろう。

 

 「いえ、特には。」

 

 「そうかい、なら頑張らないとね。

  後夜祭にはね、とある言い伝えがあるんだよ。」

 

 「言い伝え…ですか。」

 

 声のトーンを落として言う老婆にごくりとのどが鳴る。

 

 「えぇ、後夜祭で踊ったペアは必ず結ばれるのさ。実際、私もそれで旦那を捕まえたから間違いはないよ。」

 

 なるほど、その方向か。

 てっきり重大な秘密につながるのではないかと身構えたが、ありきたりなもので安心したような、落胆したような。

 

 まぁ、元々後夜祭という場でペアを組むほどの中ならそういう関係にも至りやすいというだけだろう。

 

 「去年なんか男の子同士のペアですら結ばれたのよ。」

 

 そんな考えはその一言で易々と打ち砕かれた。

 

 「え、男同士ですか?でも、元々そういう関係だったんじゃ。」

 

 同性であろうとなかろうと、本人たちが望むならそれは普通にあり得る話だ。

 しかし、予想外にも老婆は首を横に振った 。

 

 「いいえ?いたって普通の男友達だったらしいんだけど。ノリで後夜祭で踊ったらそうなったらしくてね。凄いわよねぇ」

 

 そして今では恋人同士と…。

 感心したように言っているが、俺はそれどころではなかった。

 

 「…それ言い伝えとかジンクスというよりも、もはや呪いかなんかじゃないんですかね。」

 

 何かしらの精神操作のワザが関連していても別段驚かないぞ。

 カクリヨ自体何かとイワレによって様々な事象が起こりえる環境なだけに、一概に否定できないのが怖いところだ。

 

 ただ踊っただけでこうなるとは、仮にそれが集まるイワレによるものだとすればそれを利用するべく、ウツシヨへの穴をあけるには絶好のタイミングだ。

 

 もしかすると、時期が被ったのは偶然ではなく必然であったのかもしれないな。

 

 大きな鳥居をくぐり、キョウノミヤコの中心部である神木の見える大きな広間に到着する。

 ここでも既に多くの人が集まっており作業が進められている。

 

 「それじゃあ、私は戻るからね。」

 

 「はい、ありがとうございました。」

 

 そう言ってここまで案内をしてくれた老婆は帰っていった。

 それを見送ると早速、持ってきた荷物をそれぞれの届け先に届ける。

 

 同じ広間と言えどもそれなりに大きく、全てを届け終えるのにはかなりの時間を要した。

 それでも地道にやっていけば終わりも見えてくる。

 

 「…えっと、最後はこれか。」

 

 ついに最後の一つとなった荷物に達成感を覚えた。

 

 伝えられていた場所の周辺を歩いて回る。

 それにしても、これは何なのだろうか。

 

 腕の中には、これは鉢だろうか。焼き物のような大きな鉢。

 これをこの祭りで何に使うのだろう。

 

 まさか玉入れの籠にするわけでもないだろうし、使い道が見えない。

 

 考え込んでいると、不意に横から足に衝撃が走る。

 痛みがあるような強い衝撃ではなく、何かが軽くぶつかったような衝撃。

 

 「すみませんっ!うちの子がご迷惑を…。」

 

 どうやら子供がぶつかったらしい、抱えた鉢で姿が見えないが怪我がなければいいのだが。

 駆け寄ってきたのはその子の母親だろうと、その顔を見て驚愕する。

 

 「…ヨウコさん?」 

 

 「え?…もしかして、透さんですか?」

 

 ひと月前、キョウノミヤコで事件に巻き込まれた子供の母親であるヨウコさんがそこにいる。

 じゃあ、足にぶつかってきたのは。

 

 鉢を横にずらして下を見ればこちらを見上げている少年と目が合う。

 

 「あ、お兄ちゃんだ!」

 

 「やっぱりトウヤさ…君か。怪我はなかったか?」

 

 聞けばトウヤさんはうん、と元気よく返事をする。

 

 「お二人共、その後は特に変わったことはありませんか?」

 

 ヨウコさんに視線を戻して問いかける。

 一応目視でざっと確認するが見たところ後遺症のようなものはなさそうだが、万が一がある。

 

 というのも、この親子は一度ケガレに飲まれるもしくは飲まれかけていた。

 特にトウヤさんは完全にケガレによって姿形すらも変わっていた。

 

 クラウンを退けてからケガレは取り除けたものの、また再発する可能性もある。

 

 「はい、大丈夫ですよ。

  あの角の生えた女の子、百鬼さんが偶に確認に来てくれていますし。」 

 

 「百鬼が?」

 

 そんなことをしていたのか。

 よくどこかへ出かけている事があったが、キョウノミヤコに行っていたようだ。

 

 百鬼は相手のイワレの状態を見ることが出来る。

 それで二人の様子を見てくれていたらしい。

 

 「本当トウヤの遊び相手にもなってくれて、いつも助かってます。」

 

 「そうだったんですか、本人にも伝えておきます。」

 

 以前も思ったが、ああ見えて意外と面倒見の良い一面がある。

 何故それが普段の生活に反映されていないのかは謎だが。

 

 「あ、その鉢運んできてくださったんですね。」

 

 俺の抱えている荷物を見たヨウコさんが言う。

 

 「これ、ヨウコさんの所の荷物だったんですか。」

 

 そういえば前はヨウコさんの父であるジュウゾウさんが店番をしていたが、元々あの花屋はヨウコさんのお店だったか。

 

 なるほど、花を鉢に植え替えて飾るのか。

 大きさ的に様々な花が植えられそうだ。

 

 「ねぇ、お兄ちゃんはセイヤ祭に参加するの?」

 

 「ん、多分な。」

 

 参加しようとは考えているが、そんな余裕があるかはまだ分からない。

 仮に何事もなく終わったとしても、俺がまだカクリヨにいるかどうかすら定かではないのだから。

 

 「それなら、うちのお花絶対見てね!

  僕も手伝うんだよ。」

 

 しかし、純粋なその瞳を見て拒否などできる筈もない。

 

 「…分かった、絶対見に行く。約束するよ。」

 

 指切りをすれば、トウヤさんの顔には満面の笑み。

 ここまで喜ばれるとは、この約束は何が何でも守らないとな。

 

 

 

 

 

 





気にいてくれた人は、シーユーネクストタイム。


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日常


どうも作者です。

全話PVが十万突破と。
嬉しい。

文字数は二十万突破。

評価くれた人ありがとうございます。

以上。


 ヨウコさんとトウヤさんと別れた後も様々な手伝いをしていればすぐに日も暮れてきて、夕焼けが辺りを赤く染めた。

 流石にこの時間帯になると広間を埋め尽くさんとばかりにいた人々も、今やぽつりぽつりと残っている程度だ。

 

 そんな中を、一人ぶらぶらとあてもなく歩きまわる。

 

 今日はカクリヨに来てから最もこの世界の人々と触れ合った日だった。

 言葉を交わし、笑い合い、助け合い、こんな形で関わったのは初めてで、少し複雑な気分が胸の中に残っている。

 

 一言で表せば、楽しかった。

 知らない話をしてもらうことも、礼にと果物を貰うこともそれら全てが胸を暖かくさせた。

 

 白上達といる時に感じるモノとはまた違うその感覚に、もっとここに居たい、そう思えた。

 しかし、俺は言ってみればこの世界にとっては異物なわけで。 

 

 白上は俺の思うように決めて良いと言ってくれた。それを応援するとも。

 それでも、考えずにはいられない。いや、考えないわけにはいかない。

 

 俺がこの世界で起こした出来事は本来起こりえなかったことでもある。異物によって様々な事象に変化が起こっている。

 

 今は良い方向に傾いているが、それがこれからも続くとは限らない。

 

 未来は確定していない。

 故に、現在の行動全てが未来を形作る要素となる。

 

 元々平和に暮らせていたはずの人たちが、俺がカクリヨにいることで不幸になるなんてことも大げさではなく、十分起こりえることだ。

 これを無視してのほほんと暮らしていくわけにもいかないだろう。

 

 そして何より…。

 

 ふと、先ほどの親子の姿が思い浮かぶ。

 

 記憶はないが俺にもウツシヨには家族がいる筈だ。

 どんな人たちだったのか、どんな家庭で育ったのか。それすら分からなくなった今、彼らにとって俺は同一人物であるとは言い難いかもしれない。

 

 それでも、帰るべきなのだろうか。

 止めどなく浮かんでは消えていく思考に翻弄される。

 

 考えれば考えるほどどつぼにはまっていく。

 こんなことでセイヤ祭を迎えても良いのか、決断を下せるのか。

 

 否だ。

 

 それまでに答えを出さなければならない。

 

 

 

 

 

 「…それで、ここに来たというわけかい。」

 

 「他に行く場所がなくて…。」

 

 恰幅の良い女性、ミゾレ食堂の店主であるミゾレさんは持ってきた湯気の立っている湯呑みをテーブルに置きながら呆れたように息を吐く。

 

 なんとなく、今はシラカミ神社に帰るような気分ではなかった。あの三人とは関わらず、じっくりと考えたいと行先を探した結果、ミゾレ食堂に落ち着いたのだ。

 

 いくら住人と親睦を深めたとはいえこうして頼れる場所は少ないと実感した。

 

 差し出された熱いお茶をありがたく思いながら一口飲めば、気持ちが少し落ち着いた。

 

 時々食べにくる程度の仲だが、それでもこうして話を聞いてくれていることには感謝しかない。

 

 「あの子たちには伝えてあるのかい?」

 

 「はい、さっきちゅん助…シキガミを送っておいたので。」

 

 「あら、シキガミも使えるようになったのかい。」

 

 割と近場ではあるから問題はないと思うが、一応遅くなるとだけ伝えておいた。

 

 ミゾレさんは驚いたように目を丸くする。

 そう言えばキョウノミヤコの住人でシキガミを使っている人は見かけなかった。

 

 

 シキガミはあまり普及している物ではないのかもしれない。

 聞いてみたいが、今はそれよりも話したいことがある。

 

 「それで、ミゾレさんだったらどうしますか?」

 

 最終的に決めるのは自分だとしても他の人の意見も聞いておきたい。

 特にミゾレさんは俺よりも人生経験は豊富だろう。それならなおさら。

 

 「…はぁ、あたしの意見なんか聞いても仕方ないだろう。」

 

 しかし、そんな甘い考えは顔をしかめて放たれたその言葉で軽く一蹴される。

 かなり特殊な状況である自覚はあるし、確かに聞いても仕方ないか。

 

 やはり自分で考えるほかない。幸いまだ時間はあることだし、もしかすると名案でも…。

 

 「結局のところあんたがどうしたいかでしかないんだよ。」

 

 と考えたところで、ミゾレさんは続ける。

 

 「けど、さっきも話したように俺は…。」

 

 繰り返そうとする俺に、ミゾレさんは分かってるとばかりに手を前に出し待ったをかける。

 

 「異物だって言うならそうなんだろうさ。あんたは本来このカクリヨにはいなかった筈の人物だ、間違いじゃない。」

 

 そこまで分かっているのなら、なおさら何故。

 

 「でもね、それの何が問題なんだい。あんたが既にここに居る以上、もうカクリヨはあんたがいることが前提のカクリヨになってる。今という時間の延長上にあんたのいなかったカクリヨなんてもう無いんだよ。

  そういう意味なら、あんたの言うこれから追いこるかもしれない不幸もあんたがいなくなったところで関わりがあることに変わりはないよ。」

 

 いつになく真剣な口調。それは考えてくれていることの証であり、その言葉には重みがあった。

 

 「それにね。」

 

 しかし、語るその顔はどこか他人事とは思えない実感のある厳しさが浮かんでいる。

 

 「さっき親がどうとか言っていたね。それはそこまで気にする必要はないよ。」

 

 「気にする必要はないって…やっぱり記憶が無いから。」

 

 ウツシヨの家族からしてみれば、俺は体は同じでも中身が別人だそんな状態で帰ったところで、それが彼らの望む結果であるなどいえるはずもない。

 

 「勘違いするんじゃないよ。あたしが言いたいのはそういうことじゃない。」

 

 だが、それならどういうことなんだ。

 俺は透だ。それ以外の何者でもない。

 しかし、元の人格があるのなら、この体の本来の人格があるのなら。透という人物は消えるべきなんじゃないのか。

 

 「あんたはあんたさ。人格も何も記憶の有無でしかない。  

  それにね、記憶があろうがなかろうが親というのは子供が幸せに生活してくれているのなら、それでいいんだよ。例えもう出会えなくても、どんな生活を送っているのか分からなくても、ちゃんと生きていてくれるならそれだけで、いいんだよ。」

 

 その言葉にはいやに現実味があった。まるで自分がそうであったかのように。

 ミゾレさんは一瞬だけ遠くを見つめるとこちらに向き直る。

 

 「ミゾレさん…?」

 

 「…少し昔話をしようか。」

 

 ゆっくりと噛み締めるような声音でミゾレさんは話し始める。

 

 「あたしと旦那で今このミゾレ食堂をやっているってのは前にも話したね。実はね、あたしたちには二人の子供がいるのさ。」

 

 これには驚いた。

 確かに夫婦なら子供がいてもおかしくはないが、そんなそぶりは一度も見なかった。

 

 この辺りで見かけないということは、今はもう一人立ちしているのだろうか。

 

 「四人でそれなりに上手くいっててね、家族仲も良い方だった。

  けど、あたしと旦那がちょっとした事件に巻き込まれた。」

 

 「事件に?」

 

 そう言われて思い浮かぶのはキョウノミヤコの事件。

 けどあれはまだ最近の出来事のはずだ。ミゾレさんの言う事件とは別物と考えて良いだろう。

 

 「あぁ、その時助けてくれたのがミゾレだった。」

  

 ミゾレ?その名前はミゾレさんの名前と一致している。

 

 「ミゾレって、同じ名前の人が?」

 

 「んー、少し違うね。」

 

 違う?

 しかし、確かに今ミゾレさんはミゾレと口にしていた。

 

 どういうことだ?

 

 「この店は元々その人のものでね。旅に出るからと私たちに丸々残してどこかに行っちまったのさ。それで二代目ってことで本人了承であたしもミゾレを名乗ってる。」

 

 「それでミゾレさんはその名前に…。」

 

 つまり、ミゾレという人物が先に居てこのミゾレさんはその名前を引き継いだと。

 ミゾレ食堂にミゾレがいないよりは居るほうが恰好もつくということだろうか。

 

 「まぁ、そう言うことで二人とはそれきりで、戻る当てもないままこうしてしがない食堂を営んでるってわけさ。

  奇しくも、あんたとは立場が似ているようで全くの逆ってことになるね。」

 

 そう言うミゾレさんはどこか寂し気に見えた。

 ミゾレさんは思い出すように宙を仰ぐ。

 

 「下の子は幼かったけど、上の子はしっかりしてたからね。今も何とかやれてるとは思う。

  勿論申し訳ない気持ちはあるさ。けどこればっかりはどうしようもなくてね。

 

  でも、あの子達のことを忘れたことなんて一瞬たりともない。例えもう会えないとしても、二人が幸せでいてくれることが一番の願いなんだよ。」

 

 今は軽く話しているがミゾレさんも悩んだのだろう。

 会いたくてももう会えない、それがどれだけ辛いことなのか俺にはただ想像することしかできない。

 

 実際に感じるそれがこの想像をはるかに超えてくることはミゾレさんの表情を見れば察するに余りある。

 

 「ま、とにかく家族のことはそこまで気にする必要はない…てわけでもないがね、もし往復出来るような方法が見つかれば、その時にでも顔を出してやればそれで十分だよ。」

 

 「ミゾレさん、俺まだ残るって決めたわけじゃ…。」

 

 その言い方では俺が残ることが前提となってしまう。

 

 「分かってるよ、でも一度ウツシヨに帰ったらもうカクリヨには戻れないだろ?

  両方取れる選択肢もあるってことさ。」

 

 ウツシヨとカクリヨの両方を。

 確かに、ウツシヨへとつなげること自体は存在している。というのもクラウンのやろうとしていたことだ。

 

 つまり方法自体は存在するのだ。 

 

 問題の先送りと言われればそうかもしれない。

 だが、ウツシヨに帰ったとして俺は幸せになれるのかと言われれば首を傾げざるを得ない。

 

 それほどに今の生活が俺は好きなのだ。

 

 俺が本当に望んでいるのは…。

 

 「ありがとうございますミゾレさん、俺決めました。

  俺は…」

 

 言いかけたところで前触れもなくミゾレ食堂の扉が開く。

 言葉が途切れ、自然と視線はそちらへと向かう。

 

 「あ、やっと見つけました!」

 

 そんな声が響いてくる。

 入ってきたのは、白い髪を携えた狐の少女。

 

 「もうフブキ、先に行かないでよ。」

 

 それを追いかける形で黒い狼の少女が。

 

 「ミゾレさんに透くん、やっほー。」

 

 軽いノリで手を振りながら鬼の少女がそれぞれ入ってくる。

 

 「三人共、何でここが…。」

 

 遅くなるとは言ったがこの場所のことは伝えていなかった筈、どうしてここに居ると…。

 そこまで考えて、ふと気が付く。

 

 少し、ほんの少しではあるが白上の息が上がっている。

 大神も心なしか。百鬼は…涼しい顔をしているな。

 

 探してくれていたのか。

 

 「透さんがまた悩んでいるんじゃないかと思いまして。」

 

 「うちらの事、もっと頼ってくれてもいいんだよ。」

 

 「透くんの為なら、余頑張るからね。」

 

 口々に言われる言葉に何と答えれば良いのか迷った。

 今決めたばかりで、実感なんて何もない。それでもこれが正解なのだろう。

 

 「…そっか、ありがとな。もう大丈夫だ。」

 

 誰が決めるでもない、俺自身がそう思えた。

 

 悩みも消え安心した途端、腹が空腹を訴えてきた。

 そろそろいい時間帯になっていた、腹が鳴るのも仕方ない。

 

 「白上もお腹すきましたし、ここで食べて帰りましょう。ミゾレさん、白上はきつねうどんで!」

 

 「そうだね、うちはぼんじり定食で。」

 

 「から揚げ定食お願いします。」

 

 「え、じゃあ余は…」

 

 立て続けに入る注文に、こちらを傍観していたミゾレさんは面を食らったように口を開け呆然とする。

 そして理解が追い付いたのか、その顔が苦々しいモノへ変わっていく。

 

 「…まったく、あんたらがいれば暇なんて生まれそうもないね。」

 

 「もー、いきなり褒めないでくださいよ。」

 

 「皮肉に決まっているだろう…すぐ作るから席について待ってな。」

  

 照れたように頭をかく白上を軽くあしらいながらミゾレさんは厨房へと消えていく。

 何だかんだで、ミゾレさんは白上や大神と仲が良い。

 

 …そうだ、聞きたいことがあったのだった。

 

 「なぁ、ミゾレさんってどんな人なんだ?」

 

 「え?どんな人って…あ、もしかしてそのお話聞いたんですか?」

 

 最初こそ困惑した者のすぐに意図を察してくれる。

 今のは少し説明が足りなかったな。

 

 俺が聞いたのは現在調理をしているミゾレさんではなく、一代前の今は旅をしているというミゾレさんだ。

 知り合いではない可能性もあったが、反応的にどうやら知り合いであるらしい。

 

 「そうですね、基本的には二人のミゾレさんは似た者同士なところはありますね。

  特に似てるのは起こると怖いところでして。」

 

 「うちとフブキも何回も怒られたよね。店の中で暴れないのっ!って。」

 

 白上だけでなく大神も面識はあるようだ。

 この流れはと百鬼の方を向くが、首を横に振り否定される。

 

 それもそうか、百鬼を出会ったのはそれこそここ最近の出来事であるし。それ以前にこの二人とも会ったことはないと聞いている。

 

 「へぇ、大神まで怒られるのは珍しいな。」

 

 基本的には大神は説教をする側なイメージがあるが、初代ミゾレさんはその上を行くらしい。

 会ってみたいような、会いたくないような。

 複雑な気分だ。

 

 「ミオちゃん怒ると怖いのに、それより怖いの?」

 

 同じ感想を抱いたようで、百鬼は戦慄の表情を浮かべている。

 まだ顔すら知らないのにここまで恐怖させるとは、やはり只者ではない。

 

 「安心してくださいあやめちゃん。あちらのミゾレさんと違って手は出さない優しい人でしたので。」

 

 「誰が手を出す優しくない人なんだい。」

 

 「にゃっ!?」

 

 いつの間にか白上の後ろに立っているミゾレさんから拳骨が白上の頭へと落とされる。

 声にならないうめき声をあげながらテーブルに突っ伏し、すぐに涙目をミゾレさんへと向ける。

 

 「そういうところですよ!何一つ間違ってないじゃないですか!」

 

 その様子を見て、ミゾレさんは呆れたように息を吐いた。

 

 「まったく、イワレのないあたしの拳骨なんざ大して効きやしないのに大袈裟に反応しすぎなんだよ。」

 

 「え?」

 

 その言葉に耳を疑った。

 イワレがない、つまりミゾレさんはカミでもなければアヤカシでもない。普通の一般人ということか?

 

 「普通に痛いものは痛いですよ、某サイヤ人だって同じなんですからね。」

 

 口を尖らせる白上を横目に、ついミゾレさんをまじまじと見てしまう。

 今までの行動から、てっきりミゾレさんもカミかそれに近しい存在だと考えていた。

 

 「ミゾレさん、今の話本当ですか?イワレが無いって。」

 

 「ん?そうさ…確かあやめだったね。イワレが見えるんだろう?確かめてもらっても良いよ。」

 

 「うん、それじゃあ。」

 

 声を掛けられて、百鬼がミゾレさんを視界に収める。

 その瞳が赤く輝きだすと、すぐに百鬼の顔は驚愕に染まっていった。

 

 「ホントだ、普通の人と変わらない。」

 

 「ま、イワレなんてあってもなくても変わらないからね。」

 

 涼しい顔でそう言ってミゾレさんは厨房へと戻っていく。

 

 しかし驚いた。今日で一番の驚愕の事実かもしれない。

 

 「百鬼も知らなかったんだな。」

 

 百鬼は対象のイワレを見てその状態を把握することが出来る。

 それなら、既に見て知っていてもおかしくはない筈なのだが。

 

 「うん、他の人のイワレを勝手に見るのはマナー違反だからね。

  見るときはできる限り許可を取ってから見てるの。」

 

 「そうだったのか。」

 

 なるほど、力があるからと言ってそれをむやみに使わないようにしてるのか。

 これは百鬼だけでなく、他の二人もそうなのだろう。

  

 元々、俺を探してくれていた時だって、大神の占星術を使えばすぐだったものを自分たちの足で探してくれていたようだ。

 

 見習わないとな。

 しかし、一つだけ引っかかった。

 

 「なぁ、百鬼。前さ俺のイワレの流れが澱んでた時、百鬼のおかげでそれが分かったよな。」

 

 「?うん、透くんの動きが悪かったから気になって…。」

 

 それ自体は本当に助かった。

 あれがなければ今頃も状況は悪くなる一方であっただろう。しかし…。

 

 「俺その時確認取られてない気がするんだけど。」

 

 言えば、思い出しているのか宙を見ると次の瞬間あからさまに目が泳ぎ始めた。

 

 「…」

 

 「百鬼さん?」

 

 無言で目を逸らそうとするので、その視界に入り込むように移動し呼び掛ける。

 更に逸らそうとすれば、それを追いかける。

 

 「…うぇぇん、透くんにいじめられる!」

 

 二度、三度と繰り返せば限界を迎えたのか大神に泣きついて行ってしまった。

 大神は待ってましたとばかりに腕を広げ百鬼を迎え入れる。 

 

 「透さん、やりすぎですよ?」

 

 「悪かった、反応が面白くて。」

 

 正直いくら見られても構わないのだが、反応が思いのほか良くつい調子に乗ってしまった。

 

 「あやめちゃんをいじめて良いのは白上だけなんですから。」

 

 「…お前も大概だよな。」

 

 そんな日常。

 これがこれからも続くのだと思うと心が躍った。

 

 





気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム。


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セイヤ祭(上)


どうも、作者です。

評価くれた人ありがとうございます。

以上。


 その後も忙しないセイヤ祭に向けての準備の日々が続いた。

 この間特に変わった出来事が起こることもなく、俺達は無事にセイヤ祭の当日を迎えていた。

 

 「それにしても、本当に何もなかったですねー。」

 

 キョウノミヤコへの道のりを歩きながら白上がしみじみと呟く。

 クラウンの言った言葉が真実であるのなら今日中にウツシヨへのトンネルが開くはず。仮にもカクリヨの異変の原因となった出来事だ、どこかのタイミングで異変が起こると予想していた。

 

 それもあって俺達は基本的にはキョウノミヤコで手伝いをしつつできるだけ留まるようにしていたのだが、それらは全て杞憂に終わったようだ。

 

 「大神の占星術にも反応はないんだよな。」

 

 「うん、定期的に見てるんだけど場所や時間以前にそれ自体が捕えられなくて。時間が近づかないと何も見えないじゃないかな。」

 

 精度自体が俺の所為で落ちているとはいえ、これまで何度もその有用性を示してきた占星術でも情報が得られない。

 しかし、それは逆に占星術に反応がない内は何も起こらないととらえることもできる。

 

 今できることは待つことだけということか。

 

 「そもそもどうやって開けるんだろうね。クラウンは消えちゃったし、他に開ける人がいるのかな。」

 

 「一応時限式って線もあるけど、誰かが裏にいるって考えてた方が良さそうだな。」

 

 クラウンもどうせならその辺のことも細かく教えておいてほしいものだ。いや、敵同士なわけだったからそうもいかないだろうが。

 

 「余、頑張るね。」

 

 「ありがとう、でもあやめはあんまり頑張りすぎないでね。相手の人がクラウンレベルだとは限らないんだから。」

 

 ふんすと気合を入れている百鬼を大神が頭を撫でながら苦笑いを浮かべる。

 ここ最近の準備でも感じたが、白上や大神もキョウノミヤコ全体で見ても隣に立つ相手がいないレベルで力を持っていることが分かった。

 

 つまり彼女らでトップクラスなのにも関わらず、そんな二人が同時に相手をしてようやく対等な百鬼はやはりカクリヨにおいても頭一つ抜けている。

 そんな彼女に全力を出されてはいくら何でもその相手が可哀想そうだ。

 

 キョウノミヤコに到着すれば既に通りには多くの露店が並び、活気に満ちていた。

 

 ところどころ先日手伝いをした店も見える。

 こちらに気が付けば笑顔で手を振ってくるので振り返しておく。

 

 「それじゃあ、一旦ここからは自由行動にしようか。」

 

 「伝達用のシキガミが使えるのはミオと透さんですね。何かあれば連絡お願いします。」

 

 折角の祭りなのだ、緊急性も現時点では無い。というよりできることが何もない。

 それなら楽しまなければ損というものだ。

 

 解散の流れとなり、三人は各々行きたい方向へと歩いて行ってしまう。

 さて、じゃあ俺は…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 がやがやと騒がしい屋台通りを歩く。

 いつかキョウノミヤコに来た際にも同じように歩いたことがあった。あれはどちらかというと聞き込み中心で楽しんではいたが堪能は出来ていなかった。

 

 確かあの時は百鬼はいなかったのだったか、白上や大神は楽しそうだったな。

 特に白上なんかは両手に大量の食べ物を持っていた。

 

 「おじさん、これ二本下さい!」

 

 「あいよっ!」

 

 そうそうあんな風に。

 と、デジャブを感じてよく見てみれば、白上が屋台で焼き串を調達していた。

 

 その手には既に持ちきれない程の食べ物が下げらており、祭りを堪能していることが一目瞭然であった。 

 この短時間でどうすればあそこまで屋台を巡れたのだろうか。

 

 「白上さん、これ持てるのかい?」

 

 「あっ…。えぇっと、ちょっと待ってくださいね。」

 

 出来上がったようで屋台の店主が串を差し出すが、両手いっぱいに持っている中どう受け取ろうかと白上が四苦八苦している。

 

 …仕方ないな。

 

 「すみません、俺が持つから大丈夫です。」

 

 「おう、連れがいたのか。それじゃ、ほいお待ち!」

 

 横から割って入って差し出されている串を受け取る。

 

 「透さん。すみません助かりました。」

 

 「いいって、それより一旦どこかで落ち着こう。」

 

 幸いにもすぐに手ごろなベンチを見つけそこまで二人で歩いて向かう。

 座って一息つくと改めて白上に対して疑問を投げかける。

 

 「それで、その荷物どうしたんだよ。そんなに腹減ってたのか?」

 

 食いしん坊キャラではなかった筈なのだが。…いや、きつねうどん食べてるときは例外だ、あの場面だけ見れば満場一致でそのキャラが付く。

 

 「いえ、別にお腹が空いているわけではないんですけど…。

  お祭りの出店は制覇したくなりません?」

 

 「…なるわ。」

 

 記憶にはないがこの熱狂感には覚えがある。

 普段はお目にかかれない出店、その食べ物。特にかき氷やチーズドッグ、フランクフルトなどは祭りならではといった側面もある。

 そんな夢のような食べ物がずらりと並んでいるのだ。それでなくとも、一度は全てを食べてみたいと思うだろう。

 

 「ですよねっ!じゃあじゃあ、一緒に制覇の旅に繰り出しませんか?」

 

 共感を得られたのが嬉しかったのか白上は目を輝かせながらこちらにずいと寄ってくる。

 確かにやることもなかったし、何より面白そうだ。

 

 「ぜひ、ご一緒しますとも。」

 

 「ふふふ、よきにはからえー。」

 

 芝居がかった口調でふざけ合う。

 とはいえ、このまま出発するわけにもいかない。

 

 「まずは今あるこれを片付けないとな。…俺も何か貰ってこようかな。」

 

 食欲をそそられる匂いが漂ってきて、つい腹が鳴りそうになる。

 

 「それなら透さんも手伝ってくださいよ。」

 

 「ん?だけど全種類食べるんだったら俺も同じの買わないと…。」

 

 「ですから」

 

 そう言ってたこ焼きを一つ爪楊枝ですくい上げ、こちらへと向ける。

 

 「シェアしましょう。」

 

 いい笑顔で言ってくる白上。

 しかし、これは理解したうえでの行動なのだろうか。

 

 白上に視線を向けるも、不思議そうに首を傾げられるのみ。

 …これは気にしすぎない方が良いな。

 

 そう判断して、差し出されたたこ焼きにかぶりつく。

 

 が、それが間違いであった。

 

 「あっふ!?」

 

 「そう言えば冷ましてませんでしたね。」

 

 今さら気づいても遅い。

 口の中を熱で蹂躙され、もだえ苦しむ。

 

 さてはこれ出来立てを貰ってあまり時間たってないな。でなければここまではならないだろう。

 

 「透さん、これ飲んでください!」

 

 「…っ。」

 

 手渡されたのは冷たい瓶。

 ガラス玉で蓋がしてあり、開けるのにひと手間かかるものだ。

 

 状況には全く適していないが、それ以外にないなら仕方がない。大急ぎで栓を開け中身をあおり、胃の中へともろとも流し込む。

 

 心地よい炭酸が焼けた舌を冷ませば、ようやく地獄から解放される。

 

 「あー、ひどい目にあった。」

 

 「たこ焼きはやっぱりきちんと冷まさないとですね。」

 

 どの口が言うのだか。

 視線を向けてじっと見てやれば、悪びれる様子もなく舌を出し片目を閉じて見せる。

 

 「それより、白上にも飲ませて下さい。それ一本しかないんですよ。」

 

 「おう。と、悪いな結構飲んじまった。」

 

 構いませんよと言いながら白上は中身が三分の一になってしまった瓶を受け取る。

 後でまた調達しておくか。

 

 「…白上ってさっぱりした性格してるよな。」

 

 「?何ですか、急に。」

 

 白上は瓶を傾けながら疑問符を浮かべている。

 これはワザとなのか、本当に気が付いていないだけなのか。

 

 「いや、一応これ間接キスだろ?まぁ、ガキでもあるまいし気にすることでも…」

 

 「あっ…」

 

 そんな声を上げて白上はその手に持つ瓶に視線を落とす。今気が付いたようだ。

 するとみるみる内に白上の頬が紅潮していく。

 

 「えとっ…その、わ、私急用が出来まして…あの、失礼します!」

 

 早口でまくしたてるように言うと、白上は顔に手を当て駆け出してしまう。

 唐突のことで唖然として、追いかけようにも完全に出遅れた。

 

 「おい、これはどうするんだ!」

 

 「差し上げます!」

 

 遠のく背中に呼びかければそんな声だけが帰ってきて、すぐにその姿は人ごみの中に消えてしまった。

 ぽつんと残されたのは大量の食糧と、周囲からの生暖かい視線のみ。

 

 だが、そんなことを気にする余裕はない。

 

 「気にするのかよ…。」

 

 熱くなった顔を隠すように手を当て、呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 通りを歩いていると何やら人だかりが出来ていた。

 この祭りの最中、そんなものが出来ていれば気にならないわけがない。

 

 その人だかりに交じり、少しづつ前へ進んでいく。

 どうやら何かの出店に群がっているらしい。

 

 中央では黒いローブを纏った人物が水晶玉に手を置いて男女の二人組と向き合っている。

 占いか、ということは。

 

 「はい、あなた方の相性は申し分ないでしょう。少し先に困難が立ちふさがっていますが、互いを信じれば乗り越えられるはずです。」

 

 「本当ですか!?やったねきーちゃん!」

 

 「もう分かってたことじゃないみーくん、あたいも嬉しいけどっ!」

 

 その結果に満足した二人は礼を言うと意気揚々と歩いて去っていく。

 

 それにしても、凄い筋肉だった。筋骨隆々の肉体に、見るものを威圧するような眼光。

 今でも人混みがある中でその頭が見えるほどの大きさだ。

 

 恐らく彼氏であろう人物を肩に載せて去るその姿に、カクリヨの多様性を感じた。

 

 「次に占いを希望の方ー、いませんかー。」

 

 占い師が希望者を募っている。折角の機会だ活かさない手はない。

 手を挙げれば、そこの方どうぞ、と呼ばれたので前に出る。

 

 「いらっしゃいませー、って透君!」

 

 「やっぱり大神か。」

 

 予想通り狼の少女、大神がその眼を丸くしてこちらを見つめている。

 

 どうして店を出しているのか、それも先ほど別れたばかりで。

 相変わらず行動の読めないところがあるな。

 

 「占いくらい言ってくれればいつでもやるよ?」

 

 「いやいや、祭りの席でやるのが良いんだろ。」

 

 占い自体にも興味はあるが、本音を言えばこの雰囲気を楽しみたいだけである。

 その意図を察したのか大神はくすりと小さく笑い改めて向き直る。

 

 「ふふっ、そうだね。

  それじゃあ何について占いましょうか。健康、運勢、恋愛、何でもござれ!」

 

 両手を大きく広げて宣言する大神。

 周りでは見物客がこれでもかというほど集まっている。これは下手なことを聞いてはブーイングの一つでも起こりそうだ。

 

 「そうだな…じゃあ、俺のこれからの人生について占ってくれ。」

 

 いつか同じようなことを聞いたが現在それがどこまで進んでいるのか、またどれだけ変わっているのかは気になる。

 

 「分かった、ちょっと待ってね。」

 

 大神が手をかざせば水晶は輝きだす。

 中では煙のようなものが渦巻いている。これを使って読み取るのだろう。

 

 「…ふむふむ、透君、あなたは今大きな分岐点にいます。

  あなたの選択によって未来は枝分かれし、大きな運命を動かすことでしょう。」

 

 「ちょっと待って、いきなり重たい。」

 

 未来の枝分かれと大きな運命って、俺の選択一つで色々なものが動きすぎだろ。

 大きな選択を下したばかりでこれでは不安になってくる。

 

 「あ、でも全体的に幸せに繋がっているので安心してください。」

 

 「そうなの?まぁ、なら良いか。」

 

 ほっと胸をなで下ろす。

 意外と心臓に悪いな。もう少しライトなものを想像していたが、状況も相まって変なプラシーボ効果が生まれそうだ。

 

 ここで終わりかと思われた占いだが、大神が閉めようとした瞬間異変が起こる。

 

 「ん?えぇっと…へ!?」

 

 「どうした?」

 

 何やら水晶玉が光ったかと思えば、大神が変な声を上げて動きを止める。

 余程変な結果でも出たのか言おうか迷っているように見える。

 

 だが占い師としての矜持か、大神はその重たい口をこじ開ける。

 

 「…補足、透君あなたはその選択により、生涯の伴侶を得るでしょう。

  お相手は…あなたの身近にいるとのことです。」

 

 「伴侶って…」

 

 『おぉ…!』

 

 その野次馬であれば興味を示すであろう単語に周囲が色めき立つ。

 割と平和に終わりかけたところで最後の最後で爆弾を投げ込まれた気分だ。

 

 「あの兄ちゃん、確かシラカミ神社で居候してるんだよな。」

 

 「あぁ、それで身近と言えば…」

 

 そして俺の交友関係の少なさが仇となった。

 基本的にシラカミ神社の三人以外とはそこまで共に行動したことはない。故に対象は限定されてしまう。

 

 周りからの視線の熱が上がった気がした。

 そりゃあの三人キョウノミヤコでの知名度高いし、そこに色恋沙汰の気配を感じれば食いつきもするか。

 

 …何故だろう、凄く嫌な予感がする。

 

 「なぁ、あの二人の相性って占えないのかな。」

 

 「確かに…それあるな。」

 

 誰かがぽつりと呟けば、視線に徐々に期待が混じってくる。

 こういう時の予感程当たるのはどうしてだろうか。

 

 大勢がこちらの反応を伺っている。

 これは逃げられそうもない。

 

 「どうするんだ、大神。」

 

 小声で話しかける。

 強行突破で逃げることは出来る。屋根伝いに走れば抜け出すことは簡単だろう。

 

 しかしここで逃げては周囲は大ブーイング間違いなし、これからに支障すらきたしそうな勢いだ。

 

 「もうやるしかないよね…。」

 

 覚悟を決めたように言うと、大神はタロットカードを取り出しそれらを混ぜ始める。

 

 「透君、この中から一枚引いて。」

 

 その瞳には一種の覚悟のようなものが見える。

 そうか、大神。お前は腹をくくったのか。

 

 「分かった。」

 

 それなら、俺がここで怖気づくわけにはいかない。

 

 意を決して一枚のタロットを引き抜きテーブルに置く。

 これが、全てを決める。

 

 「…それじゃあ、めくるね。」

 

 ここに集まるすべての人間がそのタロットに注目していた。

 そんな中、大神の手によってその絵柄があらわとなる。

 

 「正位置の…恋人…。」

 

 この土壇場でそんなものが出て仕舞うのは、最早運命の悪戯としか思えない。

 

 誰もがその意味を知っている。

 結果の説明は、不要であった。

 

 『うおぉぉぉっ!!!!』

 

 肌がびりびりと震えるほどの大歓声。

 その中心にいる当事者二人はいたたまれない空気に包まれていた。

 

 しかし、すぐに限界を超えたようで…。

 

 「もー!おしまいおしまーい!!!」

 

 そんな大神の絶叫はキョウノミヤコ中に響いたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キョウノミヤコにあるとある広場。 

 歩きどおしだったこともあり休憩でもしようかと足を運ぶ。

 

 広場の中では子供たちの元気な声が響いていた。

 無邪気に遊んでいるその姿をほほえましく思いながらベンチに座っていると。

 

 「あ、透くんだ。もしかして休憩中?」

 

 「ん、あぁ百鬼か、今は…」

 

 後ろから聞こえてきた百鬼の声に答えながら振り返れば、そこには当然百鬼が立っている。

 しかし、それだけではなかった。

 

 じっとこちらを見つめるいくつもの瞳。

 百鬼の足元は大勢の子供の姿で溢れていた。

 

 物珍しそうにこちらを見る子、人見知りか百鬼の後ろに隠れる子。

 

 あまりに予想外な光景につい思考がフリーズする。

 

 「透くん?」

 

 「え、あ、大丈夫だ、問題ない、ちょっと休憩してるだけ。それより百鬼は何してんだ?」

 

 見たところ子供達と遊んでいるようにしか見えないが…

 

 「余はみんなと遊んでるの。今は何をしようか決めてるんだよ。

  ねーみんな。」

 

 百鬼が呼びかければ、ねー、と元気よく返事が返ってくる。

 意外なところで面倒見がいいな。

 

 「おねぇちゃん、あの人だれ?」

 

 先ほど百鬼の後ろに隠れた大人しそうな女の子が百鬼の服の裾を引いて声を掛ける。

 

 「余のお友達の透くんだよ。優しい人だから怖がらなくても大丈夫。」

  

 なるほど、話から察するに人見知りというよりは怖がられていたようだ。

 そうだよな、子供と比べて体は大きいし刀は腰にさしてあるし…。

 

 …それは百鬼も同じはずなんだけどな。

 少しだけ気持ちがしょんぼりした。

 

 「にいちゃん、元気出せよ。」

 

 そんな俺の心情を察してか、この中でも年長で元気そうな男の子が肩を叩いてくる。

 お前、良いやつだな…。

 

 「そうだ!透くん、この後用事がないんだったら余達と遊ばない?」

 

 百鬼がそう言えば、他の子たちも本当?と目を輝かせてこちらを見つめる。

 これは断れないな。

 

 どうせ何も予定などないのだ、断る理由もない。

 

 「そうだな、みんな、仲間に入れてもらえるか?」

 

 聞けば満場一致で肯定の声が上がる。

 良かった、これで拒絶でもされようものなら心が折れて精神年齢が彼らにぐっと近づくところだった。

 

 その後、何をして遊ぶか話し合ったところ【おままごと】をすることになった。

 百鬼は主導となった女の子たちと配役を決めている。

 

 「みんなは良かったのか?鬼ごっことか体を動かす遊びの方が好きだろ。」

 

 特に、今いる男の子達は皆活発そうな子達ばかりだ。

 それなのにも関わらずなんの意見も出さず、決定を受け入れていた。

 

 彼らは顔を見合わせると、先ほどの年長の男の子が前に出る。

 

 「うん、おれ達はあそこの子達よりも年上だから、あいつらの好きなことをさせてやりたい。」

 

 その言葉に全員が頷く。

 恐らく彼がこのグループのリーダー格なのだろう。

 

 しかし、彼の考えに反するものはその中にはいなかった。全員が望んでそうしている。

 それに気づいて、思わずわしゃわしゃとその頭を撫でてしまう。

 

 「わっ、なんだよにいちゃん。」

 

 驚いたようだが、特に嫌がるそぶりはない。

 

 「いや、凄い奴だなって思ってつい。」

 

 凄い子ではない、凄い奴だ。

 子供でありながら既にしっかりとした意思を持っている。

 

 そこで配役も決まったようで、全員が一度集まる。

 どうやら一家庭ではなく各々がやりたいもの、例えば花屋や飲食店などをやり、一つの町のようなものになるらしい。

 

 そして、俺は父親役で百鬼が母親役、先ほどの年長の男の子と大人しそうな女の子で一つの家庭となるらしい。名前はそれぞれ、ケンジとアヤカというようだ。

 

 配役も終わった所で、ようやくおままごとが開始された。

 

 「えっと、今帰った。百鬼、今日の夕飯は何かね。」

 

 威厳のある父親役と言われてもよく分からなかった。

 取り合えずそれっぽく演じてみたがどうだろう。

 

 横目で子供役、及び審判でもあるアヤカちゃんの様子を伺う。

 

 アヤカちゃんは、むっと眉を顰めると、ケンジ君に何やら耳打ちをする。

 

 「…うん、にいちゃん、ねえちゃんとは夫婦なんだからちゃんと名前で呼ばないとだってさ。」

 

 「…マジで?」

 

 聞き返せば、アヤカちゃんは何度も頷いてくる。

 気恥ずかしいが、やるしかないようだ。

 

 ごほんと咳ばらいを入れて仕切りなおす。

 

 「あ、あやめ、今日の夕飯は何かね。」

 

 「あぅ…ゆ、夕飯は肉じゃがだよ。今日もお疲れ様…その、あなた。」

 

 お互いどこかぎこちない会話。

 百鬼も恥ずかしいのだろう、はにかみかみながら頬を微かに赤く染めている。

 

 「お父さん、お母さんと二人でいちゃついてないで僕にも構ってよ。」

 

 「おぉ、悪かった。何かしてほしいことはあるか?」

 

 そんな中をケンジ君が間に割って入る。

 先ほどとはキャラが完璧に違う。演技力も高いようだ。

 

 「え、あー…」

 

 しかし、細部までは考えていなかったらしい。

 聞けばそんな声を出して考え込んでしまう。

 

 「じゃあ、肩車で…。」

 

 視線を逸らしながらケンジ君はそう口にする。

 そのくらいならお安い御用だ。

 

 そっぽを向いているケンジ君をひょいと持ち上げて肩に乗せる。

 

 「うわぁ…たけぇ…」

 

 表情は見えないが、素の感想が出る程度には楽しんでくれているようだ。

 と、服の裾が引っ張られた気がして下を見てみれば、アヤカちゃんがこちらをじっと見ている。

 

 「次…アヤカも。」

 

 「分かった、じゃあ交代な。」

 

 ケンジ君を下ろして、次はアヤカちゃんを抱き上げる。

 肩に乗せようとするが、どうやら肩車より抱っこの方が良いらしい。

 

 ということで左腕にアヤカちゃんを乗せる形を取る。

 

 しかし、先ほどから視線を外そうとしない。

 目が乾かないのかと心配になる程アヤカちゃんはこちらを見つめ続けている。

 

 そんなに見られてはどうにも落ち着かない。何か失敗したところでもあっただろうか。

 心配が顔を出してきた頃、唐突にアヤカちゃんは首に腕を回して抱きしめてくる。

 

 え、絞殺される?

 

 「アヤカ、ぱぱのお嫁さんになる!」

 

 どうやらそういう訳ではないらしい。

 なるほど、お父さん大好きな娘役という訳か。

 

 「ありがとう、アヤカ。でも困ったなぁ。」

 

 あッはッはと笑いながら話していると、唐突に右腕に柔らかな感触を感じる。

 

 「ん?」

 

 慣れない感覚に首だけ動かして右を見れば百鬼がむっとした顔で俺の右腕に抱き着いている。

 

 …なんで?

 

 「透くんは余の旦那さんなんだから、アヤカちゃんにはあげないからね」

 

 謎の対抗心を燃やしているようで、ぴったりとくっついて離れようとしない。

 

 「あの、百鬼…」

 

 声を掛けようとすれば百鬼は不満げな顔をこちらに向ける。

 分かった、分かったよ。

 

 「あ、あやめ、そんなにムキにならなくても…」

 

 「ぱぱはアヤカのだもん!」

 

 なだめようとした瞬間火に油を注ぐアヤカちゃん。

 これが計画通りなのだとすれば相当の策士だ。

 

 首に巻き付いている腕に力が籠められる。それに対抗するように右腕の圧迫感も強くなる。

 

 「やっ!余の!」

 

 「アヤカの!」

 

 同レベルの争いをしている二人を見ながら、これもアリかもしれない。そんな考えが浮かぶ。

 これはつまり妻と娘に取り合われているようなものだ。

 

 そう考えれば…そう、

 

 

 悪くない。

 

 「にいちゃん…」

 

 そんな俺の心情を知ってか知らずかケンジ君の冷ややかな視線が突き刺さった。

 

 

 

 しばらく続いたそのおままごとは昼も近づいてきたこともあり、お開きとなった。

 

 「またな、にいちゃん!」

 

 次々と帰っていく子供たちを見送り、百鬼と二人広場に残った。

 

 「楽しかったね、透くん。」

 

 「あぁ、全員いい子だった。」

 

 見知らぬ俺にもすぐに懐いてくれて、みんなが互いのことを考えていて。

 子供の頃、自分がどのような子だったのかは知らないが、少なくともあそこまでではないだろう。

 

 「ね、透くんが良かったらなんだけど、余と一緒に…。」

 

 何かを言いかけて言葉が途切れる。

 そこで止められると逆に気になってしまう。

 

 「どうしたんだ?」

 

 「…ううん、何でもない。それよりお祭り、一緒に回ろ!」

 

 しかし、言うつもりはないようで誤魔化すように笑うと手を引っ張って走り出してしまう。

 

 まぁ無理に聞き出すようなことでもない。

 そう結論付けて、腕を引っ張る彼女に合わせて走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 楽しい時間はあっという間に過ぎ去っていく。

 既に辺りの街並みは茜色に染まっており、祭りもそろそろ本番である夜の部の準備が始められている。

 

 ここまで何も起こることなくいたって平和な祭りそのモノであった。

 これでクラウンの言っていたことが単なるでたらめであったのなら、無駄な警戒をしていたと笑い話にでもなっただろう。

 

 しかし、そう現実は甘くないようだ。

 

 目の前には大神からのシキガミ。

 

 『異変の兆候アリ、至急集合。』

 

 事前の取り決め通り大神のシキガミを返すと、白上へと同じ内容を添えてちゅん助を飛ばす。

 百鬼へは大神がシキガミが帰り次第送るはずだ。

 

 分かっていたことだ。

 緩んでいた気持ちを引き締めなおし、集合場所へと足を向けた。

 

 





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セイヤ祭(下)


どうも作者です。


 「透さーん、こっちですよー」

 

 集合場所に到着すれば、視界の先で白上が大きく手を振ってくる。

 見れば既に三人共揃っている。

 

 「悪い、待たせた。」

 

 「大丈夫、余もさっき来たばっかりだから。」

 

 何故か得意げな百鬼。

 そこは胸を張るところではないと思うが、百鬼なりに気を使ってくれているのだろう。

 

 「みんな揃ったことだし状況を説明するね。と言っても時間はあんまりないから歩きながらで。」

 

 キョウノミヤコの外れ、人通りの少ない道を歩きながら大神は説明を続ける。

 

 「クラウンはキョウノミヤコでって言ってたけど、実際には少し違うみたい。」

 

 「違うって何が?」

 

 含みのある言い方に百鬼が聞き返す。

 

 「占星術が指し示したのがキョウノミヤコじゃなくて、その外側だったの。」

 

 そういえば今歩いている方向もキョウノミヤコの何処かというよりは、その逆に向かっている。

 

 「うちも忘れてたよ。この辺りで一回ウツシヨとカクリヨが繋がったことがあったでしょ?」

 

 「以前にも…あ、そういえば。」

 

 大神の説明にピンと来たらしい白上の視線が俺の方を向く。

 しかし、こちらに心当たりはなく未だに疑問が浮かんだままだ。百鬼も同じ様に首を傾げている。

 

 「多分分かるのはうちとフブキだけだと思う。

  だってその場所は透君を見つけた場所だから。」

 

 「俺を…」

 

 それなら俺自身が知らないわけはない。そう考えたが…そうだ、カクリヨに来て白上達に助けられた後俺は意識を失い、次に目が覚めた時にはシラカミ神社であった。

 

 一度は足を向けようとしていたがそんな機会もなく今に至っている。

 

 「透くんを見つけた場所だと何かあるの?」

 

 当事者ではない百鬼にとってはあまり理解のしやすい内容ではないだろう、そこに関しては俺も同じようなものだ。

 

 そんな百鬼の素朴な疑問に大神が応える。

 

 「単純に一度開いたことのある場所だから開きやすい環境じゃないかっていう推測もあって。

  だけど、何よりあれを見た後だともう一度開いてもおかしくないって考えても不思議が無いの。」

 

 前者は納得できる、元々原理があまり判明していない現象だ。一度開いた場所をマークするのはごく自然な流れだ。

 

 しかし、もう一度開いてもおかしくないとはどういうことだろう。

 それほどまでに印象的なものだったのか、それとも前例のあるモノだったのか。

 

 「今回も同じかは分からないけど、見てみたら納得はできると思う。」

 

 その言葉に一抹の不安がよぎる。 

 一応そこから出てきたのだが…まぁ、体が消えかけるくらいだ、ロクなものでもないか。

 

 

 

 

 キョウノミヤコを出てそばにある小山を登る。

 小山と言えどもそれなりに標高は高そうで、頂上までは少し時間がかかる。

 

 「透さん、一応これ持っておいて下さい。」

 

 いざその一歩を踏み出そうとした時、白上がそう言って何かを手渡してくる。

 反射的に受けとったそれを見てみれば、手の中にはお守りが握られている。

 

 「白上、これは?」

 

 「念の為の保険みたいなものです。…あ、寺宝なので後で回収はさせて貰いますね。」

 

 「へー、寺宝か…寺宝?」

 

 思わず手の中を二度見する。

 

 これが寺宝?

 どう見てもただのお守りだ。いや、寺宝だからといって特別なものでもないのか?

 

 というか、そんな大切なものをひょいと渡さないで欲しい。

 

 「はい、特にこれといった力はありませんけど持っておいて下さい。」

 

 白上はらしくも無くやや強引に勧めてくる。

 

 今ひとつ意図が理解できないが、まぁ気休めの様なものか。

 あるのとないのとではある方が良い。

 

 それに折角の好意だ、無碍に断る事もない。

 

 「ありがとう、借りとくよ。」

 

 受け取れば、白上は安心したように息をつく。

 それを不思議に思いながらも追及することは無かった。

 

 

 

 

 しばらくして空を覆いつくさんと伸ばされていた木のトンネルが急に開けた。

 辺りには季節外れな花々が咲き乱れており、ここだけ別の世界を切り取ったかのような広間になっている。

 

 「あれ…。」

 

 言って百鬼が指をさした先に視線を向ける。

 なるほど、先ほどの大神の言う通りだ。あれなら確かにそう考えるのも頷ける。

 

 それは穴というには些か乱雑が過ぎた。

 まるで景色の一部を、空間の一部を切れ味の悪いナイフで切り裂いたような。

 

 それは、穴ではなかった。

 裂け目だ。

 

 その先に綺麗な花畑はなく、ただ何も見えない、何もない空間があるだけ。

 あれがウツシヨに繋がっているのか、本当に?

 

 そして、もう一つ。 

 その裂け目の前には誰かがいた。

 

 こちらからはシルエットしか見えないが、確かに裂け目の前に人影がある。

 

 四人で視線を合わせる。

 あれが仮にあの裂け目を発生させた人物だとするのならば、慎重に行かなければならない。

 

 だがその考えは常にその逆の結果を引き起こす。

 慎重であることを意識すればするほど、世界は不条理を突き付ける。

 

 一歩踏み出せば静寂の間にパキリと音が響いた。

 その音に、自分が均衡を破ったことを理解する。

 

 足元には折れた小枝。

 

 人影がこちらを振り向いた。

 その顔は見えない。だが、驚いている様にも見える。

 

 しかし、そこからの行動は素早かった。

 そんな人影は身を翻したかと思えば、凄まじい速度でこちらに迫り、襲いかかってくる。

 

 その手には僅かな光を反射させている刀。

 明らかな敵対行動。

 

 狙いは音の発生源である俺だ。

 

 既に切迫する刃。

 だが、まだ反応できる。

 

 咄嗟に刀を抜き放ち、その軌道上に置いて受け止めようとする。

 刀と刀がぶつかる、そう思われた瞬間だった。

 

 「あ?透じゃねぇ…」

 

 ピタリと触れ合う寸前で刀が止まり、そんな声が聞こえてくる。

 それと同じく俺の心も驚きに満ちていた。

 

 目の前に来てようやくはっきりと見えたその顔が紛れもない、先月出会った同郷の友人、茨明人であったからだ。

 

 明人が声を発したと同時に、俺も声を掛けようとした。

 しかし、明人の声も、俺の声も、途中で途切れることとなった。

 

 明人の刀が止まった後の一瞬、恐らくは俺が刀を構えずにいれば首にそれが当っているかどうかのそんな瀬戸際。

 

 視界の端で、何かがぶれた。

 

 「がふぁっ!?」

 

 次の瞬間、光が明人の顎を捉えた。

 

 まともにそれを食らった明人の体は上空へと上がる。

 高く、高く、まるで打ち上げられた花火のように、その体は舞い上がった。

 

 あまりの出来事に呆気に取られる。

 

 発射源には刀を振りぬいている百鬼の姿。

 

 その心情はいかがなものか。

 舞い上がった明人が音を立てて地面に落ちる。

 

 そして、その場の全員の心をやっちまったという空気が埋め尽くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ご、ごめんなさい…。透くんが危ないと思ってつい…。」

 

 「俺も悪かった、いきなり切りかかったんだからな。こうなって当然だ。

  ただ…かなり、その…」

 

 その言葉の先は何となく理解できた。

 

 目の前には顎を抑えて胡坐をかいて座っている明人の姿がある。

 少々の怯えを含んだその瞳は、気まずそうに目を逸らしている百鬼の姿を映し出していた。

 

 花火の不発弾となってからしばらくして明人は失っていた意識を取り戻した。

 見事なまでにジャストミートした顎への一撃は無事に、彼の脳を揺らしていたようだ。

 

 この出来事は彼にちょっとしたトラウマを植え付けるには十分すぎる程であった。

 その始まりを作ってしまったのだと思うと申し訳なさが心を包む。

 

 「その…ごめんな明人。」

 

 「ははっ、なんでお前が謝るんだよ。」

 

 乾いた笑い声が響く。

 その顔はもう怖いものは無いと言わんばかりに晴れ渡っていた。

 

 「それにしても…」

 

 そう言うと明人がこちらを見てくる。

 かと思えば、意味深ににやりと笑い寄ってくると、腕を首に回してくる。

 

 「おいおい、透、順調そうじゃねぇか。」

 

 「順調って何がだよ。」

 

 三人には聞こえないように声を落として言ってくる明人に困惑する。

 その顔は先ほどまでとは打って変わって面白がるような笑みが浮かんでいる。

 

 「何ってあの三人との関係だよ。見た感じあと一歩ってところか?

  それで本命は決まったのか、まさか三人同時か。おいおい、面白くなってきたじゃねぇか。」

 

 余程気になっていたのか、畳みかけるように聞いてくる明人。

 何がこいつをここまで駆り立てるのか。

 

 「何言ってんだよ、まだそういう関係じゃないって。」

 

 既にカクリヨに残る決意は出来ている。

 しかし、だからと言ってそんな急にそういう話になるとは限らない。

 

 「まだ…な。ま、その辺のこと今度詳しく聞かせろよ。」

 

 俺の答えに満足したのか、明人はあっさりと回していた腕を解く。

 

 「お話も終わったみたいだし、事情を聴きたいんだけど良いかな。」

 

 それを見計らって大神が声を掛けてくる。

 

 「構わないぞ、それで何が聞きてぇんだ?」

 

 改めて向き直り、明人は真っ直ぐに視線をこちらに向ける。

 

 「ここに居た理由と、何をしていたのかの二つだけ。」

 

 そうだ、衝撃が大きすぎて頭から離れていたが根本的な問題はそれだった。

 あれから明人とは音信不通、何をしていたのかさえ分かっていない。

 

 俺たちがここに来たのはクラウンからの情報があったからだ、だが明人はそんなこと知る由も中田はずだ。

 それなのに、現在明人は目の前にいる。その理由は聞いておかねばならない。

 

 「理由はここで変なイワレの流れが見えたからだな。俺のワザのことは透と黒髪の嬢ちゃんには話してただろ?

  そんでその調査に来てみたらあんなものがあったからな、色々調べてた所にお前らが来たんだよ。」

 

 そう言って明人は空間の裂け目を指さした。

 依然としてその形を変えることなくそこにあるそれは、何処か不気味な存在感を発していた。

 

 明人のワザはイワレの流れをその眼で見ることが出来ると聞いている。

 

 「次はこっちの質問だ。あれについて何か知ってるのか?ここに来たってことはただの裂け目ってわけじゃねぇんだろ?」

 

 「あぁ、あれは…」

 

 明人の質問にここまでの経緯を話す。

 クラウンの事、あの裂け目がウツシヨに繋がっている事。

 

 それを聞いた明人は予想とは裏腹に驚く様子も見せずただ事実を受け止めていた。

 

 「驚かないのか?」

 

 疑問に思い聞いてみる。

 

 もしや既に知っていたのだろうか。

 いや、それならわざわざ聞いてくるわけないか。そうする理由もないはずだ。

 

 「いや、驚いてるぞ。…そういうことだったのか。」

 

 明人は納得したようにしきりに頷いてる。

 そして改めて裂け目へと目を向け、口を開く。

 

 「ただ…残念だが一つ訂正だ。

  あの裂け目はウツシヨには繋がっていない。」

 

 その言葉に俺たちの間に動揺が走る。

 繋がっていない、それが真実であればクラウンの言葉は嘘であったということになる。

 

 ならば、あの裂け目は何なのか。

 

 「あー、悪い、正確にはウツシヨには繋がっているんだろうが、あっちに行くことは出来ないって意味だ。」

 

 「え、それはどうして?」

 

 大神が聞き返せば明人は裂け目に向かって歩きながら付いてこいと手を振る。

 それに従い言われるがままに、俺たちも裂け目へと近づく。

 

 近づくにつれてよりはっきりと裂け目の全貌を捉えることが出来る。

 断面を見ることは叶わないが、それでもその奥行きは確かにここではないどこか別の空間とつながっていることを示している。

 

 「そもそも入れもしないんだ。あれがどこに繋がっているのか確かめようがねぇ。

  …こんな風にな。」

 

 再び裂け目の前に立つと、明人はその手を裂け目の奥の空間に向けて伸ばす。

 しかし、裂け目を超えるか超えないかの地点でその手は見えない壁にぶつかったかのように空中で止まる。

 

 それを見てようやく理解した。

 進まないのだと、あそこより先には。

 

 「つまりどこに繋がっていても関係ないんですね。使うことが出来ないなら無いのと同じということで。」

 

 「そういうことだな。だからウツシヨに繋がってても帰れないなら意味がねぇ。」

 

 明人があまり驚かなかったのはこれをしていたからのようだ。

 

 話し終えると明人は落胆したように小さくため息をつく。 

 それはそうだ、帰れる手段を見つけたのにもかかわらず聞いた時には既にその方法が使えないと分かってしまったのだから。

 

 「…でも、これどうしよっか。」

 

 大神が裂け目を見つめて言う。

 確かに、このまま放っておくというわけにもいかないだろう。 

 

 「イワレで強引にこじ開けてるみたい…一応、透くんのワザでそのイワレを取れば閉じると思うけど…。」

 

 言いながらこちらに視線を向ける百鬼。

 ウツシヨ出身の俺や明人に気を使っているのだろう。

 

 それは白上や大神も同じらしい、結論を出さない辺り俺たちに判断を委ねてくれているのか。

 

 「それなら閉じちまってもいいんじゃねぇか?」 

 

 「俺も賛成だ。残しておくよりは、ここで閉じた方が後々異変が起こることも無いだろうし。」

 

 これで残しておいたためカクリヨが滅びました。なんてことも可能性は低いだろうが無いとも言い切れない。

 不確定要素は潰せるうちに潰しておく方が良い。

 

 それを聞いた三人も肯定し、満場一致で閉じることとなる。

 

 「『結』」

 

 善は急げ。

 前準備も特にはいらないため早速ワザを発動し、裂け目全体を結界で覆う。

 

 これを閉じれば、いよいよウツシヨへと帰る手がかりはゼロとなるだろう。

 俺はそれでも問題はない。だが明人は良いのだろうか。

 

 ちらりと明人へと視線を向ければ、彼は静かに結界が広がっていく様子を見ている。

 その顔には後悔も何もない。寧ろ安心しているようにすら見える。

 

 そういうことなら、問題はないだろう。

 そう結論付けると同時に結界が完成した。

 

 「『封』」

 

 その言葉と同時に結界は収縮を開始し内部のイワレのみを全て余すことなく回収していく。

 やがて結界は手のひら大の塊となり、支えていたイワレが無くなった裂け目はその姿を消し、後には広がる花畑のみが残された。

 

 それを確認すると、明人は唐突に踵を返した。

 

 「明人?」

 

 遠ざかる背に呼びかけると、一瞬明人は立ち止まる。

 

 「今日の所はこの辺でな、もうここに用はねぇ。

  それで…透。」

 

 背を向けたままで名を呼ばれる。

 

 「顔つきが前とは少し変わったな。

  お前はどうするつもりなんだ?」

 

 どうする。

 何をとは聞かなくても分かった。

 

 これからの事、ウツシヨに帰るのか、カクリヨに残るのか。

 

 「俺は…ここで生きて行こうと思う。

  俺にとって、ウツシヨと同じようにカクリヨも大切な場所になった。」

 

 勿論、帰る手段が見つかれば一度くらい親の顔を見ておこうとは考えている。

 だが俺が根を張るとしたらそれはウツシヨではない。

 

 カクリヨに来て、ここで生活してきて、人々に触れあって。

 俺はここで生きて行きたいと思えた。

 

 明人はそれを聞いて小さく笑いを零す

 

 「だろうな。ま、今度相談位乗ってやるよ。

  …その前に、ちゃんと説明しておけよ。」

 

 「説明?」

 

 疑問の声に答えることなく、明人は颯爽と去っていった。

 その背を見送りながら何のことか考えるが、何も思い当る節はない。

 

 考え込んでいると、ふと、やけに後ろが静かだと気が付いた。

 振り返れば白上、大神、百鬼の三人が目を丸くしてこちらを見ている。

 

 それを見てようやくピンときた。

 明人の言葉、そして今の状況。

 

 過去を振り返ってみるが、カクリヨに残ると決めてはいたがそれを三人には伝えそびれていた。

 

 「透さん…今の話、本当なんですか?」

 

 目を丸くしたまま白上が問いかけてくる。

 折角相談に乗ってもらっていたのにこのありさまだ。

 

 バツが悪く思いながらも、改めて口を開く。

 

 「その、聞いての通りウツシヨには帰らないことに決めた。

  例え帰る手段があったとしても考えは変わらないと思う。

 

  伝えるのが遅くなって申し訳ない。」

 

 流石に怒っているだろうか。

 恐る恐る三人の顔色を伺う。

 

 だが現実は無情とは言うが、今この瞬間ばかりは違ったらしい。

 

 先ほどまでの驚きがそれぞれの表情から徐々に消えていけば、次の瞬間には満面の笑みが浮かぶ。

 

 「じゃあ、これからも一緒にゲームができるんですか?」

 

 「それならうちも家事のこと色々手伝って貰うよ?」

 

 「余も透くんと稽古したい!」

 

 白上が尻尾を忙しなく動かしながら。

 大神が穏やかに微笑みながら。

 百鬼が目を輝かせながら。

 

 それぞれが歓迎してくれる。

 その事実が何よりもうれしかった。

 

 「あぁ、白上達が良ければなんだけど、これからも世話になって良いかな。」

 

 「はい、勿論です!

  今さらそんなこと聞かないでくださいよ。」

 

 良かった。

 そう思い、つい安堵から息が出る。

 

 やはり不安もあった。

 

 これで拒絶されてしまったらとはあまり考えたくなかった。

 今まで言い出せなかった理由も、案外これが関係しているのかもしれない。

 

 「透さん」

 

 「透君」

 

 「透くん」

 

 三人にそれぞれ名を呼ばれる。

 彼女らは打ち合わせでもしていたかのように息を合わせて口を開いた。

 

 「「「ようこそ、カクリヨへ!」」」

 

 この瞬間からだろう。

 ついに、俺はカクリヨの住人となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ん?何だ、あれ。」

 

 キョウノミヤコに戻ろうとした際、花畑の中にきらりと光りが見えた気がした。

 気になりその辺りを見回してみれば、何やら綺麗な宝石を発見する。

 

 拾い上げてみれば、赤い宝石を付けた指輪が月明りに照らされた。

 

 「これ、確かクラウンの…。」

 

 記憶にあるクラウンの付けていた指輪に酷似していたそれが何故こんなところに落ちているのだろう。

 彼の持っていたそれは今はシラカミ神社の奥に眠っているはずだ。

 

 疑問に思いながらその指輪を結界で覆い、ポケットに入れる。

 何はともあれ、あまり良い代物ではなかったはずだ。

 

 一度持ち帰って場合によってはこれも封じておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「あ、お兄ちゃん!」

 

 「こんばんは、トウヤ君。」

 

 キョウノミヤコに戻れば、約束通りトウヤ君のいる中央の広場へと訪れた。

 やはり祭りの中心地というだけありかなりの賑わいを見せていた。

 

 「あら、透さん。わざわざありがとうございます。」

 

 「いえ、約束しましたから。」

 

 奥からヨウコさんも顔を出してくる。

 かなりの盛況のようで、忙しそうにしている。

 

 「見てみて、これ、僕が手伝ったお花!」

 

 そう言ってトウヤさんが指さしたのは数々の花束の中でも一層大きく、美しい花束であった。

 色とりどりの花が添えられており、この広間を飾り立てている物の中でも上位のモノだ。

 

 正直度肝を抜かれた。

 まさかここまで盛大なものが出てくるとは夢にも思わなかった。

 

 「これをトウヤ君が?」

 

 「えぇ、透さんに褒めてもらいたくて頑張ってたんですよ。」

 

 言われてトウヤ君を見てみれば、その顔には期待が半分、不安が半分浮かんでいる。

 自身はあるけど、気に入ってもらえるか分からない、そんな表情だ。

 

 先ほど、自分も同じだったかと親近感を覚えながら笑って見せる。

 

 「凄いな、トウヤ君!こんなに綺麗な花は初めて見た!」

 

 「ホント?やったぁ!」

 

 お世辞などではない、心からの賛辞をそのまま伝える。

 それほどまでに素晴らしいものだと、そう感じた。

 

 それを聞いたトウヤ君の表情から不安が消え、笑みが浮かぶ。

 

 そんな折、不意に広場が一層騒がしくなる。

 何事かとそちらの方向に目をやれば、何やら音楽が流れだす。

 

 「あら、もうそんな時間。」

 

 「そんな時間…もしかして今から後夜祭の踊りが始まるんですか?」

 

 先日の準備の際に聞いた、後夜祭で踊ったペアは必ず結ばれるという例の呪いのジンクス。。

 しかし、思っていた以上に参加者は多い。寧ろこの場にいるほとんど全員が参加しそうな雰囲気だ。

 

 「あの、ジンクスがあるって聞いたんですけど結構参加するんですね。」

 

 気になりヨウコさんに聞いている。

 

 「ジンクス?…あぁ、縁結びの。あれは結ばれた人たちのみに焦点を置いてますから。

  あまり気にしなくても大丈夫ですよ。」

 

 「あ、まぁそうですよね。」

 

 やはり迷信は迷信であるようだ。

 変に気にしていた自分が少し恥ずかしくなる。イワレがあるからと言えすべての出来事に当てはめるモノでもないな。

 

 「…お兄ちゃんは誰かと踊らないの?」

 

 「え?俺か…俺は…。」

 

 トウヤさんに聞かれどきりと心臓が跳ねた。

 自分が参加するとは考えていなったものだから、返しに困る。

 

 しかし良い機会だ。折角だし誰か誘って参加するのもアリかもしれない。

 そう考えたとき、一人の少女の顔が脳裏に思い浮かんだ。

 

 

 

 『さて、誰を誘おうか』

 

 ->白上

  大神

  百鬼

 

 

 

 




次回から個別に入ります。
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個別:白上ルート
個別:白上 1



どうも、作者です。

ここから個別に入ります。
流れとしては、白上、大神、百鬼の順。

サブタイトルも見ての通りになります。

以上。


 祭囃子の響く中、少女の姿を求めて歩きまわる。

 広場では後夜祭の踊りが既に始まっており人の流れは比較的緩やかになっているが、それでもキョウノミヤコ中の人々が集まっているためか相応の人だかりとなっている。

 

 そんな中のたった一人を見つけ出すのは中々骨が折れる。

 自分でも何故ここまでしてその姿を探しているのか分からない。

 

 だが不思議と、諦めようとは思わなかった。

 

 視界の端々では楽し気に笑い合う人々。

 

 普段は寡黙な人であっても、祭りの際にはその相貌を崩しふざけ笑う。どんなことでも楽しい一幕となる。

 それを祭りの魔力とでも呼ぶのなら、この気持ちもそうなのだろう。

 

 探して、探して、探して。

 

 目立つ綺麗な白い長髪が見えないかと、そこら中を見回して。

 

 そして遂に、

 

 その姿が、

 

 視界に映る。

 

 「…白上っ!」

 

 気が付けば、その名を呼んでいた。

 呼んでしまっていた。

 

 白い獣耳を携えた少女はその耳をぴんと立て、こちらへ振り向く。

 その白群色の瞳がこちらへと向けられれば、蕾が花開くようにその顔に笑みが浮かぶ。

 

 「透さん!」

 

 名を呼びこちらへと駆け寄ってくる彼女の姿に、強く鼓動が鳴った。

 それだけではない、体の底から熱いものが胸にこみ上げてくる。

 

 今まで感じたことのないその感覚につい胸に手をやる。

 

 「?どうされたんですか?」

 

 そんな様子を見て、白上は不思議そうに首を傾げている。

 それはそうだ、目の前でいきなり知人が胸を抑え始めれば困惑の一つもする。

 

 「いや、何でもない。」

 

 両手を振って無事をアピールして見せれば素直に信じてくれたようで、「そうですか」、と胸をなで下ろしている。

 

 無事に合流もできたところで改めて目の前にいる白上へと目をやる。

 

 白い装束に黒い短パン、白い獣耳、白い尻尾を携えた狐の少女は快活そうでいて、何処か気品を感じさせる。

 その存在感はこの場にいる誰よりも強く、それでいて親しみやすさもまた同時に与えていた。

 

 そんな彼女とこうして話せているのだから、人生何があるか分からない。

 

 「あのさ、白上」

 

 早速本題に入ろうと口を開いたは良いモノの、そこから先の言葉が出てこない。

 ただ一緒に踊ろうと誘うだけ、たったそれだけの事が妙に気恥ずかしく感じた。

 

 「その、俺と…俺と…」

 

 首をかしげながらも待ってくれている白上に早く伝えようと口を開くも中々先に進まない。

 

 ここまで緊張するようなことでもないだろう。

 自分に言い聞かせるもあまり効果は無い。

 

 意識している要因はやはり、例のジンクスだ。

 ただの迷信だと分かっていても一度はそういうものであると考えてしまった。そうして張られた根は簡単には取り除けない。

 

 …情けない。

 その程度のことで何もできなくなる自分が。

 もう少し上手く立ち回れると考えていたが、どうやらそれは思い上がりであったらしい。

 

 悔しさに奥歯に力が入る。

 そんな時だった。

 

 不意に右手に暖かさを感じた。

 

 目を向けてみれば、右手を細く小さな手が包み込んでいる。

 

 「大丈夫ですよ。」

 

 その声に視線を上げれば、優し気に細められた瞳と視線が交差する。

 

 「ゆっくりでいいですから、白上は待ちますよ。」

 

 それと同時に、意思を伝えるかのように右手を包む手に優しく力が籠められる。

 触れた手からじんわりと暖かさは内部へとしみ込んでいき、やがて心の緊張をほぐした。

 

 変に緊張していたのが馬鹿らしくなる。

 ここまでしてくれているのだ、足踏みなどしていられない。

 

 「白上、俺と一緒に踊ってくれないか?」

 

 それを聞いた白上は驚いたように目を軽く見開くも、すぐにその顔には笑みが戻る。

 

 「はい、喜んで!」

 

 その返答に心の底から安堵する。

 何故ただの踊りのためにここまで疲労しなければならないのだろうか。そう思うほどに感情の落差は大きかった。

 

 踊りといってもさして複雑な動きをするわけではない。

 周りに合わせながらでも十分形となる。それこそ子供も参加できる程度だ。

 

 手を取り合って周りの人の動きを真似る。

 ただそれだけの事が異様に楽しかった。 

 

 少し周りの視線が気になるだろうか。

 だがそんなことよりも、白上と一緒に踊っている。この事実の方が大切だった。

 

 「これ、想像以上に楽しいですね。」

 

 少しぎこちないながらもステップを踏みながら白上は笑いかけてくる。

 

 「想像以上って、参加したことなかったのか?」

 

 このセイヤ祭は毎年同じ時期に開催される。

 その準備を白上はシラカミ神社の神主として手伝ってきたと聞いていたが、後夜祭だけは参加しなかったのだろうか。

 

 「はい、基本的にイワレが多く集まるとケガレも集まってくるので、毎年その処理をしてたんですよ。」

 

 「確かに人多いもんな…ん、それじゃあ今年は…。」

 

 毎年処理しなければならない程のケガレが集まるのなら例にもれず今年も集まっているのではないのか。

 こんなところで踊っている場合ではなかった。

 

 忙しいところを引き留めてしまっていたか、と後悔が顔に出てしまったのか、白上は慌てて訂正を入れる。

 

 「あぁ、大丈夫です!今年は不思議とケガレが集まっていないみたいなので。

  それで手持無沙汰になったところに透さんが声を掛けてきてくれたんですよ。」 

 

 そう言うことならと、今日何度目かのため息をつく。

 どうにも祭りに加えて、カクリヨに残ることを決めたことで少しばかり心が浮ついているようだ。

 

 後顧の憂いもなくなったところでしばらく音楽に身を任せる。

 踊っていく内に慣れも出てきて周りの様子も良く見えるようになってきた。

 

 隣には高齢の夫婦が、見た目にそぐわずキレのある動きを披露している。

 他にも、友人同士、家族、恋人。

 

 様々な関係性の人々が同じように踊っている。

 なら他から見て、俺と白上はどう見えているのだろう。

 

 「あの、透さん。一つお聞きしても良いですか。」

 

 「ん、なんだ?」

 

 不意に投げかけられた言葉に思考を中断する。

 

 「透さんがカクリヨに残ることを選んだ理由が気になりまして。

  先ほど帰れなかったから、ではないんですよね。」

 

 その口調は至って普通だ。とりとめのない日常でするような会話でのそれと変わらない。

 しかし、その瞳は、上目遣いにこちらを見つめるその瞳の奥には、別の感情が存在している。

 

 「まぁ、気になるよな。」

 

 今回の決断はこちらの世界をとるか、元の世界をとるか、言ってしまえばこれからの人生を大きく変えるものだ。

 俺だって、知人に似たようなことをした人がいればその理由くらいは聞いてみたくなる。

 

 だが、改めて話すとなると相手が理由の一部なだけに話すことを躊躇してしまう。

 

 「…実は、ずっと不安だったんです。」

 

 「不安って、白上が?」

 

 聞き返せば、「はい」と力なく白上は答える。

 その様子を見て察しが付く。

 

 先ほど白上の瞳に見た感情を、それこそが不安。

 だが、どうして白上がそんな感情を抱いたのか、そこまでは分からない。

 

 「透さんがウツシヨに帰ってしまうことが、ずっと。

  …おかしいですよね、応援するって言ったのに、こんな。」

 

 そう言うと白上はへらりと笑って見せる。

 いつものような元気に溢れた笑顔とは違う、自嘲に満ちた笑顔。

 

 それを見て、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。

 そんな顔は、してほしくないと思った。

 

 「このカクリヨに来て一番初めに会ったのは白上だった。」

 

 何故そう思うのか、そんなこと今はどうでもいい。

 ただいつもの笑顔が見れるのなら、躊躇などしない。

 

 「そこから大神や百鬼と出会って、皆と過ごしていく内にそれが当たり前になった。

  みんなと過ごす時間が好きになった、このカクリヨが好きになった。細かいことを言えばキリは無いけど、これがカクリヨを選んだ理由だ。」

 

 畳みかけるように気持ちを吐露する。

 こういうのは本人を前にしていうものでもないだろうが、関係ない。

 

 これが俺の本心だ。

 

 「それに決着、まだついてないからな。」

 

 いつか言っていたゲームの決着。

 直近ではあまり出来ていなかったが、これからは時間はいくらでもある。

 

 二人で遅くまでゲームをして、お菓子を食べて、大神に説教されて。

 そんな日々を送りたいと思ってしまったのだ。

 

 顔を上げた白上と目が合う。

 

 「…そうですね、帰ったら早速勝負です!」

 

 そう言って白上は今度こそ満面の笑みを浮かべる。

 そうだ、その表情が一番似合っている。

 

 などと後から思い返せば穴に入りたくなるような思考をしていることに気づく。

 つくづく、今日は祭りの魔力にやられているらしい。

 

 「あ、その前に屋台巡りをしておかないとですね。お昼はあまり回れませんでしたし。」

 

 「誰かさんの所為でな。あの後大変だったんだぞ。」

 

 白上が走り去ってから独り黙々と大量の食べ物と戦闘を繰り広げていた。

 おかげさまでその付近の人からは、かなりの大食漢だという誤解を受けてしまった。

 

 その原因となった出来事を思い出したのか、徐々に白上の頬が朱に染まっていく。

 

 「もぅ…思い出させないでくださいよ。」

 

 話を振ったのは白上の方だろう。

 

 それにしても、この点においては本当に驚いた。

 てっきり気にしないタイプだと思っていたところにあの反応だ。おかげでこっちまで照れてしまった。

 

 「正直白上のその辺の線引きが分からないよ。」

 

 今までそういったことがなかったのも事実だが、普段接している感じではそう考えてしまっても不思議はない。

 この辺り、まだまだ知らない面はたくさんありそうだ。

 

 「線引きって、そんなつもりはないんですけど…。

  あの時は急に恥ずかしくなっちゃったんです。」

  

 言葉の通り今もなお恥ずかしいのだろう、白上は赤い顔を隠すようにふいと横を向いてしまう。

 まさかラムネ一つでこうなってしまうとは、案外初心な一面もあるらしい。 

 

 「ラムネって飲むときコツがいるじゃないですか。その、それを意識しちゃって…。」

 

 赤かった顔がさらに染まっていく。

 しかしそれは恐らくこちらも同じで、今は二人揃って顔を朱色にしているだろう。

 

 自分で言って照れるくらいなら言わなければいいものを、そこまでして巻き込みたかったのか。

 

 「…むっつり猫。」

 

 「狐じゃい!…って、違うそうじゃなくてっ!」

 

 照れ隠しに言った言葉に白上は条件反射のように反応する。

 しかし、否定する部分を間違ったためかあたふたと弁明しようとしている。

 

 「ふふっ。」

 

 二人でわいわい騒いでいれば唐突に後ろから小さな笑い声が聞こえる。

 その声の出所は近くにいる老夫婦。

 

 「あら、ごめんなさいね。あまりに微笑ましいやり取りだったものだからつい。」

 

 それだけ言い残すと老夫婦は颯爽と去っていく。

 

 そうだ、ここには大勢の人が集まっている。

 距離もそれほど遠いわけでもないため、普通に話していれば耳に入るのは必然であった。

 

 一体どのあたりから聞かれていたのだろうか。

 

 そして、気が付いた。

 周りからこちらをちらちらと見つめる視線に。

 

 物珍しいものを見るようなそれに、予想以上の人に聞かれていたことを悟る。

 白上と二人いたたまれない空気に耐え切れず、逃げるように互いへと視線を戻す。

 

 「うぅ…透さんが変なこと言うからですよ。」

 

 「白上こそ。」

 

 赤い顔を突き合わせて今度は周りに聞こえないように小声で会話をする。

 周りからしてみればただ顔を近づけているだけに見えることを理解せずに。

 

 そんな時間もやがては終わりを告げる。

 音楽も最後の盛り上がりを見せてきた頃、最後のポーズを取ろうとして他の参加者も身構えだした時。

 

 「あっ…。」

 

 広間の地面にかけている部分があったようで、ブーツの踵が嵌り白上の体制が崩れる。

 

 「白上ッ!」

 

 咄嗟に手を引こうとするが既に白上の体は後ろへと傾いてしまっている。

 ならば、と腰に手を回し支える。

 

 それと同時に、最後を飾るように音楽が鳴りやむと花火が打ち上がり空を照らす。

 周りからは歓声が上がり、さぞ綺麗な光景が広がっているのだろう。

 

 だが、それよりも。

 そんなものよりも、俺は目の前の光景から目が離せないでいた。

 

 「…」

 

 「…」

 

 間近に迫った白上の瞳に俺の顔をが反射して見える。

 逆に俺の瞳には白上の顔が反射しているだろう。

 

 腰に回した手で白上を支えながら、至近距離で見つめ合う。

 

 動けない。

 周りの喧噪が遠くのものに感じる。

 

 まるで、二人だけの世界に迷い込んでしまったかのようで。 

 どれほどの時間が経過したのかさえ分からない。

 

 「…透…さん?」

 

 呆然としたように白上がぽつりと零す。

 その声にようやく止まっていた時間が動き出す。

 

 「わ、悪い!」

 

 腕の中のさほど力を籠める必要もないほど軽い体を起こし上げ、すぐに手を離す。

 

 「あっ…」

 

 手のぬくもりが離れれば妙な喪失感を感じた。

 白上も同じように感じたのかそんな声を漏らす。

 

 「す、すみません、助かりました。」

 

 「あ、あぁ、気にするな。」

 

 それを誤魔化すように白上はあたふたとしながら礼を言い、二人ぎくしゃくとしながらぎこちない会話を繰り広げる。

 

 心臓は早鐘を打ち、今にもはち切れてしまいそうだ。

 

 どうしてしまったのだろう。

 次々に湧き上がってくる感情に困惑する。

 

 痛いほどに鳴る心臓は落ち着く気配を見せない。

 

 何なのだろう。

 この気持ちは、何なのだろう。

 

 自分に問うても答えなど帰ってこない。

 

 目の前の少女に目を向ける。 

 彼女も同じ気持ちなのだろうか、それを無性に知りたいと思った。だが、同時に聞くべきではないとも考えてしまった。

 

 そんな気持ちをもどかしく思う。

 

 「あ、あの…透さん。」

 

 「ん、どうした?」

 

 白上が俯きながら服の裾を引いてくる。

 何事かとそちらに思考を向けたところで、やけに周りが静かなことに気が付いた。

 

 あれだけ騒がしかったのに、何か他の行事でもあったか。

 

 そう思い周りに視線を向ければ、こちらに向けられるいくつもの生暖かい視線を察知する。

 こちらを見ている皆が揃って珍しいモノでも見るようにこちらを見ている。

 

 「あー、なるほど…。」

 

 白上が伝えたかったのはこれの事か。

 確かにこれは耐えきれそうもないな。

 

 急激に頭がクリアになり、この場での最適解を導き出した。

 

 「…逃げるぞ、白上!」

 

 「はい!」

 

 再び白上の手を取りその場から走り離脱する。

 それを見た観衆から歓声が上がるが、構っていられない。

 

 人ごみを抜け、人気のない公園までやってくるとようやく一息つく。

 

 落ち着いたところで改めて白上と顔を合わせれば、先ほどまでのやり取りがやけに可笑しいものに感じ、どちらかともなく笑い出す。

 

 どうかしていた。

 今さら白上とあんな空気になるとは思いもしなかった。

 

 「本当に呪いでもあるんだろうな、あれは。」

 

 「あ、透さんもジンクスの事聞いてたんですね。」

 

 ジンクス、ということはやはり白上も詳細は分からないようだ。

 ひとしきり二人で笑い合う。

 

 あぁ、実感してみれば納得せざるを得ない。

 迷信と言えど、これは本物だ。

 

 「仕切り直しとは言いませんが、屋台巡り、行きませんか?」

 

 笑いも収まったところで白上が誘ってくる。

 結局、俺も屋台を回っていない。終わる前に堪能しなければ。

 

 「そうだな、今度は置いてかないでくれよ?」

 

 「しませんよーだ。」

 

 いつも通り、気の置けない友人としての白上と屋台巡りへと繰り出す。

 こうして、年に一度のセイヤ祭は幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ん?」

 

 「どうしました?」

 

 昼間と同様に大量の屋台をめぐり両手いっぱいに食べ物を持って歩いていると、不意に右手の甲に熱を感じた。

 

 覚えのある感覚に立ち止まり、手を挙げて宝石へと目をやる。

 

 相変わらず濁ったままの宝石。 

 そんな宝石が一瞬だけ、白に色を変えた。

 

 目をこすりもう一度見てみるがそこには元の濁った色の宝石。

 見間違いだろうか。

 

 「いや、何でもない。」 

   

 気のせいだ、そう判断して答え、白上との屋台巡りを再開した。

 

 

 

 





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個別:白上 2


どうも、作者です。
評価くれた人ありがとうございます。

以上。


 

 「はぁ…穴があったら入りたい。」

 

 セイヤ祭が終わった翌日。

 カクリヨでの日常へと戻ってきた俺は縁側に出て一人、昨夜の出来事を思い返していた。

 

 あの後は白上と屋台巡りをして存分に祭りを堪能できた。

 それ自体は文句なしに楽しかった。

 

 しかし、問題はその前の出来事。

 

 「ジンクス強すぎるだろ…。」

 

 白上と踊っている時の思考。何が心臓が高鳴るだ。

 正気に戻った後もまだ影響が残っていたためか、笑って流せた。

 

 だが一晩が経過し、改めて思い返すと羞恥に焼き殺されそうになる。

 

 忘れられるのなら忘れたい。

 思わず顔を覆って寝転ぶ。

 

 本当にあれは何だったのだろうか。

 

 「そんなところで寝ていると踏んじゃいますよー。」

 

 「ん?」

 

 上の方からそんな声が聞こえてくる。

 覆っていた手をどけて声の主に目を向けると、そこには今まさに思考の中心にいた人物、白上フブキがこちらを見下ろしていた。

 

 「あぁ、白上。涼みに来たのか?」

 

 「いえ、通りかかったら見かけたので。

  今日はあやめちゃんと一緒じゃないんですか?」

 

 白上はきょろきょろと辺りを見渡す。

 

 いつもであれば百鬼と稽古をしている時間帯だ。

 なら何故俺がここに一人でいるのかというと。

 

 「百鬼は何処かに出かけたよ。

  用事が出来たからしばらく鍛錬は出来ないらしい。」

 

 行先を聞いてみたがはぐらかされてしまった。

 まぁ、見たところ楽しそうにしていたから特に問題はないだろう。

 

 そうして今日は一人で鍛錬を行っていたのだが、一人ではやれることに限りがある。

 結果、いつも以上に早くメニューを終えてしまい。やることが無くなってしまったのだ。

 

 同じことを繰り返そうにも精神的につらいものがあり、こうして縁側にいたのだ。

 

 「そうだったんですか。

  あやめちゃんなら問題はなさそうですね。」

 

 「全くだ、むしろ百鬼がどうしようもできないことの方が少ないだろうな。」

 

 あるとすればそれこそ二ッチな問題か、カクリヨ規模のもの位だ。

 大抵の問題は一人で解決しそうな雰囲気がある。

 

 しかし暇だ。

 何をして時間を潰したものか…。

 

 「お暇なようでしたら、昨日約束したように一緒にゲームしませんか?」

 

 昨日…。

 また思い出しかけたが、そうだ、そんな話をしていた。

 

 やることも無いし久しぶりにやってみたい。

 

 「良いな、それ。今日はゲームをするか。」

 

 「決まりですね、では早速行きましょう!」

 

 機嫌よさげに尻尾を振る白上の後ろをついて歩く。

 部屋の方に行くのかと思えば、何故かキッチンの方向へと向かう。

 

 いや、何故かではない。

 この行動には覚えがある。

 

 「白上、言っておくがキッチンには大神がいたぞ。」

 

 「…っ!?」

 

 その言葉に白上は驚いたように毛を逆立たせて立ち止まる。

 やはりそうか。

 

 大方、キッチンで菓子でも調達しようとしていたのだろう。

 確か前にも同じようなことがあり、大神にばれたときにはこっぴどく説教を受けたものだ。

 

 白上は壊れたブリキ人形のように首を回してこちらを振り向く。

 

 「や、やだなぁ、透さん。し、白上は別に隠しておいたお菓子を取りに行こうだなんて考えていませんよ…?」

 

 「目を泳がせながら言っても説得力無いからな。」

 

 指摘してやれば、白上は目に見えてしょぼんと落ち込んでしまう。

 しかし、魅力的な提案であることも確かだ。

 

 友人と菓子をつまみながら他愛もない話をし、ゲームをする。

 これ以上ないほど楽しいイベントだ。

 

 その欲求に自分が抗えるかと言われればノーと答えざるを得ない。

 

 「考えがある。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「おーい、大神。ちょっと良いか?」

 

 「なぁに、透君。」

 

 声を掛ければ大神は作業中だった手を止めてこちらへ振り向く。

 何をしているのかと思えば、鍋の前に立ち何かを煮込んでいるようだ。

 

 「炬燵の調子が悪くてな、見てもらいたいんだが今大丈夫か?」

 

 そんなところを自らの欲のために邪魔をするのは心苦しいが、これも幸せのため。

 丁度炬燵も温度調整が緩くなってたところだったことだし、一概に無駄なことではないはずだ。

 

 「んー、ちょっと待ってね。」

 

 大神は火を止めると割烹着を外す。

 そんな大神を連れてキッチンを出れば、白上が隠れている辺りに視線を送る。

 

 後は白上が上手くやることを願うのみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「うん、これで大丈夫だと思う。」

 

 「修理もできるのか…。」

 

 原因さえ特定できればと考えていたが、大神はあっさりと直してしまう。

 どうやら衝撃が加わったことで中の取り付けられている装置の位置がずれていただけのようだ。

 

 心当たりが一つあるが、まぁ口にはしないでおこう。

 

 「悪かったな忙しいところを邪魔して。」

 

 「ほとんど終わってたから問題ないよ。

  それじゃあうちは戻るね。」

 

 笑顔を浮かべると大神は去っていった。

 罪悪感は感じるが、作戦自体は成功した。

 

 あちらの首尾はどうだろうか。

 期待半分不安半分で白上の部屋へと急ぐ。

 

 「白上、入るぞ。」

 

 「はーい。」

 

 辿り着き襖をノックしながら声を掛ける。

 中からの返事が来たことを確認してから襖を開けて部屋に入る。

 

 そこにはニヤニヤと笑いながらこちらを見る白上。

 

 結果は…聞くまでもなさそうだ。

 

 「まさか、こんな悪戯っ子みたいなことをすることになるとはな。」

 

 「みたい、じゃなくて実際にそうじゃないですか。

  ていうか考えたの透さんですよ。」

 

 そうだった。

 そう言って笑い合う。

 

 白上は俺と大神がキッチンを離れた後、隠していた菓子類を取り出し部屋まで無事に運搬していた。

 これで準備は整った。

 

 「そういえば、白上の部屋に来るのも久しぶりだな。」

 

 言いながら部屋を見渡す。

 前に来た時と別段変わった所は見られないが、一か所だけ、明らかに詰まれているゲームの数が増えている。

 一体何処から調達しているのだろう。

 

 するとそれを聞いた白上の目がすっと細められる。

 

 「はい、最近透さんはあやめちゃんやミオと一緒にいることが多くて白上には構ってくれませんでしたからね。

  覚えてますか?最後にゲームをしたのがいつだったか。」

 

 その言葉に部屋の空気が一転する。

 

 冷や汗が背を伝い、思わず白上から目を逸らしてしまう。

 見事に地雷を踏み抜いたようだ。

 

 確かに基本的に鍛錬だったり家事なんかでその二人とはよく一緒にいたが、白上とは何かを二人でということが無かった。

 

 「その、悪かったって。ほら、異変も解決したし、これからはゲームする機会はいくらでも…。」

 

 「ふふっ。」

 

 何とか機嫌を取ろうと焦って弁明していると、それを見て白上が小さく吹きだす。

 そこでようやく、自分がからかわれているだけだと理解する。

 

 「おいこら、性質悪いぞ。」

 

 「すみませっ…想像以上に焦っていたので耐え切れませんでした。」

 

 笑い交じりの白上に、お返しとばかりに半目で見返す。

 そうだった、こういうことを本気で気にするような奴ではなかった。

 

 「でも、遊べなくて寂しかったのは本当ですからね?」

 

 「分かってる、明日以降もゲームしよう。」

 

 そう答えれば白上は満足そうに頷く。

 一人でやるゲームも楽しいが、やはり誰かとやている方が会話や経験も共有できてより楽しめるものだ。

  

 しかし、別にそれは俺でなくとも良いはずなのだが。

 

 「そういえば大神とはやらないのか?

  大神なら基本的に時間は空いてるんじゃないか。」

 

 家事をしている時間を覗いても、よくお茶を飲んでまったりしていることが多い。

 百鬼や俺は鍛錬に出ることもあるが、大神はそう言ったことをしている様子もない。

 

 聞けば、白上はバツが悪そうに頬を掻く。

 

 「あー、ミオとのゲームは今自制期間中でして…。」

 

 「自制?

  何でまた、ただのゲームだろ。」

 

 「はい、ゲーム自体に問題は無くて…その…。」

 

 話しにくそうに言葉を区切る白上に不安が顔をのぞかせる。

 一体全体何が起こったというのだろう。

 

 「山が…吹き飛びまして。」

 

 「待て、これ何の話だったっけ。」

 

 予想の斜め上を行く返答につい話の主題を確認する。

 

 ゲームをして何故山が飛ぶ。

 爆弾処理に連動でもしていたのか。だとしても山が吹き飛ぶのは相当だ。

 

 「その…、中々決着がつかないモノですから、ならリアルでつけようという話になって。

  相手を山の向こうまで飛ばしたら勝ちというルールで遊んでたら、山が飛びました。」

 

 「…」

 

 あまりの顛末に思わず絶句する。

 そんな馬鹿な、そう否定しきれない点がまた衝撃を助長し、その話の信憑性を増している。

 

 白上や大神はそこまで常識外れではないと考えていたが、これは改めておくべきだろうな。

 

 「流石に私たちも反省したんですよ!?しばらくは控えようって。

  なので今はミオとはできないんです。」

 

 「…なるほどな。それはやらない方が良いな。」

 

 深い意味はないが、これから鍛錬のメニューを倍にしておいた方が良いかもしれない。決して特に深い意味はないが。

 

 しかし、遊びで環境破壊を進める結果になるとは。

 何故カクリヨのカミ連中はこうもでたらめなのだろう。

 

 「そんなことより、早くゲームしましょうよ。

  透さんとやってみたかったソフトがいくつもあるんですから。」

 

 誤魔化すように話を区切ると、白上は詰まれているモノの中から目当てのソフトを探し始める。

 色々と聞きたいような聞きたくないようなことは多々あるが、俺も白上とのゲームを楽しみにしていた面もあるためそれらを飲み込み、白上のソフト探しを手伝うことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「なぁ、白上。」

 

 「なんですか、透さん。」

 

 モニタの前に二人胡坐をかき、コントローラーを握る。

 画面内ではそれぞれの選んだキャラクターが動き回り、互いを攻撃し合っていた。

 

 「お前なんか上手くなってないか。そろそろHP無くなりそうなんだけど。」

 

 「気のせいじゃないですかねー。」

 

 白上はそっぽを向き下手な口笛を鳴らす。

 

 絶対に嘘だ。断言できる。

 前ならできなかったような高度な操作を軽々とやってのけている。

 

 「さては隠れて特訓してたな?」

 

 「いえいえ、ただやる相手もなく一人で遊んでたら身に付いただけです。」

 

 やはり気にしていたのか横目でこちらを見てくる白上。

 痛いところを突かれて、ほんの少しだけ集中力が乱れた。

 

 「隙あり!」

 

 「あぁ!?」

 

 その言葉と同時に操作していたキャラクターが画面外へと消えていく。

 

 「くっそ、汚いぞ!」

 

 「ふふふ、透さんもまだまだですね。

  盤外戦術は基本中の基本ですよ?」

 

 そんな基本があってたまるか。

 抗議するもしてやったりとほくそ笑む白上には効果はない。

 

 「もう一回だ、もう一回。次は勝ってやる。」

 

 「…透さんって意外と負けず嫌いですよね。」

 

 悔しさに速攻で再戦を申し込めば白上は小さく笑う。

 意外とはなんだ意外とは。

 

 「別に負けるのが嫌いなわけじゃない、負けてそのままなのが嫌なだけだ。」

 

 「世間ではそれを負けず嫌いというんですよ。」

 

 呆れたような視線を向けられる。

 自分ではそのつもりは無いのだが、白上にはそう見えるらしい。世界の見え方は人それぞれということか。

 

 不思議な気分に浸りながら開けられている菓子をつまむ。

 

 「お、これ美味い。」

 

 ただのクッキーかと思えば中には溶けたチョコのような何かが入っており、今まで食べたことのない味をしている。

 ぽつりと感想が口をついて出る。

 

 「ですよね!それ、白上の最近の一押しなんです。

  それが好きならこれとかも気に入るかも。」

 

 言われて差し出された菓子を一つ貰い食べてみれば、こちらも先ほどと同じように新感覚の味。

 甘いような、ほんのり苦いような、よく分からないがこの味が好みなのは事実だ。

 

 「白上の選んだものって基本外れがないよな。

  こういうのどこで見つけてるんだ。」

 

 「それは秘密です。透さんと言えど、そう簡単には教えられませんよ。」

 

 変な所で口が堅い。

 しかし、この味を知ってしまったからにはこちらも簡単には諦められない。

 

 「なら、賭けをしないか?」

 

 「賭け…ですか?」

 

 隣で得意げに尻尾を揺らしてい入る白上にそう宣言すれば、白上は尻尾をぴたりと止めこちらへと視線を向ける。

 

 「そうだ、もし次の勝負で俺が勝ったら一つでいい、この菓子の仕入れ先を教えてくれ。」

 

 「ほう、面白いですね。ちなみに白上が勝った場合の要求は白上が決めさせてもらいますよ。」

 

 「当然。」

 

 にやりと挑発的に笑って見せると、白上も応えるように口角を上げる。

 決まりだ。

 

 気合を入れなおすようにコントローラを握りなおす。

 

 先ほどの一戦でなんとなく白上の操作の癖は理解した。

 後はそれに対する最善を尽くすのみだ。

 

 画面の中でカウントダウンが始まる。

 数字が減るごとに緊張のボルテージは上昇し、自然とコントローラを握る手に力が入った。

 

 はち切れんばかりに張りつめられた緊張の糸はカウントがゼロとなった瞬間、解放される。

 互いのキャラが駆け、ぶつかり合った。

 

 「むっ…。」

 

 始まりが告げられてから数秒、早くも白上は異変に気付いたようで声を上げる。

 そう、先ほどに比べて相手の動きが大きく異なっているのだ。ゲーマーならば何かあると気が付くのも当然だ。

 

 「やはり一筋縄ではいきませんね。」

 

 「あぁ、負けられない理由があるんだ。誰が相手でも勝って見せる。」

 

 「お菓子一つでそこまで本気になられると逆に困惑しますよ。」

 

 口を動かしながらも、手の動きは鈍らない。

 むしろ互いにより高みへと昇華されていく。

 

 攻撃と防御その両方を互いが最善のタイミングで行う。

 結果どちらのHPも減少しない硬直状態へと陥る。

 

 それがどれほど続いただろう。

 このままではらちが明かない。

 

 そう判断し、戦いは盤外戦術へと移行する。

 

 「なぁ、白上。」

 

 「なんですか?」

 

 声を掛ければ白上は画面から目を逸らさずに答える。

 集中しているようだ、ならば都合がいい。

 

 「前から思ってたんだけど、白上って可愛いよな。」

 

 「はい…はい!?」

 

 処理に時間がかかったらしく、数秒の間を開けて顔を真っ赤にした白上がこちらへと振り向く。

 

 「そこだ!」

 

 その隙を見逃しはしない。

 動きの止まった相手に容赦なくコンボを決める。

 

 「あ、あー!卑怯ですよ!」

 

 「盤外戦術は基本なんだろ?」

 

 自ら言った手前何も言い返せないのだろう、白上はぐぬぬと唸りはするがそれだけだ。

 やられたことをやり返すのはこうも気分がいいモノなのか。

 

 しかし、これで何でもありとなってしまったのもまた事実。

 白上も当然そのことには気が付いていた。

 

 「そうですか、透さんがその気なら容赦はしませんよ。」

 

 そう言うと白上はゆらりと不気味に尻尾を揺らす。

 何をするつもりなのか、と自然身構える。

 

 だが、そちらにあまり意識を割くわけにもいかない。

 画面の中では未だにキャラクター同士がしのぎを削っているのだから。

 

 警戒しているところ、ゆらゆらと揺れていた白上の尻尾がこちらへと寄ってきていることに気づいた。

 

 「おい…まさか。」

 

 「透さん、知っていましたか?尻尾は第三の腕ともいうんですよ。」

 

 その言葉に続くように、尻尾が襲い掛かってくる。

 

 「ちょっ、卑怯だぞ、白上!」

 

 「いえいえ、教えた手前基本は忠実に守らないとですから。」

 

 尻尾にくすぐられ思うように操作が出来なくなり、キャラクターの動きが鈍る。

 そこに畳みかけるように連撃が加えられ、遂には優位だったHpもイーブンまで持っていかれる。

 

 だが、最初こそ急な襲撃で驚いたが、今度はそうはいかない。

 何とか意識を目の前の画面へと移す。

 

 極限の集中力を前に外的要因などないに等しい。

 

 それを白上も察したのか、尻尾も元の位置に戻される。

 

 既にお互いの体力は少ない。

 次の攻防が最後となるだろう。

 

 一度距離をとり、改めて向き直る。

 互いの動きに全神経を集中させ、タイミングを見計らう。

 

 そして、遂にその瞬間が来た。

 

 キャラクターが前方へと駆ける。

 権を振りかぶり、奥の手を繰り出すコマンドを入力して…。

 

 「あ、美味しそうなお菓子だね。うちも貰っていい?」

 

 「ひっ…。」

 

 「あっ…。」

 

 後ろから聞こえてきた声にその手を止める。

 手だけではない、緊張により体全体の動きが停止した。

 

 振り向いてはいけない。

 本能がそう告げるも、既に逃れようのない未来は確定してしまった。

 

 白上と二人、ゆっくり後ろへと振り返れば、そこにはにっこりと満面の笑みを浮かべる大神の姿。

 

 「あの、ミオ?これはですね…。」

 

 「そうだ大神、会話はたいせ…。」

 

 「二人共。」

 

 弁明は大神の言葉一つで途切れることとなる。

 表情を変えないままの大神に、俺と白上は黙って裁定が下るのを待つしかなかった。

 

 「正座!」

 

 「「はい!」」

 

 その後、俺と白上は説教を受け。一週間のお菓子禁止を言い渡された。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






気にってくれた人は、シーユーネクストタイム。


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個別:白上 3


どうも、作者です。

そう、UA四万突破、感謝。

以上。


 

 「はっ…はっ…」

 

 木漏れ日に照らされた木々の間を縫うように走る。 

 いつもとは違う、初めて見る景色に心が躍るようだ。

 

 毎日の鍛錬の一環、ランニングに勤しみながら次々に後ろに流れていく景観を堪能する。

 

 一人で鍛錬をするようになってから三日目。

 流石に代わり映えのないそれに体よりも先に心が音を上げた。

 

 いや、音を上げるとは言いすぎかもしれないが、少しではあるがダレてきたのも確かだった。

 ということで、気分転換もかねていつもとは違うコースを選んでみたわけだ。

 

 その効果は覿面。

 予想以上にリフレッシュが出来ていることに驚いていた。

 

 これはお気に入りのコースに加えても良いかもしれない。

 

 そんなことを考えながらも足を進める。

 

 既に朝日は昇っている。

 未だに寒さは和らぐどころかその厳しさを増すばかりだが、運動による体温の上昇も相まって心地よい陽気に包まれているかのようだ。

 

 そんな気持ちの良い朝の空気に、ふと違和感を覚えた。

 

 普段なら木々の多い山特有の緑の匂いとでもいうべきか、清々しい空気に満ちている。

 しかし、今は風に乗ってほのかに香るは出汁の匂い。

 

 とある白い狐の所為で最近では嗅ぎなれたそれは、確かに出汁のものだ。

 

 「なんでこんな所で?」

 

 素朴な疑問が口をついて出る。

 

 ここはシラカミ神社周辺の山の中。

 この近辺にある飯どころといえばミゾレ食堂を除いて他にない。

 

 しかし、そんなミゾレ食堂はこことは真反対。山を越えた先にある。

 どれほど風が強くてもここまで匂いが漂ってくることはまずないだろう。

 

 故に、この匂いの先に何があるのか想像がつかない。

 

 「…行ってみるか。」

 

 怖いもの見たさもあるが、この空腹を刺激する香りに負けたわけでは決してない。

 その匂いをたどり、風上の方へと進行方向を変える。

 

 その先には獣道すら存在しないが、関係は無い。

 

 身体強化に加えて鬼纏いも発動。 

 爆発的に上がった身体能力で踏破する。

 

 前に進むにつれてどんどん強くなる匂いは、確かにこの先に発生源があることを示している。

 やがて木々が開けてくれば、その匂いの元が姿を現した。

 

 木製の屋台。

 そこからは湯気が宙にむかって立ち上っており、暖簾の先では誰かが一人腕を組み立っている。

 

 そして、控えめながらもはっきりと掲げられているその看板に書かれている『うどん屋マボロシ』の文字に記憶が刺激された。

 

 確か伝説と呼ばれるほどに出会うことの難しいうどん屋。

 そこで提供される唯一のきつねうどんは食べれば他のきつねうどんが霞んでしまうほど美味だという。

 そんなことをいつだったか白上が語っていた。

 

 見間違いでなければその伝説が今目の前に存在している。

 

 「これは…呼ぶべきだろうな。」

 

 ここで何食わぬ顔で美味かったぞと感想だけを伝えれば末代まで狐の怨念に捕えられることだろう。

 本当に何をしでかすか予想ができないだけにそれだけは勘弁願いたい。

 

 「ちゅん助、言伝を頼む。」

 

 シキガミである小鳥を呼び出し、取り合えず大雑把な現在地とマボロシを見つけたことの旨を乗せてちゅん助を飛ばす。

 放たれるとちゅん助は木々を抜けて空へと飛びあがる。あの様子なら一分とかからずに届くだろう。

 

 その間に席だけ確保しておこうと、先に入っておくことにする。

 伝説と呼ばれるほどならどこからともなく他の客が現れてもおかしくはない。

 

 「こんにちはー。」

 

 「…らっしゃい。」

 

 暖簾を手であげて中に入れば頭にタオルを巻いた中年の男性が小さく呟く。

 受けた印象を上げるとすれば、寡黙。この一言に尽きるだろう。

 

 この人がうどん屋マボロシの店主。

 なるほど、伝説の店の店主という名に負けない風格を漂わせている。

 

 「…一人かい?」

 

 「いえ、もう一人…いや、二人か?

  とにかく、すぐに他にも来ます。」

 

 答えを聞くと店主は黙ったまま頷き、調理の準備を始める。

 あまり話すのは好きではないのかもしれない。

 

 その様子を見つつ、出されたお冷で喉を潤す。

 

 そろそろ白上の元へちゅん助が到着したころか。

 他の客はまだいないようだし、丁度良い時間に見つけたのかもしれないな。

 

 などと思いつつ再びお冷に口を付けようとしたところで。

 

 「透さーん!」

 

 「うわびっくりした!

  …ってなんだ、白上か。」

 

 急に背後から声を掛けられて肩が跳ねる。

 危うく水を零しそうになるがそこは何とか耐えきった。

 

 振り返って暖簾の先を見れば、先ほど呼んだ白上がこちらへと走り寄ってきていた。

 

 「お邪魔します!」

 

 「…らっしゃい。」

 

 暖簾をくぐると、白上はテンション高めにそう言うと席へとつく。

 

 「来るの速くないか?」

 

 それを見守りながら白上に問いかける。

 

 先ほど送ったばかりで、ちゅん助が到着したのはそれこそつい先ほどくらいのはずだ。

 なのにも関わらず、既に白上は目の前にいる。

 

 瞬間移動でもしたのだろうか。

 

 「それはもう、あのマボロシですよ!

  食べられるのならどこにいたとしても駆けつけるに決まってます。

 

  それより、透さん!」

 

 早口でまくしたてると、白上は名前を呼び、ずいとこちらに寄ってくる。

 急激に縮まった距離に少し引き気味になりながらその光輝く瞳を見る。

 

 「ありがとうございます!

  長年探し求めたマボロシのきつねうどん。食べられるのは透さんのおかげです!この恩は絶対に忘れません!」

 

 「お、おう…。」

 

 余程嬉しいのか今まで見たことがないほどに白上は浮かれテンションを上げている。

 ピンと立った耳とぶんぶん振り回されている尻尾を見ればそれは明確だった。

 

 そう言えば、白上は一人で来たのか。

 てっきり大神と一緒に来るかと考えていたが、その姿は何処にもない。

 

 「大神はどうしたんだ?」

 

 「ミオならどこかに出かけてしまいました。

  この奇跡を逃すとはミオもついてませんね。」

 

 白上は本気で同情しているようで、先ほどまで暴れまわっていた尻尾はへたりと力を失っている。 

  

 それにしても大神も出かけたのか。

 百鬼も用事があるようだし、最近になって四人がそろったことはかなり少ない。

 

 やはり異変が解決したことが起因しているのだろうか。

 

 解決したこと自体は良いことだ。 

 ただそれが最優先目標であっただけで各々元からやるべきことはあって、当然そちらに戻ることもある。

 

 それを良いことだと考える反面、少し寂しいと考えている自分がいた。

 

 「透さん、どうかされましたか?」

 

 「ん、いや少し考え事。」

 

 そんな様子を見て不審に思ったのか声を掛けてくる白上に何でもないように取り繕う。

 

 分かっている、これは俺の我儘だ。

 いつまでも同じものなど無い。時間が経てばなんでも変化は起こる。ただ今はその変化に付いて行けていないだけだ。

 

 何にせよ時間が解決してくれるはず。

 

 「…二人かい。」

 

 「はい、きつねうどんを二つお願いします。」

 

 白上の分のお冷を置きながら店主が聞けば白上がこの店唯一のメニューだというきつねうどんを注文する。

 

 しかし、その言葉に俺は疑問を覚えた。

 

 「白上、二つで良いのか?」

 

 「?はい、二人ですし…透さんはもう一杯いりましたか?」

 

 違うそうじゃない。

 

 「いや、俺の話ではなく。いつもなら一杯どころじゃ済まないだろ?」

 

 指さしてやればすぐに気が付いたようで白上は納得したように声を上げた。

 

 「白上は大丈夫です。

  折角のマボロシのきつねうどんですからね、すぐに食べるのはもったいないじゃないですか。」

 

 …白上が常識的なことを言っている。

 さしもの白上も伝説を前にはゆっくりと食べたいようだ。

 

 まぁ、その伝説のきつねうどんをいつものペースで胃に収められればそれはそれでホラーではあるが。

 

 「それがいつもだったら良いんだけど。

  それにしてもよく腹出ないよな。」

 

 うどんとは炭水化物だ。カロリーも相応に高い。

 それを大量に摂取しているにも関わらず、すらりとした体系を維持しているのはもはや神秘にすら近いものとなっている。

 

 それに加えて菓子を食べたりもしているようだし。

 …その内一気に来るのだろうか。こう、ぼんと。

 

 「透さん、それ以上言うと白上は自分を抑えられなくなりますよ。」

 

 腹のあたりをジッと見ていると白上が目を座らせて唸るように言う。

 心なしか青白いオーラのようなものが漂っているように見えた。

 

 「わ、悪かった…。」

 

 すぐさま両手を上げて降参を示す。

 どうにも俺にはデリカシーというものが欠けている。

 

 それを聞いていたのか店主はこちらをちらりとだけ見ると口を開く。

 

 「…嫁さんの機嫌は取っときな。」

 

 「店主さん?俺と白上は別に夫婦とかそう言うのじゃないです。」

 

 まさかそんなところから横やりが入るとは考えておらず思わず目を向いてしまう。

 この人一見寡黙な職人みたいに見えるけど、さては意外とひょうきんな一面も持ち合わせているな。

 

 「そうですよ、それに白上はお嫁さんというよりはその友人役で丁度良いので。」

 

 「…そうかい。」

 

 白上の答えを聞いた店主は何故か同情的な視線をこちらに向ける。

 それを疑問に思いながらもどう切り込みようもなく、ただその視線を受け流す。

 

 どうにもこの店主の人柄が掴めないな。

 

 「店主さんにはお嫁さんはいるんですか?」

 

 「…いる。それと息子が1人。

  もう、しばらく会ってないが。」

 

 しばらく会ってない。そう言った瞬間店主の顔に後悔や憂いの様なものが浮かぶ。

 

 これはあまり踏み込まない方が良いだろうか。

 白上も同様な判断をしてか、それ以上は聞きはしなかった。

 

 そう、聞いてはいなかったのだ。

 

 「…俺の人生、きつねうどんを作る事に捧げている。

  だから、2人とも出て行った。だが、これだけは捨てられない。」

 

 「…うん?」

 

 続ける店主の声に熱が篭り始めた。

 予想外の方向に舵を取られた展開に思わず声が漏れる。

 

 それを意にも留めず、店主は再度口を開く。

 

 「…それでも、俺は良かったと考えている。

  自分で決めた結果だとも。

 

  だが、ふとした時に感じる寂しさがそれを揺らがせる時もある。」

 

 「店主…さん?」

 

 止まる気配が無いどころか、むしろ段々と勢いづいてきた店主に白上も同じく困惑しながら店主に呼びかける。

 それが聞こえているのか聞こえていないのか。まぁ、十中八九聞こえていないのだろうが、店主は続けた。

 

 「…いいか、若者よ。例え今が良くてもそれが続くとも限らない。

  後悔のしない選択なんてない。

  ただ最善と思えることを全力で貫き通せ。」

 

 「え、あ、はい。どうも。」

 

 こちらを強く見つめる店主に何とかそうとだけ返す。

 

 今の状況がうまく呑み込めない。

 なぜ俺はそんなアドバイスをもらっているのだろう。

 

 いや、ありがたい事ではあるのだが、どうにも困惑が強すぎて素直に受け止めきれずにいた。

 

 「この方寡黙そうな印象だったんですけど、意外と話好きな方なんですかね。」

 

 「どうなんだろうな。」

 

 白上はこちらに寄るとそう耳打ちをしてくる。

 

 既に店主は調理に戻っており、それ以上喋ろうとはしていない。

 

 ただ話好きな人間であればまだ話そうとしてもおかしくはないし、何か過去に通ずるものでもあったのだろうか。

 真意は分からないが、複雑な事情がありそうなため藪はつつかないこととした。

 

 しばらく白上と話しながら出来上がるのを待つ。

 

 調理が始まってから食欲をそそるその匂いは強まっており、正直そこまで話に集中できたかと言われると否と答える他にない。

 それは白上も同様で話している最中もちらりちらりとその視線は調理場のほうへと向けられていた。

 

 期待の高まりはとどまるところを知らず、上昇を続ける。

 

 「…お待ちどう。」

 

 その声とともに高まったその期待は。

 

 見事に、

 

 打ち砕かれた。

 

 重たい衝撃音、それが二つ。

 鉄球でも落としたかのような音と共にそれは現れた。

 

 目の前にはおよそ持つことは叶わないであろう大きさのすり鉢。

 その中にはふち一杯のつけ汁。大量のうどん。座布団のような油揚げ。

 

 「ついにこの時が来たんですね。」

 

 「…白上?」

 

 「この香り、おそらくただ出汁を取っただけじゃなく、最適な分量、割合をもって生み出されたまさに秘宝。そしてうどんの見ただけで理解できるそのコシ。」

 

 「…白上。」

 

 「はぁ、もう素晴らしいの一言に尽きますね。」

 

 「白上…っ!」

 

 再三の呼びかけにうっとりと語っていた白上はようやくそれに気が付いたようでこちらへときょとんとした顏を向ける。

 

 「?どうしたんですか、透さん。」

 

 何も疑問を感じていないのか、この異様な光景を前に。

 その事実に更に戦慄する。

 

 「…これは…なんだ。」

 

 「きつねうどんです。」

 

 絶対に違う、これはきつねうどんという名の何かだ。

 あっけらかんと答える白上に心の中で突っ込みを入れる。

 

 うどんではある、それは認めよう。

 しかし、それ以外の部分においては否定させてもらう。

 

 まず器。

 正確にはこれは食器でなく桶である。それもおそらく人が隠れられるほどの大きさの。

 

 なぜそんなものにうどんを入れようと思ったのかをまず問いただしたい。

 

 そして、きつねうどんの目玉である油揚げ。

 普通その大きさは大きいもので手のひら大といったところだろう。

 

 しかし目の前にあるそれはどうだ。

 こんなものを食べるサイズの狐は、狐ではなくただの怪獣だ。

 

 だが、それに驚いているのはこの場において俺一人。

 ようやく理解した、ここは敵地であると。

 

 今の俺は正に龍の前に放り出された小動物そのものだ。

 圧倒的な暴力の差。それが襲い掛かってくる。

 

 「さっそく食べましょうよ、透さん!」

 

 「…あぁ。」

 

 テンションの高い白上の言葉が死刑宣告にしか聞こえない。

 客観的に見れば俺たちの様子はかなり対照的だろう

 

 片や満面の笑みで心の底から嬉しそうに箸をとり。

 片や絶望の表情で勇気を奮い立たせながら箸をとる。

 

 出されたものは完食する。

 その信念が今はただ憎らしい。

 

 震える手を正面で合わせる。

 

 「「いただきます。」」

 

 そして、世界を救う戦いが幕を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「はー、美味しかったですね、透さん。」

 

 「…そうだな。」

 

 満足そうな白上の後をついて歩きながら、息も絶え絶えに答える。

 

 あの後何とかかの邪知暴虐な王を下すことには成功した。

 しかし、当然その代償はこの身に余りあるものであった。

 

 胃薬が欲しい。

 ここまで切実に願ったのは生まれてこの方初めての経験である。

 

 「大丈夫ですか?辛いようでしたら肩を貸しますよ?」

 

 「なんで白上は平気そうなんだろうな。頼む。」

 

 「それはもう鍛えてますから。」

 

 割と本気で歩くのすらキツい。

 どうすれば鍛えることができるのだろう、今度ぜひ教授してほしいものだ。

 

 白上の肩を借りながらシラカミ神社への道を歩く。

 

 「今日はありがとうござます。おかげで長年の夢が叶いました。」

 

 「あぁ、別に偶然見つけただけなんだけどな。

  俺も興味はあったし。

  

  まさかここまでとは思わなかったが…。」

 

 量こそ狂っていたが、味は噂にたがわぬものであった。

 

 「また食べたいですね…。」

 

 マボロシから出た後、もう一度その姿を見ようとしたが既にそこにあの屋台はなかった。

 消えたのだ、まさに幻のように。 

 

 伝説と呼ばれる所以が垣間見えた気がした。

 

 「…そうだな、次は少なめにしてもらうことを忘れないようにしないとな。」

 

 「忘れてたらまた白上が肩を貸しますね。」

 

 「そこはちゃんと指摘してくれよ。」

 

 白上が笑えばつられるように笑いが出る。

 こんな関係がずっと続いてほしいと願うほどに、この関係が心地よかった。

 

 





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個別:白上 4


どうも作者です。


 

 それはいつものように鍛錬を終えて水浴びから帰ってきた時の事だった。

 

 「あ、透さん。」

 

 「白上、どこか出かけるのか?」

 

 冷え切った体を温めようと炬燵で暖を取っていると、外行の恰好で腰に刀を差した白上が現れる。

 基本的に外出はしない白上がまた珍しい。

 

 「はい、オツトメがあるのでキョウノミヤコにちょっと。」

 

 「へー、オツトメね…オツトメ?」

 

 聞きなれない単語に思わず白上を二度見する。

 

 「オツトメですけど…そんなに驚くことですか?」

 

 驚愕につい口が開く。

 

 やはり聞き間違いではないようだ。

 このような反応をされるとは思っていなかったようで、白上は不思議そうに首をかしげている。

 

 「いや、白上からそんな言葉を聞くとは思わなくて。」

 

 「何ですかその反応は。

  透さんの中で白上はどんな人物になってるんですか?」

 

 言いながら白上は不服そうにジトリとした視線を送ってくる。

 どんな人物も何も…。

 

 「毎日ゲームしてる大食い狐。」

 

 「…」

 

 表情をそのままに白上は無言のまま刀を取り出しハリセンへと形状を変え振りかぶる。

 この間、約一秒以内である。

 

 「あたっ!」

 

 振り下ろされたそれは見事に脳天を捉える。

 いくらハリセンと言えども鉄製のそれはそれなりに痛みを与えてくる。

 

 「一応これでも私はシラカミ神社の神主なんですよ?

  いつもゲームばかりしてるわけではないです。」

 

 いかにも怒っていますといった空気を漂わせながら白上は顔をつんと横に向ける。

 

 「悪かったって。

  けど仕方ないだろ、出会ってから一度もそんな姿見かけなかったんだから。」

 

 カクリヨに来てシラカミ神社に居候するようになってからこれまで、基本的に異変の調査にかかりきりだったのもあるが、それ以外では本当にミゾレ食堂できつねうどんを食べるか部屋でゲームをしてるかの二択であった。

 

 オツトメのために外出している姿など見たことが無いのだ、そう思うのも仕方ないだろう。

 

 「…そう言えばそうでしたね。

  透さんと出会ってからは比較的落ち着いていたのでその必要もなかったんですよね。」

 

 「落ち着いてたって、何が?」

 

 まだオツトメの内容自体は聞いていなかった。

 一概にオツトメ言っても色々とあるだろうし。今のところ想像もついていない。

 

 「ケガレの発生です。

  人的なモノだけでなく人間の活動で自然発生するものですから定期的に払って回らないとなんですけど、ここ最近はめっきり発生してなくて。」

 

 つまり白上のオツトメとはケガレを払って回ることなのか。 

 

 確かセイヤ祭の際にもケガレが発生しなかったと言っていた。おかげで白上とペアで踊り、自分を見失いかけたが…この話は今は良いか。

 ともかく、今まで発生していたケガレが一定期間中発生していなかったと。

 

 「今になってオツトメを再開するってことは、また発生しだしたのか。」

 

 「そうなんですよ。時期的にやっぱり前の異変騒動が関係してたんじゃないかとは思うんですが…。」

 

 まぁ、断定はできないか。

 既に解決したことだし、因果関係は気にはなるが後の祭りだ。

 

 「しかも、今回は一時期収まってた反動なのか発生量が多そうなんですよね。

  正直狐の手も借りたいくらいで…。」

 

 そこで白上は不意に言葉を区切った。

 どうかしたのだろうか、と不思議に思っていると、その視線が真っ直ぐこちらを見ていることに気が付く。

 

 え、何?

 

 「透さんのワザって、ケガレを封印できるんでしたよね。」

 

 「え、あぁうん。できるけど…って、まさか。」 

 

 答えを聞いてきらりと目を輝かせる白上に何となくこの後の展開を察する。

 

 「手伝ってください!」

 

 予想は見事に的中。

 凄まじい勢いで頭を下げる白上に、もう少し位躊躇しろよと理不尽な思考が浮かぶ。

 

 いや、実際死活問題なのだろうとは思うが。

 なんといってもキョウノミヤコは広い。そんな中をケガレを払って回るというのは単純に重労働だ。

 しかも今回はいつもより多いときたものだ、ためらっている場合でもないのだろう。

 

 「分かった、手伝うから頭上げてくれ。」

 

 「本当ですか!」

 

 了承すれば、白上は顔を上げ両手で手を握ってくる。

 その様子に本当に一人だときついということがありありと伝わってくる。

 

 「今から出るんだろ?準備してくるから少しだけ待っててくれ。」

 

 「はーい!」

 

 言い残して居間を後にする。

 準備といっても自室にある刀を取りに行くだけなためそう時間はかからない。

 

 すぐに戻ると白上もそれに気づく。

 

 早速シラカミ神社を出て、キョウノミヤコへと急ぐ。

 身体強化をした上での移動なためそこまで時間もかからずに到着することが出来るだろう。

 

 「それで、ケガレはどのくらい発生してるか分かるのか?」

 

 道中、走りながら白上に気になったことを尋ねる。

 ケガレは封印できるが、その対象が分からなければどうしようもない。

 

 白上は思い出すようなそぶりも見失せずにすぐに答える。

 

 「確か今回は八人がケガレをため込んでるみたいです。」

 

 「八人か…。」

 

 少ないようでいて範囲の広さを考えるとかなり多い。

 キョウノミヤコを東西南北で分ければ一つ辺り二人がいることになる。

 

 それにため込んでいるのなら、程度によらず時間はなるべくかけたくはない。

 

 脳裏には変わり果てた姿でいたトウヤ君が思い浮かぶ。

 あのような光景を見るのはもう勘弁願いたい。

 

 「それは大神の占星術で?」

 

 「はい、最近になってまた精度がある程度戻ってきたみたいなんですよ。」

 

 それは初耳だ。

  

 大神の占星術の精度が異変以降、というか俺がカクリヨに来たせいで下がっているとの話だったが…そうか、戻ったのか。 

 気にするなとは言われてはいたが、流石に自分の影響で不便をかけてはどうしても気にしてしまう。

 

 だが戻ったのなら安心だ。

 

 「そっか、良かった。」

 

 「まぁ、本人は戻ってこなくても良かったってぼやいてましたけどねー。」

 

 「ははっ、なんだそりゃ。」

 

 適当に話しながら走っていれば、間もなくキョウノミヤコが見えてくる。

 このひと月で見慣れた光景に我ながら染まってきたものだと笑みが浮かぶ。

 

 「あ、そうでした。」

 

 キョウノミヤコに入る直前で白上が唐突に振り返る。

 

 「ケガレの感知の仕方を伝えてませんでしたね。

  透さん、シキガミを出してもらえますか?」

 

 「分かった。」

 

 言われるがままにちゅん助を呼び出す。

 

 そうだった、肝心の対象の見つけ方をまだ聞いていない。

 危うく片っ端から封印して確かめる羽目になるところだ。

 

 ちゅん助が出てきたことを確認すると、白上も同じようにシキガミを呼び出す。

 

 イズモ神社でも見た小さな白い狐のシキガミ。

 すると出てきたそのシキガミとちゅん助が近づき、何やら鳴き声を上げ始める。

 

 「なぁ、これって会話でもしてるのか?」

 

 「多分そんな感じなんだと思います。

  白上も何を言っているのかは分からないので断言はできませんが。」

 

 ちゅんちゅん、こんこんとその謎の会話は一分ほど続きやがて終えると彼らはその姿を消した。

 …今のはなんだったのだろうか。

 

 「ともかくこれでちゅん助もケガレを探知出来ると思います。」

 

 「なるほどこれで探せるのか。ありがとう。」

 

 同じイワレで構成されている分、シキガミはケガレの探知に向いているのだろう。

 先ほどの謎の会話でそのやり方のようなものを教授されていたのか。

  

 過程はどうあれ、これで準備は整った。

 

 「確認なんだが合わせて八人からケガレを払えばいいんだよな?」

 

 最後に一応認識をすり合わせておく。

 仮に一人でもとり逃せば相応の被害が出る。それが分かっている以上、そういったリスクは極力減らすに越したことは無い。

 

 「はい、八人です。

  白上は主に北と東を担当するので、透さんは西と南をお願いします。」

 

 「西と南な、了解だ。」

 

 手早く方針を決めると、早速別れてそれぞれの担当する場所へと移動する。

 

 ただやみくもに探すわけにもいかない。

 取り合えず端から順に回ってちゅん助の反応を見ることにする。

 

 結局手当たり次第の調査にはなるが、現状これが一番手っ取り早いのだから仕方がない。

 

 こういう時、大神の占星術のようにピンポイントで場所が分かれば楽なのだが…。

 今度こそ本格的に占星術を教えてもらおう。

  

 今は無いモノねだりをしても仕方がない。

 

 「こい、ちゅん助。」

 

 シキガミを呼び出し、並走するようにキョウノミヤコを駆ける。

 

 セイヤ祭の時ほどではないが道は人であふれている。

 例によって屋根上を走りながら、反応は無いかと確認して回る。

 

 とはいえ、そう簡単に見つかるわけもない。

 ようやく反応があったのは南側の区域がほとんど終わった頃であった。

 

 「この辺り…ってあれか?」

 

 視線の先では妙な人だかりが出来ている。

 

 「あんたが悪いんでしょっ!」

 

 「君だってっ!」 

 

 中心では二人の男女が言い争っており、近づけばそんな声が聞こえてくる。

 鬼気迫る勢いに、見物人たちも面白がるというよりは心配が勝っているようだ。

 

 ちゅん助もその辺りに向かって反応を示していることだし、間違いはないだろう。

 

 「すみません、これはどういう状況なんですか?」

 

 周りに集まっている一人に事情を聴いてみる。

 

 「あぁ、何でもちょっとした言い合いが発展してああなったみたいでな。 

  いつもは仲のいい二人何だがなぁ。結婚も控えてるってのに。」

 

 ケガレは人の悪感情を増強させる。

 いわゆるマリッジブルーの所にでも付け込まれたのか。

 

 ヨウコさんの時は息子がいなくなった心配と恐怖だったか。

 あの時のヨウコさんは最初目も当てられない程に弱り切っていた。

 

 このままケガレが溜まっていくと同じように弱り、最終的には化け物へと変貌する。

 

 「なるほど、ありがとうございます。」

 

 「あ、おいあんた!」

 

 人ごみをかき分けるようにして、中心へと向かう。

 ケガレが原因ならそれを取り除けばすぐに収まるだろう。

 

 「あの、すみません。シラカミ神社の者なのですが…。」

 

 「君がっ!」

 

 「あんたがっ!」

 

 話しかけてみるもどうやら聞こえていないらしく、完璧にスルーされてしまう。

 一応何度か呼びかけてみるが、やはり互いの事しか目に入っていない。

 

 少し心が折れそうになるが、今は置いておく。

 確認は取っておこうと思ったが緊急時だ、許してほしい。

 

 「『結』」

 

 ワザを発動し、二人をそれぞれ結界で覆う。

 いきなりの事で動揺するかとも思ったがざわめいたのは周りの群衆のみで、当人たちはこれでも特に反応は無い。

 

 逆に凄いなこの二人。

 

 「『封』」

 

 結界を縮小させ、ケガレのみを内部に集める。

 やがて手のひら大の球体にになったところで収縮を止める。

 

 こちらに寄せてみてみれば、両方共内部に黒い靄が見える。

 これは前にみたケガレのものと一致している。

 

 ケガレを取ると、流石に違いに気が付いたのか二人は目を瞬かせて辺りを見回し、お互いへと視線を向け合う。

 

 「あれ、どうして喧嘩なんて…。」

 

 「あたいどうかしてた。

  ごめんなさい、みーくん。」

 

 「僕の方こそごめんね、きーちゃん。」  

 

 二人はそう言って抱きしめ合う。

 何とも超特急な和解だが、元々仲の良い二人だと聞くし原因が無くなればこんなものか。

 

 一応二人を囲むように人混みが出来ているのだが、和解した後でも彼らは意に介した様子もなく、男を肩に乗せるとその倍はあろうかという巨大なその女性はこの場から立ち去って行った。

 

 ぽかんとその様子を周りの人たちと共に眺める。

 こんなにも呆然としたのはいつぶりだろう。

 

 そうしていると、突然背中をばんと誰かに叩かれる。

 

 「あんたシラカミ神社の人だったのか。

  いつも世話になってるよ。」

 

 見れば先ほど話を聞いた人がこちらを見て笑みを浮かべている。

 

 「まぁ俺はただの居候ですけどね。」

 

 「でも実際に今もあんたのおかげであの二人が普通に戻ったんだ。胸を張ってくれよ。」

 

 そう言われると何も言えなくなる。

 

 「ところで、他に様子がおかしな人は見かけませんでしたか?」 

 

 若干照れくさいのを隠すように問いかける。

 ちゅん助での探知もあるが情報があるのなら聞いておきたい。

 

 「この辺だと特には聞かないな。

  力になれなくて申し訳ない。」

 

 「いえ、それだけでも十分です。」

 

 ということは南側はこれで全部か。一応確認だけして次は西の区域に急ごう。

 礼を言い、その場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 南側で遭遇したのは結局あの二人だけであった。

 現在は西側の区域を探索している。

 

 一つ誤算があったといえば、ケガレを封じた結界を持ちながらの移動となったことだろう。

 ケガレを封じはしたがその後のことは全く考えていなかった。

 

 どうやって消せばいいのかは白上に聞いていなかったし、これをここで開放するというわけにもいかない。

 そんなわけで現在周りに球体と小鳥を侍らせながら屋根を走っている不審人物のようになっていた。

 

 幸いそこまで注目はされないが、早くこのケガレを消してしまいたい気持ちで一杯である。

 

 そんなことを考えながら走っていれば、再びちゅん助が反応を見せる。

 いったん立ち止まって下の道へと降り、それらしい人物がいないかと辺りを見回す。

 先ほどのように人だかりができていれば発見もしやすいが、あいにくそのようなものは見受けられない。

 

 「でも近くにはいる筈なんだよな。」

 

 ちゅん助を頼りに辺りを歩き回ってみる。

 すると、路地裏へと続く道で蹲っている人影を見つけた。

 

 小汚いローブを羽織っており顔は伏せられていて確認はできない。

 

 「あの、すみません。」

 

 声を掛ければその人物はゆっくりと顔を上げてこちらを見上げる。

 

 「…なんですか。」

 

 見るからに覇気のない様子。

 ちゅん助もこの人へと近寄っているし、これはケガレの影響とみても問題はないだろう。

 

 「シラカミ神社の者です。

  あなた憑いている良くないモノを取り払いに来ました。」

 

 軽く事情を説明するが、生返事が帰ってくるのみでさしたる興味は見せない。

 かなりの無気力にさいなまれているのだろう。

 

 「今から結界であなたのことを覆いますが危険はないので安心してください。」

 

 「…はい、何でもいいですよ。」

 

 了承が取れたところでワザを発動する。

 結界が体を包むが彼はぼーっとしてそれを眺めている。

 

 ケガレに浸かれると異常事態への対応力でも上がるのだろうか。

 いや、ただ無関心になっているだけだな。

 

 一人納得しつつ、結界を縮小させればやはり内部には黒い靄が溜まっていた。

 

 「なんだか、気分が急に。」

 

 目の前の青年の顔色が見る見るうちに良くなり、驚いたように声が上げる。

 

 「あんたのおかげか、ありがとう!」

 

 「え、あ、あぁ。」

 

 がばりと起き上がると手を取り上下にぶんぶんと振られる。

 テンションの上り幅に付いて行けずに、つい言葉が詰まった。

  

 思っていた以上にケガレの影響は大きそうだ。

 

 「他にもいつもと様子が違う人を探してるんですけど、心当たりはありますか?」

 

 「あ、それなら一人知ってる。できればあいつも助けてやってほしい。」

 

 駄目元で聞いてみたが、心当たりがあるとの事。

 これで過程が大幅に短縮できる。

 

 案内してくれるとのことで、前を歩く青年の後に続く。

 

 歩き始めて数分ほどだろうか、とある家の前に到着すると青年はその足を止める。

 

 「ここに?」

 

 「多分、出かけたりしてなければ。朝にはまだ居たんだけど…。」

 

 言いながら青年は家に入る。

 その自然な様子からここは彼の家、または知人の家なのだろう。

 

 ちゅん助も対象が近いことを示すように鳴き声を上げている。

 

 奥に進んでいくと、確かに一人ベットに座っている人物がいた。

 

 「朝から俺と二人揃って気分が落ち込んでて。何かおかしいとは思ってたんだけど、原因を見つける気力すら湧かなかった。」

 

 確かに、今目の前にいるもう一人の青年も無感情な表情でただ茫然と床を見つめている。

 百鬼のように俺はイワレの状態が見えるわけではないが、ケガレに飲まれかけているのではないかと思うほどに、生気を感じなかった。

 

 早く解放するべきだな。

 

 「『結』」

 

 ワザを発動し、同じ要領で手早くケガレを封印する。

 それが終われば悪かった顔色もマシなものとなり目にも光が戻った。

 

 これで一安心だ。

 

 「まっくん、大丈夫か?」

 

 「もっくん…、うん、さっぱりした気分だよ。」

 

 見たところ友人同士であろう二人は互いの手を取り合う。

 

 「ありがとう、おかげで助かった。」

 

 「僕からも、ありがとうございます。」

 

 直球に礼を言われるとどこかこそばゆいモノを感じる。

 だが、悪い気分ではなかった。

 

 「いえ、二人共無事でよかった。」

 

 これで四人目が終了か。

 どれもまとまった場所に発生していたが、こんなものなのだろうか。

 

 そんなことを考えていた時だった。

 

 「それじゃあ、まっくん。」

 

 「あぁ、今日両親に挨拶に行こう。」

 

 「ん?挨拶?」

 

 挨拶とは?

 他人の事情に踏み込むものではないと思うが、思わず疑問が声に出る。

 

 それに対して案内してくれた、恐らく待っくんと呼ばれている青年は照れくさそうに鼻をこする。

 

 「俺たち、結婚するんです。」

 

 「去年のセイヤ祭の時から付き合っていたんですけど、今年のセイヤ祭でプロポーズを受けて。」

 

 「結婚…。」

 

 その答えを反芻するように繰り返す。

 結婚ということは、この二人は恋人同士だったということか。てっきり友人同士だとばかり…。

 

 開いた口が塞がらないとはこのことだ。

 

 そう言えば去年に結ばれた二人の男同士のペアがいるとのことだが、目の前の二人の事だったのか。

 

 「花火が上がっている中で、負けずに真っ赤な顔でまっくんが頑張ってくれて…。」

 

 「よせよ、恥ずかしい。」

 

 …俺は今何を見せつけられているのだろう。

 

 「もっくん…。」

 

 「まっくん…。」

 

 なにやら手を取り合って、二人の顔が近づいていく。

 既に完全に二人だけの世界が作られていた。

 

 このカクリヨのカップルというのは、世界構築能力がここまで高いのか。

 

 「…お邪魔しましたー。」

 

 二人の顔が引っ付く前にそそくさとその場を後にする。

 流石にあの状況で居座れるほど肝は据わっていなかった。

 

 

 

 

 

 まだ反応を見ていない西側の残りの区域を見て回ったが、特にちゅん助の反応は無かった。

 

 先ほどの二人を含めて、合計四人のケガレを払うことが出来た。

 これで半分が終了したことになるが、白上の方はどうだろう。

 

 取り合えず一回白上と合流するか。

 

 ちゅん助に伝言を頼もうと飛ばそうとする。

 その瞬間、急に視界が閉ざされた。

 

 「だーれだっ」

 

 





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個別:白上 5


どうも、作者です。

お気に入り300件を超えました。
あざます。

以上。


 

 「だーれだっ」

 

 そんな声と共に視界が突如として暗闇に包まれる。

 目元に当たる少しだけ冷たい感触とその声に犯人は一人に絞られた。

 

 「白上。」

 

 答えれば視界を覆っていた手が離れ、瞼の先で光を感じる。

 目を開け振り返ると、案の定白い狐の少女が悪戯な笑みを浮かべて立っていた。

 

 「正解です、そんな透さんには10フォックスポイントを差し上げましょう。」

 

 「何に使うんだそれ。受け取っとくけど。」

 

 両手で狐を形作る白上にフォックスポイントとやらを贈与される。

 何か特典でもありそうな語感だが、まぁどうせ何もないのだろう。

 

 「ここに居るってことはそっちはもう終わったのか?」

 

 向き直り、根本的な疑問を投げかける。

 

 白上が担当していたのは北と東。

 今いるここは西区の端だ。

 

 そんな白上がここに居るということは…。

 

 「はい、全体的に見て回って四人のケガレを払ったので透さんと数を確認しようと思いまして。」

 

 「あー、そっちもか。」

 

 同じ考えに至っていたらしい。

 だがそれで俺ではなく白上がこちらに来たということはつまり、白上の方が早く先に同じ人数を払い終えたということになる。

 

 そう考えると謎の敗北感が胸を軽くよぎった。

 

 「西と南はどうでしたか?」

 

 「こっちも四人だった。それぞれ二人ずつ。」

 

 「なら、合わせて八人ですね。」

 

 何はともあれこれでオツトメも終了と見て良いだろう。

 

 「と、その前に白上、ケガレの消し方を教えてくれないか?

  ずっと持ったままになってたんだ。」

 

 まだ終わりではなかった。

 未だに周りを浮遊させている四つの球体を白上に見せる。

 

 「それでしたらワザを使う時みたいにイワレを込めてあげると消えますよ。」

 

 「分かった、やってみる。」

 

 言われた通りに四つの結界の内部に向けてイワレを流し込む。

 すると、見る見るうちに内部の黒い靄が減っていく。

 

 調和作用でも働いているのだろうか。

 

 考えてみればケガレを負とすれば普通のイワレは正だ。

 割合は分からないがそれで浄化出来てもおかしくはないか。

 

 「お疲れ様でした、透さん。」

 

 完全に結界の内部のケガレが無くなったところで声を掛けてくる白上。

 

 「白上も、お疲れ様。」

 

 互いを労いながら軽くハイタッチをする。

 しかし実際にやってみて思ったが…。

 

 「予想以上に大変なんだなオツトメって。

  白上はいつもこれを一人でやってるんだろ?尊敬する。」

 

 精神的な疲れもあるが、単純にキョウノミヤコを走り回るだけで十分に重労働だ。そこにケガレを払うためにワザを使用することも考えると、普通に疲労は溜まる。

 

 「そう言われるとちょっとむずがゆいですね。

  でも月に一回ですし、ミオに手伝って貰うこともありますので。」

 

 「それでも、凄いと思うよ。」

 

 一人でやるとなると今日の二倍は走り回ることになる。

 頷きながら素直な感想を口に出せば、白上は一瞬うつむいたかと思うとこちらをジトリと睨みつける。

 

 「透さん、わざとですよね。」

 

 「ん、何のことだ?」

 

 とぼけて答えればやっぱりといったように目を見開くと、その頬が軽く膨れた。

 

 「最近こういうこと増えましたよね、隙を見せたらすぐに褒め倒そうとするんですから。」

 

 そう言って白上は拗ねるように横を向く。

 そっちがそう言うならこっちにだって言いたいことはある。

 

 「それを言うなら白上だってゲームで容赦なくなってきただろ。

  最初の頃はそれなりに普通にプレイしてたのに。」

 

 そんな白上に負けじと反論する。

 この前など即死コンボを何度も決められて発狂しかけたものだ。

 

 「それは…まぁ、それなりに付き合いも長くなってきましたし。

  長く…。」

 

 語尾に行くにつれて音量が下がっていく。

 

 「長…くはないのか?」

 

 突如湧いた違和感に二人揃って首をかしげる。

 確か俺がカクリヨにやってきたのが大体二か月程前か。

 

 そう考えると白上と出会ってからも必然的にそれと同じということになる。

 

 「どちらかというと短い寄りだな。」

 

 「そうですね、何だかもっと長く一緒にいるような感覚になってました。」

 

 改めてカクリヨでの日常がいかに濃いものであるかを実感した。

 いや、この二か月で起きた出来事が多すぎただけなのだが。

 

 「ま、大切なのは時間より内容だな。」

 

 「そうですね。白上達は白上達です。」

 

 しかし…そうか、まだ二か月しか経っていないのか。

 驚きはしたがあまり気にするようなことでもない為簡単に結論付ける。

 

 過程がどうあれ、今の関係があるのならそれでいい。

 

 「それより透さん。」

 

 「ん?」

 

 改めて過去を振り返っていると白上が気を取り直すように呼び掛けてくる。

 

 「折角キョウノミヤコに来たことですし、遊んで帰りませんか?」

 

 何かと思えば遊びの誘い。

 確かに、このまま帰るというのも何だか味気がないととは思っていた。

 

 「良いな、でもまずはどこかで腹ごしらえでもしよう。」

 

 見れば既に太陽は真上に位置している。

 動き回っていたせいか胃が何か入れろと先ほどから催促してきていた。

 

 「じゃあ歩きながら何か探しましょうか。」

 

 ということで、キョウノミヤコを二人で回ることとなった。

 適当に当てもないまま辺りを歩いて回る。

 

 「この辺はよく来るのか?」

 

 「んー、あんまりですね。

  キョウノミヤコには良く来ますけど、基本的に屋台の多い場所に行くので。」

 

 それもそうか、オツトメで全域に足を運ぶことはあっても一つ一つの場所を詳しく覚えるほどにゆっくりする余裕はなかった。

 

 「屋台といえば結局全部回れなかったよな。」

 

 「セイヤ祭の時ですよね。

  予想以上に数も多かったですし、何より時間が無かったのが痛かったですね。」

 

 「次はもっと最適なルートを…」などとぶつぶつと呟きが聞こえてくる。

 変に情熱を刺激してしまったようだ。

 

 これだからガチ勢は。

 

 「というか、夜だけで回るのは無理があるだろ。」

 

 「やっぱりそうですよね。そもそもお昼のタイムロスが…。」

 

 そこまで言うと突然白上は言葉を区切り黙り込んでしまう。

 怪訝に思い白上を見てみれば、彼女は真っ赤な顔をして軽く俯いていた。

 

 「…まだ引きずってんのかよ。」

 

 引きずっている、というのはセイヤ祭でのラムネの件だ。

 あれから時間も経った事だしそろそろ飲み込んでしまえばいいものを。

 

 「うぅ、仕方ないじゃないですか。

  流石にあそこまで行くと許容範囲外なんです。」

 

 「相変わらずラインが分からないな。」

 

 大抵のことは軽く受け流す癖に時々このように意識するのだから性質が悪い。

 こちらまでいたたまれなくなるのだから勘弁してもらいたい。

 

 しばらく歩いていれば人通りの多い道に辿り着いた。

 この辺りなら色々と見つかりそうだ。

 

 「あ、透さん透さん!」

 

 横からテンション高めな声が聞こえてきたかと思うと腕を引かれる。

 

 「何かあったのか?」

 

 「あそこ、面白そうじゃないですか!?」

 

 指さす先には大きな看板を出している店が見える。

 

 「えッと…ジャンボパフェチャレンジ。

  成功者には、賞品あり?」

 

 でかでかと書かれた文字を読み上げる。

 

 「丁度お腹空いてましたし、何よりゲーマー魂に火がついてしまいました。」

 

 それに関しては完全に同意だ。

 チャレンジというだけで心惹かれるのに、さらに賞品まで付いてくる。

 

 これを逃す手はないだろう。

 

 「賛成だ、これは挑戦するしかないな。」

 

 決まるや否や揃って意気揚々と店内に入る。

 中ではその看板の効果もあってかかなり盛況のようだ。

 

 幸い空いていた席に座り、ジャンボパフェとやらを頼む。

 

 「透さんは甘いモノ好きですか?」

 

 「俺か?まぁ、好きだな。

  でもどっちかというと煎餅とか塩気のある方が好きではある。」

 

 「ほほう、でしたら今度秘蔵のものを用意しておきますね。」

 

 適当に雑談をしながら調理を待つ。

 ジャンボというからには相応の大きさなのだろう、今のうちに覚悟は決めておく。

 

 そして、遂にその時はやってきた。

 

 「お待たせしました。」

 

 例にもれず鉄球を落としたかのような音を響かせて巨大な塔がテーブルの上に着地する。

 白上の胴回りよりも一回り大きいそれに既視感を感じた。

 

 「なぁ、白上。

  もしかしてお前と一緒に何か食べようとするとそれが巨大化する呪いとかかけられてないか?」

 

 「いえ特には。いきなりどうしたんですか?」

 

 予想を軽く超えた目の前の塔につい白上に確認を取れば、不思議そうに首を傾げられた。

 

 「いや、気にしないでくれ。」

 

 なるほど、そこに因果関係は無かったか。

 そうであればすぐに払ったものを。

 

 「あ、これが器みたいですよ。

  何だかワクワクしますね。」

 

 そう言って手渡されたのは片手では掴むことのできない、肘から手の先程まであろうかというほどの容器。

 恐らくこれでチャレンジメニューとして出されても余裕で信じる自信がある。

 

 そう、これは戦である。

 多少の見当はずれがなんのその。

 

 「あぁ、早速始めよう。

  俺たちの聖戦を。」

 

 「透さんて時々変なことを口走りますよね。」

 

 ほっとけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「おめでとうございます、こちらが賞品でーす。」

 

 そう言って差し出された小包を白上が受け取る。

 

 およそ七割を白上が平らげたことでチャレンジは無事成功となった。

 てっきりきつねうどんのみの特攻なのかと思えば他にも適用されていたらしい。 

 

 「あー、もうしばらく甘味はいいな。」

 

 「美味しかったですねー。…ん?」

 

 歩きながら貰った賞品をしまおうとしたところで、白上が何かに気づいたように声を上げる。

 

 「どうした?」

 

 「いえ、この手触り、感触…、音、匂い…」

 

 白上は丁寧な手つきでその小包を調べ始めた。

 そして数秒ほどでまるで新しいおもちゃを買ってもらった子供のようにその顔を輝かせる。

 

 「透さん、これゲームソフトですよ!」

 

 「なに、マジか!」

 

 流石ゲーマーというべきか、中身も見ずに内容物を当てて見せる。

 何故そんなものが賞品になっているのかは謎であるが、喜ばしいことに変わりはない。

 

 「どんなゲームでしょうね。

  いつやりましょうか。」

 

 「今日…は厳しいだろうから、また後日だな。」

 

 流石に帰ってからゲームをする気力が残っているとは思えない。

 

 隣の白上は高かったテンションが賞品によりさらに上がったようでついには鼻歌まで歌いだす始末だ。

 しかし、その気持ちは十二分に理解できる。

 

 何せ未知のゲームソフトが手に入ったのだ、こんなにも燃える展開に何も感じないはずがない。

 

 「協力系のゲームだと嬉しいですね。」

 

 「だな、そういう系ってあんまりやらないし。」

 

 どちらかというと対戦系の方がやることは多い。

 というのも、白上の持っているゲームがそちらに偏っているのもある。

 

 特に理由は聞いていないが、まぁただの趣味だろう。

 

 「次は何します?」

 

 「そうだな…じゃあ。」

 

 そして俺たちはキョウノミヤコを遊びつくした。

 

 

 「あ、透さん、これかけてみてくださいよ。」

 

 「何だ?…って眼鏡か。こんなものまで置いてるんだな。」

 

 露店で置かれている物を物色したり。

 

 

 「それでミオも一緒に怒られたんですよ。」

 

 「本当、色んな所でやらかしすぎだろ。」

 

 足が疲れれば茶屋で茶を飲みながらなんて事のない雑談に興じてみたり。

 

 

 「え、なんだあれ。」

 

 「旅芸人の人たちですね。白上も久しぶりに見ました。」

 

 旅芸人の芸を見て盛り上がったり。

 

 

 その道中では様々な人に声を掛けられた。

 老人から子供まで、年代に問わず白上の姿を見かけては一言声を掛ける。

 

 「またねー!」

 

 「はい、気を付けて帰るんですよー。」

 

 今もなお子供達に笑顔で手を振っている白上を横目に見る。

 

 「シラカミ神社の神主さんは人気者だな。」

 

 「顔を覚えてもらえるのは嬉しいですけど、少し気恥ずかしいんですよね。」

 

 頬を指でかきながら照れたように白上は笑う。

 人気者特有の悩みというやつか、残念ながらというべきか俺には一生分かる気はしない。

 

 「そういう透さんだって、キョウノミヤコでは結構有名になってるじゃないですか。」

 

 「そうか?」

 

 言われてみればセイヤ祭の準備の際にシラカミ神社の居候だと知られていたような記憶がある。

 

 「でもそんなに目立った特徴もないし、俺が…」

 

 「お、白上さんに…あんたは透さんだな。

  これ持っていきな!」

 

 言いかけたところで通りがかりの露店からそんな声が上がり、気の良さそうな中年の男性が果実を俺と白上のそれぞれに投げて寄越す。

 それを礼を言って受け取るが、中々どうして状況的には複雑な気分だった。

 

 「俺が…何ですか?」

 

 「…何でもない。」

 

 そんな心境を見透かしてか、白上は勝ち誇ったように笑みを浮かべると顔を覗き込んでくる。

 煽ってくるようなその様子を腹立たしく思いながらも、何も言い返すことは出来ない為顔を逸らす他無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 そうこうしているうちに徐々に空が赤らんできた。

 路地を埋め尽くすような人ごみも、今はまばらに人が歩いているだけ。

 

 始まりが昼なのだと考えると、よくここまで遊んだものだ。

 

 「最後に一か所だけ良いですか?」

 

 そろそろ帰ろうかというところで白上がそう提案してくる。

 今さら断ることなんてしない。

 

 「勿論、何処に行くんだ?」

 

 「それは着いてからのお楽しみということで。」

 

 口に人差し指を当てると、白上は「こっちです。」と方向を指さしながら歩き始める。

 その後を追いかけるようについて歩く。

 

 何処へ向かっているのか見当もつかないが、やけに階段や坂を上に登る。

 しばらくして、キョウノミヤコでも一番高い場所にある高台へとたどり着いた。

 

 「ここに来たかったのか。」

 

 「はい、目立つようで意外と知られていない穴場なんですよ?」

 

 穴場って何の。

 その疑問を口に出す前に、白上は備え付けられた階段を上り一番上へ向かう。

 

 ここで立ち止まっているわけにもいかない。

 白上に続いて上へと歩を進めれば、横合いに光が照らされる。

 

 驚き一瞬瞼を閉じるが、すぐに慣れてきて薄っすらと目を開ける。

 

 その光の正体は夕日だった。

 今にも沈もうとしている夕日が横合いに照らしているのだ。

 

 「透さん、こっちですよ。」

 

 前には柵のそばに立っている白上の姿。

 手招きをする彼女の隣まで歩いて行くと、そこから見えた光景に言葉を失った。

 

 目の前に広がるのはキョウノミヤコの街並み。

 壮大なその景色が、今では夕日に照らされて赤と金色の織り交ざった輝きを放っている。

 

 単一色で表されたその風景はそのまま切り取ってしまいたいほどに綺麗だった。

 

 「気に入ってもらえましたか?」

 

 「…あぁ、正直驚きすぎて声が出なかった。」

 

 会話の最中も目の前の景色から目が離れない。

 

 「…良かったのか、俺に教えて。穴場なんだろ?」

 

 他人に教えるのは惜しいと思えるほどの景色。誰もがそう思うからこそ、ここは穴場として成立しているのだろう。

 白上だってそれは同じはずなのに。

 

 「んー、今日のお礼…みたいな感じですかね。

  透さんのおかげで早くオツトメを終わらせることが出来たので。」

 

 「それにしては、壮大が過ぎるけどな。」

 

 今日一回の手伝いの報酬としてはつり合いが取れてなさすぎる。

 ここまで大きなものを貰ってしまうとなると、今日一日分では到底賄えきれない。

 

 「でしたらまた手伝って貰えますか?

  それで早く終わらせて、遊んで、またこの夕日を見ましょう。」

 

 そんなことを言われては断ることなんてできない。

 今日一日を過ごしてみて、断ることなど不可能だ。

 

 「最初からそのつもりでこれを?」

 

 「さぁ、どうでしょう。」

 

 しらばっくれるように言う白上に苦笑しながらそちらへと視線を向ける。

 

 瞬間息が止まった。

 

 目の前には夕日に照らされた彼女の姿。

 それだけだ。それだけなのに。

 

 目が離せない。

 先ほど見た風景が霞んでしまう程、目の前の光景に魅入られた。

 

 その視線に気づいた白上はこちらへ振り向きいつものように笑みを浮かべる。

 

 「どうしたんですか?」

 

 鼓動が跳ねあがる。 

 

 「…何でも、ない。」

 

 それを聞いた白上は再びキョウノミヤコへと視線を戻す。

 

 言葉とは裏腹に、鼓動は速度を増すばかり。 

 得体のしれない感情が胸埋め尽くす。

 

 世界に色が付いたような、そんな感覚。

 

 何なのだろう。

 

 この気持ちは、何なのだろう。

 

 





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個別:白上 6

 
どうも、作者です。



 

 「何って、そりゃ恋だろ。」

 

 湯呑を傾けながら同郷の友人、茨明人があっけらかんと答える。

 

 ここはキョウノミヤコのとある茶屋。

 初めて会った時と同じように団子を片手に二人席についていた。 

 

 「…やっぱりそう思うか。」

 

 「というか、それ以外考えられねぇよ。」

 

 薄々感づいていた今なお胸に燻る想いの名前。

 確認するように明人に問えば、やはりシンプルな答えが返ってくる。

 

 事の経緯は非常に単純で、先日白上とキョウノミヤコで遊んでからどうにも自分の様子がおかしい。

 自覚出来ていることから、周りから見れば明らかに挙動不審に陥っているように見えるだろう。

 

 具体的には白上と話すだけで鼓動が速くなったり、上手く話せなくなったり。

 

 流石に持て余し気味な状態になっていたため、急遽明人に相談を持ち掛けたのだ。

 

 「そっかぁ…。」

 

 「いやなんでそこで落ち込むんだよ。良いじゃねぇか、がつがつ行っちまえ。」

 

 他人事だと思って、実際に他人事ではあるのだが、大雑把なアドバイスをしてくる明人。

 それとは対照的に、俺はそこまで楽観的に考えることは出来なかった。

 

 「考えてみろよ、相手とは同居してるんだぞ。

  それなのに俺の方から一方的にってのは、こう…マズイだろ。」

 

 仮にこの気持ちが恋だとして、白上に告白でもしたとしよう。

 

 受けいれられればそれで良いが、受け入れられなかった場合。

 今までと同じ関係性でいられるかと言われればノーだ。ようやく仲良くなれたのにこんなことでそれを壊したくはない。

 

 「確かにな、逆に今まであんなキレイどころと一緒に過ごしてきてよく何もなかったな。」

 

 言われてみれば。

 この気持ちを自覚してから何かしらのフィルタでもかかっていたのではないかと思う程に見方が変化した。

 

 原因があるとすれば。

 

 「セイヤ祭まではウツシヨに帰るか帰らないかで迷ってたから、それで歯止めがきいてたんだと思う。」

 

 「そんで今はそれが無くなったと。」

 

 ウツシヨに帰るのであれば、当然重く考える必要もなかった。

 以前にもそれらしい空気になったことはあったがその度に後回しにしていたツケが回ってきたようだ。

 

 「…ところでだ、透。」

 

 「うん?」

 

 過去を思い返していると改まった様子で明人は声を掛けてくる。

 

 「お前、あの三人の中の誰を好きになったんだよ。さっきからそれが気になって仕方ねぇんだ。」

 

 そういえばまだ言ってなかったか。

 

 分かりやすくテンションを上げている明人についため息が出る。

 どうやら人の恋愛をとことん楽しむタイプらしい。

 

 面白がられるとは考えていたが、実際にそうされると少々思うところはある。

 まぁ必要な対価だと思って諦めるしかないか。

 

 「白上だよ、あの白い狐の。」

 

 「へー、…だってよ、白上さん。」

 

 「…は?」

 

 言いながら明人は俺の後方へと視線を向ける。

 唐突の出来事に一瞬固まり、反応が遅れた。

 

 しかし言葉の意味するところを理解すると、すぐに焦りが顔を出してくる。

 

 聞かれた?今の会話を?何処から?

 

 考えが纏まらないまま、恐る恐る後ろへ振り返る。

 

 だが、おかしい。

 白上の姿などどこにも見えない。

 

 「…ところでだ、透。」

 

 「待て待て、今のは何だ?おい、何だ今のは?」

 

 何事もなかったように話を続けようとする明人を遮り、問い詰める。

 

 「いや別に、焦るかと思ってな。」

 

 「そうか、大成功だよ馬鹿野郎。」

 

 ここまで人を殴りたいと思ったのは初めてだ。

 

 明人の思惑通り、心臓が飛び出すかと思う程度には驚いたし、焦った。

 あれで本当に聞かれていたのだとすれば、シラカミ神社には二度と帰れない気がする。

 

 「…やっぱり俺が白上のことを好きっての、勘違いじゃないかな。」

 

 改めて最悪の結果が思い浮かび、不安が押し寄せてきた。

 

 ここまで弱気になるなど今まで経験にない。

 自分はもう少し勇敢だと考えていたが、それは間違いのようだ。

 

 「まだ認めねぇのか。意外と諦め悪いなお前。」

 

 呆れたように言われるが、実際死活問題ではあるのだ。

 今まで普通に生活できていたのは、そういった感情を意識しなかったからこそで。

 

 その根底が崩れ去ろうとしているのだ。

 どちらかというと浮ついた気持ちよりも不安が占める割合の方が高い。

 

 関係性が大きく変わるかもしれない。

 それを恐れるなという方が無理な話だ。

 

 なら、いっそのことただの勘違いだった方が気が楽だ。

 

 「んー、じゃあ透、想像してみてくれ。」

 

 「ん?」

 

 何をするつもりか、明人はこちらに向き直ると指を一本立てる。

 

 「まず、お前が俺とキスするシーンを思い浮かべてみろ。」

 

 言われた通り頭の中に明人の顔が浮かべて、その顔がどんどんと近づいて…。

 そして。

 

 「…って、本当に想像しただろうが気色悪い。

  いきなり何させるんだ!」

 

 頭に浮かんだ光景を消し去るように叫ぶ。

 即刻この記憶を幾星霜の彼方へと捨て去ってしまいたい。

 

 「じゃあ、次はお前の想い人とキスするシーンな。」

 

 そんな抗議の声を無視してもう一つ指を立てて明人は続ける。

 これに何の意味があるのか分からないが、取り合えず従ってみる。

 

 想い人、というと白上の事か。

 彼女の顔が脳裏に浮かび、その顔が近づいてくる。

 

 「…なんか罪悪感があるんだけど。」

 

 嬉しいとかそういう次元ではなく、勝手にこんな妄想しているという事実が既に申し訳なくなってくる。

 

 「これでも駄目か…。」

 

 明人はそう呟くと考え込むように口元に拳を寄せる。

 

 全くもって目的が見えてこない。

 そろそろ教えて貰いたいのだが明人はまだ諦めていないようで、必死に考え込んでいる。

 

 そこで本気になられても困るのだが。 

 

 「なら俺がそいつとキスしてるところ。」

 

 ひねり出すように口に出されたその言葉。

 

 明人と白上が。

 脳裏に描かれたその光景に、胸にドス黒い感情が渦巻くのを感じた。

 

 嫌だ、そんなもの見たくない。考えたくない。

 

 「おい、透?」

 

 相手が明人だろうと誰だろうと関わらず、他の誰かの隣にいて欲しくない。俺だけのそばにいて欲しい。

 

 「透っ、聞こえてねぇのか!」

 

 白上と一緒にゲームをして、遊んで、この先の人生を共に歩んで行く。

 その相手は俺が良い、俺であって欲しい。

 

「透…あの、透さん。マズイ、それ以上はマズイ!」

 

 …何やら明人が騒がしい。

 ふと思考を中断して明人へと目を向ける。

 

 隣に座っていたはずの明人の姿が何故か目線を下げないと見えない。

 視線を下げてみれば、明人は手に持った刀を横にして俺の持つ刀を受け止めている。

 

 「…なんだこの状況。」

 

 心に浮かんだ疑問がそのまま口をついて出る。

 

 「お前が言うんじゃねぇ。いきなり切りかかって来たんだろうが。」

 

 「俺が?」

 

 改めて目の前の光景を見やる。

 刀とは言え、一応鞘に収まった状態で鍔迫り合いになっている。

 

 思いのほか力が籠っているらしく、小刻みに二振りの刀は震えていた。

 

 「わ、悪い。」 

 

 慌てて刀をどければ、明人は解放され気が抜けたように息を吐く。

 

 何故このような状況になったのだろう。

 体を動かそうとした記憶はない。ずっと考え事をしていただけのはずなのに。

 

 それに先ほど感じた、気分の悪くなるような感情。

 あれが原因か?

 

 「ま、これで分かっただろ。そのくらいの嫉妬に駆られるくらい、今のお前は恋してるんだよ。」

 

 刀を仕舞いながらため息を吐くと、明人は椅子へと座り直す。

 

 「嫉妬、か。」

 

 なるほど、言われてみればしっくりと来る。

 誰にも渡したくない、誰にもとられたくない。その感情は正に嫉妬そのものだ。

 

 「正直、お前がここまでやばい奴だとは思わなかったけどな。」

 

 「それに関しては本当に悪かった。」

 

 明人の視線が突き刺さる。

 

 まさか嫉妬に駆られて刀を振り下ろすことになるとは思わなかった。

 自分が思っている以上にこの気持ちは大きいらしい。

 

 自制しないとな。

 

 「…冗談だ、実はあまり気にしてねぇんだ。

  ただ…これでチャラな。」

 

 「チャラ?何か貸しでも作ってたか?」

 

 思い当る節は無い。

 これまで接してきた時間は短い、思い返すがそれらしい出来事はやはり存在しない。

 

 「気にすんな。

  そんなことより、お前は自分の心配でもしてろよ。」

 

 誤魔化すように手がひらひらと振られる。

 

 「…確かに、そういえば何も解決してないな。」

 

 原因である感情の正体は判明した。

 ただそれが分かったところで白上と会って平気でいられるかと言われれば、自信を持って頷くことは出来ない。

 

 むしろ正体が分かった分だけ、余計に意識しそうだ。

 

 「はぁ、やっぱり…。」

 

 「勘違いじゃねぇって。」

 

 現実逃避しようとしたところを先回りした明人に阻まれる。

 手厳しい、だが、現実逃避をしている場合で無いのも確かだ。

 

 「とにかく、一回会ってみたらどうだ?

  もう慣れるしかないだろ。」

 

 慣れるか。

 現状それ以外に案も出そうにない。

 

 もしかすれば意識せず、逆に落ち着いて接することが出来るかもしれない。

 もう腹をくくる他ないか。

 

 「…そうだな、もし駄目そうだったらまた相談しても良いか。」

 

 「あぁ、斬りかかってこねぇならな。」

 

 そこに関しては安心して欲しい。

 流石に友人を斬り捨てるような真似はしたくないし、するつもりもない。

 

 湯呑を傾けて茶を飲み干すと、揃って立ち上がる。

 

 「そうだった、透。」

 

 茶屋を出てから別れ際、不意に明人に呼び止められる。

 振り返ればこちらを見てくる真剣な明人の目と目が合う。

 

 「お前、本当にカクリヨで生きて行くんだな。」

 

 そう口にする明人の瞳からは感情が一切感じられない。

 この質問の意図も、理由も。

 

 だが、一度この質問には答えたはずだ。

 

 「?そのつもりだ。

  それがどうかしたか?」

 

 思うところでもあるのか、明人は答えに悩むように口をまごつかせる。

 言いたいことははっきりと言う印象を持っていただけに、違和感を覚えた。

 

 「…いや、聞いてみただけだ。」

 

 そう言うともう話すことは無いとばかりに明人は背を向ける。

 いつかと同じ光景、同じ質問。

 

 気になることはあるが、あまり踏み込んではいけない。

 そんな予感がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シラカミ神社への帰り道。

 身体強化を施して駆けながらも頭の中は先ほどの話題で持ちきりであった。

 

 白上フブキ。

 

 カクリヨに来て、初めて出会った白い狐の少女。

 

 彼女に抱くこの想いが本当に恋であるのならば、俺はどう行動するのが正解なのだろう。

 

 白上と過ごす時間は素直に楽しいと。

 ゲームに限らず、何であれそう思えた。

 

 だが、それは友人として接していても実現可能なことだ。

 実際俺と白上は友人で、そうした日常を送ってきた。

 

 なら、何故これ以上を求めようとする、その必要性は無いはずだ。

 

 理性ではそう考えることが出来る。

 論理的に考えて、恋人にならずとも今の状態で満足できる。

 

 なのに、頭では分かっているのに。

 白上ともっと先に進みたいと考えている自分がいた。

 

 もっと白上のことを知りたい、一緒に笑いたい、その笑顔を俺だけに向けてほしい。

 

 身勝手な考えだ。

 そんな思考を止められないでいるのは、この想いの所為か。

 

 考え込んでいれば、すぐにシラカミ神社へと到着してしまった。

 結局何も解決策なんて思い浮かばなかったな。

 

 白上は今頃部屋でゲームでもしているのか、それとも誰かと話でもしているのか。

 

 何にせよ、平常心だ。

 

 玄関の前で立ち止まり、一つ深呼吸を入れる。

 変な態度を取らないように、落ち着いて自分の気持ちと向き合うために。

 

 覚悟が決まると扉へと手をかける。

 

 「ただいまー、…へ?」

 

 「…あ、透さん。おかえりなさい。」

 

 玄関から中に入ってすぐ、先ほどまでの思考の中心の人物である白上が座り込んでいた。

 まさか決心した瞬間に出会うことになるとは思わず、驚きに間抜けな声が出てしまった。

 

 何故こんなところに座り込んでいるのだろう、室内とは言え炬燵にでも入っていた方が温かいだろうに。

 

 「ん?」

 

 そこで異変に気が付いた。

 若干、白上の顔が暗いような、少なくともいつもの元気に溢れた表情ではない。

 

 「白上、何かあったのか?」

 

 何かが起こった、そう判断して白上に事情を聴こうとする。

 ここまで落ち込む白上を見るのは初めてかもしれない。

 

 いつもならぴんと立っている耳をへたりと倒れさせながら、白上は口を開く。

 

 「その、透さんが…。」

 

 「あぁ、…って、俺?」

 

 まさかそこで自分の名前が出てくるとは思わず困惑する。

 

 俺が原因?

 そう考えたところでふと明人とのやり取りが脳をよぎる。

 

 あの時、明人は冗談だと言っていた。

 だがもしかして本当に聞かれていたのか?

 

 「はい、…その、透さんの様子がおかしかったので、もしかしてと思ったんですけど。」

 

 上目遣いに、まるで叱られた後の小動物のような表情をする白上は続ける。

 何も言葉が出てこない、ただ黙って次の言葉を待つことしか今の俺にはできなかった。

 

 「…昨日、その、強引に連れまわしちゃったので。

  それが原因だったら、謝りたいと思いまして。」

 

 「…」

 

 頭をガツンと殴られたような気分だ。

 つまり、今白上が暗い顔をしているのは俺の所為ということだ。

 

 人一倍周りを見ている彼女の事だ、今朝様子のおかしい俺を見て、色々と考えてしまったのだろう。

 それはそうだ、昨日までは普通に話せていたのに急に自分の前でだけ異変が起こったのだ。

 

 自分に非がある。

 そう考えたのか。

 

 それに比べて、俺は自分の事しか考えていなかった。

 

 自分に罰を与えるように、気合を入れるように、思い切り両頬に手を叩きつける。

 

 その音にびくりと白上はびくりと震えて目をつむった。

 …相変わらず考えたらずな行動しかとれない自分に、呆れを通り越して苦笑が浮かぶ。

 

 「白上、別におかしかったのは白上が原因じゃないぞ。」

 

 「え?そう、なんですか?」

 

 じゃあどうして、上げられた瞳がそう訴えかけてくる。

 

 実際には真っ赤な嘘であり、白上の所為ではあるのだが。別に負の方向ではない。

 しかし、それを説明しようと思うと、この想いもすべてを打ち明けなければならない。

 

 流石にそれは避けたいため、必要な嘘だ。

 

 「あー、ちょっと悩み事があってな。

  それももう解決したから、ほら、いつも通りだろ?」

 

 言って笑顔を浮かべて見せる。

 それを見た白上の表情が少し和らいだ。

 

 「じゃあ昨日の事は…」

 

 「楽しかったな。

  また行こうって約束ちゃんと守れよ?」

 

 それを聞いた白上の顔に、今度こそ笑みが戻る。

 そうだ、暗い顔なんか似合わない。白上にはいつも明るい表情でいてほしい。

 

 …これすらも、身勝手な考えなんだろうな。

 

 「もー、心配して損したじゃないですか。」

 

 安心したように息を吐くと白上は目を細めてこちらをジッと見てくる。

 

 「ははっ、悪かったな。でももう大丈夫だから。」

 

 「笑い事じゃないですよ、もう。」

 

 拗ねるように言うと白上は居間へと向かって行ってしまう。

 怒らせてしまったか?いや、そういう訳でもないか。

 

 その背を見送っていると、不意に白上はこちらへと振り返る。

 

 「あ、透さん透さん、後で昨日貰ったゲームやりませんか?」

 

 ほら、いつも通りの白上だ。

 

 「あれか…そうだな、早速やろう。」

 

 その答えを聞くと満足げに白上は居間へと入っていく。

 それを見送った次の瞬間、膝から力が抜けてそのまま床へと座り込む。

 

 未だに強く脈打つ鼓動を感じながら、天井を見上げる。

 

 いつも通りでないのは俺の方だ。

 

 顔は…火照った様子もないし、表面上は取り繕えたか。

 脳裏には白上の笑顔が焼き付いている。

 

 声を聴くだけで、その顔を見るだけで。

 ここまで満たされている。

 

 「…これは、マズイな。」

 

 もうここまで来たら誤魔化しなど通用しないだろう。

 俺は白上の事が好きだ。

 





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個別:白上 7


どうも、作者です。


 

 「透さん、私、もう…。」

 

 隣の白上がしがみつくように腕を掴む。

 その顔にいつもの明るさは無く、震えるその声はか細く、儚さに満ちていた。

 

 身じろぎ一つ、息遣いさえ伝わってくるほどの至近距離。

 

 高鳴る鼓動を聞きながら暗い夜道を前方へと進む。

 

 足音が鳴るたび、腕を掴む手に力が籠められる。

 触れたその箇所は火が点ったかのように熱を帯びていた。

 

 隣から聞こえてくる小さな悲鳴にいちいち心を揺さぶられる。

 

 鼓動が混ざり合い、もはやどちらのモノかさえ分からない。

 

 そんな最中、やがて緊張感はピークへと達し、そして…

 

 『GuRAAAAAA!』

 

 「にゃあああああっ!?」

 

 突如として画面一杯に映る霊の顔に、大きな悲鳴を上げた白上に身体ごと、今度は首元に腕を回す形で引き寄せられて密着度が格段に跳ね上がる。

 その感触に、感じる体温に、飛んでいきそうになる意識を繋ぎ止め、宙を見上げて想う。

 

 どうしてこうなった、と。

 

 

 

 

 

 「透さんは何のゲームが入ってると思いますか?」

 

 夜、食事も終えて後約束した通りに白上の部屋に訪れると白上にそう質問される。

 

 目的は今まさに目の前に置かれている小包。

 これは大食いチャレンジの商品として獲得したものだが、中身についての説明は一切なかった。

 

 「そうだな…、無難にRPG系とか?」

 

 「王道ですね、じゃあ白上はアクション系に賭けます。」

 

 特に理由もないままに賭けをしながら、白上はその小包の解いていく。

 

 「…あれ、二つ入ってますね。」

 

 白上の言葉通り、解かれた小包からはさらに包まれた二つの小包が出てきた。

 流石の白上も数までは把握できなかったようで、驚いたように目を丸くしている。

 

 「気前良いな…まぁ、難易度的にはおかしくないか。」

 

 正直、白上がいなければ半分すら攻略することは叶わなかっただろう。

 しかし、二つとなるとこれは二人の予想が両方当たる可能性も出てきた。

 

 純粋に楽しみが二倍になったのだ、これはテンションが上がる。

 それを表すように白上の目にも輝きが宿っていた。

 

 「でも困りましたね、両方同時にやるわけにもいきませんし…。

  どっちやりましょう。」

 

 意見を求めるようにその瞳がこちらへと向けられる。 

 とはいえ、二つとも同じような見た目をしているため、選べと言われても少し困る。

 

 違いといえば包み紙の色くらいか。

 片方は紫で、もう片方がピンク色。

 

 柄も揃って無地というどうにも判断に悩む仕様だ。

 

 「んー、じゃあ紫で。」

 

 「了解でーす。なら早速開けますね。」

 

 白上もどちらでも良かったようであっさりと決まる。

 今度こそ、包みが解かれるとパッケージらしきものが顔を出す。

 

 「「これは…」」

 

 それを目にして、白上と二人言葉を失う。

 目の前には紛れもないゲームのパッケージ。そう、それに間違いはない。

 

 問題があるとすればパッケージに描かれているその絵だ。

 

 見る限り、明らかに雰囲気が暗い。

 何だったら紅い血色の手形なんかがくっきりと付けられている。

 

 これらの情報から導き出される答えは、つまるところの…。

 

 「ホラゲー、だな。」

 

 そう呟けば白上の耳がピクリと動く。

 

 確か白上は幽霊などのホラーに強くないと聞いている。

 実際に出会った当初にも幽霊が出るというだけで調査もままならなくなっていたようだし。

 

 まさかそんなピンポイントで、しかも大食いとは全く関係のないところが来るとは思わなかった。

 これはもう一つの方を開けた方が良いか?

 

 「良いですね、最近やってなかったので丁度良かったです。」

 

 そんな考えとは裏腹に、白上のその瞳は輝きを保っていた。

 その特に嫌がるようなぞぶりを見せない白上の様子に、つい驚きに目を丸くしてしまう。

 

 「あれ、白上ってホラー駄目じゃなったっけ。」

 

 「はい苦手ではありますよ。」

 

 聞けばあっさりとそう答える白上に余計疑問が湧きたってくる。

 やはり記憶に間違いはないようだが、それなら尚更に白上がここまで前向きな理由が分からない。

 

 首をかしげている中、白上は続ける。

 

 「ホラーは苦手ですけど、ホラゲー自体は好きなんですよね。

  怖いけどそこも含めて好き…みたいな?」

 

 「そういうものか?」

 

 何となく分からないでもないが、あまりしっくりとは来ない。

 苦手なものは苦手だろうし、好きなものは好き。白上にとっては違うベクトルなのだろうか。

 

 「確かキョウノミヤコで霊が出たとき白上と大神が揃って調査すら出来てなかったよな。

  つまりゲームなら大丈夫だけど、現実で現れるのは無理ってことか。」

 

 恐怖は恐怖であるだろうが、まぁ現実では得体が知れない分その辺りの要素も含まれているのが大きな違いか。

 

 「そんな感じですね。

  透さんも現実で巨大な虫の大群が迫ってきたら逃げませんか?」

 

 「逃げる。無い尻尾撒いて逃げる。」

 

 即答である。

 想像するまでもなく瞬時に答えを出せる。

 

 なるほど、納得がいった。

 かかっていた霧が晴れるように、疑問が解消された。

 

 何はともあれ、楽しめるのなら問題は無い。

 もう一つはまた今度のお楽しみということにしておくことで意見が一致した。

 

 白上はゲームの電源を付けソフトを入れると、コントローラを持って戻ってきてすぐ隣に座る。

 

 「これ二人プレイ?」

 

 「いえ、多分一人ですね。

  ということで、どうぞ。」

 

 そう言って差し出されるのはコントローラ。

 ここで少しだけ違和感を覚えた。

 

 「…変に遠慮しなくてもそっちからで良いぞ。」

 

 「いえ、透さんにやってもらいたいなって思いまして。」

 

 そう言って尚も差し出されるそれに違和感はさらに大きくなる。

 普段であれば確実にここでどちらが先にプレイするかで一悶着が起こってもおかしくはない。

 

 しかし、今の白上にそんなそぶりは見られず、むしろプレイすることを避けようとしているようにすら見える。

 

 だがここで問い詰めようにも既にゲームは待機状態になっている。

 新しい見たことのないゲームを前にそんな時間すら惜しい。

 

 白上もこう言っていることだし、厚意?に甘えることにして、コントローラを手に取った。

 

 

 

 

 

 そして現在に戻る。

 隣には顔を隠しながらも画面からは目を逸らそうとしない白狐が一匹、左腕に憑りついていた。

 

 収まっていた胸の高鳴りが再発し、うるさいくらいに音を立てる。

 本当に厄介な体になったものだ。

 

 嘆くも現状は変わらない。

 

 「白上、ホラゲーは大丈夫じゃなかったのか?」

 

 「ふふっ、好きと言っただけで怖くないと言った覚えはありませんよ。」 

 

 決め台詞のように言おうとしてるのは分かるが、体制が体制なだけに全く決まっていなかった。

 その瞳に若干涙が浮かんでいる辺り、ガチで怖がっているのだろう。

 

 「それにしても、このゲーム逸材ですね。

  白上をここまで怖がらせるとは…。」

 

 尚も腕に顔を押し付けながら画面を見る白上。

 

 こうまで無防備に距離を詰められるというのは信頼の証と取るべきか、それとも単に対象として見られていないと取るべきか。 

 

 「確かに、結構凝ってるな。

  特に驚かせる面に関して。」

 

 ゲーム開始から既に不安を煽るような音楽が流れており、要所要所、絶妙なタイミングで仕掛けてくる。

 正直何度か悲鳴とまではいかないまでも、ヒヤリとするような場面は何度かあった。

 

 「あの、透さんさっきからやけに冷静ですけど、怖くないんですか?」

 

 ふと画面から目を外して白上が問いかけてくる。 

 

 「…そりゃ、隣でそんなに怖がられたら冷静にもなる。

  自分より怖がってる奴がいたらなんとやらだ。」

 

 実際には意識が画面よりも隣に行っていることも関与しているのだが、そこまで言うつもりは毛頭ない。

 

 「はっ、なるほど。

  なら透さんが白上より慌ててたらもしかして…」

 

 「…何か変なこと企んでないか?」

 

 名案が浮かんだとばかりにきらりと目を光らせる白上に何やら嫌な予感を感じる。

 とはいえゲームは今だに続いており、何をするつもりなのか意識を向けることしかできない。

 

 画面の中では先ほどドアップになった霊に追われてプレイヤーが走り回っていた。

 

 この霊が中々に厄介で、一度捕まればゲームオーバーなのにも関わらず、転移に透明化という厄介な性質を持ち合わせていた。

 お陰様でよく目と耳を凝らさなければ前兆をすぐに見逃して、再び霊の顔が画面一杯に映る羽目になる。

 

 丁度今転移した音が聞こえた。

 こういう時は大抵後ろに現れる。

 

 余裕をもって回避を試みる。

 

 「わっ!」

 

 「うお!?」

 

 急に耳元で上げられた大声。

 驚きに操作が乱れる。

 

 当然後ろに回っていた霊がその隙を見逃してくれるはずもなく。

 

 『GuRAAAAAA!』

 

 「にゃあっ!?」

 

 案の定、画面一杯に映った霊とその絶叫に、隣の白上が耳の近くで悲鳴を上げると再び腕にくっつき直る。

 解放されたと思ったところに舞い戻るそれに心臓が跳ねる。

 

 「何がしたかったんだお前は…。」

 

 「う…、と、透さんが驚いてるのを見たら怖くなくなるかなーって。」

 

 動揺を出さないよう努めながら呆れたように問いかければ、白上は目を逸らしながらそう答える。

 

 それでこのザマか。

 せめて驚かせるのなら成果を出してほしかったところだ。

 

 「というか、本当に一人でプレイできるのか?

  どう見てもまともに操作できるようには見えないんだけど。」

 

 今こそ俺が操作しているが、流石に毎度この反応をしていてはゲームどころではないと思うのだが。

 

 「あまり見くびらないでください。

  白上だって、布団を被って枕を抱いて部屋の隅でやれば何とかなったりします。」

 

 「完全防備だな…。」

 

 そこまでしてなお何とかならない場合があるのだから救えない。

 白上がこれということは、同じくホラーが苦手という大神も同じような感じなのだろうか。

 

 「因みに大神とは一緒にやったことはあるのか?」

 

 聞いてみれば白上は少し考えるように顎に指を添える。

 

 「そうですね、一回だけミオとはどっちがビビりか勝負したことがあるのですが…。

  まぁ、結果はお察しです。二人揃って布団にもぐりました。」

 

 聞くからに不毛な争いであったのが目に浮かぶ。

 カミだというのに親しみを持ち易いのはそういった欠点があるからなのもありそうだ。

 

 勿論、これは良い意味でだ。

 いくら強大な力を持っていようと、彼女等も意思を持つ個人であることの証左でもある。

 

 「…というか、それならいつものスタイルになればもう少しマシになるんじゃないか?」

 

 そうすれば白上は恐怖が軽減されて、俺は心臓の負担が無くなってと両者Win-Winの関係を築ける。

 だが、未だに白上は腕から手を離そうとしない。

 

 「うーん、それなんですけど…。

  透さんの傍にいる方が安心できるんですよね。」

 

 「…っ」

 

 唐突に投げつけられたその言葉に思わず息が止まりかける。

 

 大丈夫だ。どうせいつもの友人判定だ。

 この程度で一々反応していてはやっていけないぞ。

 

 自らに言い聞かせ、冷静さを保とうとする。

 

 「まぁ、あんまり怖がったりするタイプでは無いからな。」

 

 自分とは違い落ち着いて見えるから、その分安心感を抱きやすい。

 理由としても一番あり得そうだ。

 

 「いえ、そういう訳じゃなくて、何と言えば良いんでしょうか…。」

 

 しかし、そんな自己暗示も容易く否定される。

 

 「透さん体大きいじゃないですか。」

 

 「…そりゃ、白上に比べたらな。」

 

 言う程大きいわけではない、平均よりは上だとは思うがその程度だ。

 

 「それに白上と違ってしっかり筋肉もついてますし。」

 

 「最近、ようやくだけど。」

 

 腕に触れている白上の手に軽く力が籠められる。

 

 「力もあって、けど基本的に周りを気遣ってくれて。」

 

 「…」

 

 それは俺から見た白上だ。

 カミとして大きな力を持ちながら、人一倍周りに気を配っている。

 

 そんな彼女のことが、俺は…。

 

 「だからなのかは分からないんですけど、近くに居て凄く安心できるんですよね。」

 

 そう言って微笑む白上に急激に顔が熱くなるのを感じる。

 

 勘違いしそうになる。

 もしかしたら、そんな淡い希望を持ちたくなる。

 

 ポーズボタンを押して、ゲームを一旦停止させる。

 

 「?透さん?」

 

 「なぁ、白上。」

 

 突然の行動に不思議そうに首をかしげる白上。

 呼びかければ、彼女は言葉を待つようにこちらに視線を向けてくる。

 

 どうしたんですか?、そんな言葉が浮かぶような瞳を見つめ、ゆっくりと空いている右手を伸ばす。

 そして、白上の頭へとその手を乗せると、わしゃわしゃと髪を崩してみる。

 

 「わわっ、透さん、いきなり何するんですか!」

 

 唐突な行動に白上離れて距離を取ると頭を両手で抑える。

 

 「あ、悪い、無性に感情のぶつけ先が欲しくて。」

 

 そんな白上に両手を合わせて詫びる。

 

 距離が離れてようやく感情が収まった。

 どうにも昨日の今日で完全に制御できるわけではないようだ。

 

 「もー、それで白上の頭にぶつけないで下さいよ。」

 

 恨みがましい視線を向けて言いながら手早く乱れた髪を整えると、白上は再びすぐ隣へと近寄ってきて座りなおし、また腕を掴んでくる。

 

 「…白上?」

 

 「はい、なんですか?」

 

 思わず呼びかければ、白上はきょとんとした顔をこちらに向ける。

 そんな顔をされても困るのだが…。

 

 「いや、止めてるから今は引っ付く必要はないだろ?」

 

 実際に、画面では特に霊の姿などもなく普通の村の風景のみが映っているだけだ。

 それ故にわざわざ腕を掴む理由はない筈。

 

 「言ったじゃないですか、近くに居ると安心するって。

  それとも駄目、でしたか?」

 

 そんな白上の瞳には不安げな色が映る。

 その表情は卑怯だ。

 

 別に駄目なわけでも嫌なわけでもない。

 ただあまりに引っ付かれると理性というか精神力が凄まじい勢いで削れていくだけで。

 

 ただでさえ自覚したばかりで整理もついていないのに、ここまで追い込まれると暴走して何か口走ってしまいそうなのだ。

 

 「…」

 

 「…」

 

 じっと視線が交差する。

 ここは断るべきだ、そう判断する理性とこのままでいたいという本能の板挟み。

 

 均衡を保っていたかのように思われたそれは、揺れる白上の瞳にすぐに傾いた。

 

 「…駄目…じゃないです。」

 

 謎に敬語口調になりながら肯定すれば白上の顔はパッと明るくなる。

 真意は分からないが、今は好きにさせていよう。

 

 「ん?」

 

 取り合えずゲームを再開して気を紛らわせようとポーズを解除しようとしたところで、唐突に白上が声を上げる。

 

 「どうした?」

 

 「いえ、何だか透さんから良い匂いがしたので。」

 

 「匂い?」

 

 突拍子もない話題に思わず目を向く。

 しかし、すぐに原因に思い当る。

 

 「あー、ここに来る前に大神の手伝いで油揚げ漬けたり、出汁取ったりしてたから。」

 

 「油揚げですか!?」

 

 その単語に分かりやすくテンションを上げる白上。

 にしても、いくら作業をしていたとはいえそこまで匂いは移らないはずだが、どんな嗅覚をしているのだろう。

 

 「もしかしたら明日はきつねうどんかもな。」

 

 「おー、これは明日の楽しみが一つ増えてしまいましたね。」

 

 後はうどんを茹でるだけで完成するようになっていた。

 恐らく大神なりの白上対策のようなものなのだろう。

 

 空気も和んだところで、今度こそポーズ状態を解除する。

 

 瞬間、霊が移動するときの特徴的な音が聞こえた。

 

 「あっ。」

 

 「え?」

 

 まさかそんな絶妙なタイミングで来るとは思わず、完璧に対処が遅れる。

 

 『GuRaaaaaa!』

 

 「にゃああああ!?」

 

 画面一杯に映る、割とトラウマチックな霊の顔。

 

 こうして時折白上の悲鳴が上がりながら夜は更けていった。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 





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個別:白上 8

どうも、作者です。



 

 朝

 

 窓から差し込んでくる日差しに意識が覚醒した。そして同時にその事実に自らの失敗を理解した。

 

 いつもなら日が昇る頃には日課の鍛錬を終えている。

 しかし、朝の日差しで目が覚めるという事はつまり寝坊したという事だ。

 

 思わず右手で顔を覆う。

 どうにも気が緩んでいたようだ。

 

 この先必要かどうかは関係なく鍛錬とは毎日続けてこそ意味がある。なのにも関わらず、この有様。

 仕方ないといえば仕方ないのかもしれないが、やはり、気を引き締め直す必要はあるだろう。

 

 ふと、昨晩の出来事に思いを馳せる。

 恐らく、この寝坊の原因にもなった深夜までのゲームプレイ。

 

 結局、あの後も襲いくる霊により悲鳴を上げながら引っ付いてくる白上に、精神力をゴリゴリと削られながらもなんとかクリアまで辿り着く事ができた。

 

 内容としてはホラー中心でありながらもしっかりとエンディングもあり、満足に足るものであった。

 

 それを見届けて、その達成感に浸りながら。

 ながら…。

 

 …どうしたのだったか。

 

 上手く思い出せない。

 どうやらまだ完全に頭が起きていないようだ。

 

 取り敢えず明日の鍛錬はいつもの倍だな、と軽く考えながら起き上がろうと腕を動かす。

 

 だが、おかしい。

 右腕は動く、先程顔に当てたのだ、それは当然分かる。

 

 問題は左腕。

 動かそうと力を入れようとも感覚が無い。

 

 まさか鍛錬をサボった為に持っていかれでもしたか?

 

 突拍子もない予想に、そんな筈は無いと否定する。

 十中八九、腕が圧迫されて血の巡りが悪くなっているだけだ。

 

 とにかく解放すればすぐに元に戻る。

 原因を解消しようと首を動かして左側を向く。

 

 「すー…」

 

 すると、左腕を抱き枕にして寝ている可愛らしい白い狐の少女の寝顔が目に入る。

 すやすやと安らかな寝息を立てながら彼女は眠っていた。

 

 なるほど、原因は白上だったか。

 それを理解してゆっくりと傾けていた首を元に戻し、天井を見上げる。

 

 「…なんで?」

 

 純粋な疑問が口からこぼれ落ちた。

 

 あまりに衝撃的な光景に脳の処理が追い付かない。

 左腕の感覚が無いからか、それとも単に慣れてきたのか昨日よりは冷静にいられるが、それとこれは話が別である。

 

 これは夢か。

 実はまだ目が覚めていないだけかもしれない。

 

 一度自分の頬を思い切りつねってみる。

 

 痛い。

 

 そして、もう一度左側へと視線を向ける。

 

 「むにゃ…。」

 

 やはり白上だ。

 楽しい夢でも見ているのか、その顔には薄っすらと笑みが浮かんでいる。

 

 可愛い。

 

 …。

 

 そうじゃない。

 

 問題は何故白上が隣で寝ているのかだ。

 そう、まず考えるべきはそこだ。

 

 確かに昨日は一緒にゲームをしていた。

 それでクリアした。

 

 ここからの記憶がないということは、考えられる可能性は一つ。

 

 「寝落ちしたのか…。」

 

 周りに目を向けて見ればゲームの画面はクリア時のまま変わっておらず、寝ている場所も昨日座っていた場所と同じ。

 ならここは白上の部屋か。

 

 現状を把握したところで一つ息をつく。

 

 ようやく頭が回りだした。

 こんな朝から心臓の悪い光景を目にするとは思わなかった。

 

 改めて横の白上へと顔を向ける。

 

 相変わらずにやけ顔で寝息を立てる彼女。

 以前までならこの程度、この後腕が痛くなるんだろうな、などと軽く考えていたのだろうが、たった二日。正確にはまだ丸二日と経っていないのにここまで考え方が変わってくるのか。

 

 心音が聞こえてしまうのではないかと心配に思う程近くにいる白上はあまりにも無防備にその顔をさらしている。

 

 「…普通、もう少し警戒位するだろ。」

 

 そんな彼女についため息をつきたくなる。

 いや、まぁ警戒はされたらされたで悲しいのだが、ここまで無防備にいられるとそれはそれで腹が立ってくる。

 

 そんな白上に開いている右手をそっと伸ばす。

 

 「幸せそうに寝てるな…。」

 

 その顔に手を当て、軽く頬を摘まむ。

 マシュマロかと思う程柔らかなその頬を、横に伸ばすようにそのまま軽く力を入れて引っ張ってみれば、白上の顔がやや寝苦しそうなものへと変わる。

 

 気が晴れるというわけでもないが、少しだけこの状況が可笑しなものに思えて小さく笑いが出た。

 

 「…ん?」

 

 そこで、不意に目に入ったそれに思わず声が漏れる。

 視線の先には白上の頬を掴んでいる右手。

 

 そんな右手の甲には宝石が埋め込まれている。

 未だに正体のつかめないその宝石は記憶にある限り、濁った不透明な色をしていたはずだった。

 

 「白色…。」

 

 しかし、目の前にある宝石は奇しくも同じく目の前にいる白上の髪の色と同じように、白く染まっていた。

 いつの間に変化したのか、少なくとも気が付いたのは今だ。

 

 …まさかとは思うが、俺が白上に惚れたから白色に色づいたとかではないだろうな。

 そんなことであったら、いくら気持ちを隠そうとしても一目でばれかねない。

 

 いっそのこと抉り取ってくれようか。

 

 手の甲を解放しようか割と本気で葛藤していると、突然、音を立てて襖が開いた。

 

 「フブキー、朝だ…よ…??」

 

 聞こえてきたその声は尻すぼみに小さくなっていき、やがて消える。

 それと同時に自分の体が白上頬に手を添えたまま硬直するのを感じた。

 

 早くも本日二度目の危機である。

 

 ゆっくりとその声の出所へと顔を向ければ、そこには目を点にしてこちらを見つめる大神の姿があった。

 その両手には定番のフライパンとお玉が装備されており、先ほどの言葉からも白上を起こしに来たことが伺える。

 

 「…おはようございます。」

 

 「…」

 

 気まずさを感じながら、何とか声を掛けることに成功した。

 

 しかし、その努力もむなしく。

 大神は点となった眼でこちらを見たまま、無言のまますっと部屋に入っていた足を引いて、襖を閉めようとする。

 

 「待ってくれ、誤解だ!

  頼むから出て行かないでくれ!」

 

 声を荒げて必死に懇願する。

 ここで誤解を解いておかないと後々まずいことになるのは確実。それだけは回避しなければ。

 

 何とか思いとどまってくれたのか、大神は閉めかけていた襖を止めて顔をこちらに覗かせる。

 心なしか、その瞳は気まずそうに逸らされている。

 

 「えっと、ごめんね。二人の仲が良いのは知ってたけど、まさかそこまで関係が進んでるとは思わなくて…。」

 

 恐らく大神も戸惑っているのだろう。

 

 いや、まぁ状況だけを見たら誰だってそう思う。

 以前にも白上の部屋で寝落ちしたことはあったが、ここまで引っ付いて眠ってはいなかった。 

 

 「だから違うんだって。

  昨日ホラゲーやって寝落ちしただけなんだ。誓ってそれだけだ。」

 

 我ながら苦しい言い訳だが、ここでそのまま帰られるよりは何倍も良い。

 

 「じゃあ、どうして透君はフブキの頬っぺたを触ってたの?」

 

 「あー…それは…。」

 

 やはりあまり良くなかったかもしれない。

 

 鋭い大神の指摘に思わず声が詰まる。

 痛いところを突かれた、当然白上が無防備すぎてやったなどと言えるはずもない。

 

 「気持ち良さそうに寝てるもんだから、少し悪戯でもしようかと…。」

 

 嘘ではない。

 実際には憂さ晴らしも含まれているが、大目に見ればそんなものだ。

 

 しかし大神は納得がいかないらしく、懐疑的な視線を向けたままである。

 

 「んー、やっぱり付き合ってたりするんじゃないの?」

 

 「いや、まだそんな関係じゃないって。」

 

 ぶち込まれる爆弾に動揺しそうになる心を押さえつけて呆れた風に返す。

 ここまでやれば納得してくれるだろう。

 

 「ふーん。」

 

 だが、予想とは裏腹に大神はこちらをニヤニヤと笑いながら生暖かい視線を送ってくる。

 何か言いたいことでもあるのだろうか。

 

 「まだ、ということは少なくとも透君はフブキに気があるんだね。」

 

 「え?…あっ…。」

 

 しくじった。

 そう気が付いてサッと顔から血の気が引くのを感じる。

 

 一旦隣の白上へと目を向ける。

 大丈夫、まだ眠っている。

 

 その反応を見て、大神の笑みがさらに深まる。

 

 「へー、そうなんだ。透君も男の子だね。」

 

 「…あの、このことは白上には…。」

 

 動揺が抜けきっていなかったようだ。ここまで来ては誤魔化しようもない。

 何とか内密にしてもらえないか交渉してみる。

 

 こんな間抜けなミスで関係を終わらせたくはない。

 

 「ふふっ、心配しないで。うちからフブキに言ったりしないから。

  …それにしても、透君がフブキを…。何時から好きになったの?」

 

 やはり逃げ道はないらしい。

 

 完全に部屋に入ってくると大神は目を輝かせて質問してくる。

 口止め料だと思えば仕方ないとは思うが。ただ、隣に本人が寝ている中でする話でもないと思うのは俺だけなのだろうか。

 

 「…って、聞きたい所なんだけど、時間が無いから無理なんだよね。」

 

 もうここまで来たら洗いざらい話してしまおうと覚悟を決めていると、そう言って大神は発言を撤回する。

 

 肩透かしを食らったようで、つい呆然としてしまう。

 

 「時間?何か用事でもあるのか?」

 

 「うん、ちょっと出かけないといけなくて。

  一か月くらいはここに帰ってこないから、フブキにも伝えておこうと思ったんだけど。」

 

 そう言って大神は隣の白上へと視線を向ける。

 騒がしくしたはずなのだが相変わらず白上は静かに眠っている。

 

 それにしても一か月か。

 急に聞いた話にしては期間が長い。

 

 「時間が無いってことは、今から?。」

 

 「そうだよ、透君はまだランニング中だと思ってたからびっくりしたよ。」

 

 驚いたのはこちらも同じだ。

 今日はどうにも寝坊に続いてハプニングが多い。

 

 「それじゃあ透君には伝えれたし。うちはそろそろ行くね。」

 

 「…そっか。分かった、白上には伝えておく。

  気をつけてな。」

 

 俺に言われるようなことでもないとは思うが、それでも伝えおく。

 見送りに出たい所ではあるが、どうにも左腕が解放されそうにない。いつまで寝ているのだろうかこの狐は。

 

 「うん、ありがと。」

 

 そう言うと大神は部屋の外へと出て、襖を閉めようとする。

 だが、閉じ切る前にもう一度大神はその顔を覗かせて口を開く。

 

 「透君も頑張ってね、うち応援してるから。」

 

 その顔には先ほどまでのような揶揄うような笑みはない。ただ純粋な応援したいという思いが表れていた。

 

 「…あぁ、頑張るよ。」

 

 答えれば今度こそ襖は閉じられる。

 

 それを確認して上げていた顔を下げ、ゆっくりと息を吐いた。

 

 まさかこんな形でばれることになるとは思わなかったが、悪い方向に進まなかったことにはただ安堵しかない。

 これが大神だったから良かったものの、本人だったらその時点で詰んでいた。

 

 爆睡していることに感謝するべきなのかはまた話が違ってくるが、取り合えずはいい加減左腕を開放してもらわないといけない。

 

 「白上、そろそろ起きてくれ。」

 

 やはり左腕には力が入らない為、腕を回して白上を揺さぶってみる。

 しかし、いくら揺すってみても目を覚ます気配が全くない。

 

 嘘だろ、どんだけ眠りが深いんだよ。

 こんなことなら大神にフライパンとお玉を借りておけばよかった。

 

 何故いつも大神がそれらを使って起こしているのか分かった気がした。

 

 起きないのなら仕方ないと、今度は左腕を引きぬこうとしてみる。

 これなら白上が寝ていても問題ない。

 

 「…抜けないな。」

 

 そう思ったのだが、いくら引っ張ってもびくともしない。

 カミの無駄に高い基礎スペックの前に、身体強化もないアヤカシの力では対抗できないとでもいうのか。

 

 かと言って身体強化を使おうにも、それはそれで怪我をさせてしまいそうで躊躇われる。

 

 万事休すか。

 そう思われたその時だった。

 

 「んっ…。」

 

 白上が小さく声をあげる。

 やがて、ゆっくりとその瞳は開かれ、左腕をホールドしていた腕が解かれる。

 

 無駄だと思っていたが、きちんと効果はあったようだ。

 

 「やっと起きてくれたか。」

 

 血が通い始めてじんわりと左腕が熱を帯びていくのを感じながら開放感に浸る。

 白上も目を覚ましたことだし、一旦外の空気でも吸ってこよう。

 

 そう考え、立ち上がりかけたところで不意に服の裾が引っ張られる。

 

 「白上?どうかし…。」

 

 疑問の声はそこで途切れる。

 何事かと白上のいる方向へと振り返れば、首に回される細い腕。

 

 それと同時に感じる体温。

 

 耳元で聞こえる微かな息遣い。

 

 「んんっ、透…しゃん…。」

 

 正面から抱きしめてくる白上のそんな言葉に、思わず体が硬直する。

 

 「あー、くそっ…さては寝ぼけてるな?

  …おい、白上。」

 

 停止しそうになる思考を何とか繋ぎ止めて白上に呼びかけるが特に返事はない。

 抱き着き癖でもあるのか、固く結ばれたその腕は後ろ手に解けるほど甘いものでもなさそうだ。

 

 何とか引きはがそうとするが、どう触れれば良いかも分からずお手上げ状態となる。

 

 「すー…。」

 

 そう時間もかからずに耳元から規則的な呼吸音が聞こえだす。

 

 「マジか…。」

 

 この状況で寝やがったこの狐。

 

 状況を振り返ってみよう。

 先ほどまでは左腕に抱き着いていた白上は、現在体の正面から抱き着いてきている。

 

 密着度も当然跳ね上がっており、何なら耳元で息遣いが聞こえるほど近くに白上の顔がある。

 

 つまり、この短時間で状況は悪化の一途をたどっていた。

 

 「もういいや。」

 

 すべてを投げ出して、もとい諦めてゆっくりと後ろへと倒れこむ。

 後どれだけで白上が起きるのかは分からないが、その時まで耐えるしかなさそうだ。

 

 昨日のようにゲームでもできれば気がまぎれるのだが、この状況で手を前に回すわけにもいかない。

 

 「…ん?」

 

 天井見上げていると、小さな足音が近づいてくるのが聞こえる。

 その足音が部屋の前まで近づくと、再び襖が開かれる。

 

 「フブキちゃん、起きてるー?

  …あれ、透君もいる。」

 

 「おはよ、百鬼。」

 

 現れたのは鬼の少女、百鬼あやめ。

 

 百鬼は俺と白上の姿を見つけると目をぱちくりと瞬かせる。

 

 「その遊びミヤコの子たちもしてたけど、楽しいの?」

 

 「あー、そうだな。

  同じ遊びかは知らないけど、少なくとも俺は楽しくないな。」

 

 何となく答えたが、ミヤコの子供たちはどんな遊びをしているのかが気になる。

 少なくとも今の状況は成り行きでなっただけなのだが、これをどうすれば遊びに発展させれるのだろう。

 

 「へー、そうなんだ。

  …余もやってみて良い?」

 

 何故か興味が湧いたようで百鬼はそんな提案をしてくるが、冗談ではない。

 

 「それはマジで勘弁してくれ。」

 

 ただでさえ混沌としているのに、更に百鬼まで加わっては確実に収集が付かなくなる。

 唯一の救いと言えば、話し相手が出来てようやく気を紛らわせることが出来ることか。

 

 「それで、百鬼はどうしてここに?」

 

 このまま同じ話題を引きずられても困るため、自然に話題を逸らす。

 

 「あ、そうだった。

  ちょっとしばらくキョウノミヤコで生活しようと思って、それで。」

 

 「連絡しに来たと。」

 

 大神と言い妙なタイミングで遠出をする。

 何か手伝えることでもあるかとも思うが、言ってこない辺り手助けは特に必要ではないのだろう。

 

 「というわけで、余はもう行くから。

  またね!」

 

 「え、あ、おう、またな。」

 

 そう言うと百鬼は呼び止める間もなく足早に部屋を去って行ってしまう。

 遠ざかる足音を聞きながら、胸の上で眠っている白上に視線を落とす。

 

 大神も百鬼もしばらくこのシラカミ神社には帰ってこない。

 つまり、その間白上と二人でここに暮らすこととなる。

 

 ただでさえ意識するのを耐えているのにも関わらず、追い打ちをかけるように試練が降りかかってくる。

 

 …。

 

 何はともあれ、今の関係を維持するのが先決だ。

 この想いが露見すれば、半分に一つでこの関係が破綻してしまうだろう。

 

 それだけは嫌だ。

 

 先への不安を覚悟で埋め尽くす。

 

 「…って、あ…。」

 

 ふと、見落としていた事実に気が付く。

 

 「百鬼に引きはがしてもらえばよかった。」

 

 だが既に後の祭り。

 結局、彼女の目が覚めるまで、俺は抱き枕としての機能を果たす他なかった。

 

  

 

 

 






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個別:白上 9


どうも作者です。


 

 人間、誰であれ過去を悔いることとは切っても切れない関係にある。

 つまり後に忘れたくなるような、いわゆる黒歴史を抱えて生きていると言っても過言ではないだろう。

 

 そして、それは強大な力を持つカミでさえ同じようで。

 

 「あぁぁぁぁぁぁぁぁっ…。」

 

 「おーい、白上。そろそろ出てきてくれよ。」

 

 長時間同じ体制でいて凝り固まった体を軽く伸ばしながら、目の前にあるうめき声を発し続ける布団に向けて声を掛ける。

 当然、その内部に入っているのは先ほどまで寝ていたはずの白上。

 

 出てくるように勧めてみるも、変わらずに布団から聞こえてくるのはうめき声のみ。

 

 何故このような状況になったかというと、時は数分ほど前に遡る。

 

 

 

 

 

 

 

 大神と百鬼が部屋を去ってから変わらず白上を上に乗せたままの俺は、現在暇を持て余していた。

 変に上に乗られているせいで寝返り一つ打てないのは中々きついものがある。

 

 おかげで木目の数を数えることに楽しみを見出し始めてきた。

 

 「ん…。」

 

 ぼーっと天井を見上げながら時間が過ぎていくのを待っていると、不意に白上が声を漏らして身じろぎをする。

 かと思えば、首の後ろでがっちりと結ばれていた腕が解かれる。

 

 「白上?」

 

 ようやく目を覚ましたかと声を掛ければ、横にあった白上の顔がゆっくりと上げられ、その白い綺麗な髪が頬をくすぐった。

 

 次に目に入ったのは瞳。

 寝起きなためか焦点の合わないそれと至近距離で見つめ合う。

 

 「…あれ、透さん…。」

 

 虚ろだったその瞳も時間が経つにつれて光が宿っていき、意識が覚醒してきたのか白上は俺の顔を見て疑問の声を上げる。

 それはそうだ、起きてみたら他人の顔が目の前にあるのだ、疑問の一つ、抱いてもおかしくない。

 

 「透さん、どうして白上の下に…?」

 

 「白上が引っ付いてきたんだろ。覚えてないか?」

 

 記憶を探っているのかぼーっとこちらを見つめていたかと思うと、次の瞬間音が出るかと思う程急激に白上の顔が赤く染まる。

 

 「え、あ、あ…。」

 

 何かを言おうとして、しかし言葉は出てこず、白上はぱくぱくと口を開け閉めする。

 

 「どうした、まだ寝ぼけてるのか?」

 

 まさか先ほどの二の舞になるかと自然身構える。

 しかし、今回はそういったわけでは無いようで。

 

 「あの、さっきの事、夢ではなく?」

 

 白上は頬を赤くしたまま、片言で問いかけてくる。

 

 さっき、と言うと丁度今考えていた寝ぼけて抱き着いてきた件だろう。

 寝ぼけていながら記憶にはしっかりと残っていたようだ。

 

 そういうことなら…。

 

 「それはまぁ、白上が俺の上にいるからな。

  現実だ。」

 

 「あぁぁぁぁぁっ!」

 

 答えたその瞬間、白上は言葉にならない悲鳴を上げ部屋の隅にある布団へと勢いよくダイブ。そのまま布団に潜り込み丸まってしまった。

 

 そして、現在に至る。

 

 布団に包まったまま奇声を発する装置となった白上に、どうしたものかと頭を悩ませる。

 このまま放っておくのも手だが、それはそれで後々確執を生みそうなため一旦対処を試みることにする。 

 

 「それで、何にそんな過剰に反応してるんだ。」

 

 「うぅ、だって、流石にあれはアウトです!

  寝起きで頭が回ってなくて、それで…、あー、どうして…。」

 

 聞けば、布団の中からくぐもった白上の声が聞こえてくる。

 布団に遮られて表情はうかがえないが、声の感じからして恐らくまだ真っ赤なままなのだろう。

 

 こうなった原因としては寝起きで抱き着いたことが白上的に羞恥の対象となっているようだが、それだと一つ疑問が残る。

 

 「昨日だって散々引っ付いてきてたろ、今さらじゃないか?」

 

 昨夜、霊にビビり散らかして散々くっついてきていた。それこそゲームしている最中ずっとだ。

 今朝の事で恥ずかしがるくらいならそちらの方に意識を向けてもおかしくないと思うのだが。

 

 「昨日のは横からだから問題ないんです!

  だけど正面から抱き着くって…、後生ですから忘れてくださいっ!」

 

 「無理。」

 

 「なんでですかー!」

 

 自分でも驚くほどの即答である。

 色々と衝撃的すぎて既に記憶にばっちりと残っているため、忘れることなど不可能だ。

 

 白上も切羽詰まっていることが声の必死さからひしひしと伝わってくるが、こればかりはどうしようもない。

 

 「…たく、仕方ないな。」

 

 頑なに出てこないというのならこちらにも考えがある。

 徐に布団に包まっている白上の近くまで歩いて行くと、白上の砦であるその布団をがしりと掴む。

 

 「…透さん?何をするつもりですか。」

 

 異変を察知したのか、白上が不安げに声を上げるがお構いなしだ。

 

 「何って…こうするつもり、だ!」

 

 答えながら力を籠めて、布団を一気に上に引き上げる。

 そこまでがっちりと固定されていなかったため、簡単にはぎとることが出来た。

 

 布団が無くなれば、そこにはぺたりと座り込んだ白上が何が起きたのか理解できていないようで呆然と視線をこちらに向けている。

 羞恥の為か、その顔は先ほど同様に赤く、目は涙に潤んでいた。

 

 「…な、何するんですか!返してくださいよー!」

 

 「断る、返したらまた包まるだろ。」

 

 手を伸ばしてくる白上から届かないよう掛け布団を後ろへとやる。

 白上も何とか奪還しようと奮闘するも、流石に分が悪い。

 

 それを悟ったのか白上は耳をペタりと垂れさせ、顔を手で覆い隠してしまった。

  

 「うぅ、穴があったら入りたいです。」

 

 諦めたことを確認して、ようやく一息つく。

 

 「横は良くて正面は駄目って。

  本当、変な所で意識するよな。」

 

 毎度こんな反応をされては心臓に悪い。

 線引きがはっきりしていれば分かりやすいのだが、白上次第となるとどうしようもない。

  

 「仕方ないじゃないですか、前から抱き着くのは…その、ちょっと別な感じがするんです。」

 

 やはり要領を得ない。

 だが、白上なりの考えがあることは確かだ。

 

 まだまだ白上について知らないことはたくさんある。

 その辺りの事もおいおい知って行きたいな。

 

 …それにしても、涙目で顔を赤く染める白上というのも中々レアだ。

 さらに上目遣いでともなると、ぐっとくるものが…。

 

 「ふんっ!」

 

 思い切り頬を両手で叩き、逸れかけていた思考を吹き飛ばす。

 緊張が解けた分だけ、自制力が弱まっていたようだ。

 

 幸いにも白上は現在自分の中の羞恥との戦闘に手いっぱいなようでこちらの奇行に気づいた様子はない。

 

 「記憶って、頭に強い衝撃を加えれば消えるんでしたっけ…。」

 

 「怖いって、せめて刀に手を伸ばそうとしないでくれ。」

 

 座った眼でこちらの頭部に視線を向ける白上に肝が冷える。

 確か白上の刀の形状変化で大木槌もあったはずだ、あれで殴られるのは勘弁願いたい。

 

 しかし流石に行動に移すつもりはないようで、再び白上は頭を抱えてうめき声を発し始める。

 

 「…こうなったら、透さんも何かしてください。

  女装とかおすすめですよ。」

 

 何がおすすめなのかは知らないが、こちらに矛先が向きだした。

 

 「ただの狂気の宴にしかならないからな、それ。」

 

 一体誰得なのだろうか。

 最近割と筋肉がついてきただけに、悲惨な未来しか思い浮かばない。

 

 ただただ二人共不幸になって終わることは確実だ。

 

 「大丈夫です、白上がちゃんと可愛くしてあげますから。

  それで起こしに来るミオにも見て…。」

 

 そこまで言うと不意に白上は言葉を区切り、窓の外へと目を向ける。

 外では既に太陽は登り切っており、周りの山々を照らしている。

 

 「そう言えばミオが起こしに来ませんね。

  いつもなら楽しそうに白上の安眠を妨げるんですけど…。」

 

 そんな白上の言葉を聞いて、そういえばと先ほどの出来事を思い出す。

 

 「あ、そのことなんだが。」

 

 大神と百鬼の事はまだ話していなかった。

 不思議そうに首をかしげる白上に、大神と百鬼がしばらくシラカミ神社を空けることを軽く説明する。

 

 「…ってことらしい。」

 

 「そうだったんですか。あやめちゃんはともかく、ミオが遠出するのは珍しいですね。」

 

 白上も話を聞くうちにすっかり落ち着きを取り戻していた。

 今は大神がシラカミ神社を空けると聞いて、驚いているように見える。 

 

 「大神って、前まではそんなに出かけたりしてなかったのか?」

 

 そこまで行動的だとは思わないが、同時にずっと引きこもっているというタイプでもないだろう。

 

 「んー、キョウノミヤコには偶に一緒に行ったりしてましたけど、一週間以上どこかへ行くのは初めてですよ。」

 

 「そういえばイズモ神社にも三日しか滞在しなかったな。」

 

 なら尚更に大神が一か月以上もどこに行くのか気になってくる。

 何かあれば連絡が来るだろうし、占星術もあるのだから基本的に問題はないと思うが…。

 

 「むしろ心配するべきは白上達の方なんですよね。」

 

 「その心は?」

 

 別に差し迫ってやるべきことは無かったはずだが、他に心配事と言えば…。

 

 「ほとんどミオがやっていた家事をどうするかです。」

 

 …。

 

 そういえばそうだ。

 手伝いはしていたが、調理なり何なりと大部分をやっていたのは大神であった。

 

 ちなみに、俺は未だに魚を焦がさなくなった程度の腕前しか備わっていない。その為、作るとなるとかなり簡単なものになるだろう。

 

 「白上は料理はできるのか?」

 

 「一応できますけど…最近作ってなかったので怪しいところですね。」

 

 なるほど、つまり料理が今のところの不安要素か。

 掃除などに関してある程度は何とかなるが、こればかりはどうしようもない。 

 

 「まぁ、最悪ミゾレさんのとこを頼るか。」

 

 こういった時に近場に食事処があると便利だ。

 とはいえ、ミゾレ食堂まではそれなりに距離があるため、常用するというわけにもいかない。

 

 どちらにせよ、料理には挑戦するしかなさそうだ。

 

 「よーし、では早速朝ごはんの用意をしましょうか。」

 言いながら白上は元気よく立ち上がると軽く伸びをする。

 とても先ほどまで羞恥に潰されかけていた人物には見えなかった。

 

 「もう大丈夫なのか?」

 

 「はい、この白上、意識の切り替えには定評がありますから。

  誰かさんにいじめられてもすぐに立ち直って見せます。」 

 

 聞けばジトリとこちらを見てくる白上。そこに羞恥の影は既に無い。

 どうやら本当に切り替えられているようだ。

 

 「人聞きが悪いな、さっきのはどちらかというと白上の自爆じゃないか?」

 

 別にこちらから何かしたわけでは無い。

 寝ぼけて抱き着いてきたのは白上だ。

 

 むしろそれで無駄にどぎまぎさせられた分、被害者ですらある。

 それでいじめたと言われても甚だ遺憾だ。

 

 「聞こえませーん!」

 

 白上は耳を手で塞ぐとそのまま部屋から出て行ってしまう。

 随分と都合の良い耳を持っている、モフってみたいな…。

 

 …。

 

 また逸れかけた思考を頭を叩いて追い出す。

 こんな状態で白上と二人で生活などできるのだろうか。

 

 …とにかくもう決めたことだ。

 白上の前でぼろが出ないよう気を引き締める。

 

 落ち着いたところで、恐らく台所へと向かったであろう白上を追って部屋を出る。

 襖を閉めようとしたその時、不意に視線を感じて体の動きを止める。

 

 白上は既にここにはいない。

 大神、百鬼も同様だ。

 

 俺の知らない住人か?それなら事前に名前くらい出てくるだろう。

 

 なら、誰の。

 

 視線を感じる方向。

 白上の部屋の中をぐるりと見渡す。

 

 すると視界のなかでゆらりと動くものを捉えた。

 

 だが、小さい。

 少なくとも人ではない、なら何が。

 

 そして、遂にその正体を目にした。

 

 「…シキガミ。」

 

 部屋の中。

 丁度窓の枠に座るようにして、小さな狐のシキガミが尻尾を揺らしながらこちらを見つめていた。

 

 いつか見たことのある、白上のシキガミだ。

 

 なんでこんなところに、その疑問が浮かぶより早くシキガミはすっと立ち上がると、虚空へ飛び込むようにその姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「シキガミですか?今日は呼んでいない筈ですけど…。」

 

 「だよな。昨日の夜もそれどころじゃなかったし。」

 

 キッチンに辿り着き、棚を見て回っている白上に確認を取ってみるが心当たりはないようだ。

 

 「シキガミって偶に勝手に出てくることがあるんですけど、そういう時は何か目的があるはずなんですよね。」

 

 目的か。

しかし今回の場合何時からなのかは分からないが、ただこちらを見ていただけ。

 

 これだけの情報では考えようもないな。

 

 「まぁ何かあれば白上に知らせがいくか。

  それで、白上は何してたんだ?」

 

 白上に何も知らせがないところを見るに目的が何であれ、問題はないだろう。

 

 「それが、朝食を作ろうと思って食材を確認してたんですけど…。」

 

 そう言って白上は今まさに見ていた棚へと指をさす。

 何があったのか不思議に思いながらも白上の横に立ち棚を覗き込む。

 

 確かそこには野菜などが入っていた。

 そのはずだったのだが。

 

 「…空だな。」

 

 「はい、何も入ってなくて。

  一応他の棚も確認してみたんですけど、同じく…。」

 

 まさか、そう思い棚という棚を開けて確認してみるが、白上の言う通りどこにも食材の姿はなかった。

 代わりに、見つかったのは昨日下ごしらえをしていた大量のきつねうどんのセットのみ。

 

 「多分ミオが意図的に食材を使い切ったんだと思います。」

 

 「どうして、って理由は何となく分かるけど。」

 

 大神が百鬼から先に話を聞いていたのだとすると、シラカミ神社に残るのは必然俺と白上だけになる。

 そして、普段は料理をしない二人ということもあり食材の鮮度なども考えると使い切る方が良いと判断したのだろう。

 

 「何と言いますか、信用の無さが表れてますね。

  逆に信用されてるとも取れますけど。」

 

 「まぁ、日頃の行いだろうな。」

 

 実際、ミゾレ食堂を頼る気でいたのだから間違いではないな。

 

 「…一応言っておきますけど、それ透さんも含まれてますよ?」

 

 「知ってる。」

 

 これでも大神の手伝いの最初の頃は逆に迷惑をかけていたくらいだ。

 マシになったとはいえ、大神からしてみればまだまだなことは分かる。

 

 とはいえ、きつねうどんのみでひと月を過ごすことは出来ない。 

 白上なら行けるのだろうがそれは白上が例外なだけで、俺なら確実に三日で飽きる自信がある。

 

 「取り合えず今日はきつねうどんを消費するか。」

 

 「そうですね、料理を作るのはまた明日にしましょう。」

 

 それ以外に食べるものがないのだから仕方がない。

 

 ささっとうどんを茹でて、出汁を温める。

 流石にこのくらいでは失敗はしない。

 

 特に何事も起きないまま盛り付けをして、きつねうどんが完成する。

 

 「白上、本当に一杯分で良いのか?」

 

 いつものことを考えると同時に十は作っておいた方が良い気がして白上に聞いてみる。

 すると白上は複雑そうな顔をして頬をかく。

 

 「あの、今まできつねうどんを爆食いしてた白上も悪いんですけど。

  朝からそこまでがっつり食べるほど白上は大食いではないですからね。」

 

 「それは失礼した。」

 

 出来上がったきつねうどんを居間まで運び、雑談を交えながらうどんをすする。

 そこまで時間もかからず完食すれば、食器を洗い、再び居間へと戻る。

 

 流石に冬も本番ということもあり、食器を洗うだけでも指先がかじかんで一苦労だ。

 二人で炬燵に入り、冷えた体を温める。

 

 「やっぱり炬燵ですねー。」

 

 「炬燵に入るたびに言ってるな、それ。」

 

 「それだけ炬燵の事が好きなんですよ。」

 

 先ほど起きたばかりだというのに、既に炬燵に溶かされている狐が一匹目の前に。

 しかし、そうか炬燵が好きか。

 

 (まさか、炬燵に嫉妬する日がこようとは。)

 

 冬の味方ともいえる炬燵が今は強力なライバルにしか見えない。

 

 「どうしたんですか?気難しい顔して。」

 

 「んー、ちょっとな。」

 

 顔に出ていたらしく、白上が怪訝そうに聞いてくるのを適当にはぐらかす。

 だから白上の前では出すなというのに。

 

 それからしばらくみかんを摘まみながら、穏やかな時間が流れる。

 

 本当にやることがない。

 今のうちに朝にできなかった鍛錬でもしようか、それとも白上と一緒にごろごろとしておくか。

 

 自らの欲と静かな戦闘を繰り広げていると、何やら外からがらんがらんと大きな鈴の鳴る音が聞こえてくる。

 

 「あ、珍しいですね。」

 

 「珍しいって、何かあるのか?」

 

 タイミング的に神社の鈴の音が関連しているのだろうが、何分鈴が鳴らされたのを聞くのが初めてでその意味を知らない。

 

 「参拝客ですよ。

  稀に悩みだったり、問題を解決してほしいって人がきたりするんです。

  

  ちょっと行ってきますね。」

 

 「あ、おう。」

 

 そう言うと、白上は炬燵から出て手早く服装を整えると外へと出て行ってしまった。

 白上にもやるべきことはきちんとあるのか。

 

 それに比べ、俺は…。

 

 自分の立ち位置に不安を覚える。

 そんな朝であった。

 

 

  

 

 






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個別:白上 10


どうも、作者です。


 

 「透さーん!ちょっと来てくださーい!」

 

 白上が表に出てから少しして、外からそんな声が聞こえてくる。

 何か問題でも発生したのか。そう考え、足早に玄関へと向かう。

 

 室外に出れば少し控えめな太陽の光が顔を照らす。

 

 さて、白上は何処にいるのだろうと辺りを見渡せば、意外とすぐにその姿を見つける。

 丁度鈴のある場所の下辺り、ちょっとした段差となっている辺りに腰掛けている。 

 

 それともう一人、白上の他に見覚えの無い、年は大体10辺りだろうかという少女が白上と一緒にいる。

 あの子が鈴を鳴らした参拝者か。

 

 そちらへと向かえば、白上も気が付いたようで軽く手を振ってくる。

 

 「白上、何かあったのか?」

 

 「はい、ちょっと問題が発生しまして。

  あ、こちら近隣の村に住んでいるサヨちゃんです。」

 

 白上が紹介すれば少女は会釈をしてくるため同じく会釈を返す。

 その後軽く自己紹介だけして、本題へと話が移る。

 

 「それで問題って?」

 

 「それが、サヨちゃんの飼ってるペットがいなくなってしまったみたいでして。」

 

 なるほどそれで捜索するのに協力してほしいと。

 しかし、大神がいないこのタイミングとはまた運が悪い。

 

 「分かった、協力するよ。

  サヨちゃん、探してる子がどんな動物か教えて貰っても良いかな。」

 

 なるべく怖がらせないように、サヨちゃんへとペットの特徴を聞く。

 これで泣かれでもしたら正直立ち直れる気はしない。

 

 そんな心配とは裏腹に、サヨちゃんは頷くとゆっくりと話し始める。

 

 「猫のプーちゃん。

  白くて、赤の首輪をつけてるの。

 

  昨日からずっと探してるけどどこにもいなくて…。」

 

 「白い猫か…ありがとう。」

 

 「あの、透さん。なんで一瞬白上を見たんですか?」

 

 昨日から探して見つからないのなら辺りの山の中にいるかもしれないか。

 

 確実ではないが一応シキガミを飛ばせば大神とも連絡が取れるだろうし、ここは頼らせてもらおう。勿論取り込み中であれば、地道に探すしかないが、どの辺りにいるのかだけでも分かれば効率はぐっと上がる。

 

 飛ばすなら白上のシキガミよりは伝令に特化しているちゅん助のほうが良いだろう。

 

 「じゃあ、大神にシキガミを飛ばしてくるからちょっと待っててくれ。」

 

 「透さん、なんで白上を。」

 

 聞こえなーい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『一応占星術で見てみたんだけど、シラカミ神社とその飼い主の女の子の住んでる村の間の山中にいると思うよ。

  即急だったからあんまり正確な位置が出せなくてごめんね。』

 

 大神の元から帰ってきたシキガミのちゅん助から言伝を聞く。

 今どこにいるのかは知らないが遠隔からここまで情報がもらえるだけでありがたい。

 

 「十分すぎる、助かったよ。

  ありがとう。」

 

 礼を言伝にして再びちゅん助を飛ばす。 

 通話ができればもっとスムーズなのだが、現段階でそれを実現する知識はない。

 

 神狐辺りなら知ってそうだが、今は良いか。

 とにかく、これで捜索の目途はついた。

 

 足早に二人のもとに戻れば、何やら青い小さな炎のようなものが間でふよふよと浮かんでいるのが目に入る。

 

 「連絡ありがとうございます。

  結果はどうでしたか?」

 

 「ん、あぁ、ある程度範囲は特定できたみたいだ。

  それより、それは?」

 

 たち上がりこちらへと寄りながら聞いてくる白上に答えながらもやはり気になって目が離れない。

 百鬼の鬼火に似ているが、色合い的には別物だ。

 

 現在、サヨちゃんの近くを漂っているそれは熱を発してはいるようだが、比較的低温の炎のようで燃え移る心配はなさそうだ。

 完全にちょっと離れて使える湯たんぽである。

 

 「鬼火ならぬ狐火です。

  以前イヅモ神社に行った際にセツカさんに教えてもらいまして。

 

  流石にちょっと冷え込んできたので。」

 

 それで暖を取っていたようだ。

 太陽は出ているものの、まだ空気は冷たいまま。

 

 そんな中をこの子は歩いてきたのだと思えば、どれだけ大事にしているかが分かるというもの。

 

 「詳しい話は取り合えず中に入ってからにしましょう。」

 

 「そうだな。」

 

 一旦サヨちゃんを連れて室内に移動する。

 居間にある炬燵に入れば、よほど疲れていたようでほっと一息ついて若干うとうとし始めている。

 

 昨日からと言っていたし、朝からわざわざ一人でここまで来る程だ、昨夜もあまり眠れていなかったのだろう。

 

 「お待たせしましたー。」

 

 少しして、白上がお盆に人数分の湯飲みを乗せて戻ってきた。

 礼を言って湯呑を受け取り、揃って茶を飲んで大神から聞いた占星術の結果を二人にも共有する。

 

 「ここと集落の間ですか。

  あの辺りは道をそれたら崖に突き当たることがあるので、どこかで動けなくなっているかもしれませんね。」

 

 近所ということもあり、白上はある程度そのあたりの地理に詳しいようだ。

 

 しかし、崖か。

 別にちょっとした段差程度のものなら問題ないが、標高の高い山はいくつかシラカミ神社からでも見える。

 危険な状況である可能性も否定できないか。

 

 「なら早めに探しに行こう…って言いたいところだけど、サヨちゃんを連れて移動するわけにもいかないしな。」

 

 見たところサヨちゃんは普通の一般人だ。

 イワレによる強化などはできるはずもなく、必然的に移動速度が合わない。

 

 このまま連れて行っても負担をかけることになるだろう。

 

 「んー、そうですね。

  親御さんが心配してはいけないので、一度村のほうに送り届けてからにしますか。」

 

 「そうしよう、サヨちゃんは…って、あれ。」

 

 方針も決まったところで確認を取ろうと目を向けてみれば、既にサヨちゃんは炬燵に入った状態でテーブルに顔を突っ伏して静かに寝息を立てていた。

 

 その様子に白上と目を合わせれば、自然と笑みが漏れる。

 

 このまま寝かせてあげたいところだが、早く探しに行く必要があるのも事実なわけで。

 

 「なら…。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 「透さん、大丈夫そうですか?」

 

 「多分な、これくらいなら問題ない。

  子供一人くらいなら身体強化無しでも運べるさ。」

 

 心配そうに言ってくる白上にそう返す。

 

 現在シラカミ神社から出発して、サヨちゃんの家のある村へと歩いている。

 村まではそれなりに距離はあるが伊達に毎日鍛えているわけでは無い。

 

 そのサヨちゃんはというと、腕の中で今なお寝息を立てていた。

 

 「因みに、身体強化を使わない理由をお聞きしても?」

 

 「…。」

 

 何となく見当がついているのか阿呆を見るような視線が隣から飛んでくる。

 いや、確かに身体強化をした方が確実に楽なのではある。

 

 しかし、それでは意味がないのだ。

 

 「…また鍛錬ですか。」

 

 何とも言えない目で見られて、若干居心地が悪くなる。

 

 「あー、まぁ、丁度今日の朝は何も出来てなかったなーと思って。」

 

 そんなところにお誂え向きなトレーニングがあるのだ、実行しない手はない。

 そう答えるも、白上は腑に落ちないのか首を傾げて口を開く。

 

 「前から疑問だったんですけど、透さんはどうして鍛錬をしてるんですか?

  別にそれが悪いとかの話ではないんですけど…気になりまして。」

 

 「理由か…。」

 

 そういえばあまり考えたことはなかったな。

 最初は確か少しでも役に立つためにと百鬼に頼んだのが始まりだった。

 

 だが、解決すべき問題も無くなった今。それの必要も無くなったわけで。

 

 「…どうしてだろうな。」

 

 「もしかして、自分でも分かってないんですか?」

 

 全くもって白上の言う通りだ。

 

 習慣になったと言えばそこまでなのだが、どうにもそれだけではない。

 百鬼と鍛錬していたから、これもその百鬼が居なくなっても続けていた。

 

 鍛錬自体は楽しいし、やりがいは感じている。

 この辺りなのか?

 

 「まぁ、複雑な男心が関与してるのは間違いないな。」

 

 「…透さん、自分の事常識人だと思ってそうですけど全くの逆ですからね。」

 

 唐突に失礼な奴だな。最近そんな気がしないでもないからやめていただきたい。

 

 「それにしてもー、そうですか、特に理由もないんですか。」

 

 「白上?」

 

 声を掛ければ、白上はぷいと横を向いてしまう。

 あれ、何かやらかしたか?

 

 「いえ別に、白上とゲームするよりも透さんはその鍛錬の方が好きなんだなーと思っただけです。

  はい、気になんかしていませんし。」

 

 そう言う白上は頬を膨らませて分かり易く拗ねていらっしゃる。

 なるほど、これはマズイ。

 

 「それは悪かったって。

  てかこの話解決してなかったか?」 

 

 セイヤ祭の後くらいにも同じようなことがあった気がする。

 その時は特に気にした風でもなかったが、今さら再燃してしまったようだ。

 

 「むー、しましたけど。

  ちょっとモヤモヤするんです。」

 

 「モヤモヤって…。」

 

 まるで嫉妬でもしているかのような物言いだ。

 実際友人が自分以外にばかり構っていたらそう思っても仕方ないか。

 

 「そりゃ鍛錬も大事だけど、それ以上に白上とゲームするのも好きだから。

  そこは覚えててくれ。」

 

 「…本当ですか?」

 

 横を向いて顔を逸らす白上の耳がぴんと立つ。

 それがどの感情を表しているのかは一目瞭然で会った。

 

 よし、何とか機嫌は戻せそうだ。

 

 「あぁ、本当だ。

  昨日のゲームもまだ一本残ってたし、やるの楽しみにしてるんだ。」

 

 嘘偽りのない本心を伝えれば、更に白上の耳が上に伸びる。

 少し簡単すぎる気もするが、今は好都合なため特に何も言わないでおく。

 

 「もう、それならそうと早く言って下さいよー。

  あ、そういえばまた新しいお菓子を仕入れたので楽しみにしていてくださいね。」

 

 ニコニコと満面の笑みを浮かべる白上に若干の苦笑いが浮かぶ。

 ただちょっと機嫌を直しすぎた気もするが、まぁ問題ないだろう。

 

 道沿いに歩いて行けば、やがて小さな村へとたどり着く。

 小さいながらも施設は充実しており、時折利用する見慣れた銭湯も見える。

 

 「サヨちゃんの家は何処ですかね。」

 

 きょろきょろと辺りを見渡しながら白上が言う。

 

 小さな村ではあるが、それなりに住居も多い。

 しかもそれぞれ似たような作りをしているため、どれがどれだか分からない。

 

 そもそも、サヨちゃんの家自体知らないのだからそれ以前の問題ではあるのだが。

 

 「その辺りの人に聞いてみるしかないか。」

 

 未だ眠っているサヨちゃんを抱えて村の中を歩いていれば、丁度よくこの村の住人であろう青年が前から歩いてくるのが見える。

 

 「すみません、少しよろしいですか。」

 

 「はい?って、シラカミ神社の。

  どうしたんですか?」

 

 白上が声を掛ければ青年は立ち止まり、こちらへと視線を向ければ白上の姿を目にして目を丸くする。

 最寄りの村ということもあり、白上の事は当然知っているらしい。

 

 「この子の家を探してるんですけど、ご存じですか?」

 

 白上が聞けば青年の視線がこちらへと移る。

 そして、サヨちゃんの子を見れば心当たりがあったのか声を上げる。

 

 「あ、サヨちゃんか。

  さっきその子の親が探してるのを見ましたよ。

 

  家はあっち側の端の方です。」

 

 方向を指で指し示しながら教えてくれる。

 探してるということは無断で来てたのか。

 

 これは先に送り届けに来て正解だったかもしれない。

 

 青年に礼を言ってすぐに教えて貰った家へと急ぐ。

 少し歩けば、目的の家へと到着する。

 

 家の前には女性が一人立って忙しなく辺りを見渡していた、恐らくサヨちゃんの母親だろう。

 近づくとこちらに気が付いたのか、その女性は血相を変えて駆け寄ってくる。

 

 「サヨっ…!」

 

 大声で名前を呼ばれてようやく起きたのか、サヨちゃんは目を開けるとその声の出所へと目を向ける。

 

 「ふぇっ?…あ、お母さん。」

 

 母親らしき女性の姿を視界に収めれば、サヨちゃんは呆けた顔で呟くように言う。

 やはり、サヨちゃんの母親で間違いはないようだ。

 

 起きたところでおろしてやれば、サヨちゃんはてくてくとゆっくり母親の元へと歩いて行く。

 

 「っもう、全くこの子は…。

  すみません、うちの子がご迷惑をおかけしたようで。」

 

 無事を確認して安心したのかほっと息を吐くと、今度はこちらに目を向けて頭を下げてくる。

 

 「いえいえ、迷惑だなんて。

  そんなことはありませんよ。」

 

 手をあたふたと振りながら白上が慌てて否定する。

 それを受けて女性もまだ納得はいかないのか、抵抗ありげに顔を上げる。

 

 取り合えず、サヨちゃんの母親にも事の経緯を説明する。

 俺たちがペットの捜索の手伝いをすると知ったときには、目を丸くして驚いていた。

 

 「それで大体の場所は特定できたので、今から探しに行くところです。」

 

 「そんな、ありがとうございます。 

  私たちも探してはいるんですけど、中々見つからなくて。」 

 

 サヨちゃんの母親曰く、今朝も夫婦そろって探しに行こうとしていたらしいのだが、ペットどころか娘の姿まで消えたと軽く騒ぎが起きていたらしい。

 今も父親がペットの捜索に加えて、サヨちゃんの姿も探しているらしい。

 

 帰ってきたことを伝えてあげたいとは思うが、如何せん今から向かう場所とは逆方向に進んでいるらしく、伝えようがない。

 まぁ、帰ってくれば分かることだ、今はペットの捜索を優先させてもらおう。

 

 説明も終えたところで早速出発しようとすれば、不意に服の裾が引っ張られる。

 

 何事かと目をやれば、サヨちゃんがこちらをジッと見ている。

 心なしか、その顔には不安が浮かんでおり裾を掴む手にも力が入っていた。

 

 「プーちゃん、見つかる?」

 

 裾を掴むその手は微かに震えている。

 大事な家族がいなくなれば心配するのは当然か。

 

 二度と会えないというのは、それだけで心をえぐるものだ。

 

 「勿論、俺たちが絶対に連れて帰ってくるから、お母さんと一緒に待っててくれ。」 

 

 「…うん。」

 

 出来るだけ安心させることが出来るように力強く言えば、サヨちゃんの顔に笑顔が戻る。

 それを確認すると今度こそ出発する。

 

 「透さん、少しいいですか?」

 

 村から出てから山の方向へと向かっていると白上に名を呼ばれる。

 

 「ん、どうした?」

 

 横を向けば

 

 「いえ、この先なんですけど、かなり道が悪くて行き当たりに崖があったりするんです。

  身体強化があってもかなりの高所から落ちると命にかかわりますので、それだけ伝えておきたくて。」

 

 白上のその顔はいたって真面目なものだ。

 それだけ危険もある場所であることをそれが表している。

 

 「崖か…分かった、気を付けるよ。」

 

 恐らく見つけることが出来ないのもここを探索することが出来ないのが関わっているのだろう。

 イワレによる強化が出来ればある程度のリカバリーはきく、しかし、普通の状態ともなれば仮に足を滑らせたとして何かにつかまることすら難しいだろう。

 

 念のため、身体強化を行っておく。

 

 「では行きましょうか。」

 

 「あぁ。」

 

 二人揃って、歩みを進める。

 

 二手に別れたい所ではあるが、キョウノミヤコとは違いこの辺りの地形はよくわからない為、二人で同じ場所をくまなく探すことにする。

 

 冬ということもあり、あまり緑が多いわけでは無いがそれでも木々がそれぞれ枝を伸ばし合っており遠くまで見通せるかというと、否と言うほかない。

 

 「これは…骨が折れそうだな。」

 

 「そうですね、普通の野生動物もいるでしょうし…。

  こういう時に限ってミオがいないんですから。」

 

 大神に頼りきりになるのも考えものだが、それを差し引いてもやはり占星術があればと思わずにはいられない。

 

 「そういえば透さん、一時期占星術をミオに習おうとしてませんでした?」

 

 辺りに目を凝らしながら白上が問いかけてくる。

 

 「ん、まぁな。けど精度は最悪だった。」

 

 一応何度か大神に教えても貰いながら挑戦してみたことはあった。

 しかし、どうにも相性が良くないらしく何かを見ようとすると一つのモノを見ようとしているはずなのに、複数反応があったりと散々な結果に終わった。

 

 「ないものねだりをしても仕方ないしな。

  地道に探すしかないか。」

 

 「そうですね。

  幸い色は白らしいですし、見落とすことは無さそうなのが救いですね。」

 

 特徴としては白い毛並みで、赤い首輪をつけている事。

 流石に同じ特徴を持った野生動物はいないだろう。

 

 それぞれシキガミを呼び出し、ちゅん助は空中から、白上のシキガミは木に登ってこちらからは見ることのできない場所にも目を増やし、しばらく歩きながら散策する。

 

 しかし中々それらしい痕跡は見つからない。

 そもそも、思っていた以上に野生動物がいなかった。

 

 考えてみれば、この時期基本的に冬眠する動物も多いのだろう。

 

 「…あっ。」

 

 そんな中、不意に白上が声を漏らす。

 立ち止まった彼女に合わせるように足を止めて、彼女に目を向ける。

 

 「もしかして、見つけたのか?」

 

 「はい、シキガミから反応がありました。

  こっちです!」

 

 言うと、白上は方向を指さしてすぐにそちらへと駆け出す。

 そんな白上の後を追って走っていると、辺りの木々が開けてきた。

 

 ようやく白上が立ち止まったところで追いつけば、改めて辺りを見回す。

 

 端的に言えば、目の前にあるのは崖だった。

 

 前方の遥か下の方に、木々の姿がうっすらと見える。

 下を見るのすらためらってしまう程の高さだ。

 

 「多分、この下の方に…。」

 

 そんな崖の下を覗き込むように白上が端へと近づき舌を見る。

 落ちてしまうのではないかと、冷や冷やとしながらそれに倣えば、少し下の方に岩が人ひとりが乗れるくらいの大きさで平坦に突き出ているのが見える。

 

 そこに…見つけた。

 白い毛並みの赤い首輪をつけた猫が座っている。

 

 恐らくあれが目的の猫に違いない。

 

 何故こんなところにいるのか疑問が湧くが、今は置いておく。

 

 「だけど、どうやって救出する?

  手を伸ばして届く距離でもないだろ。」

 

 「んー、そうですね。」

 

 見たところその突き出た部分は大体二メートルほど下にある。

 これでは腕だけでなく、体ごと伸ばしてもまだ届かない。

 

 「あそこに降りるしかなさそうですね。

  体重も軽い方が良いので白上が行きます。」

 

 「そうなるか…。」

 

 正直あまり気は進まない。

 しかし、現状それしか方法が無いのも確かだ。

 

 現在の持ち物と言えば、いつもの刀くらい。

 他に役立ちそうなものは無かった。

 

 「透さん、登るのと降りるのを手伝って貰っても良いですか?」

 

 「あぁ、分かった。」

 

 そして、猫の救出ミッションが開始された。 

 

 白上の手を掴み足場へと降ろしていく。

 これで足場が崩れたら終わりなため、ゆっくりと慎重に。

 

 段々と高度を下げて行き、遂に足場へと白上の足が着く。

 

 「どうだ?」

 

 これで駄目そうなら、引き上げる。

 白上は軽く足を付けて足場の強度を確認する。

 

 「大丈夫そうです、一旦手を離しますね。」

 

 するりと白上の手が離れる。

 それだけで肝が冷え、本当に問題ないか不安になる。

 

 「よしよし、怖かったですねー。」

 

 そんな心配とは裏腹に、白上はその猫の元まで近づくと両手で抱き上げる。

 猫も助けてくれると分かっているのか、特に抵抗は見せなかった。

 

 これで後は引き上げるだけ、ここまでは順調に進んでいる。

 白上がこちら側へと近づき、猫を抱いている手とは逆の手をこちらへと伸ばそうとする。

 

 「わっ!」

 

 その瞬間、横薙ぎに強い突風が吹いた。

 崖の側面ということもあり、遮るものもなく白上はその風にあおられて少し体制を崩した。

 

 バランスを保つために、白上は横に足を移動させる。

 

 だが、それが間違いであった。

 その部分が脆くなっていたのか、白上の足の乗っている部分の足場が崩れる。

 

 「あっ…。」

 

 捕まるものも何もない。

 掴もうと伸ばした手はただ空を切る。

 

 白上の体は、そのまま宙へと投げ出された。

 

  





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個別:白上 11


どうも、作者です



 

 伸ばした手は空を切った。

 

 「白上っ!!!」

 

 足場が崩れて、体制を崩した白上が崖下へと落ちていく。

 その様子をスローモーションの世界で認識した瞬間、足は地面を蹴った。

 

 そこに葛藤や迷いは一ミリたりとも存在しない、ただこのまま白上が落ちていくのを見ているわけにはいかなかった。

 

 宙へと体を投げ出すのと同時に全身にイワレを集中させる。

 ただの身体強化では足りない、鬼纏いを全力で後の事など気にせずに使用する。

 

 全身にそれが行きわたるのを確認して、白上の元へとたどり着くため岩肌を軽く蹴って肉薄する。

 

 「透さん!?どうして…!」

 

 何故飛び降りてしまったのか、切羽の詰まった声で白上が問いかけてくるも応えている余裕はなかった。

 

 両手がふさがり後ろから落ちている白上がこのまま地面に叩きつけられれば、まず間違いなく命はない。 

 それだけは、絶対に回避して見せる。

 

 「…こ、のっ!」

 

 白上を強引に引き寄せて、腰の刀を抜き、崖の側面へと突き立てる。

 

 刀が狙い通りに崖の岩肌へと突き刺されば、凄まじい音を立てて岩が削れていく。

 それにより、少しではあるが落下の速度が緩和された。 

 

 しかし、同時に手首へと尋常ではない衝撃。

 

 当然だ、人二人に動物一匹。

 それが落下により指数関数的に速度を増しているところを強引に刀一本で静止させよとしているのだ。更にただ横への力ではなく岩肌から離れないように調整も必要となる、その負荷は並みの人間であれば既に手首が取れている程のものだ。

 

 一瞬でも気を抜けば刀ごと持っていかれそうだ。

 

 だがそこまでしても緩和したとはいえ、落下の速度は以前保たれている。

 

 岩肌が脆いのか簡単に削れてしまい上手く抵抗として機能していない。

 これでは加速分を何とか軽減しているだけだ。

 

 もっと深くまで差し込もうとするが、現状ではこれ以上に進みそうにもない。

 

 その様子を見て察したようで、白上は俺の胸へと抱いていた猫を押し付ける。

 

 「透さん、せめて私だけを落として下さい!

  そうすればまだ間に合います!」

 

 白上が一人で何とかできるのならそうするのも手だ。

 しかし、この言い方。決意に染まったその瞳。

 

 これはただの自己犠牲だ。

 

 鬼纏いの状態でこれだ、ただの身体強化ではいくらカミといえどもどうにもならない。

 丸腰ともなればなおさらに。

 

 「…断るっ!」

 

 食いしばった歯を動かして唸るようにその提案を否定する。

 

 だが、否定はしたものの、精一杯の結果がこれだ。

 なら仕方ないと諦めてこのまま諸共地面で赤い花を咲かせるか?

 

 否だ。

 

 ここで諦めるわけにいはいかない。

 諦めてなるものか。

 

 全身の力を振り絞る。

 血流の流れが感じ取れる、真っ赤な視界の中、ただ全力を引き出す。

 

 その瞬間だった。

 

 自分の中の何かが壊されるような衝撃。

 それを感じたその時、全身を炎のような熱が駆け巡る。

 

 痛み。

 声にならない叫び声を上げそうになる程の全身を炙られるような。

 

 だが、同時に駆け巡る力。

 明らかに上昇した鬼纏いの出力。

 

 一線を越えた?

 踏み込むべきではない領域に踏み込んだ?

 

 どうだっていい。

 

 今この瞬間を乗り切れるのなら。

 白上を守ることが出来るのならば。

 

 後のことなど知ったことか。

 

 全身のバネを利用してさらに深くへとその刀を突きたてる。

 

 「止まれぇぇぇぇっ!!」

 

 より一層の破砕音を立てて速度がみるみる内に落ちていく。

 だが、下からは既に目視できる地面が近づいてきている。

 

 静止が間に合うか同課の瀬戸際。

  

 そして、遂に地面が肉薄する。

 現段階でかなり減速してきている。このまま行けば恐らく丁度で停止できる。そう確信したその時だった。

 

 ばきりと岩とは違う破砕音。

 同時に内蔵がヒヤリとする浮遊感。

 

 「えっ…。」

 

 見上げれば、刀身のほとんどが無くなった刀の残骸が手の中にある。

 どうやら刀の方が耐えきれなかったようだ。

 

 支えを失い、そのまま宙へと揃って投げ出される。

 

 だが問題ない。

 この高さからなら、このまま着地できる。

 

 白上を横抱きにしてしっかりと抱える。

 猫も白上の腕の中で丸くなっているため危険はないだろう。

 

 どんどんと地面が近づき、そしてついに足が地面に触れる。

 

 衝撃音。

 

 それと同時に、できうる限り足で衝撃を吸収する。

 じんじんと足に染み渡るような痛みが走るが、それだけだ。

 

 「白上、怪我は?」

 

 すぐさま白上の様子を確認する。

 

 「は、はい、大丈夫です。

  ありがとうございます。」 

 

 状況がうまく把握できていないのか、茫然として答える白上。

 ぼーっとしてじっとこちらを見てくるが、言葉の通り特に怪我は無さそうだ。

 

 「はぁ…良かった…。」

  

 それを確認して、安堵につい息を吐く。

 

 心臓がまだばくばくと音を立てている。

 助けれた、無事に今も息をしている、その事実に心の底から安堵した。

 

 あのまま白上を失っていたらと思うと、ゾッとする。

 

 「あの、透さん。

  そろそろ下ろしてもらっても良いですか…。」

 

 「ん?あぁ、悪い。

  あまりに軽いから忘れてた。」

 

 いつもと違い弱々しい声で言う白上を丁寧に地面に下ろす。

 それはそうか、あと少しでという所だったのだ。今にして実感がわいてきたのかもしれない。

 

 しかし、本当に軽かった。

 今朝と比べても、明らかに。

 

 「軽いって…もう、こんな時まで煽てないでくださいよ。」

 

 「いやいや、異常なくらいなんだって。」

 

 完全に素で白上を持ち上げていることを忘れていた。

 身体強化を使っているとはいえ、こんなことがあり得るのだろうか。

 

 「ん?身体強化?」

 

 違う、いま使っているのは鬼纏いだ。

 変に体がうずくのはこれの性か。

 

 とりあえず危険ももう無いことだし、そろそろ解除してもいいだろう。

 

 「…あれ。」

 

 「透さん?」

 

 つい、声が漏れる。

 

 解除ができない。

 いくらイワレの供給を止めようとしても際限なく身体能力の強化が行われる。

  

 その様子を不審に思ったのか白上が声をかけてくる。

 

 これは、何かマズイ。

 

 「白上、俺から離れてくれ。

  少し体がおかしい。」

 

 言いながら後ろに下がり、白上から距離をとる。

 その間にも体を駆け巡る凄まじい力。

 

 明らかに先ほどよりも出力が上昇している。

 

 とん、と背中にないかが触れる感触。

 後ろを確認していなかった。木にでも当たったか。

 

 そう考えた瞬間後ろから轟音が鳴った。

 

 見れば、おそらく今背中に触れた木が音を立てて倒れていく。

 その光景に思わず唖然としてしまう。

 

 「何だこれ…いづっ!?」

 

 強化された瞬間にも感じた鋭い痛みが、全身を駆け巡る。

 しかも、今回は継続的に、心臓の鼓動に乗せるように体中を苛む。

 

 気が狂いそうになるような激痛に思わずその場にうずくまる。

 

 「透さん!

  …ちょっとここで待っていてください。」

 

 そんな声と共にこちらに駆け寄ってくる足音。

 白上が近づいてきていることを察する。

 

 「な…、白上、今は、近づかないでくれ!」

 

 痛みに耐えながら何とか声を振り絞るが、白上が去っていく様子はない。

 むしろ近くに来ている。

 

 駄目だ、こんな状態で白上に触れでもしたら怪我では済まない。

 しかし払いのけるわけにもいかない。

 

 とにかく、距離を。

 

 だが、それよりも早く、白上に正面から抱きしめられる。

 

 「大丈夫です。

  もう一度、ゆっくり、解除しようとして見てください。」

  

 何をしようとしているのかは分からない。

 今はその言葉に従う他なかった。

 

 言われるがままに解除をしようとイワレの流れに意識を向ける。

 

 すると、先ほどとは違いある程度操作が効く。

 白上が補助してくれているのか。

 

 これなら、と扱える範囲内で徐々に身体への強化を外していく。

 後はそれをひたすら繰り返す。

 

 やがて体の痛みは引いていき、身体能力も通常の状態へと戻った。

 

 「どうですか?」

 

 白上が心配そうに覗き込んでくる。

 

 「あぁ、何とか収まった。

  助かったよ。」

 

 それを聞くと、白上はほっとした顔をして体を離す。

 

 一時はどうなることかと思ったが、白上のおかげで何とかなった。

 しかし、こんなこともできるとは初耳だ。

 

 「今のは何をしてくれてたんだ?

  なんとなく補助してくれてたのは分かったけど。」

 

 「その認識で問題ないですよ。

  ちょっと透さんのイワレの流れを白上が抑制しただけです。」

 

 軽く言っているが、誰にでもできることではないだろう。

 

 「ただあんまり得意分野ではないので抑制しかできませんでした。

  こういうのはミオが得意なんですけど…。」

 

 「いや、十分だ。

  実際おかげで解除できたし。」

 

 それにしても、今のは何だったのだろうか。

 鬼纏いの暴走か、また別のものなのか。

 

 何にしても、安易に使おうとしない方が良いことは確かだ。

 

 「…それより、悪い、白上。

  刀を駄目にした。」

 

 そう言って右手に持っていた柄と申し訳程度に残った刀身のみとなった刀を見せる。

 

 初めてキョウノミヤコに行ったときに白上にもらった刀。

 それ以来愛用していたが、遂に折れてしまった。

 

 かなり愛着が湧いていただけに、少し気落ちしてしまう。

 おかげで無事で済んだのだが、やはり折角貰った刀を駄目にしたなると気にしないわけにはいかない。

 

 「いえ、元々使われていないものでしたので。

  それに今回の件は白上の責任ですし…。」

 

 そう言って白上は顔を曇らせる。

 

 「違う、白上だけの責任じゃない。」

 

 あれは仕方がなかった。 

 あそこで突風が吹いたのはただの偶然だ。

 

 それを言うなら俺だって準備不足だった。

 せめて縄の一つでも持ってきていれば、落ちていくこともなかった。

 

 まさか猫があんなところにいるなんて思いもしなかったのだ。

 こればかりはどちらかが悪いでもなく、両者の責任だ。

 

 「それに結果的に二人とも無事だったんだ、責任どうこうは無しにしよう。」

  

 「…分かりました。

  ありがとうございます、透さん。」

 

 何に対しての礼かは知らないが、ともかく白上も納得できたようだ。

 

 「にゃあぁ…。」

 

 ふとそんな鳴き声が鳴り響く。

 出所へと目を向ければ、白い猫がこちらをじっと見つめていた。

 

 そうだ、危うく本来の目的を忘れるところだった。

 

 「ともかくまずはこの子をサヨちゃんのところに連れて帰らないとな。」

 

 「そうですね、きっと今も心配してますでしょうし。」

 

 白上は猫を抱き上げると、先導して歩き始める。

 一応ここは崖の下だが、ここから村への道は分かるらしい。

 

 白上の後を追って同じく歩き出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「プーちゃんっ!!」

 

 村に到着しサヨちゃんの家まで猫を連れて帰れば、サヨちゃんは名を呼びながらその猫のプーちゃんを抱きしめる。

 よほど嬉しいのか頬ずりまでしている始末だ。

 

 そんな様子をほほえましく見守る。

 

 「何とお礼を言えばいいか。

  本当にありがとうございます。」

 

 サヨちゃんの母親も心なしか表情が柔らかい。

 これだけで十分すぎるほどの報酬だ。

 

 「いえ、捜索自体はそこまで苦労はなかったので。」

 

 白上の言う通り、その後に比べたら捜索だけ見れば何とも平和に終わったものだ。

 とにかくこれで依頼は完遂だ。

 

 これ以上長居する必要もないということで、お暇させてもらうことにする。

 

 「お姉ちゃん、お兄ちゃん、ありがとう!」

 

 手を大きく振るサヨちゃんと母親に見送られて村を出る。

 そのままシラカミ神社への道を白上と二人歩く。

 

 刀はさやに入れてはいるが、刀身が短くなっているせいで安定しない。

 しばらくは刀無しでいるしかないな。

 

 幸い今のところ刀を必要とするような事はない。

 

 「あの、透さん。」

 

 「ん?」

 

 物思いにふけりながら歩いていると、不意に白上に声を掛けられる。

 

 「体の調子、本当に大丈夫なんですか?」

 

 真剣な目で射抜かれて、ついぎくりとする。

 

 「あー、調子か…。」

 

 先ほどのこともあって、正直万全とは言い難いのは確かだ。

 

 「まあ、少しだるいくらだ。

  あんまり影響はない。」

 

 若干ぼかすが、それでも正直に答える。

 それを聞いた白上の顔が再び曇ってしまう。

 

 ここは嘘でも問題ないというべきだったか…。

 いや、俺の噓は分かりやすいらしいしどちらにせよこうなるか。

 

 「すみません、無茶をさせてしまって。」

 

 「気にしないでくれよ、俺がやりたくてやったことだ。

  白上だって助けてくれたろ、お互い様だ。」

 

 正直、白上の助けなしであのままいたら体が爆発でもしていてもおかしくなかった。

 そう思えるほどに力の奔流が暴れ狂っていた。

 

 「…透さんは、どうしてそこまでしてくれるんですか?」

 

 白上は瞳を伏せて不安げに問いかけてくる。

 どうしてか、そんなもの決まっている。

 

 「そりゃ白上のことがす…。」

 

 なんとなく頭に浮かんだ言葉を口に出そうとして、ぱっと口を手で押さえる。

 馬鹿正直に感情を伝えてどうする。

 

 「…白上の事が大切だからだ。」

 

 言葉はぼかしたが、嘘偽りのない気持ちだ。

 

 「大切だから傷ついてほしくないし、守りたかった。」

 

 言えば、白上はぽかんとこちらを見つめる。

 少し言葉を間違えた気がしなくもないが、言ってしまったものは取り消せない。

 

 「大切…。」

 

 言葉を反芻するように口に出す白上の顔が徐々に朱に染まっていく。

 

 「って、おい、そこで照れないでくれ…。」 

 

 何度か見かけたその反応に思わず突っ込みを入れる。

 そこで照れられるとこちらまでいたたまれなくなる。

 

 「だ、だって仕方ないじゃないですか!

  そんなに直球で来るとは思わなかったんです!」

 

 白上は真っ赤な顔で抗議してくるが、こちとらそんなこと言うつもりはなかったのだ。

 ただ本音を誤魔化そうとしたら誤魔化しきれなかっただけで。

 

 二人の間を気まずい時間が流れる。

 

 白上は空気を入れ替えるように咳ばらいを一つ入れる。

 

 「とにかく、白上が言えたことじゃないんですけどあんな無茶はもうしないで下さい。」

 

 懇願するようなその瞳に、なんとなく白上の意図が見える。

 自分の所為で他人を傷つけたくない。

 

 なるほど、その考えは理解できる。

 

 「ん、それは無理だ。」

 

 そんな白上の言葉に即答する。

 無茶をするなというとそれは白上を見殺しにしろということだ。

 

 「もし白上がまた同じ状況になったら俺は同じことをする。

  絶対に見殺しになんてしないからな。」

 

 例え千回だろうと一万回だろうと、崖から飛び降りてやる。

 それで絶対に助ける。何が何でも。

 

 そこだけはいくら白上が相手でも譲れない。

 

 「もーっ、もーっ!そういう所ですよ!」

 

 先ほどよりも顔を赤くした白上に肩をぺしぺしと叩かれる。

 痛くはないが、その白上の動揺ぶりに少し驚いた。

 

 「今は照れる要素ないだろ。」

 

 「照れてません!」

 

 そんなに顔を赤くしておいて何を言っているのか。

 しばらく、そのまま叩かれ続ける。

 

 やがて、疲れたのか白上はため息をつくとジトリとした目をこちらへ向ける。

 

 「透さん、やっぱり最近変わりました。

  前ならこんなこと言わなかったですよ。」

 

 その言葉に図星をつかれて、軽く冷や汗をかく。

 白上の言う通り変化した点は一つある、それも大きな変化が。

 

 しかし未だにこの気持ちを伝える気はさらさらない。

 

 「そうでもないって。」

 

 「いえ、絶対そうです。

  狐の第六感がそう告げてます。」

 

 狐の第六感とは何だろう。

 そんなものがあるのなら、是非とも封印しておいていただきたい。

 

 じーっとこちらを見てくる白上。

 

 「あー…、そういえばそろそろ昼時だな。

  今日はミゾレ食堂にでも行くか。」

 

 「あからさまに話題を変えようとしないでください。」

 

 どうやら逃げ場は無いようだ。

 その詰問会はミゾレ食堂に到着するまで続けられた。

 

 

 

 

 





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個別:白上 12


どうも、作者です。

評価くれた人、ありがとうございます。

以上。


 

 「呆れたねぇ、それでここまで騒いできたのかい?」

 

 ことの経緯を聞くと呆れ返った顔でミゾレさんはそう言い放つ。

 

 村を出た俺と白上は、現在昼ということでミゾレ食堂に訪れていた。

 道中の白上の怒涛の質問を何とか躱しながらたどり着いたのだが、その様子に疑問を持ったミゾレさんに事情を説明した結果、今に至る。

 

 「だって、透さんが…。」

 

 「だってじゃないよ。

  全く、いつもと様子が違うから次は何をやったのかと思ったら。」

 

 白上が食い下がるが、ミゾレさんは拍子抜けしたように言いながら止めていた調理の手を再開させる。

 

 「こんなにあからさまなのに本当に分からないのかい?」

 

 そういうミゾレさんの視線はこちらへと向けられている。

 その瞳にすべてを見透かされているようで、若干の冷や汗が垂れる。

 

 まさかとは思うがこの短時間でバレたのか?

 そんなに表に出しているつもりは無いのだが、見る人が見れば分かるものなのだろうか。

 

 「あからさまって何のことですか?」

 

 幸い白上には気づかれていないようで、ミゾレさんの言葉に疑問符を浮かべている。

 そんな白上にほっと胸をなでおろす。

 

 しかし、その様子を見て再びミゾレさんの口からため息が漏れる。

 

 「はぁ…、相変わらずそっち方面には疎いというか鈍感というか。

  透、あんたも難儀なことになったもんだね。」

 

 「…まぁ、俺としてはそっちの方が都合が良いので。」

 

 やはり完璧にばれているらしい。

 正直今更取り繕っても無駄だろう。

 

 一人会話についていけずに拗ね気味な白上を尻目にコップを傾けて乾いたのどを潤す。

 

 別に俺は白上とどうこうなりたいという訳ではない。

 …いや、嘘だ。

 

 恋人になりたい、その欲はある。

 しかし、今の関係を壊したくないという思いがそれより強いだけだ。

 

 「傍から見れば、あと一歩だとは思うんだけどねぇ。」

 

 「あと一歩?」

 

 何のことだろう。

 確かに俺の気持ちが白上にバレるかどうかはかなり綱渡りだ。

 

 それをあと一歩というのであれば、間違いではないか。

 

 しかし、ミゾレさんはその様子を見て頭を抱えてしまう。

 

 「こりゃ駄目だ、両方とも鈍感なんだね。

  外部から干渉すればすぐなんだろうけど、あたしがするわけにもいかないし…。」

 

 ミゾレさんは何やらぶつぶつと呟くと今日何度目かのため息をつく。

 

 今度は俺もミゾレさんの意図が分からない。

 白上と二人、そろって首をかしげる。

 

 「ミゾレさん、それってどういう?」

 

 「何でもないよ…はい、お待ち!」

 

 白上が問いかけるがミゾレさんは誤魔化すように料理の入った皿をテーブルに置く。

 話すつもりがないのなら無理に聞き出そうとは思わないが、それでも気にはなる。

 

 だが、気にしすぎても何か分かるわけでもない。

 気を取り直して、手を合わせて目の前の料理へと手を付ける。

 

 相変わらずここの料理はどれを頼んでも外れがない。

 舌鼓を打っていると、横から聞きなれたうどんを啜る音が聞こえてくる。

 

 「…ここでもきつねうどんなんだな。」

 

 目を向ければ白上が器を傾けて空にしているところだった。

 

 「それは勿論、白上のソウルフードですから。」

 

 もはや常套句となっているそれを聞きながらじっと白上を見る。

 

 本当になぜ飽きがこないのか不思議でならない。

 シラカミ神社に帰れば大量にあるのだから今は別のものを食べれば良いと思うのだが。

 

 「俺は流石に三食きつねうどんは無理だな…。」

 

 朝にきつねうどんを食べて、夜もきつねうどんが確定している以上その間に他のものを挟みたいと思うのはおかしくないはずだ。

 

 と、考え込んでいると白上の箸が不意に止まる。

 

 「あの、透さん、そんなに見られると恥ずかしいんですけど…。」

 

 「あ、悪い。」

 

 咄嗟に顔を赤くする白上から目を背ける。

 露骨に見過ぎたか。

 

 いくら見ても見飽きないからつい見続けてしまう。

 

 …なるほど、こういうことか。

 少しだけ、白上がきつねうどんに飽きない理由が分かった気がした。

 

 「あ、いえ、別に見るなというわけでなくて。

  ただ、そんなにガン見されるといたたまれないと言いますか。」

 

 「分かった、ならこっそり見るよ。」

 

 許しを貰ったところで、ちらりちらりと今度は横目で白上を観察する。

 

 「こらっ、調子に乗らないで下さい。」

 

 「あたっ。」

 

 そんな声と共におでこを尻尾で叩かれる。

 どうやらこっそりでも駄目らしい。

 

 ジトリとした視線を感じながら正面へと視線を戻す。

 こういったやり取りを重ねて白上のラインを見計らっていく必要がありそうだ。

 

 そうしているうちに料理も食べ終わり、食後にお茶を飲んでゆっくりとする。

 今日はあまり人も多くないようでミゾレさんも比較的暇そうにしていた。

 

 そんな中帰ったところで特にやることもない。

 

 二人のんびりと湯呑を傾ける。

 平和なまさに日常といった空気で、とてもつい先ほど死にかけたとは思えない。

 

 「そういえば透さん、先ほど使ってたのって鬼纏いだったんですか?」

 

 ふと思い出したように白上が聞いてくる。

 先ほどとは崖から落ちた時の事だろう。

 

 「あれか…。

  鬼纏いの延長上だとは思うけど、はっきりそうだとは言えないな。」

 

 普段の鬼纏いではあそこまでの出力は出ない。

 火事場の馬鹿力と言ってしまえばそこまでだが、制御不能となると話が変わってくる。それに加えて体が壊れるのではないかと思うほどの痛みだ、白上がいなかったらと思うとぞっとする。

 

 「取り合えず、何か分かるまでは気軽には使わないつもりだ。」

 

 「そうですね、それが良いです。

  得体のしれない力こそ慎重になるべきですから。」

 

 …珍しく白上が大真面目なことを言っている。

 いや、言っていることは尤もなことではあるのだが、普段が軽い雰囲気なだけにギャップを感じてしまう。

 

 こんな部分も惚れた要素の一つなんだろうな。

 

 「…透さん、珍しく真面目なこと言ってるなこの狐。みたいなこと考えてませんか?」

 

 目を細めた白上が鋭い視線をこちらに送ってくる。

 自分が分かりやすいのは自覚してるが…。

 

 「なんでピンポイントでその部分だけ当てるんだよ…。」

 

 「あー、やっぱり!」

 

 非難めいた声を上げられるが、内容が内容なだけに訂正ができない。

 

 静かに目をそらすと、白い尻尾に再び襲われる。

 ただ白上はまだ気づいていない、柔らかな尻尾に叩かれてもただ心地よいだけであると。

 

 「…最近、透さんの意地が悪い気がします。」

 

 尻尾を止めないまま、白上は愚痴るように言うと、恨めしそうにこちらを見つめる。

 

 「そりゃ…まぁ、否定はしないが。」 

 

 「そこは否定してくださいよ。」

 

 そう取られてもおかしくない言動が続いているのは確かな事実だ。

 素直に答えるも返ってきたのは尻尾による鋭いツッコミであった。

 

 

 

 

 

 

 

 (…いつまでやってるつもりだろうね、あの二人は。)

 

 そんな二人を静かに眺めながらミゾレはふと思う。

 

 視線の先には不貞腐れているのかほほを膨らませる白い狐の少女と、その尻尾に打たれ続けるもどこか幸せそうにしている透の姿がある。

 

 (あれで隠しているつもりなら、大根役者もいいところだね。)

 

 白い狐の少女に関しては恐らくまだ芽生えかけている段階。

 それでも表面に出ている辺り、花開くのも近いだろう。

 

 問題は透の方だ。

 

 あれでは想いを前面に押し出しているだけだ。

 本人としては努めて押さえつけようとしているのだが、傍から見てみれば丸分かりである。

 

 その対象の相手である少女が気づかないのが不思議なくらい、一緒にいるだけで幸せだという表情をしている。

 

 (それに、極めつけは…。)

 

 無論ミゾレとてそれだけで断定したわけではない。

 人の心とは複雑なもので表情一つでそこまで決定づけることはできない。

 

 しかし決定的な証拠があれば話は違ってくる。

 

 ミゾレの視線は二人の姿から焦点を移し、透の右手へと移動する。

 

 その手の甲には埋め込まれた白い宝石。

 これを宝と呼べるかは疑問だが、以前に見た時とは違う色をしたその石は明らかに白く輝いている。

 

 この石にとって普段の色は特にどうだっていい。

 それこそ見る人によって色を変える。そこに意味など存在しない。

 

 なら今はどうだ。

 

 ミゾレだけではない、現在どこの誰が見たとしてもその石は白色を保ち続けるだろう。

 

 この石は所有者の心を、想いを示している。

 その想いが誰に向けられているのか、石はそれを色として反映させるのだ。 

 

 (けど、確かこれには条件があったはず。)

 

 所有者が想いを向ければ相手が誰であれ色がつくわけではない。

 対象がいるのだ、その石ごとにそれぞれ異なる。

 

 仮にそれが成立しなければ、この石は真価を発揮することは無い。

 だが今この時、石は確かに色づいている。

 

 (つまり、そういうことなんだろうね。) 

 

 だだ、そうすると新たな疑問が一つ残る。

 それは…。

 

 「ミゾレさん、難しい顔してますけどどうかされましたか?」

 

 考え込んでいたところに水を差されて、はっとして顔を上げる。

 視線の先では、先ほどまで話していたはずの二人がこちらを見ている。

 

 「…何でもないよ、それよりお茶菓子でも出そうかね。」

 

 それ以上先には思考を進めない、適当にはぐらかすとミゾレはキッチンの奥へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 キッチンの奥へと消えていったミゾレさんを見送る。

 何やら思いつめるように考え込んでいたが、何事もなればよいのだが。

 

 「珍しいですね、普段はどっしり構えている人なんですけど。」

 

 「だな、どうしたんだろ。」

 

 白上も心配なのかじっとキッチンの奥を見ている。  

 悩みがあるなら力になりたいが、あまり人を頼るような人でもないだろう。

 

 なんでもないというのなら、できることは無いか。

 

 「ん?…なんだい、人の顔を見て首をかしげて。」

 

 それからさほど時間も掛からずにミゾレさんは戻ってくる。

 その手には言っていた通り人数分の茶菓子があった。

 

 既に切り替えたのか、先ほどまでの思いつめるような雰囲気はかけらも無くいつものミゾレさんに戻っていた。

 

 

 

 

 

 そこからはしばらく三人で雑談となった。

 この時間帯なら人が来てもおかしくないと思うのだが、特に来客は無いようだ。

 

 「…というと、今はあんた達二人しかいないのかい。」

 

 「そうなんですよ、ミオもあやめちゃんも出かけちゃってて。

  一言くらい声をかけてくれても良かったんですけど。」

 

 まだミゾレさんには伝えていなかったと、大神と百鬼がシラカミ神社を離れたことを話す。

 それを聞いたミゾレさんは目を丸くして驚いていた。

 

 やはりミゾレさんから見てもシラカミ神社から一時的とはいえ人が減るのは珍しいことなのだろう。

 ちなみに。白上に声がかからなかったのはただ白上が寝ていただけである。

 

 「へぇ、よりによってねぇ。」

 

 「なぜだか言い方に棘を感じますね。」

 

 「何でだろうな。」

 

 頬杖をついたミゾレさんの不安交じりのその眼差しに思わず白上と目を見合わせる。

 

 何が不安だというのか。

 大神に比べれば家事の腕は劣るだろうが、一定水準程度にはできると声を大にして宣言しておきたい。

 

 「別に何が悪いってわけじゃないけどね。

  所で、あんた達は料理は…。」

 

 そう言って、頭をかきながら核心を突かれる。

 鋭いその問いかけは稲妻のように俺と白上の間を駆け抜けた。

 

 「…魚は焦がさないな。」

 

 「しばらく料理はしてませんね。」

 

 正直に答えればミゾレさんの顔が若干引きつったのが分かる。

 そんな一朝一夕で身につくものでもないため、こればかりはどうしようもない。

 

 「…なるほどね、それで今日は昼からうちに来たのかい。」

 

 そう言うミゾレさんの顔は何処か納得しているように見えた。

 言われてみればミゾレ食堂には基本的に夜に行くことの方が多かった気がする。大神の存在はシラカミ神社全体に影響を及ぼす程に大きいのだろう。

 

 しかし、それはそれとして料理が出来ないと言うのもやはり考えものである。

 当初からの懸念ではあったが、出来るに越した事は無いのもまた事実だ。

 

 「ちなみにミゾレさんのところで教えて貰うことって…」

 

 「うちは無理だね、そんな余裕有りはしないよ。」

 

 無理を承知で頼めないか聞いてみるが素気無く断られる。

 もしかしたらと思ったが、やはり駄目か。

 

 最初から分かり切っていたことだ、仕方がない。

 

 「まぁ、でも。」

 

 話はそこで終わりかと思われたその時、ミゾレさんが口を開いた。

 

 「花嫁修業だというなら考えなくもないがね。」

 

 にやりと口角を上げながらそう言うとミゾレさんはその視線を一直線に白上へと向ける。

 

 いきなり何を言っているんだ。

 内心焦りながらもここで止めるのも不自然なため黙っていることしかできない。

 

 「花嫁って、白上がですか?」

 

 それを受けた白上はきょとんと眼を丸くして聞き返す。

 

 まさかとは思うがこれは援護射撃のつもりなのだろうか、そうなら生憎だがこれは援護ではなく友軍射撃にしかなっていない。

 仮にここで白上に意中の相手がいると発覚すればそれこそ立ち直れる気がしない。

 

 「もう、白上はそんなガラじゃないですよ。そもそも相手もいませんし。」

 

 しかし予想とは裏腹に白上は破顔しながら何ともなしに言ってのける。

 それに安心したような、残念なような。

 

 ミゾレさんの同情を含んだ視線が痛い。

 心配せずとも少しだけ地面に埋まりたくなっただけだ。

  

 そうして何ともない会話は続いていき、帰るころには既に日が暮れかけていた。

 ミゾレ食堂を出てシラカミ神社までの道を歩く。

 

 「…ん?」

 

 少しだけ、体に違和感。

 

 けれど先ほどのような痛みがあるわけではない、ただ筋肉が張っているような感覚。

 ぴりぴりと肌が泡立っているようで落ち着かない。

 

 「どうされました?」

 

 「いや、何でもない。」

 

 この程度なら無視しても大丈夫だ。

 心配そうに聞いてくる白上にそうとだけ返す、

 

 「白上、今日はゲームはどうする?」

 

 昨夜やった商品のゲーム。

 もう一つ残っているが、今日中にやってしまうのか。

 

 「んー、さすがに二日で終わらせるのも勿体ないですしね。

  それにですよ、透さん。」

 

 横を歩いていた白上は立ち止まるとぴしりとこちらに指を向けた。

 

 「顔に疲れたって書いてあります。

  今日は無茶したんですから早めに休んでください。」

  

 そう言われて思わず顔に手をやる。

 疲れたと書いてあるって、今俺はどんな顔をしているのか。

 

 手鏡で確認したいところだが、そんなものは持っていないため断念する。

 

 自分では分からないが疲れでも溜まっているのか。

 

 「…分かった、今日は早く寝ることにするよ。」

 

 「はい、それが良いです。

  残っている家事は白上がやっておきますので、透さんはゆっくりしてください。」

 

 そう言って白上ははにかむが、流石にそこまでしてもらう程弱っていはいない筈なのだが。

 だが、せっかく気を使ってもらっているのだ、今日のところは甘えさせてもらうおう。

 

 「じゃあ、頼んだ。

  でもできることがあれば何でも言ってくれよ。」

 

 「はいっ!」

 

 伝えれば白上は満足そうに頷き、再び前を向いて歩き始める。

 その姿を見ながらつくづく恵まれていると感じた。

 

 白上に何かあれば俺が力になる、逆に俺に何かあれば白上が手助けしてくれる。

 そんな関係の相手がいることが今は何よりも嬉しい。

 

 問題はそれを崩しかねないこの想いだけだ。

 捨てられるものなら捨ててしまいたいが、たぶん無駄だろう。

 

 何度捨てたとしても、白上と接していればまた恋をするに決まっている。

 そんな確信があった。

 

 





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個別:白上 13


どうも、作者です。
感想くれた人、ありがとうございます。

以上。


 

 人は代償なくしては生きられない生物である。

 これは誰が言ったのか、今はどうでもいい。

 

 重要なのは、人が何かを成すためには得てして代償が必要だということだ。

 便利なものというのはその代償が比較的軽いもののことを刺す。

 

 なら、その逆はどうだろう。

 

 後先を考えずに使用した力の代償。

 踏み出すべきではない領域へと足を踏み入れたその代償は、一体どれほど大きなものなのだろう。

 

 「がっ……!」

 

 指先一つ、動かすだけで体は悲鳴を上げる。

 起き上がろうと力を籠めれば、もはや痛みを通り越して吐き気すら催してくる。

 

 まず立ち上がれない、どうにか移動しようと這うように体を動かすが、迫りくる痛みに否応なく沈黙させられる。

 

 「ちゅん助…。」

 

 かろうじて呼び出した小鳥のシキガミに言伝を乗せて飛ばす。

 何とかそれだけやり遂げて、伸ばした腕は力なく床へと落ちる。

 

 やがて、襖の向こうから慌ただしい足音が聞こえてくる。

 言伝は無事に届いたようだ。

 

 その足音が襖の前で止まると、次いで勢いよく襖が開かれる。

 

 「透さん!」

 

 そんな声とともに白上が姿を現す。

 余程急いできたのかその呼吸は荒い。

 

 そして、すぐに白上の瞳に床に倒れ込んでいる俺の姿が映り、同時に大きくその瞳が大きく見開かれた。

 

 「大丈夫ですか!?」

 

 そう言って白上は傍まで駆け寄ってくる。

 

 余程焦っているのかその声に余裕は無く、今にも泣き出してしまいそうに震えている。

 そんな声を出さないでほしい、慰めたいがそんな余裕は現在一かけらもない。

 

 「……痛、だ。」

 

 「え…?」

 

 痛む体を押して顔を上げ、口を開くがうまく聞き取れなかったのか白上はきょとんとして聞き返す。

 だから、もう一度現在の状況を端的に伝える。

 

 「筋肉痛で、動けないんだ。」

 

 「…はい?」

 

 どんな想像をしていたのか完全に虚を突かれたようで、そんな間の抜けた白上の声が部屋に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「もう、ややこしいことをしないで下さいよ。」

 

 そう言うのは傍らに座っている白上。

 現在、彼女は布団で横になっている俺に向かって先ほどから鋭い視線をこちらに送っていた。

 

 「悪かったよ、起きたら体中痛いし動けないしで余裕がなかったんだ。」

 

 それで確か一言だけ言伝にしてちゅん助を送った気がする。

 

 「だとしても、朝から『助けてくれ』なんて一言だけシキガミから伝えられる身にもなって下さい。

  心臓が止まるかと思いましたよ。」

 

 それに関しては本当に申し訳ない。

 

 こういった時にすぐに切羽詰まった言動になってしまう。

 

 まさか自分がここまで急な事態に弱いとは思わなかった。

 いくらイワレで力を持ったとはいえ精神まで超人になった訳でない証明だ。

 

 「やっぱり昨日の影響ですか?」

 

 「あー、多分な。」

 

 限界を超えた力の行使。

 昨日の時点で予兆は出ていたが、朝になって一気に来たようだ。

 

 その代償がこの程度なら安いものだと考えるべきだろう。

 

 ただ、痛いものは痛い。

 それとこれとは完全に話が別である。

 

 「そういう訳で今日は動けそうにない。

  昨日家事をやってもらったのに悪いな、明日以降で補完するから。」

 

 今日こそはと息巻いていた分、白上に負担をかけることになるのは心苦しいし、もどかしい。

 しかし白上は特に気にしていないように首を横に振る。

 

 「いえ、そのくらいはどうということは無いんですけど…。」

 

 そう言いうと白上は何やら考え込んでしまう。 

 何か予定でもあったのだろうか。

 

 「白上?」

 

 「あ、何でもないですよ。少し今日はどうしようか考えていただけです。

  最近透さんと一緒にいることが多かったので。」

 

 なるほど、そういえばそうだ。

 大神や百鬼がシラカミ神社を離れる前も、ゲームだったりオツトメだったりで一緒に行動していた。

 

 しかも、今はシラカミ神社に俺と白上のほかに誰もいない。

 そうなると必然的に一人で行動することになる。

 

 「久しぶりに一人になると何をしていいか分からなくなりますよね。」

 

 「確かにな。

  積んでるゲームはもう無いのか?」

 

 ゲームをやっていれば今度時間のある時にやろうとおいているゲームの一つや二つあってもおかしくはない。

 しかし、気軽な気持ちで聞いたはずなのだが、急に白上の視線の温度が下がった。

 

 「はい、セイヤ祭の前には既に消化してしまいました。

  残っているのは透さんとやろうと思っていたものだけです。」

 

 さっと視線をそらして白上のその視線から逃げる。

 やっぱり根に持ってるんじゃないか。

 

 いつになれば許してもらえるのだろう。

 

 「…透さん、痛みをこらえながらゲームはできますか?」

 

 座った眼の白上に若干の恐怖を覚えた。

 

 「無理だよ、鬼か。」

 

 「いえ、狐です。」

 

 そうだった、鬼は百鬼だったな。

 そんな白上だが、流石に本当に実行するつもりでは無いようだ。

 

 安堵しながら、ゆっくりと息を吐く。

 深呼吸すら命取りとは不便極まりない。

 

 「よいしょっと。」

 

 話もひと段落したところで、白上は掛け声とともに立ち上がる。

 

 「それじゃあ白上は行きますけど、何かあったら呼んでくださいね。」  

 

 「あぁ、世話をかける。」

 

 そう言って白上は襖を開けて部屋を出ていき、後には静寂のみが残された。

 

 横になったまま顔を上に向けて天井を見上げる。

 

 やることがない。

 横になったままできることなど数少ないが体も動かせないとなると、いよいよ何もできない。

 

 一体これは普通の筋肉痛と同じように一日二日で痛みがなくなるのだろうか。

 仮に一週間と続けば、発狂する自信があった。

 

 「…寝るか。」

 

 唯一とることができる行動。

 それが睡眠。

 

 後のことは体の修復機能に任せよう。

 

 目を閉じれば体も休息を求めていたのかすぐに意識は微睡、やがて深い闇の中に落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見た。

 

 何処だか知らない場所。

 それは神社か、雪山か、村か。

 

 どれにでも見える、そんな場所。

 

 その中心には誰かが座りこんでいた。

 

 一人だけ、唯一この場所にいる誰かは何をするでもなく、ただ顔を俯かせている。

 

 (何をしているんだ。)

 

 声をかけようと口を開くが、そこから音が発せられることは無かった。

 よくよく見てみれば今の自分には実体が無い。

 

 ただその誰かを見ていることしかできない、それがもどかしくて、歯がゆくて。

 

 不意に、胸に何かが流れ込んでくる。

 それは座り込む誰かの感情か。

 

 寂しい

 

 寂しい

 

 寂しい

 

 寂しい

 

 途方もなく感じる孤独と寂寥感。

 

 誰もいない、ただその事実がここまで胸を抉る。

 救い出そうと、助け出そうと手を伸ばすが、その手は存在しない。

 

 ただ胸の内で吹き荒れるそれに、耐えることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「透さん…」

 

 不意に聞こえてきたその声に閉じていた目を開く。

 随分と深く眠っていたようだ。

 

 顔を横に向けて声の出所へと目を向ける。

 すると、横で心配そうにこちらを見る白上の顔が視界に映った。

 

 「透さん、大丈夫ですか。

  やっぱり体が痛みますか?」

 

 「…へ?」

 

 何をそんなに心配しているのかと思えば、視界が微かにぼやけている。

 瞬きをすれば頬を何かが伝う。

 

 これは…もしかして、俺は泣いているのか?

 

 「あ、いや、大丈夫だ。問題ない。」

 

 まさか夢を見て泣いたところを想い人に見られるとは。

 妙に気恥ずかしさを感じて思わず涙を拭う。

 

 そう、拭ってしまった。

 

 「いっでぇ…!?」

 

 途端に遅れてやってきた痛みに再び、今度こそ痛みによって涙が浮かぶ。

 

 「もう、大丈夫じゃないじゃないですか。」

 

 呆れたような白上の声。

 仕方ないだろう、寝起きで忘れてたんだから。

 

 そう反論しようにも痛みによって悶える中ではそれは叶わない。

 

 しばらくしてようやく痛みも収まり改めて白上へと視線を戻す。

 

 「それで、白上はどうして部屋に?」

 

 特に白上にシキガミを送った覚えはない。

 なら何か用事でもあったのか。

 

 「そろそろお昼ですから、お腹が空くと思って麺がゆを持ってきたんですよ。

  そしたら透さんが寝ながら涙を流していたから声を掛けたんです。」

 

 昼、というとかなり長い間寝ていたのか。

 意識してみれば確かに腹は空いている。

 

 「そっか、ありがとう。ちょうど腹が減ってたところなんだ。

  後、泣いてた件については忘れてくれ。」

 

 一応言ってはみるがおそらく忘れてはくれないのだろうことは察した。

 

 「痛みじゃないなら何か怖い夢でも見てたんですか?」

 

 「…まぁ、そんなところだ。」

 

 怖い夢、そう捉えることもできるか。

 あの夢は一体何だったのだろう、夢は心の奥を映すとはよく聞くが、もしや俺は知らぬ間に寂しさや孤独感を感じていたのだろうか。

 

 考えたところできっと答えは出ないし、正直それで泣いていたとは思いたくない。

 

 「それより麺がゆって、白上が作ったのか?」

 

 一旦思考に折り合いをつけて話題を変える。

 

 「はい、一応このくらいなら出来ると思いまして。

  起き上がれそうですか?」

 

 「多分、ゆっくりなら。」

 

 白上の手を借りてゆっくりと体を起こす。

 それだけで激痛が走るが、まだ何とか耐えられた。

 

 少しずつではあるがこの痛みにも慣れつつあるようだ。

 

 「んー、その様子だとスプーンを使うのも厳しそうですね。」

 

 痛みに耐えながら腕を動かそうとすると、それを見た白上はふとそう言い、おもむろに盆の上にあるスプーンを手に取る。

 

 そして、それを使い器の中にある麵がゆを一匙すくい上げると、そのままそれをこちらに差し出す。

 

 「はい、あーんして下さい。」

 

 「…ん?」

 

 一瞬何が起こったのか理解できず困惑が前面に出る。

 

 そうか、さてはまだ味見をしてなくて一度確認しようというのか。

 なるほどなるほど、そういうことか。

 

 そんなこじ付けにも等しい予想を立てるが、明らかにそのスプーンは白上側ではなくこちら側へと向いている。

 

 「どうされました?」

 

 首をかしげる白上はなおもスプーンを差し出し続ける。

 

 「いや、流石にそのくらいは自分で…。」

 

 「でも痛いんですよね。無理はしなくていいですよ。」

 

 そういう問題ではないのだが。

 

 確かに理にはかなっている。そちらの方が食べやすいし、落とす心配もない。それは理解できる。

 これは感情的な問題だ、流石に食べさせてもらうというのは…。

 

 「ほら、早く食べてください。落ちちゃいますよ。」

 

 しかし、葛藤している時間も無いようだ。

 気恥ずかしさを感じながら、半ばやけくそで差し出されるスプーンにかぶりつく。

 

 「…あ、美味い。」

 

 「本当ですか?」

 

 口の中に広がる優しい味わいに素直な感想が口を突いて出れば、白上は安心したように笑みを浮かべる。

 これを白上が作ったのか、自信がなさそうに言っていたが十分すぎるほどに料理もできるらしい。

 

 「料理できたんだな。」

 

 「簡単だからですよ、それよりお次をどうぞ。」

 

 一度やってしまえば、後はもう何度やろうと同じだ。

 差し出される麺がゆを黙々と食べ続ければ、やがて器の中は空となった。

 

 「ご馳走様でした。

  ありがとうな、白上。」

 

 何から何まで世話になりっぱなしだ。

 これは大きな貸しになりそうだ。

 

 「いえいえ、お粗末様でした。

  では白上は食器を片づけてきますね。」

 

 そう言って、白上はお盆を持って立ち上がると部屋を出ていく。

 それを確認して、ゆっくりと横になると大きく息を吐く。

 

 先ほどから鳴り響く鼓動の音。

 白上にはバレていなければよいのだが。

 

 「本当、変なところで照れるくせに、照れないときは全然動じないんだよな。」

  

 表情に出ないように抑えるのが精一杯だった。

 

 両目を手で覆う。

 体が悲鳴を上げるが、今はその痛みすら心地よい。

 

 白上にとっては何ともないことなのだろうが、俺にとっては一大事だ。

 嬉しいやら気恥ずかしいやらで感情がごちゃ混ぜとなっているのが分かる。

 

 そうして鼓動を落ち着けていればさほど時間も掛からず襖が開き白上が戻ってくる。

 

 次は何をするのか、何となく白上の姿を追うが特に何をするでなく、先ほどまでの位置まで来ると白上は横になってごろごろとくつろぎだした。

 

 「…白上?」

 

 「はい、何ですか?」 

 

 声を掛ければくるりとこちらへ振り返る。

 

 「いや、自分の部屋には戻らないのかと思って。

  別にここにいるのがダメってわけじゃないんだが」

 

 正直に言って、この部屋には白上の部屋のようにゲームがあるわけでもなければ、暇をつぶせるものがあるわけでもない。

 それなら部屋でゲームをしている方がまだマシなはずだ。

 

 「ちょっと透さんと一緒に居たくなりまして。

  お邪魔でしたら帰りますけど…。」

 

 そんなことを言われては何も言えなくなってしまう。

 

 「それは大丈夫だ、俺も暇だったから。」

 

 実際話すぐらいしか出来ない中でどうやって暇をつぶそうか迷っていたのもある。

 先程まで寝ていたせいで眠れそうもなかった。

 

 「それなら、良かったです。」

 

 しばらく二人で横になってゆっくりとした時間を過ごす。

 

 別に二人で何かをしているわけではない。

 ただ、同じ部屋に居るだけ。

 

 そんな中、少しだけ白上の様子がおかしいことに気づいた。

 いつもなら適当に会話を投げかけてくるものだが、気でも使っているのかただ静かに横になっている。

 

 「…午前中。」

 

 不意に、白上が口を開く。

 横を向いて目を向けてみるが、白上はこちらに背を向けておりその表情はうかがい知れない。

 

 「一人で色々とやってみたんです。」

 

 何か話したいことがある、直感的に理解して黙ってその話に耳を傾ける。

 

 「ゲームをして、お菓子を食べて、気分転換に掃除をしたり、料理をしたり。

  けど、どれもこれも物足りなくて。」

 

 今のシラカミ神社には俺と白上しかいない。

 俺が眠っていれば、必然的に白上は一人で過ごすことになる。

 

 「久しぶりに一人になって、いつもは楽しいことが全然楽しめなくて。」

 

 心なしか、その声は震えているように聞こえた。

 

 「ミオも、あやめちゃんもどこかに行っちゃって。

  静まり返った神社に、お前は一人なんだって突き付けられた気がして。」

 

 多分、今日だけではないのだろう。

 いつも胸に秘めているであろう、白上の本心。

 

 「透さんまで何処かに行ったらと思うと、耐えられなくて。」

 

 ウツシヨに帰るか決めた時にも言っていたではないか。

 本当は不安だったと。

 

 人との関係を何より大事にする彼女だからこそ、人と離れることは何よりも辛いことなのだろう。

 

 「やっぱり、一人は、寂しいです。」

 

 そこで言葉は途切れる。

 

 俺がカクリヨに来てから最初に出会ったのが白上だ。

 その時から今まで過ごしてきて、初めて、彼女の弱さに触れた気がした。

 

 「白上。」

 

 名を呼べば、白上は目元を服の裾でごしごしと擦るとこちらに振り返る。

 少しだけ潤んだその瞳を見て、すっと白上へと腕を伸ばす。

 

 痛みが走るが、今はそんなもの気にもならない。

 

 白上の額の辺りで手を止めると、親指で人差し指を抑えて力を籠め、開放する。

 いわゆる、デコピンだ。

 

 「あいたっ、な、いきなり何するんですか!」

 

 がばりと白上が起き上がり、非難の声を上げる。

 まさかの事態に目を白黒させながらこちらを見る彼女。

 

 これから話をするというのに、いつまでも寝たままという訳にはいかない。

 腕に力を籠め同じように起き上がる。

 

 「っ…。」

 

 当然、腕を動かした時とは比較にならない激痛に思わず顔がゆがむが、それすら押し殺して白上と向き合う。

 

 「何って、勘違いしてるみたいだったから喝を入れただけだ。」

 

 「勘違い…?」

 

 何のことか理解できないようで、白上は疑問符を浮かべている。

 

 「あぁ、勘違いだ。

  そこで不安に思うってことは、いつか俺がここを離れるって思ってるんだろ?」

 

 問いかければ、図星なのか白上は押し黙り何も答えない。

 

 確かにそう考えるのは普通のことだ、白上からしてみれば俺はここに留まる理由も何も無いのだ。

 今は良くても、いつかは。そう思うのも無理はない。

 

 「そこから間違ってるんだよ。

  俺はお前が思う以上に今の生活を気に入ってる。追い出されでもしない限り、自分からここを離れることはあり得ない。」

 

 ずっと隠しているこの想いも交えれば、絶対にここを離れるという選択肢は生まれない。

 

 「むしろ、最近は何時追い出されるかこっちが心配になるくらいだ。」

 

 「そ、そんなこと、絶対にしませんよ!」

 

 肩をすくめていえば、白上はそうして食い気味に否定する。

 まぁ、そうだろうさ。そう答えることが簡単に想像できる程度にお人好しだということは、この短い付き合いの中でも十分に理解できる。

 

 「なら、なおさらあり得ない。

  白上が一人だと?馬鹿を言うな。」

 

 本当に馬鹿な話だ。

 大神も百鬼も、白上を切り捨てるような奴らではない。

 

 そして何よりも。

 

 「俺が、お前を一人になんかさせない。

  覚悟しろよ、白上が嫌がっても簡単には離れてなんかやらないからな。」

 

 それを聞いた白上は、ぽかんと口を開けてこちらを見ていた。

 

 取り合えず、言いたいことは言った。

 後はなるようにしかならないだろう。

 

 「…もう、何ですか、それ…。」

 

 ぽつりと呟くと白上の顔には薄っすらと笑みを浮かぶ。

 それを見て、胸をなでおろした。

 

 「…話してたら喉が渇いてきましたね、お茶を入れてきますので少し待っててください。」

 

 「おう、頼んだ。」

 

 白上はすくっと立ち上がると、足早に歩いて行き襖を開けると外へと出て行った。

 

 あの様子を見るに、問題は解決したとみていいだろう。

 後、残った問題と言えば…。

 

 「いってぇ…。」

 

 無理に動かした体が痛みをもって抗議をしてくる。

 何なら途中意識がうっすらと飛びかけていた。

 

 「ま、良いか。」

 

 必要な犠牲だった。

 そう考えて甘んじて痛みを受け入れることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「はっ…はっ…。」

 

 少女は部屋を出ると、足早にキッチンへと駆け込んでいく。

 その呼吸は少しの距離を移動しただけにしては荒いものであった。

 

 呼吸を落ち着けるように深呼吸をして壁へと背を預ければ、少女はへたりとその場に座り込んでしまう。

 

 その顔は熟れた果実のように赤く染まっていた。

 

 自分の知らない感情が胸の中を渦巻いている。

 彼の顔が頭にちらつくたびに、壊れたように心臓が跳ねた。

 

 何かが変わってしまった。

 

 そんな実感を灯す胸を少女は手で抑える。

 

 「…なんですか、これ…。」

 

 

 

 





気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム。


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個別:白上 14


どうも、作者です。

UAが五万件突破しました。
感謝。

感想くれた人もありがとうございます。


 

 「…寒いな。」

 

 肌を刺すような空気の冷たさにぽつりと呟く。

 

 朝、外に出てみれば空から白い雪の結晶がひらひらと舞い降りてきていた。

 雪を見るとイヅモ神社のあの風景が頭に浮かぶ。

 

 それを眺めながら、ゆっくりと体を伸ばす。

 

 腕、足、腰、首。

 

 確かめるように次々と部位を変えていく。

 

 「…よしっ。」

 

 痛みは無い。

 昨日全身を苛んだ筋肉痛は、今朝起きてみれば完全に消え去っていた。

 

 危うく白上にすべて任せきりにしてしまう所だっただけに、心の底から安堵が沸き上がる。

 

 現在、雲の上ではまだ太陽も登っていないであろう早朝。

 二日ぶりとなってしまった鍛錬の時間だ。

 

 特に昨日などは丸一日中寝たきりであったため相当体が鈍っていそうだ。

 

 どれほど体力が落ちているのか不安を感じるが、それすら鍛錬の一部と考え、雪で軽く覆われた大地を蹴る。 

 地面が凍っているのか少し滑りやすい。これは気を付けないとすぐに転ぶな。

 

 足元に注意しながら地面を蹴る。 

 まだ動き始めで体が温まっていない、前から吹き付ける風に体が震えた。

 

 吐いた息が空気に触れた瞬間凍り付き、白く色づく。

 これは、水場が凍っていないか心配になる。

 

 この寒さだ、氷が張っていなくともその冷たさは想像に難くない。

 

 しかし鍛錬の後に汗を流さないという選択肢をとるわけにもいかない。それで白上に距離でも取られたらと思うと、水の冷たさに震える方がまだマシだ。

 

 空は雪の白と雲の灰色。

 その下をそんな不安を胸に走り続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…やっぱり冷たかった。」

 

 鍛錬を終えてシラカミ神社へと戻る。

 予想は見事に的中し、水場を流れる水は冷たい空気を軽く下回り、まだ固まっていないだけで動きを止めればすぐさま凍り付くかと思う程に冷たかった。

 

 だが、体の調子自体はそこまで悪いものではなかった。

 いつも通りのメニューをいつも通りに問題なくこなして、度の過ぎた疲労感は感じない。

 

 体の芯は温まっていながらも、表面は冷めきっている。

 不思議な感覚に陥りながら玄関の扉を開ける。

 

 室内はシンと静まり返っている。

 まぁ、今この神社に居るのは白上だけで、この時間帯はまだ寝ているだろうから当然といえば当然か。

 

 「…ん?」

 

 違った、俺と白上の他に動くモノが一つある。

 目の前の光景にすぐに考えを改めることとなった。

 

 「…シキガミ。」

 

 玄関で出迎えるように、白上のシキガミの小さな白狐がちょこんと座っている。

 最近になって出現するようになったこいつだが、何か目的が有るわけでもなくただ見定めるようにじっと視線をこちらに送ってくる。

 

 今回で遭遇するのは二回目か。

 

 シキガミは目が合うや否やすぐに立ち上がると、前と同じように虚空に飛び込むように消え去ってしまう。

 

 白上の意思に関係なく出てくるようだが、基本使役するものが呼び出さない限りは出てこないシキガミが何故、今になって出てくるようになったのか。

 

 目的が有れば出てくることがあるとは聞いたが、その目的が分からないのでは考えようもない。

 

 今は気にしていても仕方ない。

 いつまでも玄関にいるわけにもいかない、と靴を脱ぐ。

 

 いつもならこのまま朝食を作る大神の手伝いに行くところだが、生憎とその大神は今、シラカミ神社ではないカクリヨのどこかだ。

 

 そうなると…、やることは掃除くらいか。

 いや、昨日は白上が料理をしてくれたのだ、今日は俺が作ってみよう。

 

 決まるや否やすぐさまキッチンへと向かい、そして気づいた。

 

 食材がうどんと油揚げしかないのだった。

 これでは調理スキル以前の問題だ。土俵にすら立っていない。

 

 ということで、消去法で掃除しかやることが無くなった。

 

 素直に掃除用具を取りにキッチンを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「こんなもんか。」

 

 達成感を胸に自らが行った成果を見て呟く。

 

 掃除を始めて早数時間。

 シラカミ神社の全体を回り雑巾がけと埃取りを終わらせる。

 

 正直そこまで汚れが溜まっていないということもあり、凝った手順は必要とならなかった。

 

 予想以上に心地よい。

 これは掃除が癖になってしまいそうだ。

 

 すっとするような快感を感じていると、不意に後方から視線を感じる。

 

 「…そこだ!」

 

 勢いよく振り返りびしりと指を突き付ける。

 その指の先には先ほども見かけた小さな狐のシキガミ。

 

 「…!?」

 

 気づかれていないと考えていたのか、そもそも意思があるのか知らないがシキガミは驚いたように身を震わせると、急いで虚空へと消えていく。

 

 それを見届けてつい頭をかいた。

 

 「何なんだ、一体。」

 

 妙に監視されているというか、シキガミに見られている気がしてならない。

 シキガミの目的とやらに、何か関わりでもしているのだろうか。

 

 だが、別に思い当たる節があるわけでもない。

 

 「んー?」

 

 うなりながら首をかしげる。

 

 まぁ、良いか。

 実害が有るわけでもないし、しばらくは放っておくことにする。

 

 一応白上に報告だけはしておこう。

 

 そう、白上だ。

 

 そろそろ朝を迎えてから時間が経つが起きてくる気配がない。

 昨日は不安定になっていたようだが、夜には精神的にもしっかりと安定したようだし、昨夜は遅くまでゲームでもしていたのではなかろうか。

 

 「偶には起こしに行ってみるか。」

 

 用事も無ければそのまま寝かせておくのだが、今日は少しばかり趣向を変えてみることにする。

 それにシキガミの事も報告しないとだし、正当な理由もある。

 

 善は急げ、さっそく白上の部屋へと向かうことにした。

 

 少し歩けばすぐに部屋の前へと到着する。

 

 慣れとは恐ろしいもので想い人の部屋に入るというのに、心は驚くほどに凪である。

 この程度で動揺していては心臓が持たないというのも多分にはあるが。

 

 「白上ー、起きてるか。」

 

 ノックしながら呼びかけてみるが特に返事は無い。

 取ってに手をかけゆっくりと襖を開ける。

 

 「すー…。」

 

 予想通り、部屋の中には布団にくるまって寝息を立てる白上の姿がある。

 

 よく眠っている。

 音を立てて近づくが起きる様子は無い。

 

 白上の寝姿も見慣れたもので、心臓が高鳴って頬が軽く熱くなる程度で済んでいる。

 

 心臓が跳ねるたびに、白上の事が好きなんだと再確認させられるようだ。 

 何時になれば落ち着いてくれるのだろうか。

 

 そんなもの必要ないというのに。

 

 白上が起きていないこの瞬間だけは取り繕わなくても良い。

 

 「好きだな…。」

 

 ぽつりと、仮に白上が起きていたとしても気づかれない程に小さく呟く。

 日に日に膨らんでいく想いはとろまる所を知らない。

 

 もし、白上にこの想いを打ち明けることができれば。

 もし、白上の傍にこれから先居ることができるのならば。

 

 どれ程幸せだろう。

 

 けど、それは叶わない。

 

 俺と白上は、友人同士なのだから。

 この関係を崩す真似は、とてもできはしない。

 

 ここまで膨らんでしまった気持ちは、簡単には消えてくれないだろう。もしかしたらこれから先の未来、永久に抱えていくことになるのかもしれない。

 

 「…本当、厄介だ。」

 

 今の関係を気に入っている一方で、それを憎らしく思う。 

 

 心の中に生まれた矛盾。

 でも、そういうものだと割り切るしかない。

 

 心を落ち着けるように、大きく息を吐く。

 

 「…よし」

 

 整理がついたところでここに来た目的を果たすことにする。

 

 「おーい、白上、朝だぞ。」

 

 「すやー…。」

 

 軽くゆすりながら声を掛けてみるが、その安らかな寝息は途切れることは無い。

 そういえば前も起こそうとして見たが、結局起こせなかったのだったか。

 

 だが、今の俺は以前とは一味違う。

 

 「ちゅん助。」

 

 手を出して小鳥のシキガミを呼び出す。

 愛らしい瞳をこちらに向けるちゅん助をゆっくりと白上の耳元に下ろす。

 

 あれから修業を積んで、ちゅん助も一つ新たなワザを身に着けたのだ。

 その成果を今見せるとき。

 

 「いけ、ちゅん助。なきごえだ。」

 

 『チュンっ!!』

 

 大きな声で返事をすると、ちゅん助は間隔を開けて定期的な鳴き声を上げる。

 それは正に目覚まし時計のそれと比べても遜色はない。

 

 何ならこちらの方が音が高い分、強く耳を貫いてくる。

 

 「ん…、うぅ…。」

 

 流石にこの騒音の中では意識も覚醒せざるを得ない。

 寝苦しそうにうめき声をあげると、白上は寝ぼけ眼のままゆっくりと体を起こす。

 

 「ん、…ミオ、うるさいですよ…。」

 

 目をこすりながら白上は抗議の声を上げる。

 まだ寝ぼけているのか、どうやら大神が起こしに来たと勘違いをしているようだ。

 

 「残念だが、俺は大神じゃないぞ。」

 

 「ふぇ…?」

 

 笑いをこらえながら訂正してやると白上は間の抜けた声を上げてこちらに目を向ける。

 

 「透…さん…?」

 

 「おう、おはよう。」

 

 状況がうまく呑み込めないのか、ぼんやりとこちらを見たまま固まる白上。

 どうしたのだろう、いつもなら軽く挨拶を返してくるはずだが何か変な格好でもしていただろうか。

 

 心配に想い自らを見直してみるが、普通にいつも通りの服装だ。特に変わったところは無い。

 なら、白上は何故俺の顔を見て固まっているのだろう。

 

 不思議に思い、声を掛けようとしたところでそんな白上に変化が起こる。

 

 「え…あ…。」

 

 ぱくぱくと口を開け閉めする白上の顔がどんどん赤く染まっていく。

 あまりに唐突の出来事で今度はこちらも思わず硬直してしまう。

 

 「な…な…」

 

 毛皮に覆われている耳までも赤く染まってしまうのではないかと思う程顔を赤くして白上は、声にならない声を上げる。

 

 そんな白上はふるふると小刻みに震えだし、そして。…

 

 「なんでここにいるんですかー!」

 

 爆発した。

 

 白上はばっと布団を体に巻き付けると、涙目になりながら体当たりするように距離を詰めてくると、ぐいぐいと部屋の入口へと押してくる。

 

 「え…え?」

 

 まさかの展開に困惑でされるがままに押され続ける。

 

 何が起きている?

 何故俺は白上に押されているんだ?

 

 「ちょ、白上!?」

 

 「いいから、早く、出て行って下さい!」

 

 せめて事情だけ聞こうと声を上げるがテンパっているのか聞く耳を持たない白上は押す力を緩めず、ついには部屋の外まで押し出されてしまう。

 

 「白上、まって…。」

 

 ようやく背中への力が無くなったところで、振り返るが、無情にもぴしゃりと音を立てて襖が閉じられる。

 

 「くれ…。」

 

 そして、ぽつりと廊下に一人立ちすくむ。

 

 …何が起こった?

 

 呆然とする、とは正にこのことだ。

 きっと今の俺は相当間抜けな顔をさらしているだろう。

 

 とりあえず、俺は白上を起こしにこの部屋に来た。

 ここまでは良かった。

 

 そこで目的通りに白上を起こして、起こして…。

 今に至る、と。

 

 あの拒絶の仕方は尋常ではなかった。

 

 だが、今になって何故あんな拒絶の仕方を。

 普通に同じ部屋で寝たことすらあるのに、起こしただけであの反応。 

 

 もしや、今まで我慢していただけで、本当は快く思っていなかったのか。

 それが今朝になって爆発した。

 

 十分ありうる。

 というか、それしか思い浮かばない。

 

 「…え?」

 

 ということは、ということは、だ。

 

 「もしかして、嫌われた?」

 

 浮かんだ一つの予想を口に出せば、ズシリとその言葉が胸にのしかかる。

 そうか、嫌われた…。

 

 いや、正確には嫌われていた。

 

 …そうか。

 

 ふらふらとおぼつかない足取りで廊下を通り抜け、玄関へと出る。

 未だに空から舞い降りてくる雪の冷たさはまるで、今の心情を表しているのかのようで。

 

 「は、ははっ…。」

 

 乾いた笑い洩れる。

 

 嫌われた。

 その言葉が幾度も頭の中を巡る。

 

 あの白い雪の中に飛び込めば、この心の痛みも少しは収まるのだろうか。

 

 物は試しだ。

 

 後のことなど知ったことではない。

 どうせもう俺には何も残っていないのだから。

 

 …いざ、行かん。

 

 足を後ろに力を籠める。

 思い切り行こう、遠慮はいらない。

 

 溜めた力は解放の時を待っている。

 

 踏み外さないように、しっかりと地面を掴み、一気に解放する。

 その瞬間であった。

 

 「あたっ!?」

 

 視界の端から白い何かが凄まじい速度で飛んできて、それをもろに食らう。

 固くは無い、顔に残る柔らかな感触はまるで毛皮のようで。

 

 見てみれば、先ほども見かけた白い狐のシキガミ。

 

 なんでこんなところに。

 

 考えを巡らせようとするが、状況はそれを許しはしなかった。

 

 今俺は何をしようとしていた。

 前方の雪の塊へ飛び込もうと足に力を込めていた。

 

 それも思い切り。

 

 その解放の瞬間に顔へ衝撃を受け、驚き、体勢を崩した。

 しっかりと地面を掴んでいたはずの足の指も前へ進むためにタイミングよく地面を放していた。

 

 後ろにのけぞるような体制で足に力を入れた結果、体の中心を軸に回転するようなエネルギーが加わることとなった。

 

 そして地面は雪により摩擦がほとんどないに等しい。

 そうなると、結果は目に見えている。 

 

 端的に言えば、滑った。

 地面を蹴り上げるように、華麗なサマーソルトを披露する。

 

 受け身を取る…地面はどこだ?

 回る景色に完璧に上下の感覚を失った。

 

 なら、後は流れに身を任せる他ない。

 

 回転した体は別に上に飛んだわけでもない。

 その場で、そのまま回転したのだ。

 

 足のあった場所に来るのは頭。

 重力にひかれて、高度は下がっている。

 

 次の瞬間、後頭部に凄まじい衝撃が走った。

 瞼の裏に火花を散らして、意識は闇の底へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…透さんって、かなり抜けてるとこありますよね。」

 

 そんな声が上の方から聞こえてくる。

 これは白上の声だ。

 

 ゆっくりと意識が覚醒する。

 

 「…白上…。」

 

 瞼を開ければ、彼女の顔が視界に映る。

 

 「うわっ、透、さん。その、痛いところはありませんか?」

 

 「頭が痛いな。それより、俺はどうして…。」

 

 名を呼べば驚いたように声を上げながらも具合を聞いてくる彼女に素直に答える。

 

 はて、一体何があったのだったか。

 確か朝は鍛錬をして、掃除をして。

 

 そして…。

 

 「あ…。」

 

 思い出した。

 思わずがばりと飛び起きる。

 

 が、後ろから頭を掴まれて再び元の位置に戻された。

 

 「もう、頭を打ったんだから安静にしてください。」

 

 「へ?」

 

 再び上から聞こえてくる彼女の声。

 横になっているのに彼女の顔がすぐ上に見える。

 

 それに後頭部に感じる痛みとは違う柔らかな感触。

 

 これは、まさか。

 

 「膝、枕…?」

 

 「言わないでください、恥ずかしいんですから…。」

 

 そう言う彼女の顔は、確かに赤く染まっていた。

 色々と分からないことが多すぎて脳がパンクしそうだ。

 

 「けど、俺は白上に嫌われてたんじゃ…。」

 

 「誰がそんなこと言ったんですか。」

 

 強い口調で否定してくる彼女。

 ということは、ただの早とちりだったということか。

 

 「その、先ほどはすみませんでした。」

 

 しゅんとした顔で申し訳なさそうに言ってくる。 

 そうか、嫌われているわけではなかったか。

 

 「俺の方こそ、悪かった。

  許してほしい。」

 

 揃って謝罪をすれば、しっかりと頷いて受け入れてくれる。 

 それを見て胸のつっかえが取れたように、安堵に大きな息が漏れる。

 

 「…そんなに安心したんですか?」

 

 「そりゃもう、白上に嫌われてたらどうしようかと。」

 

 本当に、全身の筋肉が弛緩してしまう程の安心感が身体を伝う。

 

 くるりと周りを見回せば、ここが居間であることが分かる。

 しかし、俺は玄関の先で倒れたはずで。ここまで歩いた記憶は無い。

 

 そうなると、つまりそういうことだろう。

 

 「ここまで運んでくれたのか。ありがとうな。」

 

 「別に、このくらい何ともないです。」

 

 運んでもらった上に、膝枕までしてもらって。

 頭が上がらないとはこのことだ。

 

 実際に抑えられていて上がらないのだが。

 

 「それにしても、恥ずかしがるくらいなら無理にしなくてもいいのに。」

 

 今なお軽く頬を染めている彼女にからかうよう言ってみれば、さらに頬が赤くなる。

 

 「黙って、下さい。それと、あんまり見ないでくださいよ。」

 

 彼女がそう言えば、不意に視界が暗くなり何も見えなくなる。

 そして微かに感じる柔らかな毛皮の感触。

 

 どうやら尻尾で目隠しをされているらしい。

 

 「あの、何も見えないんですけど。」

 

 「余計な事言うからです。」

 

 顔は見えないが、彼女がジト目でこちらを見ていることは何となく察することができた。

 一体いつまで続くのか、それは俺にも彼女にも分からないが、時間はゆっくりと流れていった。

 

 





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個別:白上 15


どうも、作者です。



 

 こぽこぽと泡を立てて沸騰している湯の中に麺を入れる。

 熱湯の中に放り込まれた麺は、流れのままに泳ぎだす。

 

 きつねうどんを主食にして早三日目。

 既にうどんという食材に飽きを感じ始めてきていた。

 

 「そろそろうどん以外の料理にも挑戦したいな。」

 

 「白上はずっときつねうどんでも構いませんよ?」

 

 声を掛ければ白上はけろりとした顔でそう返す。

 「そりゃ、白上は大丈夫だろうけど俺は無理だ、飽きる。」

 

 うどん自体は美味い。

 出汁にしても大神の作り置きしてくれているそれは香りもよく、しっかりと味わい深くもある。

 

 ただ、それ以外に食べるものがないというのは些か無理がある。

 

 「ふふっ、冗談です。明日辺りに買い出しにでも行きましょうか。」

 

 「だな。」

 

 その辺り、察してくれているのか白上もすぐに笑顔を浮かべる。

 

 本当なら今日のうちに買い出しに行きたいところだが、生憎天候が優れない。

 今なお降りしきる雪の中をキョウノミヤコまで買い出しに行きたいとは思えなかった。

 

 「じゃあ今日は適当にゆっくり過ごすか。」

 

 「そうですね、参拝客もしばらくは来ないでしょうし。」

 

 参拝客と言えばつい二日前にサヨちゃんが来ただけか。

 まぁ、そこまで問題が多発するようなこともそうそうないだろう。

 

 「…」

 

 「…」

 

 しばらくうどんが茹で上がるのを無言で見守る。

 これは、そろそろ突っ込んだ方がよいのだろうか。

 

 「…なぁ、白上。」

  

 「はい。」

 

 呼びかければいつものようにこちらを向いて返事を書けしてくれる白上。

 しかし、いつもとは違う点が一つ。

 

 先ほどから気になっていたのだが、いい加減無視しきれなくなってきた。

 

 鍋から目を離して、白上へと視線を向けて口を開く。

 

 「遠くないか?」

 

 「…」

 

 そう問いかければ、キッチンの隅に立つ白上は無言のままそっと目をそらす。

 

 先ほど、膝枕の件を経てそろそろ朝食にしようとキッチンに入ってからこの方、白上に微妙に距離を取られていた。

 

 「…ふ、普通じゃないですかね。」

 

 「そんな震え声で言われてもな。」

 

 らしくもないその様子に思わず苦笑いが浮かぶ。

 

 今朝からどうにも白上の様子がおかしい。

 もしかして嫌われたかという疑問もわいたが、それは先ほど否定されたところだし、他に理由があるとしか考えられない。

 

 「何かあったのか?

  俺にできる範囲なら力になるけど。」

 

 もし悩みがあるとか、不満に思うことでもあるのなら正直に話してもらいところだ。

 

 「いえ、そこまでのものじゃないんです。

  ただ…」

 

 そう言うと、白上はじっとこちらに視線を送る。

 

 「ん?」

 

 「っ…。」

 

 見られたなら反射的に見返してしまうのが常というもので、首を傾げながらも視線を交差させれば、数秒と経たずに白上は慌てるように横を向いて再び視線がそらされる。

 

 「なぁ、やっぱり…。」

 

 何かおかしいともう少し詰めようとしたところで、火にかけていた鍋から泡が噴き出してくる。

 それを見て慌てて火加減を調節する。

 

 すぐに泡は収まったものの、話が途切れてしまった。

 これではこれ以上追及することはできないか。

 

 頃合いということもあり、うどんを湯から上げて手早くきつねうどんを作る。

 

 「で、では白上は先にテーブルの用意をしてきますね。」

 

 「あ、あぁ、頼んだ。」

 

 そう言って足早にキッチンを後にする白上に返事を返しながらその姿を見送る。

 

 やはり、おかしい。

 

 ぎこちないやり取りに首をかしげながら、盆に器を二つのせ白上の後を追う。

 ただの気のせいだろうか、それならそれで良いのだが…。 

 

 居間に到着すれば、白上が空けておいてくれたテーブルに盆を置いて、器をそれぞれの席の前に置く。

  

 「「いただきます。」」

 

 二人、座り、手を合わせて朝食にする。

 

 つい白上の様子を目で追ってしまうが、先ほどとは違いいたって普通の白上だ。

 

 思い過ごしだったか?

 そんな疑問を残したまま箸を取る。

 

 このまま食べても良いのだが、少しばかりアクセントが欲しい。

 辛味を求めて一味を掛けようと探せば、白上の手元辺りにあるのを見つける。

 

 「白上、そこの一味取ってくれ。」

 

 「一味ですか?…はい、どうぞ。」

 

 頼めば白上はすぐに一味を手に取って、こちらに差し出してくれる。

 

 「ありがとう。」

 

 礼を言って受け取ろうと手を伸ばす。

 すると、その際に白上と軽く手が触れた。

 

 「っ…!」

 

 瞬間白上の手がこわばり、一味の容器が宙を舞った。

 

 「おっと!?」

 

 危うくテーブルの上に落下する一歩手前でキャッチに成功する。

 このまま落ちていたら中身がぶちまけられていたところだ。

 

 かろうじて大惨事を回避して、ほっと小さく息を吐く。

 

 「す、すみません!」

 

 「いや、大丈夫だ。」

 

 慌てたように言う白上にそう返してうどんに一味を掛ける。

 

 やはり何かあったとしか思えない。

 それは確実なのだが踏み込みすぎるのも少し躊躇われる。

 

 白上の個人的な悩みだろうし、話しにくいこともあるだろう。

 

 何より、俺自身白上に話せない隠し事もある。これで変に突っ込んで自爆する、なんてことになれば目も当てられない。

 

 (…もどかしいな。)

 

 そう思いながら何気なく白上に目をやる。

 

 いつものように爆速できつねうどんを食べ始めるかと思いきや、視線の先では箸を動かさず、先ほど触れた手をぼーっと眺めている白上の姿がある。

 

 「白上?」

 

 「は、はい!?」

 

 不思議に思い試しに声を掛けてみると、本気で驚いたのか白上はびくりと震えると耳をぴんと立てる。

 

 「あー、うどん食べないのかなって思ってな。」

 

 その反応に少々驚きながら言えば、白上はようやく気が付いたのかはっとした顔をすると、誤魔化すように笑みを浮かべる。

 

 「そうですよね、早く食べないとせっかくのきつねうどんが伸びちゃいます。」

 

 言いながら白上は器に手を掛けると、箸を動かし始める。

 それを後目に俺もうどんを食べようと目を落とす。

 

 「ごちそうさまでしたっ!」

 

 「え?」

 

 一瞬だ、白上がうどんを食べ始めて目を離したほんのわずかの時。

 その後にそんな声が聞こえてくる。

 

 馬鹿な、さしもの白上といえどもこの間に食べ終えることは不可能なはず。

 体調が悪くて食べきれなかったのか?

 

 しかし、心配に思いながら器を見てみるも中身は空である。

 

 何故あの質量を消すことができるのだろう。

 物理法則か何かに干渉でもしているのではないだろうか。

 

 それは一種の技術の極致であった。

 

 「それでは片づけてから見回りに行ってきますので、失礼します!」

 

 「わ、分かった、気をつけてな…。」

 

 口早にまくしたてると器をもって白上は居間を出ていった。

 あまりの出来事の連続に唖然としながらその姿を見送る。

 

 「…見回りってなんのことだ。」

 

 一人になり、改めて引っかかった疑問が口を突いてでる。

 

 この雪の中どこに行くつもりなのだろう。

 

 とはいえ、出るとしてもシラカミ神社の周辺くらいか。

 遠くに行くのならそうと言うのが白上だし、放っておいても問題は無いな。

 

 そう結論づけ、残っているうどんを胃へと流し込むべく器を傾けた。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 うどんを食べ終えてキッチンへと片づけに足を運ぶが、案の定白上の姿は無かった。

 取り合えずささっと洗い物だけしておいて、なんとなしにシラカミ神社を白上の姿を探して散策する。

 

 しかし、探せども探せどもどこにも白上の姿は見つからない。

 

 「?本当にどこに行ったんだ?」

 

 まさか外に出ているのだろうか。

 かなり道が悪かったし、危ないのでは…。

 

 そこまで考えて、白上が自分より上位のカミであることを思い出す。

 いくら可憐な少女に見えるとはいえ、本質はそこらの人間を遥かに凌駕する力の持ち主だ。

 

 少なくともそこらで転んで泣いて帰ってくるような玉ではない。

 

 いないものは仕方ない。

 炬燵でみかんでも食べていようと居間の方へ足を向ける。

 

 「透さーん…。」

  

 「ん?」

 

 不意に玄関の方から白上の声が聞こえてくる。

 やはりどこかへ出かけていたようだ。

 

 何か用事だろうか、と要件に当たりを付けながら玄関へと向かう。

 

 「白上、何か用か…って何があった?」

 

 玄関へと到着し、一目白上の姿を見てぎょっとする。

 

 白上の姿は一言でいえば、濡れた猫であった。

 見事な毛並みの獣耳と尻尾はぐっしょりと濡れていつもに比べて細くなっているように見え、髪や服すらも見てわかる程水気を含んでいる。 

 

 「すみません、タオル持ってきてください…。」

 

 「わ、分かった。」

 

 若干涙目の白上に、言われた通りにすぐにタオルを取りに行く。

 タオルを手に戻ってくれば、白上は玄関に立ったままの状態で動いていなかった。

 

 「ほら、タオル。」 

 

 「ありがとうございます…。」

 

 取り合えず手渡してやれば、白上は礼を言って受け取り、髪と獣耳にタオルを押し当てて水気を取る。

 しかし毛皮はかなり吸水率が高いようで、乾くまでには時間がかかりそうだ。

 

 生憎と今日は雪のせいでいつも以上に気温が低い。

 このまま放置していれば風邪の一つ、引いてもおかしくは無いだろう。

 

 「…ちょっと我慢してくれよ。」

 

 一応一言断ってから余分に持ってきていたタオルを白上の頭にかけて、わしゃわしゃと髪と獣耳を拭いてやる。

 

 「わひゃ!?と、透さん!?」

  

 タオルの下で白上が驚いた声を上げるが、一旦無視して手を動かし続ける。

 

 「このくらい一人でできますから!」

 

 迷惑そう、というよりかは気恥ずかしいようで、白上は若干抵抗するように身をよじる。

 

 「でもこのままだと風邪ひくだろ。

  心配しなくても、濡れた耳とかの扱い方は大神から聞いてるから。」

 

 しかし、このままでは本当に体調を崩しかねない。

 

 落ち着かせようとそう言った瞬間、今まで騒いでいたはずの白上の動きがぴたりと止まる。

 どうしたのだろう、急に大人しくなられると逆に不安になる。

 

 首をかしげていると、白上はおもむろにくるりとこちらへと振り返った。

 

 「ミオに教えて貰ったって、何時ですか?」

 

 心なしかその瞳には妙な迫力があり、声は冷ややかに聞こえた。

 

 「え、イヅモ神社に行った時に機会があって、それで…教えて、貰いました。」

 

 その迫力に負けて、思わず謎に敬語が出る。

  

 「へー、そうだったんですか。

  なるほどなるほど。」

 

 「あの、白上さん?」

 

 白上は平坦な、抑揚のない声で言ったかと思うと、くるりとまた前に向き直り今度は身を預けるようにこちらに寄りかかってくる。

 

 「…やっぱり、一人では拭けないので手伝ってください。」

 

 「え?あ、あぁ、勿論だ。」

 

 若干むくれた顔で先ほどの言葉を撤回する白上に少し困惑しながらも、止めていた髪を拭く手を再び動かし始める。

 

 何かが白上の琴線に触れたようだ。

 しかし、怒気を感じるわけでもない。

 

 …まぁ、それならそれで良いのだが。

 

 「…透さん。」

 

 「ん?」

 

 耳に力を入れすぎないように慎重にタオルを当てながら名前を呼んでくる白上に返事をする。

 

 「透さんは尻尾と耳触るの、好きなんですか?」

 

 「…」

 

 その問いかけに思わず押し黙る。

 試されている、俺は今、試されている。

 

 落ち着け、状況はそこまで良くは無い。

 

 仮に、仮にだ、ここで正直に答えたとしよう。

 そうすると、当然普段からそう考えていると思われるのは必然。

 

 それは避けたい。

 

 しかし、ここで嫌いというのも、それはそれで角が立たないか。

 ならば、この場面での最適解は。

 

 「…好き…です。」

 

 脳が限界を超えて導き出した最適解。

 それを押しのけて素直な感情が、それを一瞬で無に帰した。

 

 自分でも何故こう答えたのかは分からない。

 だがそうするべきだと、口に出す直前で直感的に思ったのだ。

 

 「そうですか…。」

 

 タオルに隠れて白上の表情は伺い知れない。

 そう呟いた白上は今どんな表情をしているのだろう。

 

 「もし触りたくなったら、ミオじゃなくて白上に言って下さい。」

 

 「…ん?白上、それってどういう…。」

 

 予想の斜め上の反応に、思わず慌てて聞き返す。

 表面上取り繕ってはいるが、既に脳内は混沌としていた。

 

 すると、タオルの下で白上がかすかに笑うように震える。

 

 「…なんて、ちょっとした冗談です。」

 

 冗談。

 白上はそう言うが、本当にただの冗談だとは思えなかった。

 

 だからこそ、本気で困惑したし狼狽したのだ。

 

 白上もそれに気が付いていないわけでは無いのだろう。

 

 「なんだか、昨日から変なんです。」

 

 小さく息を吸うと、白上はぽつりと零すように話し始める。

 

 「変って…何がだ?」

 

 「感情が、安定しないんです。嬉しいとか恥ずかしいとか、いつもなら気にしなかったことが気になったりして。

  すぐに心がざわついて。」

 

 そして、白上は鼓動を確かめるように自らの胸に手をやる。

 

 「さっきも、そのことについて考えてたら水場の中に落ちちゃいました。」

 

 「…それでずぶ濡れになったのか。」

 

 水場というと裏の方にあるいつも利用している場所だろう。

 この寒さの中でも氷は張っていなかったが、その分水温は低くなっていた。

 

 今すぐにでも濡れた服を着替えるべきなのだが、今はそれよりも白上の話を聞くべきだと思った。

 

 「透さん。」

 

 白上は再び振り返りジッとこちらを見つめる。

 自然目が合うが、その瞳に映し出されるのは不安か、それとも恐怖か。

 

 「白上と透さんは、これからも友人同士でいれますよね。」

 

 これからも友人で。

 それが白上の望みなのだろう。

 

 正確に白上の悩みを把握できたわけでもない。だが、関係を崩したくない。

 白上もそう思ってくれているのなら。

  

 「…あぁ、勿論だ。

  俺と白上はこれからも、友人同士だ。」

 

 だから、俺はこの想いを伝えはしない。

 表に心の中で蓋をするのだ。

 

 正直隠しきれている気はしない。

 

 だが白上に伝わらないのなら、それで良い。

 

 この関係が終わってしまう程に恐ろしいことは、他に無いのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 「俺と白上はこれからも、友人同士だ。」

 

 彼のその言葉を聞いて、少しだけ心のざわつきが収まった気がした。

 けれど。

 

 (…痛い。)

 

 胸を痛みが苛む。

 

 何故、この答えを求めていたはずなのに。

 自分で自分を理解できない。

 

 彼の顔を見るだけで、彼の声を聴くだけで、簡単に胸は高鳴り落ち着きを保てなくなる。

 先ほどの話の時だって、親友である狼の少女にモヤモヤとした感情を抱いてしまった。

 

 (どうして…。)

 

 その疑問の答えは出ないまま、白い狐の少女は透の胸にもたれかかる。

 

 「…ずっとこの関係が続けばいいのに。」

 

 透には聞こえない程に小さなその呟きは、誰にも届くことは無く消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな二人の様子を見守る。

 

 二人共が互いに意識し合っている様は見ていて飽きないが、しかしもどかしいことこの上ない。

 

 これで本当にうまくいくのか。

 そう思わせる危うさに思わず舌打ちが出そうになる。

 

 だが、どれだけもどかしかろうと、鑑賞はしても干渉はするわけにはいかない。

 

 これは二人の問題だ。

 あの二人、フブキと透で解決されるべきモノだ。

 

 だから、まだしばらくの間は見守ってやることにしよう。

 

 






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個別:白上 16


どうも作者です。


以上。


 

 「今日も露店は大盛況ですね。」

 

 キョウノミヤコ、その大きな通りにて隣を歩く白上がテンション高めに辺りを見渡しながら歓声を上げる。

 

 先日の件で特に体調を崩すことも無かったたため、予定通り俺と白上は食料の調達にキョウノミヤコまで来ていた。

 

 いつ来ても人の途絶えない通り。

 その横に並ぶ様々な露店や屋台。

 

 今日も今日とて、普通の人にアヤカシにと様々な人が行き交っている。

 

 「なぁ、毎回同じ場所に違う屋台が出てるんだけど、もしかして毎日違う場所に違う店が出てたりするのか?」

 

 同じように辺りを見渡しながらふと気になり、白上へと問いかける。

 流石に歩きなれた風景の中で、前回は綿あめを出していた場所が今回はラムネなどの飲み物を売っていたりと、屋台や露店だけは毎回記憶と一致しないものが出ている。

 

 

 「そうなんですよ、ですから屋台の全制覇はその日のうちにしかできないんです。」

 

 得意げに答える白上だが、その間には少しだけ距離がある。

 

 隣、ではある。

 しかし、先日同様にいつもと比べて距離が遠い。

 

 やはり昨日の今日で解決するわけではないらしい。

 

 少しだけ感じる寂寥感を胸に隠して、白上と共に通りを歩く。

 

 食料の調達と言ってもそこまで大量に必要なわけでもない。精々二人で三日分もあれば十分だ。

 問題は何を買うかだが、そこも適当でいいだろう。

 

 元々手の込んだ料理は出来ないのだ、魚に肉に、野菜でもあれば焼いて茹でて味付けするだけで済む。

 

 「白上達ははいつも何処で食料を調達してるんだ?」

 

 ここ二か月程一緒に生活してきたが、キョウノミヤコに食料を求めてやってくることはこれが初めてだ。

 

 「んー、白上もかなり久しぶりなんですよね。

  前にも話しましたけど、基本的に奉納という形で色々と貰っていまして、周期的にも食べるものが無くなるなんてことは殆ど無くて。」

 

 「そう言えばそうか。

  それでセイヤ祭はそのお返しもかねて大忙しだったもんな。」

 

 今回だって別に食料が無くなったわけでは無い。

 ただ食べるものがきつねうどんの一種類に限定されてしまっただけで、貯蓄自体はまだ余裕がある。

 

 うどんの種類は素うどんも含めればかなりあるが、基本的にベースがうどんであることに変わりは無いため、やはり無理がある。

 

 「それに足りないものとか、その辺りはミオがやってくれていたので。」

 

 「…大神が帰ってきたら、前以上に手伝いに精を出さないとな。

  確かに大神の料理は美味いけど、だからと言って頼ってばっかりなのはな。」

 

 思っていた以上に頼りきりになっていたようだ。

 せめて大神が帰ってくるまでには、家事の水準を上げておこう。

 

 「…むぅ。」

 

 そっと心の中で誓いを立てていると、横で白上が頬を膨らませる。

 

 「これからは料理は白上が作ります。」

 

 「え、けど…。」

 

 「作ります。」

 

 流石に任せきりになるのはと反論しようとするが、白上から得体のしれない圧を感じ、首を縦に振るほかなかった。

 それを見て当の白上は満足げに頷いている。

 

 満足してるならそれでいいのだが、そうするといよいよ出来る家事が掃除だけになってくる。

 いや、これは逆に僥倖かもしれない。

 

 俺が掃除を、白上が料理を。

 それぞれが担当を分ければ、上達も早いだろう。

 

 白上がこれを狙っての提案なのかは不明だが、無理に断る理由もないのは確かだった。

 

 「取り合えず急ぎでもありませんし、色々と見て回りましょうか。」

 

 ということで、二人でキョウノミヤコを散策することにする。

 

 そろそろ見慣れてもおかしくない景色だが、実際に歩いてみれば決して退屈することは無く見るもの聞くものに新鮮さが満ち満ちている。

 その理由は言うまでもなく、白上と共にいるからなのだろう。

 

 彼女といるだけで何でもない日常が簡単に色づいてしまう。

 

 (…やっぱり、遠いな。)

 

 だからこそ、この状況は少し堪えていた。

 

 今までが近すぎた、そう言ってしまばえばそこで終わりなのだが、俺にとってはその距離が普通になっていた。

 それだけに、少しとはいえ距離を取られるだけでどうしようもない寂寥感が胸に満ちる。

 

 もしその手を取ることができたのなら、とは思わずにはいられない。

 

 我ながら女々しくなったものだ。

 頭を軽く叩いてそんな考えを奥底へと沈めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白い狐の少女は透の隣を少し離れて歩きながらちらりと彼の横顔を覗き込む。

 彼の顔は考え事でもしているのか、若干眉間にしわが寄っている。

 

 最近になって偶に見かけるその表情。

 正確にはオツトメがあった翌日から、意識するようになったそれに少女はつい見入ってしまう。

 

 何を考えてるんですか?

 

 それを口に出して問いかければ、彼はいつものようにへらりと笑って奥底に隠してしまうのだろう。

 

 その表情を隠してほしくないと思った。

 彼の感情がそのまま表れているようで、彼が隠している自分に見せようとしないその表情を、悪いとは思っていても少女は見ていたかった。

 

 (やっぱり、胸がざわついてる。)

 

 胸を締め付けられるような感覚を覚えながら、少女は彼を想う。

 その感情が何かを理解できないままに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白上と二人でぶらりと通りを歩いていれば、一つ気になる屋台を見つけた。

 

 「白上、あそこの屋台に寄っても良いか?」

 

 目的の屋台へと指をさしながら声を掛ければ、白上は指を辿って視線を動かす。

 

 「あそこ…あ、クレープですね。

  透さんクレープ好きだったんですか?」

 

 「いや、そういう訳じゃないんだけど、ちょっと顔見知りを見つけてな。」

 

 「そういうことでしたか。

  はい、勿論です、白上もクレープは食べたかったですし。」

 

 了承を得たところでさっそく屋台へと向かう。

 

 屋台の中では見覚えのある二人組がせっせとクレープ作りに勤しんでいた。

 

 「あ、あの時の。

  まっくん、まっくん。」

 

 近づけば一人が気が付いたようで、こちらを見て目を丸くすると、もう一人の裾を引っ張る。

 

 「?どうしたんだい、もっくん。

  って、シラカミ神社の。」

 

 もう一人、まっくんと呼ばれた青年も同じようにこちらを見るとその目を大きく見開く。

 この二人はオツトメの際にケガレに取りつかれていた青年たちだ。

 

 「こんにちは、偶然見かけたので声だけでもかけておこうと思いまして。」

 

 「そうでしたか、先日はありがとうございました。」

 

 そう言って頭を下げる二人だが、別に礼を求めて声を掛けたわけではないのですぐに頭を上げてもらうようにお願いする。

 

 それより気になったのは、二人の関係。

 

 「前に結婚すると聞きましたけど、その後はどうですか?」

 

 とはいえ、答えは目に見えている。

 二人の指に光るペアの指輪。それが現在の二人の間柄を如実に表していた。

 

 「はい、無事に死闘の末結ばれました。」

 

 「やっぱり、おめでとうござい…死闘?」

 

 どうにも聞き流せない単語に、思わず聞き返す。

 死闘って、結婚とはそんなに殺伐としているものであっただろうか。

 

 カクリヨの文化の一つなのかと、首をかしげる。

 

 「もしかして、北の出身の方なんですか?」

 

 「はい、白上さんのおっしゃる通りで。」

 

 対して白上は何やらピンときたようで もっくんと呼ばれる青年と何やら通じ合っていた。

 これは話についていけない奴だ、と早々に察した。

 

 「北の方では結婚の際に力を示す風習があるんですよ。

  例えば狩りだったり、色々と種類は有るんですけど。」

 

 首をかしげていれば、すぐに白上が補足を入れてくれる。

 なるほど、カクリヨの文化の一つということか。

 

 結婚するだけで死闘とは、北は修羅の国か何かなのか。

 

 「俺たちのところは基本的にどちらかが相手の両親に力を示すんですけど、かなり血気盛んな方だったので直接決闘になりました。

  今ではお義父さんとは酒を飲みかわす仲です。」

 

 「まっくん、かっこよかったんですよ。

  絶対に諦めないって、勇猛に立ち向かっていって。」

 

 「よしてくれよ、もっくん。」

 

 身振り手振りで熱弁するもっくんと呼ばれる青年に、まっくんと呼ばれる青年は顔を赤らめる。

 

 熱愛ぶりは相変わらずなようで、今にも顔を近づけようとしようとしたところ、咳ばらいを一つ入れて阻止する。

 

 「何はともあれ、ご結婚おめでとうございます。」

 

 「おめでとうございます。」

 

 過程には驚かされたがめでたいことには変わりない。

 白上と共にお祝いの言葉を伝えれば、二人は照れたように小さく笑う。

 

 「ありがとうございます、お二人もよく噂を耳にしますよ。」

 

 「噂?」

 

 噂というとキョウノミヤコでの事か。

 何のことだろう、思い当たるような節は無い。

 

 思わず白上と目を合わせて首をかしげる。

 

 「どんな噂なんですか?」

 

 白上が問いかければ、もっくんと呼ばれる青年が笑顔のまま口を開く。

 

 「それはもう、お二人が恋人同士だっていう噂です。」

 

 「…は?」

 

 「ひゃい!?」

 

 唐突な爆弾発言に一瞬思考が停止する。

 

 俺と白上が恋人?

 何故そんな噂がキョウノミヤコに。

 

 「前にお二人がデートをしていたこともかなり有名ですよ。」

 

 「デートって、あれはただ一緒に遊びまわってただけなんだけど…。」

 

 おそらくオツトメの後にいろいろ回った時のことだ。

 キョウノミヤコでは白上はかなり顔も売れているし、噂の対象にもなりやすいのだろう。

 

 「それにしてもそれだけで恋人って、キョウノミヤコの人達は結構噂が好きなのかもな。」

 

 「…。」

 

 苦笑いを浮かべながらそう白上に話しかけるが、返事が返ってこない。

 そういえばいつもならさらりと否定してのけるのに、今日は俯いて黙ったままだ。

 

 「白上?」

 

 「は、はい、何ですか透さん!」

 

 不思議に思い名を呼べばようやく白上は俯けていた顔を上げる。

 その顔は先ほどと同様に赤く染まったままで、テンパっているのかオーバーなリアクションだ。

 

 「あ、いや、ぼーっとしてたみたいだから。大丈夫か?」

 

 やはり昨日水にぬれたせいで体調でも崩していたのだろうか。

 

 「だ、大丈夫です。

  白上はいつも通りですよ。」

 

 いや、そう見えないから声を掛けたのだが。

 まぁ、本人がこう言うのならそう捉えるしかないか。

 

 「恋人…白上と、透さんが…。」

 

 ぼそぼそと小さな声で白上が呟くが、生憎と内容までは聞き取ることはできなかった。

 しかしふとその白上の顔に影が見える。それだけが、気がかりだった。

 

 「あ、あと他にも噂がありまして。」

 

 「ん?」

 

 すると、終わりかと思われた噂の話を彼は続ける。

 まさか続くものとは思っておらず、つい目を丸くしてしまう。

 

 「大神さんと恋人同士。あと、百鬼さんと恋人同士なんて噂もあったり。」

 

 「待ってくれ。」

 

 次々と投下される爆弾に、思わず待ったをかける。

 白上とだけでもかなり大きな衝撃だったが、それを優々と超えてきた。

 

 大神と百鬼。

 

 どちらとも噂につながるような出来事は、恐らくなかったはず。

 百鬼とはヨウコさんの前でそんなことをした覚えはあるが、それだけでキョウノミヤコ中に広まるとは思えない。

 

 「へー、そうなんですか。

  それは興味深い噂ですね。」

 

 いつの間に復活していたのか、白上は抑揚のない声で言うとジトリとした視線をこちらに向ける。

 違います、根も葉もない事実無根のただの噂です。

 

 「というか、それだと完全に節操無しだろ。

  よくキョウノミヤコの人達は普通に接してくれるな。」

 

 詳しいところまでは知らないが、カクリヨでは基本的に一夫多妻や一妻多夫ではなく一夫一妻が主流だ。

 少なくとも、今まで接してきた人の中でもそれ以外のケースは見かけていない。

 

 そんな中でこんな噂が流れていては、普通あまり良い顔はしないだろう。

 

 「まぁ、それこそ噂なので。

  よく聞きだしたのはセイヤ祭の周辺でしたし、会話の種みたいな感じでしたね。」

 

 「つまりそんなに真に受けてないってことか。

  良かった。」

 

 まっくんと呼ばれる青年の言葉に心の底から安堵する。

 

 セイヤ祭の周辺というと準備に追われていた期間だ。

 その時に色々と回ってシラカミ神社の居候の男、そんな認識が定着したのだろう。

 

 それで元々有名だった白上達と噂が立った。

 そんなところか。

 

 「まぁ、その中の一つはあながち間違いでもなかったり。」

 

 「…。」

 

 どれの事、とは聞かなくてもすぐに理解できた。

 そう言って生暖かい視線送ってくる二人に、思わず冷や汗が背を伝う。

 

 「僕たちも同じような頃があったので、一目見てすぐに分かりましたよ。」

 

 確定だ。

 完全にバレている。

 

 そこまで俺が分かりやすいのか、それとも周りの人間が異様に鋭いのか。

 今回の場合は普通に経験で見抜かれただけだが、本人以外にはほとんど隠せていない気がする。

 

 「何のことですか?」

 

 隣で疑問符を浮かべている白上に、二人は懐かしむように笑いあっている。

 馴れ初めを聞いてみたい気もするが、それはそれで長くなりそうなので今回は遠慮しておいた。

 

 「頑張ってくださいね。」

 

 「…あー、ありがとうございます。」

 

 白上には聞こえないようにこっそりとエールを送られる。

 ありがたいことだが、正直複雑な心境ではあった。

 

 お祝いもできたことだしと、そろそろお暇させてもらうことにする。

 何よりこれ以上話していると一から十までバレてしまいそうだ。

 

 「あ、それじゃあこれ、どうぞ。」

 

 そう言って二人は二つのクレープを差し出してくる。

 

 「良いんですか?」

 

 「はい、前に助けてもらったお礼がまだだったので。」

 

 先ほど礼を言ってもらえただけで十分に満足だったのだが。

 何はともあれせっかくの好意だ、礼を言って受け取る。

 

 「幸せそうでしたね、あのお二人。」

 

 「同感。

  あそこまで幸せそうなカップルも珍しいよな。」

 

 やはりセイヤ祭のジンクスも絡んでいるのか…いや、一重にあの二人の積み重ねだろう。

 それに本当にジンクスがあるのなら…。

 

 チラリと白上へ視線を向けてみれば丁度貰ったクレープにかじりついているところだった。

 

 考えても仕方ない。

 そう区切りをつけて、同じくクレープへとかぶりついた。

 

 「あ、美味い。」

 

 柔らかな甘さが口に広がる。

 けれどしつこくなく、あまり甘味が得意でない人でも食べれそうだ。 

 

 「透さん中身は何でした?」

 

 「チョコバナナ、白上は?」

 

 「白上は苺でした。」

 

 食べたそうな気配を感じたのでひょいと差し出してみれば、白上はぱっと顔を明るくすると、小さな口を開けて一口クレープをかじる。

 

 するとお返しにと白上のクレープがこちらに向けられるので、遠慮なく一口貰う。

 

 チョコとはまた違った味。

 二つの味を楽しめるようにと味を分けてくれたのだろう。

 

 「あ…」

 

 「?どうした?」

 

 再び自分のクレープを食べようとしたところで、何かに気が付いたように白上が声を上げる。

 

 「いえ、何でもないです…。」

 

 そう言う白上の頬はほんのりと赤く色づいていた。

 

 …あぁ、間接キスか。

 状況から、すぐにその原因を察する。

 

 しかし、この程度で動揺はしない。

 

 「このクレープ美味いな。」

 

 「透さん、そっちは壁ですよ。」

 

 話題を変えるように白上に話しかければ、その逆方向から白上の声が聞こえてくる。

 今一度前を見てみれば、確かに目の前に壁がある。

 

 …まだまだ精進は足りないらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからしばらく、食料を調達しながらキョウノミヤコを回っていれば、空が赤らんできていた。

 やはり冬ということもあり、日が落ちるのも早い。

 

 「透さん、最後に例のあそこに行きませんか?」

 

 「例のあそこ…あぁ、あれか。」

 

 元通りとはいかないが、昼間より幾分か距離の近づいた白上がそう提案する。

 例のあそことは、以前白上に教えて貰った穴場の絶景スポットだ。

 

 「良いな、俺もまた見たかったんだ。」

 

 二つ返事で了承し、さっそく二人で高台へと足を向ける。

 

 道順はまだ覚えている、以前案内してもらった時よりも体感早くに、高台へと到着した。

 まだ夕日は空に浮いており、ピークに達していないことが分かる。

 

 「少し早かったですね。」

 

 「言っても、すぐに沈み始めるだろ。

  取り合えずそれまで待つか。」

 

 白上と並んで高台からキョウノミヤコを見下ろす。

 東西南北に分かれるこの街を一望できるのは広いキョウノミヤコの中でもここだけだろう。

 

 「あ、あそこ、ヨウコさんの所の花屋さんじゃないですか?」

 

 「え、どこだ…。」

 

 眺めていれば、白上がそう言って指を指し示す。

 その指を辿って目を皿のようにして店を探せば、色とりどりの花を飾った見覚えのあるシルエットを見つける。

 

 「本当だ。

  そっか、花屋は再開してたもんな。」

 

 セイヤ祭でも花を飾っていたし、当然店も再開しているか。

 無事に元の生活に戻っているようで何よりだ。

 

 思えばあの事件からひと月以上が経ったのか。

 

 「そういえば、宿の屋根の上で話したこともあったよな。」

 

 俺を助けたのは善意だけでなく、打算ありきであったと知ったのはあの時だった。

 

 「あぅ、その話はやめてください、あの時はミオの占いの件で白上なりにどうにかしようと必死だったんです。」

 

 白上的にはあまり良い記憶ではないようで、腕の中に顔を突っ伏してしまう。

 

 「だからそんなに気に病むことでもないだろ。

  俺はあれのおかげで白上たちと付き合いやすくなったんだから。」

 

 「透さんがそう言ってくれるのは嬉しいですけど…。

  やっぱり気にはなりますよ。」

 

 かなり前の事だと言うのに未だに引きずっているようだ。

 こういう所は律儀というか何というか。

 

 「そんなに気にしないでくれよ。

  あれが無かったら今は無かったんだから。」

 

 正直、大きな変化自体は生まれないだろうが、こうして白上と二人で景色を見ていられるのもあの過程があったからこそだ。

 

 「…透さんが言うなら…。

  そうですね、気にするのはやめにします。」

 

 そう言うと白上は顔を上げ、一つ頷く。

 どうやらうまく呑み込めたらしい。

 

 「…おっと、そろそろ頃合だな。」

 

 話していれば、いつの間にか空は真っ赤に燃えて街は黄金色に染まり始める。

 

 「…」

 

 「…」

 

 自然と黙り込み、静寂が二人の間を漂う。

 こうしてこの光景を見るのは二度目だ。

 

 キラキラと輝く景色に、初めてここに来た時の記憶がよみがえる。

 

 正確にはいつかは定かではない以前よりその兆候はあったのかもしれない。

 しかし、決定的だったのはここで。確かに俺は白上に心を奪われたのだ。

 

 あの横顔に俺は…。

 

 記憶をたどり、チラリと横に視線を動かす。

 その先に、記憶にある白上の横顔が。

 

 「…あっ。」

 

 静寂の中、息をのむような声があがる。

 それと同時に交差する視線。

 

 目が合った。

 横を向いた瞬間に、その綺麗な二つの瞳と。

 

 予想とは異なり、視線の先にはこちらを見る白上の姿。

 その顔が赤く見えるのは夕焼けの所為か、それとも。

 

 「す、すみません!」

 

 「い、いや、こっちこそ。」

 

 途端にばっと逸らされる顏。

 だが、既に先ほどの光景は脳裏に刻まれていた。

 

 (やめろ。)

 

 こちらを見て、目が合った瞬間顔を赤く染めるその姿。

 その姿はまるで、まるで…。

 

 (考えるな。)

 

 その先に思考を進めまいとするも、つい考えてしまう。

 

 別に鈍感なわけではない。

 ただ目をそらしてきた。

 

 期待してしまうから。

 もしかしてと、考えてしまうから。

 

 それに関する要素、すべてに蓋をしてきた。

 

 (万が一でも、関係を壊したくないんだろ。)

 

 ただの都合の良い妄想だ。

 だから、それ以上先に進まないでくれ。

 

 最近になって、白上の様子がおかしかったのは。

 あんなにも素直に感情を出されては。

 

 どうしてもそこに至ってしまう。

 

 期待したくなってしまう。

 

 「白上。」

 

 気が付けば、その名を呼んでいた。

 ゆっくりとこちらへと振り向く彼女の顔は未だに赤い。

 

 「実は、俺は。」

 

 正面から彼女と向き合う。

 勝手に口が動く、もう止めることはできなかった。

 

 「白上のことが…。」

 

 ここまで来て、彼女も察したのか表情に緊張が走る。

 羞恥、困惑、様々な感情がその瞳に浮かぶ。

 

 そして、微かな怯え。

 それを見て、頭が冷えた。

 

 悪い、やっぱり何でもない。

 そう誤魔化そうとした、その時だった。

 

 「うおっ…。」

 

 強い風が吹き、思わず一瞬だけ白上から目が離れる。

 

 なんでこんなタイミングで。

 いや、違う、そんなことより訂正を。

 

 そう考えて口を開くが、そこから言葉が発せられることは無かった。

 

 「…あ…?」

 

 目の前の光景に言葉が出ず、ただ口を開け閉めする。

 確かにそこにいたのは白上だ。

 

 しかし、その綺麗な白い髪は光を飲み込むような漆黒に染まり、柔らかなその瞳は鋭くこちらに視線を送っている。

 まるでリバーシのように反転して、人が変わってしまったかのような変化。

 

 「白…上…?」

 

 まずは目を疑った、色覚が狂ったのかと。

 だが、変化したのは目の前の白上だけで、周りの光景が正常だと訴えかけてくる。

 

 「白上だ?…違う。」

 

 絞り出すような問いかけを、彼女は易々と否定する。

 その声はいつもの温和な声でない。

 

 低く、静かな嵐のような声で彼女は続けて宣言した。

 

 「あたしの名前は、黒上フブキだ。」

  

 

 





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個別:白上 17


どうも、作者です。


 

 『あたしの名前は、黒上フブキだ。』

 

 そう宣言した彼女は、高台の上、夕日に照らされてどこか幻想的に見えた。 

 それは変化した雰囲気からか、それともその場の情景からそう感じたのか。

 

 呑み込まれてしまいそうなカリスマ性すら感じたそんな彼女は今。

 

 「んだよこれ、バグだろっ。」

 

 必死な形相でコントローラを動かしていた。

 

 カチャカチャと部屋に鳴り響く音。

 場所はシラカミ神社の白上の部屋、隣には画面を見ながらコントローラを握る彼女の姿。

 

 「…なぁ、白上。」

 

 「あたしは黒上だ。

  何回あいつと間違えるつもりだ、次間違えたら噛み殺すからな。」

 

 「あ、悪い。」

 

 見慣れないその光景に戸惑いながら声を掛けるが、白上、元い黒上は画面から目を離さないままに鋭く答えてくる。

 

 色合いが違うとはいえ、顔は白上そのものだ。

 それを前に中々認識が追いつかない。

 

 顔は白上、それでも中身は別人。

 そういうことになっているようだ。

 

 何故このような状況に陥ったのかというと、時間は数時間前ににさかのぼる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「黒上って、白上じゃなくてか。」

 

 高台の上、彼女に問いかければ、いつもの温厚な視線ではなく始めてみる彼女の鋭い視線がこちらへと送られる。

 

 「そうだ、あたしは黒上フブキ。

  あー、そうだな…簡単に言うと白上フブキの同居人ってところだ。」

 

 「同居?」

 

 同居、と彼女は言った。

 しかし、シラカミ神社に来てから黒上フブキという名の少女の事を耳にした記憶も目にした記憶も無い。

 

 「別に知らなくても無理はない。

  わざわざ話すような事でもないし、その機会もなかった。」

 

 そう言った彼女の顔を夕日が照らす。

 風になびくその黒髪は鮮やかに輝いていた。

 

 「白上フブキと黒上フブキは一心同体。二人で一つの存在だ。

  白上フブキが居れば、黒上フブキがいる。逆に黒上フブキが居れば、白上フブキもいる。

 

  まぁ、体は一つなわけだから表面化するのも必然的に一人になる。今は黒上フブキであるあたしが表面化しているってわけだ。」

 

 「一心同体…。」

 

 つまり、黒上と出会うことが無かったのは俺と会う時は白上が表面にいたからなのか。

 体が一つなら、それは出会うことも無いだろう。

 

 それなのに、白上は今はその黒上として目の前にいる。

 原因は…考えるまでも無い。

 

 俺が好意を伝えようとしたから。

 

 俺が関係を変えようとしてしまったから。

 

 寸前で止めようとしたが、流石にあそこまで言ってしまえば察しの一つ、ついてもおかしくはない。

 これが彼女の望みだというのなら、今度こそそれを違えるわけにはいかない。

 

 「いつまで難しい顔をしてるんだ。夕日も沈んだことだし、シラカミ神社に帰るぞ。」

 

 「あ、あぁ。」

 

 気が付けば夕日も地平の彼方に沈みかけていた。

 考え込んでいる間、静かに見守ってくれていたらしい。

 

 背を向けて歩いて行く彼女を追って、帰路へとついた。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、現在に至る。

 

 あの後普通に帰ってきてそのまま二人でゲームをすることになった。

 髪の色だったり口調だったりと色々と変化しているようだが、そこは変わらないようだ。

 

 「…で?」

 

 「へ?」

 

 隣の彼女は動かしていたゲームの手を止めてこちらを見る。

 

 「へ、じゃなくて、何か用があったから呼んだんだろ。

  早く要件を言え。」

 

 …そういえば、声を掛けたのだった。

 

 「あぁ、ただ呼んだだけ。」

 

 何となく口に出しただけだけで特にこれといって用があるわけではない。

 しかし、彼女の神経を逆なでするのには十分だったようで。

 

 「…は?ということは何か?

  それだけの為にあたしの手を止めさせた訳か。」

 

 ずいとこちらに顔を寄せてくる白上、もとい黒上に気圧されて後ろに仰け反る。

 静かな声の中に確かな怒気を感じる。

 

 「悪かったって、それよりいいのか?」

 

 「何が。」

 

 こちらを睨みつける黒上はまだ気が付いていないようだ。

 そろりと視線を横に向けてゲーム画面へと目を向ける。

 

 「ゲーム、敵来てるぞ。」

 

 「え、あっ!

  あぁ…。」

 

 指摘されてようやく気が付いたようで、慌てて画面へと向き直り操作しようとするがそれも虚しく、画面にはでかでかとゲームオーバーの文字が表示された。

 

 割と良い場面だっただけに黒上は悔しそうに体を震わせる。

 

 「このっ…、どうしてくれるんだ、お前の所為だぞ透っ!」

 

 「今のは自業自得だと思うんだが。」

 

 掴みかかってくる彼女に言えば、彼女から感じる怒気がさらに強まった気がした。

 

 「いーやお前のせいだ、罰としてお茶を汲んで来い。」

 

 ただ怒りを助長しただけの様だ。

 だがお茶を汲んでくるだけで許されるとは、まだ黒上という人物については掴みきれていないがこういう所を見るに意外と緩いのかもしれない。

 

 意外と本質はそのままなんだと思えば、なぜか可笑しく思えてつい笑みが浮かぶ。

 

 「はいはい、黒上様の仰せのままに。」

 

 だが流石にここでさらに余計なことを言おうとは思わない。

 言われるがままに、お茶を汲みにキッチンへと向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…ただ、あんまり上手く入れる自信は無いんだよな。」

 

 キッチンの中、やかんを前にそうぼやく。

 何か飲みたいと思った時は水を飲むし、いつもなら白上や大神が入れてくれるため、基本的に自分で入れることは無い。

 

 一応茶葉などは見つけた。ただそこから先は完全に適当である。

 

 「確か何回かに分けて入れるんだっけ。」

 

 あやふやな手順を思い出しながら、とりあえずは湯が沸騰するまで待機する。

 

 「…ん?」

 

 ふと視線を感じて振り向いてみれば、そこには最近になって見慣れてきたちょこんと座る白い小さな狐のシキガミの姿。

 相変わらず何を目的に現れるのか見当もつかない。

 

 怪訝に思いながらも見つめていればいつものように消えるのかと思いきや、シキガミはゆっくりと立ち上がるとこちらに勢いよく駆け寄ってくる。

 

 勢いをそのままに、ぴょんと跳ね上がると綺麗に頭の上へと着地された。

 

 「えっと…。」

 

 唐突にそんなことをされても反応に困る。

 しかしシキガミは我関せずといった風に位置を調整すると、そのまま座り込んでしまう。

 

 どうやら降りる気はさらさらないようだ。

 

 「…まぁ、良いか。」

 

 何の意図があるのか、この行動に何の意味を見出しているのか。

 ただ害意は無さそうなため、放っておくことにする。

 

 そこで丁度やかんが音を立てた。

 シキガミを頭にのせたままで茶葉を入れた急須に湯を注ぐ。

 

 湯を入れてからどれだけ待つのかも分からず、何分か待ってから交互に二つの湯のみに入れていく。

 音を立てて注がれるお茶は湯気を立て、良い香りを…

 

 「おい、お茶を入れるだけで何分かけるつもりだ…って。」

 

 突如背後から聞こえてくる声に振り返れば、痺れを切らしたのか黒上がキッチンの入り口からこちらを見ていた。

 しかしその言葉は途絶えて、黒上の視線が俺の頭上へと注がれる。

 

 「何勝手に出てきてんだ、早く戻れ。」

 

 その瞳はどこか警戒に満ちていて、ただのシキガミに対するには不自然な程に真剣みを帯びていた。

 

 シキガミが体を震わせたのか、頭上から振動が伝わってくる。

 そう感じた次の瞬間、頭から重みが消えた。

 

 例のごとく虚空に飛び込むように姿を消したのだろう。

 

 「お前、あいつから何も聞いてないだろうな。」

 

 聞かれたくないことでもあるのか、やけに黒上の雰囲気が刺々しい。

 

 「聞くも何も、シキガミは喋らないだろ?」

 

 これはイヅモ神社の神狐からも聞いている。

 基本シキガミは言葉を発さない。意思があることは確かだが、それでも普通の動物のそれと遜色は無いそうだ。

 

 「…そうか、それならいい。」

 

 それを聞いて黒上は安心したように静かに息を吐く。

 同時に発していた刺々しい雰囲気もまた鳴りを潜めた。

 

 「…で、お前は何をしてたんだ。

  やけに時間をかけてたみたいだが、煎餅でも焼いてたのか?」

 

 「いや、普通にお茶入れてた。」

 

 そう答えれば黒上は怪訝そうな顔をして手元を覗き込んでくる。

 そこには湯気を上げる茶の入った湯のみの姿がある。

 

 しかし、それはいつもの茶に比べて明らかに色が濃い。

 香りも柔らかなものではなく、強く鼻に残るような香り。

 

 黒上は無言のままそれを見るとおもむろに湯呑を一つ手に取り、口をつけて傾ける。

 

 次の瞬間、黒上のその端正な顔がしかめられた。

 

 「…うぇ、渋っ。

  透、お前これ湯を入れてからかなり時間置いただろ。それと茶葉も多すぎ。」

 

 「す、すんません。」

 

 次々と投げかけられるダメ出しに自分でも何となく間違っていることが分かっていただけに思わず謝罪が口に出る。

 

 「ったく、ほら、入れ方くらい教えてやるから。」

 

 そう言うと黒上はせっせとやかんに水を入れて沸かす準備を始めた。

 

 「え、教えてくれるのか?」

 

 予想外の展開に脳内が驚きで埋め尽くされる。

 呆然とする俺を意に介さずに黒上は手を動かし続ける。

 

 「そう言ってるだろ。

  けど、教えるのはこれっきりだからな。ちゃんと覚えろよ。」

 

 「…あ、あぁ、分かった。」

 

 口調の割にはきちんと教えてくれるようだ。

 黒上は意外と面倒見の良い性格なのかもしれない。

 

 やかんが再び音を立てる。

 

 それを見て黒上は火を止め急須にではなく新しく出した湯のみに入れた。

 

 「こうやって一回湯を冷ますんだ。

  沸騰してすぐに入れることもあるが、今回はこのやり方で行く。」

 

 一概に茶の入れ方と言っても種類はいくつかあるようだ。

 

 「茶葉はそんなに何杯もいらない、二人分なら…まぁ、このくらいだな。」 

 

 「へぇ…。」

 

 手順を説明しながら、黒上は手際よく茶葉を急須へと入れていく。

 手慣れたその様子からは普段から茶を入れ慣れているような印象を受けた。

 

 茶葉を入れ終わると、湯のみに入れて冷ましていた湯を急須に入れる。

 そこから一分も経たずに黒上は急須を手に取り、軽く揺らしてから湯のみに中身を少しずつ、交互に注いでいく。

 

 最後の一滴まで注ぎ終われば、そこには先ほど自分で入れたものとは比べるのもおこがましい程の出来の茶が、ほんのりと湯気を立てていた。

 

 「これが茶の入れ方だ。あたしにここまでやらせたんだ、抜けなく頭に叩き込んだんだろうな。」

 

 「勿論、少なくともさっきみたいな失敗はしないさ。」

 

 別段複雑な過程があるわけでも無かった、茶葉の量や時間さえ把握できれば酷い結果にはならないだろう。

 それを聞いて、なら良い、と黒上は得意げに笑みを浮かべる。

 

 「まぁでも、最後の湯のみへの注ぎ方はちゃんとできてたみたいだな。

  頭でも撫でてやろうか?」

 

 「それは遠慮しとく。」

 

 黒上の揶揄うような口調に苦笑いを返す。

 それに対して彼女は特に気分を害した様子もなく、冗談だ、と笑いながら湯のみ盆に乗せる。

 

 「あ、透、そこの戸棚の奥に菓子があるから適当なの持ってきてくれ。」

 

 指さされるのはキッチンの奥の棚。

 そこは確か白上の菓子の隠し場所だったか。

 

 「菓子か、分かった。…でも良いのか?」

 

 白上と黒上、二人が別の存在だとするなら今の状況で勝手に持っていくのも不自然だろう。そう考えて確認を取れば、黒上はこちらに振り返り口を開く。

 

 「良いんだよ、引きこもってるあいつが悪い。

  ほら、行くぞ。」

 

 さしたる興味も無い素振りでそれだけ言うと、今度こそ歩いて行ってしまう。

  

 「…引きこもってる、か。」

 

 黒上の背が見えなくなったところでぽつりと呟く。

 つまりはそういうことなのだろう。

 

 気にしすぎるのも逆効果か。

 思考を切り替えて、戸棚の奥の隠し場所からいくつか菓子を取り出すと部屋へと急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『フブキ、本当にこれでよかったのか?』

 

 黒の少女が問いかければ、こくりと対照的な白の少女が頷く。 

 

 ここは少女の夢の中。

 この場所では二人の少女は同時に存在できる。

 

 互いを確認し合い、互いと触れ合える。

 

 『この関係が長くは続かないのは、お前が一番理解してるんだろ。』

 

 沈黙。

 

 白の少女が黙り込んでしまうのを前に、黒の少女は困ったように頭をかく。

 

 黒の少女としては、白の少女の気持ちを汲んでやりたいとは考えている。

 何を恐れ、何を危惧しているのかも知っている。

 

 だが、だからと言ってこのままで良いとは考えられなかった。

 

 『…まぁ、しばらくは見守ってやる。』

 

 もどかしさを感じながらも、一旦は流れを見てみることにする。

 そう判断し黒の少女は白の少女へとそれを伝える。

 

 ごめんね。

 

 声の代わりに返ってくるそんな謝罪の意思。

 

 『謝罪なんか必要ない、お前が落ち込んでいるとあたしも…何というか、あまりいい気分にはならないんだ。』

 

 黒の少女の言葉に、思わずといった形で白の少女が小さく笑う。

 

 『…何を笑ってる。』

 

 なんでもない。

 

 不機嫌そうにジトリとした視線を送られながらも白の少女はかぶりを振る。

 黒の少女にこういう所があることを彼女は知っていた。

 

 『まぁ、そういうことだ。

  あたしのためにも、早く結論をだせよ。』

 

 …ありがとう。

 

 『…礼もいらない。』

 

 その言葉を最後に聞きながら、今度こそ白の少女は眠りの底へと意識を落としていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「眠れないな…。」

 

 布団に入ってしばらく、今日の出来事が頭をぐるぐると回っていて中々寝付けないでいた。

 

 先ほどまで黒上と菓子を食べながらゲームをしていたが、もう眠たくなったと黒上が言ったところで今日の所は解散となったため、現在は自室である。

 

 「…夜風にでも当たるか。」

 

 このまま横になっていたところで寝付けるとは到底思えなかった。

 

 布団から出て部屋を後にする。

 シンとしたシラカミ神社を歩いて玄関で草履を履き、外に出た。

 

 上を見上げれば、雲一つない満天の星空が広がっている。

 山の頂上ということもあり、遮るものも明かりもないこの場所からはよく星が見える。

 

 もう少し高いところから見ようと、屋根に上がり一番上へと進む。

 

 「ここなら少し落ち着けるか。」

 

 座れそうな場所を見繕って腰を下ろす。

 壮大な自然を前にすればとも考えたが、そこまでの効果は無いようだ。

 

 だが、それでも少しは胸が軽くなった気がした。

 

 白上の事、黒上の事。

 目下はこのことで頭がいっぱいになる。

 

 自業自得ではあるのだが、それ故にこの問題は重くのしかかってくる。

 

 「…どうしたもんかな。」

 

 「何がだ?」

 

 ぽつりと零れた独り言に返事が返ってきたことに完全に不意を突かれて肩が跳ねる。

 声の出所へと目を向ければ、見慣れた姿が視界に移る。

 

 「しらか…いや、黒上か。」

 

 「正解だ、良く分かったな。」

 

 黒い髪を携えた狐の少女はそう笑うと横まで歩いてくる。

 辺りに明かりがないのは星を見る分には好都合だが、色の識別は難しい。

 

 眠っているのかと思えば、まだ起きていたようだ。 

 

 「そういえば、自己紹介はまだだったよな。

  俺は透だ、改めてよろしく。」

 

 「あたしは…って、これはもういいか。

  よろしくしてやるよ、透。」

 

 手を差し出せば、ぱしりと軽く叩かれる。

 挨拶も終わったところで、夜空へと視線を戻す。黒上も星を見に来たのか、それとも他に目的が有るのか。

 

 しばらく会話も無く、静かな時間が流れた。

 

 「…透。」

 

 そんな静寂を破るように黒上が声を発する。

 

 「ん?」

 

 やはりただ星を見に来たわけでは無いらしい。

 ようやく本題に入るのかと彼女の話に耳を傾ける。

 

 「フブキのことは悪く思わないでやってくれ。」

 

 「…」

 

 どちらのこと、とは聞かない。

 黒上と白上、名は両方フブキだが彼女がフブキと言えば、それは白上の事だ。

 

 「悪いのは俺だ。白上には何の非も無いだろ。」

 

 そうなれば内容にも見当はつく。

 黒上だって、現在渦中の人物だ。

 

 その原因となったのは間違いなく俺で、彼女に罵られても文句は言えない立場にある。

 

 「フブキはお前の気持ちに薄々感づいた上で逃げてる、それでも非がないと言えるのか?」

 

 ドキリと心臓が跳ねる。

 あの状況で気づかない方がおかしい、しかしそれをいざ他人の口から聞くと動揺が心を揺さぶる。

 

 「…だろうな。

  というか、その口ぶりだと黒上には完全にばれてるんだな。」 

 

 「そりゃ間近で見てきたからな。それより、どうなんだ。」

 

 逃げや誤魔化しは許さない。

 そんな圧力を感じながら口を開く。

 

 「白上は関係が変わってほしくないからこうしてるんだろ。

  なら、やっぱり俺に非がある。」

 

 現状維持で良いところに、水面に意思を投げ込むように変化を起こした。

 場に流されそうになった弱さがこの結果を招いた。

 

 「…まぁ、お前がそう思うならそれで良い。

  あたしが話に来たのはその理由だからな。」

 

 「理由?」

 

 聞き返せば、黒上は夜空を見上げながら続ける。

 

 「フブキが変化を避けようとするのは、カミという強大な存在であることに起因する。

  別にフブキに限った話じゃないがあいつはあれで寂しがり屋だからな、それはお前も知ってるだろ。」

 

 「あぁ、確かに。」

 

 異様に距離が近かったり、一緒にゲームができなくて拗ねたり。

 それ以外にもいくつか思い当たる節はある。

 

 「でもそれとカミであることと何の関係が。」

 

 寂しがり屋とカミ、この二つが白上が変化を嫌う理由になるのか疑問に思い問いかける。

 

 「とにかく聞け。

  知っての通りカミってのは強大な力を持ってる、それこそ世界でも数えるほどしかいないレベルのな。だからこそ人からは崇められて、頼りにされる。

  

  けどそれは対等言えるか?

 

  否だ、人はカミを自分より上の存在として扱う。

  いくらフレンドリーに接していても、心のどこかで目上の存在として見ている。

 

  だから対等に接することのできる人間というのは、それだけで希少なんだ。

  それは大切にしたいと思うし、崩れそうになればそれはもう恐怖そのものだ。

 

  特にフブキはその辺り、カミの中でも敏感ということだ。」

 

 黒上の瞳がこちらに向けられる。

 その瞳は感情を映し出さない、だが、その奥にわずかな憐憫が見えた。

 

 「恐怖か…。」

 

 あの高台で見た白上の瞳に浮かんだ怯え、恐怖の正体はそれか。

 自分でも驚くほどにすとんと胸に落ちる。

 

 「どうして話してくれたんだ?」

 

 「お前には知っておいて欲しかった、それだけだ。」

 

 愚問だった。

 かなり内面に踏み込んだ話。それは誰にでも話すような事でもない。

 

 そこでふととある可能性が思い浮かぶ。

 

 「ちなみに、白上は今俺と黒上が話してることは…。」

 

 「勿論、知らない。ばれたら多分大木槌が飛んでくるな。」

 

 黒上の独断であったらしい。

 いくら同居人と言えどもそこまでは許されないか。

 

 「とにかく、これでお前とあたしは共犯者だ。密告なんて寒い真似はするなよ?」

 

 出来るわけがない。

 

 黒上は人差し指を口に当て片眼を閉じる。

 星を見に来ただけで、いきなりこんな爆弾を抱えることになるとは思わなかった。

 

 「了解だ、共犯者。」

 

 「なら良い。」

 

 そう返せば、黒上は満足そうに笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

  






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個別:白上 18


どうも、作者です。

評価、感想、誤字報告、ありがとうございます。




 

 翌日

 

 まだ日も出ていない早朝

 日課の鍛錬も兼ねてシラカミ神社周辺の山を駆けながら昨夜の出来事を想う。

 

 強大な力を持つカミ。

 その代償とでも言うかのようなその孤立性。

 

 黒上から聞いたそれらに、改めて白上を含むカミという存在がカクリヨにおいていかに特別なものであるか知らしめられた気がした。

 

 白上と大神、それに百鬼。

 何故カクリヨでも珍しいカミがシラカミ神社の一か所にここまで集まっているのか。それはカクリヨの異変、その解決という共通の目的もあるのだろうが、それ以上に同じような境遇、存在であるという点も少なからず関与しているのであろう。

 

 そして白上の目線では、突然大神と百鬼がシラカミ神社を離れて行き、さらにカミ以外での友人との関係までもが変化しようとした。

 

 現在の状況はいわば白上にとっての緊急措置。

 少ない縁を少しでも留めようとする彼女の意思の表れだ。

 

 まぁ方法が方法だが、そこには目をつむるとして。

 

 とにかく方針は変わらない、彼女の望む通りこの関係を続けるだけだ。

 この少々歪ともいえる関係を。

 

 「ふぅ…。」

 

 簡単に結論が出たところで一度立ち止まり、呼吸を整える。

 膝に手を突けば、右手の甲にある白色に染まった宝石が目に入った。

 

 色に変化はない、つまりそれは彼女への想いは変わっていないことを意味する。

 

 「…まぁ、そうだよな。」

 

 今なお胸に灯る想いは色褪せることなく燃え続けている。

 事の発端であることを理解したうえでこれなのだから、我ながら懲りないものだ。

 

 しかし、このままでは何時また同じ過ちを犯してしまうのか気が気ではない。

 

 「…でもいざという時は黒上が止めてくれるか。」

 

 何せ彼女とは共犯者なのだ、持ちつ持たれつで助けてくれるに違いない。

 

 「いてっ。」

 

 そんなことを考えていれば突如として後頭部に衝撃を感じる。

 振り返ればどこからともなく石が飛来してきて、今度は額を捉える。

 

 「…。」

 

 甘えるな、そんな黒上の声が聞こえた気がした。

 

 最初から他力本願になるのも良くないか。

 すぐさま考えを改める。

 

 次は無いと考えれば冷静さを保つこともできるだろう。決して彼女の圧に屈したわけでは無い。

 

 誰にともなく言い訳を浮かべて思考を切り替える。

 何時までもここで立ち止まっている訳にもいかない。

 

 再び足を前に進める。

 先の事は分からない、ただ進むだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつも通りの内容をこなして水浴びから帰ってくる。

 見れば、既に太陽が水平線から完全に顔を出していた。

 

 大きな日の丸を背に玄関の扉を開けて中に入る。 

 シンと静まったシラカミ神社、しかしどこからか食欲をそそる香りが漂っている。

 

 「まさか…。」

 

 慌てて靴を脱いでキッチンへと向かう。

 廊下の先に暖簾の先から洩れた光が見えた。

 

 中を見てみれば綺麗な黒い髪を携えた狐の後ろ姿。

 

 「…黒上?」

 

 一呼吸置いて声を掛ければ目の前の少女はびくりと肩を跳ねさせて、すぐにこちらにその鋭い視線を向ける。

 

 「っ…なんだ透か、早かったな。」

 

 誰が声を掛けたのかを視界に映せば、エプロンを身に着けた黒上は澄ました顔で返事をする。

 

 「早いって、もう日は昇ってるぞ。」

 

 「そんなはず…あー、マジだ。」

 

 それを聞いた黒上が窓から外を覗き込むと、言いかけていた言葉が途切れる。

 朝日が差し込んでいるが、それでも気が付いていなかったらしい。

 

 「それより黒上、それ…。」

 

 だが、今はそんなことよりも気になることがある。

 先ほどから漂ってきていた香りは黒上の手元からだと本能が告げている。

 

 黒上の前のコンロの上には湯気を立てる鍋に、焼き目の付いた魚。まな板の上には綺麗な卵焼き。

 

 「朝飯、作ってくれたのか。」

 

 確かに昨日の食料の買い出しで材料はあるがまさか作ってくれているとは思わず、驚きで片言になってしまう。

 

 「べ、別に、ついでだからな。

  もう少し掛かるからお前は先に居間に行ってろ。」

 

 「わ、分かった。」

 

 表情を隠すように鍋の方へと顏を向けながらぶっきらぼうに黒上は言ってのける。

 驚きの抜けないままに、その言葉に従いおとなしくキッチンを後にする。

 

 居間にたどり着き座れば驚きは抜けるが、今度は謎の緊張が全身を包み込んだ。

 昨日の今日でこんなことになられると、理解もそうだが何より感情が追い付かない。

 

 もしや何か考えがあっての事なのだろうか。

 そんな予測を立てるも、それらしい理由も思いつかない。

 

 結局、黒上が盆を持って居間に来るまで姿勢一つ動かさずに固まっていた。

 

 「お待たせ…って、どうした、かなり滑稽な顔してるぞ。」

 

 「いや、ちょっと緊張して。」

 

 答えを聞いた黒上は怪訝そうな顔をしながらも持っていた盆をテーブルに置く。

 そして目の前に先ほども見た焼き魚に卵焼き、味噌汁、白米とザ和食といったラインナップの朝食が並べられる。

 

 「おぉ…。」

 

 「何だよ。」

 

 予想以上の完成度に感嘆の声を上げれば居心地悪そうな黒上に睨みつけられる。

 

 「ここまで料理できるとは思わなかったから、素直に驚いた。」

 

 「はっ、当たり前だ、あたしを誰だと思ってるんだ。」

 

 感想をそのまま伝えれば、黒上はがらりと表情を変えて口調の割には機嫌良さげに笑みを浮かべる。

 

 黒上も座ったところで早速手を合わせてから箸を手に取る。

 

 「美味い…。」

 

 まず卵焼きから食べてみるが、見た目に違わない美味しさにぽつりとそんな声が零れる。

 卵焼きだけではない、どれもこれも普段作らないとは思えないほどに美味い。

 

 「そうか、そいつは良かったな。」

 

 澄まし顔でそう言う黒上だが、その後ろでは尻尾がゆらゆらと気分良さそうに揺れており、喜びが隠しきれていない。

 

 その様子を見て指摘してやろうかと一瞬考えるが、そうすると次から作ってもらえないかもしれない。

 それは避けたいと思えるほどには黒上の作った朝食が気に入っていた。

 

 「なにニヤニヤしてる。」

 

 「別に。」

 

 向けられる疑惑の視線を躱しながら味噌汁の入った椀を傾ける。

 

 しばらく無言で食べていれば、すぐに全て綺麗に食べきってしまう。

 空の食器を前に、これは毎日でも食べたいという欲が顔を出す。

 

 だが、今日は気まぐれで作っただけなのかもしれない。

 頼み込もうかとも考えるが、かなり朝早くから作ってくれていた所も鑑みるとそれも憚られる。

 

 「ごちそうさまでした、美味しかったよ。」

 

 「ん、お粗末様でした。」

 

 悶々とした感情を弄びながらも、手を合わせ、黒上に感謝を伝える。

 

 そうだ、あまり欲張りに成るものではない。

 今日作ってくれただけでも十分すぎるほどに嬉しかった、それで良いのだ。

 

 黒上も食べ終わったようで食器を纏めると立ち上がろうとする。

 

 「あぁ、食器は俺が洗っとくから黒上はゆっくりしててくれ。」

 

 わざわざ朝早くから作ってくれたのだ、このくらいはさせて貰いたい。

 皿洗いを買って出れば、黒上も意をくんでくれたのか上げかけていた腰を下ろす。

 

 「それなら頼んだ。

  あたしは部屋に戻って寝なおす。」

 

 やはり眠いらしくあくび交じりの黒上に思わず苦笑いを浮かべながら食器をすべて盆の上に纏めて持ち上げる。

 

 「…透。」

 

 キッチンへ向かおうと居間を出る寸前で不意に黒上から声がかかり、何事かと振り返り黒上を見る。

 

 「その…卵焼き、甘さとかどうだった。」

 

 言いながら黒上は照れくさそうに頬をかく。

 

 「えっと、さっきの出丁度良かったけど…。」

 

 何故そんなことを聞くのだろう。

 そう考えた時、一つ予想が頭をよぎる。

 

 「もしかして、また作ってくれるのか?」

 

 「…うるさい、黙ってとっとと行きやがれ。」

 

 しっしと追い払うように手を振る黒上を尻目に居間を出る。

 

 問いへの返答は無かったが否定もされなかった。

 つまりはそういうことなのだ。

 

 キッチンへと歩きながら小さく片手でガッツポーズをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「すー…、すー。」

 

 皿洗いを終えて居間へと戻れば机に突っ伏して寝息を立てる黒上の姿があった。

 部屋で寝ると言っていたが、それすら叶わずに力尽きてしまったらしい。

 

 理由が理由なだけに起こすのもためらわれるため、このまま寝かせておくことにする。

 とりあえずブランケットだけかけて、向かい側へ座れば、体が弛緩してあくびが出た。

 

 ここまで気持ちよさそうに寝られるとこちらにまで眠気が伝播するかのようだ。

 

 「…何してようかな。」

 

 このまま寝顔を見ていると後々のリスクが高まりそうだ。

 かと言って特にやることも思い浮かばない。

 

 「…ん?」

 

 頭を悩ませていれば、不意に頭の上に重みを感じた。

 この感覚には覚えがある。

 

 「頭の上が気に入ったのか?」

 

 問いかければ肯定するように頭をトントンと叩かれる。

 

 一応横の棚のガラスに目を向ければ、反射した自分の姿が反射する。

 その頭の上には、予想通り白い狐のシキガミの姿。

 

 「見つかったら怒られるからって、寝てる間に出てきたのか。」

 

 再び頭を二回叩かれる。

 とはいえ、会話をするわけでもない。

 

 頭の上に乗られたところで、状況は特に変わることは無かった。

 

 「あ、そうだ。

  来い、ちゅん助。」

 

 意外とウマが合うのではないかと鳥のシキガミを呼び出してみる。

 

 『…』

 

 『…』

 

 ちゅん助が寄っていけば白い狐のシキガミは、じっとその様子を見ている。

 かと思えばシキガミは面倒くさそうにちゅん助をあやし始め、ちゅん助もそれを楽しんでいるようだ。

 

 しかし、一つ誤算があるとすれば、それらがすべて頭の上で行われているということだろう。

 

 せめて机の上でやってくれないものかと何とか下ろそうとするも、断固として降りるつもりはないようで、引っ付いたまま離れようとしない。

 

 「…仕方ないか。」

 

 これ以上はただの徒労になることを理解して一つため息を吐き、潔く諦めて頭の上を提供することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ん…。」

 

 しばらく頭の上のシキガミ達の様子をガラス越しに見守っていれば寝ていた黒上がそんな声を上げて身じろぎをする。

 

 それと同時に頭の上の重みが一つ消える。

 

 不満そうな鳴き声を上げるちゅん助を戻していると、のそりと黒上が体を起こした。

 

 「んー…透…。」

 

 名を呼びながら目をこする黒上はどこか寝ぼけているようで、しかし段々と意識がはっきりしてきたのか目の焦点があってくる。

 

 「…あれ、寝てたのか。どのくらい寝てた?」

 

 「多分一時間も経ってないな。」

 

 きょろきょろと辺りを見回しながら問いかけてくる黒上にそう返せば黒上はそうか、とあくびをして目じりに涙を浮かべる。

 

 「…ブランケット…、ありがとう、感謝する。」

 

 「どういたしまして。」

 

 体を動かした拍子に肩からずり落ちて気が付いたらしい。

 礼を言ってくる黒上にお馴染みの返答をする。

 

 「それで、透は何してたんだ?

  まさかずっとそこでぼーっと座ってたわけでもないんだろ。」

 

 「あぁ、さっきまで…。」

 

 目を服の袖でこすりながら聞いてくる黒上に先ほどまでの光景を説明しようとしたところで、はっとして口を噤む。

 

 白い狐のシキガミとまた会っていたことは黙っていた方が良いのだったか。

 

 「…ちゅん助と戯れてた。」

 

 「何だその間は。まぁ、別に何してても良いんだが。」

 

 言えない部分だけ削って伝えると、怪訝な視線を送られるがそこから特に追及されることは無かった。

 これだと自分のシキガミ大好き人間だと思われるだろうが…間違いではないし、ちゅん助は可愛いし。

 

 黒上はその場で猫のように伸びをすると、立ち上がる。

 

 「よし透、お茶を入れろ。

  昨日の今日で入れ方を忘れてないかあたしが直々に確認してやる。」

 

 「唐突だな、流石に忘れてないって。

  じゃあ、ちょっと待っててくれ。」

 

 教えて貰ってからは時間的にまだ丸一日も経っていない。

 流石にこの期間で忘れるほど記憶力は悪くはない。

 

 立ち上がり居間を後にすれば、その後ろを黒上も追従する。

 

 …。

 

 「え、黒上も来るのか?」

 

 「?当たり前だ、入れ方を見るんだから。

  それとも自信が無いのか?」

 

 ギラリと黒上の瞳が光る。

 これは逃げられそうもない、そもそも逃げる気などないが。

 

 そういうことで、そのまま黒上と共にキッチンへと向かう。

 

 直接見られながらというのも中々に緊張する。

 それも間違えたら後がないと考えれば尚更に。

 

 ただお茶を入れるだけのことにびくびくとしながらついにキッチンへと到着する。

 

 「よし、始めろ。」

 

 黒上の号令で早速お茶入れに取り掛かる。

 昨日教えて貰った手順をなぞり、てきぱきと行動していく。

 

 湯を沸かし、茶葉を適量急須に入れ、湯呑に入れて少し温度を下げた湯をその中に入れていく。

 

 「…。」

 

 この間、無言でそれを見てくる黒上から妙な圧というべきか、プレッシャーを感じる。

 しかし、ここまでくればもう終わったも同然。

 

 一分と経たずに湯のみに交互に最後の一滴まで注げば完成だ。

 

 「黒上、どうだ?」

 

 「…。」

 

 黒上に問いかければ、彼女は湯のみを手に取り一口飲む。

 高鳴る心臓の音を聞きながら、判決が下るのをじっと待つ。

 

 こつんと湯のみがテーブルに置かれて音を立てる。

 

 「…まぁ悪くないんじゃないか。」

 

 その言葉を聞いて全身から力が抜けるかのような安堵が胸を埋め尽くす。

 

 「はぁー、良かった…。」

 

 「大げさだな。

  あたしが教えたんだ、このくらいできて当然だ。」

 

 大げさとは言うが間違えれば確実にへそを曲げる程度では済まなかったのだ、このくらいの安堵は感じて然るべきだ。

 

 そんなすました顔で言っている黒上だが、その顔は喜色に満ち満ちている。

 いつものポーカーフェイスが剥がれて満面の笑みがそこに浮かんでいた。

 

 この結果がそれ程に嬉しかったようだ。

 

 「あたしは茶菓子を持っていくからお前は先に茶をもって居間に戻ってろ。」

 

 言いながら既に黒上は戸棚を開けて奥を探っている。そして、今朝と同様にその尻尾は感情を表すように揺れていた。

 

 「ふむ…。」

 

 その尻尾は見るからにさらさらとした綺麗な毛並みで、極上の触り心地なのだろう。

 そんなものが無防備に目の前で揺れている。

 

 だが流石に触ろうとも、それをお願いしようとも思えなかった。

 

 理由は様々だが、仮に勝手に触ったとして。

 

 とりあえず刀が出てくる。

 そして多分見たことのないワザも出る。

 

 肉片が残れば上々だ。

 

 「ん、何見てんだ?」

 

 「何でもないです俺先に居間に戻ってるな!」

 

 つい尻尾を目で追っていれば視線を感じたのか黒上が振り返ったため早口でそうまくし立てて盆に湯のみを乗せてキッチンを後にする。

 

 危なかった、友好な関係をこんなくだらないことで危険にさらすものではないな。

 茹りそうな頭を冷ましながら、廊下を歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 慌てて去って行った透の姿を見送って、何を見ていたのか視線の先にあったものへと目を向ける。

 

 「ふーん…。」

 

 キッチンの中に少女の声が響く。

 自らの尻尾を視界に映して、透が何を見ていたのかを察して。

 

 「なるほど。」

 

 そう言って、少女は顔に悪戯な笑みを浮かべた。





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個別:白上 19


どうも作者です。

評価くれた人、ありがとうございます。
以上。



 

 おかしい。

 頭に浮かんだその一言は、目の前の現実に起因していた。

 

 目の前に座る黒上の少女。

 基本的に無表情でいることが多いそんな彼女なのだが。

 

 「…ふふっ。」

 

 先ほどからこちらを見て何やら含みのある笑みを浮かべていた。

 

 確かに先ほどお茶を入れた際にも笑ってはいたが、今のそれは何処か毛色が違う。

 上機嫌からくる、というよりかは悪戯を思いついた子供のような、そんな笑み。

 

 彼女が茶菓子を探すだけの時間で何が起こったのだろう。

 

 不思議に思いながら茶を啜る。

 自分で入れたとは思えない程に問題なく入れられている。

 

 これも黒上の教えのおかげか。

 

 「おい、透。」

 

 「ん?」

 

 話しかけてくる彼女の声に湯のみを傾けながら耳を傾ける。

 

 「お前、さっきあたしの尻尾を見てただろ。」

 

 「ぶっ…ごほっ!?」

 

 思わぬ発言に気管へと茶が入り込み咳き込む。

 

 バレている。

 その事実の衝撃たるや白上の姿が黒上の姿に変わったときのそれと等しい。

 

 和やかなひとときが一瞬のうちに崩れ去り、血みどろな修羅場となる、そんな瀬戸際である。

 

 冷や汗をだらだらと流しながら何とか誤魔化しきれないか思考を巡らせる。

 

 第一に、あの状況で黒上が尻尾を見られていると確信を持てるはずがない。 

 つまり、これは揺さぶり、動揺を誘っているのだ。

 

 それならこの場の最善策は余裕をもって堂々としているだけで良い。

 

 「…な、なんの証拠があってそう思うのかね。」

 

 「演技が下手だな、それは犯人の定型文だぞ。」

 

 今ほど自分の土壇場での演技力のなさを嘆いたことは無い。

 ニヤニヤと笑みを浮かべる黒上の視線を受けながら打開策を考えるが、完全に詰んでいる。

 

 「…はい、見てました。」

 

 「くくっ、そうかそうか、やっぱり見てたんだな。」

 

 早々に諦めて両手を上げて降参すれば黒上は心底愉快そうに笑う。

 見たところ、予想とは違い今すぐ刀は出てこなさそうで少しだけ安心する。

 

 「それで、どうして尻尾を見てたんだ?

  ん?正直に話してみろ。」

 

 助かったかと思えば、これからが本番だと言わんばかりに心底楽しそうに更に踏み込んだ質問が投げかけられる。

 これには流石に本音ではそのまま答えられない。

 

 しかし、黒上には生半可な嘘では先ほどのように見破られて終わりだ。

 いや、あれは俺自身の演技力の問題なのだが、とにかく今度は嘘にならない程度で本音を…。

 

 とはいえ中々都合よく思いつくものでもない。

 何かないかと視線と記憶を巡らせる。

 

 「あー…、そうだ!

  大神の尻尾とよく似てるなって、ほら色合いと、か…。」

 

 「…。」

 

 思いついた言葉をそのまま口に出していけば、明らかに黒上の機嫌が急降下していく。

 その様子に自分が過ちを起こしたことに気が付く。

 

 無言になってしまった黒上を前に脳が警鐘を鳴らす。

 

 「あたしを目の前にして他の女の事を考えてたのか…そうか。」

 

 前髪に隠れてその表情は見えない。

 だが、一つ分かるのは少なくとも笑顔ではないということだ。

 

 すくりと黒上は音もたてずに立ち上がるとゆっくりと居間を出ていく。

 

 やがてそれ程時間も経たずに戻ってきた黒上のその手に握られるのは見慣れた彼女の刀。

 

 「それで、何か言い残したことはあるか?」

 

 座った眼で言い放つ彼女に恐怖を覚えた。

 

 「待ってくれ、俺達には話し合いが必要だ。」

 

 今にも斬りかかってきそうな程に剣呑な雰囲気を醸し出す黒上を宥める様に両手を前に出す。

 現在刀も無く完全な丸腰であるため、抵抗の手段は交渉の他にない。

 

 「…。」

 

 一応は話を聞いてくれるらしく、刀を握りしめたまま黒上は無言で続きを促す。

 だが、時間を稼いだところでここから先の事は何も考えていない。

 

 「…さっきのは、その…言葉の綾で。

  別に大神と比べようだなんて…。」

 

 「けど、ミオの事を思い浮かべたんだろ。」

 

 必死な言い訳も虚しく黒上が刀を手ににじり寄ってくる。

 本当のことを言うのは体裁的にも出来るだけ避けたい、しかしこのままだと刀で唐竹割りにされるのは目に見えていて。

 

 体裁と命、どちらが大切かと言われるとそれは当然。

 

 「…すみません、本当は触りたいなと思って見てました。」

 

 言ってしまった。

 命惜しさに、白状してしまった。

 

 これで黒上はどのような反応をするのだろうか。

 最有力候補としてはドン引きか、それは心の損傷が激しそうだ。

  

 覚悟を決めて、恐る恐る黒上の様子を伺う。

 

 「…ったく、そうなら最初から正直に言え。」

 

 刀を下ろして悪態をつく彼女だったが、しかし先ほどのような剣呑な雰囲気は鳴りを潜めていた。

 むしろ上機嫌とでも言わんばかりに尻尾が左右に揺れている。

 

 正直者な尻尾である。

 

 刀を仕舞うと黒神は落ち着くように一つ深呼吸を入れる。

 

 「あーあ、残念だったな透。

  最初からそう言っていれば触らせてやっても良いと思ってたんだけどな。」

 

 「なんだと…。」

 

 そして告げられた衝撃の事実に思わず絶句する。

 正直に話していれば尻尾を、あの柔らかそうで触り心地の良さそうな尻尾を触らせてもらえていた…。

 選択を間違えた、変な見栄など張らなければこんなことには。

 

 「そんな…俺は、なんてことを…。」

 

 「…そんなに悲壮感丸出しにすんなよ、ほら。」

 

 そう言って目の前に差し出されるのは見事な毛並みの尻尾。

 一瞬目の前の現実が理解できずに黒上の顔を見てみるが、彼女は視線を逸らして目を合わそうとしない。

 

 こんなことが起こっても良いのか、こんな幸福が。

 

 恐る恐るゆっくりと手を伸ばす。

 あと少しで、その至宝へと手が届く、そうここが俺の…。

 

 「あっ。」

 

 しかし、あとほんの数ミリで手に触れる、そう思った次の瞬間にさっと音を立てて尻尾が眼前から消えた。

 

 何が起こったのか分からず無言のまま黒上へと目を向ける。

 

 「ざ、残念だったな、時間切れだ。

  まぁ、さっさと触らなかった自分を呪え。」

 

 彼女は悪戯な笑みを携えて自らの尻尾を引き寄せていた。

 その光景は瞳を通り、視神経を通って脳へと到達する。

 

 「え…あ…。」

 

 天国から地獄に突き落とされるのはこんな感覚なのか。

 徐々に現実を理解して行く脳でぼんやりとそんなことを考える。

 

 「黒上、冗談だよな。やっぱり触らせてくれたり…。」

 

 「無い、諦めろ。」

 

 縋った希望は、無情にも断ち切られた。

  

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「よしよーし、お前の毛並みは最高だなぁ、ちゅん助ー。」

 

 『ちゅんっ…!?』

 

 手のひらにすっぽりと収まるサイズの小鳥を手に乗せて撫で繰り回す。

 さしものちゅん助もこれには困惑の声を上げているが、我慢してくれ、俺の心の傷を癒すことが出来るのはお前しかいないんだ。

 

 どれ程の時間が経ったのかは定かではないが、長いこと撫でていても飽きない毛並み。

 やはり毛皮は正義なのである。

 

 そんな俺の様子を見る瞳が一対。

 目の前に座る黒上は今度こそドン引きした様子で冷ややかな視線をこちらに向けていた。

 

 「おい、何時まで続けるつもりだ。」

 

 「俺の心の傷が癒えるまで。」

 

 投げかけられる問いに簡潔に答えつつ、ちゅん助を撫でる手は止めない。

 凍ってしまった心を溶かすためには膨大な時間が必要だなのだ。

 

 「~ッ、そろそろ目障りなんだよ!」

 

 「純情を弄ばれた傷は大きいんだ!

  こうしてちゃん助に癒してもらってることの何が悪い。」

 

 苛立ちを発散させるように噛み付いてくる黒上に負けじと言い返す。

 念願が叶うと思った寸前で取り上げられるこれ以上無いと感じる程の絶望を味わって、それでも立ち上がる為に必要な過程なのだ。

 

 すると黒上はいら立ちが頂点に達したのか、俺の手の中のちゅん助を無理やり奪い去ってしまう。

 

 「な、何をする!」

 

 唯一の癒し、最後の砦を奪われて動揺する。

 心なしかちゅん助がほっとした顔をしているように見えるのは気のせいだろうか。

 

 「はっ、警告してやったのに辞めないからだ。」

 

 黒上の手へと移ったちゅん助は黒上に礼でも言うかのように一声鳴くと消えていってしまう。

 そこまで嫌だったのか、ちゅん助。

 

 駄目だ、何もやる気が起きない。

 

 癒しが無くなり心に負った傷だけが残る。

 悲しみの中ただ沈んだ心に従い机に突っ伏す。

 

 「あー…、毛並み、尻尾…。」

 

 「…ッ、あぁ、もう!」

 

 うわ言のように言葉を繰り返していれば黒上は舌打ちを一つ入れるといきなり椅子をもって隣まで歩いてくると、勢いよく持ってきた椅子にこちらに背を向けて座り込んだ。

 

 そうすると当然綺麗な毛並みの尻尾が手を伸ばせば届く距離に来る。

 

 「…別に尻尾を触らせてやろうと思ったわけじゃないからな。

  ただ何となくここに来ただけで…まぁ、もしかすると触られても気づかないかもしれない。」

 

 背を向けている所為で顔を見ることは叶わない。

 ただ、これは黒上なりに触っていいと許しをくれたのだと何となく理解できた。

 

 そして魅力的な尻尾を目の前に、俺は。

 

 「いや、俺が言うのも何だけど嫌がることを無理させてまで触らせてもらおうとは思ってないぞ。」

 

 「おまっ、変なところで冷静になりやがって…!」

 

 こちらに向けられた黒上の顔は少しだけ赤くなっていた。

 それは羞恥からか、それとも怒りからなのか。

 

 けれどそれ以上の言葉は出てこず、黒上は顔を憎々し気に軽くゆがめると再び前を向いて顔を隠す。

 

 「…かった…」

 

 そしてぽつりと零されたその声は聞き取れないほどにか細く、黒上にしては覇気が無い。

 

 「今、なんて?」

 

 「だから…その…。」

 

 聞き返せば黒上の肩が震える。。

 言い淀むようにぽつりぽつりと言葉が出ては消える。

 

 やがて決心するように黒上は息を吸った。

 

 「さっきは…恥ずかしかっただけ、だから。」

 

 言葉の通り、羞恥からか黒上の声は震えていた。

 今ほど正面から向き合いたいと思ったことは無い。

 

 「つまり、触られるのは嫌じゃない、ってことか?」

 

 「ッ、そう言ってるだろ、一々確認してくるな。」

 

 ちらりと髪の隙間から見えた黒上の頬は今まで見たことが無いほどに赤く染まっている。

 触るなら早く触れと催促するように目の前で揺らされる尻尾。

 

 良いというのなら遠慮なく。

 今度こそ、とゆっくり手を伸ばす。

 

 「…また寸前でお預けとか無いよな。」

 

 「するか、良いから早くしろ。」

 

 不安に駆られて確認すれば、黒上からは叱責が返ってくる。

 どうにも先ほどの件がトラウマになっている。

 

 勇気を振り絞り、高鳴る鼓動を感じながら尻尾に触れる。

 

 「おぉ…。」

 

 瞬間、思わず感嘆の声が出る。

 予想していた以上にさらさらとした毛並み、その極上とも言える触り心地は天にも昇るようで。

 

 「人の尻尾を触って変な声出すな。」

 

 「悪い、予想を軽く超えられたもんだから、つい。」

 

 かみ殺したような声で抗議の声を上げる黒上に謝りつつ、それでも触る手は止めない。

 先ほどのちゅん助の毛並みも相当のものだが、黒上の尻尾はそれを遥かに凌駕していた。

 

 引き込まれるような魅力を前に、既に虜になっていた。

 

 「そう言えば気になってたんだけどさ。」

 

 「ん?」

 

 ふと話しかければ黒上は耳をこちらに傾ける。

 ちなみに、これは比喩表現ではなく物理的にこちらに頭の上の獣耳がこちらに向けられている。

 

 器用だな。

 今ので気になることが増えたが、今はそちらは置いておこう。

 

 「尻尾ってどのくらい神経が通ってるもんなんだ?

  こう、触られたらちょっと感覚があるだけなのか、それとも皮膚と同じような感じなのかと思って。」

 

 自分には無い部位ということもあり、やはりこれは聞いておきたかった。

 前に第三の腕みたいなことを言っていたが、実際にどのような感覚かまでは聞いていない。

 

 「あー、そうだな…。」

 

 そう言って黒上は考え込むように顎に手を当てる。

 それは言いたくない、というよりかはどう表現するのか迷っているように見えた。

 

 「言葉にし難い感覚ではあるが…まぁ、くすぐったいな。」

 

 証拠とでも言わんばかりに、手の中の尻尾を動く。

 

 「へー、ちゃんと感覚はあるんだな。」

 

 手入れなどの事を考えると簡単には言えないが、一度試しに自分で体験してみたいものだ。

 ただこれを言うとシラカミ神社に眠るまだ見ぬシンキやレイグなどが出てきて本当に尻尾を生やされかねないので心のうちに仕舞っておく。 

  

 それにしても、そうか、それなりに感覚はあるのか…。

 付け根辺りは神経が集中するというがそこも同じだったりするのだろうか。

 

 「付け根を触ったら噛み殺すからな。」

 

 「え、あ、はい!」

 

 じっと見ていれば心を見透かしたかのような黒上の言葉に心臓が跳ねる。

 何故こういう時だけ鋭いのか、心臓に悪い。

 

 「…。」

 

 「…。」

 

 しばらく無言で尻尾を堪能する。

 こんな時間がいつまでも続いて欲しい、そう思えるほどに至極の時間であった。

 

 「…おい、まだ満足しないのか。」

 

 流石に痺れが切れたようで黒上は振り返らずに問いかけてくる。

 満足かどうかで聞かれれば、既に満足はしている。

 

 ただ…。

 

 「いや、ちょっと辞め時が分からなくて。」 

 

 「終わりだ終わり!」

 

 正直に現状を伝えれば、黒上は若干叫びながらそう言って尻尾を引き寄せる。

 当然尻尾にはもう手が届かない、胸に微かな虚脱感を感じた。

 

 「ったく、やけに長いこと触ってると思ったら…。」

 

 そう言って黒上はガードするように尻尾を抱え込んでしまう。

 おそらくこの先触らせて貰えることは無いかもしれないと思うと、寂寥感が胸に募る。

 

 「悪い、でもありがとな、かなり幸せだった。」

 

 「…それは、良かったな。」

 

 ぷいと顏を逸らすと、黒上はおもむろに居間から出て行こうとする。

 

 「どこ行くんだ?」

 

 「昼飯を作るだけだ、どこかの誰かさんは尻尾に夢中で気づいてないみたいだけどそろそろ昼だぞ。」

 

 そんな馬鹿な、夢中になっていたからといってそんなに時間が経っているはずはない。

 そう思い窓から外を覗いてみると、確かに太陽の位置が上の方向へと移動していた。

 

 思わぬ事態につい唖然とする。

 

 「分かったか、ならあたしは行くから…。」

 

 「待ってくれ、昼は俺が。

  朝作ってくれたんだから黒上はゆっくりしててくれ。」

 

 再び居間から出て行こうとする黒上を呼び止める。

 黒上ばかりに任せているわけにもいかない。

 

 「いい、料理はあたしがする。

  お前は…掃除でもしてろ。」

 

 それだけ言い残して黒上はさっさと恐らくキッチンへと向かって行ってしまった。

 あの様子だと手伝いに行ったとしても断られそうだ。

 

 「…仕方ないか。」

 

 元々分担すると言っていたし、ここは素直に掃除をしていよう。

 そう考え、掃除道具を取りに、居間を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨日にある程度掃除はしたため、今日は全体的に軽めにする。

 とはいえそれなりにシラカミ神社は広いため、時間はかかる。

 

 すべてを終えるころにはすっかり太陽も空の頂点へと昇っていた。

 

 「透ー、できたぞ!」

 

 掃除道具を片づけていれば、タイミングよくそんな黒上の声が聞こえてくる。

 とりあえず手だけ洗って急いで居間へと向かうことにする。

 

 「あ。」

 

 その途中でふと、目の前に例の狐のシキガミが現れる。

 

 「また来たのか、何か気になることでもあるのか?」

 

 そう言いながら撫でてみようと手を伸ばす。

 

 『…。』

 

 しかし、その手をかいくぐる様にするりとシキガミは手を避けた。

 心なしかその瞳は冷え冷えとしている。

 

 偶々かと思いもう一度手を伸ばすがやはり避けられた。

 

 「…もしかして、触られたくなかったり…。」

 

 『…。』

 

 シキガミは肯定するように頷くと、助走をつけてこちらに走ってくる。

 勢いを緩めることなく飛び込んでくれば、額を壁ジャンプの要領で蹴られた。

 

 痛みは無い、しかし衝撃は伝わってくる。

 シキガミはそのまま虚空へと消えて行ってしまった。

 

 「…。」

 

 何となく、言いたいことは伝わった。

 これからは欲望をもう少し抑制しよう。

 

 そんな決心を胸に足を進めた。

 

 

 

 

 

 

 





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個別:白上 20


どうも、作者です。

評価、感想くれた人ありがとうございます。

以上


 

 昼食も食べ終わり二人でこれから何をしようかと考えていた折、不意に一度聞いたことがある鈴の音が聞こえてくる。

 

 「あん?参拝客か、短い間隔で珍しいな。

  …少し見てくる。」

 

 驚いたように眉を上げつつ黒上は立ち上がり、玄関へと向かっていく。

 

 サヨちゃんが来た時以来だが、その時は迷子の猫の捜索だった。  

 今回はどのような要件なのだろう。

 

 様々な予想を立てながら黒上が戻ってくるのを待つ。

 

 「おーい、透。」

 

 すると、あまり時間も経たずに外から黒上の声が聞こえてきた。

 既視感を感じつつ急ぎ足で外へと出れば、見覚えのある顔を見つける。

 

 「あれ、サヨちゃん?」

 

 そこには先ほどの思考の中でも上がったサヨちゃんが小包をもって黒上の傍に立っている。 

 

 「こんにちは。」

 

 「こんにちは。

  サヨちゃん、今日はどうしてここに?」

 

 ぺこりと挨拶をしてくるサヨちゃんに返しながら要件を聞いてみる。

 すると、サヨちゃんは小包を解き、中から何やら箱を取り出すとこちらへと渡してくる。

 

 「これ。」

 

 「えっ…と?」

 

 これ、とだけ言われても何がしたいのかまでは分からない。

 取り合えず、差し出されている箱を受け取っておけばいいのか。

 

 「お礼。

  プーちゃんの事、ありがとう。」

 

 「プーちゃん…、あぁ、そういうことか。

  えっと、どういたしまして。」

 

 わざわざお礼の品を持ってきてくれたようだ。

 おずおずと受け取ってみるとサヨちゃんの顔に満足げで誇らしそうな笑みが浮かぶ。

 

 しかし、すぐに無表情へと戻ると、今度はきょろきょろと辺りを見渡し始める。

 具体的にはまず黒上を視界に収め、首をかしげてこちらへと視線を戻し、また黒上へと視線を向ける。

 

 「白い猫のお姉ちゃんは?」

 

 「ねっ…!?」

 

 「あー、白上を探してたのか。」

 

 面識があるのは、何も俺だけではなく当然前回一緒にいた白上も含まれる。

 ただ、現状では会うことが出来ないと言っても差し障り無いだろう。

 

 固まっている黒上を見てみるが、すぐには動きそうにないため放置しておく。

 

 「ごめんな、白上は今…。」

 

 「大丈夫、白い狐の、狐のお姉ちゃんにならすぐに会える。」

 

 会えないことを伝えようと口を開けば、横から黒髪の手が伸びてきて止められる。

 しかし、今はそんなことよりも彼女の言葉の方が気にかかった。

 

 すぐに会える、この状況でそれの意味するところが分からない彼女ではないだろう。

 どうするつもりなのか。

 

 「透、ちょっとこっち来い。」

 

 そんなことを考えていれば、不意に黒上が名を呼んできて腕を引っ張ってくる。

 されるがままについて行けば、丁度サヨちゃんに話し声が聞こえるか聞こえないかの位置まで連れていかれる。

 

 「良いか、お前は今からコーラを買いに行く。」

 

 「おい、脈絡が無いにも程があるだろ。」

 

 しかも確定事項にされている辺り拒否権もなさそうだ。

 

 「良いからキョウノミヤコまで買いに行ってこい。」

 

 「…。」

 

 無言で黒上の顔を伺う。

 いつも通りのように見えて、少しだけ焦っている、不安そうな表情。

 

 「…分かったよ。」

 

 それを見てすぐに折れてしまった。

 仕方ない、そんな表情をされては断れるものも断れない。

 

 俺がいると不都合なのかもしれない。

 なら、ここは従うべきなのだろう。

 

 話もついたところでサヨちゃんの元へと戻り、軽く説明してからシラカミ神社を後にする。

 無論サヨちゃんから貰ったあの箱も既に黒上に任せてある。

 

 下へと山道を下っていれば、先ほどと同様に見覚えのある顔を見つける。

 サヨちゃんに面影を感じさせる女性、サヨちゃんの母親だ。

 

 あちらも気が付いたのか、彼女は息も絶え絶えの中ぺこりと会釈をしてくる。

 

 「こんにちは…、あの、突然ですがサヨはもう上に?」

 

 「こんにちは、はい、今は…神主が一緒にいます。

  俺はこれから野暮用があるので。」

 

 野暮用と言っても内容としてはパシられているだけなのだが。

 それを聞くと彼女は大きく息をつく。

 

 そこには安心はもちろんだが、感嘆、呆れたような感情も感じられた。

 

 「あの子ったら、最近どんどん行動力が上がっちゃって。 

  イワレもない私たちには追いつけそうもないです。」

 

 サヨちゃんの母親の言葉に思わず驚愕する。

 ずっと不思議ではあった、あの年頃の子が一人で山奥にあるシラカミ神社に来ることが出来ていることは、普通の観点から見れば異常である。

 

 実際に目の前のイワレの無い女性は道半ばで既に息が上がっているのに。

 

 しかし、イワレがあれば話は別だ。

 イワレによる基礎的な身体能力の上昇であれば可能であるとは考えられる。

 

 この辺りの事情もまた、シラカミ神社へ直接参拝客が来ることが少ない理由の一つではあるのだろう。

 

 「あ、お礼が遅れまして。

  その節は、本当にありがとうございました。」

 

 ぺこりと頭を下げてくるその姿は先ほどのサヨちゃんと重なる。

 正確にはサヨちゃんがこれを真似ているのだろうが、この辺り親子なのだと感じさせられた。

 

 「いえ、また何かあればお声がけください。

  可能な限り力になりますんで。」

 

 こんなことを言いつつも自身の問題は解決できない癖に何を言っている、と考える自分がいる。

 

 他人の問題と、自身の問題。

 似ているようで勝手の異なるそれに翻弄されているようだ。

 

 それでは、とシラカミ神社へと続く道を歩いて行くサヨちゃんの母親を見送りながらそんな事を思う。

 上まで送っていきたいところだが、今シラカミ神社に戻るわけにもいかない。

 

 雑念を払うように頭を振って振り返り、シラカミ神社とは逆の方向、キョウノミヤコへと向かい再び進み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒上の注文通り、キョウノミヤコでコーラを何本か仕入れてからシラカミ神社へと続く道を歩く。

 身体強化を使えば早いが、どれほど時間を要するかも分からない為一応時間を稼いでおく。

 

 道中通りすがった、恐らくキョウノミヤコの住人の何人かに声を掛けられて軽く挨拶を返す。

 

 それは良いのだが、その全員が俺の隣に目を向けてから一人でいることに驚いていた。

 前に聞いた噂の影響だろうか、そこまで考えて、そう言えば一人でキョウノミヤコに赴いたことはこれでようやく二回目であることに気づく。

 

 それなりに足を運んでいるが、そのどれもがあの三人と一緒にだ。

 その中でも最近多かったのは白い狐の少女と。

 

 「…白上。」

 

 ぽつりと自分でも驚くほどに自然に想い人の名前が口から零れる。

 この二日、呼ぶことの減ってしまったその名はやはり馴染み深いものであり、彼女と過ごした時間はどれも煌めいていて、全てが宝と言っても過言ではない。

 

 今でも毎日は楽しく感じる、だが本来の彼女とまた一緒にこれからを過ごしていきたいと考えるのは、俺の我儘なのだろう。

 

 そんな思考が止めどなく続く。

 気が付けば、シラカミ神社のある山のふもとまで来ていた。

 

 後は山道を歩いて行けばシラカミ神社へとたどり着く、けれど、何処か心は重たく感じた。

  

 この想いが続く限り、現状は続く。

 けれど捨てることなんて出来はしない。

 

 こんなもの、どうしろと言うのだ。

 

 「なに辛気臭い顔をしてんだい。」

 

 そんな言葉と共にガツンと脳髄に響くような衝撃が頭頂部に走る。

 

 「いっ!…へ、ミゾレさん!?」

 

 顔を上げればミゾレ食堂二代目店主であるミゾレさんが拳骨をさすっていつもの呆れたような視線をこちらに向けていた。

 

 何故こんなところに、そんな疑問を浮かべて辺りを見回してようやくここがミゾレ食堂の前であることに気が付く。

 通りかかった所にミゾレさんの強襲を受けたらしい。

 

 「まったく、そんな顔して店の前を歩かれたら客が逃げちまうよ。

  それで、何があったんだい。」

 

 「何って、何でも…。」

 

 無い、と続けようとしたところで再び拳骨が頭の頂点へと突き刺さる。

 二度目、しかも同じ場所に建て続けに。

 

 流石にこれにはくぐもった悲鳴が上げる。

 この人本当にイワレを持っていないのか。そう思えるほどに、その一撃は重く鋭い。

 

 「何でも無いなんて言ったらもう一発行くからね。

  ほら、こっちに来な。」

 

 そういうことは先に言ってもらいたいものだ。

 少なくとも拳骨を見舞った後に言う言葉ではない。

 

 ミゾレさんに耳を引っ張られて、そのまま店内へと連れていかれる。

 時間的にまだ客入りが少ないためか店内に人の姿は見えない。

 

 そんな店内をつかつかと歩いて行き、カウンター席に座らせられるとようやくミゾレさんは耳を離してくれる。

 

 「…強引すぎません?」

 

 「あんたが隠そうとするからさ。

  まぁ、どうせ内容は色恋沙汰だろうけどね。」

 

 話しながらミゾレさんはカウンターの中のキッチンへと入り、適当な飲み物を注いだグラスをこちらに寄越す。

 

 色恋沙汰、前に訪れた際に俺の白上への想いはばれているのだからそこまで予想出来てもおかしくはない。

 おかしくはないが、やはりいざ指摘されるとぎくりと心臓が跳ねる。

 

 確かに間違ってはいない。

 だがこれを他人に話してどうこうなるとはとても思えなかった。

 

 「…話せば楽になることもあるよ。」

 

 話そうか話さまいか葛藤していると、ミゾレさんにそんな言葉を掛けられる。

 思わず顔を上げれば、そこには野次馬根性でも面白半分でもない、ただ純粋に親身に思ってくれているミゾレさんの姿がある。

 

 この人になら、話しても良いか。

 

 素直にそう思えて、ゆっくりと事の顛末の説明を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…なるほどねぇ。」

 

 説明を聞き終わると、ミゾレさんは合点が言ったように大きく頷いて見せる。

 話終えてみて、彼女の言う通り確かに幾分か心が軽くなった自覚がある。それだけでもこの時間に意味があった。

 

 「まぁ、まず言えるのはあんたら二人共恋愛を神聖視しすぎだね。」

 

 「神聖視?」

 

 思わず言葉を復唱する。

 神聖視、つまり俺や白上が過大に恋愛を見ているということだ。

 

 「そう、二人共経験が無いから仕方ないとは思うけど、少し度が過ぎてる。」

 

 そう言うと、ミゾレさんは一口コップを傾けてから続ける。

 

 「まずね、恋仲になったからと言って今まで通りに接することが出来ないわけじゃないよ。」

 

 「…けど、やっぱり関係は変わるわけで。完全に今まで通りは…。」

 

 恋人になれば、現在の友人という関係性が崩れてしまう。

 白上と築くことのできたそれを崩すだなんてことはしたくないし、しようとも思わない。

 

 それができるのなら、既に行動に移している。

 

 何よりも、それが原因で白上と一緒に居られなくなるのは耐えられそうもない。

 

 「そこからおかしいのさ、そもそもこの世に不変なんて物はないんだよ。

  あんたらも昨日より相手の事を多く知っている今日を迎えて、その上で一緒にいる。

 

  それが恋仲になった程度で崩れる程脆いものじゃないのは自分で良く分かってるんじゃないのかい。」

 

 「…。」

 

 開いた口がふさがらなかった。

 

 言われてみれば簡単なことだ、今の関係がそのまま次の関係の下地になる。

 相手の事を知れば知る程、この恋は、想いは際限なく大きくなっていった。

 

 それこそが、証明だった。

 俺と白上の関係が崩れるなんてことはない、少なくとも白上が俺と同じ想いでいてくれる限り。

 

 そうだ、仮に白上に恋愛感情が無かったとしても、現状を鑑みて、そこまでしてまで俺との関係を維持しようとしてくれた。彼女の意思は最低限以上に示されている。

 

 なら、大丈夫だ。

 

 それを理解した途端、全身から力が抜けてカウンターに崩れ落ちるように頭を付ける。

 

 「もう良いかい?」

 

 「…はい、十分すぎるほどに。」

 

 今まで恐れていたことが滑稽に思えるほど革新的な切っ掛けを貰った。

 これはしばらくミゾレさんには頭が上がりそうにない。

 

 けれども、こんなにも心が軽く感じるのは何時ぶりだろう。

 

 「ミゾレさん、ありがとうございました。」

 

 「礼を言われるようなことじゃないさね。

  あたしはただ外から見た感想を伝えただけだよ。」

 

 ミゾレさんは謙遜からか照れ隠しかそんなことを言うが、それでもと立ち上がり、彼女に対して頭を下げる。

 

 改めて感謝を伝えたいが、それは全てが終わってだ。

 

 ミゾレさんに断りを入れてミゾレ食堂を後にする。

 今は一刻でも早く、彼女に会いたかった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「はぁ、人の恋路に口を出すほど無粋な人間じゃなかった筈なんだけどね…。」

 

 ばたばたと慌ただしく出ていく透の背を見送りながらミゾレはぽつりと呟いた。

 

 焼きが回った。

 そう考えるミゾレの脳裏に浮かぶのはとある人物の顔。

 

 だからつい余計な口を出してしまった。

 

 多分あの二人なら上手くいく。

 むしろ上手くいかないのなら、この世でまともな恋愛を出来ている者は何人いるのかという話になってくる。

 想い合ってるが故のすれ違い、それを修正したのだから近いうちに朗報を聞けることだろう。

 

 それは良い、分かっていたことだ。

 

 ただ、自身のお節介さには我ながら呆れてしまう。

 

 「…歳は取りたくないものだね。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…透か?」

 

 ミゾレ食堂を出て、すぐ。

 山道を駆けあがろうと身体強化を施していると、不意にそんな声が聞こえてくる。

 

 声の出所へと目を向ければ、いつか相談に乗ってもらった同じウツシヨ出身である友人、茨明人がそこに立っている。

 

 「明人、何でこんなところに。」

 

 驚いたように目を見開いている明人に対して浮かんだ疑問をそのまま口に出す。

 この辺りには近辺に村があるとはいえ、それほど多く訪れる場所があるわけでもない。

 

 訪れる理由のある場所と言えば、それこそミゾレ食堂と、後はこの先にあるシラカミ神社だ。

 

 「あー、少しお前に用があってな。

  それより…。」

 

 「ん?どうかしたか?」

 

 今回は後者であったらしい。

 シラカミ神社に向かう途中で目的の人物と出くわした、しかしそれだけにしては過剰に驚いているようにも見える。

 

 じろじろとこちらを見る明人の視線に違和感を覚えて、つい自分の体へと目をやる。

 

 刀は無いが、それ以外は別段変わった所は無い。

 一応右手にはコーラの入った包みを持っているが、これでもないようだ。

 

 「いや、お前のイワレが前と比べて違って…。」

 

 「違う…。」

 

 確か明人はイワレの流れを見るワザを持っていた。

 つまり、以前に比べて俺のイワレが異なるモノになっているということになる。

 

 「あぁ、完全に別物みてぇになってる。

  何があったらそうなるんだ。」

 

 心当たりはある。

 無理をして鬼纏いを使用したあの時、尋常でない痛みに襲われた。

 

 その上制御まで聞かなくなって、感覚的には普段通りだが変質したと言われても驚きはない。

 

 「…こりゃ、諦めるしかないか。」

 

 ぼそりと呟かれたその言葉を上手く聞き取ることが出来なかった。

 しかし、明人の疲労感の残る顔つきを見るにあまり前向きな話でもないのだろう。

 

 「それで用事って何だったんだ。」

 

 イワレに話を持ていかれていたが、まだ本来の目的を聞いていなかった。

 

 「あー、それか。

  やっぱり何でもねぇ、忘れてくれ。」

 

 「え、おい、明人!」

 

 そう思い聞いてみるが、明人はまともに取り合おうともせずに、それだけ言い残すと背を向けて来た道を帰って行ってしまう。

 

 ただ一つだけ印象的だったのは最後に目が合った時、明人の瞳が怖気の走る程無機質なものであった。まるで感情の一切が消えてしまったかのようで。

 それだけが、妙に気がかりだった。

 

 

 






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個別:白上 21


どうも、作者です。


 

 「遅い、何処まで行ってたんだ。」

 

 現在、季節は冬に該当する。

 その為当然日の出ている時間は短くなっており、時間をかけて帰ってきたこともありシラカミ神社に到着した頃には既に辺りは暗くなっていた。

 

 玄関を開ければ、如何にもご立腹といった雰囲気を漂わせる黒髪の少女が待ち構えていた。

 

 「悪い、ちょっと色々と寄り道してた。」

 

 理由を説明すれば、納得してくれたのか彼女の逆立っていた尻尾が元に戻る。

 相変わらず感情が良く反映されるようだ。

 

 「…?やけに顔が明るいな。

  何か良いことでもあったのか。」

 

 顔に出ていたのか、黒上は俺の顔を見ると怪訝な顔をして首をかしげる。

 

 「あぁ、悩みが一つ解決したんだ。

  だから今は少しテンションが高いかもな。」

 

 今も頬が緩みかけているのが分かる。

 

 白上への想い、これからについて、これらについて自分の中でようやく整理がついた。

 そして整理がついてみて、今までそれらが心に重くのしかかっていたことを実感した。

 

 けれど、現状を変えるつもりはない。

 俺は整理がついたが白上はまだついていないのだろう、だからこそ現状が続いている。

 

 事の発端となったのは俺が自分の感情の制御を誤ったためだ、ならこれ以上彼女を振り回そうとは思えなかった。

 

 「ふーん、悩みがあったのか。

  あたしには相談してくれなかったんだな。」

 

 そう言う黒上はジトリと湿り気のある視線をこちらに向ける。 

 再び尻尾を逆立たせて不機嫌ですとあからさまに伝えてくる。

 

 「いや、別に黒上が頼りにならないとかそんな理由じゃないんだ。

  元々誰かに相談するつもりは無かったんだけど、こう、突発的にそうなって…。」

 

 「ふふっ。」

 

 不興を買ってしまった。

 そう思い必死に弁明しようと慌てて説明していれば、途中で黒上が耐え切れないように噴き出した。

 

 「冗談だ、何時までもそんなところに突っ立ってないで早く入れ。

  夕飯の用意はできてる。」

 

 そう言い残すと黒上はさっさと奥へと消えて行ってしまう。

 また揶揄われた、それを察して思わず笑みを浮かべつつ安堵の息を吐きながら靴を脱ぎ、玄関を後にする。

 

 居間に入れば、既に黒上は席についていた。

 テーブルの上の中心には大きな土鍋が置かれており温かそうな湯気が立ち昇っている。

 

 外気で冷えた体にとって暴力的なまでの魅力に思わず立ちすくんでしまう。

 

 「早く座れ、冷めるぞ。」

 

 「あ、あぁ、分かった。」

 

 催促されて慌てて席に着く。

 黒上はそれを確認すると手際よく具材を取り皿へとよそい、こちらに差し出す。

 

 礼を言って受け取りつつも、つい彼女の顔を見入る

 

 「…あたしの顔に何かついてるか?」

 

 露骨に見すぎた。

 こんなにじろじろと見ていては誰であれ気にはなる。

 

 「目と鼻と口がついてる。あと綺麗な毛並みの獣耳。」

 

 「殴るぞ。

  尻尾触らせたのはただの気まぐれだから、そこは勘違いすんなよ。」

 

 乱暴に言いながらも飲み物を手渡してくれる黒上。

 こういう所だよな、とどこか感慨深く思う。

 

 流石にまた露骨に見ると今度こそ本当に手が出てきかねない為自重しておいた。

 

 話もひと段落着いたところで二人揃って手を合わせる。

 

 冬に食べる鍋という料理は確実に一味も二味も違う。

 一口食べれば見た目に違わない旨味が口いっぱいに広がった。

 

 今朝から思うが並み以上に料理が出来ている。

 何故今まで謙遜していたのか不思議に思う程だ。

 

 箸を進めていれば黒上がよそってくれた具材の中に見慣れないモノを見つける。

 

 「あれ、白身魚なんてあったっけ。」

 

 記憶にある限り焼き魚用の魚以外をキョウノミヤコで調達した覚えはない。

 

 「貰った小包の中身だ、多く獲れたからお礼ついでに持ってきてくれたんだと。」

 

 「へぇ、あれか。」

 

 そういえばサヨちゃんの父親には結局会わなかったが漁師でもやっているのだろうか。

 今度会った時にでも聞いてみたいものだ。

 

 「それにしても本当に美味いよ。

  やっぱり黒上は料理が上手かったんだな。」

 

 「…くだらないこと言ってないで黙って食え。」

 

 素直に褒めれば黒上は照れたのかそう言いながらそっぽを向いてしまう。

 このまま褒め続けるとどうなるのか気になるところだが、今は熱いうちに目の前の絶品の料理を食べてしまいたい。

 

 具材が少なくなれば〆に未だにそこの見えないうどんを入れる。

 黒上曰くあと数十日分はあるそうだ、本当にどれだけ大神は作り置きをしていったのだろう。

 

 旨そうにうどんを啜る黒上をしり目にそんなことを考える。

 

 何時帰ってくるのかと不意に思い、そしてあの二人がシラカミ神社を離れてからまだ五日であることに気付き、愕然とした。

 それ程までにこの五日間は濃く鮮烈なものであった。

 

 「どうした?」

 

 過去を振り返っていると頭に疑問符を浮かべた黒上に声を掛けられる。

 

 「足りないならまだうどんはあるが。」

 

 「あぁ、そうじゃなくて。

  少しだけ最近のことを振り返ってたんだ。」

 

 立ち上がりうどんを取りに行こうとする黒上に訂正を入れて引き留める。

 最近…、小さく口の中で繰り返し黒上は再び椅子に座りなおす。

 

 そして、改まった様子で口を開いた。

 

 「その…透。

  お前は、現状をどう思ってる?」

 

 「へ?」

 

 質問の意図が良く理解できず、思わず聞き返してしまう。

 

 「だから、フブキが引きこもって…、その、あたしと二人の生活になって。

  …やっぱり怒ってるか?」

 

 そう言う黒上は耳をぺたりと垂れさせている。

 その姿はまるで叱られた子供のように幼げに見えた。

 

 「怒ってるって、そんな風に見えたのか?」

 

 それは心外だ。

 無論このような状態になって驚きはした、悩みもした。

 

 けれど可能所に対してその責任を負わせようなどと考えたことは一度たりともない。

 

 「見え…ない、けど気になって。」

 

 言いながら目を合わせればふいと逸らされる。

 

 つまるところ不安なのだろう。

 仕方ないと言えば仕方ないが、気負ってほしくはない。

 

 「それなら問題ないだろ。

  さっきの悩みの話ならあれは俺自身の問題だ、気にする必要はない。」

 

 「…なら。」

 

 黒上はそこで一瞬言い淀む。

 葛藤、話すべきか迷っているようだ。

 

 そして覚悟を決めるように唇を引き結び、口を開く。

 

 「白上フブキと黒上フブキ、透はこれから先一緒に居るとするなら…どっちが、良い。」

 

 「それは…。」

 

 思わず言葉が途切れる。

 何故こんな質問を、それは今はどうでもいい。

 

 ただこの質問をすることの意味、重要なのはそこだ。

 

 選べと言っているのか、俺に。

 白上を取るか、黒上を取るか。

 

 何の意味もない選択をしろと。

 

 「…薄々気付いてるんだよな、俺の気持ちに。」

 

 「っ…。」

 

 一呼吸おいて紡いだその言葉に、目の前の少女の肩が跳ねる。

 沈黙よりも遥かに分かり易いその反応に苦笑いを浮かべて、すぐに顔を引き締める。

 

 「その上で言うぞ、俺には選べない。」

 

 予想していた答えとは違ったのか黒上の瞳が大きく見開かれた。

 

 「なんで…。」

 

 「俺の本心だけで考えるならはっきり答えたい所ではあるんだけどな。

  でも一緒に居るかどうかは一人で決めるべきことじゃない。少なくとも俺はそう思うし、何より…。」

 

 目の前の少女を見つめる。

 不安そうな表情を浮かべる彼女を安心させたい、その一心だった。

 

 「白上はまだ答えが出てないんだろ。

  なら、それまで俺は待つよ、どれだけ時間がかかるとしても。そこから先のことはその時に考えれば良い。」

 

 これが結論。

 

 どちらが良い、その質問単体で見れば間違いなく白上だと答える。しかし、今は状況が状況なだけにそう単純に行くわけにもいかなかった。

 

 だからこそ、今の俺の本心を伝えた。

 最終的に後回しにした問題もあると思うが、やはり今があって明日がある。

 

 なら優先すべきは明確だ。

 

 「…ふーん、そうか。」

 

 一瞬だけ驚いたように呆けていた彼女だが、直ぐに持ち直すとそう言いながら食器を持って立ち上がる。

 

 「…このことを白上に伝えておいてくれるか?」

 

 「え、あ、問題ない。ちゃんと聞いてる、と思う。

  あたしは先に片づけてくる。」

 

 少しだけ狼狽した様子を見せる彼女は、そのまま逃げるように居間を出て行ってしまった。

 その背中を見送ってから、大きく息を吐く。

 

 緊張した、というよりは羞恥に近い。

 言い回しを間違えた。

 

 けど伝えたかったことはちゃんと理解してくれたはずだ。

 

 今はそれよりも。

 目の前にある空になった食器を眺める。 

 

 「…俺も食べ終わってるんだけどな…。」

 

 先ほどの様子を鑑みるに、もう少しだけゆっくりしてから片付けに行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『フブキ、透はああ言ってたがお前はどう感じたんだ?』

 

 いつかと同じような白と黒の少女、二人だけの空間。

 

 黒の少女のからかい交じりの声音が響き渡る。

 それに対して白の少女は首を横に振って対応する。

 

 勿論彼女とて何も感じなかったわけでは無い。

 

 しかし、やはりまだ感情の整理がつかない、彼と共に普通に過ごせる気はしなかった。

 あと少しな筈なのに最後の一歩が踏み出せない、恐怖に足がすくむ。

 

 そんな思考を続ける白の少女を、黒の少女はジッと見つめる。

 

 『…まだ続けるつもりか。』

 

 その問いに白の少女は控えめに小さく首を縦に振る。

 

 ごめん。

 

 『謝罪はいらないって、ま、お前の好きにしろよ。

  あたしは…そうだな、見守る…。』

 

 ?どうしたの?

 

 途切れた言葉に、白の少女は首をかしげる。

 それを見て黒の少女もすぐに誤魔化すように笑みを浮かべる。

 

 その様子に白の少女は安堵した。  

 しかしだからこそ、彼女は気づかない。

 

 黒の少女が言い残した言葉に。

 

 『見守る…ね。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食器の片づけを終えてしばらく、黒上はあの後部屋へと帰って行ってしまった。

 その為、現在久しぶりに一人で部屋で時間を過ごしていた。

 

 端的に言えば暇を持て余しているともいえる。

 刀の手入れをしようにも、その刀は既にお陀仏だ。

 

 ちゅん助と戯れていようかと考え始めたところで、こんこんと部屋の襖がノックされ開かれる。

 

 「透、これやるぞ。」

 

 「これ、って何の…あぁ、賞品の。」

 

 部屋の入り口に立つ黒髪の手にはピンク色の包装を施された小包。

 前にキョウノミヤコの大食いチャレンジでゲットした賞品のもう片方だ。

 

 「やっても大丈夫なのか?」

 

 一応形式として聞いておく。

 後から駄目だったなんて展開には間違ってもなって欲しくはない。

 

 「問題無いから誘ってるんだ、早く部屋に来いよ。」

 

 そんな不安を冷静に吹き飛ばした黒上はそう言い残してさっさと戻って行ってしまう。

 丁度よいと、直ぐに立ち上がり、そう言えばコーラを調達してきたのだったと思い至り外の雪の中に置いていたそれらを持って黒上の部屋へと向かう。

 

 「黒上ー、入るぞ。」

 

 襖をノックしつつ声を掛けてから開ける。

 部屋のでは既に黒上がゲームのコントローラを用意して待っていた。

 

 「来たか。菓子は用意してある、飲み物は…。」

 

 「コーラ持ってきた。

  それで肝心のゲームは何だった?」

 

 「まだ開けてない。」

 

 話しながら隣まで行き、用意されている座布団の上に座る。

 それを確認すると黒上は礼の小包を取り出す。

 

 ピンク色の包装、前回開けたのは紫色の方だ。

 あれの中身は確かホラーゲームで、耐性の無かった白上は大騒ぎだった。

 

 「何が入ってるんだろうな。」

 

 「さぁな、まぁ、開ければ分かるだろ。」

 

 そう言って黒上は手際よく放送を解いてい行く。

 どんどんと進められて、やがてパッケージの絵が顔を出した。

 

 「あ?」

 

 「これは…。」

 

 でかでかと描かれた可愛い女の子、その隣に立つ青年の絵。

 そして二人の上にアーチのようにかかったタイトルロゴ。

 

 これまた説明文を読まなくてもパッケージだけでなんとなく察しが付く。

 一応とばかりに裏面の説明文を読めばそれは確信へとつながった。

 

 恋愛シミュレーションゲーム。

 それがこのゲームの分類になる。

 

 「ホラゲーとこれって、どんな組み合わせだよ。」

 

 何の互換性もない、しかも王道とは程遠い賞品の品々に思わず笑みが浮かぶ。

 

 「…。」

 

 黒上は無言のままパッケージを眺めると、ソフトを取り出しゲーム機へとセットする。

 

 「え、これ本当にやるのか?」

 

 「文句あるか。」

 

 睨まれた。 

 普通こういうゲームは二人で操作できるものではないし、他のゲームをするものかとも考えたが強行するらしい。

 

 やがてモニタにタイトル画面が表示される。

 勿論セーブデータなど無い為最初から。

 

 内容としてはとある王国の姫と騎士による恋愛劇のようだ。

 

 「これ長さどのくらいなんだろうな。」

 

 問いかければ黒上は手元にあったパッケージへと目を落とす。

 え、書いてあるのか。

 

 「二時間くらいだと。」

 

 「聞いた俺が言うのもなんだけど、目安書いてあるんだな。」

 

 個人差があるはずだから平均的なクリア時間とかだろうか。

 二時間というと短めのゲームなのだろう。

 

 そんなに何時間もかかるとそれこそ徹夜になるため、二時間というのは割と丁度良い時間なのかもしれない。

 

 「あ、ヒロインが飛び降りた。」

 

 「騎士が助ける前提か、肝の太いお姫様だことで。」

 

 画面の中では騎士の青年がそんな姫に心底ほっとしたようにため息をついている。中々苦労人な主人公なようだ。

 

 しばらくそんな二人の日常が描かれた。

 お忍びのデートや、お祭り、城での生活。

 

 途中、申し訳程度に選択肢が出てきたが、基本的には一本道でストーリーは進んでいった。

 

 「なぁ、黒上。」

 

 それを見ながら何んとなしに黒髪に話しかけてみる。

 

 「なんだ、もうへばったのか。

  まだ半分も終わってないぞ。」

 

 「違うって、このくらいじゃまだへばらない。」

 

 一応これでも白上とゲームをして鍛えられているのだ、ほんの一時間足らず座っていたくらいで疲れが出るほどに体力はないわけでは無い。

 

 ただ一つだけきいておきたいことがあっただけだ。

 

 「昼にサヨちゃんが白上の事探してただろ。

  あの後どうなったんだ?」

 

 問いかければ一瞬だけ黒上の体がぴしりと固まる。

 

 「…さあな、あたしは見てなかった。」

 

 「そっか。」

 

 見てないというのならこれ以上何か聞いても無意味だ。

 そう判断して目の前の画面へと視線を戻す。

 

 またしばらくの間騎士と姫の日常が流れ、そして展開は動き出す。

 

 騎士と姫の互いに対する恋心。

 それを自覚した二人に待ち受ける立場の違い、周りからの妨害。

 

 途中で折れそうになりながらも二人はめげずに己を貫き通す。

 

 そして、迎えたハッピーエンド。

 めでたく二人は結ばれる。その光景はあまりにも幸福に満ちていた。

 

 その後少しの後日談を挟んで、画面はエンディングムービーへと移行する。

 

 オープニングもそうだが、きちんとエンディングも共にしっかりとした音楽が組み込まれている。

 

 「幸せそうだな。」

 

 ぽつりと呟くように黒上が言う。

 画面にはこれまでの過程がシーンごとに流れている。

 

 どれもが笑顔が溢れていて、この二人がこれからもそうであると想像するのは容易であった。

 

 「透。」

 

 「ん?」

 

 不意に黒上に声を掛けられる。

 何事かと顔を向ければ黒上は画面から目を離さないままに、ゆっくりと口を開く。

 

 「その…恋愛って、恋をするってどんな感覚だ。」

 

 「…はい?」

 

 予想の遥か彼方の問いかけに思考が停止する。

 何故今そのような質問を。

 

 「だから…っ、恋ってなんだ。」 

 

 「あ、あぁ、恋ね。

  また哲学的な質問だな。」

 

 そして何とも答えに困る質問でもある。

 どう答えたものか、下手に答えるとただの自爆になりかねない為慎重に考える。

 

 「そうだな…。

  えッと…その人とずっと一緒に居たい、その人の傍に居たいって思う、感じか?」

 

 取り合えず俺が白上に対して想う事柄を何とか言葉にして伝える。

 

 「なんで疑問形。」

 

 「仕方ないだろ恥ずかしいんだ。」

 

 恥を忍んで答えたにも関わらず失礼な奴だ。

 今、鏡を見ずとも自分の顔が赤いことは自覚している。

 

 「傍に居たい…一緒に…。」

 

 黒上は、ぽつりとそう呟くと顔を俯かせる。

 

 少しの間、静寂が部屋を支配する。

 エンディングも既に終了し、画面はただ黒く染まっていた。  

 

 「なんで、恋について?」

 

 「…。」

 

 静寂に耐え切れずにか、それとも好奇心が勝ってか。

 気が付けば黒上にそう問いかけていた。

 

 すぐに答えは返ってこない、

 

 鼓動の音が伝わっていないかと不安になるような静けさ。

 やがて、意を決したように黒上は顔を上げた。

 

 「その…気になった、だけだ。」 

 

 「…さいですか。」

 

 本当に興味本位、というか感化されただけのようだ。

 意外と影響されやすいのか。

 

 ならこの話はもうここでお仕舞い、次の話題を探そうと積まれたゲームソフトへと目を移す。

 

 『…気が変わった。』

 

 そこで気が付く。

 画面の少し前の据え置き型のゲーム機の本体、その上に小さな白い狐がいつの間にか座っている。

 

 それと同時に響いてきた声、それは紛れもなく黒上フブキの声だ。

 その声が白い狐から聞こえてきた。

 

 隣へと目を向けるも、驚いたように目を丸くしている黒上の姿があるのみ。

 

 「なんで…。」

 

 震える声で言う黒上の顔には困惑がありありと浮かんでいる。

 それに構う様子もなく、白い狐のシキガミは告げた。

 

 『あたしは結果の見え透いた勝負を見るほど、気は長くない。』

 

 

 

 




次回白上ルートラスト。
気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム。


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個別:白上 Last


どうも、作者です。

22話、最終回です。

以上。


 

 「なんで…。」

 

 呆然と呟かれた隣に座る黒髪の少女の言葉には取り合わずに、白い狐のシキガミは瞳を細め、宣言した。

 

 『あたしは結果の見え透いた勝負を見るほど、気は長くない。』

 

 その言葉と同時に部屋の中に豪風が吹き荒れ、思わず目をつむる。

 

 この感覚には覚えがある。

 キョウノミヤコの展望台、そこで白上の姿が変わったときと全く同じだ。

 

 風が無くなり目を開けば隣にいたはずの黒い狐の少女の姿は無く、代わりに見慣れた愛しい白い狐の少女の姿がそこにあった。

 

 「何時までも結論が出せないのなら、あたしが貰う。」

 

 ぼそりと何事かを呟くと目の前の少女はおもむろにこちらへとゆっくり距離を詰めてくる。

 

 「何を…。」

 

 意図が読めず困惑しながら、かろうじてそれだけが口を突いて出る。

 

 「どうしたんですか、透さん。そんなに驚いた顔をして。」

 

 そう言って、彼女はにこりと可憐な笑みを浮かべた。

 

 記憶に焼き付いている白上の笑み。

 それが今すぐ傍にある。

 

 だが、違う。彼女ではない。

 白上の姿をしているが、目の前の少女は白上ではない。

 

 「何をするつもりだ、黒上。」

 

 はっきりと名を呼べば、目の前の少女、黒上フブキはぴたりと動きを止めてその瞳を細める。

 

 「…っ、ノリの悪い奴だな。折角フブキの真似をしてやったってのに。

  それともあたしの演技力が足りなかったか?」

 

 そう言って、彼女は先ほどとは異なり不敵な笑みを浮かべた。

 同じ顔であるにも関わらず、先ほどとは明らかに印象が違う。言うなれば黒上らしい笑み。

 

 何故今、このタイミングで黒上が出てくる。それも本来の彼女の姿ではなく、白上の姿で。

 

 疑問が次から次に湧いて出てくる。

 しかしそれを口に出すより先に、彼女が動いた。

 

 「まぁ良い、そんなことよりも…。」

 

 言いながら黒上は縮まっていた距離をさらに縮めた。

 顔と顔を突き合わせる、まさにその言葉の通り視界一杯に彼女の顔が映る。

 

 「おい、黒上っ…!」

 

 反射的に後ろに下がろうとするが、胸元を掴まれる。

 しかし少しだけ距離は空いた。

 

 「透。」

 

 名を呼ばれる。

 いっその事振り払ってしまおうか、そんな考えが浮かんだところで不意に彼女の瞳と視線が交差した。

 

 強い意志の込められた瞳。

 遊び半分などではない、真剣味の帯びた視線。

 

 あたしを信じろ、とその瞳が言外に伝えてくる。

 

 「…分かった。」

 

 一瞬の逡巡の後にそれだけ言葉にすれば、目の前の少女の顔に小さく笑みが浮かぶ。

 

 そして、黒上は再びゆっくりとこちらへと顏を近づける。

 どんどんと顏と顏の距離は縮められる。

 

 流石にここまでくれば彼女が何をしようとしているのか察しが付く。

 

 唇と唇。

 その距離はこぶし一つ分から、さらに近づいていく。

 

 緊張しているのか彼女の表情は若干固い。けれど止めようとする気配は無かった。

 

 ゆっくりと、ゆっくりと距離は縮まる。

 それに呼応するようにうるさい程に鼓動が鳴る。

 

 遂にはあとほんの数ミリ、身じろぎ一つで触れ合う程まで接近した。

 視界一杯に映る彼女の瞳に思わず息が止まる。

 

 そして…

 

 

 

 

 「…駄目っ!!」

 

 その言葉と共にどんと胸を押される感覚。

 反動で後ろへ軽く仰け反り、触れそうになっていた唇も同時に離れる。

 

 視線の先では顔を俯かせた白い髪の少女の姿。

 

 「透さんを…盗らないで…。」

 

 続けざまに紡がれたその言葉はか細く、涙にぬれていた。

 そんな彼女の姿を見て、直感的に分かった。

 

 「…白上?」

 

 呼びかければゆっくりとその顔があげられ、そして目が合う。束の間に揺れていた涙に濡れたその瞳。

 どこか虚ろにも見えたそれは、しかし時間の経過に連れてしっかりと焦点が合っていく。

 

 「…っ!」

 

 瞬間、白上ははっとした様子で慌てて口を押えた。まるで言ってはならない言葉を口にしたかのように。 

 大きく見開かれたその瞳には困惑、驚愕がありありと浮かんでいる。

 

 「あ…、わた…あたしは、白上じゃありま…えっと、じゃない!」

 

 「良いから一旦落ち着け。」

 

 必死に口調を取り繕おうとする白上を宥めようと声を掛ける。軽くパニックになっているようだ。

 

 白上はなおも言葉を続けようと口を開閉するが、しかし、既に何を言っても手遅れだ。目の前の少女が白上フブキであると俺はもう確信している。

 そんな中でいくら取り繕おうと、演技を続けようと、それはもう揺らがない。 

 

 「違う…違うんです…。」

 

 如何にもならないことを理解したのか、首を横に振ってそう言いながらも語尾に近づくにつれてどんどんと白上の声は小さくなっていく。

 

 そして一瞬だけ泣きそうに顔を歪ませると立ち上がり、逃げるように駆け出した。

 

 「ちょ、おい、白上!」

 

 勢いよく部屋を飛び出していく彼女を呼び止めようとするも、彼女は聞く耳を持つ様子も無く行ってしまう。

 

 『流石にあいつもこれで自分の気持ちを認めただろ。』

 

 呆然と白上の背を見送ると、後ろからそんな声が聞こえてくる。

 振り返れば例の白い狐のシキガミ、黒上フブキがこちらを見ていた。

 

 「何で俺の周りには強引な人間しかいないんだ。」

 

 思わずため息がこぼれる。

 

 そのためだけにキスをしようとしていたのか。

 寸前で白上が止めたから良かったものの、それが無かったどうするつもりだったのか。

 

 『傍から見ればそれくらいもどかしいって事だ。

  それより早くあいつを追いかけろ。』

 

 「言われなくても。」

 

 黒上が出てきた時点で、既に後戻りは出来ないのだ。このままでは今度こそ本当に引き籠って出てこなくなる、なんて事になりかねない。

 

 直ぐに立ち上がり白上の後を追う。

 

 『おい。』

 

 部屋を出る寸前、黒上が後ろから声を掛けてくる。

 振り返ればこちらを真っ直ぐ見つめる黒上。

 

 『しっかり決めろよ?共犯者。』

 

 シキガミの表情は読めない、だが今確かに、黒上のにやりとした笑みが見えた。

 その光景に、自らの口角が上がるのが分かった。

 

 「あぁ、ありがとう、共犯者。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ありがとう、共犯者。」

 

 それだけ言い残して透は部屋を出て行った。

 その背を見送って一匹、いや一人部屋に残された黒上フブキは大きく息を吐いた。

 

 『本当、世話の焼ける妹だな。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ざっと回ったが、シラカミ神社の中に白上の姿は無かった。

 なら居場所は外に絞られる。

 

 玄関から足早に外へと出る。

 

 いつの間にか雪が降っていたようで、地面には白い雪の絨毯が敷かれていた。そしてその上に浮かんでいる足跡。来訪者はいない、つまりこの足跡の主は白上の他にない。

 

 足跡は道を逸れて森の中へと続いていた。身体強化さえすれば道があろうがなかろうが関係は無い、この先に白上がいる。

 

 そう確信して雪の上の道しるべに従って森を走れば、やがて空を覆っていた木々が開けた場所に辿り着く。

 

 そして、見つけた。

 視線の先には立ち止まって物憂げな表情で空を見上げる白上の姿。

 

 純白の雪が舞う森の中でその姿は綺麗で、儚くて、神秘的で一瞬見惚れてしまうが、頭を振って本来の目的を思い出す。

 

 「白上っ。」

 

 声を掛ければ、視線の先の彼女は肩を跳ねさせる。

 こちらへと振り返れば、白上はその瞳を大きく見開いた。

 

 「…っ!」

 

 「な、白上!?」

 

 かと思えば、白上は再びこちらに背を向けて駆け出してしまう。

 有体に言えば脱兎のごとく逃げて行ってしまった。

 

 「あぁ、くそっ。」

 

 その背を逃してたまるものかと、彼女を追って地面の雪を蹴る。

 

 慣れない雪道にも関わらず白上はかなりの速度で進んでいく。しかし、こちらとて毎日走りこんでいるのだ、離されるようなことは無い。

 

 だが同時に追いつけもしない。

 

 「な、何で追いかけてくるんですか!」

 

 逃げ切れないもどかしさからか、前から聞こえてくる白上の声には焦りが含まれていた。

 しかし、それはこちらも同じことで。 

 

 「白上が逃げるからだろ!

  そっちこそ何で逃げるんだよ!」

 

 「透さんが追いかけてくるからですっ!」

 

 走りながら叫び合う。

 

 これではただの堂々巡りである。

 かと言って追うのをやめた所で白上が止まるとは思えなかった。というか絶対逃げていく。

 

 雪の舞う山を舞台にした鬼ごっこ。

 速度は拮抗している、故にここから先はシンプルな根気比べだ。

 

 「白上っ!」

 

 「…何ですか!」

 

 名を呼べばちゃんと返事が返ってくる。

 少なくとも会話はしてくれることを確認してから、すっと小さく息を吸う。

 

 「前言えなかったから、改めて言うけど。

  俺は、白上の事が好きだ!!」

 

 恥も外聞も投げ捨てて己の気持ちをそのまま叫べば、目の前を走る少女の呼吸が明らかに乱れた。

 しかし足を止めるまでには至らなかったようで、すぐに持ち直す。

 

 「な、な、なんで今言うんですか!」

 

 そう叫ぶ白上の顔は、後ろから見てもわかるほどに顔を赤く染まっていた。 

 

 「仕方ないだろ、ずっと伝えたかったんだ!」

 

 「だからって今言わなくても良いじゃないですか!」

 

 ぐうの音も出ない程の正論である。

 ムードもへったくれも無いこんな状況で告白するなどどうかしている。

 

 けれど、もう決めたのだ。

 自分の気持ちを隠し立てすることなく、正直に伝えると。

 

 後はもう振られるか受け入れられるかの二者択一。なるようにしかならない。

 

 「だ、大体透さんはいつも唐突すぎるんですよ!」

 

 「それを言うなら白上だっていつも逃げてばっかりだ!」

 

 白上の言葉は尤もだが、それはこちらも同じ。

 実際に今も逃げている真っ最中なのだ、そこに文句は言わせない。

 

 「透さんだって…!」

 

 「白上だって…!」

 

 互いにぎゃーぎゃーと本音を、思っていた事を言い合う。

 その声は山中を駆けまわり、遂には大きな山を丸まる一周してしまう。

 

 けれど、そんな時間も長くは続かない。

 

 俺は全力で追いかけていた。

 白上は全力で逃げていた。

 

 詰まることろ、両者ともに全力疾走であった。

 そんなもの何十分と続くはずがない。むしろ山を一周できただけでも十分異常な程だ。それに加えてただでさえ足場の悪い中を走ったのだ、いつも以上に体力の消費は激しかった。

 

 二人の走る速度は段々と失速していき、やがて限界を迎えて息を荒げて立ち止まる。

 

 「はぁ…、透さん、体力ありすぎですよ…。」

 

 「白上こそ、いつも、ぐうたらしてる癖に…。」

 

 心臓が爆発しそうな程に脈打っている。

 体が酸素を求めていることが良く分かる。

 

 いきなりの全力疾走、しかも限界まで走ったのだ。

 正直これ以上は追いかけ切れる自信は無い。

 

 けれどあちらも限界なのだろう、白上もこれ以上逃げようとはしていなかった。

 

 二人そろって息を整えていると、不意に白上がこちらへ振り返る。

 白上は先ほど同様に頬を赤く染めているが、その顔は露骨にむすりとしていた。

 

 「しつこすぎます。」

 

 「あぁ、悪い。」

 

 非難するような声音に、素直に謝罪を口にする。

 

 「けど、やっと正面から向き合えた。」

 

 その言葉の通り、今俺は真っ直ぐと白上の顔を見ることができている。

 言えば白上はバツが悪そうに目線を逸らす。

 

 その様子を前に小さく笑いがこぼれた。

 

 「なぁ、白上。

  俺の気持ちはさっき言った通りだ。けどそれとは別にもう一つ伝えておきたいことがあるんだ。」

 

 「…伝えたいことですか?」

 

 そう、結論を出す前にどうしても伝えておきたかった。

 

 「できれば俺は白上の答えが欲しいと思ってる。

  このままうやむやにするのはもう無理だ。だから俺は白上に告白した。」

 

 最後の部分でまた白上の頬に赤みが差す。無論言っている俺自身も羞恥心が無いわけでは無いが、既に手遅れなため気にしないでおく。

 

 「白上がどんな選択をするのかは、俺には分からない。

  けど、結果がどうであれ、俺は白上の望むようにしたい。」

  

 ここで振られたとしても受け入れられたとしても、その形が俺たちにとっての最善なのだ。

 これからも普通にゲームをして、おしゃべりをして、仲良くやっていける。

 

 「すぐに、とはいかない場合もあるとは思う。

  それでもきっと良い関係性を俺と白上なら築ける筈だ。」

 

 上手く言葉に表しづらくて、つい長々と喋ってしまった。

  

 「あー、だから何が言いたいかって言うと…。」

  

 慣れないことをするものではない。

 でも必要なことだ。

 

 悩んで、相談して、背中を押されてようやく辿り着いた、辿り着くことのできた結論なのだから。

 

 「心配しないでくれ。前にも言った通り、俺から離れて行くことは無いから。」

 

 たったこれだけの事。

 

 ここまで酷く遠回りをした。

 既に答えは出ているのにそれに気づかず、延々と悩み続けてきた。

  

 けれど、それももう終わり。

 ようやく俺たちは先へと進むことができる。

 

 「…っ…。」

 

 目の前の白い狐の少女は何か言おうと口を開けて、けれど何も言葉を発さずに口を閉じると軽くうつむいてしまう。

 

 心臓がうるさい程に鳴る。

 今更ながらに緊張を感じ始めてきた。

 

 「…透さん。」

 

 「は、はい!」

 

 名を呼ばれて、無意味に姿勢を正す。

 白上は一瞬逡巡するように視線がさまようも、すぐに真っ直ぐとこちへ向けられる。

 

 「目…、閉じてください。」

 

 「…分かった。」

 

 言われた通り、ゆっくりと瞼を落とす。

 そうすれば当然視覚からの情報は無くなり、世界は暗闇に閉ざされる。

 

 風もなく木々のざわめきすらも聞こえてこない。

 

 そんな中、前方からゆっくりとした足音が近づいてくる。

 雪を踏みしめる音を聞きながら、ふとこれから何が起こるのかに思考を巡らせる。

 

 人間とは不思議なもので、こういう時は大抵悪い方向に考えてしまう。

 

 仮に振られる場合、よくありがちなのはビンタとかだろうか。

 この寒い中でのそれはさぞ痛むことだろう。

 

 (ん?待てよ…。)

 

 しかしそこで思考に待ったがかかる。

 

 そう言えば白上は帯刀していただろうか。

 確か黒上が大木槌が飛んでくることがあると言っていた。

 

 まさかここで飛んでくるのか、あの会話はこのための伏線だったのか。

 今頃白上は大きく木槌を振りかぶっていたりするのかもしれない。

 

 そう考えれば、今度は別の意味で心臓が早く鳴りだす。

 流石に命に関わるようなことはしないと思うが、基準がどこにあるかによって変動する辺り安心できない。

 

 ザっ、と気が付けば目の前から聞こえてくる足音にドキリとひときわ強く心臓が跳ねる。

 それと同時に何が起きても良いように自然と軽く身構えた。

 

 「…っ。」

 

 しかし予想に反して、小さな息遣いと共にとんと軽い衝撃だけが体に加わり、そして感じる温もり。

 

 「白上…?」

 

 あまりの驚愕に戸惑いながら名を呼びながら目を開ける。

 

 そして見えるのは白上の後頭部。 

 胴に回された腕の感触。胸に感じる息遣い。

 

 「…き、です。」

 

 「…え?」

 

 聞き取れないほどに小さな声。

 あるいは言葉にすら、なっていなかったのかもしれない。

 

 「すき…です。」

 

 繰り替えされた言葉は今度こそ、しっかりと聞き取れる。

 

 「すき、好き、好き。」

 

 一度言ってしまえば、堰を切ったように言葉があふれ出してくる。

 それと同時に胴に回された腕に力が籠められた。

 

 「ずっと、不安だったんです。

  関係が変わったら、透さんと今までみたいに一緒に居れないんじゃないかって。」

 

 「あぁ、だからだよな。」

 

 だからこそ、彼女は黒上のふりをしていた。

 そうまでして、関係を維持しようとしていた。

 

 そういう彼女の肩は少し震えていた。

 だからゆっくりと、安心させるように彼女の胴に腕を回し抱きしめ返せば、それも収まる。

 

 「透さん。」

 

 「何だ?」

 

 腕の中の白上に名を呼ばれる。

 彼女はゆっくりと顔を上げ、揺れる瞳と目が合う。

 

 「これからも一緒に、傍にいてくれますか?」

 

 「勿論だ、ずっと白上の傍にいる。」

 

 そう答えれば、白上の瞳は安心したように細められた。

 そして自然と互いの顏が近づき、軽く口づけをする。

 

 顔を離した後、白上の顔に咲き誇った満面の笑み。

 頭がくらくらするほどの幸福感の余韻に浸りながら、笑みを返す。

 

 

 

 

 「透さん…大好きです!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一つ目の想いが色づいた。

 

 





そういう訳で、白上ルート終了。

Afterは無理だったよ。
まぁ、存在しない話だからまた落ち着いたら書く感じで。

結果的に14万文字後半くらいかな、我ながらよく書いたものだ。

次回から大神ルート入ります。

気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム。


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After 白上


どうも、作者です。

評価、感想くれた人ありがとうございます。




 

 「えへへ、透さーん。」

 

 ぴたりと腕にくっついた白上が頬をこれでもかという程に蕩けさせる。

 

 俺と白上が晴れて恋人になってから早くもひと月が経過していた。

 これまでは互いに自制心が働いて好意を表に出すようなことは無かったが、付き合い始めてからはその必要もなくなった。

 

 それにより、分かっていたことだがやはり関係は変化した。

 例えば今のように白上がくっついてくることも増えたり、逆に俺からくっついたり。

 

 けれどその上で前のように気軽に話して、ゲームをしてと変わらずにいられる部分もある。

 

 つまるところ、全体的に良い方向に変化した。

 二人で出来ることの幅が広がった、ただそれだけの事だった。

 

 これには二人揃って大笑いしたものだ。

 実際に経験してみると、これしきの事に悩んでいたのか、と拍子抜けすらした。

 

 そんなものなのだ、過剰に反応しすぎていただけだった。

 

 俺と白上、二人だけの関係はこれからも続いて行くし、どんどんと変わっていくだろう。

 けどそれでいい、何があっても二人なら笑い合える。

 

 それだけで。

 

 「…透さん、聞いてますか?」

 

 すぐ傍に座る白上の声で思考の渦から帰還する。

 いつの間にか考え込みすぎていたようだ。

 

 「ん、あ、悪い。

  ちょっと考え事してた。」

 

 「もう…やっぱり。」

 

 すぐに謝るが機嫌は取り切れなかったようで、白上の頬がぷくりと膨らむ。

 そんな顔をされると思わず頬を突いてみたくなるが、そんなことをするとしばらく口をきいてもらえなくなるためそこは自制する。

 

 「ごめんって、許してくれ。」

 

 「…今回だけですからね。」

 

 拝み倒せば許してくれる辺り、隣の彼女さまは寛大だ。

 

 「それで、どうしたんだ?」

 

 とはいえそこに甘えてばかりではいけない、そう反省しつつ聞き返す。

 

 「ミオとあやめちゃんの事です。

  そろそろ帰って来ますかね。」

 

 「あー、確かにもう一か月経ったしな。」

 

 用事があるとシラカミ神社を離れていた二人。

 百鬼については正確な日時は聞いていないが、大神はひと月ほど出かけると言っていた。なら白上の言う通り帰ってくる頃合だろう。

 

 「それで…その、白上達の関係ですけど…。」

 

 そう言う白上の頬には軽く赤みが差していた。

 

 白上の言わんとしていることは理解できる。

 二人のいない間の大きな変化と言えば、俺たちの関係性だ。

 

 「…まぁ、隠すような事でもないしな。

  変に誤魔化すよりは話しておいた方が後々楽だろ。」

 

 「…はい。」

 

 まだ照れるのか白上はか細い声でそうとだけ答えると、顔を隠すように肩にうずめてくる。

 柔らかな獣耳が首筋に当たって少しくすぐったい。

 

 けれど白上のその気持ちも分かる。

 親しい人にこの関係について話すというのはまだ気恥ずかしさを感じる。

 

 「…ところでなんだけどさ。」

 

 羞恥を誤魔化すように話題を変えようと話を切り出す。

 

 「何で俺達は同じ場所から炬燵に入ってるんだ?」

 

 べったりとくっついている白上に先ほどから気になっていた疑問をぶつけてみる。

 正面を見てみれば炬燵の左右正面、三ケ所ともきちんと空いている。なのにも関わらず気が付けばこのような状態になっていた。

 

 「何でって、くっつきたかったからです。

  …駄目、でしたか?」

 

 こちらを見つめるその瞳が不安げに揺れる。

 

 「違う、嫌じゃないからそんな悲しそうな顔しないでくれ。」

 

 「ふふっ、はーい。」

 

 それを見てすぐに否定すれば、浮かんだ白上の満足げな笑みにしてやられたと察する。

 しかしこれは仕方ない、あんな顔をされては勝てるものも勝てない、負けるしかない。

 

 多分これからもそうなんだろうな、とぼんやり考える。

 それはそれで悪くないと思えるのだから、恋とは不思議なものだ。

 

 「って、それより白上は狭くないか?

  もしそうならもう少し端に寄るけど。」

 

 「つーん。」

 

 「あれ?」

 

 純粋に心配しただけだったのだが何故か白上は唇を尖らせてそっぽを向いてしまう。

 いや、何故かではない。

 

 一つだけ思い至った可能性。

 

 「えっと…フブキ。」

 

 苗字ではなく名前を呼べばようやく白上、もといフブキはこちらを向いてくれる。

 しかし、その瞳はジトリと細められていた。

 

 「…透さんも名前呼びにそろそろ慣れてください。

  最初に約束したじゃないですか。」

 

 「いや、でも呼び方変えるのってなんかむず痒いんだよな…あ、分かった善処する、善処するから。」 

 

 気恥ずかしさからつい渋ってしまうが、また先ほどの二の舞になる予感がしてすぐに発言を改める。

 想いの通じ合ったあの日からフブキの事を名前で呼ぶことになったのだが、如何せん中々定着しない。

 

 「透さんって意外と照れ屋ですよね。」

 

 「フブキには言われたくないな。」

 

 ぬくぬくと炬燵で温まりながら二人で笑い合う。ただそれだけで心が満たされる。

 目の前の少女が愛しい、好きという気持ちがあふれ出しそうになる。

 

 「透さん…。」

 

 不意にフブキと目が合った。

 彼女も高揚しているのか頬を赤らめて、瞳を潤ませる。

 

 二人の顔が近づく。

 互いに目をつむり、唇が触れ合う。

 

 かと思われたその瞬間であった。

 

 『…こほん。』

 

 「うわっ!?」

 

 「わひゃ!?」

 

 唐突に横から聞こえてきた声に驚きの声を上げながら近づいていた顔を離す。

 出所へと目をやれば小さな白い狐のシキガミが炬燵の上に座ってこちらをじっと見ている。

 

 『夜も遅い中お盛んなことで。

  あたしは先に寝てた方が良いか?』

 

 面白がるような口調でシキガミ、正確にはそれを介して黒上フブキが揶揄うように言ってくる。

 

 「ク、クロちゃん、何時から?」

  

 『えへへ、透さーん。の辺りから。

  そういう空気になるときは声掛けろって言ってるだろ。』

 

 それで耐えきれなくなって出てきたようだ。

 

 「あぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 ちなみに黒上に見られているとは思わなかったのか隣ではフブキが顔を両手で覆って悶絶している。

 それを見て黒上は呆れたように小さく息を吐いた。

 

 『ほら、やっぱりこうなった。』

 

 「見られるのは恥ずかしいんだな。」

 

 少し手遅れな気もするが、まだ傷が浅いうちにと配慮してくれたのだろう。

 後から気付いた場合の狼狽え様はこの比ではなさそうだ。

 

 『透、お前は気にしてないのか。』

 

 「ん?まぁ、そこまで。

  恥ずかしいものは恥ずかしいけどな。」

 

 矛先がこちらに向くが、キスくらいなら見られても気にはならない。

 無論、露骨に間近で見られるのは流石に避けたいがそれ以外なら許容範囲内ではある。

 

 黒上はそれを聞くと面白くなさそうに鼻を鳴らす。

 揶揄う気満々であったらしい、これからはその辺り少し警戒しておいた方がよさそうだ。

 

 『はぁ…ったく。』

 

 密かに決意を固めていると、不意に黒上は立ち上がりとことこと何処かへ歩いて行こうとする。

 

 「黒上、どこ行くんだ?」

 

 疑問に思い声を掛ければ、少しめんどくさそうに黒上は振り返る。

 

 『…今日は満月だからそれを見に行ってくる。あとは二人で…。』

 

 「そうなんですか!?」

 

 そんな黒上の言葉に食いついたのはつい先ほどまで顔を覆って転がっていた筈のフブキだった。

 感じていた羞恥はどこへやら、その瞳は爛々と輝いている。

 

 「なら三人でお月見しませんか?」

 

 「お、良いなそれ。」

 

 月を見ることはあっても改めて月見という言葉で一種のイベントとして表すと妙に心くすぐられる。

 無論、断ることは無く快諾する。

 

 『…え。』

 

 そんな俺とフブキを見て黒上の動きが止まった。

 

 「では白上はお団子とお茶の用意をしてきます!

  こんな時のための秘蔵のがあるんですよ。」

 

 「マジか、流石フブキだ。

  お茶入れるくらいなら手伝えるぞ。」

 

 「じゃあお茶はお任せします、どれだけ腕を上げたか見せてくださいね。」

 

 「任せろ。」

 

 だがしかし、やる気に満ちた状態でそれに気が付くはずもなく。着々と段取りを決めて炬燵から出てキッチンへと急ぎ足で向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『…。』

 

 浮き浮きとした様子の二人の背中を呆然と見送って、黒上フブキは一人取り残される。

 その背は先の二人に比べて哀愁に満ちていた。

 

 『…決めた。』

 

 しばらく無言で固まっていた少女だったが、ぽつりと独り言をつぶやく。

 

 『もう配慮なんか絶対にしてやらねぇ。』

 

 決意に満ちた声は誰もいない部屋の中を木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「クロちゃん、機嫌直してくださいよ。

  ほら、お団子ですよ。」

 

 「お茶もあるぞー。」

 

 シラカミ神社の屋根の上。

 そこでは一匹のシキガミにものを差し出す人間二人の姿があった。

 

 戻ってきてみると明らかに不機嫌になった黒上が待っていた。理由を聞いてみても何でもないの一点張りで、現在に至る。

 

 『この、シキガミの状態で飲み食いできるわけないだろ。』

 

 フブキに抱えられた黒上は差し出されるそれらを一瞥するとそうとだけ返してくる。

 シキガミが飲み食いできないとは初耳であった。

 

 普通の動物と同じような扱いかと思ったらそこは違うらしい。そもそもイワレで構成されているのだからそうだとしても不思議は無いのだが。

 

 「なら入れ替わりますか?」

 

 『…この状態でか?』

 

 そう言って黒上は顔を上げる。

 するとフブキの肩越しに彼女と目が合った。

 

 現在の状態としては、まずシキガミ状態の黒上をフブキが抱えており、そのフブキが胡坐をかいた俺の足の上に座っている形となっている。

 

 何故このような体制を取っているかというと、シンプルに暖を取るためである。

 冬の夜は冷え込む、よってこの体制は合理的とも言えるであろう。

 

 『断る。』

 

 しかし黒上は断固として拒否することを声に出す。

 気持ちは分かるがそこまではっきり言わなくても。

 

 「あら、振られちゃいましたね透さん。」

 

 「あぁ、振られたな。

  慰めてくれ。」

 

 「はい、どうぞ。」

 

 傷心への癒やしを求めてフブキへと泣きついてみるが、口の中へと団子を一つ放り込まれて終わった。

 いや、美味しいんだけど。こう、期待していたものとは違い過ぎて複雑な気分になる。

 

 少しだけ落ち込んだように肩を落とせば、不意に前にいるフブキが体を動かした。

 

 「…また後でです。」

 

 「あ、あぁ。」

 

 悪戯な笑みを浮かべたフブキが、黒上には聞こえないように顔だけ後ろへ向けてこそりと耳元で囁いてくる。

 

 下げられたところを急に上げられて心臓が跳ねた。

 多分、フブキには気づかれているな。

 

 『…?』

 

 不思議そうに後ろを向く黒上だが、取り繕って静かに月を見上げるだけの俺とフブキを見てただ首を傾げていた。

 

 それにしても、今日の月はいつもに比べて大きく見える。強く脈打つ心臓を意識しないように上空へと意識を向けた。

 空には雲一つなく、絶好の月見日和であった。

 

 「…ん?」

 

 そんな大きな丸い月の中に、不意に黒い点が浮かび上がる。

 見間違いかとも思ったがその黒い点はどんどんと大きくなっていき、やがて月明かりはそのシルエットを映し出した。

 

 「あれって…。」

 

 フブキも気が付いたようで声を上げる。

 

 シルエットは大きな荷台を引く一頭の動物。

 見覚えのあるそのシルエットはこちらへと向かって空を駆けてくる。それは凄まじい速度で真上のはるか上空までたどり着くと、そこから自由落下に切り替わり地面へと落ちてきた。

 

 独特なその着陸方法は記憶にある限り一つしかない。

 

 予想通りシラカミ神社の境内、開けた場所に降りたったのは麒麟。イヅモ神社の神主である神狐セツカが使役する生物。

 

 それが今この場にいるということはつまり。

 麒麟が引いてきた荷台から降りてきた獣耳と尻尾を携えた人影が月明かりに照らされ、その姿を現す。

  

 「ミオ!」

 

 「ただいま、フブキ、透君。

  ところで何でそんな所にいる…あ!」

 

 フブキが声を上げれば、黒い狼の少女、大神ミオは一瞬キョロキョロと辺りを見渡すがすぐにこちらの姿に気づいたようで笑顔で手を振ってくる。しかしそれも束の間、大神は驚いたように目を丸くして言葉を途切って大きな声を上げた。

 

 「どうしたんですかね。」

 

 そんな大神の様子を見てフブキが不思議そうに首を傾げた。

 同じく何をそんな驚いているのかと疑問に思うが、ふと自身を振り返ってみてピンとくる。

 

 「あー…、多分バレたな。俺たちが付き合いだしたこと。」

 

 間違いのないであろう真実を教えてやれば、腕の中でフブキの体が固まったのが分かった。

 

 「えっ、なんで、まだ心の準備が…。」

 

 「なになに?

  二人とも何時からそんな関係になったの?」

 

 遅れて慌て始めるフブキだったが、そんな暇は与えないとばかりに大神はいつの間にやら屋根の上へと昇ってきて目を輝かせながら問い詰めてくる。

 

 「一か月くらい前からだな。」

 

 「…はい、あの、透さんとお付き合いさせて貰うことに…なりました。」

 

 やはり照れくさいようで顔を真っ赤に染めながらフブキは大神へと俺たちの関係を改めて伝える。

 予想通りであったようで、それを聞いた大神の顔がにんまりとした笑顔へ変わった。

 

 「へー、フブキってそんな顔もするんだ。」

 

 「なっ…、うぅ…。」

 

 揶揄うような大神の言葉に反論しようとフブキは何か言おうとするが、しかし羞恥が勝ったようでおもむろに振り返ると俺の肩へと顏を押し付けて隠してしまう。

 

 「まぁ、そんな訳で改めてよろしく。」

 

 「うん、勿論!  

  おめでとう。二人が恋人同士って、なんだかウチまで嬉しくなったよ。」

 

 受け入れられるか不安な面もあったが大神は笑顔で祝福してくれて、それも杞憂に終わった。

 

 『くそっ、つぶされるかと思った。』

 

 不意にそんな悪態をつきながら黒上が俺とフブキの間から顔を出す。どうやらフブキが抱えたままこちらを向いたものだから間に挟まってしまっていたらしい。

 

 「あ、ごめんクロちゃん。」

 

 『…はぁ、別に良い。

  後で覚えてろよ。』

 

 「良くないじゃないですか、ごめんなさいー!」

 

 底冷えするような声で復讐を誓う黒上を前にフブキは涙目で黒上に縋りつくが、黒上はつんとそっぽを向いてしまう。

 

 その様子が先ほどのフブキと重なって見えた。

 意外と仕草が似ている部分もあるんだな。 

 

 そんな二人の様子を見て大神が口を開いた。

 

 「あ、クロちゃんだ。

  外に出てるのは珍しいね。」

 

 『狼っ子か。

  まぁ、成り行きでな。』

 

 言いながらチラリと黒上の視線がこちらに向けられる。

 確かにここ最近はよく姿を見かけるが、前まではそうでも無かったのか。

 

 「それで、大神は何処に行ってたんだ?」

 

 雑談も程々に大神にこれまでの事を問いかけてみる。

 一か月というとかなりの長さだが、今まで何をしていたのだろう。

 

 「んー、それがウチも分からないんだよね。」

 

 「…はい?」

 

 困ったように頬を指でかきながら言う大神にフブキが素っ頓狂な声を上げた。

 声にこそ出さなかったが俺もかなり間抜けな顔をしていたと思う。

 

 『狼っ子、分からないってどういうことだ。』

 

 一瞬思考が止まった俺やフブキに代わって黒上が大神に問うた。

 しかし、大神も変わらず困ったように眉を顰めるだけ。

 

 「そのままの意味だよ。

  気が付いたら知らない山の中にいて、あの子がここまで運んでくれたの。」

 

 そう言って指さされたのは大神の乗った荷台を引いてきた麒麟。

 

 「え、でもならイヅモ神社に行ってたんじゃないのか?

  あの麒麟は神狐が使役してるんだろ?」

 

 「…?」

 

 これでも大神は首を傾げる。

 

 何かがおかしい。

 心の中に冷たい氷を流し込まれているよな感覚。

 

 「だからせっちゃんだよ、イヅモ神社の神主の。

  大神はそう呼んでたよな。」

 

 浮かんだ疑念を振り払おうと必死に説明する。

 多分大神も少しふざけているだけだ、これはただの悪戯、その筈だ。

 

 「…ねぇ、透君。」

 

 だが、そんな期待を裏切るように大神は真剣な表情で、まるで俺が何を言っているのか分からないというように純粋に疑問の声を上げる。

 

 「せっちゃんって、誰のこと?」

 

 

 

 

  




次回から大神ルート入ります。
気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム。


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個別:大神ルート
個別:大神 1



どうも、作者です。

UA6万ありがとうございます。
今回から大神ルートです。


 

 熱に浮れているかのように周りでは人々が手を取り、踊り合っている。

 

 セイヤ祭

 年に一度、キョウノミヤコで開催される盛大なお祭り。街道には様々な屋台や露店が立ち並び、様々な装飾が街並みを彩っている。

 

 時は既に後夜祭、祭りのクライマックスということもあり人々のテンションは頂点へと到達していた。

 そんな中、人込みをかき分けて一人の少女を探して歩き回る。

 

 『誰と踊るの?』

 

 先ほど聞いたトウヤ君の言葉がふと思い浮かぶ。

 

 セイヤ祭で一緒に踊ったペアは結ばれる。

 キョウノミヤコでは有名なそのジンクス。

 

 ジンクスを信じているわけでは無いが、そう聞かれて真っ先に黒い狼の少女の姿が脳裏に浮かんだ。

 しかし、探せども探せどもその姿はどこにも見当たらない。

 

 「どこにいるんだ…?」

 

 早く見つけないと祭りが終わってしまう。

  

 若干の焦りを感じつつ辺りを見回しながら歩いていれば、不意にどんと肩に衝撃が走る。

 うっかり誰かとぶつかってしまったようだ。

 

 「っと、すいませ…て、白上。」

 

 「こちらこそ…あ、透さん。」

 

 目を向ければ、そこに立っていたのは白い狐の少女、白上フブキであった。

 屋台巡りでもしていたのかその両手には大量の食べ物や飲み物、景品らしきものが下げられている。

  

 「そんなに急いでどうしたんですか?」

 

 こてりと首を傾けて白上が問いかけてくる。

 丁度良い、白上にも聞いておきたかった。

 

 「大神を探してたんだ、白上はどこかで見かけなかったか?」

 

 「ミオでしたらあっちにいましたけど…。」

 

 そう言って指さされるのは、つい先ほどまで探していた区域。どうやらいつの間にかすれ違っていたようだ。

 けれど場所が絞れたのは大きい。

 

 早速探しに向かおうとしたところで、白上からじっとこちらを見られている事に気が付いた。

 

 「どうかしたか?」

 

 「いえ、もしかして透さん、ミオを誘う予定なんですか?」

 

 誘う。

 何にとは聞かなくても分かった。

 

 「一応、そのつもり。」

 

 白上もジンクスについて知っているのか、そう答えれば露骨にその瞳が輝いた。

 

 「おー、透さんも男の子ですね。

  応援してますからね!」 

 

 「あ、あぁ、ありがとう。」

 

 にやにやと揶揄うような笑みを浮かべる白上は、それだけ言うと何処へともなく去って行ってしまう。

 別にやましいことは無い筈なのだが、妙に照れくさく感じた。

 

 誘うと言っても恋愛的な意味は特にないのだが、あの様子を見るにそうは思っていないのだろう。

 訂正しようにも既に白上の背は見えない為、完全に後の祭りである。

 

 それより、今は大神を探そう。

 取り合えずは本来の目的を先に果たすことにする。幸い教えて貰った場所はすぐ近くだ。

 

 進んでいた方向とは逆方向、来た道を戻って目的地へと急ぐ。

 白上の口ぶりからしてまだこの近辺にはいる筈だ。

 

 言われた場所に辿り着いて目を皿のようにして大神の姿を探すが、しかし何処にも見当たらない。 

 既に他の場所に行ってしまったのか、それとも白上の見間違いか。

 

 前者はともかくとして、後者は考えにくいか。

 そもそも大神は一人で何をしているのだろう。白上だったら屋台巡りをしていたのだろうが、それと同様に…。

 

 「あ、もしかして…。」

 

 そこまで考えてふととある可能性に思い至る。

 

 試しに先ほどまでのように人混みに大神を探すのではなく、周りにある屋台や露店を中心に目を光らせた。すると、その中の一つに見覚えのある屋台を見つける。

 

 シンプルな装飾に少し不思議な雰囲気を醸し出しており、中には大きな水晶玉とその奥に座る人影。フードを被っていて顔までは確認できないが、直感的にあれは大神であると分かった。

 

 姿が見えないと思ったらこんなところで昼と同様に占い屋をやっていたらしい。見つからない訳だと、思わず口角が上がる。

 

 後夜祭で踊りに人が集中しているようで、昼のような人だかりは出来ていない。そのため苦労もなく屋台へとたどり着くことができた。

 

 他に客もいないようなので、そのまま目の前の椅子へと腰掛ける。

 

 「いらっしゃいませー。…って透君だ、やっほー。

  どうしたの、占い?」

 

 相手が誰であるか気づいた途端、大神は被っていたフードを取り、口調を砕けさせる。それだけなのに、彼女に身内判定されている事の表れのようで、妙に嬉しく感じた。

 

 「あぁ、そんなとこ。」

 

 まさか一緒に踊らないか誘いに来たと唐突に言い出すわけにもいかず取り合えず一旦話の流れに乗る。

 

 「よーし、じゃあ透君が相手だからね。

  折角だし張り切って占っちゃうよ。」

 

 ふんすと腕をまくって気合を入れる大神につい笑みが浮かぶ。

 大神も大神で祭りという事もありテンションが上がっているのかもしれない。

 

 「ちなみに、張り切ると結果にどんな影響が?」

 

 「んー、少しだけ表現が柔らかくなります。」

 

 大神はドヤ顔で人差し指を立てながら得意げに言う。

 

 表現が柔らかくなるって、結果自体は特に変わらないらしい。

 つまるところ、悪ければ悪いままのようだ。

 

 まぁ、占いで重要なのは結果の読み取り方とも言うし、占い師のやる気が割と重要である可能性も無くは無い。

 ただ大神の占いの場合占星術を使用すると基本的に結果から逃れようがないため、やはりあまり意味は無いのかもしれない。 

 

 「ところで…。」

 

 「ん?」

 

 そう言うと改まった様子で大神はこちらに視線を向ける。

 

 「透君は誰かと踊らないの?

  ほら、フブキとか誘って。」

 

 チラリと横にある広場、そこで踊る人々の姿を横目に見て大神が屈託のない笑顔で問いかけてくる。いきなりここを訪れた理由の核心に触れられてドキリと心臓が跳ねた。

 

 「今のところはな。

  白上は踊りよりは屋台巡りに夢中みたいだし。」

 

 「そういえばまた大量に抱えてたね。」

 

 二人して両手いっぱいの袋を引っさげた白上の姿を思い出して苦笑いを浮かべる。 

 この時間であれだけ巡っているとしても、セイヤ祭全ての屋台を巡ることはまず不可能だろう。その辺りこの祭りの規模の大きさを表している。

 

 「…幸せそうだね。」 

 

 おもむろに大神は再び広場の方へと視線を戻すと、ぽつりとそんな言葉を零す。

 広場で踊る人たちは皆、笑顔に満ちていた。その様子は、まるで空気中にまで幸せが溶け出ているかのようだ。

 

 だが、何故だろう。

 それを見る大神の表情は優し気に緩められているのに、少しだけ曇って見えた。

 

 「あ…。」

 

 「っと、それより占いだった。

  それで透君は何か占いたいことはある?」

 

 その理由を聞こうと口を開きかけるが、大神はそれより先に話題を逸らしてしまう。

 これでは追及は出来なさそうだ。

 

 「そうだな、占いたいことか…。」

 

 一旦思考の隅へと追いやって、目の前の質問へと移行する。

 急に言われても、内容については何も考えていなかったため答えに迷う。

 

 何かないかと視線を巡らせて、大神を視界にとらえたところでピンときた。

 

 「じゃあ…。」

 

 「?」

 

 だが、本当にこれで良いのかと寸前で言葉を止めた。

 そんな俺を見て、大神は無言のまま首をかしげる。

 

 …いや、今日は折角の祭りなのだ。

 だから、難しく考えるのは辞めにしよう。

 

 覚悟を決めて、小さく息を吸ってから再び口を開く。

 

 「じゃあ、このセイヤ祭で目の前の女の子と踊れるかどうかを占ってくれ。」

 

 「うん、任せて。

  えっと、目の前の…女の子、と…。」

 

 大神は快諾すると、水晶に触れながら条件を復唱する。

 しかし直ぐにその対象が誰の事を指しているのか気が付いたようで、目をぱちくりとさせてこちらを見る。

 

 その瞳を真っ直ぐに、正面から見つめた。

 緊張からか心臓が痛いくらいに鳴っている。

 

 処理に時間がかかっているのか数秒程そのままの体制で固まっていた大神だったが、唐突にポンと音が出るのではないかと思う程急激にその顔を朱色に染めた。 

 

 「え、な、透君?

  それって…。」

 

 「あぁ、俺は大神と踊りたい。

  良かったら一緒に踊ってくれないか?」

 

 分かり易く慌てる大神に向けて手を差し出す。

 自分がこんな行動をしていることは不思議に思う、だが、これ祭りのテンションに当てられた結果だというのなら甘んじて受け入れよう。

 

 それよりも重要なことが今、目の前にある。

 

 大神は一瞬迷ったように視線をさまよわせた。

 しかしすぐにその手はゆっくりと上げられ、手と手は重ねられた。

 

 「…もう、透君は何時からそんな遊び人みたいなことをするようになったのかな。」

 

 「言わないでくれ、自分でもどうかしてるとは思ってるんだ。」

 

 まだ頬は少し赤いだろうか、けれども大神はしっかりと目を合わせてくれる。

 

 「それで占いの結果はどうだった?占い師さん。」

 

 「…もう、分かってて聞いてるでしょ。」

 

 恨めしそうな視線を向けられるが、やはり直接聞いておきたいのだ。

 じっと答えを待っていると、根負けしたのか大神は小さく息を吐くとその相貌を軽く崩した。

 

 「勿論、イエスだよ。」

 

 ふわりと微笑んで言われたその言葉を聞いて全身の力が抜けてしまうのではないかと思う程の安堵が心に広がる。

 それと同時に、先ほどと同様に鼓動が早まりだした。

 

 しかし、これは緊張からではない。

 なら…。

 

 自分の事の筈なのに分からない事だらけだ。

 

 これも多分祭りの空気の所為だ。 

 そう結論付けて大神と共に広場へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 広場、キョウノミヤコの中心部にあるものに比べれば小さく感じるが、それでもキョウノミヤコの何区画か分の広さはある。とはいえ通りも広場も関係なしに人々は踊り合っていた。

 

 広場の端、ちょうど良いスペースを見つけて改めて二人手を取り合う。

 

 「…ちなみに透君。」

 

 いざ実践だ、といったところで不意に大神が声を掛けてくる。

 

 「何だ?言っておくが俺は踊り方は知らない。」 

 

 「え、どうしよう、ウチもよく知らないんだけど…。」

 

 その言葉に思わず互いに目と目を合わせ合う。

 てっきり大神は知っているものかと考えていたのだが、この展開は予想外だった。 

 

 「まぁ、周りに合わせればいいか。」

 

 幸いにも見本は文字通りそこら中にある。

 細部までは無理でも形程度なら何とでもなるだろう。

 

 「う、上手くできるかな。何だか緊張してきた。」

 

 「そんなに重要なものでもないんだ、気楽にやろう。」

 

 そして若干表情の硬い大神と共に、周りで踊る人々を真似て右へ左へと揺れる。

 中には複雑な動きをするペアもいたが、そこはスルーしてまず基礎的な動きだけを参考にした。

 

 だが、踊り始めてすぐに浮かんだ疑問が一つ。

 

 「大神、本当に踊ったこと無いのか?」

 

 そう思えるほどに大神の足運びは初めから今に至るまでスムーズで、綺麗なものであった。

 先に見かけたおそらく熟練のペアに遜色のないそれに驚きのあまり思わず口が開く。

 

 「その筈、なんだけど…。

  なんでウチ踊れてるの?」

 

 それは彼女も同様で、ぽかんとした顔で華麗にステップを踏む様はかなりシュールな光景であった。

 

 「ということは、大神の秘められた才能が開花したとか。」

 

 「そうなのかな…ウチ今ならどんなステップも踏める気がする。」

 

 「俺は転ぶと思うから勘弁してくれ。」

 

 瞳を輝かせて息巻いてるところ悪いのだが、大神は良くても俺が付いていけないためその辺りは自重してもらうことにする。

 

 しばらく踊っていれば、やがて踊りにも慣れ始めてきて周りにも目を回せるようになった。

 子供、大人、老人に至るまで年齢に関係なく、人々は手を取り合っている。

 

 この光景はキョウノミヤコの景色の中でも最上のものだとすら思える。

 そして自らもその景色の一部なのだと思うと、えも言われぬ高揚感がある。

 

 祭りばやしの中、音楽はなり、踊り合う。

 

 「ねぇ、透君。」

 

 不意に同じく周りを見回していた大神に名を呼ばれる。

 どうしたのだろうと目を向ければ、大神はゆっくりと口を開いた。

 

 「透君は、幸せってどういうものだと思う?」

 

 感情の読めない瞳で大神はそう問いかけてきた。

 

 「幸せ?」

 

 幸せについて、とはまた哲学的な問いかけだ。

 人によって変化するのだから答えなどは無いだろう。

 

 大神は何故こんな質問を。

 疑問に思いつつ、とりあえずは主観での答えを考えてみる。

 

 「…そうだな、将来への不安がない…いや、少し違うか。」

 

 一度口に出してみるが、中々これだという感覚はしない。

 ならこれか、こういうものか、頭の中で色々と考えてみるがやはりしっかりと来ない。

 

 「…やっぱりよく分からないな。」

 

 大神には悪いがこの質問に答えるには、俺では不足らしい。

 

 「…だよね。

  ごめんね、いきなり変なこと聞いて。」

 

 誤魔化すような笑みを浮かべる大神。

 真意は分からない。

 

 けれど、俺でも答えれることはある。

 

 「でも少なくとも俺は今、幸せだよ。」

 

 大神が顔を上げる。

 感情に連動するように揺れるその瞳を真っ直ぐに捉えて、ゆっくりと口を開く。

 

 「このカクリヨに来て正直激動の日々だったけど、大神達に会えてからずっと、俺は幸せなんだと思う。」

 

 これは隠し立てすることのない俺の本心だ。

 様々なことが起きた二か月だったが、この世界に残りたいと強く願う程に幸せな時間を過ごせた。

 

 だから、幸せについては上手く言葉に出来ないが、それがどんな状態であるのかは何となく理解できた。

 

 「透君…。」

 

 ぽつりとそう呟く彼女は今、何を思っているのだろう。

 

 「ウチね、ちょっとだけ透君が羨ましい。」

 

 「大神…?」

 

 その言葉と共にパッと辺りが明るく照らされて、遅れて心身に響くような爆発音が空から降ってくる。

 

 セイヤ祭の締めとして打ち上げられた花火。

 その光で照らされた大神の顔には自嘲的な笑みが浮かんできた。

 

 「わ、凄い。透君、花火だよ。

  綺麗だね…。」

 

 だが、次の瞬間には花火にはしゃぐ彼女の姿、いつもの大神に戻っていた。

 けれど瞼に焼き付いた先ほどの笑みが頭から離れない。

 

 何故そんな表情をする。

 大神、お前は…。

 

 周りから歓声が聞こえる。

 人々が空を見上げている中、俺は一人の少女から目を離せないでいた。

 

 「?どうしたの?」

 

 「あ…いや、何でもない。」

 

 視線に気が付いた彼女に問いかけられて、反射的に誤魔化してしまう。

 

 「…なぁ、大神。」

 

 だが、やはり頭から離れない。

 もう少し先へと踏み入りたい。

 

 無言のままこちらを見て首を傾げる大神に問いかける。

 

 「お前は今、幸せか?」

 

 それを聞いた大神の瞳は驚いたように見開かれた。

 何にそこまで驚いているのかは分からない。

 

 大神は小さく息を飲むと、ゆっくりと吐き出す。

 

 「…良くわかんない。」

 

 まるで以前にも答えたことがあるかのようにスムーズな受け答え。

 その顔に浮かぶ達観と諦観。

 

 多分ここから先は大神の触れられたくない部分。

 俺が触れることのできない部分。

 

 詰まるところ、俺ではそれこそ不足なのだ。

 彼女の抱えているものを知ることは出来ない。

 

 「…そっか。」

 

 それ以上追及することなく、空へと視線を向ける。

 次々と打ち上げられる花火は夜空で大きく開いて暗闇を照らし、そして散っていく。

 

 けれど俺の心にはもやもやとした暗闇が漂ったまま。

 

 しかしそれと同時に彼女の事を知りたい、もっと彼女に近づきたい。そんな想いが芽生えてどんどんと大きくなっていくのを感じた。

 

 「透君、難しい顔してるよ。」

 

 「え、ほんとか?」

 

 大神に指摘されてつい顔に手をやる。

 まさか顔にまで出ているとは、我ながら相変わらず表情に出やすい。

 

 「うん、この辺りに皴が寄ってた。」

 

 そう言って大神の手が伸ばされて眉間の辺りを触れられる。

 ただそれだけ。

 

 けれど

 

 ドクンと心臓が一層強く鳴る。

 何かが自分の中で変わった、そんな確信がした。

 

 夜空に大きな華が咲く。

 おそらく祭りの最後を飾る特大の花火。

 

 それは辺りを色とりどりに照らして、人々の関心を搔っ攫った。

 

 大神もその花火に目を奪われている。

 その事実に心の底から安堵した。

 

 今の自分の顔を、彼女には見られたくは無かった。

 

 






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個別:大神 2


どうも、作者です。




 

 早朝

 未だ太陽は顔を出さず、辺りには夜の帳が下りたままの時間帯に大神ミオは目を覚ます。

 

 シラカミ神社に住み始めてからこの方、その前からもこれは変わらない。

 

 いつの間にか習慣になっていて、彼女自身何故自分がこんなに早く起きてしまうのか不思議に思っていた。 

 けれど寝なおせるかと言われるとそうもいかないため、そのまま起き上がる。

 

 窓を開ければ室内に冷えた空気が入り込み、わずかに残っていた眠気が消え頭からかかっていた靄が晴れていく。息を吐けば白く凍り付くような冷気、けれど彼女にとっては心地の良い程度のものであった。

 

 夏であれば熱せられた空気が入れ替えられて、春や秋には花びらや紅葉が稀に入り込む。

 

 いつも通りの朝。

 

 いつも通りの光景。

 

 そして…。

 

 彼女はタロットを取り出して一枚引く。

 その絵柄を見て、無意識に彼女は息をついた。

 

 「…これも、いつも通り。」

 

 いつも通りの結果。

 それを確認して、大神ミオはささっとタロットを片づける。

 

 身支度を整えてから、彼女はキッチンへと朝食を作りに行く。

 

 これを毎日続けているのだから、ここまでを習慣に含めても良い気がする。

 そんなことを思いながら、彼女は部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「え、しばらく鍛錬出来ないのか?」

 

 目の前の少女に唐突に告げられた言葉を思わずといった形で復唱する。

 少女、百鬼あやめは申し訳なさそうに眉尻を下げて、両手を前で合わせる。

 

 「うん、ちょっとキョウノミヤコに行くことになって。」

 

 「そっか…なら、仕方ないな。」

 

 こんなに早朝からと思わなくもないが、彼女なりの事情があるのだろう。

 そも百鬼にはどちらかというと付き合ってもらっているようなものな為、ここで引き留める権利は俺には無い。

 

 「余はもう行かなきゃだから。

  本当にごめんね!」

 

 「え、あ、おう、気を付けてな!」

 

 それだけ言い残すと百鬼は身体強化をして走っていてしまう。

 その背を見送っていれば、すぐに百鬼の姿は見えなくなった。

 

 ポツンと一人シラカミ神社の境内に取り残される。

 

 「…取り合えず、一人でできることだけでもやってみるか。」

 

 胸に感じる寂寥感に蓋をして、素振りとランニングに取り掛かる。

 

 刀をいくつかの型で振るう。

 

 山道を走り込む。

 

 しかし、今まで百鬼との模擬戦などを前提とした内容でしかやってこなかったこともあり、量を増やしてみたものの、それでもいつもより早くに終わる。

 それに加えて、今日はいま一つ鍛錬に身が入っていない。

 

 集中できていない状態で刀を振れば怪我につながりかねない。

 結果、いつもよりも少し早くに鍛錬を切り上げることになった。

 

 未だ日の昇らない空の下、微かに流れる汗をぬぐいながら水場へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さっと汗を流してシラカミ神社へと戻ってくる。

 氷こそ張っていなかったが体の芯まで冷えるには十分な冷たさの水に触れて、今は心の底から炬燵が恋しい。

 

 炬燵の置いてある居間へと急ぎ足で向かう。

 誰も使っていないだろうからまだ温かくは無いとは思うが、すぐに中の温度は上がる。

 

 ぬくぬくとした天国を想像すれば自然と顏がにやけた。

 

 軽い足取りで居間に入り、炬燵の中へと入り込む。

 スイッチをつければ後は待つだ。

 

 うきうきとしながらその時を待ちわびるも、待てども暮らせども温度は上がらない。

 

 「…あれ、スイッチ入れてなかったか?」

 

 疑問に思い確認するも、確かにスイッチはオンになっている。

 けれど俺の体を暖めてくれる天使は起動していない。

 

 絶望の足音が聞こえてくる。

 

 …気のせいだ、そんな筈はない。

 炬燵様は天下無双、すべての幸せの頂点に立つお方だ。

 

 現実を受け入れられず、何度もスイッチのオンオフを切り替えてみるが起動する様子は無い。

 

 「嘘…だろ…。」

 

 これから至福の時が訪れる、そう期待していただけに絶望への落差は大きかった。  

例えるならご馳走を目の前に箸を手に取ったところで下げられていったようなものだ。

 

 壊れてしまったのなら仕方がない。

 

 どうしようもない、満たされない心を抱えてのそのそと炬燵から出る。

 中が温まらないのならこれはただの布団を被せたテーブルである。 

 

 目的が道半ばで途絶えたところで、少し早いがキッチンへと向かうことにする。

 大神がいつから朝食の準備をしているのかは知らないが、いつものペース的に大体今の時間くらいだろう。

 

 名残惜しさを振り切って居間を後にした。

 ここまで後ろ髪を引かれることはそうあることではない。

 

 キッチンへと続く廊下を歩く。

 早朝ということもあり、まだまだ冷え込んでいる床はまるで氷のようで。

 

 「…室内用の草履でも用意するべきか?」

 

 「そうだね、確かにあった方が快適かも。」

 

 「どわっ…!?」

 

 ぽつりと零した独り言に突如として背後から返答が返ってきて口から心臓が飛び出そうになる。

 慌てて後ろへ振り向けば、そこには黒い獣耳を携えた狼の少女、大神ミオが立っていた。

 

 「おはよ、透君。」

 

 「大神…、いるならいるって言ってくれ…。」

 

 朗らかに挨拶をしてくる彼女を前にして喉元まで来ていた心臓を戻しながら安堵の息をもらす。

 

 「あはは、ごめんごめん。

  凄い無防備に歩いてたから気づかれないかなって。」

 

 わざわざ足音を殺して後ろに忍んでいたらしい。

 いつから彼女は忍者へとジョブ変更をしたのだろう。

 

 「まぁ良いけど、もう勘弁してくれよ?」

 

 割と本気で驚いたが百鬼の悪戯に比べれば可愛いものだ。

 

 既に大神は身支度を終えているようで、普段着の彼女は早朝にも関わらず寝ぐせ一つない。

 

 「はーい。

  それにしても、本当に今日は一段と床が冷えてるね。」

 

 「ん?…あぁ、さっきの話な。

  草履でなくても、何か履物だけでもあれば違うかなって。」

 

 大神の登場で完全に頭からすっ飛んでいた。

 丁度予定も無いことだし、昼辺りに近くの村で人数分調達してくるのも良いかもしれない。

 

 炬燵があれば冷えても温めることができるが、現状それも出来ないわけだし。

 

 「ふっふっふっ。」

 

 思考を巡らせていると不意に大神が不敵な笑みを浮かべて、ワザとらしく笑い声をあげる。

 

 「それならウチに任せてよ。」

  

 自身に満ちた表情でそう言った大神はおもむろに両手を掲げた。

 

 「えーっと、おんびしびし…。」

 

 そして何やら長々と謎の呪文を唱えだす。

 いや、違う、謎の呪文ではない。

 

 妙に聞き覚えのあるその呪文は確か大神がワザを使う際に唱えていたものだ。省略することが多いためすぐには思い浮かばなかった。

 

 だが一つ引っかかるのはそれを唱えて使うワザは確か…。

 そんなことを考えていれば、掲げられた大神の両手にぼうっと音を立てて炎が点った。

 

 「おい…大神?」

 

 たまらず声を掛けるが彼女は集中するように目を閉じたままで反応は返ってこない。

 嫌な予感がするのは気のせいだろうか。

 

 手のひら大だった炎はやがて大きさを増し、およそ人が入り込めるほどの大きさになった瞬間、大神はその両目をかっと見開く。

 

 「えいやっ!」

 

 彼女のそんな可愛らしい掛け声とは裏腹に、凄まじい熱量を纏ったその両腕は床へと叩きつけられ、纏っていた炎が放射状に床を伝った。

 

 「大神、大神さん!?」

 

 何をとち狂ったのかこれは洒落にならない。

 このままではシラカミ神社は火の海だ。何ならもろとも火だるまになる。

 

 逃げようにも焦りと衝撃で動けない。 

 床を伝播する炎は、すぐに足を包み込んだ。

 

 「…あれ、熱くない。」

 

 万事休すか、そう思われたが、そんな思考は浮かんだ疑念にかき消される。

 足元を伺えば確かに炎は足に触れている。

 

 けれど火傷の痛みはない、ただ何とも言えない炎が皮膚をなめるような感覚だけがある。

 熱さすらない、というよりその炎から熱を一切感じなかった。大神が掲げた状態では確かに熱を発していたにも関わらずだ。

 

 これは一体。

 

 何が起こったのか理解できずにいれば、ふと冷え切っていた筈の床からの足裏を刺すような冷たさが無くなっていることに気が付く。

 

 「床が、暖かい。」

 

 目の前の事実に驚愕が隠せない。

 あんなにも冷えていた床が今や湯たんぽのような暖かさを提供している。

 

 ここで寝ころべばさぞ寝心地が良く、炬燵もかくやと人を駄目にするであろう。

 

 「どう?凄いでしょ。

  床を対象に炎の熱を分割して加えてみたんだ。加えただけだから持続性はあまり無いけど、ある程度はこのままだと思うよ。」

 

 どやりと胸を張り、横目で笑みを浮かべる大神。

 そんな彼女の姿が俺の目からは天使に見えた。

 

 「大神っ…!」

 

 「わひゃっ!?

  と、透君?」

 

 唐突にがしりと両肩を掴まれた大神は表情を崩して驚きの声を上げる。

 しかし、それを気にする余裕は今の俺には無かった。

 

 「結婚しよう。」

 

 瞳を見つめて正面からその一言だけを伝えれば、目の前の少女は分かりやすい程に狼狽する。

 これは冗談でも、悪ふざけでもない。俺は今、心の底から大神と結婚したいと思っている。

 

 それが伝わったのか大神の顔が見事に赤く染まった。

 

 「え、け、結婚って。

  そんないきなり…。」

 

 「俺は真剣だ。」

 

 大神の目が泳ぐ。

 いきなりこんなことを言って悪いとは思ってる。けれど、どうしても伝えたいのだ。

 

 「待って透君。

  ウチ、まだ心の準備が…。」

 

 「無理だ、もう待てない。」

 

 真っ赤な顔のままの大神と目が合う。

 その瞳は少しだけ潤んで見えた。

 

 「大神、俺と結婚して…。

  …毎日床暖房をしてくれ。」

 

 「…。」

 

 その変化は劇的であった。

 顔を赤くして潤んだ瞳をこちらに向けていた大神はすんと表情をすべて消し、代わりに肉食獣のような瞳孔の開いた瞳が向けられている。

 

 「透君、ちょっと手を離して?」

 

 「大神、俺信じてるよ。大神が頷いてくれることを。」

 

 「すみません、手を離してください。」

 

 何故か敬語で言い直す大神。

 距離が空いたようで妙に悲しく感じた。

 

 「…ちなみに手を離すとどうなる?」

 

 「さっきのを透君にぶつけます。」

 

 さっきのとはおそらく先ほどの床暖房の際のあの炎の塊の事だろう。

 

 床に分割したと言っていたから、シラカミ神社の床の面積を考えるとその熱量は想像に難くない。

 それをぶつけられるということは、あの熱がすべて襲い掛かってくるということだ。 

 

 …なるほど。

 

 「…一時の気の迷いってあるよな。」

 

 「へー、透君は気の迷いで結婚しようなんて言う人だったんだ。」

 

 知らなかったなー、とそう言って大神は横を向いて俺を視界から外す。

 マズイ、方向性を間違えた。

 

 大神の中で株が大暴落している予感、というか確信がある。

 

 「あの、大神さん。

  反省してますんで…。」

 

 「透君…。」

 

 危険を察知して瞬時に直立の姿勢を取る。

 

 嵐の前の静けさ。

 今の状況を表すのならその言葉が最適だろう。

 

 「正座して?」

 

 にこりと朗らかな笑みを浮かべる大神。

 けれど、その瞳は一ミリたりとも笑ってはいなかった。

 

 「え…でも、朝飯の準備とか…。」

 

 「良いから、正座して。」

 

 「あの、大神…。」

 

 「正座。」

 

 反論も虚しく、言われるがままに廊下に膝をつける。決して大神の圧に負けたわけでは無い。そう決して。

 

 それから朝食までの時間、大神の許しが出るまで俺は一人廊下で正座をし続けることになった。

 余談だが、その間も床はとても暖かかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「足が…、足が…。」

 

 「もう、透君が変なこと言うからでしょ。」

 

 呆れたような大神の視線が痛い。

 

 朝食が完成した後、何とか大神の許しをもらって正座から解放された俺だったが代償は未だに色濃く体を蝕んでいる。

 現在廊下に転がって足の痺れと大激戦を繰り広げていた。

 

 「そう言えばあやめがいなかったんだけど透君何か知らない?」

 

 「あ、今聞くんすね。良いけど。 

  百鬼ならキョウノミヤコに用事があるとかで朝から出かけて行ったよ。」

 

 割と情け容赦のない所業に震えながら応える。

 先ほどけたたましい音が響いていたから白上を起こしていたのだろう。

 

 出来ればそれより前に許しが欲しかったがそこは完全に自業自得な為文句は言えない。

 

 「それで透君今日は早かったんだ。」

 

 謎が解けたと言わんばかりに大神は手を打つ。

 確かにあの時間帯に大神と会ったのは今日が初めてだ。

 

 「まぁ、おかげでこの有様だけどな。」

 

 「それは透君が適当に結婚しようなんて言うから。」

 

 おっしゃる通りで。

 どうにも昨日のテンションが残っていたのか、感動と合わせてあのような行動に移ってしまったのだ。

 

 「悪かったな、大神。」

 

 改めて謝罪しておく。

 禍根は残さない方が後々の関係的にも良いに決まっている。

 

 「…寝転がったまま言われてもなんだか反応に困るね。」

 

 仕方ないだろう、足が痺れて動けないんだから。

 けれど話している内にそれも解消されてきた。

 

 そろそろ動いても大丈夫そうだ。

 

 「よし、まだ配膳してないよな。

  手伝う…。」

 

 言いながら体を起こして立ち上がる。

 けれど俺はこの時一つ失念していた。

 

 痺れは取れたものの、その直後というものは大抵足の感覚が曖昧になっている。その状態で立ち上がろうとすれば、必然何かしら支障が出る。

 

 「わっと!?」

 

 案の定、足を延ばそうとして体制を崩した。

 倒れ込みそうになる体を何とか支えようとするも、その努力も虚しく目の前の大神に向かって体は傾いて行った。

 

 結果的に倒れることは回避した。しかし

 

 「…透君?」

 

 「いや、違う。これは不可抗力だ。」

 

 腕の中から聞こえてくる大神の声に必死に弁明する。目の前の大神へと倒れ込んだ結果、大神を抱きしめる形で体は静止した。

 

 ようやく許しをもらえた所でこれはマズイと、焦りながら頭をフル回転させる。

 

 「分かってるからそんなに焦らなくても大丈夫だよ。

  悪気があった訳じゃないんでしょ?」

 

 「ない、悪気、ありません。」

 

 片言になりながら伝えれば、大神の肩が少し震えた。

 

 「ふふっ、なら気にしないで。」

 

 今の彼女の表情は見えないが、菩薩のような笑みが浮かんでいることは確実だ。

 この辺り理解してくれて寛容な彼女だから俺は…。

 

 …今、俺は何を考えたのだろう。

 

 「あっ!」

 

 自然と浮かんだ自分の考えに思考を巡らせていると、不意に横合いからそんな声が飛んでくる。

 

 顔を向けて見てみれば、そこには口元を押えて目を輝かせながらこちらを見ている白上の姿があった。

 一体何をそんなに驚いて…。

 

 そこまで考えて、今の状況を再確認した。

 傍から見れば俺と大神が抱きしめ合っているようにしか見えない。

 

 「ミオと透さんが…、いつの間に。」

 

 「え、フブキ!?」

  

 大神も白上の存在に気付いたようだ。

 おそらく同じ結論に至っているようで、大神からも焦りを感じる。

 

 「あ、そうですよね、お邪魔したら悪いですし。

  白上はクールに去ります。」

 

 「ちょっと、違うよフブキ!

  誤解だから!」

 

 大神が静止の声を上げるも白上はそのまま本当に去って行ってしまう。それを追いかけようと彼女が離れる気配を感じた。

 

 「ちょ、待て待て!

  まだ足が…倒れる倒れるから!」

 

 しかし未だに足の感覚は戻っていないため、大神に離れられると再び地面に挨拶をすることになる。

 

 「あ、でも、フブキが…。」

 

 どちらかを選べばどちらかを捨てなければならない。そんな状況で二つの選択に挟まれた大神は迷うように体を震わせる。

 

 「もーっ!!」

 

 そんな彼女の遠吠えはシラカミ神社を木霊した。

 

 

  






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個別:大神 3


どうも、作者です。

評価くれた人、ありがとうございます。

以上。


 

 「むー、お似合いだと思うんですけどねー。」

 

 朝食後、机へと頬を押し付けながら白上は不服そうにその耳をピコピコと動かす。

 

 「まだ言ってるのか。

  さっきのはただの事故で、別に俺と大神がそういう関係なわけじゃないって。」

 

 大神の説得によって白上の誤解は解くことができたが、白上としては誤解であって欲しく無かったようで未だに言及してくる。

 

 何が彼女を突き動かしているのか、恐らく野次馬根性もあるのだろう。

 

 「でも、透さんはミオと踊ったんですよね。」

 

 「…まぁ、踊ったけど。」

 

 白上の言葉が鋭く突き刺さり、少し遅れて肯定する。

 

 昨日の後夜祭。

 そこで大神を誘おうと探していた際に白上にも大神の居場所を尋ねていたし、実際大神と踊ったためここは事実として認める他ない。

 

 「言っておくが、あれにジンクスは関係ないからな。」

 

 一応の念押しとしてそれだけは伝えておく。

 

 難しく考えて誘った訳ではない、ただふと思い浮かんだのが大神だっただけ。

 それ以上でもそれ以下でもない筈だ。

 

 「なら透さんはミオのこと、どう思ってるんですか?」

 

 どう思ってる。

 そう問われて返答に困り、どう返したものかとつい黙り込んでしまう。

 

 良き友人。

 良き同居人。

 

 挙げるとすればこの辺りだろうか。事実、その通り俺と大神は友人である

 けれど、何故だろう。関係性を当てはめることに少しの抵抗を感じた。

 

 「…友人だよ。」

 

 その抵抗を押しのけて、それだけ口に出す。

 

 「…そうですか。

  すみません、少し立ち入り過ぎました。」

 

 「いや。」

 

 それ以上聞いてくることも無く、白上はそう言って立ち上がる。

 

 自室に戻るのだろうか。

 何となく、居間を後にする白上の背を見送る。

 

 「透さん、もし相談したいことがあったら何時でも言って下さいね。」

 

 居間を出る直前白上は振り返るとにこりと笑顔を浮かべて言った。

 ありがたいやら余計なお世話やら、どちらにせよ白上なりに気を使ってくれていることは分かる。

 

 「あぁ、ありがとう。」

 

 その答えを聞いた白上は満足げに頷いて、今度こそ居間を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一人になりやることも無い中、ぶらりとシラカミ神社の廊下を歩いていれば、不意に食欲をそそるような香りが漂っていることに気が付く。

 匂いに釣られて歩いて行けば、どうやらその香りはキッチンの方から漂ってきていることが分かった。

 

 白上は部屋に居るだろうし、百鬼はキョウノミヤコだ。

 消去法でキッチンには大神がいるであろうことは容易に推測できる。

 

 しかし朝食はつい先ほど食べたはずだし、昼の準備にしては些か早い。なら一体何を。

 

 興味を惹かれてキッチンの中へと足を踏み入れる。

 

 「あ、透君。

  どうしたの?もうお腹空いた?」

 

 キッチンの中には予想通り、割烹着を着た大神が大きな鍋で調理をしている姿があった。

 大神は入ってきた俺の姿に気が付くと、こちらに振り返りながらそう問いかけてくる。

 

 「いや、いい匂いがしたから気になってな。

  何か作ってるのか?」

 

 今正に大神の目の前にある鍋、匂いの出所は確実にそこだ。

 

 「うん、時間もあるし折角だからちょっと凝ったものでも作ってみようと思って。

  あ、丁度良かった。透君、味見して貰ってもいいかな。」

 

 言いながら大神は小皿を取り出すと、鍋からお玉を使って中身をよそいこちらへと差し出してくる。

 その皿の上には湯気を立てるタレのかかった一口大の肉が乗っていた。

 

 「これ角煮か?」

 

 「正解。

  まだ煮込んでる最中だから少し硬いかもだけど味はどうかな。」

 

 大神はそう言っているが皿の上の角煮は見るからに柔らかそうで。これでまだ未完成だというのだから完成品の期待値は高まる一方だ。

 

 ゆっくりと箸で持ち上げれば程よい弾力が伝わり、予想通りのその柔らかさを実感する。

 

 「いただきます…うん、美味い。

  今でも十分柔らかいけど、まだ柔らかくなるもんなのか。」

 

 「そうだよ。ウチなりの最高の角煮を目指しててね。

  理想は噛まなくても口に入れるだけで崩れるくらいかな。」

 

 既に完成したと言われても疑うことなく信じるレベルで完成度が高いのにも関わらず、大神はこれをさらに進化させると言う。

 

 その向上心の高さを称賛すれば良いのか、呆れれば良いのか。

 

 「あ、そうだ。

  透君、こっちも食べてみて。」

 

 そう言って次に差し出されるのはたれの色に染まった煮卵。

 

 「朝に角煮用のたれを作ってて、その余りで煮卵も作ってみたの。

  …どうしたの?変な顔してるけど。」

 

 「いや、ちょっと圧倒されて。」

 

 ただでさえ色々と世話を焼いてくれている彼女だが、その能力を俺は未だに見誤っていたようだ。

 煮卵も一つ貰うが、やはりこれも角煮同様に美味しく仕上がっている。

 

 「これは…今朝の話じゃないけど、将来大神と結婚する人は幸せ者だな。」

 

 「そうかな…。

  それなら嬉しいかも。ありがとう。」

 

 今朝にも同じようなことを考えたが、本当に彼女の能力の高さには驚かされてばかりだ。出来ないことは何も無いのではないかと思う程に、様々なことを極めている。

 

 家事にしてもそうだが、占星術や熱を扱うワザも含めると普段の生活においては困ることはないのだろう。

 

 「でも、透君も変なこと言うね。」

 

 「へ?」

 

 笑顔を浮かべまま、大神はこちらへと視線を向ける。

 

 「ウチのことをお嫁さんにしてくれるのは透君でしょ?」

 

 頬を赤らめて放たれたその言葉に世界が停止したかのような衝撃を受け、それと同時に思わず思考も停止する。

 

 「もう、透君が言ったんだよ?

  結婚しようって、プロポーズまで…。」

 

 「え、いや、待ってくれ。

  どういう…。」

 

 顔に熱が灯るのを自覚しながら、焦る心の制御に追われる。

 

 「…ふふっ。」

 

 そんな俺の姿を見て、大神は耐えきれないとばかりに吹き出して破顔する。

 

 あ、これ揶揄われているだけだ。

 手で笑っている口元を隠す大神を前に、少し遅れてそれを理解した。

 

 「大神…お前。」

 

 「さっきのお返し。

  結構焦るでしょ。」

 

 片目を閉じて悪戯な笑みを浮かべる大神。

 そんな彼女の様子にどきりと心臓が高鳴るのを感じた。

 

 確かに唐突にこんなことをやられては心臓が持たない。

 

 「はい、反省してるんでもう勘弁してください。」

 

 「よろしい。」

 

 見事にしてやられた。

 両手を上げて降参のポーズを取れば、彼女も寛大な心でそれを受け入れてくれる。

 

 「透君、顔真っ赤だよ?」

 

 指摘されて思わず顔を隠すように抑える。

 その反応を見てか、大神の笑みがさらに深まったように見えたのは気のせいでないのだろう。

 

 よろしいと言った割にはまだ攻め込んでくる。

 もしかして今朝の事を結構根に持っていたりするのだろうか。

 

 「…そうだ、それより炬燵が壊れてたんだけど。」

 

 居たたまれなくなり、少々強引に話を方向転換させる。

 

 「あ、話題変えた。」

 

 そこには突っ込まないで欲しい。

 

 今日の一大イベント扱いになるはずの炬燵の故障だったが、その後の出来事のおかげで今の今まで頭からすっ飛んでいた。

 

 「ていうか、炬燵壊れたの?」

 

 大神にとってもやはり一大事なようで、表情を切り替えて目を丸くする。

 

 「気づいたのは今朝だけどな。

  最近セイヤ祭の準備で忙しくしてて使ってなかったから、壊れたのはもっと前かもしれないけど。」

 

 毎日キョウノミヤコまで行くのも時間がかかるためそのまま宿で寝泊まりしたりと、シラカミ神社の炬燵でゆっくりということも余り無かったような気がする。

 

 「うーん、もしかしたら中の部品がずれてるのかも。

  ほら、フブキが思いっきり脛をぶつけたことがあったでしょ。」

 

 「あぁ、あったなそんなこと。

  あの不幸な事件。」

 

 炬燵で寝ていた白上が大神の餌食になったあの事件。

 未だに未然に防げなかったことが悔やまれる。

 

 もう少し早く白上を起こしていればあんな事には…、白上には悪いと思っている。

 

 「じゃあ中の部品の位置だけ調整すればいいのか。

  分かった、ならちょっと直してくる。」

 

 「うん、お願いね。」

 

 原因が分かれば後は早い。

 早速居間へと向かってキッチンを出る。

 

 キッチンの入り口に掛かっている暖簾を上げれば、不意に白い何かが視界に入った。

 シラカミ神社で白と言えば一人しか該当しない。

 

 「おっと、白上か。」

 

 丁度キッチンに入ろうとしていた白上と鉢合わせる形となったようだ。

 

 「わ、透さん。

  何だか良い匂いがしますけど。何か作ってるんですか?」

 

 すんすんと鼻を鳴らす白上。

 今なお、大神の作る角煮の香りはキッチンから漏れ出ているようだ。

 

 「白上も匂いにつられたのか。」

 

 「いえ、白上は隠しているお菓子を取りに来ただけですよ。

  …それより白上もって、どういう…。」

 

 「フブキ?

  今隠してたお菓子って聞こえたけど。」

 

 入り口で話していれば中にいる大神にも話し声は聞こえるのも必然というものだ。

 キッチンの中から聞こえてきた大神の声に白上の肩が跳ねる。

 

 「あの、何故かミオの声が聞こえたんですけど…。」

 

 「まぁ中にいるからな。」

 

 真実を教えてやれば白上の顔が絶望に染まる。

 

 「透さん…。」

 

 助けを求めるような視線、けれど、今の俺にはその視線に応えることが出来るだけの余裕は無かった。

 

 「悪い、白上。

  俺、炬燵の修理しないとだから。」

 

 「そんな…、透さん…!」

 

 こちらへ近づいてくる足音を背に、俺はキッチンを後にする。

 

 すまない、前の事もあるし今度こそは助けたいと思ってるんだ。

 けど現状大神に弱みを握られているようなもので、何の助けにもなることが出来ないのだ。

 

 「もー、フブキー、お菓子の食べ過ぎはダメって言ってるでしょ。」

 

 「ごめんなさーい!」

 

 そんな二人の会話を背に、廊下を歩いて行く。

 恐らく白上はこの後、大神に暫く捕まったままなのだろう。

 

 心の中で合掌する。

 

 そうこうしている内に居間へと到着し、早速炬燵の修理に取り掛かることにした。

 取り合えず挟んである布団を取り外してから、テーブルをひっくり返し、熱を発する装置を見える様にする。

 

 「…げ、意外と厳重に固定してるな。」

 

 見たところ、天板のようなものが幾つかのネジなどで固定されている。

 それが何層か。一つ一つを外すだけなら簡単だが、それが複数ともなると少し時間がかかりそうだ。

 

 「これで中の装置が外れたって、どんな衝撃だったんだよ。」

 

 取り付けられているのはテーブルの端ではなく、真ん中部分であり、それを脛で打っただけで外すのだからその衝撃は想像に余りある。

 

 何はともあれ、やらなければ終わらないと一つ目のネジに手を付けた。

 

 しばらく無言で作業を続けながら、ふと先ほどのやり取りについて思考がシフトする。

 

 まさかあんな形で大神から復讐を受けるとは思わなかったな。

 脳裏に浮かぶのは大神の茶目っ気に溢れた悪戯な笑み。

  

 『ミオのこと、どう思ってるんですか?』

 

 「っ!?」

 

 不意に思い起こされた今朝の白上からの問いに、自分でも驚くほどに動揺してついネジを緩める手が止まった。

 

 大神はただの友人だ。

 

 その問いに同じ答えを思い浮かべながらも、それをどうしようもない程に否定したがる自分の心を自覚する。

 昨日から、妙に大神の事が心から離れない。

 

 これは例のジンクスの影響なのか。それとも。

 

 「…って、こんな考えが浮かんでること自体が既に可笑しいな。」

 

 自嘲気味に笑いつつ。おもむろに自らの胸の中心に視線を落とす。

 皮膚があり、肉があり、骨があり、その奥にある自らの心臓。 

 

 胸に手を置いてみれば静かに脈拍を打つそれは、彼女の事を考える時だけさらにその速度を、強さを増す。

 

 「そういうことなのか…?」

 

 一人になって考えてみると、やはりその結論にしか至らない。

 

 「…まさかな…。」

 

 浮かんだそれを鼻で笑って一蹴する。

 

 我ながら影響されやすいものだ。

 まだ祭りのテンションが抜けないらしい。

 

 それに、わざわざそうだと決めつける必要もない。

 

 結果的には後回しになるのだろう。

 けれどそれで何が良いわけでも、悪いわけでもない。

 

 急がば回れ。

 無理に結論づけるのではなく、ゆっくりと向き合えばいい。

 

 考えが纏まったところで止めていた手を動かし始める。

 

 暫くしてようやく外れた天板を開けてみれば、そこにはやはり既定の位置よりずれている装置があった。

 

 見てもいないのに、よく原因を特定できるものだ。改めて感心しながら装置が作動していないことを確認して、位置を戻そうと手に取る。

 

 その瞬間であった。

 

 「は…?」

 

 唐突に視界が一気にホワイトアウトする。

 何も見えない光の中、自らの体の存在さえあやふやな中感じる浮遊感。

 

 下に落ちている、上に昇っている。

 異なる感覚を同時に味わい、思わず地面へと手を突く。

 

 その動作を自覚した途端に、それらは霧のように霧散して世界は色を取り戻した。

 

 「…なんだ、今の。」

 

 時間にすれば一瞬の出来事。

 けれど、その衝撃は時間に反比例していた。

 

 びっしょりと冷や汗に濡れた背の感覚。

 大丈夫、俺の体は確かに存在する。

 

 そして手のひらが焼ける感覚。

 痛いな、けれど痛みも体の重要な触覚の一部。

 

 「…手が焼ける?」

 

 視線を痛みの走る右手へと向ける。

 先ほど既定の位置へはめ込もうとした装置、それが今、目的通りはめ込まれた状態で手の中にある。

 

 どうやら地面に手を突いた時に丁度良くはまったようだ。

 そして、はめ込まれたそれはなぜか作動していて熱を発している。

 

 「熱っ!!!」

 

 ようやく仕事をした反射運動により凄まじい速度で装置から手を離す。

 けれど、既に十分すぎるほどに手は焼かれていたようで。

 

 「うわ、酷いな。」

 

 手のひら全体の火傷。それを眺めて顔をしかめる。

 

 確か冷やせば良いのだったか、とりあえずもう熱の放出は終わったようだが、一応天板を被せておいて水場へと足を向け…。

 

 「透君、大きな声が聞こえたけど…。

  わ、何その火傷!」

 

 ようとした所で、キッチンまで声が届いていたのか割烹着を着たままの大神がやってきて俺の火傷した右手を見て声を上げ、目を丸くする。

 

 「手、貸して!」

 

 そんな彼女は慌てて駆け寄ってくると、火傷した右手を手に取った。

 両手で優しく包まれるのと同時に、柔らかな光が発せられる。

 

 徐々に引いていく痛みに、そう言えば前にも傷を治して貰ったことを思い出す。

 

 「そっか、大神って傷も治せるんだっけか。

  ありがとう、助かった。」

 

 やがて痛みは完全に消えて、見れば捲れていた皮膚も綺麗に治っていた。

 

 「もう、だからって怪我をしていい訳じゃないから気を付けてね。

  …それで何があったの?」

 

 流石にただの不注意であそこまでの火傷は負わない。

 大神は心配そうに聞いてくる。

 

 「あぁ、それが…。」

 

 そんな彼女に事の顛末を説明する。

 自分でも原因は分からない。ただ唐突に起こった現象だった。

 

 「んー、何かの病気だったりするのかな。」

 

 「病気か…、いくら身体能力が上がってもそれは如何にもならないか。」

 

 カクリヨの病。

 この世界に来てから触れたことは無かったが、ウツシヨ出身である俺が耐性のない病もあるだろう。

 

 「あれ?…透君、ちょっとごめんね。」

 

 頭を悩ませていると不意に大神が一言断りを入れてぐいと右手を掴んで宝石が埋め込まれている手の甲を上へと向ける。

 

 宝石がどうかしたのか。そう問いかけようとして気が付いた。

 

 「黒く、染まってるな。」

 

 「前まで透明だったのに…どうして。」

 

 今朝には変化は特になかった。

 タイミングとして、考えられるとしたら。この宝石が原因であの現象が起こったと考えても不自然は無いだろう。

 

 少なくとも候補の一つではある。

 

 「もしこれが原因だとしたらどうしようも無いかも。

  ウチ、この宝石については全然知らないし…。」

 

 「あぁ、俺もだ。」

 

 未だに謎に包まれているこの宝石。

 今までは助けられてきたが、何時までもこれが味方であるという保証もない。

 

 せめてこの宝石について知っている人が誰かいれば…。

 

 「あ。」

 

 そこまで考えて一人だけ、該当する人物が思い当たる。

 

 「大神、神狐なら何か知ってるかも。」

 

 大神の良く知る人物。

 神狐セツカ。

 

 彼女はこの宝石を知っている。

 もしかすると、何か手がかりを掴めるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 





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個別:大神 4


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 翌日

 相変わらず人であふれているキョウノミヤコの通りを大神と二人で歩く。

 

 空にはさんさんと輝く太陽が熱を発していて冷たい空気を温めてくれていた。

 おかげでそこまで着込む必要も無く、比較的身軽な格好で目的地へと向かうことができている。

 

 キョウノミヤコには別に遊びに来たわけでは無い。

 一つだけ確認しておきたいことが出来て、その調査に赴いた形だ

 

 そうなった経緯としては、今朝まで時間は遡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「あ、透君。今ちょっと良いかな?」

 

 朝食後、今日は昨日鍛錬を少なくした分これからの鍛錬内容を考えることも含めて一日中鍛錬に明け暮れようと考えていたところに大神から声を掛けられる。

 

 「どうしたんだ?」

 

 「前に透君が拾ったこれの事、覚えてる?」

 

 そう言って大神が差し出して見せるのは、赤い宝石の嵌った一つの指輪。

 セイヤ祭の夜、ウツシヨへの穴を閉じた折に落ちていたのを拾ったものだ。

 

 かつてクラウンが持っていた身体能力が上昇する指輪に似ていたため、一応大神に渡しておいたのだが…。

 

 「もしかして、何か分かったのか。」

 

 目を丸くして問いかけるが、しかし、大神は横を首に振る。

 

 「それが調べてみたんだけど全然。

  昨日せっちゃんにこれも聞いておけば良かったよ。」

 

 失敗したという風にため息を付く大神。

 昨日右腕の宝石が変色した後、神狐へと事情の説明と、この現象について何か知らないかと言伝を送った。

 すると返事は送ってすぐ、さほど時間も掛からずに返ってきた。

 

 内容としては、やはり変色とあの現象は関連があったようだ。しかしそれだけで、これから先は特に影響も何も無いとのこと。

 

 その事実を聞いて安堵する反面、一つ気になったこともあって。

 

 「神狐、なんか妙にテンション高めだったよな。」

 

 「うん、ウチもあんなせっちゃん初めてだった。」

 

 やけに!が付いていたり、何度も同じ言葉がループしたりと、文面からにじみ出る隠しきれない程のテンションの上がりようだった。

 

 一体全体神狐は何を理解してあそこまでの反応を見せたのだろうか。

 

 「それと今度透君と一緒に帰ってこいだって。

  今までそんなこと言ったことなかったのに…。」

 

 大神から見ても神狐の見せた反応は異常なようで、意図をくみ取りかねて困惑していた。

 

 「それで、その宝石がどうかしたのか?」

 

 脱線していた話を戻せば、大神はそうだったと手をたたく。

 

 「あのね、前のクラウンの事件の時、最終的に奥までは見てなかったでしょ?

  もしかしたらあそこに手がかりがあるかもしれないから一回見に行こうと思って。」

 

 トウヤさんの救出の際に入った地下のトンネル。

 そこでクラウンとぶつかり、結果的に捉えることはできた。

 

 けれど、その際に使用したワザの代償で俺は意識を失い、結果的に俺とトウヤさんの二人が動けなくなった。その状態で奥まで調査という訳にもいかず、騒ぎも収まったということで今の今まで調査という調査ができていなかった。

 

 「確かにクラウンも奥から出てきたし、組織だって言ってたけど誰も出てこなかったよな。」

 

 クラウンも対峙した際に誰も出てこないと言っていたことから、あの時点で既に退散した後なのだとも考えられる。 

 

 「それで、念のために透君も一緒に来てもらってもいいかな。

  もしクラウンみたいな人がいたらウチだけだとまともに調査できないから。」

 

 というのも、クラウンを捕らえるには物理的な拘束手段が使えない。

 イワレで構成された身体を持つが故に、イワレごと閉じ込める事でしか動きを制限出来なかった。

 

 もしまた同じような者がいては、大神だけではそちらに集中せざるを得ない。

 

 「分かった。

  それならすぐに準備するよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな訳で現在キョウノミヤコを大神と共に歩いている。 

 

 「それにしても異変が解決してから全然変な噂は聞かなくなったよな。

  異変が起こる前とかもこんな感じで平和だったのか?」

 

 平和な街並みを見て、ふと気になり大神に問いかけてみる。

 

 俺がカクリヨに来た時には既に異変について大神達は調査を開始していた。

 そのため現在の状態が元々のキョウノミヤコの姿なのか、それとも前から事件は起きていたのか判断が付かない。

 

 「うーん、一応前からも事件は起きてたけど…。

  一番の問題はウチとフブキの力比べだったから。」

 

 「…力比べって?」

 

 若干不穏な雰囲気を感じて一瞬だけ聞くのを躊躇するが、興味が勝ってしまった。

 

 「ほら、透君が来るまではフブキと二人だったから何かと二人で遊んでたりしたんだけどね。

  その過程で山が飛んだり地形が変わったりで、色々とお偉いさんからよく文句を言われてたの。」

 

 大神は朗らかに笑いながら話してはいるが、対照的に俺は絶句していた。

 山や地形が変わるなど、そんな馬鹿なと一蹴出来ない辺り質が悪い。

 

 「…大神、俺は一般人だからな。」

 

 「あやめと普通に稽古してて一般人は無理があると思うよ?

  ウチあやめより戦闘面で強い人見たことないし。」

 

 巻き込まれてはたまらないと自己申告しておくが、無情にもそれは否定される。

 山を吹き飛ばすような猛者をして見たことがないと言わしめるとは相変わらず百鬼の底が知れない。

 

 「百鬼と言えば、キョウノミヤコで何してるんだろうな。」

 

 百鬼の話に関連して不意に彼女もキョウノミヤコにいるということを思い出す。

 夜には帰ってきてるようだが目的自体は聞いていなかった。もしかしたら途中で出会うこともあるかもしれない。

 

 「うーん、荒事じゃないのは確かなんだろうけど…。

  元々あやめって一人だったらしいから前にやってた事に戻ってるのかもね。」

 

 「まぁ、落ち着いたようだったらその時にでも聞いてみるか。」

 

 出会ってから二か月ほど、百鬼もそうだが大神や白上についても知らないことはまだまだ多い。

 一番の問題は自分の記憶すら定かではない点だが、どちらにせよ時間がないという訳でもないのだ、後々知って行けばいい。

 

 しばらく歩いていれば見える景色が人通りの多い通りから、見覚えのある路地裏の道へと切り替わる。

 裏道に入ったこともあり、人通りも少なくなり道も狭くなった。

 

 確か前にここを通ったときは他に、白上や百鬼がいたのだったか。

 その後に明人と合流しての計五人だ。

 

 今回は白上には声を掛けていない。

 そもそもただの調査だけなのだ、俺は万が一の際の保険。本来であれば大神一人でもおそらくは問題は無い。

 

 天敵がいなくなった白上は今頃お菓子を摘まみながらゲームをしているか、すやすやと穏やかに寝息を立てているのだろう。

 

 明人は言わずもがな、現在どこにいるのかすら定かではない。

 一応連絡はとれるし、同郷ということもあり良い関係を築きたいものだが。

 

 考えつつも、裏道をゆっくりと歩いて行く。

 

 「…それにしても、この辺りの道は何のために作られたんだろうな。」

 

 普通、道とはそれこそ目的地へとつなぐために作成されるものだが、現在は人が使っているようには見えない程に廃れている。つまり昔に何か使用されていたと考えるのが自然だろう。

 

 「んーと、確かイワレを扱うための修練場があったらしいよ。

  今は他に新しい場所にあるけど、昔は耐久性の高い壁で地下に作ってたみたい。」

 

 「え、そんな場所があったのか。

  まぁ、確かに街中で使えないワザもあるよな。」

 

 それこそ大神の扱う炎など、制御を誤れば火事になるのは必然だ。

 イワレの存在するカクリヨではそういったワザの制御を練習する場所も必要となるか。

 

 「街中で人に迷惑にならないなら使うのは良いんだけどね。

  とはいってもそんなに強力なワザを扱う子も現れないから、普段はあんまり使われてないの。」

 

 「へー。

  ってことは今向かってるあの地下が修練場の跡地って事か。」

 

 今思えば、百鬼も身体強化を施したうえで壁を蹴って縦横無尽に駆け回っていた。

 並みの壁なら確実に崩れているところだが、そういうことならそこまでダメージが無かったのも頷ける。

 

 「というか大神もよく知ってたな。

  相変わらず博識だことで。」

 

 何と無しに口に出しただけで、正直答えが返ってくるとは思っていなかった。

 本当に知識の幅が広い。

 

 「ありがと。

  博識といっても昔色々調べたことがあるだけなんだけどね。」

 

 薄っすらと笑みを浮かべつつ応える大神。

 

 それを博識というのだと思うが。

 大神も変な謙遜をする。

 

 「それに、肝心の知りたかったことは何も分からなかったし…。」

 

 ぽつりと呟く大神の顔には自嘲が混じっていた。

 

 「…知りたかったことって?」

 

 そんな顔をされては流せるものも流せない。

 気になり問いかければ、大神はしまったという風に顔を歪ませる。

 

 「あー、ちょっとね。

  昔気にしてただけで、今はそこまで知りたいわけじゃないから。気にしないで。」

 

 あまり話したくはないようで、大神は誤魔化すように笑みを浮かべながら手を振った。

 

 「…そっか、分かった。」

 

 最近、こういうことが増えた。

 いや、距離が近づいてきて気づくことが増えたというべきか。

 

 明らかに大神は何かを隠している。何かを抱えている。

 

 それを話されない、ということはつまり俺ではどうしようもない内容で、大神にとって俺はそこまで踏み込むことの出来るような存在ではないということだ。

 

 (…あれ。)

 

 それを意識した途端、ずきりと不意に胸に痛みが走る。

 変な感覚だ、胸が痛むなど。それではまるで…。

 

 「透君、大丈夫?」

 

 「え?」

 

 大神に声を掛けられて、ようやく自分が考え込んでしまっていたことに気が付く。

 顔を上げれば、そこは既に地下へと続く梯子の目の前であった。

 

 「あ、あぁ、悪い。ちょっとボーっとしてた。」

 

 頬をたたいて思考を切り替える。

 考えるのは後にして、ここから先は流石に目の前の事に集中するべきだ。

 

 まず光源を下に落としてから大神、俺の順で梯子を下りていく。

 

 梯子の先は薄暗いトンネルとなっており、大神の出した炎が無ければそれこそ暗闇に包まれて何も見えないだろう。

 

 「前はこの先にトウヤ君がいたんだよな。」

 

 少し先にある広間。

 そこに番人として配置されていた化けもの。

 

 それこそがケガレによって変化したトウヤさんの姿だった。

 

 「うん、正直前は今ほど気楽に歩けなかったから印象に残ってる。」

 

 そう言う前を歩く大神の表情は伺えない。

 

 「透君。」

 

 「ん?」

 

 するとぴたりと立ち止まった大神に名を呼ばれる。

 同じように立ち止まれば、くるりとこちらに振り返る大神と目が合った。

 

 「改めて、あの時はありがとね。 

  透君がいなかったら、多分ウチは…。」

 

 そこで区切られた言葉の先は容易に想像ができる。

 

 普通、ケガレによって変質したヒトが元の姿に戻ることは無い。

 一度変わってしまったらそのままなのだ。

 

 最後の未練のみにしか執着できなくなったそれへの救いはただ一つ。

 

 あの時は都合よく右手の宝石に助けられて、イワレやケガレを封印するワザを使えるようになったことでトウヤさんは今も元気でヨウコさんの元にいる。

 

 この世界においてイワレや特にケガレに干渉できる者はほとんどいない。

 その事実が、ケガレを事前に祓うことの重要性へと繋がっている。

 

 「運が良くて、それに加えて大神達が信じてくれたからだ。

  結果的にうまくいったから良かったけど、今思えば突拍子も無いことだったのに。」

 

 何の脈絡もなく、信じてくれと言っただけなのに、信じて時間を稼いでくれた。

 あれで失敗していたら目も当てられなかった。

 

 「それはもう、透君の顔に絶対助けるって書いてあったから。」

 

 「…嬉しいことなんだけどな。

  素直に喜べないのは何故だろう。」

 

 前から言われているが、表情に出やすいのはどうにかならないものか。

 しかも、その悪癖が役に立つこともあるのだから、もはや矯正する必要も無いのかとすら思える。

 

 「でも透君のそういう所、ウチは結構好きだよ。」

 

 「へ?」

 

 思わぬところから飛来してきた弾丸が直撃して思わずぽかんと口を開けて変な声を出す。

 

 「ほら行こ、透君。」

 

 そんな俺を置いて、気にした様子もなく大神はさっさと先へと進んでいってしまう。

 慌ててその背を追いかけるが、内心混乱していた。

 

 大神の様子からしてそこまで大きな意味は無いのか、それとも意味はあるのか。

 どう受け取ればいいのか分からず、思考が纏まらない。

 

 ふわふわとした思考を宥めつつ、大神の背を追う形で歩いて行けば、例の広間へと出る。

 前回とは違い番人らしき影は無い、その事実に若干の安堵を覚えた。

 

 この辺りから修練場になっているのか、頑丈なはずの壁だったがところどころひびが入っている様にも見える。

 ただの経年劣化だとは思うが、不意に百鬼が足場にしていたことを思い出す。

 流石に関係はないと思いたい。

 

 自らの思考を否定しつつ、広間の反対側のあるもう一方のトンネルを見る。

 クラウンの口ぶりからしてあの奥に何かがあるのは確実だ。

 

 気を引き締めて大神と目を見あわせ、一つ頷いてそのトンネルの奥へとさらに進む。

 

 鬼が出るか蛇が出るか。

 

 歩いていれば、再び開けた場所へとたどり着く。

 先ほどの広場と同等かそれ以上の大きさ。同じように向かい側にトンネルがある。

 

 そしてその広間の全貌を目にして、浮足立っていた感情がサッと凪のように沈んだのが分かった。

 

 「何…これ。」

 

 ぽつりと呟く大神も、目の前の光景に目を見開いて口に手を当てる。

 

 恐らく四角形の広間。

 その壁にびっしりと残された赤い模様。

 

 いや、模様ではない。

 これは明らかに血痕だ。時間が経っているのか既に乾ききったそれは四方、床、天井に至るまで続いている。

 まるでこの場で集団が惨殺でもされたかの様な凄惨な光景を前に、茫然として立ち尽くす。

 

 そしてそれを見てようやく理解した。

 

 『私以外がそこから出てくることは無いでしょう。』

 

 その言葉の意味。

 クラウンが俺たちの前に姿を現した時には既に、組織はクラウンの手によって壊滅させられていたのではないか。

 

 だが、何故。

 わざわざそんなことをする理由は何だ。

 

 「…一応、何か手がかりが無いか探してみよう。」

 

 「そうだな…。」

 

 今決めつけるのは早計だ。

 まずはここに来た目的を果たそう。

 

 炎に照らされた血に固まった床を踏みしめて辺りを見て回る。

 

 しかし、探せども探せども何も見つからない。

 そして気になるのは、血痕以外に何も無いという点。

 

 血は体に流れるものだ、ならその体は何処だ。

 それとも血液だけを用意してぶちまけたのか、いや、それこそ無意味な行為の筈だ。 

 

 「…調査のつもりが、これじゃ謎が増えただけだな。」

 

 「クラウンが消えてなかったら聞き出せたかもしれないんだけど。

  もっと早く来るべきだったかも。」

 

 向かい側のトンネルの先はそのまま地上へと続く梯子までつながっていた。

 一応人一人が入れる程度の横穴を見つけたが、その先にも手がかりらしきものも無かった。

 

 もう一度だけ見て回りつつ、そろそろ調査を切り上げることにする。

 

 大神の言うようにせめて一人でも事情を知る者がいればいいのだが、占星術を使用したとしても見つけ出すことは難しそうだ。

 

 降りてきた梯子の場所まで戻って、梯子を昇り地上へと戻ってくる。

 

 「結局血痕以外には何も見つからなかったね。」

 

 「だな、その唯一の手掛かりも指輪には繋がらなさそうだし。」

 

 クラウンの持っていたものと、ウツシヨとカクリヨをつなぐ場所に落ちていた二つの指輪。

 全く同じ形状のそれらは何の関連があるのか。

 

 最終的に成果は得られなかった徒労感はやはり拭えない。

 振り出しに戻った気分だ。

 

 「この後はどうする。

  他の場所でも当たってみるか?」

 

 まだまだ一日は長い、他の場所を調査する余裕はまだ残っている。

 

 「んー、そうだね…。

  それじゃあ…あ。」

 

 今日の方針について何か話そうとして、不意に大神は途中で何かに気づいたように視線を固定して言葉を区切る。

 

 「ん?」

 

 何を見ているのか疑問に思い、その視線を辿れば路地の細道、その端の辺りに狐の顔をした半透明の人影を見つける。

 

 見覚えのあるその姿は、確かイヅモ神社で見かけたシキガミの姿に似ている。

 

 「…なぁ、あれって神狐のシキガミだよな。」

 

 「うん、どうしたんだろ。」

 

 確認するように大神に問いかければ、肯定が返ってくる。

 やはり間違いは無いようだ。

 

 シキガミはこちらが見ていることに気が付いたのか、おもむろに顔を上げるとこちらへと近づいてくる。

 

 『なんじゃ主ら!

  もうデートとやらに出かける様な仲になっておったのか!』

 

 「うわっ」

 

 近づいてきたシキガミから突如聞こえてきたそんな神狐の大音量な声に思わず驚いて肩が跳ねる。

 

 「ちょっと、せっちゃん。

  音大きいよ。」

 

 『む、久方ぶりに使うと調節が難しいのう。』

 

 大神に指摘されると、シキガミ越しに『えっと…、これがこうで…』と何かをいじっているような神狐の声が聞こえてくる。

 

 「大神、これって…。」

 

 「シキガミを使った通話だよ。

  今シキガミ越しにせっちゃんのいるイヅモ神社に音声と映像が送られてるの。」

 

 苦笑いを浮かべる大神の解説に神狐に対してもはや驚嘆を通り越して呆れの感情すら湧いてくる。

 なんでも出来る、というのは比喩でもなんでもないのかもしれない。

 

 『うむ…このくらいかの。』

 

 やがてそう時間も掛からずに神狐は調節を終えたようで適切な音量となって再び声を上げる。

 

 「それで、いきなりどうしたの?

  普段はシキガミ通話なんて使わないのに。」

 

 『先日の文にあった透の宝石の様子を見ておきたくての。

  シキガミを透に送ったと思ったらキョウノミヤコで二人きりでいる主らの下に辿り着いて驚いておった所じゃ。』

 

 シキガミ越しでも分かるほどに楽しそうな神狐の声、今頃イヅモ神社にいる神狐の顔がにんまりと歪められているのが目に浮かぶようだ。

 

 何をそんなに楽しんでいるのか疑問に思いながら、見たいと言う右手の甲の宝石をシキガミの目の前辺りに掲げてみる。

 

 『ほほう…うむ、やはり間違いない様じゃのう。』

 

 「テンション上がり過ぎだろ、そんなに嬉しいことなのか?」

 

 声だけで今にも飛び跳ねてしまいそうな神狐に戸惑いつつ問いかける。

 この宝石について知っているようだが、黒く染まっただけで何が違うのか見当もつかない。

 

 『まぁの。

  理由までは話せぬがやはり嬉しいものなのじゃよ。』

 

 神狐が話そうとしない理由については以前に聞いているが、その割には何とも楽しそうにしている。

 

 「もしかしてそれだけの為にわざわざシキガミを飛ばして通話までしたの?」

 

 『そうじゃよ?

  本気を出せば本体で来れるが、流石にそれは自重しておいたのじゃ。偉いじゃろう。』

 

 姿は見えないが、胸を張ってドヤ顔を決めていることだろう。

 声だけで良くここまで感情を伝えられるものだ。

 

 大神もそれは同じようで、困ったような笑みを浮かべている。

 

 「…あ、そうだった。

  ねぇせっちゃんまた聞きたいことがあるんだけど。」

 

 『?なんじゃ。』

 

 ふと思い出したように大神は例の指輪を取り出してシキガミの前に差し出す。

 

 「この指輪なんだけど、何か知らない?」

 

 『……。』

 

 大神の質問に先ほど同様に軽快に答えるのかと思えば、予想に反して神狐は一向に返事を返さず、じっと黙り込んでしまう。

 

 「…せっちゃん?」

 

 『主ら、それをどこで見つけたのじゃ。』

 

 声の雰囲気が明らかに変わる。

 真剣なその問いに思わず顔を引き締める。

 

 「クラウンっていう奴が持ってたのと、もう一つキョウノミヤコの近くの山で拾ったものがある。」

 

 『…なるほどのう。』

 

 それきり、神狐は考え込むように再び静かになる。

 やはり知っているようだ、今回は話してくれるのかどうか。

 

 しばらく待っていれば、シキガミは顔を上げてこちらへと真っ直ぐ向ける。

 

 『明日、早朝に迎えをそちらに遣わす。

  詳細は直接話すこととする、拒否権は無しじゃ。』

 

 

  





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個別:大神 5


どうも、作者です。

総文字数が四十万突破した。
そしてお気に入り400突破、感謝。

評価くれた人、ありがとうございます。

以上。


 

 「…おる…透君。」

 

 ぼんやりとした意識の中、誰かが名を呼ぶ声が聞こえてくる。

 更に肩を軽く揺さぶられて、ゆっくりと意識を覚醒させていく。

 

 「あ、起きた?

  もうすぐ到着するよ。」

 

 目を開ければにこりと優し気に微笑む大神の姿。

 

 「…あれ、寝てたのか。」

 

 「それはもう、起こすのに気が引けるくらいぐっすり。」

 

 くすりと笑われ照れくささを感じつつ眠気を覚ますように目元をこする。

 

 これというのもゆらりゆらりと心地よく揺れる荷台の所為だ。

 備え付けの窓から眼前に広がる白い雲の絨毯を憎々し気に見ながらふと思う。

 

 今朝、神狐は言っていた通りに迎えとして麒麟を送ってきた。

 大神と二人で麒麟の引く荷台へと乗り込み、ひと月ぶりの空の旅へと出発したのだ。

 

 しかし妙にこの荷台は乗り心地が良い、それに加えて空を飛ぶことによる絶妙な揺れは眠気を誘うには十分に足るもので、つい意識を落としてしまった。

 流石に二回目ともなれば慣れも出てくる、初回は空を飛ぶという体験に対する興奮もあったが今回はそこまでの感情の高ぶりは無かった。

 

 そして何よりも。

 

 「神狐は何を知ってるんだろうな。

  急に不穏な雰囲気になってたけど。」

 

 昨日の神狐の様子。

 シキガミ越しではあるが、その変化は明確であった。

 

 「この指輪を見てからだよね。

  直接話さないといけない程重要なものなのかな。」

 

 そういう大神の手の上には二つの同じ指輪。

 

 クラウンが使用して身体能力を飛躍的に増大させていたわけだから何かしらの能力はあることは分かっている。

 だがその全容は未だ知れず、そこに神狐のあの剣呑な雰囲気。

 

 これからその内容を聞きに行くという中で、そこまで高揚感を感じるかというと否であった。

 いや、まぁ先ほどまで寝ていたわけだが、それはまた別問題である。

 

 「やっぱりまずは聞いてみてからか…。

  …ところでなんだけどさ、大神。」

 

 「なぁに、透君。」

 

 分からないことを話していても仕方ない。

 そう話を切り上げて、ひと先ずは目先の問題へと思考をシフトさせる。

 

 先ほど大神はそろそろ到着すると言っていた、しかし一向に高度が下がる気配は無く、未だに雲の上にいる。

 そして記憶にある限り、この麒麟の着陸方法といえば。

 

 「下に降りる時は…。」

 

 「うん、直下だね。」

 

 大神が答えを口に出す、それと同時に外の麒麟が一声鳴き声を上げた。

 それと同時に感じる内臓の浮くような浮遊感。

 

 窓に映る景色が凄まじい勢いで下から上へと流れていく。相変わらず景色を楽しむような余裕は与えられないらしい。

 

 やがてふわりと落下とはまた異なる浮遊感と共に、移り変わっていた景色がその動きを止める。

 麒麟が地上に降り立った、つまりイヅモ神社へと到着したということだ。

 

 荷台の扉を開けて外へと出れば、やはりシラカミ神社周辺とは比べ物にならない程の冷気が流れ込んでくる。

 

 「寒いな…、確実に氷点下には入ってるだろ、これ。」

 

 吐いた息が口の中で既に凍り付く。

 結界内ということもあり何かしらイワレによる作用も働いていそうだ。

 

 「理由は分からないけどわざわざ寒くしてるみたい。結界内に人が入ってこないようにするためなのかも。」

 

 「まぁ、普通この中を目印も無しに歩こうとは思わないよな。」

 

 空から絶えることなく降りしきる雪は視界を遮り、地面はその雪に覆われており、足を踏み入れれば悠々と膝部分まで埋まってしまう。

 この中を当てもなく歩き回るのは自殺行為と言っても過言ではないだろう。

 

 「待っておったぞ、主ら。」

 

 聞き覚えのある声が下方向から聞こえてくる。

 視線を下げれば二つの尻尾を携えた小さな金色の狐の少女がこちらを見上げていた。

 

 「神狐。」

 

 「せっちゃん…。」

 

 「うむ、立ち話もなんじゃ。

  ついて参れ。」

 

 それだけ言って、神狐は以前と同じように先導して歩き始める。

 

 神狐が一足踏み出せば雪が勝手に避けていき、雪の中に道が作られる。今回は神狐の他に俺と大神の二人だけな為、それに応じて道の幅も調節されていた。

 

 しばらくの間、無言でその背を追う。

 あれほど饒舌に話していた神狐も今は何も話そうとはしなかった。

 

 やがて森続きであった中、先の方向に明かりが見えた。

 煌びやかで、幻想的に佇んでいるそれはイヅモ神社。

 

 「こっちじゃ。」

 

 そのまま通されて、イヅモ神社の本殿へと三人で入る。

 白上とシキガミ講座をした際に利用したことのあるそこで、神狐は俺たちの前に出ると座布団の上にこちらと向き合う形で座る。

 

 「何をしておる、早く座るがよい。」

 

 と、ぽかんと突っ立っていた俺と大神に気づき、神狐は座るよう促す。

 

 「え、あ、おう。」

 

 言われてようやく用意されていた座布団へと腰を下ろす。

 

 どうにも調子が狂う。というのも、先ほどから神狐が発している雰囲気だ。

 厳かというか、神妙な顔つきで今も座っている。

 

 初めて見る神狐のその姿はこれからする話が重要なものであることへの証左であり、それに感化されてか俺と大神にも妙な緊張感が漂っていた。

 

 「さて…。」

 

 静寂に包まれた広間の中、神狐が口を開く。

 どんな新事実が発覚するのか、自然と喉が鳴った。

 

 神狐はすくりとその場に立ち上がると、おもむろに両手を広げる。

 そして…。

 

 「ようこそ、イヅモ神社へ!

  主らを歓迎するのじゃ、自らの家だと思いゆるりと過ごすがよい!」

 

 そんな声と共に、ぱぁんと乾いた音が鳴り響いて辺りに色とりどりの紙吹雪が舞った。

 よくよく見てみれば神狐の両サイドにいつの間にかシキガミが現れており、その手には煙を上げるクラッカーらしきものがある。

 

 「…は?」

 

 「もう、やっぱり…。」

 

 展開に置いて行かれて呆然とそんな声しか出せずにいる俺に比べ、大神は何やら悟っていたのか呆れたように小さく息をついた。

 

 「むぅ、今回は自信あったのじゃが…。

  ミオよ、何故驚いておらぬのじゃ。」

 

 「せっちゃん、さっき振り返るとき口角がちょっと上がってたよ?

  そういう時は大抵何か仕掛けてくるって、ウチ知ってるから。」

 

 そう大神に指摘されれば、神狐は見た目相応の子供のように露骨に悔しさを表に出してぐぬぬと唸り声をあげる。

 

 「こやつこういう所があるのじゃよ。昔から細かなとこですぐに察しおっての。

  透、主も気を付けるのじゃぞ。」

 

 過去にも同じようなことがあったようで、神狐は顔を悔し気にゆがめたまま警告をしてくる。

 俺自身、大神には表情一つで先回りされることも少なくない、しかし今は。

 

 「え、まぁ、それは身に覚えはあるが…。

  それより重要な話をするのかと思って身構えてたんだけど。」

 

 神狐の知っているあの指輪の謎。

 てっきりそれが遂に解明されるかと思ったところに唐突なクラッカーと紙吹雪で完全に思考が停止していた。

 

 「あぁ、あれじゃな。

  重要な話であるのは確かじゃがそれはそれ、これはこれという奴じゃ。」

 

 「軽いな…。」

 

 腕を組んでしたり顔で仁王立ちする神狐を前に変に緊張していたのが滑稽に思えてきた。彼女にとってはこのドッキリと指輪の件については同列扱いのようだ。

 

 「透君あんまり気にしないでね。

  せっちゃんの思考って割と子供よりなの。」

 

 「これ、聞こえておるぞ。」

 

 こそりと耳打ちしてくる大神へ、じとりとした視線を向ける神狐。その大きな耳はかなり音を拾うことが可能らしい。

 

 だが、おかげで余計な緊張が取れたのも事実だ。 

 そういうことにしておこう。

 

 「まったく…。

  こほん、ではそろそろ本題に入ろうかの。」

 

 神狐は座りなおすと、場を改める様に咳ばらいを一つ入れて話し始める。

 

 「ミオ、件の指輪はあるかの。

  今一度改めておきたい。」

 

 「分かった。」

 

 大神は指輪を取り出し神狐に見える様に前に置けば、神狐はそれをしげしげと無言で眺める。手に持ってみればもっと見やすいだろうに、何故か神狐は手に取ろうとはしなかった。

 

 やがて、指輪を見ていた神狐はドン引きしたように顔を歪める。

 

 「主ら、これまた変なものに関わっておるようじゃのう。」

 

 「ウチ達も好きで関わってるわけじゃないんだけどね。」

 

 そんな神狐に大神も苦笑いを浮かべてそう返す。

 やはり何か知っているのは間違いないようだ。

 

 「それで、この指輪は何なんだ。」

 

 ここで回り道をしても仕方がないと単刀直入に話の本質に触れる。

 

 「正確には指輪自体ではなく、指輪についておる宝石の方じゃな。」

 

 「宝石…。」

 

 床に置かれた指輪へと視線を向ける。

 血のような赤に染まったその宝石。これが問題であると神狐は言う。

 

 「この宝石の、石の名は『命石』という。

  カクリヨにおいて最重要機密とされておる物質の一種じゃ。」

 

 最重要機密、その単語を聞いて隣に座る大神の肩がわずかに揺れたように見えた。

 

 「最重要機密って、神狐は何でそんなもの知ってるんだ?」

 

 「それはまぁ…、伊達に昔からカクリヨにおるわけではないからのう。」

 

 そうだ、見た目こそ幼く見えるが神狐は大神よりも早くにカミになっていたと言っていた。それだけ人生経験も積んでいるだろうし、知識を持っていることも頷ける。

 

 「だからウチがいくら調べても見つからなかったんだ。」

 

 何処か落ち込んだ風に大神は言う。

 

 「それは仕方無いのじゃ、性質上カクリヨにおける全てのヒト、アヤカシ、カミにおけるまでを拒絶する結界内に情報を封じておるはずじゃからの。」

 

 そんな大神をフォローするように神狐は情報を開示していく。

 カミにまで情報制限を敷いているというと、それ程までに危険なモノであることは容易に推測できる。

 

 「そしてこの命石の性質じゃが、わりとシンプルでの。

  使用者の要望を叶えるというものじゃ。」

 

 「要望…、例えば空を飛びたいと思って使ったら飛べるみたいな?」

 

 大神の質問に神狐は頷いて肯定を示す。

 

 「うむ、無論制限はあるがの。

  特に注目すべきはこの石じゃが普通に能力のブーストとして使うことが出来ての。そこらの殆どイワレを持たぬヒトですらアヤカシと同程度の身体能力くらいは得ることが出来るのじゃよ。」

 

 ブースト能力。

 それを聞いて真っ先に百鬼の刀を軽々と受け止めて見せたクラウンの姿が浮かぶ。

 

 やはり、あれはこの命石を使用して強化していたからこその芸当だったようだ。

 

 「つまり、アヤカシやカミが使うとそれ以上になるってことか。」

 

 「そうじゃ、そんなものが普及すればカクリヨの秩序が崩れかねんからの。

  基本的に知る者はいない筈なんじゃが…。」

 

 不思議そうに神狐は顎に手を当てて首を傾げる。

 

 カクリヨにおいての禁忌のようなもの。

 それが二つも見つかったのだ、その反応も無理はない。

 

 「幸い一つしか作成できておらぬようじゃし、偶然と考えることもできるがの。」

 

 「一つ?二つじゃないのか?」 

 

 神狐の言葉に疑問を抱き聞き返しつつ、置いてある指輪へと目を向けるが、ちゃんと二つ置いてある。

 

 「ん、…あぁ、そうじゃったか。

  片方は偽物じゃよ。似せて作っただけのただの指輪じゃな。」

 

 本物はこっちじゃと神狐は片方を指さす。

 

 「大神、こっちの指輪は…。」

 

 その事実に慌てて大神へと確認する。

 

 「透君がセイヤ祭の日に拾った方だよ。

  じゃあクラウンが持ってた方が偽物…、本当なの、せっちゃん。」

 

 「うむ、間違いは無い。

  そも製造法的にも簡単に複数作れるものでもないのじゃ。」

 

 大神も信じられないと目を向くが、神狐は確かであると断言する。

 

 だが、それでは矛盾が生じる。

 クラウンが持っていたものが偽物だとして、ではあの時のクラウンは通常の状態で格上と渡り合ったことになる。

 

 そんなことがあり得るのか。

 

 一気にこれまで積み上げてきた前提が瓦解したような感覚にめまいすらしてきた。

 

 「…ふむ、一旦はこのくらいにしておくかの。

  焦って話すことも無し、続きは午後からじゃ。」

 

 神狐もそれを感じ取ってか、一度ここで話を区切ることとなった。

 自分なりに情報を纏めておきたいところでもあったため、この提案は素直にありがたい。

 

 それは大神も同じようで、ほっとしたような表情を浮かべて小さく息を吐いている。

 

 「部屋は前の宿の同じ場所を使うと良い。

  妾は先に失礼するのじゃ。」

 

 ぴょんと身軽に立ち上がると、神狐は何処へなりとも去って行った。

 それを見届けて、緊張が解けた後の脱力感から思わず後ろへと倒れ込む。

 

 「大丈夫?透君。」

 

 「多分、クラウンのくだり以外は大体把握できてるとは思う。」

 

 問題は指輪の一つが偽物であった件だ。

 これに関してはいくら考えても分かる気がしない。

 

 「…思ってたより大事だったんだな。」

 

 「そうだね、最重要機密だなんて。

  ウチもそんなものがあったことすら知らなかったよ。」

 

 神狐が妙に軽く話し始めるものだから完全に油断した。

 いや、内容自体はそこまで重くはないが、前提が崩れてしまい情報が錯綜しているだけだ。

 

 「取り合えず、部屋の方に…。」

 

 部屋に行って休ませてもらおうと言いかけたところでふと前回イヅモ神社に来た際の事を思い出す。

 そういえば部屋は俺と大神で同室になっていた。

 

 「どうしたの?」

 

 「いや、何でもない。」

 

 一瞬意識するが、前回が前回だけに今更気にするのもおかしな話だ。

 

 宿の方へ向かい、本堂を後にして小さな街を歩く。

 相変わらず必要最小限の建物だけを詰め込んだような街並みだ。

 

 「あ、透君。

  ちょっと待って。」

 

 「ん?」

 

 不意に大神に呼び止められて足を止める。

 振り返ってみれば大神は視線をこちらに向けてゆっくりと近づいてくる。

 

 何事かと見守っていればおもむろに大神はこちらへと手を伸ばす。

 肩のあたりを大神の手が触れたかと思えば、すぐにその手は戻された。

 

 「これ、ついてたよ。」

 

 そう言う大神の掌の上には四角い紙片。

 どうやら先ほどの紙吹雪がくっついていたようだ。

 

 「ありがとう。

  …そういう大神にもついてるぞ。」

 

 「え、どこ?」

 

 大神の横髪に引っかかっている紙片を見つけて、指摘してやれば大神は自らの体を見下ろして紙片を探す。だが、それでは見つからない。

 

 「あー、髪に引っかかってる。

  ここに…。」

 

 横側についていると取りにくいだろうと思い、言いながら大神へと手を伸ばし紙片を取る。

 

 「ん…本当だ、ありがとう透君。」

 

 「どういたしまして。」

 

 そして、再び二人そろって宿に向かい歩き出す。

 

 ひと月前の三日間程度しか滞在していなかったが、思っていたより馴染んでいたのか妙にこのイヅモ神社の居心地が良いというか、街並みを見て落ち着いている自分がいる。

 

 自分で思っていた以上にこの場所が気に入っていたらしい。

 

 「…そうだ、大神に聞きたいことがあるんだけどさ。」

 

 「聞きたいこと?」

 

 歩きながら話しかければ、大神はこちらを見て首を傾げる。

 

 「神狐って瞬間移動とか出来るのか?」

 

 以前より聞こうと思っていたが、機会がなくて聞けずじまいになっていた。

 

 「瞬間移動…。

  出来ない…とは言えないかも、ウチは見たことないけどせっちゃんの事だから出来てもおかしくはないと思う。」

 

 大神も見たことは無いか。

 けれど、確かに以前ランニング中に一瞬で消える神狐の姿を見た。

 

 「でも、どうして?」

 

 大神は要領を得ない様子で不思議そうに問いかけてくる。

 

 「あぁ、それが…。」

 

 「そうじゃ、忘れておった。」

 

 経緯を説明しようと口を開くが、言葉は途中で途切れることとなる。

 

 後ろから聞こえてきた声に振り返れば、そこにはいつの間にそこにいたのか先ほどどこかへと去って行った筈の神狐がこちらを見上げている。

 

 「ミオ、先の指輪…。

  命石の方じゃが、あれは妾が預かっておくのじゃ。構わぬか?」

 

 「え?うん、それは良いけど。」

 

 大神が指輪を差し出せば、神狐はそれを浮かせて自らの下へと持っていく。

 もはやこのくらいでは驚かない。

 

 「うむ、突然悪かったの。

  今度こそ存分に乳繰り合うがよい。」

 

 「え、おい、神狐?」

 

 何か勘違いしてないかと問い詰めようとするが、神狐は指輪を受け取ったかと思えばささっと走って行ってしまう。

 

 「…嵐みたいだな。」

 

 「えっと、なんかせっちゃんがごめんね。」

 

 若干気まずい空気の中、神狐の笑い声だけがやけに響き渡った。

 

 





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個別:大神 6


どうも、作者です。



 

 「はー、ようやく一息付けたね。」

 

 ぼすんと音を立てて大神がベットへと腰掛ける。

 イヅモ神社にある温泉宿の一室、以前利用した時と同じようなそこで話の合間の休憩を取る。

 

 大神も既に諦めたのか、それとも慣れたのか同室であることに対しては特に触れようとはしなかった。

 

 「透君は座らないの?」

 

 「ん、あぁ、座る座る。」

 

 ずっと立っているというのも不自然か。

 大神に促されてもう一つの方のベットに腰掛ける。

 

 先ほど話を聞いてから思考が止まらない。

 分からない事を考えても仕方ない。そう何度自分を諭しても先に進もうとする。

 

 「…。」

 

 考え込んでいれば、不意に目の前で無言のまま大神が立ち上がる。

 どうかしたのかと不思議に思って見ていれば、大神はこちらへ向かって歩いてくると、すぐ隣へと腰を下ろした。

 

 形としては同じベットに並んで腰かけることとなる。

 どうしたのだろうか、大神の意図が読めない。

 

 「大神?」

 

 「透君、ここ。」

 

 そう言って、大神は自らの太もも辺りをぽんぽんと叩く。

 いや、ここと言われても。

 

 「んー、…そいやっ。」

 

 戸惑い、固まっていれば焦れたのか大神のそんな掛け声とともに、彼女に頭を優しくつかまれ、ぐいと引っ張られた。

 

 唐突な行動にろくに抵抗もできまま、横へと体が倒れる。

 

 そして側頭部に感じる柔らかな感触。

 呆然としつつ上を見上げれば、大神と目が合う。

 

 「…なんで膝枕?」

 

 「えっとね、なんだか透君の様子がおかしい気がして。

  何か気になる事でもあった?」

 

 気になること、そう問われてドキリと心臓が跳ねた。

 正直、無いと言えば嘘になる。

 

 けれど、何故それを察することが出来るのだろう。もはや大神に隠し事など出来ないのではないかとすら思えてくる。

 

 「あー…、でも、あくまで推測でしかないから。」

 

 「それでも、聞かせてくれる?」

 

 そう優しく微笑む大神を前に、誤魔化すことは出来なかった。

 

 ちょっとした思い付きだ。

 その筈なのに、そうだと確信しそうになってしまう。

 

 こういうのは、良くない。そう分かっている、なのにそれを元に思考が進んでいく。

 

 せめてもの逃避に目元を腕で覆って口を開く。

 

 「さっきの命石の話。

  もしかして、クラウンが持っていたものとセイヤ祭で拾った指輪は同じなんじゃないかって。」

 

 現状、命石は一つしかない。

 なら整合性を取るためにはそう考えるのが自然なのではないか。

 

 大神は黙って話を聞いてくれる、そのせいかするすると思考が言葉に変換されていった。

 

 「指輪はシラカミ神社でずっと保管してた。

  だから途中で偽物と入れ替わった訳じゃない、入れ替わるとしたら手に入れた時しかない。」

 

 クラウンとの戦闘後、意識を失う直前に指輪が地面へと落ちていたのを見た。

 しかし、他の三人がそれを見ていたとは限らない。

 

 「なぁ、大神。

  あの時指輪を拾ったのは、誰だ?」

 

 「…。」

 

 察しの良い大神の事だ、既に俺の考えに見当は付いているのだろう。

 

 だから、彼女は何も答えない。

 けど、その行動が何よりの答えだった。

 

 「…友人を疑うとか、俺は最低だ。」

 

 「そうだね…、透君は最低だよ。」

 

 自分から言っておいて何だが、他人から言われると意外と心に来る。

 自嘲気味に笑みを浮かべる。

 

 「でも…。」

 

 大神が言葉を続ける。

 

 「そんな透君だけど、ウチは好きだよ。」

 

 腕をずらせば、柔らかな笑みを浮かべてこちらを優しく見守る大神と視線が交差した。

 

 「…もうその手には乗らないからな。」

 

 「透君、顔真っ赤。」

 

 揶揄うようにくすくすと笑う大神から顔を隠すように再び目元を隠す。

 最近やけにこんな形で攻められることが増えた気がする。

 

 しかし、今回は少し毛色が違う。

 前までは、それこそ昨日も動揺こそしたがすぐに切り替えは出来たはずだ。

 

 けれど今はどうだ。

 同じ言葉の筈だ、それなのにいつまでも顔から熱が引こうとしない。

 

 状況の違いもあるだろうが、多分それだけではない。

 

 「意外と意地が悪いな、大神は。」

 

 「いきなり結婚しよう、なんていう人よりかは大分マシだとウチは思うけどね。」

 

 せめてもの意趣返しにと思ったが、どうやら自業自得なようだ。

 流石にこれ以上この羞恥と居たたまれなさには耐えられそうもない。

 

 「大神、そろそろ…。」

 

 「駄目。」

 

 話終えたことだし、と体を起こそうとしたところで、大神に抑えられて再び膝の上に戻る。

 

 「…なんで?」

 

 純粋な疑問が口をついて出る。

 もう用は済んだはずだ、大神も足が痺れてくるのでは…。

 

 「透君が可愛いから、もっと見ていたいかなーって。」

 

 「…。」

 

 今日の大神は少しおかしい。

 こんな事を言われて照れるなという方が無理な話だ。

 

 「…勘弁してください。」

 

 「ふふっ、だーめっ。」

 

 結局、大神は昼食の時間になるまで解放してくれず。中々現れない俺たちを探すシキガミが部屋を訪れるまで、この時間は続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼食後、俺と大神は改めて神狐から命石について情報を教えて貰った。

 

 主な内容は命石の製造方法についてであった。

 キョウノミヤコの地下で見たあの血痕塗れの広間、それを聞いた神狐は製造法までは話すつもりは無かったと言いながらも話してくれた。

 

 要点を纏めると、まずイワレを持った者の死後、残ったイワレはカクリヨに還元されるわけだが一定以上の量が集まるとその死体を分解して一つの結晶となるらしい。

 

 その結晶が命石なわけだが、この現象には抜け道があるようだ。

 

 仮に一人の人間が命を落としたとして、そのイワレが一定量に達してなければそのままカクリヨに還元される。しかしここで一つの命石に対して一人の人間でなければならないという決まりはないとのことだ。

 つまり複数人が一定範囲内で命を落とした時、イワレはその総量で計算される。そして、その総量が一定以上であった場合その範囲内の該当する死体全てを対象にして一つの命石が生成される。

 

 このことから推測されるのは、あの広間でそれが起こったのではないかということだ。

 故にこそ、血痕のみが残って死体は一つたりとも見つからなかった。

 

 逆にこれ以外考えられない。

 

 奇しくも、自らの推測を補強する事実が発覚した。

 大神は心配そうにこちらを見ていたが、大丈夫だと彼女には伝えておいた。

 

 そして続けられた神狐の話。

 最後に聞いたのはその命石で何が出来るのか。

 

 ひとまず身体能力のブースト、これは確定だ。

 その他には普通使えないワザを使用出来るようになるなど。

 

 極めつけは、命石は内部のイワレの消費量こそ大きいもののカクリヨとウツシヨを繋げる穴を開けることも可能であるらしい。

 

 セイヤ祭の日に開けられたあの穴は、拾った命石で開けられたもので間違いは無さそうだ。

 だが何故通ることが出来なかったのかまでは神狐でも分からないとのこと。

 

 「と、まぁそんなところじゃな。

  他に聞きたい事はあるかの?」

 

 話終えた神狐にそう問われるが、聞きたいことは十分に聞けた。

 

 「俺は大丈夫だ、大神は?」

 

 「ウチも無いかな。

  クラウンが何でそんなものを作ったのかは気になるけど、これは本人しか分からないし。」

 

 同じように大神に話を振るが大神もこれ以上聞こうとはせず、この話題に関してはここまでとなる。

 

 それにしても、命石、唯一見つかったウツシヨへの帰還手段がこれではウツシヨとカクリヨを行き来する手段を見つけることが出来る気がしない。仮に見つかったとしても、同じように誰かを犠牲にしてまで帰ろうとも思えない。

 

 「さて、それじゃあそろそろ…。」

 

 「む?

  何じゃ、帰るつもりでおったのか。」

 

 話も終わったところでシラカミ神社へと変える流れかと思い立ち上がったところ、それを口にすれば神狐がそんなことを言い出す。

 逆にどうして帰らないと思っていたのだろう。

 

 「え、けど今日ほとんど手ぶらで来たし…。

  大神もそうだよな。」

 

 「うん、ウチも今日帰るつもりだったんだけど…。」

 

 前回とは違い、着替えも何も持ってきていない。

 それは大神も同じようで、神狐の考えを読みあぐねている。

 

 「むしろ、今日主らを呼んだのはここからが主題じゃ。」

 

 「ここから?」

 

 てっきり話をするために呼ばれたものと考えていたがどうやら違うらしい。

 ただそうなると神狐の目的が一層見えてこない。

 

 「せっちゃん、じゃあなんでウチたちを呼んだの?」

 

 「うむ、それはのう。」

 

 大神に聞かれた神狐はそう言いながら、ぴしりと指を真っ直ぐこちらへ突き付けた。

 

 「透、主に用があるのじゃ。」

 

 「…俺?」

 

 まさか自分の名前が出てくるとは思わず唐突に矛先を向けられて驚きつつ、確認するように返せば力強く神狐は頷いて見せる。

 

 「うむ、昨日に主を見てから気になっておったのじゃがな。

  どうにもイワレの流れに変化があるのじゃよ。」

 

 そう言われて思わず自らの体を見下ろす。

 イワレに変化がある、そう言われても自覚するような変化があるわけでは…。

 

 「あ、もしかしてこれの所為か?」

 

 ふと思いつき、自らの右手の甲にある今や黒く染まった宝石を指さす。

 

 この宝石に変化があった時、同時に妙な感覚に陥った。 

 あれでイワレにも影響があったのだろうか。

 

 「恐らくのう。

  妾も問題ないと思っていたのじゃがな。」

 

 神狐からしても予想外であったようだ。

 

 「透君のイワレに何があったの?」

 

 「そうじゃな、言葉にするのは難しいのじゃが…。

  あえて言うなら不安定になっておるようでな。」

 

 大神の問いに答える形で神狐は少し考え込むそぶりを見せてそう答える。

 

 「不安定って、つまりどういうことだ?」

 

 いきなりイワレが不安定と言われても、それがどういう状態なのかしっくりこない。

 一応身体強化など、基本的なものは問題なく使えていたことは確かだ。

 

 「むぅ、何と言ったらいいのかの…。

  今現在、主の体を流れるイワレが一時的に増大しておるのじゃ、じゃからその分扱いが難しくなっておっての。普段通りの使い方なら問題は無いじゃろうが、消費の大きなワザでも使えばその効果が暴走する可能性がある、ということじゃ。」

 

 「暴走か…。」

 

 知らないうちに中々危険な状態にあったらしい。

 消費の大きいというと、イワレの封印などか、もしかすると消費はそこまで大きくないが鬼纏いですら使い方次第では暴走するのかもしれない。

 

 「そういう訳で、しばらくすれば自然と体が加減を覚えるじゃろうが、それまではあまりワザは使わぬようにの。

  今日の所は温泉に入ってイワレを調整すると良い。」

 

 なるほど、イヅモ神社の温泉の湯はイワレに作用する、それでわざわざイヅモ神社に呼び出したのか。

 

 「そっか…、分かった。

  じゃあ、お言葉に甘える。」

 

 そんな状態で何もせずに帰って暴走しました、では目も当てられない。

 そう言うことなら、ここは素直に従っておいた方が良いだろう。

 

 「うむ、それでよい。

  二人の浴衣も用意してある故、その辺りは心配はいらぬぞ。」

 

 神狐はそれを聞いて満足そうに頷いている。

 

 何とも準備が良い。

 まぁ、最初からそのつもりだったようだから不自然ではないな。

 

 「じゃあウチはちょっとフブキに言伝だけ飛ばしてくるね。」

 

 「あぁ、頼んだ。」

 

 そう言って外に向かっていく大神の背を見送る。

 思えば今の時間帯は百鬼も出かけているし、シラカミ神社には白上しかいないのか。

 

 「…して、透よ。」

 

 「ん、どうした?」

 

 今頃白上は何をしているのだろう、そんなことを考えていた所に神狐から声がかかる。 

 目を向けてみれば、神狐は妙にニヤニヤとした笑みを浮かべている。

 

 「主、ミオのどんなところを好きになったのじゃ?」

 

 「すっ…!?」

 

 落ち着いていた筈なのに、急速に顔に熱がこもるのを感じた。

 その狼狽ぶりを見て、神狐は楽しそうにからからと笑い声をあげる。

 

 「…なんでそう思うんだよ。」

 

 大丈夫、これはただのカマかけだ。

 ここでぼろを出さなければまだ誤魔化しは効く。

 

 「それはもう、ほれ、主の右の甲の宝石が黒くなっておるじゃろう。

  その宝石は意中の相手を示しておる。主の周りで黒と言えば…のう。」

 

 その説明に、既にどうしようもないことを悟る。

 

 なるほど、どうやらこの宝石を見た時点で神狐にはバレていたらしい。

 道理であそこまでテンションが上がっていたわけだ。

 

 「…てか、あの時から好きになってたのかよ…。」

 

 「なんじゃ、自覚したのは染まるより後じゃったか。」

 

 石が黒く染まったのが確か二日前、その時から既に俺は大神に惚れていたらしい。

 原因があるとしたらセイヤ祭か。あそこで意識して、その翌日には惚れていたと。

 

 本当にジンクスは存在するのかもしれない。

 

 「…我ながら単純すぎる。」

 

 自分に対する落胆というか、単細胞ぶりに思わず顔を押えてしゃがみ込む。

 

 「ほほう、恋愛しておるようじゃのう。

  ちなみにそれなら主はいつ自覚したのじゃ?」

 

 「さっき。」

 

 つい先ほど大神に膝枕をされて、あのやり取りを得て。

 

 認めざるを得なかった。 

 何となく感じていた感情が確信に変わってしまった。

 

 「…主ら、二人きりで何をしておったのじゃ。」

 

 しかし、何を勘違いしたのか神狐は戦慄したように声を震わせる。

 

 「違うから、ただ話をしてただけだから。」

 

 そこに膝枕という単語は付くが、それだけだ。

 だが神狐も無駄に鋭いようで本当かのう、などと呟きながら疑いの視線を送ってくる。

 

 「じゃが…うむ、妾としてはいくら主らが乳繰り合おうと構わんがの、むしろ推奨するのじゃ。」

 

 「そこは止めてくれ、頼むから。」

 

 そんなもの推奨されたところで居たたまれないだけだ。

 どうしたものかと考えていたところ、白上への連絡を終えた大神が帰ってくる。

 

 「あれ、何かあった?」

 

 「いや、何でもないです。」

 

 俺と神狐の様子を見て疑問に思ったのか大神に問われるが、無論本人に話せるはずもなく取り繕って応える。しかしそこは鋭い大神さん、何事かを感じ取ってか軽く眉を顰めるが、それ以上追及してくるようなことは無かった。

 

 その事実に安堵の息を吐いていれば、神狐はくすくすと小さく笑う。

 これは厄介な相手にバレた、そんな確信を得てしまう。

 

 「さてと、妾はそろそろ行くとしようかの。

  ミオと透よ、何かあればシキガミに申し付けると良い。ゆっくりするのじゃぞ。」

 

 そう言って、神狐は再びどこかへと去って行ってしまう。

 毎度思うが、彼女はいったいどこへ行っているのだろうか。

 

 「大神も神狐がどこに行ってるのか知らないんだよな。」

 

 「うん、ウチも知らない。

  …それより透君。」

 

 名を呼ばれて大神の方へと視線を向ければ、思っていたよりも近くにあった彼女の顔に思わず仰け反る。

 

 「せっちゃんと何話してたの?」

 

 「え、何って…、世間話?」

 

 回避したと思ったら再び問い詰められて動揺を隠せないままに誤魔化しを口にする。

 

 「嘘、透君の頬ちょっと赤かった。」

 

 当然その程度で騙されてくれるはずもない。

 しかし、話す訳にもいかない。

 

 なら俺に出来ることは一つだ。

 

 「あ、あー、そうだ温泉に入りに行かないか?

  ここの温泉、俺好きなんだよなー。」

 

 「ちょっと、透君!」

 

 ジッと見つめてくる彼女から目をそらしつつ、我ながらかなり棒読みな演技で宿へと足を向ける。

 これ以上問い詰められるのは精神衛生上よろしくない。 

 

 「…もう。」

 

 ぷくりと頬を膨らませた大神は小さくそうぼやく。

 彼女への恋心を自覚してから数時間、既に幸先が不安になる一幕であった。

 

 

 

 





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個別:大神 7


どうも、作者です。


 

 温泉。

 それは人類の源。

 

 万人はそこより生まれ出でて、そこで育つ。

 

 温泉。

 それは心の洗濯。

 

 不浄な心も、すべてを洗い流してくれる。

 

 温泉。

 それは、

 

 「これ、いつまでやっておるつもりじゃ。」

 

 全身がほぐされていくような心地よい感覚に一人浸っていれば、不意に後ろから呆れたような声がかかる。

 

 先に言っておくが現在俺がいるのは温泉、それも男湯である、断じて女湯ではない。

 そんな中イヅモ神社にて、声がかけられるなどということは普通あり得ない筈だ。そう普通であれば。

 

 振り返れば金色の狐の少女、神狐セツカがそこに立っていた。 

 

 「相変わらず躊躇なく入ってくるな。一応男湯なんだけど。」

 

 「そう言うでない、妾と主の仲ではないか。」

 

 体感出会ってから約三、四日程度の仲なのだがそれで温泉にまで入ってくるのはどうなのだろう。

 しかし、それでも既にこの事態に慌てることも無くなった自分がいる。

 

 「それよりどうじゃ、背中でも流してやろうかの。」

 

 だがそう言ってぐいと腕まくりをする彼女の姿には、流石に焦りを覚える。

 

 「やめろ、その見た目だと絵面がとんでもないことになる。」

 

 見た目幼女に背中を流させるなど、そんな趣味は俺には無い。

 というか何かの間違いでそれが大神に伝わりでもしたら確実に終わる。色々な意味で。

 

 「…はぁ。」

 

 心臓に悪い冗談を言う彼女に、ついため息が出る。

 

 そう言えば、前にも似たやり取りがあった。

 確かその時は…。

 

 「また力を失ってまで治すっていうなら、今回は遠慮したいんだが。」

 

 早々に釘を刺しておけば、神狐が息を呑む音が聞こえてくる。

 やはりか。

 

 「主も変な所で鋭いのう。」

 

 「同じ轍は踏まないだけだ。

  これ、自然に治るもんなんだろ?ならわざわざ力を失う必要も無い。」

 

 治そうとしてくれることは素直にありがたい。

 けれど、そのせいで神狐がデメリットを負うとなると話は違ってくる。

 

 前回こそ後から知ることになったが、それを知っている今止めない理由は無い。

 

 「むぅ、それはそうじゃが…。」

 

 しかし、神狐は諦めも悪く食い下がろうとしている。

 その様子はまるで神狐自身が力を失うことを望んでいるような印象すら受けた。

 

 「…なんでそこまでしようとする。

  神狐には俺を治す義理も、理由もないだろう。」

 

 前回は詫びと礼だと言っていた。

 けれど、今回はそんなものは無い。

 

 その上で何が神狐をこうも突き動かすのか。

 

 「…確かにのう、主を治す義理何も妾には無い。」

 

 「なら、どうして。」

 

 「…失えば。」

 

 そうぽつりと零す神狐の顔を見る。

 そこには見覚えのある、大神が時折見せる自嘲を含んだ笑顔と酷似した表情が浮かんでいた。

 

 「力を失えば…覚悟が決まると思っただけじゃ。」

 

 「覚悟って、何の。」

 

 思わずといった形で問いかけるが神狐はそれ以上応えようとはせず、「ゆっくり浸かるのじゃぞー」と、先の表情を隠し、いつも通りの彼女の顔でそれだけ言い残して足早に出て行ってしまう。

 

 再び一人になり、雲に覆われた空を見上げる。

 

 取り合えず、神狐が何かを抱えていることは分かった。

 そして、ここ数日で大神も同様に何やら抱えていることも分かっている。

 

 「その内容が分からないんじゃな…。」

 

 呟いた独り言は誰に届くでもなく、空をさまよい消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神狐が用意してくれていたであろう浴衣を着てのれんをくぐり宿の一階、その広間へと出る。

 

 考え込んでいて、つい長湯をしてしまった。

 しかしその分入ってから分かったが、イワレも安定しているような感覚はある。これが錯覚でないことを祈るばかりだ。

 

 ベンチに座り、きょろきょろと辺りを見回す。

 大神も同じタイミングで温泉に入ったはず、まだ上がっていないのか。

 

 特に何をするでもなく、そのままの体制でぼーっとする。

 

 「…ん?」

 

 そうしていれば、不意に神狐のシキガミが盆をもって現れて近づいてくる。

 その上には蓋のあいた牛乳瓶、よく冷えているのか瓶の表面には水滴が浮かんでいる。

 

 「これ、くれるのか。」

 

 差し出されるそれに、確認を取るように問いかければこくりとシキガミは頷いて見せる。

 

 「ありがとう、貰うよ。」

 

 礼を言って瓶を受け取る。それを確認するとシキガミは一礼して去っていった。 

 その背を見送りつつ、瓶を傾ける。

 

 まろやかな味わいが風呂上がりで水分を求めていた体の隅々まで染み渡る。

 コーヒー、フルーツと牛乳にも種類はあるが、やはり普通の牛乳単体に最終的には帰ってきてしまう。

 

 しばらく牛乳瓶片手にちゅん助を呼び出して戯れていれば、大神がのれんを潜って出てくる。

 大神は俺の姿に気が付くと、こちらに向かい手を振ってから歩いてきた。

 

 「お待たせ、透君。

  あ、牛乳。ウチも頼もうかな。」

 

 「大神。

  シキガミならさっきあっちの方に…。」

 

 と言いかけた時には既に盆に牛乳を乗せたシキガミがこちらへと来ていた。

 

 「ありがとー。」

 

 大神が受け取ったのを確認すると、再びシキガミはどこかへと歩いて行ってしまう。

 今何を欲しているのかを察知するセンサーでも付いているのかと思う程に迅速な対応だ。

 

 手慣れた様子で大神は牛乳の栓を開けるとぐいと一気に中身を呷る。

 

 「ぷはー、やっぱり温泉の後は牛乳だよね。」

 

 「だな、炬燵とみかんくらい相性が良い。」

 

 世の中そうあるべきと定められているかのような組み合わせが不思議な程に溢れている。

 

 「相性と言えばだけど…。

  透君、覚えてる?セイヤ祭の時の。」

 

 「ん?」

 

 不意に投げかけられた問いに過去を振り返る。

 セイヤ祭、相性に関係するようなことは…。

 

 「…あぁ、占いか。」

 

 「そうそう、ウチと透君の相性占い。」

 

 妙に野次馬に囲まれ、流れに逆らえないままに結果見世物となったあの出来事。

 

 「透君はあの占い、どのくらい信じてる?」

 

 どのくらいか。

 個人的に占いはあくまでも占いだ。けれど大神の占いということもあるし…。

 

 「そうだな、半々くらいだ。

  まぁ、どちらにせよ相性が良いと言われて悪い気はしないよ。」

 

 「ふふっ、そうだよね。

  ウチも嬉しい。」

 

 そう言って小さく笑う大神。

 何となしにそんな彼女へと視線を向け

 

 「ぶっ…。」

 

 そして、次の瞬間目に飛び込んできた光景に思わず噴き出した。

 

 「わ、どうしたの急に。」

 

 「…あ、いや…大神、口元。」

 

 急に笑い出した俺に驚いた様子の大神だが、その顔の唇の上辺りには先ほど飲んだ牛乳により見事な白ひげがつけられていた。

 

 笑い交じりでしてきしてやれば大神不思議そうに近くに掛けられている鏡に目を移し、そしてその頬が急速に赤く染まる。

 

 「…も、もう、気づいてたなら早くもっと教えてよ!」

 

 口元を拭いながら大神は羞恥を誤魔化すように

 よほど恥ずかしいのか、その瞳には若干潤んでいた。

 

 「俺も今気づいたんだって、結構似合ってたぞ。」

 

 「なら透君もやってみればどう?」

 

 むっとした顔で拗ねるように言ってくる大神。

 そんな彼女の仕草に、思わずどくんと心臓が跳ねる。

 

 意識しないようにとは思っているのだが、中々上手くいかないものだ。

 

 「あ、あー…遠慮しとく。」

 

 「ほら、やっぱり変だと思ってる。」

 

 恨みがまし気な彼女の視線から目をそらしつつ、暴れ始めた心臓を宥める。 

 些細なことで意識してしまうのも、俺が大神に対して恋心を抱いてしまったが故なのか。

 

 「透君。目、逸らさないでよ。」

 

 「逸らしてないです。」

 

 ぐいと近づいてくる大神を前に謎に敬語になる。

 正直、今はあまり距離を縮めて欲しくはない。せっかく高鳴る心臓が落ち着いてきたのに大神の顔が目の前に来るたびに再度強く脈打ち始めてしまう。

 

 予想していた以上に厄介だ。

 

 「…こうなったらウチの秘密兵器で。」

 

 そしてどこからか取り出される文字の書かれたお札。

 

 「待て、不穏なことをぼそりと呟くな。

  それとその謎のお札は仕舞っておけ。」

 

 何をしてくるか本当に予測できないところが恐怖を助長させる。

 

 「大丈夫、ちょっと体が動かなくなるだけだから。」

 

 「大丈夫じゃないな、それを使って何をするつもりだ。」

 

 笑顔でぴらぴらと札を振る大神に今度は別の意味で心臓がドキリと鳴る。

 体の自由を札一枚で封じるとか割と大事に思えるのは気のせいだろうか。

 

 「なんてね、冗談冗談。

  流石にこれ一枚じゃそんなことできないよ。」

 

 その大神の言葉にほっとしたような、けれど他の条件を満たせば出来ることは出来るということに不安を覚えるような。

 

 「ところでなんだけど、透君。

  調子はどう?温泉に入って何か変わった?」

 

 改まった様子で聞いてくる大神。

 一瞬何のことか考えるがすぐに思い至る。

 

 「ん、イワレの話か。

  そうだな、今は安定してるみたいだ。」

 

 イワレの調子を温泉で整えてから初めて、今までイワレが過剰に流れていたことを理解した。

 例えるなら暴れ馬に乗っているような状態か。

 

 確かにそんな状態でワザでも使えば暴走の一つもするだろう。

 

 大神はそれを聞くと安心したように息を吐く。

 

 「良かった、本当びっくりしたね。

  せっちゃんもその宝石についても教えてくれればいいのに。」

 

 「知る必要がないってことなんだろうけどな。」

 

 とは言っているが、俺自身やはり当事者としては気になる。

 悪影響が出るとは神狐が言っていたが、それ自体もどういうものか曖昧で。

 

 この宝石については本質を知るどころか謎ばかりが増えていく。

 

 (ただまぁ、分かったこともあるけど。)

 

 意中の相手を色で示す。

 なんだその謎性能はと突っ込みたくもなるが、とりあえず俺の感情、というか深層心理あたりと何かしらの形で繋がっていることは確かだ。

 

 こちらとしてはそのせいで神狐に大神への恋心がバレるはで堪ったものではない。

 

 「秘密主義は良いんだけど、もう少しくらい話してくれたらいいのに。」

 

 大神は不満げにそうぼやく。

 その様はまるで母親に対する娘のように見えた。

 

 そんな彼女の姿を見るのは初めてで、少し新鮮にすら思える。

 

 「…そう言えば、大神と神狐ってどんな関係なんだ?」

 

 「ウチとせっちゃん?」

 

 一応前に聞いた時は世話になった人とは言っていたが、それ以上の事は聞いたことは無かった。

 イヅモ神社に一緒に住んでいたようだが、白上との関係性と似たようなものなのだろうか。

 

 大神は一瞬思考するように宙を見上げる。

 

 「んー、なんだろう。

  ウチもあんまり気にしたことないから…。」

 

 そういう彼女の頭の上には疑問符が浮かんでいる。

 

 「けど、大切な人なのは間違いないよ。」

 

 柔らかな表情。

 それが彼女の言葉が本心からのものであることを表している。

 

 「…そっか。

  悪いな急にこんな事聞いて。」

 

 「ううん、気にしないで。

  …それより透君。」

  

 「なんだ?」

 

 真っ直ぐとこちらを見つめてくる大神。

 改まった様子だが、一体どうしたのだろう。

 

 落ち着くように一呼吸おいて、大神は口を開いた。

 

 「もしかして透君って、せっちゃんの事気になってる?」

 

 「…は?」

 

 予想の斜め上を行く質問に、思わず呆けた声が出る。

 

 俺が?神狐を?

 何がどうしてそのような結論に至った。

 

 「だって透君、せっちゃんと仲良さそうだし、今もせっちゃんについて聞いてたし。

  だからせっちゃんの事が恋愛的な意味で好きなのかなって。」

 

 「…。」

 

 絶句である。

 そうか、大神からはそう見えるのか。

 

 大神本人に俺の恋心がバレたということでは無い、その点については安心したが、これはこれで精神へのダメージがあるな。

 

 「…あー、大神、それは違う。

  さっきのはただの好奇心だ。俺が神狐の事を好きなわけじゃない。」

 

 それに、口に出しはしないが神狐の容姿的に好きになるとそれはそれで問題が発生しそうだ。

 

 瞬間、背筋に悪寒が走る。

 慌てて辺りを見渡すがどこにもその姿は無い。

 

 だが何故だろう、次は無いと警告されたような気がする。

 

 「そうなの?」

 

 「そうだ。変な勘違いはしないでくれよ?」

 

 いや、割と本気で。

 精神的な負担が大きすぎる。

 

 大神も信じてくれたようで、そうだったんだ、と少し残念そうに呟く。

 

 「でも、そういうことなら気にしないでもいいかな。」

 

 「ん、何をだ?」

 

 疑問に思い問いかけるが大神は答えようとはしない。

 

 「透君、ちょっと両手を横に広げてみて。」

 

 代わりにそんな指示が返ってくる。

 疑問に思いながらも、とりあえずはそれに従って両手を広げる。

 

 「…っ。」

 

 すると、何を思ったのか大神は至近距離まで近づいてくると、空いた俺の胴体へと手を回した。

 当然そんなことをすれば体は密着する。いわゆるハグをされた。

 

 「ちょ、おい、大神!?」

 

 唐突な彼女の行動に戸惑いつつ、慌てて離れようとするがこの状態では引きはがしでもしない限り離れることは出来ない。

 

 「いいから、透君。イワレの流れに集中して?」

 

 「イワレの流れって。

  …あれ。」

 

 密着したままの大神からそんなことを言われて、意識が向いた自らのイワレ。

 一瞬何を言っているのか分からなかったが、イワレの流れが抑制されていくような感覚を覚えた。

 

 今まで素通りしていたイワレが、所々制限されている。

 

 「大神、これって。」

 

 「うん、透君のイワレにウチが干渉して流れを制御してるの。前にも言ったけど透君にはイワレの制御機能が無いから、ウチがその代わりに。」

 

 そのおかげで一時期は無理な使用でイワレが淀んでしまっていた。

 ウツシヨ出身ということもあり、個人差はあるのだろうが俺はイワレに関して異常が起きた際には外部から干渉するしか治す手段がないようだ。

 

 これもその一環。

 それは分かっているのだが、何せ急な出来事で驚きが勝ってしまった。

 

 「透君緊張してるね。

  心臓の音、凄いよ?」

 

 「仕方ないだろ、いきなりだったんだから。」

 

 自覚はしている。 

 何の前置きも無しに想い人にここまで密着されて驚くなという方が無理な話だ。

 

 「…ん?」

 

 確かに俺の心臓は早鐘を打っている。

 だがそれと同時にもう一つ、別の鼓動を感じる。

 

 それもまた同様に、こちらまで伝わる程に強く鳴っていた。

 

 「なんだ、大神も緊張してるんだな。」

 

 「あ。」

 

 そう声を掛ければ、しまったという風に大神は声を上げる。

 よくよく見てみれば彼女の頬は微かに赤い。

 

 それを理解して、少しほっとした。

 

 大神だって平気なわけじゃない、少しは意識している。

 その事実が、妙に嬉しく感じた。

 

 「…透君、いつもはそうでも無いのに変な所で鋭いよね。」

 

 「それ、さっき神狐にも言われたよ。」

 

 意外と似ているところがある二人だ。

 

 それにしてもこの言い草。まるで普段の俺は鈍いと思われているかのようだ。

 少し不満に思うが、さして重要なことでもないためそこまで気にすることは無い。

 

 しばらく互いが互いの鼓動を感じつつ、時が流れる。

 

 「…うん、こんなところ。」

 

 イワレの流れが安定しだしたのか、大神はそう言うと回していた腕を解いてゆっくりと離れる。

 

 「どう?透君。少しはマシになったかな。」

 

 問われて、改めて自分のイワレに集中してみる。

 大神のおかげで温泉に入った後よりもさらにイワレの流れが安定していることが分かった。

 

 「あぁ、かなり。これならワザを使っても大丈夫そうだ。

  ありがとな、大神。」

 

 イワレが落ち着いたからか、どこか安心感がある。

 これで気兼ねなく明日からも鍛錬ができるな。

 

 「どういたしまして。

  けど、まだ使ったら駄目だからね。勿論鍛錬もしばらく禁止。」

 

 「何だと…。」

 

 明日の鍛錬の内容を考え始めたところに釘を刺される。

 鍛錬が出来ない。それだけでかなりの衝撃を感じた。

 

 「そんなに驚かなくても。

  ほんと透君、鍛錬が好きだよね。」

 

 そう言って大神は苦笑いを浮かべる。

 

 「自分でもなんでこんなに固執するのか良く分からないんだけどな。」

 

 思えば百鬼に頼み込んでから鍛錬、鍛錬と、妙にやる気が出てきて鍛錬が出来る日は欠かすことなく続けている。

 何が自分をここまで突き動かすのだろう。

 

 考え込んでいれば、不意に大神は何か思いついたように手を打った。

 

 「そうだ、なら明日の朝はウチに付き合ってくれない?」

 

 「大神に?それは勿論。」

 

 鍛錬が出来ないのなら時間は有り余るため、願ってもないことだ。

 

 「けど、何をするんだ。

  料理とか?」

 

 「ふふっ、それは明日になってからのお楽しみ。」

 

 悪戯に笑う大神。

 そんな彼女は妙に楽しそうに見えた。

 

 

 





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個別:大神 8


どうも、作者です。



 

 暗闇の水の中から意識がゆっくりと浮上する。

 目を開ければ、そこはよく見慣れた天井。

 

 「ふあ…。」

 

 一つあくびを入れればようやくぼんやりとした意識が覚醒し始める。

 零れた涙を軽く手で拭いながらいつも通りの日課をこなし、気分を切り替える様に窓を開け、外の冷気を取り込む。

 

 寒い。

 

 やはりこの辺りの空気は冷え込んでいる。

 だからだろうか、寒さには強くなった自信がある。

 

 刺すようなその冷気に意識が研ぎ澄まされていく感覚を楽しんでいれば、後ろからもぞもぞと音が聞こえてくる。

 

 そうだった、この部屋には彼もいるのだった。

 

 よく見慣れた部屋、よく見慣れた外の風景。

 いつも通りの朝。

 

 けれど、そこだけはいつも通りではない。 

 その事実に、ほんの少しだけ心が弾んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 急激に下がった部屋の温度に思わず目が覚めた。 

 シラカミ神社周辺とは比べ物にならない冷気、体感的には水浴びをしている時と同じようにすら感じる。

 

 寒さから逃げる様に布団を寄せる。

 だが、一度目覚めてしまったためか寝なおすことは出来なかった。

 

 手放しがたい布団の暖かさに後ろ髪を引かれながらも、体を起こす。

 

 「あ、ごめん。

  寒かったよね。」

 

 寝起きで固まった体を伸ばしていると、そんな声が横合いから聞こえてくる。

 それと同時に窓の閉まる音。

 

 「…あれ、大神。」

 

 顔を向ければそこには黒い獣耳を携えた少女が窓の傍に立っていた。

 

 一瞬何故大神が部屋に居るのか疑問に思うが、すぐに昨日はイヅモ神社に泊まることになったことを思い出す。

 

 「おはよ、透君。

  ごめんね、起こしちゃって。」

 

 「あぁ、おはよう。

  むしろ少し寝すぎてたから丁度良かった。」

 

 申し訳なさそうに言う大神に軽く手を振って返す。

 

 恐らくいつも起きている時間はとうに通り過ぎている。

 イワレの流れが改善されたからか、それとも単に温泉自体の効果か眠りが深くなっていたようだ。

 

 「にしても本当にこの辺りは寒いな。

  大神は平気なのか?」

 

 見たところ寒さを感じるそぶりを見せない大神に問いかける。

 

 「うん、平気。

  これがウチにとっての日常だったから。」

 

 この気温の低さに慣れてしまえばシラカミ神社周辺の気温で寒さを感じることは無さそうだ。

 それほどまでにイヅモ神社周辺の気温は低い。

 

 「これが寒くないって少し羨ましいな。

  それで付き合ってほしいことって?」

 

 昨日、鍛錬の代わりにと大神に提案されたが内容は朝まで秘密と言われていた。 

 おかげで何をするのか気になって仕方がない。

 

 「その事なんだけど、下の方が広いからそこで説明するね。

  透君は準備ができたら降りてきて。」

 

 そう言って大神は部屋を出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ささっと着替えなどを済ませて下の広間へと向う。

 一階に下りれば大神が一人、ベンチに腰かけていた。

 

 「透君、こっちこっち。」

 

 彼女はこちらに気がつくと、そう言って手招きをする。

 

 他に座る場所も無いためそのまま彼女の隣へと腰掛ければ、不意に昨日の出来事を思い出す。

 少し意識して緊張からか動作がぎこちなくなる。

 

 「どうしたの?」

 

 「いや、何でもない。」

 

 それを見た大神に不思議そうに問いかけられ、咄嗟に取り繕う。

 彼女は特に意識しているようには見えない、なら気にしすぎ無い方が良いだろう。

 

 「そう、なら良いんだけど。

  では今日付き合ってもらうことの発表をしようと思います。」

 

 妙に大げさなそぶりで口上を述べる大神、そのノリに乗っかる形で拍手を送る。

 

 「じゃあ早速なんだけど透君、手、出してみて。」

 

 「手?ほい。」

 

 言われるがままに右手を大神へと差し出す。

 これから何が始まるのか、偶にぶっ飛んだことをするだけに期待と不安が織り交ざる。

 

 大神は差し出された手を取ると、集中するように目を閉じた。

 

 「大神、何を…。」

 

 と、そこまで言いかけた所で変化は起きた。

 手の触れている部分から引っ張られるような感覚。

 

 実際に手を引かれているわけでは無い、内部的な不思議な力が働いている。

 

 「イワレの流れを意識して、引っ張り返そうとして見て。」

 

 「引っ張り返すって…、分かった。」

 

 つい聞き返そうとするが、恐らくこれは感覚的な問題だ。

 意図は見えないが、とにかく大神を信じて挑戦してみることにする。

 

 同じように目を閉じて自らのイワレを意識する。

 血液のように全身を駆け巡るそれ、右手へと意識を向けて見れば触れた手の部分へと確かに引っ張られている。

 

 その部分に集中して、こちら側へと引き戻すように力を加える。

 

 「透君、手に力が入ってるよ。」

 

 「あ、悪い。」

 

 しかしそんな簡単に上手くいくはずもなく、力んで大神の手を強く握ってしまったようだ。

 

 「そうだね、自分のイワレを水だってイメージしてみて。

  そこに流れを加えてあげて、自分の方に寄せるの。」

 

 「流れ…。」

 

 大神の助言を聞き、イメージを変えてみる。

 先ほどまでは空を掴むような感覚だったが、水だと認識することで先ほどよりも扱いが易くなる。

 

 オールで漕ぐように、少しずつこちら側へと流れを作る。

 

 「そうそう、その調子。」

 

 すると徐々にその流れは大きくなっていく。

 やがて引っ張られる感覚は無くなり、完全に流れが拮抗したことが分かった。

 

 「はい、よくできました。」

 

 それを認識したと同時に触れていた手が離される。

 流れを作る必要も無くなり意識を戻してみれば、どっと急激に疲労感に襲われる。

 

 「はぁ…結構疲れるな、これ。」

 

 「初めてだから仕方ないよ。

  けど、呑み込みも早かったから直ぐに慣れると思う。」

 

 ぐったりと後ろ手に体重を乗せて宙を仰げば、その様子を見て小さく大神が笑う。

 

 何というか、普段使わない筋肉を無理に動かしたときに近い。

 疲労感もそうだが、妙に感覚が狂ってしまったかのような気分になる。

 

 「それで、これは何だったんだ?」

 

 今のが大神がやろうとしていたことなのだろうか。

 疑問に思い、横の大神へと聞いてみる。

 

 「これはイワレ相撲って言ってね。

  一定時間引っ張り続けた方が勝ちっていうゲームだよ。簡単に言うと指相撲のイワレ版だね。」

 

 指相撲、聞き馴染みのある単語だ。

 イワレの存在するカクリヨならではのゲームだな。

 

 「かなりイワレの制御能力が必要だったでしょ?

  これならイワレを消費するわけでもないし、透君が自力でイワレの流れを整える練習になると思って。」

 

 なるほど、あくまで流れを制御するだけでイワレ自体は使用しない。

 ワザなどとの違いはそこか。

 

 「あぁ、確かに今まで感じたことの無い感覚だった。

  これがカクリヨの人達が持ってるイワレの制御能力なんだな。」

 

 とはいえ、俺の体にその制御能力が備わっているわけでもないのだろう。

 今回のこれは無意識下で行われる作業を意識的に、かつ疑似的に再現した形か。

 

 だが、疑似的とはいえ作用は同じだ。

 

 「本来はワザの精度を上げるための訓練みたいなものなんだけど、透君の場合制御能力自体が必要だったからね。」

 

 「なるほどな、それで教えてくれたのか。」

 

 正直、これは助かる。

 ウツシヨ出身でイワレの循環が出来ない現状、万が一の際に自分で対処できるのと出来ないのとでは、やはり前者の方が良いに決まっている。

 

 「けど、勝ち負けがあるってことは俺もさっきの大神みたいに引っ張れないといけないよな。」

 

 今やったのは大神が引っ張って、俺がそれに対抗するという形。

 これでは負けないことはあっても勝つことは不可能である。

 

 「そうだね、でも相手のイワレに干渉するのはまだ難しいと思うからこれから頑張っていこ。」

 

 「あぁ、よろしく頼む。」

 

 それにしてもイワレ相撲か、恐らくカクリヨではイワレを持っていれば子供でも出来ることなのだろう。

 こちとら手加減して貰っても防御だけで精一杯だというのに、これに加えて相手にも影響を与えないといけない。

 

 この辺り、世界間ギャップのようなものを感じる。

 

 「ちなみに実戦だとさっきみたいにただ引っ張るだけじゃなくて、渦を巻いたり、何個もフェイントを仕込んだりするから、目指すはそれを防げるレベルだね。」

 

 「待って、想像以上に壁が高い。」

 

 取り合えず防御だけなら何とかなりそうだと思ったところで数段跳ね上がったハードルに思わず待ったをかける。

 

 「大丈夫、ゆっくりやって行けばいいから。」

 

 そう言って静かに笑う大神。

 

 しかし、そうだ、今まで出来なかったことへの挑戦なのだ。

 それくらい壁は高くて然るべきだ。

 

 「…そういえば大神はこれをいつからやってるんだ?

  やっぱりイワレを扱えるようになってからとか。」

 

 「ウチ?そうだね…。」

 

 ふと気になったことを聞いてみる。

 

 大神はイワレの扱いが恐らく誰よりも上手い。

 そんな彼女がどれだけ昔から訓練しているのか、知っておきたかった。

 

 考え込むように顎に手を当てる大神。

 

 「あれ…いつからなんだろ。」

 

 しかし、答えが見つからなかったようで大神はそう言って首を傾げてしまう。

 

 「そんなに昔からやってたのか?」

 

 「うーん、昔なのは確かなんだけど…。」

 

 何か引っかかる事でもあるのか、ぽつりとつぶやいて眉を顰める。

 

 「なんだか…。」

 

 「ほう、イワレ相撲か。

  懐かしいのう。」

 

 大神が何かを言いかけた所で、唐突にそんな声が割り込んでくる。

 ぱっと前を向けば、そこにはいつの間にか神狐が立っていた。

 

 「あ、せっちゃん。

  ウチがイワレ相撲を初めてした時の事覚えてる?」

 

 「うむ、覚えているも何もそれを教えたのは妾じゃ。

  あの頃はミオも小さかったからの、覚えていないのも無理は無いのじゃ。」

 

 どやりと胸を張る神狐。 

 なるほど、確かに神狐なら大神に教えることもできるか。

 

 しかし、それよりも気になる事が一つ。

 

 「小さい頃ってことは大神って子供のころから神狐と一緒にいるのか。」

 

 そう言えば、大神と神狐は何故か揃って目を見合わせる。

 

 「なんじゃ、まだ聞いておらぬのか。」

 

 「聞いてないって、何をだ?」

 

 こちらに目を向ける神狐の言葉に首を傾げる。

 そんな俺に、同じくこちらへ視線を向ける大神が口を開いた。 

 

 「ウチね、子供の時にせっちゃんに拾われて、それからイヅモ神社で一緒に暮らしてたの。」

 

 「ミオの母代わりみたいなものじゃな。」

 

 それを聞いて思わず口が開いて呆然とする。

 開いた口が塞がらないとはこのことだ。

 

 一緒に暮らしていたことまでは知っていた。

 だが、そんなに前からとは想像もしていなかった。

 

 「世話になったとは聞いてたけど…。」

 

 「文字通り世話をしておったのう。」

 

 何ともなしに答えて見せる神狐、大神も肯定するように頷いている。

 

 イヅモ神社にいる大神が妙に自然体に見えたのは何も馴染みのある場所に帰ってきたからだけではなく、その辺りの事情も含まれていたのか。

 

 「はー、イヅモ神社に来てから一番驚いた。」

 

 命石の件や自身の中の恋心など多くの事に気づいたこの二日間だが、その中でもダントツの驚きだった。 

 

 「ふふっ、ウチも透君があんなに驚いたところ初めて見た。」

 

 「中々良い表情じゃったぞ。」

 

 心から楽しそうに笑う二人に苦笑いが浮かぶ。

 先ほど聞いたことが影響してか、妙にその仕草が似て見えた。

 

 「おっと、忘れるところであった。」

 

 話がひと段落したところで、不意に神狐は思い出したかのように手を打つ。

 

 「ミオよ、キョウノミヤコの事はもう占ったかの?」

 

 「キョウノミヤコ…、あ、まだだった。」

 

 大神はそう言うと呪文を唱えて、占星術に使用する水晶玉を手の上に出現させて目を閉じる。

 

 「ミヤコで何かあったのか?」

 

 「うむ、前に行ったときに、シキガミ越しではあるが兆候を見つけての。

  直に分かるのじゃ。」

 

 占いを行う大神を見守っていれば、結果が得たのか大神は閉じていた目を開く。

 

 「いくつかケガレが発生してるみたい。

  せっちゃん、フブキに通話を繋げて貰っても良い?」

 

 「任せるのじゃ。」

 

 神狐は大神の呼びかけに答えると、パッと宙に薄い円盤を出現させる。

 これが例のシキガミ越しの通話なのだろう。

 

 少しして、その円盤に見覚えのある光景が映し出される。

 

 「あ、透君は見ちゃダメ。」

 

 「え?」

 

 そんな声と共に大神に両目をふさがれる。

 視界をふさがれる直前に見えたのは白上の部屋の光景だった。

 

 今更な気がするのだが、何故見てはならないのだろう。

 

 「フブキー、起きて!」

 

 『わひゃあ、ミオ!? 

  じゃなくてシキガミさん!?』

 

 大神の呼びかけに本気で慌てるような声が聞こえてくる。

 そういえばこの通話最初は爆音だったな、恐らく大神の声が何倍にも増幅されて部屋に響き渡ったのだろう。

 

 「それ。」

 

 『あ、ミオとセツカさん。

  それに…透さんはどうして目を塞がれているんですか?』

 

 「俺も分からない。」

 

 神狐が指を鳴らすと共に白上のそんな声が聞こえてくる。

 俺の状態が分かるということは、白上にもこちらの映像が送られているようだ。ついでに音量の調整もしたのだろう、こちらの声に白上が驚くような声は聞こえない。

 

 「フブキ、今日オツトメがあるからその報告。

  今回は八人がケガレに取りつかれてるみたい。」

 

 『八人ですか…、あの、四人の間違いだったりしませんか?』

 

 「ちゃんと八人だよー。」

 

 縋るような白上に大神が現実を突きつければ、白上のうめき声と大神の笑い声が聞こえてくる。

 今の白上の表情は見えないが、どんな顔をしているのか容易に想像ができた。

 

 少なくとも笑顔ではない。

 

 『うぅ…、あ、そうだ、透さんって確かイワレを封印できましたよね。』

 

 「あぁ、けど今はイワレが安定しないからワザは使えないんだ。」

 

 『そうでした…。』

 

 昨日のうちに大神が白上に伝言を飛ばしていたが、その中に俺の状態の事も書いていたのだろう。説明すれば素直に白上は引き下がった。

 

 何となく話は理解できた。

 ケガレを祓うのなら俺も手伝いたいが、ワザが使えない以上諦める他ない。

 

 「そういう訳だから頑張ってフブキ。

  今日中にそっちに帰れるし、狐うどんいっぱい作ってあげるから。」

 

 『わかりました…約束ですからね!』 

 

 大神に宥められて、白上も覚悟を決めたようだ。 

 それを最後に、白上の声は聞こえなくなった。

 

 「…大神、終わったのか?」

 

 「あ、うん、もう映ってないよ。」

 

 確認するように問いかければ、そんな声と共に視界が解放される。

 

 「それで、何が映ってたんだ?

  見た感じただの白上の部屋だったけど。」

 

 チラリと見えたのは山積みのゲームソフトと、後は寝ている白上だけであった。

 それ以外に一体何があったというのだろう。

 

 「えっと…その、ちょっと言えない…かも。」

 

 「…そっか、悪い、深堀した。」

 

 良い淀む大神を前に、それ以上聞き出そうとは出来なかった。

 踏み込んではいけない領域もあるだろう。  

 

 「ほほう…。」

 

 そんな俺と大神を、神狐は顔をニヤつかせて見ていた。

 

 「ん、どうした?」

 

 「おっと、何でもないのじゃ。気にするでない。」

 

 流石にそんな目で見られれば誰だって気にはなる、つい声を掛けるが上手く躱されてしまった。

 神狐は気を取り直すようにぱちりと柏手を打つ。

 

 「そうじゃ、あの娘にうどんを作るのじゃろう。

  材料は持って帰ると良い。」

 

 「良いの?ありがとう。

  今シラカミ神社にほとんど食材が残ってないから助かるよ。」

 

 白上はうどんであればそれこそ無限に食べかねない。

 それに伴う食糧の消費量も尋常では無いのは必然で、神狐もそれは前回の訪問で把握しているようだ。

 

 「というか、食料もう無かったのか。」

 

 「そうなんだよね、セイヤ祭の準備で補充もできてなかったし、奉納品もこの時期は無いから。

  近いうちに色々調達に行かないと。」

 

 なら、明日か明後日辺りにキョウノミヤコへと赴くことにはなりそうだ。

 

 「…ミオ、透。」

 

 不意に話を聞いていた神狐に呼びかけられて揃って顔を向ける。

 そうすれば神狐は改まった様子で口を開いた。

 

 「これからについて、少し話があるのじゃ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





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個別:大神 9


どうも、作者です。


 

 「これからについて?」

 

 「うむ。」

 

 聞き返せば、神狐は肯定するように縦に首を振る。

 一応大神の様子を伺ってみるが、大神も何も知らされていないようで不思議そうに神狐へと視線を向けていた。

 

 「実は最近このイヅモ神社の結界に綻びが生じ始めておるのじゃよ。」

 

 「結界って、この辺に雪を降らせてるあれだよな。」

 

 おもむろに外へと目を向ければ、そこには曇り空の下の銀世界。

 

 外界との接触を断ち、寺宝とやらを守るための結界。

 それにほころびが生じるなど、よっぽどの事が…。

 

 (あっ…。)

 

 そこで、一つの要因が脳裏に浮かぶ。

 

 「おい、神狐。もしかしてそれって。」

 

 「あー、そうでは無い。

  あの結界は既に発動したものじゃ、妾の力の減少は関係ない。」

 

 即座に神狐へと確認を取ろうとするが、それは本人によって否定される。

 

 神狐の後ろに揺れる二本の尻尾。

 それは彼女自身の力の総量で本数が変化する。

 

 前回の訪問の際、俺のイワレを治すために力を使い、尻尾を一本減らしていた。

 このことが結界へと影響したのかと考えたがそれは関係無いらしい。

 

 「じゃあどうして今更綻びが出来たの?」

 

 そうなると他に原因があることになる。

 同じく疑問に思ったのであろう大神は神狐へと問いかける。

 

 「むぅ、まぁ経年劣化じゃろうな。」

 

 「結界って劣化するものなんだな…。」

 

 同じ結界をワザとして扱っているが、概念的に理解度が高いとはとても言えない。

 体感的にはちょっとやそこらでは劣化しないように感じたが、それが年単位でとなるとそうも言っていられないのだろう。

 

 「張ってからも長いからのう。

  大体…、ん?何年経ったのじゃ?」

 

 自分でも良く分からないらしく、神狐はぺたりと耳を倒して体ごと頭を斜めに傾かせる。

 しかし、それも無理はない。

 

 「ここ時間の感覚分からなくなりそうだもんな。」

 

 「確かにね、ウチも覚えてないかも。」

 

 イヅモ神社は年がら年中この気候、この天気で辛うじて日中かそうでないかの違いが把握できる程度だ。

 

 しかも人の出入りも無く、行事もない。

 何年もここで暮らしていれば、時間間隔は狂ったとしてもおかしくはないだろう。

 

 「まぁそんなわけでな、結界の修復をしたいのじゃが如何せん妾だけでは手が足らぬ。そこで主らにはその手伝いを頼みたいのじゃ。」

 

 大きな山を丸ごと覆い隠してしまう程の結界だ。彼女だけでは維持しつつ修復するというのも難しいのだろう。 

 

 「手伝いか…、俺は構わないけど、大神はどうだ。」

 

 そういう事情ならこちらに断る理由もない。

 むしろ世話になっている分、ここで恩返しとまではいかなくとも、何かしらの形で力になりたいというのが本音に近い。

 

 とはいえ自分一人で決めるわけにもいかない。

 

 「うん、ウチも手伝う。

  せっちゃん、修復ってどのくらいかかりそうなの?」

 

 大神にも確認を取れば、彼女も快諾する。

 

 「感謝するのじゃ。

  期間は…そうじゃな…ひと月程もあれば十分じゃな。」

 

 ひと月、それ程の期間ともなると一旦白上にも話は通しておいたほうが良いだろう。

 そう言った意味でも、一度シラカミ神社に帰る事は変わらない。

 

 神狐は話がまとまったことを把握すると、安心したように小さく息を吐き胸を撫でおろした。

 

 その仕草に少しだけ違和感を覚える。

 ただ手伝いを頼んでそれを承諾されただけにしては不相応な安心のしよう。

 

 「荷物の用意もあるであろうからの…。

  そうじゃな、明日にまたそちらに麒麟を送ることとする。」

 

 「分かった、ウチもフブキに一か月分のうどんを用意しなきゃだし。」

 

 しかし、それを指摘することも出来ないままに話は終わる。

 

 ふと生じた違和感。

 気のし過ぎだと自己完結して、それに蓋をした。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「あー、もう疲れましたー…、しばらく動きたくないです。」

 

 そう言ってぐったりと炬燵に入って溶けてしまっているのはシラカミ神社の神主である白上フブキ。

 

 現在地はシラカミ神社。

 

 あの後すぐに麒麟に乗ってイヅモ神社を出発し、シラカミ神社へと帰ってきた。

 例のごとく垂直落下の着陸であったが流石にそれにも慣れてきた。

 

 帰ってきてからは大量のうどんの仕込みをする大神の補助をし、軽く明日からの荷物を纏めていた。

 そうしていればオツトメを終えた白上が息も絶え絶えに帰ってきて、現在に至る。

 

 「お疲れのようで。」

 

 「ほんとですよ…、白上の体力はもうゼロです。」

 

 どうやらスタミナどころかHPまで削れているらしい。

 今回のオツトメは普段に比べて量が多かったようだ。

 

 「一か所に二人ずついてくれたのは良かったんですけど…、完全に焼け石に水でした。」

 

 最早顔を上げる気力もないのか尻尾だけを揺らして感情表現をしている、しかしその尻尾も心なしか力なく垂れている。

 

 「悪い、手伝えれば良かったんだけどな。」

 

 そうすれば、二人で分担して負担を軽減することくらいは出来たはずだ。

 

 「いえ、透さんの体の方が大事ですから。

  …それよりイワレの調子は如何ですか?」

 

 白上は顔を上げて、こちらに心配するような視線を向ける。

 大神がどこまで説明したのかは知らないが、彼女なりに心配してくれていたのだろう。 

 

 「あぁ、大神のおかげでもうほとんど問題は無い。

  まだ念の為にってワザの使用は禁止されてるけどな。」

 

 「そうでしたか、それなら良かったです。」

 

 そう言って笑う白上。

 こうしていると、何だか久しぶりにゆっくりと出来ているような気分になる。

 

 「ところで、白上は大神とは長いんだよな。」

 

 「ミオとですか?

  えぇ、それなりには。」

 

 急な質問に、白上は不思議そうにこちらを見る。

 自分から聞こうとしているのにもかかわらず、妙に気恥ずかしく感じた。 

 

 「…そのさ、昔の大神ってどんな感じだったんだ?」

 

 そう問いかければ、白上は過去を振り返るように一瞬宙を見上げ、そして話始める。

 

 「昔のミオですか…、そうですね、出会った最初の頃は少し思い詰めているというか追い詰められてるような印象でしたけど、何年かすれば今みたいになりましたね。」

 

 「へぇ、そんな時期もあったのか。」

 

 聞く機会の無かった二人の過去。

 それだけでも新鮮だが、自分の知らない大神もいるのだと当たり前のことだが再認識する。

 

 「それにしてもどうしたんですか?いきなり昔のミオの話なんて。

  何か気になるようなことでも…。」

 

 流石に唐突にこんなことを聞かれれば白上も察しが付くだろう。

 不思議そうに首を傾げたかと思えば、直ぐにニヤニヤとした笑みを顔に張り付ける。

 

 「透さん、もしかしてミオの事…。」

 

 「あー、まぁ、そういうことになる。」 

 

 自分で気づいて既に受け入れていることもあり、本人ならともかくそれ以外に勘づかれたのならわざわざ隠そうとは思わない。

 

 それでも微かに感じる気恥ずかしさにそっぽを向きながら肯定すれば、白上の笑みはより一層深まった。

 

 「そうでしたか、なるほどなるほど。」

 

 「…なんだよ。」

 

 腕を組んでしきりに頷く白上に胡乱な視線を向ける。

 

 「いえ、ずっと二人はお似合いだと思っていたので嬉しくて。

  ようやく止まっていた物語が前に進んだ気分です。」

 

 それにしては妙に含みがある、具体的に言えば生暖かく見守られるような感覚であった。

 

 「それで、透さんはミオのどんな所がきっかけで好きになったんですか?」

 

 聞きながら目をキラキラと輝かせる彼女を前にしてつい言葉に詰まる。

 改めて問われ、それを考えて、かっと顔に熱が集まる。

 

 「どんな所って…。

  まぁ色々とだ。」

 

 「その色々を聞いてるんじゃないですか。」

 

 ぐいぐいと詰めてくる白上。

 

 今日は妙に押しが強い。

 知りたいと思うその気持ちも分からないでもないが、当事者になってみると厄介なことこの上無い。

 

 神狐も興味津々であったが、狐族は他人の恋バナが好物だという習性でもあるのだろうか。

 

 「あー、そうだな…。

  きっかけは…。」

 

 これは恐らく話してしまった方が早い、そう判断し話し始めたその時であった。

 

 「二人とも、なんの話をしてるの?」

 

 うどんの仕込みなどを終えた大神が炬燵のある居間へとやってくる。

 

 「何でもない。

  ちょっと世界の真理についてな。」

 

 「ぶふっ…!」

 

 驚きと緊張で心臓が飛び出るかのような心地になるが、何とか抑え込んで咄嗟に誤魔化す。 

 その切り替え方から俺の心情を察したようで、白い狐は噴き出し、声を殺して笑っている。

 

 後で覚えてろよ。

 

 「そうなんだ。

  相変わらず二人は仲が良いよね。」

 

 「…大神?」

 

 どうやら誤魔化すことには成功したようだ。

 しかし、何故だろう。どこか大神が不機嫌そうに見えるのは。

 

 「ううん、ウチは別に気にしてないよ。

  フブキと透君が二人で秘密のお話をしてても、ウチには関係ないもん。」

 

 そう言ってぷくりと頬を膨らませてそっぽを向く大神。 

 前言撤回だ、全然誤魔化せていない。むしろ状況は悪化しているまである。

 

 「あーあ、透さん。どうするんですか?

  ミオが拗ねちゃいましたよ。」

 

 「ちょっ、いきなり梯子を外すな!?」

 

 完全に観戦に徹するつもり満々の白上はくすくすと笑いながら楽しそうにこちらを見ていて、助け船など出すつもりは当然ないようだ。

 

 「違うんだ、大神。

  別に大神の事を除け者にしてたわけじゃなくて。」

 

 これはマズイと、大神の機嫌を戻そうと必死に言葉を紡ぐ。

 

 「じゃあ何を話してたの?」

 

 「それは…。」

 

 俺が大神の事を好きになったきっかけだ。などと言えるはずもない。

 結果、何も言えず、大神はさらにつんとそっぽを向いてしまった。

 

 「つーん。」

 

 「だから誤解なんだって。」

 

 何とか誤解を、とはいっても実際は誤解でも何でもないのだが。

 とにかく機嫌を直そうと奮闘していれば、不意に襖が開き鬼の少女、百鬼あやめが姿を現した。

 

 「ただいまー…何かあったの?」

 

 「おかえりなさい、あやめちゃん。

  今面白くなってきたところなのでこっちで一緒に見ませんか?」

 

 「え、そうなんだ、余も見る!」

 

 そっぽを向く大神と必死に声を掛ける俺の姿に百鬼は最初こそ困惑していたようだが、白上に手招きされてすぐに嬉々として観戦者の一員へと変わり果ててしまう。

 

 もしかしてとは思ったがなるほど、この場に俺の味方は存在しないらしい。

 

 「みょーん。」

 

 顔を背けたまま謎の鳴き声を上げる大神。

 

 なんだその拗ね方、可愛いな。

 つい声に出そうになった言葉を飲み込んで宙を仰ぐ。

 

 どうしてこうなった、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、大神の機嫌が直るころには既に大きな満月が空の頂点へと至っていた。

 時間帯も時間帯ということで、四人できつねうどんを啜りながらそれぞれの予定について話し合うこととなった。

 

 「そんな訳で、ウチと透君は一か月くらいイヅモ神社に滞在することになったの。」

 

 「そうだったんですか。

  イヅモ神社が…。」

 

 経緯を説明すれば、白上も驚いたように目を丸くしている。

 それほどに、イヅモ神社の結界の件は衝撃的だということだ。

 

 「でも、それならしばらくはあやめちゃんと二人ですね。

  実は二人用の積みゲー沢山あるので一緒にやりましょうか。」

 

 にこやかに百鬼の方を向いて言う白上。

 しかし、当の百鬼は気まずそうに視線をさまよわせる。

 

 「ごめんねフブキちゃん。

  余もちょっとキョウノミヤコに滞在するからしばらくここを離れるの。」

 

 「えっ…。」

 

 そんな百鬼の言葉に白上は愕然として声を上げる。

 

 タイミングが悪いというか何というか、百鬼も同様に用事があるという。

 俺と大神はイヅモ神社へ、百鬼はキョウノミヤコへ。

 

 これはつまり…。

 

 「白上はしばらく一人きりなんですね…。」

 

 「そういうことになるな。」

 

 すると白上は見るからにシュンとして、ぺたりと耳を寝かせてしまう。

 確かに、ひと月もの間このシラカミ神社に一人ではその反応になるのも無理は無い。

 

 「…なら白上もイヅモ神社に行くのはどうだ?

  人手は多い方が良いだろうし。」

 

 ふと思い立って提案してみる。

 無論神狐に了承は取る必要はあるだろうが、俺よりも断然イワレの扱いは上手いし、知識もある。

 

 けれど白上は横に首を振る。

 

 「そうしたいのは山々なんですけど、参拝に来る方もいますし…。

  中には依頼のある方も来ることがありますので神社を長期間空けるわけにはいかないんですよ。」

 

 ずーんっといった効果音が背後に見えるかのような落ち込みよう。

 流石にその様子に、白上が可哀そうに思えてくる。 

 

 「イヅモ神社に行っても連絡するし、解決したらすぐに帰ってくるから。

  だからフブキ、元気出して。」

 

 「ミオー。」

 

 そう言って慰める大神へと甘える様にすり寄る白上。

 あの様子なら白上の事は大神に任せておいた方が良いだろう。

 

 「ところで百鬼は何をしにキョウノミヤコに行くんだ?」

 

 「えっとね、ちょっと困ってる人がいてね。

  その人の手助けをしに行くの。」

 

 もう一つ、気になっていたことを百鬼へと問いかければ、彼女は顎に指をあててそう答える。

 前々からキョウノミヤコへと朝から行っていたのはそれに関係しているのだろう。

 

 「…ねぇ、透くん。」

 

 「ん?」

 

 不意に百鬼が声を掛けてくる。

 どうしたのか、そう思いながら顔を向ける。

 

 「透くんは、もし…。」

 

 そこで、百鬼は一度口を閉じた。

 まるで聞こうか聞かまいか逡巡している様に見える百鬼の様子。

 

 「んーん、やっぱり何でもない。」

 

 「そうか?」

 

 聞きたいことがあるのなら遠慮などしなくても良いのだが。

 けれど百鬼がそう言うのなら、深堀はしないでおこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…透さん、少し良いですか?」

 

 夕食も食べ終えて、自室へと戻ろうとしていたところを不意に白上に呼び止められた。

 大神と百鬼は各々部屋へと戻っており既に居間にはいない。

 

 「どうした?」

 

 「話したいことがありまして、ここでは話しにくいので外に出ませんか?」

 

 話したい事。

 ここで話せないということは、何か重要な話なのだろう。

 

 白上の表情からもそれは読み取れる。

 

 「分かった。」

 

 了承して、白上と室外へと向かう。

 外に出れば、おもむろに白上は跳躍して屋根の上へと昇った。

 

 それに続いて同様に屋根の上に昇る。

 シラカミ神社の屋根の一番上まで上がって行けば、白上はようやくそこへと腰掛けた。

 

 空には輝く満月。

 標高が高いためか、この辺りから見る月はより綺麗に見える。

 

 「前にも同じような事があったよな。」

 

 「はい。」

 

 以前はキョウノミヤコだったが、同じように白上と話をしたことがあった。

 

 「それで、話って?」

 

 横の白上へと問いかける。

 わざわざ外に出てまで話したい事とは何だろう。

 

 「…少し、ミオについて話しておきたいことがありまして。」

 

 「大神について?」

 

 予想外の所から出てきた大神の名に思わず聞き返せば、白上は肯定するように頷いて見せる。

 

 「透さん、以前に話した内容は覚えてますか?」

 

 「あぁ、予言の内容を覆したって奴だろ。」

 

 内容自体は聞いていない。

 けれどあの状況だ、ある程度の推測は出来る。

 

 「あの時透さんのおかげで予言が覆って、その後ももう一度。

  ミオのあんなに嬉しそうな顔は初めて見ました。」

 

 思い出してか、白上の頬が緩む。

 けれど、すぐにそれは引き締められた。

 

 「あれでミオの悩みは全部解消したんだと、白上は思ってたんです。少なくとも聞いていたのはあれだけでした。

  けど、最近なんだかそれだけじゃない気がして。」

 

 口ぶりからして、俺を見つけた時点で一つ予言があって。それが白上の言う大神の悩みの種であったのだろう。

 白上はそれを過程はどうあれそれを知っていて、何とか出来ないか試行錯誤していたところに俺が現れて、結果予言は回避された。

 

 「つまり、大神には白上も知らない隠し事があると。」

 

 「はい。

  ただの気の所為かもしれないですけど、もしかしてあの予言とは別にもっと根本的な問題があるんじゃないかって。」

 

 予言とは別に。

 多分、ここでいくら考えても答えは出ないのだろう。

 

 信じがたいことではある。根拠も何もない。

 けれど、信じよう。

 

 白上と大神の仲の良さは知っている。

 その白上が何かある気がすると言っているのだ。それに俺自身、大神に関して気になる事はある。

 

 「だから、透さん。

  もしもの時は、ミオの事をお願いします。」

 

 そう言って、白上は頭を下げてくる。

 それだけで、今の話を信じるに足る。

 

 俺は万能でも何でもない、ただイワレを使えるだけの人間だ。

 だからすべてを救えるとは言わない、けれど最善は尽くせる。

 

 「分かった、その時は出来る限りの事をすると約束する。

  それに…。」

 

 白上はまるで俺に依頼でもするかのように言っているが、それは間違いだ。

 

 「白上にとって大神は親友だろうけど、俺にとっては想い人でもあるんだ。

  その人のためなら何でもするさ。」

 

 そう言えば、白上はぽかんとして目を瞬かせる。

 しかし次の瞬間にはその顔に笑みが浮かぶ。

 

 「お熱いですね、ひゅーひゅー。」

 

 「茶化すなよ。」

 

 言いながら笑みを返す。

 

 「それじゃあ、そろそろ戻りましょうか。」

 

 「だな。」

 

 夜はまだかなり冷え込む。 

 話も終わったところで早々に室内へと戻ることにした。

 

 玄関から二人中へ入る。

 それにしても、この場面をまた大神にでも見られたらまた拗ねてしまいそうだ。

 

 「あ、透君…に、フブキも…。」

 

 そうそう、こんな風に。

 

 「ん?」

 

 「あ、白上はここで失礼しますね。」

 

 そそくさとその場を後にする白上。

 しかし今はそれを気にしている余裕は無かった。

 

 脳裏に思い浮かんだ光景が目の前にある。

 一応と目をこすってから見直してみるが、やはり現実で。

 

 「…誤解だ!」

 

 「つーー-ん!」

 

 結局、この日のうちに大神の機嫌を直すことは出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 





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個別:大神 10


どうも、作者です。



 

 「あの…大神さん。」

 

 麒麟の引く荷台の中。

 恐る恐る目の前にいる少女へと声を掛ける。 

 

 「…。」

 

 一瞬、こちらへと視線を向ける彼女だが、すぐに横へと逸らしてしまう。

 その頬は今の彼女の感情を表すようにぷくりと膨らんでいる。

 

 「大神さーん。」

 

 「…つん。」

 

 再度呼びかけるが、唇を尖らせる大神には効果がないようでその唇が元に戻る様子はない。

 何かないかと辺りを見回せば窓の外から見える景色が目に映る。

 

 「あー…、外!

  いい景色だよなー。」

 

 「…そうだね。」

 

 むすりとしたままの彼女であるが、そこはちゃんと返してくれるらしい。

 相変わらずなその態度に笑みが漏れそうになるが、そんなことをすれば更にへそを曲げられかねないため、必死に抑える。

 

 しかし、状況が変わったわけでもない。

 

 大神の誤解は未だに解けていないまま。

 むしろより強固なものとなってしまっている。

 

 とはいえ、内容が内容なだけにそれを話すというわけにもいかない。

 

 (…予言より根本的な問題、ね。)

 

 昨日の白上との会話を思い出す。

 付き合いの長い白上ですら知らない、大神の根源。

 

 一体目の前の少女は何を抱えているのだろうか。

 気にはなるが、確かめる術がないのも確かだ。

 

 もどかしい気持ちを胸に外の景色へと視線を向けたまま、静かな時間だけが過ぎ去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ミオに透、よく来てくれたのじゃ。

  …ところで、話は変わるのじゃが…。」

 

 イヅモ神社に到着し、麒麟から降りてすぐに合流した神狐はそんな第一声と共に気まずそうに目を逸らす俺と頬を膨らませている大神を見比べる。

 

 「何があったのじゃ?」

 

 「…ちょっとな。」

 

 さしもの神狐も様子のおかしな俺達に戸惑いを隠せないようで困惑している。

 しかし、この雪の降りしきる中立ち話をするわけにもいかない。

 

 そう結論付けたようで、神狐は首を傾げつつも先導して歩き始めた。

 

 「のう、透よ。

  子細をはなしてみよ。あんなミオの姿は初めて見るのじゃ。」

 

 それに追従する形で歩いていれば、道中、こそりと神狐が耳打ちをしてくる。

 昨日の今日でこんな状況になっていれば気になるのも当然だろう。 

 

 「あぁ、実は…。」

 

 何か打開策が見つかるかもしれないと淡い希望を抱いて、神狐へと事の顛末を話す。

 

 「ほほう、つまりミオのあれは嫉妬ということかの。」

 

 「そう…なるな。」

 

 取り合えず白上との会話の内容は伏せて概要だけ伝えれば、事情を把握した神狐は意を得たと言わんばかりに頷く。

 

 嫉妬。

 まぁ、それ以外に要因は考えられない。

 

 自分だけ除け者にされて良い気分にはならないだろう。

 しかしそれが分かったところで彼女の機嫌をどう直したものか、それが分からなければ意味が無い。

 

 「主も隅に置けぬのう」

 

 そう言って神狐はにやけ顔をこちらに向ける。

 

 「馬鹿言え、そういうのじゃ無いって。」

 

 「そうかのう、妾にはそう見えるのじゃがな。」

 

 揶揄うように笑う神狐を前に、若干頬が熱くなる。

 仮にそうなのだとしたら素直に嬉しいとは思う。しかし、仮定は仮定だ。

 

 それに、気になる事もまだ残っている以上、安易にそちらの方向には考えたくは無い。

 

 「とにかく、今は大神の機嫌を直すのが先決で…。」

 

 「二人とも楽しそう。」

 

 「へ…?」

 

 横合いから飛んできたそんな声に振り向けば、そこには膨れ顔でこちらにジト目を送る大神の姿。

 

 「透君、最近色んな女の人と仲いいよね。」

 

 「え、いや、そんなことは…。」

 

 そっぽを向きながら言う大神。

 むしろ最近一番話をしているのは大神だと思うのだが。 

 

 これでは機嫌を直すどころか逆の結果を招いてしまっているという事実に泡を食う。

 

 「…妾も嫉妬の対象じゃったか。」

 

 「言ってないで助けてくれ…。」

 

 予想外の事実が発覚したとばかりに目を丸くする神狐に助けを求めるが、彼女には聞こえていないようだ。

 

 「やっぱり…。」

 

 大神からは、それも自分に隠れて二人が会話をしている様にしか見えないようだ。

 悪化の一途を辿る状況に頭を抱えたくなる。

  

 さて、どうしたものか。 

 どうしようもないだろう。

 

 ある種の諦観から宙を見上げる。

 ひと月のイヅモ神社への滞在、その開幕は何とも不安に満ち満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イヅモ神社の宿の一室。

 やはりというべきか、一部屋しか用意されていなかったその部屋に大神と二人それぞれ荷解きをする。

 

 だが一つだけ、気になる事がある。

 

 「…。」

 

 「じー…。」

 

 先程から背中に感じる視線。

 誰の、などとは考えずとも分かる。

 

 ちらり、とその視線の出所へと目を向ける。

 

 「…っ。」

 

 すると、ぱっと目を逸らす大神の姿が視界に映る。

 隠す気があるのか無いのか、これに対してどう対応するのが正解なのだろう。

 

 何も思いつかないため、そのまま何もせずに荷物へと視線を戻す。

 しかし、少しするとすぐにまた同じように背中へと視線が突き刺さる。

 

 そこに込められる意味は何だ。

 彼女の意図が読めない。

 

 もう一度、ちらりと大神を見るが、やはり目は合わない。

 意地でも目を逸らすつもりか、ならばこちらも意地だ。

 

 何故か生じた対抗心に突き動かされて、また荷物へと視線を戻す。

 

 そう見せかけてのフェイント。

 タイミングを見計らって、素早く大神へ目を向ける。

 

 「あっ…。」

 

 そうすれば予想通り、またこちらを見ようとした大神とばっちりと目が合う。

 

 流石にこれでは逃れられまい、そう思ったのも束の間。

 すーっと、静かに大神の目線が横へとずれていく。 

 

 「いやいや、それは無理があるだろ。」

 

 「あ、あはは、そうだよね…。」

 

 大胆な行動に一瞬騙されかけるが、すぐに正気に戻ってツッコミを入れれば大神は気まずそうに笑みを浮かべる。

 

 まぁ、本人からしてみれば理由も無く除け者にされていると感じれば気になるだろう。

 

 「…あのさ、大神。」

 

 「うん、分かってる。」

 

 やはり誤解だけでも解いておこうと口を開いたところでそんな大神の声が聞こえてくる。

 驚いて彼女を見れば、大神は改まった様子で真っ直ぐとこちらに顔を向ける。

 

 「透君やフブキがわざとウチを除け者にしない事は、ウチも分かってるの。」

 

 「大神…。」

 

 そう言う大神は、それでもと言葉を続ける。

 

 「けど、分かっていても、なんだか心がざわついちゃって。

  自分の感情が上手く制御できなくって。」

 

 その結果つんつんしてしまったと。

 しかし、あれはあれで可愛かった、もとい自然な反応ではあるのも事実だ。

 

 「ごめんね、透君。

  ウチ、こんな事初めてで…。」

 

 「元々の原因は俺の行動だ。

  …それに。」

 

 何やら申し訳なさそうに言っているが、ここに気が付かないとはいつも鋭い大神らしくない。

 

 「それが分かってるなら、俺がこのくらいの事は気にしないって事も分かるだろ?」

 

 まだ短い付き合いだが、それでもある程度は互いの事を知ることが出来ているはずだ。

 それを聞いた大神は大きくその目を見開いて、そして次の瞬間、力が抜けたようにその顔には笑顔が灯る。

 

 「ウチもまだまだだね。」

 

 「あぁ、そうみたいだな。」

 

 そんな彼女の姿を見て、ほっと胸を撫で下ろす。

 良かった、やはり曇った表情よりも笑顔が似合ってる。そう思うのは、やはりこの恋心故なのだろうか。

 

 「よーしっ、それじゃあ荷解きも終わったし一回下に降りよっか。」

 

 少しして、荷解きが終わるタイミングを見計らった大神が言う。

 大神の機嫌を直すことばかりに思考が寄っていたが、このイヅモ神社に来た本来の目的は別にある。

 

 結界の修復。 

 神狐に依頼されてひと月滞在することになったのだ。

 

 危うく目的を見失う所であった。

 気を取り直すように自らの頬をたたく。

 

 「そうだな、神狐も準備が出来たら顔を出すだろうし。」

 

 依頼人である神狐は例のごとくイヅモ神社に到着するや否やその姿をくらませていた。

 相変わらず何処で何をしているのか不明な彼女だが、そのうち出てくるだろうと大神と意見は一致している。

 

 結界の修復とはいっても、その概要はまだ説明されていない。

 

 「何をするんだろうな。」

 

 「ね、ウチもよく知らないんだよね。」

 

 などと二人話しながら入り口の襖を開く。

 すると、不意に視界の下の方に金色の獣耳が映る。

 

 この神社で金色で小さいと言えば神狐しかいない。

 どうやら部屋の前まで来ていたようだ

 

 「神狐か、丁度今…。」

 

 足を止めて視線を下へと下げれば映り込んだその光景に、思わず言葉が途切れる。

 

 「どうしたのじゃ、ご主人様?」

 

 そこには白いフリルをあつらえたメイド服に身を包む金色の狐の少女の姿があった。前に一度だけ身に着けていたのを見たことがあるが、なぜ今その格好に。それとご主人様って。

 

 「…。」

 

 思考が渋滞を起こし、口を開けてただ絶句する。

 

 「せっちゃん…?」 

 

 「おぉ、ミオよ!」

 

 同じく戸惑っているような声で声を掛ける大神に気が付いた神狐はぱっと顔を輝かせて声を上げた。

 

 「ほれ、見ての通りじゃ。

  妾と透は主従関係なだけでの、決して主の思うておるような関係では無いのじゃ!」

 

 「…は?」

 

 そう言って手を広げる神狐に、流石に脳を再起動させる。

 主従関係、何だそれは。そんなもの結んだ記憶は無い。

 

 つまり、これはただの嘘。

 大神に誇示するように言ったのは、大神の誤解を解こうとしてか。

 

 「…へぇ。」

 

 しかし、それを理解できるのは当事者の俺だけで。

 後ろにいるはずの大神が聞いたことの無いような冷たい声を発する。

 

 それはそうだ、傍から見れば見た目の幼い少女にご主人様と呼ばせるという中々マズイ奴にしか見えない。

 

 恐る恐る後ろを振り返れば、瞳孔の開いた肉食獣の瞳をこちらに向ける大神。

 

 「まて大神。

  早まるな、神狐はさっきの誤解を解こうと…。」

 

 「そう、ご主人様とは何も無いのじゃ。

  先日一緒に温泉に入ったのもご主人様の背中を流しておっただけなのじゃ。」

 

 「一緒に温泉…。」

 

 ただでさえ手の付けられない状況に更に爆弾を落とす神狐に手で目元を覆って宙を仰ぐ。

 

 終わった。もう大神を見れない。

 

 「…うむ?

  透よ、何故かミオの様子がおかしいのじゃ。一体何をやらかしたのじゃ?」

 

 「たった今、お前がな。」

 

 神狐は大神に聞こえないように小さな声で言うが、原因は彼女自身である。

 一応神狐も何とか誤解を解いてくれようとしてくれた、それはありがたいと思う。

 

 しかし、現状先ほどよりも確実に状況は悪化していた。

 そのため、素直に感謝が出来ない。

 

 完全にこじれたが、これ収拾は付くのだろうか。

 そんなことを考えていればおもむろに大神は無言のままゆっくりと前に出て神狐へと近づく。

 

 「もう、せっちゃん。冗談も程々にしなさい。」

 

 「む…。」

 

 そして神狐へと向けられたその言葉にはっとして思わず彼女へと視線を向ける。

 この口ぶり、もしかして…。

 

 「大神、冗談って。」

 

 「流石にウチも分かるよ、せっちゃんの悪ふざけだって。

  最初はびっくりしたけど、よく考えたらそんな暇も無かったし。」

 

 どうやらあれは驚いていただけらしい。

 紛らわしい表情にすっかり勘違いをしてしまった。

 

 「しかしミオよ、確かに主従関係は嘘じゃが。温泉は…。」

 

 「神狐、もう十分だ。気を使ってくれてありがとうな!」

 

 強引に会話を終わらせて、また余計なことを言おうとした神狐を遮る。

 丸く収まったところに再点火されては堪ったものではない。

 

 幸い大神は怪しんでいる様子は無い。

 

 「それでせっちゃん、さっきみたいな冗談は良くないと思うよ。

  透君も困るでしょ。」

 

 「むぅ、じゃが…。」

 

 「じゃが、じゃないの。」

 

 確か神狐は大神の母代わりだと聞いていたが、目の前の光景を見るに逆だと言われた方がしっくりとくるのは俺の気のせいでは無い筈だ。

 

 助けたい所だが、変に口を出すとまたいらぬ誤解を招きかねないため神狐には犠牲になってもらう他ない。

 

 大神による神狐への小言はそれからもしばらく続くこととなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「それでは気を取り直して、結界についてなのじゃが。」

 

 こほんと空気を切り替える様に咳ばらいを一つ入れると神狐は喋り始める。

 とても先ほどまで叱られていたようには見えない。

 

 場所は一階の広間、ベンチに腰かけて今回の滞在の目的について説明を受ける。

 

 「不安定になったのは、やはり経年劣化によるもののようでな。

  安定させるには全体的に補修をする必要があるのじゃ。」

 

 「全体か…。」

 

 イヅモ神社を取り囲む結界はかなりの大きさを誇る。

 そのため予想はしていたことだが、やはり一筋縄ではいかなそうだ。

 

 「主らに手伝ってもらいたいのは結界を修復する際の補填じゃな。

  補修部を張りなおす間の穴を埋めて貰いたいのじゃ。」

 

 「分かった。」

 

 神狐に大神と揃って頷きを返せば、神狐は小さく笑う。

 

 「説明はそんな感じじゃな、何か気になる事はあるかの。」

 

 そう言って、確認するように神狐は俺と大神を見る。

 

 「じゃあ、具体的にどうやって穴を埋めるのか聞いても良いか。」

 

 結界の穴を埋めると一概に言われても、それをどのようにするのか知らなければどうしようもない。

 事前に聞けるうちに聞いておいた方が良いだろう。

 

 「あぁ、それなのじゃが妾が用意する水晶玉にイワレを籠めてくれれば良い。

  そうすれば自動的に割り振ってくれるのじゃ。」

 

 「やることは結構単純なんだな。」

 

 予想していた以上にやることは少ないようだ、本当に俺や大神の手伝いが必要なのかすら怪しく感じる。

 

 それにしても水晶玉か。

 

 そう言えば大神の占星術も水晶玉を使用していた。

 あれと似たようなものなのだろう。

 

 「難しいよりは良いじゃろう。

  他に気になる事はあるかの?」

 

 再びの問いかけ。

 一応、聞いておくべきことは聞けため他には特にない。

 

 「いや、俺はもう大丈夫だ。」

 

 「ウチも聞いておきたいことは今のところないかな。」

 

 大神の答えも聞いたところで、神狐は満足げにその尻尾を揺らす。

 

 「うむ、では作業をするのは明日からになる故、今日はゆるりと過ごすがよい。」

 

 それだけ言い残すと、神狐は再びどこかへと去って行ってしまう。

 明日からということは、まだ何かしら調整でも必要なのだろう。

 

 「にしても…、神狐はあれ気に入ってるのか?」

 

 神狐の恰好を思い出して隣に座る大神へと問いかける。

 ここまでの説明の間、終始神狐はメイド服のままであった。

 

 どこかのタイミングで着替えてくるのかと思いきや、そのまま進めるものだからどう突っ込んで良いものかと頭を悩ませていたのだ。

 

 「服だよね。

  せっちゃん、そこまで服装にこだわってるイメージは無いんだけど…。」

 

 「何であんな服持ってるんだろうな…。」

 

 先月の滞在時にはそこまで気に留めていなかったが、神狐は何のためにメイド服を仕入れたのだろう。

 彼女の密かな趣味だったりするのだろうか。

 

 しかし、それは別として。かなり似合っていた。

 あまり見かけない服装なだけに新鮮さもある。

 

 もしかして大神用のメイド服も用意していたりしないのだろうか。

 

 「…?

  どうしたの?じっと見て。」

 

 「あ、いや。

  何でもない。」

 

 メイド服を着た大神の姿を想像していれば、目の前の彼女に不思議そうに問いかけられてすぐに思考を中断する。

 

 「それより時間空いたな…。」

 

 「そうだね…。」

 

 二人、座ったままぼーっとする。

 何をして時間を過ごそう、そう考えたところでふと思いつく。

 

 「あ、じゃあ大神。

  イワレの鍛錬に付き合ってくれないか?」

 

 そう言えば早朝から出発したこともあり、今日はまだできていなかった。

 

 「うん、勿論。

  じゃあ今日は…。」

 

 頼めば大神は快諾してくれて、そして互いの手を取った。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 






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個別:大神 11


どうも、作者です。

7万UA突破、感謝。



 

 

 イワレの鍛錬を終えて、その後も大神と二人ゆっくりと過ごしていればいつの間にか日の沈む時間帯になっていた。

 ついぞ神狐は姿を現すことは無かったが、まだ終わっていない調整を行っているのだろう。

 

 「んー、じゃあ今日は焼き魚定食で。」

 

 「ウチはぼんじり定食をお願い。」

 

 テーブルに座ると同時に注文を聞きに来た割烹着を着たシキガミへと伝えれば、一礼してシキガミは去っていく。

 

 「…。」

 

 それを見届けつつ、何となく目の前の少女へと目を向ける。

 

 「ん、どうしたの?」

 

 「あぁ、いや。」

 

 流石に正面から見られれば気になるようで首を傾げて聞いてくる大神。

 

 「大神…誰かに頼むときは基本的にぼんじり定食だよな。

  白上もだけど大神も大概だなって。」 

 

 いつもは大量のきつねうどんを頼む白上の陰に隠れているが、こうしてそれが無くなって見てみると顕著に表れてくる。

 ちなみに、二日前に泊まった時にもぼんじり定食を彼女は頼んでいた。

 

 大神自身が調理するときは日ごとに献立は変わっているのだが、そうでない時は大体ぼんじり定食だ。

 

 「…だって、好きなんだもん。」

 

 恥ずかしいのか、少しだけ頬を赤く染めて大神は言う。

 

 「白上と大神ってそういう所似てるな。

  俺は同じものだと三日も持たない。」

 

 別に食べれないということは無い。 

 けれど、三日目以降はいくら美味しいと言っても飽きが出てくる。

 

 それなら色々なものを万全の状態で美味しく頂く方が良いと考えてしまう。

 その点、ずっと美味しそうに食べれる彼女たちが少し羨ましい。

 

 「確かに、透君好き嫌いあんまりないよね。

  作る側としては助かるけど…何かこれは大好物!みたいなものはあるの?」

 

 「大好物、か…。」

 

 大神に問われて考えてみる。

 

 ウツシヨではどうだったか知らないが、このカクリヨに来てからは様々な料理を食べた。

 しかし、その中で何が一番だったかと問われれば答えに迷う。

 

 「そうだな…あえて言うなら、大神の作る料理とか?」

 

 「え?」

 

 不意に頭に浮かんだ答えを口に出せば、思いのほか自分の中でもしっくりとくる。

 このカクリヨで一番多く口にしたのは彼女の料理だ。

 

 その影響か、彼女の料理には妙な安心感を覚える。

 

 「あの、その…、ありがとう、ございます。」

 

 そう言って、大神は俯いてしまう。

 

 「いや、こちらこそ…。」

 

 彼女との間に、気まずい空気が流れる。

 確かに、本人を目の前にはっきりと言い過ぎた。

 

 遅れてやってくる羞恥に耐えていれば、タイミングよくシキガミが料理を持ってきてくれる。

 

 「じゃ、じゃあ早速食べよう。」

 

 「う、うん、凄く美味しそうだね。」 

 

 二人、そんな空気を払拭するように取り繕いながら箸を取る。

 大神の料理もそうだが、ここの料理も十分以上に美味しい。

 

 「透君、一口いる?」

 

 「良いのか?なら貰おうかな。」

 

 魚の身ををほぐしつつ、食べていればふと大神に勧められる。

 

 「はい、あー…あっ…。」

 

 一口程に切り分けたぼんじりを箸でそのまま皿ではなくこちらに差し出してくる大神。

 ほとんど無意識でやったことなのだろう、途中でそのことに気が付いた彼女はぴたりとその動きを止めた。

 

 「…透君、早く食べて…。」

 

 「え、続けるのか!?」

 

 止まっていた彼女の続行宣言。

 まさかそのまま突っ切るとは思わず、驚愕の声を上げる。

 

 「だ、だって、もう引っ込みつかないし…。」

 

 「だからってな…。」

 

 プルプルと体を震わせる大神を前にもう覚悟を決めるしかないかと腹をくくり、差し出されている箸に半ばやけくそでかぶりつく。

 

 「…うん、美味い。」

 

 「だ、だよね。ぼんじり、美味しいよね。」

 

 ぎこちない会話。

 うるさい鼓動から目を背けつつ、ほぐした魚の身に醤油をたらした大根おろしを乗せる。

 

 「大神、口を開けろ。」

 

 「へ?」

 

 言いながらそれを箸で持ち上げて彼女の方へと差し出せば、大神は素っ頓狂な声を上げた。

 

 「へ、じゃなくて。

  ぼんじり貰ったからな、そのお返しだ。」

 

 そう、これはただのお返しだ。

 決して、先ほどの仕返しなどの意味合いなどは、決して、含まれていない。

 

 「透君、絶対根に持ってる…。」

 

 「さぁ、なんのことだろうな?」

 

 大神は何やら勘づいたようで少しの葛藤を見せるが、しかし先ほど自分がしたことでもある以上逃げることも出来ないのだろう。

 

 「はむっ…!」

 

 意を決したように目をつむると、その頬を朱に染めたままぱくりと食らいつく。

 彼女の両耳はぺたりと伏せられて、何とか顔を隠そうとしている様にすら見える。

 

 「お、美味しいです。」

 

 「…それは、良かった。」

 

 ほんの意趣返しのつもりだった。

 しかし、何故だろう。これはこれで何やらぐっとくるものがある。

 

 その姿を見て大きく跳ねた心臓を宥める様に胸に手を置く。

 互いに頬を赤く染めながら、しばらく食事は続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゆっくりと湯の中へと身をつければ、自然と息が肺から押し出された。

 体の芯から温まる、それと同時にぴりぴりとしたイワレが整えられる感覚。

 

 夕食後温泉へ入ることにして、大神とは入り口の前で分かれた。

 

 「…熱いな。」

 

 妙にふわふわとした感覚が胸に残っている。そして未だに熱い自らの顔。

 それもこれも、全て温泉の所為にして空を見上げる。

 

 暗い曇り空。

 それは星の光はおろか、月明かりすらも遮ってどんよりと重くそこにある。

 

 ここの気温が低くて助かった。

 頭を冷やせていなければ、とっくに茹っているところだ。

 

 「大神、ミオ…。」

 

 ぽつりと、想い人の名を呟く。

 まさかここまで心をかき乱されるとは思わなかった。

 

 最初だけかと思っていれば、彼女への想いは今なお天井知らずに膨れ上がっていく。

 

 「ミ…っ。」

 

 苗字でなく名前を口に出しかけて、やはりやめる。

 いや、やめるではない。声に出そうとして、襲われた羞恥に口を噤んだだけだ。

 

 多分、白上や百鬼が相手ならこうはならない。

 声に出せないのは、相手が…。

 

 「あー…、完全にやられてるな。」

 

 もう後戻りは出来ない。

 自覚した時からそんな気はしていたが、自分で思っている以上に俺は大神の事が好きなようだ。

 

 「埋まりたい…。」

 

 けれど、だからと言って感じる羞恥が消えるわけでもない。

 むしろこれからどうするつもりなのかと、自らに問いかける

 

 ひと月の間そんな彼女と同室で過ごすことになるのだ。

 意識するな、という方が無理な話である。

 

 「…。」

 

 ぼんやりと空を見上げていれば収まるかとも考えたが、そう上手くはいかない様だ。

 課題は積み上げられるばかりで一向に解決の目途も立たない。

 

 「どうしたもんかな…。」

 

 零したその呟きは寒空の彼方へと消えていく。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 考え事をしていれば、少し長湯をしてしまった。

 温泉から上がり、広間へと出れば既に大神は出てきており、ベンチに座っている。

 

 「ミ…大神、もう上がってたのか。」

 

 先ほどの名残か、つい名前を呼びそうになって慌てて切り替える。

 声を掛ければこちらに気が付いた大神は顔を上げる。

 

 「あ、透君。うん、透君は結構長かったね。

  ここの温泉気に入ってくれたの?」

 

 「あぁ、やっぱりいいな、温泉。

  一か月後に水浴びに戻れるか心配になるくらいだ。」

 

 温泉というだけでも十分なのに体どころか魂の疲れが取れて、それに加えてイワレの調整と効能が盛りだくさんなここの温泉に慣れてしまっては、ただの水浴びでは満足できなくなってしまいそうだ。

 

 「近くの村にも銭湯はあるけど、それなりに距離はあるもんね。」

 

 「そうなんだよな…、でもシラカミ神社に帰ったらもっと頻繁に行くかもしれない。」

 

 けど道中で汗をかくのも…いや、気温が低いからそこまで気にならないか?

 

 などと一人百面相をしていると、大神はくすくすと小さく笑い声をあげる。

 何事かと不思議に思っていれば、彼女もそれに気が付いたようでこちらに視線を上げた。

 

 「ごめんごめん。

  なんだかあの場所が透君の帰る場所になれてるんだって思ったら嬉しくて。」

 

 あの場所というと、シラカミ神社の事だ。

 

 「なんだ、そう言うことか。

  確かに最近自然に考えるようになった。」

 

 言われてみると、シラカミ神社は帰るべき場所だと感じるようになっている。

 現状唯一の居場所であるともいえるが、それを差し引いてもやはりあの場所は居場所だと思える。

 

 「ウチね、透君と会えて良かったって思ってる。」

 

 「あぁ、俺もだ。」

 

 本当に、このカクリヨに来ることが出来て良かった。

 心の底からそう思う、仮に出会いが必然であったとしてもそれは変わらない。

 

 二人笑い合うと、大神はおもむろにゆっくりと立ち上がる。

 

 「…透君。

  少し、歩かない?」

 

 その誘いを断るはずもなし。

 二つ返事で了承して、二人、宿の外へと足を向けた。

 

 先ほど温泉でも見たばかりだが、やはり空は雲に覆われていて明かりは辺りにある神狐の扱う狐火くらいだろうか。

 

 暗くはあるが、それでも歩けない程ではない。

 そんなイヅモ神社の小さな街並みを大神と共に歩く。

 

 「まだ覚えてる?

  案内が必要な場所があったら言ってね。」

 

 「ありがとう、ちゃんと覚えてるよ。

  例えば…あそこの池で魚を飼ってたんだろ?」

 

 丁度良く目についた氷の張ってしまっている池を指さして記憶をたどる。

 前に案内して貰った時に、神狐とその魚を見ていたと言っていた。

 

 「正解、よく出来ました。」

 

 「お褒めに預かり光栄です。」

 

 芝居がかった口調で返せば、大神は小さく笑う。

 そのままゆっくりとその池へと目を向ける。

 

 「ね、透君。」

 

 「ん?」

 

 不意に名を呼ばれる。

 池へと目を向けたまま小さく返事を返せば、ゆっくりと彼女は口を開く。

 

 「実はウチね、昔の記憶が曖昧なの。」

 

 何となく、そんな気はしていた。

 だからそこまで驚きは無い。けれど、本人の口から改めて聞くと少なからず衝撃はある。

 

 「昔って、どのくらい?」

 

 「イヅモ神社の結界が張られた頃から前の記憶。」

 

 つまり、今の状態のイヅモ神社の記憶はあるがそれ以前の記憶が曖昧と。

 やはり何かあったのだ。イヅモ神社に結界が張られて、人がいなくなる原因となった。

 

 「ある程度はせっちゃんから聞いてるんだけど、ウチ自身の記憶だと大分ぼんやりしてる。」

 

 「…何があったんだ?」

 

 少し、踏み込んだ質問をした。

 そんな自覚はある、けれどここは踏み込むべきだとそう思った。

 

 幸い、大神はその問いに答えてくれる。

 

 「イヅモノオオヤシロが近くにあることは覚えてるでしょ?

  元々ここがイヅモノオオヤシロで、都市が今の場所に移ることになったらしくてね。その時にちょっとした暴動が起こって、ウチは何かの拍子で強く頭を打ったんだって。」

 

 それを聞いて思わず彼女の頭部へと目がいく。 

 目立った外傷の傷跡などは見えない、けれどその衝撃で記憶が飛んだと考えるのが普通か。

 

 「せっちゃんはその時に沢山力を使ったみたいでね。

  その上、結界を張った影響でかなり力を失ったみたい。」

 

 神狐は元々九つの尻尾を携えていたという。

 いわゆる九尾の狐だったのだろう。

 

 それが出会った時には三本、今では二本にまで減っている。

 

 「…それで、今の状況に繋がるのか。」

 

 確認するように言えば、こくりと大神は頷いて見せる。

 

 「多分、そうなんだと思う…?」

 

 しかし、そんな大神は何処か自信が無さげだ。

 その気持ちは少しは理解できる。

 

 こんな事があったと言われてもその記憶が無ければ確証が持てないのも仕方がない。

 

 「何となく透君には話しておきたくなったの。

  ごめんね、付き合わせちゃって。」

 

 「いや、俺も気になってたし。

  話してくれてありがとな。」

 

 申し訳なさそうに言う大神だが、途中聞いたのは俺の方でもある。

 

 「じゃあ、真面目なお話はもうおしまい。

  それよりね…。」

 

 話題を切り替えて今度は笑顔を浮かべて口を開く彼女の話に耳を傾けながら、先ほどの話について自分なりに整理する。

 

 昔に暴動が起きて、その時に大神は頭を打ってそれより前の記憶が曖昧になった。

 そう言うことなら大神に所々記憶が無いと言われても納得できる。

 

 けれど、恐らくこの話は大神の抱えている問題のほんの一部に過ぎない。

 

 繋がりこそあれど本質とはかけ離れている。でなければこんな風に話はしないだろう、仮にそうなのだとしたら白上が知らないとは思えない。

 

 つまり、他にもある。

 大神の隠している、彼女自身の何らかの事情が。

 

 「でね、せっちゃんってば…。」

 

 目の前で花のような笑みを咲かせる狼の少女。

 解決できるのなら、解決したい。彼女のためにも。

 

 新たな決心が胸に灯る。

 

 「…透君、聞いてるの?」

 

 そう言ってこちらの顔を覗き込んでくる大神。

 

 「ん?あぁ、神狐が盛大にやらかしたんだろ?」

 

 「こらっ、概要だけで乗り切ろうとしないの。」

 

 大雑把に把握していた内容で伝えれば、そんな言葉と共にぴしっと額にデコピンをお見舞いされてしまう。

 やはり話をしながら考え事は出来ない。

 

 「悪い、もう一回頼む。」

 

 考え事はここまでにして、大神に許しを請う。

 

 「もう、仕方ないなぁ。」

 

 彼女がどんな事情を抱えていようと、目の前の少女の優しさは変わらない。この胸に灯る恋心も変わらない。 

 

 今は、それで良しとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばらく辺りを歩いて話をしてから、宿へ戻りあてがわれた部屋へと入る。

 

 「…あ、透君。

  尻尾の手入れ、お願いしても良い?」

 

 「良いんですか!?」

 

 後は寝るだけ、そう考えていた際の大神の言葉に思わず食い気味に反応してしまう。

 

 「えっと、やっぱり…。」

 

 その反応を受けて大神はこちらに手渡そうとしていたブラシを仕舞おうとする。

 

 「ごめん、驚いただけなんだ。

  お願いします手伝わせてください。」

 

 「そんなに必死にならなくても…、じゃあ、お願い。」

 

 懇願した甲斐もあり、尻尾のブラッシングという栄誉を賜ることに成功する。

 

 「本当、透君尻尾と耳が好きだよね。」

 

 笑い半分、呆れ半分な大神にそう言われるが、彼女は分かっていない。

 

 「そりゃ、大神みたいに尻尾が自前であると分からないだろうが、尻尾ってのは至高なんだ。

  出来れば四六時中触っていたいくらいにな。」

 

 何となく、ブラッシングしている大神の尻尾がこわばった様な気がした。

 

 「へ、へー、そうなんだ…。

  フブキなら透君が頼み込んだら触らせちゃいそう…。」

 

 「それブーメランだからな。」

 

 現在進行形で触らせているのに何を言っているのだか。

 だが、しかしそうか。白上も頼めば触らせてくれるかもしれないのか…。

 

 「…透君、今帰ったらフブキに触らせてもらおうって考えてるでしょ。」

 

 「え、なんでわかっ…。

  あーっと…。」

 

 そこまで口にして、ようやく鎌を駆けられたことに気が付く。

 しかし、気づいたところで既に後の祭りである。

 

 後ろから見ても分かるほどにぷっくりと膨らんだ大神の頬。

 

 「透君、ウチ以外の尻尾と耳触るの禁止。」

 

 「え…、なんで。」

 

 「なんでも!」

 

 そう言って拗ねてしまう大神。

 

 しかし、こちらとしては大神の尻尾は触っても良いと許しが出たことに喜べばいいのか、それ以外を禁止されたことを嘆けばいいのか、両側から挟まれてしまう。

 

 いくら考えども答えは出ず、その葛藤は一晩中続くことになった。

 

 結局、答えが出たのはしばらく考え込んだ末。

 大神の尻尾が触れるのならやむなしということで纏まった。

 

 こうして俺と大神、そして神狐のひと月の生活は幕を上げたのであった。

 

 





気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム。


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個別:大神 12


どうも、作者です。
以上。


 

 目が覚めて体を起こす。

 まだ窓の外に光は無く、暗闇のみが辺りを覆っている。

 

 あくびを一ついれて意識を覚醒させていれば、不意に横で微かな音が聞こえる。

 

 視線を向けて見れば、そこには隣のベットでまだ目を閉じて小さな寝息を立てる可憐な狼の少女の姿があった。

 

 「…大神の寝顔って、珍しいな。」

 

 大神の朝は基本的に早い、その上昼寝などもしているところは見ないため必然的に寝顔を見る機会など巡ってこないのである。

 

 今朝はいつもより早く目が覚めてしまったのか、それとも大神がいつもより長く眠っているのか。

 どちらにせよ中々無いことだ。

 

 「ん、んぅ…。」 

 

 すると、その呟きに反応してか大神が身じろぎをしてその体を起こす。

 そして起き上がった彼女とぱちりと視線が交差する。

 

 「透君…。」

 

 「あぁ、おはよう、大神。」

 

 名を呼ばれたので軽く手を上げて声を掛けるが、しかし、寝ぼけているのか大神は無言のままぼんやりとこちらを見つめる。

 

 こんなにもぼーっとしている大神は初めてでどこか新鮮な気分を感じていると、不意に大神はこちらに向かい手招きをする。

 

 「どうした?」

 

 不思議に思いながらも、取り合えず彼女の意向通りにそのまま近づいてみる。

 

 変わらずにこちらを捉える瞳。

 しばらく大神はそのままの体制でいたが、おもむろにその手が伸ばされた。

 

 「ん?」

 

 その手はしっかりと俺の首の後ろへと当てられ、一応しっかりと床に足をつけていたのだが抵抗する暇もなく、ぐいと彼女の元へと引っ張られる。

 

 「ちょっ、大神!?」

 

 「ぎゅー…。」

 

 驚きのあまり声を上げるが、大神はそれに気にした風もなく両腕を首の後ろへと回して体を密着させる。

 

 一気に顔に熱が集まるのが分かる。

 一旦離れようにもしっかりとホールドされており、抜け出すことは出来ない。

 

 何故カミというのは変な所でその真価を発揮するのだろうか。

 

 現実逃避気味にそんなことを考えていれば、首元に腕を回したままで頭へと手が置かれる。

 

 「よしよーし、いつも鍛錬頑張ってて、透君は偉いねー。」

 

 そんな言葉と共に頭を撫でられる。

 

 「待て、褒められるのは嬉しいがその褒められ方は甚だ不本意だ。」

 

 まるで幼子を相手にするかのようなその仕草に少なからず精神的ダメージを受ける。

 

 「でも…あ、じゃあ透君もウチの事撫でる?」

 

 何とか少しだけ距離を開ければ、大神は至極残念そうな表情を浮かべながらもパタパタと耳を動かした。

 

 「そういう意味じゃなくて…あー、完全に寝ぼけてるな。」 

 

 「透君といると、なんだか落ち着くー。」

 

 目は閉じているのかと思う程に目の前にあるその瞳は細められており、にへらと柔らかく表情を崩している彼女が未だ強い眠気を感じているのは一目瞭然である。

 

 「大神ー、頼むから起きてくれ。」

 

 「んー。」

 

 呼びかけながらとんとんと軽く頬を叩いてみれば、大神は軽く眉をひそめながらゆっくりとその瞳を開き、視線を交差させる。

 

 やがて、その瞳の焦点が合い力強い光が灯されれば大神は驚いたようにぱちくりと目を瞬かせた。

 

 「…ウチなんで透君に抱き着いてるの?」

 

 「こっちが聞きたいくらいだよ。」

 

 困惑しているのはこちらも同じだ。

 少なくとも起き掛けに受けて良い衝撃ではなかった。

 

 「さっきの事、覚えてないのか?」

 

 「さっきの…。」

 

 考え込むように視線を彷徨わせる彼女だが、本当に何も覚えていないらしくすぐにこてんとその首を横にかしげる。

 

 「…まぁ、それならそれで良いんだが。」

 

 何もなかった、そう言うことにしておこう。

 

 「あはは、何だかごめんね?」

 

 頬を指でかきながら、大神は照れくさそうに笑う。

 

 「にしても、大神って意外と寝起きはそこまで良くないんだな。」

 

 見るかぎり、眠りから完全に覚めるまで時間を要していた。

 

 「んー、確かにそうかも。

  いつも起きてすぐはボーっとしてることが多いし、その後に占いを…。」

 

 「…占いを?」

 

 普通に話していた大神だが、そこで不自然に言葉を区切る。

 疑問に思い聞き返すが、答えは返ってこない。

 

 「ううん、やっぱり何でもない。」

 

 言いながら大神は首を振り、それと同時に首に回されていた腕が解かれた。

 ようやく身動きが取り易くなり、膝をついていた状態から立ち上がって大神から離れる。

 

 「よーしっ、今日も寒いしウチは温泉に行こうかな。

  透君はどうする?」

 

 誤魔化すような笑みを浮かべる大神は同じく立ち上がると、そう問いかけてくる。

 

 「え?

  あぁ、俺はいいかな…。」

 

 唐突な話題転換に些か虚をつかれるが、すぐに持ち直して答える。

 それを聞いた大神は「そっか、じゃあウチだけで行ってくるね。」とだけ言い残してそのまま部屋を後にしてしまう。

 

 その背を見送りつつも、先ほどの出来事が頭の中を巡っていた。

 

 「…まさか、な。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばらくして、温泉から上がった大神と合流し、朝食を食べ終えたところで神狐がやってきた。

 

 今日から始まるという結界の修復作業。

 流石に宿では出来ないようで、場所を変えると神狐に案内されるままに三人でイヅモ神社を歩く。

 

 「それで、これは何処に向かってるんだ?」

 

 まだ行き先を聞いていなかったと、前を歩く神狐へと問いかける。

 

 「寺宝の置いてある地下…そうじゃな、いわゆるイヅモ神社の中心地みたいなところかの。」

 

 すると神狐はちらりとこちらを見て、答えながら再び前を向いた。 

 

 「寺宝か。

  シラカミ神社の寺宝は一回見たことはあるけど、この神社にもあったんだな。」

 

 セイヤ祭で白上に渡されたお守り、結局あれが何だったのかは定かではないが確か寺宝のようなものと言っていた。

 

 このカクリヨにおける神社には基本的に何かしら寺宝と呼ばれるものがあるのだろう。

 

 「せっちゃん、地下って立ち入り禁止にしてなかったっけ。

  危ないからって。」

 

 「うむ、しかしあそこでなければ効率が落ちるのじゃ。

  今は危険ではない故安心するがよい。」

 

 何やら事情がありそうだが、気にしなくてもよさそうだ。

 なるほど、それは何となく分かった。

 

 けれど一つ、分からないことが目の前にある。

 

 「んー…。」

 

 そんなことを考えながらおもむろに目の前を歩くイヅモ神社の神主へと視線を向ける。

 

 ゆらゆらと揺れる二本の尻尾、頭上の耳。

 そこはいつも通りだ、記憶にある通りの彼女の姿だ。

 

 「…なぁ、神狐。」

 

 「なんじゃ?」

 

 声を掛ければこちらへと振り返る神狐。

 しかし。

 

 「何でまたメイド服を着てるんだ?」

 

 「あ、それウチも思ってた。」

 

 神狐の服装。

 それだけがいつもと違う。

 

 いや、正確にはつい昨日に見た格好だ。

 

 昨日と同じようにメイド服に身を包んだ神狐はその問いかけに自らへと目を向ける。

 

 「む?

  おかしなところでもあったかの。」

 

 「いや、似合ってはいるんだけど。」

 

 昨日も思ったことだが、妙に着こなしている。

 ただ疑問なのは何故突然それを着だしたのかということだ。

 

 不意に先日の神狐の行動を思い出す。

 危うく大きな誤解を招きかねなかったがために、また何か企んでいるのではないかと考えてしまう。

 

 「まぁ、ただの気まぐれじゃ。

  …っと、ここなのじゃ。」 

 

 神狐は背を向けたまま答えると、おもむろに足を止める。

 

 「え、ここって。」

 

 その場所を前に、思わずそんな声が口を突いて出る。

 しかし大神に驚いた様子も無いため、ここで間違いないのであろう。

 

 「うむ、イヅモ神社の本殿、そこに地下へと続く道があるのじゃ。」

 

 そして、神狐は本殿の中へと歩いて行く。

 まさかそんなところに地下があるとは思わなかった。

 

 「透君、びっくりした?」

 

 「そりゃ、まさかここだとは思わなくてな。

  でも階段とかは見当たらなかったけど、どうやって地下に?」

 

 問題はそこだ。

 何度か本殿には足を運んだ、しかし階段はおろか梯子すら見た記憶は無い。

 

 「それなら多分行けば分かると思うよ。

  って、言ってもウチも地下に行ったことは無いんだけどね。」

 

 「これ、主ら。

  早くこちらに来るがよい。」

 

 つい大神と話し込んでしまった。

 神狐に呼ばれて、本殿へと足を踏み入れる。

 

 そのまま本殿の中を歩けば、いつかシキガミを呼び出した広間へとたどり着く。

 

 「ほっ。」 

 

 そこの壁際に置いてある大きなオブジェクト、神狐が手を振れば自動的に横へとスライドし、隠れていた下へと続く階段が姿を現した。

 

 「隠し階段か。」

 

 「そうなの、せっちゃんしか動かせないからウチじゃ入れなくて。」

 

 大神が入ったことが無いというのはそういうことらしい。

 

 「こっちじゃ。」

 

 先が見えない程の暗闇に満ちた地下への階段。

 神狐はそこへと狐火で明かりを点けながら進んでいく。

 

 階段はそこまで急ではないものの、螺旋状に続く。

 

 (…ん?)

 

 階段を下りていれば、不意に右手に妙な感覚が走る。

 痛みではない。痺れとも違う。

 

 最初は微かに感じる程度だったそれは、下に降りていくにつれて確かなものへと変化していく。

 

 最深部へとたどり着くころには鼓動に合わせて熱が右手の甲から手全体へと広がるようになっていた。

 

 「どうしたの?」

 

 そんな右手へと目を向けていれば、俺の様子を見た大神が心配そうに声を掛けてくる。

 

 「あぁ、ちょっと右手がな。」

 

 「ほう。」

 

  軽く手を振って見せれば、前にいたはずの神狐がいつの間にやら近くにいて、その右手をじっと見ていた。

 

 「なるほどのう、やはりそうじゃったか…。」

 

 「おい、神狐?」

 

 「せっちゃん、何か知ってるの?」

 

 何やら意味深に頷く神狐を前に、大神と揃って首を傾げる。

 

 「ほほっ、何でもないのじゃ。

  それより、この辺りで良いの。」

 

 そう言って、わざとらしく誤魔化しながら神狐は少し先に進んで開けた場所で立ち止まる。

 そのさらに先には閉じた扉がある。

 

 俺と大神が追いついたのを確認すると、神狐は手を前にかざして、大神が占星術を使う時のように大きな水晶玉をその場に作りだした。

 

 「では、始めるとするかの。

  主らはその水晶玉に手をかざすだけで良いのじゃ。」

 

 「分かった。」

 

 「了解。」

 

 言われるがまま水晶玉へと手をかざす。

 すると、イワレの流れが拡張されて水晶玉を含めて循環する。

 

 これなら今の状態でも問題は無さそうだ。

 

 「では妾は扉の奥で修復を行う故、しばらくそのままでお願いするのじゃ。」

 

 そう言って、神狐はこちらからは中が見えないように小さく扉を開けて中へと入っていった。

 

 「…絶対に、中を見てはならぬぞ?」

 

 かと思えば、顔だけ出してそんな警告をしてきた。

 

 「そんな昔話みたいな…。」

 

 そもそも水晶玉に手をかざした状態では動けないのだ、そこまで気にするような事でもない。

 答えれば、神狐はにやりと笑うと再び扉の奥へと消えていった。

 

 「せっちゃん…、なんだかはしゃいでる。」

 

 その様子を見た大神がぽつりと零す。 

 

 「確かに、テンション高いな。」

 

 元々を知るほど付き合いが長いわけでもないが、しかしそれでもはっきりと分かるほどに、現在の神狐は浮かれているように見える。

 

 薄々感じていたが、大神が言うのならやはりそうなのだろう。

 もしかすると、それが服装にも影響しているのかもしれない。

 

 「にしても、イヅモ神社にこんなところがあったんだな。」

 

 言いながら辺りを見回す。

 

 石造りの地下の広間。

 この光景にはどこか既視感を覚える。

 

 「ここ、キョウノミヤコの地下に似てるよね。」

 

 「あ、それだ。」

 

 そんな大神の言葉に、ようやく合点がいく。

 そうだ、昔使用されていたというキョウノミヤコの地下の修練場。広さこそ劣るものの、壁の材質など似通った部分が多々見受けられる。

 

 「昔修練場として使ってたのか?

  いや、それだと立ち入り禁止にする意味も無いか。」

 

 「んー、元々頑丈な造りだからね。

  この先にある寺宝の保管のためじゃないかな。」

 

 どちらにせよ、推測することしかできない。

 とはいえ神狐も答えないだろうし、と二人意見が一致したため、この話はここまでとなった。

 

 作業に入ると言っていたが、水晶玉に変化は見られない。

 特に疲労も無いため、大神と雑談を交えながらイワレの循環を続ける。

 

 「透君、イワレは大丈夫?」

 

 「あぁ、平気だ。循環させてるだけだしな。

  それにイワレの鍛錬も結構効いてる。」

 

 鍛錬を始めてからは、まだ二日三日程度だが。既にイワレは安定はしている。

 念の為にまだワザの使用は控えるが、仮に使ったとしても暴走まではいかないだろう。

 

 「本当?

  良かったー、これで効果が無かったらウチ透君と顔を合わせられなくなる所だったよ。」

 

 「いや、そんなに気にすることでもないだろ。」

 

 何やら使命感すら感じていそうな大神につい苦笑いが浮かぶ。

 むしろ、こちらの方が世話になりっぱなしで恩を返すどころか詰みあがっているような気すらしているのだ。

 

 「気にするよ、一歩間違えたら透君とこうやってまた話せなかったかもしれないんだから。」

 

 今度は少しだけ真剣な声色。

 

 「イワレの暴走か。

  具体的にはどんなものか、大神も知らないんだよな。」

 

 「うん、そもそも少しずつしかイワレは貯まらないからね。 

  よっぽど特殊なワザでも使わない限り暴走なんてしないんだけど…。」

 

 そこはウツシヨから来てしまった俺という存在。

 イワレを得たのもつい2ヶ月前、しかも平均的なアヤカシよりも多い量の。

 

 特殊に特殊を重ねているようなものだ、暴走の一つでも起こっておかしくは無い。

 

 「対処法があるだけありがたい。

  大神には世話になりっぱなしだな。」

 

 「そこはウチも同じだもん。

  お互い様だよ。」

 

 そう言って大神は小さく笑う。

 

 一体俺が彼女に対して何が出来ているというのだろう。

 何も思い付かないが、知らず知らずだとしても何かお返しを出来ていれば良いのだが。

 

 それからしばらく水晶玉に手をかざしていれば、作業が終わったようで扉が開き神狐が顔を出す。

 

 「二人ともご苦労様なのじゃ。

  今日の所はこのくらいで、続きはまた明日にやることとする。」

 

 「え、早かったな。  

  まだそんなに時間も経ってないだろ?」

 

 時間が経ったと言っても、体感的にはまだ一時間はおろか三十分と経っていない筈だ。

 確認するように大神へと視線を向けるが、彼女も同意見のようで肯定するように首を縦に振る。

 

 「うむ、しかしそんなに一気にやるような作業でもない故な。

  ゆっくりとやることも大切なのじゃ。」

 

 「そういうもんか。」

 

 まぁ作業に関しては何も知識が無いため、変に口を出すものでもないな。

 

 「じゃあ、もう上に戻る?」

 

 「そうじゃな、主らも立っておるだけで退屈…。

  では無かったようじゃな。楽しそうに話して居ったことじゃし。」

 

 「聞こえてたのかよ…。」

 

 とはいえ扉を一枚隔てているだけなのだ、音も伝わるだろう。

 

 「別に童のようにはしゃいではおらぬのじゃ。」

 

 「ん?」

 

 「せっちゃん?」

 

 すると突然不服そうな声を上げる神狐。

 その両頬は風船のようにぷくりと膨れ上がっており、むっすーと効果音が聞こえてくるほどに現在の彼女の心境を物語っていた。

 

 「妾は、テンションが高いわけでは無いのじゃー!」

 

 そう言い残して、神狐は駆けて行ってしまう。

 どうやら最初の方の会話から聞こえていたらしい。

 

 というか本人は無自覚だったのか。

 

 思わず大神と目を見合わせる。

 かと思えばどちらからともなく笑いがこぼれた。

 

 よほど恥ずかしかったのだろう、でなければあそこまで必死に逃げていく事も無い。

 現在の状況を神狐が見たとしたらさらにあの頬が膨らんでしまいそうだ。

 

 「それじゃあ、ウチらも上に戻ろっか。」

 

 「あぁ。」

 

 ひとしきり笑い終えてから、階段の方へと足を向ける。

 

 「透君、疲れてない?」

 

 「全然、結局立ってるだけだったしな。」

 

 説明を聞いた時にも思ったことだが、本当に水晶玉に手を置くだけで終わってしまった。

 主な行動としては大神と話をしたくらいだ。

 

 「そっか…。」

 

 しかし、何故かそう答える大神はその両耳をぺたりと伏せてしまう。

 

 「何でちょっと残念そうなんだよ。」

 

 「だって、疲れてたらまた膝枕が出来るかなって。」

 

 しょんぼりとしながら放たれたその大神の言葉に、思わず頬が引きつる。

 

 「…はっ、疲れてなくても膝枕する?」

 

 「いや、そうだな。遠慮しとく…。」

 

 きらりと目を輝かせる大神。

 首を横に振りながら返しつつ、自分の中で微かに感じていた疑念が確信に変わる気配がある。

 

 (これは…。)

 

 

 

 

 





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個別:大神 13


どうも、作者です。


 

 「…やっぱり、そういう事だよな。」

 

 「突然言われてものう、妾には何のことかさっぱり分からぬのじゃ。」

 

 ゆらゆらと立ち上る湯気と共に尻尾を揺らす金色の獣耳少女を背にぼんやりと空を見上げる。

 相変わらずの曇り空だが、まるで今の心境の写し鏡のように思えて妙な親近感を覚えた。

 

 「この数刻で何があったのじゃ?」

 

 まさか程度には考えていたが、先ほどのやり取りで確信に変わってしまった。

 やはり大神は…。

 

 「むぅ、無視するでない!」

 

 後ろから聞こえてくるその声に視線を向けて見れば、そこには神狐の姿。

 例の如く場所は温泉だ、しかし、彼女がいることには既に驚きも感じない。

 

 「…ところで今更なんだけど。

  神狐、なんでここに?」

 

 しかし、それでもここにいる理由は気になる。

 一人でゆっくりと考えようと温泉に来たのだが、そう言えば堂々と入ってくる彼女の存在を失念していた。

 

 「なに、主が深刻そうな顔で脱衣所に入っていくのが見えたからの。気になって後をつけたのじゃよ。」

 

 問いかければ、神狐は腰に手を当て無い胸を張る。 

 それで人が入っている温泉へと堂々と乗り込んでくるのだから豪胆というべきか何というべきか。

 

 「して、仔細を話してみせよ。

  これでも伊達に長年経験を積んでおるわけでは無いからの、助言の一つくらい朝飯前なのじゃ。」

 

 「助言か…。」

 

 いわゆる年の功というやつだろう。

 最近はここに1人で暮らしているようだからそこは懸念点ではあるが、それでも俺よりは経験豊富なのは間違い無い。

 

 それにこのまま1人で考えるよりは、誰かに話してしまった方が楽なのかもしれない。

 

 「実はなんだが…」

 

 

 

 

 

 

 

 「ほう?ミオが主のことを恋愛対象としてではなく、ただの歳下として見ておると?」

 

 事情を説明してみれば、神狐は驚いたようにその目を瞬かせる。

 

 「あぁ、少なくとも恋愛方面では見られて無いんじゃないかなって。」

 

 無論大神が好意を寄せてくれているなど傲慢な考えは持っていない。

 しかし、少しくらいは意識してくれていると思っていたのが今朝までの話。

 

 今朝からの大神の様子を見るに、何やら彼女の中で透という存在が庇護対象とでもいうべきか、そういった認識が固まってしまったのではないかとすら思える。

 

 「むぅ…、そうかのう?

  妾から見れば十分意識はしておると思うのじゃが…。」

 

 何か引っかかるようで、神狐はそう言いながら首を傾げる。

 

 仮に意識してくれているのであればそれ以上に嬉しいことは無いが、しかし、なら今朝の行動と言い幼子を相手にするかのような言動は何だったのかという話になる。

 

 「…ほほう、なるほどのう。」

 

 「何だよ、急にニヤニヤしだして。」

 

 すると何かに気が付いたように彼女は一瞬だけ目を丸くすると、こちらに生暖かい視線を送ってくる。神狐のその見透かしたような視線を受けて妙な居心地の悪さを感じた。

 

 「さてはお主、怖気づいておるのじゃな?」

 

 「…。」

 

 問いに対して答えることは無い。

 だがそれだけで神狐が察するには十分だったようで、その顔に浮かぶ笑みがさらに深まる。

 

 「そうかそうか、それもそうじゃろうて。

  恋心を自覚するのにすら時間を要する主がさらに足を踏み出すのを恐れるのも道理じゃ。」

 

 「…やっぱり話さない方が良かったか。」

 

 さも愉快そうに笑う神狐を前にしてすぐに彼女に相談したことを後悔する。

 それほどに、現在の心境は羞恥に満ちていた。

 

 「あぁそうだよ、怖気づいてる。

  大神を振り向かせることが出来ないんじゃないかって、不安になってるんだ。」

 

 ここまで来たらもはや自棄である。

 恥も外聞も投げ捨てて、隠し立てすることなく自らの本心をさらけ出す。

 

 「そういじけずともよい。

  恋というのはそういうものじゃ、どのように屈強な人間であれ赤子のように弱くなる。」

 

 「赤子…。」

 

 確かに神狐の言う通りなのかもしれない。

 まだ生き方を知らない赤子のように、手に余る恋心を前にして何をどうすれば良いのか分からないでいる。

 

 「だが、案ずるでない。そんな主には妾が力を、知恵を貸してやろう。

  見事主を先達者として導いて見せるのじゃ。」

 

 自信に満ちた表情で宣言する神狐。

 その姿は見かけに似合わず、頼りがいを感じさせた。

 

 「神狐…、けどな。」

 

 しかし何故だろうか。本能というか直感で神狐にこれ以上頼るのはやめておけと警告を出す自分がいる。

 未だにメイド服を着ている彼女の昨日の暴走を鑑みるに、簡単に否定できないのも事実だ。

 

 「大丈夫じゃ、妾を信じよ。」

   

 キラキラと目を輝かせる神狐。

 それを前に、抵抗を感じながらも首を縦に振る。

 

 「うむ、それでは早速じゃがな。

  透よ、主の気持ちを声に出して明言するのじゃ。」

 

 「明言って、今更じゃないか?」

 

 既に神狐は俺の大神への想いを知っている。

 だからこそ協力しようとしてくれているのだ。

 

 「良いからやってみるのじゃ」

 

 「…まぁ、そこまで言うなら。」

 

 だが、思慮深い神狐の事だ。

 改めて声に出してみることで何かしら気づきがあるのかもしれない。

 

 せっかく力を貸してくれるというのだ、最初から疑っているのも良くない。

 ここはひとつ、彼女の事を信じてみよう。

 

 「ふぅ…。」

 

 深呼吸を入れつつ、気恥ずかしさから神狐へと向けていた視線を前へと戻す。 

 そして、再び大きく息を吸った。

 

 「俺は、大神の事が好きだ。」

 

 本人の前でもないのにも関わらず緊張に声が震えそうになるのを抑えながらはっきりと口に出す。

 その瞬間、後ろから飛んできた淡い光が湯に反射した。

 

 「ん?」

 

 何が光ったのか、不思議に思い再び神狐のいる後ろへと振り返る。

 すると、そこには一枚のお札をこちらに向けている神狐の姿。

 

 「…神狐?」

 

 「…。」

 

 声を掛けるが神狐から返事は返ってこない。

 代わりに、彼女は無言のまま手に持ったお札へと手を添える。

 

 『俺は、大神の事が好きだ。』

 

 そのお札から聞こえてきたのは紛れも無い、俺自身の声。

 それも一言一句違わず先ほど口にした言葉で。

 

 「良く録れておる。

  上出来じゃ透よ、後はこれをミオに聞かせれば万事解決なのじゃ。」

 

 笑顔でそう言い残して出入口の方向へと駆けていく神狐。

 湯舟に浸かったまま、俺は呆然とその背を見送り…。

 

 「って、行かせる訳ないだろうが!」

 

 「ぎゃん!?」

 

 恐らく史上最速でワザを発動させて結界を張れば、それに勢いよく衝突した神狐が悲鳴を上げて後ろに倒れる。 

 

 「な、何をするのじゃ!」

 

 しかし、流石はカミ。

 神狐はすぐに起き上がるとこちらに向けて抗議の声を上げる。

 

 「何をするはこっちのセリフだ!

  急に展開をクライマックスに突入させないでくれ。」

 

 あのまま行かせていたら確実に俺の恋は終わりを告げていた。

 温まっているはずなのに、冷や汗が背中を伝う。

 

 「ミオにこれを聞かせるだけじゃぞ?

  それ以外には何もせぬ。」

 

 何が問題なのじゃとキョトンと首を傾げる神狐。

 

 「それを聞かせたら色々とマズイだろ。」

 

 全然大丈夫じゃなかった。

 

 一瞬冗談かとも思ったが、あの勢いを見るに神狐は本気で大神に聞かせに行こうとしていた。

 危うく全てが終わってしまう所だった。

 

 鍛えられた自らの反射神経に感謝しつつ、目の前の少女から目は離さない。

 

 神狐の様子を見て一つの懸念が脳裏に浮かんだ。

 

 「なぁ、神狐。

  一応聞くんだけど、お前恋愛方面の経験はあるのか?」

 

 「無論じゃ。」

 

 そう言ってよっぽどの大恋愛の経験でもあるのか誇らしげな笑みを浮かべる神狐。

 

 「妾自身ではないがの、大昔、よく住民の相談に乗ったものじゃ。

  妾が関わる相談は全て上手くいってのう。仕舞には『普通の恋をしたければセツカ様が動く前に想いを伝えろ。』と言われるほどの敏腕ぶりが常識となっておったのじゃ。」

 

 「へ、へー…。」

 

 自慢げに話す神狐に自らの頬が引きつるのが分かる。

 そこだけ聞けばまともに聞こえるが、先ほどの行動を鑑みるに神狐に知られると同じ調子で強制的に想いを伝えられるからその前に自分で伝えろということだろう。

 

 その住民たちはさぞ苦労したのだろうと想像するのは容易であった。

 

 「しかし、後になるにつれて相談されることも減ってしまってのう…。」

 

 「…まぁ、そうだろうな。」

 

 最初の辺りの成功者、もとい運のよかった犠牲者には同情の念が尽きない。

 心の準備も無く想いを伝えられては堪ったものではない。

 

 「そういう訳なのじゃ、そんな妾が全力で主に協力する故安堵せよ。」

 

 全然安堵できない。

 とんだ災難だった。

 

 神狐の手に握られた一枚のお札はひらひらと揺れる。

 何とか止めたいところだが、取り合えず今はあの録音されたお札を取り返すことが先決か。

 

 「神狐、今はまだ想いを伝えるには早いと思うんだ。

  俺も心の準備が出来てない。だからそのお札を渡してくれ。」

 

 何よりも怖いのはあのお札だ。

 まずはあれを回収してから神狐と話をしよう。

 

 「…むぅ、そこまで言うのなら仕方ないのう。」 

 

 話せば分かってくれたようで、神狐は渋々ながらこちらへとお札をこちらへとゆっくりと飛ばした。

 どちらかというとその事実に安堵しながらこちらに近づいてきたそれへと手を伸ばす。

 

 「…かかったのじゃ。」

 

 「え?」

 

 にやりと、神狐の顔に笑みが浮かぶ。

 それを視界にとらえて疑問の声を上げた瞬間、突如としてお札が弾けて視界を眩い光が覆った。

 

 「ちょ、おい神狐!?」

 

 「主もまだ甘いのう。

  ミオの事は任せておくのじゃ!」

 

 そう言い残して遠ざかっていく神狐の声に慌てて呼びかけるが、どうやら既に大神の元へと向かって行ってしまったようで返事は返ってこない。

 

 間近で食らった閃光にくらむ視界の中、神狐を追ってすぐに脱衣所へと向かい、可能な限りの速度で浴衣を着る。髪は濡れたままだが今は一刻を争う。

 

 録音したお札は既に弾けて神狐の手元には無い、と思いたい。いかに神狐と言えどもこの短時間で取り返しのつかないような事態にはならない筈だ。

 期待混じりにそう考えながら広間へと出た。

 

 「あ、透君…。」

 

 すると、横合いからそんな大神の声が聞こえてくる。

 流石にこんなに近くでは神狐も話をする暇は無かっただろう。

 

 「良かった、おおか…み?」 

 

 ほっと一息つくのも束の間、大神へと視線を向ければ彼女の頬に赤みが差していることに気が付く。

 もじもじとする大神の姿に頬を一筋の汗が伝う。

 

 「あのね、せっちゃんから聞いたんだけど…。」

 

 「…おう。」

 

 これはあれだろうか、いわゆる手遅れという奴だろうか。

 そんな馬鹿な、タイムラグなどあってない程度だったはずなのに。

 

 一体全体神狐は何を…。

 ばくばくと心臓が鳴る中、じっと固唾をのんで彼女の言葉を待つ。

 

 「透君が…。」

 

 大神が言葉を紡ぐ。

 緊張は頂点へと達していた。

 

 もう、覚悟を決めるしかないのか。 

 

 「…ウチの耳を触りたがってるって!」

 

 「………。」

 

 いつもよりも長いこと言葉を失う。

 おかしいな、緊張で耳もやられたのか。

 

 「…悪い大神、もう一度頼む。」

 

 「えっと、だから透君がウチの耳を触りたいって…。」

 

 耳を触りたい。

 確かにそれは度々考えていることだが、神狐はどうしてわざわざそんなことを大神に伝えたのだろう。

 

 カクリヨにおける言葉そのものとは別に意味のある行為である可能性もあるが、しかし耳を触ったことが無いと言えば嘘になるし、そもそもそんな話は聞いたことも無い。 

 

 「その、透君が触りたいなら何時でも、ウチ…恥ずかしいけど、触っても良いよ?」

 

 そう言っておずおずとこちらに頭を向けて耳を向ける大神。

 

 何がどうしてこうなったのだろう。

 疑問は尽きない、けれど状況的にはそこまで悪くはなっていない。と思う。

 

 「あー…、大神。

  無理はしなくても…。」

 

 「ううん、無理はしてない。

  透君だから…、嫌じゃないよ。」

  

 耳をこちらに向けたまま上目遣いでそんなことを言ってくる大神を前にして、大きく心臓が跳ねる。

 痛みすら訴えてくる胸に手を当てる。

 

 「…いや、違う。ごめん、大神。

  さっきのは神狐の勘違いなんだ。」

 

 「…勘違い?」

 

 謝罪を口にすれば大神はこてりと首を横に傾げる。

 

 「あぁ、神狐が先走って解釈してな。

  俺が本当にそれを言ったとかじゃないから、気にしないでくれ。」

 

 経緯を、無論事実をそのまま伝える訳にもいかないため、虚偽を交えつつ説明する。

 神狐には悪いが、自業自得だと諦めてもらうしかない。

 

 「そう言うことだったんだ。

  もー、いきなりだったからびっくりしたよ。」

 

 説明を聞いた大神は納得したように声を上げる。

 どうやら誤解は解けたららしく、いつもの大神だ。

 

 「でも、触りたかったら触らせてあげるよ?

  耳と尻尾。」

 

 「本当か!?

  …じゃなくて、遠慮しときます。」

 

 言いながらそれらを小さく揺らして見せる大神を前に、一瞬欲に吞まれかける。

 しかし、これでは折角解いた誤解が現実になってしまうと必死に自制心を働かせて否定しておいた。

 

 そんな俺の様子を見て大神は可笑しそうに笑う。

 

 「透君は素直だね。

  …あれ?」

 

 唐突に何かに気が付いたように大神は動きを止めてこちらをじっと見る。

 

 「ん、どうした?」

 

 「なんだか透君…。

  ちょっと手を貸してくれる?」

 

 怪訝そうに体を見ると、大神はそう言ってこちらに手を伸ばす。

 そんな彼女の様子を不思議に思いながらも、言われるがまま手を重ねる。

 

 それを確認するとイワレ相撲の時のように大神は手を絡めてくる。

 少しドキリとするが、大神の打って変わった真剣な表情に気を引き締める。

 

 やがて、大神は眉を上げると真っ直ぐと視線を交差させてくる。

 

 「やっぱり、透君ワザ使ったでしょ。」

 

 「ワザ?…あ。」

 

 突然言われて何のことかと考えるが、そう言えば先ほど温泉で咄嗟に使用したことを思い出す。

 大神もそれを察したようで、ぷくりとその両頬を膨らませる。

 

 「透君、使ったらダメって言ったのに。」

 

 「わ、悪い、緊急だったんだ。

  でもほら、特に不調は無いから…。」

 

 「…。」

 

 「ごめんなさい、許してください。」

 

 両手を広げて無事だとアピールするもむっとしてこちらをじっと見てくる大神にすぐに謝罪をする。

 

 「もし何かあってからだと遅いんだからね。」

 

 「はい、存じております。」

 

 いくら緊急時だとは言え、早計だった。

 素直に反省しつつ大神に許しを請えば、彼女もそこまで引きずることは無かった。

 

 「本当に気を付けてね?」

 

 「あぁ、ありがとうな、大神。」

 

 だが、ここまで心配されるというのはそれだけ真剣に考えてくれている証左でもある。

 

 「…じゃあ、ウチはちょっと部屋に戻ってるね。

  透君はどうするの?」

 

 「俺は…、そうだなその辺りでゆっくりするかな。」

 

 四六時中一緒にいるわけでもない、取り合えず先ほどから怒涛の展開だったため骨休めをしたいところだ。

 そう答えれば大神は「分かった。それじゃあまた後でね。」と言って上へと上がって行った。

 

 その背を見送って、まずは風呂上がりの牛乳でも貰おうとシキガミの姿を探すこととした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋の中へと入ってすぐに、黒髪の少女はその場へとしゃがみ込んだ。

 

 

 うるさい程に鳴る心臓。

 彼へとバレてなかったか、ちゃんと取り繕えていたのか今更ながらに不安に思いつつ、少女は真っ赤に染まった顔を両腕の中に埋める。

 

 その手に握られるのは一枚のお札。

 

 「ミオっ、これを受け取るのじゃ!」

 

 彼が出てくる少し前、そう言って投げてよこされたこれは神狐セツカの持つ技術の一つ、音声を録音するお札。

 

 その中心へと手を当てる。

 

 『俺は、大神の事が好きだ。』

  

 すると、音声が再生されて彼の声が聞こえてくる。

 やっぱり、聞き間違いでは無かった。

 

 「…せっちゃんの馬鹿…。」

 

 ぽつりと零されたその恨み言は誰の耳にも届くことは無かった。

 

 






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個別:大神 14


どうも、作者です。



 

 温泉での相談で妙に張り切ってしまった神狐だったが、あれ以降は姿を見せることは無く、大神は部屋にしばらく籠っていたのだが昼食時には戻ってきて、そのまま何事も無く一日は終わって行った。

 

 そして迎えた翌日。

 イヅモ神社に滞在し始めて三日目。

 

 午前中は先日と同様に結界修復の手伝いをして、現在は大神とイワレの鍛錬をしていた。

 

 「あ、今のは両方を分断して制御してみて。」

 

 「分かった。」

 

 彼女と手をつなぎ、時折こうして指摘を受けながら自らのイワレを制御する。

 まだまだ拙いように感じるが、初日に比べればかなり上達してきたと言っても良いだろう。

 

 大神もそれを理解しているのか、指摘される内容も段々と細かくなってきている。

 

 「透君って、結構呑み込み早いよね。」

 

 そうしていれば、不意に大神がそんなことを口にする。

 

 「ん、そうか?

  まだ大神の足元にも及んでない気がするんだけど。」

 

 言いながらイワレを引っ張ろうとするが、全て読まれているかのように完封されてしまう。

 実際上達したと言ってもその程度だ。

 

 「自分で言うのもなんだけど、ウチ達が例外なだけで一般的に見たら十分上位に入ると思うよ?

  刀の扱いも最初からちゃんとしてたみたいだし…やっぱり吸収力が高いんだね。」

 

 言われてみればそうだったか。

 百鬼には最初刀の扱い方を教えて貰おうとしていたのだが、いつの間にか普通に打ち合うようになっていた。

 

 しかし吸収力か。

 それが実際にそうであるかは不明瞭だが、周りの影響が大いに関係しているのは間違いない。

 

 「透君のイワレの扱い方がウチに似てるのもそのせいなのかな。」

 

 「ん、大神に?」

 

 思わずイワレに集中させていた意識を浮上させて彼女の方へと視線を上げる。

 そんなことを言われたところで違いなどは分からないが、しかし似てると言われれば多少なりとも驚く。

 

 「うん、イワレの制御って個人の感覚だから結構違いって出てくるの。癖、みたいなものだね。

  鍛錬を始めてからずっとウチのやり方に触れてきたからそれがうつったのかも。」

 

 「なんかそこだけ聞くと鳥の刷り込みみたいだな。」

 

 しかし、あながち間違いでもないのかもしれない。

 元々イワレなど存在しないウツシヨから来て、初めて見るイワレを使用したワザなどの技術。

 

 これまでもイワレに関して、何もしてこなかったかと言えば嘘になるが、それでもここまで本格的に始めたのはこのイヅモ神社に来てからだ。

 

 その過程で大神の扱い方を無意識のうちに感じ取って、参考にしているのかもしれない。

 

 「じゃあウチが透君のママになるんだね。  

  膝枕する?」

 

 「いや…結構です。」

 

 そう言って揶揄うような笑みを浮かべる大神に若干言葉に詰まりながら返す。

 相変わらず微塵も意識されていない事にへこむが、一晩経って少なからず自分の中で整理は付いた。

 

 意識されない、それはもう仕方ない。

 しかし、これから先もそうとは限らない。

 

 少しずつでいい。

 これから積み重ねていけばいいと。

 

 何せまだ始まったばかりなのだ。今からが本番なのだ。 

 だから焦る必要はない。

 

 「透君?」

  

 考え込んでいれば大神から声がかかる。

 どうやら、思考に夢中になってイワレの制御が止まっていたようだ。

 

 「あっと、悪い。」

 

 謝罪しつつ鍛錬を再開させる。

 こんな何でもない時間すら幸せに思えるのだから、やはりというべきか恋というのも悪いものではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「それにしても、今日はせっちゃん出てこないね。」

 

 昼食を食べ終えて二人で雑談していれば、不意に大神がここにはいない神狐セツカに対して言及する。

 

 「さっき会った時も口数が少なかったな。

  何か問題でも発生したとかか?」

 

 一応神狐とは今朝の結界の修復の際に顔を合わせている。

 しかし、いつもなら少しうるさいくらいに明るい彼女は、今日に限って妙に物静かであった。

 

 まるで思考に没頭している様にいつになく真剣な顔を見せていた。

 

 「んー、そうかも。

  ウチ達に何も言ってこないってことはせっちゃんが自分で何とかするんだと思うし…。」

 

 「ま、大神はともかくとして、俺に相談されても正直神狐に分からないことは俺も分からないから力にはなれなさそうだけど。」

 

 とはいえ、昨日のテンションを見るに何かしら行動は起こしてきそうなものだが、不思議な程に何も起こらない。

 本当に問題が起こっているのか、それとも嵐の前の静けさという奴なのか。

 

 「あ、それより透君。

  飲み物入れるけど、透君も何か飲む?」

 

 話もひと段落したところで大神は立ち上がるとそう問いかけてくる。

 

 「良いのか?

  じゃあ大神と同じもので。」

 

 「了解、少し待っててね。」

 

 お言葉に甘えることにして希望を伝えれば、大神はそう言い残してキッチンへと向かう。

 いつもならシキガミにお願いして用意してもらうのだが、今日は自分で入れる気分らしい。

 

 とはいえ、その気持ちも分かる。

 

 このイヅモ神社は家事のほとんどがシキガミだけで完結している。

 それは逆に俺達自身は何もすることが無いのと同様だ。

 

 最初こそ楽でいいとは思うものだが、時間が経てば何もしていないということが逆に落ち着かない気持ちにさせる。

 

 (俺も後で掃除とかしてようかな。)

 

 そんなことを考えていれば無性に体を動かしたくなってくる。

 

 「ふむ、掃除ならする必要も無い故、ゆっくりすれば良いのじゃ。」

 

 「けどな、このまま何もしないってのも…。」

 

 ふと後ろから聞こえてきたそんな声にくるりと振り返れば、そこには先ほどまで話題に上がっていた神狐の姿があった。

 

 「もしかして読心術とかも使えたりするのか?」

 

 「む、どうじゃろうな。」

 

 冗談交じりに聞いてみれば、神狐はそう言って小さく笑みを浮かべる。

 否定しない辺り本当に使えるのかもしれない。

 

 「して、透よ。」

 

 戦慄を覚えていると、神狐は改まった様子で向き直る。

 

 「主から見て今日のミオはどうじゃ?」

 

 「どうって?」

 

 そんな彼女の突然の問いかけに何のことかと困惑して聞き返す。

 

 「ミオの様子じゃ。

  昨日から特に変わったことは無かったかのう。」

 

 質問の意図が読めないが、取り合えず今日の大神について思い返してみる。

 しかし、別段気になるようなところは思い浮かばない。

 

 「いや、特には無いな。

  何かあったのか?」

 

 そんなことを聞いてくるということは相応の理由があるのだろう。

 

 「何もない…か。

  やはりのう…。」

 

 すると、質問に対する答えは無く。代わりにぼそりと微かに聞こえるか聞こえないかの声量で神狐は顔を俯かせてそう零す。

 

 「おい、神狐?」

 

 「うむ、何もないのならそれで良いのじゃ。

  主は気にせずとも良い。」

 

 その様子に困惑気味に呼びかけるが、神狐はぱっと顔を上げて、その顔には誤魔化すような笑みを浮かべる。

 

 「…む、では妾はそろそろ戻るとするのじゃ。」

 

 「え、あぁ…。」

 

 何かに気づいて一瞬だけ声を上げる神狐。

 それを聞く前に、彼女は風のようにそそくさと去って行ってしまう。

 

 一体なんだったのだろう。

 

 「透君、お待たせ。」

 

 首を傾げていると、いつの間にやら戻ってきていた大神が飲み物を乗せたお盆をテーブルに置く。

 

 「っと、大神か。

  ありがとう。」

 

 礼を言いながら持ってきてくれた飲み物を受け取る。

 

 「?何かあったの?」

 

 乾いた喉を潤していると、不意に大神がそう問い掛けてくる。

 

 「ん、あぁ、さっき神狐が急に出てきてな。

  大神の様子はどうだって、それだけ聞いてまたどっかに行ったんだよ。」

 

 「っ…。」

 

 目の前に座る大神へと先ほどの出来事を手短に説明する。

 そう言う神狐の方が変だよな、と頭に浮かべていると、それを聞いた大神は一瞬だけ表情を強張らせて小さく息を呑む。

 

 「…大神、どうした?」

 

 「あ…んーん、何でもない。」

 

 まさかそんな反応が返ってくるとは思わずつい声を掛けるが、神狐と同じ誤魔化すように笑みを浮かべると大神は手に持った湯呑に口をつける。

 神狐にはああは答えたが、どうにも大神、神狐揃って何やら隠し事でもしているのかと思う程に言動に違和感を覚えた。

 

 話そうとしないところを無理やり聞き出そうとは思わないが、少し気になるのも確かだ。

 

 「と、それより透君。

  ウチね考えてみたんだけど、透君、占星術を本格的に習得してみない?」

 

 「占星術…俺がか?」

 

 唐突なその提案に思わず面食らって聞き返せば、大神は肯定するように首を縦に振る。

 

 「けど、前やった試した時は結構ひどい結果にならなかったか?」

 

 セイヤ祭より前、その準備期間中に一度、興味本位で大神から教わって挑戦してみたことがある。

 しかし、目的とは見当違いなことを占ったりと結果は散々であった。

 

 「うん、けど今からやるのは前より単純だし、透君自身の影響はそこまでないと思う。

  それに簡単な占いだったら負担も無くて、今の透君にはぴったりだと思うんだ。」

 

 負担が無い、とは現状イワレの使用を禁止されている俺に対する配慮だろう。

 昨日は咄嗟に使用してしまったが、イワレが不安定な状態というのがかなりイレギュラーな状況にあることは間違いなく、安定してきたとは言え何が起こってもおかしくは無い。

 

 だからこそ、簡単なものから様子見で試してみるのは必要なことでもあるのだろう。

 

 「分かった、じゃあよろしく頼む。」

 

 「了解、なら早速やってみよ。」

 

 言うが早いか、俺の返答を聞いた大神は机の上へとよく彼女が使用しているタロットカードを取り出した。

 

 「まずはやり方を見せるね。

  最初に占いたいことを決めて、次にイワレを籠めながら混ぜるの。」

 

 説明しながら大神は手慣れた様子でカードをきっていく。

 占星術として使用する際にはイワレを籠めて、それ以外なら籠めずにと使い分けは出来るようだ。

 

 「それで、今回は占うことは一つだけだから好きなカードを一枚取り出す。

  こんな感じ…といっても普通のタロット占いとあんまり変わらないけどね。」

 

 そう言って大神が取り出したのは運命の輪の逆位置。

 

 「これは何を占ったんだ?」

 

 「ちょっとせっちゃんの事が気になって。

  何か期待外れの事が起きたみたい。」

 

 さらりと結果をまとめると、大神はそれをまたタロットの束に戻してそれをそのままこちらへと手渡す。

 

 「はい、次は透君ね。

  結果はウチが読み取るから、取り合えずやってみて。」

 

 「おう…けど何を占おうか。」

 

 意気揚々と受け取ったは良いものの、何を占うか決めていなかった。

 

 「そうだね…、今日の透君の運勢とかは?」

 

 「お、良いな。

  じゃあ、それで。」

 

 お題も決まったところで、先ほどの大神と同じように幾らかイワレを籠めながらタロットを混ぜる。

 そして直感で引くカードを決めて、そのカードを表にひっくり返す。 

 

 「あー…。」

 

 姿を現したその絵柄を見て、思わず肺から空気が抜ける。

 

 恋人の正位置。

 

 言わずもがな、その意味は何となく察することはできる。

 自分の顔、その頬が引きつるのが分かった。

 

 「うん、今日は透君にとって楽しいことが起こる…のかも。」

 

 大神も気を使ってか何とか解釈してくれようとしている。

 そうだ、別に恋人の絵柄だからと言ってそっち方面の意味しかないわけでもないのだ。

 

 「次!

  透君、他の事も占ってみない?」

 

 「あ、あぁ、そうだな!」

 

 今日の運勢は分かった、なら次は明日の運勢だ。

 タロットを戻して、再びイワレを籠めながらよく混ぜる。

 

 正位置、逆位置合わせて計44種類もあるのだ。まさか、何度も同じ絵柄が出るわけがない。

 そう考えたのがいけなかったのか。

 

 直感で選んだカードを一枚、表にする。

 

 「…。」

 

 再び姿を現した恋人の正位置。

 それを見て、思わず表情が固まった。

 

 「…透君、これは何を占ったの?」

 

 「…明日の運勢です。」

 

 気まずそうに聞いてくる大神に答えながらも、背中には冷たい汗が伝う。

 

 「えっと…、明日は…そうだね、努力の成果が出る…のかも。」

 

 「そ、そうか。」

 

 大神もどう対処していいのか分からないようで、必死に何とか意味を付けようとしている。

 この空気の打開策を考えるも、正直見て見ぬふり以外の対処法が思い浮かばない。

 

 「と、透君、次、次の占いに行こっ!」

 

 耐えきれない、そんな意図がありありと伝わってくるが、それはこちらも同じこと。

 言われるがまま、カードを束に戻す。

 

 それから何度か他の事柄で占いを行った。

 しかし何を占っても、何度占っても出てくるのは恋人の正位置のみである。

 

 「…透君、もしかしてわざとやってる?」

 

 それが計10回を超えた頃、遂に限界を迎えたようで頬を真っ赤に染めた大神が疑わし気な視線をこちらへと向けて言ってくる。

 

 だが、頬が赤いのは恐らくこちらも同じだ。

 

 「いやいや、そんな器用な事出来るわけないだろ。」

 

 「でも、これだけ占って同じ絵柄しか出ないなんて…。

  そう言うワザだって言われた方が納得できるくらい。」

 

 言わんとしていることは分かる。

 もはやこれは必然と呼んでも過言ではない。

 

 無論、自分以外の事も占った上でこの結果だ。

 

 「俺が何を占ってもこれしか出ないっぽいな。」

 

 「ウチも初めて見るよ。

  んー、やっぱりウツシヨ出身なのが悪い方向に働いてるのかな…。」

 

 「多分、そうなんだろう。」

 

 むしろそれ以外考えられない。

 最初、まさか大神への恋心がそのまま表れてしまっているのではないかとも考えたが、自分のこと以外を占っても同じなのだから関連性は無いはず。

 

 そうであって欲しいという願望も多分に含まれていることもまた事実ではあるのだが。

 

 「これだと占星術はやっぱり諦めるしかなさそうだね。」

 

 「だな、これじゃ恋人のタロットを見つけるくらいにしか役立ちそうにない。」

 

 正直、少し残念ではある。

 占星術は見てるだけでも分かるほどに有用性のあるワザであるし、自分で使えたらと思ったことは一度や二度ではない。

 

 ただ、多種多様なワザのあるこのカクリヨでそんなことを言い出したらキリがない。

 こういうのはきっぱり諦めるに限る。

 

 「ごめんね、変に希望もたせちゃって。」

 

 「まぁ、元々駄目だったしな。

  むしろそれっぽいことが出来て楽しかった。」

 

 そう、仕方がない。

 いくら力があっても、出来ないことは出来ない。過度の期待は身を亡ぼすのみだ。

 

 「それより、だ。

  大神、代わりと言っては何だけどイワレの制御についてもっと教えてくれよ。基礎的な所を鍛えとかないとだし。」

 

 笑顔で彼女へと頼み込めば、大神は少し驚いたように目を丸くする。

 しかし、すぐにその顔には同様に笑顔が浮かんだ。

 

 「うん、勿論。

  じゃあ…。」

 

 そうして始まったイワレの鍛錬はシキガミが夕食の希望を聞きに来るまで続くこととなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (確かに昨日、ミオへと録音したお札を渡した。)

 

 つまるところ、その上で彼女は普段通りに透へと接していることになる。

 自分の気持ちも彼への気持ちも、すべてを押し殺して。

 

 そんな状況で良いのか。このままで良いのか。

 

 否だ。

 

 良いはずがない、このままで良いはずがない。

 

 なら、道は一つだ。

 

 

  

 

  

 

 

 

 

 

 

  

 温泉から上がれば、広間には誰もいない。

 大神はまだ温泉に浸かっているのだろう。 

 

 ベンチに座り、風呂上りには必ずと言ってよい程シキガミが持ってきてくれる牛乳を片手にくつろいでいると、不意に宿の入り口が開いて神狐が姿を現した。

 

 「うむ、ミオはまだ上がっていないようじゃな。」

 

 きょろきょろと辺りを見回してから、神狐はこちらへと近づいてくる。

 

 「神狐、俺に何か用なのか?」 

 

 「その通りじゃ、話が早くて助かるのじゃ。」

 

 大神がいないことを確認するということは、つまり彼女には聞かせられない内容。

 それなら内容にも察しは付く。

 

 「透よ、主はミオに懸想しておるのじゃな?」

 

 「懸想って…、まぁ、そうだよ。

  って、俺は何回確認されれば良いんだ。」

 

 確認するような神狐に答えつつ、このイヅモ神社に来て以来何度も掘り起こされる恋心に顔に熱が灯る。

 しかし、神狐はそれに構う様子もなく話を続ける。

 

 「うむ、主の想いは本物じゃ。それが分かれば良い。」

 

 「良いって、何がだ?」

 

 こちとら慣れない羞恥に毎度ながら翻弄されているのだが。

 

 問いかけるも、それに対する答えは返ってこない。

 その代わりに神狐は仁王立ちで胸を張るとはっきりと宣言した。

 

 「イヅモ神社に滞在するこのひと月。

  透、主はこの期間中にミオと恋仲になるのじゃ!」

 

 もはやそれは宣言というより、命令に近いものであった。

 

 そして、その宣言が何を意味するのか。

 これから何が起こるのか、この時の俺には知る由も無かった。

 

 

 






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個別:大神 15


どうも、作者です。


 

 「このひと月の間に、ミオと恋仲になるのじゃ!」

 

 

 神狐は堂々とそう宣言して見せた、その翌日。

 その瞳へと宿っていた確固たる決意は、俺の心に浮かぶ不安を煽るには十分で。若干の憂鬱感を抱えたまま起床した。

 

 「おはよ、透君。

  …すごい顔してるけど大丈夫?変な夢でも見た?」

 

 「あー、そうだな。

  夢だったら良いんだけどな…。」

 

 心配そうにこちらを見つめる大神にそう返しつつ、大神にそこまで言わせるとは一体どんな顔をしているのだろうと思い鏡へと目をやる。

 

 すると、視線の先には鏡に映るいつもに比べて幾らか人の悪い自分の顔。

 

 なるほど、これは心配されるのも無理は無い。

 無駄に行動力のある神狐があそこまでやる気を出しているのだ、仕方のないことだろうが、やはり気が気ではない。

 

 「ま、気にしても仕方ないことか。

  それより…。」

 

 自分なりに飲み込んで、いや、簡単に飲み込める程度のものでもないのだが、取り合えず一旦脇に置いておいて、チラリと今度は大神の方へと視線を移す。

 

 「大神、今日は起きるの早いな。大神の方こそ眠れなかったのか?」

 

 視線の先には、既に身支度を完璧に終えている彼女の姿があった。

 

 このイヅモ神社で俺が大神よりも早く起きたのは一度だけ。それが二日前。

 別段、それはおかしなことでもない。

 

 しかし一つ解せないのは昨日はともかく今日俺は若干感じる不安も体を動かしていれば、そのうち飛んでいくだろうと考えていつもより早くに起床している。にも拘わらず大神はそれよりもさらに早くに起床して身支度を終えている。

 

 シラカミ神社にいた時よりも格段の違いがあるのにだ。

 

 何か悩みがあるのか、それとも他に要因があるのか。

 そんな予想とは裏腹に大神は首を横に振った。

 

 「ううん、眠れなかったわけじゃなくて…、その。」

 

 「その?」

 

 すると、大神はしどろもどろにそう言い顔を横へ向けて目を逸らす。

 

 眠れなかったわけじゃないのなら意図的に起きたということになる。

 こんな早朝からやることも無いだろうに、何故また。

 

 疑問に思っていると、大神は今一度、今度は視線だけをこちらに向けて口を開く。

 

 「寝ぼけてるとウチ、変な事しちゃうから。

  だから透君より先に起きておきたくて…。」

 

 そう言う大神の顔はほんのりと朱に色づいている。

 変な事とは言われて思いつい裸野は精々ハグされて頭を撫でられた先日の記憶。

 

 しかし、言ってしまえばその程度の事だ。

 

 「そんなに気にすることか?

  ちょっと寝ぼけるくらい、誰にでもあるって。」

 

 「…。」

 

 ふとその時の事を思い出しながら言えば、大神は無言で顔を俯ける。

 

 「あれ、大神?」

 

 その反応にどうしたのだろう、と疑問に思い声を掛ければ彼女は両手の人差し指を突き合わせながらぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。

 

 「ただ寝ぼけてただけなの。

  だから一昨日のは…。」

 

 「あぁ、それは分かってるけど…。

  …ん、一昨日?」

 

 普通に話していたところにふと湧いて出てきた違和感に言葉を止める。

 

 そう、一昨日の朝。俺が大神より早くに起きたあの日の出来事だ。

 だが、俺の記憶が正しければ大神はその時の事を覚えていなかったはず。

 

 「あー、もしかして。」

 

 そこまで考えてピンときた。

 大神もそれを察してか、肯定するようにこくりと頷く。

 

 「昨日の夜、寝る時に急に思いだして。

  本当に他意は無くて、寝ぼけてただけなんです。」

 

 つまるところ彼女のあの行動は本当に恋愛云々とは関係が無く、ただ純粋な意思の上での行動であったと。

 

 「そうだよな、うん、他意はないよな。

  知ってた。」

 

 図らずとも大神本人から言質が取れてしまった。

 何故だろう、泣きそうだ。

 

 「今までこんな事無かったのに…。

  …透君、反省してる?」

 

 「俺の所為か!?」

 

 まさかの責任転嫁である。泣きっ面に蜂とはこの事だ。

 ここまで露骨だといっその事清々しい。

 

 嘆きの声を上げれば、大神もいつもの調子が戻ってきたのかくすくすと笑い声をあげる。

 

 「冗談冗談。

  ところで、透君は眠れなかったわけじゃないならどうして早く起きたの?」

 

 「あぁ、ちょっと鍛錬でもと…。」

 

 言いかけた所で咄嗟に自らの口を手で塞ぐ。

 が、当然時すでに遅し。

 

 それを聞いた大神の表情が音を立てて凍り付く。

 しまった、会話の流れに乗ってつい口が滑った。

 

 「今、鍛錬って言った?」

 

 「…違うんだ大神。勿論、イワレは使わない。

  ちょっと運動でもと思ってな。ほら、最近ほとんど動かないから体が鈍りそうで。」

 

 ずいと距離を詰めてくる大神に、内心だらだらと冷や汗を滝のように流しながら早口でまくし立てる。

 

 「本当かなー。

  その割には焦ってるように見えるよ?」

 

 その言葉にぎくりとして心臓が跳ねる。

 

 「本当だって、誓って嘘じゃない。」

 

 実際の所、少し使おうかなと頭をよぎったことは否定できない。

 しかし、流石にそれを実行に移す程無鉄砲でもないつもりだ。

 

 「んー、そこまで言うなら信じるけど…。」

 

 そうは言っているが、何処か大神は不服そうに見える。

 

 「…ね、透君。」

 

 何やら考え込んでいた大神であったが、すぐに顔を上げて真っ直ぐこちらへと目を向ける。

 

 「ウチも一緒に良いかな。」

 

 「一緒にって、鍛錬か?」

 

 確認すれば、大神はこくりと首を縦に振る。

 断る理由も無いし、それは別に構わないのだがどうしてまた。

 

 「体を動かしたいのはウチも思ってたし、それに。」

 

 疑問に思っていれば、そう間も無く彼女から答えが与えられる。

 そして続けられた言葉。

 

 「透君の様子はちゃんと見ておかないとだしね。」

 

 「…さては俺の事全然信じてないな。」

 

 そう言って茶目っ気に溢れた仕草で片目を閉じて見せる彼女に、つい苦笑いが浮かんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鍛錬とは言ってもそこまで本格的なものはしない。

 いつものように山の中を走り込むこともイワレ無しでは流石に厳しいものがあるし、それ以上にこの周辺は雪に覆われていて出て行ったが最後、ここへと帰ってくることが出来なくなるのは明白である。

 

 それもあり今日の所は当初の予定通り軽く体を動かす程度に留めておく。

 取り合えず、広いイヅモ神社の境内を大神と二人で走ることになった。

 

 「こうやって二人で走るのは初めてだから何だか新鮮だね。」 

 

 「そうだな、俺も百鬼以外とこうやって体を動かすのは初めてだ。」

 

 足を動かしながら隣を走る大神と会話を交える。

 

 百鬼との鍛錬が無くなってから一人で鍛錬をすることが多かったが、誰かと一緒の方が同じ事をやるにしても、やはり会話ができるだけでかなり変わる。

 

 「本当、あやめと透君は話が合いそうだよね。

  二人共戦い方とか似てるし。」

 

 そんな大神の言葉で頭に浮かんだのは、壁を蹴り縦横無尽に駆け回る百鬼の姿。

 

 「いや、あれとは比べないでくれ。

  確実に別次元だから。」

 

 少なくとも、あんな芸当ができるのは百鬼以外にいないだろう。

 挑戦する必要もない。

 

 「そうかな?」

 

 「そうだ。」

 

 首をかしげる大神へはっきりと否定しておく。

 大神の中で百鬼の次元までハードルが上がってしまうと、後々痛い目を見るに決まっている。

 

 「んー、でもウチから見るとそうは見えないけど…。」

 

 「ははっ、勘弁してください。」

 

 若干不安げにぼやく彼女の中でどれだけ過大評価を受けているのだろうかと、思わず顔に笑みが浮かびながらそう返す。

 

 「それはそうとして、戦い方と言えば大神は刀使わないよな。

  理由とかあるのか?」

 

 ふとそんなことを思い立つ。

 白上や百鬼は刀を使っているし、成り行きとはいえ俺もそうだ。

 

 しかし大神はそんな中でいつも一人素手であったし、刀を振るってる姿は見たこともない。、

 

 「うん、興味はあるんだけどね。

  でもウチの場合ワザの関係で両手を開けておいた方が都合がいいことが多くって。」

 

 「確かに炎をそのまま使う時に刀を持ってたら金属以外焦げそうだしな。」

 

 シラカミ神社で床暖房をした時のように対象を分ければ問題は無さそうだが、それをする暇があるのならいっその事使わない方が良いのだろう。

 

 火力を求めて刀を捨てて素手で殴る。

 そう考えてみると、もしかするとシラカミ神社で一番脳筋な戦い方をするのは意外にも大神なのかもしれない。

 

 「…透君、今すごく失礼な事考えてない?」

 

 「え?まさか。」

 

 「あ、誤魔化した。」

 

 図星を突かれて目を逸らしつつ何とか誤魔化そうとするも、即座にばれてしまう。

 相変わらずこの辺りは見抜かれてしまうようだ。

 

 「もう、透君酷い。」

 

 「ごめんって、悪気はなかったんだ。」

 

 機嫌を損ねてしまったのか大神はそう言ってぷいと顔をそむけてしまう。

 

 「ウチは脳筋じゃないみょん。」

 

 「みょんって…というか、気にしてたのな。」

 

 恐らく大神自身でも思っていたことを、意図せず掘り起こしてしまったらしい。

 妙な語尾が定着しつつある彼女はそれを聞いてぷくりと頬を膨らませた。

 

 「それはまあ…ウチだって女の子だもん。」

 

 「あぁ、知ってるよ。」

 

 反射的に答えれば、大神は一瞬面食らったように目を丸くして、無言のままこちらからは見えないように顔を俯ける。

 

 そんな彼女の反応にふと自分の言葉を振り返る。

 

 「あ、いや、別に深い意味はなくてだな。

  ただ純粋にそう思ってるってだけで。」

 

 「う、うん、分かってる。」

 

 特にやましいことは無い筈なのだが、変な空気になってしまった。

 少しの間、無言で二人走り続ける。

 

 気まずさに耐えかねて話題を切り替えようと、何かないか周辺へと目を配る。

 

 「…そうだ、ここの景色さ。」

 

 「え?」

 

 そして、まず飛び込んできた光景にぽつりと言葉がこぼれた。

 

 「イヅモ神社のことだ、何度見ても綺麗だなって思って。

  昔からこんな感じなのか?」

 

 ゆっくりと後ろへと流れていく凝縮されたような小さな街並みは、大神が長い間暮らしてきた場所だ。

 

 「うん、そうだよ。

  本当に何一つ変わってない。でも…。」

 

 彼女の前へと進んでいたゆっくりと減速し、やがて立ち止まる。それに付随して俺の足も止まる。

 何となく、彼女の言わんとしていることは理解できた。

 

 「ちょっとだけ、寂しくもあるよな。」

 

 これだけ綺麗な場所なのに、小さいと言えども立派な街並なのに露店を出す人も、駆け回る子供達も、誰もいない。変化が無いとは、それだけ人による活動が無いも同然だ。

 

 「透君には、昔のイヅモ神社も見せてあげたかったな。」

 

 「あぁ、俺も見てみたかった。」

 

 今となっては言っても栓の無い話ではあるのだろう。

 けれどそう思わずにはいられない程に、目の前の光景は惜しいと思えた。

 

 どのような場所だったのか、是非ともこの目で見てみたかった。

 

 「昔の記憶は曖昧だけど。

  ウチね、この神社の事大好きだったの。」

 

 そう言う彼女の顔は少しだけ寂し気に見える。

 

 「…神狐が聞いたら泣いて喜ぶんじゃないか?」

 

 今度はしんみりとした空気になってしまった。

 それを払拭するように、言葉を口に出す。

 

 「どうなのかな、せっちゃんが泣いてる所なんて見たこと無いから想像できないかも。」

 

 首を傾げ、笑みを浮かべる大神。

 確かに俺も神狐が何があれば涙を流すのか見当もつかない。

 

 そもそも泣くのだろうか、あの神主は。

 

 「まぁ、神狐の事も気になるけど、どちらかと言うと大神がどんな子供だったのかも気になるな。」

 

 そう言えば聞こうと思っていて聞いていなかった。

 神狐なら知っているだろうから、次に遭遇した時にでも聞いてみようと密かに決意する。

 

 「恥ずかしいからあんまり聞いて欲しくないけど…、せっちゃんの事だから喜んで話しちゃいそう。」

 

 「だな、それだけは簡単に想像できる。」

 

 脳裏には心底楽しそうに尻尾を振って話をする神狐の姿がありありと浮かぶ。

 付き合いの短い彼女だが、確実にそうだと確信できる。

 

 「せっちゃん、お節介焼きなところがあるから…。」

 

 そう呟く大神は困っているようで、けれどどこか嬉しそうな笑みを浮かべた。

 

 「お節介焼きか…。」

 

 ここに来てからの短期間の間だけでも身に覚えがありすぎる。

 特に俺と大神が恋仲になることを強く望んでいるようだが、そのためにどこか空回りしている辺りが特に。

 

 協力してくれようとしているのは分かる。

 しかし、にしては妙にやる気を出している、出しすぎている。

 

 (ひと月以内に恋仲になれって言われてもな…。)

 

 改めて隣に立つ黒い狼の少女へと視線を向ける。

 運動したためか微かに上気した頬、艶やかなその綺麗な黒髪。

 

 一挙手一投足においても、意識してしまう。

 そんな彼女と恋仲になれたなら、想いを告げられたのならと思わないことは無い。

 

 それが俺の想いの源となっている。

 しかし、それなら神狐はどうだ。

 

 神狐は俺と大神を恋仲にする事に妙に固執しているような節がある。 

 その理由が何であれ、神狐が何をするのか予想出来ない点がただ不安だ。

 

 「…あの、そんなに見られると恥ずかしい…。」

 

 「あっと、悪い!」

 

 思考に集中するあまり露骨に見過ぎていたようだ。

 見れば大神の顔が先ほどよりも赤く染まっている。

 

 慌てて視線を逸らして、そこで一つ違和感に気が付く。

 

 何故赤くなる。

 それではまるで。

 

 そこから先に進もうとする思考に、思わず待ったをかける。

 やはり、これは俺の都合の良い妄想に過ぎないのか、それとも本当にそうなのか。

 

 分からない。

 しかし少しでも意識してくれているのなら、まだ希望があるということなのだからこれほど嬉しいことも無いが。

 

 「いつの間にか話し込んじゃったね。

  体が冷えちゃうよ。」

 

 「そうだな、再開するか。」

 

 大神のその言葉を区切りにして、二人止めていた足の動きを再開させる。

 

 雪こそ降っていないが、気温が低いことに変わりはない。

 けれど顔に集まった熱はそれすらも感じさせることは無かった。

 

 体感的には熱すぎるほどに温まった状態で足を動かしていれば、不意に横から視線を感じる。

 とはいえ、二人しかいないのだからその視線の主も当然一人に限られる。

 

 「…。」

 

 仕返しのつもりなのだろうか。

 無言でチラリと視線を返してみれば、それに気づいた大神はふいと視線を前に戻す。

 

 なるほど、視線を合わせるつもりは無いらしい。

 もしくはただの偶然か。

 

 再び前を向いて走るが、再び感じる視線。

 これを二度三度と繰り返せば流石に偶然ではないと確信できる。

 

 「あの、大神さんや?」

 

 「どうしたんだい、透君。」

 

 芝居がかった口調で声を掛ければ、彼女も同様に返してくる。

 

 「俺の顔に何かついてるかい?」

 

 「何もついてない、けど…。」

 

 「けど?」 

 

 言葉の続きを待つが、しかし待てど暮らせども大神からの返答が返ってこない。

 代わりにこちらをじっと見つめる一対の瞳。

 

 何となく、目を合わせてみる。

 

 「…。」

 

 「…。」

 

 傍から見れば互いに無言で見つめ合いながら走っているという奇妙な光景に映るだろうが、幸いにもその傍からみる人物はいないため気にしない。

 

 不思議な時間が流れる。

 ふと、見つめていた大神の瞳が迷うように揺れ動いた。

 

 「…大神?」

 

 「っ…やっぱり何でもなーい!」

 

 堪らず声を掛けるも、それと同時に大神はそう言い残すと脱兎のごとく駆けて行ってしまった。

 

 「あ、おいっ!」

 

 直ぐに追いかけようとするも、完全に虚を突かれたこともあり凄まじい速度で離れて行く背中を見ることしかできなかった。

 

 結果的において行かれてしまう形となったが、今はそんなことはどうでも良い。

 脳裏に焼き付いた今の光景に、思考を持っていかれていた。

 

 「…なんで泣きそうな顔をするんだよ。」

 

 大神は一瞬だけ泣く寸前のようにくしゃりと顏を歪めかけて、それを抑える様に声を上げて走って行った。

 

 その疑問は誰にも届くことは無く、ただ無人の街へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 






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個別:大神 16


どうも、作者です
感想くれた人、ありがとうございます。

以上。



 

 

 あの後大神と再度合流したが、その時には既に彼女はいつもの大神へと戻っていた。

 

 普通に話し、普通に笑う。

 その姿からは先の表情の面影など一ミリたりとも感じられない。

 

 けれど俺の脳内には焼き付いている。

 あの悲し気な表情が、泣きそうに歪められた瞳が、しっかりと。

 

 一度、それについて問いかけてみた。

 

 しかし

 

 「え?透君の見間違いじゃないかな。

  ウチは見ての通り元気だよ?」

 

 そう言って首を傾げる彼女を前に、それ以上の追及など出来るはずも無かった。

 結局、気にはなれども諦める他ない。

 

 それからは特に変わったことも無く、イヅモ神社の日常が戻る。

 ただ一つを除いて。

 

 「…のう、透よ。」

 

 「…なんだ、神狐。」

 

 小声で話しかけてくる神狐に対して、同様にこちらも小声で返す。

 何故小声なのかと言えば現在、二人は隠密行動中だからである。

 

 目標は既に視界に抑えている。

 二人の視線の先、そこには一人ベンチに座る大神の姿。

 

 けれどその表情は何処か物憂げで、落ち込んだようにため息を付いている。

 

 あの時から、時折こうした大神を見かけるようになった。

 最初は気のせいかとも思ったが、流石にあの日から三日経過して尚続くとなるとそうも言っていられなくなる。

 

 不審に思ったのは俺だけではなく、無論神狐も同様で今に至る。

 

 「お主、ミオに何をしたのじゃ?」

  

 「…。」

 

 こちらに疑いの視線を送ってくる神狐に沈黙で返す。

 それはそうだ、このイヅモ神社には三人しかおらず、必然的に容疑者は絞られることになる。

 

 「やはり、何か心当たりはあるようじゃな。」

 

 「いや、俺も原因までは分からないって。

  けど大神がああなったのは俺と鍛錬してからだし…。」

 

 自分でも知らずのうちに何かしてしまっていたのか。

 そう思い記憶をたどってみるも、どうにもそれらしい要因は見当たらない。

 

 何が彼女を苦しめているのか分からずにいる。

 この状況が、これほどまでに心苦しい。

 

 「二人で…、透、仔細を話して見せよ。」

 

 「ん?あぁ、三日前の事なんだけど…。」

 

 そう言えば神狐にはまだ話していなかった。

 隅から隅まで話すと長くなるため、取り合えず手短に、特に大神の様子が変わった辺りを重点的に説明する。

 

 「なるほどのう…。」 

 

 それを聞いた神狐は思い当たる節でもあるのか少しだけ顔を俯かせてそう呟いた。

 

 「何か分かりそうか?」

 

 その様子に微かな希望を込めて問いかけるが、しかし神狐は首を横に振る。

 

 「さて、さっぱりじゃ。

  妾はミオの心までは見通せぬからのう。」

 

 「まぁ、そうだよな…。」

 

 それはそうだ、いくら親しいと言えどもただ他よりも知っていることが多いだけで、その全てを把握できるわけでもない。

 

 そして、二人の間に無言が流れる。

 

 「とにかく、今はミオを元気づけるのが先決じゃな。

  問題はその方法じゃが…。」

 

 しかしそれも束の間、神狐は思考を切り替える様に頬をぱちりと叩くと、にやりとその口角を上げてこちらへと視線を向ける。

 

 「…なんでそこで意味深にこっちを見る。」

 

 不意に感じた嫌な予感に思わず顔が強張る。

 そんな俺の心情を知ってか知らずか、神狐はその顔に浮かぶ笑みをさらに深める。

 

 「いやなに、元気と言えば笑顔じゃろう?

  笑えば大抵の嫌なことは流せるというものじゃ。」

 

 傍から見ればただの笑顔なのだろう。

 しかし、この時の俺には彼女のことが残虐な悪魔にしか見えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「これは…。」

 

 戦慄の表情を浮かべる神狐を前にただ虚空を見上げる。

 何も考えたくない、頭の中にあるのはその一念のみである。 

 

 そんな現在の俺が身に纏っているのはいつもの服ではない。

 

 白いフリルがあしらわれたひらひらとしたメイド服、頭には同じく白いヘッドドレス。

 それを身に纏う俺の姿を目の前にした神狐は、わなわなと震えながら口を開いた。

 

 「想像以上に、

 

 

 

  キっツイのう…。」

 

 若干引き気味で顔を青ざめさせる神狐に、ぷちりと頭の中で何かが切れる音がした。

 

 「誰が着せたんだ誰が!

  これで大神が元気になるって言ったのは神狐だろうが!」

 

 「いや、うむ。

  それはそうなのじゃが…。」

 

 もごもごと言い淀む神狐。

  

 精神汚染とはまさにこのことなのだろう。

 心の中の大事な何かが、がりがりと音を立てて削られているのが分かる。

 

 人には須らくアイデンティというものがある。それはその人をその人たら占める重要な要素だ。

 その大事な要素だが、現在進行形でそれが失われつつあるのを感じる。

 

 「せめて笑えよ…!」

 

 「そうは言うがの、透。

  これが笑えない程にキツイのじゃ」

 

 何故目の前の少女は死体蹴りを食らわせてくるのだろう。

 ここは無理にでも笑って救いを出すのが人道では無いのか、むしろ追い打ちをかけてとどめを刺しに来ている。

 

 「その耳引きちぎってやろうか。」

 

 「主には分からぬじゃろうが、耳を引っ張られるのは意外と痛いのじゃ…って本当に手を伸ばすでない!?」

 

 こちとらアイデンティを崩されているのだ、せめて彼女も道ずれにと最大のアイデンティへと手を伸ばすも神狐は器用にその手を避けて回る。

 

 ちょこまかと動きやがってこのロリババア。 

 

 「誰がロリババアじゃ!」

 

 「お前だお前!そしてさらっと心を読むな!」

 

 しばらく攻防を続けるが結局神狐を捕まえることは出来なかった。

 だが、両者ともに息切れは無い。

 

 動いてみて分かったがこのメイド服、何気に動きやすいのだ。

 それがまた妙に腹立たしい。

 

 「今更だけどなんで俺のサイズに合うメイド服を持ってんだよ…。

  大神が着るにしても合わないだろ、これ。」

 

 自らの体を見下ろして、サイズ感ぴったりなそれに顔をしかめながら問いかける。

 一応神狐は自分のものを持っているようだが、彼女との対格差は歴然である以上彼女のものではない筈だ。

 

 「それは昔に仕入れたものじゃ。

  いつかミオが着れるようになるかもと取っておいたのじゃが、些か大きすぎてのう。」

 

 それがこんな形で陽の目を見ることになるとは、メイド服自体も自我があるのならばさぞ驚いていることだろう。

 

 「ただ折角陽の目を見た所を悪いが、もう着替えるからな。それで二度と着ない。」

 

 「うむ、こればかりはのう。

  ミオもこんなものを見てはむしろ悪化するというものじゃ。」

 

 こんなもの呼ばわりとはご挨拶だが、正直同意見な為さっさと着替えに脱衣所へ…。

 

 「こんなところで何してるの?」

 

 「…っ。」

 

 行こうと足を向けた瞬間、後ろから大神の声が聞こえてきていつもとは別の意味で心臓が跳ねる。

 近くから息を呑んだ音が聞こえたため、恐らく神狐も想定外の事態だ。

 

 「あー…、ミオよ、どうしてここに?」

 

 「どうしてって、あっちで座ってたらせっちゃんの尻尾が見え隠れしてて気になったから見に来たんだけど…。」

 

 震え声で尋ねる神狐に大神はそう答える。

 どうやら先ほどの攻防が仇となったらしい。

 

 後ろ越しにこちらへと大神の視線が向けられているのが分かる。

 大丈夫、まだ正面から姿を見られたわけでは無い。まだ誤魔化しがきく筈だ。

 

 「…。」

 

 無言のまま止めてしまっていた足を動かして何事も無かったかのようにその場を後にしようとする。

 

 しかし。

 

 「透…君…ちゃん?どこ行くの?」

 

 現実とは常に無情である。

 大神に戸惑い混じりに呼び止められて、声にならない悲鳴を上げる。

 

 最後の希望にと神狐へ視線で助けを求めるも、既に諦観の籠った瞳で首を横に振る彼女の姿にもう手遅れなのだと悟る。

 

 一つ深呼吸を入れ、静かに覚悟を決める。

 

 どんな反応を示されるのか。

 嘲笑か、ドン引きか…多分後者だな。

 

 大神が見せるであろう反応に当たりをつけながら、ゆっくりと振り返る。

 

 「あ…。」

 

 正面から向き合うと、大神は思わずといった形でそんな声を漏らす。

 ちょっと心が折れかけるが、気合と意地で向かい合い続ける。

 

 仮に引き気味の反応をされたとしても二日三日引き籠るだけだ、大した問題はない。

 

 「…可愛い。」

 

 「大神、言いたいことは分かる。

  だけどこれには深いわけが今なんて?」

 

 ぽつりと呟かれたその言葉に理解が追い付かず、一拍遅れて聞き間違いかと大神へと聞き返す。

 

 「ミ、ミオ?主、今何と…。」

 

 それは神狐も同じようで、本気で戸惑ったような声を上げる。

 

 「え?だから可愛いって。

  透君、メイド服も似合うんだね。」

 

 (…マジで?)

 

 (それは無いのじゃ。)

 

 ぽっと頬を赤く染める大神に思わず神狐へと目を向ければ、ぶんぶんと少々オーバー気味に首を振って否定を返してくる。

 

 この時点で二対一だ。

 どちらの意見が正しいかは多数決でこちらが優勢となる。

 

 しかし、そうすると今度は大神へと論点が移る。

 

 「大神、気を使わなくても良いんだぞ?

  正直俺も直視したくないし。」

 

 「え、何言ってるの?

  ウチ気なんて使ってないよ?」

 

 これは大神なりの優しさだ、そう考えて助け舟を出したつもりなのだが即答で否定されてしまう。

 そして、気づいた。大神の瞳は曇りも無く晴れ渡っていると。どこまでも純粋に俺とメイド服にシナジーを感じていると。

 

 「…神狐。」

 

 「うむ、ミオは本気じゃ…。」

 

 確認を取るように神狐へと声を掛ければ、彼女も同じ考えのようで真剣な表情で頷いて見せる。

 

 「透君もメイド服を着るならウチも何か着たいな。

  …そうだ、執事服とか良いかも。透君…ううん、透ちゃんとも関連性があるし。」

 

 「待て待て待て、大神これには事情があってだな!」

 

 大神が俺のメイド服について完全に受け入れて順応し始めたのを察して慌てて誤解を解こうと待ったをかける。

 が、彼女はこれを照れ隠しと受け取ったようで中々納得してくれない。

 

 「恋は盲目という奴じゃな…。」

 

 そんな様子を見たイヅモ神社の神主はぽつりとそう呟くが、それが誰かに届くことは無く。

 結果として、大神の俺への呼び方を透ちゃんから透君へと戻すのに二時間ほどを要することとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「はー、危なかったー。」

 

 ぐったりと椅子の背にもたれ掛かって大きく息を吐けば、それを見た大神がくすくすと笑い声をあげる。

 

 「そんなに気にしなくても良いのに。

  ウチは透君でも透ちゃんでも変わらないよ?」

 

 「気にするって、別にそういう趣味があるわけでもないし。

  というか大神の順応性が高すぎるんだ。」

 

 まさか笑わせに行った筈が根本的に失敗した挙句、あそこまで華麗に受け入れられるとは思わなかった。

 あそこまで肝が冷えたのは久方ぶりだ。

 

 誤解を解いている最中にいつの間にか神狐はいなくなるしで散々な結果になってしまった。

 

 「…でも、ウチそんなに分かりやすかったかな。」

 

 微笑みながらも大神は顔に影を落とす。

 何がとは聞かなくても分かった。

 

 「そりゃ、一緒にいる時間も増えたしな。

  その分変化にも気付きやすくなるさ。」

 

 それでも、気づいてからこうして実行に移すのに時間がかかる程度には上手く隠されていた。

 これは俺の洞察力の問題か、それとも大神の隠蔽能力が高いのか。

 

 「…別に問いただしたりはしないけど。

  やっぱり落ち込んでるっていうか、悩んでることがあると分かれば手を貸したくもなる。」

 

 などと言ってはいるが、結果があの様では恰好もつかない。

 いや、深く考えるのはやめておこう。あれは事故だったんだ。

 

 それを聞くと、少しだけ口を開いて大神は何かを言いかける。

 しかし、言葉にならないのかそのまま口を閉じた。

 

 「…うん、ありがとう透君。」

 

 代わりに大神は笑顔でそれだけを口にする。

 

 やっぱり、何かある。これは確実だ。

 脳裏に浮かぶのは、シラカミ神社で聞いた白上の言葉。

 

 『気の所為かもしれないですけど、もしかしてあの予言とは別にもっと根本的な問題があるんじゃないかって。』

 

 根本的な問題。それが今、目の前に現れそうになっている。

 

 直面して、理解した。

 これは生半可な問題ではないと。

 

 しかし、分かっていたことだ。親友の白上にすら見抜けない程に深く隠されていた問題だ。

 それが簡単に解決できる程度のものである筈がない。

 

 「透君。」

 

 「なんだ?」

 

 不意に名を呼ばれて顔を上げる。

 

 「もしウチが話したいことがあるって言ったら、その時は透君、話を聞いてくれる?」

 

 優し気な表情、いや、正確には穏やかな表情で大神は問いかけてくる。

 それに対して、俺は。 

 

 「…あぁ、どんな話でも受け止めて見せるさ。」

 

 「…そっか。」

 

 その答えを聞いた大神は、そう言って安心したように笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 大神と別れて一人、イヅモ神社の本堂へと足を運ぶ。

 何をしに来たのか、それは当然神狐を探しに来たのだ。

 

 「神狐、居るか?」

 

 呼びかければ、何処からともなく神狐セツカが姿を現す。

 本当に出てくるとは思わなかったが、これはこれで話が早くて助かるというものだ。

 

 「何の用じゃ?

  主から訪ねてくるのは珍しいのう。」

 

 神狐は少し驚いたように、キョトンとした顔で尋ねてくる。

 

 「あぁ、少し話したいことがあってな。」

 

 「ほう。」

 

 神狐が相槌を打つとともにシキガミが現れて座布団を持ってくる。

 取り合えず座れということなのだろう。

 

 「それで、話とはなんじゃ?」

 

 腰を据えて向かい合えば、神狐はこちらに真っ直ぐに視線を向ける。

 

 「…ひと月以内に大神と恋仲になれって、言ってたろ?」

 

 「うむ、そうじゃ。

  確かに妾の言じゃ。」

 

 未だに燻る想い。

 俺だって、大神と恋仲になりたいとは思っている。

 

 けれどだ。

 

 「あれさ、無かったことにしても良いか?」

 

 「む…。」

 

 そう言えば、神狐はピクリと眉を上げる。

 

 「ふむ…主とミオの問題である以上、元々妾から強制することでもないがのう。

  しかし、主とて望むところであろう?」

 

 「そうだな。」

 

 神狐の言う通りだ、そこに見解の相違は無い。

 

 「けど、俺の想いより俺は大神を優先したい。

  大神に悩みがあるのなら、それを解決してから改めて恋愛をしたいんだ。」

 

 神狐なりに考えて、色々と手助けしようとしてくれているのは理解している。

 けれど今の状況で恋愛が出来ると言えば、それは嘘になる。

 

 まずは大神の悩みを解決する。

 恋愛をするのはその後でもいい。

 

 「ミオの悩み…。

  そうじゃな、主がそう考えるのも無理は無い。」

 

 どうやら神狐も理解してくれたようで、頷いて見せる。

 

 「なら…。」

 

 「その上で、じゃ。」

 

 しかし、神狐は遮るように言葉を続ける。

 

 「妾としては、主にはミオと一時でも早く恋仲になってほしいと考えておる。

  まぁ、ただの我儘じゃな。」

 

 そう言って自嘲するように笑みを浮かべる神狐。 

 我儘、それは神狐自身がそうであって欲しいというだけの願望。

 

 だが、他人の感情を完全に無視してまで自分の感情を優先するほど神狐が思慮深くない訳がないということは理解できる。

 

 「…何か知ってるのか?

  大神の悩みについて。」

 

 「そうじゃな、知っておる。」

 

 もしやと思い当たって問いかけてみれば、あっさりと神狐は白状した。

 

 「じゃが、ミオが話さぬ内は妾からそれについて話すことは何も無いのじゃ。」

 

 「あぁ、それは分かってる。」

 

 逆に何か話そうとしていれば止めていた所だ。

 大神の悩みは大神本人から聞く。それを先ほど約束した。

 

 「じゃあ俺は宿の方に戻るよ。

  実は大神には少しトイレに行ってくるとしか言ってないんだ。」

 

 話は終わった。

 そう言って立ち上がれば、神狐は呆れたような笑みを浮かべる。

 

 「主、もう少しひねった言い訳は出来ぬのか。」

 

 「ごもっともで。」

 

 これは宿に帰ったら大神に腹の心配をされるかもしれないな。

 同じく笑みを返しながら冷たい本堂の床を歩く。

 

 「…透よ。」

 

 神狐の視界から出る一歩手前で、そう呼び止められて振り返る。

 

 「ミオから話を聞いたのなら、その時は妾の知るすべてを主に話す。

  約束するのじゃ。」

 

 見たことの無い顔だ。

 だが、その瞳には確固たる覚悟が宿っていた。

 

 「…あぁ、覚えとく。」

 

 それだけ言い残して、今度こそその場を後にする。

 本堂へと残されるのは神狐セツカただ一人。

 

 

 「本当に、主には世話をかける。」

 

 その口から零されたその言葉は、がらんとした本堂の中を響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 




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個別:大神 17


どうも、作者です



 

 

 『せっちゃん、見て見て!』

 

 叫ぶように言いながら、一人の小さな少女がこちらにとてとてと擬音が鳴るような足取りでこちらへと向かってくる。

 

 その様子を見て周りからはくすくすと微笑ましいものを見るような笑いが上がった。

 

 『ウチね、これ出来るようになったよ!』

 

 目の前に到着した少女は、そんな視線も気にすることなく、そう言って誇らしげにその手に抱えるものを見せてくる。

 そんな彼女が如何にも可愛く思えて、愛おしく思えて。

 

 誉めてやろうと、頭を撫でてやろうと、そんな彼女に手を伸ばす。

 そこで、世界は暗闇へと包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イヅモ神社に来てから13日が経過した。

 

 結界の修復とは銘打ってはいるが、長い休暇の様な平穏な日常が続いていた。

 当初は持て余していた大神への恋心、これも時間が経つにつれて心の整理がついたのかそこまで気にすることなく大神とは接することが出来ている。

 

 無論、その理由の一端に大神の抱える悩みが関与していることも確かだ。

 

 神狐に暫く大神に対するアプローチを止めると宣言してからこの方、彼女も無理に俺と大神をくっ付けようとするそぶりも見せずにいてくれている。

 

 親心からか、どうにも神狐は大神と俺をくっ付けることに執着しているようだが、正直悩みを抱えたままの大神に対して俺の方からアプローチをかけようとは如何にも思えないのだ。

 

 しかし交流が無くなった訳でもない。

 時々神狐は食事中に話に来たり、大神と二人で談笑している姿を見かけることもある。

 

 特に神狐といる時、大神は見たことの無い表情を見せることがある。

 この辺り二人の仲の良さを感じるとともに、何処か寂しく感じたりもする。

 

 悩みについては、まだ何も進展していない。

 

 だが焦りは禁物だ。

 大神が話してくれるのをただ待つ、それだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…それで、こんなに朝早くから呼び出してどうしたんだ。」

 

 イヅモ神社の本堂、目の前に座る神狐にあくびを噛み殺しながら問いかける。

 

 現在は早朝、いや、正確には深夜に分類されても良い時間帯。

 先日の夜にこの時間に一人で来てくれと言われたから来てみたが、やはり眠気は取れていない。

 

 「ほほっ、すまぬの透。

  主にだけ用事があってのう。」

 

 そんな俺の様子を見て小さく笑いながら神狐は軽く詫びを入れる。

 

 俺だけに用事、つまり大神には聞かせられない話か。

 そこまで考えて脳裏に浮かんだ事象。

 

 「先に言っておくが大神の悩みについてなら、何も聞く気はないからな。」

 

 「無論じゃ、妾もまだ何も話す気は無い。」

 

 一応と釘だけ打っておけば、神狐も分かっているとばかりに頷いて見せる。

 

 神狐は多分大神の悩みについて把握している。

 だがそれを聞くのは、あくまで大神から話を聞いてからだ。

 

 「主に用があるのはこちらの方じゃよ。」

 

 そう言いながら、神狐は片手を横に挙げる。

 すると出現するのは、ここ最近で見慣れてきた結界の修復の際に使用している水晶玉。

 

 「結界の方にまた問題でも起きたのか?」

 

 これを今取り出すということは、つまりここで修復作業でも行うということなのだろうか。

 しかし、それをするにしても地下の方に向かう必要があるのではないのか。

 

 「んー、まぁそんなところじゃな。

  主にはその水晶玉でいつものように協力してもらいたいのじゃ。」

 

 「?まぁ、それは良いが…。」

 

 何処か誤魔化すような神狐のその様子に釈然としない気持ちを抱えながらも、その程度の事ならと水晶玉へと手をかざす。

 

 いつものようにイワレを循環させてみるが、神狐はそれをじっと見守っている。

 

 「…神狐、結界の修復は?」

 

 流石にそんな神狐を不審に思い問いかける。

 

 「うむ、これはどちらかというと最後の下準備みたいなものじゃからな。

  修復はまた後程じゃ。」

 

 「そういうもんか…。」

 

 それを聞いた神狐はあっけらかんと答えた。

 

 いまいち腑に落ちないが、何かしら神狐なりの意図はあるのだろうと今のところはそれで納得しておくことにして、そのままイワレの循環を続ける。

 

 「にしても、これの何処が大神に聞かせたくないんだよ。

  わざわざ俺だけを呼んだって事は、これ以外にその理由があったりするのか?」

 

 特別な話も、事情も無く、ただイワレを循環させる。

 つい昨日まで大神と共にやっていたことを今度は俺一人で意図的にやらせるというのは少々不自然に思える。

 

 故にそう邪推してしまうのも無理はないだろう。

 しかし、それを神狐は首を横に振り易々と否定した。

 

 「否じゃ、主にしてもらいたいのは正真正銘それだけじゃよ。 

  …ミオはまだ起きておらぬのじゃろう?」

 

 「大神か?

  あぁ、俺が部屋を出る時にはまだ寝てた。」

 

 それを伝えれば、神狐は安堵するように密かに息を吐いた。

 やはり、大神には見られたくないようだ。

 

 まぁ、これだけ材料が揃えば何となく察しは着く。

 多分これは大神の悩みに関係しているモノだ。

 

 それなら神狐が頑なに理由を話さそうとしないことにも説明はつく。だがそれが分かったところでという話に変わりはない。

 

 (一体全体、俺は何をやらされているんだ。)

 

 疑問は尽きない中、時間だけが過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水晶玉にひたすらイワレを循環することおよそ数十分。

 結局それ以外に何も起こらないまま神狐は終わりを告げて、俺は解放された。

 

 これだけの為に眠気を抑えていたと思うとどうにも釈然としないが、まぁ、天災のようなものだと割り切ってしまう他ないだろう。

 

 若干拍子抜けしつつ、これからの事について思考を巡らせる。

 

 (にしても、想像以上に時間が余ったな。)

 

 時間が経ったと言っても通常であればまだぬくぬくと布団の中で夢の中にいる時間帯である。

 このまま早めに鍛錬でもしようかとも思うが、しかし未だ感じる眠気に従って寝なおすというのも魅力的だ。

 

 少しの間葛藤するが、結果欲望が勝ってしまった。

 愛しいベットを求めて、宿の部屋へと続く道を急ぐ。

 

 (あ、大神。)

 

 部屋の襖を開ければ、椅子に座り机に向かっている大神の姿が視界に映る。

 どうやら既に起きていたようだ。

  

 相変わらず早めに起きるようにしているらしい。

 

 一応襖を開けた時点で音は鳴っているはずなのだが、集中しているのか大神がこちらに気が付いた様子はない。

 

 「…大神、何してるんだ?」

 

 疑問に思い、部屋に入りつつ声を掛けてみる。

 すると返ってきたその反応は劇的であった。

 

 「わひゃあ!?」

 

 声を掛けると同時、大神はびくりと体を震わせると驚きの声を上げ、慌てて机の上に置いてあった何かを隠そうと手をわたわたと振る。

 

 「と、透君!?

  おかえり、どこ行ってたの?鍛錬?今日は早起きだったんだね!」

 

 「あ、悪い、驚かせるつもりは無かったんだ。」

 

 顔だけこちらに向けると、大神は早口でそう捲くし立てる。

 明らかに焦っている大神に軽く謝りながら、不意に大神が慌てた際に机の上から床へと落下したモノへと目が移る。

 

 「タロット?」

 

 そこに落ちていたのは大神がよく占いに使用しているタロットカードの一枚。

 思わず声に出せば、それに気が付いた大神は目にもとまらぬ速度でカードを回収する。

 

 「い、今の、見た?」

 

 「え、いや、絵柄までは見えなかったけど…。」

 

 焦った様子で問いかけてくる大神へとそう返せば、彼女はほっとしたように小さく息を吐いた。

 

 まさかそこまで驚かれるとは思わなかったもので、少々狼狽しつつ改めて彼女へと目を向ける。

 まだ着替えは済ませていないようで服装は寝る時のままで、その髪には珍しく寝ぐせが残っている。

 

 「占いをしてたのか。」

 

 何をしていたのかを察して口に出せば、大神はぎくりとして一瞬体を固まらせる。

 

 「う、うん、ちょっと今日の運勢だけ。

  本当にそれだけだから。」

 

 「…。」

 

 明らかに嘘をついている。

 おかしいな、彼女はここまで嘘をつくのが下手だっただろうか。

 

 いつも分かりやすいと言われる俺だが、相手の気持ちが今は少し分かる気がした。

 

 「…本当だよ?」

 

 「…分かった、そういうことにしとく。」

 

 上目遣いで視線を向けてくる彼女に、ため息を付きながらそう返す。

 そこまで必死に隠そうとされては、これ以上突っ込むのが可哀そうに思えてくる。

 

 それに藪蛇とは言わないが、変に詮索するのも控えておいた方がよいだろう。

 

 しかし、驚いた拍子に完全に眠気が飛んでしまった。

 これでは寝なおすことは叶わないな。

 

 「じゃあ、俺は温泉に入ってくるから。また後でな。」

 

 言いながらひらひらと手を振り、着替えだけを持って再び部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぱたりと音を立てて襖が閉じる。

 

 「…はぁ、びっくりしたー。」

 

 彼にはバレなかっただろうか、少し不安に思いながら拾ったタロットを机の上に置く。 

 今の生活に慣れてきて、つい気が緩んでしまった。

 

 バレていないにしても、怪しまれたのは確実。

 

 「やっぱり、そろそろ話さないと…。」

 

 これ以上は隠して置けないのは分かっている。

 どちらにしても時間の問題なのだから。

 

 シラカミ神社に帰ったら、フブキやあやめにもちゃんと話さないと。

 

 そんな決意を固めながら、少女、大神ミオは窓の外へと目を向ける。

 相変わらずの曇り空、雪の舞い散るその景色をその瞳に映し出して、彼女は何を思うのだろうか。

 

 そして机の上では、それを嘲るように死神がその相貌を歪めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…え、牛乳はもう無いのか?」

 

 驚きに目を丸くしながら問いかければ、目の前に立つ狐顔のシキガミはこくりと肯定するように首を縦に振る。

 

 温泉から上がり、楽しみである冷えた牛乳を頼もうとしてシキガミに頼んだところの出来事である。

 どうやら在庫が切れてしまったらしい、つまり昨日飲んだものが最期であったと。

 

 「マジか…もっと味わって飲めばよかった。」

 

 後悔先に立たず、とはいえ昨日に同じことを言われてもどうせ同じような反応になったことだろう。

 

 「まぁ、仕方ないか。

  悪かったな、急に無理言って。」

 

 無いものをねだってもただ困らせるだけだ。

 潔く諦めようとした所、シキガミが動きを見せた。

 

 「え?少し待ってろ?」

 

 こちらに手のひらを見せてくるシキガミに意図を確認するように声に出せば、シキガミは首を縦に振り、そのままキッチンのある方向へと駆けて行った。

 

 普段あまり意思を見せないだけに、面食らってしまった。

 

 その背を見送ってからしばらくせずに、シキガミはお盆を持って再び姿を現した

 盆の上には、コップに入った氷と緑色の液体が乗っている。

 

 「これ、青汁か。」

 

 そう問いかければ、シキガミはこくりと頷きずいとこちらにそれを差し出してくる。

 牛乳の代わりにとわざわざ作ってくれたのか。

 

 「ありがとう、いただくよ。」

 

 ありがたく思いながら、それを受け取る。

 青汁というのも、中々飲む機会は無かった。少し感じる好奇心と共に、コップに口をつけて傾ける。

 

 「あ、美味いな。

  牛乳も良いけど、青汁もアリだ。」

 

 風呂上がりで水分の不足した体に染み渡る、牛乳とはまた違うそれに絶賛の声を挙げれば、シキガミはしてやったとばかりに握り拳を作り、ガッツポーズを取る。

 

 「ん?今ガッツポーズした?」

 

 シキガミってそんなに感情表現豊かだったっけと思い、突っ込みを入れればシキガミは今度は否定するようにふるふると首を横へと振る。

 

 「いや、でも今確かに。」

 

 ふるふると首を横に振るシキガミ。

 

 「けど…。」

 

 ふるふると首を横に振るシキガミ。

 まだ何も言ってないだろ。

 

 するとシキガミは追及から逃れる様に急ぎ足でその場を後にした。

 

 「あ、青汁ありがとうな!」

 

 その背に向かって声を投げかければ、ぴくりとシキガミの耳が震えたのが分かった。

 

 「…ちゅん助。」

 

 それを確認してから、おもむろに自らのシキガミである小鳥のちゅん助を呼び出す。

 いきなり呼び出されたちゅん助は不思議そうな瞳をこちらへと向けていた。

 

 「んー、一応ちゅん助も言葉…は理解してないにしても意思はちゃんと理解できてるみたいだしな。」

 

 イワレについて練度の低い俺ですらちゅん助のようなシキガミを使役できているのだ。

 その何段階も上を行く神狐のシキガミなら尚更か。

 

 「透君、そんなところに立ってどうしたの?」

 

 「ん、あぁ、大神。」

 

 不意に後ろからそんな声がかかって振り返ってみれば、そこには着替えを済ませた大神の姿。

 既に落ち着きは取り戻しているようで、先ほどのような慌てぶりは何処にも見受けられない。

 

 「さっきシキガミに会ったんだけどさ。

  あのシキガミって結構感情表現豊かだと思ってな。」

 

 顔は狐だから表情は読めないが、それ以外の身振り手振りで十分に感情が伝わってくる。

 つい先ほど出来事を搔い摘んで話せば、大神は納得したような声を上げる。

 

 「確かにウチもそう思う。

  せっちゃんのやることって大抵人並外れてることが多いんだよね。」

 

 「だよな、あれが普通って訳では無いよな。」

 

 また自分の常識を更新する必要が出来たのかとも思ったが、どうやらその必要は無いらしい。

 その事実に安堵しつつ、呼び出していたちゅん助を戻す。

 

 「でもそれなら今は牛乳無いんだ。

  ウチも楽しみだったのに…。」

 

 若干落ち込んだように肩を落とす大神。

 確かに新たな味覚を開拓できたとは言え、無いと言われれば多少の落胆はある。

 

 「あ、でもそれなら…。」

 

 何か閃いたのか、一瞬大神の瞳が煌めいた。

 

 「どうした?」

 

 「えっとね、牛乳が無くなったってことはた明日辺りにでも補充に行くと思って。」

 

 補充。

 そういえばシキガミが定期的に結界の外に食料の調達に行っているのだったか。

 

 「透君、せっちゃんは見なかった?」

 

 「神狐か?

  いや、温泉から上がってからは見てないな。」

 

 補充について神狐に話でもあるのか居場所について問われるが、今朝会ったきりで以降は特に足取りはつかめない。

 

 割と気まぐれに顔を出したりするから如何にも行動の予測がつかない。

 

 「ふむ、呼ばれた気がしたのじゃ。」

 

 「て、いるのかよ。」

 

 すると、何処からか話を聞いていたのかと思うほどの速度で神狐が姿を現す。

 もはや名を呼べば何処へでも姿を見せるのではないだろうか。

 

 「ね、せっちゃん、明日補充に行くんだよね。」

 

 「む?そうじゃな、そろそろとは考えておったがそれが…あぁ、そう言うことであったか。」

 

 神狐は何か分かったようだが、こちらとしては何が何だかさっぱりである。

 しかし、それを聞く間もないまま話は先へと進む。

 

 「良かろう、明日に手配はしておくのじゃ。」

 

 「ありがとう、せっちゃん。」

 

 話は完結したのか、そう言い残して神狐はどこかへと去って行ってしまった。

 

 「…それで何の話をしてたんだ?」

 

 ここまで完全に話に置いて行かれているため、改めて大神へと問いかける。

 むしろ神狐は何をもって大神の言いたいことを察したのだろうか。

 

 「明日の補充なんだけどウチ達もついでに外に連れて行って貰えないかなと思って。」

 

 「ついでに?

  それに外ってことは…。」

 

 外とは結界の外ということである。

 このイヅモ神社の周辺にあるものと言えばイヅモノオオヤシロと呼ばれる都市が一つ。

 

 シラカミ神社周辺で言えば、キョウノミヤコに近しいものであると聞いている。

 

 「透君。」

 

 大神に名を呼ばれて改めて彼女と向かい合う。

 

 「明日、ウチと一緒にお出かけに行かない?」

 

 

 





気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム。


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個別:大神 18


どうも、作者です。


 

 がやがやとした喧噪に包まれた街並みを大神と二人で歩く。

 キョウノミヤコとはまた違った趣のあるこの街は、けれども人々の活気に満ち満ちていた。

 

 通りには露店が立ち並び、季節も相まってかそこら中から白い湯気がゆらゆらと立ち昇っている。

 

 イヅモノオオヤシロ。

 ヤマトにおける数ある都市の一つであり、イヅモ神社のある山からそう遠くない場所に位置するこの街は話に聞いていた通り栄えて見えた。

 

 その中でも所々、イヅモ神社にあるような模様など共通点も見られ、伝統というものも感じられる。

 

 「にしてもすごい人の数だな、キョウノミヤコよりも多いんじゃないか?」

 

 先ほどからすれ違う人の数が尋常ではない。

 街に入ってからそこまで時間は経っていないが、それでもすれ違った人数は数十人は下らない。

 

 「キョウノミヤコよりも街の大きさが小さいからね。その分人口密度は比較的高く感じるかも。

  人口はキョウノミヤコの方が断然多いと思うよ。」

 

 「へぇ、そうだったのか。」

 

 どうりで妙に人が多く感じる訳だ。

 けれど体感的にはあまりキョウノミヤコとは変わらないな。

 

 そんな中でも一つだけキョウノミヤコと違うとすれば、大神の姿を見ても特に視線を向ける人がいない。

 キョウノミヤコではかなり顔の知られている彼女だが、ここではそうでも無いらしい。

 

 「大神はよくここに?」

 

 ふと疑問に駆られて尋ねてみる。

 すると、大神は記憶を辿るように口に指をあてて一瞬宙を見上げた。

 

 「んー、近場だったから昔にちょっとだけ。

  だからあんまり詳しいわけじゃないんだよね。」

 

 「確かに、ここイヅモ神社から結構近かったもんな。」

 

 例の如く今回も麒麟の世話になった訳だが、乗っていたのは精々数分が良いところだ。

 それこそ乗ってすぐに到着した感覚。

 

 この距離でイヅモ神社に住んでいたのなら訪れる機会もある事だろう。

 

 「…あ、透君、こっちこっち!」

 

 「おっと、大神!?」

 

 不意に何かに気づいた様に大神はそう声を上げると、俺の手を取って走り出してしまう。

 突然の事で反応が遅れるも、そのまま手の引かれるがままに同様に走り出す。

 

 声を上げる間もなく、すぐに目的地へと到着したのか大神は足を止めた。

 そこは何かの屋台のようで、食欲をそそる香りが漂っている。

 

 「ここのぼんじり串。

  前に食べたきりだけど凄く美味しかったの。」

 

 「って、初っ端から食べ物か。」

 

 何処に連れていかれるのかと思えばまさかの屋台の登場に驚きを隠しきれなかった。

 しかし、ぼんじりか。そこは大神らしいというべきか何というか。

 

 それを指摘された大神は羞恥からか、ほんのりとその頬を朱に染める。

 

 「だって、前食べた時美味しかったし。

  それに…。」

 

 「それに?」

 

 言葉を続ける大神に復唱して聞き返せば、彼女はちらりとこちらに視線を向ける。

 

 「よくフブキが屋台巡りをしてたから、似たようなことをしてみたいなーって…。」

 

 そんな羞恥交じりの大神の言葉に、ぽかんと口が開きそうになる。

 

 どうやら白上に触発されていたらしい。

 確かにセイヤ祭でも白上は屋台巡りをしていて、とても楽しそうにしていたが…。

 

 「あ、ちょっと透君、笑わないでよ!」

 

 堪えきれずに噴き出せば、大神から抗議の声が飛んでくる。

 まさかその程度の事でそんなに深刻そうな表情をされるとは思いもしなかった。

 

 「あぁ、悪い。

  セイヤ祭の時だって、言ってくれればいくらでも付き合ったのに。」

 

 「あの時は…、他の事で頭が一杯だったから。」

 

 他の事、とは踊りの事だろう。

 セイヤ祭では急に誘ったにも関わらず大神は俺に付き合ってくれた。

 

 なら、今度はこちらの番だ。

 

 「まぁ、でもそう言うことなら今日の方針は決まったな。

  屋台でもなんでも、今日は色々と回ってみよう。」

 

 「…っ、うん!」

 

 そう言ってはにかんで見せる大神。

 喜んでくれているようで何よりだ。

 

 「…こほん。」

 

 二人で話していると横合いから飛んでくる咳払い。

 ふと目を向けて見れば、屋台の店主であろう初老の男性と目が合った。

 

 「「あ。」」

 

 そう言えばここは屋台の目の前であった。

 完全に失念していた事実に、思わず二人目を見合わせる。

 

 やってしまった。

 そんな顔をしている大神、恐らく俺も一緒だろう。

 

 それが何だか可笑しく感じて、揃って笑みを浮かべる。

 

 「「おじさん、ぼんじり串二つ下さい!」」

 

 当初の目的を果たそうと大神と声をハモらせて店主へと改めて注文する。

 こうして、何とも締まらない形でイヅモノオオヤシロでの一日は始まりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イヅモノオオヤシロには、キョウノミヤコと比べても遜色がない数の屋台が立ち並んでいる。

 そのため、気になったものを片っ端から回っていると全ての屋台を回る前にすぐに両手が一杯になってしまった。

 

 「一回どこかに座るか。

  これ以上持っての移動は難しそうだ。」

 

 「そうだね…、あっ、あそこはどう?」

 

 そう言って大神が指さしたのは冬にも関わらず花を咲かせている木の下にあるベンチ。

 丁度良く人もいないということで、そこに座ることにする。

 

 二人で座っても十分な広さで、かなり余裕はある。

 

 「はー、結構回れたね。ウチ屋台でこんなに大きな袋持ったことないよ。」

 

 大神は言いながらその手に持つ大きな袋を揺らして見せる。

 

 「だな、思ったより屋台の種類も多かった。

  こういうのって基本被ったりすると思うんだが…。」

 

 「同じ屋台が一つも無かったね…。」

 

 そう、基本的に屋台というのは品物の種類からして少し歩けば同じようなモノを取り扱う屋台に遭遇することも少なくない。

 

 しかし、かなりの距離を歩いたが見覚えのある屋台が登場することは無く、逆に何だこれはと思うようなものがいくつも現れた。

 

 「特にあのゲルは何だったんだろうな。

  明らかに食べるなって色をしてたけど。」

 

 「流石にウチもあれは食べられないかも。」

 

 今も鮮明に思い出せるゲルの蛍光色、いや、もはや発光すらしていた。

 スプーンと共に渡していたから食べ物であるとは思うのだが、本当にあれを食べる猛者は存在するのだろうか。

 

 「あの人、今から食べるみたい。」

 

 「え、何処だ。」

 

 少し遠くを指さされてそこへと視線を向ければ、確かに凄まじい色をしたゲルを今正に口へ運ばんとしている人物が目に入る。

 

 「「…。」」

 

 思わずごくりと喉を鳴らして見入る。

 その人物はためらった様子もなくゲルをスプーンで掬い取ると、それをそのまま口の中へと放り込んだ。

 

 「おい、倒れたぞ。」

 

 「助けに…、って、起き上がったね。」

 

 ばたりと華麗な五体投地を決めるも、その人物は何事もなかったかのように起き上がり、歩いて行ってしまった。

 

 「…倒れるほど美味しいのかな。」

 

 「にしては表情に変化がなさすぎるだろ。

  毒だって言われた方がまだわかる。」

 

 見る限りあの人物は一連の流れを無表情で行っていた。

 仮に意識を失う程美味であるのなら口角の一つでも上げて良いはずだ。

 

 「…まぁ、あのゲルを食べるかどうかは後にして。

  まずはこっちを片付ける方が先だな。」

 

 そう言って、ぽんぽんと大量の食べ物の入った袋を叩いて見せる。

 すべて回っていないとはいえ、それでも相応の量がある。

 

 昼も近づいてきて腹は空いているとは言えども、全てを食べきれるか不安に思う量ではある。

 

 「ウチもお腹空いてるから今なら食べきれる気がする。」

 

 大神もここまで多くの屋台の料理を前にするのは初めてのようで、少しテンション高めに笑みを浮かべている。

 

 いや、多分料理だけではない。

 イヅモノオオヤシロに来た当初から大神はいつもと比べて妙にはしゃいでいるように見える。

 

 そこまで楽しみなモノでもあるのか、それともここ自体が思い入れのある場所なのか。

 どちらにせよ真相は大神自身にしか分からないだろう。

 

 「透君、食べないの?」

 

 「ん?…あぁ、食べる食べる。」

 

 何処かいつもとは違う彼女に違和感を覚えながらも、その大神に声を掛けられて一旦思考を中断する。

 

 とにかく、今はこの時間を楽しもう。

 胸に残る一抹の不安に蓋をしながら、袋の中の串へと手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「はー、もう何も入らない…。」

 

 「俺もだ、一つ一つの量を舐めてた。」

 

 揃って空を仰ぎながら一息つく。

 傍には今や空となった袋。

 

 凄まじい満腹感、苦しいほどではないがこれ以上に何かを食べようとは思えなかった。

 それは大神も同じようで、屋台巡りはここで終わりとなった。

  

 「屋台巡りをするのにも、相応の能力がいるんだね。

  フブキの胃袋がちょっと羨ましい。」

 

 大神はそう言いながら自らの腹部をさする。

 

 本当にその通りだ。

 半分も回れていないのにこの満腹感だ。全てともなるとそれこそ無尽蔵に食べれる資質が必要となる。

 

 「白上に関してはワザの域だな、いくらでも食べれるみたいな。

  あれで太らないのも不思議だけど。」

 

 「確かにそうかも…。

  って、それフブキが聞いたらまたハリセンで叩かれるよ?」

 

 大神は意地の悪い揶揄うような笑みをこちらへと向ける。

 しかし、そうは言っているが大神もその点については疑問に思っているのだろう、特に否定しようとはしなかった。

 

 「そこは大神も肯定したから同罪だ。」

 

 お返しとばかりににやりと笑って見せれば、大神は悔しそうにぐぬぬと唸り声を上げる。

 むしろ此方の方が白上の神経を逆なでしそうだ。ふしゃーと怒りの声を上げる白上を想像して思わず吹き出しそうになる。

 

 「…意地悪をする透君は今度から一品おかず抜きにします」

 

 「え、それはズルいだろ。

  悪かったって、この通り、許してくれ。」

 

 そこを引き合いに出されてはもう敗北を認めるほかない。

 イヅモ神社ならまだしもシラカミ神社において食事に関することで大神に逆らうことは無謀と言わざるを得ない為、これは合理的な判断ともいえる。

 

 軽くじゃれ合いつつ雑談を交えていれば、話題は自然と次の行き先の話にシフトする。

 

 「もうお腹いっぱいだし、屋台巡り以外だよね。」

 

 「取り合えず、あと小一時間くらいはあんまり動き回りたくはないな。」

 

 このままベンチに座っているのも良いが、折角のイヅモノオオヤシロの一日の時間をそこに浪費しても良いものかと葛藤が芽生える。

 

 頭を悩ませていると、不意に辺りを見回していた大神は何か閃いたように手を叩いた。

 

 「…あ、じゃああれなんてどう?」

 

 そう言って彼女が指さした先にあるのは、足湯と書かれた看板。

 

 「足湯か、良いな。

  確かにゆっくりするのにピッタリだ。」

 

 キョウノミヤコでは見かけない為加えて物珍しさもある。

 それを見つけた大神は何処か誇らし気に胸を張る。 

 

 「ふふっ、そうでしょ。

  早速行ってみようよ、透君。」

 

 「あぁ、すぐ行こう。」

 

 言うが早いか先ほどまでの腰の重さはどこへやら、足早に看板の掲げられている場所へと急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気温が低いことも相まってか白い湯気の立ち昇らせている湯、敷かれた座布団に座りその中へと足を入れれば体の底から息が押し出される。

 

 「あー…、これはもう出たくなくなるな。」

 

 温泉ならイヅモ神社で毎日のように入っているが、足湯は温泉とはまた違った魅力がある。

 炬燵のような安心感に似ているだろうか、足から温められる感覚は病みつきになりそうだ。

 

 「透君なんだかおじさんみたいだよ?」

 

 「これは誰でもこうなるって。」

 

 そんなに年寄りじみた反応だっただろうか。

 しかし、そうなってしまうのも無理はない。そう思えるほどに足湯の魔力は強力であった。

 

 「ここちゃんと効能もあるみたい。」

 

 壁に掛けられた板に書かれているようで、それを読んだ大神がそう声を掛けてくる。

 

 「へぇ、どんなのがあるんだ?」

 

 「それがね、イヅモ神社のものと同じみたい。」

 

 イヅモ神社と同じ、つまりイワレの調整をしてくれてかつ魂の疲れを取るということか。 

 集中してみれば、確かにイヅモ神社の温泉に入ったときのようなぴりぴりとした感覚を感じなくも無い。

 

 「…言われてみれば、何となくそんな感じはするか?

  でも、結構違いがある。」

 

 足だけ浸かっている所為かとも考えたが、しかし部位によって変化はない筈だしそこは関係は無さそうだ。

 

 「同じ効果だけど、多分効力は数百分の一くらいになると思う。

  ほら、イヅモ神社のはせっちゃんが手を加えてるから。」

 

 「ほんと神狐って何かと規格外だな…。」

 

 もはやここまで来ると驚嘆より先に呆れが来る。

 

 恐らく、この足湯の効力がカクリヨにとっての普通なのだろう。

 それを魔改造した結果があれなのだと考えると末恐ろしい。

 

 この足湯で完全に魂の疲れを取ろうとすると、疲れが取れる前にのぼせて倒れるのがオチだと容易に想像ができる。

 

 「にしても、温泉の効能が有るのはこの辺の地域の特徴なんだな。」

 

 少なくとも、シラカミ神社周辺では特殊な効能が有るとは聞かない。

 探せばあるのだろうが、街の中に普通に設置されているくらいに浸透しているのは珍しい筈だ。

 

 「温泉には全部効能が有るって最初は思ってたからウチもびっくりした記憶があるよ。」

 

 「あー、そっか。

  神狐と二人で生活してたらそうなるのか。」

 

 神狐が基準になってしまうと、いざ他の場所に行った際には感覚を合わせるのに苦労しそうだ。

 万能なのも良いが、万能が故の欠点もあるということか。

 

 そこまで考えたところで、不意にあくびが出た。

 

 「透君、眠くなった?」

 

 それを見た大神がこちらを覗き込んで聞いてくる。

 

 「今すぐ寝そうになる程じゃないけどな。

  予想以上にリラックスしてるみたいだ。」

 

 少し冷えていた体が足湯で温められてつい眠気を誘われた。

 シラカミ神社の周辺に無いのが惜しまれる。

 

 「…そうだね、ウチもちょっと…。」

 

 何処かぼんやりとした大神の声、それと同時に肩の辺りへぽすりと軽い衝撃が加わった。

 

 「…あれ、大神?」

 

 何事かと彼女の方へと視線を向ければ、彼女の耳が頬をくすぐる。

 見てみれば、大神がこちらへともたれかかっていた。

 

 ドキリと跳ねた鼓動を誤魔化すように声を掛けてみるも、返事は返ってこない。

 

 ちなみに現在は俺と大神の二人きりではない。

 公共の場のため、当然他の利用者もいる訳で…。

 

 「あらあら。」

 

 「まぁまぁ。」

 

 そんな声と共に向けられる生暖かい視線に、顔に熱が集まるのを感じる。

 

 「マジか…。」

 

 横から聞こえてくる規則正しい寝息に、大神が眠ってしまったのだと察した。

 つまり俺はこれから大神が起きるまでの時間を、この視線に耐えなければならないことが確定した。

 

 現実逃避気味に空を見上げる。

 久しぶりに見た青空、しかし、今は妙にそれが憎らしく見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (ごめんね、透君。)

 

 狼の少女は心の中で隣の無言で羞恥に耐える透へと謝罪する。

 彼から聞こえてくる高鳴る鼓動の音は、しかし、少女自身のそれと混ざり合ってもうどちらのものかすら把握できない。

 

 (もう少し、もう少しだけだから。)

 

 少しでも長く彼と触れ合っていたい、少しでも近く彼の傍にいたい。

 真っ赤に染まってしまった顔を彼に見られないように顔を俯かせて、胸に灯る熱い想いと共に隠す。

 

 (今日だけだから、どうか許して。)

 

 これ以上は望まない、これ以上は欲さない。

 だから、この短い一時だけ我儘を言わせてください。

 

 この淡い恋心を、どうかこの一瞬だけ。

  

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 





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個別:大神 19


どうも、作者です。


 

 身動きの取れない足湯にて、生温かい視線に耐え続ける覚悟を決めていた所、大神はそこまで時間をかけることなく目を覚ましてくれた。

 

 それからしばらく足湯を堪能してから、良い感じにゆっくりと出来たということで足湯を後にして再び街道へと繰り出す。

 

 「足湯って初めてだったけど、ウチは温泉と同じくらい好きかも。」

 

 「俺もだ。

  これはキョウノミヤコにあったら行列が出来ること間違いなしだな。」

 

 先ほどの足湯の感想を交えつつ、街道を二人で歩く。

 

 丁度昼を超えたあたりの時間帯で先ほどよりも人通りが増えてきただろうか、あまり横に広がって歩くのは躊躇われる。

 すると、必然的に大神との距離は近づくわけで。

 

 「わっ。」

 

 「あっと、悪い。」

 

 腕が大神の肩とぶつかる。

 ぶつかると言っても少し触れ合う程度だ、しかし、驚いたのか大神は少しだけ声を上げた。

 

 そんな彼女に詫びつつ、距離を取ろうと横に移動しようとする。

 しかし、不意に感じた腕が引っ張られる感覚にその動きを止めた。

 

 「…大神?」

 

 「…。」

 

 視線を向ければ、そこには無言で顔を俯けて俺の腕を引く大神の姿。

 

 「その、あんまり幅を取ったら駄目、だから…。」

 

 だから、こうしようと。

 

 何となく大神の意図していることは分かった。

 思わず跳ねた心臓を無視して、そのまま彼女と手を重ねる。

 

 「…っ、これなら、問題ないよな。」 

 

 そう言いつつも大神に顔を見られないように前へと顏を向け続ける。

 今は、多分彼女には顔を見せられない。

 

 触れた当初は一瞬強張った彼女の手だったが、すぐに緊張も解けてそれも無くなる。

 

 毎日イワレの鍛錬の為に大神とは手を繋いでいる。

 だが同じことをしているのに、こうも感情が搔き乱される。

 

 気にしないと決めていたのに、蓋をすると決めていたのに。

 彼女の方からこんなことをされては抑えきれなくなりそうだ。

 

 「…。」

 

 「…。」

 

 互いに無言のまま、ただ道を歩く。

 それだけなのに、退屈など微塵も感じる暇は無かった。

 

 「今日…いい天気だな。」

 

 沈黙を破ってなんてことはないあり触れた話題を振る。

 このまま黙っていると自分の思考に押しつぶされそうだ。

 

 「…うん、透君は晴れの方が好き?」

 

 「まぁ、そうだな。

  でも最近は曇り空も良いなって思ってる。」

 

 イヅモ神社に来てからこの方、曇り空しか見ていなかったおかげで妙に愛着というか、安心感を覚える様になってしまった。

 

 月も星も見えないのはいただけないが、風景としては悪くない。

 

 「そっか、ウチと一緒。」

 

 そう言った大神が微笑んだのがちらりと見える。

 優しい笑みだ。本当に、心の底からそう思っていると分かる。

 

 「晴れも好きなんだけど、それでも曇り空が無くなると不安になっちゃうんだよね。」

 

 「その気持ち、なんか分かる。」

 

 丁度今考えていたことと同じだ。

 曇り空を見ると妙に安心する。

 

 変な所で共通点が生まれた。

 これはイヅモ神社に影響された結果なのだろうか。

 

 「ね、透君。

  ウチと透君って、今周りからどう見えてるのかな。」

 

 「えっ…っと…。」

 

 何とか話題を逸らしていたのにまた戻ってきてしまった。

 突っ込んだ質問に一瞬ドキリとする。

 

 「まぁ…仲の良い友人とかか?」

 

 「友人…。」

 

 無難な答えを出したつもりだったのだが、大神としては何処かしっくりと来ないのか少し不安気にぽつりと零す。

 

 「恋人…とかには見えたりしないかな。」

 

 「…っ。」

 

 そして続けられた言葉に息が詰まった。

 

 俺はこんなにも意思の弱い人間だったのか。

 自らに対する評価がどんどん落ちていく。

 

 たった一言、それだけでこんなにも揺らいでいる。

 

 「大神、それは…。」

 

 「な、なんちゃって、冗談冗談。」

 

 ぱっと離れた大神は両手を振りながら、それまでの言葉を否定する。

 ほんのりと赤く染まった頬で、冗談だったと主張する。

 

 「それより透君、まだまだ時間はあるよ。

  次は何処に行こっか!」

 

 にこやかな明るい笑みで大神は前を行く。

 

 「…あぁ、そうだな。

  じゃあ次は…。」

 

 俺自身この話題を続けることは望んだことでは無い。

 手に残った彼女の温もりに寂しさを覚えながら、彼女の後を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 (ちょっと調子に乗りすぎたちゃったかも…。)

 

 少女、大神ミオは足を進めながら心の中で反省していた。

 

 先ほどの行動、完全に感情に流されてしまっていた。

 自制が効かなくなる一歩手前で何とか軌道を修正できたが次もそれができるとは限らない。

 

 (…透君には、もう見透かされてるよね。)

 

 自分の行動がおかしいことは彼女自身自覚している。

 けれど、これが最後だと思うとどうしても自分を甘やかしてしまう。

 

 (気を付けないと。) 

 

 そんな決心を胸に、彼女は透へと向き直った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 街道に並ぶ露店はなにも食べ物のみを扱っているわけでは無い。

 様々な小物や、どうやって使うのか分からない道具まで幅広く展開している。

 

 「こういう所はキョウノミヤコと変わらないよな。

  カクリヨの文化みたいなもんか?」

 

 ふと思い立って大神へと聞いてみる。

 まだ訪れたことのある都市はキョウノミヤコとイヅモノオオヤシロの二つのみ。

 

 決めるのは些か総計にも思えるが、ここまで似通っているとそう思ってしまうのも仕方のないことだろう。

 

 「そうだよ、ヤマトにある都市って呼ばれてる場所は大体こんな感じかな。」 

 

 「大神はヤマトを回ったことがあるんだっけ。

  俺も将来ヤマトだけじゃなくてカクリヨ全体を見て回りたいな。」

 

 こうしてイヅモノオオヤシロに来てみて分かったが、その地域にしかない特徴など、キョウノミヤコの周辺では知りようのないものが多くあった。

 

 多分、カクリヨ全体で見たらこんなものではない。

 知らない風景、知らない食べ物、知らない人々。

 

 それを想像するだけで、探求心がくすぐられる。

 

 「あ、それ良いね。

  ウチは一緒に行けないけど、凄く楽しそう。」

 

 そう言って、大神はにこやかに笑う。 

 だが、その一言にふとした引っ掛かりを覚えた。

 

 「…大神。」

 

 その引っ掛かりを言葉にしようと口を開く。

 

 「どうしたの?透君。」

 

 「…あ、いや、何でもない。」

 

 しかし、そこから先へ踏み込むことは無かった。

 咄嗟に誤魔化して他の話題へと切り替える。

 

 そうだ彼女は普通に応援してくれているだけだ。

 けれど、そんな理屈とは別に妙な胸騒ぎを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人で露店の小物を見て回るが、中々どうして品ぞろえが豊富にある。

 

 「これ何に使うんだろうな。」

 

 「んー、手品とか?

  でもそれにしてはちょっと…。」

 

 とある露店で見つけた謎に大きなシルクハット。

 被ろうにも、確実に顔全体を覆ってしまう。

 

 巨人用かとも考えたが、そもそもカクリヨにおいて巨人を見かけたことは無い。

 居てもおかしくはないが、その上で何故シルクハットなのかという疑問は残る。

 

 「シルクハット…。」

 

 首を傾げていると、ぽつりと大神が零す。

 

 「どうした?もしかして欲しいとか。」

 

 これをどう使うのか想像もできないが、大神なら何か用途を思いつくかもしれないと聞いてみれば、大神は否定するように首を横に振る。

 

 「ううん、ちょっとクラウンの事を思い出して。」

 

 「クラウン?。

  …あぁ、そう言えばあいつもシルクハット被ってたな。」

 

 少しだけ懐かしい名前が出た。

 懐かしい、というと語弊があるかもしれないが。

 

 「ウチもフブキと色々事件を解決してきたけど、あそこまで大きな事件は初めてだったよ。」

 

 「俺も、まさか幽霊騒動の次にあれが来るとは思わなかった。」 

 

 キョウノミヤコで命石を作成していた、謎の人物。

 最初はただの行方不明者の調査、それに伴うカクリヨの異変についての調査だった。

 

 「キョウノミヤコで調査をして、直接対峙して。

  あれから結構時間も経ったな。」

 

 今にして思えば早いものだ。

 クラウンについては詳しい情報は手に入らなかったが、どちらにせよもう過ぎたことだ。気にしても仕方がない。

 

 「本当、あの時透君には助けられてばっかりだったね。」

 

 「何言ってんだ、助けられてばっかりなのは俺の方だよ。」

 

 カクリヨに来てから今に至るまで、俺は彼女たちに救われている。

 

 「透君、ウチがこの話するといつもそうやって返してくるよね。」

 

 「そりゃ事実だからな。」

 

 少し不満げに頬を膨らませる大神にすました顔で答えて見せる。

 ここまで、基本同じ流れだ。 

 

 「もう…ほら、次の場所に行こ。」

 

 そう言って、前を行く彼女の背を追いかける。

 

 「…って結構早いな!」

 

 何気なく歩き始めたのだが、すたすたと予想以上の速度で歩いて行こうとする彼女に少し小走りになる。

 

 「ごめんごめん、ちょっと悪戯。」

 

 「それは良いんだが、なんで普通に歩いて小走りと同じくらいの速度を出せるんだよ…。」

 

 からからと笑ってみせる大神だが。

 また一つ彼女の底知れなさを体感し、思わず苦笑いが浮かんだ。

 

 「…ん?

  これ、大神がつけてるやつに似てるな。」

 

 「え?あ、本当だ。」

 

 不意に視界に入った露店に並ぶアクセサリ、その中に大神が良く身に着けている髪留めを見つけてつい足を止める。

 

 「色と装飾がちょっとだけ違うけど、殆ど一緒。」

 

 「もしかすると同じ人が作った物なのかもな。」

 

 気になり店主へと話を聞いてみれば、どうやら昔から代々継いできた技術で作られたものだそうだ。

 大神の髪飾りも先代の内の誰かのものであるらしい。

 

 「これそんな伝統的なものだったんだ…。」

 

 それを聞いた大神は感心したように息を吐く。

 

 「知らなかったのか?」

 

 「うん、昔せっちゃんから貰ったモノで…。

  あれ?せっちゃんから貰ったんだっけ…?」

 

 よく思い出せないのか、大神はそこで言葉を区切り考え込んでしまう。

 また記憶が曖昧になっているらしい。ということはかなり昔の事なのだろう。

 

 「ま、思い出せないならまた神狐にでも聞けば教えくれるだろ。」

  

 「…そうだね、後で帰ったら聞いてみる。」

 

 ただ秘密主義だという神狐が素直に答えるかは謎だが、その程度なら隠し立てすることも無いだろう。

 

 「あ、そうだ、ウチはもう持ってるから透君が付けてみるのはどう?」

 

 「俺が?」

 

 勧められて、ついそれを身に着けた自分の姿を想像してしまう。

 が、

 

 「いや、似合わないな。」

 

 即断で断言する。

 ここまで似合わないと、いっそのこと笑いに走った方がマシなレベルだ。

 

 「えー、似合うと思うのに。」

 

 「大神のそれは全然信用ならないんだよな…。」

 

 彼女についてはメイド服の件がある。

 これで鵜呑みにして付けて帰れば神狐が大笑いすること間違いなしだろう。

 

 妙に後ろ髪を引かれている大神を連れてその露店を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからも、二人で色々な場所を回った。

 小物を見て回ったり、小腹が空けばまた屋台で食べ物を調達して。

 

 住民から聞いた隠れた名所のような場所や、イヅモノオオヤシロで一番大きな銭湯も入りこそしなかったが見ているだけでも十二分に楽しめた。

 

 交流してみて、キョウノミヤコの住人と同様に、イヅモノオオヤシロの住人達も気の良い人ばかりであった。

 

 物珍しいものも多くあり、話題が尽きることも無く。

 ひたすらに楽しんでいれば、いつの間にか夕日が街を黄金色に染めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「はー、今日は楽しかったね透君。」

 

 黄金色に染まった街道を歩きながら、大神はそう言って笑いかけてくる。 

 屈託のないその笑顔は、彼女が心の底から今日という日を楽しめた証なのだろう。

 

 「そうだな。

  物珍しいものが多すぎて少し驚き疲れた面もあるけど…。」

 

 「あれ凄かったね。

  なんで空飛んでたんだろ。」

 

 未だに原理が謎なものも多いが、そこは何かしらのワザの影響だと割り切るしかない。

 

 今日体験したもの、その感想。

 帰り道を歩きながら話していれば、大神が不意にその足を止めた。

 

 「…大神?」

 

 不思議に思い、足を止めて彼女へと振り返る。

 

 「…実はね、透君に話したいことがあるの。」

 

 夕日に照らされた彼女の顔には、真剣な表所が浮かんでいる。

 何を話そうとしているのか、何となく察して。どきりと心臓が鳴る。 

 

 だが、決めていたことだ。

 どんな話でも受け止めると。

 

 「あぁ、なんだ?」

 

 「その、まずは謝りたいことなんだけど…。」

 

 覚悟を決めて返事を返せば、大神は何やら紙を取り出した。

 見覚えのあるその紙、否、お札は確か…。

 

 「」

 

 それを認識した途端決めたはずの覚悟は何処へやら、声にならない悲鳴が口から飛び出る。

 

 あれは音声を録音するお札である。

 しかも内容は聞けば俺の大神への想いが完全にばれてしまう。 

 

 「お、大神…なんでそれを…。」

 

 「前にせっちゃんが投げ渡してきて、咄嗟に再生したら…その。」

 

 やりやがったあの狐。

 混乱する心の中でロリババア狐へと恨み言を送る。

 

 「ごめんね。

  あの時は驚いて透君に嘘をついたの、だからそのことをずっと謝りたくて…。」

 

 「あー…そう言うことか。

  まぁ、うん。それに関しては悪いのは大神じゃなくて神狐だ。」

 

 申し訳なさそうに言う大神だが、まぁそこは気にしていない。

 何方かというと今すぐ神狐に問いただしたい思いで一杯だ。

 

 「ん?

  じゃあ、俺の気持ちはずっと…。」

 

 ふと気が付いた、あの時点で知っていたのなら今日まで大神は俺の想いを知っていたということになる。

 

 「…。」

 

 確認を取るように問いかければ、彼女はその顔を真っ赤に染めてこくりと無言のまま頷いた。

 それはそうだ、むしろ知らない訳が無い。

 

 「マジか…。」

 

 自らの顔に熱が帯びるのが分かる。

 

 「…あぁ、そうだよ。」

 

 そしてここまで来たらもう後戻りは出来ないと開き直り、改めて大神へと向き直った。

 

 「俺は、大神の事が好きだ。」

 

 「っ…!」

 

 今度は録音ではない自分の言葉で、自らの想いを告げる。 

 

 それを聞いた大神は、目いっぱい目を見開く。

 その綺麗な瞳は涙に潤んで夕日を反射させていた。

 

 「…ウチも。」

 

 彼女の口からぽつりと零れ落ちる様に紡がれる。

 

 「ウチも、透君の事が…好き。」

 

 そんな彼女の言葉に、心臓が早鐘を打つのが分かる。

 

 「透君、覚えてる?」

 

 大神はそう言って言葉を続ける。

 

 「丁度こんな風に夕日に照らされる中で、透君はウチの事庇ってくれた。」

 

 一言一言に秘められた感情。

 

 「ウチが袋小路で覚悟を決めるしかなかった状況を、透君が止めて救ってくれた。」

 

 どれもこれも最近の話ではない。

 

 「自覚したのは最近だけど、ウチはずっと、透君に恋をしてた。」

 

 あの時から、彼女はずっと。

 それを聞いてようやく理解した。

 

 けれど、何かが変だ。

 

 「大神、なら…。」

 

 なら、どうして…。

 

 「でもっ…!」

 

 どうして、そんなに辛そうな顔をする。

 

 

 

 「ウチは、透君の恋人になれない。」

 

 

 

 無理やりに笑って見せる大神、その頬には瞳から零れ落ちた雫が伝う。

 そんな彼女の言葉を受けて動揺するがすぐに自らの心を叱責し、彼女と向き合う。

 

 「けど、そう言うことなら俺と大神は両想いの筈だろ。

  ならなれない理由は。」

 

 しかし、大神はそれは出来ないと首を横に振って言外に伝えてくる。

 

 「まだ、この事はフブキにも話せてないんだけどね。」

 

 「何を…。」

 

 疑問を口にする前に、大神は再び何かを取り出しこちらに見せる。

 

 「あとね、数年もないの。」

 

 初めてだった。

 彼女の話を聞きたくないと、理解したくないと思ったのは。

 

 「ウチに残された時間。」

  

 大神の手に握られるタロットカード。

 描かれた死神はこちらへとその笑みを向けている。

 

 今宵は新月。

 暗闇の中を明るく照らす月明かりは、何処にも存在しなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





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個別:大神 20


どうも、作者です。

感想あざます。


 

 一人の男がつかつかとイヅモ神社の本殿へと続く道を歩く。

 その足取りには彼の胸中に渦巻く激情を表すかのような荒々しさがにじみ出ており、何かに耐える様にその歯は食いしばられている。

 

 やがて、目的の場所である広間の前へとたどり着けば、男はその取っ手へ手をかけて勢いよく襖を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 音を立てて襖が開く。

 大きな広間、その中心には座布団に座っている神狐の姿が見える。

 

 そんな神狐は襖が開くと同時に、音に反応してこちらへと振り返った。

 

 「おぉ、透か。

  ミオとのデートは楽しめ」

 

 「『結』」

 

 誰かを確認した途端、その顔に笑みを浮かべて話しかけてくる神狐。

 しかし、彼女がそれを言い切る前に広間へと踏み入り、ワザを発動させる。

 

 途端、広間を結界が覆い包む。

 その内部にいるのは俺と神狐の二人のみ。

 

 「…ふむ、主はワザの使用を禁止されておったのでは無かったかのう。

  後でミオに怒られても知らぬぞ?」

 

 だが、そんな状況においても神狐は普段と同じ調子で語りかけてくる。

 

 「お前が逃げないようにするためだ、必要なら仕方ない。」

 

 「逃げる…のう。

  しかしじゃな、主のワザはあくまでイワレを封じるものじゃ。肉体自体は通り抜けることは可能であろう。」

 

 神狐の言う通りだ。

 この結界はイワレを通さないためのものだ。人を拘束するのはあくまでその人物の体のイワレを阻んでいるからに他ならない。

 

 だから極論、イワレを極限まで抑えて無くしてしまえば結界を簡単に通り抜けてしまう。

 

 その技術を神狐が持っている可能性は十分にあり得る。

 

 「あぁ、それがどうかしたか。」

 

 「む…。」

 

 けれど今の状況においてそれは関係ない。

 何ともなしに答えて見せれば、ここで初めて神狐は表情を崩した。

 

 仮にイワレをなくす技術を持っていたとしても関係ない。

 何故なら。

 

 

 「神狐。

  お前、シキガミだろ。」

 

 

 その答えを突きつければ、彼女はその顔に動揺を浮かべる。

 しかし、すぐにそれも消えて代わりにその顔には笑みが浮かぶ。

 

 「…何時から、気づいておったのじゃ?」

 

 神狐は否定しない、つまり間違いは無いということだ。

 

 「前から変に思ってた、けど確信したのは前に温泉でお前が結界にぶつかった時だ。」

 

 音声を録音されて逃げよとする神狐を阻もうと結界を展開した時の事だ。

 結界にぶつかった神狐は悲鳴を上げて、その足を止めた。

 

 「あの結界は肉体を通すんだよ。」

 

 俺の結界はワザとしては一つのものだ。

 まず結界で対象を覆って、その後に封印する。この技はその流れで完成する。

 

 あの時は咄嗟に張ったせいで、思わずワザを進めてしまった。

 

 封印する際にはイワレを内部にかき集めるために、結界の性質は変化する。

 つまり、封印の結界はイワレを強制的に肉体から引きはがして、それ以外のものを透過するようになる。

 

 故に本来であれば封印の結界に飛び込めばイワレのみがはぎとられてそのまま通り過ぎてしまう筈だった。

 

 しかし、神狐は通ることが出来なかった。

 これは彼女の体がイワレで構成されている証左であり、それはちゅん助などのシキガミと似ている。 

 

 「正確にはシキガミ、とは言えぬがの。

  うむ、確かに妾はこの結界は通れぬよ。」

 

 お手上げという風に、言葉通り神狐はその両手を上げる。

 

 「して、そこまでして妾を逃さぬようにして何をするつもりじゃ?」

 

 改めて座りなおした神狐はそう言ってこちらへと探るような視線を送る。

 

 「もう分かってるんだろ。

  大神から話は聞いた。」

 

 彼女の想いを。

 

 そして彼女の残り時間。

 それが、あと数年も無いということを。

 

 「お前が、それを知っていて何もしない筈がないだろう。」

 

 思わず言葉に感情が籠る。

 

 自分でも頭に血が昇っているのは分かる。

 けれど、このことを知って冷静でいろという方が無理な話だ。

 

 神狐が大神をどのくらい大切に思っているかは、嫌でも理解できる。

 

 「…ミオは、愛されておるようじゃな。」

 

 それを聞いた神狐がぽつりとそう零す。

 心の底からの言葉だと分かる程にその表情は優しさに満ちていた。

 

 それが分かるから、尚更に。

 

 「話してもらうぞ。

  お前が隠していることを、全部。」

 

 神狐が何を知って、何を隠しているのか。

 その全てを聞かなければならない。

 

 「うむ、約束じゃからな。それは果たさねばならぬ。」

 

 そう言って、神狐は座布団をこちらへ一枚飛ばしてよこす。

 

 「座るが良い。

  立ち話にしては長い話故な。」

 

 「…あぁ。」

 

 言われるがまま、向き合う形で座る。

 それを確認した神狐はぽつりぽつりと話し始める。

 

 

 

 「むかし、むかしの話じゃ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シンと静まり返った銀世界。

 雪が積もった大地は真っ新で、虫の音一つ葉の擦れる音一つ聞こえない。

 

 そんな雪山を、ざくざくと歩く姿が一つ。

 

 頭には尖った獣耳、背に携えられた九つの尾。

 それらをゆらゆらと優雅に揺らすその姿は、畏敬の念すら覚えるほどに、美しかった。

 

 『…む?』

 

 不意に、何かに気が付いたように声を上げて彼女、神狐セツカはその歩みを止める。

 その視線の先には雪に埋もれた、一人の小さな子供の姿。

 

 死体かと思い近づいて行けば、セツカはまだ微かにその子供に息がある事に気が付いた。

 

 『…主、意識はあるか。』

 

 雪を払って声を掛ければ、セツカの声に反応してかゆっくりと力なく子供の瞼が開かれる。

 

 『親はどうした、この辺りに集落などないぞ。』

 

 続けざまに投げかけられるその質問に、子供は虚ろな瞳をセツカへと向けながら口を開く。

 

 『…分かん、ない。』

 

 『ふむ、そうか…。』

 

 それを聞いたセツカは考え込むように顎へと手を当てる。

 

 子供の足で来れるほど現在地は人里より近くはない。それに加えて道中も含めて他に周りに人の気配が有るわけでもない。

 

 (まぁ、そういうことになるのう。)

 

 導き出された結論。よくある事な為、そこまで驚きはしない。

 それを踏まえた上で尚、セツカは思考を続ける。

 

 その瞳はじっと子供へと向けられ、隅から隅を見透かした。

 

 (イワレの総量が並み外れておる。)

 

 一般的な子供と比べ、目の前の子は明らかに頭が一つどころか二つも三つも抜けている。

 これはつまり、イワレに対する成長率が高いことを表している。

 

 それを理解したセツカの口角が上げられる。

 

 『主、名は。』

 

 セツカは子供へとそう問いかける。

 

 『ミオ…大神、ミオ。』

 

 『ミオか。

  うむ、良い名じゃ』 

 

 その名を明かした子供、大神ミオをひょいとセツカは抱え上げる。

 急に感じる温もりに目を白黒させるミオへとその瞳を向けたセツカは宣言する。

 

 『我は神狐セツカ。

  ミオ、今日から主は我の娘じゃ。』

 

 これが神狐セツカと、大神ミオの出会いであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『…で、本当に連れて帰ってきたと。』

 

 『うむ、可愛いかろう。

  我の娘のミオじゃ。』

 

 最大級の呆れ顔を向けてくる女性を前に、セツカはその膝の上にミオを乗せてさもご満悦といった風に笑顔を浮かべている。

 

 場所はイヅモ神社。

 それを中心としたイヅモノオオヤシロは、住人の人数は精々数百人程の決して大きくはない街だ。

 

 その本殿の広間にセツカ達はいた。

 

 『あのですね、セツカ様。

  あなた子供育てたことないでしょ。』

 

 小言のように指摘してくる従者に、けれどもセツカは気にした様子も無い。

 

 『そうじゃよ?

  まぁ何事も始まりはある故、それが今となっただけじゃ。』

 

 『屁理屈を聞きたいのではなく。

  ペットを飼うのとは訳が違うのですよ?そもそも…。』

 

 彼女の口からは止まることなく様々な指摘があふれ出てくる。

 セツカは面倒くさそうな顔をして従者の話が終わるのをひたすら待っていた。

 

 『…。』

 

 それに挟まれる形のミオは不思議そうな顔をして見つめている。

 

 『というか、他の面倒を見る前にまずは自分の面倒を見てください。

  一体いつになったら家事ができるようになるんですか。』

 

 『そ、それは話が違うのじゃ。』

 

 痛い所を突かれたセツカの目に涙が浮かぶ。

 普段は温厚なのに、こういう時ばかりは容赦がない従者にセツカもたじたじである。

 

 そんな中、不意にくいとミオがセツカの服を引っ張る。

 

 『あの、セツカ…様。

  やっぱり、ウチは邪魔?』

 

 二人の会話を聞いて思い至ったのか、か細い不安げな声。

 悲し気に歪められたその相貌を前にセツカと従者は驚き、慌てる。

 

 『あぁごめんなさい。

  貴女が悪いわけでは無いですよ、悪いのはこの方で。』

 

 『その通り、これは我の普段の行いの所為じゃ。

  …しかし…。』

 

 そしてセツカは今先程ミオから自らへの呼称を思い浮かべ、思わず従者と視線を交わす。

 

 『娘に様付けで呼ばせるのは親として如何なものじゃろうか。』

 

 『まぁ、一般的ではないですね。』 

 

 『…?』

 

 頭を悩ませるセツカと従者。

 そんな二人とは対照的にミオは首を傾げていた。

 

 『…よし、ミオよ。

  我の事を様付けで呼ぶのは禁止じゃ。』

 

 『そうですね、適当にちゃん付けで大丈夫ですよ。』

 

 『セツカ…ちゃん。』

 

 早速口に出してみるミオだが、その発音は何処かたどたどしい。

 

 『…そもそも、セツカ様の名前自体が発音し辛いですね。

  何でそんな名前にしたんですか?』

 

 『え…我の所為かのう、それ。』

 

 一応仕える主に向かって割と辛辣なことを言う従者に、セツカがダメージを受けている間も、ミオは口の中でセツカの名を自分なりに何度も呼びなおす。

 

 そして。

 

 『…せっちゃん。』

 

 『うむ?』

 

 やがて、ぽつりと零すように発せられたその呼び方。

 

 『良いんじゃないですか?

  せっちゃん。えぇ、呼びやすくて。』

 

 セツカがぽかんとして従者に視線を送ればそんな答えを従者は返す。

 そして、余程気に入ったのか膝の上でご満悦の笑みを浮かべるミオを見やる。

 

 『…そうじゃな。

  よし、ミオよ。これから我の事はせっちゃんと呼ぶが良い。』

 

 『うん、せっちゃん!』

 

 了承すれば花が咲くようにミオは笑って見せる。

 それを見て、セツカは心の奥が温まるような感覚を覚える。

 

 『…さて、話がひと段落ついたところで。

  セツカ様、これから面倒を見るのならあなたもそれなりの…。』

 

 『おおう、また始まったのじゃ。

  ミオ、このままでは日が暮れてしまう、逃げるぞ。』

 

 膝の上のミオを抱きかかえると、悪戯な笑みを浮かべたセツカはワザを発動する。

 

 瞬間、広間へと吹き荒れる突風。

 従者がそれに煽られて目を離した隙に、セツカは凄まじい速度で外へと飛び出し宙を舞う。

 

 無論、そんなことをすれば重力にひかれて着地をしなければならない。

 しかし、セツカにとってそれは必要のないことだ。

 

 さらに続けてワザを使用して、落下どころかさらに上空へと舞い上がる。

 

 『わっ…、せっちゃん、凄い!』

 

 素直な称賛に、セツカはその口角を上げる。

 

 『そうじゃろう、我は万能。

  我に出来ぬことはこの世に無い。…見て見よ。』

 

 はるか上空、雲にも届かんとする高度でセツカは滞空した。

 そこから下を見下ろせば、小さいながらも、しっかりとした街の全貌が見渡せる。

 

 『…っ。』

 

 今度は言葉が出ない様だ。

 しかし、ミオは確かにそれを見て瞳を輝かせている。

 

 『下に見えるのが我の街じゃ。』

 

 下では街の中からこちらに手を振る住人の姿がある。

 

 『これが、我らの街じゃ。

  そして、今日から主の街でもある。』

 

 とある場所では鍛冶を行い、とある場所では露店を開き、とある場所では子供たちが遊んでいる。

 そうした街全体の動きが感じることが出来る。

 

 『壮観じゃろう。

  大勢が集まって営む街を一望するというのは。』

 

 『うん…うんっ!』

 

 興奮したように何度も頷くミオをセツカは優しく見守る。

 これまで家族を持ったことの無い彼女に今、未だ知らぬ感情が芽吹いていた。

 

 そんな折、くぅといるはずも無い子犬の声のような音が響く。

 

 『腹が空いたのか。

  うむ、では飯にするとしようかの。』

 

 恥ずかしそうに俯くミオを前に、からからと笑いつつセツカは地上へと降下を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『邪魔するのじゃ!』

 

 イヅモノオオヤシロの飯処へと、セツカはミオを連れて入り、声を掛ける。

 すると奥の方から大柄な一人の男性が顔を出してきた。

 

 『おぉ、セツカ様。

  …それで、今度は何をするおつもりで?』

 

 まずセツカの顔を見て、次に彼女の抱えるミオの姿を視界にとらえれば男の顔がぴしりと強張る。

 

 『お主、我がいつもと違うというだけで随分な言いようじゃな。

  この子は我の娘となったミオじゃよ。』

 

 『いやー、だってセツカ様前科あるでしょ。』

 

 男は後頭部をかきつつ苦笑いを浮かべる。

 

 『別に良いじゃろう、主らは無事結ばれて夫婦になっ』

 

 『良いわけがありますか!』

 

 セツカが男のあまりの対応に唇を尖らせていれば、そんな彼女を後ろから引っ叩く形で先ほどの従者が現れる。

 

 綺麗に後頭部を捉えられたセツカはミオを落とさないようにしつつも、しかし痛みに思わず蹲る。

 

 『な、何故ここが分かったのじゃ。』

 

 『降りてくる姿が見えたからです。

  全く、あの時は散々でしたよ。』

 

 さもご立腹といった風に従者は青筋を浮かべる。

 

 過去、従者とこの飯処の男がまだ夫婦でなかった時。

 二人が恋をして互いに想い合っていた頃、セツカによって半ば強引に想いを伝えあう形となってしまったのだ。

 

 『むぅ、しかし実際上手くいったであろう?』

 

 『あたしは結果ではなく、過程の話をしてるんです。

  急に現れて相談に乗ってやるというから話したら…もう、思い出しただけで腹が立ってきました!』

 

 詰め寄られるセツカの腕からするりとミオは抜け出す。

 早くも何となく次の展開が読める様になってきたようで、実際従者のセツカへのお説教が始まった。

 

 『お嬢ちゃん賢いね。ミオちゃんで良いかな。

  あれは長くなるから、先にご飯食べてようか。』

 

 『はい!』

 

 元気の良い返事を聞いた男は、少し待ってなと奥に入る。

 正座をさせられているセツカを横目に、ミオはおとなしく席へとついた。

 

 しばらくして、男は料理を持って戻ってくる。

 

 『ほいお待ちどう。

  今日のおすすめのぼんじり定食だよ。』

 

 置かれたお盆の上には食欲を誘う香りを漂わせるぼんじりと味噌汁、白米。

 それを前にした時点で、既にミオの瞳は輝きに満ちていた。

 

 一口に切り分けて口へと運ぶ、その瞬間ミオの顔に周りに花が開くような笑みが浮かんだ。

 

 『お、気に入ったかい。』

 

 その言葉にこくこくと頷いて見せるミオの姿に、男の顔も緩んだ。

 

 『そうであろうそうであろう。

  ここの食事はどれも美味じゃからな。』

 

 『…あれ、セツカ様。

  いつもならまだ説教は続くんじゃなかったですか?』

 

 突如ミオの隣に現れるセツカに男は驚きつつ問いかける。

 しかし、男が視線を向けて見るも未だにセツカは従者の前で正座をしている。

 

 『分身を残してきた故問題ないのじゃ。』

 

 『せっちゃん、凄い!』

 

 これ以上ないドヤ顔を決めるセツカにミオの称賛の拍手が飛ぶ。

 

 しかし、男は知っていた。

 分身だと看過されたが最後、後で倍以上の説教がセツカを襲うことを。

 

 『…セツカ様、デザートでも食べますかい?』

 

 『うむ?

  では貰おうかのう。』

 

 そんなセツカを少し哀れに思い、せめてもの温情にと、男は奥からアイスを盛り付けてセツカへと差し出す。

 九本の尻尾を上機嫌に揺らしながらそれを味わうセツカ。

 

 なお、その後アイスを食べ終わった辺りで従者に分身であるとバレてしまい、結果的に夕暮れを超えてなお、説教は続いたという。

 

 

 

 

 

 

 





過去の会話文は『』で分ける。
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個別:大神 21


どうも、作者です。



 

 ミオがイヅモノオオヤシロに来てから一年が経過した。

 この頃になると街の住人ともすっかり打ち解けて、完全にミオは街へと溶け込むことが出来ていた。

 

 『あー、また負けてしまいました。

  ミオさん、ここ一年で急激に成長して。もうイヅモノオオヤシロでは敵なしですね。』

 

 そう言って、空を仰ぎながら従者はミオと繋いでいた手を離す。

 

 今の今まで彼女達が行っていたのはイワレ相撲。

 イワレの制御を覚える他、普通に遊びの一種として従者が教えたのが初めだったが、これが思いのほかミオの興味とやる気に火をつけてしまったようで、最初はたどたどしかったイワレの制御も今ではセツカを除いたイヅモノオオヤシロの中で最も優れたイワレの使い手である従者を軽々と凌ぐレベルまで成長していた。

 

 『イワレの総量も制御も、こんなに早く成長するだなんて。

  頑張りましたね、ミオさん。』

 

 優しい声。

 従者はその顔に笑みを浮かべると、そっとミオの頭を撫でた。

 

 ミオは少し照れくさいように笑いつつ、でもまだ慣れないのかどこか緊張気味にそれを受け入れる。

 

 『あ、ありがとうございます。

  でも、その、アカリさんが教えてくれたから、ウチ頑張れた。』

 

 『…。』

 

 それを聞いた従者、アカリは無言でミオを抱きしめる。

 急な出来事で目を白黒させるミオだが、アカリは離そうとはしない。

 

 『はぁ、本当良い子ですね、ミオさんは。

  それに比べてあの方は…。ミオさん、寂しくないですか?』

 

 『うん、みんながいるから』

 

 腕の中でふるふると首を横に振るのを感じながらアカリはミオをさらに強く抱きしめつつ、ふとイヅモノオオヤシロにいない自らの主を脳裏に浮かべる。

 

 数週間程前からセツカはイヅモノオオヤシロを離れていた。

 

 その間、ミオの面倒は基本的にアカリが見ている。

 すると必然的に長い時間を共にするわけで、そしてアカリは知っている。時折、ミオがぼうっとイヅモノオオヤシロの入り口の方向へと目を向けていることを。

 

 『…でも今回ばかりは、あの方がすべて悪いとは言えないんですけどね。』

 

 というのも、ごく最近とある噂がイヅモノオオヤシロへと流れてきて、それの調査の為にセツカは遠くの地へと赴いている。

 

 その噂の重大性を知っているが故に、アカリとしてもセツカを責めるようなことは出来なかった。

 

 『早く帰ってくると良いですね。』

 

 『…うん、せっちゃんにもこれを見て貰いたい。』

 

 そう言うミオの掌の上には、ごく小さな光の塊が浮かんでいる。

 

 今はまだ完璧に形を成しているわけでは無いが、これは占星術に使用する水晶玉の源である。

 つまり、これはミオには未来を見る素養がある事の裏付けであり、小さな子供にして、彼女は末恐ろしいまでの才を有していることになる。

 

 (けれど、だからこそ素直に喜べない。)

 

 未来を見る。

 あぁ、それが出来れば将来、大成することは間違いなしだろう。

 

 しかし、大いなる力には何かと代償が付くものである。

 勿論力に対する代償もあるだろう、しかしそれ以上に未来を見るということは、未来に囚われる事と同義だ。

 

 未来を変えようと動くにしろ、諦めて受け入れるにしてもその根本的な動機に未来が絡んでしまう。

 見るべきは現在なのに、未来だけを見てしまいがちになる。

 

 その線引きを完全に自らの中でコントロールするのは至難の業である。

 万能と謡われるセツカですら容易に未来を見ようとはしない。

 

 だが、だからと言って目の前の少女の才を潰すことは、アカリには出来なかった。

 

 『…そうですね、見せて驚かせてあげましょう。』

 

 『誰を驚かせるのかのう。』

 

 『きゃあ!?』

 

 誰もいるはずのない後方から突如として飛来してきた声に、アカリは幾年と上げたことの無い乙女チックンな悲鳴を上げた。

 

 『ほほっ、まだまだ可愛いものじゃな。』

 

 『くっ…この、セツ…。』

 

 『せっちゃん!』

 

 後ろから声を掛けた人物、神狐セツカはニヤニヤとした笑いを浮かべる。

 それと同時に、アカリの腕の中にいたミオは誰かを確認した途端駆けていき、飛び込む様に抱き着いた。

 

 『おかえり、せっちゃん!』

 

 『おぉ、ミオ。

  すまぬのう、帰りが遅くなってしまったのじゃ。』

 

 そんな娘を優しく抱き留めながらセツカは詫びるが、そんなこと気にしていないとばかりに顔を押し付けるミオに自然とセツカの顔に笑みが戻る。

 

 その姿に毒気を抜かれたのか、文句を言いかけていたアカリは大きく息を吐いた。

 

 『ウチね、これ出来るようになったよ!』

 

 そう言って、ミオはその手のひらに浮かぶ光の塊をセツカへと見せる。

 セツカは、それを目にして驚いたように目を丸くした。

 

 『ほう、もうその段階まで。

  もしかすると、主はカミに至ることもあるかもしれぬのう。』

 

 『セツカ様、それは…。』

 

 ミオの頭を撫でながら言うセツカに、従者のアカリは少し責めるような声を上げる。

 

 『分かっておる。

  しかしミオとていつまでも子供という訳でもない。それに、何があろうと我がおる。』

 

 『…?』

 

 二人が何を話しているのか理解できずに、ミオはこてりとその首を小さく傾げた。

 そんなミオの姿をみて、セツカはそのままミオを抱き上げる。

 

 『気にするでない、ちょっとした世間話じゃ。』

 

 『…せっちゃん、なんだか隠し事してる。』

 

 いくら幼いとはいえここまで露骨では隠しきれはしない。

 何かを隠していると察したミオはぷくりとその頬を膨らませた。

 

 『そうじゃよ、我は秘密主義じゃからな。

  ミオが大人になれば、また話すのじゃ。』

 

 それを軽く受け流して、セツカはさらりとそう言ってのけた。

 

 『もう、良いもん、ウチはすぐに大人になるから。』

 

 『それは…もう少しゆっくりして欲しいがの。』

 

 そう言ってさらに拗ねてしまうミオにセツカは苦笑いを浮かべる。

 

 セツカとて、ここ最近一緒にいられないことを心苦しく思っている側面はあるのだ。一緒にいられないということはその成長を見ることもできない。

 その上でさらに早く成長されては堪ったものではない。

 

 『あ、そうだ。

  せっちゃん、ウチちゃんとお魚さんのお世話してたよ。』

 

 『ほう、偉いのう。

  では久方ぶりに様子を見に行くとするかの。』

 

 得意げにミオが言えばセツカはそのままミオを担いで、外へと向かっていった。

 

 『あ、まだ報告が…、って言っても聞きませんか。』

 

 そんな二人をアカリはそう声を掛けつつも、もう止まらないと思いなおし、諦めて見送る。

 彼女も久しぶりの二人の時間を邪魔するのは本意ではない。

 

 日の差し込む広間の中、アカリは一人セツカの持ってきた調査の結果へと目を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イヅモノオオヤシロ、その中心に位置するイヅモ神社の中には少し大きめの池が存在する。

 水の中では色とりどりの魚が泳いでいて、足音でも聞こえているのか数匹ほどがこちらに向けて顔を出していた。

 

 『うむ、元気にしておるようじゃな。

  …少し肥えたかのう。ミオ、エサはやりすぎておらぬか?』

 

 『あう、あの、お腹空いてるかなって…。』

 

 そこは腐っても万能と呼ばれるカミ。

 目ざとく変化を見つけたセツカがにやりと笑い腕の中の娘へと問い詰めれば、ミオはあっさりと白状した。

 

 セツカの前では大抵の嘘は見抜かれるため、素直に真実を口にする方が利口である。

 

 『ふむ、確かに食いではありそうじゃがな。』

 

 きらりと目を光らせるセツカ。

 その瞬間、先ほどまで顔を出していった魚たちは一目散に散って行ってしまう。

 

 『せ、せっちゃん、食べたらめっだよ!』

 

 『ほほっ、分かっておる分かっておる。

  そもそも臭みが強くて我の好みではない故な。』

 

 ぷんすかと怒るミオ。

 

 なお本当に好みでないため食べないだけであり、好みの魚であった場合そも飼育すらしない。

 そのため池の魚にとってはいらぬ心配である。

 

 『…ふむ、ミオ腹は減っておらぬか?』

 

 『ううん、お腹空いたのはせっちゃんの方じゃないの?』

 

 食事の話が出たからか、真顔でセツカはミオへとそう問いかける。

 しかしミオもミオでそれは察していて、図星を突かれたセツカは涼しい顔のまま飯屋へと足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 飯屋へと踏み入れば、カウンターの中に店主の男、マサルの姿がある。

 マサルは来客に気が付くと気だるそうに扉へと視線を向けた。

 

 『お、いらっしゃい…って、セツカ様。

  いつお帰りになったんで?』

 

 セツカに気が付いたマサルは驚いたように目を丸くする。

 

 『つい先ほどじゃ。

  何か軽食でもと思っての。』

 

 『なるほど、ならちょいとお待ちを。』

 

 その要望を聞いたマサルはそのままキッチンへと引っ込み、しばらくしてその手に二皿のパンケーキを持って出てくる。

 

 『はい、お待ちどう。』

 

 『『おぉー!』』

 

 山盛りに盛られた生クリーム、いわゆるカロリーの爆弾とでもいうべきそれにセツカとミオは揃って完成を上げる。

 そそくさと手を合わせると、すぐに食器を手に取った。

 

 『疲れた体には糖分が染みるのう。』

 

 『マサルさん、これ、凄く美味しいです!』

 

 口々に褒められれば、マサルも悪い気はしない。

 ぶっきらぼうに見せながらもマサルは照れたように鼻頭をかいた。

 

 雑談を交えつつ二人は舌鼓を打った。

 しかしそれも束の間、あまりの美味しさにぺろりと完食してしまう。

 

 『して、我のいない間に何か変わったことは起こっておらぬか?』

 

 食後にお茶を飲みながらセツカはマサルへとそう問いかけた。

 

 彼女以外にもアカリやマサルも含め、能力の高い者がイヅモノオオヤシロにはいるが、やはりその長としてセツカも気になるのだ。

 

 『えぇ、特には。

  強いて言えば風邪が流行りだしたくらいで、それもこの季節なら仕方ないでしょう。』

 

 『ふむ、そうか。』

 

 この頃イヅモノオオヤシロでは熱を出すものが増えていた。

 しかし、気温の低い季節ということもあり、彼らにとっては日常の範囲内であった。

 

 『また近いうちに調査に出る。

  その間、ミオの事を頼むのじゃ。』

 

 『言われずともですよ。

  自分にとっても家内にとっても、ミオちゃんは自分の子供のようなものですし。』

 

 マサルとアカリは夫婦である。

 二人の間に子供がいない為か、二人は自らの子供のようにミオの事を可愛がっており、セツカも彼らの事を信用していた。

 

 しかし、それはミオ本人にとっては関係のない話でもあり。

 

 『せっちゃん、また何処かに行っちゃうの?』

 

 くいとセツカの服の袖を引っ張りながら、ミオは寂し気な声を発する。

 彼女もアカリとマサルの事は好いているし、よく面倒を見てくれる二人にはよく懐いていた。

 

 だが、それでもやはりセツカはミオにとって特別なのだ。

 

 『…すまぬの、ミオ。

  すぐに帰る故、許して欲しいのじゃ。』

 

 『うぅ…。』

 

 いつもは素直に返事を返すミオだが、こればかりは簡単には呑み込めないのだろう、うなり黙り込んでしまう。

 

 『それに、我は帰ってきたばかりじゃ。

  何も今すぐ出発するわけでは無い。』

 

 そんなミオの頭を撫でつつ、セツカはいつもよりも優しい声で慰める。

 

 『…じゃあ。』

 

 ぽつりとミオが零しかけた言葉を、じっと黙ってセツカは待つ。

 

 『じゃあ、それまではずっと一緒にいてくれる?』

 

 『勿論じゃ、我も最初からそのつもりじゃよ。』

 

 そんなミオの問いかけに即答するセツカに、ようやくミオの顔に笑顔が戻った。

 

 『…ちゃんと仲直りはできましたかい?』

 

 二人のやり取りを見ていたマサルは、内心はらはらとしながら状況を見計らって声を掛ける。

 

 『うむ、問題なしじゃ。

  では、我らはそろそろお暇するかの。』

 

 『マサルさん、ごちそうさまでした。』

 

 茶も飲み終えて立ち上がるとそのまま場を後にする二人に対してぷらぷらと手を振りながらマサルは見送る。

 

 『本当に明るくなられた。』

 

 そう呟くマサルの顔はどこか安心に満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 イヅモノオオヤシロ、活気に満ちたその通りをセツカとミオは並んで歩く。

 

 『むぅ、別に抱えて歩くくらいなんて事は無いのじゃぞ?』

 セツカの言うように、飯屋を出るまではセツカに抱えられていたミオだが、唐突に自分で歩くと言い降りてしまったのだ。

 

 『だって、さっき恥ずかしかったんだもん。』

 

 『しかし…ぐぬぬ。』

 

 セツカとしては抱えて歩くことが割とお気に入りであり、しかし無理に抱える訳にもいかず若干残念そうに唸り声をあげた。

 

 『セツカ様、ミオちゃん!』

 

 街を歩けば、二人の姿はよく目立つ。

 そのため道行く人々はセツカとミオを見つけては、手を振り声を掛ける。

 

 そんな彼らへと笑顔で手を振り返すセツカの横顔をミオは見上げていた。

 

 『む?

  なんじゃ、我の顔に何かついておるかの。』

 

 『ううん、何でもない。』

 

 不安げに自らの顔を撫でるセツカに、何処か誇らしさと羨望を胸に抱きながらミオは首を振り、セツカからは見えないように微笑んだ。

 

 『…ほう、ミオ、こちらに来てみよ。』

 

 さらりと辺りを見渡していたセツカが何かに気が付いたようにミオへと声を掛ける。

 ミオがそちらへと目を向けると、そこにあるのは鍛冶屋。

 

 『おや、これはセツカ様。』

 

 鍛冶屋の男は近づいてくるセツカの姿に気が付くと、そう気さくに挨拶をする。

 

 『この髪飾り、見事なものじゃな。』

 

 『えぇ、そうでしょう。

  最近作った物の中でも最高傑作です。』

 

 セツカと男が二人で話している間にも、ミオはその髪飾りをじっと見つめていた。

 

 『…気に入ったようですね。』

 

 『そのようじゃ。

  これをもらえるかのう。』

 

 男から髪飾りを受け取ると、セツカはそのままミオの頭へとつけてやる。

 

 『うむ、似合っておるぞ。』

 

 『…。』

 

 一瞬ぽかんとした顔で固まるミオだが、自らの頭に触れて、すぐにその顔には笑顔が咲き誇った。

 きゃっきゃとはしゃぐミオを横目にセツカは目の前の男へと視線を戻す。

 

 『ふむ、見た所あまり鍛冶をしておらぬようじゃが…何かあったか。』

 

 毎日見てるわけでも無しに変化に目ざとく気が付いたセツカに問いかけられて男は驚いたように目を丸くし、頬をかいた。

 

 『…実は、少し武者修行に出ようかと。

  なので荷物は増やせないんですよ。』

 

 『なるほど武者修行か、それは良いのう。』

 

 男はイヅモノオオヤシロでも有数の鍛冶師である。 

 この向上心も彼がそうである所以の一つなのだろう。

 

 『主の成長、楽しみにしておるのじゃ。

  帰ってきた折にはまた見させてもらうとするかの。』

 

 『えぇ、是非にも。』

 

 そこで話を終えて、セツカは未だはしゃいでいるミオを連れてその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『せっちゃん、疲れてない?』

 

 日も落ちて夜の帳が街を覆い隠してきたころ、不意にミオはセツカへとそう尋ねる。

 

 『む?

  我がそんなそぶりを見せたかの?』

 

 『ううん、でも、せっちゃん返ってきたばっかりだったから。

  それなのに、ウチの我儘を聞いてくれて…。』

 

 申し訳なさそうに言うミオに、思わずといった形でセツカは笑い声を上げる。

 それを見てミオは目を丸くした。

 

 『異なことを申す。

  疲れてなどおらぬよ、ミオ、主と共にいるだけで我は元気になれるのじゃ。』

 

 安心させるように言えば、ほっとしたような顔を浮かべるミオ。

 セツカはそんなミオに証明するように、彼女を抱き上げる。

 

 『あ、せっちゃん…!』

 

 『なに、もう誰も見ておらぬよ。

  それとも我にこうされるのは嫌であったか?』

 

 慌てたような声を上げるミオであったが、セツカがにやりと笑いながらそう問いかければ顔を俯けてそんな訳はないと否定する。

 

 それを見て満足げに頷くと、セツカは帰り道を歩く。

 やがて、イヅモ神社の池の前まで来るとセツカはその足を止めた。

 

 『ミオ、鏡花水月という言葉は知っておるか?』

 

 『なあに、それ。』

 

 ミオの不思議そうな声に、セツカは目の前にある池へと指を向ける。

 

 魚たちは既に眠りについているのか動きは無く。

 凪いだ水面には、頭上に輝く満月が映し出されていた。

 

 『そこに映る満月。

  すぐそこに見えども掴むことは出来ぬ、それが故の儚さ。そう言った趣を表す言葉じゃ。』

 

 『…?』

 

 セツカの説明を聞くも、あまり理解は出来ないようでミオは首をこてりと傾けてしまう。

 

 『よく分かんない。』

 

 『ほほっ、そうかそうか。』

 

 まだ少し早かったかと、笑い飛ばすセツカ。

 しかし、ミオは『でも…。』と言葉を続ける。

 

 『お月様は、綺麗。』

 

 そう言って、空を見上げるミオに釣られて、セツカもまた上空の満月へと目を向ける。

 

 『…そうじゃな、それが分かるだけで十分じゃ。』

 

 空を見上げる二人の姿を空に浮かぶ満月は何時までも照らし続けていた。 

 そう、こんな時間が何時までも続くと誰もが、満月すらも、そう考えていた。

 





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個別:大神 22


どうも、作者です。

以上。


 

 『…むぅ、やはり間違いは…無い様じゃな。』

 

 浮かんでいた懸念。

 それが真実だと、現実だということが調査の結果として現れた。

 

 何度も何度も確かめた。

 けれど、それが彼らの選択だというのならそれ以上でもそれ以下でも無い。

 

 悲嘆、いや、どちらかと言えば落胆にも似た感情をセツカは胸に抱えながら村落から外へと出る。

 帰路へとつくその背中越しには、鮮やかな桜吹雪がひっそりと静かに舞っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『はぁ、結局一か月も掛けてしもうた。』

 

 イヅモノオオヤシロへと続く道を駆けながら、セツカはぽつりと呟く。

 

 空には大きな満月が浮かんでいる。

 ミオと池を歩いた日から数えると、当日を含めて二度目の満月だ。

 

 あの日から既に一か月の時間が経過していた。

 セツカ自身ここまで時間をかける予定では無かったのだが、調査結果の裏付けなどをしている内にいつの間にか時間が過ぎていたのだ。

 

 なお、出発の際にミオへと告げた大まかな日数は半分の半月である。

 一応シキガミを使用して長くなるという旨は伝えておいたのだが、だからと言ってミオがどう思っているかはまた別の話である。

 

 (どうやって機嫌を取ったものかの…。)

 

 余程ご立腹であろう娘の姿を想像して、内心冷や汗を滝のように流しながら、打開策を探して思考を続ける。

 

 (そうじゃ、土産を持って帰ればまだ…。)

 

 そこまで考えて余計なことをするのはやめようという結論に至る。

 仮に大層な土産を持って帰ったとして、それを調達するために時間をかけたと分かればあの娘がどんな反応をするかはセツカには分かっている。

 

 それよりも一秒でも早く帰る事が、許しを請う上でも重要だ。

 何よりセツカ自身、娘であるミオに会えないのは少し堪えていた。

 

 (…早く、会いたいのう。)

 

 考え事をしながら駆けるセツカ、すると、足元がおろそかにでもなっていたのかがっと勢いよく岩へとその足が引っかかる。

 

 『おっと!?』

 

 咄嗟にそのまま岩を蹴り壊して体制を整える。

 

 『躓くなど、何十年ぶりじゃ…?』

 

 セツカの記憶上、カミに至ってからに関しては初めての出来事。

 予想以上に堪えているようだと、セツカは自嘲気味に笑いつつ、さらに速度を増してイヅモノオオヤシロへと急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ようやく街の外観が見えてきた頃、セツカは見慣れたはずのその光景にどこか違和感を覚える。

 

 視覚的に見る光景としてはいつも通りなのだ。

 しかし言葉に出来ぬ感覚として、何かが違うと本能に告げられる。

 

 『なんじゃ…。』

 

 ざわつく胸の内をそのままに、セツカは街に近づく。そして、ここでようやく違いに気が付いた。

 

 明かりが一つも点いていないのだ。

 月明かりに紛れて見えないだけかと思えば、そういう訳でも無い。

 

 月は出ているものの、就寝するにはいささか早すぎる時間帯。

 ここまで考えて、胸のざわつきは明確な不安へと姿を変えた。

 

 街の中へと足を踏み入れる。

 目の前の通りには誰一人住人の姿はない、恐怖を感じるほどの静寂が街全体を包み込んでいた。

 

 『…おーい、誰かおらぬか!』

 

 無情にも反響するその声を聴いて、誰かが飛び出してくる。

 そんな希望にも似たセツカの行動に応える者はいない。

 

 (…なるほど、さては帰りが遅くなった我へのお仕置きということかの。)

 

 そういうことなら誰も姿を見せないのも納得だ。

 街ぐるみともなれば、アカリ辺りも一枚かんでいることだろう。

 

 腕を組んですぐに、セツカはいつもの様に不敵な笑みを無理やり浮かべて街の中を歩く。

 

 あぁ、それなら早くネタ晴らしをして貰いたいものだ。

 

 そうすれば、誰もが思わず笑みを浮かべてしまう程の驚きようをご覧に入れよう。

 

 そうすれば、誰もが思わずあれは誰だと思う程の滑稽さをご覧に入れよう。

 

 しかし優れた知覚能力を持つセツカは既に、街に足を踏み入れた瞬間には既に察していた。

 

 この街にはもう人はいない。

 そして、もう一つ。

 

 街の中に漂う、死の香りに。

 

 『…っ!』

 

 顔を俯かせたその瞬間、セツカの知覚範囲内に誰かの反応を捉える。

 いや、誰かではない、これは…。

 

 『ミオっ!』

 

 場所は方向から見てイヅモ神社だとセツカは確信し、それと同時に駆け出した。

 

 本来、セツカの知覚範囲はイヅモノオオヤシロを全体を覆っている。

 何故いきなり反応が現れたのか、しかしセツカにそんなことを考えている余裕は無かった。

 

 柄でもなくセツカは必死に走る。

 それほどまでに、今の彼女は動揺していた。

 

 程なくして、セツカはイヅモ神社へとたどり着くと、足早に中へと入り広間へと続く襖を開く。

 

 『無事か、ミ…!』

 

 飛び込んできた光景に、セツカの言葉はそこで途切れる。

 

 セツカの知覚した通り、確かにミオは広間にいた。

 しかしその顔にいつもの笑みは無く、その姿は床へと倒れ込んでおり苦しそうな呼吸を繰り返している。

 

 『ミオっ!』

 

 悲痛な叫びを上げたセツカはミオの元へと駆け寄ると、冷たいその体を抱き上げた。

 

 『ミオ、聞こえておるか!

  ミオ!』

 

 必死に呼びかけるその声に反応してか、ミオの瞼が震えた。

 

 『…せ、っちゃん?』

 

 ミオは力ないその瞳にセツカの顔を捉えれば弱々しい声でセツカの名を呼ぶ。

 

 『おかえり、なさい…。』

 

 そして未だ苦しそうな呼吸の中で、ミオはそう言って笑みを浮かべた。

 あまりにも衰弱しきったその姿に、セツカの胸に張り裂けそうな痛みが走る。

 

 (これは…病か。)

 

 ミオの安否を確認出来て幾らか余裕の戻ったセツカの思考がこの惨状の原因に当たりをつけ、セツカの顔に苦渋の表情が浮かぶ。

 

 病、恐らくは感染症の類だ。

 それも、ひと月で街を一つ壊滅させるほどに致死率の高い。

 

 生き残りはミオ一人、つまりイワレの少ない順に死に至ったのだろう。

 アカリなどアヤカシに至っている者は複数いたが、彼女達では対処が出来ない程の進行速度と拡散性。

 

 (しかしそんなことが起きているのであれば、何故我に連絡をよこさぬ。)

 

 これ程までに規模が大きければ、最後に連絡を送った時点で少なくともその傾向は出ていた筈だ。

 それなのに、そのような連絡は何一つ届いていない。

 

 (いや、今はそれよりも。)

 

 疑問を突き詰めようとする思考を切り捨てて、セツカは目の前の事に意識を集中させる。

 

 『大丈夫じゃ、ミオ。

  病など我がすぐに治して…。』

 

 言いながらワザを発動させようとして、セツカは言葉を止めた。

 

 ワザが発動しない。

 いくら発動させようとしても、一向に形にならない。

 

 『これは…。』 

 

 『アカリさんが、言ってたの。』  

 

 困惑するセツカにぽつりぽつりとミオが呟く。

 

 『イワレの制御が曖昧になってるって…。』

 

 荒い呼吸の中必死に言葉を紡ぐミオ。

 それを聞いてセツカは理解した。

 

 シキガミで連絡を送らなかったのではない、送れなかった。

 いくら消費が少ないシキガミと言えども、確かにイワレを使用しているのだ。

 

 そして、それと同時にセツカ自身も病に侵されていると。

 

 (まだ軽度じゃ、我なら無理やりにでもワザを発動させることはできる。

  しかし、それでは時間効率が著しく下がってしまう。)

 

 イワレを用いた治療において必要なのは外傷であれば打撲か切り傷かなど、病であれば病原体の情報。

 それを知るためには、一度治療対象を調べる必要がある。

 

 今回の場合セツカも見知らぬ病であるため、この過程は必要となるがそれには精密な制御が必要となる。

 しかしその制御が曖昧な今、調査が完了するまでに時間がかかってしまう。

 

 そして、目の前の少女の命がそれまで持ちこたえることは無い。

 

 考え至った結論。

 いくらセツカが否定しようとも、それが現実である事に変わりはない。

 

 『…せっちゃん。』

 

 広間へとミオのか細い声が響いた。

 伸ばされたその小さな手をセツカはしっかりと掴む。 

 

 『ウチ、せっちゃんに出会えて…良かった。』

 

 『違う…違う。

  駄目じゃ、そんな、まるで最後のような。』

 

 握る小さな手。

 力がどんどん無くなっていくのを感じながら、セツカは首を横に振る。

 

 いつもは不敵に笑みを浮かべているセツカ。

 だが今の彼女にその面影はなく、ただ抱く感情がそのまま表情へと現れていた。

 

 そんな彼女の動揺ぶりは、つまりセツカにとってのミオの存在の大きさに繋がる。

 ミオもそれを感じ取っており、その顔には儚い笑みが浮かんだ。

 

 『ウチね、幸せだったよ。』

 

 それだけ、セツカへと伝えると同時にミオの手から力が完全に抜けた。

 残されたその言葉は呪いの様にセツカの心へと傷をつける。

 

 『…ならぬ。』

 

 今正に失われんとする小さな命を前に、セツカの口から明確な否定が零れ落ちる。

 

 『ならぬ…ならぬっ!』

 

 その瞳に浮かぶのは一つの執念。

 死なせてなるものかと、何を擲ってでも救うという強い意思だ。

 

 『せめて、主だけでも。

  主だけは…!』

 

 片手でミオを支えながら、セツカはもう片方の手を宙へと掲げる。

 そして。

 

 『我が命に代えたとしても、決して死なせはせぬ。』

 

 彼女の手刀は、易々と骨を突き破りセツカ自身の心臓を穿った。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「とまぁそんな訳で、今に至るという訳じゃ。」

 

 「…。」

 

 イヅモ神社の広間。

 話終えた神狐から告げられた真実に思わず呆然とする。

 

 集中が乱れ、広間を覆っていた結界は解除されるがそれすらも、今は気にする余裕はなかった。

 

 「今の話、本当なのか…?」

 

 「うむ、間違いなく起こった過去の事実じゃ。」

 

 確認するように問いかければ、神狐は強く頷いて見せる。

 

 大神から聞いていた話とは、随分と様子が異なる。 

 街を亡ぼした病、そして、大神もその被害に遭った。

 

 「でも、そう言うことならどうして大神に死の運命が出る。」

  

 そうだ、今の話が大神の問題に関係しているから神狐はこの話をした。

 しかし、目の前には確かにシキガミではあるが神狐は存在していて、大神は生きている。

 

 理解できずに聞き返せば、神狐は苦汁を舐めたようにその顔を歪ませる。

 

 「…失敗したのじゃよ。」

 

 「失敗?」

 

 復唱すれば、神狐はこくりと頷いて肯定して見せる。

 

 「妾はこの命を代償にミオを救おうとした。じゃが、それは命をイワレと見立てたワザの行使と似ておる。

  イワレが単体でワザは使えぬであろう、故に妾とは別に使用者が必要となった。」

 

 「けど、その時は神狐と大神しか居なかったんじゃ…。」

 

 それも、当時の大神では意識すら危うい筈だ。

 そんな状況で都合よく他の人物が現れるとは考えにくい。

 

 「左様、治療のような精密な作業は出来ずともまだ妾もワザの使用自体は可能であった。

  故に、妾はまずシキガミを生み出したのじゃ。ミオの記憶を媒体としての。」

 

 「記憶…。」

 

 何となく分かってきた。

 大神は昔の記憶が曖昧だと言っていた、それは忘れたわけでは無く、これが関係していたのだろう。

 

 「記憶、と一概に言ってもの。

  つまりは記憶の中にあるより鮮明な人物像をシキガミとして流用するのじゃ、とはいえ綺麗にそこだけ切り取ることは出来ぬ、関係する記憶も丸ごと抜け落ちてしまう。」

 

 「…じゃあ、神狐が使おうとした大神の記憶の人物像は。」

 

 いや、聞かずとも分かる。

 当時の話の中で、最も大神の中で存在の大きかった人物など、一人しかいない。

 

 「そう、妾じゃ。」

 

 単的に告げられたその事実は、予想していた上で尚衝撃を受けるには十分であった。

 

 「ミオの命が救えるのならこの命など安いものじゃ、いくらでも擲ってくれる。

  しかし、ミオの中から妾が消える。それを目の前にして、一瞬躊躇してしもうた。受け入れ切れなかったのじゃ。」

 

 そこまで話すと、神狐は自嘲の笑みをその顔に浮かべた。

 

 「蔑むが良い、嘲るが良い、見下すが良い。

  妾は愛娘一人満足に救えぬ、愚か者じゃ。」

 

 「神狐…。」

 

 その声音からはありありと、今なお彼女の心に根付いている深い後悔が感じ取れる。

 

 記憶から消える、神狐の言う通りそれも失敗した事と関係しているのだろう。

 けれど、何となくそれだけが理由ではない気がした。

  

 「…。」

 

 一瞬、それについて聞いてみようか迷う。

 だが、今はそれよりも大神の現状について聞く方が先決だ。

 

 「それで、大神は今どういう状態なんだ。」

 

 「…うむ、妾は救う直前で失敗した。それは事実じゃ。

  じゃが完全に失敗したわけでは無い。どちらかと言えば、途中で中断されておる状態じゃ。」

 

 中断されている。

 そう表現されて、ふと頭に浮かんだのは自らのワザ。

 

 二段階に分かれた結界だが、つまりそれと同様に現在に至るまでずっと途中の状態で維持されていると。

 

 「途中であるが故に、ミオの中にはまだ記憶は封印のような形で残っておるし、妾も完全に命を使い切らずに体は失い魂だけが残ってしもうた。」

 

 「それで実体が無いと。」

 

 そうだ、大神にはおぼろげだが残っている昔の記憶もあるようだった。

 それは一重にまだ消費されていないからという事のようだ。

 

 「うむ、自らの失敗を悟って、魂だけとなった妾は留まるために慌てて自らをシキガミ化した。

  しかし如何にも、状況が異質故にこのような結果になったようじゃ。」

 

 「…なるほどな。」

 

 大体の事情は把握できた。

 それと同時に体の底から大きく息を吐きだす。

 

 頭がパンクしてしまいそうだ。

 

 なんだ、この状況は。

 もう、全てが終わっているではないか。

 

 「…前に、覚悟を決めるって言ってたよな。」

 

 「む、そうじゃな。」

 

 今の話を聞いて、ふと温泉での出来事を思い出す。

 あの時は何のことか見当もつかなかったが、今ならわかる。

 

 「それは、大神の記憶から消える覚悟だな。」

 

 「その通りじゃ。

  …ミオからは残り時間は後数年と聞いたのであろう?」

 

 神狐からの質問に、頷いて肯定を示して見せる。

 

 「正確には、後数年で中断が出来なくなる。

  今のミオは中断した結果、命を繋いでおる。そして、維持するだけでも力は消費するものでの。それが維持できなくなれば自ずと元の状態へと戻り、そのまま止めていた運命に戻る事となる。」

 

 維持するだけで、後数年。

 つまり、このまま何もしない場合の残り時間。

 

 「じゃあ、完遂する場合はもっと短いのか。」

 

 「うむ。」

 

 これ以上消費をしない上での残り時間なら、行動を起こすために必要な力の残量はそれとは一致しない筈だ。

 それは後どの程度残っているのか。 

 

 「次の満月じゃ。」

 

 「…は?」

 

 聞き間違いかと思い、聞き返す。

 冗談だろう、新月は今日、なら次の満月は。

 

 「後半月、これがミオを救う前提での残り時間じゃ。

  次の満月の夜、妾は今度こそミオを救い、消える。」

 

 「後半月って、もし他に二人とも助かる方法が有ったら…。

  …いや、そんなものが有ったら、神狐は実行してるよな。」

 

 多分、これはもうどうにもならない。

 少なくとも、既存の方法では他に大神を救う方法は無い。

 

 それが分かっているからこそ、神狐は覚悟を決めたのだ。

 

 「じゃから、透。

  その後の事は主に任せたいと思って居る。主なら信用できる。」

 

 「それで…妙に俺と大神をくっ付けようとしてたのかよ…。」

 

 あぁ、全部繋がった。繋がってしまった。

 それなのに、なんの達成感も充実感も無い。

 

 こんな形で二人が引き裂かれるのだと思うと、やるせない。

 

 「何…それ…。」

 

 不意に後ろから聞こえてきた声、目の前の神狐がその瞳を丸くする。

 その反応を見るまでも無く、声の主が誰なのか分かった。

 

 振り返れば、広間の入り口。

 大神ミオが呆然としてそこに立っていた。

 

 

 

 

 

 

 





そんな感じで過去回終了、次回から完全に現在の話に戻る。

気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム。


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個別:大神 23


どうも、作者です。

感想くれた人、ありがとうございます。

以上。


 

 「何…それ…。」

 

 そんな大神の声が後ろから響いてくる。

 それと同時に神狐の目が大きく見開かれた。しかし、驚いているのはこちらも同じだ。

 

 「大神、どうしてここに…。」

 

 「透君が、怖い顔でどこかに行くのが見えたから…気になって。」

 

 後をつけてきたのか。

 結界には防音機能など付いていない。俺がここにいることが分かったという事は、つまり最初から大神は話を聞いていた事になる。

 

 「今の話、嘘だよね。

  冗談なんでしょ?いつもみたいに、驚かせようとして。」

 

 震える声で縋りつくように神狐へと問いかける大神。

 だが彼女なら、洞察力の鋭い彼女なら既に分かっている筈だ。

 

 神狐の語った話が真実であると。

 

 自らの間違いを望むその姿は、けれど無言で首を横に振る神狐の姿によって正しいと突きつけられてしまう。

 

 「…っ!

  そんなはず無い!だって、せっちゃんは…!」

 

 受け入れられずない大神は駄々をこねる子供の様にその表情を歪めて言いながら神狐へと近づいて行くと、神狐の肩へと手を伸ばした。

 

 「あ…。」

 

 だが、実体の無いものは掴めない。

 大神のその手は神狐の肩を捉えることは無く、そのまま突き抜けてしまう。

 

 まるで煙でも触ろうとしたかのように、何の抵抗も無かった。

 通り過ぎてしまったその己が手を見つめて、大神は奥歯を強く噛み締める。

 

 「すまぬの、ミオ。

  妾は主に触れることは出来ぬ。」

 

 神狐はそっとそんな大神の頬へと手を添える。

 

 「昔の様に抱きしめてやることも、もう出来ぬのじゃ。」

 

 その手の温もりを頬で感じることは無く、その手が頬の感触を感じることも無い。

 それを理解してか、大神の顔は今度こそくしゃりと悲痛に歪められた。

 

 「なんで…、嫌、嫌だっ!

  だって、ウチ、まだ何もっ…!」

 

 「ミオ…。」

 

 そんな彼女を神狐は少し困ったような表情で見る。

 

 大神とて分かっている。神狐の人間性を知っている彼女なら、尚のこと。

 しかし、いくら頭で分かっていても感情は付いて来られない。

 

 「…っ。」

 

 嗚咽を堪える様に被りを振りながら、一歩、大神はよろりとふらつくように後退ると、鋭い眼を神狐へと向けた。

 

 「せっちゃんが消えるくらいなら、ウチも、このまま…!!」

 

 「ミオっ!!」

 

 広間に神狐の怒号が響く。

 その先を言うなとばかりに、強い意志の込められた声。

 

 彼女のこんな声は初めて聴いた。

 けれどその表情は、声とは裏腹に優しさと悲しさに満ちている。

 

 「っ…。」

 

 びくりと体を震わせて思わず口を噤んだ大神。

 神狐は表情をそのままに大神へ向けて微笑んで見せた。

 

 「すまぬ…。」

 

 ぽつりと零されたのは、そんなたった一言。

 だが一言でも、そこに込められた意味は幾層にも重ねられている。

 

 「…、…っ…!」

 

 それを受けた大神は口を動かして何かを言おうとして、けれど言葉に出来なくて。

 そんな彼女の頬にはいつの間にか涙が伝っていた。

 

 やがて耐え切れなくなった大神は、涙を拭うことも忘れて、逃げる様に広間から駆け出て行ってしまった。

 

 その背を見送った神狐は少し疲れたようなため息を溢し、普段と同じ笑みをこちらに向けた。

 

 「透よ、世話を掛けるようじゃが、ミオを追いかけてはくれぬかのう。」

 

 「…あぁ、構わない。」

 

 神狐はこう言っているが、本当は彼女自身で追いかけたい筈だ。

 けれど原因が自分であるが為に、それすらままならない。

 

 本来、こんな形で伝えるべきでは無かった。

 もっと時間をかけて、順序を踏んで話していれば、動揺こそすれどもっと落ち着いて受け止める事も出来たはずだ。

 

 だが後悔は先には立たない。

 なってしまったのなら、今考えるべきはこれからどうすべきかだ。

 

 「…神狐。」

 

 「なんじゃ?」

 

 広間を出る間際、背中越しに神狐へと声を掛ければいつもの調子で返事が返ってくる。

 

 大丈夫か?

 そう紡ぎそうになった口を咄嗟に唇を噛んで噤んだ。

 

 「いや、何でもない。」

 

 代わりにそうとだけ誤魔化して、今度こそ大神を追ってその場を後にする。

 

 馬鹿か俺は。

 大丈夫なわけがないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大神を探して境内を見て回っていれば、幸いすぐに彼女の姿は見つかる。

 

 氷が一面に張っている池の前。

 そこに、大神は呆然とした様子で池を眺めて立っていた。

 

 昔魚を飼っていた池、恐らく神狐の話にも出てきたものと同じだろう。

 

 「…何も思い出せないの。」

 

 「大神…。」

 

 近づいて行くと、大神は池を眺めながらぽつりと零すようにそう言う。

 凍り付いた水の中に命は無い。反射する自らの顔と対峙するように大神は言葉を続けた。

 

 「街の人との思い出も、せっちゃんと満月を見た記憶も、何も。

  さっき聞いた話の中でウチの知ってることなんて、何一つ無かった。

 

  なのに…。」

 

 言葉を進めるにつれて、彼女の声に涙が混じり肩が震えた。

 

 「それなのに全部、本当の事だって分かる。

  根拠なんて何もないのに、確かにそれはウチが昔に経験した事なんだって。」

 

 恐らく彼女の中に封じられたという記憶。

 まだ完全に消えたわけでは無いそれが、彼女に教えているのだ。

 

 「ねぇ、透君。」

 

 だがそれが分かるのなら、迎えた結末もまた然り。

 

 名を呼びながらこちらへ振り返る大神。

 その瞳からはぼろぼろと大粒の涙がこぼれ続けていた。

 

 「どうしよう、ウチのせいで…せっちゃんが…。」

 

 自分を救おうとして、自らの命を捧げた神狐。

 その事実を受け止めきれずに、大神は押しつぶされそうになっている。

 

 「分からないよ。

  もう、どうしたらいいか…。」

 

 いつもは聡い大神が、進むべき道を見失っている。

 それほどまでに、彼女の中で神狐という存在は大きかった。

 

 けれど。

 

 「…大神なら、分かるだろ。」

 

 「分からない…分からないよっ!」

 

 思考に飲まれ、取り乱しそうになる彼女の腕を掴む。

 

 「いいや、分かるはずだ!」

 

 今のままでは駄目だ。 

 少なくともこんな形で二人が離れてはいけない、そんな時間はもう無い。

 

 声を上げれば、大神は驚いたように目を見開いた。

 

 「街に出掛けた時に、話してくれたよな。

  大神の時間がもう残り少ないって。」

 

 夕方に大神からそう聞かされた。

 残り時間が後数年だと。

 

 「でも、それは…。」

 

 「違わない、状況は一緒だ。

  ただ立場が入れ替わっただけで、本質は何も変わってない。」

 

 置いていく側と、置いて行かれる側。

 この話には最初からその二つの立場しかない。

 

 だからこそ、大神なら分かる。いや、大神にしか分からない。

 前者から後者へと入れ替わった彼女だから。

 

 「お前は、どうして欲しかったんだ!

  俺に話した時、大神は何を思っていた、何を望んでた!」

 

 「ウチは…。」

 

 震える声でぽつりぽつりと、大神は言葉を紡ぎながら支えを求める様に俺の肩へと額を当てる。

 握られた服の裾は、千切れてしまうのではないかと思う程に強く力が込められていた。

 

 「最後まで…一緒に…。」

  

 「なら、そうしてやれば良いんじゃないか。

  支えが欲しくなったら、いくらでも寄りかかってくれて良いから。」

 

 そんな彼女を落ち着ける様に軽く頭を抱けば、すぐ隣から嗚咽が聞こえだす。

 

 彼女の抱く感情がどれ程のものか、俺には推し量ることもできない。

 

 だが、せめて支えよう。

 大神が全てを受け入れられるまで、必要だというのなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大神が落ち着いたところで彼女と二人、神狐の待つ広間へと戻る。

 

 幾らか整理は付いたようで、大神の目は少し腫れてはいるがそれでも彼女に先ほどのような不安定さは無かった。

 

 広間では先ほどと同じ場所に座る神狐がこちらに気が付くと、無言で視線を向けてくる。

 

 「あの、せっちゃん。

  ウチ…。」

 

 少し気まずさを感じているのか、大神はうまく言葉を紡げないでいる。

 

 「ミオ。」

 

 そんな大神を見て、今度は神狐が声を掛けた。

 

 「腹は減っておらぬか?

  そろそろ食事時じゃ。」

 

 その顔に浮かぶ優しい笑みに、ようやく大神の顔にも笑顔が戻った。

 

 「…うん、ウチぼんじり定食が食べたい。」

 

 「うむ、ミオは本当にぼんじりが好きじゃのう。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、宿に戻り三人で食事となった。

 神狐は実体が無い故に食べれはしないが、それでも雑談を交えつつ和やかな時間を過ごすことが出来た。

 

 二人の時間も必要だろうと、一足先に温泉へ入ることにした俺は湯に浸かりつつ、今日の出来事を思い返す。 

 改めて振り返ってみると、とても一日の出来事とは思えない情報量に頭痛がした。

 

 大神と神狐。

 二人は…まぁ、少しトラブルもあったがもう問題は無いだろう。

 

 「…問題ない、か。」

 

 自分の何とも楽観的な思考に呆れる。

 問題ありありだ、けれど俺に出来ることなど限られている。

 

 そもそも既に終わっている話だ。

 言うなれば、全てが遅すぎる。

 

 これを覆そうとするなら、それこそ時間を遡るしか無い。

 

 …夢物語にも程がある。

 それが出来ないから、こうなってるんだ。

 

 「…。」

 

 空を見上げれば変わらずの曇天が重々しく鎮座している。

 その向こう側にはきっと夜空が広がっている。だがそこに月は存在しない。

 

 新月から満月までのおよそ14日。

 二人に残された時間はたったこれだけ。

 

 …少なすぎる。

 

 「…はぁ。」

 

 「ほう、思いつめたようにため息を付いて、どうかしたかの?」

 

 突如として後ろから聞こえてきた声に驚いて振り返れば、そこには金色の狐の見た目少女が立っていた。

 

 「神狐?

  大神の傍にはいなくて良いのか?」

 

 温泉に入ってからまだ十分程度だ。

 積もる話もあると思ったが、それにしては早過ぎる。

 

 「今日は色々とありすぎたようでな、ミオも泣き疲れて今は眠っておる。」

 

 「そっか…、いや、だからって男湯に入ってこなくても良いだろ。」

 

 一瞬納得しそうになってしまった。

 ここまでさも当然の様に入ってこられると自分の中で常識が崩れそうになる。

 

 「ほほっ、妾と主の仲じゃ。…はっ、それとも裸の付き合いをしろという事かの?

  透よ、浮気はならぬぞ?」

 

 「違うから服の裾に手をかけないでくれ。」

 

 本当に脱ごうとする神狐に割と本気で勘弁してくれと懇願すれば、なんじゃ、と若干不服そうに神狐はその手を下ろす。

 なんでちょっと残念そうなんだよ。

 

 「まぁ、冗談じゃ。

  主と少し話をしたくてのう。」

 

 「話って?」

 

 聞き返せば、神狐は改まった様子でこちらを見る。その表情はどこか晴れ渡っている様にも見える。

 

 「主には感謝しておるのじゃ。

  おかげでミオとの仲も、保つことが出来る。」

 

 「結果論だけどな。

  俺があの場で聞いたりしなかったら、もっと良い結果になった。」

 

 少なくとも、大神があの場に来ないようにもっと配慮するべきだった。

 急にあんな話を聞かされては、心の準備もあったものではない。

 

 しかし、神狐はそれを否定するように首を横に振る。

 

 「良い結果などない。

  そも、ミオには最後まで伝えぬつもりであったのじゃ。」

 

 それを聞いて、思わず驚いて声が漏れた。

 伝えないというと、過去の真実の事だ。

  

 けれど、それでは。

 

 「ミオの中から妾の記憶は消える。封印中の記憶を引っ張り出そうとすればそれに付随して現在までの記憶も再徴収されるのじゃ。

  故に何も話さず事を終えるつもりであった。どうせ、全て消えてしまうのじゃからな。」

 

 後に残されるのは、ここにいる理由も分からなくなった大神。

 それ以外の事は覚えているのだから、恐らく元居た場所、シラカミ神社へと帰ることになる。

 

 「それに、ミオも取り乱しておったであろう。

  主が居てくれなければ、あの子もこんなに早く気持ちに整理は付けられておらなかった。」

 

 確かに話を聞いた後の大神は神狐の言う通りだった。

 けれど、今は。

 

 「それなら次の満月の日に、本当に大神の中から神狐の記憶は消えるのか。」

 

 「このままなら、の。

  けれど、今は主がおる。」

 

 それはどういう…。

 話を聞いたくらいで記憶が戻らないのは、先ほど証明されたばかりだ。

 

 俺から大神に神狐の話をしたところで、意味はない。

 

 「もしかして、俺の記憶を使うのか?」

 

 同じ原理であれば、それも可能なはずだ。

 不意に思いついて聞いてみれば、しかし神狐は否定する。

 

 「否、それも有りじゃが、他にもっと良い方法があるであろう。」 

 

 有りなのか。

 思わずそう頭に浮かんでしまう。

 

 表情に出ていたのか、神狐はくすりと笑いながら指を真っ直ぐこちらに向けた。

 

 「主自身が術者となるのじゃ。」

 

 「…俺が?」

 

 目を丸くして問いかければ、神狐は力強く頷いて見せる。

 

 「待ってくれ、そもそも俺はそんな高度なワザは使えないぞ。」

 

 俺が術者になるというのならいくつか問題が発生してしまう。

 いくらイワレの制御が身についてきたと言えども、それ以外に関してはずぶの素人だ。

 

 それが出来るのならばそうしたいが、それなら俺の記憶を使って神狐が制御をした方が良い。

 

 「あぁ、そこは心配いらぬ。正直ミオを救うという意思があればそれだけで良い。あとはある程度のイワレが制御能力が必要じゃが、それももう大丈夫じゃろう。

  どちらかというと術者となる条件の方が厳しくての。」

 

 「それを扱うための条件か。」

 

 然り、と肯定すると、神狐はおもむろに手を前に出すと見慣れた水晶玉を作り出す。

 

 「結界の修復用の…って、まさか。」

 

 「うむ、最初から結界に不備など無い。

  こうして条件も既に整えておるのじゃ。ま、このカクリヨにおいて主しか該当せぬがの。」

 

 一瞬何のことかと疑問に思うが、不意に浮かび上がった可能性を口にすれば軽々と首肯されてしまい、思わず苦笑いが顔に出る。

 どうやら、最初から神狐の掌の上にいたようだ。

 

 「この話だけはミオには出来なかった故、この場で話したのじゃ。」

 

 「…だろうな。

  大神にとって、神狐が消えることに変わりは無い。」

 

 そう返せば、神狐は少し驚いたように目を丸くした。

 

 「…どうした?」

 

 「いや、そう言えば妙に冷静じゃと思っての。」

 

 冷静。

 彼女からそう見えているのなら、上手く隠せているという証左だ。

 

 「身近な人間が居なくなるのに、何も感じない程冷酷じゃないつもりだ。」

 

 神狐とは短い付き合いだが、それでも話をして、共に暮らした。何も感じない筈がない。

 だがこれで俺が狼狽えていては、大神を支えることなど出来はしない。

 

 「なぁ、神狐。

  本当に消えるのか。」

 

 「…うむ、ミオを救うにはこれしかないのじゃ。」

 

 散々話してきたが、それらも全て、神狐セツカという人物が居なくなる事を前提としている。

 その中で、最善ととれる方法を上げているに過ぎない。

 

 「…なら、そうするしかないだろ。」

 

 それは分かっていたつもりだ、けれど、こうして直面するとやはり堪える。

 深く息を吸って、どうにもならないもどかしさと共に吐き出す。

 

 「主、良い男じゃな。

  惜しいのう、あと十…いや、二十年年老いておれば…。」

 

 「万年幼女の姿して何言ってるんだか。」

 

 「妾とて昔は凄かったのじゃぞ。

  こう…ぼんきゅぼんじゃ。」

 

 必死に手で表現しようとしているが、現在の姿ではただただ虚しいだけである。

 それを感じ取ったのか、さらにムキになろうとする神狐をどうどうと押しとどめる。

 

 「むぅ…、主も昔の妾を見れば思わず唸るはずじゃ。」

 

 「残念だが、俺はもう大神しか見えないんでな。

  …ところでなんだが。」

 

 話題を切り替える様に声を掛ければ、神狐は何じゃとこちらを不思議そうに見る。

 

 「そろそろ上がりたいから、出て行って貰えないか。」

 

 そんな彼女に、はっきりと伝える。

 なお、既に重要な話は終わっており、大神も眠ってしまったのなら部屋の方に運んでやらないといけない。

 

 だが、その道中にいるのが目の前の金色の狐だ。

 それを聞いた彼女はにやりと意地の悪い笑みを浮かべた

 

 「ふむ…ここから動かぬと申した場合どうなるのじゃ?」

 

 「結界使って無理やり動かす。」

 

 「おおう、それは反則なのじゃ。」

 

 座った眼で脅せば、慌てて神狐はその場から姿を消した。

 駆け出て行ったわけでは無い、何時かの様にその場から突如として居なくなったのだ。

 

 「…そっか、もう隠す必要も無いのか。」

 

 それと同時に、もう引き返せないのだと突きつけられた。 

 そんな気分を引きずったまま、俺は温泉を後にした。

 

 

 




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個別:大神 24


どうも、作者です。

八万UA突破
感謝感激。

感想くれた人、ありがとうございます。

以上。


 

 温泉から上がり広間へと出る。

 辺りを見渡してみるが、何処へ行ったのか神狐の姿は見当たらなかった。

 

 別にだからどうという話でも無いのだが、神狐にとっても今日は激動の日だった。

 いくら表面的に平気そうに見えても、精神的にはそうもいかないだろう。

 

 一人になりたいと思っても不思議ではない。

 もしかすると気を使っているだけかもしれないが、まぁ、その辺りを推測するのは無粋というものだ。

 

 思考を切り上げて、大神の元へと向かう。

 居場所は広間に出た瞬間から分かっていた。

 

 『…。』

 

 近づいて行くと、それに気が付いたシキガミが無言のままこちらに頭を下げてくる。

 そんなシキガミのすぐ傍らにあるベンチ、その上で毛布を掛けられて大神は眠っていた。

 

 穏やかな寝顔、けれど涙を流したせいかその目元はほのかに赤く腫れている。

 

 「大神を部屋に運びたいんだけど、良いか?」

 

 確認を取るように聞けば、シキガミはこくりと頷いてその場から去っていく。

 神狐がいない間、あのシキガミが大神の事を見ていてくれたようだ。

 

 その背が見えなくなった所で、大神へと視線を戻す。

 

 「…本当、今日は色々ありすぎたな。」

 

 心の底からの本音を溢しつつ、大神を横抱きに抱え上げる。

 身体強化を使うまでも無く軽々と持ち上げられる彼女は、抱きかかえても目を覚ます様子は無い程深い眠りについている。

 

 身体の疲れというよりは、心労の方が大きいだろうか。

 もしくはその両方かもしれない。

 

 「…せっちゃん…。」

 

 「っ…。」

 

 眠っている大神の口から零れ落ちた言葉に、歩き出そうとした足が止まった。

 

 大神に対しても、神狐に対しても大きな担架を切った自覚はある。

 けれど彼女の様子を見ていると、どうしても考えてしまう。

 

 俺は本当に、彼女を支え切れるのだろうか。

 頭を振ってそんな思考を払いつつ、部屋へと向かい階段を昇る。

 

 やがて部屋に到着し、大神を彼女のベットに寝かせてから自らのベットへと腰を下ろして一息ついた。

 

 隣のベットには、すやすやと寝息を立てる大神。

 しばらくぼうっとしながらそんな彼女を眺めるが、疲労が溜まっているのは俺も同じようで、すぐに眠気に襲われる。

 しかしそのまま横になってみるも、中々眠りに付けなかった。

 

 ぐるぐると回る思考は止まる気配が無く、時間ばかりが過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぼんやりとした意識の中、不意に感じた冷気に一気に意識がクリアになる。

 

 何時の間にか眠りかけていたようだ。

 掛け布団でも落ちたのかと思い横向きに寝たまま手を動かすが、しかしきちんと首元まで布団は掛かっている。

 

 「…?」

 

 じゃあ、何の冷気だ。夢でも見ていたか。

 そう結論付けようとしたところで、不意に背中に触れている気配を察知する。

 

 気のせいにしては、はっきりとし過ぎている気配。

 きっと神狐辺りが湯たんぽでも入れてくれたのだ、そうだそうに違いない。

 

 期待混じりのその予想を立てた所で、背中の気配がもぞりと動きを見せる。

 生き物であることが確定して思わず体が強張った。

 

 「透君、起きてる?」

 

 「…って、なんだ大神か。

  あぁ、起きてるよ。」

 

 背中側から聞こえてくる聞きなれた声に安堵の息が漏れる。

 これで大蛇でも居ようものなら確実に上げたことの無い悲鳴を上げていた所だ。

 

 「…どうかしたのか?」

 

 だが、ほっとしているのも束の間。

 今度は何故大神がここにいるのだという疑問が浮かんでくる。

 

 俺は確かに大神を彼女のベットに寝かせたはずだし、勿論、彼女のベットに入り込むようなこともしていない。

 なら、必然彼女の方からこちらに来たという事になる。

 

 「透君、さっき言ってくれたよね。」

 

 問いかければ、ぽつりとそんな答えが返ってきた。

 

 言ってくれた。

 一瞬何のことかと記憶を探るが、すぐに答えを見つける。

 

 「少しだけ、寄りかからせて欲しくて。

  良いかな。」

 

 「勿論、お安い御用で。」

 

 不安げな声で尋ねてくる大神にはっきりと返せば、後ろの彼女がほっとしたのが分かる。

 

 「…せっちゃんの話を聞いたからなのかな、昔の夢を見たの。」

 

 「昔って…、イヅモノオオヤシロの?」

 

 聞けば、否定するように大神は首を横に振った。

 

 「もっと、昔。

  多分、せっちゃんと会う前の。」

 

 それを聞いて、ドクンと自らの心臓が鳴るのを感じた。

 神狐と出会う前の大神。それは、恐らく神狐ですら知らない話だ。

 

 固唾を飲んで、彼女の話に耳を傾ける。

 

 「雪山の中でね、歩いてるの。ずっと、ずっと一人でひたすら。

  楽しさなんて無かった、喜びも無かった、あったのはどうしようもない孤独感だけ。」

 

 穏やかに話す大神だが、背中に触れる彼女の手は確かに震えていた。

 せめて夢の中だけでもと考えていた、けれど、記憶が刺激された影響かそれすら阻まれてしまう。

 

 「起きた瞬間も凄く寂しくて。

  だから、ちょっと甘えたくなっちゃった。」

 

 「…そっか。」

 

 そう言って、大神は照れたように笑う。

 

 慰めたい、けれどそのやり方を俺は知らない。

 上手くできる気がしなくて、それだけしか言葉に出来なかった。

 

 「でも、これで本当に俺は大神の力になれてるのか?」

 

 やっていることと言えば、大神の話を聞いているだけ。

 こんなことしかしてやれない自分が、こうももどかしい。

 

 そんな俺の心に反して、大神は頷いて肯定する。

 

 「うん、これ以上ないくらい。

  何だか、透君の傍にいると落ち着くの。」

 

 「落ち着く…か?」

 

 予想外の言葉に、疑問が口から零れ落ちる。

 

 自分ではそう言った類の認識は持てないが、まぁ、こういうものは抱く者にとっての透という人物像が影響してるだろうし、大神にとってはそうなのかもしれない。

 

 「それに暖かい。

  こういう所、せっちゃんみたい。…っ。」

 

 そう言い切ると同時に、何かに気が付いたように後ろの大神が震えた。

 

 「あ、心配しないでね。

  透君をせっちゃんの代わりみたいに思ってるわけじゃないの。二人とも、ウチにとっては掛け替えのない人だから。」

 

 「ははっ、分かってるって。」

 

 あまりに必死に弁明するものだから、思わず笑いが溢れてしまう。

 今頃、大神の頬はぷくりと見事に膨らんでいる事だろう。

 

 「もう、笑わないでよ…。」

 

 「悪い。でも、そっか。

  俺も大神の中では掛け替えのないって思われる程度の存在にはなれてたんだな。」

 

 予想通りの反応。

 拗ねたように抗議してくる大神に謝罪しつつ、この数か月で得たものを再認識する。

 

 「それはそうだよ。

  だって透君はウチにとって…あ。」

 

 「え?

  …あ。」

 

 ふと、言葉を区切る大神。

 それと同様に、俺もその原因に思い至って思わず声が出た。

 

 そう言えば何かと話が入り組んで有耶無耶になっていたが俺と大神はイヅモノオオヤシロで互いの想いを伝えあっていた。

 

 「透君、あのね。

  ウチは…。」

 

 「あー、大神。 

  その話は考えなくて良い。」

 

 言葉を続けようとする彼女に対して、先んじて言っておく。

 

 「今は、それよりも優先することがあるだろ?」

 

 「…うん。」

 

 今の彼女は、恐らく様々な事が重なって心の容量はぎりぎりの筈だ。

 その中で無理に事を進めるよりは、後伸ばしにしてしまった方が良い。

 

 俺自身、この状況で色ボケ出来るほど楽観的な感性は持ち合わせていないことも理由の一つではある。

 

 「せっちゃん、凄くお節介でしょ。」

 

 「あぁ、まさか本当に大神にあれを渡されるとは思わなかった。」

 

 言いながら大神はくすくすと笑うが、こちらとしては一大事だ。

 録音で大神に想いを伝える形になるなど、夢にも思っていなかった。

 

 行動力があると言えば聞こえはいいが、あれはそんな言葉で流していいものでは無い気がする。

 

 「ウチも。

  けど、せっちゃんも悪気は無いと思うの。ただやり方が間違ってるっていうか、不器用なだけで。」

 

 それには完全に同意見だ。

 

 あそこまで空回りをする者も珍しい。

 本人もそれは分かっている筈なのに。それにも関わらず、神狐は一人で突っ走ってしまう。

 

 「失敗しちゃうこともたくさんあったと思う。

  でも、せっちゃんはいつも、ウチの事を考えてくれてて…。」

 

 「あぁ、それは見てて分かる。

  神狐はずっと、大神の為に動いてた。」

 

 贖罪の意が無いと言えば嘘になるだろう。

 しかし、神狐の大神に対する行動には全てそれ以上の愛情が込められていた。

 

 だからこそ、神狐が大神を見殺しにすることなど無い。

 自らを犠牲にしてしまうからこそ、彼女は神狐セツカなのだ。

 

 「本当、困っちゃうよね…。」

 

 多分心からの言葉なのだろう。

 しかしそれとは裏腹に、その声は穏やかだった。

 

 「でも、それを含めて大神は神狐の事が好きなんだな。」

 

 「…うん、大好き。」

 

 そう言って、大神は背中へと額を当ててくる。

 

 「…ウチ、明日から普通に接していけるかな。」

 

 「大神なら大丈夫だ。

  辛くなった時は、俺にぶつければ良い。」

 

 不安混じりの彼女の声にはっきりとそう伝えれば、緊張が取れたのか安堵するようなため息と共に、後ろにいる彼女の体から力が抜けるのが分かった。

 

 「うん…ありがとう、透君…。」

 

 語尾に行くにつれて彼女の声からも力が抜けていき、それから間も無く、後ろから規則正しい寝息が聞こえてきた。

 

 大神も寝てしまった所で、再度彼女をベットまで運ぼうと体を動かすが、わずかな抵抗を感じて動きを止める。

 どうやら、大神に服の背中辺りを掴まれているようだ。

 

 無理に引きはがせば、恐らく大神は目を覚ましてしまうだろう。

 どうしたものかと思考を巡らせようにも、眠気に襲われてそれもままならない。

 

 (…まぁ、良いか。)

 

 自問自答していても答えは出ないだろう。

 そう結論付けて、思考を放棄し、目を閉じる。

 

 こうして長かった一日は幕を下ろし、夜は更けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…ほほう、これはこれは。」

 

 頭上から聞こえてくるそんな声に、意識が覚醒した。

 何事かと、目を開けて声の出所へと向ける。 

 

 「「…。」」

 

 すると、まず視界に映ったのは大きな瞳。

 ニヤニヤとした笑みを浮かべた神狐セツカの顔が目の前にあった。

 

 「…は!?」

 

 「朝から元気じゃな、透よ。」

 

 驚きのあまり目を見開いて声を上げれば、神狐は顔を離すように上空に移動して愉快そうに笑う。

 

 「神狐、どうしてここに?」

 

 「普通に入り口からじゃ。

  妾にとっては扉も襖もあってない様なものじゃからな。」

 

 寝起きで鈍い思考で問いかければ、神狐はあっけらかんとそう答えて見せる。

 

 あぁ、そうだった。そう言えば実体が無いんだった。

 自体いが無いが故に、通り抜けてこれてしまうという訳だ。

 

 これではわざわざ仕切っている意味が無いな。

 

 未だバクバクとなる心臓を宥めながら、丁度頭上でふわふわと宙に浮かんでいる神狐を眺める。そんな彼女の顔にはニヤニヤとした笑みが張り付いたままだ。

 

 「それにしてものう。

  透、主も男じゃったのじゃな。」

 

 「は?

  何の事…。」

 

 揶揄うように言ってくる神狐。

 そんな彼女に聞き返しかけたところで、傍らに存在する温もりに、神狐が何を考えているのかを察した。

 

 「いや、そうじゃない。

  これはただ一緒に寝てただけで。」

 

 「そうかのう、その割には焦っておるようじゃが。」

 

 サッと顔から血の気が引くのを感じながら即座に体を起こして弁明するも、しかし、決定的現場を見たとばかりに神狐はその表情を崩そうとはしない。

  

 むしろ慌てれば慌てるだけドツボにハマりそうだ。

 

 「ん…。」

 

 だが、このまま弁明しなくては誤解が定着してしまう。

 これはマズイと焦りが生まれ始めたあたりで、隣の大神がそんな声と共にもぞりと体を動かす。

 

 「透…君?」

 

 目をこすりながら大神は体を起こす。

 まだ寝ぼけているのか、彼女はどこかぼんやりとしている。

 

 「透君、おはよう。おかげで安心して眠れた。」

 

 「あぁ、うん。

  それは良かったんだけど、今はこっちの弁明を手伝ってもらっても良いか?」

 

 「弁明…?」

 

 そう呟きながら大神は寝ぼけ眼のまま辺りを見渡して、その瞳に宙に浮かぶ神狐の姿を捉える。

 

 「せっちゃん?」

 

 「ほほっ、なに、様子を見に来てみれば主らが同じベットで共に眠っておったのでな。

  何かあったのではないかと思ってのう。」

 

 それを聞いた大神は状況を把握するように再度こちらへと視線を戻し、また神狐へと視線を向けてを繰り返す。

 時が経つにつれて、意識が覚醒しだしたのかそんな彼女の瞳には光が宿っていく。

 

 「へ…あ…あう…。」

 

 やがて何事かを理解したようで、急激にその顔を朱色に染めた大神は耳をぺたりと倒して黙り込んでしまう。

 

 「ほうほう、やはりそうなのではないか。」

 

 そんな大神の変化を見て、神狐はその顔に浮かべていた笑みをますます深めた。

 

 「違うから!

  大神もどうしてそこで顔を赤くする。」

 

 「だ…だって、ウチ。

  昨日はどうかしてて、なんであんな大胆なこと…。」

 

 自分の弱っているところを見られて今更羞恥が爆発しているらしい。

 視線に耐えきれなくなったのか、イモムシの様に布団の中へと大神は潜っていく。 

 

 「そうじゃ、今日はご馳走にせねば。

  幸い食料は昨日調達したばかりじゃしのう。」

 

 「待て待て、部屋から出ていこうとするな!  

  大神も、そんなに恥ずかしがるような事じゃないから!」

 

 るんるんと嬉しそうに宙を舞う神狐を引き留めつつ、布団にもぐってしまった大神に声を掛ける。

 結局、二人が落ち着くのは雲の上の太陽が完全に顔を出した頃であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「はー、焦った…。」

 

 「あ、あはは、お疲れ、透君。」

 

 部屋の中で、ようやく無事に誤解を解き終えて思い切り息を吐けば、少し気まずそうに大神は笑みを浮かべて頬をかく。

 

 まさか朝からこんなにも体力を使う羽目になるとは思わなかった。

 これは今日一日の先が思いやられる。

 

 「何じゃ、手の一つでも出せばよいものを。」

 

 そんな気持ちを知ってか知らずか、神狐は何処か不服そうに頬を膨らませている。

 

 「出さないって、俺を何だと思ってるんだ。」

 

 「つーまーらーぬーのーじゃー。」

 

 ハッキリと否定すれば、神狐は駄々っ子の様にじたばたしたかと思うと、そのまますーっと宙を移動して何処かへと去って行ってしまった。

 

 一瞬気を使っているのかとも思ったが、どうにも本音も含まれているような気がしてならない。

 まぁ、神狐とはそういう奴なのだ。

 

 「…なんだか、せっちゃん幼くなってる?」

 

 「まぁ、見た目的には違和感ないけどな…。」

 

 昨日からは考えられない程に、空気が弛緩する。

 これも彼女の狙い通りではあるのだろうか。

 

 何処まで計算しての行動なのか測りかねる。

 

 「…ね、透君。」

 

 「ん、どうした?」

 

 そんな思考の最中、声を掛けられて改まった様子の大神と目を合わせる。

 その顔には昨日見たような憂いは残っていない。

 

 「その、改めて昨日はありがと。

  おかげでちゃんと、せっちゃんと向き合えるから。」

 

 笑顔でそれだけ言い残して、大神は部屋を出て行った。

 これも一晩経って色々と整理の付いたことの現れなのだろう。

 

 「ありがとう…か。」

 

 一人残された部屋の中で、ぽつりと呟く。

 

 何も礼を言われるようなことでは無い。

 謙遜などでは無く、これは純然たる本心だ。

 

 こうするしかない、ただそれだけの理由しかない。

 だからこの胸の痛みは、そんな自分への戒めなのだろう。

 

 けれどもう進むしかないのだ。

 そんな覚悟を胸に秘め、彼女の後を追った。

 

 

 

 

 

 (満月の日まで、残り13日。) 

 





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個別:大神 25


どうも、作者です。



 

 『ん…。』

 

 暗い広間の中で黒い狼の少女は意識を取り戻し、その目を開いた。

 

 力の入らない体。ぼんやりとした思考。

 そして、自分は今まで何をしていたのかという疑問が彼女の脳裏に浮かぶ。

 

 『ミオ…聞こえておるか?

  ミオっ!』

 

 『せっ、ちゃん…?』

 

 そんなミオの様子に気が付いたように横合いから聞こえてくる声に。少女、ミオは微かな記憶に残る名前を呼びながら、その声の方向へと視線を向ける。

 

 『…違う…だれ?』

 

 しかし、そこに居たのは見慣れていた筈の姿とは程遠い、ミオよりも幼く見える小さな狐の少女。

 ハッキリと思い出せない中でも断言できるほどに、変わり果ててしまったその姿。

 

 『…無理もないのじゃ。

  こんな姿では我…いや、妾の事など分かるはずも無かろうて。』

 

 それを前にして困惑するミオに、彼女、神狐セツカは少し困ったように笑みを浮かべる。

 けれど、その表情には紛れも無い安堵がはっきりと表れていた。

 

 『妾は神狐セツカじゃよ。

  体は縮んでしまっておるがの。』

 

 にわかには信じがたい言葉にミオは首を傾げた。

 

 『本当に、せっちゃん?

  でも、なんで小さく…。』

 

 『うむ、そうじゃ。

  この姿は…少し力を使い過ぎての、その影響でこんな姿になってしまったのじゃ。』

 

 そう言って両手を広げて見せるセツカを見てミオは、そうなんだ、と一言だけ溢す。

 

 しかしそれは真実ではあるものの、些か語弊が混じっている。

 セツカ自身も気づいていないが、これは彼女の心境が影響したが故の結果であった。

 

 周りを覆う環境、魂だけとなったセツカが作り出した彼女自身の姿。

 どれもこれも、セツカの起こした事象全てには彼女の心の内が影響している。

 

 セツカの状況も把握したところで、今度はその周囲へとミオは目を向ける。

 その先に広がるのは一つの街を必要なものだけ選んで、小さく纏めたかのような街並み。

 

 『何が起きたか、覚えておるか?』

 

 『…。』

 

 セツカの問いかけに、ミオはゆっくりと首を横に振る。

 

 『そうか…。』

 

 それを確認したセツカの顔には様々な感情が同居していた。雑念を振り払うようにセツカは頭を振ると、ミオへと向き直る。 

 

 『ならば、説明せねばな。

  イヅモノオオヤシロで少し暴動が起きての。その最中で主は強く頭を打ったのじゃ。記憶が混濁しておるのはその影響じゃろう。』

 

 セツカは、そうミオに嘘の説明をした。

 

 記憶を無くし、街を無くし、隣人を亡くして混乱している中で、唯一そばにいてやる事ができるのはセツカのみだ。

 故にセツカは自らの状態をミオに知られるわけにはいかなかった。

 

 『暴…動…。

  そうなんだ…。』

 

 何も思い出せない、けれど何か悲しいことが起きた事だけは覚えていた。

 そして、あっさりとミオはその事実を記憶の抜け落ちた穴を埋めるように自然と受け入れる。

 

 一つ、幸と呼べるとすれば、ミオの記憶からセツカの記憶と共に以前の記憶も薄らいでいる為、かつてのイヅモノオオヤシロが失われたからといってそこまで気にする事は無い事だろう。

 

 『ミオ、本当に身体は何とも無いかの?』

 

 『うん、大丈夫。』

 

 過剰に心配するセツカに少し照れ臭そうにミオは笑う。

 

 『それなら…良かったのじゃ…。』

 

 そんなミオとは対照的に。

 セツカは自嘲を含んだ笑みを、その顔に浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (満月の日まで、残り12日。)

 

 

 「それでね、フブキったら出せば出す程うどんを食べちゃうの。」

 

 優しい微笑みを浮かべながら話す大神。

 

 場所は一階の広間。

 朝食を食べ終えたところで、例の如くひょっこりと現れた神狐を交えての雑談会が開かれていた。

 

 「ほう、あの娘が。

  しかし以前の訪問の際はそこまで食料は減ってはおらなかったぞ?」

 

 「自重してたんだろうな、あれでも。

  一応始めて来る場所だっただろうし。」

 

 ぼんやりとうどんを消し去るかの如く完食していく白い狐の姿を頭に浮かべる。

 

 「…フブキ、今頃何してるのかな。」

 

 話題に出たためかぽつりと思い出したように大神は呟いた。

 

 「どうだろうな、元気ではいるんじゃないか?」 

 

 しばらく会っていないが、どうせ今頃ミゾレ食堂のうどんを根こそぎ平らげているに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻、透の予想通りミゾレ食堂にいた白狐に店主は悲鳴を上げていた。

 

 「どんだけ食べる気だい!

  うどんの在庫が無くなっちまうよ!」

 

 「だってー、寂しいんですもん。」

 

 すすり泣きながらうどんを啜る白狐、もとい白上フブキは、独り神社で過ごす寂しさに耐えかねて近頃ミゾレ食堂に顔を出すことが増えていた。

 

 その辺りの事情は聴いていためミゾレが驚くようなことは無いし、多少融通を聞かせることも良しとしていたが、こうも頻繁に来られては食料の方が先に尽きてしまう。

 

 「ったく、半月くらいで何さね。

  そのくらいで音を上げてたらこの先もっと苦労するよ。」

 

 「それは分かってるんですけど、今までミオが基本的に一緒でしたし。

  透さんにあやめちゃんと、最近は人がいることが当たり前になってたので…。」

 

 フブキとて一人になった経験が無いわけでは無い。

 けれど長らくその感覚を忘れていたため、反動がかなり大きくなっているのだ。

 

 それを聞いたミゾレは一瞬はっとして、次には思いつめたような表情で口開いた。

 

 「…同情はしないよ。」

 

 「…はい、求めていませんから。」

 

 けれどフブキはあくまで穏やかに答える。

 誰よりそれを理解しているのは自分自身であると、彼女は知っている。

 

 「それより、うどんのお替り貰っても良いですか?」

 

 「本当、勘弁してくれないかね。」

 

 そう言って器を差し出してくるフブキに、ミゾレは頭を抱えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「して、もう一人はどうなのじゃ。

  あの鬼の娘は。」

 

 白上の話題が出れば、必然的にもう一人にも話の白羽が立つ。

 神狐の問いかけに対して、俺と大神は揃って目を見合わせる。

 

 「百鬼の方は…見当もつかないな。」

 

 「ウチも、あやめが今何してるのかは聞いてない。」

 

 一応キョウノミヤコにいるとは聞いているが、それも半月経った今もそうであるとは限らない。

 もしかすると、何処か遠くの地まで足を延ばしている可能性もある。

 

 「占星術で調べたり…はしないか。」

 

 「そうだね、無くしものだったりなら話は別だけど、基本的に有事の際以外は他の人の行動は占わないかな。」

 

 占星術というのは悪用しようと思えば、いくらでも悪用できてしまう。それ故に、扱う人物には相応の倫理観が求められる。

 大神がその辺りしっかりしているのはこれが影響している側面もあるのだろう。

 

 「ふむ…。」

 

 すると、何やら黙り込んでいた神狐が不意に意味ありげに声を上げた

 

 「透にミオよ、あの鬼の娘にはよくよく気を配ってやるが良い。」

 

 そんな神狐の顔は真剣に満ちていて、大神と二人揃って疑問符が頭の上に浮かぶ。

 

 

 「百鬼にか?」

 

 「せっちゃん、それって?」

 

 どういう事なのか。

 それは当然の疑問ともいえるだろう。

 

 「いやなに、鬼という種族は珍しいからの、それが何かしらの重荷になる事も時にはあるのじゃよ。」

 

 神狐はそう言うが、やはり如何にも要領を得ない。

 大神も同じようで、首を傾げている。

 

 「んー、確かにウチも鬼を見かけたのはあやめが初めてだけど…。」

 

 「神狐、何か知ってるのか?」

 

 その神狐の言い方は何かを隠している様に見える。

 指摘して見せれば、迷うように神狐は頬をかいた。

 

 「少し鬼の知り合いがおっただけじゃ。種族的に色々とあったようでの。

  前の訪問の様子を見た所その辺りはもう大丈夫そうじゃが、一応の。」

 

 「それなら…まぁ、覚えておくが…。」

 

 もう大丈夫だというのなら、これ以上追及するのは野暮か。

 思えば百鬼は白上達と出会ったのもここ数か月の話だし、まだまだ知らないことが多い。

 

 余計な詮索は避けてきたが、その辺りはもう少し踏み込んだ方が良いのかもしれない。

 そう結論が付いたところで、この話は終わりとなる。

 

 「おっと、そろそろ茶が切れそうじゃな。」

 

 「あ、ウチが入れてくるから大丈夫。」

 

 そう言ってシキガミを呼ぼうとする神狐を遮って、大神が席を立つ。

 

 「透君、何のお茶が飲みたい?ほうじ茶?」

 

 「ありがとう、大神。

  じゃあ緑茶を頼む。」

 

 にこやかに聞いてくる大神に希望を伝えると、彼女はそのままキッチンの方へと駆けて行ってしまった。

 

 「むー…。」

 

 その背を見送っていると、横合いから神狐がじっと見てきていることに気が付く。

 

 「え、何?」

 

 流石にそんなに見られては落ち着かない。

 何事かと問いかければ、神狐は何処か神妙な顔つき口を開く。

 

 「…主、ミオの事を今何と呼んだのじゃ?」

 

 何と呼んだか。

 また変な事を聞いてくるな。

 

 「それは…まぁ、普通に大神って。」

 

 「それじゃ!」

 

 そんなことを思いながら応えるが、何がお気に召さないのか神狐はそう言い地団太を踏む。

 

 「主らは恋人同士なのであろう、それなのに名前の一つも呼んでやれぬのか、透よ!」

 

 「いや、恋人同士じゃないしな。」

 

 ぷんすかとおかんむりな彼女に事実をそのまま伝えてみれば、神狐の目が点となった。

 どうやら、盛大な勘違いをしていたらしい。

 

 「…む?主ら想いを伝えあったのではないかの?」

 

 「あぁ、うん。

  その後の出来事で流れたけど。」 

  

 イヅモノオオヤシロで想いを伝えった直後に、大神から悩みを打ち明けられてその後も色々とあった。

 

 「想いを伝えあったのであれば、それはもう恋人同士であろう。

  加えて、一つのベットで同衾までしておいて違うというのは無理があるのじゃ。」

 

 確かに神狐の考えは至極自然な流れであると言えるだろう。

 しかし、そのことについては既に先日大神と話し合っている。

 

 「本来ならそうするんだろうけどな。

  けど今は大神には俺の事を気にする余裕があるなら全部神狐、お前に向けて欲しい。ってことでその辺りは保留になってる。」

 

 「何と…妾の存在が枷になるなど…。」

 

 そう言って神狐は悔し気な表情で両手を地面についてしまう。

 割と本気で落ち込んでいる神狐を前に、少々居たたまれなさが生まれる。

 

 「しかし、晴れて両想いになったことは確かなのであろう?」

 

 だがその中でも何かしら活路を見出そうとする神狐にいきなり聞かれて、思わず言葉に詰まった。

 

 「あー…、まぁ、そういう事には、なるのか?」

 

 「何故そこで疑問形なのじゃ。」

 

 若干自信なさげなその答えに呆れたように、神狐からジトリとした視線を向けられる。

 

 「まぁ良い、しかしそういう事なら呼び方くらいそろそろ変えても良いのではないかの?」

 

 「いきなり言われてもな…。

  急に呼び方を変えるのも不自然だろ。」

 

 神狐は簡単に言っているが、既に大神で定着してしまっている以上いきなり変えるのは敷居が高い。

 それに、そういった話は後にしようと言い出した俺が進んでやるわけにもいかない。

 

 「別に、呼び方を変えたからと言って恋人になるわけでも無かろう。」

 

 「それはそうなんだが…。」

 

 というか、大神を名前呼びにしようとしたことは以前にもあるのだ。

 しかし、その時は羞恥に負けて結局現状維持という形で落ち着いた。

 

 それも有り、やはり呼び方を変えることには抵抗がある。

 

 「ぐぬぬ、強情じゃな…。」

 

 渋る俺に業を煮やしたようで、神狐はもどかしそうに体を震わせる。

 

 「二人とも何の話してるの?」

 

 と、そこでお盆に湯呑を乗せた大神がキッチンから戻ってくる。

 不思議そうにこちらを見る彼女の姿をみて、神狐の瞳が煌めいた。

 

 「おお、ミオ。 

  丁度良い所に。」

 

 何の事だか分からない、といった風に首を傾げる大神。しかし、それにお構いなく神狐は言葉を続ける。

 

 「主、透から名前で呼ばれたくは無いかの?」

 

 「…へ!?」

 

 一瞬理解に時間を要した大神だが、すぐに状況を把握して素っ頓狂な声を上げる。

 それと同時に持っていたお盆がその手を離れた。

 

 「ちょっ!?」

 

 慌ててそれを掴み、地面に落ちるのを防ぐことに成功して安堵の息を吐く。

 しかし、大神の意識は完全に神狐へと向いてしまっていた。 

 

 「き、急に変な事言わないでよ!」

 

 「急にではない、常々思っておったことじゃ。」

 

 顔をほんのりと朱に染めた大神と感慨深げに頷いている神狐が言い合うのを前に、若干現実逃避気味に大神の持ってきてくれた二つの湯呑の一方をいただく。

 

 ホッとするような暖かさに香り豊かな茶。

 こんなに上手く入れることが出来ないため、こうして入れて貰えるのはありがたいことこの上ない。

 

 「しかし、主も興味はあるじゃろう?」

 

 「それは…あるけど…。」

 

 ぼそりと呟いて、大神はこちらにちらりと視線を向ける。

 少し、雲行きが怪しくなってきたな。

 

 それにしても、このお茶は美味い。

 どのように入れているのか、後で教わるのもアリだな。

 

 「うむ、ならば話はまとまったの。

  …これ、透。いつまで現実逃避をしておるつもりじゃ。」

 

 「ん?」

 

 気が付けば、いつの間にか視線の矛先がこちらに向いている。

 じっと見てくる二対の瞳を前に、直感的に逃げ場は無いことを悟った。

 

 そして顔を赤くしたままで、大神はゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

 「…透君、その、ウチの事名前で、呼んで欲しい、んだけど…。

  良いかな。」

 

 「…。」

 

 束の間の沈黙。

 けれどその内に多くの葛藤を繰り返し、やはり覚悟を決める他ないという結論に至った。

 

 「…分かった、呼べばいいんだな。」

 

 多分、胸に手を当てればその手が振動するほどに心臓は大きく鳴っている。

 そして続く言葉を、大神は赤い顔で、神狐は目を輝かせて待ち望んでいた。

 

 「ミオ、これで良いか。」

 

 幾ばくかの間の後、覚悟を決めて名を呼ぶ。

 しかし、いざ呼んでみると思っていたよりは抵抗も羞恥も少ない、むしろこちらの方がしっくりと来るような気すらした。

 

 「うん、透君。

  …なんだかすごく新鮮かも。」

 

 「そりゃ…大神の事を名前で呼ぶのは初めてだしな。」

 

 照れくさそうに笑う大神にそう返すが、しかしむっとしたように大神は赤い頬を膨らませる。

 

 「…透君、名前。」

 

 「え、一回だけじゃなくて?」

 

 確認に聞けば、大神はこくこくとしきりに頷いて肯定して見せる。

 まさかの固定方式に、自らの顔が強張るのが分かった。

 

 「おい、神狐からも何か言ってやってくれ。」

 

 「何じゃ?

  名前で呼べばよかろうなのじゃ。」

 

 最後の希望に縋るも、むしろ焚きつけた張本人である。

 助け船など出すはずが無かった。

 

 期待するような視線を向けてくる大神。

 ニヤニヤと笑みを浮かべながら見守る神狐。

 

 仲がよろしいようで何よりだが、こんなところでそれを発揮しなくても良いのではなかろうか。

 

 「…あの、タイムアウトは有りですか?」

 

 「「無しだよ(なのじゃ)」」

 

 そう声をそろえる親子を前にして何が出来ようか。

 打つ手なしと、両手を上げて敗北を認める。

 

 「ね、透君。

  もう一回呼んでみて?」

 

 先ほどまでの羞恥は何処へやら、殊の外名前呼びが気に入ってしまった様子の大神に催促される。

 

 「ミオ。」

 

 「なあに、透君。」

 

 早くも慣れてきたのかスムーズに呼べるようになってきた折、それを聞いて嬉しそうにする大神の姿に意識しないようにしていたにも関わらず、顔に熱が籠ってしまう。

 

 「うむうむ、恋愛とは斯くも良きものよな。」

 

 こんな筈ではなかったのだが、神狐と大神の二人が満足しているのなら、これで良かったのだろう。

 そう考えると今の状況が如何にも可笑しく感じて、自らの顔に笑みが浮かぶのを感じた。

 

  

 

 

 

 

  

 





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個別:大神 26


どうも、作者です。


 イヅモ神社にてミオとセツカが二人で暮らし始めてしばらくの時間が経過した。

 

 この頃にもなるとミオはセツカからイワレの制御、ワザの扱い方について学ぶことが多くなり、それと同時に割烹着を着た狐顔のシキガミからは家事を学び、ミオはめきめきとその能力を向上させていた。

 

 そして、とある日。

 ミオはセツカの前で身に着けたばかりのワザを披露しに神社の広間に来ていた。

 

 『…じゃあ、始めるね。』

 

 緊張した面持ちで、ミオは光り輝く水晶玉へとその手をかざす。

 

 ミオが現在実践しようとしているのは、占星術。

 極めれば未来を見る事すら出来る、扱いの難度で言えばイワレによるワザの中でも最上位に位置するそれを、ミオは今実践する。

 

 そんな柔らかな光に包まれるミオを、セツカはつぶさに見つめる。

 

 やがてワザの完了を告げる様に光が収まり、それを確認したミオは短く息を吐く。そして、その顔にやり切ったという笑みを浮かべた。

 

 『やった!

  せっちゃん、成功したよ!』

 

 『うむ、その様であるな。』

 

 歓喜の感情を爆発させている様子を見て、セツカもまた嬉しそうに頬を緩ませる。

 

 『それにしても、ミオ。 

  主、相変わらず呑み込みが早いのう。』

 

 というのも、セツカとて最初から万能であったわけでは無く、少しずつ身につけていった結果である。

 そんなセツカの習得スピードよりも遥かに速くミオは占星術を習得して見せた。

 

 生来の相性もあるのだろうが、これもミオの潜在能力の表れでもあるのだろう。

 

 『せっちゃんの教え方が上手なだけだよ。

  ウチ一人だったら、多分ここまで来るのにも苦労したと思うし。』

 

 『そう言ってくれると嬉しいがの。』

 

 すこし照れたように言いながら、セツカは改めてミオへ視線を向ける。

 成長した娘の姿に感慨深さを感じるとともに、けれどまだ足りないと感じる。

 

 セツカがミオにイワレについて学ばせているのも、ミオ本人の希望というよりかはセツカから誘っての事が多い。勿論、ミオ自身興味があるためそれを断ったことは無い。

 それは、これから先必要な力を身に着けてほしいというセツカの想いの表れでもあった。

 

 ミオは確実にカミへと至る。 

 それは出会った際、彼女を一目見た時点でセツカは確信していた。

 

 カミへ至るとは、決して良いことばかりではない。

 相応のリスク、業を背負うとも同義である。

 

 その中を生き抜くには、まだ足りないのだ。

 

 『んー、ウチ少し疲れちゃった。

  ちょっと部屋で休んでるね。』

 

 言いながら、ミオは体をほぐすように伸びをする。

 習得したと言ってもまだ使い慣れないワザだ、その分集中力も必要となる。

 

 『そうじゃな、体を休めることも大切じゃ。

  ゆっくりするのじゃぞ。』

 

 ぱたぱたと手を振るセツカに、ミオもまたそれを返しながら自室へと向かう。

 

 『…あれ?』

 

 自室に入ったところで、違和感に気が付きミオはそんな声を上げる。

 その視線は部屋にある机の上へと注がれていた。

 

 そこには出した覚えのないタロットカードが一枚だけ置いてあった。

 

 『片づけ忘れたのかな…。』

 

 いつの間にか置いていたのだろうかと、疑問に思いつつもミオはそれを仕舞おうとタロットを手に取った。

 

 『あ…。』

 

 タロットへと手が触れた瞬間、ミオへ触れた指先から膨大な情報が流れ込む。

 

 これから自らが辿る結末。

 それまでの残り時間。

 

 それら全てを強制的に理解させられる。

 

 『これ…ウチの…。』

 

 愕然とした様子で、ミオは断片的に呟く。

 当然だ、唐突にお前はこうなるのだと運命を突きつけられたのだから。

 

 呆然とするミオ。

 その手に握られたタロットには、不気味な死神が描かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (満月の日まで、残り7日。)

 

 

 「やぁ、ミオさんや。

  今日も良い天気でございますね。」

 

 「…。」

 

 宿の一階の広間にて、椅子に座っているミオさんに気さくに声を掛けたつもりなのだが、彼女はぽかんととこちらを無言で見つめてくる。

 

 気まずい沈黙が、一瞬場を支配した。

 

 「…透君、恥ずかしいのは分かるけど、それでどうしていつも変な口調になるの?」

 

 「いや、途中までは呼び捨てにしようとはするんだけど、直前になるとやっぱり緊張して変な方向に逸れるんだ。」

 

 心の底から不思議そうに聞いてくる大神に、素に戻って理由を説明する。

 

 流石に大神も名前呼びされることに慣れてきたようで、初日に比べて落ち着いたものである。

 問題があるとすればこちらの方で。

 

 まだ自分の中で完璧には適応できておらず、けれど名前呼びに変えようとして、最初の一回はどうしても中途半端になってしまっている。

 

 「というか大神が…。」

 

 「ミーオ。」

 

 ツンとそう呼ばないと返事はしないとばかりに顔を背ける大神、もといミオに一瞬言葉を止めて、再度口を開く。

 

 「…ミオが適応早すぎるんだよ。

  違和感とか無いのか?俺に名前呼びされて。」

 

 問われたミオはふと考え込むように顎に指を当てた。

 

 「うーん、どうだろ。

  違和感というよりは嬉しいが大きいかも。なんだか距離が近くなった気がするし。」

 

 「その適応力が心底羨ましいよ。」

 

 それに比べて、どうして自分はすんなりと名前の一つ気楽に呼ぶことが出来ないのだろう。

 ただ、まぁ、一度呼んでしまえばこちらのものだ。

 

 「それで、ミオは何してたんだ?」

 

 今度は先ほどのような変な口調になる事も無く、いつも通りにミオへと話しかける。

 見た所神狐の姿も無いようだし、一人でずっと座っていたようだ。

 

 「ウチ…ちょっと昔の事を思い返してたの。」

 

 「昔の…。」

 

 思わぬ答えに、少々驚いた。

 

 「あ、昔って言ってもせっちゃんと二人でここに暮らし始めてからの事だよ。」

 

 そんな俺の様子を見て、ミオは語弊がある事に気が付いたようですぐに捕捉を入れる。

 

 「なんだ、そっちか。

  てっきり思い出せるようになったのかと思った。」

 

 「うん、それより前は今でもさっぱり。」

 

 ミオ自身思い出せるのならば思い出したいと思っているようなのだが、やはり一度話を聞いたくらいで蘇るほど現実は生易しいものでは無いようだ。

 

 「ウチが思い出せたら、せっちゃんとも話せるのにな…。」

 

 「それは…、いや、そうだな。」

 

 仕方のないこと。

 無論、ミオとてそれは分かっている。

 

 だから、ここで必要なのは下手な慰めの言葉ではないだろう。

 

 「というか、その神狐は何処に行ったんだ?」

 

 話題を切り替えつつ、先ほどから気になっていたことを問いかける。

 

 最近では、元々姿をくらませがちだった神狐も朝夕に限らず基本的にはミオの傍にいることが多くなっていた。

 それも有り、先ほどミオが一人でいるところを見かけて不思議に思ったのだ。

 

 「せっちゃん?

  それがウチも朝から見かけてなくて。」

 

 「あれ、ミオも知らないのか。」

 

 そうなると余計に神狐の行方が気にかかってしまう。

 

 もしかすると神狐本人の調整をしているのかもしれない。

 自分は例外的な存在だと彼女も言っていたし、何かしら行動に制限がかかっていてもおかしくは無い。

 

 「あ…。」

 

 思考に更けていた所、不意に聞こえてきた声に顔を上げる。

 

 すると、ミオが宿の入り口の方を見ているのが目に入る。

 その視線を辿るように目を向けて見れば、その先にはふよふよと宙を浮きながらこちらに近づいてきている神狐の姿があった。

 

 視線に気が付いた神狐はそのままパタパタと手を振ってくる。

 ただ、一つ注目するとすればそんな彼女と一緒に宙を浮いている一着のメイド服だ。

 

 「あのメイド服、透君が着てたやつだよね。」

 

 「…そうだな。」

 

 にこやかなミオとは対照的に、自らの頬が引きつるのを感じる。

 

 あのメイド服には良い記憶は無い。

 というか、自分の中では消し去りたい過去に分類されている。

 

 いわゆる黒歴史である。

 その権化ともいえるそれを、神狐は無情にも運んできた。

 

 「透よ。

  気持ちは分からんでもないが、もう少し感情を隠してはどうかの?」

 

 「ニヤつきながら言われてもな。

  そっくりそのまま返すぞ。」

  

 心底愉快そうにしている神狐は動じる様子も無く、気分良さげに小さく喉を鳴らす。

 

 「せっちゃん、急にメイド服なんて持ってきてどうかしたの?」

 

 そんな神狐へとミオはぽかんとして問いを投げかける。

 それは至極全うな問いの筈なのだが、神狐のやる事だからと受け入れそうになっている自分がいることに驚いた。

 

 宙を漂っていた神狐はふわりと、着地と言っても良いのか、地に足を付ける。

 

 「うむ、これを主らに譲ろうと思っての。

  透にはサイズがあっておるし、丁度良いと思ったのじゃ。」

 

 「えぇ…。」

 

 笑顔で言う神狐に、心の底からの本音が零れる。

 

 有難迷惑とは正にこの事だ。

 表情にも表れているのだろう、神狐の笑みがより一層深まった。

 

 そしてもう一人、ミオもまたその顔をぱっと輝かせていた。

 

 「確かに、透君似合ってたもんね。」

 

 「「…。」」

 

 手を音を立てて合わせるミオだがそれに賛同する声は上がらず、俺と神狐は揃って黙り込んだ。

 先ほどまでニコニコだったはずの神狐も、今は何とも言えない表情で顔を背けている。

 

 「ね、透君。また着てみない?

  ウチもう一回透君のメイド服姿見てみたい。」

 

 「着るって…俺がか!?」

 

 唐突の提案に思わず声を上げる。

 

 着るつもりなど毛頭ない。

 前回着用した際に決めたのだ。二度とこのメイド服には袖を通すまいと。

 

 とはいえ、ミオもそこまで強引に着せようとはしないだろう。

 申し訳ないが、ここはハッキリと断って…。

 

 そう考えてミオの方を真っ直ぐと見れば、彼女の上目遣いの瞳と視線が交差する。

 

 「…だめ?」

 

 断って…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…主、つくづく損な性格をしておるのう。」

 

 「言わないでくれ…。

  自分でも分かってるから。」

 

 ひらめくフリフリなスカートの通気性を感じながら、同情の視線を向けてくる神狐に沈んだ声でそれだけ返す。

 

 結局、想い人の懇願には勝てなかったという事だ。

 

 嬉しそうにこちらを見てくるミオの姿。 

 彼女が楽しんでくれているのなら、それで良い。

 

 「わー、やっぱり透君可愛い。

  普段からこの格好でも良いと思うのに…。」

 

 「それだけは勘弁してください…。」

 

 とはいえ、物事には限度がある。

 うっとりとメイド服を身に纏った俺の姿を見るミオに、顔が強張るのが分かる。

 

 仮に、この姿を白上や百鬼に披露したとしよう。

 彼女らの反応こそ、想像に難くない。

 

 まず白上だ。

 半日くらい笑い転げた挙句に、最後に気を使って似合ってますよとぬかすに違いない。

 

 次に百鬼。

 こっちは一日笑い転げて、その後ひと月は尾を引きそうだ。顔を合わすたびに噴き出すことだろう。

 

 何が言いたいかと言えば、総じて笑いものにされるだけだ。

 ついでに正気度も削られるおまけ付き。

 

 土下座をする勢いで許しを請うが、ミオは本気にしてしまいそうで怖い。

 

 「ほほっ、似合っておるぞ透よ。」

 

 「そう思うならちゃんと目を見て言ってみろよ。」

 

 顔を背けながら棒読みで心にも無いことを言う神狐に恨めし気に視線を向ければ、下手な口笛を吹いて誤魔化そうとしている。

 

 元はと言えば神狐が掘り返したのが悪い。

 このメイド服さえなければこんな事には…。

 

 「…というか、このメイド服。

  もしかして昔の神狐のか?」

 

 「そうじゃよ?

  言ったであろう、昔の妾はスタイル抜群じゃったのじゃ。」

 

 不意に思いついて聞いてみれば、神狐はあっさりと肯定した。

 

 前々から疑問ではあったのだ、昔に大神の為に作り置きしておくのなら、現在の大神に合わせて作った方が良いのでは無いかと。

 なら、元々誰かの持ち物であったと考える方が自然だ。

 

 そして神狐がよくメイド服を着ているのは前から知っているし、昔の話を合わせて考えるとそう結論づく。

 

 「そっか、せっちゃん、透君と同じくらいだったんだ…。」

 

 そう呟くと、ミオは自分と比べる様にこちらに視線を向ける。

 それを聞いた神狐は自慢げにその胸を張る。

 

 「うむ、身長は高い方だったのじゃよ。

  おかげで誰も妾を見失うことはなかったはずじゃ。」

 

 「それ、身長よりはその他の要素が大きくないか?」

 

 神狐の容姿は、恐らくカクリヨにおいてもそうお目にかかるものでもないだろう。

 複数本の尻尾を持つというだけで見た目のインパクトは十分だ。

 

 神狐の背に揺れる二本に減った尻尾を見ていると、不意にミオがその動きを止めていることに気が付く。

 

 「ミオ?」

 

 「え…?

  あ、透君、どうしたの?」

 

 声を掛けてみれば不意を突かれたように呆然とこちらを見るミオだったが、すぐにはっとすると取り繕うように笑顔を浮かべる。

 

 「いや、ボーっとしてたから気になってな。」

 

 「あー、あははっ。

  ごめんごめん、ちょっと考え事してた。」

 

 考え事。

 流石にここまでわかり易ければ、何となく何を考えていたのか察しは付く。

 

 「まぁ、今となってはミオとの視点の違いは逆転してしまったのう。」

 

 そう言う神狐は感慨深げに頷いている。

 

 昔はミオが見上げて、神狐は見下ろして。

 今は神狐が見上げて、ミオが見下ろしている。

 

 ミオからしてみれば、神狐に比べて実感の湧かない話だろう。

 けれど、視点の変化は十二分に理解できている筈だ。

 

 そうでなければ、こんなに寂しそうな表情は浮かべない。

 

 「…大きくなったの、ミオ。」

 

 「…うん。」

 

 優し気に細められた神狐の瞳。

 それを受けて、ミオの手にぎゅっと力が込められた。

 

 「…あー、しんみりしてるとこ悪いんだが。

  そろそろ着替えてきても良いか?」

 

 お忘れかもしれないが、現在俺が身に纏っているのは普段着ではなくメイド服である。

 そんな最中、こんなに真剣な話をされては自分の場違い感に押しつぶされてしまいそうになる。

 

 二人もそれに気が付いたようで、思わずといった形で同時に噴き出した。

 

 「くくっ、そうじゃな。

  隣にそんな姿のものがおっては、おちおち感傷にも浸れぬのじゃ。」

 

 「ふふっ、透君着替えたら駄目だよ?

  今日は一日それで過ごしてもらうんだから。」

 

 「それ本気で言ってるのか…?」

 

 ミオからのまさかの延長宣言に戦慄が体を駆け巡る。

 一日これで居ろと言うのか。

 

 そんなことしてみろ、正気度が底をついて抜け出せなくなってしまう。

 

 「ウチは本気だよ?

  ずっと見てたいくらいだもん。」

 

 「ミオ、考え直すのじゃ。

  妾とて、これは直視に堪えぬ。」

 

 「おい。」

 

 天と地ほど対照的な意見だ。

 しかも味方側である筈の神狐からの言われようの方が散々なのは何故なのだろう、釈然としない。

 

 「もう、何で分かってくれないの?」

 

 「妾も分かってやりたいのじゃが…、感性の違いばかりは如何にものう。」

 

 ぷんすかと頬を膨らませるミオに対して、頭を悩ませる神狐。

 一応本人が隣にいることを分かっての言葉なのだろうか。一切容赦が感じられない。

 

 しかし、それを除いてしまえば神狐とは利害が一致している。

 

 「悪い、ミオ。

  こればっかりは俺も神狐と同意見だ。」

  

 「そっか…、透君、可愛いのに…。」

 

 心底残念そうにしているミオだが、流石にこればかりは同意できなかった。

 というか同意してしまうといよいよ透ちゃんになってしまう。

 

 ミオも何とか次の機会にと諦めてくれたようで、この場での一日メイド服からの逃走に成功する。

 

 「じゃあ着替えてくるから。」

 

 「はーい…。」

 

 少し不服そうな声を上げるミオ。

 そんな彼女に神狐と共に思わず笑みを浮かべつつ、俺は脱衣所へと向かう。

 

 足を踏み出す寸前、大神はおもむろに近くまで寄ってきた。

 

 「ありがと、透君。」

 

 「…ん。」

 

 小声で伝えられた言葉にそうとだけ返しつつ、足を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 





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個別:大神 27


どうも、作者です。



 

 『見事じゃ、ミオ!

  こんなにも早くカミに至るとは。』

 

 『ありがとう、せっちゃん。』

 

 イヅモ神社の広間にて、セツカの歓声が響き渡る。

 心からの称賛であることを示すようにその顔には満面の笑みが浮かんでいた。しかし、そんなセツカとは対照的に、ミオの顔は晴れず、その表情には陰りが見えた。

 

 『…ミオ、嬉しくないのかの?』

 

 そんなミオの様子に違和感を覚えてセツカは問いかけるも、ミオはその首を横に振る。

 

 『あ、ううん、嬉しいよ。

  これもせっちゃんが色々と教えてくれおかげ。』

 

 『なに、主の努力あってこそじゃ。』

 

 元来ミオにはカミへと至る素質があった。例え何もせず普通に暮らしているだけでもやがては成長し、自然とカミへと至ったことだろう。

 

 しかしその場合の現在は、もっと先の話である。

 それをここまで早めたのは、一重にミオが能動的に能力を身に着けたためである。

 

 ミオが占星術を会得し、自らの運命を知った日から彼女はセツカも驚くほどに多くの能力を、知識を求め身に着けてきた。

 そして、遂に目標であったカミへと至った。けれど、浮かない顔をするのはそれでも問題が解決しなかったためだ。

 

 カミとは平均的なアヤカシと比べて次元が違う程の能力を有している。

 だが、それも比喩的なものであり、実際にはアヤカシの延長線でしかなかった。

 

 勿論、アヤカシでは成し得なかったこともカミと至ったミオなら軽々とこなせるだろう。

 だが出来ないことは出来ない。それが証明されてしまった。

 

 『…。』

 

 考え込むミオをセツカはじっと見つめる。

 

 セツカもまた、これまでのミオの努力を見てきて何か原因があるとは考えていた。

 そして残念なことに、その理由には心当たりがあった。

 

 残り時間。

 つまり、セツカとミオが共に居る事の出来る時間。

 

 真実を知らないミオからしてみれば、これは彼女自身のものであると考えるのが自然だ。そう考えれば、現在のミオの言動も辻褄が合うというものだ。

 

 (…そうじゃな、何時までもこのままという訳にもいかぬか。)

 

 カミへと至り、一人前と呼ぶにふさわしい成長を遂げた娘を前にセツカもまた一つの覚悟を決める。

 

 『ミオ、主、外の世界に興味は無いかの?』

 

 『外って…結界の?』

 

 唐突な問いかけにミオは首を傾げる。

 

 彼女にとって、世界は幼い頃からイヅモ神社のみであった。加えて、以前の記憶は曖昧となり、ハッキリとは思い出せない現状。

 それ故に、見たことも無い外に興味が無いかと言われれば嘘になる。

 

 『ウチも興味はあるけど…いきなりどうして?』

 

 それは当然の疑問とも呼べる。

 理由を問えば、セツカは一瞬迷ったように視線を彷徨わせて口を開く。

 

 『うむ、主には…、そうじゃな、外の世界を見てきてもらいたいのじゃ。

  ほれ、妾はここを離れるわけにはいかぬが主は別じゃろう?』

 

 『見てきてって、でも、それだとせっちゃんが一人に…。』

 

 イヅモ神社に住む者はセツカとミオ、一応シキガミがいるとはいえミオから見れば自分が出ていけばこの神社にセツカが一人残される形になる。

 

 『妾のことなら気にするでない。

  それに、お願いしておるのはこちらの方じゃ。』

 

 心配するミオに対して、セツカは即座に問題ないと否定する。

 

 『ここにおるだけでは見えてこないこともある。

  主にはそれを見てきてもらいたいのじゃよ。』

 

 『せっちゃん…。』

 

 そう諭してくるセツカに、ミオは困った様な表情を浮かべる。

 

 ミオとて結界の外に行きたいかと言われれば勿論行きたいと思っている。それに、外にならミオの問題を解決する方法が見つかるかもしれない。

 けれど、それ以上にセツカをここに一人残したくないという気持ちも大きかった。

 

 そんな感情同士がぶつかり合い、ミオの中に葛藤が生まれる。

 

 これがミオ自身からの話なら、彼女はここまで悩むことは無くイヅモ神社に残っただろう。

 だがそれをセツカ本人から言われて、揺れてしまった。

 

 その機微見逃すセツカでは無く、揶揄うような笑みをその顔に浮かべる。

 

 『ほれ、主も行ってみたいのじゃろう?

  妾の事がどうしても気になるのなら、偶にでも手紙で近況を知らせてくれればそれで良い。』

 

 そんなセツカからの後押しを受けて、ミオも決心がついた。

 顔を上げて、ミオは改めてセツカと向き合う。

 

 『うん…分かった。

  じゃあウチ、外に行く。』

 

 『うむ、それで良い。』

 

 ミオのその宣言に、セツカは安堵するように頷く。

 彼女のその表情は何処までも、優しさに満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (満月の日まで、残り3日。)

 

 

 

 カンッ、コンッと宿の一階の広間へと小気味よい音が響き渡る。

 

 一つの長方形の台を跨いで、俺とミオは向かい合っていた。 

 両者の手にはラケットが握られており、飛来する小さな白い球を打ち返し合う。

 

 刀に比べれば面積の広いそれで空ぶるはずもなく、二人のラリーは絶え間なく続く。

 

 「…主ら、良く続けるのう。」

 

 そんな俺とミオを台の隣で眺めていた神狐が関心したように、或いは呆れたように声を上げる。

 

 「いや、俺だって途切れさせれるならそうするんだが…。」

 

 「ウチもそろそろ疲れてきた。」

 

 言いながらも俺たちはラリーを止めない。

 それを見た神狐は今度こそ呆れたように息を吐いた。

 

 「ミオはともかくとして、透、主も意外と負けず嫌いじゃのう。」

 

 「そりゃ、負けるよりは勝ちが良いだろ。」

 

 神狐の傍に置いてある点数表。

 とはいえそれがめくられることは無く。0対0のままで、早くも一時間が経過しようとしていた。

 

 体力にはまだ余裕があるものの、やはりぶっ通しで続けてれば精神的に疲労は堪ってくる。

 つまるところ、これは既に根競べへとその在り方を変質させていた。

 

 「ね、透君もそろそろ疲れてきたんじゃない?」

 

 「まぁ、流石にこんだけ続ければな。」

 

 だが、ここで引くわけにはいかない。

 そんな意地がぎりぎりの状況を支えていた。

 

 なお、肉体的に疲れていない理由としては俺もミオもそれなりに体力はあるというのもあるが、全力でラケットを振っていないというのもある。

 

 強く振りすぎてしまうと球がそれに耐えられないのだ。

 というか耐えられなかったというべきか。

 

 故に二代目が早々にダウンしてしまわないように加減して打ち返している。

 まぁ、そのおかげでこんなにも続いてしまっているのだが。

 

 「こうなったら…。」

 

 業を煮やしたのか、ミオは何やら呟くとキッとこちらに鋭い視線を向ける。

 

 「透君、尻尾触りたくない?」

 

 「っ!?」

 

 その言葉と共にゆらりと揺れた彼女の尻尾を視界にとらえて、一瞬体が固まった。

 生じた隙を見逃さずに撃ち込まれた鋭いスマッシュをかろうじて打ち返す。

 

 「そこまでして勝ちたいものかのう…。」

 

 神狐の声が聞こえてくるが動揺して今はそれどころではない。

 

 尻尾、そう言えば最近はあまり意識していなかった。

 しかし、一度気になりだしてしまうとあの至高の触り心地が頭から離れない。

 

 「なら…耳も!」

 

 「ミオ…、流石に耳を加えた程度では…。」

 

 「耳も?」

 

 ヤケクソに叫ぶミオの言葉に、今度こそ完全に動作が停止した。

 

 「そこ!」

 

 放たれた二度目のスマッシュは見事に横を通り過ぎていく。

 同時に長かったラリーが終わりを告げたことに気が付く。

 

 「やった、勝った!」

 

 「くそ…負けた…。」

 

 勝利に喜ぶミオ。

 それとは対照的に悔しさが俺の胸中に渦巻く。

 

 見事にしてやられた、あそこで獣耳を持ち出してくるとは…。

 

 ふと、横を見てみれば見たことも無い表情をその顔に浮かべる神狐と目が合った。

 

 「…透、妾は今主を心底見下しておる。」

 

 「いや、仕方ないだろ。

  耳と尻尾のセットには抗えないって。」

 

 一つでも十分すぎる威力なのに二つともなれば単純計算で威力は二乗だ。

 その計り知れない魅力を前にして、動きが止まるのは自然の摂理ともいえる。

 

 「妾の目も曇ったかのう…。」

 

 それを説明するが、何やら神狐は遠い目をしだしてしまう。

 しばらく動き出しそうにないため、とりあえずはそっとしておくことにする。

 

 「はー、それにしても疲れたね。

  この後どうする?早めの夕飯にする?」

 

 「…え、尻尾と耳を触らせてくれるんじゃないのか?」

 

 早速次の行動に移ろうとしているミオを思わずといった形で呼び止める。

 先ほどの話は何処に行ったのか。

 

 問いかければ、ミオはしたり顔でこちらへと振り返った。

 

 「ふっふっふ、透君、忘れたのかね?

  ウチは触りたいか聞いただけで、触らせるなんて一言も言ってないんだよ。」

 

 「あ…あぁ…。」

 

 上げて落とされた。

 その落差は途轍もないほど大きく、俺の精神を揺さぶった。

 

 もう駄目だ。立ち直る事なんて出来ない。

 世界は、こんなにも残酷だった。

 

 「…なんちゃって、冗談だよ。

  ウチ、一回こういうのやってみたかったの。」

 

 床に手をついて落ち込んでいれば、ミオは悪戯な笑みを浮かべて発言を翻す。

 

 「なら…耳と尻尾は…。」

 

 「うん、触って良いよ。」

 

 ふわりと笑うミオに、思わず見とれる。

 先ほどまで地獄だと思っていた世界が今では天国に見えた。

 

 あぁ、世界はかくも美しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、汗をかいたという事でひとまずは温泉に入ることになった。

 上がった時にはまだミオは出てきていないようで、ベンチに座って待つことにする。

 

 「のう、透よ。」

 

 ベンチに座っていれば、既に再起動していたようで神狐が声を掛けながら近づいてくる。

 

 「主らがいちゃつくのは良いのじゃが…、些か歪に見えるのは妾だけかの。」

 

 言いながら神狐は頭上に疑問符を浮かべて首を傾げている。

 

 「…そうか?」

 

 「というか、問題があるのは主の方じゃな。」

 

 唐突に寄ってきたかと思えば、出合頭に問題があるとは失敬な。

 俺はただ獣耳と尻尾が好きなだけなのに、この良い様はどうだろう。

 

 「普段は良しとして、毛並みを前にした途端理性が飛ぶのはどうにかならぬか…。」

 

 「理性は飛んでないぞ、ただ欲求の枷が外れるだけで。」

 

 「それを飛んでおるというのじゃ。」

 

 下手な言い訳をすればぴしゃりと言い返される。

 いつもは神狐側ふざける事多いが、今日は立場が変わっているらしい。

 

 「何というか…主、文字通り尻尾を振ればひょいひょいと付いて行ってしまいそうじゃな。」

 

 「いやいや、それは馬鹿にし過ぎだって。

  流石に俺も相手は選んでる。」

 

 その言い方ではまるで俺が見境の無い尻尾狂いの様ではないか。

 

 「本当かのう…。」

 

 心外だとハッキリと否定するも、懐疑的な視線を向けてくる神狐に思わず苦笑いが浮かぶ。

 

 「では、妾が尻尾を触らせてやると言えばどうなるかの?」

 

 「良いの…いや、何でもない。」

 

 「主、今。」

 

 「何でもない。」

 

 危なかった。

 しかし俺は透、硬派な男だ。

 

 決して尻尾程度に惑わされはしない。

 

 「ほれ、尻尾じゃぞー。」

 

 「くっ…卑怯な…。」

 

 目の前でゆらゆらと揺らされる黄金色の尻尾に、思わず伸びそうになる手を咄嗟に抑えつける。

 

 「…呪いでもかけられてはおらぬか?」

 

 「自分でも偶に思うけど、そうじゃないことを祈ってる。」

 

 徐々に神狐の瞳に浮かぶ感情が呆れから哀れみに変化してきているのを見て、流石に自分の中でも不安が生まれる。

 

 というかよくよく考えてみれば神狐の尻尾は触ろうとしても物理的に触ることも出来ないのだ。

 それすらも気が付かなくなるのだから、本当に呪いともいえるのかもしれない。

 

 「ミオを裏切るような真似をすれば化けて出る故、気を付けるのじゃぞ。」

 

 「…あぁ、勿論だ。

  化けるって、狐のお前が言うと余計に説得力があるな。」

 

 むしろ化けて出てくれれば、こちらも気は楽なのだが。

 

 「ほほっ、そうじゃろう。

  何せ、妾は万能のセツカ様じゃからな。」

 

 相変わらずの様子で胸を張る神狐。

 本当に、これでは下手なことは出来ないな。

 

 「…にしても、触る触らないに関係なく見事な尻尾だよな。」

 

 「まぁの、これでも昔はイヅモノオオヤシロで一番と呼ばれておった。」

 

 改めて見てみれば、さらさらとした毛並みだ。

 確かに、一番と言われても納得がいくというものだ。

 

 「主から見れば、ミオが一番かの?」

 

 神狐はそう揶揄うように言ってくる。

 

 「そりゃな。

  けど、魅力的な尻尾だとは思うよ。」

 

 「…。」

 

 ノリに乗って答えてみた所、急に神狐は黙り込んでしまった。

 不思議に思い彼女の方へ視線を向けて見ると、俺の背中側を見て明らかにやってしまった、という表情を浮かべている。

 

 それを見て感づかない程鈍感ではないし、この展開には覚えがある。

 

 「…透君?」

 

 「…大神さん、何時からそこに…。」

 

 後ろから聞こえてきた声。

 冷や汗を滝の様に流しながら、かろうじてそれだけ返す。

 

 「せっちゃんの事、魅力的って…。」

 

 「あー…違うんだ、これは言葉の綾と言うか、会話の流れで。」

 

 何ともピンポイントでその部分を聞いていたらしい。

 錆付いたブリキ人形のように後ろへと振り返ってみれば、そこには頬をぷっくりと膨らませたミオの姿があった。

 

 「…透君なんか知らない。」

 

 「すみませんでした!」

 

 ぷいとそっぽを向いてしまうミオに対して全力の土下座を披露しながら謝罪する。

 

 (…透よ、化けて出るには気が早く無いかの?)

 

 (言ってる場合か!)

 

 小声で言ってくる神狐。

 本当に今はそれどころではないのでまともに相手は出来ない。

 

 「みょーん。」

 

 その後、数時間の土下座の末、何とか許しを得ることに成功した。

 そしてこれからは下手なことは口にしまいと心に決めたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 「もう、透君本当に尻尾と獣耳好きだよね。」

 

 「悪かったって、極力控えるから。」

 

 部屋に戻り就寝の準備をしていると、不意に先ほどの事を思い出してかミオはしみじみといった風に言いながらこちらに視線を送ってくる。

 

 今頃雲の上では月が輝いているだろうか、少し欠けているけれど丸に近い形の月が。

 

 「フブキの尻尾も触るの?」

 

 「誓って触らない。

  ちゃんと反省してます。」

 

 両手を上げて宣言すれば

 

 「よろしい。」

 

 と、ミオはくすりと微笑んで見せた。

 そんな感じで、しばらくの間二人で雑談を交える。

 

 「…さっきね。」

 

 「ん。」

 

 ベットの上で枕を抱いて、ミオはぽつりと零すように話し始める。

 

 「一つ嘘をついたの。」

 

 「…へぇ、どんな?」

 

 聞き返しつつも、その嘘の内容には当たりが付いている。

 

 そうか、まぁそうだよな。

 あの距離で、都合よくそこだけ聞こえるなんてことは無いだろう。

 

 「せっちゃん、本当に居なくなっちゃうんだね。」

 

 「あぁ、そうだな。」

 

 やはり、その前の会話から聞いていたらしい。

 神狐もその辺り鈍感というか、感性がずれている部分もあるのだろう。さして気にすることでもないと思っていそうだが、迂闊にする話では無かったか。

 

 「分かってはいたけど、近づいてるんだよね。」

 

 「…あぁ。」

 

 時間はゆっくりと、だが着実に進んでいる。

 月は満ちていき、やがて大きな円を描くようになる。

 

 「…嫌だな…。」

 

 小さな声で呟かれたその言葉は、きっとミオの本心なのだろう。

 ミオは思考を切り替える様に頬を叩くと、表情を戻す。

 

 「じゃあ、ウチはそろそろ寝るね。

  おやすみ、透君」

 

 「おやすみ、ミオ。」

 

 一つだけ救いがあるとするならば、このイヅモ神社にはずっと雲がかかっていることだろう。

 満ちていく月を見なくて済むから、そうでなければきっと、ここまで自然に日常を送ることは出来なかった。

 けれど、それもじきに終わりを告げる。

 

 時間は常に平等に流れる。

 残酷でも無ければ、慈悲深くも無い。

 

 ただひたすらに、前に進むだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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個別:大神 28


どうも、作者です。


 

 (満月の日まで、残り1日)

 

 「透君、大丈夫?

  ウチの声は聞こえる?」

 

 「…ん。」

 

 体を揺らされる感覚にふと意識が覚醒した。

 若干残る微睡の中ゆっくりと瞼を開ければ、目の前にはミオの顔が見える。

 

 俺はどうして眠っていたのだろうか。

 見た所場所は部屋ではなく、一階の広間の様だ。

 

 「ミオ?

  何で…。」

 

 「おぉ、目を覚ましたようじゃな。」

 

 状況を把握できていないでいると、異なる方向からそんな声が聞こえてくる。

 目を向けて見ると、そこにはちょっとバツの悪そうな顔でこちらを見る神狐の姿があった。

 

 それだけで、何となく神狐が何かをやらかしたことを察する。

 

 「…神狐、何があったんだ?」

 

 「ウチもそろそろ説明して欲しいな。」

 

 どうやらミオもまだ聞いていないらしい。

 向けられた二つの視線に、神狐の顔に冷や汗が一筋流れる。

 

 「そ、その、最終確認のつもりで透に力を流しておったのじゃが…。」

 

 「…あー、思い出してきた。」

 

 冒頭を聞いて、ようやく記憶がよみがえってくる。

 要するに予想通り神狐がやらかしたのだ。

 

 意識を失う前。

 神狐に呼び出された俺はイヅモ神社本殿にて、術者としての最終確認のため神狐から力を受け取る事となった。

  

 無論、力と言ってもごく一部であり。継続的に力を流し込んで消費する形で行使するため、その過程での最大値に耐えられるかの確認であった。

 

 にもかかわらず。

 

 『まだいけるかのう…。』

 

 『え?』

 

 無事最大値まで耐えられることが分かったところで、何故か好奇心が湧いてきたらしく、ぽつりと呟くと神狐はその瞳を輝かせて力を流し込んできたのだ。

 

 『おい、神狐?』

 

 急激に流れ込んでくるそれに戸惑いつつ、嫌な予感を感じて声を掛けるも、既に神狐の顔は狂気のマッドサイエンティストであった。

 

 『大丈夫じゃ、最悪意識を失うだけなのじゃ。』

 

 『それは大丈夫じゃ…。』

 

 なお、調べて分かったが俺の許容量はそこまで大きくない。

 そんな俺がそう長く耐えきれるはずもなく、間も無く、意識を手放す結果となった。

 

 「…という訳なのじゃ。」

 

 「もう…、意識の無い透君をいきなり連れてくるから何があったのかと思ったら…。」

 

 呆れたように息を吐くミオに、説明を終えた神狐は何処か落ち着かない様子でいる。

 しかし、その理由もすぐに分かった。

 

 「せっちゃん?」

 

 「は、はいなのじゃ!」 

 

 座った眼で名だけ呼びかけてくるミオに、萎縮したように神狐は返事を返す。

 

 「前から思ってたけど、せっちゃんは透君で遊びすぎ!

  透君はおもちゃじゃないんだからね、他にも色々と吹き込んだり嗾けたりして!」

 

 「と、透…。」

 

 堰を切ったかのようなミオからの説教を受けた神狐は助けを請う視線をこちらに向けて来る。

 が、しかし、こちらとしても仕返しはしなくてはと考えていた所だ。

 

 「おう、見てる側は割と気分良いぞ。

  ん?あぁ、ありがとう。」

 

 勿論、助け船など出すつもりは毛頭ない。こちらに飛び火されても困るし。

 シキガミがお茶を持ってきてくれたので礼を言って受け取り、それを飲みながらシキガミと共に観戦することにする。

 

 「こら、よそ見しないの!」

 

 「そ、そんなところまで似ずとも良いのじゃー!」

 

 ミオにぴしゃりと言われて、神狐の情けない悲鳴が広間へと響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「今日は一段と長かったなー。」

 

 温泉の中、体を弛緩させながらつい先ほどまで行われていた説教を思い返す。

 

 「…いや、今日だからこそか。」

 

 満月は既に明日に迫っている。

 つまるところ、神狐と共に居る事のできる一日は実質今日が最後になる。

 

 ミオがそれを意識していない筈も無い。

 先程のものだって、どんな形であれコミュニケーションだ。

 

 神狐も今日は、確認の為に一度こそミオの元を離れたが、それ以外は朝からずっとミオの傍にいる。

  

 「…もう明日か。」

 

 改めて時の流れの速さを認識する。

 この半月、今にして思えばあっという間だった。

 

 神狐から真実を聞いてから今日まで、いつも通りの日常を送ってきた。

 

 手放しがたいほどに楽しい日々だった。

 俺ですらそう思うのだ、あの二人なら尚の事だろう。

 

 ただ一つだけ心残りがあるとすれば。

 

 「俺は…ちゃんと、支えられたのかな。」

 

 ぽつりと零したたった一言の不安。

 

 自分なりに全力は尽くしたつもりだ。

 けれど結果が伴わなければ、これに意味は無い。

 

 「…違う、まだだ」

 

 そうだ、まだ終わっていない。

 

 決めただろう。

 最後の最後まで、その先も彼女を支えるのだと。

 

 なら、まだ弱音を吐くべきではない。

 

 そんな決心を新たにしていると、後ろからガラガラと温泉の入り口の開く音が聞こえてくる。

 

 また神狐が入ってきたのか、話があるのなら外ですれば良いものを。

 最早神狐が温泉に乱入してくることに慣れきってしまっている。

 

 「神狐、別に入ってくるなとは言わないけど長話なら…。」

 

 言いながらくるりと振り返って入口へと視線を向けた所で、言葉が途切れる。

 

 視線の先には見慣れた金色の獣耳、そこまでは予想通りだ。

 しかしその下、顔に当たる部分までも狐となった割烹着を着た人、いや、シキガミがそこに立っていた。

 

 「…なんで?」

 

 心からの疑問である。

 完全に虚を突かれて、唯一言葉に出来たのはそれだけ。

 

 神狐が入ってくるならまだ分かる、ミオもまだぎりぎり理解できる。

 だが何故シキガミ?

 

 『…。』

 

 すると、シキガミはその問いに答えるように言葉ではなく身振り手振りで意思を伝えてくる。

 何やら椅子を指さして、その後に両手でごしごしと擦るような…。

 

 「…背中を、流しに来たのか?」

 

 『…。』

 

 思いついた結果を聞いて確認を取ってみれば、こくこくとシキガミは頷いて見せる。

 

 なるほど、背中を流しに。

 けれど、最初の疑問は残ったままだ。

 

 なんで?

 

 「えっと…神狐は?」

 

 『…。』

 

 取り合えず聞いてみると、シキガミは横の壁を指し示す。

 

 「あぁ、ミオと温泉に入ってるのか。」

 

 だからシキガミがこっちに来たのか。

 …いや、そうはならないだろ。

 

 困惑の中にいると、シキガミは何を考えているのかその場に立ったままじっとこちらを見てくる。

 まるで、それを果たさない限りここをどかないぞと言わんばかりに。

 

 シキガミが立っているのは入り口の真ん前である。

 残念ながらシキガミがそこを退かない限り、俺は温泉から出ることは出来ない。

 

 「…。」

 

 『…。』

 

 しばしの間、無言で見つめ合う。

 シキガミは一言も言葉を発していない筈なのに、その視線から感じる圧力は凄まじいものであった。

 

 「…じゃあ…お願いします。」

 

 『…!』

 

 葛藤の末、俺は屈してしまった。

 両手を上げて観念すれば、シキガミは『それで良いのです。』と言わんばかりにこくこくと何処か満足げに何度も頷く。

 

 どうにも人間臭い仕草に苦笑いを浮かべつつ、腰にタオルを巻いて湯から上がり、先ほど指し示された椅子へと座る。

 

 それを確認して、シキガミもこちらに寄ってくると後ろへと回りこむ。

 

 やがて背中へとタオルが当てられて、絶妙な力加減でそれが上下する。

 常時であれば心地よいと感じるところだが、今はどちらかというと戸惑いの方が勝ってしまっている。

 

 沈黙の中、シキガミに背中をタオルでこすられる。

 多分、傍から見ればシュールな光景なのだろう。俺自身そう思う。

 

 ぼんやりとそんなことを考えていれば、不意に後ろから肩を叩かれる。

 

 「ん?」

 

 何だろうかと振り返ろうとすると、しかしシキガミは頭をがしりと掴んでそれを阻止する。

 どうやらこのままで居ろという事らしい。

 

 喋れないシキガミではジェスチャーくらいでしか意思疎通は図れない筈。

 浮かんだ疑問、けれどそれはすぐにシキガミの手によって解消された。

 

 「…文字?」

 

 シキガミは背中に指を這わせると、そのままそれを動かして文字らしきものを書いた。

 

 「すまん、もう一回最初から頼む。」

 

 背中に書かれた文字を感じ取るのは意外と難易度が高い。

 今度はちゃんと集中して、それを読み取る。

 

 『あとはまかせた』

 

 「え…?」

 

 後は任せた。

 それは、明確な意思の籠った言葉。

 

 シキガミには無い、人間の意思。

 

 呆然とした声が漏れる。

 そして、頭の中で一つの推測が形を結んだ。

 

 「お前…いや、あんたやっぱり…。」

 

 それと同時にシキガミへと視線を向けようとして。

 

 「ぶっ。」

 

 頭の上から桶に入れられた大量のお湯を掛けられて、思わず言葉が途切れた。

 若干気管にまで入り込んでくるそれに咳き込んでいると、入り口の扉が開き、閉じる音が聞こえてきた。

 

 落ち着いたところで辺りを見渡すが、シキガミの姿は既になかった。

 

 「…言うなって事か。」

 

 分かってる、これはそう言う可能性の話だ。

 それに、仮にそうだったとしてミオに話せる訳でも無い。

 

 記憶が戻れば、ミオは自ずと理解するだろう。

 

 「本当、ミオは愛されてるな…。」

 

 そして、託されたものの重さを認識した。

 

 だが背負い込んで見せよう。

 頼まれたのだ、ならそれに応えるまでだ。

 

 「透よー!」

 

 「ん。」

 

 不意に響いてきた神狐の声に疑問の声を上げつつ声の出所を探れば、壁の上から生えている神狐の顔を見つける。

 

 「そんなところから声かけてくるなよ。

  こっちから見ると軽くホラーだぞ。」

 

 「ほほっ、固いことを言うでない。」

 

 高さのある壁のため、完全に生首が浮かんでこちらを覗き込んできている様にしか見えない。いや、実際似たようなものではあるのだが。

 ミオが見たら悲鳴を上げそうだ。

 

 「それで、どうしたんだ?」 

 

 「うむ、主も一緒に入らぬかと思っての、折角じゃし。」

 

 「ちょっと、せっちゃん!?」

 

 何が折角なのだろう。

 呆れの籠った視線を向けていれば、すぐに驚愕したミオの声が聞こえてくる。

 

 「あー、遠慮しとく。」

 

 「何じゃ、残念じゃのう。」

 

 「残念じゃなくて…もう、せっちゃん!」

 

 抗議するミオに神狐も粘りを見せることは無く、素直に引っ込んでいった。

 騒がしい事この上ないが、まぁ、これも日常か。

 

 謎の達観を胸に、ゆっくりと温泉を堪能した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 温泉から上がれば、丁度ミオ達も上がっていたようで広間で鉢合わせる。

 風呂上がりのためか、二人の髪は若干湿っていて…。

 

 と、そこで違和感を覚えた。

 

 「なぁ、神狐。

  なんで髪が濡れてるんだ?」

 

 そう、神狐に実体は無く、水に濡れても通り過ぎるだけの筈だ。

 けれど、確かに彼女の髪はミオと同様に濡れて見えた。

 

 「うむ?

  それはまぁ気分じゃ、気分。」

 

 「ウチもさっきびっくりしたよ。

  目を離した隙にこうなってるんだから。」

 

 そう言うもんか。

 見た目に関しては割と融通が利くらしい。

 

 今になって新事実が発覚してしまった。

 

 「あ、それより透君。

  ちょっとお願いがあるんだけど…。」

 

 「お願い?」

 

 感心していると、不意にミオは改まった様子で聞いてくる。

 

 「うん、今日はその、三人で寝たいなって。」

 

 「三人でって、この三人でか?」

 

 当然、該当するのはこの場にいるのは俺とミオと神狐のみ。

 一応確認してみればミオはこくりと頷いて見せる。

 

 「そっか…あぁ、俺は構わないぞ。」

 

 恐らく神狐とは温泉の中で話は付いているのだろう。

 賛成だと伝えれば、ミオの顔に笑顔が浮かぶ。

 

 「本当?良かったー。

  なら、早速準備しないと。部屋のベットだと狭いだろうし。」

 

 そう言って、ミオは嬉しそうに準備の為に駆けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、迎えた夜。

 やはり部屋のベットでは手狭であったため、広間に布団を敷くことになった。 

 

 三人で、いわゆる川の字で寝転がる。

 ミオだけでなく、神狐もいるというこの状況が妙に新鮮に感じた。

 

 「ねぇ、一つ気になるんだけど…。」 

 

 暗闇の中、ぽかんとした様子で俺と神狐に挟まれているミオが疑問を口にする。

 

 「体格的にせっちゃんが真ん中じゃない?」

 

 「主、何と残酷なことを言うのじゃ。」

 

 確かに、言われてみれば神狐が間に来る方が自然に見える。

 だが、それを受けた神狐は何とも恐ろしいと言わんばかりに声を震わせた。

 

 「妾が間に入ってみよ、主らが寝返りを打って額を合わせる中、気まずい空気に一晩も耐えねばならぬのじゃぞ。

  仕舞には妾の存在を忘れて愛の言葉をささやきだしたりするのじゃ。」

 

 「妙に実感籠ってるな。」

 

 「せっちゃん、何かあったの?」

 

 まるで過去に似たような経験をしたことがあるかのような物言いだ。

 

 「ええい、憐れむでない!

  とにかく、妾は間には行かぬのじゃ。」

 

 そんな神狐の意思が固い事は如実に表れており、頑固として間には入らなさそうだ。

 

 「それに…。」

 

 一瞬だけ黙ったかと思えば、神狐は再び言葉を続ける。

 

 「いくら体格差があってもミオは妾の娘じゃ。

  これで良いのじゃよ。」

 

 「…うん、そうだよね。」

 

 神狐へと返すそんなミオの声には嬉しさと共に寂しさが込められていた。

 ミオは明日の事を意識してか口数が減り、この場にしんみりとした空気が流れる。 

 

 「…それはそうとして、主ら、結局どこまで行ったのじゃ?」

 

 が、そんな空気を壊すのもまた神狐であった。

 

 「どこまでって…!」

 

 すぐ隣からミオの焦った様な声が聞こえてくる。

 顔ははっきりと見えないが、声から察するに今頃大いに赤面しているのだろう。

 

 「神狐、お前…。

  …いや、良いか。」

 

 何と言うか、彼女らしい。

 そう納得すれば、思わず小さく笑いが漏れる。

 

 「それでそれで、どうなのじゃ?」

 

 興味津々といった風に聞いてくる神狐に、浮かんだ笑みへ苦みが混じる。

 

 「別に何もしてないって。」

 

 「うん、それにウチと透君はまだ…。」

 

 そう、まだ恋人になった訳ではない。

 想いが通じ合っているかどうかではない。ただ、けじめのようなものだ。

 

 しかし神狐からしてみれば面白くは無いらしく、暗闇でも分かりやすく頬を膨らませる。

 

 「むぅ、つまらぬのじゃ。

  キスの一つでもすれば良いものを。」

 

 「キスって…。」

 

 神狐の言葉に声が消え入りそうになるミオ。

 

 「お宅の娘さん、純情過ぎませんか?」

 

 「ほほっ、可愛いかろう。

  自慢の娘じゃ。」

 

 「もう、揶揄わないでよ!」

 

 そう言ってミオは布団を頭のてっぺんまで上げて隠れてしまう。

 少しやりすぎたか、目も慣れてきた暗闇の中、神狐と目を合わせて互いに笑みを浮かべる。

 

 「…ほんと、透君とせっちゃん仲良くなったよね。」

 

 布団の端から目元だけ出してジト目を向けてくるミオ。

 

 「ふむ?」

 

 「俺と神狐が?」

 

 そう言われて俺と神狐は同時に声を上げる。

 

 だが、言われてみればこのイヅモ神社で生活してひと月も経過したのだ。

 しかも他に人もいないのだ。それだけ共に生活していれば、ある程度互いの事は理解できるようになる。

 

 「まぁ、安心せよ。

  妾が透を取ったりはせぬ。」

 

 「そうだな、俺もミオしか眼中にないし。」

 

 「ウ、ウチが言いたいのはそういう事じゃなくて…。」 

 

 互いに言えば、思わぬ飛び火をしたミオはしどろもどろになる。

 

 「というか、神狐って恋愛経験本当にないのか?

  ほら、ミオと会う前とか。」

 

 「あ、それウチも気になる。」

 

 ミオと共に、今度は神狐へと視線が集まる。

 俺は興味本位で聞いたのだが、ミオはどちらかというと仕返しの意が含まれていそうだ。

 

 「うむ、それが残念なことにさっぱりなのじゃ。

  その分他の者の恋愛を見て楽しんで居る故、気にしてはおらぬがの。」

 

 「その他の者からしたらいい迷惑だな。」

 

 「むぅ…。」

 

 皮肉を込めて言えば唸り声を上げる神狐に、くすくすとミオが笑い声を上げた。

 

 「そんなに可笑しいかのう。」

 

 「ふふっ、ごめんごめん。

  だって、なんだか楽しくって。」

 

 ちょっとだけ剥れたように言う神狐。そんな彼女に対して、ミオは笑いながら言葉を続ける。

 

 「この時間が続くなら、ウチは世界がずっと夜でも良いな。」

 

 感慨深げに言うミオだったが、その声には少しだけ涙がにじんでいた。

 

 「あぁ、そうだな。」

 

 「うむ、月も出る事じゃし。

  月見もやり放題じゃ。」

 

 けれど、俺と神狐は気が付いていないふりをした。

 今という時間が涙に濡れてしまわぬように、楽しい話を続ける。

 

 そうして、話をしながらも夜は更けていく。

 

 明けない夜は無い。

 いずれ来る朝日に向かって世界は動き続ける。例えどれだけ望まれなくても、朝は来る。

 

 こうして、俺たちは最後の日を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 





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個別:大神 29


どうも、作者です。

以上。


 

 宿の外を見れば、このひと月で見慣れたイヅモ神社の風景が広がっている。

 

 外で動いているのは微かにちらつく白雪のみ。

 木々のざわめきすら聞こえぬ静寂の中、空を覆い隠す厚い雲は徐々に白んできて、嫌でも一日の始まりを意識させられた。

 

 今宵は満月。

 月の満ちるこの日を迎えて、このイヅモ神社はどこか寂寥感に満ちていた。

 

 昨夜は遅くまで起きていたためか、まだ布団の中にいる黒い狼の少女を慈しむ様に眺める神狐の姿は幻想的にすら見えた。

 

 そして、こんな何ともない一幕の時間すら今宵失われる。

 この場に満ちる静寂は、神社全体の嘆きの表れのようで。

  

 誰もこの無情な時の流れを止めることはできない。

 ならば、せめて見届けよう。

 

 彼女たちの迎える、結末を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「透君、これの皮を剥いてもらっても良い?」

 

 「おう、任せてくれ。」

 

 ミオから渡された野菜群を、少しは慣れた手つきで下処理を行っていく。

 

 朝を迎えてミオも目を覚ました後、布団を仕舞った俺達は広間ではなくその横にあるキッチンにいた。

 

 普段であればシキガミに任せることが多いが、折角だからと、今朝くらいは自分たちで作ろうという事になった。

 そして理由はもう一つ。 

 

 「すまぬの、シキガミを動かせれば良かったのじゃが…。」

 

 珍しく神狐は申し訳無さそうに耳を垂れさせている。

 

 というのも、今朝から神狐はシキガミを使用できないらしい。

 正確には、シキガミを扱う余力が現在の彼女には無い。その証拠とでも言うように、彼女の背に揺れる尻尾は1本に減っていた。

 

 「大丈夫、ウチも料理するのは好きだから。

  それに最近はサボってばっかりだったし、勘を取り戻さないと。」

 

 そう気高に言うミオ。

 無論、彼女とてその理由に察しはついている。

 

 だが、まだ折れない。

 まだ時間はあるから、まだ猶予はあるから。

 

 昨日、シキガミが俺の前に現れたのはこの為だろう。

 実質的にシキガミと会えたのは昨夜が最後となった、だからその前に意思を伝えに来たのだ。

 

 「…っと。」

 

 意識が逸れていたためか危うく指を切りかけた。

 そうだった、料理が久しぶりなのは何もミオだけではない。

 

 むしろ経験が無い分リセットされてしまっているような気もする。

 これは注意しないと野菜を血だらけにしてしまいそうだ。

 

 包丁を握りなおし、集中しながら野菜の皮を剥いて行く。

 

 「透君、和え物の味付けこれでどうかな?」

 

 すると、横合いからそんなミオの声とともに箸で差し出されるそれを顔だけ向けてかぶりつく。

 

 「あ、美味い。

  これ好きだな。」

 

 口に広がる好みの味に思わず瞠目して言えば、ミオはふわりとその顔に花を咲かせる。

 

 「本当?ならまた作るね。」

 

 「あぁ、頼む。」

 

 これをまた味わえるのだと思うと今から楽しみでならない。

 まだ朝食を終えてすらいない中気が早いかもしれないが、そう思える程に好みだった。

 

 これが胃袋を掴まれるという奴なのだろうか。

 思っていたよりも、良いものだ。

 

 しみじみと思っていると不意に生暖かい視線を感じる。

 視線を向けて見れば、そこにはニヤニヤとした笑みを浮かべる神狐の姿。

 

 「なんだよ、その顔は。」

 

 「いやなに、気にするでない。

  少し恋愛成分を摂取しておっただけじゃ。」

 

 「もう…。

  せっちゃん、変な事言わないでよ。」

 

 そんな神狐に対して拗ねたように言うミオだが、その頬にはほのかに朱が差していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝食を終え、片付けもあらかた終わった頃。

 誰からともなく立ち上がり、俺達は宿の外へと出た。

 

 目的は特に決めていない。

 けれど、最後にこの場所を見て回りたいと考えたのかもしれない。

 

 少し冷たい空気、それも歩いていれば次第に温まってくることだろう。

 

 「むぅ…、しかし、改めて見てもあまり目新しくは無いのう。」

 

 「そう?

  ウチは結構楽しいよ。」

 

 「まぁ、神狐の場合ずっとここにいるんだもんな。」

 

 境内は広いとは言え、精々1日以内に見て回れる程度の広さだ。

 長年この場所に居続けては、見慣れるを通り越して目に焼き付いていることだろう。

 

 「でもほら、今改めて見てみて気づくこともあるでしょ?

  例えば…、あそこの割れてる石とか。あれやったのせっちゃんでしょ?」

 

 「うぐ、そんなことは気づかずとも良いのじゃ。」

 

 ミオが流し目を送ると、神狐は明らかに動揺する。

 

 「え、何だよそれ。教えてくれ。」

 

 そんな反応をされては気になってしまう。

 聞けば、ミオはさも楽しそうに口を開いた。

 

 「えっとね、ワザの練習で昔よくせっちゃんに見本を見せて貰ってたんだけど、それとは関係なしに不自然に割れてる石があったの。

  当時は内部で水が凍って…みたいな説明されてたんだけど、今考えてみると明らかに嘘だよね。」

 

 「へぇ…。」

 

 珍しく出てきた神狐の弱みにニヤニヤといつも受けている笑みを送ってみる。

 

 「あ、あの時は出力の加減が出来てなかったのじゃ。

  ミオに見せる前に試しにと思えば、割ってしまっての。」

 

皿を割ってしまったノリで話しているが、一応見たところ割れているのは腰を掛けられるほどの大きさの意思である。岩と言ってしまっても良いかもしれない。

 

 何処か動揺した様子の神狐は、せわしなくその耳を揺らしている。

 

 つまるところ、神狐なりに見栄を張ろうとしたのだろう。

 なんでも卒なくこなしそうに見える彼女だが、今になって意外な一面が見えた。

 

 「それにあの件については、神社のものを壊すなとシキガミに叱られてしまったのじゃよ。」

 

 「え、そうだったの?」

 

 「うむ、言葉は無かったが、身振り手振りで意思を伝えてきての。

  あれは怖かったのじゃ。」

 

 「確かに、あのシキガミならやりかねないな。」

 

 シキガミに叱られて小さくなっている神狐。

 容易にその情景が想像できる。

 

 ミオもそうだが、この主を前にしてはシキガミの方もしっかりしないといけなかったのだろう。

  

 「せっちゃん…シキガミに怒られて…。」

 

 ミオも同じくその姿を想像したのだろう。

 言いながらぷるぷるとその肩を震わせている。

 

 「わ、笑うでない!

  ミオとて、失態が無いとは言えぬであろう。」

 

 「えー、ウチ?

  何かあったかな…。」

 

 首を傾げるミオ。

 それを見て、神狐の顔に勝ち誇ったような笑みが浮かんだ。

 

 「何じゃったかの…、確か…紅蓮の月巫女だったかのう…。」

 

 わざとらしく悩んで見せる神狐の言葉を聞いた途端、ミオの体がぴしりとその動きを止めた。

 

 「紅蓮の…え、神狐、今なんて?」

 

 「じゃから紅蓮の月」

 

 「わああぁぁ!わああ!

  何でもない、何でもないから!」

 

 思わず聞き返えした俺の問いに神狐が答えようとした所、ミオは声を張り上げてそれを阻んだ。

 

 「え、でもミオ。」

 

 「良いから、透君は気にしないで。気にしたら駄目だから!」

 

 「あ、はい。」

 

 あまりの剣幕に圧倒される。

 余程掘り起こされたくない過去なのだろう。

 

 しかし、そこまでして隠されると余計に気になるのが人間の性というものだ。

 

 「安心せよ透。

  この話はまた後程伝えるのじゃ。」

 

 「頼む。」

 

 「もう!せっちゃん!」

 

 羞恥に顔を染めたミオに怒鳴られて、けれど神狐は笑っていた。

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

  

 

 

 

 それからも、俺達は神社を歩きつつ、二人の思い出の場所を見つけては足を止めた。

 

 「あ、せっちゃん、覚えてる?

  あの木に登ってウチが落ちたこと。」

 

 「あれは肝が冷えたのう。

  一度この辺りの木を根絶やしにしようか本気で検討したのじゃ。」

 

 その視線の先にはかなりの高さの一本の木があった。

 

 「せっちゃん、凄く焦ってた。」

 

 「当り前じゃ。」

 

 その時の事を思い出したのか、神狐はジト目でミオの腰を小突く。

 無論、ただすり抜けるだけ。

 

 しかし、二人とも気にした様子も無く、先へ進んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 イヅモ神社の本殿、その広間。

 

 「ここで良く、ワザの事とか教えて貰ってたよね。」

 

 ぐるりとミオは見渡しながら、その成果とでも言うように、小さく炎を宙に踊らせる。

 

 「主は習得が早かったからのう。

  いい意味で教えがいが無かったのじゃ。」

 

 「わーい、せっちゃんに褒められた。」

 

 「うむ、前言撤回じゃ。

  教えがいの無い奴め。」

 

 悪戯な笑みを浮かべるミオに、神狐は諦めたように息を吐く。

 

 「主は、本当にすぐにカミに至ってしまったのう。」

 

 「うん、頑張ったから。」

 

 そう言う神狐の瞳は、何処か遠くを見つめている。

 

 「まぁ、カミに至ったとはいえ、まだまだ青いがの。」

 

 「すぐにせっちゃんも追い越すから覚悟しててね。」 

 

 軽口を交わし合い、二人は思い出に浸っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ね、透君、お腹空いてない?」

 

 「ん、そう言えばそろそろ昼か。」

 

 不意にミオにそう問いかけられて意識してみるが、しかしそこまで食欲は無かった。

 

 「いや、そこまでだな。」

 

 「ウチもなんだよね。

  どうする?お昼は抜いちゃう?」

 

 「これ主ら、ちゃんと食べねば大きくなれぬぞ。」

 

 と、今日の昼飯が無くなりかけた所で、神狐からお りを受ける。

 

 「大きくって、でも、もう食材もあんまり残ってないし…。」

 

 「むう…、仕方ないのう。

  では、特別に妾の手料理を振舞ってやろう。」

 

 そんな神狐に言われるがまま、一旦宿へと戻り、一階のテーブルへと着く。

 

 「では待っておるのじゃぞ。」

 

 そう言って、キッチンへと消えた神狐。

 会話の流れのままにここまで来たが、落ち着いたところで疑問があふれ出てくる。

 

 「なぁ、ミオ。

  神狐って料理できたのか?」

 

 取り合えず、一番の疑問を口に出してみる。 

 そもそも、調理器具を持てない状態でどうやって料理をするのか。

 

 一応、念力のようなものは使えるようだが、それでも難易度は高い様に思える。

 

 「うーん、どうだったかな…。

  あ、でも。」

 

 「お待たせなのじゃー。」

 

 と、話が膨らみかけた所で、つい先ほどキッチンに消えたはずの神狐がそんな声と共に戻ってきた。

 その傍らにはいくつかのおにぎりの乗った皿を浮かせている。

 

 「まだ今朝の米が残っておったのでな。」

 

 「いや、にしても早過ぎないか?」

 

 ほとんど行って数十秒足らずで戻ってきた。そんな限られた時間で出来るものだろうか。

 

 「それはまあ、一度に作ったからの。

  どうじゃ、凄かろう。」

 

 そう言って神狐は胸を張って見せる。

 確かに凄いのだが、見せ所が偏り過ぎていて素直に称賛できない。

 

 「せっちゃんが初めて作ってくれたのもおにぎりだったよね。その後からすぐにシキガミさんに変わっちゃったけど。」

 

 「まぁの、あの時は綺麗にできなかったが、今は違うのじゃ。」

 

 神狐の指さしうた皿の上には、綺麗な三角形のおにぎり。

 

 「練習してたんだ…。」

 

 「無論じゃ、あのままでは格好がつかぬからの。」

 

 そうまでして、お披露目が今日になるとは。

 もう少し早く披露しても良いと思うのだが、まぁ、今更だ。

 

 「それより、早く食べてみるが良い。」

 

 「「いただきます。」」

 

 手を合わせて、おにぎりを手に取る。

 力の入れ過ぎで固くなっていたが、それでも、すぐに皿は空となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからも俺達は神社を回り、思い出を巡った。

 もう回る場所が無いのではないかと思う程に、隅々まで、この場所には二人の歩んできた道のりが詰まっていた。

 

 「それでね、あそこの石は…。」

 

 「ほほっ、ミオ。

  その話はもうしたのじゃ。」

 

 同じ話を続けようとするミオに、神狐がそう教えてやれば一瞬だけミオは動きを止める。

 ミオの顔に影が差しかかるが、彼女は気を取り直すように頭を振った。

 

 「じゃ、じゃあ、あの木は。」

 

 「それも、既に話したのう。」

 

 尚も次々とミオは話題を上げていく。

 けれど、どれもこれも、既に聞いたことのある話ばかりだ。

 

 「な、なら…。」

 

 「ミオ。」

 

 「そうだ、あの話は。」

 

 「ミオ。」

 

 「…。」

 

 何とか話を続けようとするミオだったが、神狐に呼びかけられて、ついには黙り込んでしまう。

 

 「ミオ、そろそろ頃合じゃ。」

 

 空に浮かぶ厚い雲。

 そのどれもが、今は真っ赤に染まっている。

 

 一日中、話した。

 一日中、思い出を巡った。

 

 楽しかった、色々な話を聞いた、色々な話をした。

 神狐もミオも、二人とも心の底から笑い合った。

 

 だが、それも直に終わる。

 

 雲の向こうに浮かぶ夕日が落ちれば、大きな満月が代わりに空へと浮かぶ。

 

 分かっていた。

 この場にいる誰もが、そんなこと、とっくに分かっていた。

 

 けれど目を逸らしてきた。

 誰が別れを喜んで迎え入れるものか。

 

 「嫌…。」

 

 ぽつりと零すようにミオは口を開く。

 

 「嫌、嫌…。」

 

 目の前の現実を否定するように、首を横に振りながら、なおミオは繰り返す。

 

 「嫌だよ…せっちゃん…。」

 

 その瞳には大粒の涙が浮かんでいた。

 

 「消えないで…。」

 

 消え入りそうな声で放たれたその言葉は、きっとミオが押し殺してきた想いだ。

 

 「ウチの前から、居なくならないで!」

 

 それを受けた神狐の瞳もまた、薄っすらと涙で濡れる。

 

 「もっと、ずっと、ウチの事見守っててよ!

  ねぇ、せっちゃん!」

 

 「ミオ…。」

 

 慰める様に、神狐はミオへと手を伸ばす。

 なのに、その手はミオに触れることは無い。

 

 「何で触れないの…?

  ウチのこと…抱きしめてよ…抱きしめさせてよ…。」

 

 「すまぬ…、すまぬ…。」

 

 触れ合うことも無く、彼女らは互いを抱き寄せ合い、涙をこぼす。 

 

 「これしかなかったのじゃ。

  こうするしか…。」

 

 この道しかなかった。

 だからと言って、受け入れられる話ではない。

 

 空は徐々に暗くなっていく。

 心を置いて行くように、時は進む。

 

 「…もう、時間じゃ。」

 

 「…っ!」

 

 呼びかけに、けれどミオは首を強く横に振る。

 

 「動きたくない!

  だって、動いたらせっちゃんが…。」

 

 「ミオ…。」

 

 涙をこぼし続けるミオを見て、神狐は何を思ったのだろう。

 

 「ミオ、愛しきわが娘よ。」

 

 神狐はミオと額を合わせるほどに近づくと、慈愛に満ちた声で言葉を紡ぐ。

 

 「愛しておる。大好きじゃ。

  じゃから、…達者での。」

 

 そう言って、神狐はミオの額に手を当てた。

 

 「ッ…待って!

  ウチ、まだ何も返せて…!」

 

 神狐の意図を察したミオは慌てて顔を上げるも、その言葉が言い切られることは無かった。

 意識を途絶えさせて後ろに倒れ込んでくるミオを、咄嗟に受け止める。

 

 「…これで、良かったのか?」

 

 「うむ、これで良い。」

 

 神狐にそう問いかければ、背を向けたまま、良い筈なんて無いのに自分に言い聞かせるように、神狐は答える。

 

 束の間、小さな嗚咽が聞こえてくる。

 しかし、彼女はすぐにその目元を拭った。

 

 「羨ましかろう。

  これは、これだけは、妾だけのモノじゃ。」

 

 「…あぁ、これから先もずっと、お前だけのモノだよ。」

 

 既に、辺りには夜の帳が降りている。

 雲の向こうでは、月も出ていることだろう。

 

 幾らか落ち着いたようで、神狐はくるりとこちらへと振り返った。

 

 「主には礼を言わねばな。

  おかげで、妾はミオの中に残ることが出来る。」

 

 「礼なんて言わないでくれよ。

  神狐には色々と世話になったんだから。」

 

 本心から伝えたつもりだったのだが、しかし、神狐はその顔にニヤニヤとした笑みを浮かべる。

 

 「ほほっ、妾には分かっておるぞ?

  ミオのためじゃろう、相変わらず分かりやすいのう…。」

 

 「お前…こんな時にまでそれかよ。」

 

 それに対して苦笑いで返せば、神狐は愉快そうにからからと笑う。

 

 「そんなミオ大好きな主になのじゃが…。」

 

 「言い方。」

 

 相変わらず、最後の最後までおふざけが止まらない神狐にジト目を送れば、「細かい奴じゃのう。」と神狐はぼやく。

 

 しかし、次の瞬間にはその表情は真剣なモノへと切り替わっていた。

 

 「ミオの事、任せたのじゃ。」

 

 「…あぁ、任せろ。」

 

 強い意志を込めてはっきりと返せば、神狐はほっとしたように息を吐く。

 

 「さて、では透よ、ミオを運んでもらっても良いかの?」

 

 「勿論だ。」

 

 ミオを抱きかかえて、神狐の後を追う。

 向かうはイヅモ神社の中心地。

 

 「…せっちゃん…。」

 

 そんなうわ言を漏らすミオの頬には一筋の雫が伝う。

 それは溶けた雪か、それとも。

 

 シンシンと降り続ける雪は留まることを知らない。 

 

 降れば落ちて、溶けて、形を失う。

 まるでこれが運命だと教えるように。

 

 

 

 

 

 





次回、大神ルート最終話。

気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム。


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個別:大神 Last


どうも、作者です。

大神ルート、最終回です。



 

 ふわふわとした不思議な浮遊感を感じながら、ミオは昔の記憶を思い返していた。

 懐かしい様な、けれど、何処か寂しい様なそんな記憶。

 

 情景は今でもつい昨日の事のように思い出せる。

 その時抱いていた感情も同時に、胸の中へと浮かんでくる。

 

 あぁ、もう少しだけこの時を…。

 

 

 

 

 

 

 純白の雪が舞い降りてくるイヅモ神社。

 その門の前にある、向かい合う二つの人影は、片方は黒い狼の少女、もう片方は金色の狐の幼い少女であった。

 

 この日は、かつてミオがイヅモ神社を旅立った日。

 そんな彼女は今正に、結界を超える事の出来る麒麟の引く荷台へと乗り込もうとしていた。

 

 『ミオ、他に必要な物は無いかの?

  足りぬものがあっては大事じゃ。』

 

 『もう…大丈夫だよ。

  心配し過ぎ。』

 

 心配そうにその眉尻を下げるセツカを前に、ミオは困ったように笑みを浮かべながら,

らしくも無くおろおろとするセツカを緩く窘める。

 

 ちなみにこの質問は前日から続いており、これで聞かれた回数は既に十を超えてしまっていた。

 流石のミオもここまで動揺するセツカを見るのは初めてであり、新鮮さを覚えるとともに逆にここを離れる事へ不安を覚えてしまう。

 

 『ウチだってもう子供じゃないんだから。

  せっちゃん、そんなに心配性だったっけ。』

 

 『むぅ…それは分かっておるのじゃが…。

  こればかりは如何にものう…。』

 

 セツカ自身、自らの感情に振り回され気味であった。

 こうして誰かを見送るという事に経験が無いことは無いが、やはり自らの娘が相手ではさしものセツカも不安を隠しきれないらしい。

 他者との深い関わりを経てようやく感じることのできるそれは、多くの時を歩んできたセツカにとっても初めての感情であり、その事実が尚の事拍車をかけていた。

 

 『せっちゃん、戸惑い過ぎだよ。

  本当に珍しいよね。というか初めてじゃない?』

 

 そんなセツカを見たミオの顔には悪戯な笑みが浮かんでおり、如何にも揶揄っていますと言わんばかりだ。

 

 『ぐぬ…、不覚じゃ…。』

 

 揶揄うことは多くあっても、あまり揶揄われることの無いセツカ。

 ミオの揶揄うような笑みを受けて彼女は悔しそうに唸り声を上げていた。

 

 『それよりも…じゃ。

  ミオ、最初の行き先は決めてあるのかの?』

 

 少し強引に話題を変えるセツカ。

 ミオもこれ以上揶揄うつもりも無く、肯定するようにその首を縦に振った。

 

 『うん、まずはイヅモノオオヤシロに行ってみようと思ってる。 

  けど…そこから先はまだ決めてないかな。』

 

 『イヅモノオオヤシロ…のう。』

 

 ミオから聞いた目的地に思う所があるのか、何処か物憂げにセツカは復唱する。

 

 イヅモノオオヤシロ。

 名前こそ同じだが、今ではそこはかつてセツカが気づき上げた都市とは別のものとなっていた。

 

 だが、それは至極当然の流れともいえる。

 人の居なくなった都市は、時間が経つにつれて新たな住人の手によって新たな街へと生まれ変わるものだ。

 

 ふと昔を思い出し、セツカはミオの頭部にある髪飾りへと視線を向けた。

 

 『ミオ、もしかすると…。』

 

 そこまで言いかけたセツカの思考は、しかし言葉をそこで途切れさせる。

 昔の事に触れる内容はあまり吹き込まない方が良い、それはミオの封じられた記憶を呼び覚ますことは無いが、ミオに記憶の矛盾という疑問を抱かせることになる。

 それと同時に、ミオに真実を告げる勇気が今のセツカには無かった。

 

 『いや…何でもないのじゃ。』

 

 『…?

  何だかせっちゃん、そうやって隠し事する事多いよね。特に最近は。』

 

 そうして言葉を濁したセツカに対して、ミオは胡乱な視線を送る。

 隠し事が多いセツカ、それはミオとて理解しているが、最近は特にひどい。

 

 何かを言いかけて誤魔化したり、適当なことを言って煙に巻いたり。

 これもあり、ミオの中ではセツカは秘密主義だという認識が生まれていた。

 

 『ほほっ、気にするでない。

  良い女には秘密が付き物なのじゃ。』

 

 『良い女…?』

 

 胸を張るセツカだが、首を傾げて明らかな不信感を露わにするミオに『失礼な奴じゃな。』と不満げに頬を膨らませて抗議の視線を送る。

 

 とはいえ、何時ものじゃれ合いの範疇だ。

 二人にとっての楽しいコミュニケーションの時間だったが、それも長く続けることは出来ない。

 

 まだか、と催促するように一声鳴き声を上げる麒麟。

 

 ミオとセツカは目を合わせると、同時に噴き出した。

 

 『それじゃあ…もう行くね。』

 

 『…うむ。』

 

 これから先イヅモ神社を離れる以上、今のように話すこともとんと減ってしまうだろう。

 名残惜しさに後ろ髪を引かれながら、ミオは荷台へと足を向ける。

 

 『…ミオっ。』

 

 背を向けたミオに、セツカは再度声を掛けた。

 見送ると決めた以上引き留めるつもりは無い、けれどセツカにはどうしても聞いておかねばならない事があった。

 

 『一つだけ、聞いておきたいのじゃ。』

 

 振り返ったミオに対して、一瞬聞くことを躊躇するセツカだったが、しかし意を決してその問いを口にする。

 

 

 『主は…。』

 

 

 

 

 

 

 

 ぼんやりとした意識の中、誰かが呼びかけている声が聞こえる。

 それと同時にミオは理解する、この夢が、この時間がじきに終わるのだと。居心地の良かった過去という夢は、けれど辛い現実に引き戻される。

 

 だが、一つだけ。

 どうしても、ミオは知りたいと思った。

 

 (最後に、せっちゃんは何を聞いてきたんだっけ。)

 

 思い出そうともがくも、既に夢は終わっている。

 その疑問は解消されることは無く、ミオはその意識を浮上させていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ミオ…聞こえるか、ミオ!」

 

 もう二度とこの目を覚ましはしないのではないか、全てが、無駄になってしまったのではないか。

 底知れない不安を抱えたまま、何度も彼女を呼び続けた。

 

 そして幾度となく呼び続けた果て、それに答える様に、ようやくミオはその瞳を開いた。

 

 「透…君…?」

 

 横たわったままの彼女は、ぼんやりとした瞳のまま、けれど確かに視線を合わせている。

 その事実を確認して、胸の奥に詰まっていた不安が息と共に吐き出された。

 

 良かった…成功した。

 

 そんな言葉を胸中で何度も繰り返しながら、彼女の手を強く握る。

 

 まだ状況を理解できていないようで、ミオは不思議そうに辺りを見渡す。

 そして、その瞳は今のイヅモ神社の光景を映し出した。

 

 「綺麗…。」

 

 零れ落ちる様に、彼女が呟いたその言葉。

 綺麗、そうだ、確かにこれ以上ないほどに美しく、幻想的な光景だ。

 

 同じく辺りを見渡せば、視界に移るのは光の粒。

 空へと舞い上がるようにふわふわと優雅に立ち上るそれは、イヅモ神社を構成する建物から、そこら中の雪から無数に生み出されていた。

 

 いや、生み出されているのではない。

 それはまるでイヅモ神社全体が光の粒へと分解されていくように、絶え間なく空へと舞い上がり続けている。

 

 そして、つられて空を見上げれば嫌でも目に入ってくる。

 

 「なんで…満月が…。」

 

 驚きにミオはその瞳を大きく見開いた。

 

 その視線の先では、ついぞイヅモ神社からは分厚い雲に隠れて見ることのできなかった夜空が、月がそこには目いっぱい広がっている。

 

 あの雪雲は、神狐の結界によるいわば人為的なものであった。

 それが無くなったという事は、つまり。

 

 「あ…。」

 

 そこまで分かれば、結論にたどり着くのは容易だ。それと同時に、ミオはこれまでの経緯を思い出したのだろう。

 わなわなとその体を震わせながら、彼女は誰かを探すように辺りへ視線を向ける。

 

 そして、すぐに求めていた姿を映し出したその瞳はけれど再び大きく見開かれた。

 

 「せっ…ちゃん…?」

 

 呆然と目の前の現実を理解できない、したくないようにミオは呟いた。

 

 だが、その呼びかけに答える声は無い。

 代わりに神狐はその顔に優しく、儚い笑顔を浮かべてこちらを見守っていた。

 

 その姿に今までのような力強さは無かった。

 まるで本当に幽霊にでもなったかの様に、彼女の姿は薄く、向こう側の景色すら見えてしまう程に薄くなっている。

 

 神狐は正真正銘、全てを使い切った。

 ミオを救うために、一度は投げ出した命。かつての失敗より保っていたそれを、今度こそ彼女は使い果たしたのだ。

 

 今の彼女は魂のみの存在。

 声を発することすら、今では叶わない。

 

 今とどまっていられているのも、力の残滓がそうさせているに過ぎない。 

 それを証明するように彼女の体からもまた、光の粒が舞い上がり始めていた。

 

 (お別れじゃ、ミオ。)

 

 口を開くも唇が動くのみで、声が発されることは無い。

 けれど、神狐が何を言っているのか、俺とミオは確かに理解した。

 

 その言葉の通り、神狐の体は光の粒と共に宙へと舞い上がっていく。それはあたかも月へと吸い込まれている様に、ゆっくり、ゆっくりと彼女は上昇を続ける。

 

 と、一瞬だけ神狐がこちらへと視線を送ってきていることに気が付く。言葉は無くとも、その意思は伝わってくる。

 

 大丈夫だ、分かっている。

 

 その意を示すように、強く、しっかりと頷いて見せれば神狐は少し悲しそうで、けれど安心したようにその表情を和らげた。

 

 「待って…!」

 

 神狐の姿を捉えてからこの方、硬直していたミオだったが、どんどんと離れて行く神狐を前にして遂には駆けだそうと体を起こす。

 しかし、まだ体に力が入らないようで、すぐにミオは崩れ落ちて地に付してしまう。だが、すぐに彼女はその体を起こし、その手を伸ばす。

 

 「まだ…行かないで…。」

 

 月を掴もうと手を伸ばすかのように、その手は何も掴むことは無い。

 ただ離れて行く神狐へと追いすがるように伸ばされたそれに、神狐の目元に涙が浮かぶ。

 

 「ずっと、ずっと、貰ってばっかりで。」

 

 初めて出会った日の事が、ミオの脳裏に浮かぶ。

 それだけではない、イヅモノオオヤシロでの日常、イヅモ神社での日常。今までの全てが、彼女の中にしかと残っている。

 

 何度も助けられた。

 何度も救ってもらった。

 

 そして今この瞬間まで、ミオはセツカに救われていた。

 

 「ウチはまだ…何も…。

  何も、返せてない!」

 

 声を上げるミオの顔は涙に歪んでいた。

 

 どれだけ恩を感じていても、どれだけ、感謝していても。

 相手が居なくなっては、何も返すことなどできはしない。

 

 「これからなのに…ようやく、思い出したのに!」

 

 してきてもらった事を全て、今のミオは理解している。覚えている。

 なのに、これでは何もかもが遅い。

 

 「せっちゃん…!せっちゃん…!!」

 

 縋りつくように、ミオは名を呼んだ。

 

 帰ってきて。行かないで。

 そんな願いは、けれど目の前の現実に叶わないと突きつけられてしまう。

 

 「せっちゃん…。」

 

 このまま、何も返せずに終わってしまうのか。

 そんな失意の果てに、ミオはついには泣き崩れる。

 

 ミオとて、理解している。

 これがただの我儘である事を、セツカがお返しなど望んでいないことも。

 

 けれどこれで最期など、ミオには到底受け入れられなかった。 

 

 『一つだけ聞いておきたいのじゃ。』

 

 「あ…。」

 

 そんな彼女の脳裏に浮かんだのは、たった一言のセツカの問いかけ。

 

 未来に囚われて、答えられなかった問い。

 けれど、今なら分かっている。今なら理解している。

 

 運命を打ち壊された今だから、はっきりと答えることが出来る。答えなければ、伝えなければならない。

 

 『主は今…幸せかのう。』

 

 

 

 「…幸せだよ!!」

 

 

 

 涙ながらにミオは自らの想いを言葉に乗せる。

 離れた神狐へとしっかりと届くように、絶対に届くように。

 

 それを受けた神狐はその瞳を大きく見開いた。

 

 「ウチね…、友達が出来たよ…!」

 

 嗚咽交じりで上手く言葉が発せない中、それでもミオは必死に言葉を紡ぐ。

 これまで自分が得てきたものを報告する子供の様に、彼女は自らの母へと、想いを告げる。

 

 「色んな場所に行けた、色んなことを学べた…!」

 

 セツカと別れてからも、彼女は成長することが出来た。

 

 ぼろぼろと零れ落ちる涙は、留まる事は無く。

 ミオの嗚咽はさらに増すばかりで。

 

 「恋だって、出来たよ…!」

 

 今まで、分からなかったけれど、今のミオなら分かる。ずっと、ずっと、気づけなかっただけで、彼女は幸せだったのだ。

 それも全て…。

 

 「全部…全部…、せっちゃんが、ウチの事を…助けてくれたから。  

  救って…くれたからっ!」

 

 セツカが居なければ今の自分はいないと、セツカのおかげで自分はここにいると。

 伝えきれない程に沸き上がり続ける思いの丈を、ミオは必死に言の葉に乗せる。

 

 「だから…だから…っ!」

 

 だから伝えなければならないのだ。

 擦り切れてしまう程に悲しくても、嗚咽でどれだけ言葉が出なくても。

 

 初めて会った時、自分を見つけてくれた。

 不器用ながらに自分を育ててくれた、抱えきれない程の愛をくれた。

 

 だから…。

 

 

 

 

 「今まで…、…ありがとう!!」

 

 

 

 万感の想いを胸に、ミオは叫んだ。 

 詰め込み切れない程の感謝を伝えるために。

 

 同時に、これは離別の言葉でもあった。

 

 幸せだ。

 だから、どうか安心して欲しい。

 

 意外と心配性な母が心残りを残さないように、自分はもう一人じゃないと、伝える様に。

 

 その言葉は、想いは、余すことなくセツカへと届いていた。

 それを受けたセツカは、これ以上無いほどに満足そうにその瞳を震わせる。

 

 (そうか…、そうか…!)

 

 月明かりに照らされたそんな彼女の顔には、満面の笑みが咲き誇っていた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (数え切れぬ程の年月を過ごしてきた。)

 

 薄れゆく意識の中、セツカはこれまでの道のりを振り返っていた。

 それは途方も無く、長い旅路であった。

 

 多くのモノを得て、同時に多くのモノを失ってきた。

 

 (そんな妾が平凡な最後など、望めぬと考えていた。)

 

 過ぎた力は人を孤独にする。

 それを理解したうえで尚、セツカは求め、身に着けてきた。

 

 だが、その結末がこれだ。

 

 (愛する者に見送られて、こんな想いまで送られて。)

 

 眼下に映る二人は、その頬に涙を流しながら、けれどその瞳を逸らそうとはしない。 

 最後の最後まで見届ける、そんな意思がその瞳には宿っていた。

 

 (これ以上無い、幕引きじゃ。)

 

 そうに違いない。

 何故なら、自らの心がこんなにも、満たされているのだから。

 

 (主らも、ご苦労じゃったな。)

 

 周囲に漂う残留思念にセツカが語り掛ければ、それに呼応するように微かに光は揺らいだ。

 

 心配性なのは何も自分だけでは無かった。

 彼、彼女もまた、セツカと共にずっとミオを見守っていたのだ。

 

 (あの二人なら、もう心配はいらぬ。)

 

 折れそうになっても支えてくれる者がいる。

 なら、もう大丈夫。

 

 返せていないなど。

 

 救われていたのは、むしろセツカの方だった。感謝したいのは、セツカの方だった。

 おかげで、セツカは最後まで、一人では無かったのだから。

 

 

 (あぁ、本当に、良き最期じゃ。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 月の光と同化するように光の粒は徐々に霧散していき、そして最後の一粒がついには消えていった。

 後に残されたのは何もない山の平地と、満月の浮かぶ夜空のみ。

 

 全てが夢の様に消え去ってしまったけれど、心の中には、記憶の中には確かに残っている。

 

 「せっちゃん…せっちゃん…!」

 

 溢れ出てくる涙は堰を切ったように、次から次に彼女の頬を濡らしていく。

 

 彼女は見届けた、最後の最後まで。

 だが、大切なものを失ったその悲しみは、推し量る事すら叶わない。

 

 だから、せめて彼女が感情の濁流に流されてしまわないように、必死に繋ぎとめる。

 腕を彼女の掴む手には、痛みを感じる程に力が込められている。

 

 狼は泣いた。

 その溢れんばかりの慟哭は、その痛々しいまでの嘆きは、静寂に満ちた山々へと響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…ねぇ、透君。」

 

 シラカミ神社へと向かう麒麟の荷台の中で、先ほどまで黙り込んでいたミオは不意にそう話を切り出した。

 窓の外では既に朝日が昇っており、荷台の中を明るく照らしている。 

 

 「ウチね、これから幸せになろうと思う。」

 

 そんなミオの声は決意に満ちていた。

 泣きはらして少し赤くなった目元、だが、彼女なりに整理がついたのか今までにない輝きが瞳に浮かんでいる。

 

 「せっちゃんが羨ましがるくらいに幸せになって、胸を張って伝えられるように。」

 

 「あぁ、良いな、それ。」

 

 神狐の反応が脳裏に浮かぶようだ。

 悔しがって地団太を踏んで、けれど、すぐに心の底から嬉しそうに笑うのだ。

 

 易々と想像できてしまうあたり、神狐セツカという存在は俺にとっても大きいものだったのだろう。

 

 あれだけ見慣れたイヅモ神社も、今では跡形も無く消え去ってしまった。恐らく、神狐の力で維持されていたためだ。

 手元に残ったのは、神狐が使役していたこの麒麟といくつかの荷物だけだった。

 

 「それでね…。」

 

 言葉を続けるミオに、思考を引き戻しつつ彼女に視線を向ける。

 改まった様子の彼女は、何処か緊張したように表情が硬い。

 

 ミオはそんな緊張をほぐすように大きく息を吐くと、決意を固めたのかその瞳に光を宿らせる。

 

 「まずは、ここから始めようと思うの。

  今度はちゃんと、伝えたいから。」

 

 朝日に照らされたミオの顔は、微かに赤らんで見えた。

 真っ直ぐと見つめられて、自然と背筋が伸びる。

 

 「ウチは、透君の事が好き。」

 

 それはいつか伝えられた想い。

 けれど前回とはその表情は明確に違っていて、柔らかく微笑んだ彼女に思わず心臓が跳ねた。

 

 「だから、ウチの恋人になって下さい。」

 

 その言葉に、自らの顔に熱があるまっていく感覚がある。

 ずっと押さえつけてきた想いが、熱を発している。

 

 「俺も、ミオの事が好きだ。」

 

 口から心臓が飛び出してしまいそうな緊張感の中、けれどはっきりと想いを返す。

 

 「恋人になろう、ミオ。」

 

 「…うん!」

 

 ハッキリと口にすれば、ミオは噛み締める様に強く頷いてくれる。

 こうして、俺とミオは晴れて恋人となったのだった。しかし、改めて目を合わせてみるとどうにも気恥ずかしさが勝ってしまい、つい二人揃って黙り込んでしまう。

 

 しばしの間、荷台の中を沈黙が漂った。

 

 すると、そんな空気を壊すかのように、そとから鋭い麒麟の鳴き声が聞こえてくる。

 それと同時に、荷台が大きく揺れる。

 

 「おっと!?」

 

 「わっ…!」

 

 意識が完全に互いに向いていたおかげで、無事二人して体制を崩す。

 何とか踏みとどまるも、体勢を崩した結果すぐ近くにきたミオの顔に思わず体が固まった。

 

 「「…。」」

 

 後数ミリ前に進むだけで唇が触れ合ってしまう程の至近距離で、互いに無言のまま見つめ合う。

 目の前にあるミオの瞳に吸い込まれるかのように、身動き一つとれない。

 

 煩いくらいに鳴る心臓の音。

 震えるミオの瞳を前にして、俺は…。

 

 「わ、悪い。」

 

 「う、ううん、こっちこそ。」

 

 羞恥のあまり、互いに顔を離した。

 

 確かに、俺とミオは恋人にはなった。

 けれど、こういうのはもっとこう、段階を踏んでいった方が良い気がする。

 

 (…むぅ、つまらぬのじゃ。)

 

 心臓を宥めていた所、不意にそんな声が空耳する。

 驚きのあまり、先ほどの羞恥すら忘れて辺りを見渡せば、ミオもまた同様にきょろきょろと視線を巡らせていた。

 

 「今の、聞こえたか?」

 

 「うん、確かにせっちゃんの…。」

 

 だが、いくら見て回っても当然の如く神狐の姿は無い。

 まさか最後の悪戯を麒麟にでも仕込んでいたのか、それとも単なる偶然なのか。

 

 どちらにしても、今の状況においては可笑しなものに変わりは無くて。

 

 「…変わらないな。」

 

 「ね、せっちゃんらしいけど。」

 

 くすくすと二人で笑い合う。

 これこそ神狐に見られれば彼女は憤慨しそうなものだが、今ばかりは許してもらいたい。

 

 「…あ、そう言えばさ。」

 

 ひとしきり笑った後で、ふとこれからの事を考えていた折に思い立ってミオに声を掛けてみる。

 

 「どうしたの?」

 

 首を傾げるミオに対して、口を開く。

 

 「白上とは最近連絡とってたっけ。」

 

 「…あ。」

 

 それは今から帰るシラカミ神社の神主、寂しがりやな白い狐の少女の事だ。

 だがミオの反応から、答えは明らかであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「酷いですよ!

  半月も連絡なしって…、ずっと一人で寂しかったんですからね!」

 

 若干涙目で毛を逆立たせている白い狐は、麒麟の鳴き声が聞こえるなり神社の中から飛び出してきた。

 

 「ご、ごめんね、フブキ。

  色々と立て込んでて…。」

 

 「わ、悪かったよ。

  ほら、一応お土産あるから。」

 

 そんな彼女を前に、完全に連絡を忘れていた俺たち二人は平謝りするほかなかった。

 白上と最後に連絡を取ったのは、イヅモノオオヤシロに行く前の事。つまるところ、半月ほど前の事だ。

 

 白上の方からでは、結界や距離などの問題があり連絡を取る手段が無かったため、ただ待つことしかできなかったそうだ。

 

 「全くもう…、白上のストレスがマッハで抜け毛が増えるところでしたよ。」

 

 ぷくりとその頬を膨らませて、分かりやすく拗ねる白上を前にして思わずミオと二人苦笑いが浮かぶ。

 それと同時に、シラカミ神社に帰ってきたという実感が胸に湧き上がる。

 

 「…あれ?」

 

 すると、何かに気が付いたように声を上げて白上はミオをしげしげと眺める。

 

 「フブキ?」

 

 「いえ、何だか…。」

 

 どうやらミオの変化に気が付いたようだ。

 確認を取るようにこちらを見る白上に首肯で返せば、彼女はほっとしたように息を吐いた。

 

 「え、何?どういう事?」

 

 この場で一人、状況を飲み込めないで困惑するミオは俺と白上を交互に見ていた。

 まぁ、白上の事だし、話すかは本人に決めて貰うとして、今は他に気になる事がある。

 

 「いや、何でもない。

  それよりミオ、この麒麟だけどさ…。」

 

 「…ミオ!?」

 

 麒麟をこれからどうしておくかの相談をしようと声をかければ、一泊遅れて白上が驚いたように声を上げた。

 どうやら呼称が大神からミオに変わったことに驚いたようだ。

 

 「あの…お二人の関係についてお聞きしても…?」

 

 何となく白上自身勘づいているいるのだろうが、確認とばかりに恐る恐る聞いてくる。

 白上の劇的な反応に思わずミオと顏を見合わせる。

 

 ここまで勘づかれては流石に隠せはしないだろうし、ここで一度はっきりと言っておいた方が良いだろう。

 

 「「恋人。」」

 

 「…。」

 

 息をそろえて同時に応えれば、ぽかんと白上はその口を開ける。

 が、すぐに再起動してよろよろと後ろを向いた。

 

 「こ、こう、予想はしてたんですけど…。

  いざ対面すると衝撃的ですね。白上はちょっとお水を飲んできます…。」

 

 ぎこちない足取りで神社の中へ戻っていく白上の背を見送る。

 驚かれるだろうとは思っていたが、まさかここまで驚かれるとは、流石に予想外である。

 

 「フブキ、驚いてたね。」

 

 「あぁ、でも、これなら先に伝えてよかったな。」

 

 むしろ、こんなものまだまだ序の口である。

 それほどまでに、このひと月の内容は濃いものであった。

 

 「フブキにもいろいろ話さなきゃ。」

 

 「…そうだな、これから大変そうだ。」

 

 イヅモ神社での事、ミオの過去の事。

 そして、神狐の事。

 

 たったひと月の間だけで、話すことは山の様に増えていた。これを全て話すとなると、かなりの時間を要するだろう。

 

 「…そっか、これから先も続いてるんだよね。」

 

 ぽつりと零すように呟かれたその一言は、風に乗って空に消えていく。

 

 「…ね、透君。

  ちょっと目を瞑ってて?」

 

 「ん?

  あぁ、分かった。」

 

 思いついたように言ってくるミオに、何をするつもりなのだろうと疑問には思うが取り合えず言われるがままに目を瞑る。

 視界を暗闇が覆うと同時に、こちらに踏み出す足音が聞こえた。そして、唇に触れた柔らかい感触。

 

 驚きのあまり目を開けば、そこにはほんのりと頬を赤く染めたミオの姿。 

 その顔に浮かんだ笑みは、今まで見た中で一番に脳裏へと焼き付いた。

 

 

 

 

 

 「これからもよろしくね、透君!」

 

 

 

 

 

 

 

 二つ目の想いが色づいた。

 

 

 

 





大神ルート終了にございます
ここまで読んでくださった方に、深い感謝を。

次回から百鬼ルートに入ります。

気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム。


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個別:百鬼ルート
個別:百鬼 1



どうも、作者です。
今回から個別:百鬼ルートに入ります。
以上。



 

 幾つもの小さな光に埋め尽くされた夜空が霞んでしまう程に無数の提灯に照らされてた街並みを一人歩く。

 辺りでは街の住人の笑い声が、話し声が響き渡っており、その誰もが笑顔の花を咲かせている。

 

 キョウノミヤコのセイヤ祭。

 年に一度のこの祭りは、なるほど、街の規模に負けず劣らずの盛り上がりを見せていた。

 

 『お兄ちゃんは誰かと踊らないの?』

 

 そんな街並みを眺めながら、ふと先ほどのトウヤ君の言葉を思い出す。

 

 誰と踊る。急に問われて思わず答えに詰まってしまった。

 というのも、この祭りでは後夜祭にて踊りの時間があり、共に踊った二人は結ばれるというジンクスがあるらしい。

 

 別にジンクスを丸のみにしたわけでは無い。けれど、俺が誘えるとしたらシラカミ神社の三人くらいのものだ。ただ、俺があの三人の誰かに気があるかと言われれば、はっきりと答えを出すことはできない。

 

 恐らく、このカクリヨにおいて踊りに誘うとはそういった意味合いを少なからず含む筈だ。

 だが、俺は今の関係を心地良いと思っている。わざわざ、自ら変に意識するようにならずとも良いだろう。

 

 考えすぎている自覚はある、けれど、それだけ現状を気に入っているのだ。

 

 「透さーん。」

 

 不意に呼びかけられて振り返れば、そこには両手いっぱいに袋を引っ提げてこちらに手を振る白い狐の少女。

 視線が合えば、彼女は小走りでこちらへと駆け寄ってくる。

 

 「白上、また大漁だな。」

 

 「はい、セイヤ祭の屋台を回るにはこのくらいのペースじゃないと間に合わないので。」

 

 余程楽しみにしていたのだろう、さもご満悦といった様に白上の頬は高揚している。

 すると、白上は唐突に何かを思いついたようにポンと手を打った。 

 

 「そうだ、良かったら透さんも一緒に回りませんか?」

 

 「俺も?」

 

 そう問われてまず白上の顔を見て、次に彼女の持つ荷物に目をやる。

 屋台巡りとはあれだ、屋台を見て回るのではなくその全てを食べて回るという事だ。

 

 そしてキョウノミヤコ全体ともなると、その量は計り知れない。

 

 「…あー悪い、白上。

  今回は遠慮しとく。」

 

 「そうですか…残念ですけど仕方ありませんね。」

 

 心苦しい中断ると、しょんぼりとしたように白い耳を垂れさせる彼女に罪悪感を覚えなくはないが、しかし、大事なのは明日の我が身である。

 

 「そう言えば、あの二人はどうしたんだ?」

 

 ふと気になって問いかけてみる。

 見た所一緒にはいない様だが、何をしてるのだろうか。

 

 「ミオとあやめちゃんですか?

  ミオならさっきあちらの方に居ましたけど…あやめちゃんは見てませんね。」

 

 もしかしてと思い聞いてみたが、百鬼の行方は白上も知らないらしい。

 

 「そっか、ありがとな。」

 

 「いえいえ、それでは白上は新たな地へと旅立ちますので、これで。」

 

 「あぁ、健闘を祈る。」

 

 意味も無く敬礼をして、同じく敬礼をする白上を見送る。

 彼女の戦いはこれからが本番なのだろう。

 

 何をしようか決めてなかったこともあり取り合えず大神にでも会いに行こうと思い、白上から聞いた場所へと足を向ける。

 相変わらず人は多いが、後夜祭に向けてかキョウノミヤコの中央へと向かう流れが出来ており、幾分かは歩きやすくなっていた。

 

 少しの間辺りを見渡していれば、何処か見覚えのあるシルエットを屋台の中に見つける。

 黒い獣耳に、占いとでかでかと書かれた看板。ここまでくればもはや確定だろう。

 

 「いらっしゃいませー。

  って、透君だ。どうしたの、占い?」

 

 屋台へとやってきた俺の姿を見て目を丸くしているのは、黒い狼の少女だ。

 

 「あぁ、ちょっと気になってな。

  というか、大神はいつの間に屋台の準備なんてしてたんだよ。」

 

 一応彼女も先ほどまでは共に調査を行っていた筈で、あれからそこまで時間は経っていないのだが目の前には立派な占い屋が広がっている。

 

 「実はお昼からやっててね、ここには夕方くらいから場所を移してたの。」

 

 「そうだったのか、通りで…。」

 

 昼に別れてからは百鬼と一緒にいて大神の姿は見ていなかった、何をしてたのかと思えば今の様に占いをしていたらしい。

 大神らしいと言えば、大神らしい。

 

 「それで、何を占う?

  透君が相手ならちょっと気合入れてちゃうよ。」

 

 「占いに気合って似合わないな…。

  んー…それじゃあ…。」

 

 ぐいと腕まくりをして見せる大神に苦笑いを浮かべつつ、思考を巡らせる。

 

 そう言えば、まだ何を占うか決めていなかった。

 特段気になるという事も無いし、探し物がある訳でも無い。

 

 確かに百鬼が今何をしているのかは気になるが、わざわざ占う事でもないだろう。

 

 「そうだな、今から何処に行くべきか占ってくれ。

  どうせ行くなら、運気の良い場所に行きたいだろ?」

 

 丁度行先にも迷っていたし、これが丁度良いだろう。

 

 「あ、それ良いね。行先。

  じゃあ、占うよ。」

 

 そう言って、大神は水晶玉を作り出してそれに手を当てる。

 数瞬、淡く輝いた水晶玉の光に包まれるが、それもすぐに収まった。

 

 閉じていた瞳をゆっくりと開けば、大神は厳かに口を開く。

 

 「透君が今から行った方が良い場所は…。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大神に勧められた場所へと足を向けてから少し経過して、ようやくたどり着いた場所はしかし、先ほどと同じような街並みで、それこそ屋台の種類などは違うがそれ以外は特段違ったものの見られない、普通の祭りの景色が広がっていた。

 

 「…本当にここで合ってるのか?」

 

 辺りに見知った顔がある訳でも無ければ、何かしらのイベントがある訳でも無い。

 不安になり一応大神にメモして貰った場所と現在地を照らし合わせてみるが、やはりここで間違いは無いらしい。

 

 「まぁ、とりあえずはこの辺でぶらついてるか。」

 

 もしかするとまだ先に何かあるのかもしれない。

 大神の占いを信じていない訳でないが、何か良いことがあれば儲けもの程度の認識で辺りを歩く。

 

 とはいえ祭りというのも不思議なもので、ただ歩いているだけでもこれが結構楽しいものなのだ。

 

 ここが一番歩きやすい場所、という線もありそうだな。

 そんなことを思っていた折、不意に路地裏から影が飛び出してきた。

 

 「おっと。」

 

 そのままこちらに突っ込んできたため、咄嗟に受け止めてみる。

 その余りに軽い感触に驚きつつ影へと視線を落としてみれば、予想外の見覚えのある顔。

 

 「あれ、ケンジ君?」

 

 「すみません…って、にいちゃん?」

 

 視線の先には今日の昼、百鬼と一緒に遊んでいた子供の中の一人であるケンジ君が驚いたようにその目を丸くしてこちらを見ていた。

 

 彼もキョウノミヤコの住人なのだからここに居ても不思議はないが、何という偶然…。

 そこまで考えて、一つの予想が頭に浮かび上がる。

 

 (もしかして、ケンジ君の事か…?)

 

 俺がこの場所に来たのは、大神の占いの結果だ。

 するとこれは偶然ではなく、占いの指示した必然であるのかもしれない。ただ、ケンジ君と会うことで何が起こるのか、その疑問だけは残る。

 

 そのケンジ君は俺の姿を確認するなりきょろきょろと周りに視線を巡らせて、おかしいと言わんばかりに首を傾げていた。

 

 「なぁにいちゃん、鬼のねぇちゃんは?

  一緒にいるんだろ?」

 

 すると不思議そうにこちらを見ながら、ケンジ君はそんな予想外の問いを投げかけてくる。

 鬼のねぇちゃん、とは百鬼の事だろう。

 

 「え、百鬼?

  いや、別行動だけど…。」 

 

 「…はぁ。」

 

 これには虚を突かれて少しだけ動揺する。

 何故そんな質問をするのだろうと思いながらもそう素直に答えるも、しかしケンジ君は呆れたようにそっとため息を付いた。

 

 まさかの反応に疑問を深めていると、ケンジ君はその瞳にまでも呆れを浮かべながら言葉を続ける。

 

 「ったく、にいちゃん、恋人なら踊りに誘ってやるくらいしてやれよ。

  これじゃあねぇちゃんが可哀そうだ。」

 

 「待て待て待て、別に俺と百鬼は恋人同士じゃないって。」

 

 何か話がかみ合わないと思っていたが、どうやらそんな勘違いをしていたらしい。確かに恋人同士なら共に踊ることも多いのだろうが、生憎とそれは俺と百鬼には当てはまらない。

 慌ててそれを否定すれば、今度はケンジ君が虚を突かれたようにぽかんとその口を開けた。

 

 「え?でも、昼はあんなに仲良さそうにしてたのに。」

 

 ケンジ君は心底意外そうにこちらへ視線を送っている。

 そう言えば、昼におままごとで夫婦役をやっていたのだった。もしかすると、それで変に勘違いをしてしまっていたのかもしれない。

 

 「まぁ、仲が良いのは認めるが…。あくまで友人としてだ。」

 

 百鬼のことは好ましく思っている。けれどそれが恋心かと問われると否と答える他ない。

 それは百鬼とて同じことだろう。

 

 「そっか…、お似合いなのにな…。」

 

 「あー…、そうなら嬉しいな。」

 

 残念そうに言ってくるケンジ君に、どんな表情を浮かべればよいの分からず結果的には苦笑いという形で落ち着いた。

 

 先ほどの自らの中での問いかけを掘り返されたようで、どうにもやりづらい。

 

 「そう言うケンジ君こそ一人なのか?

  ほら、昼の友達とかといっしょだったり。」

 

 話題を変えて、今度はケンジ君に対して質問をしてみる。

 一応祭りの夜なのだが、彼は何故か一人でこんな場所にいる。出歩くにしても友人と共に居るなら分かるが、一人でとなると話が変わってくる。

 

 それを聞いたケンジ君は、一瞬だけその顔に影を落とした。

 

 「んー…、そうだよ。

  それに、昼の奴らは別に友達って訳じゃないんだ。」

 

 友達では無い。

 てっきり常日頃からの仲だと考えていた折にそんなカミングアウトをされて、思わず言葉に詰まってしまう。

 

 「セイヤ祭って当日は親が忙しい子供がよく集まるんだよ。

  あの場に集まってたのは、そういう奴ら。」

 

 「…成程な、それで年齢もバラバラだったのか。」

 

 親からしてみれば一つの集団に纏まってくれている方が安心するだろうし、子供達も遊び相手が出来る。

 そんな仕組みがキョウノミヤコには存在するようだ。

 

 あの場ではケンジ君がそのまとめ役だったという事だろう。しかし、それが分かると尚のこと彼がここにいる理由が分からなくなる。

 

 「ならさ、ケンジ君は今まで何してたんだ?」

 

 「おれ?」

 

 その疑問を口に出してみれば、ケンジ君はふと考え込む様に視線を宙に彷徨わせた。

 何処か答えに悩むようなその素振りに、早まったことを聞いたかと後悔の念が胸中に浮かぶ。しかし、その意に反してケンジ君はぱっと悪戯に笑った。

 

 「…普通におつかい。

  足りないものがあったみたいでさ。」

 

 驚いた?と、言わんばかりのその笑みに完全にしてやられたことを察した。それと同時に詰まっていた息を吐きだす。

 

 「脅かさないでくれよ…。」

 

 「へへっ、だってにいちゃん分かり易いんだもん。」

 

 悪戯に成功した子供の様に、実際その通りなのだが、ケンジ君は楽しそうに笑っていた。

 この年の子にまでも分かり易いと言われてしまうとは、何とも言い難い敗北感にも似たものを感じる。

 

 「じゃあ、おれはもう行かないとだから。」

 

 そう言ってケンジ君は手を振りながらたっと駆けだす。

 

 「あぁ、気を付けてな。」

 

 先ほどの様に誰かとぶつかっては事だとそれだけ注意すれば、「分かってる!」と元気な返事が返ってくる。

 本当に分かっているのか不安になるが、まぁ、大丈夫だろう。

 

 「あ、そうだ!」

 

 遠ざかるケンジ君の背を見送っていれば、不意に彼は立ち止まりこちらへと振り返ると、大きくその口を開けた。

 

 「にいちゃん、あっちの方に高台があるんだ!

  多分、そこにねぇちゃんもいると思う!」

 

 それだけ言い残して、今度こそケンジ君は人込みの中へと消えていった。

 

 そして、最後に伝えられた百鬼の居場所。

 意図せず知ることが出来てしまったそれに、しばらく呆然とその場に立ちすくむ。

 

 「…行けって事なのかな。」

 

 ケンジ君が指さしていた方向へと目を向けて見れば、微かに高台らしきものが見て取れる。

 普段であれば行くことの無い場所、言われてようやく、あの場所に高台があると認識できた。

 

 どうせやることも無いのだ。

 百鬼がいるかは分からないが、恐らくあそこは見晴らしが良いだろう。

 

 そんな期待を胸に、俺は高台のある方向へと足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かなり入り組んだ道をただ高台を目指して歩き続けてしばらく、ようやくといった形で目的地へと俺はたどり着いた。

 

 そしてたどり着いた先で見つけた、赤い鬼の少女の姿。

 

 「百鬼。」

 

 名を呼べば、ゆっくりと彼女は振り返りその紅の瞳をこちらへと向ける。

 こんな場所に人が来るとは思っていなかったのかその表情は驚愕に満ちていて、けれど相手が誰であるか確認すると、華やかに、彼女は微笑んで見せた。

 

 「…透くんも、ケンジくんに教えて貰ったの?」

 

 「あぁ、もってことは、百鬼もそうなんだな。」

 

 何故ケンジ君が百鬼の居場所を知っていたのか合点がいった。

 ケンジ君は百鬼に既にこの場所の事を教えていて、その後に俺にもこの場所を教えたのだ。

 

 「隣良いか?」

 

 「良いよ。

  多分、驚くと思う。」

 

 快諾して、にやりと笑う百鬼の声は何処か確信に満ちていた。

 それほどまでに良い景色なのかと期待に胸を膨らませながら彼女の横へと並んび、その先へと視線を向け

て。

 

 その瞬間、飛び込んできた光景に息が止まった。

 

 一望されたのは夜の闇を切り払うかの如く煌々と輝く街並み。

 光は街の端から中央へと続く街道に沿って放たれており、複雑に入り組んだそれは様々な装飾に彩られて、まるで一枚の絵画のようだった。

 

 その余りの美しさに思わず絶句し、呆然と見入ってしまう。

 

 「すごいよね。

  余も最初見た時びっくりしたもん。」

 

 「確かに…これは壮観だな。」

 

 話をしながらも、目の前の光景から目を離すことは出来ない程に魅入られていた。

 しばらくの間、そうやって二人で街を眺めながら時を過ごす。

 

 会話は無かった。

 だが不思議と、その静寂に居心地の悪さは感じなかった。

 

 「なぁ、百鬼は何時からここにいたんだ?」

 

 ふと思い浮かんだ疑問を口にしてみる。

 静寂を壊そうと思ったわけでは無い。これで答えが無くても、別に良いと思えた。

 

 しかし、思いの他百鬼はしっかりと答えを返してくれた。

 

 「えっと…、みんなと別れてからすぐにケンジ君に聞いてね。

  それからずっとここに居たの。」

 

 「あー、通りで百鬼だけ見当たらない訳だ。」

 

 一応それなりに歩き回って、白上にも人伝いではあるが大神にも出会うことは出来た。

 しかし、唯一百鬼だけが見つからなかったのだが、今にして思えば、ここに居たのでは見つけようも無かった。

 

 「じゃあ、フブキちゃんとミオちゃんには会って来たの?」

 

 「そうなるな。

  白上は屋台巡りをしてて、大神は占い屋をやってた。」

 

 二人とも、揃って祭りを満喫しているようで、俺も見習いたいものだ。

 …まぁ、若干一名真似したくても真似できない狐がいるのだが。

 

 「ふーん、そうなんだ。」

 

 苦笑いを浮かべて話していれば、横合いからそんな拗ねたような百鬼の声が飛んでくる。

 

 「…ん、あれ、百鬼?」

 

 何事かと横へと視線を映してみれば、そこにはぷくりとその頬を膨らませている鬼の姿があった。

 

 「透くん、二人の事は見つけたのに、余の事は見つけてくれなかったんだ。」

 

 「いやいや、ここに居るなんて普通分かるわけないだろ。

  それに今こうして一緒にいるし。」

 

 よよよっ、とわざとらしい泣き真似をする百鬼に完全に揶揄われていると理解する。

 自ら見つからない場所に行って見つけてくれないと拗ねるとは、中々理不尽な話だ。

 

 そうだった、百鬼は偶にこうして揶揄ってくるのだった。

 

 「最近、悪戯は無かったから安心してたんだがな…。」

 

 「確かに、準備とかで忙しかったもんね。」

 

 現実逃避気味にぼやくが、百鬼は当然の様にそれに肯定してくる。

 彼女こそが諸悪の根源なのだが、一体どの口が言っているのだろう。ジトリと視線を送ってみるも、さらりと受け流された。

 

 一時期はそれこそ毎晩の様にひっかけられたものだ、しかも毎回手口を変えてくるのだから尚性質が悪い。

 

 「確か鬼火と、後シキガミも使ってるんだっけ。」

 

 「うん。

  まだまだ透くんに見せてないのもあるから、楽しみにしててね。」

 

 百鬼の顔に浮かんでいる可憐な笑みとは裏腹に、宣言されたその内容は全然楽しみだとは思えなかった。

 彼女の悪戯は驚かせることに特化していることが多いのだが、その手口の多様性にどう対策してもその裏をかかれてしまい、結果術中に嵌ってしまう。

 

 「バリエーションが豊富過ぎるんだよな。

  百鬼、シキガミを何体使役してるんだよ。」

 

 それを支えているのが、シキガミの種類だ。性質の異なるシキガミを組み合わせて、彼女は幾つもの罠を張り巡らせている。

 現在確認しているだけでも相当の数になりそうだが、正確な数値は知っておきたかった。

 

 「シキガミの数…。

  えっと、いーち、じゅーう、ひゃー…。」

 

 「待て待て、桁の上がりが早い。」

 

 指を折りながら数えていくものだから一つずつ数えていく、せめて十単位で数えていくのかと思えば予想の斜め上を行く数え方に、思わず待ったをかける。

 

 しかし特に気にした様子も無く、百鬼は顎に指をあてて再び口を開いた。

 

 「うーん、でも千は行かないと思う。」

 

 「それであの数え方って、ざっくりし過ぎだろ。」

 

 これでは百で終わってしまう。先ほどは止める必要は無かったらしい。

 だがそれほどまでに多くの種類のシキガミを使役している彼女だが、一つだけ重大な欠点というか、問題が存在していて。

 

 「…なんでそれだけ居て揃って戦闘用のシキガミなんろうな。

  その辺り百鬼って脳筋だ…。」

 

 どうにも祭りの雰囲気にあてられていたのか、今日は口が滑りやすくなっているらしい。

 慌てて自らの口を手で塞ぐが、後の祭り。

 

 「透くん、今なんて?」

 

 「す、すみませんでした。」

 

 横から放たれる可視化するほどの殺気に震え声で秒で謝罪する。

 お忘れかもしれないが、彼女と俺の力の差は天と地と言っても良いレベルだ。そんな彼女に逆らうことは、つまり自らの命を放り投げる行為と同等である。

 

 「余の事いつも言うけど、透くんだって意地悪な事多いと思うんですけどね。」

 

 「そうか?

  じゃあ、お互い様って事で。」

 

 息も荒く、余は怒ってます、と聞こえんばかりの声音で抗議してくる百鬼に、しかしそういう事ならと態度を改めれば、破れそうな程に頬を膨らませた彼女はそっぽを向いてしまった。

 

 少しやりすぎたな。

 

 「悪かったよ、百鬼。

  この通りだ。」

 

 「つーん。

  透くんの事なんて知らないよだ。」

 

 「余だけに?」

 

 何とか許しを得ようと拝み倒していた所で、我慢しきれずについぼそりと呟いてしまった。それを聞いた百鬼の体が一瞬硬直する。

 

 意図していることに気が付いたようだ、しかし一度気付いてしまえばそれはボディブローのようにじわじわと効いてくる。

 何とか堪えようとするがそれも束の間、やがて決壊するように二人同時に噴き出した。

 

 くすくすとした笑い声がその場に響く。

 ひとしきり笑い終えた所で顔を上げた百鬼の眦には一粒の涙が浮かんでいた。 

 

 「もう…、馬鹿。」

 

 「あぁ、そうだな。」

 

 本当に、馬鹿馬鹿しいことで笑ってしまった。

 

 そう続けようとしたところで、俺と百鬼は共に横から眩い光に照らされた。

 続いて聞こえてきたのは腹に響くような炸裂音に、揃ってそちらへと目を向ければ、暗い夜空に色とりどりの花が咲き誇っていた。

 

 「綺麗…。」

 

 微かに聞こえてくる百鬼の声。

 彼女の大きく見開いたその瞳は彩られた夜空を映しだしていた。

 

 「あぁ、本当に綺麗だ。」

 

 咲いては散って、散っては咲いて。

 空を埋め尽くさんとばかりに、大きく、大きく咲くそれは、散るが故の儚さと美しさを持ち合わせた、綺麗な花火だった。

 

 「…この瞬間が、永遠に続いたら良いのに。」

 

 ぽつりと零した百鬼の表情の中に、ふと夜空に咲く花火に似た儚さが見えた。

 

 思わず口を開きかけて、けれど形にならずそのまま閉じる。

 何処か寂し気に見える彼女に掛ける言葉を、今の俺は持ち合わせていなかった。

 

 口を閉じたまま、空に咲き続ける花を、散りゆく花を、鬼の少女と共にただ見つめ続けた。

 

 

 

 

 






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個別:百鬼 2


どうも、作者です。

百鬼ルート2話目。

誤字報告、感謝。

以上。


 

 「え、百鬼、今日からしばらく鍛錬出来ないのか?」

 

 シラカミ神社の境内。まだ空も明るさを取り戻しておらず朝日を迎え入れる準備をしている頃。

 何時ものように鍛錬をしようとしていた所にやってきた百鬼から唐突に鍛錬には参加できないと告げられて、思わず瞠目し聞き返す。

 

 「うん、昨日は伝えそびれちゃったけど。

  キョウノミヤコに用事が出来て…。」

 

 余忘れてた、と百鬼はバツが悪そうに頬をかいた。

 

 「ごめん、透くん。」

 

 そう言って申し訳なさそうに手を合わせる彼女とは対照的に、俺は呆然としてその場に立ちすくんでいた。

 また日常が戻ってくると何処か安心感にも似た感情があったのもある、しかし、それ以上に俺が今まで鍛錬を続けることが出来ていたのは、一重に百鬼の存在が大きかった。

 

 今でこそ鍛錬は日常の一部となっているが、その楽しさを教えてくれたのは彼女だ。

 少なくとも俺一人ではここまで続けることは出来ていなかったかもしれない。

 

 だからこそそんな彼女との鍛錬が無くなるともなれば、少なからず残念には思う。

 

 「そっか、まぁ用事なら仕方ないよな…。」

 

 とはいえ、彼女も用事があるというのなら無理に引き留めることも出来ない。今日からは一人で鍛錬をする他ないだろう。

 しかし、そうなると鍛錬の内容をどうするか考えなくてはならなくなる。

 

 「それで…なんだけどさ。」

 

 一人でどんな鍛錬が出来るかと頭を悩ませていると、不意に百鬼はそう言葉を続けた。

 百鬼はその視線をこちらに真っ直ぐと向けて、言い淀む様に一瞬唇を噛むと、何処か緊張した面持ちで再度口を開く。

 

 「もし良かったら。

  透くんも、余と一緒に来てほしい。」

 

 「…俺も?」

 

 真剣な眼差しを向けてくる百鬼に自分を指さして確認するように問いかければ、彼女はこくりと頷いて見せる。

 

 百鬼のその用事と俺が一緒に行くことに何か繋がりでもあるのだろうか。

 そんな疑問が頭を駆け巡るが、けれど改めて考えてみればそれを確かめるという意味でも、一緒に行く事も有りだと考える自分もいる。

 

 「分かった、百鬼に付き合うよ。」

 

 そもそも断る理由自体存在しない。

 軽く了承すれば、百鬼はほっとしたようにその表情を緩めた。

 

 「良かったー、断られたらどうしようかと思ってた。」

 

 「断らないって。

  セイヤ祭も終わって、やることも無くなってたしな。」

 

 祭りの後の虚脱感とでも言えば良いのだろうか。自分の中でもどこか気の抜けている側面はある。今日の鍛錬ではそれを引き締めようと思っていたが、他にやることがあるのなら自然と引き締まるというものだ。

 

 「それで、キョウノミヤコには何をしに行くんだ?」

 

 話も纏まった所で、先ほどから気になっていた用事とやらの無いようを訪ねてみる。

 場所がキョウノミヤコという事もあり、危険なものでは無いとは思うが、かといって見当がつくかと言われれば何も思い浮かばない。

 

 すると、百鬼も勿体ぶる様子は無いようで、すぐにその口を開いた。

 

 「えっとね…。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…なぁ、本当にこの辺りなのか?」

 

 「その筈なんだけど…。あれ?」

 

 場所はキョウノミヤコ。

 とある通りを歩きながら首を傾げる百鬼に、沸き上がってくる不安から思わず苦笑いが浮かんだ。

 

 待ち合わせの場所であると百鬼から聞いた地点には既にたどり着いているはずだが、辺りにそれらしい人影はない。

 

 「えっと…、おかしいな。」

 

 そう言ってきょろきょろと目印でも探すように百鬼は視線を巡らせる。

 そんな彼女の姿を見てその動揺ぶりに何処か可笑しさを覚えつつ、そういう事ならキョウノミヤコの地図でも手に入れておけば良かったと遅い後悔を胸に抱きながら、同様に目的の人物を探す。

 

 「あっ、透くん、こっち!」

 

 「お、見つけたのか。」

 

 気が付いたように声を上げる百鬼に手を引かれて進んだ先にようやく見えた目的の人物であるケンジ君が、噴水の淵に座ったまま驚いた様子で呆然とこちらを見つめていた。

 

 「ねぇちゃん、本当に来たんだ…。

  それと…。」

 

 ケンジ君はまず百鬼に視線を向けて、そしてこちらへと視線を移すと見開いていた目をさらに大きく見開いて、言葉を失ったように口を開閉する。

 

 「だって約束したもん。

  それとね、透くんにも声を掛けてみたんだよ。」

 

 「あぁ、百鬼から聞いてな。

  …もしかして迷惑だったか?」

 

 その余りの驚き様に若干自分が来たのは間違いだったかという不安に駆られるが、意に反して、ケンジ君はぶんぶんと即座にその首を横に振って迷惑ではないと否定してくれる。

 

 「そんなことない、けど、にぃちゃんまで来るとは思ってなかったから、驚いて。」

 

 「そうか?

  なら、来て良かった。」

 

 最悪の事態は避けられたようで、ほっと胸を撫で下ろす。

 危ない、これで正面から迷惑と言われていたら三日は寝込むところであった。

 

 しかし、昨夜会った時は普通にしていたのに今更何をそんなに驚いているのだろうか。普通に想定外であったのならそこまでだが。

 とはいえ、気にしていても仕方がないか。

 

 今日の目的はまだまだこれからなのだから。

 

 「よーし、じゃあ、早速遊びに行こう!」

 

 「「おー!」」

 

 喜色満面の笑みで高らかに声を上げる百鬼に同調して、俺とケンジ君も揃って雲一つなく晴れ渡る空に向かって拳を上げる。

 こうして、キョウノミヤコでの一日が始まりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「なぁなぁ、にぃちゃん。」

 

 「ん?」

 

 通りを三人で歩いていると、幾分か驚きも抜けていつもの調子を取り戻してきたのか、ケンジ君がこそこそと百鬼には聞こえないような声量で声を掛けてくる。

 

 「昨日さ、どうだった?ねぇちゃんと踊った?」

 

 唐突にそう問われて思わずケンジ君の顔を見れば、そこには何処か期待したような笑みが浮かんでいた。そう言えば昨夜も踊りに誘えば良いのにとは言っていた気がする。

 やはり、カクリヨにおいて話題の種とでもいうべきか、周辺にとってもイベントの一種なのだろう。

 

 しかし、結果としては御生憎だ。

 

 「残念ながら、一緒に花火見て終わったよ。」

 

 「えー…、そこまで行ったら踊れよな…。」

 

 花火を見た後も特にそれらしいことは無かった。それを聞いたケンジ君は面白くなさそうにその顔を露骨にしかめた。

 こちらとしては何もなかったからと言って特に思う所は無いのだが、どうもケンジ君からするとそうもいかないらしい。

 

 「何の話してるの?」

 

 横でこそこそと話していれば気にもなるだろう。

 ケンジくんの隣を歩く百鬼がそう興味深げに目を輝かせて問いかけてくる。

 

 「ん?あぁ、いや、特には…。」

 

 「にぃちゃんとねぇちゃんが昨日踊らなかったって話。」

 

 聞かせるような話でも無いかと適当にお茶を濁そうとするも、しかし、それはそっぽを向くケンジ君の手によって阻まれ、冷や汗が額に浮かぶ。

 

 一瞬言葉を上手く呑み込めないようにぽかんとその口を開ける百鬼だったが、すぐに処理が追いついたのかその頬に徐々に朱が差し込んでいく。

 

 「踊るって…、その、ジンクスの?」

 

 「そうそう、お似合いなんだから踊ればよかったのにさ。」

 

 片言で確認する百鬼に対して、ケンジ君は容赦なく爆弾を投下していった。しかし、それは俺も巻き添えとする広範囲に及んでいる。

 

 例え恋愛感情は無かろうと、そう言った話題の対象にされれば照れもする。

 ぽんと音が聞こえてくるほどに急速にその顔を瞳と同じ紅に染めた百鬼は何処か挙動不審となっていた。

 

 「え、えーっと、そうだ!

  あっちに美味しいお団子の屋台があるんだって!」

 

 「団子か良いな!なら早速行ってみるか!」

 

 やや強引に話題を逸らす百鬼だが、この話が続いて欲しくないのはこちらも同じだ。直ぐにそれに続き、話の流れを断ち切る。

 早く行こう、すぐ行こうと素早く方向転換をするそんな俺と百鬼の姿を見て、ケンジ君はジトリとした視線をむけ、ため息を一つ溢した。

 

 「はぁ…、まだまだ先になりそう…。」

 

 「…ん?

  ケンジ君、どうかしたか?」

 

 ふと、立ち止まっているケンジ君に足を止めて声を掛ける。

 

 「ううん、何でも…。」

 

 答えながら顔を上げたケンジ君だったが、しかし、こちらへと視線を移すと同時にその言葉は途切れてしまった。

 呆けた様子で無言のまま目を見開くそんなケンジ君の様子に、百鬼と二人揃って首を傾げる。

 

 「何でもない。

  それよりねぇちゃん、そこってどんな団子がある?」

 

 そう言って駆け寄ってくるケンジ君の顔には満面の笑みが浮かんでいた。

 

 「えっとね確か…草団子がおすすめだったはず。

  後はゴマ団子と、みたらし団子とか!」

 

 「あ、みたらし団子。

  おれ食べてみたい。」

 

 「俺はゴマ団子かな…今から楽しみだ。」

 

 団子と一概に言ってもかなりの種類がある。

 あれはどうだろう、これも良いかもしれななど、話題も尽きぬままに青空の下を三人で歩いた。

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 百鬼の案内でしばらく歩いていれば、視線の先にそれらしき建物が見えてきた。

 『だんご』とでかでかと書かれた看板をひっさげたその茶屋は煌びやかとは言えないが年季を感じさせている。

 

 「ここね、フブキちゃんに教えて貰ったんだけどすごく美味しいらしいよ。」

 

 「へぇ、白上のおすすめなら期待できるな。」

 

 この辺りを拠点としている白上ならキョウノミヤコにある茶屋をすべて網羅していてもおかしくはない。そんな彼女がおすすめというのなら間違いは無いだろう。

 

 「にぃちゃん、ねぇちゃん、早く入ろう!」

 

 いつの間にか入り口の前まで進んでいたケンジ君にテンション高い声でそう催促されて、思わず百鬼と顏を見合わせ、同時に笑みを浮かべる。 

 先ほどから妙にはしゃいでいる様に見えるのは気のせいではないだろう。

 

 「…良かった、楽しんでくれてるみたい…。」

 

 そんなケンジ君を見てぽつりと呟かれた百鬼の声は安堵したように穏やかだった。

 

 店内は予想に比べて空いている、と考えた所でそう言えばまだ昼には遠い時間帯であることを思い出す。これでは朝食といった方がしっくりと来る程だ。

 

 取り合えず席だけ確保しておいて、早速団子を頼むことにする。

 

 店主らしき老人が出てきて各々自らの食べる団子を伝えれば、老人は奥へと戻っていき、けれどすぐにその手に人数分の団子とお茶の乗った盆を手に戻ってくる。

 

 「あ、…ありがとうございます。」

 

 差し出されたので普通に盆を受け取ると、軽く会釈だけして老人は再び奥へと戻って行った。

 その動作があまりに自然で、思わず呆然とその場に突っ立ってしまう。

 

 「…なぁ、あの人アヤカシか?それともカミ?」

 

 自らの手の内にある盆を見下ろして呟く。

 今の時間、団子を焼く時間はおろか茶を急須から湯呑に入れる時間すらなかった。にも関わらず盆の上にある湯呑からは湯気が立ち上っている。

 

 「余からは普通のヒトに見えたけど…。」

 

 「へー、技術ってやつかな。」

 

 百鬼は視覚的にイワレを捉えることが出来る。通常は使用していないらしい能力だが、ワザが発動したのなら知覚することくらいは出来るらしい。

 それにも引っかからないという事は、つまりケンジ君の言う通り技術しか無い。まぁ、技術をもってしても可能かどうかという疑問は残るのだが。

 

 考えた所で理解は出来ないのだろう。

 それよりも、とお茶が冷めないうちに席へと戻ることにする。

 

 先ほどの事は取り合えず無かったことにして、今は何よりも団子だ。

 最終的にそれぞれが頼んだのはケンジ君はみたらし団子、百鬼は草団子を、俺はゴマ団子だ。

 

 揃って手を合わせてから、団子を手に取る。

 

 「お、美味いな。」

 

 その団子の味は想像を軽く超えてきて驚き、つい声に出た。

 多分、今まで食べた団子の中で一番と言っても過言ではない。

 

 隣を見てみればケンジ君は夢中で食べ進めていて、その奥に座る百鬼も満足感が顔に浮かび上がっている。

 

 「フブキちゃんにお礼言っとかないと。」

 

 「…そのフブキちゃんって、ねぇちゃんの友達?」

 

 そんな百鬼の言葉を聞いたケンジ君は、一休みとばかりに茶を飲んで問いかける。

 

 「うん、そうだよ。

  余の大切なお友達。」

 

 百鬼はその問いかけに対して、強く頷いてはっきりと答えた。彼女の表情からも、それが本心であるという事が伺える。

 無論白上だけでなく、大神も同様に彼女は大切に思っているだろう。

 

 「じゃあ、にぃちゃんは?」

 

 「へ、透くん?」

 

 再びの問い。

 けれど、今度は先ほどの様に即答とはいかなかった。代わりにちらりとこちらへ視線だけが向けられる。

 

 「えっと…その。」

 

 「あれ、おい百鬼?」

 

 言い淀むその姿に、思わず名を呼びかける。

 そこは白上の時と同様にすらりと答えても良いのではないか。少なくともこちら側からは友人であると思っているのだが、彼女からすると実はそうでも無かったりするのだろうか。

 

 などと無駄に不安に思うのとは裏腹に、彼女は何処か照れたようにその頬を紅潮させて口を開く。

 

 「本人の前は、恥ずかしいから…余、答えたくない…。」

 

 そんなことを言われては、こちらまで羞恥は伝播してしまう。同時に自らの顔に熱が籠るのを感じる。

 

 だが、そういう事なら悪くは思われていないのだろう。

 それが分かりほっと胸を撫で下ろす。が、話はそこで終わらなかった。

 

 「…みたいだからさ、にぃちゃん。

  ちょっと席を外して?」

 

 「待ってくれ、それはそれで寂しいだろ。」

 

 顔を隠す百鬼を見てこちらを向くと容赦なくこの場を離れろと宣告してくるケンジ君に、思わず待ったをかける。

 結果も分からずにまた戻ってくるなど気まずさが残るに決まっている。

 

 「大丈夫、後でこっそり教えるから。

  にぃちゃんだって気になるだろ?」

 

 「それは…まぁ。」

 

 百鬼がどう思ってくれているのか、気にならないかと言われれば否だ、普通に気になる。

 ちらりと百鬼へと視線を向ければ、丁度こちらに視線を向けていた彼女と視線が交差し、思わず二人同時に目を逸らす。

 

 「…。」

 

 「…。」

 

 束の間の静寂が場を支配する。

 やはりここは一度この場を離れた方が得策かもしれないと、腰を浮かせかけるも、それよりも早く百鬼の声が聞こえてくる。

 

 「その…透くんも、余の大切なお友達…だから。」

 

 零すように、微かな声で百鬼は呟く。

 

 「そっか…ありがとな。」

 

 そんな彼女に対して感じるむず痒さと気恥ずかしさを押し殺しながら、何とかそれだけ返す。

 ただ互いが友人である。行ってしまえばこの程度の話なのに、こうも羞恥を感じるのはどうしてだろう。

 

 「良かったな、にぃちゃん。

  ねぇちゃんが大切だって。」

 

 「そうだな…けどケンジ君。

  この話はそろそろ…。」

 

 主に俺と百鬼が限界を迎えそうである。

 特に百鬼など先ほどから赤い顔を俯かせてプルプルと震えてしまっている。

 

 「うー…余、お団子頼んでくる!」

 

 多分、居たたまれなさとか其の他もろもろを一旦整理したかったのだろう。

 百鬼は立ち上がると、そう言い残して老人の出てきた場所まで歩いて行くと団子を注文する。

 

 「あ、おい、百鬼。

  ここは…。」

 

 だが一つ。

 彼女は焦りのあまり忘れているのだろうが、この茶屋、提供速度がそこらのモノとは格が違う。

 

 これで一息つけると、百鬼が息を吐く瞬間には既に老人は盆を持って彼女の前に立っていた。

 

 「あ…。」

 

 それを見て彼女も気が付いたようで、その表情が固まる。

 

 だが、受け取らないわけにもいかない。

 百鬼は礼を言って先ほどよりも赤くなった顔でとぼとぼとこちらへと戻ってきた。

 

 「あー…、百鬼。

  俺も百鬼の事は大切な友達だって思ってるぞ。」

 

 何かフォローせねばと考え、確固たる決意の元で掛けたその言葉は、しかし百鬼にとっては止めの一言となってしまった。

 

 「もう…!

  やっぱり、透くん嫌い!」

 

 

 

 

 

  







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個別:百鬼 3

どうも、作者です。


 

 茶屋を後にし、次の目的地を探して再びキョウノミヤコの街道を歩く。

 

 あの後、何とか百鬼の機嫌を取ろうと奮闘したためか若干気疲れのようなものを感じてきていた。茶屋と言えば休憩のような認識であったが、意外とそれは間違いであったのかもしれない。

 

 とはいえ、一日は始まったばかりである。

 気疲れはしたものの、体力的にはまだまだ余裕があった。

 

 「それで、次は何処に行く?」

 

 あても無く進んでいるが、一日中このままという訳にもいくまい。

 希望があればと思い、隣で楽しそうに歩いている二人に問いかけてみる。

 

 「んー、余は特に…。ケンジくんは?

  行きたいところある?」

 

 「行きたいところ?

  おれもないよ。」

 

 二人揃ってあっけらかんと答える姿に、思わず苦笑いが浮かぶ。

 一応、今回は百鬼とケンジ君が事前に約束していたようなのだが、本当に何も決めずただ遊ぼうと約束していただけらしい。正に行き当たりばったりだ。

 

 「そうか?…まぁ、その内何かしらが目につくか。

  それまで歩いてるだけだけど、退屈に…は、ならなそうだな。」

 

 「うん、これだけでも十分楽しいし。

  な、ねぇちゃん!」

 

 「ね、ケンジくん!」

 

 ただ歩くだけでは面白みがないのではないか。

 一瞬そう考えかけるが、何もしていないにも拘らず機嫌良さそうにしているケンジ君と百鬼を見て、それは杞憂だったと結論付ける。

 

 広がる街並みには昨夜のセイヤ祭の名残がちらほらと見える。しかし、普段との差異と言えばその程度。何故二人がこんなにも上機嫌なのか理由には見当もつかないが、まぁ、それ自体悪いことでは無いだろう。

 

 「そう言えば、白上から聞いたオススメで良さげな場所は無いのか?」

 

 先ほどの茶屋の事を思い出して、百鬼へと視線を移しながら問いかける。

 白上の事だからオススメがあの茶屋一つという事も無いだろう。何かしら例が出れば、自然と興味も湧いてくるというものだ。

 

 「うーん、確かに他にも色々と聞いたけど…。」

 

 しかし、想定外に百鬼は何処か煮え切らない様子で返事を返す。話したくないという様相でも無しに、何を悩んでいるのだろう。

 

 不思議に思っていれば、百鬼は話しにくそうに躊躇いがちにその口を開いた。

 

 「その…教えて貰ったの、全部食べ物関係で…。」

 

 「「あー…。」」

 

 その返答に、俺だけでなくケンジ君までも極めて納得がいったように声を上げる。

 

 なるほど、そう来たか。

 いや、確かに言われてみればむしろそちらの方がしっくりくる。

 

 だが、生憎と団子を食べたのはつい先ほどだ。

 団子と言えばその外見も相まって軽いデザートと思われがちだが、その実かなりの腹持ちの良さを誇る。昼には空腹になっているだろうが、ここまで間隔が短いと少し歩いた程度では次に行こうとは思えなかった。

 

 「何というか、白上らしいな。」

 

 彼女なら他にもキョウノミヤコの名所を知っているだろうに、チョイスするのが飲食のみという所が特に。

 ふと、昨夜の両手いっぱいに袋を引っさげた白上を思い出して頬が緩んだ。

 

 「その人、にぃちゃんも知り合いなの?」

 

 「白上の事か。

  そうだな、百鬼と同じ友達でシラカミ神社の神主をやってるんだ。」

 

 キョトンとして聞いてくるケンジ君に、そう軽く説明する。  

 それを聞いたケンジ君は記憶を遡るように一瞬宙を見上げ、思い至ったのかその手を打った。

 

 「あ、聞いたことあるかも。

  キョウノミヤコをケガレから守ってくれてるカミだって。」

 

 「ケガレから?」

 

 思いもよらない情報が出てきて今度はこちらが首を傾げる。

 俺の頭の中では、基本的にゲームしてるか菓子を食べているかの二択の狐なのだが、そんなことをしていたのか。

 

 思わず百鬼の方へ視線を向けるが彼女も知らなかったようで目を丸くしている。

 

 「あれ、にぃちゃん達知らなかったの?」

 

 そんな様子を見たケンジ君に問いかけられて、俺と百鬼は揃って首肯する。

 

 「あぁ、初耳だった。」

 

 「余も、フブキちゃんそんなことしてたんだ…。」

 

 というのも、俺も百鬼も白上と出会ったのはつい二、三か月ほど前の話だ。

 その頃には既にカクリヨに異変が起こっていて、白上は大神と共に調査に追われていたらしいし、その異変が解決までは行かなくともひと段落ついたのは昨日の事。

 

 この間に、白上がキョウノミヤコにケガレを祓いに行っているようには見えなかった。

 

 「…。」

 

 「いやいや、本当に友達だぞ?

  そりゃ知らない事も有るけど、それも普通の事だって。」

 

 ふと隣を見ればこちらへと向けられる疑いの視線。

 それを目にして慌てて訂正すると、ケンジ君はにやりとその相貌を歪める。

 

 「にぃちゃん、おれ何も言ってないよ。」

 

 そこで、ようやく揶揄われていた事に気が付いた。

 百鬼は気づいていたのか特に慌てた様子は無い。

 

 「ケンジくん、透くんが分かり易いからってあんまり揶揄わないようにね。」

 

 「はーい。」

 

 「あの、百鬼さん。

  フォローになってないです。」

 

 百鬼に注意されて元気に返事をするケンジ君だが、俺への精神的なダメージは増すばかりであった。

 

 そうやって話しながらぶらぶらと辺りを三人で彷徨っていれば、ふと前の方向が騒がしくなってきた。

 

 「駄目だ、ビクともしやがらねぇ!」

 

 「おやっさん、やっぱりこれ無理ですよ。」

 

 近づくごとに響いてくるそんな声に何事かと見に行ってみれば、大きな看板を前に疲れ切った様子でそれを眺めている数人の街の住人の姿があった。

 

 「だがな、このまま此処に置いておくわけにもいかん。

  アヤカシの連中は相変わらず他に行っちまってんだ、わしらでやるしかないだろう。」

 

 おやっさんと呼ばれる中年の男性は、周りに喝を入れつつなおも奮闘している。

 聞く限りあの看板を動かしたいようだが、人手が足りずに困っているらしい。 

 

 「悪い、ちょっと行ってくる。」

 

 そこまで時間はかからないだろうと、二人にそれだけ伝えて荷物を置く。

 

 「透くん、余も行こうか?」

 

 「いや、問題ない。百鬼はケンジ君と一緒にいてくれ。」

 

 あの看板なら持ち上げて運ぶくらい難は無い。

 聞いてくる百鬼に対してそれだけ答えて、見覚えのある男性の元へと近づいていく。

 

 「あの、良ければ手伝いますよ。」

 

 「お、良いのかい?

  …て、兄ちゃんか!いい所に来てくれた!」

 

 声を掛ければあちらも覚えていたようで、男性は目を丸くすると豪快な笑顔を浮かべる。

 

 セイヤ祭の準備に駆け回っていた際に、彼とは一度出会っていた。

 その時もこの看板には苦しめられていたが、それは片付けでも同様の様だ。

 

 「これを運ぶんですよね、何処まで持っていくんですか?」

 

 「あぁ、ありがたい。

  場所はわしが案内しよう。」

 

 男性は、そう言うと恐らく目的地のある方向へと一歩離れた。

 ここまで喜ばれると手伝いがいもあるというものだ。

 

 「よし…。」 

 

 それ以外の人も離れたのを確認してから、前回の教訓を活かして最初から鬼纏いまで発動させ、看板へと手をかけて一気に持ち上げる。

 大きさが道の幅ほどもあるため、周りの建物に当たらないように調節しながらそのままゆっくりと足を前へと踏み出せば、周りから歓声が上がった。それに何処か気恥ずかしさのようなものを感じつつ、前を歩く男性に付いて看板を運ぶ。

 

 「兄ちゃん、ここだ!」

 

 少しの間歩いたのち、男性が指さしたのは広めの空き地であった。そこには他にも看板や、その他備品など様々なものが置いてある。

 

 そんな空き地の中に大きめに開けた場所が見える。

 恐らくあそこが看板を置くためのスペースなのだろう。

 

 周りに置いてある物を踏まないように中に進んで行き、その場所に看板を下ろした。

 

 「いやー、助かった。

  毎度ありがとうな、兄ちゃん!」

 

 元居た場所へと向かいつつ、男性は肩を叩きながら豪快に笑う。

 カクリヨでの中年は基本的に肝の太い人が多いように思えるのは気のせいなのだろうか、ミゾレさん然り少なくとも今まで出会った人はこの男性のように豪快だ。

 

 「このくらい何ともないですよ。

  それより、さっきちらりと聞こえたんですけど、前と一緒でアヤカシの人達が他に行ってるんですね。」

 

 「あぁ、そうなんだよ。

  去年までは人数的に余裕があったんだが、今年は引っ張りだこさ。」

 

 歩きがてら気になっていたことを聞いてみると、男性は困ったように頭をかきながら応えてくれる。

 

 去年までは余裕があった。

 この点に少し引っ掛かりを覚えた。

 

 「今年はアヤカシの人達が少なくなっていたと。」

 

 「そう、今までは一人くらいは回ってきてくれてたんだが、現状は御覧の通りよ。

  街から出て行っちまったのなら、いつかは帰ってきて欲しいもんだ。」

 

 このカクリヨはイワレが常識として浸透している世界だ。

 それ故に、イワレによる強化を受けたアヤカシなど、普段の生活にも密接に関わっている。

 

 先ほどの巨大な看板だって、アヤカシがいるからこそあのサイズにして今までも作ってきたのだろう。

 そんな中でその前提が崩れれば、こうしてトラブルを招く結果となる。

 

 「ま、だからこそ、兄ちゃんには感謝だな。

  何かお返しがしたいんだが…今は手持ちが無くてな…。」

 

 「良いですよ、お返しなんて。

  俺も街の人には良くしてもらったんで。」

 

 色々と話を聞かせて貰ったしお礼はいらないというも、男性は頑固として譲る気配は無かった。

 

 「いいや、そういう訳にはいかん。

  …そうだ、次の月にある奉納の時は油揚げ他いつもより多めに用意しよう。」

 

 名案だとばかりに手を叩くのは、俺がシラカミ神社に住んでいることを知っている故だろう。

 奉納については初耳だが、確かにそれが良い落としどころに思えた。

 

 「ありがとうございます。

  多分、神主も泣いて喜びますよ。」

 

 比喩無しで。

 

 大量の油揚げが送られてきたともなれば、神社の狐は狂喜乱舞してもおかしくはない。

 ただ毎食きつねうどんは応えるため、そこは大神に祈ろう。

 

 来た道を戻っていれば、すぐに百鬼とケンジ君の姿が見えてくる。

 百鬼がこちらに手を振っているので、こちらも振り返していれば不意に男性は感心したように声を上げた。

 

 「ほー、兄ちゃんもやるなぁ!」

 

 「へ、何がです?」

 

 何のことか分からず聞き返せば、さも面白そうに男性は二人を指し示す。

 

 「美人な嫁さんに、大きな子供までこさえて。

  いやー、流石アヤカシだ。見た目に寄らないねぇ。」

 

 「嫁っ!?」

 

 思わず素で突っ込んでしまう程度には驚いた。

 これまた変な勘違いをされたものだ。

 

 「あの二人は嫁でも子供でも無く、ただの友人ですよ。」

 

 「ありゃ、そうだったか。

  こいつは失敬。」

 

 一つ咳ばらいを入れて訂正すれば、けれど男性はだっはっはと変わらず豪快に笑って見せた。

 キョウノミヤコの住人は皆気の良い人ばかりだ。それは、この人を見ているとひしひしと感じ取れる。

 

 「それじゃ、また何かあったら声でもかけて下さい。

  力になりますんで。」

 

 「おう、そん時はまた頼らせてもおうか。

  ありがとうな、兄ちゃん!」

 

 そう言うと男性は握り拳を突き出してくるので、それに拳を合わせてそこで男性とは別れる。

 二人の元へと小走りで戻れば、百鬼は笑顔で迎えてくれた。

 

 「透くん、おかえり。」

 

 一瞬男性に言われた言葉が頭をよぎるが、気にするような事でもないと片隅へと追いやる。

 

 「あぁ、ただいま。

  待たせて悪かった。」

 

 「ううん、全然。

  人助けだもん。透くん偉い!」

 

 褒め方はともかくとして、それ自体は嬉しいものだ。

 素直に受け取りつつ、しかし、顔を俯けているケンジ君の姿が目に入る。

 

 まぁ、途中で抜けてしまったから、そこですこし思う所があるのかもしれない。

 

 「あの、ケンジ君…。」

 

 「す…。」

 

 そう思い声を掛けようとしたところで、ぽつりとそんなケンジ君の声が聞こえてきて言葉を区切る。

 

 す?

 何を言いかけたのかと疑問に思っていると、その答えは本人から告げられた。

 

 「すっげー!

  にぃちゃん、すげーよ!」

 

 「え?

  あ、あぁ、ありがとう。」

 

 キラキラと目を輝かせながら興奮気味に飛び跳ねるケンジ君を前にして、思わず困惑してしまう。

 百鬼へと視線を向けて見れば、彼女も笑顔で頷いているので取り合えず悪い結果にはならなかったことは確かだ。

 

 「あんなおっきな看板を軽々持ち上げるとか!

  にぃちゃん、すげー!」

 

 尚も息も荒く続けるケンジ君だが、その声は辺りに響き渡っている。

 つまるところ、周りの視線がかなり痛かった。

 

 「ありがとうケンジ君。

  それは分かったから、落ち着いて…。」

 

 「落ち着けないって!

  だって、にぃちゃん…!」

 

 「頼む…。」

 

 しかし懇願も虚しく、ケンジ君が止まることは無かった。

 結局ケンジ君の興奮が収まるまで現状は続き、その間周りからの視線もまた途切れることは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後も三人で色々な場所へと行き遊び倒すも、時間が流れるのは早いものですぐに日が暮れてしまった。

 そして、集合場所であった噴水の前まで戻ってきて、ケンジ君とはそこでお別れすることとなる。

 

 「じゃあな、にぃちゃん、ねぇちゃん!」

 

 元気よく、疲れを感じさせない笑みで手を振るケンジ君に手を振り返す。

 やがて人込みの中に入るにつれて姿が見えなくなるその瞬間まで、その手を振り続けた。

 

 「ケンジくん、楽しそうだったね。」

 

 「あぁ、俺からもそう見えた。」

 

 今回はケンジ君と遊びにキョウノミヤコまでやってきた。

 満面の笑みを浮かべるケンジ君の姿からも十分すぎる程に本願は達成できたし、俺達も楽しかった。

 

 ただ一つ、気になる事はある。

 

 「なぁ、百鬼。

  今日はなんで俺も誘ってくれたんだ?」

 

 帰り道を歩きながら、隣の百鬼へと問いかける。

 顔なじみであった、確かに昨日出会っているし集団の中ではあったが一緒に遊んだが、しかしこれでは幾らか理由が弱いように思えた。それこそ百鬼と二人だけでも、ケンジ君は楽しめたはずだ。

 そこでわざわざ俺まで誘った理由を知りたいと思った。

 

 すると百鬼は少し考える様に顎に指をあてて、けれどすぐにその口を開いた。

 

 「ケンジくんね、透くんに憧れてるんだって。」

 

 「俺に?」

 

 確認に自らに指さして聞けば、肯定するように百鬼は縦に首を振る。

 

 「うん、ケンジくんにとっては馴染みの無いお兄ちゃんみたいな人が出来て嬉しいみたい。

  だから透くんも来てくれたらケンジくんも喜ぶと思って。」

 

 「へ、へー、そうだったのか。」

 

 なるほど、そう言った経緯があって今朝に俺の事を誘ってくれたという訳だったようだ。

 しかし、嬉しいか、喜んでくれるか。

 

 そうか…。

 

 「透くん、凄いにやけ顔。」

 

 「言わないでくれ。

  自分でも分かってる。」

 

 そんなことを言われて、嬉しく思わない奴はいないだろう。

 頬を触らずとも分かるほどに、自らの口角が上がっていることが分かる。

 

 「…その顔、神社に到着するまでに直した方が良いと思うよ。」

 

 「努力する。」

 

 そう言う百鬼の顔もまた、面白いものを見る様に歪められ、その瞳はキラキラと輝いていた。

 

 道中何とか顔を戻そうとしていたが、その努力が実ることは無かった。

 神社に帰ってすぐに鉢合わせた白上と大神に気味悪がられてしまったのは、また別の話となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「今日、楽しかったな…。」

 

 夕焼けが辺りを照らす中二人を見送った後、そうぽつりと呟いたケンジは噴水の広場を後にする。

 そこら中はまだキョウノミヤコの住人で溢れており、活気が消えることは無い。

 

 この辺りは夜になっても騒がしいことが多い。ここひと月でケンジはそれを学んでいた。

 だからこそ、自分は人込みに紛れることが出来る、目を向けなくても済む様になる。

 

 人気のない路地の裏。

 その先にある自らの家へと向かい、ケンジは夕焼けの落とす影の中を歩く。

 

 「にぃちゃんとねぇちゃん。

  また、来てくれるかな…。」

 

 




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個別:百鬼 4

どうも、作者です。


 

 キョウノミヤコから帰ってきた後、夕食を食べ終えてからシラカミ神社の自室にて習慣の刀の手入れを行っていると、不意に襖がノックされた。

 

 普段は誰かが部屋に来ることは少ない。

 白上がゲームでも誘いに来たのかと適当に当たりをつけつつ刀を鞘に納めて、腰を上げる。

 

 「はいはい…、って、百鬼か。

  どうしたんだ?」

 

 襖を開ければ、目の前に立っていたのは白髪の赤い鬼の少女の姿。

 こんな時間に部屋に来るとは珍しい、と思わず彼女をじっと見つめてしまう。

 

 「今からみんなで銭湯に行くから透くんも呼びに来たんだよ。」

 

 「銭湯?

  揃っていくのは珍しいな。」

 

 このシラカミ神社には風呂は無いため基本的に近くの村にある銭湯を利用するか、裏の水場で水浴びをすることが主になっている。

 しかし銭湯に行くにしても、全員で行くというのは案内して貰った時くらいのものだ。二人、三人で行くこともあるが、それ以外はそれぞれが好きな時間に行くことが多い。

 

 というか俺の場合は道中が同じだけで、どうせ一人になるのだからあまり変わらないのだ。

 

 「なんだかね、色々とひと段落ついたからみんなで疲れを取りに行こーって、ミオちゃんが。」

 

 「あぁ、そういう事か。」

 

 なにせ。セイヤ祭に調査と昨日だけで大きな問題が二つも片付いたのだ。

 特に調査についてはふた月以上前から取り組んでいたこともあり、達成感は一際だが疲労もまた同様だ。

 

 「分かった。

  俺も銭湯には行こうと思ってたし、すぐ準備する。」

 

 それに、この時期の極寒の中での水浴びは流石に応える。 

 

 「じゃあ待ってるねー!」

 

 了承すれば百鬼はパタパタとその場を後にした。

 それを見送ってすぐにささっと外行きの準備を整えて、荷物を持って部屋を出る。

 

 足早に玄関から外へ出れば、既に三人とも荷物を持って待機していた。

 

 「悪い、待たせた。」

 

 急いだつもりだったが一番遅れてしまったようだ。

 一応詫びを入れるが、全員気にした様子も無い。 

 

 「そんなに待ってませんから、気にしないで下さい。」

 

 「あはは、急な話だったし仕方ないよ。

  それじゃあ、透君も来たことだし。しゅっぱーつ!」

 

 「「「おー!」」」

 

 大神の号令に合わせて上げられた声が重なり、シラカミ神社の境内に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 近くの村まではさほど離れておらず、歩いても十分行ける距離だ。

 そのため走ればものの数分と掛からずたどり着けるのだが、別に急いでいるわけでも無いためゆっくりと歩いていく事になった。

 

 「ところで白上、昨日は結局屋台を回り切れたのか?」

 

 とはいえ、勿論ただ歩くだけではなく雑談を交えながらだ。

 ふと気になっていたことを聞いてみれば、鼻歌交じりに歩いていた白上は獣耳をペタリと垂れさせて露骨に落ち込んでいく。その反応だけでも、十分に結果は伺えた。 

 

 「…駄目だったんだな。」

 

 「はい、九割がたは回り終えたんですけど…あと少しの所でタイムオーバーでした。」

 

 無念です、と肩を落とす白上。

 しかし、一日でキョウノミヤコの屋台を九割も回ったという事実は何よりも強烈であった。

 

 「それでも九割は回ったんだ…。

  フブキちゃんのお腹どうなってるの?」

 

 「もう、あやめちゃん。

  恥ずかしいからあんまり見ないでくださいよ。」

 

 目を丸くして白上の腹部を凝視する百鬼に、さしもの白上も恥ずかしいのかほのかに顔が赤くして腕で腹を隠す。

 

 「けど、ウチも気になってたんだよね。

  フブキって普段は大食いじゃないのに、食べるとなったらいくらでも呑み込んでいくんだから。ミゾレさんもよく首を傾げてるよ。」

 

 「やっぱり、カクリヨでも異常ではあるんだよな。」

 

 ミゾレ食堂。

 シラカミ神社ある山の麓にある食堂で多種多様のヒトやアヤカシ、カミが集まっているらしいが、それを見てきているミゾレさんでも白上の生態は理解できないらしい。

 

 「フブキちゃんのお腹、どこかに繋がってたりして。」

 

 「それ白上的には軽くホラーなんですけど。」

 

 「確かに怖いかも。」

 

 「謎の空間か…。」

 

 揃って自分の胃が知らぬうちに謎の空間に繋がっていることを想像して、確かにそれは怖いと意見が一致する。

 どれだけ強大な力があっても、未知の力には対抗できないものだ。

 

 「…怖いと言えば、夜の山は特に問題ないんだな。」

 

 「何がですか?」

 

 ふと思い立って口にしてみれば、キョトンと白上は聞き返してくる。

 そんな白上と続いて大神を見て、次に辺りの暗闇の森へと視線を移す。

 

 「いや、幽霊とか。

  夜の山奥とか如何にも出てきそうだろ?」

 

 というのもカクリヨに来た当初、キョウノミヤコで骸骨の霊が出ると噂になった時があった。

 その際に白上と大神がホラーが苦手であることを知り、代わりに俺が深夜に街を調査することになったのだ。

 

 雰囲気的にはあまり大差ない、むしろ此処の方が条件としては整っていると思うのだが、やはり霊の噂の有無がその辺り影響しているのかもしれない。

 

 「「…。」」

 

 特に気にした様子も見えなかった理由について考えていると、急に白上と大神は無言のままピタリとその場に立ち止まった。

 

 「…ん?」

 

 「フブキちゃん、ミオちゃん?」

 

 釣られて足を止めて振り返れば、そこにはピクリとも動かず立ち尽くす白上と大神の姿。

 百鬼が声を掛けるも、それに対する応答も特にない。

 

 思わず百鬼と目を見合わせていれば、不意に一陣の風が吹き周囲の木々がざわめいた。

 その瞬間、白上と大神はびくりと身を震わせ、目にもとまらぬ速さで近づいてくる。

 

 「ななな、何でそんなこと言うんですか!」

 

 「言われたら意識しちゃうでしょ!」

 

 詰め寄ってきた二人は顔を青ざめさせて、声を震わせながらがくがくと体を揺さぶってくる。

 

 「ま、待て、世界が揺れる…。」

 

 尚、余裕が無いためか完全に手加減など考えていない模様で、簡単に頭が上下左右へと振り回された。それに伴い、視界に映る景色は目まぐるしく変化していき、三半規管は完全に狂わされてしまう。

 

 軽い気持ちで踏み入った地獄はしばらく続き、ようやく解放された俺は地面へと崩れ落ちた。

 

 「…透くん、大丈夫?」

 

 両手をついて揺れる視界と戦っていると、頭上からそんな百鬼の声が聞こえてくる。

 

 「大丈夫…だけど三分休ませてくれ。」

 

 「うん、大丈夫じゃないんだね。」

 

 結果、四名中三名が顔を青く染める事となった。

 ここで、しばらく銭湯への行軍は停滞することとなる。

 

 少し時間が経って幾らかめまいも収まってきて体を起こせば、未だ顔を青くしたままの二人は身を寄せ合っていた。

 

 「ミ、ミオ、手を、繋ぎませんか?」

 

 「ウチも、繋ぎたいって思ってた。」

 

 震え声で互いを慰める様は何処か幼さを感じさせて、同時に二人がどれ程苦手に思っているかがひしひしと伝わってくる

 

 「…あれ、百鬼?」

 

 と、同時に視界に映る百鬼だったが、その顔に浮かぶ笑みは悪戯心に満ちていた。

 その視線は二人固まっている白上と大神に向けられていて、それを見てすぐに百鬼が何をしようとしているのかを察する。

 

 「…ちょっとだけだから。」

 

 百鬼はこちらへ向いて人差し指を口の前に立てるとこそりとそれだけ言い残して、改めて白上と大神居る方向へと向き直る。

 彼女はタイミングを計るようにじっと二人を見つめ、そしてぐいとその手を動かした。

 

 すると大神の丁度後ろ辺りに虚空から鎧をまとった腕が生えてきて、ちょいちょいと二人の肩を叩いた。

 

 「あやめちゃんですか?

  今はあんまり余裕が無くて…。」

 

 「余、ここに居るよ?」

 

 震えながら応える白上。

 しかし、百鬼の姿が確かに目の前にある事に気が付いて彼女はその口を噤んでしまう。

 

 「じゃ、じゃあ透君かな。

  このくらい、ウチにはお見通し…。」

 

 「俺もこっち側だ。」

 

 白上の後を継ぐように空笑いを浮かべる大神だったが、しかし、俺も百鬼の傍にいることを確認するとすぐに黙り込んでしまう。

 

 「「…。」」

 

 俺と百鬼ではない、白上と大神は互いに手を繋いでいて不可能。

 それを理解した二人は油を刺されていないブリキ人形の様にぎこちない挙動で後ろを振り返り、そして、未だそれぞれの肩に置かれている宙に浮く腕へと視線を向けた。

 

 「にゃああああ!!?」

 

 「いやああああ!!?」

 

 続いて暗闇に鳴り響く悲鳴。

 腕から逃げる様に地を這いかけながら二人は凄まじい速度で背へと回り込んでくる。

 

 「人を盾にするな盾に。」

 

 これの何処がちょっとなのだろうかと思いつつ百鬼へと視線を向けて見れば、彼女はさもご満悦といった風にひとり爆笑している。

 

 「あ、あやめっ!

  こんな事する子に育てた覚えウチには無いよ!?」

 

 「もう、あやめちゃん!」

 

 流石にここまであからさまだと気付かれる。

 二人からの震え声での抗議を受けた百鬼は、笑い過ぎて浮かんだ目元の涙を指で拭った。

 

 「ごめんなさーい。」

 

 ちろりと小さく舌を出しながら百鬼は謝るが、確実に反省していない彼女の様子に白上と大神はぷくりとその頬を膨らませる。

 当然、それだけで収まるはずも無く。直に落ち着きを取り戻した二人に百鬼は襲い掛かられ、もみくちゃにされてしまった。とはいえ百鬼も楽しそうなため、しばらくは放っておくことにする。

 

 「人を揶揄う悪い子はこうですよ!」

 

 「あやめー、覚悟してね?」

 

 「あははっ!フブキちゃん、ミオちゃん、許して…!」

 

 結局、百鬼が解放されたのはそれから数分程経過した後であった。その間、絶え間なく二人からくすぐられ続けていた彼女は息も絶え絶えになりながら、よろよろと崩れ落ちていった。

 

 「天誅です。」

 

 「次やったらこの程度じゃすまないからね。」

 

 「は、はーい。」

 

 やり切ったとばかりに胸を張る白上と大神を前に、笑い疲れている百鬼は気の抜けた声で返す。

 

 短い道中で恐らく普通に歩いていれば既に到着している時間帯だろうに、まだ道は半ば。

 最近はセイヤ祭の準備に追われていてそれどころではなかったこともあり、久しぶりの和やかな空気に皆何処か浮足立っていた。

 しかしそれとこれとは話が別なようで、落ち着いたら暗闇に恐怖を思い出したのか、白上と大神は再び互いに引っ付き合う。

 

 「これから夜に銭湯行けないです…。」

 

 「ウチも、しばらくは夕方に行く。」

 

 二つの恨みがましい視線が飛んでくる。

 急に矛先がこちらに向き始めたことに思わず苦笑いを浮かべつつ、手を合わせる。

 

 「いや、あまりに普通にしてたもんだから気になったんだよ。

  悪かったって。」

 

 まさか意識の変化だけでここまで影響が出るとは予想できなかったのだ。

 唸り声を上げる二人を宥めながら、何時までもここで立ち止まっている訳にもいかないと、歩みを再開する。

 

 「にしても、そんだけ力を持ってるのに幽霊は怖いんだな。」

 

 カミともなればそれこそ敵なしとでも言うべき存在であるにも関わらずこの怖がりよう。

 そんじょそこらの幽霊など軽く対処できるだろうに、むしろ幽霊の方から逃げていきそうなものだが。

 

 「はい、それはもう。

  いくら力があっても怖いものは怖いですよ。」

 

 そこだけは譲れないようで白上は若干食い気味に応える。大神も、それに同調するように強く頷いていた。

 

 「まぁ、普通そうだよな。」

 

 いくら強大な力を持っていても彼女らはあくまで同じ心を持つ、苦手なものもあれば、好きなものもある人間なのである。高位的な存在とはいえ、心は何処まで行っても平等だ。

 それを今、再確認した。

 

 「透くんは何か怖いものはあるの?」

 

 「俺か?

  んー…。」

 

 百鬼から改めて問いかけられて考えてみるが、中々これといったものは出てこない。一応それらしいものは無いことは無いが、恐怖を覚える程かと言われると頷きがたい。

 

 「特には思い浮かばないな…。

  そう言う百鬼は何かあるのか?」

 

 この中で誰が一番強大な力を持っているかと言えば、それは間違いなく百鬼だ。そんな彼女にも恐怖の対象はあるのだろうか。

 

 「うん、あるよ。」

 

 そんな問いかけに対して、百鬼からは驚くほど速く答えが返ってくる。

 だが、そんな彼女に覚えた違和感に思わず足を止めそうになる。

 

 「多分、これだけは一生克服できないと思う。」

 

 「…そうか。」

 

 続けざまに応える百鬼の雰囲気はこれまで見てきた彼女のそれとは明らかに違っていて、内容について聞くことなど到底できず、俺はただそう相槌を打つことしかできなかった。

 彼女にこうまで言わせるものに興味はある、しかし、これは簡単に立ち入って良い問題でもなさそうだ。

 

 「…ねぇ、あやめ。

  あのシキガミは何時になったら引っ込めるの?」

 

 「?…あ、忘れてた。」

 

 一瞬何のことかと視線を巡らせる百鬼だったが、大神の指さす方向を辿っていくとそこには確かに先ほど百鬼が二人を驚かすために使用したシキガミがふよふよと腕だけのまま宙に浮いていた。

 

 「びっくりした…、一瞬本物かと思った…。」

 

 百鬼がシキガミを戻すと、大神は小声で呟きながら明らかにほっとしたように胸を撫で下ろしていた。確かに誰も意識を向けていない中あれ単体を見つけてしまえば驚きもする。

 

 「そのシキガミ、腕のみのシキガミなんですか?」

 

 「ううん、一応足も体もあるよ。

  頭は無いけど。」

 

 「…もしかして、さっきのちょっとって腕だけって意味じゃないよな。」

 

 「…あ、見えてきたよ!」

 

 ふと思い至って口に出してみれば、しかし百鬼は聞こえなかったふりをして前方を指さして誤魔化すように声を上げた。

 本当にそういう意味だったらしい。

 

 声に釣られて前を見てみれば、提灯に明るく照らされた村の入り口が見えた。規模は小さいながらも住居は多く、その分住人の多さもうかがえる。

 

 村に入り、しばらく進んでいればすぐに目的であった銭湯に辿り着いた。人口が多いこともあってか村の銭湯はかなりの村で一番とも呼べる大きさを誇っている。

 

 「それじゃあ透くん、また後でね。」

 

 「あぁ、後で。」

 

 混浴という訳でも無いため二つの入り口の前で三人とは別れる。

 何処か寂寥感が胸に灯るが、こればかりは仕方ないと割り切って一人暖簾をくぐった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 入浴を終えて再び暖簾を潜って出て来てみるが、一足早かったようで三人の姿はまだ無かった。

 一人、途中で住人にもらったフルーツ牛乳を片手に待っていれば、さほど時間も掛からず三人も出て来て合流する。

 

 「…また同じ道を通るんですよね。」

 

 「頑張ろう、フブキ。」

 

 若干二名ほど必死の決意を固めつつ行きと同様に雑談を交えつつ帰り道を歩く。

 その道中、時折木々のざわめきに驚く二人に比べて、百鬼は行きに比べて何処か落ち着いているように見えた。

  

 不思議に思い百鬼の方へ眼を向けて見れば、彼女の眼は細められていて、如何にも眠たいですと言った風貌だ。

 

 「百鬼、眠いのか?」

 

 「ううん、眠くない。…ちょっと瞼が重いだけだから。」

 

 「それを眠たいって言うと思うんだけどな…。」

 

 謎の見栄を張ろうとする百鬼に思わず苦笑いが浮かぶ。

 もしかすると広い湯舟に浸かって今までの疲れが出てきたのかもしれない。

 

 「…おんぶでもするか?」

 

 「透くん、余は子供じゃないから。

  ちゃんと一人で歩けるから…。」

 

 そう言っている内にも彼女は舟を漕いでいて、今にも意識を手放しそうに見えた。ふらふらと道を逸れて行ってしまいそうではらはらとしながら、そんな彼女を見守る。

 

 「そうか?

  まぁ、限界そうなら言ってくれよ。いつでも背負うから。」

 

 「…うん。」

 

 一応伝えておいたが百鬼が声を掛けてくることは無く、無事にシラカミ神社へと到着した。

 神社へと辿り着くや否や、白上と大神はまるで登山で頂上まで昇り切ったかのような見事なガッツポーズを決めていた。

 

 玄関から室内へと入るが、この頃にもなると百鬼の眠気もピークを迎えていた。

 

 「あやめちゃん、大丈夫ですか?」

 

 「ウチが部屋まで送ろうか?」

 

 「大丈夫だよ。

  ありがとうフブキちゃん、ミオちゃん。」

 

 心配そうに提案してくる二人に、けれど百鬼はふにゃりとした笑顔でやんわりと断る。

 

 「うーん、そうですか?

  …では、白上は自室に戻りますね。」

 

 「じゃあウチも部屋に戻るね。おやすみあやめ、透君。」

 

 本人がそう言うならと、二人はそのまま歩いて行ってしまう。

 その背を見送ってから、改めて百鬼へと向き直った。

 

 「俺も部屋に戻るけど、百鬼はどうする?」

 

 「余も、お部屋に戻る。」

 

 と、いう事なので今日はここで解散することとなった。

 どう見ても今の百鬼は眠気に飲まれかけているため、これが一番良い形の筈だ。

 

 途中までは同じ経路な為二人で通路を歩く。

 自らの部屋へとたどり着けば、百鬼へと軽く声だけかけて自らの部屋へと入った。

 

 今日は朝からキョウノミヤコに赴いたりと動き回っていた。その為か百鬼程ではないが、少なからず俺自身眠気は感じていた所だ。

 

 飯を食って、風呂に入って。

 後は暖かい布団にでも包まれば一日は至高の終わりを迎えるだろう。

 

 「…よし、じゃあ寝るか。」

 

 「うん、余も寝るー。」

 

 返事の無い筈の独り言に返事があった。

 その事実に一瞬思考を停止させつつ、後ろを振り返ればそこには先ほど別れたはずの鬼の少女が立っていた。

 

 

 




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個別:百鬼 5

どうも、作者です。


 

 振り返った先に立っていた鬼の少女。

 つい先ほど別れた筈の彼女の姿に、思わず唖然として彼女に見入ってしまう。

 

 「あの、百鬼?

  ここは俺の部屋なんだけど…。」

 

 「?知ってるよ?」

 

 辛うじて口を開けてここは百鬼の部屋では無いとはっきりと伝えるも、しかしそれはあっさりと肯定されてしまう。つまるところ誤解や間違いなどでは無く、彼女は自分の意思でこの部屋に居るという事になる。

 

 「じゃあ、何か話があるとか?」

 

 「…。」

 

 ならば他の理由かとそれらしいものを挙げてみるも、百鬼は無言のままその首を横に振る。

 

 「今は…一人になりたくない。」

 

 言いながら百鬼は眠気を覚ますように目をこすった。

 

 一人になりたくない。

 それを聞いた俺の胸中に浮かんだのは驚愕。いつもは天真爛漫に振舞っている彼女がそんなことを言ってくるとは、少々意外に思えた。

 

 「…けど、わざわざ俺の部屋に来なくても。

  白上や大神の方がその辺適任だと思うぞ?」

 

 正直、人を慰めるという行為に置いては包容力なども含めてあの二人の方が向いているし、俺にその適性があるかと問われれば否と答える他なかった。

 

 「ううん、透くんが良い。」

 

 けれど百鬼は迷う様子も無くはっきりとそう断言する。

 その答えに自らの心臓が強く跳ねたのが分かった。それは驚きからなのか、それとも別の感情からなのか。はっきりとは理解できないが、何となく百鬼には悟られたくないと思った。

 

 「…分かった、取り合えず立ち話もなんだし適当に座ってくれ。」

 

 何ともない風に取り繕いつつ、彼女からは顔を隠すように背を向けて座る。

 

 少し落ち着こうと深呼吸をしていれば、とんっ、と背中に軽い感触を感じた。

 肩越しに後ろへ視線を送ってみれば、視界に映るのは白く艶やかな長髪から覗く百鬼の後ろ顔。未だとろんとさせたその瞳から、吸い込まれてしまうように目を離せなかった。

 

 「やっぱり…、透くんの傍にいるとなんだか落ち着く。」

 

 百鬼はほっと息を吐いて安心したようにその瞳を閉じる。それと同時に離れなかった視線を外し、俺は前を向く。

 あまりに唐突の出来事で回っていなかった思考だが、そんな百鬼の様子を見て銭湯への道中で感じた違和感が再び顔を出した。

 

 「百鬼、さっきからなんか変だぞ。

  何かあったのか?」

 

 「ん…。」

 

 背中合わせに座っている百鬼へとそう問いかければ、彼女は微かに声を漏らした。その反応だけで、彼女が何かを抱えている事くらい察する事はできる。

 

 しかし、百鬼は何も話し出そうとはしなかった。それは眠気からか、それとも単に話したくなかっただけなのか。 

 どちらにせよ、今の彼女からその理由を聞けないということは明白だった。

 

 「…まぁ、良いけどな。」

 

 話したくないというのならそれで良い。無理に聞き出そうとする気もない。

 

 「…何も、聞かないの?」

 

 根掘り葉掘り聞かれるとでも思っていたのか、百鬼は心底不思議そうにこちらを見る。

 

 気にならないのか。

 そんなもの気になるに決まっている。ただ彼女がそれを望まないのであればそれを汲もうという気持ちの方が大きいだけだ。

 

 「あぁ、聞かない。

  百鬼だって話したくはないんだろ?」

 

 それとも聞いて欲しかったのかと聞けば、彼女はその首を横に振って否定する。

 なら、これで良い。一人になりたくないというのなら傍に居よう。

 

 「透くん…、ちょっと変だよね。」

 

 「今の百鬼に言われるのは心外だな。」

 

 言い返してみれば、百鬼は静かにその喉を鳴らす。

 何が可笑しいのか、などと思いつつ自らの口角に手を添えてみれば同様に笑みを浮かべていることが分かる。

 

 「でもね。」

 

 と、百鬼が再び口を開くのと同時に背中に感じていた熱が離れていくのを感じた。

 思わず振り返ってみれば、窓から差し込む月明りに照らされた綺麗な紅の瞳と視線が交差する。

 

 「余は透くんのそういう所、好きだよ。」

   

 そう言って、彼女は微笑んだ。

 その瞳に他意は無く、ただ純粋に彼女がそう思ってくれていることを表していた。

 

 「…そうか。

  それは、光栄だな。」

 

 「うん。」

 

 茶化して言うが、恐らく感じる気恥ずかしさは彼女にも気取られているのだろう。

 顔を背けるように背を向ければ、再び軽い衝撃と共に背中に熱が戻ってくる。

 

 眠気は感じる。

 けれど、もう少しだけこの時間が続いても良いと思った。

 

 他愛もない話をしながら、結局どちらから先に意識を落としたのかは分からぬままに、夜は更けていった。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見た。

 誰かと何かをするような能動的な夢ではなく、ただ目の前で景色が移り変わっていく夢。

 

 視界いっぱいに映る色とりどりの花。

 いくつもいくつも、数えきれないほどにそれは咲き誇り、世界を彩っている。

 

 なんて綺麗なのだろう。

 花が与えてくる幸福は、等しく忘我的であった。

 

 一輪、花が枯れた。

 

 また一輪、更に一輪。

 数えきれないほどある花の中で枯れてしまったそれは、他に咲いている花があるにも関わらず異様なまでに意識を引かれる。

 

 枯れた花を残したまま、その分だけ新しい花が咲いた。

 けれど、次々に枯れていく花は新しいものでは到底覆い隠せない程に、その存在感を増していく。

 

 永遠に枯れた花が視界を覆いつくすことは無い。

 同時に枯れた花が視界から消えることも無い。

 

 咲いた花を慈しめば慈しむ程に、枯れた花はそれ以上の悲哀を返してくる。

 

 枯れないでとそう願っても、それを止める手立てを持っていなくて。

 ただその様子を見守ることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陰鬱な気分を背負ったまま朝を迎えた。

 夢見が悪い何てモノではない、胸の内をかき回されてそこに負の感情をぶち込まれたような気分だ。

 

 瞼を突きさすような朝日に、既に太陽が空へ顔を出していることを知る。

 

 気を抜きすぎた。胸を埋め尽くす後悔の念。

 特に予定もないのだから、今日こそは鍛錬をと思っていたのだが、完全にリズムを崩してしまった。

 

 まぁやってしまったのなら仕方ない。少し遅めだが鍛錬に行こうと体を起こそうとして。

 地面に張り付けられたかの如く体が動かないことを悟った。

 

 「は?」

 

 まさかの事態に驚いて目を開ける。

 眩しい横合いからの朝日に瞳を刺され、手で遮ることでようやく視界を確保した。

 

 「すぅ…。」

 

 そして目に入ったのは、頭上にある端正な顔立ち。

 それは正しく昨夜見た鬼の少女のモノと同一だ。というか百鬼だった。

 

 頭の後ろの普段の枕とは違う感触。

 心地よい寝心地でいつまでも寝ていたくなるような感覚に、自らの現状を理解する。 

 

 つまるところ、現在百鬼に膝枕をされているらしい。

 

 横へ視線をむけてみれば、彼女の両手が自らの両頬へ添えられているのが見えた。試しに頭を起こそうと力を込めてみるも、空間ごと固定されてしまったかの如くピクリともしない。

 

 「…どうしてこうなった。」

 

 そこまで確認して、ようやく至極真っ当な疑問が口をついてでる。

 

 昨夜の時点では確かに背中合わせで話をしていた筈だ。どちらからともなく眠ってしまうまで話したが、少なくとも、膝枕をしてもらうような状況にはなっていなかった。

 しかし、現状はその記憶をを易々と否定してくる。

 

 どうにせよ、百鬼が起きるまでは動けそうも無いと、早々に現状への抵抗を諦めて身体の力を抜く。

 

 百鬼の手によって抑えられているとは言ったが特に痛みなどは無く、何もしていなければただ手が添えられているだけだ。

 ただ、動こうとすると絶妙な力加減で丁度動けない程度に押さえつけられる。

 

 これを寝ている状態でやってのけるのだから、つくづく彼女の力の規格外ぶりにもはや驚嘆を通り越して呆れが出てきてしまう。

 

 「なんでこの状態でそんなに気持ち良さそうに寝られるんだか。」

 

 すやすやと寝息を立てる百鬼は正座をしているのにも関わらず、何処までも健やかな寝顔をさらしている。それは結構なのだが、出来れば手も同様に休んでいてもらいたかったものだ。

 

 意趣返しとばかりに百鬼の額をつついてみるも、彼女の瞼が開くようなことは無く。代わりに視界に入ってきた自らの右手に意識は集中した。 

 

 「…相変わらず、濁ってるな。」

 

 そこに埋め込まれている宝石を見て、ぽつりと呟く。

 周囲からは透き通っている、もしくは鮮やかな色がついているように見えるようだが、それがどのような色をしているのか一度くらい見てみたいものだ。自分からはただの石ころのようにも見えるそれに、やはり周囲が羨しいと感じることもある。

 

 とはいえ、所詮は好奇心だ。

 あくまでもどんなものなのかという興味に他ならない。

 

 目を覚ます気配もない百鬼の顔をもう一度見て、今度こそ脱力して腕を下ろした。

 

 「…ちょっと、フブキ…」

 

 「ミオだって…。」

 

 天井のシミでも数えていようかと考えていた折、不意に襖越しにそんな声が聞こえてきた。

 上へと向けていた視線を襖の方へと向けてみれば微かに襖は開いていて、その隙間からは二対の瞳がこちらを覗き込んでいた。

 

 「白上、大神。」

 

 「「わひゃっ!?」」

 

 名を呼びかけてみれば驚いて体制でも崩したのか、白上と大神が襖を倒す形で部屋へと揃って派手な音と共に転がり込んできた。

 

 「何してるんだ、二人共…。」

 

 膝枕された状態でどの口が言ってるのだとは思わなくもないが、しかし、今はこちらの方が優先だ。

 転がったままぽかんとこちらを見つめている白黒の二人組へと問いかければ、彼女らは気まずそうな顔をしながらもその口を開いた。

 

 「その…白上は丁度お二人の部屋を通りかかった際に襖が少し空いていまして。

  ちらりと部屋の中であやめちゃんが透さんに膝枕をしているのを目撃して…今に至ります。」

 

 「ウチは起こしに来たらフブキがここに居たから、何を見てるのかなと思って部屋の中を見て…はい、今に至ります。」

 

 叱られた子犬のようにしゅんとする二人。 

 ただ、取り合えずすべての始まりは百鬼の膝枕からということは分かった。

 

 「だからって覗き見なんてしなくても、普通に入って…。

  …来れないよな、普通。」

 

 言葉の途中で自らの状況を鑑みてみれば、彼女らの行動も無理はないと思い直して、一瞬の硬直の後直前の自らの言葉を訂正する。

 確かに、同じ状況にあれば部屋に押し入るような真似は出来そうもない。

 

 「あ、透さんもそう思うんですね。」

 

 「まぁ、流石に自分の状況くらい理解してる。」

 

 「でも、その割には透君落ち着いてるような…。」

 

 「さっきあらかた驚いて諦めたからな。」

 

 これでも先ほど現状を理解した時は驚愕したのだ。

 それこそ夢見が悪かったにも関わらずその一切を吹き飛ばしてしまう程に。

 

 「ん…。」

 

 と、流石にここまで騒がしくすれば目も覚めるというものだ。

 小さく唸り声を上げると、百鬼はゆっくりとその瞳を開く。

 

 「…透くん…おはよ…。」

 

 まだ完全に覚醒しきっていないのか何処かぼんやりとした瞳と目が合えば、百鬼はふにゃりとその相貌を崩した。

 

 「あ、あぁ、おはよう…。」

 

 間近で見るそんな百鬼の表情に思わず面をくらいつつ、なんとか挨拶を返す。

 ただそれだけで、彼女が何処か嬉しそうに見えるのはただの気のせいには思えなかった。

 

 しばらく、無言でそんな彼女と見つめ合う。

 すぐ真上にある彼女の瞳とのあまりの距離の近さに、自らの心臓が早鐘を打つのを感じた。

 

 「…えっと、ウチとフブキは先に戻ってるね。

  ウチは二人の事、応援する。」

 

 「襖は後で直しに来ますので…。その…お邪魔しました?」

 

 「え、おい。」

 

 そんな俺と百鬼やり取りを見ていた白上と大神は微かに頬を赤くしながら気まずそうに言うと、引き留める間もなく部屋を後にしていった。

 唐突に現れて去って行った二人と、呆然として見送る。

 

 「何だったんだ…、一体。」

 

 「余も分かんない。」

 

 結局、あの二人は何がしたかったのだろう。

 ただ、結果的にではあるが百鬼を起こしてくれたのは僥倖だ。これでようやく起き上がることが出来る。

 

 ぐいと体を起こそうと力を入れる。

 しかし、体が起き上がることは無く、再び百鬼の絶妙な力加減によって体制を維持させられてしまう。

 

 「…あの、百鬼さん?」

 

 「なあに?」

 

 思わず上を向いて呼びかけると、百鬼はこてりと小首を傾げる。いつもの悪戯かとも考えたが、その瞳に悪戯の色は映っていない。

 その事実に余計困惑は深まっていった。

 

 「いや、色々と聞きたいことはあるんだが…、まず聞かせてくれ。

  …なんで膝枕?」

 

 それは朝、目が覚めた当初にまず投げかけたかった疑問。

 

 何故俺は頭を固定されているのか。どうして百鬼は正座をして寝ていたのか。

 他にも疑問はつきないが、どうしてもこれだけは先に聞いておきたかった。

 

 「えっとね、余が起きた時、透くんが何だか苦しそうにしてたから。」

 

 「苦しそう?」

 

 苦しそう、と言われればあの奇妙な夢と流れ込んできた感情を思い出す。悪夢だとは思ったが、どうやら表情にまで現れていたようだ。その事実に打ちのめされて穴にでも入りたくなるが、残念ながら頭を固定されているためそれは叶わなかった。

 

 「昔にこうしたら悪い夢を引きずらなくなるって聞いて、それでしてみたんだけど…透くん、まだ苦しい?」

 

 心配そうにこちらを見つめてくる彼女に思わず息がつまった。複雑な理由などなく、単に純粋な善意でしてくれていたようだ。

 

 「いや、おかげさまで今は全く。

  かなり驚きはしたけど。」

 

 「うん、その驚きで嫌な気分をかき消せるらしいよ。初めてだったけど、上手くいって良かった…。」

 

 驚きでかき消すというよりは上塗りに近い、とんだショック療法だ。

 だがその効果は確かで、実際、起きた後は膝枕への疑問で頭がいっぱいで悪夢のことなど考えられなかった。

 

 「ということは、それなら百鬼は俺より早くに起きてたんだよな。」

 

 記憶にある限り、目が覚めてから百鬼の瞼が開いているのを見たのはつい先ほどだ。

 

 「うん、そのはずだったんだけどいつの間にかまた寝てたの。

  余もびっくりした。」

 

 「それで正座したまま眠ってたのか。」

 

 本気で驚いている様子の百鬼に思わず苦笑いが浮かんだ。

 

 思えば、彼女にはキョウノミヤコの調査の時だって、苦しい時には支えて貰っていた。

 普段は天真爛漫な面に目が行きがちだが、こうして、よく彼女は人に寄り添っている所がある。トウヤ君やヨウコさんの元にも足繫く通っているようだし、これもまた彼女の魅力の一つだ。

 

 「…。」

 

 ふと、そこまで考えてこの状況に対する羞恥が再び顔を出してくる。

 どうにもいたたまれない。そう思うも百鬼に頭を押さえられたままで到底起き上がれそうもない。

 

 「なぁ、百鬼。

  俺の頭を押さえる理由は何かあったりするか?」

 

 「んー…。」

 

 既に完全に目が覚めている以上悪夢を見ることは当然無く、既に膝枕をする理由すら存在しないにも拘わらず、彼女は未だに頬に置かれた両手を外す様子を見せない。

 

 「なんだかこの角度で見る透くんの顔って新鮮だから、もうちょっと見てたい。」

 

 「新鮮って、何時でも見れる顔だから勘弁してくれたりは…。」

 

 「やっ!」

 

 必死の命乞いも百鬼の笑顔の一言で否定され、ひくりと自らの頬が引きつるのを感じた。

 結局、天国と地獄の入り混じった時間は、何時までも居間に来ない事を不思議に思った大神が再び部屋を訪れるまで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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個別:百鬼 6

どうも、作者です。


 

 大神の用意してくれた朝食は白米に焼き魚、そしてわかめのみそ汁。少し遅めになってしまった朝食だが、そのどれもが温かな湯気を上げていた。

 手伝えなかった事を申し訳なく思うと共に大神に感謝しつつ、白米を箸で口に運びながら目の前へと視線を向ければ、焼き魚をほぐしている百鬼の姿が視界に映った。

 

 「百鬼は今日もキョウノミヤコに行くのか?」

 

 そう、これからの予定について尋ねてみる。昨日は元からケンジ君と遊ぶ約束をしていたようだが、今日については特に何も聞いていない。

 

 「うん、ケンジくんと約束はしてないけど、どこかで会えたら良いなって。…透くんはどうするの?」

 

 「そうだな、百鬼が良ければ俺も一緒に行こうかな。特にこれと言って予定も無いし。」

 

 「やったっ!

  じゃあ今日も透くんと一緒。ケンジくんも喜ぶと思うよ。」

 

 「まだ会えると決まった訳じゃないだろ。」

 

 むしろ喜んでいるのは彼女の方に見える。やや早とちりをする百鬼に苦笑いを浮かべながらも、俺の胸の中には疑念が渦巻いていた。

 

 (本当に嬉しそうだ。) 

 

 今朝、いや、正確には昨夜から、何処か百鬼の言動が好意的になっているように感じていた。例えば、今のように一緒にいれて嬉しいなど、直接的な言葉で伝えてくるような事は今までには無かった事だ。そんな小さな言動の差異はただ目の前で直面しているだけでも十分に感じ取れ、それが更に疑念を助長する。

 

 「…?」

 

 ジッと見つめていれば、それに気づいた百鬼はにこりと微笑を返してきて、ただ見ているだけなのにやましい事をしているように感じ、思わず彼女への視線を逸らしてしまう。が、百鬼は気分を害した様子も無く、焼き魚の横に盛り付けられている大根おろしへと醤油を垂らしていた。

 その後は静寂の中、カチャカチャと食器の音のみが空間に響き渡る。現在、神社の中にいるのは俺と百鬼のみである。白上は「この匂いは!?」などと何を感じ取ったのか急に叫び立ち上がると、そのままどこかへと駆けて行ってしまい、大神は用事があるとのことで朝食の準備を終えると一足先に神社を出発していた。

 

 以前、俺がシラカミ神社へと訪れる前の話は詳しく聞いていない。その為これが元の形であるのかと問われれば疑問は残るところだが、それでも昨夜のように全員が揃うこともこれから少なくなってしまうのだろうか、などと考えればいくらかの寂寥感が胸をよぎる。

 

 (あ…、もしかして。)

 

 その瞬間、凪いだ水面へと石を投げ込まれたかのような気づきを経て、パッと顔を上げて目の前の鬼の少女を見る。もしかして、彼女も同じだったのではないか。

 

 『一人になりたくない。』

 

 昨夜の百鬼の言葉。彼女もまた同じ寂しさを抱えていたのではないか。だからこそ彼女は部屋に押し入ってまで、誰かと共に居ようとしたのだ。

 しかし、そう納得しかけた所で不意に思考がその結論に対して本当にそれだけなのかと待ったをかける。本当に、百鬼という少女がそれだけの事でこうも変わるだろうか。否だ。昨夜の彼女は、何処か支えを必要としているように見えた。だからこそ何も聞かなかった。ならば…。

 

 考えれば考える程に分からなくなっていく。ならば彼女を苦しめているものは、一体何だと言うのだ。

 

 「あの…透くん…。」

 

 「ん?」

 

 「そんなに見られると、余、恥ずかしい…。」

 

 途切れてしまいそうなまでにか細い声に思考を中断すれば、目の前に座る百鬼の顔がその瞳もかくやと赤く染まっていることに気が付く。そればかりか彼女は落ち着かないように体を揺らしその瞳を涙で潤ませており、現在の彼女の心情を如実に表していた。

 

 「わ、悪い。」

 

 慌てて視線を顔ごと横に向ける。しまった、つい考え込んでしまい目の前の百鬼の事を失念していた。誰であれ、正面から無言のままじっと見つめられ続ければ猛烈ないたたまれなさを感じるだろう。と、そこまで考えたところでひょんないたずら心が顔を覗かせる。これまで受けた彼女からの悪戯の数々、一度はその仕返しをしたいと考えていた。ならば、これは絶好のチャンスと言える。

 

 決めるが早いか、逸らしていた顔を正面へと戻して再び、今度は能動的に彼女をジッと見つめてみる。その効果は予想以上に覿面で、百鬼は最初こそ驚いたように目を丸くしていたが、徐々に羞恥が驚きを上回ってきたようで更にその顔を赤く染めていき、遂には隠れるようにそろそろと机の下へと潜って行ってしまった。

 

 「いきなり隠れてどうしたんだよ。」

 

 「うー…、透くん声笑ってる。」

 

 百鬼の言う通り、あまりに上手くいくものでついそれを可笑しく感じてしまった。彼女は赤い顔を机の下に隠しつつ抗議するようなむっとした瞳だけをこちらに覗かせる。如何にも怒っていますといった風貌だが、それはお門違いと言う奴だ。

 

 「むー…。」

 

 「仕返しだ、仕返し。今までされた悪戯のな。…それと今朝の分も。」

 

 「今朝…あっ…。…余、何のことか分かんない。」

 

 「今あって言っただろ。」

 

 子供のような唸り声を上げる百鬼に、特に最後の辺りを強調しながら伝えれば一瞬何のことかと考え込む彼女であったが、すぐに思い至ったようで分かり易くその瞳は揺れ動いた。次はどうするのか思い見ていると、百鬼は何事も無かったかのように椅子へと座り直し箸を手に取る。

 

 「あ、透くん、このお魚美味しいね。」

 

 「誤魔化すの下手すぎだろ。流石にそれく…」

 

 「はぁ…ただいま戻りましたー。」

 

 あまりにもお粗末な誤魔化し方をする彼女にジトリとした視線を送っていると、不意に玄関の方からそんな声が聞こえてくる。それを聞いた瞬間、この話が終了することを察知した百鬼の顔は勝ち誇ったものとなり、同時に俺の表情は苦々しく歪められた。とはいえ、そこまで重要な話でもない為すぐに諦めもつく。

 そうしていれば。すぐに玄関からの足音は近づいてきて、足音の主が姿を現す。

 

 「おや?二人共何かあったんですか?」

 

 「「いや(ううん)、別に。」」

 

 こちらを不思議そうに見つめてくる白上フブキに対して、俺と百鬼は箸を取り、揃ってそんな風に白を切ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 太陽も頂点へと位置した昼頃、俺と百鬼は朝食の席で話し合っていたようにキョウノミヤコへと足を運んでいた。キョウノミヤコは今日も今日とて盛況で、通りは人で溢れかえっており、そんな人ごみの中を縫うように歩きつつ先日ケンジ君と別れた噴水広場の周辺へとやってくる。

 

 「ケンジくんいないね。」

 

 「まぁ、待ち合わせてすら無いからな…。その辺りをぶらついて、運が良かったら出会う程度に考えておこう。」

 

 きょろきょろとケンジ君を探して辺りを見渡す百鬼をそうなだめつつ、けれど自分も同様にその姿を人ごみの中に探す。ここで待ち合わせを下ということはケンジ君の家もこの周辺にありそうなものだが、普段の彼の生活を知らないだけに行く当ても無い。結局のところ、先ほどの言葉の通り運に頼らざるを得なかった。

 

 「そう言えば、透くんはカクリヨにはもう慣れたの?」

 

 当ても無く歩き続けていると、不意に隣にいる百鬼からそう問いかけられる。思えば、既にカクリヨに来てから二か月程が経過した。その間の事を思い出せば、とても二か月とは思えない程の情報量に辟易としてしまいそうになるが、それ以上にこのカクリヨには居心地の良さを感じていた。

 

 「勿論、俺の中じゃもうカクリヨの方が故郷みたいになってきてる。…って、元々ウツシヨの記憶なんて無いんだけどな。けど、そう思えるくらいにカクリヨでの思い出はどれも大切なものになってるよ。」

 

 ウツシヨとカクリヨ、どちらの世界を選ぶかと問われれば、間違いなく俺はカクリヨを選ぶだろう。そもそもカクリヨを捨てることなど出来はしない。ウツシヨなどと言う記憶の存在しない世界など比べるべくもない。透という人間にとってカクリヨこそが世界の全てなのだ。

 

 「百鬼にも大切な思い出とかあるんだろ?あんまり聞かないからさ、百鬼の昔の話とか聞いてみたい。」

 

 「余…?」

 

 少しだけ、踏み込んだ質問をした。そんな確信を覚えつつ百鬼への視線は緩めない。過去の話はこれまで話題に上がることは殆ど無かった。それこそ簡単な説明は受けたが、それ以上の話は無い。恐らく記憶の無いことへの配慮もあるのだろうが、それを除いても意図的に避けていた部分はある気がしていた。

 何処かはらはらとしながら百鬼の言葉を待つが、事の他彼女は簡単にその口を開いた。

 

 「うん、あるよ。綺麗な思い出が数え切れないくらいにたくさん。思い出って凄いよね、余もずっと支えて貰ってるから、透くんが大切に思う気持ちはすっごく分かる。」

 

 そう続けた際の百鬼の表情は今まで見た者の中で最も優しさに満ちていた。機嫌を損ねていなかったと、抱いていた不要な不安を宥めつつ、それ程までに言わせる思い出には俄然興味が湧いてくる。

 

 「余がまだ小さい頃のことも覚えてるよ。余ね、よく村の人たちに遊んで貰ってたの。皆当時の余より強くて、刀の振り方とかシキガミの扱い方とかもその時に教えて貰って。」

 

 「それで、今の百鬼が誕生したと。まさかその人たちも教えた子供がカミになるとは思わなかっただろうな。」

 

 今となってはカクリヨにおいて肩を並べる者のいない、カミの中でも更に上位の力を持つ百鬼。そんな彼女の幼少期がどんなものであったのかと思えば、その時から既に技術なりを叩きこまれていたらしい。けれど、百鬼はそんな予想を否定するように首を横へ振った。

 

 「ううん、多分皆余がカミになるって分かってたと思う。だから余計に色々と教えてくれてたんだって、今考えてみると分かるの。」

 

 「百鬼、それって…。」

 

 どういう、そう続けようとしたところですぐそばの路地裏への脇道から聞き覚えのある声が聞こえた気がして口をつぐむ。思わず百鬼へと顔を向ければ、彼女もまた口を開いてこちらを見ている。彼女の反応で確信へと変わった。どうやら運は良かったらしい。聞こえてきたのは、ケンジ君の声だった。それを理解するや否や、俺と百鬼はその脇道へと進路を変更した。

 歩を進めるにつれて、聞こえてくるケンジ君の声もまた大きくなっていく。それが話し声だと把握できるようになるまで、さほど時間はかからなかった。

 

 「やっぱり、これ以上はもう良いよ。アヤカだって他の友達と遊びたい気持ちが無いわけじゃないのに、わざわざおれの所に来る必要は無いんだから。」

 

 聞こえてきた話し声の中の単語の一つが耳に止まり、思わず進んでいた足が止まった。それを察知した百鬼もまたその足を止め、不思議そうな視線をこちらに送ってくる。どうしたの、瞳でそう問いかけられて、ケンジ君には聞こえないように声を落とし、百鬼へと耳打ちをする。

 

 「なぁ、アヤカってセイヤ祭の時に一緒におままごとをしたあの子の名前だよな。」

 

 「あ…うん、そのアヤカちゃんだと思う。」

 

 それを聞いて百鬼もピンと来たようで、彼女もまた同意を見せる。一旦様子を見るかと考えていると、ケンジ君のいる方向で状況が再び進展を見せた。

 

 「アヤカはアヤカが来たいからここに来てるの。」

 

 幼いながらつんと要求を突っぱねる強かさを秘めた声に、アヤカちゃんとはこのような子だったかと思わず疑問が頭に浮かぶが、一度会っただけ、それも演技の中の彼女しか知らない事を思い出す。何やら口論をしている雰囲気な為、取り合えずそっと音を立てないように声の発生源へ三差路の角から顔を覗かせる。

 

 「おれはアヤカの事を思って言ってるんだ。」

 

 「アヤカだって、ケンジの事思ってるもん。」

 

 二人は互いが向かいうように位置を取っており、売り言葉に買い言葉で顔を突き合わせていた。天秤がどちらに傾くのか、その答えはすぐに示される。

 

 「…分かったよ、今日は一緒に遊ぼう。にぃちゃんともねぇちゃんとも特に約束は無いし。」

 

 「っ…うん!」 

 

 結局、先に折れたのはケンジ君であった。小さく息を吐きながらケンジ君が言えば、アヤカちゃんの顔がパッと明るくなる。それを見るケンジ君の顔は疲労感を感じさせるもどこまでも穏やかだった。やがて話はまとまったのか、ケンジ君とアヤカちゃんは手を繋いで何処かへと走って行く。そんな二人がいなくなったことを確認して、俺と百鬼はようやく路地裏の角から離れた。

 

 「ケンジ君は見つかったけど、先約が入ったみたいだな。」

 

 「そうだね。でも間に入ろうとは思わないから、ケンジ君と遊ぶのはまた明日にする。」

 

 「何だ、明日も会いに来るのか。」

 

 少々意外な返答に瞠目する。今日訪れて、また明日もキョウノミヤコへ訪れる。それは大した事は無いようには聞こえるが、どうにもケンジ君にこだわっているように感じた。仲が良く、一緒に遊ぶのが楽しいから、そんな理由も考えられるが、確実にそれだけではないと本能が告げている。

 

 「うん、出来る限り会いに来ようとは思ってる。…透くんはどうする?余からは無理に誘えないけど…。」

 

 「…勿論付き合うって。俺もケンジ君には会いたいしな。」

 

 『百鬼、お前は何を隠してるんだ。』つい言いかけたその言葉を飲み込んで、笑顔で誤魔化して、言いにくそうに弱弱しい瞳を向けてくる百鬼へ首肯して見せる。百鬼が隠したがっているのなら、聞かない。昨夜そう決めたのにも関わらず、思いがけずに聞いてしまいそうになる。それ程までに彼女が隠し事をしているのは明白であり、それがケンジ君に関与している事もまた明らかだった。

 

 「俺、もう少し我慢強い方だとは思ってたんだけどな…。」

 

 「何かあったの?」

 

 「いや、特には、何でもない。」

 

 簡単に折れてしまいそうになる自分にぼやけば、百鬼は首を傾げる。こういう所だけを見ると、天真爛漫なただの少女に見えるのだが、人は見かけによらないという事だろうか。誰であれ悩みは抱えているモノだ。

 

 「?変な透くん。」

 

 「誰が変だよ。」

 

 軽口で返しつつ路地裏から通りへと戻ろうと歩き出そうとしたところで、ケンジ君達が走って行った方向とは別の角から見知った顔が出てくる。狼の耳を携えた少女、大神ミオである。

 

 「あっ、あやめに透君だ。二人共こんなところで何してるの?」

 

 「ミオちゃん。余達はちょっと人を探してたんだけど、もう見つけた所。ミオちゃんは何してたの?」

 

 「ウチはこの指輪について調査してたの。」

 

 言いながら大神は懐から一つの赤い宝石が付いた指輪を取り出した。その指輪はセイヤ祭の日の最後の調査でウツシヨへ開いた門の付近に落ちていたものである。何かの手がかりになるかと大神に渡しておいたのだが、一人で調べてくれていたらしい。と、その指輪を見た途端、百鬼が後方へと下がったのが分かった。大して動いておらず大神から見ても不自然にならない程に微かではあったが、確かに彼女は俺の背に隠れるようにしている。

 

 「それで大神、何かわかったのか。」

 

 そんな百鬼に意識を向けつつ大神に問いかけてみると、彼女は至極残念そうにため息を吐いた。

 

 「うーん、それが全然。だから何か知らないかせっちゃんに聞いてみようと思って、さっき伝言を送った所。」

 

 「神狐か、確かに何か知ってそうだな。」

 

 イヅモ神社の神主である神狐セツカ。大神からはせっちゃんと呼ばれており親しい間柄のようだ。そして、彼女は何かと博識な面があり、右手に埋まる宝石についても情報を持っている。ただ、秘密主義というのが玉に傷らしい。そんな彼女からの返答待ちだというのなら、今はやることも無いのだろう。

 

 「そんな訳でウチはもう神社に帰るけど、二人はキョウノミヤコにいる?」

 

 「あぁ、そうだな。もう少しのんびりしてから帰るよ。」

 

 「ミオちゃん、また後でね。」

 

 要件を終えているのはこちらも同じだが、百鬼の様子が気がかりだ。帰るにしても一旦話を聞いてからした方が良いと考え、手を振って背を向ける大神を見送ると、次いで百鬼へと向き直る。何処か怯えたような彼女の様子。原因は考えるまでも無く、あの指輪だ。

 

 「大丈夫か、百鬼。」

 

 「うん…。余、あの指輪苦手。凄く嫌なイワレが渦巻いてる。」

 

 そう言う百鬼は明らかにその端正な顔をしかめていた。イワレ、つまり何かしらの力が込められているのは間違いない。けれど、ここまで嫌がる素振りを見せるとなると、かなり曰くつきのものでもあるようだ。この情報については、帰ってからでも大神に伝えれば良いだろう。

 幾分か百鬼も落ち着いてきたところで、今度こそ路地裏を後にする。路地から出れば冬にしては温かな光が冷えた体を包み込んでくれる。

 

 「よし、折角だしどこかで食べて帰るか。百鬼、昨日みたいなオススメの場所を頼む。」

 

 「賛成ー、余ね行ってみたい茶屋があって…。」

 

 体が温まるにつれて心にもゆとりが生まれる。空気を入れ替えるように明るく言いながら、百鬼と二人、キョウノミヤコの雑踏の中へと二人身を投じるのであった。

 

 

   

 




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個別:百鬼 7


 どうも、作者です。

 UA9万突破、ありがとうございます。
 以上。


 

 翌日。

 薄暗い空の下、キョウノミヤコへと続く道を鬼の少女と共に進む。辺りに生い茂る木々に緑は無く、寒々しいその有様は身を刺す朝の冷気を助長しているかのようだ。

 今日こそはケンジ君と一緒に遊ぶのだと、百鬼はシラカミ神社を出発する前から息巻いていた。それを表すように隣を歩く彼女からは何処かそわそわした空気が伝わってくる。まだ太陽も登っていないにも拘らず、冷気に包まれた道中に居るのは彼女の気が急いていたことも理由に含まれるだろう。

 ぶるりと、首を風に撫でられて身震いをする。近頃は雪を見かけることは少ないが、雨雲の一つでも出来ようものなら、辺りを銀世界に染め上げることは確実だ。

 

 「透くん、寒いの?」

 

 と、体を震わせる俺とは対照的にけろりとした様子で百鬼が小首を傾げて言った。

 

 「これを寒くないって言うなら冬の季節はいらないだろ。そう言う百鬼は平気そうだな。」

 

 特に着込んでいるわけでも無いのに、彼女が寒さを感じている風にはとても見えない。全く持って羨ましい、そんな怨念にも似た感情を乗せて視線を送れば、彼女は少し考えこむそぶりを見せて何か閃いたようにその瞳を輝かせた。

 

 「じゃあ、余が温めてあげるね。」

 

 「温めるって、どうやって…。」

 

 「こうやってっ!」

 

 そんな声と共にぽすりと横合いから腕に軽い衝撃を感じる。慣れない感触に驚き目を向けて見れば、そこには腕に抱き着く百鬼の姿があった。それを認識するのと同時にカッと顔が熱くなる。

 

 「おい百鬼、って…あったか!?」

 

 思わず振り払おうと力を込めた所で、遅れてやってきた温もりにそれまでの羞恥や驚きが消し飛んでいく。百鬼と触れている部分から伝わってくる体温では済まされない、まるで湯たんぽのようなその熱は身を刺すような寒さをいとも簡単に上書きしてしまった。

 

 「風邪を引いてるとかじゃないんだよな。」

 

 「うん、余は元気だよ。これはね、鬼火を使ってるの。」

 

 「鬼火?」

 

 今一ピンとこないでいると百鬼は「はい。」と片手を掲げ、その手の平の上に薄紫の炎の塊を生み出して見せる。しかし、鬼火が何であるのかは俺も知っている。俺が疑問に思ったのはそれがどう関係しているのかだ。確かに百鬼は暖かいが、それでも炎とは比べ物にならない。

 

 「ミオちゃん程じゃないけど余も火は使えるから、その応用。と言っても、余は自分の身体とその周辺くらいしか温められないんだけど…。」

 

 「そういうことか、いや、十分凄いって。百鬼って器用なこともできたんだな…。」

 

 「透くん、今なんて?」

 

 「すみませんでした。すごく暖かいです、ありがとうございます。」

 

 周囲の気温が比喩無しで低下したのを感じ、自らの失言を慌てて訂正する。ここまで密着しているのは、温められる範囲内に俺も含めるためだったようだ。

 ふと百鬼の表情を伺ってみるも特に意識はしておらず、どちらかと言えば先ほどの失言の方が気になっているようで、ぷくりとその頬を膨らませている。

 

 「余、結構器用だよ。料理だって出来るんだからね。」

 

 「え、百鬼料理できたのか。じゃあシラカミ神社で料理できないのは俺と白上…。」

 

 「フブキちゃんも料理できるよ?」

 

 「…俺だけか…。」 

 

 衝撃の事実が発覚してずんと背中に重りが乗しかかった様な感覚を覚える。大神が料理が出来ることは普段の生活からも共通認識だったが、まさか自分以外の三人全員が出来るとは思わなかった。せめて一人くらいは同士がいるものと考えていたが、それは甘い期待だったらしい。

 山の向こうから太陽が顔を覗かせて日の光が辺りを照らし始める中、百鬼と密着したままキョウノミヤコへと進む。

 

 「なぁ、百鬼。今の俺達って傍から見たら…。」

 

 恋人にでも見られるんじゃないか。ふとそう零しかけて、すんでの所で口を噤む。恐らくこれを伝えてしまえば間違いなく百鬼は離れていくだろう。すると、それと同時に鬼火による効果もまた消えてしまう。一度覚えてしまったこの温もりを、手放したくないと考えてしまった。

 

 「どうしたの?透くん。」

 

 「いや、やっぱり何でもない。」

 

 だから、俺は誤魔化した。不思議そうにしている百鬼だが追及してくることは無く、それからも雑談を交えながらの穏やかな時間が流れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キョウノミヤコへと到着すれば、早速ケンジ君の姿を探して例の噴水広場へと足を向ける。三日も経過したともなれば流石にセイヤ祭の名残も見られなくなり、キョウノミヤコはいつもの姿を取り戻していた。

 既に通い慣れた道を進んでいると、妙に周囲から視線を集めているような気がする。とはいえ、特におかしい恰好をしているわけでも無い。不思議に思い百鬼と目を合わせていると、不意に後ろから聞き覚えのある声が聞こえてくる。

 

 「にぃちゃん、ねぇちゃん!」

 

 振り返ってみると、そこにはケンジ君が笑顔でこちらへと手を振っていた。手を振り返せば、ケンジ君はすぐに駆け寄ってくる。

 

 「デート中だった?前は違うって言ってたけどやっぱり二人は付き合ってたんだな。」

 

 「ん?いや、デートをしてた訳じゃないぞ?」

 

 「今日はケンジくんと遊ぼうと思って来たんだよ。」

 

 思わぬ勘違いをしていたケンジ君にそれを否定してみせれば、途端に何を言ってるんだこいつらと言わんばかりの胡乱な視線を向けられる。

 

 「…じゃあ、何で二人は抱き合って歩いてるんだよ。」

 

 そう言うケンジ君の視線は俺と百鬼の絡められた腕へと移っていく。それを見てようやく道中と同様に完全に密着した自分たちの姿に気が付いた。なるほど、通りで視線を集めていたわけだ。一人納得している俺とは対照的に、百鬼はカッと顔を赤くすると、目にも止まらぬ速度で離れて行った。

 

 「ち、ちがっ!余は抱き着いてたんじゃなくて、透くんを温めるために…。」

 

 「うん、抱き着いてたんでしょ?」

 

 「そうじゃなくってー!」

 

 あたふたとしながら必死に弁明している百鬼だったが、決定的な瞬間を見られているだけに誤解を解くには困難をきたしそうだ。現にケンジ君も信用の無い表情をしている。

 

 「うぅ、透くん…。」

 

 「ん、あぁ、分かったからそんな目で見ないでくれ。ケンジ君、本当にさっきのにそう言う意味は無くて…。」

 

 助けを求めるような百鬼の視線を受けて、説得へと加勢する。

 少し時間が経って、何とか誤解を解くことには成功した。だがあくまで渋々といった形であり、完全に解けたかと言われると疑問が残るところではある。とはいえ取り合えずは解決したという事で、先日と同じように三人でキョウノミヤコを回ることにする。道の脇には露店が並んでいるが、セイヤ祭の時と比べるとその数は少ないように感じる事から、やはりセイヤ祭とは特別な行事であったのだと実感させられた。

 

 「にぃちゃん達、今日は遊びに来てくれたって言ってたけどさ、もしかして昨日も来てた?」

 

 「そうだな、けど丁度見つけた時にはアヤカちゃんと一緒に居たみたいだから遠慮したんだ。」

 

 隣を歩くケンジ君に問われて昨日の出来事を軽く説明すると、それを聞いた一瞬だけケンジ君の顔が強張るが、すぐに鳴りを潜めた。代わりに誤魔化すように「へー…」と、そんな返事だけが返ってくる。

 

 「あ、そうだ!

  なぁ、にぃちゃん、ねぇちゃん。アヤカも二人に会いたいって言ってるんだけどさ、明日とかまた遊べないかな。」

 

 唐突に聞かれて思わず百鬼と目を見合わせる。明日は特に予定なども無いし、多分約束など無くても百鬼がキョウノミヤコに行こうと言い出すことに変わりは無いだろう。

 

 「あぁ、勿論だ。百鬼も良いよな。」

 

 「うん、余もまたアヤカちゃんと遊びたかったから大歓迎。」 

 

 軽く了承すれば、ケンジ君は断られるとでも思っていたのかほっと息を吐いた。そんな彼の様子に百鬼と揃って小さく笑う。

 

 「な、何だよ…。」

 

 いじけたように言うケンジ君だが、そこにあるのは怒りではなく照れだった。慣れない感覚に戸惑っている様にすら見える。

 

 「何でも無い、それより明日より先に今日は何処に…。」

 

 何処に行こうかと、行先について話を振ろうとしたところで少し離れた場所から歓声が上がった。何事かと目を向けて見れば、噴水の広場の中央辺りに人だかりが出来ている。

 

 「なんだろう…。」

 

 「旅芸人かも、昨日アヤカと見ようとしたんだけど…あの人だかりだから全然見えなかった。」

 

 「確かに、隙間から見るには人が多いな。」

 

 恐らく噴水の周辺に居るのだろうが、それを囲む人だかりは何層にもなっており、入り込むことはおろか、子供の身長では後ろから覗き込むこと出来なさそうだ。チラリとケンジ君をみやれば、羨ましそうな目でじっと見ている。ならば、これからの予定は決まった様なものだ。

 

 「よし、じゃあ見に行くか。」

 

 「にぃちゃん、聞いてなかった?おれの背だと見えないんだって。」

 

 「聞いてたよ。背が足りないなら、こうすれば良い。」

 

 「わっ…!」

 

 言いながらケンジ君を担ぎ上げて首の後ろに乗せ、肩車をする。これなら人込みの上から見通せるだろう。準備もできた所で、早速広場の中央へと移動することに決める。

 

 「よーし、行くぞー!」

 

 「レッツゴー!」

 

 ぽかんとしているケンジ君をそのままに、百鬼と共に掛け声を上げて歩き始める。近づくにつれて聞こえてくる旅芸人の声も大きくなっていき、集まった人々の頭同士の隙間から何をしているかが微かに見えてくる。これなら俺よりも目線の高いケンジ君ははっきりと見えているだろう。

 

 「ケンジ君、見えてるか?」

 

 「うん…うん!」

 

 一応確認してみれば、上から最初は戸惑っていたようだが徐々に興奮の色が混じった声が降ってきて、一安心する。良かった、楽しんでくれている。と、不意に服の裾が引っ張られて視線を向けて見れば、百鬼が困ったように眉を八の字にしてこちらを見上げていた。

 

 「透くん、余、見えない…。」

 

 「あ…、まぁ、そうだよな。」

 

 百鬼は子供ではない、けれど小柄な彼女では前の背中に完全に隠れてしまっている。どうせ見るなら、三人で感想を共有したいと思うのは自然なはずだ。

 

 「…分かった。百鬼、ちょっと我慢してくれよ。」

 

 「うん、お願い!」

 

 一度声を掛けてから、身を預けてくる百鬼を片腕で同じ目線の高さの辺りまで抱き上げる。軽く持ち上がりはするが流石に素では長時間は腕が持たないため、身体強化を発動させておく。しかし、これではどちらが芸人なのか分かったものでは無い。

 

 「…重くない?」

 

 「全然。ちゃんと身体強化も使ってるしな。」

 

 若干心配そうに聞いてくる百鬼に心配ないと答えれば、今度こそ旅芸人の芸へと視線が集まった。彼らが豪快に火を噴けば歓声が上がり、切断ショーで、思い切り刀が振り下ろされれば悲鳴が上がる。他にもイワレによるワザすら使わずに、種も仕掛けもあるマジックを次々に披露していく。

 ケンジ君の表情は見えないが、それでも時折聞こえてくる小さな歓声に彼の心情は察せられる。

 

 「あらあら、良いわねぇ。あなたも昔はあんな風に見せてくれたものね。」

 

 「若い世代のああいった姿を見れると、何だか嬉しくなるわい。」

 

 と、後ろからそんな会話が聞こえてくる。振り返れないが横合いを通りがかった際に見えた声の主は穏やかそうな老夫婦だった。百鬼とケンジ君は前に夢中で気が付いていないようで、一人気恥ずかしさを覚えた。

 

 その後も芸は続いて行き、そして最後には盛大な紙吹雪が舞い上がり、周囲から大きな拍手が上がった。

 芸が終われば、旅芸人達は荷物を纏めてまたほかの場所へと繰り出していき、それを見送ると同時に集まっていた人々も次第に広場から捌けていった。人波に呑まれないよ、開けた場所まで移動してから抱えていた二人を下ろせば、まだ興奮が冷めきらないのかほほを紅潮させている。

 

 「面白かった!初めて見たけど、あんな事出来るんだ!」

 

 「ね、あれどうやってるんだろ。」

 

 「ワザとか使ってる様子無いのにな。」

 

 団子屋の老人然り、先ほどの旅芸人然り、イワレがある故にそれに追いつくように発展でもしていったのか、何かとカクリヨには技術を極めてる人が多い。そうしてここがすごかったと感想を言い合いながら次の場所へと足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 その後も、三人でキョウノミヤコを堪能していれば瞬く間に日が暮れてしまう。

 

 「じゃあな、にぃちゃん、ねぇちゃん、また明日!」

 

 大きく手を振るケンジ君に手を振り返しつつ、キョウノミヤコを後にする。辺りは夕日に照らされて赤く染まっており、このキョウノミヤコの光景を見るとふと脳裏に浮かぶのは先月の調査での出来事。クラウンと遭遇したのも、丁度こんな時間帯だった。

 

 「透くん、今何考えてるの?」

 

 「ん、いや、クラウンの事をちょっと思い出してた。」

 

 結局、クラウンが何をしていたのか。昨日大神が調査していたようだが、何も分からなかったと言っていた。ただ見つけたのは血痕に塗れた大広間のみ、そこで何が起こったのか。そこにクラウンの目的が関与しているのは間違いないだろう。

 

 「何だったんだろうね、あのシキガミ。」

 

 「あぁ、あのシキ…ガミ…。」

 

 思考が一瞬凍り付いた。シキガミ、確かに今百鬼はそう言った。

 

 「百鬼、今俺はクラウンの話をしてたよな。」

 

 「?うん、だからクラウンはシキガミでしょ?余が見た時体がイワレで構成されてたから、間違いないと思う。」

 

 確認を取るように聞けば、百鬼は残酷なまでに率直に答える。彼女の瞳は通常目でとらえることの出来ないイワレを映しだす。それ故に、その話は真実だと信じざるを得なかった。

 

 「なら、本体は。シキガミを操ってたやつが居たって事になるんじゃ。」

 

 「あ、そこは大丈夫だよ。」

 

 本来シキガミは術鞘がいてこそ成り立つ。クラウンがシキガミだというのならその術者が残っていることになるのでは、と浮かんだその疑念はけれど百鬼によってバッサリと切って捨てられた。

 

 「基本的にシキガミと術者って、イワレの糸みたいなので繋がってるの。けど、クラウンにはそれが無かったから、元々はぐれのシキガミだったんだと思うよ。」

 

 「なんだ…そう言う事か…。」

 

 まさか異変の原因がまだ残っていたのではと肝を冷やした。しかし、そう言うことならクラウンの消えた今、あの謎の指輪も回収したことで、異変は終了したと信じてもよさそうだ。

 

 シキガミ神社へとたどり着き、玄関から居間へと向かっていると、道中、鼻歌を歌いながらスキップをして如何にも上機嫌でいる白上の姿を見つけた。

 

 「あ、透さん、あやめちゃん。おかえりなさい!」

 

 彼女はこちらの姿に気が付くとにぱりと笑いかけてきた。

 

 「ただいまフブキちゃん、何かいいことでもあったの?」

 

 「ふふふっ、それが聞いてくださいよ。何と、長年探していた麵屋マボロシを今朝見つけたんですよ!あぁ、最高のきつねうどんでした…。」

 

 恍惚とした表情を浮かべる白上に、先ほどまでの緊張感が完全に薄れて消えてしまった。相変わらずだと百鬼と苦笑いを浮かべていれば、白上の後方から大神が顔を覗かせた。

 

 「おかえり、二人とも。」

 

 「あぁ、ただいま。」

 

 返事を返しつつ、話を聞いておきたいと考えていた所だったので丁度良いと大神に視線を向ける。

 

 「大神、神狐から指輪についての返信はあったのか?」

 

 「それが明日直接話すってまだ何も教えて貰ってなくて。ウチは明日イヅモ神社に行ってくるから、フブキ、ちゃんとご飯食べてね。お菓子は駄目だからね。」

 

 「分かってますよー。」

 

 突然話を振られた白上は唇を尖らせる。そんな白上に不安の色をその瞳に映す大神の苦労が偲ばれた。

 

 「じゃあみんな帰ってきたし、そろそろ夕飯にしよっか。」

 

 大神のそんな一言で、白上と百鬼は和気あいあいと居間へと入っていく。そういえば、遅くまでケンジ君と遊んでいたが、一度ケンジ君の親にも挨拶をしておいたほうが良いかもしれない、そんなことを思いながら三人の背に習い、居間へと足を踏み入れた。

 

 

 

 





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個別:百鬼 8


 どうも、作者です。


 

 目を覚ませば、窓の外は未だ夜の帳が降りている。昨日交わしたケンジ君との約束通り今日も街へと繰り出すため、鍛錬用ではなく外行の恰好へと着替える。

 鍛錬の為にこの時間に起床していた筈だが、最近はめっきりとその機会も減ってしまった。その代わりに、朝からキョウノミヤコまで行くのがここ最近の習慣だ。

 

 変化と言えば、もう一つ。

 ケンジ君に会いに行くのは俺も楽しみにしているし、そこに不満は欠片も無い。しかし、昨日から一つだけ言いたい事があるとすれば。

 

 そう考えている間にもバタバタと部屋の外から騒がしい足音が聞こえてきて、やがて足音が部屋の前で止まると勢いよく襖が開いた。

 

 「透くん、おはよー!!」

 

 予想通り満面の笑みで部屋に入ってくる百鬼に、思わず苦笑いが顔に浮かぶ。

 早朝にも関わらず、彼女のテンションの高さが天元突破しているのはどうしてなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「なぁ、百鬼。朝に部屋まで来るのは良いんだけど、何であんなにテンションが高いんだ?」

 

 今朝、寝起きに沸いたそんな疑問をキョウノミヤコへの道中に百鬼本人へと投げかけてみる。以前も鍛錬のため同じ時間帯に会うことはあったが、少なくとも最近に比べると落ち着いていたように思える。

 それを聞いた百鬼は何を聞かれたのかと考え込むように一瞬ぽかんとしてから答えた。

 

 「え?だって、今日もケンジ君と会うし…。それに、ケンジ君が楽しんでるのを見ると余もなんだか嬉しいから。」

 

 「そんなもんか?まぁ、叩き起こされるわけでも無いから良いけど…。」

 

 本心から笑顔を見せる百鬼に、つい頭をかいた。

 昨日と今日。まだ二日ではあるが基本的に百鬼が来訪するときには起きて出発の準備まで済んでいる。だがその内寝ている間にも突撃してくるのではないか、そんな不安がどうにも拭えない。

 ただ、彼女の事だから起きていることを部屋の外から察知した上で部屋に突撃してきている可能性も十分にある為、取り敢えずは様子見をする事にする。

 

 「…百鬼、できれば次からは一回ノックを挟んでくれると助かる。」

 

 そう決めたは良いが、それでも不安ではあるため一応釘を刺しておけば、百鬼は不服そうに唇を尖らせる。

 

 「えー、どうして?」

 

 「俺は前の膝枕の件を忘れていない。」

 

 ジトリとした視線を向ければ、彼女も先日の件を思い出したのか少し気まずそうに視線を逸らした。

 結局あの時はかなりの時間を拘束されて、同時に居たたまれなさを感じ続けた。仕返しには成功したものの、また同じことが起こらないとも限らない。

 

 「余、何の事か分からないなー!」

 

 「あ、逃げやがった。」

 

 しらばっくれながら前を駆けていく百鬼の背を追いかけて、同じように走り出す。しかし、追いかけられれば逃げるのもまた同様でさらに逃げる様に百鬼は速度を上げた。

 

 「なっ…。」

 

 驚きに思わず声が漏れた。そして、遠ざかっていく彼女の背に置いて行かれまいと堪らず同じく速度を上げる。と、更に百鬼も速度を上げてのイタチごっこ。そんなことを続けていれば、そう間も無くキョウノミヤコが見えてくる。

 セイヤ祭からいつの間にか見慣れた街を視界に収めつつ駆けていれば、不意に百鬼がぴたりと足を止めた。

 

 「っと、百鬼?」

 

 彼女にならって急停止し問いかけつつその顔を覗き込んでみれば、百鬼は目を大きく見開いて瞳を揺らしながら遠くにあるキョウノミヤコを見ていた。

 何を見ているのかと視線を辿ってみるが、そこには変わらずにいつも通りのキョウノミヤコの姿があるのみで、特に変わったものは見受けられない。

 

 「そんな…なんで…。」

 

 「なんの事…、おい、百鬼!」

 

 雰囲気を一転させた百鬼は何事かぽつりと呟くと、次の瞬間目にも止まらぬ、先ほどとは比べ物にならない速度でキョウノミヤコへと向かっていった。

 

 「くそっ、何が見えたんだ…!」

 

 少なくともその尋常ならざる百鬼の様子からキョウノミヤコに何かが見えたことは確かだが、こちらからしては何が何やらさっぱりだ。碌な説明もせずにどんどん遠ざかる百鬼に慌てて自らの身体に鬼纏いを施し、地を蹴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キョウノミヤコに入ってからも、百鬼は足を止めるどころか屋根を伝い一直線に突き進んでいく。滅多に見ることの無い百鬼の全力に、彼女の余裕の無さがありありと伝わってくる。

 一体、何をそんなに焦って…。

 

 疑問に思いながら走り続けていれば、やがて百鬼は目的地へとたどり着いたのか屋根から飛び降りていく。場所としては路地裏の通路の辺り、丁度この近くに噴水広場がある。

 

 降りて行った百鬼を探すように屋根から見下ろせば、間も無く彼女の姿が見つかった。けれど何処か様子がおかしい。

 すぐに百鬼の隣に降り立てば、彼女は呆然としたまま何かを見つめているようだった。

 

 「ん?何だあれ…。」

 

 その視線を辿って行けば、薄暗い通路に蹲る謎の黒い靄を見つける。そして、その傍らにバスケットを手に持ったまま倒れ込んでいるのは、今日ケンジ君と共に会う筈の少女。

 

 「ケンジくんっ!」

 

 「…は、ケンジ君…?」

 

 我を取り戻した百鬼は、そう叫び黒い靄に向かって駆け出していく。そんな彼女とは対照的に俺は足を止め、再び黒い靄へと目を向ける。

 ケンジくん、百鬼は今確かにそう言った。つまりあの靄の中にケンジ君が居ると言うのか、だが、どうして。アヤカちゃんが倒れていることにも関係が…。

 

 (いや、それは後回しで良い。今はとにかく…!)

 

 思考を中断して、黒い靄に包まれたケンジ君と倒れ込んでいるアヤカちゃんの元へと駆け寄る。見た所アヤカちゃんには外傷はない、けれどうなされる様にその息は荒かった。

 

 「早くケガレを中和しないと…。」

 

 百鬼は切羽詰まったように言うと黒い靄へと両手を当てた。その瞳が紅に光ると同時に黒い靄が減っていくが、けれどその変化は微々たるものであった。

 

 「このケガレを取り除けば良いのか?」

 

 「そうだけど、この量だと…。」

 

 今にも泣きだしてしまいそうな表情で百鬼は一心不乱に黒い靄を減らして、中和していく。しかし、このペースでは全てを中和しきるのに、時間がかかり過ぎるのは見ていて分かる。

 

 「百鬼、下がってくれ。」

 

 「でもっ!」

 

 「一刻も早くケガレを取り除くんだろ。なら、俺が適任だ。」

 

 相性の問題、適材適所という奴だ。

 彼女の瞳を見てはっきりと伝えれば百鬼はケンジ君をチラリと見てから迷うように視線を揺らし逡巡するも、最終的には意図を察してくれたのか頷き、一歩分後ろへと後退した。

 それを確認してから、自らのイワレへと意識を集中させる。

 

 『結』

 

 一言、唱えると同時にケンジ君は黒い靄ごと結界に包まれる。イワレを封じることのできる結界。ケガレもイワレの一種だ、これなら…。

 

 「おにい…ちゃん…。」

 

 消えてしまいそうなほどに微かな声に振り返れば、苦しそうに呼吸をするアヤカちゃんが朧気な瞳をこちらに向けていた。

 

 「ケンジ…助け…。」

 

 「あぁ、勿論だ。悪いもの、すぐに取り払ってやるからな。」

 

 安心させる様に力強く言って、視線を前に戻す。アヤカちゃんと同じようにケンジ君もきっと苦しんでいる。早く助け出さねばならない。

 

 『封』

 

 そう続けて唱えれば結界は収縮を始め、ケンジ君を覆い隠していた黒い靄のみを結界内部に残して、彼の身体を透過していく。やがて完全に靄は球体上に纏まった結界の中に集められてケンジ君の身体から離れた。

 

 「よし…百鬼、これで問題ないか?」

 

 確認を取るように問いかければ、けれど百鬼は晴れない瞳をこちらに向ける。

 

 「うん、アヤカちゃんに取り付いてたケガレも払ったからもう大丈夫だと思う。…けど、透くんは…。」

 

 「俺?いや、俺は別に…。」

 

 心配されるような事は無い、そう続けようとした途端世界が大きく揺れたかのような眩暈に襲われた。立っていられずに思わず膝を突けば、どっと滝のように汗が噴き出してくる。全速力で限界まで走り切った後のような疲労感に、なるほどと納得がいった。

 

 通りで先ほどから百鬼が心配そうにしているわけだ。先ほどのワザはいわゆる代償の後払い。封じた分に応じた体力を持っていかれる。それ故にブレーキが効かず、限界を超えれば当然命にすら関わってくる、これが百鬼を躊躇させていたのだろう。

 しかし、驚くべきはそれほどの量のケガレに取りつかれたケンジ君だ。昨日までそんな傾向は無かった。ケガレとはここまで急激に集まらないものと聞いていたが、これではクラウンを遥かに超えている。

 

 だがまだ意識はある。疲労感は拭えないが、まだやることは残っている。大きく息を吐いて息を落ち着け、顔を上げて自分は無事だとアピールする。

 

 「俺も、大丈夫だ。」

 

 「…。」

 

 精一杯強がって見せれば、百鬼はぽかんとしてジッとこちらへ視線を向けていた。

 

 「それより百鬼、今のは…。」

 

 「うっ…ん、おねぇちゃん…。」

 

 関係があるのかは知らないが、少なくとももう彼女を気遣っているような場合ではなくなった。詳しく話を聞こうと口を開いたところで、うめき声を上げたアヤカちゃんが目を覚ました。

 話は途切れたが当然こちらの方が優先だ。沸き上がってくる安堵からほっと胸の奥に詰まっていた空気を吐き出す。

 

 「アヤカちゃん、余の事見える?痛い所は無い?」

 

 「うん…。…ケンジは?」

 

 アヤカちゃんは早くも起き上がるときょろきょろと辺りを見渡し、すぐ近くで穏やかな寝息を立てて眠っているケンジ君を見つける。

 

 「怖いものは透くんが、おにいちゃんが捕まえてくれたから、もう心配しないで大丈夫だよ。」

 

 ケンジ君の安否を知り優しく声を掛けられてようやく実感が湧いてきたのか、アヤカちゃんはぼろぼろと涙を零し、わっと泣き出してしまう。そんな彼女を百鬼は安心させる様に抱きしめた。

 

 結局アヤカちゃんが落ち着くまでの間ケンジ君が目を覚ますことは無かった。アヤカちゃんにはそこまでケガレの影響はなかったようで、あの後すぐに自分の足で歩き回れるほど元気になっていた。

 何時までもここに寝かせておくわけに行かないと、アヤカちゃんの案内でケンジ君の家にまで一旦彼を運ぶことにする。けれど、そうして向かった方向は通りの方ではなく、路地裏のさらに奥の方向であった。

 

 「本当にこっちにケンジ君の家が?」

 

 あまりの人通りの無さに不安を覚えて聞いてみると、アヤカちゃんは「そうだよ。」と歩きながら答える。キョウノミヤコの中ではあるのだから家があってもおかしくはないが、この辺りは広さゆえに放棄されているのか空き家が多く存在した。

 この時点で嫌な予感はしていた。そして、その予感が正しいことを示すように、しばらく歩いてアヤカちゃんが立ち止まったのはそんな空き家の中の一つだった。

 

 「…なぁ、一つ聞かせてくれ。

  ケンジ君の両親って、どんな人なんだ。」

 

 「…。」

 

 恐らく、百鬼はその答えを知っている。それが分かるからこそ彼女が無言でいる事実が、自らの予感を裏付けてしまう。

 そして真実は、幼い少女の口から告げられた。

 

 「ケンジのぱぱとままは居ないの。だから、ケンジはここに一人で住んでるんだよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アヤカちゃんは案内の後、今日の所は家へ帰った方が良いと送っていった。ケンジ君は家のベットで未だ寝ている。古い家具の残された居間を借りて、俺と百鬼はテーブルを挟んで向かい合っていた。

 

 「…百鬼は、知ってたのか?さっきの。」

 

 「…。」

 

 分かり切ったことではあるが万が一があるため確認すれば、百鬼は無言のままこくりと頷いて肯定して見せ、俺は小さく息を吐いた。

 思えばセイヤ祭の日のケンジ君のあの言動は、揶揄っていたのではなくただ誤魔化していただけなのだろう。真実を知った後でようやく気が付くとは、我ながら鈍いものだ。

 

 「ごめん、隠すつもりは無かったんだけど、透くんにはケンジくんに出来るだけ自然に接してあげて欲しくて…。」

 

 「あぁ、分かってる。別に百鬼を責めてるわけじゃないんだ。俺も聞かなかったしな。」

 

 百鬼が何かを隠していることは分かっていた。その上で、俺は彼女には何も聞かなかった。これは紛れも無い俺自身の意思だ。

 そして百鬼の隠し事にはまだ先がある事も何となく分かる。けれど…。

 

 「これからは聞いて行こうと思う。だから、百鬼も話せることは話して欲しい。」

 

 「うん、余も、ちゃんと話すから。」

 

 しっかりと目を見合わせて互いに宣言する。そこに偽りは無いこともまた、互いに理解している。

 これで、ようやく聞くことが出来る。

 

 「百鬼、さっき、ケンジ君には何が起こってたんだ。」

 

 単刀直入に本題に踏み入る。

 あの黒い靄、百鬼はあれをケガレと言っていた。けれどそれはおかしい。そもそもケガレとはイワレが負の感情に染まった物で、性質こそ違えどそれ以外はイワレと大差はない。そして、イワレとは本来目に見えないものだ。

 カクリヨにはイワレを視覚で捉えることの出来る者もいるが、俺はそれに当てはまっていない。にもかかわらず先ほどははっきりと黒い靄として視覚で捉えることが出来ていた。

 

 「…イワレとケガレ。この違いは正の感情か、負の感情かで別れてて表裏一体。透くん、イワレが一定以上になるとアヤカシになって、その先にカミになるって事は知ってるよね。

  そのイワレを獲得する比率は先天性で、人によって違う。カミは大体この比率が凄く高くてね、昔、余も村で一番幼いのに一番イワレの総量が多かった。」

 

 「じゃあ、白上や大神もそうだって事だよな。」

 

 「聞いたわけじゃないけど、間違いないと思う。」

 

 つまるところ、単純に一のイワレを獲得する際に比率が十であれば十を百であれば百を受け取ることになる。この差がアヤカシになる速度、カミに至れるかどうかを決めるという事なのだろう。

 

 「それでね、その比率が元から負だったら、どうなると思う?」

 

 「ケガレを…ため込みやすくなるのか。」

 

 「それと比率が高かったら、ケガレによるカミに至る事も有るよ。」

 

 ケガレによるカミ。ケガレによるアヤカシが、トウヤ君の時のような黒い化け物なのだとすると、その先にあるのが先ほどのケンジ君の黒い靄だという事か。

 ケガレとは、イワレに比べて遥かにその効力が高い。十倍、百倍は違うのかもしれない。それだけに、イワレにおけるカミに比べ、そのハードルは低くなっているだろう。

 

 「比率が負なんて滅多に無いし、それこそ百年に一度現れるかどうかのイレギュラーだけど、ケンジ君はその中でも比率が高くて、進行も早い。」

 

 「もうカミに至ったって事だよな。

  けどさっきケガレは回収したし、トウヤ君も化け物の姿に戻ってないみたいだから、ケンジ君ももう問題ないんじゃ…。」

 

 けれど百鬼は否定するように首を横に振った。

 

 「トウヤくんは元々比率が正だったから、ケガレによる変化じゃなくてイワレによる変化に体が対応しただけ。それに、あれはアヤカシに至ってから間もなかったから戻せたんだと思う。でも、ケンジ君は違う。」

 

 「戻せないし、すぐまた再発するって事か。」

 

 「ううん、もう再発はしないと思う。」

 

 と、そこで首を傾げた。言っていることが矛盾しているのではないか。比率が高いのだからすぐに、それこそひと月後などには再発してもおかしくない筈だ。なのに、何を。

 

 「一番、重要なことを話すね。」

 

 そんな百鬼の言葉が栞の様に思考に挟み込む。彼女へと目を向ければ、百鬼は覚悟を決める様にぎゅっと強く目を瞑り、深呼吸をして口を開いた。

 

 「アヤカシとカミってね。色々と普通のヒトに比べて違いが出てくるの。

  特に問題なのは、寿命。アヤカシなら誤差程度なんだけどね、カミになるとそうも言ってられなくて。余の場合、もう千年以上生きてるんだよ。」

 

 「千!?」

 

 思わず声を上げて立ち上がる。

 確かに、見た目通りではないかもしれないとは考えていた。けれど、そこまで長いとは思わなかった。ならば、白上や大神も同様に…。

 

 「これは余が特例なんだけどね、今居るカミの中でも最古参だったりするよ?」

 

 「でも、見た目通りの年齢ではない訳だ。」

 

 驚きすぎて、スケールが大きすぎて、最早呆れすら覚えてしまう。

 と、そんな休憩の様な会話の最中、とある気づきに息が詰まりそうになる。そんな訳がない、そんなことがあってたまるか。

 聞きたくない、けれど俺は聞かなければならない。

 

 「…待ってくれ、百鬼。

  イワレとケガレは表裏一体だって言ったよな。裏と表、反対の性質。」

 

 「うん。」

 

 百鬼も俺の言いたいことに勘づいたのか、悲し気にその眉を顰める。

 

 「イワレだと、寿命が延びるんだよな。」

 

 「…うん。」

 

 「なら…。」

 

 ケガレなら…。それも、ケガレによるカミに至ってしまったケンジ君は。

 そこで言葉に詰まってしまう、その言葉の続きは代わりに百鬼が継いだ。遠回しな言い方ではなく残酷なまでの真実として、何処までも実直に。

 

 「ケンジ君ね、後十日も生きられないんだよ。」

 

 





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個別:百鬼 9

どうも、作者です。


 

 「後十日って…、ケンジ君の寿命は、後たったそれだけなのか。」

 

 「うん、これでも透くんのおかげで伸びた方だと思うよ。余があのままやってたら、多分3日も持たなかったと思うから。」

 

 静かに突きつけられた現実にどうしようもないやるせなさに襲われ、思わず額に手を当て宙を仰ぐ。

 何故こんな時だけ予感が当たるんだ。まだ子供だ、十歳程度の、まだまだこれから先に希望があふれているただの子供が、どうしてこんな運命を背負わねばならない。

 込み上がってくる感情を表すようにテーブルの上に浮かぶ鬼火が揺れ、薄暗い部屋の壁に描かれた影が震えた。

 

 「…百鬼は、いつ知ったんだ。」

 

 「セイヤ祭の日。お話を聞いたのは調査の後。」

 

 「なら、その時に言ってくれれば俺がケガレを取り除いて、もっと長く…!」

 

 余裕の無さから感情の籠った声で目の前の百鬼へと詰問してしまう。自分でもこれはただの八つ当たりだと理解できる。けれど、彼女はあくまで冷静にその首を横に振った。

 

 「ケンジくんのケガレの量はセイヤ祭の時点でもすごく多かったの。

  透くんの命まで危険にさらす頼み事なんて、余には出来なかった。」

 

 「そんなことは無い、ほら、俺は実際ピンピンして…。」

 

 「嘘。」

 

 自らを指し示して無事を伝えるも、あっさりと百鬼はそう断言して見せる。こちらを射抜く彼女のその瞳は紅の光を発していた。

 

 「透くんのイワレ、また濁り始めてるよ。今も椅子に座ってるだけで辛いんでしょ。」

 

 「…。」

 

 図星を突かれ、押し黙る。

 疲れは取れるどころか時間が経つごとに増していくようで、本音を言ってしまえば今すぐにでも意識を落としてしまいたいと思う程には、全身を倦怠感と内側から刺すような痛みが絶え間なく襲っている。

 命の危険があったかと言われれば、確実にあったと答える他ない代償の大きさなのは間違いない。

 

 今なお、百鬼にはイワレを見られている。誤魔化しきれない、そう判断してため息を吐いて百鬼へと頭を下げる。

 

 「あぁ、百鬼の言う通りだ。…当たって、悪かった。」

 

 「ううん、気にしないで。余も話さなかったから。」

 

 どうにも彼女の様に冷静ではいられない。自らの未熟さを恥じるばかりだ。

 それきり二人して黙り込み、百鬼との間に気まずい沈黙が流れる。基本的に明るい彼女との間で、こんなことは初めてだった。

 

 ケンジ君の残り時間がもう限られている。なら、それまでにあるとも知れないケンジ君を救う未知の手段を探るか?いや、百鬼は千年の時を生きていると言っていた。ここまでケンジ君の現状を知っている彼女が解決策を調べていないとは考えられない。

 無いのだろう、ケンジ君を救う手段は。寿命とは病などでは無く、いわば命の限界点だ。そもそも、解決策などあるはずが無い。

 

 「百鬼は…これからどうするんだ。」

 

 思考が纏まらず、間を稼ぐように百鬼へと問いかける。

 

 「変わらないよ。余はケンジくんと最後まで一緒に居る。」

 

 「…そうか。」

 

 即答だった、ここで再三思い知らされていた事実を突きつけられたような気がした。

 

 「透くんは…どうする?」

 

 問いかけられて、言葉に詰まる。

 百鬼は本当に強い。腕っぷしだけではない、彼女は全てを知った上で全てを受け止めている。それに比べて…。

 

 「俺は…。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 窓から差し込んでくる朝日が部屋の中を柔らかく照らす中、椅子に腰かけてベットの上で穏やかな寝息を立てている少年の姿をぼんやりと眺める。

 どう見てもただの少年、まだ子供だ。とても彼に残された時間はたったの十日も無いとは思えなかった。しかし、それが事実であることもまた確かだ。

 

 百鬼の問いかけに対して、俺は結局答えを出せていない。彼女と異なり、俺はまだ受け止めきれていない。そんな中で結論を出すことは避けたかった。

 だから、百鬼には時間を貰っている。思考を纏めるだけの時間を。

 

 「…でも、これはただの逃げだよな。」

 

 誰も聞いていない部屋の中で背もたれに体重を預け、ぽつりと零す。体の疲労など、今は気にもならなかった。ケンジ君を助ける手立ては無く、延命する手段も無い。出来ることは最後まで一緒に居る事だけ。

 

 「受け入れられるかよ…そんなこと…。」

 

 いわゆる、ただの現実逃避に他ならない。 

 自分がここまで優柔不断だったとは、知りもしなかった。当事者になって初めて気が付いた。

 

 ぐるぐると思考を巡らせて、どれ程の時間が経過しただろう。

 

 「…にぃちゃん?」

 

 「え…?

  良かった、意識、戻ったんだな。」

 

 唐突に自らを呼びかける声が聞こえて来て顔を上げれば、ケンジ君はうっすらとその目を見張ってこちらに視線を向けていた。そして、次に部屋の中を見回すと驚いたようにその目を丸くする。

 

 「ここ、おれの家…。にぃちゃん、なんで場所が。」

 

 「アヤカちゃんに案内して貰ったんだ。」

 

 「アヤカが…、じゃあ無事だったんだ…。」

 

 事のあらましを簡潔に伝えれば、ケンジ君は「良かった…。」と、安堵したように深く息を吐いた。自分の事よりも先に他人の心配をする彼に、何よりも先に悲しみを感じた。

 

 「ケンジ君、さっきの事覚えてるのか?」 

 

 それを誤魔化すようにケンジ君へと確認すれば、彼は記憶を探るように宙を仰いで口を開く。

 

 「うん、覚えてる。けど、にぃちゃん達が来てくれた所までしか覚えてない。だから、起きたらにぃちゃんが無言で目の前に居てびっくりした。」

 

 「あぁ、それは悪い。

  ちょっと考え事をしててな。」

 

 とはいえ、他に誰も居ないのだから無言でいたのは割と普通の事ではないかと思わなくも無い。が、驚かせてしまったのも事実だ。

 

 「…もしかして、ねぇちゃんからおれの寿命の事でも聞いた?」

 

 そう問いかけられてドキリと心臓が鳴り、一瞬言葉に迷う。

 

 「…どうして、そう思う?」

 

 「にぃちゃんが分かり易いから。」

 

 聞き返せば、単純明快な答えが返ってくる。即答で返ってきたそれに、我ながらここまで表情に出るとは呆れたものだと苦笑いが浮かんだ。

 

 「そうだな、聞いたよ。

  ケンジ君も知ってたんだな。」

 

 「うん、ねぇちゃんが教えてくれた。」

 

 「…怖くないのか?」

 

 あまりにもあっさりとしたその態度に面食らって思わず瞠目する。

 何がとは言わなかったがケンジ君には伝わったようで、すぐに彼は首肯して見せた。

 

 「全然怖くないよ、むしろ今が楽しいくらい。」

 

 そう答えてくるケンジ君だが、しかし、ほんの一瞬だけ彼の顔が歪んだことに気づく。

 ただの強がりだ。怖くない訳などない、彼も来るべき死という恐怖と戦っているのだ。逃げられないから、目を逸らすことも出来ないから、必死に一人で。

 それが想像をはるかに超えて辛いことであることは明白であった。

 

 それを理解した瞬間、自分の中の迷いが決意へと切り替わっていくのを感じた。目の前で必死に戦っている子供を孤独にしてはならないという強い意志が芽生えていく。

 ただこれだけの為にここまで時間をかけてしまった自分が恥ずかしい、けれどもう迷いは無い。

 

 「…そうか、なら、もっと今を楽しくしないとな。」

 

 ケンジ君の言葉に乗っかるようにそう続ける。救う手立てがないというのなら、助けることが出来ないというのなら、せめて最後の時間が幸せで無いと割に合わない。

 

 「…と、そろそろ百鬼にもケンジ君が起きたことを伝えないとな。」

 

 「…にぃちゃん。」

 

 立ち上がり、部屋から出ようとした所で不意にケンジ君に呼び止められた。

 

 「その、起きた時人がいてくれたこと今まで無かったからさ。さっきにぃちゃんが居てくれて、嬉しかった。」

 

 その言葉に、思わずぽかんと口を開けてしまう。彼にとって当たり前ではない事だったのだろう、だからか、今のケンジ君は本当に嬉しそうにしていた。

 

 「…あぁ、そのくらいいくらでも居てやる。」

 

 笑顔でそれだけ言い残して、部屋を後にする。今の顔は、ケンジ君には見せれなそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 居間の方へと向かえば百鬼はまだそこに居た。物音で気が付いていたのか、急に居間へと入っても驚いた様子も無く、こちらへと視線を向ける。

 

 「透くん、答えは出た?」

 

 気遣うような彼女の視線、けれどそれはもういらぬ心配だ。それを伝える様に真っ直ぐと百鬼の眼を捉えて口を開く。

 

 「出せたよ。時間を取らせて悪かった。

  けど、もう大丈夫だ。俺もケンジ君と居るよ。」

 

 「…うん、透くんはそう言うと思ってた。」

 

 「やっぱり、俺って分かり易いのか…。そろそろ本格的にポーカーフェイスだったり身に着けないとな…。」

 

 ケンジ君にも百鬼にもこれでは感情が筒抜けも同然である。別にバレたからと言ってどうということは無いが、やはり表に出さない必要のある場面もあるだろう。

 と、今はそんな話をしているのでは無かった。ただ決意表明をしに来ただけではないと気付きすぐに思考を切り替える。

 

 「そうだった、ケンジ君が目を覚ましたから百鬼も呼びに来たんだ。」

 

 「本当?良かったー。じゃあ余も様子見に行こうかな。」

 

 「あぁ、その前に。」

 

 ケンジ君の部屋へと急ごうとする百鬼を呼び止める。まだ話しておきたい事がある。これからに繋がる大事な話を。

 

 「相談なんだが…。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ケンジ君が起き上がり、動き回れるようになる頃には既に夕日が空を赤く染め上げていた。時間も時間だという事で一度シラカミ神社へと帰ろうかとそんな話になる。しかし、ケンジ君がここで一人で暮らしていると知った以上、放っておくわけにもいかない。

 

 「じゃあ、今日は余がここに残るね。透くんはフブキちゃんとミオちゃんに余は帰れない事だけ伝えて貰っても良い?」

 

 「分かった、それじゃあ俺は一度シラカミ神社に帰るよ。」

 

 「あ…。」

 

 家から出ようとすれば、後ろから名残惜しそうなケンジ君の声が聞こえてくる。振り返ればケンジ君は居瞬こちらへと手を伸ばすように動かしかけて、けれどぴたりと考え直すように動きを止める。

 

 「心配しなくても、明日になったらまた朝一番で来るから。」

 

 「いや、そう…でもあるんだけどさ。さっきの話って本当なのか?」

 

 確認するように問いかけてくるケンジ君に、百鬼と二人顔を見合わせる。一応これで同じことを聞かれたのは三度目であったりする。何度も念押ししてくるケンジ君に、思わず揃って笑みが浮かぶ。

 

 「むしろこっちがお願いしてるんだけどな。」

 

 「ケンジくんが良かったらだから、嫌だったら言ってね?」

 

 「良い!絶対、約束だからな。」

 

 ケンジ君も納得してくれた所で、今度こそ家を出て路地裏を後にする。

 身体強化を施してシラカミ神社へと駆ける。イワレが濁ったと言えどもまだ許容範囲内だ、鬼纏いを使ったとしても出力こそ落ちているだろうが、それ以外は特に問題ない。

 

 しかしイヅモ神社にて神狐によってイワレの流れを改善して貰ってから結界の燃費もかなり良くなったものだが、それでもこの有様とは、改めてケンジ君の成長率の高さを思い知る。これでケガレではなくイワレだったら、今頃こんな事には…。

 

 (考えても詮の無いことか。)

 

 そうならなかったから今がある。はき違えてはならない、現実を受け止める他ないのだ。そんな思考を振り払うように、俺は駆ける速度を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ただいまー…って、あれ、誰もいないのか?」

 

 シラカミ神社に到着して玄関の扉をがらりと開けるも室内はがらんとしており人の気配が無かった。誰かしら、少なくとも一人くらいは神社に居るのが常だが、珍しいこともあるものだ。

 そう言えば大神は今日はイヅモ神社なのだったか。百鬼はケンジ君と一緒に居て、残るは白上のみだが…。

 

 「…物音ひとつしないな。」

 

 一応白上の部屋の襖をノックしてみるが、やはり帰っていない様だ。彼女については特に何も聞いていないため、これは本格的に居所が分からない。

 

 必要な荷物を纏めたりと無駄足にはならないが…伝言でも残しておこうか、そう考えていた所で玄関の扉の開く音が聞こえてくる。

 

 「ただいま戻りましたー。」

 

 続いて響いてくるのは白上の声だ。やはりどこかへ出かけていたらしい。座って待っていれば、やがて間も無く白い獣耳がひょこりと現れる。

 

 「あれ、透さん一人ですか?

  あやめちゃんと一緒に居ると思ってましたけど…どちらに?」

 

 「キョウノミヤコだ。ちょっと…あー、事情があってな。今日は俺だけ帰ったんだ。

  白上こそ、何処に行ってたんだ?」

 

 シラカミ神社と名にあるように、白上はこの神社の神主である。その為、この神社に居るこのが多いのは白上であり、滅多に神社を空けるようなことは無いのだが、今日は別なようだ。

 

 「それが、白上は普段の奉納品のお返しにキョウノミヤコのケガレを祓ってるんですよ。」

 

 「あぁ、それは前キョウノミヤコで聞いたな。定期的にあるんだろ?」

 

 ケガレに当てられてため込まないように白上が払っていると、奇しくも今日は彼女と同じような事をしていたらしい。

 

 「はい、ミオの占いでは今日が発生する日の筈だったんですけど…、これが一つたりとも反応が無くて、て。おかげでただキョウノミヤコを回っただけになっちゃいましたよ。何処かに隠れでもしたんですかね。」

 

 「へぇ、大神の占いが外れるって、占星術の方なんだろう?

  失敗でもしたの…。」

 

 と、そこまで言いかけてふと大神の占星術が外れた要因に思い至った。大神の占星術はカクリヨの未来を占うが、そこにウツシヨの異物が混じると未来が変わる事がある。そして、ケガレと言えば今朝の事を思い出す。

 

 「…そういう事か。 

  白上、心配しなくてもケガレは多分払えてるから問題ない。」

 

 「え?…もしかして透さん、何かしてたんですか?」

 

 「そうなる。大神の占星術が外れる要因はそれ以外考えつかないしな。」

 

 ケガレによるカミ、至った際の影響の一つが恐らくケガレの放出だ。あの時ケンジ君の身体から黒い靄が立ち上っていた、もしあれが体外に漏れ出たケガレだとするのならそれは何処へと向かうのか、当然大気中へ放たれる事となる。

 つまり、今回のケガレの発生の原因はケンジ君になる予定だったという事になる。自然発生とは別に、こういった発生の仕方もあるようだ。とはいえ、数百年に一回あるかどうかのイレギュラーであることに変わりは無いのだろうが。

 

 その辺りの事を含めて、軽く白上に説明する。今日知った事実、ケンジ君の事を。やはり白上もカミという事も有り、すんなりと事のあらましを理解した。

 

 「そうですか…寿命が…。」

 

 「まぁ、その関係で百鬼はキョウノミヤコに残ってる。

  俺は自分の荷物を取りに返ってきたんだ。明日は百鬼が帰ってくるけど、俺と百鬼はそれ以降しばらく帰らないと思う。」

 

 これからの予定を離せば、白上はぱちくりと目を瞬かせる。

 

 「え、また唐突ですね。いえ、時間が無いのなら妥当なんですけど。

  ですがキョウノミヤコに当てはあるんですか?」

 

 というのもカクリヨに来てから日数の浅い俺は人脈があるとはとても言えない状況だ。それを心配しての質問だろうが、そこは既に話はついている。

 自らの覚悟を確認するように一呼吸置いてから、言葉を発する。

 

 「しばらく、ケンジ君と生活することにしたんだ。」

 

 

 

 

 




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個別:百鬼 10


どうも、作者です。


 

 キョウノミヤコにのとある路地裏。人気の無い裏道を、さらに奥へと進んだ先にある空き家の一つの前で俺は立ち止まった。

 軽くノックをすると、家の奥から軽い足音が聞こえてくる。扉の前で足音が止まったかと思えば、さして時間も掛からずゆっくりと扉が開き、中から一人の少年が顔を出した。

 「にぃちゃん、おかえり!」

 「あぁ…ただいま、ケンジ君。」

 少年、ケンジ君はこちらの姿を見るなり、心の底から嬉しそうにその顔を綻ばせた。

 「あ、透くん、おはよう。」

 「おはよう、百鬼。」

 ケンジ君に連れられて家の中に入れば、昨日からここに泊まっていた百鬼も出て来て軽く挨拶を交わす。朝食を取っていたのか、玄関にまで食欲を刺激するような良い香りが漂ってきていた。

 「もしかして、食事中だったか?」

 邪魔をしてしまったかと思い、来る時間をもう少しずらせば良かったかと若干の後悔が胸中に浮かぶ。

 「ううん、さっき出来た所だからまだ。透くんの分もあるから一緒に食べよ!」

 しかし、すぐに首を横に振る百鬼にほっと胸を撫で下ろした。

 「なら良かった。じゃあ、遠慮なく。」

 「ん、それじゃあ余は準備してくるね。」

 そう言うと百鬼はパタパタと奥の方に引っ込んで行ってしまった。あちらの方にキッチンがあるのかと、未だ把握しきれていない家の構造に思考を巡らせていると、不意にケンジ君が小声で耳打ちをしてくる。

 「ねぇちゃんさ、朝から張り切ってたんだ。もしかするとにぃちゃんも食べるから気合入れてたのかもな。」

 「百鬼が…?…いや、ないない。」

 突拍子も無いその言葉に一瞬本当にそうなのか、などと納得しかけて即座に自らその考えを切って捨てる。張り切っていたのは事実なのだろうが、多分俺よりはケンジ君の為だ。それに仮に俺の為に張り切っていたのだとすれば、それはただの対抗心のようなものだろう。少なくともケンジ君の想像しているものでは無いことは確かだ。

 ふと先日の百鬼が料理を出来ることに驚いた記憶を思い返して手を横に振れば、ケンジ君は予想通り露骨につまらなそうにその口を尖らせる。

 「ちぇー、お似合いだと思うんだけどな…。」

 「残念だったな。まぁそう言われて悪い気はしないけど、俺と百鬼はそういう関係じゃないよ。」

 事あるごとに恋愛方向に話を持っていこうとするケンジ君の頭をクシャリと撫でてつつ居間へと足を向ける。そう、あり得ないのだ。そんな事に割ける程の余裕は、俺にも百鬼にも無いのだから。

 

 

 

 

 

 百鬼の用意してくれた朝食を前に、三人で手を合わせ箸を取る。彼女が料理が出来ると言っていたのは嘘では無かったようで、素人目でも分かる程どれもこれも綺麗に調理されていた。口に運んでみると見た目に違わぬその味に二度驚かされる。

 「百鬼って本当に料理できたんだな…。」

 関心から息を吐きつつ言えば、向かい合って座る百鬼は自慢げに胸を張った。

 「言ったでしょ?余も料理できるって。もしかして透くん信じてなかった?」

 「いや、信じてたけど…想像以上だったからつい。」

 お世辞などではなく、純粋に美味しいと感じた。ここまで料理が出来るにしてもここまでとは思いもしなかったもので、驚愕が前面に出て来てしまったのだ。

 「にぃちゃんは料理できないんだったっけ。」 

 「あぁ、レシピ通りに作ってるはずなんだが何故か失敗するんだよな…って、俺ケンジ君にこの事話してたか?」

 「昨日ねぇちゃんに教えて貰った。」

 隣に座るケンジ君からそう聞いて、無言のまま百鬼へと視線を向ければ彼女はふいと目を逸らした。まさかそんなピンポイントでそれだけ話したわけでも無い筈だ。一体ケンジ君に何を吹き込んだのか。

 ちらほらと尊厳に関わりそうな話題が頭に浮かび、つい苦々しく口の端が引きつる。

 「大丈夫、そんなに話して無いから。」

 「うん、後聞いたのはにぃちゃんがフブキさんの獣耳と尻尾をじっと見てる時があるって事くらい。」

 「百鬼?」

 「だって本当の事なんだもん…。」

 割とマズイ方の話が出てきて、たらりと一筋の冷や汗が頬を伝った。露骨に見ていたつもりなかったのだが、百鬼はバレていたらしい。というか、先ほどから料理が出来なかったり尻尾を見ていたりと中々ケンジ君の中での自分が心配になるものばかりだ。失望はされたくない…。

 恐る恐るケンジ君の様子を伺うも、特に変わった様子は見受けられない。

 「まぁ、にぃちゃんがそういう人なのは分かってたし。」 

 その視線に気づいたケンジ君は肩を竦めて口を開いた。しかし、その内容は完全に予想外で。

 「分かってた!?え、けどケンジ君の前でそんな行動をした覚えは…。」

 「セイヤ祭の時、ねぇちゃんとアヤカにデレデレしてた。」

 「あー…、あれか…。」

 一気に納得がいった。そうだった、おままごとでのあれを見られているのだったか。それなら尻尾を見るくらいどうという事は…いや、足し合わさり余計に酷いのではないか。

 しかしそうなると…。

 「俺、よく嫌われてないな…。良いとこなしだぞ今の所。」

 幸い、ケンジ君からも百鬼からも軽蔑の眼差しは飛んできてはいない。一応、出会ってからまだ五日だがこの短期間で大きな欠点が三つだ。正直嫌われてもおかしくないとはつくづく思う。

 「嫌わないって。だって欠点がにぃちゃんの全てじゃないだろ?それにねぇちゃんだって昨日…。…やっぱり何でもない。」

 「ん?」

 流暢に話していたケンジ君だったが、しかし百鬼の名前が出て彼女の方へと視線を向けた瞬間不自然にその言葉を途切れさせてしまう。

 そのタイミングからして百鬼が関係していることは明らかだった。

 「百鬼、本当に昨日は何してたんだ?」

 「ケンジ君とちょっと話してただけ。それより早くご飯食べよ?」

 疑問をぶつけてみるも、ほんのりと頬を赤く染めた百鬼は素っ気なくそれだけ言うと、話題を切り替えてしまう。

 「ねぇちゃんの料理美味しいな、にぃちゃん。」

 「…そうだな、どれも美味い。」

 違和感はハッキリと感じるが、ケンジ君までこう言っているのだから変に突っ込まない方が良いのかもしれない。

 二人が寛容な性格で良かった。そんなことを考えつつ、俺は浮かんだ疑問に蓋をして卵焼きを頬張った。

 

  

 

 

 

 

 

 それからは普段と同様にケンジ君とキョウノミヤコの表通りへと繰り出した。昨日倒れたばかりな為体調が心配だったが、百鬼曰く既に確認済みで特に問題は無かったらしい。そうなると一度アヤカちゃんの様子も見ておきたいと道中気を配ってみるも流石に昨日の今日だ。

 結局この日はアヤカちゃんに会うことも無く夕方になり、百鬼は一度シラカミ神社へと帰る事となった。

 「じゃあ余は明日の朝にまた戻って来るから。ケンジくん、昨日の事は話しちゃだめだからね。」

 「分かってるよ、ねぇちゃん。」

 別れ際にそんな会話をする二人を前に、内容を聞き出してみたいという興味を抑える。こういった話は出来れば聞こえない所でして欲しいものだが、言っても詮の無いことだろう。

 「またねー!」

 そう言ってキョウノミヤコを後にする百鬼の背を手を振って見送れば、徐々に空は赤から黒へとその色を変化させていき、やがて辺りには夜の帳が降りた。

 「…と、そうか。明かり付けないと流石に何も見えないな。」

 今日は百鬼が居ないため鬼火は使えない、そうなると当然自前で用意する必要がある。幸い今日はまだ満月の後だ。窓のある部屋は月明かりで十分照らされているが、部屋中はランプに火をつけて明かりを確保する。

 「あ、そっか。にぃちゃんは火使えないんだったっけ。」

 と、その様子を見ていたケンジ君は驚いたように目を丸くして問いかけてきた。

 「ん、まぁな。俺が使えるのはイワレを封じる結界と、後は身体強化だけだ。そもそもイワレ自体使える様になってから二か月も経ってないな。」

 火の玉を作り出すことすら出来ない。仮に出来たとしても温度調節など出来やしないのだから家が燃える、確実に。

 「へぇー、じゃあそれだけでねぇちゃんに勝ったんだな、やっぱにぃちゃんすげー!」

 「え、俺が百鬼に?いつ…。」

 記憶を遡ってみるも、そのどれもが百鬼に勝つどころか負けているモノばかりだ。というか日に日に百鬼には勝てる気がしなくなっている。そんな中で俺が百鬼に何か勝てたことがあっただろうか。

 「初めて会った時に負けたって言ってたけど。」

 「初めて…、あー、あの時か。」

 健司君に言われてようやく思い出した。百鬼との初邂逅と言えばキョウノミヤコで骸骨霊の調査を行ったあの時だ。確かに彼女からしては苦々しい記憶だろうが、あれは…。

 「んー、どちらとも言えない相打ちだったんだけどな。寧ろ内容としては完全に負けてた。」

 とはいえ、当時の自分にしては頑張った方だと思う。それは彼女の事を知ってから尚更そう思うようになった。

 「ねぇちゃんは詳しいことは教えてくれなかったんだけど…初めて会った時ってどんな感じだった?」

 ケンジ君はそう言って期待の眼差しを向けてくる。百鬼が何処まで話したのか聞いてないが、この感じだとケンジ君は本当にあの時の事は聞いて無さそうだ。

 「じゃあ…そうだな。ケンジ君、キョウノミヤコで幽霊が出るって噂は聞いたことあるか?丁度二か月くらい前なんだけど。」

 あの件はキョウノミヤコではそれなりに話題になったと聞いていた。実際に骸骨霊が存在したため、目撃情報すらあったためだ。もしかするとケンジ君も聞いたことがあるかもしれない。

 しかしそんな予想とは異なり、ケンジ君は少し考え込む様に顔を俯かせる。

 「二か月前…、ううん、初めて聞いた。」 

 「そっか、なら最初から話すか。

  当時キョウノミヤコでイワレを奪う幽霊が出るって噂になって、その調査に行ったことがあったんだ。それでなんだかんだあって霊の件は解決したんだが、その時に丁度同じ調査をしていた百鬼と鉢合わせてな、俺がその元凶だと思われたんだ。」

 二か月経過した今でも鮮明に思い出せる。命の危機というのは、脳に強烈に刻み込まれるものだ。今俺がここに居るのは、一重に手加減をしてくれた百鬼の温情が故だろう。

 「え、じゃあねぇちゃんとにぃちゃんが敵同士で戦ったって事?」

 「いや、確かに敵同士ではあったんだが戦いにすらならずに俺が吹っ飛ばされた。で、その時にイワレが使える様になって、不意打ちで意識飛ぶくらいの閃光を目の前で発生させて相打ちになった。だから、実際には勝ってはいないな。」

 話終えればケンジ君は感心したようにほぇーっと息を吐いた。個人的にはあまり誇れるようなものでは無いものの、彼から見ればそうでも無いのかもしれない。

 「でもにぃちゃんはどうやって閃光を出したの?他にワザは使えないって言ってたけど。」

 「あぁ、それはこの刀で…、って、そう言えば俺もこれ使えば明かり出せたな。」

 普段はイワレを調節して光らないようにしていたが、元々素で日中に目を焼くほど光るはた迷惑な刀であることを完全に失念していた。

 どうせなら実演して見せようと、取り合えず丁度良い光量に調整してから少しだけ刀身を覗かせる様に抜けば、部屋が日中の様に明るく照らされた。

 「最初からこうしておけば良かった…。」

 先ほどせっせと明かりを点けていたのは何だったのだろうというお手軽さに、ずんと肩を落とす。それとは対照的にケンジ君は刀の方に興味津々なようで、じっと刀を見つめている。

 「にぃちゃん、これシンキってやつ?」

 「あぁ、白上に貰って以来使ってるんだが…、改めて見ると結構ガタが来てるな。また百鬼と打ち合いでもしたら折れそうだ。」

 手入れはしているものの流石に百鬼から無防備に食らった一撃に、刀は耐えこそしたがそれでもかなりのダメージが入ってしまっている。

 「あ、本当だ。ちょっと傷っぽいのも見える。」

 ケンジ君の指さした先にはあるのは横に一直線の傷は、恐らくもう一度同じだけの力が加われば簡単にその浸食を進めてしまう事だろう。

 「完全に俺の練度不足だったな。まぁ、初めて刀握ったから当然と言えば当然なんだが。」

 「でも、努力したって聞いた。ねぇちゃんも『透くんの頑張り屋さんな所、余は好き』って。」

 その言葉を聞いて一瞬思考が停止した。そして同時に聞いてはいけないことを聞いたような妙な気まずさを感じる。

 「…それ、百鬼が言ってたのか?」

 「うん…あ…。」

 確認に聞いてみると、肯定してしまってからケンジ君はしまったという風に口を押えた。その反応に意図せず昨日の出来事を察してしまう。なるほど、別に悪い所だけを話していたわけでも無かったようだ。

 「に、にぃちゃん、今のねぇちゃんには内緒に…。」

 「んー、そう言われてもな。俺考えてること分かり易いらしいし。」

 慌てふためくケンジ君に無かったことにと打診されるも、それが出来るのであれば俺はこんなにも悩んではいないのだ。

 「そうだった…!」

 無慈悲な現実を前に打ちひしがれる彼に思わず苦笑いが浮かぶ。百鬼の事だからそこまで酷い報復は無いとは思う…思うが、けれど一応覚悟はしておいても良いかもしれない。

 「…明日からお面被って生活してみない?」

 「本格的に隠そうとしてるな。けど、それはそれで…。」

 などと話している内に、自然と話はどうすれば考えを読まれにくくなれるかにシフトしていった。実のある話ではないが、それそのものを俺とケンジ君は楽しんでいたのだった。

 「…そう言えばさ、にぃちゃん。」

 「ん?」

 その最中、不意にケンジ君が思い立ったようにそう呼びかけてきた。

 「にぃちゃんから見てさ、ねぇちゃんってどんな人?」

 「どんな人か…、改めて言われると難しいな。」

 別に普段から百鬼はこういう奴だ、という事を考えている訳でも無い。

 悪戯が好きで、天真爛漫で、どう伝えたものかと考えていれば、自らが持つ百鬼という存在に対する認識がふと浮かび上がった。

 「そうだな、一言でいうなら『強い』だな。」

 腕っぷしだけでなく、心も含めた全てが。

 「へぇー…、…やっぱり、二人ともお似合いだな…。」

 「ケンジ君、今小声でなんて?」

 「何でもなーい。」

 何事かをぼそりと呟いたケンジ君は、けれどその内容を明かすことは無かった。こうして、俺とケンジ君は他愛も無い話を続け、夜は更けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 シラカミ神社へと帰ったあやめは、一人玄関から室内へと入った。それと同時に聞こえてくる二人分の話し声は、フブキとミオのモノである。それを確認したあやめは迷うことなく居間へと向かった。

 「おや、あやめちゃん。おかえりなさい。事情は透さんから聞いてますよ。」

 「ウチはフブキから聞いたんだけど、キョウノミヤコに暫く滞在するんだよね。」

 あやめに気が付いたフブキとミオは、そう言って彼女を迎える。その言葉に説明する必要が無くなったことを把握したあやめは彼女らに対して笑みを浮かべる。

 「ケンジ君っていうんだけどね、余と透くんと一緒に暮らすの。」

 朗らかに言って見せるあやめに対して、けれどフブキとミオの顔は晴れない。その顔は何処かあやめの事を気遣っている様にすら見えた。

 「あやめ、大丈夫?」

 「…うん、大丈夫。余はまだ、大丈夫。」

 念押しするように二度繰り返せば、ミオもそれ以上追及するようなことは無かった。

 「それじゃあ余は荷物を纏めて来るね。全然用意できてないから急がなくちゃ!」

 それだけ言い残して、あやめは自室へと駆けて行く。しかし、自室へと近づくにつれてその顔の笑みは剥がれていき、部屋に辿り着くと同時に襖の前でへたりこんでしまう。

 蹲るようにして服の裾を強く掴むその手は、彼女の心に渦巻く感情の膨大さの表れだった。

 「やっぱり、透くんは『強い』よ…。」

 ぽつりと零したその声は誰にも届くことは無い。故に彼女はただ独り、感情の濁流が過ぎ去るのを耐え忍ぶしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 





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個別:百鬼 11


どうも、作者です。

評価、誤字報告くれた人、ありがとうございます。

以上。


 

 朝日に照らされたキョウノミヤコの路地裏。そこのとある空き家の中のキッチンにて焦げた卵焼きを前に、俺とケンジ君は二人して呆然と立ち尽くしていた。

 「…にぃちゃん、本当に料理できなかったんだな。」

 「言わないでくれ、これでも気にしてるんだ。」

 昨日は朝食を百鬼が用意してくれていがその彼女は現在シラカミ神社でここに居ない。今朝の内にはこちらに戻って来る予定であるが、どうせならそれまでに朝食を用意しておこうと考えた結果が現状である。しかし、それにしても最近はそこまで失敗も少なく、卵焼き程度で失敗することなど…。

 「そうか、いつもは大神と一緒にやってるから…。」

 思えば基本的に大神の手伝いとして作業する事が殆どで、一人で料理をしたためしが無いことに遅れて気が付く。ただそれだけの違いでここまで差が出るものかと、現実逃避気味にぼんやりと考えていると隣でなんとも言えない表情でケンジ君が口を開いた。

 「でもどうするんだ?おれも料理できないから朝ごはんが焦げた卵焼きになるけど。」

 「そうだよな…これはもう素直に百鬼に泣きつくか…。というか、料理できないなら今まで朝はどうしてたんだ?果物とか?」

 「最初はそうだったけど、最近は…。」

 と、言いかけた所で言葉を遮るように玄関の方から扉がノックされる音が聞こえてきた。ここは路地裏のさらに奥側だ、人通りも少なく自ずとノックの主は限られる。

 「ん、百鬼か?思ってたより早かったな。」

 「いや、多分ねぇちゃんじゃないよ。おれちょっと出てくる!」

 それだけ言い残して、ケンジ君はたっとキッチンを出て玄関の方へと駆けて行ってしまう。百鬼じゃないのなら、こんな時間にここに来る者と言えば後は一人しか居ない。そう思い至ると遅れてケンジ君を追って玄関へ向かった。

 

 

 

 

 

 キッチンを出れば丁度ケンジ君が扉を開けた所で、その先には予想通り幼い少女、アヤカちゃんがバスケットを持ってそこに立っていた。

 「あ、良かった、おにいちゃんも居た。」

 アヤカちゃんはケンジ君の肩越しに俺の姿を見つけると、そう言ってにこりと笑って見せる。昨日は結局会えずじまいだったが、見た所問題は無さそうだ。 

 「アヤカ、体何ともない?」

 「大丈夫。アヤカよりもケンジが一番危なかったんだから。」

 「それは…うん、そうだった。」

 ジトリとした視線を向けられて、ケンジ君は気まずそうに目を逸らしながら言葉を濁す。結果を見れば無事ではなかった。多分、ケンジ君は伝えたく無いのだろう。いや、そもそも言いづらいだけか…。どちらにせよ、今話すのは早計だ。

 「もしかしてアヤカちゃんは毎日ここに?」

 話題を変えるついでに先ほどから気になっていたことを聞いてみる。先ほどケンジ君は相手が誰か分かった上で扉を開けていた。この事から、これが初めてでは無いことは確かだ。

 「うん、ケンジね、ずっとここに一人でいたから放っておけなくて。だからアヤカいつも朝ごはん持ってきてるの。」

 「アヤカが来るときだけ…って言っても殆ど毎日だけど。」

 アヤカちゃんの答えにケンジ君は照れ臭そうに頬をかいた。

 成程、良くケンジ君とアヤカちゃんが一緒に居た理由もこの関係が基となっていたのか。思えばセイヤ祭でも既に親しい様子だったし、その頃には既に面識があったのだろう。恐らく一昨日の件でアヤカちゃんが持っていたバスケットもこの為だ。

 「あ、それでね。今日はおにいちゃんとおねえちゃんも居ると思って三人分持ってきたの。おねえちゃんは…。」

 そう言ってアヤカちゃんは百鬼の姿を探すように家の中へと視線を巡らせた。しかし、当の百鬼は今頃平野を駆けている所だ。

 「あぁ、百鬼なら今はここに居ないんだ。けど、すぐにこっちに戻ってくると思うから。」

 「本当?良かった…今日のは自信作だからおねえちゃんにも食べてもらいたかったの。」

 快活な笑みを浮かべるアヤカちゃんだったが、しかし、その言葉の中に少しだけ引っ掛かりを覚えた。てっきり、俺はアヤカちゃんの親が作りアヤカちゃんが持ってきてくれたものと勝手に考えていた。だが、この言い方からして。

 「もしかして、これ作ってくれたのって…。」

 「あ、アヤカが作ったよ!」

 明らかに美味そうな匂いを漂わせるバスケットを指差し恐る恐る聞けば、えっへんと可愛らしく胸を張る彼女とは対照的に俺はぴしりと石像の様にその動きを止めた。

 「アヤカってこう見えて料理が上手なんだよ。」

 「ケンジ、一言余計。このくらいキョウノミヤコに住んでたら普通だもん。」

 普通だもん…、普通だ…、普通…。追い打ちをかける様に放たれた無邪気なその言葉が脳内に響き渡り、ぐさりと胸に突き刺さった。そうか、キョウノミヤコは子供でも料理が出来るのか。そうか、それが普通なのか…。

 「へ、へぇー、それは凄いな。ありがとう、アヤカちゃん。ありがたく頂くよ。」

 しかしそんな心情を悟られる訳にはいかない。いや、悟られたく無くて全力で押し殺し、それは別として笑みを浮かべて素直に感じた感謝を伝える。

 「えへへ、どういたしまして!」

 表情に出やすいと言われる俺だが、今回は上手く隠せたようだ。というのも、やはり感謝しているのも本心であるからだろう。

 実際、焦げた卵焼きで朝をどう乗り切ろうかと悩んでいた所にこれは渡りに舟だ。ただ自分の欠点が浮き彫りにされて更に深度を増してしまい、尊厳の危機に瀕しているだけで。

 「じゃあ、アヤカはもう帰るね。」

 バスケットの中から紙袋をいくつかと紙に包まれたサンドイッチらしきものをケンジ君に手渡すと、アヤカちゃんはバスケットを持って扉を開けた。

 「あれ、アヤカちゃんは食べていかないのか?」

 「うん、もう食べてきたから。あとアヤカ家のお手伝いがあるの。」

 どうせなら一緒にと思ったが、そういう事なら仕方ないと諦める。しかし家の手伝いか。カクリヨで暮らしてきてまだ日が浅いために、カクリヨにおける普通の家庭についてはまだまだ知識が浅い。

 「…っ。そうだ、アヤカ。今日からにぃちゃんとねぇちゃんが一緒に暮らしてくれることになったんだ。だから、もう朝の心配はしなくて良いから。」

 「そうなの!?アヤカずっと心配だったから、おねえちゃんとおにいちゃんなら安心だね。」

 「うん、今までありがとう。」

 そう言うケンジ君の顔はどこか強張って見えた。それでも笑ってアヤカちゃんを見送った彼の頭を無言でくしゃりと撫でれば、彼もまた無言でそれを受け入れる。

 暫くの間、冷たい静寂がその場を包み込んだ。

 「…にしても、キョウノミヤコの子供って料理できるんだな…。」

 「そうらしいよ、にぃちゃんは出来ないのにな…。」

 ふと先ほどのアヤカちゃんとの話を思い出してケンジ君の持つ紙袋を横目にぽつりと零せば、にっと笑ったケンジ君の言葉が鋭利な刃物の様に飛んできて突き刺さる。アヤカちゃんの分も含めて二回目だ、流石にこれは堪えた。

 「子供でも出来ることを、俺は…!」

 「元気出せよにぃちゃん。」

 思わず両手を地に着ける。励ますようにぽんぽんと背中を叩かれるが、それで回復するほどこの傷は浅くはなかった。実際に卵焼きを焦がしているのだから尚逃げ場がない。

 「おはよー!余ね、さっきアヤカちゃんと…って、透くん何してるの?新しい遊び?」

 再び扉が開いて今度は百鬼が満面の笑みで家に入って来るも、目の前で打ちひしがれている俺の姿に困惑気味に声を上げた。

 「百鬼か。ちょっと色々とあってな…。聞いてくれる…。」

 「あ、ねぇちゃんだ。これアヤカが三人分持ってきてくれたんだ。」

 神妙な雰囲気を出しつつ今の心情を語ろうとするも、途中でケンジ君に割って入られて言葉が途切れる。最初こそ俺の話を聞こうとしていた百鬼だが、ケンジ君の持つ紙袋に目がいけばすぐにその瞳を輝かせた。

 「余も聞いた!アヤカちゃんの料理、楽しみだったから走ってきちゃった。」

 「じゃあ早速食べよ。ほら、にぃちゃんも。」

 「…あぁ。」

 和気あいあいと居間に入っていく二人の背を前に、俺の心は空虚に満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 「それで、昨日大神は?」

 「居たよ。けどフブキちゃんが話してくれてたみたいだから余から伝えることはあんまりなかった。」

 アヤカちゃんの持ってきてくれた料理に舌鼓を打ちつつ、百鬼と情報を共有する。大神はイヅモ神社からは帰ってきていたようだ。

 「そっか。それなら白上が一人になるって事も無さそうだな。」

 そういう事ならあちらの事は気にしなくても良いだろう。白上一人を残すのも少し可哀そうに思っていたため安心だと胸を撫で下ろすが、しかし百鬼は言い淀むように唸り声を上げた。

 「んー…それがね、ミオちゃんまたイヅモ神社に行ってくるんだって。」

 「あー…、成程。」

 やはりと言うべきか、シラカミ神社には白上一人が残る形となるらしい。とはいえ別に会えない距離でもないのだ、彼女なら特に問題は無いだろうと楽観的に考えておく。気になると言えば大神も大神で調査やら何やらで立て込んでいるのかここ最近は忙しそうにしている。

 神狐に話を聞きに行ったと聞いていたが、まだ何か謎が残っているのだろうか。

 「クラウンが消えてなかったら、調査しなくても話を聞けたんだけどな…。」

 「…っ!」

 ぽつりと零したその言葉、特にクラウンの名を聞いた瞬間、隣に座るケンジ君が体を震わせた。唐突なその反応に思わず百鬼と二人でケンジ君へと視線を向ける。

 「ケンジくん、どうかした?」

 「…あ、いや、何でもない。このサンドイッチが美味しくてびっくりしただけ。」

 明らかに嘘である。しかしこの苦しい言い訳を前に更に踏み込むのもどうだろう。百鬼と顏を見合わせるも、彼女も首を横に振っている。

 この話題はまた後程にした方が良さそうだ。

 「あぁ、確かに美味いな。本当に。」

 手に持ったたまごサンドに目をやりつつ、しみじみと呟きながら今度は自分の作った卵焼きを口に放り込む。同じ卵料理の筈がどうしてここまで差がついてしまうのだろう。

 「透くん、何かあったの?」

 「にぃちゃんがさっき料理失敗しただけ。」

 そんな俺の様子を変に思ったのか首を傾げる百鬼にケンジ君がさらりと真相を答える。するとそれを聞いた百鬼の瞳に興味の色が映った。

 「もしかして透くんの手元にある卵焼き?余も一つ貰っていい?」

 「おれも、食べてみたい!」

 百鬼に触発されてケンジ君までも手元へと視線を向けてくる。失敗した料理を他人に食べさせるのには抵抗があるが、ここで一気に平らげたらそれはそれで反感を買いそうだ。

 「…まぁ、食べるのは良いが、本気でおすすめはしないぞ。」

 そう言って皿を差し出せば、百鬼とケンジ君はそれぞれ一切れずつ箸で取っていき、そのまま口へ運んだ。そうして咀嚼して呑み込んだ二人だったが、そこから暫く無言のまま宙を仰ぐ。

 「…おい、ケンジ君、百鬼?」

 あまりにも反応が無いため居たたまれなくなり思わず声を掛ければ、ようやく二人ははっと意識を取り戻した。

 「なんだか、苦い…?」

 「焦げてるからな。それは苦いだろ。」

 むしろ苦くないとでも思っていたのか。そちらの方が驚きである。

 「苦いし、ぱさぱさしてる。」

 「そうだな、多分水分も飛んでるな。焦げてるから。」

 淡々と答えながらも精神的ダメージにそろそろ涙が零れそうだ。これはいつまで続くのだろうかと、考え始めた折にけどとケンジ君が言葉を続ける。

 「あったかくて、おれはにぃちゃんの料理好きだな。」

 まさかそんなことを言ってくれるとは露程も思っておらず、つい一瞬呆けてしまう。

 「…そうか?ありがとうな、ケンジ君。」

 「余も、ちょっと苦いけど好きだからね!」

 「うん、ありがとう、百鬼。」

 恐らく二人なりの優しさなのだろうが、その優しさが今は何よりも痛く、辛かった。そうして涙ながらの朝食を終えれば百鬼がお茶を入れてくれて、三人で一息をつく。

 「そう言えば余の事は話したけど、透くんとケンジ君は昨日は何してたの?」

 そう問われて言葉に詰まる。それはケンジ君も同様で、百鬼はこてりと小首を傾げた。というのも、百鬼がケンジ君に言わないようにと念押ししていたことをケンジ君から聞いてしまったことに事は起因する。

 素早くケンジ君とアイコンタクトを取り、隠し通さねば、この一念を共有する。

 「そうだな、マスク被ってみたり色々してたな。」 

 「うん、にぃちゃん顔に出やすいからそれの隠し方を考えてたんだ。」

 二人して嘘ではない範囲で昨日の出来事を説明する。昨日で一つ学んだのは俺は隠し事の際に嘘をつこうとすると顔に出やすくなる傾向がある事だ。ならば嘘をつかなければ少しはマシになるのではという答えに行きついた。

 「へー…面白そう。余も参加したかったなー…。」

 その効果は覿面であったようで、百鬼は疑う様子も無く羨ましそうに声を上げた。成功したと、ケンジ君と目を合わせれば、自然と笑みが浮かぶ。

 「でも、急に隠そうとするって事は、もしかして余に何か隠し事があったりして。」

 が、その笑みは次の百鬼の言葉で凍り付いた。普段はそうでも無いのに、どうしてこういう時だけ核心を突いてくるのだ。そう嘘をつかなければどうにかなる。しかし二択となれば話は別だ。

 「あー…、そんな事は無いよな。ケンジ君。」

 「にぃちゃん…。」

 やってしまった、そんな風に額に手をやるケンジ君の姿に、自身でも失敗してしまったことを悟る。

 「…ケンジくん、もしかして…。」

 こういった時自らの隠したい過去というのは直近のモノから思い出す。そして今回の場合はその直近のモノが該当してしまっている。

 百鬼も勘づいたのか若干引きつった笑みでそう問いかけた。それに対して隠し通せないと悟ったケンジ君は頷いて肯定を示す。

 「ごめん、ねぇちゃん。にぃちゃんに話しちゃった。」

 申し訳なさそうに手を合わせるケンジ君。それを聞いた後の百鬼の変化は劇的であった。

 「え…っ…!?」

 言葉にならない声を上げながら、彼女の頬は羞恥に染まっていく。彼女の白い髪がまるでキャンパスであるかのようにその色を強調していた。

 百鬼の視線が俺とケンジ君を交互に移動する。見るからに動揺している彼女にどう声を掛けたものかと悩むも、結局答えは出なかった。

 「と、透くん。何を聞いて…。」

 「えっと…。」

 顔を真っ赤にした百鬼に聞いた内容を問われて、言葉に詰まった。ここは正念場だ、彼女へのダメージが一番少ない答えを出さねばならない。しかし、そんな都合よく思いつく筈も無かった。

 「褒めてくれて、ありがとうな。けど、俺は百鬼の方が強いと思うぞ。」

 「…!?…っ!?」

 恐らく、俺は尤も百鬼が聞いて欲しくなかったであろう話に、更に感想まで付けて返した。つまるところ、完璧に地雷を踏みぬいた訳だ。それを聞いた百鬼は今度は声にならない悲鳴を上げて、勢いよく立ち上がる。

 「うぅ、余、洗い物してくるっ!!」

 顔を真っ赤に染めたままの百鬼はそれだけ言い残すと引き留める間も無く脱兎のごとく居間を出て行ってしまった。あとに残されたのは湯気を立てる三つの湯呑と、呆然と彼女を見送る俺とケンジ君の姿。

 「…意味なかったな、にぃちゃん。」

 「すまん…。」

 ケンジ君のその言葉に、苦々しい笑みで返す言葉も無いとただ詫びだけを返す。こうして、何とも締まらない形で俺と百鬼とケンジ君の三人での生活がスタートしたのであった。

 





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個別:百鬼 12


どうも、作者です。


 

 朝が終わり、太陽が空の頂上に上がる頃。

 俺と百鬼、そしてケンジ君は例の如くキョウノミヤコへと繰り出していた。とはいえ、今回は別に遊びに出ている訳ではない。キョウノミヤコで当面生活するにあたり、足りない食料やその他諸々を調達するために俺達は街を回っているのであった。

 「…って、言っても。基本的に百鬼に任せきりなんだけどな…。」

 果物や野菜、肉、魚など、数多く立ち並ぶそれらを視界の端にとらえつつぽつりと呟いた。正直食料を調達すると言っても何が必要で何が要らないのか、その辺りは作る料理によって変わってくる。そのため料理の出来ない俺は荷物持ちくらいでしか貢献できないことに何処か申し訳なさを感じた。

 しかし百鬼は特に気にしていない様子で、「気にしないで」と見た様子と同じく口に出して笑いながら言葉を続ける。

 「荷物持ってくれるだけで十分だよ。余一人だと重たくて持てないから…。」

 「嘘つけ、この数十倍でも百鬼は余裕だろ。」

 両手の人差し指を突き合わせながら白々しい嘘をつく百鬼に先ほどまで感じていた申し訳なさは何処へやら、ジトリとした視線を送る。現在それなりに通りを回っていることもあり、俺の両手には多くの袋が下げられていた。

 「にぃちゃん、それ重くないの?」

 その量を目にして、ケンジ君は不思議そうに首を傾げつつ心配そうに聞いてくる。確かに普通ならもっと苦労しそうな重さだ。だが、生憎とこちらは普通とは言い難い。

 「あぁ、一応鍛えてるし、それに身体強化もあるからこのくらい何ともない。ほら、前の看板より重くはないしな。」

 「あ、そうだった。」

 言われて思い出したのか、ケンジ君は納得したように声を上げる。道の幅程もある看板に比べればこの程度、今また同じことが出来るかと言われれば少し怪しい所ではあるが、如何に出力が落ちているとはいえまだまだ可愛いものだ。

 しかし、こうして色々なものを見て回って気づいたが、今まで見たことの無い様な食材もちらほらと並んでいる。カクリヨ特有のモノなのだろう。未だ知らないものが多く存在する事に、あくまでもウツシヨとカクリヨは別の存在であることを認識させられる。ウツシヨの記憶も碌に無い中で何を言ってるのかと思わなくもないが、それでも別物だとは分かるものだ。

 暫くそうして荷物を増やしつつ歩いていると後ろから聞き覚えのある声が響き渡って来る。

 「おーい、兄ちゃん!」

 振り返った先にはこちらへと大きく手を振る中年の男性の姿。丁度話に上がっていた看板の持ち主だ。少し話しても良いかと横に並ぶ二人をチラリとと見てみればすぐに首肯が返ってきたため、そのまま彼の元へと向かう。

 「っとこりゃ大荷物だ。悪いな兄ちゃん、突然呼び止めたりして。」

 「いえ、大丈夫ですよ。それより何かあったんですか?」

 近づく俺達を迎える様に大きく手を広げる男性に返しつつ、軽く問いかける。前回と同様に手が必要なのかと思ったがどうやらそれは的中していたようで、彼は面目無さそうに笑いながら後頭部をかいた。

 「実は前に運んでもらった看板なんだが…また位置を移動させなくちゃいけなくなってな。すまんが、もう一度お願いできるかい。勿論、十分な礼はさせて貰う。」

 そう言うと、男性は両手を顔の前で合わせて拝む様に腰を曲げる。別段断るつもりは無いためそこまでしなくても良いのだが、ここは誠意だと受け取っておこう。それよりも前回の様に行くかとふとした懸念が頭をよぎるが、まぁまだ大丈夫だろう。

 「分かりました。ケンジ君、百鬼、悪いがちょっと待ってて…。」

 「余がやるから、透くんは無理しないで。」

 荷物を置いて以前と同じように二人に断りを入れようと声を掛けるも、しかし百鬼はそれに被せる様にぴしゃりと言い放つ。驚き顔を上げる。すると百鬼は力強い瞳でこちらを射抜いていた。

 「百鬼?」

 普段とは異なる様子に疑問に思い呼びかければ、百鬼ははっとしたようにその目を見開いた。

 「あ…、ほら、また荷物を持ち直すの大変だから。」

 次いで動揺からか視線を彷徨わせる彼女は、俺の持つ荷物を捉えると明らかにその場で思いついたような理由を口にする。

 恐らく百鬼には見抜かれている。というか、元々気づかれていたことだ。イワレが淀んでいる状態であまり俺にワザを使わせたくは無いのだろう。

 「…言われてみればそうだな。じゃあ、頼んだ。」

 「うん、それじゃあ…『閻魔』」

 百鬼がそう唱えるのと同時に、彼女のすぐ近くの空間が歪んだ。そこからのしのしと現れたのは、百鬼がシキガミ降霊のワザを使用した際によく見かける鎧武者だった。驚くべきはその大きさで、軽く二階建ての建物より上にその頭がある。

 これには流石に度肝を抜かれて呆然と目の前のシキガミを眺める。

 「…ねぇちゃんってこんな事も出来るんだ…。」

 「あぁ、俺も初めて見た。」

 恐らく、俺は現在遠い目をしていることだろう。考えてみればシキガミを降霊させるのだからそのシキガミが普通に扱えない訳が無い、そこはまだ分かる。とはいえ、ここまで大きいとは誰が予想出来ようか。確かに百鬼の背に現れる際にはそれなりの大きさがあった、だが実寸大で来なくても良いだろう。

 彼女が強大な力を持つことを知っていてこれなのだ。唐突に直視させられた男性は顎が外れるのではないかと思う程にあんぐりと口を開けていた。

 「こ…こりゃ、驚いた。角の嬢ちゃん、あんた一体…。」

 「あはは…、この子を連れて行って指示を出せば指定の場所に運ぶので。」

 大きく見開いた目を向けてくる男性に、けれど百鬼は笑みで誤魔化した。それを追求するようなことも無く、男性は「恩に着る!」とシキガミを連れて戸惑いつつ駆けて行った。

 「取り合えず、帰って来るまでは休憩か。」

 息を吐いて落ち着きを取り戻しつつ、一旦荷物を持ったまま地に着ける。

 「ケンジくん疲れてない?」

 「大丈夫、それよりねぇちゃんのシキガミの方にびっくりした!」

 未だ驚きによる興奮が冷めやらないのか、ケンジ君は僅かに頬を紅潮させながら目を瞬かせている。幾ら事前に百鬼がこういう存在だと知っていてもやはり実際に目の当たりにするとやはりまた違った情感を覚えるものだ。

 「ふふん、そうでしょ。余のシキガミの中でも一番おっきくて力持ちなんだよ。」

 「流石にあれ以上は無いか。」

 胸を張って答える百鬼の言葉に、安心を覚えれば良いのか、規格外さに驚けばよいのか。感情が迷子になりそうだ。

 「すっげー!な、にぃちゃんのシキガミは?どんなシキガミなんだ?」

 「俺のシキガミは…。」

 キラキラと目を輝かせているケンジ君に、俺は何処か言いよどむ様に語彙を濁した。俺のシキガミ、ちゅん助を見せる事は良い。ただ、百鬼のシキガミを前にしてここまで期待されてしまうとどうも言い出しづらい。

 ちゅん助も同じ思いなのか、出たくないという意思が伝わってくる。

 「あー、…気持ちは分かるが出て来てくれちゅん助。」

 しかし、ここで出なければそれはそれでケンジ君をがっかりとさせてしまう。そんな思いを乗せて名を呼べば、小鳥の姿をしたちゅん助が虚空から飛び出て肩に止まった。

 「その鳥がにぃちゃんの?」

 「あぁ、名前はちゅん助だ。」

 スケールの違いこそあれ、ちゅん助も得意なことはある。そこは胸を張るべきだ。ケンジ君の反応はどうだろうと恐る恐る彼の様子を伺う。

 しかしそんな心配とは裏腹に、ケンジ君の顔に落胆の色は無くむしろ興味を増しているのかジッとちゅん助を見つめていた。

 「へぇー、可愛い。な、にぃちゃんちょっと触っても良い?」

 「ん、あぁ、勿論。」

 触りやすいようにしゃがもうとするが、それよりも早くちゅん助は飛び立ち、ケンジ君の肩へと止まった。

 「うわ、ふかふかしてる。それに暖かい。」

 肩の上のちゅん助をケンジ君は優しい手つきで撫でる。するとちゅん助も居心地が良いのかその体をケンジ君の頬へと摺り寄せた。

 そんな彼らの様子を見て百鬼は羨ましそうな声を上げる。

 「えー、良いなー。余も触りたい。」

 「別に許可取らなくても、二人ならちゅん助も触らせてくれるんじゃないか?」

 チラリとこちらに許可を取る視線を向けてくるが、そこはどちらかというと俺よりもちゅん助の意思次第だ。ちゅん助はシキガミの中でも比較的明確な意思を持っているようで普通に嫌なら飛んで逃げる。しかし、現在ケンジ君と触れあっているが、ちゅん助はむしろ喜んでいるように見えた。

 ケンジ君の事が気に入ったのだろう。「ちゅんっ。」とちゅん助は気分良さげな鳴き声を一つ上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「いやー、助かった。時間を取らせて悪かったな、兄ちゃんに角の嬢ちゃん。それに僕も、待たせて悪かったな。これ、良かったら持って行ってくれ。」

 少し経って百鬼のシキガミと共に帰ってきた男性はそう言うと、様々な果物の入った大きな袋を手渡してきた。その中には丁度気になっていた果物も入っており、今日の夜にでも皆で食べようという事になった。

 それからも必要な物を調達して、それらを保管なり使える様に準備したりしていればあっという間に空は真っ赤に染まってしまった。

 そして夜の帳が辺りにに降りると、閑散とした空き家の群の中に一つだけ温かな光が灯る。

 「透くん、これ持って行って!」

 「分かった。あとついでにこれも持ってくぞ。」

 「うん、お願い!」

 そんな家の中を湯気の立ち上る料理を持った俺は少し急ぎ足で居間まで運ぶ。テーブルの上にそれらを並べれば、すぐに居間は食欲のそそる香りに包まれた。

 そうして料理を作る百鬼と、それを並べる俺の姿を肩にちゅん助を乗せたケンジ君は呆然と眺めていた。

 「どうしたケンジ君、そんなにボーっとして。さては食欲を我慢できなくなったな?」

 「これで最後だからもうちょっと待ってねー!」

 にやりと笑って言えば、同時にキッチンの方からそんな百鬼の声が聞こえてくる。並べられた料理はどれも見るからに美味しそうで、

 「え、あ、うん…。」

 ケンジ君は何処か煮え切らない様な返事でをして、尚もぼんやりとした様子で座っていた。やがて百鬼が最後の料理を持って居間に入れば、ようやくテーブルの席に着き三人で食卓を囲む。

 「…にしても、結構な量作ったな。百鬼、もしかして結構気合入ってたか?」

 「勿論、腕によりをかけて作りました。でもちょっと作りすぎちゃったかも。」

 目の前に並ぶ料理たちは、どう見ても三人前には見えない。百鬼自身作りすぎた自覚はあったらしく「余、反省」と少し照れたように笑った。とはいえ、若し余れば明日の朝にでも温めなおして食べれば良いため特に気にするような事でもない。

 「…。」

 そんな最中もケンジ君は変わらず心ここにあらずで、何処か上の空であった。

 「ケンジ君、体調でも悪いのか?」

 「嫌いな食べ物でもあった?」

 心配に思い口々に声を掛ければ、しかしケンジ君はそれらを否定するように首を横に振る。

 「ううん、そうじゃなくて…。」

 そう言う割にはケンジ君の顔は晴れない。何か思う所があるのだろう、そして、その理由に俺と百鬼は何となく察しはついていた。

 「…もしかして今この瞬間が、全部幻なんじゃないかって思って。」

 一瞬言いよどんでから口を開くケンジ君は自虐的な笑みを浮かべて、その身体は小さく震えていた。俺と百鬼はただ黙って彼の話を聞く。

 「ずっと、夜は寒かった。誰もいなくて、早く朝になれって心の中で唱えながら過ごしてた。でも、にぃちゃんとねぇちゃんが来てから、夜が温かくなった。寒くなくなった。」

 ケンジ君はこれまでずっと一人だった。それ故に、彼にとっての夜はただ深い孤独に満ちたものだったのだろう。だからこそ困惑しているのだ、これまでの全てが覆った今という状況に。

 「夢に見てたことが、どんどん叶って行って。ずっと幸せなんだ。今まで不幸だったのに、こんなに幸せになったら罰が当たる。だから、全部夢だとしか思えなくて。」

 そう話すケンジ君の頬に一筋の涙が伝う。一度零れてしまえば次から次にと涙は溢れて来て、ぽたぽたと彼の手の甲を濡らした。ちゅん助は弱々しく鳴き声を上げると、その涙を拭うようにケンジ君のの頬に身を寄せる。そんな彼を前にして百鬼と顏を見合わせて、彼へと視線を戻して口を開く。

 「良いんだよ、幸せで。幸せになる理由が無いって思うなら、それこそ不幸でいなくちゃいけない理由も無いだろ。」

 「それに、もし罰が当たるとしても余達が絶対に守ってあげるからね。余も透くんもこう見えてすごく強いんだよ。」

 勇気づける様、安心させる様ケンジ君へと声を掛けた。これが幻だなんてあり得ない。何故なら…。

 「俺と百鬼はずっとケンジ君の傍に居る。だから、心配するな。」

 例え幻であったとしても、現実にして見せる。それだけの決意は既に胸の中にあった。絶対にケンジ君を一人にはさせない。今までが孤独だったというのなら、二度とその孤独を感じさせないために俺と百鬼はここに居る。

 「うん…、うん…!」

 その決意が伝わったのか、ケンジ君は涙を零しながら何度も頷く。まだ泣き止みはしないが、けれど何処かその表情は安堵に満ちている。これなら、もう大丈夫そうだ。

 「ほら、もう泣くな。こんなことで泣いてたら、明日以降持たなくなるぞ。」

 そう言ってわしゃわしゃと頭を撫でてやれば、ケンジ君も少しは落ち着いてきたようで、ごしごしと服の裾で涙を拭った。

 「うん…ありがとう、にぃちゃん、ねぇちゃん。」

 微かに涙の残るその瞳でにこりと笑うケンジ君のその表情は、初めて見る年相応のモノであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 食後、風呂も済ませて後は寝るだけとなった折。腹も膨れて泣きつかれたのも有り、ケンジ君は既にうとうととしていた。ケンジ君の事は何故か戻ろうとしなくなったちゅん助に任せて、俺と百鬼は寝床の用意を進める。容易と言っても、昼間に調達した布団を三枚並べて敷くだけで、ものの数分と掛からなかった。

 しかし、これから寝るぞっという時になってもちゅん助は未だにケンジ君の傍から離れようとしない。 

 「…なぁ、百鬼これってよくある事なのか?」

 別に出しているからと言って特に問題はないが、今までこんなことは無かっただけにシキガミについて詳しいであろう百鬼に問いかける。

 「んー、無くはないけど…。もしかするとケンジくんと波長が合うのかも。ちゅん助は小さくて燃費も良いからこのままで問題は無いと思うよ。」

 「そんなもんか。なら、暫くはこのままで良いな。」

 ちゅん助をケンジ君のお供に任命した所で準備も終わり、三人で布団に入った。

 「…なぁ、にぃちゃん。これって川の字だよな。」

 ケンジ君を中央にして俺と百鬼が両端に居る。形的にも、正真正銘の川の字と言えるだろう。

 「あぁ、川の字だ。端の方が良かったか?」

 「ううん、真ん中が良い。」

 位置に不満があるかと思ったが、どうやらそういう訳でも無いらしい。

 「また、夢が叶った。」

 ぽつりと呟くと、ケンジ君は満足そうに息を吐く。出来る事なら、彼の夢を全部叶えてやりたい。けれどそれを為すには、どうしようもなく時間が足りなかった。それは理解している。だが今見るべきはあくまで現在だ。だから、その思考にはそっと蓋をする。

 「…新鮮だな、こういうの。」

 「なんだかドキドキするね。」

 「おれ、こうやって誰かと寝るの初めて。」

 薄暗い部屋の中、寝るというのに口々に会話が続く。やがて百鬼が鬼火を消して部屋が暗闇に包まれると、ようやく会話が途切れ、部屋に静寂が戻った。

 「…なぁ、にぃちゃん、ねぇちゃん。寝るまで手、繋いでも良い?」

 「あぁ。」

 「良いよ。」

 そんな静寂の中のケンジ君の要望に応えて、布団の下でまだ小さな手を握る。それから穏やかな寝息が横から聞こえてくるまで、さほど時間は掛からなかった。

  

 

 

 

 

 





気に入ってくれ人は、シーユーネクストタイム。


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個別:百鬼 13


どうも、作者です。


 

 窓から差し込んで来る朝日に目を覚まして体を起こす。いつもは冷え込んでいる部屋は打って変わって暖かさに包まれていて、部屋の隅には二つの布団が畳まれて置かれている。

 紛れも無い人の気配に、自然と口角が少し上がった。

 肩に小鳥を乗せたまま部屋を出て微かに話し声の漏れている居間の扉を開ければ、そこにはずっと望んでいた光景が広がっている。

 「ん、ケンジ君、今朝はぐっすりだったな。」

 「おはよう、ケンジくん。朝ごはん出来てるよ。」

 こちらへ向けられる二人の視線、声、笑顔、その全てが優しさに満ちていた。それを理解して、目頭がかっと熱くなる。けどもう泣いたりはしない。だって、泣くよりも笑っている方が幸せなのだから。

 「おはよう、にぃちゃん、ねぇちゃん!」

 

 

 

 

 

 

 

 「おはよう、にぃちゃん、ねぇちゃん!」

 居間に入り元気よく声を上げたケンジ君は上機嫌に笑みを浮かべている。その肩の上には相変わらず出たままの小鳥のシキガミの姿。

 「すっかり懐いてるな。ケンジ君、良かったらしばらくちゅん助の事頼めるか。そいつも俺が言ったところで戻らないだろうし。」

 先程から目は合っている筈なのだが、ちゅん助はぷいとそっぽを向いてしまっている。無理やり戻されることを警戒しているのだろう。見た所ケンジ君もちゅん助の事は気に入っているようだし、嫌がっている様子も無い。それならちゅん助のやりたいようにさせておいた方が良いとの判断だ。

 「おれが?…うん、頼まれた!」

 幸いケンジ君も軽く了承してくれる。ケンジ君とちゅん助は嬉しそうに互いに顔を寄せあった。どうやらこの判断に間違いは無かったらしい。

 「ケンジくん、朝ごはんパン何枚にする?」

 「じゃあ、一枚で!」

 微笑ましくその光景を見守っていると、立ち上がった百鬼に問われてケンジ君は元気よく答えた。百鬼がキッチンへと向かい居間を出た後、気になってケンジ君に声を掛けてみる。

 「今日はなんだか上機嫌だな。何か良いことでもあったか?」

 「ん?んー、色々とあるけど…。…やっぱりにぃちゃんには内緒な。」

 「それは残念だ。」

 悪戯に笑うケンジ君にこちらもまた笑みが浮かぶ。本当に楽しそうだ。何が理由なのか聞いてみたさはあるが、この様子では教えて貰えそうにない。

 間も無く、百鬼が朝食を乗せた盆を持って戻ってきた。

 「お待たせー。今日はパンに合わせてコーンスープとスクランブルエッグにしてみた。」

 「ありがとう、ねぇちゃん。美味そー!」

 テーブルに盆が置かれると同時にケンジ君は椅子へと座り歓声を上げる。待ちきれないとばかりに手を合わせて、焼き立てのパンにかぶりつくとその顔を綻ばせる。

 「そのスクランブルエッグね、透くんが作ったんだよ?」

 「え、にぃちゃんが?卵焼き焦がしてたのにこれは焦げてない…。」

 そんなケンジ君の様子を見て薄く笑みを浮かべた百鬼が言えば、ケンジ君は目を丸くして皿の上の焦げ目一つなく焼かれたスクランブルエッグを見やる。

 「透くん、誰かと一緒に料理すると失敗しないみたいでね、それについてさっきまで話してたの。」

 「シラカミ神社ではそれなりに出来る様になってたから、どちらかというと昨日が異常だったんだ。一人になると途端に料理ができなくなる呪いでも掛かってるんじゃないかと自分を疑ってる。」

 呪いでも無ければここまで差が生じるはずがない、何かしらの要因があるとしか思えなかった。とは言え、ただの言い訳にしか聞こえないのだから、素直に料理が下手だと受け入れた方が良いのかもしれない。

 ケンジ君はしげしげとスクランブルエッグを見ていたかと思うと、おもむろにフォークですくい上げ、ぱくりと口に入れた。そして、次の瞬間、ぱっとその顔が輝いた。

 「これ美味しい、にぃちゃんが作ったとは思えないくらいだ!」

 「ありがとう。褒められてるはずなんだが、素直に喜べないな…。」

 そんな彼の様子に昨日の自らが作った卵焼きを思い出し苦笑する。百鬼もツボにでも入ったのか、手で顔を隠しながらくすくすと笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「にぃちゃん、剣術教えて欲しいんだけど、良いかな。」

 朝食を食べ終わった後、今日はどうしようかとのんびり考えていると、不意にケンジ君が目を輝かせながら頼み込んできた。

 「剣術って、俺にか?」

 あまりに唐突な申し出に目を瞬かせながら問い返せば、ケンジ君は勢いよく首肯する。

 「うん、おれずっと憧れててさ。にぃちゃんみたいに強くなりたい!」

 「あぁ、教えるのは良いんだが…、俺よりは百鬼の方が適任だと思うぞ?何せ俺が刀の扱いを教わったのは百鬼からだし。」

 それに刀を扱えると言っても学び始めてまだ二か月程度だ。それなら百鬼が教えた方が良いとその辺りの説明をしながら彼女へと目を向けて見るが、百鬼はその顔を横に振ってから耳元に寄ってきてこそりと耳打ちをする。

 「透くんなら教えられるくらいの技量はあると思うよ。それにケンジくんは透くんに教えて貰いたいの。余じゃなくて、憧れのお兄ちゃんに。」

 「…?そんなもんか?」

 上手く理解できずに困惑しつつ改めてケンジ君を見てみれば、彼はジッと期待するような視線を向けてきている。良く分からないが、しかしなるほど、これは断れない。

 「…良し、分かった。けど体調が悪くなったら早めに言ってくれよ。」

 「っ!うん、ありがとうにぃちゃん!」

 一応ケンジ君の体調には常に気遣っている。なにせ寿命が後数日なのだ、体に何かしらの影響が出てないとも限らない。百鬼が言うにはその辺りはまだあまり心配はいらないとのことだが、万が一があるため怠ることは無い。

 「おれ先に外に行ってるから!」

 元気よく言うと、ケンジ君はそのまま駆けて行ってしまう。俺もその背を追いかけようと立ち上がった所で、百鬼から声を掛けられる。

 「透くん、余はちょっと出かけてくるからケンジくんの事よろしくね。」

 「あぁ、そっちの事は任せた。」

 会話はそれだけ。今度こそ、俺はケンジ君を追って居間を出るのであった。

 

 路地裏のさらに奥にある家の前の通りは人通りも少なく、ある程度広さも確保されている。そんな訳でこの場所で目の前でケンジ君は木刀を構えていた。まだ筋力が足りないのか、その切っ先は小刻みに揺れている。

 「…大丈夫か?」

 「大丈夫、にぃちゃん、続けてくれ。」

 若干心配に思いつつも持ち方次第である程度楽になりもするだろうと、促されるがままに次の段階へと進む。

 「じゃあ、そのままこっち側の指で持つんだ。それでもう一方の手と少し離すように手の位置を調整して…。」

 「はい。」

 説明していけば、ケンジ君は素直にその指示に従い自らの持ち方を調整する。刀を振るという事に憧れていたこともあるのだろうが、ケンジ君は予想以上にまじめに取り組んでいた。

 暫く刀の握り方を教えていればそろそろ腕が疲れてきたようで、ケンジ君の頬に一筋の汗が流れる。

 「よし、じゃあいったん休憩するか。その後に余裕がありそうなら実際に振ってみよう。」

 「はい。はー…疲れたー…。」

 声を掛ければケンジ君はゆっくり木刀を降ろしながら息を吐いた。

 「なぁ、にぃちゃんは木刀を持つのは辛くないのか?」

 休憩の最中、不意にケンジ君に問われる。

 「ん、まぁ慣れてるし特に辛くは無い。」

 「そっか…にぃちゃん力持ちだもんな…。」

 そう言うとケンジ君は自らの、まだ細い腕へと目を落とす。子供の彼はまだ体が出来上がっていない。それ故に筋力が無いのも当然で、それは成長していく過程で得ていくものだ。

 「…っと、それよりさ、ちょっと振ってみてよ。おれ、にぃちゃんが刀振ってる所見てみたい。」

 何やら考え込んでいたケンジ君は笑みを浮かべると、話題を変えるようにそんなお願いを口にする。

 「勿論、危ないから近づかないようにな。」

 「やった!」

 無論快諾して、俺は木刀を持ちケンジ君の傍から少しだけ離れた。

 

 

 

 

 暫くしてあらかたの事を教え終えて、無理をしない辺りで切り上げる事にした。ケンジ君も剣術に触れることが出来、かなり満足そうにしている。

 そんな俺達だが、いくら冬とはいえ運動をすれば汗もかく。このままでは体が冷えてしまうため、百鬼が帰るまでの間に二人で銭湯に行くことになった。

 「ところでなんだけどさ、ねぇちゃんは何処に行ったんだ?」

 脱衣所で服を脱ぎながら問われて一瞬だけ答えに迷う。

 「百鬼は…そうだな、ちょっとした野暮用だ。昼には帰って来ると思うぞ。…それじゃあ、俺はお先に。」

 「あ、待ってよにぃちゃん!」

 タオルを腰に巻き、一足先に浴室へと入る。まだ時間が早いとはいえちらほらと人もいるが、それでもかなり少ない。さほど時間も立たずにケンジ君も入ってきて合流する。

 「ねぇちゃんと言えばさ、昨日はちょっと可哀そうだったな。」

 「まぁ、これに関しては一緒に入るわけにもいかないしなー。」

 昨夜、三人でこの銭湯まで足を運んだのだが、当然の如く俺とケンジ君、百鬼の二組に別れる事となった。丁度シラカミ神社での俺と立場が入れ替わった形になる。その為気持ちは痛いほど分かるが、こればかりは諦めてもらう他無い。

 考え込んでいると、不意にケンジ君が俺の背中辺りをじっと見ていることに気が付く。

 「…ん?俺の背中何かついてるか?」

 そこまで見られると流石に気になる。聞けば、ケンジ君はこくりと頷いて見せた。

 「うん、にぃちゃんこの傷痛くないのか?」

 「傷…。」

 はて、そんなものがあったかと背に触れてみるが触覚だけではどうにも分かりづらい。そこで備え付けてある鏡に後ろ向きで立ち確認してみれば、確かにそこには一筋に既に塞がった状態の古傷だろうか、少しだけ周りの皮膚と色の違う傷跡がくっきりと映っていた。

 「こんな傷があったのか。特に痛くは無いな、むしろ言われなかったら気づかなかった。」

 「そうなの?結構傷大きそうだけど、にぃちゃん何があったんだよ。」

 「んー、そう言われてもな…。」

 そもそも、このカクリヨに来てから傷を負う事は数える程度しかない。しかし、その中で背中に傷を負うような事は…。

 「あ。」

 一つだけあった。

 「多分、百鬼と初めて会った時だ。前話したろ?あの時吹っ飛ばされて背中から建物か何かに突っ込んだから…。」

 確かまだイワレを使えない時期だったから、完全に無防備な状態で突っ込んだ。生身の人間がそんなことすれば無事で済むはずも無いし、実際全身に激痛が走っていた。その時の傷の一部だろう。

 「…にぃちゃんとねぇちゃん、本当壮絶な出会い方してるな。」

 呆れたように言われるが、割とその通りであるため何も言い返せない。尤も壮絶に感じたのは俺だけで、百鬼からすればそうでも無いかもしれないが。

 「今はそれなりに仲良いから…結果オーライって事で。」 

 「それなり…?」

 今度はケンジ君が首を傾げる。その何を言っているんだこいつはという目を俺はケンジ君から初めて見たかもしれない。

 「え、違ったのか?仲良くないように見えたか?」

 もしや俺は百鬼とそこまで仲が良くないのではないかと、若干不安が顔を覗かせる。しかし、それは次のケンジ君の言葉で払拭された。

 「逆だよ、にぃちゃんとねぇちゃんはかなり仲良いよ。そうでも無かったらおれだってお似合いだーとか言わないよ。」

 「それもそうか。」

 そんな話をしつつざっと体を流し、湯舟へと身を投じる。

 「大体さ、にぃちゃんは何でそう言う話題を避けようとするんだ?ねぇちゃん綺麗だし、料理もできて気も利いてさ、普通恋するもんじゃないの?」

 「いや、まぁ確かにそうなんだが…。」

 一応目の前に居るのは子供なのだが、それを相手に俺はどうしてこんな話をしているのだろう。そんな疑念もぬぐえないままに自分なりに考えてみる。

 そりゃ、俺だって百鬼の事は可愛いと思う。一緒にいて楽しいし、落ち着く。そんな彼女に恋慕の情を抱かないのは、ケンジ君に関する理由を抜きにすると…。

 「関係が変わるのが怖いから、今一一歩を踏み出せないのかもな。」

 分かる。今ケンジ君がどんな表情を浮かべているのかが、手に取る様に分かる。そっぽを向いて視線を合わさないようにしていると、隣から諦めたように一つため息が聞こえてくる。

 「にぃちゃんって、そういう所ヘタレだよな…。」

 「ヘタレって…いや、うん、そうだな。」

 自分で言っていても分かるほどにヘタレている。なぜこうなってしまったのか、一重にこのカクリヨで初めて出会った友人であることも大きいのだろう。俺にはあの三人以上に付き合いの長い友人が現状いない。故に、必要以上に恐れてしまっているのだ。

 「…でもさ、そんなにぃちゃんだからこうやって一緒に居てくれるのかも。」

 「何言ってんだ、どんな俺でもケンジ君と一緒に居るよ。」

 「…そっか。」

 即答すればケンジ君はそれきり顔を隠してしまう。俺達が湯舟を上がったのはそれから少し経っての事であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「あれ、透くんにケンジくん、銭湯行って来たの?」

 銭湯を出て家へと帰れば、丁度百鬼も帰ってきて家の前で出くわす。空を見てみれば既に太陽は頂上へと昇ってしまっている。

 「あぁ、ちょっと汗かいてな。銭湯で少し話し込んでこの時間になった。」

 上がってからも少しゆっくりしたし、時間的には妥当だろう。そうすると、百鬼は話の部分で興味を惹かれたのか少しその瞳を輝かせた。

 「へー、ケンジくん何話したの?」

 「えっと、にぃちゃんがヘタレって話。」

 その答えに、まさか本人にド直球に話すとは思わず一瞬むせ返りそうになった。それを聞いた百鬼はぽかんとしてその頭の上に疑問符を浮かべる。

 「ヘタレ?」

 「ケンジ君、その話はちょっと。」

 「分かってるって、言わないから安心してよ。」

 慌てて止めに入るが、ケンジ君も話す気は無かったようですぐに悪戯な笑みを浮かべた。心臓に悪い冗談は是非ともやめていただきたいものだ。

 「?でも二人とも楽しそう。余も一緒に銭湯入れれば良いのに…。」

 「そこは諦めてくれ。」

 しゅんと落ち込んでいる所悪いのだが、そこだけは仕方ないと考える他ない。少しして百鬼は顔を上げると、ケンジ君へと向かい下げていた小さな紙袋を手渡す。

 「ごめんね、ケンジくん。余、ちょっと透くんに話があるから先に家に入ってこれだけ保管棚に居れて置いて貰っても良い?」

 「ん、うん、分かった。これなに?」

 そう言ってケンジ君が袋の中身を覗けば、香ばしい香りが辺りに広がった。

 「ナンだよ。今日のお昼ご飯に合いそうだったから。」

 「じゃあカレー!?分かった、二人とも早くな!」

 昼の献立にテンションを上げてケンジ君は足早に家の中へと入って行った。それを確認してから、俺は百鬼へと問いかける。

 「…それで、どうだった?」

 「…。」

 その問いかけに、百鬼は無言のまま首を横に振る。予想はしていたが、やはりそう上手くは行かないようだ。

 「…そうだよな、そんな簡単に解決策が見つかる訳無いよな。」

 今まで長年見つからなかったものが、これだけで見つかる筈も無い。けれど、可能性はある筈なのだ。

 「うん、でも余は諦めないから。」

 「あぁ、俺も。諦めるつもりは無い。」

 

 

 

 

 

 

 

 家の中、ケンジはキッチンの奥にある保管棚へと紙袋を収めて居間へと戻れな、椅子に座って今にも涙が零れそうな瞳をごしごしと拭う。

 「バレバレだよ…にぃちゃん、ねぇちゃん。」

 ぽつりと呟いた彼の顔には、心の底からの笑みが浮かんでいた。

 

 






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個別:百鬼 14


どうも、作者です。
誤字報告ありがとうございます。
以上。


 

 物心がついた時からずっと暗い場所に居た。空なんか見えなくて、ただ怖い人たちに囲まれて。このままずっと死ぬまでこれが続くと思っていた。

 『貴方には利用価値があります。本当に、生まれてきてくれてありがとう。』

 にやりと邪悪に笑うシルクハットを被ったそいつにそんな事を言われても、ちっとも嬉しく無かった。ただ周りの大人よりもただ一人のそいつが何よりも怖かった。

 それからしばらくして、転機が訪れた。シルクハットの男が急に周りの大人たちを斬りだしたのだ。辺りに血しぶきが舞い、その空間はすぐに混乱に包まれた。その混乱に乗じて、おれは逃げ出した。幸い凶刃が届くことは無く、無事に地上へと這い上がることが出来た。

 そうして生まれて初めてみた雲一つない青々とした空を前にして、けれど心はちっとも晴れはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それはとある日の事。

 キョウノミヤコへと繰り出していると、なにやら街の一角が異様に騒がしい。不思議に思い三人で見に行ってみれば、小規模ながらもそれなりに人の集まった広場に辿り着いた。

 どうやら何かイベントが開催されるようだ。

 「前にセイヤ祭があったばかりだけど、こういう小規模の祭りもあるにはあるんだな。」

 とはいえ、それ程キョウノミヤコについて知っている訳でも無い。今まで見なかったのは時期的な問題もあるのだろう。隣の二人へと視線を向けて見れば、百鬼も物珍しいものを見る様に目を丸くしている。

 「余も初耳、ケンジくんは知ってた?」

 「うん、ひと月くらい前に一回見かけたけど結構盛り上がってたよ。」

 百鬼の問いかえに答えると、ケンジ君はその時の事を思い出しているのか少し遠くを見つめた。

 物見遊山気分で広場の様子を見ていれば、間も無くイベントの主催者らしき人物が台へと上がる。

 「えー、お集りの皆さま。これより本日のイベントお父さん大会の説明をさせていただきます。ルールは簡単。出題するお題に対して答えて貰い、それを我々が審査する形でポイントを獲得し最も獲得ポイントの多いお父さんが優勝となります。」

 説明がひと段落したところで、奥から何やら布を被せた台が出てくる。目立つ位置まで来ると、主催者はその布を取り中身を露わにした。

 「そして、こちらが今回の賞品のカメラでございます。些細な時間を切り取り保存したいと思うことはこれから先も多くある事でしょう。皆さん、奮ってご参加ください。」

 説明が終わると同時に当たりから歓声が上がる。その熱狂ぶりからこのイベントが中々熾烈を極める事は容易に想像できる。

 「面白そうだな、どうせなら見ていくか?」

 丁度始まり際に来たのだ、観戦していくのも悪くないと思いつつ二人に声を掛ける。しかしいくら待てども返事が返ってこない。不思議に思い二人の方へ視線を向けて見る。その先ではケンジ君は食い入るように台の上にある賞品のカメラへと視線を注いでいて、そんなケンジ君のその様子を見て百鬼は何事か考え込む様に目を伏せていた。

 「ケンジ君?百鬼?」

 改めて声を掛ければ二人ともはっとして顔を上げる。すると次の瞬間、ケンジ君は少し興奮気味にこちらを見上げた。

 「な、にぃちゃん、あのカメラって。写真が撮れるやつだよな!」

 「え、あぁ。…もしかして欲しいのか?」

 ふと思い至って聞いてみると、ケンジ君はこくこくと頷いて肯定を示す。カメラを欲しがるとは突然どうしたのだろう。そんなことを考えていると、ふと横から服の裾を引かれて視線を向ければ、百鬼がケンジ君同様にこちらを見上げていた。

 「透くん、余もあのカメラ欲しいな。」

 満面の笑みで百鬼に言われ、思わず苦笑いが浮かぶ。

 「百鬼もか?けど、あれは賞品で…。」 

 そう返しかけた所でふと言葉を区切った。そうだ何故二人とも俺にお願いする。当然件のカメラが賞品であるからで、そしてこのイベントは…。

 それを理解した途端、表情が凍りついた。

 「…もしかして俺に出場しろと?」

 恐る恐る問いかけると、ケンジ君と百鬼は間髪入れずに強く頷いて見せる。その事実にますます顔が引きつっていく。

 「待ってくれ、このイベントは父親限定であって俺は別に父親でもなんでも無いだろ。」

 仮に出た所で出題されるお題に太刀打ちできるとは思えない。しかし、そんな事はお構いなしに期待の込められた二対の眼差しが突き刺さる。

 「透くん…。」

 「にぃちゃん…。」

 こちらを見上げるそれらを前に、何とか衝動的にイエスと言ってしまいそうになるのを堪えるが、しかしそれもすぐに限界を迎えた。

 「…分かった、出ます。…出るけど期待するなよ。」

 両手を上げて了承すれば、二人は喜びに歓声を上げる。どうにも俺はこの手の視線に弱いらしい。自分自身の新たな発見に俺は自嘲気味に息を吐いて、再び苦笑いを浮かべるのであった。

 

 

 

 「それでは参加者も集まりましたので、これよりお父さん大会を開催いたします。」

 主催者の言葉に歓声が広場を包む中、複雑な心境で参加者側のステージに立つ。周りの住人達と同じように見学をするつもりが、まさか参加側に回ることになるとは思わなかった。

 「にぃちゃん、頑張れー!」

 大きく手を振って来るケンジ君に苦笑いで手を振り返す。それと同時に周りからの微笑ましい視線を感じた。居たたまれない気分になりつつ、他の参加者へと目を向ける。

 十人程の中年の男性や若い男性。年齢層こそばらばらだが、いずれも誰かの父親に当たる。

 (本当に俺はここに居ても良いのか…?)

 それに比べて、こちらは父親でも何でもない。その事には引け目を感じるが、しかし引き受けたからには全力を尽くそう。例え何が課題になったとしても、出来る限りの事を。

 「では、早速ですが最初のお題に参りましょう。」

 決意を新たにしていれば、次の展開へと進行する。徐々に増していく緊張感を前に、ごくりと生唾を飲んだ。

 「一つ目のお題は…ズバリ、お子さんの長所と欠点を語っていただきます。端のお父さんから順にどうぞ!」

 司会に手で示された男性から口々に答えが出てくる。しかし、それを呑気に聞いている余裕は今の俺に無かった。

 何を答えよう、現在俺の思考の中はそれに尽きていた。この場面における父親らしい答えとは一体なんだ。しかし、答えが出ることなく、すぐに順番が回って来る。

 「はい、ではそこのアヤカシのお兄さん!」

 「え、あー…そうだな…。」

 声を掛けられて言葉を濁しつつ、手がかりを探すようにケンジ君との日常を思い返す。俺はケンジ君のことをどう思っている。そして、その中でふと思い至った。

 「…長所は、年齢の割に大人びた面を見せる事ですかね。しっかりと自分の考えを持っていて、驚かされてばかりで。」

 言いながら、こちらを見ているケンジ君へと視線を向ける。

 出会った時からそうだった。環境がそうさせたのか、生来の気質か。どちらにせよ、ケンジ君は子供らしくて子供らしくなかった。

 「だから短所もその点で、もっと我儘を言って欲しい。頼りないかもしれないけど、遠慮はしなくて良い。まぁ、最近は偶にそういったものを聞けるので、嬉しい限りです。」

 例えば今の状況もそうだ。個人的には引け目は感じるが、それでもケンジ君が頼ってくれたことに変わりは無い。ぽかんとしているケンジ君に、若干この場でこんなことを言ってしまった羞恥が遅れて襲い掛かって来る。だがこれは、紛れも無い本心だった。

 それからも様々な質問やちょっとしたミニゲームなどを挟みつつ着々とイベントは進んで行った。問われる内容には一応答えてはいるが、正直言って手ごたえは今一つ無い。

 そうして、次のお題へと展開は進むため、司会が口を開いた。

 「さて、これまでお子さんに関する質問でしたがここからは趣向を変えて、家族と言えばお子さんの他にも奥方も忘れてはいけません。無論、現在参加してくださっている方の奥方がいらっしゃっていることも確認済みです。」

 司会の言葉に、そう言えばエントリーの際に三人揃って行ったことを思い出す。あの時点で確認は取っていたという事だろう。しかし、奥方。その事版既に嫌な予感しかしなかった。というか、確実に一波乱ある。

 「日ごろお父さん達は奥方に愛を伝えているでしょうか!円満な家族関係を築くうえでこれは欠かせません。そんな訳で、次のお題は奥方へ日ごろの愛を伝えていただきます。」

 「…。」

 当たってほしくない予感が当たってしまい、無言で空を仰ぐ。あぁ、普通の夫婦ならどうという事は無いだろう。当然俺に奥方などいない。しかし、この状況下で誰が奥方として認識されているかと言えば…。 

 「さ、透さんの奥さん、こちらへどうぞ。」

 「え、あ、はい…!」

 イベントのスタッフに連れてこられたのは、先ほどまでケンジ君の傍に居た百鬼。彼女も流石にこれは予想外だったのか、若干テンパった様子で動揺が前面に出ている。

 目の前まで連れてこられた彼女と向き合い、互いに気まずさから視線を合わせられない。

 「えっと、透くん、これって…。」

 「あぁ、うん。そういう事だろうな。」

 「だよね…あはは。」

 そう言って照れ笑いを浮かべる百鬼。お題は愛の言葉と言っていたが、つまるところ彼女を相手に伝える必要があるという事だ。暫くの葛藤。ここで逃げればケンジ君の望みは元から叶わなくなる。せめてチャンスを繋げるためにも、これは必要なことだ。深呼吸をして、先ほどから早鐘の様になる鼓動を宥める。

 やがて隣の夫婦がやり取りを終えて、遂に順番が回ってきた。 

 「それでは次は透さん、お願いします!」

 そして広場は一言一句を聞き逃さないためか静寂に包まれた。

 顔に熱が籠るのが分かる。心臓が口から飛び出そうな程の緊張、それを押し殺すように決意を固め、緊張に表情を固くしている百鬼へ向けて口を開く。

 「あやめ、いつも料理とかありがとう。…その…愛してるよ。」

 思っていた以上の羞恥に押しつぶされそうにないながらも、何とか最後まで言い切れば百鬼の顔は熟れた苺の様に赤く染まってしまう。

 「うぅ…余も透くんのこと、愛して…。」

 聞き取れ合い程にか細い声で百鬼は何とかそう返す。彼女の目が見れない、多分俺も今彼女と同様に顔は赤く染まっていることだろう。

 次の瞬間、静寂に包まれていた広間から歓声が上がる。

 セイヤ祭にあるジンクスと同様にイベントと称してこういったやり取りを見たいだけなのではないかという気すらしてくる。見ている側は良いのだろうが、当人からしては公開処刑以外の何物でもない。

 「穴が有ったら入りたい…。」

 「余も一緒に入れて…。」

 そんな広間の中心で二人、襲い来る羞恥に耐え続けるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 「では、お待たせしました。名残惜しいですが次が最後でございます。」

 こうして山場を越えた所で、ようやく最後のお題へと差し迫る。ただ質問に対して答えていただけの筈なのだが、異様なまでの疲労感を抱えていた。

 しかし、もう少しで終わると考えればまだ何とかなる。

 「透くん、余もここに居ていいの?」

 司会が話す合間にこそりとそう聞いてくるのは隣に立つ百鬼だ。先ほどの質問以降特に案内も無かったため、流れのまま彼女もここに残っていた。

 「まぁ他の参加者も同じだし問題は無いだろ。ケンジ君もここから見えるし。」

 視線の先にはスタッフと共に居るケンジ君の姿。一人残さないようにと配慮はしてくれているらしい。手でも振ろうかと考えていれば、いよいよ最後のお題が発表されるようで、司会が声を上げる。

 「最後のお題は、お子さんに向けて何か一言お願いします!家族円満は対話から始まる。奥さんに限った話ではありません。では、各々ご自由にどうぞ!」

 その内容を聞いて、思わず百鬼と目を見合わせる。これまで指定されていたのに、ここにきて自由にと言われてもそれはそれで困るというものだ。とは言え、相手が居なくては始まらない。

 「ケンジ!」

 一応今は父親であるため、あえて呼び捨てでケンジ君の名を呼び手招きする。ケンジ君は少し驚いたように目を丸くするが、スタッフに促されてすぐに駆け寄ってくる。

 「あー…一言っていっても難しいな。」

 何を言おうか、先ほどと同様に思い悩む。しかしいくら考えても良い考えは浮かばない事も分かっている。それなら、難しく考えずに行こう。

 「その、俺さケンジと出会えてよかったと思ってる。一緒に話したり、一緒に遊んだりしするのも楽しいと思ってるんだ。だから…。」

 こういう時父親が言いそうな事、一つだけ思いついた。そして同時にそれは借り物ではない、本心からそう思える言葉。

 「生まれてきてくれて、ありがとう。」

 目の前の少年が残酷な運命を背負わされていることは重々承知している。けれど、だからと言って生まれてきたことまで否定される必要はない、それは祝福されてしかるべき事の筈だ。

 「あ…。」 

 それを聞いたケンジ君はぽつりとそう零すと俯いてしまう。表情も伺えない。その体は小さく震えている。

 「ケンジ?」

 心配に思い声を掛けようとした次の瞬間、ケンジ君が勢いよく抱き着きついてきた。しがみつくように首に回されたケンジ君の腕には、万力の如く力が込められている。

 「…父ちゃん…!!」

 そう、微かに聞こえたケンジ君の声は激情を抑えるかの様に震えていた。

 「え、もしかして泣いて…。」

 「泣いてない…!」

 明らかに涙に濡れているその声に、問いかけようとするもすぐにそれは本人に否定されてしまった。

 「ちょ…百鬼、ケンジ君が…。」

 あまりに唐突の事でこちらまで動揺してしまう。泣かせてしまったと百鬼に助け舟を請うが、けれど彼女は優し気に笑いながら、けれど何処か悲し気に眉をひそめて首を横に振る。

 「大丈夫だから…しばらく、そのままで居させてあげて?」

 「このまま…。」

 百鬼に言われて、困惑しつつ肩に顔をうずめたまま嗚咽を漏らすケンジ君の頭を撫でた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「百鬼、これ持っていくぞ。」

 「うん、お願い!」

 そう声を掛けてから、百鬼の作った料理を持って居間へと進む。

 結局あの後の表彰で選ばれたのは他の家族で、俺はあのイベントで優勝することは出来なかった。それはそうだ、俺はあくまでケンジ君の父親ではない。それ故にこれは当然の結果ともいえるだろう。

 居間に入れば、テーブルに座り何かをじっと眺めているケンジ君の姿。帰ってから変わらずにそこにいるケンジ君に思わず苦笑いが浮かぶ。

 「それ、まだ見てたのか。飽きたりしないか?」

 「飽きないよ。だって、おれの宝物だから。」

 そう言ってケンジ君が揺らして見せるのは、細い鎖につながれた一つのロケット。

 余談ではあるが、あのイベントには参加賞があった。カメラこそ手に入らなかったものの、ケンジ君にとって重要だったのはその先にあったのだ。

 「ずっと大切にするよ。にぃちゃん、ありがとう。」

 「優勝できなかったのは、格好つかないけどな。」

 満面の笑みで礼を言うケンジ君に、テーブルに料理を置きながらそう返す。これで優勝、という華々しい結果であれば俺も少しは誇らしく思えるのだが、流石に参加賞ではそうもしていられない。

 そんな俺の様子を面白がるように笑うと、ケンジ君は椅子から降りる。

 「おれも運ぶの手伝うよ。にぃちゃん、今日は何作ったの?」

 「今日は…。」

 話しながらキッチンへと向かうケンジ君の首から下げられたロケット。そこにはめ込まれていたのは、三人で撮った一枚の写真であった。

 

 





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個別:百鬼 15


どうも、作者です。


 

 暗い部屋から出てから偶然出会った少女。アヤカと名乗った彼女はおれが住居としていた空き家を突き止めると、それから毎日のように朝ごはんを持ってきた。最初こそ断っていたけれど、アヤカは思いの外強情でちっとも聞きはしなかった。

 アヤカだって他の子と遊びたいだろうに、どうしておれに構うのだろう。ずっとそれが疑問だった。

 

 

 キョウノミヤコを歩くのは新鮮だった。見たことの無い街並みに、見たことの無い食べ物。偶にアヤカと歩いた時にも色々と知らないことを教えて貰った。この街のルールも教えて貰った。その際に旅芸人が来たこともあったけど、前の背中に隠れて見れなかったのは今でも残念に思う。

 他に小さなイベントが開催されていたこともあった。ステージには同じ年代くらいの少年少女が並んでいて、司会の質問に元気よく答えていた。お父さんのこんなところが好き。お母さんのこんなところが好き。答えるたびに対象となった親は喜んでいた。歓喜のあまり、子供を抱き上げる親もいた。

 『良いな…。』

 肩車をされて満面の笑みを浮かべるその子を見て、思わず口からそんな言葉が零れ落ちる。そんなことを言っても仕方ないのに、それは分かっている筈なのに。どうしようもない程に、彼らが羨ましかった。

 この時にアヤカが居なくてよかった。自分がどんな顔をしているのか、分からなかったから。

 そうして過ごしていく内に、時々体調が悪くなる様になった。自分の中に何か悪いものが溜まっていくような感覚。酷いときは一歩も動けなくなる程に気分が悪くなった。

 折角自由になれた筈なのに、どうしてここまで辛いのだ。無性に世界が憎らしく思った。

 

 

 冬が差し迫ってくると、次第に街が騒がしくなってくる。どうやらセイヤ祭という大きなお祭りがあるらしい。その準備の為に大人が出ばり、広場には子供たちが集まってきていた。

 そんな彼らと一緒に遊んで見ても、心の奥底にはどうしても暗い感情がうごめいていた。周りの子供たちは全員帰る場所があって、家族がいる。それだけで、何処か壁が出来ている様な気がした。

 そんな日が続いてようやく訪れたセイヤ祭。いつもの様に子供だけで遊ぼうと集まった所で、角の生えた女の人がやってきた。

 『ね、余も一緒に遊んでも良い?』

 そう言われて断るような奴は居なかった。自分の事を鬼だというねぇちゃんは俺達と同じ様に遊び、笑っていた。そうして迎えた昼下がり、遊んでいる俺達の所に一人の男の人がやってきた。鬼のねぇちゃんの知り合いのようで、暇をしているならとねぇちゃんに誘われてその人も一緒に遊ぶことになった。

 それから、改めて何をして遊ぼうかという話になる。けど、この中にはアヤカも含めてまだおれよりも幼い子はたくさんいた。だから、その子たちのやりたいことをさせてやりたいと思ってそれを伝えた。

 すると、にぃちゃんは驚いたように目を丸くして、急に頭を撫でてきた。理由を問えば。

 『いや、凄い奴だなって思って。』

 そう言って、にぃちゃんに褒められた。生まれて初めて頭を撫でられた、褒めて貰えた。にぃちゃんは怖い大人と同じように体が大きくて、声も低い。なのに嫌悪感を微塵も感じなかった。寧ろ暖かくて、ちょっとだけくすぐったかった。

 そんなにぃちゃんとねぇちゃんと、アヤカも加えておままごとをすることになった。普通の家庭なんか知らないから、何となく役に合うようなことを言って。そんな折、にぃちゃんに何かしてほしいことはあるかと聞かれて、おれは思わず素で肩車と答えてしまった。よく見かけていた家族の中にそんなことをしていた子もいたから気になっていたのかもしれない。

 すると、にぃちゃんは軽々とおれを持ち上げて肩に乗せた。突然の事で驚きもあったけど、すぐに目の前に飛び込んできた光景にそんなことも忘れて呆然としてしまう。自分の目線が遥かに高くなって、そして自分を支えてくれる手は力強くて安心感も覚える。

 束の間の肩車。ただそれだけなのに無性に嬉しく感じた。そのことが自分自身で驚きだった。

 

 

 日が暮れて来て、みんなそれぞれ家に帰る時間帯になる。にぃちゃんとねぇちゃんもこれから用事があるらしく、二人を大きく手を振って見送った。遠ざかっていく背をみて名残惜しさを感じる。出来る事ならもう一度だけ、肩車をして欲しかった。

 

 

 夜になって、もう一度ねぇちゃんがおれの所へやってきた。どうして場所が分かったのかと問えば、『余、目が良いの。』とだけ、ねぇちゃんは答えた。

 ねぇちゃんは笑って答えたけど、でもすぐにその顔は悲しそうに歪みかける。その理由はすぐに分かった。

 なんでもおれは生まれつきイワレを受け入れる機能に問題があるらしく、そう長くは生きられないかもしれないという事だった。ねぇちゃんは話すだけでも辛そうにしていた。しかしそれを聞いたおれの心は、揺らぐどころかすんなりとそれを受け入れた。

 『ケンジくん、怖くないの?』

 怖いわけない、だって元々何もないのだから。それに何となく自分の身体の調子が悪いことは分かっていた。その理由を知れてむしろすっきりとしていた。教えてくれたお礼に、ねぇちゃんに秘密の穴場スポットを教えてあげた。

 ねぇちゃんは別れ際に、また明日会いに来ると言っていた。なんでもおれの中のケガレが増えると最終的に周りに影響を与えてしまうらしい。でも、ねぇちゃんは多分周りよりもおれの事を心配してくれていた。それがねぇちゃんなりの優しさなんだと分かった。

 

 

 温かな光に照らされたがやがやと騒がしいキョウノミヤコの通りを一人で歩く。自分の命は長くない、それが分かってから、妙に体が軽かった。なんでも出来る気がした、何処へでも行ける気がした。 

 そうして歩いていれば、ふと視界の端に一つの家族の姿が映った。お父さんに、お母さん、その二人に挟まれて幸せそうに笑っている子供。それに比べて、おれは…。

 考えてしまえば、気づいてしまえば、冷や水をかけられた様に浮かれた気分が冷まされる。沸き上がって来るどうしようもない程の寂しさを振り払うように、おれは走った。走って、走って、路地から路地へと走って、再び通りへと駆け出た瞬間、誰かとぶつかりそうになった。

 『あれ、ケンジ君?』

 頭の上から聞こえてきた声に目を上げれば、そこには昼間に肩車をしてくれたにぃちゃんがいた。驚いて先ほどまでの感情も忘れて必死に取り繕う。幸いにぃちゃんにはバレなかった。

 と、にぃちゃんの横にねぇちゃんの姿が無いことに気が付いた。てっきり二人は恋人同士だと思っていた。だって、おままごとの時二人の様子がとても自然だったから。それを指摘すると、にぃちゃんはやんわりと否定した。少し前に別れたねぇちゃんの居場所はにぃちゃんも知らないらしい。

 『そっか…、お似合いなのにな…。』

 その事実に思わず肩が落ちる。勝手な我儘だけど、二人には一緒にいて欲しかった。少しの間会話をしてにぃちゃんとはそこで別れた。最後にねぇちゃんが居るかもしれない場所を伝えて、おれは誰もいない路地裏にある家へと向かった。

 

 

 

 翌日、昨夜の約束通りにねぇちゃんが待ち合わせの噴水広場へとやってきた。けれど、一つ予想外だったのはにぃちゃんも一緒に来てくれたことだった。恋人じゃないと言っていたけど、本当は恋人なのではないかと疑ってしまう。

 その日は一日中、日が暮れるまでにぃちゃんとねぇちゃんと一緒に過ごした。その途中、にぃちゃんが街の人に頼みごとをされていた。看板を運んで欲しいらしいけど、どう見てもひとりで持てる大きさじゃない、けどにぃちゃんは軽々とそれを持ち上げてしまった。涼しい顔で案内されるままにそれを移動させて、戻ってきたにぃちゃんに対して抱いたのは称賛で、興奮のあまりただ『すげー!』と連呼することでしか感情を表現できなかった。

 おれに出来ないことを軽々とやってのけたにぃちゃん。一瞬、ほんの一瞬だけ、父親に抱く感情とはこんな感じなのだろうかと思った。この時からだろうか、にぃちゃんへの憧れが、家族への憧れと混ざって行ったのは。

 次の日は流石ににぃちゃんとねぇちゃんには会えなかったけど、その代わり二日ぶりにアヤカと遭遇した。相変わらずの強情さで、いつもの様におれが折れてしまう。でもアヤカはもっと明るい世界に居るのだから、おれなんかに関わる必要は本来ない。そのことにはずっと罪悪感を感じている。アヤカだけでなく、にぃちゃん達にも。

 

 街の通りで抱き合って歩いているにぃちゃんとねぇちゃんの姿を見かけたこともあった。やっぱり恋人なんだと思ったけど、やはり違うと否定された。そろそろ自分の常識の方がおかしいのではないかと不安になった。その時、また一緒に遊ぶ約束をした。アヤカも会いたがっていたからアヤカと一緒に四人で。夜が明けるのが楽しみだった。

 そうして迎えたその日は、けれどいとも簡単に打ち砕かれた。アヤカを一度家に送っている最中、急に自分の中から何かがあふれ出してきた。黒い靄に全身が包まれて、意識が遠のいていく。完全に意識を失う寸前、最後ににぃちゃんとねぇちゃんの声が聞こえた気がした。

 

 次に目が覚めた時、ベットの横に思いつめたような顔をしたにぃちゃんが座っていた。その表情からにぃちゃんがおれの事を聞いたことを理解した。前から何となく知っていたけど、にぃちゃんは分かり易い。

 にぃちゃんがねぇちゃんと同じ質問をしてきた。『怖くないのか。』って、勿論怖くなんてない。そう答えようとしたのに、今度はそう簡単に答えられなかった。心のどこかに確かに存在するひやりとした恐怖。それを笑顔で塗りつぶして答えたけど、あの様子だとにぃちゃんにはバレてたかもしれない。にぃちゃんの事、言えないなと思った。

 その後、にぃちゃんとねぇちゃんの二人揃って話があると言われた。なんでもこのまま一人で居させられないとかで、一緒に住んでも良いかとの申し出だった。嬉しかった。夢の様だとも思った。本当は断るべきだったんだろうけど、でも、自分の欲を抑えられなかった。

 最初の日は、にぃちゃんが荷物を取りに帰ってねぇちゃんと一緒だった。

 『なぁ、ねぇちゃん。にぃちゃんって普段どんな感じなんだ?』

 夜、ふと気になって聞いたみると、ねぇちゃんは考えるように顎に手を当ててからふわりと笑った。

 『透くん?そうだなー…。頑張り屋さんっていうのが率直な感想かな。自分に出来る事を自分なりにやってて、朝の鍛錬も毎朝余に付き合ってくれてる。』

 そう話すねぇちゃんの顔は優しかった。仲が良いとは思っていたけど、やっぱりその通りなんだ。それからもにぃちゃんについて聞けば、ねぇちゃんはその全部に答えてくれた。そこまで話して良いのかと話終わりに聞いてみると、ねぇちゃんは明らかにしまったという顔をして慌てて口止めをしてきた。にぃちゃんもだけど、ねぇちゃんも意外と抜けてるんだなと思った。

 

 にぃちゃんとねぇちゃんと生活していく内に、二人とも思っていたほど完璧な存在では無いことが分かった。にぃちゃんなんか卵焼きを焦がしてしまって。興味本位で食べてみるとやっぱり焦げ臭くて、でも味なんかどうでも良くなるくらいに心が温かくなった。だから完璧で無いという事がほんの些細な事に思えた。寧ろそれが当然で、それも含めてその人の個性なんだ。

 

 二人のシキガミってやつも見せて貰った。ねぇちゃんが出したのは建物の様に大きな鎧武者でにぃちゃんと一緒に驚いた。にぃちゃんのシキガミは小さな鳥で、一目見た瞬間から妙な親近感を覚えた。触れてみるとふわふわとしていた。名前はちゅん助というらしい。ちゅん助は時折自分から触られに行くように手に体を寄せて来る。シキガミだから命がある訳ではないのに、それでも小さな生き物の生命を感じたような気がした。

 

 

 夕方になり、いつもなら一人になる時間帯。でもにぃちゃん達と一緒に暮らすようになってから一人になることは無くなった。夜になれば温かな光が灯って、家の中には寒さが無くなった。

 夕飯の支度をする二人の姿を見て、ふとキョウノミヤコで見かけた家族の様子を思い出す。普通の家庭ってどんな感じなのだろうと、ずっと考えていた。こんな感じかな、あんな感じだったら良いな。そんな絵空事を毎夜毎夜思い返していた。でも、叶う筈無いと思っていたそれが、今目の前に実現していた。二人は夫婦などではない、自分は二人の子供ですらない。にも関わらずおれの心は目の前の光景が、ずっと求めていたものだと確信していた。それを理解して溢れ出てきた涙を止める事なんて、できはしなかった。

 その日の夜は、にぃちゃんとねぇちゃんと一緒に寝た。こんな我儘言って良いのかと思ったけど、二人とも軽く了承してくれた。おれはそんな二人のそういう所が大好きになった。

 にぃちゃんは、おれに幸せになって良いと言ってくれた。不幸である必要なんてないと。その言葉が何よりも嬉しかった。

 

 

 朝を迎えて居間に入れば、昨日と変わらず二人は優しく迎えてくれる。その事実に心が躍るようだった。にぃちゃんに剣術を教えて貰っている最中、ねぇちゃんは何処かへと出かけていた。つい気になってにぃちゃんに聞いてみれば、ぎこちない様子で誤魔化していた。にぃちゃんは分かり易いんだから、もう少し顔を隠すなりした方が良いと思う。

 昼には帰ってきたねぇちゃんとにぃちゃんは家の外で何か話していた。でも、内容は聞かずとも分かる。二人とも、おれの寿命を何とか出来ないかずっと探してくれていたのだ。もう時間も無いのに、それでも諦めないで。

 それだけで、おれには十分すぎるというのに。

 

 

 十分だと思っていた。もうこれ以上貰えないと思っていた。でも、にぃちゃんはおれにもっと我儘を言って欲しいと言ってくれた。甘えていいんだと。

 そして最後にはおれの心に刺さったままだった杭を、同じ言葉で上書きするように、抜き去ってくれた。自分の全てが肯定された、そんな気がした。

 自分の感情が抑えきれなくて、思わずにぃちゃんに抱き着けば優しく抱きしめ返してくれた。泣いてるのかと聞いてくるにぃちゃんに今の顔を見られたくなくて強い言葉で否定しても、にぃちゃんはただ困ったように笑うだけで受け入れてくれた。

 ずっと暗いだけだった人生が、全部明るくなった。今までの不幸はこの刹那のようなひと時の為だったのだと思えた。

 

 

 その時ににぃちゃんとねぇちゃんと撮ってもらった写真は、ロケットの中にしまってある。見返すだけで、自分に家族が出来たような気分になった。もし、父ちゃんと母ちゃんが居たらきっとこんな感じなんだ。最後に知れて良かった。

 毎日が優しくて、暖かくて、楽しくて。孤独も、悲しみも、寒さも無い。何にもない、空っぽだった心は、今や溢れ出てしまう程に満たされている。こんな時、この感情をどんな言葉で表すのか考えるまでも無い。

 

 おれは今、これ以上ないくらいに幸せなんだ。

 





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個別:百鬼 16


どうも、作者です。


 

 夜の帳が降りたキョウノミヤコ。明かりは暗い空に輝く月と煌めく星々のみで、だけど歩くには十分な明るさだった。そんな街並みをおれは一人で歩く。にぃちゃんやねぇちゃんには黙って出てきた。時間が時間だし、起こすのも悪いと思って。あとで怒られるかもしれないけど、それでも良いと思った。

 こうして一人散歩に出たのは、単に眠れなかったから。だから少しだけ夜風に当たりたくなった。そして、おれはそんな状況にうってつけの場所を一つ知っている。

 

 ぽつりと陰に取り残された子供は軽い足取りで街を行く。月と星はその子を見逃さないように、その光を放ち続けていた。

 

 

 

 

 

 暗闇の中微かに聞こえた物音にふと目を覚ます。眠気を覚ますように眼を擦って辺りを見渡せば、丁度部屋を出て行く小さな背中が見えた。窓の外を覗いてみるも未だ空には星が輝いていてる。こんな時間に何処へ行くのだろう。

 「…今の、ケンジくん…?」

 隣で同様に百鬼が目を覚ます。とはいえ、まだまだ意識は覚醒してないようでその瞳は閉じているのかと思う程細められていた。

 「あぁ、ちょっと様子を見てくる。」

 子供が一人で出歩くにはあまりにも遅い時間帯だ、このまま一人で行かせる訳にもいかないだろう。百鬼にそう断りを入れ、ケンジを追って、俺は家を出た。

 

 

 

 

 小さな少年が最終的に辿り着いたのはキョウノミヤコにある高台。暗闇に満ちたキョウノミヤコを一望できるそこは、他ならぬ彼に教えて貰った場所だった。

 そんな高台の柵越しに街を見下ろしている彼の背中に声を掛ける。

 「ケンジ、こんな時間に何してるんだ。」

 するとぴくりとその肩が震えて、少年、ケンジはゆっくりとこちらへ振り返った。

 「あれ、にぃちゃん。何でここに…。」

 まさか他に誰かいるとは思わなかったのだろう。声の主が俺であることを確認すると、その目を丸くしている。そんなケンジの様子に若干苦笑いを浮かべて口を開く。

 「出て行くのを偶々見かけてな。それで、ここから景色でも見たかったのか?」

 月明かりが辺りを照らしているとはいえ見えるものにも限りがある。控えめに言って夜のキョウノミヤコは見て楽しいものでもないだろう。そう思い聞いてみれば、ケンジはその首を横に振った。

 「夜風に当たりたかっただけ。ここ、風通しが良いからさ。」

 ケンジがそう言うと同時に風が吹き髪が揺れた。確かに、ここはよく風が吹く。けれど肌を刺す冬の寒さはまだまだ健在で、目の前の少年の恰好は防寒とは程遠い。

 「それなら上着くらい着ておいた方が良かったな。体、冷えるだろ。」

 言いながら一応持ってきておいたケンジの上着を被せる。ケンジは言われてようやく気が付いたように自らの身体をさすった。寒さに鈍くなっているその様子に、思わず表情が歪みそうになる。

 「…にぃちゃんが気の利いたことしてる。」

 「何で意外そうなんだ、このくらい出来るっての。」 

 茶化すように言うケンジの頭を自らの感情を誤魔化すように少し乱雑に撫でれば、ケンジは「冗談だよ。」と何とも可笑しそうに笑った。

 暫く笑っていたケンジだったが、笑いが収まると今度はこちらを見てニマニマとしていた。

 「…俺の顔に何かついてるか?」

 不安になり、思わず自らの顔を触りながら問いかける。

 「違う違う、…なんていうか、嬉しくて。」

 「嬉しい…。」

 今一つ意図が理解出来ずに首を傾げれば、「うん。」とケンジは首肯して口を開いた。

 「だって、にぃちゃんがおれの事ケンジって呼んでくれてる。」

 「え?…あ。」

 にやりと口元を歪めるケンジ…ケンジ君に言われて、いつの間にか彼の事を呼び捨てにしていた事にようやく気が付く。まだ寝ぼけているのか、昼にそう呼んだ名残でついそのまま呼んでしまっていたようだ。

 「あー、悪い。妙に口に馴染んでて。」

 「謝らないでよ。おれ、にぃちゃんにはそう呼んでもらいたい。」

 慌てて訂正しようとするが、ケンジ君はそれを遮り呼び方を自ら希望した。その事実に少しだけ面食らった。

 「…そうか?ならこのままで良いか。」

 ケンジがそう言うならと、現状を続けることに決めた事を伝えれば、ケンジは満足そうに笑みを浮かべる。これだけの事でここまで喜ばれては、逆に困惑してしまいそうだ。

 それから暫くの間、二人で夜空を見上げた。見えるものが上にしかないのだからそれは自然な流れとも言えるだろう。高台から見る夜空は心なしかいつもより壮大で、呑み込まれてしまいそうな程に綺麗だった。

 「…おれさ、さっき嘘ついた。」

 そんな空を見上げながら、ぽつりと零すようにケンジが呟く。

 「嘘って、呼び方か?」

 「ううん、ここに来た理由の方。」

 問いかけに対するその答えに、一瞬息を呑む。横目にそれを見たケンジはくすりと笑い声を漏らすと再度口を開く。

 「おれ、にぃちゃん達と出会ってから幸せなんだ。今までの人生の中で、一番に。だから、失いたくないって思った。手放したくないって、思った。」

 ケンジの話を無言のまま聞く。ケンジもそのまま続けた。

 「最初はさ、死ぬのが怖かった。自分の命の終わりが目の前に来て逃げ出したくなった。でもにぃちゃん達と過ごしてるうちに、どんどん怖さが無くなっていった。にぃちゃん達と一緒なら、おれは怖くない。」

 聞いている内、自らの拳を感情を抑える様に力の限り握りしめる。

 「だから、にぃちゃん達と最期まで一緒に居たい。」

 そう話すケンジの瞳は不安に揺れている。我儘…のつもりなのだろう、けれどその答えはとうに出ている。

 「…あぁ、当たり前だ。ずっと、一緒にいるよ。」

 ハッキリとそう答えれば、ケンジは心底嬉しそうに眼を細めた。

 「ありがとう、にぃちゃん。」

 「別に礼を言われるような事じゃ…。」

 「…おれの為に頑張ってくれて、ありがとう。」

 続けざまに紡がれたケンジの言葉を聞いて、思わず言葉が途切れた。

 「おれ知ってるよ、にぃちゃん達がずっと助けようとしてくれてた事。時々何処かに行ってたのも、その為なんだって。」

 違う、頑張れてなんかいない。何も見つからなかったんだ。どれだけ探しても、どれだけ願っても何も見つかりはしなかった。

 それなのに、どうしてそんなに嬉しそうに笑うんだ。

 「ありがとう、おれの為に悲しんでくれて。」

 頬を熱いものが伝う。蓋をしてきた感情があふれ出てきて、目の前の子供を繋ぎとめるよう抱きしめる。

 「ごめん…、ごめんな…。俺はっ…!」

 「だから、謝らないでよ。おれ、嬉しかったんだ。初めて家族が出来た気がした。初めて世界が怖くなくなった。にぃちゃん達から、色んなものを貰った。」

 腰に回ったケンジの腕にぎゅっと力が入る。

 嬉しいだなんて、言わないでくれ。どうして運命を受け入れるんだ、どうしてそんなに幸せそうに笑うんだ。そんな心の声が浮かび上がっては気泡の様に消えていく。

 「こんなに短い時間の中で最期に出会えたのが、にぃちゃん達で本当に良かった。」 

 

 

 

 

 家へと続く道をケンジを肩車して歩く。上からは気分良さげな鼻歌が聞こえて来て、彼の上機嫌さがありありと伝わってきた。

 「おれ、にぃちゃんの肩車好きだな。」

 と、上からそんなお褒めの言葉が降りてきて、頬が緩みそうになる。

 「それは嬉しいな。こんなもん、いくらでもしてやるぞ。」

 「やった、じゃあ明日…ってもう今日か。今日もしてもらおっと。」

 言いかけてケンジは空を見てすぐに訂正した。ケンジの言うように空は既に白んできていて、次の日の始まりを告げている。

 「ちょっと帰るのが遅くなったな。」

 「…もしかしてねぇちゃんに怒られるかな。」

 「…。」

 ふと思い立って言えばぎくりとしたようなケンジの声に、しかし正直俺もどうなるか予測がつかないため何とも言い難く、つい無言になる。家を出てからそれなりに時間が経ってしまった。仮に百鬼がそのまま飽きて待っているとすると…。

 「…まぁ、最悪朝飯が消えるだけだ。」

 ぷんすかと怒る鬼の少女の姿を思い浮かべて、自らの頬が引きつるのを感じた。

 「うへー、…あ、でもそれならにぃちゃんの料理が食べれるかな。」

 「その場合百鬼は一緒に作ってくれないだろうから確実に焦げるぞ。」

 「うん、それがにぃちゃんらしくて良い。」

 てっきり嫌がられるかと思っていれば、殊の外肯定的な答えが返ってきて毒気を抜かれる。どうやら俺の失敗料理がお気に入りになってしまったらしい。それについて喜べばいいのか、嘆けば良いのか複雑な気分になる。

 「ねぇちゃんと言えばさ、この前…。」

 「それ本当か。じゃあ…」

 他愛も無い会話をしながら帰路を進んでいれば、そう間も無く辺りを浮かび上がってくる朝日が照らし始める。キラキラと輝くそれは世界の始まりを告げているようで、ケンジ君と二人、その光景を眺める。

 「…な、にぃちゃん。おれさ夢が出来たんだ。」

 見入っていると、ふと頭上からケンジのそんな声が聞こえてきた。

 「夢って、どんな夢なんだ?」

 ケンジからこの手の話題が出てくるのは珍しい。気になって聞いてみるが、けれどケンジは迷うような唸り声を上げる。

 「う-ん、でも夢っていうよりこうなったら良いなって感じなんだけど…。」

 「なんだよ、勿体ぶらないで教えてくれ。」

 変に焦らすケンジに、早く続きをと促す。

 きらりと朝日が煌めいて視界がくらむ、ケンジが言葉を紡いだのはそんな瞬間と同時であった。

 「もし、次があるなら。にぃちゃんとねぇちゃんみたいな親の元に生まれたい。」

 そのケンジの夢の内容を聞いて、はたりと進めていた足が止まった。けれど、それも束の間で再び歩みを再開する。

 「…馬鹿だな、ケンジはまだ生きてるだろ。」

 「うん、だから生きてるうちに願っておきたいんだ。」

 そう答えるケンジの声はどこまでも穏やかで、震えそうになる声を必死に抑えた。

 「…ありがとう、にぃちゃん。」 

 繰り返されたその言葉に、俺は答えることが出来なかった。

 家に帰れば、案の定百鬼から遅いとちょっとしたお小言を貰ってしまった。けれど、すぐに彼女は温かい飲み物を入れて迎えてくれて、ケンジと二人顔を見合わせて笑みを浮かべた。

 

 

 そうして俺達の日常は続き、ケンジが眠る様に息を引き取ったのは、それから二日後の事だった。

 

 

  

 

 ケンジの墓は、キョウノミヤコの外れにある共同墓地に作ってもらった。ここなら孤独を感じる事も無いと思っての事だ。ケンジのロケットはいつでも見れるように開いて墓に掛けてある。

 「ケンジくん、最後まで笑ってたね。」

 ぽつりと隣の百鬼がそう呟く、彼女の言う通り、ケンジは最後まで幸せそうに笑っていた。どこまでも幸福感に満ちていて、これ以上ないくらいに満足していた。彼をそうさせた世界はきっと、何よりも残酷だったのだろう。

 ふと、後ろから足音が聞こえた。振り返ってみてみればそこには幼い少女、アヤカちゃんの姿があった。彼女にはケンジの事は伝えてあった。なにせ、ここ中で彼と一番付き合いが長かったのは間違いなく彼女であったし、これがせめてもの筋だと思った。

 「…ケンジ、ここで眠ってるの?」

 「うん、そうだよ。」

 呆然とした様子で零すアヤカちゃんを、百鬼が連れ立って墓の前へと促す。今何を思っているのか、じっと墓を見るアヤカちゃんの感情は伺い知れない。

 「おにいちゃん、おねえちゃん。ケンジは、幸せだったんだよね。」

 「…うん、余も透くんもそう思ってる。」

 「そうなんだ…なら、良かった…。」

 ほっと息を吐くような言葉、けれどその言葉とは裏腹にアヤカちゃんの双眸からはぽたりぽたりと涙が零れる。

 「…幸せなら、良い事の筈なのに。泣いたら、駄目なのに…。」

 かすれるようなその声は徐々に嗚咽へと変わっていき、やがて小さな泣き声が一つ墓地に響いた。

 

 

 

 

 

 アヤカちゃんが落ち着いた後、俺と百鬼はアヤカちゃんを家まで送り届けてケンジと過ごした空き家へと戻った。もうここで暮らす理由も無くなった。持ってきた荷物を纏めて帰り支度をし、軽く掃除だけして荷物を覗けば、後はすっかり元通りのがらんとした空き家の一つへと戻ってしまった。

 その事実に寂寥感を覚えつつ、百鬼と共に家を後にする。

 「…あっと、悪い百鬼。ちょっと忘れ物をしたから取って来る。」

 キョウノミヤコを出る寸前。となりを歩く彼女へそれだけ伝えて、俺は来た道を戻ろうと切り返した。

 「忘れ物なら、余も一緒に…。」

 「いや、百鬼は先に帰っててくれ。俺もすぐにシラカミ神社に帰るから。」

 ついてこようとする彼女だったが、そこまで大したようでも無いため、軽く断って百鬼とはそこで別れた。

 

 

 

 

 

 百鬼と別れた後、俺は家ではなく高台へと向かった。忘れ物などただの方便で、ただ少しだけ一人になりたかった。備え付けのベンチに座り、何をするでもなくぼんやりと青い空を眺める。そうして、どれ程時間が経過したのだろう。空に徐々に赤が差し込んできた頃、後ろから誰かの足音が聞こえた。

 「透くん、見ーつけた。」

 「百鬼?」

 振り返った先には、先ほど別れたはずの鬼の少女。どうやら戻ってきたらしい、しかしここに居る事がバレるとは思わなかった。…いや、今はそんな事どうでもいいか。

 「余も隣座っても良い?」

 「あぁ、どうぞ。」

 少し横に移動して、彼女と二人並んでベンチに座る。それから、会話も無く静寂のままにただ日が徐々に落ちていくのを見ていた。

 「…俺、多分天狗になってたんだ。」

 そんな静寂を破るように、俺は口を開く。百鬼は無言で、俺の話を聞いてくれる。それが尚更に感情の吐露を助長させた。

 「イワレっていう力を手に入れて、何でもできる気になってた。実際、何度も人を助けることが出来た。」

 巨大な看板を軽々と運ぶことが出来た。カクリヨの異変を解決できた。離れ離れの親子を再開させることだって出来た。

 「でもさ、救えなかったよ。小さな子供一人、俺は救えなかったんだ。」

 本当は、もっとやりたい事だってあった筈だ。諦めたこともたくさんあって。夢だっていくつも出来て、いくつも叶ったかもしれない。だけど、それが実現することはもう無い。

 「こんな力があっても、何も意味が無かった。どれだけ力があっても、子供一人救えないんじゃ…、何の…。」

 「透くん…。」

 涙は止めどなく溢れ出てくる。何がワザだ、何が鍛錬だ。そんなもの、何の意味も為さなかった。ケンジを救えないんじゃ、何の意味も無い。

 今まで蓋をしていた分、感情の奔流に流されてしまいそうになる。そんな俺を繋ぎとめる様に、百鬼はこちらへと寄り添ってくる。

 「悪い、百鬼。ちょっとだけ、寄りかかっても良いか…。」

 そんな彼女へとつい弱音を吐いてしまうが、彼女はしかと頷いてくれる。

 「うん。でも、その代わりなんだけど…。」

 けれど、横合いから聞こえてくる彼女の声もまた、涙に濡れていた。

 「余も、ちょっとだけ寄りかかっても良いかな…。」

 「…あぁ、勿論だ。」

 キョウノミヤコを夕日が照らし、街は小麦色に輝きを放つ。そんな光に呑み込まれながら俺と百鬼はその手を固くつなぎ合わせ、ぽつりと零れ落ちた二粒の雫が地面を濡らした。

  

 

 

 

 

 





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個別:百鬼 17


どうも作者です。
誤用報告、感謝。
以上。


 

 シラカミ神社の廊下を白い狐の少女がその綺麗な毛並みの尻尾を揺らして歩く。彼女が向かっているのはつい先日、占めて十日ぶりに帰ってきた二人の同居人の部屋である。

 キョウノミヤコで何があったのかは少女も知るところだ。そして、二人がその件で心を痛めている事も知っている。実際に昨夜遅くに帰って来た二人の表情は少し暗かった。失った悲しみに暮れるそんな二人に、けれど自分が今は明るく接して支えてあげるべきなのだと、歩きながら少女は意を固めていた。

 そうしてたどり着いた部屋の前。まずは手前側にある透の部屋からだ。

 「こんこーん、入りますよー。」

 軽くノックをして襖を開ければ、未だに布団に包まったままの透の姿が目に入る。窓の外では既に日が昇っており、いつもなら日が昇る前から鍛錬に出る彼からしてみればこれは異常事態で、それだけ彼が弱っている証左でもあるのだろう。

 少女の瞳が一瞬悲痛に揺らぐも、彼女は雑念を振り払うようにぎゅっと目を瞑り、彼を包む布団へと手をかけた。

 「透さん、もう朝ですよ。そろそろ起きてくださーいっ!」

 声を掛けながら少女が一気に布団を引きはがせば、ばさりと主から離された掛け布団が宙に舞う。

 「全くもう、白上より寝坊助さんになるとは何事ですか。そんなことでは、ミオが帰って来たと…き…。」

 腰に手を当て、現在はここに居ない狼の少女の容赦ない起こし方をされる透の姿を思い浮かべてにやりと笑う狐の少女であったが、しかし次の瞬間飛び込んできた目の前の光景に言葉は尻すぼみに小さくなって行き、やがて消えていった。

 「…ん…あぁ、白上か。」

 「…フブキちゃん…?おはよー…。」

 布団をはぎ取られた衝撃でようやく目を覚ました二人が体を起こし寝ぼけ眼を擦る。一人は想像通り透、けれどもう一人はこの後起こしに行く予定だった鬼の少女、あやめである。

 ぽかんとして目を丸く白い狐の少女、フブキを前に、二人は至って自然とそこに居た。

 「な…な…。」

 「…あれ、白上?」

 「フブキちゃん、どうしたの?」

 やがてわなわなと震えだしたフブキに透とあやめが首を傾げて疑問の声を上げると、遂に彼女は感情を爆発させた。

 「何で一緒に寝てるんですかー!!」

 真っ赤に染まった顔でそれだけ言い残すと、フブキは即座にその場を撤退したのであった。

 

 

 今起こったことを端的に言い表せば、白上がいきなり部屋に来て、布団を引きはがしたかと思えば急に顔を赤くして出て行ってしまった、以上である。

 「…なんだったんだ。」

 「余も分かんない。」

 彼女の意図が理解できずにぽつりと零すように言えば、隣の百鬼からもあくび混じりで同意の声が飛んでくる。窓の外を見てみれば既に太陽は空に浮かんでおり、完全に朝を寝て過ごしたことを知らせてくれる。いつもなら焦燥感を感じているのだろうが、けれど、今日は鍛錬をする気には到底なれはしなかった。

 天井も壁も、窓から見える景色も、全てが見慣れたシラカミ神社のモノで、あの小さな空き家のモノではない。部屋の中を見渡していれば、自然と傍にいる百鬼へと視線が移る。彼女を見るとここ数日の記憶が鮮明に思い起こされ、同時に途方も無い喪失感と無力感に襲われる。 

 だがそれは俺一人だけでは無く、共有できる百鬼という存在が居る。その事実が何よりも俺を支えてくれていた。だから、ケンジの事もちゃんと向き合うことが出来る。

 「おはよう、百鬼。」

 「おはよう、透くん。」

 お決まりの挨拶を口にして、互いに笑みを浮かべ合う。

 ケンジもいつまでも悲しまれることを望んではいないだろう。悲しむよりも、笑っている方が良いに決まっているのだから。

 

 

 

 

 

 二人揃って居間へと降りてみると、先ほど部屋に来ていた白上が警戒するように椅子の裏へ隠れており、その白い獣耳のみが椅子から生えていた。

 「…白上、何やってるんだ?」

 声を掛けた瞬間、それに反応するように獣耳がピクリと揺れる。束の間の静寂の後、白上は観念するように潤んだその瞳をこちらへと覗かせた。

 「だ、だって、透さんとあやめちゃんが一緒に寝て…!!」

 カーッと顏を赤くしながら抗議するように言ってくる白上に、思わず百鬼と目を見合わせる。

 思い返してみれば昨夜は自然と同じ部屋で布団に入った気がする。最近に至ってはそれが普通になっていたため特に何も疑問に思わなかったが、それ以前からは考えられない事だ。

 「言われてみればそうだな。」

 「余も、気づかなかった。」

 たった十日、されど十日。それだけの時間でこうも順応するとは、自分たちの順応力には驚かされるばかりだ。ぱちくりと目を瞬かせていれば、そんな俺と百鬼を見て白上は呆れたように息を吐いた。

 「もう…勘弁してくださいよ。白上もびっくりしたんですから。とにかく、お二人はこれから別々に寝てくださいね。」

 朝から疲労感を隠せない白上が締めようとするが、しかしそうは問屋が卸さない。

 「え?余は今のままでも良いよ?透くんと一緒だと安心するし。」

 「へ?」

 完全に話が終わったものだと思っていたのか、純粋な顔で言う百鬼に、白上は間の抜けた声を上げる。

 「まぁ、今更だし。寧ろ百鬼が居た方が俺も寝やすいんだよな。」

 「な…。」

 既に百鬼が居る事が当たり前になっている今、いきなり別々と言われてもそれはそれで違和感を感じるものだ。百鬼と口をそろえて同意の声を上げれば、それを聞いた白上は顔を俯かせてプルプルと震えだしそのままばっと顔を上げて口を開く。

 「だから、何でそうなるんですか!!」

 久しぶりに迎えたシラカミ神社の朝に白上の哀れな叫び声が響きわたる。そんな彼女を見て、改めてシラカミ神社に帰って来たのだという実感が湧いた。

 

 

 

 

 

 全員起きてきたことだし、そろそろ朝食にしようと準備に取り掛かる。白上も朝食はまだだったようで、三人揃ってキッチンへと入る。意気揚々と腕まくりをする俺と百鬼であったが、しかしここでその意気込みを打ち破る大事件が発生した。

 「食材が…。」

 「無いね…。」

 食材の保管している棚を開け、呆然とその中を見ながら俺と百鬼は率直に浮かんだ言葉をリレーさせる。棚の中には野菜も肉も果物も何一つその姿は見受けられず、代わりにひしめいているのはうどん、うどん、うどん。最早狂気的なまであるその光景を前に、二人して開いた口が塞がらなかった。

 「…フブキちゃん、うどん以外全部食べちゃったの?」

 恐ろしいものを見るような視線を白上へと向ける百鬼。未だにうどん塗れの棚を眺める俺も、その気持ちは同様だった。しかし、白上は「失敬な」とその口を尖らせる。

 「そんな偏食みたいなことしませんよ。ミオが用意してくれた食材が全部うどんだっただけです。」

 「つまり今までうどんだけで生活してきたと。一応それも偏食ではあるけどよく飽き…ないよな、白上は。」

 一つの食材だけでよく今まで耐えられたものだと感心しかけたが、思えば白上のうどんへの情熱は波のものでは無かったと苦笑いで呆れたように言えば、白上は自慢げに胸を張った。

 「勿論、うどんは白上のソウルフードですから。」

 大神もその辺りを理解してうどんを用意したのだろう。しかし、それも白上一人であることが前提であって。

 「余もうどんは好きだけど…。」

 「流石にそれだけってのはな…。」

 言いよどむ百鬼の後を継ぐように口を開く。うどんのみで生活できる白上が特別なだけで、俺や百鬼は恐らく三日で飽きが来る。それに栄養バランスも偏りが出る、せめて野菜だけでも欲しい所だ。

 「取り合えず、食料の調達に行くのは決まりだな。」

 思わぬ予定が出来てしまったが、どちらにせよキョウノミヤコには行く予定だったためさほど影響は無い。

 (にしても、うどんだけの生活で体は壊さないのか?)

 ふと思い立ってチラリと白上を見てみるが、特に健康面で問題があるようには見えない。寧ろ以前よりも活き活きとしている様にすら見えた。うどんを食べただけで何故こうなる。本当に彼女の身体は一体どうなっているのだろう。

 「…。」

 「ん?」

 何ともなしにそのままジッと白上を見ていると、不意に服の裾を引っ張られる。何かと思えば百鬼がこちらを見上げており、彼女は耳元へ手を当ててくると内緒話をするよう顔を寄せてきた。

 「あのね、透くん。久しぶりでフブキちゃんの尻尾が気になるのは分かるけど、あんまり露骨に見過ぎるとバレちゃうよ。」

 そして、こそりと言われたその言葉に思考が一瞬停止する。というか何を言われたのか理解するのに時間がかかった。尻尾が気になる、俺が白上を見ていたことをそのように捉えてしまったらしい。

 「…待ってくれ、それは違う。」

 理解するが早いか、即座に否定する。不名誉であるし、割と白上との仲に関わるためその辺りの誤解は解いておきたい。

 「でも透くんフブキちゃんの事ずっと見てたから。」

 「そうだけど、別に尻尾を見てたわけじゃ…。」

 「あの、聞こえてるんですけど…。」

 百鬼へ弁明していれば、横合いから気まずそうな白上の声が聞こえてくる。ぎこちない動作でそちらへ目を向けて見れば、彼女は心なしか自らの尻尾を隠すようにしており、その様子から一番聞かれたくなかった部分を聞かれたことを察する。

 「透さんが尻尾が好きな事は知ってますけど…その、触られるのは恥ずかしいので…。」

 「だから違うって…知ってる?」

 百鬼と同様に弁明しようとするも、聞き捨てならない単語に思わず意識を持っていかれてそちらについて問いかける。この時点で既に感じる嫌な予感に冷や汗が頬を伝った。

 「はい、偶に見られてるなーとは…。」

 そんな予感を裏付ける様に白上はこくりと頷いて軽々と肯定する。まさかの事態に衝撃を受けがくりと膝をついた。

 「あ、別に嫌ではないですからね!?でも見られるのと触られるのとではかなり違うのでそれだけ…!」

 「白上、気を使わないでくれ。そっちの方が辛い。」

 慌ててフォローを入れてくる白上。けれど、現状ではいっその事罵られた方がまだマシだった。彼女の優しさに胸を痛めつつ、何とか立ち上がる。

 「…ちなみに、いつから?」

 ここまで来たからには後に引けない。ここからどんな事実が出てこようがもう変わりないという事で、更に足を踏み入れた質問をする。

 「…出会った頃からです。」

 が、目を逸らす白上からはたまた予想外の事実が発覚して今一度膝が折れそうになった。出会った頃というと本当に最初からそうだったらしい。しかし、今度は耐えきることに成功した。

 「…そっか、それは悪かった…気を付ける。」

 「いえ、こちらこそ。」

 そう言ってお互いに頭を下げ合い、何とも気まずい空気が流れる。藪を叩いたら蛇が出てくるように叩けば叩くだけ発覚して欲しくない真実が発覚した。時間の問題ではあったのだろうが、こんな日常的な会話の中で出てこなくても良いだろうに。

 「よし、うどん茹でるか!丁度久しぶりにうどんが食べたい気分だったんだ。」

 「あ、開き直りましたね。」

 無理にテンションを上げて言えば、白上は目を丸くする。当然だ、こんなもの開き直りでもしなければやってはいられない。

 「百鬼も食べるよな。何玉茹でる?」

 「…。」

 若干蚊帳の外気味だった百鬼に声を掛けるが、しかし彼女は無言のまま何処かぼーっとしていて返事は返ってこない。

 「百鬼?」

 「え?あ、ごめん、余何も聞いてなかった。」

 再度声を掛けてようやく気が付いたのか百鬼は笑いながら後頭部に手をやる。そんな彼女の様子に思わず白上と共に苦笑いが浮かんだ。

 「あやめちゃんらしいですね。」

 「あぁ、百鬼はうどん何玉にする?」

 「うーん、じゃあ余は一玉にしよっかな。」

 改めての問いに明るく答えると、百鬼はニコリと一つ笑みを浮かべた。

 それから三人でうどんの調理に取り掛かった。いくら料理が下手と言っても湯を沸かすくらいできる。その為一応白上の監修の元で俺はうどんを茹で、百鬼にはその間に出汁の準備などを進めて貰っていた。

 「…何といいますか、透さんもあやめちゃんも役割分担までが自然でしたね。」

 「まぁ、ここ最近は一緒に料理してたからな。その辺は何となく意思疎通できるようになった。」

 キョウノミヤコで過ごした十日の内、百鬼と料理をしなかった日は無いくらいで、料理中に彼女の次に取る行動が何となく分かるようになっていた。

 「透くん目を離したらすぐに焦がしちゃうから、余最初大変だった。」

 「それは本当に申し訳ないと思ってる。」

 揶揄うように言ってくる百鬼に、痛い所を突かれたと笑いつつ詫びておく。誰かと共に料理をすればある程度は料理が出来ると一概に言っても定義はあやふやで、ふと百鬼が目を離した途端に料理を焦がすようになったりもした。しかし、これも最初のだけで後々慣れるに連れて百鬼が見ていなくても焦がすことは無くなった。

 「確かに、最初のころは魚も焦がしてましたもんね。あれはあれで美味しかったですけど。」

 「あ、それ余も覚えてる!」

 「よく覚えてるな…、って言ってもまだ二か月前か。」

 過去を思い返すよう宙を見上げて言う白上に百鬼が食い気味に反応する。そんな二人を前に、自らの汚点を掘り返されたような気分になった。とはいえ、一人になった途端同じように焦がしたのだから意外と進歩していなかったりするのかもしれない。

 話をしている内にうどんも茹で上がり、百鬼の用意してくれたうどんのつゆと合わせ器に盛りつけ、それらを盆の上に乗せる。

 「それじゃあ持っていくぞ…あ、百鬼。」

 「うん、お箸は余が持ってくから大丈夫。」

 「頼んだ。」

 盆を持ってから百鬼に声を掛ければすぐに意を汲んだ返事が返ってくる。それを背に受け、そのまま居間へと向かいキッチンを出る。

 「あれ、白上は…。」

 その最中、やることの無くなった狐は少しおろおろとしていた。

 

 

 居間のテーブルにうどんを置いていれば、すぐに白上と百鬼もやって来た。しかし、何故か白上は落ち込んだように耳を垂れさせていた。

 「白上、どうしたんだ?」

 「いえ、何だか白上はいらない子な気がして。」

 理由を聞いてみてもよく分からず首を傾げる。するとふと白上の後ろでゆらゆらと揺れる尻尾が目についた。それは振り子の様に規則的に揺れたかと思えば、今度は不規則に右に偏ったり左に偏ったり。

 「透くん、また見てる。」

 「え、いや待て、今のは完全に白上が意図的に揺らしてて!」

 思わず目で追っていれば、若干ジトリとした視線を向けてくる百鬼に慌てて弁明する。無意識であんな動きをする筈がない、これは白上の仕掛けた罠だったのだ。俺はまんまとその罠に嵌ってしまった訳なのだが。

 「ふふっ、透さんもまだまだ精進が足りませんね。」

 「あぁ、何で悔しさを感じているのか俺にも分からないよ。」

 煽るように言ってくる白上に軽口で返しつつ盆の上のうどんの器を並べ終えると、こつんと何かが後頭部へぶつかった。

 「ん?」

 後ろへと振り返ってみれば、床にちょこんと座っている小さな白い狐のシキガミの姿があった。シキガミはこちらの視線に気が付くと虚空の中へ飛び込む様にその姿を消す。

 「どうかされましたか?」

 「…何でもない、それより早く食べないとうどんが伸びるな。」

 白上のシキガミが勝手に出てきただけかと当たりを付けつつ、不思議そうに聞いてくる白上にそれだけ返して椅子へ座る。白上も同様にささっと席へ着いた。と、その中で一人ポツンと立ち尽くしている百鬼の姿。

 「百鬼?」

 「あ、うん、余も食べるー。」

 声を掛ければすぐに返事が返ってくる。そうして三人テーブルに揃えば、早速手を合わせて俺達は箸を取るのであった。

 

 

 

 

 『ふふっ、透さんもまだまだ精進が足りませんね。』

 『あぁ、何で悔しさを感じてるのか俺にも分からないよ。』

 仲睦まじい様子で笑い合う二人の姿を見て、あやめは自らの心に影が差すのを感じていた。どうしてこんな気持ちになるのか、自分でも分からないままに。

 「尻尾…。」

 ぽつりと零すようなその呟きは、けれど二人に届くことは無かった。

 





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個別:百鬼 18


どうも、作者です。


 

 いつしか聞き慣れた住人達の喧噪の中を、百鬼、白上と共に歩く。朝食後、俺達は早速キョウノミヤコへと繰り出していた。目的は食料の調達。三食うどん生活だけは回避せねばなるまいと、俺も百鬼も確固たる決意を持ってここに立っていた。

 「むしろ三食うどん生活が良いんですけど。」

 「白上は静かにしててくれ。」

 「フブキちゃんは静かにしてて。」

 狂気的な希望をしてくる白上に対して百鬼と口を揃えて言えば、白上はしゅんと静かになってしまう。この件に関する彼女の物差しは当てにならない、いや、当てにしてはならない。そんなことをすれば最後、遠くない未来に食卓が地獄へと姿を変えるだろう。

 「でも、うどんと言っても色々種類があるじゃないですか、鍋焼きとか、肉うどんとか。その辺りをローテーションで回せば…。」

 未だ諦めきれないのか白上は必死にそんな提案してくるが、百鬼はすぐにその首を横に振って口を開いた。

 「フブキちゃん、そうしようにも今は材料が無いから素うどんかきつねうどんしか出来ないよ?」

 「そんなことになったら俺は三日でミゾレ食堂に逃げ込むぞ。」

 割と実現しうる未来を想像して思わず苦々しく顔が歪む。

 「あ、でも一応三日は大丈夫なんですね。」

 「そりゃうどんは俺も好きだし…けど、物事には限度があってだな。」

 別に肯定的な意見をしている訳では無いから期待に染まった眼をこちらに向けないで欲しい。キラキラとした視線を右から左へ受け流して、これ以上この話題が続かないよう祈る。幸い白上もその辺りは理解しているようで、食い下がってくることもなかった。

 キョウノミヤコで食料の調達をしようと思えば、当然以前と同じ通りへと出る。ずらりと道の脇に並ぶ露店には変わらずに様々な食材達が並んでいた。

 しかし以前の様に物珍しさを感じる事は無い。ふと目に入ったあの果物はこんな味でケンジが好んでいた、その時にこんな事があった。そんな思い出が連なって思い起こされる。

 「…透くん。」

 ふと横から呼びかけられて視線を向ければ、百鬼が心配そうにこちらへ覗き込んでいた。どうやらいつの間にか考え込んでしまっていたらしい。

 「大丈夫?」

 「…あぁ、大丈夫だ。」

 そう問いかけてくる百鬼に笑みを浮かべて無事をアピールする。自分で思っている以上に引きずっているようだ。何せまだ昨日の出来事だ、人間はそんな短期間で心の整理がつく程単純にはできていない。後悔があるなら尚更に。

 「それより食料だよな。まぁ、俺は荷物持ちくらいしか出来ないけど。」

 「ん、必要なものを見繕うのは余に任せて。」

 頼り甲斐のある彼女についひれ伏したくなるがここはグッと堪えておく。本当に彼女が居てくれて良かった。

 「…あの、お二人とも白上のこと忘れてませんか?」

 「ん?」

 「え?」

 ふと後ろを振り返ればしょぼんとした様子でこちらを見ている白上の姿に、そう言えば三人で来ているのだったと思いだす。

 「え、あ、いや、そんなことは無いぞ。な、百鬼。」

 「ごめんフブキちゃん、余ちょっと忘れてた。」

 「おい、百鬼?」

 慌ててフォローしようと百鬼へバトンを繋ぐも、そのバトンはあらぬ方向へと投げ飛ばされてしまう。正直は美徳とも言うが時と場合によっては優しい嘘も必要で、今は正にその瞬間であった。

 「わーん、透さんとあやめちゃんの馬鹿ー!!!」

 案の定、それを受けた白上は涙ながらにそんな捨て台詞を置いて何処かへと走り去ってしまった。俺も百鬼も遠ざかっていくその背をただ呆然と見送る。

 「フブキちゃん、行っちゃったね。」

 「まぁ、最後は百鬼がトドメ刺したんだけどな。」

 チラリと視線を向けて見るも百鬼は何のことか把握できていないようで、こてりと小首を傾げていた。とはいえ、存在を忘れていたという点では俺も同罪だ。帰ったら少し優しくしてやろう、昼食もうどんが良いかもしれない。

 白上の行方は知れないがその内帰って来るだろうと、二人で通りを進む。

 「おーい、兄ちゃん!!」

 すると、ふとそんなこちらへ呼びかける聞き覚えのある声にびくりと体が震えた。声の出どころへと目を向けてみれば、大きく手を振る中年の男性の姿。彼はそのままこちらへと近づいてくると、百鬼に目を向け、次にキョロキョロと何かを探すように視線を下げる。

 「おっと、今日は二人だったか。あの子は留守番、いや、遊びに出てると見た。あのくらいの子は遊び盛りだからな、すぐに何処かへ出かけちまう。」

 「…えぇ、そんな所です。また看板ですか?」

 邪気の無い男性にそう言われて一瞬言葉が詰まるが、予想はできていただけに、そこまで不自然なく笑って返答できた。この人とは会うたびに看板を運ぶ事が多いため、どうにも看板の人というイメージがついてしまっている。

 しかし今日のところはそういう訳でも無いようで、男性は「あぁ、違う違う。」と、豪快に笑いながら手を横に振る。

 「最近キョウノミヤコに居るようだから、もしかしたら渡せるんじゃないかってな。ほい。」

 そう言って男性が手渡してきたのは大きな袋。見た目よりもずっしりとしたそれを、あまりに突拍子も無く渡されるものだからつい困惑してしまう。

 「これは…。」

 「前に奉納品に油揚げを大量に加えておくと言っただろう。けど奉納品の量も限られてて、どうせなら兄ちゃんたちに直接渡しておいた方が良いと思ったんだ。」

 それでわざわざ探してくれていたようだ。そう言えばそんなこともあったと思い出しながら、男性へと頭を下げる。

 「ありがとうございます。」

 「いやいや、礼を言うのはこっちの方だ。兄ちゃんに言われたらわしの立つ瀬がない。」

 それからしばらく話した後男性は去って行き、去り際にはこちらに大きく手を振っていた。こうした短いやり取りの中でも、彼の人柄の良さは十分に感じ取れた。いや、彼だけではない。この街の住民は誰も同じように人が良い。それだけに、ケンジが孤独となっていた事がどうしてもやるせなく感じた。

 (…これじゃ、ただの八つ当たりだな。)

 どうにも思考が偏る。傍から見て見れば今の俺は酷く醜く映る事だろう。

 引っ掛かりがあるのだ。心の奥底にのどに刺さった魚の骨の様に取れない、大きな引っ掛かりが。幾ら呑み込もうとしても、その引っ掛かりが幾度となく邪魔をする。

 あまりにも目に余る自分の弱さに自己嫌悪に陥っていると、ふと先ほどまで隣にいたはずの百鬼の姿が見当たらないことに気が付いた。

 「あれ、百鬼?」

 その呼びかけに答える声は無い。辺りを見渡してみるがそれらしい姿は無かった。少し目を離した瞬間に何処へ行ってしまったのだろう。

 白上に続いて百鬼ともはぐれた。どうしたものかと頭をかいていれば、ふと自らの持つ袋を見て名案が浮かぶ。思い立ったのなら即実行。袋の中の紙袋の一つを取り出して開ける。

 すると、油揚げの香ばしい匂いがふわりと風に乗った。

 「って、流石にこれで釣れるわけ無い…。」

 「油揚げっ!!」

 苦笑しながら袋を閉じようとしたところで騒がしく白上がその姿を現し、思わず言葉に詰まる。正直冗談半分で、まさか釣られて出てくるとは思っていなかった。にも関わらず本当に出て来てくるものだから、様々な感情が渋滞を起こしている。

 しかし、彼女はそんなことお構いなしに鼻息荒くこちらへ詰め寄って来る。

 「と、透さん、その油揚げは何処で!?」

 「え?いや、街の人にさっき礼にって貰って…。」

 「貰っ…!?」

 余程の激情に駆られているのか、それ以降白上はぱくぱくと口を開け閉めしていた。

 「もしかして、この油揚げの事何か知ってるのか?」

 そんな彼女の様子を見ていれば、嫌でもこの油揚げに何かあると分かる。そう思い問いかけてみれば、白上はさらにそのテンションを上げて目をグルグルと回しながら説明してくれる。

 「知ってるも何も、それはあの麵屋マボロシが独自の技術で作っている油揚げで、稀にしかお目にかかれない代物ですよ!そんなものを貰えるだなんて、驚きすぎて眩暈が…。」

 「俺は匂いだけでそこまで分かる白上に驚きだよ。良いから一旦落ち着け。」

 取り合えず白上に深呼吸をさせて落ち着かせる。一応彼女からは袋の中身が見えない筈なのだが、匂いだけでそこまで分かるものだろうか。

 白上もようやく状況を整理できて来たのか、更に一つ息を吐いてこちらへ目を向ける。

 「ふぅ、透さん、一体何をしたらこんなものが貰えたんですか?」

 「俺も白上から聞いて初めて知ったよ。ちょっとした人助けの筈だったんだがな…。」

 先ほどの男性の姿を思い浮かべながら呆然と呟く。こちらからしてみれば大したことの無い手伝いだったにもかかわらず大層なものを貰ってしまい、驚きと共に申し訳なさまで感じてしまう。

 「今度改めて礼を言わないとな…。」

 「その時はぜひ白上もご一緒させてください。」

 まぁ礼を言われたところで先ほどと同じような反応をされそうだが、せめてまた困っているようなら必ず力になろう。と、二人決意を固めていれば、白上がきょろきょろと辺りを見渡しだす。

 「あれ、そう言えばあやめちゃんとは別行動ですか?姿は見当たりませんが。」

 「別行動というか、気づいたら居なくなってたんだ。その様子だと白上も居場所は知らないよな。」

 もしかすると二人が合流していたかもと思い聞いてみるが、やはり彼女も知らないようで「はい。」と白上は答える。だがそうなると本格的に百鬼の行方が分からなくなった。こういう時占星術でも使えれば良いのだが、生憎と俺はそれに関してからきしで、白上も扱えないとの事。

 つまりはお手上げだ。当ても無しにしらみつぶしで探し回るしか…。

 「透くんただいまー。あれ、フブキちゃんもいる。」

 と、足を踏み出した所で丁度百鬼が間延びしそう声で言いながら戻って来る。出鼻をくじかれ、少々崩れ落ちかけた。

 「百鬼、どこ行ってたんだ?」

 「えへへ、ちょっと気になるものがあったから。」

 百鬼は誤魔化すような笑みを浮かべてそう答えながら、すっと自然な動きで何かを背に回す。気になるが、隠すという事は聞かれたくないという事だろう。

 三人揃ったところで今日の目的の一つを果たそうと改めて通りを回り、持ち帰る荷物を順調に増やしていけば、すぐに両手が塞がってしまった。やはり肉類と比べると野菜は一つ当たりの体積が大きい分嵩張ってしまう。しかし、幸い持ちきれなくなるよりも先に調達しておきたかったものは集められた。尚、油揚げは白上が後生大事そうに抱え込んでいる。

 「後はお肉とか、あんまり常温にしたくないモノだけ帰り際に調達するだけ。」

 「分かった、なら一旦これだけ置きに行くか。」

 そう言って、俺達が向かったのは昨日まで暮らしていた空き家。ここ以外に荷物を置ける場所が思い浮かばなかったためだ。

 「透さんとあやめちゃんは、ケンジさんとここで暮らしてたんですね…。」

 家を見て白上が呆然と呟く。彼女へは事情だけ話していたが、思えばケンジともあったことが無いのだったか。

 「あぁ、とはいえ十日程度だったけどな。」

 答えつつ玄関から中に入り、両手に抱えていた荷物を降ろす。白上も同様に油揚げの入った袋を置いた。

 「それじゃあ荷物も置いたことだしそろそろ行くか。」

 

 

 

 

 

 空き家を出てしばらく、俺達はキョウノミヤコの外れにある墓地へと足を踏み入れる。キョウノミヤコへ来たもう一つの目的、それがケンジに会いに来ることだった。

 幾つも立ち並ぶ中、開いたロケットの引っさげられた墓はすぐに見つかる。近づいて行けば、ふとその前に花が添えられていることに気づいた。恐らくアヤカちゃんだ。昨日は取り乱していたが、今日も来てくれていたらしい。

 「そちらがケンジさんの…。」

 「うん、このロケットの写真の真ん中に映ってるのがケンジくんだよ。」

 百鬼が説明すれば、白上はゆっくりと前に出てそっとロケットを手に取る。

 写真の中のケンジは、直前に涙を流したために少し目元を少し赤く腫らしているが、そんなもの気にならないくらいに満面の笑みを浮かべている。

 「…幸せそうです。」

 「そうだな。ケンジはずっと、幸せそうにしてた。最期なんか目も見えなくて何も聞こえないのに、それでも幸せそうに笑ってた。」

 思えば昨日の早朝だった。丸一日と少し、まだそれだけしか時間が経っていないとは信じられない。するりと力の抜けた手を、失われていく温もりを、俺は一生忘れないのだろう。

 昨日の事を思い返していれば、とんっと軽い衝撃と共に右腕に重みが加わる。見てみれば、百鬼が立ったままこちらに寄りかかるようにしていた。その表情は見えないし、見ない方が良いのだろう。

 そよ風が地面に生える草花を揺らす。暫く、そのまま静かな時間が流れた。

 「ケンジさんは、どんな方だったんですか?」

 ゆっくりとロケットを元の場所に戻した白上は視線をそのままにそう問いかけてくる。どんな子だったのか、あらためて問われると、少し返答に迷う。

 「…一番は、大人びた子だったよ。良く気が付いて、他人の事を考えてた。」

 考えを纏めながら口を開き、そう答える。最初の出会いからそうだった、ケンジは周りの子の事を考えて行動していた。背景の事を考えれば一概に良いこととは言えなかったが、しかし行動自体は立派だった。 

 「それに…。」

 と話しかけた所で、空から何か舞い降りて来てケンジの墓の上に着地した。それは小さな鳥の姿をしていて、見覚えのある無害そうな瞳をこちらへと向けている。

 「…ちゅん助?」

 名を呼べばその小鳥、ちゅん助は元気よく鳴き声を一声上げた。その様子を思わずぽかんとしてちゅん助を見入ってしまう。

 「やっぱり、透さんのシキガミですよね。」

 「ずっと出したままだったけど、透くん戻して無かったの?」

 二人も驚いているようで目を丸くして呆然としている。一向に戻ろうとしないちゅん助はケンジと行動を共にしていたが、昨日はケンジの事で頭が一杯で、一応パスは繋がっているのだから問題は無いし、消費も少ないため完全にちゅん助の事を失念していた。

 「そうみたいだ。ちゅん助、悪かった。」

 素直に反省しつつ手を差し出す。いつもなら乗って来るのだが、しかしこの日は違った。ちゅん助は手に乗らず、代わりに手の平には畳まれた紙が置かれた。

 「紙?」

 それを見た百鬼がぽつりと呟くが、今の俺はそれに答える余裕を持ち合わせていなかった。何故ならその紙が、いや言伝が誰からのモノなのか、ちゅん助から伝わって来たためだ。

 「…ケンジからだ。」

 言えば二人が息を呑む音が聞こえてくる。ゆっくりと丁寧に紙を開いて行く。

 『にぃちゃんへ』

 その文字が出てきたところで、ぴたりと紙を開く手が止まった。これは恐らくケンジが最後の言葉を伝える為に書いた言伝だ。そう考えると、一瞬躊躇いが出てくる。

 だがここで読まないという選択肢はそもそも存在しないのだ、二人が固唾を飲んで見守る中、意を決して紙を開く。

 『ねぇちゃんを手放すなよ!』

 「…ん?」

 そして出てきた一言に、思わず疑問の声を上げる。読み間違いか、そう思って読み直してみるもやはり変わらない。他に何かあるかと思えば、やはりそれだけで、狸もいなければ毛虫もいない。最期の言葉がたったこれだけ。

 「ぷっ…くくっ…。」

 それを理解した途端、笑いがこみあげて来て堪え切れずにあふれ出す。

 普通最期に言葉を残すとすれば、思い残したこと、感謝、そして恨み言、それらの事について書くものだろう。なのに、ケンジはこんな事をわざわざ言い残した。それが堪らなくおかしく思えた。

 「透くん?」

 「あぁ、いや、悪い。少し待ってくれ。」

 ぽかんと目を丸くしている二人を前に、答えながら何とか呼吸を落ち着ける。

 「白上、さっきの話が途中だったよな。」

 「え、あ、はい。」

 声を掛ければ、白上は驚いたように耳と尻尾をピンと伸ばして返事をする。ケンジがどんな奴だったのか、それをまだ伝えられていなかった。彼の事を端的に言い表すなら。

 「凄く我儘で、お節介な子供だったよ。」

 そう言い放つと共に心の奥底で引っかかっていたものが取れて無くなり、心身が軽くなった心地がした。あの時のケンジも、きっとこんな気分だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 話も程々にして墓地を後にした俺達は、残りの食料も調達してシラカミ神社への帰路へついていた。

 「…透くん、それで紙にはなんて書いてあったの?余にも見せてよ。」

 「だから百鬼にはちょっと見せづらいんだって。」

 その道中、やはり百鬼もケンジからの言伝の内容が気になるようでしきりにそう聞かれている。しかし、内容が内容なだけに彼女へ見せるのはどうだろうという疑問が浮かぶのだ。

 最後の最後でこんな爆弾を握らされる羽目になるとは、今頃にやりと笑っているに違いない。

 「透くんの意地悪。」

 「悪い、流石にこればっかりはな。」

 一向に見せようとしない俺に、ぷくりと頬を膨らませる百鬼。彼女からしてみればケンジの言伝を読みたいと思うのは当然なのだが、見せた所で恐らく彼女との仲がただ気まずくなるだけなのだ。

 とはいえ、百鬼もそこまで気にしている訳でも無いようですぐにその頬を元に戻した。

 「そう言えば、フブキちゃんは気にならないの?」

 「白上ですか?いえ、気にはなりますけど、白上が読むのは少し違う気がするので。」

 百鬼の問いに、けれど白上は一歩引いた位置から答える。白上もケンジも互いの存在は認識してはいたが、結局直接会うことは無かったため、遠慮しているのだろう。とはいえ、本当に中身は遠慮するようなものでも無いのだが。

 思わず苦笑いを浮かべていれば、ふと百鬼がじっとこちらを見ている事に気が付いた。

 「どうした?」

 「ううん、透くん、言伝呼んでから明るくなったなって思って。」

 「あ、それ白上も思ってました。」

 二人にそう言われて、つい自らの顔を触れる。やはり俺が分かり易いのは変わらないらしい。

 「あぁ、ケンジの事を自分なりに整理出来たからな。」

 ケンジからの言伝を呼んで、俺はようやくケンジが満足していたこと、本当に幸せだったことを知れた。でも無ければ最後にあんな言葉で終わる筈がない、最後にあんなひょうきんな事が書ける筈がない。満足していたから、心に余裕があったからこそのあの言伝だ。

 勿論、完全に引っ掛かりが消え去ったわけでは無い。が、一区切りは付いたのだ。

 「…やっぱり、透くんは強いよ…。」

 「へ?」

 ぽつりと零されたその呟きは聞き取るには小さすぎた。ぼそりと聞こえたそれに疑問の声を上げるが、百鬼はぱっと笑みを浮かべると、そのまま駆けだした。

 「シラカミ神社まで競争しよ!最下位はお昼のおかず一品抜きね!」

 「透さん、お先に失礼します!」

 「おい、百鬼?白上?」

 そう言い残して、軽々と走り遠ざかっていく二人の背中。ついで視線を降ろせば、両手いっぱいに下げられている食料達。

 「卑怯者!!?」

 ケンジの言伝の件を百鬼はまだ根に持っていたのかもしれない。そうして、この日の昼食のおかずが一品消えて無くなったのであった。





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個別:百鬼 19


どうも、作者です。


 

 俺はこのカクリヨに来てから様々な修羅場をくぐってきた。霊と対峙し、鬼と対峙し、そしてクラウンという悪党と対峙し、それらの問題を乗り越えてきた。故に、多少の事では動じない程度には度胸が付いたと自負している。

 だが今この瞬間、それが間違いであったことを思い知った。

 そっと目を開けてみれば、そこには昨夜は別々の部屋で寝たはずの百鬼の姿。ジッとこちらを見つめるその綺麗な紅の瞳と視線を交差させる。

 まぁ、起きた瞬間彼女が目の前に居る事はまだ分かる。今までだって同じような事はあったし、それだけならどうせ寝ぼけて潜り込んだだけだろうと納得できた。しかし…。

 「にゃ、にゃあー。」

 頭に猫耳を生やし両手を猫のようにして鳴き声を上げる彼女を前に、俺はどう反応すれば良いのだろうかと、ただただ困惑するばかりであった。

 

  

 

 時間は昨夜の時点まで遡る。

 夕食を食べ終えた後、銭湯で入浴を済ませシラカミ神社に帰った俺達は三人、居間でのんびりと白上が淹れてくれたお茶を啜っていた。

 「なんだか、何もやる気が起きませんねー…。」

 だらりとテーブルに突っ伏しながら間延びした声で白上は言う。とはいえそれは俺も百鬼も同じことで、各々脱力して居間の空気は之でもかという程に弛緩していた。

 「それにしても、白上ってお茶淹れるの上手いよな。やっぱりコツとかあるのか?」

 ふと自らの持つ湯呑に目を落として、白上へと問いかける。俺もお茶を淹れようと思えば淹れられるがその腕は彼女には到底及ばない。どうせ淹れるのなら上手く淹れたいと思うのは自然だろう。

 「それはもう毎日淹れてますから、良ければ明日教えますよ。」

 「あぁ、是非頼む。」

 自慢げに胸を張る白上の提案に俺は即座に乗る。

 明日は白上のお茶淹れ講座かと、何とも無しに考えていれば不意に背筋を冷たいものが伝う。それは紛れも無い悪寒であった。しかし、何に対してと視線を巡らせてみればふと隣に座る百鬼がじっとこちらを見ている事に気が付く。

 「百鬼?」

 「…ううん、何でもない。フブキちゃんのお茶美味しいもんね。余の淹れたお茶とは比べ物にならないもんね。」

 思わず声を掛けるが、顔を横に向けながらぷくりとその頬を膨らませて拗ねたように言う百鬼に、ようやく彼女が何に怒っているのか理解して、慌てて先ほどの言葉を訂正する。

 「いや、そんな意図は全然無かったんだ。百鬼の淹れてくれたお茶も十分美味い。さっきのは言葉の綾と言うか、ただ純粋に気になっただけで…。」

 「余、別に怒ってないから。」

 言いながらも彼女はつんとそっぽを向いたまま一向に目を合わせてくれない。明らかに怒っている。しかし、それを指摘すれば彼女が更にへそを曲げてしまうのもまた明白であった.

 「あーあ、怒らせちゃいましたね、透さん。」

 そんな俺と百鬼のやり取りを眺め白上はニヤニヤと笑っている。

 「言ってないで助けてくれよ。」

 「いえ、これは透さんの失言が招いたことですので。」

 白上も助け船を出してくれるつもりは無いようで、静かに湯呑を傾けていた。どうしたものかと頭を抱えていると、じっと俺と白上のやり取りを見ていた百鬼の頬がますます膨らんでいく。

 「百鬼さん?その、話を…。」

 「…ぷいっ!」

 恐る恐る声を掛けてみるも、更に機嫌を悪くしてしまった百鬼は再び顔を逸らしてしまう。

 「余、もう寝るから。フブキちゃん、おやすみ。」

 「はい、おやすみなさい。」

 不意に百鬼は立ち上がると白上にそれだけ告げ、俺には一瞥もくれずに居間を出て行ってしまった。そうして居間には俺と白上の二人が残される。

 「透さん、今の気持ちを一言どうぞ。」

 「あー、そうだな…。」

 白上に問われてふと考え込む。色々と言いたいことはある、けれどやはり最初に出てくるのはこの一言だった。

 「どうして、こうなったんだろうな。」

 

 

 

 結局その後部屋に行っても百鬼が出てくることは無く、こうして彼女とは会わないままに朝を迎えたわけで、それ故に昨夜は同じ部屋にすらいなかったことになる。別れ方的にも彼女がこうして猫耳を生やしている意図が分からないし、それ以上に何故布団に潜り込んできているのか、過去を振り返ったところで謎は深まるばかりだ。

 「…えっと、百鬼?」

 困惑の抜けきらない中、そう目の前の百鬼へと声を掛けてみる。

 「にゃあ?」

 すると百鬼はこてりと首を傾げると再び猫の鳴き声を上げた。

 (あ、可愛い。…違うそうじゃない。)

 流されそうにななる思考を振り払い、改めて彼女を見る。その頭にはやはり見間違いではなく猫耳が生えていて、けれどよくよく見てみれば猫耳のカチューシャを付けているだけであり、実物ではないようだ。

 謎の要因で百鬼が猫になった訳ではない事が分かり一瞬ほっとするが、ただそれが分かったところでこの状況に何ら変化は無く、何故それを付けているのかという新たな疑問が沸き上がって来るだけである。

 「百鬼、その頭のどうしたんだ?」

 取り合えず今一番の問題である事の核心について彼女に問いかける。すると百鬼は一瞬黙り込み「だって…。」とゆっくりと口を開いた。

 「だって、透くんこういうの好きだから…。」

 「…。」

 好きである。確かに、それは間違いなく好きである。しかし質問に対する答えとしては不足していて、だからどうして?という疑問が浮かんでしまうのも無理なからぬことであろう。

 「けど、何でいきなり…、もしかして昨日の夜の件か?」

 昨夜に百鬼を怒らせてしまったから、彼女はその仕返しの為にこうしているのではないか。けれど、よくよく考えてみれば仕返しに俺の嫌がることをするならまだしも、喜ぶことをするのもおかしな話だ。

 案の定、百鬼は首を横に振って否定する。だが、その後に続く言葉は完全に予想外であった。

 「夜だけじゃない。透くん、シラカミ神社に帰ってきてからずっとフブキちゃんの事ばっかり見てる。」

 「白上ばっかり…、…ん?」

 虚を突かれてつい間の抜けた声が出る。むっとした表情を浮かべている百鬼であったが、その瞳には明確な不安が潜んでいた。

 「いや、そんな事は…。」

 「ある。だって透くんは余の事全然見てくれてないもん。」

 咄嗟に否定しようとした俺の声に、百鬼は被せる様にそう口にした。多分、これは百鬼の本心からの言葉だ。それが理解できるだけに、否定しようにも返す言葉が喉の奥に詰まって何も出てこなかった。

 百鬼の揺れる瞳に吸い込まれるように、俺は呆然と彼女と視線を合わせ続ける事しか出来ない。

 「フブキちゃんばっかり見ないで。もっと、余の事をちゃんと見ててよ。」

 あたかも縋りつくかのような百鬼のその言葉を受けて、大きく心臓が跳ねる。それだけの為に、百鬼はわざわざ猫耳なんか付けて潜り込んできたのか。そんな納得にも似た感情とは別に、もう一つ増大していく感情。

 (その言い方だと、まるで百鬼が俺の事を…。)

 そこまで考えて、勘違いをしてその先に進もうとする思考を何とか押しとどめて口を開く。

 「百鬼、少し自分が何を言ったか顧みてくれないか。」

 朝から頭痛にでもなりそうだ。

 頭に血でも昇っているのか、それとも寝起きで寝ぼけているのか。いや、彼女の場合これが素でもおかしくは無いのだが、誤解を招く言い回しになっている事に彼女は気づいていないのだろう。

 「余が…?」

 伝えたいことを伝えてようやく落ち着いてくれたようで、素直に百鬼は思考するように微かに顔を俯かせる。すると、時間が経つにつれて彼女の顔は徐々に赤く染まっていき、やがて先ほどとは異なる意味合いでその瞳が震えだす。かと思えば百鬼は赤く染まった顔をそのままに、がばりと布団を勢いよく押しのけて立ち上がった。

 「あ…余、その…朝ごはんの準備してくる!!」

 それだけ言い残すと、百鬼は脱兎の如く部屋から出て行ってしまう。その背を身体を起こして見送ると、思わず気が抜けて後ろへ倒れ込む。仄かに布団に残る他者の温もり。意識しないようにしても、意識してしまう。先ほどから心臓は煩いほどに鳴っており、百鬼に聞こえていなかったのが奇跡にも思えた。

 「余の事を見て…か。」

 ぽつりと先の彼女の言葉を思い返し、ぽつりと口にする。

 彼女がそう思うのもしかすると無理のない事だったのかも知れない。昨日の朝はともかくとしても、実際に昨夜は碌に彼女と目を合わせられなかったのだから。

 ケンジからの言伝を受けて、俺はようやくケンジの死に向き合うことが出来た。それ故に時間が経つにつれて、張り詰めていた心の中にも余裕が生まれてきた、生まれてしまった。そうして、今まで目を向ける事のできなかった感情が前面に押し出されて来たのだ。

 (…まぁ、半分はケンジの所為だな。)

 にやりと悪戯に笑う少年の顔が脳裏に浮かぶ。あそこまで執拗に言われては意識せざるを得なくなった。 

 可憐な鬼の少女。彼女を見ていく内に胸の中に灯った感情の火は勢いを増すばかりで、衰える様子を一切見せない。その感情を隠そうと、自然と百鬼には極力視線を向けないようにしていたが、それも逆効果となった。これは早めに受け入れて自らの感情との付き合い方を見直した方が良さそうだ。

 「…ん?」

 ふと自らの右手にはめ込まれた宝石を見てみれば、濁っていた無色のそれは、いつの間にやら想い人を想起させる鮮やかで綺麗な真紅に染まっていた。

 ただの宝石の筈がどうにも自らの想いを突きつけられているように感じ、羞恥に溺れそうになる。

 (熱い…。) 

 額に手を当てて目を閉じる。火照った顔の熱を冷ますには、冬の冷気では些か役不足であった。

 

 

 

 

 暫くして、下の階へと降りて居間へと向かう。しかし到着すれどもそこに二人の姿は無かった。

 「二人ともどこ行ったんだ?」

 辺りを見回しながら声を上げる。そう言えば百鬼は朝食の準備に行ったのだったか、白上も料理は出来ると言っていたし、もしかすると二人で調理をしているのかもしれない。

 まだ配膳くらいなら手伝えるだろうと、キッチンへと急ぐ。けれどキッチンの入り口が見えてくるあたりでその足は止まる事となった。というのも、キッチンの中にいると思っていた白上が一人入り口からキッチンの中を覗き込む様にしていた為だ。

 「白上。」

 「わひゃっ!…って、なんだ透さんですか。もう、驚かさないで下さいよ。」

 声を掛ければびくりと肩を跳ねさせて白上がこちらへ振り返る。

 「あぁ、悪い。こんなところで何してるのか気になってな。」

 謝罪しつつ何をしているのか聞けば、白上は「あちらです。」とつい先ほどまで彼女も見ていたキッチンの中を指さした。

 百鬼がいるのではないかと疑問に思いつつ、指の指されるままにキッチンを覗き込み、そして白上が何故ここに留まっているのか、その理由を理解した。

 「…透さん?」

 「何が言いたいか何となく分かったから先に答えるぞ。あれは俺のせいだ。」

 視線の先には料理を作っている百鬼の姿、しかし一つ異変があるとすれば彼女の頭に生えている猫耳と背に揺れる尻尾であった。

 「あやめちゃんに何したんですか。事と次第によっては白上の狐神拳が火を噴きますよ。」

 「待て待て、別に強制したわけじゃないって。ただ説明し辛いんだが…。」

 謎の構えを取って来る白上を宥めつつ、事の経緯を要所のみをぼかしながら伝える。

 「まぁ、そんな訳で俺も詳しくは理由を聞いてないけど、俺の行動の結果なのは間違いない。」

 先の事を考えても、百鬼があれを身に着けているのは俺が白上の耳や尻尾を見ていたからだし、そこは確実だ。白上も一応は納得してくれたようで、謎の構えを解きポンと手を打った。

 「なるほど、そういう事でしたか。白上はてっきり透さんの獣耳への愛が暴走して矛先があやめちゃんに向いたのかと。」

 「だからそれは無いって。」

 そんな事をすれば俺のシラカミ神社での居場所が確実になくなる。とはいえ原因にはその獣耳への愛も若干含まれている辺り、肝が冷える思いだ。たらりと一筋の冷や汗が背を伝う。

 「では、まだ解決したわけでは無いんですよね?」

 「そうなる。勿論、このまま放置する気も無い。」

 白上のその問いかけに対してはっきりとそう答えて見せる。正直持て余している感情ではあるが、このままずるずると引きずって行けば、それこそ取り返しのつかないことになる。

 それを聞いた白上は、安心したようににこりと笑みを浮かべた。

 「では、あやめちゃんの事はお任せしますね。」

 「分かった。…あと、今日お茶の淹れ方を教えて貰う予定だったんだが、またの機会でも良いか?」

 昨夜に約束した今日の予定だったが、状況的にその余裕があるか不確定となってしまった。

 「はい、また今度で良いですよ。今はあやめちゃんに集中してあげてください。」

 「あぁ、悪い。ありがとうな、白上。」

 察してくれてか白上もそう言ってくれて、彼女は尻尾を揺らして居間の方向へと歩いて行った。そして、俺はキッチンの入り口を前に立つ。

 いつもならどうという事も無いのに、今は妙な緊張感が漂っていた。それを振り払うように大きく深呼吸を一つ入れて、俺は入り口に掛けられた暖簾を潜った。

 

 

 

 透の部屋から飛び出したあやめはそのままキッチンへと入り、無心で料理を作り続けていた。しかし作業もひと段落してくればそうもいかず、思考の渦へと身を投じる事となる。

 (変な感じがする…。)

 ケンジを見送ったあの日からあやめの胸中には透に対してとある感情が生まれていた。彼女自身このような経験は乏しく、振り回されているのが現状で、透への感情が安定しない事は自覚済みである。

 (…余、どうしちゃったのかな。)

 けれど、あやめの抱く感情を彼女は自覚できていなかった。故に、浮かぶのは自らへの疑問。以前ならこうはならなかったにも関わらず、現状へと至ったのはひとえに透という存在の影響であった。

 透について考えれば、先ほどの自らの言動を思い出し、かっとあやめの顔に熱が籠る、

 (あ、透くん…。)

 後ろから聞こえてきた足音に、彼女の知覚はすぐに誰であるか告げてくる。

 「百鬼。」

 そう呼びかけられて、あやめはゆっくりと振り返るのであった。

 

 

 

 「百鬼。」

 キッチンに入ってすぐ、鍋の前に立つ彼女の背へと声を投げかける。一瞬彼女の頭にある猫耳が震えた気がしたが、気のせいだ。

 感覚の鋭い彼女の事だ、ここまで近くで足音をならせば声を掛けずとも俺の存在には気づいていたのだろう。そこまで驚いた様子も無く、ゆっくりとこちらへ振り返った彼女の頬はほんのりと桃色に色づいている。

 「透くん…その、さっきは…。」

 先ほどの事を思い出しているのか、羞恥に顔を染めながら百鬼は言いよどむ。それに釣られるようにこちらの顔まで熱くなってくるが、けれど今は黙り込んでいる暇は無い。

 「あー…その事なんだけどさ。百鬼も俺も少し一杯一杯になってると思うんだ、この状態で話してもさっきの二の舞になりそうだし。」

 「あぅ…。」

 妙にふわふわとした気分になる。浮ついていると言い換えても良い。百鬼も羞恥が限界に達したのか黙り込んでしまっている。この空気の中で会話をできるとは思えなかった。

 故に。

 「だからさ、百鬼。この後、朝食の前に俺に時間をくれないか。」

 

  





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個別:百鬼 20


どうも、作者です。
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 木漏れ日に照らされた山道。普段は走り込みに利用しているその道を百鬼と二人で歩く。そこに会話は無く、何を話そうかという気まずい空気が俺達の間には流れていた。

 百鬼は先ほどの俺の誘いに頷きで返答してくれて、朝食の準備が終えると同時に俺達はシラカミ神社を出た。白上には先に食べておいて良いと先に言ってあるため、待ちぼうけをくらうことも無い筈だ。それよりも目を向けるべき問題は目の前にある。

 シラカミ神社を出てからこの方、百鬼は黙り込んだまま普段と比べて離れた位置にいた。彼女との間に出来たその距離に何処か寂しさを覚えるのは、それだけ俺の中で彼女の存在が大きく、近くにいて当たり前のものになっていたからだ。

 「…こうして歩くのも、結構新鮮だな。」

 「う、うん。余も、見慣れてる筈なんだけど…。」

 ぎこちないそんな会話を嗤うように、木々の合間を風が吹き抜ける。百鬼も先の件による羞恥がまだ残っているようで、横から見る彼女の横顔は仄かに赤い。とは言うものの、冷めやらぬ自らの顔の熱を鑑みるにそれは俺も同様なのだろう。

 「そのさ、その猫耳と尻尾は何処で?もしかして私物か?」

 感じる気まずさを誤魔化すように百鬼へと目を向け、未だに彼女の頭に生えている猫耳を指さして話を振る。今までそんなものを持っているとは聞いたことが無い、シラカミ神社に置いてあったものかそれとも彼女の私物なのか気になっていたのもあった。

 その問いに対し、百鬼はこくりと小さく首肯する。

 「昨日キョウノミヤコで偶々見つけたから、その…衝動的に。」

 「あー、そう言えば一瞬何処かに行ってたな。あの時か…。」 

 先日、百鬼が何の脈絡も無く不意に姿を消していた事を思い出す。その時は理由を聞きそびれていたが、どうやら猫耳を手に入れる為に露店へふらりと立ち寄っていたようだ。一応あの時から兆候はあったのだろうが、生憎とそれに気が付ける程には俺は鋭く無い。

 「…。」

 「ん、百鬼?」

 そっと立ち止まる百鬼。それに釣られるように足を止めて百鬼の方を見やれば、彼女は頭の上の猫耳へと手を当てて、おずおずとこちらを見上げながら一言ぽつりと、けれどはっきりと口にする。

 「…どう?」

 その姿に心臓が高鳴るのが分かった。何について問われているのか、そのくらいは察することが出来る。けれどそれを実際に口にするとなると話は別だ。

 「どうって、何が…。」

 「感想。余、まだ透くんから聞いてない。」

 咄嗟に誤魔化そうとするも百鬼は被せる様にそう言うと、こちらへ一歩歩み寄る。距離が縮まり、すぐ近くに来た百鬼のその瞳は朝と同様に不安に揺れていた。

 何をそんなに不安がっている。そんな疑問と同時に彼女を安心させたいという想いが同時に浮かび上がる。

 「…可愛い、と思う。」

 そんな感情に突き動かされるように口にしたその言葉に、遅れて沸き上がって来る羞恥がかっと全身を熱くさせる。

 「あ、ありがとう…ございます。」

 再び顔を朱に染める百鬼はそのまま顔を俯かせてしまった。自分から聞いておいて照れないで貰いたいと思うのは俺の我儘なのだろうか。火照った頬を冷まそうにも、示し合わせたかのように風は凪いでしまっている。

 ちらりと俯く百鬼を見る。猫耳を生やした彼女は確かに可愛い。しかし。

 「けど、やっぱり俺は普段の百鬼の方が好きだな。」

 そもそも猫耳の有無など些細な問題ではあるのだ。問題なのは百鬼を見るだけで心をざわつかせるこの感情だけで。

 「…じゃあ、透くんは余よりフブキちゃんの方が良いって事?」

 「ん?いや、待ってくれ何でそうなるんだ。」

 先ほどまでの羞恥は何処へやら悲し気に眉を歪ませる百鬼に言われて、思わずそう聞き返す。白上の話は今出ていなかった筈だ、なのに何故そこで白上が出てくる。

 そんな疑問の答えはすぐに彼女自身から語られた。

 「だって、昨日フブキちゃんばっかり見てたから…。」

 朝と同じ言葉を前に、再び言葉に詰まる。やはり、どうしても問題はそこに帰結してしまうようだ。元々その話をする予定ではあったのだが、いざとなるとどうにも躊躇いが出る。

 だが目の前にいる想い人の曇った表情を前にすれば、それも塵のように飛んでいった。

 「聞いてくれ、百鬼。白上を見てたのは確かにそうだけど、別に百鬼と比べてって事じゃないんだ。」

 百鬼と向き直り改めて話を切りだす。

 彼女にはずっと笑っていて欲しい。彼女の笑顔が見たい。それが叶うのなら、躊躇うことなど何一つ有りはしない。

 「なら、どうして…?」

 不安に揺れる声で百鬼は問いかけてくる。その不安が何かは知らないが、これが原因だというのなら解消したいと思った。

 「それは…、百鬼を見てると何て言うか、自分の感情が不安定になりそうだったんだ。それで視線を逸らしてるうちに自然と白上の方に行っただけで…。いや、確かに獣耳もあるんだが…。

  とにかく昨日は悪かった。それに関してはもう大丈夫だ、昨日みたいな事は絶対にしない。」

 余計なことまで言いそうになり、やや強引に話を纏める。だが、伝えたいことは伝えた。

 「…本当?」

 それを聞いた百鬼は恐る恐ると確認するよう声を上げる。

 「本当に、もう余の事避けたりしない?」

 「…あぁ、避けない。だから安心してくれ。」

 その言葉に彼女からはそう見えていたのかと驚きつつもすぐに強く肯定すれば、明らかに百鬼の表情が弛緩した。

 「良かったー…。」

 そう言ってふわりと百鬼は笑う。この様子なら、不安は解消されたと見て問題はないだろう。それを理解して緊張が解けたのか、がくりと全身から力が抜けそうになった。

 「にしても、百鬼は何をそんなに不安がってたんだ?」

 百鬼のほっとしたようなその笑みに、つい気になって聞いてみる。わざわざ猫耳を付けてまで気を引こうとするなど、少なくとも普通ではないだろう。そう思っての問いかけだったのだが、当の百鬼はこてりと小首を傾げてしまう。

 「うーん…、余も良く分かんない。」

 「そうか?…まぁ、百鬼らしいけどな。」

 百鬼の返答に思わず苦笑いが浮かぶ。

 あぁ、そうだ、そんな彼女の事を俺は好きになったのだ。一度灯されたその炎は身を焦がす程に大きく、今尚止まることなく成長を遂げている。

 「透くん、余のこと馬鹿にしてるでしょ。」

 そう断言する百鬼は、ぷくりと頬を膨らませていた。とはいえ特に身に覚えもない為、即刻否定する。

 「いや、馬鹿になんかしてないって。」

 「嘘、だって透くんニヤニヤしてる。」

 むっとした百鬼に指摘され、思わず口元を隠すように手を当てる。自分が表情に出やすいのは知っているが、流石にこれが表に出るのはまずい。神社に帰ったら、まず仮面でも探そう。

 「さぁ、気のせいじゃないか?」

 「えー、でも…。もう、やっぱり透くんずるい。」

 考えつつこの場は流しておこうと白を切って言えば、百鬼は不服そうにしながらもそれ以上追求してくることは無かった。

 少し拗ねたようにそっぽを向く百鬼につい小さく笑みが浮ぶ。

 「それじゃあ話も終わった事だし、神社の方に戻ろう。」

 「うん、安心したらお腹空いてきちゃった。」

 そう言って腹部をさする百鬼と共に、止めていた足を再び進ませる。

 「時間かかるし、走って帰るか?」

 気まずい空気の中黙々と歩き続けたこともあり、神社からそれなりに離れた位置まで来ていた。どうしようかと百鬼に問いかければ彼女は首を横に振る。

 「余はこのまま歩いて帰りたいな。こうして歩くのも新鮮だし、それに…。」

 そう百鬼が言葉を区切るのと同時、腕にとんと軽く彼女の肩が触れた。

 「もうちょっとだけ、透くんの事独り占めしたいから。」

 百鬼の表情は、丁度彼女の前髪に隠れて伺えない。けれどそれはお互い様で、俺も今の表情は誰にも見られたくは無かった。

 「…昨日は全然だったし。」

 しかし、それも次に続いた百鬼の言葉に霧散することとなる。

 「悪かったって、さては結構根に持ってるな?」

 「…駄目?」 

 こちらを見上げる百鬼の発したその言葉がどちらを指しているのか、わざわざ聞く程野暮ではない。それにどちらにせよ、昨夜の件を持ち出された以上俺に拒否権は無いのだ。

 「…お嬢様の仰せのままに。」

 「うむ、くるしゅうない。」

 ぱっと満面の笑みを咲かせる彼女に釣られて思わず笑みが浮かぶ。そうして木漏れ日の中を歩く俺達の間の距離は、拳一つとして開いてはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 俺と百鬼が神社に到着したのはそれから少し経ってからで、時間帯的には遅めの朝食になる頃であった。

 「もうご飯冷めちゃってるかな。」

 「流石にな、まぁ温めなおせば問題ないだろ。」

 ゆっくりと歩いて帰ったこともあり、予想よりも遅い到着となった。冬の寒さを考えるといくら室内とはいえ、冷えるのも早いだろう。取り合えずキッチンに向かおうと玄関から入り、廊下を進む。途中居間を通りかかるが、ふとその中の光景に二人して足を止めた。

 「…あれ、フブキちゃん寝てるのかな。」

 中では白上がテーブルに突っ伏したまま、ピクリとも動かないでいる。しかしよくよく見てみれば、規則正しい呼吸に合わせて微かに体が揺れていた。

 「そうみたいだ。じゃあ、起こさないように…。」

 そんな事を言っている最中、不意に白上の上の辺りに虚空から白い狐のシキガミが姿を現した。

 「あれ、フブキちゃんのシキガミだ。」

 「勝手に出てきたみたいだな。」

 唐突な登場にあっけに取られつつ、何となくその動向を伺っているとシキガミはそのままテーブルへと降り立ち、丁度白上とは対角のテーブルの隅まで移動した。そして、シキガミは力をためる様にぐっと姿勢を落とすと、そこから白上の無防備にさらされた頭の天辺目掛けて思い切り突っ込んだ。

 「にゃっ!??」

 ごんっという鈍い音が響くと同時に、そんな白上の悲鳴が聞こえてくる。頭を抑えて悶絶する白上を横目に、シキガミは役目は果たしたとばかりに虚空へと消え去って行った。

 「し、白上、無事か?」

 「フブキちゃん大丈夫?」

 流石に憐れに思えて堪らず居間に入り白上の元へ駆け寄る。それに気づき、頭に手を置いたまま顔を上げる白上の瞳は涙に潤んでいた。

 「と、透さんに、あやめちゃん。白上に何の恨みがあってこんなことを…。」

 「いや、俺達じゃなくて。」

 「フブキちゃんのシキガミがやったの。」

 未だ痛みに悶える白上に事の顛末を説明すれば、納得したように声を上げると彼女はその瞳に炎を灯らせる。

 「起こすのは良いですけど、もっとやり方があったでしょうに…、後でお説教です。」

 と、恨み言を虚空に向かって吐く白上であったが、その眦には涙を浮かべたままでお世辞にも様になっているとは言い難かった。

 「それで、白上はいつからここに?」

 まさか朝食を食べ終わってからずっとここに居たのだろうか。問いかけてみれば、白上はぽんと手を打って口を開く。

 「あ、そうでした。お二人が帰って来るのを待ってたんですよ。」

 「余達を?」

 こてりと小首を傾げる百鬼に白上は「はい。」と強く頷いて見せる。そんな白上の様子にピンととある可能性を思いつく。

 「もしかして、まだ朝飯食べてないのか?」

 「え、そうなの?」

 俺と百鬼の二人に問われた白上は再び首を縦に振って肯定した。確かに先に食べて良いと伝えたはずだ、なのにどうして。そんな疑問が伝わったのか、白上はすぐに理由を口にする。

 「だって、どうせ三人いるならみんなで食べた方が美味しく食べれるじゃないですか。」

 キョトンとしてそう言う白上。その言葉にふとケンジの姿を想起した。そうだ、一人で食べるのと大勢で食べるのとではその意味合いは大きく異なるものだ。

 「…あぁ、そうだな。それじゃあ三人で一緒に食べるか。」

 「うん、余ご飯の用意してくるね。」

 「白上も手伝いますよ。」

 百鬼について行く形で、結局三人でキッチンに向かう。とはいえ出来上がったものを温め直すだけで、他にやる事といえば配膳のみであった。

 「あやめちゃん、まだそれ付けてるんですね。」

 「え?…あ、ううん、忘れてただけ。」

 キッチンにて白上にそう聞かれ、百鬼はようやく自分がまだ猫耳を付けていることに気が付いたようで、猫耳のカチューシャと尻尾を取りいつもの百鬼の姿に戻る。

 「似合ってたのに、良かったんですか?」

 「うん、透くんが普段の余の方が好きだって言ってくれたから。」

 「透さんが…。」

 笑顔で百鬼が言うと、白上はぽつりとそれだけ呟いて自然な流れで百鬼を俺から見えないように背に隠す。

 「おい、何で俺から百鬼を隠そうとする。」

 「いえ、何と言うか、ここ数日で透さんのあやめちゃんへの影響力が増したような気がしまして。守ろうと。」

 若干警戒してくる白上に反論しようとするも、思えば昨夜も今朝の猫耳も俺の行動が原因であった。そう考えると、あながち白上の言葉は的を射ているのかもしれないと思えてくる。

 「フブキちゃん大丈夫だよ。余がこうしたいだけだから。」

 「うーん、あやめちゃんがそう言うなら…。」

 百鬼に言われて渋々といった形で白上は百鬼の前から退く。しかし、警戒を含んだその視線は途切れることなくこちらへと向けられていた。

 「透くん、これ持って行って貰っても良い?」

 「あぁ、分かった。任せてくれ。」

 百鬼が差し出してくる盆をこれ幸いと受け取り、白上の視線から逃れる様にそそくさとキッチンを後にする。どうにも、白上に警戒の対象としてマークされてしまったようだ。また一つ沸き上がって来た問題に小さく一つため息を零すのであった。

 

 

 

 

 

 

 「「「いただきます。」」」

 配膳も終わり三人がテーブルに揃ったところで手を合わせて箸を取る。百鬼の料理はキョウノミヤコでも食べていたが、やはりどれも丁寧に作られている。

 「あ、透くん。」

 「あぁ、醤油な。」

 伸ばされた百鬼の手に、近くに置いてあった醤油の瓶を取り手渡す。

 「ありがと。」

 「ん。」

 礼を言ってくる彼女にそれだけ返して、一口おかずを口に入れる。

 「あ、これ美味い。」

 ぽつりと素直な感想が口を突いて出れば、百鬼は嬉しそうに笑みを浮かべた。

 「ほんと?その味付け、透くん好きかなって思ったの。」

 「あぁ、凄く好みだ。」

 おかずが好みであれば自然と米も進む。少しするとすぐに茶碗が空になってしまった。おかわりにキッチンまで行こう立ち上がろうとするが、それよりも先に百鬼が立ち上がった。

 「余がお米よそってくるよ。いつも通りで良い?」

 「そうか?ありがとう。あぁ、いつも通りで頼む。」

 厚意に甘えて百鬼に茶碗を差し出せば、それを受け取った百鬼は小走りで居間を後にした。

 「…遅れましたけど、透さん、あやめちゃんと仲直り出来たんですね。」

 その後ろ姿を見送った白上がそう言葉にする。仲直りと言うと少し誤解があるかもしれないが、確かに問題は解決できた。

 「そうだな、少なくとも昨日や今朝みたいな事にはもうならないと思う。」

 勿論、これは俺が気を付ければの話だ。変に百鬼の事を意識しないように強く理性を保たなければならない。とはいえ元々必要な事ではあったし、苦には感じない。

 「そうですか、それなら良かったです。…結局透さんの何が原因だったんですか?」

 「…あー、まぁ…。」

 白上の問いについ言い淀んで言葉に詰まる。

 貴女の尻尾と獣耳を見ていたことが原因ですとは口が裂けても言えなかった。つい先ほど警戒されたばかりで、これ以上はこれからに響きかねない。

 「ちょっとした行き違い…だな。」

 「…そう言うことにしておいてあげましょう。」

 ぼかして伝えたのだが、やはり見抜かれているようだ。見逃されたのは単純に白上の温情だろう。燻る自らの感情との付き合いがこれからも続くと思えば頭が痛くなりそうだが、色づいてしまったのならこれも必要な事だと割り切るほかない。

 話が終わった所で、丁度百鬼が茶碗を片手に戻って来た。

 「お待たせー。はい、透くん。」

 「ありがとう、百鬼。」

 差し出された茶碗を礼を言いつつ受け取る。感じるこれからへの不安とは裏腹に、穏やかな朝の時間はゆるりと流れていった。

 

 

 

 

 





 気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム。


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個別:百鬼 21


どうも、作者です。
総文字数70万突破です。
以上。


 

 温かな日差しの降り注ぐ縁側に腰かけぼんやりとシラカミ神社を覆っている森林へと目を向ける。虫や動物の気配のないそれは葉の落ちた細い枝がただ風に揺れるのみであったがその静けさは心地よく、最近はついぞ感じることのなかった、何も無い穏やかな時間が流れていた。

 以前ならこんな空いた時間には走り込みや木刀の素振りなど自己研鑽に時間を費やしていたのだろうが、今はどうしてもそんな気分にはなれなかった。

 「透くん、何してるの?」

 「ん?あぁ、百鬼か。ちょっとボーっとしてただけだ。」

 後ろから聞こえてきた声に振り返れば、丁度通りかかった百鬼と目が合った。彼女の問いにそれだけ返して、再び立ち並ぶ木々へと視線を戻す。

 「…今日こそは鍛錬をしようと思ってたんだが、どうにもやる気が出なくてな。」

 ため息交じりにそう零す。燃え尽き症候群とでも言えば良いのか、以前まで感じていたモチベーションが今は一切湧いてこないのだ。その為に、何をするでもなくここに座っている。

 「それ、余もよくある。そういうのは時間が解決してくれるから、今は無理に動かなくても良いと思うよ。」

 それだけ口にすると百鬼も同じように隣に腰かけた。

 「やけに詳しそうだな。」

 思わぬところから具体的なアドバイスを貰い面食らいながらそう問いかければ、百鬼は自慢げに胸を張って口を開いた。

 「だって余千年以上生きてるから。」

 千年。おおよそ聞き慣れないその単位に、思わず隣に座る鬼の少女へと目を向ける。初耳という訳ではない。けれど改めて聞くとやはり自らの尺度を軽く超えるそれに先ほど以上の驚きが胸中を満たす。

 「全然そうは見えないんだけどな…。」

 ぽつりと本音が零れた瞬間、それを聞いた百鬼の表情が凍り付いた。

 「…透くん、それ余が子供っぽいっていう意味?」

 「いやまさかそんな。」

 咄嗟に否定して顔を背けるが流石にあからさま過ぎたようで隣から鋭い視線が飛んで来ているのが分かる。実際普段の彼女と接していて千年も生きていると感じる事は殆ど無い。寧ろ表情が豊かで、百鬼の言う通り幼さを感じる事の方が多いくらいだ。

 それを俺は欠点だとは思わないし、そんなところも好ましいとすら思っている。けれど彼女自身はそうは思わないようで、拗ねたようにその頬を膨らませていた。 

 「…良いもん、余は子供だもん。」

 そう言うと百鬼は体を横に倒し、ごろりとこちら側へと寝転がった。彼女の頭は俺の膝の上へと置かれて、いわゆる膝枕の状態になる。

 「あ、おい…。」

 「子供だから、こうやって甘えても許してくれるよね。」

 堪らずに声を掛けるが、百鬼は仰向けになりながら悪戯な笑みを浮かべた。あまりにも無防備なその姿に、くらりと眩暈を感じる。

 「…。」

 「?」

 唐突に黙り込んだ俺の様子を、百鬼は不思議そうに見上げてくる。そんな仕草一つでさらに心が乱れるのだから、恋というものは厄介極まりない。そして不思議なもので、許容量を超えてくると無性に腹が立ってくる。

 「透くん?」

 呼びかけてくる百鬼。そんな彼女の頭に向かってそっと手を伸ばし乱雑にわしゃわしゃと撫でる様に髪を乱せば、「きゃーっ!」と、甲高い百鬼の悲鳴が上がる。しかし、その悲鳴とは裏腹に彼女の顔には楽しそうな笑みが浮かんでいた。

 「何で嬉しそうなんだよ。普通怒るか嫌がるところじゃないか?」

 「えー、だって余別に嫌じゃないし…。」

 思わず手を止めて突っ込み気味に問いかけるも、特に気分を害した様子の無い百鬼は軽々とそう答えてくる。

 「それにね、透くん雑っぽくても髪は引っ張らないようにしてくれてるから。余、透くんのそういう所好き。」

 続いた百鬼の言葉に、ついには自分の顔が引きつるのを感じた。

 こういう形で、バレないと思っていた配慮が本人にバレていたと知った時のえも言えぬ程の羞恥は何よりも耐えがたく、地中に埋まって隠れてしまいたい程の気まずさを感じさせてくれる。

 「あー…、勝てる気がしないな。」

 「何の事?」 

 「いや、気にしないでくれ。」 

 こてりと首を傾げる百鬼にそれだけ返しつつ、改めて彼女へ視線を送る。惚れた方が負けなんて言葉があるが、まさにその通りだ。多分これから先、俺は彼女に一度として勝てはしないのだろう。だが不思議と悪い気はしなかった。

 「…そんなに見られると、ちょっと恥ずかしい。」

 「ん、あぁ悪い。」

 ジッと見つめ過ぎたようで、百鬼はほんのりと頬を赤く染める。

 「透くん、余の顔何かついてる?」

 怪訝そうな顔で聞きながら百鬼は自分の顔を拭いだす。ただ、別に何が付いているという訳でも無いため、すぐに「いや。」と否定する。

 「百鬼の髪、綺麗だと思ってたんだ。さっき触った時も全然絡まらなかったし。」

 そう言って、百鬼の見事なまでの長髪に目を向ける。さらさらとした絹糸のようなその白髪は毛先に向けて赤が混じって行き、グラデーションとなっている。先ほど引っ張らないように配慮したと言ったが、そもそもその必要も無い程に指通しが良かった。

 「本当?えへへ、嬉しい。また触ってみる?」

 照れ笑いを浮かべる百鬼のそんな申し出に思わず咳き込みそうになった。

 「さっき勝手に触っといて言うのもあれだけど、手入れとか大変なんだろ。本当に良いのか?」

 「うん、透くんなら良いよ。」

 念押しするように聞いてみるが、これもまたあっさりと了承されてしまう。ここまで肯定的だと逆に困惑するのだが、百鬼の様子を見る限り本心からの言葉なのだとは理解できた。

 「…じゃあ、遠慮なく…。」

 まさか触れようとした瞬間固め技でもかけられるのではないかと、恐る恐る手を伸ばす。今か今かと不安に踊らされるが、それも無用の心配であったようで何事も無く彼女の頭に手が触れた。

 触れ心地の良いその白と赤の髪は柔らかく、指を通すだけでするりと流れて行く。

 「ん…。」

 不意に百鬼が籠った声を上げ、俺はそれを聞いてパッと彼女の頭から手を離す。

 「っと、悪い、無遠慮に触りすぎた。」

 「ううん、ちょっとくすぐったかっただけ。…だから、もっと撫でて?」

 「っ…。」

 そんな彼女の言葉に一瞬息を詰まらせつつ、言われるがまま離していた手を彼女の頭の上へと戻す。先ほどと同じように、さらりとした髪に指を通していれば、百鬼の目は気持ちよさそうに細められていた。

 「透くん、撫でるの上手。」

 「そうか?それは良かった。」

 意外と好評であることに安堵する。しかし、こうして膝の上でリラックスしている百鬼の姿を見ていると、どうにも連想されるものが一つ。

 「…何と言うか、猫でも撫でているみたいだ。」

 ぽつりと呟けば、それを聞いた百鬼はぱちくりと目を瞬かせる。だがそれも束の間で、すぐに彼女はふにゃりと表情を崩した。

 「にゃあ。」

 そして彼女は一声猫の鳴き真似をする。仮に彼女に尻尾が生えていたのなら、ゆらゆらと上機嫌に揺れていたに違いない。鮮明にその姿が想像できる程に、それは今の状況とミスマッチしていた。実際に偽物とはいえ猫耳と尻尾を付けた彼女を見ているのも、そう見える原因の一つなのだろう。

 「耳と尻尾付けようかな…。透くんはどっちが良い?」

 そう言ってすっと百鬼が取り出したのは、つい今しがた思い返していた猫耳のカチューシャとクリップで止める尻尾。先ほど外したきり持ったままでいたようだ。

 確かにそれらを付けている百鬼も魅力的だとは思う。けれど、俺の答えは変わらない。

 「いや、いつも通りで居てくれ。」

 答えを伝えれば、百鬼の笑顔がより一層明るくなった。

 「うん、分かった!…んー、でもそれじゃあこれどうしようかな。」

 元気よく返事をする百鬼は、猫耳のカチューシャを弄びながら思案する。

 「フブキちゃんはもう耳あるから…、ミオちゃんも一緒で…。…あ。」

 「へ?」

 一瞬宙を揺らいだ百鬼の視線がふとこちらに向けられて固定される。呼応するように声を上げるが、この時点から既に嫌な予感は感じていた。

 「えい。」

 その予感を裏付ける様に百鬼はおもむろにこちらへとカチューシャを持った手を伸ばすと、俺の頭へとそのカチューシャをセットした。

 「ぶふっ…!」

 頭に馴染むような感覚が脳に伝わると同時に、膝の上の百鬼が俺から顔を背けて噴き出す。それだけに留まらず、小刻みに揺れるその肩は彼女の意思をありありと映し出していた。

 「…楽しそうだな、百鬼。何がそんなに面白いんだ?」

 「…だって、透く…、似合わな…!」

 百鬼は言葉を途切れ途切れにさせながら、尚もけらけらと笑い声を上げる。そんなに酷いのかと、流石に気になり何か反射するような物は無いか辺りを見渡す。生憎と都合よく見つかりはしなかった、代わりに見つかったのは丁度通りかかったのか呆然とこちらを見つめる白い狐の少女の姿。

 「…。」

 「…。」

 途方もない気まずさの中、無言のまま白上と視線を交差させる。頭の上にはしっかりと付けられたカチューシャの感触があり、到底言い逃れなど出来そうもない。

 暫くの間、百鬼の笑い声を背景にそうしていたかと思うと、白上はふいっと視線を逸らすとそのまま歩いて行ってしまった。俗にいう見て見ぬふりをされたという奴だ。

 「…。」

 それを確認して、俺もゆっくりと視線を正面へと戻す。今のは不幸な事故だ。お互いに何も見なかった、見られなかったことにするのがこれからの生活を考えれば最善の選択であろう事は明白であった。

 「ん、あれ、透くん。今フブキちゃんいなかった?」

 「いや、誰もいなかった。」

 ようやく笑いが収まってきた百鬼が持ち前の鋭い感覚で白上の気配に勘づいたようでそう聞いてくるが、食い気味にそれを否定する。何も起きなかった、不幸な事件など存在しなかったのだ。

 「それより、だ。これ外すからな、そして二度と付けない。」

 確固たる決意を胸に自らの頭にある猫耳をむしり取れば、百鬼は残念そうに声を漏らした。

 「えー、フブキちゃんにも見て貰いたかったのに…。どんな反応したのかな。」

 「…さぁ、どうだろう。さっぱり予想がつかないな。」 

 先の白上の表情を思い出さないようにしながら返答する。白上も今頃必死に忘れようとしているに違いない。

 「ほら、これ返す。もう俺に付けようとはしないでくれよ?」

 「はーい。…ん、あれ?」

 百鬼も割と猫耳関しては満足したようで、素直に返事をしてカチューシャを受け取った。その際何か気にかかるものでも見つけたのか、百鬼はそう言って首を傾げる。

 「どうした、何処か壊れてたか?」

 猫耳が壊れていたのかと視線を落として確認するが、そういう訳でも無さそうで。どちらかと言えば、百鬼の視線はカチューシャを持つ俺の右手へと注がれていた。

 「えっと、透くん。その右手の宝石…。」

 「ん、あぁ、色の事か。」

 その言葉にようやくピンと来て、百鬼に見やすいように宝石の付いている右手の甲を向ける。

 「気づいたのは今朝なんだ。一応聞くけど、百鬼にも赤く見えてるんだよな。」

 「うん、凄く綺麗…。」

 百鬼は一つ頷くと、ほぅと感嘆の息を吐きキラキラと輝く瞳で宝石を見入る。以前までは見る人によって色を変えていたこの宝石だったが、現在はどうやら一色に統一されていると見ても良さそうだ。

 「丁度百鬼の目の色と似てる。」

 「余の?…あ、確かに。」

 流石に毎日鏡で見慣れているのだろう、似ていると言えば百鬼は一瞬考え込むもすぐに納得したように声を上げた。

 「じゃあ余達、同じ赤色でお揃いだね。」

 言いながら、にっと唇の端を上げて八重歯を覗かせる百鬼。それに同調して自然と同じように笑みが浮かぶ。

 「あぁ、何で赤くなったのかは分からないけどな。」

 とはいえ現状特に影響も感じないし、無論しばらくは様子を見る必要はあるが、そこまで気にしなくても良いのかもしれない。

 「お揃いか…。」

 考えている間にも、百鬼は繰り返すように口にしにまにまと笑っている。あまりにも嬉しそうにするものだから、妙に気恥ずかしさを感じてしまう。

 「…ところでなんだけどさ、百鬼。」

 「なぁに?」

 そう改めて声を掛ければ、こちらへ向けられた真紅の瞳と視線が交差する。そこまでは良いのだが、一つ気になるのはその視線が下方向から向けられている点だ。

 「この体制、いつまで続けるんだ?」

 膝を枕に寝転がる百鬼へと問いかければ、百鬼はキョトンとして口を開いた。

 「あ、足痺れてきた?それなら、次は余が膝枕してあげるね。」

 そう言って嬉々として体を起こす百鬼だったが、しかし俺が言いたいのはそういう事では無い。

 「いや、別にそういう訳じゃないんだが。床に直で寝てるけど寝心地悪くないのか?正直足も筋肉で固いだろ。」

 以前百鬼に膝枕をしてもらった時の事を思い出しつつ、あの時と比べて自分の膝枕が寝心地が良いものだとは到底思えなかった。

 それを伝えると、百鬼は少し考える様に宙を見上げる。

 「んー、余は気にならないよ?透くんの足も固いけど、透くんって感じがするし。」

 「どんな感じだ、それ。…まぁ、百鬼が良いなら良いか。」

 幾つか気になる点はあるが、彼女が良いというのならこのままで居よう。

 「わーい!」

 それを聞くが早いか、すぐに百鬼は歓声を上げながら体を倒し膝の上へと舞い戻って来て、思わず苦笑いが浮かぶ。

 「俺の膝枕の何がそんなに気に入ったんだよ。」

 苦笑交じりに問いかければ、ごろんと寝転がりながら百鬼は悩む様に唸り声を上げる。

 「うーん、理由…。やっぱり安心できるからかな…。」

 「安心か…。」

 最近百鬼の口から聞くことが増えた単語だ。最近といえばケンジの件で一緒にいる時間が増えたが、これが関係しているのだろうか。

 とはいえ他にそれらしい要因に心当たりがある訳でも無い為、納得しようとするならこの辺りで妥協点を探す他ない。

 「考えても分かるものでも無いか。悪い、変な事聞いたな。」

 詫びれば、百鬼は気にしないでとばかりに首を横に振る。それからも軽い雑談を交わしていけば、徐々に百鬼の口数も少なくなっていき、やがて静かな寝息が聞こえてきだす。

 「…あれ、百鬼?」

 声を掛けてみるも当然返事は無く、穏やかな陽気に包まれた百鬼はすやすやと眠っていた。

 「まぁ、確かにこれは眠くなるよな。」

 冬に似つかわしくない温かな日差しは眠気を誘うには十分すぎる程で、百鬼はあえなく敗北してしまったようだ。そんな彼女は尚も俺の膝の上に頭を乗せたままであり、俺は自分が下手に動けなくなったことを悟った。とはいえ、特段やることも無いため困ることも無い。

 「本当、綺麗だな…。」

 百鬼の顔にかかっていた一房の髪を横に寄せながら、そんな感想が口を突いて出る。無防備にさらされている端正なその顔立ち。信頼の証と言えば聞こえはいいが、多少は警戒して欲しいとはどうしても思ってしまう。

 先ほどから煩い心臓を宥めながら、鬱憤を晴らすように彼女の頬をつつく。この程度で起きる程浅い眠りでも無いようだが、若干寝苦しそうに歪む顔に溜飲は下がった。

 心地よい一陣の風が吹き思わずあくびが出る。そうして、ついぞ後方の襖の合間から覗く白い獣耳に気が付くことは無く、迫りくる眠気にあっという間に意識は沈んでいった。

 

 

 

 

 

  





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個別:百鬼 22


 どうも、作者です。
 UA10万突破、感謝。


 

 名探偵シラーカッミ・フーブキの朝は早い。どれだけ早いかというと、起床した時間にはまだ太陽が山の向こうに隠れているくらいに早い。これは普段遅くまで眠っていることの多い彼女にとっては異例の事であった。

 ならば、何がそんな彼女を突き動かしているのか。それはシラカミ神社で共に暮らす二人の同居人に深く関連していた。

 「名探偵たるもの、常に冷静沈着に…。」

 物音を立てないように抜き足差し足忍び足で移動する名探偵。しかし残念ながらその姿は名探偵ではなくコソ泥にしか見えない。名探偵フーブキが目指すは早朝に唯一明かりのついているキッチン。フーブキは入り口の手前に座り込むと、その中から聞こえてくる話し声にそっと白い獣耳を立てた。

 「百鬼、野菜の仕込み終わったぞ。」

 「ありがと、透くん。余もお米の準備終わったけど、今日は早めに作る?」

 「そうだな、白上も最近は早めに起きて来るし。」

 そんな会話を交わしながら二人、透とあやめはてきぱきと手慣れた様子で朝食の準備を進めていく。その姿はフブキから見ても驚くほどに自然であった。その様子を二人に、特にあやめに勘づかれないようにフブキは細心の注意を払いつつしげしげと眺める。

 『…こんな朝っぱらから何をしてるんだ、お前は。』

 「…っ!?」

 突如として隣から聞こえてきた呆れ声にフブキは肩を跳ねさせて、上げそうになった悲鳴を押し殺す。フブキが慌てて声の出所へと目を向ければ、そこにはちょこんと地面に座る白い狐のシキガミの姿。

 「もう、黒ちゃん!驚かせないで下さいよ!」

 フブキはシキガミに、正確にはそれを操る黒上へと声量を抑えて抗議の声を上げるが、黒上は素知らぬ顔でキッチンの中へと目を向ける。

 「あれを見るためにわざわざ早起きとは…。なんだ、透に嫉妬でもしてるのか?」

 揶揄うように言ってくる黒上に、けれどフブキは憮然とした様子で「違いますよ。」とはっきりと否定する。

 「キョウノミヤコから帰ってきてから二人の距離が以前に比べて近くなっている気がしたので、その調査をしてるんです。」

 そう言うフブキを見て、黒上は疑うようにその目を細める。フブキと黒上も長い付き合いだ、一目見れば互いの嘘など見抜いてしまう。そして、どうやら嘘をついているわけでは無いようだと結論付けると、黒上は静かに息を吐いた。

 『…つまり、その珍妙な帽子とおもちゃの煙管も調査とやらの一環という訳だ。』

 いわゆる探偵帽を頭に乗せて、煙をふかすことも出来ない煙管を片手にそれっぽいマントを羽織ったフブキを、黒上は理解できないものを見るような目で見る。

 「失礼な、由緒正しき探偵の正装ですよ。中々の着こなしだと思うんですけど、どうです?」

 『あーはいはい、似合ってる似合ってる。』

 「もう、適当じゃないですか。」

 ぞんざいな黒上の物言いにフブキは不服そうに唇を尖らせる。黒上としては素直に似合っていると言うのも良いのだが、それはそれで調子づかせて面倒くさいことになる為こうしておくのが一番楽なのだ。

 「…それにしても、黒ちゃん最近はよく出て来てくれますよね。前までは呼んでも眠いからって出て来てくれなかったじゃないですか。」

 『…それは…。』

 フブキの問いかけに黒上はそこで言葉を区切ると、ぴょんとフブキの頭の上へと飛び乗る。疑問に思いながらもフブキが頭の上に乗った黒上の動向を伺っていれば、黒上は前足を上げ…。

 『何処かの誰かさんが一人になった途端、寂しい寂しいってピーピー泣き喚くからだろう、がっ!』

 「あいたっ!?」

 そのまま思い切りフブキの頭へと振り下ろした。尚フブキは大げさに痛がっているが、このシキガミは特に戦闘用でも無いため前足を振り下ろす程度では彼女に痛みを与えることなど出来はしない事は互いに承知の上なのだが、やはりこの程度で鬱憤は晴れないようで、その後もてしてしと黒上は執拗にフブキの頭を前足で叩いていた。

 『大体一週間や二週間ならまだしもなんだ二日目って。お前はいつから子供に戻ったんだ。』

 「だってー!」

 あまりの言われように遂にフブキは鳴き声を上げる。ミオはイヅモ神社へ、透とあやめはキョウノミヤコへとそれぞれシラカミ神社を出て行き、一人神社へと残る事となったフブキが孤独に耐えかねるにはそう長い時間は必要では無かった。

 これで誰か一人でも残っていたのならまだ耐えられたのかもしれないが、生憎と全員揃って神社を離れてしまった。毎夜枕を涙に濡らすフブキを見かねた黒上が姿を現すようになるのも、半ば自然な流れであった。

 『ったく、何であたしがこいつの面倒を見ないといけないんだ。こういうのはあの狼娘の仕事だろ。』

 「なんて言いつつ、ちゃんと話し相手になってくれた黒ちゃんなのでした。」

 『噛むぞ。』

 余計な事を言うフブキに座った眼で小さな口を開けて牙を見せてくる小さなシキガミ姿の黒上。その姿に脅威を感じることは無いが黒上の場合本当に実行してきかねない為、噛まれてはたまらないとフブキも即座に平謝りした。

 『それより、調査とやらは良いのか?』

 「おっと、そうでした。透さんとあやめちゃんの距離が近づいた原因を突き止めるんでした。」

 『…突き止めるも何も、原因はあからさまだろ。』

 黒上に指摘されてキッチンの中へと視線を戻そうとするフブキであったが、けれど続く黒上の言葉にぴたりとその動きが止まった。かと思えば、フブキは目を丸くして黒上を見る。

 「黒ちゃん、もしかしてもう分かったんですか?」

 『そりゃ見たら分かる。…何してるんだお前。』  

 「いえ、名探偵としての矜持が…。」

 逆に何で分からないんだと言わんばかりの黒上に、フブキはがくりと地面に両手をつく。どうやら先に見抜かれたことが相当悔しいようだ。

 『そんなの元々無いだろ。あれは…。』

 「待ってください、白上もすぐに答えを出しますから!」

 黒上が答えを伝えようとするも、フブキはそれを手で制した。如何にも譲れない部分らしく、こういう時のフブキの強情さを知っている黒上は肩をすくめて、おとなしく思考するフブキの上でくつろぐ体制を取った。

 やがて、そう時間も掛からずにフブキは閃いたようにポンと手を打った。

 「あ、分かりました!透さんとあやめちゃんは恋人同士になったんですよ。そう考えると二人の距離が急に近づいた事にも納得がいきます。」

 『…まぁ、確かにそう見えるのも無理はない。』

 名推理とばかりに胸を張るフブキに、黒上はあくびをしながら答える。

 「え、違うんですか?」

 『違う、あれはどちらかと言うと…。』

 真相を口にしようとする黒上であったが、言い切るよりも先にキッチンの入り口にある暖簾が上がり中にいたはずの透が顔を覗かせた。

 「白上、そんなところで何してるんだ?」

 

 

 

 

 

 

 「わひゃあ!?」 

 キッチンの入り口の傍に座り込んでいた白上へと声を掛ければ、彼女は肩を跳ねさせて悲鳴を上げる。まさかそこまで驚かれるとは思わず、こちらまで驚いてしまう。

 「と、透さん、どうして白上の存在が…。」

 「いや、入り口から普通に尻尾が見えてたからな?」

 戦慄したように聞いてくる白上に、入り口から覗いている白上の尻尾を指さして答える。百鬼と朝食の準備をしていた折、視界の端で何かが動いたかと思い見てみれば見覚えのある尻尾がわっさわっさと動いていたものだからつい様子を見に来てしまったのだ。

 「透くん、どうしたの?…あ、フブキちゃんだ、おはよー。」 

 「あ、あやめちゃん、おはようございます。」

 後ろから百鬼もこちらへとやってきて廊下に座り込んでいる白上の姿を見つけると、和やかに声を掛けた。

 「…それで、誰かと話してたみたいだけど、大神と通話でもしてたのか?」

 そうして改めて白上へと問いかける。何を話しているかまでは聞き取れなかったが、確かに白上の声が聞こえたのだ。通話くらいなら出来ると言われても今更驚かない為、その辺りで当たりを付けたのだが、呆然としていた白上はそう聞かれてはっと声を上げた。

 「あ、いえ、さっき話してたのは黒ちゃんです。」

 「「黒ちゃん?」」

 白上の口から出てきた聞き覚えのない名前に、百鬼と揃って首を傾げる。白上もそんな俺達の様子を不思議そうに首を傾げるが、すぐに合点がいったようで慌てた様子で「あ、そうでした」と口にする。

 「お二人にはまだ紹介してなかったですよね。こちら白上の同居人の黒上フブキこと、黒ちゃんです。」

 「「…。」」

 白上は笑顔でそう紹介してくれるのだが、彼女が言いながら両手で抱えて前に掲げたのは白い狐のシキガミで、俺と百鬼はつい無言でそのシキガミを見つめる。

 何度見ても、目の前に居るのは紛れも無いシキガミである。白上なりの冗談かとも思ったが、彼女の満面の笑みが易々とその考えを否定する。

 「…あー…白上は、この黒ちゃん?とさっきまで話してたのか?」

 「?はい、そうですよ?」

 恐る恐るシキガミを指さしながら聞いてみるのだが、白上はキョトンとした顔でこくりと頷く。一応、確認の為にシキガミに詳しいであろう百鬼へと目を向けるが、百鬼もふるふると首を横に振っている。

 「…あのな、白上。シキガミは喋らないんだぞ?」

 気遣う様に声を掛けるも、白上は尚も要領を得ない様で首を傾げている。

 「はい、それは知ってますけど…。はっ、そういう…!?」

 と、そこでようやく白上は何かに気が付いたのか、あからさまに焦りをその顔に浮かべた。

 「ち、違うんです!別に自分のシキガミに話しかけてる訳じゃなくて…!く、黒ちゃん、何でさっきから黙ってるんですか!?早く誤解を…!」

 白上はあたふたとしながら弁明しつつ懸命にシキガミへと話しかけるが、当然シキガミが何かを返答する事は無く、俺と百鬼は何故か感じる悲しさを胸に白上の肩をぽんと叩く。

 「そうだよな、白上も寂しかったんだよな。」

 「フブキちゃん、気づいてあげられなくてごめんね。」

 「ちょっ、何ですか。そんな可哀そうなものを見るみたいに…!」

 優しく話しかける俺と百鬼を前にして、白上は不本意だと言わんばかりに声を上げる。そうだ、気づいてやれなかった、白上もこの神社に一人で寂しかったのだ。だからこんな結果を招いてしまった。

 「そのさ、前に話してたお茶の淹れ方なんだけど、良かったらこの後教えてくれないか?」

 「あ、余も教えて欲しいな!フブキちゃん、余も一緒にお願い!」

 思えば、帰ってきてからも白上と絡むことは少なかった。その分をこれから取り戻していかなくてはならない。だが、白上は未だ認められないのか、尚も否定しようと必死に言葉を探している。

 「そんな同情に満ちた目で白上の事を見ないで下さい!黒ちゃんも、早く何か喋って下さいよ!」

 『…。』

 白上の悲痛な叫びに、けれどシキガミは我関せずと無言のままあくびをする。そうして、シラカミ神社には限界を迎えた神主の悲鳴が鳴り響いたのであった。

 

 

 

 

 

 ひたひたと地面へと落ちる水雫が弾けて形を失う。じめじめとした湿気を感じさせる暗闇に満ちた道を、ゆっくりと何者かの足音が進んでいた。

 足音の主は一人の男。肩を壁に押し付ける様にして何とか歩いているその男の目は虚ろで、一切の正気を感じさせない。 

 「帰ろう…、すぐに、帰るから…。」

 うわ言の様に繰り返すその言葉は、男の執着する最後の願いの断片だ。何のために帰るのか、何処へ帰るのか、最早それすら分からなくなっても尚、彼はその願いに突き動かされるかのように歩みを止めない。

 やがて、男は力尽きてその場に倒れ伏した。彼の周りに人の影は無く、助けなど誰一人として駆けつけはしなかった。

 「帰るんだ…帰るんだ…。」

 地を這う彼の姿は何処まで行っても救われず、男の意識は闇の中へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 「茶葉の量はこのくらいで、後は時間も茶葉によって変えるのがミソです。一番分かり易い目安は茶葉の太さですね。」 

 朝食の後、シラカミ神社のキッチンの中で俺と百鬼は白上からお茶淹れ講座を受けていた。実際に教えて貰って分かったが、彼女のお茶に対する熱意は本物で、お茶に関する知識もかなり豊富で。それを俺のような初心者でも理解しやすいように説明してくれている。

 「フブキちゃん物知りー。」

 「ふふっ、それはもう。お茶だけならミオにだって負けませんよ。」

 感心して声を上げる百鬼に、白上は渾身のドヤ顔で胸を張る。裏付ける相応の技術があるのだからそれも当然と言えるだろう。

 急須に湯を入れた所で、蒸らすために雑談の時間へと移行する。

 「でも本当に凄いよな。白上はいつからお茶を淹れ始めたんだ?」

 「初めですか?んー、そうですね…。確かミオと出会ったくらいの頃からですかね。」

 俺の問いに、白上は顎に指を当ててふと宙を仰いで答える。白上と大神は長い付き合いだと聞いているし、それだけの期間お茶を淹れているのならこの腕前なのも納得というものだ。

 「ミオちゃんって今はイヅモ神社に居るんだっけ。」

 話題に出て気になったのか、百鬼が大神について話題に挙げる。思えば赤い宝石の付いた指輪についても聞きに行った筈だが、特に大神から説明は受けていない。

 「はい、丁度昨日言伝が届いてたんですけど、まだイヅモ神社でやることがあるみたいです。」

 「そっか、今頃何してるんだろうな…。」

 手伝おうにも神狐が居るのだからあちらの事で俺達が出来ることも無いだろうし。大神が帰って来るのを待つ他ない。

 「でも、ミオちゃん占星術も使えるから、よっぽどの事じゃないと苦労し無さそう。」

 「白上も同意見です。それに毎朝色々と占ってるみたいですし、この辺りで異変が起きたらまた連絡が来ると思いますよ。」

 「相変わらず万能だな…。」

 こうして改めて聞いてみると占星術で対処できる物事の多様さに驚かされる。遠く離れた位置でも関係ない辺り、むしろ何が出来ないのかと聞きたいくらいだ。

 「そう言えば透さん、以前出会った明人さんでしたっけ、あの方とはその後は?」

 「あー、いや、こまめに連絡を取ってる訳でも無いから最近は全然だ。」

 白上に不意に聞かれて、ふと考えてから答える。セイヤ祭の日に出会った切り、明人とは連絡は取っていない。とはいえ、最近はそれどころでは無かったのもあるが、落ち着いた今声を掛けるのも良いかもしれない。

 「…あ、そろそろ良い時間なのでお茶を注ぎますね。」

 少し経って白上はそう声を掛けると、急須を手にとって慣れた手つきで三つの湯呑にそれぞれ数回に分けてお茶を少しずつ注いでいく。

 「「おー…。」」

 あまりに綺麗に淹れるものだから、つい百鬼と感嘆の声が被ってしまう。

 「…そこまで感心されると流石に照れますね。ではお茶も入ったことですし、お茶菓子を持って今に行きましょっか。透さん、そちらの棚に隠してあるお菓子を持ってきてもらっても良いですか?」

 「あぁ、分かった。」

 「じゃあ余はお茶運ぶね。」

 白上と百鬼は一足先にキッチンを後にした。俺も菓子を持って二人の後を追おうと戸棚を開ける。しかし、指さされたはずの棚の中は空で、菓子の影は何処にもない。

 「…隠してるって、何処にだ?」

 白上が指さす棚を間違えたのかと考え他の戸棚へと手を伸ばそうとした所で、不意に横から白い狐のシキガミが戸棚へと飛び移って来た。

 『…。』

 「へ?ここの横か?」

 そして、シキガミがとんと戸棚の横の壁部分を叩くので試しにそこへ手を添えて力を込めてみると、壁板が外れて探していた菓子が姿を現した。

 「あ、ここに隠してたのか。ありがとう、助かった。」

 『…。』

 シキガミへと礼を言えば、何処かへとシキガミは去って行った。しかし、シキガミも場所を把握しているとは、白上は常習的にここに菓子を隠しているのだろうか。

 そんな事を考えつつ俺は菓子を持って棚の側面を元に戻すと、居間へと足を向けるのであった。

 

 

 

 

 





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個別:百鬼 23


どうも、作者です。
評価くれた人、ありがとうございます。
以上。


 

 「ねえ透くん。余、気づいちゃったんだけどさ。」

 「…何にだ?」

 唐突にそんな声を上げる百鬼に、正直こんな問答をしている余裕は無いのだが、少しでも彼女の気がそらせるのならと藁にも縋る心地でそう問いかける。

 「あのね、余と透くんが一緒に寝るのに反対なのってフブキちゃんでしょ?なら、フブキちゃんも一緒に寝れば解決すると思うんだけど、透くんはどう思う?」

 さも名案とばかりに言う百鬼であったが、しかし、俺にはそれの何処が名案なのかさっぱり理解できないでいた。

 「そうか、なら、白上に直接そう言ってきたらどうだ。」

 「うん、昨日言ったら恥ずかしいからって断られちゃった。」

 予想外の答えが返ってきて思わず力が抜けそうになるも、危うい所で持ち直す。

 「もう言ってたのかよ。そこで駄目って言われてるのに何でさも今思いつきましたって顔で提案してきたんだ。」

 「だってー…。」

 そのツッコミに襖から半分覗いている百鬼の眉が八の字に歪む。条件は同じはずなのだが、どうしてあちらはこんなにも涼しい顔をしていられるのだろう。

 「透くん、駄目?」

 上目遣いで見てくる百鬼に思わずドキリと心臓が鳴る。どうも俺がこの仕草に弱いという事に薄々気付いてきたようで、百鬼は事あるごとにこうしてお願いをしてくるようになった。平時なら即オーケーしてしまう所だが、ただ、それも状況によりけりで。

 「駄目だ、聞きながら、無理やり押し入ろうと、襖を開けようとするな!」

 両手を使って、百鬼が開けようとする襖を閉める方向に全力を込めながら声を荒げる。尚、当の百鬼は片手で普通に襖を開けようとしているのみで、最早襖の方が開こうとしている様に見えるが、残念ながらこれが彼女と俺の力の差である。 

 「どうして、そんなに俺と一緒に寝ようとする!?」

 時間は夜。外ではお月様が昇り夜空と向かい合っている時間帯だ。後ろでは既に布団は敷いてあり、後は寝るだけという所で百鬼が訪ねてきた。

 襖を開け何の用かと聞けば百鬼は開口一番に『余、透くんと一緒に寝たい。』と口にした。その言葉を聞いた瞬間、反射的に襖を閉めようとした所で百鬼に途中で止められ、現在に至る。

 「透くんこそ、何で駄目って言うの?前まで一緒に寝てたじゃん!」

 「前は…、そうだけど、今は事情が違うんだって!」

 断る理由はただ一つ、以前との決定的な違いとして、俺が百鬼への恋心を自覚してしまった事にある。想い人が隣で寝ている中すやすやと寝られる程、俺の肝は座ってはいない。なんなら心臓がうるさすぎて百鬼まで寝られなくなる可能性すらある。

 「そうだ、百鬼、白上だ。百鬼と白上と一緒に二人で寝れば解決だろ。」

 あまりに唐突の事に動揺して思いつかなかったが、こんなにも身近に解決策があった。これならばと百鬼に伝えるも、けれど当の彼女はぶんぶんと首を横に振って拒絶する。

 「透くんじゃないと駄目なの!」

 「だから、何でそうなる!」

 一々心臓に悪い百鬼の言動に動転しそうな心を必死に落ち着けながら更に力の加わった襖に抵抗するようにこちらも出力を上げる。

 「…いつっ…。」

 イワレの流れを意識した途端ぴきりとした痛みが体を駆けた。目の前の百鬼へと意識を集中していただけに、不意に襲い掛かったそれに思わず声が漏れる。

 「っ…。」

 すると、それを聞いた百鬼がはっと驚いたような表情を浮かべたかと思えば、ぱっと襖に掛けていた手を放した。

 尚、この時点で俺はまだ襖を閉める方向に力を加えたままである。拮抗していた状態から急に片方の力が無くなり、慣性の法則の赴くがままに襖は閉まる。

 「ああ!?」

 しかしそこで事は終わらなかった。全力を込めていたこともあり、行き場をなくしたその力がただ踏ん張っただけで相殺できる筈もなく。そのまま俺は体ごと壁へと頭から突っ込み、次の瞬間ごっと鈍い音が部屋の中に鳴り響いた。

 「と、透くん、身体大丈夫!?」

 受け身を取ることすらままならずに壁と衝突した額の痛みに呻いていると、再び襖が開く音が聞こえて慌てた様子で百鬼が部屋の中へと入って来る。

 「な、百鬼。そこは身体じゃなくて頭の心配じゃないか…?」

 「え?…透くん、頭大丈夫?」

 どうしても気になってしまい涙に霞む視界で百鬼へと指摘すれば、彼女は一瞬ぽかんとしたかと思うと、素直に受け取りすぎた変換でそう言い直した。

 「いや、俺が悪かった。大丈夫だ。」

 ぐさりと刺さったその言葉に精神的ダメージを負いながら無事を伝える。額はじんじんと痛むが、触ってみた感じ血が流れている訳でも無い。けれど、百鬼は尚も心配そうな表情でこちらを見ている。

 「本当に大丈夫?身体痛くない?」

 「本当に大丈夫だって。…それにしても、何で身体の心配なんだ?」

 先ほどから気になっていたが、妙に百鬼はぶつけた額ではなく身体の方を心配してくる。何か変な所でもあるのかと全身を見回してみるが、特に変わった点は見受けられない。

 「だって透くん、さっき痛がってた。」

 「ん、あぁ、襖で押し問答してた時か。だから百鬼は手を放したんだよな。」

 結果、人間ロケットとして壁に体当たりを敢行する羽目になった。けれどやはりイワレによる身体強化の恩恵は凄まじく、それでも傷一つ負っていない。勿論、普通に痛みはする。

 そんなイワレによる身体強化だが、先ほどは思わず使用しようとしてイワレの流れに意識を向けた途端、全身に痛みが走った。これは今までに経験の無い事だった。

 「まぁ、イワレの制御にでも失敗したんじゃないか?特にここ数日は全然使ってなかったし。」

 最後にイワレを使用したのは、確かキョウノミヤコへケンジの墓参りに行った時だ。その時も簡単な身体強化を使ったのみで、ワザともなるともっと前の事になる。

 原因としてはこの辺りかと挙げるも、しかし百鬼は納得がいかないようで、こちらへ向けられているその瞳を紅く光らせた。

 「…今の透くん、イワレが凄く不安定になってる。」

 「不安定…。」

 今一ピンとこず、改めて自らの身体を見下ろしながら百鬼の言葉を繰り返す。

 彼女の瞳は、本来捉えることの出来ないイワレを捉えることが出来る。故に彼女がそう言うのならそれは事実なのだろう。ただ、実際にそれがどういう状態なのかまでは、俺には分からない。

 「今の俺のイワレが濁ってるとは聞いてたけど、それとはまた違う感じで?」

 「うん、濁るのは質の問題なんだけど、不安定なのはイワレ自体が揺らいでる感じ。余もこんなの初めて見た。」

 そう言う百鬼は尚も心配げな視線をこちらへ向けている。彼女自身長い事イワレを見てきた中で、ここに来て初めて見るイワレの状態に困惑しているのだろう。この辺り、やはりイワレの無いウツシヨ出身である事が影響しているのか、はたまた他に何か要因があるのか判断が付かない。

 「…まぁ、今の所痛む以外に症状を無いし、しばらくは様子見で良いだろ。」

 「うーん、そうだけど…。」

 どちらにせよ対処法も無いのだ、これが落としどころだとそう言えば、百鬼は不満げに唸り声を上げる。普段はのほほんとしている彼女だが、こういう時は意外と心配性な面が見えるようだ。ちょっとした発見に何処か嬉しさを感じつつ、話を纏める様に手を叩く。

 「よし、分かった。そんなに心配なら今日は早めに休むことにするよ。だから百鬼も早く自分の部屋に…。」

 言いながら百鬼の背を押して自然な流れで部屋の外まで誘導しようとするが、彼女はぴたりとその場で立ち止まったまま動かない。

 「…百鬼?」

 思わず呼びかければ、百鬼はぷくりと頬を膨らませてジトリとこちらを見上げる。どうやらこちらの思惑は完全にバレてしまっているようだ。

 「透くん、体よく余の事追い払おうとしてる。」

 「そんな、まさか。」

 そんな彼女の視線から逃れる様に視線をあらぬ方向へと向けるが、視線を逸らしているにも関わらずびしびしと彼女の鋭い視線を感じる。いけると思ったのだが、まだまだ見通しが甘かったらしい。

 「余、今日は絶対透くんと一緒に寝るから。」

 部屋から追い出すどころか、むしろ百鬼の意思をより強固なモノにしただけに終わった。紆余曲折を経て結局は振り出しに戻ってしまい、どうにも徒労感が拭えない。

 「なら、せめて理由だけ教えてくれ。…何でそんなに俺と一緒に寝たがるんだ。」

 「…。」

 まだ答えて貰ってなかったと先の質問を繰り返せば、百鬼は押し黙ってしまう。その様子は何を言おうかを迷っているのではなく、話そうかどうかを迷っているように見えた。

 「…だって透くんと一緒じゃないと、安心して眠れない。」

 やがて、百鬼はしゅんとした表情でそう言葉にする。一瞬そんなことでと考えかけるが、明らかな不安を帯びた彼女の顔を見てすぐに考えを改める。

 「俺と一緒なら、安心して眠れるのか?」

 「うん。」

 確認するよう問いかければ、すぐに百鬼は頷いて見せた。この流れはマズイと自分でも分かっているが、それに抗う術を俺は持ち合わせていない。

 「透くん…。」

 そして懇願するように名を呼んでくる彼女の声に、自分の中の最後の砦が陥落したことを察した。

 「…分かったよ。」

 諦観に息を吐きながら一言伝えれば、百鬼の顔がぱっと明るくなる。その顔が見れただけで満足している自分が居るのだから我ながら安いものだと、半ば自分に呆れながら苦笑を浮かべるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜が更けて、一日が終わりを告げる。それはごく自然な普通の日常とも言えるが、けれど今日に限ってはそう簡単には終わってくれないらしい。

 「透くんと寝るの久しぶりー。」

 緊張から心臓が平時の倍程の速度で早鐘を打つ中、対照的にリラックスして間延びしたそんな百鬼の声が後ろから聞こえてくる。

 あの後、すぐに百鬼は枕を持って来て布団へと潜り込んだ。そうして了承した手前、今更後戻りは出来ないと俺も意を決して百鬼と二人同じ布団で眠る事にしたのだが、しかし想像していた以上に立ちはだかる壁は大きかった。

 「…透くん、何でこっちに背中向けてるの?」

 「いや、別に。何となくだ。」

 不思議そうに問いかけてくる百鬼に何とかそれだけ返す俺は、自分でも驚くほどに彼女の存在を意識してしまっていた。せめてもの抵抗と後ろを向いて彼女を視界から外すも、同じ布団の中、嫌でも彼女の気配は感じ取れる。

 「ふーん…。」

 そんな生返事が返って来たかと思えば、何やら後ろの百鬼がもぞもぞと動き出す。何をしているのかと不思議に思っていると、こつんと背中に触れた感触に思わず瞠目する。

 「あ、凄いドキドキしてる。」

 「おい、百鬼!?」

 先ほどよりも近い、それこそ至近距離で聞こえてくる百鬼の声に慌てて後ろへと視線を向けて布団を捲れば、すぐ目の前でこちらを見上げる彼女の姿が視界に映る。 

 「やっとこっち向いてくれた。」

 「お前な…。」

 違う意味でドキドキする心臓を宥めながら呆れたように言えば、百鬼はくすくすと悪戯な笑みを浮かべる。

 「だって、透くんがずっとあっち向いてるから。」

 「だからってそんなに近くに来なくても良いだろ。あと、地味に角が刺さりそうで怖い。」

 言いながら、顔の前をちらつく二本の角を指さす。百鬼の顔が丁度胸の前あたりにある為、必然的に角が俺の顎を捉えていた。それを指摘すれば、百鬼は視線を上へ向けて自らの角を触る。

 「あ、ごめん、すぐ取り外すね。」

 「え、それ外れるのか?」

 「ううん、嘘。」

 思わず信じ込んで振り返りながら声を上げるも悪びれる様子もなくあっけらかんと言ってのけた百鬼に、つい目の前にある彼女の脳天を小突きたくなる。

 「…。」

 「…ごめんなさい。」

 代わりに無言のままじっと見つめていれば、さしもの百鬼も悪いと思ったのか素直に謝って来た。とはいえそこまで気にするような事でも無いし、百鬼も俺が本気で怒っているとは思っていないだろう。

 「よっ…。」

 百鬼はそんな掛け声を上げると、再びもぞもぞと今度は目線が同じ位置になるように移動する。すると、当然目の前の彼女の端正な顔立ちが視界一杯に映る。

 「こうすれば角は当たらないよ。」

 「…あぁ、そうだな。」

 満足げに言ってくる百鬼にそう答えながら、近すぎる彼女の顔から逃れる様にそっと天井へと視線を向ける。今日は丁度月が出ていなくて良かったと、明かりの無い部屋の中でふと思う。

 「今日の百鬼、なんかテンション高くないか?」

 「えー、そうかな…。」

 どうやら彼女自身自覚は無いようで、俺のその問いかけに百鬼は首を傾げていた。

 「でも、そうかも。余ね、今ちょっと楽しい。」

 そう言って、百鬼ははにかんで見せる。

 「さいですか。もう少し落ち着いてくれても良いんだぞ?」

 「それは無理なご相談ですわよ?」

 百鬼の謎のお嬢様言葉に、深夜テンションからか妙に可笑しく感じてくすくすと二人して笑い合う。ようやく現在の状況に慣れてきたようで、心臓がはち切れそうだった緊張も少しずつ鳴りを潜めて行った。

 「…ね、透くんって尻尾と獣耳が好きなんでしょ?」

 「ん、あぁ、そうだけど。」

 聞いてくる百鬼どころか白上にも既に知られている事だ、今更隠すような事でもないと頷いて肯定する。すると百鬼は「じゃあ…。」とおずおずと口を開き続ける。

 「余の角は、触りたいって思う?」

 「…。」

 そう聞かれて、思わず無言のまま視線を百鬼の額から伸びる角へと移す。綺麗な角だ。これが百鬼だからこう思うのか、ただ純粋な感想なのか定かではないが、少なくとも興味が無いと言えば嘘になる。

 「透くんなら、触っても良いよ?」

 「百鬼…。」

 明かりも乏しく、百鬼の顔色は伺えないが恐らくその頬は今赤く染められているのだろう。本当に良いのだろうか、そう思いつつも興味に突き動かされるように手は彼女の角へと伸び、百鬼はぎゅっとその目を瞑った。

 そして遂に触れるかという所で、けれどやはりと俺は腕を止めた。

 「…いや、やっぱり遠慮しとく。確かに興味はあるけど、百鬼も恥ずかしいだろ。」

 「余はそれでも良いよ?」

 「百鬼に我慢させてまで触ろうとは思わないって。」

 尚も肯定してくれる百鬼にけれど、俺は頑なにそう言うと伸ばした手を引っ込める。恐らく以前までなら厚意に甘えて触らせて貰っていたのだろうが、だが今百鬼の厚意に甘えるのは、どうも彼女の気持ちに付け込んでいるような気がした。

 「…透くんって、変な所で気を遣うよね。」

 「なんだよ、悪いか?」

 ぽつりと呟くように放たれたその言葉に憮然として返せば、百鬼はくすりと小さく笑った。惜しいことをしたとは思っている。けれど、これで良いのだ。

 「ううん、透くんのそういう所も、余は好きだよ。」

 こうして、その後も他愛も無い話を続けながら夜は更けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見た。

 見覚えのある夢だ、辺り一面に咲き誇っている無数の花。そして、その中でひときわの存在感を放つ枯れて萎れてしまった花。それらに既視感を覚えながらも、ふと以前に見た夢とは違う点にも気が付いた。

 何も感じないのだ。以前感じた押しつぶされてしまいそうな寂寥感も、狂ってしまいそうな絶望感も、一切の影も無く、心は平静を保っている。

 そして、もう一つ気が付いた。

 前回とは視点が違う。以前は一人称だった、けれど今はそれを遠くから眺める第三者となっている。俺は花に囲まれていない、囲まれていたのは可憐な鬼の少女だった。

 視線の先の彼女は自分を囲む花を大事そうに抱えていた。大切に、丁寧に、守るようにそれらを抱えて、けれど、花はそんな彼女の意思に反して枯れてしまって。

 枯れた花を抱きしめながら、彼女は泣いていた。花が枯れるたびに、何度も、何度も彼女は泣いて、嘆いて。ただ独り、花を抱え続けていた。

 そんな彼女の姿を見ていられなくて、その場から引きはがそうと手を伸ばすも、その手は届くことは無い。無力な俺は、ただ、泣いている彼女を眺め続ける事しか出来なかった。

 

 

 

  





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個別:百鬼 24


どうも、作者です。
百鬼ルートの文字数は現在15万文字。20万は超えそう。
以上。


 

 それはとある日の事だった。

 「お二人とも少し良いですか?」

 朝食を終えて今日は何をしようかと百鬼と共にお茶を片手に考えていると、不意に白上が居間へやって来て声を掛けてきた。

 「フブキちゃん、どうしたの?」

 「何か問題でも起きたか?。」

 改まった様子で向かい側に座る白上。そんな彼女からはどこか深刻な雰囲気が感じられる。

 「はい、…まぁ問題と言えば目の前にも一つあるんですけど…。」

 じとりとこちらに向けられる視線に、白上が今何を思っているのか手に取るように分かった。

 彼女の向かい側に座る俺と百鬼。これだけなら何の変哲も無いただの日常的な姿なのだが、問題なのは二人の間の距離だ。具体的には百鬼が俺の肩に頭を乗せられる程の近距離で俺達は座っていた。

 「透さんも最初は引き離そうとしてたんですけどね…。」

 「あぁ、段々慣れてきてこうじゃないと落ち着かなくなってきた。」

 「余も落ち着くー。」

 「駄目じゃないですか!」

 のほほんと満足げに言ってのける百鬼に、白上はテーブルに身を乗り出すようにして百鬼ではなく俺に抗議してくる。

 確かにこれは俺が百鬼に強く言えない事が原因ともいえる。とはいえ、引き離そうとすると百鬼はこちらが罪悪感を抱くほどに悲し気な表情をするのだ。想い人にそんな顔をされては、さしもの俺も心を鬼にすることなど出来はしなかった。

 「けどさ、俺も特に迷惑してるわけじゃないし…。」

 「その満更でもない顔を見れば分かりますよ。」

 何とか宥めようとするも、ぴしゃりとそう白上に言い返されてしまう。顔に出やすい欠点は今も尚健在らしい。

 そんな俺と白上のやり取りを聞いて、百鬼は不思議そうにこちらを見上げる。

 「透くんは余が近くにいると嬉しい?」

 「ん、まぁ割と。」

 「そっかー。」

 「…白上は一体何を見せつけられてるんでしょうか。」 

 げんなりとした様子で白上は顎をテーブルに付けて獣耳を小刻みに震わせる。

 こうして百鬼との距離が近づきだしたのは、あの夢を見た日からだった。あの日から百鬼はタガが外れたように事あるごとに引っ付いてくるようになり、俺もそんな彼女に釣られるように動揺もしなくなりそれを受け入れていった。

 「これは…帰って来たミオが仰天する姿が目に浮かびます。」

 ぼやきながら呆れたようにため息をつく白上を横目に、百鬼はこてりと小首を傾げる。

 「ミオちゃんが帰って来るまであと半月だっけ。」

 「どうだろうな。丁度ひと月で帰って来るならもう少し早くなりそうだな。」

 ふと日数を振り返ってみれば、大神がイヅモ神社に出発してから半月以上経過している。たったひと月でこれだけ同居人同士の距離が近くなっていればそれは大神も驚くことだろう。

 と、話している内に話が脱線している事に気が付いた。

 「それより白上、何か話があったんじゃないのか?」

 「へ?…あ、そうでした。」

 どうやら本気で忘れていたらしく、白上は一瞬キョトンとした顔をすると、仕切り直すように一つ咳払いをした。

 「お二人にきちんと話した事はなかったのですが、実は白上、シラカミ神社の神主として色々とオツトメなどを行っておりまして。」

 「そう言えば、前に定期的にケガレを払ってるって言ってたよな。あれもオツトメの一環か?」

 以前の事を思い出しながら問えば、白上は肯定するように頷いた。

 「はい、他にも普段は参拝に来た方の悩みを聞いたり問題の解決などをしてるんですけど、現在二つのオツトメが被ってしまいまして、透さんとあやめちゃんに手伝いをお願いしたいんです。」

 白上が説明し終わると同時に、俺と百鬼は互いに目を合わせる。今までカクリヨの異変の調査を共に行ってきたが、こうして頼られたのは初めてのような気がした。

 「あぁ、勿論だ。」

 「余も手伝うよ。」

 無論快諾する。断る理由も無いし、何より居候とはいえ俺達もシラカミ神社の一員なのだ。オツトメがあるというのならそれは俺達の務めでもある。

 その意思を感じ取ってか、白上も「ありがとうございます。」と、にこやかな笑みを浮かべた。

 「それで今回のオツトメって?」

 取り合えず了承したが、内容はまだ聞いていなかった。

 「えっとですね、お二人にお願いしたいのは北の方にある都市の視察です。最近風の噂でケガレに関する異変が起きてると耳にしまして。」

 「…っ。」

 ケガレに関する異変、その言葉を聞いて思わず体を硬直させる。軽い動悸、背を伝う冷たい汗の感触。白上が気付いた様子は無いが、恐らくすぐ隣にいる百鬼には俺の動揺は既に伝わっているだろう。

 (大丈夫だ。ちゃんと向き合えた筈だ。)

 隣の百鬼の温もりを感じつつ心の中で自分に言い聞かせる様に繰り返せば、幾分か心は落ち着きを取り戻していく。

 「視察な、分かった。けど北の方って俺は行ったことないんだけど、百鬼はどうだ?」

 「うん、余は行ったことあるよ。みんなと出会う前はそっちに居たから、案内できると思う。」

 思えば出会う前の百鬼の事は全くと言っていい程聞いていない。どのような生活をしていたのか、改めて気になって来る。

 「へぇ、もしかして知り合いとかもいたりしてな。」

 「知り合い…。ううん、いないよ。」

 答えた百鬼はぽすりと俺の肩へ顔を埋めて、そのままぐりぐりと潜り込む様に動かした。

 「そういう事でしたら安心ですね。一応地図なんかも有りますけど必要ですか?」

 そう言って白上から差し出された地図には大雑把な都市の名前と川などの地形が書き込まれていた。

 「あー、有るなら貰っておきたい。俺は百鬼とはぐれたらにっちもさっちも行かなくなりそうだ。」

 「余は透くんから離れたりしないから大丈夫だよ?」

 「念のためな。」

 別に百鬼を信用していない訳でも無いのだが、うっかり癖のある彼女に置いて行かれ無いと言い切るのはかなり楽観的だと言って過言ではないだろう。とはいえ、現在ぴったりと密着している百鬼の姿を見れば楽観視したくもなる。

 そんな事を考えていれば、ふととある懸念に思い至る。

 「なぁ、俺と百鬼の二人で行くことが前提になってたけど、白上は一人で大丈夫なのか?」

 「?はい、元々一人でやる予定のモノでしたし、一つ一つはそこまで大したことでは…。」

 「いや、そうじゃなくて…。」 

 そこで俺の言わんとしている事に察しがついたようで隣の百鬼がはっと息を呑んだ。

 「フブキちゃん、一人で寂しくない…?」

 「あ、そっちですか!?」

 百鬼が俺の後を継ぐ形で白上に問いかければ、白上もようやく合点がいったようで心外だと驚いたようにピンと耳を立てる。

 「あれはただのシキガミじゃなくて黒ちゃんだって何度も言ってるじゃないですか!」

 「そう言われてもな…。」

 「余達の前で喋ったこと無いし…。」

 チラリと、俺と百鬼は揃っていつの間にか白上の横に現れてテーブルの上に座っている狐のシキガミへと目を向ける。

 気持ちよさそうに伸びをしていたシキガミは俺達の視線に気が付けば、座り直してこちらを向く。

 「黒ちゃん良い所に!さ、今度こそ改めて自己紹介してください。」

 『…。』

 意気揚々と促す白上であったが、しかしそれも虚しくシキガミは無言のままじっと白上を見つめたかと思えば、ぷいとそっぽを向いてしまった。

 「白上…。」

 「やっぱり…。」

 そんな彼女へと俺と百鬼の同情的な視線が突き刺さる。

 「違うんですってー!」

 この後、やはり俺か百鬼のどちらかが白上と一緒に行こうという話し合いに発展したが、白上は頑なとしてそれを受け入れようとはせず、結局元の組み合わせのまま俺達はシラカミ神社を出発した。 

 

 

 

 

 

 

 シラカミ神社を出て、見慣れたキョウノミヤコとは全くの逆側へと向かう。

 カクリヨにおけるヤマトという地域は、その中心にキョウノミヤコが位置している。西側ではイヅモ神社があり、こちらは一度訪れたことがあるが北側は足を踏み入れた事すらない。

 「目的地まで結構あるな。鬼纏いでささっと行くか。」

 「待って。」

 新天地へ繰り出すことに何処か高揚感を覚えつつ、自らのイワレへと意識を向けようとした所で不意にそんな言葉と共に引き留めるよう服の裾が引っ張られた。

 「ん、どうした?」

 「透くん、自分のイワレの事忘れてたでしょ。」

 思わず百鬼の方へ振り返れば、頬を膨らませた彼女のジトリとした視線が飛んできた。その瞳は紅の光を放っており、彼女が俺のイワレを見ていたのだと理解した。

 どういう訳か今の俺のイワレは不安定になっているらしく、この状態で鬼纏いなどイワレを使用すれば体に痛みが走るのだ。

 「そう言えばそうだった…。悪い、止めてくれて助かった。」

 正直最近はイワレを使用する機会がめっきり減ったこともあり、自分のことながら完全に頭から離れてしまっていた。

 「どういたしまして。それよりどうしよっか、このまま歩いてたら結構時間掛かっちゃうよ?」

 「そうなんだよな、白上にもイワレの事は話して無かったし…。」

 経路としてはシラカミ神社からずっと北へ進むだけなのだが、地図によると歩いて行くには遠すぎる。ならば身体強化を行った上で走るか。しかし、道中体にガタがくればそこでおしまいだ。

 普段通りであれば何ら問題は無いのだが、人生そう上手くは行かないらしい。

 「あっ!じゃあ、余が透くんを抱えて走れば良いんじゃない?」

 百鬼は名案とばかりに顔を輝かせる。だがそんな彼女とは対照的に俺の顔は若干苦々しく歪んでいた。

 「あー…、それはあれだ、最終手段として置いておいて他にも考えてみないか?」

 「余なら平気だよ?」

 「俺が平気じゃないんだ。」

 百鬼との身長差的におんぶは難しい、なら次に来るものと言えば横抱きになる。そして自分が彼女に横抱きにされる光景を想像してみるも、道中羞恥の嵐に巻き込まれる未来しか見えなかった。

 「そうだ、移動用のシキガミとか居ないのか?イヅモ神社で見た麒麟みたいな。」

 何とか別の案を出さねばと思考をフル回転させていると、ふとカクリヨでの移動手段として利用した事のある麒麟を思い出し、駄目元で百鬼に聞いてみる。

 「移動用、うーん、余のシキガミって全員戦闘特化だから…。あ、でも。」

 すると百鬼は一瞬考え込んだのち、何か思いついたように手を叩きながら少し離れた場所へ移動した。

 「『閻魔』」

 一言百鬼が唱えれば、同時に開けた空間へと巨大な鎧武者のシキガミが虚空から姿を現す。

 「成程、大きさがあるから肩にでも手にでも乗れるな。」 

 「でしょ?どう透くん、余偉い?」

 「偉い、最高だ。」

 得意げに言ってくる百鬼を素直に称賛すれば、彼女の満足げな笑みが返って来た。

 移動手段も決まったところで早速出発しようと、百鬼と共にシキガミの手の上へと乗る。俺と百鬼がしっかり座ったことを確認して、シキガミは立ち上がって移動を開始した。

 「…予想以上に乗り心地良いな…。」

 流石にシキガミもそこまで万能ではないし多少揺れる事はあるだろうと思っていたが、予想に反してシキガミの掌の上は振動も無く快適であった。

 「余、ここで寝れそう。」 

 驚いているのは百鬼も同様で、彼女は目を瞬かせながらシキガミを眺めている。

 「同感だ。相変わらず百鬼は予想を超えて来るな…。」

 何なら以前乗ったシキガミよりも乗り心地が良いまである。こんなところでまで百鬼の特異性が出てくるとは思わなかった。

 この鎧武者のシキガミ、巨大なだけに歩幅も大きく見た目の割にかなり俊敏なため、これならものの数時間と掛からずに目的地へと到着するだろう。

 「透くん、到着するまでお話ししてようよ。」

 「あぁ、それは良いけど途中で寝ないでくれよ?」

 「うん、寝ないためにお話しするの。」

 そう言いながらも既に百鬼の瞳は細められていた。これは時間の問題だろうと思いつつ、俺達は他愛ない雑談で道中の時間を潰すのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「「…。」」

 目的地に到着してから、俺と百鬼はその街の様子を呆然として入り口に立って眺めていた。

 「…なぁ、百鬼。ここが目的地であってるんだよな。」

 「…うん、そうだと思う。」

 互いに確認するも、やはりここで間違いは無いという結論に至る。

 「それでさ、ケガレに関する異変が起きてるって事でここまで来たわけだけど…。」

 言いながら、がやがやと街の住人で賑わっている街道を見渡す。街の人々は誰も活気づいていて、到底ケガレの影響を受けているようには見えない。寧ろ、キョウノミヤコよりも活発な街に見える程だ。

 「誤情報だったのかな…。」

 「取り合えず、ケガレの発生は無さそうだな。」

 そこはひとまず一安心という事でほっと息を吐く。ケガレの影響が無いのなら無いに越したことは無い。何処か張り詰めていた緊張の糸がほどけていくのを感じた。

 「見た感じ緊急性も無いみたいだが…百鬼はケガレが見えたりしてるか?」

 「ううん、何も見えない。普通少しくらい見えるんだけど…、何でだろ。」

 腑に落ちないのか百鬼は不思議そうに辺りを見回しては首を傾げている。本当にこの街にはケガレが欠片たりとも存在しないのだろう。

 「それはそれで不自然って事か…。何にせよ、事情を聴いて回るしかなさそうだ。」

 案外ケガレが発生しないという異変だったりするのかもしれない。

 方針も決まったところで、早速街へ足を踏み入れて聞き込みを開始する。ひとまず声を掛けたのは丁度通りかかった中年の女性で、彼女はこちらが声を掛けると少し驚いたように目を丸くしていた。

 「あら、お嬢ちゃん気が早いわね。節分はまだ先よ。」

 「あ、あははっ…。」

 どうやら百鬼の角を見てコスプレか何かかと勘違いしていたらしい。愛想笑いを浮かべて流す百鬼を尻目に、女性へと質問を投げかける。

 「すみません、ケガレに関する異変があると聞いて調査に来てるんですけど、何かご存じでないですか?」

 「そうだったの。実はこの街でもその話で持ち切りなのよね。この街ね、定期的に自然発生してたケガレがここ二月発生してないのよ。昔から住んでるお爺さんお婆さんもこんな事初めてだって。」

 女性の話を聞いてようやく状況が見えてきた。やはり、イワレに関する異変とはケガレが発生しないという事で間違いは無さそうだ。

 しかしその原因を突き止めるには至っていないようで、今なお有志の住人で調査を行っているらしい。

 「ありがとうございました。」

 「良いのよ、ここは良い街だからどうせなら楽しんでいきなさいね。」

 去り際にそれだけ言い残して女性は人込みの中へと消えていった。

 「陽気な人だったな。」

 「うん、ケガレの影響が全く無いから余計に明るくなってるのかも。」

 あの人だけじゃなくてこの街全体が。続ける百鬼の言葉に、改めて街を見回す。誰もが笑顔を顔に浮かべている。ケガレが無いだけで、いや、今までケガレがあった分ふり幅が大きくなっているのかもしれない。

 「…ちなみになんだけどさ。節分ってあれか?鬼は外、福は内の。」 

 ウツシヨに関する知識の中に僅かに残っていたこの知識が実際にカクリヨのモノと一致しているのかどうか。実は先程から気になっていたのだ。

 「そうだよ、節分の日になると鬼の恰好をした人に豆をまくの。」

 聞いてみると百鬼はこくりと頷いて概要を説明してくれる。やはりウツシヨの節分と同様であるらしい。けれど、何か思う所があるのか百鬼の顔は苦々しく歪んでいた。

 「…百鬼って、鬼だったよな。」

 「うん、節分の日になると街に出ただけで豆を投げられるの。余、豆嫌い。」

 余程嫌な目に合ってきたようだ。取り合えず、これから先節分の時期になったら豆を徹底的に排除しておいた方が良さそうだと、ひそかに心に決めるのであった。

 

 

 





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個別:百鬼 25


どうも、作者です。


 

 異変について女性から話を聞いた後、俺と百鬼はがやがやと騒がしい人混みの中を共に歩いていた。

 不思議なもので、いくら都市と言えどもこの街の大きさはキョウノミヤコとは比べ物にならないのに街を行き交う住人の多さはキョウノミヤコに勝るとも劣らない。

 それ程までにこの街は今、活気づいているのだ。

 「なぁ、百鬼。キョウノミヤコとは結構違ってるけど、この街って普段からこんな感じなのか?」

 聞けば、百鬼はチラリと辺りへと視線を巡らせた。

 「うーん、前来た時はここまでじゃなかったから、やっぱりケガレが発生してないのが大きいんだと思う。この辺りはフブキちゃんみたいにケガレを祓って回るカミも居ないし…。」 

 「そっか、自分達で対処しなくちゃならないもんな。」

 ケガレを取り祓うには同量かそれ以上のイワレを注いで打ち消すか、ケガレ自体を何らかの方法で引きはがすかの二通りに方法は分けられる。

 後者はイワレやケガレを捉える結界などが挙げられるも、これはかなり例外的な方法だと言う。ならば方法は自ずと前者に限定されるが、これには莫大なイワレが必要とされる。

 「わざわざオツトメになるくらいだから、余裕を持って祓って回れるのもカミくらいか。」

 「うん、だから普通は時間をかけてゆっくり中和していくの。」

 考えてみれば至極当然の事だ。

 カミはこのヤマトに数えるほどしかいない。それ故に全ての街がその恩恵にあずかれる道理は無い。そもそもカミにそんな義務がある訳でも無いため、白上のオツトメもかなり珍しい部類に入るのだろう。

 「それなら、この盛り上がり様も納得だな。」

 言うなれば長年悩まされてきた風土病が一時的とはいえ姿をくらましたのだ。街をあげて祭りの一つでも開かれてもおかしくない。

 しかしカミなら余裕を持って祓える、アヤカシなら時間をかけて祓うか。

 「じゃあ、ケガレを祓うのには俺も結構時間がかかるって事になるんだよな…。」

 俺は一応結界も使えるが、現状ではそれを扱えそうも無い。それにケンジのケガレを取り去った際にもケガレ自体は残ったままで、俺のワザでは対象から取り除くまでしか出来ず、中和はまた別に必要となった。

 そうぼやくも、しかしその考えはすぐに覆る事となる。

 「そうでも無いよ?透くんイワレの量はカミに近いし…なんでそんなに多いの?」

 「いや、俺に聞かれてもな。…というか、俺ってイワレの量だけならカミに近いのか?」

 何食わぬ顔で明かされた割と衝撃的な事実に一拍遅れて聞き返せばこくりとキョトンとした顔の百鬼は頷いてあっさりと肯定されてしまった。

 「キョウノミヤコから帰ってから凄い増えてるから余ちょっと驚いてた。」

 「増えてるって…あー、不安定になった原因確実にそれだな。」

 イワレを使おうとすると痛みが走る、原理としては単純で膨大なイワレに体がついて来ないのだろう。

 元々ウツシヨの出身でイワレに対応した身体ではないのだ、扱う技術があればまた話は別なのだろうが生憎とそんなものは微塵たりとも持っていない。

 「イワレってそんな簡単に増えるものなのか?」

 「人によって違うけど…透くんのイワレを獲得する比率が高いとか。」

 「…そっか、確かに0から現状になるまで2か月半だもんな。」

 そうとだけ答えて、青く晴れ渡った空を見上げる。

 皮肉なものだ、ケンジを救えなかった俺が正の高比率だとは。そんな生まれつきではなく皆が同じ比率であれば、どれ程良かったことだろう。そうであれば少なくともケンジはまだ生きていた筈だ。

 「…透くん、顔怖い。」

 声を掛けられてパッとそちらへ視線を向ければ、百鬼が心配そうにこちらを見上げていた。

 「え?あ、悪い。ちょっと考え事しててな。」

 誤魔化すように笑うが、流石にこれで騙されるような百鬼でも無い。なおも気遣い気にこちらを見つめる彼女であったが、最終的には引き下がってくれた。

 「それより聞き込みの続きだ、帰るまでに何かしら原因の手掛かりくらい掴めれば良いな。」

 「ね、余も頑張る!」

 心機一転とまでは行かないが幾らか空気を切り替えるように話を戻し、俺と百鬼は街を巡るのであった。

 しかし、いくらキョウノミヤコよりは規模が小さいとはいえ都市は都市だ。相応の大きさを持つこの街を回り切るには一日では時間が足りない。

 「どうする、二手に分かれるか?」

 今更ながらに隣を歩く百鬼へ問いかければ、彼女は。

 「んー、でも街の人も原因は知らないみたいだし…。それに…。」

 「クラウンの例もあるからな…。」

 引き継ぐように百鬼に続いて口を開く。以前にあったカクリヨにおける異変の首謀者も彼であった。クラウンの様に襲い掛かって来るとも限らないが、関連性がある以上警戒はしておいた方が良い。

 「今の透くんだとそのまま斬られちゃうね。」

 「あぁ、その辺は百鬼に守って貰うしかない。俺の命は百鬼の手に掛かってるから、その時は頼んだぞ。」

 正直腕っぷしで百鬼に敵う者が居るとは思えない。問題なのはイワレの不安定になっている俺の方だ。

 「透くんの…、なんか、余変な扉開きそう。」

 「それはしっかり閉じておいてくれ。」

 頬を赤らめて妙な方向へと向かおうとする百鬼を方向修正して、話を纏めるように手叩く。

 「取り合えず、二人で回れるところまで回る方針で行くか。」

 今日が本調査という訳でもなく、様子を見れただけでも既に今日の目的は果たせている。仮にケガレが蔓延していたのなら対応に回っていただろうが、むしろケガレが発生しなくなったこれは嬉しい異変だ。そこまで緊急性も無い。

 「という事で、護衛は任せた。」

 「任された!」

 元気の良い返事に安心感を覚えつつ、つい小さく笑みが浮かんだ。

 

 

 

 街を歩きながら改めて街を眺めてみると、キョウノミヤコと同様に露店がずらりと立ち並んでいる。これがカクリヨの文化なのだろうと何ともなしに眺めつつ思う。

 そんな街並みの中、場所を移して聞き込みを続けるが聞く人全員から得られたのは殆ど同じ情報のみで、目新しい情報は何一つとして得られなかった。

 「やっぱり、街の人もこれ以上の情報は持って無さそうだな。」

 「ね、発覚したの自体が結構最近みたいだし。」

 最初の時点でそんな気はしていたが、複数人から聞いて確信に変わった。

 「百鬼、さっきの話だけどこうクラウンみたいに襲い掛かってきそうな奴の気配とかあったか?」

 首謀者から話を聞くのが一番手っ取り早い解決策だ。一応とばかりに聞いてみるも、案の定百鬼は首を横に振る。

 「んー、それが全然。敵意とかも特に感じなかったから襲われる心配は無いと思う。」

 「そっか、まぁ駄目元だしな。」

 しかし、そうなると街の住人に話を聞くだけでは同じ結果になってしまう。せめて聞く相手をある程度絞った方が良いのだろうが、始めてきた街という事でその辺りも見当がつかない。

 「有志で調査してる人達ってどこに居るんだろ。」

 既にそれなりの人数に聞き込みはしているが、その中には誰一人調査に携わっている人はいなかった。一応何処にいるのか聞いてみたものの、そちらも手ごたえは無しだ。

 「一人も居ないって事は街を離れてるか、偶々会わないだけなのか…。」

 「少し、よろしいか。」

 不意に横合いからそんな声がかけられて思わず言葉が途切れる。声の出所へと振り返ってみれば、そこには一人の老人が立ってこちらを見ていた。

 「はい、どうされました?」

 「もしやと思いまして、あなた方は異変の調査に来たのでしょう。」

 図星を突かれて思わず百鬼と目を合わせる。

 「えっと…。」

 「先ほど会話が少し聞こえてきましてな。申し遅れましたが、自分はこの街の代表をしておるものでして、何かお力になれればと。」

 そう言って老人は柔和な笑みを浮かべる。なんとも人懐っこそうな屈託のない笑顔で、如何にも人に慕われそうな人物に思えた。

 折角こう言ってくれているのだ、ここは厚意に甘えようと質問を口にする。

 「それでは、有志でケガレの調査を行っている人たちの居場所をご存じですか?」

 「有志の…、あぁ、あのアヤカシ連中ですな。確か今朝にキョウノミヤコへ情報を集めに行くと言っていましたので、恐らくこの街には残っておりませぬな。」

 「あ、だから誰も知らなかったんだ。」

 やけに見つからないと思っていたが、どうやらすれ違いになっていたらしい。道中はシキガミの手に乗って移動していた為に出くわすことも無かった訳だ。

 あちらから見れば、巨大な鎧武者が平野を走っているという中々の衝撃的な事象に出くわしている事だろう。

 「という事は、この街に異変に関する情報を持っている人は…。」

 「おらんでしょうな。帰って来るにしても一日後か、それよりも後になるやも。」

 老人の言葉に何となくこれまでの聞き込みが無駄になった気がして、若干の徒労感を軽く胸に抱く。確かに駄目元ではあったのだが、元々情報が無いと言われては流石に応えもする。

 「そういう事でしたか、教えていただきありがとうございます。」

 「ありがとうございます。」

 おかげで助かったと老人に二人で礼を言えば、謙遜するように老人は手を振る。

 「いえいえ、礼を言われるような事では。他に何か聞きたいことはございませんか。」

 「いえ、十分すぎる程です。」

 「そうですか?でしたら、自分はここで失礼しますね。」

 そうして、老人は再び柔和な笑みを浮かべて場を後にしようとする。親切な人だった率直な感想を胸に、手を振りながらその背を見送っていれば、少し離れた場所でふと老人がぴたりと立ち止まった。

 「…そちらの、二本角のお嬢さん。」

 「余?なんですか?」

 唐突に呼びかけられた百鬼は不思議そうに返事をすれば、改まった様子で老人はこちらへと振り返る。

 そして、その頭を百鬼へ向けて深々と下げた。

 「姉さんの事、ありがとうございました。」

 「姉さんって…、あ…。」

 一瞬怪訝な顔で首を傾げる百鬼であったが、何か思い至ると驚愕にその瞳は見開かれた。

 「もしかして…。」

 「伝えられて良かった。僕は之で失礼します。」

 身をひるがえす老人を咄嗟に追いかけようとする百鬼だったが、すぐに老人は人込みの中へと姿を消してしまった。

 「…知り合い、だったのか?」

 足を止め呆然としている百鬼に問いかければ、彼女はぎこちない様子で肯定するよう頷く。

 「昔の、友達の弟で…。」

 けれどその言葉が続けられることは無く、代わりにとんと彼女の肩が腕に当たる。

 まるで縋りつくかのようなその仕草に、それ以上追及すべきではないと理解した。

 「…そっか。」

 がやがやとした街の喧騒の中、俺達の周りだけは静寂が満ちていた。

 

 

 

 

 

 「また会えるとは思っていなかった。」

 街道を歩く老人。その表情は何処か感慨深げで、少しの満足感が息を潜めていた。

 瞼を落とせば今でも鮮明に思い出せる幼き頃の記憶。

 『姉さん、何で…!』

 年の離れた姉が居た。しっかり者で、世話焼きな姉さん。大好きな自慢の姉さんだった。姉さんには多くの友達がいた。その中でも特に親しくしていたのは、綺麗な角を携えた少女だった。けれど、そんな姉さんは若くしてその生を終えた。

 病だった。誰も見たことも聞いたことも無い病。少女は姉さんの為に様々な場所で様々な治療法を探してくれた。けれど、結局治療法が見つかるよりも姉さんの命が尽きる方が早かった。

 それは姉さんが春に嫁入りを控えた真冬の事だった。

 『ごめん、助けられなくて…。』

 『姉さん…。』

 本当は感謝を伝えたかった、姉の為に奔走してくれた彼女にせめて感謝を伝えたかった。けれど、幼い自分は目の前の現実を受け止めるのに一杯一杯で涙を零す彼女に何も言えず、気が付いた時には少女はその姿を消していた。

 それから長い歳月を経て、僕は街の長となった。長年少女を探し続けてきたが、見つけることが出来ずにこの年まで生き恥をさらしてしまっていた。

 だが今日、記憶にある通りの姿で再び少女がこの街に訪れた。その姿を目にした時の感情の高ぶりは、今まで人生の中でも最たるものであった。

 「あぁ、本当に、良かった。」

 ずっと胸にとどまっていたしこりが無くなり、後に残された僅かばかりの達成感と満足感を抱いて老人は宙を仰いだ。

 

 

 

 

 

 

 「透くん、余も一緒なの。」

 百鬼が黙り込んでしまってから暫くして、ゆっくりと街を歩きながら彼女は不意にそう言葉にした。

 「一緒って、何がだ?」

 「キョウノミヤコの高台で言ってた。こんな力あっても意味無いって。」

 それを聞いて思わず立ち止まりそうになった。

 あぁ、確かに言った。ケンジを見送ったあの日に。あの日から俺は自らの力に意味を見いだせなくなった。

 「余は、多分カクリヨの中で誰よりも強い、誰にも負けない。この力でたくさんの人を助けれた。」

 事実だ、俺だって誰だって彼女の力を見ればそう思う。百鬼自身、自らの力は自覚している。だけど、その中で彼女は尚も自嘲をその顔に浮かべる。

 「でもね、助けられない事の方が多くって、その度に無力感を感じて、凄く辛くなる。強くなんかなくてもこんな力だったらって、あんな風に使えたらって。」

 強くないと助けられない、強くても助けられない。この事実に打ちのめされて、逃れられなくなる。

 「透くんが初めてだったの。この感情を共有できたのは、分かち合えたのは今までで透くんだけ。」

 百鬼はそう言うと、こちらへ寄り添い腕を抱く。

 「だから、透くんは余の中で特別になってる気がする。」

 「特別って、具体的には?」

 「んー、なんだか甘えたくなっちゃう。」

 関連性が分からずになんだそれと笑えば、余も分かんないと百鬼も笑う。

 「まぁ、でも、そう言う事なら百鬼も俺の中では特別だよ。」

 「透くんもそうなの?」

 ぽかんとした顔で百鬼はこちらを見上げてくる。

 「透くんも、余に甘えたくなる?」

 「あぁ…いや、待て。その言い方は少し語弊がある気がする。」

 条件反射で頷いてしまい慌てて訂正しようとするが隣の赤鬼さんは聞いてはいないようで、一人ニマニマと嬉しそうにしていた。

 「そっか、透くんも一緒なんだ。」

 俺が伝えたいことは他にある。しかし誤解を解こうにも上手く言葉が出てこない。

 「だから…、…もうそれでいいや。」

 その感情が無いと言えば嘘になる。それを自覚し、あながち間違いでも無いと訂正は諦めた。

 「神社に帰ったらいっぱい甘えてね、その代わり余も甘えさせて?」

 「あー…、そこは程々でお願いします。」

 苦々しく笑って言うも、彼女の様子を見るにどうなるか見当もつかない。

 「ね、やっぱり余と透くんって似てるね。」

 俺と百鬼が、そう言われるも全くと言っていい程類似点が思い浮かばない。

 「似てるって、少なくとも百鬼は記憶はしっかりあるだろ?」

 「そっちじゃなくて、境遇が?」

 「境遇…。」

 一瞬まさか百鬼がウツシヨ出身なのではないかなどと荒唐無稽な考えが思い浮かぶが、そもそもウツシヨにはイワレが無いのだからそれでは彼女の知識と力の説明がつかない。

 それに何と言っても彼女は…。

 「あ、鬼がいる!」

 「まだ節分じゃないのに!」

 考えから続くようにそんな高い声が下から聞こえて来る。ふと見てみれば子供が二人こちらを、具体的には百鬼の方を指さしていた。子供らの手には特に豆などは握られておらず、それを見て俺はほっと安堵の息を吐いた。

 そして、当の百鬼はというとにっと悪戯な笑みを浮かべて

 「がおー、食べちゃうぞー」

 などと、子供へ両手を上げて威嚇の構えを取り、それを見た子供らはきゃーっと甲高い悲鳴を上げて逃げて行ってしまった。

 「百鬼、それ鬼っていうより怪獣じゃないか?」

 「確かに。」

 思わず突っ込んでみれば、はっとした表情を浮かべる。どうやら素で間違えたらしい。鬼が鬼の真似をして間違えるとは、何処かにお笑い話であっても驚かない。

 節分といい、ウツシヨとカクリヨの鬼の概念はどうやら一緒の様だ。

 (…待て、何かがおかしい。)

 そこまで考えて、ふと自分の思考に引っ掛かりを覚えた。

 ウツシヨとカクリヨの鬼が一緒、そんなわけが無いだろう。ウツシヨの鬼はあくまで伝承だ。それを前提として現在における節分が生まれた。

 だがカクリヨは違う。カクリヨには実際に鬼が居る、百鬼という存在が居る。なら、どうして同じ節分というものが存在する。

 「百鬼、ちょっと聞きたいことが…。」

 百鬼へ疑問を投げかけようとした、その時だった。突如として何かが空から飛来して目の前に着陸した。

俺と百鬼はその場に足を止め、すぐにその飛来物へと目を向けるも、その姿を見て思わずぽかんと口を開けた。

 「…あれ、これって。」

 「神狐のシキガミか?」

 見覚えのある狐の顔をした人型のシキガミの登場に揃って困惑していると、シキガミが手を掲げて何やら映像のようなものが宙に映し出された。 

 「あ、ミオちゃん。」

 映し出されたのは、半月ぶりに見る大神の姿。けれど普段落ち着いている彼女らしくもなく何処か切羽詰まっているようで、焦燥感を露わに大神は叫ぶように口を開いた。

 『透くん、あやめ、すぐに帰ってきて!!キョウノミヤコが…!!』

 

 





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個別:百鬼 26

どうも、作者です。
誤字報告、感謝。




 

 『キョウノミヤコが…!!』

 緊迫感に満ちた声が響きわたり、冷や水を浴びせられた様に浮ついていた心は萎んでいく。

 そしてつられるように沸き上がって来る焦燥感のままに、映像の中の大神へと声を上げた。

 「大神、何があった!」 

 『ケガレが大量発生してる。多分、キョウノミヤコ全体に大量のケガレが。』

 彼女の顔に冗談を言っている様な影は無い。ただひたすらに、現状への危機感のみが浮かんでいる。

 「ケガレって…、原因は!」

 『分からない…、でもこのままだと街の人達の命が危ない。ウチも今向かってる、だから透君とあやめも早く帰ってきて!』

 それきり映像は途切れてしまい、シキガミは主の元へと空へ飛び上がって行った。

 「百鬼、俺達もすぐに…。」

 キョウノミヤコへ向かおうと、そう言葉にしながら身体強化を行った瞬間身体中へと一気に内側から張り裂けてしまうかと思う程の痛みが走る。

 「駄目、イワレを使おうとしないで!」

 「けど、使わないと、間に合わないだろ!」

 ふらつく俺を慌てて支えながら百鬼は必死に制止してくるが、悠長にしている時間は無い。

 シキガミでは時間がかかりすぎる。かと言って百鬼に抱えられるのでは彼女も速度を出しにくく、それぞれが移動する他ない。現在俺のイワレの総量がカミに近いというのなら、身体強化も以前に比べて遥かに強化されている筈だ。

 百鬼もそれは理解しているのだろう、彼女は数秒迷うように目を閉じると、ぐいと彼女の持つ二刀の内の一刀をこちらへと差し出してきた。

 「これ持ってて。多分、少しは負担を軽減してくれるから。」

 「ありがとう、百鬼。」

 受け取れば、確かに体を苛む痛みは幾らか収まり、イワレも御しやすくなる。

 「急ごう。」

 「うん。」

 同時に鬼纏いを自らの身体に施し、俺達は街を出てキョウノミヤコへと続く道へ足を踏み出した。

 

 

 

 凄まじい速度で景色が後ろへと流れて行く。キョウノミヤコへと駆けながら俺は自らの移動速度に驚愕していた。

 明らかに以前とは比較にならない。これが普段の百鬼が見ている景色かと思うと、改めて彼女の持つ力の大きさを実感した。

 「透くん、大丈夫?」

 前の百鬼が肩越しにこちらへ振り返った。見る限りまだまだ余裕はありそうだ。

 「あぁ、おかげで何とか。」

 そう返しながら腰に差した百鬼の刀に触れる。

 痛みはこの刀によってかなり緩和されている。これが無ければ到底こうして駆けることなど出来はしなかった。

 「絶対に無理はしちゃ駄目。今の状態だと何が起こってもおかしくないからね。」

 「あぁ、分かってる。けど、今は俺よりもキョウノミヤコの事に集中するべきだ。」

 今こうしている間にもキョウノミヤコの何千人という住民が危険にさらされている。大神から具体的な話を聞く余裕は無かったが、彼女のあんなに切羽詰まった顔は初めて見た。

 何せ、大神は占星術が使える。故に大抵の事故や事件は予知できるし、あらかじめその対処にも向かうことが出来る。実際にそうして救えた命もある。

 そんな彼女があんなに焦るという事は、言葉以上に事の深刻さの表れでもあるのだ。

 「…百鬼、もう少し速度を上げてくれ。」

 「でも…、…分かった。」

 まだ力をセーブしている百鬼にこちらの事は気にするなとそう伝えれば、彼女は再度こちらを見た後、すぐにその速度を上げる。

 そんな百鬼に追いすがる形で俺も彼女から突き放されないよう更に強化の出力を上げ、キョウノミヤコへと急いだ。

 

 

 

 殆ど全力疾走にも等しい疾走劇の果て、キョウノミヤコへ到着するまでさほど時間を要することは無かった。

 そして目的の街を眼前に捉えた俺達は、しかしその異様とまで言える街の有様に愕然として立ち尽くしていた。

 「…なんだよ、あれ。」

 街自体は保たれているのにそこに住む人々に生気は全くと言っていい程に感じられない。キョウノミヤコには今までの慣れ親しんだ活気は存在せず、代わりに漂っているのは負の気配のみで、街を覆いつくす見覚えのある黒い靄に冷やりとしたものを腹の底に感じる。

 「とにかく、ミオちゃん達と合流しないと。」

 「あ、あぁ…。」

 一足早く正気に戻った百鬼に催促されて、ようやく俺もはっと呆然としていた意識を取り戻す。

 距離を考えれば、恐らく白上が既に到着していてもおかしくは無い。取り合えず先に白上に連絡を取って…。

 鈍い思考で今後の行動を考えていた所、不意に上空から何かが凄まじい勢いで落下してきた。

 「透君、あやめ!」

 『主ら、もう到着しておったか。』

 舞う砂煙に咳き込んでいる中続いて聞こえてくる声に目を向けると、そこには麒麟の引く荷台から降りて来る大神とシキガミの姿があった。

 「ミオちゃんと…セツカちゃん?」

 『うむ、緊急故シキガミ越しではあるが妾も力になるのじゃ。』

 シキガミから響いてくる神狐の声に驚かなくも無いがそうするには事態が深刻過ぎる事もあり、すぐに大神へ向き直る。

 「大神、どうなってるんだ。何でいきなりこんなにケガレが…。」

 つい数日前に見た時にその兆候があれば百鬼が嫌でも気が付く。なのに、兆候も無しに何が起こればこんなにも変わってしまうのか。

 先程の通信では詳しく話す時間もなく、改めて聞いておこうと問いかける。

 「その事についてせっちゃんとも話してみたんだけど、あれは今まで自然発生して無かったケガレだと思う。」

 「自然発生…。」

 そうだ、百鬼はケンジの体質を百年に一度あるかないかと言っていた。ならば自然と普段白上のオツトメの対象となるのはそちら側になる。

 だがどうにも解せない。こんなにも大量のケガレが今まで見つかることも無くこうして発生するなどあり得るモノだろうか。

 (いや、今は原因よりも…。)

 思考を中断して目の前の現実に目を向ける。原因は不明だが、これが異常事態であることは一目瞭然だ。今はそれだけ分かれば良い。

 「フブキはもう北側でケガレの浄化をして回ってる。ウチは西に行くから透くんとあやめで残りを…。」

 『待つのじゃ。』

 大神が場所分けをする中、突然神狐がそう待ったをかけ言葉が途切れる。

 『それなら妾が東を担当するのじゃ、残る南を透とあやめで担当するが良い。』

 唐突にそんな事を言う神狐に、さしもの大神も驚いたようで目を見開いて神狐を見た。

 「でもせっちゃん、さっきまで皆のサポートをするって。」

 『気が変わったのじゃよ。それより、早く動かねば手遅れになるのじゃ。』

 そう催促する神狐の視線は明らかにこちらへと向けられていた。どうやら俺のイワレの異変に気が付いたようで、急遽方針を変えたのだろう。

 「…っ。」

 一瞬まだやれるという言葉が口を突いて出そうになるが、そっと不意に百鬼と手が触れ、ここで変な意地を張っている場合ではないと心を落ち着ける様に息を吐き素直に神狐の配慮を甘受する。

 どうにも頭に血が昇っている、心がざわつく。その理由は自分でも分かっている。状況が同じだからだ。あの時と、ケンジがケガレに飲まれていた、あの時と。

 「じゃあ、ウチ達も行こう。早く解決しないと。」

 大神の一声で俺達はそれぞれがキョウノミヤコへと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 キョウノミヤコの中は外から見るよりも更に暗い雰囲気に包まれていた。街を覆う黒い靄によって光は遮られ、薄暗い街並みは陰鬱な雰囲気に拍車をかけており、そこかしこで人が蹲り、座り込み、倒れ込んでいる。

 今すぐに命に関わりはしないだろうが、けれど今のところは見えないが、ケガレの量によっては体を変質させる者も現れて来る。何よりも問題なのはその影響を受けている住人の多さだ。恐らくキョウノミヤコの住人全員がケガレの影響を受けている。

 「ケガレの量、多い…。」

 さしもの百鬼もこの人数の多さに焦りを隠せない様で、横合いからそんな小さな声が聞こえてくる。けれど、それでもやらなければ始まらない。

 「透くんはケガレで中和するだけで、あんまりワザは使わないでね。」

 心配そうにしながら警告してくる百鬼。

 確かにワザを使えば簡単に取り除くことは可能だ。けれど、そうするにはイワレの操作が必要となる。一人や二人なら迷わずに使用するが、今回はその比ではない。それなら更に単純にイワレをぶつける方がまだマシだった。

 「分かった、流石にこの量だと保ちそうにない。」

 「ん、それじゃあ余達も始めよ。」

 そうして二手に分かれて、俺と百鬼も住人のケガレの中和へと取り掛かった。

 

 

 見つけた傍から住人のケガレを中和していき、意識があれば状況を説明して次に向かう。当然一か所に全員が集まっている訳でも無く、複数人纏まっている事もあれば一人で路地裏に居る事もある。

 やはりケガレに対する耐性か軽い症状で済んでいる者も多く見えるが、その反面苦し気な呼吸を繰り返している者も多くいる。

 (この人…。)

 またケガレに苦しむ人を見つけたかと思えば、見覚えのある中年の男性が倒れていた。その見覚えのある姿に、そう言えばこの辺りはあの空き家のある路地裏の近くだったかと遅れながらに気が付く。

 「っ…。」

 苦しそうに歪む見覚えのある顔に、救えなかった少年の顔がフラッシュバックしてまた心が乱れた。

 だが、まだ間に合う。すぐにイワレをぶつけてケガレを中和していく。

 「…おぉ、兄ちゃんか。」

 「あ…、意識あったんですね。大丈夫ですか。」

 不意に話しかけられ、驚いてぱっと顔を向けると男性は乾いた笑い声を上げた。

 「ははっ、また助けられちまったな…。」

 「…助けますよ。それが出来るのなら、何度でも。」

 助けられるのなら助けるのは当然だ。助けられない命もあるのだから、尚更に。会話ができる事に何処か安堵するも、だが取り戻した心の平穏は次の男性の一言ですぐに瓦解した。

 「…あの子の事、悪かったな…。」

 「あの子って…。」

 予期せぬ言葉に、びくりと肩が震える。誰の事かなど考えずとも分かる、けれどこの人にはまだ話していない筈だ。

 「どうして知って。」

 「前に墓参りに行ったときにな、墓に掛けられたロケットの写真が偶然目に入っちまって。それで、ようやく最後に会った日の兄ちゃんの顔が暗かった理由が分かった。なのに、わしはずかずかと。」

 そうか、この人はちゃんとケンジの顔を覚えていたのか。

 「…いえ、俺も言わなかったので。」

 後悔するように目を閉じる男性。彼も知らなかったし俺も伝えていなかった。だから彼に非は無い、非があるのはむしろこちらの方だ。伝えるべきではないと、こうして彼に伝わる可能性を考えていなかった。

 罪悪感から胸に締め付けられるような痛みが走る。

 「ああいう子が居る事にわしらは気が付けなかった。それに比べて兄ちゃん達は立派なもんだ。」

 「立派なんかじゃないですよ。」

 自嘲気味な顔をした男性に手放しに褒められるも、返しに迷い思わず苦笑いが浮かぶ。

 暫くして、ようやくケガレを中和しきって男性も幾らか顔色が良くなった。それを確認してから立ち上がり男性に背を向ける。

 「では、俺は次の場所に向かうので。」

 「最後に、一言良いか。」

 そう言って立ち去ろうとした所で、男性にそう呼び止められぴたりと足を止める。

 「助けてくれてありがとうよ。」

 続けられたその言葉に会釈だけ返し、今度こそ俺はその場を後にする。礼を言われて救えたという実感が湧く自分に、心底驚いた。

 

 

 

 (キリがないな…。)

 それからも憑りついたケガレを中和し続けるも、次から次に見つかるケガレに憑りつかれた住人に思わず心の中でそうぼやく。

 これにはキョウノミヤコの人口が多いことも大きく影響していた。何千人といる住人に更に外部からの来訪者も含めれば数えるのも億劫になる程の人数になる。それを五人で全て見つけ、加えてケガレを中和しなければならないのだから当然相応の時間がかかる。

 その間にもケガレに取りつかれている人々への影響は増していき、最悪ケンジの様に大きく寿命を減らしてしまう。それを考えるだけで、途方も無い焦燥感に駆られた。

 「いつっ…!」

 不意に全身を襲った痛みに思わず声が漏れた。どうやら百鬼の刀による負担の軽減の許容量を超えてきたようだ。幾ら負担の少ない方法で中和を行っているとはいえ、数をこなせば負担も重なりこうなるのも当然の話だ。

 (けど、ここで俺が脱落するわけにもいかない。)

 早くキョウノミヤコのケガレを全て取り除かないと、また繰り返してしまう。それを防ぎたい一心で痛む体を押し、次へと向かおうと足を踏み出した。

 「透くん!」

 不意に何処からともなくそんな声が響いてきて、顔を上げると同時に百鬼が傍へと降り立ってきた。

 「な、百鬼。何でこっちに戻って来て…。」

 「透くんが無理しようとしたら、知らせるように言ってたの。」

 あまりに唐突の出来事に面食らっている中、そう言って百鬼が手をかざせば背後から小さなシキガミが現れて百鬼の元へと戻っていく。いつの間にか背後に付けていたらしい。

 「後は余達に任せて、透くんはもう休んで。」

 まるで懇願するかのような百鬼の言葉を、けれど俺は受け入れることなど出来なかった。

 「馬鹿言うな、こうしてる間にも街の人が…!」

 「それで透くんが倒れたら本末転倒でしょ!」

 顔を突き合わせて互いの意見をぶつけ合う。確かに俺とてそんな余裕があるのなら無理などしない、だが今はそんな余裕は存在しない。実際に、大神から共有された情報では全員の進捗を含めても未だ十分の一にも満たない。そんな中で俺まで脱落しては、それこそ取り返しのつかない事になる。

 「何と言われようと、俺は続けるぞ。」

 「…なら、余も手段は択ばないから。」

 こちらをきっと睨む彼女の手は、そのまま腰に携えた刀へと伸びる。実力行使で意識でも刈り取るつもりかと緊張感が走る。

 そして柄に触れた百鬼の手に力が込められたかと思った、その時だった。

 『チュンッ!』

 虚空から俺と百鬼の間に小鳥のシキガミが鳴き声を上げて現れ、互いの意識がそちらへと移る。

 「ちゅん助?」

 困惑していると、ちゅん助は慌てる様に数回宙をぐるぐると回ったかと思うと、ついて来いと言わんばかりに再び鳴き声を上げて特定の方向へ飛んでいく。

 そんなちゅん助から伝わってくるのはあまりにも切迫した感覚。

 「ッ…!」

 「あ、待って、透くん!」

 感情のままに即座に凄まじい速度で飛んでいくちゅん助に追従すれば、百鬼も一拍遅れてついてくる。そうしている内に見覚えのある道へと出て、やがてケンジの墓のある墓地へ入った。

 何故こんな場所に誘導したのか、その理由はちゅん助がここだと指示さんばかりに鳴き声を上げる場所に辿り着いてから理解した。

 「アヤカちゃん…?」

 呆然としたような百鬼の声。その視線の先にはロケットの掛けられた墓の前で倒れ込んだ一人の少女の姿があった。

 完全に意識を失って力なく横たわるアヤカちゃんの呼吸は今にも止まってしまいそうな程に弱々しく、蒼白なその顔色は生気を一切感じさせない。

 そうだ、以前も彼女はケガレに影響を受けていた。恐らくケガレに対する耐性が低いのだ。彼女のような子供がこのキョウノミヤコに何人いる、全員を助けるのにどれだけの時間がかかる。それまで持ち堪える保証が何処にある。

 慌てて百鬼がそんな彼女に駆け寄っていくが、百鬼とは対照的に俺はその場から動けないでいた。横へと目を向ければ、ロケットの写真の中で満面の笑みを浮かべた一人の少年が目に入る。

 『にぃちゃん。』

 覚えている。

 弱々しく呼ぶその声を、朝日に照らされたその顔に浮かぶ笑みを。そして、するりと力が抜けて冷たくなっていくその手を、鮮明に覚えている。

 また、繰り返すのか。俺は、救えないのか。俺は、また…。

 「…まるかよ。」

 「…透、くん?」

 ぽつりと零した声に反応して百鬼がこちらへ振り返り、そしてその瞳は次の瞬間驚愕に見開かれた。 

 救えなかった後悔が、どす黒い感情が胸を満たす。

 「また失って、たまるかよっ!!」

 声を張り上げると同時に、全力でイワレを込めてワザを発動させる。展開された結界は限界を超えて拡大していき、やがて完全にキョウノミヤコを覆い包んだ。

 「透くん、駄目!!」

 意図を察した百鬼の声に、けれどもう止まることなど出来はしなかった。

 対象はケガレだ。ケガレのみを完全に取り除けば、もう失わなくて済む。

 「『封』」

 そんな激情に駆られるがままに、俺は最期のトリガーを引いた。

 結界はケガレだけを内部に残しながら急速に収縮していき、ケガレを内包した手のひら大の球体へと形を変えた。

 (最初から、こうしておけば良かった。)

 キョウノミヤコから全てのケガレを取り除けた、そんな実感があった。それを理解すると同時に胸に広がる安心感。

 (ほら、百鬼。これで安心だろ。)

 そう彼女に笑いかける。けれど何故か百鬼は何事かこちらに向かって叫びながらこちらに駆け寄ろうとしていた。

 何をそんなに焦っている、問題は今全て解決したのに。

 そう百鬼に問いかけようと口を開くも、どうにも声が出ない。いや、呼吸自体が既に止まっていた。ドクンと心臓が大きく鳴った。続けて数回、けれど一鼓動毎にその心臓の音は小さくなっていく。平衡感覚が乱れ、意思に反して地面へと体が倒れた。

 「待って…!逝かないでっ…!!」

 ようやく聞こえたかと思った百鬼の声もどんどんと遠のいていく。

 そうして遅れて理解した。

 あぁ、これが代償だ。身の丈に合わない力を使った代償。やがて一際大きく鳴った心臓は、そのまま鼓動を止めた。

 

 

 

 咲いた花はいつか枯れて散る。この日、キョウノミヤコでまた一つの花が枯れ、ぽとりと地面へと落ちて転がった。

 

 





気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム。


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個別:百鬼 27


どうも作者です。
早いもので、総話数130話目となります。
以上。


 

 『ごめんね、あやめ。』

 よくそう言って頭を撫でられたのを覚えている。撫でられるのは好きだけど、そう言う時に限って悲しそうに顔を歪めていて素直に喜べなかった。そんなに痛ましい顔をしなくても、別に泣いたり怒ったりしないのに。

 こうなったのは誰のせいでもない。そのことはよく理解していたし、それで誰かを責めようとも思わなかった。

 『イワレの上手い扱い方を教えてあげよう。』

 強大な力を持て余していれば、村で一番のイワレの使い手がそう言ってイワレの扱い方を教えてくれた。

 『なら私は剣術を。』

 次に刀の振り方に苦戦していれば、憧れだったお姉さんが剣術を教えてくれた。

 『ワシは体術を。』

 それらを総括して支えるための体術を、道場のお爺さんが教えてくれた。

 『このワザを、お前に伝授する。』

 時間が経つ事に増していく力を完全に制御できるようになると、最期に村長が代々伝わる誰も使えなかったシキガミの降霊術を教えてくれた。

 みんなのおかげで沢山の力を手に入れた、沢山の技術も手に入れた。この力で大勢の人を救えると思ったし、実際に沢山の人を救うことが出来た。

 山で猪に襲われている子供を助けた。病に苦しむ人の為に、誰も取りに行けないような薬の材料を取りに行ったこともあった。

 『あやめちゃんは凄いね。私憧れちゃう。』

 『えへへ、ありがとう。』

 昔、友人にそう褒められたこともあった。

 何人も何人も何人も何人も助けた、命を救った。けれど、その中には助けられない人もいた。知らない場所で、対処法の無い病で、力が及ばない事もたくさんあった。

 その度に絶望してどうしようもない程に悲しくなる。でも、何よりも悲しいのは見送った後に嫌でも突きつけられる、とある事実だった。

 これは救えなかった時だけに限らずに、救えた人達が天寿を全うした時も同様で、親しい人たちを見送った後に残された事を理解した瞬間、自分が他の人達とは違うのだと言う異端性に心を蝕まれる。

 例え救えたとしても救えなかったとしても行き着く先は同じ。誰もいない世界の中でただ独り、思い出という枯れた花を愛でるだけ。

 どんなに優しかった人でも、どんなに強かった人でも、どんなに格好良くて可愛かった人でも関係なく、咲かせた花は最期には枯れてしまう。

 その事実が泣き叫びたくなる程に悲しくて、逃げ出したくなる程に残酷で。毎夜毎夜眠るたびに夢にまで出て来て、心が休まる時なんて一時として無かった。だから、多分この半月は正に悪夢の途中に見る居心地の良い夢のような瞬間だったんだ。

 初めて悲しみを共有できた。どんなに力を持っていても救えない悲しみ、見送る悲しみを始めて。共有して貰える事の安心感、生じる仲間意識。心地よいそれらにずぶずぶと沈んで、都合の悪いことからは目を逸らしてきた。

 透くんはカクリヨの中でも上位の力を持ってる。けれど、カミじゃない。同じ時間を生きることは出来ない。でもしばらくは一緒に居れると思っていた。心地よい夢はまだ続けられると思っていた。

 

 

 けれど、そんな希望は目の前で横たわる透の姿に簡単に打ち砕かれた。

 「透くん…!起きて…、お願い、目を覚まして…!」

 あやめが何度呼びかけても呼吸も心臓の鼓動も既に止まっている透から返事は返ってこない。優れた知覚を持つあやめがそれに気づかない筈も無く、それでも尚彼女が呼びかけるのは目の前の現実を受け入れたくない、受け入れられないからだ。

 空から降り注ぐ日光に照らされて、ぼろぼろと滂沱の如く涙を零しながら何度も何度もあやめは目の前の現実を否定し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 気が付けば見知らぬ場所に居た。

 見渡す限りの草原。吹き付ける風に揺れる草花。ここが何処なのか、そもそも夢か現かすら曖昧な感覚の中呆然として立ち尽くす。

 「にぃちゃん。」

 直近の記憶を思い出そうと頭を悩ませていると、不意に横合いから声が聞こえてきた。聞き覚えのあるその声に恐る恐る振り返れば、こちらを見上げるケンジと目が合った。

 「あ…。」

 同時に思い起こされる救えなかった後悔と無力感が心を埋め着くす。思わず伸ばされた手は、けれど幻を掴んだかの如く空を切った。

 「ケンジ、待ってくれ。俺は…。」

 近づこうとしても離されて、追いかけていた筈のケンジの姿は徐々に霞んで行って。やがて、視界に広がっていた光景は全て、霧へと変化して消えて行ってしまう。

 後に残された俺は暗闇の中に取り残されたまま、ただ何も掴めなかった手を空虚な心地で見下ろしていた。

 (何も、意味が無かった。)

 何度同じことを繰り返し思ったことだろう。一度救えなかっただけ、けれどその一回はあまりにも大きく、心へと傷跡を残している。

 自戒の言葉がぐるぐるとめぐる中、いつの間にか見下ろしていた手に誰かの手が重ねられていた。

 思わず目線を上げてみれば白い人影が目の前に立っている。突然の事に驚いている暇もなくその人影に優しく手を引かれて、そして暗闇に満ちていた世界は光に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 眩い光に閉じていた瞼をゆっくりと開けば見覚えのある天井が視界に映る。ぼんやりとした意識の中、ここは何処だろうと思考を巡らせれば、すぐにいつか利用した事のあるキョウノミヤコにある宿の一室だと思い至る。

 「何でここに、俺は確か…。…っ!!?」

 悪い夢でも見ていたのか、そんな曖昧な認識に疑問をいだきながら体を起こした瞬間、身体中に耐えがたい程の苦痛が走り抜けた。

 声にならない悲鳴を上げつつ、ようやく意識がはっきりとした。 

 そうだ、俺はキョウノミヤコでケガレを祓っていた筈だ。街全体に結界を張って全てのケガレを封じて、それから…。

 「心臓…。」

 順に出来事を思い返していき、そう呟きながら自らの胸を抑える。あの時、確かに鼓動は止まっていた。けれど抑えた手にはしっかりと心臓の鼓動が伝わって来る。その事実にほっと安堵の息を吐いていれば、すぐ横でもぞりと何かが動く気配がした。

 「…透、くん?」

 ぽつりと零されたその呟きに横へと目を向ければ、百鬼が目を丸くしてこちらを見ていた。その目元は泣きはらしたかの様に仄かに赤く染まっていた。

 「百鬼、あの後って…。」

 どうなった、しかしその言葉は次の瞬間抱き着いてきた百鬼によって遮られた。

 「良かった…!」

 胸元から聞こえてくる声は涙に濡れていて、彼女の肩は小さく震えていた。せめてもう大丈夫だと安心させようと肩に手を置こうとした所で、遅れてやってきた痛みに思わずうめき声が漏れる。

 「あ、ごめん…。」

 「いや、少し痛むだけだから。問題ない。」

 すぐにぱっと離れてしゅんとした顔を浮かべる百鬼にそう伝えるも、何処か彼女の顔は晴れない。その理由は何となく察せられた。

 しばしの間、気まずい沈黙が部屋へと流れる。

 「…それで、あの後どうなった?」

 俺が倒れてからどれくらいの時間が経過したのだろうと窓の外へと目を向けて見ると、上方には煌めく星空が広がっていた。倒れる前はまだ日があったことから少なくとも数時間は経過している事は確かだ。

 「透くんのおかげで街のケガレは全部祓えたよ。今はフブキちゃん達が確認をして回ってる。」

 だから部屋には百鬼一人だったようだ。それを聞いてようやく緊張が解ける。

 「そっか、全部祓えてたか。じゃあ今の所は誰も…?」

 「うん、危なかったのは、透くんだけ。」

 ミイラ取りがミイラになる、まさにその言葉の通りになってしまった訳だ。けれど、誰も犠牲者が出なかったのなら上々だとホッと安堵する俺とは対照的に、百鬼はきっと鋭い目つきでこちらを睨んだ。

 「透くん、本当に死んじゃう所だった。あと少しセツカちゃんとミオちゃんが駆けつけるのが遅れてたら…。」

 「分かってる。けど…。」

 「分かってない…!!」

 声を荒げる百鬼に思わず言葉が途切れる。いつもは笑顔で明るい彼女の初めて見るその姿に驚いたのもある、けれどそれ以上に彼女はぽろぽろと大粒の涙をその瞳から零していた事に狼狽えてしまう。

 「余は言ったよ、ワザは使わないでって。何が起こるか分からないからって。なのに、あんな無茶な使い方…。」

 激情に駆られてか震える声で百鬼は言う。確かに百鬼にそう忠告されたことは覚えている。

 「…それは、悪かった。けどあれ意外に方法が無かったのも事実だろ。」

 もしあの時ワザを使わなければ、今も尚ケガレの中和作業は続いていただろう。そうなればケガレによる影響も更に増してしまう事は確実であった。

 「そうだけど、透くんが命を危険にさらす必要なんてなかった!」

 「必要だった。少なくともあのままケガレの中和を続けて大勢を危険にさらすよりは何倍もマシだ。」

 「そんなっ…!」

 ばっと百鬼は手を振り上げる。けれどそのまま振り下ろされるかと思われたその手は迷うように動きを止め、力を失ったまま頬へと触れた。

 撫でるような平手打ち。ただ打たれるよりも痛みを伴うそれに彼女の優しさを強く感じて、そうさせた罪悪感が沸き上がって来る。

 分かっているのだ。両方が正しくて両方が間違っていることくらい。

 「それでも、俺は何回同じ場面に陥っても同じ選択をするよ。」

 「なんで…透くんがそこまでする理由なんて無い!」

 「いや、ある。」

 それだけはハッキリと言える。

 「俺はもう、ケンジみたいに命を失う人達を見たくなかったんだ。」

 俺だって進んで命を捨てるような真似はしない。けれど、あの時浮かんだケンジの最期の姿が、今も尚脳裏を離れない。

 「でも、余はその人達よりも透くんの方が…!…っ!」

 言葉の途中で百鬼は咄嗟に自らの口を押える。大きく見開かれて揺れる瞳は彼女の動揺ぶりを如実に表していた。

 「百鬼?」

 「違う…違うの…。」

 豹変した百鬼の様子に呼びかけるも、彼女はまるで叱られる事に怯える子供の様に首を振る。そんな百鬼の瞳に浮かんでいたのは、紛れも無い明確な恐怖であった。

 「っ…!」

 するとそれ以上言葉を交わす間も無く、百鬼は逃げ出すように部屋を飛び出て行く。

 「待ってくれ、何が…ぐっ…!」

 そんな彼女を追いかけようと立ち上がろうとするも、身体を蝕む痛みがそれを許さない。

 「百鬼!」

 視界から消える彼女の背に手を伸ばすがまるで先ほどの夢の様にその手は空を切り、俺はただその場で床に蹲る事しか出来なかった。

 

 

 

 やがて、百鬼と入れ替わるように別の足音が部屋に入って来る。

 「透さん、大丈夫ですか!?」

 床に蹲る俺を見つけてか、驚いたような白上の声が聞こえてきて彼女はそのまま傍へと駆け寄って来る。 

 「あぁ、それより百鬼は…。」

 「あやめちゃんでしたら宿の入り口ですれ違いました。様子がおかしかったですけど、何があったんですか?」

 「それは…。」

 白上も百鬼と丁度鉢合わせたようだ。しかしそう問われるも、俺自身何が百鬼をそうさせたのか理解できていない為答えに迷う。

 「…ひとまず、ベットに戻りましょうか。その状態で床に座り続けるのも体に毒です。」

 そんな俺の様子を見た白上はそうして一度話を逸らした。白上の手を借りて何とか立ち上がり、先ほどまで寝ていたベットへと腰掛ける。

 「白上は、どうしてここに?もう確認は終わったのか?」

 「はい、ケガレの影響を受けた方はもういませんでした。ミオとセツカさんは少し野暮用で、白上だけ一度こちらに戻って来たんです。」

 その言葉を聞いて改めて今一度安堵の息を吐く。ワザの性質上祓い残しがあるとは思わないが、それでも万が一で祓えていない可能性もあった。

 「目が覚めて良かったですよ。透さん、本当に危なかったみたいですから。」

 「あぁ、百鬼から聞いた。大神と神狐が助けてくれたんだってな。」

 今はまだ戻ってきていないみたいだが、帰ってきたら改めて礼は言っておきたい。そう確認するように言うも、けれど白上は首を横に振る。

 「ミオとセツカさんが助けたのは事実ですけど、それが出来たのは、あやめちゃんがそれまで必死に透さんを繋ぎとめていたからなんですよ。」

 「百鬼が?」

 思わず繰り返せば白上はこくりと肯定するよう頷いて、それから俺の丁度横の辺りを指で指示した。そちらへと目線を落として布団を捲ってみれば、そこには百鬼の持つ刀の内の一刀が置かれていた。

 「その刀、シンキらしいですけど。それにあやめちゃんがイワレを流してミオとセツカさんが到着するまで透さんを蘇生できる状態を維持していたんです。 

 あんなに取り乱しているあやめちゃんの姿は、白上も初めて見ました。」

 「…。」

 白上のその説明を聞いて、思わず押し黙る。

 そんな事、百鬼は一言も言っていなかった。いや、百鬼の事を考えればそちらの方が自然なのか。彼女の言い草からてっきり大神と神狐のおかげだと考えていたが、それは百鬼の尽力あっての上で成り立っていたのだと知る。

 「もう一度聞きますね、あやめちゃんとは何があったんですか?」

 「…あぁ、実は…。」

 再度問いかけられて、事の顛末を説明する。言い合いになった事、そして百鬼が見せた怯えたような表情。

 「怯える…ですか。」

 全てを聞いた後、白上はぽつりとそう繰り返した。 

 「何となく理由は分かりましたけど…。」

 「分かるのか!?」

 白上の言葉に思わず食い気味に声を張り上げてしまい、再び痛みに襲われる。痛みが治まるまで耐えてから、改めて白上へと目を向ければ、けれど彼女は困ったように眉を八の字に歪めていた。

 「はい、でもこれは白上が言って良いのか…。」

 『それなら、あたしが話す。』

 何処からともなくそんな声が聞こえてきたかと思えば、不意に白上の横に虚空から白い狐のシキガミが現れる。

 「黒ちゃん…。」

 「黒ちゃんって、もしかしてお前が黒上フブキか?」

 白上が目を丸くして呼んだその名を聞いて、もしやと思い至り問いかければシキガミはこくりと小さな頭を縦に振る。

 『そうだ。『初めまして』になるな、透。』

 そう話すシキガミの表情は動かないが、けれど何処かにやりと笑う姿を幻視した。色々と気になる事はあるが、ひとまず先に言っておきたいことが一つ。

 「…白上、悪かった。おかしくなった訳じゃなかったんだな。」

 「もう、最初からそう言ってるじゃないですか。…まぁ、これに関しては喋ろうとしなかった黒ちゃんに責任があると思いますけど。」

 白上へとそう頭を下げれば、不満げに黒上は唸り声を上げた。

 『人が折角出て来てやったっていうのに散々な言い様だな。』

 とはいえ黒上もそこまで気にしていないのか、弛緩した空気を引き締める様に一つ咳ばらいを入れて話を続ける。

 『あの鬼っ娘が出て行った理由だが…、まぁ一つはあいつが大勢の人間よりもお前を優先してる自分に気が付いたからだ。』

 「百鬼が、俺を?」

 『そうだ。要因の一部なんだろうが、切っ掛けになったのは間違いなくそれだ。細かい所は本人に聞け。』

 投げやりな言い方をする黒上だが、それでも要点は教えてくれた。百鬼が俺を優先した。なる程百鬼の言動の意味もそういう事かと納得は出来る。

 けれど、どうしても解せない。

 「何で、百鬼が俺を優先するんだ。その辺りの分別が付かないって訳でも無いだろ。」

 それに気づいたから百鬼はあんな顔をして逃げる様に何処かへ行ってしまった。だが、そもそも何故そうなったのか。

 「それは、多分あやめちゃんが透さんの事を…。」

 『違うって言ってるだろ。だからあたしがこうやって出てきたんだ。』

 白上が応えようとした所で、黒上が白上の頭を叩いて訂正する。虚を突かれた白上は目をぱちくりとさせて黒上へと目をやる。

 「違うんですか?恋は盲目という事なんじゃ…。」

 『…お前にもまだ伝えてなかったな。あの時の続きだ。』

 恋でも無い。ふと自らの右手の甲へ視線を落とせば、紅に色づいた宝石が窓から差し込む星明かりを反射している。 

 ならば、何だと言うのだ。何が原因になったと…。

 『依存だ。』

 「…は?」

 ぽつりと、零された黒上の一言に思わずそんな声を上げる。困惑する思考の中、けれど黒上は容赦なく現実を突き付けてくる。

 『あいつは、最初からお前という存在に依存してたんだよ。』

 

 

 

 

 

 





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個別:百鬼 28


どうも、作者です。
評価くれた人、ありがとうございます。
以上。


 

 窓から差し込んでくる朝日に目を覚まし、体を起こす。真冬の寒さに冷え切った部屋の中ふと隣へと目を向けて見るも、そこにいつも感じていた温もりは無かった。

 ケガレの大量発生から二日が経過した。あれから百鬼は一度もその姿を見せていない。

 

 

 

 

 

 部屋を出て居間へと向かう。イワレの使用に伴う体の痛みも既に引いていて、普通に生活する分には問題は無くなっている。先日のケガレの大量発生による死傷者はおらず、こうして戻って来た平穏は、けれどいつも通りと言うには些か心に蔓延る虚しさは大きすぎた。

 ずしりと重たい胸の内を引きずりながら廊下を進んでいると、向かい側から歩いてくる狐の顔をしたシキガミに気が付く。

 「…神狐。」

 『おお、透よ。おはようなのじゃ。』

 シキガミへと声を掛ければシキガミの顔は動かないままに神狐のそんな声が返ってくる。神狐自身は今なおイヅモ神社に居るのだが、大神がこちらに一度戻るに伴って彼女も先日からこうしてシキガミ越しではあるがシラカミ神社に滞在していた。

 『体の調子はどうかの?』

 「お陰様で、もう痛みも感じない。」

 『うむ、ならば良かったのじゃ。』

 肩を回して無事をアピールすれば、神狐も満足そうに頷く。

 大神がシラカミ神社に一度戻ったのは俺の状態の経過を見るためだ。命は助かったとは言え、その他に影響が出ないとも限らない。故に、大神と神狐も現在はシラカミ神社にいる。

 だが、そうなると一つ懸念が浮かび上がる。

 「イヅモ神社の事は大丈夫なのか?何かやることがあって大神もそっちに行ってたんだろ。」

 ケガレの大量発生という緊急事態の為に帰ってきていたが、元々大神は用事があってシラカミ神社を離れていた。

 何をしているのか詳しくは聞いていないが、ひと月も掛かるのだからそれなりに大事ではある筈だ。そう思い確認してみるも、けれど神狐はあっさりとした様子で口を開く。

 『む、その事なら心配はいらぬ。このくらい融通の利く範囲内じゃ。時間もまだ残っておることじゃしな。』

 「そっか。」

 神狐がこう言うのなら心配はいらないのだろう。

 『それよりも、じゃ。』

 すると、先の言葉に続ける形で神狐のそんな声が聞こえてくる。ふと気が付けばシキガミの双眸がじっとこちらへ向けられていた。

 『心配するべきは、むしろ主の方ではないかの?』

 「っ…。」

 まるで全てを見透かされている様な心地になり、思わず言葉に詰まる。いや、実際に見透かされているのだろう。そう思わせる程に神狐の声は確信に満ちている。

 「…そんなに分かり易いか。」

 『見るからに気にしておる風じゃからな、妾でなくとも気が付く。無論あの二人も同じじゃ。』

 あの二人、とは白上と大神の事だろう。神狐が一目見て気づくのなら、確かにそうなるのも自然か。

 「そうだな、…やっぱりいつも通りにはいかないみたいだ。」

 あれきり帰ってこない百鬼に、そしてあの日黒上から聞いた真実。どうしてもそればかりに思考が偏ってしまい、答えの出ない堂々巡りを繰り返している。

 『…ミオとフブキから多少の事情は聴いておる。その上で言うがの、あまり考えすぎぬ事じゃ。主とあの鬼の娘とでは身の上が異なりすぎる。』

 そんな神狐の言葉を聞いて心がざわつく。

 「…やけに訳知り顔だな。もしかして、神狐は百鬼について何か知ってるのか?」

 『さての。他人の身の上話を勝手にするほど、落ちぶれてはおらぬつもりじゃよ。』 

 それだけ答えるとシキガミはと廊下をスライドするようにして何処かへと去って行ってしまう。遠ざかっていくその背には、あくまで教える気は無いという明確な意思が宿っていた。

 「くそっ…。」

 やるせない感情のままについた悪態は静けさに満ちた廊下へ消えていった。

 

 

 

  

 

 

 何となくそのまま居間に入る気にもなれず、素通りして誰も居ない縁側に一人腰掛ける。

 冷たい風にさらされ思わず体が震えた。

 以前にも同じようにここに座って時間を過ごしたことがあったが、その時は百鬼が一緒で寒さなど感じはしなかった。

 「何処に行ったんだよ、百鬼…。」

 ぽつりと零したその言葉に返事は無い。ぽっかりと胸に穴が開いてしまったかのような虚脱感。今はただひたすらに、彼女に会いたかった。

 どれだけの時間、そうしていただろう。

 「そんなところに居ると風邪引きますよ。」

 不意に近づいてくる足音を耳が捉えた。そして聞こえてくる優しく穏やかな声。振り返れば白い狐の少女が立ってこちらを見下ろしていた。

 「白上。…あぁ、その内切り上げる。」

 「もう、そう言ってずっとここに居るつもりじゃないですか。」

 お見通しですよ、と言わんばかりにぴょこぴょこと耳を動かす白上。何故俺の周囲はこうも鋭いのだろうか。

 「…透さん、良ければ久しぶりに白上とゲームでもしませんか?」

 心の中でぼやいていると、白上はそんな風に言葉を続けた。

 ゲーム。そういえばセイヤ祭以降は百鬼と行動を共にしていて、白上とゲームをする機会もめっきり無くなってしまっていた。

 「あぁ…良いな、それ。」

 言いながら立ち上がる。

 久しぶりにゲームをしたいという気持ちが無いわけではないが、それ以上に何か別の事に集中していれば気を逸らせるだろうという打算の方が大きかった。

 「そう来なくては。じゃあ早速、白上の部屋に急ぎましょう。」

 「おい、押すなって。」

 ぱっと顔を輝かせる白上にぐいぐいと背中を押されて、俺は彼女の部屋へと足を向けた。

 

 

 「さ、どうぞ入って下さい。」

 そんな白上の言葉に促されて踏み入った白上の部屋は当たり前だが、その様相は以前とほとんど変わっていなかった。しかし、変わっていないが故に変化したごく一部に自然と目が行く。

 「…ゲームのソフト増えてないか?」

 白上の部屋に置いてあるディスプレイ、その横にあたかも雑木林の様に陳列しているソフトの塔。前に訪れた時はこんなもの無かったはずだ、けれど目の前の現実は易々とその考えを否定する。

 「そうですか?…でもそうですね、もしかすると透さんとやろうと思っていたゲームが着々と溜まっていった結果なのかもしれませんね。」

 暗に一緒にゲームしてくれなかったじゃないですかと言われたようで、ぐさりと彼女の言葉に隠された棘に胸を刺される。

 言い返そうにも白上と最近ゲームをしていなかったのは事実な為何も言い返せない。それを感じ取ってか、白上も満足げにに薄く笑みを浮かべていた。

 「そ、それより、どのゲームをやるか決めよう。」

 「はい、こちらのゲームとかはどうでしょう。あ、でもこれも…。」

 動揺しつつ話題を逸らせば、白上もそれ以上追及してくることも無くソフトを両手に持て唸り声を上げる。

 暫くそうして二人どれをプレイするかを吟味し、議論の末決まったソフトをゲーム機に入れ、ディスプレイを前に並びコントローラーを手に持つ。部屋に入ってからこの状態に至るまで小一時間程経過していた。

 それ程までに彼女の積んでいたゲームの数は多かったのだ。

 「…なぁ、白上。まさかとは思うんだが、これ全部を一緒にやるつもりか?。」

 「勿論です。」

 起動するのを待ちつつ、恐る恐ると問いかければ「それが何か?」と白上はあっさりと答える。あまりにも当然の様に応えるものだから驚きを超えて戦慄すら覚えてしまった。

 「毎日やっても軽く年単位で時間かかるだろ。普通に無理だと思うんだが。」

 「えー、でもそれなら数年もあれば全部クリア出来るじゃないですか。」

 返された言葉に正気かと白上へと視線を送るも、キラキラと輝く何処までも純粋な彼女の瞳と目が合うのみである。

 どうやら白上は本気であるらしい。

 心なしか今後が不安になってきたところで起動も完了し、本格的にゲームを開始した。コントローラーでキャラクターを操作して二人で協力しながら敵を倒していく。

 「こんなに難しかったっけか。」

 思うように操作が出来ず感覚が乱れる。久々に触れるゲームとはここまで難しいものだったのか。

 「長い事やってなかったから当然ですよ。見てください、この白上の連続アクションを。」

 「おぉ、指の動きどうなってんだそれ。」

 そうしてわいわいと喋りながらステージを進めていく。

 久々のゲームはそれはもう楽しかった。難関ステージをクリアすれば手を合わせて喜び合ったり、変なミスをしては笑い合ったりもした。

 けれど、時間が経過していくにつれて自然と互いの口数も少なくなっていき、部屋の中にはカチャカチャとコントローラーを動かす音だけが響くようになっていた。

 その理由は俺も白上も何となく理解できている。心の底から今の時間を満喫できないのは、お互い心のどこかに引っ掛かりがあるからだ。

 だから幾ら楽しい時間を過ごしていても、ふとした瞬間にそのことを考えてしまう。

 「…透さん。」

 「なんだ?」

 画面の中のキャラクターを操作しながら白上がそう話を切りだし、俺も同様にして返す。

 「黒ちゃんの言ったことでしたらあまり気にしないで下さい。黒ちゃん、結構言葉足らずな所があるんです。」

 「…。」

 続けられた彼女の言葉に一瞬コントローラーを動かす手が止まるも、すぐにその手を再開させながら口を開いた。

 「疑問ではないんだな。」

 「はい、透さんは分かり易いですから。」

 「…それ、よく言われてるよ。最近は特に。」

 いや、言われ過ぎている。ケンジに引き続いて会う人の悉くに言われている気さえするのだからこれはもう重症だ。

 それから白上はまるで俺の次の言葉を待つようにじっと黙り込む。部屋には静寂が満ちるが、圧力は感じない。多分俺がこのまま何も話さなくても、彼女は何も強制したりはしないのだろう。

 それが分かるからこそ、俺は…。

 「…気にしてないって言ったら、嘘になる。当たり前だろ。あの状況でお前は依存されているんだって言われて、そのまま平然と出来る奴なんてそうはいないし、実際にその通りだって思えた。」

 あの場で俺は何か言い返すどころか、むしろ納得してしまったのだ。それまでの百鬼の行動に辻褄があってしまったから。

 白上はただ黙って聞いてくれる。だからだろうか、一度話し始めてしまえば止めようにも勝手に次から次へ言葉が出てくる。

 「黒上から聞いてから俺も自分なりに考えたよ。それでさ、気づいたんだ。」

 幸いあれから考える時間は豊富にあったため、自分で自分が嫌になる程考えた。そうして、俺は一つの答えに辿り着いた。

 「百鬼が俺に依存してたっていうのなら、俺も百鬼に依存してた。」

 百鬼が居てくれたから、俺は今まで普通に過ごせた。

 百鬼のおかげで俺はケンジの死に一時は折り合いを付けれた。もし彼女が居なければ、俺はもっと引きずっていた筈だ。

 それを聞いて、次は白上が動かす手を止めた。しかしその手が再開されることは無く、続いて俺も同様にコントローラーを動かす手を止めた。

 「けど、俺と違って百鬼はそれに自分で気が付いて、そして俺から離れて行った。」 

 画面の中では動きを止めたキャラクターに敵が群がりHPがどんどんと削れていく。

 詰まることろ百鬼は自分で依存という糸を断ち切ったのだ。それに比べて俺はただ彼女に会いたいと思ってしまっている。

 「俺に、百鬼を追いかける資格は無い。」

 何度も考えた。大神に無理やり場所を聞き出せばと、ヤマトを駆けまわってでも百鬼を探しだそうとも。けれど、考えるたびにあまりの浅ましさに自己嫌悪に陥る。

 自分の意思を貫いた百鬼と未だ迷いの中に居る自らとの差を思い知った。俺は百鬼が言ってくれた程『強く』なんてないんだ。

 話を終えて、再び部屋の中に静寂が戻る。いつの間にかゲームオーバーと表示される画面。

 すると、唐突にふぁさりと膝の上に柔らかな感触を覚えた。視線を落として見てみれば、そこには白く先に行くにつれて黒くなっている白上の尻尾があった。

 「…尻尾、触りますか?」

 顔を向け合わせぬまま、白上はそんな事を言う。

 「…恥ずかしいんじゃなかったのか?」

 「はい、今も顔から火が出るかと思うくらい恥ずかしいです。けど…。」

 手入れの行き届いた白上の尻尾が彼女の言葉に連動して柔らかく揺れる。

 「透さんなら、良いですよ。」

 「…なら…。」

 彼女がそう言ってくれるならと、ゆっくりと膝上にある魅力的な尻尾へと手を伸ばす。しかし、そうしながらも何故か感じる既視感に内心首を傾げていた。

 前にもこんなことがあった様な気がする。一体いつの事だったのか…。

 『透くんなら、触っても良いよ。』

 「あ…。」

 ふと頭の中に流れたその声にぴたりと白上の尻尾に伸ばしていた手が停止する。そうだ、百鬼だ。以前に彼女とも同じような事があった。その時、俺は…。

 ゆっくりと落としていた視線を上げていき、隣に座る白上を見れば、彼女は余程恥ずかしいのか顔を真っ赤に染めてぎゅっと目を瞑ってプルプルと小さく震えていた。

 (白上…。)

 そんな彼女の姿を見て、ガツンと頭をハンマーで殴られたかのような衝撃を覚えた。それと同時に、ポロリと心の引っ掛かりが取れるような感覚。

 「…あの、透さんまだですか…?」

 「…いや、やっぱり遠慮しとくよ。」

 目を閉じたまま聞いてくる白上にハッキリとそう返せば、ぱちくりと驚いたように目を開いて丸くする彼女と視線が交差する。

 「気を使ってくれたんだよな…ありがとう、白上。もう大丈夫だ。」

 「透さん…。」

 白上には頭が上がらない。立ち上がりながら礼を言うと彼女はぽかんとこちらを見つめ、そしてすぐにその顔に笑みを浮かべる。

 「本当ですよ、あんな悩み方をする透さんは格好よくないですから。」

 拗ねたように頬を膨らませてそっぽを向く白上に、つい苦笑いが浮かんだ。

 「それは…悪かった。けど、あのまま尻尾を触ってたら、白上はどうするつもりだったんだ?」

 問いかけられた白上は、一瞬考える様に視線を宙に漂わせて「そうですね…。」と言葉を続ける。 

 「その時は、白上が責任を持って透さんを生涯甘やかすつもりでした。」

 予想の斜め上を行く白上の返答に驚き、思わず言葉に詰まる。本当に、彼女には敵わない。

 「…それは…、面白い、冗談だな。」

 「はい、勿論冗談です。だって、白上は透さんの事を信じてますから。」

 何とか形にしたその言葉を聞いた白上は笑いながらほっとしているようで、けれど何処か悲し気に見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 『悪い、白上。少しやることができた。』

 それだけ言い残して、詫びながら透はフブキの部屋を後にした。そんな彼の背を見送って、フブキはそっと一つ息を零す。

 『…お節介だな。』

 そんな言葉と共に、フブキの肩へと白い狐のシキガミが姿を現した。

 こうなる事を分かったうえでフブキは行動したのだから、彼女の顔に後悔は無い。

 「良いじゃないですか、友人の背中を押すのも、友人としての役目ですよ。…というか、黒ちゃんが言葉足らずなのがいけないんじゃないですか。ちょっとは自覚してください。」

 『別に間違いでも無いんだから良いだろ。』

 いつもの小言を言われる雰囲気を察知した黒上は面倒くさそうにフブキへと返す。黒上とてワザとでは無いのだが、どうにも誤解を生んでしまうようだ。

 そんなフブキから離れる様にぴょんと床へ降り立つと、黒上はつい先ほどまで透の座っていた場所に移動していく。

 『…おい、早くコンティニューしろ。』

 「あれ、黒ちゃんもゲームするんですか?」

 コントローラーの前に座った黒上を見て、フブキは滅多にゲームをしようとしない彼女がどういう風の吹き回しだろうと目を瞬かせる。けれど、すぐにフブキも黒上の意図を察して、コントローラを手に持った。

 「よーしっ!それじゃあ、明日の朝までゲーム三昧と行きましょうか!」

 『…眠くなったらあたしは寝るからな。』

 そうして画面は動き出し、コントローラーを握る一人と一匹の姿が彼女たちの背後の壁に影として映し出された。

 

 

 

 

 

 

 白上の部屋を後にした俺は、シラカミ神社の廊下を一人歩いていた。

 ゲームをすると言っていた白上にはまた今度埋め合わせをする約束もして、今はただ一つの事に集中する。

 目的地は大神の部屋。恐らくそこに居るであろう神狐の操るシキガミの元へと急ぐ。

 「…大神、神狐、居るか?」

 『うむ。』

 部屋をノックして呼びかければ、部屋の中からそんな神狐の声が聞こえて来る。襖を開ければ、予想通りのシキガミの姿。

 大神はいない様だが、むしろそちらの方が都合が良かった。

 「神狐、少し話がある。」

 

 





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個別:百鬼 29


どうも、作者です。



 

 話がある。

 そう目の前のシキガミ越しに神狐へと切り出せば、少しの間先程まで流暢に聞こえていた神狐の声が一瞬途絶えた。

 『…勝手に人の身の上話をするつもりは無いと先に申したはずじゃが?』

 部屋を包む静寂に緊張の高まる中、神狐はまるで諭すような物言いでそう返す。

 やはり百鬼については話すつもりは無いようだ。これは神狐の矜持にも関わるだろう。故に簡単に彼女がそれを曲げるとは思わない。

 「あぁ、分かってる。俺が聞きたいのは百鬼についてじゃない。」

 『ふむ?』

 早々に否定すると、虚を突かれたのか神狐は不思議そうに声を上げた。確かに百鬼の事は気になるが、それでは先の二の舞になるだけだ。

 なら、今俺が神狐に聞くべきことは…。

 「鬼について、教えて欲しい。」

 問いかければ、神狐は『そのくらいなら』と思いの他すぐに言葉を続けた。

 『鬼なら伝承にある通りじゃ、例えば鬼は外福は内の節分が有名じゃな。他には…。』

 しかし、その内容は俺の問うた内容とはすれ違っていた。

 「神狐、俺が聞きたいのは伝承じゃなくて本物の、カクリヨに実在する鬼の事だ。」

 恐らくわざと伝承について話し続けようとする神狐にそう待ったをかけ、誤解のしようのないようにハッキリと内容を伝える。

 すると、神狐がしばし黙り込んだかと思うと、シキガミから突然映像が投影されてジトリとした目でこちらを見る神狐本人の姿が映し出された。

 『主、それではあの鬼の娘について教えよと言っていおるのと同じではないか。』

 「そうだな、でも直接聞くわけじゃない。だから…。」

 間接的に百鬼の身の上が分かるかも知れないが、あくまで鬼について聞いただけだ。勿論神狐次第ではあるが、直接話しているわけでは無いという点においては神狐も妥協できなくはない筈。

 故に俺は、もしかすると話してくれるかもしれないというその可能性に縋るのだ。

 「お願いします。鬼について知っていることを、教えてください。」

 シキガミに向けて、映像に映る神狐に向けて、深く頭を下げる。

 俺は百鬼の事を何も知らない。彼女の歩んできた道を、彼女の原点を。だから俺はどうしても知らなければならない。その為ならこんな頭などいくらでも下げて見せよう。

 『…。』

 神狐から返答は無い。

 だが、俺はただひたすらに彼女に向けて頭を下げて懇願し続けた。

 『…そう言えば、主に対する詫びがまだじゃったな。』

 「え…?」

 ふと思い出したかのような神狐の言葉にぱっと顔を上げる。詫びと言われてもそんなもの思い当たる節は無かった。

 『ほれ、尻尾を触らせてやると言うたであろう。』

 神狐に説明されてようやく以前イヅモ神社に訪れた際に神狐に危うく心臓を止められそうになった事を思い出す。

 あの時に詫びとして尻尾を触らせてやると言われたのだが、寸前で大神にその姿が見つかり有耶無耶になってしまっていた。

 「けど、あれはイワレを治して貰って相殺になったんじゃ…。」

 『いらぬことに気づかずとも良い、だから女に逃げられるのじゃ。』

 ぐさりと神狐の言葉が鋭いナイフの様に胸に突き刺さった。割とタイムリーかつクリティカルヒットなネタだ、あまりのダメージの大きさに思わず膝をつく。

 『ま、あれじゃ、あの時の釣りだとでも思うが良い。』

 そんな事お構いなしに神狐は続ける。そうだ、細かいことは良い。今は彼女の厚意に素直に甘えよう。

 「ありがとう、神狐。」

 『ふむ、妾、こんなに甘かったかのう。…まあ良しとするのじゃ。』

 再び頭を下げて礼を言えば神狐の自分自身に困惑したような声が聞こえてくるが、彼女はすぐに切り替えて話を戻す。

 『主の知っての通り、カクリヨには鬼という種族が存在しておる。基本的に一般的な人に比べて身体能力も、イワレの量も上で、けれどその数は少ないと言うのが特徴じゃな。』

 彼女の説明に黙って耳を傾ける。

 ここまでは何となく理解できる。白上や大神と比べも百鬼が強大な力を持っていたのは種族上の差もあるのだろう。

 納得にも似た感情を抱くも、けれど、それは次の神狐の言葉に霧散してしまう。

 『そして現在このカクリヨにおいてその名を冠するものは、百鬼あやめただ一人じゃ。』

 それを聞いて思わず神狐の顔を見る。しかし彼女の顔に冗談や嘘の類は無く、それが真実であることを嫌でも分からされる。

 「…一人って、一体鬼に何があったんだ。」

 『別に何も起こっておらぬ。』

 問いに対して事も無さげに答える神狐。

 何も起こらない筈がない、実際に鬼は姿を消しているのだと言うのなら、何か要因があった筈だ。そんな信じ切れていない俺の様子を見て、神狐は再度口を開いた。 

 『本当の事じゃよ。飢饉も、病も、外部の侵略も、内乱も、天災も、鬼という種族を脅かすような要因は何一つとして存在しておらなんだ。』

 「なら、どうして。」

 外的要因が無かった問いのならますます分からない。それでは鬼が居なくなったという現状と合わないではないか。

 神狐は再度口を開く、けれどその顔には明らかな哀愁が漂っていた。

 『鬼は自ら血脈を絶やし滅亡を選んだ。ただそれだけじゃよ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 現在から千五百年程離れた過去。

 山奥の更に奥に位置する秘境の中に鬼の集落は存在した。住人は当然の様に皆額から角を生やし、自然と共に生活を営んでいる。

 そんな集落の中を複数の尾を携えた狐の女と、何処か貫録を漂わせる鬼の男が連れ立って歩いていた。 

 『ほう、見事な桜じゃな。』

 感心したように女が呟けば、男もその視線を追って集落の中に存在する一本の桜を視界に映す。季節は冬にも関わらず、その桜の花は満開に咲き乱れていた。

 『そうでしょう、あれは永久に花を咲かせ続ける故、ここではいつでも桜の花を眺められる。』

 『それは良いのう。』

 世間話に花を咲かせつつ、目的地へとたどり着いた二人は向かい合わせで腰を下ろした。

 『改めて、このような秘境までわざわざご足労感謝する、セツカ殿。この集落の長として…。』

 『やめよ、族長。我とてわざわざ観光の為にひと月もの時間を掛けてここに来たわけでは無い。』

 狐の女、セツカは改まった様子で口上を述べる男を手で制する。男もセツカが訪れた理由には勘づいており、すぐに口を噤んだ。

 それを確認したセツカはようやくとばかりに本題に移る。

 『鬼の姿をぱたりと見かけなくなったと、風の噂で耳にしたが、どういうつもりじゃ。』

 そうしてチラリとセツカに流し見られた男は、やはりと得心のいったように笑みを浮かべる。 

 『なに、どうもせぬよ。ただ散っていた鬼をこの集落に返しただけだ。』

 男が横を向いて外を見れば、セツカもそれに続く。

 外では多くの鬼が集落の中でそれぞれの仕事を行っている。その有様は一集落としてはふさわしく無い程に賑わっていた。

 『…その様じゃな、しかし、それだけという訳でも無い。目的は別にあろう。』

 『然り。…我ら鬼は人に比べて基礎的に秀でた力を有しておる。それこそ、使い方によっては世に大きな影響を与えられるほどに。故に、古来よりその力を巡って様々な確執も生まれ、混乱を招いた。』

 その話は何も鬼に限った話では無かった。セツカ自身カミと称される存在にあり強大な力を持っている。その為男が何を言わんとしているのか自ずと理解でき、思わず息を呑んだ。

 『鬼は之から先の世に居るべきではない。我らの力はここから先人の世を渡るには過ぎた代物だ。』

 『…。』

 理解できるが故に、セツカはそれを否定することは出来なかった。

 大いなる力には何かと代償が付く。戦に、文化の発展にと、何かと駆り立てられる。排除の対象となる時すらある。そんな力を生まれつき持つことの出来る鬼は、これから先の世に発展をもたらすこともあれば、混乱をもたらすこともあるだろう。

 だからこそ、秘境の中に鬼の集落が存在する。まるで人の世から逃れる様に。

 『…して、ここで終わりを迎えようと申すか。反対はされなかったのかの?』

 『それを説得できるのが族長というものだ。』

 既に鬼の中でも話はついていた。だからこそ、鬼が姿を消したという噂がセツカの元にも届いたのだ。

 男のその堂々と言い切って見せる姿に、セツカは思わず感嘆の息を漏らした。

 『流石じゃのう、我の場合如何にも説得できそうにない小うるさいのが一人傍におっての。』

 『良いことではないか、そういった者はいつの世においても貴重だ。重宝なされよ。』

 『言われずともじゃ。』

 答えつつセツカは自らの従者を思い浮かべる。そしてイヅモノオオヤシロで待っているであろう自らの娘の姿も共に。

 『…しかし、そうじゃったか。残念じゃ、主ら鬼とはこれからも…。』

 と、セツカが話していると唐突に男とセツカの間でポンと音を立てて火の玉が現れた。あまりに予想外の出来事ににセツカが目を白黒させていると、不意に小さく甲高い笑い声がすぐ外から聞こえてくる。

 『あやめ。』

 一言、男が静かに呟けば、外の物陰でびくりと小さな肩が震えた。

 『あ、余何も知らなーい!逃げよ、キキちゃん。』

 『待ってよ、あやめお姉ちゃん!』

 ててーっと遠ざかっていく幼子二人の背中。それを目にしてセツカは思わず瞠目して彼女らを、正確には片方の幼子を見つめる。

 『族長よ、あの娘は…。』

 『…遅かった。あと数年早く、決断するべきであった。』 

 震える声でセツカが問いかければ、男は明確な後悔をその顔に浮かべる。今の二人の幼子、キキと呼ばれた娘は普通だった、けれどあやめと呼ばれた娘は明らかに異質だった。

 『あれは、確実にカミへと至る。それでも尚、主は鬼の血を途絶えさせると申すか。』

 『そうだ…。この負債、以降の世代へと託すには些か重すぎる。』

 詰問するようなセツカの言葉に、けれど男は確固たる決意をその瞳に宿して答える。

 この問題は鬼という種族が人よりも優れた力を持つ限り残り続ける。ならば、その決断を下すのは自分でなければならないというのが男の意思だった。

 『故に、セツカ殿。恥を忍んで頼み申す。我ら亡き後、時折で良い、あの子の事を気にかけてやっては下さらぬか。』

 そう言って男は頭を下げる。族長として集落の長を務める彼にとって、その意味の有するところはセツカも知るところであった。

 『…うむ、確かに任されたのじゃ。我の娘も丁度あの娘と同じくらいじゃからな。』

 『かたじけない…。』

 セツカがしかと請け負えば、更に深く男は頭を垂れる。それだけ、彼の抱える責任による重圧は多大なものであったという証左ともいえる。

 『しかし、それまでは主らが共に居てやるのじゃぞ。最期まで、必ず。』

 そう伝えるセツカの言葉には何処か実感がこもっていた。それを受けて男は強く頷く。

 『無論だ。…あの子には誠に悪いことをする…。』

 弱々しく心の底から男は胸に渦巻く後悔を吐露した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『これが鬼について妾が知るすべてじゃ。』

 神狐が話し終えると、俺はその場で息を吐く。途中は予想外の話の壮大さについて行くので背一杯だった。けれど聞くことが出来て良かったと、聞き終わった今はそう思える。

 「という事は、神狐は百鬼と面識があったのか。」

 『うむ、そうなるの。じゃが、その後は妾も色々とあっての、結局あの娘とはそれきりになってしもうたのじゃ。』

 それきりと言うと、つまり百鬼は鬼の集落を出てからはただ一人だったという事になる。理解者のいない中、ただ一人で千年以上もの時を歩んできたのだ。

 「そりゃ、依存の一つもするよな。」

 そう考えると、俺に依存したという理由も何となく理解できた。ようやく出来た共感できる相手に気を許すのも無理はない。

 自分が百鬼に依存したという事実が陳腐なものに思えてくるが、そもそも比べるものでは無いことに気づき、考えを止める。

 『他に何か聞きたいことはあるかの、今ならついでに答えなくも無いのじゃが…』 

 「そうだな…じゃあ、神狐も百鬼と同じくらいの年月を生きてるって事になるって認識であってるか?」

 神狐は最初に千五百年ほど前と言った、そうすると幼い百鬼とも出会っているのだから当然彼女も相応の年月を重ねていることになる。

 一応の確認のつもりで問いかけたのだが、けれど神狐は予想外にその首を横に振った。 

 『確かに語ったのはその時期の話じゃ。…あー、なのじゃが、ちと事情があっての、イヅモ神社に結界を張って以来、ミオが神社を出るまでは結界の時間の流れが外より遅くなっておったのじゃ。』

 そう話す神狐からは何かを誤魔化すような、そんな気配を感じた。彼女があまり触れられたくないというのなら、俺も深くは聞かない方が良いだろう。

 「…つまり、今は百鬼の方が年上って事で良いんだな。」

 『うむ、そうなるの。』

 取り合えず要点を纏めれば、神狐も頷いて肯定する。

 『…それで、主はこれからどうするつもりじゃ?』

 改めて話がひと段落したところで神狐にそう問いかけられるが、そんな彼女の瞳には何処かこちらを試すような色があった。

 恐らく、俺が話を聞きに来た時点で察しは付いているのであろう。

 「俺は、百鬼を連れ戻しに行く。」

 鬼の過去を、百鬼の過去を知って更に決意が固まった。それを聞いて神狐も満足そうににやりと笑みを浮かべた。

 『うむ、良かろう。あの娘であれば先に話した鬼の集落におるのじゃ。』

 「…なんだよ、居場所まで教えてくれるのか。」

 『主らの話を聞いた後にすぐにの。古き旧友との約束の為じゃ、このくらいはせねばならぬ。』

 そう明るく話す神狐だが、先程の話からして交わした約束を果たせなかったことを彼女自身ずっと気にしていたのだろう。

 最悪ヤマトを歩き回って探すつもりでいたため、これは渡りに舟だった。

 『じゃが、主のイワレが不安定である事に変わりは無い。身体強化は使えぬ、いや、使ってはならぬのじゃぞ?』

 地図を受け取ると同時に、そう神狐に釘を刺される。 

 一度それで無理をして命を落としかけた。流石に二度目も助かると考えるのは楽観視が過ぎる。そして身体強化無しでとなると、ただでさえ普通の日常生活を送れる程度にしか回復していないのだ、その道中の過酷さは恐らく想像を超えるだろう。

 「あぁ、分かってる。それでも俺は行くよ。」

 百鬼が出て行った原因は俺だ。連れ戻すというのなら、身体強化など無くても俺が行くべきだ。そもそもイワレ自体が降ってわいた力なのだ、元々の状態に戻ったというのが正しい。

 彼女からすれば迷惑に思うかもしれない、だがそれでも俺は行かなければならない。彼女とこれきりになるなど、到底受け入れられなかった。

 せめて理由だけでも、あの時の表情の理由だけでも聞くために。

 「話してくれてありがとうな、神狐。じゃあ、俺は…。」

 『待つが良い。』

 それだけ言い残して早速出発の準備に取り掛かろうと部屋を後にしようとした所で、不意に神狐に呼び止められた。

 何事かと振り返れば何故か今まで映っていた映像が無くなり、シキガミから彼女の声が聞こえてくるのみとなっている。

 『妾は今主に情報を与えた、その代わりなのじゃが…。』

 「ん、待て、さっき釣りだと思えって。」

 『それは過去の話までじゃ。』

 話してから代償を請求するという最早詐欺に近しい何かを感じつつ、一応教えて貰った事も事実な為黙って神狐の話を聞く。

 『主に一つ頼みたいことがあっての。これからも、ミオと仲良くしてやって欲しいのじゃ。』

 「…それだけか?」

 何か途方も無い要求をされるのかと身構えていた事もあり、その神狐の言葉に思わず拍子抜けしてしまう。

 『…なんじゃ、何を要求されると思っておったのじゃ。』

 「いや、魂の一部とか。」

 『主、妾を悪魔か何かと勘違いしてはおらぬかの。』 

 単的に思い浮かんだものを答えれば、何処か不機嫌さを感じさせる声が返って来る。

 映像が途切れてしまっている為その表情は伺えないが、恐らく今頃神狐はジト目でこちらを見ていることだろう。

 『…して、どうなのじゃ。』

 逸れた話を戻すように、何処か真剣さに満ちた声で神狐に問われる。しかしそんなこと、今更問われるまでも無いことだ。

 「どうって…言われなくても大神はこれからも大切な友人だ。」

 『…そうか。』

 今一意図を理解できないままに答えれば、一拍遅れてホッとしたような神狐の声が返って来る。

 『それなら、安心じゃ。』

 そう口にする彼女が今何を思っているのか、俺は想像することすら出来なかった。

 

 

 

 

 





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個別:百鬼 30


どうも、作者です。


 

 未だ夜も明けずようやく空が白んできたという明朝、シラカミ神社の前には四つの影が佇んでいた。

 白上、大神、そして神狐の操るシキガミは神社側に、それとは対照的に俺は山を下る道側に位置している

 「…そんな揃って見送らなくても良いんじゃないか?」

 個人的には出発前に神狐と少し話でもできればと思っていたのだがいつの間にやら白上や大神まで集まってきてしまい、できればこっそりと出発しようと思っていた手前、そこはかとなく居たたまれなさを感じていた。

 「あやめが帰って来るかは透君に掛かってるんだから当然だよ。」

 「そうですよ。白上にとって、もうあやめちゃんと透さんの二人も日常に含まれてるんですから、絶対一緒に帰ってきてくださいね。」

 大神と白上の二人が続けざまにそう口にする。

 出鼻をくじかれた気分だが、けれど激励そのものは素直に嬉しく思った。

 「あぁ、約束する。」

 帰る場所がある、そんな些細な事実に胸が熱くなる。それと共に必ず百鬼とここに帰ってこようという決意がより一層固くなった。

 『再三になるが、イワレの使えぬ以上今の主はヒトより身体能力が優れておる程度じゃ。決して無理はせぬようにの。』

 「分かってる。元々が普通の人間だったんだ、その辺りの限界は理解してるつもりだ。」

 『うむ、ならば問題はなしじゃな。』

 俺の答えに神狐は満足げに頷く。

 思えば彼女には会うごとに体調について聞かれている気がする。普段であれば気にならない程度の違和感だが、神狐に妙な変化を感じた。

 けれど、今はそれについて考えている時間は無い。

 「…そうだ、神狐。出発する前に一つ良いか?」

 『ふむ、何じゃ?』

 白上と大神の登場に気を取られてすっかり聞きそびれてしまっていた事を思い出し、それを神狐へと口にする。

 その内容を聞いて神狐は驚いたように目を丸くしつつ答えてくれた。その答えに満足していると、今度は白上や大神も同様にして本気かと問うてくる。もう決めた事だと答えれば二人は呆れたように、けれど何処か嬉しそうに笑みを浮かべて受け入れてくれた。

 「それじゃあ、行ってくる。」

 そうして三人に見送られて、俺はシラカミ神社を出発した。

 

 

 

 

 

 

 鬼の集落があったという秘境はヤマトの北側に位置している。俺は地図を頼りに、ひたすらそこ場所へ向かって歩いた。

 いつもは身体強化で駆けて移動していたこともあり、ゆっくりと歩いてみて回る事も無かったが、道中に見える景色はどこも自然が豊かで、幻想的であった。

 1日目と2日目は殆ど休まずに道を進んだ。

 身体強化は使えずともイワレによる基礎的な能力の補正は残っている。その為体力面での心配はいらないようだった。

 これでアヤカシだというのだから、イワレというものは誠に末恐ろしい。

 道中立ち寄った街は何処も初めての訪れで、キョウノミヤコと同様にどの街の住人も親切で、もし白上達と合うことも無くこの身一つでこのカクリヨに迷い込んでいれば、住人の一人として生活していたのかもしれないと、そんな想像が頭をよぎった。

 現状からしてみればとても考えられない事だ。願わくば、何度繰り返しても同じ道を辿りたいものだ。

 「やぁ、お兄さん。観光?」

 立ち寄った街の街並みを眺めてそんな事を考えながら歩いていれば、住人の一人に気さくに話しかけられる。

 「いや、少し人探し中で。道中の食料が無くなったので、その調達に。」

 「あら、それは大変だ。んー…なら良ければこれを持っていきなよ。」

 そう言って手渡されたのは数個の果実の入った袋。明らかにこの人の荷物に見えたそれをぽんと軽く渡されて

 「良いんですか?」

 「勿論、旅人には親切にがこの街の心情だからね。特に二本角の鬼が訪れた時は大層なもてなしをせよー、だって。」

 「鬼に?」

 予想外のその単語に思わず聞き返せば、住人は「後半はなんか変でしょ。」と軽く笑う。

 「なんでも街長のご先祖様がその鬼に凄くお世話になったんだって。その時碌にお礼も言えなかったからって、数百年くらい前から言い伝えにしてるらしいよ。」

 「そんな事が…。」

 神狐から聞いた鬼の話を鑑みると、確実にそれは百鬼だ。いつか百鬼はシラカミ神社に来る前は北の方を中心に活動していたと言っていた。鬼の集落の方向も同じであるし、間違いは無いだろう。

 「ま、流石に鬼の事は伝承と混じったんだと思うけど、親切にって心情自体は街のみんな気に入っているんだ。そして僕もその中の一人という訳さ。」

 自らの胸に手を当てにこやかに言ってのける住人。

 こうした言い伝えがカクリヨをより良い形にしているのだと思うと、納得するとともに我が事でも無いにも関わらず何処か誇らしさすら覚えた。

 「そうでしたか。なら、ありがたく頂きます。」

 「うん。代わりと言っては何だけど、もし人探しが終わったらその人とまたこの街に来ておくれよ。」

 「えぇ、必ず。」

 人混みに消える住人に返しつつ、その背を手を振って見送る。あとに残った街の喧騒の中、俺は貰った果実の袋を片手にそっと腰に差す百鬼の刀の柄へと手を置いた。

 

 

 

 シラカミ神社を出てから四日が経過した。

 この日になってようやく地図に示された秘境の一番近くにある街までたどり着いたが、しかし、俺はここで一つの問題に直面していた。

 「細かい場所が分からないんだよな…。」

 地図に分かり易く丸で囲まれた区域、この何処かに秘境が存在する事になるのだが、何せかなり大雑把な丸な為、実際の区域を見るとそれなりの広さになり具体的な場所が分からないのだ。

 この街の住人に場所を聞こうにも、そもそも秘境と呼ばれるくらいなのだからそれも期待は出来ないだろう。

 「しらみつぶしで探すしかないか。」

 元々ヤマト中を巡る予定であったのだから、範囲を絞れただけでも十分すぎる。一日もあればある程度目安も点くというものだ。

 『さぁ、もうひと頑張り』と、立ち上がるのと同時。『ちゅんっ』と唐突に虚空から小鳥のシキガミが姿を現した。

 「ちゅん助?」

 唖然としつつその名を呼ぶが、しかしちゅん助はそれに構わず、つい今まで広げていた地図をしきりにつつきだす。

 何がしたいのか今一その意図を理解できずに困惑しつつ、取り合えずちゅん助が興味を示している地図を今一度広げればちゅん助はその上に乗り、今度は地図上の丸の部分をつつきだす。

 そして、それに伴ってちゅん助から微かな意思が伝わって来た。

 「もしかして、案内できるのか?」

 『ちゅんっ!』

 確認に問いかければ、肯定するように元気な鳴き声が帰って来る。神狐辺りが気でも利かせてくれたのだろうか。何にせよ、場所が分かるのならありがたい限りだ。帰ったら改めて神狐にも礼を言っておこう。

 「よし、それじゃあ案内は頼む、ちゅん助。」 

 早速街を出てちゅん助の後を追う形で百鬼の元へと急ぐ。

 道中、森に入り、川を渡り、山を登り、また森へ入ると、やはり秘境と呼ばれるだけあり恐らく案内無しでは到底進む事も難しいであろう道のりであった。

 連日歩き詰めであったこともあり、若干の疲労もたまって来た体に鞭を打って一歩ずつ前に進む。

 それからどれだけの時間が経過した事だろう。目の前にすっかり緑を纏った石の道と鳥居が見えてくる。ちゅん助の反応からも、ここが鬼の集落へと続く道だろう

 「この先か…。」

 この先に百鬼が居る。

 ようやくここまでこれたとそんな達成感は程々で、俺の胸中は緊張にも似た感情で満たされていた。

 何を話すか、考えていたことが全て頭の中から飛んで行ってしまいそうだ。

 『ちゅんっ…!』

 「分かってる、今更怖気づいたりはしないさ。」

 ちゅん助に急かされるように鳴き声を上げられる。

 そうだ、まだ何も解決してなんかいない。一度その場に立ち止まり心を落ち着ける様に一つ深呼吸を入れて、俺は先へと足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 『キキちゃん、起きてる?』

 襖越しにそんな声を掛けながらあやめは襖を開けて部屋へと入る。その手に持つ盆には湯気を立てるお粥とすりおろしたリンゴを乗せられていた。

 そんなあやめの声に反応するように、部屋で布団の中に横たわっていた鬼の老女はその体を起こす。

 『…あやめ姉さん。えぇ、起きてますよ。』

 『良かった、ご飯出来たから持ってきたよ。今日採れたリンゴね、すっごく甘くて美味しかったから多分キキちゃんも食べやすいと思う。』

 にこやかに話ながらあやめは手慣れた様子で盆を布団の脇に置き匙を使って老女、キキの口元へ一口ずつ食事を運ぶ。

 この頃キキの消化器官は衰えが顕著に表れてきていて、こうして消化に良いものくらいしかまともに食べれなくなってしまっていた。体を起こすだけで精一杯で、既に立って歩くことすらままならない。

 『ごめんなさい、あやめ姉さん。碌に手伝いも出来ないどころか、こうしてお世話ばかりさせてしまって。』

 食事を終えて食器を片づけようとあやめが盆を持って部屋を出ようとした所で、横になったキキがぽつりと零すように言い、あやめはぴたりとその足を止め振り返る。

 『もー、気にしないでよ。キキちゃんは余の妹分なんだから、お姉ちゃんとして余もやりたくてやってるの。』

 何処か拗ねたように言うあやめにキキの顔に浮かんでいた険しさが消えていき、代わりに柔らかな笑みが顔に戻る。

 『…ありがとう、お姉ちゃん。』

 『えへへ、どういたしまして。』

 そんなキキに満足げにそして照れたように笑い、あやめは今度こそ部屋を出た。

 皿洗いやその他諸々の作業を終えてあやめが部屋に戻ると、キキは横になったまま顔だけ襖とは向かい側の縁側から外を眺めていた。

 『…ここも、すっかり静かになってしまいましたね。』

 『うん…そうだね。』

 キキの過去を思い返しながらの呟きに、あやめもまた過去を思い返して答える。

 昔は賑わっていた集落も、今となっては静寂に包まれている。幾ら鬼ともいえどもその基本的な寿命は人の二、三倍で、族長の様に上位のアヤカシであればもっと長くなるが、生憎とあやめたちに近い世代の鬼でそこまで至る者はいなかった。

 時が過ぎるにつれて鬼はその数を減らしていき、遂には最年少だったあやめとキキ、そして族長が残るのみとなってしまっていた。

 『…キキちゃん、寂しい?』

 『いいえ、私にはあやめ姉さんが居てくれるから。寧ろ、心配なのは姉さんの方。』

 そう言うと、キキは外に向けていた顔を反対側のあやめへと向けた。その瞳に映るのは、老いたキキとは異なり長らく容姿の変化の無いあやめの姿だった。

 キキの顔に浮かぶ憐憫にあやめは、けれどぱっと明るく笑って見せる。

 『余も平気。キキちゃんも居てくれるし…ほら、余ってちょっと抜けてる所があるでしょ?だから平気だよ。』

 『…ごめんね、お姉ちゃん。』

 それを聞いたキキは、遂にはその顔を歪ませ、遂にその目の端からぽろぽろと涙が零れ落ちる。その雫は止めどなく溢れ続けて、拭うことも出来ないキキは感情を発露させる。

 『ごめん…、ごめんね…。』

 『謝らないで、キキちゃん。余は大丈夫だから。』

 そんなキキを慰めるように、あやめは彼女を優しく抱きしめて、泣き止んで眠るまで背中をさすってやる。近頃は毎日のように、あやめはキキとこのやり取りを繰り返していた。

 

 

 『キキちゃん、起きてる?』

 それから少し経過したとある日、いつもの様にあやめが部屋へと訪れるもキキからの返事は無く、代わりに彼女は無言のまま夜空に浮かぶ月を眺めていた。

 『キキちゃん…?』

 『…あ、あやめお姉ちゃん。今日の月、綺麗だよ。』

 あやめが再び声を掛ければ、ようやく気が付いたキキはあやめへと振り返る。にこりと笑ってそう言う彼女は何処か幼さを感じさせた。

 『…そうだね、余もそう思う。』

 『でしょ?』

 あやめが同意すれば、キキは得意げに微笑むとまた外へと目を向けてしまう。その視線を辿りあやめもまた夜空に浮かぶ煌々と輝く月を視界に収めた。

 室内に柔らかな風が吹き込み、風にたなびいたあやめの長髪は彼女の表情を覆い隠す。

 『あやめお姉ちゃん、お願いがあるんだけど、良い?』

 『なぁに、お姉ちゃんが何でも叶えてあげるよ。』

 優しくあやめが言えば、キキは言い淀む様に口をまごつかせる。けれどあやめは辛抱強く彼女の次の言葉を待った。

 『キキが眠るまで、手を握っててほしい。』

 『…寂しくなっちゃった?』

 そうしてキキが発した言葉にあやめがそう返せば、キキは無言のまま恥ずかしがるように顔を隠してこくり頷いた。

 『良いよ。…キキちゃんが眠るまで、余が傍に居るからね。』

 『…ありがとう、お姉ちゃん。』

 そっと布団から差し出された手をあやめは優しく包み込み、キキは安心したように表情を和らげて眠りへと落ちた。

 けれど次の朝を迎えても、夜を超えても、キキが目を覚ますことは二度と無かった。

 

 

 

 

 鬼の集落に存在する永久に花を咲かせ続ける桜。その木の下で、あやめはぼうっと頭上に咲き誇る花々を見つめていた。

 『あやめ、キキの事、ご苦労だった。』

 『ううん。』

 労いの言葉を口にする男に、あやめは首を横に振ってこのくらい何ともないと伝える。キキが居なくなり、結果集落に残ったのは族長とあやめの二人のみとなっていた。

 『我ら鬼が終わりを迎える時には、最後の一人となるつもりであったのだがな…。』

 ぼやくような族長の言葉は、紛れもなく彼の本心だ。決断した責任を、その形でとるつもりでだった。けれど、現実はそれを許しはしなかった。

 『よもや…見送られる側に、回ろうとは。』

 桜の木の太い根に腰かける男は既に呼吸をするのもやっとで、彼の命の灯が消えかけていることは一目瞭然で、そんな彼の前にあやめは立っている。

 『…すまなかったな、あやめ。其方には、背負わせてばかりだ。』

 自らを罰するかの様に、途絶えて楽になろうとする意識を必死に繋ぎとめて男は続ける。

 『セツカ殿とも、連絡は取れぬ。あれで義理堅い方だ、何かあったに違いない。しかしこれでは、其方が独りに…。』

 『…大丈夫。』

 途切れ途切れになりなら言葉を紡ぐ族長。そんな彼にあやめはハッキリと顏を上げて伝える。

 『余は『強い』から、どんな世の中になっても、楽しくやっていけるよ。』

 そう言って小さく笑うあやめに、族長は激情に耐える様に歯を食いしばる。

 『すまぬ…。』

 それを最後に、彼の身体からふと力が抜けた。彼の身体はやがて光の粒子となり、桜の木へと消えていく。

 こうして、百鬼あやめはカクリヨで一人きりの鬼となった。

 

  

 

 

 

 

 過去の回想と何ら変わらぬ桜の木の下で、あやめは目を閉じて思い出を巡っていた。長い年月を経ても、この桜だけは姿かたちを変えたりしない。

 事あるごとにあやめはこの地へと帰ってきては次の場所へと旅立つのだ。そんな事を続けて、どれ程の月日が流れたことだろう。

 だから、これも何度も繰り返してきた中の一度に過ぎない。もう同じ場所へは帰れない、帰らない。その想いで、あやめは自らあの居心地の良い場を離れた。

 なのに…。

 「ようやく、見つけた。」

 背後からじゃりっと地面を踏みしめる足音と共にそんな声が響いてきて、あやめは思わず振り返る。その先では、二本の刀を腰に携えた透があやめをその双眸に捉えて立っていた。

 

 どうして…。

 

 





次回、百鬼ルート最終話。 
気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム。


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個別:百鬼 Last


どうも、作者です。
評価、感想、感謝。

個別:百鬼ルート最終話です。


 

 はらはらと桜の花弁が舞い落ちる。

 宙に舞うそれらは一枚一枚が踊る小さな妖精の様で、その中心に周りが霞む程可憐な鬼の少女が一人立ち尽くしていた。

 想い焦がれたその姿を前にどう言葉を発していいものかと、思わず二の足を踏むも、けれどようやく相まみえたと喜びから笑みが浮んだ。

 「なき…」

 名を呼びかけようと一歩前へ進んで口を開いた瞬間、目の前の彼女の腕が一瞬ぶれ、それを認識するのと同時に凄まじい音を立てて足先の地面が爆ぜた。

 「近づかないで」

 聞こえてきた突き放すような百鬼の声にぴたりと足が止まる。そこに親しみは無く、今まで築いた関係性が無かったものであるかのように冷たい声音。

 視線を戻せば、振りぬいた刀の切っ先がこちらへ向けられる。

 「なんで…来たの」

 距離にしてはまだ数十歩分離れているにも関わらず、まるで刀が目の前に突きつけられているのかと思う程の威圧感に思わず体が強張った。

 「…お前を、連れ戻しに来た。一緒にシラカミ神社に帰ろう」

 それを上塗りするように自らを鼓舞しながら目の前の彼女へ呼びかけるが、百鬼は首を横に振ってそれを拒絶する。

 「余はもう、あの場所には帰らない」

 言い切る百鬼の表情は前髪の影に隠れて伺えない。けれど顔なんて見えなくとも、彼女がどんな表情を浮かべているかの察しはついていた。

 「…それは、俺がただのアヤカシだからか」

 神社を出発する前に、神狐から鬼について話を聞いて自分なりに考えた。

 悠久の時を過ごすカミに寿命という限界のあるアヤカシ。今までは有耶無耶にしてきたその関係を、その差を、キョウノミヤコで俺が一度死にかけるという最悪の形で浮き彫りにしてしまった。 

 「…」 

 「何も答えないって事は、図星なんだな」

 白上や大神だけだったのならこうはならなかった。彼女と同じカミ同士、悠久の時を共に過ごすことが出来た。けれど、アヤカシの身ではそうすることが出来ない。

 「百鬼、俺は…」

 「…っ!」

 言いながら彼女へと一歩踏み出せば、百鬼は刀を振り、その軌跡をなぞって俺の横の地面が抉れる。

 牽制、警告。これ以上近寄るなという彼女の言外のメッセージに、けれど今度は立ち止まらずに俺は尚も進んだ。

 「…止まって」

 もう一度百鬼が刀を振り、先ほどとは反対側の地面が抉れる。凄まじい力だ、当たれば恐らくただでは済まない。

 だが、この足が止まることは無い。百鬼に当てる気が無いと分かっているから。

 「進んでこないで!」

 そう荒げられた彼女の声は、こちらに向けられる刀の切っ先と同様に震えていた。

 あぁ本当に、彼女はどこまでも…。

 「もう、余に関わってこないで!」

 どこまでも、優しいのだ。

 振り絞るように歯を食いしばって叫ぶ百鬼。そんな彼女に向けてハッキリと否定を口にする。

 「断る。どうしても帰らないって言うなら、引っ張ってでもお前を連れて帰る」

 例えどれだけ拒絶されようと、その結果百鬼に嫌われたとしてもせめて神社には必ず連れて帰る。もう彼女を独りになどさせはしない。その覚悟を決めて、俺は今ここに立っている。

 それを聞いて俺が折れることは無いと判断したのか、チラリと見えた百鬼の瞳に決意の火が灯った。

 「なら、もう容赦しないから」

 カチャリと百鬼の握る刀が鳴り、彼女の纏う雰囲気に剣呑さが混じる。真っ直ぐとこちらを射抜く瞳を見て、彼女の言う通り、警告は終了したことを理解する。

 自然と腰に差す二刀の内の一刀を抜いて構えるのと、目の前の鬼の少女の姿がかき消えるのは同時だった。

 次にその姿を捉えた時には肉薄した百鬼が死角に潜り込み刀を振るう一歩手前で、咄嗟にその軌道上に刀を移動させた。

 轟音と共に、同じ刀と刀でぶつかり合ったにも関わらず、一方的に吹き飛ばされる。

 前方に横の景色が流れる中、地面へ足を突き立てる様にブレーキをかけ何とか静止するが、追い打ちをかけるように百鬼は地を蹴り、再び肉薄してくる。

 (仕方ないか…!)

 自らのイワレの流れ意識を向けて身体強化を施し、振るわれた刀を受け止める。

 「づっ…!?」

 今度は先ほどの様に吹き飛ぶことはなかったが、しかし未だ不安定なイワレは肉体を蝕み、身体を駆け巡る激痛に顔が一瞬歪む。

 「何で…」

 そんな俺の様子を見て、刀を合わせた状態の百鬼が瞠目して呆然と声を上げた。

 「何で、そこまでするの?透くんがそこまでする理由なんて、何もないのに…」

 震える声でそう口にする百鬼の顔には未だ迷いが浮かんでおり、本当はこんな事したくないという彼女の意思は明白であった。

 「理由ならある。それに、俺だって何も考えずにここに来たわけじゃない」

 「え…?」

 ずっと考えていた。百鬼が白上神社を離れた理由、その解決策を、あの日からずっと。

 気が付いてしまえば簡単な事だった。今のままでは同じ時間を生きられないというのなら、同じ時間を生きられるようになれば良い。

 「俺は、カミになるよ。例えどれだけ時間がかかったとしても、絶対に。素質についても神狐に確認してある」

 神社を出発する前、俺は神狐にカミに至れるか、至るにはどうすれば良いのかを聞いていた。 

 結論から言ってしまえば、カミに至る事は可能のようだ。それを聞いた時の白上や大神の驚きようも凄まじかったが、比べて俺は之で百鬼と同じ時間を生きることが出来ると、心の底から安堵していた。

 「透くんが、カミに…?」

 ぽつりと繰り返し、百鬼は驚いたように目を見開く。彼女らの一貫した反応にそれだけこれが異例な事であると実感させられる。

 だが異例だろうが何だろうが、それが可能であるのならなんだっていい。

 「あぁ、だからもう心配するような事は…」

 「ふざけないで!!」

 初めて聞いた百鬼のその怒号と共に凄まじい力で刀が振り切られた。その衝撃で合わせていた刀が宙へ舞い、俺も後ろへと飛ばされて彼女との間に再び距離が生まれる。

 そうして視界に映った彼女の顔は、今にも泣きだしてしまいそうな程の悲痛に歪んでいた。

 「百鬼?」

 刀を失いながら思わずといった形で呼びかけるが、百鬼は涙に潤む瞳を鋭くこちらへと向ける。

 「余だって気づいてた!透くんが、成ろうと思えばカミに成れることくらい、気づいてた!」

 泣き叫ぶように言葉を紡ぐ百鬼に、俺はただ困惑して呆然と彼女を見る事しかできない。そんな俺を置いて、百鬼は言葉を続ける。

 「知ってたから、分かってたから、余は神社を離れたの!優しいから、透くんはそうすることを選ぶって、分かってたから…!」

 そう話している間にも彼女の瞳には涙があふれていき、遂には雫となって彼女の頬を伝った。

 「余だって本当はみんなと一緒に居たい、透くんと一緒に生きてたい!…余はそう願っちゃうの…だから、そうする前に透くんの傍から離れたのに…どうして…!」

 嗚咽に吞まれるように百鬼の声はだんだんと擦り切れて、小さく消えていく。そんな彼女の姿に、どうしようもないやるせなさが胸にこみ上げて、思わず歯を食いしばる。

 「それで良いだろう!百鬼が望んでくれるのなら、俺はカミだろうと何だろうと…!」

 「言えるわけないっ!!」

 俺の声に被せる様に百鬼が叫ぶ。

 ぽろぽろと涙を零し続ける彼女は、独り路頭に迷う幼子の様な痛ましさに満ちていた。

 「…今まで余は何人も見送ってきた、何回も置いて行かれてきた」

 静寂の中ぽつりぽつりと零すように独白する百鬼は、今まで見たことが無い程に弱々しく見える。

 「ずっとずっと苦しかった、辛かった…!何度も逃げ出したいって思っても逃げ出せなくて、どれだけ終わりたいって思っても終われない。こんな苦しみが、これからもずっと続いてる…、なのに…!」

 語気を強めると百鬼はそこで言葉を区切るが、尚も必死に言葉を紡ぐ。

 「同じように苦しめだなんて、言えるわけない…!」

 これは彼女が誰にも見せてこなかった、心の奥底に秘め続けてきた弱音だ。どうしようもないものとして諦めて、ただ受け入れる事しか出来なかった現実だ。

 こんな時にまであくまで他人の心配をする彼女が、そのせいで余計に苦しみを背負って来た事は想像に難くない。自らが傷つくと分かったうえで、彼女は手を差し伸べてしまう。

 何処までも残酷な現実に怒りすら覚える、それ以上に気が付くことが出来なかった自分にふがいなさを感じた。

 「だから、余は帰らない。透くんまで同じ目に合うなんて、絶対に許せない!」

 「それは違う、百鬼、聞いてくれ…!」

 必死に呼びかけるも、しかし、その瞳に決意を固めた百鬼は聞く耳を持たない。力を籠め刀を握り直す彼女の瞳には再び紅の輝き灯る。

 「シキガミ降霊『百鬼』!!」

 百鬼がそう唱えた瞬間、彼女から凄まじい威圧感が熱波と共に襲い掛かって来る。

 同時に彼女の背に顕現した紅と藍の焔は瞬時に融合、膨張し、やがて二刀を携えた巨大な美しい鬼の姿を形どった。それが放つ重圧はまさに圧倒的という他無く、ただ立っているだけで膝が笑いそうになる程だった。

 これが正真正銘、百鬼の全力。なる程、彼女が先ほどまでどれだけ力を抑えていたのかがハッキリと理解できるというものだ。

 「透くんは余に絶対勝てない、だから早く逃げてよ」

 懇願するかのように言ってくる百鬼。

 彼女の一挙手一投足で、吹き飛んでしまいそうな程の威圧感を感じる。腰に差すもう一刀へと手を伸ばそうにも、身体が硬直して動かない。

 (くそっ…頼むから、動いてくれよ)

 心の内で悪態をつきながら懸命に腕に力を込めようと、意思に反して腕はピクリとも反応しない。ここで動かなければ、恐らく百鬼とは二度と会うことが出来なくなるにも拘らずこの体たらくだ。そんな自分自身に絶望しかけたその時だった。

 『にぃちゃん、頑張れ!』

 とんと背中に軽い衝撃を感じたかと思えば、そんな意思が頭の中に流れ込んでくる。途端に動くようになった体で後ろへと振り返ればちゅん助が滞空していて、こちらへ向けられるそのつぶらな瞳に浮かぶ意思に一瞬目を見開き、思わず小さく笑みが浮かぶ。

 (…あぁ、分かってる。ありがとう)

 心の中で呟くと、百鬼に向き直りつつ腰に差す自らの刀を抜き、構える。

 「悪い、待たせた」

 「…怪我しても知らないからね」

 最後通告も終わり、互いに刀を向け合う。今なお感じる威圧感は、けれどもう体を硬直させるような事はしない。

 桜の舞い散る中、どちらからともなく地を蹴った。互いに迫りながら、その手に持つ一刀を振りかぶる。

 (この一合だけ、もってくれよ…)

 念じながら自らの身体に『鬼纏い』で更に身体強化を施す。飛躍的に上昇した身体能力を百鬼もその目で捉えたのか軽く目を見開く。まさか無理の利かない体でここまでするとは思わなかったようで、彼女の顔には明らかな動揺が浮かんでいた。

 そして遂に三度目の肉薄。ここまでくればもう止められない。

 上段から振り下ろされた刀がぶつかり合い、無数の火花が散る。轟音が空気を揺らす最中、けれど互いの刀はその中心で静止して、つばぜり合いへと持ち込むことに成功する。

 まるで初邂逅の際の焼き直しのようだ。にやりと笑って見せれば、百鬼もこちらの意図に気づきはっとした表情を浮かべる。

 だがここまでくればこちらのモノだ。百鬼が距離を取る暇もなく、刀の能力を開放する呪文を唱える。

 「エンチャント!!」

 注ぎ込まれたイワレの量に応じて閃光を発するこの刀の真価を、百鬼は以前に一度目前で食らっていた。

 「っ!!」

 唱えた瞬間、百鬼は咄嗟に閃光を避けようとその目を瞑った。

 「…そりゃ、目を瞑るよな。」

 しかし、刀が閃光を発することは無い。イワレの制御は全て『鬼纏い』に回している。刀に回す余裕など最初から有りはしない。

 そうして生まれた隙を逃さず、彼女の意識の逸れた刀を絡めとり全力を込めて上空へと巻き上げる。百鬼の手から刀が離れると同時に音を立てて自らの刀が折れるが、俺はそれに構わず残った柄を放り投げた。

 「あやめっ…!!」

 必死に名を呼び、何が起こったのかと目を丸くする彼女を思い切り抱き寄せる。

 一時は呆然と為すがままになっていた彼女だが、けれどすぐに意識を取り戻したのか抜け出そうと体に力が籠められる。

 「離して…!」

 「離さない、絶対に…!」

 刀も持たずその身一つの二人。必死に彼女を抱き留めているが先ほどの鬼纏いの影響で全身を痛みが苛み、抜け出すことは可能であったがそうはならず、やがてあやめは諦めたように脱力した。

 「…透くんずるい、ずるい…」

 「悪い、あれしか方法が無かったんだ」

 そう罵って来る百鬼の声には嗚咽が混じっていた。

 正攻法で敵わないのだから仕方がない、このくらいの罵倒は受け入れて然るべきだ。

 「聞いてくれ、あやめ。さっきの話、同じなんかじゃないんだ」

 「なんで…カミに成ったら余と同じで、絶対苦しむことになる…」

 「あぁ、確かに苦しいだろうな。俺の想像を軽く超えるくらい」

 その言葉に偽りはない。世界に取り残される事がどれ程の事なのか、想像することしか出来ない。けれど、一つだけ言えることがあった。

 「でも、俺にはあやめが居てくれるだろ。あやめが居てくれれば俺はどんなに辛くても、苦しくてもちゃんと向き合える。乗り越えられる。」

 一人では耐えられなくても、二人なら分かち合える。寄り添い合って互いを支えることが出来る。

 「だからお願いだ、あやめ。これから先もずっと、俺をお前の傍に居させてくれ」

 「…っ!」

 心の底から懇願すると、あやめが息を呑む音が聞こえた。

 言ってしまったという後悔も有れば、言ってやったという達成感もある複雑な心地を抱えつつ、百鬼の返事を待つ。

 「…透くん、ずるい」

 「さっきも聞いたな、それ」

 繰り返される罵倒に思わず苦笑いが浮かんだ。ずるくたって良い。彼女と一緒に居られるのならどんな泥でも喜んで被って見せよう。

 「…きっと、辛い事いっぱいあるよ」

 「あぁ、その分楽しい事だってあるさ」

 「余の嫌な所、一杯見つかるかも」

 「なら、良い所をそれ以上に見つける」

 「余、たくさん悪戯する」

 「あやめの悪戯ならどんとこい」

 「透くん、М?」

 「そこは否定しとく」

 ぽつりぽつりと言葉を交わし続ける。不安なんて感じさせないくらい、それ以上の肯定を返し続けた。やがて、段々と嗚咽で言葉が途切れ途切れになって、あやめは強く胸に額を押し付けてくる。

 「じゃあ…余と一緒に、ずっと、余と一緒に居てくれる…?」

 「あぁ、一緒に居る。俺が、あやめと一緒に居たいんだ」

 それを皮切りに、堰を切ったようにあやめは涙を流した。

 長年の孤独で積もったそれはちょっとやそっとでは枯れることは無く、暫くそうして二人寄り添い合う俺達の姿を、舞い散る桜吹雪が覆い隠した。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シラカミ神社へと向かい鬼の集落を百鬼と二人で後にしてから四日が経過した。現在はシラカミ神社へと続く道を百鬼と共に歩いている。

 当初は百鬼のシキガミで移動しようという話も出たのだが、どうせならと揃って歩いて帰る事になったのだ。

 チラリと隣へと目を向ければ、百鬼がにこりと笑みを返してくれる。それだけの事実がどうしようもなく嬉しかった。

 「透くん、身体大丈夫?」

 「大丈夫、と言っても百鬼の刀ありきなんだけどな」

 一転して気遣い気に聞いてくる百鬼に力強く答えたいところではあるのだが、彼女の刀無しでは恐らく集落から後一週間は出られなかった為、どうにも決まらない。

 けれど、百鬼は気にならないようであからさまにほっと息を付く。

 「なら、良かった。…それよりなんだけど」

 「ん?」

 他に気になる事でもあっただろうかと首を傾げれば、百鬼は不服そうにこちらを見上げる。

 「余の事、百鬼って呼んでる」

 そう指摘されて、ぽかんと自らの発言を振り返れば、確かに百鬼に戻っていた。

 「え?…あ、悪い、あやめ。」

 呼び方を戻すと、あやめは見るからに上機嫌になって満足そうに頷いた。

 それからもしばらく雑談をしながらのんびりと歩いていれば、見慣れた山々が見えてくる。それはシラカミ神社の周辺までたどり着いた証拠であった。

 ここまで来るとようやく返って来たという実感も湧いてくるもので、この道を二人で歩けることに感慨深さすら覚える。

 「帰って来たなー…」

 「うん…ミオちゃんとフブキちゃん、怒ってないかな…」

 そう言うあやめは少し顔を青くさせている。どうやら勝手に神社を離れた事を気にしているようだ。

 「ま、二人とも心配してたしその辺りでなら怒られるだろうな。とはいえ喜ぶのも間違いないだろ。」

 「うぅ、怒られる…」

 しゅんと意気消沈しているあやめの味方をしたいところだが、流石にこればかりはあの二人も言いたいことはあるだろうし、そちらを尊重するべきなのだろう。

 「…ね、透くん」

 ぼーっと、そんな事を考えながら二人の反応を想像していると、不意にあやめに呼びかけられて隣を向く。

 「透くんは、余のこと好き?」

 「…それ、答えないと駄目か?」

 何の脈絡も無いその問いに思わず後回しが出来ないか確認するも、じっとこちらを見つめるあやめの真剣な目を見ればそれが不可能な事を理解する。

 思えば直接伝えた事も無かった、いざ口にするとなるとどうにも緊張する。

 「あー…大好きだよ。」

 「ん…余も透くんの事大好き」

 改めて想いを伝えあい、互いに顔を赤く染める。想いを伝えられるのは嬉しいが、流石に互いにとなるとどうも照れが出る。

 「何で今聞くんだ?」

 特有の気恥ずかしさを誤魔化すように理由を問うてみる。そんな意識するような話題でも無かったはずなのだが、何故なのだろう。

 すると百鬼はこちらを流し見つつ口を開いた。

 「だって神社に帰ったらフブキちゃんとミオちゃんも居るし…透くん尻尾に弱いから…」

 「…待て、俺が浮気すると思ってるのか。そんな事しないって」

 予想の斜め上を行く理由に思わず否定する。

 互いに一緒に生きると決めてから四日と経過していないのにそんな事するはずが無いし、そもそも俺にそんなつもりが無い。

 しかしあやめはそうは思わないようで、悩む様に考え込んでいる。

 「んー…あの二人だったら別に良いけど…、…余の事捨てないでね」

 「捨てない捨てない、浮気もしない。俺はあやめ一筋だ」

 「えへへ、なら良かった。」

 笑って言うあやめに、こちらもどっと安堵して息を付く。まさか神社に帰る前からこんな話が出てくるとは夢にも思わなかった。

 「…っと、そろそろ神社の下だな。」

 気が付けばシラカミ神社のある山の麓まで来ていた。ここまで来れば慣れたもので、上へと続く道へ足を踏み出そうとしたその時だった。

 「透さーん、あやめちゃーん!」

 「透くん、あやめー!」

 上の方からこちらへ手を振りながら駆け下りてくる白上と大神の姿が遠目に見える。どうやら迎えにわざわざ降りて来てくれたようだ。

 あの二人の姿を見ると、一気に日常感が戻ってくるのだから不思議なものだ。

 「帰って来たって感じだな…」

 「うん…、透くん、これ見てみて?」

 「ん?」

 何を見ろと言うのか、疑問に思いつつあやめの方へ顔を向けるのと同時にあやめの顔が近づき唇に柔らかい感触を覚える。

 「…は?」

 「「あー!?」」

 素っ頓狂な声を上げると、上の方からも二人分のそんな悲鳴が聞こえてくる。今何が起こったのか把握して、自らの顔に熱が籠るのが分かった。

 「あやめ…?」

 呆然としつつ呼びかければ、あやめはその顔に悪戯な笑みを咲かせた。

 

 「もう絶対に離さないから、覚悟してよね!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 三つ目の想いが、色づいた。





という訳で、百鬼ルート終了でございます。
これで個別は白上、大神、百鬼と一通り終了という事で、達成感が凄い。

ここまでご愛読いただいた皆様、誠にありがとうございました。

これからひと月ほどは共通ルートの加筆修正をしつつ、次の話をまとめる予定。2023年の五月初旬までには投稿します。

気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム。



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True:Anotherルート
True:Another 1



注意

この物語はフィクションです


 

 時々行き交う自動車の光に照らされた早朝の空は未だ薄暗く、冷えた石の床材に触れていた足先が響くような痛みを訴えてくる。 

 移り行く視界に映る景色の中、耳を打つ風切り音は煩わしくて、けれど同時に何処までも心地良い。そっと息を吸い込めば、街を包む冷たい空気が肺を刺した。

 (あぁ、寒いな…)

 強まるばかりの風に急速に体温は奪われていく。寒さから逃れようと自らの身体を抱き、ゆっくりと瞼を降ろす。そして落ち着く暗闇の中、ぱたりと意識は途絶えた。

 

 

 

 

 

 幸せな家庭に生まれたとは自信を持って言える事だった。

 何不自由ない生活、一軒家に優しく時に厳しい両親、そして…

 「お兄ちゃん、クローバーあった?四葉のクローバー」

 小走りで走り寄って来る幼い少女は、服の裾に泥を付けたままにこやかに手を振っている。

 「花、服に泥ついてるぞ」

 「あ、ほんとだ。お兄ちゃん取って!」

 それを指摘してやれば、両手を上げて甘えてくる少女は妹の花だ。

 年の離れている事もあり家族から蝶よ花よと甘やかされている彼女は少々甘えたな側面が強いが、それもまだまだ可愛い範囲で、俺もよく甘やかしすぎだと周りからは言われている。

 求められるがままに、ぱぱっとついた泥を払ってやると花は「ありがとう!」とまたにっこりと愛らしい笑みを浮かべて礼を述べるのだから、つい釣られてこちらの顔にも笑みが浮かぶ。

 これは将来魔性の女になる事間違いなしだとは母の口癖だった。

 「二人共ー、ご飯だよ!」

 がらりと窓が開けられてそんな声と共に母が顔を覗かせる。母の料理はひいき目抜きに美味い。その為、それを聞くや否や花と共にクローバー探しを切り上げてそそくさと家の中に入って手を洗う。

 居間に入ればテーブルの上では温かな料理が湯気を立てていて、母と父が既に席についている。

 『いただきます』

 食卓を囲んで、声を揃えて言う。横を見れば視線に気づいた花がにっと笑みを浮かべた。

 

 

 「お兄ちゃん、クローバーの続き!」

 「おとと、そんなに引っ張るなよ」

 食後、食器を片づけた花に袖を引っ張られてすぐに玄関へと向かう。そんな俺達の様子を呆れたように見て見て笑うのは母だった。

 「あんた、あんまり花の事甘やかすんじゃないよ?」

 「へいへい、分かってまーす」

 背に投げかけられたその言葉に後ろ手を振って答える。そんな軽い返事に母は俺が全然分かっていないと察したようでため息をつくがその顔は優しかった。

 花に導かれるがままに家の横にある少し広めの庭へと出ると、早速地面に膝を付け目を皿のようにして生い茂る緑の中から四葉のクローバーを探す。 

 今朝からこうして探しているのだが、そう簡単に見つかるものでもないようだった。

 「なぁ、花。もしかしたらここには無いかもしれなぞ」

 ただでさえ確率の引く四葉のクローバーを、家の庭で探すのも無謀に近い。ならば公園や河川敷などもっと広い場所で探した方がまだ見つけやすいのかもしれない。

 それを花に伝えるのだが、しかし…。

 「ううん、あるの!」

 意外と諦めの悪い妹様がこう言うのだ、ならば俺は従う他無い。

 「分かった、ならもう少し頑張ってみるか」

 そうして探し続けて、そろそろ日が傾き出そうかという時間帯になった時、不意に甲高い歓声が横から聞こえてきた。

 「あった!お兄ちゃん、見つけた!」

 テンション高く言いながらキラキラと目を輝かせる花の手には、確かに四つの葉に別れたクローバーが存在していた。

 「本当に見つけたのかよ!凄いな、花!」

 まさか本当に見つかるとは思っておらず、驚きながらも苦労が報われたとなれば嬉しいもので、感情のままに花を抱き上げ、くるくるとその場を回り笑い合って喜びを共有した。

 暫くして地面に降りた後も興奮は冷めやらぬようで、花は頬を紅潮させている。

 「それじゃあ、そろそろ家に入るか」 「

 「あ、まって!」

 凝り固まった体を伸びをしてほぐしてから玄関へと足を向けると、不意に花に呼び止められて振り返る。すると、花は手に持っていた四葉のクローバをこちらへと差し出した。

 「これ、あげる」

 「え、俺にか…?」

 四葉のクローバーが欲しくて探していたのではなかったのか。そう思い問いかけると、花はこくこくと頷いて見せる。

 受け取るか迷っていると更にずいとこちらに差し出されるそれを遂に俺が受け取れば、花は満足そうに笑う。

 「ありがとう…けど、何でだ?これ、花が欲しかったんじゃ…」

 「だってお兄ちゃん、毎日お勉強頑張ってるから。花も何か応援したかったの」

 それを聞いて思わず花の顔を見た。頬にはまだ泥が付いており、膝は地面に触れていて汚れてしまっている。朝からずっと俺の為にここまで頑張ってくれたのだと理解すると同時に、こみ上げてくる感情のままに花を抱きしめた。

 「ありがとう、花…!」

 「えへへ」

 改めて言えば、花は照れたような声を上げる。物よりもその気持ちが、何にも代えがたい程に嬉しかった。

 先程の花の歓声を聞いてか、がらりと窓が開いて母が顔を出してくる。

 「あんた達、お風呂沸かしたから入ってきな。その間におやつでも用意しといてあげるから」

 「「はーい」」

 花と二人庭に座り込んだまま、にやりと笑う母へと口を揃えて答える。ふわりと揺れたレースのカーテンから見えた椅子に座るいつもは寡黙な父も俺達を見て微笑んでいる。  

 (あぁ、幸せだ。)

 心の底からそう思える。こんな幸せがいつまでも続くモノだと、この時はそう信じ込んでいた。

 

 

 それは俺が家を出る事となり最後に旅行にでも行こうと家族で遠出をした日の事だった。

 雨の降る中、信号待ちで止まってた所に大型のトラックが横から突っ込んできて、俺達家族の乗る車は崖を転がり落ちた所までは覚えているが、そこからの記憶は無い。

 次に気が付いた時には、俺は病院のベットの上に居た。全身打撲の片腕の骨折。診察に来た医者に告げられた俺の現状だった。確かに全身が痛むが、その後事情を伝えに来た刑事の一言でその痛みも吹き飛んでしまう程の衝撃を受けた。

 「両親が行方不明?」

 同じ車に乗っていた筈の父と母の姿が消えてしまっていたとのことだ。連絡もつかず、事故現場の周囲を捜索しているが、手がかりは一向に見つからないらしい。つまりは生死不明だ。

 監視カメラなどの映像から、事故直後までは確かに車の中に居たことは確かなのだが事故の後脱出した形跡もないにもかかわらず、車の中に居たのは俺と花の二人だけだったようだった。

 引き続き捜索を続ける、状況がまとまり次第また来ると言い残して刑事はその場を後にした。そして、入れ替わるように入って来た医者に恐る恐る俺は問いかける。

 「花は、妹はどうなったんですか」

 「…妹さんは命に別状は有りません。ですが…」

 医師が言うには花は事故の衝撃で脊髄に著しい損傷を受けており、この先歩行が困難になる可能性があるとのことだ。詳しくは今後の経過を見ての判断となるらしいが、けれど覚悟はしておいて欲しいとのことだった。

 それを聞いて俺は呆然と窓へ目を向けた。反射する自らの顔は青ざめており、生気が無い。

 たった一日だ。それもたった数瞬の出来事でこんなにも呆気なく、幸せは瓦解した。

 

 

 翌日、花が目を覚ましたと医者から教えられるや否や、俺は体の痛みも無視して病室を飛び出した。

 「花…花っ…!」

 縋るようにその名前を呼びながら走り続けて、ようやく花の居る病室へとたどり着く。遅れてやってきた医者が入り口を開けると同時に、部屋の中へと入る。

 「あ…、お兄ちゃん…?」

 同時にか細い声が聞こえてくる。声の出所へと目を向ければ、起き上がることも出来ず、寝たきりの状態の花が薄く目を開いて視線だけこちらに向けていた。

 「花、良かった…」

 慌ただしく傍に駆け寄りその手に触れる。俺の顔を見て安堵するように花の表情が和らぐが、すぐにその視線が後方あたりを彷徨った。

 「お母さんと、お父さんは…?」

 「二人は…」

 言葉に詰まる。伝えても良いのか、伝えないべきなのか。けれど、花はじっと真っ直ぐに見ていて、嘘を付けるとは思えなかった。

 「何処に行ったか、分からないんだってよ。けど大丈夫、すぐに見つかるさ」

 安心させるように笑みを浮かべて、半ば自分に言い聞かせるように言う。大丈夫だ、すぐに見つかってまた家族揃って笑い合える日が来る。

 けれど、現実は無情だった。

 いくら日を跨いでも、両親が見つかったという連絡は来なかった。代わりに、先日説明に来てくれた刑事が再び来訪して、これからの身の振り方を話し合うと共に、車の中に残されていたという父と母の荷物を持ってきた。

 その中には二人の財布や通帳も入っていて、つまりこれを残しては遠くまで移動は出来ない筈だという事だ。警察側もそれは承知の上で、改めて徹底的にそれこそ草の根を分けるまで周囲を捜索したのだが、それでも尚見つからないらしい。

 神隠しにでもあった。最早、そう断言する方が信憑性が出るのが現状だった。

 

 それから暫くして、俺は退院できることとなった。

 「…お父さんとお母さん、見つからないね」

 「…そうだな」

 病室の中でぽつりと花が零した言葉に、一拍遅れて返事を返す。あれからも捜索は続けられたが、やはり両親が見つかったという報告は上がってこない。

 「お兄ちゃん、花たち、どうなるの?」

 ベットで横になったまま外を眺める花の顔には明確な不安が浮かび上がっていた。その眦には涙が浮かんでいる。両親が居なくなって、自分もベットから起き上がる事すらできない現状だ、無理も無い。

 「大丈夫だ、兄ちゃんが何とかする。兄ちゃんが居るから、大丈夫だ」

 浮かぶ涙を拭って、精一杯笑って見せる。そうだ、俺には花しかいない。花には俺しかいない。俺が守るんだ、守らないといけない。

 これからも、ずっと。

 

 

 事故に遭い、両親が失踪した日から数年が経過した。

 あれから俺は花の面倒を見つつ生活費や花の学費の為に働き始めた。幸い家は残されていたし、良い就職先にも巡り合えて両立も叶っている。 

 残された金もまだ余っているし、当面の間は生活に困ることは無いだろう。

 「兄さん、制服を着るの手伝って?」

 「ん、ちょっと待ってな」 

 車椅子に乗った花に呼ばれて、急いで手に持っていたトーストを口に放り込む。

 あれから月日が経って、花も大きく成長した。綺麗な顔は幼さは残るもののモデルと比べても見劣りしないとは家族の贔屓目だろうか。

 数年も経てばもう慣れたもので、ささっと着替えを手伝って花の座る車椅子の後ろに回り押してテーブルの傍まで移動させる。

 花が朝食を食べている間に家事を済ませておく。

 その後は花を学校まで送るため、荷物を持って花と共に玄関へ進む。 

 「…兄さん、ごめんね。」

 「ん、何が?」

 その途中、不意に花が口を開いた。しかし、その声は泣き出してしまいそうな程に震えている。理由を問いかければ、花はぽつりぽつりと言葉を続けた。

 「私のお世話しないとだから、兄さんは結婚も、学校も…」

 「なんだ、そんな事か…。別に花は悪くねぇだろ」

 花も多感な年頃だ。人格が確立してくると共に様々な知識も身に着けて来て、今までは気にしなかったことも気になるようになってしまったのだろう。

 「でも、兄さんは実際…」

 「もう一度言うぞ、花のせいじゃない。これは俺がやりたくてやってることだ。」

 足を止めて、花の正面にしゃがみ込んで向かい合って言葉を続ける。

 「親父とお袋が居なくなった今、俺と花は唯一の家族だろ。助け合って何が悪いってんだ」

 「私、何も返せてない…」

 「返してもらってる。花、お前は俺の生きがいなんだ。お前がいるから、俺は生きていられるんだ」

 冗談めかしたような言い草だが、けれどこれは紛れも無い本心だった。

 花が居てくれるから、俺はこうして笑うことが出来ている。俺にはもう花しかいない。残されているのはもう花だけなんだ。

 「ありがとう、兄さん」

 花の顔にようやく笑みが戻る。それを見て安堵しつつ、くしゃりとその頭を撫でてから俺は花の背後に戻る。

 花が居てくれるなら、俺はなんだって出来る。なんだってして見せる。 そんな決意を胸に玄関を出た俺の視界を太陽が明るく照らした。

  

 

 

 

 

 

 頬をくすぐる感触に意識を取り戻す。瞼を開けると視界に飛び込んでくるのは鮮やかな色取り取りの草花。身体を起こせば、そこは森の中に開けた草原だった。

 「何だ…ここ…」

 見覚えの無い景色に疑問の声が漏れる。何故こんな場所で眠っていたのか、そもそもここは何処なのか皆目見当がつかない。

 ふと視線を上げれば雲一つない青々とした空が広がっている。草花を揺らす風は冷たいが、照らされた日光は暖かい。

 「…」

 呆気に取られて無言のまま脱力して後ろへ倒れ込み、大きく息を吸って吐き出す。

 何がどうしてこうなったのだろう。少なくともこんな場所に来た記憶など一切存在しない。夢にしては感覚も意識もはっきりとし過ぎている。なら必然的にここは現実になるが、それでもにわかに信じがたかった。

 (…まぁ、どこでも良いか)

 そうして思考を放棄して目を瞑る。そう、もう関係ないのだ。今更どこに迷いこもうが、俺は…。

 「あのー」

 不意に透き通るような可憐な声が聞こえてくる。他に人が居たのかと意外に思いながら視線を向けて、そして今度こそ完全に思考は停止した。

 「大丈夫ですか?」

 声を掛けてきたのは一人の少女だった。白い狐の様な耳を頭に生やした彼女の吸い込まれてしまいそうな程綺麗な瞳がこちらへ向けられている。

 「大…丈夫、です」

 射竦められながら零すようにそう伝えれば、少女はほっと安堵したように息を付く。そんな彼女の仕草に連動するように動く頭の耳はそれが作り物ではない事を示していた。

 「こんなところで何をしてたんですか。もう冬も近いんですから、いくら晴れてると言っても風邪を引きますよ」

 「…はい、すみません」

 驚愕も抜けきらない最中に小言を貰い、意味も分からないままに体を起こして謝罪する。それを聞いた少女はおもむろに視線をこちらの顔から外して首、胴体、足へと移していくと首を傾げた。

 「珍しい服…あの、つかぬことをお聞きしますけど、カクリヨという言葉をご存じですか?」

 「カクリヨ…?いや、知らない…です」

 突如として問われた聞き馴染の無いその単語を口の中で繰り返してから分からないと素直に伝えると、しかし少女は何処か合点がいったように頷いた。

 「成程、なら貴方で間違いないみたいですね」

 ぽつりと呟かれた彼女の含みのある言い回しはまるで自分の事を知っているかの様で、けれどこちらはこの少女に覚えは無い。

 「間違いないって、何が…」

 「詳しい事は後で説明します。取り合えずは白上に…って、そう言えば自己紹介がまだでした」

 言いかけた所で不意に少女は言葉を区切ると、改めて向き直り失敗したと照れを隠すように笑みを浮かべ手を差し出してくる。

 「初めまして、私は白上フブキです」

 「俺は、藺月…透です」

 そよ風の吹く森の中の草原の上で見知らぬ少女と名を名乗り合って、笑顔と共に差し出された手を握る。

 これが俺、藺月透と彼女、白上フブキの初めての出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 



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True:Another 2


誤字報告、感謝


 

 「ここにはもう一人と一緒に来たので先にそちらと合流しますね」

 「分かり、ました…」

 白い狐耳を生やした少女、白上さんに先導されて草原を抜け木々の生い茂る森の中を進む。

 前方にある彼女の背にはゆらゆらと五芒星の描かれた毛先が黒の白い尻尾が揺れていて、耳と同様に明らかに作り物では無いそれに非現実的な現状への疑念は深まるばかりであった。

 特に会話も無く前を歩く彼女に続いて森を進んでいると、やがて前方に白上さんと似たような人影が見えてきた。

 「あ、ミオ、こっちですよー!」

 その人影に向かい白上さんが大きく手を振る。すると人影もこちらに気が付いたようで手を振り返すと駆け足で近づいてきた。

 「フブキ、その人が?」

 そう声を掛けてきたのは白上さんとは対照的な黒く綺麗な長髪を腰のあたりで束ね、頭には髪色と同じ黒い獣耳を携えた少女だった。

 「はい、ウツシヨからの迷い人の藺月透さんです」

 「…どうも、透です」

 白上さんに紹介され困惑しながらも頭を下げれば、ミオと呼ばれた少女は一瞬複雑そうな表情を浮かべた後、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。

 「ウチの名前は大神ミオだよ。よろしくね、透君」

 「…よろしくお願いします、大神さん」 

 差し出された手を握りそう返事を返すも、けれどやはり視線はどうしても彼女らの頭の上の部分に留まってしまう。ぴょこぴょこと動く耳は何度見なおしても作り物には見えない。

 「ん、ウチとフブキの耳が気になる?ちゃんと本物だから安心して」

 すると、大神さんがくすりと笑いながら耳を動かして見せる。気づかれていた事にバツの悪さを感じながら、それ以上に改めて耳が本物なのだと痛感させられた。

 「…あの、ここはあの世だったりするんですか」

 思わずといった形で問いかける。現状について先ほどから疑問は募るばかりだった。それを聞いた大神さんは一瞬キョトンと目を丸くして、すぐに表情を崩した。

 「あはは、違うよ!そうだよね、ウツシヨには獣耳が生えてる人はいないもんね。…ここはカクリヨっていって、君が元々いた世界はウツシヨって言うんだけど、その対となる世界だよ」

 「カクリヨ…ですか」

 大神さんの説明を受けてふと先ほどの白上さんの問いかけを思い返す。

 『カクリヨという言葉をご存じですか?』 

 あれは恐らくこの世界の住人か否か、その簡易的な確認だったのかもしれない。しかし、その後に間違いないと言っていたのはどういう事だろう。あの言い方ではまるで…。

 「俺が、あそこに居る事を知っていた…?」

 そのぽつりとした呟きが大神さんにも聞こえたのか、彼女はこてりと不思議そうに首を傾げる。

 「…フブキ、もしかしてまだ何も説明してない?」

 「はい、ミオと合流してからの方が良いかなって思いまして」

 「あー、それなら色々と困惑しちゃうよ…」

 何やらこそこそと二人で話していたかと思うと、すぐに大神さんは納得の声を上げてこちらへ向き直った。

 「ごめんね透君、今からウチ達と一緒にシラカミ神社っていう場所までついてきてもらっても良いかな。その道中で歩きながらになるけど色々と説明もするから」

 手を合わせながらそう言ってくる大神さんは見るからに申し訳なさそうにしていて、少なくとも悪人ではなさそうだと根拠も無しに思う。

 「分かりました」

 俺が頷いて二つ返事で了承すれば、大神さんは「良かった、道はこっちだよ」と先導して歩き始め、そんな彼女について行く。

 どうせ行く当ても無いのだ、何処に連れていかれようとどうだっていい。

 「…」

 そんな諦観にも似た感情を抱きながら歩く俺の姿を白上さんが無言のままじっと見つめていることに、この時の俺が気づくことは無かった。

 

 

 

 

 

 

 「…そんな感じで、ウチ達はカクリヨの異変について調査してるの」

 草原のある森を抜け山を下るとようやくたどり着いた平坦な道を歩きながら、俺は大神さんから現状について諸々の説明を受けていた。カクリヨの異変とはなんでもカクリヨとウツシヨを繋ぐ穴に今までなかった異常が起きているとのことだ。

 「じゃあ、俺の事を知っていたのは…」

 「うん、ウチの占星術。ウツシヨから人が迷い込んでくるって出てたからその保護と手がかりを探しに来たんだよ」

 大神さんは穏やかな口調でそう続ける。暫く話していて何となく彼女の人となりに触れることが出来た気がした。

 そこまで話終えてから、大神さんは不意に白上さんの方へと振り返る。

 「それで、フブキ。透君のいた近くに穴は開いてた?」

 穴とは先のウツシヨとカクリヨを繋ぐ穴の事だ。俺がこのカクリヨに居るという事は少なくともその穴が一度は開いた事を意味する。

 しかし気が付いてからそれらしきものは辺りには見かけなかったし、白上さんもその問いに対して首を横に振った。

 「いえ、透さんを見つけた周辺には開いていませんでした。ミオの方も同じですか?」

 「こっちも一緒、やっぱりもう閉じてたみたい」

 「占い通りですね…」

 そう口にする白上さんは、何やら考え込む様に黙り込んでしまう。物々しい雰囲気でとてもその理由を聞けそうも無い。

 「でも占星術で見えたのはここまででこれ以降については殆ど見えないから、手がかりはゼロになるんだよね…」

 そう言って肩を落とすのは大神さんだ。同時に弛緩した空気の中、ふと疑問が浮かぶ。

 「え、手がかり、無くなったんですか?」

 「そうなんだよー…、少し前からこの時期以降の未来が見えにくくなってて精度もガタ落ち。最後に占えたのが君の出現場所までで、これから先は本当に手探りになるかな」

 「まぁ、元々決定的なモノも無かったですし、そこまで気にすることでも無いんですけどね」

 二人の様子を見るにどうやら調査は難航しているようで、二人は揃ってずーんと音が聞こえてきそうな落ち込み方をしている。

 こちらとしては、何とも気まずいばかりだ。

 「とにかく、そんな訳でウチとフブキについてはこんな感じ。で、次は透君、君の今後の身の振りなんだけど…」

 そう続ける大神さんによって話題の矛先がこちらへと向けられ、思わず顔を俯ける。 

 この見知らぬ世界において選択肢など殆ど無いに等しく、思考する必要もまた無いだろう。身寄りも無い、帰る方法も無い。ならばこそ、選択肢は一つだ。

 俺はこの世界で…。

 「良ければ、透さんもシラカミ神社で一緒に暮らしませんか?」

 「…え?」

 入れ替わり続けられた白上さんのその言葉に、ぱっと俯けていた顔を上げた。まさかそんな提案をされるとは夢にも思わなかった。

 思わぬ提案に答えあぐねて固まっていると、それを見た白上さんは何かに気づいたような声を上げた。

 「あ、別に調査を手伝えーとは言いませんよ?これは元々白上達のオツトメですし、ただ透さんに行く当てが無いなら丁度良いかと思いまして」

 「うん、勿論ウチも歓迎するよ」

 ちらりと大神さんへと視線を向ければ、彼女もまた肯定するように頷いている。そんな彼女たちを見て、むしろ混乱は増していくばかりだ。

 「何で、俺みたいな人間を…」

 せめて彼女らに何かしらの益があるのならまだ理解できる。しかし、これでは本当に苦労のみで何も対価が無い、俺に彼女らの助けとなれるような何かは無い。なのに、どうしてそこまでしようとしてくれる。

 そんな疑問をはらんだその問いかけに、けれど白上さんはキョトンとした顔を浮かべて何ともなしに答えた。

 「何でも何も、ここで見捨てたら透さんが路頭に迷っちゃうじゃないですか。それに白上も賑やかな方が好きなので、一緒に住んでくれると嬉しいです」

 笑顔でそう言う彼女に邪気は一切なく、ただ純粋にそう思い言ってくれているのだと分かった。故にそれを目前にして言葉を失ってしまうのもまた必然であった。

 「だから遠慮はしないで下さい。勿論、貴方が他を当たりたいというのなら無理強いはしませんけど…、どうですか?」

 迷う俺を後押しするように白上さんは言ってくれる。こんなにも優しい言葉を掛けられたのは、生まれて初めての様な気がした。

 「…お世話に、なります…」

 「はい、よろしくお願いします、透さん!」

 狼狽えつつ最早こう答える他ないそのぽつりと零された俺の言葉を聞いて、白上さんはにこりと花の様な笑顔を咲かせた。

 

 

 

 

 

 

 それから歩き続けて暫くの時間が経過した頃、平坦な道の先に幾つかの山々がその姿を見せてきた。 

 「あの山の上にあるのがシラカミ神社だよ」

 言いながら大神さんが指さす方向へ目を向ければ、確かに上の方に建物らしき影が見える。

 「ちなみに透君、今お腹は空いてる?」

 「え?はい、それなりには空いてますけど」

 不意に投げかけられた大神さんの問いに改めて自分の腹具合を計りつつ答える。なにせ先ほどから歩き詰めで、身体がエネルギーの補給を求めているのか時折抗議するように胃が音を鳴らしていた。

 そんな俺の答えを聞いた大神さんはくすりと小さく笑みを零した。

 「なら紹介も兼ねてミゾレ食堂に行こうか。シラカミ神社の麓にある食堂なんだけど、料理がどれも美味しくて…」

 「特にきつねうどんなんて何杯でも食べれちゃいますよ」

 うっとりとしている二人の顔を見れば、そこが彼女らのお気に入りの店であることは一目瞭然であった。

 そうしている間にも見える山もどんどんと大きくなっていき、やがて目的の麓へとたどり着いた。話の通りそこには一軒の建物があり、掲げられた看板にはミゾレ食堂と大きく書かれている。

 「お邪魔しまーす」

 白上さんが先導して扉を開け声を掛けながら中に入る。それに続いて食堂に入れば、丁度奥の方から恰幅の良い女性が出て来てこちらへ向かってきていた。

 「おや、あんたらかい、今日はやけに早いじゃないか。…そっちは見ない顔だね」

 見知った様子の白上さん、大神さんに続いて、じろりとこちらへ視線を向けると女性は怪訝な表情を浮かべる。

 「ミゾレさん、こちらウツシヨからの迷い人の藺月透さんです。」

 「初めまして、透です」

 「ウツシヨの…」

 白上さんから紹介を受けたその女性は瞠目して口の中で繰り返すも、すぐに切り替える様に目を瞑り、改めてこちらへ向き直る。

 「あたしはミゾレ、このミゾレ食堂の店主さ。あんた…透でいいかい?あんたも災難だったね、これからどうするかは決まってるのかい」

 何処か同情的な女性、ミゾレさんの視線に戸惑いを覚えつつ首肯する。

 「あ、はい。シラカミ神社に厄介になる事に…」

 「そうなんですよ!シラカミ神社の住人が今回増えることになりまして!」

 言葉の途中で、白上さんがテンション高めに割り込むよう声を上げる。そんな彼女の心情を表すようにその尻尾は激しく左右に振られており、ぴょこぴょこと頭の獣耳が動いている。

 「透、あんたマタタビでも持ってるんじゃないだろうね」

 今度は別の意味で驚いたようで、ミゾレさんはそんな白上さんの姿を見て顔を引きつらせていた。

 「いえ、特には」

 「ちょっとミゾレさん、白上は狐ですよ、猫扱いしないで下さい!」

 ぷいとそっぽを向いて分かり易く拗ねて抗議の声を上げる白上さんに、ミゾレさんは「あー、はいはい」と慣れた手つきで簡単にあしらう。

 「とにかく、透。あんたの身の振りが決まってるのならそれでいいさ。けどね、最後に一つだけ聞かせてくれないかい」

 「…?なんでしょうか」

 打って変わって神妙な雰囲気を醸し出すミゾレさんは、一つ息を吐くと真剣な鋭い眼光でこちらを射抜いた。

 「あんたは、ウツシヨに帰りたいと思っているかい?」

 「…」

 真っ直ぐと突きつけられたその問いに思わず口を噤む。

 ウツシヨに、元居た世界に帰る。ミゾレさんに改めて問われたが、普通は最初から考えるべき問題ではあるのだろう。

 帰りたいか、帰りたくないのか。その両者で言えば俺は…。

 「いえ…どちらの世界でも、変わらないので」

 「…そうかい、それなら…まぁ良いさ。注文が決まったらまた声を掛けな」

 満足のいく答えとはいかなかったのだろうが、それでも納得はしてくれたようでミゾレさんはそのまま背を向けて言い残すと食堂の奥へと戻って行ってしまった。

 「ミゾレさんどうしたんだろう…」

 「少し様子が変でしたね」

 そんなミゾレさんの後姿を見送って二人は不思議そうに首を傾げている。顔見知りの二人がこう言うのだ、何かしらウツシヨに関して思う所があるのかもしれない。

 「まぁ何はともあれ、透君の歓迎会も兼ねて、今日は沢山食べちゃおう!」

 空気を切り替える様にパンと柏手を打った大神さんは、テーブルに備え付けられていたメニューを手に取り眺め始める。

 「透さんは何か好きな食べ物とかありますか?」

 同様にメニューを手にした白上さんは隣に寄って来るとそう言って見やすいようにメニューを広げてくれる。

 「いや、特に好き嫌いは無いですけど…」

 「そうですか?ならきつねうどんとかどうでしょう。ここのきつねうどんは出汁も良くでてまして…」

 俺の答えを聞いた瞬間、白上さんはぴかりと目を光らせてここぞとばかりにきつねうどんを勧めてくる。だがしかし、それに突如として待ったをかけたのは大神さんだった。

 「待って、ぼんじり定食だって負けてないよ!炭火で焼かれたぼんじりは香ばしくってたれの旨味ともマッチしてて…」

 「いえ、きつねうどんが…」

 「いやいや、ぼんじりが…」

 そうして額を付けて言い合いながら段々とヒートアップしていく二人の様子を、座ったまま呆然と眺める。

 互いにそれぞれのオススメについて語り合うが、両者共に引く様子は見せない。やがて、その矛先は互いから第三者のこちらへと向けられた

 「「透君(さん)はどう思う(いますか)!?」」

 「えっと…」

 二人に詰め寄られ、後ろへ体を逸らしながら顔を引きつらせる。とはいえ、これではどちらを選んでも角が立ってしまう。

 「じゃあ、両方で」

 「「…」」

 必然的に選ばれた回答。それを受けた二人は、無言のまま互いに顔を見合わせる。

 「…まぁ」

 「それでしたら…」

 続けざまに言う二人は何とか納得してくれたようで、ひとまず場が収まったことにホッと息を吐く。そして注文内容も決まった所で、俺達は食堂の奥のミゾレさんへと声を掛けた。

 

 

   

 

 

 

 「透さん、大丈夫ですか?」

 「…大丈夫、です」

 ミゾレ食堂のある麓から進んで山の中枢から始まった階段の途中、こちらへ声を掛けてくる白上さんにそう返しつつまた一歩段差を昇る。

 先ほどのミゾレ食堂で注文したきつねうどんとぼんじり定食。両方ともそれなりに量があり、その後に山登りともなると中々キツイものがあった。

 「あはは、ごめんね透君。ウチとフブキの意地の張り合いのせいで…」

 「いえ、全然。余裕ですので」

 苦笑いでバツの悪そうに後頭部に手をやる大神さんに一応は強がって見せるが実際の所、食後の運動時特有の脇腹の痛みに苛まれている最中である。

 次は絶対に二つ頼むような事はしない、密かにそう心に刻み込む。

 (…けど、不思議な感覚だった)

 ふと先ほどのミゾレ食堂での食事を思い出す。ああやって誰かとわいわい騒ぎながら食事をするというのも悪くないと思う自分に、正直驚いていた。

 それに次の事を考えている。その事実がどうにも心が落ち着かない。

 「そろそろ到着ですよ」

 そんな白上さんの声が聞こえて顔を上げた。

 階段の先、一歩上がるごとにその全貌が見えてくる。広い境内の先、見えてくる建物。階段を昇り切ると、軽い足取りで二人は目の前へと回り笑顔で声を揃えて言った。

 「「ようこそ、シラカミ神社へ!」」

 

 



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True:Another 3

 

 窓から差し込んでくる月光に照らされた部屋に一人横になってずんと押しつぶされてしまいそうな暗闇の天井を見上げていた。

 いつの間にやらカクリヨと呼ばれるこの世界に迷い込んでしまった一日が終わりへと向かっている。あの草原で目を覚まして白上さんと出会ってから、大神さんやミゾレさんとカクリヨの住人と巡り合い、あれよあれよという間にこのシラカミ神社で生活することになった。

 神社に到着してこうしてあてがわれた和風な畳ばりの部屋は、先ほどまでの喧騒に比べてシンと静まり返っていて、まるで時間の流れに取り残されてしまったような心地になる。

 あの二人、白上さんと大神さんが生粋の善人である事はこの短期間でも良く分かった。見ず知らずの人間にここまでしてくれるなどそう簡単に出来ることでは無い。しかしその所為なのか、それとも非日常的な現状がそうさせるのか、先ほどからずっと心に荒波が立って落ち着かない。

 (…外の空気でも吸おう)

 少しでも気を紛らわせようと立ち上がり、そのまま部屋を出る。二人はもう床に就いたのか人の気配の無い廊下は静寂に包み込まれていて、玄関で靴を履き夜空の下へと身を晒すのと同時に丁度一陣の風が吹き抜ける。微かな冬の匂いをはらんだ空気を大きく吸い込めば、心なしか胸の奥がすっと軽くなった。

 「…」

 見上げれば雲一つない満天の星空が丸い満月を添えて広がっている。手を伸ばしても決して届くことの無いそれを前にして、心は平穏を取り戻すのではないかとも思ったが、しかし期待以上の成果は無かった。

 どれだけの時間、そうしていただろう。不意に背後から玄関の扉が開く音がして誰かが外へ出てきた。

 「眠れないんですか?」

 そう声を掛けてきたのは白上さんだった。目が合うと彼女はふわりと優しく微笑みかけてくる。

 「今日は雲もなくて星がよく見えますね」

 「…はい、本当に綺麗です」

 隣に来た白上さんへ空に目を向けたまま答えると、それを聞いた彼女は「ですよね」とはにかみながら続ける。

 「ここから見る景色は白上もお気に入りなんです。星座に詳しい訳ではないんですけど季節によって形が変わっていって見える星も違うのは何というか…そう、風情があります」

 そう話す白上さんは目を細めて慈しむ様に空を見上げていた。彼女は本当に、ここから見える星空が好きなのだろう。

 「えぇ、理解できます。カクリヨにもウツシヨと同じところもあって、少し安心してたところでして」

 「…嘘ですね」

 「…っ」

 鋭いその指摘に動揺から思わず声を詰まらせる。ぱっと白上さんの方へ視線を向けると、薄く微笑んだままの彼女と視線が交差した。

 「分かりますよ、透さんがこの景色を何とも思ってないことくらい。それでも、白上に話を合わせようとしてくれたんですよね」

 「何で…」

 続けられた彼女の言葉に、俺はそれだけ返すことで精一杯だった。それ程までに白上さんの指摘は的確で、完全に図星を突かれた形となる。

 表情に出ていたかと自らの顔に手を当てて隠すも、白上さんはそんな俺を見てくすくすと笑い声を上げた。

 「表情から読み取った訳じゃないですから安心してください。多分ミオは気づかないと思いますし。白上は何となくそう思っただけなので」

 そう話す彼女は嘘をつかれたにもかかわらず気分を害した様子も無く、ただ何でもないように再び空へと視線を戻す。

 「今日は透さんにとって未知の連続で戸惑うことも多かったと思います。だから今はゆっくり、少しずつでいいので現状を飲み込んで行って下さい。その間もそれからも、この神社に居て貰って構いませんので」

 あくまで優しさを見せる白上さんに、気が付けば勝手に口が開いていた。

 「どうして、そこまでしてくれるんですか」

 二度目の同じ内容の質問。それを受けた白上さんはチラリと流し目をこちらへ送る。

 「…理由、気になりますか?」

 「そりゃ気になる…気になります」

 一瞬敬語が崩れかけて慌てて言い直すが、流石に聞き取れたようで隣の彼女は少し驚いたように目をぱちくりと見開いていた。

 「無理に敬語じゃなくても良いですよ?白上のこれは癖ですけど、透さんが話しやすいのなら普通で。白上もそちらの方が良いと思いますし」

 「いえ、このままで。…それより、理由は」

 適当に誤魔化しつつ逸れかけていた話の軌道を戻す。

 ここまで話を引っ張ったのだ、神社への道中で聞いたものが全てではない事は明白だ。しかしそれが何であるのか、俺には見当もつかない。

 「うーん、そうですね…」

 白上さんは少し迷うように唸り声を上げる。

 正直に言ってしまえばわざわざ聞かなくても良い事なのかもしれないが、それでも聞くのは彼女の今までの言動に何処か引っ掛かりを覚えたからだ。そして、俺はその正体を知りたいと思った。

 彼女の言葉の続きを固唾を飲んで待つ。けれど少しの間の逡巡の後、白上さんは人差し指を口に当てて悪戯な笑みを浮かべた

 「やっぱり、内緒です」

 「内緒って…」

 まるで空腹の中食事を目の前で取り上げられたかのようで、思わず言葉を失う。そんな俺を見つつ、白上さんは尚も続けた。

 「さっきも言ったじゃないですか。まずは現状を飲み込んでください。次から次に詰め込むと頭が爆発しちゃいますよ」

 「現状…」

 ふとそれを受けて自らの胸に手を当てる。ざわついていた心は、未だに落ち着きを取り戻す気配は無い。

 「きっと透さんなら大丈夫です。白上が保証します」

 そう言い切った彼女の声は、何故だろうか、確信に満ちていた。その理由すら、聞いても答えは返ってこないのだろう。

 現状を飲み込むことが一体どういった意味を持つのか、今の俺には分からない。

 そんな疑問に翻弄される俺を置いて、白上さんは「それで」と言葉を続ける。

 「もし透さんの心の整理がついてこの景色が綺麗だって心の底から思えるようになったら、その時は一緒にお月見でもしましょう」

 「月見…ですか」

 改めて夜空を見上げれば、キラキラと輝く星々は飽きることも無くその光を放ち続けている。確かにそれは綺麗と言えば綺麗だが、白上さんが言っているのはそういう事では無いのだろう。

 「はい、お月見です。お茶にお団子を持って、満月の夜にあの屋根の上で夜空を眺めるんです。お茶の淹れ方には一家言ありますので期待しててください」

 「…そうですね。その時が来たら、是非」

 まだ不明瞭な未来の話に思わず浮かんだ苦笑い。それと共に零したその答えを聞くと、白上さんは満足そうに微笑んで見せた。

 「それでは、白上はそろそろ戻ります。透さんも身体が冷えない内に戻ってくださいね」

 「分かりました」

 神社へと戻る白上さんの背を見送ると、残された俺は一人空を見上げながら先程の彼女の言葉について考える。

 (心の底から思える、か…)

 目の前に広がる壮大な自然は綺麗に思える。だが、それが心からの感想かと言えば首を傾げざるを得ない。前からそうだった、これが俺にとっての普通だった。

 これ以上の景色が、白上さんは有ると言うのだ。

 「本当に、そんな時が来るのか…?」

 ぽつりと零したその疑問は誰に届くことも無く、吹いた北風に紛れて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 翌日、朝日を迎えるよりも先に目を覚まし、部屋を出る。

 あれから部屋に戻ってからも思考が途切れることは無く、横になったままぐるぐると思考を巡らせていて、気が付けば意識を落としていた。

 それでも結局答えが出ることは無く。こうして日を跨いでもどうにも落ち着かない心地に変化は無かった。

 いや、落ち着かないというと少し語弊があるかもしれない。どちらかというとこれは困惑に近いのだろう。白上さんに出会って彼女達と接しているこの状況が、今まで感じなかった感情を生じさせている。

 (初めて出会うタイプの人達だからなのか…?)

 少なくとも、これまでの人生において彼女らの様な人は見たことが無い。まぁ、そもそもウツシヨでは獣耳を頭に生やしている人自体が見当たらない為、それは当然と言えば当然なのだが。

 「…っ、今は気にするだけ無駄か」

 頭を振ってまた考え出そうとする思考を追い払う。一晩考えて答えが出なかったのだ、気にし過ぎても仕方がない。

 今はそれよりもと、階段を下り、先日教えて貰った一階にあるキッチンへと足を向ける。

 「確か、自由に使って良いって言ってたよな」

 場所を教えて貰った際に、大神さんからここにある食材に関してはそう聞いていた。

 キッチンに入って腕まくりをしてから棚から適当に食材を取り出し包丁を持つ。唯一、俺の趣味と言って良いのが料理をする事だった。料理をしている間は、それに集中してそれ以外の事を考えなくて済むからだ。

 「…」

 とんとんとリズミカルな音を響かせながらただ無心のままに野菜を切り、出汁を取ったりと下ごしらえを進めていく。いつもより多い量の調理は、けれど考える事の多い現状においては丁度良かった。

 やがて外では山の向こう側から太陽が顔を出してきて、窓からはまぶしい朝日が差し込んできだした頃、キッチンの外からバタバタと慌ただしい足音が聞こえて来て、ばっと入り口の暖簾が勢いよく上がった。

 「寝坊しちゃった!早く朝ごはん作らないと…、ってあれ、透君?」

 勢いよく入って来たのは大神さんだった。余程慌ててきたのか髪に少しの寝癖を残した彼女はキッチンに入るなりこちらの姿を見つけるとぽかんと目を丸くしていた。

 「おはようございます、大神さん」

 「え?あ、うん、おはよう透君。…あれ、透君?何でここに?」

 寝起きでまだ頭が回っていないようで、頭上に?マークが浮かぶ勢いで混乱している大神さんはそう同じ質問を繰り返した。

 余程俺がここに居る事が想定外であったらしい。

 「すみません、世話になるのでせめて朝食だけでも作ろうかと。…迷惑でした?」

 「いやいや、それは凄く助かるんだけど…へー、透君料理できたんだ」

 「基本的に、自分で作ってたので」

 話しつつ味噌汁に切った豆腐を投入する。既に米も炊けており野菜炒めも完成していて、魚も今焼き上がった所だ。

 特に焦がしたりなど失敗は無く味はどれもいつも通り、普通に出来上がっている。

 次いで洗い物を済ませる俺の様子を、まだ驚きが抜けきらないのか大神さんは呆然と見つめていた。

 「美味しそう…」

 「…そうですか?口に合えば良いんですけど」

 ぽつりとした大神さんの呟きに返しつつ、出来上がった料理をそれぞれ皿や器に移す。

 「あ、じゃあウチはフブキを起こしてくるね。透君、空いてるフライパンとお玉借りるねー」

 「はい…え?」

 ささっと横を通り過ぎていく大神さんの言葉に、今度はこちらが呆然とする番だった。何故ただ人を起こすのにフライパンとお玉が必要になるのだ。

 しかしそう問いかける暇もなく、大神さんはキッチンから出て行ってしまった。

 「…まぁ、良いか」

 取り合えず気にしない事に決めてから少しして、がんがんがんとけたたましい金属音とそれに付随する甲高い悲鳴が神社に響き渡った。

 成程、ここまで破壊力が高いものなのかと謎に納得しながら、盆に皿を乗せて居間へと運ぶ準備を整える。やがて白上さんを起こし終えフライパンとお玉を戻しに来た大神さんと共に盆を持ち居間へと料理を運べば、居間では白上さんが既に席について眠たそう眼を擦っていた。

 「うぅ、もう少し平穏な起こし方があっても良いと思うんですけど…。あ、透さん聞いてくださいよー!」

 「はいはい、フブキー。恨み言は後で聞くから。今日は透君が朝ごはんを作ってくれたんだよ?」

 その瞳に涙をためたまま声を上げる白上さんだったが、大神さんがそう言えばきょとんと溶けていた顔が元に戻る。

 「そうなんですか?」

 「あー、はい、一応。不味い事は無いと思うんですけど」

 白上さんの問いかけに曖昧な答えで返す。

 自分で食べる分には良くても他人もそうだとは限らない。過ぎたことをしたかと若干の後悔が浮かぶが、完全に後の祭りな為そのまま配膳して大神と共に席に着く。

 が、やはり心配なものは心配で緊張が走るも、それを見た大神さんがくすりと笑う。

 「ねぇ透君、多分心配はいらないよ?」

 「へ?」

 しかし聞き返す前に待ちきれないとばかりに白上さんは手を合わせていて、俺は疑問を飲み込んで、俺達は揃って手を合わせる。

 そして、『いただきます』と声を合わせて言えば、白上さんと大神さんはそれぞれ箸を手に取って料理を口に運ぶ。

 「透さん、これ美味しいですよ!」

 「あ…」

 途端に、白上さんは目を輝かせて声を上げる。さらにそこで彼女の手は止まらず、見るからに美味そうに次々に箸を進めていく。

 そんな彼女を前に、俺はぽかんと口を開けて驚いていた。

 「ね?心配いらなかったでしょ?あんなに美味しそうに食べられたら、作った側も嬉しくなっちゃうよね」

 そう話す大神さんもまた一口食べると「ん、美味しい」と笑顔で声を漏らした。

 大袈裟に言っているだけだ、そう自分に言い聞かせつつ料理を口に運ぶ。  

 (…美味い)

 先ほど、味見した時はいつも通りだった。平凡でありふれた味だった。

 なのに今はどうだ。本当に自分が作った料理なのかと疑ってしまう程に、温かな味が口いっぱいに広がっている。

 (あぁ、まただ)

 昨日もそうだった。ミゾレ食堂で二人と共に食事をして、その時に食べた料理が何よりも温かくて優しくて、こみ上げてきた感情に翻弄されてしまった。

 今確信した。料理ではなく、この二人のせいだ。彼女らと共に食事をするだけで、共に居るだけで、俺はこうも容易く感情を制御できなくなってしまう。

 (…何なんだよ、これは)

 そんな疑問を抱えたまま、その疑念を振り払うように俺は次々に箸を進めた。

 

 

 

 

 

 

 皿洗いなどを終えた後、大神さんに話があると言われた俺達は再び居間へと集まっていた。

 「それで今日の予定なんだけど、透君にこの付近で一番大きな街であるキョウノミヤコを案内しようと思います。」

 大神さんが言うとそれに続いて白上さんが拍手を送った。しかし、対して俺は彼女の提案に待ったをかける。

 「あの、調査は良いんですか?俺の事はあんまり気にしなくても、そっちの方が重要な筈な筈では…」

 彼女らに他にやる事があるにも関わらず、こうして時間を取る訳にもいかない。そう進言すると、大神さんと白上さんはぺたりとその耳を垂れさせる。

 「うん、まぁ、一応その通りではあるんだけど…。今は何も手がかりが無いからぶっちゃけやることが無いんだよね…」

 「はい、なら透さんに案内するついでに何か目ぼしい情報が聞けないかと画策している所存でして…」

 「あー…なんか、すみません。」

 揃ってがっくしと肩を降ろす彼女らの姿に思わず謝罪を口にする。

 そう言えば昨日もそんな事を言っていた。確か俺の情報を最後に手がかりは消えてしまったのだったか。意図せず痛い所を突いてしまったようだ。

 「とにかく、そんな訳でキョウノミヤコに行くんだけど…透君にはちょっと遠いと思うから、今日はちゃんと移動手段を用意しました」

 「「移動手段?」」

 空気を切り替える様に柏手を打った大神さんの言葉に、白上さんと口を揃えて疑問を零す。どうやら白上さんにも知らされていない様だった。

 移動手段とは何かと聞くも、大神さんには後でのお楽しみと言われて、俺達は準備を整えてから改めて集まり神社の外へと向かう。

 しかし、外に出てもそれらしきものの姿は無い。山を下ってからだろうかと考えるも、それに反して大神さんは神社の境内で立ち止まっている。

 「ミオ?移動手段て、何を用意したんですか?」

 「ん、ちょっと待っててね。今呼ぶから」

 白上さんも疑問に思ったようでそう問いかければ、大神さんはそう答えながら上空を見上げて手を上げる。

 それに釣られる形で俺と白上さんも青い空を見上げると、何やら上空からこちらへ向かって落下してくる黒い影を見つけた。

 ぐんぐんと大きさを増していくそれは、やがてふわりと風を起こしながら俺達の目の前へと着陸した。

 「これは…」

 風が止み、目を開けて視界に映ったのは荷台を引く、炎を纏った馬か龍の様な見たことも無い謎の生物であった。

 「この子は麒麟って言う生物で、知り合いが使役してる子なんだけど、昨日の内に借りれないか連絡を取ってたの」

 「あの、白上も初耳なんですけど。ミオ、麒麟を持ってる知り合いがいたんですか?」

 「うん、フブキと透君にも今度紹介するね」

 白上さんにそう返しつつ、大神さんは手慣れた様子で麒麟の引く荷台へと乗り込んでいく。驚きも冷めやらぬ中、それに続いて荷台へと乗り込めば、麒麟は確認を取るように鳴き声を上げた。

 「それじゃあ、キョウノミヤコまでお願い!」

 そんな大神さんの声に反応して麒麟はぶるりと体を震わせると、内臓の浮くような浮遊感と共に空へと飛び上がる。備え付けの窓から外を覗けば、ぐんぐんと下に地面が離れて行っていて高度は増していく。

 こうして俺達はキョウノミヤコへと向かいシラカミ神社を出発した。 

 



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True:Another 4

 

 がやがやとした喧噪が辺りを埋め尽くしている。

 街のいたるところに張り巡らされた大きな通りの端では様々な露店が出展されていて、その通りを行きかう人々は各々が目的をもって行動しているにも関わらず、しかしその中で俺は一人目的も無くぽつんと立ち尽くしていた。

 辺りに見覚えのある白の獣耳も黒の獣耳は見えず、それと同時に自分が現在どこに居るのか皆目見当がつかない。これが意味するところはつまり、彼女らと完全にはぐれてしまったという事だ。

 「…そんな、二日続けて迷わなくてもいいだろ…」

 迷子である。紛れもなく、言い訳のしようのない迷子である。

 逃れられない現実を前に思わずぽつりとため息交じりに声を漏らす。こうなった経緯として、数刻ほど前に時間は遡る。

 

 

 

 

 「透さん、こちらがヤマトで最大の規模を誇る都市キョウノミヤコです!」

 麒麟が着陸して荷台から降りた後、開口一番に元気溌剌といった様子で言うのは白上さんだった。彼女の手の指す先にはぐるりと壁で覆われた傍目から見ても大きな都市がある。

 都市相応の規模の入り口には多くの人々が中へ入っていき、同じだけの人々が出て来ていてこの都市が栄えている事は一目瞭然であった。

 「…白上さん、何でそんなにテンションが高いんですか?」

 しかし、それ以上に今気になるのは目の前の少女のその高揚ぶりであった。目を爛々と輝かせる彼女は今にも飛び出していってしまいそうで、このキョウノミヤコに向かっている最中も近づくにつれて見るからにウキウキとしていた。

 「それはもう、ここには様々な屋台が揃っていますから。白上の夢はこのキョウノミヤコの屋台を一日の内に全制覇する事なんですよ!」

 テンションもそのままに尻尾をぶんぶんと震わせる白上さんに、さしもの大神さんも薄く苦笑いを浮かべていた。

 「あはは、ミヤコはフブキのお気に入りだからね。ウチも一緒に来ることは有るけど、基本的にいつもこんな感じだよ」

 「へぇ…でも、確かに良い所みたいですね」

 話しながらふと辺りへと視線を向ける。先程からすれ違う人々は誰もその顔に笑みを浮かべていて、それだけでもここがどんな場所なのか分かるというものだ。

 「あ、透さん。今日は案内優先ですけど、今度透さんが良ければ一緒に屋台巡りをしてみませんか?」

 と、不意に白上さんに誘い掛けられて思わず瞠目する。

 「え、俺もですか」

 「はい!色んな地域から人が集まって露店を開いてるので色んな料理がありますし、きっと楽しいですよ?」

 大きく頷いて手を取りながら白上さんは言ってくるが、しかしそんな彼女には心苦しさを感じつつも、俺は首を横に振った。

 「お誘いはありがたいんですけど、俺は今無一文なので…」

 恐らく大都市の露店という事も有りそれなりに値の張るものも多いだろうし、そもそもカクリヨに迷い込んだ際には何も荷物を持っていなかった為現在の所持金はゼロである。

 それを手短に伝えたのだが、それを聞いた白上さんはキョトンと目を丸くした。

 「無一文…あ、お金を持ってないって事ですか?」

 「え?あぁ、はい」

 確認するように問いかけてくる白上さんに、まさかそんな反応が返って来るとは思っておらず面食らいながら首肯する。

 すると、白上さんは「なんだ、そういう事ですか」とあっけらかんと答えるとほっと息を吐いた。

 「お金の事なら心配しなくても大丈夫ですよ。ウツシヨでは必要かもしれませんけど、カクリヨの特にこのヤマトではお金は必要ありませんから」

 「必要無いって…じゃあ、カクリヨの人達はどうやって生活を?」

 続けられた言葉にそう質問を投げかければ、説明を引き継ぐように今度は大神さんが口を開いた。

 「カクリヨだと基本的に対価は請求しなくて、みんなそれぞれの助け合いってことでその辺りは成立してるの。だからお金は必要にないってこと」

 「まぁ、助け合いと言っても各々がやりたい事をやってるだけなので、そこまで気にする必要もないんですけどね」

 「…」

 二人から説明を受けて思わず言葉を失ってしまった。そしてそれと同時に目の前の彼女らの人の良さ、その一端にはこのカクリヨという世界そのものの特色が少なからず関与しているのだと納得に似た感情を抱いた。

 「それで、どうですか?勿論透さんが白上と一緒は嫌だと仰るようでしたら、白上も仕方ないと泣く泣く諦めますけど…」

 「その言い方はずるくないですかね…。…機会があれば」

 ぺたりと耳を垂れさせながらしゅんとした表情で行ってくる彼女を拒むことなど出来ずに折れれば打って変わってぱっと白上さんの表情が明るくなる。

 「本当ですか!いやー、楽しみが増えちゃいましたね」

 「もう…透君、あんまりフブキの事甘やかさないようにね?」 

 白々しい様子で言ってのける白上さんに呆れたように息を吐いた大神さんからそう釘を刺され、曖昧な笑みを浮かべる。

 とはいえ今のはどう抗っても断れる気がしないし、白上さんもそれを分かった上での行動だろう。

 「さて、それではそろそろ今日の本題に…」

 話もひと段落したところで白上さんがそう切り出すと同時、キョウノミヤコの方から急に大きな歓声が響いてきて三人揃って視線をそちらへ向ける。

 壁に遮られて中の様子は見えないが、何やら盛り上がっているらしい。 

 「…本当に賑わってる都市なんですね」

 「流石にここまで盛り上がってるのは珍しいかも…、何かあったのかな」

 「取り合えず見に行ってみましょうか」

 入り口付近という事も有り、一旦歓声の出所へと向かってみることに決まる。大きな入り口を通り、キョウノミヤコへ足を踏み入れてみれば、少し先にある大きな広場に人だかりが出来ているのが見えてきた。かなりの人数がいるようで、広場に留まらず通りの方にまで人手埋め尽くされている。

 『皆さまこの素敵な夫婦に今一度大きな拍手と歓声を!!』

 人混みの傍まで近づいて行くと徐々にそんな声が聞こえて来て、呼応するように再び盛大な拍手と歓声が上がる。それを見て、白上さんと大神さんは納得したように声を上げた。

 「あー、あれは多分結婚式だよ。ほら、見えづらいけどあっちの方に花婿さんと花嫁さんがいる」

 「花嫁さんの衣装、綺麗ですね…、やっぱり一度は憧れちゃいます」

 そう口々に言う二人だが、しかしこちらからはそれらしい姿は見当たらない。周りを見るにどうやらかなり奥の方に居るらしく、視力は悪くない筈が、到底肉眼で見える距離にはいない様だった。

 にも関わらず何故周囲の人々は見えるのだろうと不思議に思いつつ、何とか見えないものかとふらりと空いているスペースへと横に移動する。

 「透君、そっちは…!」

 『それでは皆様、新たな夫婦のご退場です!中央を開けて二人の新たな門出を祝う道の用意をお願いします!』

 同時に大神さんが何やら声を上げるが、それをかき消すようにアナウンスの声が響いてくる。すると、丁度白上さんと大神さんのいる辺りと俺のいる位置の中央を分かつように人が流れ始めた。

 膨大な人の流れにあらがうことも出来ずにそのまま二人との距離はどんどん離れて行き、やがて俺達は通りの左右へと完全に分断されてしまった。

 こうなった以上、あの新郎新婦が通りすぎるまで合流は出来ないだろう。そう思いそのまま周りに合わせてその時を待つも、けれど事はそれで終わりはしなかった。

 新郎新婦が通り過ぎた後、解散の雰囲気となるも別れた二つに人混みはしかし合流することは無く、左右そのままでその場から離れる様に移動を開始してしまった。

 「透さーん!」

 「透君!」

 微かに聞こえてきた二人の声に振り返れば、離れた人混みの中に白と黒の獣耳が見える。しかし彼女らも同様に人込みに流されているようで、どんどんと互いの距離は離れて行き、やがて完全に見えなくなった。

 

 

 

 

 

 そうして現在に至る。

 あれから何とか少しずつ散ってい行った人の流れからは抜け出せたが、かなりの距離を移動してしまい周りを見る余裕も無かったため何処をどう通って来たのかは見当もつかない。

 (しかし本当に困ったな…)

 あの二人も逆方向に移動してしまって俺を追って来る事は出来ないだろうし、かといって俺も元居た場所に戻る事も出来ない。

 これはいわゆる詰みという奴だろうか。

 他人事のように考えながら、どさりと道の端においてあるベンチへと腰掛ける。

 「「はぁ…」」

 そうして吐いたため息は重なって聞こえた。いや、実際に重なったのだ。一つは俺のため息、そしてもう一つは隣に離れて座る先客のモノ。

 ふと隣へと目を向けて見れば、丁度こちらへ向けられた紅の瞳と視線が交差した。

 その瞳の主は可憐な少女だった。幼さの残る端正な顔立ちに側頭部には鬼のお面を付けていて、何よりその額には二本の角が生えている。

 「…鬼?」

 思わず連想した単語を呟けば、赤を基調とした和服を身に纏う彼女はぱちくりと目を瞬かせた。

 「今、余の事…」

 「あ、すみません。いきなり失礼しました。」

 呆然と口にする少女に、初対面の見ず知らずの相手に言うことでは無かったと慌てて謝罪する。だが、彼女はそれを聞く様子も無く、ぐいとこちらに身を乗り出してくる。 

 「もしかして、鬼の事知ってる?余の事見て驚かないの?」

 「え?いや知ってるって、伝承くらいですけど…」

 続けざまに聞いてくる彼女にそう答えれば、あからさまに少女はしゅんとした様子で「そっか…」と呟く。何やら訳ありなようで、落ち込む彼女は何処か寂し気に見えた。

 しかしすぐに少女は頭を振り、切り替える様にぱちんと両頬を叩いた。

 「余の方こそいきなりごめん、ちょっと気になっちゃって。…初めて見る格好だけど、何処のヒト?」 

 すると少女は物珍しいも物を見る様にジッと俺の着ている服を見て問いかけてくる。確かにウツシヨの服装とカクリヨの服装とでは和服と洋服で差が目立ちやすい。

 「あぁ、俺は…」

 自分がウツシヨからカクリヨに迷い込んだことを少女へ手短に説明する。

 「え、ウツシヨから来たの!?」

 ウツシヨの存在がどれ程浸透しているのかは考えていなかったが、どうやら少女は知っていたようで驚愕に声を上げた。

 「へー…、じゃあ今は何処で生活してるの?この街で暮らしてる?」

 「いえ、今は丁度遭遇したカクリヨの異変?を調査してる二人の所にお世話になってます」

 「カクリヨの異変って…それ、余も一緒!余も調査してる!」

 思わぬ話題に食いつかれて今度はこちらが驚愕に瞠目する。

 「調査してるって、本当ですか?」

 「うん、その手掛かりを探しに余はキョウノミヤコに来たの!来てみて良かった…」

 まさかこんな所で同士に合えるとは夢にも思っていなかったらしく、彼女は心の底から嬉しそうに笑みを浮かべている。

 「それで、その人たちは何処にいるの?」

 「あー…それは…」

 きょろきょろと辺りを見渡しながら聞いてくる少女にけれど俺は言葉を詰まらせる。なにせ、その二人とはつい先ほどはぐれてしまったばかりだ。何処に居るのかなどこちらの方が知りたい。

 「実は道に迷ってしまいまして、二人の場所は分からないんです。せめて元居た入り口辺りに戻れば合流できると思うんですけど、良ければ案内をお願いできませんか」

 こうして目の前のと巡り合うことが出来たのは不幸中の幸いだった。これで訳も分からず動き回らずに済む。

 しかし、想定外にも少女は首を横に振った。

 「そうなんだ…それならちょっと無理かも…」

 「え?どうして…」

 そんな彼女へとつい聞き返すが、この時点で既に嫌な予感はしていた。そしてその予感は続けられた少女の言葉で確信へと変えられた。

 「だって、余も迷子だし」

 迷子だし…迷子だ…迷子…。

 彼女の言葉が脳内でぐるぐると繰り返される。

 「すみません、今何と…」

 「余も迷子」

 聞き間違いではないのだろうかと、そんな一縷の望みに掛けて問い返すが、少女はのほほんとした笑みを浮かべてハッキリと現実を叩きつけてくる。

 「…ははは、奇遇ですね、俺も迷子なんですよ」

 「うん、余も。お揃いだね」 

 彼女も迷子、俺も迷子。暫くそうして少女と気の抜けた笑い声を響かせ合う。周囲からは奇異の視線が送られるが、今はさしてそれも気にならなかった。

 そうして、気のすむまで笑い合ってから続けて大きく息を吐きだす。

 「…どうしましょうか」

 「どうしよっか」

 結果的に言ってしまえば迷子が二人に増えた。状況は何も変わっていない、いやむしろ悪化しているまである。

 口々に言い合った俺達は揃って空を見上げる。雲一つない快晴だが、今は無性に嘲笑されている気がしてならなかった。

 

 

 

 

 

 

 透と鬼の少女が空を空を見上げている頃、逆側へと流されていった二人は同じくベンチへと腰掛けていた。

 「ミオー、大丈夫ですかー?」

 「駄目かも…」

 顔を青ざめさせるミオの背中をフブキは優しく摩りながら声を掛ける。

 透と同様に人波に流された彼女らだが、一つ違いがあったとすればその移動距離である。距離にしては透の倍程の距離を人込みに流された二人、特にミオはあまりのヒトの量と割と三半規管を狂わされてしまったことにより完全にダウンしてしまっていた。

 「透さんも行方知れずになってしまいましたし、早く探しに行かないとですね…」

 「うん、そうだね…フブキはどうして平気なの…」

 「それはもう鍛えてますから」

 同じ経験をした筈なのに、打って変わってけろりとしているフブキへとミオは若干恨みがまし視線を送る。ミオの脳内には「鍛えてるって何…」と浮かんでいるのだが、それを口に出す余裕は残念ながら今の彼女には無かった。 

 「とはいえ、今はミオの介抱が優先ですからね。何か飲み物でも貰ってきましょうか?」

 「お願い…」

 ミオの答えを聞いたフブキは立ち上がり、近くの屋台へと足を向ける。

 「すみませーん、これを二つお願いします!」

 「はいよっ!」

 フブキが声を掛けると元気の良い返事と共に、さほど時間も掛からずに二つのカップが手渡される。その出来にフブキは目を輝かせながらミオの下へとるんるんと戻っていった。

 「ミオー飲み物ですよー」

 「ありが…、なにこれ?」

 聞こえてきたフブキの声に助かったと顔を上げるミオだったが、すぐにその表情は怪訝なモノへと変えられた。

 「さあ?けど冷たくて美味しそうだったので。しかも抹茶ですよ、抹茶!」

 「美味しそうなのは分かるけど…、これ生クリームが…」

 フブキが両手にそれぞれ持つカップには、これでもかという程の生クリームが空へ向かって渦を巻いていた。

 飲み物を所望したはずが、これは確実に飲み物に分類されない。これを今から攻略するのかと、ミオは顔を引きつらせた。

 「まぁまぁ、甘いものは三半規管の酔いに良いと聞きますし。ささ、ぐいっと」

 「…そうだね。ありがとう、いただきます」

 そう言ってフブキから手渡されたカップを礼を言って受け取り、ミオは覚悟を決めて同時に受け取ったスプーンを構えた。

 確かに、この系統の酔いに甘いものは効果的だ。それによって血糖値が上がり症状を抑えることが出来るが、ただしそれは甘いものを接種できればの話である。

 「…あ、やっぱり無理かも…」

 「え、ミオ?ミオー!?」

 丁度限界を迎えた黒い狼の少女はそっとカップを横に置き、白い狐の少女の猫の様な悲鳴がキョウノミヤコの空に響き渡った。

 

 

 

 



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True:Another 5

 

 「へぇ、じゃあ透くんは昨日カクリヨに来たばっかりなんだ」

 身の上を軽く説明すると、隣を歩く鬼の少女、百鬼さんはこちらへ視線を送りながら納得したように声を上げる。

 あれから暫く揃って空を眺めていた俺と百鬼さんだったが、しかしいつまでもこのまま座っている訳にもいかないと白上さんと大神さんを探して二人キョウノミヤコを巡り歩いていた。

 「そうなりますね、だから服もまだウツシヨのモノしかなくて」

 話している最中にも、すれ違った一人が物珍しそうに一瞬こちらへ振り返っている。やはり対となると言えども異なる世界だ。特に和装が主なこの場所においては、先の百鬼さんの反応にもある通り、この服は些か目立ちすぎる。

 それもあってここへ来た目的は案内が主だが、その中には俺の服の調達も含まれていた。

 「で、服を調達しにキョウノミヤコに来たら迷子になっちゃったんだ。…透くんっておっちょこちょいなんだね」

 「否定しませんけど、百鬼さんにだけは言われたくないですね」

 一応は同じ状態にある彼女の言葉に思わず顔を苦々しく歪めれば、百鬼さんはいかにも面白そうにからからと笑い声を上げる。その姿は正に天真爛漫という言葉が良く似合っていた。

 「そう言う百鬼さんは手がかりを探しに来たって言ってましたけど、どうしてあそこに?」

 返すように未だにくすくすと含み笑いを漏らす彼女へと問いかける。異変の手掛かりを探しているとは聞いたが、何でまた迷子などになってしまったのだろう。

 するとそれを聞いた百鬼さんは笑いも程々に、物思いにふけるよう一瞬宙を見上げてから口を開く。

 「余?余はね…、昔の知り合いにキョウノミヤコは一番人が集まるって聞いたから、何か知ってる人がいるんじゃないかなって色んな人に情報を聞いて回ってたの。それで、気が付いたら…」

 「迷子になってたと。それ完全に俺よりおっちょこちょいじゃないですか?」

 「うぅ、それを言われると何も言い返せない」

 言葉の続きを良い淀んだ彼女に引き継いで言うと、自覚はあったようで、綺麗にカウンターが決まり百鬼さんは苦しそうに胸を抑えて見せる。

 「でも、もう余達は運命共同体だよ。透くんの言う二人と合流できなかったら、余達キョウノミヤコからも出れないかも」

 「それを冗談と言い切れないのが恐ろしい所ですね」

 一見はただのジョークに聞こえるが、しかしそう断ずる事の出来ないのが現状であった。座っていたベンチから移動を始めて早一時間ほど、あれから暫く歩いているのだが元居た場所はおろか複数ある筈のキョウノミヤコの出入口にすらたどり着けずに、同じ場所をぐるぐると回ってしまっていた。

 「…余って、意外と方向音痴だったのかな…」

 「それはどうか知りませんけど、ただこの辺りが入り組んでるだけだと思いますよ」

 呆然と呟く彼女に答えつつ、改めて周囲を見渡す。一応人通りはあり、普通の通りと言っても差し支えの無い場所なのだが、どうにもこの区域は迷路のように道が全て繋がってしまっているらしい。

 しかも分岐や曲がり角なども多く、正直初めて訪れる人にとっては優しくはない区域だ。

 「んー、ここでぐるぐるするのも良いけど…」

 何度目かの元居たベンチとの遭遇後、小休憩にベンチに腰掛けると、そう言って百鬼さんは何やら考え込んでしまう。「いや、良くは無いだろう」と彼女の呟きに対してそんな言葉が口を突いて出かけるがぐっと飲み込み、今は少しでも体力を回復させようと俺は座ったまま体を弛緩させる。

 「…思いついた!」

 それから数刻も経たないうちに百鬼さんはばっと立ち上がるとそう声を上げた。

 「何をです?」

 「ふふん、それはね、余達がこの迷路から抜け出す方法だよ」

 唐突の行動に思わず問いかければ、彼女は自慢げに鼻を鳴らして胸を張る。

 とはいえ、方法としては明確に一つその辺りを歩く住人に道を聞けば脱することは可能ではある。これこそ最初に思いつきそうな解決策だが、これを実行しなかったのはまだ付近に白上さん達がいる可能性があった事も理由の一つだ。

 てっきりそろそろ抜け出す為に実行するのかと思ったが、けれど、百鬼さんの言う方法とやらはどうやらこれではないようで。

 「透くん、立ち上がってこっちに来てみて?」

 言われて、不思議に思いながらも俺は立ち上がって百鬼さんへと一歩近づく。

 「じゃあ、ちょっとごめんね」

 「はい?」

 急に謝られた。

 意図を計りかねて思わず声が漏れるが、しかしそれ以上言葉を続ける間も無く百鬼さんの手が腕に触れたかと思うと奇妙な浮遊感を覚える。まるで…そう、先の麒麟に乗っていた時と同じような重力が無くなったと錯覚するような感覚。

 そして次の瞬間には、俺は百鬼さんに抱えられていた。米俵を抱える様に、易々と片手で抱えられている。

 「行くよー!」

 「え…ちょっと、待て…」

 聞こえてきた百鬼さんの言葉に思わず静止を掛ける最中、俺は一つ瞬きをした。別に意図的でも何でもない、ただの無意識による瞬きだ。

 一度瞼を閉じて次に瞼を開けた時、俺は宙を舞っていた。

 「…は?」

 つい先ほどまでいた地面が下の方に遠く離れて見える。ごうごうと風切り音が耳を打つ。

 あまりにも非現実的な事態に呆然と声が漏れた。

 「あ、跳びすぎちゃった。透くん、抱え直すから動かないでね」

 先と調子の変わらない声音の百鬼さんだが、俺に返事をする余裕は無かった。ただされるがままに百鬼さんが両手を使って俺を抱えるのと同時に上へと働いていた力が消失し、今度は重力に従った落下運動へと切り替わる。

 これが指し示すのは決して上空にテレポートしたとかそう言う事ではなく、彼女がただ跳躍してこの高度までたどり着いたという事実である。

 (あり得ないだろ…)

 何が起こったのかは理解した、けれど納得が出来るかと問われればそれは否だ。一人の人間が独力で、しかもさらにもう一人を抱えてここまで跳べるなど常識外れにも程がある。

 「これならキョウノミヤコの何処にでも一直線で行けるでしょ?」

 「そう言う問題じゃ…」

 得意げな笑みを浮かべる百鬼さんに言い返そうと口を開くも、しかしすぐに屋根に着地した衝撃に口を噤むこととなった。

 尚、別に安全装置が付いている訳でも無いため受ける衝撃はかなりのモノで、内臓の浮くような浮遊感も相まって早くも地面が恋しくなってきていた。

 「透くんの言ってた二人ってどんな人なの?見た目の特徴とか」

 「いや…特徴は白と黒の獣耳だけど…それより一旦降ろしてく…」

 「白と黒ね、分かった!」

 投げかけられた問いに答えつつ一度降ろしてもらうように言うが、先に返答してしまったのが運の尽きだった。

 元気よく復唱した百鬼さんの声は後半の俺の言葉をかき消し、再びふわりとした浮遊感と共に百鬼さんは隣の屋根へと跳躍する。そしてとんと通りを横断した先の屋根へと着地すると、今度は止まることは無くまた次の屋根へと軽々と走るように片足で跳躍する。

 屋根伝いでの移動。確かにこれなら文字通り何処へなりとも飛んでいけるだろう。

 だが、この移動方法には一つ問題があった。百鬼さんは自分の力でこれを為している以上この衝撃に耐性はあるのだろうが、俺は違う。先ほどから頭はぐらぐら揺れているし、着地のたびに肺を圧迫されている。

 一言で言ってしまえば、気分は最悪であった。

 「うーん、いないなー」

 そんな俺の様子に、けれど下の方にある通りへ目を向けている百鬼さんが気づく様子も無く、この地獄の様な時間はそれからも暫くは続くこととなった。

 

 

 

 

 

 

 

 「見つけた!透くん、あそこに居るのって…あれ?」

 「…どれ…です…」

 次々に視界に映る景色が後ろに流れて行く中、横合いから聞こえてきた声に辛うじてそれだけ返す。すると百鬼さんはようやく俺の様子に気が付いたようで、心なしか先ほどよりも丁寧に屋根から通りへと降り立ち、ゆっくりと俺を降ろした。

 「地面だ…地面がある…」

 永久に続くかと思われた地獄は終わりを告げた。

 揺れる視界の中地に両手を付けて、どっしりとした安心感を与えてくれる地面を感じる。これほどまでに地面を愛おしく思ったことは無い。

 「ごめん、余探すのに夢中になってて気づかなかった!透くん、大丈夫…?」

 「大丈夫ですけど…ちょっと待ってください」

 「あ、大丈夫じゃなさそう」

 胃からこみ上げてきそうになるものを必死に抑える。すると不意に優しく背中が摩られ、横へと目を向ければ申し訳なさそうに眉を下げた百鬼さんの姿を見つけた。

 「ごめんね…」

 そうして、百鬼さんは俺が落ち着くまで背中を摩り続けた。多分、彼女も善人ではあるのだろう。ワザと揺らしたりしたわけでも無く、ただ純粋に状況を脱するためにこうしただけで。

 (…まぁ、二度目は御免こうむりたいが)

 とはいえ、それとこれとは話が別である。もし今回のような状況に陥ったとしても絶対に拒否もしくは回避しようと心に固く決めた。二度は無い、絶対に。

 視界の揺れも収まったところで立ち上がれば、百鬼さんは露骨にほっとしたような表情を浮かべる。

 「本当にごめんね、そういえば余人をああして運ぶの結構久しぶりだった」

 「いえ、それは気にしないで下さい、もう気分も大分良くなったので。…それより、さっき見つけたって言ってませんでした?」

 被害者が他にも居る事に驚愕し同情心を抱きつつ、ふと先ほどの彼女の言葉の一部を思い出して問いかければ、百鬼さんは「へ…?」と間の抜けた表情を浮かべた後、少し考えてようやく思い出したようで得心の行ったように声を上げた。

 「あ、そうそう!透くんから聞いてた白と黒の獣耳のヒト、あっちの広場に居たのが見えたよ」

 百鬼さんが指さす先には確かに中央に噴水のある広場が見える。

 まだ本人たちとは決まった訳ではないが、特徴が一致する者も少ないだろうし、白上さんと大神さんと思っても良いだろう。

 早速そちらへ向かって百鬼さんと共に歩き出すと、ふと人混みの中にこちらへ振られる手を見つける。

 「透さーん!」

 そして聞こえてくる聞き覚えのある声に目を向ければ、そこにはこちらに向かってくる二人の姿があった。

 「あの人たち?」

 「えぇ、あの二人で合ってますけど…どうしてここが?」

 屋根伝いに移動する姿を見られていたのだろうかと疑問に思いながらも、確認してくる百鬼さんに答えてから足早に二人の方へ向かう。

 「透さん、合流できてよかったです。…なんだか少し顔が青くありませんか?」

 合流後、白上さんはこちらの顔を覗き込みながら聞いてくる。どうやら、先ほどのダメージがまだ残っていたらしい。

 「あー、まぁ色々とありまして」

 「透君…」

 白上さんへと答えていると、不意に大神さんに名を呼びかけられる。視線を移せば彼女はそのまま無言のまますっと山盛りの生クリームが盛られたカップをこちらへ差し出してきた。

 その瞳は何処か歴戦の猛者の様な凄みを感じさせる。

 「ありがとうございます」

 それを見て、何となく彼女の意図は理解できた。あちらも色々とあったのだろう。礼を言って受け取り一気にあおれば、残っていた気分の悪さも吹き飛んでいくようだった。

 「…ところで、二人はどうしてここに?もしかして俺達の事見えましたか?」

 「いえ、それも有りますけど大半はミオの占いです」

 「占星術は使い物にならなくても、ウチは普通の占いも得意だからね」

 得意げに胸を張る大神さん。そんな彼女を見ながら、先の百鬼さんの事も含めつくづくこの世界は何でもありなのだなと思い知らされる。

 もしくは、彼女らが特別なだけなのか。

 「それで透さん、そちらの方はどなたですか?」

 白上さんに聞かれて、紹介がまだだったことを思い出す。

 「あぁ、こちらは…ん?」

 紹介しようと口を開き横へ目を向けるも、しかし先ほどまでそこに居たはずの百鬼さんの姿は見えない。逆だったかともう一方へと目を向けるが、やはりそこにもいない。

 「透君、後ろ後ろ」

 何処へ行ったのかと辺りを見回していた所、大神さんの言葉にくるりと後ろへ振り返れば、丁度隠れるように俺の背後に立って二人を覗いている百鬼さんを見つけた。

 「…百鬼さん、何してるんです?」

 「その、ちょっと緊張して…。余初めての人と話すの苦手なの」

 「一応俺も初対面だったんですけどね」

 「あれは状況が状況だったし」 

 基準が良く分からないが、とにかく白上さんと大神さんを前に緊張しているらしい。とはいえ、それでは紹介にならない為そっと横へスライドして二人の前にその姿を晒させる。

 「こちら、百鬼さんです。ここまで運んでいただきまして、白上さん達と同様に異変の調査をしてるとのことで」

 「あの、百鬼あやめです」

 改めて百鬼さんが挨拶をすれば、白上さんと大神さんは驚いたように揃って目を丸くする。

 「えっと、あやめちゃんで良いですか?あやめちゃんもカクリヨの異変を調査してるんですか?」

 「…うん、まだ何も分かってないけど」

 確認するように問いかける白上さんに百鬼さんが一拍遅れて答えれば、それを聞いた白上さんはぱっと顔を明るくして百鬼さんの手を取った。

 「でしたら、あやめちゃんも白上達と一緒に調査をしましょう!」

 「え…良いの?」

 白上さんの勢いに負けてたじたじとする百鬼さんがチラリと大神さんへと視線を向ける。 

 「うん、ウチも賛成だよ。透君も良いでしょ?」

 「俺に聞かれましても…、はい、賛成です」

 まさかこちらにまで確認が回って来るとは思わず、どう答えたものかと考えるが、最終的には流れに乗っかることにする。

 それらを聞いた白上さんは満足そうにして手を合わせる。

 「じゃあ決定ですね!あっと、そうでした。私は白上フブキです。よろしくお願いします、あやめちゃん」

 「ウチは大神ミオだよ。よろしくね、あやめ」

 「うん、よろしく!」

 改めて自己紹介をする二人に百鬼さんは花の様な笑みを浮かべる。こうしてシラカミ神社の一員に百鬼さんがさんが加わる事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…あんた達、見るたびに知らない顔が増えてないかい?」

 シラカミ神社のある山の麓のミゾレ食堂の中、テーブルに座る俺達四人の姿を見て呆れたようにミゾレさんが口にした。

 あの後、予定通りキョウノミヤコを回りカクリヨの服も調達した俺達はシラカミ神社へと帰る道中夕食の為にこのミゾレ食堂へと立ち寄っていた。

 「確かに、昨日は透君で今日はあやめ。シラカミ神社も賑やかになるからウチは結構楽しみだったり…まぁ、一番楽しそうなのはフブキだけど」

 「それは違いないね」

 言ながらくすくすと笑う二人の送る視線の先では、百鬼さんと共に話している白上さんが満面の笑みを浮かべている。

 その様は何処からどう見ても幸せに満ちていて、彼女の様なタイプの人を見るのは之が初めてだった。

 「透君、もしかして今フブキの事考えてる?」

 「っ!?」

 唐突に図星を突かれてどきりと心臓が跳ねる。

 「…そんな分かり易かったですかね」

 平静を装いつつ問い返せば、大神さんは頷きながら口を開いた。

 「それはもう、じっとフブキの事を見てたからね」

 片目を閉じて揶揄うように言ってくる彼女に気恥ずかしさを覚える。どうもこのカクリヨに来てから調子が狂ってばかりだ。

 そんな俺の心境を知ってか知らずか、大神さんは「ちょっと意地悪だったかな」と詫びつつ白上さんへと視線を向けて続ける。

 「フブキって凄いでしょ。透君も覚えがあると思うけど、人付き合いが上手いって言うか、誰とでも仲良くなれる感じ。街の中でもよく住人の人達と話をしてて、老若男女問わず、フブキの事を好意的に思ってる人も多いんだよ」

 「…そうですね、確かに俺も初対面の時から白上さんの事は良い人だとは思いましたよ」

 答えつつふと先日の事を思い出す。草むらで倒れている所に、声を掛けて住居など面倒を見てくれて。これを善人と呼ばないなら、この世は悪人しか居なくなってしまう。

 「フブキのああいう所、ウチは好きなんだ…。透君はどう思う?」

 「俺は…」

 出会ってまだ二日、けれど白上さんの印象はかなり強く自分の中に残っている。それ程までに彼女という人物から受けた衝撃は大きかった。けれど、だからだろうか。

 「どう、思ってるんですかね」

 上手く感情を言い表せない、そもそも自身の感情すら計りかねているのだからそれも当然だ。

 そんな曖昧な答えを浮かべる中、やけに白上さんの姿が脳裏に強く映り込んでいた。

 

 

 

  



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True:Another 6

 太陽がその姿を山の奥深くに沈めている頃。窓の外には未だ夜の帳が下りていて、風も吹かなければ木々たちがざわめくこともない。

 そうして寝静まっている世界の中、神社で唯一明かりの灯るキッチンにて一人朝食の用意をする。

 元々朝は遅い方ではないが、流石に太陽よりも早く起き上がる習慣はついていない。にも関わらずこんな時間に起きてしまったのはもしかしなくとも環境の変化によるものだ。人生を鑑みても類を見ない異質な現状につい眠りが浅くなってしまっていたようだ。

 「透君」

 ふと後ろから掛けられた声にどきりと心臓を鳴らし振り返ると、いつの間に入ってきたのか大神さんが入口辺りに佇んでいた。

 「おはようございます、朝食でしたら今作り始めたところなんですけど…」

 「おはよ。うん、知ってる。だからウチも来たんだよ」

 そう言うと大神さんは手にしていた割烹着を身につけて、途中だった野菜の下ごしらえへと手をかける。

 「あの、大神さん?」

 彼女の意図を理解しかねて思わずといった形で問いかければ、大神さんは手を止めてこちらを向くとその顔に軽く笑みを浮かべた。

 「ウチも手伝うよ。昨日は寝坊しちゃったけど、透君一人に押し付けるのも悪いし」

 「いえ、俺はここに居候してる身ですのでこのくらいは…」

 「気にしないで、ウチが手伝いたいだけだから。…それに、この時間にやることがないとなんだか落ち着かなくって」

 にこやかに言う大神さんだったが、ちらりと浮かんだその笑みが一瞬曇ったように見えた。見間違いかと眼を 擦って見直すも、しかしその時には既に普段の彼女に戻っていた。

 「…そう言う事でしたら、一緒にお願いします」

 先の事は気のせいだと割り切ってから、特に断る理由も無いため了承し大神さんと共に朝食の準備をする事に決めれば、彼女は満足そうに頷いて見せた。

 「ありがと、ウチは野菜の下ごしらえを終わらせちゃうね。献立は決めてるの?」

 「えぇ、今日は…」 

 そうして大神さんと調理を進めていく。今まで料理に関しては彼女が担当していたようでその手際は相応に良く、献立だけ伝えればその後の手順に関しては特に話す必要も無しに互いに必要な過程を分担する。それだけでも調理はぐっと楽になっていた。

 (…こういうのは、初めてだな)

 誰かと一緒に料理をしたことは記憶にある限り初めての事だ。けれど決して悪いものでは無く、むしろ知らなかった味付け、焼き加減、茹で時間、使う具材と彼女と共有する情報全てが新鮮だった。

 「透君はいつから料理をしてるの?」 

 調理の合間のちょっとした雑談に大神さんが問いかけてくる。そうやり取りを交わす間にも互いの手は止まらずに動き続けていた。

 「…詳しい時期は覚えてませんけど、子供の頃からしてました」

 「へー、結構長いんだね。だからなのかな、透君凄い慣れてるって感じがするし、実際作業に淀みが無い」

 「そうですか?」

 言われて改めて自らの手元へと視線を向ける。淀みがない、確かに長い事料理は続けているが自分ではどうもその辺りは判断がつかない。

 実感の伴わないままに問い返せば、それを肯定するように大神さんは頷いて見せる。

 「そうだよ。ウチもそれなりに料理はしてるからそのくらいは分かるつもり」

 「…なら、嬉しいですね」

 ぽつりと呟きながら目の前の作業へと意識を戻す。相変わらず実感は湧かないが、しかし彼女が言うのならそうなのかもしれないと、そう思えた。

 「透君、こっちは終わったよ。時間ありそうだし、もう少し凝ってみる?」

 「俺の方も、もうすぐです。良いと思います、じゃあこの辺りの余りで…」

 そうして俺と大神さんは寝静まった世界の中で二人調理を続ける。余った時間までも有効活用していれば、朝食が出来上がった頃には既に窓の外から朝日が差し込んできていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「透さーん!」

 朝食後、キッチンで洗い物を済ませて居間へと続く廊下を歩いていると、向かい側からそんな元気な声と共に白上さんがテンションも高めにぶんぶんと手を振っていた。

 彼女はそのままこちらへ近づいてくると、その顔を喜色に染めてキラキラと目を輝かせる。

 「今日の朝ごはん、凄く美味しかったです!やっぱり透さんって料理が上手なんですね」

 開口一番の朝食の感想に思わず瞠目する。先日もそうだったが、彼女は良く料理に対して感想を言ってくれている。そういう人柄なのかとぼんやりと考える。

 「まぁ、今日は大神さんと一緒に作ったので」

 「いえいえ、昨日も美味しかったですし、確かにミオも料理は上手ですが、透さんも同じくらい上手ですよ」

 「…ありがとうございます」

 邪気の無い彼女の言葉に戸惑い混じりに答える。ここまで真っ直ぐに褒められると如何にも落ち着かない心地になる。

 素直に受け取ると白上さんは満足そうに頷いていた。

 「それにしても、本当に凄いですよ。今まで透さんは誰かの為に料理を作ったりしてたんですか?」

 白上さんの問いに、ふと一瞬考えを巡らせてから口を開く。

 「あー…いえ、結局は自分の為でしたね」

 「そうですか、…けど本当に凄いと思います。白上はそこまで料理が出来ると言う訳でも無いので」

 そう話す白上さんは何処か不甲斐なさそうに後頭部に手をやって笑みを浮かべる。

 「出来なくても別に良いんじゃないですか?極端ですけど、実際食べれれば問題ないですし」

 「えー、でもせっかく食べるなら美味しい方が絶対良いですよ」

 「まぁ、それは確かに」

 ごもっともな彼女の返しに納得させられて、白上さんは「ほらー!」と頬を膨らませて声を上げる。そんな事を話しながら白上さんと共に廊下を進み居間へと向かった。

 キッチンから今までさほど離れている訳でも無いため、すぐに居間の入り口が見えてくる。折角ならお茶でも淹れれば良かった等の話をしつつ居間へと入ろうとする俺と白上さんだったが、しかしふと見えた居間の中の光景にぴたりと共に動きを止めた。

 「ミオちゃーん」

 「よしよーし、あやめは良い子だねー」

 そして聞こえてくるのは大神さんと百鬼さんの声だ。間延びしたそれらは彼女らがリラックスしていることの表れだろう。

 居間の中、正確にはその横にある和室の畳の上で、百鬼さんは大神さんへと甘えるようにもたれ掛かっていて、大神さんもそんな彼女を受け入れる様に抱きしめて慈愛の笑みを浮かべて頭を撫でてやっている。

 撫でられる百鬼さんはまるで猫のように気持ちよさそうに目を細めていて、今にもゴロゴロと喉を鳴らしそうな勢いだ。

 「ごろごろー」

 鳴らしていた、というか口で言っていた。

 「ぐぬぬー」

 そんな彼女らの様子を入り口から覗いているとふと横合いから悔し気な唸り声が聞こえてくる。目を向けて見れば、白上さんが明確に悔しさを顔に浮かべて二人の様子を見ていた。

 「白上さん?」

 大神さんを取られて悔しがっているのだろうか、そんな事を考えながら問いかけるが白上さんは目の前の光景に夢中で気づいていないようで問いに対する返事は返ってこなかった。

 「羨ましいぃ。白上もあやめちゃんをよしよししたい、あわよくば角を触ってみたいのに…!」

 「あ、そっちなんですね」

 どうやら大神さんではなく百鬼さんの方に意識は向けられていたようだ。納得からぽつりと零した言葉に、白上さんは何故か急に首を傾げた。

 「ん?…はっ!もしや透さんはミオに甘えたいんですか!?確かに、ミオは包容力がありますからね、その気持ちは分かります」

 「いや待て…待ってください。俺はどっちでもないですから、変な勘違いやめて貰えます?」

 閃いたように声を上げてから戦慄の表情でかなりえげつない誤解をしてくる白上さんに思わず敬語を忘れて待ったをかける。まさか過ぎる展開だ、割と不名誉極まりない。

 しかし、白上さんにはこの想いは通じていないようで。

 「いえいえ、分かりますとも。白上だって偶に思い切り甘えたくなることが有りますからね。あれはもう魔性と言っても差し支え無い程です」

 「だから違いますって!?」

 しきりに頷く白上さんに、そんな同意など求めていないと思わず声を荒げる。と、ここまで騒がしくすれば流石に中にも響いて行く。

 「二人共ー、そんなところで何してるの?」

 中から聞こえてくる大神さんの声に、再びぴたりと俺と白上さんの動きが止まる。しかし今回は相手にもバレている以上、ここで隠れている訳にもいかず入り口から居間へと入った。

 尚、俺と白上さんの姿を見ても二人は特に動揺もせずに大神さんは百鬼さんの頭を撫でているし、百鬼さんはごろごろと言いながら大神さんに甘えていた。 

 「もう、覗き見なんてせずに入ってくれば良いのに」

 「いや、何と言うか入り辛くて」

 呆れたように言ってくる大神さんだが、それは無理な相談というものだ。今でも驚きが抜けないのに、目の当たりにした当初にずかずかと入り込めるほど肝は座っていない。

 「…それで、お二人はどういった過程でその状態に?白上が席を立ってからそこまで時間は経ってないと思うんですけど」

 「「…」」

 白上さんが率直な疑問をぶつけると、二人は無言のまま目を見合わせてからこちらを向いて説明を始める。

 「フブキが居間を出てから、ウチはちょっとゆっくりしようと畳の上に移動したの。そしたらあやめも一緒に来て…」

 「余もだらだらしたくてミオちゃんの横に行ったんだよ。そしたら何だかミオちゃんに甘えなきゃって思って…」

 「ウチもあやめを甘やかさなきゃって思って…こうなりました」

 そう言って二人はばっと手を広げて自らの状況を指し示す。一応の経緯は聞けたが、しかし俺の心の中は疑問に満ち満ちていた。この二人は一体何を言っているのだろう。

 「…白上さん、理解できました?」

 「はい、何となく」

 「理解できたんですね…」

 どうやら同じものを見て聞いた筈の隣の少女は理解できたらしい。これはあれだろうか、カクリヨ特有の感性という奴なのだろうか、それとも俺がものを知らないだけなのか。因みに現在は10対0で前者であると俺は確信している。

 「一応聞きますけど…、大神さんと百鬼さんって昨日が初対面で合ってます?」

 「「うん、そうだよ」」

 そう答える二人の声は完全に一致していた。とてもそうは思えない息の合い様である。

 先日緊張すると話していた百鬼さんは何処に行ったのだろうか、順応が早すぎる。その彼女は現在大神さんにべったりだ。

 「あやめはウチの子にする」

 「余、ミオちゃんの子供になっちゃった」

 「母性が爆発して暴走してますね…」

 ぎゅっと百鬼さんを抱きしめて真顔で宣言する大神さんにさしもの白上さんも苦笑いを浮かべる。落ち着いた常識人といった印象を抱いていたのだが意外とそうでも無いようで、これからは認識を改めた方が良さそうだ。

 そんな中百鬼さんは満更でもなさそうにのほほんとした笑みを浮かべて大神さんの腕の中に納まっている。

 「ミオー、あやめちゃんはミオの子供じゃないですよー」

 「ううん、あやめはウチの子。ウチはあやめのママ」

 白上さんが呼びかけるも、真顔で言う大神さんの瞳には絶対に離さないという固い意志が秘められていた。

 「でも、ミオちゃん本当にお母さんみたい…。透くんはどう思う?」

 「…いや、俺にどうって聞かれましても…」

 間延びした声で問われ、思わず答えに迷う。そもそも良く分からないし、仮に分かった所でどう答えても角が立つ気がする。

 「もう、透さんも困ってるじゃないですか」

 「えー、じゃあフブキちゃんはどう思う?」

 「完全にママですね」

 静止を掛ける白上さんだったが、百鬼さんに問いかけの矛先を向けられればコンマの間すら無く即答した。やはり独特の感性かと、そっと心の中で戦慄する。

 「あやめはウチが責任をもって育てるからね、あ、みかん食べる?ウチが皮むいてあげるからね、白い筋も取って、ウチが食べさせて…」

 「ミオちゃんに駄目にされちゃうかも…、でも余幸せー」

 嬉々として甲斐甲斐しく百鬼さんの世話を焼く大神さん。そこには完全に二人の世界が出来上がっていた。

 目に見えるかと錯覚するほどの不可侵の領域に、身体が勝手に後ずさる

 「…ここはいったん引きましょう、透さん。今の白上達ではまだ太刀打ちできません」

 「同意です。太刀打ちしたくはないですけど」

 流石にこれをどうこうできる気はしない。それは白上さんも同じようで、俺と白上さんは小声で言い合うと、二人を残してそそくさと尻尾を巻いて居間から逃げ出すのであった。

 

 

 

 

 

 居間から廊下へと出た俺達は襖を閉めるや否や揃ってほっと一息ついていた。

 「いやー、まさかあんな事になるとは思いませんでしたよ」

 「昨日までは特にそんな素振りは見えなかったんですけどね…」 

 正直、たった三日でこうも人の認識が変化するとは思わなかった。普段は抑えている、と言うか姿を見せないだけなのだろうが、スイッチが入るとああなってしまうのか。

 「ちなみに、大神さんが白上さんに対してああなった事ってあるんですか?」

 「そうですね…、あ、でも白上が寝込んだ時にその片鱗はあった気がします。けど、あそこまでなったのを見たのは初めてです」

 先の大神さんを思い返してか、白上さんの顔には薄い笑みが浮かんでいる。つまるところ、大神さんと百鬼さんの相性が奇跡的に合致した結果、あのような事態になったという事なのだろう。 

 「ところでなんですけど、透さん、この後何か予定があったりますか?」

 「予定ですか。いえ、特には無いですけど」 

 脈絡もなく聞いてくる彼女にそう答えれば、白上さんはふむと考え込むそぶりを見せる。

 「では、少し白上に付き合ってください」

 

 

 

 

 

 そんな彼女に連れていかれたのは、つい先ほどまで洗い物をしていたキッチンであった。

 「…キッチンに来ましたけど、何をするんですか?」

 「あ、いえこれはどちらかというと準備に来ただけなので、本命は別にあります」

 未だに目的を聞かされておらず聞いてみれば、白上さんは何ともなしに答えながら上の方の棚を開けた。

 「あぁ、てっきりお腹が空いたのかと」

 「そんな人を腹ペコ狐みたいに言わないで下さいよ。これでもうら若き乙女なんですから」

 ぷくりと白上さんの頬が膨れる。その姿は何処からどう見ても世間一般で言う乙女にしか見えない。彼女の頭に揺れる獣耳と足の辺りで揺れる尻尾を除けば、の話なのだが。

 白上さんは話しつつも、開けた棚の方へ手を入れてその壁の辺りをぐっと押した。すると、音が鳴って板が外れて、中からいくつかの袋らしきものが姿を現した。

 「それは…」

 「ふふふ、これは白上秘蔵のお菓子です。…あ、ミオにはこの隠し場所のことは秘密なので、内密にお願いします」

 悪戯な笑みを浮かべて人差し指を口の前に立てる白上さん。けれど、俺が気になったのは他の点であった。

 「やっぱり、腹ペコ狐なんですね」

 「ちょっ、違いますって。お菓子は別腹と言いますか、別にお腹が空いたからじゃなくて、お供に必須だったんですよ」

 「お供?」

 泡食った様子で弁明する彼女に聞き返せば、白上さんは改まった様子でコホンと一つ咳ばらいを入れて、ようやくその目的を口にした。

 「透さん、白上と一緒にゲームでもしませんか?」

 

 



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True:Another 7

 

 「透さん、ゲームしたこと無いんですか?」

 キョトンとした顔で言うのは隣に座る白上さんだ。目の前にある大きめのモニターには厳格そうなキャラクターが次々に移り変わるタイトル画面が映し出されていて、モニターの前にはいくつかのゲームのソフトが積み重なっている。

 二人でゲームでもしようと誘われ、俺は白上さんの部屋へと赴いていた。

 「はい、コントローラーを持ったことも無いですね」

 握りなれない感触に新鮮さを覚える。街中で偶に見かけることはあったが、実際にプレイすると言うのは無かった。

 「はへー、そうだったんですか。なら対戦系のゲームよりは協力系のゲームの方が良さそうですね。透さん、少し前を失礼します」

 それを聞いた白上さんは驚いたように目を丸くしつつ、断りを入れてから身を乗り出してゲーム機のカセットを別のモノへと交換する。すると画面が切り替わり、先ほどとは異なってコミカルなキャラクター達の平和なタイトル画面が映し出された。

 「これでしたら多分初心者の方でも楽しめると思いますよ。白上も最近は一人でゲームばかりしてたので丁度良かったです」

 「一人でって、大神さんとは?」

 見た限り二人の仲は良好に見えた。二人で一緒にゲームをしていてもおかしくはないのにと不思議に思い問いかけてみれば、白上さんは明らかに言いづらそうに口を開く。

 「ミオとは…、ちょっと諸事情で一緒にゲームするのを控えてまして…」

 「…なる程、諸事情ですか」

 ぼかした言い方。彼女にとってあまり突っ込まれたくはない話題なのだろう。そこまで気になると言う訳でも無いため踏み込むことも、無く目の前の画面へと目を向ける。

 「…それで、これはどうやって操作を?」

 「ボタン配置はですね…」

 軽く操作方法とゲーム性を教えて貰う。思っていたよりも割と単純なようですぐに覚えることが出来た。

 「それでは、始めますね」

 それから白上さんの操作で遂にタイトル画面から先へと進んだ。いくつかの選択画面を経てから、ムービーが流れてゲームがスタートする。

 立体的に動くキャラクター。試しに先ほど教えて貰ったジャンプボタンを押してみれば、ぴょんと割り当てられたキャラクターがその場で跳ねる。今までゲームをしてこなかった為か、ただジャンプをしただけでも感動にも似た感情が仄かに胸に灯った。

 「さてと、それでは進んでみましょうか」

 「分かりました」

 一通り動いてみた後、白上さんの操作するキャラに続く形で俺達は移動を開始した。序盤という事も有り、そこまで詰まる要素も無く順当に先へと進んで行く。

 「あ、敵が出てきましたね。透さん、そのスコップで応戦を」

 「スコップで…、…結構思い切り行きますね」

 ぐちゃりという効果音も相まってファンシーな見た目には似合わない光景が画面に映し出された。予想外の事態に驚きながらもゲームは進んで行く。

 そうしてどれだけ時間が経過しただろうか、続けていく内に徐々に操作にも慣れて来て、それにつれて白上さんと会話をする余裕も出来てきた。

 「透さん、シラカミ神社での生活にはもう慣れましたか?」

 ピコピコとコントローラーを動かして画面へと目を向けたままで白上さんが問いかけてくる。

 「…もしかして、それを聞くためにゲームを?」

 「いえいえ、本命は勿論ゲームですよ。あくまでこの質問はついでです」

 急にゲームをしようと言ったのはその為かと同じように画面に目を向けたまま問い返すも、しかし白上さんはくすくすと笑いながらそれを否定した。

 「…それで、どうですか?」

 その言葉と共にチラリと今度は白上さんの視線がこちらへ向けられ、思わず言葉に迷う。

 このカクリヨという世界に迷い込んで、シラカミ神社に居候することになってから早三日。これまでの日々を思い返してみて、言葉で表すとするならば。

 「いえ、未知との遭遇ばかりで驚いてばかりです。色々と常識が塗り替えられてる感じで」

 「あー、まぁそうなりますよね。自分で言うのもなんですけど、白上達はカクリヨでも割と異質な存在ですし…」

 予想はしていたようで、白上さんは苦笑いを浮かべながら頬をかく。白上さんの言葉に、つい先日のキョウノミヤコでの出来事を思い返す。

 人に抱えられて街中を飛び回った。百鬼さんは軽々とこなしていたが、他に同じような移動手段を取る住民は一人も居なかったのを覚えている。それだけでも百鬼さんが並々ならぬ存在であることは想像できた。

 そして白上さんの言い方的に、彼女と大神さんも百鬼さんと同様だととらえても良いのだろう。

 どうやら知らず知らずの内にカクリヨでも大分尖った状況の中に身を置いていたようだ。

 「けど…、嫌じゃない。不思議だけど、振り回されてるようなこの状況を迷惑だとは思わないです」

 自分でも良く分かっていないが、少なくともこれは諦観からくるものでは無かった。

 「そうですか…。なら、良かったです」

 俺の答えを聞いた白上さんは何処か安堵したように優しく微笑みを浮かべた。そんな彼女を見て思わず手が止まった。

 彼女は出会った当初から何かとこうして気遣ってくれている。先の質問もそうだ、俺が異なる環境に適応できているか確認を取ったのだ。

 『ウチは、フブキのそういう所が好き』

 不意に先日聞いた大神さんの言葉が脳裏に浮かんだ。勿論大神さんの言ったものとは意味合いは異なるだろうが、けれどその言葉に今はどうしようもない程に共感してしまっていた。

 (白上さんは、こういう人なのか)

 周囲から愛されるのにはちゃんと理由があった。無条件という訳ではない、先に彼女が与えていた。そんな彼女の人柄に誰しも惹かれてしまうのだ。

 「透さん?」

 黙り込んだ俺を不思議に思ったのか白上さんが首を傾げて声を掛けてくる。

 (…待て、それなら俺は…)

 隣の彼女と視線が交差した瞬間、頭の奥で何かに気づきかけた。ぼんやりとしたそれが徐々に輪郭を伴い、やがて鮮明な言葉として形を成すその直前、唐突に部屋の入り口が開き、思考が中断されて霧散していった。

 「フブキー、居る?…って、透君も一緒に居た」

 「二人で何してるの?」

 聞こえてきた声に振り返れば、先ほどまで居間に居た筈の大神さんと百鬼さんが揃って入り口に立っていた。

 「ミオにあやめちゃん、白上達は一緒にゲームをしてたんですよ」

 「…お菓子を食べながら?」

 ほらっとモニタを指し示しながら説明する白上さんだったが、チラリと手元にある開けられたお菓子の袋を見つけた大神さんの言葉に、ぴしりとその身体を硬直させた。

 そう言えば、お菓子の件は大神さんには秘密だったか。大神さんの顔に浮かぶ笑みは変わらない筈なのに、妙な迫力を覚える。

 「あ、ずるい!ね、余にも一つ頂戴?」

 すると、そんな声と共に百鬼さんが大神さんの横を抜けて駆け寄って来る。

 「あやめちゃん…、勿論、良いですよ!」

 呆然と百鬼さんを見ると、白上さんは閃いたようにきらりと目を光らせて嬉々として百鬼さんを招き菓子を差し出してから、大神さんへと勝ち誇った様な笑みを向けた。

 「ありがとうフブキちゃん、これ美味しいー」

 「あ、あやめまで…、…もう、今日だけだからね」

 どうやら白上さんだけならともかく百鬼さんまで巻き込んではそこまで強く出られないようで、大神さんは少しの葛藤の後諦めたように息を吐いた。

 それを見て白上さんがガッツポーズを取り、大神さんは白上さんへと恨みがましい視線を送っていて、でもすぐにくすりと微笑み、百鬼さんはマイペースにお菓子を頬張っている。

 目の前の彼女達はそれぞれが自分を持っていて、何よりも幸せそうに見えた。

 「折角ですしミオとあやめちゃんも一緒にやりませんか?」

 「うん、余もやる!」

 コントローラーを片手に掲げて言う白上さんに百鬼さんは真っ先に食いついた。しかし、それとは対照的に大神さんは何処か渋るように言葉に迷っている。

 「でもフブキ、ウチはどうしよっか」

 「良いじゃないですか。あくまで禁止されたのは二人でゲームをすることですし、今は四人いますから」

 「それもそうだね」

 白上さんがにこやかに言えば、それに釣られるように大神さんも笑みを浮かべて了承した。

 「じゃあ、余は透君の隣ね」

 「あ、はい、どうぞ」

 「ならウチはフブキの横に行こうかな」

 「クッションもまだありますよ」

 二人が俺と白上さんを挟み込むように座り、コントローラを握る。その間に白上さんは四人で遊べるようなパーティゲームへとソフトを切り替えていて、すぐに楽し気な音楽が流れてタイトル画面が映し出される。

 「ミオ、最近全然やってませんけど腕は鈍ってませんか?」

 「それちょっと不安…。けど、フブキだって対人は久しぶりでしょ」

 「百鬼さんはゲームはどのくらい?」

 「余は…、あれ、最後にやったのいつだったかな」

 ワイワイと各々が好きに話しながらゲームに興じる。幸運なことが起これば歓喜し、逆に不幸な事が起これば悲鳴が上がる。

 そんな輪の中に自分が居るという事が未だに信じられなくて、自分自身が不思議でならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「結局、夕方までゲーム三昧になっちゃったね」

 シラカミ神社のキッチンにて、トントンとリズミカルに包丁で音を立てながら大神さんは苦笑交じりに言う。既に窓の外では夕焼けに空は赤く色づいており、夕日は山の向こうへと沈もうとしていた。

 「えぇ、昼も忘れてよく全員お腹も空かなかったですよね」

 「それがお菓子の怖い所だよ。気が付いたらすぐお腹いっぱいになっちゃうんだから。それで何度フブキが夕飯の時に悲鳴を上げた事か…」

 当時の事を思い出したのか大神さんは大きくため息をついた。やけに準備が手慣れていると思っていたが、どうやら常習犯であったようだ。

 「昨日大神さんが言っていた事、少し分かった気がします」

 言いながらふと先ほどのゲーム大会を思い返した。

 「昨日?…あぁ、フブキの」

 大神さんは一瞬首を傾げるが、すぐにピンときたようで穏やかな声音で呟く。

 「フブキと一緒に居ると楽しいことがたくさんあるの。もう長い付き合いだけど、つくづくそう思う」

 そう話す大神さんの声音には感慨深さがありありと混じっていて、彼女と白上さんの中の深さを感じさせられた。

 「確かに、さっきは大神さんも百鬼さんも楽しそうでした」

 ミニゲームに勝って歓声を上げていた百鬼さん、あまりに悲惨だった白上さんに笑い声を上げた大神さん、そのどちらもが終始笑顔が絶えずにいた。

 しかし、それを聞いた大神さんは何故か俺を見てくすくすと小さく笑みを浮かべる。

 「あの、大神さん?」

 「あ、ごめんごめん…。ウチ達だけじゃなくて、透君だってちゃんと楽しそうにしてたよ?」

 「…俺が?」

 笑いを抑えつつ大神さんに言われるもそれがいつなのか思い当たらずに聞き返せば、大神さんはこくりと確かに頷いた。

 「うん、ほら、透君がフブキを通せんぼして炎で燃やした時。フブキが悲鳴を上げる横で透君の口角が上がったの、ウチは見逃さなかったよ?」

 完全に無意識、というよりは無自覚な自分の行動を教えられてぽかんと口が開く。

 「上がって…ましたか?」

 「上がってた。それはもう意地悪に」

 揶揄うような大神さんの口調に思わず口元に手を当てる。

 気が付かなかった。いつの間にか場の空気にでも呑まれていたのか、俺も彼女らと同じように共にゲームを楽しんでいたのか。

 「表情に出にくいだけで透君って結構感情豊かなんだね。今日のウチの一番の発見はこれかな」

 「感情豊かって、…そう、なんですかね」

 「ウチはそう思うよ」

 戸惑いつつ聞き返せば、大神さんは笑みを浮かべて肯定してくる。そんな彼女の反応に妙な気恥ずかしさを感じて、俺はそれを振り払うように料理の下ごしらえへと意識を集中させるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (…最近、自分が変だ)

 夕食後、隣村の温泉で入浴を済ませて帰ってからぐるぐると思考を巡らせながら神社の廊下を歩く。最近とはこのカクリヨに来てからの事だ。

 以前までの自分からは考えられないような感情を抱いている。少なくともゲームを楽しむなんてことは無かった、感情が豊かだなんて言われるような事も無かった。

 「段々と、自分が分からなくなってくるな…」

 ぼやくように呟く。考えれば考える程どつぼに嵌っている様な気がする。こういうのはあまり考え込まない方が良いのだが、ふとした瞬間に考えてしまうのだから困りものだ。

 「…ん?」

 自室へ向かい廊下を進んでいると、不意に視界の端にゆらりとした光を捉えた。何かと思い見てみれば、小さな火の玉のようなものが廊下の端にふよふよと浮いている。

 「なんだ、これ」

 不思議に思いつい近づいてまじまじとそれを見つめる。蝋燭の火のような大きさのそれは、吹けば消えてしまいそうな程に弱々しい。

 と、その火が揺らめいて消えるかと思われた、その時だった。

 『悪い子はいねかー!!!』

 「うおっ!?」

 突如火が膨張しその中から鬼の面をかぶった何かが現れ大声を上げると、炎と共にそのまま何処へともなく消えていった。

 「…は?」

 あまりに唐突に始まり、リアクションを取る間も無くまた唐突に終わった。訳が分からずに声を上げるのと同時、後ろから足音が聞こえてくる。

 「ドッキリ大成功ー!」

 それと共に背後から上がる元気一杯な声に振り返ると、そこにはしたり顔で笑顔を浮かべる百鬼さんの姿があった。

 「…百鬼さん、一体何を?」

 「ドッキリ。で、どうだった?透くんびっくりした?」

 キラキラと目を輝かせて顔を近づけながら百鬼さんは聞いてくる。

 「いやまぁ、驚くには驚きましたけど…。どちらかというと何が起こったのか分からなくて戸惑いました」

 「そっか、じゃあ失敗かなー…でも、驚いてたし?」

 ドッキリの成功か失敗かで自問自答する百鬼さんを見つつ、先ほどまで感じていたもやもやが衝撃で全部飛んでいったことを自覚する。

 変に考え込まなくて済んだことを喜ぶべきなのだろうが、しかしもう少しくらいは考えておいた方が良かったのではないかと失った後の後悔も同時に感じる。

 「ちなみに、何でまたドッキリを?」

 「え?何でって…そこにドッキリのチャンスがあったから」

 「そんな登山家みたいな」

 そこに山があるからのテンションで答えられてつい困惑が前面に浮き出る。白上さんだけではない、こうして接している内に百鬼さんについても何となくつかめてきた気がする。

 「先に言っておきますけど、大神さんへのドッキリは勘弁してあげてくださいね。さっきのゲームでも割とコミカルなお化けに怖がってましたし」

 先のゲーム大会でかなり印象的だったのがそれだった。落ち着いている大神さんにも弱点はあったようで、画面に映ったお化けに白上さんに抱き着いて震えていたのだ。

 「…」

 それを思い出して釘を刺したのだが、しかし百鬼さんは無言のまま視線を横に逸らした。

 「…まさか既に?」

 「うん、ミオちゃん腰ぬかしちゃって、今日は一緒に寝る約束した」

 「それでよく次にトライできましたね」

 どうやら後の祭りだったようだ。一緒に寝る約束まで取り付けるとなるとかなり尾を引いていそうで、犠牲となった大神さんには同情心が尽きない。

 すると、不意に百鬼さんは閃いたようにポンと手を打って口を開く。

 「あ、透くんも一緒に寝る?」

 「勘弁してください」

 邪気の無い瞳で問いかけてくる百鬼さんに思わず顔が引きつらせて首を横に振った。

 

 

  

 

 

 

 

 

 



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True:Another 8

 

 宵闇に満ちた神社の中で一人風に揺れる木々のざわめきを聞く。それ以外に音は聞こえず、辺り一面に生き物の気配は微塵たりとも感じ得ない。

 『…あ…』

 微かな音が久しく使われていなかった喉から零れ落ちる。誰も居ない、誰も見えない、誰も来ない。そんな神社の様子は活気という言葉とは程遠い場所に居た。

 話し相手なんか望むべくもなく、唯独りきりで窓から覗く星の浮かぶ夜空をぼんやりと見上げていた。

 

 

 

 

 薄っすらと空の白んできた早朝のシラカミ神社。そのキッチンの中には、今では恒例となった二人の姿があった。

 「透君、お皿取って貰っても良いかな」

 丁度手の空いた所で大神さんに声を掛けられ、戸棚から皿を取り出し彼女へと差し出す。

 「どうぞ」

 「ありがとう。そっちはもう終わった?」 

 礼を言いながら受け取った大神さんはこちらの手元を覗き込み問いかけてくる。とはいえこれはあくまでも確認の為だ。

 「えぇ、大神さんの方も終わったみたいですね」

 「うん、今盛り付けが終わった所。…それにしても、常々思うけど二人だとかなり楽になるね。ウチは今まで一人でしか作ったことなかったから知らなかった」

 「俺もです」

 そう会話を交わす俺達の目の前には、既に器に盛りつけられた朝食が盆の上に乗っている。あとは之を居間へ運べばすぐにでも朝食に出来る形だ。

 「問題と言えば少し時間が空く事ですけど…」

 いくら早く調理を終えたと言っても直も相まってすぐに乾燥して、冷めてしまう。通常であればラップなどで対応するところだが、しかし現在は通常であるとは言い難く。

 「そこはウチのワザの出番だよ」

 大神さんは腕まくりをすると出来上がった料理の皿へと手を添える。すると徐々に薄っすらと空気の膜が張られていき、やがて盆ごと覆い包んでしまった。

 「これで保温と保湿は万全」

 「…本当に便利が過ぎませんかね、それ」

 ふふんと息巻いて胸を張る大神さんに、俺は感嘆を通り越して最早呆れすら感じていた。ラップ替わりどころか完全に上位互換になっている。これでゴミも出ずに温度をキープできるとは、世に知れたら恨みすら買ってしまいそうだ。

 「透君も誰かと料理することに慣れてきたよね。最初のころと比べて連携が取り易くなってるし」

 「そうですか?…けど、確かに調理もしやすくなってる気はします」 

 このシラカミ神社にやって来て、こうして大神さんと共に料理を作るようになってから早くも数日が経過していた。最初こそ複数人で料理をすることに違和感も感じていたが、回数を重ねるにつれてそれも緩和していき、今では以前以上に落ち着いて調理が出来るようなった。

 準備も終わったという事で大神さんは割烹着を取ると、ぐっと一つ伸びをする。

 「んー、ウチはそろそろフブキとあやめを起こしに行こうかな。透君も一緒に起しに行く?」

 「いや、俺は…ん?」

 すちゃりと素早くフライパンとお玉を装備する大神さんに苦笑いを浮かべつつ返答しようと口を開くのと同時、不意にぴょこりと入り口から覗く白い獣耳が視界に映った。

 「どうしたの?…あ、そういう」

 唐突に言葉を区切った俺の視線を不思議そうに辿った大神さんもそれに気づき納得の声を上げる。

 この神社で白い獣耳を持つ人物など一人しかいない。

 「白上さん、そんなところで何してるんですか?」

 声を掛ければピクリと覗いている獣耳が動き、それからそろそろと白上さんが顔を出してきた。しかし何故か彼女はその顔に悔しさをにじませている。

 「ぐぬぬ、何で分かったんですか。白上の擬態は完璧だったはず…」

 「完璧も何も耳が出てたよ。…それにしてもフブキがこの時間に起きてくるのは珍しいね、夜通しゲームをしてた訳じゃないんでしょ?」

 そう話す大神さんは目を丸くしていて、かくいう俺もそれは同様だった。基本的に白上さんは大神さんが起こしに行くまで起きてこない。その為に神社では朝にけたたましい金属音が鳴り響く事が常と化していたのだが、今朝はそうもいかないらしい。

 「あー…いえ、今朝は少し夢見が悪くって。この時間帯なら二人はここに居るかなと」

 「夢見?変な夢でも見たの?」

 「はい、そんな感じです」

 聞き返す大神さんに簡単に返すと白上さんの視線は盆の上に乗せられた朝食へと向けられる。

 「あれ、もう出来てる…。手伝いでもしようかと思ってたんですけど、早くないですか?」

 もう完成してるとは予想外だったようで、キョトンとした表情を白上さんは浮かべた。そんな彼女に大神さんは誇らしげに鼻をならす。

 「ふふん、そうでしょ。いつもならまだ出来上がってないけど、これも透君とウチの連携力の賜物だよ」

 「恐縮です」

 チラリと視線を送って来る大神さんに会釈共に返せば、白上さんは感心したように息を吐いた。

 「はへー、けど納得です。ミオも透さんも料理上手ですもんね。」

 「比べて、フブキは最後にいつ料理をしたのかな?」

 意地の悪い笑みを浮かべた大神さんが揶揄い混じりに問いかけられて、衝撃を受けたように白上さんの身体が揺れた。

 「それは…、いつでしたっけ…」

 目を逸らしてのぼかした物言い。それだけでもかなりの期間を彼女が料理をしていないと言う事が読み取れる。

 「白上さんも料理してたことはあったんですね。てっきりずっと大神さんが作ってたものかと」

 そんな彼女らの様子を見ながら率直な感想を口にする。神社に来てから白上さんがキッチンに立つ姿を目にしていなかった為これは意外であった。

 「住み始めの頃は交代で作ってて、その時はフブキも料理はしてたんだけど…」

 「ミオが甘やかし上手なのが悪いですね。いつの間やら白上は堕落させられてしまったんです」

 完全に開き直ってしまった。ふんすと胸を張る白上さんにさしもの大神さんも苦笑いを浮かべている。

 「まぁ、ウチも好きでやってるからなるようになったと言えばその通りなんだけどね」

 そう話す大神さんの顔には確かな友愛が含まれていて、彼女らの関係性を如実に表している様に思えた。こうした友人がいるというのは一種の財産ともいえるだろう。

 話にひと段落が付いたところで、大神さんは「フブキが起きてきたなら」とお玉とフライパンを直して百鬼さんを起こしにキッチンを出ようとする。しかし、そんな彼女に待ったをかける狐が一匹。

 「ちょっと待ってください。あやめちゃんと白上の扱いが違い過ぎませんか?」

 「あやめをあれで起こすのは可哀想でしょ」

 「可哀想ですけど!その慈悲の心を白上にも少しは向けて下さいよ!?」

 何を当然のことを言っているのだという顔で言い放つ大神さんに悲鳴が上がる。毎朝餌食になっているだけありその凶悪さは身をもって知っているようだ。

 「そんなに酷いんですか?」

 「酷いなんてものじゃないですよ。目の前に雷が落ちるのと同等の音の衝撃が白上の耳を突き抜けて頭に鳴り響くんです」

 フルフルと耳を震わせる彼女は何処か憐れにすら見えた。

 「フブキが遅くまで起きないのが悪い」

 そんな白上さんを一蹴する大神さん。白上さんには同情するが、これも長年の付き合いのなせる事だろう。

 「…ちなみに自分は関係ないみたいな顔してますけど、多分あやめちゃんが特別なだけでミオは普通に透さんにも白上と同じ起こし方をしますよ」

 「へ?…いやいや、流石にそんな事は…」

 言いながらチラリと大神さんへと視線を向けて見ると、サッと大神さんに目を逸らされた。

 「…大神さん?」

 「…ウチあやめを起こしてくる!」  

 再度の声かけに答えないまま、大神さんはそれだけ言い残すと足早にキッチンを出て行ってしまった。

 『言った通りでしょう』そんな白上さんの視線を感じつつ、俺は之からは絶対に寝過ごしはしないと固く心に決めるのであった。

 

 

 

 

 

 「へー、朝にそんな事があったんだ」

 のんびりとした声音で話を聞いた百鬼さんが答える。現在、既に昼も過ぎて横の縁側から見える外ではさんさんと日光が降り注いでいた。

 「それで、あやめちゃんはどんな起こされ方をされたんですか?」

 「余?余はね、ミオちゃんが優しく揺らして起こしてくれたよ」

 百鬼さんから結果を聞いて、思わず俺と白上さんは目を見合わせる。やはり確証はないが白上さんの読みは正しいのかもしれない。

 「まぁ、ミオの気持ちは分かるんですけどね…。あやめちゃんは可愛いですし」

 「えー、フブキちゃんの方が可愛いよ」

 白上さんに褒められて照れ笑いを浮かべながら言う百鬼さんは、けれど満更でもなさそうにしていた。そんな二人の様子を俺は椅子に座って眺める。

 「…それはそうと、あやめちゃん」

 「なあに?」

 話を変える白上さんに百鬼さんは首を傾げる。そんな彼女へとその頬をほんのりと赤く染めながら白上さんは口を開いた。

 「まだ満足しないんですか…?」

 「もうちょっとだけ」

 何度目かになる返事を繰り返しながら百鬼さんは後ろから抱き着くようにして白上さんの獣耳へと手を添えていた。

 「もふもふー」

 「うぅ…」

 さもご満悦といった風の百鬼さんとは対照的に、白上さんは羞恥に耐えるようにぎゅっと目を閉じている。この状態になってからかれこれ小一時間は経過していた。

 こうなった経緯としては割と単純で、白上さんが百鬼さんに角を触らせてと頼んだ結果交換条件として白上さんも獣耳を触らせるとなっただけである。

 「こんな筈では…」

 しかし、そこで誤算だったのが百鬼さんが思っていた以上に獣耳を気に入ってしまったことであった。結果として百鬼さんが中々離れようとしなくなってしまい、白上さんも自分から頼んだ手前無理に断れなくなり現在に至っている。 

 「…フブキちゃん、本当に嫌だったら言ってね?ちゃんと余も我慢するから」

 気遣い混じりに百鬼さんが声を掛ける。

 「いえ、別に嫌という訳では無いんですけど…。ただあまり触られる事も無いので、恥ずかしいと言うかくすぐったいと言いますか…」

 白上さん自身上手く言葉で言い表せないようで、そんな曖昧な答えを返してしまう。ここできっぱりと断れば良いものを、嫌ではないと言うものだから百鬼さんも止まらない。

 「なら、もうちょっとだけ」

 「あう…」

 続行の許可も出た所で百鬼さんは白上さんの獣耳を、あくまで丁寧に優しくもふもふと触る。見るからに毛並みの良いその触り心地は百鬼さんの表情を見れば一目瞭然であった。

 「透さん…」

 すると、そんな声と共にこちらへと救いを求めるような視線が向けられる。とはいえこの状態に介入できる手段を俺は持たない為、お手上げとばかりに手を上げて見せれば白上さんは観念したようにがくし肩を落とした。

 「そう言えば、そのミオちゃんは何処に行ったの?神社には居ないみたいだけど」

 獣耳を触る手を止めないままにふとしたように百鬼さんが言う。言われるまで気が付かなかったが、確かに大神さんの姿を昼食の後から見ていない気がする。

 「ミオでしたらミゾレ食堂に行くと言ってました。なんでもミゾレさんに新しいレシピを聞きに行くそうです」

 「ミゾレ食堂ですか…」

 ふと恰幅の良い店主の姿を思い出す。二度しかあっていないが、また豪快な人だったとかなり印象に残っている。

 すると、不意に白上さんがこちらを見ながらくすくすと小さく笑い声を上げた。

 「白上さん、俺の顔に何かついてます?」

 「いえ、実はミオがミゾレ食堂に行ったのは透さんが原因なんですよ」

 「俺が…?」

 そんな事を言われても思い当たる節も無く疑問に首を傾げていれば、「はい、そうですよ」と白上さんは実に面白そうにしながら首肯する。

 「あれで意外と負けず嫌いな所があるので、透さんに触発されて自分も料理の腕を上げようとしてるんです」

 「腕を上げるって…、今で十分じゃないですか」

 「そうもいかないのが対抗心という奴ですよ」

 そんなものだろうかと、いま一つ納得しきれないままに頷く。共に料理をするにあたり、彼女の料理の腕はそれなりに把握できているつもりだ。その上で大神さんは既に悠々と高水準に位置していると認識している。

 彼女が対抗心を燃やす理由に、自分が当てはまるとは如何にも思えない。けれど、腕を磨こうとするその事実は素直に称賛すべきだと思った。

 「凄いですね、大神さんは」

 「うん、ミオちゃん偉い!」

 「流石ミオ!」

 本人のいないところで、口々に賞賛の声が上がる。尚、こうして話している間にも百鬼さんの手が白上さんの耳から離れることは無かった。

 「…ところで、料理つながりにはなるんですけど…あやめちゃんは料理の方は?」

 恐る恐ると白上さんが後ろの百鬼さんへと問いかける。恐らく朝言われたことを気にしてのモノだろうが、しかしそれは現状かなり諸刃の質問である。

 三人中二人が料理の出来る中、百鬼さんの返答次第ではとても悲惨な事になるだろう。

 緊張の走る中、しかしそんな事知る由もない百鬼さんは軽い調子で口を開く。

 「余は料理できるよ」

 「ぐはっ…」

 そして案の定、一人取り残される形となった白上さんから断末魔が上がった。

 がくしと畳の上に両手を付ける白上さん。彼女の唐突な行動に百鬼さんはおろおろと動揺を顔に覗かせる。

 「え、フブキちゃん、どうしたの!?」

 「少し、白上の女子力がクライシスでして…」

 想定以上にダメージは大きかったらしい。効果音が聞こえてきそうな程に落ち込んでいる様子の白上さんは、すぐには立ち直れそうもない。

 「あー…、まぁ、料理が出来ないくらいどうって事は無いんじゃないですかね」

 「透さん、それは持つ者の余裕というものですよ。というか、何で透さんまで料理が出来るんですか!」  

 「理不尽過ぎません…?」

 擁護したつもりだったのだが、どうも追い打ちになってしまったようだ。若干涙目の白上さん、彼女の逆切れの矛先がこちらへと向けられる。出来るのだから仕方がない。

 どうどうと百鬼さんに頭を撫でられて幾らか落ち着きを取り戻し、白上さんはその顔を上げた。

 「…決めました、白上も料理を再開します。このままでは乙女的プライドが…!」

 悲壮に見える覚悟を決める彼女だが、あくまで料理の話である。流石にこれには百鬼さんも同情したのか、白上さんの背を宥める様に摩っている。

 「フブキちゃん、落ち着いて?余の角触る?」

 「触ります」

 即答であった。先ほどまでの一連の流れは何だったのかと思う程の切り替えの速度で彼女は表情を喜色に染めて目を輝かせる。

 「え…あ、うん。どうぞ…?」

 あまりの変わりように若干狼狽しつつも百鬼さんは触りやすいように頭を垂れて角を差し出した。

 「では…失礼します」

 白上さんはごくりと喉を鳴らし、そろそろと二本の角へと手を伸ばす。

 「あやめちゃん、大丈夫ですか?」

 「ん-、ちょっとくすぐったい」

 一度触れて確認してから、白上さんは改めてそっと角に触れた。途端、恍惚とした表情で感嘆の声を上げる。念願が叶ったことが余程嬉しかったらしく、先ほどまでの悲壮感は完全に吹き飛んでしまっている。

 それから暫くして、両者共に満足の行ったようでようやく謎の時間が終わりを告げた。

 「いやー、あやめちゃんの角の触り心地は最高でした」

 「フブキちゃんの耳も、ずっと触ってたくなった」

 そう二人は互いに感想を言い、称賛し合う。そんな彼女らを何ともなしに別次元の出来事のように見守る。

 「あ、もしかして透さんも気になりますか?」

 そんな俺の視線に気が付いた白上さんにふと問いかけられた。

 「ん?…あぁ、いや、普通に自分には無いものなのでどんな感覚なんだろうなと考えてただけです」

 生憎と尻尾も無ければ角も生えていないただの人間であるため、どうにも共感がし辛い。聞く限り一応感覚は有る事は分かるがその程度だ。

 「そうですか…なる程…」

 それを聞いた白上さんは何やら考え込むと、不意にポンと手を打った。

 「じゃあ、透さんも体験してみますか?確かそんなシンキがあった筈です」

 「あ、それ良い!余もちょっと見てみたい!」

 「…はい?」

 体験とはどういう事だろう。その疑問を投げかける間も無く、彼女らは揃って何処かへと去って行ってしまう。それから数分後、足早に戻って来た彼女らによっておもちゃにされるとは、この時の俺には知る由も無かった。

 

 

 

 

 

 「じゃあ、透君の頭に生えてるのって…」

 「正真正銘の獣耳ですね」

 説明を終えれば、大神さんは完全に状況を理解したようで納得の声を上げる。そう話す間にも彼女の視線は俺の頭の上へと向けられていた。

 そこには現在犬とも猫とも言えない妙な形をした獣耳が生えており、これが大神さんがミゾレ食堂から帰って来るまでの間に起きた事態の結果であった。

 「…もう、二人共、透君をおもちゃにしたら駄目でしょ!」

 「「はい…」」

 大神さんの注意を受け、向かい側に座る白上さんと百鬼さんがしゅんとした様子で返事をする。別段耳を生やすこと自体はそこまで問題ではない、ならばなにが問題かと言うと。

 「…これ、本当に明日までにとれるんですか?」

 「恐らくですが…」

 「イワレの残量的にも、明日の朝には取れてると思う…」

 色々と弄りまくった結果、重複してしまい解除が出来なくなってしまったことだった。幸い、永続にはならないようで時間経過で戻るには戻るらしいが、それまではこのままだと言う。

 「透さん、獣耳が生えた感じはどうですか?」

 「そうですね…」

 白上さんに問われて、ふと慣れない感覚に集中してみる。神経が通っているのは落ち着かないが、それ以上に聴力が跳ねあがっているのが分かった。

 「…これは、フライパンとお玉は勘弁願いたいですね」

 「ですよね!」

 苦々しく顔を歪めて言えば、白上さんは同士を見つけたと言わんばかりにぱっと顔を輝かせる。

 暫く慣れない感覚に悩まされることになったが、代わりにこれ以上無い程に白上さんに共感することが出来た、そんな一日であった。

 



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True:Another 9

 

 『お前を自分の子供と同列に扱うつもりは無い』

 引き取られた先で開口一番に言われたその言葉をよく覚えている。

 物心の付いた時には両輪は既に存在しておらず、幼かった俺は必然的に両親の親戚の下へと転がり込む事となった。こういう時に運が試されるのだが、多分この時の俺は運が無かったのだろう。

 人というのは多種多様で、全員が悪人でも無ければ全員が善人という訳でも無い。そして、引き取られた先の人柄はお世辞にも善人とは言い難かった。

 既に子の居るその人たちにとって、突然転がり込んできた他所の子供は邪魔という他無かったようだ。だから当然長い間家に置くことも無く、何かと理由を付けられて俺はそれからも様々な場所を転々とした。

 下手な鉄砲数打ちゃ当たる。そんな言葉があるが、生憎と言葉どおりにいかないのも人生だ。

 最終的に預けられた施設を出てからは、働いて食事をして寝て、その繰り返しの毎日だった。夢も無ければ幸福も無い、ただ生きているだけの人生がそう長く続けられるはずも無く。

 意味を見いだせない以上自分の中でその価値はどんどんと下がっていく一方で、次第に天秤が逆を向くのも自然の流れとも言えた。

 

 コツンと硬質な足音が辺りに響き渡る。開け放しになっている扉から外へ出れば、強めの風が吹いて髪が揺れる。早朝の空は薄暗くて、まばらな車の光が低い位置に見えた。

 少し前までのうだるような暑さは何処へやら、冷え切った空気に思わず身を震わせる。もう少し着込んだ方が良いかと思ったが、もうそんな事どうでも良いかと思いなおす。

 (もし次があるのなら、その時はもう少しマシな環境が良いな。)

 最後に考えることがそれかと未だ未練を残す自分を何処か可笑しく思いながら、一歩前へと足を踏み出した。

 

 

 目を開けると、ここ数日で見慣れた天井が目に入った。布団を取って体を起こし、まだ薄暗い部屋を一望する。シラカミ神社であてがわれた部屋、窓の外ではまだ夜空が広がっているのが見える。

 (変な夢だった。)

 いや、夢と言うのもまた異なるのだが、もしかすると昨日白上さんから夢見が悪かったという話を聞いたからかもしれない。

 ここ数日妙に目の行く白い狐の少女を思い浮かべながら、ふと自らの頭へと手を当てる。そこにはもう獣耳の感触は無く、無事元の状態に戻れたことを確認してほっと一息ついた。

 特段不便があったわけでも無いのだが、しかし些か聴覚が鋭敏になりすぎていて落ち着かなかったのも確かだ。慣れればまた別なのだろうが、あれが常時の白上さんや大神さんにはこれから大きな音を立て過ぎないようにしようと考えつつ、俺は身支度を終えて部屋を出た。

 

 

 「透君、今日はちょっと調子が悪そうだね」

 そう話すのは割烹着を身に着けた大神さんだった。彼女は棚から食材を取り出しながらチラリと横目でこちらを見ている。

 「…そう見えます?」

 「うん、何だか元気が無いように見える」

 唐突に言われて思わず顔に手を当てながら聞き返すと即座に首肯が返って来た。自分でも気が付かないうちに影響が出ていたようで、原因はもしかしなくとも今朝見た夢だろう。

 「今朝は少し夢見が悪かったので、多分その所為です」 

 当たりを付けた原因を伝えれば、大神さんはあっと思い出したかのように声を上げた。

 「それ昨日フブキも言ってた。もしかして順番に夢見が悪くなるのかな…」

 「どうでしょう、この神社に悪霊でも住み着きましたかね」

 何ともなしに放った冗談。しかし、それを聞いた瞬間、ぴたりと時が止まったかのように大神さんはその動きを止めた。心なしか冷や汗を垂らすその顔は青く見える。 

 「大神さん?」

 「わひゃあ!?」

 その様子を不思議に思い声を掛けると、大神さんはびくりと肩を跳ねさせ大声を上げた。あまりの驚き様にこちらまで驚いてしまう。

 「…あ、もしかして悪霊の部分ですか?」

 「言わないで良いから、言わないで聞かないウチは何も聞いてない悪霊なんていない…」

 ピンと来て確認するように問いかけてみる。すると途端に大神さんは耳を塞いでしまい、うわ言のようにぶつぶつと一人呟き始めてしまった。

 そう言えば彼女はホラー系統を極端に怖がっている節がある。ちょっとした冗談のつもりだったのだが、彼女にとっては恐怖心を抱くには十分すぎたようだ。

 「うぅ、今日もあやめと一緒に寝ようかな…」

 「もうどっちが母親かわかりませんね」

 涙目で震える目の前の彼女に先日百鬼さんに見せていたような母性は無く、むしろ幼子のようにすら見えた。

 こうなると二人の関係が逆転することになるのかと、ふと大神さんを優しくあやす百鬼さんの姿を想像し、しかし思いの他しっくりと来て特に違和感を覚えない自分に驚いた。

 (百鬼さんって、あれで意外と包容力があるんだな…)

 「あれで意外と?」

 「ん?」

 頭の中でふと思ったそれに何故か後ろから返事が返って来る。嫌な予感を感じつつぱっと振り返れば、そこにはキッチンの出入口に立ってこちらを見ている鬼の少女の姿があった。

 「…おはようございます、百鬼さん。もしかして、声に出てました?」

 「おはよう、透くん。うん、丁度聞こえた…それであれでってどういう事?」

 にこにこと微笑みながら言う百鬼さんだったが、彼女から感じる威圧感は凄まじく完全にやらかしたことを悟る。

 「あ、いや別に百鬼さんを乏そうとした訳ではなくて…」

 「うんうん、それであれでって?」

 「すみませんでした」

 何とか弁明をしようと口を開くも繰り返された百鬼さんのその問いに即座に頭を下げる。こうなってしまってはもう抗いようがない、これ以上変に刺激するよりも素直に謝っておいたほうが良い。

 「いいもん、余はどうせぽわぽわしてるもん」 

 ぷくりと可愛らしく頬を膨らませた百鬼さんはそのままつんとそっぽを向いてしまった。やはり先ほどのは思い違いだったかと考えつつ何とか許しを得ようと拝み倒していると、いつの間に平静を取り戻していたのか、不意に大神さんが口を開く。

 「そうだ、あやめ。透君がちょっと調子が悪いみたいだから居間に連れて行ってあげてくれる?」

 「透くん調子悪いの?分かった、余がちゃんと面倒みるね」

 先ほどまで拗ねて見せていた様子は何処へやら、大神さんの話を聞いた途端に百鬼さんはぱっと切り替えて心配そうな表情を浮かべてこくりと一つ頷く。

 「え、ちょっと待ってください、別にそこまでする程じゃないです。それに朝食も作らないと」

 「ウチが作るから大丈夫だよ。昨日ミゾレさんと一緒に作った試作がたくさんあるし、ご飯を炊いてお味噌汁を作るくらいだから」

 だから心配しないでと、彼女にそこまで言われてはこちらも強くは出れなかった。

 「…じゃあ、お願いします」

 「うん、任せて」

 やはり悪いのではと抵抗を感じつつも彼女の心遣いに折れれば、大神さんは満足そうに頷いて、俺はそのまま百鬼さんに手を引かれてキッチンを後にした。

 

 

 居間へとたどり着いた俺と百鬼さんであったが、到着するや否や百鬼さんは何処から取り出したのか布団を畳の上へと敷くとそこへ俺を寝かせようとしていた。

 「あの、百鬼さん?」 

 「透くん大丈夫?余がお熱計ってあげようか?」

 戸惑い混じりの呼びかけはしかし百鬼さんには届いていないようで、手慣れた手つきでてきぱきと看病の用意をする彼女の対応は完全に病人に対するそれであった。

 「大丈夫です、調子が悪いと言っても少し夢見が悪かっただけですから」

 調子が悪いの部分で恐らく互いの認識に齟齬が生じていた様で、すぐに誤解を解く。

 「そうなの?…確かに表情が暗いかも」

 「暗いのは多分元からです。とにかく、体調には問題ありません」

 キョトンとした表情で顔を覗き込んでくる百鬼さんへそう答えれば、彼女は何処か安堵したようにほっと息を吐く。

 「そっかー、なら良かった」

 はにかみながら言う彼女の姿を、俺は思わずジッと見つめてしまう。誤解もあったが、しかし彼女なりに心配して全力を尽くそうとしてくれていた。

 「…ありがとうございます」

 それを理解したからなのか、気が付けばそんな感謝の言葉が口から零れ落ちていた。咄嗟の事で口に手を当てるも、流石に聞こえていたようで百鬼さんはぱっと顔を輝かせて笑みを浮かべる。

 「どういたしまして!」

 ただこれだけの定番のやり取り、けれどこの時の俺にとってはどうしようもない程に気恥ずかしく感じて、内面が外に出てこないように抑えるのがやっとだった。

 それから暫くして、大神さんが盆に朝食を運んできてからいつもの様に白上さんを起こしに再び居間を出て行く。その両手にはやはりというべきかフライパンとお玉が握られていて、あの騒音がシラカミ神社においての暁鐘となりつつある。

 「ミオ…、もう少し優しく起こして下さいよー…」

 「フブキが寝過ごすからでしょ」

 そうして寝ぼけ眼をこすりながら居間に入って来る白上さんのささやかな抗議を一蹴する大神さん。テンプレートとなったそんなやり取りに、いつの間にか俺は安心感を覚える様になっていて。

 「全員そろったし、朝ごはんにしよっか」

 大神さんの鶴の一声で席に着く。テーブルの上には湯気を立てる朝食が並べられており、揃って手を合わせてから箸を取る。

 (…温かいな)

 胸の奥にじんわりと広がる温もりは心が溶けてしまいそうに思える程に熱くて、それに伴って生じる困惑や戸惑いを誤魔化すようにぐっと俺は湯気を立てる味噌汁を喉の奥へと流し込んだ。

 

 

 昼下がり、各々が自由行動をしている最中縁側に座り一人外の景色を眺める。太陽に照らされた雑木林、揺れる木の葉、それらを眺める様はまるで穏やかな老後の様で、まさかこんな平穏の中に居る事になるとは思いもしなかった。

 それに比べてと、ふと今朝見た夢を思い出す。

 今の状況とは正しく雲泥の差だ。偶然紛れ込むことになったこのカクリヨという世界で、こんな平和な生活を送る事になったのは紛れもなく彼女らの存在が大きいのだろう。

 「…何なんだろうな、これは」

 ぽつり呟いて胸に手を当てる。自らの中に確かにある妙なざわめき。それが何であるのか、いくら考えても答えは出ないままだ。

 (…答えを知って、それでどうするんだ)

 答えを知りたいと思う一方で、それに何の意味があるのかと問いかけてくる自分も居る。どうでも良いことだ、知ったところで何も変わりはしない。それは分かっているつもりなのに、尚知りたいと思うのは何故だろう。

 そんな自問自答は延々とループして、結局答えを見失うのだから何とも馬鹿げた話だ。

 「あ、透君ここに居たんだ」

 ふと大神さんの声が聞こえてくる。彼女の方へと視線を向けて見れば大神さんだけでなく白上さん、百鬼さんも揃っていて、三人共外出の準備を既に整えていた。

 「あれ、何処か出かけるんですか?」

 まさか新しい異変についての手掛かりでも掴んだのかと一瞬思ったが、しかしそれにしては三人共軽装だった。

 「うん、ミゾレ食堂にタッパーとか返しに行くついでに、折角だし今日の夕飯も済ませちゃおうと思って」

 そう言って大神さんは大量のタッパーの入った袋を開いて見せる。確かに昨夜、今朝、先の昼と三食の中で大神さんがミゾレ神社で作ったという料理が出てきたが、改めて見るとかなりの量がある。

 「透君の準備ができ次第出発するけど、すぐに出れそう?」

 「えぇ、今からでも」

 食事をするだけで荷物は必要にならない為準備の必要も無く。俺達はそのままミゾレ食堂へと神社を出発した。

 

 

 「…確かに、食堂ってのは客の腹を満たすための場所さ。あたしもそれを信条にしてるし、食いたい奴を拒むつもりもない。…だけどねぇ…」

 ミゾレ食堂の中、カウンターから出てきた店主であるミゾレさんは苦々しい表情で続けると、ずいとその指を俺達の座るテーブル席の一角へと向けた。

 「そこの狐娘だけはそろそろ出禁にしようか」

 「…白上ですか!?」

 指したその指の向かう先に座る白上さんはそれを受けてちらちらと左右を見渡してから自分の事だと気が付くと、とんと持っていた器を置き、口の中のモノを飲み込んでから驚愕交じりの悲鳴を上げた。

 その顔にはありありと心外だと言う彼女の心の声が浮かび上がっており、それを見たミゾレさんの額には薄く青筋が浮かんだ。

 「あんたが来るたびにうどんとそれに関する材料が底をつくのさ!どんな胃袋してんだい!」

 「いつもフブキがご迷惑をおかけしてます…」

 「ちょっ、ミオまで!?」

 予想外の身内の裏切りに白上さんの驚愕に満ちた声が響く。そんな彼女の前にあるテーブルの上にはこれでもかという程の器が重ねられており、それらすべてが彼女の注文した大量のきつねうどんの名残であった。

 正確な数字については十を超えたあたりで数えるのをやめた。料理人泣かせとはまさにこのことで、その内俺もあれの餌食になるのだと思うと軽く現実逃避をしたくなるレベルだ。

 そんな悪行の果てにミゾレ食堂を追放されそうになっている彼女は、おろおろと味方を探して今度はこちらへ視線を向けてくる。

 「と、透さん、あやめちゃん…」

 「あ、百鬼さん、それ美味しそうですね。なんですかそれ?」

 「茶碗蒸しだよ、余の中で最近ブームが来てるの」

 助けを求めるような彼女からそっと視線を逸らして他の話題へと興じる。少しくらいは助け舟を出したいところなのだが、しかし横に立つミゾレさんの鋭い威圧感を放つ視線を前にしてはそんな事出来るはずもなく。

 味方のいない現状を把握し、徐々に迫って来るミゾレさんの姿に白上さんの顔に絶望が宿る。

 「そんな…、ミゾレさん、白上だって悪気があった訳ではないんです!ただここのきつねうどんがあまりにも美味しくて、つい食べ過ぎて!」

 「…美味しい」

 必死な形相の白上さんのその弁明を聞いて、ピクリとミゾレさんが反応を示した。

 「はい、丁寧に取られた出汁、のど越しの良いもちもちとしたうどん、繊細な味の調整、どれをとっても完璧なここのうどんが白上は大好きなんです!」

 そこに更に畳みかけるように白上さんは続ける。自らの作った料理をここまで褒められて何も思わない者が果たして世界にどれだけいるのだろう。

 「…全く、今回は見逃してやろうかね」

 「よしっ!」

 遂に陥落したミゾレさんに、白上さん渾身のガッツポーズが決まる。何とか窮地は脱したらしい。

 「ではミゾレさん、もう一杯お替りをお願いしてもよろしいですか?」

 「あんたは…、ったく、仕方ないねぇ」

 舌の根も乾かぬうちに次を要求する白上さんに、けれどミゾレさんも笑みを浮かべて奥へと引っ込んでいき、そしてそう時間も掛からずに先までの器よりもさらに大きな器一杯のきつねうどんを運んできて白上さんの前にどんと音を立てて置いた。

 歓声を上げる白上さんは、お礼を口にするや否やすぐにうどんに夢中になってしまった。

 「…まぁ、あれだけ食べられるのは気持ちが良いからね」

 「ミゾレさん、なんだかんだで甘い所あるよね」

 「ほっときな」

 大神さんに揶揄われてぶっきらぼうに言い放つミゾレさんは、けれど悪くは思っていないようで、ミゾレさんと彼女らの仲も相応のモノであるという事が伝わって来る。

 何処か他人事のようにそれを眺めていたが、しかしミゾレさんは今度はこちらへと視線を向けてくる。

 「あたしだけじゃなく、透も覚悟をしておくんだね。あれの相手は骨が折れるよ」

 「あー…確かにそうみたいですね。今から既に不安です」

 シラカミ神社で料理をするという事はそういう事になる。ミゾレさんの忠告を素直に受け取れば、ミゾレさんはそんな俺を見て驚いたように目を丸くした。

 「おや、透。あんた、少し見ないうちに変わったじゃないか」

 「はい?」

 何のことか理解できずに、思わず疑問に声を上げる。変わったとは何の事だ。困惑が表情にまで出ていたのか、ミゾレさんはにやりと笑みを浮かべて続ける。

 「前はしけた面をしてたけどね、今は随分と明るくなってる。この子らに影響でもされたのかい?」

 「明るくって…俺が?」

 「そうさ、あんたは今良い方向に変わってるのさ」

 そう言って大きく笑うミゾレさんだったが、対照的に俺はぴしゃりと冷水を浴びせられたかの様な心地だった。同時に今まで答えを見つけられずに蓋をしていた様々な困惑、戸惑いが一気に溢れ出て来て、何が正しくて何が間違いなのか分からなくなる。

 急に目の前の現実が、まるで別世界の出来事のように見えた。多分、俺は今までのぼせていたのだ、もしくは夢を見ていた。

 周囲は暖かい空気に満ちているのに、自分の周りだけ冷たい氷で覆われている。

 (何も、変わってなんかない…)

 その言葉はまるで自分に言い聞かせているようで、そんな俺を白上さんだけがじっと見つめていた。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 



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True:Another 10

 

 寝静まった神社を抜け出し、一人寒空の下へと身を晒す。外へ出ると同時に身を刺すような冷たい風が襲い掛かって来るも気に留めることも無く。雲一つない星の瞬く夜空とは裏腹に、それを見上げる俺の心には靄がかかったままであった。

 『あんたは今良い方向に変わっているのさ』

 ふと先ほどのミゾレ食堂での一幕が脳裏に浮かんだ。ミゾレさんに言われたこの言葉が、返しが付いた針のように心に突き刺さっている。

 変わっている、そんな自覚など微塵たりとも無かった。そもそも変わること自体がないと思っていた。

 ひょんな事からカクリヨに迷い込んで、シラカミ神社で生活するようになって。以前とは異なる環境は、経験したこともない感情を次から次に湧き上がらせてきた。

 場所の問題ではない。それもこれも始まりは。

 「眠れないんですか?」

 背後から掛けられたその声に振り返る。とはいえそれが誰かなど既に気が付いていて、振り返った先には予想通り白い狐の少女が立ってこちらへその瞳を向けていた。

 「…えぇ、眠れないので夜風に当たってました」

 思えば全ての始まりは彼女だった。草原で倒れ込む俺に声を掛けてくれて、こうして神社に置いてくれて、何かと気にかけてくれている。

 当時の俺にとっては何処に行こうと変わらないものだと考えていた。けれど今、彼女達との生活を経て、以前まででは考えられない程にこの心はざわめきを覚えてしまっている。

 「ミゾレ食堂から帰ってから顔色が優れないみたいですけど、何か悩み事ですか?」

 「そうですね、悩み…というよりは考え事が少し」

 チラリとこちらへ視線を向ける白上さんに問いかけられて、俺は何処か誤魔化し交じりに答える。わざわざ話すような事でもないと、そう思った。

 けれど次の白上さんの言葉に、自分の考えが甘かったことを理解させられる。

 「戸惑ってるんですよね。初めて出会う感情ばっかりで、どう向き合えば良いのか分からなくって」

 「…え?」

 それを聞いた瞬間、どくりと心臓が強く脈を打った。

 戸惑っている。あぁ、そうだその通りだ。それ似たことは彼女にも一度話したことがあるし、見れば分かるような事だろう。だが理由については、過去については誰にも話した覚えはない。なのに、どうして彼女はこんなにも見透かしたような瞳でこちらを見ている。

 驚愕に思わず瞠目する俺を、白上さんは一目見るとくすりと柔らかく微笑んで見せる。

 「あ、別に心を読んだとかじゃないんです。ただ、透さんに似た境遇を知っているだけで」

 「知ってるって…、どういう意味で」

 そんな説明をされても納得など出来るはずもなく、動揺も隠し切れないままに白上さんへと言葉を返す。

 「そのままの意味ですよ。最初の頃はもしかして程度の疑念だったんですけど、接していく内にそれは確信に変わっていきました」

 答える白上さんはあくまで平静を保っていた。

 「どういうことだ、分かるように説明してくれ!」

 要領を得ない説明に、困惑は理解できないという焦燥感へと変化してつい声を荒げる。しかし、それを気にした風も無く彼女は尚続けた。

 「…いつか、透さんは聞きましたよね、『どうしてそこまでしてくれるんだ』って。あの時は内緒にしてましたけど、今は答えます」

 そう言って白上さんは一歩前へと出る。少し離れた彼女の背は、一歩分の距離しか離れていないのにも関わらず途方もない程に遠く感じた。

 「白上…さん…?」

 掠れたその呼びかけに、白上さんは宙を見上げたままゆっくりと口を開いた。

 「少し、昔話をしましょうか」

 

 

 

 

 

 カクリヨのとある山奥、光も差し込まない暗い森の中で幼い一人の少女が目を覚ました。少女は朧げな意識にぼうっとした瞳で辺りを見渡す。そんな彼女の頭には白い毛の生えた狐の獣耳が生えていて、同じくふさふさとした尻尾が彼女の足元に揺れている。

 『誰も…いない…』

 ぽつりと零されたその言葉は、彼女の周囲の状況をそのまま表していた。光も無い森の木々はずんと無言のまま立ち並んでおり、そこに生物の気配は少女の他には存在していない。どうしてここに自分が居るのか、どうして周りに人がいないのか、少女の中に疑念は尽きない。

 けれど唯一つ分かることがあるとすれば、それは少女が独りぼっちであるという事だった。

 

 目覚めた少女はそれから当てもなく森の中を歩いた。別段こうする明確な理由があった訳でもないが、しかしあの場に留まっている理由もまたない。

 幸い、少女にとって歩き続けるという事は特に苦にはならなかった。それは彼女の身体に流れる膨大なイワレによる身体能力の向上によるもので、既に少女はカミへと至っていた。

 カクリヨにおいて、カミに至るには二つの方法が存在する。一つはヒト、アヤカシから素質、鍛錬など様々な過程を経て地道に到達する、もう一つは最初からカミとして発生するというもので、少女は後者に該当していた。

 発生したその瞬間からカミという膨大な力を得た少女だったが、しかし当人は其の事に対して何とも思っていない。何せ比べる相手が存在しないのだ、幾ら強大な力だろうと関係ない。ただ食事をせずとも長期間行動が出来る便利体質、彼女の自身の力に対する認識としてはその程度であった。

 そうして歩き続けた末、少女はとある山の頂上に人々に忘れ去られてしまったもう名も無き神社を見つけた。荒れ果てた神社だったが少女はそれを気にも留めずに、どうせ誰も使っていないのならと軽く親近感を覚えてそこに住み着いた。

 神社の名はシラカミ神社。錆びれたその字を見て、まだ名が無かったと気が付いた少女は自らに白上フブキと名付けた。

 

 この世界に存在するイワレというものは人の歴史を内包する。簡単に言い表せばイワレには情報が宿っている。故に発生した直後で周囲に何も教わるものも無いフブキでも、その身に宿る膨大なイワレからある程度の知識を最初から身に着けており、喋れもすれば字を読むことも出来た。

 『…』

 けれど、それらはあくまで他人とのコミュニケーションツールだ。どれもこれも独り神社の中で蹲り続ける彼女にとっては必要のないものだった。

 神社に住み着いてから、フブキは一日中孤独に空を眺め続けていた。晴れでも曇りでも雨でも雪でも、じっと眺め続ける彼女の瞳に感情の色は一切映っておらず、その瞳に映る景色もまたモノクロで色に乏しいものであった。

 

 『お前、いつまでそうしているつもりだ』

 それから幾つかの夜を超えた頃、ふとフブキの脳内に何処か責めるような声が響き渡る。それは彼女の中に発生していたもう一つの人格である黒上フブキは、そんなフブキの様子を見かねて声を掛けてきたのだ。

 (…別に、いつまでだって良いじゃないですか。何かする事がある訳でも無いんですから)

 『けど…、…いや、何でもない』

 返って来た思考を受けて言いかけた言葉を飲み込み、黒上はそのまま黙り込んでしまう。

 何もない空っぽという事は、つまり動機が無いと言う事に直結する。何をするにしても動機というものは重要で、それが無い以上どんな言葉を掛けた所で自発的に動くことは無い。

 黒上が黙ったのもこれが理由だった。あくまで黒上にとってはフブキが主体で、そのフブキが動こうとしない以上何を言っても仕方がない。けれど、動かなければ動機に繋がる経験も出会いも何も得ることはできない。

 (フブキ…)

 希望も絶望も無い悪循環に陥っているフブキを前に、黒上はやるせなさを奥歯に噛み締めた。

 モノクロの世界には当然色が存在しない。ここで言う色とはつまり感情の事で、モノクロの世界とは感情の抜け落ちてしまった世界の事だ。

 例えば幻想的な一枚の絵画があるとして、それを見た時に何の感傷も感情も抱かなければそれは当人にとっては一枚の紙きれと同然で、逆に誰にも見向きもされない絵でも感情が揺れ動けばそれは当人にとっての名画となりうる。

 それは世界に対しても同様で、感情の動かない世界ではやがて色は失われていく。

 別にそれ自体は不幸でもなんでもない。幸か不幸かの問題は希望と絶望があってこそのモノだ、色のない世界とはそれ以前のモノで扱う土俵が異なる。

 故に、フブキもまた自分を不幸だとは思っていなかった。これが自らにとっての通常であると、これが世界の形そのものなのだと、そう考えていた。

 

 とんとんと神社の中に足音が響き渡り、いつもの様に蹲って空を見上げていたフブキの前に一人の少女が姿を現して、慣れない出来事による衝撃にびくりとフブキは身を揺らした。

 『本当に、こんなところに人が居た』

 驚いたように目を丸くするその少女はフブキとは対照的に黒い獣耳と尻尾を携えていて、そんな彼女の登場に、いや、初めて出会う他人にフブキもまた目を丸くする。

 『あ…』

 『あなたは誰ですか』そう問いかけようとしたフブキだったが、長らく使われていなかった喉からは掠れ声しか出てこなかった。けれど、その意図は黒の少女にはきちんと伝わっていた。

 『ウチの名前は大神ミオだよ、君は?』

 そう言って差し伸べられた少女、ミオの手をフブキはまじまじと見つめる。その様はまるでどう反応すれば良いのかと迷っているように見えた。そんなフブキをミオは根気強く待ち続ける。

 しばしその手とミオの顔を見比べるフブキであったが、やがて意を決したようにおずおずと手を伸ばして口を開く。

 『私は…白上、フブキです』

 

  

 

 「これが、ミオとの出会いでした」

 白上さんの話に俺は固唾を飲んで聞き入っていた。今の彼女からは到底想像しえないそれは、けれど話しに含まれる実感に真実だと裏打ちされる。

 「それからミオは神社に引き籠っていた白上の事を外に連れ出してくれました。そうして初めて触れた外の世界は白上の想像していたものよりもずっとずっと綺麗で暖かくて、最初の頃は凄く戸惑っていました」

 そうして、白上さんはこちらへと目を向ける。

 同じだった。白上さんの話に、俺はこれ以上無い程に共感が出来てしまっていた。勿論、全てが一緒ではない、過程は異なる。けれど白上さんの言う戸惑いは、今この胸の内にあるそれと同様のモノであると確信が持てた。

 「でもミオや街の人達と触れあっていく内に、少しずつですけど自分の中でも気持ちの整理がついて行って、今まで自分の見ていた世界は色あせたものだったんだって気づきました、世界はもっと綺麗なんだって気づきました」

 思い出を巡るようにふと視線を宙に彷徨わせる白上さんの表情はこれ以上無い程に感慨深げで、優しかった。 

 「ミオと出会って、ようやく白上の世界は色づいたんです」

 ふわりと微笑む彼女から目を離すことが出来ない。

 「それからミオと一緒に生活するようになって街の人達ともよく話すようになって、最近だと透さんとあやめちゃんが一緒に住む様になって、今の白上の周りは幸せで満ち溢れているんです」

 話す白上さんは言葉の通り幸せそうに見える。それと同時にどうして彼女がこの話をしてくれたのか分かった気がした。

 「…俺も、同じだと思ってるんですか」

 「はい、勿論です。絶対に幸せになれない、なんてことはあり得ません」

 即答だった。澄まし顔で首肯する彼女の顔は確信に満ちていて、誰もが幸せになれると信じてやまない、そんな表情を浮かべていた。

 良いのだろうか、そんな不安にも似た疑念が顔を出す。今までの常識が丸々ひっくり返るような、そんな気分だ。

 「だから、心配しないで下さい。戸惑いも迷いもまだたくさん残っていると思います、すぐには呑み込めなくて苦しんでしまうこともあると思います。けど、それでもきっとその先には透さんにとっての幸せが待っている筈ですから」

 影響の大きさに必然的に恐怖さえも覚えるが、続けられた白上さんの言葉はそれさえも纏めて吹き飛ばしてくれた。ここまで自分という存在を肯定されたのは初めてだった。

 あまりの衝撃に呆然と彼女を見ていると、白上さんはふと気が付いたようにピクリと耳を動かす。

 「…柄にもない事を話し過ぎましたね、ちょっと頬が熱くなってきました」

 照れ笑いを浮かべて言いながら白上さんは熱を冷ますようにパタパタと両手を扇ぐ。その頬は照れの為かほんのりと赤く染まっていた。

 「ともかくそういう訳ですので。悩むな、なんて言うつもりはありません。けど、あまり考えすぎなくても良いんです。透さんの結論が出るまで白上は勿論、ミオやあやめちゃんも待ってますから」

 やや強引に話を纏める白上さんだったが、けれど言葉の節々には確かな優しさをにじませている。

 「…どうして、そこまでしてくるんですか?」

 いつか聞いた質問を繰り返す。答えは十分貰った。けれど、できる事ならば明確な言葉として聞いておきたいと思った。

 「勿論同じ境遇に親近感がわいたから、と言うのもあります。でも…」

 予想通りの答えだと確認が取れた所で、しかし白上さんはさらに言葉を続ける。

 「それ以上に透さんが、ミオが、あやめちゃんが、この世界が大好きだからです」

 ハッキリと明言した彼女は、誰がどう見ても幸せに満ち溢れていた。そんな彼女がどうにも眩しくて、つい瞼を下ろす。そうでもしないと、感情が零れ落ちてしまいそうだった。

 「…そうですか、…ありがとうございます」

 「いえいえ、白上が好きでやっている事なので。お節介だったらすみません」

 お節介でなどあるものか、現に彼女の言葉はこんなにも心を温かくしてくれている。心の中に掛かっていた靄が晴れたような気分だ、少なくとも背負っていた重荷が幾らか軽くなった。

 「それでは、白上はそろそろ戻ります。透さんも風邪を引かないように気を付けてくださいね」

 「はい、分かりました」

 そうして神社の中へと戻っていく彼女の背中を見送った後、俺は改めて星の瞬く夜空へと目を向けた。

 全てが解決した訳ではない。まだまだ様々な感情を持て余し気味で、多分これからも迷いや戸惑いに苦しむ事になるのだろう。けれど…。

 「俺も、幸せになれるのかな…」

 ぽつりと呟きながら、俺は暗い夜空に輝いている無数の綺麗な光へとこの手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 翌朝、神社の廊下を歩いていると、ふと白い狐の少女の姿を見つけた。前を歩く彼女はまだこちらに気が付いていないようで、ぼんやりと外を眺めながらのんびりと歩いている。

 そんな彼女に声を掛けようと口を開くが、いざその時になるとどうにも緊張が勝ってしまい、息が詰まって中断してしまう。だが、このままでは機を逃してしまう。そう考えた俺は一つ静かに深呼吸をしてから、意を決して口を開いた。

 「おはよう、白上」

 「あ、透さん、おはようござい…」

 声に反応して振り返った彼女は言葉を返してくるが、しかし途中で驚愕に目を見開き声を途切れさせてしまう。

 ぽかんとして呆然とこちらを見つめてくる彼女に、流石に羞恥心を覚えた。

 「…なんだよ、敬語じゃなくても良いって言ったのはそっちの方だろ」

 それを隠すようにぶっきらぼうに言うが、内心心臓がはち切れそうな程に鳴っている。なにせこんな口調で誰かと話すなど初めてで、そもそも口慣れていない。

 襲い掛かって来る羞恥に耐えていると、やがてようやく状況が理解できたのか白上さんはその瞳をキラキラと輝かせる。

 「おはようございます、透さん!」

 明るく返事を返す彼女は、その顔に満面の笑みを浮かべていた。

 

 

 

 



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True:Another 11

 

 「透君、ちょっと変わったよね」

 そう話すのは割烹着を身に着けた大神だ。彼女は出汁を取る為に火にかけた鍋を匙でかき混ぜつつこちらにちらりと珍しいものを見るような視線を送っている。

 朝に白上と話してから、俺はいつものようにキッチンで大神と共に昼食の準備をしていた。

 「そうだな、取り合えず無理に敬語は使わなくなった。…気になるか?」

 「ううん、距離が近づいた気がして良いなって」

 柔らかく微笑む彼女を見てほっと安堵の息を吐く。正直自分でも急激に変えすぎかとも考えていたが、一応は受け入れて貰えているようだ。

 「でも、どうして急に?昨日までは敬語を外す気配も無かった気がするけど…」

 大神はそう不思議そうに問いかけてくる。

 それは至極真っ当な疑問だろう。昨日の今日で自分でも何となく不慣れな感覚を覚えているのだ、大神がそれ以上の違和感を感じるのも道理だ。

 「あー…、まぁ、色々とあってな」

 「ふーん…」

 昨夜聞いた白上の過去と現在の話。それらに影響を受けたことを悟られるのがどうにも気恥ずかしくて、そんなあやふやな言葉で場を濁そうとするが、しかし大神は何処か意味深な視線を送ってくる。

 「何だよその目は」

 「…さては、フブキと何かあったでしょ」

 包丁とまな板が強くぶつかり、鹿威しに似た音がキッチンに鳴り響く。半分まで千切りにされたキャベツがまな板の上でバランスを取るのと、俺が動揺から抜け出すのは同時であった。

 「な、何で知って…」

 ポロリと零れ落ちるその言葉を途中で口に手を当ててせき止めるが、大神のにやりとした笑みを見て手遅れだったと悟る。

 「やっぱりそうだったんだ。いやー、口調も変わったけど、最初の頃と比べで透君は表情が随分と豊かになったんだね」

 揶揄うように言ってくる大神に思わず自らの顔が引きつるのを感じる。

 「性質悪いぞ…、あぁそうだよ、悪いか」

 「あ、開き直った」

 ここまでくればもう自棄である。距離を近づけるというのもきちんと良し悪しがあるらしい。

 若干熱い頬を誤魔化す様に目の前の野菜を切り分ける。そんな俺の姿を見て、大神はくすくすと笑みを浮かべた。

 「でも、ウチが今の透君も良いなって思ってるのは本当だよ。だって透君、前よりずっと明るい表情してる」

 「それは…どうも」

 どう答えれば良いのか、返事に迷った挙句俺はそんなぶっきらぼうな答えを返す。こうして肯定的な事を言われるのは、どうにも慣れない。

 「ん、ちょっと口調戻ってる?」

 小首を傾げる大神。やはり昨日の今日ではまだ定着してはいない様で、恐らくこれからも時折出るのだろうなと内心で苦笑いを浮かべる。

 「目ざといな…。ほら、それより野菜の下拵え終わったぞ」

 「はーい、こっちももう直ぐ終わるよ」

 そうしてやや強引に話を流して、俺と大神は昼食の準備を進める。いつもと変わらないそれが、今は無性に代えがたいもののように感じた。

 

 

 昼食の後、後片付けなど諸々を終えればやることも無い自由な時間となる。最近はめっきり無くなってしまったが、一応はまだカクリヨの異変も解決していない。とはいえ、何も情報が無く異変も落ち着いている今特にやる子も無いのは確かで、平和な日常が続いている。

 御託は並べたが、俺はそんな時間が実は苦手だったりする。別に平和が嫌と言うわけでは無い、むしろ望むところなのだが、ただ何をしたものかと途方に暮れてしまうのだ。

 今までこれと言って趣味を作ってこなかったのが完全に仇となっていた。この辺り、他の三人は各々が趣味のようなやることを持っている。

 例えば白上はよく部屋でゲームをしているし、大神は料理をしたりそれ以外は部屋に籠って何かしていて、百鬼はよく外で刀を振っているのを見かける。

 対して、俺は何をやるでもなく部屋で一人天井を眺めていた。

 「…俺も何か趣味を作るべきか」

 そうでもしないと時間を持て余してしまう。趣味と言ってぱっと思いつくのはやはり料理だが、しかしそこまで熱意があるかと言われると頷きがたい。

 元々料理自体が無心で何かに集中するために続けていたものだ。好きでやっているかと言われるとそうではない。

 (まぁ最近は楽しいけど、趣味にするとなるとな…)

 今の状態で趣味にすると恐らくのめりこんでしまう自信があった。ただでさえ大神も趣味で料理をしていて時折量産されているのだ、いくら四人いるとはいえそこに俺の作った分まで加わるとなると消費が怪しくなる。

 (となると料理は除外。他に趣味にできそうな事と言えば…)

 これまでのカクリヨでの生活を振り返って何か良さそうなものはないかと思考を巡らせる。とは言えども高々数日、確かにここでの日々は一日一日が濃いが、そう都合良くは見つからない。

 「あ…」

 諦めて何か暇をつぶせそうなものでも探しに行こうと立ち上がりかけたその瞬間、ふと先日に四人でやったゲームを思い出す。

 あの時はまだ迷いの中に居て気づかなかったが今なら分かる、俺は確かにあの時間を楽しんでいた。

 「ゲームか…」

 この神社でゲームと言えば白上だ。今の時間なら部屋にいるだろうし、相談も兼ねて一度彼女の元へ話に行くのも有りだろう。

 「…よし、行くか」

 思いつくや否や、俺は今度こそ立ち上がり部屋を後にした。

 

 

 出た廊下には外から眩しい日光が差し込んで来ていた。ふと外へと目を向けてみれば、青々とした空には雲一つ浮かばない気持ちの良い快晴が広がっており、その下には幻想的な自然が水平線の先まで続いている。

 (改めて、ウツシヨとは違うんだな…)

 ここから見える景色は結構お気に入りであったりする。大抵鉄塔や建物などの見えるような開発の進んでいるウツシヨではまずお目に掛かれない光景だ。

 (こんな風に考えるようになるとは思わなかった)

 以前までの自分ならこんなこと考えもしなかった。カクリヨに来てからは予想外の連続で、今では新たな自分の一面を見つけることが楽しくなってきている。それもこれも、シラカミ神社での生活があってこそなのだろう。

 受け入れてしまえばなんてことは無い、そんな風に考えながら俺は外から視線を外す。

 「…ん?」

 すると、先の廊下の端に何やら小さな火の玉が浮かんでいるのが見える。火の玉はこちらへ来てと誘うように揺れ方を逐一変えていて、それを見た俺はこの光景に既視感を覚えていた。

 「百鬼だな、確実に」

 そうして辿り着いた仕掛け人の名前を断言する。前は確かあれに近づいた瞬間に鬼の面をかぶった出現して、驚いた俺を見て百鬼は大層楽しそうに笑っていた。

 (…今回はどこに隠れてるんだ?)

 仕掛けているということはどこかから見ている筈だ。きょろきょろと周囲を見渡してみるが、どの物陰にもそれらしい影は見当たらない。あくまで引っかかるまでは出てこないつもりらしい。

 「…仕方がないか」

 ここでスルーするのも一つの手なのだが、如何にもそれをするのは躊躇われた。悩んだ末、意を決して俺はその火の玉へと近づいていく。今か今かといつ驚かされても良いように身構えながら火の玉のすぐ傍まで移動するも、しかし一向に何も起こらない。

 遂には手で触れられるまでの距離になり不思議に思いながらそれを見つめていれば、ゆらりと大きく火の玉が揺れたかと思うとそのまま何事も無く消えてしまった。

 「えぇ…」

 完全に肩透かしを食らってしまい気の抜けたような声が出る。これは新しいパターンだ、まさか何も起きないとは思わなかった。

 今一つ百鬼が何をしたかったのか分からないままに先に進もうとくるりと背後へ振り返る。

 「ばあ!!」

 「どわっ!?」

 途端、上から突如として百鬼が目の前に降って来て、俺は思わず驚愕に肩を跳ねさせた。後ろへと後退り見てみれば、そこには天井から蝙蝠のようにぶら下がる形の百鬼が髪を下に垂れさせながら悪戯な笑みを浮かべていた。

 「どう?びっくりした?」 

 「…あぁ、心臓が口から飛び出るかと思った」

 してやられた。若干の悔しさを感じつつ未だ高鳴ったままの鼓動の中で答えると、何故か百鬼はぽかんと呆けた顔でじっとこちらを見る。

 「百鬼?」

 「笑った」

 どうしたのかと声を掛けると、百鬼はぽつりとそんなことを呟く。確かに苦笑いが浮かんでいる自覚はあるが驚く程の事だろうかと不思議に思っていると、百鬼は身軽に天井から廊下へと降りて目を輝かせながらずいとこちらへずいと詰め寄って来る。

 「透くん、今笑ったよね!」

 「笑ったというか、苦笑いだが…はい」

 状況も理解できないまま取り合えずその通りだと頷けば、一瞬百鬼は顔を俯かせて、次の瞬間感情を爆発させた。

 「いやったー!透くんが笑ったー!」

 喜色満面で飛び跳ねる百鬼に、今度は俺が呆然とする番だった。ただ笑っただけでここまで喜ばれるのはそれこそ赤ん坊くらいのモノではなかろうか。 

 喜ばれるのは良いが、流石にこのレベルだと困惑が勝る。

 「何がそこまで嬉しいんだよ、笑うくらい普通の事だろ?」

 「えー、でも透くんの笑顔、余は初めて見た」

 「…」

 返って来た彼女の言葉に思わず黙り込む。咄嗟に否定の言葉が出なかったのは、自分でもそのあたり確信が持てなかったからだ。

 そうなの?と確認を取るように目で問いかければ、百鬼はこくりと頷いて肯定してくる。

 「今までの透くん、無表情って言うか何だか暗い表情が多かったの。でも今日の透くんは凄く明るい顔してる」

 上機嫌そうな百鬼に言われて、つい自分の顔に手を当てる。確かに意識して笑うことも無かったが、まさかそこまでとは思わなかった。

 しかし、明るくなったか…。

 「大神にも言われたよ。そんなに違ってるか?」

 「うん、余は今の透くんの方が良いと思う」

 即答だった。

 どうやら自分で思っている以上に、いつの間にか俺は変わってきているようだ。彼女らの反応から少なくも良い方向であるのは確かで、変われているという事実は素直に嬉しく思った。

 そして、こうして大神と百鬼と話して分かったが、白上だけでなく彼女達もまたよく俺の事を見てくれていたようだ

 「じゃあ透くんが笑ったってミオちゃんに報告してくる!」

 「…待て、その珍獣みたいな扱いは不本意なんだが…!」

 言い残して風のように去っていく百鬼にその言葉は届かず、すぐにその背は見えなくなってしまった。取り残された俺はただ一人、ぽつりとその場に残される。

 それにしても、先の百鬼の反応。彼女が悪戯をしていたのは、もしや俺を笑わせる為だったのだろうか。にしては大神も犠牲になっていたし、彼女の趣味の側面も否定できない。けれど、仮にそうだったとしたのなら…。

 (…まさかな)

 流石に考えすぎだ。そう結論付けてから、俺は元の目的通り白上の部屋へと足を向けた。

 

  

 

 「白上、居るか?」

 『…はーい!』

 部屋の前、襖をノックして声を掛けると中から少し物音が聞こえて来て、少し遅れてから白上の声が聞こえてくる。

 そして襖が開くと、何故か寝巻に着替えた白上が姿を現した。

 「おや、透さん。透さんから訪ねてくるのは珍しいですね」

 「あぁ、少し話がしたくてな。…それよりその格好は?」

 昼食の際には普通の恰好であった筈だ。部屋の中へと招き入れる白上へと途中問いかければ、彼女は自らの恰好へと目を落とす。

 「寝巻ですよ。天気も良い事ですし、少しお昼寝でもしようかと思いまして」

 そう言って白上が指さした先にはちゃっかりと窓際に布団が敷かれていて、暖かな陽気の中眠る気満々といった気概を感じさせる。

 「それで、お話とは?」

 「実は…」 

 白上の用意してくれた座布団に向かい合う形で座り、改めて白上は要件を問うてきて、俺はここに来た経緯を簡潔に説明する。

 「…なる程、趣味を探してるんですね。その一環でゲームが上がって白上の所へ来たと」

 「そうなる。まぁ、どちらかと言うと他にも何かないかって相談よりではあるんだが」

 別にゲームにこだわりがある訳ではない。こちとらその辺りに関しては初心者と言っても差し障りは無いため、自分にあった趣味を探したいと考えていた。

 「そう言う事でしたら任せて下さい!この白上、現在の趣味は多岐に渡っていますので立派に透さんを導いて見せますよ」 

 「よろしく頼む」

 とんと張った胸を叩く彼女に頼もしさを覚える。

 白上はコホンと一つ咳ばらいを入れると、何処から取り出したのか眼鏡を掛けてくいと上げてからから口を開いた。

 「まず趣味と言っても方向性を決めないとですね、大雑把にアウトドアやインドアで分けてそこから絞り込んでいくというのも一つの手です。白上の趣味はゲームだったり、後はお茶を淹れたり、屋台巡りだったり…どちらかと言うとインドア寄りですね」

 そうして始まった趣味講座。白上の話を受けて、改めて自分の関心について考えてみる。

 体を動かす事は嫌いではないが、特に好きという訳でも無い。しかし、これは今までその機会が無かっただけで、いざ動いてみると思いの他しっくりくるのかもしれない。手を動かすのも同様で、やはりこちらも判断がつかない。

 「…難しいな。今まで触れてこなかったものが多すぎて、自分の傾向が掴めない」

 それを聞くと白上は考え込む様に口元に手を当てた。

 「んー、そうですか。…ならひとまず色々と試してみるのは如何ですか?一度やってみて合わなければ他のモノに移れば良いですし」

 「試すか…なる程、その手があったな。ありがとう白上、助かった」

 「いえいえ、どういたしまして」

 彼女のおかげで、何となく方向性は定まった。

 趣味を決めるにしても一つに固執しなくても良い。白上のように多くの趣味があれば気分に応じてその日にやることを決められるというものだ。

 「と、いう訳で。今日の所は透さんも一緒にお昼寝をしませんか?ほら、先ほども試してみようという話になりましたし」

 話も纏まった所でお暇しようと考えていた折、不意に白上は手を合わせてそんな提案をしてくる。それ自体は良いのだが、しかし浮かぶ疑問が一つ。

 「…昼寝って、趣味の内に入るのか?」 

 率直な疑問を口にすると、しかし彼女は甘いと言わんばかりに指を振る。

 「透さん、趣味について細かい所を気にしてはいけません。要はそれを楽しめるかどうかが肝心なんです。白上の魂がそう叫んでいます」

 「…そっか、勉強になる」

 尤もな事を言ってはいるが、ふとこの狐実は眠いだけなのではないかという疑念が湧いてきた。現に話が纏まった辺りから声音がふわふわとしていて、目も眠そうにとろんとしている。

 「白上、今眠かったりするか?」

 「ははっ、そんな訳ないじゃないですか」

 聞いてみるとしっかりと答える彼女だが、言葉とは裏腹にその瞳はすっと逸らされた。どうやら眠たいらしい。元々昼寝をしようとしていたのだ、それも当然と言える。

 「とにかく、透さんも一緒に寝ましょう。物は試しと言いますし、今日は日差しが気持ち良いですから」

 「あ、あぁ、分かった」

 あくび交じりに言う白上に流されて、二人揃って窓際に敷かれた敷布団の上に並んで横になる。

 「ほら、暖かくて目を閉じれば…すぅ」

 それからさほど時間も経たずに、横からはそんな白上の寝息が聞こえてきた。彼女の言う通りぽかぽかとした陽気は掛け布団を必要とさせず、眠気を誘ってくる。

 (確かに、これは眠くなる)

 やがて隣から聞こえてくる気持ちの良さそうな寝息に誘われてか耐えがたい眠気に襲われて、いつの間にか意識は暗闇へと落ちて行った。

 

 

 

 

 「透くん、居ないね」

 「そうだね、フブキとゲームでもしてるのかな」

 きょろきょろと辺りを見渡しながら言うあやめにミオがふと当たりを付けて答える。

 時刻は夕方、いつもであれば既に夕食の準備を始める時間帯だが、一向に姿を見せない透を不思議に思ったミオはあやめと共に彼を探して神社を回っていた。

 「部屋にもいなかったから、そうかも」

 透の部屋にも訪れた二人だったが中はもぬけの殻で、次の目的地として二人はフブキの部屋へと向かう。

 「フブキー」

 襖をノックしながら声を掛けるミオであったが、中から返事は返ってこない。基本的に部屋に居る事の多いフブキなだけにこれは予想外で、ミオとあやめは互いに目を見合わせた。

 「二人でお出かけ?」

 「んー、それなら声を掛けると思うけど…。フブキ、開けるからね」

 一応再び声を掛けてから、ミオは取っ手へと手を掛けて襖を横に開く。そうして目にした部屋の様子に、二人は揃って納得の声を上げ、その顔には笑みが浮かぶ。

 「…ミオちゃん、どうする?」

 「うーん…、今日はこのままにしてあげよっか。あやめ、夕食の準備手伝ってくれる?」

 「うん、余頑張る」

 声を落として話し合う二人。その視線の先では窓から差し込む夕日に照らされて、フブキと透が揃って寝息を立てていた。

 

 

 

 

 



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True:Another 12

 

 まだ朝日の差し込んでいる廊下を歩いていれば、ふと外から鋭い風切り音が聞こえてきて、不意に俺は足を止める。ひゅんひゅんという音に強風でも吹いているのかと、向かいに広がる木々を見るも、先端の細いそれらの枝は一切揺れることなく憮然とした様で天を指している。

 風でも無いのならこの音の出所にいよいよ見当がつかない。不思議に思い、玄関から外へ出て、疑問の解消に向かう。

 近づく毎に大きくなる音、そうしてたどり着いたのは境内の中でも開けた場所だった。そして目にした光景に、思わず感嘆の息が漏れる。

 風切り音を生み出していたのは、二振りの木刀だった。素朴なそれらを、可憐な鬼の少女がまるで自分の手足のように自在に操っており、舞を踊っているかのようなその様は、流水に浮かぶ花びらの如き美しさと儚さを感じさせる。

 「…百鬼」

 ぽつりと、彼女の名を口にすれば、百鬼はぴたりと動きを止めて振り向いた。

 「ん?透くん、どうかしたの?」

 「あぁ、いや、音が聞こえたから気になってな。何してたんだ?」

 「ちょっと体を動かしたくなったから素振りしてたの。最近あんまり動かないから、何だかうずうずしちゃって」

 素振り、事も無げに言われたその言葉に、先の光景とのギャップを覚える。あれはその程度で済まして良いものでは決してなかった。それ程までの美しさが今尚脳裏に焼き付いていた。如何にかそれを伝えようとするも、どう言い表したものかと逡巡し、けれどやはり口を閉ざす。

 「…なぁ、少しだけ見ていっても良いか?」

 代わりに出てきたそんな言葉に、キョトンとした顔で百鬼は首を傾げる。

 「良いけど…退屈にならない?」

 「大丈夫、自分じゃそこまで動けないからな、見応えがあるんだ」

 「そう?」

 釈然としない表情を浮かべる彼女だったが、特に拒絶する様子も無かったため、俺は近くにある手ごろな石へ腰を下ろす。

 特段、先の言葉も出まかせという訳ではなく、純粋に先ほどの百鬼の姿をもう一度見たいと思ったのも確かだった。

 「じゃあ、再開するね」

 両手に持つ木刀を握り直すと、そう言って百鬼は二刀で構えを取る。ただそれだけの動作で、彼女の身に纏う雰囲気は一気に研ぎ澄まされて、普段の緩い彼女とは見違えてしまう。

 そうしている間にも、百鬼は刀を振り上げて、小気味よい風切り音と共に振りぬく。美しさの中随所に強かさが秘められており、刀の扱い、足さばき、体幹、どれを取っても圧巻の一言で、俺はついそんな彼女の姿に見入ってしまう。

 夢中で見続ける事、数分が経過した頃。ふと百鬼の動きの中に何処か違和感を覚えて我に返る。滑らかだった彼女の動きが、今はぎくしゃくと、まるで油のさされていないブリキ人形のようになっている。それだけでなく、思い過ごしかその頬はほんのりと紅潮している様に見えた。

 「うぅ…、やっぱり無理!」

 木刀を下ろして限界だとばかりに叫ぶ百鬼。あまりに唐突の事に目を丸くして、彼女へと声を掛ける。

 「あの、百鬼?」

 「そんなにじっと見られると、余恥ずかしい…。思ってたよりずっと恥ずかしかった…」

 話しながら木刀をいじる百鬼の瞳は薄っすらと潤んでいる。

 どうやら原因はこちらにあったらしい。詰まるところ、あまりにも真剣に見過ぎたせいで、百鬼の羞恥心が限界を迎えてしまったようだ。

 確かに一応は不躾だったという自覚はあったため、彼女がそう思うのも無理はない。

 「悪い、あまりに動きが綺麗だったから、つい」

 「…透くん、実は余に意地悪しに来たの?」

 「いやいや、誤解だ誤解」

 ジトリとした目でぷくりと頬を膨らませる百鬼に慌てて弁明するも、けれどそれでは足りなかったようで、「どうだか」とそのまま彼女はぷいとそっぽを向いてしまう。

 「さてはいつも余が悪戯するから、その仕返しに来たんでしょ」

 「あー、違うけど、仮にそうだとしても割と正当じゃないか、それ」

 「…確かに」

 最初こそ恨みがましい視線を向けて来ていた百鬼であったが、しかし指摘を受けた途端に正に晴天の霹靂と言った風に目を丸くする。

 その様子があまりになもので、こみ上げてきた笑いを抑えることが出来なかった。

 「あ、透くん、何で笑うの!?」

 「いや、さっきまで怒ってたのに、急にそんな気の抜けた顔するもんだから…」

 肩を震わせながら何とか返事をしようとするのだが、堪えきれずに途中で言葉が途切れてしまう。そんな俺を見て、百鬼は驚き半分不貞腐れ半分な表情を浮かべる。

 「やっぱり透くん、最近明るくなったけど意地悪にもなった」

 百鬼に言われて、ふと自身を鑑みてみる。以前までは曇っていた心が、日ごとに晴れていくような、そんな清々しさを覚えるようになった。

 開き直ったと言ってしまえばそこまでだが、やはり自分なりに整理が付けてこられた証拠でもあるのだろう。

 「…まぁ、もしかするとこれが元々なのかもしれないな」

 「それだけ心を許してくれたって考えたら嬉しいけど…内容的に余、素直に喜べない」

 「お互い様って事で勘弁してくれ」

 何せ、こちとらよく彼女の悪戯にひっかけられているのだ。どんな意図が有れども、驚くモノは驚く。あの手この手で驚かせて来る彼女はシラカミ神社の人泣かせであった(特に被害に遭っているのは大神であるのだが)。このくらいのささやかな抵抗程度は許していただきたい。

 百鬼もその辺りについては先程に自覚していた為、若干不服そうではあるが受け入れているようだった。

 「けど、そう言う事なら見学は引き上げるよ。悪いな、邪魔して」

 「ううん、余もこんなに恥ずかしいなんて予想外だったから。…それより透くん、今から時間空いてるの?」

 立ち去ろうと踵を返しかけた折、不意に百鬼に呼び止められた。

 「ん?あぁ、特にやることは決まってない」

 ここへ来たのも暇を持て余している中、聞こえてきた音に興味を引かれたからだ。趣味を見つけると息巻いたは良いものの、中々之といったモノが見つからないのが現状であった。

 白上には既に相談していたが、大神や百鬼の意見も聞いてみようかとは丁度考えていた所だ。

 「じゃあ、透くんも一緒にやってみよ!今趣味を探してるんだよね、もしかしたら透くんに合ってるかもしれないし」

 だから、相談するより先に百鬼の口から出てきたその言葉に、意表を突かれた。うっかり口にしていたかと記憶を遡るも、決めたのはつい先日の事だ、白上の他に話した覚えはない。

 「どうして、その事知ってるんだ?」

 浮かぶ疑問をぶつけてみれば、しかし百鬼は事も無げに答えた。

 「フブキちゃんから教えて貰ったの。もし透さんが困ってたら助けてあげてくださいって」

 「白上が…」

 考えてみれば、唯一知っている白上が出所なのは道理であった。その答えに俺は納得しつつ、これを白上の善意ととらえるべきかお節介ととらえるべきか迷っていた。

 こうも気を回してくれるのは、彼女自身が俺の境遇に共感してくれているからなのだろう。それは嬉しいのだが、こういったことに慣れていない所為か、如何にもむず痒さを覚えてしまう。 

 「それで、どう?余も一人で素振りするの退屈だったから、一緒にやってくれると嬉しいんだけど…」

 とはいえ、折角の機会だ。体を動かすことにも挑戦してみたかったのもある。

 「…木刀とか、握ったことも無い。本当に最初からになるが、良いのか?」

 「余が教えるから、大丈夫!」

 様子を伺うようにこちらを見る百鬼へ確認を取るように問いかける。最初から教えると言うのも中々難しいものだが、大丈夫かと。けれど、しかと頷いた彼女によりそれは杞憂に終わった。

 「なら、よろしく頼む」

 「うん!じゃあ、まずは刀の握り方から教えるね」

 差し出された木刀を受け取り、彼女の横に立つ。それから昼になるまで、俺は彼女から刀や剣術について教わっていくのであった。

 

 

 

 

 

 「…透君、大丈夫?生まれたての小鹿みたいになってるけど」

 いつもの様に昼食の用意をする最中、大神は心配そうに眉を顰めて、主にプルプルと震えている俺の足へと視線を向けている。

 つい先ほどまで百鬼から刀の稽古を受けていたわけなのだが、一つ俺は失念していたことがあった。キョウノミヤコでの、彼女の驚異的なまでの身体能力。俺と百鬼の間で普通の基準がずれている事は考えずとも分かる筈だったのだが、どうやらそれに思い至るには遅すぎたようだ。

 「大丈夫だ…、ちょっと全身に疲労感があるだけで、料理くらいはできる」

 一応問題ないと返してはみるものの、しかしそうでない事は明白で、大神がそれに気が付かない筈も無かった。

 「それは大丈夫なのかな…、お昼ご飯ならウチが作るから、休んでても良いよ?」

 「けどな…昨日も任せたのに、連続となると流石に」

 「良いから良いから、ウチだって好きでやってるんだし、これから先は透君に頼ることになるかもしれないから」

 渋る俺にそう声を掛けてくれる大神だったが、ただでさえ居候させて貰ってるのだ、その上で家事すらできないのではそれこそ立つ瀬が無くなってしまう。彼女も善意で言ってくれているのは分かっているが、ここを譲ってはいけない、そんな気がした。

 「…じゃあ、こうしよっか。透君、お昼の後ちょっとウチに付き合ってくれない?今日のお昼はウチが作るから、その代わりに」

 「大神に…?」

 しかし大神はそれを見越して、そう続ける。その代わりに、という言葉は意外と便利なもので、迷う相手を妥協させる点においてはこの言葉以上のモノは無いだろう。

 これだから、彼女には敵わない。

 「…分かった、なら任せるよ。ありがとう、大神」

 「どういたしまして、それじゃあご飯が出来るまで透君はゆっくりしててね」

 にこりと優し気な笑みを浮かべる大神。お言葉に甘えて、俺はキッチンを後にする。この時、百鬼が彼女へ母親に対するように甘えている理由が垣間見えた気がした。

 

 

 

 そして昼食後、約束通りに大神の元へと向かう。

 先ほど居間にて部屋の方へ来てくれと言われたが、そこで何をするのかまではまだ聞いていなかった。内容について思考にふけっていればすぐに大神の部屋が近づいてくる。

 そう言えば、彼女の部屋に入るのはなんだかんだで初めてだ。大神はよく部屋で何かしているようだが、今回の件もそれに関連しているのだろうか。

 考えつつ、俺は部屋の襖をノックする。

 「大神、居るか?」

 「はーい、どうぞー」

 中から声が返ってきて、襖を開ければ畳の上に座る大神がこちらを見ている。以前白上の部屋に入ったが、大神の部屋はまた違った印象を持った。 

 壁際に備え付けられた棚には、水晶玉やタロットカードなど占い関連のモノや、他に小難しそうな本が並べられている。机の上には、読みかけの手紙が広げられていて、似たようなものが部屋の端の方に畳んで纏められていた。

 「同じ部屋だけど、白上とはずいぶんと違うんだな」

 「フブキの部屋は基本的にゲームが並んでるからね、ウチもゲームはするけど、基本的にはフブキの部屋でやるから、ウチは趣味の占いだったりで部屋を埋めてる感じかな」

 確かに、白上の部屋には多くのゲームの本体やソフトが並んでいたし、あれならあちらに出向いた方が良いのだろう。考えつつ、手招きをされて俺は部屋の中へと立ち入る。

 「それで、何をすればいいんだ?片付けが必要には見えないが」

 ざっと見渡してみるも、綺麗に整理整頓されていて、棚の側面にも埃一つ存在しない。部屋の掃除の手伝いではないのは一目瞭然であった。

 「あ、そうだね。じゃあ透君、ちょっとそこでうつ伏せになって貰っても良い?」

 「横に?あぁ、分かった」

 そう言って大神が指さした先には座布団が縦に並べてあり、即席のマットのようになっている。彼女の意図を今一理解できない中、取り合えずは言われるがままに横になる。

 「それじゃあ、始めるねー」

 緩い掛け声が聞こえたかと思うと、背中に大神の手が当てられる。そして彼女がぐっと力を込めれば、心地よい力加減で固まった筋肉がほぐされて、血行が良くなっていくのを感じる。

 「…大神、何してるんだ?」

 「ん?何してるって、マッサージだよ」

 手を止めずに事も無げに言う大神に、そうかと納得しかけてしまったが、違うと思いなおす。

 「いや、そうじゃなくて、何でマッサージなんだ。何か手伝いでもするんじゃなかったのか?」

 手伝いでなくとも、作業でもあるのかと考えていたが、これは完全に予想外だ。これではただのご褒美、貰ってばかりで、何のお返しにもなってない。

 その意を伝えると、背中越しに大神の考えるような声が聞こえてくる。

 「んー、ウチね、占いの他にも整体とか興味があって、誰かに試してみたかったんだ。それで丁度透君も疲れてるみたいだから丁度いいかと思って」

 明らかに、今考えた口から出まかせで、彼女は最初からこのつもりで話を進めていたわけだ。してやられた、その事実と、彼女の人の良さに思わず苦笑いが浮かぶ。

 「…大神、よく人を駄目にするのが上手いって言われるだろ」

 「あ、それフブキとせっちゃんに言われてた」

 「せっちゃんって?」

 聞き慣れない人名らしきものが出てきた。フブキとは白上の事だが、せっちゃんとは一体誰の事だろうか。疑問に思い問いかけると、大神はてっきり説明したものとでも考えていたのか、あれと不思議そうに声を上げる。

 「まだ言ってなかったっけ。せっちゃんはね、ウチの…そうだね、お母さん代わりみたいな人。前にキョウノミヤコに麒麟で行ったことが合あったでしょ?その時に麒麟を借りたのがせっちゃんだよ」

 「お母さん代わり、か…。なる程な」

 大神にも大神の事情があるのだろうと、そうぼかして答える。大神の声のトーンからしてそこまで重要な事でも無いようだが、あまり突っ込み過ぎない方が良いのも確かだ。

 「そうそう、透君の事も前に話したら、凄いテンションの高い返事が返って来たんだよね。『ほうほう、遂にミオの周りに男が、してどのような者なのじゃ仔細を教えるのじゃ!』だって。どう意味だと思う?」

 「良く分からないが、その人の癖がかなり強い事は分かった」

 ウツシヨでは一般的でない口調だ、更にここだけ聞いてみるだけでも、かなり個性的な方であると分かる。そして後、もう一つ。

 「大神にとって、大切な人なんだな」

 その人について話すときの大神の声には、白上に対するときのモノとはまた違った、大きな感情が含まれていた。紛れもなく、心の底から思っている証拠なのだろう。

 「うん、大切な人。かけがえのないくらい」

 「…そう思える人がいるのは、少し羨ましいな」

 「え?」

 ぽつりと口から零れ落ちたその呟きを、けれど聞こえていなかったようで大神は疑問の声を上げた。

 「あぁ、いや、何でもない。気にしないでくれ」

 「そう?…それにしても、凝ってますねお客さん」

 「腕が良いですね、整体師さん」

 そうして雑談を交えつつマッサージを受ける事、かれこれ十数分ほど。「はい、こんなものかな」と声がかかって、身体を起こしてみると、想像以上に体が軽くなっていた。

 ここまで効果が出るとは、多分俺が思っている以上に彼女の腕は良いのだろう。

 「悪いな、大神。何から何まで」

 「ううん、気にしないで。それに、まだ終わってないよ?」

 「ん?あぁ、やっぱり他にあったのか」

 マッサージは今終わった、どうやらこれからが本題のようだ。そう思っての言葉だったのだが、しかし大神は首を横に振って、それを否定する。

 「違う違う、マッサージの続き。ほぐしたから、後は明日痛みが出ないように祈願しないと」

 まるで常識を教える風に言う大神。もしやこれがカクリヨ風という事なのだろうかと、困惑していると、大神はそんな俺を置いて準備を進めていた。

 まず部屋の中央に机を置いて、その上に水晶玉を置く。大神が水晶玉に手をかざせば、光が放たれて、謎の生物もどきの姿が投影される。

 唖然としている俺も机の前へと連れていかれ、大神と二人投影された何かと相対する。すると、次の瞬間大神はぶつぶつと早口で念仏らしきものを唱え始めて、俺は更に困惑を深めていった。

 「ほら、透君も一緒に」

 「え、俺も…?」

 つまり、彼女はこう言うのだ。一緒に、この謎の生物に対して、謎の念仏を唱えようと。訳が分からない。しかし、隣に座る彼女の圧に負けて、結局共にしてしまう。

 これがカクリヨでの風習なのかと、俺は流石にこれには度肝を抜かれ、若干の恐怖を覚えるのであった。

 

 

 

 「いえ、そんな風習は有りませんよ。ミオの個人的な趣味じゃないですかね」

 とは、事の顛末を聞いた白上の言だ。夜になって、白上の部屋にて俺は彼女と共に画面の前に並びコントローラーを握っていた。

 「無いのかよ、じゃあ俺は一体何をしてたんだ」

 「うーん、まぁ、深くは考えない事をお勧めします。…しかし、そう言う事だったんですね」

 指を動かしながら白上は何処か得心が言ったように声を上げる。

 「何がだ?」

 「それが丁度そのくらいの時間帯にあやめちゃんが泣きついてきまして、何でもミオの部屋から不気味な音が聞こえてくると」

 「あー…そうだよな、怖いよな」

 当事者である俺ですら恐怖を感じたのだ、事情の知らない者からすれば尚更だろう。改めて自分が何をやらされていたのかと、背筋を泡立たせる。白上の言うように、深くは考えまい。

 「…でも、良かったです」

 「良いのか、これは?」

 ホッと吐き出した息と共に放たれた彼女の言葉に首を傾げれば、白上は慌てて首を振って訂正する。

 「あ、違いますよ。そっちじゃなくて、透さんが、神社に馴染んできたみたいで、良かったなって思いまして」

 ぴたりとコントローラーを操作する手が止まる。彼女の言う通り、最近は以前では考えられない程に、凝んな日常を楽しいと感じている自分が居る。

 「…そうだな、随分と気ままにやらしてもらってる自覚はあるよ」

 「はい、これからもどんどん、気ままにやっていきましょう」

 そうして言葉を交わし合いながらゲームを続ける俺と白上。その顔には両方共に、笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 



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True:Another 13

 

 それはとある日の事。

 いつも通り平和な、けれど何処か騒がしい日常の流れるこの頃、シラカミ神社で生活する俺達四人は、大きめのバスケットを持って森の中の道を歩いていた。

 「ピクニック~♪」

 前を行く白上と百鬼は手を取り合い、らんらんとスキップでも踏みそうな程の上機嫌ぶりで、即興のリズムを口ずさんでいる。

 「二人共ー、一応ここ足場が悪いから転ばないようにねー!」

 「はーい!」

 「分かってますよー!」

 注意を促す大神に元気よく答えつつ、彼女らは険しい道もなんのそのと軽々と先へ進んで行っていった。

 白上と百鬼の言うように、今回は皆でピクニックへと赴いていた。こうなった経緯としてはなんてことは無い。ただ誰かが思い付き(今回は百鬼だった)、他がそれに同調して揃って行動に移した、それだけだ。

 とはいえ、行動力がありすぎるのも考え物だ。幸い、空は青く澄み渡っていて絶好のお出かけ日和だが、流石に今朝提案を受けて、出発までに間に合うよう準備をするのも骨が折れた。

 しかしその甲斐もあり、バスケットの中には俺と大神の最高傑作が陽の目を浴びる事を待ち望んでいる。

 今から二人の反応が楽しみだと、隣を歩く大神とほくそ笑み合っていれば、ふと前の方から歓声が聞こえてきた。

 「ひゃー、綺麗ですね!」

 「凄ーい!」

 続けて飛んでくる感嘆の声に、俺と大神は顔を見合わせて、すぐに二人の元へと急ぐ。やがて周りに立ち並んでいた木々を追い越すと、頭上から降り注ぐ明るい日光に一瞬目を閉じて、再び目を開き目の前の景色を視界に収めた。

 木々の開けた先に待っていたのは、ずっと先まで続いている大きな草原だった。季節に似合わずに咲き誇る草花、少し遠くには吹く柔らかな風に水面を波立たせる小さな湖が見える。

 そこに在るのは圧倒的なまでの自然で、俺達は思わず足を止めてその光景に見入った。

 「良い景色だねー」

 「あぁ…」

 風になびく髪を抑えながら言う大神に、俺は心ここに在らずで相槌を打つ。それ程までに、この景色を美しいと思った。

 「本当に、綺麗だ」

 

 

 

 

 

 草原へと到着すると、俺達は丁度良い所にあった木陰にシートを敷いて、諸々の準備を終えてから一度腰を落ち着ける。

 一般人であるこちらはここまででそれなりに疲労困憊ではあるのだが、しかし同じ道を歩いてきた筈の白上や百鬼はそうでもないようで、二人共ウキウキで楽しそうに周辺を見て回っている。

 「透君、お疲れ様。お茶飲む?」

 「ありがとう大神、貰うよ」

 手渡されるコップをありがたく受け取る。冷たいお茶で乾いた喉を潤しながら、しゃがみ込んでまじまじと咲いている花を眺めている白上と百鬼を見る。

 「元気だな、二人共。大神も結構余裕ありそうだけど、疲れてないのか?」

 シートに座り、同じく二人を見つめる大神の顔は涼し気で、汗一つかいていない。

 「うん、ウチもあの二人もカミだからね、このくらいなら全然だよ」

 「ここまで移動して、息切れ一つ無いのは羨ましい限りだ」

 今居る草原だが、実はシラカミ神社からはそれなりに離れていたりする。其の甲斐も有り景観は最高ではあるのだが、道のりは基本的に舗装された道では勿論ない。森の中の道は所々木の根が出張っている為歩きづらく、余分に体力を持っていかれた。

 「透君はイワレが無いから尚更きついんだと思う。少しでもあったらある程度は補正がかかるんだけど…」

 「まぁ、元々がイワレの無いウツシヨ出身だからな、ある方がおかしい」

 人気の無い森の中ということもあるのだろうが、基本的にカクリヨは街以外の道は、道として認識できる程度でそこまで舗装されている訳ではない。

 その原因に当たるのは恐らくイワレの存在だろう。イワレによって身体能力がウツシヨの平均とはかけ離れており、少し道が悪い、長距離を移動する、これらの点が苦にならないのだ。

 「ねぇ、透君は…」

 「ん?」

 ふと何かを言いかけた大神は、けれど途中で言葉を止めてしまう。不思議に思い彼女の方へと目を向けてみると、大神は誤魔化すように笑みを浮かべた。

 「…やっぱり何でもない!それより、そろそろお昼だから、ささっと準備しちゃうね」

 「そうか?ならあの二人も…」

 呼び戻さないと、そう思い外していた視線を戻してみれば、つい先ほどまでそこに居た筈の白上と百鬼の姿が消えていた。

 きょろきょろと辺りを見渡してみるも、何処にも彼女らの姿は見当たらない。

 「あれ…大神、白上と百鬼の事見てないか?」

 「え?さっきまでそこに…って、居ないね。どこ行ったんだろ…」

 どうやら大神も見ていなかったようで、首を傾げている。完全に二人を見失ってしまった。

 これでは折角作った料理のお披露目が出来ないではないか。いや、それは別に良いのだが、消えた二人が白上と百鬼という点に少し嫌な予感を感じる。なにせ悪戯好きな百鬼に、ノリの良い白上だ。何かを企んでいるに違いない。

 大神も同じ結論に至ったようで、些か警戒した様子で周囲へ目を走らせながら、そっと手を前に出す。

 「あっちがその気なら、ウチにだって考えがあるからね」

 普段餌食になっている彼女の事だ、日ごろの鬱憤もあったのだろう。その瞳に炎を灯して大神が言うと同時、淡い光と共に彼女の手の上に手のひら大の水晶玉が現れた。

 「二人の居場所は…」

 集中するように目を瞑りぽつりと呟かれたその一言で、今現在彼女のやろうとしている事を察し、固唾を飲んでその様子を見守る。

 そよ風が頭上の木の葉を揺らす。やがてかっと目を見開いた大神は、おもむろにもう片方の空いた手を頭上へと向けた。

 「そこっ!!」

 裂帛の気合と共に、ごうと音を立てて掲げられた彼女の手のひらから丁度上にある生い茂る木の枝達へ向けて大きな炎が立ち昇った。

 「わひゃあ!?」

 「うきゃあ!?」

 すると、頭上からそんな驚いたような悲鳴が降って来る。それから一拍遅れて木の葉にしては大きな影が二つぼとぼとと落ちて来て、慌ててバスケットを横へと避難させる。

 安全地帯にバスケット下ろしてから、落ちてきた二つの影へと目を向けて見ると、そこにはぐるぐると目を回した白上と百鬼の姿があった。

 「白上に百鬼、いつの間に木の上に昇ってたんだよ…」

 どうやら気が付かぬ内に、頭上へと移動していたらしい。

 「もう…、フブキ、あやめ?毎回ウチを驚かそうとしたって、そう簡単にはいかないよ」

 ふふんと大神は得意げに鼻を鳴らして見せる。思っていた以上に腹に据えかねていたのか、その顔は爽快感に満ちていた。

 「ちょっと、占星術を使うのはずるいじゃないですか!」

 「ミオちゃんずるい、占星術反対!」

 気が付くなり抗議の声を上げる二人であったが、大神はぺたんとその耳を抑えて聞こえていないふりをする。

 そんな彼女らを見つつ、俺はそっと炎の立ち上がった頭上の木を見上げた。

 豪快な炎にさらされた木の葉たちは、しかし焦げ目一つ見せずに緑に潤っていて、影響は何一つ出ていないように見えた。白上や大神も、落下の衝撃で目を回してはいたが、彼女らにも焦げ目は見えない。

 本当に驚かせただけで、温度としては高くない、見た目だけのモノだったようだ。

 「それで、今回は何をしようとしてたんだ?」

 「…珍しいものを見つけたんですけど、普通に見せるのも味気ないので…」

 「これと一緒に骸骨を目の前に落とそうかなって…」

 未だきゃいきゃいと騒ぎ立てる二人へと問いかけてみると、何処かバツが悪そうに白上と百鬼が答え、手に持っていたものを見せてくる。

 その視線の先には、ハート形の葉が四つついた植物。

 「…四葉のクローバーか?」

 「そう!さっきフブキちゃんと一緒に見つけたの!」

 話には聞いていたが実物を見たことは無いその名を口に出せば、百鬼は先ほどまでのバツの悪さは何処へやら、見るからに嬉しそうにパッと顔を明るくし、瞳を輝かせた。

 「いやー、悪戯は失敗に終わりましたけど、こちらは大収穫でしたね」

 こちらでは白上が先の大神に似た仕草で胸を張っている。だが、白上は軽く言ってはいるものの、大神にとっては死活問題で、彼女は件の首謀者へと不満げな視線を送っていた。

 「なら悪戯なんてせずに普通に見せてくれれば良かったのに…」 

 「それだと面白くないじゃないですか」 

 「ウチをおもちゃにしようとしてない!?」

 憐れな声を上げる大神だったが、彼女は強かだった。彼女は素早くバスケットを手繰り寄せると、その中に入っている三角形の紙包みを取り出して見せる。

 「悪戯をする子は、お昼のサンドイッチの数を減らします」

 座った眼で宣言する大神に、今度は白上と百鬼が震える番だった。

 再三になるが、太陽も頂上へと近づいている今、彼女らはとても空腹だ。そこに、暴力的なまでに魅力的な香りを漂わせるサンドイッチ。それを目の前で取り上げられるという事は、これ以上ない拷問に等しい行為であった。

 「ミ、ミオちゃん、ごめんね。余すっごく反省してる。だから…許して?」

 いち早く行動に移したのは百鬼だ。彼女はうるうると目を潤ませて、何とも庇護欲を誘う仕草で許しを乞うた。

 「…あやめは良い子だねー!たくさん食べて大きくなるんだよー」

 「わーい!」

 大神にとって、それは特攻の付いた武器に他ならない。するりと態度を軟化させた彼女は嬉々として持っていた紙包みを百鬼へと差し出し、許された百鬼は歓声を上げた。

 それを見つつ、次は白上の番かと彼女の方へ視線を向けるのだが、白上は大神ではなく何故かこちらへとすっと寄ってくる。

 「…透さん、白上の分を後でこっそりとお願いします」

 「いや、そこは正攻法で行けよ」

 変な所で狐らしさを出してぼそりと囁いてくる白上に、つい真顔でツッコミを入れてしまう。流石に百鬼のようにとはいかないだろうが、それでも幾らかやりようはあるだろう。 

 しかし、白上はそれを首を横に振って否定した。

 「無理ですよ!ああいった泣き落としは既に何回も試行済みなんです!」

 「何回も試行するなよそんなもの」

 そう言えば白上は普段からお菓子を巡って、激しい戦を大神と繰り広げているのであった。詰まるところ、彼女にとって今の状況は普段と相違なく、今までの積み重ねが仇となっているようだ。

 「…ちなみに戦績は?」

 「白上の全敗です」

 「諦めろ」

 即答で返って来た絶望に、こちらもまた即答で返す。

 これで一割でもあればまだ可能性はあった。しかし全敗、確率がゼロではベットも何もあったものでは無い。

 「ちょちょ、見捨てないで下さい!透さんだけが頼りなんです…!」

 「無理なものは無理だって!」

 が、白上はまだ諦めきれないらしく、裾を引いて引き留めにかかる。昼食が掛かっているのだ、必死にもなろうというものだが、今回ばかりは相手が悪すぎた。

 「フブキー」

 「はひ!?」

 一通り百鬼を愛で終わった大神の次のターゲットは勿論白上。間延びした声で不意に大神から呼びかけられた白上はびくりと体を揺らしてピンと耳と尻尾を逆立たせる。

 そして、そのままゆっくりと恐る恐る振り返る白上を待っていたのは、笑顔のままこちらへおいでと手招きをする大神であった。

 その様はまるで地獄へと誘わんとする悪魔、もしくは死神のそれだ。

 「透さん…」

 「骨は拾ってやる」

 遂に観念した白上はがくしと肩を落とし、とぼとぼと背に哀愁を漂わせながら歩いて行った。

 

 

 

 

 一通り白上が大神にこってりと絞られた後、俺達は揃ってシートの上に座り、バスケットの中身を目の前に広げていた。サンドイッチは勿論の事、他にも容器に入った煮物や卵焼き、唐揚げ、ぼんじり等々を数も種類も多く揃えていて、容器を開けた際には各々から歓声が上がった。

 「これを全部あんな短時間で作ったんですか!?」

 そう言って白上は俺と大神へとまるで崇めるような視線を向けてくる。彼女が驚くのも無理はない、何せサンドイッチなども具材を揃えて挟む必要がある上、この量を作るにはそれなりに時間を要する。さらにそこに揚げ物まで追加されているのだ、普通に考えて時間は足りない、当初は俺もそう考えていた。

 「つくづく大神のワザが羨ましく思った」

 「あはは、火の制御は得意だからね」

 対象の熱量を制御できるというのは、料理業界においては最早革命的ですらある。保温は勿論、火の通りにくい内部にまで熱を浸透させることが出来る、それだけで揚げ時間の短縮にもなればその分量も用意できる。改めて、自分にイワレがない事を悔やんだものだ。

 そして雑談も程々に、手を合わせてそれぞれが箸を取る。

 「これ美味しい!揚げたてサクサクー」

 「あっふ!あ、へも、おいひいへふ!」

 口々に、白上は唐揚げの熱さに悶えつつ、感嘆の声を上げる。

 シラカミ神社に来てからこの方、こうした反応が返って来る事に、毎度嬉しさを覚える。やはり自分の為だけに作るより、何倍もこちらの方が良い。

 「ミオちゃんも透くんも凄いなー…、余も料理したくなってきちゃった」

 「あ、良いね。今度、あやめも一緒に料理しようよ」

 彼女らの話を聞いて、ふと以前に百鬼も料理が出来ると言っていたことを思い出す。

 「そっか、百鬼も料理が出来るんだっけか」

 「うん、最近はあんまりしてないけど、これでも結構料理は出来るよ」

 ふんすと胸を張る百鬼。まだ彼女の料理を食べたことは無いため、今から既に興味が尽きない。

 「では、白上は三人の料理を食べる役ですね。全員料理が上手なので今から楽しみです」

 そうほくそ笑むのは矢面の立たなかった白上だ。彼女はあまり料理をしないと聞いていた為、割とその立ち位置が確立しつつあった。しかし一人、そんな白上の立ち位置を揺るがすものが居た。

 「えー、でもフブキも最近隠れて料理の練習してたでしょ?ほら、昨日とか」

 「え、そうなの?フブキちゃんの料理、余も食べたかった」

 「俺もだ、料理するんだったら呼んでくれよ」

 大神によって一気に話題の中心へと立たされるのは白上。まさか過ぎる展開に理解が追いつかないのか、彼女は眼を白黒させて、見るからに泡食っていった。

 「あ、いえ、ちょっと試しにやってみただけで!そんな人様に出せるようなレベルじゃ…」

 「でも結構美味しそうだったよ?」

 「ミオー!!」

 謙遜して何とかお茶を濁そうとする白上を、けれど大神は所々口を挟んで阻止していき、遂に白上は大神へと抗議の声を上げた。やはり扱いは心得ているようで、大神は誰よりも白上の扱いが上手い。

 「じゃあじゃあ、今度みんなで一緒に料理しようよ!」

 そして、無邪気な笑みを浮かべて提案する百鬼に止めを刺されて、尻込みをしていた白上もついには折れた。

 「うぅ…分かりましたよー」

 「決まりだな。大神、ナイス」

 「任せなさい」

 ここまで落とし込んだ大神へと素直に称賛を送れば、彼女はどんと頼もしく胸を叩く。恨みがましい視線を送る白上だったがすぐに笑みに塗りつぶされて、それからも雑談を交えつつ賑やかな食事の時間が続いた。

 

 

 

 

 

 食事を終えて、俺は一人シートに座り休憩をする。

 他三人は現在湖の方に行って水遊びをしているようだ。その様子を遠目に見ながら、ほうっと一息をついて心を落ち着ける。吹く風は季節に似合わず涼しいもので、暖かな陽気と入り混じって心地よさを与えてくれる。

 ぱしゃぱしゃと視線の先では盛んに水しぶきが上がっている。

 あの三人はどうしてそこまで動けるのだろうと不思議に思う程に活発に行動していた。比べて、こちとら食後と疲労が重なって眠気に苛まれている真っ最中だ。

 (平和だな…)

 自分がこんなにものんびりとした思考をするようになるとは思わなかった。うつらうつらと、次第に舟を漕ぐようになり、やがて意識は暗闇に落ちる、その時だった。

 『…くそっ、この身体じゃ食えないんだった』

 「ん?」

 ふと聞こえてきた聞き覚えのある声にふと横に目を向けて見れば、小さな白い狐(正真正銘の動物の方の狐だ)が残っていたサンドイッチの紙包みを抱えて座っていた。

 何処から来たのか、今喋らなかったか。上手く状況が呑み込めずに、じっと見つめていれば、その視線に気が付いた狐はふとこちらへを向いた。

 『…何見てんだ』

 「え?あ、悪い」

 流石に今度はしっかりと聞き取れる。つい反射的に謝って視線を外すが、やはりおかしいと気が付いて再び、視線を戻す。 

 狐である。どこからどう見ても小さな白い狐である。関連して上がってくるのは白上だが、彼女は今湖の方にいる。

 そこまで考えて、ふとこの喋る狐の正体に思い当たった。

 「なぁ、もしかして黒上フブキか?」

 『ん?何であたしのこと…あぁ、そう言えば前にフブキが話してたな。そうだ、あたしは黒上フブキだ』

 狐は一瞬怪訝そうな雰囲気を纏うも、すぐに合点がいったのか納得した風に声を上げる。やはり間違いは無いようだ。

 以前、聞いた白上の過去の話。その際に黒上フブキの名が出て来ていた。今まで遭遇することは無かったが、まさかこんな形で邂逅することになるとは思わなかった。

 「それで、黒上は何してるんだ。それなら余ってるから食べても問題ないが」

 見た所、サンドイッチ目当てで出てきたようだが、しかし持つばかりで彼女は一向に食べようとはしない。

 疑問に思い問いかけた所、黒上は意気消沈とした様子で口を開いた。

 『シキガミの身体だと飯が食えないんだ…完全に忘れてた…。…そうだ。透、ちょっとフブキをここに呼べ』

 「白上を?まぁ、良いけど…」

 すると、名案とばかりに彼女は白上を呼べと要求してくる。何をするつもりなのか、不思議に思いつつ取り合えず白上へと声を掛けてみることにする。

 「白上ー、少しいいか!!」

 「…?はーい!」

 湖の方へと手を振って呼びかければそう返事が返ってきて、すぐに白上がこちらへと駆けてくる。その合間に黒上は再び口を開いた。

 『礼を言う、透』

 「別にこのくらいは良いが、呼んでどうするんだ?」

 『それは見てれば分かる』

 今一彼女の意図を理解できないでいるも、そう間も無く白上がこちらへとやって来た。

 「透さん、どうなさいました?」

 「あぁ、それが…」

 呼んだ経緯を説明しようとチラリと横の黒上へ視線を向けると同時、唐突に強風が吹いて思わず目を閉じた。そして、再び目を開けて改めて黒上、小さな狐の方へと目を向けて見ると、しかし何故かその姿に違和感を覚えた。

 先ほどまでの鋭い雰囲気は霧散していて、代わりに狐から感じるのは白上に似た雰囲気。彼女は何故か困惑したようにきょろきょろと辺りと自らの姿を見比べている。

 「…よし、これで解決だ」

 横合いからそんな白上の声が聞こえてくる。けれど、何処か違和感を感じる。同じ声質の筈が、しかしこれはどちらかというと先に聞いた黒上の声だ。

 改めて白上の方へと視線を戻してみると、そこには見慣れた白上の姿。けれど、白を基調としていた彼女の面影はなく、白い長髪は黒い長髪へと、今は色合いの反転した黒を基調とした姿に変化していた。

 『ちょっと、黒ちゃん!変わるなら変わるって言ってくださいよ!』

 呆然としていると、小さな狐の方から白上の声が飛んでくる。それを受けてふと考え込む様に顎に手を当てると、白上、もとい黒上は顔を上げた。

 「変わったぞ、フブキ」

 『事後報告じゃないですか!』

 そんな彼女らのやり取りを見て、ようやく状況を理解する。どうやら白上と黒上が入れ替わっているようだ。入れ替わると色合いが反転するらしい。

 一人納得していると、黒上はそれはさておきとそそくさと先程まで持っていたサンドイッチの紙包みを手に取る。

 『…もしかして、それが食べたかったんですか?』

 「そうだ、悪いか」

 『いえ、確かに美味しかったですからね。それなら仕方ないです』

 サンドイッチを頬張りながら憮然とした調子で黒上が答えれば、白上は同意するようしきりに頷いていた。この黒上、どうしてもこのサンドイッチが食べたくて出てきたらしい。

 「…おい、透。今変な事考えてないだろうな」

 「気のせいじゃないか?」

 図星を突かれた気がしてそっと視線を逸らしておく。彼女の前では、あまり下手なことは考えない方が良さそうだ。

 「あ、黒ちゃんだ!」

 「フブキちゃん…黒くなってる…」

 すると、足音と共にふと声が聞こえてくる。見れば大神と百鬼がこちらに戻ってきていて、大神は珍しいものを見る様に、百鬼は心底驚いたように目を丸くしている。

 「あー…」

 それらを受けて黒上は一瞬思考した後、すさまじい勢いでサンドイッチを平らげると、再び辺りに強風が吹き荒れ、次にその姿を視界に映した時には黒上から白上へと姿が戻っていた。

 「あ、隠れちゃいましたね」

 「えー、ウチ、久しぶりに黒ちゃんと話したかったのに…」

 残念そうに大神はしゅんとしている。彼女がこう言うという事は、今のはかなり珍しい事例だったのだろう。

 「ね、フブキちゃん、黒ちゃんって?」

 「黒ちゃんはですね…」

 黒上の存在を知らなかった百鬼の問いに白上が答える。

 こうして普段は起こらないような事も起こったピクニックを、俺達はそれからも思う存分堪能するのであった。

 

 

 

 

 

 

 そうして楽しかった時間は過ぎ、シラカミ神社のある山の麓へと帰って来たころには、既に空は茜色に染まっていた。

 「いやー、楽しかったですね!」

 「ウチも久しぶりにはしゃいじゃったなー」

 「今度余も黒ちゃんと話せるかな」

 「そこは黒上次第じゃないか?」

 口々に感想を言い合ったり、雑談をしたりと話しながら歩いていれば、道の先に見慣れたミゾレ食堂の看板が見えてくる。

 そして、ミゾレ食堂の前を通りかかった所で、丁度食堂の扉が開き、中から店主であるミゾレさんが顔を出してきた。

 「あ、ミゾレさんだ。こんばんは」

 「おや、あんた達。揃って何処か出かけてたのかい」

 「うん、ピクニックに行ってた!」

 ミゾレさんの問いかけに対して百鬼が元気よく答える。それを見て微笑ましそうにミゾレさんだったが、ふと百鬼が手に持っていたものを見て目を見開いた。

 「四葉のクローバー…」

 ぽつりと呟くそれだけミゾレさんは、その顔に感傷とでもいうべき感情を浮かべて、視線を宙に彷徨わせた。

 普段から豪快に笑っていることの多いミゾレさんがそんな顔をするとは思わず、一瞬ぽかんと目を瞬かせてしまう。

 「ミゾレさん、大丈夫ですか?」

 「…あぁ、いや、少し昔の事を思い出してただけさ。そろそろあたしもボケてきたかね」

 白上が声を掛けると、ようやくミゾレさんははっと息を吸うと誤魔化すように手を振る。何やら事情のありそうな雰囲気だったが、けれどあまり立ち入るような事でも無いだろう。

 「それより、あんたらはもう聞いたのかい?」

 「何をですか?」

 話を切り返るミゾレさんに聞かれて、何の事やらと顔を見合わせてから大神が聞き返す。するとミゾレさんは、『あたしもさっき客から聞いたんだがね』と前置きを置いてから離し始める。

 「何でも、キョウノミヤコで人が居なくなってるって、もっぱら噂になってるらしいのさ」

 



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True:Another 14

 

 キョウノミヤコにて人が行方不明になるという噂が最近出て来ている。内容としてはたったそれだけで、具体的に消えた人やその関係者に関係する情報は無いらしい。

 情報化社会でも何でもないこのカクリヨにおいて、例外を除き、そもそも人の足取りを追うことは難しい。故に現在のカクリヨの異変に関与しているのか、そこも重要ではあるのだが、仮に本当に人が行方不明になっていたのだとしたら一つの事件として見逃すことはできない。

 これが、ミゾレさんより話を聞いた後に俺達が出した結論だ。

 そして迎えた翌日。シラカミ神社の面々は揃って、キョウノミヤコヘ向かい麒麟の引く荷台で空を飛んでいた。

 「…急だったのに、よくまた貸してもらえたな」

 しみじみと言いながら窓から下に見える雲海を眺める。他三人ならともかく俺はただの一般人で、キョウノミヤコにたどり着くまでにそれなりに時間がかかる。

 その為に以前もこの麒麟を大神の知人である神狐セツカから移動手段として借り受けたのだが、今回は文字通り昨日の今日だったにも拘らず、今朝には麒麟がシラカミ神社の前に停まっていた。

 「代わりにこの件が解決したらイヅモ神社にみんなで遊びに来いっていう交換条件だったけどね」

 答えた大神は何処かその顔に苦笑いを浮かべている。

 イヅモ神社とは神狐が住居としている神社らしい。昨夜、彼女から返って来た返事の中に、その旨が書かれていたとの事だ。

 こちらとしては見知らぬ土地がむしろ楽しみですらあるのだが、しかし大神としてはそうでも無いようで、少し複雑そうにしている。

 「でもいい機会じゃないですか。白上もセツカさんとは会ったことが無いので、一度会ってみたいです」

 「余もミオちゃんの故郷に興味ある!」

 「うーん…そろそろせっちゃんに会いに行こうとは思ってたから、確かにフブキの言う様にいい機会なのかも」

 2人の説得もあり、大神も決心がついた様で、彼女は明るい表情を取り戻す。

 「おー、旅行ですよ!ミオから聞いた話だとイヅモ神社には温泉もあるみたいですし、今から楽しみですね!」

 「え、そうなの?やったー、温泉楽しみー!お猿さんとかもいるのかな?」

 「カピバラがいるかもしれません」

 嬉々としてあれこれと想像を膨らませる白上と百鬼は、見ているこちらまで楽しい気分にさせてくる。とはいえ、これらはあくまで先の話であって。

 「その前に、人が行方不明になってるこの噂の調査が先だよ。今は目の前の事に集中しないと」

 「分かってますよー」

 「あ…余も分かってたよ」

 若干一名怪しかったが、取り合えず揃って全員気を引き締め直したところで、外からつんざくような麒麟の鳴き声が聞こえてくる。

 どうやらキョウノミヤコに到着したみたいだ。

 やがてふわりとした浮遊感に襲われ、俺達は地面へと向けて落下を開始した。

 

 

 

 

 

 降り立った二度目のキョウノミヤコは、前回と同様に賑わっていて、人の波でごった返している。とはいえ、前回のように近くで結婚式が行われている訳も無いようで、スムーズにキョウノミヤコの道を進むことが出来た。

 「今回は長丁場になりそうだし、まずは宿の部屋を確保しよっか」

 「そうですね、何しろキョウノミヤコは凄まじく広いですから。聞き込みをするだけでも一苦労ですよ」

 キョウノミヤコの地形に詳しい白上と大神の提案でひとまずの目的地を決定する。ここは彼女らのいわばホームグラウンドだ、あまり訪れたことも無い俺や百鬼は流れのままそれに従う。

 そうして荷物を片手に歩くこと十数分ほど、主が顔なじみという宿に到着した。各自が部屋に荷物を置いてから、俺達は一旦共有のスペースにあるテーブル席に再集合する。

 全員が集まったことを確認した大神は、一つ頷いてから、その口を開いた。

 「それじゃあ、これからの方針について説明するね。目的は人が行方不明になった噂の調査なんだけど、現状は殆ど情報が無いから、手がかりを掴む、もしくは噂の実態の確認も兼ねて街の人に聞き込みをします。人数も丁度四人だし、東西南北で分担しようと思うけど…透君は大丈夫?」

 「あぁ、流石にペースは三人に劣るだろうが、善処はする」

 百鬼のようにぴょんぴょんと屋根を跳ねまわれれば楽なのだろうが、無いものねだりをしても仕方がない。幸い、人口密度の高いこの街だ、移動はまだしも聞き込みの数はそこまで差がつかない筈だ。

 首肯しながら答えれば、大神も話を先に進める。

 「方針は決まりだね。後はここに集合するのは日没で、それまでに帰って来てここで情報の共有をする流れね、あやめは迷子にならないように」

 「ミオちゃん、余、そこまで方向音痴じゃない。2回目だからもう大丈夫だよ」

 さらりと注意を受けた百鬼は、さも不服そうに抗議している。そんな彼女を見て、ふと前回のキョウノミヤコでの事を思いだした。

 「そう言えば、百鬼は初めて会った時迷子だったな」

 「む、透くんも迷子だったの、余は忘れてないからね」

 「あれは人に流されたからで、別に俺のせいじゃないって」

 百鬼もちゃんと覚えていたらしく、俺達は互いに言葉で刺し合う結果となった。しかし、これも傍から見ればどんぐりの背比べな訳で。

 「二人共迷子にならないように」

 「「はい」」

 纏めて大神から注意を受けて、俺と百鬼は素直に返事を返すのであった。

 

 

 「透さん、少し待ってください!」

 調査を始めようと各々が宿を離れて行き、俺も担当の区域へと向かおうとした所で、ふと一人残っていた白上に呼び止められる。

 思わず足を止めると、彼女は小走りでこちらへと駆け寄ってくるとその手に持っていたものをこちらに差し出した。

 「これは?」

 反射的に受け取ったのは、質素な色合いのお守り。白上の意図するところが分からずに、俺は彼女へとそう問いかけた。

 「ちょっとした願掛けと言いますか、調査が滞りなく進む様にのお守りです。良ければ透さんが持っておいて下さい」 

 「願掛け…、白上がそういう事をするのは少し意外だな」

 こういった領分は、むしろ大神のイメージが強かったために、白上から願掛けの言葉が出て来て些か驚いた。それを伝えてみれば、白上は失礼なとぷくりと頬を膨らませた。 

 「白上だってそのくらいしますよ、これでも一応神主なんですから」

 「それもそうだった」

 軽く謝罪して、改めて手の中にあるお守りへと目を落とす。質素ながらも、丁寧な造りだ。今まで目にしたお守りの中でも最も神々しさを覚えた。

 「けど、俺が持ってて本当に良いのか?」

 見た所、お守りはこれ一つの様だ。どうせなら白上が持ったままでも良いのではと思わなくも無い。

 「はい、透さんに持っていて貰いたいんです」

 そんな確認に、けれど白上はしかと頷いて見せた。白上がそこまで言うのなら、無理に拒否する理由も無い。

 「…分かった、なら、受け取っとく。ありがとうな、白上」 

 「あ、調査が終わったら返してくださいね?」

 「ってレンタルなのかよ…、了解だ」

 やはり今一つ彼女の意図が理解できないと頭の片隅で考えながらお守りを懐に仕舞い、俺達はそれぞれ調査へとキョウノミヤコの街並みへと繰り出した。

 

 

 

 

 噂について、ミゾレさんは食堂に偶々訪れていた客から聞いたと言う。その客も詳細までは知っていないらしく、あくまで小耳に挟んだ程度の話だったらしい。故に、ある程度覚悟していた話であったのだが、やはりそこまでミヤコに広まっている訳では無いようだ。

 通りすがりの住人や露店の店主に話を聞いてみるも、知っているという人でもその噂のみで、これといった情報を聞くことが出来ないでいた。

 「…なる程、これは長丁場になるわけだ」

 調査を始めてから小一時間程、あまりの手ごたえの無さに、先に宿を取る判断をした大神の英断ぶりを痛感する。

 規格外に広いキョウノミヤコは、一つの噂の出所を探すだけでも一苦労となる。

 しかし幾ら先が見えないとはいえ、泣き言を言っている場合でも無い。気合を入れ直して調査を再開した。

 そうして、それからも聞き込みを続けている最中、ふと俺は違和感を覚えた。

 別段調査に関係は無いことなのだが、誰かから見られている様な、視線を感じるようになったのだ。最初こそ気のせいかとも思ったのだが、明らかに誰かが後をつけてきていると気が付くのにそう時間は掛からなかった。

 (…誰だ?)

 一瞬百鬼辺りが悪戯でも仕掛けに来たのかと考えたが、こんな時にまで悪戯をするような奴ではない事は、これまでの生活で分かっているつもりだ。

 このキョウノミヤコに知人などいない、となると相手は必然的に見知らぬ人間となる。しかしこのカクリヨで恨みをかった覚えなど無いし、逆もまた然りだ。ならば動機になりえるものと言えば。

 (噂の聞き込みをしてるからか)

 どうであれ、このままでは埒が明かない。本来であれば白上達に一度相談に行きたいところだが、一向に離れようとする気配も無ければ、この相手を巻く自信も無かった。

 (…仕方ない)

 そこまで考えて意を決し、俺は脇の道へと進路を変更する。すると予想通り、尾行相手も同様にこちらと同じ道に入った。

 進んで行けば、やがて突き当りに丁度良い曲がり角が見えてくる。角を曲がって少し進んだ所で立ち止まり、暫くその場で待てば、尾行していた相手がその姿を現した。

 「おっと!?」

 「あの、俺に何か用ですか」

 まさか待ち構えているとは思わなかったのか、目と目を突き合わせる形となり、相手は声を上げて驚いて見せた。 

 目の前には一人の青年と言える見た目の男が一人、腰に刀を下げて目を丸くしている。

 これで相手の姿は割れたわけだが、ここから状況がどちらに転ぶかと身構えていると、男は慌てた様子で両手を振る。

 「待った待った、俺は別に怪しいもんじゃねぇ!」

 「いや、怪しいだろ」

 人を尾行しておいて怪しくないもくそも無い。一応初対面にも拘らず、思わず敬語を忘れてツッコミを入れれば、彼も流石にそう思うのか「そりゃそうだ」とぼそりと呟いた。

 「…それで、俺に何の用で?」

 再度、問いかける。こうして接している分には危害を加えてくる訳でも無さそうだが、未だに目的は知れない。

 「あー…あんた、ウツシヨの人間だろ。だから気になってつい後を追っちまったんだ」

 「はぁ、そうですけど。…見た目で分かるものなんですかね」

 「見た目じゃねぇ、あんた前にキョウノミヤコに来てただろ。その時ウツシヨから来たって話してたのを小耳に挟んだんだ。他に誰か一緒に居たみたいだから声は掛けなかったんだが、ついさっき一人でいるところを見かけてってな流れだ」

 警戒心をあらわにしつつ聞き返せば、男からはそんな答えが返って来る。

 以前というともしや百鬼と出会った時の事だろうか。確かに百鬼に対して説明はしたが、彼はその会話を聞いたと言う。

 「…その顔は絶対に信じてねぇな」

 「あぁ、信じてない」

 感情が顔に出ていたらしい。寧ろ、これを信じろと言う方が無理な相談だ。見知らぬ人間がこちらの素性を掴んで近づいてきた、それだけで既に警戒するべき対象になる。

 「俺はあくまであんたと仲良くしたいだけだ、折角出会った同郷のよしみでな」

 「…同郷って事は、同じくウツシヨから?」

 「じゃなけりゃ、すれ違った男をわざわざ追いかけたりしねぇよ」

 肩をすくめて男は茶化すように言うが、その事実に俺は軽く衝撃を受けていた。

 ウツシヨから迷い込んだ者が自分以外にもいるかもしれないとは考えていたが、まさかこうして相まみえるとは思ってもみなかった。

 「少しは信用して貰えたかい?それで、あんた…っていつまでもこの呼び方じゃ不便だな、ついでに自己紹介も済ませるか」

 考え直すように視線を宙に彷徨わせると、男はこちらへとそっと手を差し出してくる。

 「俺は茨明人、明人でいい。敬語もいらねぇよ」

 「…藺月、透だ」

 一瞬迷ってから差し出されたその手を取れば、男、明人は二ッと満足そうに笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 昼時という事で一旦調査を中断しつつ、明人と共に茶屋へと入り、団子を片手に互いの状況について会話を交えていた。

 「それで、透はその噂について聞いて回ってたのか」

 色々とぼかしながらの現状の説明を聞いた明人の反応がこれだった。一応親切な人の元で居候をしている程度の話だが、明人もそこまで深くは聞いてくる気は無いようだ。

 「あぁ、と言っても何も情報は出て来てないけどな」

 「だろうな。俺もキョウノミヤコに来て長いが、この街程情報収集に向いてて、向いてない街はねぇ。出てくる情報は出てくるんだけどな、出てこねぇ情報は本当に出てこねぇよ」

 明人自身覚えがあるのか苦々しく顔を歪めている。

 話しの最中、ウツシヨ特有の話題にもついて来れたことから、彼がウツシヨ出身というのも確かなようだ。

 「…それで、明人の方はいつからカクリヨに?」

 「二年前だ。お陰様で、カクリヨについては嫌でも詳しくなったさ」

 二年。随分とカクリヨに馴染んで見えたが、それだけの期間を過ごせばそれも当然だろう。

 ここで、明人は一息つくようにぐいと茶を呷って、改まった様子で口を開いた。

 「透、お前はこのカクリヨに来てから、違和感は覚えたか?」

 「ん?あぁ、イワレだったり見た事も無い生き物がいたり、驚いてばかりだった」

 まだ明人に比べれば日は浅いが、それなりにカクリヨ特有のモノを数多く目にしてきた。しかし、それは明人の求めていた答えでは無かったようで、「ご尤もだが、それ以上に」と明人は続ける。

 「住人の人柄だ。ウツシヨの人間とは確実に違ってんだよ。ウツシヨ風に言うならお人好し、警戒心が極端に低く見えるんだ。文化が違うだけで、ここまで変わるとは思わなかった」

 「そんなもんか?別に、人が良い程度の話だろ」

 「まあな。けどそれが全員となると、流石違う世界なんだなって思うだろ」

 言われてみれば、そう考えられなくも無い。

 このカクリヨに来てから、出会う人々は誰も彼も親切に接してくれているし、白上達だって見ず知らずの俺を神社に置いてくれている。

 「…で、結局何が言いたいんだ?」

 彼の話は理解できた。ウツシヨとカクリヨの人間で人柄に差があり、ウツシヨとカクリヨが別世界である事を知ら占められる。確かに俺も驚いたが、だからどうしたで流せる程度の話で、そこに明人の真意がない事は容易く見通せる。

 そんな俺の問いかけに、明人は一呼吸おいて、鋭い視線をこちらへ向けた。

 「…透。お前は、ウツシヨに帰りたいと思ってるか?」 

 どくりと心臓が大きく鳴る。

 「ウツシヨに…」

 「あぁ、元居た世界に帰りたいか?」

 再度、明人は繰り返す。問いかけているようで、まるで誘っているかのような明人の言葉は、今まで目を向けようとしてこなかった問題を、無理やり直視させてくる。 

 カクリヨの異変に巻き込まれて、この世界に迷い込んだ。詰まるところ、俺は元々この世界に居なかった人間で、元の世界に戻れるようになった場合、帰るべきか否か選択は必須となって来る。

 今は方法が無いからと先延ばしにしてきたが、いずれは考えなければならない問題だった。

 「…少なくとも、ウツシヨに帰ろうとは思っていない」

 「なら、カクリヨに居たいって事か?」

 「何か違うか、それ?」

 どちらにせよカクリヨに滞在するのだから、同じことだ。そう考えて問い返したが、しかし明人は首を横に振ってそれを否定した。

 「全然違う。帰りたくないのと、そこに居たいは同じじゃねぇ。透、お前は実際どっちなんだ?」

 「俺は…」

 言葉を返そうにも、答えに迷い喉の奥でつっかえてしまう。どちらも何も、俺にはその二つの違いが理解できなかったからだ。自身がどう思っているのか、どう感じているのか、それを判断する手段を、俺はまだ持ち合わせていなかった。

 「…ま、答えられねぇなら、それで良いさ。焦って答えを出したって、良いことは一つもねぇからな」

 「…そう言う明人は、どっちなんだ?」

 何も俺一人の問題という訳でも無い。同じ境遇である明人もまた、その問題には突き当たっている筈だ。

 それを聞いた明人は、少し考え込む様に宙を見上げ、少し間をおいてからこちらへと向き直った。

 「俺の答えを聞いたら、透の答えに影響するかもしれねぇだろ?だから、お前が答えを出したら、俺も答えてやるよ」

 話終えると、明人は立ち上がり何やら手のひら大の紙片を置いて、場を後にした。残された俺は一人、思考の海に晒される。

 茶から立ち上っていた湯気は、いつの間にやら発生を止めていた。

 

 

 



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True:Another 15

 

 夕暮れに染まるキョウノミヤコは小麦色に色づいていて、気持ち早めに沈んでいく夕日は季節の移り目を感じさせる。

 空の色の変化に伴い、帰路へと着く人々でにぎわう街道を、同じく俺も帰るべき宿へと向かって歩いていた。

 結局、あの後の調査でも有益な情報を得るには至らなかった。代わりに一つ、悩みというと大げさだが、もやもやとした感情が胸に生じていた。

 『お前は実際、どっちなんだ』

 投げかけられた問いの答えを、俺は未だ出せずにいる。自分がこのカクリヨの事をどう思っているのか、いくら考えてもこれといったモノが出てこない。ならばウツシヨはどうかと考えてみれば、しかしこちらも曖昧な感情が浮かぶばかりで、形を成す気配が無い。

 ウツシヨに帰りたくないのか、カクリヨに居たいのか。現状のままで良いと言う考えは共通しているが、どうしてもその理由を出せる気がしなかった。

 思考の海に浸っていりながら歩くこと暫く、気が付けば宿がすぐそこまで近づいてきていた。とにかく今は調査が優先だと、先ほどまでの思考を頭の片隅へと追いやって、俺は扉を開けて宿へと入った。

 

 

 

 

 

 宿の共有スペースにあるテーブル席の一つ、集合場所としていたそこには既に大神と百鬼が座っていて、白上がまだ戻ってきていない様だった。

 二人と合流してすぐに白上も帰って来て、俺達は今日の調査の結果について話し合う事となった。

 しかし予想していたように、やはり他三人も結果は芳しくなかったようで、得られた情報はあくまで噂と大差のないものであった。

 「うん、やっぱりそう簡単には見つからないね」

 この結果は大神も予想していたのか、特に動じた様子も無く軽く受け止めている。とはいえ、こうして宿を取った時点で、一日で終わる筈も無いことは周知の事実だ。

 そうして調査の結果報告が終わり、三人が気を緩める前に、俺はもう一つ調査とは別にあった出来事を話すことにする。

 俺と同じウツシヨ出身者の茨明人と遭遇した。流石に会話の詳細までは省いて概要だけの説明となったが、その話を聞いた三人は、さも驚いたようにその目を丸くしていた。

 「それで別れ際にこれを渡されたんだが、これって一体何なんだ?」

 聞きながら、明人から渡された紙片をテーブルの上に置いて見せる。まさかただのごみを渡してきたとは思わないが、かといってこれが何なのか見当がつかない。

 すると、覚えがあるのか三人はあーっと納得の声を上げる。

 「それを使えば、持ち主の契約してるシキガミが呼び出されるはずですよ」

 白上が手を掲げれば、その手の上に虚空から見覚えのある小さな白い狐が現れる。

 「この子は白上が契約してるシキガミです。シキガミは言伝を運んだり、道案内をしたりも出来るので、多分透さんとまた会うつもりで、その連絡用に渡したんじゃないでしょうか」

 「また会うつもりで…」

 白上の説明を聞いて、蓋をしていた感情がそっと顔を覗かせる。俺が答えを出せたなら、これを使って呼べと言う事か。

 いつになる事やらと、自嘲の笑みすら浮かべたい気分だ。

 「…それにしても、ウツシヨ出身でもシキガミは扱えるんだな」

 少しでも思考を逸らそうと、ふと思いついて口にする。てっきりイワレが必須かと思ったがそうでは無かったのか、それともウツシヨ出身でもイワレを扱えるようになる手段があるのか。

 どちらにせよ、明人がシキガミを扱う事が出来るという事は間違いないらしい。

 これに関しては流石に三人共詳しくは知らないようで、そろって首を傾げている。

 「ウツシヨから人が迷い込んでくること自体が結構稀だからね…、イワレ自体は溜まる可能性は十分あると思うよ」

 「透くんも今はイワレが無いけど、その内アヤカシに成ったりするかもしれないね」

 「それで街の屋根を飛び回るのか?全然想像がつかないな…」

 正直、あの浮遊感は決して気持ちの良いものでは無かった。寧ろ逆であったのだが、まぁこの話はこの辺りで良いだろう。

 とはいえ彼女たちがそれが出来るだけの力を、他とは異なる強大な力を持っていることは、これまでの生活を通して分かっている。キョウノミヤコを回っていても、住人がぴょんぴょんと飛び回ることも無ければ、火を操ったり、水を操ったりしていなかった。

 そして聞き込みを続けている内に、『もしや、シラカミ神社の方ですか?』と問いかけられることもしばしばあった。よくよく聞いてみれば、シラカミ神社はキョウノミヤコでも有名で、ケガレ?を払ったり、問題を解決してくれると言う。

 この調査も彼女達にしてみればその一環なのだ、元々百鬼も個人的に調査をしていたみたいだし、改めて彼女達がカクリヨでも異質な存在なのだと知った。

 そして、そうさせているのが紛れも無いイワレと言う概念。実際それが何であるのかは、未だ理解できていないが、少なくとも影響力の大きさが随一なのか確実だ。

 「でも、改めて考えるとイワレって何なんだろうね…。ウチも詳しくは知らないし」

 「余も知らなーい」

 「白上も同じくです」

 イワレとは何か、その問いかけに対して三人は口々に言って匙を投げた。とはいえそれも当然だろう。例えばイワレとは空気のようなものだ。作用までは知っていても、ならばそれがどういった存在なのか、どのような概念なのか、どうやって生まれたのか、そんな事を問われても困るだけだ。

 あるものはある、そしてこういう風に活用できる。その程度の認識が、もしかすると丁度良いのかもしれない。

 話がひと段落して、ふと大神はこちらへと視線を向けた。

 「イワレについてはそれで良いとして話を戻すけど、透君はまたそのウツシヨ出身の人とは会うつもりなの?」

 「…どうしようか、少し迷ってる」

 明人がこの紙片を渡したのは、白上の言うようにまた会うためなのだろう。けれどそこには一つ足りていない要素がある、俺が三人に話していない要素がある。

 正確には、俺が答えを出したらまた会うためにだ。その答えを聞くため、俺の選択を聞くために。けれど、今はまだその時ではない。俺はまだ答えを出せていない。

 そもそも明人の事をまだ、俺は完全に信用したわけでも無いのだ。

 「そうなんですか?折角同郷の方と出会えたんですから、友好を持っても良いと思いますけど…」

 しかし予想外にも、迷う俺にそう言ったのは白上だった。

 「ウチも良いと思うよ。それにカクリヨに迷い込んだって事は、もしかしたら異変の事も何か知ってるかもしれないし、一度話を聞いてみるだけでも」

 「…確かにそうだ、先に聞いておけば良かったな」

 他で頭が一杯になって完全に聞くことを忘れていたが、確か明人は二年前に迷い込んだと言っていた。直接的な原因は知らずとも、何かしら情報を持っている可能性は十分にあった。

 そうなると、ますます答えを出す必要性が増してきた。

 一株の憂鬱と焦燥感が心に灯る。ただの二択にここまで追い込まれるなど若干屈辱的ですらあるが、それだけ自分にとって大切な要素である証左でもあるように感じた。

 

 

 

 

 

 話が終わって、流石に疲れたのか伸びをして、あくびをしながら白上と百鬼は揃って銭湯へと向かい外へ出て行った。

 二人を見送り、俺は一度部屋にでも戻ろうかと席を立つ。

 「あ、透君、少し良いかな」

 そんな俺を呼び止めたのは、一人残っていた大神だった。てっきり白上や百鬼と銭湯に行くのかと思っていただけに、驚きつつ足を止める。

 「大神、二人を追わなくても良いのか?」

 「うん、今は透君と話がしたくてね」

 ちょいちょいと手招きをされて、不可解に思いながらも取り合えず元の席に座り直す。

 話であれば先ほどすれば良かったものを、このタイミングで。あまり二人に聞かれたくない話題という事だろうか。

 「それで、話って?」

 テーブルを挟み向かい合った状態の大神に話を問いかける。すると目の前の彼女は、心を落ち着かせるように一つ深呼吸を入れてから、話を切りだした。

 「単刀直入に聞くけど、透君はどうして、この調査を手伝ってくれてるの?」

 「…え?」

 一瞬、何を聞かれているのか理解できなかった。どうして、調査を手伝ってくれる。その聞き方ではまるで…。

 そこまで考えた所で、大神は慌てて弁明するようにその両手を振る。

 「あ、別に迷惑だとかそう言う話じゃないよ!ただほら、ウチもフブキもあやめも元々調査をしてたけど、透君はそうじゃないでしょ?だから君が無理にウチ達に付き合う必要は無くって、それでも手伝ってくれる理由を聞きたかったの」

 「何だ、そう言う事か、一瞬本気で焦った。それは…」

 ほっと安堵の息を吐き、思わず苦笑を浮かべながら理由を語ろうとして、けれどそこから言葉が続けられることは無かった。

 「それ、は…」

 何故、俺は調査をしている。

 当たり前のように調査を進めていたが、思い返してみれば別段俺はカクリヨの異変に対して熱心であったわけではない。

 流れに流されて?違う、それも有るが、けれど根本的な理由ではない。

 カクリヨの為?違う、カクリヨに対して愛着など湧いていない。

 ウツシヨの為?違う、それはカクリヨ以上にどうでも良い話だ。

 ならば何故だ、俺は何のために調査をしている。自分を、藺月透という存在を構成する記憶の全てを遡り、総当たりで原因を追究する。

 その最中、ふと視線を上げてみれば、こちらを真っ直ぐに見つめる大神の顔が視界に映った。彼女の顔に関連して思い起こされるのは、こちらに向けられた白上や百鬼の笑顔。

 すると、怒涛のようにカクリヨに来てからの日常が、紙芝居のように脳裏に浮かんでは消えていく。四人揃ってゲームをして、食卓を囲んで、ピクニックをして。

 「あ…」

 そうして、たどり着いた一つの答えに、思わず声が漏れた。

 (何だ、そう言う事だったのか。そんなに、簡単な事だったのか)

 一度気が付いてしまえば、もうそれとしか考えられない程に、しっくりと来る答え。何故今まで気が付かなかったのだろう。こんなにも明確にそこに在ったのに、今の今まで気が付かなかったなど。 

 「ふっ…」

 どうにも自分自身がおかしく思えてつい吹き出して、それから俺は思わず大口を開けて笑い声を上げる。

 俺は、とんだ間抜け者だった。

 「と、透君?」

 突然笑い声を上げた俺に、戸惑ったような大神の声が聞こえてきて、何とか笑いを噛み殺して彼女へと向き直る。

 「あぁ、悪い。理由だったよな、単純だよ」

 つい先ほどまで分からなかった、自分が何故調査に参加したのか。けれど今なら分かる、きちんと言葉にして表すことが出来る。

 「今までの人生で楽しいって思える事なんかなかった、ただ無感情に無駄に生きてきただけの人生だった。けど、このカクリヨに来て、大神や白上、百鬼の三人と出会って生活をしていく内に、いつの間にか俺はこの生活が思っている以上に好きになってた、毎日が楽しくなってた」

 以前からは考えられない程に、どうしようもなく今という時間が愛おしい。こんなことを考える様になるとは思いもしなかった、このカクリヨに来てからはそればかりだ。俺は変わる事が出来た、世界を綺麗だと思えるようになった、それもこれも全ては三人のおかげだと迷いなく言える。

 「だから俺は、三人に恩返しがしたいんだ」

 これが、紛れも無い今の俺の本心だった。

 「恩返しって、そんな必要…」

 「良いんだ、俺がそうしたいだけなんだから」

 肩をすくめて言えば、大神は尚も続けようとするが、言葉が見つからないようで口をパクパクと開閉し、しかしすぐに諦めたように息を吐いてその顔に笑みを浮かべる。

 「透君って、結構頑固なんだね」

 「あぁ、自分でも驚いてる」

 そんな彼女ににやりと笑みを返す。

 喉の奥に刺さっていた小骨がようやく抜けたかのようで、すっと心が新鮮な空気を取り込み始める。先ほどとは打って変わって、何とも清々しい気分だった。

 

 

 

 

 

 すっかりと辺りの暗くなった夜更け。

 どうにも寝付けなくて、俺は少し風にあたろうと部屋の窓を開ければ、すっと冷たい風が入り込んでくる。

 調査の初日にして、今日は色々な事があった。まぁ、殆どが俺の精神的なモノではあったのだが、それはさておき。自分の本当の感情に気づくことが出来たのが、一番の収穫だった。

 星の瞬く夜空を眺めながら、ほうっと余韻に浸っていると、ふと頭上から微かな鼻歌が聞こえてきた。この部屋は宿で最上層に位置する、するとこの歌の出所は屋根上に限定される事となるわけで、そんなところに誰がいるのかと、気になって窓から乗り出し、屋根の上を見てみる。

 「~♪」

 そこにはゆらゆらと揺れる白い獣耳と尻尾を携えた少女、白上が気分良さげに鼻歌を歌いながら、眼を閉じて屋根の上に腰かけていた。

 「白上?」

 思わずぽつりとその名を呟けば、彼女はぱちりとその目を開いて反応してこちらを見た。

 「はい?…って、透さん、そんなところで何してるんですか?」

 「いや、こっちのセリフなんだけどな。鼻歌が聞こえてきたから、気になって覗いたんだ」

 話ながら白上はこちらへ近づいてくると手を差し出し、その手を取った俺は屋根上へと引き上げられながら答える。

 すると、それを聞いた白上は明らかに失敗したという風な行状を浮かべる。

 「あれ、もしかして聞こえました…?出来るだけ抑えてたつもりだったんですけど…」

 「丁度開けたからな、それまでは気づかなかったから大丈夫だと思うぞ」

 「なんだ、そう言う事でしたか」

 ぱっと表情を明るく切り替える白上に促され、俺は彼女と隣り合う形で腰掛ける。

 こうして一緒に夜空を見上げていると、白上から過去の話を聞いた時の事を思い出す。彼女もこんな気持ちだったのだろうかと、ふと親近感を覚えた。

 「透さん、悩み事は解決したみたいですね」

 不意に、脈絡もなく核心を突かれて、思わずむせ返りそうになる。

 「…なんで分かるんだよ」

 「ふふん、白上は周りをよく見ている事に定評がありますので」

 自信たっぷりに言っている所悪いのだが、割と心を見透かされているようで心臓に悪いので、是非ともやめていただきたい。

 しかし…周りをよく見ているか。

 「…そうだな、本当に白上は周りをよく見てるよ」

 「ん、透さん?」

 何やらいつもとは違う雰囲気を感じ取ったのか、白上は不思議そうにこちらを見つめる。

 「ありがとうな、白上。初めて会った時から、ずっと気にかけてくれて」 

 「っ…」

 ずっと一言礼を言いたかった。勿論これで貸し借り無しにしようなんて事は思っていない。ただ純粋に、彼女の感謝を伝えたかった、ただそれだけだった。

 「こうして俺が変われたのは白上のおかげだ。白上が気にかけてくれて、切っ掛けをくれた。おかげで俺は今、毎日が楽しく思えてる。だから、ありがとう」

 勿論、大神や百鬼のおかげでもある。けれど、やはり一番大きかったのは白上の影響だ。彼女が導いてくれて、俺は自分の感情と向き合うことを覚えた、与えられたものを素直に受け取れるようになった。

 だから、この言い分は割と正当なモノの筈だ。

 と、話は終わったのだが、一向に白上から返事が返ってこない。

 「…おい、何か言ってくれよ」

 遅れてやってくる羞恥に襲われつつ、チラリと横へと視線を向けて見た所、隣には座ったまま膝を抱いて、顔を埋めている白上の姿があった。

 何をしているのかと、不思議に思っていれば、ふと綺麗な白い髪の合間から真っ赤に染まった彼女の頬が覗いた。

 どうやら、完全に照れてしまっているらしい。

 「おーい、白上さーん?」

 「あー、もう、何ですか急に!白上をいじめてそんなに楽しいですか!」

 揶揄い混じりに呼びかけていると、遂に爆発した白上は立ち上がり、星明りを逆光に赤い顔にうっすらと涙目で抗議の声を上げる。どちらかというと照れ隠しなのだろうが、その様をみて、思わず笑いがこみあげて来る。 

 しかし、そんな事をすれば彼女が更にへそを曲げてしまうのも必然で、ぷくりとはち切れてしまいそうな程に白上は頬を膨らませる。

 「むぅ…、黒ちゃん!!」

 白上が叫ぶと同時、強風が吹き白上の姿が黒上の姿へと変化し、ぽんと代わりに小さな白い狐のシキガミが姿を現す。

 『黒ちゃんは透さんが部屋に戻るのを手伝ってあげてください、白上はもう寝ます!!』

 「はいはい、了解了解」

 ぷんすかと怒る白上の姿が面白いようで、黒上はにやにやと笑いながらひらひらとその手を振る。完全にへそを曲げてしまったようで、白上はふて寝をする気満々である。

 やりすぎたかと思い始める中、ふと消える前に白上は立ち止まった。

 『…透さん、次の満月の夜、予定を空けておいてください』

 「え、…あぁ、分かった!」

 チラリとこちらへ一瞬振り返ってそれだけ言い残すと、今度こそ白上はその姿を消してしまった。そうして、屋根上には俺と黒上の二人が残される。

 「悪いな、黒上。世話をかける」

 とばっちりを受けた側の黒上だが、しかしその割には彼女はかなり上機嫌に見えた。

 「気にするな。おかげでフブキの珍しい顔が見れたからな、あたしは今かなり気分が良い」

 「さいですか」

 そう話す黒上は今にも鼻歌を歌い出しそうだ。そんな彼女から、ふと空へと視線を移してみれば、そこには綺麗な星空が浮かんでいる。

 こんなにも未来の予定が楽しみだと思えたのは、生まれて初めてだった。

 



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True:Another 16

 

 調査の為にキョウノミヤコに来てから迎えた二日目の朝は、幸先の良さを表してか快晴が空に大きく広がっていた。

 朝食の準備が必要ない分、今朝はたっぷりと睡眠を取れた。身支度を整えてから部屋を出て共有スペースへと向かえば、テーブル席に昨夜ぶりの白い狐耳を生やした一人の少女の姿を見つける。

 「おはよう、白上」

 声を掛けながら隣の椅子へ座った所、彼女はびくりと肩を揺らしてからゆっくりとこちらを向いた。

 「…おはようございます、透さん」

 まだ昨夜の事を引きづっているのか、彼女の顔にはありありと警戒の色が浮かんでいて、先ほどからしきりに尻尾と耳が動いている。

 「なんだよ、まだ気にしてるのか?」 

 「いえ、昨夜の件はもう白上なりに整理は付きました。ただ何時また透さんが脈絡もなく昨夜みたいなことをしてくるのか分かりませんので」

 そう言いながら白上は謎の構えを取ってシャーッと威嚇をしてくる。どうやら妙に警戒されてしまっている様だ。

 「と、言われてもな…、白上に感謝してるのが本心である事に変わりはないし」

 「だーかーらー、そういうところですよ!」

 白上が叫ぶと同時、ぱしんという軽快な音と共に頭に軽い衝撃が走る。顔を上げた先には、いつの間に取り出したのかハリセンを持った白上が、ジトリとした目をこちらに向けていた。

 「悪いかったって、ほんの出来心だったんだ」

 「ワザとなんじゃないですか、まったくもう」

 少しやりすぎたかと思い、浮かぶ笑みを押し殺しつつ拝み倒せば、彼女も渋々ながらようやく矛(ハリセンだが)を収めてくれる。

 これからは、思ってもあまり口にしない方が良いのだろうか。一瞬そんな考えが脳裏をよぎるが、しかしそれはそれで今度は俺の気が済まない。やりすぎても昨夜のように逃げられるだろうし、適度で済む程度を計って行こうと心に決める。

 「それで、大神と百鬼はまだ起きてきてないのか?」

 先程から気になっていた空いたもう二つの椅子に視線を送ってから問いかける。まさか珍しく大神が寝過ごしたのかと思ったが、しかしそれは問いかけてすぐに後ろから聞こえてきた声によって否定された。

 「あ、透君も起きてたんだ、おはよう」

 「透くん、フブキちゃん、おはよー」

 振り返ってみれば、丁度共有スペースに入って来たすっかり身支度を整えていつも通りな大神とあくび交じりに寝ぼけ眼をこすっている百鬼の姿があった。大方、普段のように大神が百鬼を起こしに行っていたのだろう。

 「何と言うか、変わらないな」

 シラカミ神社を離れても普段と変わらない、そんな二人を見てついくすりとした笑みが顔に浮かぶ。普段通りの彼女らの姿に、いつからか安心感すら覚えるようになった。こういう所、かなりカクリヨでの生活に染まってきている自覚がある。

 「…ん、透くん、何か良いことあった?」

 目の前の光景に感慨深さを感じていると、ふと先ほどまで眠そうに目をこすっていた百鬼に問いかけられた。

 「いや、特に之といっては無いが、どうしてそう思うんだ?」

 「なんだか、透くん楽しそうに見えたから」

 彼女の返答に対し、つい自分の顔に手を当ててみるも、流石にそれだけでは自分が今どんな顔をしているのか分かる筈も無かった。感情が表情に出やすくなっているとは、以前にも言われた。別にそれは良いのだが、しかしぱっと見で分かる程となるとそれは相当だろう。

 「…そんなに分かり易いのか」

 「うん、けど今日はいつもより一際?」

 どうやら悪化しているらしい。衝撃の事実を更に上乗せで突きつけられて、つい頬を痙攣させる。

 とはいえ、だ。まだ百鬼の勘違いの可能性も否めないという事で、チラリと一縷の望みをかけて大神と白上へ視線を送ると、二人からはその通りだと言わんばかりの首肯が返って来た。

 「ウチもそう思う。というか、昨日話した時点でもうこんな感じだったような…」

 「確かに透さんは変わりましたよね」

 顎に手を当てて首を傾げる大神。一方で白上は先の事を根に持ってか何処かジトリとした視線を向けて来ている。

 そんな彼女を見てふと思い立ち、試しにと白上の獣耳を触るとどんな反応するのだろうと、頭の中で疑問を思い浮かべてみた所、白上ははっとしたように息を呑むと大神の後ろに回って耳を隠してしまった。

 割と考えている事が筒抜けになっているようだ。

 「なるほどな…。…よし、そろそろ朝食にするか」

 朝からこれはカロリーが高すぎる。そう判断した俺は思考を頭の中から何処か遠くへ向かい放り投げるのであった。

 

 

 

 

 

 

 「今日も調査、頑張りますよー!」

 宿の前にて白上はぐっと伸びをして自らに気合を入れる。これから二日目という事もあり、今日こそは手がかりを見つけるのだと、白上だけでなく全員がそろって息巻いていた。

 すると、ふと白上が何か思い出したかのようにピンと耳を立てて、そう言えばとこちらに向き直る。

 「聞き忘れてましたけど、透さんは今日は先日聞いた明人さんと会われるんですか?」

 「ん、あぁ、その予定だ。迷いも晴れたし、白上の言うように折角の同郷の人だからな。ついでに何か異変について知らないかも聞いておくよ」

 話しながら、昨日明人に渡された紙片を取り出して見せる。

 これを使えば明人のシキガミが現れて道案内をしてくれると言うが、一体どんな姿かたちなのか、実は楽しみであったりする。

 「使い方は破るだけでいいんだよな」

 「うん、それで合ってるよ。…あ、でも場所には気を付けてね?シキガミの大きさ次第だけど、十分スペースのあるところじゃないと通行人にぶつかっちゃうかもしれないから」 

 「分かった、まぁ、ここなら大丈夫そうだな」

 まだ朝と呼べる時間帯にも関わらず、周囲にはちらほらと通りを住人が歩いているが、幸いそこまで密集している様子も無く、タイミングさえ見誤らなければたとえ象が出てきたとしても大事になる事は無いだろう。 

 話も終わったところで、三人はそれぞれの方角へと向かって宿を離れて行った。その背を見送ってから、俺は改めてふと手の内にある紙片へと目を落とす。

 カクリヨならではの技術に、実際に自分が触れるのは之が初めてだ。果たして文字通り鬼が出るか蛇が出るかなわけで(一瞬百鬼の顔が脳裏に浮かんだ)。

 周囲を確認してから、俺は少し緊張しながら紙片を両手で持ち、そのまま二つに引き裂いた。

 「…あれ」

 が、何も起こらない。何が出て来ても驚かないように身構えていたのだが、流石に何も出てこないと言うのは完全に予想外だ。

 「不良品か?」

 これでは明人と会うことなど不可能だ。早くも今日の予定が破綻してしまったと嘆こうかと考えた、その時だった。

 持っていた紙片が熱を持ったかと思うと、一拍遅れてぼふんと紙片を中心に大量の煙が発生する。紙片を持っていた俺も当然その煙に巻き込まれ、大きく咳き込む。すると刺激のあまり涙の滲む視界に、ふと人影らしきものが映り込んだ。

 やがて風に流される形で煙が晴れれば、その人影の姿もあらわになった。

 「…おや、思っていたよりもお早いお呼びですね」

 その人物はかっちりとした赤いタキシードを身に纏い、頭に同じ色の紳士風なシルクハットを被っていて、ゆっくりと上げられたその顔にはピエロ風のメイクが施されている。

 本日二度目の驚愕。本当に、このカクリヨとやらは悉く予想の斜め上を行くらしい。

 「…誰だ?」

 辛うじて口に出すことが出来たその疑問を受けて、目の前の道化師は「これはこれは、名乗り遅れまして」と被っていたシルクハットを手に持ち、紳士めいた礼をする。

 「お初にお目に掛かります。私、名をクラウンと申します」

 そうして再び上げられた顔にはそのメイクに似つかわしくない、理知的な笑みが張り付いていた。

 

 

 

 

 クラウンと名乗った男に続く形で、キョウノミヤコの通りを歩く。彼の恰好はカクリヨでもかなり異質なようで、道行く住人からちらちらと視線を受けているが、クラウンはたいして気にした風も無く、むしろ堂々としているように見えた。

 「…てっきり、動物か何かが出てくると思ってたんだけどな。一応聞くけど、明人のシキガミで間違いないか?」

 「えぇ、正式な契約というよりは仮的な契約になりますが、概ねその認識で問題無いでしょう」

 未だ信じられずに再度問いかければ、クラウンは顔だけこちらに向けて変わらぬ調子で答えた。 

 掴みどころが無い、それがクラウンを見ての第一印象だ。シキガミという概念をよく知らないだけに、彼がどのような存在なのか今一理解しかねている。

 会話が可能な以上意思はあるのだろうが、果たしてこのまま接するのが正解か否か。

 「熱心な視線を感じますが、何か気になる事でも?」

 と、考え込んでいると前を歩くクラウンから不意に声がかかった。視線に気づかれていた事に若干気まずさを覚えつつ、こどうせなら聞いておこうと、質問を投げかける事にする。

 「あぁ、人型のシキガミってカクリヨでは一般的なのか?こうして会話まで出来るようなシキガミは」

 すると、クラウンは一瞬間を開けてから口を開いた。

 「そうですね…、ないわけでは無いでしょうが、稀であることに変わりは無いでしょう。少なくとも、私は他に喋るシキガミには会ったことはありません」

 「なら、珍しい者同士で契約を結んだ形になるんだな」

 ウツシヨから迷い込んだ明人に、カクリヨでも珍しいシキガミであるクラウンとはまた変わり者同士、型にはまったような組み合わせだ。

 こうして歩いていると人間にしか見えないのだから、シキガミとは何なのだろうと、一種の哲学的な疑問が頭をよぎる。とはいえ、それは人間とは何かという問いかけと同じなのだから、考えた所できっと答えは出ないのだろう。

 「…ところで、本当に徒歩での移動でよろしかったので?貴方程度であれば、抱えての移動も可能ですが」

 「いや、このままでいい。その移動方法には少しトラウマがあるんだ」

 苦々しく顔を歪めながら、食い気味でクラウンからの提案を拒否する。グラグラと世界ごとシェイクされるような経験は、人生において一回でもあれば十分だ。

 「では、もうしばしの辛抱を」

 「あぁ、悪いな」

 話し終えると、クラウンは視線を外して前を向く。こうしてタキシードを着た道化師との時間は、それからもうしばらく程続くこととなった。

 

 

 

 

 

 キョウノミヤコにある路地裏、クラウンに連れられてやってきたのはそこは薄暗く、人気の無い場所だた。

 どうしてまたこんな所までと疑問に思わなくも無いが、気にするだけ無駄だとすぐに割り切り進んでいると、前方に開けた空間が見えて来て、そこに一人の男が立っているのが見えてきた。

 近づいて行くとあちらも気が付いたのか、男、明人はこちらに向けて手を掲げた。

 「よう、透。また早かったじゃねぇか」

 いの一番に明人は先ほども聞いた言葉を口にする。

 「クラウンにも言われたよ。まぁ、自分でもどうして気が付かなかったのか不思議なくらいだったからな」

 気づいた後は簡単な事だった。多分、それまで俺自身がそう言ったことに関心を向けなかったせいなのだろうが、それでももう少し早く気が付けたのではないかと、そう考えてしまう。

 そうして改めて向き直ると、明人は先日と同様に問いかけてくる。

 「カクリヨに居たいのか、ウツシヨに帰りたくないのか。透、お前はどっちなんだ?」

 昨日は答えられなかった問いだが、けれど今は明確な答えを俺は持っている。ウツシヨに帰らない理由、カクリヨに居る理由、それは。

 「どちらでも無い。正直言うとウツシヨだろうがカクリヨだろうが、どちらでも変わらない。俺はあの三人が居るならどっちでも良くて、それがカクリヨなだけだったんだ。だから俺はウツシヨには帰らない、これからもカクリヨで暮らしていくよ」

 重要だったのは何処で暮らすかじゃなく、誰と居るかだった。三人が居るのならウツシヨに居ると答えただろう。

 シラカミ神社での生活は、それほどまでに居心地の良いものであった。

 「…そうか」

 答えを聞いた明人はぽつりとそれだけ呟く。何処か噛み締めるようなその声は、紛れも無い彼の本心がにじみ出ていた。

 やがて、顔を上げた明人の表情は感情が抜け落ちてしまったかのようで、ただ空虚にこちらを見つめている。

 「明人?」

 様子の変わった明人に呼びかけると、それに反応して明人ははっと気が付いたようで、表情に力が戻って来る。

 「…あー、わりぃな、少し考え事をしてた。それよりも、誰と居るかだっけか。俺も一緒だよ、透。同じ考えだ。実際世界なんてどうだっていいんだよ、そいつさえいてくれればな」

 話ながら、明人は宙に視線を彷徨わせる。まるで今もそこに居るかのようで、その表情は何よりも優しいものであった。

 「明人にも居るのか。恩人と言うか、一緒に居たい人が」

 「あぁ、居る。詳しく話したくはあるんだが…この後少し用事があってな。そろそろ行かねぇとなんだ」 

 見ればクラウンも明人の横に移動していている。そう言えば今日はこちらからコンタクトを取った訳だが、明人の予定などは結局把握できていないのであった。

 「それは悪かった、一方的に呼んだな」

 「いや、俺もそれ込みで渡したんだ。ただまさか今日になるとは思わなくてな、予定を詰めちまってたんだ。こっちに非がある」

 見通しが甘かったと頭をかくと、明人は「その詫びと言ってはなんだが」と何やら昨日受け取った物とは違う、少し大きめの一枚の折りたたまれた紙を取り出して、こちらに手渡してくる。

 開いてみてみれば、少し大雑把ではあるが覚えのある形の通りと建物の配置、そしてその一部に赤い丸が示されている。

 「キョウノミヤコの地図…だよな。この赤丸は?」

 「お前、確か噂について調査してるんだろ?噂の出所らしき場所をマークしてある、そこに行けば何か掴めるかもしれねぇ」

 明人の説明を受けて、もう一度地図へと目を落とす。ちらほらと見覚えのある地形は有るが、生憎赤丸のある部分とその周辺は見覚えのない場所で、道も少し入り組んでいる。これは一度持ち帰ってから、大神や白上に案内して貰う他無さそうだ。

 けれど、この情報自体はかなりありがたかった。

 「あぁ、助かるよ。参考にさせてもらう」

 「同郷のよしみだ、少しは贔屓にもするさ。…それじゃあ、またな、透」

 そうして明人とクラウンは路地の先へと進み、姿を消した。

 

 

 

 

 

 明人と別れた後、一応は夕方まで聞き込みを続けたが特に何も成果は得られなかった。そうして宿へと戻り全員が集まったところで、俺は明人から貰った地図について三人に説明をする。

 「…という事らしいんだが、どう思う?」

 一通りの説明を終えてから、三人へと意見を求める。カクリヨに関する知識が足りない以上、判断はゆだねる他ない。

 「聞き込みだけでは他に情報も出てきませんし、白上は一度見に行くのもアリだと思いますよ」

 「余も結局なにも見つけられなかったから…、もし違っても行って損は無さそう」

 二日目にしてようやく見つかった手がかりに、二人の表情は明るかった。そして残るは大神の意見だが、彼女はじっと地図を見て確認を取るように手に持っている水晶玉と見比べている。

 やがて、確認を終えたのか大神は一つ頷いてから顔を上げた。

 「…うん、実はウチも占いで手がかりのありそうな場所を絞り込んでたんだけど、その区画と一致してる。だから、この地図の信憑性は問題ないと思うよ」

 「じゃあ…」

 ここまで来れば、もう方針は決まったも同然であった。それを裏付けるように大神が鶴の一声を上げる。

 「明日は、全員でこの一帯をくまなく調査します」

 

 

 

 



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True:Another 17

 

 調査を開始してから三日目。 

 先日ようやく見つけた手がかりをもとに、俺達は四人揃ってキョウノミヤコのとある区画へと足を運んでいた。

 「この先が目的地なのか?」

 「うん、この地図のおかげでかなり道も分かり易くなったから、すぐに到着すると思うよ」

 そう言って大神はその手に持つ紙片をゆらりと揺らして見せる。昨日明人から受け取った地図は、この調査においては有用であったようで、大神の占いと組み合わせて、目的地はかなり明確になっていた。

 「手がかりってどんなのかな。行方不明になった人の関係者とか?」

 「一番ありえそうなのがそこですね、次点でその人の足取りだったりでしょうか。何にせよ情報が見つかるのは助かりますね」

 会話を交わしながら、俺達は大神を先頭に歩き続けた。そうして少し入り組んだ道を通り抜けた先、見えてきたのは路傍にある一軒の花屋であった。

 「あそこみたいだね」

 目的地であるその花屋へ近づいて行くと、中にはジュウゾウと名乗る老人が店番として座っていた。彼によると、行方不明になったのは彼の孫、細かく言えば彼の娘の息子のようで、名はトウヤらしい。

 始まりは二週間ほど前、トウヤ君は外に出た切り帰って来なくなってしまったという。それからジュウゾウさんとトウヤ君の母であるヨウコさんが捜索を行ってきたが、未だにトウヤ君は見つかっていない様だ。

 噂の出所は、間違いなく此処だろう。

 話を聞いた後にそう結論付けて、更に詳しく話を聞こうと白上と大神はこのままジュウゾウさんから、俺と百鬼は家に籠っているというヨウコさんの下へと向かう事となった。

 「頼む、どうか二人を助けてやってくれ…!」

 花屋の二階にある住居へと向かおうとしていると、不意にジュウゾウさんが頭を下げた。表情は伺えないが、その声には溢れんばかりの悔恨が込められていた。

 そんな彼に対して力強く首肯を返してから、改めて二手に分かれて俺と百鬼は二階へ続く階段を昇る。

 二階にある住居の扉は木製で、取り付けられているノッカーを叩けばカンカンと響くような音が鳴った。そのままジッと中からヨウコさんが出てくるのを待ったが、しかし、待てども暮らせどもヨウコさんが出てくることは無かった。

 「…留守って訳でも無いんだよな」

 「うん、ジュウゾウさんはずっと籠りきりだって言ってから…、あれ?」

 小首を傾げて百鬼がもう一度ノッカーを叩くが、結果は一緒だ。もしかすると眠っていた利するのかもしれない、一度戻ろうかと踵を返しかける。すると、いきなり中からバタバタという大きな足音が聞こえて来る。 

 ヨウコさんが来訪に気が付いたのだと、そう考えた俺達は顔を見合わせて待っていると、バタンと激しい勢いで扉が開くと同時、扉をするりと通り抜けた黒い影が這うように迫って来る。

 「…っ!」

 勢いをそのままにぶつかって来たそれに、俺は地面へと押し倒された。

 背の痛みに呻き声を上げる中ふと見上げたその先では、振り上げられた、ぎらりと光を反射する包丁の切っ先がこちらへ向けられている。

 「透くん…っ!!」

 躊躇なく振り下ろされた包丁は、けれど、突如としてぴたりと目の先僅か数ミリほどで静止した。チラリと視線を横へ移してみれば、瞳に紅い輝きを灯した百鬼が必死の形相で、包丁を握る女性の手を掴んでいた。 

 ぐっとそのまま百鬼が女性を引き離してくれて、ようやく自由を取り戻して起き上がると共に、横からかしゃんとした音が上がる。見てみれば女性の手から包丁が零れ落ちていて、彼女はその場で蹲ってしまっていた。

 「あぁ…トウヤ、トウヤ…!」

 顔を両手で覆い滂沱の如く涙を零しながら肩を震わす女性。彼女がヨウコさんなのだろう。

 背中に若干痛みを残しながら立ち上がれば、丁度百鬼がこちらへと寄ってきていた。

 「ありがとう、百鬼。助かった」

 「ううん、ごめん。余びっくりして反応遅れちゃった…」

 開口一番に礼を言うも、予想外に百鬼はしゅんとした表情をしていた。何か落ち込んでいるようだが、しかし普通に間に合っていたし、こうして怪我も無かった以上何を悔いているのか俺には理解できなかった。

 「何言ってんだよ、ちゃんと助けてくれただろ?…にしても、流石に今のには驚いたな」

 まさか、いきなり襲いかかられるとは思っていなかった。百鬼がいなければ今頃顔が見れたものでは無くなっていたかもしれないと考えると、彼女には感謝の念が尽きない。

 しかし、百鬼はそんな俺を見て目を丸くしていた。

 「透くん…。…ううん、今はそれより…」

 何か言いかけていた彼女だったが、切り替える様に頭を振ると改めてヨウコさんへと目を向ける。明らかに通常の状態ではない、精神的に不安定であるのは明白だ。

 「かなりケガレが溜まってる…、透くん、ヨウコさんを中に入れてあげよ」

 「あぁ、分かった」

 二人で横から支えて、ヨウコさんを連れて一旦室内へと入る。先ほど凄まじい勢いを感じた彼女の身体は、ゾッと寒気を覚えるほどに軽かった。

 「トウヤ…トウヤ…」

 

 

 

 

 

 

 「…先ほどは、誠に申し訳ございませんでした。私、気が動転してしまって」

 憔悴しきった顔で頭を下げるヨウコさんに、気にしてないからと何とか頭を上げて貰おうとする。

 あの後暫くして、ようやく彼女は正気を取り戻していた。ただ、あくまで正気に戻っただけで、生気はまるで感じられず、青白い肌にぱさぱさの髪と、到底普通だとは言えない有様だった。

 そして、ようやく落ち着いて話が出来るようになってから、言葉を選びつつ俺達がここに来た目的を説明する。

 「…という事でして、お辛いとは思いますが、宜しければトウヤさんが行方不明になった日の事を教えてはいただけませんか」

 先のヨウコさんの様子を見て痛感した、こうして聞くのは彼女の心の傷を抉るのと同意だ。ただでさえ弱っている所にまた更に当時の記憶を思い起こさせるのだ、彼女の心労は察するに余りある。けれど、これも必要な事だと割りきる他ない。

 「えぇ、これでトウヤが見つかるかもしれないのなら、幾らでもお話しします」

 幸いヨウコさんも了承してくれて、彼女はゆっくりと当日の事を話し出す。

 「あの日は、何の変哲もない至って普通の日でした。私は花屋をしてるんですが、トウヤもよく手伝ってくれる子で。勿論友達と遊びに行く日もあって、その日も丁度遊びに出掛けて行ったんです。元気よく『行ってきます』って外に飛び出していって、私は『気を付けるのよ』と見送りました。それが、トウヤとの、息子との最後のやり取りになるだなんて思いもしませんでした」

 話すにつれて、ヨウコさんの声には涙が混じり始めて、後悔の念に駆られるように震えていた。けれども尚彼女は続ける。

 「夕方になっても、夜になっても、あの子は帰って来なくて。もっと早く探しに行っていれば、もっと早く気づいていればとは何度も何度も考えました。いえ、そもそもあの日引き留めていれば、こんな事には…」

 遂に涙に言葉が途切れて顔を覆うヨウコさんに百鬼が寄り添う、慰めるようにその背を摩る。これ程までにヨウコさんはトウヤ君の事を思っているのだ。そんな彼女の事が、俺には少し眩しく見えた。

 「…すみません、話の途中で」

 「いえ、ゆっくりで構いませんよ」

 「余達が、トウヤくんの事絶対に見つけるから」

 「…ありがとう、ございます」

 再び涙に濡れそうになる目元を拭って、ヨウコさんはふと思い出したように立ち上がった。

 「少し待っていてください、確かトウヤの顔写真があった筈なんです」

 「本当ですか?助かります」

 顔が分かれば見つけた際に整合も取り易くなる。足早に部屋を出るヨウコさんの背を見送って、俺と百鬼は一息入れる。

 「ここに来て良かったな、情報もそうだけど、ヨウコさんの事も」

 こうして会いに来てかなりの収穫があったのも確かだが、それ以上に今にも折れてしまいそうなヨウコさんの支えになれた、そんな気がする。

 それは百鬼も同じなようで、こくりと彼女は頷いている。

 「うん、希望があるのってかなり大事だから。…それより透くん」

 すると、百鬼は何やら改まった様子で真っ直ぐこちらへ視線を向けてくる。気のせいかその視線は何処か気遣うような色が見えた。

 「さっきの事、大丈夫?」

 「さっきの事…?」

 何の事やらとふと首を傾げるも、すぐに先ほどのヨウコさんとのひと悶着の事だと思い至った。

 「あぁ、おかげで特に怪我も無い。…にしても相変わらず百鬼は凄いよな、あそこから咄嗟に振り下ろされた包丁を止めるんだからな」

 思い返してみると割りと常識破りな事をしている。普通減速してようやく止めるが限度だろうに、百鬼はぴたりと腕を掴んだ瞬間に静止させていた。この辺り、流石だと言う他無い。

 感心していると、けれど百鬼は違うとばかりに首を横に振った。

 「そうじゃなくて、怖かったりしなかったの?余が止めてなかったら、透くんは…」

 「あぁ、百鬼が助けてくれたおかげだ。ヨウコさんも気が動転してただけで謝罪まで貰ったし、もう俺は気にもして無いさ」

 ありがとうな、と笑顔で伝えるが、しかし百鬼は何故か悲しそうにその眉を落としてこちらを見ている。

 「透くん、やっぱり…」

 「おい、百鬼…?」

 その表情の意味を問いかけようと口を開いた所で、丁度ヨウコさんが部屋へと戻って来て、俺はぱっと口を噤む。

 気にはなるが、今は目の前の問題に集中するべきだと、思考を切り替える。

 「お待たせしました、丁度良い写真が有ったので、それを持ってきました」

 囲んで座っているテーブルの上にヨウコさんが置いたのは、細い鎖の繋がったロケットのブレスレットだった。

 「ロケット…?」

 「カクリヨだと、自分の子供に自分が持ってるのと同じロケットと家族写真を一緒に送る風習があるんだよ。街にもロケットを首にかけてる子をちらほら見かけるでしょ?」

 あまり馴染みの無いそれに思わず疑問の声を上げると、百鬼が横から補足を入れてくれる。つまり、親子で同じ形のロケットを代々受け継いでいく形を取っているのだ。

 詰まるところ、同じ写真のロケットを持っていれば親子であると分かるという事だろう。

 改めて見たロケットの中には一枚の写真が入っていて、映っているのは一人のヨウコさんらしき女性と、一人の小さな男の子。

 「こちらで笑ってるのが、トウヤです。本当に笑顔の似合う良い子なんです」

 「本当に、幸せそうだ」

 この写真を見るだけでも、この親子が幸せな家庭を築いていたのは確かなのだと分かる。

 それからもトウヤさんの行きそうな場所、好みの食べ物など特徴を聞いていると、不意に玄関の方から扉をノックされる音が聞こえてくる。

 「あぁ、多分白上と大神だな。少し見てくる」

 ジュウゾウさんなら普通に入って来るだろうし、大方あちらも話がひと段落したのだろう。

 立ち上がり玄関へと向かえて外を見れば、予想通りそこには白上が一人大きめの袋を引っさげて立っていた。

 「白上、一人か?大神は…」

 「ミオでしたら今はジュウゾウさんに手伝ってもらって、占星術でトウヤさんの居場所を占ってる所です。白上はそろそろお昼も過ぎてる頃なので差し入れにと」

 そう言って白上は持っている大きな袋を掲げて見せる。その中からは食欲をそそる香りが漂ってきていて、彼女の言うようにお昼を過ぎている事を実感させられる。

 「助かるよ…、白上もまだ食べてないのか?」

 「はい、良ければご一緒しても?」

 「勿論、ヨウコさんと百鬼は部屋に居る」

 そうして白上を連れて部屋へと戻る。

 すると、ヨウコさんは白上の事を知っていたのか、彼女の姿を見た途端目を丸くしてその眦に涙を溜めた。

 「白上様まで…、トウヤの為にありがとうございます、ありがとうございます…」

 「わっ、ちょ、ちょっと頭を上げて下さいよ」

 感極まって何度も何度も頭を下げるヨウコさんに、戸惑った様子であたふたと白上は両手を横に振る。そうしているヨウコさんの顔には微かではあるが生気が戻ってきていて、彼女に希望を与えることが出来たのだと、百鬼と顏を見合わせて笑みを浮かべた。

 

 

 それから大神を待ちつつ話を続けていれば、あっという間に時間は過ぎて行っていつの間にか夕暮れが近くなっていた。

 「あっと、そろそろお暇しないとですね。白上は先にミオに声を掛けてきます」

 窓の外を見てから、ささっと白上はそう言い残して部屋を出て行く。彼女の背を見送ってから、俺と百鬼も外へ出る準備を整える。

 「あ、透さん」

 と、立ち上がった所でヨウコさんに呼びかけられて何事かと彼女へと目を向ける。

 「その、本当に申し訳ありませんでした。こんなに親身になってくれている方に、私は…」

 そう言ってヨウコさんはその顔に影をと落とす、まだ斬りかかったことを気にしているらしい。いや、むしろ当然ともいえるのか、気が動転していたとはいえ、罪悪感に苛まれるのも無理はない。

 「怪我も無かったんですから、気にしないで下さい」

 「…はい、本当に、トウヤの事も、ありがとうございます」

 最後に、ヨウコさんは深々と頭を下げる。それを受けて何処か照れくささを覚えながら、絶対に見つけようという決意と共に俺と百鬼は外へと出た。

 

 

 外に出て見上げた空は青と赤が同居した何処か幻想的な、絶妙な色合いをしていた。あと一時間も経てば街は小麦色に色づいて、真っ赤な夕日が山の向こうに消えていくのだろう。

 扉がしまり、下へ降りようと階段へと足を向けかけた所で、ふと百鬼が立ち止まった。どうしたのかと振り返れば、百鬼はじっと真剣な表情でこちらを見つめていた。

 「…透くんって、優しいよね」 

 そうして彼女が口にした言葉に、俺は豆鉄砲でも食らったようにぽかんと口を開ける。

 「なんだよ、藪から棒に」

 「だって、普通刃物で斬りかかられたら、その人に怒りや恐怖を覚えるよ?なのに透くんはヨウコさんにそんな感情を向けないで、ずっと一定の優しさで接してた」

 「いや、まぁヨウコさんの場合は…」

 「気が動転してても、一緒だよ」

 何度目かになるその理由を返そうとすると、語気も強く百鬼はそれに被せる様に言う。その瞳に浮かぶやるせなさ、それに隠れる確かな怒り。

 「透くん、あの時反抗しようとしてなかった。仕方ない事だって諦めてた」

 「そんな事は…」

 否定しようと口を開くも、それ以上続けることが出来なかった。図星を突かれていたからだ、百鬼の言う事が正しかったからだ。

 「それでね、余気が付いたの。透くんは自分に無関心なんだって、自分の優先度だけが極端に低いんだって」

 そこまで話して、百鬼はぐっと奥歯をかみしめる。激情に耐える様に、やるせなさを抑え込む様に。そうする彼女は眉を落として、瞳を潤ませて真っ直ぐ視線を交差させる。

 「その優しさが、透くんの自分への無関心から来てるとしたら。余は、ちょっと悲しい」

 「…っ」

 百鬼の言う事は尤もだった。一度は捨てたものだから、価値を見いだせなかったから、そんな考えが心の根底にこびりついてしまっている。

 其の事に、気づかされてしまった。

 じっと視線を外そうとしない彼女に、俺は負けを認める様に一つ息を吐いて両手を上げる。

 「…悪かったよ、その通りだった。これからは気を付ける。…けど、多分すぐには無理だから、その時はまた指摘してくれるか?」

 「…っ!…うん、任せて!」

 自分では変わったと思っていても、変わらない部分もある。こうして発見して、指摘して貰ってまた、今回は能動的に自分自身を変えるのだ。 

 (…ままならないもんだな)

 本当に、彼女達と過ごしていると今までの自分との差に呆れすら感じてしまう。けれど、こうして変わっていくのも悪くないと、今はそう思える。

 全く、返そう返そうといくら試行錯誤しても、彼女達から受ける恩は重なっていくばかりだ。

 「透さーん、あやめちゃーん!」

 ふと下の方から白上の声が聞こえてくる。

 見れば、白上と大神が揃って手を振って、俺と百鬼を待っている。

 「じゃあ、行くか」

 「行こー、明日からも頑張らないとね」

 「あぁ」

 口々に会話を交わしながら、百鬼と共に二人の元へと急ぐのであった。

 

 

 

 太陽はゆっくりと傾いて行き、やがてキョウノミヤコには真っ赤な夕暮れが訪れる。移り変わっていくその空を眺める街は、不気味な程の静けさに満ちていた。

 

 

 

 



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True:Another 18


 閲覧注意回です


 

 この世界に迷い込んでから、ずっと気がかりだったことがある。

 

 

 夕暮れ時のキョウノミヤコの通りでは帰り道を急ぐ者が数人程すれ違うばかりで、昼間の喧騒が嘘であったかのようにシンと静まり返っていた。

 「人が居なくなるだけで、変わるもんだな…」

 場所の都合も勿論あるだろうが、あれほど居た住人の姿が見えないやたらと広く感じるこの街に、まるで知らない街に迷い込んでしまったかの様な感覚を覚えた。

 ぼんやりと辺りを眺めていると、ふと視界の横側に白い獣耳が映り込む。

 「透さん、何か考え事ですか?」

 話しかけて来たのは先ほどまで少し前を歩いていた白上だった。

 「ん、あぁ、いつもと街の雰囲気が違うと思ってな。ほら、人がいなくて」

 「そうですね…白上もここまで人が少ないキョウノミヤコは初めてです。この辺りが特別少ないだけなんでしょうか」

 きょろきょろと同様に辺りを眺める白上は不思議そうに首を傾げている。この街に詳しいであろう彼女が言うのだから、かなり珍しい事ではあるのだろう。

 「ねぇミオちゃん、余またあのお菓子食べたい」

 「うん良いよー、神社に帰ったら作ってあげるからね。…そうだ、あやめも一緒に作ってみない?」

 「あ、やってみたい!ミオちゃんとお菓子作り、楽しみー」

 前方では大神と百鬼が会話に花を咲かせている。改めて見てもこの二人の様子は仲睦まじく、まるで本当の母娘のようにすら見えた。

 

 

 残してきてしまった与えられた使命を、自分が決めた役割を果たさなくてはならない。

 

 

 「透さんもすっかりカクリヨに馴染めたようで、安心しました」

 「何だよ、脈絡もなく」

 唐突に掛けられたそんな言葉に横へ目を向けて見れば、にこりと心の底から嬉しそうな笑みを白上は浮かべていた。

 何故そんな表情をしているのか分からず困惑気味に聞き返すと、おもむろに白上の指がこちらに向けられる。

 「今、凄く幸せそうな顔をしてましたよ?」

 そして続けられた彼女の言葉を受けて反射的に手で口元を隠す。

 「…どんな表情してたんだ?」

 「あ、別に変な表情とかじゃなかったですよ?ただ、幸せだなーって、しみじみ感じ入っている様な優しい表情でした」

 軽く話す白上とは裏腹に、カッと俺は自らの身体が熱くなるのを感じていた。

 完全に無意識だった。まさか自分がそんな表情を浮かべるなど夢にも思わなかった。だが、言われてみれば腑に落ちる部分も確かにある。

 彼女らと過ごす時間は、余すところなく、どれもこれもが楽しかった思い出として記憶に残っていた。

 「…そうだな、俺は今確かに幸せなんだろうな」

 

 

 何度も失敗を繰り返してきたが、決して諦めることは無かった。諦めてはならない理由があった。 

 

 

 ぽつりとしたその呟きを聞いた白上は同意するように頷きながら、けれど彼女はまだまだと言わんばかりに指を振る。

 「今あるものだけが全てじゃありませんよ。まだ透さんが知らないだけで、世の中には更に沢山の幸せが有るんです、白上が保証します」

 「これ以上か…、流石に高望みじゃないか?」

 これまでの事を考えれば、俺にとっては現在が既に最高潮なのだ。これ以上を望むとなると、そろそろしっぺ返しが来るのではないかと恐怖すら覚えてしまう。

 そんな俺の心境を知ってか知らずか、白上は「良いじゃないですか、高望みで」と肯定するよう言葉を続ける。

 「どうせ同じ時間を過ごすなら楽しくいかないと損ですよ。白上は毎日が楽しいですし、透さんとあやめちゃんと出会ってからまた幸せの形を見つけました。だから透さんも色んな幸せの形を探して見て下さい、白上もお手伝いしますので」

 真っ直ぐとこちらに向けられたその瞳は吸い込まれるように綺麗で、柔らかく微笑んだ彼女は何処までも優しさに満ち溢れていた。

 ここまで言われて更にそれを突っぱねる事など、俺には出来はしなかった。

 「…白上には敵わないな」

 言いながら感嘆交じりに息を吐く。

 いや、白上だけではない。大神も百鬼も、彼女達には様々な事を教わった、多くのモノを貰った。抱えきれない程の幸せが今正にこの掌の内にあった。

 けれど白上は想像もつかない幸せがまだあると言うのだ。これ以上のモノが溢れる程にあると、そう言うのだ。

 普通であれば到底信じられないそれが、しかし彼女が言うのなら本当に有るのかもしれないと思えるのだから、本当に彼女には敵わない。

 

 

 その為ならばどんな事だろうと為して見せよう。泥にまみれようと罵声を浴びようと、どのような汚名を被ろうとも必ず、あの場所へと帰るのだ。

 

 

 「フブキちゃん、透くん、置いて行っちゃうよー!」

 不意に響いてきた声に振り向いてみれば、いつの間に離れていたのか少し遠くに百鬼と大神の姿が見えた。どうやらつい話し込んでしまっていたようだ。

 「はーい、今行きまーす!透さん、走りましょう!」

 明るく二人に手を振って答えた白上に手を取られ、そんな彼女のつられて真っ赤な夕日に照らされた街道を走りだす。

 若干振り回され気味ではあるが、それも悪い気はしない。こんな毎日がこれからもずっと続いたのならば、どれだけ良い事だろう。

 らしくも無い思考に思わず笑みを浮かべる、そんな折にふと視界の端に黒い影が過ぎった。

 はたりと足を止めてそちらへ視線を向けて見れば、夕日に被さる形でこちらに向かい黒いフードを被った何かが降りて来る。

 「どうかされましたか?」

 唐突に足を止めた俺に白上が首を傾げて疑問の声を上げるが、それに返答する余裕は無い。

 誰も気が付いていない降りてくる人影、その手に持つ赤い夕日を反射した銀色の刃を目にした瞬間、ぞわりとした悪寒が背筋を走った。

 「大神ッ!!!」

 声を張り上げて伸ばした手の先、キョトンとこちらへ目を向けた彼女へと刃が振り下ろされた。その刃はまるで幻のように通り抜けただけで彼女を傷つけることは無かったが、次の瞬間、糸が切れた操り人形のようにその身体は地面へと崩れ落ちた。

 「ミオ…ちゃん…?」

 その大神の姿を見て、動揺から百鬼が呆然としたように呟く。彼女の動きが硬直したその隙に、フードを被ったそれは返す刃を逆袈裟に振り抜き、彼女も同様に音を立てて倒れ伏す。

 たった一瞬の出来事だった。僅かそれだけの時間で、目の前の二人が地に伏して動かなくなった。

 「透さん、逃げて下さい」

 切羽詰まった白上の声が響き、それと同時に彼女は腰に下げた刀へと手を掛け、一気に引き抜いた。だが、逃げる、そんなこと出来るはずが無い。あそこに居る二人を置いていけるはずが無い。

 フードを被った人物は、既にこちらへと標的を移して迫ってきている。

 白上は応戦するように刀を構えた。彼女が刀に手を添わせ、何事か呟いた途端にその形状が鞭のように変化する。そして、それを振るおうと上げられた彼女の腕は、けれど途中で唐突に突っかかったように動きを止めた。ばっと白上が顔を上げた先、虚空から生えた手が彼女の腕を掴んでいる。

 止まった彼女に肉薄したそれは躊躇なくその手に持った曲刀を振るい、それを受けた彼女の身体からは力が抜けて倒れ込み、彼女の手から落ちた刀が音を立てて転がった。

 俺はただその様子を呆然と見ていることしか出来なかった。あまりに突然の事で、状況への理解が追いつかない。

 (あの手…)

 けれど、一つの気づきが止まった思考を再始動させる。白上の腕を掴んでいた手に見覚えがあった。白い紳士風なレザーの手袋、そして覗いていた赤いタキシードの袖口。

 「…明人。三人に、何をした」

 ぽつりとしたその問いかけを受けて、目の前の人物、茨明人はフードを取りその顔を晒して口を開く。

 「何って見ての通り、刀で斬っただけだ」

 見せるよう曲刀を少し上げて変わらぬ調子で答える彼に動揺の色は無く、ただ淡々と事実を語っていた。だがその答えに納得など出来るはずが無い。

 「そんな訳が無い、なら、何で一滴も血が流れてないんだ!」

 チラリと動かない三人に外傷は一切ない。あの勢いで斬られたのならば、せめて切り傷は出来るはずだ。だがそれにも関わらず、倒れた三人はピクリとも動かない。そんな目の前の現実が、混乱に拍車をかけていた。

 もしかするとこれは現実を受け入れたくないが為の、せめてもの抵抗だったのかもしれない。外傷はない、だからすぐに起き上がる筈だ、今は一時的に意識を失っているだけだという希望的な観測。

 けれどそれはすぐに否定される事となる。

 「当たり前だろ、俺が斬ったのは魂と肉体を繋ぐパスみたいなもんだ。人が死んだら魂が天に昇るってのはよく聞くだろ?今回はその逆で先に魂を切り離した、だからそこに転がってるのは、もうお前の知ってる奴らじゃねぇよ」

 「魂…?」

 上手く理解が出来ず、言葉を繰り返す。魂を切り離すなど、概念上のモノに影響を与えられるわけが無い。

 明人にもそれが伝わったのか、彼は刀の腹で肩を叩きながら頭をかく。

 「あー…、まぁ良いか。今は気分が良いんだ、説明してやるよ。このカクリヨの人間は三種類に分けられるのは知ってるか?ヒト、アヤカシ、カミの順で存在が昇華していくんだ。で、この昇華が進むごとに魂と肉体ってのは離れて行く、強大な力に魂が耐えられるようにな。その時に出来るのが魂と肉体のパスで、この刀はそれを断つことが出来るカミ殺しだ。どうだ、理解できたろ?」

 「…」

 ゆっくりと視線を三人それぞれへと向ける。彼女達がもう動くことは無い、喋ることも、笑うことも、もう二度と無い。

 それをようやく、俺は理解した。

 「…何のために、こんなことを…」

 「それは昨日話しただろ、帰るためだよ、ウツシヨに。元はと言えばお前に原因があるんだぞ?折角開けた穴から出てきやがって、お陰であの時俺は帰れなかったんだ。けど、まぁ良いさ、帰れるのなら俺の恨みなんざ気にするものでもねぇ」

 やけに饒舌な明人とは対照的に、俺はただ押し黙っていた。

 どす黒い感情がふつふつと胸の内に湧き上がり続けている。今にも爆発してしまいそうなそれは、全てを押し流してしまいそうな程に激しさを増していた。

 「まぁ、だからお前も今回はそれで手打ちにしてくれよ。この世界でお前がまた新しい拠り所を見つけられることを、陰ながら祈ってやるから」 

 その言葉を皮切りに、ぶちりと頭の中で何かが切れた音がした。

 「…ざけるな」

 「ん…透、何か言ったか?」

 明人が聞き返すと同時、俺は地面に落ちていた白上の刀を拾い上げ、憎悪の対象へと地を蹴った。

 「ふざけるなっ…!!」

 最早体を支配するのは、胸に渦巻いていた憎悪のみだった。ただ恨みを晴らさんがために、憎しみのままに刀を振るうが、明人も黙って斬られるはずもなく、おもむろに曲刀を掲げてそれを受け止めた。

 すると刀がぶつかった途端、到底金属同士がぶつかったとは思えない重低音が辺りへと響き渡る。

 「お前、イワレは無かっただろ…、隠してやがったのか?」

 ギリギリと鍔迫り合いながら、明人は目を丸くしている。だが関係ない、今はただこいつを斬ることが出来ればそれで良かった。

 打ち合うたびに火花が散る、何度も何度も刀をぶつけ合う。そうしている内に、やがて明人は何かに気づいたようにその目を見開いた。

 「…なんだ、ケガレじゃねぇか。お前、相当こいつらに入れ込んでたんだな」

 話し終えると同時に、明人は悲し気に眉を顰める。

 その権利も理由も何もないお前が、どうしてそんな顔をする。次から次に沸き上がって来る憎しみは留まることを知らず、流れる血流に流氷が混じったかのような冷気が絶え間なく体を苛んでいた。

 「だからどうした、お前だけは絶対に俺がころ…」

 『殺されては困るんですよ、その方は』

 背後からそんな声が聞こえてくると共に、唐突に羽交い絞めにされ動きを止められる。顔の横に見える腕は先ほど見た赤のタキシード。

 「…別に出てくる必要は無かったんじゃねぇのか?」

 「いえいえ、万が一があっては困るのはこちらですので」

 声を聞いて確信した、今背後に居るのはクラウンだ。何とか抜け出そうと、目の前の首を掻き切ってやろうともがき続けるが、振りほどくことは叶わない。

 そんな俺の下へと明人は曲刀を片手に近寄って来る。その顔には、確かな同情が浮かんでいた。

 「悪いな、透」

 その言葉と共に夕日を反射した刃が振り下ろされた。

 

 

 

 

 どさりと、地面に倒れた透を明人は複雑な心境で見つめる。

 ケガレに憑りつかれる程に大切なものを持っていた透に、明人とて何も感じ入るところが無いと言えば嘘になる。けれど、明人にとっての最優先事項に代わりは無い。

 必ず生きて、ウツシヨへと帰る。これだけを考えてこの二年を過ごしてきた彼に、もう迷いなどは一寸たりとも無かった。

 「…おや?明人、少しよろしいですか?」

 「…あぁ、そう言えばお前もだったな」

 ふと声を掛けたクラウンに対するその明人の返答に、クラウンは話がかみ合わない、そんな違和感を抱く。

 何処かですれ違っている、話題をすり合わせようと言葉を続けるべく口を開きかけたクラウンに、明人はその手に持つ曲刀を振るった。

 魂だけの存在であるシキガミには魂と肉体のパスは存在せず、代わりに身体そのものがカクリヨに存在するためのパスと言っても過言ではない。故に、その曲刀はシキガミにとって無類の切れ味を誇る。

 クラウンにとって明人は同士だった、一つの目的を果たすための仲間であった。そんな彼からの唐突の裏切りに反応が出来るはずもなく、あえなくクラウンの首は胴体から離れていく。

 (何故…)

 離れて行く明人の姿を捉えるクラウンの顔にはそんな疑問が浮かんでいた。だが、それに明人が反応するよりも早く、クラウンというシキガミは消滅してしまった。

 「お前ももう用済みだ、これ以上は邪魔にしかならねぇよ」

 クラウンへの手向けにそれだけ残した明人はふと、自らの懐に手を入れて何かを探り出す。直ぐに引き抜かれたその手には、一枚の少しよれてしまった栞が握られていた。

 「…もうすぐ、帰るからな」

 その栞を見つめる明人の顔は何処までも優しく、穏やかであった。決して無くさぬようにと、再び懐へと戻して、明人はウツシヨで待つ者へと思いを馳せる。

 とんと不意に軽い衝撃が明人の胸に走った。急に現実に引き戻された彼がふと視線を下ろしてみれば、自分の胸から生えた一本の刀がその視界には映っていた。

 

 

 

 

 「あ…」

 前方から明人の掠れた声が聞こえてくる。今も尚固く握る刀からは肉を切り裂くような抵抗のある気持ちの悪い感触が伝わってきていた。

 つーっと、刀を伝って粘度の少し高い紅の液体が滴り落ちていく。

 やってやった、そんな達成感は無い、俺はただただ必死だった。だが、まだ終わりじゃない、これでは急所を外している可能性がある。

 もう一度刀を握り直し今度は横に、確実に心臓を破壊するように肉を斬る要領で、素早く刀を引き抜いた。それは皮膚を裂き、筋肉を裂き、血管を裂き、臓器を裂き斬る。

 刀に付いてきた赤い鮮血が飛び散り、街道を彩った。

 一拍遅れてからふらりと明人の身体が揺れて、そのまま倒れる。そこを中心に流れ出た血液が広がっていき、街道に紅のカーペットが敷かれた。

 「帰る、から…」

 「っ!」

 終わった、そう思ったその瞬間に再び明人は動き始める。しかし、もう立ち上がる事すらできずに、彼はただ這って誰も居ない街道へと進んでいた。

 「帰るからな…、絶対に、お前を、一人にさせねぇから…」

 そこにまるで誰かが立っているかのように、前へ前へとその手を伸ばす。決して何も掴むことは無いその手はただ虚空を揺蕩うのみだった。

 「花…」

 ぽつりと、けれどハッキリとその名を口にしたのを最後に、伸ばされた手は力を失い、茨明人はそのまま息を引き取った。

 それを確認して、俺は固く握りしめていた刀から手を放す。音を立てて倒れる刀にはびっしりと血がこびりついていて、それを持っていた手も同様に赤く染まっている。

 「はっ…、はっ…」

 超えてはならない一線を越えた、そんな確信があった。未だに手に残る感触は、胃の中身をぶちまけてしまいそうになる程に鮮明だ。

 けれど仇は取った。この手で、彼女らの仇討ちが出来た。

 「…だから、何だ…」

 これで彼女らが戻って来るわけでは無い、また平和な日常が返ってくるわけでは無い。

 逆腕に握っていた手を開いてみれば、そこには見るも無残に破け去ったお守りがある。調査が始まった日に、白上が持たせてくれたお守り。これのおかげで、俺は今こうして立っていられる。

 「なんでなんだよ…」

 憎しみが消えた今、襲い掛かって来る空虚感と喪失感に、顔を歪め崩れ落ちそうになる。

 その時だった。

 「う…」

 聞こえるはずのない、声が聞こえた。

 聞き零してしまいそうな程に、微かなうめき声。けれど確かに聞こえたそれに振り返った先には、苦しそうに目を開けている白上の姿があった。

 「白上っ!!」

 それは奇跡だとしか思えなかった。

 思わず声を上げて駆け寄ると、彼女の視線はぼんやりとだがこちらへ向けられる。

 「透…さん…」

 彼女の口が俺の名を紡ぐ、それだけが今は何よりも嬉しかった。

 「良かった…待ってろ、すぐに助けを…!!」

 「いえ…、大丈夫です」

 何としてでも助けなければならない、そう判断してすぐに応援を呼ぼうとするが、白上に袖を引かれて止められる。

 「もう、助かりませんから」

 にへらと、いつもの調子で笑う彼女の言葉に、浮かれた気持ちはどん底へと叩き落とされた。嘘だ、だって今はこうして会話が出来ているじゃないか、何処にも傷なんてないじゃないか。

 「助からないって…なんで…」

 「黒ちゃんが、最後に力を振り絞ってここに戻してくれたんです。本当、こういう所ですよね」

 自らの胸に手を当てて、愛おしそうに白上は呟く。そして、そのまま白上は手を俺の胸元へと添えた。途端に、触れられた部分から熱が広がっていき、その熱は冷え切っていた体を中和するように暖めていく。

 「ありがとうございます、ケガレに憑りつかれちゃうくらい、白上達の事を大切に思ってくれていて。凄く、嬉しいです」

 そう言って笑みを浮かべる白上は心の底から嬉しそうで、その笑顔を見て一筋の雫が頬を伝った。

 「そんなの、当たり前だ…三人共、俺の恩人なんだ。白上達がいてくれたから、俺は幸せになれたんだ、頑張って生きてみようって思えた…なのに…!」

 一度流れた雫は留まる事を知らず、滂沱の如く溢れ出てくる。

 「どうして、俺なんだ…!お守りを、そのまま持っていれば少なくとも白上は助かった筈だ、なのに…なんで、俺に…」

 「そんなの、決まってるじゃないですか」

 答える白上の声音はまるで当たり前の事を教えるかのように純粋で優しく、彼女はゆっくりと手を伸ばして頬に手を添えてきて続ける。

 「白上が、透さんに生きていて欲しかったからです」

 「っ…!」

 言葉が、出てこなかった。

 そんなの、俺だって一緒だ。俺だって、白上達に笑っていて欲しかった。ずっとずっと、幸せに暮らしていて欲しかった。

 話している間にも、彼女達の身体から光の粒子が立ち昇っていた。直感的に、それが彼女たちが消えてしまう前兆だと分かった。

 必死に引き留めようとも、止まりはしない。

 「さっき、話したじゃないですか。まだまだ、世界には幸せがあふれてるんです、お手伝いが出来なくなったのは申し訳ないですけど、けど、透さんならきっと見つけられるはずです」

 「…待ってくれ。やめろよ、そんな、最後みたいに…」 

 もう力もたいして入っていない手を、引き留めようと強く握りしめる。まだ、行かないでくれと願い続ける。

 「だから…」

 消えかけている体で、彼女はとびっきりの笑顔をその顔に浮かべた。

 「幸せになって下さい、透さん。約束ですよ」

 それが最後に残された言葉だった。

 するりと力が抜けて彼女の手が零れ落ちるのと共に、眼も空けていられない程の光の奔流が辺りを包み込んだ。

 やがて、光が収まった後には彼女達は辺りに残されておらず。代わりに濁った不透明な一つの宝石のみが、手の中へと残されていた。

 

 

 

 

 「…なれる訳…無いだろ…」

 

 

 



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True:Another Last


True:Anotherルート、最終話です


 

 

 空に浮かぶ夜空に月明かりは存在せず、真っ暗な暗闇がシラカミ神社を覆っている。辺りに生き物の気配は無く、木々は寝静まったかのようにジッとそこに立ち並び、風も無い神社の境内には不気味な程の静寂が漂っていた。

 そんな境内の中、参拝用の拝殿の段差に俺は一人蹲る。

 あれからどうやってここまで帰って来たのかよく覚えていない。こうして外に出ているのは、神社の中に入ると嫌でも思い出してしまうからだ。

 カクリヨに来てからの幸せな生活を、そして全てを失った先の出来事を。

 ここに帰って来たのも、多分すべてが夢だったのではないかと思ったからだ。きっと神社に帰ればまた三人がいてまた幸せが戻って来る、その一心でここまで帰って来た。

 最初から分かっていた、全部都合の良い夢物語だと。けれどそんな淡い希望にすら縋るしかなかった。

 手を開いてみれば、そこには不透明の濁った宝石が握られている。これが何なのかなど、最早どうだって良かった。正体を知った所で、失われてしまったモノは帰って来ない。

 まるでカクリヨに来る前の自分に戻った気分だ。ただ生きてきただけの何の楽しさも無い、空っぽだった自分に。

 けれど実際には少し異なる。この胸に今渦巻いているのは、ウツシヨではついぞ感じることの無かった感情、絶望だった。 

 何も感じなかった自分を変えてしまった、幸せとは何かを知ってしまった。それだけに、失った目の前の現実は、到底受け入れられるようなものでは無かった。

 『幸せになって下さい』

 白上が最後に言い残した言葉が脳裏を過ぎる。

 彼女はそう言ったが、けれど、無理だ。彼女達がいてくれたから、毎日が楽しかった。彼女達がいてくれたから、幸せになれた。三人のいない世界で幸せになれるとは、いくら自分を言い聞かせようとしても、どうしても思えなかった。

 「…」

 失意に呑まれたまま、ふと空を見上げる。

 いつか一緒に月見をしようと約束をしていたあれだけ綺麗だった星空は、いまや見る影も無くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 一体どれだけの時間、そうしていた事だろう。

 すっかりと夜も更けてしまった頃、ふわりとした一陣の風がシラカミ神社を駆け抜けた。それと同時に、少し離れた位置からからんと木が鳴る様な軽快な足音が響いてくる。

 参拝客か何かだろうか、顔を上げる気にもならない中そんな風に当たりをつけていると、からんころんと先の足音が近づいてくる。

 「…のう、そこの主よ。ここに、大神ミオという娘はおらぬかのう」

 大神。その名に反応してゆっくりと顏を上げた先には、ヒトというには少し歪なシルエットがあった。まず、そこに居たのは一人の背の高い女性だった。背丈は同じ程だろうか、その頭には一対の獣耳、視線を落とせば歪なシルエットを形どっていた、数えて9本の尻尾がゆらゆらと各々が自在に揺れている。

 「…」

 「なんじゃ、無口な奴じゃな。…ならば良い、我は勝手に…」

 沈黙を続ける俺に興味をなくしたように女性が視線を外した、その直後彼女は唐突に言葉を途切れさせる。

 すると女性はおもむろにその視線をこちら、正確には俺の右腕へと向けてくる。

 「…主、その手に持っているモノを見せてみよ」

 「…」

 「見せよ」

 繰り返す語気の強められた彼女の言葉に、体が勝手に反応して握っていた手が開く。そうして露わになった例の宝石、それを見た途端目の前の女性の目の色が明らかに変わった。

 ふわりと風に乗って漂ってくる冷気は肌を突き刺すようで、びりびりとした緊迫感が空気を震わせる。

 「…主か」

 ぞくりと背筋の凍るような迫力で唸るように女性がこちらに瞳孔の開いたその目を向ける。それと同時に全身に襲い掛かる衝撃、瞬く間に俺は凄まじい力で吹き飛ばされ、木製の壁へと叩きつけられた。

 みしりと骨が軋む、壁へと押しつける女性の手からは万力の如き力が加わって来ている。

 「ミオを、我が娘を手に掛けたか、小童!!」

 怒号を上げると共に更に力が込められ、押しつぶされた肺からうめき声として空気が漏れ出た。彼女からひしひしと感じる明確な殺意は、今正になされようとしている。

 「楽に殺しはせぬ、腹を裂き臓物を引き出し、地獄すら生温い苦痛の中で嬲り殺してくれる…!」

 彼女が人間だとするなら、今の俺は恐らく蟻にも劣るだろう。気まぐれで拾い上げ、指に挟み少し力を入れるだけで簡単に潰される。それ程圧倒的なまでの差が彼女との間にはあった。

 迫りくる明確な死というイメージ。それを前にして抱いた感情は絶望でも、恐怖でも無く。

 「羨ましい…な…」

 羨望だった。

 「なに…?」

 困惑したように目の前の女性が呟く。そんな彼女の持つ圧倒的な力が、今はどうしようもない程に羨ましい。

 「もし…俺にこんな力が有ったら、救う事が出来たのかな…。三人を、幸せを、失わなくても済んだのかな…」

 こみ上げてくる後悔は雫となり、頬を伝って地面へと落ちる。あの時、俺は気が付いた上で助けることが出来なかった、伸ばした手の先で全てを失った。

 明人が憎かった、怒りを覚えた。けれどそれ以上に、救えなかった自分自身が憎くて、悔しくてたまらないのだ。

 「主は…」

 呆然と彼女は目を丸くする。するりと押さえつけていた手から力が抜けて、俺はどさりと音を立てて床へと落下する。

 「仔細を、話して見せよ」

 幾らか怒気の薄れた、迷うような声で問いかけてくる彼女に、俺はぽつりぽつりと、キョウノミヤコで何が起こったのを話していった。

 

 

 

 

 

 「…なるほどのう、そう言う事であったか」

 詳細を聞き終えると、女性は何処か噛み締める様な口調でそう言って、ぺたりとその場にへたり込む。その顔には、耐えがたい程の自嘲の笑みが浮かんでいた。

 「誠、滑稽なモノよな。我は…妾は救えぬばかりか、仇すら打つことも出来ぬとは。…いつもこうであった、妾は肝心な所で傍に居てやることが出来ぬ、今度こそはと意気込んでおいてこの様じゃ。最早、言い逃れのしようも無い」

 彼女の震え声での独白には、どうしようもないやるせなさと、大きな後悔が込められていた。

 ふと、似ていると思った。彼女もまた、同様にに失ったのだ。生きる意味を、唯一の生き甲斐を。だからだろうか、彼女に対して俺は妙な親近感にも似た感情を抱いた。

 「…あんた、神狐セツカか」

 ふと思いついた名で問いかければ、彼女は肯定するように頷く。

 「如何にも、そう問うた主は藺月透じゃな。ミオから、最近よく手紙で聞いておった」

 「あぁ、俺も大神から聞いたよ」

 いつか大神から聞いた、イヅモ神社の話。

 「調査が終わったら、一度イヅモ神社に行こうって話になってた。結構、楽しみにしてたんだがな」

 「うむ、妾も歓待の準備をしておったよ。…今では、全て無駄になってしもうたがのう」

 こんな形で出会うことになるなど、残念で仕方がない。神狐とはこの場ではなく、イヅモ神社で三人と共に出会いたかった。恐らく、それは向こうも同じことだろう。

 そこで、一度会話が途切れる。再び訪れた静寂は重く体にのしかかる様で、まるで責め立てられているかのようだった。

 「…悪かった、神狐。俺は目の前に居たのに、気づいていたのに、三人を救えなかった」

 募る罪悪感に耐えられずそう言えば、神狐は首を横に振ってそれを否定する。

 「言う必要も無いことじゃ、それに主が気づいたのはあくまでイワレが無かったからじゃよ。相手はイワレの高い者から隠れるシンキでも持っていたのであろう。でなければ、カミがアヤカシ如きに遅れを取る筈も無い」

 「…そっか、どちらにせよ、俺は救えなかったって事か…」

 思わずぐっと宝石を握る手に力が入る。

 たらればの可能性さえ、存在しない。それ程までに明人は用意周到で、事に及んだのだ。ただ、ウツシヨに帰るその一心で。

 強く噛み締めた歯が音を鳴らす、するとそれを聞いた神狐がふと不思議そうにこちらを見やった。

 「…一つ聞きたいのじゃが、主は何故にそこまであの子らの事を気に掛けてやることが出来るのじゃ。同じ屋根の下で生活しておったと言えども、されどほんの半月ほどの事であろう」

 問いかけてくる彼女に邪気は無く、それはただ純粋な疑問であった。

 確かに彼女の言うように、ここで暮らした時間は僅かなモノだろう。けれど、俺にとっては何よりも濃く、尊い時間だったのもまた確かだ。

 「三人は、俺の恩人なんだ。これまでずっと暗かった俺の人生に光を差し込んでくれた、返しても返しきれない程の恩を受けた。だから、これから先少しずつでも返すつもりだった、…返していきたかった」

 今となっては返しようもなくなってしまった。それを聞いた神狐は、少し驚いたように眉を上げてこちらを見ていた。

 「…そうであったか、誠、律儀なものよのう」 

 「あぁ、もしかするとそうなのかもな」

 けれどそう思える程に、彼女達から貰ったモノは大きかった。一生を通して恩を返していきたいと、心の底からそう思っていた。

 頑固者と大神には言われてしまったが、確かに彼女の言う通り、俺は度が付くほどの頑固者なのだろう。

 「…のう、透よ」

 神狐が改まった様子で声を掛けてくる。

 そのまま言葉を続けようと彼女は一瞬だけ口をまごつかせてから、意を決したように顔を上げる。

 「三人を救う方法があると申せば、主は如何する」

 

 

 

 

 

 夜闇に舞い落ちてくる白い雪は良く映える。

 しんしんと降り積もった白雪に覆われたそこに隠れるように鎮座しているのはイヅモ神社。神狐により連れられたこの場所は、世界に置き去りにされたかのような静けさを保っていた。

 そんなイヅモ神社の本殿の地下へと続く階段に俺と神狐の姿はあった。

 「…本当に、この場所にあるのか」

 「このような状況で、冗談など申さぬ。もうすぐ到着じゃ」

 足音が響く階段を下りる事暫く、やがて少し開けた場所階下に到着する。

 そこはどちらかというと回廊に近いだろうか、階段から部屋へと続く開けた道。その先にある扉へと向かい、進んで行く神狐の後を追う。

 やがて辿り着いて扉の前、彼女は取っ手も無いそれの前に、ただ手をかざした。すると、目に見えぬ力でひとりでに扉は開き、中にあるそれを露わにした。

 「神狐、それは…これは一体何なんだ」

 部屋の中にあったのは、一つの台座。その上に置かれた一つの濁った不透明の宝石のみが部屋にあるすべてで、そして何よりもその宝石は三人の残した宝石と同一のものだった。

 「このカクリヨには、命石というシングがある。これがあれば大抵の願い事は叶えることが出来ると言う、強力なモノでの。傷の治療も、新たな力を得ることも、不完全ながらもカクリヨとウツシヨを繋ぐ穴を開くことすら可能じゃろう」

 「カクリヨとウツシヨを…」

 チラリと、明人の顔が脳裏をよぎる。あいつの目的は、間違いなくこれの事だったのだ。

 「そしてその製法じゃが、一定区画の空間に、一定量以上のイワレが存在する事じゃ。まぁ、簡単に言えば多くのイワレを持った者が大勢命を落とすことで作成される、故に命の石と書いて命石と呼ばれる」

 神狐の説明を聞いて、ふと俺は自らが手に持っている宝石へと目を落とす。あの時白上達が姿を消して、代わりにこの宝石が生み出された。そこに考えが至った途端、宝石の重みが一気に増した、そんな気がした。

 「なら、これがその命石って事か」

 確認を取るように問いかけるも、しかし神狐は更に説明を続けた。

 「今までのは前置きじゃ、…命石にも種類があっての、更にその上位互換とも呼べるものが存在する。…主もミオ達と生活しておったのであれば目にしておろう、その強大過ぎる力の一端を。そのカミから作成された命石は、通常のそれとは文字通り次元が異なる。名を、神命石と呼ぶ。主の持つ宝石がそれじゃ」

 「じゃあ、そこにおいてある宝石も…」

 全くと言っていい程同一の見た目をするそれへと視線を移す。同じものがあるという事は、同じ事が起こったという事になる。

 「それが妾の本体じゃ。扱うにはその人物との間に何らかの強い縁が必要となるが、妾の場合は自分自身じゃからな。妾という前例がある以上理解もしやすかろう、その効果も含めて」

 神狐自身については、彼女からここまでの道中で説明を受けていた。彼女が既に体を失った、シキガミでも無い魂だけの歪な存在だと。

 成程、何でも叶えることが出来ると言うのも納得だ。

 「なら、神狐と同じように白上達を…」

 「ならぬ」

 彼女達を蘇らせられる、そう続けようとした所を神狐は強く否定する。

 「良いか、妾はあくまで死人じゃ。こんなもの、生きているという内に入らぬ。加えて、同じことをしようにも、妾はその場で自らの魂を固定したが故に可能とした。もう既に三人の魂は残留思念を除いて失われておる」

 「…悪い、早とちりだった」

 三人を救えると聞いて、どうにも気が急いている。頬を叩いて心を落ち着けてから、改めて神狐へと問いかける。

 「教えてくれ、神狐。三人を救える方法を」

 「…うむ、既に三人の魂は失われた、ならばその事実を無かったことにする。世界を巻き戻す、過去へと戻れば良い」

 

 

 

 

 二つの宝石を手に境内へと戻れば、先ほどまであれだけ降り続いていた雪は既に止んでいて、地面に降り積もったそれらまでもが姿を消していた。

 「この辺りは、こんなに気候が変わるもんなのか?」

 「いや、このイヅモ神社は妾が作り出した幻想にすぎぬ。故に天候もあの建物も、全てが妾次第で簡単に変わるのじゃよ」

 彼女に続きイヅモ神社の全域を見渡せば、確かに徐々にその規模は小さくなっていき、遠くの建物が徐々に光の粒子と化して消えて行っている。

 「本当に、何でもできるんだな」

 改めて目の当たりにすると、過去に戻ると言う言葉にも説得力が増してくる。確かにこれなら可能だと言うのも頷ける。

 それから、俺達はイヅモ神社の中心へと足を向ける。神狐の力の中心地、そこが最も安定すると言う。その場所に辿り着いてから、神狐は再び口を開いた。

 「過去に戻る前に、主に話しておかねばならぬことがある」

 向き合った神狐はその尾をそれぞれたなびかせ、その瞳は真っ直ぐとこちらの目を射抜いていた。

 「一つ目は、戻る地点じゃ。カクリヨには世界の修正力があるが故にその力の及ばぬ世界間の裂け目を利用する事となる。確か、主は半月前にカクリヨに迷い込んだのじゃったな、戻るのはその時となる」

 「白上と、初めて会った時だな」

 出会いが全て無かったこととなる、関係性も全てがリセットされた状態。少し寂しさを覚えなくはないが、三人のいない世界よりは断然そちらの方が良い。

 神狐は一つ頷き、言いづらそうに少し言葉に詰まってから続けた。

 「しかし、ここで一つ問題となるのが、妾の神命石は既にかなりの力を損耗しておる。故に、そちらの石の力も使用せねばならぬ。これは一体化すれば縁も出来る故問題は無い」

 彼女がそう口にすると同時に、二つの宝石が熱を持ち引かれ合い、やがて一つに纏まる。彼女自身の石を混ぜることで、自らとの間に縁を作成したのだ。

 「…最も重要なのはこちらじゃ、過去に戻るためには術者が必要となる。言うなれば妾は燃料じゃ、主はイワレを扱えぬ。故に、主の記憶を利用して術者となるシキガミを用意する必要がある」

 「記憶って…こう、何割か持っていかれる感じなのか?」

 流石にその辺りの知識は無いため中々理解が進まない。曖昧ながらの解釈を口にすれば、しかし神狐は重々しい表情でそれを否定した。

 「全てじゃ。主の記憶の中でシキガミを作ろうとすれば、主の自意識を利用する他ない。つまりこれを実行すれば主の記憶は、特に藺月透という人格は消え去ってしまうのじゃ」

 藺月透が消える。するとウツシヨでの記憶は元より、カクリヨでの日々が俺の中から失われる事となる。

 「無論、生活に困る程の廃人にはせぬ。じゃが、主自身に関する記憶は一切失われてしまうのじゃ」

 「そうか、ならやろう」

 ならば迷う必要などない、軽快に承諾して見せれば、神狐は完全に虚を突かれたように目を丸くした。

 「主、本当に良いのかの?妾は良い、元々死人で未来も無い。じゃが主は違うであろう、今を生きる未来有る者じゃ、それを…」

 確かに、俺だって出来れば記憶を失いたくなどない。そう簡単に放り出せるほど、カクリヨでの思い出は軽いものでは無い。

 「良いんだよ、これで」

 だが、これで彼女らを助けられるのなら、あんな終わり方をせずに済むのなら、俺は喜んでこの身を、記憶を差し出そう。

 そして、何よりも。

 「俺は、恩人を見殺しにして生きていくつもりなんてさらさら無い」

 元より、道は一つだった。

 それを聞いた神狐は、何か言いかけて言葉を呑み込んでを数度繰り返し、やがて諦めたように息を吐いて苦笑を浮かべた。

 「成程、愚問であったようじゃな。…透よ、少し手を出すが良い」

 「ん?あぁ」

 言われるがままに手を差し出せば、彼女もまた手を伸ばし手を被せる。すると、重なった手の部分に熱が灯り、全身にそれが駆け巡り、見えない線が彼女との間に繋がった感覚を覚えた。

 「妾は今より主のシキガミじゃ。これで縁が紡がれ、主も力の一端を扱えよう」

 「…これで、三人を救えって事か。確かに、もし同じ状況になって同じことを繰り返すのは御免だからな」

 そもそもあの状況に陥らないのが最善ではあるのだが、何が起こるか分からない以上、使える札は多いに越したことは無い。

 「とは言え、この神命石は強大過ぎるが故に、力の大半は別で送らねばならぬのじゃ。現地で合流して吸収させるまで力を使えず、主は今と同じ状態で行動することになるが…まぁ、問題は無いであろう」

 「あぁ、そんなに危険があった訳でも無いからな。…でも、大丈夫なのか?現地で合流って、先に大神達が辿り着いたりしたらどう説明する」

 どのような形で送るかは知らないが、俺がたどり着ける位置は大抵彼女らのホームグラウンドだろう。万が一先に発見されてしまった場合、その対処を考えておかねばならない。

 しかし、神狐は余裕綽々と言った様子で指を振って見せる。

 「なに、その辺りは万全じゃ。これでもミオとは長いからのう、あやつの近づけぬものくらい把握しておるのじゃ」

 「…あぁ、あれか。なら大丈夫だな」

 一拍遅れて思いついたそれに納得の声を上げる。そう言う事なら安心だ。

 「と、後は宝石をどう持っておくかじゃな。そのままでは落としかねん」

 そう言って神狐は手で持ったままの宝石へと目を移す。ポケットに入れて忘れたらそれで最後だ、落としたなどどあっては洒落にもならない。

 「じゃあ…そうだな、右手の甲にでも埋め込んでおいてくれ。それなら失くしようも無いし、嫌でも目に付くだろ」

 「…主、些か大胆過ぎではないかのう」

 束の間、軽口の応酬を繰り返す。方法が定まってからは、明らかに気分が軽くなっている。事実上、藺月透として話せるのもこれが最後なのだから、其の所為もあるのかもしれない。 

 「では、そろそろ始めるとするのじゃ」 

 彼女がそう口にすると共にイヅモ神社は光の粒子へと分解されていき、彼女の下へと集まっていく。

 これから消えるともなると、流石に緊張で心拍が上がって来る。けれど、それでも、後は神狐と記憶を失った自分に託す他ない。

 「後の事は、任せた」

 「うむ、妾が必ず主を導いて見せる故、安心せよ」

 あぁ、なら良かった。

 強く固い意志の籠った彼女の言葉に、安堵が胸の内に広がる。やがて光の粒子は周囲を完全に覆い隠し、意識は白い光の中へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 声が聞こえた。何処か聞き覚えのある様な、そんな声。辺りを包む暗闇に遮られるような微かなその声がどんどんと近づいて来る。

 誰の声だったのか、何処で聞いたのか、もう思い出せない。けれど一つだけ、胸の奥底に固い決意があった。

 

 『今度こそ、絶対に…』

 

 

 

 

 






次回、グランドエンド


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グランドエンド





 

 気が付けば、風の吹き抜ける山の平地に一人立ちすくんでいた。

 ぽっかりと森の中に穴が開いてしまったかのようなこの場所は、少し離れた先に木々が立ち並んでいくばかりで、周辺には建物はおろか草花すら存在しない。

 「ここは…」

 何でまたこんな所に居るのだろう、そんな疑問に首を傾げながら辺りを見渡している最中、ふと自らの右手に目が留まる。少し掲げた右手の甲に埋め込まれた宝石をじっと見ていると、不意に宝石が熱を発し始めた。

 最初はじんわりと温まる程度であったそれは、次第に炎が灯ったかの如く骨身を焼かんとばかりの熱となり、宝石を起点として身体中を駆け巡る。

 それと同時に、宝石から情報として流れ込んでくる記憶。

 自分が何者であったのか、何のためにここに居るのか、これまでに何があったのか。自らのものでは無い筈のそれを、しかし不自然な程に受け入れられる。

 カクリヨに迷い込み出会った少女たち、彼女達と紡いだ日常、そして…。

 (そうだ、俺は過去に飛んだんだ)

 紅の記憶と共に募る焦燥感。俺は神狐に連れられてイヅモ神社に訪れ、三人を救うために過去へと遡った。ならばここがその過去なのかと言われれば、しかしそれは否と断言出来た。

 (三人はどうなった?俺は成功したのか?そもそも何でこんな記憶が)

 疑問は募るばかりで、一向に纏まる気配を見せない。混乱する思考の中、とにかく現状を把握しようと必死に心を落ち着ける。

 今何よりも考えるべきは、この記憶についてだ。神狐は俺の記憶を代償に術者となるシキガミを作ると言っていた。現に記憶が途切れる前、最後の部分には確かに過去に飛んだという感覚があった。

 ならば、過去に飛ぶこと自体は成功したはずだ。

 「なのに、どうして俺は今ここに居る」

 成功した結果がこれなのか。だとしたら、俺は三人を救うことが出来たのか。

 薄く今にも切れてしまいそうな細い希望の糸を手繰り寄せる様に、現状を自分なりに噛み砕いて推論を出す。けれど、何かがおかしい。そんな一縷の不安にも似た感情が、決めつける事を躊躇わせていた。

 (せめて、三人の安否だけでも確認できれば)

 それだけが全てだ。例え現状がどうであれ、三人が無事にいるのであればそれで良い。

 とにかく、このまま此処でじっとしていても仕方がないと、すぐに行動に移そうとするが、しかしこの時、未知の事態へと戸惑いから、俺はすっかりある事を失念していた。

 『…透よ』

 突如として脳内に響いてきた声に心臓が跳ねる。慌てて周囲を見渡すが、当然誰の姿も見えない。そして、ようやく気が付いた。

 神狐だ。共に過去に飛んだはずの彼女はこの神命石に宿っており、今も尚そこに居るのだ。

 「神狐、何が起きたんだ、この状況は?」

 矢継ぎ早に疑問が口を突いて出た。

 彼女であれば事情を知っている筈だと、そしてその考えは正しく、神狐は一拍を置いてから言葉を続けた。しかし、その答えに俺はがんと頭を殴られるような衝撃を覚える事となる。

 『失敗じゃ、妾達は三人を救えなかった』

 何を言っているのか、理解できなかった。いや、正確には理解をしたくなかった。

 救えなかった、それは間違いだ。俺達は過去に飛んだはずだ、何が起こるのか、誰が実行に移したのか、全てを知った上で。確かに俺は記憶を失っていたが、神狐がフォローしてくれる手はずだった。

 「…もしかして、過去に飛べなかったのか?」

 考えられる可能性はそれだ。そもそものスタート地点に立てなかったのではないかと、しかし、その考えはすぐに神狐に否定された。

 『否じゃ、過去に飛ぶこと自体は成功した。過去に戻った主は世界の修正力に邪魔をされながらも、ミオと白上の二人の助力を受け、カクリヨに降り立った。降り立ってしまったのじゃ』

 やはり成功はしていたのではないかと怪訝に思うと共に、神狐のその言い回しに何処か引っかかりを覚える。

 「なんだよ、まるで、カクリヨに降り立ったのが、間違いだったみたいな言い方して」

 そんな俺の問いかけに無言を返したまま、神狐はぽつりぽつりと話し始める。

 『過去に戻るという事は、一度は決まった世界の流れを変えるに等しい。故に、世界はそれを阻止しようとその原因を排除しようとするのじゃ。それが修正力、そして今回の原因と見なされたのが透よ、主であった』

 修正力については、過去に戻る前に聞いていた。だからこそ、過去に戻るためにウツシヨとカクリヨの狭間に居たカクリヨに迷い込むその時を狙ったのだ。

 『そして、主がカクリヨに足を踏み入れた際に想定外の事態が起きたのじゃ。主という異物を排除しようとしたカクリヨは、世界の流れを分岐させた、丁度川を二つに分けるようにの。そして、元の流れに統合することで二度目の世界を上書きし、異物を排除しようとした』

 上書き、つまり元の世界へと流れを戻そうとしたという事だ。二つにした世界を一つにまとめて、二つ目の世界を無かったことにしようとした。

 「分岐って…じゃあ、その世界の違いは…」

 『うむ、過去へと戻ったか否かじゃ。一度目と二度目の違いじゃな。主は一度目の正解では藺月透として、二度目の世界ではただの『透』として過ごした。この間、妾は統合しようとする世界を固定し、何とか保たせようとしたが、それにも限界があった』

 そう話す神狐の声は、まるで殆ど力を使い果たしてしまったかの如く、弱々しいものであった。

 『神命石と一体化したことで、妾は過去の自分とは別物となっておっての。まぁ、同じ人間が二人存在するようなものじゃ。要するに、妾は過去の自分の力を起点として世界を固定化する事が出来たのじゃ、しかし、その時点で妾の力はかなり損耗しておった、過去の神狐セツカが消えると共に、世界を固定化することが出来なくなり、こうして世界は元の世界へと統合されてしまったのじゃよ』

 「…待てよ、それならこの世界で三人は…」

 聞きたくなかった、もう想像がついてしまったから、理解してしまったから。けれど、聞かなければならない。嫌な汗が背筋を伝う最中、神狐はゆっくりと口を開く。

 『主は、よくやってくれたのじゃ。妾の助けも無しに、自らの手で三人を救って見せた。じゃが、根本的に方法が間違っておった』

 そこで一瞬だけ、言い難く口を開きかねる神狐は、やがて覚悟を決める様に重すぎる現実を受け止める様に言葉にして紡ぐ。

 『この方法では、妾達は三人を救えなかったのじゃよ』

 ようやく見つけた筈の希望は、いとも簡単に絶望へと塗り替えられた。

 

 

 

 

 

 なにもかもが無駄に終わった。

 救えなかった、この世界に三人はもういない。叩きつけられたその現実は、受け止めるにはあまりにも重く、ふらりと力が抜けてその場に腰を下ろす。

 恩を返せると思った、また幸せな日常が戻ると、そう信じ切っていた。その為なら全てを投げ出せた。記憶だろうと何だろうと、なのに、こんな結果になるなんて、あんまりじゃないか。

 『…すまぬ、妾の責任じゃ。世界の修正力を甘く見ておった、まさかここまでとは…』

 「言わないでくれ。俺だって、これが最善だと思ってた」

 どちらかの責任ではない、そんなものもう関係すら無い、考える必要も無い。俺達が目的を果たせなかったことに、変わりは無い。

 「…どうすれば、良かったんだろうな」

 『…』

 ふと零したその言葉に、神狐からの返事は無い。

 過去に戻り、三人を助ける。その目的は修正力によって阻まれた。新たな問題が降って湧いてきたのだ、二つを同時に突破しなければ、こうして元の世界に戻される。

 カクリヨに足を踏み入れた瞬間、世界は分岐する。けれど、カクリヨに入らなければ三人を救えない。

 これでは、どうしようも…。

 「あ…」

 一つだけ、方法があった。あまりにも簡単でシンプルな解決策が。

 思いついたそれに、思わず声が漏れる。何でこんな簡単な事に気が付かなかったのだろう、いや、あえて考えないようにしていたのか、とにかくこれならば。

 「神狐、まだ打つ手は残ってた」

 『…』

 そう呼びかけるも、しかし神狐は変わらず無言を貫いている。消えてしまった訳ではない、確かに神狐の存在をパスの通う神命石から感じる。

 「…お前も、気づいてたんだろ?」

 『…うむ』

 無言の理由を言い当てれば、微かな声が返って来る。普段とは明らかに異なるそんな彼女に、思わず苦笑が顔に浮かんだ。

 多分、当初から気づいていたのだろう。どうすれば三人を救えるのか、その方法に。

 『しかし、それでは透よ、主が…』

 彼女を躊躇させていたのが、自分だという事に正直驚いてはいる。だが、それも今は不要なものだ。

 「俺は良いんだよ、優先するべきはあの三人だ。…それに、俺がこの方法を取ることくらい、神狐だってよく知ってる筈だ」

 『…そうじゃな、主はそんな人間じゃ。故にこそ、妾は迷ったのじゃからな』

 顔は見えないが、そう言う神狐は力のない笑みを浮かべているのだろう。本当に良く分かっている、この辺り同じ目的を共にした同士だと思えた。

 目的を果たせる手段が見つかったのなら、後は実行するほかない。だから…。

 「俺は、ウツシヨに帰るよ」

 真の意味で、俺はこのカクリヨにとっての異物だったのだ。

 

 

 

 

 

 すっかりと冷たくなってしまった風を受けながら宙を見上げる。そこに在るのは、いつか見たような真っ赤な夕焼け。もし叶うのならば、この景色をあの三人とも共有したかった。

 そんな事を考えながら、一つ息を吐いて視線を落とす。

 『透よ、準備は良いかの?』

 「あぁ、大丈夫だ」

 神狐に声を掛けられ、それだけ返しながら俺は右手の甲へと意識を集中させる。

 『主が覚悟を決めたのであれば、妾も全てを捧げよう。しかし、良いか。幾ら三人分に妾の残っていた力を加えたとはいえ、過去への逆行は今回で限界じゃ。ウツシヨへと穴をつなげることを考えると、それ以上の力は無い故、しかと心得よ』

 「分かってる、絶対に失敗はしない」

 今回で限界、つまり次は無い。一度きりのチャンス、これを逃すわけにはいかない。

 「…っ」

 緊張から心臓が大きくなっている。すべてがこれに掛かっていると考えると、思わず手が震えた。それを収める様にぐっと手を握りしめ、震えを抑え込み、俺は改めて神命石へと意識を向ける。

 「…行こう」

 体を駆け巡るイワレを感じ術を行使すれば、世界はぐにゃりと曲がり、やがて光に包まれる。そうして、俺は再び過去へと遡った。

 今度こそ、三人を救うために。

 

 

 

 

 

 次に目を開けた時、周囲はその様を一転させていた。

 暗くも明るくも無くただ何もない空間、丁度俺を挟む形で何処かに繋がっているらしき光が二つそれぞれ前後に見える。

 ここが世界の狭間。

 「神狐、聞こえるか。…神狐?」

 確信を胸に呼びかけるが、しかし彼女からの返事は無い。いや、それどころか先ほどまで感じていた存在が、確かにあった筈の繋がりが、既に消えてしまっている。

 『妾も全てを捧げよう』

 先ほど聞いた彼女の言葉が脳裏に浮かぶ。あぁ、そうだ、これが最期という程に時間の逆行には力が必要となる、なればこそ力を消費した今こうなるのも道理であった。

 だが、それならば、最後に一言くらいあっても良いのではないか。

 「…大丈夫だ、任せてくれ」

 恨み言の代わりに、そんな決意を送って、俺は改めて神命石の力を使う。

 光から光へと、二つのそれらを繋ぐように一本の道を形成していく。明人は命石を使いウツシヨと繋がる穴をカクリヨに開けた。しかし、それでは不十分だった。この空間はいわば一方通行で、ウツシヨからカクリヨへと海流のように流れが存在する。その中を進むためにはこうして道を形成し流れとはまた異なる移動手段を確保しなければならない。

 「…これなら帰れるだろ、明人」

 三人を救う手段、それは別にあの日に拘る必要はない。原因が無くなれば、結果も起こらない。ウツシヨに帰るために、明人が実行するのであれば、その前に彼をウツシヨへと返せば、それで解決する。

 道を維持していると、やがて 何かが横を通り過ぎてウツシヨに繋がる光に呑まれた。間違いない、明人がウツシヨに帰ったのだ。

 「…これで、もう悲劇は起こらない」

 あっけない終わりだった。当然だ、ただ人を送るだけなのだから、劇的な展開などある筈も無い。

 思わず苦笑を浮かべながら、俺はカクリヨへと続く光に背を向けて、ウツシヨへと続く道を目の当たりにする。

 カクリヨへと入れば、再び世界は分岐して同じ結末を辿るだろう。過去に戻ってから行った改変が無かったことになる、明人がウツシヨに帰った事実も含めて、帰れなかった世界に戻ってしまう。

 だから、ウツシヨへと帰る。このまま力が尽きれば、強制的にカクリヨに送られてしまうから。俺がウツシヨに帰ることで、初めて三人を救うことが出来る。

 「…色々な事があったな」

 ぽつりと零して、俺は光へ向かい歩き出す。

 カクリヨに迷い込んでからは、本当に色々な事があった。獣耳を生やした少女たちと出会って、一緒に暮らすようになって。

 キョウノミヤコで鬼の少女に出会った時などは、彼女の移動方法について行けずにグロッキーになって、妙に狼の少女と通じ合って。

 作った料理を美味しいと言って貰えた。よく狐の少女とはゲームをして、そこに他の二人が加わったりして、時にはピクニックに行ったりして、ワイワイと騒がしい毎日だった。

 「楽しかった…」

 瞼を閉じれば、つい昨日の事のように思い出せる。当たり前のように続くと思っていた、あの日常が、今も脳裏に浮かんでいる。

 永遠に続けばよいと思っていた一時が、何よりも愛おしかった。

 自分の表情が和らぐのを感じる、途方も無い恩を、これでようやく返すことが出来るのだ。これ以上ない喜びだ、自分で満足のいくこれ以上ない恩返しだ。

 もし足りないと言われればどうしようかと考えたが、そんな事を言う彼女達ではない事を、この記憶が証明している。

 少しづつ、けれど着実にウツシヨへと続く光は近づいてきていた。短いようで遠い道のりを、思い出に浸りながら歩み続ける。

 彼女たちのおかげで、俺は多分これからも前向きに生きていけるのだろう。

 「だから、ありがとう、カクリヨ。さよう…」

 『透さん』

 別離の言葉を紡ごうとした所で、不意に聞こえてきた声に思わず言葉は途切れ俺は足を止める。勢いよく振り返った先には何もなく、唯カクリヨへと続く光が瞬いているのみ。

 多分、幻聴だった。思い返した記憶から、そんな一幕が実際に聞こえているかのように錯覚しただけだ。

 「白上」

 その名を口にすれば、白い狐の少女の柔らかな笑みが脳裏に浮かぶ。

 違う…。

 「大神」

 黒い狼の少女の落ち着いた雰囲気は、帰る場所を示してくれてるようで。

 違う…!

 「百鬼」

 赤い鬼の少女は天真爛漫で、そんな彼女の明るさに何度も救われた。

 違う…!!

 そうでは無い、そうでは無かったはずだ。考えないようにしてきた、一度考えてしまえば迷いが生じるから、ずっと目を逸らし続けていた。なのに…。

 器に亀裂が入り、今まで押さえつけていた筈の感情がそこから滴るように零れ落ちた。一度溢れ出てしまったそれは、留まる所を知らず、やがて激流となって心に流れ込んでくる。

 四人でイヅモ神社に行った、セイヤ祭の準備をして、後夜祭では一緒に踊って…。

 「…フブキ」

 意外と寂しがり屋な彼女に、ずっと傍に居て欲しいと願った。

 「ミオ…」

 苦しい過去を乗り越えた彼女と、共に幸せを探そうと約束した。

 「あやめ…」

 彼女の途方も無く続いて行く未来を、共に歩んで行こうと誓い合った。

 「覚えてる…、全部、覚えてる…!」

 一度止まってしまった足は、根が張ってしまったかのように動かない。

 カクリヨで過ごした日常、止めどなく溢れ出てくる思い出の奔流は、いとも簡単に固めた決意を揺らがせた。

 「好きだ、大好きなんだ…愛してる、愛してる…!」

 思いの丈を、言葉では言い表せないその想いを、届くことの無いそれを何度も繰り返す。

 「ずっと、一緒にいたかった…!これからもずっと、続いて行くはずだった…!」

 ようやく、見つけることが出来たんだ。幸せの形を、これからも続いて行く未来を。一生傍にいて欲しかった、共に幸せになりたかった、共に歩んでいたかった。

 こうしたかった、ああしたかった、そんな願望が次から次に浮かんでは消えて行く。

 「どうして、こうなるんだよ…。なんで、俺だけ…」

 どうにもならないやるせなさが、胸の奥を強く締め付ける。

 こんなにも何かに執着する様になるなど、思いもしなかった。だが、こんなにも苦しいのなら、こんなにも切ないのなら、知りたくも無かった。

 「帰りたくなんか、無い…」

 あまりにも心地よかったから、あまりにも暖かかったから、カクリヨという世界を、俺はいつの間にかどうしようもない程に好きになっていた。

 心に浮かぶ本音と共に、ぼやけた視界の中、微かに浮かぶ光に手を伸ばす。

 すぐそこなんだ、俺の幸せはあそこにある。何で捨てないといけないんだ、折角見つけたそれに、どうして背を向けなければならない。

 考える程に無情な現実が立ちはだかって、どうしようもない現在を突きつけてくる。

 こんなにも鮮やかに色づいた想いが、幸せを教えてくれたこの想いが、今度はさび付いたナイフのように心を切り刻んで来る。

 「ふざけるな…」

 止めどなく溢れてくる涙を乱暴に拭いながら、唸るように口にする。

 何を泣き言を言っている。今何の為にこの場にいるのか思い出せ。今はただ自分の事は二の次に、彼女達を最優先にするべきだ。

 「抱え切れないくらいの恩を貰っただろ。だから今度は俺の番だ。恩返しをするんだって、決めたんだろ…!絶対に救うんだって、誓ったはずだろ…!」

 分かっている筈だ、自分が何をするべきか、明確に。

 幸せだった、これ以上ない程に俺は幸せだったのだ。それを、嘘にしたくないのなら、胸を張って誇りたいのなら…。

 「それなら…前に進めよ、『透』!!!」

 頬を伝う雫をそのままに、声を張り上げる。目先の幸せを取ろうとする自分に喝を入れる様に、どうしようもない程に愛おしく感じるその未練を振り払う様に、俺は止まっていた足を一歩前へと踏み出した。

 もう一歩、もう一歩と、今にも振り返りそうになる心を押さえつけて、止まろうとする足を動かし続けて、滂沱の如く溢れ出る涙をそのままに、ただウツシヨに繋がる光に向かって歩き続ける。

 今も尚、カクリヨでの思い出が脳裏をめぐっている。もしあのまま彼女達と共に在れたのならばと、考えるだけで胸が押し潰されそうになる。

 けれど、それでも俺は進まなければならない。この想いを証明するために。どれだけ辛くても、悲しくても、ただ前に進み続けなければならない。

 やがて、白い光が目の前へと近づいてくる。この先に、ウツシヨが待っている。

 その光に呑まれる前に、俺はゆっくりと後ろを向いた。まだ言えてなかったから、これだけは言っておかなければならなかった。

 嗚咽を抑える様にそっと息を吸って、涙を拭い、ハッキリと別離の言葉を紡ぐ。

 「ありがとう、カクリヨ…。さようなら」

 それを最後に光へと身を投げ出して、やがて世界は白へと染め上げられた。

 

 

 

 

 







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epilogue

 

 未だ微かに夜の残る早朝の街を、時折すれ違う車のライトが眩しく照らした。この頃はだんだんと夜が短くなり、朝が早く訪れるようになっている。

 ふと空にちらつく朝日の気配に立ち止まり、そっと空気を吸い込めば、微かに排気ガスに濁ったそれに思わず顔をしかめた。

 「…やっぱり、こっちの空気は不味いな」

 ぽつりと零してから、再度習慣となったランニングを再開する。

 ウツシヨに帰ったあの日から、早くも半年の時間が経過しようとしていた。

 

 

 

 すっかりと太陽が顔を出せば、それに伴って自ずと人通りも多くなる。

 スーツを着た社会人に学生服に身を包む子供たち、手押し車や杖をつく老人たちと、街を包む喧騒は何処の世界も変わらないらしい。

 感慨深さを覚えながら、通りにおいてあるベンチに座り込む。

 あれからウツシヨに帰って、元の生活に戻るのにそう苦労は無かった。なにせカクリヨに迷い込んだその瞬間に帰ったのだ、何も変わらないいつも通りの生活が俺を待っていた。

 世界の流れ的には、俺が過ごしたカクリヨでの生活は無かったことになっているのだろう。

 俺がカクリヨに居たという証拠は、何一つとして無い。右手にあった神命石も、力を使い果たしたからか消滅してしまった。

 今では、あれは自分に都合の良いただの夢だったのではないかと、時折考えてしまう。

 けれど、それとは逆に確かに残っているモノもあった。俺の中に残る思い出が、記憶が、あれは紛れも無い現実だったのだと訴えかけてくる。

 確かに夢にしては出来過ぎているし、俺自身そちらの方が嬉しい為、そう言う事にしてある。

 (我ながら、女々しいものだ)

 半年経過した今でも引きずっているのだから、これは相当だろう。そんな自分に、思わず苦笑いが浮かんだ。

 「なぁ、花。そろそろ信用してくれても良いんじゃねぇか?」

 そんな最中、ふと聞こえてきた覚えのある声にぴたりと表情が固まる。振り返った先には少女を乗せた車椅子を押す一人の男の姿。

 困った様な笑みを浮かべる彼に、少女はぷっくりとその頬を膨らませて流し目を向けている。

 「駄目です、兄さんがいついなくなるか、分かった物じゃないですから」

 「だから、あれは事故だったんだって。ほら、こうして返って来たじゃねぇか」

 「二年後に、が付くでしょ?全く、どれだけ心配した事か…」

 歩きながら言い合いをしているその二人は、内容に反して幸せそうに見えた。

 見覚えのあるその姿に、反射的に立ち上がって声を掛けそうになるが、寸前で抑えた。

 あちらは俺の事なんか知らないし、知る必要も無い。もう全て終わった事なのだから、今更蒸し返す必要なんか何処にもない。

 ベンチに座り直し、喧騒の中に消えて行くその背を見送り、空を見上げる。

 雲一つない、綺麗な快晴だ。

 結局、このウツシヨでの幸せはまだ見つかっていない。と言うのも、多分基準が高くなっている事も理由の一つなのだろう。

 最初に見つけた幸せが他の何よりも大きかったのだから、それも仕方がない。

 だが、勿論諦めたわけでも無い。なにせ、これからもまだまだ人生は続いて行くのだ、その内自分なりの幸せを見つけることが出来るかもしれない。

 「…よし、そろそろ行くか」

 ベンチから立ち上がり、喧騒の中へと身を投じる。

 たとえどれだけの時が過ぎたとしても、たとえどれだけの歳月を重ねようとも、あの刹那の様な一時を俺は決して忘れることは無いだろう。

 そうしてこれから先もウツシヨで人生を歩んでいく。 

 

 この、色づいた想ひと共に。

 

 

 

 

 

 

 Fin

 

 





 という事で、『色づく想ひ』完結でございます。
 ここまでの一年と半年ほど、長きに渡りお付き合いくださった読者の皆様、誠にありがとうございました。

 以降はifルートとして、それぞれの個別ルートのafterを書く予定ですが、ひとまずはここで一区切りとさせていただきます。

 繰り返しにはなりますが、ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございました。


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If:After 白上 
If:After 白上



こちらは個別:白上ルートのAfter白上から続くお話です。


 

 「なぁ、フブキ。一つ気になった事があるんだけどさ」

 「はい、なんでしょう」

 ふと思いついて何ともなしに声を掛ければ、隣から同様に軽く返事が返ってくる。

 薄暗い部屋の中、唯一の光源である画面の前にて、俺とフブキは並んで座っていた。その手に握るのはコントローラー。俺たちは今日も今日とて懲りもせずに、ゲームの攻略へと勤しんでいた。

 「俺たちは前に恋人になったわけだろ?」

 「…はい、そうですけど」

 一瞬フブキの反応が遅れた。どうしたのかとチラリと隣を見てみれば、髪の合間からほんのりと赤く染まった彼女の頬が覗いている。

 指摘してやろうかという嗜虐心が一種顔を出すが、それをすると割と後が怖いため今はスルーして話を続ける。

 「あれから結構時間が経ったけど、キスをしたのはあの一回きりだったよな」

 一回とはフブキに想いを告げた日のことだ、あの日以来抱きつくだったりはあるのだが、寸前までは行くのだが、結局キスに関してはあれきりであった。

 思い返しながらそれを話した途端、画面に映るフブキの操作するキャラクターの動きが明らかに乱れた。精彩を欠いた操作につけ込まれ、エネミーに囲まれたキャラクターのHPは瞬く間に減少し、やがて画面にはゲームオーバーの文字が表示される。

 「…したいんですか?」

 コントローラーを置いたフブキが横目でこちらに視線を送りながら問いかけてくる。

 したいかしたくないかで問われれば勿論したい、けれど今話したいのはそういう事でもなく。

 「いや、普通はどのくらいの頻度なのかなって。ほら、寸前まで行くことはあっても、何だかんだで今までしてなかっただろ?」

 これに関しては多分個人差もあるのだろうが、少なくとも俺たちはそんな機会もなく今に至っている。

 割と一般的で耳にする機会も多いキスと言うものは、しかし実際にその立場に立ってみると縁の無い遠い存在の様に思えてくる。

 説明を聞いたフブキは納得の声をあげて、ほっと息を吐いた。

 「なんだ、そういう事ですか。もう、いきなり言うからびっくりしたじゃないですか」

 「悪かったって」

 ふぁさふぁさと抗議する様に、赤い頬を膨らませた彼女に尻尾で叩かれる。正直ご褒美ではあるのだが、まぁ、これは彼女にバレるまではこのままでは心の内に秘めておく。

 「透さん、本当に尻尾が好きですよね」

 「あれ?」

 バレてた。

 ジトリとした目で見てくるフブキだが、しかしその表情が何処か嬉しそうに見えるのは気のせいでは無いだろう。

 「俺は尻尾だけじゃなく、耳も好きだぞ」

 「それも知ってます、一緒に炬燵に入ってる時も偶に手を伸ばしそうになってますから」

 「そこもバレてたのかよ…」

 一応隠していたつもりなのだが、やはり偉大なるフブキ様には敵わないらしい。

 「未遂って事で、此処は一つ手を打ってくれないか」

 この通りと両手を合わせて拝み倒す。いくら恋人といえども、流石に了承も無しに触るのは御法度だ。

 「…別に、透さんでしたら触っても良いですよ?心の準備があるので、事前に言ってもらえさえすれば」

 指を合わせて言う彼女はいじらしく見えて、かっと体が熱くなるのを感じる。

 「そうか…、なら、今触っても良い?」

 「早速ですね…まあ、良いですけど」

 試しにと問いかけてみた所、驚いた様に耳を立てたフブキは言いながら立ち上がり、俺の目の前へと移動して腰を下ろした。

 とんと小さな背中が胸にあたり、彼女の体温が伝わってくる。と、同時に早鐘の様になる鼓動の音もまた伝わってきた。

 「…フブキ、なんか緊張してないか?」

 よくよく見てみれば先程よりも顔が赤く染まっている。

 以前であればよく彼女の方からこのくらい密着する距離に来ていたのだが、思えば最近はそういったことも無かった。

 まるで恋人になる前の反応に戻った様な、そんな気がする。

 フブキもその辺りに関しては自覚していたのか、何処か言いにくそうに口を開く。

 「あのー…、ミオが帰ってきてから色々とあったじゃないですか。それにミオの前で抱きつく訳にも行きませんし、白上なりに自重してたんですけど…、その間にフィーバーが終わって冷静になってしまいまして…」

 「つまり、恋人になって浮かれてたのが落ち着いて、くっつく事が恥ずかしくなったと」

 要点を纏めていえば、フブキはこくりと小さく頷いて肯定する。

 成程、確かに言われてみれば、時期的に抱きついて来なくなったのもその辺りからだった。

 「あ、透さんの事が好きじゃなくなったとか、そういうのじゃないんです!ただちょっと緊張しちゃうだけで、透さんのことは変わらずに、その…」

 忙しなく耳を動かして弁明をするフブキのその慌て具合から、思わず込み上げてきた笑みを漏らす。

 「あぁ、分かってる。その辺は信頼してるから、安心してくれ」

 「本当ですか?」

 「本当本当」

 不安混じりに聞き返してくる彼女に応えながら、そっと目の前にあるフサフサとした獣耳へと手を添える。

 ぴくりと一瞬フブキが震えるが、すぐに慣れてきたのかやがて少しずつリラックスしてきていた。

 しかし、それにしても素晴らしい毛並みだ。何度触ったとしても、まるで飽きる気がしない。

 「透さん、なんだか小慣れて来てませんか?」

 「ん、そうか?けどまぁ、俺は獣耳が好きだからな、その分大切にしようって気持ちもあるんじゃないかな」

 あくまで力を入れすぎずに、優しく丁寧に扱う。極上の心地に浸っていると、不意に前方から不満気な声が聞こえてくる。

 「むぅ、果たして白上の事が好きなのか、獣耳が好きなのか。自分の耳を此処まで恨めしく思うのは初めてです」

 どうやら自分の耳に嫉妬心を燃やしているらしい。まさかそんな事態に陥るとは思わず、獣耳と尻尾が生えているというのも大変だなとぼんやりと考える。

 「そんな心配しなくても、両方フブキなんだから、俺がフブキの事を好きな事に変わりはないって。愛してるぞ、フブキ」

 「…白上もです。愛してます、透さん」

 するとそっとフブキがこちらに振り返り、俺は耳に置いていた手を放す。そうして真っ直ぐ見つめる彼女の瞳は、少し涙に潤んでいた。

 「あの、さっきの話ですけど…」

 ぽつりとその状態のままフブキが口を開く。言葉はそこで途切れるが、何を言わんとしているのかは何となく察することが出来た。

 「あぁ、こういう時にするのかもな」

 自然と顏が近づいて、二人の距離がどんどんと縮まっていき…。

 「二人共ご飯できた…よ…」

 襖が開けられて聞こえてきた大神の声に、ぴたりと揃って動きを止めた。

 気まずい沈黙が部屋に満ちる。恐る恐る大神の方へとフブキと共に目を向けて見れば、彼女は肉食獣特有の瞳孔の開いた瞳をして、無言のまま部屋の入り口に立っていた。

 「お邪魔しました」

 気まずさすら感じさせない、唯無感情な声でそれだけ言い残すと、大神はぱたりと襖を閉めた。

 そうして残された俺とフブキの心情はこの時、恐らく一致していたのだと思う。つまり。

 (やっちまった)

 

  

 

 

 かちゃかちゃと、居間には食器の鳴る音のみが響く。

 そこに会話は存在せず、史上類を見ない程に気まずい食卓がそこに形成されていた。

 「…」

 大神は先ほどの瞳のまま、じっと向かい側居座る俺とフブキを見つめながら器用に箸で焼き魚の身をほぐして食べている。何故それでそこまで綺麗に食べれるのだとツッコミたかったが、生憎とそれが出来る空気では到底なかった。

 「と、透さん、どうしましょうこの空気」

 「いや、俺だってどうにかしたいけど、流石にあれを見られたら…」

 こそこそと小声で話しかけてくるフブキに、こちらもまた小声で返す。

 タイミングが良いと言うべきか悪いと言うべきか、決定的な瞬間を見られているだけに言い逃れのしようがないのも現状へと追い打ちをかけていた。

 「こほんっ…」

 と、そこで不意に大神の咳払いが飛んで来て、思わずびくりと体を震わせ、慌てて元の体制へと戻る。

 だが、このまま何もしないと言う訳にもいかない。こんな重苦しい空気では、折角の料理の味も分買ったものでは無い上に、精神衛生上にもよろしくなかった。

 「あー…えっとだな、大神」

 ぎこちない笑みを浮かべながら話しかける俺を、しかし大神は手で制する。

 「うん、分かってる。二人は恋人同士だもんね、あれは勝手に部屋に入ったウチが悪い。ただ…」 

 そこで言葉を区切ると、大神はゆっくりと息を吐いて現実から逃避するように虚空を見つめる。

 「一つ屋根の下に暮らす友人達のそういう所を見るのって、すっごく気まずい」

 「あぁ、うんそうだよな、そりゃ気まずいよな」

 見られた側も気まずければ見た側も気まずい、これぞ誰も幸せにならないデフレスパイラル。などとふざけている場合では当然ない。

 「えっと、ミオ…」

 不安そうにフブキが大神へと声を掛ける。彼女が大神に対してこんな態度を取るのは、初めて見た。

 「大丈夫だよ。ウチだってフブキに恋人が出来たのは凄く嬉しいから、できればウチも二人の邪魔はしたくない。だからね、一つ考えたんだけど…」

 そこで、大神は全てを受け入れるような聖母の如き笑みを浮かべた。

 「そういう時は事前にシキガミで知らせてくれれば、ウチはちょっと長めのお買い物に行ってくるから」 

 「…ん?あの、大神、大神さん?」

 予想の斜め上を行く彼女の対応に困惑し思わず何度も名を呼びかけるが、大神はもう吹っ切れたのかぱっと笑みを浮かべて続ける。

 「ウチはそう言うのもちゃんと理解はあるからね。ほら、二人共付き合い始めだし、でもウチはもう絶対に邪魔しないから」

 「待て、待ってください!大神さん、多分俺達の間にはかなり深い溝が出来上がってる!」

 目をぐるぐると回した彼女が何の話をしているのか察して、これはマズイと慌てて制止に入る。

 「あの、透さん、一体何が…」

 「フブキは気にしないでくれ、後で俺の草餅あげるから。前に行ったあの有名どころの奴」

 「え、良いんですか!?まさか隠し持っているとは、透さんも中々やりますね…」

 フブキにだけは知られてはならないと、最終兵器まで持ち出して最悪の事態だけは阻止する。

 先ほどまでの気まずい沈黙は何処へやら、途端に騒がしくなるのだから助かるようで、実際の所状況自体は悪化している。いや、これはもはや悪化ではなくただの混沌である。

 とにかく混沌の起点となっている大神を止めなければならないと、まずはどうどうと落ち着かせ、話ができる場を整えてから、改めて話し合いを再開する。

 「良いか、大神。まず大前提に、俺とフブキはまだキスだって一回しかしたことが無いんだ」

 「…あれ、そうなの?」

 完全に虚を突かれたと言った風で大神はチラリとフブキの方へ視線を向ける。

 「…はい、そうなります」 

 流石に友人にこの話をするのは恥ずかしいようで、答える際には顔を俯かせていた。だが、後々大事故を引き起こすよりかは遥かにマシなのだから、これも仕方がない事だ。

 確認と取った大神は信じられないと言った風に目を瞬かせている。

 「え、でも透君とフブキが恋人になってから結構経ってるんだよね」

 「大体一月ほどですね、ミオ達が神社を出てすぐでしたから」

 フブキの返答を受けてぽかんと口を開けた大神は何故か恐る恐るこちらを見てくる。

 「え、なに」

 「透君、フブキはこんなに可愛いのに手も出さないなんて、もしかしてフブキの事はそんなに…」

 洒落にならない勘違いをされて、思わずむせ返りそうになりながら俺は慌てて弁明をする

 「そんな訳ないだろ、フブキの事は可愛いと思ってるし、実際にそんな空気になった事もあったって!」

 「えー、本当かな…」

 しかし、疑わしそうに大神はジトリとした目をして、首を傾げている。

 「本当に何回もあった。ただその度に運悪く邪魔が入って流れてるだけだ」

 「黒ちゃんは何であんなにタイミングが悪いんですかね」

 大体十数回ほど機会はあったのだが、そのどれもが黒上の登場によって未遂で終わっていた。おかげで、先ほどに至っては大神だが、基本全回において他者から介入を許してしまっているのだ。

 そろそろ対策を打たないといけないのかもしれない。

 「タイミングが悪い…」

 大神は何か引っかかるのか、ぽつりと小さく繰り返している。

 「大神?」

 「…あ、ううん、何でもない。でも、そう言う事なら部屋に入る前に声を掛けるだけにしとくね」

 「あぁ、よろしく頼む?」

 何処か様子のおかしな大神に少し不安になるが、しかしそれもやがて気にならなくなり、ようやく気まずさから解放された俺達は食事を再開するのであった。

 

 

 

 

 

 食事を終えた三人分の食器を持って、透とフブキの二人が居間を出るのを確認したミオは、ふと何も無い筈の虚空へと目を向けた。

 「黒ちゃん、話したいことがあるんだけど、少し良い?」

 ミオが呼びかけて数拍程置いた後、虚空から小さな白い狐のシキガミが飛び出て、ミオの前のテーブルの上へと降り立った。

 『私も、お前に言いたいことがあった。あまり二人を焚きつけるな』

 「じゃあ、ウチからも。あんまり二人の邪魔をしない方が良いと思う」

 黒上とミオ、真反対の意見を持った二人の視線がばちりと交差した。どちらが先に動くかそれを探り合うように、お互いの一挙手一投足へと集中する。

 そんな中、先に動いたのはミオであった。

 「ウチは焚きつけてるわけじゃないよ?もう一か月も経ってるんだし、そう言う事もあるかもって思っただけで。まぁ、聞いてみると黒ちゃんのせいで進展が無かったみたいだけど」

 にこやかに言うミオに、黒上もまた黙ってはいない。

 『私だって邪魔をしてた訳じゃない。ただ二人きりの神社で、変な方向に行かないように手綱を握ってただけだ』

 両者が共に、その方向性が異なるだけであの二人の事を考えている。しかし、黒上のそれはどちらかというと心配に近しいものであった。

 「でも、もう大丈夫じゃないかな。ウチが見る限り、二人共落ち着いてるみたいだし」

 つい先ほどは間が悪かったが、神社に帰ってから現在に至るまで、透もフブキも特段問題がありそうな雰囲気は見受けられない。

 『…あぁ、分かってる。私だってフブキの邪魔をするのは本意じゃない…』

 不機嫌そうな、不貞腐れたように言い残すと、それを最後に黒上は虚空へと飛んで行ってしまった。そんな彼女の姿を見て、ミオは微笑ましくくすりと笑って見せる。

 「妹離れの出来ないお姉ちゃんを持つと、大変そうだね」

 『黙れ、噛むぞ』

 「わっ、まだいた!」

 独り言のつもりだったミオのそれに、再び虚空から黒上が現れて文句を返せば、ミオは驚きに耳を上に立て若干立ち上がりそうになる。それを満足そうに見てから、今度こそ黒上はその姿を消すのであった。

 

 

 

 

 「…もしかすると、少し焦ってたのかもな」

 キッチンにて、フブキと共に皿を洗いながらふと呟けば、隣の彼女が不思議そうにこちらを見上げた。

 「何がですか?」

 「キスの話だ、最近関係性について停滞気味だったから、俺にも焦りが出たのかもしれないなって」

 彼女と結ばれた日にキスをして、それ以降は音沙汰もなくそのまま現在へと至っていた。その為か、俺は二人だけの関係性を築くと言う事に囚われ過ぎていたのかもしれない。

 勿論そうしたいと言う欲もあったのだろうが、思い返してみれば比重はやはり焦りの方が大きかった気がする。

 「あんまり無理に関係性を進めないって、決めてたはずなんだけどな…」

 これに関しては、流石に反省しなければならない。それについては、結ばれる前に散々考えた筈だったのだが、どうにもうまくいかないものだ。

 「…透さん」

 反省に少し気を落ち込ませていると、不意に横にいる白上がこちらを向いて背伸びをし、頬に柔らかい感触を覚えた。

 「フブキ…?」

 突然の事に呆然と呟きながら目を瞬かせて横を向いた先に見えたのは、顔を赤く染めたフブキの姿だった。

 「白上だって、透さんとキスしたいって思ってますから、お互い様です。だから、そんなに自分を卑下しないで下さい。透さんは、白上の恋人なんですから」

 「っ…」

 多分、洗いかけの皿を持っていなければ思い切り抱きしめていた。フブキもそれを察してか、抱きしめる代わりにとんと肩を触れさせ合う。

 「ゆっくり、白上達のペースでやっていきましょう。まだまだ先は長いんですから」

 あぁ、どうして忘れていたのだろう。俺達の道はこれから先も末永く続いているのだ、だから、焦る必要なんて全くない。

 「…そうだな、そうだった。ありがとう、フブキ」

 「いえいえ、それより早く洗い物をやっつけちゃいましょう」

 「あぁ」

 そうして手を動かす俺達は、けれど尚も肩を触れ合わせて、寄り添い合ったままであった。

 

 



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If:After 大神
If:After 大神



 こちらの話は、個別大神ルートの『大神 Last』の続きとなります


 

 明かりの無い部屋の中、目を覚ました俺はゆっくりと体を起こした。

 窓の外では未だ夜の帳が降りていて、薄っすらと白い月が雲の合間から覗いている。この時間帯に起きるのも、すっかりと慣れたものだ。

 ふと側へと視線を落とせば、そこには小さく寝息を立てているミオの姿がある。

 彼女の顔に掛かっている一房の髪を指で優しく横へのけてやれば、彼女はそれに反応するように「んっ」と微かなうめき声を上げて、ゆっくりとその瞼を開けた。

 「悪い、起こしたな」

 「ううん…おはよう、透君」

 「おはよう、ミオ」

 寝ぼけ眼をこする彼女と声を交わし、そっと口付けをする。

 こうして、俺達の一日は始まりを告げた。

 

 

 

 いつもであれば、朝食後の皿洗いを終えて居間へと戻ると、誰かしらは残ってくつろいでいる。例えば一昨日はテーブルで白上がお茶を飲んでいたし、昨日なんかは畳の方で百鬼が猫のようにミオに甘えていた。

 しかし、今日はいつもとは違う様で、珍しくも居間はガラリとして閑古鳥が鳴いていた。

 外で百鬼が素振りをしてたり、縁側で白上が日向ぼっこでもしていないのかとそちらの方へ行って見てみるが、やはり誰も居ない。

 「…全員部屋にでも戻ったのか?」

 かなり稀有なケースではあるが、長いこと生活していればまぁそんな日もあるのだろう。だが、そうなると俺は之から何をして過ごしたものかを考えなければならなくなる。

 三人の内一人でも居てくれれば一緒に話をしたりと出来るのだが、流石に自分一人となるとやれることは限られてくる。

 「俺も部屋に戻るか…、それとも外に出るか?」

 これからの予定について考えていると、ふと廊下の方から軽い足音が聞こえてくる。

 「良かった、透君まだいてくれた」

 誰だろうと視線を向けた先に現れたのは、何やら小さな袋を手に持ったミオであった。

 「あぁ、さっき洗い物が終わって戻って来たんだけど、誰もいなくて驚いてた」

 居間に入り近寄ってくる彼女に事情を話せば、ミオは納得した様に声を上げた。

 「フブキとあやめならお出かけに行ったよ。なんでもキョウノミヤコに新しいお菓子のお店が出来たんだって」

 「成程、通りで」

 ミオの説明に今度はこちらが納得する番だった。姿が見えないと思ったら、外に出ていたらしい。

 あの二人は時折こうしてキョウノミヤコへと出かけているのだ。主に白上のお勧めの茶屋などへ行っているようで、甘いものが好きな百鬼も帰った際にはほくほく顔でお土産を見せて来る。

 今日のお土産は何だろうなとぼんやり考えている最中、ミオが畳の方へと移動すると腰を下ろし、ちょいちょいと手招きをしてきた。

 「ん、どうした?」

 「良いから良いから、ちょっとこっち来て?」

 意図を読みかねて、疑問に思いながらも彼女の方へと向かえば、次にミオはぽんぽんと自らの横を手で叩く。

 取り合えず言われるがままに従い、ミオの横へと腰を下ろす。

 「はい、ころーん」

 と同時にぐいと体を横に倒されてあえなく彼女の膝の上へと頭が着地した。一瞬何が起こったのかと困惑するが、後頭部に感じる心地よい感触に自分が膝枕をされているのだと理解する。 

 「…特に褒められるようなことをした覚えはないんだが」

 とはいえ、何故膝枕をされているのかまでは分からない。記憶を遡ってみるも、特に之と言った出来事も無い普通の生活が続いているだけだった。

 「んー、別にそう言うのじゃないんだけど…、今日は透君を目一杯甘やかそうと思って」

 「また急だな…、占いでそう言う結果でも出た?」

 苦笑を浮かべながら思いついた理由を口に出すも、ミオはそれを首を横に振って否定する。

 「昨日ウチがあやめのこと甘やかしてた時、透君が羨ましそうに見てたから」

 「え、俺そんな顔してたか!?」

 まさか過ぎる理由に衝撃を受け思わず声を上げると、上からくすくすとした笑い声が降って来てようやくそれがミオの冗談なのだと察する。

 「あー、びっくりした。心臓に悪い冗談はやめてくれよ」

 安堵に体の力を抜いて言えば、ミオは尚も笑い声に体を揺らす。

 「ふふっ、ごめんごめん。でも、こういうのも偶には良いでしょ?…それとも嫌だった?」

 「いや、最高」

 若干不安の混じった声に間髪入れずに答える。すると、「良かった」とミオは呟きながら俺の頭へと手を置いた。

 そしてゆっくりと、髪をすくように頭を撫でられる。

 「慣れないな…」

 流石にこのような経験はあまり無かったため、何処かむず痒さを覚えた。

 「ちょっと気持ちは分かるかも、でも結構落ち着かない?」

 「あぁ、確かに。百鬼がよくミオに甘える気持ちが少し分かった気がする」

 普段は外野、見ている側であったが、実際にはこんな感じなのか。

 新たな発見と共に、心の中に広がる安心感につい溺れてしまいそうになる。これは気をつけておかないと、骨の髄まで溶かされてしまいそうだ。

 「百鬼で思い出したけど、新しく出来た店って何のお菓子を作ってるんだろうな」

 ふと、二人が出掛けに行ったという新しいお菓子の店が気になって、そちらに話題を向ける。

 もしかするとミオは白上から話を聞いているかもしれないと考えたが、それは当たりであったらしく彼女はふと顎に指を当てて口を開いた。

 「えっと、確かようかんだったかな。今日オープンするんだけど、店主の人がフブキのお気に入りのお店のお弟子さんだったから、尚更興味を引かれたのかも。で、ういろうの種類もね、修業期間中に考えた色んな味があって…」

 すると、情報が出てくる出てくる。予想をはるかに上回る情報量に思わず目を瞬かせる。

 「…やけに詳しいな。白上から聞いたのか?にしては、今朝からそんな話一つも聞かなかったけど」

 白上と百鬼が出掛けること自体、つい先ほどミオから聞いたくらいだ。

 俺が皿洗いに居間を離れている時にでも話を聞いたのかと問いかけるが、しかしミオによってそれは否定された。

 「フブキからは聞いてないよ。透君、ウチの得意ワザの事は知ってるよね」

 「占いか…、…ん、じゃあ白上はどうやってその情報を掴んだんだ?」

 そのお弟子さんとやらに話でも聞いたのだろうか。

 浮かんだ疑問を口にすると、しかし何故かぴたりと頭に置かれていた手が止まる。そんなミオの反応で何となく、どういう過程で現状に至ったのかが理解できた。

 「さぁ、何でだろうねー。ウチは分からないなー」

 これ以上無い程に分かり易くミオはすっ呆ける。それが何よりの答えであった。

 「そういう事か、何でわざわざこんな事を?」

 聞けば、ミオも観念したように一つ息を吐いた。

 「もう、そこは流してくれても良いんじゃないかな。…理由はさっき言った通り、ウチが透君を甘やかしたかっただけだよ」

 少しむくれたように言うミオ。そこにまだ隠された真意がある気がしないでもないが、まぁそこは良いだろう。正直役得ではあるのだ、改めて膝枕を堪能させてもらうことにしよう。

 「…そっか、ならお言葉に甘えさせてもらうよ」

 「ねぇ、今のジョーク?」

 「ミオこそ、そこは流せよ」

 自分でもどうかと思った部分に、仕返しと言わんばかりに突っ込んでくる彼女にそう返せば、ミオは満足そうに笑う。

 「でも、それならうんと甘やかしてあげるから、覚悟してね」

 「あぁ…今でも結構満足してるから程々で頼む」

 ふんすと気合を入れている彼女に若干の不安を覚えた。とはいえ、そこまで酷いことにはならないだろうと、この時までは思っていたのだ。

 「じゃあ、ちょっと用意を…」

 「ん?」

 そう言ってミオは持ってきていた小さな袋を開け中を探り始める。そうしてミオが取り出したのは折りたたまれた布らしきものであった。それなりに良い布を使ったモノである事は見て取れる

 ミオが折りたたまれていたその布を開けば、それは、そう、まるで赤ん坊がつけるヘッドドレスのようで…。

 「…待て、何をするつもりだ」

 今一つ現実を直視しきれずに頬を引くつかせながら待ったをかける。一応何をしようとしているのかは分かる、いや分かりたくはないのだが、しかしまだ確定したわけでは無い。

 「何って、透君につける」

 「…」

 自分が間違っているとという希望に掛けるも、しかしそれは容易く手折られてしまった。

 「いやいや、冗談…」

 「ウチは本気だよ。大丈夫、きっと似合うから」

 「いやいやいや、似合うとかそう言う問題じゃないから、俺の尊厳の問題だから!」

 きらりとミオの瞳が光り、近づいてくるヘッドドレスから逃げようと体を起こそうとするが、しかし、ミオの手によって阻まれる。こういう時だけはカミの基礎スペックの高さが本当に憎たらしい。

 「透君、どうしてそんなに嫌がるの?」

 「それをつけて甘えたら俺の尊厳が粉々に砕け散るからだよ」

 確かに、世の中にはそう言ったことをする者達もいるのだろう。しかし他所は他所、それとこれとは話が別だ。恋人になってひと月で赤ちゃんプレイは、流石に過程なりなんなりをすっ飛ばした上で道を踏み違えている。

 その辺りの事を文字通り必死になって説明すれば、ようやくミオもその矛ならぬヘッドドレスを下ろしてくれた。

 「透君がそこまで言うなら…、でも、これどうしよう…」

 「百鬼にでも使ったらどうだ、多分喜ぶだろうし」

 「はっ、名案!」

 ミオに甘えるという事であれば、それは百鬼の専売特許であろう。身代わりにするのは申し訳ないが、これも安寧の為の必要な犠牲だ、致し方ない。

 その提案にミオも乗り気になった所で、無事に俺は難を逃れたのであった。

 

 

 

 同時刻、キョウノミヤコのとある茶屋にて。

 「っくしゅん!」

 「あやめちゃん、風邪ですか?」

 「んー?分かんない」

 一人の鬼が何か悪寒にも似たものを感じ取り、くしゃみを一つしたそうな。

 

 

 

 

 「平和だな…」

 「平和だね…」

 シラカミ神社の居間の中には、何とも穏やかな時間が流れていた。ただ何をするでもなく、二人で共に同じ時間を共有する。ただそれだけで満たされている自分がいた。

 こうした時間は、時の流れというものを感じさせてくれる。

 「もう、ひと月が経ったのか」

 「…うん、あの日から丁度」

 神狐を見送った日、ミオが過去を乗り越え、取り戻した日。そんなに前の事でも無いのに、今ではすっかり遠い過去のように感じる。

 「怒涛の日々だったな…」

 「そうだね…フブキにせっちゃんの事を説明したり、あやめを集落から連れ戻したり。あんまりこうしてゆっくりする時間は取れなかったよね」

 特に大変だったのは、やはり百鬼の事だろう。ひと月が経過した後も帰って来ない百鬼に、ミオが占星術で位置を割り出したところ、たった一人で鬼の集落に居る事が分かった。

 そうして三人揃って彼女の下へと向かった訳だが、集落でもひと悶着有り、なんとか元の生活へと帰ってきた形になる。これが割と最近の出来事であった。

 「…あ、だからこうして時間を作ったのか?」

 「…」

 ミオがこうして時間を作った理由に思い至り、それを口にすれば、ミオは無言のまま頭に置いていた方とは逆の手で頬をつねって来る。

 「あいたたっ」

 「透君、そういうのは気づいてもあんまり言わない方が良いと思う」

 「はい、すいません」

 ぷくりとほんのりと赤く染まった頬を膨らませる彼女へ素直に謝れば、「よろしい」と、何とか頬を解放して貰うことに成功する。

 「まぁ、何にせよ俺もこういう時間は好きだよ。ミオと居ると落ち着く」 

 「うん、ウチも。後は、普段のお礼もしたかったから」

 「お礼?」

 思い当たる節も無く、何の事やらと首を傾げる。そんな俺を見て、くすりとミオは笑みを浮かべた。

 「透君には、ずっと支えて貰ってるから。せめてそのお返しがしたいなって」

 ミオがそう思ってくれていることに少し驚く。

 「お返しって…さっきのヘッドドレスか?」

 「あれはウチの趣味」

 「そこは趣味であって欲しくは無かったな…」

 即答で返って来たそれに乾いた笑い声を上げつつ、先ほどのミオの言葉について思考を向ける。

 「お返しなんて、むしろ俺が恩返しをしてる立場だろ?カクリヨから迷い込んだ時から面倒を見て貰った」

 「それならウチだって同じことを言えるよね。透君に助けられたんだし、今だって支えて貰ってるし。お返しをするのはウチの方だよ」

 「いや、俺の方だ」

 「ウチの方」

 自分の方が、自分の方がとこの話になると大抵その無限ループに入ってしまい、結局答えは出ないまま有耶無耶になるのだ。

 なにせ両者がが共に譲ろうとしない。故にこの結果は必然とも言えた。

 そんな意味も無いやり取りを、何度繰り返したことだろう。

 「透君ってやっぱり頑固だよね」

 「それはお互い様だな」

 これがお決まりの終わり方。しかし今日はそこで終わらず、「でも…」とミオは言葉を続ける。

 「透君のそんなところ、ウチは好きだよ」

 真っ直ぐと視線を交差させる彼女から想いを伝えられ、自らの顔が熱くなるのを感じた。

 「…あぁ、俺も、ミオの事が好きだよ」

 「うん、ありがと」

 そんな俺と比べて、ミオは嬉しそうで、まだ余裕がありそうな表情。完全にしてやられたと、今回は自分の負けを悟った。

 とはいえ、悔しさは感じない。感じるのは、唯彼女を愛おしいと思う感情だけだ。

 おもむろに起き上がり、彼女と顏を近づける。受け入れる様に目を瞑る彼女と唇が触れあう。その寸前で、とんと胸に手が置かれて動きが止まった。

 「ん、どうした?」

 「もうフブキたちが帰って来るから」

 すると、彼女の言葉に反応を示す間も無く玄関の扉が開く音がして、どたどたと騒がしい足音が二つ近づいてくる。

 「二人共聞いてください!今回の行ったお店のういろうが予想をはるかに超える絶品で、もう一口でほっぺたが落ちちゃいますよ!」

 「ふふぉふぉふぉ!」

 まくしたてながら居間に入って来るのは、興奮に高揚しながら目を輝かせる白上に、ういろうを頬張ったまま何事か話している百鬼の姿であった。

 その手には大量の同じ柄の袋が下げられている。どうやら、あまりの美味しさに慌てて帰ってきたようだ。

 何とも、らしいその姿にミオと顏を見合わせて共に破顔する。

 「じゃあみんなでお茶にしよっか」

 「はーい…ところで、お二人は先ほどまで何を?」

 「ん、あー、そうだな…」

 純粋に浮かんだ疑問を問いかけてくる白上に、一瞬どう答えようかと迷い、ふとミオと目が合う。そして…。

 「秘密」

 俺とミオはチラリと先ほどまでいた畳の上を見てから口を揃えてそう答えた。

 

 

 

 

 「焦ったねー、もうちょっとでキスしてるのを見られるところだったよ」

 深夜、もう就寝するという頃に共に布団にはいるミオが笑いながら言う。

 「あぁ、けど、その割には落ち着いてるように見えたけどな」

 「あの時はウチも頑張って踏みとどまったんだよ?ウチだって、透君とキスはしたいし」

 そう話す彼女は何処か幼さを感じさせていた。いや、幼さというよりは、少し甘えるような寄りかかって来るような感覚。

 そんな姿を見せてくれるようになったのは当たり前に嬉しく感じると共に、複雑な感情を抱かせた。

 「けど、今ならその心配は無いんじゃないか?」

 「うん、見られないから」

 そっと布団の中、顔を寄せ合って唇を触れさせ合う。照れくささを感じながら、顔を離せば満足そうに笑みを浮かべる彼女の姿。

 「おやすみ、ミオ」

 「おやすみ、透君」

 寄り添い合って、瞼を閉じる。

 こうして、俺達の幸せの一ページは幕を閉じるのであった。

 

 

 



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If:After 百鬼
If:After 百鬼



 こちらの話は、個別:百鬼ルートの『百鬼 Last』の続きとなります。


 

 澄み渡るような青空に浮かぶ優しい光を放つ太陽に照らされた街、キョウノミヤコ。カクリヨでも最大級の規模を誇るこの街の端にある無数の十字架が立ち並ぶ墓地に、俺とあやめは足を運んでいた。

 墓地に入り、道なりに進んでいれば、やがて金色のロケットの掛けられた十字架を見つける。

 「久しぶりだな、ケンジ」

 「最近来れてなくてごめんね」

 傍まで来て腰を下ろしながら、俺たちは口々にロケットの三人で撮った写真に写る少年へと話しかける。

 あやめと共にシラカミ神社に戻ってきた日から三日が経過していた。

 

 

 

 シラカミ神社へと帰還した俺とあやめは、帰るや否や揃って大神から説教を受けることになってしまったのだ。いや、勿論キスについてもあんなところでするものじゃないと怒られてしまったが、その件ではなく。

 いきなりいなくなって心配した、帰ってくるのが遅いなどなど、どちらかと言うと俺はついでのようなもので、主にあやめに対するものの方が多く、最後には白上まであやめへの説教に混じる始末であった。

 それだけ二人があやめの事を心配し、大切に思っているということの表れであり、彼女にもそれが伝わっていたのか、謝りながらもその表情は何処か幸せに満ちていた。

 神社に戻り二人からの説教も終わった所で、白上からある重大な話をされた。

 神狐の事だ。

 確かに、帰ってから彼女の姿を見ていない。イヅモ神社にでも帰ったのだろうと考えていたが、どうやらそうではなかったようだ。

 『最後にセツカさんから話を聞いたのですが…』

 白上が言うには俺が神社を発った後、満月の夜に神狐は大神を連れてイヅモ神社に向かったのだという。理由は過去を清算するためだとか。その結果として大神の記憶から神狐セツカという人物が消えると言い残し、実際に一人戻ってきた大神は神狐について何一つ覚えていなかったようだ。

 その話を受けた俺たちは、すぐにイヅモ神社へと向かった。

 何か残されていないか、神狐の真意を知るために。

 そうして到着したイヅモ神社は、しかし見る影もなくなっており。神社のあった場所には、何もない空間が広がっていた。まるで、森の中からごっそりとそこだけが抜け落ちてしまったかのように。

 一応周囲に何か残っていないか探っては見たが、当然何も見つかるはずもなく。諦めるしかないかと思われた時、おもむろに大神は手を掲げて水晶玉を作り出した。

 占星術。今や彼女だけが使えると言っても過言ではないワザ。

 『あ、こっちに』

 そう言って大神が向かったのは、開けた空間の丁度中心部。

 何もなかった筈のそこで、大神はおもむろに地面へと向かって炎を発した。すると、地面だと思っていたはずのそこから何やら蓋をする様に木の根が密集した部分があらわとなった。

 再度大神が炎を放ち、脆くなったそこを手で崩していけば、そこから見つかったのは一冊の日記帳。

 全員で中身を見たが、それは日記帳と言うよりは絵日記に近いアルバムのようなものであった。張られた写真は見たことも無い大勢に囲まれる幼い頃の大神から今に至るまでの日々を切り抜いたもので、最初は綺麗な整った文字で、途中からはつたない文字でコメントが書かれている。

 『なにこれ、ウチ、こんなの知らないよ…』

 呟きながらも、大神はページをめくる手を止めはしなかった。そうして読み進めていった先、最後の一ページをめくった先の巻末に、大きく書かれた一文。

 『ミオよ、我が娘よ。主の幸せを心から願っておる』

 ぽたりと、一粒の雫が文字の上に落ちる。また一粒、また一粒と零れるそれをぬぐおうともせず、大神は体を震わせながら優しくそれを抱きしめた。

 『…ちゃんと、分かるよ。何も思い出せないけど、何も覚えていないけど。大切な人が居たってことは、ずっと見守ってくれた人がいたってことは、ウチの中にちゃんと残ってるよ』

 もう届くことのない誰かに伝えるように言葉を紡いで、しばらくの間大神はその場で蹲り涙を流し続けた。

 その後、大神が落ち着いた頃には既に日も暮れており、近くのイヅモノオオヤシロに滞在した。翌朝には大神も整理がついたのか何処かすっきりとした表情を浮かべており、問題ないという事で、俺たちは改めてシラカミ神社へと帰還することとなった。

 

 

 

 

 「…そんなわけでさ、帰ったらすぐ来ようと思ってたんだけど、今日まで伸びることになったんだ。許してくれ」

 墓標の前でこれまでに至った経緯を説明し終えて、ほっと息を吐いて俺は口を閉じる。

 こんな説明をしても、ケンジに届いているのかなど知る由もないことだ。話したところで、意味をなさない可能性の方が高い。

 ただ、あやめと相対したあの時、ケンジが背中を押してくれていなければ、こうして揃ってここに立てていなかったかもしれない。そう考えれば、自然とこうして話す事自体に意味があるように思えた。

 「それで、ここからが本題なんだが…」

 ちらりと隣へ視線を向けてみれば、こちらを見上げるあやめと目が合う。

 多分、ケンジが聞いているとするなら、これが一番聞きたかったことだろう。

 「俺たちは恋人になった。まぁ、過程で色々とあったけど、最終的にはこの形に落ち着いた」

 すぐ傍にある彼女の手を取って、写真の中の少年へとはっきりと明言する。

 正直何か一つ掛け違えていればこうはならなかったと思う。その全ての切っ掛けをくれたのは他でもないケンジだった。

 ケンジと三人でこのキョウノミヤコで生活して、ケンジを見送って、悩んで迷って、一度は離れたりして、今に至っている。

 「ケンジ、ここに誓うよ。俺はもう何があろうと絶対にあやめの手を離したりしない。…だから、安心して見守っていてくれ」

 言い切るとともに、握っている手にぎゅっと力が籠められた。まるで、こちらも離れるつもりはないと言わんばかりに。

 不意に一陣の風が墓地を吹き抜ける。風に揺られるロケットの写真に写る少年は、満足気に笑いかけているように見えた。

 

 

 

 「透くん、折角だしキョウノミヤコで遊んで帰ろうよ」

 ケンジの墓参りを終えた後、そんなあやめの提案で久しぶりに訪れたキョウノミヤコは、相変わらずの盛況に包まれていた。

 通りには人が絶え間なく行き交っていて、道脇に並ぶ屋台は所々行列が出来ている。

 「なんだか、懐かしく感じるな。ついこの間までこの街で生活してた筈なんだが…」

 「あ、余もその気持ち分かるかも。ちょっと離れただけで知らない街みたいに思っちゃったりするよね」

 会話を交わしながら通りを2人手を繋いで歩く。

 ケガレの大量発生の日以来、思えばなんだかんだで2週間ほどキョウノミヤコには来ていなかった事になる。

 「…ちなみに、あやめは北の方でいろんな街に行ってたんだよな。どのくらいの期間でそうなったりしたんだ?」

 ふと思い立って聞いてみれば、あやめは考え込む様に顎に指を当てて虚空を見上げる。

 「え?どうだっかな…10年くらい?」

 「思ってたより長いな…まぁ、当然といえば当然か」

 あまりの規格の違いに思わず声を上げるも、考えてみれば当たり前のことであった。何せ、お相手は1500年の時を生きている。時間感覚のズレくらいはあって然るべきだ。

 「けど、やっぱり時間感覚とか色んなところで違いがあるんだよな。簡単に埋まる差でもないし」

 だから何かが変わるというわけでもないが、どうしてもそこばかりは意識してしまう。

 思考に意識を逸らしていると、不意にあやめはもたれかかる様に腕を抱いて密着してきた。

 「そんなに気にする事でもないよ。それに…」

 あやめはそこで言葉を区切るとふと顔を上げ、彼女の紅の瞳と視線が交差すると、あやめはふわりと花のように微笑んで見せる。

 「これからはずっと、傍に居てくれるんでしょ?」

 「…あぁ、あやめには敵わないな」

 彼女の言葉に簡単に納得させられてしまい、思わず笑みが浮かぶ。

 今という時間は、これから歩むだろう悠久の時間に比べれば些細なものだ。勿論、開いている差も同じ時を共有していくに連れて気にもならなくなっていくのだろう。

 いつかこんな時もあったと楽しい思い出の一幕として懐かしむ日が来る。そして、その為にも俺は彼女と同じカミに至る必要があった。

 「カミか…」

 「…透くん、後悔してる?」

 「え?あぁ、いや、そういう訳じゃないんだ。ただ純粋に成ったらどんな感じなんだろうなって考えてただけで。ほら、例えばいきなり俺にも角が生えたりするかもしれないだろ?」

 不安そうな声を上げるあやめに慌てて訂正を入れる。

 今まで出会ったカミは揃って獣耳が生えていたり、角が生えていたりする。とすると、俺がカミに至った際には外見が変わるのか、それとも変わらずこのままなのかと少し疑問に思っていた。

 それを伝えると、あやめはなるほどと呟いた後、想像するように宙を見上げる。

 「んー、余はどんな透くんでも好きだよ?」

 「…そっか、ありがとう。…あー、でも角が生えたらあやめとお揃いになるのか、それも良いな」

 「もし獣耳が生えたら余も触ってみたい」

 一瞬間が空きながらも返しつつ、俺とあやめはあれこれと二人で想像を言い合いながら通りを進む。

 「ね、透くん」

 「ん?」

 途中、不意にあやめが呼びかけてきて、何かと彼女の方を向けばその悪戯な笑みが視界に映った。

 「顔真っ赤だよ」

 「…うっせ」

 相変わらず表情に出やすい自分の性質を恨めしく思いながらぶっきらぼうに返せば、あやめは楽しそうにからからと笑い声をあげた。

 

 

 

 それからもキョウノミヤコを二人で回った俺たちは、小腹も空いてきたということで、いつか訪れた茶屋へと足を運んだ。

 思い出を辿ったのもあるが、至ってシンプルにここの団子の味が気に入ったのもあった。

 「…なぁ、あやめさんや」

 「んー、なぁに?」

 団子を食べ終わり一息ついた所で声を掛ければ、すぐ至近距離から気の抜けたような彼女の声が聞こえてくる。隣を見てみれば、そこにはぴたりとくっついているあやめの姿。

 「近くないか?」

 完全にリラックスして猫の様に目を細めている彼女に率直な感想を伝える。茶屋の中とは言え一応は外であり、今は他に客も見えないが、もし入って来た時に目が合ったりすると気まずい事この上ない。

 「大丈夫、誰か近づいてきたら余は分かるから」

 「あー…じゃあほら、店主さんの目もあるしな…」

 「奥の方で作業してて見てないよ」

 「くそ、知覚能力が高すぎる」

 何かと理由をつけて引きはがそうとするが、眼を閉じているにも関わらず正確に周辺を把握できる彼女を前にしては、どんな言い訳を取り付けても無駄なようだった。

 「…透くん、余にくっつかれるの嫌だった?」

 「いや、嬉しい。…じゃなくて、一応線引きはしておかないとと思っただけだよ」

 顔を上げてジッとこちらを見つめてくるあやめに即答しつつ、一つの懸念を口にする。

 鬼の集落からの帰りからこちら、以前以上に俺達の間の距離感は近くなっていた。それ自体は良いのだが、このままいくと自制も効かず所構わずくっつくようになってしまいそうで、流石にそうなる事は避けておきたいと言うのが本音だった。

 「俺だって、こうしてるのは幸せだけど、自制はしておかないとだろ?」

 「うーん…、でも、前怒られたからばっかりだから神社だとくっ付けないし…」

 「まぁ、初手でやらかしたからな、流石にくっつく度に身構えられるとこっちも気まずい」

 シラカミ神社に帰ってから一日は旅疲れを癒していたのだが、その際に居間に二人でいると、通りがかった白上や大神がピクリと体を震わせ頬を赤くしながらその場を離れる事が多発したのだ。

 まるで今にもキスをするのではないか、の様な反応をされると罪悪感にも似た感情が浮かんでくるのだ。かと言って、ずっと部屋に居るのもそれはそれで変に意識される。

 そんな事情もあり、現在神社の方ではあまり傍にいることも少なくなっており、俺自身、出来るならずっとこうしていたい。

 「…誰か来たら、離れてくれよ?」

 「うん、分かった!」

 ご機嫌な様子で返事をするあやめとは裏腹に、欲に負けてしまったと俺は自重の笑みを浮かべる。とはいえ、こうして彼女と共に居る時間がが何よりも幸せである事もまた確かであった。

 

 

 

 

 その後も茶屋で二人のんびりしたりキョウノミヤコを見て回っていれば、すぐに空は茜色に染まり始めた。

 良い時間だと神社に帰る前に、一か所だけ行きたい場所があると意見の揃った俺達は最後にその場所へと足を向ける。

 そうして辿り着いたのは、街を一望できる秘密の高台。

 「ここ、こんな景色が見えるんだな」

 「余も初めて知った…、綺麗ー」

 セイヤ祭の日から時折ここに来るようになったが、この時間帯にじっくりと景色を見ることは無かった。それ故に、一つの絵画の様な美しい光景に二人揃ってつい見入ってしまう。

 小麦色に染まる街並み、沈んでいく夕日。

 こうしているとふとケンジの命日の事を思い出す。

 「なぁ、あやめ。今日はケンジの墓参りに来たけどさ。これから先、長い事生きてれば他にも色んな人の墓を参るようになるのかな」

 「うん、カミと普通のヒトだと生きる時間は比較にもならないから。関わり合う人が増えたら、その分だけ」

 「…そっか」

 少しの間、沈黙が高台を支配する。

 人と触れ合わないのも、一つの手なのだろう。深く関わりすぎないで、偶に合う程度の関係を築いていく。そんな関係が一番お互いに傷を負わなくて済む。

 けれど、もしケンジと同じような子がいたら、放っては置けないと思う。例えいばらの道だとしても進んでしまうのだろう。

 そして、隣の少女はそんな道をずっと歩んできた。

 「…今度さ、時間が空いたら鬼の集落に連れて行ってくれないか。一言、挨拶しておきたいんだ」

 「良いけど…何て言うの?」

 「ん、そうだな。お嬢さんは頂いた、とか?」

 「そんなことしたら透くんみんなに憑りつかれちゃいそうだね」

 「噓噓、いや満更嘘でも無いけど、ケンカを売りたいわけじゃなくて」

 両手を振って発言を取り消せば、あやめはくすくすと笑い声を漏らす。

 流石に無数の鬼に取り付かれたのでは堪ったものではない。取り合えず祟りとシラカミ神社に入れなくなることは確実だろう。

 「本当はこれからの決意表明というか、その辺の事。ケンジにも言ったけど、鬼の集落でも誓っておくべきだと思ってな」

 「同じって、余と一緒にいてくれるって事?」

 「そうそう、もう絶対に独りにしないから、安心してくださいって」

 事あるごとに、あの集落に戻っていたとは聞いた。これは今までずっと彼女を見守って来た鬼達に最低限通すべき礼儀だろう。

 そんな事を考えていると、不意にぽすりと肩に軽い衝撃と重みが加わった。見ればあやめが肩に頭を乗せて、寄りかかっている。

 「…余ね、集落に透くんが迎えに来てくれた時、本当は凄く嬉しかった」

 そう呟くように話すあやめはぼんやりと夕日を眺めながら言葉を続ける。

 「セイヤ祭の時だって、一人で抱えてずっと苦しかった。でも、透くんが傍にいてくれて、こうして一緒に抱えてくれるようになって。昔からは考えられなかった夢みたいな今がある、これからも続いてる。それが、凄く嬉しい」

 そっと離れて向き直るあやめ。その顔に浮かぶ笑みは幸せと未来への希望へと満ちていた。

 「…まぁ、その為にも、まずはカミに成らないとなんだけどな」

 まだスタートラインにも立てていない。けれどこちらに向けられる彼女の瞳には確かな信頼が込められている。

 「余は透くんの事、信じてる」

 「あぁ、絶対裏切らない」

 互いに微笑み合って、自然と、二人の距離が近づいて行く。やがて夕日に照らされ地面に映し出された二人の影、その口元が重なった。

 触れるだけのそれ、ゆっくりと顏を離せば、ほんのりと頬を赤く色付かせたあやめが照れたようにはにかんでいる。

 「そろそろ神社に帰るか、あんまり遅くなるとまた心配させそうだし」

 「うん、今日の夕飯何かな…」

 「イヅモノオオヤシロで調達してた魚じゃないか?」

 

 雑談を交えながら夕日を高台を後にする透とあやめ。二人を繋ぐその手は、決して切れぬよう固く結ばれていた。

 

 

 



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After
After



 こちらはTrue:Anotherルートのepilogueから続くお話です。


 

 都内のとあるファミリーレストラン。

 平日で人も少ない閑散とした店内では、流れて来る曲名も知らないBGMがよく聞こえる。そんな昼下がりの日光に照らされた窓際の席に、一人の青年と幼い少女が腰かけていた。

 テーブルの上では青年の前に置かれた珈琲が湯気を立て、反対側に座る幼い少女は小さなスプーンを握りしめ、目の前に置かれたお子様ランチのプレートを見て溢れんばかりに目を見開いて、瞳を輝かせている。

 「…のう、もう食べても良いかのう…!」

 待ちきれない、と年相応の態度を見せる彼女に、青年はくすりと穏やかに笑みを浮かべた。

 「えぇ、どうぞ遠慮なく召し上がって下さい。なにせ、今日は貴女の誕生日なのですから」

 「…ッ!いただきます、なのじゃ!」

 青年が勧めるや否や少女は慌ただしく手を合わせると、握ったままのスプーンで旗の刺さったチキンライスをすくい、口いっぱいにそれを頬張る。

 さもご満悦とばかりに頬を緩ませる彼女を見て、青年もまた口元を緩ませた。

 年齢にして三十を超えるだろうという容姿の青年と、まだ学校にも通っていないであろう幼い少女。その様は、傍から見れば父娘の微笑ましい休日の一時に見えるが、実のところを言えば彼らに血縁関係は無く、ましてや親子ですら無かった。

 「…あんまり詰め込み過ぎると、喉に詰まらせますよ」

 「…っ!」

 次から次へとスプーンを動かし続ける少女に青年がそう声を掛ければ、彼女はリスのように頬を膨らませたままこくこくと頷いて見せる。

 本当に分かっているのだろうか、と表情を苦々しくながら青年がナプキンを手に取り、少女の汚れた口元を拭ってやると、彼女はこくりと口の中のモノを嚥下して青年へと笑みを向ける。

 「うむ、褒めて使わすぞ、透よ!」

 「はい、お褒めに預かり光栄です、雪華様」

 雪華(セツカ)。そう呼ばれた少女は今一度仰々しい仕草で頷くと、すぐに目の前のお子様プレートへと意識を戻してしまう。 

 青年、透はそんな彼女を相変わらずだと眺めながら、ふとその脳裏ではかつての記憶が呼び起こされていた。

 髪色が金色でもなければ獣耳も生えていない。けれど透の目の前にいる彼女の容姿も、声も、口調も、全てがかつてカクリヨで出会った神狐セツカそのものであった。

 だが透が一つ確信できるのは、彼女がかつての神狐セツカでは無いという事だ。

 今の雪華に、カクリヨでの神狐セツカとしての記憶は存在していない。透が一年前に出会った時から、彼女は何処にでもいる見た目相応な一人の幼い少女だった。詰まるところ、他人の空似だ。

 当初は透も半信半疑だった。

 容姿だけならまだ分かる。だが、ウツシヨでは特に特徴的なその口調まで同じとなれば、もしやと思わざるを得ない。期待せざるを得なかった。

 しかし接していく内すぐに、彼女の精神性が年相応であると悟った透はその考えを改め、雪華を一人の子供として認識し、これからも接すると決めたのだ。

 「うむぅ…」

 聞こえて来た唸り声に考え込んでいた透が顔を上げる。

 彼の目の前では、既に見る影も無くなったお子様プレートの上、唯一つ残されたプリンを雪華が悩まし気に見つめていた。

 「どうされました?…もしかして、本当に喉に詰まらせたんですか?」

 少し慌てた風に透が問いかけるも、しかし雪華は表情をしゅんとさせたまま首を横に振った。

 「そうではない。ただ、これを食べてしまうと…のう」

 気落ちした、と言うよりかは名残惜しむような彼女の様子に、透もピンときた。

 数週間も前から待ち望んでいたお子様ランチ。その最後のデザートを前にして、これで食べ終えてしまうと雪華は惜しんでいるのだ。  

 「ふっ…」

 「あぁ、何故笑うのじゃ!」

 あまりにもらしい理由に透が笑いを堪え切れずにいると、憤慨した様子の雪華が抗議するように声を上げる。なにせ彼女にとっては一大事なのだ、それにこんな反応をされれば彼女の反応も頷けるというものだ。

 不満をこれでもかと露わにする雪華に、透は体を震わせながら訂正するよう軽く手を振った。

 「いえ、別にこれが最後という訳でも無いのですから。流石に毎日とはいきませんが記念日はまだ年内に残っていますし、チキンライスもエビフライも、偶に作って下さらないか栄養士や調理員の方に私からも相談しておきます。ですから、そんなに惜しまなくても良いんですよ」

 安心させるように優しい声音で透が諭すように言う。

 規律も大事だ、教育上好きなものを好きなだけ食べさせるという訳にもいかないし、健康上必要な栄養を取るのが食事の一番の目的である。だが、だからと言って食事の楽しさを蔑ろにして良い理由にもならない。

 こういうものはメリハリが重要なのだ。そして、透は雪華にそれを教える立場。規律の重要性を教えながらも、彼女の意向を尊重することも彼の仕事の内である。

 …と、御託は並べたが何よりも、折角の誕生日を楽しく過ごして欲しいと言うのが、透の本音であった。

 「そ、それは本当かのう…!プリンは、プリンはどうなのじゃ!?」

 「勿論プリンもです。低糖質にもできるので、おやつの時間に作ってもらいましょう」

 「おー…!約束じゃからな、透!」

 「はい、約束です」

 指切りを求めて伸ばされた小さな手。透がしっかりと小指を結べば、キラキラと瞳を輝かせた雪華は憂いも消えたように、目の前のプリンに手を付ける。

 すると、瞬く間に雪華はそれを完食してしまい、同時にそれは先の彼女の葛藤具合を想起させた。

 「ご馳走様でした。もう食べられぬのじゃ…」

 そう言って手を合わせると、雪華は満足そうな表情のままぐたりとソファーに背を預ける。 

 「…美味しかったですか?雪華さん」

 「うむ、こんなに幸せな誕生日は初めてじゃ」

 「それは良かった。では、更にと言うとハードルが上がりますが、私から一つ」

 そう言って、透は荷物の中から一つの小さな小包を取り出し、雪華の前のテーブルの上に置いた。

 「…これは?」

 いきなり差し出されたそれを、雪華は大きな瞳を更に見開いてまじまじと見つめている。

 「誕生日プレゼントです。改めまして雪華さん、お誕生日おめでとうございます」

 「…」

 何を言われているのか理解できない、そんな風に透へと視線を向ける雪華だったが、次第に状況を飲み込めてきたのか呆然としていた顔に明るさが灯り始める。

 「開けても良いかのう!」

 「えぇ、勿論」

 エンジンも掛かり、テンションの上がっている雪華に透がそう返すと、彼女は慌ただしく、けれど丁寧に包装を破り、中身を開ける。

 「おぉ…」

 感嘆の声を上げる雪華の瞳に映るのは、半月の装飾のあしらわれた髪留め。かつて神狐セツカが娘へと送ったそれと、瓜二つの代物だった。

 透も特に之といった理由があって選んだわけでは無い。ただ、プレゼントを選んでいる際に偶然見かけた瞬間、これにしようと直感が働いた。自分が彼女にこれを送らなければならない、そんな使命感をその時の透は感じたのだ。

 気に行って貰えるか、妙な緊張感を感じている透の見守る中、雪華はじっと髪留めを見つめた後、それを自らの前髪に着けて見せた。

 「どうじゃ、透よ。似合っておるか、似合っておるか?」

 ずいと身を乗り出して雪華は透へと問いかけた。一部の憂いも感じさせない、そんな彼女の喜色満面の笑みに、透も自らの心配が杞憂であったと察し、内心ほっと息を吐く。

 「えぇ、とても。気に入って頂けたようで何よりです」

 「うむ、気に入った!ありがとうなのじゃ、透!」

 言うや否や雪華は傍の窓に反射した自分の姿をニマニマとした顔で眺め出す。時折、窓の外を通りかかった人たちがそんな雪華の姿を見てくすくすと笑っているが、彼女は気にもならないようでただひたすらに自らの前髪に付けられた髪飾りを見ていた。

 そこまで喜んでもらえれば送り甲斐もあったというもので、透は心の温まるのを感じながら、区切りをつけるようにコホンと咳ばらいを一つ入れる。

 「さて、雪華さんはこれから何かしたい事はありますか?まだお昼ですから時間は十分ありますよ。遊園地や動物園、水族館でも」

 時計を見ながら、透はいくつか候補を上げる。今日一日、日没の門限までであれば、二人はある程度自由に行動は出来るのだ。

 「むぅ、したい事。…そうじゃ!ならば透よ、お主に一つお願いがあるのじゃ」

 「はい、何でしょう」

 問われて考え込むのも束の間、何か思いついたように雪華は声を上げた。そして、彼女はゆっくりと手を上げ、答えを待つ透へとその人差し指を向ける。

 「主の口調。いつも丁寧じゃが、少し距離を感じるのじゃ。前に話しておった、昔と同じような口調で話して欲しい」

 予想の斜め上の雪華のお願いに、どくりと一際大きく透の心臓が鳴った。

 「え…いや、あれは院に来る前の話でして。雪華さん、私は貴女の担当員として模範的な…」

 「今日は妾の誕生日、なのじゃろう?」

 してやったりと悪戯な笑みを浮かべる雪華。自分から振った手前、そこを突かれては透も突っぱねる事が出来ない。けれど、彼女の担当員としてそれはどうなのかと、暫しの葛藤の果て、やがて透は諦めた様に息を吐いた。

 「…分かった、これで良いか?」

 「うむうむ!」

 要望通りに透が口調を砕けさせれば、雪華は満面の笑みで満足そうに何度も頷いて見せる。

 「やはりそちらの方が妾好みじゃ!どうせならずっとそのままでも良いのではないか?」

 「そういう訳にも、いかない。私…俺だって孤児院の職員なんだ。院長に合わす顔が無くなる。…だから、あくまで院に帰るまでだぞ」

 「むぅ、つまらぬのじゃ…」

 唇を尖らせる雪華に、思わずといった形で透の顔に苦笑いが浮かぶ。

 院長とは、透が孤児院で勤務するまで世話を見てくれた彼の恩人だ。

 十余年程前、ウツシヨに帰還した透は、自分は何をするべきか路頭に迷っていた。そんな最中、出会った院長は透に働き口を用意してくれて、透もその過程で自らの為すべきことを見定めることが出来た。

 そうして今に至るわけだが、そんな院長の孤児院で働く上で透自身口調も改め、最善を尽くそうとしてきたのだ。

 「あ、それとこの事は内密に…してくれよ。絶対に」

 所々つっかえながら透が念押しをすると、雪華はしっかりと頷いて肯定する。

 「分かっておるのじゃ。…しかし、何とも話し辛そうじゃな」

 「それはそうだろ、何年前だと思ってるんだ。自分でも驚くくらい違和感がある」

 今すぐにでも口調を戻したい、と言うのが透の本音であった。

 慣れないことをしている違和感もあるが、それ以上に雪華に対してこの口調で話すことで、彼の脳裏に昔の記憶が過ぎるのだ。

 幾年と歳月を重ねても決して色褪せることの無かったそれらは、今尚透の心の内に残り続けて、彼の世界を色づけている。

 何故今それを思い出すのか、その理由については雪華の容姿が大きかった。透にとって、彼女の存在はかつての記憶が確かであるという証でもあった。

 一人の子供として接すると決めているが、透自身やはり思う所が無いと言えば嘘になる。

 「…のう、透よ」

 「なんだ?」

 不意に雪華に呼びかけられた透が顔を上げる。そして、交差した互いの視線。透は彼女の全て見透かしたような瞳に息を呑んだ。

 「妾は主のその懐かしむような眼が好きじゃ。何よりも優しい眼をしておるから、何よりも温かい」

 雪華は時折、妙に大人びた雰囲気を醸し出す。境遇がそうさせたのか、生来の気質故なのか、透には判断がつかない。だが総じて言えるのはこういう時、大抵彼女の言葉は彼の心に突き刺さる。

 「…敵わないな、本当に」

 「む、何の事じゃ?それより、次は水族館に行きたいのじゃ!早く行かねば日が暮れてしまう!」

 パっと年相応な笑みに戻った雪華は目を輝かせて次の目的地の話へと移った。あまりの切り替わりの速さに、微笑を浮かべつつ透は伝票を持って立ち上がる。

 「あぁ、そうだな。なら、そろそろ出発するか」

 「うむ!」

 雪華も元気の良い返事をして透に倣い、連れ立った二人は店を後にするのであった。

 

 

 

 日が暮れて、月が空に昇る。

 孤児院に帰った後、雪華は透含む孤児院の面々から祝いの言葉を送られ、ささやかながら誕生日ケーキを皆で食した。それ以外は普段通り、風呂に入って寝支度をして、各々が各自の部屋へと帰っていく。

 雪華も例外ではなく、寝巻となった彼女を透は部屋まで送り届ける。

 「…透、またあの話が聞きたいのじゃ」

 部屋の中、ベッドに寝転がった雪華はそう透に訴えかけた。

 偶にではあるが、雪華は寝る前にこうして透に寝物語を聞かせるよう求めるのだ。これは透が彼女の担当員となった時から変わらず、殆どの有名な童話は既に語りつくしてしまっていた。 

 少し前、その上で尚雪華に話を求められ、困った透が苦し紛れに出したのが自身の昔話だった。

 鮮明に思い出せる、こことは違う世界であるカクリヨで透が過ごした夢の様な時間。

 試しにと話してみれば思いのほか雪華は気に入ってしまったようで、透が幾らか誇張を交えて話している内に、いつの間にか彼女の方からリクエストをするようになっていた。

 「えぇ、良いですが、雪華さんは飽きないのですか?」

 偶には別系統の話が聞きたくなるのではと、透が問いかけるも、雪華は即座に首を横に振る。

 「全然飽きぬのじゃ。妙に親近感が湧いて聞き入ってしまってのう、透は話上手なのじゃ」

 「別の要因が働いている様な気がしますが…、まぁ、良いでしょう。前回は何処まで話しましたっけ」

 前回の数週間程前の記憶を辿る透であったが、しかし、雪華がそれに待ったをかけた。 

 「話の前に聞きたいことがあるのじゃが…、その話の名前は何と言うのかのう」

 「名前、ですか?」

 「うむ、『桃太郎』に『浦島太郎』の様な名前じゃ」

 つまるところ、題名を聞かせろと言うのが雪華の問いであった。しかし、それを受けた透は答えに迷う。なにせ名前など無いのだから、そも答えようが無いのだ。

 だが、雪華の期待の籠った視線に催促されて、透の中から答えないと言う選択肢は霧散する。

 「えっと…そうですね」

 相槌を打ちながら透は思案した。

 この話は、透自身の話だ。透にとって世界が、想いが色づくまでの話だ。題名と言うのだから簡潔な方が良いだろう。

 色づく世界だと壮大過ぎる。ならば、題名は『色づく想い』か。いや、カクリヨのヤマトという和の世界に合わせるとするならば…。

 「題名は、『色づく想ひ』」

 

 

 



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if:After 百鬼 Future

 

 差し込んでくる日差しに白く照らされた部屋、縁側の向こう側からは小鳥の囀りが聞こえてくる。夢か現か判断もつかない、おぼろげな意識の中、のそりと身を起こす。

 嫌に動きが鈍い。思うままに動かない身体に顔をしかめつつ、ぼんやりと外に広がる景色を眺めていると、静かな音を立てて、後ろの襖が開いた。

 「あ、起きてた。…おはよ、透くん」

 一拍遅れて聞こえてくる、鈴の鳴る様な声に振り返れば、ふにゃりとその相貌を崩す鬼の少女の姿。それを視界に収めた途端、霧のかかっていたよな意識が、瞬く間に晴れていくのを感じた。

 あぁ、そうだ。そうだった。俺は彼女と…。

 「…おはよう、あやめ。少し、寝すぎてたか?」

 笑みを返しながら、少々バツの悪い気分で問いかける。すると鬼の少女、あやめは、一瞬キョトンと呆けたような、驚いた顔をして、そして案の定、ぷくりと拗ねた様にその頬を膨らませて見せる。

 「…うん、余よりずっとお寝坊さんだよ。折角ご飯作ったのに、もう冷めちゃった」

 「それは…悪かった。謝るから、飯抜きだけは勘弁してくれ」

 「えー、どうしよっかなー」

 この通り、と頭を下げて懇願するが、あやめはぷいとこれ見よがしにそっぽを向いてしまう。しかし、横からチラリと覗くその顔には、いつもの悪戯な笑みが浮かんでいて、彼女が本気でへそを曲げたわけではない事が分かる。

 「頼むよ、可愛くて綺麗で寛容な鬼カミ様」

 もう一押しとばかりに誉め言葉を並べれば、ようやくあやめは顔の向きを戻して満足そうににっと笑った。

 「…仕方ないから、許してあげる。その代わり、今度余と一緒にお出掛けね」

 「勿論、むしろ望むところだ」

 許しの代わりに突きつけられた条件を快諾すると、満足そうに頷いたあやめは『温め直してくるねー』と、パタパタと足早に部屋を後にした。変わらず無邪気で、天真爛漫な彼女の姿に、思わず小さな笑い声が出る。だが、起きがけで喉が刺激されてか、笑い声はすぐに咳へと変わってしまった。

 幾らか咳き込んでからようやく落ち着いて、あやめがいつも置いてくれている水差しから黒塗りのコップに水を注ぎ、一口だけ含んでゆっくりと嚥下する。そうして、視線を落とした先。水の表面に反射して見えたのは、白く染まった髪を携え、深くしわの刻まれた老人の顔だった。

 

 

 

 食事を終えて、部屋の中にあやめと二人きりで、穏やかな時間が流れる。

 今日はいつもに比べて調子が良いようで、隣に座る彼女も心なしか表情が和らいでいた。そっと重ねられた小さな手は、自分のしわくちゃな手も相まって、一層綺麗に見える。軽く力を込めてその手を包み込めば、同じような力で握り返してくる。言外のそのやり取りに、嬉しさや喜びよりも、安心を覚えるようになったのはいつからだろうか。

 「…透くん、今日は調子どう?苦しくない?」

 様子を伺う様に、あやめは上目遣いで見上げてくる。心配そうなその声音に、ゆっくりと頷きながら、微笑みを返して答える。

 「あぁ、問題ない。きっと、あやめが傍に居てくれるからだな」

 自分なりに、上手く答えたと思った。しかし、当のあやめからの視線は鋭くなり、ムッと不服な表情が返って来る。

 「余はずっと傍にいるよ、昨日も一昨日も、その前からずっと」

 「そうだな、そうだった」

 「もう、相変わらず、その辺り適当なんだから」

 小言の様に言って、ぷんすかと怒る彼女に両手を合わせて謝りつつ、以前にも増して見透かされてしまうようになったと、内心空を仰いだ。

 彼女と出会ってから、随分と長い時間が流れた。今の様に穏やかな時間を過ごすことも、今まで何度あった事か数える気すら起きない。そうして、二人で積み重ねた時間は、その分だけ互いへの理解を深めていく。見透かされる分、逆もまた然りだが、それでも彼女には及ばない。

 「そうそう、今日ね、お散歩の途中で珍しいお花を見つけたの。透くんにも見せてあげたかったくらい、綺麗だったんだよ」

 嬉しそうに話すあやめに、こちらも自然と笑みが浮かぶ。彼女はよくこうして、外の話を持ち込んできては、話してくれるのだ。

 「花か…、あやめがそう言うくらいだから、相当なんだろうな。明日にでも、是非見に行きたいな」

 「うん、少し遠いけど、きっと行けない距離じゃないから。ね?だから…」

 一瞬こちらを見る彼女の瞳に淡い紅の光が灯ると、あやめは言葉を途切れさせ、顔に影を落として口を噤んだ。こういう時は、彼女が何を考えているか、手に取るように分かる。

 「…なら、大丈夫だ。明日には、きっと良くなっているから、出掛ける準備をしておくよ」

 俯く彼女の頬に手を当てて、顔を上げさせる。君にそんな表情は似合わない。だから、少しでも長く笑っていて欲しくて、少しでも悲しんで欲しく無くて。その場しのぎだと分かっていても、俺はこうする他ない。その紅の宝石のような瞳と視線を交差させて、力強く笑って言うのだ。『何も、問題は無い』と、これからも、幸せは続いて行くと。

 すると、あやめは何も言わず、ふわりと微笑みを浮かべる。まるで、安心したと言わんばかりに、ただ笑うのだ。

 「あ、お水もう無くなるね。余、ちょっと新しいの持ってくる!」

 すくりと立ちあがると、あやめは今にも鼻歌を歌い出しそうな程に上機嫌で、水差しを持って部屋を出ていった。彼女の背を見送って、そして足音が離れたのを確認してから、俺は溜めていた息を吐きだす。

 随分と、嘘をつくのに、抵抗がなくなってしまったものだ。

 恐らく、あくる日の様に彼女と街を見て回る事はもう出来ないのだろう。恐らく、彼女と連れ立って歩くことは、もう二度と叶わないのだろう。自分の体だ、そのくらいの判断は付く。

 カミと成って、彼女と悠久の時を過ごす。若かりし頃のその誓いは、今や崩れ去って砂と化した。 

 端的に言えば、俺は適応できなかったのだ。この世界の仕組みに、カミというシステムに。幾ら鍛えても、幾ら試行錯誤しても、幾ら願っても、全てが無駄に終わった。そうして残ったのは、増えたイワレに耐えきれずにボロボロになった体と、寿命というタイムリミットだけ。

 それを知った時の彼女はどんな心持だっただろう、何を思っただろう。それを推し量る事すら、厚かましい事この上ない。けれど、彼女は今に至るまで隣に居てくれた。それがどれ程嬉しかったか、どれ程悲しかったか。いっその事、愛想をつかされていた方が、幾らかマシだったのかもしれない。

 とはいえ、後悔など今更何の価値も持たない。ただ、この時間が続いてくれれば、それだけで良い、そう考えていた。詰まるところ、問題の先送りだ。

 「もう、後は無いか」

 ぽつりと誰も居ない部屋で一人呟く。先送りをした結果の現在だ。先が無くなれば、必然的に負債の一切が、一挙に押し寄せて来る。このままずるずると引き延ばして、押し付けて去る訳にもいかない。

 哀愁にも似た感情を抱きながら、外の景色を眺めれば、丁度桜の花びらが風に踊っているのが見えた。

 「…あやめ、帰って来たなら、声くらいかけてくれよ」

 不意に声を掛けると、襖越しの気配が身を震わすのを感じる。それから一拍置いて、ゆっくりと襖が開き、水差しを持ったあやめが、何処か気まずそうに顔を覗かせた。

 「あ、あはは、余バレてた?」

 「まぁ、長い付き合いだ。このくらいはな」

 肩を竦めて言えば、あやめは少し嬉しそうに頬を緩める。横の盆の上へと水差しを置くと、彼女はそのまま隣へと腰を下ろした。

 「折角悪戯しようと思ったのに…透くん、酷い。フブキちゃんとミオちゃんに言いつけてやる」

 「何故俺がなじられる流れになったんだ、逆だろ普通。言っておくが、確実に二人を味方に付ける自信があるぞ」

 あやめへの可愛がり方が尋常ではない二人も、ここまで明確であれば彼女には付かない筈だ。最後に会ったのがいつだったか覚えていないが、流石にそこまででは無かったという確信がある。

 二人とは、以前まではそれなりに交流はあったのだが、ある日を境にとんと会わなくなった。その理由には思い当たる節はあるものの、こればかりは仕方がないし、自分でも納得している。しかし、文通はしているようで、時折あやめが、『フブキちゃんがね』とか、『ミオちゃんが』などと話すことから、息災であるのは確かなようだ。

 すると、話題に出たからか、不意にあやめが何やら思い出したように、ポンと手を打った。

 「あ、そうだ、伝え忘れてた。透くん、今度ね、二人共来るんだって」

 「来るって、何処に?」

 「ここに。余も久しぶりに会うから、今から楽しみだね」

 二ヘラとだらしない笑みを浮かべている辺り、本当に楽しみなようだ。とはいえ、驚いた。まさか向こうから会いに来ようとするとは、まぁ、十中八九あやめの為だろう。

 「けど…そうか。…なぁ、あやめ」

 「えっと、それでね、ちょっと料理とか頑張ってみちゃおっかなーって、思ってるんだけど、何かいい料理ないかな。透くんも、味見手伝ってよね」

 「それは是非とも手伝うけど、今はそれよりも、だ」

 真っ直ぐに向き合って、じっと彼女を見つめれば、あやめはぴたりと動きを止めて、視線を彷徨わせる。何を話そうとしているのか、察しはついているのだろう。つい先ほどまでの朗らかな雰囲気は、今や張りぼても同然だった。

 「その話…明日とかじゃ、駄目、かな」

 ささやかな、ほんのささやかな抵抗。少しでも、先に延ばそうと、目を逸らそうとする彼女に、首を横に振って答える。今日でないと、話すことが出来ないのだ。

 「駄目だ。今、俺がこうして話していられるのが、奇跡だということは、あやめが一番分かっているだろう?」

 「…」

 あやめは、何も言わない。叱られる子供の様に、ただ黙りこくって、下を見つめている。

 奇跡。そう、奇跡だ。こうして彼女と話していられるのも、こうして彼女を愛おしく思えているのも、全てが奇跡だった。

 「明日にはきっと、俺はもう、こうして話せない。ただのボケた老人に逆戻りだ。だから、さっきは驚いていた。突然記憶も、意識も全てが戻って、ボケた老人から透に戻っていたから」

 違うか?と視線で問いかけるも、彼女は泣きそうな顔で首を振って否定する。けれど、それでは全くの逆効果であった。

 「そんな事…ない。透くんは昨日も一昨日も、ちゃんと余とお話しして…」

 どうしても、認めたくないのだろう。あくまで拒絶しようとするあやめ。そんな彼女に手を伸ばして、その目元を拭う。

 「…俺が起きてすぐ、飯を持って部屋に戻って来てから、少し目元が赤いぞ。流石に気づく」

 きっと隠れた所で、涙を零していたのだろう。なのに、あやめはずっと笑顔で居ようとしていた。だから指摘しなかった。けれど、もうそうも言っていられない。

 あやめを泣かせたら、絶対に許さないと言われていたにも関わらず、この始末だ。白上達が顔を出さないのも、透宛ての連絡がこないのも、頷けると言うものだ。思わず自嘲気味に小さく笑いながら、彼女の眦に浮かぶ雫を指でそっと払う。

 「大丈夫、あやめには白上や大神がいる、絶対に独りになんかならない。あやめの未来には、幸せが広がっているんだ」

 傍から見れば、孫をあやす祖父に見えない。同じ時間を過ごしてきたはずなのに、こうまで異なるものか。時の流れと言うものは、なんて不平等に流れて行くのだろう。

 でも、それでも、あやめは一人では無い。この先には、たくさんの幸せが待っているに決まっている。それを伝えれば、あやめもこくこくと頷いて、笑みを浮かべる。

 「…うん、余もそう思うよ。フブキちゃんとは一緒におしゃべりしたり、ゲームしたりして、偶に突拍子の無い事に誘われたりして、でも、全部が全部楽しいの。ミオちゃんはね、余の事一杯甘やかしてくれて、厳しいこともあるけど、余の事大切にしてくれるから、余も一杯甘えられて幸せなの。でもね…」

 溢れ出る雫は、やがて一筋の涙へと変わり、彼女の頬を伝う。幸せな未来は確かにこの先にある、あやめだってそれは理解している。それでも尚、彼女は笑みをたたえたまま、震える声で、訴えかける。

 「透くんが、居ないよ…?」

 彼女の思い描いた、未来の情景。満ち足りている筈のそこから、一部が欠けている、あって欲しいものが足りない。あやめの頬に触れる自らの手に、まるで縋る様に彼女の手が重ねられる。

 「…ごめんな」

 けれど、謝罪以外の言葉を持ち合わせない今、慰める事すら、俺には出来はしなかった。それを耳にしたあやめは、クシャリとその表情を歪めて、決して離れないようにか、ぎゅっとその手に力が籠められた。

 「嘘…つき…」

 一度、言葉にしてしまえば、感情はまるで栓が抜けた様に、口を突いて形を成す。

 「嘘、つき…、嘘つき…!」

 ボロボロと零れ落ちる涙は、遂には、その顔から笑みすらも押し流して、彼女の心情を表す。

 こんな表情をさせたかった訳では無かったのに、こうさせないための誓いの筈だったのに。どうして、こうなってしまったのだろう。

 「余と一緒に、同じ時間を歩くって言ったのに…!余の事、絶対に独りにしないって、言ってくれたのに…!」

 その悲痛な叫びは、後悔と共に、鋭い刃と化して深く胸の内に突き刺さる。

 やがて、崩れ落ちるように寄りかかってきてあやめは、やせ細った俺の体躯を強く抱きしめ、震えながら嗚咽を漏らす。

 「逝かないでよ…、余の事、置いて行かないで…」

 「あぁ、ごめん…ごめん」

 ただ謝ることしか出来ずに、途方もない無力感が全身を包み込んだ。いつも俺は無力で、最善からは程遠い場所にいる。どうしようもない程に、度し難い程に、いつだって何かが足りないのだ。

 それから暫く、言葉が尽きても尚、声を上げて彼女は涙を流し続けた。そんな彼女を抱き留めながら、しかし、自分を想い涙を流してくれているという事実に、喜びを感じてしまう俺は、何処までいっても、人間だった。

 

 

 

 

 

 

 がばりと、勢いよく布団を跳ねのけて起き上がる。慌てて見渡す部屋の中は、未だに夜の暗闇に満ちていた。

 全速力で走り切った後の様に息が上がり、心臓は痛い程に鼓動を打っている。起きがけで混乱する思考の中、全身を覆うべたりとした不快な汗の感覚が、ここが現実である事を告げていた。それを理解した途端、胸に広がる安堵のあまり、力が抜けた。どさりと背中から布団に倒れ込み、腕で目元を覆って、大きく息を吐く。

 最近よく、繰り返し同じ夢を見る。

 

 

 

 近頃は随分と暖かな風が吹くようになり、風に乗って微かに漂ってくる桜の甘い香りに、春の訪れを感じた。満開に咲き誇った桜の木を眺めながら、その人の姿を求めて、屋敷の廊下を進んで行く。

 何処に居るのだろう。屋敷中を探して歩き回ること数刻。ようやく見つけたのは、村の中心側にある縁側で、そこに腰を下ろして子供たちと何やら話している、淡い桃色の着物に白い羽織を身に纏った彼女の名を呼ぶ。

 「…あやめ」

 その声に反応して、彼女、あやめがこちらへと振り返る。

 少し、大人びただろうか。出会った当初と比べて、綺麗さに磨きがかかった。勿論、加えてかつての可愛らしさも兼ね備えている。あれから数百年ほど、過ぎた年月を考えれば、頷ける変化だった。

 そんな彼女は、自分を読んだ声の主に気が付くと、ふにゃりと変わらぬあどけない笑みを浮かべた。

 「透くん、どうしたの?そんな狐に包まれたみたいな顔して」

 「いや、今日はどうにも夢見が悪くて。多分、その影響だよ」

 話しながら、彼女の隣へと腰掛ける。とんと触れる肩からは、温もりが伝わって来るようで、思わず緩んでしまいそうになる口角を抑える。

 「あ、村長だ!」

 「村長、にやけるの我慢してるー」

 すると、こちらに気が付いたようで、あやめと話していた子供たちが口々に声を掛けてくる。

 「別に、二やついてないって」

 「えー、余からも、そう見えるけどなー」

 澄ました顔で訂正するが、子供たちに同調して、あやめまでも揶揄うように言って来て、思わず締まりの悪い顔をすれば、彼女らは揃ってくすくすと笑い声を上げた。

 かつて、鬼の集落があった跡地。訪れた当時は長らく放置されて、荒廃とした寂寥感の吹きすさぶ村だったが、今や穏やかな村の姿を取り戻していた。ここで暮らしているのは、身寄りのない子供たちに、世話を買って出た何人かの大人たちだ。

 カミとなってから、次の目標を定めようとなった時。俺はふと、ケンジの事を思い出した。身寄りのない子供が、このヤマトには少なからずいる。原因は様々だが、そうした子供たちの帰る場所の一つとして、この村を作ることにした。

 そうして、数百年と続けていく内に成人して村を離れた者から、食料が送られて来たり、情報が入って来たりもして、村の規模は中々のモノとなり、今ではそれなりに大所帯となっている。

 「そう言えば、またうどんが大量に送られてきてたな。全員で食べても、結構な量があまりそうなんだが…、まぁ、白上を呼べばいいか」

 「あ、フブキちゃんなら、明日にはこっちに到着するって。ミオちゃんも一緒って言ってた」

 手紙でも出そうかと考えていると、あやめからまたタイムリーな報告を貰い、若干顔をしかめる。

 「白上の影響でこうなった訳だが、まさか狙ってやった訳じゃないだろうな。…イッセイの家も、そんな一族の伝統にまでしなくても良いんだけどな…」

 初期の頃に独立して、うどん屋を開いた子を思い出しつつ、笑顔で大量のうどんを運んでくるその姿が脳裏に浮かんで、つい苦笑いが浮かぶ。

 白上達は、定期的にこの村にやってきては、子供たちの遊び相手になったりしている。のは良いのだが、若干名、悪い影響を受けている気がしなくもないのは、気のせいでは無い筈だ。

 あやめも同じことを思っていたのか、くすくすと笑いつつ、しかし何故かチラリとこちらに視線を向けてくる。

 「修行になりますから、だったっけ。でも、そこはフブキちゃんじゃなくて、むしろ透くんの影響だと思うよ?透くんも、口を開けば二言目に鍛錬だったし」

 「いや、それは…。…よし、今回は何のうどんにするか決めないとな。次の会議の議題にするか」

 違うと言いかけるも、心当たりがありすぎて否定しきれず、咄嗟に話題を変える。あの頃は力をつけるために必死だったのだ、カミに成ってからまだ気が抜けない時期だったのもある。何はともあれ、無事に天寿を全うしたと聞いた。今あるのは、その負の遺産みたいなものだ。

 「は、村長たちがいちゃつきだした」

 「逃げないと!」

 少しあやめと話し込んでいると、隣でそれを聞いていた子供たちが、それだけ言い残してすたこらと走り去って行ってしまった。あまりにも突然の事態に、呆然とその背を見送る。

 「…どういう事だ?」

 小さな背が見えなくなった辺りで、ようやく再起動して、疑問のあまり隣のあやめへと問いかける。すると、彼女も何処か困った様子で、頬をかいていた。

 「えっと、余達がいちゃつきだしたら邪魔をしてはならない、みたいな決まりがあるんだって」

 「…そんな規則、作った覚え無いんだが」

 「村のみんなが作ったみたい、まぁ、からかい半分っぽいから、余は別に良いけど。それに…」

 そこで言葉を区切ると、あやめはこてりとこちらに寄りかかって、肩に頭を乗せてくる。必然的に近づいた距離に、彼女の温もりをより強く感じる。

 「透くんとこうしてるの、余は好きだから」

 「…そうだな」

 少し早く鳴った鼓動から耳を逸らすように、木々のざわめきへと集中する。こればかりは、どれだけ時間を経ても慣れる気がしない。

 そこまで考えて、ふと今朝がたに見た夢の事を思い出した。

 もしかすると、あれは有り得たかもしれない、未来の一つだったのかもしれない。俺が、カミに成れなかった場合に迎える、一つの終わり。

 あの時に感じた、どうしようもない悲しさと虚脱感がフラッシュバックして、温もりを求めて、彼女の肩を抱いて距離をさらに縮める。

 「ん…どうしたの?」

 「いや、何でもない。ちょっと、こうしたかっただけだ」

 「うーん、そっか」

 突然の行動に不思議そうに見上げてくるあやめだったが、適当に誤魔化すと、それ以上追及することは無く、受け入れてくれた。

 「…なぁ、あやめ」

 「なぁに、透くん」

 名を呼べば、そうして返事が返って来る。その事実が、今はどうしようもない程に、嬉しく感じる。

 「あやめは今、幸せか?」

 おもむろに問いかけると、あやめはキョトンとした顔で目を瞬かせる。しかし、それも束の間、彼女はふわりと誰がどう見ても、幸せに満ちた笑顔で答えた。

 「うん、余ね、今が一番幸せだよ。ずっとずっと、この答えは変わらないと思うくらい」 

 その言葉は、疑う余地も無い程の真実なのだろう。少なくとも今、彼女は笑っている、それが全てだった。

 「そっか、それなら、良かった。俺も、幸せだ」

 片方だけでは無い、二人で勝ち取った幸せ。これからも、きっと辛い事はあるけども、彼女と二人なら、何でも乗り越えられる、そんな気がした。

 「ね、透くん」

 「どうした?」

 ふと声を掛けられて聞き返したが、しかしこういう時は何を言うか大抵決まっていて、想いを伝えるには、一言で事足りる。そして、想いと言うものは、何度伝えあっても良い。

 そうして、隣に座る愛おしい鬼の少女は、満面の笑みで、その言葉を紡いだ。

 「大好き」

 

 



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