平行未来観測女 (丸米)
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1 おぼろげながら浮かんできたんです。講義にも出ずレポートも出さず個人戦ブースに入り浸り単位を落としヘラヘラ笑って留年し餅食ってる髭の姿が

ワートリ杯......開幕......!


「決闘です」

 

 そう、眼前の男に向けて女は言った。

 

 女は少女だった。

 スラリとした、女性にしては高い背丈。後ろ手に結んだ長い髪。真一文字に結ばれた口。整った顔立ちは、可愛いというよりかは綺麗な印象が勝る。

 少女は凛然としていた。

 歩幅は一定で、姿勢に一切の乱れも歪みがない。声音は良く響く透くようにシャープだ。

 

 対するは、何処までも対照的な男であった。

 もじゃもじゃの髪。あまり生気というものを感じない目つき。

 黒のコートに二刀を掲げた男は──決闘、という言葉にほぅ、と呟いた。

 そして──その言葉に強い興味を惹かれたのだろうか。生気のない目とその表情が笑みの形を象る。

 

「決闘、か。──ただの個人戦じゃないんだな。天王寺」

 天王寺、と呼ばれた女は。その問いかけに一つ頷く。

「ええ。そうですとも太刀川先輩」

 

 楽し気な雰囲気の男に対し、女は何処までも真剣であった。

 

「私は貴方の強さには敬意を持っています。それはまさしく貴方の才能であり、努力の賜物でしょう。その強さを否定するつもりは一切ありません。貴方は間違いなく──ボーダー最強の隊員だ」

「ああ。当然。俺は最強だ」

「ですが。その強さ故に全てを許してしまうというならば。それはただの暴挙。──私は貴方を認める訳にはいかない」

「成程なぁ。──ならこれから決闘するとして。お前は俺に何を求めるんだ?」

「それは──」

 

 この決闘に至った理由。もとい原因は。

 

 ついぞ先日──女がある事実を知ったことに起因する。

 

 

 

 三門市には「ボーダー」が存在する。

 

 界境防衛機関。

 

 この世界には──我々が認知し、観測するこの世界とは別な世界が存在する。

 その別な世界は。我々との世界と一線を引きつつも交差している。そして我々の世界を認知している。

 時に交流し。時に同盟を組み。

 そして。

 常ならぬ──脅威として厳然として存在する。

 

 この組織が設立する以前。

 ──別の世界からの、紛う事なき「侵略」と「奪略」と「戦争」がここ、三門市にて巻き起こった。

 異世界とこの世界を繋ぐ『門』が開かれ。異世界製の怪物が跋扈し。千人単位の市民が死亡し、あるいは連れ去られた。

 

 侵略するには理由がある。そこに略奪する為の資源があり、戦争するに値する価値があるから。

 

 その全ての原因が──トリオンというエネルギーにあった。

 

 トリオン。

 それはその異世界にとっての基幹エネルギーであり。太陽であり。大地であり。あまねく自然であり。生きていくために必要な根源。

 異世界における人々が住まう星を維持する為のエネルギーである。

 

 そして。

 そのエネルギーは──人間から作られる。

 

 

 それ故に異世界人は我々の世界へとやってきた。侵略し略奪する為に。

 そして戦争となった。侵略と略奪を跳ねのける為に。

 

 

 そうして──異世界人『近界民(ネイバー)』の脅威から防衛を行うための機関が生まれた。

 それが、ボーダーである。

 

 

 して。

 侵攻によって荒廃し人がいなくなった”警戒区域”の中。ぽつねんと建てられた黒く巨大な建造物がある。

 そこは、ボーダー本部。

 最も多くのボーダー隊員を抱え、そして組織の中枢である場所。

 組織を統括する上層部の多くもこの建造物におり、日々激務をこなしている。

 

 

 そんな、本部建物内。

 天王寺恒星は、一人の男と向かい合っていた。

 

 

「──正気ですか? 忍田本部長」

「.....」

 

 男の名は、忍田真史。

 全ボーダー隊員の上に立つ前線指揮官。

 現在のボーダー組織の設立にも関わっている人間で、前身となる旧ボーダー時代からその剣を振るい続けてきた歴戦の戦士。

 

 その男が、一人の少女を前に──苦し気に表情を歪めていた。

 

「.....忍田本部長。本当に──あの男を大学に行かせるのですか!?」

 

 天王寺もまた。

 苦し気に声を上げていた。

 

「推薦という言葉の意味を理解しているのですか.....! 一体忍田さんは大学にあの馬鹿を送り込むにあたって何を薦め何を推すというのですか!? 脳髄くり抜いたチンパンジーでもまだあの男よりまともに大学生活を送れますよ!」

「君の言いたい事は、解る。本当に解る。だが.....!」

「A級1位の隊長が、大学にも行けない──確かにこの事実は痛いのかもしれない。ボーダーの顔に泥を塗る結果にもなるかもしれません」

「.....」

「しかし、大学に行けた所で──あの男がボーダーの顔に泥を塗りたくらないとでも? あの男は、大学生になったところであの手この手で泥を投げつけてくるに決まっています.....! あの男は、生き方からしてボーダーに泥を塗るように設計されているんです! そういう生き物なんです! それは──あの男の師である本部長が最も身をもって知っている事でしょう!? 同じ大学に、同じように推薦で来ると知らされた時の風間さんの顔を見ましたか!? 苦虫どころか毒そのものを飲んだかのような、あの実に不愉快そうな面持ちを! あの男と同等だと評価された風間さんがどれだけ自尊心を傷つけられたか! 解らないのですか――本部長!」

 

 太刀川慶、という男がいる。

 

 

 この男は誰よりも戦いを愛し、そして愛された男であった。

 

 誰よりも戦闘の才があり。そして誰よりも戦闘を積み重ねてきた。その果てにその男が得たものは──A級1位隊長の座であり、そして最強の隊員の座であった。

 その在り方はまさしく──戦闘狂。この言葉が相応しいのであろう。

 人は何かに狂ってしまえば、そのほかの事がおざなりになってしまう。

 太刀川慶は──戦闘に関する事項以外、ダメ人間を超越したハイパーウルトラダメ人間オブダメ人間と化していた。

 

 食う・寝る・戦うの三原理にてボーダー生活を満喫していたこの男には、学生の本分という字面のほの字すら目に映らなかった事であろう。幾度となくその事で──師である忍田本部長は頭を抱えていた。

 されど頭を抱えすぎて首から捥げ落ちたのか。よりによって──そんな男を何故か大学にぶち込もうとしているのだ。

 

 

「あの男は──存在そのものが泥なんです! 最高の戦闘能力を持つが故に捨てる訳にもいかない人の形をした泥なんです! 奴に関わる限り、泥を塗られるのは必定.....! ならば、せめて塗られるのはボーダーのみに狭めるのが、人としての道理でしょう.....! 大学まで巻き込んでは、駄目なんです.....!」

 

「しかし.....!」

 

 忍田真史は真面目な男だ。

 たとえ一隊員の言葉とは言え、それが真剣なものであるならばしっかりと耳を傾ける。それが自分の事や、自分が手にかけた弟子の事であるならば猶更。

 更に言えばそれが反論の余地のない正論であるならば、猶更。

 

 それ故に。返す言葉はだが、なり、しかし、なり。逆説の言葉がぶら下がるだけでその先の言葉を口に出来ない。

 

 その先にある言葉──それは忍田の脳内を駆け巡る。

 

 自らの息子が大学に行ける──そう聞いた瞬間に泣き崩れたという太刀川の両親の事が。ボーダーがなくなればもう人生がどうにもならない所まで来ている馬鹿弟子の未来が。要は──師匠としての親心が。

 他の上層部──特にメディア対策室長の根付辺りは、ボーダーの顔の一つである太刀川には是非とも大学に行ってもらいたいのだろう。ボーダーは民間組織であり、スポンサーの資金によって運営されている。三門市に住む市民の理解なしで存続できる組織でもない。その中で──最強の看板を掲げる太刀川に対して、世間体の為にも学歴の箔をつけてやらねばならないという意思が、そこには存在している。

 

 されど。

 忍田にとって。太刀川は間違いなく弟子であり、可愛がってきた子同然なのだ。

 情もある。親心もある。

 どれだけ迷惑をかけようとも──あの男の師匠なのだ。

 

「本部長。──それが本部の意向というのならば、私にはどうする事も出来ません。たとえそれが、どれだけ学問という概念に唾を吐きかける行為だとしても。私には止められない。歯を食いしばりながら、あの男がその存在の全てを用いて大学を愚弄する様を見つめ続けるほかない」

「......すまない」

「ですが。どうにかできる人間がただ一人残っています」

「.....?」

 

 天王寺の目は、一つの決意に満ちていた。

 

「本人自体が──大学進学を辞退する決断をするのならば、何ら問題がない。私は──必ずやあの男を”説得”してみせます」

 

 

「──そういう訳で。太刀川先輩には私と決闘して頂きます。私が勝てば、大学進学を諦めてもらう」

「ふんふん。それで、俺が勝った場合は?」

「300戦」

「ん?」

「10本勝負×30セット。私が本部にいて、なおかつ防衛任務等の業務が入っていない場合。太刀川先輩との個人戦を最優先で300戦分お受けする事を約束します」

「.....ほぉ」

 

 太刀川の目が、変わる。

 

「二言はないな?」

「己の心と尊厳に誓って」

 

 太刀川の表情に、更に深い笑みの形が象られる。──決闘を承諾したのだろう。

 己が将来を、たかだか個人戦の権利で平気で賭けられる。もうこの時点でこの男の価値観というか、狂っている部分が垣間見えてしまう。

 

「ルールはどうする?」

「一発勝負で行きましょう。決闘ですから」

「オーケー。──いや。これは本当にいいな」

 

 太刀川は、実に楽しそうだった。

 

「個人戦は楽しいが、迅がS級に行っちまってちょいとマンネリ気味だったからな。──負けられない。何か賭ける要素があるというのはいい事だ。勝負に緊張感が生まれてくれる」

「....」

 

 ──イカレてる。

 

 だがこのイカレた部分がなければこの決闘が成立しなかったのも事実。

 

 ──太刀川さんとの今までの戦い。勝率はおおよそ三割弱。普段の個人戦ならば五分の勝負とはいかない。だが──残り二割を埋める術を今回は持ってきた。

 

 一回勝負。そして仕掛けたのはこちら側。初見殺しの術を持ってきている。

 

 なんとか。この一回だけでも五分の戦いが出来るのならば──勝機はある。

 息を整え、さりとて冷静に。

 

 最強。それを相手取るにあたっての策は──もう用意できている。

 

 

 

 ・          ・          ・

 

 

 

 個人戦ブースは、異様な雰囲気に包まれていた。

 ブース周辺にはB級、C級問わず──幾人もの隊員により観覧席が埋まり、何処か緊張感を伴った空気が充満していた。

 

「.....何が起こっている?」

 

 その様を見て、ぽつり──赤いマフラーを学生服に巻いた少年が呟いた。

 

「よぉ、三輪」

「──出水」

 

 ひらひらとジュース片手に手を振る少年がまた一人。千発百中とでかでかとプリントされたシャツを上着の下に着込んでいた。

 

 三輪秀次と、出水公平。

 互いに顔を合わせ──そしてそれぞれがそれぞれの関係者に目線をやる。

 

「何をやっているんだアイツは....」

 三輪は、天王寺を見やりため息交じりにそう呟き。

 

「太刀川さんも何やってんだか」

 出水は対称的に楽し気にそう呟いた。

 

「──太刀川さんがボーダー推薦で大学に行ける、って決まった瞬間にさ。天王寺がかなりキレてたみたいでな」

「あの馬鹿が。ほっとけばいいのに....」

「まあ今まで推薦で大学行った人、ちゃんとやる事やってたからな。太刀川さんまで、となると納得できないのも仕方ないかもな~。特に真面目堅物融通利かない三段活用の天王寺なら猶更。──特に、風間さん慕っていたからなぁ」

「....それで。納得できなくて太刀川さんに噛みついているのか?」

「いいや。──推薦辞退を賭けて決闘だってさ」

「な」

「そして天王寺は個人戦の権利300戦分を条件にした。太刀川さんはにこやかに決闘を受けて──今から始めるってよ」

「は?」

 

 三輪は、出水の言葉の一つ一つに──困惑の声音を滲ませ、言葉を返していた。

 

「いや。馬鹿なのか?」

「ああ」

 

 まさか。

 大学進学の権利と、たかだか個人戦の優先権が等価だと。そう太刀川慶は思っているのか、と──

 

 

「一発勝負。太刀川さんはつえーけど、それでも天王寺は三割は勝ってるからな。その上、仕掛けたのが天王寺からって考えると無策であるとも思えねぇ。──楽しみだな」

「楽しみなのか.....。お前の隊長だろう?」

「別に高卒になろうが隊長は隊長だよ」

 

 はっはっは。

 出水公平の、実に陽気で軽い笑い声が上がると共に。

 戦いの火蓋は、切られた──

 

 

 トリガー。

 

 それは、ボーダーで用いられる武装の総称である。

 敵である近界民は、人体から生成されるトリオンというエネルギーを用いた兵隊を用いて、侵略を行う。

 それ故に──ボーダーが用いる武装もまた、トリオンを用いる。

 

 脆弱な生身の肉体をトリオン製の戦闘体に換装し、トリオンで出来た武器を手に、──外敵である近界民を排除する。

 

 

「さあて──試合開始だ」

 

 太刀川慶は、二刀を抜く。

 これが──彼のトリガー。

 

『弧月』

 その刀型のトリガーは、そう呼ばれている。

 

 仮想空間の中で作られた仮想の市街地。無人環境下、太刀川慶は──天王寺に向け斬撃を放つ。

 

 相対距離。おおよそ十五メートル。

 

 

 放った斬撃は──光を纏い、刀身が”伸びて”天王寺へと向かう。

 

 伸び上がる斬撃を一瞥し。

 足元へと向かっていることを確認した天王寺は軽く飛び上がり避ける。

 

 今のところ──天王寺には武装が存在しない。丸腰のままだ。

 

 太刀川は──飛び跳ねた事で回避手段を失った天王寺に向け二撃目の伸びる斬撃を放つ。

 

「ほう」

 

 天王寺は──その攻撃を読んでいたのだろう。飛び跳ねた瞬間から上体を折り曲げ左手を地面につける。

 コンクリの地面に──指がめり込んでいる。

 

「成程な」

 

 めり込んだ指先から、軽い地割れのようなヒビが見える。

 天王寺は──指先から武器を小さく()()()()のだ。

 

 地面にめり込ませた左手を起点に、体幹をぐるりと回し斬撃の懐に入る。

 そうして天王寺は瞬時に体勢を戻し──斬撃の効果範囲を狭めるべくタックルを行うような低い体勢から太刀川へと肉薄する。

 

 その背後に──キューブ状のトリオンエネルギーの塊を作成しながら。

 

「アステロイド」

 

 そのキューブは、更に九分割され宙に浮き──天王寺の背後より、弾丸となり太刀川へ向け放たれる。

 太刀川の肉体だけでなく、その左右の空間含め散らされたその弾丸は──空間に挟み込まれたかのような”シールド”にて阻まれる。

 

 

 ──よし。これで奴のシールドは潰した。

 

 

 ボーダーの一般隊員が用いる通常規格のトリガーは、基本的にメイントリガー、サブトリガーから一つづつ。二つの武装を切り替えながら戦う。

 メインに四つ。サブに四つ。ここから一つづつトリガーを取り出すイメージ。

 

 よって──今天王寺が放った”アステロイド”という名の射撃トリガーによる攻撃で、太刀川の武装の一つである”シールド”を発動させ、実質選択肢を一つ潰すことが出来たのだ。

 

 

 そして。

 無手だった天王寺の右手に──ようやく、得物としての形が生まれる。

 それは刃物の形をしたトリガーであった。

 

 太刀川が持つ日本刀型トリガーである『弧月』よりも、短く、小振り。

 そして物質というよりは、トリオンエネルギーが刀剣の形を纏っているかのような、光が剥き出しの刃物。

 

 それを、迷うことなく太刀川の喉元に向け突き出す。

 突き出されたそれを太刀川は上体を反らす事で回避するが──天王寺の攻撃は続く。

 突きから、引き動作。手首のスナップと上体の捩じりのみの最低限の身体操作から生み出される瞬間的な斬撃。──その全て、太刀川の心臓部位と首、頭部へと向かっている。

 

 その連撃を、太刀川は手にした弧月により迷いなく受ける。

 受けながらも体軸の回転により天王寺の体勢を微妙にずらし攻撃のタイミングを遅らせながら──長物の弧月に不利な間合いであるにも関わらず、斬撃を挟み込む。

 斬撃に対し、天王寺は全て反応する。時に回避し、時に太刀川の手首目掛け斬撃を落として動作を押し留め、時に斬撃そのものを刃先で滑らせ受け流し。

 

 

 互いの息がかかる程に肉薄した状況下。

 金切り声のような剣戟音が、間断なく響き渡っていく──。

 

 

 

 

 

 旋空。

 弧月の刀身をトリオンにより延長し、斬撃の効果範囲を拡げる──”弧月”専用のオプショントリガー。

 

 これが、この弧月というトリガーにおける最も大きな特徴。

 近接武器でありながら、射程を伸ばせる。

 

 太刀川が初手で用いた伸びる斬撃は、旋空である。

 この旋空はボーダー全武装の中で最も威力がある。先端に行けば行くほど威力は増し、シールドを易々と斬り裂く。

 

 とはいえ。刀身を伸ばし同時に斬撃を行う、という行為は非常に難度の高いもので。移動標的に対して正確に当てられる隊員はごく一部。

 

 そして。

 太刀川慶は──。

 

「旋空弧月」

 

 この難度の高い行為を、いとも容易く行使し、そして当てる能力がある。そのごく一部の隊員の一人であり──そのごく一部の中においても間違いなく最強の人間。

 

 太刀川は、猛攻を続ける天王寺の一撃を峰で弾くと共に、バックステップ。

 ステップ間の隙を埋めるべく──天王寺に向け旋空を放つ。

 

 天王寺の腹部から胸部にかけて走る斬撃。

 このまま剣が振るわれれば──天王寺に防ぐ手段はない。

 

 

 されど。

 天王寺は攻撃を弾かれた瞬間より、後方へ流れる体勢を瞬時に立て直し、バックステップする太刀川の動きに合わせ前進。

 前進しつつも斬撃のタイミングに合わせ膝を抜き上体を後方へ流し、旋空を回避。

 

「流石。読みがいい」

「それが私の強みですから」

 

 回避と同時。

 天王寺は後方へ上体を流す動きから体軸を回転させ、左足を軸に、太刀川の膝に蹴りを放つ。

 その踵から──刃を生成しつつ。

 

「おっと」

 

 太刀川は蹴りの軌道上にシールドを生成。踵から生成した刃は易々とそれを砕くが──速度は幾らか鈍る。その隙に太刀川は弧月を盾に蹴りを防護。

 防護ついでに、片足立ちの天王寺のバランスを崩させんと力を加えるが──天王寺の身体は根を張るように動かない。

 

「──ああ成程」

 

 天王寺の左足──そこから小さくヒビが入っている。

 先程左手の指先から刃を出したように。今度は左足からスコーピオンを地中に潜らせ、支えとしていたのだろう。

 

 あわよくば背後に転ばせて仕留めてやろうと思ったが──そこまで甘い相手ではなかった。

 

 

 

「──いやあ。お前との戦いはいつも長く楽しめる。いい事だ」

「それはよかったですね。──はやく負けて勉学に励んでくださいね」

「そうはいかねぇ。俺にだって親を想う心くらいある。お袋が泣いていたんだ。俺が大学に行けるって聞いた瞬間にな──」

「その所為で風間さんが泣く羽目になるかもしれないというのに.....!」

「ん? どうして風間さんの名前がここで出てくるんだ?」

「こいつ....」

 

 怒りを振り切り呆れの境地へと達した天王寺の表情は、色のない無と化す。

 

 

 ──この男は。やはり一度痛い目に遭わせなければ駄目だ。

 

 

 天王寺は、視る。

 自分の視界に映る、太刀川の姿を。

 

 そして。

 

 ──()()()()()()()()()()()()()姿()()

 

 

 ジ、っと。

 ひたすらに見ていた──

 

 

 天王寺恒星はB級隊員である。

 所属部隊はまだない。

 彼女は部隊を持たぬ辺境の支部隊員であり、個人戦をするか、何らかの事情で本部の部隊員の代打の為に本部に顔を出している。

 部隊の勧誘も幾らか受けた事はあるが、全て断っていた。

 

 

 彼女は現ボーダー設立時に入隊した、古参の隊員の一人である。

 

 ──彼女には、一つの『副作用(サイドエフェクト)』が存在していた。

 

 人間の身体に存在する、トリオン器官。そのトリオン器官から生まれる、トリオン。

 そのトリオンというエネルギーが潤沢に存在する人間の中には──時折、特殊な体質や感覚を持ち生まれる者がいる。

 

 そう言った諸々の体質やら感覚を──トリオンというエネルギーを生まれながらに多く受け入れた人間特有の”副作用(サイドエフェクト)”であると考えたのであろうか。

 

 

 彼女にも、それがあった。

 

 

 彼女のそれは、ボーダーによって”平行視”と名付けられた。

 

 彼女は、彼女を観測する他者の視界を視る事が出来る。

 自分を見る他者の視界。それを”共有する”と言い換えてもいいのかもしれない。

 

 彼女は──自分から見る視界と。

 他者から見える自分。

 

 それらを同時に見ながら、生きている。

 

 それは──ボーダー隊員としての彼女にとって、大きな武器となった。

 自分と対峙する人間が、自分のどの部位を見ているのかを視線の流れから読み取ることが出来る。多人数との戦いならば、自分がいま何人に見られているのかが解る。狙撃手が彼方から自らを狙う瞬間も、把握できる。

 

 だから。

 見える。

 

 太刀川慶が、自分の何処に意識を向けているのか。どこに攻撃を仕掛けようとしているのか。その全てが。

 自分の視界とは異なる視界が。

 だから読める。

 己に向けられた視点が。

 何処にどう攻撃を仕掛けてくるのか。

 

 

 だが。

 

「.....く」

 

 猛攻を捌き、回避し、打ち合う。

 一見この状況は互角のように見えるが──実際のところは太刀川が有利だ。

 

 ピキ、と。

 打ち合うごとに──次第に天王寺の刃に、ヒビが入っていく。

 

 

 スコーピオン。

 弧月と対を成す近接戦闘用のトリガーであり、天王寺にとってのメインウェポン。

 

 弧月に比べ軽い。軽い故に取り回しがいい。形も自在に変えられるし、肉体に”生やす”ような特殊な使い方にも対応できる。手数の多さと変幻性に富んだトリガーである。

 されど弧月に比べ脆く威力は低い。弧月と打ち合えば間違いなく先に壊れる。そして弧月に対する旋空のような、特殊なオプショントリガーもない。それ故に射程をカバーする手段もない。

 

 故に。

 スコーピオン有利の間合いで決定打が決められない状況そのものが、もうスコーピオン使いからすると不利。打ち合うごとにスコーピオンは壊れていく。耐久性と威力が完全に両立した弧月と打ち合うには、スコーピオンはあまりにも脆い。

 

 

 ──勝負を仕掛けねばならない。

 

 そうして。

 天王寺は狙っていた。

 

 天王寺は右手にスコーピオンを持っている。

 左手は、空手。

 

 

 太刀川は──天王寺の左手を警戒していた。

 その警戒する意識も、天王寺のトリガーセットの組み方が迷わせるよう出来ているからだ。

 

 

 天王寺のトリガーは、スコーピオンとアステロイド。双方ともメインサブ両方にセットされている。

 この二つの特色として──セットしても、攻撃の瞬間までその形が見えないことにある。

 

 スコーピオンは体内で隠せる。アステロイドはキューブを生成するまで武装としての形が見えない。──太刀川は、この空の左手が存在する事でスコーピオンとアステロイド双方の警戒をしなければならなかった。

 

 これがあるから。太刀川は天王寺から易々と距離を置くことが出来ない。

 セットしているのがアステロイドならば、距離を開けた瞬間に放つ可能性がある。距離を取るにせよ、アステロイドの射出タイミングを潰した上で行わなければならない。

 

 瞬間

 天王寺の空の左手に──得物が生まれる。

 

 それは右手に握られているものと同じ。スコーピオンの刃。

 

 されど、形状が異なる。

 それは──鎌の如き斜めに突き出された、鈎爪が伸び上がった刃であった。

 

「──おぉ!」

 

 左手から始動する斬撃を、太刀川は当然弧月で受ける。

 受けて尚──首の裏側を通る刃がそこに在る。

 

 そのまま天王寺が刃を引けば──首を刎ねられる形。

 太刀川は当然その形を理解しているが故に、弧月の刀身にて天王寺の鎌状スコーピオンを押しのける。

 

 天王寺は──そこまでの太刀川の動きも読めていた。

 相手が並みの攻撃手ならば、受け太刀からの引き動作で首を刎ねれたであろう。だが相手は№1攻撃手。当然、こちらの行動に即座に最適解を持ってくるであろう。

 だが。

 首を刎ねれずとも。

 鈎爪で弧月の峰を絡めとり、引く動作によって刃先を地面に叩き落す。

 

 これにて。

 太刀川の得物を、この瞬間だけ無力化に成功。

 

 その隙を見逃さず。

 天王寺は、右手での斬撃を太刀川へ走らせる。

 

「あぶね」

 

 されど。

 

 太刀川もまた、読んでいる。

 左手のスコーピオンで弧月を絡めとり無力化された後──残る刃で返しの一撃が来ることが。

 

 シールドで防げる保証はない。

 故に太刀川も、二刀目を握る事を選択。

 

 逆手に握る弧月を抜く、その軌道上で天王寺の斬撃を防ぐ。

 

 

 互いに行きつく暇もない攻防が続く中。

 互いの二刀が互いに鍔競る一瞬。

 

 この状況。

 動き出しが速かったのは、──天王寺。

 

 

 天王寺はぐるりと体幹を回しながら両の刃を弾くと共に──スコーピオンを、己の両腕から消す。

 体幹を回しつつ左足で踏み込み。

 太刀川の顔面に──掌底を打ち込む。

 

 その動きはどこまでも滑らかかつ、迅速であった。幾度となく鍛錬を行ってきた者が行える動きが、そこにあった。

 

 当然。

 その掌底そのものにダメージがある訳ではない。

 それに当たったところでトリオン体に直接的なダメージが与えられるわけではない。

 

 だが。

 その掌底を喰らった先には、二つの効果がある。

 一つに、視界が塞がれる。二つ。──掌底から、スコーピオンを生成してのゼロ距離攻撃が行使される可能性が生まれる事。

 

 スコーピオンが消えたとしても。使い手がスコーピオンと他のトリガーを”入れ替えた”のか、それとも”体内にしまったのか”を相手が判別することは出来ない。

 スコーピオンを仕舞い、掌底と合わせてスコーピオンが腕から飛び出してくる可能性を、否定できない。

 

 だから。

 太刀川は──実質のダメージが存在しないその掌底を回避するほかない。

 

 首を動かし、掌底を回避。

 天王寺はそこから。太刀川の両足の間に右足を入れ。そして残る腕で太刀川の右肩を掴んで。

 

 弧月の攻撃が届きにくいゼロ距離。

 そこで──極めて限定的ながら、天王寺は体術を用いて太刀川の動きを止める事が出来た。

 

 

 スコーピオンを使わず、あくまで体術にて動きを止めたのは。

 ──この手を使う為。

 

 

「アステロイド」

 

 背後から生まれる、トリオンキューブ。

 

 

 これを生成し、撃ち込む一瞬の時間を確保する為。

 

 

 

 二分割。

 

 時間差で二撃を──太刀川に叩き込む。

 

「では太刀川さん。──来年はちゃんと勉学に励んでください」

 

 そう天王寺が呟いた瞬間。

 

 

「──いや。楽しかった。ありがとよ、天王寺」

 

 浮かべた太刀川の笑みは。

 負けを受容したものではなく、全くの逆。

 勝ちを確信したものであった。

 

 太刀川の視点。

 それはずっと己に向けられている。己の”平行視”でそれは読める。

 しかし。視点がや視線の流れが、特定位置にいっていない。攻撃をする部位に視線をやる──という行為を、太刀川は行っていない。

 ──太刀川さんは攻撃を仕掛けようとしていない! 

 

 

「──グラスホッパー」

 

 そうして。

 太刀川が決して視線をやらなかった──己の足下に、浮かべるは。

 四角の、トリオンで形成された踏み台。

 

「距離詰めて体術で動き止めて、そこからアステロイドを撃つ。いいアイデアだとは思ったがな。──俺にはこの手がある」

 

 太刀川がそれに足をかけた瞬間。押さえていた肩から手が離れ──太刀川は上空へと向かう。

 

 ――グラスホッパー。

 バッタの意味を持つこのトリガーは――触れる事で対象を高速で飛ばす踏み台を生成する代物。太刀川はこれを用いて、上方向へ自らを飛ばしたのだ。

 

 

 二分割されたアステロイドの片割れが、凄まじい速度で向かうものの──上空に向かう太刀川を捉えられず通り過ぎる。

 

 ──避けられたか。だが、大丈夫だ。

 

 まだ一発ある。

 

 ──グラスホッパーを使ったという事は、シールドはない。その上この弾体は速度と威力に振っている。空中で回避手段もない。落ち着いて、当てろ──! 

 

 空中にいる太刀川に向けて、天王寺は指を向ける。

 その時。

 上空から──光が視え。

 

 

 

 そして。

 その指先から縦に斬り裂かれる──己の姿も同時に、視えてしまった。

 

 

 

「......クソがっ‼」

 

 斬撃を放つその一瞬まで。

 太刀川は──天王寺の姿を見なかった。

 その為、斬撃が放たれるその瞬間まで──攻撃の予兆を読み取る事が、天王寺には出来なかった。

 空中にいながら攻撃が行使される最後の最後まで天王寺を視界に入れず、太刀川は旋空を天王寺に叩き込んだのだ。

 

 彼女の副作用まで完全に見切った上での、見事なまでの一撃。

 

 斬り裂かれた半身はその姿を光に変え。換装体が崩壊し、そのまま天王寺恒星は──『緊急脱出(ベイルアウト)』の機械音声と共に、その姿を消した。

 

 

「お疲れさん」

 

 苦渋に満ちた表情を浮かべブースの座席に座り込んでいた天王寺恒星に、出水公平が言葉をかけた。

 

「.....出水君ですか。お疲れ様です」

「いや~。めっちゃいい所まで行ったのに。惜しかったな」

「.....こちら側が完全に一発勝負前提の準備をしたうえでこのザマです。思った以上に私と太刀川さんとの差は大きい。......申し訳ありません風間さん。私の力不足です」

 

 はぁ、と、一つ溜息を吐く。

 その姿を──三輪秀次もまた、見ていた。

 

「.....天王寺」

「.....こんにちは三輪君」

 天王寺の姿を見る三輪も三輪で。

 天王寺の姿を一瞥し、一つ溜息を吐く。

 

「何をやっているんだ.....?」

「太刀川さんに決闘を仕掛け、そして無様に負けた所です。ええ。あまりにも無様。無様すぎて腹を切って死んでしまいたいくらいです」

「あんなの、ほっとけばよかったのに...」

「納得できないことがあって、それをほっとくという選択肢は私にはありえない。──私は全力を尽くし、結果はそれでもどうにもならなかった。悔しいですが現実は受け入れるほかない。精進します。.....それにしても、無様......!」

 

 そうして項垂れていると。

 

「よ、天王寺」

 黒コートの男が、またも眼前に現れた。

 

「....太刀川さん」

「いやぁよかった。久々にスリルある戦いを味わえたわ。ありがとさん」

「....そうですか。それはよかった」

 

 どんよりとした天王寺の声に、変わらぬ調子の太刀川。

 何処か微妙な空気が流れている。

 

「お前も──(ブラック)トリガー争奪戦で迅に負けてから、腑抜けちまったのかと心配だったが、杞憂だったな。俺も迅がS級に行っちまってちょいやる気なくなってきてたけど──いい相手が見つかった」

「.....」

「300戦、よろしくっ」

 

 そう言い捨て、太刀川慶は手をひらひらさせて──また別の個人戦ブースの中へ消えていった。

 

「....」

 

 ──(ブラック)トリガー争奪戦。そのワードを聞き、天王寺の表情が更に渋面を形成していた。

 

「.....このところ負け続きですね。本当にどうしようもない」

 

 では、と。天王寺は呟き。

 

「私は寮に帰ります。それではさようなら」

 

 そうして。

 彼女は出水と三輪に一礼し、鞄を手にそのまま歩き去っていく。

 

 

 そうして。

 ボーダー本部から出て、周囲に誰もいないことを確認し。

 トリガーオフ、と口にする。

 

 その瞬間──換装体から、生身の肉体に戻る。

 

 それは、

 

 ──左腕が鉛のようにぶら下がり、そして左目に大きな眼帯を付けた姿であった。

 

「.....」

 

 彼女の左腕は、もうまともに動かない。

 彼女の左目は、もう何も映さない。

 

 ──彼女もまた。三門市の第一次大規模侵攻の時に、そこにいたのだ。

 

 いや。

 

「敗北は、受け入れろ」

 

 彼女は、侵攻が起こる以前からそこにいたのかもしれない。

 もしも自らの運命を観測した瞬間。その未来を観測する瞬間まで遡るのならば──。

 

 

 彼女が三門市内で、一人の男に視られてしまった時から。

 彼女は、そこにいたのだ。

 

「あの男と並び立つのだと決めたのなら」

 

 ──これは。他人の視点が見えてしまう女が、未来を視る男の視座を識ってしまう話だ。

 

 始まりの場所は、三門市内のショッピングモール内。

 ──迅悠一に彼女が視られてしまった瞬間に遡る。




平行視

自身を観測する他者の視界を視る事が出来る、という副作用。

他者が天王寺を視界に入れた瞬間、その他者の視界から見た光景を天王寺は脳内で自らの視界と同時再生する。

その見え方は、その人間の性質が反映されたものになる。視力の差異や、色覚の差異などによって異なる見え方も再生される。更に、その視点が何処に意識が向けられているか、という部分も認識する事が可能である。

そして。
見る事によって発生する副作用がある他者の視点もまた、見る事が可能となる。


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2 運命とは己の意思によって変わっていく。だからこそ、運命は己の意思で変えられるのです。

「──本当に」

 

 左目と左腕に焼き鏝されたかのような熱が宿り、そこを起点に激痛が走っていく。

 あまりに痛い。

 今まで味わったことのない程の、痛み。

 泣き叫びたくなる。

 何故今まで泣き叫べなかったのか、不思議なくらい。

 

 

「──無茶するお嬢ちゃんだ」

 

 周囲には、巨大な化物共の残骸がある。

 家々が壊され。道路は砕かれて。そして火の手が彼方には上がっていて。

 

 非日常の中。味わわされたことのない痛みを叩きつけられて。

 

 それでも。

 それでも──。

 

「でも....無駄では、なかったんでしょう.....?」

 

 震える声で。

 眼前で自らを見下す存在に──そう声をかけた。

 

 サングラスを額に置いたその男。

 その言葉に──笑みを浮かべて。

 

 その表情を見た瞬間。

 今ここで、自分にまつわる全てが──この場においては終わったのだと。

 その安堵と同時に、激痛が全身で暴れ狂い──意識がぷつりと叩き切られた。

 

 

 天王寺恒星は物静かで従順な少女だった。

 

 ──私は、視られている。

 

 彼女には、一つ。生まれ持った性質があった。

 

 ──私の目じゃない。私以外の誰かが、私を見る光景を。私は視ている。

 

 それは。

 天王寺恒星を観測する誰かの視界を、天王寺恒星自身もまた認識するという。特殊能力か、超感覚か。とかくそういう代物を彼女は持っていた。

 

 親が彼女を見る視界。

 教師が彼女を見る視界。

 友達が彼女を見る視界。

 男の子が彼女を見る視界。

 

 その全てを、彼女は視ている。

 

 ──例えば弱視の母が見る世界はこんなものなんだ、とか。

 ──例えば成績にうるさい父は、娘そのものよりも、彼女がもつテスト用紙の方に意識が向かっているのだな、とか。

 ──この人は私が赤色だと思っているものが若干緑色に見えているんだ、とか。

 

 そういう風に。

 幼い頃から。自分から見た視点以外の、他者の目がある事を知っていた。

 それは己の感覚として存在していた。

 自分は誰にどういう風に見られているのかを。認識しながら生きてきた。

 

 

 世界は自分を中心に回っていない。

 回転する世界の中の一つ。それ以上でも以下でもない。世界は回る。己がいなくとも回る。世界という球体は。社会という歯車は。誰かの人生は。自分がいなくともただただ回っていく。

 自分というものが特別でない。それを感覚として受け入れるほかなかった彼女は──至極正しく”他人からどう見られているのか”を意識する人生を送っていた。

 

 

 それ故に、物静かになった。

 自分が自己主張する姿が、どういう風に周囲に見られるかを理解していたから。

 

 それ故に従順だった。

 両親も教師も、自分という存在ではなく。自分が纏う付加価値にしか興味がないと知っていたから。習い事も勉強も、ただただ静かにこなしていた。

 

 

 ──何も。何も無かった。

 ──やりたい事も。何かに反抗する意思も。何もかも。

 ──だからこうなった。周囲の人間を慮るという行為の裏側には。自分という存在に内在する意思が何もないという事実だけが存在していて。

 

 親の友達が君には才能があるというから、柔道をやり始めた。

 その友達の友達に無理矢理誘われたから、空手も始めた。

 

 いつの間にか親は、勉強ができる自分よりも武道全般に才能がある自分に価値を感じ始めた事を悟った。

 

 ただただ、従順だった。

 親の視線は。今度は自分が手にしたトロフィーに注がれるようになった。

 

 お前は間違いなくオリンピックに行ける。

 メダルだって夢じゃない。

 そんな言葉が。自分ではなく、自分の背後にあるものに視線を彷徨わせて言っていた。

 

 

 

 ──ねえお父さん。

 ──これがお父さんにとって特別な事なの? 

 

 

 心の中で浮かんだ言葉は、喉奥を通らない。

 

 

 ──ここには、私の選択なんてものは何もないのに。

 

 

 見える未来は、何もなかった。

 少なくとも──天王寺恒星にとっては。

 

 

 三輪秀次と天王寺恒星は、特段の関係性は無かった。

 同じ学校に通う顔見知りで、家がまあまあ近い。

 それだけの関係であった。

 

 ただそのそこそこな距離というのは──たとえば彼が高熱にかかって休みになった時にプリントを持って行く、という位の距離感で。

 その時に凄く素敵な笑顔のお姉さんが出迎えてくれて、プリントを受け取ってくれた事を──よく覚えていた。

 だからこそ。

 地獄の光景を思い知る。

 

 

 

 

 ある日のことだ。

 なんか変な男がいた。

 サンバイザーみたいなサングラスを額にかけている男。

 

 その男は実に深刻そうな表情で周囲を歩いていた。

 その男と、目が合った。

 

 

 そして。

 

 

 

 視えた

 

 

 

 

 

 ──崩壊する家屋。焼け爛れる家々。進行する化物。泣きはらす子供の顔。倒れる電柱。割れるコンクリ。苦痛に満ちた表情。連れ去られる人々。諸々。全て諸々。崩壊する日常と形成される非日常と数々の死の、その諸々。

 

 

 

 そして。

 

 

 

 

 ──化物に捨てられ、胸辺りから血を吹き出し絶命する女性を、抱きかかえ涙を流す一人の男の子

 

 

 

 

 

 頭をぶん殴られ臓腑の奥から熱した針がぶっ刺される感覚が胃液と共に逆流して。

 その時天王寺恒星は──胃の中全てを吐き流して意識を失っていた。

 

 

 何が起きたのか。その時には理解し得なかった。

 そしておぞましい程に、後々理解してしまったのだ。

 

 

 

 これは。

 枝分かれする未来。

 自分という視座から得られる未来。それを視る男。その──視点なのだと。

 この光景が幻覚でも幻想でもなく”未来”であると実感したのは。

 そこに在る光景の一つ一つが、あまりにも現実と地続きであるという実感が籠められていたから。作り物ではない地獄がそこに在る手触りまでもが、己の脳裏を駆け巡っていたから。

 

 

 

 

 

「あ......あ、げぇ。えぇ。げ」

 言葉も出ない。

 呼吸すらできない。

 あまりにも予想しえない。

 

 

 それが。

 言葉もなく、ただ互いの視点を互いに交差させてしまった──迅悠一と、天王寺恒星との出会いだった。

 

 

 

 

 

 ──何を言っているんだお前は。

 

 はじめて。

 

 ──馬鹿なこと言っていないで、さっさと支度をしろ。明日から大会だぞ。解ってるのか?

 

 力のない、特別でない自分の在り方が。怖く感じてしまった。

 

 ──いつまでも口答えをするな! 支度しろと言っているだろが! 

 

 誰も。

 誰も信じてくれない。

 この場所が地獄になるなんて。

 だから逃げてと言っても。

 

 

 私は特別じゃない。

 私だけが知ってしまった。私だけに内包されたものは。誰も、何も、動かす事は出来ない。

 

 

 ──全く。こんな大事な時期に体調を崩すなんて。自己管理がなっていない証拠だ。

 

 

 私には何も力がない。私は特別ではない。

 当たり前の事実。

 受容し続けてきた現実。

 

 それが。

 

 

 こんなにも、恐怖だったなんて。

 

 

 これが未来に起こる事だなんて。そしてその未来を、特別でない自分は何も変えられはしないなんて。

 

 

「あ....」

 そうして。

 何も変える事が出来ないまま──未来が到達してしまったことを、五感全てで感じた。

 彼方から轟く、爆音と悲鳴によって──。

 

 それは──後に第一次侵攻と称される。

 次元の彼方の来訪者──近界民の、襲来であった。

 

 

 父は必死になって私の手を引き、火災とアラームが鳴り響く三門市を走っていた。

 

「急げ!」

 

 母はどうしているのだろうか。

 学校の、他の皆はどうしているのだろうか。

 そんな事を思いながらも──それでも、今自分は、自分の為に、逃げていっている。

 

 

 

 

「あ....」

 

 そして。

 見えてしまった。

 逃げ出す方向と逆の方角に見えた──三輪家の天井と。

 その方向に歩いていっている、化物の姿。

 

 見えた。

 見えて、しまった。

 

 

 

 デジャビュする。

 あの時に視えた光景が。

 あの化物に殺される、女の人の姿が。そしてその女の人を抱きかかえる、男の子の姿が。

 

 

 自分だけ。

 そう、自分だけ。

 自分だけが──知りえている。その未来の先。

 

 

 

「.....」

 

 

 ──だからどうした。

 ──お前は特別じゃない。

 

 

 

「......ッ!」

 

 今自分が未来の岐路に立たされていることを実感する。

 あの男と出会って見えた未来。なにもしなければ、きっとあの通りになってしまう。その確信がある。

 知ってしまったから。

 未来というあやふやなものを。無数の選択を。枝分かれすると言っても、それでも──そんなあやふやなものを、選び取れてしまう力が、あの一瞬だけ宿ってしまった。

 何も。何も選択した事のない自分の手に。

 怖い。

 怖くてたまらない。

 このまま──見えた未来を見て見ぬふりしてあの光景が現実化してしまう事が。知った上で見て見ぬふりをした自分と向き合う事が。

 知らなければ。

 知らなければ、こんな恐怖を覚えることも無かったのに──! 

 

 

 ──お前がいなくとも世界は回る。

 ──お前が何をしたところで、何も変わらない。

 ──だからこのまま、何もせず。回る世界に従順であり続ければいいんだ。

 見過ごそうとする己の心を慰撫する言葉が生まれてくる。

 見て見ぬふりしていいのだと。

 それが、自分という存在なのだから、と。

 どうせ──何も変えられはしないのだと。

 

 

「.....」

 

 

 本当に? 

 本当に何も変わらないのか? 

 いや。

 

 そもそも。

 

 

 ──何かを変えたい、と。そう本気でも思った事が一度だってあったのか。

 

 今。

 恐怖を抱いている自分は。

 あの光景が現実になる事を、何よりも恐れている。

 

 このまま。

 この恐怖を見て見ぬふりして流されて。

 何が変わる? 

 

 

 必死に自分の手を引く父の手を。

 ──反射的に、払いのけてしまった。

 

 

「──恒星!」

 

 

 その時の父の目は、驚愕に染まっていた。

 今まで、一度だって逆らった事のない娘が。

 この──極限状態の中で。はじめて、己が手を払いのけた。

 

 

 

「ごめんね、お父さん──」

 

 

 そして。

 必死に逃げてくる人波の中に──小さな身体を捻じ込んで、逆らうように歩を進める。

 

 運命は人のあずかり知らぬ所にある。

 きっと。あの瞬間にあの未来を知ってしまった事も。またどうにもならぬ運命だった。

 そして運命は、告げている。

 ──変わりたい。

 

 何も変えられないと諦めていた自分という在り方を。

 恐怖に塗れた未来の光景を、見て見ぬふりして流そうとする在り方を。

 ──誰かを気にして”私”を持てない、自らの存在そのものを。

 

 変えたい。

 いや。

 ──この瞬間に、変えてみせる! 

 

 その時に思った。

 運命とは──己の”意思”なのだと。

 現実という結果ではない。

 己が意思によって選んだ一つの選択から導き出される、未来を掴もうとするその手が。向ける目線が。踏み出す一歩が。流れ出す身体が。その始まりの意思こそが。──間違いなく運命なのだと。

 何故ならば。

 この意思だけは──己にも、他者にも、何者をもっても変えられぬ代物だから。

 変わりたいと願う意思。

 それだけは──変えられない。

 

 

「私は、私を変える。──変えてみせる!」

 

 拒絶してみせる。

 このちっぽけな、何の力も持てない一個の人間が。

 

 一人の人間の未来を。

 受け入れざる未来という現実を。

 

「恒星! 恒星ェェェェェェ!」

 私を見る、父の視点が見える。

 でもその光景に振り返ることは無い。

 誰に見られようとも。見る方向は、自分が決める。

 何処に向かうのかは──自分だけが、決めるのだから。

 

 

 

 走る。

 化物に向かって走る。

 身体を鍛えていてよかった。だから走り続けられる。

 ──ずっと不平を言わず流れるままだった自分すらも、今自分は力に変えることが出来ている。

 

 間違いない。

 今この時ここに私がいる事は──間違いなく運命だ。

 

 

「──この、化物.....! 私を、見ろォ‼‼‼‼」

 

 

 化物。

 人の命を奪う、化物。

 お前が相手だ。

 

 見られるんじゃない。

 ──私を、見せてやるんだ。

 

 地面に落ちていた瓦礫を──ステップを踏んで、思い切り腕を振り上げて投げる。

 

 放物線を描く瓦礫は、化物の頭部にぶち当たる。

 

 間近で、はじめて見る。

 

 巨大な身体に四足がつき、大きく開かれた口には大きな目玉が付いている。

 化物は──こちらを見ると。べ、っと何かを吐き出した。

 

 

 それは──胸辺りから血を流した、人間の姿。

 

 

「.....」

 

 そうか。

 ここにいるという事は。最終的には自分もああなる事なのだ。

 

 

 

 それでも──

 

 

「.....来い、化物!」

 

 

 それでも。後悔はない。

 なぜならば──これが運命なのだから。

 己が選んだ。己が掴んだ。己が欲した。そういう、運命なのだから。

 

 

 奇しくも──彼女が持つトリオンは。その化物を引き付けるには十分な価値があった。

 だから。

 化物は、──あの光景にあった。三輪秀次の家からその身体の方向を変え、天王寺恒星を見た。

 

 化物が彼女を追う。

 

 それと同時に──彼女もまた走り出した。

 避難する人々とは逆の方角。

 化物が跋扈する方角へ向かって。

 もう帰ることは不可能な場所へ向かって──。

 

 

 

 そのでかい図体をした化物のスピード。動きそのものは鈍重そうだが、それでも生身の自分がその速度に勝てる訳もない。

 だから、出来るだけ狭い路地を走っていく。

 狭い路地を抜け、家垣を飛び越え、走る。走っていく。

 火の手が上がる街の中。

 髪の毛や服がチリチリと焦げていく感覚に襲われながら。走る。走っていく。

 

 

 化物は路地を形成する家々も、家垣も、破壊し、踏み尽くし、追っていく。

 

 

 

 背後を見るな。

 前だけを見ろ。

 

 

 恐怖に身を竦むよりも早く走り出せ。

 

 まだだ。

 まだまだ。

 足はまだ死んでいない。

 

 

 

 このまま逃げて。

 少しでも先に。少しでも前に。

 

 それだけ──あの未来が実現する可能性が狭まっていくのだから。

 

 

 

 ──ワァァァァァン! 

 

 

 それは。

 泣き声だった。

 己の視界の外側から聞こえてきた、そんな──

 

 

 ──ママァァ! 

 

 

 前だけを見ろ。

 前、だけを。

 

 そう言い聞かせてきたはずなのに──。

 

 

 見てしまった。

 そして

 

 

 

 左側の視界が、潰れた

 

 

 化物が吹き飛ばした瓦礫が、左目に。

 

 

 ぼやけた視界に見えるは。

 自分よりも更に、幼く小さな子どもの姿。

 その頭上に──化物の足が迫ってきている光景が。

 

 

 

 ──ああ。

 

 ──私は。

 

 

 これが。

 これが、私の運命の果てなのか。

 

 

 

 私の意思が選んだ未来の果てに。変えると決断した先が。

 別の幼い命を犠牲にする帰結だったのか。

 

 避難する人々の逆を行けば、犠牲になるのは自分だけで済む。

 そんな無意識の”甘え”が、ここにこういう状況となって眼前に現れてしまった。

 私が連れてきた化物に、幼い命が食い殺される。そんな結果が。

 

「──逃げて!」

 

 子どもを突き飛ばした左腕が、そのまま化物の足に巻き込まれ。

 圧迫と共に骨も肉も神経すらも磨り潰される感覚が、左腕を起点に全身に襲い掛かる。

 

 

 

「....」

 

 

 終わり。

 化物の顔が、近付いていく。

 

「.....」

 

 

 あの子は──。

 突き飛ばされたまま、腰が抜けている。

 畜生。

 

 

 ──私は。一人を救おうとして。そして一人を犠牲にしてしまった。

 

 

 

 何が運命だ。

 何が──

 

 

 

 

「──本当に」

 

 

 化物の、眼球が斬り裂かれる。

 その先に。

 

 

「──無茶するお嬢ちゃんだ」

 

 

 ──サングラスを額に置いた、あの男が現れた。

 

 

 

 物語は、この話の冒頭に巻き戻る。



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3 決断とは、決めて断つと書くんです。どういう意味か解りますか?決断するという意味です

時系列が結構しっちゃかめっちゃかになっているの、本当に申し訳ありません。



 ──こうして。天王寺恒星にとっての第一次侵攻は終わった。

 

 失ったものは、己の左目と左腕。

 ――左目は完全に失明です。左腕も、リハビリを頑張っても動かせる保証はありません。もう何かを持つ事は出来ないと。そう言われた。

 

 

 それが、──未来を変える為の、代償だった。

 

 

「....恒星」

 

 その姿を見る父親の視界は、その目と腕に集中していて。

 そして己が目で見る父親の表情は、ひたすらな失望に満ち満ちていた。

 

 ──ああ。

 ──私はこの目が怖かったのだろうなぁ。

 

 それでも。

 それでも後悔はない。

 

「──何故....あんな事をした!」

「....ごめんなさい。お父さん」

「謝れば済むと思っているのか....! 質問に答えろ! なぜあんな事を....!」

「父さんの質問には答えたいと、本当に思っている。でも.....信じてもらえない事も解っているから」

「何だと....!」

「私が”化物に襲われる”って言った時──父さんは信じてくれなかったでしょ?」

「....」

 

 

 それと同じ事だよ、と。

 そう彼女は父親に告げていた。

 

「いいの。それでいいの。お父さんにとっては──私が将来柔道なり空手なりで活躍して、オリンピックに出て、皆の喝采を得る事が重要だったんだと思う」

「....」

「それでも──私にとっては、そうじゃなかった。そうじゃなかったんだ.....。あの時に私は、私が『やるべき』と思ったことがあった。それは──父さんの願いよりも、ずっと重要な事だったんだ。だから父さんがどう思おうが――私はこの結果に後悔していないから......!」

 

 

 ──もう、決めた。

 ──誰かが望む私じゃない。

 ──私は私がなるべきだと思える私になるんだ。

 

 

 あの時──逃げ出していたら。

 逃げ出した果てにある五体満足の身体の中に。

 何が在るというのか。

 何もない。

 ただ流されるままの、成りたくもない自分がいた。誰かに望まれるままの自分がいた。そして――何に成りたかったのか、何を成し得たかったのか。それら全て見て見ぬふりをし続けるだけの運命が残されていた。

 

「──父さんは失望したのかもしれない。でも....私は望みを得ることが出来たから」

 

 きっと。

()()()以外、誰も理解することは無いのだろう。

 それでも、後悔はない。

 

 失ったもの以上の、何かを得られたから。

 だからこそ。

 この代償すらも――愛おしい。そう思えるから。

 

 

「やあ」

 

 そして。

 あの男が、現れた。

 

 

 病院の屋上にて。

 あの男がいた。

 

 あの真剣味ある表情はどこへやら。へらへらとでも言おうか、飄々とでも言おうか。そういう笑みを浮かべているものの──こちらに視線は向けないまま。

 その意図を理解し、天王寺もまた彼に視線を向ける事無く屋上からの景色を見る。

 そこには──ぽっかりと空いた穴の様な荒れ地が見える。

 .....あれは。確かな現実だったんだ。そうざまざまと思わせる光景が、ここからでも見える。見えてしまう。

 

「確か、天王寺ちゃんだったね。どう? ぼんち揚げ食う?」

「いりません」

「ありゃ。つれないな」

「消化に悪いのは入院中に食べない方がいいでしょう。──私の名前は天王寺恒星です。貴方は?」

「迅。迅悠一。よろしく」

「はい。よろしくお願いします。──まずは。私を助けてくれてありがとうございます」

「.....ああ」

「それで。ここに来てくれたという事は──教えてくれるという事ですか。あの時に、何が起きたのか。そもそも貴方は何者なのか」

「勿論。その為に俺はここに来た。──俺は、未来を視る事が出来るんだ」

 

 そう迅がいうと。

 やはりか、と天王寺は思った。

 

「俺は他者を視て、その人の未来を視る事が出来る。──俺はあの時、人が集まるモールを歩きながら皆の未来を見ていた。あの侵攻に備える為に。そうしたら──天王寺ちゃん。君と目が合った」

「....はい。私も覚えています」

「俺は。あの時に大きく未来が動いた事を感じ取った。それは何故なのか全く解らなかったけど。──俺が救う事を諦めていた人が、生きる”目”が出てきたんだ」

「....」

「俺の未来を視る力は完璧じゃない。視える光景は幾つも枝分かれしているし、最悪と最善の未来が隣り合っている事もある。そして行動次第で未来が視える事が状況をより悪化させる事すらあり得る。──俺は。あの時最善を選ぶ為に切り捨てようとしたものの一つが変わる瞬間を見たんだ」

「.....私は。子供のころから不思議な感覚を持っているんです」

「....」

「私が誰かに見られると、その視点が私にも見えるんです。そういう感覚が昔からあるんです」

 

 例えば弱視の人の視点はぼやけていて。

 逆に凄まじく目がいい人はとても鮮明で。

 

 ──未来が視えている人なら、

 

 

「成程ね。──そういう事か」

 

 この瞬間に、迅悠一もまた納得した。

 

 

「天王寺ちゃんも──副作用を持っていたのか」

 

 

 他者の未来を視る事が出来る男と。

 自分を視る他者の視点を得ることが出来る女。

 

 二つの副作用が交差した瞬間に生まれた瞬間が、あの時で。

 そうして得られた運命こそが、──迅悠一にとっても。天王寺恒星にとっても。未来が変わる一手となりえたのだ。

 

「.....私は」

 ただ一つ。

 天王寺にとっての実感。

 

「──私が特別ではないのだと、そう思っていました」

「....」

「でも違ったんです。私は、特別になる事で何かを背負う事を拒絶していただけだったんです」

 

 自分は、他人に見られている。

 その視線の中で──自分が見えている世界の他に、別な世界が幾つもある事を知った。

 自分がいなくとも回る世界を知った。

 

 それでも。

 いや、だからこそ。

 

 他者がいるからこそ。自分とは異なる視点で生きている人間がいるからこそ。”自分”を持たなければいけなかったのだ。

 自分がいなくとも世界は回る。

 それでも──自分が刻み付けたものは無にはならない。

 自分が踏み出した一歩が運命となり──ちっぽけでも、未来を変える為の何かになれる。

 

 結局。

 自分を持ち、他者に影響を与え、──己の運命を変える事を恐れていた。ただそれだけの事だった。

 

 

「迅さんは。──他者の未来が視えるんですよね」

「うん」

「迅さんは──怖くないんですか? 貴方こそが、何よりも特別で──何よりも他者に影響を与えてしまう。そういう責を負ってしまっている」

 

 先程。

 救う事を諦めていた、と迅悠一は言った。

 彼は選定しているのだ。

 救う人間。

 救えない人間。

 

 

 最善の未来、と彼は言った。

 彼は選定しているのだ。

 何が最善で。

 何が最悪か。

 

 

 選定できる力を持ち、選定するべき責を負い、己だけで生み出した結果を、己だけで受け止める。

 そういう運命を背負ってしまった人間で。

 

 

 

「.....悪いけど。それは答えられないな」

「そうですか。ならば私の言葉を聞いてください」

 

 天王寺恒星は、真っすぐに迅悠一を見る。

 こちらに視線をやらぬよう、迅は視線を下げている。それでも、見る。

 

「貴方が選定し、取り零すほかなかった未来を。掬い上げられる──そんな存在に私は成りたい」

「.....」

 どれだけ限定的であろうとも。

 天王寺は、迅に見られる、という状況に限り──迅と同じように未来を視る事が出来る。

 彼が必要な時に、彼と同じ光景を見られる。そういう存在で在れるのだ。

 だからこそ。

 もっと強くありたい。

 しかし。たった一つの未来を変える為に、ここまでボロボロにならなければならない己ではどうにもならない。

 だから、

 

「教えて欲しい。私はどうすればそう成れる? どうすれば戦うことが出来る? ──もう、逃げはしない。だから。戦う手段が何処にあるのかを教えて欲しい」

 

 

 そう聞くと。

 俯いた表情から。

 口元だけが笑みの形を象って──。

 

 天王寺を、見た。

 

 

 その時に流れ込む、彼の視点には。

 

 今ここにはない建物や。今ここにはいない誰かがいて。

 そして。

 今ここにはいない──天王寺恒星の姿もまた、あった。

 

 

「──今見えた未来は?」

「必ず。これからすぐに起こる未来だよ」

 

 

 そうして。

 扉は開かれた。

 

 

「──ボーダーと言うんだ」

 

 

 己が望み、戦いに身を投じる。

 己が決定した運命への、扉が。

 

 

 

 

 こうして。

 天王寺恒星はボーダー隊員となった。

 

 己の選択により、望まれた未来を捨てた彼女は。

 己が望む未来を、確かに選択したのだ。

 

 

 

 

 

 ・         ・          ・

 

 

 

 

 

 

 しかし――

 

「ほい。これで百本目だな」

 

 

 春が過ぎた。

 太刀川慶は大学生となり、天王寺恒星は高校生になっていた。

 

 決闘の代償である300本勝負は、まだ続いていた。

 

「勝率、以前よりも上がっているじゃないか」

「.....まだ三割程度です。まだまだ及ばない」

「ん?そうか。――まあでも以前より強くなっているとは思うぞ」

 

 正直な所。

 ボーダーという組織を舐めていた。

 

 

 天王寺恒星は、アスリートの世界においては間違いなく才能の塊であった。

 他の人間が丸一日かけて覚える動きを、一目で覚えることが出来た。

 同じ動きが出来るまで何日もかかり。そして練習を怠れば忘れてしまう事を。彼女は一瞬で身体に覚え込ませる才能があった。

 

 彼女が持つ、アスリートとしての才能は確かなもので。それはボーダーに入っても大いなる力となった。

 

 ボーダーは、トリオン体という仮初の肉体で戦う。

 この仮初の肉体は、トリオンというエネルギーで構成されている。その肉体そのものの強度は誰であっても変わらない。――つまるところ。このトリオン体の操作に関して差がつくのは肉体ではなく。肉体を動かす技術や、センスという事になる。

 この部分において、天王寺は間違いなくボーダーでもトップの才覚があった。ボーダーに入るまでに積み上げた技術や、生まれながらに備えた資質は――トリオン体の操作という部分において、大いなる力となった。

 

 それでも。

 ――どれだけ研鑽を積み重ねようとも、勝てない存在がいた。

 

 弧月を、そして旋空を扱う天才が。

 莫大なトリオンを宿した射手の王が。

 そして――未来を読みながら戦う傑物が。

 

 彼等は、天王寺とは異なる。

 彼等はアスリートとしての才能ではなく。ボーダーの隊員としての才能があった。

 

 天王寺は――異なる分野で生まれ持った才能と、培った技術を転用して戦っている。

 彼等は、最初からボーダーで戦うための才覚を持ち、ボーダーで戦うための技術を培い戦っている。

 

 ここに――どうしようもない差があるように思えた。

 

 他の隊員と異なり、部隊を組むこともせず。部隊での連携の訓練もすることも無く。ただひたすら自己鍛錬だけ行ってきたうえで。それでも――勝てない存在がいる。

 それが――どうしようもない事実。

 

「そもそも。――お前、ボーダーで一番強くなることが目的なの?」

「.....一人で、独立して戦える存在になりたいとは思っていましたね」

「あー。だから黒トリガー欲しがっていたのか」

「はい」

 

 

 

 天王寺恒星の一般ボーダー隊員の評判はおおよそ真っ二つ。

 ──常に自己鍛錬を怠らない、ストイックな隊員だと評価する者と。

 ──隊も組まずに鍛錬ばかりしている奇人変人の類とする者。

 

 ボーダー隊員は、三つのランクに分けられる。

 C級、B級、A級。

 

 

 

 C級はボーダーに入隊したばかりのランクで、ここから同じC級内での訓練や個人戦を繰り返しポイントを稼ぎ。

 そのポイントが4000を超えて、晴れてB級隊員となり──ここからが正規入隊となり、給与が発生する。

 そして。

 更に上に行こうとするものは──”部隊”でA級に上がる必要がある。

 

 

 

 A級部隊に入るか。それともB級部隊からA級に這い上がるか。個人でA級に上がるのは、ボーダーのシステム上不可能である。

 彼女はボーダー設立当初から入隊している古参の隊員でありながら、隊を組まず、ひたすら自己鍛錬を行ってきた。

 防衛任務は他の隊と連携して行い。後はブースに入り訓練を繰り返す。個人戦も数多く行っており、その戦績も非常にいいときて、個人戦大好き勢からの評判はすこぶるいい。

 

 

 

 しかし。今まで誘いが来た隊全ての勧誘を断っており。その中にはA級部隊もあったとの噂も流れ。──いつまでも辺境の支部に居座って個人戦するだけの、実のところ凄まじく協調性がない人間なのではないか? という疑問を持つ隊員も多い。

 彼女が──これまで隊を組まなかった理由は、ただ一つだけ。

 

 

 それは。

 ──彼女が狙っていたのは。A級ではなく。

 S級、と呼ばれる地位であった。

 

 黒トリガー、とよばれるものがある。

 それは優れたトリオンを持つ者が己の命を代償に作り上げる、特製のトリガー。

 

 それは通常規格で用いられるノーマルトリガーとは別格の性能を持つ、特殊な代物で。

 その中で──天王寺恒星は、風刃と呼ばれる黒トリガーに”適合”した。

 

 

 黒トリガーは、それを発動できるかどうかの適性も求められる。適合できる人間は、ほんの一握り。そして晴れて黒トリガーを手にした人間はS級という座を手にする。S級はその黒トリガーの性能故に部隊を組むことが出来ず、その一人が一部隊扱いとなる。

 されどその風刃は──黒トリガーでありながら多くの適合者を出したため。ある時、争奪戦を行った。

 

 その争奪戦に向け。隊も組まず。一人でただ鍛錬を重ねに重ね。あらゆる対策に奔走し。そして、その果て。

 

 

 争奪戦の最後に生き残ったのは、迅悠一と天王寺恒星。

 互いの刃が交差する中、勝者となったのは──迅悠一であった。

 

 

「しかし。負けてしまったものは仕方ありません。あの時間違いなく迅さんは私以上に強かった」

 

 無論。

 確実に勝ち抜けることが出来る、などと思いあがっていたわけではない。

 

 あの争奪戦は、太刀川慶こそ参加しなかったものの──多くの上位ランカーが参加していた。自分よりも格上の人間も勿論いた。

 だが。あと一歩。本当にあと一つ、という所だったのだ。

 天王寺にとって。

 S級の座は、心の底から欲しいものであった。

 

 それを手にすれば。

 ――より、迅悠一に近付けるのだと。そう思っていたから。

 

 されど。結局の所彼女はそれを手にする事も出来ず。

 宙ぶらりんな日々を過ごしていた。

 

「成程なぁ。で、黒トリガーは手に入れられずじまいで」

「はい」

「部隊に誘われても断っていた手前、今更入れてくださいとも言えず」

「.....はい」

「変わらず自己鍛錬と個人戦だけやってここまできてしまった.....と」

「.....はい」

 

 

 今まで徹底して他の部隊の誘いを断ってきた手前。”風刃が手に入らなかったのでやっぱり入れてください”とは、天王寺の性格的に口が裂けてもいう事が出来なかった。

 そしてもう部隊に誘っても無駄だろう、という周囲の評価も固まったところであったので。新たな誘いが来ることも無くなり。

 そもそも――そうやって、流されるまま部隊に入る事を天王寺自身が良しとすることが出来ず。

 ただただ、同じ時間が過ぎ去っていった。

 太刀川慶に決闘を挑んだのも。

 黒トリガーを手に入れられなかった自分が、全力のノーマルトリガー最強の男に対してどこまで食い下がれるか試してみたかった思いも無かったと言えば嘘になる。

 

「まあでも。お前もそこらへん考えて、二宮隊の世話になってんだろ?」

 二宮隊。

 そのワードが放たれた瞬間、天王寺の表情が”申し訳ない”という文字を全力で張り付けていた。

「.....二宮隊のお世話になっているのは、私の思慮というよりは、単純に鳩原先輩をはじめ部隊の方々によくして頂いているからですね。本当に親切にしていただいています」

「そうなのか?」

「はい」

 

 ふーん、と太刀川は言うと。

「まあいいや。――それじゃあな。また頼む」

 

 そう言って、太刀川は個人戦ブースを立ち去る。

 なんだかんだ言って、気にかけてはくれているのだろう。これまで、約束とはいえ百本近く個人戦をしている相手だ。あの男なりに気を遣ってくれているのだろう。あくまで、あの男なりの、であるが。

 

 

 

 

「私も。そろそろ時間ですね」

 天王寺もまた、ブースから離れる。

 

 そして──隊の作戦室があるフロアまで行くと。

 

「──失礼します」

 ある隊の作戦室の前で立ち止まり──ノックをする。

 

 

 

「....」

 

 その中には。

 仏頂面で、炭酸飲料──間違いなくジンジャーエール──を飲んでいるスーツ姿の男と、

 

「....いらっしゃい、恒星ちゃん」

 

 ちょっと、うしろめたさを抱えているような表情がデフォルトでくっ付いている、そばかす面の女性。

 

 

 

「──今日もよろしくお願いします」

 

「うん。こちらこそ」

 

 真っすぐに視線を向ける天王寺に、女性──鳩原未来もまた頷く。

 

「辻君と犬飼先輩はもう入っているから。天王寺ちゃんもどうぞ」

 

「ありがとう氷見ちゃん」

 そして。

 

 デスクに座る同級生の氷見にも一つ返事をして──訓練室に入る。

 ──A級、二宮隊。

 部隊員全員が黒スーツを着ている部隊。

 どういう意図があるのかは不明だが。全員が黒スーツを着ている。しかも無地。何だこれは。しかも隊長の二宮は常にポケットに両手を突っ込んでいるスタイル。ビジネスライクな空気すらない。重ね重ね何だこれは。そして何だこれはとも言えない空気感に満ち満ちている。重ね重ね重ね何だこれは。

 

 現在、天王寺は――この外面の個性だけで窒息しそうな部隊と少しばかり縁があり、世話になっている。

 

 鳩原未来。

 二宮隊狙撃手である彼女は──ひょんなことから、天王寺の師匠になったのであった。




天王寺のトリガーセット(暫定)

メイン スコーピオン アステロイド シールド 
サブ  スコーピオン アステロイド シールド バッグワーム


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4 人を撃てない人って、人を撃つことが出来ないんですね。だから人以外のものなら撃てるかもしれないんです。

 それはいつかの事。

 個人戦ブース内で集団戦の訓練を行っていた時だ。

 

 

 

 ──天王寺恒星は、不意打ちと狙撃に強い。

 それは彼女の副作用が、彼女を視認した敵の存在を感知するから。

 彼女を攻撃しようとすると、その攻撃しようとする視界を彼女は感知する。

 だから、不意打ちも狙撃も効きにくい──のだが。

 

 その訓練中。

 天王寺は──武器を撃ち落とされた。

 

 

 

 敵との戦闘時。自身の肉体はおろかトリガーも振り回している中。人体ではなく、武器を正確に撃ち落としてきたのだ。

 狙撃の瞬間に映った映像は、本当に一瞬であった。スコープ越しの映像が己の脳に映され、視線が自分が持つスコーピオンに寄ったその瞬間には、撃ち落とされてしまっていた。

 武器を破壊された天王寺は、そのまま眼前の攻撃手に仕留められ、戦線離脱する事となった。

 

 ──何故だ、と思った。

 

 凄まじい技量だ。敵と相対し打ち合っている最中に、小振りなスコーピオンだけを正確に撃ち抜くその技量。間違いなく人間技ではない。

 だからこそ思う。

 これだけの技量があるならば。人体に当てる方が明らかに簡単でかつ、効果的であろうに。何故彼女はそうしないのだろう──と。

 

 その後。

 その狙撃手の行動を、倒された後も追っていた。

 

 同じだった。

 彼女は、人体を決して撃たない。

 武器を破壊していた。

 

 それも、武器を無くせば確実に倒せるタイミングを見計らって。

 

 

 ──だからこそ、何故なのだろう。

 ──武器に当てられるなら、人の頭を撃ち抜くことなど造作もないであろうに。

 ──何故武器に当てることに拘るのか。

 

 

 

 遊び心でやっているのかとも思ったが。

 彼女はブースの映像越しでも解るくらい真剣な表情をしていた。

 それは、──決してミスは許されないのだと。そう自分を追い詰めているかのような。鬼気迫る様相であった。

 

 

 その後。

 彼女の真実を知ることになった。

 

 

 鳩原未来。

 彼女は──人を撃てない狙撃手だったのだ、と。

 

 

 

 

 

 

「.....あたしは、人を撃てないの」

 

 

 

 その後。

 鳩原は少し自嘲気味な笑みを浮かべて、天王寺にそう言っていた。

 集団戦が終わった後。

 天王寺は即座に鳩原に声をかけ、食事に誘い出した。

 

 その際に──率直に、何故人ではなく武器を撃っているのか、と。そう尋ねたら──予想外の答えが返ってきた。

 

「撃てない?」

「うん。撃てない」

 

 もうこの問答にも慣れているのだろうか。淡々と鳩原は答えていた。

 

 

「人を撃とうとするとさ。こう....身体全体が拒絶する感じがしてね。どうしても....指先に力が入らないの」

 

 

 ──聞いたことはある。

 性格的な問題か、はたまた生理的な問題か。たとえトリオン体であろうとも──人体に攻撃を加える、破壊する行為に対してどうしようもない嫌悪感や拒否感を抱いてしまう人間がいる事を。

 

 

 そういう人たちは、戦闘員からオペレーターや技術員に転属する事が多いという。適性に応じて別の役割に振り分けられるのは普通だ。

 しかし。

 この人は──そういう人間であるにもかかわらず、それでも戦闘員を続けていて。そして戦闘員としてそこにいる為に、果てない努力を続けて。

 その結果として。

 彼女はここにいる。

 

 

「.....凄まじい、ですね」

 

 その技術は勿論の事。

 何よりも──人を撃てない、という大いなる能力の欠落を抱えながらも、それでも戦闘員を続けているその様が。凄まじい、と天王寺は感じていた。

 

「そんなことは無いよ。あたしには、結局の所一番求められる技術──人を撃つ技術がないんだから」

「.....私は。”出来ない”を言い訳にしない人を、強く尊敬します」

「...」

「私は──それを言い訳にしてきた人間ですから」

「そっか」

 

 

 

 そう言うと。

 鳩原は、少しだけ笑った。

 張り付けたような。ちょっと自嘲気な笑みから、ほんの少し表情が変わったような──そんな気がした。

 

 

「....改めて。あたしは鳩原未来といいます。よろしくね」

「私は天王寺恒星です。.....差し出がましい申し出ではありますが」

「うん?」

「よろしければ──私に狙撃の事を教えていただけませんか」

 

 

 

 その時に思った。

 もし狙撃の事を学ぶのならば──この人だと。

 

 

 

 

 

 

 天王寺恒星は、不意打ちや狙撃に強い。

 それは、重ね重ね彼女には”平行視”の副作用があるから。

 狙撃手がスコープ越しに彼女を見据えた瞬間。その時には、彼女はその視界を観測している。不意打ちせんと背後から襲撃をしようとする時も同じ。彼女には、文字通り死角がない。

 

 だが。

 死角がない事イコール、完璧という訳ではない。

 

 

 これまで。

 不意打ちや狙撃で落とされたことがない訳ではない。

 

 

 

 例えば。

 ボーダーナンバーワン狙撃手当真勇は、天王寺が攻撃手との交戦時、一瞬足を止め回避動作が不可能な一瞬の隙を突き狙撃を通した。

 かつてA級1位部隊を率い、狙撃手の兵種をボーダーに持ち込んだ東春秋は、ライトニングによる高速弾を用いて狙撃を通した。

 そして。──この、鳩原未来という異色の狙撃手は、天王寺本人ではなく天王寺が持つ得物を撃ち落とした。

 

 

 

 ──これまで副作用を利用して大抵の狙撃はやり過ごしてきたが。それでも、上位の狙撃手を相手にするにはこれだけでは頼りない。もっと、狙撃手という兵種の人間が、どのような思考で行動しているのか。そこから理解しなければ、成長はない。

 

 

 

 だから学びたいと。そう常々思っていた。

 

「えっと....あたしでいいの?」

「はい。──鳩原先輩でなければダメなのです」

 

 

 

 間違いなくこの人は試行錯誤を繰り返せる人だ。

 出来ない事を前に投げ出さない人だ。

 

 

 そういう人に──学びたいと。そう天王寺は思った。

 

 

「──お願いします」

 

 

 

 という訳で。

 鳩原未来は天王寺恒星の師匠となったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・         ・         ・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから。

 天王寺は鳩原から狙撃の事を学ぶようになった。

 副作用頼みで狙撃を防ぐのではなく、理屈として狙撃手の思考を学ぶために。

 そうして、鳩原から狙撃手について学ぶ中で――

 

 

「──今日もよろしくお願いします、辻君」

「....は、はい...」

 

 

 自分が教わってばかりでは申し訳がない、と。何か協力できることは無いか──そう尋ねたら。

 

 鳩原が所属する二宮隊作戦室に連れ込まれ。

 二宮隊所属の攻撃手──辻新之助と相対する事となった。

 

 

 

 非常にシャープな顔立ちをした端正でクールな男性──なのだが。

 女性を前にし出すとあら不思議。視線をあたふた彷徨わせ、落ち着きなく両手を前に出してぶんぶん振り回していた。

 

 

 

 ──辻君は、女性が苦手で。ちょっとでも克服できたらな、って思って。

 

 

 

 異性を前にすると、途端に慌てだす。

 会話もまともに出来ない。

 

「それじゃあ今日もいっちょやってみようかな。ね、辻ちゃん」

 

「...」

 

 

 

 顔を赤らめてあたふたしている辻の肩にポン、と手にかける男がまた一人。

 辻とは対照的な、よく言えば陽気そうな。悪く言えば軽そうな。そんな印象な──二宮隊銃手、犬飼澄晴。

 

 

 

「それじゃあいつもの通り。──天王寺ちゃんは辻君を攻撃していくから。おれと鳩原ちゃんはそのカバー。辻君は可能な限り逃げるなり防ぐなりして。出来るなら反撃して」

「了解」

 

 これは、二宮隊及び天王寺全員の訓練であった。

 

 天王寺が辻に襲い掛かると同時。

 辻はそこから逃れる。

 鳩原と犬飼は辻の援護。

 

 ──万が一、辻がランク戦の最中に異性の隊員と対峙する事になった時の為の訓練である。

 

 辻自体がある程度異性を前にしても戸惑わず動けるように。

 そして周囲が的確にカバーできるように。

 そして天王寺にとっては──鳩原の狙撃のタイミングを見計らい、回避できるように。

 

 

 

 ”狙撃手がこちらを認識している”という状況下での立ち回りを覚える。

 狙撃が通らない状況を堅持しながら、犬飼と鳩原のカバーを掻い潜り辻を仕留める。

 これは。――この場にいる全員が学びを得られる特訓であった。

 

「....」

 

 オペレーターの氷見と共に──隊長の二宮が、その様子をモニターから見る。

 実は、この訓練の提案をしたのは、二宮だった。

 

「動きが鈍い!」

 

「....う」

 

 犬飼の突撃銃の掃射を掻い潜り、天王寺は上からスコーピオンの振り下ろし──の体捌きから辻の足下に向け、スコーピオンを生やした足先で脛を斬る。

 右足を斬り飛ばした辻に、更に追撃の蹴りをかけた瞬間。

 

 スコープ越しの自分を見る視界が映って。

 ──足先に生やしたスコーピオンが、狙撃で破壊される。

 

「...」

 

 鳩原の狙撃。

 足先から生やしている分、更に小さくなった刃先。それも蹴りを行使している最中での狙撃。──それでも難なく、鳩原はこちらのスコーピオンを破砕してきた。

 すぐさまシールドを展開し常にこちらの側面を取り続ける犬飼の掃射を防がんとするが──シールドの展開と同時に銃口の向きを変え、足元を削っていく。

 

 上手い。

 ──だが、足を削られているのは辻も同じ。

 

 ス、と右腕を前に出す。

 そして

 

「アステロイド」

 

 出した腕先に集中力を傾け。

 二分割。

 タイミングを遅らせ射出されたそれは、一撃は犬飼と辻の合わせシールドで防がれるものの──遅れて射出された二射目にて辻の胸部を貫く。

 

「さっすが。いい感じだね鳩原ちゃん。──辻ちゃんも、今回はちゃんと防御態勢が取れたね。偉い偉い」

「...」

「天王寺ちゃん程圧が強い女の子、ボーダーでもなかなかいないから。慣れたら他の子でも大丈夫になるよ」

「.....はい」

 

 仕留められた辻を、左右に挟んで犬飼と鳩原が慰めている。

 

 .....そうか。圧が強いのか。そうか。

 鳩原の何気ない言葉を少々気にかけている天王寺に、笑いながら犬飼が声をかける

 

「何というか。天王寺ちゃん戦う時マジで殺意に満ちている感じがするんだよね。おれもそうだけど、ボーダーではじめて戦うようになった人は良くも悪くも淡々としてるんだけど。天王寺ちゃんは何かこう、真剣勝負みたいな殺気がある」

「.....そうですか?」

「そうなんだよ。天王寺ちゃん、怪我する前までマジモンのアスリートだったんでしょ。他の人と戦う時と、明らかに様子が違うんだよねぇ」

「...」

「だから。天王寺ちゃんに慣れれば辻ちゃんも何とかなるよ」

 

 

 

 何だか上手く言いくるめられた感もある。

 解せぬ。

 

 

 

 

 

 

「.....うーん」

 

 

 

 辻・犬飼・鳩原との合同訓練を終えたその後。

 鳩原指導の下、今度は狙撃訓練を行っている。

 

 

 

「やはりそう上手くいかないものですね」

「うん。筋はいい。本当に。──ただ、照準を合わせるのがやっぱりちょっと遅いね」

 

 天王寺は、おおよそ百メートルの距離の標的ならば正確に当てられる。

 だが。照準を合わせ、実際に弾丸を放つまでの時間が遅い。移動標的になると更にその遅さに拍車がかかる。

 

「実戦レベルではまだまだ駄目ですね。使えない」

「でも、こうして狙撃手の動きを身をもって知る事だけでもかなりプラスになるかと思うから」

「はい。本当にその通りです。――本当に感謝しています」

「ううん」

 

 恐らくは。

 敵が百メートル圏内にいて。相手が足を止めている状況で、その上で敵がこちらを視認していない。

 これだけの条件がそろっていなければ──今の所狙撃は当てられない。実戦での運用は、控えめに言って厳しいと言わざるを得ない。

 

「.....天王寺ちゃん、スコーピオンとアステロイドだけでも十分戦えるでしょう? 何で狙撃まで覚えようと思ったの?」

「私はこれまで──ノーマルトリガーは、風刃を手に入れる為の手段でした。だからこそ自分の適性に合わないトリガーは排除して、適正な武器を突き詰めていく方向で鍛錬を行ってきました」

「うん」

「しかし。もう私は争奪戦に敗れてしまったので。──恐らくもう、迅さんが自ら手放すまで風刃が私の手に来ることは無い。となれば、現実的に私はもうノーマルトリガーで戦っていくしかない。──そうなれば、狙撃が出来ないのは間違いなく欠点になる。せめて人並みには出来ておきたいんです」

「.....部隊を組むことは考えないの?」

「.....考えてはいます。でも、どうしても私の中で抵抗があるんです。部隊を組む事に」

「それは....何で?」

「.....ひどく抽象的な言葉で申し訳ないのですが」

「うん」

「私は──必要となれば、自分の全てを犠牲にする事になるんだと思います」

「...」

「その”全て”の中に。私以外の誰かを含めたくないんです。だから、一人で最大戦力になることが出来る黒トリガーが欲しかったんです」

 

 

 

 かつて。

 自分の命を捨てるつもりで、未来を変えようとした。

 それが自分の在り方で。そして自分の運命で。自分が何よりも望む姿なのだと。そう自覚できた。

 

 

 天王寺は、天王寺以外の誰かが自分を見る視点を知っている。

 だからこそ。

 自分以外の他者に、自分の在り方に巻き込まれて欲しくない。

 

 自分は、恐らく自分の在り方を変えられない。

 それが自覚できている。

 何者にも変えられない在り方があるのならば。

 この在り方に、自分以外を巻き込んではいけない。

 

 ──私が向く方向は、私が決める。でも、他の人に”同じ方向を向け”とはどうしても言いたくない。

 

「.....そっか」

 

 その時。

 鳩原は──少し。ほんの少しだけ、怯えのような色を、表情に滲ませた気がした。

 

 

 

 この時。

 

 

 

 ”気がした”と。そうその変化を処理してしまった事を、天王寺は死ぬほど後悔してしまう事になるのだが。

 

 

 

 それはまた──少しだけ先の話。



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5 単位が取れてなかろうが、卒業できるかどうかは俺が決めることにするよ。

 春が過ぎ。

 夏となった。

 梅雨晴れが続く青空のある日の事──

 

「太刀川さん」

「うん? ──あ、ノルマ消化お疲れさん」

「はい。ありがとうございます。──それはいいのですが」

「何だ?」

「太刀川さん──貴方はいつ大学に行っているのでしょうか?」

 

 個人戦ブース内。

 風が吹くような。

 そんな静寂が、一瞬。

 

「おう、行っているぞ」

「そうですか。──ちなみにこの前、貴方の同輩にあたる二宮さんは作戦室でレポートの作成をしていたのですが。太刀川さんと同じ講義を取っていらっしゃると仰っておりました」

「おう」

「.....講義に出ている姿を一度たりとも見たことないと。そう言っておられました」

「そりゃそうだ。俺は忙しい」

「忙しい?」

「おう。──この個人戦にな」

「....」

「.....ん?」

 

 忍田本部長。及びボーダー上層部の方々。

 貴方方の名の下、推薦して送り出したこのもじゃひげ馬鹿男は──無事、ボーダーと大学の顔に泥を振りまきながらその生を謳歌するダメ人間と成り果てました──。

 

「太刀川さんは、出席ノルマという言葉を知っていますか?」

「ん? なんじゃそりゃ」

「講義に出席をしなければならないノルマです。達成しなければ単位は得られません」

「ほう。そんなものがあるんだな」

「....」

「.....?」

「太刀川さん。──今まで講義の出席はされていますか?」

「していないが」

「残念なお知らせです。これにて太刀川さんの今季の単位数は半分近く取得不可能となりました。──何か弁解は?」

 

 風なんて入ってきていないのに。ひゅう、と二人の間に空気が凪いだ感覚があった。

 

 太刀川慶。

 後に単位を犠牲にして個人ポイントを稼ぐという手法を以て、到達不可能な程の最強の道を作り上げし男の、大学生としての最初の夏が過ぎ去ろうとしていた──。

 

 

「で」

「はい」

「太刀川さんは最終的に──どれだけ夏の期間に単位を取得できたんだ?」

「6」

「へ?」

「6です」

 

 眼前には。

 カチューシャで髪を後ろに纏めた男がいる。

 

「卒業要件にかかる必須単位のみ、風間さんと忍田本部長が軟禁してレポートを作らせ何とか単位取得に間に合わせたようです。──ちなみに、4年で卒業する為には基本的に平均16単位は取らなければならないみたいですね。今後どうするつもりなんでしょうねあの人」

「よく6単位も取れたなぁ、太刀川さん」

「.....米屋君」

「ん?」

「貴方の方は大丈夫なのですか? 貴方も本部長に呼ばれていましたが」

「おう。──ちょっと赤点付きのテストが量産されただけだ。気にすんなよ」

「.....」

 

 ボーダーにおける頭痛案件というのは、本当にこういう所にある。

 非常に有用な人間に限って、こうして学業面での問題点が噴出していく点だ。

 

 ──米屋陽介。

 

 前期のランク戦で悲願のA級入りを果たした、三輪隊攻撃手。

 彼は──トリオン量に恵まれない中においても、非常に優秀なトリオン体操作のセンスと戦闘能力でもって、三輪隊躍進の一手を担った。

 ボーダー隊員としての彼は非常に優秀なのだが。

 .....成績面に関しては。最早彼の右に出るものはいない。ワースト的な意味で。

 

「まあそんな事よりも」

「流すな」

「──A級特権ってやつで。オレは別の武器を使う事になったわ」

「.....あら」

「ちょいと手合わせ願おうか」

 

 にこやかに米屋はそう言うと、天王寺を手招きし──個人戦ブースに入っていく。

 米屋陽介は、元々天王寺と同じく、スコーピオンの使い手であったが。A級に上がった事を切っ掛けに別のトリガーを使う事にしたらしい。

 A級は。通常規格のノーマルトリガーに手を加え、独自の改造トリガーを使用する事が可能となる。その特権を使い――米屋は別の武装を拵えたとの事。

 

「──こいつが、新しいオレの相棒だぜ」

 

 そうして取り出したのは──

 

「.....槍?」

「そう。槍なんだよな」

 

 槍であった。

 身の丈ほどもある柄に、穂先から伸びる──小さな弧月の刃。

 

「成程。──確かにこれなら、ある程度のリーチを持ちながら戦えますからね」

「そういう事。──それじゃあ、早速やろうかね」

「了解です。──十本勝負でよろしいですか?」

「おう」

 

 

 天王寺もまたトリガーをセットするが──無手のまま米屋と向かい合う。

 特段の合図もなく。

 両者は互いの視線が交差し、呼吸が合った瞬間から──動き始めた。

 

 

 視線が交差する瞬間。

 天王寺は、──米屋の視点を、視る。

 

 視点は、天王寺の首に向かっている。

 

 ──首狙い。

 

 米屋が腰の回旋と共に放つ突きの一撃は、天王寺の首に向かう。

 ”平行視”の副作用にて読んでいた天王寺はそれを回避し、懐に潜り込もうとするが──。

 

「.....成程」

 

 体捌きにてそれを避けんとした瞬間──穂先が変化する。

 槍の側面部位。そこから鈎爪状の刃が飛び出し──天王寺の首を掠る。

 

「──幻踊ですか」

「そう」

 

 ──幻踊。

 それは、弧月専用のオプショントリガー。

 

 旋空は、刀身にトリオンエネルギーを用いて伸ばすもので。

 幻踊は、刀身そのものの形を変化させる。

 

 伸ばす、というリーチ上の変化をもたらすものと。

 刀身を変える、という形状部分の変化をもたらすもの。

 

 ──柄が長く、刀身が小さな槍という武装上。確かに刃の形状を変えられる幻踊はかなりの脅威になるであろう。

 

「──流石。初見でも避けるか」

 

 しかし。

 それでも──天王寺は、この初撃を避けた。

 この一撃を避けた瞬間から。天王寺の行動が開始される。

 

 瞬時に間合いを詰めながら、同じく首に向けてスコーピオンを突き出す。

 米屋は懐に潜り込む天王寺の動きを一瞥し、背後へと飛び去る。

 

 が。

 

 米屋の動きに合わせ──ピタリ、天王寺は動きを止める。

 

「アステロイド」

「げ」

 

 バックステップする米屋の動きに合わせ──天王寺は足を止めてキューブ状の弾丸を生成する。

 

 分割は、二つ。

 間合いを詰める動きをブラフとし、後退する米屋に対し――威力と速度にパラメータを振ったアステロイドを米屋に放つ。

 

 

 着地の隙をついた二撃。米屋はシールドで防護をするものの、一撃目でシールドを破られ、二撃目の直撃を喰らい──戦闘体が破壊される。

 

「ああ~。やっぱり槍になるとどうしてもリーチ維持しようと後ろに行きやすいな。引っ掛かっちまった」

「ですね。後退するなら、初撃の打ち込みの時点からちゃんと動かないと。私には射撃手段もありますから」

「了解了解。その辺りもうちょい気を付けてみるわ。──それじゃあもう一本」

 

 敗北しても悔しがる様子はなく、むしろ気づきを得た事への喜色を浮かべ──更に戦いを挑む。

 

 

 ──しかし。

 

 米屋は、眼前の女を見て──実感する。

 

 ──以前から強かったけど。太刀川さんと戦い始めてから更に強くなってきたな。

 

 天王寺恒星。

 彼女は──攻撃手トリガーと射手トリガーの双方を使いこなす、万能手である。

 

 恐らく、純粋な体捌きや体術の技術においてボーダー全体でも右に出るものはいないだろう。そこに関して、彼女はボーダーに入る以前からずっと訓練を重ねてきて。そして誰よりも才能があったのだから。

 

 ──もう読み切られてる。

 

 槍の効果範囲。そして幻踊を用いるタイミング。

 その全てが。

 

 米屋は、眼前に迫る天王寺に向け、槍を突き出す。

 が。

 届かない。

 

 天王寺は上体だけを突き出し、米屋の攻撃範囲に入った──と思わせ。

 突き出した上体を軽くまた背後に戻す動きで、槍の一撃を回避。微妙な間合いの管理が完璧故に、届かない距離感なのにどうしても攻撃を仕掛けてしまう。

 

 ──マジで間合いが掴めねぇ。

 

 

 恐らく、歩法や間合いの詰め方一つとっても、別の技術を持っているのだろう。

 その上で──こちらの視界を視れる副作用まで持っているときている。

 

 攻撃が、本当に当たらない。

 

「お...」

 

 そして。

 更に突き出した槍の一撃を──天王寺はスコーピオンで受ける。

 それは。

 以前──太刀川相手の戦いで用いた、鈎爪付きの刃。

 

 槍の穂先を捉え、叩き落とすと共に──アステロイドを生成。

 生成する間に──空いた左腕で米屋の手首を掴むことで回避動作すら封じ込み。

 

 米屋は──またアステロイドの一撃で倒される事となる。

 

 

 ──天王寺の基本的な戦い方は。相手の懐に潜り込んでの、スコーピオンとアステロイドの連撃で相手を詰めていくという手法が基本となる。

 

 スコーピオンとアステロイド。

 スコーピオンは身体の中にしまう事で隠す事が可能で。アステロイドはキューブが生成されるまでそもそも武装としての形が生まれない。要は、相手からするとスコーピオンかアステロイドか、どちらのトリガーを使用しているのか判断が出来ない

 この特性を活かし、天王寺は基本は片手を空にした状態で間合いを詰め、相手の判断に迷いを生じさせ──その隙を突く。

 

 接近戦に付き合えば、天王寺有利な戦いに持ち込まれる。

 しかしそれを嫌って距離を取ろうとすると、アステロイド。

 更に──距離を取ろうとする動きも、体術で封じてくる。

 

 

 三戦目。

 アステロイドのキューブを生成すると同時。足払いからの当身で体勢を崩す動きも並行させる事で──また、米屋の身体を貫く。

 

 トリガーを使用しない、純粋な体術はトリオン体に一切のダメージを与えない。

 しかし。

 相手の行動を阻害し、体勢を崩させる手段としては有効となる。

 その為──天王寺は接近戦から逃れようとする相手にアステロイドを確実に当てる為の手段として、体術を用いる。

 

 ──天王寺を相手にする際には。間合いを詰められる前に追い払える能力か。間合いを詰められた後でも純粋な接近戦で押し勝つ技量か。このどちらかが求められる。

 これが、天王寺という隊員の特色。

 ボーダーに入る前に積み重ねた経験を副次的な技術として活かし、戦う。そういう特異性を持った隊員である。

 

「へっへ」

 副作用でこちらが攻撃しようとする部位・タイミングは読まれる。

 槍のリーチ上の有利は、アステロイドで潰される。

 槍という武装の関係上、懐に潜られたら不利。更にそこから逃げようとする動きを見せると体術とアステロイドの組み合わせで潰される。

 

 米屋にとって──相性の上で最悪な相手だ。

 斬撃という、大きく、幅のある攻撃ではなく。突きという攻撃を主軸とする米屋にとって──事前に攻撃が読まれる上に射撃での決め手を持つ天王寺は誰よりもやりにくい相手だ。

 それでも。

 いや。

 それだからこそ。

 

 米屋は、笑う。

 

 ──どう打開してやろうか。

 

 その思考が巡る間。

 間違いなく──この男は、誰よりも幸せな時間を過ごしているから。

 

 

 その後──。

 結局米屋は天王寺相手に一本を取ること叶わず、十本を終えた。

 

「かあ~。一本も取れずじまいかぁ」

「トリガーを変更したのは最近だったのですよね。──動きそのものはかなり鋭かったですよ」

「まあまだまだ研鑽そのものは足りてねぇわな。いい経験になったわ」

「それならよかったです」

「──新人も、活きのいい連中が入ってきているからな。オレも負けてられねーわ」

 

 新人、という言葉を聞き。

 ああ....と天王寺は呟く。

 

「もうそういう時期なんですね」

「おう。──去年もウチの奈良坂や柿崎隊の照屋もいて凄かったが。今年もかなりの粒ぞろいだ。ほれ、特にアイツ」

 

 その視線の先。

 一人の少女がいる。

 

 

「──彼女は?」

「木虎藍。強気そうだろ? まあ実際強気なんだがな──B級に光の速さで上がって、そのまま嵐山隊に内定したってよ」

「へぇ。嵐山隊...」

「あそこ、全体のバランスはかなりのレベルの部隊だったからな。──点取れる駒が一枚入るだけで、随分と違うだろ」

「....」

 

 そうか、と天王寺は呟く。

 嵐山隊。

 元々四人部隊だったのが、一人抜け三人部隊になっていたが。

 ついに、嵐山さん及び──上層部のお眼鏡にかなう隊員が見つかったのか。

 

「嵐山隊、広報担当部隊だからな。──実力以外の要素も求められるから、易々と新しい隊員を入れる訳にはいかなかったもんな」

「....ですね」

 

 恐らくあの新人の木虎という子も。

 人格面や素行面も含めて、上層部から問題なしと判断されたのだろう。

 

「.....」

 

 何となく。

 今の自分は何をしているんだろうなぁ、と思ってしまった。

 

 

「.....陽介」

「お、秀次」

 

 そうして。

 暫く話していると。

 

 三輪隊隊長──三輪秀次が、現れた。

 

「もうそろそろ防衛任務の時間だぞ」

「了解了解。解ってますよ。──それじゃあな、天王寺。また頼むぜ」

「はい」

 

 そうして、米屋は個人戦ブースから軽く手を振って去っていく。

 その様子を見て、一つ溜息を吐いて。

 

「.....いつもすまないな」

「いえいえ。私としても助かっていますから」

「....」

「どうしました?」

「いや...」

 

 三輪秀次という男は、よく言えば物静かで、悪く言えばあまり他者に干渉しない性格だ。

 そういう性格の彼にしては──天王寺に対しては、かなり気にかけているように思う。

 

 ──多分。あの侵攻の時の事はバレてはいないと思うけど。

 

 単純に、あの侵攻で住まいも、選手生命を絶たれるほどの怪我をしてしまったという身の上に共感して気にかけてくれているのだろう。そう思う事にした。

 

「.....」

 

 ──三輪秀次は。

 ──ただ一つ。天王寺恒星に聞きたい事がある。

 

 ただ。

 それを尋ねて肯定されようが否定されようが、自分の中の何かが変わる確信もあって。

 

 聞くことが出来ないだけなのだ。

 



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6 感情を感じ取れるんですか?それってつまり、感情を感じられるという事ですか?

 夏が過ぎ。秋が過ぎ。もうじき冬が訪れる今日この頃。

 

 

「....」

 

 

 

 夏の──6単位事件の惨状を受け、太刀川は定期的に本部施設内に軟禁され、強制的にレポートを処理する期間が強制的かつ計画的に作られるようになった。

 

「秋だなぁ」

「そうだな」

 

 

 眼前には。

 二宮匡貴の姿がある。

 

 

「秋と言えば──餅が上手い季節だ。味噌塗って焼いたら上手いんだなぁ、これが」

「そうか」

 

 

 

 二宮は眼前のPCを一定の間隔で打ち。

 太刀川はただ──天を仰いでいる。

 

 

 

「なあ」

「なんだ?」

「何のためにレポートってあるんだろうな──」

「無意味な疑問だな」

「無意味か?」

「ああ。お前が大学に行っている事くらい無意味だ」

 

 太刀川の言葉を、バッサリと二宮は切り捨てる。

 

「俺がわざわざお前の前にいる理由は。俺が課題をする時間だけでもお前を監視してくれと言われたからだ。不愉快極まりないが仕方なくここにいる。せめて話しかけるな。集中できん」

「.....? お前も閉じ込められているんじゃないのか?」

「お前のような馬鹿と一緒にするな。虫唾が走る」

 

 二宮は一つ舌打ちすると共に、ノートPCを閉じる。

 

「俺はもう課題は終わった」

 

 そう言うと、二宮は部屋に備え付けられたモニターに何かを呟くと、扉の前で暫く立ち続ける。

 

「ご苦労二宮。この馬鹿に付き合わせてすまなかった」

「いえ。──では風間さん。引き継ぎお願いします」

「ああ」 

 

 怜悧な目つきをした小柄な男が──入れ替わりで入っていく。

 A級3位、風間隊。隊長ーー風間蒼也。

 一見すると少年の如き風情。しかしーーその目と、立ち振る舞いと、そこから醸し出される剣呑な雰囲気が、鋭く冷徹に、眼前の男に圧をかけていく。

 

「あ、風間さん」

「...」

 

 風間は太刀川の呼びかけに応じず。

 太刀川の背後へ向かい。

 

 

 ──文字数。十六文字。

 

 太刀川慶。

 5000文字以上のレポート課題五件を前にして──進捗、十六文字。

 

 

 

 

 

「そのよく回る口先にしては──随分と寒々しい文字数だな。太刀川」

「ん──うぉ! か....風間、さん」

 

 

 

 後頭部が。

 掴まれる。

 

 

 

「──存在そのものが泥か。天王寺も面白い事を言う」

 

 

 

 さあ。

 ──書け。

 

 

 

「ひたすらに書け。無心のまま書け。全身が泥で出来ているというのならば、その脳味噌ごと削ぎ落してくれる。さあ──書け」

 

 

 

 

「という訳だから──。今日は太刀川さんは来ないみたい」

「....」

 

 ほら見た事か、と天王寺は吐き捨てる。

 やはり、あの男に大学推薦など出すべきではなかったのだ──。

 

 天王寺と太刀川との三百戦の約束は、まだまだ続いている。

 

 その日もまた──天王寺は太刀川に呼ばれ、十本勝負を執り行う予定であったのだが。

 呼びつけた本人が、来ない。

 来ない理由は身から出た錆で出来た沼底に引きずり込まれ脱出不可能となった檻にぶち込まれたが故。あまりにもあまりな自業自得なのだが、何故あの男の業に周囲が巻き込まれなければならないのか。その故を天王寺は知っていた。知っていたどころか予言すらしていた。あの男は、──誰も彼もの顔面に泥を塗りたくる存在故であるから、と。

 

「.....承知しました。わざわざご伝言、ありがとうございます。鳩原先輩」

「ううん。それはいいんだけど....。大丈夫? 天王寺ちゃん」

「何がですか?」

「なんか、般若みたいな顔つきになっているけど....」

「多分、いつもの事ですので...」

「そう...」

 

 鳩原未来は。何とも言えない、張り付けたような笑顔を顔面に刻んでいた。──多分この人は何を言えばいいのか、感情の置き所が解らないとき、とりあえず笑顔を浮かべられる人なのだろうと思う。二宮さんを前にした時、こういう表情をしている可能性が高い。戸惑う時にちゃんと笑顔を張り付けられる人は高確率でいい人だ。うん。

 

「.....それじゃあ、今日は狙撃手の合同訓練があるから」

「はい。──では、見学させて頂きます」

 

 不幸中の幸いというか。

 太刀川との個人戦の後の予定──狙撃手の合同訓練の見学。全部は見れないと考えていたが、馬鹿が馬鹿をやらかしてくれたおかげで全部見れそうだ。不幸中の幸いとはまさにこの事。だからといって不幸をもたらした馬鹿への怒りが消えることはないのだが。

 

 

 ボーダーの兵種は、大まかに四つ。

 攻撃手。射手。銃手。狙撃手。

 他には特殊工作兵などもいるが、割愛。

 

 この兵種たちの中で、狙撃手は個人戦でポイントを取ることが基本的に絶望的だ。基本的には狙撃手は近付かれれば終わりで、その為隠密行動が基本となる。面と向かった個人戦で点を取れる訳もない。──なので、他の兵種に比べて狙撃手は個人ポイントが稼ぎにくく、C級からB級に上がる要件も相対的に難しくなる。

 

 しかしその分。狙撃手全体での教習、または訓練の機会が与えられることも多く。技術取得の環境がかなり整えられている。

 この狙撃手合同訓練も、そういう機会の一つ。

 C級からA級まで。ほぼ全員の狙撃手が一堂に集まり、同じ内容の訓練を行う。

 

 特にC級にとってこの訓練は非常に重要なものであり。この訓練で上位15%に三連続に入る事がB級への昇格条件となっているため、皆必死である。

 

 現在。

 天王寺恒星、見学中。

 

 その、隣。

 

「.....」

「.....」

 

 なんとなんと。狙撃手でもないのに訓練を見学をしている物好きが、もう一人いた。

 

 ボサボサの髪。ギザギザの歯。ギラギラした目つき。

 黒染めの隊服を着込み、退屈そうに訓練を見ているその男は──。

 

「こんにちは影浦先輩」

「.....あァ? 誰だお前?」

「天王寺恒星といいます」

「あ、そ」

 

 仏頂面にぶっきらぼう。お世辞にも感じがいいとは言えない。

 

 面識はない。

 そして特にいい噂も聞かない。

 

 

 ──影浦雅人。

 

 B級影浦隊の隊長であり。そして──攻撃手の中でもトップクラスの個人ポイントを保有している男だ。

 個人戦もかなり行っているが、基本的には気を許した相手と行う事が多く。特段面識もなく在籍も異なる天王寺は、彼と交流する事は無かった。

 

「....」

「....」

 

 そして天王寺は──影浦が持つ『副作用』についても、噂で聞いていた。

 それ故に。決して目線を彼に向けない。

 

「....影浦先輩は。何故狙撃手の訓練に?」

「....何でもいいだろが」

「えっと。....そうですね。単純に気になっただけですので、不快ならば返答は不要です。申し訳ありません」

「.....」

 

 影浦は、怪訝そうな表情を浮かべると同時。──訓練の最中にいる、隊員を一人指差す。

 

「.....次のランク戦からウチの部隊に入る奴。折角だから見物してやろうと思ってな」

「.....新しい部隊員を入れるんですね」

 

 指差す先には、少年がいた。

 後姿では体格と髪色くらいしか解らないが──何より、狙撃の的が異様だ。

 

 中心点に当てることは無く。的全体に弾丸を散りばめ、──何やら絵を描いている。

 

「....凄い腕ですね」

「はん。──ウチに入るんだったら、アレくらい出来てくれなきゃ困る」

 

 そう言う影浦の言葉が。ほんの少しだけ、声の調子が上がった感じがした。

 それがあまりにも意外で、──思わず天王寺は視線を影浦に向けてしまった。

 

「あ...」

「....」

「申し訳ありません....」

「ケッ。めんどくせー。気ィ遣ってんじゃねぇぞ。ムズムズする」

 

 ──影浦雅人は、副作用を持っている。

 

 それは、『感情受信体質』

 彼は。他者から自分に向けられた感情を、その皮膚の上から察知する。

 好意であれば、好意を。

 悪意であれば、悪意を。

 向けられる感情が苛烈であればある程。悪意であればあるほど。皮膚上に覚える感覚は、不快になっていく。

 

 他者の視線が。

 感情という鏃を纏いて、皮膚を貫く。

 

 ──それはどれだけ不快なのであろうか。

 天王寺はどうしても、そういう風に考えてしまう。

 

「....私自身も。人の視線に反応する『副作用』を持っているので。どうしても配慮というか。視線を向ける事が迷惑ではないのかな、と.....思ってしまうのです」

「...」

 

 自分の感情がどんな風なのか。完璧に理解できている人間というのはそうそういないだろう。影浦を見て、彼を不快にさせないと──そう言い切る自信が、天王寺には無かった。

 だからこそ。視線を向けない事で彼が自分の副作用を発動させなくて済むのならばその方がいいのだろう。そう天王寺は考えていた。

 天王寺は、あまり自分の内心についてそこまで強い自覚を持っていないから。

 

「....もう一回いうぞ」

 

 一度向けられた天王寺の感情を肌身で理解した影浦は。

 ガシガシと頭を掻きながら、

 

「めんどくせぇから、気を遣うんじゃねェ」

 

 と。

 

 

 それが──天王寺と影浦雅人との出会いであった。

 

 

 

「あ、カゲさん」

「よォ」

 

 訓練を終え、少年と影浦が目線を合わせ、そう挨拶。

 少年から影浦への視線には、悪意や恐怖の類は一切なく。

 影浦も不快そうな様子もない。

 

 ──彼の『感情受信体質』の副作用故に、影浦隊に入隊するにはまずもって隊長である影浦とちゃんと心の底から付き合える人間である事が必須となる。

 この条件が合致するだけでも。この少年に、人格面の不安が一切存在しないのであろうと。そう知ることが出来る。

 

「──こんにちは。私は天王寺といいます」

 ひとまず天王寺はそう少年に挨拶をすると。

「うん。知ってる」

「.....知ってる?」

「一応、姉弟子にあたるんでしょ。──オレの師匠から、名前は聞いている」

「あ、姉弟子.....?」

 

 何とも聞きなれない呼称に首をひねっていると。

 

「──あ、ユズルと。天王寺ちゃん」

 

 その背後から──鳩原の姿が見える。

 

「あ、お疲れ様です鳩原先輩」

「うん。ありがとう。──ユズルもお疲れ様」

「....うん」

 

 ユズル、と呼ばれたその少年は。

 鳩原に両肩を置かれた状態で──改めて、天王寺に向き直る。

 

「オレは絵馬ユズル。鳩原先輩の弟子です。──よろしくお願いします、天王寺先輩」

 

 

「....何というか。世間は狭いというか...」

「まあ。ボーダー内での縁だし」

「それもそうですね....。改めて、よろしくお願いします、絵馬君」

 

 狙撃手合同訓練を終え。

 現在──天王寺恒星は、影浦と絵馬に影浦隊作戦室にいる。

 

「あれれ。カゲが女の人連れてきてる」

 作戦室内。

 ほんわかずんぐりむっくりな男が、穏やかな声でそう言っていた。

 

「あン? ちげーわボケ。どっちかというとこいつはユズル関係だ」

「そうなのユズル?」

「うん。この人、オレの姉弟子だから」

「姉弟子ってことは....鳩原ちゃんの教え子かぁ~」

「はい。天王寺恒星と申します。──よろしくお願いします北添先輩」

 影浦隊、北添尋。

 通称ゾエさん。

 縦も横もデカい肉体に乗った顔面は常にほんわかしているお人。

「よろしくね~。──ん? 天王寺.....?」

 

 その名前を聞いた瞬間。

 少しばかり首をひねり.....そして「あー!」と声を上げる。

 

「太刀川さんといつも個人戦している人!」

「.....仕方ないですが。その認識は少々癪に障りますね」

 

 ──そりゃあまあ。ほぼ個人戦の為だけに本部に出向いているので、そういう風に思われるのも仕方はないけど。仕方ないのだけれども! 

 

「あ? こいつが?」

「そうなんだよ。太刀川さん相手に毎回個人戦してる人。毎回いい勝負するから、観戦する人もめっちゃ多いんだって」

「....へェ」

 

 その瞬間。

 影浦は──少しばかりの好奇心をその目に宿し、天王寺を見る。

 

「.....結構出来る方なんだな。お前」

「まあ...」

「おもしれぇ。──今度時間があったらやり合おうぜ」

 

 影浦は笑みを浮かべそう言った。

 その表情を見て、──ああ、なんだ。と天王寺は思った。

 普通に。こうして笑える人なんだな、と。

 

 

「おーお前等。ヒカリさまのお戻りだぞ、と。......ありゃ。なんだお客さんかぁ?」

 暫くすると。

 実に闊達そうな女性が、作戦室に入ってくる。

 

「お邪魔しています、仁礼さん」

「んー.....? あ、天王寺か! トリオン体だからすぐには解んなかったわ! どうしたんだよー、こんな所に来て」

「ちょっとした縁で」

 

 はっはっは、と笑い声をあげてバシバシと天王寺の背中を叩く。

 仁礼光。

 影浦隊のオペレーターであり。そして、天王寺のクラスメイトでもあった。

 

「ん? 天王寺ちゃん、トリオン体で髪型とか変えてるの? 小南ちゃんみたいに」

「あー...」

 

 北添の言葉に、仁礼は実に言い難そうに口ごもる。

 

「別に隠しているわけではないからいいですよ。──私は生身の肉体では眼帯していて、それで前髪をちょっと流しているので。ぱっと見では判別がききにくいと思います」

「あ、.....これはゾエさん余計な事聞いちゃった。ごめんなさい天王寺ちゃん」

「いえいえ。大丈夫です」

「ったく。本当に余計な事しか言わねーな、このゾエめ!」

「ヒカリちゃんヒカリちゃん。ゾエさんのお腹をつつかないでつつかないで」

 

 仁礼はつかつかと北添に近付き、その豊満な腹の肉を人差し指で突っつく。心なしか気持ちよさそうだ。

 

 ──いい空気の部隊だな、と。

 そんな風に、天王寺は思った。

 

 

「.....いい部隊に入りましたね。絵馬君」

「うん」

 

 天王寺がそう言うと、絵馬は素直にそう頷いた。

 

「少しでも――オレの師匠に追いつかないと」

 

 

「....]

 

 思う事が、ある。

 影浦隊作戦室から出て、支部に戻る。

 

 ――自分は停滞していると感じる。

 隊に所属せず、自分を鍛える事ばかり繰り返し。

 鳩原含め二宮隊に懇意になり、学んだところで。

 今の自分は、何者にもなれていない。

 

 ――だが。

 ――自分がやるべき事は、隊に所属する事なのだろうか。

 

 隊に所属し、A級に上がり、そして――。

 その後は?

 

 現在、ボーダー上層部は近界への遠征を計画している。遠征艇を作り、あちらの国々へこちらの部隊を送り込む計画を。

 これはA級から、更に厳しい条件をクリアした部隊だけがその資格を得る訳であるが。

 もし部隊を組み、上に行く理由として考えられるのが、遠征であろう。

 だが――今の所、天王寺には近界に行く理由がない。今の自分が近界に向かって、何かできる事があるとは思えなかった。

 

「.....」

 

 何かが起こってから強くなろうとしても、それは遅い。

 だからこそ、今までの時間を全て強くなる事に割いてきた。

 しかし、そうしているうちにもう何年も経過してしまい。

 そして、自分は停滞を続けている。

 

「――ん?」

 

 そうして。

 携帯電話が鳴り響いた。

 その画面に映る名前は――

 

「迅さん......?」

 

 黒トリガー争奪戦以来、会う事の無かった。

 迅悠一であった。

 



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7 おぼろげながら浮かんできたんです。枝分かれしていく、未来が

 迅悠一とは、黒トリガー争奪戦以来会っていない。

 

 基本的に──天王寺恒星と、迅悠一は極力会わないようにしている。

 何故かと言えば、二人の副作用がある。

 

 未来視の能力を持つ迅と、平行視の能力を持つ天王寺。

 その能力が噛み合った瞬間。未来を視る人間が、限定的に二人となる。

 

 未来を視る人物が一人よりも二人の方がいい、と。そう言い切ることが出来ないのが現状だ。

 

 未来というのは曖昧なもの。

 迅が見ている未来は、その曖昧さに幾らかの輪郭を与える事は出来るものの──それでも枝分かれする程度には曖昧なものなのだ。

 

 その曖昧な未来の中で最善を掴もうとする際に。

 ”自分以外に未来が視える人間”というのは、大いなる不確定要素だ。

 

 その不確定性は、よく言えば迅が見えている未来の動きを大きく変える事が出来るという側面を持つと同時に。

 その不確定性ゆえに、未来の動きが安定しなくなる──という側面も持ち合わせている。

 

 それ故に、迅悠一と天王寺恒星は、基本的に会わない。

 それは天王寺が迅を信頼しているからであり、──未来を大きく変えなければならない岐路に立たない限り、自分が首を突っ込むことはしない方がよい、と思っているからでもある。

 

「お久しぶりですね迅さん」

「うん。久しぶり」

 天王寺は、本部内の休憩室に入り、通話ボタンをプッシュ。

 随分と懐かしい声が、耳元を通っていく。

「黒トリガー争奪戦.....いや。熊谷さんに殴られている姿を私が一方的に見た時以来ですね」

「そういう事は思い出さなくてもいいから」

「女性のお尻を触りたいというなら私にやって頂いても構いませんよ。腐っても貴方は命の恩人でボーダーの生命線ですからね。社会的な抹殺はしないでおきましょう。──まあ指の骨の一、二本は覚悟してもらいますが」

「怖いなぁ」

「それで、何の用ですか?」

 

 ああ、と迅は呟いて。

 

「割と最近天王寺が悩んでいるんじゃないかって、太刀川さんから聞いてね」

「.....まあ。少々停滞しているな、とは感じていますが。太刀川さんにそう言われるのは心底ムカつきますね」

 

 アイツはせめてもうちょい悩め──と。そう頭の血管が少し膨れ上がる感覚を覚えながら、電話越しの迅の声を聞く。

 

「停滞、かぁ。──まあ何となくそうなるんじゃないかとは思っていたなぁ」

「そうですか」

「うん。天王寺はどうしようもなく真面目で、そして基本的に自助努力で何とかしてきた人間だから。──誰かに頼る、ってことを自分からできない奴なんだろうなぁって」

「....私は人と協力する事を否定している訳ではないでのですが」

「おれが言っているのは協力じゃなくて、頼る事な。天王寺には、自分が何かをしようとするなら自分の力で達成すべきって考えが多分根底にあるんだと思うんだよ。──それはまあ、正しい考えなんだけどね」

「....」

 

 自分以外の視点を理解して。

 その理解故に、流されて生きてきた。

 

 その生き方を変えた結果として、──他者に流されない、確固たる意思というものを尊ぶようになった。

 

 これは正しいのだと、信じている。

 

 だが。

 この意思や、信念というものに。他人を巻き込む事にどうしようもない抵抗感がある。

 自分には自分の意思や信念があるように。

 他人にも間違いなく、それが存在するのであって。

 

 自分の意思を曲げたくないのと同じように。

 他人の意思もまた、曲げたくないのだ。

 

「.....一応、言っておく」

「....何をですか」

「心配しなくても──お前は必ずどこかで、部隊に入る。おれの副作用が、そう言っている」

「.....その必要が生まれる、という事ですか?」

「ああ」

「それはどういう事なのか──というのは。今は伝えられないですか?」

「うん。申し訳ないけど」

 

 そうですか、と天王寺は呟く。

 

「了解しました。わざわざお電話ありがとうございました」

「ああ。──それじゃあな天王寺。また──何処かで会おう」

「はい」

 

 通話を終えると同時、一つ溜息を吐く。

 ──そうか。私もいつかは、部隊に入る事になるのか。

 

 迅悠一が言う”必ず”の言葉の重みは、天王寺が一番よく理解していた。

 そしてそれが──自分にとって、部隊に所属する必要が生まれるから、であるとも。

 

 ならば。

 その時を待とう。

 ──必要が生まれた時に必要なだけの力を得ている事は、とても重要な事だ。

 ならば。未来に、己の力が必要となる時に向けて、備えよう。

 

 そう天王寺は心に決めた。

 

 

 冬が過ぎ。

 春が来た。

 

 さて。

 

 太刀川慶。大学一年生最後の試験期間が過ぎ去った後であるが。

 その有様──死屍累々、屍山血河の大惨状。天より落とされし単位という名の敗残兵が、その全身から血飛沫上げて屍を晒す。

 されどこの男。屍の上を踏み歩きにこやかに笑う。足元に転がる地獄の有様など、上しか向かぬこの男の視界の片隅にも映ることは無い。

 

「いやー。これで思い切り羽を伸ばせるな」

「羽を閉ざした期間が今までたった一度でもありましたっけ?」

 

 ──天王寺と太刀川との戦いは、まだまだ続いている。

 

「いやぁ。大学生ってのはいいな」

「何がですか?」

 

 十本勝負の七本目。

 お互い、会話をしながら刃を交わす。

 

「仮に。高校みたいに補習という概念があっちまったら、遠征に行けないだろうしなぁ」

「補習という概念がないからこそ、卒業できるかが限りなく不透明な訳なのですが。それはいいのですか?多分大学行けない事よりも大学卒業できない事の方がご両親が泣くことになりそうなのですが」

「そんな事はならねぇさ」

「いいえなるでしょうね。成績というのは全て運すらも関係ない実力で決まるのだと何故理解できないのですか? 馬鹿なんですか? ああそうでした馬鹿でしたすみません」

 

 全く、と天王寺は溜息を吐く。

 

「次のランク戦が終わってかららしいですね。遠征選抜」

「ああ。──まあ俺は心配してねぇ。何せ一位だ」

「....本当。どうしてこいつが大学に行っているのだろう...」

 

 この惨状を見て太刀川の両親は泣いていないのだろうか。

 

「──まあ。次のランク戦は、マジになる奴も多いだろうな。楽しみだ」

 

 そう。

 次のランク戦が終わった後に、遠征に向かう部隊が決定する。

 

 ──遠征を狙っている部隊は、次のランク戦。全力で上位を狙って来るだろう。

 

「さあて。──どうなるかね」

 

 はっは、と笑い声が上がると同時──天王寺の首が吹き飛ばされた。

 天王寺恒星。

 未だ──太刀川に対し勝ち越しならず。

 

 

 ボーダーという組織は、近界という別次元に存在する国々から三門市を防衛すべく存在している。

 組織の存在価値は、基本的に防衛にある。

 次元の彼方から来訪する兵隊共を駆逐し、市民の命と生活を守る。

 

 遠征。

 それは、防衛から一歩離れた場所に存在する行為。

 こちら側から、あちら側へ向かう。

 

 それは主に情報収集のためであろうが──それでも、こちら側からあちら側へと干渉する手段だ。

 

 ──近界民によって被害を受けた人間たち。それも家族が連れ去られたり、殺められたりした者達は特に遠征を希望する者が多い。

 

「──三輪君も、遠征には行くつもりですか?」

「.....ああ。認定さえ貰えるならな」

 

 現在。

 天王寺恒星は、三輪隊と組み防衛任務を行っている。

 三輪隊狙撃手、古寺が家庭の事情により防衛任務に出られなくなり、代打で出る形となったためだ。

 現在二人一組で分かれ配置がされており。三輪・天王寺と米屋・奈良坂がそれぞれ別区画にいる。

 

「とはいえ.....そう簡単な話ではないだろうな。A級でも上位に食い込まなければまず認定は貰えない。まだ下位から抜け出せていない状況ではな....」

 

 三輪隊はA級に上がってから、まだその順位を上げることが出来ていない。

 B級のトップを駆け抜け、A級昇格試験を乗り越えたその先。──壁は、高い。

 

「A級.....。解ってはいましたが、本当に魔境ですね」

「....それに。恐らく遠征で長く家を空けるとなると、まず姉さんを説得しなければならない。ここのハードルも高い」

「ああ....。成程...」

 

 三輪秀次はこめかみを抑えながら、一つ溜息を吐く。

 彼の姉は、──大規模侵攻以来、弟に対して随分過保護になってしまったのだと聞く。

 彼がボーダーに入隊し、近界民相手に戦う決断をした時も、相当に反対したとも。

 

「だが。.....遠征に行けるようになったら、ちゃんと説得してみせるさ」

 

 それで、と。

 三輪は言う。

 

「お前は──特段、遠征に興味は無いのか」

「無い訳ではないのですが.....。興味はあっても、目的はないという感じですね」

 

 天王寺には、近界という世界についても。近界民という存在に対しても。興味はあれど、それ以外の感情を持ち合わせていなかった。

 彼女もまた侵攻による被害を被った側であるが。自分に降りかかった被害は、自らの決断から生まれた結果であるという自覚が大いにある。それ故に、近界民に特段の悪感情も。好感も持ち合わせていなかった。

 こちら側の世界を壊そうとするのならば、容赦なく駆逐する対象でしかない。

 

「今の所──遠征に行くつもりはないですね」

「.....そうか」

 

 そう答える三輪の声音には。

 少しばかりの安堵の色が見えた。

 

 ──安堵? 

 

 その声音の変化に少しばかりの違和感を覚える。

 

 

「──『(ゲート)』の反応があったわ。各員、対処してね」

 

 脳裏をかすめた違和感への試行も、三輪隊オペレーター、月見の声が脳内に響くと同時に掻き消える。

 黒い電撃のような光景と共に──空間を削り取ったような穴が開かれる。

『門』の反応は、綺麗に三輪隊が配置された二つの区画に生まれていた。

 

「.....行きますか」

「ああ」

 

 人間よりも遥かに巨大な体躯の、無機の怪物が眼前に現れる。

 

 ──トリオン兵。

 

「こちら天王寺。バムスター二体にモールモッド一体。交戦に入ります」

 

 極太の胴体と四つ足を持つ蜥蜴の様なフォルムが二体。六本足のクモの様なフォルムが一体。

 バムスターと、モールモッド。

 

 天王寺と三輪が、両者とも駆け出す。

 

 天王寺は作成したアステロイドのキューブを背後に作成・分割し、それらを放ちながら──スコーピオンを手にバムスターの足下に入り込む。

 巨体を支える前脚をアステロイドで削り取りながら、頭部へと跳躍。頭部に一つだけ浮き出た眼球を、スコーピオンで斬り裂く。

 

 三輪は弧月を手にもう一体のバムスターの懐に入り込み、前脚を斬り裂く。支えを無くし倒れ込むその頭部に、ハンドガンの銃弾を叩き込む。

 

「天王寺」

「解っていますよ」

 

 跳躍した天王寺目掛け──モールモッドが襲い来る。

 その六つ足に付属したブレードが、空中の天王寺に振るわれる。

 

 自らに迫るブレードの側面部位に己が左手の五指を突き立て、そこからスコーピオンを生やす。

 指がめり込んだブレードの勢いそのまま地面へと着地した天王寺は、それをバネに更に空中に飛びあがり──アステロイドを生成。

 

 二分割のそれを頭部に叩き込むと同時。

 三輪秀次はハンドガンの弾倉を変更し、モールモッドの足に向け放つ。

 

 それは、トリオンの光を纏ったものではなく。黒色の弾丸。

 それらが着弾した瞬間。──重石が生え出る。

 

 鉛弾(レッドバレット)と呼ばれているそれを叩き込まれたモールモッドは。頭部に叩き込まれた天王寺のアステロイドの衝撃と、鉛弾の重みに耐えられず、前脚を折り倒れ伏す。

 

 

「──取り敢えずこちら側の『門』のトリオン兵は排除しました。米屋君、奈良坂君。そちらのほうはどうですか?」

「こっち側もオッケーだぜ」

「それは重畳です。──では、そろそろ本部に戻りましょうか三輪君」

「ああ....」

 

 

 

 

 

 三輪は。

 倒れ伏すトリオン兵と、それを見下ろす天王寺のシルエットを──少し目を細めて、見ていた。

 

 

 重なる。

 どうしても、重なる。

 己の記憶に張り付く、あのシルエットに──

 

 ──三輪秀次は、覚えている。

 忘れるべくもない。

 己の姉に迫りくる化物の姿を。

 

 

 終わりを感じ取っていた。

 炎と瓦礫に包まれた世界の中。化物が闊歩する光景の中で。

 

 

 ──女のシルエットがあった。

 

 それは姉に迫る化物へ走りながら。

 恐らくは、瓦礫を投げ込んでいた。

 そして──化物は姉から、そのシルエットへと狙いを変え、消えていった。

 

 

 炎越しのシルエットでしか見えなかった、その姿。

 記憶に強く刻まれたそのシルエットは──不思議な程、天王寺と重なってしまう。

 

 ──偶然だとは思う。

 

 天王寺は、左腕と左目の損傷の由来に関して、固く口を閉ざしている。ただ侵攻の際に家屋の崩壊に巻き込まれただけだと。そう言っているだけ。

 

 悲劇だ。

 アスリートとして、天性の才能があった天王寺恒星は、近界からの侵攻によってその道を絶たれた。

 己が積み上げてきたもの。輝かしい将来。そういうもの全てが破壊されて──なお、天王寺恒星は前を向いていた。

 諸々の悲劇の悲哀など、欠片も感じさせない。

 

 夢を潰された怒りも。憎しみも。何一つ宿していないその眼が。

 その後姿と重なるかつての記憶が。

 

 ──三輪秀次に、どうしようもない程の疑念を生じさせる。

 

 

 

 

 姉が生きていて。心の底から嬉しかった。

 姉にあんな思いを二度と味わわせないと心に決め、ボーダーの門戸を叩いた。

 もしあの時、姉が死んでしまっていたのならば──きっと今の自分はいないのだろう。その確信がある。

 

 

 

 それが。

 その喜びが。

 ──仮に。天王寺恒星の未来を潰した事による対価として在るのならば。

 

 

 

 自分は、どうすればいいのだろうか。

 

 

 

 

 ──三輪秀次は。

 ──ただ一つ。天王寺恒星に聞きたい事がある。

 

 ただ。

 それを尋ねて肯定されようが否定されようが、自分の中の何かが変わる確信もあって。

 

 聞くことが出来ないだけなのだ。

 

 



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8 お前もいずれ分かる時が来よう

さようなら書き溜め君……
君のことは忘れない……


 心の持ちようだとか。背負っているものだとか。辛い過去だとか。

 そういうもので──何かを変えられるのなら、どれだけよかったのだろう。

 そういうものが何かを変えられる力になる訳ではない。

 ただ何かを変えたいという執着だけを残していく。

 

 何も変えられないのに何かを変えたいという思いだけを刻み付けるそれは、不都合で、理不尽で、無意味で、自分の心をひたすらに蝕み続けるだけの、 

 

 呪いでしか、ない。

 

 

 

 肉親が連れ去られた悲しみが。

 それを取り戻さんと固く誓った決意が。

 その為に積み上げてきた努力全てが。

 

 それら全てを合算してもなお、──”人を撃てない”というあまりにも致命的な己の在り方を変えるには至らなかった。

 

 

 

 人に照準を合わせてトリガーを引く。

 この行為を行うにあたって、全身が粟立つような恐怖に支配される。

 雲の上に切り立った崖。何もない天空へと、己が足を踏み出さんとするかのごとき恐怖。

 このまま足を踏み出せば、己が肉体は支えを失い、死へと転がり落ちていくであろう。本能の最も内側の部分からガンガン鳴り響くアラートが全身を硬直させ、末端である指先を底冷えさせ硬直する。

 墜落を目の前にしたかのごとき、生理的な恐怖。

 

 このまま足を踏み出せば死ぬぞ。だからその足を止めろ。そう脳が己の意思に反し命令をかける、その感覚。

 

 

 そういう──内側から這い出る恐怖から成る不可能性が、『人間に照準を向けて引金に指をかける』という行為に存在していて。

 理屈では判別できない次元の嫌悪と恐怖にその身を支配され。もしくは蝕まれ。──人を撃つことが出来ない、という結果へと結びついていく。

 

 

 

 

 

 その恐怖と。その結果と。日々向き合う。

 突きつけられる。

 己が心と体を蝕む呪いに。

 

 

 お前の、お前自身の──過去は。悲しみは。決意は。涙は。祈りは。行動は。努力は。その全ては。

 所詮──呪い一つ乗り越えられぬ脆弱な代物なのだと。

 何一つ変えられない。乗り越えねばそれら全て無意味の沼底に叩き落されるという現実を前にしても変えられぬ。何かを変えたいという執着だけがそこにあって、されど何も変えられぬ己自身だけがそこに存在していて。

 

 だから、呪い。

 

 

 過去と心と決意があるから、現実と折り合いもつけられない。

 でもその過去と心と決意は、己の何物も変えられぬ程度には何ら現実への影響力もなく。

 

 

 いつしか。

 人を撃たんとする事を、止めた。

 人が持つ武器を、撃つ事にした。

 

 

 

 武器を撃って、倒すべき標的の攻撃手段を奪い。

 他の、人間を撃てる味方に倒してもらう。

 そういう方法を、取ることにした。

 

 

 欺瞞。

 人の撃てない自分は、人が撃ちやすい状況を作り出し撃てる誰かに撃ってもらっている。

 あまりにも、欺瞞。

 

 

 

 でもそうするしかないんです。

 そうするしか、自分は戦うことが出来ないんです。

 そうするしか、肉親を連れ去った何者かと戦う手段がないんです。

 

 

 

 

 

 ある日の事。

 武器を狙っていた照準の中。その射線上に──人間を捉えてしまい。

 撃った。

 

 

 

 レティクルに映る、自分が放った弾丸が人間に着弾しその肉体が破砕される光景を眼前にした瞬間。

 その光景が眼窩を通り脳内へ運び込まれ──その全てが全身を粟立てた。

 

 

 

 内臓から底冷えするような感覚と、そして灼熱に満ちるような頭の中。五感がぐちゃぐちゃに混線し、目の前の光景全てを認識できなくなってしまった。

 

 

 

 蹴躓いた先に、崖があった。

 崖から転げ落ちて、改めて理解できた。

 この恐怖を乗り越えられるだけの何かが、己には無く、

 

 ──己の在り方は。どう足掻こうと変わることは無いのだと。

 

 

 この呪いは。

 何をもってしても──己を縛り付ける楔なのだと。

 生きる限り心臓が脈打つように。

 生きる限り己を縛り付ける。

 

 

 どうにもならない。

 

 ──あたしは、ダメな奴なんだ。

 

 

 

 

 冬を終え、年を超え。

 三月が過ぎゆき、一年が巡る。

 

 始まりの四月が、やってくる。

 

 

「ハッピーバースデ~、天王寺ちゃん」

 

 天王寺恒星。

 17歳になりました。

 本日晴天なり。4月2日でございます。

 

「ありがとうございます」 

 

 改めましてこんにちは。

 曰く、ギリギリ早生まれになりそこなった系女子──天王寺恒星。恐らく日本で一番危険な場所の中心地にあるなんか真っ黒で巨大な建造物──ボーダー本部内のとある部隊の作戦室。誕生日パーティーの真っ最中。

 

 自分含め、何人もの人たちが持ち寄った料理の数々の中、二宮隊で予約していたというバースデーケーキであったり、パーティー開けされたポテチだったりが置かれ。実に誕生日パーティーという趣であるのだが──何故に、ここに煙と焦げた醤油の香りが漂っているのか。はなはだ疑問である。──本当にいい加減にしろ誰だよ餅焼いてんの。

 

「....天王寺さん、もう少しで早生まれだったんだね」

 隣に座る絵馬ユズルは、そう呟いていた。

 そうなんです、と言葉を返しながら──天王寺は取り分けられた食事を口に運ぶ。

 

 現在天王寺恒星は”本日の主役”と書かれたタスキに、手足がやけに短い二足歩行する謎の猫型生命体の帽子を被り、表情一つ変える事無くテーブルに鎮座していた。

 そう。

 天王寺恒星は、後一日生まれるのが早ければ。早生まれ系女子であった。

 

「あ? 早生まれって何だよ」

 もりもり飯を食らっている長身リーゼントがそう疑義を投げかけ。 

 

「ハヤウマレ.....? ああ。なんだ馬の話か。競馬の話はよく解らなくてな。すまん」

 最早言葉の字面すら把握していないという餅焼き髭馬鹿大学生が更にそこに言葉を投げかける。

 ──凄い。馬鹿が溢れている。

 

 天王寺は無言のまま切り分けられたケーキを自分の皿に取り分け、ホイップに乗っかった瑞々しいイチゴにフォークを突き立て、食らう。

 フレッシュな酸味とホイップの甘みと微かな煙と醤油の味がした。微かというが、完全にノイズである。澄み切った水に少しでも泥水投げれば淀んでしまうのと同じ理屈で、今自らが食しているケーキは多大なる損耗と共にある。誕生日会の作戦室。醤油の香りを運ぶ煙がうようよ。

 

 餅焼き大学生はパタパタ餅を焼いていた。

 ──そのもっさもさの髪と髭ごと燃やしたろか。

 

「太刀川さん。──何で餅を焼いているんですか?」

「好物を焼くことに理由がいるか?」

「ここには皆が持ち寄ってくれた美味しいご飯があって。二宮隊の皆さんが買って下さったケーキがあって。その上で煙を焚いて餅食ってる貴方の神経は何製なんだって遠回しに聞いていた訳なのですが。ご理解頂けましたか?」

「ああ。ケーキは旨いよなぁ。俺の分も残しておいてくれよ」

「皆さん聞きましたか? ──遠慮はいりません。あの馬鹿の分も食べてください。ケーキもその方が本望でしょう」

 

 冷たくそう言うと、天王寺は太刀川の分のケーキをそのまま──風間へと渡す。

 風間は無言のままそれを平らげていた。

 

「.....」

 

 その横。

 二宮は──無言のまま、太刀川に向け実に冷たい視線を送りつつジンジャーエールを飲んでいた。

 

「そっかぁ~。もし一日生まれるの早ければ、天王寺、わたしと同級生だったんだ~」

 テーブルを挟み、天王寺と向かい合う──俗にいう、ゆるふわ系女子に分類されるであろう女子が、そう呟く。

 

「ええ。そうですね、国近先輩」

「同級生になりたかった?」

「いえ」

「なんで!?」

「.....多分。私が国近先輩と当真先輩と同級生になったら。きっと勉学の世話をさせられていただろうなぁ、と。想像に難くないので」

「あ~? 俺が何だって?」

 

 当真、という名前に反応して。

 肉を食らっていたリーゼントが、天王寺の方へ顔を向ける。

 

 ──国近柚宇に、当真勇。

 片やA級1位太刀川隊オペレーター。

 片やA級2位冬島隊エース狙撃手。

 

 ボーダーという組織において。それぞれの分野で右に出るものがいない、間違いなくエリート隊員であるというのに。学力に関しては非常に残念な仕上がりの両者である。

 

「特に当真先輩。──本当。よく進級できましたね」

「まあA級2位が留年となりゃあ上の連中も頭抱える事になるだろうからなぁ。色々気を遣ってくれたんだろうよ」

「何で他人事の風なのですか.....!?」

 

 当真勇18歳。高校三年生。ボーダー狙撃手個人ポイント№1。

 しかしその中身を問い質せば、恐らくとんでもない享楽主義者。基本的にこの男は自分が愉快だと思うこと以外ロクに食指が動かないのであろう。ボーダーで成績が絶望色に染まっている連中というのは、知識を入れる能力がないというより、興味のない事を覚える行為を一切排除している例がとてつもなく多い。このリーゼントもあの餅焼き髭野郎もその一人。

 

「まあまあ天王寺ちゃん。お堅いことは今日はなしでいいじゃない。一応祝い事なんだしさ」

「....それもそうですね。すみません」

 

 二宮隊、犬飼の言葉に。素直に天王寺はそう言葉を返す。

 

 

 ──現在開かれている会には、太刀川隊(旧)に二宮隊、風間と当真と絵馬がいた。

 この会は──「天王寺恒星17歳の誕生日おめでとうの会」である。

 今まで誕生日を祝うという文化を味わったことのない天王寺の身を案じ、師匠たる鳩原が主催し会を催したのであった。まる。

 

「もう17かぁ~。時間の流れってのははやいもんだなぁ」

「そうですね。──太刀川さんも今年で20歳なのですね」

「そうだぞ」

「.....こんなのでも成人だと思えば。大人になる事にそこまで過剰な不安を抱く事も馬鹿らしくなりますね」

 

 そうかぁ。

 もう──この髭も今年で20になるのか。

 

 その言葉を聞いた瞬間──同い年の二宮が実に嫌そうな顔をした。同い年である事すら他者のプライドを傷つける。存在するだけで人の心に弧月を振りかざす。その名は太刀川慶。

 

「.....あ、氷見先輩。ケーキ取り分けますね」

「あ、あ、ひゃ、ひゃい....。ああ、ありがとう....」

 

 そして。

 テーブルの向こう側では──元太刀川隊の鳥丸京介と、二宮隊オペレーター氷見亜季の姿が。

 

 もさっとした髪型によく似合う端正な顔立ちの青年に対し、あからさまに氷見は緊張している。呂律すらまともに回っていない。──普段は非常に冷静でかつ、堂々とした振る舞いの氷見らしからぬ姿であった。

 

「烏丸君は、今玉狛支部でしたね。あちらではどうですか?」

 

 烏丸京介。

 元A級1位太刀川隊所属の隊員で。現在はボーダー最強部隊と名高い玉狛第一の隊員。

 ボーダーの中でも至極珍しい程に整った顔立ちをしており、その落ち着いた雰囲気も相まってボーダー内外でファンが多い。恐らく、氷見もその一人なのだろう。凄いねイケメン。

 

「上手くいっていますよ。からかい甲斐のある先輩もいますし」

「それはよかった。私も一回行ってみたいんですけどね、玉狛支部」

「来ればいいじゃないですか。いつでも歓迎しますよ」

「”副作用”の関係で迅さんと鉢合う訳にはいきませんからね。ただ遊びに行くためだけに迅さんを追い出すのも可哀想ですし」

「ああ....成程。──あ。この鶏肉美味しいですね」

「お口に合って何よりです」

 

 蒸し鶏に酢醤油ベースのソースをかけた料理。

 天王寺自身がこれまでかなり多く作ってきた料理であり、今回の誕生日会に合わせまとめて作っていた代物である。

 

「....天王寺は料理するんだな」

 そう風間が尋ねると、

「はい。一人暮らしになってから自炊するようになりました」

 

 ──実のところ、一人暮らしするよりも前に料理はしていた。

 ただそう言ってしまうと、父母の仲が悪く遂には母親が不倫した為別居云々。父親が全く家事が出来ないので家事一切をやっていた云々。この辺りの余計な情報まで口にしなければならない事が目に見えているため少々嘘を吐く。

 折角の会をわざわざ重くさせる必要も無かろう。

 

「して、──出水君」

「うん?」

「確か、唯我君でしたっけ。鳥丸君の後任」

「ああ」

「どうですか?」

「どうにもならねぇな....」

「あ、そう....」

 

 その声は、楽し気ながらも実感が籠っていた。

 

「まあ、烏丸君の後任ともなれば相当なプレッシャーでしょうからね。これからの成長に...」

「成長の見込みのせの字もねぇな」

「ええ...」

「多分一目見て天王寺が侮蔑の目を向けて舌打ちするレベル」

「.....私、そこまで性格悪くないですよ?」

「違う違う。性格いい奴ほど”こいつどうしようもねぇな”って見限るタイプの奴だ」

「ええ...」

 

 何というか。そこまでボロクソの評価を頂かざるを得ない人物は逆に興味が湧いてくる。

 

 

「──ほうほう」

 太刀川は。

 この一連の会話を聞いていたのかいないのか。

 

 焼いた餅を一つ摘み上げ、海苔に巻き。

 

「合いそうだ」

 

 と、言って。

 餅の上に──蒸し鶏をつまんで、乗せた。

 そして食った。

 得に感想も言わなかったが、表情は何処か満足気だった。

 

「....」

 

 何故だろう。

 フ、と吹き抜けるような殺意が頭に巡ったように感じた。

 

 

 その後──。

 太刀川隊作戦室は、余った料理やら菓子やらをつみまながらのゲーム大会の場となっていた。

 元々この会を太刀川隊の作戦室でやる事にしたのも、ボーダー随一のゲーマーである国近が”皆でゲームの対戦をしたい”という希望によるものであった。

 

 二宮は帰ろうとしたが、太刀川に煽られ一戦のみ対戦。派手に負けた為そのまま続行。無事徹夜ゲーの輪廻に飲み込まれた。

 

「....鳩原先輩」

「ん?」

 

 ゲーム対戦で盛り上がるその背後。

 天王寺は──鳩原に、声をかけた。

 

「ありがとうございます。──本当に、いい誕生日でした」

 

 この誕生日会が開かれたのは、鳩原の提案によるものであった。

 

「たまには、あたしも師匠らしいことをしないとね」

「なら、次は絵馬君の番ですね。次は私もお手伝いします」

「....うん。そうだね」

 

 鳩原は....少しだけ、困ったような笑顔を浮かべた。

 

「....天王寺ちゃんは」

「はい」

「自分の命はなくなってもいいと、今でも思ってる?」

 

 かつて。

 天王寺恒星は言った。

 ──必要ならば、自分の全てを犠牲に出来ると。

 

「.....はい」

 

 その覚悟というか。信念は。

 今でも──天王寺の中にある。

 

 もう一度あの侵攻の場面に投げ出されても、きっと自分はあの行動を取るだろう。

 その確信がある。

 

「あたしは──人を撃てない」

「....」

「でも、ここにいる。ここにいられる。それは、あたしの在り方を否定せずにいてくれる人がいるから。あたしの在り方に──合わせてくれる人がいるから」

「.....はい」

「あたしはどうしようもなく弱いから──この変えられないあたしの性まで捨てられなかった。全てを賭ける事が出来なかった。それでもここにいれる」

「...」

「天王寺ちゃんも。──自分の命なんて、賭けなくていいんだよ。いや。──そんなもの、賭けちゃいけないの。絶対に。だって」

 

 鳩原は。

 ──何処か、達観したような。そんな表情で。

 

「そんな事を天王寺ちゃんがしなきゃいけないなら――ボーダーなんて組織が在る意味なんて無いじゃない。ここにいる人たちは皆味方なんだから。命なんて賭けなくても問題を解決できる方策があるはず」

 

 自分が向く方向に他者に向かせるのが嫌だ、と。そう天王寺は言った。

 

 でも。

 

「天王寺ちゃんが向いている方向は──きっと皆、最初から向いていると思うよ。天王寺ちゃんがどうしても解決したいものは、きっと皆にとってもそうであるはず」

 

 だから。

 心配することは無いんだ、と。そう鳩原は言った。

 

 

「....」

 

 

 その言葉を──天王寺恒星は、深く噛み砕いて、咀嚼していた。

 

 

 

 そして。

 鳩原未来は、

 

 

 ──なに、言っちゃってんだろうなぁ。

 

 

 

 己が吐いた言葉を──何処までも達観した様相で、見つめていた。

 

 

 

 

 ──本当に。あたしは、駄目な奴だ。

 

 

 

 鳩原未来。

 ──彼女が天王寺に吐いた言葉全てが嘘になる決断を下すまで、残り一月。



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9 師を失ったな.....

 自分は、人に恵まれている。

 そう、確かに感じる。

 

 自分の欺瞞じみた在り方を、肯定してくれる。

 

 己が所属する隊も。

 自分と関わってくれる、皆も。

 

 人が撃てないが故に作り上げてきた己の戦い方を、否定しなかった。

 自分が撃てないから、誰かに撃ってもらう。

 そんな欺瞞に満ちた、その在り方を。

 

「──鳩原先輩」

 

 でも。

 その恵まれていて、優しい人たちの中で。

 自分は慣れてしまったのかもしれない。

 いや。

 慣れてしまった、というより──

 

「遠征の認定.....取り消された、って。本当なんですか.....?」

 

 忘れていた。

 自分は、ただ呪われている存在なのだと。

 どうしようもない存在なのだと。

 きっと、忘れていた。

 忘れていたから。

 この自分のままで、──何とかできる、なんて幻想を....。

 

 幻想、を。

 

 

 遠征選抜試験を二宮隊は潜り抜けていた。

 

 ボーダー全体でほんの一握りのA級部隊。その中から更に選りすぐりの上位部隊のみが、遠征に帯同する権利を与えられる。

 その基準となるのが──”黒トリガーと交戦できるか否か”

 

 近界という未知の領域に足を踏み入れるに辺り。こちら側が持つ最高武装である黒トリガーに対し対応が可能かどうか。そこを基準に選ばれる。

 A級4位の座と、それに見合う実力。そして実際に選抜試験を潜り抜けた成果を以て──二宮隊は、遠征の認定を手にした。

 

 が。

 その認定も、取り消される事となる。

 

 

 原因は──

 

「.....」

 

 

 ボーダー本部にほど近い場所にある、隊員用の寮。

 その一室。

 天王寺恒星の部屋がある。

 

 

 話の内容からして、他の隊員に聞かれるわけにもいかない。

 そして何より──他の誰にも、聞かれたくなかった。

 だから。天王寺は鳩原を自身の住処に招き、話をする事となった。

 

 

「少し待っていてください。お茶、お出ししますから」

「あ....。いいよ、天王寺ちゃん」

 

 ポットに手をかけ、二つ分の茶飲みをお盆に乗せるその姿を見て思わず鳩原はそう言った。

 はじめて見る、天王寺の姿。

 左目に眼帯をつけ、そして左手は鉛のように動かない。

 

 右手だけで盆を持とうとする姿を見て、鳩原はすぐに駆け寄った。

 

「あたしが持つから」

「気を遣わずとも大丈夫ですよ」

「いいからいいから」

 

 盆を先に持ち、手早く鳩原は丸テーブルの上に置く。

 そうして──改めて、天王寺の部屋を見る。

 

 非常に整理された部屋の中。トレーニングや動作解析、武道関係の書籍でびっしり埋まった本棚があり。それ以外、特段の私物が見当たらない。

 これだけで──普段の生活が見て取れる。

 

「...」

 

 真っすぐだ。

 本当に。

 

「天王寺ちゃん」

「はい」

「さっきの質問の答えを言うね。──認定を取り消されたのは、本当」

「.....!」

 

 天王寺の顔が、苦痛に見舞われたかの如く歪む。

 いや。

 本当に、苦痛を感じているのだろう。その心根に叩きつけられた事実に対して、強く痛みを感じるだけの精神性を、彼女はきっと持ち合わせているだろうから。

 

「何でですか....! 鳩原先輩は確かな成果を残したはずなのに.....!」

 

 知っている。

 天王寺恒星は知っている。

 この鳩原未来という狙撃手が。自身の在り方と真剣に向き合って、折り合いをつけて、そして不断の努力を積み重ねてきたか。全て知っている。知っているからこそ、納得がいかない。出した成果に対して勝ち取った認定を──何故取り消されなければならないのか。

 直接本人から聞いた事は無いが。

 ”人を撃てない”鳩原未来が、それでも戦闘員に執着する理由は──遠征にある事を、何となく天王寺は勘付いていた。

 

「....これは、私だけが出した成果じゃない。二宮隊が出した成果で──そして、あたしが出した成果の出し方は、遠征には不適格と見なされた。ただ、それだけの話なんだ」

 

 そして。

 遠征の認定が取り消された鳩原は──何処か達観した様子であった。

 

「天王寺ちゃん。あたしはね──弟が、連れ去られたんだ」

「....」

「なのに。それなのに。肉親が連れ去られているのに。あの子をどうしても助けなきゃいけないのに。──人を撃つ事も出来ないの。それさえ出来れば。たったそれだけの事が。出来ない。どうしても」

 

 心のどこかで、理解していた。

 こんな呪いに蝕まれた自分に。

 呪いを打ち払えない自分に。

 

 ──用意された道なんて、無いんだってことを。

 

「天王寺ちゃんは、──”出来ないを言い訳にしない人”を尊敬するって言っていたと思うけど」

「はい」

 

 そう。

 天王寺にとって、鳩原未来という女性はそう言う人だ。

 出来ない事を前に、それでもそれを言い訳にしない人だ。

 人を撃てない。その事実を前に試行錯誤を繰り返し、武器を撃ち落とすやり方を身に付けた人だ。

 

「でも。──あたしは、結局の所。突き詰めれば──人を撃てない事を言い訳に、人に撃ってもらっている立場なんだ」

 何処までいっても。

 常に自分は出来ないを言い訳にしている。

 

「違う....!」

「違わないよ。──だから。残念ではあるけど、この結果には.....どうしても納得せざるをえないんだ」

「いいや....! やっぱり、違う....!」

 

 今までにないくらい。

 天王寺は、必死に言葉を探していた。

 

 ──自分の意思は自分のもので、他人の意思は他人のもの。

 

 それが、天王寺にとってのスタンスであった。

 だからこそ、彼女は彼女自身に強い信念を持っており。それと同じだけ他者の考えや信念を尊重してきた。

 そんな天王寺にとって。

 今、こうして──鳩原未来という人間の考えを拒絶せんとする言葉を吐き出そうとする行為そのものが、あまりにもらしくない行いなのだ。

 

 でも。

 それでも。

 拒絶したい、と心から思った。思ってしまった。

 

 だって。そうでないと。彼女が思い悩み、時には反吐を吐き。尋常ならざる思いで積み重ねてきた行為そのものが──全て”いい訳”の一言で虚無に葬り去られてしまう。無駄であったと断じられてしまう。

 駄目だ。

 それだけは。それだけは認められない。

 例え鳩原の中でそう結論付けている事であったとしても。その様を見続けてきた天王寺にとっては、どうしたって許せない。

 

「突き詰めて突き詰めて。思い悩んで、試行錯誤して、自分の全てを賭けるほどの真剣さで突き詰めたものが──ただの”言い訳”になるなんてあり得ない!」

 

 適正でないものに、それでも自分に合わせる。

 その行為に対して、常に──鳩原は真剣だった。

 

「真剣だったから、二宮隊の皆は鳩原先輩を仲間だと受け入れたんだ!」

「....」

「出来ないことがあるのも、それを補い合うのも、当たり前の事じゃないですか....! 出来ないと向き合って突き詰めたものが....言い訳の一言で終わっていいわけがない.....!」

 

 二宮隊が。

 鳩原が人を撃てない事に対して「言い訳をしている」なんて考えていたわけがない。

 真剣に向き合って。そうして編み出した鳩原のやり方を仲間として受け入れて。受け入れた先に確かな成果があって。そこには確かな、部隊の一員としての、戦力としての、仲間としての”鳩原未来”という人物への確かな経緯があったはずで。

 

 そうして。

 ぐるぐると駆け巡る言葉を。今までにない程に必死に。纏まりきれないままに吐き出したその言葉を。

 

 ジッと。

 黙したまま聞いた鳩原は──静かに、笑った。

 それはいつもの張り付けたような笑みとは違う。

 純粋な喜色を張り付けた、紛う事なき鳩原自身の笑み。

 

「やっと」

 

 一つ頷いて。

 

「それを言ってくれるようになったんだね。──自分が向く方向に、他人に向けって言いたくないって。そう言っていた天王寺ちゃんが」

「あ...」

「その言葉を聞けただけでも。天王寺ちゃんの師匠でよかった、って。そう思うよ」

「....」

 

 どうしようもなく、感情が溢れてくる。

 視界がぼやけていく。

 この人は──本当に、天王寺恒星と向き合ってくれていたんだ。

 

「....でも。現実としてあたしは、あたしの在り方で遠征には行けないんだ」

「....ッ!」

「どう思う....? 天王寺ちゃん。あたしは──諦めるべきなのかな.....?」

 

 突き詰めて突き詰めて。

 極限まで真剣に突き詰めて。

 その果て。

 果てまで来て、駄目だと言われた──その絶望。

 推して量れるものではない。

 

 突き詰めたからこその。真剣だったからこその。

 もうその先が見えない程の絶望なのだ。

 

 ここで──諦めろというのは簡単だ。

 でも。

 

「....私は、私の考えを撤回しなければいけません。それは、本当に.....鳩原先輩。貴女が今この時に教えてくれた事です。心から、感謝しています」

「うん...」

「だから。今度は──二宮隊だけじゃなくて。私も。鳩原先輩の力になります....! こんな、簡単な事も解らなかったちっぽけな弟子ですけど。それでも、必ず。必ず....鳩原先輩が諦めなくてもいい方法を見つけ出します! 絶対に、遠征に行ける方法を.....!」

 それは。

 天王寺恒星の決意。

 ──自分だけでなく。自分を取り巻く他者に干渉して力となる。その為の。

「.....うん」

「だから──」

 

 だから。

 

「諦めないで下さい....!」

 

 

 諦めてほしくない。

 まだ。

 まだ方法はあるはずだ。あるはずなんだ。

 全てが手詰まりだと、決まったわけではないだろう。

 

 ──全てを突き詰めて、それでも目的を果たせなかった。それでも”諦めるな”という事がどれほど残酷な事か。理解している。理解しているからこそ....。

 酷故に、ここで諦めてしまった先。

 鳩原未来という人間が積み上げてきたものが──それこそ無駄になってしまう。いや、それどころか。積み上げてきたもの全てが呪いに変わってしまう。

 

 それが理解できてしまう。

 

「うん」

 

 その返答に。

 何処か──安心したように、鳩原は笑った。

 

 

「あたしは──絶対に諦めない」

 

 そう。

 彼女にしては、強い言葉で──言い切った。

 

 

 

 それから。

 ずっと考えている。

 

 ──どうすれば、鳩原未来が遠征に行くことが出来るのか。

 

 A級に上がり、実力を示し、選抜の認定を受ける──という。正規のやり方ではそれはもう不可能だ。そのやり方で、認定の取り消しという結果が生まれてしまったのだから。

 逆に言えば、彼女を含めた二宮隊は──実力という部分では、一度は上層部に認められているのだ。

 ならば。

 そもそも上層部が、──二宮隊の何を危惧して認定の取り消しを行ったのか。その部分について知る事が、まず必要だろう。

 

 鳩原は「もう大丈夫だから」と言って。それから幾ばくかの会話をした後に、天王寺の部屋から帰っていった。

 

 ──約束したんだ。

 

 必ず方法を見つけ出すのだと。

 まだ何も解決策が見つかってもいない癖に。それでもやるのだと。そう約束してしまったのだ。

 

 ならば──自分に出来る事は、全部やらなければいけない。

 

 そうして、向かっていると──

 突如として男の叫び声と共に人が倒れ伏す音が響き──怒号が鳴り響く

 

 ──カゲさん! 

 ──ちょ、ちょ! カゲ! 何やってるのよ! 

 ──おいカゲ! やめろ! 

 

 

 それは。

 メディア対策室の部署が存在する部屋から聞こえてきたその声は──影浦隊の声。

 

 凄まじく、嫌な予感がすると共に──影浦が対策室の職員に両脇を固められ、連れていかれるのを見た。

 

「影浦先輩....!」

 

 その背後。

 そう声をかける天王寺に、影浦は振り向く。

 怒りに満ちた目を──少しばつが悪そうに斜めに向けながら。

 影浦はそのまま、その姿を消していった。

 

 その後。

 ──影浦が根付メディア対策室長に暴力行為を働いた事により、影浦隊がB級降格処分になった事が発表された。

 

 その対応に追われ。暫し上層部は天王寺との面会を果たせなかった。

 

 

 そして。

 天王寺は、自室で起床すると──己の携帯に、珍しくメールランプがついているのを確認する。

 5月3日。

 5月2日の日時に、一通のメール。

 

「え?」

 宛名。

 鳩原未来。

 

 ──天王寺ちゃんへ。このメールが届いているという事は。恐らくあたしはもうボーダーにいないのだと思います。

 

 その文面を見た瞬間。

 全身にぷつぷつと、ナメクジが這うような悪寒が襲い来る。

 

 ──あたしは外部の協力者の人と一緒に、近界に向かう事にしました。本当にごめんなさい。あたしは、どうしても諦められなかった。

 

 外部の協力者。

 その文面の意味が、暫し天王寺には理解できなかった。

 

 ──貴女があたしに言ってくれた言葉は、こういう事をさせる為ではない事は、解っています。駄目な師匠で本当にごめんなさい。あたしは、貴女の真っすぐさに本当に救われました。

 

 

 

 

 

 チャイムが鳴る。

 

 

 暫し放心した後、フラフラと玄関口へ向かう。

 

 

 開けると。

 

 

 

「天王寺」

 

 

 風間隊が、いた。

 風間に──眠たげな視線をこちらに向ける菊地原士郎と、渋い表情の歌川遼。

 全員──戦闘体に換装した状態で。

 

 

「──昨晩。二宮隊の鳩原が失踪した」

 

 メールの内容が。

 風間の声で、現実に色づいていく。

 

 

「鳩原は──ボーダー内部から複数のトリガーを持ち出し、民間人に横流しした疑いがもたれている」

 

 

 今。

 自分はどんな目をしているのだろう。

 その目を見て──風間は何を思っているのだろう。

 

 

 

「失踪前。鳩原がお前の部屋に訪問していたと報告があった。──経緯を聞きたい。本部まで同行願う」

 

 

 全身の力が、抜ける。

 感情の制御や把握に脳の処理が追い付かず。己の身体を制御する機能が、無くなっていく。

 

 

 

「ああ...」

 

 

 ──鳩原先輩。

 

 ──仲間という存在の意味を教えてくれた貴女が。全てを一人で賭けなくてもいいと、そう言ってくれた貴女が。

 

「何故....」

 

 ──最終的に。全部かなぐり捨てて、仲間に頼る事を放棄し、そして己の全てを賭ける事を、決めたのですか.....! 

 

 

「何故だァァァァァァァァァァ‼ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ‼」

 

 

 両膝から崩れ落ち、倒れ込む。

 反射的に出そうとした手は、右手しかまともに動かず。支えきれず左手側から地べたに崩れ落ちた。

 もはや平衡感覚すら覚束ない。

 

 ──それもこれも。

 ──諦めるな、という。私の言葉故なのか──

 

 

 

 

 

 ──5月2日。

 ──鳩原未来、失踪。

 

 

 



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10 (原作時系列に追いついて)やっとらしくなってきたな

今回めっちゃ文量少なめズラ。
申し訳ないでズラ。


 その後。

 天王寺は本部へ同行し、上層部からの取り調べを受ける事となった。

 

 そこには。

 上層部全員と、風間隊と──そして。二宮隊の姿。

 

 

 ボーダー内部からトリガー複数を持ち出し民間人へ横流し。民間人もろとも『門』から近界へと消えていった。

 それが、鳩原未来がやってしまった事であった。

 

 天王寺は、寮の自室での会話内容と。そして携帯に送られてきたメールの内容をそのまま上層部に提出。

 その後の調査も合わせ──天王寺は鳩原の計画を知り得なかったであろう、と判断され。そのまま解放される運びとなった。

 

「....」

 

 どうすればよかったのだろう。

 どうにもできなかったのだろう。

 あの時。あの瞬間。──鳩原を遠征に行かせるための方策を考えつけなかった時点で。どうしようもない事だったのだ。

 

 ──あの時。諦めろと言えばよかったのか? 

 

「....」

 

 それだけは、言えない。

 仮にこの未来が解っていたとしても。

 

 天王寺恒星は──諦めろ、という言葉だけは。それだけは、口にすることが出来ない。

 それを否定して生きてきたから。

 

 

 その後。

 二宮隊は──鳩原の諸々の隊務規定違反の責任を取る形で、B級に降格する事となった。

 

「.....そうか」

 

 二宮隊作戦室。

 天王寺恒星は──改めて、自分が知っている事を、二宮隊に話していた。

 

 鳩原は自身が原因で遠征に行けなくなったことで、絶望感を味わっていた事。

 そして──自分は鳩原に”諦めるな”と言った事。

 その全てを。

 

「....ふん」

 

 二宮は、一つそう呟いた。

 

「その時点で──もう話はついていたんだろうな」

「....そう、でしょうね」

 

 二宮は、それ以上特に何も言わなかった。

 

「まあ。──しょうがないさ」

 

 犬飼は、からりとそう言った。

 

「しょうがない。──人が下した決断に対してどうこう言えないからね。残された人間は、粛々と責任を取るだけ。クビにならないだけ救いだったと思うしかない」

「うむ。仕方ない。それはそうとして。──私たちに一つも相談が無かったのは、やっぱり気に入らない所はあるけどね」

「....自分が所属する部隊だからこそ。言えない事もあったでしょうからね」

 

 犬飼の言葉に、氷見と辻が続く。

 ──やはり。隊の皆も、鳩原が認定の取り消しについてショックを受けていたのは重々理解できていたのだろう。驚きはすれど、困惑はしていないようだった。

 

「....私は。意図せずとも。鳩原先輩の決断について、背中を押しました」

「意図していなかったなら、どうしようもない。まさか”諦めろ”なんて──君が言えるわけもないんだし」

「はい。だからこそ──私も。あの言葉を言ったことそのものは、後悔はしていません。けど──この言葉に責任は持たなければいけないと思うのです」

 そう天王寺が言うと、

「....責任か。なら、お前はどうするつもりなんだ」

「私は──二宮隊は遠征に行くべきだと思います」

 

 だから、

 

「もう一度。二宮隊が遠征選抜試験に挑戦できるように、尽力します」

 

 恐らく。

 また次に二宮隊がランク戦でB級上位に行ったところで。二宮隊は再度A級に上がる事は出来ないだろう。

 ずっとB級で蓋されたまま。A級に上がる事はない。

 

「.....手はあるのか?」

「今はまだ。ですが、必ず見つけ出して見せます。──私の全てを用いて」

 

 そうだ。

 ──手段は択ばない。

 

 自身の力。持ち得る能力。その全てを用いて──目的を達成して見せる。

 

 

 

 天王寺恒星は、二宮隊作戦室を出ると。

 携帯を手にする。

 

 

「──お久しぶりです、迅さん」

「やあ天王寺。何か用?」

「単刀直入に言います。──お会いする事は出来ますか?」

 

 天王寺はそう聞くと。

 

「いいよ」

 

 と答えた。

 

 

 ボーダー本部からほど離れた、玉狛支部。

 河の畔から、橋を伸ばした先にあるそれは──現在のボーダーの前身である、旧ボーダー時代の本拠地であったという。

 

 迅悠一は、この支部に所属している。

 

「──いらっしゃい」

 

 その中。

 迅と天王寺は、互いに視線が向き合わぬように下を俯き、対峙していた。

 現在、他の隊員は出払っているらしい。

 迅と二人。互いに互いの姿を見る事無く──そこにいる。

 

「今日は──迅さんに一つ聞きたい事がありまして」

「何だい?」

「見えていましたか? ──鳩原さんの失踪する未来が」

「....」

 

 迅の姿は見えない。

 だから──今どのような表情をしているのかを視る事は出来ない。

 

「ああ」

 

 と。

 平坦な調子の言葉だけが、天王寺の耳朶を打つ。

 

「....」

 

 その言葉を飲み込み。

 歪む表情を矯正する。

 

 ──何故止めなかったのか、という言葉は。ここでは決して口にしてはならない。

 自身に不都合な未来を選び取った迅へ不平を漏らしてしまうのならば。その瞬間に──自分はこの男と並び立つ権利が失われるであろうから。

 

「理由を聞いていいですか」

「二つある。あの時点で鳩原ちゃんの失踪を止めた所で、鳩原ちゃんにとっていい未来が訪れない事が明らかだったこと。二つ。この民間人と鳩原ちゃんがあちら側に行ったことが必要になる、と。そう判断したから」

「....」

 

 そうか。

 ──止めた所で。自分が動いたところで。もうこれ以外に、鳩原は近界に向かう事は限りなく不可能だったのか──

 

「....解りました。その上で、迅さんにお願いしたい事があります」

「うん」

「鳩原先輩が近界に行ったこと。それ自体は致し方がない事です。鳩原先輩ご自身の決断ですから。──私の願いは一つ。その責任を負って、B級へ降格処分を下された二宮隊が。もう一度遠征に向かう事が出来るようになる事です。要は、もう一度A級に戻って頂く事。それだけが望みです」

「.....天王寺は、二宮隊が遠征に行くべきだと思っているんだな」

「はい。──鳩原先輩は、この決断をされたのならば。もう一度二宮隊と向き合っていただく必要があると。私は考えています。そして──私は、鳩原先輩の弟子ですから」

 

 だから。

 鳩原自身が起こした行動により何かしらの不都合が起きてしまったのならば。その不都合を是正する人間は──自分でありたい。

 

「だから。二宮隊がもう一度A級に戻る為に必要な情報が欲しい。なので──私の未来を視てください。迅さん」

 

 そこまで言うと。

 

 迅は──「いいよ」とだけ声をかけ。

 互いに顔を上げた。

 

 

 そして視線が交差し。

 互いの副作用が──発動する。

 

 

「....」

 

 

 暫く互いに目線を合わせ。

 天王寺の中に──幾らかの情報が脳内に入ってくる。

 

「....ありがとうございました」

「うん」

「おおよそ。やるべきことが理解できました。──もしかしたら」

 

 視線を外し、天王寺はくるり迅に背を向ける。

 

「次に会う時は──また戦う事になるかもしれないですね」

 

 と。

 そう呟いた。

 

「....」

 

 迅は。

 また戦う、という。その台詞を聞いて──

 

「ああ。だが──それでも、おれとお前は、敵じゃない」

 

 と。

 そうポツリ、呟いていた。

 

 

 時間が過ぎゆく。

 夏が過ぎ、秋を超え──冬。

 

 天王寺恒星は変わらぬ日々を過ごしていたが。しかし、その肩書だけが変わっていた。

 

 天王寺は、本部所属の隊員になっていた。

 

 鳩原の件については、箝口令が敷かれ。事件にかかわった幾つかの部隊と上層部を除き──その詳細が伏せられる事となった。

 その為。その数少ない情報を持っている天王寺は──辺境の支部から本部へと移され、本部管轄の隊員となった。秘密情報の管理にあたって、当然の処置だ。

 

「....」

 

 冬になり。多くの事件が起こるようになった。

 誘導機を通過し市街地へ数多く発生するようになった『門』。C級部隊員による無許可でのトリガーの使用。ボーダー外の何者かによる、トリオン兵の破壊。

 

 ──恐らく、そろそろだろう。

 

 時が近づいてきている。

 あの時に見えた、”未来”。

 この時を──ひたすらに待っていた。

 

「──恐らく。もうじきだと思います」

 

 天王寺は、二宮に告げる。

 そう言うと、黒スーツの男は──そうか、と言った。

 

「一応確認しておきます。二宮隊の皆さんは、A級復帰の意思はありますよね?」

「そりゃまあ当然」

 

 天王寺の声に、二宮隊を代弁するように──犬飼が頷く。

 

「ところで。本当に──加古さんに声をかけなくて大丈夫なのですか?」

「....あまり大所帯する必要もないだろう。それに、あの女を入れてしまえばある事ない事突っついてくるのは目に見えている。追加人員は最小限で十分だ」

「...了解です。では、近々連絡をします。その時はお願いします」

 

 さあ。

 もうじき──未来が訪れる。

 

 この為に、変わることなく天王寺は牙を研いできた。

 

 運命の日は、訪れる。

 

 

 

 

 ──現在。玉狛支部には近界民がいる。

 それは、人型の近界民。

 近界で生まれ、近界で育ち、その中で──傭兵として戦い続けてきた少年が。

 

 その名は、空閑遊真。

 

 彼により、市街地のトリオン兵の撃破が行われ、現在──玉狛支部が一員として保護を受けている。

 

 次の正式入隊日をもって──近界民が、ボーダーの一員となる。

 

 それだけならば。

 それだけならば──問題は、些細なものだ。

 

 問題は。

 その少年が──黒トリガーを持っているという事。

 

 

「──支部に黒トリガーが二つ存在する状況は、看過できない」

 

 本部に黒トリガーが一つ。そして迅が持つ”風刃”により玉狛支部に黒トリガーが一つ。

 仮に──その空閑遊真が玉狛支部に所属するならば。支部に二つ、黒トリガーが存在する事となる。

 これは──あまりにも歪なパワーバランスとなってしまう。

 

「現在、遠征中のA級部隊。彼等の帰還次第──黒トリガーを奪取すべく、玉狛支部へ襲撃をかける」

 

 そうして。

 ボーダー本部司令、城戸正宗により──黒トリガーを奪取すべく、極秘の任務が開始される事となる。

 

 A級部隊三部隊を用いた、玉狛支部への襲撃作戦。

 ──遠征からA級が帰還する。12月18日。その日に。

 

 

 そして。

 

 

「いやー。そんなに時間は置かないと思っていたけどさ。まさかまさか──遠征から帰ってきたその日のうちにやる事になるとは思わなかったねぇ」

「さっさと戦いたがったんだろう。あの馬鹿が考えそうなことだ」

 

 警戒区域内。

 

 誰もいないこの場所に、一つの集団があった。

 

 

 

「時間を置けば、それだけ玉狛側に準備を与える羽目になりますからね。仕掛けるなら、早ければ早い方がいいでしょう。──お。今、交戦音が聞こえてきましたね」

 集団がいる、反対側の地点。

 そこから、交戦音が一つ響き渡っている。

「みたいだね。──ひゃみちゃん。あちら側はどうなってる」

「交戦が始まったみたいだね。──事前の()()通り。嵐山隊もそっちに向かっているみたい」

 

 それは。

 二宮隊と、天王寺恒星であった。

 

 

「ならば動くぞ。あまりモタモタしていられない。反対側に迅が引き付けられているうちが勝負だ。──もう一度確認するぞ。任務は玉狛が保護する近界民から黒トリガーの奪取。近界民の生死は問わない。極秘任務故に、各員メテオラの使用は厳禁。いいな?」

「了解」

「よし。──ならば、行くぞ」

 

 二宮の指示の下。

 部隊が動き出す。

 

「では──これから合流に向かいます」

 

 そして──そこから遠く彼方に位置する男に、二宮は通信を入れる。

 

「ああ。──後方の援護は任せろ」

 

 既に。

 玉狛支部からおおよそ二キロ地点にある高層の建造物に潜む男が、一つ頷く。

 

「では──これより任務を開始する」

 

 男は肩までかかる長い髪を後方に流した、狙撃手であった。

 彼は。

 かつての二宮の上官であり、

 

「よろしくおねがいします。──東さん」

 

 そして。

 狙撃手という兵種をボーダーにもたらし。

 かつてのA級1位部隊を率いた、ボーダー屈指の傑物。

 

「ああ。──こうしてお前と戦う機会を迎えられて。俺も嬉しい」

 

 東春秋であった。

 

 

 

 

 二宮隊及び、東春秋と天王寺恒星。

 彼等は──A級部隊の交戦を確認すると同時。動き始めた。




次回 玉狛第一VS二宮隊+α

あと諸々のネタばらし


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11 なんか、戦いが始まって、開戦したんですよね。

 ──迅の視界を得て、未来の情報を得た事で。

 

 天王寺恒星は、幾つもの情報を得た。

 己の視点から見た未来の中。

 自分は──警戒区域の中でA級と戦う未来が視えた。

 

 ボーダー本部内の個人戦ブース内の模擬戦ではない。実戦を行っている視界。

 

 そして。

 ──あの時の侵攻以上の戦力が投入された、大規模な戦闘。

 

 断片的な情報の欠片たちを様々に繋ぎ合わせ、そして日々を過ごす中で──その答えを探す。

 

「──城戸司令」

 

 そして。

 冬となり、答えは見つかった。

 天王寺は──ボーダーの頭領。城戸正宗総司令と向かい合っていた。

 大きな傷が顔面に刻まれた男。

 その表情は何一つ動くことは無い。喜怒哀楽、そのどれも。

 かつて味わったことのない程の圧力を感じるが──それでも、真っすぐに向き合う。

 

「──取引をしませんか」

 

 ──玉狛が保護をしている近界民の少年。空閑遊真。

 彼が持つ黒トリガーこそが、闘争のもととなると。

 

 

 

 未来というのは不定形で曖昧な代物。

 迅悠一が持つ”未来視”という能力は、その不定形で曖昧な代物にある程度の輪郭を与えるものであると天王寺は考えている。

 しかし、それは輪郭でしかない。

 

 別の言い方をするなら、河川のようなものだろうか。

 過去から現在という地点を通り、未来へと流れゆく水。

 流れる河川の先には様々な経路がある。本流から枝分かれした支流が幾つも並び立ち、そして──選んだ経路によっては、激流に飲み込まれるかの如き最悪も潜んでいる。

 

 故に思う。

 未来視という能力は。それを扱うに値する人間としての力が存在しなければ何の効力もない。

 

 河川の先が見えた所で。

 船がなければ流れるまま濁流にのみ込まれるだろう。支流の先を見渡す眼力がなければ船頭は務まらない。未来を知るというのは、結果ではなく過程。その過程の中で如何に備え、枝分かれする道筋の中から最善を選び取るか。──最善へと導く、人間としての力が求められる。

 

 迅悠一はそれを持っている。

 彼は彼にとっての最善を掴み取る為の手段を備えている。

 

 ならばこそ。

 自らもまた──未来という情報から、備えをしなければならない。

 

 

 膨大な未来の情報を整理する中で。

 彼女の中で見知らぬ人物の姿がちらほら浮かび上がってきた。

 

 一人。メガネを付けた少年。

 二人。白髪の、小柄な少年。

 三人。ぴょこんと一つ立った髪の毛が特徴的な、小柄な女の子。

 

 着目したのは、二人目の少年。──幾つかの光景の中には。全身を覆う、ボーダー規格にないトリガーを使用していた光景が幾つもあった。

 この少年には、二つの矛盾した光景があった。

 

 一つ。トリオン兵と交戦する光景。

 二つ。ボーダーの隊員と交戦する光景。

 

 ボーダーに存在しないトリガーを使うとなれば、当然少年は近界民だろう。

 しかし近界民たる少年が、トリオン兵を駆逐する光景もあり。

 しかしボーダーの隊員と戦っている光景もある。

 

 この光景に着目し、日々を過ごす中で──情報が集まってくる。

 市街地へのイレギュラー『門』の多発。

 そして、ボーダーの規格ではないトリガーによる、トリオン兵の破壊。

 

 ──あの少年だ、と。天王寺は思った。

 

 

 ここまで情報が集まってくると、未来の光景に繋がりが生まれてくる。

 あの少年は市街地のトリオン兵を自らが持つ黒トリガーで破壊し。

 そしてその黒トリガーの存在を知ったボーダーが調査を行い。

 

 ──最終的に。黒トリガーを奪う目的か。もしくは近界民を排除する為か。どちらかの目的でボーダーがこの少年に襲撃をかけるのだろうと。

 

 そして。

 自分が見た光景の中では。自分は、A級部隊に対し、迅と共に立ち向かい、戦っていた。

 

 これが──恐らく。迅の未来視を己の副作用で共有しなかった際に実現する可能性の高い未来。

 

 しかし。

 ──申し訳ないが。反旗を翻させてもらう。

 

 

 

「取引、か。──では。君は何を差し出し、そして我々に何を要求するのだね」

「私は迅悠一から得た未来の情報と、それを基にした提案を。そして司令には──二宮隊のA級復帰を求めます」

「.....情報と言うと.....具体的には?」

「情報というのは。──次の作戦。間違いなく迅さんが妨害に来るという事です」

「....」

 

 次の作戦、という言葉から。

 ──城戸の頭の中にあった。遠征中のA級部隊が帰還次第行うつもりであった極秘任務の内容を天王寺が知っていることを理解した。

 

「その上で提案です。──私と、二宮隊。こちらも戦力に組み込みませんか?」

「.....成程。言いたいことは解った」

 

 城戸の任務に二宮隊を使う代わりに、その報酬として二宮隊をA級に戻す。

 そういう提案を──天王寺は行っていた。

 

「そう悪い事ではないでしょう? いつまでも二宮隊をB級1位の場所に置いておくのは健全ではないでしょう。元々遠征選抜も問題なく通過した部隊です。戦力としても申し分ない」

「.....悪い提案ではないが、まだこちらにも懸念材料がある。君と二宮隊が、迅と共謀している可能性も否定できまい。君は迅を経由して情報を仕入れたのだろう?」

「はい。その疑念はもっともだと思います。二宮隊はそもそも懲罰でB級に落とされた部隊。単独で極秘任務に参加できるほどの信頼を得ているとは思えない。──だから」

「何だね?」

「とびっきり優秀で、かつ。監視役としてピッタリの人物を我々に付ければいい。──その人物に判断させるんです。迅さんと我々が共謀しているかどうかを」

 

 その名は。

 

「──東春秋隊長です」

 

 

 ──という訳で。

 現在。二宮隊に、東と天王寺。

 総勢五人が、この黒トリガー争奪戦に参加する事となった。

 

 12月18日。

 A級1~3位部隊を乗せた遠征艇が帰還するその日。

 ──そこからの数日以内に作戦が行われるとの事だったが。まさかまさか、帰還当日から決行とは。

 

 

 作戦としては。

 A級部隊が本部から玉狛支部へと向かう道中に迅及び、忍田本部長側の戦力──A級5位嵐山隊がそれを止めに当たる。

 A級がそれらの戦力を止めているうちに──別区画でスタンバイしている別動隊の二宮隊+αが玉狛支部へと急襲をかける。

 

 迅と、そして──本部長指揮下の嵐山隊。

 その戦力が足を止めているその間に、支部に殴り込みをかけ──黒トリガーを奪取する。

 

 

 と、なれば。

 立ちはだかるは──

 

「.....わざわざやられる為だけに、ご苦労様」

 

 支部への道中。

 天王寺の眼前には、緑を基調とした隊服の女性が現れる。

 ショートカットの髪の背後には、羽根のような髪が後ろに流れている。

 

 その女性の手には──二振りの、手斧が握られている。

 このトリガーを使う隊員は──恐らくもう、この人物しかいないのだろう。

 

「こんばんは小南さん」

 

 小南桐絵。

 おおよそ4年前に入隊した天王寺よりも、もっとはるか前。現在のボーダーが設立されるはるか前──旧ボーダー時代から戦い続けてきた歴戦の戦士。

 

「二宮隊に。アンタは.....天王寺か」

「はい。こうして面と向かってお会いするのははじめてですね」

「迅に負けた奴でしょ? ──それで、何の用?」

 

 会話をするごとに。

 互いの敵意が、その目に宿っていく。

 

「要求は一つです。──玉狛が匿っている人型近界民をこちらに寄越してください。そうすれば戦いは終わりです」

「断るわ。なんでウチの子を、あのおっさんなんかに渡さなきゃいけないのよ。顔洗って出直せ!」

「でしょうね」

 

 ──そうそう。

 ──そうでなくちゃ困る。

 

「──交渉決裂か」

 

 二宮がそう呟くと、

 

「そうよ。──それじゃあ、ちゃっちゃとぶった斬るわよ.....!」

 

 そう小南の声が響くと同時。

 

 天王寺の周囲を囲むような──”壁”がせりあがる。

 

「──エスクード」

 

 壁は三枚。天王寺と二宮隊を分断するように作り出されたその壁の背後。

 

 二人の男が、現れる。

 

 

「──戦闘開始だ」

 鎧の如き筋骨と、精悍な顔つきをした男と。

 

「援護します」

 地面に手を付ける、端正な顔立ちの男。

 

 

 ──玉狛第一隊長、木崎レイジ。並びに元太刀川隊、烏丸京介。

 ボーダー全部隊において。最強と称される部隊が、ここに集結した──。

 

 

 戦いは。

 天王寺と二宮隊が分断され──天王寺と小南が正面からぶつかり合い、残る二宮隊三名が木崎と烏丸に挟まれる形。

 

 小南が天王寺の懐に入ると共に。

 天王寺は背後にアステロイドキューブを生成しつつ、小南の前進に合わせ一つステップ。

 ステップと同時に身体を捻り半身を隠し、右手を背後に持って行く。

 

 アステロイドで動きを止め、その隙に右手から斬撃を与える。その連携が頭をよぎった瞬間。

 小南は──アステロイドの撃ちだしのタイミングと合わせ、弾道から回避。

 弾道から回避すると共に。天王寺の右手から来る斬撃を手斧──双月で防がんとして。

 

「......?」

 

 その右手には。

 何ら得物は握られていない。

 

「アステロイド」

 

 半身で隠した右手には、

 得物は握られていない。

 

 小南の回避動作からの防御に合わせた──本命のアステロイドが、生成される。

 

「....やるじゃない」

 

 察知した小南が防御体制から即座にバックステップを入れると共に。

 エスクード越しの木崎に軽くアイコンタクト。

 

 二射目のアステロイドは、分厚いシールドで防がれる。

「....流石だ」

 あのアイコンタクト一つで、木崎のシールドを自身に張らせたのだ。この一瞬だけでも、玉狛の連携の練度の深さが伺える。

 

 

 

 小南と天王寺の攻防と並行し。

 

 二宮隊と、木崎・烏丸との戦闘も開始されていた。

 

 

 烏丸は己と木崎の前にもエスクードを設置すると共に。両者ともにその陰に隠れ、突撃銃を掃射。

 上空に放たれた弾丸は。木崎のは上空に円弧を描くような弾道で、烏丸のは直角的な曲がりの弾道で。それぞれ上空より飛来する。

 

 弾丸が上空に放たれると共に二宮隊はそれぞれ散開する。

 

「アステロイド」

 そして。

 二宮のアステロイドが──木崎・鳥丸の前面のエスクードを破壊すると共に。

 

 烏丸側には辻の旋空。

 木崎側には犬飼の突撃銃による掃射。

 それぞれが攻撃を仕掛ける。

 

 烏丸は旋空を回避する為に足を動かし。

 木崎はシールドを張りつつ、突撃銃の掃射で反撃を取る。

 

「二宮さん」

 

 天王寺が一つそう呟くと同時。

 二宮はハウンドを展開し小南に向け放つ。

 

「......鬱陶しいわね!」

 

 小南はハウンドの曲がりを読み切り、追尾機能が弱まるタイミングを見計らい回避動作。

 シールドをここで切れば追加の一撃に対してジリ貧になる事が理解できているのだろう。

 

 しかしここで天王寺と小南の距離が空く。

 

 その隙に天王寺はエスクードを飛び越え──木崎のもとへ向かう。

 

 即座に木崎の左手側に移動しつつ──二分割のアステロイドを放つ。

 

 一射目を足を動かし回避。

 回避先に撃ち込まれた二射目は──

 

 衝撃音と共に、消し去った。

 

「....」

「.....え?」

 

 困惑の一言と共に──そう呟いていた。

 

 木崎レイジは──回避動作と共にトリガーの入れ替えと、そして予備動作を終え。

 アステロイドに対し。右拳を突き出した。

 放たれた正拳は、グリップを握っており──トリオンの噴出と共に放たれ──アステロイドの弾体を消し飛ばした。

 そのグリップは、見覚えがあった。

 

「.....レイガストか」

 

 それは三つある攻撃手用トリガーの一つである、レイガスト。

 本来は盾のような形状のトリガーで。硬質化し盾として運用する形状と、その外装をブレードに変え武器として運用する二つの状態を切り替え──防御と攻撃をモードで切り替えながら戦う事をコンセプトにしたトリガーである。

 そして──レイガストには、弧月における旋空のようなオプショントリガーが存在する。

 

 スラスター。

 エンジンのように、トリオンを噴射させ加速させるオプショントリガー。これにより、レイガストの使用者を高速移動させたり、レイガストそのものを高速で飛ばしたりといった運用が可能となるものであるが。

 

 この木崎レイジという男は。

 このスラスターの噴出を己が拳撃を加速させる手段として使っているのだ。

 何という──無茶で奇抜な使い方。

 

「そうか」

 

 とはいえ。

 その戦い方ならば──近接は、小南よりもやりやすい。

 

 アステロイドが弾き飛ばされた瞬間から、天王寺もまた弾き出されたように飛び出す。

 その動きに対し──木崎は、更に拳撃を突き出すが。

 

 その拳が突き出された先。

 当たると確信し放った拳が──空を切る。

 

「む...」

 

 飛び出した状態から膝を曲げ身体を地面に投げ出しながら。

 その突き出した拳の手首を握る。

 握る動作と並行しアステロイドを生成し──その手首を掴みながら、天王寺は木崎の背後へとステップを踏みながら回る。

 後ろ手に木崎の手を掴み背後に回り。

 アステロイドの盾にするように、木崎を前に突き出した。

 

「....上手いな」

 

 木崎は即座に腕を横薙ぐように振りかざし、天王寺を振り払うと。

 レイガストの盾モードを展開し、アステロイドの弾丸を防ぐ。

 

 タンタンタン。

 乾いた三連射がその瞬間──木崎の足下に放たれる。

 

「ありゃ──防がれるか」

 

 それは一連の攻防の隙に木崎の横手側に移動した犬飼による、足元への射撃。

 天王寺の猛攻に対し意識を持っていかれながらも──冷静に木崎は犬飼の存在を認識し、銃口の向きから射撃位置を読み、足元へシールドを張っていた。

 

「──これ以上、好きにさせないわよ!」

 

 二人に囲まれている木崎を援護せんと。

 小南桐絵が──斬りかかる。

 その両手には──身の丈を軽く超える、大斧が握られている。

 

 木崎の前に踊り出した小南は、大斧をぐるり横回転しつつ振り回し天王寺を追い払い。

 その間にトリガーを変えた木崎が、突撃銃を手に天王寺へと放つ。

 

 ──よし。

 

 天王寺は。

 合図を受け取った。

 それは、別の誰かの視界。

 

 その瞬間──天王寺は。

 一人、玉狛支部側へと走り出した──。

 

 そう。

 この戦い──二宮隊側は、支部に向かい、黒トリガーを回収することが目的なのだ。

 

「....逃がしちゃダメ! とりまる!」

「了解」

 

 烏丸のエスクードがその進行方向を防ぐように出現し。

 その壁の上空をカバーするようなハウンド。

 

「天王寺。シールドは必要ない。そのまま走れ」

「了解です」

 

 ひり出されたエスクードの上を、迷わず天王寺はジャンプし昇る。

 上から襲い来るハウンドを二宮のシールドがカバーし。

 

 更に突撃銃で天王寺を追撃せんとする烏丸には、犬飼の突撃銃によるカバーが入る。

 

「この....!」

 そして。

 その背後より追跡をかけようとする小南の前には──辻の旋空が横切る。

 相手に対する攻撃ではなく、その動きを止める為の旋空。サポートを目的とした一撃。

 

 

 この瞬間。

 

 二宮隊全体のカバーが入る事により、天王寺は一人──玉狛支部へ一人走り出す事に成功した。

 

「俺が追います!」

 

 距離的には、烏丸が最も近い。更に動きが妨害できるエスクードも持っている。

 犬飼の射撃に対し武器を解除しシールドを展開し、その上で射線上にエスクードをひり出し──烏丸は、天王寺の背中を追う。

 そうして。

 

 天王寺を追いつつも、背後からの二宮隊の追撃も警戒。

 天王寺と二宮隊。双方に意識を払いつつ追跡をかける。

 

 

 その瞬間。

 

「.....!」

 

 自らの頭部が弾け飛ぶ感覚が、烏丸京介に襲い来る。

 

 

「な....!」

 

 

 ──襲撃者は、二宮隊と天王寺だけではなかったのか!? 

 

 

「──いい()()だ、天王寺」

 

 彼方に潜みし狙撃手が。

 烏丸京介へ──必殺の弾丸を叩き込んだ。




天王寺恒星 暫定パラメータ
トリオン7
攻撃9
援護防御9
機動9
技術10
射程4
指揮2
特殊戦術3

Total53


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12 間に合ったな

「──とりまるがやられた!?」

 

 小南が、驚愕の声を上げる。

 

「....まだ。敵がいたか」

 木崎は、少しばかり表情を歪めながらそう呟いた。

 

 ──二宮が連れてきている、と考えると。生半可な腕ではないのだろう。

 

 戦況が一気に悪くなった。

 敵の戦力が一つ増え。そしてこちらの戦力が一つ消えた。

 

 ──今や2対5。それも全員、A級に遜色ない実力の持ち主。

 天王寺は鳥丸を釣りだしで仕留めると同時、戻ってくる。

 ──玉狛第一を全員仕留めた上で、支部に向かうつもりなのだろう。

 

「──すみません。やられてしまいました」

「....仕方がない。事前に狙撃手を想定できなかった俺が悪い」

 

 現在。

 木崎は二宮と真正面からの撃ち合いを行い。辻と犬飼が小南を挟撃している形。

 

 二宮と木崎の撃ち合いは、トリオン量と射手としての技量に優れる二宮が優勢。小南と辻・犬飼の戦いは──

 

「ぐ....!」

 

 ──小南のストッパーが外れた事で、辻・犬飼の二人であっても攻めきれずにいた。

 

 小南は、ここまで封じていたメテオラを解禁。

 メテオラによる爆撃と、それに伴う煙で視界を制限し──高い機動力を以て猛攻を始める。

 

「──キッツいなぁ。頑張れ辻ちゃん。こっち側に天王寺ちゃんと東さんが移動してくるまでの我慢だ」

「解ってます」

 

 マスタークラスの両者でさえ、──本気になった小南相手では攻め入る事もできない。

 しかし。それでも勝算はある。

 釣りによる狙撃を敢行する為に玉狛支部側に位置していた天王寺と東が、天王寺が支部へと到達次第こちら側に移動してくる。それまで時間稼ぎさえ出来れば

 

 メテオラが地面に叩きこまれる。

 

 煙の中、それでも集中を切らさず──小南の斬撃を辻は防ぐ。

 

 

「え?」

 その背後。

 

 辻は──煙に紛れた何者かに、その背中を貫かれた。

 

 トリオン供給器官を真っすぐに貫いたその刃は、スコーピオン。

 メテオラの煙が晴れ、緊急脱出により辻が消え去った後。

 

 そこにいたのは──

 

「──お待たせ、こなみ先輩にレイジさん」

 

 黒いC級用の隊服を着込んだ──小柄な少年の姿。

 

 

「ここからは──おれも戦わせてもらう」

 

 

 空閑遊真、来襲。

 

 

「遊真....! 何でアンタここにいるのよ!?」

「迅さんに事前に言われていた。──その為のトリガーも渡された」

 

 驚いているのは、敵側だけでなく。

 味方である玉狛第一も、同じ。

 

「おれの事で皆戦っているんでしょ? ──ならおれが戦わない訳にはいかない」

 

 その姿を見やると。

 

「──黒トリガーを使わなくてもいいのか?」

 そう二宮は尋ねる。

 

「使うな、って迅さんに言われているし。──それに」

 

 遊真は、笑う。

 

「ウチの師匠達には──そんなもの必要ない」

 

 そうか、と二宮は言う。

 

「ならば──かかってこい」

 

 そう言うと同時。

 上空から──住居の屋根から飛び込んでくる天王寺の姿が映る。

 

「──お待たせいたしました、二宮さん!」

 

 天王寺恒星が戻ると同時。

 

「俺も所定の位置についた。──はじめようか」

 

 東春秋の声も、また同時に響く。

 

 二宮がアステロイドを構え、そして──天王寺が木崎に向け走り出すと共に。

 全員が、動き始める。

 

 

 天王寺恒星が木崎に向け走り出す。

 二宮は、その瞬間視界を小南の方向へと向けアステロイドの弾体を生成。

 

 瞬間──木崎は、自分を抑える役割が二宮から天王寺へと移ったのだと感じた。

 

 

 

 ──木崎レイジは、完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)である。

 

 攻撃手・銃手・狙撃手。

 三つの兵種全て──8000を超える個人ポイントを取得している。

 彼のスペック全てを引き出すために。彼のトリガーは、チップ数を大幅に増やした特別性のものとなっている。

 

 ──天王寺は近接での射撃戦に長けている。

 

 先程の攻防で、木崎ははじめて相対する天王寺恒星の特性をある程度掴んでいた。

 

 スコーピオンとアステロイド。

 この特性を活かし、器用に切り替えながら戦っている。

 

 スコーピオンで近接での意識付けを行い、動きを止め、アステロイドを放つ。

 

 この際に。──木崎に関しては手を掴みアステロイドへの回避動作を取れないよう動きを封じる動きをしていた。

 

 レイガストを用いた拳撃を回避しながら。

 

 ──風間のようにスコーピオンを扱う技量が抜きんでて高い、というよりは。体術の能力が抜きんでて高く、そこにスコーピオンとアステロイドを組み合わせて戦っているのだろう。

 

 ならば。

 近づけさせない。

 

 木崎は引きながら突撃銃を手に取る。

 アステロイドの威力からしても、トリオンはこちらの方に分がある。純粋な中距離戦ならば負ける要素はない。

 

 そうして天王寺に銃口を向け引こうとする瞬間。

 

 その背後にいる二宮が、一瞬。

 一瞬だけ。

 

 ──天王寺に視線を向けた。

 

 その瞬間。

 

 天王寺と、その先にいる木崎レイジに向け──アステロイドを放った。

 背後。

 その唐突に放たれたアステロイドに対し──至極当然のように、天王寺は弾道から逃れるよう、横に飛び去る。

 

「....な!」

 

 ──天王寺恒星は、”平行視”の副作用を持っている。

 それは、他者の視界が自分を視た瞬間に、その他者の視界を得るというもの。

 

 その特性は、集団戦によりその効果をもたらす。

 

 なぜならば、彼女を見るという行為をするだけで、何らかの合図を送る事が可能であるから。

 

 二宮が木崎から小南へと視線を移し、天王寺が木崎へと走る。

 そこから──視線を天王寺側に向けるだけで、副作用を発生させ、二宮のアステロイドの射出のタイミングを瞬時に伝えられる。

 

「く....!」

 木崎はシールドを展開し弾丸を防ぐと共に、突撃銃からアステロイドにトリガーを変更。

 この後の展開が読めたからだ。

 天王寺は横っ飛びし、着地した瞬間から──ロケットのように木崎に向けスコーピオンを手に飛び込んできたからだ。

 

 レイガストとスラスターを用いた拳撃が、天王寺に飛んでくる。

 しかし──先程の攻防で、天王寺はその攻撃の間合いを読めている。

 

 拳が突き出される瞬間に足を止め、その勢いを以て地面にしゃがみ込み──足払い。

 足払いする踵にはスコーピオンが生成され、木崎の足を削る。

 

「──レイジさん!」

 

 更に追撃せんと前進する天王寺に、小南からのメテオラが入る。

 爆撃の煙が視界を防ぐ中──警戒するは。

 

 背後。

 視界に紛れようとも、副作用が言ってくる。

 

 敵はそこだ、と。

 

 天王寺はノールックでアステロイドを生成すると──背後に放つ。

 

「おお」

 

 背後より、メテオラの煙に紛れ急襲せんとする空閑遊真は、即座に弾道から離れる。

 

 その動きに合わせ、

 犬飼は空閑に対し弾丸を放ち、

 そして──二宮もまた、アステロイドの射出準備を行う。

 

「──させるか!」

 

 高威力の弾丸を警戒してか、小南はメテオラを二宮に放つ。

 生成したアステロイドを仕舞い、メテオラをシールドでぶつけ──手前側で爆発させ、引く。

 

 小南は即座に二宮を追わんと足先に力を入れるが──本能が、それを止める。

 

 危機本能のまま、──己の左手側にシールドを張る。

 

「....小南!」

 

 その動きを見て、木崎は小南側にスラスターを発動し、自身の肉体を挟み込む。

 そこから──レーザーのような光を纏った弾丸が小南へと向かい来る。

 

 小南のシールドが砕かれ。

 そこから割り込んだ木崎のレイガストで──なんとか、食い止められる。

 

「流石の読みだな」

 

 その弾丸の先。

 東春秋の姿が、ある。

 

 しかし。

 

 ここで──木崎・小南共に狙撃の対処のために足を止めた事で。

 

 

 二宮が、動く。

 

 

 その両手に──アステロイドの弾体を、浮かべて。

 

 

 ──来る。

 

 二宮匡貴の、フルアタック。

 

 片方の弾体は、細かく。

 片方の弾体は、大きく。

 

 それぞれ分けた弾丸を、両手に並べて。

 

 その様を見た空閑遊真は、即座に二宮を止めんと襲撃にかかるが。

 天王寺のアステロイドからのスコーピオンの斬りかかりでその足を止められる。

 

 天王寺のカバーにより、空閑の足を止めた事で。

 二宮を止める者は、誰もいなくなった。

 

 

「....」

 

 

 ならば。

 

 こちらも──全力を出さざるを得ない。

 

 木崎レイジは、ここまで自分たちを追い詰めた眼前の敵に敬意を払いながらも。

 それでも──まだ切っていない手札が、あった。

 

「──全武装(フルアームズ)

 

 そのトリガーの名を、告げる。

 

 

 玉狛支部は、ボーダー最強の部隊と言われている。

 それは各々の隊員の能力もそうであるが──彼等は、玉狛支部独自のトリガーを用いているからでもある。

 

 汎用性や継戦機能が重視される、本部仕様のトリガーとは全く異なる思想。

 短期での火力や、特異性を重視した設計思想のトリガー。

 

 烏丸京介が使用する”ガイスト”

 小南桐絵が使用する”接続器(コネクター)

 そして──木崎レイジが用いる、”全武装(フルアームズ)

 

 木崎は、その手札を切った。

 

 それは、文字通りの武装。

 全ての武装が、木崎レイジという肉体に生成されている。

 両手にはそれぞれガトリング砲台と突撃銃。その両肩にはミサイル台に弾砲。背中側から伸びたアームにはレイガスト盾が握られ、木崎の前方を守る。

 

「──ここで、お前だけでも仕留めさせてもらう」

「....」

 

 その手札が切られた瞬間。二宮もまた──悟ったのだろう。

 

 キューブが放たれ。

 火砲が射出される。

 

 シンプルな光弾と、多種多様な物量の塊がぶつかり合う。

 トリオンの光を纏ったそれらは、互いの弾丸とぶつかり合い、破裂音を撒き散らし、そして──両者の身体を、平等に削っていく。

 

 二宮のフルアタックに対し、木崎はある程度アームのレイガストで防ぐことが出来たが──二宮側は、フルアタックゆえ防御手段がなく。

 先に緊急脱出をしたのは──二宮側であった。

 

 

 そして。

 木崎レイジは──全身を貫かれ、大量のトリオンを消失しながらも。

 何とか生存を果たしていた──。

 

 

 しかし。

 

 大量の弾丸の応酬の中冷静に木崎の側面を取っていた犬飼澄晴が、ハウンドと突撃銃のフルアタックを放つ。

 二宮のフルアタックによりアームを折られ、盾のレイガストを失っていた木崎は、これを防ぐ手段なく──緊急脱出。

 

 

「あちゃあ....ここで二宮さんが仕留められたか」

「.....小南さんもですが、存外あの近界民も厄介ですね...」

 

 単純に、乱入してきた近界民がかなり強い。

 恐らくチップが複数ある特別性であるが、C級用トリガー。スコーピオンに、シールドとバッグワームくらいはついていると考えられるが──黒トリガーを使わずとも、あの強さ。

 

「.....二人とも。悪い知らせだ」

 

 東春秋から。

 報告が飛んでくる。

 

「反対側のA級部隊は、全滅。──全員迅と嵐山隊に倒された。迅は健在。嵐山隊は時枝以外健在。──時間が経てば、こちらに来るぞ」

「.....そうですか」

 

 ならば。

 

「──ここで仕留めなければ、先がない」

 

 よし、と一つ息を吐き。

 

 天王寺と犬飼は、走り出す。

 

 先行した天王寺に対し、小南と遊真が迎え撃つ。

 アステロイドで遊真の動きに制限をかけつつ──天王寺は小南へと斬りかかる。

 

 ──あの近界民と連携を取られたうえでは勝てる訳がない。そしておそらく、小南単体であっても太刀川と同格の使い手であろう。

 

 自分が倒せるとは考えてはいない。

 ただこちらには──あちらにはない、銃手と狙撃手がいる。

 

 天王寺は両振りの手斧を持つ小南に対して、鈎爪付きのスコーピオンを取り出す。

 

「変わった形してるわね...」

 

 それを小南の首に振ると見せかけ──斬道を変化。手斧の小振りさを逆手にとり、得物を引っかけつつ手首を落としにかかる。

 

「....そんなもの喰らわないわよ!」

 手首がスコーピオンに落とされるよりも前に、小南は手斧を強く振る事で弾き返す。

 そして。

 天王寺の副作用が──犬飼からの視覚を得る。

 

 自身の位置。

 その左手側。

 ──アステロイドを防護し終えて、迎撃態勢をとる空閑遊真の姿。

 

 その対称の位置に、犬飼が陣取っている。

 それを合図と受け取り、天王寺は己の上体を下げ──犬飼の射線を作る。

 

「おっと...!」

 

 アステロイドを防ぎ、ようやく攻撃に参加せんとした瞬間。天王寺がいた位置から襲い来る、犬飼の掃射。

 

「.....成程。あの女の人に、とことんおれを近づけさせないつもりか」

 

 たとえ、自分の位置に射線が入ろうと。

 いやむしろ。

 自分という肉体が隠れ蓑となり──射撃を通りやすくする。

 

 そういう活用法が、天王寺の副作用にあった。

 

 さあ。

 この一瞬だ。

 

 ──決めろ! 

 

 

 東春秋の狙撃が、放たれる。

 

 恐らく、狙撃位置も読まれた状態で当てる事は難しいと判断したのだろう。──トリオンが高ければ高い程、弾速が増加する”ライトニング”の弾丸が小南に放つ。

 狙撃のタイミング自体は読んでいたのだろう。一つ背後にステップを行い、回避。

 

 だが。

 

 そのステップは──天王寺がアステロイドを生成するには、十分な隙となる。

 

 後は同じ。

 このアステロイドを生成すると共に──スコーピオンを手に追撃をかける。

 

「....ここで終わりってんなら」

 

 小南は。

 両手に持った手斧を──二つ、柄をくっつけ。

 

「──アンタも、道連れよ」

 

 小南は大斧を生成。

 バックステップしながら腰を捻る動作を完了し──斬撃。

 

「ぐ.....!」

 

 天王寺のスコーピオンが届くよりも前に、その一撃が己を斬り裂き。

 そして──放たれたアステロイドは、小南の肉体を貫いた。

 

「遊真....! これで、勝ち切りなさい!」

 

 そして。

 緊急脱出直前。

 

 小南は──メテオラを生成し、分割することなく己の足下に叩きつける。

 

 

「了解」

 

 

 自爆による爆風と煙が充満する中。

 

 空閑遊真はバッグワームを起動。

 

「──やっぱりバッグワームつけてたか」

 

 残された犬飼がその狙いを読み、煙から離れようとするが──。

 

 スコーピオンの刃が煙の中より飛んできた。

 

「あーあ」

 

 それを回避する瞬間。

 弾丸のように飛び出してきた空閑遊真が──犬飼の肉体を貫いた。

 

「....まあ、最後っ屁くらいは吹かせてもらおうかな」

 

 そうして。

 犬飼は──空閑遊真の肉体を、両手でつかむ。

 

 瞬間。

 

 東春秋の狙撃により、空閑遊真のトリオン体もまた貫かれる。

 

 

 そうして。

 犬飼は緊急脱出し──そして。

 緊急脱出機能が備わっていない空閑遊真の肉体は、そのまま生身のまま投げ出される。

 

 

「.....終わりか」

 

 東春秋は、一つ溜息を吐く。

 

 空閑遊真を仕留めはしたが──もう捕らえられる人間が残っていない。

 自分が持っている狙撃トリガーは安全装置が付いていて、生身の肉体相手には気絶させる機能しかない。

 

 そして。

 

 

「いやー。──頑張ったな、遊真」

 

 丁度その時。

 

 迅悠一が、この場に到着した。

 もうこれ以上の抵抗は無駄だろう。そう判断して──東春秋は息を吐いた。

 

 

「だがまあ。──二宮隊にとっては、十分な成果になっただろう」

 

 そう呟いて。

 東春秋は──自主的に緊急脱出を行った。



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13 死んでもいいとは言ったが、死んでもいいとは言ってない

そろそろネタが尽きてきたという事は、ネタがないという訳ではない。どう見えるかだ。もう何も見えないが、何も見えないという訳ではない。どう見えるかだ。








本文は割と早めに出来ていたがサブタイ捻りだすのに丸一日かかったというのは紛う事なき事実です。


「.....」

 

 緊急脱出の後。

 即座に──状況を確認。

 

 玉狛第一の部隊員は全員緊急脱出。

 更に、──空閑遊真自身も撃破。

 

 その上で。

 黒トリガーは──奪取されることは無かった。

 

「おつかれ、天王寺ちゃん」

 

 犬飼澄晴が声をかける。

 

「はい、お疲れ様です」

 

 生身の肉体のまま、天王寺は──二宮隊の作戦室にいた。

 

「....ほぼ全て、理想的な流れになりましたね」

 

 そう。

 全て──理想的な流れであった。

 

「だね。この状況は。仮に迅さんと戦っていたあちら側が生き残っていれば、人型近界民を拿捕して黒トリガーを奪うことが出来た状況だ。つまり、別動隊としての役目を果たした──という事になる」

「ええ。その上で近界民を殺害することもなかった」

 

 今回。

 天王寺恒星は──二宮隊にA級へ復帰させる為の実績作りのために、状況を利用させてもらった形だ。

 だが、その実績を作る為の茶番だと思われるわけにはいかなかった。そう東に判断されれば、ただ無駄足を踏むだけになってしまう。

 だからこそ、本気だった。

 徹底して本気で、玉狛と戦った。

 

 ──そうした上で、迅ならば。手を打ってくれるであろう。そう確信をもって。

 

 玉狛支部への襲撃も予期し、玉狛第一の部隊をあらかじめ配置。その上で空閑遊真にも予めトリガーを渡して参戦させる。これらの事前準備が功を成し──両部隊相打ちかつ、空閑遊真を守り切ったという最高の着地点につけた。

 

 

 

 

 その後。

 黒トリガー争奪戦は──迅悠一が本部に風刃を差し出す事で、解決した。

 

 元より、支部に二つ黒トリガーがある事によるパワーバランスで揉めた問題であった。本部に適合者がいる事が確実な風刃が返却されるとあらば、特段の問題がないと判断されたのであろう。

 

 そして。

 

「──二宮隊は来月からA級の復帰。次期ランク戦もそれに準ずると。そう城戸司令から通達が来たね」

「それはよかった」

 

 一つ息を吐く。

 これにて──天王寺の目的の一つが達成された。

 

「これで──二宮隊は、もう一度遠征を目指すことが出来る訳ですね」

「そうだね。それはいいんだけど──」

 

 犬飼は、少しだけ意地悪気に目を細めて──尋ねる。

 

「それで。天王寺ちゃんはこれからどうするの?」

「え?」

「遠征に行って鳩原ちゃんに会いたいのは、天王寺ちゃんも同じでしょ? ──なら。今まで通りとはいかないでしょ」

「...」

 

 その通りだ。

 本当にその通りなのだが──

 

「.....そうですね」

 

 二宮隊の問題も片付いたのだから。

 自分としても──身の振り方を考えなければならない。

 それは、解っているのだけれど。

 

 まだ。

 まだ──やるべき事は残っている。

 

 

 

 

 ・         ・         ・

 

 

 

 

 ──俺は、アイツの事を本当にいい奴だと思っているんだ。それは今になっても変わらない。

 

 同い年の同期で。

 同じ部隊に入った。

 嵐山准という男が、いる。

 

 今のボーダーが出来上がってからすぐに入った同期で。人当たりよくて家族思いないい奴で。仲良くならない理由がなかった。

 同じ隊を組んだ。

 そして広報部隊となった。

 

 B級嵐山隊は、ボーダーの顔としての活動も兼任するようになったのだ。

 

 その後の事。

 広報部隊として、会見を行った時だ。

 

 慣れていない環境で結構俺は緊張していたっていうのに。アイツは全くそのそぶりも見せない。本当に胆力からしても違うんだと思った。

 

 その時だ。

 

 ──家族が無事なら何の心配もないので。最後まで思いっきり戦えると思います。

 

 襲撃があった時。まずは家族の命を守ると。そう記者の質問に答えた嵐山が、後に続けた言葉。

 

 その時。

 言語化しようもない程の、恐怖がそこにあった。

 

 最後とは何だろうか。

 そう思考を巡らせれば──間違いなく、”自分が死ぬまで”という文言が付いてくるわけで。

 

 

 

 ──覚悟、という言葉には段階がある。

 ──多分。俺にも何らかの覚悟は決めてきた。この街を守りたいって意思はある。近界民と戦う事だって覚悟してきた。

 

 それでも。

 言い得ない恐怖をあの時。自分の親友に感じたのは。

 

 ──アイツは、戦いの中で自分の”死”を当然のように受容している。

 ──家族や誰かのために自分が犠牲になる事も。さも当然に受け入れていて。その上で、笑っていられる人間なんだ。

 

 自分よりも、遥かに高次元の覚悟。

 その時に困惑も含んだ恐怖を感じ取ったのは──間違いなく。あの時に自分と、あの男との間にある差異を感じ取ってしまった。

 

 だから逃げ出した。

 その差異を目の当たりにして。自分と比較してしまって。

 

 柿崎国治。

 現、柿崎隊隊長。

 未だに──あの日の事を忘れられずにいる。

 

 

 

 ・         ・        ・

 

 

 

 天王寺恒星は──現在仮想空間内にいる。

 

 彼女は現在片膝立ちで、見慣れぬ得物を手にしていた。

 それは、黒い柄から伸び上がった、刀型のトリガー。

 その刀身には──揺らめく光のマフラーが付属している。

 

 天王寺は、ジッとその場にいた。

 

 そして。

 

 

 ──自身の左手側の視界が、脳裏に映る。

 

 脳裏に映った瞬間より。

 天王寺は即座に体軸を動かし、トリガーを振るう。

 

 振るわれたトリガーはマフラーを掻き消し。

 地中に潜る光が──視点者の下へと走らせる。

 

「....くっ!」

 

 今、天王寺に向かって飛び出そうとしていた──嵐山隊、木虎藍。

 彼女は腹部から肩にかけてブレードで両断され、トリオン体が破壊される。

 

「...」

 

 仮想空間故に、破壊されたトリオン体は即座に戻る。

 そして、木虎は即座に天王寺から背を向け、また視界の外へと向かって行く。

 

 

 ──繰り返す。

 

 現在、天王寺恒星の手には、迅が返却した黒トリガー”風刃”がある。

 これを手に、天王寺は佇む。

 

 ──己の副作用で、何者かの視線が脳裏に映った瞬間。その場所に”風刃”による攻撃を行使する。

 

 風刃の性能はシンプル。

 剣先に触れた事物に光の筋を通し、ブレードを生やす。

 その光の筋は、斬りつけた事物と地続きであるならば、何処までも伸びる。故に、何処までもブレードを生み出せる。

 生やしたブレードの数だけマフラーは減っていき。無くなれば再装填の時間が必要となる。

 

 ──何処までも届く攻撃を、自分の副作用で探知した場所に叩き込む。

 

 この行為を、繰り返す。

 脳裏に刻み付ける。

 反射行動として刷り込み、考えるよりも前に行使できるまで。

 繰り返す。

 繰り返す、繰り返す。

 

 

「──じゃあ。今度は連携でやってみようか」

 

 そう、迅悠一の声が響くと同時。

 今度は己の視界の外から来襲する──ハウンド弾が向かい来る。

 

 ──成程。

 

 風刃は黒トリガーである。それ故に、ノーマルトリガーとは比較にならない程の出力と性能が与えられている──が。

 その性能は、単一でしかない。ノーマルトリガーのように、異なる性能や機能を持つトリガーを切り替えながら戦う、という方法が取れない。

 

 要は。

 シールドのような防御機能が、風刃には無い。

 

 だからこそ。

 ハウンドのような面攻撃に対して、大きく足を動かさざるをえない。

 

 降り注ぐ弾丸を回避。そのまま弾道を辿り、ハウンドの撃ち手を仕留めんと走り出す──と同時。

 

 上。

 右手。

 

 それぞれの視界が、同時に映り込む。

 

 上を確認。

 誰も見えない。

 恐らくは──透明化トリガーの”カメレオン”を用いているのだろう。

 

 そして、右手側。

 

「さあ──避けてみろ、天王寺ィ!」

 

 二丁拳銃を構えた、厳つい眼鏡の男。

 銃口は既に天王寺を捉え、その引金に指がかかっている。

 

 見えないが視界だけが映る上空の相手。

 今にも弾丸を撃たんとしている右手側の男。

 

 ──天王寺は風刃を突き刺すと同時。引金が動く瞬間を見切ると共に、風刃を支点に飛び上がる。

 飛び上がると同時に、ついぞ先程まで天王寺がいた地点に弾丸が通り抜いていく。

 

 そして。

 光の筋が三本──入れ替わりのように、二丁拳銃の男に走り寄る。

 

「やるじゃねぇか.....!」

 

 ブレードに貫かれる男――弓場隊隊長、弓場拓磨の姿を一瞥する暇もなく。

 逆手に握った風刃を、引き抜きざまに上空へ振るう。

 

「....」

 

 ブシュ、と空間が斬り裂かれたようにトリオンの黒い煙が漏れる。

 煙の軌跡を追ったその先。──カメレオンを解いた、風間蒼也の姿。

 

 腹部に傷を負った風間は、それでも表情は一切変えず天王寺へ襲い掛かる。

 

 ──やっぱり、風間さんは凄い。

 

 こうして向き合って、己の副作用で感じとれる情報だけでも風間蒼也という男の凄まじさを感じる。

 

 視線が、別々の方向に流れていく。

 これは。恐らく先手を常に想定しているのだろう。

 初手が通じなければ、次はこう。その次はこう。常に、攻撃の手順を想定している。

 

 だから。

 

 

 風間のスコーピオンの有効半径全てに、風刃のブレードを”置く”。

 花咲くように天王寺の周辺をブレードの壁が巻き上がる。

 

 その壁を前に風間が立ち止まる、一瞬。

 

 壁を飛び越え斬りかかる天王寺の斬撃を、風間は回避。

 

「む...」

 

 そして。

 回避先に──置かれたブレードが、足元から風間を斬り裂いた。

 

 

 

「──やるねぇ」

 

 

 迅はその様を見て、満足気に頷いた。

 

「この調子だ天王寺。──間違いなく今のお前は、おれの次に風刃と相性がいい」

「ありがとうございます」

 

 ──現在。ボーダー本部では、迅が教官となって風刃の使い方講座が行われていた。

 風刃適合者が集められたその場所では──。

 

 ”直近で使う可能性が高い”天王寺恒星の訓練場となっていた。

 

「今風刃適合者のほとんどが、全員部隊の隊長か、中核メンバーだからね。──使わせるならお前が一番適任なんだよ。天王寺」

「....」

 

 

 あれほど欲しがっていた、風刃。

 今自分はそれを握っている。

 あの時──黒鳥争奪戦から時間が過ぎゆき。適合者は皆隊を持つか、入隊していて。恐らく手を上げれば、間違いなく自分は──喉から手が出るほど欲しかった”風刃”と、S級の座が手に入るところ。

 

 

「とりあえず今日はこんな所でいいか。──みんな、お疲れ様」

 

 仮想空間内。所定の時間が過ぎると共に、他のメンバーは全員出ていく。

 

 

 残されるは。

 天王寺恒星と、迅悠一。

 

 

「今日は付き合ってくれてありがとな。天王寺」

「いえ。こちらこそ教導ありがとうございます迅さん。──それで」

 

 迅と、天王寺。

 その視線が、交差する。

 

 

「.....成程」

「お前には──俺から直々にお願いしたい事がある」

 

 程なくして訪れる。

 ──確定した、未来。

 

「多分、あと二週間くらいかな。──四年前の第一次侵攻よりも、大規模な近界民の侵攻が行われる」

 

 無数にも近いトリオン兵の山々。

 そして。

 

 襲い来る──人型近界民。

 それも──複数かつ、黒トリガーか、それに準ずるほどの性能を持つトリガーを携えて。

 

 その連中と戦う自分の姿が見える。

 その中には様々な光景がある。ノーマルトリガーで戦う光景もあれば、黒トリガーで戦う光景も。だが、一番多いのは──後者の光景だ。

 

 そして。

 その中。

 

 

 ──哄笑を上げる黒い角の男に、殺される自分の姿もあった。

 

 

「....」

「.....やっぱり、見えたか」

「はい。──この大型の侵攻で。私が死ぬ可能性がある、という事ですね」

「ああ」

 

 そう。

 迅悠一は頷いた。

 

「当然──。そうならないように最善を尽くす。もしくは完全に回避する方法もある」

「それは?」

「お前がノーマルトリガーで戦う事だ。そうすれば、倒されたとしても緊急脱出で逃げられる」

「.....その方法を選んだ時の、デメリットは?」

 

 問う。

 

「──多分だけど。本部中央オペレーターとエンジニアが。何人か殺される羽目になる。風刃を使うお前が、この未来を回避するには間違いなく必要だ」

「....」

 

 

 ──天王寺恒星は。

 ──かつて、他者を救うために、己の命を賭けた。

 

 

「お前には。この、お前を殺した奴を。風刃で倒してもらいたい」

「.....それがなければ」

「....」

 

 ──己の命と、他者の命を秤にかけるなら。

 ──間違いなく、天王寺恒星は他者の命に天秤を傾ける。

 

 

「承知しました。──ただ」

「うん?」

「可能であれば。B級中位以上の隊を、私に付けて頂きたいです。更に要望を出すなら。機動力が高い隊員がいる部隊が望ましい」

「ああそれは当然。黒トリガーを持っているとはいえ、流石に人型近界民を一人で当たれとは言わない。そうならないように最善を尽くすって言ったろ?」

「いえ。私自身が死んでしまうのは別段問題は無いのですが」

「....」

「それよりも──黒トリガーが敵に回収される事が、何よりも危険です。使い手である私が殺される可能性があるというなら、回収される可能性も同時に考えておかなければいけないでしょう。部隊を随行させて頂きたいのは。私が死んだ後も黒トリガーを回収し、本部に送り届けて頂きたいからです」

 

 そして。

 当たり前のように──天王寺は、自分が死ぬ事も想定している。

 

「....」

 

 迅は。

 幾つか、天王寺に何かを言おうとした。

 

 が。

 それは──自分の口から言うべきではない、と。そう判断を下して。

 

「.....随行させる部隊は幾つか候補は考えているし。状況によって変わっていく事も十分ありうるけど。取り敢えず今一番可能性として一番高いのは──」

「はい」

「──柿崎隊だな」

 

 迅悠一は。

 自分と同年代の男の顔を思い浮かべ。

 

 心の中で、

 頼んだ、と唱えていた。




柿崎隊タグは!
詐欺ではありませぇん!!


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14 色々ありましたが、簡単に言えば私欲のためです。つまり、自分の都合だという事ですね。

 恐らく。天王寺恒星という女は、善人なのだと思う。

 

 彼女は自分以外の視点がある事を知っている。

 だから彼女は、他者を無視できない。

 

 人は一生、自分以外の視点を持つ事はない。

 自分を中心とする視点以外を、知ることは無い。

 それでも。人は自分以外にも自分と同じように日常を送っている人間がいるのだと。それを想像し。想像から理解へと発展させ。理解が共感を生み出して。そうやって幾つものハードルを越えながら──自分が中心である視点を持つと同時に、同じような視点を持つ幾万幾億もの他者が共有する世界を想像している。

 

 しかし。

 天王寺恒星は、知っている。

 自分以外の他者がいるという事を。その視点があるという事を。己が副作用によって。

 想像という段階を超えた、ただひたすらな事実の提示。

 

 この世界には、自分以外の視点で溢れている。

 

 この事実を前にして。

 天王寺恒星は──他者という存在に対して、真摯に向き合ってきた。

 

 人生の積み重ね。

 他者の期待に応え続けてきた日々も。

 そして自らの意思でボーダーに入隊した後の日々も。

 

 彼女の中には──自分以外の誰かという存在が当たり前のように存在している。

 

 それは。

 今も昔も変わらずに。

 

 そして。

 

 ──彼女自身の意思により。

 ──彼女は自身の命の秤を、他者のそれよりも軽く置いている。

 

 

 

 天王寺恒星は、善人なのだと思う。

 他者の事を考え、他者の為に生きる事を善であるとするのならば。彼女は途方もなく善で、善行を積み重ねてきた人間で、過去も今も変わらぬ善人のままである。

 他者から彼女を見た場合であれば。

 

 

「.....という訳で。申し訳ないけど、ちょっとお前に世話をかけてしまうかもしれない」

「....」

 

 柿崎隊、作戦室。

 隊長である柿崎以外出払っているこの部屋の中。

 

 迅悠一が、いた。

 

「──大規模な戦いがこれから始まる。その時、柿崎隊は多分天王寺と組んで戦う事になると思う」

「.....どうして俺達なんだ?」

「どの未来でも、B級部隊の中で高い確率で生存しているからだな。それは純粋に──柿崎隊の特性で、そしてお前たちの実力だ」

「.....」

 

 柿崎隊は、全部隊の序列の中で高い方とは言えない。

 その序列が──言ってしまえば、ランク戦という点取り合戦で決められているから、という側面もある。

 柿崎隊は非常に安定している部隊だ。

 

 安定、という言葉における良い側面として。隊員の能力や部隊の方向性にムラがなく、結果の出方が常に一定であるという事であり。

 悪い側面としては──実力以上の結果が出にくく、結果の上振れがほとんど存在しない事。

 

 それは点取り合戦が主軸となるランク戦において、結果として出にくい側面がある。

 

 戦闘員三人のうち万能手が二人。残り一人も攻撃手トリガーと銃手トリガーを併用している。三人それぞれが距離を問わず戦える隊員で固められており、距離を問わぬ戦い方が出来る。

 だから安定する。だから戦い方の軸がぶれない。

 だがそれは戦い方が常に変わらない、という意味でもあり。常に他部隊から研究と対策が行われるランク戦において、変わらない戦術を行使する柿崎隊は、比較的点を取ることが難しい部隊でもあった。

 

 だが対策を講じられて尚”距離を選ばず戦える””合流した後の陣形が安定している”という部分は高い生存率と安定感を生み出している事もあり──合流が果たされた後の生存能力は非常に高い。

 

「....俺は何をしたらいいんだ?」

「一緒に戦ってくれるだけでいい。本当にそれだけ」

「何に心配しているんだ? 俺も天王寺の事は知っている。──アイツに黒トリガー持たせたら、それこそ鬼に金棒だろ」

「アイツと戦う事になる相手も黒トリガーだからな。──確実に勝てるとは絶対に言えない相手だ」

「.....敵も、黒トリガーを使って来るのか」

「ああ」

 

 つまり。

 ──自分たちもまた、黒トリガーと戦う事になる。そんな可能性がある訳なのか。

 

「黒トリガー同士の戦いとなると、天王寺には確実に勝ってもらわなければならない。なので一対一で戦わせるにはいかない」

「そりゃあ、そうだな」

「だが──天王寺自身は、自分に部隊をつける理由を”黒トリガーを回収してもらって、本部に届けてもらう為”だと考えている」

「....」

「勿論、アイツも死にたがっているわけではない。黒トリガーも自分も生き残れることが最善であることは解っているだろうけど。──どちらかを選べと言われたら迷わず黒トリガーを選べる人間というだけだ」

 

 柿崎は、天王寺恒星と特段の面識はない。

 非常に真面目な、堅物という印象だけが刻まれている。

 

 が。

 

 話を聞くうち。

 その人物像に──別な人物が映り込んでいくのを感じた。

 

 

 ──家族が無事なら何の心配もないので。最後まで思いっきり戦えると思います。

 

 同じだ。

 いつか感じた同じ困惑を。同じ恐怖を。恐らく──今、柿崎自身が感じ取っている。

 

 

 ──天王寺恒星の精神構造は、嵐山に似通っている。

 

 

「.....」

 

 

 あの時に、自らが逃げ出してしまったものが。

 時を経て──別の形となって、突きつけられる事となる。

 

 

 ──あとどれくらいだろう。

 

 確定した未来。

 もうじき来訪するという、大規模侵攻。

 

 天王寺恒星は、現在備えている。

 その時に向けて。

 

 ──時間が許される限り、備えていかなければならない。

 

 事前に備え、訓練を行い、緊張感を保つ。

 元々やってきた事と同じ事だ。

 自分のパフォーマンスを、最高の状態に保つ。

 

 その為にやるべき事を、粛々と行っていく。

 このやり方しか、天王寺は知らない。

 

 

 現在、天王寺は寮の自室にも戻らず。時間が許す限り支部の作戦室に籠り訓練を繰り返していた。

 

 繰り返す。

 繰り返す。繰り返す。

 

 壊れた機械のように。同じ動作を繰り返す。

 コンマ一秒の速度。ミリ単位での動きのズレ。動作の度、修正項目を見つける。項目を潰すと、また新たな項目が生まれていく。

 

 ──このやり方しか、私は知らない。

 

 最善を尽くせ。

 最善を行使しろ。

 お前の最善が果たされなかった所為で誰かが死んでしまうかもしれないぞ。黒トリガーが奪われてしまうかもしれないぞ。ボーダーの被害が甚大になるかもしれないぞ。

 

 迅悠一は、未来を見せた。

 この未来を背負うと覚悟したのだから。

 

 妥協は許されない。

 

 ──この心しか、私は持てない。

 

 未来という天秤が掛けられた今。

 己の行動によって誰かの命がかかっている、今。

 己の命を懸けない選択は、天王寺恒星には存在しない。

 

 

「こんにちは」

 

 支部の作戦室。

 本日──至極珍しい客人が来訪していた。

 

「はい。こんにちは。空閑遊真君。──改めまして。私の名前は天王寺恒星です。よろしくお願いします」

「よろしく、てんのうじさん」

 

 それは。

 つい先日──刃を交えた少年の姿であった。

 

「この前は申し訳ありませんでした」

「いいよいいよ。ウチの師匠はかなり腹立ててたけど。──なんか事情があったんでしょ?」

「事情はありました。ただ、その事情というのは貴方達とは何も関係ありません。完全にこちら側の事情の為であって──貴方たちのためではありませんでした」

 

 あの時。

 二宮隊をA級に復帰させる為だけに、状況を利用した。

 玉狛支部を襲撃し、実績を作り、二宮隊へのペナルティを消させた。

 これが玉狛に対して何らかの利益を与えたかと言えば──答えはノーだ。

 

「.....あの時。てんのうじさんは、本気でおれ達を潰そうとしていたの?」

「はい。本気でした。全力で備え、全力で挑みかかりました。全力でなければ、私の目的は果たせなかった」

「.....」

 

 空閑遊真は。

 言葉を紡ぐ天王寺恒星を、ジッと見ていた。

 

「その上で──。たとえどれほどの全力を挙げても。きっと、貴方達ならば食い止めてくれる。そういう信頼もしていました」

「......どうして、そんな風に信頼できたんだ?」

「私の副作用が、そう言っていたからです」

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 空閑遊真は、少しだけ驚いたように表情を変えた。

 

「──よく、あの男が言っている台詞でしょう」

「.....てんのうじさんの副作用って?」

「私の副作用は、私を観測する誰かの視点を共有する事です。ボーダーでは、”平行視”と呼ばれています。私は──私の事を迅さんに観測してもらう事で、限定的にですが、未来を視る事が出来る」

 

 成程、と。そう遊真は呟いた。

 ーー以前の戦いで、動きがかなり読まれていた印象があったが。それも彼女の副作用によるものか、と。その部分も含めて、合点がいった。

 

「私は、私が視た光景と。そしてその光景を見せてくれた迅さんを信頼しました。この未来を元手に起こした行動を──きっと迅さんは掬い取ってくれるであろうと」

「.....色々と納得できた。じんさんがおれに戦いに向かわせたのも、それが理由か」

「恐らくそうでしょう。──もしあの時、ノーマルトリガーを持った空閑君が向かわなければ。空閑君の黒トリガーを奪う為に、私が単独で支部への襲撃をかけていたでしょう。そうなると、君は黒トリガーを使わざるを得なかった。そこは避けなければならなかった」

 

 最悪。

 遊真が黒トリガーを使用すれば、本部が所有する黒トリガーが持ち出され、本気の戦争になる可能性すらあった。

 

「だから。あの時──玉狛支部ではなく、戦いの中心地に君がいる必要があり。そして黒トリガーではなく、ノーマルトリガーを使う君が必要だった。これで我々と玉狛支部は相打ちとなり──玉狛側は君と君の黒トリガーを守るという目的を果たし。そして我々もまた玉狛を倒しきったという実績を持つことが出来た。この最高の着地点を得る為の舞台を、迅さんは作った」

 

 天王寺という視点の共有者を経て、未来の大筋を変え。

 その大筋の更なる最善をもたらすべく、迅が暗躍した。

 

 そういう過程を経て──あの結果はあったのだ。

 

「.....実は。おれにも副作用があるんだよね」

「そうなのですか」

「おれは、嘘が解るんだ。相手が言っている事が嘘かどうか。それが解る」

「.....」

「てんのうじさんは、嘘を吐かない人だね」

 

 空閑遊真は、かつて刃を交えた相手に対して──確かな好感を持った。

 彼女が言う言葉や責任に。そして迅に対する信頼に。全て、揺るがぬ芯が通っている。

 

「.....ちなみに。そのてんのうじさんの目的、っていうのは言えない?」

「言いたいのはやまやまですが、箝口令に触れる部分ですので。今はまだ」

「そうなんだ。──それは残念だ」

「申し訳ありません」

「いやいや。じんさんが言っていたんだ。──てんのうじさんがやったことは、後々おれ達にも恩恵があるって」

「.....?」

 

 その言葉に、天王寺は首を傾げる。

 その様子を面白そうに遊真は眺めて──そして、

 

「──それじゃあ、本題に入ろうか」

「はい」

 

 そう言った。

 

 本題。

 それは──。

 

 

「この前の戦いは、てんのうじさんに勝てなかった」

「ノーマルトリガーの扱いに関しては、まだ私の方が一日の長があるでしょうからね」

「だから──こっちの戦いでは、負けるつもりはない」

「はい。──胸を貸して戴けたら」

 

 両者は。

 作戦室内の訓練室に入る。

 

 

 仮想空間の、市街地。

 

 両者は──互いに、互いのトリガーを取り出す。

 

 空閑遊真は、その手に嵌められた黒い指輪を。

 天王寺恒星は、黒い柄口を。

 

「まだまだこれを使い始めて数日ばかりの若輩者ですが──構わず全力でお願いします。空閑君」

「もちろん。──こっちも手を抜くつもりはない」

 

 トリガー・オン。

 

 両者の声が響くと同時。

 

 空閑遊真は、全身を黒色で覆い。

 天王寺恒星は光のマフラーを纏いし刃を生み出す。

 

 

 

「いざ」

 

 

 ──黒トリガーVS黒トリガー。

 

 天王寺恒星と空閑遊真。黒トリガーの適応者同士の戦いが開始された──。



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15 ウワサ通りいい黒トリガーだ!戦おう!

「……ん?」

 柿崎国治が支部に着いた頃。

 真っ先に出会ったのは──見知らぬ眼鏡の少年であった。

 

「あ、はじめまして」

 少年は、支部のソファで手に持ったデバイスを真剣な目でいたが、柿崎の存在に気付くと立ち上がり一礼した。

「こちらこそはじめまして。俺は柿崎という。本部の隊員なんだが。君はここの隊員?」

「いえ。ぼくは玉狛支部に所属しています。三雲修です」

「玉狛……迅と同じか」

 

 柿崎は、迅からの話を聞き。一度天王寺と話をするべく支部へと向かったのだが。

 そこには、迅と同じ玉狛支部に所属する隊員がいた。

 

「君も天王寺に会いに?」

「ぼくは付き添いです。──今、作戦室の仮想空間で戦っている空閑の」

「戦っている……って事は、模擬戦をしているのか」

 

 そう柿崎が言うと、三雲修と名乗る少年は頷き──デバイスを見せる。

 そこには。

 小柄な少年と、天王寺恒星が戦う姿がある。

 

 されど。

 

「……なんだこれは」

 

 片や黒い装束を纏った少年。

 片や光のマフラーが揺らめく刀を持った女。

 

 市街地を駆け抜ける両者が──慮外の暴力を振り撒きながら、戦闘を行なっていた。

 

 

 刀刃が振るわれ、

 拳が突き出され、

 それぞれの軌跡が互いの肉体の位置へ交差する。

 

 天王寺の斬撃は空閑の脇腹を斬り裂き。

 遊真の拳は天王寺の横っ面を通り過ぎた。

 

 ──これは、まともに受けたら即死だ。

 

 その勢いと衝撃は、喰らわずとも通り過ぎた風圧が体感させる。

 レイガストのスラスターを用いた木崎レイジの殴打。アレよりも遥かに超える破壊力が、そこにあった。

 

 ──脅威に萎縮するな。

 

 未知なる脅威を前にすれども、天王寺の思考は萎縮しない。

 ジッと、遊真の姿を見る。

「──『強』印。二重」

 

 更に勢いを増した拳が放たれる。

 拳を放つ予備動作の時点で、天王寺の行動は開始されている。

 

 遊真の視線の流れから攻撃の軌道を読み解き。

 軌道から遊真の肉体の流れを推測し。

 予備動作の動きに合わせ、歩法と呼吸を変え。

 

 地面を斬り裂きながら、両足を微かに浮かせ、僅かに後ずさる。

 

 そうして。

 振り抜いた遊真の拳を避けつつ、

 その肉体の軌道上に──風刃の刃を生やす。

 

「おお」

 

 ──遊真の肉体を斬り裂かんとするブレードが、足元より生え出る。

 即座に肉体の軌道を変え回避すると共に、遊真は天王寺を見る。

 

「そうか」

 

 遊真は、強く認識する。

 この"見る"という行為そのものが──天王寺との攻防において、こちらに不利を運び込んでいるのだと。

 

 この戦い。

 空閑遊真は、今まで感じたことのないやり辛さを天王寺から感じていた。

 

 ──あの人は、間合いを誤魔化す術を持ってる。こっちだけが間違った距離感での戦いを強制させて、あちらはその距離感の認識の差異を用いて一方的に攻撃する。

 

 本当に僅かだ。僅かに、攻撃を行使するための距離が狂う。

 だがその僅かに空いた空白に、最速の攻撃を叩き込んでくる。

 

「──こっちから攻め込むのは不利だな」

 

 純粋な近接戦では不利。

 だが──空閑遊真の黒トリガーの本領は、ここから。

 

「『射』印」

 

 掌より印が生まれ、トリオンが形成されていく。

 放たれるは──広範囲の射撃による面攻撃。

 

「──そういうのもあるのですね」

 

 天王寺は即座に高層建築物の影へと動き、遊真の射撃より逃れる。

 ──射撃があるのならば、建造物の間で戦った方がよさそうですね。できるならば背の高い建物の方がいい。

 

 空中へと浮遊し追ってくる遊真を一瞥し、天王寺は建物を蹴りながら移動していく。

 

「『鎖』印」

 

 天王寺が建物の壁から足を蹴り上げんとするその瞬間。

 遊真の視線がこちらの足元に向かっている事を認識し、

 己の足元より──鎖が迫る様を見る、

 

「ここまで手数があるとは……!」

 即座に天王寺は壁に風刃を突き刺し、足元から迫りくる鎖をブレードにより弾く。

 弾かれた鎖の間隙を縫うように地面へと降り立ち、風刃の剣先を走らせる。

 地面に、四方の壁。

 

 遊真がいる位置を囲い込むように──ブレードの線が走っていく。

 

「『盾』印」

 

 されど。

 読んでいたのか──遊真を取り囲むようなシールドが、風刃のブレードを防ぐ。

 

「防御手段まで備えているのか……!」

 

 天王寺は、これまでの遊真の黒トリガーの性能をザッと頭の中で纏める。

 トリオンによる肉体の強化と、それによる格闘攻撃。

 広範囲に散らばる直線射撃。

 鎖による拘束。

 シールドの生成。

 

 そして、空中に浮遊できる機能。

 

 恐らく、まだ機能はあるのだろう。

 

 遠近にも、防御にも対応できる。非常に手数と対応力に富んだトリガー。

 遠隔にブレードを走らせる機能しか持たない風刃とは、防御力と対応力に大きな差がある。

 

 ──だが。幸いどの攻撃を取ってくるかは判断できる。

 

 どうやらあの黒トリガーは、対応する機能を使うために印を空間に刻む必要があるらしい。

『強』『射』『鎖』『盾』

 それぞれに対応する印が、遊真の肉体周辺に刻まれる。

 

 ──私の副作用で、攻撃する瞬間の空閑君の姿は見える。彼がどの印を使用しているかは、攻撃の前に判別できる。冷静に対処しろ……! 

 

「ふむ」

 

 射撃や鎖といった、遠方からの攻撃や搦手を合わせていけば隙ができるものかと考えていたが──やはり手強い。

 

 こればかりは風刃の性能というよりも、天王寺の副作用と、それを利用する天王寺自身の対応能力によるところが大きい。

 

 相手の視界と、視線の流れを読み取れる天王寺は的確に遊真の攻撃の予兆を読み取っている。今まで傭兵として戦い続けた遊真は、この攻撃の予兆を隠す手段を備えてきた。が、『相手を観測した瞬間に自動的に視界を共有する』という副作用に対して攻撃の予兆を消す手段がない。

 

「おれの勝ち筋は、たぶんあの副作用でもどうにもならない所まで持っていくこと」

 

 攻撃の予兆を読み取ろうとも、対応できない手数と質量の攻撃。それを的確なタイミングで畳み掛ける。

 

 ただ、手数を積み重ねるには──天王寺の副作用と、風刃の性能が厄介だ。

 天王寺は現在周囲を背の高い建物が密集する地点で待ち構えている。

 遊真が天王寺を視界に収めた瞬間──風刃のブレードでの迎撃を行うため。

 

 黒トリガーにはバッグワームに準ずる機能はない。互いにマップ上の位置は理解できている。

 

「おっと」

 

 遊真の足下から、ブレードが走る。

 即座に横手に回避を行うが──互いに視認できない状態では、マップ位置で決め打ち可能な風刃に分がある

 

「あんまり悠長にもしていられないな──なら」

 

 遊真は地面に手をつき、更に新たな印を刻み付ける。

 

「『響』印」

 刻んだ印から音響を放ち、天王寺が立つ正確な位置情報を得る。

 視認以外の方法であれば──天王寺の位置を観測しようとも、副作用は発生しない。

 

「『射』印 三重」

 

 そして。

 天王寺に向け──天王寺を視界に収めず、建物越しに射撃を放つ。

 

 印を三つ重ねた射撃は、悠々とコンクリの壁を撃ち抜き──

 

「……!」

 

 副作用の外側から襲来した射撃に、天王寺はすぐさま回避動作を取る。

 

 その壁の先。

 空閑遊真の姿が見える。

 遊真の視線は天王寺より外れ、下に俯いている。

 

 ──私の副作用を発生させないために視線を外すなら、こちらも対応策がある。

 視線が映らない隙に、天王寺は風刃の剣先を地面になぞる。

 

 ──自分の周囲と、私の直線状の軌道。全てにブレードを仕込む。

 

 近づかれる前に仕留める。

 その意思を持って、風刃を仕込んでいく。

 

 ブレードが仕込まれるその瞬間。

 

「『弾』印+『強』印 二重」

 

 二つの印が、同時に展開される。

 展開されたその一瞬だけ──遊真の視界が、天王寺に映る。

 

 同じ。

 決闘を申し込んだ太刀川慶と同じ手法。

 攻撃の瞬間だけ、視線を向ける。

 

 記憶が回帰する。

 この行為を行うとき──太刀川は回避不能の旋空弧月を上空から叩き込んだ。

 空閑遊真は──

 

 弾けた。

 己の視界から見える空閑遊真と。

 空閑遊真から見える己の姿と。

 その双方が──膨張して見えた。

 

 高速で肉薄していく遊真の足元より、仕込んだブレードが突き出されていく。

 遊真は強化した両腕で急所を防ぐものの、足元と腹部の幾らかが削られていく。

 

 ──ここで決まる。

 

 天王寺は瞬時に、勝ち筋を判断する。

 あの突進攻撃を風刃で防ぎつつ、足元に仕込んだブレードを急所に叩き込む。

 

 空閑遊真の『弾』印による突進と。

 天王寺恒星の斬撃が、衝突する。

 

 凄まじい膂力の波が刀身から伝わるが、

 ここから両者の攻防が始まる。

 

 天王寺は衝撃が全身に来る前に右足を引き、空閑の殴打をいなす。

 いなしつつも、足元に風刃を突き刺し──地面に縫い付け。

 

 そして。

 

 天王寺の足下から生え出るブレードが、遊真に襲いくる。

 

 ──さあ、どうなる。

 

 ここで仕留めきれなかったら──印を刻む前に近接戦で終わらせる。

 その絵図を抱き、ブレードの行方を見る。

 

 遊真は、

 

「……なっ」

 

 足下から来るブレードの位置を、予測していたのか。それとも本能で勘づいたのか。

 風刃のブレードにて、地面に縫い付けられた己の足を断ち切った。

 

 ──この瞬時の攻防で、仕込みブレードの存在を勘づいた上で、更にその場所まで読んで……! 

 

 だが、

 これで終わりではない。

 

 天王寺は最速で攻撃へ移るため逆手で風刃を引き抜き、引き抜く動作から下へ降ろす斬撃にて遊真に追撃。

 

 その斬撃は遊真の手首を落とす──が。

 遊真の視線は、天王寺を映さず。

 その、下へと向けられている。

 

「──!」

 

 前へと追撃しにきた天王寺を狙いすましたように。

 鎖が足下から、

 

「『強』印 四重」

 天王寺は、即座に足下へブレードを生み、鎖を弾き飛ばす。

 

 だが。

 空閑遊真は──敢えて、鎖を弾き飛ばしたブレード側から天王寺へ回り込む。

 

「……!」

 

 そして。

 空閑遊真の拳が──天王寺の腹部に叩き込まれる。

 

 凄まじいまでの威力が全身に叩き込まれ、天王寺のトリオン体は地面に叩きつけられた水風船のように弾け飛んだ。

 

「だが……!」

 タダでは死なない。

 その意思が──弾け飛ぶ前に、地面を斬りブレードを仕込ませていた。

 

 それが。

 天王寺恒星を弾き飛ばした空閑遊真の肉体を、貫いていた。

 

 両者、相打ち。

 互いのトリオン体が仮想空間内にて消え去る。

 

 そうして。

 天王寺恒星と空閑遊真との、黒トリガー対決は──引き分けにて終わった。

 

 

「──また勝てなかったか」

「想像以上でした」

 

 勝負を終えて、互いにそう呟いた。

 

「風刃と、てんのうじさんの副作用の相性がいいね」

「そこは前の所有者の折り紙付きですね。──風刃の弱点である防御面の脆さを、ある程度私の副作用でカバーできると」

 

 風刃はシールドがない。そしてトリオンを隠す機能もない。

 遠隔斬撃という攻撃面で優秀な機能を持つものの、それ以外に特段の機能が存在しない。

 

 その部分を所有者がカバーできるかどうか──そこが、風刃という黒トリガーを使うにあたって大きな鍵となる。

 

「今日は貴重な経験を積ませていただきありがとうございました」

「いえいえ。こちらこそ。久々にこいつを使えておれも楽しかったです」

 

 そうして、互いに作戦室から出ると──

 

「……柿崎先輩?」

「よ、天王寺」

 

 そこには。

 以前迅より話を聞いていた──柿崎国治の姿があった。

 



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16 責任は取ります。なぜなら責任を負っていたのですから。

多分このお話から二宮隊から柿崎隊へメインが移っていくと思われます


「わざわざ支部まで来ていただき、ありがとうございます」

 

 遊真との個人戦の後。

 支部の一室に案内し、天王寺は茶を用意していた。

 

 ポットから急須へ湯を注ぎ、カップを四つ並べ茶を淹れ、盆に乗せる。

 その行為を全て右腕だけで行っている。

 

「あ、運ぶのは俺がやるぞ」

「いえ、お構いなく。慣れていますから」

 

 柿崎が立ち上がるよりも早く盆を片手で持ち上げ、天王寺はテーブルへ運ぶ。

 

「これも訓練です」

 

 天王寺はトリオン体から生身の肉体に戻している。

 長袖からはプラン、と垂れ下がった左腕。そして左目には伸ばした前髪と眼帯。

 柿崎は──その姿をはじめて目にしていた。

 

「気を遣わせてしまい申し訳ありません」

「いや、そんなことは無いが...」

 

 されど、もう片手で作業を行う事にはとっくに慣れているのか。動きに淀みはない。

 

「.....その左目と左手は、前の侵攻の時に?」

 遊真は、聞くべきかどうか少し迷ったが──尋ねる事にした

「はい。運悪く逃げ遅れまして」

「....」

 

 ”逃げ遅れた”という言葉に、遊真は嘘を感じ取るものの──天王寺のその言葉は、実に自然とした体であった。

 取り繕うための嘘ではなく。この嘘は真であると貫き通すという信念が籠められた言葉。

 

「三雲君もわざわざ来て頂きありがとうございます」

 天王寺は、遊真の付き添いで支部まで来た眼鏡の少年──三雲修にもそう礼を言った。

「いえ。ぼくは付き添いで来ただけですので」

「付き添いの為だけにこんな所まで来て頂いたことに感謝しているのです。──三雲君のポジションは、確か射手でしたね」

「あ、はい。そうですが....何故それを?」

「烏丸君から聞きました」

「烏丸先輩から.....!?」

「はい。烏丸君は元々本部所属のA級隊員でして。彼が所属していた部隊の隊長と訳あって三百もの個人戦をやった縁で」

「そ、そうだったんですね....」

 

 修は、実に引き攣った笑みを浮かべその話を聞いていた。

 今まで出会ってきたA級の面々(主に木虎)を思い浮かべ、彼等を率いる隊長と三百もの戦いを繰り広げたという狂気の有様を思い浮かべて。

 

「その烏丸君から、こちらに君が来た時にでも射手トリガーのレクチャーをしてほしいと頼まれていまして。──どうです? 少しお時間を頂いても?」

「.....はい! よろしくお願いします!」

 迷うことなく、修は頭を下げ、そう言った。

 その迷いのなさに──天王寺は何処となく、好感を覚える。

「柿崎先輩。わざわざ来て頂いた上で本当に申し訳ありませんが。もう少しだけ待っていただいてもよろしいですか?」

「いや。押しかけたのはこっちだからな。──力になれるかはわからないけど。一応俺も長い事戦闘員やっているからな。教えられることがあるなら、俺も教えるよ」

「あ。それは助かりますね。──聞くところによると三雲君は、一度射手から銃手への転向も考えていたとか」

「は、はい...」

「柿崎先輩は剣と銃両方使う戦闘員です。どうせなら、その辺りの射手・銃手の違いも含めて少しやってみましょう」

 

 と、いう訳で。

 全員、それぞれトリオン体に換装し──仮想空間に入っていった。

 

 

「では。まずは銃手がどういうポジションであるのかを説明します」

 

 そして。

 現在──三雲修と、柿崎国治が向かい合っている。

 

「まずは身をもって──銃手の強みを味わっていただきましょう」

 

 天王寺が手を振り下ろすと同時。

 互いが動く。

 

 修がアステロイドを生成する、その間に。

 柿崎の突撃銃が生成され──引き金に指がかかる。

 

 弾音が響くと同時──修の胴体が貫かれる。

 

「.....うーん。さすがですな。はやい」

 

 一瞬の決着を目の当たりにして。

 天王寺と共に勝負を見物していた遊真はうんうんと頷いていた。

 

「これが、銃手の強みです。引金を引くだけで継続的な攻撃が出来る。そして何より、銃という武装が存在する事で照準がすぐに定まる。狙いを定めてから実際に攻撃するまでの速度が射手のそれと比べてとにかく速い」

「.....はい」

「では、今度は私が」

 

 修に代わり、今度は天王寺が柿崎と向かい合う。

 

 柿崎がまた同じように天王寺に向け銃を向けると同時。

 天王寺はシールドを展開する。

 

 柿崎の銃撃が、天王寺のシールドに弾かれる。

 

「とはいえ。速いとは言っても、互いに互いを認識している状況ではシールドを展開する速度よりも早く狙いを定める事も難しいでしょう。特に突撃銃のような大きな得物であると余計に」

 

 天王寺はシールドが割れる前にアステロイドを展開し、建造物の影まで走る。そして、柿崎の銃撃の射線が切れると同時にアステロイドを柿崎に放つ。

 柿崎もまた、シールドを展開。天王寺のアステロイドを防ぐ。

 

「とにかくシールドの機能が恐ろしく優秀なのが、トリガーでの戦いの特徴です。周囲の空間に自在に出し入れ可能で、耐久性が高い。銃撃を正面から受けても、易々とは壊れない。──なので、弾丸を使っての敵の撃破というのが、トリガーでは非常に難しい。──その中で。銃は攻撃の初動の速さ。またその後の攻撃の継続に関して非常に優秀ですが。相手がシールドを展開してしまうと”じっくり削っていく”方法しか取れない、という難点を持っています」

 

 シールドを使い逃げていく相手を追う。もしくは撃ち合いを行う。

 そういう展開に、銃手はなりやすい。

 

「では三雲君。──厳しい事を言いますが。君は真正面から撃ち合いを行って他の隊員を上回れるだけの技術はありますか? 撃ち合いになった時に、相手よりもシールドを保てるだけのトリオンは?」

「......ないですね」

「これが銃手の厳しい部分です。──トリオン量に劣り、また新人で経験の少ない三雲君が、他の銃手の方に上回れる要素がかなり少ない。初動で引金を引き、後は継続した質量攻撃を放つというシンプルな戦い方をする銃手は──純粋なトリオンと、銃撃のスキル勝負に持ち込まれやすく。工夫の余地が少ない」

 

 なので、と天王寺は続ける。

 

「では射手はどういうポジションかと言うと。射手は弾丸を生成し、分割し、狙いを定め、撃つ。これらの段階を踏んだ上でようやく攻撃が成立します」

「.....はい」

「一度に撃てる量も少なく、また攻撃の段階が多く、攻撃の質量や速度の面ではどうしても銃手に軍配が上がりますが。──射手はこの分割と狙いを定めるという段階において、銃手には不可能な工夫を加える事が可能になります」

 

 天王寺は遊真に目配せし、遊真が一つ頷く。

 

 遊真に天王寺が斬りかかると同時──天王寺は背後にアステロイドキューブを生成する。

 そしてそれを置きながら、遊真の攻撃をスコーピオンで受ける。

 

 スコーピオンで受け、そして軽く遊真の膝に蹴りを入れ動きを止めると同時──天王寺のアステロイドが発射される。

 

 遊真はその弾丸を回避しきれず──身体が削れていく。

 

「私は、アステロイドを体術に利用する為に使っています。攻撃手相手との戦いの時に、こちらの体術で少しでも動きを止める事が出来れば──背後に配置したアステロイドを用いてダメージを与えられる。そして、この選択がある事で私と相対する相手は基本的に片側にシールドを使う必要が出てきます。相手の行動や選択に制限をかける事も出来る訳です」

 

 段階を踏まなければ、攻撃が出来ない。

 だが。その段階を踏むタイミングを──完全に己がコントロールでき、そこに工夫や発想力を介在させる事が可能となる。

 

 それが、射手。

 

「なので──技術やトリオンに劣る三雲君がこの先戦っていくにあたって射手のポジションの方がいいという烏丸君の意見に関しては、私も同意します」

「なるほど...」

 

 ふむふむ、と頷きながらそう修は呟く。

 

「....三雲君は」

「....?」

「正直──トリオンの総量だけ見ても、下手すれば試験の段階で足切りされてもおかしくないと思います。戦闘員として、とても大きな不利を負っている」

「...」

「それでも、戦闘員に拘り続ける理由が、何かあるのですか?」

 

 天王寺は──かなり踏み込んだ質問をしてしまっているという自覚はあった。

 でも。

 どうしても、聞いておきたかった。

 

「....はい」

 

 そして。

 三雲修は真っすぐに天王寺を見つめ、はっきりとそう言った。

 

 副作用越しに見る修の視線は、一切の揺れがなかった。

 

 ──成程。

 

 迅から、面白い新人が入ったとは聞いていた。

 一人は近界民。

 そしてもう一人は──この少年。

 

「.....やるべきことが、あるんです」

 

 

「──本日はありがとうございました」

 

 そうして暫く四人で訓練を行った後。

 遊真と修は、レイジが運転する車に乗って帰っていった──。

 

「さて。──わざわざ来ていただいたのに申し訳ありません、柿崎先輩」

「さっきも言ったが、俺が勝手に来ただけだから。気にすんな」

「ええ。では、早速ですが本題に入りましょう」

 

 互いに──何の為にここに来ているのか、理解できていた。

 

「....近々。近界民による大規模な侵攻が行われます」

「ああ。それは、迅から聞いている」

「その時に──非常に高い確率で私と、柿崎隊の皆々方と共闘する事となります」

「.....それも、聞いた」

「ならば、話が早い」

 

 天王寺は。

 

「お願いします。──もし私がやられた場合。黒トリガーを回収し、本部に届けて下さい」

 

 ”一緒に戦ってください”でも

 ”私を助けて下さい”でもなく。

 

 ──”私を見殺しにしてでも、黒トリガーを優先してくれ”と。そう言った。

 

 

「そうなったら。──やられたお前は、生身で黒トリガーを使う敵の前に投げ出される事になる」

「はい」

「出来るかそんな事! あの黒トリガーがどれだけ大事なものか、知ってる! ──だが、お前の命よりも価値あるものとは思わねぇ....!」

「あくまでそれは、最終手段です。当然、私も命が惜しくない訳ではないんです。当然黒トリガーの排除に全力を尽くします。ですが、それでも....確実に倒しきれる確かな保証はないんです。そして──この戦いから逃れてしまえば。間違いなく本部で人死にが出る」

「.....ッ」

「卑怯な言い方をしてしまい本当に申し訳なく思っています。本来これは私が背負わなければならない事です。それは重々理解できています」

「そんな事ないだろ....! お前だって、まだ高校生で、一介の隊員だろう!?」

「ですが、これを託されてしまった」

 

 右手に握る黒い柄を、天王寺は握りしめる。

 

「──何かを託される為に私はボーダーに入ったんです。今まで何者でもなかった私に.....ここになって、ようやく意味らしきものが生まれたと。そう思ったんです」

 

 自分が成さなければ、誰かが死ぬ。

 同じ。

 全く同じ。

 あの時──侵攻の中、自分の覚悟を生んだあの瞬間と。同じ。

 

 結局アレは、自分の力が足りず、迅に助けてもらった。

 だが今は──その迅に託されたものを手にして、同じ地平に立っている。

 

「──だから。逃げ出すわけにはいかないんです」

 

「....」

 

 

 眼前にして、理解できた。

 

 この天王寺恒星、という女を前にしたこの感情は。

 

 

 ──かつて、嵐山准に抱いたものと同じだ、と。

 

 自分とは異なる価値を内包し、異なる覚悟を携えた存在。

 それが。

 今、また──自分の前に現れてしまった。

 

 



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17 覚悟を決めました。つまり、覚悟があるという事です。

大規模侵攻はもう全部の場面を書くというよりも、エネドラ戦に注力した書き方になると思います。理由としてはもうお爺ちゃんとハイレイン書きたくないし、全部隊動かしながら状況を描写していく作業もしたくないからです。死にたくない。


「....」

 

 柿崎は一つこめかみを抑えると、一つ溜息を吐いていた。

 現在彼は作戦室の椅子に座り──どうしたものかと考えていた。

 

 天王寺の意思は固い。

 そもそも。天王寺が命を懸けなければ、実際に本部職員が死ぬ可能性が濃厚とあって──止めるわけにはいかない。

 

 黒トリガー同士の戦い。

 緊急脱出機能がないこの戦い──負ければ、天王寺の命はない。

 

 危険極まりない。

 確実に勝てる、と断言できる勝負でもない。

 

 天王寺は、命を懸けている。

 命を懸けて──他者を救おうとしている。

 

「おはようございます。今から入ります」

「おはようございます」

「おはようございます。今日もよろしく~」

 

 そうこうしているうちに、他の隊員がやってきた。

 如何にも利発そうで。実際に利発極まりない三つ編みの女性隊員、照屋文香。

 二つ分けの前髪をした猫目の少年隊員、巴虎太郎。

 緩やかな表情と口調を絶やさぬオペレーター、宇井真登華。

 三人はそれぞれ軽い会話をしながらトリオン体に換装し、訓練の予定の確認をそれぞれ始めていた。

 

 ──いい加減、話さなければならない。

 

「おう、おはよう。──来て早々申し訳ないが、少し話があるんだ。ちょっと集まってくれ」

 

 

「.....近界民による、大規模な侵攻!?」

 

 照屋文香の声に、ああ、と柿崎は答える。

 

「──以前の侵攻以上に、苛烈かつ大規模な侵攻が行われるらしい。まだ明確な日にちは解っていないが、そう遠くはないらしい」

「....来る、と解っているのに事前に通知を行わないのは。何か理由があるんですよね」

「あるだろうな。そしてウチにその話が来た理由なんだが...」

 

 柿崎は、──少し言葉を選びつつ、今までの事を説明した。

 

「.....黒トリガー同士の戦い」

「そう。俺達は敵の人型近界民の黒トリガー使いと戦う事になる。──同じく黒トリガーの風刃を使う天王寺と組んで」

 

 黒トリガーを使う、人型近界民。

 今まで積み重ねてきた訓練や経験。その全てに、重ならない相手。

 

「....俺達の役割は、天王寺の援護。そして」

 

 柿崎は。

 絞り出すように、言葉を続けた。

 

「.....天王寺が死亡した際に、風刃を本部に戻す事。この二点だ」

「し、死亡....!?」

「....」

 

 柿崎の言葉に、巴は驚愕の表情を浮かべ。

 そして──照屋文香は沈黙のまま、更に真剣な表情を浮かべる。

 

「....敵の黒トリガーの近界民相手に、こちらも黒トリガーをぶつけなければならない理由というのは何なのでしょう? 緊急脱出を持つA級複数部隊ではいけないのでしょうか?」

「A級部隊はそれぞれに役割があり、そこから外せない可能性が高い。一つでも歯車が狂えば、──最悪、本部職員の人死にが出る」

「....」

「天王寺の意思は固い。──アイツは、絶対に逃げない」

 

 理解している。

 天王寺は──迅に託されたのだ。

 

 風刃と共に。

 

「....かなり重い役割であるとは、重々承知している。その上で、皆に手助けしてほしい」

 

 そう言って、柿崎は一つ頭を下げる。

 とてつもない重責だ。

 黒トリガーを持つ人型近界民の相手。更に──眼前で仲間が死ぬ可能性すらもある。

 

 自分だけならばいざ知らず。まだまだ年端も行かない仲間に、ここまで重い役割を負わせる必要が生じてしまった。

 

「隊長」

 

 そして。

 照屋文香は──笑みを浮かべた。

 

「隊長の本音を聞かせて下さい」

「本音....?」

「はい。──そんなに苦しそうにしているのは何でですか、隊長」

 

 シンプルに考えましょう、と。

 そう照屋は続ける。

 

「それは──天王寺先輩を助けたくないからでも、黒トリガー使いと戦うのが怖いからでもないですよね」

「...」

「単に、天王寺先輩を死なせるのが怖いからです」

 

 ──知っている。

 ──この場にいる者は全員知っている。柿崎国治という男の事を。

 彼が何かを恐れるのは、

 常に、他者への思いやりが起因するものであると。

 

「なら──天王寺先輩を死なせないように全力を尽くしましょう。私達も、全力で隊長を支えます。任せて下さい」

 

 照屋がそう言葉を締めくくると、

 

「おれも....正直黒トリガーを使う相手ってどんなのかまだあまりイメージつかないですけど。でも、全力でやります!」

「頑張らなきゃ死ぬかもしれないなら、そりゃあ頑張んないとね。あたしも張り切っていくぞ~」

 

 続けて、巴と宇井が言葉を続けていく。

 

「....そうか。そうだよな」

 

 ──天王寺の覚悟は変えられない。というより、変えてはならない。

 ──自分の命を懸けてでも、他者の為に黒トリガーと戦わんとする彼女の意思は。きっと何者であっても変えられないものなのだろう。

 

 ならば。

 自分たちに出来る事は。

 

 ──天王寺を死なせない為に全力を尽くす。ただそれだけしかない。

 

「.....ありがとう」

 

 目の前の全てが、風となり胸の内側を吹き抜けていったような。

 そんな感覚に──柿崎は一つ頷き、そう呟いていた。

 

 

 

 

 ・ ・ ・ ・

 

 

 

 

 それから、数日後。

 

 

 ──予感がしていた。

 

 これは彼女自身の副作用でも、迅を介した未来視の影響という訳でもなく。

 己の脳髄が送り込むただの本能から来る予感。

 己の肉体を鼓舞するべく。己の脳味噌を冴え渡らすべく鳴り響かせる、危機本能のアラーム。

 

 

「来る」

 

 天王寺恒星はそう呟くと。

 黒の柄を手に取る。

 

 肉体も、思考も、その全てが──戦いの為に切り替わっていくように感じられる。

 

 

 今度は聴覚から、大量のアラームが鳴り響き。

 自身の携帯からも「緊急招集」と題された一斉送信のメールが届く。

 

 トリオン体に換装し、外を見る。

 空間が切り取られたような黒が空を覆い、雷と共に──振り落ちていく。

 

「....」

 

 睨みつける。

 降り落ちてくるそれらの姿を。

 

 かつて。

 己の人生を。他者の人生を。一変させたその怪物たちを。

 

 あの時──自分は何の力もなかった。

 何も無かったから、迅に助けられる他なかった。

 

 だが、

 

 今は──その迅から受け取ったものがある。

 

 

 それでも、やるべき事は同じだ。

 ただ、己の運命に向かって走っていくだけ。

 その先に、自らの死があろうと。

 

 テーブルの引き戸に、一つ手紙を忍ばせ。

 

「──来い」

 

 支部の外へ猛然と駆け出し──戦場へ向け駆け抜けていった。

 

 

 ──大規模侵攻、開始──

 

 

 それは突然であった。

 警戒区域内にて大量の『門』が発生し。

 大量に発生したそれから、孵化した蛆の如く怪物がひり出されていく。

 

 空飛ぶ化物。

 地を這う化物。

 

 化物は化物を呼び、黒く染まった空と瓦礫の地面を埋め尽くしていく。

 

「──くまちゃん、大丈夫?」

「何とかね....。それにしても、数が多い....!」

 

 幾つかのトリオン兵の残骸の前。

 B級、那須隊の二人──那須玲と熊谷友子がいた。

 崩れた住居区画の真ん中。家々に突っ伏すように破砕されたトリオン兵が、機能を停止しそこにいた。

 

 現在、本部にいた部隊は即座に警戒区域の外周へと向かい、市街地に向かおうとするトリオン兵の掃討に向かっていた。

 区域外の隊員も招集がかけられており。増大するトリオン兵の対処に、各部隊奮闘している。

 

「捌き切れなかったら無理しないでね」

「うん。今の所大丈夫よ。──ただ、近くの部隊と合流した方がいいかもね。これからもっと数が増えていくだろうし」

 

 ──二人とも、気を付けてください! 

 少し焦りが混じったオペレータ──ー志岐小夜子の声が響く。

 

「どうしたの小夜ちゃん」

 

 ──まだそのトリオン兵の中から、反応があります! 

 

「....反応?」

 

 トリオン兵を見る。

 急所を弾丸で潰され、完全に機能停止したトリオン兵の姿だけがそこにある。

 

 が、

 

 その腹部が、少しだけ動き。

 切開されると共に──何かが蠢き。そして這い出る。

 

「....なにこれ」

 

 それは。

 トリオン兵にしては、小型であった。

 

 おおよそ三メートル程度であろうか。二足歩行型で、猫背で曲線型のフォルムをしている。頭部には長めの両耳と、眼球が一つ。

 

 しかし、異様なのはその両腕であった。

 その小型のフォルムから浮き出るほど──その両腕は、太く、分厚い。

 

「新型のトリオン兵⁉このタイミングで....!」

 

 即座に武器を構え直し、トリオン兵と対峙する熊谷友子。

 されど──構え直したその時には、トリオン兵は熊谷の眼前まで迫っていた。

 

「うぐ....!」

 突進と共に振るわれたその拳は、熊谷の腹部に叩き込まれ──熊谷の肉体を浮かせ、そして吹き飛ばす。

 

「くまちゃん!」

 

 那須は即座にキューブを生成・分割しトリオン兵に放つ。

 

 キューブは真っすぐに飛ぶ軌道から軌道を大きく変え──トリオン兵の全方位を囲む弾道となる。

 

 トリオン兵は、腕を半回転させ自身の腹部へ向かう弾丸を弾き飛ばし、背中側は無視。

 那須玲のバイパー弾は、ほぼそのトリオン兵にダメージを負わせる事叶わず──そして、

 

 トリオン兵は、熊谷を片手で握る。

 そして。

 胸部装甲が開かれる。

 

「なに、こいつ....!」

 

 開かれた装甲から。

 刃が生まれる。

 それが、掴まれた熊谷のトリオン体に突き刺されると共に──

 

「.....!」

 

 トリオン体としての輪郭が崩れていき。

 溶かされるように、肉体が崩壊していく。

「ベ....ベイル」

 

 ベイルアウト、の声を放つ事も出来ず。

 熊谷友子の肉体の崩壊は終わっていた。

 

「.....くまちゃん!」

 

 追撃の弾丸を那須が放つ。

 その時には──崩された熊谷をトリオン兵が格納し終わっていた。

 

「よくも....!」

 即座に追撃をかけるべく距離を詰めようとしていた那須に。

 志岐の声が響く

 

 ──隊長! 駄目です! 退却してください! 

 

「....」

 

 即座に、隊長として頭を冷やす。

 

「解ったわ。──小夜ちゃん。周囲の部隊の配置を教えて。あの新型の進行方向にいる部隊に協力を仰ぐわ」

 ──了解です。本部にも、新型の情報と交戦映像を送っています。

「ありがとう。....絶対にくまちゃんは助け出すわ」

 

 あの新型と渡り合うには、決定的に火力が足りない。それが理解できた那須は退却を選択。熊谷を格納した新型トリオン兵を目視できる距離感を保ちながら、──行き先を見る。

 

 その先には、

 

 

 ──天王寺。先程那須隊と交戦した“新型”がそちらに向かっている。

 

「了解しました」

 

 ──複数部隊からもう新型の情報が集まっている。アレはどうやら戦闘員を捕獲する為のトリオン兵で、現在熊谷が捕獲されている。どのように捕獲されているのかが定かではなく、生身のまま鹵獲されている可能性もある。胸部から腹部のラインへの深い攻撃は可能な限り避け交戦を行ってくれ。

 

「熊谷さんが.....。了解です」

 

 時間が許す限りひたすらに破壊し続けたトリオン兵の残骸。──その上に立つ彼女は、一つ息を吐く。

 

 天王寺恒星は背後を振り返る。

 

 

「早速ですね」

 

 新型が、そこにいる。

 

「熊谷さんを返してもらいますよ。──この化物め」

 

 マフラーを纏った剣を、天王寺は構える。

 

「立ちはだかるもの──その全てを磨り潰す。消え失せろ化物共....!」

 

 何処までも深い憤怒と義務感をその目に宿し。

 天王寺は突進を仕掛ける新型の姿を目に納めていた。



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18 人は憎悪を宿すから、憎悪するんです

 その新型の殴打が放たれた瞬間。

 天王寺は風刃の峰でそれを受けると同時、己の体幹をくるり回すと同時──押し込む。

 

 拳が伸び切り、足が前に突き出されたタイミングにて押し込まれた新型は、僅かであるが体勢を崩す。

 

「腹部から胸部のラインへの攻撃は、最終手段。ならば」

 体勢を崩す一瞬のうち。

 天王寺は身を屈めると共に──右膝を前に突き出しつつ、横薙ぎの斬撃。

 

「足」

 

 身を屈めると共に放たれた斬撃は、脛斬り。

 膝と腰により大きく延長された範囲による斬撃がラービットの左足を襲う。

 

「耳」

 

 足が斬り裂かれた新型の左手側へ己の肉体を転がし、肉体を起き上がらせる動きと並行し両足に力を籠め──跳躍。

 跳躍と共に終わらせていた旋回動作と並行した回転斬りが、ラービットの両耳を削り。

 

「──腹」

 

 

 胸部から腹部。

 肉体が格納されている可能性の高いラインを避けながら、外装を削るように剣先だけを触れさせるような斬撃を幾重にも放つ。

 

 

 刀というフォルムを取りながらも、スコーピオンよりも軽い風刃による斬撃は瞬きする間に新型の肉体を削り──

 

「目」

 

 新型は、天王寺に向け右拳による殴打を繰り出す。

 天王寺を視界に納め、放たれたそれは。

 腕を伸ばしきって尚──天王寺の肉体へ届かない。

 

 踏み込んだ足が、──風刃による仕込みブレードで削り取られると共に。

 クロスカウンターの如き、天王寺の突きの一撃により──新型の眼球に、風刃が突き立てられる。

 

「....」

 

 おおよそ、十秒にも満たない攻防の果て。

 天王寺は無言、無表情のまま──墓標の如く刀が顔面に突き込まれた新型の姿を一瞥し。

 風刃を引き抜き、胸部装甲を斬り裂き、そこから腹へと刃を突き込んでいく。

 

「成程。こういう風に捕えているのですね」

 

 その果て。

 見つけ出したのは、一つのトリオンキューブ。

 

 それは射手トリガーのそれと比べ遥かに小さく。──恐らくコンパクトなキューブにトリオン体を変形させ、肉体に格納する為の技術であろう。

 

「──くまちゃん!」

 

 キューブの取り出しが終わると同時。

 那須玲がやってくる。

 

「熊谷さんは無事です。那須さん」

「よかった.....!」

「ただ。格納される為にキューブ化されていますね。一旦、本部技術室に持って行く必要がありそうです」

 

 天王寺は手乗りする程度の大きさのキューブを那須に見せる。

 

「...」

「那須さん。熊谷さんは必ず戻ります。──信じましょう」

「....うん」

「では、まずこれを本部に戻さなければなりませんが──」

 

 本部までの道を見る。

 そこには、夥しいまでのトリオン兵集団が溢れ返っている。

 

 そして。

 

「まずは──この厄介な新型を潰してからですね」

 

 眼前に。

 更に新型が二体。

 

 天王寺は、那須にキューブを手渡す。

 

「ここらのトリオン兵はこちらで対処します。那須さんは、熊谷さんを本部技術室へ」

「.....解ったわ。その新型を倒したら、本部に向かう」

「助かります」

 

 ──さてさて。

 

 天王寺は眼前のトリオン兵を見据えながら、

 

 ──お前等をどれだけ潰せば、黒トリガーの餌となってくれる? 

 

 目を見開き。

 全身に迸る熱を必死に抑え込みながら。

 本丸である黒トリガー使いの姿を、思い浮かべていた。

 

 

 上がる。

 報告が続々と上がっていく。

 

 ──C級が、続々と捕獲されていっていると。

 新型トリオン兵、ラービット。

 トリオン兵を四方に散らし、兵力の分散を誘導し。そして導入された彼等は──市民の避難誘導等で外へ向かっていたC級を次々と攫って行った。

 これが目的だったのだ。

 

「....」

 

 那須のバイパー弾を防ぐべく手を動かす新型の懐へ、天王寺は潜り込む。

 足先から、腹部。相手が攻撃や防御のために体勢を変えたり崩されたりした瞬間に、急所である眼球を斬り裂く。

 

 ──冷静になれ。怒りを抑えろ。罪悪感を呑み込め。

 

 脳幹に熱湯が注がれたように、全身が熱い。脳が茹だる。痺れるような昏い感情が、胸中を支配する。

 それら全てを抑える。呑み込む。判断力や冷静さといった領域に、これらを潜り込ませぬように。

 

 ──そうだ。私は知っていた。見ていた。奴等が何を奪いに来たのか。その全てを知っていた。

 

 彼等の侵攻は。

 侵略による破壊や占領が目的ではない。

 

 資源の奪取だ。

 トリオンという、資源。

 

 かつての侵攻では──街々を襲い、無造作に市民からそれを奪っていた。

 

 今回は、そうではない。

 ボーダー隊員を目的に、敵は襲い掛かっている。

 

 それも──緊急脱出機能を保有する正隊員ではなく、C級を狙い撃ちにしている事も。

 

 知っていた。

 見えていた。

 知っていて、見えていて、その上で──見捨てたのだ。

 

 そうでなければ、より悪い未来が訪れる事が目に見えていたから。

 

 より悪い。より善い。自分はその判断者の一人になる事を、選択したのだから。

 

 吐き気がする。

 未来という視座を得ているがための独善に。”お前たちはより善い未来のために悪いが攫われてくれ”と判断し、それを呑み込んでいる己の在り方に。

 

 きっと──攫われているC級にとってみれば、最悪なはずなのに。

 その最悪を最善と断じなければならず、故に見捨てなければならない現実が眼前にある。

 命の天秤を掲げ。

 あれが善い。これが悪いと分銅を置き。

 他者の運命や命といったかけがえなく、代替不可能な代物を計量化し、掬ったり。切り捨てたり。

 

 ──謝らない。私は謝ってはならない。謝って許される事でもない。己を慰撫する事は決して許されない。この苦しみを。この感情を。受け止めろ。目を背けるな。逃げるな。戦え。

 

 必要の為に地獄を味わわされしC級の面々に向け、出来る事は。

 

 ──苦しみから逃れるな。

 

 己が己の背中を押し、選択したこの道の中。

 せめて己に出来る事は──この苦しみから逃げぬことだけ。

 

 ──これが、未来を視れる者の世界。迅悠一にとっての生のリアル。さあ味わえ。逃げるな。お前はあの日から、これが欲しいと、願ったのだ。

 

 

「....天王寺ちゃん」

「はい。どうしましたか、那須さん」

「大丈夫....?」

 

 熊谷が連れ去られかけ、熱くなっていた那須玲は。

 されど──その異様な雰囲気の天王寺の姿を目にして、冷静さを取り戻していた。

 

「大丈夫です」

 

 目は完全に据わり、口元は真一文字に閉ざされている。

 その全身から──焦燥混じりの怒りが滲み出ているようであった。

 

「....」

 

 新型と、周辺区画のトリオン兵を排除し。

 天王寺は──目元を軽く握り、那須に頭を下げる。

 

「気を遣わせてしまい申し訳ありません」

「ううん。いいの。....ただ」

 

 何となく、那須玲は気付いた。

 かつての自分から引き出された記憶と、天王寺が重なって。

 

「....無理をしないでね」

 

 何度だって自分がかけられた言葉だ。

 病に伏せて。誰かの負担になりたくなくて。焦って。無理をしようとして。

 そうした過去の諸々が一瞬で駆け巡り──天王寺の姿と重なった。

 

「はい。那須さんこそ。──付近の部隊ですと、弓場隊が近いみたいですね。無理せず、部隊と合流して本部へ熊谷さんを届けましょう」

「天王寺ちゃんはどうするの?」

「私の役割は、この区域で新型含め可能な限りトリオン兵を排除する事。付いていけず申し訳ありません」

 

 そう天王寺が言うと。

 解ったわ、と那須は応えた。

 

「それじゃあ──くまちゃんを助けてくれてありがとう」

「当然の事です。仲間ですから」

 

 那須は、キューブを手に持つと──弓場隊の方向へ向かって行った。

 

「....」

 

 一人になり。

 戦いから離れると──感情が膨れ上がっていく。

 

 申し訳ない。

 ごめんなさい。

 そんな言葉が心中で発生するたびに、噛み殺していく。

 

 

 ──来るなら、来い。

 

 

 覚悟は決まった。

 己の戦場はここだ。

 

 

 ──地獄行きの他者を見据えるのだ。ならば、己もまた相応しい地獄の中にいなければならない。

 

 覚悟はできた。

 さあ、来い。

 

 

 そう念じた言葉が、天へと届いたのだろうか。

 

 

「──猿が、いっちょまえに黒トリガーなんざ使いやがって。この馬鹿が」

 

 空間を削り取ったかのような漆黒から。

 漆黒のマントを身に纏い、同色の角を生やした男が一人。

 

 

 粗暴な所作で。

 落ち着かない足取りで。

 こちらを見下す表情で。

 

 天王寺恒星の前に、現れた。

 

「猿にしちゃあ雑魚狩り頑張っていたのになぁ。そのせいで、お前は特大の外れくじを引いてしまった訳だ」

「....」

 

 ぶるり震える。

 来た。

 ようやく、訪れた。

 

 幾度となく己の未来の前に現れた男が。

 黒トリガーを操り、笑いながら自分も他者も殺していた男が。

 

「──ようやく、現れたか」

「あん?」

「名も知らぬ人型近界民。──私はお前を知っている」

 

 込み上げてくる。

 あらゆる感情が。

 

 

「やはりだ。思った通りだ。お前は笑いながら人を殺せるやつだ。人を人とも思えぬ愚物だ。他者を猿と嘲る侮辱を纏い、人を殺さなければ心の均衡も保てない。哀れで愚かで──救いようのない」

「はン。なんだなんだ。俺等に家族でも殺されたクチか、テメェ?」

「私が憎むのは()()だ。()()()()じゃあ、ない。近界民という括りではなく──哀れで愚かなお前が、哀れで愚かが故に、人の命を弄び殺すその様が。憎くて憎くて堪らない」

 

 見てきた。

 快楽のまま殺してきたこの男の姿を。

 殺しを快楽として受け取ってしまう感覚と。快楽に流されねば生きていけない精神を持ってしまったが故の。哀れで愚かな姿を。

 その哀れさと愚かさゆえに。

 ──無為に死んでいく羽目となった、人間の姿を。

 

 必要の為ではなく。

 己の生存のためではなく。

 ただ己を満たすだけの為に、他者を害し、他者を殺す者。

 そういう精神性を持ってしまった者。

 

 他者という存在に確かな重みを感じてきた天王寺恒星にとって、

 ──その命を猿と侮蔑し、玩具の如く殺し続けるこの男は、存在する事すら許せぬほどの憎悪を抱かせる代物であった。

 

 こういう存在から誰かの運命を守る為に、自分は生まれてきた。

 そんな事を思ってしまう程に。

 憎くて、憎くて、堪らない。

 こんな存在に殺されなければならぬ命が存在する事すら、理解の範疇外であった。

 

 哀れで愚かなこの男は。

 その愚かさの代償を、こいつだけで払わねばならぬ。

 その代償は──己が手で払わせる。そして終わらせる。ここで。この場で。

 

「平行する未来を観測してきた。そのどこかしこにもお前という存在がいた。どの未来においてもお前は哀れで愚かだった。──私はお前を絶対に許さない。お前はここで無為にくたばれ。もう誰もお前の空っぽを満たすためだけに殺させはしない.....!」

 

 お前は、

 生まれてきてはいけない生き物だ。

 

 生まれてきたことそのものが間違いだったのだ。

 間違いを正すべく運命が、己に訪れた。

 

 この運命を──ただ、全力で信じる。

 

「かかってこい愚か者。私の運命は。覚悟は。お前如きに折る事は出来ない!」

 

 啖呵を切ると同時。

 天王寺は己が得物を見る。

 誰かが命を賭し、形成されたそれは。

 巡り巡ってきた。

 持ち手を選ばぬ特性のこれは。されどこの瞬間は、天王寺恒星の手の中に巡り巡ってきた。

 

 ──迅悠一の師。最上宗一氏。そこに貴方の魂が宿っているというのならば。ボーダーを、ここに住まう人々を、仲間を、守るべくこの形になったというのならば。

 ──今は。今だけは。私の意思を拠り所に。

 

「──ごちゃごちゃキーキーうるせぇなクソ猿が。お望み通り、テメェはここでぐちゃぐちゃに殺してやるよ‼」

 

 光と、影が交差する。

 

 ──黒トリガーと黒トリガーの戦いが、開始された。



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19 「覚悟」とは。暗闇の荒野で、覚悟を決めることです。

「.....始まったみたいだな」

 

 事前に報告を受けていた、天王寺の位置。

 そこから──激しい戦闘音が響き渡っていく。

 

 銃声とも違う。剣戟とも違う。普段聞きなれているどの音とも重ならない。異形そのものがぶつかり合う、奇妙極まりないそれに、

 

「.....行くぞ」

「はい!」

 

 柿崎隊隊長、柿崎国治。

 彼は一つ息を吐くと──迷いを振り切るように、かぶりを振った。

 

 

 沼底の暗闇が、宙に浮かんでいる。

 そんな風に天王寺は思った。

 

 黒いジェル状の液体が空に浮かぶ。

 意思を持つように蠢くそれらは、その形態を変えていく。

 

「.....成程」

 

 眼前に拡がるそれらが、蠢く正体。

 変化している。

 蠢く泥は、──こちらを斬り裂く刃へ。

 

 放たれた刃よりも。天王寺はジッ、と。エネドラの視線へ着目する。

 

 ──私の正面だけでなく。左右と股下。恐らく背後含めた”全身”を見ている。

 

 己の副作用が示す、相手の視線。

 それを観測しながら、その意図を読み解く。

 

 この正面の攻撃は陽動に近い。

 本命の攻撃が、──自分の見えない範囲に仕込まれている。

 

 正面の攻撃を、身を屈みながら避けると同時。

 避ける動作と並行し風刃の剣先を地面になぞる。

 

 

「....ああん?」

 

 正面の攻撃は、避けられると同時。

 足元より這い出た刃は──同じく足元より生え出た刃により防がれる。

 

 

「──」

 

 屈んだ体勢から、ロケットの如く飛び出た天王寺は。

 空間上に次々生成されていく刃を避けるように旋回し、

 

 後ろ手に持つ風刃を地面になぞらせ。

 

 敵の足下付近にブレードを仕込み──己は、跳躍。

 

 足元への攻撃に流れる視線を逆手に──己はその死角へ飛び込んでいく。

 

「....ちょろちょろと! このクソ猿が....!」

 

 すれ違いざまに、腹部への一撃。

 手応えなし。

 

 横薙ぎの斬撃から斬り上げ。供給器官位置への一撃。

 ....手応えなし。

 

 

 ──急所がないのか? 

 

 

 斬撃への曖昧な手応え。

 供給器官の存在も感じられない。

 

 ──トリオンの液・固体化がこのトリガーの基本的な性質か。

 

「背後」

 

 ぼそり呟くと同時。

 

 天王寺は己の背後に、風刃を突き立てる。

 その軌道上。──生え出てきた刃を砕く。

 

「....」

 

 この瞬間。

 天王寺は悟る。

 

 この勝負──相性で言えば間違いなく、自分は最悪の勝負を挑んでいる。

 

 斬撃が基本線となる黒トリガーに対し、斬撃が効かない相手。

 

 ──供給器官は何処かにあるはず。その居所を知ることが出来れば私の勝利。だが、今の私にはそれを探す手段がない。

 

 幸い、あの黒トリガーは射程と機動性はそこまでではない。脅威となるのはトリガーの変幻性。

 

 

「一人で片付けられれば良かったのですが」

 

 やはり。

 この黒トリガーを持てたところで──まだまだ迅悠一には及ばない。

 

 だが、それでいい。

 

「すみません。手を借ります」

 

 天王寺の背後より。

 

 二つの銃口が──エネドラに向けられていた。

 

「柿崎隊、現着! ──これから天王寺の援護に入る!」

 

 銃声と共に響く声に。

 天王寺は──僅かに頬を緩めていた。

 

 

「これで──少しだけ安心できますね」

 

 これで。

 自分が倒されても──風刃を回収してくれる隊員が来てくれた。

 

 これで。──()()()()()()()()()()()

 

 

「私が風刃で奴を引き付けます! 射撃中心で、距離を取っての戦いを!」

 

 あの黒トリガーの性質上。破壊力の強さは特段の優位点となりえない。

 それよりも、可能な限り距離を取り、目視できない位置取りを取り続ける事が何よりも重要となる。

 

「──了解!」

 

 照屋が建造物の裏側に入り、真上からハウンドの弾雨を降らせ。柿崎は建造物の上を巡りながらアステロイドを掃射する。

 

 ──あの黒トリガーに、威力は然程の意味はない。ならば少しでもあの近界民の視界から逃れる方策を取るべきだ。

 

 そして、理解できた。

 現状において──風刃は、あの黒トリガーにとって脅威となりえない。

 

 今やるべきは。

 あの黒トリガーの情報を集める事だ。

 

 

「おーおー。雑魚が増えやがったな」

 

 敵が増えた状況下においても、あの近界民の余裕の態度はそのまま。

 純粋な物量が増えた所で、あの男の黒トリガーの不死身性は崩れない──そういう自信があるのだろう。

 

「.....宇井さん。あの黒トリガー使いの解析を頼みます」

 

 ならば。

 今は、少しでも奴との交戦を続ける。あのトリガーに内包されている謎の一つ一つを、解き明かす。

 それまで、ひたすらに耐える。

 苦しくとも──今はそうするほかない。

 

 

「まずは──」

 

 獲物が増えた事により。

 エネドラの意識が、天王寺以外へも向けられる。

 

 現在、柿崎隊は部隊を密集させ、それぞれエネドラの視界から逃れながら弾丸を放っている。

 

「ノーマルトリガーの雑魚共からだ!」

 

 エネドラはその建物を通じて、彼が持つ黒トリガ──―”泥の王”を放つ。

 液状化したトリオンを、壁を通じて送り込み。

 そしてそれを固体化させ、ブレードを放つ。

 

「業腹ながら、私の攻撃はまだお前には届かない」

 

 だが。

 

「ならば──別の使い方をするだけだ」

 

 柿崎を狙ったトリオンの奔流は──ブレードとして固体化するその寸前。

 ──別なブレードによって射出地点が潰される。

 

 

「.....あ?」

 

「原理は違えど、──風刃と過程と結果は同じトリガーのようですね」

 

 泥の王も、風刃も。

 双方とも、”地続きの物質にトリオンを通す”という過程と、”ブレードを射出する”という結果は同じである。

 

 風刃はただそれだけしか機能がない。

 だが。ことこの”過程”を経る機能だけは、泥の王を上回れている。

 

 射程及び、トリオンを通す速度。

 液状化させたトリオンを流さなければならない泥の王よりも、ブレード射出位置までトリオンを通す速度は上だ。

 

 

 ならば。

 先回りさせる。

 

 現在柿崎隊は突撃銃の射程がギリギリ届く距離間から、弾丸の掃射を行っている。

 部隊を散会させず一つどころに集めているのはこの為だ。

 

 

 ──柿崎隊周辺に風刃の通り道を即座に通す為。

 

 

 結局エネドラは、距離がある柿崎隊へ攻撃を仕掛けんとする時には。そこにブレードを射出する必要が生じる。

 ならば。

 先回りさせる。

 エネドラの視線がこちらから外れたその瞬間。柿崎隊に向けて攻撃を

 

「──目を逸らすな。誰が来ようと、お前はまず私を仕留めなければならないんだよ」

 

 仮に。

 エネドラが冷静ならば気付けていただろう。

 

 ──この方法は幾度となく使える方法ではないのだと。

 連続の風刃の射出量には限界がある。トリオンだって限りがある。

 

 一度失敗したとて、泥の王の物量ならば風刃を掻い潜り柿崎隊にダメージを与える事も出来たであろうに。

 

 だが。

 分析よりも、感情的な判断が前に出る。

 

 ──猿と侮蔑する相手にいいようにやられて。それを見逃すなどあり得ない。

 

「この.....クソ猿がァァァァァ!」

 

 エネドラはこちらで引き付け。その間にデータの解析を行う。

 

「──虎太郎。お前は”見る”んだ。天王寺と奴が交戦している様子を、宇井を通してボーダー本部に送る」

 

 柿崎の指示に、虎太郎はこくりと頷く。

 現在柿崎隊は、有効射程ギリギリの範囲から、エネドラの視界に入らないよう弾丸を撃ち続けている。

 一向に有効打を与えられずにいる状況であるが──それでもその様子は、建造物の上に隠れた巴虎太郎の視界を通じて、映像化されたデータとして本部に送られる。

 

 虎太郎は射程を稼げる武装がない。だが、高い機動力が存在している。

 現在エネドラと対峙する天王寺は黒トリガー使い。通信機能はあるが、トリオン体を通じて本部に映像を送り込めるような、互換性のある情報共有機能はない。

 

 だから。その役目を虎太郎が果たす。

 

「──む」

 

 交戦の最中。

 弾雨がエネドラに貫く最中──ばきん、と。確かな音が聞こえた。

 

「──供給器官か?」

 

 だが。

 エネドラは未だ問題なく動けている。

 

「...」

 

 エネドラの足が止まった。

 

 止まると同時に──

 

 

「来いよ.....玄界の猿....!」

 

 エネドラが身に纏う、液状のトリオンが膨張していく。

 ──大技が来る。

 

「.....!」

 

 天王寺は、即座に背後へと飛び去る。

 密閉した容器が叩き割られるような。膨張した泥の王のトリオンが弾け飛び、爆発のような現象が起こる。

 周囲の建造物を破砕し、煙を巻き上げる。

 

「──しまった!」

 

 大技の予兆を読み取り、背後へと飛び去った。

 

 だが、それによってエネドラとの間に──距離が空いてしまった。

 

「はん、馬鹿が! ──これであの鬱陶しい雑魚共を殺せる....!」

 

 エネドラは天王寺との距離が空いたと見るや、──柿崎隊の場所へと移動を開始する。

 

 

「──退避! だが射撃の手は止めるな!」

「了解!」

 

 柿崎と照屋は、後退しながらもエネドラへの射撃は続ける。

 

 ──流石に、位置を動かしてしまうと。風刃の防御は期待できない。

 

「──もう一発喰らわせてやるよ。猿共」

 

 そして。

 

「──ぐ!」

 

 接近したエネドラが照屋の足下よりブレードを射出すると共に。更に己の周辺のトリオンを膨張させる。

 

「──隊長!」

「....ああ!」

 

 爆撃が行使される。

 

 だが、その技は先程見ている。

 

 おおよその効果範囲は、こちらも把握している。

 

「──思い通りにはさせない」

 

 照屋は、引かず、前進した。

 

 爆発から逃れられんと理解した彼女はエネドラへ向け前進し射撃を続け、

 

 

 そして。

 

 

「──食らえ!」

 

 

 柿崎国治は。

 武装を弧月へと変更し──爆撃の煙に紛れ、旋空を放つ。

 

 放たれたそれは──エネドラの首を両断する。

 

「....やったか!」

 

 照屋は爆撃により、緊急脱出。

 その背後より旋空を放った柿崎は──

 

「がは....!」

 

 肉体の内部から。

 刃により、貫かれる。

 

「──柿崎さん!」

「....虎太郎」

 

 供給器官を貫かれ、緊急脱出するその寸前。

 

 建造物の上でその様を見た虎太郎に──柿崎は、

 

 

「──天王寺を、最後まで助けてやってくれ」

 

 そう言った。

 

「....」

 

「.....巴君。聞こえますか」

 

 同時に。

 天王寺恒星の声もまた、聞こえる。

 

「.....私の判断ミスで柿崎さんと照屋さんがやられてしまいました。申し訳ありません」

「そんな──」

「巴君は、下がっていてください。万一でも、君を失う訳にはいかない」

「....」

 

 ──柿崎隊の中で、この巴虎太郎だけは。

 ──エネドラから逃れることが出来るだけの機動力を備えている。そう天王寺は判断していた。

 

「私が()()()()時に風刃を持ち運べるのは君しかいません。──頼みます」

 

 自分がやられた時。

 緊急脱出機能を持たない天王寺にとってそれは──己が死ぬ事と同義である。

 それを覚悟して、天王寺はここにいる。

 それは理解している。

 だが、

 

 

 ──天王寺を、最後まで助けてやってくれ。

 

 

 

「すみません、天王寺先輩」

 

 

 あの言葉は。

 そういう意味ではない。

 

「おれたちの部隊は──天王寺先輩を死なせない為に、力を尽くすと決めていました」

 

 天王寺を死なせるという前提は、あり得ない。

 

 

「おれも──戦います」

 

 

「....」

 

 

 そうか、と天王寺は呟いた。

 

「.....ままならない。本当に──」

 

 

 ──自分の覚悟と同様に。

 ──他者の覚悟もまた、等しく尊い。

 

 

 柿崎隊は──そして、ひとえに巴虎太郎は。

 今ここで、自分とは異なる覚悟を抱いている。

 

 

 ──自分が死ねば、などという逃げ道など。許されるわけがなかった。

 

 

 

「....」

 

 

 

 反吐が吐きそうなほどの、重圧を感じる。

 自分は死んではならない──その事実に直面した瞬間から。

 

 

「.....ここまで。見えていたのですね。迅さん」

 

 

 死ぬ覚悟を持つ事は、

 ただ──自分への逃げ道だったのかもしれない。

 

 死んではいけない、という己が義務を前にした。この苦しみから。

 本来。自分が死ねば、本部職員が死ぬのだ。

 負けてはならない戦いのはずで。

 その戦いに──いみじくも、死んでもいい、という逃げ道を自分で用意していた。

 

 なんという。

 なんという──臆病者。弱虫。卑怯者。自分の浅ましさが、柿崎隊の姿と対比し、浮き彫りになっていく。

 

 

「....巴君」

「はい」

「解りました。ーー一緒に戦いましょう」

 

 

 ──乗り越える。

 

 

 ──この運命を。この場合必要なのは、対峙する覚悟ではない。乗り越える覚悟だ

 

 



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20 知っていましたか?重石を付けると、重くなるんです

 がしゃ、と音を立て。

 新型トリオン兵ラービットは──重みに耐えられず膝をついた。

 

「....」

 

 その全身の至る所に、黒いトリオンの重石が張り付いている。

 眼前には、拳銃を構えた──三輪秀次の姿がある。

 

「周辺の新型はあらかた片付けた」

「了解~。ならこっちと合流すっか」

 

 現在。警戒区域内の新型の排除にA級が駆り出され。避難区域周辺のトリオン兵をB級の合同部隊が順繰りに排除しに回っている。

 

 三輪隊もまた。新型の存在が報告に上がるたび、その排除に向かっていた。

 

「.....!」

 

 

 その中。

 三輪は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 

 

 自分の視界から少々遠い地点。

 トリオン兵の集団が──市街地の方向に向け歩いていっている。

 

 その先。

 三輪一家が住む家屋がある。

 

 

「.....秀次」

 

 部隊の仲間である米屋の声が聞こえてくる。

 

「──行ってこい」

「....すまん」

 

 

 三輪秀次は一つ頷き──市街地方向に向かうトリオン兵の下へ向かった。

 

 

「残り二匹....さっさと殺させてもらうぜ猿共ォ!」

 

 ──先程。

 背後からの旋空で首を斬られて尚生きていた以上。トリオン供給脳と供給器官とのラインを断ち切っても仕留められないと理解できた。

 そして。

 柿崎が仕留められた攻撃。

 

 今まで液体→固体(ブレード)による変化を伴い攻撃を仕掛けているものだと判断していたが。

 先程の柿崎はトリオン体の内部からの攻撃によって、内側から破壊されていた。

 

「.....巴君」

「はい」

「一先ず隠れます」

 

 本当は一刻たりともエネドラを野放しにはしたくないのだろう。そう指示を飛ばす天王寺には、苦渋の色が刻まれている。

 されど。

 飲み下す。

 

 虎太郎はその表情を見据え──こくり、と。一つ頷きバッグワームを着込み、その場を離れる。

 

 

「おーおー。雑魚共は逃げ足もはえぇな。──まあ、逃がしはしないがな」

 

 虎太郎はバッグワームを装着しながら、エネドラの視界から逃れながらハウンドを撃つ。

 

「頭まで足りなくなってきたかぁ? ──そんなもんで、俺の”泥の王”に届くわけがないだろうが!」

 

 ハウンドの軌跡を追い、エネドラは攻撃を仕掛ける。

 建造物を貫き滂沱の如きブレードの山が、弾丸の射出地点周辺に展開される。

 

 

 攻撃の最中。

 トリオン反応が一つ現れる。

 

「おーおー。隠れていた猿がもう一匹潜んでいたか?」

 

 その反応を、トリオン反応を隠していた増援が来た──と判断したエネドラは。

 即座にその場所へ向かい、攻撃を飛ばす。

 

 そこには、

 

「.....あん?」

 

 浮遊する球体状の物体が、一つ。

 ──ダミービーコン。

 

 偽造トリオン反応を作り出す、ノーマルトリガーの一種。

 

 ──巴虎太郎はハウンドを撃ちおおよその自分の位置をエネドラに知らせた上で。ダミービーコンを設置し、釣りだす行動を行っていた。

 

 エネドラの戦闘指向が、おおよそ天王寺には理解できていた。

 破壊衝動を満たすべく暴れている相手であるが故に。

 敵を視界に収めないで仕留めるという事を、極端に嫌っている。

 

 だから釣りだされる。こんな単純な仕掛けにも引っ掛かる。

 

 釣りだされたその位置。

 

 

 天王寺が、背後より風刃を構えそこにいた。

 

 

「確かめたい事がある」

 

 

 その頭上。

 ビルの上に、貯水タンクがある。

 

「──また同じように殺されに来たか?」

 

 エネドラの表情に笑みが浮かぶと共に。

 タンクの支えが──風刃の遠隔ブレードにより断ち切られる。

 

 それがビルより落ちると共に。

 地面にぐしゃりと潰され、その衝撃がエネドラの方向に向かうと共に──天王寺は走り出した。

 

 

「.....チィ!」

 

 天王寺は迷うことなくエネドラへ走り出し、斬りかかる。

 それは振りかぶっての斬撃ではなく。刃を上向きに突き出し、エネドラの肉体を貫いた上で。最低限の手首のスナップのみでエネドラの肉体内部を、なぞる様な斬撃。

 

 肉体からブレードを射出し、エネドラは天王寺を追い返す。

 天王寺は幾らかブレードを食らうものの──その表情は一切の焦燥を浮かべていない。

 

「成程」

 

 

 その中。

 天王寺は──斬撃の中液状トリオンに纏わりつかれる感覚と共に、複数の手応えを感じた。

 

 

「全部、解った。──巴君」

「はい...!」

「あの近界民は、ダミーの供給器官を複数作り、それを身体の中で流動させながら隠しています。そして、──先程柿崎隊長を仕留めたからくりは」

 

 エネドラに対峙する。

 

「気体です。あの黒トリガーは液体と固体だけでなく。気体──ガスにも変換できる」

 

 黒トリガー、泥の王。

 あのトリガーの本質は変幻だ。

 

 エネルギーの性質を変換させる。

 

 流動させ、身に纏わせ、固める。

 

 物質化の範囲も、ブレードだけでなく。供給器官のダミーを増やす方向にも使えると来た。

 

 

「.....でも。どうしますか?」

「.....悔しいですが。我々二人だけでどうにかできるものでもないですね」

 

 

 だから。

 

 

「申し訳ありません」

 

 

 天王寺が、虎太郎を使いエネドラの位置を動かしたのは。

 丁度動かした場所が──B級合同部隊の分隊が向かっている場所に近かったため。

 そして。

 

「──手を貸してください。三輪君」

 

「.....ああ」

 

 

 市街地に向かうトリオン兵の排除を終えた──三輪秀次の姿。

 

 

「言われるまでもない。──近界民は排除する」

 

 

 

 

「.....雑魚が一匹増えた所で。どうにかなると思ってんのか?」

「....」

 

 挑発に対し、特段何も返す事無く。

 

「邪魔だ」

 

 三輪秀次は。

 エネドラに拳銃を向ける。

 

 撃ち出されるは、黒い弾丸。

 

 それは──エネドラの肉体を、”すり抜けていった”。

 

「あん?」

 

 そして。

 

 

 すり抜けた先にある、地面に着弾し重石となって表れた。

 

「.....成程。天王寺」

「はい」

「お前の推測通りだ。──風上から攻撃を開始する」

 

 

 天王寺と三輪は互いに頷き合うと、三輪は風上側へ移動し、天王寺は建造物の上へ向かう。

 

 

「何をやっても....無駄だぜ猿共!」

 

 三輪は足元・壁先からの攻撃を警戒し、足を止める事無く、周囲の建造物を蹴りながら移動する。

 

 その動作と並行し、絶えず鉛弾を撃ち出す。

 

 

 そのほとんどはエネドラの身体をすり抜けていく。

 が。

 

 

「.....あ?」

 

 

 ダミーとなる、偽装供給器官。

 それに衝突した瞬間──エネドラの肉体内部に、重石が生える。

 

 

「──供給器官を隠し、カバーする為にトリオンの物質で固めているのだろう。だったら、”鉛弾”は効く」

 

 鉛弾(レッドバレット)

 銃手・射手用トリガー専用の、オプショントリガーである。

 

 弾丸のコストを上げ、そしてその速度を遅くする代わり。着弾箇所に重石を発生させ、その動きを止める機能を持つ。

 それは、”物質”に着弾した際に重石が顕現する。

 それ故に、シールドによって防ぐことが出来ない。

 重石を付ける、という機能の為威力はなく。そして弾速も重くなる代わりに──防御不能の弾丸を撃ち込むことが出来る。

 

 エネドラの泥の王によって作られた液状・気体状トリオンは、それのみでは物質として見なされず。

 

 ”固体化”の状態までいってはじめて、鉛弾の着弾対象となる。

 

 

「何だこりゃあ....!」

 

 

 トリオンを流動化させ、大量のダミーを身体の中で巡回させていたエネドラ。

 しかし。

 鉛弾を受けたダミーはその重みにより動きが鈍くなっていく。

 

 

「──行くぞ」

 

「はい!」

 

 

 天王寺がエネドラの周囲にブレードを発生するタイミング。

 そこで──虎太郎と三輪が挟み込む。

 

 虎太郎はハウンドにより全方位からの弾丸を放ち。

 その弾丸に合わせ、三輪はエネドラに接敵しつつ”鉛弾”を放つ。

 

 エネドラの周囲を飛び回りつつ、三輪は──エネドラに弾丸を叩き込んでいく。

 

 供給器官のダミーに着弾するたび、──エネドラの内部に、重石が増えていく。

 

 

「──鬱陶しい!」

 

 エネドラは重くなっていく体内の感覚を嫌い、重石付きのダミーを体内より切り離し、捨てていく。

 同時に──焦りからか。攻撃の苛烈さは増していく。

 

 ──鉛弾の存在により、大まかな奴のダミーを動かす流れが掴めてきた。

 

「殺してやる....猿共ォ!」

 

 エネドラの周囲に、トリオンが満ちていく。

 恐らくは周囲一帯をガスで満たした上で、大技を放とうとしているのだろう。

 

 

「──かなり奴の意識に余裕がなくなってきましたね」

「勝負をかけるなら....ここだろうな」

 

 三輪が一つ合図を出した瞬間。

 

 

 

 彼方より、声が聞こえる。

 

 

 

「こっちはオーケーよ」

「それじゃあ撃っちゃうから。皆離れてね~」

 

 

 B級合同部隊の中、トリオン兵の排除を行っていた二人が、それぞれ声を上げる。

 

 B級那須隊、那須玲。

 B級影浦隊、北添尋。

 

 

 那須の手には、二つの射手用トリガーによるキューブを組み合わせ作った”合成弾”があり。

 北添の手には、グレネードが握られていた。

 

 

 キューブが放たれ。

 弾丸が放たれる。

 

 

 

 直角に折れ曲がる様な弾道の合成弾がエネドラの周囲に叩き込まれ。

 幾度となく放たれるメテオラの榴弾が、周辺の建造物を爆破していく。

 

 

「ぐ....!」

 

 

 合成弾の爆風で気体トリオンは吹き飛び。

 

 そして、北添の爆撃により、建造物の一部が大量にエネドラに降りかかっていく。

 

 

 

「.....何処に急所があるのか解らないのならば」

 

 その全てに。

 斬撃を──叩き込む。

 

「全部叩き斬ってやる」

 

 爆撃で足を止めるエネドラに対し。

 

 既に天王寺は、身に纏う全ての風刃のブレードを射出し、そして再装填を行い。

 更に地面にその刃先をなぞりながら、エネドラへと肉薄していく。

 

 

 爆撃で多くの液状トリオンが千切れ飛んでいる。

 供給器官のダミーの隠しどころも密集しているはずだ。

 

 そこに、三輪と虎太郎の弾丸と。

 

 ──風刃ブレード11本×2。全てを叩き込む。

 

 

 事前に仕込んだ分は全て地面から。

 そして今しがた放った分は──崩れ落ちたビルの瓦礫から。

 

 

 エネドラのトリオンの流動方向に合わせ、全てを串刺しにする。

 

 

「この.....猿がァァァァァァァァァァァァァ‼」

 

「お前はもう終わりだ。──さっさとくたばれ」

 

 

 大量のブレードで叩き斬られ。多くのダミーが破壊される。

 が、──まだ本丸を貫けていない。

 

 

「──合わせるぞ!」

 

 その瞬間。

 

 三人が駆けだす。

 

 

 虎太郎が正面から斬りかかり。

 

 遅れて三輪と天王寺が──背後・上から斬りかかる。

 

 

 山のようなブレードに串刺しとなったエネドラの、更なる隙間を縫うように。

 三刀が、エネドラの内部を斬りつける。

 

 

「クソが....この俺が.....こんな猿共に....!」

 

 

 バキ、と。

 天王寺の手先から確かな手ごたえを感じた瞬間──エネドラの換装体が破砕され、生身の姿が現れる。

 

 

 

「.....勝った」

 

 

 ──死の覚悟をもって臨んだこの戦い。

 

 結局、己の力のみで打倒するには至らなかったが。

 

 

 何にせよ。──乗り越えられた。

 

 

 

「....増援に来て頂き、ありがとうございました。三輪君」

 

 天王寺が三輪にそう言うと。

 

「気にするな。──今度は、俺の番だったというだけだ」

「.....?」

 

 ただそう呟いた。

 

 

「それで。こいつどうしましょうか」

 

 生身のまま放り出された──エネドラを前に、虎太郎が尋ねる。

 

「本部に連れていかなければならないでしょうね。大分距離があるので、少々難しいですが」

「こんなのでも一応情報源だからな」

 

「....」

 

 

 ──クソが。さっさと回収しに来やがれミラの野郎。何のためにテメェがいると思っているんだ。

 

 

「....!」

 

 天王寺の脳内に。

 一つの視点が生まれる。

 

 

 己の背中。

 そして──供給器官目掛け視点が集中する視線の流れも。

 

「あら。勘が鋭いわね」

 

 即座に振り向くと同時。

 天王寺はその身を捻りながら、刀身を突き出した。

 

 相手は、虚空から現れる。

 

 黒々とした穴から現れたその女は、身を引いて天王寺の攻撃を防ぐと共に。

 天王寺もまた──虚空から現れた、細く、長い杭の刺突を回避する。

 

「.....報告にあったワープ使いですね」

 

 この侵攻。誘導装置をすり抜け各地にトリオン兵が送り込まれていた。

 それは──この女の黒トリガーによって直接送り込まれていたからだと。

 

 

「おい....早く回収しろミラ.....!」

 

 絞り出すようなエネドラの声に。

 より強く反応したのは──三輪であった。

 

「──させるか!」

 

 先程、この女が人型近界民の兵士を回収したと報告があった。

 二度も同じ事をさせるか──その意思を以て、三輪はエネドラの前に立つ。

 

 

「ええ。──回収させてもらうわ」

 

 

 ミラ、と呼ばれた女は、エネドラから距離を置きまた現れる。

 三輪は変わらずエネドラの回収を警戒し動かず──代わりに天王寺と虎太郎がミラへと斬りかかる。

 

 

「さようなら」

 

 

 ミラは、手を振りかざすと。

 三輪と──そして、()()()()の頭上に。虚空が生まれていく

 

「な.....!」

 

 広範囲に展開された杭の山を前に。三輪は咄嗟に飛び去る。

 

 

「──おい」

 

 

 そして。

 

 

 取り残されたエネドラは──その頭上を見上げ、その表情に怒りと絶望を刻み込んでいく。

 

 

「テメェェェ! ふざけんなァァァァァァァ!」

 

 

 

 杭の雨が。

 エネドラの全身を貫いていく。

 

 

「貴方のおかげで、十分なデータは集まったわ。もう不要よ。泥の王は、次の使い手に受け継がれるわ──」

 

「ざっけ....!」

 

 

 三輪がエネドラから飛び去った隙に、ミラはエネドラの背後に降り立ち。

 そのまま──”泥の王”が装着された左腕を切断する。

 

 

「さようなら、エネドラ」

 

 

 そうして。

 

 黒トリガーを回収したミラは──何事もなかったかの如く、虚空の中に再度消えていった。

 

 

「.....」

 

 

 残った者は。三人と、死体が一つ。

 

 瓦礫の中、周囲の喧騒が静寂の中ただただ、響き渡っていた──。

 



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21 原作を踏襲しているとも言えるし、そうでないとも言える

 眼前に、死が降り落ちてきた。

「……」

 

 この光景も、実のところ天王寺は見えていた。

 この、近界民を倒した果てにある末路。

 おおよその場合は仲間内に殺され黒トリガーが回収される。その末路が──このエネドラという名の近界民の運命であった。

 

「……巴君。大丈夫ですか」

「……は、はい」

 

 大人びているとはいえ、巴虎太郎はまだ中学生だ。

 生身の死。それも──こうして"殺害された"死体を前に動揺するなという方が無理であろう。恐らく、トリオン体でなければ──青ざめた顔色を浮かべていたであろう。

 

「……俺が、この近界民を本部まで運ぼう」

 

 そう三輪が切り出した。

 

「天王寺はまだこの現場に必要だろうし、最年少の巴に遺体の移動などやらせるのは酷だろう」

「申し訳ありません。頼めますか?」

「ああ」

 

 三輪は状況を察したか、そう自ら切り出した。

 エネドラの死体は貴重なデータ源であり、本部に持って行く必要がある。そもそも警戒区域内とはいえ、近界民の遺体をそのままにしておくわけにもいかない。

 死体を抱えて本部まで連れて行くにあたり。黒トリガーを持つ天王寺にはまだ現場に残る必要があり、年少の虎太郎にやらせるわけにもいかない。必然的に、三輪がやる必要が生まれていた。

 

 が。

 

「……三輪先輩」

「なんだ?」

「この遺体は、おれに運ばせて下さい」

 

 虎太郎は。そう三輪に言った。

 

「無理をする必要はない」

「……この状況はおれがやるべきなんです。戦力で判断するなら、おれよりも、三輪先輩が残るべきです」

 

 天王寺を死なせない為に、行動する。

 エネドラという危機が去ったところで、まだ天王寺はこの戦場に緊急脱出なしで残るのだ。

 ならば。この場における最善を選ばなければいけない。

 だから、自分なのだ。

 

「……」

 

 三輪は一つ溜息をついて、

 

「解った」

 と呟いた。

 

「東さん。聞こえますか」

 そして、そのままB級連合部隊の指揮を取っている東春秋へと通信を行い、状況の報告を行う。

 

「巴。指定された場所で、死体の引き渡しを行え。場所は東さん経由でマップ上にマーキングしてある」

「……はい!」

「無理はしなくてもいい。最悪それは途中で捨ててもいい。──天王寺に対してお前が言ったように。自分の身の安全を第一に考えろ」

「了解です!」

「なら、頼んだ」

 

 虎太郎は肩にエネドラの死体を担ぐと、一瞬表情を強張らせたが──すぐに切り替え、そのまま所定の場所へと向かっていった。

 

「……ありがとうございます、三輪君」

「礼を言われるような事はしていない」

「いえ。──この侵攻が終わったら。言葉以外のお礼をしなければいけませんね」

 

 そう天王寺が言った瞬間

 

「……」

「三輪君?」

「天王寺──ならば、後からでいい。正直に、俺の質問に答えてくれ」

 

 正直に、という。その言葉に。

 天王寺は──何の質問が後々されるのか。確信を覚える。

 

 ──そうか。気付いていたのか。

 

「……了解しました」

 

 かつて、一つの侵攻があり。その中で進んだ道の中。

 二つ目の侵攻の中で──またしても、過去の己の行動の結果と向き合わなければならなくなってしまった。

 

 これもまた、己の運命なのだろう。

 

「では、我々もB級の連合部隊と合流し、トリオン兵の駆除に向かい──」

 

 そう言葉を紡ぐ前に。

 ──己が副作用が、発動していた。

 

「……!」

 

 それは。

 狙撃手用トリガーのレティクル越しに見える、己が後頭部。

 誰かが、今自分を見ている。

 その光景に、思わず振り返った先。

 見えたのは──

 

「……三輪君」

「なんだ」

「申し訳ありません。──まだ、人型近界民とやりあわねばならないようです」

 

 あの時に観測した未来が。

 変化し、絞り込まれ、そして──その分岐点が近づいて行く瞬間を。

 

 

「ありがと」

「.....うっす」

 

 天王寺とエネドラの交戦区域から五百メートル程離れた区画。

 迅は──B級荒船隊隊長、荒船哲次より借り受けたイーグレットを返却する。

 

「──さて。残っているのは、三人か」

 

 アフトクラトルによる大規模侵攻。

 高機動と超火力を併せ持ったランバネインはB級合同部隊により倒され。

 黒トリガー使いのエネドラはたった今討ち取られた。

 

 残るは──敵の首魁、ハイレインに、特殊な磁力のトリガーを操るヒュース。

 

 そして。

 最強の老兵──ヴィザ。

 

「ここが上手くいくかどうかの瀬戸際だ。──頼んだぞ」

 

 

 時は、少々前後する。

 

「ふむ」

 

 爆音と共に建造物が破砕され。

 煙の中──悠々と、黒マントを羽織った老爺が進んでいく。

 

 間髪入れず、空より曲がりくる弾丸が降り落ちていく。

 

「いい兵士だ」

 

 ハウンド弾の軌道を一目見て。

 着弾箇所を見抜き、老爺は軽く前へ走る。

 

 建造物の間を縫うようにステップを踏み、──突撃銃を構えた黒服の男が引き金に指をかける。

 

 掃射に対し、老爺は回避行動を取ると共に。弾丸の方向へと視線を向ける。

 それと同時。

 伸びる剣閃が、老爺へ向け放たれる。

 

「足止めを最優先にしろ。──距離を保つぞ」

 

 二宮の指示が、隊に行き渡る。

 旋空で老爺の進行から足を止めさせると共に。

 

 二宮のフルアタックハウンドが老人へと降り注いでいく。

 

「成程。厄介だ」

 

 フルアタックの間隙に。犬飼が横手から射撃を挟んでいく。

 

 ──足止めの目的がはっきりと見える動き。広範囲の面攻撃に、横手からの射撃と斬撃。シンプルだが有効な手段。

 

「では。こちらとしても得物を納めている訳には参りませんな」

 

 老爺が持つ杖に光が灯り、その周囲に円状の紋章が浮かび上がる。

 灯ると同時。──老爺は体軸の向きを変え、その杖を向ける。

 

 丁度。

 建造物の影より旋空を放たんと現れた辻と、ピタリと合致するタイミング。

 

「──星の杖(オルガノン)

 

 それは。

 辻が刀を振り切るよりも速く到来する。

 音もなく現れ、風圧のみを運ぶ何かが──辻の胴を両断していた。

 

「──黒トリガーを出したな」

 

 見えない。

 不可視の斬撃が空間に漂っている。

 ──この状況も、想定済みだ。

 この老爺の"見えない攻撃"に対しては、もう情報を得ている。

 その対策も、また。

 

「──よぉ、オールバックジジイ。堤みてぇな目してんな。捨て駒参上だぜ」

 

 両側から、バッグワームを解いた二人組の男の姿。

 

「読んでおりますよ」

 

 ヴィザは焦る事なく、──というより、二宮隊の動きから伏兵の存在は完璧に読んでいたのだろう。奇襲に焦ることもなく、斬撃を両者に浴びせる。

 共にトリオン体を断ち切られながらも──散弾の引金を絞る。

 

 放たれた弾丸は老人に一発も当たる事なく、空に弾け消えてゆく。

 

 が。

 

「ほう」

 

 弾かれたその弾丸から、マーカーが一つ浮かび上がる。

 

 ──スタアメイカー。

 銃手、射手専用オプショントリガー。

 

 着弾箇所に対しレーダーによる追跡を可能とさせる機能を持っており、──例え不可視の物体であろうとも、その効果は発揮される。

 

「……成程な」

 

 諏訪隊の散弾が示した、ヴィザの黒トリガー。その正体はーー。

 目視不可能な攻撃の正体は──旋回する刃の集合であった。

 

 スタアメイカーにより追跡をかけた結果。レーダーにもはや計測が追いつかないほどの速度をもって回転する刃が、幾重にも存在していた。

 

 カメレオンのような、トリオンで視覚情報を遮断する効果でもあるのかと想定していたが──もっとシンプルな理屈であった。

 

 速すぎて、見えない。

 

 そしてシンプル故に──タネがわかったところで、対策が難しい。

 それが。

 アフトクラトルの国宝──黒トリガー、星の杖。

 

 諏訪隊の両者が両断された後。横合いからの辻の旋空が遅い来る。

 が──伸び上がる剣先を、星の杖にて弾かれる。

 

「横の回転から、縦に軌道変化したやつがある! ひさと気を付けて!」

「……!」

 

 辻の攻撃から、上側からの奇襲を狙っていた諏訪隊攻撃手の笹森は。バッグワーム解除からのカメレオンの起動をしようとして、直前に取りやめる。

 

 読まれている──というより。カバーされている。

 あらゆる可能性を考慮して、意識外のリスクを潰しているのだ。

 

 間違いなく、この老爺は歴戦の兵なのだろう。

 ボーダーが出来上がるよりもずっと前から。トリガーによる戦争を戦い抜いてきた老兵。

 

「ふむ。上からの攻撃は取りやめられましたか。やはり、軌道が読まれてますな」

 

 剣先を跳ね除けられた辻は、首を両断される。

 

「ふん」

 

 隊の二人を失い──時間稼ぎも限界であろうと二宮は判断する。

 十分な情報は得た。

 あともう一つでも何かしらの成果を上げられれば、十分であろう。

 

 小佐野から与えられたスタアメイカーのレーダー情報を見る。

 その軌道を頭に入れ、二宮は動き出す。

 

 キューブを作成し、放つ。

 星の杖の軌道上へと。

 

 キューブが刃とぶつかり、爆煙を生み出す。

 瞬間──二宮がポケットから手を出し、指差したその先。

 

 二宮のトリオン体が斬り裂かれる、ほんの一刻前。

 

 射程も威力も大きく削り、速度にパラメータを振った弾丸が──ヴィザの右足に突き刺さる。

 

「ふむ……」

 

 二宮と共に。

 上から切り掛かってきた──笹森も同時に、緊急脱出。

 

「敵ながら、よい兵士でした」

 

 二宮は──星の杖の軌道から、ヴィザが上にいる笹森に対してもケアをしている事を読み取っていた。

 その軌道を読んで、笹森は奇襲を諦め。

 その諦めをヴィザもまた読み取り、上への警戒は解かぬまま二宮と相対していた。

 

 上への意識が、ヴィザにはある。

 そこを利用する。

 

 メテオラによる爆炎からの、笹森の今更な急襲。

 隙を突く事を諦め。視界を塞いでの急襲に賭けた──と見せかけての。

 

 実質は、二宮のアステロイドをヴィザの足先へと食らわすための布石。

 

 これまでヴィザに対し、二宮のハウンドと犬飼のアステロイドを見せつけ。

 曲線と直線の攻撃で緩急を作り、足止めをしてきた。

 

 ここで、今まで繰り返してきた攻撃に更に緩急をつける。

 二宮の高トリオンにて速度にパラメータを振った、最速の弾丸。

 

 諏訪隊の二人の犠牲の下黒トリガーの情報を得て。

 積み重ねの行動に布石を散りばめ。

 笹森の急襲に意識を割かせ。

 

 そして──ようやく掴んだ好機のもと、二宮の捨て身をもってしてヴィザへの一撃へと結実した。

 

 手傷一つ負わせるにも、──これだけの犠牲が要請される。

 それが、ヴィザという敵兵であった。

 

 

 十分量の雛鳥を確保し。アフトクラトルの目的は金の雛鳥の確保へと移る。

 

 新型トリオン兵ラービットを周囲に散らし精兵の位置をバラけさせ。

 高機動と高火力を両立したランバネインに戦況の撹乱と兵の引き付けを。そして黒トリガー持ちの天王寺を捨て駒のエネドラに相手をさせ。

 ──ヒュースとヴィザの二人が、雨取千佳の確保へ動く。

 

 ヒュースは現在玉狛第一と風間隊の合同で相手をしており。

 そして。

 エネドラ亡き後のヴィザは、その役目を引き継ぐ。

 

「さて」

 

 自らの役割は囮。

 さあ来い──黒トリガー。

 

 

 そして、

 

「次の相手は貴方ですか」

 

 黒ずくめの、白髪の少年が──眼前に現れる。

 

「強そうな爺さんだ」

 

 空閑遊真。

 浮遊する自律型トリオン兵を従え、──最強の老兵の前に立つ。




ここでの遊真は鉛弾の学習をしていない代わりに新しい何かがあります。


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