運命は先天的にお兄ちゃん子 ―歴代最少の契約者たち 転生先にて恩送り (yyuuss)
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第0章 プロローグ
プロローグ


初めまして。作者名はyyuussといいます。徐々に書き上げていこうと考えているので、しばらくはのんびりと更新していきます。プロローグは転生前の日常を描いているので、プロローグが一番面白味がないかもしれません。


 今日の夢も昨日の夢もやけに具体的に覚えている。どこか日本とは似つかわない場所で年の近そうな仲間らしい人々と歩いていた……。青髪碧眼の少女もいたし、凛としたシルバーグレーの髪色の少女、あとはその子たちの監督的立場なのか大人も一人居たような……。夢だから所々曖昧だ。

 

 昨日の夢では仲間たちとたくさんの場所を回った。真っ白い街の街並みや穀物地帯で黄金色に揺れる収穫間近の作物、湖から昇ってくる太陽。夢の中だけど実に風光明媚で感動したものだ。あと炒飯も食べていた気もする。

 今日の夢では昨日の夢とは一転して嵐の中と思うほどに暗い空の下を自分たちは励ましあいながら進んでいました。その中でも時々ポツン、ポツンと点在する村で何故かは分からないものの応援されたときには凄く心が温まったものだ。

 

 しかし、急に目の前が真っ暗になったかと思うと走馬灯がよぎるかのように頭の中にたくさんの景色が流れ込んできます。そうして気がついたらまたベッドの上。

 

 こんな夢が連続して起こるとは何かのフラグが立ったのでしょうか……。

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

「あー、進展性のない生活だこと。面白いことでも何かないもんですかねー」

 

 と呟いてみるも無論何も起こりもしなければ、今実際に問題が起こっている訳でもない。

 

「まぁ、それもそのはずこの家には自分一人しかいないんだからな」

 

 何とも寂しい限りであるのだが、その一人芝居をする彼は鏑木深生(かぶらき みお)という。現在彼は大都市にある私立高校に通う17歳になったばかりの高校2年生である。彼はルックスではまぁイケてるのだが、それ以外は不器用さゆえになんとも残念である。こういう高校生はどこにもいるかもしれないが、彼もまたしがない高校生に過ぎない。

 そしてその学生生活も今は夏休みという天国状態。将来設計をしっかりしている世の高校生ならば夏休み期間はまじめに勉強をしてうつつを抜かすことはないだろう。しかし、いつもの癖である面倒ごとは後回しスタイルを貫く深生は勉強にお構いなくまったりと過ごす予定だ。小遣い稼ぎのために仕方なく始めた夏休み限定のバイトと寝ること以外の時間は有り余っているというすなわち暇人、ということで深生は夏休みを満喫しているのである。

 しかし、彼とて時間があるからって予定がないわけではない。今日は昼から友達である大学の同級生と会うことになっている。ただ、予定の時間まで暇なのだ。

 

 

 

 家で特に何をするまでなく時間をつぶしたのち、自転車を漕いで二十数分、とある家のインターホンを鳴らすといつも通りの決まり文句が飛んでくる。

 

「よう、かぶらぎ。じゃなくて『かぶらき』だったか。ドアは開いてるから入っちゃって」

 

「柴田、お前相変わらず名前間違っているじゃないか。まぁ、上がらせてもらうぞ」

 

 とインターホン越しに慣れた様子で柴田道士と話す。

 

 柴田道士、少しだけ敬意を持って柴田君とでも呼ぼうか。その柴田君は深生と同じ高校の同級生である。去年学年初めの席順で隣であったことから仲良くなり、今年もなおクラスが一緒だったことから日常的によく話す機会が多い奴だ。

 しかし、その柴田君というのもルックスがいい自分から見ても自分よりかっこいいはずなのだが、なにしろ「茨城」を「いばらぎ」と読むかの如く人の名前を言い間違えてくるのが問題どころだ。1年生の時になんともない名前の奴に対しても時々間違えているところを目撃して「こいつ単に名前を覚えてねえんだな」と驚きを通り越して呆れたこともある。実際に初めのうちは苗字だけでなく何故か名前も間違われていた分少しイラつく部分もあったが、下の名前を正確に覚えてもらった今はそれよりはましだ。柴田君いわく決してわざと間違えているわけではないらしいので、その付き合いも1年経てばその間違いが決まり文句としてもう慣れっこだし、むしろいつも通りで安心感がある。

 

「よお、深生。今日は俺より遅かったな、いぇーい」

 

「おう岩槻。今日はたまたまな、今日は。遅刻しないとは珍しいこともあるもんだ」

 

「おい鏑木っ、俺もいるんだ。気づいているよな? よなぁ……、」

 

「心配するな。気づいているさ湯霧。お前さんがそう聞くってことはどちらかには気づいてもらえなかったんだな……」

 

 柴田の家におじゃまして彼の部屋に入ると、部屋の主である柴田の他に岩槻と湯霧の3人がえらく堂々とあぐらをかいてそこに居座っていた。岩槻と湯霧もまた深生や柴田と同じクラスであり、日頃からつるむことも多い。岩槻は運動系の部活に所属しており、根は本当にいい奴だが、なにしろ遅刻癖がひどい。見た目のゴツさから歩く体育系という二つ名を頂戴する奴だが、見た目と裏腹に気合や根性論とかは全く信じていないたちでありそのギャップから惚れる女子も多いとか聞く。

 湯霧の方は比較的におとなしめで、頭が冴える。いかにもリーダー向きでは、と思うのだが、問題があり湯霧は影が薄く存在感がないらしいということだ。いまいちこの話が確証を持てないわけは普段から毎回深生には湯霧の存在が目に入り、一回も気づかなかったことはないからである。なので、深生は湯霧にことあるたびにちゃんと見えているか聞かれるが、その度に見つけてもらえないぐらい影が薄い奴ってこの世にいるんだな、と解釈することにしている。

 

 その4人でわいわいがやがやと高校生ゆえのたわいのない話で盛り上がること数時間、岩槻も湯霧も予定があるとかないとかで帰ってしまい現在夕方前。深生と柴田の2人も解散しようというところ柴田に相談されるが、多分日程関係だろう。

 

「鏑木。明後日の昼にでもまた俺の家に来ないか?お前さんはどうする、来るか」

 

「もちろん行くぜ。昼は柴田が作ってくれるんだろう?それなら、なおのこと行くっきゃないだろう」

 

「来るか来ないか聞くまでもなかったか。じゃ準備もあることだ、11時ぐらいに来いよ。明日も教えてやる。」

 

 彼、柴田はルックスがよいだけでなく、料理屋の一人息子であり料理の腕も確かだ。その上、将来の夢のために料理を作ってはただでふるまってくれる。その柴田の料理が食べられるのであれば断る理由など見当たらない。なんなら今日の昼もご馳走になりたかったぐらいだ。

 一方で、残念な深生は料理もまた不得意であって、切る、焼く、茹でるといったなかでも簡単な工程しか自信を持って出来ない。料理スキルは月とすっぽんほど差があり、柴田の料理の能力はつくづく羨ましいレベルであった。負い目はあったが相談したところ気兼ねなく応じてくれたどころか、深生が1人で家に遊びに行くときに彼が直々に教えてくれることになった。つまりはいい奴だ。

 

「しかしよ、こうお前とこんな関係になるとはな。大事なものを共有できる仲間っていいよな」

 

「おい、ほかの奴にでもこんな関係とか聞かれたときにはおめぇ勘違いされる」

 

「俺らと違って確かにあいつらには転生もんの魅力は伝わらなかったが、勘違いはされてないだろ。それにほかの奴には言わねぇし」

 

「いやいや、勘違いって『こんな関係』とか『大事なものを共有』とかの言葉の方だ。高校生なんてまだガキなんだがら気を付けないと変な噂がすぐにでも立ってしまうぞ。まぁ、オタクに代表されるような秘密事なんぞ誰の間にも一つや二つあるだろうが」

 

 深生の言う二人の間にある秘密事とは他ならぬ転生ものへの情熱、いうなれば愛である。そう、深生は転生ものの話が大好きであり、柴田もまた転生ものが好きなのだ。この共通点が単にいくつかの講義が同じであるだけの深生と柴田の2人の絆を育むには十分である。

 また、理由はそれだけではない。この話にあるように以前深生と柴田の2人が転生ものの話の面白さ、素晴らしさを同級生に語ったことがある。しかし、努力むなしく転生ものの魅力は伝わることはなかった。ただ「オタクだからキモい」みたいに拒絶されるような理由ではなく、これは実際のところ、何ともまぁつまらない授業の直後でみんな正気じゃなかったからなのだが皮肉なことにこの事実を2人は知らない。とにかくこの一件以降二人は公衆の前で口には出せなくなってしまったが、代わりに今までよりもよく会う間柄に昇格したのは間違いない。

 

「昼飯がどんなんか気になるが、それよりもストーリーとやらはどんな感じなんだ?」

 

「それを言っちゃ面白味に欠けるだろう。一つ言うとすれば今回は精霊が出てきたり……とかな。本当のところ内容をよく知らんのよ」

 

 柴田と二人きりで会うときは必ず映画やアニメや漫画を見るなり読むなりして楽しむことをモットーとして今日のような省略しがいのある無駄話はしないことにしている。ただ、ネタバレはつまらないとかで柴田は知っていてもどんな内容かは教えてくれない。ちなみに深生は話の内容を頭に入れて見たい派なのでネタバレ歓迎なのだが。こういう人もいるよね。

 

「ほぉう、精霊とは一体どんなやつか楽しみだ。ねぇ柴田さん、実際よくある話の展開みたいに転生とか本当に起こらないものですかね」

 

 深生も当然転生というイベントが夢のまた夢であることは理解しているが、こういう話をする時は憧れの気持ちも大きい分、ごく自然に転生したいと常日頃からよく口に出している。

 いつも通りならばすぐに無理だよなとため息交じりに苦笑いを浮かべる柴田であったが、今日はどういうわけか考え込んでから意を決したのか、長いこと付き合っている相棒の如く自身の考えを返す。

 

「俺が言うのもなんだが……、いや親友として言わせてもらう。深生、お前は少し夢を見すぎているようだな。確かに転生みたいなのが実際に体験できるのなら俺だって喜んで進み出るだろうけどよ……、現在進行形で時が巡って、俺もお前も……、……ほかの奴だっているこの世界の日本での生活も楽しいものじゃないか。深生もよ、こう……、そうだな……やっぱそういうのは妄想上にあるから……想像できていいんじゃないんかい。少し冷静になれよ」

 

 柴田は決して人を馬鹿にするタイプでないのは付き合い上知ってはいても、急になだめられて冷静になれとでも言われてしまうと一時的でもやはり傷つくものである。しかもまさか柴田にそう言われるとは。ただ、どうも先程の柴田の発言が申し訳なさそうな歯切れの悪そうな言い方であったのは気になる。

 

「夢を持つのは構わないし、やりたいことがないと人生はつまらなく進んでしまう……。だがな、時には叶わぬ夢とは離別して現実的に考えて動くことも必要なんだ。分からなくともないけどよ、転生への過度な憧れについてはちょっと家に戻って落ち着け。とりあえず夜のうちにでも寝とくなりのんびりしておけば治るだろうよ、今日は帰りな」

 

「おい、そこまで怒ることもないだろう……。憧れは大きいけどよ――」

 

「深生。怒ってはないから帰って寝ろ。明日またうちに来い」

 

 追い打ちをかけられショックを受けた深生は外に出た。こちらの街で一番の知り合いとも言っていい柴田との言い争いは端から見れば不毛だと罵られるかもしれないが、当人同士、特に深生にとっては相手も相手ゆえに不名誉ながら非常に重要な意味を持つのだ。

 

 

 

「はぁ~」

 

 柴田の家からぼーっと自転車を漕いでいるうちにあっという間に自分の家に到着したと錯覚するほど深く悩みこみながら一つ溜息をつく。部屋の鍵を開けるなり手洗いの習慣をも忘れ、ベッドへ一直線に飛び込む。

 

「はぁ。柴田も何しろそこまで言う必要ないんじゃねーか。まぁ、確かに『芸能人になる』とか『定年退職して残りの人生のうちに世界一周旅行する』とか『宝くじ1等当選』みたいな可能性は明らかに低いけどゼロではない夢とは違って、転生なんてもんは叶いっこない願いなんだよなぁ。奴も真面目すぎるだろ」

 

 帰ってきてそうそうにベッドに身を放り出してはまた溜息をつく。時間が経つにつれ冷静になる頭に現実を重くのしかかって余計にしょんぼりとうなだれる深生であったが、後悔しまくっても重く負担になるし、普通に後悔することさえも面倒とて切り捨てつつもそれでも転生できる見込みがないものかとあーでもない、こーでもない、とぐちぐち呟きながらお気楽モードの深生自身が考えるに行きついた結論。

 

「大概こういうのって普通に寝て、目が覚めて起きたら勝手に転生後の世界へ、みたいな……。あり得る。ああ、それを狙おう。まぁ、ワンチャンあるっしょ」

 

 なんとも浅はかなことだが、深生は昔からお気楽な性格である意味慎ましいようだ。そして、そんな期待をする深生が次にとる行動は考えるまでもなくおのずと決まってくるのであって、つまり深生は夕暮れ時に愚かにも寝ようとするのである。

 夜寝れなくなりそうとか、内心駄目かも……とか頭によぎってきたが、ネガティブ思考とはおさらばだ、と振り払うことにし、転生への希望を胸に深生は眠りにつく。

 無論、夜更かし確定コースに進む深生を誰も止めることは出来なかった。

 




作品紹介にある「記憶の鮮明化」は都合上しばらくのうちはあまり表立っては出てきませんが、第2章の終わりごろから利用頻度が高まってきます。

これでプロローグは終わりです。次話からは異世界での話に入ります。


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第1章 運命が決まった転生24時
夢として交差してゆく随想


「兄ちゃん。兄ちゃん」

 

こう語りかけられたような気がして深生が目を覚ますと見慣れない部屋の中に彼はいた。そして呼ばれた方向へ目を向けるが誰もいない。きょろきょろ見渡してみても誰もいないし、呼ばれたはずなのに不思議なことに人の気配すら感じられない。

 

「まずここはどこなんだ? そもそも一人っ子の自分に兄弟はいないし、女の子っぽい声が聞こえたけど誰もいないし。これが異世界っていうやつなのか、俺って幸運だな、ありがとう神様」

 

 証拠もない短絡すぎる解釈を都合よく行った深生。幸い部屋に窓があったのでどんなものかと外を覗いてみる。そうして目に飛び込んできた景色は綺麗な街並みであり、テレビとかで見る機会の多い日本の高層ビル群やのどかな田園風景とは違って、どこか異国情緒をもたらしている。ところどころレンガ積みの家屋も確認できた。

 

「見ず知らずの土地にいるってことは異世界転生の第一条件はクリアってことだよな。見た感じ旅行雑誌で見たヨーロッパの保存地区にありそうな建物も多いけど、どうなんだろ」

 

深生にはこの街とこの現実が夢なのか、はたまた異世界の空間なのかは分からなかったが、今度は窓越しからではなく実際に表に出てこの街の様子を確かめてみようと街を探索する。嬉しさ交じりの散歩が悲しみを生むとはつゆ知らずに。

 

「ここはオッセラとかいう都市らしい。まずは今いる場所を知らないことには動きようがないからな。異世界なんぞ理不尽の塊みたいな世界であっても全然おかしくないし」

 

 自分のこの足で歩き回って情報を集めること数時間。元をたどれば地元のことは地元民が一番詳しいはずだと安直に現地の人々に聞くのが手っ取り早いと考えていたのだが、この異世界とやらはこの自分を受け付けたくないのか誰も話し掛けてくれないどころか、こちらが問いかけても返事すらしてくれない。いろんな商人の前を通ったにも関わらず見向きされないなんて、自分がそんなに無一文に見えるのだろうかと考えつつ路地を進む。

 

何がともあれ、自分で確認したり、返事もなかったので仕方もなく人から盗み聞きをしたりして手に入れた情報によると、今いるこの場所はオッセラの街の中の西側の地区のようで住民が多い地区らしい。そして、オッセラの街は北、西、南西、南からの4つの街道がこの地点で交わっており、交通の要衝として機能している。

 また、オッセラは街道が交差する街だけではなく、街の東側に一目ではどのくらいかは大きいか分からないほどの湖を有しており、市場には大量の肉や野菜果物、魚類までもが簡単に揃うまでに漁業も盛んである。このように地理的にも恵まれた立地であることから普段から非常に活気に満ちあふれていて、オッセラの街には商人はもちろんのこといわゆる冒険者の類いの人等も多く訪れる商業都市の様相を呈している。

 

「現地の人々の会話からは普通に日本語が聞こえてきたけど、これは言語に補正がかかっているっていうあるあるだな。出回っている通貨も円とかドルとかじゃなく金貨・銀貨だったし。他にも馴染みのない食べ物もあったなぁ。ただ一つだけこの世界で不可解な部分があるとしたら何故誰も自分に気づかない振りをするんだろう? 見えてないわけない……し。ここの人達、なりふり構わずぶつかってこようとするし、この世界のシステムなどよく分からないがまあ、実際にぶつかることもなかったし良かったけど」

 

 この探索では色々と情報を収穫することができたが、街や世界の様子以外にも知れたこともある。まず、転生後にまた一から語学の勉強をしたくないと思っていた深生にとって今いるこの世界が日本語対応であったことは僥倖なことであった。その上、穀物や野菜の中には知っているものも多く、深生に深く安心感を与えることだった。

 

「街の様子はどんなもんかある程度分かった。となると次は街の外がどうなっているか知りたいけど、人々の会話を聞くと危険な感じだという。さてどうしたものか」

 

 しばらくどうしようかと迷いこんでいたが、まぁ聞くっちゃないでしょ、とばかりに通り過ぎる人々に声を掛けることにする。しかし、大概予想は裏切られることなく、やはり一向に返事が帰ってくることはなかった。ここまでくるとどうやってコミュニケーションを取ればいいんだと、この不可解な現象に対して事の重大さを認識して心が折れてしまいそうになる。

 それからというのも途方に暮れることとなり、街の一角にてこれからどうしたものかと無駄に動き回ることで余計に心身ともに疲れ切ってしまうこと3時間ぐらい経って空も赤黒くなっていく。

 そろそろ夜に入ろうかという時、深生に急激な悪寒が襲い始めるとともに何かよくないことが起こるという野生の勘が働く。一瞬この世界には危険予知も存在するのかぁと感心しながらも、その迫りゆく危機から逃れなければならないと深生は立ち上がろうとはした。しかし、ただでさえ長時間にわたって物思いにふけ座り込んでいて足がしびれて動くのがつらい。その上、ついさっきまで暗くなってきたというのに相変わらず自身の存在が認知されていないという状況に対して解決方法すら分からず、どうしようかと自暴自棄になり憔悴してしまった深生はその場から動くことができない。それでも人間の本能に従い必死にもがくようにその場から離れようとして数メートル進んだが、影に飲み込まれる。

 

「お兄ちゃん、どうかしたの? 確か深生という名前だったっけなぁ? ん……?」

 

「生きてる…………? えっ……。どうして……」

 

(野生の勘のおかげで敵の存在は分かっても対処のしようがなく化け物にやられたんじゃ……)

 

 この時深生は既に混乱していた。誰かの声が聞こえるのは……、誰かの気配を感じるのは……、もしかして誰か近くにいるのかと考え抜いてやっと振り返ることで、初めて自分は死んでなんかいない、むしろまだ生きているんだと実感する。

 

「ねえ聞いてる? お兄ちゃん、もしかして腰を抜かしている? それに大分おびえているように見えるけど」

 

 誰かの声にあるように実際に深生は腰を抜かしていたがそれも無理はない。なにしろ、この世界に来てからというもの何十回話しかけてみてもコミュニケーションが一向に取れず、あきらめ気味だった深生にとってこれが初めての会話だったのだから。この世界に来てからはじめのうちは人々と自分も会話できたらなと期待をしてはいたが、いきなり未知の生物に食べられたと思い込んでこれでもかと怯えていた直後に急に話し掛けられたのなら淡い期待も吹き飛ぶほどにびっくりしてフリーズしてしまう。

 

「ねえってば、おーい、話聞いてますか……? こりゃしばらく駄目だなぁ。まず正気に戻ってよぉ、ねーえー」

 

(生き残ったのはよかったけど、これからどうしようか? そもそもお兄ちゃんって自分のことを言っているのか?)

 

 ずっと悩みこみつつも落ち着いてきた深生は体を前後に激しく揺れ動かされてはっきりと意識を取り戻した。そしてその意識を自分に話しかけて体を揺れ動かした人に向ける。見た感じ身長は自分と同じぐらいで、流れるような青髪のロングヘアー、青い瞳に見慣れない青い衣装を着た女性のようである。非常にかわいらしい雰囲気を醸し出しており容姿も良く、服から髪まで全体的に青色で強調されている。

しかし、お兄ちゃんとか言っていたし、初対面なのに自分の名前を知っているのはなんでなのだろうか? 当然にして深生は疑問を抱く。

 

「あの、本当に貴方はなんなのですか? 自分、ここに数時間居ましたが今まで話し掛けてきた人はいなかったので……、この街でコミュニケーションをとれたのは初めてなんです。貴方は一体……」

 

「やっと私を見て話してくれてことは嬉しいけど、とりあえず質問はストップ、ストーップ。答えられる範囲内で答えるけどそれでいいね。まず、私についてだけど今は名前は明かせないの。そういう決まりがあるから。次に今まで街の人と交流できなかったってことだけど、まあ当たり前って言っちゃ当たり前だね。まだこの世界での深生の存在は仮みたいなもんだから。他には質問ある? あっいけない。探すのに手間取ってしまって残り時間が無いみたいだから質問は一つ、二つぐらいが限度かも」

 

 深生は自分の存在が仮となっている理由や何故この女性とだけ会話ができるのかといった女性の返答によって新たに生まれた疑問や先程からずっと考えても解決できずにいた自分とこの女性との関係性について等色々と聞きたいことが山積みではあったが、自分の存在を認識することができるこの女性ならこの世界の内部事情まで知っていると予想する。そして、深生は不安を織り交ぜつつも願いを胸に秘めつつ一か八か貴重な質問権を行使してまで聞いてみる。

 

「じゃあ、今いるこの世界はいつも通り夢なんですか? それともひょっとして異世界とかだったりします? あといつになったらこの世界の人々と会話できるようになるのですか?」

 

「うーん、質問が多いね~。何が何だかっていう感じだし、まぁ仕方ないか。残念だけど今のところは異世界ではなくて夢の中にいることには間違いない。まだ転生については兄ちゃんの希望的観測にすぎないね。夢だから時期が来たら会話だってできるようになる。それらは私が保証をもって断言する。なんなら深生があと数分で目が覚めるっていうことも断言できるよ」

 

 深生の儚い希望はぬかよろこびとして終わる一方で、今いる世界が夢の中だということは夢が覚め次第ではあるが深生が現実に帰られることを指し示していた。

 

(これから人を前にしながらもコミュニケーションが取れないみたいな地獄を味わいたくはないから良かった。この問題さえなければ転生はしてみたいよなぁ)

 

 深生自身としても転生先にてまるで透明人間や幽霊みたいな見えないもの扱いをされるのは、人間の尊厳において耐えられなさそうだったので今回が普通に夢だったことに一つ胸をなでおろす。この時深生の心の中に転生したい以外にも人間らしく生きたいとの希望が芽生えた。

 

「夢でもまた会うことはできる?」

 

 明らかにこの状況でいう言葉ではなかったはずだが、その女性はそんなことに気付くこともなく冷静に考えてから話す。

 

「……会えるよ。絶対に顔を見なきゃいけないぐらいに。いつかは分からないけど」 

「今のところはね……。これは転生前の体験版みたいなものだし……」

 

 最後あの女性が何か呟いていたのだが、この一連の出来事が異世界物語ではなく、単なる夢だと断言されても夢の中なのにまた会えるか、とか言ってしまうほど理解が追い付かない上に一人で勝手にひどく落胆した深生の耳にはもちろん届かない。

(あぁ、転生できたもんだとばかり思っていたのに……)

 




プロローグは次回で終わりです。

しばらくの間は3日ごとに更新します。次は金曜日の夜ですね。


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空想に誘(いざな)われ、現実を見た

「くっそ、寝付けねぇ。こんな時間だっていうのに」 

 

 少しだけなら大丈夫だと思っていたのに夕刻のあんな中途半端な時間につい長いこと寝てしまったがために深生は今絶賛夜更かしコース中である。寝たせいでおなかも減らず晩ご飯も米とメインのおかずしか食べきれなかった。惜しいことをした気もする。

 ただいまの時間はとっくにてっぺんをまたいで深夜2時。寝よう寝ようと努めてはいるが全然寝付けない深生はベッドに転がりながらスマホ画面をスクロールする。

 

(……うおっ。いつの間にか寝落ちしかけたな。寝落ちするにもスマホだけは充電しておかないと)

 

 夜更かしすることどのぐらい時間が経ったのだろうか、一瞬眠ってしまって意識が飛びかけてしまった。いい時間だしそろそろ眠る頃合いだがその前に予定を確認する。寝坊をして小学校の時に楽しみにしていた学校行事に遅刻して参加できなかった日以降、深生にとって予定確認はほぼ日課みたいになっている。あとになって考えると小学校のくせに明らかに厳しくないかとも思ったりもする。

 

(明日は柴田の家に遊びに行く、そして今日の態度について謝る。冷静になれば人間素直になれるものだよな)

 

 寝落ち寸前で耐えていた深生であったが、寝る前にトイレに行こうとして深生は遂に意識を失い眠りについた。

 

 

 

 

 

「うぅ、眩しっ。ってまたここかよ~。はぁあ~、どうもこの夢に好かれてるようだ。あんな思いなんぞ何度も体験したくないしよ、早く夢から目が覚めないかな」

 

 明るい光に目をつつかれるようにして目を覚ましてみると眼下にはある街と湖が見えた。草木で一部が見えないが、街の形状、湖の大きさ、主要な街道とその位置を精査するにどうやら夕方に見た夢での世界と同一らしい。おそらくオッセラ郊外にある見渡せるぐらい高い山か丘にいるのだろう。ここには万能アイテムのスマホはなく、面倒ごとに巻き込まれる前に夢から抜け出す手がかりを得なければならない。街に向かおうとして不意にこの丘がどのくらい高いのだろうかと今にも崩れそうな崖に近づく。近づいたことにより草や岩など視界を遮るものがなくなると絵画のような光景が目の前に現れる。

 

「綺麗だ」

 

 変な夢にさいなまれたとしても圧倒的に美しい景色の前にしてつい自然に言葉がこぼれる。忙しい毎日に追われてこんなに綺麗な朝日は最近全く見ていなかった。大都市に住んでいると見ることもないだろう。はるかなる湖も太陽の光が湖面を鮮やかに染めている。

 ひとまず朝日に心を癒された深生はこれからの目標を夕方の夢で唯一会話ができたあの女性に会うことにする。自分一人の力には限度があるし、夕方の夢のように歩き回るのは面倒くさい。なんなら純粋にこの夢を楽しむ間にでも会えたら理想的だ。

 

 写真として残しておきたいほどの見惚れる光景とはおさらばして深生は街へと下る。どう見てもオッセラは重要な都市なはずなのだが何故か狭そうな簡易的な詰所がポツンとあり、その中から老いた兵士が死にかけの魚のようにだらっと通行人を見ているだけで検問すら行われないのは前回に知っていたので、堂々と街の中に入る。詰所をチラッと見たら朝だというのに見張り役の兵士はまだ寝ている。

 オッセラの街中は市民の大半が寝ている時間である夜が明けてしばらくは商品の仕入れや店の開店準備をする地元の露店や商店の人々がちらほらと外で働いている。朝を迎えて日が昇るにつれて少しずつ市民の姿が目立ち始め、日が完全に昇ったころにはいつも通りの賑わいを見せるのだ。

 

 人ごみの中をうんざりしながらも深生は進む。涼しいという理由で朝から観光しようとしたが、通りにいる人の数に後悔することになった。オッセラではどうも朝ご飯を家で食べる人と外で買って食べる人に分かれているらしく、その割合は五分五分。となれば、たくさんの市民が朝ごはんを求めて屋台や露店、料理屋に集まっている。中でも人気の屋台となるとたくさんの人が並んでいるが目にも止まらない速さで一糸乱れることなく行列をさばいている。ここら辺じゃ見慣れない顔だとうちの屋台にいらっしゃいと誘い込まれそうになる。実に商魂たくましく人のことをよく見ているようだ。

 

(どういう根回しなんだ? 今回は姿が見えているらしい、実に不思議な)

 

 オッセラの中でも露店がひしめき合っている通りを深生は進む。ただ先程から夕方の夢とはまるで違って歩いているだけで「買わないかい、かっこいいしマケてあげるよ」とか「そこのにいちゃん、一つどうだい」のように声を掛けられる。前回は散々無視したくせに、と卑屈気味になりながら深生はそんなの知ったことかと構わずに探索を続ける。

 教会のようにステンドグラスがあしらわれたどこか懐かしい古びた建物、オッセラの中心部にあるやけにこだわられた大きな噴水、オッセラの街全体が360度見渡せる高いだけの塔。夕方の夢と合わせて有名どころを一通り見て回った。前回の時点でオッセラの地図を把握していたので道に迷うことなく観光もすぐ終わってしまう。昼までには現実に戻るヒントを持っていそうなあの女性とどこかで会えるかと予想していたのだが、まったくそれらしい姿は見つけられなかった。

 

(うぅ、夢の中でも腹は減るのか……。おかしい、夕方の夢では何時間歩いても空腹感なんぞなかったはずだが。妙にリアルなのは目覚めた時に落ち込み具合が大きくなるから嫌なんだよ)

 

 どうも普通に暮らしている時のようにお昼頃に差し掛かるとお腹が空いてくる。この夢の中で目覚めた以降、朝から何にも食べていないどころか飲み物すら取っていなかったなと深生は思い返す。

 近くの店で済まそうと周りを見渡すと所々に飲食店を見つけることができた。その中で一番大きそうな店に行くことにする。店先にあった看板を見るにこの店はヤンセン食堂というらしい。深生は食べられればどこでも良かったので迷うことなく店内に入る。この街ではどの飲食店でも朝方の方が混んでいるようで、このお店も昼時では7、8割ほどは埋まっていたが朝に見かけた光景とは違い、決して満席ではなかった。

 

「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか」

 

 席に着いて間もなく店員さんが注文を取りに来たので時間をかけることもなく適当に日替わりランチを頼む。たくさんのメニュー札の中で日替わりランチセットは赤く大きめの文字で書かれているしこの店のオススメなのだろう。嫌いな食べ物もそうないし大丈夫だろう。

 料理が来るまで手持無沙汰なので店の中の観察でもしてみる。店内は白を基調にしていてとても清潔感がある。しかも、料理屋ってことは油汚れや煙などによって白い壁が黄ばんだりして汚れるはずなのにこの店の壁はペンキを塗った直後から時が止まったかのように白く輝いている。

 今度は店員の方を見るとどうやらホールは2人で回しているようだ。果たして人数は足りているのか、と思わざるを得ないほどに広い店舗で2人とはよほどホールの店員が凄腕なのだろう。そうでなければ朝よりはお客さんは少ない昼時でもこう上手くはいかないだろう。

 

「どうぞ、日替わりランチですね」

 

(おっ、米じゃないか。米だい、米だ。この夢の中においても米が食べれるとか幸せじゃないか。夢だから俺の思い通りに米が出てきたのかもしれないが、そうであっても白米は最高だよな~)

 

 この夢の世界ではお米が主食であるようで、ライスを目の前にして深生は喜びを抑えきれずにいた。そのまま頂いても美味く、かつどのおかずを持ってきても何にでも合うお米は深生の好物の一つであり、日本人ならお米嫌いの奴はいないよな、とは深生の持論である。

 

 大分おなかが空いていたようであっという間に平らげてしまった。食欲が満たされたので次にこれから如何にして前の夢で会ったあの青の女性を探し出すか考えてみたものも、スマホのような連絡手段もないのにその中で見つけるのは至難の業、もはや運に頼るしかなさそうだ。第一にその女性がこの街にいるかどうかも未だに不透明なのだ。

 

 何か探し出すいい案がないものかと目線だけで周りを見回すと、店の一角でお客さんが金のコインでお会計している場面を目にした。

 

(……嘘だろ。この世界は俺の夢の中での架空の世界のはずなのにお金という概念があるって。自分の夢にもお金の概念とか取り入れるとか俺はどれだけ律儀なんだよ。しかし、お金なんて持っていないんだよなぁ……。いや待てよ、自分の夢なら俺の意向も反映されるからズボンのポケットにでも入っていたりして――、なんでコインの1枚もないんだよ、おかしい。自他とも認めるめんどくさがり屋なのに複雑なシステムになっているような夢が本当に俺の夢なのか?)

 

 人々がお金を使って買い物しているところを一回も見なかったため、深生はお金が存在していないものだと思い込んでしまっていたのだ。慌てて現状打破の方法を見つけ出そうとしたが、この問題は簡単に解決しそうにない。

 あわよくばとお金がポケットに入っていることを期待するも、ポケットには何も入ってはいなかった。このままお金がない状況では日替わりランチのお代が払えない。といってお金にかわるものも何も持ち合わせてもいない。服やズボンなら着ている分があるが、脱いだら裸になってしまうし論外だ。どういうわけか自分自身が見ている夢であるにも関わらず自分に不利な条件しか揃ってくれないようだ。

 

(どうにもならないよなぁ。謝り倒した上でランチの代金分ここで働かせてもらって見逃してもらうしか……。しかし、今回も後味の悪い夢だな)

 

 客とお店間の信頼を壊すことになる無銭飲食は恐らくこの夢の中でも犯罪に当たるだろう。深生は前払いの食券制ならこんな単純なミスなど起こらなかったのにとも思いつつ、覚悟を決めようとした時、視界に探していたあの青髪、青い眼、青い服の女性が目に入る。

 

「やっと見つけたよぉ~。兄ちゃん一体どこを歩きふらついていたの。探しても全然見つからないし、勘も当たらないし大変だったんだよ」

 

「自分がずっと探していた青が映えまくっているこの前のお姉さんじゃないですか。グッドタイミング。ちょっとお願い事があるのですが聞いてくれます?」

 

 自分のことを兄ちゃん呼びしたのは今までの人生において、夕方の夢で初めて会ったあの青の女性しかいない。ならばこの女性が夕方の夢で会った張本人であることには間違いない。もう少し彼女の登場が遅ければ、腹をくくって自分がお金を持っていないことをお店側に告白していたところだった。

 

「そりゃ私の信念的に駆けつけないとね。で兄ちゃん、お願いって何?」

 

「手持ちの金がないんだ。一時的にですが貸してくれたりしないですかね?」

 

 もしも、この青の女性にここで断れられたとしたら、やっぱりお店側に正直に話すしかない。そうなれば夢から目覚めた後も立ち直れる自信がどうにもない。どうか神様よ、後味が悪い展開にならないように賜ってくれぇ。

 

「いいよ。じゃあ代わりに払ってくるから外で待ってて。私も兄ちゃんに話があるから」

 

 深生にとって願ってもみなかった申し出ではあったが、いくらなんでもこの青の女性は自分のこと信頼しすぎしている気もしてならない。どうやったら一回しか会っていない人に対してそこまで気前よく行動できるのか教えて欲しいぐらいだ。そこまでするとは夢以外に現実世界でも会ったことがあったのかなぁ、と深生は思い出そうとするもそんな記憶はない。となると青の女性が自分に優しくしてくれる理由は単にお人好し以外考えられない。

 

「おごってくれたのは有難いですが、自分をどこに連れていくつもりなんですかね。話ならここで聞きますよ。それよりもこの夢の覚まし方を教えてほしい。自分にはこの夢の中にいる理由がないんだよ。ホントに」

 

 自分の代わりにお支払いを済ませてもらった挙句、私のおごりでいいよと言われご馳走になった深生だったが、現実世界に帰りたくてもなかなか帰ることができないことに対する苛立ちや不安からつい声を荒らげてしまう。

今回は夕方の夢の時とは違って、彼の存在がこの世界にとって仮なものではなく現実になりつつあるのだが、そんなことを知らない深生はいつ現地の人々から無視されるかと内心気を揉んでおり、帰れるものなら速攻帰りたいと思っている。彼の言葉通りが示すように深生が夢の世界にいる理由は特にないはずだ。

 

「夢世界での体験はもういいの? それなら実行しようかな。じゃあ目的地変更するからこっちね」

 

「おいおいマジでどこに連れてくんだ!?」

 

 深生の言葉を受けてその女性は方向変換をすると深生の手を引っ張りながら走り出す。2人とも子供なのならば、活発に遊んでいるかのように微笑ましく見えるものだろうが、実際は大人間近の2人である。街の人に奇妙な目で見られるが、その中を走り抜けていく。

 

 

 

「ここで何をするんだよ? おい、勝手に他人の家に入るとか不法侵入だぞ」

 

「いいからいいから。兄ちゃんあと少しだけ付いてきて」

 

こうして色々ありつつも青の女性に連れ回されて、目的地と思わしき場所に着いたが、そこはこの世界では一般的な変哲もない普通の家だった。青の女性はカギを使わずに扉を開けると深生を招き入れる。不信感もあったが、ためらいもなく堂々と家の中を進んでいくので深生はあとを追っておじゃますると隅の一室に案内された。

 

「立ってないで座りなよ。兄ちゃんも連れてきたし、これで準備は終わったぁ。よし始めていくよ。眩しいだろうから目をつぶっておいた方がいいよ」

 

 青の女性はそう言うと部屋の机の上にあった道具を手にして座っている深生の正面に同じく座って、二人の間におもむろに置いていく。

 

「だからさ、自分これからの詳細も何をやるのかも全く聞いていないですけど。何をやられるおつもりで……」

 

 このようなパターンにおいて、これから起ころうとすることにろくなことがないのは考えるまでもない。現に今感じているこの嫌な予感が深生の脳に危険信号を送る。そもそも夕方の夢の時もそうだったが、青の女性は今回も絶対に詳細を含め重要なことを隠しているに決まっている。

 

「詳細は後でいくらでも教えるから3,2,1で始めるよ。さぁ、心の準備はいいよね。ちゃんと目をつぶって、じゃあ3,2,1―」

 

急に心の準備はいいよねと言われて心の準備ができる人なんているわけがないのに、深生に有無も言わせる時間を与えずに青の女性が何かを始めると、白い光が急激に視界を覆う。深生は青の女性が何をするのかこの目で見てみようとも一瞬考えていたのだが、前触れもなく現れたその光に深生は思わず目をつぶってしまった。

 そして、再び目を開けると深生は相変わらず屋内にいた。さっきまでいた部屋によく似ているが家具の配置も微妙に異なっているようだ。だが、一番明白に違う点はあの青の女性がいない代わりに小さい女の子が隣にいるということだ。

 

「ようこそこちらの世界へ。兄ちゃん、ぐすぅ、会いたかったよぉ~」

 

 ふとその女の子と目が合ったかと思うと、間もなく彼女は第一声としてこう語りかけてきたのだった。

 




プロローグもこれで終えたので、深生とヒロインの掛け合いも本格的に始動します。次は2日後か3日後に。


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夢かうつつか

「ようこそこちらの世界へ。兄ちゃん、ぐすぅ、会いたかったよぉ~」

 

 自分のことを見るや否や速攻で目の前の少女はわーんと盛大に泣き始め、深生の体にしがみついてくる。急に泣きじゃくる少女を前にして深生はどうすることもできなかった。もし下手に動いて警察にでも通報でもされたら面倒くさいことこの上ないし、むしろ面倒を通り越して迷惑である。ただ、黒髪に青い瞳を含めたその容姿にときめいてしまったことは秘密だ。

 

「お嬢ちゃん、そこの泣いている青い瞳の嬢ちゃん。うん、そうそう。とりあえず離れてくれない? あとこの状況の説明を頼むわ」

 

 これ以上ないぐらいに脳をフル回転させこの状況を打破する手立てを打ちたいのだが、なかなかうまいこと案が出てこない。時間をかけすぎてもバツが悪いので自分の手を汚さないように保身に走る。素っ気なく突き放す感じで言ったのでお前のことなんぞ眼中にないんだってことが少女にも伝わるだろう。

 

「なんでなの? 説明するのはいいけど兄ちゃんと離れるのはイヤ。離れる理由もないでしょ。私一緒にいるもん」

 

 泣き止んでほっとしたら今度はぐずり始めてくる。確かにルックスにはそれなりに自信があるけど少女、どちらといえば幼女みたいのに好かれる顔なのだろうか。まぁ所詮自分の容姿とやらが好みのタイプに似ているのだろう。しかし、少女が身体中にまとわりつくようにくっつかれているので暑いし内心苦しい。知り合いのお兄さんでもない人に迷いなく抱き着くとは少女のこれからが心配になる。

 

 離れろ、離れないと押し問答をしている間でさえも少女はずっと両手で抱きしめて離さないのでさすがにそろそろ呼吸が苦しくなる。手は出したくはなかったがやむを得ない。無理にでも少女を引きはがそうとするが力がうまく入らない。それでも腕の中から逃れようともがく中でふと自分の目線の高さが少女の目の位置と一緒だと気づく。

 少女は見た感じ100cm前後ぐらいのはずだ。ならば、普通の高校生と少女が並んでみたところで同じほどの身長である訳ない。どういうこったとこの部屋にある立て鏡で自分の姿を確認する。

 

「……嘘だろ、おい。どうして? ついさっきまで高校生の体だったのに、小っちゃくなってるよこれ、おい……」

 

 肉体の変化にはただただ絶句するしかない。自分の体をこれでもかというほど隅から隅まで触ったところでやっぱりひ弱な少年の体つきにあることには変わらない。縮んだんか、縮んでしまったんかと自分の体につい問いかけてしまった。

 

「兄ちゃん。転生したんだから小さくなっていて当然だよっ。転生先はこちらの世界の幼い少年だから。これから宜しくね!」

 

 好きなものを目の前にしてはしゃいでいるかのようにノリノリな少女を前にして深生は誰よりもあれほど強く憧れていた転生を果たしたのにも関わらず起こった現実に茫然とするしかない。

 それに加えて、訪れた現実に驚愕しているうちに自分から離れたらしい少女が先生に褒められて返事をするかの如く、自分が「転生」してきた事実を伝えてきた。「何っ、転生だと言ったか」、「己、どういう意図を持って転生したと言ってきたのだ」、「君、見た目はあれだけど精神は高校生である自分を転生という言葉で騙せると思ったのかね」

 このように深生は様々な人物になりきって状況を分析してみたが、少女が放った「転生」という言葉を信じることができないでいる。現実として起こって欲しいと願ってことなのに「転生した」という言葉を素直に受け取って喜べないのは、転生を願っていても頭のどこかで100%有り得ないとあきらめていた故なのか、はたまた高校生の思春期により起こる拒絶反応からなのだろうか。

 

「兄ちゃんであってしても転生になると信じられないようだね。まずは私の紹介から。名前はカノン・ベディ・エピローヴです。長いからカノンって呼んで。この世界では精霊の部類に入ります。兄ちゃんがなかなか私の名前呼んでくれないなあと思っていたけどまさか教え忘れていたとはね。ということで私の名前呼んでみて」

 

「カノン。ん、もう一回名前を呼んでほしいって? カノン。これでいいよな。なんですごく嬉しそうな顔をしてるんだ? ところでカノンは精霊なのかよ。それが本当ならマジで転生したのかもしれないが。……信じるには時期尚早なんだよな」

 

 この少女はカノンというらしい。苗字の方は“エピローグ“だとすると、結末のカノンっていう意か。フッ、なかなか趣のある名前ではないか。また、自身の名前を伝え忘れるとは何とも微笑ましい。

 また、名前のことは以外にも発見があった。転生先の世界に精霊が存在している可能性があるということだ。信用に値するかどうかは別にしても、カノン本人がぶっちゃけ嘘をついていることもありえなくはない。ただ、カノンは精霊だって名乗っていることからもこの世界にもし精霊がいるのならばここは日本ではなく異世界なのかもしれない。とにかく、夕方に見た夢みたく今回も実は夢でしたってオチがないのならひとまずはそれでいい。

 

「信じるか信じないかは兄ちゃん次第ってところだけど、結局信じるしかないと思うよ。だって、私本当に精霊だもん」

 

「……そこまで言うぐらいなら今の所は信じてみてもいいとは思っているが。カノン、転生したってことはさ、よくある話みたいなどこかの勇者の召喚のように、自分の転生理由として例えば世界を救うとかの使命でもあるのか?」

 

「うん、もちろん。兄ちゃんの使命はね、ずばり、これから私と一緒に過ごすことだよ。私もサポートするし、改めてよろしくねっ」

 

「……は?」

 

 自分が転生した理由が目の前にいる少女と過ごすことだと聞いて、深生は呆気にとられる。カノンは順調に育てば息をのむほどに美しくなりそうなのは誰が見ても一目瞭然なのだが、まだまだ幼い子供であるカノンに対して深生はあまり興味がないため、一緒に過ごすことに気が乗らない。実際、深生の精神年齢は高校生なのだから深生にとってカノンは圧倒的に年下である子供の世話をするように感じてしまう。深生は子供には興味はないのだ。

 

「俺の役割って一緒にいるって……ことでいいのか? つまりカノンを守るってことか……」

 

 幼女のおもりだって思ってしまうとつらいものがあるが、サポートもあるらしいし色々と経験を積む時間だって考えみると、カノンと一緒に過ごすだけで済むのなら、むしろこんなに楽な使命はない。何もない状態で放り出されるよりかはよっぽど条件はいい。

 

(冒険もしてみたいがまずは力を付けることを目標にしよう。転生できたのにすぐ死んでしまっては面白くないし)

 

 深生の考えでは異世界っていったら冒険だと思っているが、冒険をしてみたところでどうせこの小さな体ではすぐ疲れるだろうし、何しろ冒険には向かない。それならば一緒に過ごすだけならその使命を果たすのも悪くはない。格闘術などの護衛に関する知識はないが、覚えておけば将来冒険に出た時に役に立つに決まっている。

 

「おっ、兄ちゃん、名目上は私の護衛にするそのアイデアとてもいいじゃん~。兄ちゃんを引き留める理由を特に考えていなかったし、そういうことにしておこっと」

 

「精霊の護衛とかよく分からないのだが、まず何をすればいいんだ」

 

「護衛は名目上でいいって。基本的には一緒に居てくれればね」

 

 言葉通りのまま護衛の任務は名目上のことらしい。しかし、どうせカノンが誘拐とかでもされたら一緒に居る条件を満たせなくなる。そうならないようにも自分の役割として護衛も兼ねなければならないのだが。

 

「早速だけど簡単なテストでもします。転生前の記憶がちゃんと残っているか確かめたいんだ。特に何事もなく成功したから記憶はそのまま移行されているはずだけど念のためね」

 

 カノンは繋いでいた手を離しておもむろに立ち上がったと思うと手を叩き話始める。手を叩くのはよくある注目のさせ方であるので、深生はカノンに視線を向けつつ少しずつカノンとの距離を開けていく。現在、カノンと身体が同じぐらいで抱き着かれると抵抗しづらいので出来るだけ距離の間隔を広げておけば、次にまた抱き着かれても対処の仕様が生まれる。

 

「急に手を離してくれたのはこういうことか。そんなことしなくても転生時に忘れた記憶などないぞ。確かめる必要がないと思うが」

 

「忘れた記憶がもしあってとしたらその忘れた記憶があったこと自体も忘れているでしょ。だからテストをするの。まず兄ちゃんの名前は? これは覚えているよね」

 

「……どうしても付き合わなきゃいけないのか。俺は鏑木深生。深生が名前で鏑木が姓だ。これでいいか」

 

 言われてみれば、忘れたことを忘れてしまっていたら覚えていないのは当たり前であり、何もカノンは間違っていなかったので、渋々ではあるものも現代日本での名前を教える。

 

「まさか名前の確認だけで終わるわけないでしょ。こっちの世界では名前が変わっているから間違えないようにね。次の質問は兄ちゃんが最後の晩餐で食べた食べ物は何でしょう?」

 

「単に向こうでの最後の食事ってだけなんだから最後の晩餐とか言うなよ。まぁいいや、答えはとんかつだ。からしに塩に、そして味噌。色々と付けながら食べるのが美味しいんだ。今になってみれば昨日の食事がとんかつでよかったなぁ」

 

 名前を答えさせるにとどまらずカノンは次の質問をしてきたのですらすらと述べていく。ただ、最後の晩餐って言い方は気にかかる。深生自身、元居た世界の記憶もしっかりと残っているので、現代日本での最後の食事は昨日の食事のように思える。あまりお腹が空いていなくても、飯とおかずだけでも食べたことに満足する日があるとは、人生何があるかは分からないものだ。

 

「違うよ兄ちゃん。本当の答えはヤンセン食堂の日替わりランチでしょ。お金も持っていなかったのに食べていたじゃん」

 

「あの日替わりランチも転生前の食事として入れるのかよ!? 夢の中だったからお金もかからないかなぁと思ってたんだよ。そもそも夢なのに融通が利かないってなんだ。まぁ、確かにあのランチも美味しかったけど、あれはあくまで夢の中での出来事だったしノーカンだろ」

 

 深生はあの時食べた日替わりランチは味とかもはっきりと覚えてはいたが、実体が伴ってもいない夢の中での食事を最後の晩餐として認める気はない。夢の中での出来事はあくまで幻に過ぎず、うつつに起こったものではないのは事実だ。

 

「ああ言わなきゃいけないっけ。兄ちゃん、さっきまでの出来事は夢なんかじゃないよ。あれは環境の変化に困惑しないように、兄ちゃんが転生する前にこの世界がどんな感じなのかを体験させてただけだもん。向こうの世界でのVRみたいなものに似ているのかな。兄ちゃんの最後の食事はヤンセン食堂の日替わりランチです」

 

 一方で、カノンはどうしても俺の最後の晩餐を夢の中で食べたヤンセン食堂の日替わりランチにしたいのか頑なに押し通そうとしてくる。

 

「……いやいや夢でしょ。最後の晩餐なのなら流石に夢の中での食事まで含めちゃ駄目でしょ」

 

「うーん、1回目に会った時の最後の方に伝えたと思うんだけどなぁ。確か、ゲームの体験版みたいなものって言ったはず。でも兄ちゃんが聞こえていなかったら伝わってはいないよね。この話は後でもう一度言うことにして、別の質問ね」

 

 カノンが彼女自身が精霊だと言った時と同じほどまでに、深生はあの夢が実は転生前でのお試し体験だということを信じられないでいる。何しろあの夢のクオリティーは日本にある高度なVRでもあれほどには再現できないぐらいに物凄く精密だったはずだ。また、もし体験していたと仮定するならば、意識のみだけではなく身体までも転移させるシステムがどういうカラクリで成立しているのかは気になりつつあるが、後で教えてくれるとのことなので今はカノンの話を遮らずに進めさせる。

 

「転生前の人生において一番心に残っている思い出の名場面は?」

 

「思い出の名馬か? 色々と候補は有るけど一番といったら、うん断然でタケシバオーだな。距離、芝ダートのコース、馬場状態、どんな条件でもほとんどの出走で1着や2着だとか、あれほどオールラウンダーというに相応しい馬はいない。その上で斤量とかのハンデがあってももろともせずに勝つぐらいに強いのだからこれこそ名馬だろ。もはや別格の存在よ」

 

「名場面」を「名馬」だと勘違いしている深生はタケシバオーの名前を挙げる。タケシバオーとは1960年後半に中央競馬で活躍した馬であり、1969年には春の天皇賞を制し、同年の年度代表馬に選ばれている。もちろんタケシバオーの現役時代には深生は生まれてすらいなかったが、タケシバオーが走る映像を見た時にその桁違いな強さに心底から惚れたのである。

 

「名馬じゃなくて名場面! 兄ちゃん私の話もしっかり聞いてよ」

 

深生の勘違いに対してカノンが拗ねそうになり、深生は慌てて謝ったが、謝られてすっきりしたのかカノンが気にしてない素振りを見せたのでじっくりと思い出を振り返っていく。

 

「ごめんよ。……でも思い出の名場面ねぇ。16年ちょいしか生きていなかったし、名場面になるような思い出なんてないんだけど」

 

「ねぇ何かないの? 何でもいいからさ。ね」

 

「……そんなこと言われても。カノンだって思い出の名場面なんてパッと浮かばないでしょ」

 

「そんなことないもん。私の思い出の名場面は、今このように兄ちゃんと一緒に過ごしたり話したりしていることだから」

 

「……ああ、そうかい」

 

深生は名場面とかすぐに思い浮かばないだろうとカノンに同じ質問をすると、予想に反してすぐに回答してくる。しかも、初めまして状態の自分と過ごすのが名場面だとか言ってきたが、深生は今までの流れ的に自分に関係する答えだろうと見当を付けていたので驚きすらしない。確かに、カノンは自分のことが本当に好きなようで嬉しさのあまり泣いていた時以外は楽しそうにしているし、それに短い間でも笑顔を絶やしていなかった。

 

「……見る専門だけど野球ならあるよ。ドラゴンズを53年ぶりの日本一に導いた2007年の中日対日本ハムの日本シリーズ第5戦の山井―岩瀬の完全試合リレーもすごく感動したなぁ。ワンプレーだけに限ると、2008年のセリーグCS(クライマックスシリーズ)第2ラウンドの1戦目での『なんていう井端』と言われるほどに華麗で冷静な守備も候補から外せないんだよ。結局その年は日本シリーズには進めなかったんだけどさ。うーん、カノンにとってこの話題は興味ないよな?」

 

 カノンが名場面を教えてくれたので、自分だけ答えない訳にはいかず野球の話をする。その時深生は野球好きが高じて、つい感傷に浸って話し込んでしまったが、どうやらカノンは興味なさげでこちらを見てくる。そもそもこちらの世界には野球自体がないだろうから、ここまで熱く語られても内容が分からずじまいではチンプンカンプンなのだろう。

 

「この話は正直どうでもいいとは思っているけど、異世界の話自体には関心はあるんだよ。実際どんな感じなのか体験したままを直接聞きたいし」

 

「そうだなぁ、さっき食べ物の話が出てきたし、初めは向こうの食事についてならどうだ。カノンだでも気にならないこともないだろ」

 

 こうしてしばらくの時間、深生とカノンは食べ物についての話に花を咲かせた。

 




皆さん読んでくださりありがとうございます。

初めて中1日で投稿してみたのですが、時間的に大分ギリギリになってしまいました。

快調に話が思いつくときは中1日の時もあるとは思いますが、基本は3日ごと、週2回ペースで投稿していく予定です。


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始まるエピローヴ劇場―どこまでも、これからも

今回、200字ほどのカノンによる紹介から始まります。


 深生という名前の私の兄ちゃんに対してこちらの世界での理や覚えておかないといけない常識を少しだけ上から目線で自慢げに一から教えてあげているこの美少女である私を皆さんは知っていらっしゃるでしょうか? ご存知でない方はこれを機に覚えてくださいね。答えはとてもかわいくて愛嬌のあるヒロイン候補のそうこの私、カノン・ベディ・エピローヴ、種族は枕の精霊です。ふっふ、以後お見知りおきを。

 

(ああ、自分でとてもかわいいとか言っちゃうなんて、なんだかこっぱずかしいものですね)

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 あれから多少時間が過ぎたのち、深生は気落ちしていた。転生先の身体も含めた自身の境遇もその理由の一つだ。

 

「聞いた感じだとこの世界は日本での生活とは勝手が違いすぎるんだろ。知識にしたってどれだけ覚え込まなきゃならないのさ。第一、設定が3歳児とかそもそも何なのさ。全然体が思い通りに動かねぇ。これでは近いうちに怪我しそうなんだが」

 

 深生は浮かび上がってきた現状に対して不満を色々と口にする。深生にとっては転生したことで急に体が小さくなった感覚なのだ。部屋の中を少し歩いてみるも歩き方がぎこちない。

 

「どこに住んでいようが新しい生活を起きる都度慣れていくしかないしょ。早いうちから慣れていった方がこの世界での当たり前やマナーが体に染み込むし、このお年頃なら言動がミスっても若さ故とかとして何とかごまかせるよ。仮に15歳ぐらいの大人ぐらいから始めたとして、日常的に異質な言動をしたせいで頭おかしいとか兄ちゃんも言われたくないでしょう?」

 

 悪口を言われたくはないし、頭おかしいとか噂された日には見知らぬ世界への恐怖から人生初の引きこもりになりそうな気がする。向こうの世界では一度もそういうピンチはなかった。それなら高校受験ぐらい必死になってこの世界の教養を身につけた方が賢明な選択と言えるだろう。

 

「それにこの年代にしといた方が大人の時からと比べてより長く兄ちゃんと一緒に居られるもんね」

 

「おい、結局お前の勝手じゃねぇか。だから俺はお前のお兄ちゃんじゃないって」

 

 自分のために色々と考えた上で尽くしてくれたのだと感心していたが勘違いだったようだ。この少女のエゴだけで3歳児にされたとか……、単に俺被害者じゃん。しかし、お兄ちゃん呼びは慣れないどころか、そもそも兄弟ではないだろうよとツッコミをしたいが効果が薄そうなのでしないでおく。

 

「いいえ! 兄ちゃんは私の兄ちゃんです。私の、私による、兄ちゃんのための私、を至上命題にしてこの世界でも兄ちゃんをいつも支えるから不安にならずにいつでも頼ってね!」

 

 案の定のことだったが、カノンは兄ちゃん呼びをやめない。カノンさんはどこかの国の有名な演説になぞらえたようにいかにも当然だという感じでおっしゃられるが、口に出すまでもなく普通に怖い。そりゃあこの世界で楽ができるのならこの上ないことだが、今までの会話にあたりこの娘はいわゆるヤンデレ気質ではないかと推測する。この感じは間違っていないはずだ。そうであればカノンの扱いには気を付けようと誓う。面倒ごとはこの人生にもいらない。

 

「……ああ、そうかい。どうせ、なんて言っても兄ちゃんって呼ぶんだろ。じゃあ兄ちゃんって呼んでくれ。それと自分を支えてくれるっていうならまず、この世界の情報が欲しい。全く情報がないのでは今現在もこれからも不便極まりないしな」

 

 カノンがしつこいので兄ちゃん呼びを許可したが、兄ちゃんっていう呼称もいずれ慣れれば気に入ることもあるだろう。それよりもこの世界に対して圧倒的に知識不足であるため早急に情報が欲しい。情報を制する者が戦いを制しひいては世界を制すってもんだ。それほどに情報とは価値が高いものでもあるのだ。かわいらしい少女でも精霊ならばこの世界についてある程度は詳しいに決まっている。

 

「言葉にして伝えてもいいけど、それだと理解できない部分も多くなるよね。じゃあ手っ取り早く契約しようよ。兄ちゃんこっち来て」

 

「は、ちょい待て、まず契約ってなんだよ?」

 

 突拍子もなく契約しようと言われても何に対する契約なのかさっぱり分からない。わざわざ言うってことはゲームのイベントみたいなものなんだろうか。しかし、カノンは無駄なことを長々と説明しやがったくせに契約のイベント的な話を一度も喋ってくれなかった。それなら省略しがいのあるくだらない話よりも契約の方を詳しく説明しろってものだ。急に話を持ち掛けてくるとかカノンは悪徳セールスよりもたちが悪いのではないか。誰が悪徳セールスなのか自分は見抜ける自信は割とある。

 

「説明してなかったっけ。私たちみたいな精霊族は精霊以外の普通の人間や魔人、獣人といったようなヒトと契約を結ぶことで結んだ者との間で互いの能力を共有したり高め合ったりできるんだよ。ただ、精霊も数としてはたくさん存在しているんだけど警戒心からなかなか契約を結ぼうとはしないんだよね。そもそも大半の人間は契約を結べるだけの資質を持ち合わせていないし、たとえ資質のある人間が精霊にアプローチしても万が一に契約を受け付けてはくれないから」

 

 聞いただけで想像すると精霊は数としては多そうだ。ただ、精霊という種族は気難しいのか契約しようとはしないらしい。そして、そもそも契約するには人間側にも条件があって「資質」が必要とのこと。ということは資質が無ければ契約はできないよな……。

 

「自分には契約するための資質はあるのか? ないのなら言わないとは思うが」

 

 気になることをカノンに聞いてみる。自分には資質をどのように計るのかは分からないが、精霊なら資質の有無ぐらい分かるものだと思う。

 

「資質がなかったらそんなことは言わないよ。期待させるだけさせてから出来ません、っていくらなんでもひどすぎるよ。兄ちゃんにはきちんと資質はあるからね」

 

 資質があるってはっきりしたことで、深生はほっと一安心した。まだ、気になることも多いので続いて聞いてみることにする。

 

「さっきの話なんだけど魔人とか獣人とかってホントに存在するのか。憧れを通り過ぎるほどファンタジーな世界だったんだな、ここは」

 

 カノン情報だとこの世界には魔人や獣人もいるらしい。どんな感じの見た目なのかすごい気になる。どうせならこの精霊ではなく初めに魔人とか獣人に会いたかった。まぁ人間と敵対していたら殺されたかもしれないがその時はその時だし、転生ものオタクとしては実際にこの目で見られるのなら死んでも悔いなどない。

 

「もう急に目を輝かせてしまって仕方ないなぁ。この世界には兄ちゃんが転生もので知っているような種族ならそれなりにいるよ。ここからは遠いけどね。」

 

 よし決めた。10歳とか15歳ぐらいになったら成人を迎えるだろうから魔人とか獣人の国に行こう。それぐらいの年になれば体力も増えるだろうし、魔法も使えるようになるだろう。異世界っていったらいつでも冒険は付き物だ。

 ただ、そうすると旅の前にカノンとは絶対に別れないといけない。遠いなら長い旅になるし自分のわがままによってカノンにまで危険を及ばせる気はない。これまでもこれからも関わってしまった以上、その人にまで迷惑をかけるのは流石に良心が痛む。

 

「話を契約に戻すよ。精霊の性格もあって人間と契約している精霊は少ないんだけど、転生時にきちんと確認したから兄ちゃんはちゃんと資質も持ち合わせているし、私も兄ちゃんと契約する気まんまんだから契約には問題ない。実際契約して失うものはないし損はないよ。契約によって発動する便利な機能もあるし」

 

「例えばどんな機能があるの? 普通に便利なら考える余地はある」

 

 楽して人生を過ごすなら珍しい能力は必要ですよね。契約できるだけの資質を持っているとしても自分の心や魂などではなくやっぱりこの身体本体のおかげなのだろうか……。深生は少しだけ考えていたがパッと顔を上げると、答えが出なさそうな問題は気にせずに生きていけばいいはずだと一人納得する。果たしてどんな機能があるのか。

 

「おっ、兄ちゃんもノッてきたね。まずはこの機能、知識の共有です。私の欲しい知識を好きなだけコピーできます。知識の可視化ができるとかできないとか。もちろん、私も兄ちゃんの知識を得ることができるよ。手早く情報を得るには効果的だし、契約するのはこれが目的でもあるよ」

 

「なるほどね。契約した者同士なら知識の共有ができるから契約しようよ、ってことか」

 

 契約することで知識を得られるのなら効率的だと感じる。知識の可視化とはいまいちピンと来ないが、これもまた便利なまでに理解しやすくなるように作用するのだろうか。

 

「そういうこと。兄ちゃん、次の便利な機能は記憶容量の拡大だね。人間の脳は記憶できる情報量に限界があるのは知っているよね。このままいくとこの世界で過ごすために必要な情報がどんどん増えてしまって、今までいた日本での記憶は忘れてしまうかもだけど、契約することで記憶容量がアップします。これで大事な記憶も遠い思い出も覚えておけるよ」

 

「それはそんなにすごいのか? 自分にはそんな大した知識も記憶もないぞ」

 

 皆さん本当にその通りなんです。カノンは自分の知識についてやけに期待しているようだが、所詮、料理も家事もできない平凡な高校生の知識や記憶では役に立つものなんて一つもない。

 現代日本と全く同じでない限りは、こっちの世界で生きていくなら心機一転を計って現代日本での記憶は忘れてリセットするのもありなのではとも思える。余計な記憶は判断に行動を誤らせる罠にしかなりえない。

 

「兄ちゃんの知識に記憶はとても貴重だよ。この世界には魔法がある分明らかに技術は発達していないし劣っているから、兄ちゃんの居た向こうの世界の技術はこちらの人々にとっては驚くほどのものなんだよ」

 

 クルウドは精霊とか魔人とかが当たり前にいる世界なら魔法も存在すると信じていたが、予想通りこの世界には魔法が存在している。それも技術を凌駕しつつあるほど魔法が一般的に使われているため、技術があまり発達していない。仮想体験の時にもオッセラの街の中で移動手段として馬をよく見かけたことをクルウドは思い出す。

 

「まだまだあるよ。次のものは記憶の鮮明化。鮮明化の方は文字通り一度でも見た記憶を脳の中で鮮明化してまるで今見ているかのように映像にして見ることが出来るっていう機能ね。この機能はここがポイント! 一度でも見たっていうところがミソなんだよね。つまり、たとえ兄ちゃんが今忘れているような記憶やチラッと目をやっただけの記憶でも鮮明化できるんだ。ただ、この機能の弱点として私たちの頭、脳に直接作用するから魔力の消費が他の機能に比べて果てしないこと、そして、脳の中で映像化されるから兄ちゃんと私しか見られないことだね。まぁ後者の方は契約するのが私たちなんだから当然と言っちゃ当然だけどね」

 

 一度見た記憶なら忘れたものでも復元するかのように見ることが出来るなんてことは現代日本での技術を集大成しても恐らくは無理だ。このような素晴らしい機能には美しいバラには棘があるように、代わりとして知識の共有化や記憶容量の拡大とは違ってデメリットも存在する。その一つが魔力の消費量に表れている。脳に負荷が掛かるようなので魔力が他の機能より必要になる点は致し方無いところだろう。

 

「ある意味記憶の使い方には気を付けないとならなそうだな」

 

 深生はそう言うと自分の記憶の事でしばらく悩みこむのだった。

 




これで5話が終わりました。作者はよく分かっていないのですが、1話あたりどれぐらいの字数がいいのでしょうね。

まだまだ物語は始まったばかりなので、これからも末永くよろしくお願いします。


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契約とは突然に―まだまだ転生初日は終わらずに

今回も初めはカノンによる紹介からです。


 私は精霊族のカノンです。転生がうまくいってせっかく直に会えたっていうのに誰かさんの態度が冷たいような……。美少女を目にしたことによる照れ隠しならいいのですが、ひょっとすると兄ちゃんは私のことを嫌っているのかもしれないです。特に兄ちゃんって呼ぶと俺はお前の兄ではないと少し怒気を帯びた顔つきで言うあたり怪しいです。しかし、もし兄ちゃんの不本意でないとしても、いやいや受け入れてもらわないと私困ります、一緒に居たいので。というわけで少し早い気はしますが私、兄ちゃんと契約しようと思います。いえ断定しましょう、私カノンは絶対兄ちゃんと契約してみせます!

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

「兄ちゃんの知識に記憶はとても貴重だよ。この世界には魔法がある分明らかに技術は発達していないし劣っているから向こうの世界の技術はこちらの人々にとっては驚くほどのものだよ」

 

 こう言われた深生は無言になって黙り込むと、自分が持つ情報の重大性を再確認する。

 

(それほどまでに魔法が人々の生活に与える影響が大きいんだな。確かに魔法で事足りるのなら技術は発展しない、のか。となると現代日本で技術にあふれて育った自分がふとした迂闊な行動を取ると変えてしまう可能性もあるってことか。恨みを買うのはごめんだから大人しく過ごすべきなのか)

 

 転生者が異世界にて活動する場合たとえ普段から行動に気をつかっていてもどこかで必ずボロが出てしまうものだ。そして、そのボロは勘が鋭い奴に見抜かれてしまうのがオチだ。ならばいっその事初めのうちから包み隠さずに堂々としていりゃいいのではないかって、答えは考えるまでもなくノーだ。

 大概このような場合において転生者ですと正体を隠さずしてのんびりと過ごせるわけがないのだ。理由はこうだ。まず、そのような者を貴族や国などがぬくぬくと放置することはない。次に目を付けられた以上は権力という名の下で身を捕らえられる。いい人ならご来賓として丁重に扱われるが、悪い場合はひどい拷問が待っている。どちらにしてもその世界での新しい技術を一から十まで教えなければならなくなる。断るのなら半ば脅迫という形で結局情報を吐かされることになるだろう。そうなればどのルートを辿っても俺は大切な時間を奪われることになってしまう。つまりは自由な時間が減るのだ。再び言い換えるならそれは面倒ごとに値する。面倒ごとはいらないのさ、なぜなら面倒だからねっ。よしキマった。

 ちなみにこの仮説の参考文献は今までに読んだ転生もの関係の書籍やストーリーからだ。しかし、案外知識や記憶も役に立つもんだな。記憶のリセットとかは前言撤回するのでナシでお願いします。

 

「ね、兄ちゃん兄ちゃん。生でころころと兄ちゃんの表情が変わっていくのを見られて初めは新鮮で面白かったんだけど、もう見飽きたしぶつぶつと呟いていてちょっとキモいから仏になって。仏の心を忘れないで」

 

「そんなにキモかったんかよ俺。ってキモいって言うな。それに仏になれってどんな命令だよ」

 

 どうやらあのキメに行った我が仮説はカノンに聞かれてしまった上に、あのブラコンのカノンにさえもキモいと言われてしまった。不幸中の幸いを探すなら、この場にほかの奴がいなかったことぐらいか。

 

「キモいって言っちゃったことに関してはごめんなさい。仏の意味は兄ちゃんに仏みたいに冷静沈着で寛大な心で許してほしかったから……。ケンカしたくないし」

 

「……何故上目遣いをしてくるんだカノン。心配するなって。まぁキモいって言われてショックだったけど人生の通算で2度目だし気になんて留めていない。それより契約の話をだな。早い方がいいんだろ?」

 

 こいつこんな表情もするのかというレベルで頭をペコリとしつつも上目遣いでカノンは許してほしいと謝ってくる。べたべたと許可もなく触ってきたりはしゃいでいるカノンの姿なら一日でずっと見てきたがそんな顔は初めてだ。この状況はハニートラップだと分かっていても世の男性ならず女性でも引っかかるだろう。転生しても一応俺の心は男のままだし。まぁそもそも転生先であるクルウドも男ではあるが。とにかく年齢に見合わずどこか妖美でかわいらしい少女を目の前にして絶対に許さずにいられないじゃないか。すぐにでも場の空気を変えるためにもここはひとつ話題を戻すべきだな。上目遣いで見つめてくる姿が可愛すぎて見つめられすぎ毒だ。

 

「まだ、機能はあるけど他としては念話かな。念話っていうのは転生もの好きの兄ちゃんに説明することもないけど私と兄ちゃんの間で直接目を見て会話することなく離れていても互いの意識の中で会話できるシステムだよ。あと、私限定なんだけど兄ちゃんの見ている視界を私は見ることができるんだ~。え、なんで冷たい目で見てくるの。私が見れるのは兄ちゃんが見ているその景色だけだし、ちゃんとプライバシーに配慮して兄ちゃんの方でアクセス権限のオンオフ切り替えは出来るからさぁそんな目でこっち見ないでよぉ」

 

こ れではカノンに対する評価が難しい。謝ってきた直後であるのにも関わらず次は盗撮でもする気らしく、あ、こいつやるな、と万引きGメンのように厳しい視線をカノンに向けてみればカノンはふためいて取り繕ってくる。人の視界を勝手にのぞき見しようなんてこいつはストーカーとか変態の類いなのかとつい構えてしまったが、しょぼくれた顔を見るにどうも悪気はなさそうなのでスルーする。

 ただ現実的な問題として、こっちの世界に来てから今のところ頼れる人がカノンと未だ確認はできていないが血のつながった親という3人だけではどうしても一番の情報源であるカノンとは縁を切りにくいし、今切ってしまうのは勝手がわからない現状として悪手すぎる。一応切り替えできるらしいしずっと視界共有はオフにしておけば問題なかろう。すぐにでも楽しく生き抜くために友達を作ってツテを増やさなければ。

 

「念話は使い勝手は良さそうだけど、視界共有はなしだ。こちらがカノンの視界が見れないとかフェアじゃないし。念話とかそれらってカノンと契約しないと使えないのか?」

 

「そりゃ互いに了承した上で契約することによって兄ちゃんも私も不思議な力がはたらいて常時意識を繋げられるんよ。その上で能力が強化されたり、互いの能力が使えたりするなどとってもお得なんだよ。ただ兄ちゃんが言ってた視界共有だけは太古の時代からどうやっても精霊しか使えないらしいんだ、そこのとこはごめん……」

 

 視界共有が精霊固有で使える能力っていうのならしょうがない。お前のせいじゃないんだから気にするなと泣きそうになるカノンをなんとかなだめて落ち着かせる。使えない能力が一つぐらいあるからって泣いて謝ることか? 案外、素直に優しいのかもしれない。

 

「悪徳商法みたいに契約しろと押しつけてくるけど本当に大丈夫なんだよな。きちんと時機を見て解約できるのか。一人につき精霊もまた一人ならば他の精霊と契約したい時は解約しないといけないんでしょ。そこのところははっきりしておかないと後々不利益を被りそうなんでね」

 

 若干語尾を強くすることでこの俺でも真剣に怒ることを示して、カノンが動揺してくれることに期待する。解約できないなどそれこそ悪徳セールスの戯言と同類だ。

 

「解約? そんなのできるわけないじゃん。っていうか私絶対兄ちゃんとの契約は破棄しないし、する予定もないんだから。っていうか精霊と一度契約したならもう解約はできないもん。そもそも浮気するなんて完全にアウトです。私はいつでも兄ちゃんを心のうちから信頼しているし一緒に過ごすのは決定事項なんだからね! 分かった?」

 

(二度あることは三度あるかのように普通に既定事項が何事もなく飛んできたよっ。カノンさんある意味で恐ろしや)

 

 ツッコミしてくださいといわんばかりに、点火した爆弾を平気で投げるかのごとく発言するとは気が強い以上にこの娘かなりのやり手の部類に入りそうだ。どの世界においてもこういうやつと結婚すると尻に敷かれるのが手に取って理解できる。

 

 ただ冷静になって考えると、ヤンデレの可能性大で重いことの多いカノンであってもここまではっきりと言うのだから契約を結ばないとこの身に災いが降りかかってもおかしくはない。実際によくある展開だしな。今までの会話にない程強引までに押し切っていることからも、あえてこれから起きる現実を教えることによって怖い思いをさせたくないという慈悲が感じられる。それに転生が完了したとも言ってたような気がするし、たとえ今死んだとしてももう高校生の鏑木深生には、そして、現代日本には戻れないような気もする。それなら精霊カノンとの契約が自分がこの世界で生きるために必須なのなら面倒ごとが増えてしまうがやむを得ない。面倒ごとは嫌だがこんなところで死んでたまるか。

 

「精霊カノン。君がそれ程自分の身を案じてそう言ってくれているのなら、自分と契約してくれないか。これは自分の意思で決めたことなんだ。この通りだ、よろしく頼む」

 

 妙にかしこまった言い方にはなってしまったが、ここで精霊カノンの機嫌を損ねて契約が不成立にでもなってしまうものなら、これからの人生が色々と辛くなるだろう。特に情報面においてだ。情報を制する者は世界をも制するってもんだ。まぁカノンも自分のことがとっても大好きらしいし契約成功になるだろう。

 

「ふっふっ。精霊カノンってなんなの。私は今まで通りカノンって呼び捨てされた方が親しみやすいから名前の前に精霊って付けなくていいよっ。精霊って人間と契約しているのってまだまだ珍しいから注目されちゃうし、ばれちゃうと悪い輩どもが襲ってくるかもしれないじゃん。なんだかんだ私もかわいいし、精霊の力って普通の人から見るとすごい力だしね。これから契約を結ぼうと思うんだけどこの部屋はちょっと狭いからどっかある程度スペースがある場所にいこっ」

 

「そんなこと言ってもこっちに来て間もないからここら辺はさっぱり分からないんだけどどこに行けばいいのさ?」

 

 転生してまだ初日のうえさっきまで長々とこちらの世界の説明を聞いていたので我が家付近の地理に詳しくはない。ここはオッセラだとはカノンに教えてもらってはいるが、ここがオッセラのどこかまではカノンも知らないようだ。

 

「聞けばいいじゃん、聞けば。この家にはこの街に長年暮らしている人もいるんだし」

 

 カノンはこう言って自分の手を掴むと部屋のドアを開けて、リビングへと向かう。そして、そのリビングにはこの世界における自分の母さんが居たのだった。

 

 



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契約の儀式 ニオラント・ミダ

「お母さん始めまして。私は枕の精霊であるカノン・ベディ・エピローヴと申します。早速本題に入りますが、私は、兄ちゃんと……、間違えましたクルウドさんと契約することに決めました。もちろんクルウドにも了承の返事を貰っています。ところで、できるだけ目立たないようなところでかつある程度の広さのある場所はここの近くにありますか」

 

 こちらの世界の母さんは現在リビングで料理をしていた。自分らの姿を見ると手を止め椅子に座るように促したのでカノンと隣りどうしで大人しく座る。母さんが飲み物を持ってきてくれたところで早速カノンが話し掛ける。その姿は凛としていて数年生きただけの少女とは思えないほど礼儀正しい。十何年生きている今どきの高校生でもこれほど礼儀がいい奴はそういないだろう。ただ、初対面の人に精霊って名乗ったり、契約が既に決定したとか堂々に言ったりして正体をばらしてもいいものだろうか? 

 ところでカノンさんって精霊といっても枕の精霊!? え、枕なの!? 寝る時に使うあの枕ですか!?

 

「カノンちゃんねぇ。とてもかわいい精霊さんのこと。これからクルウドと契約の儀式をするってことかしら。なるべく目立たない場所かぁ……。それならば扉を出て右に進んで2つ目の十字路を左に曲がってしばらくするとヤンセン食堂っていう料理屋があるからその料理屋の右手前の狭い路地に入って少し歩けば多少広い空き地はあるけど、そんなに広くはないかな。クルの部屋4つ分ぐらいかしらね。目立たないとなるとそこぐらいかしら」

 

「ありがとうございます。4つ分もあれば広さは十分です。それじゃあ兄ちゃん早く行こっ。あ、そうだ、あと厚かましいお願いなんですが、私も一緒に住ませてもらえませんか? 迷惑はかけないですし、私枕の精霊なので普段から枕の状態でいるので。どうかお願いします」

 

 なんと母さんがカノンが精霊だって言っても疑いもせずにあっさりと信じてしまった!? これも精霊の力なのかとつい感心したけど普通におかしいだろう。まず、カノンと一緒に住むだと!? いい奴であるのは否定しがたいが同じ屋根の下で過ごすのはどうかしてるぜ。多分カノンは存在するだけで迷惑かけてくるぞ。だから母さん、しっかりと断ってくれよ。

 そもそも枕の状態って今の人間状態から変身するのかカノン!? どういう話になってるんだ、最初にきちんと説明しとけよ! 

 

「もちろんいいに決まっているじゃないの。だって、クルをお兄ちゃんって呼ぶほど仲良しこよしなんだし、それにクルの精霊ちゃんなのでしょ、なのにクルと一緒に居られないとかかわいそうじゃない。むしろ、クルのことをよろしくね。あと枕の状態でいなくてもいいからね。私にも遂に娘ができたわ~」

 

 娘が増えたやらと歓喜するとかどういう神経しているんだ母さん。心底呆れてしまったぜ。どうしてこんなやつをうちに受け入れるんだ。一緒に居たいとか口にすら出してないんだぞ! 母さんはもしかして早とちりの癖があるのかもしれない。

 あとおかしいところとしては何が俺のことを宜しくとか言ってしまってるんだよ! 俺は契約は受け入れたが一緒に住むとは決めていない。カノン、既成事実を作る必要なんて全くないんだぞ!?

 

「クル、カノンちゃんのこと大切にしなさいよ。クルなんかには勿体無いほどいい子だからね。クルの将来のお嫁さんになるならそれはすごく嬉しいわぁ。あら、自由気ままに妄想しちゃってごめんなさいね。クルっ、カノンちゃん泣かせたら許さないんだから。あとクルあなたには拒否権はないからね、分かった?」

 

 声を出して異議を唱えようとする前にカノンからも母さんからもキックされくすぐられたりでことごとく遮られて発言できなかったうえに最終的には俺には拒否権はないらしい。カノンは勝手に俺の嫁さん候補にすらなってるし。母さんが有無は言わせまいと見つめてきてるしその目が恐すぎる。俺は何か癪に障るような地雷でも踏んでしまったんですかね。

 

(しかし、どうしましょうかね。ここで反発して家出をするのも手なのだが、情報すらない中で独り身で生きていけるほど果たしてこの世界は甘いのだろうか。楽するためにも反抗せずに従うべきなのではないか。カノンのことだから家出しても問題はなかったかのように連れ戻されそうなんだよなぁ)

 

 散々シュミレーションした結果波風立てずにこの家で過ごすことに決めました。絶対反抗した方が厄介になるのは自明だし。なに反抗しなければどうってことないっしょ。

 

「お母さん。兄ちゃんと婚約しても本当にいいのですか。なれば私はふつつか者ではありますがこれから是非ともよろしくお願いいたします。兄ちゃん~、婚約許可も取ってきたよ!」

 

 打ち解けたのかカノンの堅苦しい話し方がいつの間にか砕けた口調に変わる。

 

「ああそうかい。もう好きなようにやってくれ…………。いきなりこんなとはツラいなぁ。なんていうかこの2人似た者同士過ぎるだろ……」

 

 初日で婚約決定とかテンポが早すぎるって。もうここまでくると抵抗する気力すら失われ選択肢は匙を投げるしかない。長年の親友のように息ぴったりのお二方を見て自分にどんな悲劇が襲ってくるのかを考えてはその度に落ち込む。

 どうやら自分クルウドは契約精霊のカノンにも母さんにも逆らえないようだし、これからの人生は振り回されそうだ。……強烈なキャラばかりの世界なら転生しない方が良かったのかもしれないが、もう後の祭りなのだ。流れに身を任せるしかない。

 

 

 

 いつの間にかカノンと同じ家で暮らすこととなり、婚約も決まってしまった自分クルウドとクルウドの契約精霊にして母親公認の婚約者となったカノンの2人は教えてもらった空き地に来ている。そうこれから契約の儀式を行おうとしているのだ。

 

「やっと到着したぁ。契約の準備をするからちょっと待ってて」

 

「分かった。暗くなる前には帰らないとな。こっちの母さんを怒らせたら恐そうだ」

 

 ここに来るまでに道に迷ってしまい色々と大変といったらありゃしない。中でも面倒だったのはご近所さんと思われる人たちに「クルウドはもう彼女ができたのか」と勝手にカノンを彼女のように仕立て上げるわ、カノンもカノンで「私はクルウドの婚約者のカノンです。これからよろしくお願いします」とかしゃれにもならないことを平気で口に出して、ご近所さんたちが更にヒートアップするわでどうしようもなかった。

 それでもどうにかこうにか一旦は事態を収拾させた時にはすでに遅く噂を聞いた母さんが乱入してきて、そうそうに「この子はうちの子になったカノンです。みんなよろしくね。めでたいことにカノンとクルは婚約したのよ」とカノンを紹介しながらこの婚約を肯定していくので、それはそれはと大騒ぎになって取り返しがつかなくなってしまった。街のおじさんおばさんたちにもみくちゃにされつつも人ごみから抜け出して、暗くなる前にと急いで走るうちに空き地に到着して今に至った次第だ。

あの母さんはしかしどれだけ知り合いがいるのだろうか。あの人々の集まりようならば余裕で300人は超えていたはずだ。社交的という感じを通り越してコミュニケーションお化けだろ、あの人。

 

 話を現在に戻そう。契約の儀式の準備をしているカノンは空き地に落ちていた木の棒を拾うと真剣に何やらマークを書き始めたが、自分は準備に参加することなく空き地の隅に腰を下ろす。手伝おうにも事前にカノンに間違えて失敗したら困るから何もせずに見守っていてと言われたのでわざと手伝って邪魔をする気はない。こういうことはやる気がある奴がやれば大概上手くいく。

 

「起きて兄ちゃん、準備は終わったよ。じゃあ契約しちゃおう。こっち来て」

 

 大分待ちくたびれてしまい眠っていたようだがもう少しで契約の儀式を済ませられそうだ。初めのうちはカノンが熱心に書いているところを見ていたのだが、地面に書かれた文字というのも有名どころの英語とかフランス語とかではなく見慣れない言葉であってその意味はからっきし分からない上につまらないのですぐ見飽きてしまった。

 それじゃあと、やることもないならネットサーフィンかなぁとズボンのポケットからスマホを取り出そうとしたのだが見当たらない。本当に見当たらないので周りを見回してみて気づく。転生したここは異世界であることに。現代日本と比べて技術が未発達というこの異世界の歴史上にはこれからもスマホという大発明は刻まれないのだろう。あぁ万能アイテムのスマホが恋しい。

 

「早く来てよ~。あっ来た来た。契約の儀式の手順を改めて説明するね。まずこの下に魔法陣みたいな模様が描かれているでしょ。これをこちらの世界ではニオラント・ミダといって精霊と人間が契約する際に使われます。この模様にはもちろん意味があるけど時間がかかるからまた今後。まず契約する者同士が手を繋いだりして身体が触れ合った状態にしないといけないんだよね。ああ、その時には身体は枠の中に入れてね、あの狭い長方形だよ。次に互いが自分の魔力を相手に流す感じで二人の間で循環させる。そして――」

 

 まだ説明が続きそうだったのでクルウドは説明を一回遮り質問をする。

 

「ちょっといいか。転生前には魔法なんて存在してなかったし使ったことないんだけど魔力ってどういう風にすれば流せるんだよ。魔力なんて具体的には見えないし、いまいちイメージがしにくい」

 

 クルウドは魔法の使い方なんて知らない。この世界に転生してから魔法を見るのはこれが初めてなのだ。魔法に関する勉強もしていないので魔法の行使の仕組みすら分からない有り様だ。もし魔力が足りなかったりして出来なかったらどうしようかと少しずつ緊張してきて顔がこわばっていることは自分がよくわかっている。

 

「見えないけれど兄ちゃんの魔力はそこにある。だって契約できるだけの資質を持ち合わせているなら魔力は十分にあるってことだから。アドバイスするなら瞑想しながら相手の存在を感じ取って2人一つになって信頼しあうみたいなもんかなぁ。うん、目をつぶった方がうまくいくかも。ただ、上手く説明しにくいね。ああ、心配しなくてもそもそも魔力が流れなかったら効果が現れることなく何も変化しないから危なくないよ」

 

「なるほど、ある程度は想像がついた。では続きの説明をよろしく」

 

 失敗してもデメリットがないと知ったことでクルウドの心情は幾分か楽になった。また、カノンのアドバイスも心の持ちようを説いたものであったので、ひとまず心を落ち着かせて話の続きを聞くことにする。

 

「魔力を二人の間で十分に循環させると段々光の粒が舞ってきて魔法陣が何色かに光って浮かんでくるから、更に集中力を高めていくの。そうしているうちに完全に魔力の循環が行われて互いの意識が同化するはずだから、その時にニオラント・ミダと叫べば晴れて契約完了だよ」

 

 クルウドは話を聞き終わってこれからの流れを頭の中で再確認する。

 

「単純すぎる気もするが、魔法の名前のままに叫べばいいのか。……ええと、何だったっけ、ミオラント・ヒダ……で合っているよな?」

 

 叫ぶ契約魔法の名前はたったの7文字ではあるが、クルウドはまだ数回しか聞いていないので正しい契約魔法の名前を覚えきれていない。もちろんカノンに指摘される。

 

「兄ちゃん、惜しいけど違うからね。ニオラント・ミダだよ。ミオじゃなくてニオ、ヒダじゃなくてミダだったら合っていたのに。この契約魔法の呼称には兄ちゃんの転生前の名前の「深生」の読みは入ってないから、くれぐれも間違えないでよ」

 

 間違いが許されないような大事な儀式なのだろう、カノンの目や口調も真剣なものに変わっている。それを感じてクルウドも余計に緊張してくる。

 

「もう本格的に暗くなりそうだから今からやるよ。準備は……、うん終わっているよね」

 

 カノンは若干緊張気味であり明らかに心構えができていないのを分かっているはずなのに自分のことを待とうとはしない。

 

「どう考えたって準備できているように見えないだろ、ちょい待ちで」

 

「そういうのは後で聞いてあげるから。さぁ、長方形の枠の中に入った入った」

 

 心の準備が整っていないと伝えても、カノンはまともに会話を取り合う気は無いようで、半ば強引に気の棒で地面に書いた枠の中にクルウドを入れさせる。

 

「はい行くよ。兄ちゃんもしっかり集中して取り組んでよ。一発で成功させるんだから」

 

 クルウドのことはお構いなしにカノンはクルウドの手を取ると儀式を始める。クルウドとしては未だに不安であったが一応カノンのアドバイス通り目をつぶる。

 

 

 

 

(これが魔力の循環ってことか? 確かに身体の中に流れてくる感覚がある)

 

 しばらくすると2人の間を魔力が循環することによって自分の身体に力や熱が入ってくるのをクルウドは感じ取る。クルウドはこれが魔力の循環だと認識し、更に集中を高めていく。

 

 クルウドが感覚を感じ取ってから1,2分を経たないうちに2人とその周りに光の粒が舞い始め、青紫色に光る魔法陣が現れる。

 カノンは初めて見る幻想的な景色に見とれつつも失敗しないようにと今まで以上に神経を使う。一方で、クルウドは目をつぶって集中しているのでこの感動的な景色すら見ていない。これは後日談だが、クルウドがのちに契約による記憶の共有によってこの光景を見た時に、生で見るべきだったと後悔している。

 

 

 

 

 

(今だ!)

 

 光の粒とともに現れた青紫の魔法陣が夕暮れ時の空の赤さを打ち消さんと空き地を覆いつくそうかというほどに大きくなった頃、転生時とは違い目を開けて周りの様子を見ておこうとも思わないぐらいに集中しきっていたクルウドの意識がついにカノンの意識と同化する。

 

「「ニオラント・ミダ!」」

 

互いに同化したのを察知したクルウドとカノンは同時に「ニオラント・ミダ」と叫ぶ。次の瞬間、浮かんだ魔法陣が地面に書かれた模様と反応して、2人とそれ以外を隔てるように円柱状に光の壁を作ったかと思うと、壁の中で絶え間なく生み出される光のうちその空間で抑えることができなかった一部が上空に向かって一直線に放出される。そして、空で一瞬眩しいほどに煌めくと何もなかったかのようにすぐに消えたが、空に放たれた圧倒的な閃光をたくさんの市井の人々が見ていたことだろう。

 

「これはどうなっているんだよ。1秒でも目を開けっぱなしにしてたら失明しそうなほどに眩しい」

 

「兄ちゃん、多分ニオラント・ミダの行使に成功したんだよ。古い書物の一部分に溢れんばかりの光の祝福あれ、とか書かれていたから。でも、これは眩しすぎるよぉ」

 

 一方で、クルウドとカノンに着目すると、2人は光の中にいる錯覚を覚えている最中であった。通常では起こりえないほどの光が限られた空間内で爆発的に生み出されているのだから当然ではある。

 

 しばらくすると、空の暗さが確認できるまでに生み出される光は少なくなり、やがて2人が居る空き地も普段通りの静寂に満ちる。

 

「……カノン、……今のは一体……。……成功したのか?」

 

クルウドは光の幕から解放されても言葉を発しないカノンに疑問を覚え、いても立ってもいられなくなり、何故か黙り込んでいるカノンに結果を聞いてみる。

 

「……うんっ、成功したよっ。やった~! 兄ちゃんの記憶が見られるようになっているもん」

 

 カノンは顔を上げて笑顔を見せると、契約が成功したことを大いに喜ぶ。ただ、許可もないのに人の記憶を見るのはどうなんだ。

 

「何勝手に見ているんだよ。文句言ってもいいけど、疲れたし今日のところは咎めはしないでおくか」

 

 




クルウドのお母さんは決してヒロイン枠ではないつもりですよ。この小説に付いているタグのダブルヒロインのうち、2人目は次話から本格的に絡んできます。

また、今回は青紫色でしたが契約魔法であるニオラント・ミダとは契約者によって発光する色が違うのですよね。


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ライバル

「あっ、クルウドじゃん。今度うちに遊びに来る? それとも私が遊びに行った方がいいよね。レイラさん優しいし」

 

 契約の儀式も終え、大通りに出ようかとの辺りで一人の少女に声を掛けられる。

 

「おい、カノン。自分たちの前にいるこの少女は誰だよ? まだこっちの事を何にも知らなすぎてろくに会話にならないぞ」

 

 気安く話してきたこの少女はシルバーグレーの艶やかな髪や優しそうに見える眼が印象的で、その髪の長さはボブといったところか。余程性格が悪いとかじゃなければこういう女子は一目置かれるようなクラスのマドンナのポジション候補の人気者だろう。自分から見てもカノンよりもこちらの少女の方が清楚さがあって、好みのタイプではある。

 

「……えっと~、私も転生前の交友関係については分からないや。ってことで兄ちゃん、うまくこの子についての情報を引き出して。ファイト」

 

 カノンなら何か知っているかと思ったが、転生前の交友関係は記憶の中に網羅していないようだ。この少女の名前や性格ですら分からないので、地道にでも聞き出す他ない。

 

「クルウド、今お兄ちゃんって呼ばれなかった!? ということはクルウドの隣にいるのは妹ってことなの? でもクルウドに妹なんていたっけ。レイラさんたちも兄妹がいるってことは全く言っていなかったけど……」

 

「おう、そりゃそうだよ。こいつは最近新しくできた……義妹なんだから。これから宜しく」

 

「あーそうだったんだ。ふ~ん義妹かぁ」

 

 クルウドがカノンのことを義妹だと紹介したところ、少女は品定めするかのようにカノンのことを観察している。

 

『兄ちゃん、彼女の目線を見るにこの子は兄ちゃんの妹であるこの私に興味を持っていそうだから私が話してみる。私が自己紹介すれば向こうも自己紹介せざるを得ないよね』

 

 クルウドが自身とカノンの関係が怪しまないようにと策を練っていると、カノンから私が自己紹介するからと念話が飛んできたので、カノンに任せることにする。

 

「まず先に私が自己紹介しますね。私はカノン・ベディ・エピローヴと申します。年は兄ちゃんと同じく3歳ですが、私の方が生まれた時期が遅いらしいので私が妹になりますね。そして、兄ちゃんの婚約者です。レイラさんにきちんと許可を頂きましたので、ほとんど正式に近い婚約です。兄ちゃんと一緒に居る機会も多いので、これからよく会うかと思いますがよろしくお願いします」

 

 カノンはさり気なく自身がクルウドの婚約者であるアピールを自己紹介に入れていく。

 

「こ、婚約者なの!? ねえクルウド、どういうこと。なんでクルウドもレイラさんもこの子を選んだのよぉ」

 

「ひょっとしてあなたは兄ちゃんのことが好きなのですか。しかしながら、兄ちゃんにはもう私という正式な婚約者がいますから、きっぱりと諦めてください」

 

「本人がいる前で言わないでよぉ。あぁ、聞かれちゃったじゃない。恥ずかしいー」

 

 どうやらこの少女はクルウドのことが好きらしい。カノンに見抜かれて少女は顔を赤らめる。クルウドも少女の赤面姿を見て、これは初恋だなと理解する。

 

「その様子なのなら私の勝ちですね。好きな人に好きだと言えない時点で勝負にすらなりません」

 

 意中の人に好きだと言えないからっていうだけで負けだとは思えないのだが、カノンが少女を嘲笑うかのように勝利宣言する。少女は先程から赤らめていた顔を更に赤く染めると彼女自身に言い聞かせるように叫ぶ。

 

「――私だって……。私の方がクルウドのことを愛してる!」

 

 この子、今俺のことを愛しているって言った? クルウドはタイプの子に告白されて嬉しいのだが、唐突で全く理解が追い付かない。でもこの少女に鞍替えしたらカノンがどれだけ怒ってくるかは想像できるし、どちらも今もなお張り合うほどに負けず嫌いっぽいのでケンカに発展しそうだ。

 

「……大きく出ましたね。私のライバルになるのなら、相手はこれぐらいがいいのかも。ただ、あれだけ大声を出せば周りの人に見られているんだけどね」

 

 流石のカノンも少女のこの大胆な宣言には言葉が詰まったようだ。だが、カノンも負けずにお返しとばかりにあの宣言が通行人たちに聞かれていたことを本人に伝える。

 

「えっ本当に。……ああ~、物凄く恥ずかしい。これじゃあ笑い者にされて外へお嫁に行けなくなるじゃん。ということだからクルウドが私のことを貰ってくれるよね?」

 

 カノンに言われて初めてこの状況に気づいた少女が周りを見回して睨みつけると、野次馬と化していた通行人たちは目を合わせないようにこの場から去っていく。そして、嫁に貰ってくださいと相変わらず衝撃的な発言を口にする。

 

「だから、兄ちゃんの婚約者はこの私なの。もう空いていないから他をどうぞ」

 

「そんなに怒らないでって。今のは恥ずかしすぎた余り吹っ切れたからわざと言ってみただけだからさ。でもね、急に現れたと思ったらクルウドを誘惑して婚約したという女に私が負けるわけがないの。私とクルウドの間にはあなたが知らないような今までの3年間があるんだからね」

 

 少女はそう言って今まで過ごしてきたという3年間があることをカノンに自慢している。やはりこちらもこちらでカノンに負ける気はないようだ。

 

「残念だけど、兄ちゃんは一度転生しているから、あなたが過ごしたその3年のことは全く覚えていません。つまり、あなたの思い出は兄ちゃんを引き留めるのに何にも役に立たないよ。これで本格的に諦めてもらえますよね」

 

「おいカノン。何さらりと俺が転生したってことを話しているんだよ!? この負けず嫌いの精霊め。転生初日にいきなり秘密をバラしていくとか、そんなに俺の人生を険しいものにしたいんかい!」

 

 確かに今のクルウドには転生前でのクルウド自身の3年間の記憶はない。それは紛れもない事実であるが、俺が転生したってことを包み隠さずに堂々と言っていい理由にはなるまい。クルウドにとってこれではサポートどころか迷惑でしかない。

 

「あっ、兄ちゃんごめん。決して迷惑をかける気はさらさらなかったのだけど、こればかりは意地を張らずにはいられなかった。でも兄ちゃんに対しての私の思いは本物だよ。私が兄ちゃんの1番になりたい」

 

「転生? 精霊? 一体どういうこと?」

 

「……なんで私が精霊だと知っているの……? 貴方は天才少女とかですか」

 

 出会って間もない少女に精霊だと指摘されてカノンもまた動揺する。

 

「んなことないよ。私はここの食堂の娘だよ。今クルウドがそう言ってたから聞き返しただけなんだけど……。私悪いことでもしちゃったのかな」

 

「単純に兄ちゃんの馬鹿! 思い返せば、あれほど言わないようにって何度も忠告していたのに精霊だって口走るなんて信じられないよ。あと、負けず嫌いってどういうことなの」

 

 

「なぁ、今日はもう遅いし、暗くなっているから明日になったらもう一度話し合うのはどう? 親御さんだって心配するでしょ」

 

 カノンから怒りという集中砲火を受け、思い返すとカノンが精霊だと言ってしまったような気がしてクルウドは我に帰る。このまま怒られ続けるのは嫌だったので、話題を変えて矛先を収めようとする。

 

「あとで叱られるのもねぇ。分かった、すぐお母さんからクルウドの家に泊まる許可を貰ってくるから少し待っていてよ。店は目の前だし3分もあれば説得できるから」

 

 クルウドは秘密に関してはお互いに非があったのでこれから要相談という形でカノンと仲直りする。景色に目を向けるとすっかり日は落ちつつあり、空は地平線付近を赤く残してほとんど一面を暗くしている。少し時間が過ぎればじきに夜になるだろう。

 

「お母さんが泊ってきてもいいって言ってくれたからこれで問題は解決。クルウド、あとは……カノンだったっけ。暗くなるし、早いとこ行こうよ」

 

「……その格好で行く気か。夜になってきたし少し外に出るだけでも身体を冷やすぞ。あと見た感じ手ぶらのようだが、泊まるのに着替えとかもっていかなくてもいいのか」

 

 少女は先程と同じくまるでちょっと軒先に出る感じのようなラフな格好のまま、泊まるための荷物すら持たずに出てくる。初対面の少女ではあったが、一応心配して声を掛けておく。夜になってそれほどまでに寒いのだ。

 

「そうだね。さっきみたいに3分でとは言えないけど出来るだけ手短に準備を済ませてくるからしばらく待っていてくれない」

 

 

 

「先に帰っちゃう? こんなに寒い中待つのも嫌だし。それに多分あの子、私たちの家の場所知っているよ」

 

「ここは待って3人で帰るべきだと思う。彼女を一人にしてしまうと転生や精霊という秘密を他の人にうっかり洩らされるかもしれない。自分たちにとっては機密であっても、彼女にとって転生や精霊とかの情報は重要ではないからさ。それについ口が滑る可能性も否定できない」

 

 少女がそう言って食堂である実家に戻ってからとっくに5分ぐらいは過ぎたあたりで、カノンが2人で先に帰らないかと提案してくるが、クルウドは即座に却下する。クルウドとしては自分たちの秘密を他の人に言われないように監視しておきたいのだ。

 

「兄ちゃん。こういう秘密裏で進めるべき話題の時こそ念話の機能だよ。私がさっき一度使っていたでしょ、あんな感じで使えば周りの人に気づかれることなく会話ができるよ。魔力は微量ながら消費はするけど、物は試しで兄ちゃんも使ってみようっ」

 

 クルウドもカノンも自分たちの秘密についてはあの少女だけならまだしも他の不特定多数の人々にまで聞かれたくはない。ともあれば声に出さずして会話することが出来る念話機能が使えるようになったことは非常に効果的である。

 

『こんな感じで念話しようと思えば通じるのか?』

 

『うん、兄ちゃんもなかなか上出来の方だよ。話題を元に戻すけど、転生も精霊もばれてしまったのはどうしようもないし仕方ないとしても、どうやって誤魔化す? それとも、正々堂々と正体を明かしちゃう?』

 

『……どうしたものかなぁ。どちらとも上手く誤魔化しきれればいいけど……。ところで、カノンが精霊だということは母さんに言っていただろ。契約した自分に言うのは当然だとして、カノンはなんで母さんにも言ったんだ?』

 

 クルウドはカノンが母さんに精霊だと明かした理由を聞く。自分が精霊だということは誰にも言わないで秘密にしてとお願いされたのに、どうして母さんには自身の正体を明かしたのだろうか。

 

『私の経験としてレイラさんには言っても問題ないかなって思ったからだけど。実際物怖じせずに快く受け入れてくれたし、結果としては良かったよね。―私の直感だと、レイラさんにはあの笑顔の裏に数多くの修羅場を潜り抜けたかのような凄みがある気がする。本当いつでも頼りにできるほどに』

 

『なるほどな。……もういっそのこと母さんとかあの子とか関係者全員を巻き込んでしまうか。決して諦めたんじゃなくてさ、カノンの勘を信じて打ち明けるのも手かと。こっちはお前と契約の儀までも交わしたんだ、時々なら相棒の直感に従ったっていいだろ。明かす内容はカノンが精霊であることと、もう一つは俺が転生してきたってことをな』

 

 クルウドがそう言うとカノンは驚いた顔をしてクルウドの方を見る。恐らくはクルウドが転生したことを話すと言ったことが思いがけないものだったのだろう。

 

 ただ、クルウドとしても浅慮さから述べたものではない。初めは半信半疑ではあったが、クルウドはカノンが自分と一緒に居たいという気持ちも、契約精霊というパートナーとして自分のことを支えていきたい思いも、そのためなら積極的に行動する信念も、この1日を過ごしながら感じていた。そんなカノンがクルウドの母さんであるレイラのことを秘密を教えても問題ないと判断したのだ。実際に精霊だと明かしてもカノンのことを追い出さなかった実績もある。

 またクルウドの認識として少女の方はクルウドのことを愛しているほどに好きだということはそう簡単には揺るがないだろう。そんな少女が果たして好きな人の秘密を他人に話すとも考えにくい。カノンに対する少女の評価は不安材料ではあるが、そこは何とか黙っていてもらう予定だ。

 

 カノンの意向次第ではあるものの、クルウドはこれらの理由から母さんとその少女の2人ぐらいなら秘密を打ち明けてみても大丈夫だと考えた上で、どうせなら巻き込んでしまおうかとカノンに話したのである。

 

 




読んで下さりありがとうございます。
この小説内においてはクルウドとカノンの間での念話を、二重鍵括弧『』で表すことにします。

今回出てきた少女とカノンが作品紹介のタグにあるようにダブルヒロインにあたるので、これからの出番は多くなってきます。

じきに簡単なアンケートをしようと思うので、回答してもらえれば嬉しいです。


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信頼を生む覚悟

『レイラさんは私が精霊だっていうことなら知っているから、あの子に対しても言ってもいいとして、兄ちゃんが転生したことまでもわざわざ話す必要はあるの? レイラさんもそれについては知らないんだから、彼女さえ口封じすれば解決するけど』

 

 カノンはそう言うと彼女の家に指をさす。確かに言わせなければ秘密がばれることもない。

 

『転生のことを母さんに言う理由はこちら側の味方に組み入れたいんだよ。何かあった時の防波堤みたいな感じとして。今打ち明けるのと、転生者だってばれてから打ち明けるのでは、全く印象が変わってくるだろ。「転生してしまって困っています」とアピールでもしとけば助けてくれるかな、とか』

 

『そういうこと。悪くないと思うよ。嘘をずっと付き続けたくはないよね』

 

 秘密を隠しておくことはある意味嘘を付き続けることに似ている。勇気を持って言えばすっきりすることもある。

 

『ああ。少人数のうちに限るのだが、秘密は2人より3人、3人より4人と人が多い程ばれてしまった時に感じる罪の重さが減るんだ。ずっと秘密を2人で抱え込むのも今はまだ耐えられるけど将来を見据えて考えるとなぁ。出来れば隠し通したいんだけど隠し通し続けるのは俺としても辛い部分もある……』

 

 こういう秘密は心の中でくすぶり続ける。早めに暴露する方がいい場合も多い。

 

『さっき言ったことと矛盾するようだけど、秘密とは共有する相手が少なければ少ない程外部に漏れにくいことは常識だ。よって今回の場合は母さんとあの少女だけに伝える。母さんはカノンの勘を信じてだな。あの少女については秘密を知られてしまったという理由があるから話そうと思う。カノンはこれでいいか?』

 

『基本的に私は兄ちゃんに従うよ。変な言動をした時は絶対に阻止するけどね』

 

 人とは何かしら理由がないと思い切って行動することが難しくなる。理由があれば動くことは容易くなる。

 これで次に起こす行動の方向性が固まってきたので念話を切断して少女の準備を待つことにする。

 

「それにしてもあいつ遅いな。自分たちが相談している間だけでも十分に時間は経っただろうに」

 

「いつの時でも女の子の準備には時間が掛かるものなんだから。もう少し待ってみよ、――って言おうとしたら来たよ」

 

 大事な話も済んだことでやることが無くなったクルウドもついに待ちくたびれる。2人とももうそろそろ寒さに身体に堪えてきそうだとのところで少女が裏口から出てくる。

 

「2人とも待たせちゃってごめんね。行こっか」

 

 帰路に就いてもなかなか少女についての情報を聞き出せず苦労しているうちに家に着いたので中にはいることにする。それにしても外は寒かった。

 

 

 

「お帰りなさい。あら、マヤカちゃんも一緒だったの。そんなに荷物を持っているってことは今日は泊まりにきたのね。クルがカノンの歓迎パーティーに誘ったってとこかしら」

 

 カノンのライバルとなったこの少女はマヤカというらしい。母さんがすんなりとマヤカのお泊まりを許可していることからマヤカと転生前のクルウドはさぞかし仲が良かったのだろう。

 

「クルウド、今日は帰りが遅かったな。そっちがレイラから話に聞いていたカノンに、あとはマヤカもいるのか。クルウドも女子2人を携えるとは――何て言うか……お前、両手に花だな」

 

 (この人が父さんになる人物なのは大概予想が付く。しかし、この親父はいきなり何を言い出すんだよ。ああ、そんなこと言っちゃったらまぁカノンも構えるわな)

 

 豪快に話し掛けてこられたのでクルウドはちょっとビビッてしまい、またカノンは明らかに引き気味である。この家に居るってことはお父さんに違いない。そうでなければ自分の親戚の類いか。

 

「いきなりそんなことを言い出すんじゃあなたに対する評価がだだ下がりです。―この人はシーハさん。私の夫で、カノンとクルのお父さんにあたるよ。さあさあ、みんな中に入りなさい。外は夜になって寒かったでしょ」

 

 母さんが紹介を済ますとカノンは少しばかり警戒を解きつつも父さんとは目を合わすことなく一直線に部屋に向かう。ただ、カノンもわざと目をそらしたのではない。父さんという予定外の人物の登場にどう対応をしようかと計っているだけなのだ。

 

『兄ちゃん。レイラさんとマヤカには話すことは決めていたよね。でも、シーハさんはどうしよう。ついでとして加えて話しておく?』

 

『自分たちの家族とのことらしいから話すしかないでしょ。仮にも母さんが結婚した人だよ。どんな秘密だって気にすることなく一緒になって抱えてくれるさ』

 

 マヤカや母さんには秘密を打ち明けることは契約の儀式の帰り道で既に決めていた。しかし、転生してから一回も見ることがなかったので父さんの存在は考慮の対象には入れていない。でも父さんも一応は家族だ。たとえカノンにシカトされたとはいえやはり家族であることには変わりはない。ならば話を聞いてもらうのがいいだろう。まぁ秘密を話したことで拒絶でも示そうとでもするものならカノンが信頼を寄せた母さんの夫としてはいささか不釣り合いとも言える。

 

「カノン、お~いカノンさん。無視しないでくれ。俺はずっと娘が欲しいと思っていたからカノンとも仲良くしたいんだよ。ああ、行っちゃった」

 

「カノンは繊細なところがありますからね。はじめの挨拶でそっぽを向かれたのでしょう。ですけど、私たちは家族になったんですから仲良くなれますよ」

 

 一方でその父さんはカノンに口を聞いてもらえないことでしょぼくれている。事情は知っていても何だか可哀想に思えてくるが母さんが宥めているようなので心配ないだろう。やっぱりカノンは父さんに対してそっぽを向いていたのだな。

 

 

 

「カノンもふてくされることもないだろ。父さんの第一印象は良く思わないけどさ」

 

「両手に花だって言ったじゃん。気に食わない」

 

 部屋に戻るカノンを追いかけてクルウドも部屋に入る。その部屋はカノン用の部屋ではあるが、自身の部屋がどこかもよく分かっていないクルウドがカノン用の部屋であることを知るわけがないので、ためらうことなく入っていった。

 

「そう言っていたけどさ、念話をするために無視する理由にはならないし気に食わないほどのものでもないんじゃないのか」

 

「兄ちゃんは私のものだし婚約者なんだよ。私があの少女と同列に扱われるのは嫌。私の方が立場が上だっていうのは一目瞭然なのに。あの発言は気に食わない。あとで撤回を要求してくる」

 

 つまりカノンは、マヤカと比べられた時に婚約している自身の方が上に見られたいのらしい。そこで父さんが両手に花だと言ったことでカノンは同列として扱われたと思い不機嫌になったといったところか。でもこれって父さんの方が被害者なのでは……。

 

「カノンが婚約者なのは確定しているんだから気にしなくたって。……ひょっとして俺がマヤカに取られるとか考えているのか?」

 

 巷に出れば俺とカノンが婚約していると知っている人の方が明らかに少ない。ましてはそもそも幼少期から婚約している例自体がそうないのだろう。これからのことを思うと父さんが言ったような言葉一つが気に障っているようではカノンの気持ちが持たなくなるのではと心配になる。

 

「――絶対に兄ちゃんは取らせない。兄ちゃんもマヤカになびかれないでよね」

 

「なびかれないようには努力はするよ。ただマヤカも可愛いからね。そうだな、2人とは他の人たちよりも友好的な関係でいたいよね」

 

 クルウドはカノンを刺激させないようにと慎重に言葉を選んでいく。だが、カノンだけではなくマヤカとも仲良くしたいというのが本音ではあるため、マヤカになびかないという約束はどうしても出来ない。仕方ないので努力義務という形にとどめておく。

 

「私を差し置いてでも?」

 

いつもだったら自信満々に話すカノンのその声は少し心許ないように聞こえた。

 

「いやぁそういう訳ではないけどさ。ぶっちゃけるとマヤカの方がタイプなんだよ」

 

 クルウドだってカノンもカノンで可愛いとは思っている。しかし、清楚さもあって真珠のように光り輝くシルバーグレーの髪色を持つマヤカの方がやっぱり好みなのである。このことをカノンには初めて伝えたのだが、カノンは幾分か喪心しているように見える。そうなっちゃいますか。

 

「クルウドってやっぱり私の方がタイプなんだ~。そうなら、カノンなんかよりも私のことを優先すればいいのに」

 

「マヤカか、急に入って来て驚かせるなよ。って、いつから盗み聞きしていたんだ」

 

マヤカがタイプなのだと言った直後、ドアが急に開いたかと思うとマヤカは今がチャンスとばかりに身体を近づけてくる。そのマヤカの表情は嬉しげに緩んでおり、意気消沈のカノンとは大違いだ。しかし、ドアを急に開けられるとドキリとするのでやめて欲しい。正攻法にノックしてから入ってきてほしいものだ。

 

「クルウドが部屋に入った直後ぐらいからかな。2人の時だとカノンはどんな感じなのか知りたいと思ってね」

 

「それはつまり丸々全部聞いていたのか。堂々と部屋に入って聞けばいいのに」

 

今までのカノンとの会話を全て聞かれていたことを知りクルウドは慌てて部屋での会話と行動を頭の中で再生する。そして、特に聞かれていたら不味いような重要な言動はなかったことを確認すると胸をなでおろす。今回は恥ずかしいことがなかったから良かったものの気を付けなければならないことを心に留めておく。

 

「それだとカノンが本音で話さなくなるよ。絶対猫を被っちゃう感じでしょ」

 

マヤカの行動は良くないことだと思いつつ、発言については確かにその通りだと思いクルウドは首を縦に振る。カノンは自分や母さんのように仲の良い相手に対しては何でも話すだろう。しかし、素性の知らない相手とはあまり会話をしなさそうだ。人見知りということなのだろうか。

 

「まぁカノンならそうかもしれないな。見知らぬ相手だと気を許さなそうだし。でも、カノンとマヤカは似た者同士で案外気が合いそうな気がするんだけどね」

 

クルウドは何気もなく呟いた気が合いそうとの言葉によってこの場の空気が冷凍庫ぐらいには冷たくなる覚悟はした。帰りの道中からずっといがみ合っているのだ。当の本人たちは快くは思わないものだろう。

 

「どうなんだろ、気は合うのかな。お互いクルウド一筋ってところは似ているのかも。恋のライバルでなければ仲良くはしたいかな」

「違うと思いたいのだけど、ただ兄ちゃんがそう言うのならそうなのかもしれないね」

 

2人とも機嫌を悪くして反論してくるのかと思っていたが、予想に反して素直に返してきた。カノンとマヤカの2人はこういうところで非常に気が合っている。

 

「ただ、兄ちゃんが絡んでくる話ではない場合に限るけどね。そうだよねマヤカ」

 

「ええ、クルウドとの結婚するハッピーエンドに関してだけはカノンに負ける気はないよ。私にとっては負けられない戦いだから」

 

俺が関わることになると是非とも負けたくないのは2人とも一緒のようだ。この様子を見たクルウドはこれをまさに息ぴったりと言うのではなかろうかとつくづく実感する。似た者同士絶対にいい友達になれるはずだ。

 

「ねぇカノン。私たち勝負しましょうよ。障害となりうるライバルが出てきたってことは争いが起きるのは必然でしょ。カノンなら逃げたりはしないよね」

 

「もちろん受けるよ。兄ちゃんには私の方がいいに決まっているし。そもそもマヤカには私と兄ちゃん婚約を解消させないといけないハンデがある分大変だよ。それでも挑んでくるのなら負かしてみせる」

 

マヤカの放った最後の一文なんて安易な挑発としか思えない。でも、カノンはそんなことを気にする素振りを見せることなく安直な様子で挑戦を受ける。

 

(路上で会った時から常々感じてはいた。3歳の女子同士がこんな会話をするものなのか? 絶対に年相応の会話じゃないよな)

 

この世界の教養水準が高いだけの可能性もあるが、それでも3歳前後にしては難しい単語を使って言い争っている。この年頃になると恋敵の存在を猛烈に意識し始めるのだろうか。

 

「バッチバチに言い争わないで2人とも仲良くしようよ。この世界には無いの? ほら、一夫多妻制とか。」

 

精神年齢がすでに2桁であるクルウドとしてはカノンとマヤカを含めた3人で仲良くして穏やかに過ごせれば理想だ。無駄な争いごとは面倒ごとに巻き込まるので好かない。最悪2人と結婚すればいざこざが収まって解決するのなら喜んで結婚もしよう。しかし、独占欲が強そうなので2人の仲が良好にでもならない限り中々厳しそうだ。

 

「国王様とか貴族とか偉い人は何人も妻はいるらしいし妾も取っている話は有名だよ。ただ、お金とか権力がある人がすることであって庶民で妻が複数人いる男性はほとんどいないよ。私のお父さんとかシーハさんでも妻は1人だけでしょう。えっ、私は妾なんて嫌だよ。誰がどう言っても認めないし断固拒否しますからね」

 

どうやらこの世界では一夫多妻制が導入されているらしく、上流階級の男性によく見受けられるようだ。ただ、複数の妻に対する扶助が難しいのか一般庶民には一夫多妻制は浸透していないとのこと。

 

「マヤカはもう私のライバルになったんだから妥協してもらっちゃ面白くない。肩透かしをくらった気分になるから諦めるのなら真剣に争ってからにしてよね」

 

「私はクルウドとの結婚願望を捨てる気はないよ。妥協もしない」

 

この2人は争いをやめる気はなさそうなのでしばらくのうちは見守ってみるのも手か。危ないことは起きないだろうしな。

 

「うん、そうこなくっちゃ。兄ちゃんもマヤカもリビングに行こ。さっきキッチンをチラ見したら色々と大皿に料理が盛られていたんだ~。きっと私の歓迎パーティーだから豪勢なんだよ」

 

「そうなの。レイラさんが作る料理も美味しんだよ。楽しみ~」

 

 ほう、母さんが料理上手で困ることはないので純粋に有難い。転生前でも柴田に習っていたようにこっちの世界でも料理を教えてもらえば料理スキルを上げられるかも。

 

『兄ちゃん、私たちの秘密についてご飯を食べる前に話しておかない?』

 

『晩ご飯が楽しみなんじゃないのか。食べてから話したっていいんだぞ』

 

『食事して楽しんだ後に重い話はしたくないよ。それに兄ちゃん眠いんでしょ。ウトウトしているもん。やるべきことは早めに終わらせておこうよ』

 

精霊や転生の秘密を今日のいつ話すか決めてはいなかったのでこの際に決定しておく。相談の結果、カノン案の早めに言うことですっきりさせようとの意見を採用してご飯を食べる前の今から話すこととする。

 

「ねえ何で2人で見つめ合っちゃっているの。私を仲間はずれにする気。そうか、既に戦いは始まっているってことね」

 

クルウドもカノンも互いを見つめるつもりは毛頭なかった。ただ、カノンから念話を受け取った時にお互いが普段会話をする時のように相手の顔を見ていたことで、マヤカには見つめあっていると誤解されたようだ。

カノンが精霊だってことや俺が転生してきたことをこちらの世界での両親やマヤカはどう思うのだろう。

 




もうそろそろ転生直後の第1章は終えて、次の第2章に進みます。


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打ち明けようとする秘密

 皆さんこんばんは、精霊族のカノンです。先程、部屋での会話時に「マヤカと気が合うんじゃないか」と兄ちゃんに言われました。私としてはライバルと気が合っても……とは思うのですが、自分の行動によって兄ちゃんが嘘を付いたということにはされたくないので、マヤカとは程よく付き合うことにします。でも、今まで同年代の女子の友達がいなかったので内心ちょっと楽しみだったりもするんですよ。それよりもご飯ご飯~。あのような豪華な料理の数々を見るにレイラさんは料理も得意なようです。いい勝負になるぐらいには私も料理には自信がありますよ。……ああ、そうだった……。まず食べる前に私が精霊だってことを明かす予定なんでした。ああ、早く食べたいのになぁ。

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 正式にバチバチと火を散らそうかというほどのライバルとなったカノンとマヤカ、そしてその正式な被害者となったクルウドの3人は部屋を出てリビングに向かう。リビングには既に料理の支度をほとんど終えた母さんと仕事着からゆったりとした服へと着替えを済ましていた父さんが隣同士の椅子にもたれて談笑していた。

 

「用事は終わったか。じゃあカノンの歓迎パーティーにしよう。3人とも座りなさい。カノン、これは全てレイラさんの手料理なんだぞ」

 

 カノンやマヤカだけではなく父さんであるシーハまでもがレイラの料理を称賛する。クルウドは皆がそこまで言うのならどんなものだろうかとキッチンを覗くと、そこには複数の大皿にそれぞれ違う料理が盛られていた。クルウドは思わずレイラの料理スキルに感嘆する。

 

「これ全部母さんが作ったのかよ。よくあんな短い時間の間にこんなにも。」

 

クルウドたちがリビングに来るとレイラは一旦キッチンに戻りハーブといった香草を盛り付ける等の最後の一仕上げに取り掛かる。カノンやマヤカはテーブルに向かったが、クルウドはキッチンに寄ってレイラと会話をする。

 技術の発展度合いが低いらしいこの世界において、現代日本ではあって当たり前とされているような冷蔵庫とか電子レンジといった白物家電が無い中でも、5、6皿の料理がそれぞれ大皿で盛られている。食事の材料はその日その日に買うのが一般的な生活スタイルであるこちらの世界では生鮮食品が欲しいのならまず買い物に出なくてはならない。しかも、買い物だけでなく調理しなくてはならないのだ。ものすごく効率的にこなさないと間に合わなかっただろう。

 

「そうかしら。大通りでクルたちと別れた後も1時間ぐらい近所の皆さんと話し込んでいたから……、そうね、買い物に1時間ほど、料理で2時間弱ぐらいは掛かっちゃったわね。いつもよりは時間が掛かるけどカノンの歓迎パーティーをするのだから当然よ」

 

「大通りで別れてからもう4時間も経っていたのか。契約の儀式は想定よりも長いこと掛かったんだな」

 

 時間は意外と早く経つものだ。クルウドとしては契約の儀式前の近所の人たちによる婚約の祝福から今現在までこんなにも時間が過ぎているものとは思ってもみなかった。せいぜい2時間ぐらいだろうと思っていたほどだ。

 

 

 

「カノン、そこをどきなさいよ。私がクルウドの隣に座ります」

 

「嫌。マヤカはポツンと置かれたあの椅子にどうぞ」

 

 レイラと話しているとテーブルの方から大声が響いてくる。カノンやマヤカの声だったよなと考えつつ様子を見てみると、また2人はケンカをしている最中であった。どうやら座る位置を巡ってトラブルになっている。こういうところは2人とも年相応だよなとクルウドは感じながら仲裁に向かう。

 その2人のケンカの原因というもの、長細いダイニングテーブルの周りには5つの椅子が置かれており、長い2辺にそれぞれ椅子が2つと短い方の1辺に残りの椅子が1つ、つまり椅子がコの字になるように置かれていたことにある。

既に母さんと父さんはおしどり夫婦らしく仲良く隣り合わせになるように着席することになっているらしい。よって残りの席は長辺の2席と短辺にある1人席となるのだが、カノンもマヤカも短い辺にある余りの1つの椅子に座ることはすなわち、クルウドの真横に座れないとの理由で嫌がってケンカになったのだ。

 

「2人ともケンカせずともこの椅子を動かせばいいだけだろ。ほら見てみろ、母さんも父さんも困惑しているぞ」

 

 そんなことでと気抜けしながらもクルウドは短い辺にある1人席の椅子を動かして3人が同時に横に並んで座れるように手配する。3人が横に並んだことで少々狭く感じるものの、これでケンカも収まったので気には留めない。子供たちの様子を困惑気味に見ていた大人たちのうちレイラは席の取り合いをするなんて可愛らしいと微笑んでいる。また、シーハは自分の子供にも関わらずクルウドのことを複数の女子に好かれるなんて男の敵だとか思っていたりする。

 

「それではそろそろ晩ご飯を頂こうか。そうだな、皆飲み物はどうする? お水でもいいけど今日は歓迎パーティーなんだしジュースにでもするか」

 

「シーハさん、気を遣わなくてもお水で十分ですよ。ジュースとは合わなそうなので」

 

「なあに、子供が気を遣う必要はないんだ。たまには豪華にいこうぜ。」

 

マヤカはあくまでお邪魔させてもらっている身ですからとやんわり遠慮する。しかし、そのような配慮は無用だと言わんばかりにシーハは椅子から立ち上がると軽い足取りでキッチンに行き棚からジュースを取り出す。そして別の棚に向かうと犯人が様子を窺うかのようにシーハはこっそりとボトルを手に取った。

シーハはクルウドたちとは対面して座っているレイラの視界には写らないようにと実に塩梅な角度を保ちながら自身の身体に隠れるように左手でボトルを持っている。ただ、レイラには何としてでも見られないようにワインのボトルを持っているため、子供たち側から確認されるとバレバレであったりする。

 

「シーハさんがお酒を飲みたいだけなのでしょう。もう、酔っぱらわない程度にしてくださいよ」

 

「――何故分かったんだ。ワインのボトルはうまく隠していたのに」

 

こうしてジュースとワインのボトルを手にしたシーハがまず第一関門は突破したことにほっとしながら座ろうとした時、レイラはその心を揺さぶる一言を述べる。子供たちだけではなくレイラにもうまく隠すどころか見え見えだったらしい。

 

「はぁ~。シーハさんジュースを取りに行った後どこに行きましたか。そう、お酒が保管してある別の棚に行ってその棚を開けていましたよね。そして、ジュースをテーブルに持ってきた時の左手が不自然でしたよ」

 

「毎回ああなのよ。シーハさん本人は隠しているつもりなのでしょうけどあからさまに不審な行動をするもの。その度に看破されるのに懲りないのよね」

 

こうも見透かされシーハは降参したかのようにがっくりする。レイラの発言から考えるに似たようなことが起きたのは一度や二度の事ではないとのこと。

 

「話したいことがあるんだ。ご飯を目の前にして待たせるのは申し訳ないけど聞いてほしい」

 

「どうしたんだクルウド。顔がこわばっているぞ。気楽に話してごらん」

 

シーハによるつまらない茶番もやっと終わったのでクルウドは秘密を明かすという本題に入ることにする。

 

『先に私から話すよ。ねえ兄ちゃんいいよね』

 

『カノンが先に話しても構わないよ。精霊の話は母さん以外には詳しく説明していなかったもんな』

 

『詳しくは言っていないね。でも皆なんだかんだで精霊とは知られているから』

 

念話が飛んできてカノンが先に明かしてもいいかと聞いてくる。クルウド自身は秘密を明かす順番にこだわりは無い。カノンに合わせることにする。

 

「まず私からね。私は人間ではなく精霊です。私は枕の精霊カノン・ベディ・エピローヴといいます。レイラさんには既に言ってはいたけど、ライバルであるマヤカにも知ってもらおうと思っていたのでいい機会かなぁと」

 

「ええ、聞いていた通りだわ」

「精霊って本当にいるんだ……」

「…………、カノンが精霊だって!? こんな愛くるしい見た目なのに……。……精霊族がねぇ……」

 

 このように三者三様に反応が分かれる。レイラは予め聞いていたので遠い昔を思い返すようにうなずく。マヤカは若さ故の知識不足からなのか精霊が存在していることに純粋に衝撃を受けたようだ。シーハは見た目からは全く想像できないらしくカノンが精霊であることがどうも信じられないようだ。

 

「はい。私は精霊ですよ。これからもよろしくお願いします」

 

カノンは何事もなかったかのように再び精霊だと言い表す。

 

「……えっ、カノンは人間じゃないんだよな……。そうか、最近のアンドロイドは本物だと錯覚するほどに人間らしい振る舞いをするということか」

 

「シーハさん、そういうところです。カノンが今にも泣きそうになっているじゃないですか。カノン。シーハさんが単に馬鹿なだけだから、ごめんなさいね」

 

明らかにふざける場面ではないのにも関わらずシーハは今までの調子を崩すことなく冗談を言う。シーハ以外の4人のこの時の心情を表すと「こいつ、いい加減にしろよ。ふざけるのも大概にしろ」とかだったりする。隠そうかと悩んでいた秘密を明かしたのに軽薄な態度を取られたカノンはクルウドのもとに行くと泣き出しそうになる。

 

「ねぇレイラさん、馬鹿って言い方はないでしょ。言い方がきついって」

 

「いじわるをして自分の子供を泣かせる親が馬鹿ではないと言うんですか。シーハさん、頭を冷やしてきたらどうです?」

 

シーハにあまり反省の色が感じられない中で、クルウドはレイラの口調の変化を感じ取っていた。これはレイラのように普段温厚な人が怒る時の合図だ。温厚な人は滅多に怒ることはない。しかし、そういう人こそ怒った時が恐かったりするものだ。

 

「私だったら最低1カ月は口を利かないですね。しかもカノンとシーハさんは今日初めて会ったんですよね。初日からいじめるなんて……、これから一生仲良くしてくれないかも」

 

今にも泣きそうになっているカノンが可哀そうだと思ったのか他人の家の子であるはずのマヤカでさえシーハの言動を咎める。

 

「カノンごめんな。出来心でいたずらしてみようと思っただけでいじめてはいないよな……、なあ。……うん、そうだ冗談だよ、冗談。つい酔っぱらって言っちまったんだよ。カノン許してくれ」

 

マヤカが発した1カ月は口を利かないという文言はカノンを娘として仲良くしたいと願うシーハにとって重い一撃になった。シーハとしてはカノンとの距離を近づけるためのジョークであったのだが、泣かれてしまっては謝るしかない。しかし、シーハは2つの過ちを犯していた。一つ目は酔っぱらって言ってしまったと嘘を付いたこと。そして2つ目はいつも優しくて多少の事では動じないレイラが本気で怒ることはないと思っていたことだ。

 

「ボトルを開けすらもしていないのにどうやったら酔っぱらうんだよ。まさかこんな父さんだったとは……。うん呆れた」

 

 クルウドは呆れてついツッコんでしまった。そもそもワインを飲む時間もなかったのに酔うわけがない。ここまでくるといくら何でも言い訳がましい。

 

「もうシーハさんいい加減にしてください! 青色に青色を塗り重ねたって青色のままのように噓に嘘を重ねたって嘘には変わらないんですよ。罰としてシーハさんだけ食事の後の甘味は没収します。今日からしばらくの間はなしですからね。ほんと酒を少し飲んだだけでもすぐ顔を真っ赤にする人が真っ青な顔でよくそんなことが言えるわ」

 

クルウドがツッコむのとほぼ同時に、ついにレイラが嘘を付きまくるシーハに対して怒る。その形相は恐ろしく、いわゆるマジギレをしているようだ。シーハも怖気付いたのか何も喋らなくなり仏像のように固まっている。

 

「んん、あのさ……、なんか大荒れになっているけどまだ俺の話は終わっていないから話をしてもいいかな」

 

 クルウドとしてもこんな気まずい状況では言いたくはないのだが、家への帰り道までには既に転生初日に言おうと内心では決めていたことを変える気はなく、もし拒否されても押し通すつもりでいた。

 

「クルウドも話があったんだよね。……どんな内容でも受け入れるつもりだけど、私はクルウドとの結婚を諦めてなんていないから」

 

 マヤカはクルウドがカノンとの結婚の許可を得ようとしていると盛大に勘違いした。それを受けてクルウドは婚約だって半ば強引に決められたんだよなぁと苦笑しつつ今日の昼の出来事を思い起こす。

 

『うぅ、ぐすっ……。兄ちゃん言い忘れていたんだけど、私が兄ちゃんを転生させたことは伏せておいて。バレるとこればかりは厄介になるからお願いね。ぐすっ~』

 

 カノンがどうしても自分が転生させたことは話さないでと懇願する。クルウドもこれぐらいなら誤魔化そうだと思い、上手いこと誤魔化すための筋書きを再構築し始める。

 

『……ああ、分かった。しゃべらないように上手くまとめておくわ。ところでさ、念話する時さえも演技をしなくったっていいだろ。それより父さんの顔見てみろよ。母さんにこっぴどく られて顔面蒼白だぞ』

 

『私ってそんなに演技下手なのかなぁ。兄ちゃんに見破られるなんて』

 

『涙を流していないからそうなのかなぁって思っただけだよ。服も濡れていなかったし。じゃあ俺も話すとしますか』

 

クルウドはカノンも自身の秘密を話したのだから俺も話さなければと理由を付けて気合を入れると、気持ちが昂りすぎないようにと淡々と話し始めた。

 

「実を言うと、俺はこの世界に転生してきてクルウドとして今ここにいます。ここで生きることにします。信じることが難しいのは重々承知だけど皆には信じてほしい。この世界で生きる手伝いをしてほしい……と思っているんだ。受け入れてもらえたら嬉しいのだけど……」

 

 クルウドは言っている時もなお少しためらいを残していた。この人たちなら多分今の自分を受け入れてくれるのは分かっている。それでもためらいの気持ちがあったのは自分が本当にこの世界で生きていく覚悟が足りず、心の中では後ずさりしてしまう弱さがどこかからともなく主張してくるのだ。初めは淡々と話すことが出来たのに、次第にクルウドは不安に苛まれながらも最後まで自身の思いを告げた。

 

「クルは転生してきたのね。確かに信じられないことではあるけどクルはクルなのだから家族には変わりないよ」

「転生? クルウドが転生したってレイラさんどういうことですか。生まれ変わりってこと?」

「転生しただと。ファンタジーとしてそういうのがあるってことは知っているが……。いいやあり得ない。お前、頭がおかしくなったんじゃないのか」

 

 その一世一代の告白に対しての皆の感想はカノンの時と同じように反応は三者三様に別れたのだった。

 




やっと話数が二桁に到達しました。このままだと三桁には届きそうなので次の大きな目標は第2章までの完成と三桁の100の半分に値する50話への到達にします。

まだまだこれからですのでこれからもよろしくお願いします。


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詰めに詰められた転生初日

たまには18時と早い時間に投稿してみます。今回も前話の続きです。


「今度は自分の子供に対して頭がおかしいと言うのですか。シーハさん、次の罰は1カ月食事抜きの断食とかでどうです?」

 

 正直に告白したクルウドに対して頭がおかしくなったのかと言うシーハ。また自分たちの子供を馬鹿にされたことでまだ腹の虫が治まらないのかレイラは1カ月無飲食生活というとんでもないことをシーハに提案する。先程憤怒したレイラから 責を受けて青ざめていたシーハがそのせいで更に色を失う。

 

「……いやいや1カ月も飲み食いしなかったら死んでしまうだろ。だけどさレイラさん、今回ばかりはどう考えたって普通の反応だろう。空想上のフィクションの話だっていうのならまだしも、実際に起こったとなると……。事実は小説より奇なりとは言ったもんだが、誰が聞いたってにわかに信じがたい話ではあるだろ」

 

 転生した張本人であるクルウドでさえも他人が転生したと言ったらまずはその人を疑うことから始めるだろう。よってシーハが物申すように今回ばかりは彼の態度はいたって至極当然である。この場面においてはむしろレイラが異常なまでに平静すぎるのだ。

 

「まぁ確かに一般の人々には信じてもらえないでしょうね。しかし、クルはあなたの、私たちの子供なんです。カノンの時もそうですけど自分たちの子供の言うことを親である私たちが信じてあげないでどうするんですか。クルもカノンも自身が置かれている境遇を十分理解した上で、昨日までは赤の他人だった私たちに話してくれているんですよ。ですからあり得ないと切り捨てるのではなくて、まずは受け入れて信じてあげましょう、シーハさん」

 

「……そこまでレイラさんが言うのなら。ああクルウド、分かったよ。俺もお前が転生したと信じてみるとしよう。ところで、レイラさんにとっても息子が転生したことが今までで一番衝撃的だったろう。昔のあれこれよりも勝るんじゃないのか」

 

 レイラは先生が児童を諭すような口調でシーハやこの場に居合わせているマヤカに語り掛ける。今日一日のクルウドの様子を振り返ってみても、クルウドは各部屋の場所が分からずに右往左往していたり、転生を明かすまでは時々誤魔化す部分はあったものの、安易に嘘を付こうとはしなかった。このことからもクルウドが前に居た世界でしっかり育てられたのだろうとつくづく実感する。

 

「そうわね。色々な経験をしてきた中でもこれは格別なことよね。自分の息子が転生することは普通考えられないもの」

 

「レイラさんは衝撃的だと口にするわりにはいたって冷静に見えるのですが。私はクルウドが転生したことさえよく分かっていないのに……。もしかして初めから知っていたりしました?」

 

「マヤカと一緒で今初めて聞いたわ。ただ、クルが変わったなぁとは思う節は所々あったからそこまで感情が顔に出ていないのかしらね」

 

 シーハやマヤカよりは圧倒的に博識なレイラであっても転生するという例は古い書物で見たような記憶がうっすらと残っているだけで、実例に関しては今まで聞いたことが無い。そのためいくら冷静沈着であってもこんなことが本当に起こるものなのかとキョトンとしたものだ。それでもポーカーフェイスであるレイラはその気持ちが顔に出ることなく平然としているように見えたようだ。

 

「まずクルが自分のことをいう時に一人称が僕ではなくて『俺』になっていたでしょ。他にも私のことを母さんって呼んでいたし、大通りで近所の人たちに婚約の祝福をしてもらった時もクルは凄く煩わしそうな顔をしていたのよ。目立ちたがり屋さんだったはずなのに。まだまだあるわよ……」

 

 こうも挙げられてみると言動が違うどころか外見以外は全く別人のさまであったのに街の人たちからよく怪しまれなかったものだなとクルウドは苦笑いを浮かべる。話さなくても筒抜けだったのなら早めに話しておいて正解だったようだ。

 

「そう言われてみると納得だな。クルウドが俺のことを父さんって呼んでいたのも転生してきたからなのか。うう、ちょっと大人になったんだなと父さんは心の中で感動していたのに。クルウド、涙を返せぃ」

 

「父さんが勝手に思い込んだだけで涙を返せとか無茶苦茶すぎるだろ。しかも、心の中でしか感動していなかったのだから涙は流していないくせに。しかし、転生したという事実を述べただけでよくもそう話が続くね。大抵転生したって言ったら転生前はどんな世界で暮らしていただとか、詳細とかに関心が向かない?」

 

「事あるごとに感動する、それが子育てでありまた親心ってものなのよ。それに転生前の生活などは簡単に聞いていいような話ではないと思うの。だからクルが話す気でいるなら話せばいいし、話したくなければ話す必要はないのよ」

 

 レイラが無理に話すことはないと気を利かせてくれたが、クルウドは既に決めていた。転生した事実だけを突き付けるのでは説得力に欠ける。事細かに話すことで完全に信じてもらいたいのだ。

 

「いや、もう話すって決めているんだ。さっきから俺を拒むことなく耳を傾けてくれたことがとても嬉しかった。例え家族であっても容赦なく切り捨てるなんてどの世界でもありふれた現実だからさ……。……俺はここで生きる。俺は転生して今ここに居るから」

 

 転生前の名前は鏑木深生であったこと。日本という国に住む一般的な高校生であったこと。日本には魔法がない代わりに絶大なほどに技術が発展しているということ。パンよりは断然米派であることなど、クルウドは住んでいた世界のことから自分に関わる情報まで挙げればきりがないぐらいに転生前のことを、そして転生した自分のことを近しい仲であるカノンやマヤカ、自身の親となるレイラやシーハたちにより深く知ってもらうために時には丁寧に、また時にはかみ砕いた表現を使いながら話す。

 

「一応これで一通りぐらいは言ったはずだと思う。自己紹介はこんな感じにして何か聞きたいことはあるかな。早くご飯にしよ」

 

 クルウドは大分伝え終わったところで話を切る。話の所々で質問や疑問が出てきたのでそれについてに答えてながら話をしているうちに眠気の限界が近づきつつあったからだ。女性陣3人衆はそのことに気づいて質問をすることなく再び晩ご飯の支度をし始める。しかしシーハだけはお構いなしにと質問を続ける。

 

「クルウドは前の世界では17歳で誕生日を迎えたばかりだったんだよな。じゃあ実質21歳、いやもう22歳ってことか。祝わないとな」

 

「シーハさん落ち着いてくださいな。クルウドは前の世界で生きた分の17年が実質の年齢ですよ。子育てなのに全く手が掛からないだろうなぁ」

 

 クルウドの精神年齢がすでに大人であり、子育ての苦労をもう味わえないことに気づきレイラは肩を落とす。どうやらレイラは困難な難題にぶち当たるほどやりがいを感じて燃えるタイプのようだ。

 

「……うん? こちらの世界での俺の年齢っていくつなの。こういう自分のことでも知らないことも多いんだよ。」

 

 現代日本での年齢が17歳であることは間違いない。ならば、合わせると22歳になるということは現在クルウドは4、5歳のはずだ。どうもカノンから聞いていたのとは異なっている。

 

「クルは5月生まれの4歳よ。今は12月だからあと5カ月もすれば5歳のお祝いをしなきゃね」

 

「カノンから聞いた話だと3歳だったんだけど。どっちが正しいんだ?」

 

「兄ちゃんごめん。私が間違えていたんだと思う。精霊はその人がどんな人なのかある程度捉えることが出来るんだけど、どうしても精度が低くなるんだよね。だから兄ちゃんも私も4歳ってことで一緒になるね」

 

「2人とも、私も4歳なんだからね。クルウドはともかくカノンもこれからは幼馴染にしておく」

 

 どうやらクルウドの年齢は3歳ではなく4歳のようであり、またカノンやマヤカの年齢も4歳だということも判明する。カノンとマヤカは義妹と幼馴染で関係は異なるといい、同学年であることにクルウドは少し運命を感じずにはいられないのだった。

 

「そういえばカノンはクルウドが転生したことを知っていたの? さっきからクルウドの言葉に対して全然動揺していないよね」 

 

「ああ、うん。……私は兄ちゃんと会って早々に教えてもらっていたの。私は兄ちゃんの契約精霊だからね。契約する前に私が精霊だと伝えたら兄ちゃんも教えてくれたんだ。そういうわけで互いに秘密の共有することになっちゃって。……まさか兄ちゃんも転生という大いなる秘密を持っていたとは思いもしなかったよね。精霊よりも転生の方があり得なさ過ぎて……、私も聞いたときは驚愕したよ」

 

「カノンには契約するときに伝えておいた。――母さんもマヤカも、……あとは父さんも聞いてくれてありがとう。手短に簡潔に伝えるつもりだったのに長くなってしまって。料理もすっかり冷めてしまったし。作ってくれたのに母さんごめん」

 

 実際のところ、カノンが日本人であった鏑木深生をクルウドとして転生させたのだから知らないはずがない。でも、カノンも転生させるのに成功させた時には嬉し涙を流していた。嬉し涙が出るほどに驚愕したことにでもしておこうか。

 

「料理はまた温めなおせばいいのよ。高暖石を使ってパッパッと温めましょうか」

 

「高暖石って何? この世界には魔法だけでなく魔石まで存在しているの?」

 

 魔法のみならず魔石のようなものまであるとはやはりファンタジーの世界のようである。庶民の生活にまで魔石が浸透しているのもこの世界では当たり前なのだろうとクルウドは認識する。現代日本での常識がそのまま通用する世界ではない。

 

「そっかぁ、転生したからクルウドは知らないんだよね。高暖石は魔結石(まけっせき)の一種でね、使うとこの石が熱い程に温かくなるんだ。料理とかで使うと便利だよ」

 

高暖石とはこの世界では日常的に使用される鉱石類の一つであり、見た目は少し赤みを帯びた石のことである。高暖石の純度に応じて石が発する最大の温度が決まっており、純度の高さによって石に刻まれた(ように見える)線の数が多くなるのが特徴だ。低純度のものだと最大温度がおよそ60度ほどであり、高暖石の発した最高温度はこの世界で今まで確認されたもので2500度前後にもなるという。それでも決して高暖石自体が燃焼するわけではないのだが、石の周りには熱が生まれているため中~高純度の高暖石に直接触れると想像した通りやけどする危険がある。

 

「この世界には魔法があるんでしょ? それなら石を使わずとも魔法で火を出して温めれることはできないの?」

 

「高暖石を使わずとも簡単な火属性の魔法を使えば火は出せるわ。それに高暖石を子供が誤って使うと怪我をしてしまうから危険ではある。それでも高暖石は魔法に比べるとすぐに暖かくなるの。あと一番の理由としては魔法が使える人はそんなに多くないからなの。正確に言い直すと、決して魔法が使えないんじゃなくてほとんどの人は魔法の一つ二つは使えるわ。ただ、使える魔法の中で火属性の魔法を持っていない人や使えたとしてもお湯を沸騰できないほどの小さな火を出すのがやっとの人も多少なりともいるのよ。だから高暖石には需要があるし、皆こぞって高暖石を使うの」

 

この世界の人間族のうちの9割以上の人々は何らかの魔法を行使することが出来る。ただ、あくまで魔法が行使できるだけということであって、決して普段の生活に役立てられるほど実用的な魔法を使える人はそこまでいない。高暖石を使う方が遥かにコスパがいいのだ。

 

こうして高暖石を使って温め直した料理を5人で頂く。そこには先程まで秘密を明かしたことで戸惑いが生まれたとは思えないほどに和気あいあいと食事を楽しんでいる姿があった。そして、クルウドは罪悪感を感じながらも素早く食べると「寝る」と一言だけ残して部屋に戻る。最後は眠気に誘われてクルウドは濃密な出来事が満載だった転生初日を終え、転生2日目を迎えようとする。

この時疲労が溜まっており深い眠りに付いていたクルウドは気づくことはなかったが、リビングでは女性陣3人衆による談合が行なわれていたのだった。

 



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青く深く、枕の精霊は枕に戻る

 クルウドが自身の家族と幼馴染のマヤカに対して、自分は転生してきて今ここに居るんだと打ち明けた日の翌日の朝。クルウドは色々と慣れないことが重なったことで疲れているだろうから休ませてあげようとの女性陣3人衆のご意向のおかげで、朝早くから起こされることもなく日が昇ってからも数時間後まで眠ることができた。

 もうそろそろ起きないとは思いつつもまだ外も寒い。まだしばらくは暖かい布団の中でのんびり過ごすことに決めたクルウド。二度寝すべきかと考えるもふと目に付いた本でも読もうかと一瞬だけベッドから離れて本を手に取ると急いで布団の中に戻る。案の定今は12月であるので部屋の中でも寒かった。

 

「クル。カノンを見なかった? マヤカが起きてきたときには部屋にはいなかったらしいの。私も見ていないのよね。どこ行ったのかしら」

 

 レイラはどうやら部屋から聞こえる物音でクルウドが起きたことを理解したのだろう。クルウドにカノンが見当たらないことを伝える。

 

(カノンがいなくなった? 転生初日である昨日でも俺のことを好き好きアピールして自分から離れようとはしなかったカノンが? ……俺が想像できる以上のことが起きているのかもしれない)

 

『カノン、どこにいるんだ。何も言わずに出掛けたらみんな心配するだろ』

 

 とりあえずクルウドは最初の手段として念話を飛ばす。離れていても電話のように連絡が取れる念話ならどこにいても出てくれるだろうと思ったからだ。昨日何度か使った時には何事もなく繋がったし念話が使えるのは既に証明済みである。しかし、念話を飛ばしてみるも、カノンからの返事が一向に来ない。

 

 念話が通じないのなら直接歩いて探すしかない。クルウドは太陽が昇ってから時間が経っているにも関わらず外も中もまだ寒いので正直布団から出たくはなかった。ただ一方で誰にも行き先を教えずいなくなったカノンの行方も気にもなったので再び潜り込むことがないように布団を思いっ切り蹴って起き上がる。

 

「うわっ、何するの兄ちゃん!? 布団を取り上げるなんてひどい。うぅ、寒いよぉー」

 

「うおっ、びっくりした! 急に話し掛けるなよ。……あれ、この声はカノンの声だったはずだよな。―でも声だけで姿が見えないんだけど、何処にいるんだよ。これって念話が飛んできているのか?」

 

 クルウドが勢いよく起き上がってみると聞こえてくるのは寒いと嘆く少女の声だけ。声の主はカノンであるはずとクルウドは部屋の中をくまなく探すもトレードマークの青い髪や眼はもちろんのこと肝心の姿が見えない。

 

「違うよ。ほらここに居るでしょ。ねっ、ほらここだよ、ここ」

 

「録音の類いかそれとも監視の類いかは分からないが早く出てくるか居場所を教えてくれよ。母さんもマヤカも心配しているんだぞ」

 

 初めのうちは真剣に探していたクルウドは徐々にいたずらではないかと疑い始める。既に扉が付いている棚も押し入れも繰り返し何度も確認した。それでも見つからなかったので、クルウドはうんざりする。

 

「そこに枕があるでしょ。布団の中にある枕の方が私」

 

「布団の中に枕? でも寝た時に使った枕はここにあるしな……。あれ……、何故に二つ目の枕があるんだ? しかも寝た時には無かったはずの枕だし……。あっ、これってもしやカノンの枕状態バージョンか、成る程」

 

「うん、そういうこと。ってことで兄ちゃん、布団返して、寒い」

 

 クルウドはベッドに腰を掛けると布団の中にあった方の枕を手に取り近くで確認する。その枕の色は青空を凌駕するほど蒼穹に染められており、枕らしくとても軽い。カノンの枕状態バージョンは正面から見ると縦30cm、横も30cmほどだろうか、座布団として使っても悪くない大きさである。あくまでも枕としては普通の大きさではある。しかし、人間状態の少女姿の時と比べるとどうしても小さく感じてしまう。

 

「そういえば昨日、枕の状態でいるとか言っていたけど枕状態のカノンはこんな感じなんだな。で、いつこっちの部屋に来たんだよ。マヤカと寝ていたんじゃなかったのか」

 

「夜中トイレに行った時にこっそりと来た。寒かったんだもん」

 

「カノンにも布団やベッドが用意されていただろうに。」

 

「……兄ちゃんと一緒に居たかったから。それだけじゃ……だめ……?」

 

「……そうかい、分かった分かった。ひとまずカノンを見つけたし、母さんたちに報告しに行くぞ」

 

 クルウドに涙目を浮かべながらじーっとクルウドを見つめる枕状態のカノン。いつの間にかクルウドの膝の上に座っていた。明らかに懇望されていることを悟ったクルウドは一度溜めたあと少し目をそらして答える。契約した効果だろうか、枕状態でもカノンの気持ちが分かった気がした。

 

「待ってよ。私はまだ枕状態のままなんだけど……」

 

「……昨日打ち明けたんだし別に気にすることもないだろ。また探しに行かせて徒労させる訳にもいかないし」

 

 クルウドはヒョイと枕状態であるカノンをお姫様抱っこするように持つ。クルウドとしてはこの枕がカノンである以上つまむように持つのも失礼だよなと抱えたのだが、前触れもなくお姫様抱っこされたことにカノンは機嫌をよくするのだった。

 

 

「母さん。カノン居たよ」

 

「私もレイラさんもあれだけ探したっていうのに……、で、カノンはどこに居たの?」

 

 カノンを探しに外に出ていたら呼び戻さないとなと思っていたクルウドだったが幸いレイラとマヤカは家の中に居た。特にマヤカの方はカノンのことが心配だったのかクルウドの元に駆け寄ってくるほどだった。

 

「ほらよ。普通に隠れていやがった」

 

 手に持っていたカノン(枕状態バージョン)を見せると、母さんはそういうことかと合点がいったようで朝食の準備に取り掛かり始める。しかし、枕状態のカノンを見せたところですぐにそれがカノンだと気づく人はそうそういない。マヤカもその一人だ。

 

「それってただの枕じゃない。クルウドもずっと寝ぼけていないでちゃんと探したらどうなの。」

 

 一方でマヤカはというと怪訝の表情を浮かべつつも、自分がふざけていると思ったのか怒る。マヤカはしばらくの間ずっとカノンを探していたようなので、青い枕を目の前に出されてこれをカノンだと言うのなら普通だったら怒って当然だ。

 

「兄ちゃんは間違っていないよ。一応私のことを探していたもん。それにマヤカも私が何の精霊かっていうのは知っているでしょ」

 

「えっ、カノンはどこなの」

 

 誤解を解くためにマヤカにどう説明しようかと悩んでいたところ、カノンが助け舟を出してくれる。しかし、枕状態のカノンの姿を知らないマヤカにとっては、正にカノンの声は聞こえど姿は見えず、という状況であり当惑する。

 

「だから目の前に居るでしょ。まず私の質問に答えた」

 

「カノンは確か枕の精霊だったでしょ。ん、…………その枕ってもしかしてカノン?」

 

マヤカにも昨日の夜に自分たちのことは話していたのでマヤカは迷いなくすらすらと答える。この枕の正体に思い当たる節が出てきたようで枕状態のカノンに顔を近づけ観察すると、不思議がる素振りを見せつつもカノンの名前を出す。

 

「そうだよ! マヤカとは昨日あれだけ話し合ったから仲良くなったと思っていたのに。気づいてよ」

 

「……うん、ごめん。クルウド、これは流石に……気づかないよね?」

 

「そんなの気づかないだろ。……現に俺もすぐには分からなかった。似ている要素なんて、カノンが人間状態の時の髪や眼の色が枕の色と同じく青いことぐらいしかないんだからさ」

 

 クルウドの顔を見て同情を誘うマヤカ。マヤカはクルウドならカノンの機嫌を直せるかもと期待してクルウドをわざと巻き込む。マヤカも初めはレイラを仲間にしようと考えたが、レイラはすぐに青い枕がカノンだと判別したためにクルウドしか頼れなかったのだ。クルウドもマヤカと同じくすぐには気が付けなかった同士、肩を持つことにする。あれで気付けと言われる方が無茶である。

 

「それでも兄ちゃんなら分かると思ったのに……。兄ちゃんだけは初見でも気づかなきゃ」

 

「カノンももう過ぎたことを責め立てても仕方ないのよ。まぁクルもカノンはあなたの契約精霊であるんだからきちんと気づいてあげないと」

 

「……すまない。でも、もう枕状態のカノンも確認したし次からは間違えないから。許してくれ」

 

 マヤカに加勢したはいいのも、カノンだけでなくレイラにも契約者なのだから気づいてあげないとと白い目で見られてしまい気まずくなって謝罪するクルウド。マヤカが「こればかりは気が付かなくてもしょうがないよ」と暖かい目線を向けてきたので謝る必要はあるのかと若干迷ったのだが、後味が悪くなるのを防ぐためにも正直に言ったのだ。

 

「それじゃあ揃ったことだから朝ご飯を食べて出発しよ~」

 

「マヤカ、どこか行く予定でもあるのか?」

 

「マヤカと一緒にヤンセン食堂に朝ご飯を買いに行ったのよ。その時に会ったアビジャさんがクルとカノンも遊びにおいでと強く勧めてくるから連れて来るわってついつい言っちゃった。ということで朝ご飯を食べたら行ってらっしゃい」

 

 クルウドは当初近所の把握も兼ねて自宅のある北地区を中心にオッセラの街をぶらぶらと散策でもしようと考えていた。しかし、予定がすでに決まっていたのなら散策はまた今度にすればいい。どこに行くのかと尋ねると行き先はマヤカの家でもあるヤンセン食堂とのことらしい。距離も近いのでさほど時間は掛からないだろう。

 

「アビジャは私のお母さんのことね。お母さんはカノンのことが気になっているんだと思う。ああ、何にも心配することはないよ。精霊と転生の秘密は話していないから。紹介がてらに私の家においでよ。……、でも、カノンは現在枕状態なんだった。秘密の保持のためにもこの姿じゃ行けないよね」

 

 マヤカは気を遣ってあらかじめ秘密を漏らしていないことを告げた。クルウドはきちんと口止めが守られていることに対して胸をなでおろす。これからもマヤカには秘密をばらされないように努めてもらいたい。

 

「人間状態を維持する分の魔力は回復したし、今からでも戻れるよ」

 

 マヤカの言葉にカノンの現状を慮ることになるクルウドたち。このままの枕状態では外に出して紹介は到底できない。もう一度カノンが人間状態になってから出かける必要がある。考慮していなかったことに改めて考えを巡らそうとする。しかしどうやら、カノンはすぐ人間状態に戻ろうと思えば戻せるらしい。この場で人間状態に戻ろうとしたのだが、カノンに待ったが掛かる。

 

「カノン、自分の部屋で変身してきなさい。素っ裸にでもなったら困るでしょ」

 

「……そうだった。状態変化の時は服がなくなるんだった。……でもこの部屋にはレイラさんに兄ちゃん、マヤカしかいないからここで変えた方がすぐ朝ご飯も食べられるし楽じゃない?」

 

「いや、だめだからねカノン。クルウドは転生したとはいっても一応は男の子だからね。私と一緒に部屋に行くの」

 

「兄ちゃんとは婚約もしているし私は見られても――」

 

 マヤカはカノンの言葉を遮るように枕状態のカノンを拾い上げると部屋に入る。普段から気の利く女性陣もこういう場面ではなかなか期待できないもので折角のチャンスも不発に終わった。今クルウドが感じていたものとは自身の不運さと換気のために窓から入ってくる冷たい風だけであった。

 




今話で第1章終了でも良かったのですが、早いところマヤカの家庭状況も分かった方がいいと思ったので後1,2話を経て第2章に入ります。


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憧れは二つ名

 カノンが人間状態に戻り、朝ご飯を食べ終えて、支度を済ましたクルウドとカノンとマヤカの3人は会話おしながらヤンセン食堂に向かって歩いている。

 

「ねえねえカノン、どうして枕状態に戻っていたの? あれじゃあ探しても気が付かないよ~」

 

「仕組みはよく分からないけど確か魔力がうんたらこうたらって言っていたよな」

 

 素朴な疑問を口にするマヤカ。その声量は呟いているかのように小さいことからもマヤカも秘密がバレないようにと相当配慮していることがうかがえる。

 

「枕状態に戻ろうと思って戻ったんじゃないんだよね。ほら、昨日ニオラント・ミダで契約をしたあとに契約が成功しているかどうかを確認するために兄ちゃんの記憶を覗き見た時にさ、その2つのダブルパンチで私の魔力がこさぎ取られてしまって……。魔力が枯渇したことで枕状態になったんだと思う。ニオラント・ミダもそこそこ魔力の消費量が多いからね」

 

「記憶の鮮明化を選ばずとも念話とか視界共有とか他にもあっただろ」

 

 カノンだって記憶の鮮明化が魔力の消費が激しいことを知っているはずだ。そこまでしてでも俺の記憶に興味があるのだとクルウドは感じ取る。ただ同時に、カノンをしてでも強制的に状態変化を引き起こすほどに魔力を使用しなければならないことに対して、クルウドは使いどころは考えものだと唸るのである。

 

「ニオラント・ミダって何? 魔法の一種?」

 

「これはまだ説明していなかったっけ。ニオラント・ミダは契約魔法のことだよ。精霊と人間が契約するときに使う魔術のことで、滅多に使われない魔術なんだ。ニオラント・ミダを行使する際には契約する者の間で魔法陣の光る色が違うらしくて私たちの場合は青紫色だったよ。あれは綺麗だったなぁ。ただ契約完了時に閃光が空に伸びるんだけど、私たちにとってはこの現象はとても不都合なんだよね。よほど僻地でない限りその閃光が見られてしまうから。しかも、王国レベルにもなると過去の膨大な資料もあることだし、もうすでに精霊と人間の間で契約が行われたことも察知されていて、おおよそ見当がついているかもしれない。そうなれば平穏な暮らしなんて夢のまた夢になっちゃう」

 

「カノン。ちょっとした騒ぎになっていたよ。何にも昨日の夜に入って間もなく、空に白い光が上がったと思うと眩しく光って消えたらしいとか。これって例の……契約魔法、ニオラント・ミダの影響だよね?」

 

「……うん多分そう。もう噂になりつつあるんだ……早いなぁ。契約魔法の詳細を知らない巷の人々は怪奇現象で事を済ませるだろうけど…………、教養の高い王国の重鎮や関係者の目は欺けないだろうから……私たちだっていうことが明るみにされないように祈るしかないよね……」

 

 契約した時に打ちあがった光が既に噂になっていることを聞いて、カノンは悲壮感を漂わせる。オッセラには高い建物がそう多くない上に現代日本とは違い、暗くなった夜でも街にあまり光が溢れてかえっていないため、大分目立ったことには間違いない。

 

「……おいおい、困ったときの神頼みか。何か良い方法でもないものですかね」

 

 カノンが祈るしかないと言い出すほどに事態は深刻さを極めているらしい。ただ、神頼みを戯言だと切り捨てるクルウド。もしまずい事態ならば祈るのではなく考えるべきだとクルウドは思うからだ。そして、その時絶対カノンの力が必要になるだろう。

 

「それってまずいっていう話だったわよね。運が悪ければ国王様や近衛騎士らの前で尋問形式で事情を糺されるとか言っていたし」

 

「王都まで行って詳しい事情を説明しなきゃいけなくなるだろうからかなり面倒ごとになると思う。もしそうなった場合にはマヤカも私たちの契約のことについて知っているから王都連行の巻き添えをくらうかもしれない。レイラさんもそうだけど、私のせいで皆を巻き込みたくない……、でも……」

 

「カノン、もう契約したのだから今更気を揉んだってどうしようもないだろ。俺たちが契約を交わしたことを気づかれなければいいだけだ。自信を持って堂々としていたらそう簡単に暴かれることもないはず。頼んだぞカノン、お前は我が相棒にして策士なんだからな」

 

 しかしながらカノンは先程からのネガティブ思考を崩さない。あまりにもひどいので見ているこっちまで憂鬱になってしまう。そこでこの空気を払拭しようとクルウドはカノンのモチベーションを高めるためにも気にするなと伝えるとともにカノンは俺の相棒だと言ってみる。献身意欲の高いカノンならばその言葉だけでも気持ちは上向くだろう。例え悪い方向に導いてもなるようになるだけだ。

 

「ねえ聞いたマヤカ、今兄ちゃんが私のことを策士だと言ってくれた~。つまり、兄ちゃんにとってなくてはならない存在ってことだよね。これでライバル争いも私のリードが大きくなったね」

 

「少し落ち込んでいたから慰めてあげようと思っていたのに、カノン変わり身が早くない? ってこんな話をしている場合じゃなかった。ねえクルウド! 恋のライバル争いに負けるわけにいかないの。私にも何かいい名称はない? 私はカノンの策士に負けず劣らずの二つ名がいいな」

 

「……は? 二つ名? そんなもん無くたって生活には支障をきたさないだろ」

 

 思ってもみなかった展開にクルウドは目を点にする。あくまでもクルウドはカノンを奮い起こそうと策士だと言ってみただけなのだが、カノンはあまりの喜びようを見せる。すっかり調子に乗ったようで恋のライバル争いも私が優勢だとマヤカを煽るカノン。それでマヤカの負けず嫌いに火が付いたようだ。

 

「じゃあクルウド君はなんでカノンだけには二つ名を付けたのかな? クルウドを支える身である以上私も二つ名が欲しいのになぁ……」

 

「それはカノンもさっき言っていたようにカノンが塞ぎ込もうとしていたから励まそうとしただけだって。別に、カノンを差別化しようとしたわけじゃないからさ」

 

 つれない態度を取るクルウドに対して二つ名を要求するマヤカ。その目は本気だ。

 

「本当に? ……でもやっぱり欲しいものは欲しいって言い続けるからね」

 

「子供じゃないんだからさ、駄々をこねなくても。……いや4歳はまだまだ子供なのか。うーん、俺としてはマヤカには凛としていてもらいたいんだけどな」

 

 二つ名なんて無くたって問題というスタンスを保っているクルウドの前でそれでも二つ名の取得を諦めきれないのかマヤカは強情を張る。普段は大人びているマヤカもこういう場面では年相応の態度を見せる。昔からマヤカが年相応の態度を取るのはクルウドがいる時だけだと相場が決まっている。しかし、転生2日目でそのことを存じて上げていないクルウドにとってはマヤカが甘えん坊に見えているらしい。どうやらクルウドはマヤカに凛とした姉さん気質を求めたいようだ。

 

「兄ちゃん。マヤカにも二つ名を与えてあげればいいじゃん。私だってマヤカだってそもそも兄ちゃんにわがままを言ったところで何にも悪くないでしょ」

 

「……いやいや、そのわがままを受けることになる俺のことを考えろよ。っていうかカノン、マヤカとはライバルだったんじゃないのか? なのにマヤカにも二つ名を与えたら優位性が消えてしまうだろ」

 

「兄ちゃんは大人なんだから私たちのわがままを聞く立場なの。……それにマヤカはライバルではあるのと同時に友達でもあるから。友達の肩を持つのは当たり前だもん」

 

ライバルの味方をするカノンに対して、それなら義理の兄妹である俺の肩は持たないのかよと思ってしまうクルウド。そんなクルウドを尻目にカノンとマヤカは2人ともクルウドにマヤカの二つ名を考えてもらおうと意気投合していた。この時期の友情はこうして育まれるのだ。

 

「そう言うのならカノンは二つ名の返上でもするってことで決着だな。これでカノンもマヤカも条件は同じになる」

 

「嫌だよ。私の二つ名は策士。策士カノン、語呂もいい響きだし気に入ったもん」

 

「カノンは取り下げる気はなしか……。となると二つ名だけど……、いい感じのものが思いつかないんだよな。ところでさ2人とも、見えたぞヤンセン食堂。こうして皆で仲良くおしゃべりしながら歩くとすぐ着くものだと思っていても案外時間が掛かるものだよな」

 

 そうこうしているうちに目的地に到着する一向。2人で楽しく話し込んでいるカノンとマヤカとは対照的にやけに時間が掛かったと感じるクルウド。実際、クルウドの家からヤンセン食堂までは大体十分少々でたどり着くはずなのだが、不思議なことに倍以上の時間が掛かっている。まぁスマホや腕時計がないので本人たちにとっては確認するすべはないが。

 

「クルウド、こっちこっち。私たちはご飯を食べに来たお客さんではないから隣にある家の方の玄関から入るの。今度からも遊びに来るときはこっちの入り口から入ってね」

 

「……そうなのか。カノンと2人で来たら間違えるとこだったな」

 

 クルウドはあれからというものマヤカの二つ名についてわりかし真剣に熟考していたので特に何も考えることなく店舗の入り口に足が向かっていた。しかし、クルウドたちはヤンセン食堂に用事があるのではなく、マヤカの家に遊びに行くのが目的である。一行は家の通用口があるという店舗の手前にある裏小路に入ってお邪魔することにする。

 

「料理屋らしくいい匂いがするよね。朝ご飯食べなければ良かったなぁ」

 

「あの朝ご飯もほとんどうちの店の料理だよ。オッセラでは朝ご飯を買う人の割合が多いからね」

 

 今は営業中のこともありヤンセン夫妻は揃って厨房にいるとのことなので廊下を通って厨房に向かう。もちろんマヤカの苗字はヤンセンである。マヤカの家とヤンセン食堂は中で繋がっているらしく、家と店を隔てている扉が閉まっていてもマヤカの家の中では美味しそうな料理の匂いを微かに感じることができる。

 

「ちょうどお父さんにお母さんも厨房にいるじゃん~。たっだいま~」

 

「あら、マヤカおかえり。クルウド君もいらっしゃい。そちらの子は……」

 

「ようクルウド。その子の名前はカノンだったはずだ。そうだろ?」

 

 ヤンセン夫妻にとってみれば娘が仲良くしているクルウドはいつもの顔ではあるが、転生したクルウドにとっては初対面で名前も分かっていないのでとりあえず会釈することにした。ヤンセン夫妻がいい人そうなのは見た感じで想像が付く。シーハみたいなお調子者が知り合いの大半を占めていないことに改めて安心感を抱いたクルウド、及びカノンなのであった。

 




次話のあとは閑話を挟んでから次章です。


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将来の夢

次話の閑話で第1章がようやく終わります。


「初めまして。カノン・ベディ・エピローヴといいます。マヤカとは友達なのでこれからちょくちょく遊びに来ます」

 

「そうそう、カノンちゃんだったわ。ようこそヤンセン食堂へ。いつでも大歓迎よ。ほんっとレイラさんの話で聞いていたようにとっても可愛いらしい。水色寄りの青いサラサラした髪とか昔は憧れたものよ」

 

 マヤカのお母さんであるアビジャがカノンの髪を気に入ったようで何度も撫でる。カノンはくすぐったそうにしつつも気持ちよさそうにアビジャの手に髪を預けている。マヤカに目で合図するとマヤカが人物紹介を始める。

 

「クルウド、カノン紹介するね。こっちがお父さんでアルギン、お母さんのアビジャ。奥にいる、あ、手を振ってくれているのはうちの店で働いているサンクルさんね。朝の間の忙しい時間帯にはトンブさんもいるんだけど今は時間的にもピークも過ぎたからいないね」

 

 カノンだけでなく一見いつも通りのクルウドにも紹介すると言ったあたりマヤカの気遣いが垣間見える。それからというものカノンがスープや料理に使うソースの味見などして一通り紹介を終えたところで食堂を後にする。案内と言っても所詮食堂と、マヤカの家族と食堂の従業員であったので大して時間は掛からない。

 

「私たちは家の方に戻ってるね。またお昼になったら店の方に来る」

 

「分かったわ。もちろんカノンちゃんもお昼ご飯食べていくわよね」

 

「いいんですか。じゃあぜひ!」

 

 お昼ご飯をご馳走になることとなり、一旦食堂を離れる。クルウドは自身の父親以外はいい人揃いであることに巡り合う人の運は恵まれていることを実感する。

 

「あれ、もういいの? 顔を見せただけだけど」

 

「お父さんもお母さんもお店の営業があるからね。そろそろお昼でお客さんが入り始める頃だから忙しくなる」

 

 マヤカの部屋に上がらせてもらうクルウドとカノン。カノンが紹介がこれだけでよかったのかと尋ねる。一方でクルウドはマヤカの二つ名について熟考していた。

 

「兄ちゃん、ずっと考え込んでいるようだけどマヤカの二つ名の件?」

 

「そうだよ。さっきから色々と考えていた中で候補は複数あるんだけど一番良さそうなのは軍師。……うん悪くないと思う。マヤカ、軍師っていうのはどうかな……? 策士と軍師って似たような意味なんだけど、それはそれで似たところも多いカノンとマヤカの関係からしても合うと思うんだ。もし他のやつがいいのならまた考えることにするけど……」

 

「軍師でいいよっ。私は今度から軍師マヤカと名乗らせてもらおうぞ、ってね」

 

 軍師マヤカの響きが良かったのかクルウドが決めた二つ名なら何でも構わなかったのかは分からないが、マヤカは間髪を置くことなく自身の二つ名を決定する。

 

「それ人前で言ったら変な目で見られるだぞ。厨二とか言われるからやめとけよ~」

 

「ちゅうに? 何それ。クルウド、それはどんな意味なの?」

 

「……いや、知らないならそれでいいんだ……。知ったところで使う場面など無いだろうし」

 

「ふーん。よく分からないけど分かったことにしておく」

 

“厨二”という言葉を知らないマヤカが質問する。マヤカに対して積み上げていたイメージを崩さないためにも純粋なマヤカに“厨二”という言葉を覚えさせるわけにはいかないので知らないならそれでいいとやんわりと断るクルウドであった。これがきっかけでマヤカが厨二病にでもなったら大いに悲しむ。

 

「クルウドは転生してこっちの世界に来たんでしょ。この世界でやってみたいこととかあったりするの? 

「あ、それ私も聞いてみたいな。兄ちゃんの将来の夢はまだ詳しく聞いていなかったなぁ」

 

 昨日の夜はクルウドが早く寝てしまい話し合えなかったので、情報の獲得のためにも互いのことを聞き合っていた。

その中で将来の夢の話になる。まず、料理の腕の向上を挙げたのはマヤカだ。次にカノンが兄ちゃんと楽しく一緒に居ることだと言う。それを聞いて昨日も言っていたよなぁと思い起こすのはクルウド。改めてこの恋のライバルは強敵だなぁと再認識したのはマヤカである。

 

「俺の夢か? やってみたいことねぇ……何だろ……。うーん…………」

 

「どうしたの兄ちゃん? 何でもいいんだって。ほら兄ちゃんは既に17年生きてきたんだから夢の一つ二つはあるでしょ」

 

 最後にクルウドの番となるのだが、クルウドは自身の将来の夢を思い浮かべずにいた。いつまで経っても何も言わないのでカノンが心配する。

 

「……そうなんだけどな。17年も生きているとどうやっても自分の現実が分かってくるのさ。夢だってそう、この夢を追いかけて頑張ってみたところで実現不可能だとか自分には無理なんだろうなぁって」

 

「クルウドはその夢に対してどれぐらい頑張ったの? 色々な夢や希望を持った中で本気で叶えようと思って努力した割合は?」

 

 クルウドが諦めの言葉を口に出すにつれマヤカの表情が険しくなる。そして、真面目な顔をしてクルウドに問う。どうやら夢を簡単に投げ出すことに怒っているようだ。

 

「いや……、夢を追いかける前にばっさりと切り捨てることが多かったかな。大抵のものは時間の無駄だし、叶いっこないから」

 

「どうしてそんなことを言うの……。私の知っているクルウドは目立ちたがり屋で将来について語っているときには目を輝かせてかっこよかったんだよ」

 

「と言われても俺は転生前のクルウドについては全く知らないからなぁ。性格や人格だって思いっきり別人だし。それにここは転生前にいた現代日本とは生活とかもろもろ大違いだ。場所が変われば叶えられる夢の数も変わってくるし……」

 

 漠然とした夢を持っては努力をすることなくそうそうに諦めているクルウドに対して、マヤカは自分がよく知っていた深生が転生してくる前のクルウドの様子を今のクルウドと重ね懐かしむ。とは言っても転生後のクルウドやカノンは転生前のクルウドとは会ったことがないため反応がぎこちない。クルウドは困った顔を浮かべつつマヤカを見やる。

 

「それならまた一から夢を考え直せばいいだけのことじゃん。この世界は兄ちゃんが前に居た世界とは違うけど、その分向こうの世界では出来なかったこともできるからね」

 

 例えばの話だが、コンピューターの無いこの世界でプログラマーとかの夢を持っていたとしても叶う見込みはないということだ。所変われば品変わるといったように世界が違えば持つ夢も変わるはずである。

 

「確かにそうだな。うーん……。折角の異世界に来たのならやっぱり冒険とかしてみたいかな。転生前の世界だとどこに行ってもあらかた踏み調べられていたし、衛星写真とかでどこでも確認できたから冒険家も多くなかったんだ。だけどこの世界にはファンタジー小説のように冒険者として生計を立てている人も多いようだし需要はあるんだろ」

 

「いいじゃん。じゃあ将来は皆で冒険しようよ。そのためにも頑張らなきゃね」

 

「冒険は危険だし、命を落とすことだってあるんだろ。そんなものに初めからカノンを巻き込む気もないし危険な目に合わせたくはないんだけど」

 

 向こうの世界でできなかったことも出来ると言われて冒険してみたいと呟くクルウド。現代日本に居た時から転生といったら冒険、冒険=転生のイメージが頭に染みついている上に、この世界には魔人や獣人といった人間族とは違う種族が居ることが判明していたので漠然とした中でも旅にはいずれ出るつもりはあった。

 

「つまり、クルウドは1人で冒険する気なの?」

 

「ああ、そのつもりでいるけど」

 

 マヤカの問いに対してクルウドは当たり前のことのように答える。このままいけば彼女たちに自分のわがままに付きあわせる必要はないというクルウドの考えは揺るぐはずはなかった。

 

「昨日私が兄ちゃんと会った時に何て言ったか覚えている? 私はいつでも兄ちゃんを支えるってきちんと言ったよ。冒険の時の料理とか洗濯の家事一般は私に任かせておいて。家事は得意分野だからね」

 

「家事が出来るってさり気なくアピールしていくなんて……、流石策士カノン。私もクルウドが旅に出るのなら一緒に付いていく。それはカノンだって多分同じ。好きな人の近くにいないという選択肢は私たちの中にはないもの。ね、カノン」

 

 カノンに同調を求めるマヤカ。似た者同士故に考えていることは同じらしく、遠距離恋愛という選択肢はカノンもマヤカも頭の中にはないようだ。

 

「当たり前じゃん。私は絶対兄ちゃんと一緒に居るって決めているもん。そもそも兄ちゃんは私の護衛があるのに離れ離れになれるわけないよね。遠すぎて守れなくなっちゃうもん」

 

 カノンに指摘されてクルウドはどうしようかと悩む。クルウドの役割はカノンと一緒にいることになっている。いずれかは別れようと思っていても、カノンが拒否することが手に取って分かるためクルウドの思考は徐々にカノンを連れていく方向に傾きつつあった。

 

「護衛は名目上だっただろ。それにマヤカの場合ヤンセン食堂はどうするんだ。今だって繁盛しているのに継がなくてもいいのか?」

 

「元々うちの両親は2人ともオッセラ出身ではないの。お父さんも色々と各地を巡っていたらしいし、その道中に母さんと出会って身を固めようと移住してきてお店を開いたと言っていた。だから料理に関する知識の見聞を広げるためにも旅に出てみたい」

 

マヤカとしても冒険に出る積極的な理由を持っているようである。

 

「……それじゃあ冒険する時は3人で行くことにしますか。その時は一緒に」

 

「兄ちゃん、これは約束だからね。反故にしたらほんとに怒るからね」

「ええそうね。置いてきぼりは許さないから」

 

 最終的には女性陣に言いまとめられてクルウドは渋々といった感じで約束を交わす。カノンとマヤカはハイタッチして喜びを示す。今朝から兆候は見えたものもその様子を見てたった一日でそれほどまで仲良くなったことを知るクルウド。約束を結んだことで各人笑顔を浮かばせているのは気のせいであろうか……。

 

「あっ、でもその場合は兄ちゃんと私が婚約からそのままゴールインして結婚しているから、マヤカには悪いけど将来独身生活になっちゃうけどそれでいいなら皆で冒険がてら旅に出ようよ」

 

マヤカと2人で上機嫌だったカノンは何かを思い出したかのような素振りを見せると無意識に爆弾を落とす。

 

「……、カノンは何を言っているのかな? 第一、何故私が負ける前提になっているの? クルウドとは私が結婚するのだから独り身はカノンの方だからね。悔しさのあまり冒険に行きたくないって言ったとしても私はカノンのことは知らないよ~」

 

 不意を突かれて一瞬黙り込んだマヤカ。顔を上げると当然カノンに対して反論する。特に結婚の部分を強調しながら。この時のマヤカの目は笑っていなかったのは言うまでもない。

 

「……むうっ、マヤカも本気だね。だからこそ私だって負けはしないもん」

「……ふっふっ。私こそ3年前も前からクルウド一筋なの。たとえクルウドが転生して変わったとしても気持ちは揺るぐことはない」

 

「まだ結婚なんて数十年先の未来のことなのに断定するなよ。っていうか、お互いに言い合っていることが酷すぎない? それはいくらなんでも惨めすぎるだろ」

 

 クルウドはこういうと2人の気持ちを静めることになった。

 



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カノン編エピソード1 日本から来た少年との関係

遅くなりました。
今回は閑話ということもあり、いつもとは文章の形式を変えてみました。会話がメインです。


 話はクルウドが転生した日の夜に戻る。クルウドが晩ご飯の直後に寝た後、次に翌日も仕事があるシーハが床に入った。

 というわけでリビングにはカノン、マヤカ、そしてレイラの3人が残り、女子トークに花を咲かせている。

 

「カノンが本当に精霊だなんて。どこからどう見ても人間そのものなのに……。実物なんですよね」

「やめてよ~、マヤカくすぐったい。今は魔力によって人間状態になっているんだよ。魔力が切れれば精霊の姿になるし。まぁ精霊の姿といっても枕状態になるんだけどね」

「精霊族を見る機会はそうそうないからね。カノンが精霊だってことをマヤカは信じられなくたって不思議なことじゃない。お偉い貴族でも精霊と話すことはできないだろうさ」

 

 マヤカはカノンが本当に精霊なのかと触って確かめるも分からずじまいでいる。それもそのはず、カノンが人間状態の時は精霊でありながら姿は人間そっくりなのである。

 

「カノンは礼儀がしっかりしているし随分と人懐っこいから親しみやすいのよね。まるで精霊とは思えないぐらいに」

「精霊は親しみにくい種族なんですか?」

 

 精霊についてあまり理解できていないマヤカがレイラに精霊のことを聞く。

 

「昔に人間族と精霊族が戦争をしていた話があるのよ。この世界の歴史として有名な事象なの。戦争直後は互いの印象は最悪だったらしくてね。それこそ人間と精霊の契約は500年以上も行われなかったのね」

「……でも、ファンタジーの小説では人間と精霊の契約した者同士は仲良く書かれていますよね。それはまるで戦争をしていたとは思えないほどにです」

「500年以上契約者は現れなかったのだけど、ある時ついにマラ・モロッカという人が精霊との契約に成功したの。それ以降は時々現れてきた契約者と契約精霊の活躍によって人間族の間では精霊に対しての悪印象が薄れてきたのだけど……」

 

 レイラは人間族と精霊族との関係を語り始める。昔の時代に人間族と精霊族は一度戦争になったことがある。それは100年も続いていたものだ。

 

「だけど、ですか? その後に何か問題でも生まれたんですか?」

「新たに問題が起きたんじゃなくて、問題はずっと問題としてあったのよ。悪印象が解消されつつあったのはあくまで人間族側から見た精霊族に対してだけ。つまり、精霊族から見た人間族の印象は悪いままで何も変わっていなかったの」

「それじゃあ精霊は人間のことをよく思っていないということですか」

「私もカノンとは別の精霊には会ったことはないから確信は持てないのだけど、恐らくそのはずよ。歴代の契約者を書いた多くの書物には契約精霊は契約者以外とは友好的でなかったと記されているの。そして、その契約者の中には人間と精霊の戦争前の人もいるから」

「あまり人間とは親密では無かった上に、人間側と戦争が起きたとなると……。それなら悪印象であってもおかしくないですね」

 

 戦争以後、精霊族は人間族との関わりを閉ざす者も数多くいた。それでも中には人間と仲良くなり契約した者もおり、それが契約精霊だ。

 その契約精霊も誰でも良くて契約をしたのではなく、人間側の契約者の実力を十分に認めた上で契約に至っている。どの契約者も全員実力を兼ね備えているのだ。

 

「私が思っているより、固定概念として考えられてきた感じとは違ってカノンが気さくなようだから意外な気がしたのよ」

「カノンは人間が嫌ではないの? 私がクルウドとの関係者ではなかったらライバルとして見なかった?」

 

 カノンはマヤカの言葉に首を縦に振る。マヤカがクルウドの知り合いでなければカノンとマヤカがこのようにライバルになることはなかった。

 

「私はまだ4歳なんだよ。そんな歴史があったことは知ってはいたけど人間に対して嫌悪感が全く無いんだよね。今だって人間の格好をしているほどだよ。それに私は人間族に敵意は持っていないし仲良くしたいとも思うし。シーハさんみたいに意地悪する人や相性が悪い人とは距離を取るだろうけどね」

「カノンも年齢の割には知識が豊富だよね。クルウドは転生する前の人生がある分博識であることは分かるのだけど……。カノンって本当に私と同じ年齢なの?」

「――そうだよ。私は兄ちゃんやマヤカと同じく4歳。知識が豊富なのは…………、私は頭がいいから? ……困らないためにも今こうしてここに来る前に色々と勉強したんだから」

「何、その謎の間は。あと何で疑問形になっているの……。……同じ年齢だというのは分かった。でも、クルウドの元に来るにしても、家族はよく了承したものよね。まだ幼い自分の娘を良い印象のない人間族の元に送るんだもの」

「……それは…………。……私が無理を言って離れたの。もちろん反対されたけど。それでも……」

 

 年齢故なのか人間に対して拒絶感を持ち合わせていないカノン。実に人間らしい振る舞いをしている。 

 しかし、マヤカの質問に対して説明していくうちに徐々に言葉に詰まるカノン。何か話せない事情があるらしい。

 

「マヤカもそこまでにしておきましょう。マヤカ、私もカノンの過去に何があったのかは知らないわ。だけどね、クルウドが秘密を話すときも同じことを言ったのだけど、その過去のことを話したくないのならカノンは無理して話すこともないのよ。根掘り葉掘り聞くつもりもないし口外するつもりもない。だって私はあなたの家族なのだからね」

「レイラさん分かりました。カノンごめんなさいね」

「マヤカが謝ることはないよ。ただ、私の過去に関してはあまり触れないでほしいかな」

 

 レイラの言葉で下を向きつつあったカノンの心持ちや表情が元に戻る。カノンの過去については聞かぬが仏なのかもしれない。

 

「暗い雰囲気になっちゃったし話題を変えましょうか。何にしようかしらね……。クルについての話にする?」

「いいですね」

 

 レイラは場の空気を変えようと話題の転換をする。

 

「私ね、クルの髪色が黒なのはクルが転生してくるというサインだったのかなと今になって思うの」

「クルウドの髪は黒でしたね。確かに黒い髪って珍しいですよね」

「ええ、生まれた時には既に黒い髪色だったわ。それを見てシーハさんは不吉だとか言っていたのよ。もちろん私は怒ったんだけどね。我が子に対して不吉というなんてほんと酷いよね」

「あの~レイラさん、黒髪ってそんなに珍しいんですか?」

「うん、珍しいわね。少なくとも10,000人に1人もいないんじゃないの。茶色系とかはよく見るけど、クルみたいに真っ黒な髪の人は全然いないのよ」

「そうなんですか。そういえば、兄ちゃんは転生前も黒髪だったって言っていたよ」

「へぇ、転生前も黒髪だったんだ。レイラさんが言ったように黒い髪はサインだったのかもしれませんね。クルウドは黒髪が似合うし」

 

 現代日本とは違いこの世界では黒い髪の人間はあまりいない。黒髪は不吉とのイメージがあるため、クルウドは黒い髪という理由で見知らぬ人には時々避けられることがあったのだ。

 

「ところでさぁ~、やっぱり女子だけの時は恋バナでしょ。2人ともクルが好きなんだよね。晩ご飯の時も隣の席をめぐってケンカしていたようだし」

「私たちはライバルですよ。マヤカは恋のライバルです。兄ちゃんには私という婚約者がいるのにマヤカは諦めるどころか道端で大声で好きだと告白していたんですよ」

「――ちょっとカノン何言っているの!? あっそうだ、これをレイラさんに聞くためにクルウドの家に来たんでした! どうしてクルウドの婚約者にカノンを選んだんですか!? 私はいつもクルウドのそばに居たのに」

 

 リビングでは女子の集まりらしく話題は好きな人の話に移っている。カノンの言葉で羞恥心と共に本来の目的を思い出したマヤカが身を乗り出して、今まさにレイラにつかみかかろうかという勢いでレイラに質問する。手をテーブルについたときに大きな音がなったのだが、マヤカは気にすることなく迫る。

 

「カノンがいい子だったからクルと婚約してくれればいいのにと言ったらカノンが二つ返事で婚約しますって言ってきたからオッケーしたのよ」

「私だってクルウドと婚約したいですよ。レイラさん、カノンに言う前に私にも一言くれないと」

「ごめんごめん。でも、契約している者同士は普通一緒に居るものでしょ。婚約してもらっても問題ないかなって」

「私にとっては大問題ですっ~。将来私がクルウドと結婚しようと思っていたのに」

「今日初めて会ったけどマヤカもこういう行動を見せるんだね」

 

 マヤカの子供っぽい言動にそう呟くカノン。それを聞いてマヤカは我に返り一旦椅子に座り直す。

 

「他にもね、自分の子供同士だったら相手方の承諾は要らないのも理由の一つとしてあるわ」

「確かにそれはそうですけど……。でもっ、私のお母さんお父さんならクルウドとの婚約ぐらいあっさりと認めてくれると思います。親同士だって日頃から仲良しなんですから」

「確かにお二人なら喜んでクルとの婚約話を受け入れそうね」

「ならカノンでなくて私で良かったじゃないですか!」

 

 一回落ち着きを取り戻したマヤカだったが、この戦いは引けないとばかりにまたヒートアップする。

 

「落ち着いて落ち着いて。今のところ手続き上クルはカノンと婚約していることになっているけど、みんなが10歳を迎えて成人したら婚約は一時的に解消される決まりなのよ。そして、その時に婚約を破棄するか、あるいは成人後すぐに結婚をするか、もしくはそのまま婚約状態を保持するかを選ぶことが出来るの。最終的に誰と結婚するかはクルが決めることだから、どの選択を取っても私は支持するつもりでいるわ」

 

 10歳で成人を迎えるということはこの世界の共通した認識である。その中でもジベック王国は特異的で成人になると婚約が一度自動的に解消されるようになっている。

 

「……なるほど、そのような仕組みなんですね。それならば、成人までのあと6年弱の間に改めてクルウドの気を私に向けさせるのみです。いくらカノンがクルウドの義妹とはいえ私の方がよく知っているのは確かだからね」

「マヤカ、兄ちゃんは転生したからね性格とかガラッと変わっているんだよ。だから一から知るつもりでいないと、兄ちゃんとすれ違いが起きるよ」

「口調だけでなくクルウドは中身全てが変わっているってことなの?」

「そういうこと。以前のクルウドのことはよく知らないから断言はできないけど、趣味嗜好が180度違っていてもおかしくはないかな」

 

 

「2人とも頑張らないとね」

「「もちろん(ええ)」」

 

 カノンもマヤカも綺麗な返事をする。

 

「あらあら、私ったら余計に恋人争いに火を付けちゃったようだわ……。まぁ私の息子ですし、クルならカノンもマヤカもいい方向に導いてくれるでしょうけど……」

「……クルにとっては少し重荷かしら。でも、物事は大体なるようになるものなのよね」

 

 どうやらレイラの心配は過熱する恋の争いに気を向けている2人の耳には入っていないようだ。

 




次話もガールズトークの続きです。


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カノン編エピソード2 一緒に居るための契約・機能

「カノン、質問したいことがあるのだけどいいかしら?」

「いいですよレイラさん。何の話ですか?」

「クルとカノンは契約しているでしょ。契約すると色々と効果があることは知っているのだけど、人間と精霊の契約自体如何せん珍しいことでしょ。具体的な内容は知らないから教えて欲しいのよ。これでも私も昔は冒険したことがあってね、契約に関して興味があるの」

 

 今度はレイラがカノンに質問をする。その内容は人間と精霊の契約についてだ。カノンンの母親となる以上レイラは契約の内容を理解すべきだと思ったのだ。それに対してカノンは気軽に了承をする。

 

「契約ですか。私も多少は知っているので分かる範囲でなら答えますよ」

「私も聞いてみたい。カノン、いいよね」

「いいよ~。私としても契約の内容についてある程度は知っておいてもらえると今度から一々説明する手間が省けるし」

 

 カノンが精霊であることはこの場にいるレイラもマヤカも知っているので妙に誤魔化したり気を揉んだりする必要はない。カノンは気楽になりながら契約の機能の説明をし始める。

 

「理解しやすいところからだと、まずは念話ですね。この念話の機能は契約を基としたファンタジー小説とかにもよく出てくるからどんなものかは想像できると思います」

「声に出さずとも会話ができるという優れものだったはずだわ。聞かれたらまずい話やその状況の場合にピッタリなんでしょ」

「私も念話を使ってみたいけど、契約者は何百年のうちに一人しか現れない上にその枠には既にクルウドがいるとなると……私には一生縁のない話ですよね」

 

 まず念話の機能のことから説明するカノン。まだ1つ目の説明であるのだが、いきなり便利な機能を例示されたことに、契約者であるクルウドやカノンとの違いを改めて痛感してマヤカは早々に肩を落とした。

 

「まぁそうね。ジベック王国から遠く離れた大陸の南側には念話石という念話と似たような効果を持つ魔結石があるらしいのよ。あまりの稀少さ故にどの国でも国自体が管理しているとか……。……私たちでは王国に余程恩を売ることでもないと手に入れられないわよね。これこそ縁のない話だったわ、忘れてちょうだい」

「……念話石ですか。魔結石にもそのような種類のものがあるんですね」

「ええ、そうらしいわ。実物を見たことはないのだけど、その念話石はとても綺麗な色をしていて光るとそれは神秘的って聞いたの。私たちでもお目にかかる機会があればいいのものね」

 

 念話石とは魔結石の一種であり生産量の多い高暖石等とは違って中々お目にかかれない代物である。見た感じはラピスラズリのように濃青色であり鋭く輝く魔結石だ。ただ、珍しさや非常時の連絡手段として重要だと位置付けられているため、その多くは国家の所有となっている。そのため多くの庶民は念話石があることすら知らないでいる。

 

「レイラさん、王国に関わらずして手に入れることはできないんですか?」

「念話石自体があまり存在していないし、採掘地でさえも厳重に守られているようだからね。もし王国のパイプ以外で手に入れられるとしたら、現地まで赴いて闇取引でも持ち込むしか……。カノン、欲しいからといってそんなことは絶対しちゃ駄目よ。あなたは私の娘である以上犯罪まがいなことをするのは許さないからね。覚えておくの」

「レイラさん、私はそんなことはしないですって。そもそも私には念話石が無くとも念話ができるんだよ。念話できるのに念話石は要らないもん」

「まぁそうね。そんなことをするぐらいならカノンはクルと一緒に居たいはずものね」

 

 我が娘が悪事を働かないようにと牽制するレイラに対してカノンは心配はご無用とばかりに契約によって念話ができることを強調する。その強調を受けてマヤカは私は特別じゃないんだと更に落ち込むのだが、そのことは2人は知らない。

 

「次に知識の共有だね。互いの持っている知識を共有することを可能にする機能です」

「これは聞いたことがあるわよ。昔見た本に載っていたの。『契約を交わす者、互いに見聞を広め、包み隠すこと無きように』と書かれていたはず。恐らくだけど知識の共有をすることで契約者が精霊族の世界のことを、契約精霊が人間族の世界のことを理解できるようにしたのだと思うわ」

「種族の違う者だからこそ互いをより深く知るために知識の共有をするってことですか。そういうことなんだ。知らなかったなぁ」

「カノンも知らなかったの?」

「うん、私は契約の内容の一部については知っているけどその背景までは調べていなかったんだ」

「昔の珍しい書物だったからね。カノンもその本を見る機会はなかったのね」

 

 2番目にカノンは知識の共有という機能を挙げる。この機能の存在理由としては互いの理解を深めることにある。契約後も互いのことを知らずに過ごすことは契約した者としては問題であるらしい。

 

「3つ目に視界共有です。これだけは特別で私は兄ちゃんの視界を確認できるんだけど、兄ちゃんからは私の視界は見られないんだ。どうも精霊特有の機能らしいね」

「クルウドが何を見ているか分かるってこと?」

「そうだよ。ただこの機能は許可制でね、視界共有するかどうかの権限が兄ちゃんあるから兄ちゃんが視界共有を停止したら私が見ようとしても見られないんだよね」

「普通は許可しぱなっしにするんじゃないの。もし停止したことがバレたらカノンが怪しむってことぐらいクルウドも分かっているだろうし」

「転生前にある程度生きていたのだからクルも馬鹿な真似はしないと思うわ。私としても視界共有の機能は初めて聞いたわ。精霊しか使えない機能である分あまり伝えられていないのかしらね」

 

 クルウドは昼にこの機能についてカノンから聞かされていた時には難色を示していたのだが、3人の見解は一致しているようでクルウドが視界共有を許可すると思っているらしい。これでクルウドは嫌でも許可するしかないだろう。

 また、この視界共有の機能はレイラが言うように人間族には使えない機能であるので契約者の伝記や本にはあまり書かれていない機能であるのだ。契約で解放される機能は人間も精霊も使えるものが大半であり視界共有のように片方しか使えない機能は特別なものだ。

 

「次で4つ目だよね。4つ目は記憶の鮮明化です」

「これも聞いたことがないわね。鮮明化ということは記憶をはっきりさせるのかしら?」

「半分当たりで半分外れかな。この機能を使えば記憶をはっきりすることはできるけどそれだけじゃないんだよ。その何時ぞやの記憶を今見ているかのように脳の中で再生することができちゃうんだ。フラッシュバックさせるっていうの? いやむしろ、仕組みとしては脳に錯覚を起こさせる感じなのかな。脳に作用するからか魔力の消費は他のよりも随分と多いんだけどね」

「ふ~ん。記憶の鮮明化だったっけ? 念話とかに比べると地味だし、魔力の問題もあって何かと使う場面がなさそうな機能ですよね」

「魔力の問題?」

 

 次に記憶の鮮明化についての話をするカノン。これはクルウドが諸刃の剣と評して、使い方を危惧していた機能だ。

 カノンの説明を聞いて魔力の消費が多いことにマヤカは反応する。それを見たカノンは不思議に思いレイラに尋ねる。

 

「魔力の消費が激しい魔法は色々と敬遠されがちだわ。魔力の消費量が多い魔法になるほど日常で使うことが少なくなるし、そもそも山間部等の危険な地域で暮らさないのならば相対的に消費量が多い高威力の魔法なんて使わなくても生活できるもの。例えばだけど、料理時に使う火属性の魔法だって初級の魔法で十分なのよね」

「ふっふっふ、2人ともこの機能の凄さが分かっていないみたいだね。デメリットがあるってことは当然その裏側にはメリットもあるんだよ」

「「メリット?」」 

「兄ちゃんは転生してきたでしょ。だからこの世界とは違う世界の記憶も持っているってこと。つまり、兄ちゃんが元居た世界の技術やアイデアを記憶を通じて利用したり応用したりして恩恵が得られるんだよ。その点を踏まえると既に兄ちゃんは歴代の契約者の中でも一線を画しているからね」

「そういうことね。それなら魔力量に見合っただけの効果が得られるわ」

 

 カノンの説明で納得がいったレイラは頷く。常人とは比べ物にならないほどにレイラは実に頭の回転や話の理解が早く、その博識さや頭の回転の早さはオッセラの街では有名である。その能力からお偉いさんとも関わることも多い。そんなレイラだからこそクルウドが転生したという話も受け入れられたとも言える。

 

「えっ、待って。……どういうことなのか理解が追いついていないんだけど。レイラさん分かりやすく説明してもらえないですか」

「クルが転生してきたというのは夕食前の話でマヤカも知っているわよね。その話の中でクルはこう言っていたじゃない。『俺は違う世界で生きていた。そこには魔法が存在しない代わりに凄まじい程に技術が発達していて、それはこの世界の技術とは比にならないんだ』ってね。記憶の鮮明化によってクルの記憶が有効活用できれば、私たちの生活をより発展したものに変えられるかもしれない。これがカノンの言うメリットなのよ」

「……でもそれだと転生したのはクルウドだけですから、クルウドしか転生前の記憶は見られないですよね」

 

 レイラがカノンの説明の真意をマヤカに分かりやすく伝える。

 

「今までの契約の内容から推測するに、この機能も2人の間で共有できるものなのでしょう。視界共有はカノン限定ではあるらしいけど、それについては特別だって言っていたし。互いに鮮明化した記憶も共有できるのよね?」

「レイラさん流石、ご名答。この機能も契約者間で共有できるんだ。しかも、私の記憶の他にも兄ちゃんの記憶でも鮮明化できるよ」

「そうなんだ……。何だかすごいね」

 

 契約によって解放される能力が多いことにマヤカは純粋に驚嘆していた。これはレイラも顔に出さないだけで同じ気持ちである。

 

「最後に記憶容量の拡大かな。記憶として留めておける情報量が増えます。これは特に説明することがないんだよね」

「確かに説明するまでもないような気がする」

「でしょ。今のところ一番効果が実感できなくてさ。記憶の量なんて数値として測ることもできないし」

「でも2つ合わせると中々効果的じゃないの。記憶の鮮明化で新たに手に入れた記憶は記憶容量アップの機能によってほかの記憶を忘れないで済むのだから」

「……組み合わせて考えると記憶容量の拡大も魅力的に写りますね。なんで私はその発想に至らなかったんだろ。レイラさん、ナイスです」

「あらあら、カノンの役に立てたようなら何よりだわ」

 

 今までカノンは記憶容量の拡大については契約の機能のうち最も使えないものとして付属品のように考えていたようだ。レイラの意見を聞いてカノンは記憶容量の拡大の機能について見直すのであった。

 

「私が知っている機能はこれだけだよ。でも機能もまだまだありそうなんだけどね」

「カノンは何個ぐらいあると思っているの?」

「私は5つ知っているけど、少なくとも倍はあるだろうなと見当を付けるかなぁ」

 

 カノンをもってしてでも契約によって発動できる機能は全部は知らない。そもそも契約者及び契約精霊の数自体が少ないがためにその契約による機能の全貌はまだまだ明かされていないような未知なる部分が多いのが実情なのだ。

 

「夜更かしのしすぎは身体に悪影響だしそろそろ私たちも寝ましょうか。まだ一日目ではあるけどカノン、この家は気に入ってもらえたかしら」

「シーハさんはうざいですけど、それを除けば最高です。レイラさんは優しいですし頼りになりますし、自分の部屋もありますし。思ってもみなかったほど至れり尽くせりで有り難い限りです。……あくまでシーハさんを除けばですが」

「カノンはまだ敬語が抜け切れていないわね……。フレンドリーでいいのよ。それにしても、シーハさん完全に嫌われてしまったようなのね。カノン、シーハさんは見た目はあんな感じだけど、さっきのは嬉しさのあまり空回りしていたのよ。ちゃんと言い聞かせておくから今日のは見逃してあげて、ね、お願い」

「レイラさんがそのように言うのなら……。ねえマヤカ、シーハさんっていつもあんななの?」

「まぁそうね……。私が初めてお邪魔した時もカノンのように同じ洗礼を受けたわ。でも、何度も接するうちに善人であるってことは分かったわよ」

 

 カノンは夕食前の一件のこともありシーハのことはあまり好ましく思っていないが、悪い人ではないことは接した時にすでに分かってはいたのでレイラのお願いを受け入れる。

 

「そりゃそうでしょ。良いところが無い人がレイラさんと結婚できるわけないない。レイラさんは女でも憧れる高嶺の花なんだよ。皆にとっての理想の鏡なんだから。レイラさんみたいになりたいものだよ」

「いくら何でも買い被りすぎよ。私は陰ながら努力して大成したタイプの人間だから、努力は怠らない方がいいっていうことは自信を持って言えるわ。2人とも何事も挑戦&努力が大事よ」

「そうですよね。よし、私はカノンに負けないように自分磨きをしっかりして、恋のライバル争いに絶対勝つ」

「マヤカ、それはないね。私が婚約からそのまま結婚まで一直線に進むんだから。私だって負けないもん」

 

 努力が大事だと言われて2人とも初めに思い浮かべたのはクルウドを巡る恋のライバル争いのことである。どういう訳かカノンとマヤカが絡むとどんな話をしたとしても最終的には恋のライバル争いの話になるらしい。

 

「はいはい、2人ともおしまいなさい。寝る前なのにまた熱くなっちゃって。そんなに闘志を燃やしていたらすぐ寝られなくなるわよ」

 

 強制的にその話題を終了させて子供たちを寝かせるレイラ。カノンとマヤカが寝室に戻ってから独り言のようにレイラは呟く。

 

「…………クルも私と同じように苦労者になりそうね。子供が親に似ると言うのは本当のようね……」

 



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第2章 学校編
第2章1話目 マラ・モロッカの伝記


すみません、一週間以上も空いてしまいました。今日から第2章です。この章は学校生活も中心になってきます。


 こんにちは。私は枕の精霊であるカノンです。私たちも兄ちゃんが転生してきてからすくすくと成長して早いこともう3年が経ちまして現在7歳の3月を迎えています。春は寒くなくていい時期ですよね。

 

 えっ? 3年程なんて案外短いって? いえいえ、そんなことはないですよ。私も経験上思ったのですが子供のうちに過ごす数年ってあっという間なんです。

そのあっという間の時間の中でも色々と変わっている部分も数多くありました。私の場合だとマヤカとの関係がいい例ですね。初めのうちはライバルとしか見ていなかったんです。しかし、マヤカと関わっていくうちにいつの間にか仲良くなって今では彼女が一番の親友です。

 逆にこの3年ちょっとでも変わらなかったものと言えば、やっぱりレイラさんの有能っぷりとかですかね。上手いこと誤魔化してくれたおかげで私が精霊だってことは知られずに戸籍も作成出来ましたし、こうして悠々自適に過ごせているわけですよ。あとは……シーハさんのちょっかいのうざさも相変わらずのもので日々飽き飽きしています。あまりにも長いこと無視すると反抗期になったと叫んでうるさいので時々は会話してあげています。

 

 さて、精霊にも反抗期があるのでしょうかね……? う~ん……、少なくとも私は聞いたことはないですが……。

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 転生してから既に3年以上が過ぎ、また新たな季節がクルウドたちに訪れる。クルウドが転生したのは4歳の冬であるから5月生まれのクルウドにとって今回で4回目の春だ。

 この頃になるとこの世界での常識やマナーを間違えることもない。転生したことによる人格の変化については初めは驚かれたものも、街の皆さんには目立ちたがり屋の少年が大人になりつつあるとして受け入れられたようだ。

 

 

 

 もうそろそろ学校に通わなければならない時期が迫っていることをクルウドは心の中では自覚しつつも遠ざけようとして過ごしていた3月のある日のこと。クルウドはリビングでのんびりとしていると玄関のドアがノックされる。レイラは外出するために色々と用意をしていたのでクルウドが出ようとするもレイラに手で静止される。

 応対を終えたレイラが玄関から戻ってくる。どうやら小包が届いたようだ。そして中身を確認しようと紐を解くとレイラが目を見開くのが確認できた。

 

「クル、やっと本が届いたわよ。流石アンディと言ったところかしら。まさか原本をそのまま送ってくるとは……、ほんとよく見つけ出したものだわ……。ただでさえ原本を写したものでも数が少なく絶版の上に、これはマラ・モロッカの日記だからおおよそ800年ほど前のものよ……」

 

 アンディとはレイラの友人であり付き合いは20年以上にもなる。アンディはこのジベック王国の王都ホウサで製本から販売まで行う本屋を営む店主であり、その本屋は王都でも片手の指に入るほどの規模を持つ。

しかしアンディの性格上、店主であっても彼は店にいない日の方が多い。じゃあその時はどこにいるのかというと当の本人は古本を求めて日々旅に出ている。新たなる本との出会いが彼の趣味である。

 

 そして、このアンディの性格を知っているレイラはオッセラの街では見つけられなかった本があるとアンディに手紙を出して本を送ってもらうことにしている。いつもは近況報告に加えて本のタイトルを記した手紙を送るのだが、今回は少し違う。本のタイトルではなく、人間と精霊の契約をメインとした契約者の実話が書かれている書籍の中でアンディの目に留まったものは全て送ってほしい、とレイラはしたためた。

 

「凄く驚いているようだけど、その本はそんなにレアなものなの?」

 

 マラ・モロッカの伝記を目の当たりにして数分が経ってもなお、普段は何事にもポーカーフェイスを貫くレイラは未だ薄笑いを浮かべていた。レイラが表情を表に出しているのを見るのは久しぶりだ。その様子を見てクルウドは只ならぬものだと知ったうえでレイラに尋ねる。

 

「そりゃそうに決まっているでしょう。普通こういう貴重な原本とかって個人ではなく国が所有して管理しているはずなのよ。珍しいものを探し当てて送ってくれるなんてアンディも気前がいい。だってマラ・モロッカのものよ」

「国が管理するようなものが手元にあるって……。それって実は盗品だったりしない?」

 

「そんなことはないわ。アンディは本が関わると独特な行動をすることもあるけど、盗んだりすることはないの。……それに交渉術を持ち合わせているからね。半年で届いたのもアンディのおかげ。運搬込みで半年ってもはや奇跡と言ってもいいほどよ」

 

 通常は2カ月もあればアンディは依頼を完了して本を手紙と共に寄越す。ただ、今回はやや特殊のお願いかつ入手困難であったため半年も掛かっていた。

 レイラが言うには今回ばかりは無茶振りであったらしい。それでもたった半年で応えるとはアンディは中々にして恐るべし人物である。

 

「なぁ母さん、800年も前の本がこんな綺麗な状態で現存していることってあるの? 紙が破れることなく触り心地もいいし、黄ばみや汚れすらない。この本が新品だと言われても俺なら信じるけど……」

 

 クルウドはマラ・モロッカの伝記を手に取るとパラパラとめくり中身を確認する。すると中古本とは思えないほどに完璧に初期の姿を保っていることが分かる。

 

「恐らくこの本には魔法が掛けられているんだと思うわ。劣化の防止はもちろん雨風や熱に対しても効果があるんでしょうね」

「だから年月が経ってもなお新品のように見えるわけか。……この世界ではありとあらゆることが魔法で出来るんだな。奥深い……」

 

 劣化しないと聞いてクルウドはそんな魔法までもが存在するのかと一驚を喫する。いつか使えるようになりたいものだ。

 

「今度こそ新しい知識が手に入るといいわね」

「ああ、そうであることを願うよ」

 

 実はこれまでにも何度か歴代の契約者に関する書物をレイラに頼んで時々取り寄せてもらっているクルウド。そうして手に入れた数々の本ではあったが特に目ぼしいことは書かれていなかった。どの本にも契約についての記述も多少なりにはある。しかし、転生直後にカノンから聞いた情報を上回るものは一つもなかった。

 

 そこでクルウドは歴代の契約者の中でもわりかし有名な人物の書籍に絞って注文を出した。その結果として今回届いた本というのがたまたま「再び絆を紡いだ契約者」として世に知られているマラ・モロッカの伝記であったという次第だ。

 

「それじゃあ私は出かけてくるから。何かはないとは思うけど何かあったら近くの大人たちに相談するのよ。クル、行ってくるわね。あとカノンにもよろしくね」

「了解。いってらっしゃい」

 

遊びに行くと言われていないので、カノンも家に居るはずだ。今は自分の部屋で過ごしているのだろう。

 

「ああそうだ。今家にはあまり食材がないから昼はどこかに食べに行くといいわ。お金は棚に入っているから。でも……カノンのことだからお昼は自分で作りたいと言うかしら?」

「そうだね。カノンなら買い物に出掛けてまででも昼ご飯を作るんだって言い張るんじゃない。大体2人の時は家で料理するのが基本だし。まぁ……俺が手伝おうとしてもいいからいいからって料理すらさせてくれないから見ているだけだけどね」 

 

レイラが用事で家に居ないときは大体自分たちで作る。といってもほとんどカノンがこなすのだが…。どうも下手すぎてカノンに心配されているようだ。だけど、いささか過保護すぎる。俺の人生経験の合計はもう19年にもなるというのに…。

 

「まあね……、クルはあれだから……。カノンも心配しているのよ。それなら今日の夜にでも私のを手伝ってもらおうかしら」

 

「そうさせてもらうよ。……自分でも未熟だっていうのは分かっているからそう落ち込みはしないよ」

 

 この世界に来てからも現代日本で暮らしていた時と同様に治らなかったものがある。それは不器用であるということだ。現代日本にて料理に興味が出てきたところで転生したクルウド。しかし、転生先のこの世界でも料理の腕は全然上がらなかった。これでは単に下手の横好きである。

 

 

 

 

 

「ん~、兄ちゃんどうしたの?」

 

「注文した本が届いたから一緒に読まないかって誘いに」

 

 クルウドはカノンと読もうとカノンの部屋に入る。互いの部屋は別れているが、大体どちらの部屋かに集まって一緒にいる機会が多い。

 

「また頼んだの? 兄ちゃんが契約のことを知ろうとしているのは私としても嬉しいけど、今まで参考になった話が一つ二つぐらいしかなかったじゃん」

「今回は一味違うんだ。なんとマラ・モロッカの伝記が手に入ったんだ。カノンも知っているほどの有名な契約者だろ」

 

「マラ・モロッカって戦争後初めて契約者になった人だったっけ? 一応は知っているよ」

 

「有名な契約者が書いた本なら今までに記されていなかった機能の内容も載っているかなぁと思って随分前にお願いしておいた」

 

「まぁ確かに有名な人のなら新たな情報が書かれているかもしれないけど……。どうだろ?」

 

 カノンは今回もあまり期待していないようである。マラ・モロッカという有名な契約者からでも契約の機能についての新情報が得られないとなると…、カノンが知っている情報が全てなんだろうか?

 

「そういえば、今日は母さんはいない日だけどお昼ご飯はどうする? 材料はない――」

「作る! 兄ちゃん、もうお昼ご飯にする?」

 

 クルウドが言い終える前にカノンは張り切って宣言する。クルウドの予想通りお昼ご飯を作る気でいるようだ。

 しかし、まだお昼というよりは午前中とされる時間帯だ。まだ朝食が腹に残っている。

 

「カノン、まだ昼になっていないからな。あと食材がないらしいから買い出しに――」

「大丈夫。今から買い物に行こっ! 兄ちゃんも早く準備してね」

 

「やっぱりそうなるだろうとは思ったよ。カノンはぶれないなぁ」

 

 もう3年の付き合いである。この展開すらも予想していたクルウドは動じることなく素直に従うことにする。拒否することはできないし、そもそも拒否するつもりもない。元は一人っ子のクルウドもなんだかんだでカノンと一緒にいることが心地よくなったのだ。

 



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先人の知恵

学校に通う始める前の2人の時間は穏やかに。


「まだ早いからな。俺の胃袋の容量にも限界があるんだ。カノンだって作った以上は料理を残されたくないだろ?」

「そうだね、もう少し経ってからにしよっか。美味しく頂かないと食材にも失礼だよね」

「ああ」

 

 カノンの一言で急に買い物に付き合わされること小一時間。カノンはお昼ご飯用だけでなく何故か数日分もの食材を購入したので家に着くころには二人とも両手は荷物で一杯だった。

 それでも小一時間で済んだのはカノンが効率性よく行動したからだ。店に着くなりすぐに注文してすぐに受け取る。7、8件回っても一つのお店の滞在時間は長くて3分ほどで済ます。おかげでまだお昼になっていない。

 

「……昼まで時間があるし一緒に読まないか? 契約に関わる話なら俺だけじゃなくカノンも知っておくべきだろ」

「そう~? う~ん、アニメの続きでも見ようと思っていたんだけど、兄ちゃんが読むって言うのなら私も読む」

 

 クルウドの記憶の中から鮮明化したアニメを見ようとしたカノンをうまいこと翻意させて、本を床に広げる。

 日記であるから目次はない。本の厚みから推測するに2,000ページは優に超えそうだ。これから読破しようとする本を目の前にして鬱になる。それでも契約についてより深く知るためだとクルウドは発破を掛けて読み始める。

 

 

 

「兄ちゃん~。何か書いてあった?」

「『契約で新たに使えるようになった機能はとても奥が深い』とか契約の話であっても契約の機能の内容とは関係ないものも多いし、『視界共有は人間には使えない。しかし、視界共有するかどうかの権限は私たち人間側にある』みたいに既にカノンから聞いている機能について書かれていたりで中々参考にならないな」

 

 俺は一人で目が痛くなるほど小さな文字と格闘しながらマラ・モロッカの伝記を読み進めている。

 カノンは今記憶の鮮明化の機能を使って俺の記憶の中にあったアニメを見ているようだ。カノンも初めのうちは読む気満々で臨んでいたのだが、活字ばかりで見るのに退屈してすぐにドロップアウトしてしまった。

 

「そんな簡単に私の知らないような機能が書かれていることはあり得ないって。調子はどう?」

「日記帳形式で書かれているから読むこと自体が億劫だな。飛ばし飛ばしで読みたいけど契約についての一文一文を見逃すわけにもいかないし」

 

 

 

「『ニオラント・ミダと言って後に2人同時で魔法の行使をする時、魔法の威力や効果が数倍にも上がる』か……。これは初耳だけど、カノンはどう?」

 

 目はしょぼしょぼとし始め身体は同じ態勢で読んでいたせいで筋肉が痛む。そんな辛い作業と引き換えにやっと契約の機能に関する新たな情報を得る。

 

「ニオラント・ミダ? え、契約する際に使ったあのニオラント・ミダ?」

「そうだよ。ニオラント・ミダって言うと魔法の効果が上がるらしい。知ってた?」

 

 寝転がりながら頬杖をついてアニメを見ていたカノン。この機能の存在が意外だったのか顔をこちらに向けて確認を取ってくる。この様子だと知らなかったようである。

 

「私も初めて目にしたかな。うん、まだこれは使えそうな知識だね。……だけど、2人で魔法を行使するタイミングって全然ないよ。それに威力が数倍にも増した状態で魔法を使うものなら普通に目立ってしまうし……、そもそも数倍にするほどに桁違いの火力の魔法を行使する場面なんて敵に囲まれて絶体絶命の時とか、……あとは残滅戦をする時ぐらい?」

 

 カノンは詳しく本の内容を確認しようとそそくさと立ち上がるとあぐらをかいている俺の膝の上にちょんっと座る。昔からクルウドがあぐらを組んで座っているとカノンはその上に座ってくるのだ。その一連の動作は流れるようである。

 座る際に揺れる青い髪からふわっといい匂いがする。ただ、カノンも成長しつつあるので最近はちょっと重い……。

 

「残滅戦ね……。つまり使い道が全然ないのか。結局これもあまり意味のない知識ってことでいい?」

「そんなことはないと思うよ。ほらここを見て、『威力だけでなく効果も倍増する』らしいから。魔法だって攻撃系魔法が全てではないし、例えば攻撃用の魔法ではない回復魔法とかを使う前に2人でニオラント・ミダと言えば効き目が良くなるんじゃないかな」

「成る程。魔法であればニオラント・ミダの効果倍増機能がはたらくのか」

 

使い道がなさそうだと初めは切り捨てようとしたクルウドであったが考え直す。使う魔法の種類によっては使う機会もあるかもしれない。

 魔法も攻撃系の魔法だけではない。契約する時に使用した契約魔法のニオラント・ミダだって非攻撃のものである。

 

「ねえ兄ちゃん。この効果倍増って機能だと思う?」

「……え? これもまた機能じゃないの?」

「機能……なのかな? よく分からないから機能っていうことにしておく」

 

 カノンの質問に質問で返す。カノンはどうも納得ができないという表情を見せている。

 

「知らなかったことが悔しいとか?」

「――っ、そんなことは全然ないもん! 兄ちゃんを支えると決めた手前知らないことがあるのが嫌なだけで、この効果倍増という機能もそうだけど兄ちゃんが初めて知る契約に関わる情報は全て私の口から説明したかったの! だって私は兄ちゃんの契約精霊なんだもん」

「要は他人により契約の新たな機能が判明されたことが悔しかったんだな。俺はそんなこと気にしないのに」

「違う! 悔しくなんかないもん!!」

 

 カノンが早口で喋っている時はすなわち怒っているというサインである。俺はカノンからの好感度が高い分喧嘩をする機会は滅多にない。

しかし、初対面の時から全く変わっていない父さんは何度カノンに捲し立てられていたことか。父さんも言動を変えれば嫌がられることもなくなるだろうに……。

 

「ごめんごめん、俺が悪かったよ。ねっ、機嫌直して」

「……兄ちゃんがそう言うなら許してあげる。兄ちゃんじゃなかったらずっと怒っていたんだからね!」

 

 その滅多にない喧嘩も大抵1分足らずで仲直りとなる。俺としてもカノンと喧嘩する気は滅相もない。これは多分カノンにしても同様だ。もっともカノンの場合は今回みたいないざこざは喧嘩じゃないらしく、ただの言い争いとして捉えているようだ。

 

「でさ、兄ちゃん。攻撃系魔法は危険だから回復魔法を使って試してみようよ」

「何かするのか?」

「効果倍増機能のお試し」

「今からか?」

「うん! そりゃそうでしょ。思い立ったが吉日だよ」

 

 カノンはパンと手を叩き俺を行動させようと促してくる。普段は互いにお願いは聞き合うが、今回はカノンのお願いでもできないものはできないと拒否しなくてはならない。理由は3つある。

 

「……俺回復魔法使えないんだけど。あと、試そうにも回復させる相手がいない」

「兄ちゃんも私もレイラさんに止められているもんね。私はここに来るまでにある程度魔法に関しては習っていたから回復魔法でも使えるけど、兄ちゃんはまだ本格的に教わっていないからなぁ」

 

 カノンはオッセラに来る前からある程度魔法の知識は持っているので簡単な魔法であれば使える。時々レイラの立ち合いの元で魔法を学んでいるが、魔法に関してはカノンとは違って初心者であるクルウドはなかなか魔法の行使はさせてもらっていない。実践よりも知識や心構えの方が大事であるとか。

 

「不器用だから不安視されているのかもな」

「まぁ兄ちゃんは不器用だけど魔法は使えるようになるって。学校では魔法も勉強するらしいし。もうそろそろレイラさんも腰を入れて教えてくれるはず」

 

 これから通う学校では魔法に関する授業もあるらしい。現代日本では習わなかった科目には興味がある。

 

「それにカノンは記憶の鮮明化を使っていただろ。人前で急に枕状態になったらどうするんだ? フォローしきれないぞ」

「大丈夫。今日はまだアニメ一本分しか鮮明化させていないから」

「アニメ一本分って……。全魔力中4割弱も消費しているのかよ!?」

 

 繊細に描かれているものはモノクロのものに比べて鮮明化する際に使用する魔力の量が多いことが分かっている。

 ちなみに1年前の検証ではカノンの場合、5時間程のアニメ1クール分の鮮明化で全体の約40%の魔力を消費するらしい。

 

「一番の問題はオッセラでは未成年だけでの魔法の行使は認められていないことだ」

「私の心配よりも規則の方が一番の問題なの!? 私が枕状態になる方が大問題だと思うけど!」

 

 本日2度目の口喧嘩。カノンは自分のことを第一に考えてほしかったようで規則を重要視したことが不満のようである。ここでも若干早口になっている。

 

「ほら……、法律とか規則は守らなければいけないだろ。破ったりでもしたら皆に迷惑が掛かる。そうだろ」

「まぁそうだね」

 

 ここオッセラでは許可なしでの魔法の行使は緊急時以外禁止となっている。未成年の場合は少々異なり大人の同伴のもとでのみ周りに害を及ぼさないと条件下のもとでのみ可能となる。

 ただ、『害を及ぼさない』という一文が示す範囲は非常に曖昧だ。いわばグレーゾーンである。裏路地の空き地とかで火属性の練習をする不謹慎もいるものだ。

 

「この場合一番大切なことは魔法の行使を止めることだ。違うか?」

「そうだけど……。でもだからって! 兄ちゃんは私の心配をする方が優先でしょ!」

「……お、おう」

 

 思ってもみなかったカノンの攻勢にクルウドは目を背けてたじろいだ。目を合わせづらい。

 

「兄ちゃん、何か言うことは?」

 

 そう言うとカノンは口を少し尖らせ、俺の顔を両手で挟むと半ば強引に正面に向けさせる。見つめてられているってよりも睨まれている。

ここまで強攻的になるのも珍しい。そんなに俺の対応が悪かったのだろうか。

 

「はい、カノンが枕状態になる方が問題でした。申し訳ございませんないです」

 

 あまり感情を込めずに謝ってみたら棒読みになる。火に油を注ぎそうになり、おたおたと慌てふためきつつ言ったせいで後半部分は大分変な表現になってしまった。

 

「棒読みだし、それに語尾がおかしくなってる。ふふ、兄ちゃんがふざけたせいで怒りも冷めちゃったよ。ふふっ」

 

 カノンは左手を自分の首に回して肘で顔を隠そうとするが、笑い声までは隠せはしなかった。そして、徐々にツボにはまったようでくすくすと笑いを漏らす。このやり取りがそんなに面白かったのか?

 

「ごめん。ふざける気は毛頭なかったんだけど」

「もういいって。それよりお昼にしよ。あー面白かった~」

 

(俺はまだまだカノンのことを全然知らないようだ。それにしても最近のカノンにはどこか惹かれる部分があるんだよな。何が変わったんだろうか?)

 

「兄ちゃん、まだ~」

 

 カノンに呼ばれてリビングに向かう。そして、今日もカノンが料理する姿を眺めるのである。



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大切な2人の天使

皆さん新年明けましておめでとうございます。自分と当作品共々今年も宜しくお願いします。

自分の抱負としましては、先月の進捗状況に不甲斐なさを感じているので今年は出来る限りペースを上げて投稿したいです。


 カノンと昼飯を食べた後、俺はカノンたちに起こしてもらうまで呑気に昼寝をしていた。食後の皿洗いの時間からして1時間強。寝落ちの時でもないと椅子の上でこうも長いこと寝ていなかっただろう。

 

「クルウド。おはよう」

「兄ちゃん起きた?」

 

 うとうととしながらも眠気を落とそうと目をこする。ただでさえカノンもマヤカも可愛さ抜群。その上でボーっとして寝ぼけているからか俺の目には2人ともが可愛さ極限に見えた。マジなところ誰が見てもこの2人を青髪と銀髪の天使だと思うに違いない。

 

「うん……マヤカか。いつから居たんだ?」

「10分ぐらい前からかな。ねえカノン、クルウドの寝顔かわいかったよね」

「そっかぁ、マヤカはクルウドの寝姿は見ていないんだ。私はいつも見ているからね~」

「自慢っぽく言われると少しむかつく。わざとそう聞こえるように言っているでしょう」

「え? そんなことない~。私だけが知っていただけだよ」

 

 互いにマウントを取ろうとする姿勢は知り合ってから3年も経つ今でも変わらない。まぁ俺を巡る対決であるってことは俺にも少なからず原因がある?のだろう。だから初めのうちから俺は黙認していたさ。

 

――――――

 

 俺の家やマヤカの部屋の中にて散々マウント取りや口喧嘩をしてくれる分にはまだ許容できる。それなら家族以外には誰も見られることもなく、気苦労もしれたものだ。しかし、それを外で平気な顔をしてやられると色々と面倒くさい。

 

 まず、俺たちに注目が集まってしまう。それが俺としては普通に恥ずかしい。どちらかと言えば注目を浴びるのは苦手な方だ。出来る事なら目立つことなく細々と暮らしたい。

 

 そしてその注目の的になっている当事者がカノンとマヤカの美少女2人ときた。マヤカもここ西地区で一番のヤンセン食堂の看板娘であり、ホールや接客の手伝いをしているのでよく知られている。ならば余計に人の注目が俺たちに飛んでくるのは避けられない。

 

 この騒動の中に俺が関わっているのを知ると、野次馬の中にいる大抵の男どもが俺に向ける視線の多くは俺に対する嫉妬等の好ましくないものばかり……。睨みつけてくる奴もいる。正直疲れる。

 

 それでも親しくしている近所のおばちゃんたちが自分の子供を見ているような優しい視線を向けてくれるのがせめてもの救い?なのかもしれない。

 この近所のおばちゃん方。母さんみたいに専業主婦の人もいれば八百屋や肉屋といった自分の店でばりばり働いている人も多い。皆顔の広い母さんとは知り合いだし、カノンは愛嬌がありおばちゃんたちの人気者だ。また、俺が外に出る際にはカノンが同行していることも多く仲良し兄妹と思われているようである。

 だから俺もカノンも日頃から自分の子供のように随分かわいがってもらっている。もし俺1人だったらこのおばちゃんたちとはそこまで仲良くなってはいなかっただろう。

 

 

 

 しかも2人とも言い争っている時は脇目も振らず言い合うことも少なくないので誰かが止めなければならない。この時誰が止めるかというとその役割は当然俺に押し寄せられる。

 そうして嫌々ながらに言い合いを中断させると2人ともそこで俺の心情を察してくれて言い合いをやめてくれるが、それなら初めから自重してほしいところ。

 

 これだけでは終わらない。オッセラの街を歩くだけでその一連の言動を見ていた近所のおばちゃんや親父たちに色男だの、可愛い奥さんで羨ましいとか言われるのだ。それもまた疲れるもので……。

 

 ちなみに羨ましがっていたおっちゃんたちが女房であるおばちゃんに私は可愛くなくて悪かったね!と怒られる光景を何度見ることになったか。

 

 

 

 しかしながら、色男とかもてはやされる俺だが、そもそもカノンとマヤカに好意を持たれているだけであって他の女子からアプローチを受けたことも全然無い。ましては俺にはカノンとマヤカ以外に女子の友達もいない。……思い返してみると数回ほど近所に住む女子と仲良くなりかけたことがあった。だけどその度にいつの間にか俺の前に姿を見せなくなったっけ。

 

――――――

 

「クルウド? もしかして寝ている?」

「起きているよ。考え事をしていただけ。ん、言い争いは終わったのか」

「なんか疲れたからやめた」

 

 マウント争いから派生してカノンやマヤカのことを考えているうちに2人はいつも通り仲良くしていた。ずっと仲良くしていればいいのに。

 

「ところで、く、クルウドはさ、今のところ私とカノン、どちらの方が好きなの?」

「ど、どうした藪から棒に?」

「さっきカノンと言い合いをしていた時にクルウドはもうどちらかに決めたのかなぁという話になって。それならいい機会だし直接聞いてみようかなと」

 

 突然そのような質問をされて少し動揺した。だってマヤカが質問する時に顔をすごく赤らめて言ってきたのだ。可愛すぎるでしょ。反則級です。

 

「埒が明かないから言い合いをやめたっていうのは兄ちゃんには内緒だからね」

 

 ん? 俺に内緒にしたい話を俺の前で言うのはポカなのかあるいはわざとなのか? 

 

 と思っていたらカノンが目くばせをしてきた。これはカノンの計画的犯行だな。

 

 マヤカはカノンをあざとく見ていそう。あっ、ちょっと機嫌を悪くしたようだ。

 

「ん……。クルウドが転生してきてからもう3年でしょ。中間発表するにも今はいい時期だと思うの」

「恋のライバル争いの中間発表か?」

「そうよ。カノンとの婚約が解消されるのは成人になる時で10歳の時。だから結婚に至るまでもう中間地点を通り越したぐらいね」

 

 おっ、推測が当たったようだ。前の内容から考えれば大体想像は付く。

 

 俺がこの世界に転生してクルウドとして過ごすようになったのは4歳の冬からだ。そして、結婚が認められるのはマヤカが言うように10歳の時だ。誕生日まで俺は2ヶ月、4月生まれのマヤカだと来月になる。カノンも6月生まれなので3人とももうすぐだ。今は7歳なのであと2年半後ぐらいである。

 

「6年に渡る争いももう後半戦なのか。何だか感慨深いな」

 

 カノンやマヤカと出会ってからの3年を思い起こす。振り回されることも多いが楽しい日々だ。これからも続いていくのだろう。

 

「それでクルウドはどっちが良いの?」

 

 俺はカノンとマヤカをそれぞれ見た。今の俺には答えは1つしかない。

 

「……2人ともではダメかな?」

 

この場における一番無難な回答である。カノンのこともマヤカのことも大事に思っているので自分の気持ちに嘘偽りもない。

 

「何となくそうなるとは思っていたけど」

「う~ん……、優柔不断だね」

「今目の前にはカノンとマヤカの2人の美少女が居るのに1人に絞れって言われてもねぇ…………。選べないだろ」

 

 互いに選ばれたかった女子2人にとっては不本意な結果である。反応がいまいち悪い。

 

「カノンだってある程度予想していたんでしょ。突然どちらか一人を選べって言われて迷いなく決心できるほどのクルウドではないし」

「優柔不断なのが兄ちゃんだもんね」

「カノンを選べばマヤカが怒るし、マヤカを選べば今度はカノンが拗ねるだろ」

 

 何か小心者扱いをされつつあるがスルーする。

 

「それもそうね。クルウドがこのタイミングでカノンを選んでいたら……、私は一生顔を合わそうとしないかな。……でも私が告白されたことで親友が泣きじゃくっている姿はね……見たくない」

「マヤカは私や兄ちゃんには結構甘いよね。それがマヤカの良いところだけどあまり情を移さない方がいいよ」

「それは親友だから言ってくれている? それとも恋のライバルとしてかしら?」

「もちろん親友だからだよ。マヤカが友達でも何でも無かったら何振り構わず蹴落としただろうけど」

 

 マヤカは気配り上手で優しく一歩引くことのできるお姉さん気質。一方でカノンの方は言うなれば一直線に突っ走る性格である。よって張り合っている時は別だが、2人と一緒に居る時にはどうしてもカノンがぐいぐいと積極的に来るのに対しマヤカは少し控える構図になりやすい。それをカノンは甘いと言っているのだろう。

 

「ねえ兄ちゃん、でも好きの重さなら私の方が上だよね」

「そんなことないはず。カノンよりも私」

「それに2人とも同じぐらいに好きだ。決して生半可な気持ちで言ってはいない」

 

 まだこの話題を引きずるまでに熱意を持っているのだと感じて、間髪入れることなく答える。時間をおいて期待させてからこの回答をするのは酷であるし、2人それぞれに魅力があるのだ。

 

「……複雑だよね。マヤカの良さが私にも分かるから尚更」

「クルウドが私たちだけを見ているっていうのが分かっただけでも」

「うん、下手に変な虫が付くよりかはマヤカの方がずっとましだけど」

「ライバルはカノンで十分だわ。カノン一人だけでも手強いのに」

 

 カノンとマヤカは互いの顔を見ると笑い合う。それはまるで直前まで激しい試合を行っていたスポーツ選手が互いを称えるようだった。

 

「そうだ、3人で住めばいいんだ。気心の知れた親友同士なら仲良くやっていけるだろ」

「駄目よ。一夫多妻には国の特別な許可が必要だわ。私たちには当然王国関係者とのコネもないし、申請したところで門前払いされるはずよ。前にも言わなかったっけ」

 

 俺としては事実婚みたいな感じで考え合わせていたのに直ちに否定されてしまった。事実に勝る満足感はないものだろうが……。

 

 それでも彼女たちにとって法的に認められた上での結婚が理想なのだ。それ故、恋のライバル争いはまだまだ続く。

 

「必然的にカノンとは争わなくてはならないの」

「これからも勝負だね、マヤカ!」

「ええ!」

 




皆さんは初日の出はご覧になられましたか。

学校編と銘打っているからには次話からは学校を登場させねば。


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春の導き

久しぶりの投稿です。ほんと打っていても手も指もかじかみます。ああ、春が恋しい。



 どの世界においても春は一番多く出会いが訪れる季節である。この異世界でも雪解けを迎えてより勢いが盛んとなった人々の往来が、自然の生命力が、神の恵みもが春の息吹をもたらす。そして、土へ、海へ、空へと羽ばたきだしたその息吹の一つ一つが糧となってまた一つまた一つと新たな出会いを生み出すのだ。

 

 出会いもまた春の息吹なり。

 

 

 

 ここジベック王国第2の都市であるオッセラにおいても季節は廻って春の息吹が到来していた。

 オッセラの街の西から北側にかけては季節の度に色とりどりの景色を見せてくれる壮大で堂々たるガレオス山脈がオッセラと王国の中心部を隔てる壁のようにそびえたつ。その山脈から吹き付けられた冷たいおろし風が積もるには至らないほどの淡雪をオッセラの街に降り注いだ3月を過ぎ、代わって陽気で心地よい春の風が街中を包み込むように通り抜ける。

 オッセラの街の東側にある冬の間は湖面のほぼ大半が凍る湖も春となり暖かい光が水面に照らす。街の高台に立って見下ろしても反対側は存在しないかのように思えるほどに果たしなく水平線が続く湖の表面を覆っていた氷も薄くなりやがて完全に解氷した後の湖には漁船や人の影がちらほらと見える。

 

 学校初日。カノンに起こしてもらった。といっても日の出前から起きてしまってやることが無くなったカノンの話し相手として。まぁ起こしてもらえないと昼まで起きないこともあるから助かるんだけど、今日は……、うん起こすのが早すぎる。眠い……。

 

「こんな早くに家を出る必要なんてあった? 山を越えて徒歩1時間とかじゃないんだからさ、もう少し寝かせてくれても……」

「もう……、早寝早起きが基本なんだからね。兄ちゃんが寝すぎ」

 

 カノンはそう言うが、昨日は21時には床に入ったので9時間しか寝ていない。いつもならあと1、2時間は寝ているし寝ていたい。しかし、現代日本に居た時には6時間睡眠とか平気だったのにいつの間にか変わってしまった。この世界に適応したのということだろう。

 

 

「……弁当ってカノンが作ったんだよね?」

「無理に話題を作らなくていいのに……。兄ちゃんと一緒に居るっていうこと、私にとってそれが重要なんだから」

 

 俺がカノンと違って口下手な分、カノンから話してくれないと無口になってしまう。それが寂しくて話題を作ろうと話し掛けたのだがこちらの気持ちは見事なまでに見透かされる。

 

「ちゃんと弁当は作ったよ。今日は1人で作った」

「俺の弁当はいかほどに? あ、作ってもらって当然とか微塵も思ってはいないけど……」

 

 聞いてすぐに発言を訂正する。厚意に甘える分にはいいと思うが、当たり前だと勘違いするのは良くない。何気ない些細なことですれ違いは生まれてしまう。

 

「兄ちゃんの弁当? 私の弁当と一緒に包んじゃった。ほどくのも手間だし私が昼まで持ってるよ。お昼一緒に食べるでしょ」

 

 

 

 歩けば10分のヤンセン食堂までなら話さなくてもあっという間に着く。大通りの方を見てみたが、案の定行列ができていた。

 

「おはようございます! マヤカいます?」

「んー? 声小さかったかなぁ?」

 

 通用口からヤンセン食堂に入ってカノンが大声で挨拶をしたのだが返事がない。カノンの声量は小さくないはずだが聞こえていないだけだろう。奥に行くとアルギンさんが調理していたので声を掛ける。

 

「アルギンさん、おはようございます」

「おっ、カノンとクルウドか。いつもより早いな。……そうか今日から学校だったか。学校生活を楽しむんだぞ」

「マヤカはどこにいます?」

「ホールにいるんじゃないのか。ここを通ってホールまで呼びに行ったらどうだ」

 

 クルウドたちにとってマヤカの家だけではなくヤンセン食堂も自分の家の庭みたいなものである。その上、マヤカの家に遊びに行った時には昼休憩時の3時のおやつとしてのお茶会にも度々お邪魔させてもらっているので、ヤンセン食堂の従業員たちとは道端で会ったら話すほどに仲が良かったりする。だから従業員たちは厨房2人の姿を見つけても不審者扱いはしないし、いて当たり前のように接してくれる。

 

「マヤカを呼ばなくても学校が始まるまでまだ一時間半もあるんで十分に間に合うんですよ。マヤカが裏に戻ってくるまで待ちます。手伝いの邪魔をするのも気が引けるし」

 

 時計の針は7時を少し回ったぐらい。この世界での学校は9時から1限目がスタートするので時間にはまだ大分余裕がある。そもそも早く来た自分たちが悪いんだし、急かすような真似をする理由もない。

 

「多分呼びにいかないとマヤカの奴しばらく戻ってこないと思うぞ。今週一杯は猫の手も借りたいぐらいに大忙しだから」

「何か催しごとでも? それとも単に4月は忙しくなるとか」

「いいやそういうことじゃなくてな。実はトンブさんが昨日から風邪でさ。ホールや帳場の表の方の人数が足りないからアビジャがホールと厨房の掛け持ちをしているんだ」

「道理で人数が少ないと」

「ああ、すっかり春だっていうのに最近巷では風邪が流行っているから。季節の変わり目の風邪は怖いね」

 

 ここしばらくは暖かい日が続いていたのに先週からずっと寒かった。季節の変わり目では体調を崩す人はこの世界でも一定数いるらしい。そういえばサンクルさんはどこにいるのだろうか。朝の時間帯だけの勤務ならもういないとおかしい。

 

「ねぇ、サンクルさんも風邪? この時間ならいつもあそこで腕を振るっているのに」

「ああ、サンクルさんの場合は先週から腰痛で休みなんだ。ぎっくり腰をやっちゃってようで、しばらくは来られないようでね。医者にも安静にするようにだと」

「腰ですか……。それは辛いでしょうね」

「っていうわけで、厨房もホールも大忙しっていうわけなんだわ。いつもより全体的にペースが落ちているから結構時間が掛かるぞ。もちろんマヤカは学校に行かせるけどな」

 

「あらいらっしゃい、声が聞こえたから見に来たら2人とも来ていたのね。少し待っていて、マヤカを呼んでくるわ」

 

 どうやら従業員が2人もいない状況でとても忙しいらしい。いつもだったらアルギンさんよりアビジャさんの方がおしゃべり好きで構ってくるのに今日はあっさりとしている。アビジャさんがあんな感じでは、マヤカはホールの手伝いから手が離せないだろう。

 

 

「まだ時間はたっぷりあるので待っていますよ」

「駄目よ。待たせる訳にもいかないでしょ。すぐ呼んでくるから」

 

 マヤカの家の住居の方で待っていようかとも考えていたがその必要はないらしい。キリが良かったのかすぐにマヤカが来る。

 

「クルウド、カノン、おはよう」

「「おはよう」」

「早くない? まだ7時過ぎじゃん。まだ手伝いがあるからしばらく待たせることになるのだけど……」

「お店の方はどうなの? 忙しい?」

「俺たちのことは気にしないでいいから手伝いに戻りなよ」

「もう兄ちゃんったら。女性が大変そうにしている時はさりげなく手を貸すものなんだよ。分かってないなぁ」

「俺だってマヤカが困っているのならすぐ手助けする気はあるさ。だけど、マヤカ個人の問題ならともかくヤンセン食堂全体の問題なんだよなぁ。それに俺たち足手まといだろ」

 

 いつもの欠員がいない上で手伝う分にはある程度余裕があるが、今は欠員が出ている状態だ。そんな中で俺たちではサンクルさんやトンブさんの働きには及ばないだろう。決して商売はお遊び感覚では務まらない。

 

「そうやってすぐ尻込みする! ためらうことなく何事にもいけいけどんどんだよ」

「今まで何十回も手伝ってきているのに足手まといだと思っているの? クルウドもカノンも戦力だよ」

「クルウドって時々妙なところで弱気になるよね」

「昔からの癖みたいなものだな。気になる?」

「ううん、それが兄ちゃん。深生としてのクルウドでしょ」

「無理に克服する必要はないよ。似たようなのは誰にでもあるものだから」

 

 直さねばならないネガティブ要素を受け入れるところか最後は2人に励まされてしまった。かれこれ15年弱も続いた小さな頃からの癖は直したくても直らない。

 

「マヤカには会えたか。あれ、カノンは?」

「お店の手伝いをするんだってアビジャさんに許可取りに」

「もちろん手伝ってくれるのは嬉しいのだが……なんだか申し訳ないね」

「いえいえ。この食堂も自分の家みたいなものですから」

「おうそうかい。将来はマヤカと結婚するのか」

「マヤカとも結婚できれば幸せ者ですよね。でも俺にはカノンもいますし……」

「そうだよね。いやー、2人と結婚できればクルウドも悩むことないのにな」

「ほんとそうなんですよ。だけど、出来ないから悩むんですよね」

「親としてはマヤカを選んでほしいとは思っているさ。あの子、クルウド以外には眼中にないから」

 

 

「兄ちゃん何やっているの。兄ちゃんは帳場に回ってアビジャさんと交代。さぼっちゃダメだからね」

 

 中々ホールに現れない俺にしびれを切らしたのかカノンが厨房に覗きに来たのでそろそろ帳場に行かねば。日頃からお世話になっているのに俺だけ何もしないっていうのは何か違う。困った時はお互い様だ。

 

「じゃあ俺も頑張ってきますね」

「よろしく頼むよ。店もマヤカも」

「え? ……本気でした?」

 

 アルギンさんが先程からほとんど料理の方に付きっきりだった目をクルウドに向ける。口調はそれっぽかったので一瞬ビクッとしたけど、顔はにんまりしていた。

 

「冗談だよ、冗談。適度に付き合ってくれ。でもな、マヤカもなんだかんだでモテるんだよ。まぁその度に断っているらしいが。……クルウド、きちんとうちの娘のことも考えておけよ。2人は仲良しでそう大事にはならないだろうけど……。ふっ、女の本気の修羅場は怖いからな」

「ええ、肝に銘じておきます」

 

 

 

 こうして手伝い始めて1時間は経ち、8時を過ぎてもなお盛況のままのヤンセン食堂。現代日本で義務教育を受けていて計算はお手の物のクルウドは帳場に。カノンはマヤカと共にホールにて受け渡しや提供など諸々。クルウドとカノンが加わったことで今日一日のピークはいつもよりは時間が掛かったものの乗り切れそうだ。あとしばらくしたらクルウドたちが学校に行くために抜けても問題ないだろう。

 

「もうそろそろ俺たちは切り上げて向かおうか」

 

 荷物は厨房にある通用口付近に置きっぱなしなので取りに行こうとするとマヤカと目が合った。

 

「待ってクルウド! 今私たち3人が抜けると店が回らなくなっちゃう。あと5分……いや10分だけ手伝わせて」

「もう行きなさいマヤカ。あとは私たちだけで大丈夫だから」

 

サンクルさんやトンブさんの欠員を抱えたヤンセン食堂。まだ予想以上に混んでいる。今抜けてもアビジャさんの言う通り多少の影響は残っても恐らく上手く回るはずだ。しかし、手を抜くことが嫌いなマヤカとしては見過ごせないのだろう。

 

「どうする兄ちゃん?」

「……走れば遅れることはないはず。マヤカあと10分弱だけだぞ」

 

既に時刻は8時半をとっくに超えている。距離的には学校までは15分ぐらいで着くほどだからギリギリ。手伝いを区切り良く終わらせた3人は遅刻しまいと走るのだった。




景気よく元日に挙げたまでは良かったのですが……。しばらくは続きにいそしみます。


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眩しい程のポジティブ野郎

 今日は良い1日になると思っていた。学校生活に胸躍らせていたからかいつもより早く起きてしまった。レイラさんより早かったのだから超が付くほどの早起きだ。元々弁当を作る予定でいたので日の出前から作りかかろうとして我ながらひらめく。普通の弁当箱じゃなくて重箱なら 1人1つの重箱だと多くて食べきれないので2人で1つ。絶対目立つだろう。同時にマヤカが不機嫌にもなりそう。重箱だなんてと兄ちゃんは反対しそうだから起きる前に完成させた。兄ちゃんは朝に弱いから基本的に私が起こす係だし余程手間取らない限り十分に間に合うし間に合った。ヤンセン食堂で手伝いをギリギリまでこなして、その後は初日から遅刻という失態を招かないようにと学校まで3人で全力疾走。兄ちゃんが一番息を切らしていたかな。

 ここまでは良かった。あいつに絡まれる前のここまでは……。

 一目惚れか知らないけど、馬鹿な男が口説いてくる上にあろうことにいきなりお茶に誘ってきた。……いやあんたとは初対面だし、兄ちゃんという婚約者がいるから無理。それよりも問題なのはあの馬鹿が無神経にぐいぐい来るから、兄ちゃんが不安がっちゃってるんだよね。やきもちを焼いてくれるのは嬉しいけど、心配もさせたくない。

私は昔から兄ちゃん一筋なんだもん。他の男になんぞよそ見する気はないから兄ちゃんとの時間を邪魔してほしくないのに……。

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 「おはようマヤカ。いつも変わらず綺麗だねっ。おやっ、マヤカの隣にいるお嬢さんもとてもかわいらしい。特にその青い眼は実にチャーミングだ。今度僕と一緒にお茶でもどうだい?」

 

 女子2人が学校がどんなところかが気になり時々きょろきょろとしつつも和気あいあいと雑談をしながら教室に向かう。既に3人とも同じクラスだっていうのは確認済みだ。今日は1年生のみ学校登校日らしく愉快な声はあまり聞こえない。

 1年生の教室は奥にあるので長い廊下を歩いていると赤髪の男子に元気よく声を掛けられる。マヤカの名前を知っていて挨拶をするあたり赤髪の奴はマヤカの知り合いのようらしい。この少年は髪と眼が赤くそれがトレードマークのようである。あとパッと見た感じは良い服を着ているなと感想を抱くぐらいだ。

 

「はい? 何かおっしゃられましたか」

「うんっ、そうだとも! 僕は多くの女子と知り合いなのだが、君はその中でも抜きん出て可愛すぎるんだ。是非とも次の休みにでも2人きりでお出掛けはいかがかい?」

「確かに周囲の目を見張るぐらいにだと自覚していますが……。いきなり口説くのはいかがなものでしょうね」

 

 いきなり大胆な行動に打って出た赤髪の野郎。あまりにもいきなりだったのでカノンでさえも困惑を隠せていない。しかし、話し返すカノンの声には黒い感情が確かにこもっていた。それはつまりクルウド以外とはデートする気がないカノンにとってこの話自体うざったいものである。

 

「うっ、お嬢さんが気分を悪くされたのならそれは申し訳ない。ただ君を決して怒らせるつもりは全くないんだ。マヤカ、僕は悪い奴ではないだろっ!」

「ここで私に振ってくる!?」

「マヤカは彼女とは仲が良いのだろう? おや、見た感じ君が一番仲が良さそうに見えたのだが……。僕に振り向いてくれるように手伝ってもらえないか」

「十中八九断られると思うわ……。それでも私は手伝わなければならないのかしら?」

「もちろんだともっ! わずかながらにでも可能性があるのなら僕は決して諦めたりなどしないっ」

 

 その赤髪の野郎はこれから自分の独壇場だと言わんばかりに希望に満ち溢れた様子でカノンの表情はシーハに対して向けるものと同じく関わりたくない この様子なら間違いなく赤髪の野郎が好かれる訳がない。父さんだって未だに警戒されまくっているのだから。

 

「ねぇ、十中八九という表現は言葉の綾なのだけど……」

「言葉の綾だったのならば何も問題はないではないのでは。さぁマヤカ、頼む」

「あぁ……私が馬鹿だったのね……。エルネ、あなたがカノンの対象に入る余地なんて1ミリもないわ! 私の親友かつライバルを甘く見るべきではないのよ」

「ほぉう、僕を退けたマヤカがそこまで言うとは……。しかし、マヤカはこの僕がそう簡単に引き下がるとでも思っているのかい? あの時のように二度も同じミスは犯さないのがこの僕なのさっ!」

「うわぁ……何よその自信……。まるで何事にも屈することのない主人公キャラみたいじゃないの」

「正真正銘僕も主人公さっ! 皆一人一人が主人公なのは当たり前のことだろう。第一この僕がキャラクター的立ち位置で終わるわけなかろう」

 

 知り合いであるマヤカにも呆れられ注意されても赤髪の野郎はめげることはない。これまでの言動的にはいかにもポジティブ要素を全て詰め込みましたみたいなキャラである。

 

「あーそうですか。とりあえず私のいないところでやってくれません……。ホント朝から疲れるわ」

「長い時間家の手伝いをしていても疲れたと口に出さないマヤカが……。もう面倒くさいからちゃっちゃと紹介だけ済ませて教室に行こ。私もこんなことに時間を割きたくないもん」

「はぁ~……。仕方ない。こいつはエルネ。今やり取りしたようにこっちの気持ちを考えない上にどこまでも我を貫くタイプ。つまりは我が儘っていったところね」

「顔は……まぁ悪くはないけど、振り向くほどでもないよね。いかにも毎日女とつるんでいますっていう顔じゃん。私興味ないよ」

「うん、予想通りの反応。私も対象ではないよ。そもそもエルネの登場でカノンの気持ちが揺らぐとは思わないし、紹介する必要もないとも思ったけど」

「こんな奴が顔見知りだなんてマヤカも運がないね」

 

 息ぴったりの軽快なトークを繰り広げる2人。散々な言われようなエルネがショックを受けていそうだと目線を向けてみたら案外平然としている。距離的に聞こえているはずだから、エルネ自身に自覚があるのか、あるいは図太いだけか。

 

「そうなのよ。知り合いの数自体が多い分必然的に変人も多いの。たくさんの人と接するのは実家が料理店で繫盛しているっていう証なんだけど」

 

 同じ割合でも分母が多くなるにつれて分子も大きくなるっていう意味だろう。マヤカが変人って言うほどだからエルネは変人なのだろう。俺としてもカノンが嫌がる相手とは関わりたくはないかな。

 

「君たち僕のことを忘れていないかい? それに僕は変人ではない!」

「うん忘れてた! えっと名前は変態だったよね? じゃあ紹介も終わったしこれでいいよね」

「正直すぎて清々しいわね。勝手に格上げしているし」

「さっきより酷くなってる! 僕はエルネだ。エルネ! あと変態でもないぞ!」

 

 変人から変態へと格上げされたエルネ。本人は変態扱いされてたことに抗議しているが、カノンが嫌がっているのにこんなにしつこく付きまとっている時点で変態だと言われても仕方ないとも思う。

 

「マヤカと、……カノンで良かったかい? 僕のことは――」

「容易く私の名前を呼ばないでもらえる!」

 

 カノンが教室に歩みを進めるのを見て、エルネはここが自分のターンだとばかりに名前の確認をしようとして……させてもらえなかった。

 

「はいっ!」

「カノンやるね~」

「……へぇ? え、僕は名前さえも呼ばせてもらえないのかい!?」

 

 カノンの大声につられてエルネの素が出てきた。実にあっけない声である。

 

「当たり前じゃないの! 私とあんたは赤の他人! それに好感度がゼロどころかマイナスでしかも上限突破するほど評価が低いの。その状態で――」

 

 カノンも口調が乱雑になり最後の方はよく聞き取れなかったが、誰がどう見てもヤバい状況だっていうのは分かる。当事者たちを囲むように周りにたむろっていたギャラリーが1、2歩後退している。野次馬の中には恐怖感から足がガクガクさせている生徒も見受けられる。

 

「扱いが雑過ぎない? 僕はオッセラの街の貴族の息子なのに……」

 

 エルネも心が折れかけ始めてきたのか嘆こうもカノンは勢いそのまま追撃する。周囲のことなんてお構いなしだ。

 

「あんたの親が貴族だからってなんであんたが偉く気取っているのよ! 肩書なんてどうでもいいわ」

「うぅ……」

「カノン、ちょっと言いすぎ。顔の良さと貴族の子息のアドバンテージを除いたらエルネは単に自信過剰で人の話に耳を貸さない女たらしの救いようもない奴よ。だけど、そこまでいったら自分の尊厳を失うわ。一度深呼吸してみなさい」

 

 暴走気味のカノンも親友に止められては少し冷静になるしかない。流石マヤカ、カノンの扱いには馴れていると褒めたいのだが……。如何せん話の内容が悪すぎた。あの赤髪の野郎も大分ダメージを受けたようで顔に覇気がない。しかも、マヤカ本人には自覚が無いってところが恐ろしい

 

 ギャラリー「あそこまで罵詈雑言言われると……」や「とうとう皆が思っていることを言ってしまったな。代弁してくれたってとこか」とか「あの優しいマヤカにまでそう思われていたのね」などとはっきりと物申したことを称賛している生徒もちらほら居る。相手が貴族で口に出せない部分があるのだろうか。

 

 周りの生徒の反応からマヤカも時間差で自分が何を言ったか

 

「エルネごめんなさい! 正直に言えば本心が漏れてしまったの。この通り悪気はないからさ。気にしないで!」

 

 結局本心なんかい。これは更に傷付くだろ。まぁマヤカの場合は謝った分マシなのかもしれないが。ちょっと

 

「カノンだけではなくマヤカからも罵られるとは……。まったく想定外のダメージだ。だけど僕は寛大だから許してあげよう。それにここで諦めなければならない理由もないし挽回する機会はたくさんあるんだ。僕たちはまだ1年目。つまりっ、学校に通う期間はあと3年もある。出来るだけ早く君と仲良くなりたいから僕は頑張ることにするよっ。まずはお話からだねっ」

 

 カノンが黙った僅かな時間の間にすっかりと元通りになったエルネ。どこからそのような気力が復活するのか……。俺とは違って何度ぶちのめされてもへこたれないポジティブな姿勢にはつい感動を覚えてしまった。

 ギャラリーからも「負け犬の遠吠えだな」と揶揄するものもあったが、「悔しいけど何かかっこいいぜ」「絵になるな」「あいつの辞書には諦めの文字が無いのかよ」といった俺と同じように称えてしまう声も多かった。

 

「はぁ……、こういうのは慣れっこなので気にしませんが、やはり礼儀はわきまえるべきです。しかしただ、これはきっちりと断言しておきます。ごめんなさい、あなたと付き合うことは絶対ないです。私には愛しの婚約者がいますから。絡むだけ無駄ですよ」

 

 呆れて先に匙を投げたのはカノンだった。エルネの粘り勝ち? とは見えなくても結果的にはエルネの勝ちなのだろう。絡むだけ無駄と言われても絶対絡むに決まっている。

 

 一部の男子からは案の定「ざまあみろ」とか「婚約者ってマジかよ」といった驚きを持ったものや、「俺実は狙おうと思ってたのに畜生!」などとカノンに対しての淡い恋が早々に実らなかったものもいたようだ。

 

「おいお前たち、教室に入らず廊下で何をやっているんだ? 既に予鈴はなっているんだぞ、早く自分たちの教室に戻れよーぉー。そして、きちんと学生であるという自覚を持てよーぉ~」 

 

 虎に目を付けられた草食動物ごとく蜘蛛の子を散らすように生徒たちは自身の教室に戻り始めるが、野次馬と化していた群衆が多く廊下からは人混みが中々消えない。

俺らはというと自分たちの教室の前に居たのですんなり教室に入れた。教室に入る直前にエルネに絡まれたのだから当然ではある。

 

「俺はこの2組の担当のサンメだ。とっとと席に座れよーぉ~。お前ら初日から遅刻なんて嫌だろ」

 

 この先生は俺のクラスの担当教員らしい。サンメ先生の語尾は独特だが、その発する言葉の威圧感が凄い。正確には語尾だけが異様なほどに気合が乗っているとでも言おうか。

 

 

「兄ちゃん。私はいつまでも兄ちゃん一筋なんだから」

 



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