テラにて空を仰ぐ (Kokomo)
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2人の始まり

 皆様初めましてKokomoです。今回初めて投稿させていただきました。いきなりですが読む前に注意事項です。キャラ改変や設定捏造、オリジナル展開などがあります。

 

 また、失踪してしまう可能性が非常に高いです。感想など返信が難しいと思われます。それでもいいよという方は是非、楽しんでください。

 

 

 

 

※一部誤解を招く様な発言を改定致しました。申し訳ございません。

 

 

 

 

 


 

 

 001

 

 

 

 

 

 

 

 さて、どうしたものか。帰宅したと思えば見知らぬ土地に立っていた。夜にも関わらずねっとりとした風が頬をなで、嫌な汗が背中を伝う。

 

 顔はポーカーフェイスを保っているがあくまで、2度目の人生で得た経験に基づいた行動からだ。内心『ココドコ?』でいっぱいいっぱいだ。ここでキョドってしまえば黒スーツ姿の不審者が完成し、即職質だ......職質があるのかわからないが、警戒しといた方がいいだろう。

 

 少なくとも、自分がいた日本とは違うことが一目で分かる。そこはこの際どうでもいい。何よりも問題なのが歩いている人々の姿だ。

 

 

      ケモ耳だ。   

 

 

 中には角や尻尾、今すぐにでも抱きついたら今の状況をなにも気にすることなく、安眠できそうな程の美しい毛並み……………うん異世界転移だ。少なくとも、日本や海外にあのようなホモサピエンスはいなかった。

 

 実のところ、こういった経験は体験済みだ。しかし、現代の日本に転生したあと、獣人がいるような世界に放り出されるなど思いもよらなかった。しかも、それがどこか見覚えのあるような世界ならばなおさらだ。

 

 まぁ、散策だ。目の前の問題は山積みだ。解決しなければ野垂れ死ぬか、そこら辺でうろちょろしているごろつきに殺されてしまう。そんな思考がよぎれば、歩く速度が自然と早くなる。とにもかくにも職や言語、金をどうにかしなければ。

 

 ああ、しかし、()()でも星空がきれいだ。

 

 ふと、立ち止まり空を見上げれば満天の星。こんな状況でも美しく感じてしまう程で、そんな状況下におかれた自分につい苦笑してしまう。まだ自分の状況を詳しくで理解できてないからなのか、足取りは軽やか。

 

 あまり動かせていな脳を動かそうと、原作知識を思い出す。

 

 

 

 惑星テラ、それはHypergryphが開発したソーシャルゲームのアークナイツの舞台である惑星の名称だ。日本での運営がYostarであり、自分も転生する前に楽しませて貰った。しかし、こんな世界に来るならば、もっと真剣にやるべきだった。

 

 なんせこの世界、なかなかに世界観が悲惨だ。そんな世界で生き残るために最低限知っておくべきことがある。

 

 それは鉱石病(オリパシー)の存在だ。一度感染してしまうと治らない不治の病だ。有効な特効薬や治療法が無い。皮肉なことに感染者の処理の仕方だけは、詳しく分かっている。

 

 病状が進行するごとに、鉱石病(オリパシー)が身体の一部など皮膚に癒着し、やがて内蔵など覆い始め死に至らしめる。普通に接触してる分には感染しないらしいが、恐れられてることに変わりはない。

 

 そのせいで感染者の差別が激しいのだが、こればかりは仕方がない。

 

 政治や国際問題が複雑に絡み合った結果だ。いわば都合だろう。個人で動くにはここら辺のいざこざは、要注意だ。国を敵にまわすなど自殺行為だ。

 

 この世界には様々な種族が生活しており、独自の文化を築き上げてきた。それぞれの文化が違えば当然争いが起こる。不治の病以外にも天災などの問題がある。

 

 そんな中、感染者のために立ち上がるものもいる。その組織がロドスアイランドなのだが、その前の名前を覚えていない。

 

 致命的である。確か経歴など不問で雇ってくれるらしいので事務員として入職したかった。

 

 さて散策も終わり、一夜を明かすにはうってつけの場所を見つけた。ここまでで、できる限りの情報を整理してみたがやはりほとんど覚えていない。つまり原作知識など無いに等しい状態だ。

 

 まぁ、見た目が10代後半でも精神年齢は95を越える。ゲームをプレイしていたのは転生前の大学生時代なのだから覚えているはずもない。    

 

 横になると精神的に疲れてるのか、瞼が異常に重く感じゆっくりと閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚めるとすっかり朝になっており、昨日の雰囲気が一変し清々しい気分だ。無事に生き残れたことを噛み締めながら、全身のストレッチを行う。

 

 昨日の散策で気がついたが、話している言語は日本語だったしポスターなども日本語だった。言語が同じなのが不思議でたまらないが、全く通じなくて詰みな状況じゃなくてよかった。

 

 しかし、それでも一文無しに変わりはない。このままでは確実に死ぬだろう。スーツも野宿したせいか少々汚れている。

 

 自分の目覚めきってない頭で必死に考える。

 

「あ、トランスポーター」

 

 前世で見たアクション映画でジェイ○ン・ステイサムが主演を勤めていたものだ。あれには痺れた。ド派手なアクション(運び屋なはずなのに)は心が踊ったものだ。

 

 案外いいかも知れん。というか国籍や身分証明がない状態だ。経歴は見事に真っ白。まともな職に就けると思えん。昨日見た貼り紙のところまで歩き、手に取る。

 

 依頼書、もちろん非合法で給料が安く下請けのようなものだ。下の方には住所が書いており、そこで直接面接のようなものを受け仕事を行う、といったことが書かれていた。

 ちなみに選んだ理由だが、マークがかっこよかったからだ。我ながらだいぶ気が狂ってると思う。

 

「一か八か、やるしかないかぁ」

 

 どうせ生きるか死ぬかの瀬戸際だ。賭けてみるのも悪くない。

 

 しかし、いざ行動するとなるとコードネームが必要だ。己のネームバリューになるかもしれない。真面目に考えねばなるまい。

 

 自分に自覚を持たせるために、あえて声に出す。

 

 コードネームーー

 

 

  

 

 薄暗い部屋の中には口元を隠した緋色の髪の乙女と、黒いフードを被った男は、二人で見詰め合っていた。どちらも種族は、ループス族。詰めた重苦しい空気で二人とも疲弊を露にしていた。

 男の方がアタッシュケースを眺めながら、生気のない声で問う。

 

「それで、追手は?」

 

 緋色の乙女は頭を横に振るわせるだけだった。無意識に言葉を呑んでしまう。本来この部屋は会議室であり、二人だけで使われる場所ではない。

 

「別にお前を責めたいわけじゃない。合流先の見通しが悪かった。ナビゲーターである俺が気付けなかったんだ。お前のせいじゃない」

「.........」

 

 乙女は、ただただ沈黙。残りの十七席には、戦友たちが座っていた。もはやその席に誰も座ることはない。目の前にいたナビゲーターは、席をはずした。

 

 

 

 今回の任務は感染した子供達を保護することが部隊の作戦だった。

 

 自分の仕事は密偵。この地区にいる敵対勢力の監視だった。あらかじめ、敵対勢力の不穏な動きを察知した自分は、己の足の速さを生かし仲間にいち早く伝えた。合流先を変更し5人の子供達を保護し無事に終わるはずだった。

 

 

 相手の罠でなければ。

 

 

 合流地点には6歳にも満たない保護する予定の子供達が倒れていた。外傷が酷く出血量が多い。時間も相当経過していたため、助かる確率が低かった。それでも諦めず、後ろにいた医療班が一歩踏み出した。その時だ。

 

 バシャ

 

 目の前にいた医療班の1人の首が宙を舞っていた。

 

 

 そこからあまり覚えていない。

 

 

 隊長が殿を請け負って時間を稼いでくれたことで命からがら逃げ延びたのだ。隊長を犠牲にして。

 

 

 残ったものはアタッシュケースに入れた敵の資料、そして隊長が残してくれた謎の連絡先だけだ。通信なども傍受されてる可能性があり、連絡先は使えない。この仮拠点もいつ特定されるかわからない。3日保っている状態はまさに奇跡だ。

 

 

 自分のアーツを使えば、この町から脱出することは不可能ではない。自分のアーツは敵の包囲網を容易く突破できる。幸い敵にはまだ知られてない。手持ちの武器がナイフ一本で心許ないが、ナビゲーターと協力すれば。そうすればーー

 

   

 そんな思考は遮られた。アタッシュケースと連絡先を素早く回収する。己の直感に従い、後ろを見向きもせずに横に避ける。敵を視認する前に腰に携えていた得物を抜かず、アタッシュケースを窓に投擲。

 

 

 バシャンと派手に音を立てて散った硝子。あそこから飛び降りても安全なのは、確認済み。硝子片で多少は負傷してしまうだろうが、後ろに迫っているであろう危機に比べれば安いものだ。 

 

「ッ………」

 

 腕やふくらはぎなどに硝子片がささった。着地には成功し、そのまま東方向を走り抜けてゆく。

 

 しばらく先に人が倒れていた。見覚えのあるループスの男だ。近寄って状態を確認する。左胸に、ぽっかりと空虚な穴が空いた。

 

「…………」

 

 とうとう生き残りは俺一人。

 

 脚がすくみ、目眩がする。強い吐き気が腹のそこから込み上げてくる。そんな吐き気をグッと押し込み、目の前の現実をもう一度直視する。

 

 彼が脱いだのだろうか? 

 側には男のフード付きのパーカーが投げ捨てられていた。自然に手が伸びる。薄汚いやや大きめなパーカーを羽織って、フードを深く被った。

 視界は狭まり、仲間の匂いがうすらうすら香る。

 

 

 歯をくいしばって後ろを振り返らず、がむしゃらに走る。何も考えず、ただひたすら前へ、前へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 裏路地などを経由したお陰だろうか。密偵として、仮拠点からの逃走ルートを確認していたのが、功を奏し得た。月明かりが夜道を薄暗く照らしなんとか隠れられそうな場所を探す。

 

 少し先に分かれ道がある。右の通路を通り抜け角を右に曲がったときのことだ。

 

「ッ……」

 

「おっと……ん?」

 

 ドンと派手な音たて、思いもよらない衝撃で後ろに倒れる。そこで、ぶつかってしまった相手の姿が初めて目に入った。

 

 黒髪であまり見たことのない顔立ちをしている。感染者のようには見えない。黒のジャケットを着こなしており、種族は不明。おそらく男性で20代。身長は、170以上だろうか。瞳は黒く、どこか引き付けられる。いや、目がそらせない。

 彼の手には、俺がぶつかった時に落とした連絡先が載っている紙。

 

「そこのお嬢さん」

 

 目の前の男から声がかかる。

 

「この連絡先を渡した奴、知ってるか?」

 

 声からは、感情が読み取れない。

 

 だが、彼の黒い瞳が濁っていく。首にナイフを突き立てられたような感覚が押し寄せ、尋問を受けている気分だ……答えない訳には、いかない。

 

「ああ………死んだ………」

「そうか……それで、誰にやられた?」

 

 横に転がっているアタッシュケースを、渡すべきか迷う。そんな様子を察してか、軽い口調で先程拾った紙を見せびらかしながら、声をかけてくる。

 

「奴とは知り合いでな。この連絡先は俺の事務所なんだよ。個人的な契約で雇われていたんだが……どうしたもんかね。死んだとなると、契約は無効だな」

 

 彼は、背を向けこの場を立ち去ろうとする。その後ろ姿が、俺の不安を煽った。

 

ーー独りになりたくない、置いてかないで。誰でもいいからーー

 

 

 

「待ってくれ!」

 

 

「…………なんだ?」

 

 思わず呼び止めてしまった。不安と恐怖でどうにかなってしまいそうだ。目の前ので倒れ散っていた仲間のためにも、生き残らなければならない。

 

 先程の様子から察するに、男は傭兵で間違いないだろう。それも相当の修羅場を潜ってきたにちがいない。

 

 この男と一緒に行動したい。そのためにはどうすればいいか……覚悟は、決まった。それを相手に伝えるため大きな声で伝えた。

 

 

 

「雇いたい」

 

 

 

 男の足が止まった。

 

「…………………………対価は」

 

 当然お金など置いてきた。あるのはナイフと敵の資料だけだ。差し出せるものなんて、一つしかない。断られてしまうかもしれない。それでもどうしても生き残りたい。独りになりたくない。これは、賭けだ。ここで助かったとしても次はない。

 

 

 

「(俺の)いのちを」

 

 

 

 おそらくだがこの男はこれを予想していたのだろう。その証拠に報酬ではなく、対価を要求してきた。ぶつかった時に、俺にお金がないことに気がついたのだろうか?

 

「本気か……なんて聞くのは、愚問だな。わかった。その依頼、受けよう」

 

 黒い瞳が、こちらを射ぬく。

 

「まずは、自己紹介だ。まぁ、偽名だがな。ーーーーー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから七年良く生きていられたものだ。しかし、ここ最近は忙しすぎて体調に影響が出た。そのため事務所を休みにしてしまった。

 ふと、自分にご褒美があってもいいのではないか、と思い旅行に来てみたのだが。仕事で殆どの大陸にいく機会があってか、移動都市にはよくお世話になったものだ。まぁ、仕事のせいで殆ど楽しめた記憶などなく、命にかかわることばかりだ………………うん、俺が必死に逃げ回ってる記憶しかないぞ。

 

 おかしいなトランスポーターってこんなにブラックで危険な職業だっけ?

 個人で営業してるお陰で一度の報酬がでかいのが救いだが(生きていれば)。

 

 ただ最近身に覚えのない大金が送られてきて、ビクビクしてる。どこから送られてきたのか分からないので、ずっと使わずに保管している。そのせいで貯金がだいぶ潤ってきた。

 

 過労とストレスのせいか、目が濁ってきたが。

 

 知り合いの闇医者に偽札みせたところ、偽札ではないそうで一安心だ。でも肝心の目は診察してくれなかった。

 

 というか、ここら辺は物騒だな。先程から夜だというのに爆発音などが聞こえてくる。まぁいつものことか(感覚麻痺)。この世界は大体そうだ。

 

 歩くさなか見上げれば満天の星。この世界に放り出された時もそうだった。

 

「お、流れ星」

 

 なにか良いことがありそうだ。自然と気分が上がり、近場にちょうど良さそうな店がないか探す。その時だった。

 

 

 曲がり角を左に曲がろうとしたら、パンを食わえた乙女がぶつかってきた。

 

 そんなことだったらどれ程よかったか。飛び出してきたのは、サイズがやや大きめのパーカーを着ており、腰回りが細長い形状に膨らんでいることから武器を携えていることが分かる乙女。種族はループス、口元を隠していた。

 

 悲しいかな。映画や漫画なら彼女を支えたり、自分の敵になりうるか素早く判断してから、落としてしまうであろうアタッシュケースを華麗にキャッチするのだろうが、現実はそう上手くいかない。

 

「ッ……」

「おっと……ん?」

 

 彼女は勢い余って後ろに尻餅をつき、横にはアタッシュケースが転がっていた。 

 

 一瞬、依頼しにきたかと思ったがよくよく体をみると、所々傷が目立つ。

 

 彼女の目を視て確信する。戦場を知ってる目だ。疲弊しており、近寄りがたい。その癖して体は殺戮マシーンのように素早く動く。さて、そんな人物が裏路地から出てきたとなれば大抵厄介事だ。

 

………………嫌な予感がする。頼むから休日に仕事なんてやめてくれ。しかし、彼女が落としたメモらしき物が視線に入ってしまう。

 

 連絡先は、俺の事務所で書き方にも覚えがある。たしか、ループスで固めた民間軍事企業で部隊を率いていた奴だ。

 

 彼女が持っているということは………

 

 連絡先を拾い、努めて優しくきいてみる。

 

「そこのお嬢さん、この連絡先を渡した奴知ってるか?」

 

 すると小さな声だが返事をかえしてくれた。

 

「ああ………死んだ………」

 

 ふむ、精神がすり減ってるな。奴はなかなかに腕がたつようだがこの様子だと目の前にいる彼女以外全滅か………ヤバ、どうしよ。あまり親しくなかったが、個人的に契約を結んでいたのに。これでは契約無効だ。思うところもあるが、今はそれどころじゃない。

 

 先程の爆発音と関係があるならここは、戦場になる。

 

「そうか……それで、誰にやられたんだ」

 

 彼女は一瞬アタッシュケースを視て俯いた。

 

 「奴とは、知り合いでな。この連絡先は俺の事務所なんだよ。個人的な契約で雇われていたんだが……どうしたもんかね。死んだとなると、契約は無効だな。」

 

 まぁ、契約といっても護衛などではなく運送だが。

 

 「待ってくれ!」

 

 おっといけない、考え事をしようとすると、つい歩き回ろうとしてしまう。

 こんな夜道に一人にはさせないもりだったが勘違いさせてしまった。しかし、大人になると空気を読むことも必要なスキルだ。

 

「なんだ?」

 

 

  「雇いたい」

 

 

 …………立ち去った方がよかったかな。あれか、お前の契約中に死んだから責任とって道連れだよね、と言うことか…………妙に涼しいのは、気のせいだろう。たぶん夜だからだ。

 

 まぁ、この程度で動揺する程やわではない。冷静に言葉を選び、小さな声で聞いてみることにする。

 

 「…………対価は」

 

 

「いのちを」

 

 なんだろう。川の向こうで祖父が手で招いてる気がする。

 あーあ。逃げるにしろ、巻き込まれるにしろ契約は契約。依頼主がたまたまバカンス先にいて、そこでたまたま死んだのならば後始末は必須。そんな掟があったなぁー。一体誰がこんな裏社会の掟作ったんだよ。お陰で腹をくくるしかない状況だぞ。

 

「本気か……なんて聞くのは、愚問だな。わかった。その依頼を受けよう。(白目)」

 

 ああ、忘れるところだった。俺にとって、もっとも大事なこと。己の存在証明。

 

 といっても自分で決めた方は、殆ど使わなかった。周りからの二つ名の方が有名だ。商売的にもそっちの方が都合が良かったがどうせならと、二つの呼び名を合わせて使っている。意味は分からないがそれなりに気にいっている。

 

「まずは、自己紹介だな。まぁ、偽名だからさほど意味はない。パラベラム・クリープ、そう呼ばれてる。以後よろしく」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この出会いがなにをもたらすかはまだ分からない。

 

 未来はまだ不確定だ。

 

 小さな変化はやがて大きくなる。勘違いもまた激しくなる。

 

 それだけが男の預かり知らぬところで決まったことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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黒い瞳

 対価とは、裏社会に生きていれば知っている隠語。主に、雇い主との契約で大きな問題を生じさせてしまった時に雇い主もしくは、保証人などが要求できる落とし前のことを示す。

 


 002

 

 

 

 

 場所は変わり古びた公園のベンチ。辺りに他の人影は見当たらない。

 爆弾のような厄介ごとを抱えて、民間ホテルに入るのはさすがに不味い。一般市民を巻き込みかねない。

 

「それで依頼の話なんだがーー」

 

 お互いの自己紹介を済ませ、今回の目的について話す。こちらの勝利条件はシンプル。この町から逃亡し、俺の事務所のある龍門に無事につくこと。なぜ俺の事務所なのかは分からないが、おそらく帰る場所が無いのだろう。ただ、それを難しくしている資料に再び目を通す。

 

「はぁ.......」

「……どうかしたか?」

 

 隣に座った不審者こと、クラウンが不安げに聞いてくる。

 ため息の一つや二つ、つきたくなるだろ。休日だと思っていたら自分の終活をしているのだから。永眠なんてことで、これからの人生が休日になったらたまったもんじゃない。

 アタッシュケースから取り出された敵の資料には黒いガスマスクで顔を覆い、背中の方から黒いチューブのようなものがガスマスクに付けられたヤバそうな奴が。さらに、右腕にはごつい刃物が付いた謎の武器をもっているときた。

 

 

 どっからどう見ても、帝国の精鋭兵団だ。何やったらこんな所に目をつけられたのだろうか?

 

   

 まぁ、人のことを言えないが。

 

 

「見知った顔でな、こいつらから逃れながら雇われた暗殺者を撒くのはなかなか骨が折れる」

 

 クライアントの依頼はあくまで逃亡だ。帝国の人数は20人、暗殺者の数は不明。敵の雇い主も不明。なんだ、とっくに詰んでるじゃないか。ウルサス兵とか本当に無理。

 しかしなつかしい。あれは、確かカジエミーシュとウルサスの辺境に仕事で行ったのだが、森林火災監視員と帝国兵の戦争中だった頃か。

 

 納期の為とはいえ、ボストンバックを引っさげて戦場のど真ん中突っ切ったのは、我ながら馬鹿だと思う。しかし、この頃から名前が売れ始めて、帝国には笑われ始めた。ウルサスに行くと警備員が震えを堪えながら露骨に顔を逸らしてくるのだ。

 

 

.....少しだけ心が辛かった。そんなヤンチャなことをしていた時期に思いに浸っているとクラウンがそんな様子を察したのか、また不安そうな顔になる。いかんな、クライアントを不安にさせるのはよろしくない。

 

 

「安心してくれお客さん。」

 

 これが最後になるだろうし、カッコつけても許されるだろ。

 

「俺の命を賭けてでも、ここから出してやる」

 

 

 

 

 

 

 

 「どういうことだ!!」

 

 

 高そうなスーツを着た、大柄なエラフィアの男が、手元の資料を叩きつけ怒鳴り散らしていた。会議室は荒らされており、もぬけの殻。

 肝心のループスの女は仕留め切れておらず、姿を見失ってしまった。今日という日に備え、あらゆる準備を行ってきたつもりだった。ウルサスに貸しを作ることで精鋭たちの部隊をこちらに寄越せ、と協力を仰いだ。 

 他にも暗殺者業を営んでる者達を雇った。この付近の警察には、札束を握らせた。

 

 

 商売を邪魔した挙句、すべてをパーにしてくれたやつ等に復讐する為に。

 

 

 男は元々人身売買をしていたのだが、ある日突然商品がなくなっており、商談に影響が出た。この手の世界では信用が絶対だ。一度失えば、対価を払ったとしても取り戻すのは、難しい。だから躍起になっていた。何としてでも対価を払っておき、せめて自分の首は繋いでおきたいからだ。

 

 そんな時に耳に入ったのがループスの変わり者たちの情報だった。同胞たちや身寄りの無い子供たちを集めている民間軍事企業の噂を。人数はそれ程ではないが部隊も出来ていた筈。そういえば、商談の前に無くなったのはループスの少女だったはず。自分の人脈を使い、その会社情報をさぐった。あのループス少女も成長し働いていた。

 

 

 

『お前があの時逃げてていなければ....』

 

 

 そんな見当違いな復讐心を抱いたのだ。そこからの行動は早かった。自分と同じ様にあの会社に恨みを持つ者を集め、ここまで来た。会社自体をつぶし、部隊もつぶした。それなのに肝心の女は殺せていない。そんな状況が男を怒り狂わせた。

 

 コンコン

 

 返事をする前にドアが開き入ってきたのは帝国兵の一人だ。

 

 

「いきなり何「はめたな?」はぁ?」

「なに訳わぁかんねこと.....ガァハ」

 

 要領の得ない言葉に聞き返そうとした時にはすでに壁に押さえつけられていた。

 

「この男に見覚えはあるか」

 

 見せられた写真には黒髪の男が写っており、特別な点は種族が分からない程度。この世界に足を踏み入れたのなら、知らない物などルーキー位だ。それ程に有名で、嫌でも耳にする。

 彼の二つ名は周りが呼び始めた。約6年前のことだ。この業界で名前を自分で名乗ることは、あっても、二つ名が送られたことはほとんど無い。元々、名乗っていた偽名と送られた二つ名を合わせることで、悪魔の名が完成する。

 

 

 名をパラベラム・クリープ。

 

 

 ウルサスの帝国兵ですら顔が真っ青になり、どんな悪党でも恐れている男。最近ではなりを潜めているが、まさかこんな場所にいるとは、思いもしなかった。

 一度だけこの目で彼を見たことがあり、助けられたことがある。目の前で見せられた特殊なナイフをもちいた近接戦闘を忘れたことなど無い。

 

「クリープがこの町にいる。奴がいる場所で騒ぎなど、これ以上はごめんだ。我々はこの一件から降ろさせてもらうぞ。そしてこれは忠告だ。もし、奴を巻き込めば最後、お前とこの町はポップコーンの様に弾け飛ぶぞ。今すぐこの町から去れ」

 

 帝国兵はそれだけ伝えると男を放り投げ、どこかに去っていった。

 

 生まれたての小鹿のように足を震わせへたり込む男。床から伝わってくる冷たさと、物音一つしない空間は、興奮した頭を冷やしきるには充分だろう。

 

 

 

 

 

 朝の三時。まだ不気味な静けさがあり、日が昇る気配は無い。雇われていた同業者達は、先ほどこの町を出て行った。

 

「チッ。腰抜けどもが。たかが男一人にびびりやがってよ」

 

 雇い主は依頼を取り下げた。当然、同業者達は納得できる理由が無ければ、手ぶらで帰らない。罵倒などが飛び交い、混乱を極めていた時ぽつりとその名が呟かれたとたんにあたりは静まり、時が止まったかと思うほど微動だにしなかった。

 

『クリープが、この町にいる』

 

 たったこの一言だ。その名を聞いただけで、殆どが無言で、出て行った。

残ったのは、四人のルーキー。このメンバーでターゲット及び、クリープを暗殺すると伝えた。すると雇い主は哀れなものを見る目で、こちらを見てきた。それにイラついていた一人が、思わず殺してしまったが問題は無い。準備は整っているのだから。他にも集まる予定だ。

 

「ケヒヒ、たのしみだなぁー」

 

 

 青年の口元が酷く歪む。しかし、目だけは年相応に相応な目であった。

 

 暗闇に包まれた路地に、日が差し込むことは無いだろう。

 

 

 

 

 

 辺りが少し明るくなった頃、目の前で無防備にベンチで寝ていたクライアントに声を掛け、予め用意していた菓子パンとペットボトルの水を差し出す。

 

「おはようさん。朝食にしては、少ないが食べておけ。これから動くことになるかもしれんからな」

 

 重たそうに体を起こし、目を擦りながらパンと水を取ってちびちびと食べている。

 ふむ、目の前で食事や睡眠を取っているあたり、トランスポーターとしての信用はしてくれたはずだ。さすがに仲間が死んでるのでプライベートな会話はせず、これからの逃走経路の話や計画について深く話しといてよかった。お陰で、物事がスムーズに運べそうだ。

 

「何も聞かないのか?」

「ああ、厄介ごとは、嫌いなんでね。他人の過去なんて気安く聞いたりするもんじゃないしな。クラウンこそ、聞いてこないじゃないか。まぁ、聞いても大したことなんて話せないぞ」

「じゃあ、クリープは生きていることが辛いって感じたことはあるのか?」

 

 おい、スムーズに運ぶとかいった奴誰だよ。いきなりガチな相談だぞ。しかも、昨日会ったばかりの奴の地雷を避けながら会話するとか、難易度高いし。心理療法の知識なんてないのだが。

 しかし、だ。逆に考えれば好感度を稼いで、対価を払わないで済むのでは?

 

「まぁ、無いと言ったら嘘になるな」

「そうか……」

 

 おかしいな、空気がめちゃくちゃ重く感じる。もしかして、俺ここで殺されるの?

 

「おまえは、どうなんだ」

 

 あまりの重さにとっさに出せる言葉が、これ位しかない。

 

 

「死んだほうが楽だとか、考えたことは、あるか?」

「……ある」

 

 駄目だな。こうゆうところで、切り捨てられれば楽なんだろうが、な。

 

「これは、俺の自論なんだがーー」

 

 

 

 朝起きるとクリープが朝食を用意してくれていた……変わった奴だ。いきなり出会った奴の依頼を詳しく聞かないまま受け、こちらに深く干渉しない。距離のとり方がうまくて、貫禄を感じる佇まいはとても頼もしい。昨日は依頼とそれに関することしか話さなかったが、うまく話せるだろうか。

 

 

 会話していくことで分かったがクリープはどこか危なっかしさを感じる。そして自分に似ているとも、思った。そんなことを考えているとーー

 

「死んだ方が楽だとか、考えたことはあるか?」

 

 ああ、やぱりどこか似ている。こんな感情を向けるのは、失礼だとわかっている。

 

「……ああ」

「これは、俺の自論なんだが、死んだからといって、楽になることはない」

 

 この言葉が言われるまでは、一緒だと思ってた。分厚い壁があるなど知らずに。

 

 

 

 

「これは、俺の自論なんだが、死んだからといって、楽になることはない(現に苦しんでる)。死ぬことをどんな風に捉えるかで変わるが、実際死んだ後に何があるかなんて、分からない(転生して平和ボケしてたらテラに放り出されたし)。まぁ、こっから先は宗教染みた話だ。」

 

 ほんとに、苦労してる。もし、これが神様転生なら神を呪い殺したいまである。しかし、こういう生き方も悪くないと思えた。

 

「それに、変に着飾って生きるよりも醜く汚く足掻いてるほうが美しいって感じたんだ。ああ、生きてるんだなって、感じるしな」

 

 うん、旨くまとまったな。少し悪い感じで笑ってみたが、どうだろか?(おもいっきし着飾ろうとしてる)こんなことしてるからウルサスに笑われんだろうな。嫌われてるよりはマシだが。

 

「なんだよそれ...ハハ」

 

  苦笑しながらだが、少しほぐれたか。よかった。これで俺の生き残れる確立が少しは上がったかな。

 

「それと、ありがとう」

「クライアントにサービスするのは、当たり前だからな。どういたしまして」

「対価は...ちゃんと」

 

 あっ、やっぱり対価は支払わなきゃ駄目なんですね。

 

 

 

 

 朝日が昇り人の活動がやや多くなった頃、裏路地に二人の人影。

 

「それで、最初は、人混みにまぎれて移動で良いのか? クリープ」

「ああ、駐車場までは、そうする。それとあそこのビルには気をつけろ。他の通行人とは、相手が素手でもぶつかるなよ」

「ビルは狙撃を警戒してるのが分かるが、通行人はどうして?」

「ぶつかった時に、首の骨を折られるからだ」

「えっ?」

 

 なるべく人が多い時間帯を選んだのには理由がある。暗殺業はターゲットを暗殺する。当たり前の決まりだが、逆に言えばそれ以外の人物は理由無く巻き込んではいけない。そのような決まりがある。守らなければクライアントに信用されなくなり、情報が出回って居場所が無くなる。

 中には、本当に足を洗って、まともな生活を送っている奴もいるが、こちらに馴染みきってしまっていたものは、表社会に馴染めず自殺してしまう方が多い。

 

 だからこの状況で、下手に手を出せない。この裏社会以外に居場所なんてないことを良く分かっているからだ。

 ウルサス帝国兵もさすがに、人様の国民に出さないはずだ。というか、頼むから出さないでほしい。 

 

 しかしどうしようもない問題が一つある。     

 

 

 俺、どうしよう。

 

 

 テラの住人は、俺と比べ頑丈だ。力も強く、厳密には違うが、アーツを用いた魔法みたいな攻撃までありときた。

 もちろん、クラウンにもアーツがある。相手の背後へ瞬間的に周り込むアーツらしい。これが本人の機動力と相まって、めちゃくちゃ強い。つまり近接担当だ。得物はナイフ一本でヤーボローナイフに似ている。

 そのため、彼女の方は大丈夫だ。これで中距離担当がいたらバランスがいいのだが、俺の得物もナイフ。しかも2本なのだ。いや、本当は遠距離から攻撃できる銃の方が良かった。

 一年立てばトランスポーターでも武器が必要と気がつき、闇市に行ったことがある。しかしこの世界の銃は、アーツを用いて感覚で射撃を行うのだ。

 

 構造が複雑で発明されたのでは無く、発掘されたものだ。当然魔改造などもしてみたが、使い物にならなかった。おまけに、銃弾が高い。

 何より、転移して来た人間などに当然アーツが扱えるはずが無く、論外だった。

 

 他にも弓やボウガンなども試したが、先ほども言ったようにこの世界の住人は力が強い。そんなような奴らが使っている弓など扱いきれず、断念せざるを得なかった。

 因みに射程は本人の技量によって代わるが、平気で100ヤード以上から撃ってくる。うん、どう考えたって無理だ。  

 まぁ、一番理解不能なのはその威力に耐える建築物や木なのだが....。

 

 他にも武器は試したが殆ど大きく、携帯してくおくには不向きな物ばかり。選択肢など殆ど無く、消去法でナイフになった。一応オーダーメイドで頼んだのだが、発注ミスで全然違うのが届いた。しかも種類が違うもので、なかなか癖が強い。デュアルフィンガーリングカランビットナイフとガーバーMarkⅡだ。

 

 おい誰だよ、こんな玄人向けなナイフしか使わない奴。返品しようと一応電話を掛けてみたが、案の定繋がらなかった。

 そんなこんなで使い始めて六年。しっかり手入れを怠らずに使い、数々の戦場で救われた。愛着が湧き、気が付けば体にすっかり馴染んでいる。あれ、おかしいな? 俺、トランスポーターだよな?

 

 そんなことを考えながら駐車場に着いたわけだが。まぁ予想どうりになにやら、たむろしている集団がいた。数は六人。上着の左脇が膨らんでおり、拳銃を携えていることが分かる。向こうがこちらに気が付き、銃を引き抜こうとした瞬間にクラウンが自分の得物を引き抜き、瞬時に3人の首が飛んでいた。

 

   なんで?

 

 たしかに、やられそうになったら全力で走れといったのは俺なのだが、やられそうになったら逃げろという意味だ。決して相手を殺せ、とゆうことでは無い。

 六発ほどの銃声が響いたが、あの調子だと直ぐに方がついてしまうな。

 

 

 目の前には悲惨な光景が広がっており、暇そうに自分の得物で遊んでいるクラウンがこちらに気が付き、笑顔で手を振っている(血まみれで)。何であんな活き活きしてるの?

 

 思わず顔が引きつり、目を逸らそうと後ろを振り向くと青年が刀でこちらの首を狙って、フルスイングしている最中だった(白目)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (なんだたいしたことないじゃあないか。これがパラベラム・クリープ?あの女の方が、いやオレの方が強い。)

 

 青年には、自覚があった。自分には人を殺す才能があると。オニであったため、力強く早い。戦闘において重要な才能を持っていることが原因だろう。   

 特に刀を好んで使っていた。相手の首を切りやすく、軽かったからだ。

 相手の切り落とされていくときの表情が、好きでたまらなかった。故に楽しみでしかったなかった。パラベラム・クリープがどんな顔するのか。ウルサス兵達すら震え上がった悪魔の絶望する顔が。そんな期待に身を任せ、後ろからすばやく接近し、首を狙うため横に刀身を流す。左手はあの女に対応できる様に投げクナイに掛けておく。

 

 (ああ、残念だ。正面から表情が見えないのが。だがあの女の表情は、よさそうだ。)

 

「クリープ!」

 

 この男に叫んだところで、もう遅い。女の焦燥感にかられた、恐怖と絶望の表情がたまらない。今までで、一番最高の気分だ。

 

 目の前でこちらを見つめている黒い瞳の男をーーーーは? 

 

 こちらを向いている? 

 

 いつの間に?

 

 まあ、いい。どうせ死ぬことに変わりはない。さぁ、絶望をー

 

 その時だ。思いもよらぬ痛みで右手に持っていた刀があらぬ方向に飛んでいったのは。

 

 

 

 

 後ろにいるクラウンに叫ばれた気したが、それどころじゃない。このままでは絶命してしまう。相手の左手にはクナイを取り出せるように、腰に手を掛けている。今から後ろなどに避けても、当たってしまうだろう。

 

 うん、詰んだな。しかし悪足掻きはさせて貰う。逆に考えるんだ、当たっちゃっても良いさと(良くない)。 

 肉を切らせて骨を断つ。腕の一本ぐらい犠牲になるが、致し方ない。方針が決まれば、話は早い。

 

 自分で前に倒れるような体勢で一気に懐に飛び込む。飛び込む最中、右手でカランビットナイフに手を掛ける。今回はガーバーMarkⅡを使わない。

 この世界の人は、頑丈で首を切っても8秒ほど動く。その間に自分が殺されたら、ひとたまりも無い。だからこそ、最初は確実に無力化をはかる。襲撃者は一人。ゆっくり、丁寧に仕留めなければ。ナイフだと意味が違うが、ストッピングパワーは重要だ。 

 

 そして、ここで漸く気が付いた。

 

 あれ、これ普通にいけるな。

 

 懐に飛び込んでも、左から脅威が迫ることに変わりは無い。しかし、飛び込んだことで脅威が少しずれていた。

 相手の刀を持っている方の手首に、左手の手根で弾く。

 

 突然の痛みと関節の構造上、曲がりきっていなかった手首が急な動きで曲がり、相手の刀はすっぽ抜けた。

 

 飛び込んだ勢いを利用し、相手の重心が乗っているであろう膝に上から下に体重を乗せるような感じで蹴りを放つ。すると、相手の膝が曲がってはいけない方向に曲がり、こちらに倒れ落ちてくる。それでも尚、左手で腰からクナイを抜こうとするので相手の左脇下が来るであろう場所にカランビットナイフを構え一気に引き抜く。  

 

 そして、そのまま相手の首を滑らせる様に数回斬りつけ、仕上げに首にナイフを刺した状態で軽く捻る。

 

 久々に嗅いだ匂いに、思わず顔を顰める。やっぱり、この匂いにはなれない。得物を軽く拭いてからケースにしまう。

 血の付いたジャケットを脱ぎ、肩に掛ける。匂いを誤魔化すために、タバコを手に取った。

 タバコをふかせながら、この後のことを考えていると鬱になる。検問に帝国兵と問題は山積みだ。これで7人は死体になったが、正直自分要らないのでは? だって、クラウン一人で6人とも倒してたし。今すぐ帰ってシャワーを浴びたい。

 周りには、7人の死体が転がっており、飛び散った鮮血などがなかなかの量で目も当てられない。そんな状況から早くずらかるため、クラウンに声をかけたが放心状態であった。

 

 

 

 

 足りない部分を手数と相手を無力化し、確実に殺すための最小限の動きと技術でカバーしたこの動きは僅か2秒以下で行われた。

 

 クラウンは先程の出来事に舌を巻いた。動きに無駄が無い。素早く、効率よく相手を殺していく姿は普段の様子からはまったく想像できなかった。なによりも、あんな技術を見たことがなかった。それと同時にとてつもない恐怖感じたのだ。

 出会って間もない奴の依頼を断らず、内容を聞かないまま受ける変わった奴。

 ナイフを持てば、殺人マシーンの様に冷酷になる。

 一体どちらが本当の彼なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 やらかしたかも知れない。暗い夜道を車で走り抜ける。時期的にも少し肌寒い。とても静かで風流を感じ、大変素晴らしいドライブになっただろう。

 

 車内の空気がどんよりしてなければだが。駐車場での戦闘が終わったあと、普通に検問を通れたし、帝国兵は姿を見せなかった。また死体などの後処理は向こうの警察に任せた。検問でもそうだったが、妙に震えていたが。

 様子がおかしかったので、声をかけたんだが走って逃げてしまう始末。お陰ですんなりと、逃亡に成功した。

 クラウンってそんなやばい奴なのか? 帝国兵に目をつけられていた位だし。まぁ今、助手席で外を眺めているクラウンのせいで空気が重いのだが、原因を作ったのはおそらく俺だ。

 駐車場で俺が一人しか、倒せなかったことだと思う。そりゃそうだ。対価を払う奴が一人しか倒してない。おまけにクラウンが倒した数の方が多い。

 しかし、一つだけ言い訳したい。俺はトランスポーターだ。決して傭兵などでは無い。と、言いたかったがカッコつけて、命を懸けて守ってやる、なんて事を言ったのでそんなことを言えるはずが無い。

 

「なぁ....どっちが本当の姿なんだ?俺は、どっちでもいいけど...」

 

 質問を投げかけてきたのだが、考えごとをしていて殆ど聞いていなかったぞ。いかん、運転中にこれはマズイ。とりあえず質問は、推測で答えなければ。どっちが、的なことを聞いてきたのだから、おそらくナイフの話だ。戦闘になる前ではナイフについて雑談してたし。

 そういえば俺のナイフについては、話してない。きっと先程の戦闘で、腰に携帯していたのを見たのだろう。しかも種類が違うわけだから、どちらをメインに使うか気になるはず。クラウンにだけ話させて、自分が話してなかった事を謝罪しておくとしよう。これは確かに不公平だし。

 

「すまないな、どっちもだ」

「いや、謝らなくていい...どちらもクリープだって分かったからさ。この世界でそうゆうのは、必要って再認識させられたから」

 

 .....何だろう。絶妙に会話が噛み合ってない気がする。クラウンと話してみて分かったが、あまり多くを語らないタイプだ。そのせいか、認識の食い違いが発生する。

 今回は聞いてなかった俺が悪かったのだが、このシリアスな空気で切り出す勇気はない。空気を読んで、黙って聞くことも仕事では重要だ。

 

「俺ってこの後どうなるんだ?」

 

 なるほど、確かに。しかし、だから俺の事務所に行くと言ったではなかったのか?俺をそこで殺すのでは、無いのだろうか。

 

「もし、よかったらだけどさ...」

 

 急に改まってどうしたのだろうか。さすがに、ここで殺したいなんて言わないよな?

 

「俺を雇ってくれないか。」

 

 え?そんな事でいいの?対価って。むしろ嬉しいのだが。好感度稼ぎ作戦が、成功したのか?あれで?

 とりあえず、返事をしなければ。

 

「ああ、いいぞ」

「え?...い、いいのか!本当だよな。嘘じゃないよな!」

「ここで、嘘をついても、意味が無いだろ。それに人手が増えるのは、ありがたい。とりあえず、落ち着け」

「ああ、それと」

 

 ん?なにやらこちらに身体を向き直しーーー

 

 

 

 「ありがとう」

 

 

....それはずるいだろ。

 

「どういたしまして、よろしくな、クラウン」

 

「よろしく、クリープ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふぅ、やっとついた。龍門裏通り。車を止め、助手席のクラウンを起こし事務所に入る。元々はマフィアの事務所だったんだが、少しお願いして譲ってもらった。なかなか大きく、中は簡素で、来客用のソファーが二つにデスクと椅子が一つずつ。ソファーの間にはテーブルが置いてあり、右の方には棚とレプリカの観葉植物がいくつか置いている。奥にあるドアの向こうが居住区だ。

 クラウンには、悪いが。住み込みで働いてもらう。ああ、これからまた忙しくなる。後ろで部屋を見渡していたクラウンに部屋を紹介し、事務作業を教えた。それから数日間は家具を新しく買ったり、居住区を業者に頼んで個別にしてもらった。

 

 クラウンは一緒でも気にしないと言ってたが、さすがにアウトである。クラウンにもっとちゃんとした常識を教えなければ。特に苦労したのが、龍門近衛局へ申請表を出しにいった時だ。何でか知らんが、旧友のウェイと会食しながら、根掘り葉掘り聞かれた。あいつ暇なのか?

 

 

「クラウン、少し出かけてくるから掃除を頼む」

「ああ、まだ寝ないのか?」

「ちゃんと取ってるさ」

 苦笑しながらこちらを向き、事務作業をこなす彼女はすっかり馴染みきっていた。覚束ないところはあるが、ほとんど心配が要らなくなった。

 

 

 

 

 さて、俺がいなかった間、龍門でなにがあったか聞かなければ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 


 


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クラウンスレイヤー

 





 いつもこの作品に目を通して下さった方や感想を書いてくれた方、そして誤字報告をしてくださってありがとうございます。私はハーメルン初心者でして、評価バーの存在やUAの存在を知りませんでした。ましてや、趣味と勉強を兼ねて書いている作品が、こんなに評価させて貰えて感謝の気持ちで一杯です。二次創作に手をつけるのは初めてでして。
 色々な方にこの作品を通してアークナイツを知ってもらえれば幸いです。これからも精進していきますので、何卒よろしくお願いします。

 

 長文失礼しました。それでは、本編をどうぞ。



※本編に出てくるクラウンの髪の色を訂正させていただきました。資料を見るとこちらの表現の方が正しいと、判断したためです。申し訳ありません。

 
 


  003

 

 

 

 

 

 

 

「それで、俺のとこに来た訳かぁ」

 

 そう切り出したのは目の前にいる服を着たペンギン。名をエンペラー。ペンギン急便のボスだ。愛くるしい見た目に反して、声が渋い。出会って間もない頃、その事を弄りすぎたせいで本気の飛び蹴りを喰らったことを切っ掛けに仲良くなった。今では数少ない友人だ。

 

「そう言われてもな。強いて言うなら、ごろつきが撃ち合いになった程度だ」

「そうか......」

 

 グラスを傾ければ、中の氷がグラスとぶつかった。カランとした音が店内に木霊する。オレンジ色の照明がカウンター席の奥にある、色とりどりのボトルを照らし続けている。反射した光はどこか妖艶な雰囲気を晒け出していて、魅力的だ。初めてこの店に踏み入れたものは未知の世界に興奮して、さぞかし酔いしれるだろう。

 雅趣に富んだストレートのエバークリアを呷る。澄み切った液体が喉を通るとピリッとした辛味が喉を熱くし、すっきりとした味わいがフワッと広がった。おもわず舌鼓を打ち、早々にボトルを空にしてしまう。

 

 しかし、なぜこの酒がこの世界にあるのか分からないが旨いことに変わりは無い。次のボトルを開けて空になった自分のグラスとエンペラーのグラスに注ぐ。

 

「相変わらず酒に強いな。お前の肝臓は、どうなってんだ。そういえば、ウェイ長官と会食したんだろ? そん時に聞かなかったのか」

「耳が早いな。新入りについて根掘り葉掘り聞かれてたんだよ。会話が殆ど一方通行で、コース料理を楽しめなかった」

「は? 新入り? お前の事務所にか? 冗談だろ」

「いや、さすがに個人で動くのがきつくてな。色々訳ありだが雇うことにした。今度紹介するさ」

「よく言うぜ、クソネズミとウェイ長官に引け取らなかった癖によ」

 

 いや、必死に逃げ回ってただけだが。そもそも衝突しようとしてたところに偶然遭遇してしまったのだ。それを宥めようとしたら、いきなり斬撃と砂嵐のお祭り騒ぎだ。それが引き金となり、龍門全域を使った鬼ごっこをすることになった。おまけに、その後の事故処理は、ほとんど俺がやった。お陰で顔が悪い意味で広まってしまうし、踏んだりけったりだ。

 

「まだ恨んでるのか、事務所壊されたこと。金は、しっかり払ったぞ」

「当たり前だろ。それで腕は、どうなんだ? その新入りとやらは」

「いいぞ、伸び代があって将来が楽しみだ」

 

 そんな他愛のない会話をつまみにしながら、適度に酔ってきたところでお開きになった。

 

 

 

 

「ただいま」

「おかえり」

 

 彼女が住む前にただいまと言っても、薄暗く冷たい部屋に虚しく自分の声が木霊するだけなので作業と化していた。薄暗かった部屋は打って変わって、明るく暖かさに包まれている。

 今では当たり前だが、返事が返ってきた時は感動したものだ。クラウンは雑務を終わらせ寝る支度をすでに整えていた。普段は黒いパーカーのフードを深く被って見えにくい緋色の髪は軽くまとめられ、耳がピクピク動いている。ご機嫌がいいのか尻尾を左右に振らしながら、彼女が着ている白いパジャマを整えている最中だった。そんな彼女の格好にも馴れ始め自分のパーソナルスペースに同居人がいることを再認識し、こんな生活も悪くないと思えていた。

 

「先に寝てるからな」

「ああ、お休み」

 

 薄暗くなった事務所の中。自分のデスクの前に座り、クラウンが終わらせたであろう書類の見直しをする。特に問題なく訂正する必要も無かった。特にやる事が無かったので、ナイフの手入れを行い軽くネットでニュースなどを調べる。この時間が一番落ち着く。自分も寝る支度を終わらせ、ベットに横たわる。目を閉じ、暗闇に包まれながら意識を落とした。

 

 

 

 目が覚めると頭の中でシンバルが鳴り響き、思わず眉間に手を当てる。二日酔いなんて何年ぶりだろうか。重い身体をベットから起こし、軽いストレッチで身体をほぐす。部屋を出て事務所の外を見ると、クラウンが朝の鍛練をしていた。

 

 自分の朝食をとり、彼女に軽く一言掛けるために覚束ない足取りで外に出た。しかし、一声掛けるだけではすまないと分かっているので、本音を言えば行きたくない。

 

「おはよう、クラウン」

「おはよう。昨日の資料は、問題なかったか?」

「ああ」

 

 彼女は、ほっとしたような様子だ。今日の商談に彼女を連れていくことはできないが、この調子なら大丈夫だろう。

 

「さて今日は、勝たせてもらうぞ」

 

 彼女はそんなことを言うと、手に持っているダミーナイフとは別のダミーナイフを投げてきた。ああ、今日も()()()()が始まるのか。正直軽い二日酔いであまり動きたくないが、そんなこといってられない。

 襲って来る敵は、こちらの都合などお構いなしだ。そういったことはカジミエーシュや炎国で、さんざん経験した。そんな炎国の移動都市に住んでるわけだが、本当に人生何があるかわからない。本当に良く生きてるな俺。

 そんなことを呑気に考えながらダミーナイフをキャッチして前を見ると、クラウンの姿はすでに消えていた。多少動揺したが、落ち着いて対処する。恐らく、ある程度走ってアーツを使い、背後に回り込んだ可能性が高い。直感的に背後を見ないで、ダミーナイフを後ろに向けたときだ。

 

 

 目の前が突然緋色に覆われた。

 

 

 彼は、何処か甘い気がする。判断基準が曖昧で、いまいち分かりにくいが、自分が刃を向けるべき相手を選んでいるのだろうか?それを確かめるべく、彼に鍛錬をつけてもらう事にした。最初は断られたがしつこくお願いをしたら、早朝にやる事を条件に承諾してくれた。たぶん、俺の寝ぼけ癖を改善するためだろう。

 毎朝30本程模擬戦をしている。一試合が15秒ほどで決着がつくので、時間はかからない。今のところ俺が全敗だ。そして彼が本気で戦ってくれたことは、一度も無い。

  あのオニの青年に向けたドス黒い瞳をむけられたことが、まだ一度も無い。俺ではクリープが本気で刃を向けられないと、遠まわしに告げられているのだ。その事実が悔しくてたまらなかった。

 彼が事務所にいない時間を利用して、アーツの訓練をした。ナイフをもったクリープの動きをイメージしながら、彼の動きを真似てみたりする。

 彼からどうしてもあの瞳を向けられたい。そんな思いと訓練が功を奏したのか、何とか形に出来た。一度きりだけ通用するかもしれない。少々卑怯な気もするが、彼が『使えるものは、とことん使え』と言ってくれたことで、そんな迷いは吹き飛んだ。

 

 

 そして、奇襲を仕掛けた。彼がナイフに気を取られてるうちに、自分のアーツで回り込める範囲に近づく。そこから一度アーツを使って後ろに回り込み、彼がこちらに気を取られるまでギリギリまで引きつける。     

 

 彼の反応速度は異常だ。スピードとパワーは俺の方が上だが、瞬間的なスピードと技術に関しては圧倒的に劣る。タイミングを少しでも間違えれば、負ける。この刹那がとてつもなく長く感じる。

 そして、その瞬間が来た。

 

(今だ!)  

 

 ()()()()()()()を使い彼の正面に回り込めた。後は懐に飛び込んで、ダミーナイフを彼の首に最速で押し当てるだけ。しかし、彼の首に押し当てる前にクリープの二つの瞳が俺を捉える。

 

 ドス黒くて、どこまでも落ちていきそうな深み。濁り切ったその瞳にはきっと、何も写っていないのだろう。

 

(ああ、やっとだ。やっとその(本気)を俺にむけてくれた。)

 

 全身を駆巡る血がさらに加速し、全身が燃やされるような興奮を一瞬で冷ます。それだけでは駄目だ。(本気)を向けてくれるだけじゃ駄目なのだ。俺は彼に自分のを(人生)を渡したのだ。

 

 クリープの噂を調べ、彼自身に聞いた。『大した事じゃない』たったその一言で話は終わった。彼の二つ名はパラベラム・クリープだが他にも呼ばれ方がある。本人はそのことを気にしてないようだが。

 

 彼が一人で成功させた依頼や成し得たことは凄まじく、まさしくこの業界の頂点(キング)と呼ばれるにふさわしい人物だ。純粋な接近戦で彼と張り合える者などほんの一握りだろう。でも、俺がその一握りに入ってるだけじゃ納得できない。満足できない。

 

       彼の瞳に写りたい。何も写らせること許さない黒に、俺を写らせたい

 

 そのためにはクリープを、頂点(キング)を、殺せるぐらいにならなくてはならない。

 

 そんな遥かに手の届かない目標を己に定めた。丁度、黒に組み伏せられて彼女が地に這いつくばってるときの事だ。

 

 

 

 

 

 

 正面から迫り来るナイフをなんとか、右に避ける。ここぞとばかりに追撃が放たれてくるクラウンの右足の衝撃をいなした後、足を右脇下で掴み引きずり込む。抵抗される前に自分の身体の軸を意識しながら重心をずらす。すると、一本の足で支えていた彼女の身体は崩れ落ちていく。そのまま、背後から馬乗りの状態で組み伏せることで状況は落ち着いた。

 

「くっ......」

「今の奇襲は良かったが、追撃の蹴りは駄目だ。奇襲が失敗したら即撤退。これが基本だ」

 

 そんなことを涼しい顔で言って見せるが、内心冷や汗が止まらない。思わず真顔になり、保険金のことを考えてしまった。よくよく考えたら自分に保険など適用されないが。しかし、とうとう恐れていたことが起こった。

 

 早朝に練習しているのは、クラウンが朝に弱いからだ。この世界の住人は基本頑丈だ。力も強く、スピードも当然速い。

 

 さて、万全の状態の獣人と人間で模擬戦をやったら俺はどうなるのか? 下手したら死ぬ。彼女にとっては模擬線だろうが、俺にとっては死闘だ。ダミーナイフの一撃や蹴りは致命傷になる。だから模擬戦をしたくなかったが押されに押され、つい頷いてしまった。

 

 せめてクラウンが寝ぼけてる早朝に鍛錬する様に頼んだのだが、最近では動きが格段と良くなり目がぎらついてる。君、成長早過ぎない?ジョ○・ウィックでも目指してるの?

 

 とりあえず、クラウンを解き残りの模擬戦を淡々とこなしてく。

 

「はぁ......はぁ......相変わらず強いな。また勝てなかった」

 

 心底残念そうに言ってるとこ悪いが、負けるつもりはない。負けたら最後、その日が俺の命日になる。クラウンには言ってないが事務所を空けていたのは、もしもの時に備えて密か終活していたからだ。

 

「そりゃな、伊達に生き残ってきた訳じゃない。そう簡単に超えられても困る」

「でも......いつか勝たせてもらうぞ」

 

 頼むから勝たないで下さい。死んでしまいます。俺が。そんな言葉を飲み込み、適当に返事を返しとくのだった。

 

 

 

 

 

 一旦事務所でシャワーを浴び、今日の商談準備を整える。時間はまだ充分にあるのでコーヒーを飲む。香ばしい香りが肺と胃を満たしていく。今日のクラウンを見て分かったが、そろそろ仕事の護衛役を任せてもいいだろう。その前に彼等に紹介しなければ。予定変更だ。

 

「クラウン、今日空いてるか?」

「ああ、特に予定は無いぞ。それがどうかしたか?」

「そろそろお前の挨拶を済ませとこうと思ってな。今日行われる商談に連れてこうと考えてたんだ」

「え! つ、着いていっていいのか!」

 

 なんだか嬉しそうに尻尾を振ってるが、そんなに雑務が嫌だったのか?

 

「ああ、向こうも会いたがってたからな。ちょうどいい機会だ。それと名乗るコードネームを考えといてくれ」

「そ、そうかコードネームか......わかった考えとく。服装は、どんなものがいいんだ?」

「何時も通りで問題ないぞ。今さら、気にするような相手じゃないし」

「わかった」

 

 彼女は急いで自分の部屋に戻っていた。本来、そこらのごろつきなどであれば挨拶など必要ない。ましてや、個人営業のトランスポーターとなれば尚更だ。しかしどういうわけか、この事務所の新入りとなれば話は、別らしい。

 

 突然、ポケットに入っている携帯が震えた。エンペラーからだ。

 

「もしもし、どうした」

「どうした、じゃねぇよ。今どこに居るんだよ」

「事務所だが?もう、揃ってるのか?」

「あとは、お前だけだ」

「三十分前から集合して暇なのか?」

「お前のせいだろうが!」キーン

 

 なぜそこで俺が出てくるんだ。召集を掛けた、ウェイ長官に直接文句を言ってほしい。

 

「分かった。それと挨拶を済ませようと思ってな。新入りを一人連れてくが大丈夫か?」

「あ?護衛としてなら大丈夫だろ」

「そうか。じゃあ後で落ち合おう」

 

 そんなこんなで電話を終えると、準備を終えたクラウンがすでに待っていた。......相変わらず口元を隠してフードを被ってる不審者コーデだが大丈夫だろう。

 

 

 

 

「はぁー。今からくるってよ。新入りと一緒だそうだ」

 

 サングラスをかけたペンギンが振り返ると、そこには煙管を吹かせ座っている龍の様な男が一人。身なりが整っており、中華服のような物で隠れているが体格ががっしりとしていることが分かる。煙を吐き終えたところでエンペラーに視線を合わせ、煙がゆるりゆるりと消えるとようやく口を開く。

 

「そうか。また騒がしくなりそうだな」

 

 ウェン・イェンウー。この龍門の執政者である。なかなかの切れ者で世間からは、現代の優秀な統率者の一人として認知されている。今の龍門があるのは彼のお陰だろう。そんな彼が柄にもなく、口元を歪めていた。

 

 

 

 

 

 交通の便がいいのだが、そのせいで渋滞が発生しやすい。その証拠に、濃い排気ガスの匂いが鼻にこびりついてくる。

 

 事務所をかまえている所には、めったに車が通らないせいで、敏感になってることもあるだろうが。肌を焼くようなジリジリとした日差しと、クラクションの音が相まって居心地が悪い。近くに居た近衛局の警備員に声をかける。

 

「少しいいか?」

「はい? 本日このビルは……ク、クリープ様! も、申し訳ありません。ただいま、案内の者をお呼びしますので、少々お待ちください!」

 

 そんなことを言うと、走って屹立しているビルの中に行ってしまった。まぁ、いつものことだ。それより後ろに居るクラウンが、妙にそわそわしてるが大丈夫だろうか。案内役が走ってきて、そのまま荷物検査を済ませる。

 

 警備員や途中ですれ違う時に、毎回会釈してくるは何なのだろう。自分の胃がきりきりしてくるからやめてほしいのだが。というか、後ろに居るクラウンはうんうん頷いてないで止めてほしい。部屋の前に着くと案内人は何処かに去っていった。無駄にデカイ扉の向こうからは、なにやら話し声が聞こえる。

 

「クラウン、大丈夫か?」

「ああ、大丈夫だ。問題ない」

「それと今回は、挨拶だけだ。そのあとは、おそらく別部屋で待機だ」

 

 とりあえず、扉を開け中を見渡す。天井にはシャンデリアが吊るされており、少し眩しく感じる。大きな窓から見える景色は龍門を見渡せそうだ。ここより高いビルは、龍門内に無いだろう。赤いカーペットに一歩踏み出せば、気分はさながら王族だ。エンペラーやウェイ長官と目が合う。とりあえず謝罪しなければ。

 

「すまん、遅れた」

「気にしなくていいパラベラム。それより、席についたらどうだ。」

 

 ウェイ長官との関係は良好。敬語を使わない程度に気安く話せる。相変わらず濃い面子だ。ウェイ長官が後ろに居るクラウンを品定めしている内にエンペラーと話す。

 

「後ろの奴が新入りか?」

「ああ、護衛役としてな」

「お前に護衛なんかいらないだろ。」

「なんでだよ。ちゃんと首が飛ばされれば、俺だって死ぬんだよ。」

「ボストンバックだけ持って戦場のど真ん中つっきってく奴がか? 想像できないな」 

 

 そんな会話を流し、自分の席に座る。さて、本来ここに居る面子が表立って顔を合わせることは殆ど無い。しかし、一ヶ月に一回だけ集まることがある。では、なぜ集まるのか。

 

 それは龍門の防衛協定にある。この防衛協定は俺とエンペラーが、ウェイ長官や鼠王(ソオウ)さんに持ちかけたものだ。

 

 この3人は、それぞれが独立した勢力だ。ウェイ長官は、龍門の執政者であり近衛局を。エンペラーは、ペンギン急便と言う大きな運送会社を。ソオウさんは、スラム街の住人たちと裏社会を。そんな三人に結ばせた契約内容は簡単だ。龍門が関わる危機には協力体制を引くこと。そして、牽制の意味が含まれているらしい。

 

 本来、龍門のトップに契約を持ちかけるなどあり得ないが、エンペラーに嵌められた。ウェイ長官とソオウさんの勢力が争うし、ペンギン急便の面々は荷物じゃなく問題ばかり運んでくる。そんな荒れた状態を近衛局の警備隊やスラム街の住人と協力して事後処理をしていた時のことだ。やることが多すぎて手が付けられなくなり、自分が過労死(ボランティアで)を覚悟していた。

 

 そんな時、エンペラーから一本の電話が掛かってきたのだ。お前の望む状況を整えてやったやら、旨い飯を食わせてやるなど、身に覚えの無いことを話していた。しかし、龍門の飯は美味しく魅力的な提案だ。急いでジャケットを脱いで、スーツ姿に身包んだ。本来は自分の視線を隠すためのサングラスをファッションとして身に着けた。

 

 高級料理の専門店と知った時は、やはり持つべきものは友だなと感動したものだ。ウキウキしながら指定された店に向かった。店に入ると、従業員がやたら奥の方に案内していく。豪華な中華風の内装が綺麗で見惚れているうちに、扉の前に着いていた。  

 

 店員は小走りで消えてしまった。エンペラーとは親しい仲なので、軽い挨拶と共に扉を開けた。

 

「待たせたな.........」

 

 扉を開けてみればなんとこの前鬼ごっこをした既婚者二人組みが、自分の美人な奥さんを引き連れて優雅に食事をしていた。ペンギンの姿など見当たらず、四人の視線はこちらに釘付けだ。そりゃそうだ。いきなりサングラスの不審者が部屋に入ってくれば俺だって目を向ける。きっと部屋の間違いだろうと部屋を出ようと思った瞬間にネズミさんがこちらに言葉を掛けてくる。

 

「お主が皇帝の言っていたものか。少し話をせんか」

「アッ……ハイ」

 

 拒否権など存在しなかった。そこから必死に胃痛を抑え、細心の注意を払いながら話をした。そんな時に話したのが、防衛協定らしい。はっきり言ってあまり記憶が無い。記憶してるのは仏面を保ちながら拷問を耐え切ってベッドの上に倒れたことと、エンペラーに苦情を入れようと連絡先を開くと見知らぬ電話番号が二つ登録されていて、開いた連絡先をそっと閉じたこと位だ。

 

 俺のコース料理と胃の犠牲あってか翌日からは、目立った事件は起こらなかった。

 

 やがて、ウェイ長官の外交が成功して龍門は発展していった。あくまで中心部の話しだが。感染者など貧困層は、ソオウさんが纏め上げてスラム街で暮らしている。そんな光と闇で成り立っている。と、思われているのが龍門だ。スラムといっても衣食住がちゃんと確保しており、住民票などがちゃんと登録されている。これはソオウさんとウェイさんをお互いに説得させた結果だ。 

 

 実際は互いの存在の必要性を認め、絶妙なバランスで感染者や裏社会の人間、そして非感染者が共存している珍しい移動都市だ。本当に苦労した。おもに巻き沿えを食らって。

 

 そんな立役者の一人、ソオウさんがこの場に居ないのは事情がある。ソオウさんはあくまでスラム街の代表者。そして、裏社会の顔といってもいい存在だ。そんな存在が都市の中心にあるビルに出入りして、ウェイ長官と話をしていたら沽券に関わる。そこで、個人営業している俺に白羽の矢がたった。俺がソオウさんに雇われる形で、スラム街及び裏社会の代表の代理人としてこの椅子に座っている。そんな事を利用してウェイ長官にも、ちゃっかりと個人的な契約も結んでもらっている。

 

 もちろんこの商談は、ソオウさんに追々連絡する。特に問題が無ければ、他愛無い話で終るが。そろそろ、クラウンに挨拶させねば。

 

「クラウン、今俺と喋っていたのがペンギン急便のエンペラーだ。そして、お前のことじろじろ視ている既婚者がウェイ長官だ」

「私の紹介の仕方に悪意を感じたのだが?」

 

 じと目で見られたって、忘れもしないぞ。昨日の質問攻めでコース料理を食べさせなかったことを。

 

「よう、新入り。よかったらウチに来ないか?」

「人の社員を引き抜こうとするな。お前の会社なんかに入ろうとしたら一番最初に書くのは、履歴書じゃなくて遺書だろ。命がいくつあっても足りないぞ」

 

 二人の挨拶を終えたタイミングでクラウンに、お前も挨拶しろという意味を込めて目配せをする。すると彼女はコクリと頷き、一歩前に出た。

 

「お初にお目にかかります。私は、クラウン」

 

 教えたことの無い丁寧な言葉使いで話してることに驚いたが、そこで一旦止めて俺の目に視線を一瞬よこした。 

 

「クラウンスレイヤーと申します。以後お見知りおきを」

 

 一礼してから後ろに下がった。前の二人を見てみるとエンペラーはあんぐりと口を開け、ウェイ長官は「ほう」と意味深に呟いている。確かに俺も丁寧な言葉使いには驚いた。ウェイ長官は、礼儀正しい人だからなにやら通じるものがあったんだろう。しかし、スレイヤーなんて物騒な単語どこで覚えてきたんだ?というか護衛の名前じゃないだろ、それ。

 

「お前……これから大変だな」

 

 なにやら、気の毒そうにエンペラーが言ってくるがどういう意味だ。むしろ礼儀正しく、よく出来てる護衛だと思うのだが。

 

「そうか……精進したまえ」

「はい」

 

 そんなクラウンことクラウンスレイヤーとウェイ長官の会話を聞き流す。ウェイ長官にしては珍しい反応で少し驚いた。しかし、クラウンスレイヤーねぇ。なにやら聞き覚えのある名前のような気がする。そんな思考はウェイ長官に遮られた。

 

「さて今日の契約更新は、終了だ。あとは、好きにしてくれ」

 そんな事を述べると、ウェイ長官はこの部屋から出て行った。

「いくらなんでも、早すぎないか?」

「ああ、ウチとの契約更新が終わった時に、お前らが来たからな。お前の事務所の新入り紹介がメインだ」

 

 えっ、そうなの?じゃあ今日は、もう解散?マジか。

 

「ここ最近の龍門は、お前とクソネズミのお陰で平和だからな。それとクソネズミには、俺のほうから連絡しといてやる」

 

 いや俺は何にもしてないだが。これじゃ、俺が虎の威を借りる狐みたいだ。......今さらか。

 

「クラウン、帰るぞ」

 

 クラウンスレイヤーだと長いので、前と同じように呼ぶことにした。彼女はコクリと頷く。

 

 

 

 外に出ると太陽が真上に昇っていた。日差しが強く、ジャケットの上から肌をジリジリと焼く。思わずジャケットを肩に掛け、腕につけている時計を見れば丁度お昼時だ。しかし、こんな暑さのせいか、あまり食欲が湧かない。思わず、テラに無いそうめんに思いを馳せてしまう。

 

 こういう時は海に行きたいが、テラの「海」は碌なもんじゃない。バミューダ海域も真っ青な、人ならざる者が住んでいる。

 

 しかし、商談が早く終わってしまった。事務所に帰っても浮気調査やちょっとした相談事位しか、仕事が無い。仕方ない。

 

「クラウン、先に事務所に戻ってくれないか。雑務をこなしといてくれ。俺は、少し調べ物をしてから戻る」

「ああ分かった」

 

 彼女が帰った後、ぶらりぶらりと歩いていると、露店に気になる新しいゴシップ雑誌があった。値段は、安く良心的で簡単に財布の紐が緩んだ。パラパラとページを捲ると、ふと目が留まった。ページの見出しには、()()()()()()()()()()の謎と書かれている。丁度、俺がウルサスのチェルノボーグ市でとある仕事をしていた頃に起こった事件だ。  

 

 普通はあまり公表されない筈だが、おそらく情報漏洩だろう。まぁ、過ぎたことを気にし過ぎても意味はない。

 

 そう切り捨て立ち上がるとポツリポツリ、と雨が降ってくる。この時期に雨が降るのは、珍しい。喜雨と言う奴か。突然の雨でバックなどを傘代わりしている人が多い。

 

「帰るか」

 

 

 空に広がる乱層雲はあまりにも暗く、喜雨と言うには似つかわしくない。彼の呟きと背中はクラクションの音と、篠突く雨の中に掻き消された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 


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地上の騒ぎ

 お久しぶりです。最近使わせてもらった新コーデのマウンテン、尻尾がものすごいブンブンしていて、いつも取れないかと気になって仕方ないkokomoです。
 
 危機契約、もうすぐ終りますね。初めての危機契約でしたが、無事に勲章をとることができて安堵しています。人の攻略動画を見るのも楽しいですが、自分で練った作戦でクリアできた時の快感は、忘れられませんね。
 

 それでは、本編をどうぞ。


 

 

 

 

 004

 

 

 

 

 

 

 

 自分のデスクで一息つく。事務所の窓から外を見れば、朝日が昇っていた。ここ最近は大きな山が無かったため、比較的平和だ。肌寒い季節になったせいで、ベットから出るのはなかなかに苦労した。肌寒いといっても炎国は暖かいほうだ。雪なんて降ることは無い。

 棚からフミヅキさんにもらったお茶の葉を取り出し、二人分のお湯をポットで沸かす。しじまな室内に、コトコトと聞き心地の良いおとが木霊する。準備をしていると事務所の扉が開いた。丁度帰ってきたか。

 

「おつかれ。頼んだ物は買えたか?」

「ああ、ちゃんと買えたよ。それと、ポストの方に手紙が届いてたぞ。お前宛だ。」

「手紙?」

 

 クラウンはこちらに封筒を渡すと、買ってきた物の整理を始めた。とりあえず、沸かしていたお湯をゆっくりと急須に入れてく。お湯が急須に流れ落ちてゆくと、ぶくぶくと茶葉が這い上がってくる様に膨れ上がってくる。お茶特有の甘い馥郁の芳香が部屋を満たす。

 一分程時間があるので棚から茶菓子を取り出す。ソファーには荷物整理を終えたクラウンがすでに座っていた。

 二人分の湯飲みを机に置き、改めて手紙を手に取る。差出人は書かれておらず、封筒は触り心地が良い。やたらと高そうなことだけが分かった。

 この世界で今時手紙とは珍しい。依頼であれば直接会うか、事前に連絡してくるはず。となると、知り合いからだろうか。

 今までしかし手紙を送って来るような奴はいなかった。そんな考え事をしていると、丁度一分後になるようになっていたタイマーがピピ、ピピ、と鳴り響く。お茶の濃さを均等にするために、最後の一滴まで絞るように注ぎまわす。

 

「なぁ、その手紙は誰からなんだ?」

「分からない。差出人が書かれて無くてな。いままで手紙を送られてくるようなことは、無かったからな。」

 

 罠の可能性もあるが、どうしたものか。いたずらの部類だったらいいのだが、この高そうな封筒がいたずらに使われるために用意されたとは考えにくい。そんな事を考えながら、封を開いた。

 出している途中でよく分からない文字がチラッと見えて、思わずそっと封筒の中に戻してしまう。見覚えのある文字だ。たしか、AUSなどが使っていた様な気がする。他には仕事でたまたま会ったアビサルハンター位だろうか。

 

 彼女とは度々会っていたが、苦手意識が今だに拭えない。大きな得物を携えて突然目の前に現れた時は心臓が止まるかと思った。そんな状態で会話を始めてくるので、彼女の機嫌を損ねないように必死に頭を動かしたものだ。確か名前はーーーー 

 

「どうかしたか?」

「いいや、なんでも無い」

 

 彼女の名前を思い出そうとしているとクラウンに声を掛けられた。心配させてしまったようだ。しかし、どうやって処理しようか。恐らく送り間違えたのだろう。この都市にエーギル語を使う住人など聞いたことが無い。もう一度封筒から手紙を取り出し、一通り目を通す。うん、やっぱりエーギル語だよなこれ。まったくもって読めないが、形で判別できる。

 まぁ、誰が送って来たにしろ、触らぬ神に祟り無しだ。本来送られるはずの人には悪いが、捨てさせてもらおう。住所を書き間違えた方が悪い。

 

 そう結論づけ、一息落ち着くために先程入れたお茶を手に取り、一口含む。少し苦味があるが、後味がまろやかでみずみずしい。茎茶は久々に飲んだがこれは落ち着く。やはり日本人。こういった極東の味は日本を思い出す。値段は怖くて聞けなかったが。

 

「クリープ、この茶菓子うまいぞ。黄色と茶色の奴。どこで買ったんだ?」

「それは、フミヅキさんから貰った物だ」

「フミヅキ? 誰だその人。」

「ウェイ長官の奥さんだ。元々は、極東の姫さんでな。俺がウェイ長官と契約を結んでいて、よく会うんだよ。お偉いさんたちのパーティーで、フミヅキさんの護衛として傍に立っていたのさ。いつもウェイ長官が傍に居るわけじゃないからな」

「えっ。初耳なんだが」

「ああ。もうその仕事はやめたからな」

 

 本来、俺みたいな裏社会の人間と契約を結ぶなどあり得ないがすんなりと契約が通った。理由を聞いてみたところ、抑止力とか言ってた様な気がする。

 そんなこんなで話が進むと、成り行きでフミヅキさんの護衛役もするようになった。個人営業のトランスポーターになぜそんな事をさせるのか、と疑問には思った。

 しかし、契約を持ちかけたのは俺だ。結ばせてもらっている側が、そんな事を発言できる訳が無い。それにクライアントの依頼理由をむやみに聞こうとするのは、この業界ではナンセンスだ。

 

 護衛につく前日にフミヅキさんの護衛達と自己紹介をした。特に印象的だったのがシラユキという忍者だ。隠密に長けており、いきなり天井から降って来た時は驚いた。

 シラユキのように腕の立つ護衛がいるため、俺の仕事といったら後ろの方で突っ立てるだけの楽な仕事だ。 

 

 そんな考えとは裏腹に、一度だけ襲われたことがあった。フミヅキさんは強力なアーツを使って返り討ちにして、シラユキも肉弾戦と大型の手裏剣で無双していた。

 俺は巻き込まれないように後ろの方に下ろうとしたら、いきなりステルスゲリラ軍団に襲われた。なんとか撃退してからフミヅキさん達に合流したが、返り血がすごくて会話が殆ど頭に入って来なかった。なによりも、元姫様の強さに驚愕した。

 これなら俺いらないだろとか、ピーチ姫もこれくらい強かったらクッパを撃退できそうだなとか、くだらない考えで現実逃避をしていた。

 

 そんなフミヅキさん達と一緒にパーティ会場に入った途端に静かになった。あれでは、パーティーというより葬式だ。まぁ、確かにフミヅキさんの実力を知って居れば、そうなってしまうのも納得だ。それ以来、やたらとフミヅキさんから色々送って貰えるようになり、契約が終った後も関係は良好だ。

 

「その黄色い菓子は、カステラだ。極東で良く売ってるぞ。」

「へぇー。ところでさ、その仕事は何でやめたんだ?クリープなら自分を売り出して、正規の護衛としてやっていけたんじゃないのか」

「それは無理だな。俺は裏社会の存在だ。その事実は、この龍門のトップに近い存在の正規の護衛になったとしても消えることはない。正規の護衛にわざわざ爆弾の様な存在を置くことは、ウェイ長官が良しとしなかっただろう」

 

 あの人は、あくまで龍門存続のために動いている人だ。だから防衛協定にも利益を見出し、契約してくれた。この龍門の危機が迫るなら、どんな手を使っても食い止めるはずだ。

 何より、自分の妻の横に殺人等をこなしているトランスポーター(?)を、置く訳がない。護衛中にフミヅキさんと会話することがあったが、殆ど惚気話だった。

 それ位夫婦仲がよろしいのは結構だが、身内に甘すぎる気がする。そう感じてるのは、俺だけじゃ無い筈だ。まぁ、護衛にならなかったのは、個人的な理由もあるが。

 

「それに」

「それに?」

「こっちの方があってるのさ、俺には」

 

 これは、間違いないはずだ。トランスポーターは危険な職業でもあるが、少なくとも護衛より安全、だと思いたい。それに護衛は、護衛対象を守り抜く仕事だ。自分の獲物は盾ではなく、二本のナイフだ。襲ってきた相手を速攻で倒している間に、護衛対象が殺されたら本末転倒。

 

 自分の命を守るのに精一杯な奴に出来る職業では無い。そんな職業で生計を立てていくのは、性に合わない。

 そんな時丁度、備え付けの電話が鳴った。冷めたお茶を一気に飲み干して受話器を取る。

 

「もしもし、依頼ですか?」

 

 この事務所に名前など無いので、これくらいしか聞くことが無い。いい加減決めた方がいいか。社員増えたし。

 

「相変わらず冴えない声ね」

 

 受話器から、高温でやや幼さを感じられる女性の声が聞こえた。

 

「冴えなくてすまないね。それでご用件は?」

 

 電話をかけてきたのは龍門近衛局のスワイヤー上級警司。予算管理や戦術立案が優秀で、本人の腕前もなかなか。たまに無茶な依頼を押し付けてくるが、金額がいいので不満はない。

 

「......今回の依頼なんだけど、スラム街の裏通りにある、クラブの調査を頼みたいのよ。最近、変な薬が出回っていて、出所が判明したの。近衛局が調査したいんだけど、それ絡みの案件で手が回らくて。あなたに依頼を出す様にウェイ長官から頼まれたってわけ」

「なるほど。国際関連か。ウェイ長官は他に何か言ってたか?」

「話が早くて助かるわ。ウェイ長官は何も。それと、その薬を鑑定にかけたんだけど原石(オリジニウム)の成分が微量だけど検出されたの。触れるだけじゃ、なんとも無いだろうけど体内に取り込めば感染するリスクが高いわ。恐らくだけど、人工的に感染を起こすのが目的だと思う。気をつけなさいよ」

 

 しかし、ソオウさんからそういった話は聞いてない。ウェイ長官のお陰で龍門はある程度他の国に融通が利く筈だ。

 よし、後処理はウェイ長官に任せよう。政治関連となると、俺の出番は無い。となると迅速に問題を解決した方がいいな。

 

「分かった。引き受けよう。報酬は後日、口座に送ってくれ。」

「えっ。あ、あなた今日中に終らせるつもりなの!?」

「ああ、早いに越したことは無いだろ。それじゃ、アダムスさんによろしく伝えといてくれ」

 

 一方的に電話を切り、準備をする。

 

「クラウン、仕事だ。今回はだいぶ危険で、国際問題絡みだ。なにやら怪しい薬が出回っていて、その薬の成分にオリジニウムが含まれているらしい。情報収集をするから、着いて来てくれ。何事も経験が大事だからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひりつく様な冷たい空気を裂いて走る黒いセダンが一台。車内の助手席には、緋色の髪を隠すようにフードを被ったループスの女が。運転席には、黒髪黒目の種族不明な男が運転している。

 暖房をつけたままだったためか空気が淀んで、いささか気分が悪い。そんな淀みきった空気を外に出すために、女は助手席のガラスを半分ほど下げる。冷たい風が入り込むと、先ほどの淀みはわずかに抜け、幾分か心地よくなった。そんな空間の中で、クリープが放った言葉について考えていた。

 

 『こっちのほうが合っているのさ。俺には』

 

 何処か諦めている印象が強い言葉だったが、そんな考えは否定された。

 ここ四ヶ月同じ屋根の下で暮らして分かったが彼の評判は良い。主にスラム街や感染者からだが、この都市の近衛局からも好印象な者が多く感じられた。

 

 買出しをしている最中、八百屋の店主に呼び止められ彼にお礼がしたい、と新鮮なフルーツを貰ったことがあった。時間もあったためちょとした世間話をしていると話題はクリープのことに変わっていた。彼は五年程前から住み着いたらしく、この辺りでは変わり者だったようだ。荒れた居住区を住民と協力して直したり、無償で炊き出しなどを行っていたらしい。

 トランスポーターに関係ない依頼も断らないでどんな仕事も真剣に取り組む。そんな姿勢もあってか彼は、徐々に馴染んでいた。だからこそ、不思議だった。彼の言葉が。

 彼は裏社会に足を踏み入れなくても、間違いなく生きてける人間だ。そんな彼が示す『こっち』という言葉が分からない。彼の種族を指すのか、裏社会を指しているのか。それとも、彼の秘密に関係しているのか。

 

 命を預けた身として、本当は良くないのだろうが彼の情報について調べた時期があった。彼は殆どの場合契約書をつくる。勿論、契約書に残らないような仕事もこなしているため、あてには出来ない。彼の噂と契約書の日付を頼りにしながら、過去について調べた。六年程前からトランスポーターとして活動していることが分かったが、それよりも前の経歴が一切不明だった。

 

 当初はそれ程気にしていなかったが、ある時少し可笑しな点に気がついた。

 

 確かに経歴が不明なことは珍しくない。国家の戦争や天災によって戸籍などは、吹き飛ぶことだってある。そういった者達は、劣悪な環境で暮らすか、町などを見つけて生活していくしかない。

 

 しかし、彼は非感染者だ。劣悪な環境で生活していればオリパシーに感染する可能性があるはず。ならば村や町、もしくは移動都市を見つけ生活していたことになる。そうなれば、彼の難民手続きが行われていることになる筈だ。野宿できる様な環境が整っている移動都市や町なんて殆ど無い。 

 

 彼の過去を遠回しに聞いてみようと質問したことがある。そういった類の書類の手続き方法を聞いてみたが、『ん?書いたこと無いからなぁ。パソコンで調べれば出てくると思うが......』と言っていた。

 この時に違和感を持った。もし、その発言が本当ならばならば、種族不明で非感染者の彼が、今までどこで生活してきたのか。その技術は、どこで身につけたのか。

 

 隣で運転をしている彼に顔を向ける。背を伸ばしていて、戦闘時のドス黒い瞳ではない。覇気が無く、目の端が吊り下がっていて見方によっては、気だるそうな印象を受ける。いったいどうしたら、その瞳が黒く染まるのだろうか。もしかしたら、元からドス黒かったのかもしれない。いつかクリープを超えて、ゆっくりと彼の生い立ちをきけるだろうか。そしたらきっとーー

 

 車内の淀みきった空気はすでに無くなっていた。未来に思いを馳せて、己を焦がしきってる女とは裏腹に、男は車内の冷たさとこれから起こるであろう事態に肝を冷やすばかりだ。

 

 

 

 太陽のお陰で暖かく感じるが、肌を突き刺すような冷たい風で季節を実感する。車を近くに止め、きらきらと太陽の光を反射させているオフィス街を抜ける。十五分程歩くと目的地が見えてきた。目的地の前で止まるとクラウンが声を掛けてくる。

 

「なぁ、何で探偵事務所なんだ?」

「ただの探偵しか居ないのなら、こんな所に来ないさ」

 

 建物自体は古いが改装されてる様だ。階段を上り、扉を開く。部屋の中は少々狭く感じる。椅子やソファーの置き方が荒れていて小汚さを感じるが、机の上に置かれた盆栽は見事なものだ。窓辺には、大きめな水槽に赤と白の金魚がゆったりと泳いでいた。

 

「よう、クリープの旦那。リーさんとウンなら丁度出かけてるぜ。ワイフーは、大学だ」

「リーさん達じゃやなくて、お前に頼みがあってな、アー。ワイフーは学生だからそんな危険なことを簡単に頼んだりしないさ」

「へー。オレなら良いって訳かい?」

「信頼の証だよ。お前の仕事の速さには、いつも感謝してるからな」

「おー! そいつは、嬉しい限りだ。それで、本日のご用件は?」

 

 目に映っているのは、顔がニヤニヤしているフェリーン。髪が天然パーマのようで左目が隠れている。そんな隠れてしまっている目は見えないが、片目はまん丸と大きくて瞳孔を縦に細長くしながら此方を見据えている。オレンジと白と黒を貴重にした服は、なかなか似合っていて、服の細さから体格がやや小さめである事が分かる。全身の毛並みは、少し荒れているが基本的に整えられていて清潔的な印象だ。要するに直立している猫だ。

 出会いたての頃に猫じゃらしを出したら飛びついてきたことを鮮明に記憶している。なんだかんだで仲の良い友人だ......今さらだが、俺の友人モフモフ率高すぎないか?

 

「最近、裏町にできたクラブがあってな。そこで変な薬が出回ってるらしい。クラブの土地の売買履歴と監視カメラのハッキング。それから、クラブ周辺の見取り図を頼む。あと装備をつけてくれ。何時間で出来そうだ?」

「おいおい、オレを誰だと思ってんだクリープの旦那。これくらいなら一時間で出来るぜ。」

「さすがだ」

 

 頬の端をつりあげ、ドヤ顔を決めているアー。大抵こう言う時は自信がある時か、ご機嫌がいい時だ。これなら任せて大丈夫そうだ。思わず此方の頬も上がってしまう。

 

「それでクリープの旦那。()()は、どの位だ?」

 

 相変わらず良い性格をしている。しかし、何処か恨めない。無言で懐からクラブの住所と、金額と()()を書いた紙を取り出して投げ渡す。

 

「よっと、どれどれ......相変わらず気前がいいねぇー。いいぜ、これくらいの案件ならオレの独断でやれる。アンタの頼みとなれば、断るわけにはいかねぇ。ところで、後ろの女性は?」

「最近ウチの事務所に入った護衛だよ。自己紹介は、改めてさせてもらうさ。それじゃ頼んだぞ」

「あいよ。大体一時間で終るから好きにしてくれ」

 

 アーは、そんなことを言うと奥の部屋に入っていった。特にやることが無いので、来客用の椅子に腰を掛ける。やや古いのかギギ、と音が鳴る。クラウンは金魚が珍しかったのか、観察しながら水槽を優しく突いていた。

 

「................」チョンチョン

 

 楽しそうでなによりだ。彼女ほどの実力になれば、これから起こることなど気にせず余裕なのだろう。そんなことを考えながら、彼女を見つめていた。

 

「ッ……す、すまない。」

 

 どうやら、此方の視線に気がついたようだ。しかし、どうして気がつけるのだろうか。水槽に反射している訳でもないのに。やはりここの世界住人は、どこかおかしい。

 

「いいや、かまわないさ。一時間ほど時間がある。それに見取り図と装備を受け取ったら、そのまま事務所に戻って寝るつもりだったからな。今日の仕事は、夜中になる」

「なるほど、奇襲するのか。それで装備を……」

 

 ゑ? どうしてそうなるんだ。しかも、俺は分かってるみたいな顔で語っているけど違うからね。あくまで保険だと言うことを伝えなければ。

 

「いいや、あくまで穏便にすませるためだ。これらは、もしもの時の保険だよ」

()便()に、ね。そういうのは、大好きだ。ウェイ長官がクリープに依頼を頼んだ意味がようやく分かったよ。」

 

 ダメだ、深読みしてるよ、この子。目が完全に殺す時の目だよ。とりあえず、話が進まないので適当に合わせて無理やり進めるか。

 

「まぁ、俺に潜入なんて合わないしな。それに準備しておくに越したことは無い。夜に備えて、今は英気を養っとけ」

「ああ、それとクリープ」

「ん?」

「俺が言えたことじゃないが、背中は任せてくれ」

 

 なんだこのイケメン。やはり、護衛をつけておくと安心感が違うな。椅子に背中を預けて、瞳を閉じる。椅子は安物だが不思議と心地いい。安心して眠れそうだ。

 

 

 

 

 目が覚めるて、時計をみると55分ほど経っていたのが分かる。重い肩を上げて軽い柔軟をする。筋肉が解れていく感覚が心地いい。短い睡眠だったが快眠だ。クラウンは、すでに仕事を終えたであろうアーと喋っていた。軽い足取りで近づいて、軽く手をあげる。

 

「おはよう、クリープ」

「ああ、おはよう。それで進捗は?」

「ご注文通り全部用意しといたぜ。机の上にまとめて置いといたから、近くの車をこっちに持ってくればいつでも運べる。それと、あの薬はなんだかきな臭い。実物をこの目で見たわけじゃないが、気をつけた方が良いぜ。」

 

 机の真ん中には、クラブの見取り図や数十枚の資料。それから謎の薬品が無造作に置かれている。良かった、ちゃんとガスマスクも用意してくれてたようだ。しかし、何だこの薬。毒々しい紫色の薬は、どう見ても怪しい。まぁ、いつもサービスに新薬を付けてくるから今回もそれだろ。とりあえず礼を言わなければ。

 

「ありがとうな、アー。報酬は、後日送っとくよ」

「楽しみに待ってるぜ、これからもリー探偵事務所をご贔屓に。それと、ド派手な花火を期待してるぜ」

 

 

 

 

 不穏な言葉を聞かなかった事にしようと、早々に探偵事務所から帰ってきた。荷物も無事に運び込め、寝る前にクラウンと共に情報を整理する。クラブの見取り図と監視カメラの映像を照らし合わせ、ターゲット付近の警備などを把握しておかなければ。そこで、手元にあった資料に目がつく。

 

「どうかしたか?」

「いや、ここのクラブの両脇の飲食店なんだが、去年買収されたらしい。問題は、ここを買収したマフィアだ」

「マフィアが?」

「ああ、パラボンドマフィア。2年程前から勢力が衰えてきていて、多種族で構成されている。ここのルールは、しっかりと弁えてるマフィアなんだが...まさかな」

 

 もう一度クラブの方の映像を見てみる。服装が違うが隣の方の飲食店に入った組員がクラブにも出入りしていた。予想していた事態よりも遥かに悪い。さては、このことを敢えて言わずに依頼してきただろ、ウェイ長官。

 

「はー。こりゃ大仕事になりそうだ。クラウンここの組織は、元々はマフィアじゃなかったんだよ。元は極道だったんだ。バラボンドは、極東にパイプがあるから、ちょっとした交易で儲かってたのさ。そしてそんな極道は、どこからやってきたと思う?」

「極道?確か極東の方にいるマフィアみたいなもんだろ......あっ」

 

 どうやらクラウンも気がついたようだ。ウェイ長官の奥さんは、極東の元姫様。龍門と極東は親密な関係だ。それはウェイ長官とフミヅキさんの長い努力の末に手に入れたものだ。

 仮に龍門で元極道のパラボンドマフィアがただの暴力事件を起こした程度では、捕まったりするだけで友好関係に大した影響は無い。だが、今回は別だ。勢力が劣ってきているにも関わらず、店を買収して例のクラブに出入りしている。おまけに、そのクラブでは源石(オリジニウム)入りの薬が売られてると来た。問題は、その資金はどこから湧いてきたのか。恐らくその薬を売買している筈。

 

「そして、事態をややこしくするこの薬の登場だ。まぁ、薬に見せかけてるんだろうが」

 

 源石(オリジニウム)は危険な品物でありながら、移動都市の動力や家電などに用いられている程の万能資源だ。当然、細心の注意を払いながら加工される。鉱石病や天災が発生する原因にもかかわらず、テラの人々はオリジニウムに依存しながら生活しているのだ。それ程の莫大なエネルギーを秘めているなら、当然戦争にも使われる。

 

 オリジニウムアーツ。原石の形や性質を変化させることで魔法のような現象を起こすことが出来る。しかし、この現象を引き起こすにあたって「アーツロッド」や「アーツユニット」等の道具が必要不可欠となる。例外もあって病状が深刻であれば道具無しでアーツを発動できるが、そういった場合は長生き出来ないの者が大半だ。

 

 さて、ここからが本題だ。そんな危険な物を極東にパイプがあるマフィアが、わざわざ粉末にして売っている。おそらく武器関連。粉末にするとなれば、心当たりがある。まだ、確証は得られないがこれ位しか思い浮かばない。他の可能性も考慮して、色々探っているが目ぼしい情報は得られなかった。どちらにしろ、火種は早く消しておきたい。戦争に巻き込まれるのは、ごめんだ。

 

「クラウン、今夜は気を張れ。龍門、極東、ラテラーノ、炎国の4つの国際関係が掛かってるかもしれない」

「ちょっと待ってくれ。なんでラテラーノがでてくるんだ?」

「極東で北の勢力と、南の勢力で内戦が起きてるんだ。そのことは、知ってるか?」

「ああ、でも今は落ち着いてるんじゃないのか?」

「表向きだがな。そこで、この資料に写ってるクラブの薬の出番だ。これは、薬じゃなくて火薬に近いものだ。使用用途は主に爆弾や銃弾などに使われる」

「その火薬ってのは、そんなに危険なのか?爆弾ならまだしも銃じゃ殺傷能力が低いぞ」

「そこだよ、問題なのは。クラウンは銃の撃ち方を知ってるか?」

 

 自分に合う武器を模索していた経験は、こういった時に役に立つ。例え自分が使わなくても、自分を殺そうとしてくる輩が使ってくるかもしれない。情報戦で負ければ戦場では、生き残れない。長いトランスポーターの経験で学んだことだ。

 

「いや、知らない」

「俺は撃てないが、知人から聞いた話によると、腕を銃の内部につなげるイメージをすることが多いそうだ。そこから弾丸の装填状態を把握し、撃鉄を活性化させて撃つ。これが基本だとか。だが、このオリジニウム入りの火薬を使えば、火薬をアーツで起爆して撃つことができる。要するに、従来の銃と違って過程をすっ飛ばしてアーツさえ使えれば簡単に撃てる様になる。源石(オリジニウム)の火薬で撃てる弾丸がな。源石(オリジニウム)と長い間触れていた弾頭を体内に撃ち込めば、非感染者はどうなると思う?ましてや、殺傷能力の低い銃で撃ちだせば」

「感染者を手軽に増やすことが出来る。殺さずに......」

「勿論、これは憶測に過ぎないし、まだそうと決まったわけじゃない」

 

 そもそもこの世界の銃の構造が違うし、パウダーだって使わない。有ったとしても、銃の種類によって使うパウダーは違う。だが問題は、そこじゃない。

 

「一番の問題は、そういった可能性があるかもしれないってことだ。もしそれが実現可能で、極東の内戦に使われれば、感染爆発が起こる。弾丸を作れる奴なんてラテラーノ関係者位だ。あそこの銃や弾丸を模造したりする技術は、他には真似できない。当然、白羽の矢が立つ。弾薬の原料や製造元を洗いざらい調べれば、龍門だって名前が見つかるかもしれない。そうなれば炎国内の都市だから炎国にも目をつけられる。こうやって負のループが続いて4つの勢力で対立が起きれば、それこそ龍門の終わりだ。あくまで予測だがな。そうでなくても、わざわざ粉末状にした物を極東や他の都市に売り出されるのは、火種に成りかねない。否が応でも、今回の仕事は早急に方をつけたい」

 

 さて、そうなると万全の準備が必要だ。これ程の火種をウェイ長官が易々と放置する筈が無い。近衛局が動けないなら、暗部が動いてる筈。となると......

 

「クラウン、確かクラブの裏口の警備は手薄だったよな。」

「ああ、二人しかいない。進入するなら此処だろうな」

「よし、現場にいくぞ。行動を起こすのは、警備が薄くなる22時半からだ。それまでは相手の出方とウェイ長官からの連絡を待つ」

「了解」

 

 

 

 

 

 

 日が沈み、墨色の様なキャンパスに赤、青、白の光が爛々と灯る。人々が来るであろう明日に備え、寝静まった十時三十分頃。

 スラム街を越え、奥深くにある場所。龍門裏市街地。欲望を満たそうとする者。陰謀を図る者。そういった者達が、夜な夜な這入り込む夜の街。裏社会の一端が見れる楽園は、今宵も糸を張り巡らせ不気味にきらめいている。

 

 そんな市街地を切り裂くように走る黒いセダンが一台。怪物の雄叫びの如く、轟くエンジン音は此処に訪れた人々をどよめかせるには充分だった。時速百キロ以上出ているであろう車はとある店に向かって一直線。その店の前にいた警備員達が異変に気がつき車を止めようと、はちきれんばかりに叫んでいた。

 

「おい! 止まれ! クソ!」

 

 そんな事を叫んでいるが、あの爆音のエンジンに掻き消されて聞こえる筈も無い。仮に聞こえたとしても、百キロ以上の速さを出している様な輩は止める気も無いだろうし、今更止められる筈がない。そんな事を思い付かないのも仕方の無いこと。自分の店にとんでもないスピードの車がホールインワンを決めようとしていたら、焦燥感に駆られて他の事など考えられる者なんて少数だ。幸にその少数に当たる用心棒が車の異変に気がついたようだが。

 

「ボ、ボス呼びかけても無駄です! 人が乗ってやせん!」

 

 車が突っ込もうとしている店はクラブの様子だが、客が店内で呑んで、踊って、騒いでいる様子は覗えない。両脇に飲食店の様な建物もあるが、ドアの方には「Close」と掛かっている。

 

「退避だ! 退避!」

 

 黒いセダンは勢い良く突っ込み、クラブの入り口を壁もろとも吹き飛ばした。ガシャンといった鉄とコンクリが激突した音がなかなかに豪快。アクションやカーチェイス映画のワンシーンで有れば、盛り上がる場面と言ったところか。

 

 すると大破した筈のセダンが突然破裂した。ドゴォーーンと地面を揺らす様な音が鳴り響く。クラブからは、大きな火柱が上っている。激しく紅蓮に燃え盛る炎は、鎮火することはなさそうだ。やがて両脇に有った飲食店には、火が燃え移って行くだろう。幸いその店の周りは、殆どが廃墟であった。なにかあっても、このクラブ以外問題は無い。その様子を遠巻きに捉えたものは逸早く危険を察知して、わき目を振らずに逃げていく。普段から暗い部分に身を浸してる賜物か、危機管理能力が長けた者達が多かったようだ。そんな中逃げようとしないクラブの用心棒達。

 

「消せ! 早くしろ!」

「無理に決まってんだろ!」

「“龍門スラング”」

「そ、そんな」

 

 狂乱怒涛、阿鼻叫喚、周囲狼狽。そんな中、逃げようとしなければ火を消そうとすることもしない男女二人組がクラブの裏口付近に居た。近くには、二つの死体。返り血からして二人とも女がやったのだろう。

 

「うまくいったな。クリープ、次はどうする?」

 

 クリープの視線の先には激しく燃え上がり、天高くまで届きそうな火柱。いや、開戦の狼煙と言った方が適切かもしれない。そんな狼煙をドス黒く、深く、光の無い不気味な瞳で見据えていた。この目を覗いてしまった常人は、脱兎の如く逃げ出してしまうだろう。

 

「..................」

「クリープ?」

 

 そんな瞳とは裏腹に男の背中は冷や汗でびっしょりだ。こんな惨状を起こした龍門のトップに心の中でひたすら呪詛を吐いていた。誰だって自分の車がオカシャになれば、気分は最悪だ。しかもそれが開戦の狼煙に使われれば尚更。自分の中で立てていた計画が破綻して、帰りの足も無くした。

 思わず、空を仰げば満点の星が見えた。自分の車が炎上してるのに良くもまあ見えることで。一端落ち着くために、何故この様な事態に陥ったのか記憶を遡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 P.M.22:15

 

 

 

 クラブから一キロほど離れた場所。崩れることが無いことは確認済み。誇りっぽく壁の所々に穴が開いていて、室内に冷たい風が流れ込んでくる。床には雑草が覆い茂っており、少し軋んでいる。人が暮らしていたのか、時代遅れな古びた家電がちらほらと確認できる。床の軋む音しか聞こえない廃墟は何処か不気味で考え深いものだ。

 そんな廃墟から、クラウンとクラブを監視し始め4時間が経った。特にこれといった動きはない。敵の数や地形の把握をもう一度確認して、車には必要なものを積んできた。あとは行動時刻を待つだけだ。

 

「クリープ」

「どうかしたか?」

「いや、今回は大きな山だろ。もし良かったらだけどさ、ご、ご褒美とか出るのかな~って。ほら、一応だけど俺社員だろ」

 

 ああ確かに。いくらなんでも今回の仕事は、危険だ。クラブを見れば人に向けちゃいけない様な武器を持っている用心棒が巡回している。となれば、ボーナス位あった方がいいだろ。

 

「ボーナスは出るぞ」

「ほ、本当か? やった!」

 

 何か欲しいものでも有るのだろうか。珍しい。今まで積極的に欲しがる事なんてなかったのに。

 

「俺、頑張るよ!」

「......期待してるぞ」

 

 何を? と、いう言葉を呑む。あれだけ警備が強固だ。必然的にクラウンの力が必要になる。だから落ち着いてくれクラウン。さっきからブンブンと振られている尻尾がこっちに当たって痛いから。

 

「さて、そろそろ準備するか。クラウン、しっかり装備を整えたか?」

「ああ、ばっちりだ」

 

 そんな時に電話が掛かってきた。俺の携帯だ。着信を見ればウェイ長官からだ。やはり掛けてきたか。

 

「すまない、クラウン先に裏口付近で待機していてくれ。先に電話を済ませる」

「了解」

 

 彼女は、自分の得物とガスマスクを腰に携え、軽い足とりで去っていく。段々と小さくなっていく背中を見送りながら自分の携帯を取り出す。ふと、彼女が放った言葉が頭をよぎる。『俺が言えたことじゃないが、背中は任せてくれ』か。ありがとう。その一言を心の中で吐き、携帯片手に目的地までゆっくりと歩く。

 

「もしもし、クリープだ。それで、何か問題でも」

「いや、私の部下が裏市街地で君を見かけた、と聞いたものものでな。大したことじゃない。少し手を貸そうと思っただけだ。君ならこの依頼の意味に気がついているのだろう」

「......ああ」

 

 白々しいことを随分と。とりあえず、元個人営業のトランスポーターの手に余る依頼だということ位だ。基本的に依頼は断らないスタンスだが、さすがに今回は、断れば良かったと後悔している。いくらクラウンが強いとは言え、とんでもない仕事に巻き込んでしまった。

 

「それで、君は如何するつもりだ」

「穏便に済ませるつもりだ。車に荷物を積んでいてね。運が悪いと風通しが良くなるが、その程度で済むならお釣りが来る」

 

 今回の作戦は、シンプルだ。金の力を使う。バラボンドマフィアには、これで引き下がってもらう。本来こんな方法で依頼を解決しようものなら赤字になって商売にならないが、命あってこそ使える金だ。今回のような大き過ぎる仕事は、何としてでも穏便に済ませたい。唯一つ問題があるなら、相手が金が欲しい可能性が低いと言うこと。金が目的で薬を売っているならまだしも、別の勢力が糸を引いてなにかしら策略しているなら話は変わってくる。その場合、金を積んだ車なんて盾にしかならない。そういった場合は、武力行使と脅しでどうにかするしかない。

 

「成程。()便()、ね。パラベラム・クリープの名に恥じないな。相手からしてみればたまったもんじゃない」

 

 何故、俺の知り合いや社員は俺の言葉を信じずに深読みしていくのだろうか。時々会話が成立しなくて困るのだが。しかも、わりと致命的な場面が多い気がする。というか自分の名前の意味なんて知っている筈がない。パラベラム等勝手に周りが呼び始めたのだ。それを含めて今回の作戦について話そうとしたが、それは叶わなかった。

 

「なに、もう下準備は済ませておいた。感謝の言葉は無用だ。」

 

 はい? 思わず思考が停止する。

 

「安心しろ、君の車にちゃんとあの薬品も乗せておいた。うちの工作員は、手先が器用でね。それでは、健闘を祈ってるよ」

 

 ちょっと待て。人の車になにしてくれたんだコイツ。問い詰める前に通話は、オフにされてしまった。クラブの裏口が目視できる距離になると、なにやら聞き覚えのあるエンジン音が鳴り響いている。音が段々と近づいてくるのは、気のせいだろうか。

 

「おい! 止まれ! クソ!

「ボ、ボス呼びかけても無駄です! 人が乗ってやせん!」

 

 正面入り口の方から怒号が聞こえる。その車は一体誰の所有物なのだろうか。しかし、今から正面に回って確かめる時間など無い。うちのセダンからは、こんな怪物じみた轟音など聞いたことが無いぞ。そうだ!きっと違う車なんだ!と、いうかそうじゃないと困る。トランクには、万単位で四桁ほどの龍門弊がみっちりと詰まってーー

 

  ガシャン!

 

 ........まだいける。トランクは、きっと無事だ。早足で裏口へと向かう。裏口に居た二人の用心棒が何か言ってるが今は、それどころじゃない。ひっそりと忍び込んで確認できーー

 

  ドゴォーーン!

 

 ご丁寧に人の車に爆弾まで乗せてダイナミック入店をかましてくれたのか。火薬を作っているかも知れない場所に。基本的にアーツを使わない限り大丈夫だと思うが。...........どうしよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、なんだ! 今の音は!」

「爆発だろ ! 一体誰がこんなことを......おい誰か向こうから歩いてきてないか?」

「は?  おい!  そこで止まれ!」

 

 用心棒たち視線の先には、暗闇が広がっている。街灯が一つも無い中、かろうじて分かったのは人型であることだけ。しかし、覗いてしまった。深淵の様に深くて形容しがたい瞳が二つ。

 

「ッ......」

「……」

 

 暗闇の中、見える筈の無いもの。思わず言葉を失い、本能的に理解してしまう。あれはヤバイ、と。二人が取った行動は、長年の経験で染み付いたものだ。一人は、アーツロッドを構え目標(かいぶつ)に風のアーツを放つ。一人が応戦している間に正面入り口の仲間に応援を要請するため、もう一人が無線を取り出した。動きが早く、無駄が無い。歴戦の動きと言うものだろうか。怪物に対して最大限の注意を払っていた。油断などしない。

 

 だから気がつけなかった。後ろから、その首落とさんと迫り来る狼に。スパッと、横に一線。鮮血が飛び散る様は、まるで彼岸花が咲くが如く、ぐあッ、と広がる。無線機を持った手がダランと垂れるよりも頭が落ちる方が先だった。

 

「なッ......クソ!」

 

 それに気がついたアーツを使う用心棒は、横に回避行動を行う。この距離でやりあうならば、(ナイフ)を持った狼の方が有利だ。横に回避した後、狼が来るであろう正面に風のアーツを放つ。そして此処で漸く気がついた用心棒。正面に狼など居ない。時すでに遅し。その頭は、宙を舞っていた。その瞳で最後に捉えたのは狼か、それとも怪物(諦観した男)だったのか。

 

 

 

 

「うまくいったな。クリープ、次はどうする?」

「.......」

「クリープ?」

「すまない、少し考え事をしていた。この規模の火災だと龍門消防局が来る。中に入ることはできないから予定変更だ。残党狩をする」

 

 いや、やばいな。もう滅茶苦茶だ。残党狩をするって言ったは良いが帰りの足が無い。さすがにウェイ長官が用意してくれるよな……はぁ。そんな思考をクリアにするべく、別のことを考える。

 

 

「クラウンは西を俺は東の方を探す。北と南は、大丈夫だろう。合流地点はさっきの廃墟だ」

「了解」

 

 彼女が居なくなったので、自分もクラブを離れタバコを一本取り出す。マッチで火をつけて、軽く吹かしながら歩く。

 さて、あの爆発で何人死んだのだろうか。情報では80人程いたはず。裏口付近に居たにもかかわらず衝撃波が来なかったのは、クラブの裏口付近が補強されて頑丈だったのだろう。となればあの粉は、裏口付近で製造されていたはず。でなければあれ程頑丈に作られる理由が無い。火が燃え移ってしまい、中には入れなかったがある程度の事が分かった。

 

 解せないことが一つだけある。クラウンがやったあの二人。車の爆発音に驚きながらも対応が早すぎる。暗闇で見えない筈の人物に正確にアーツを放ってこれるだろうか。あれは、そこいらの用心棒がする動きじゃなかった。そこで一旦足が止まる。周りに人の気配は無い。恐らく気のせいだろう。そう思い直し、足を一歩踏み出そうとした時。

 

「驚いた、我々に気付くとはな。パラベラム・クリープ」

 

 いや、気づいてないから。丁度歩き出そうとしてたら勝手に出てきたんだよ、お前らが。目の前には、17人ほどの人影。迷彩のアーツが使えるのか、顔が靄がかっていて喋っている奴は醜い顔をしている。間違えた。見にくい顔だ。

 

「我々がお前を探して早数年。ワーニャ公爵を......」

 

 なにやら長々と喋っているところ申し訳ないが、今はそういう気分じゃない。自分の車をワイルド・スピードに出てくる様なカースタントに使われ、大金を失った。おまけにタクシーを呼んで帰れるような金は、家に置いて来ている。依頼達成なのかは、爆破落ちでなんとも言えない。仕舞いには、よく分からん不審者どもに絡まれる。踏んだり蹴ったりでもう疲れた。

 吸った煙をゆっくり吐き出せば、煙は月光に照らされ淡く光った後、揺ら揺らと風に乗って消えていった。タバコは、好きじゃないがこの世界に来てから吸うようになった。やめようと思えば辞められるし、普段は吸わない。むしろ嫌いだ。

 

「貴様! 聞いているのか!」

「ん? ああ、そうだな。それでお前は、俺を如何したいんだ?」

 

 徐にタバコを棄てる振りをしながら、後ろのポッケにある小さなビンを取り出す。あの爆発は、恐らくこれの仕業だ。ウェイ長官から話を聞いた時とアーの言葉で思い出した。

 

「決まっているだろ。お前を殺す」

「そうかい」

 

 さすがにこの人数をナイフで相手にしたくない。いささか数を減らそうか。毒々しい紫の液体が入った液体を相手に投げる。タバコだと思っていたのか、何人かが動揺して目を見開いている。その隙にカランビットナイフを抜く。放射線を描きながら、怪しく光る薬品。ちょっとした八つ当たりだ。今更手ぶらで帰れない。

 

「その薬、悪い奴を更正させる効果があるそうだぜ。今世かどうかはお前ら次第だがな」

 

 ボン! と、爆発した瞬間に前に倒れるような体勢をすることで、倒れる勢いを使って一気に距離を詰める。煙が消えた頃には、5人倒れていた。爆弾の威力に舌を巻いたが、それどころじゃない。残りの12人を目視で確認し、一番近い相手に目処をつける。

 敵が複数人の場合、相手の陣形を崩すことが最優先だ。それが出来なければ、ひたすら回避する良い的だ。何より一人一人を確実に殺しながら、時間を掛けないことが重要になってくる。

 

 懐に入り込むと、大腿部分をなぞるように素早く斬っていく。敵が悲鳴をあげる前に首に一刺し。敢て殺しきらない程度にしておく。こうしておけば、大きな肉壁として使える。ヒュー、ヒュー、と懸命に生きようとしている呼吸音が聞こえるが無視する。敵が攻撃してこないことを確認し、一思いに首捻る。一人。

 

「き、貴様よくも!」

 

 相手が喋っているが、気にせず駆け出す。さすがに危険を感じたのか陣形を組もうとしている様子だ。前の方から剣を構えた敵が左から振りかぶってきたので、此方に届く前に右に回避し、左足で相手を躓かせて転ばす。いちいち前衛に構う必要はない。

 クロスボウが此方に向けられた。距離は二十メートルと行った所だろうか。人数は三人。射線に被らないように二人の術士が展開していた。一方的に撃たれると厄介なので、シールドを構えた敵に飛び込む。こうすれば射線が被って撃てまい。前の重装兵がシールドバッシュを此方に放とうとするが、相手のシールドの下に出来た隙間に入り込むことで問題は無くなった。相手の体格が大きくて助かった。装備が厚い重装兵は、装備に刃が通りにくいので、装備が薄い関節部分を重点的に攻撃する。まずは、腕。ひじ周りを削ぐ様に切ると腕がだらんと垂れる。このまま足を攻撃して確実に仕留めたいが、もたもたしていると後ろで転んでいた前衛に切られてしまう。そうなる前に首を何回も素早く刺し捻る。二人。

 

 飛び散る血の量が激しく、視界が赤一色に染まる。片腕で顔を拭えばクロスボウや術士が、此方に遠距離から攻撃を仕掛けてくる姿が確認できた。それを地を這う様にして不規則に走ることで、矢やアーツを回避する。イメージは蛇だ。今日はなかなか冴えてるな。流れ弾が後ろで転んでいた前衛の頭を吹き飛ばした。三人。

 

 大体五メートル程の距離に詰めると、五人いた後方支援組が散開。四人の前衛が前から襲い掛かって来る。主にナイフや直刀で一人は槍だ。ナイフを持った二人が同時に襲ってきた。左右に回避できず、後ろに下れば遠距離攻撃で牽制されてしまう。こういった場面は何度も経験した。対処法は、簡単。勢いの乗った身体をピタっと止める。俺が来るであろう場所を予測して振られていた二本のナイフは、目の前を空ぶった。

 

「なっ」

 

 動揺している隙に乗じて、片方の首を刎ねながらナイフを奪い取る。四人。

 

 奪い取ったナイフでもう一人のナイフ持ち前衛の腹に刺し捻り、突き刺さったナイフ目掛けて膝蹴りを放ち、そのまま首を切る。五人。

 

 残りの槍と直刀の二人は、武器的にやりやすい。槍が突いてくる場所にナイフを滑らせながら懐に入る。横から違う敵が直刀で突きを放とうとしてきたので、槍兵の鼻辺りをひじで殴り、槍を右脇で挟み込んで槍兵を押し出して襲ってこようとした敵に突き飛ばす。槍を放してくれたので、それを二人の首に強引に突き刺さんと、突きを放つ。自分の力だけじゃ、貫通しないので全体重を掛けながら勢いで穿つ。グシャリ。七人。

 

「か、怪物め」

 

 敵の後方支援組みが罵ってくるが、事実なので仕方ない。これだけ返り血を浴びてしまっているのだから。

 一気に加速し、長物のボウガンを撃ってこようとしたタイミングで逸らし、奥の呪術師の頭を射抜く。そのまま、ボウガンを撃てないようにしながら、心臓辺りをナイフで突いてから首を刺す。九人。それに狼狽えた二人の首をほぼ同時に数度突き刺す。十一人。

 

 最後の一人は接近戦を持ちかけてきた。相手の素振りを避け、左手で相手の顎を思いっきり押す。そのまま右に回り込み、相手の膝裏を蹴れば弱点の首をさらけ出す様な体勢になるので、そこに最後の一刺し。十二人。

 

 

 

 

 

 僅か十秒で作り上げた惨劇。立っているのは、真っ赤な男一人。鎧袖一触。この言葉に尽きる。

 

 

 

 ナイフにこびり付いた血を軽く落としてからしまう。先程地面に落としたタバコをしっかりと拾って、持ち運びできる灰皿に棄てる。自分から漂ってくる血の匂いをしっかり受け入れた後、懐から新しいタバコを取り出す。マッチで火をつけ、吹かしながらその場を後にした。

 

「あ~。シャワー浴びてぇ~」

 

 

 

 

 

「はぁ.....はぁ......スー......クソクソクソ! なんで、クリープが居るんだよ」

 

 北に向かって走る男が一人。このままいけば、裏市街地を抜け出すことが出来るだろう。男の格好は、ボロボロ。コートは原型を保っておらず、スーツには所々穴が開いている。しかし、この男はクラブに居たわけではない。違う店でちょっとした商売を行っていたところ、何者かに襲われた。ここで行われる商売なんて大半が違法だ。勿論、細心の注意を払っていた。結論を言うなら彼が襲われたのは、近衛局の暗部。いわば、特殊工作員だ。

 ウェイ長官は、龍門の火種を一掃しようと策略していたのだ。そのために顔が有名で腕利きのトランスポーターを雇い、今回の騒動を引き起こした。本来ならば裏社会に積極的に介入なんてしない。しかし、龍門の存続が危ういならば、話は別。灰色のリーには話をつけており、関係の無いものは避難が完了している

 

 そんなことを知る由の無い男はこの裏市街地で何が起こったか分からず

本能に従って逃げている。この路地を抜ければ裏市街地を抜け出せる。走る、走る、走る。

 

「よっし!」

 

 抜け出した瞬間、パッと周りが光る。暗いところから明るいところにでたときに起こる眩しさでは無い。

 

「武器を棄てろ!」

 

 凛とした言葉が、あたりに透き通った。余りの眩しさに思わず腕で顔を隠す。この声は間違えない。龍門近衛局の特別督察隊のチェン隊長。ようやく光に慣れてきた目で確認した。傍には、大きな盾を持った鬼人が一人。男を囲い込むように配置された隊員達。ここで漸く気がついた。自分は嵌められたのだと。おとなしく膝を突き、両手を挙げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 身体にこびり付いた血が固まり、動きにくさを感じながらも何とか廃墟に帰ってきた。クラウンは、まだ居ないようだ。近場の石に腰を下ろす。すると向こうから数人の人影が走ってくる。一番前に居るのは、クラウンだが。はて、後ろは誰だろうか。目を凝らしてよく見ると近衛局の警備隊だと思われる装備姿だった。

 あーやっぱりか。到着するには、速すぎる。予め待機していたのだろう。大方予想はしていた。ウェイ長官はこの騒ぎを利用して、この裏市街地で龍門に良からぬ事を策略していた者達をまとめて排除しに掛かったのだろう。表向きに行動できないが、今回の様に理由を作ってしまえば動けるようになる。あの人の作戦は、なかなか大胆でぶっ飛んでいる。巻き込まれ、振り回される身にも成って欲しいもんだ。

 

「クリープ、西の方は特に問題なかったぞ。そっちは……中々だな」

「ひっ......」

「おい、失礼だろ」

 

 しかし、クラウンは驚かないか。後ろに居た何人かは腰を抜かしているみたいだが、それが普通だ。俺自身も気分が良くない。こんな姿では徒歩で帰ることも出来ない。

 

「ああ、ここから東に三十分行けば死体が十七人転がってる筈だ。処理を頼む」

「は、はい! 今すぐに」

 

 二人の隊員がこの場から居なくなる。残ったのは三人。クラウンと俺、そして先程腰を抜かしていた隊員を咎めていた隊員。少々気まずいので話題を振る。

 

「クラウン、お前は近衛局の車に乗せてもらえ。俺は近衛局で話をしてから帰る」

「いや、俺が事情を話すよ。そんな姿じゃ、話を聞く側も辛いだろ?」

 

 そんなことを近くにいた近衛局の隊員に話しているが、君も返り血着いてるからね。俺よりは、マシだけど。

 

「そ、そうですね。クリープさんは先にお送り致します。後日改めて、話をお伺いしますね(クリープさんの返り血、座席にこべりつくんだろうなぁー。はぁ)」

 

 ほら、クラウン。近衛局も引いてるぞ。血まみれの俺が言えたことじゃないので、口には出さないが。

 

「クリープさんは此方に」

「ああ、クラウンまた後でな」

 

 コクリと頷き返し夜空を見上げ散る姿は返り血が付いてなければさぞかし映えただろう。そんな姿に背を向け、冷たい風を浴びながら歩くこと五分程。近衛局の車が見えてくる。助手席に座り、ちょっとした雑談で盛り上がる。やれ上司が煩いだの、やれ既婚者の癖して落ち着きが無いなど。そんな会話をしていれば、事務所についた。だいたい20分程だろうか。

 

「それでは。また後日」

「気をつけてな」

 

 自分の事務所の階段をカツン、カツン、と上って扉に手を掛けた。……窓を閉め忘れたのだろうか?中から風が吹き抜けるる様な音が聴こえる。クラウンが帰ってくるにも早すぎる。いつでも、自分の得物を抜けるように手を腰に添える。一瞬入らないという選択肢も思いついたが、今の自分の姿で外に居ると良からぬ噂が流れかねない。いい加減、シャワーを浴びたい。そんな欲が鍵をゆっくりと開け、勢い良く扉を開く。

 

「ごきげんよう、クリープ。久しぶりに顔を会わせましたけど、相変わらずのようで何よりですわ。初めて手紙を送らせて貰ったけど、いかがでして?」

「.........」

 

 やっべ。超帰りたい。あ、帰ってたわ。

 

 

 

 

  to be continued

 

 

 

 




 ちなみに、この小説の終着地点は考えているのですが、その道のりがまぁ長い。書きたいことが多いせいですかねぇ。一応、時系列も整理してはいるんですが、中々大変ですねこれ。自分の持ってないキャラは、プロファイルバレ起きちゃいますし。
 しかし、そんな設定など読み返すごとに感心させられる作品でして、創作意欲がどんどん湧いてきますね。
 自分が納得いくまで書き直してしまい、決まって投稿できなくて申し訳ないです。次の投稿も不明慮ですが、これからも自分なりに楽しんで書いていこうと思います。



 


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回想秘録断片ー1  深淵を覗く時

 @¥?

 

 

 

 

 

 

 

 周りが寝静まった頃、しじまな事務所内にて2人の男女が向き合っていた。方や血まみれで直立している男、名をパラベラム・クリープ。そんな彼の視線の先には美しい貴婦人の様な女性が一人。ジャケットを掛けるためのスタンドには彼女の特徴的な帽子が掛けられていた。彼女が何時も着ているコート(?)は夜空の様な紺色で、揺らめくように動いている。この事務所に無い筈のチェスを独りで楽しみながら、普段クリープが座っている椅子に我が物顔で座っていた。

 

 カタ......カタ。音の鳴る方に自然と視線が向く。普段は手袋のような物で隠された指。細長く、余りにも白すぎる肌、見る人によっては少々不気味だろう。あの大きな槍を振るっているのがこの手だとは到底思えない。髪は長く、白というよりも薄くした藤色と言うべきか。そんな藤色の髪に隠れてはいるが、尖がった耳はエルフを連想させる。目は鋭く、薔薇の様に赤い二つの瞳で此方を見据えている。そんな姿は、美しい人形と言われても納得してしまうだろう。

 後ろの窓が開けてあるため、カーテンが波を打つ。そんな背景も相まって、窓から入ってくる月明かりに照らさている人形はどこか神秘的に感じる。この光景を目にすれば、画家は筆を手に取り、写真家はフィルムに焼き付けようと躍起になるに違いない。

 

 しかし、クリープは違った。美しい貴婦人を前にして、顔を顰めるばかり。彼女と彼は長い付き合いだが、彼にはどうしても拭えない苦手意識があった。その発端は彼女の出会って間もない頃、いわばクリープ・パラベラムの名が広がり始めた頃に遡る。

 

 

 

 

 

 

 「海」の存在と関わっている国、そんなイベリアの辺境に有る都市『カルコサ』にて、一人の黒い男が歩いていた。本来、この国は鎖国しているような状態で、諸外国との繫がりは基本的に無い。そんな国の中に有る都市ならば、例外なく鎖国状態である。

 鎖国状態の都市で種族不明の見知らぬ男が歩いていれば、当然怪しまれるだろう。ならば、見つからぬように行動するのが安全なのだが。この男、どういうわけか、道のど真ん中を自分の庭のように堂々と歩いていた。そんな堂々たる振る舞いが効果的だったのか、怪しまれずに済んでいる。本人にその自覚は無いようだが。しかし、そんな様子とは打って変わって男の顔は顰蹙であった。

 

 

 これ、どうしようか。そう思いながら手に持った本に視線を向ける。それは、この町に訪れる切っ掛けとなったクライアントから渡された報酬の一部。古びていて、タイトルは見たことのない字だ。ページを捲ってみても特に読めるような字はない。

 

「しかし、教会ねぇ」

 

 今回の依頼は、汚れ仕事で()()だった。クライアントは教会の神父だ。国を超えて依頼が届くのは、珍しいことじゃない。しかし、イベリアは初めてだ。何よりも教会ときた。神の前では言えない様な事を平然と依頼してくる神父など、カオスすぎて笑えなかったが。どう考えても怪しかったが、クライアントのことを詮索するのはよろしくない。 

 後ろを振り返り、遠目から教会を見る。白い壁は塗装が剝がれうす汚い。十字架は歪んでいて何処か不気味、木製の扉は所々に穴が開いていた。見ているだけで、段々と気分が悪くなってくるような気がする。仕事が成功したはずだが、気分は最悪だ。仕事の内容のせいなのか、それともあの教会が原因なのか。ねっとりと絡み付く様な空気を振り切る為、足取りが自然と速くなる。

 

 しかし、滅多に来られない場所だ。この都市自体は鎖国してるとは思えないほど科学技術が発達している。そのためか、初めて見るものが多く、飽きることが無かった。特に湖があるのには驚いた。シエスタ以来だろうか。ホテルではそんな事聞かなかったが、この世界では違う名称で呼ばれているのかもしれない。そんな珍しい都市を軽く観光するのも悪くは無いだろう。仕事終わりの一杯もいいかもしれない。そんな事を考えれば不思議と気分が上がってくる。

 入り組んだ道を歩いていると、古い木造建築が目に入る。看板を見れば、飲み屋のようなものである事が分かる。雰囲気が良くて、味がありそうだ。よし、ここにするか。

 店に入れば、いきなりカウンター席が出迎えてくれた。奥の方にテーブル席があり、客がチラホラと見える。満席とまではいかないが、中々賑わっている。

 

「いらっしゃい、何か頼んでくかい?」

 

 声が聴こえる方に顔を向ければ、20代後半程の中性的な顔立ち。黄色いエプロンをつけた店員が目に映った。種族は分からないが顔が整っており、中性的な声と相まって儚げな雰囲気を感じる。男性と言われても、女性と言われても違和感を感じない.....どうしてこの世界は、美男美女がこんなにも多いのだろうか。自分の顔が逆に目立つほどで、色々苦労するのだが。いかんいかん、注文を先にすませねば。奥の棚にある酒を見繕う。

 

「あそこにあるバルカンを頼めるか。ストレートで」

「いいよ、自由に座って」

 

 折角なのでカウンター席に座る。というか、本当に美形だなこの人。棚にある酒を取ろうとしているだけ。それだけの動作なのだが、引き寄せられるような魅力を放っている。店員は此方に振り返り、グラスを軽く拭いてから目の前に置いてくれた。透明な液体を見せ付けるように、ゆっくりと注ぎきる。

 

「はい、どうぞ」

「ありがとう。ところで、この店は他に店員が見当たらないが一人で切り盛りしてるのか?」

「ああ、そうだよ。従業員は居るけど、この店は私一人だね。しかしお客さん、この辺じゃ見たこと無い顔だね。迷い込んだのかい?それとも移住かい?」

 

 迷い込む?............ああ、この土地に詳しいのか、この店員は。確かに此処に来るまでは、入り組んだ道を通って来た。あんなに入り組んでれば迷う人が居ても可笑しくない。自分は幸にも、クライアントの神父から地図を貰っていたので、そんなことにはならなかったが。

 

 しかし、客の顔や住人の顔を覚えてるなんて、中々の良い店に当たったのではないだろうか。客の顔を憶えているとなれば、リピーターが多いのだろう。リピーターが多いとなれば、はずれることはまず無いだろう。店主の顔が良いから来ている線も否めないが。

 

「......いいや、仕事帰りだ。そんな大した事じゃない。この都市を観光しようと思って探索していたら良さげな店を見つけてな。それが此処の飲み屋だったんだよ」

「......ふーン。嬉しいこと言ってくれるじゃん。この辺じゃ見ない顔だからてっきり新しい住人か、迷い人かと思ってしまったよ。お詫びとしてこれを」

 

 目の前に出されたのは、カットされた熟成チーズだった。はえー、チーズなんて最近は食べてなかったな。この世界にもあるのだが、食べる機会が殆ど無い。というのも、この世界の乳製品は少々高い。この世界に来る前の値段と比べてしまうのもあるが、稼ぎが良くなったのもつい最近のこと。そんな状態で真っ先に購入したのは、特殊なスーツだ。少々お高いが職業上、命に関わる危険な仕事もある。そう考えれば遥かに安いだろう.....貯金の三分の二が持ってかれたが。

 

「ありがとう」

「面白いね、お兄さん。礼なんていいよ。そのチーズは自家製でさ、うちの羊のミルクで作った自慢の品だよ。食べ終わったら感想聞かせてよ」

「へぇー。それはすごいな。どれどれ、いただきます」

 

 スプーンで掬えば、溶けるような感触がつたわってくる。口に含むと濃厚な旨みが広がっていく。少々ミルクの匂いが強いが中々癖になる味。そんな風味が残っている内に、バルカンを酌む。ワインよりも蒸留酒の方が合うな。うん、やはり旨い。いったい幾らするんだろうか。

 

「これは、驚いたな。これだけで毎日来たくなる。とっても美味しいよ」

「それは、良かった!ところでお客さん、良かったらうちで働かない?やっぱり君は面白いよ。最近一人だと寂しくてさぁ、どうだい?給料は弾むよ?最近は新事業始めたし、従業員が足りてないなくてさ」

「魅力的だが、やめておこう。今の仕事が性に合ってるんだよ」

 

 いや、本当に魅力的だ。もし自分にちゃんとした経歴があるなら、こういった落ち着いた店で働くのも憧れる。しかし、経歴不明となると少々難しくなるのがテラ社会の仕組み。わざわざ、良く分からん奴を雇ってくれるほどこの世界は甘くない。勿論、雇ってくれるところもあるだろうが、そこを見つけるまでどれほどの時間掛かる事か。

 それに、一応トランスポーターだが殆どの仕事がグレーなものばかり。厄介な存在はどこにいっても厄介なものだ。そんな男を雇ったとしても、今後店に迷惑が掛かるだけだ。はぁー、この世界のトランスポーターってちょっと刺激が強すぎじゃないか? ここまで大変だとは思ってなかった。

 

「そっか、そりゃ残念。君となら、うまくやってけると思ったんだけどなぁ~」

「悪い、また今度誘ってみてくれ。受けるかは分からんが」

「良いよ良いよ、気にしないで。それよりもジャンジャン呑んで、お金を落としてってよ」

「意外とがめついな」

「そりゃそうだよ、商売なんだからさ。あ、でも早く帰った方が良いかも知れないかな」

「ん? 閉店時間が早いのか?」

「違うよ、最近この辺で良く分かんない殺人事件が起きててさ。物騒でピリピリしてるんだよね。お兄さんは知らないのかい? 夜に出る化け物の噂」

 

 え? 初耳なんだが。ホテルではそんなこと一切聞かなかったぞ。というか、この世界そんな要素あったのか?オリジムシ以外、知らないのだが。

 

「化け物? そんなものがこの都市に出るのか?」

「うん、本当良い迷惑でさ。客足も減るから、やめて欲しいよ。安息出来なくて、困っちゃうよ」

「具体的な情報は」

「さぁ? 襲われた人は殆ど死体で見つかってね。なんでも、死体がすごく惨たらしい状態で発見されて、可笑しいって話になってさ。その近くで、呻き声が聞こえたらしいよ。それで化け物が居るんじゃないか、なんて噂が独り歩きしてるのさ。もちろん、噂だけど死体が出てるのは事実。用心した方がいいよ」

 

 さりげなくヤバイな、その噂。しかし、呻き声を出す化け物か。もし本当居るなら、早くこの都市を出た方がいいかもしれない。対人戦は慣れてきたが、この世界の化け物と戦うのは無理があるだろう。そもそも、この世界の住人たちの基礎能力は高い。そんな住人たちに「化け物」と呼ばれる存在。違う世界の脆弱な人間に相手は務まらないだろ。そんな存在に勝てる自信は無い。ならば、対処は会わない様に立ち回る他無い。しかし、少なくともあと一日はこの都市に滞在しなければならないが...まぁ、何とかなるか。

 

「成程、なら今日はそろそろお暇させていただきますか。店主も気をつけてな」

「うん、気をつけてね」

「はいはい、美味しかったよ。何時かまた」

 

 金をカウンターに置き、店を後にする。外に踏み出せば日が暮れて、月が昇っていた。今日は満月。青く光を放つ月は風流に感じる。 風流韻事、雪月風花、花鳥風月。詩人や画家ではないが、こういった景色は何かしらの形にして記憶しておきたくなるが、ホテルに戻るとしよう。

 

 入り組んだ道を抜ければ、少々薄暗い場所に出る......おかしいな。ちゃんと地図を確認しながら戻ってきたつもりののだが。周りには草や木が覆い茂っており、都市とはかけ離れている場所だった。仕方ない、とりあえず来た道を戻るか。そんな事を考え、振り返ってみる。

 

 視界に写ったのは、貴婦人の様な格好の女性が一人立っていた。身長は百八十程で俺よりデカイ。特徴的な帽子を被っており、赤い瞳が此方を射抜いている。耳がとんがっており、エルフの様なものかと思ったが肌が余りにも白すぎて不気味に感じる。そんな肌を隠すように着込まれている衣類。右手には身の丈以上ある槍のような武器が鈍く輝いていた。

 

 声がでない。目の前に居る存在が噂の化け物だろうか?そんな事を考えれば体が硬直して脚が竦む。背中から冷や汗なんて掻いてる暇も無い。まさかこんな見知らぬ場所で出会ってしまうとは。

 

 

 

 さて、この出会いが後に誤解を生む切っ掛けとなる。このクリープという人物。長い人生経験とこの世界の生活で得た教訓がある。それは『敵を前にした時、動揺を決して表に出さない』ということだ。動揺してるだけじゃ、目の前の出来事は解決しない。ましてや、相手にそれが伝われば相手の思う壺。焦ってしまえば人間、良い事何一つ無い。しっかりと胸を張り、背筋を伸ばし、相手を見据えて余裕に見せる。弱者のせめての抵抗手段とも言える行為。しかし、これが案外馬鹿にできない。人とは不思議な生き物で、感情がある相手であれば案外通じるものだ。

 

 さて、そんな経験をしているクリープはどうだろうか。彼にとっては最悪の状況、噂の化け物かも知れない存在と相まみえている。しかし、長年の経験で鍛えられた彼の表情筋は、ピクリとも動かない。代わりに目がドス黒い深淵のように濁ってゆく。彼の癖というべきか、あっ終ったと諦観した時や真剣になると自然となってしまう。この場合は、前者だろうが貴婦人からしてみればヤバイ奴に変わりは無い。しかし、貴婦人もまた変わっていた。彼の瞳を見ても何一つ反応しない。

 

 技術執政官である彼女だが、探し物のために地上に上がったばかりで地上の価値観など分からない。そんな彼女にとって、彼の目など些事であった。そんな彼女が息を潜めて彼を見つめていたのには訳がある。彼が落とした本だ。黄色い印が特徴的なエーギル語の本。今は数少ない同族たちが使う言語。そんな本をもって、この「海」を知っているイベリアに居る彼に興味を持つのは必然だった。ましてや、エーギル人の匂いがしない人であれば尚更だ。悲しいかな。その本は貰い物。しかも、この世界とはまだ関係ないもの。そんな事を知らずに深読みしていく彼女。そんな彼女はどう声をを掛けようか思案していた時、彼が後ろに振り向いたのだ。

 

 

 

 

「......ごきげんよう。あなた、この本の所有者でして?先程、そこの道で落とした所を目にしましたの」

「......ああ、ありがとう」

 

 なんとか、声を絞り出して感謝できたが、自分は殺されるのだろうか。しかし、目の前に居る貴婦人が噂の犯人じゃない可能性がでてきた。わざわざ、落し物を拾ってちゃんと返してくれる人殺しなんて、居ない筈。そんなことを考えれば、体の張り詰めた筋肉はゆるりと解けてゆく。

 となると、目の前にいる貴婦人は恐らく無関係。大きな槍みたいな、とんでもない物を手にしてるが、たぶん無関係。さて、状況を整理すると目の前に居るのは怪しい貴婦人。そして迷子な俺。段々と暗くなっていく状況は最悪に近い。中々詰んでいる。

 

「ところであなた、こんな夜道に一人では危ないでしょう。こんな本を持ってどこに行くのかしら?」

 

 もしかしてだが、逆に怪しまれてるのか、俺。いや、どう考えてもお前の格好の方が怪しいと思うのだが。しかし、どう答えるべきか。この人物、ましてやこの世界で会ったばかりの他人に話すべきなのか。そんなこと考えているうちに、周りがどんどんと暗くなっていく。こんな状態で噂の化け物と遭遇したら笑えない。仕方ないか。

 

 

 この男、自分の目を鏡で見ても目の前にいる貴婦人の方が怪しい、と言い切れるのだろうか?

 

「実は、道に迷って......良かったら近くの都市まで案内してくれないか?」

「.....そう......その程度でしたら、何の問題も有りませんわ」

 

 これは意外だ。このお願いがすんなりと通る様な相手には見えなかったが。しかし、何だろうかこの違和感。なんとも言いがたい感じだ。感覚で言うならば、人生で初めて死を経験した様な感覚。本能的な恐怖はあるが、どこか納得のいくようで、いかないような曖昧さ。そんな事を考えていると、目の前にいた彼女の姿は見当たらなかった。奥の方に目を凝らせば、彼女の背中がうすっらと見える。しかし、そんな後姿はどんどんと離れていく。着いて来い、と言うことだろうか。奇妙な感覚を胸の内にひっそりと押しとどめ、彼女に追いつくために思考を切り替えた。

 

 

 そんな目で迷子です、と言われても怪しいばかりであるがクリープは気がつかない。馬鹿である。しかも女性の方はそんなことを些事と捉え、全く別のことに興味が逸れていた。もはや何も言うまい。

 

 

 

 無言で歩き始めて十五分、ただひたすら彼女の後ろを付いて行くだけの時間。彼女が本当に都市まで案内してくれてるのかは不明である。不安になり、自分の地図を確認しようと懐から取り出す。うーむ。方角が滅茶苦茶で分からん。しばらく役に立ちそうに無いな、これ。段々と暇になってきたのでふと、空を見上げれば葉っぱの間から星が見える。星?

 

「少し、いいかしら」

「ん? なにか問題でもあったか?」

「いいえ、ちょっとした興味があるんですの。あなた、(テラの)海を知っているのかしら」

「海? ああ、知ってるぞ(テラの海はまだ知らないが)。それがどうかしたか」

「そう……いえ、ちょっとした確認ですから気になさらなくて結構です(やはり、知っているのね)....地上で海と関わっている存在を初めて知ったものですから。ましてや、貴方の様な方(怯懦な陸地の人)が意外ですわ(エーギル語の本を読んでいるなんて)」

「そうか? そんなに珍しいのか(この世界の海)」

「ええ……とっても(エーギル語の本を読んでいることは)」

 

 相手が分かっていると思って話を進めるアビサルハンター。取り敢えず、相手に合わせる主義の日本生まれトランスポーター。見事に会話が噛み合っていなかった。しかし、それでも成り立ってしまう(?)のが会話なのだ。不思議である。

 

 

 更に五分ほど歩いたところで、明かりが見えてくる。良かった、都市に戻ってこれたようだ。彼女は立ち止まり、再び赤い瞳を此方に向けてくる。

 

「さぁ、此処からは貴方一人でも問題ないでしょう?」

「ああ、助かったよ。ありがとう」

「...今夜は...いえ、お気おつけになった方がよろしくてよ。それでは、ごめんあそばせ」

「え?ちょ」

 

 風を切るような音と共に彼女の姿は、消えてしまう。結局のところ、彼女が何者であるかなんて分からなかったし、噂の化け物にも遭遇しなかった。だが、あの大きな槍と素早くこの場から姿を消したことから、彼女が只者ではないのは分かった。種族は不明、貴婦人のような格好の癖して大きな槍を持っている。只者ではないミステリアスな存在。悪い言い方をすれば不審者でしかない。

 あれ? もしかしてだけど重要人物だったりするのだろうか。『アークナイツ』の記憶なんてほぼほぼ覚えてないが、ミステリアスキャラはゲームでなかなかの定番だった気がする.....そういえば、名前聞かなかったな。そんな事を考えながら歩けば、ホテルについた。

 

 エレベーターに乗り込み、自分の部屋の前まで移動する。ドアを開ければ、いきなりベットが見える小さな部屋。タバコを吸うので、大きめな窓がある部屋取っておいた。軽くシャワーを浴びて、ベットに飛び込む。そして、先程の情報を整理しながら再思考してみる。

 

「まぁ、大丈夫だろ。また会うことなんて無いだろうし」

 

 この世界は広いし、争いごとが絶えない。一度会った人物にまた会うなんて、余程の仲じゃない限りしないだろう。あの様子からして、彼女も何かしらの用事があるのだろう。一旦起き上がり、自分の服から彼女が拾った本を取り出す。....はて、こんな黄色い印ついていただろうか?貰ったときには無かったような気がするが、気のせいだろう。再びベットに寝転び、そっと目を閉じる。

 

 

 

 

「ダメだ、寝付けない」

 

 夜中の二時。こんな時間なのに、目が冴えている。窓から外を見れば、建物の照明などは殆ど消えている。当たり前か。しかし、ここまで寝付けないとなると、いっその事起きていた方がよさそうだ。自分のジャケットを取り、ナイフを腰に携える。こういう時は散歩に限る。夜風に当たって、程よく身体を冷やせば熟睡できるだろ。

 

 外に出ればさっきよりも空気が冷たい。ジーンとした風が肌に当たればこの世界で生きているのだ、と実感が湧いてくる。誰も居ない道をぶらり、ぶらり歩けば何やら音が聴こえてくる。それと同時に冷たい空気がそっと肌をなで、思わずぶるりと身震いをした。そんな時だ、呻き声のようなものが聴こえたのは.....いや、気のせいか。きっと幻聴だろ。回れ右して、ホテルに戻ろうと決意する。そうと決まれば、全力で走るだけ。と、思っていた時期が私にもありました。どうして外に出てしまったのだろうか。あの時の自分を殴ってやりたい。

 

 目の前に現れたのは化け物。無数の触手に、形容しがたいおぞましい姿。大きくて黒くて丸い塊。なんだ、ただのまっくろくろすけか(SANチェック ファンブル)。絶望して、思わず空を見上げる。すると流星の様に落ちてくる人が一人。見覚えのある人物だ。先程よりも服が少々ボロボロになっている女性。親方、空から貴婦人が!そうか、この世界ジブリ作品だったのか(アイデアは失敗)。そんなくだらい考えをしていると貴婦人の赤い瞳と目が合う。おお、彼女の表情筋が動いた。少し驚いてるようだ。

 

「ッ......貴方!」

「あっ、どうも」

 

 彼女は体勢を立て直し、くるりと回転しながら着地した。すごいな、しかし相手は触手を使うまっくろくろすけ。ん?触手?確認するために、後ろに振り返ってスタイルの良い貴婦人を見つめてみる。衣服は少々穴が開いていて、出血は見当らない。うん。再び前にいるまっくろくろすけのぶっとい触手を見る......ほーん。最近のジブリ作品は大人向けになったのか(一時的狂気)。

 ところで、全く関係ないのだが尿を催したくなってきた。冷たい風といきなり現れた化け物のダブルパンチで膀胱が刺激されてしまったようだ。近場にトイレなんてない。ホテルに戻るにも、まっくろくろすけが道を塞いでいる。脇を素通りできそうな空間はあるが......良し、考えは纏まった。

 まっくろくろすけの狙いは、彼女だ。彼女には悪いが、助けられそうな余裕は俺にはない(膀胱&精神面)。ここは大人しく、トイレに行くとしよう。素人の俺が関わっていいことではない。あのまっくろくろすけも、男の俺より彼女の方が断然良い筈。俺は見逃してくれるだろう。なんて考えていたが、いきなりぶっとい触手が此方を襲ってくる。え?男モノ?うそーん。

 

 前方から突っ込んでくる触手を右に転がることで回避する。ふぅー危なかった(漏れそう)。そんな安堵も束の間。顔を上げればまた触手が伸びてくる。なぎ払いのように左から振られてきた触手。おいおい、これ当たったら死ぬぞ、俺。そんな時後ろから何かが飛んでくる。ヒュッ、と頬を掠めて、左から来る触手に高速で巻きつき始めた。触手を拘束しているのは、水で出来た長いロープ状のもの。振り返れば、貴婦人が手にしている槍のようなものから放たれているのが分かる。アーツ、だろうか? 拘束したまま触手の軌道を逸らせばブチンと豪快な音がした。彼女があの状態から千切ったのだろうが、幾らなんでも怪力過ぎないか?

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■――!!」

 

 まっくろくろすけから黒い血が飛び散り、聞き取れない雄叫びを上げる。しかし三本の触手が俺を貫こうと(意味深)襲ってくる。なんでや、触手千切ったの彼女やん。無関係だろ、俺。そんなことは関係ない、といわんばかりにグングンと加速してくる触手。このままでは、さすがに死ぬ。そんなことが脳裏によぎれば、反射的にカランビットナイフを抜いていた。

 複数の触手を避けながら、まとめて数度切りつける。しかし、刃が全く通らない。いや、浅くは通るのだが刃の小ささと装甲の硬さが相まって、まともな攻撃になっていない。縦横無尽に襲ってくる触手。今のところ、ひたすら回避してるがマズイ。奴に貫かれて死ぬか、尻をつらぬかれて死ぬか、(美女とまっくろくろすけの前で)漏らして社会的に死ぬか。ダメだ、今のままではどれにしろ死ぬ。仕方ない。腰からガーバーMarkⅡを左手で引き抜く。

 

 ガーバーMarkⅡ。刺突に特化したタイプのダガーナイフ。勿論、他のナイフ同様切ることもできる。しかし、これを抜く機会は滅多にない。理由は簡単。カランビットナイフとの相性が悪い。刃の長さ、形状、使用用途が全く違う。手からすっぽ抜けることの無いカランビットナイフに慣れてしまえば、自然と使わなくなった。しかし、カランビットナイフだけでは、対応が間に合わなくなることが多かったのだ。そうなった時に仕方なく使っていた筈が段々と利点に気がつき、案外悪くないのでは、と思い始めた。そして、使っていくうちに閃いたのだ。

 カランビットナイフは短いため、近ずかなければ切れない。そして突きを放つガーバーMarkⅡはカランビットナイフが届かないところから攻撃できる。では、この二つのの特性を生かすためには何が必要か。結論は立ち回り。それ以来、ひたすら立ち回りを練習していた。『千日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって練とす』誰の言葉かは、彼自身覚えてないが常にそれを心情として練習してきた。そんな努力が実ったのか、対強敵用に仕上げることが出来た。この世界で、自分が生き残るために編み出した()。自分が普段から使っている縮地もどきと、特殊な歩き方を組み合わせることによって完成した。結論を言えばそれは――

 

 

 

 

 まっくろくろすけの触手に横から離れるようにして、ガーバーMarkⅡを突き刺す。すると、右から薙ぎ払いが来るので、近づきながらカランビットナイフでなぞる様にいなして避ける。触手の勢いを利用すれば、傷口は自然と深くなる。しかし、真正面からもレーシングカーの様な速度で触手が突きを放ってきた、が。触手は見当違いな方向に行ったところで、後ろに居た貴婦人にスパッと切られる。

 

「■■■■??」

 

 なんだ、化けもんにも通用するのか、()()。案外使えるな。しかし、このまっくろくろすけをどうやって仕留めれば良いのか見当つかない。触手は回復するし、持久戦に持ち込まれると(俺の膀胱が)だいぶキツイ。期待を込めて彼女に視線を向ける。優雅に回避しては、華華しく触手を切るダンスを淡々と踊っていた。苦しそうな表情では無い。彼女の動きを見れば嫌でも分かる。あの動きはモンスターハンターで散々見てきた。結論を言うならば、大型の敵やああいった怪物を倒すための動きだ。

 しかし、あんなに早く動けて力強いとなると、一体どこの種族なのだろうか。少なくとも、今までの出会ってきた人型で一番強いのでは? 専門職であろう彼女にどうにかならないか、という意味合いで彼女の方に視線を投げる。丁度赤い瞳と目が合う。

 

「.....」コクリ

 

 はい?? 頷かれるだけじゃ、何も分からないのだが。あ、自分も何も言わなかったわ。

 

「おもちゃで遊ぶのもここまで」

 

 いや、俺は本気で戦ってるからね。見た目まっくろくろすけだけど。というか、それだけじゃ伝わないのだが。結局何が言いたいんだよ。彼女の方向を見れば周りが渦潮のように渦巻いていた。水しぶきが上がり、段々と彼女の姿が視認出来なくなり、海のように波が広がる。実際に海が広がっている訳ではないが空気がざわつき、大地が唸る.......え?

 

「気をつけなさい、この海流は脆弱な命を飲み込みますわ」

 

 あれ間違いなく必殺技って奴だよな。それをわざわざ警告してくれるんだ。優しいね。ところで、その脆弱な命で懸命に前線を張っているのだが、俺を巻き込んだりしないよな? 悲しいかな、現実は残酷。目の前に広がるのは巨大な竜巻。一度捕まれば獲物を決して逃がさない渦潮。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■――!!」

「.........」

 

 目の前でまっくろくろすけが高速で回転しながら、叫んでいた。ブチブチと不穏な音を立てて。当然引っ張られる力も強い。引っ張られる体験は新鮮なもので、踏ん張ってみたが耐えられる気がしない(尿意も)。やがて、最前線で戦っていた俺も竜巻に飲み込まれた。何が起こっているのか、訳もわからずに鈍い痛みにただただ耐える。こみ上げる吐き気と、猛烈な眩暈で目の前が見えなくなる。そんな状態で意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んっ?」

 

 目が覚めれば満点の星空。チラホラと木の枝が見え、パチパチと焚き火をしている音が微かに聞こえる。

 

「お目覚めになられて? 余り動かない方がいいですわ」

 

 どうやら、彼女が看病してくれたらしい。枕には彼女のコート(?)が使われていた。冷たいなこれ。

 

「......まずは、感謝を。貴方の本が有ったお陰で、助かりました。本が無ければ、あの怪物は倒せなかったでしょう。その傷で済んでるのも、主に本のお陰でしょうけど。」

 

 ......いや、看病してくれたり、感謝してくれるのは良いんだが、にお前の攻撃のせいで怪我してるんだぞ。あー、アバラ何本か逝ってるな。どうしようか。漏らしてないよな、俺? しかし、此処は彼女と遭遇した森だろうか。

 

「そうかい」

「それと、謝罪を。勝手ながら貴方の傷口を処置させてもらいました......貴方にも同じものが流れているとは、思いもしなかったけど」

 

 え? なにその間は。俺漏らしてたの? 違うよね?

 

「今日は、もう休むといいわ。安心してくださって、私が周りを見ているから心配は無用ですの」

 

 いや、ホテル戻りたいんだけど。仮にも君のせいで俺死にそうになったんだから。一番の心配は、お前に殺されるかもしれないことなんだけど。そんな原因が隣に居るのに寝れる奴なんていないと思うのだが。あんな吸引力、ダイソンもびっくりだわ。強がってみたものの死に近い体験をしたせいか身体は疲弊しきっていた。目を閉じてみれば、強烈な眠気が襲ってくる。段々と意識が薄れ、視野が狭くなっていく。

 

「.........」

 

 女性は手元の本だった物を手に取る。黄色い印は消えて、何も書かれていない。燃え尽きた後に出る灰の様に少しずつ空へと消えていく。そんな様子を眺め終え、彼の顔を見つめる。

 

「フッ……蛮人も棄てたものでは、有りませんわね。貴方はこの世界にとって少し異質な様ですけれど」

 

 「海」の種族に似ている存在。そして、瞬間的な速度は充分に私と並ぶ。何よりも、足りないものを卓越した技術で補うことで怪物と渡り合った、この男の()()は見様見真似で出来るものではない、と理解させられた。目の前の男の名は、まだ知らない。それでも、アビサルハンターの勘が告げているのだ。

 

「.......」

 

 無言で空を見上げれば、色とりどりの星が祝福していた。

 

 

 彼女が勘違いしているのか、それとも彼が勘違いしているのか.........はたまた我々が勘違いしているかは、まだ分からない。

 

 

 

 

 優しい木漏れ日で目を覚ます。重い身体を起こし周囲を確認する。焚き火の炎はすっかりと消えており、彼女の姿は見当らなかった。初めてこの森に迷い込んだときとは、比べ物にならないほど明るく、別の場所かと思ってしまうほどだ。やがて、自分の服が綺麗に畳まれていたのを発見した。

 よかった、対アーツ仕様や防弾性能などを秘めているスーツ一式を着ていて。服が破れて人前に出れないなんて面倒極まりない。いや、よくよく考えればスーツが無事で本人が重症ってどうなの。まぁ、俺が弱すぎるからだろうけど。近づいてみれば、スーツの上には書置きが置いてあった.........いや、読めないのだが。字が綺麗なのは分かる。そのお陰で形の判別はしやすい。綺麗な字であるが、読めないなんていう可笑しなことになってるぞ。しかし、一番下の方に唯一読める字があった。

 

 

 

             彼女の名前は―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごきげんよう、クリープ。久しぶりに顔を会わせましたけど、相変わらずのようで何よりですわ。初めて手紙を送らせて貰ったけど、いかがでして?」

 

 さて、このアビサルハンター。クリープに対して中々の好印象を抱いてると見える。あれ以来、一ヶ月に一度はクリープに会いに来ていることが、なによりの証拠になるだろう。わざわざアビサルハンターがプライベートで会いに来る脆弱な生物なんて、彼くらいだ。月一度に会いに来るのを何度繰り返して、どういう心境で好印象を抱いたのかは、彼女自身にしか分からない話だ。

 

 そんな訳で二人は仲が良いのである。というのは、あくまで彼女視点の話。その思いは一方通行だ。ちなみに此処三ヶ月ほど彼女は顔出せていなかったが、クリープはそれを喜んでいた。そりゃそうだ、看病してくれたとはいえ殺そうとしてきたのは彼女だ。むしろそんな相手前にして、良くもっている方だろう。なんなら、彼の中で彼女の渾名はサイコパスで定着してきてる。それは、彼の表情を会うたびに楽しんでる節があるからだ。彼女からしてみれば、純粋に楽しんでいるのだろうが、彼からして見れば違う。相手の恐怖を楽しんでいるようにしか見えないのだ。

 

 

 

 不味い。非常に不味い。目の前のアビサルハンター、俺のトマトみたいな姿を見て「相変わらず」なんて言ってきたよ。やっぱりどっかぶっ飛んでるよ、この不法侵入者。というか、そのチェスどっから持って来たんだ。等と考えていたが彼女の問いかけで重要な問題を二つ思い出す。

 一つ、彼女の手紙を棄ててしまったこと。二つ、彼女の名前が中途半端に思い出せないこと.......グレイ、グレイティア? いや、なんか違う。というか、彼女の名前を読んだのは一度きりで呼んだことすらない。いや、今日の手紙に差出人とか書いてなかったけ? あ、棄てたから分かんないわ。グレイまでは分かるのだが......いっそゴリ押してみるか。逆に言えばグレイまでなら憶えているのだ。彼女とは一応長い付き合いだ。渾名として通用するのでは。というか、呼ばないように会話すればいいだけだか。焦って損した。

 

「......久しぶりだな」

「ええ、久しぶりね」

「「......」」

 

 気のせいか、無言の圧を感じるのだが。と、取り敢えず、会話をつなげなければ。

 

「.....最近は、忙しかったのか?」

「.....そうね、大体の仕事は片付け終わったの。貴方の情報道理で助かった。スペクターの件もありがとう。解決した訳ではないけれど、お礼を」

「そうか.....良かったな」

 

 付き合いが長くなってくると段々言葉使いがフランクになってきたよな、この人。しかし懐かしい、あのチェンソーシスター。あれはナイフの天敵だよ。

 

「良かったら、一緒にどう? こういった遊びも面白いわよ」

 

 そんな事をいいながら、目の前の椅子を勧めてくる。いや、君が座ってる椅子が俺のなんだけどね。しかし、チェスなんてまともに指したこと無いのだが。というか、血だらけの状態で彼女と一緒にやらなければならないって、どんな罰ゲームだよ。

 

「.....過去の犠牲を蔑ろにするような振る舞いは明確な裏切り、じゃなかったのか」

 

 我ながら性格の悪い質問だと思う。彼女の手はぴたり、と止まる。さすがに不味かったか。

 

「......ええ、でも今は別です。それに、私の寿命も長いですから。ちょっとした息抜きよ。でもね、貴方にも責任はあってよ? だから、ちゃんと責任を取ってもらわなきゃ困るのよ」

 

 何してくれてんだ、過去の俺。発言が物騒で怖いのだが。

 

「はいはい、取り敢えず相手になればいいのか。あんま期待しないでくれよ」

 

 血まみれの状態でチェスを指すなんて、考えてもなかった。腰を降ろせば、白い駒が俺の駒になった。彼女が独りで進めていた盤面のままゲームを進める。

 

 カタ、カタ、カタ......。

 

 両者、次々と無言で打つ。そのスピードは異常だが、クリープに関しては駒の動きしか憶えてないので、てきとうに打っているだけである。

 

「貴方、存外に出来るのね......昔にやっていたのかしら?」

「まさか(殆どてきとうだよ)」

「......ところで、前に来た時よりも物が増えているようだけど」

「ああ、雇ったんだよ。一人新社員として。実力に関しては良い方だぞ」

 

 またもや彼女の動きはぴたり、と止まる。ゆっくりと顔を上げて、赤い瞳で此方を射抜く。

 

「.....そう......意外ね......ちなみにどんな人かしら?」

「種族はループス。本名は知らないが、最近はクラウンスレイヤーと名乗ってるぞ。まぁ、長いからクラウンって呼ばせてもらってるがね。住み込みで雑務や護衛を頼んでるが、社員というよりも弟子といった方が近いな」

「......女性かしら......その新入りとやらは」

「ああ」

「...........」

 

 あれ? 可笑しいぞ。空気が滅茶苦茶重いし、ものすごく寒いのだが。今の会話に地雷あったか? ほんとに冷や冷やするからやめて欲しいのだが。俯いていて、表情は分かりにくいが機嫌が悪い様だ。

 

「飲み物......用意しようか?」

「いいえ、お気遣いなく」

 

 さて、この空気どうしようか。伝家の宝刀の一つ「飲み物いりますか?」はこれで使えない。彼女の表情筋は動いてないが機嫌が悪いようだ。長い間付き合いであればそれ位は嫌でも分かる。出来れば今すぐにでも帰って欲しいがさすがに無理があるか。

 

「......失礼、少々取り乱してしまいました」

 

 いや、あれが少々なの?指震えてるけど、この人やっぱヤバイわ。物腰が柔らかくなった、とか思ってたけど勘違いだわ、これ。なるべく刺激しないように接しなくては。よし、話を逸らそう。

 

「いいや、気にしなくていいぞ...それよりもだ、探し物は見つかったのか?」

「......いいえ、まだ見つかってないわ」

「まぁ、そう簡単に見つかれば苦労はしないか。そんなに重要なのか、それは」

「ええ、貴方は知っているでしょうけど、呼び起こす前に壊滅させなければ...貴方はどう? 準備は整えてるの? 陸地の人々があれと対峙する絵が全く見えませんけど。はっきりいって、小競り合いに夢中な彼らでは話にならない」

 

 

 目の前にビショップが置かれた。よく分からんが、とんでもない話を聞いてしまった気がする。こんな状況で「何のことだ?」なんて言えたら、どれだけ楽だった事か。しかし、それでも一つだけ言える事がある。こんなこと、普段は絶対に言いたくないが。

 

「いいや、やることが山積みでな。自分のことで精一杯さ」

「そう」

「でもな、陸地の人々ってのをあまり舐めない方がいい」

「.........」

 

 駒のポーンを手に取り一手進める。カタ、とした音だけがやけに響いた。赤い瞳はただただ此方を見つめているだけ。

 

「矛盾していて、壊滅的で、愚かで、失敗を繰り返すバグの多い生き物だ。俺も含めてな。けれども、人々は生き続けてる。この天災や絶望が繰り返される世界でな。必死に叫び声を上げながらも、醜くても、足掻いてきた。一歩進んだと思ったら、二歩下っている。それでも歴史を紡いで生きてきたんだ...例えそれが間違いだったとしてもな。そんな要領の悪い生き物だが」

 

 チェス盤にあった丁度良い位置にあった駒のルークを、彼女のキングにぶつける。カタ、と安っぽい二つの音がしたが、それ以外の音は聞こえなかった。訂正、本当は自分の心臓がバクバクしてる音しか聞こえない。彼女の無言の圧が怖すぎる。

 

「無意味な歴史なんて無かった。これからも間違いを繰り返すだろうな。でも、それでも彼らは懸命に足掻き続けるさ。怯懦な生き物だからこその特権だ。勇気を持って一歩踏み出すことの出来る、しぶとい生き物だからな」

 

「フッフフ、フッハハハ......貴方、私よりも貶してないかしら」

 

 いや、初めて見たよそんな怖い笑い方。黒幕の笑い方だよそれ。お陰で全部吹き飛んだよ。笑顔の方が似合っているが、笑い方は不味いって。どうしたら、あんな丁寧な言葉使いからこうなるんだよ。もっとお嬢様っぽい笑いの方を想像してたよ。

 

「そうね、少しは信じてもいいのかもね。でもね、私は貴方が信じてるから信じるのよ......貴方のことを信じてるから。でも、脆弱なことに変わりはありません。だから、程々にね」

 

 そういって、彼女は少しだけ微笑む。部屋の冷たい空気(主に彼女が原因だが)はすっかり暖かくなっていた。

 

「微笑んでる方が、似合ってるな。やっぱり」

「.........え?」

 

 あ、やっべ。さっきの笑い方が余りにも怖くて、こっちの方がマシだ、なんて考えてたらつい言葉に出てしまった。あんなこと言ってみたものの、心臓がバクバクだったし。空気が軽くなって、気が緩んだらこれだよ。すっごい恥かしくなってきたぞ。

 

「いや、ほら、普段は思いつめた顔してただろ(俺にとっては怖いだけだったけど)。そっちの方が、似合ってるぞ(さっきの怖い笑い方や普段の顔よりは)」

「......そう、かしら......よりにもよって、こんな怪物に言うなんてね....相当変わってるわ、貴方」

 

 そんな事を言っていれば、月が雲から顔を出した。窓から入ってきた光は丁度彼女を照らしだす。普段は隠れて見えない、彼女の首辺りの一部が僅かに反射する。彼女が人では無いことを証明している魚の様な鱗。しかし、俺にとってそんなことはどうでも良い。実害は無いのだから。むしろ、殺そうとしてきたお前自体が怖いよ..........微笑んでる姿は様になっているな、ほんと。どうであれ、明るい雰囲気の方が気が楽だ。決して彼女のためではないが。

 

「そうか?  趣味嗜好なんて、個人で変わってるからな。お前のことを人魚みたいに美しい、なんて例える奴が居るかもしれないぞ?」

 

 東夜の魔王とか、東夜の魔王とか、東夜の魔王とか。あれ、可笑しいな。ホストしかいないぞ?

 

 ちなみに、クリープはそんな台詞を彼女に一度だけ言っている。なんだこのキザ。お前も言ってるからな。まぁ、本人は自分が死なない為に必死だったのだろうがそんな台詞を彼女が忘れている筈も無かった。

 

「本当、馬鹿みたいね......貴方......フフ」

「なんだ、知らなかったのか? 人っていう生き物は、大抵が馬鹿なんだよ」

「ええ、そうね。人ってそういう生き物よね。しかし、私のこと苦手なのかと思っていたから意外ね。貴方がそんな台詞を吐くだなんて」

 

 おい、お前自覚有ったのかよ。それを分かっていて会いに来てたのか。いい性格してるな、こいつ。こんなこと言ったら、殺されそうだから言わないが。まぁ、苦手であるのは事実だから伝えるが。

 

「ああ、苦手だぞ。でも、嫌いだなんて言ってないだろ?」

「……そうね、帰る前に飲み物を下さる?」

「ああ、コーヒーでもいいか?」

「ええ、貴方が入れてくれるのならどれでも良くってよ」

 

 棚にあるコーヒー豆を引っ張り出す。お湯の温度を九十五度になるようにセットする。彼女は紅茶の方が好きらしいが、此処に来るうちにコーヒーにも興味が湧いたらしい。サーバーにドリッパーをセットして、ペーパーフィルターをセット。そこに中挽きのコーヒー豆を二十グラムをセット。お湯を少し注いで一分程蒸らす。そしたら「の」の字を書くように入れるのだが、ウチに細口のポットなんて無い。そこはご愛嬌だ。

 

「どうぞ」

「ありがとう」

 

「「.......」」

 

 無言でコーヒーを味わう時間は、心地が良かった。彼女は帽子を深く被っており、表情は影になって見えない。今は、この苦めのコーヒーの方が合うな。なんて事を考えながら、この短い時間を楽しむ。やがて、カップの底が見え始めた頃、彼女は身支度を整えていた。

 

「ご馳走様.......また今度、飲みに来るわね」

「そうかい......気を付けてな」

「ええ......それと一つ忠告を」

 

 何だろうか?わざわざ、彼女が「忠告」だなんて珍しい。

 

「私、狙った獲物は決して逃がさないの。例え何があっても、絶対に」

 

 赤い薔薇の様な二つの瞳が此方を捉え、彼女の襟についた薔薇のブローチが怪しく光る。微笑む姿は御伽噺の人魚のように美しく、何処か穏やかな雰囲気を纏っていた。

 

「それでは、また会いましょう。良い夢を」

「あっ、ちょ」

 

 彼女は風を切る音共に、暗闇の世界に消えていく。しかし、毎度毎度どうしてもやめて欲しいことがある。

 

「まったく頼むから、玄関から出て行ってくれよ......重症かなこりゃ」

 

 エーギルのドアってこんなに小さいのか?彼女が居ない空間で一人愚痴を吐く。窓枠には、傷が出来ていた。彼女がこの世界に存在している証。此処で会うたびに刻んでいくもの。そっとなでれば、破片が手に刺さって血が滲み出す。毎回直すの大変なんだよな、修理費掛かるし。そのせいで、窓枠だけはいつも新品だ。

 

 彼女が部屋から居なくなれば、また静かな世界に戻る。彼女が残していったチェスは、散らばったままで少々虚しさを感じる......あ。風呂に入るの忘れてた。慌てて服を洗面台に放り込み、風呂場に駆け込む。

 

チェス盤の隣には、二つのコーヒーカップが仲良く並んでいた。月明かりに照らされ、僅かに光り輝く。何も知らない物にとっては、なんの変哲も無い光景。しかし、二人にとっては大切な一時の断片。そんな事務所には、シャワーの音だけが木霊していた。

 

 

 

 

     

 



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一匹狼

 お久しぶりです。たくさんの評価、誤字報告、毎度毎度ありがとうございます。そしてちょっとしたご報告を二つ。

 一つ目は投稿頻度が落ちるということです。理由としてはリアルが立て込んでいるからです。

 二つ目は、「テラにて空を仰ぐ」の過去作を現在修正しております。ストーリや本編に関係するものではなく、自分の技量不足が原因です。

 以上です。

 

 それでは本編をどうぞ

 


 我々はつねに幸せでいることは期待できない。悪を経験することは、善と同様、我々を賢くする。







 

 

 

 005

 

 

 

 

 殺風景な薄暗い部屋の壁際にはベットと服棚、そして何も掛かっていないスタンドが横一列に置かれている。ベットの近くには小窓が付いており、カーテンの隙間から漏れ出した光が部屋の住人を映し出していた。

 少々幼さを感じさせる整った顔立ち、髪は緋色。ループス特有の耳がピクピクっと 小刻みに動いている。しかし、彼女が目覚める気配は一向にない。そんな様子がかれこれ十五分程続くと部屋のドアからコン、コン、とノック音が響いた。

 

「クラウン、朝食を作ったんだが食べるか?」

 

 彼の言葉に反応してか、寝返りを打ってからくぐもった声で返事をする。

 

「んんっ......」

「無理しなくていいからな」

 

 けんたいかんで重くなった身体をむりやり起こす。ねむい。とにかく眠い。重い腕でカーテンを勢いよく開ければ、あたたかくて優しい光が部屋を照らす。私にとってはまぶしすぎて、思わずに両腕で顔を覆うようにして、まぶたをぎゅっと閉じる。

 

 眩しい状態とふわついた意識をどうにかしようと、両目を擦ってみたが何も変わらない。そんな状態で朝の日課である軽いじゅうなんを行い、全身の筋肉を解した。しかし身体が疲れきっているのか、目覚めが悪くていまいち調子が出ない。諦めて寝巻きを着替え、パーカーを取ろうとスタンドに手をのばす。

 

「あ......私の、ぱーかー」

 

 そういえば、今朝クリープに渡しておいたままだった。近衛局から解放されたのは早朝の4時頃。帰宅してから血のついたパーカーを自分で洗おうとしたところ、目を覚ましたクリープに止められ「俺が洗っとくからお前は寝とけ」などと、言われた様な気がする。そんな事を思い出しながら、ドアノブを捻って廊下に出る。ひんやりとした空気に身を震わせながら直線に進めば、今度は事務所に繋がる扉が見えてきた。  

 

 引き戸を引けば、帰ってきた時とは違う匂いがぶわっと流れ込んでくる。食欲をそそられる香りだ。机を見れば、オムレツやトースト、サラダが準備されていた。奥のキッチンを見ればエプロン姿のクリープが料理をしていた......いいのだろうか、クライアントが訪ねるかもしれない部屋で......今更か。

 

「おはよう、クリープ」

「ああ、おはよう。朝食は作ってあるから自由に食べてくれ。コーヒーいるか?」

「うん、砂糖を少し入れてくれ。あとミルクも」

「あいよ、少し待ってろ」

 

 椅子に座り、両腕を頭の後ろに組んでただただ天井を見つめる。んー......あっ、今日の料理当番俺だったよな?

 

「ほら、コーヒー出来たぞ」

「ありがとう、クリープ。あと、すまない。今日の料理当番俺だったよな?」

「ん?ああ、そのことか。謝らなくていいさ、朝の4時に帰って来た社員に飯作らせるなんて申し訳ないだろ。しかも、俺がやるべき事を変わってやってくれたんだ。気に病む必要は無い。今日は大きな山は無いから、食い終わったら休んでて良いぞ」

「わかった、そうさせてもらうよ。いただきます」

「召し上がれ」

 

 少し冷めた状態のコーヒーを一口飲む。程よい甘さが口に広まれば、コーヒーの香りがふわっと満たしてくれる。そんな香りが鼻から抜ければ、目が自然と冴えてきた。霞がかっていた思考も段々と晴れてくる。

 

        カタ......カタ......カタ......

 

 ――ん? 木と木がぶつかり合う様な音で、この事務所では聞いたこと無い音だ。

 

 オムレツを一口食べながら音のする方に顔を向ければ、クリープが自分のデスクと睨めっこしていた。彼のデスクを見れば、チェスが並んでいる。駒はバラバラなところにあるということは分かるが、それ以外のことなんてルールを知らない俺には良く分からなかった。しかし、クリープがチェスをしてるところなんて、今まで一度も............あれ? チェス?

 

「なぁ、クリープ。それってチェスだよな。この事務所にチェスなんて置いてあったか?」

「いいや、置いてなかったぞ。お前が帰ってくる前に、知人が来たんだよ。この事務所に。ほら、手紙の送り主さ。そいつが置いてったんだよ」

「仕事の依頼か?」

「いいや、違う。単純にプライベートだ。ちょっとした世間話を、な」

 

 ほうほう、なるほど。だから、家に帰って来た時嗅ぎ憶えの無い匂いがしたのか。心なしか、いつもよりクリープの機嫌が良いように見える.......いったいどんな人だろう。来客スペースで対応したんだろうが、自分が知らないうちに他人が家に入ってくれば、誰だって気にはなる。ましてや、俺とクリープが生活していたところに、だ。

 残ったコーヒーを一口。冷めてしまった液体を喉に通せば、吐き気のする甘さが奥から込み上げてくる。少し時間が経ったせいで砂糖が底に溜まっていたのかもしれない。口にトーストを無理やりねじ込み、勢いに任せ液体を流し込んだ。

 

 ご馳走様。チェスにご熱心なクリープに改めて向かい直す。

 

「ふーん、そっか......ところでさ、ご褒美のこと憶えてるか?」

「ああ、憶えてるぞ」

「今日の午後は空いてるだろ。実はさ、ナイフがもう一本欲しいと思ってて。いい所を紹介して欲しかったんだよ」

「成程......丁度良いかもしれんな」

「え?なにかあるのか?」

「実は、午前中に昨日の報酬が入ってな。払ってくれたのは近衛局名義からなんだが、大方ウェイ長官からの報酬だろ。丁寧に爆破してくれた車は戻って来なかったが......」

 

 彼は一旦チェスをやめて、その手をチェス盤の横に伸ばした。そこには、卵を薄くして黒くした様な物体が一つあった。そんな黒い物体をかたどる銀色が光輝いている。彼はそれを手に取り、無邪気な笑みを浮かべた。

 

「新車が入ってな、試してみたかったんだよ」

「新車?」

「そう、新車だ」

 

 思わず首を傾げてしまった。あー、新車で機嫌が良かったのか? そういえば、クリープは「知人」としか言ってないよな。ってことは、そんなに親しくないのだろうか。いや、分かんないや。だってクリープだもん。人脈すごいし。直接聞くしかないか?

 

 

「どうした、クラウン。そんなに目を細めて」

「いや......別に、なんでもない。ごちそうさまでした。おいしかったよ」

「......ああ、お粗末さまでした」

 

 自分の食器を素早く洗い流して、早足で自分の部屋に向かおうとする。

 

       ざわつくナニカを収めるために

 

「クラウン、ほれ!」

「えっ?わ、わっあ」

 

 慌てて振り返りながら、自分のパーカーをキャッチする。染込んでいた筈の赤い染みは、すっかりと消えていた。黒色で、血がついたとしても目立ちにくいがそれでも分かる。手洗いでここまで綺麗になるのか。あれ? この匂いは......

 

「家のシャンプー?」

「お、鼻がいいな。ほんとは、炭酸水とかあればいいんだがな。シャンプーに含まれてる成分のお陰で、落ちやすいんだよ」

「そ、そうだったのか。初めて知った。その、ありがとう」

「ああ、どういたしまして。それと、おやすみクラウン」

「お、おやすみ」

 

 慌てた様子で、スタッフオンリーの扉に勢い良く駆け込んでいく彼女。彼女自身は己の胸の内をまだ知らない。ドロドロと湧き上がる、ぐつぐつと煮込んだ感情を。その名前をまだ知らない。いいや、思い出したくないのかも知れない。そして、彼女が逃げ込んだ扉をじっと見つめている男が一人。瞳はドス黒く、深淵のような深みがあった。

 

「......問題は山積み、か......」

 

 静かな事務所にボソッ、と呟かれた一言。この虚しい空間に響くことは、決してなかった。

 

 

 

 

 

 

 一人になった事務所で、黙々とチェスを打つ。片手には入門書。同じ場面をかれこれ30分程やっているが、これが面白い。そして彼女がいかにやり手だったか理解した。というか、あの実力で初心者である俺を誘うって、ちょっとした虐めだと思うのだが。

 

 まぁ、過ぎたことを気にしすぎるのは身体に毒だな。椅子から立ち上がって、一息つこうと両手を組んで上に伸びる。

 

「ふぅー」

 

 

 全身の凝り固まった身体を無理やり動かして時計を確認する。針が示すのは十五時。

 あっ、もうすぐ約束の時間か。そろそろ準備をしなければ。

 棚奥から引っ張り出した黒のトレンチコートをはためかせ、鏡の前に立つ。靴良し。スーツ良し。コート良し。顔は相変わらず。ちょっとした確認をして、車の鍵を取る。

 

「クリープ! 準備できたぞ!」

「ああ、先に車庫で待っててくれ。すぐ行く」

「分かった! 待ってるぞー!」

 

 彼女の声が事務所に響き渡った後、自分の得物を腰に携えて早足で玄関に向かう。やたらと重く感じる玄関の扉を開けばカラカラとした外気が肌を刺激する。

 天気は晴天。陽に当たれば柔らかい暖かさが身体を包み込んでくれる。

 

 事務所の車庫は一階にあるが、どういうわけか二階の事務所から直接いけないので一旦外に出なければならない。故に普段と何一つ変わりの無い階段を降りて、右に急旋回。車庫の扉を開けて中に入る。車庫の大きさは車が二台ほど止められる大きさで、車庫を照らし出す光は日差しのみ。丁度、埃がくるくると舞っているところに、日差しのスポットライトが当たって白く輝いていた。

 いい加減改装するか、掃除しなくては。そんな光景の奥では、クラウンが新車の前で立ち止まっていた。此方に気が付いたのか震えながら声を掻けてくる。

 

「な、なぁ、クリープ」

「どうした、何か問題でもあったのか?」

「......いや、いやいやいや。あれはヤバいって。俺でも分かるぞ! 今からあの車に乗っていくのか!?」

 

 彼女がピシッと指を指した方向には、こんな車庫に似つかわしくないスポーツカーが一台。流れていくようなスタイリッシュな美しいボディーライン。光沢を放つ灰色は慎ましさを感じさせ、見る者を魅了させてやまないだろう。

 

 マクラーレン 720Sに、似ているスポーツカー......。

 

 ヤバイ、なにがやばいって滅茶苦茶カッコいい。一言で表すと、下品な表現になるがデザインがドエ○い。こんなのが道路で走ってたら嫌でも目に付く。現に車好きでもないクラウンが興奮してる位だ。

 

「ク、クリープ。この車ってどの位するんだ?」

「......分からん。元の値段は龍門の高層ビルくらいなんだが、ウェイ長官が少し手を加えたらしくてな。それにもよる」

「......ウェイ長官ってさ......暇なのか? というか、なに考えてんだよあの人」

 

 それな。いやー、しかし事故を起こしたら精神的にきつそうだ。今まで考えないようにしていたが、クラウンが指摘したことで脳裏に過ぎってしまった。

 

 ――パーツの取替えとか幾らするんだよ、これ。

 

 トランスポーターであれば、車の風通しが良くなるなんて日常茶飯事。だから量産されていて、変えのきく車種ばかり乗っていたのだが、この車はさすがになぁー。

 

「......取り敢えず、乗るか」

「う、うん。そうだな」

 

 鍵を手に取り、ロックを解除。そして扉のマークが付いているボタンを押す。マクラーレン 720Sの両脇のドアが上の方にスーっと滑らかに上がり、扉が開いた。

 あ、あぶねぇ~。家の車庫の天井が高くて良かった。こんなんで傷付いたら笑えないぞ。しかし、クラウンは、「おー!」とか言いそうだと思ってたんだが。余りにも静かなので、横に顔を向ける。

 

 ご主人様が帰って来たと思って、扉の前に待っていたらぜんぜん知らない人物が立っていた。みたいな猫の顔をしている狼が一匹。

 

「おーい、クラウン」

「............(絶句)」

 

「クラウン、大丈夫か?」

「え、あ、うん」

 

 ......いや、就活を初めてする大学生みたいに震えてるぞ。ウェイ長官やエンペラーの前ではあんなに自然体だったのに。高級なスポーツカーだとこんなにも態度が変わるもんなのか。ん? いや、待てよ。そういえばウェイ長官たちに会うために、ビルに入ろうとした時もこんな感じだった気がする。その後は何でか知らないが自然体だったが。確信めいた訳では無いが、取り敢えず聞いてみるか。

 

「クラウン、ああいった高級感溢れる物には慣れてないのか?」

「......ああ、なんていうか、そわそわするっていうか、上手く表現できないけど落ち着けないんだよ」

「そうか......あっ」

 

 自分の失敗に思わず声をあげてしまった。

 いやー、完全に失念していた。やはり、調子ずくと人間、碌なことが無いな。こんな状態で運転しなくて良かった。

 

「ど、どうかしたか?」

「......タクシーでいくか」

「え、いや別に気を使わなくていいからな?」

 

 一瞬呆けた顔を此方に向け、あたふたと手を振ることで自分は平気だと訴えてくるクラウン。自分のせいで、なんて思っているのだろうがそれは違う。問題は、むしろ俺のほうにある。

 

「そんなに慌てふてめくな。クラウンのせいじゃない」

「え?そうなのか」

「ああ......マニュアル車の免許を持ってなかったことを忘れてた、すまん」

「......へ?」

 

 彼女の素っ頓狂な声は、慌てふためいた行動と共に車庫に吸い込まれていった。何処か腑に落ちない様子の二人を取り残して、まるで何事も無かったと言わんばかりに埃は舞い落ちてゆく。

 

 

 

 

 

 車庫から歩いて三十分程。クラウンの提案により徒歩となった。何でも、ちょっとした話がしたいとのこと。タクシーであれば、今頃目的地についていただろう。なんてことを嘆いたって現状は変わらない。己の足で進まなければ景色は止まったままなのだ。

 

 と、格好つけて見たものの、転移前の自分だったらわりかし詰んでたな、この距離を徒歩だなんて。そして訂正だ。この世界で呑気に止まってたら、そのうち本当の意味で動かなくなってしまう。はぁー。世界は想像以上にハードすぎる。

 

 自分の憂鬱な気分を押し込んで、クラウンにちょっとした確認をとる。

 

「本当に徒歩で良かったのか」

「ああ、たまには良いだろ? 二人だけで目的地に向かうのもさ」

「――そうだな」

「けど、さっきのアレは意外だったな。クリープがあんなミスをするなんて」

 

 ニヤニヤとしながら、肘で小突いてくるクラウン。楽しそうでなによりだ。そういえば、クラウンはどんな印象を俺に抱いているのだろうか。

 会話を終わらせようとしたが、自分の好奇心の方が勝ち、そのまま会話を続行することに。

 

「そんなに意外か?」

「意外だよ。怪物なんて呼ばれたりしてる男だからさ。ふたを開けて見れば、普段の生活は人となんら変わりがない。意外な一面に驚かされるばかりだよ。しかも、律儀に免許書とかは気にしてるなんて完全に予想外だった」

 

 

 俺に対して偏見を持ちすぎてないか? そんな意図を込めて視線を投げたのだが、当の本人は何処吹く風。

 ......あれ? 遠回しにディスられてるのか、俺。あと、誰だよ。怪物って広めた奴。怪物はこの世界のまっくろくろすけみたいな奴のことを言うんだ。眉間に弾を食らって死ぬ奴は怪物とは呼ばないんだよ。そんな奴、居ない......ふむ。一人該当する奇天烈なシスターが居たな。いや、あの人は例外だな。たまにそういう人も居るだろ(他に聞いたこと無いけど)。

 

 人なんて十人十色。この世界の住人は個性の殴り合いが起きるくらい我が強いから、まぁ、うん。深く考えるのはやめとこう。

 

 取り敢えず、そんな世界であってもなるべく自分の罪は減らしておきたい。人殺しがなにを今更、なんてて言われるだろうがそれとこれは話が別だ。それが俺の考え、もとい教訓である。

 

「クリープ?」

「すまない、ちょっと考え事を......免許の話だよな。その位ちゃんと守るさ。一応住人なんだから、罪は重ねたくないんだよ。それに免許に関しては、昔にお叱りを受けたことがあってな。その時はバイクだったんだが」

「え? ウェイ長官からか?」

「......アルハラ」

 

 誰だ、と言いたげな視線を此方に寄越してくる彼女。そんな訴えを無視して、だんまりを決め込むことにする。

 ひあすら歩けば、賑わっていた商店街から人通りの少ない道に出る。奥へ奥へと進むほど声は遠ざかり、人の姿は見えなくなった。聞こえる音は風と彼女の足音だけ。

 

「......そっか、教えてくれないのか。俺には」

 

 ポツリと零した彼女の一言。そんな消えてしまいそうな言葉ははっきりと聞こえた。

 

 いや、違うんですよ。俺のやらかしエピソードだからさ。話したくないというよりも、知られたくないんだよ。

 

「いいや、教えたく無い訳じゃないんだよ。ただ、百パーセント俺が悪い話なんだよ。そんなに聞きたいのか?」

「うん」

 

 うーむ。何の捻り無く伝えてもいいが、俺の行動を真似したりしないか心配なる。いや、逆に教えとくべきか。この世界で生き残るにはいい教訓になるかもしれない。

 

「クラウン、いきなりだが質問だ。ナイフだけで戦う時、一番やりにくいって感じた相手はいるか?」

「えっと、クリープ、かな?」

 

 おい。視線を逸らしながら言うな。

 

「......いや、言い方が悪かったな。人物じゃない、武器とかの話だ」

「ああ、なら盾かな。特に防御に特化して、集団で陣形を組むやつ」

「ああ、そうだな。あともう一つだけある」

 

 ちなみに、あと一つだけとは嘘だ。ぶっちゃけ沢山ある。チェーンソーに槍、広範囲に影響を及ぼすアーツ、そしてアーツとは違う異能と呼ばれるその他もろもろ。意外なことに、高台からの銃やボウガンの攻撃は慣れてくれば何とかなる。

 

 ナイフはあくまで奇襲や暗殺に適した武器だ。正面向き合ってよーいどん、といった殺し合いでは基本的に不向き。

 あたりまえだが、此方から攻撃できず、相手からは攻撃できるような状態は以ての外。そしてそれを半永久的に出来る武器が一つある。

 

 ナイフが一番対応しにくい武器――

 

「――ドローンだ。一方的な高さから撃ってくる、大型の」

 

 この世界のドローンは殺戮マシンと何ら変わりない。

 動きは速く、統率がとれている。搭載できる武装は様々で、人が操る場合は変則的な動きが可能。オリジニウムを動力源としているものは、バッテリー切れなんてものともしない。飛んでいるため距離を詰めることなんて到底出来ない。そんな近接武器は人権が剥奪されたも同然なのだ(一部例外ありだが)。

 

「ああ~。それで、その話にどうして免許が関わってくるんだよ?」

「......龍門で犯罪集団と対峙したときがあったんだよ。そんで近場にいた近衛局の隊員と協力したんだが」

「うんうん」

 

 興味深そうに相槌を打ってくるクラウン。

 

「アルハラも丁度いてな。ドローンは近衛局が対応してくれてたんだが、途中ではぐれたんだよ。そんな状態で敵のドローンと遭遇してな」

「うんうん」

「相手は飛んでるから俺は攻撃できなくて逃げ回ってたんだが、たまたま近くに丁度いい感じのバイクをみつけたんだ」

「うんうん?」

 

 少し首を傾げて、眉間にシワを寄せるクラウン。

 

「それをちょいちょい、といじってだな。坂を利用して飛ばしたんだよ」

「何を? 何処に?」

「バイクをドローンへ。見事に爆散したんだが、持ち主が問題だった。アルハラのバイクだったんだよ。そのあとが色々大変でな。そん時に免許の話になって、ちょっとしたトラウマなんだよ」

 

 盾を振り回しながら、笑顔で追っかけて来たことがな。あの時初めて知ったよ。盾は飛び道具だってことを。

 あれ以来、運転に関することは死ぬ気で学び直した。もしこの都市で事故を起こしたら、今度はなんて言われることか。近衛局の問題児リストになんて、載りたくないのだ。

 

「あー、うん.........大変だな、トランスポーターって」

 

 渋い顔をしてクラウンが結論をだした。

 いや、たぶん違うから。この世界が大変なだけだから、きっと。トランスポーターはただの荷物運びだから。

 ジェイソン・ステイサムやキアヌ・リーブスだってビックリだよ......いや、映画でもこんな感じだったな。

 

「ところで、そのアルハラって人が例の知人なのか?」

「いや、違う。そいつを怒らせたら、俺は今頃死んでる......おっ、店に着いたぞ」

 

 そんなこんなで、過去の話に花を咲かせて(?)話を終える。

 

 目の前には風情ある小さな店。綺麗な外装は太陽をギラギラと反射していた。看板を見れば、どんな店かは一目瞭然。

 

「今回は聞いてこないんだな」

 

 てっきり、仕立て屋? なんて言うのかと思ったのだが。

 

「......うん、ほらクリープの行く店ってさ、大抵が表に出せないような店だから。慣れてきたよ」

「.........」

 

 釈然としないが、反論出来ないので取り敢えず黙っておく。そんな俺の様子に、苦笑しながらも彼女はドアノブに手をかけた。

 

 

 クラウンがドアを開ければ、きらびやかな世界がお出迎え。店内の両脇にはマネキンが六体並んでいる。そんなマネキンはシワ一つ無いスーツを身にまとい、躍動感溢れるポーズをとっていた。前回来た時は由緒ある内装だったのだが。模様替えなんて必要あったのだろうか。

 

「いらっしゃいませ、クリープ様。此度はどのようなご用件で」

 

 優しさを帯びた声が店内に透き通る。

 背筋を伸ばし、スーツを着こなした紳士的なご老人が一人。白い口髭をたらし、長めな白髪は一つにまとめられている。視線を合わせれば、アメジスト色の力強い瞳が鋭く輝く。

 

「お久しぶりです。オスカーさん」

 

 この恭しいご老人。表向きはこの店のオーナーだが、本当の姿は武器商人だ。俺が普段愛用してやまない、特殊なスーツは全てこの人が作った物。この人のスーツに何度救われたことか。その腕前は確かで、年季の入った技術にはウェイ長官が感嘆のため息を漏らしたほど。

 

 

「ええ、お久しぶりです。本日はお連れ様もご一緒ですか」

「はい。新社員を雇いまして。名前はクラウンです」

「ど、どうも」

 

 クラウンが挨拶をすればオスカーさんは、顎に手を当て何か思案している模様。やがて、ハッとした顔になり、お手本のような謝罪をしてから自己紹介に移った。

 

「私の名前はオスカー・ディラン。好きなように呼んでください、クラウン様」

 

 自己紹介をしている最中のクラウンがちょいちょい、と袖をつまんでくる。振り返ってみれば眉毛を八の字にした狼が一匹。いや、今は犬の方が適切か。

 

「あのさ......クリープってオスカーさんと仲いいのか?」

「ああ、それがどうかしたか」

「いや、何でもない」

 

 視界の端にオスカーさんが映る。此方を微笑ましそうに眺めていた。

 はて、どこに微笑ましい要素があったのだろうか。

 

「どうかされましたか?」

「いやはや、こういった光景は暖かいな、と。私も年を取ったものです。今度、お祝いの品を贈らせていただきますね」

「わざわざ、すみません」

「いえいえ、お気になさらず。普段からクリープ様にはお世話になっておりますので」

 

 どこか困ったように笑いながら、優しい声で返してくれる。ほんと、良い人だなこの人。イケメン、カッコいい声、性格が良いの欲張り三点セット。こんな温良恭倹なイケおじが、どうしたらこの世界で生まれるのだろうか。不思議でならない。

 

「ああ、クリープ様。店内を見てお気づきになられたかもしれませんが、最近改装いたしました。店内でちょっとしたぼや騒ぎがありまして、ね」

 

 前言撤回。そういえば元軍人だったわ、この人。無邪気な笑顔で丁寧に説明してくれてるがそれが逆に怖い。というか、店内を改装しなきゃいけないぼや騒ぎって何? まぁ、この人が元気ならいいか。

 

「......元気そうで良かったです」

「ええ、やはり身体を動かすのは気分が良いですね。おっと、話を逸らしてしまいましたね」

 

 うーん、天真爛漫にそんなことを言ってのける人って貴方ぐらいだよ、オスカーさん。この歳で戦闘狂だったとは今まで知らなかった。この世界、やっぱまともな人居ないわ。いや、世界がまともじゃないから仕方ないか。そんな世界に馴染んでる俺も言えたことではないが。

 

「クリープ様、そしてクラウン様。本日はいかがなさいましたか?」

 

 クラウンは一歩前に踏み出し、少し気まずそうに説明する。説明が終われば、オスカーさんは「少々お待ちください」といって、暗い店の奥に消えていく。十分程立てば、オスカーさんが戻ってきた。

 

 オスカーさんの手には黒いアタッシュケースが一つ。

 

「お待たせしました。クラウン様には、これがお勧めかと」

 

 ケースをあければ一本の黒いナイフが丁寧に保管されていた。形状は一般的なのだが、銀色に薄く光る刃が見事な出来前。先端に行くほど鋭さ増している。ふむ。

 

「私の手作りでして、名前は特にありません。人間工学に基づき、製造したものです。最近のぼや騒ぎで使った試作品を改良したものです。私の折り紙付きですよ。いかがでしょうか?」

 

 いや、なんか可笑しな単語が聞こえたぞ。

 そう声を掛けようとした時、トレンチコートーのポケットが微かに揺れ始めた。

 

   ――ブー、ブー、ブー

 

 室内に無機質な電子音が木霊した。俺の携帯だ。タイミングが絶妙だが、依頼の可能性があるので出なければ。

 

「あー、すまない俺の電話だ。クラウン、お前はそのままナイフを選んでていいから」

「......分かった」

 

 暖かい店内を出て、乾燥した外気の中で電話に出る。この店周りに他の店や、人が集まるような場所はほとんど無い。祝日の午後なのにがらんとした町は少々得たいの知れない奇妙さを感じるが、少なくとも電話の内容を他人に聞かれることは無いな。

 

「もしもし、どちらさまでしょうか?」

「私だ、パラベラム」

 

 なんだ、ウェイ長官か。一瞬、オレオレ詐欺かと。急いで損した気分だ。しかし、非通知で掛けて来るなんて珍しい。緊急の依頼だろうか? だとしたら少々厄介だ。今はタイミングが悪すぎる。

 

「どうした、依頼か」

「いや、ちょっとした世間話だよ」

 

 嘘付け。今まで世間話するために電話なんて掛けてこなかっただろ。それとも、お前は本当に暇人に成ったのか。

 

「そちらに報酬を届けといたが、キッチリ届いたか?」

「ああ、車と金だろ。無事に届いたよ」

「そうか、乗り心地はどうだ」

 

 あー、素直に言うべきか、黙っておくか。仮にもクライアントだ。嘘は付きたくない。些細な葛藤に頭を捻らせたが、少々めんどくさくなってきた。

 素直に言うか。車に乗ってないことなんて、特に問題なんて無いし。

 

「......いや、実はマニュアル免許を取ってなくてな。すまん」

 

 あれ、通話切れたのか? 余りにも静かなので、思わず携帯画面を確認してしまう。電波はちゃんと届いてるし、通話も切れて無い。何か問題でも発生したのだろうか。

 

「もしもし、ウェイ長官。聞こえてるか?」

「......すまない、少し以外でな。ブラックリストに載ってる君がそんなことを守るなんて」

 

 ああ、問題児リスト載ってたのね、俺。なんてこったい。個人営業であのペンギン急便と同列な扱いなのか。頭の痛くなる話だ。思わず眉間に手を当て、ため息をついてしまう。

 

「なに、気に病む必要は無い。防衛協定を結んでる代表者は、みな載っているのだから。私なんて、つい最近殿堂入りしたばかりだ」

 

 そんな事をさも当然、といわんばかりに述べたウェイ。

 おい。ペンギン急便はともかく、あんたら既婚者組は何してんだよ。神色自若な癖してやることは派手なんだよな。いい加減大人しくしてくれ。

 

「そんなことよりもだ。彼女の様子はどうだね」

 

 コイツ、話を露骨に逸らしたな。

 

「.........彼女、ね。珍しいなアンタがそこまで気にかけるなんて。アンタのことだからてっきり賑やかになるな、程度の認識だと思ってたんだが......」

 

 やっぱり、気が付いていたか。この人の観察眼もすごいからな。違和感を覚えて、独自に調べたのだろうが、どこから情報を引っ張ってきたんだか。

 

「私はこう見えても、自分の発言には責任を持つようにしてるんだがね。彼女の状態はだいぶ危うい。今は君という存在が――」

「分かってるさ、それ位。うちで雇った時から覚悟してたことだ」

 

 時間がじわじわ経つほど、空気が重くなっていくような錯覚。長い沈黙が、携帯から伝わってくる。

 

「.........共に堕ちる気か......」

 

 ウェイ長官が放った一言。とにかく重く、とにかく低い声。携帯で話しているはずなのに空気が揺れる。

 天から龍が降りてきた、とでも表現すればいいのだろうか。しかし、逆鱗に触れた訳では無さそうだ。となればだ。

 

「まさか、そんな気は無い。それとも先輩としてのアドバイスか?」

「ああ、彼女のことを少し調べさせてもらった。残酷なことを言うが君は彼女を助けるべきではなかったんだ。それは龍門防衛協定の勢力バランスを抜きにしてもだ」

「成程、既婚者のアンタが言っても説得力が無いな。頼むから、フミヅキとはそんな関係じゃない、なんて二度と言わないでくれよ。その時の愚痴を一日中聞いてたのは俺なんだからな。誰とは言わないが」

「......それとこれは話しが別だ」

 

 ちょっとした仕返しだ。いくら新車や金を渡したからなんて、人の車を爆破したあげく、社員のことを勝手に調べたんだ。これ位はいいだろ。

 まぁ、龍門のために動いてるからには仕方の無いことだとは理解はしてる。ウェイ長官にとっては避けては通れぬ道。きっと何度も苦しみ、何度も絶望したのだろう。いや、そもそもこんな考え自体失礼にあたるか。やめよう。不毛すぎる。

 

「それで、何時から気が付いていたんだ。俺はあくまで予想できていたことだから分かっていた事だが」

「......私は彼女に言っただろ。精進したまえ、と。そういうことだ」

 

 ああ、あの時か。とんだ皮肉じゃないか。

 

「パラベラム、君はこうなることを理解して彼女を拾ったんだな?」

「当然だ」

「碌な死に方をしないぞ」

 

............

 

「人を殺してるんだ。それ位は覚悟してるさ。まぁ、幸せに生きようとは努力する。俺はまだ死んでないからな」

「......そうか、最後に一つ。なぜ助けたんだ。まさか、温情とは言うまいな」

 

 嘘は言わせない。そんな意思を感じさせる力の篭った声だ......さて、どうしようか。対価だ、と素直に言いたいのだがウェイ長官はそれだけで納得するような人ではない。それだけで納得してるんだったら、わざわざ電話を掛けてこない。彼女のことを調べてるなら、それだけで事は足りるのだから。

 つまり、俺に何の目的があって彼女を拾ったのかを知りたくて掛けてきたのだろう。だが、俺には目的なんて無い。たまたま出会って、運よく助かった。ただそれだけのこと。

 

 しいて言うなら――

 

「――気分だよ。よく言うだろ。善人が人を殺すことがあれば、悪人が人を助けることだってあるって。まさしくそれだよ。もっと深く言うなら、運だな」

 

 運が良かった。俺の人生は、この一言で片付けられる。

 

 俺がトランスポーターになった事情であり、彼女が俺に依頼してきた理屈であり、この世界で生きていられる所以であり、この世界にいる由縁となった単純明快な事。

 

「.........それが君の結論かね。パラベラム」

「結論とまでは行かないが、彼女を拾った根本はそれだけ。後は彼女が対価を要求してきた位だ」

「そうか。すまないな、時間を取らせて」

「ああ、じゃあな」

 

 電話を切り、ため息を吐く。

 何で仕事の無い日に胃をキリキリさせなければならないのだろうか。お陰で気分は急降下。仕事終わりのサラリーマンのように身体を脱力させた。このまま寝てしまいたい位憂鬱だが、そうも言ってられない。

 

 携帯をポケットに無理やり押し込み、店内へ戻る。中ではオスカーさんとクラウンが真剣な顔で話し込んでいた。重い足取りで一歩一歩踏み出せば、二人は此方に振り返った。

 

「クリープ様。戻られましたか」

「あっ、クリープ!」

 

 此方に駆け寄ってくるクラウン。手に持っているのはあの黒いアタッシュケース。どうやら一番最初のナイフがお気に召したらしい。

 

「それで、クラウンはそのナイフが良いのか?」

「ああ、これにするよ」

「そうかい、オスカーさんお会計頼みます」

「いえ、お金の方は結構です」

 

 ほえ? 何で?

 

「そちらの品を、お祝いとして贈らせていただきます」

 

 えっ、無料なの。オスカーさんにとっては善意なんだろうが、此方が申し訳ない気持ちで一杯になるのだが。

 

「えっと、本当にいいんですか?」

「はい、もちろん。お祝いの品ですから、代金なんて取りません。クラウン様からお礼の言葉ももらいましたし」

 

 早いな。肝心のクラウンに視線をやると、真剣な表情で尻尾をふりふりと揺らしていた。ご機嫌な様子で何よりだ。些か複雑な心情にもなるが、仕方ないか。とにかく、俺も感謝せねば。

 

「ありがとうございます。オスカーさん」

「いえいえ」

 

 うん、やっぱり想像がつかないな。懇篤的なこの人が戦闘狂だなんて。

 

「本日はもう帰られますか?」

 

 クラウンに視線を向ける。コクリと控えめに頷いてから、オスカーさんに再びお礼した。オスカーさんは優しく微笑みながら対応して、此方にクルリとむき直した。

 

「ご来店ありがとうございました、またのお越しをお待ちしております」

 

 その一言を皮切りに、クラウンと一緒に店を出る。外の陽は傾き始め、青い空は微かに赤みがかっていた。電話の時は気が付かなかったが、夕暮れが迫っていたようだ。店に来たときよりも薄暗がりが伸びた道。そんな道には所々陽が差し込んでいて、歩くたびに暗くなったり、明るくなったり。

 俺が丁度暗がりから出た時、無言だったクラウンから話しかけられる。

「なあ、クリープ。クリープは、クリープはさ、私を」

 

 あまりにも弱弱しく、縋る様な声。明るくなったタイミングで思わず後ろを振り返る。暗がりには()()が一人、小さく佇んでいた。表情は見えない。

 

「置いて行かないよな?一人にしないよな?」

「.........」

 

 彼女の遠吠え(悲鳴)。余りにも微小で、余りにも脆い、()()の本当の姿。『クラウン』ではない姿。

 

 精神的なトラウマで新たな人格を作る、いわば自己否定、いわば現実逃避。そして依存。本人に自覚は無く、己の崩壊を防ぐために働く防衛本能の一種。それが分かりづらかったのは『クラウン』のお陰だろう。

 

 よくある話だ。こんな地獄みたいな世界で生きてるならば。拾った時から分かっていた。()()の両親はとっくに亡くなっている。そして目の前では戦友を。それがどんな状況だったかなんて、俺には分からない。だが、想像位はできる。

 

 まだ若い()()が、そんな奴が、ばったりと出合った俺に心を開く訳が無い。人である以上できる筈がない。今までが奇跡だった、奇跡と言う名の異常。

 

『クラウン』は()()の本名、ましてや偽名ですらない。

 だが、今の状態で指摘なんて出来るはずがない。指摘すれば、()()がどうなるか分からない。だから目を瞑り、()()が『クラウン』であることを黙認した。その名前が既に亡くなっている人物の名だとしても。

 

 

 ある時は雑務。ある時は買出し。最初は仕事に関与させなかったのも、『クラウン』がこの生活に馴れるかを把握しておきたかったから。幸にも、ご近所の店には俺の顔は知られてる。仲のいい店主達に一声掛け、何かあった時に備えといた。

 

 しかし、俺がしていることは廃人にならぬようにしているだけ。彼女の問題を解決しない限り、彼女が自由になれる事はない。とはいえ、我ながら最低だと思う。結局のところ、彼女のことは俺じゃ救済できないのだから。彼女自身がどうにかしなければならない問題。だからせめて、そのきっかけを少しでも作ろうしているのが現状。

 

「こたえて、こたえてよ! クリープ! 不安で不安で頭がどうにかなりそうなんだよ」

 

 そもそも、なぜ今のタイミングで()()が出てきたのかは分からない。純粋な不安なのか、それとも信頼してきてくれた証なのか。はたまた昨日の疲れが出ているのか。そんなことは、今の状態では彼女自身でも分からないはずだ。兎にも角にも、彼女を落ち着かせなければ。そのためには選択肢を間違えてはいけない。かといって、彼女と心の距離を近づけすぎるのも良くない。

 

「......置いていかないと、確約は出来ない。独りにしないと、そんな大層な約束も出来ない。世界がこんな状態だしな。だが少なくとも、俺から離れることはしない。別れる事があったとしても会いに行くだろうな」

「............」

 

 暗がりからは沈黙。何も反応は無く、何も分からない。そんな闇に一歩踏み出す。

 

「だから」

 

 また一歩踏み出す。それを繰り返せば、黒いパーカが見えてくる。最後の一歩を踏み出して、()()のどんよりした虚ろな目に視線を固定する。

 

「だから、もし俺がいなくなりそうだったらお前が全力で止めてくれ。もし、お前が不安に感じるんだったら俺に素直に言ってくれ。些細なことでもいいからさ」

「そしたら、クリープは置いてかない? 私を独りにしない?」

「ああ、そしたら俺は生きてるから、俺からは離れない。お前が自由なタイミングで羽ばたけばいい」

 

 少しだけ、不服そうな顔をした()()

 

「大丈夫だよ、クラウン。お前は独りじゃないよ。だから、帰ろう」

 

 無言で、コクリと頷いたあと、彼女に背を向けた。既に陽は暮れて、暗闇に辺りが沈んでいた。肌寒い空気の中、ポツポツと浮き出ている街灯を頼りに歩く。彼女の姿は見えないが、音からしてしっかりと付いてきているようだ。

 

「あっ、えっとクリープ」

 

 彼女に呼び止められ、一旦足を止める。振り返れば、混乱した様子の彼女、いや、クラウンが佇んでいた。

 

「どうかしたか?」

「さっきさ、えっと、あれ?」

 

 小首を傾げて、考えている様子にはさっきのような焦燥感は無かった。そんなクラウンの思考を遮るように、一声掛ける。

 

「クラウン、今日は外食にしよう。この先に商店街があってな。上手い店を知ってるんだよ。夕飯にはまだ早いが、どうだ? 二人で」

 

 クラウンの耳と尻尾がピクピクと反応する......犬みたいに。時々だがクラウンの種族がほんとにループスなのか分からなくなる。

 

「もしかして、クリープの奢りか?」

「ああ、もちろん。今日の主役はお前だからな。なんだったら、お前の好きなもの何でもいいぞ」

 

 それを聞いた途端に、クラウンの尻尾は揺ら揺らと左右に揺れる。こういった様子は年相応だな~。彼女の不審者コーデのせいで、残念になってることは決して言わない。あのパーカーも彼女にとっては大切なものなのだから。しかし、なにが原因なのかてんで検討が――

 

「なぁ、クリープ」

「ん? なんだ」

 

「ありがとう」

 

 虚突いた一言。クラウンは後姿で呟いた。確実に、丁寧に、()()の言葉を。

 

「さっ、早く行こうぜ。クリープ」

「ちょっ、待っ――」

 

 俺が声を吐き出す前に走っていくクラウン。

 

 狼の後姿が段々と遠くなる。この暗く、冷たい空気を切り裂いていくように駆けていく狼は確かに存在していた。そんな様子にあっけに取られ、出遅れてしまった俺はただ立ち尽くすのみ。

 

 思考を一旦整理して、彼女に追いつけないと判断する。その後の行動は早かった。

 

 クラウンに重要なことを伝えなければ。

 

 携帯を手に取り、クラウンの連絡先に掛ける。

 

「クラウン、商店街は真反対だぞ」

 

 携帯の向こうからは、クラウンのくぐもった悲鳴が聞こえた。

 

 ――ああ、結局のところ、彼女自身にしか分からないか。原因なんて。

 

 男はゆっくりと歩き出した。一匹の狼、彼にとっての親友(相棒)を迎えに行くために。

 

 

 

 

 

 確実に分かったことなんて、一つだけ。

 

 男が狼の本当の名前を未だに知らないということ。

 

 

 

 

 そして

 

 

 狼も同様に、男の本当の名前を、未だに知らなかった。

 

 




 曖昧模糊に、有耶無耶に、不得要領に。

 


 正確に、確実に、着実に進む、ちぐはぐな御伽噺。



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青と緑と緋色と黄色

 すべての人間の一生は、神の手によって書かれた童話にすぎない。


 

 

 006

 

 

「いらっしゃいやせー」

 

 祝日であれば大抵の店は賑わっているものだが、どうやらこの飲食店は違うらしい。かといって、店が営業していない訳ではない。その証拠に店員が快く出迎えてくれたし、丸見えの厨房の方からコトコトと何かを煮ている音が店内を踊って胃袋が刺激される。

 店の外に出来るであろう行列は無く、店内には誰も座っていない紅くて丸いカウンター席が秩序よく並んでいた。テーブル席も同様で、すっからかんなコンサートだ。

 

 では、祝日である日に何故無観客なのか。

 

 それは目の前で出迎えてくれた店員の風貌が原因だろう。

 片手には包丁。彼が身につけている青であろうエプロンは、赤黒く染まっていた。そんなファッションと彼の人相が相まって、映画に出てくる殺人鬼のような迫力がある。店の外からそんな奴が見えたら、常連客以外は入らないか。

 本人にとっては、いつも通り生活してるだけで面倒見の良い奴なんだがなぁ~。まぁ、人って第一印象で決まるって言う位だから、仕方ないのかもしれない。

 

「どうかしやしたか?」

「いや、なんでもないよ、ジェイ。二名だから、テーブル席で頼む」

 

 ちらり、と後ろを見れば物珍しそうに店内をきょろきょろとしている、不審者コーデのクラウンが目に入る。そんな俺の視線を辿ったのか、ジェイは少し目を丸くした様子だ......うん、やっぱり第一印象は大事なんだな。

 ジェイは一瞬だけ視線を俺に寄越し、そのままいつもと変わらない様子で接客してくる。

 

「あー、分かりやした。てきとうな所にすわってくだせぇ」

「ああ、ありがとう。クラウン、行くぞ」

「うん、分かった」

 

 奥のテーブル席に二人向かい合う形で腰を掛ける。クラウンはこれといってジェイを気にしてない様子。

いやー、育ちが良いのか、感覚が麻痺してるのか、判別がつかない。

 

「注文がきまったらぁ、よんでくだせぇ」

 

 ジェイはそのまま厨房に戻っていく。少し落ち着いてから、机に置いてあるお品書きを手に取った。とはいえ、今更俺は見る必要も無いのだが。とりあえず、新メニューが増えてないかチェックすることで、クラウンの注文を待つとしよう。

 

「クリープ、お勧めとかあるか?」

 

 あー、お勧めを聞いてきたか。この店、いかんせん料理が多いから何とも言えん。しいて言うならやはり魚団子スープだろうか。

 

「......あるぞ、この店の魚団子スープが滅茶苦茶うまい。まぁ、時間はまだあるからゆっくり決めていいぞ」

「ふーん、そっか。じゃあ、お言葉に甘えて。クリープはそのスープを頼むのか?」

「ああ、ボリューミーで暖まるし。この店に来ると大抵これだな」

「そっか、じゃあ俺は別の頼むからお互いに一口交換しないか?」

「いいぞ」

 

 特にこれといった問題も無いので、メニューを見ながら適当に返事をしておく。

 お、新メニュー増えてる。達筆な字で堂々と「チキン」と書かれていた。それ以外は特に書いていないし、焼いてるのか、煮ているのか、燻製してるのかも分かったもんじゃない。冒険はやめとくか、やさしい味のスープで暖まりたいし。

 しばらくすれば、クラウンもメニューが決まり、「すみませーん!」、とクラウンが元気はつらつにジェイを呼んだ。クラウンはラーメンを頼み俺は魚団子のスープを。

 

「注文は以上ですかい?」

「はい」

 

 尻尾を悠々自適に揺らしながら返事をするクラウン......取り敢えず、一安心か。机隣に立っているジェイの格好には不安を覚えるが。

 

「分かりやした」

 

 ジェイはぶっきらぼう答えてから、早々と厨房に向かっていった。

 

「クリープ、明日は仕事あるのか?」

「ん? いや特には。しいて言うなら書類整理くらいだ。明日どっかに出かけたいのか?」

「えっと、......鍛練に付き合ってほしくて。ほら、今日と朝の運動も出来てないし。だから明日丸一日、な」

 

 やや遠慮気味にお願いしてくるクラウン。だからといって、俺は簡単に首を縦に頷くことは出来ない。

 彼女の精神状態も心配だが、丸一日付き合った後の俺の容体も心配だ。そもそも、丸一日俺が付いて行けるかどうかの体力勝負だろ? うーむ。どう考えても、土に首を垂れてへばってる気がする。

 申し訳ないが、断――

 

 ――ガラガラガラ

 

「いらっしゃいやせ、今日はお連れさんも居るんですね」

 

 おお、良いタイミングで客が来たもんだ。ジェイが「今日は」と言っていたから、常連客だろう。取り敢えず鍛錬の話は棚に上げて――

 

「よう、ジェイ。そうなんだよ。うちの隊長様が、どうしても、と言うから」

「おい。どうしてそこで私が出てくるんだ?」

「ハハハッ、いや、すみません。ついつい」

 

  Oh my goodness!

 

 背中を叩くような、豪快な笑い声の鬼。そして、凛とした声で鋭くつっこむ龍の声。龍門で最強の盾と矛。

 なーんで、龍門ハッピーセット(追われたらアンハッピー)が、この店に来てるんだよ。黙ってれば、やり過ごせるかな? いや、どう考えたって無理か。

 

「相変わらずそうで。何かご注文はありやせんか?」

「私と、チェンにスープを。席は、......おっ」

 

 あー、やっぱりハッピーセットの声だ。相変わらず仲のいいことで何より。こちらに気が付いたぽっいが、知らん知らん。せめてもの抵抗で、後ろは振り返らない。そんな意思表示を無視して、彼女達の会話は一方的に盛り上がっていく。

 

「なぁ、チェン。相席でも構わないか?」

「構わんが......」

「そうかそうか!」

 

 あー駄目ですねぇ、これ。相席ゆうてるし、アルハラの声が活き活きしてるし。ロックオンされましたわ。

 

「相席って言ってるけど、店内の客って俺達だけだよな。クリープ、あの二人って知り合いか?」

「......そうだな。ほら、龍門近衛局の特別任務隊だ。本人達は知らないが、裏ブラックリストに載ってるぞ。クラブの騒動が終わった後、見かけなかったか?」

「いいや、見てないな。事情徴収は別の人だったし.........というか、裏ってなんだよ。非公式ってことか?」

「そう、近衛局の隊員とか観光業経営者、その他住人たちのお墨付き。青い髪の奴は特にそうだな。なんてったって、公務員が一生働いても買えない名画を一刀両断にしたからな。犯人を捕まえるためとは言え、ちょっとな」

 

 いやー、ウェイ長官が甘いからなぁ~。ほんと。一緒に後処理をした隊員が懐かしい。今じゃ死んだことになって暗部に入っているが、元気だろうか。天井のシミを一つ一つ数えながら、昔に思い耽る。現実はしかし残酷だった。

 

「よう、クリープ」

 

 突然、群緑色の髪が視界に広がる。彼女はニヒルな笑みを浮かべて、鬼の金眼を気味悪く輝かせた。

 

「.........ああ、こんにちわ」

 

 アルハラ、もとい鬼のホシグマの身長は百八十を超える。と、なれば座っている俺を当然見下ろしている状態な訳だが。

 

 ああ、そういえば、彼女も百八十位だったか。彼女にも、こんな風にされたことが何度あったことか......

 

 ふと、プクプクと浮かんできた泡のように思い出したのは、そんなくだらないこと。

 

「クリープ?」

 

 此方の様子に異変を感じ取ってか、クラウンが声を掛けてきた。

 あー、いかんいかん。まだ肉体的にはボケてないはずなのだが、精神に引っ張られたせいかな。

 

「......いや、すまない。考え事だ。それより、ホシグマとチェンは良く此処に来るのか?」

 

 思考の海から抜け出して、チェンとホシグマに話題を投げる。やや間を置いた後、チェンが「いや、今回が初めてだ」と不機嫌そうに答える。彼女の顔が不機嫌そうに見えるのは、何時ものことなので特段気にしない。初めて会った時はびびったが、ウェイ長官の教育の賜物だと知って色々納得した。

 そこに、補足するようにホシグマが説明してくれる。どうやら、ホシグマはジェイの様子を見に来たらしい。なんでもジェイに此処の店を紹介したのはホシグマらしく、彼女はジェイの様子を見るため、度々この店に訪れているそうだ。

 なるほど、だからジェイがあんなファッションでも店に入ってきたのか。常連というよりも保護観察官みたいな......いや、ジェイは犯罪者じゃないし、むしろホシグマのほうが......まぁ、この二人ならそもそも人の格好がホラー映画状態でも気にしないか。

 

「それよりも、だ。早く座ってしまおうか」

 

 彼女はそんな事を述べて、群緑色の髪をなびかせ俺の隣にどかどかと座ってきた。

 

 こいつ。図太い性格してるな。

 

「すまない、隣に座ってもいいか?」

「......どうぞ......」

 

 チェンを見習え、チェンを。眉間に皺を寄せながらも、申し訳無さそうにクラウンに声を掛けた上司殿を。

 横をちらりと見れば、ホシグマはニコニコした顔でチェンとクラウンの事を見ていた。

 

............。

 

「......良いのか? 後で怒られるぞ」

「いいんだよ」

 

 ホシグマだけに聞こえるように呟けば、彼女は嬉しそうに一言を零す。その横顔はどこか哀愁が漂っていた。

 

「おい、そこ! 聞こえてるからな」

 

 ......あーりゃま、さすがに聞こえるか、って「なんで俺を睨みつけるんだよ」と抗議の声を上げてみたものの、チェンの眉間は深くなり、睨みは鋭くなるばかり。

 

「はっはははは! あー。っといけない。自己紹介がまだだった。私はホシグマ。今は勤務外だから気軽に呼んでくれ。よろしく」

 

 隣は隣で、一人大爆笑したあと平然と話題を逸らすアルハラ。この鬼め、俺をスケープゴートにしたな。

 

「......よろしく、ホシグマさん。俺はクラウンだ。えっと、隣の人は」

「チェンだ、よろしく頼む」

 

 と、軽い自己紹介を彼女達は済ました。それからはお互いの様子見で、最初こそ口数は少なかったものだが此処はテーブル席。互いに距離感を掴めば会話は流れるように弾むし、女子三人は気が合うのだろう。

 やや、女々しさ感じる会話を適当に聞き流して、存在感を消しながらひたすら料理を待つ。そんな時間はやたらと長く感じ、少々居心地は悪くなってきた。主に隣に座っているアルハラのせいだが。まぁ、此方の事情に深く踏み込まない辺り、気は利く方だしクラウンにも良い経験になるか。

 

 さて。それは置いといてだ。クラウンの横に座っているチェンの視線がさっきから痛い。なんていうか、チクチク刺さってくるような感じ......やっぱり、この世界可笑しいと思うんだ。普通視線でそんな訴えてくるようなこと出来ないと思うんだよ。ウェイ長官がそっち方面の技術とか教えたのかもしれないけど、それを加味しても――――

 

「ご注文の品、お持ちしやした。スープ三つに、ラーメン一つ。以上、ですかね」

 

 隣のアルハラが、「ありがとう」と伝えるとジェイは料理を並べていく。目の前にきた黄金色の魚団子スープからは湯気がゆらゆらと。魚介だしがきいた匂いは、魚特有の癖がなくて優しい芳香。

 初めてこの店に来たチェンとクラウンの様子を窺う。クラウンは唾を飲み、チェンは心なしか眉間の皺が浅くなった気がする。

 

「これは......すごいな」

 

 隣のチェンの言葉に頭を振りながら激しく同意するクラウン。どうやら、ジェイの作ったスープは龍の胃袋を掴めるのかも知れない.........こんどウェイ長官を誘ってみるか。あの人大衆料理の方が好きだし。

 

「うん、この店は何度きても飽きないな。では、お先に。いただきます」

 

 お前の場合酒の締めだろ。なんて、口が裂けてもいえない。彼女の少突き一つで俺のアバラは消し飛ぶのだから。自分も黙って、スープを食べようと、手を動かしたときにふと気が付く。

 ああ、そういえばそうだった。

 ジェイの背中に一声掛ける。

 

「すまん、ジェイ。取り皿を二つ頼む」

「分かりやした。深皿でいいですかい?」

「ああ、ありがとう」

 

 彼から深皿受け取り、黄金色のスープと魚団子を少し入れてクラウンの前に出す。

 

「え? いいのか?」

「ああ、クラウンが食べる前に言ってただろ? 一口交換しよう、って」

 

 クラウンは一瞬だけハッ、とした表情に。

 そんな俺たちの様子を興味深そうに隣から眺めてるホシグマ。

 脇目も振らずスープにご熱心なチェン。

 

 .........。

 

 まぁ、なんというか。

 この殺伐とした世界でもこんな光景があるんだな、と。

 いや、こんな世界だからこそ、この光景に価値が付くのか、と。

 我ながら、今更過ぎるが。

 当たり前すぎて笑えてくるが。

 

 

 

    うん?

 

 

 

 

 

「うん、ありがとうクリープ」

「......どう致しまして、クラウン」

 

 まぁ、いいか。些事だ。

 

「なんだなんだ、二人だけで良い雰囲気なって。私も混ぜてくれよ」

 

 と、隣の鬼が割り込んでくる。

 こいつ、酔わない筈なのに酔っ払いみたいなテンションだな。

 

「目の前の上司に構ってもらえ」

「ああ、彼女ならもうつぶれてるぞ。ほら、酔うといつもああなんだ」

 

 は?

 

 視線をずらせば、無防備にテーブルに頭を預けてる彼女が。幸なことに、スープを完食してから酔い潰れたようだ。はえー、あんなに呂律回っていたのに? ちょっとした興味本位で寝顔を覗く。

 眉間の皺が取れ、穏やかに、規則正しい寝息で眠りについている顔。起きてる時は不機嫌の権化みたいな顔つきだが、こうして寝てるだけだと案外眉目秀麗なものであった。いや、近衛局の隊長というレッテルが取れた状態、といった方がしっくりくる。

 

「えっと、どうするんだ? ホシグマさん」

 

 当然の疑問を、控えめな声で投げかけたクラウン。

 

「そうだな、どうしようか」

 

「困った困った」などといいながらもさぞ楽しそうな彼女は頭を掻いて軽く答える。そんな様子を尻目に、自分のスープを一口。

 暖かくは無いが冷たくもない、おいしいスープだった。スプーンを丁寧に置き、ホシグマにお前が持ち帰れ、といった視線を送るつもりだったが、

 

「驚いた」

 

 その一言で遮られてしまった。ホシグマにしては素っ頓狂な声だったので思わず横を見上げた。彼女のまん丸とした瞳には俺が写っていた。

 

「クリープ、そんなに行儀が良かったのか?」

 

 うーん? 要領を得ない会話に眉を顰める。クラウンならまだしも俺のこと言ったよな、こいつ。あー、皮肉か。人のバイクをスクラップにした癖になんでテーブルマナーはできてるんだ、的なことを言っているのか? 

 だとしたら耳が痛い話で、目も当てられない事実だから黙るしかない。と、いうかこれ以外の選択肢って死ぬのではないだろうか、俺が。あのときだって人の話を聞こうとせず、問答無用で殴り殺そうとしてきたし。

 いや、謝った方がいいか。

 

「悪かったよ」

「......いや、褒めたつもりだったんだが。まぁ、いい。そうだな今日は引き上げるよう。彼女は眠ってしまったし、と」

 

 彼女は席を立ち、自分の上司を片手でヒョイっと担ぎ上げた。この世界の物理法則は理不尽が過ぎる。

 

「料金は私が払っておいとくからあとは二人で水入らず楽しんでくれ。ああ、それとクリープ」

「なんだ」

 

 思いもよらぬタイミングで名前を呼ばれて、反射的に返してしまう。

 

「......いや、今は間が悪いか。すまない、忘れてくれ」

 

 俺とクラウンの顔を交互に見たあと、勝手に一人頷きホシグマは帰ってしまった。あれ、なんか勘違いしてるだろ。

 

「なぁ、クリープ。あれ、勘違いしてないか?」

「奇遇だな、俺もそう思ってたところだ。ましてや奢るつもりが奢られてしまった」

 

 そんなことを聞いて、クスリと笑ったクラウン。ふーむ。まぁ、うん。楽しそうで何よりだ。

 

「ところでさ、あの人が例のアルハラ? って人?」

「......ああ。本人に絶対言うなよ。面倒なことになるから」

「あー、うん。頑張るよ。チェンさんに怒られそうだし」

 

 クラウンは少々やつれた顔つきで、ため息と共に吐いた。

 ......クラウン、多分だがお前も誤解してるぞ? ま、面白そうだから黙っておくか。

 

 残ったスープをいっきに飲み干す。先程とは違って完全に冷たいスープは、何とも言えない物足りなさがあった。

 もっと食事に集中しとけばこんなことにならなかったのだが、これも悪くない。なにより、クラウンも少しだけではあるが良くなってるはず。ほんと少しで、微々たるものだがこの調子なら、きっと――――

 

「大丈夫かクリープ? さっきから上の空っていうか......」

「ああ、問題ないから大丈夫だ。さて、速く帰ろうか」

 

 ジェイに一言、美味しかったと伝え店を後にした。

 二人で夜道を歩くのは中々に新鮮で、少なくとも彼女意外と経験したことは無かった。

 

「クリープ、本当に大丈夫か? なんかいつもより変だぞ」

「ん? そんなにか......」

 

 そんな会話に和みながら、一瞬だけ天を仰ぐ。

 夜空には何時もとなんら変わらない星がポツポツと。

 

 ただ、今だけは。

 

 今だけはどうしても美しいと感じられなかった。

 

 それは何気ない日常の方が価値があると感じたのか、それともクラウンや人魚の様に美しい彼女のお陰なのか......

 

 

 

 なんて、考えすぎかな。

 ところでクラウン、俺お前のラーメン一口貰ってないんだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 安息の地に古臭い木造建築の居酒屋が慎ましく佇んでいた。店内に入れば、真正面にカウンター席があり、奥の方にテーブル席といった奇想天外な構造。そんな店の主人は黄色いエプロンを身につけていて、中性的な美しくて儚げな顔立ち。

 後ろにある酒棚を一人で甲斐甲斐しく整理していた。

 

「ん? ああ、お帰り。どうだった?」

 

 戦争から自分の子供が帰還してきた、というような声は店主最大の労い言葉。

 

「へぇ~、なるほどなるほど。やっぱり、いきなり表に立てたりしたら駄目だったかぁ~」

 

 返事が無いのに一方的に話つづける店主。

 

「ふーん。そっか。いや、悪くない成果だね」

 

 もし、この店に他の客がいれば肉体的に、生理的に、本能的に、脱兎の如く駆けて出してぼや騒ぎになっていただろう。

 まっとうな客が居れば、という前提だが。

 

 店主が話していた相手の格好は重装備で紛うことなき歴戦の傭兵。ただ首から上にある筈のものが無く、血が出ているであろう場所は黒い何かが充満していた。

 店主はそんな発声器官が無い相手、動いていいはずの無いものと会話しつづけ、店主は死体であるはずのものから無線機を受け取る。

 

『『――――――』』

「わかった、わかった。その話はもういいから。魔がさしたんだよ、魔が。さっ、帰った帰った」

 

 店主が手をたたけば目の前の死体は『風』のアーツを纏って、空間に消えてく。

 

「でも、そうだなぁ~。うん」

 

 店主は一人呟く。それが面白いと、言わんばかりに。

  

 だが、感情は感じられない。人格があるのか分からない。本当に面白いと思ってるのかも。探究心なのかも。

 

 この光景を一度見てしまえば、正気ではいられない。

 

 酔った客はまず自分の譫妄を疑うだろ。いや、この店主が酔っているのかもしれない。

 

「やっぱり君は面白いよ。ほんと、つくづく思うよ。運命のいたずらは僕でも予想できない。いや、この場合は万物の創造主というべきかな」

 

 本人に自覚なんて無く、人格なんてなく、ただただ楽しそうに独り踊っていた。

 

 

 

 この世界に存在し無い安息の都市『カルコサ』にて、黄色の襤褸布は独り歓喜し永劫に踊った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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にちじょう

 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 最後の方に重要なご報告があるので目を通して貰えるありがたいです。


一幕上がる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 龍門の夜の帳が上がり始めた頃。

 裏通りにある事務所の外では輩が立っていた。

 空気はひりつき、翳っている。あたり一面を氷河のような冷たさが五メートルの距離を空けて対峙している二人を起点として漂ってゆく。

 

 一人は青い髪の龍。己の得物を腰に携え、くっきりとした赤の双眼で目の前の黒を射抜いていた。

 一方で黒は前が開いたトレンチコートのポッケに手を忍ばせて、龍のことをただただ覇気の無い瞳で見つめていた。

 そしてぐったりと地面の上に寝転んだ緋色の狼が一匹。どちらがこの沈黙を破るのか、遠巻きから静かに見守っていた。

 

「いくぞ......」

 

 ただ龍がそう呟いただけで、寒気は飛散し、沈黙を保っていた空間が震えあがる。

 

「斬!」

 

 突発に抜刀され、黒へ紅い一閃。それは一秒にすら満たない音を置き去りにする迅速の一撃。大抵の武器は防御不可能。

 

 

 紅い死が黒に迫る。

 

 

           彼は表情を崩さない。

 

 

 いよいよ紅い刃先が黒に届く。

 

        

      それでも尚彼の瞳は変わらない。

 

 

 切っ先が彼を捉えるまで残り数センチ。

 

 

 ――黒は漸く表情を崩した。

 

 彼女の一撃を黒い瞳で見据える。紅い死はもはや目前。避けようの無い理不尽。

 

 そんな理不尽は呆気なく終わった。彼女の赤霄は黒を穿つことなく、虚しく空を切る。

 

 それは最初からそこに居なかったように、まるで夢のように黒は忽然と姿を消した。彼女が横に顔を向ければ澄まし顔の彼が居た。

 

 たった数秒の戯れを眺めていたクラウンは喉を鳴らし、クリープは彼女達に気づかれないように胸を撫で下ろす。

 

「また、か」

 

 チェンはそう呟いてから、赤霄を乱暴に鞘へ納刀した。

 

「......そりゃ、当たったら死ぬからな。死ぬ気で避けるさ」

「何時からそんな冗談が得意になったんだ?」

 

 クリープが放った言葉にチェンは噛み付く。赤霄の訓練とはいえ、彼女にとっては本気に近い一撃。それを掠り傷一つ無く避けた男が吐いた言葉に切歯扼腕(せっしやくわん)するのも仕方の無いこと。

 彼女は一旦冷静になってから、眉間が深いままクリープにすまないと詫びた。彼女自身が訓練を頼み込んでる身として自覚していたからだろう。

 

「いや、別に気にしてないさ。俺の方こそ悪かった」

 

 クリープは普段の覇気のない目で答えた。そんな様子に彼女の眉間は更に深まる。唐突と相手の眉間が断崖絶壁のように割れれば誰だって気になる。クリープも例外ではなかった。

 

「どうした?」

「......いや、なんでもない。なんでもないんだ」

 

 チェンはばつが悪そうに口を閉ざした。

 

 

 

 チェンにとって、クリープは苦手な存在であった。

 奇人、変人、才人、友人、狂人......。

 

 彼女の人生経験の中でどのカテゴリーの人種にも属さないのがクリープだった。何を考えているのか分からないし、感情があるのかも定かではない。明確に分かっていることはウェイ長官や灰色のリン、かつて自分の上司だった人が一目を置いているということだけ。

 

 ――そんな人間もいる、掴みどころの無い人間

 ――不思議な人だから、浮世離れした人間

 

 と、周りと同じように一蹴してしまえば事は足りる。簡単なことだが、そんなことは彼女には出来なった。

 考えれば考えるほど、底なしの沼に嵌っていくような感覚。

 一時期、そんな状態に日々を悶々と過ごして来た彼女として、そんな結論に納得できなかったのだ。

 

 ――何ともいえない、言い表しがたい存在。

 

 それが彼女の抱いた、彼女の途中式。法則性が無くて、型破り。どんな公式にも当てはまらず、解を導き出せない人間。

 結局のところ周りと同じような結論になり、クリープそのものが深淵のような存在に固定化され、苦手になったのだ。

 それ以来彼女の脳裏には苦手意識と、深淵のような黒い瞳がはっきりと焼き付いた。

 

 

 そんな苦手な相手と対峙してるわけで、彼女は煩悩を切り捨てられていなかった。いつもの彼女ならそんな事態には陥らないが相手が悪い。

 彼女は頭を左右に振り、自分の両頬を容赦なく叩いた。

 

 ――人が切り捨てられないなら、煩悩が切り捨てられないなら、打ち消してしまえばいい。

 

 そんな安直な考え、もといい師の教えを実行した彼女の頬には薄紅色の手形がくっきり付く。

 彼女は目を瞑り、静かに息を吐いた。

 白い息は天に昇らず、地に流れて雲散霧消(うんさんむしょう)した。

 準備が整い、彼女は再び黒を射抜く。

 

「クリープ、これで最後にしよう」

「.........ああ、そうだな。最後には良いかも知れない」

 

 両者の赤と黒の視線は交差する。

 

 龍にとっては師以上の巨大な川。そしていずれは乗り越えなければならない壁。

 

 黒にとっては何が何でも避けなければならない。だがいずれは――――

 

 

「クリープ、彼女は強いか?」

 

 龍の突拍子の無い質問が黒の身を硬直させた。龍はその隙を狙うわけでもなく、己の得物に手をかけたままだった。

 黒はその様子に眉を顰めながらも、「彼女とは」と言葉を返した。

 

「クラウンのことだ」

 

 その一言に黙り込んだ黒は暫くして、口を開いた。

 

「強いぞ、この業界にはもったいないくらいだ」

「そうか」

 

 龍は微笑み、遠くにぐったりと寝込んだ狼に視線をちらりと瞳を移した。

 視線を黒に戻し、龍は静かに剣を抜いて構える。

 

「行くぞ!」

 

 朝の陽は彼女達を照らし出し、それぞれを色染めた。

 

「閃!」

 

 紅い一撃が龍門裏通りに放たれた――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 簡素な事務所には独りパソコンを打ち続ける者がいた。覇気の無いだらしない座り方でモニターと睨めっこ。時折目を細めたり見開いたり、なにやら忙しそうに手を躍動させていた。やがて、キリが良くなったのかパソコンの手を止め一息。

 

「ふぅぃ~。あー、あ」

 

 おっさんのような声を出しながら伸びをしている姿は、到底二十台後半には見えない。彼はそのまま腰を数度たたき、覚束無い足取りでキッチンに向かった。

 

「あー、チェンの奴本気でやりやがって......覚えとけよ」

 

 彼はそんなことをほざいているが事の発端はクリープの因果応報である。

 

 一つ、彼が非通知の電話に出てしまいチェンの頼みを聞いてしまったこと。

 二つ、ウェイ長官からも密かにお願いをされてしまったこと。

 三つ、クラウンとの朝の鍛錬に被せたこと。

 四つ、禄でもない交友関係。

 五つ、原作を憶えていない......。

 

 彼自身の問題を挙げればキリがなく、もはやどうしようもない。そもそも一般人の手に負えない世界にきてしまった時点で彼はなるようにしかならない。

 そんなどうしようもない彼は冷蔵庫に掛かっていたエプロンを身につけ、料理を始めようとした矢先ーー

 

 ーーガチャ

 

 事務所の玄関から音が聞こえた。彼はつけていたエプロンを投げて早足で玄関に向かう。

 

「――ああ、お帰りクラウン。買い出しを任せて悪かったな」

「いやいや、流石にそれくらいやんないと。俺の場合クリープの家に住まわせてもらってるわけだか

ら」

 

 両手に袋を持ったクラウンが帰ってきたようだ。

 

「おい、私の事は無視か」

 

 凛とした声が事務所に木霊し、クラウンの背後からひょっこりとチェンが顔を出す。眉間の皺を寄せて、いかにも不機嫌と言いたそうに。

 

「.........ありがとう」

「......ああ」

 

 クリープは渋々ながらも礼を言う。

 買出し自体はチェンが勝手に志願したこと。クリープは「仕事は?」等と聞いてやんわりと断ろうとした。が、チェンは頑なに譲らず押しに押されてクリープはクラウンとチェンの会話という急流に流され登りきれず、今の状況に至った。

 

 近衛局特別隊隊長が買出しをしてくれる。

 

 そんな状況にクリープの内心は複雑だった。ましてやウェイ長官の愛弟子。

 彼女が使う大半の技はウェイ長官直伝一撃必殺。クリープには碌な思い出が無く、裏路地でひたすらあの技を繰り出し、惨い反響音は耳に残っていた。

 

 そんなトラウマ、もといハッスル既婚者のせいで、同じ技を使うチェンを恐怖の象徴として彼の記憶に上書きされた。

 とはいえ頼みを聞き入れたのは彼自身。

 

「えっと、クリープ」

 

 クラウンが控えめに声を掛ける。こういった時、彼女は大抵お願い事をする時だ。

 

「......どうした、クラウン?」

 

 それを察してか、クリープの声は少し震えていた。それは本当に僅かで、彼女達には気がつけないクリープの悲鳴だった。

 

「よかったらさ、チェンと一緒にお昼を食べたいっと思って、駄目かな?」

 

「「.........えっ」」

 

 クラウンが言ったことに対して奇しくも声が被った龍と黒。

 

 

 

 この場で間違いなく一番振り回されているクリープは、この後一人追加分の食材求め近場の店に駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事務所にポツンと取り残された私と彼女。

 彼が居なくなった後の事務所には静寂が訪れ、玄関から見える簡素な事務所は虚しく感じた。

 

「取り敢えず、荷物を片付けてお茶でも飲むか?」

 

 クラウンの方から沈黙を破り、気まずい空気が払拭される。

 

「本当に私が家に上がっても良いのか?」

 

 罪悪感を抱き、私が質問してしまうような形で答えてしまった。本当ならば彼女に聞いても意味が無いとわかっているのにも拘らず、聞くべき相手には食材確保に走らせてしまった始末。クリープという存在に教えを乞うておきながら買出しさせているという事実が無ければこんなことを考えずに終わった筈なのに。

 

「ああ、俺から誘ったのに嫌だなんて言わないさ」

 

 まるでこの状況が楽しいといわんばかりに彼女は微笑みながら口ずさんだ。彼女と私の仲は可もなく不可もなく、顔見知りのようなもの。

 

「なぁ......いや何でもない」

 

 一体全体何が楽しいというのか。そんな疑念は勝手に湧き上がったが言葉を呑む。今の状態で聞いても可笑しな空気になるだけ。

 彼女が楽しいならそれでいいのだろう。私の様子に一瞬頭を捻らせたクラウンは少し間を空けて声を掛けてくる。

 

「先に椅子に座って待っててくれ。お湯を沸かしたりするから」

「いや、手伝う」

「いいよ椅子でくつろいでくれて、今はお客さんなんだからゆっくりしててくれ。俺はクリープじゃないし、っと」

 

 彼女は奥のキッチンと思わしき空間に入り、身の丈以上の位置にある棚から何かを取り出した。

 彼女の姿を視界の端に捉えながら、来客用と思わしきソファーに身を預ける。ひんやりとした素材が肌に触れ、熱くなった身体に水を打ったように心が落ち着く。

 

「ふぅー、座り心地が良いな」

 

 呟いた一言。その一言に彼女は返事を寄越してくれた。

 

「だろー、その椅子良い奴でさ。クリープが知人用に買った奴なんだよ」

「そうなのか」

 

 それは......意外、というわけでもないか。

 

「うん。ただ全然使ってくれないから来客用になったらしいけど」

 

 足音が段々と此方に寄って来る。やがて緋色の絹糸が再び私の視界に写った。

 

「はい、粗茶ですが」

「ありがとう」

 

 目の前に置かれた湯飲みを取り、少しだけ飲む。

 豊かな香りは身に染み渡る。

 

「これ、本当に粗茶って言っていいのか?」

「えっと、一回だけ言ってみたかったんだよ。そんなセリフを」

 

 少し恥ずかしそうに頭を掻く彼女。クリープと彼女の鍛錬を見た後だと戦闘狂じゃない一面に面を食らった。彼女は私の様子を気にすることなく話を続ける。

 

「今までこんな風におもてなし?、って奴をやったことが無くて」

「私にやる前にクリープにすればいいじゃないか」

 

 私の提案に「うーんそれとは違うんだよなぁ~」と彼女は頭を横に振った。どうやらそういった問題ではないらしい。

 

「今回はクリープに仕返しも兼ねてるから......」

「なるほど、私は雪辱を晴らすために利用された、と」

「えっ、あ、違うから! それだけの理由で呼び止めた訳じゃないから!」

 

 眉を八の字にしながらあたふたと説明している姿にクスリとした笑いをついこぼしてしまった。ホシグマも私を弄ってくる時はこんな感じなのかもしれない。

 彼女は少しムッとしながらも事情を説明してくれる。

 

「クリープが前に知り合いを此処に招いたらしくて。丁度俺が住み馴れた頃なんだけど、知らないうちに夜な夜な招いたらしくて」

 

 やや強めな口調で会話に切り込む。

 

「それで仕返しとして私を呼んだのか?」

「はい。あと一緒に話してみたかっただけなんです」

 

 申し訳無さそうに語る彼女に少々罪悪感が湧く。

 健気な少女相手に私は何をしてるんだか。

 彼女に「気にしてないから大丈夫だと」伝え、話の続きを促す。暫く聞いていると何やら引っかかる点が一つ。どうやらその夜な夜な訪れている『知人』とやらは女性らしい。彼女が匂いで判別したそう......私は大丈夫だろうか? 汗臭くないよな?

 

「チェン? 話聞いてるか?」

「えっ、ああもちろん聞いてるとも」

 

 猛烈な不安に頭がトリップ仕掛けたが多分大丈夫。だから私の汗も大丈夫(?)。

 

 ――要点を纏めると夜な夜なクラウンが知らない間に『知人』を招いていて、幾ら聞いてもはぐらかされている。

 

 .........この問題、私が関わっても大丈夫か? 燃え盛る業火の中に半身浴なんて笑い事じゃない。

 

「なあ、顔色が青いけど大丈夫か?」

 

 大丈夫な訳が無い。どう考えたって......説明しにくい内容だし。

 

「ああ、大丈夫だ。大丈夫。問題しかない」

「えっ?」

 

 不味い。話題をそらさなくては(迫真)。

 

「取り敢えず、そうだな。彼にも事情があるのだからそっとしてあげると良い。意外な一面に少し驚いたが彼だって男。そういった火遊びの一つや二つしたくなるものさ。だから今ひたすら見守ってあげようじゃないか。なんなら私の方から声を掛けておこう。近衛局の地位があれば簡単なことだ。彼はこの都市にとって重要な人物だから――――」

 

「ちょ、ちょっと待った! 話が早いし支離滅裂だぞ、俺から言うのもなんだが一旦落ち着いて、な」

 

「「.........」」

 

 沈黙が場を支配する。

 

 やってしまった。

 顔が熱いのに体が凄く冷たいし、場も冷たい。私が片足突っ込んだのは業火ではなく永久凍土のようだ。

 

「その、すまない。熱くなりすぎた」

「いや、うん。突然のことでビックリしただけだからそんなに気に病まないでくれ」

 

 彼女の優しさで、何とかなった。

 はぁー。こんなことなら早々に引き上げるべきだった。私は口が上手い訳じゃない。こういったプライベートな話はいかんせん無理がある。

 

 ......そして何より、だ。この原因だって奴が根本にいる。

 

 やはり私は強靭な精神を持った龍より、虎のように噛み付いてくるアイツよりも、パラベラム・クリープがこの世で何よりも苦手だ。

 

 

 

 

 

 ――ガチャ

 

 玄関の扉が開く。

 

 

「ただいまー」

 

 覇気の無い、疲弊しきった声が事務所に木霊した。

 

 気まずい空間。思考中の最中。突然の出来事。

 

 龍門近衛局特別隊隊長は湯のみを手に取り、ゆっくりと立ち上がる。

 

 そしてノンモーションで湯飲みは彼女の手から勢い良く弾け飛んだ。

 

 放物線を描かず、一直線に。

 

 どうやら、赤霄の訓練は無駄ではなかったようだ。

 

 理不尽な鈍い音と狼の声にならない悲鳴が事務所を跳ねた。

 

 

 

 

 

 

「本当に申し訳ない。いくら()()だからといってさっきのはやり過ぎた。この通りだ」

 

 目の前で地に頭を垂れ、小さく背を丸めた近衛局隊長殿もといいピッチャーがいた。休日だからはしゃぎ過ぎたのだろう(頭打った後)。

 少なくともあの一撃は当時の彼女よりも強い一撃だった。どうやら彼女は赤霄ではなく、べつのものを持った休日の方が強いらしい(苦手な相手に限るが)。

 湯飲みを顔に当てられたんだ。これくらい怒っていいだろ。

 

「大丈夫だ。ただちょっと気を失っただけで料理は出来たし」

「ほっっとうに、申し訳ない!」

「うまかったか? 嫌いな奴の料理は」

「はい、大変美味しゅうございました!」

 

 素直に嫌いと言えるその度胸と馬鹿真面目な性格にはもはや感心だ。クラウンはキッチンから此方の様子を覗いてるらしく、時々目が合う。何故か申し訳無さそうに目を逸らされるが。

 

「そんな敬語使わなくていいぞ。似合わないから。それで、今日はもう帰るのか?」

「ああ、そろそろさすがにな」

 

 チェンはゆっくりと立ち上がり、クラウンに騒がせたなと一言述べた。食事では気まずかった様子だが、なんだかんだ上手くやってるらしい。

 さて。

 

「チェン。徒歩だが送り届けるぞ」

「は?」

 

 俺の一言に目を丸くする彼女。

 

「いやd」

「断れると思うなよ」

 

 自分の赤く腫れた顔を指しながら、彼女に睨みを利かせる。彼女は渋々ながらも頷いた。

 まぁ、これを理由にすれば付いていけるとは思っていたが此処まで効果的だとは思わなかった。っといけない。クラウンに声を掛けなければ。

 

「クラウン。すまないが留守番を頼む」

「ああ、分かった。チェン、また今度」

「またな」

 

 

 

 

 

 

 苦笑しながらも見送ってもらい、肌寒い風に赤みがかった顔を冷やしながら彼女の後ろを歩く。

 

「それで、どうして唐突に訓練なんて頼んできたんだ?」

 

 付いてきたのはこのため。理由聞かずに頼みを聞いた訳だが、それはウェイ長官の頼み(脅し)を受けたからだ。彼女自身が理由も無く頼んできたら訓練なんてやらないし、この件にウェイ長官が一枚噛んでると知れば彼女はウチに来なかっただろう。

 まぁ、脅しは自業自得で、アーの()()のため仕方なかったが――

 

「――普通の訓練なら、わざわざ赤霄を抜く必要は無いだろ」

「......事前にいった筈だ。赤霄の訓練がしたいと」

「それにしては、妙に焦ってイラついてたな。らしくない。それとも顔面に湯飲みを思いっきり投げられるような相手だったからか?」

 

 帰ってくるのは沈黙。この場所なら、人が少ないから大丈夫だろう。

 

「別に答えたくないなら良い。ただ今回の件ホシグマに伝えてないだろ」

 

 この一言に彼女は足を止めた。

 

「......近いうちにこの都市に『船』がくるんだ」

 

 船?

 

「製薬会社が来るらしい」

 

 はぁ。

 

「私達は龍門近衛局しト¥てク@が動?――――」

 

 彼女の話が入ってこない。

 知らない。そんな情報は聞いてないし、見つけられなかった。何より、この時期に来るとなると些か時期が悪い。

 茫茫たる記憶の底から知識を引っ張り出そうとするが、妙な胸騒ぎが邪魔で集中できなかった。

 

「おい、聞いてるのか?」

「――ああ、すまない少し考え事を」

 

 彼女はため息を吐き、呆れる様な目で見てくる。

 

「そんなんだから、クラウン心配されてるんだぞ」

 

 うーん。耳が痛い。

 

「今日は助かった。送るのはもう良いだろ?」

「ああ、すまないな」

 

 彼女は振り返らず手を振りながら、彼女の背中は烏合の衆に消えていった。

 自分も帰路について、独り歩く。

 

 気分は余り優れない。周りの風景がモノクロとなって流れてく。

 

 

 気がつけば事務所の前に立っていた。無機質な階段を登り事務所の中に入る。

 

「お帰り、クリープ。チェンの様子ははどうだった?」

「ん? そうだな。少し心配だがアイツなら大丈夫だろ。部下に恵まれてるし」

「そっか……ちょっと外を散歩してくるよ。日がくれるまでには帰ってくる」

 

 いってらしゃいと送り出して、独りパソコンの前に座る。

 画面を立ち上げて、独りで買出しに出たときにアーから送られてきた()()の解析結果を開いた。

 機械的な黒い羅列に目を通して最後の資料に目が止まる。

 

 

【該当データ無し】

 

【源石濃度不明】

 

【使用用途不明】

 

【成分不明】

 

 “追記”

 

サンプルからは事前情報のように源石の成分は検出できない。ありとあらゆる検査及び実験を行った“現状の科学をもってしても解析は不可”……特殊な方法を用いて処理する……。

 

 

 自分の知識、記憶が可笑しいのか。

 

 自分の整理の付かない頭を一旦落ち着かせる。

 

「どういうことなんだよ。これは」

 

 説明が付かない。スワイヤーにそれとなく確認を取ったが、彼女はそもそも俺のところに依頼をしていないらしい。

 

 ――ではあの日、電話の向こうで、話していたのは、一体誰なのか。

 

 ウェイ長官にこの事実はある程度伝えたが、良い結果になるか解らない。彼の話によれば彼の部下に、俺に依頼を出すように、と命令を出したとのこと。

 

「......駄目だな。専門家に頼るしかないのか?」

 

 一人だけ思い付く人物がいるが、これが『海』関連なのかと問われると微妙なところ。

 確信を持てず、あやふやなところが不気味で仕方ない。

 

 ーーそして何よりもーー

 

 画面に再び眼を向ける。

 

 黒く輝く粉末。画像のはずなのに嘲笑うかの如く蠢いている"ナニカ"。見る者を戦慄させ、此方を引き込もうとする魅力を放っていた。

 嫌悪感は感じないが、じっと見つめていると無性に憎たらしくなってくる。

 

 どうしようもない胸騒ぎを胸に押し込み、席を立つ。

 

「一から洗い直すしかない、か。()()()()()()()()()が来るかもしれないってのに全く」

 

 ……。どうしてこの時期なのか。頼むから大きな火種にならないでくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 感想の方でこの作品が他の作者様の書いた作品と似ているとのご指摘を受けました。私自身はその作品の存在を知らずに書き始めました。この作品自体のモデルや参考資料は確かにありますが、今回のご指摘を受けた作品を真似て作った訳ではありません。
 しかし、これは自分の知識の無さとオリジナリティの欠如したことが原因です。不快に感じた方々には深くお詫び申し上げます。

 今後この作品の創作活動は続けて行く予定です。過去作品の修正につきましては、この作品に関わる重要な文なので修正は考えておりません。
 もし、読者の方などで辞めて欲しいといった声が多ければ辞めることも考慮しています。遠慮なく感想欄などに書いてください。

 そして最後に。この作品の物語はまだ物語の序章に当たる部分です。リアルでは予定してなかった自体が起きてしまい、投稿頻度が落ちていますがなるべく早く丁寧に完結させ、評価させてもらえるような作品になればと思っています。

 長々と長文失礼しました。
 
 
 


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貴方の呼び声


 お久しぶりです。


――懺悔――

 

 

 

 

 

「あー駄目だ。思い出せないし、見つからない」

 

 目の前の積み上げた資料を一旦どかし、デスクトップのカレンダーを開く。

 

 チェンからもたらされた衝撃の事実、製薬会社がこの都市に来るということが分かってから七日目が過ぎようとしていた。

 

 あれからというものクラブの一件や、ロドス・アイランドについて洗ってみたものの、大した収穫が得られてない。しいて言うなら、自分の周りに無駄な紙の束が積み上がってくだけ。最初が肝心だってのに。ちょっとした今後の計画は立ててみたが……。

 

「どーだかなぁ」

 

 ロドス・アイランド、黒い粉末。前者は大歓迎だが問題は後者だ。『海』関連の知識は齧った程度だが、これが『海』関連に当てはまるのかすら不明。アビサルハンターの意見が聞きたいが連絡方法や名前だってほぼ知らない。

 

 じゃぁ、ペンギン急便に依頼しようかと連絡してみれば新しい契約を結んだらしくて断られ、灰色のリンさんは電話に出ない。ウェイ長官にと思ったが、スワイヤーに扮していたことを考えるとここで掛けてしまうのは愚策。アーツで声だけじゃなく見た目を変えられたら溜まったもんじゃない。纏めると、俺が疑心暗鬼に陥ってるのが現状。

 

 何よりもこんな状態で何かあった時に龍門防衛協定が機能するかどうか。龍門防衛協定はあくまで利益と目的が一致することによって足並みが揃う。逆に言えば、この口頭による約束は目的が一致しなければ何の役にもたたない。

 

 そんな状態で世界における重要な役割を持った箱舟がこの龍門に来る。龍門ではウェイ長官と俺を出し抜いた正体不明の存在と謎の黒い粉末があるときた。

 

 

 うん、危険な香りがプンプンするぞ。死亡フラグが幾つも立っている気がする。なんなら俺はもう詰んでるのかもしれない。

 

 直感的だがあの黒い粉末に関係してるかも知れない奴を野放しにするのは危険だ。

 

「はぁー。しかし、どうしたもんかねぇ」

 

 思わず吐き出してしまう程問題は深刻。

 

 いや、それよりもだ。

 頼れる仲間がいないとなると残りは......

 

「......」

 

 手を後に組んで天井の点に焦点を当てた。

 暫く熟考したが結局結論が出ず、奥の生活圏と事務所を区切る扉を見つめる。

 

「取り敢えず、手を動かすか」

 

 一人パソコンの光だけを頼りにした空間に秒針の音が響く。無機質で規則的な音は何時までも耳からこびり付いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冷たいベットに深くもぐり込んで、両手で自身を包む。

 

「俺って、役に立ってるのかな」

 

 返事が欲しい訳じゃないのに、勝手に口から吐き出てくる言葉。返ってくるのはがらんとした部屋の反響音だけ。

 

「クリープ、クリープ。どうしちゃったんだよ」

 

 自分をいっそう強く抱きしめ、瞳を強く閉じる。

 

 ここ一週間近くパソコンにかじりつき、良く分からない資料を積み上げて行く彼。最初はそういった仕事なんだろうと納得した。

 

 けど、けどさ。やっぱり、分からなくなる。

 

 手伝うって言っても任せてくれるのは殆ど家事とかで、彼が今行っている仕事には一切関わらせてくれないし、内容を一切教えてくれない。それは遠まわしに俺が使えないってコトを告げられてる訳で......。

 

 仕方ないってのは分かってる。今まで俺がクリープに任された事務処理なんかより難しいなんて一目瞭然。ましてや、ここ最近のピリピリとした空気を感じ取ればいやでも分かる。

 

 でも俺は、彼の社員で彼の道具だ。彼が動くなといえば動かないし、人を殺せといわれれば殺す。

 

 だから彼を、パラベラム・クリープを信じて......。

 

 そう、分かってる。分かってる筈なのに――――

 

 ――――モヤモヤとして、なんかイヤだ。

 

 彼を超えたいという願い。彼を殺せるほど強くなって隣に立ちたい気持ちは今でもある。ただそれと同時に彼の『知人』という存在を知ったときと同じような感覚にもとらわれる。

 

 これはたぶん感情の問題だ。ぐちゃぐちゃとして、今すぐ吐き出してしまいたい。

 でも、これは我侭であって、独善っていうやつだと思う。

 そう、独りよがり。だけど彼との約束は......。

 

 

 

「ハァー、スゥー」

 

 淀んだ空気を吐き出して、冷たい空気を肺に放り込む。

 

 自分の不安とモヤモヤは募ってくばかりで、頭がクリープのことで一杯。

 

 脳を揺らされるような感覚にあたまが――イタイ。

 

「クリープ」

 

 名前を呼ぶ。彼の名前を。

 

 呼んだってこないのに。何も解決なんてしないのに。そう分かってるのに。

 

 寒さに身体を震わせながら、瞳を閉じて意識を無理やり沈めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄暗い事務所にタイピング音が木霊する中、居住区を分かつ扉がゆらりと開く。

 

「おはよう......クリープ......何してるんだ」

「ん? ああ、ちょっとな。仕事だよ、仕事」

「一週間前からずっとその調子じゃないか」

 

 クラウンの視界には無造作に詰まれた資料の束とクリープがぼんやりと写った。崩れることを見越してか、束は幾つかに分けられ雑多に置かれている。

 

 肝心のクリープは資料片手にパソコンと奮闘中。後ろの朝日が差し込むであろう窓に重なるようしてキャスター付きの大きなホワイトボードが鎮座している。ボードには無機質な数列が規則的に交差し、黒い装飾がつらつらと綴られていた。

 

 薄暗い事務所に彼の顔が浮き上がって、時折細められる目を手の甲で擦っていた。

 

 彼の様子を視認したクラウンは尻尾を足の近くまで降ろした。

 

「......ちゃんと寝たのかよ」

 

 掠れたような声が事務所にポツリと浮んだ。

 

「あー。仮眠はとったぞ」

 

 クリープの返答に一旦間を置いてから、再びクラウンは彼に問いかける。

 

「それって仕事か?」

「......まぁ、そんなもんだな」

 

 クリープは彼女の顔が見えないまま反応を示し、デスクトップの画面を閉じた。二人はその場から一歩も動かず、口すら開かなくなった。

 

 冷たい事務室には秒針が刻む音だけ木霊する。

 

「ふぅー。実のところ、この勉強の方は丁度クラウンが起きて来た時に終わってだな。まぁ、まだやることがあるんだが――」

 

 暗い静寂を破ったクリープはそのまま言葉を紡ぐ。

 

「――手伝ってくれないか......クラウン」

 

 その一言に彼女は反応した。

 暗晦(あんかい)の中、クリープの方へと足音が近づく。

 

 一歩、一歩、また一歩......やがて、足音が止まる。

 

 大きなホワイトボードの後ろからは僅かに光が漏れ始め、彼の目の前に止まった存在を淡く炙り出した。

 

「おそいよ、ばか」

 

 声を震わせた彼女。彼は座ったまま彼女を見上げる。

 

 向き合った両者の下瞼には、こげ茶色の跡が浮かび上がっていた。

 

「それと、ごめん。クリープとの約束守れなくて」

 

 彼女の一言に彼は背中を丸めながら反応した。

 

「お前は謝んなくていいだろ。だから、すまないクラウン」

 

 彼の謝罪をしっかりと聞き届けた彼女は微笑む。 

 

「クリープ、俺を――」

「――俺を使いつぶしてくれ。今度こそ信じきって、約束を守りたいんだ。正直に伝えれるようになりたいんだ。アンタに俺の気持ち、いや私の気持ちを」

 

 彼女は彼の前に膝を就き、そして、

 

「だから、だからさ! 私を本当の意味で、あなたの相棒にしてください」

 

 零れる朝日に身を染めた純粋無垢な少女の告白(ほんしん)

 

 その姿は黒い瞳にしっかりと焼き付いた。

 

 

 

 

 クラウンに膝枕をねだられ、来客用のソファーで和むこと三十分。

 

 自身の膝の上で穏やかに眠るクラウン。緋色の髪を手でとかしてやればむず痒そうに頭の位置をずらして「ん」と、彼女が小さく喉を鳴らす。

 

 いかんいかん。危うく起こしてしまうところだった。

 

 一旦手を止め、片手で近くの資料を取り適当に眺める。至る所が黒く塗りつぶされ、殆ど読めない紙屑。    

 

 黒に溺れていた単語に自然と目が吸い寄せられる。

 

 

   ――“石棺”――

 

 

 あの粉末はこれ自体には関係ないはず。まぁ、製薬会社自体にも関係しないだろう。あんな負の遺産を利用しようなんてものなら、なにが起こるか分かったもんじゃない。せいぜいチェルノボーグが動力源として消費しつつげるか、あの仏頂面女医が活用するかのどちらか。美形のリーベリ少年も大丈夫だろう。

 

 思考をそこで終わらせ、資料を握り潰して遠くに投げる。放物線を描いた後、ホワイトボードに音を立ててぶつかった。

 

 あっ。しまった。

 

「う、んー。く、りーぷ?」

 

 耳を小刻みに動かしながら、目を何度も擦る彼女。さっきの物音が原因だとしたら、悪いことをしてしまった。

 

「あー。すまん、ちょっと落ち着かなくてだな」

「んーん、ちゃんとそばにいるか、なって」

 

 彼女は寝言のようにふわふわと呟いて、再び規則正しい呼吸を繰り返す。こういった姿は朝の鍛錬している時からは想像できないほど年相応で、豊かな表情をみしてくれた。

 

 少しずつ、少しずつだが彼女は前に進もうとしてる。

 

 それに比べて、俺ときたら。

 

「......ごめんな、クラウン」

 

 彼女の絹糸を掬い上げる。太陽のような暖かさとやわらかさが手に伝わって、

 

「ずっとは一緒に居られないんだ。俺もお前も」

 

 ゆっくりと指の隙間から零れ堕ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――淡い(あわ)夢を見た。

 

 ―――貴方(アンタ)(おれ)が出会う夢を。

 

 ―――。

 

 ―――あの暗闇(せかい)から(おれ)を見つけてくれた。

 

 ―――鼬雲(いたちぐも)が過ぎ去った満月の暮夜。

 

 ―――親身(しんみ)のように貴方(アンタ)(おれ)と笑って、語り合ってくれた。

 

 ―――テラという広くて小さな鳥かごのありふれた話。

 

 ―――傷んだ(おれ)孤独(こころ)を埋めてくれた貴方(アンタ)

 

 ―――毎晩思い出す、手が届かない貴方(アンタ)

 

 ―――酔狂な貴方(アンタ)に、感謝を込めて。

 

 ―――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、そろそろクラウンを起こさなければ。

 

「クラウン。クラウン」

 

 彼女の名前を呼ぶ。

 

「んっ。うん?」

「そろそろ、時間だからな」

 

 クラウンの目が細く開いた。まだハッキリとした意識が無いであろう彼女に今の状況と今後の準備を軽く伝える。時折、クラウンは複雑そうに顔を歪めたが構わず話を進めた。俺の膝上で彼女は数秒頭を捻らせてから「ありがとう」と述べて起き上がる。

 

 尻尾を揺らし、背伸びするクラウンの姿は心なしか動きが何時もより鈍い。恐らくソファーで寝ていたことで睡眠が浅かったのだろう。

 

 彼女の後ろ姿を暢気に眺めていると、急に此方に振り向いた。

 

「ごめんクリープ! 俺ばっかり寝ちゃって」

 

 ああ、そういう。

 

「そんな謝ること無いぞ。今回は俺の禊みたいなものだし、一応俺も仮眠は取れたからな」

「本当か?」

「ああ」

 

 それでもなお心配してくる彼女をてきとうに言いくるめ、話を一旦纏めることで解決。

 

 この後すぐに出かけるということを伝えれば「俺も一緒に行く」とクラウンは高らかに宣言したが......本人はまだ寝ぼけてるらしい。

 

「その格好でか?」

「へ? あっ」

 

 間抜けな声を出してから、自分の格好に気がついたようで急いで自分の部屋に駆け込んでいった。彼女の背中が見えなくなってから、座ったまま一息つく。

 

「――支度終わったぞ!!」

 

 勢い良く開け放たれた扉。何時もの不審者コーデで元気はつらつと飛び出してきたクラウン。いや、いくら何でも速過ぎない? 

 

 そんな疑問を口に出さず、慎重にソファーから立ち上がる。が、突然両足に奔った痛みに顔を顰めてしまう。

 

「クリープ? だ、大丈夫か!」

 

 焦燥とした様子で駆け寄ってきた。クラウンはそのまま有無を言わさず俺のことを抱きしめ、顔をのぞかせてくる。

 

 心配してくれているのは分かるが、ちょ、いたいいたい。両足がし、しまって――

 

「――ク、クラウン。離してくれないか? かえって痛いから。痺れたせいで」

「痺れた!? まさか心臓!すぐに医者を呼んでくるから「違う、両足が痺れたんだよ。お前の枕になってただろ!」」

 

 俺の抗議に「へ?」と腑抜けた声を出したクラウン。フードの隙間から見える肌色が赤みががる。徐々に締め付けていた力が弱くなった。彼女の腕を解いてからゆっくりとソファーに座って今度こそ一息。

 

「えっと、ごめん。早とちりだった」

 

 背中を小さくしながら、頬を染めて視線を合わせてくれない。なんだか、こんな反省の仕方をされるのは新鮮だな。

 

「別に気にしてないから、大丈夫だ」

「ほ、本当か」

 

 俯いてた顔をあげて、しおらしく聞いてくる。

 

「ああ。本当だ」

「じゃ、じゃあ、また膝枕してくれるか?」

「しない」

「えッ゛」

 

 先程の表情とは打って変わって、青みががっていく顔。そんなところが面白くて、ついつい頬が緩んでしまう。

 

「ハハ。冗談だから、そんな顔をするなって」

「う、うぅぅ。からかったこと、忘れないからな」

 

 うなり声に喉を震わせながら、またもや頬を赤くして此方を睨む少女。しかし、彼女は突然此方に近づいてくる。それはそれは、まるでスキップを踏みながら鼻歌を歌うかのように尻尾を揺らしながら――

 

「――クリープ。今、動けないよなぁ。だって、両足が痺れてるんだから」 

 

 あっ。やりすぎたかもしれない。

 そう悟った時にはすでに遅かった。

 

「待て。何する気だ?」

 

 ソファの横へ横へと逃げていくが、彼女はジリジリと詰め寄ってくる。

 

「なにって、そりゃーねぇ。それじゃ」

 

 とびっきりの笑顔で俺の脚に飛んでくる。

 

「ば、ばっか、やめろ!」

 

 力に関しては彼女の方が圧倒的。何とか引き剥がそうと、ソファーの上で試行錯誤したが最終的に押さえつけられる。俺の上にまたがったという事実に優越感があるのか彼女の顔は歪んでいた。いや、こんな状態で膝枕しなきゃいけないの?

 

「いいじゃんいいじゃん。減るもんじゃないし」

「おい、そのセリフどこで覚えてきた」

「ホシグマさん」

 

 あのアルハラ! 健気な少女になんてことを!

 

「それじゃ、いただきます」

 

 彼女は両手を合わせた。普段の食事の時に極東の文化として教えてたが覚えてたらしい。いや、違うそうじゃない。そんなことを内心思ったって、目の前の狼は止まらない。

 

 あ、あ、あ。

 

「ああああぁあぁあっぁ」

 

 

 

 

 

 

 今にも息切れしそうな状態で自分の椅子に腰を掛ける。そんな俺に対して、ソファーの上でご機嫌に尻尾を揺らすクラウン。先程の膝枕で納得してくれたようで、何よりだ。彼女自身も楽しめたようだし、まぁ、ああいった馬鹿騒ぎは悪い気はしない。

 

「クリープ」

 

 彼女の呼び声。まだあどけなさを感じさせる音色。

 

「どうかしたか」

「ううん。呼んでみただけ」

 

 そう呟き、ソファーの上で見つめてくる。彼女はさも楽しそうに顔を綻ばせる。彼女の弾けたような笑顔はいつもよりも眩しく感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◆ 

 

 

 お・ま・け(読まなくても本編には大して影響しません)

 

 

 

 

 龍門中心にある高層ビルの一室。煌びやかとした装飾が施され、天井には大きなシャングリラが爛々と光を放つが、漂う煙に揺らめいていた。そんな豪華な室内に独り足を組んで座っている男が独り。美しいオレンジと白い髪の毛をたらし、炎色の角を生やした姿はまさに龍。がっしりとした体格は見る者を畏怖させる。

 

 この都市の執政者、ウェイ・イェンウー長官はキセルを吹かし一面ガラスから龍門を一望していた。暫くすると、大きな扉からはコンコンと小さくノックオンが伝わる。

 

「ウェイ長官。少し宜しいでしょうか?」

 

 扉の向こうから聞こえた声に「構わんと」ウェイ長官が述べた。扉が開くと声の主が入ってきた。

 

 全身を灰色の布で覆っており、右肩から左腰に掛けて黒い直線が走ったデザイン。頭部には布と同じ色に染められた低円錐形の笠を被っていた。

 

 灰色の人物は椅子に座らず微動だにしない。灰色は一分経った頃に口を開き、ウェイ長官に話しかける。

 

「ウェイ長官、準備が整いました」

「ご苦労」

 

 その一言を聞くと、灰色はウェイ長官の隣にある机まで移動する。灰色は机の前に到着すると、一つのノートパソコンを置いた。

 

「しかし、良かったのですか? いくら何でもパラベラム・クリープの事務所を盗聴するなんて......」

 

 灰色の述べた事実はウェイ長官も良く理解していた。それすなわち、下手したら龍門全域を巻き込んだ大乱闘になることだと。

 

「今のような状況だ。出来ることはすべてやる」

「そう、ですね」

 

 灰色は口を噤み、ウェイ長官はパソコンに手を動かす。

 

「それにだ。フミヅキが居ない今が、絶好のチャンスだ」

「はい?」

 

 ウェイ長官の覚悟を聞いて、口を噤んで居たはずの灰色は思わず声を漏らす。そんな様子を気にせず、灰色の上司は語る。

 

「フミヅキがいる前でやろうものなら、ひっぱ叩かれてしまうが――「ウェイ長官」なんだ」

「先日、噂話になっていたのですがチェン隊長の部屋から盗聴器が見つかったらしいです」

 

「「.........」」

 

 今度はウェイ長官が手を止め、黙る番であった。

 煌びやかな部屋には気まずい沈黙が訪れる。

 

「そうか」

 

 ウェイ長官の一言で会話は終わる。ウェイ長官はそのままパソコンから音声を再生した。

 

 

 “――クリープ。今、動けないよなぁ。だって、両足が痺れてるんだから”

 

 部屋には少女の声がハッキリと反響した。

 

 “――待て。何する気だ?”

 

 そして、クリープの声も大きく反響する。

 

 “――なにって、そりゃーねぇ。それじゃ”

 “――ば、ばっか、やめろ!”

 

 ウェイ長官は目を見開き、灰色は微動だにしない。いや、正しくは激しい眩暈に堪えているだけである。

 

 “――いいじゃんいいじゃん。減るもんじゃないし”

 

 余りにもテンプレな少女のセリフはこの場に居る二人を勘違いさせるには十分だった。

 

 “――おい、そのセリフどこで覚えてきた”

 “――ホシグマさん”

 

 出てきた名前に灰色は天井を仰ぎ、ウェイ長官は画面に食らい付く。

 

 “――それじゃ、いただきます”

 “――ああああぁあぁあっぁ”

 

 ウェイ長官はそこで再生をストップし、灰色に話す。

 

「この場で起こったことは全て忘れろ。分かったな?」

 

 そういってウェイ長官は睨みを効かせ灰色に釘を刺す。が――

 

「――いくら何でも、無理があるかと......」

「そうか」

 

 再び沈黙の訪れた部屋。龍はキセルを吹かし、灰色はこの仕事やめようかと本気で考えた。

 

 

 



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探索者達

 

 

 

 

 

 

 コートを羽織らず、ワイシャツの袖を捲り、車内の点検を黙々とこなすクリープ。彼が行っている点検は、先程からタイヤやエンジン周辺機器を確かめている単純作業であった。最終確認を終えて、車を見つめながらため息を一つ。免許を持たずにこれを運転しなきゃならないと考えると中々憚られるものだ。

 丁度その時だ。錆びた金属の音と共に車庫の扉が開く。開け放たれた扉から入ってきた陽差しが宙に舞う埃を照らしだす。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             

 

「クリープ!」

 

 閉鎖されていた空間に大きな声が反響した。黒いパーカ、黒いズボンそして黒い布で口元を隠した彼女。パーカーが開いている部分からは白いティーシャツが見えている。

 彼女は近づいてきて「ほら!」と車の鍵を投げてきた。その鍵を受け取ったクリープは手を振ってクラウンに近づき声を掛ける。

 

「車の点検は終わったぞ。十四時には出発する」

「りょうかーい」

 

 意気揚々と返事した彼女の姿にクリープは違和感を覚えた。彼自身の記憶では彼女が高級感漂うものが苦手といった申告を記憶している。それはこの車も例外ではない。今の彼女からはしかし、そんな様子は覗えない。さっきの膝枕のお陰だろうかと一瞬考えてみたものの自分で否定する。クラウンは純粋ではあるが、それほど単純ではない。

 

「どうした、まだ足が痺れてるのか?」

 

 下から顔を覗き込んで来たクラウンにクリープは先程の違和感を彼女に尋ねる。それを聞いた途端、彼女は「あ~」と反応して片手でフードを深く被りこむ。ちょっとした好奇心で表情の見えない彼女に言いたくないかと問えば首を横に振るう。やがて、頭を掻きながらフードをずらした彼女。

 

「慣れたって言ったら嘘だけど、うん。強いて言うなら膝枕のお陰かな」

 

 尻尾を揺らしながら緋色の眼差しを向けてきた。普段滅多に見えない肌色の耳は、心なしか赤みがかったように見える。

 

「そうか」

 

 クリープは反射的に膝枕にそんな効果ないだろと思ったが相槌を打って誤魔化した。

 

「うん。それだけ」

 

 まぁ、本人が楽しそうだから良いかと結論づけ、後部座席に置いといたトレンチコートーに袖を通す。一旦事務所に戻ろうとするが、コートのポケットが震えた。最初はこれといって気にしてなかったが、仕事の案件だろうかと思い至ったクリープは携帯を取り出す。

 ホーム画面表示された一件のメッセージ。差出人は近衛局のチェン隊長から。このタイミングで連絡が来るなど微塵とも思っていなかったクリープ。スワイヤーの一軒を含め、連絡を見るか迷ったが万が一のこともあるのでざっと目を通す。

 見馴れた文章に何とも言えない感情を抱きながら画面を閉じた。信頼できる情報であることは確実だが、内容が内容だ。どうしたものかと思案するが、とにかく、動かないことには始まらないと判断して車のエンジン掛ける。

 

「クラウン、悪いが計画変更だ。今すぐ出発するぞ」

「分かった。それでどこに行くんだ?」

「近衛局だ」

 

 車庫のシャッタ―を開いた。室内と変わらない明るさの外に違和感を感じ、空を仰ぐ。太陽は出ているが曇天が広がり、影が段々と大きくなりつつあった。空を睨んでみたものの、今は悠長にしてはいられない。

 運転席に乗り込み、クラウンがシートベルトを締めたことを確認してから車を出す。流れていく景色を目尻に、微かに手を震わせながら運転すること十五分。都心部をこえて、古い軒並みの通りに差し掛かった時だ。クラウンが「近衛局は信用できないとかいってなかったか」と切り出してきた。メールの内容を知らない彼女にとっては当然の疑問だろう。メールの内容を一部伏せて簡潔に伝える。

 

「まぁ、知り合いを迎えにいくのさ。詳細は本人から聞いてくれ。ああ、それとなるべく会話以外のことはしないで欲しい」

「つまり、手を出すなってコト?」

「今回の件は完全に俺が悪いからな。ただ、俺が視線を送り続けた時は臨機応変に対応してくれ」

 

 今回の件について一応、他人に勝手に話していいものではないことを補足しておいた。なるべく前回の二の舞にならぬようクラウンに注意を払いながら。クリープの言葉から何を察したかは分からないが、クラウンは「ふーん、注文が多いな」なんて淡白な反応であった。ミラー越しに一瞬だけ彼女の顔を覗うが、これといった変化は分からなかった。ただ、余りの無反応に返って落ち着かない。十字路に差し掛かった所で赤信号に引っかかりブレーキを踏む。反動で車内が揺られると同時に横からボソリ。

 声が聞こえた。ハッキリと聞き取れなかったが、クラウンの声で間違いはない。彼女に何か言ったかと聞いてみたものの何でもないの一点張りで笑うばかり。彼女自身が言いたくないのであれば、それで構わない。逆にそこまで誤魔化したいことなど聞きたくない、というのがクリープの本音だが。前に向き直ると赤が青に変わった。アクセルを踏み込んで直進する。

 古かった軒並みはチラホラとビルや飲食店に変わり、目的地が見えてきた。近くにある馴染み深い駐車場に車を止め、携帯を取り出す。時刻を確認したクリープは車から降り、正面口を目指す。後からのクラウンの足音に耳を傾けて歩いていると、正面口から小さな人影が見えた。

 

「クリープ、あの小さなコータスか?」

「ああ」

 

 歩調を速め、項垂れている彼女に声を掛けた。

 

「久しぶりだなロープ」

「っえ、クリープ?」

 

 コータス特有の細長いウサギ耳が飛び跳ね、ぼさぼさな紫色の髪が揺れる。初対面の時の反応よりは幾分かましだろう。ただこの反応をしかし、信用と捉えるべきかと複雑な心境になったクリープ。取り敢えず、このまま入り口で駄弁るのは良くないだろうと判断し、ロープを駐車場まで連れて行く。

 

「それで、ボクに何のようって、うしろの人は誰?」

 

 やや不機嫌な様子だった小柄なロープは、視線をずらした。後ろにいたクラウンが前に出てくる。

 

「始めまして。俺はクラウン。クラウンスレイヤー。クリープの所で住み込みで働いてるんだ」

「......へぇー。ボクはロープ。ロープって呼んで」

 

 初対面にしては二人の相性は悪くはなさそうである。二人の会話が終わった頃を見計らって、クリープは今回、此処まで来た理由を語る。途中までロープは一切反応を示さなかったが、話が終わるとゆっくりと寄って来る。

 

「ふーん。ボクを迎えに来た訳ね。そっか、そっか。でも、どこに送ってくれるの。また新しい住み込みバイト?」

「あー。そうだな」

 

 痛いところを突かれたクリープ。実際、そこは問題視していた。今までロープに住み込みのバイト先を紹介してきたことがあったが、長く続いたためしがない。今回もそうだ。それはロープの悪癖と感染者であることが関係しているだろうが、一番の原因はロープのスラム街で生きてきたとは思えない性格が原因だろう。

 ロープを受け入れて、かつ住み込みが出来る職場。そしてロープが配慮しなくても良いような存在がいるところ。クリープが知っている限りそんな確実な場所は一つしかない。だが、避けておきたい手段でもあるが、人手不足なのも事実。そう結論づけたクリープは横にいるクラウンに目をやる。

 

「えっと、どうかしたか?」

 

 眉を八の字にするのも仕方ない。こんな状況で見つめられれば誰だって困惑する。

 すまないクラウン。密かに心で詫びたクリープはわざとらしく言葉を吐く。

 

「いや、そういえば家の事務所が広いくせして二人だけだと寂しいと感じてな。しかもこれから忙しくなるときた。どう思うクラウン?」

 

 クリープの唐突なパスにたどたどしくも、相槌を打ってくれる。ここでクリープは自分の口角を自然と上げた。これで彼女の同意を得られたようなもの。後は勢いと覚悟だけだ。

 

「よし、ロープ。しばらく家で働け」

「は? なんで?」

 

 突拍子のない提案はロープの巧言令色とした態度を剥がすには十分だったようだ。だが、どこか納得がいかないのか彼女は問い詰めてくる。

 

「あの時は私が頼み込んでも、雇ってくれなかったのに。人が足りないってなったら手のひらを返すんだね」

 

 棘のある一言は正しくその通り。どんな理由があろうとも彼女を突っぱねた事実は間違いないのだから。自分の責任であるのは明白だ。 クリープは腰をかがめ、ロープに目線を合わせた。

 

「すまない」

 

 謝罪の一言。それだけで許されるようなことでもないと、重々承知している。

 

「「「…………」」」

 

 三者三様の沈黙。重くて、深い沈黙だ。

 

「その、ごめん」

 

 以外にも、ロープからも謝罪の言葉が出てきたことに面を食らう。クリープ自体、殴られたり罵倒の一つや二つは覚悟の上で言ったことだ。にも拘らず、ロープが逆に小さくなり、謝る始末。恐らくだがクラウンも予想だにしてなかっただろう。その証拠に目の前に出てきて、あわあわとしている。

 

「その、ね。本当のことを言うなら嫉妬しちゃったんだよね。本当はさ、クリープが僕を雇えない理由があるって、薄々分かってたんだよ。ハハハ。バカだよね、ボク。自分で想像してたより、ボクって弱いんだから」

 

 乾いた笑いにただ無言で見つめ返すことしか出来ないクリープ。クラウンにいたっては視界の端で微動だにせず立っていた。

 

「いいの? ボクを雇って。きっと色んな物がなくなって困らせるよ。そんなボクでも、君達の空間に、一緒にいてもいいの?」

 

 罪の告白。声を震わせ、目の前の存在が俯きながらも訴えかけてきた。ロープの訴えにクリープは答えない。その代わりに、端で佇んでいたクラウンに視線を投げた。クラウンは微動だにしない。それでもクリープは視線を送る。クラウンは無理だといわんばかりに頭を横に激しく振るう。諦めないクリープはなお視線を送る。クラウンは眉を引きつらせながらも、ロープに近付いていった。一瞬だけこちらに振り返り、恨めしそうな表情を見せたが。

 

「えっと、俺は全然構わないよ。その点に関してはきっとクリープも一緒だと思う。だから、大丈夫だよ」

「ほんと?」

 

 ロープの湿った瞳がクリープに向けられた。その瞳には一体どんな思いが秘められているか。汲み取ることはできない。だが、大人としてこれくらいはやらなければ格好がつかない。

 

「ああ、約束しよう。むしろ、お前こそ良いのか。こんな()()()に手を貸して」

 

 ロープは可笑しそうに笑う。表情を見る限り、ロープを雇わなかった理由は彼女自身、本当に理解していたらしい。

 

「うん。仕方ないから、力を貸してあげる」

 

 馴染みのある駐車場にて、目の前のロープがニヒルな笑みを浮かべた。目元はさすりながらも、大胆不敵に宣下する。その姿は正に我が道を進まんとする小悪党だ。

 

 

 

 

 

 

 

 一旦、ロープに話をつけ、車の後部座席で待ってて貰うことにした。理由は簡単。目の前の彼女に謝罪をするためである。最近、謝り過ぎて自分の謝罪が軽くなってきた気もするが。クラウンと共に駐車場を離れ、人影が一つも見当たらない場所で口を開こうとしたが、彼女はそれを抑止してきた。

 

「別にクリープは謝らなくて良いよ。だって俺は、相棒だから。ただ、あれはちょっと露骨過ぎて困ったぞ」

「いや、良く言うだろ。何事にも経験が必要だって」

 

 クラウンは「そうだけどさぁ」なんてことを腕を組みながら不満げに漏らす。クリープ自身、これっぽちも悪気を感じてない訳では無い。それはこの場を利用したロープにも、無茶振りを出したクラウンにもである。今であればクラウンがお詫びに膝枕を要求してきたとしても、難なく応じるほどには。ただ、どうしてもクラウンに伝えたいことがある。

 

「クラウン。今朝の答えをまだ言ってなかったな。相棒になりたい、それは大変結構なことだ」

 

 彼女の反応を見ていると、耳が小刻みに震え、尻尾が彼女の足の間に納まる。そう、最初はそれで構わない。誰だって怖いものはある。

 

「......ただ、視野を広く持て。俺の相棒としてじゃなくて、クラウンスレイヤーとしての視点じゃなくてお前自身の視点だ。当たり前だが世界は広い。いろんな背景があって、いろんな人物がいる」

「うん」

「井の中の蛙大海を知らず、されど空の深さを知る。俺の恩人の言葉だ」

 

 彼女は頭を傾げながら、クリープの言葉を反復していた。どうやら意味は知らないらしい。

 

「ならその視野をもてた時、俺は――」

「ああ、好きなようになのって好きにすれば良いさ。思ったよりもこの世界は美しいことが腐るほどある」

「そ、それも良いけど、俺は真の相棒なんだろ!」

 

 相棒をやたらと誇張しながら、しっかり不満点を述べてくる発言。これもクラウン、いや、彼女との信頼関係を築けている証拠だろう。取り敢えず相棒ということに関しては同意を返すクリープ。それに満足したのか、クラウンは車の方へ歩いて行く。その少し大きくなった後姿を目に留める。

 毎日毎日、鍛錬で殺さんとばかりに首を狙ってくる彼女。最初の頃はあんなにも冷静沈着だったのに、嬉しいことがあるとすぐに尻尾を振るう感情豊かになった彼女。ドジな彼女。妙に感の鋭い彼女。そして――

 

「――()()()()()()、ね」

 

 感傷に浸っていた脳を叩き起こす。肉体は精神に引っ張られるというが、これ程だとは思いもよらなかった。

 

「ん? なにか言った?」

「いや、何でもない」

 

 小さく呟いたつもりの言葉に反応したクラウン。そんな彼女の背中を捉えながら、歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車に乗り込んだ後、事務所に戻った。本来なら、このままリー探偵事務所に行こうと考えていたクリープ。ただ、ロープがこのごろ野宿で過ごしていたことが明らかになり、食事を用意して急遽シャワーを浴びさせる事に。そこまでは良かったのだが......。

 

「あ~あたまが、ぼーっとする」

 

 来客用ソファーに寝込み、うわ言のように同じ言葉を繰り返すロープ。両頬を赤く高揚させ、ニヘラとした表情。風呂に浸かっただけでこれほど幸福そうな顔でのぼせた奴はそうそう居ないだろう。

 その近くでひたすら団扇を扇ぎつづけているクラウン。目の前の状況に頭を抱えながらも、携帯を手に取り、アーに電話を掛ける。自分の椅子から動くのも面倒だ。

 

「もしもし、クリープだ」

「もしもしぃ。お久しぶりですねぇ~。クリープさん」

 

 電話の向こうから聞こえた声はアーではない。胡乱とした独特な喋り。思わず電話を切ってしまう。近くにいたクラウンがもう終わったのか、と声を掛けてきた。いいやと答えれば不思議そうに頭を傾げつつも、扇ぐのを辞めない。

 しかし、なんでアーの電話から彼が出てきたのか。今彼は龍門に居ない筈。今のは間違いなくアーの電話番号であった。そんな思考を遮るように携帯が震える。再び手に取り、耳を傾けた。

 

「ちょっと、ちょっと! 何でいきなり切るんですかぁ。掛けてきたのはそちらでしょう」

「すまない。驚いたんだ。アーの携帯のはずなのに詐欺師みたいな奴の声がして咄嗟に、な」

 

 電話の向こうからはわざとらしく嘆息をついた音がした。嘆息をつきたいのはこっちの方だ。気軽に友人に電話を掛けたつもりが、龍門の裏ボスが電話に出るなんて厄日に違いない。ちょっとした眩暈で椅子から落ちそうになるところだった。

 

「それで、ウチのアーにご用件は、なんてさすがに聞きませんがね。あいつは今、大怪我して休養中ですから」

「怪我か?」

 

「そう、怪我」と短く応じた彼。その言葉にクリープの背筋が力む。詳しい説明を求めたが、電話の向こうからは沈黙が帰ってくるばかり――

 

「いや~アイツから口止めされてまして。なんでも“今回のことを話したらクリープの旦那が気に病んじまうから”って」

 

 打って変わって軽い口調で唐突に言葉を返してきた。それは実質答えを言っているのとなんら変わりない。つまるところ、黒い粉末が関与していて巻き込んでしまったのだろう。胸に渦巻く気持ち悪い感覚を押し込め、脆弱な人差し指でデスクを小突く。

 

「......それで、本人の様態は」

「ワイフーとウンがつきっきりで見てますからぁ。ぼちぼちですよ。とまぁ、それはさて置き、本題に入りましょう」

 

 雰囲気をガラッと変えた声音にクリープは胃を傷めながらも携帯から手を離さない。どんな理由で帰って来たのかは分からないが、彼がこの町に居ることは自体は僥倖である。博学才穎で戦闘能力を有している彼なら、この件に巻き込んだとしても問題はない。少しでも信頼できる人手が欲しいところ。そして何より、

 

「ご用件は何でしょうか、パラベラム・クリープさん」

「実は書類の整「おおっといけない。なんだか急に頭痛が」冗談だよ、冗談。本人だっていう確認は取れたから後で依頼を伝える。あくまで、個人的に依頼をしたいんだ」

 

 彼に何者かが化けたとしても容易に見分けがつく。料理以外の私生活に無頓着で馴染みのある彼であれば。最悪、リー探偵事務所の方に乗り込めば直ぐに分かる。

 

「はぁ? はあ。構いませんよ、ウチのガキに怪我させた奴の顔を拝んでみたいですからぁ。とまぁ、そんな話しをしてる間に着いたんですけどねぇ」

 

 

 思いもよらぬ一言に虚ろを衝かれたクリープは言葉を詰まらせる。一体何処に着いたというのか。その答えは直ぐに分かった。

 事務所の扉が音を立てずに開く。一際目に付くのは龍のような大きな尻尾の先に着いた尾鰭。それを器用に動かしながら黒いブーツで事務所に踏み込んできた。

 

「いやぁー、相変わらずだだっ広い事務所ですねぇ~。あら、なんだか噂に聞いてたよりも娘さん、増えてません?」

 

 左肩に銀の龍が刺繍された黒のコートをはためかせ、慣れた様子で歩み寄ってくる。

 

「おおっと、まずは自己紹介。いつもガキが世話になってます。リー探偵事務所所長のリーです。アーに変わって今回、特別に、パラベラムさんのためにお力添えしましょう。貸し、一つですよ?」

 

 帽子の縁を人差し指で押し上げ、この都市きっての探偵は気だるそうに嗤った。

 

 

 

 

 

 

 

 



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名状しがたきもの

 

 

 

 

 

 ズズっと、音立てて一杯。来客用のソファーに座った探偵。もといリーはうちの茶を飲みながら片手に持った資料をひらひらと遊んで机の上に置いた。

 

「いやー、何ですかねぇ、これは。少なくとも炎国関連ではないでしょう、が......黒い粉末、ですか」

 

 リーはそこで言葉を止めて、もう一度資料を手に取った。机の両脇にはロープとクラウンがいて、二人とも例の資料をリーの横から覗く形になっている。ロープに関しては資料を見るやいなや険悪感を露にして、顔を逸らす。クラウンには事前に説明していたこともあってか、反応はまぁまぁと言った感じ。まぁ、クラウンは初見の時も平気そうな顔だった。裏社会に身を浸してるだけあってか、そういった方面での精神面は随一だからなぁ。なんていうか、将来が心配になってくる。そんな思い込めてクラウンに視線を送る。クラウンは気がついたようで頭を傾げながら「どうした」と聞いてくる。なんでもないと伝え、リーに話を戻した。

 

「これが杞憂だって言えたら楽なんですけどねぇ。パラベラムさんが一杯食わされて、アーは黒い粉末の臨床試験中に事故。しかも、最近は物騒でチェルノボーグ事件なんて起こりましたし」

 

 そうぼやいたリーに頷き返す。ウェイ長官も出し抜かれ、検査が原因とはいえアーにも被害が来てる訳で――待て、チェルノボーグ? なんでチェルノボーグが出てくる。

 

「チェルノボーグ事件? なにそれ」

 

 俺の気持ちを代弁するかのようにロープがリーに問いかけた。

 

「あれ、ご存知ないですか。ここ最近でっかい天災があってですね。なんでもチェルノボーグに直撃したとか。ほら、窓から見えますけど天災の余波で太陽が見えないでしょ」

 

 リーが指した先には最近補修工事を行った窓。時々、気まぐれの客が必ず入って来て帰るときに傷がつく。その向こうには何十にも重なった灰色の鼬雲。ああ、だから暗かったのか。

 

「それにチェルノボーグからの移民で――――」

 

 いや、それよりもだ。なんなんだこの既視感は。ロドスアイランドにチェルノボーグ、龍門。そして天災。

 

 少しだけ、頭が痛くなる。針を縫ったような痛み。血液の流れが速くなったのか頭が熱い。

 

 やがて、自分の頭で巡っていた単語が衝突した。脳天に雷が落ちたような錯覚に目の前がひっくり返る。

 

 

 

 

『……。』

 

『ドクター……。』

 

『……手を……。』

 

『私……を……!』

 

『私の手を握って!!』

 

 

 

 

 

「おーい、クリープ?」

 

 目の前を向く。いつも通りの簡素な事務所。リーにロープ。そして俺の名前を呼んだクラウン。

 

「すまない、ちょっと自分だけの世界に入ってた」

「自分だけの世界ってなんだよ」

 

 間髪いれずに突っ込みを飛ばしてくれたクラウン。彼女の様子に胸を撫で下ろす。

 

「クラウン。少し確かめたいことができた。十分したら戻って来るから、それまで頼む」

「え、クリープ!」

 

 リーやロープに会釈して早々と事務所を出て歩き出す。今見た光景を整理したい。あれは俺がスマホを通して見ていたアークナイツのはず。定かではないが、少しだけ思い出した。

 ああ、なぜ今頃なんだ。もっと速く思い出したかった。『ドクター』という単語。いや、プレイヤーといった方が自分にはしっくりくる。ロドスアイランドが、主軸だと考えていたがこの世界の視点は『ドクター』だ。完全に失念していた。そして製薬会社が龍門に訪れるのだからには当然『ドクター』がセット。そこに黒い粉末と龍門を混ぜる。

 

 なんだこのねるねるねるね。一番から三番までの粉が、死亡フラグしかないぞ。どうなってやがる。もっと希望に溢れてたって良いじゃないかアークナイツ。ほのぼのねるねるねるね回してる絵面の方が絶対良いって。殺伐とした戦場に独り放り込まれるおいぼれを優しくしてくれよ。

 

 こんなの不味いに決まってる。というか、それ以前にドクターに会って大丈夫だろうか。対面すると変な影響が出たりしないか? そもそもこれは原作がーー

 

 濁流のように溢れだした不安。止めどない情報量が頭を駆け巡る。

 

「落ち着け、落ち着けよ。ここで焦ったてなにも変わらないだろ」

 

 赤子をあやす要領で自分に言い聞かせた。

 この世界は間違いなく存在している。

 俺という異質がいてもちゃんと回っている。

 つまりだ。

 俺はこの世界に存在しているちっぽけな一人。

 ほら、何も心配なんていらない。いつも通りに過ごして、仕事のようにやるべきことをこなせばいいだけだ。そう、いつものように。

 

「よし。戻るか」

 

 深く考えることをやめ、来た道を戻る。どうやら随分遠くに来てしまったらしい。人間、思いにふけて歩くと案外…………いや、何処だここ。小路が複雑に絡み合った中世風の軒並み。やや古びているものの青色に照らされ、あまりの静けさが不気味な空間。疑問を抱き、見上げた。灰色の雲は見えず、代わりに見えるは無数の星。どこか見覚えのある場所。

 なんだろう。これ認知症の初期症状なのか。いや、普通に帰らせてくれませんか? なんなのこの世界。いい加減休ませてくれませんかね。さっきの悩みが吹飛んだあげく、俺自身が良く分からんところに吹飛ぶとかどうなってんのアークナイツ。 

 悩んでも仕方が無いのでよくよく目を凝らすと、軒並みの壁に黄色いマークが見える。はてなを三つ集めたような奇妙な印。それは一つだけではない。まるで道標のように一軒一軒の壁に記されている。辿るべきか迷ったが、動かないことには何も変わらない。

 印を辿って、右に、左に。

 印を辿って、下に、上に。

 印を辿って、奥に、さらに奥深く。

 暫くすると、古い木造建築が目に入る。看板を見れば、飲み屋のようなものである事が分かる。見覚えがある。軽い扉を開く。店内は薄暗く、いきなりカウンターのお出迎え。テーブル席は奥に配置されている構造。

 

「いらっしゃい。“また”、会えたね。しかし、君は随分と迷いやすいね。いい加減自分の『視点』に気がついた方がいいと思うよ?」

 

 中性的な声が聴こえ、黄色いエプロンが見えた。

 

「っと、そんなことよりようこそ、カルコサへ。前はしなかった自己紹介を。僕の名前はハワード・オーガスト・カーター。親しみを込められ、ハスターって呼ばれてるよ。よかったら黄金の蜂蜜酒とチーズでしゃれこむかい?」

 

 儚げな雰囲気をまとった、目の前の存在が可笑しそうに、闇に囁いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クリープ、大丈夫かな」

 

 思わず呟いた言葉に二人が反応する。

 

「パラベラムさんなら大丈夫でしょう」

「うんうん。しぶといもん。だから落ち着こうよ。クラウン」

 

 達観したように言い放つリーに同意するようにロープが頭を縦に振る。なんだろう、ロープは良いとしてリーの奴はなんか胡散臭い。失礼だろうけど、探偵と言うより詐欺師の方が合ってる気がする。

 

「まぁ、そうだけどさ......」

 

 取りあえず同意を返す。でも、やっぱり心配だ。リーの話の途中、何だか様子が変だったし。それにリーの話からすると今の龍門は相当危険な感じだ。ぼんやりと目の前を見つめていると突然リーが立ち上がって手を叩いた。

 

「よし。どうせ暇ですし、茶でも飲みながら雑談しましょう。ここで親睦を深めておいた方が良いでしょうし。どうですお二方」

「そりゃ、そうだけど」

「ボクも賛成だけどさぁ~」

 

 隣に座ったロープと頷き合い、リーの顔を見上げた。うん。やっぱりだ。

 

「なんですか、なんですかぁ。お二方だけ仲良くなっちゃって。私はのけ者ですか」

「「いや、リーが言うと胡散臭いな、と」」

 

 見事にハもった。やっぱりロープもそう思うよな。なんていうか仕草一つ一つが胡散臭い。これが個性だっていうなら凄い苦労してそうだ。

 

「辛辣ですねぇ。最近の若い娘は」

 

 とほほとでも言いたげなリーはソファーに座って、窓を眺め始めた。そういえば、この人、妙にクリープと親しげだったけど昔からの知り合いなのだろうか。なんか急に昔のクリープの人付き合いがヤバイ様な気がする。なんていうか、クリープって変な人を寄せ付ける掃除機みたいだな。俺もそれに引き寄せられた口だけども。

 テーブルの上に置かれたお茶を手に取り一口飲む。深緑色の液体が暖かい。ん、待てよ。もしかしたら。

 

「そういえば、リーってクリープの過去とか知ってたりする? 俺は龍門に来てからの話しかしらなくて」

 

 興味本位で質問を投げた。

 

「ええ、知ってますよ。そうですねぇ。龍門に来てから以外ってなると噂くらいですが、聞きます?」

 

 意外なことに隣のロープも食い気味で聞きたいと言った。へぇー。ロープも知らないのか。まぁ、クリープって自分の過去を語らないし、本当に存在してるのかって噂されたくらいだからなぁ。これからの話にちょっと期待しながら湯飲みを手に取る。

 

「まずはパラベラムさんのちょっとした噂から。元国際重要指名手配犯だったらしいですよ」

「えっ」

 

 いきなりで飛び出してきた物騒な単語に声を漏らし、茶で膝が濡れた。隣のロープは顔を引きつらせながら「な、なにそれ」と一言。たしかに。そんな情報本人から聞いたこと一切無いし調べても出てこなかった。というか、国際重要指名手配犯って。

 

「裏の奴らが騒ぎ立ててるだけで本当かどうかは分かりませんよ。ただ、そこに面白い説がありまして。彼の名前の由来がそこから来てる可能性が高いということ。クリープやキングといった単語はお二方耳に挟んだことはあるでしょう?」

「う、うん。ただ、ボクはクリープの二つ名に詳しい訳じゃないから。クラウンはどうなの? 同じ屋根の下で眠ってるなら何か知ってそうだけど......」

 

 ロープの純粋な疑問に腕を組んで考える。私自身、クリープのことは直接聞いたことはあったけどはぐらかされたし、それに七年前のアイツが何をやっていたなんて知らない。取りあえず、二つ名が多いことは知ってるけど。

 

「ああ。いくつもあるのは知ってるけど、ちょっと良いか? そもそも国際重要指名手配犯ってなんだよ」

 

 リーは湯飲みを取って一口啜った。あまりにも美味しそうに飲む姿に一瞬呆けてしまう。

 

「実は私もそんなに詳しくないんです。なにせそんなことになってる人物は彼一人ですから。ただ有力な話はありますよ。各国が彼を欲しかった、言い直せば彼を自国に取り入れたかった、と巷間では有名でした。それでそこまで大事にしたのではないかと。今はパラベラムさんもなりを潜めて、過去の産物になりましたが」

 

 ニッコリと笑い、湯飲みを置く。その中身に小さく写っていた自分の顔が揺れた。

 

「話を戻すと、彼の二つ名には一つだけ意味が分からない単語が出てくるんですよ。キングは分かります。クリープも忍び寄るといった意味が当てはまりますから。そういった幾千の中から普段使われてるにもかかわらず意味が不明な単語があるでしょ? そお、パラベラム。これだけが分かってない。故にパラベラムという単語が指名手配中に何かしらの経緯で生まれ、彼に送られたのではないかと言われてます」

「そう言われてみれば確かに。けれど何の意味も無いなんてオチかもしれないんだろ。所詮は噂だろ?」

 

 俺の言葉にただ頷き返してきたリー。そんな彼の顔をまじまじと見つめてからパラベラムについて考える。さっきは自分でも意味が無い、噂と切り捨てたが......。ふと、クリープの一言を思い出す。

 

『――――俺の恩人の言葉だ』

 

 関係、してるか? もしかして例の『知人』かな。

 

「なぁ。クリープが言ってたんだけどクリープの恩人って知ってるか?」

 

 横のロープは首を横に振り、リーは顎に手をついた。うーん。やっぱり知らないか。まぁ当たり前か。俺だって一言聞いただけで実際いるのか調べた訳じゃないし。一旦自分の好奇心を放り投げ、時計を見る。十分などとっくに過ぎていた。珍しい、クリープが時間通りに帰ってこないなんて。ポケットから携帯を出してソファーを立つ。

 

「どうしたの?」

「クリープに電話を掛けるんだよ」

 

 ロープの問いかけに答え、うちの事務所で唯一新品と同じ輝きを保った窓枠に寄りかかる。何だか、俺から連絡取るの新鮮だな。いつも傍に居るし。そう思いながら電話に耳を傾ける。あれ? もう一度掛け直す。回線が繫がらない。電話に出ないのではなく、繫がらない。コールすらならない。電源が切れたのか? 

 寄りかかるのをやめて、外を眺めながら携帯を耳に当てる。灰色の雲は薄く、どんどん遠ざかって縮小していく。代わりに、空は真っ青に染まっていた。太陽の自己主張が激しくてうっとうしい。

 

「大丈夫かな、クリープ」

 

 思わず漏らした一言。窓枠を強く握り締めて外を睨む。いつもの明るい龍門を奇妙に感じながら。私はクリープの事を考え続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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遭遇

 

 

 

 

「おや、どうやら黄金蜂蜜酒と自家製チーズは御所望ではないようだね。此処は飲み屋なんだけど、まあいいや。ほら。座ると良いさ」

 

 何をされるか分からない。一抹の不安に自身の腰に携えた得物を確認する。石のように硬直した足で一歩踏出す。目の前の存在、ハスターと名乗った店主がケラケラとした笑いを上げ、カウンター席へと手招いてきた。

 

「いやいや、そこまで緊張しなくても良いじゃないか。君と僕の仲だろ? ほら、もっと友人の家に訪ねるみたいに。うぇるかむ、うぇるかむ」

 

 大げさに両手を広げ、ショーットカットの髪を揺らしたハスター。正直なところ近寄りたくない。生理的に無理だ。具体的に述べるなら、時折その手がタコ足のように波打っているのが無理だ。最初は認知症の初期症状だと目を逸らしていたが、あんなぬるぬる動かれてるとリアルだと突きつけられているようで目が離せない。

 

「違うよ違う違う。ここは現実なんかじゃないし、ましてや夢や二次元でもない。『カルコサ』だよ」

「――――」

 

 コイツ、俺の心を読んでるのか? というかカルコサってイベリアにあるところだよな。

 

「残念。またハズレ。君が分かりやすいだけだよ。それよりほら、速く座っておくれよ。何時までたっても話が出来やしない」

 

 なら、腕をしまってくれ。そのちらつくタコ足を。取りあえず、目の前の座ったことのある椅子に腰を降ろす。これでいいのか、という意味をこめてハスターに視線を送れば笑顔で頷かれた。すると、ハスターはおもむろに後から木製のジョッキを出して、俺の目の前に置く。

 

「こちら、当店の黄金――」

 

 いや、飲まないから。前に会った時みたいに営業モードで接客されたって無理がある。主にその触手が。

 

「ジョークだよ、ジョーク。ハスタージョーク。良い響きだろ?」

 

 ああ。そうだな。そこらに売ってる良く分からん酒のブランドみたいでいいと思うぞ。

 

「うわーびっくりするくらいてきとうだー」

 

 こちらが一言も発していないというのに会話が成立している摩訶不思議な状態。しかし、どうしたものか。目の前の存在がだいたいどういった系統に属してるのかは分かったのだが、どんな理由で俺の前にいるのかが一切が不明瞭。ましてや、昔に一度会ったことのあって触手関連となると真っ黒くろすけもどきが思いあたる。まさか、コイツが親玉なのか? あっ、そういえばこれって全部通じてるんだよな。

 

「うん?」

 

 ハスターが首を傾げ、顎に手を当て始めた。

 

「......まっ、いっか。良かったら喋ってくれると助かるんだけど」

 

 良かった。全部は通じてないようだ。

 

「そうか、それで用件はなんだ?」

 

 こんな場所に長居したくないので用件を催促させる。幸い、向こうも会話する気があるようで「そうだね」と返してくれた。だが、それと同時に雰囲気が変わる。もともと冷たい印象だった木造建築は更に冷え、隙間風がより強く吹き抜けてくる。木壁が古いせいか風の音に伴いラップ音まで聞こえてくる。いや、そもそもだ。此処の建物はそんなに古かっただろうか? いくら何でもこれは可笑しい。ただならぬ現象に席から飛び立とうとすると、今までの現象が嘘のように収まった。そして、ハスターが口を開く。

 

「用件は、うん。君が死ぬって事を伝えようと思ってね」

 

 平然といいのけ、再び笑顔になったハスター……。どうしよう。正直、そんな予感がしていたせいか反応できない。だろうねと同意を返すことしか出来ないぞ。

 

「いやー、君は意外と焦らないんだね。もっとてんやわんやしてくれるかと期待してたんだけど」

 

 ついさっき激しい眩暈に苦しみながら、悶えたからね。ああ、これが『アークナイツ』かって。おかげでちょいちょい思い出してきてはいるが。ロバ娘だの、後悔求人だの、ガチャだの、ブラックだの……あれ、なんか違う気がする。どっちにしろこの知識全く使い物にならないのでは?  

 

「おーい、自分だけの世界に入らないでおくれ」

 

 鼻と鼻がくっつくほど近づいてきたハスター。きらきらと輝く瞳はまるで星空のよう。わぁ~綺麗、じゃないんだよ。目の前の存在から距離を取るため後に飛ぶ。

 

「なにすんだ、鼻が汚れるだろうが」

「え~、そこ気にする? でもこれで親睦は深められたかな」

 

 還って物理的距離と共に遠くなったよ。どんな感性してるんだ。だが、当の本人は何処吹く風といった様子。本気で仲良くなったと思ってるのだろうか。一瞬本気でナイフを出すべきか迷ったが堪えた。

 目の前の存在はわざわざ俺に死ぬことを伝えてきたような可笑しな奴だ。信用云々はさて置き、ハスターの言ってることが事実であるならば、俺は間違いなく何らかの形で死ぬのだろう。死因は何だろうか。今まで散々人を殺してきたのだから復讐で殺されたりするのが妥当のような気がする。ちょっとした興味本位で聞いてみる。

 

「死因? 落下死だけど」

 

 えぇぇ。なんでぇ? 

 

「さて、結論を伝えたけどさっそく本題に入ろう。君は自覚してるかい?」

「何を」

「直接は教えられないよ。君自身が気がつかなきゃ何の意味も無い。もちろん、それは君の死因、そして黒い粉末とも密接に関係してることだよ」

 

 俺が? 海の漂流物を拾うように自分の脳を総動員したが思い当たる節が見当たらない。強いてあげるなら、自分が異物である事位だろうか。それ以外は……。俺が難航していると、またもやハスターがケラケラとした笑い声を上げた。ひとしきり笑った後、何を満足したのかヒントをくれた。

 

「君、存外頭が固いなぁ。ほら、僕が最初に言っていただろ?」

「『視点』か?」

 

 俺が答えれば、奴は頷きながら此方に向かってくる。まるでレットカーペットを踏むかのように、華々しく、優雅に。

 

「君はさ、なんで都合良く生き残ってると思う?」

「君はさ、なんでそんなに感情的じゃないんだい?」

「君にさ、独りでも心の底から共感してくれた人はいたかい?」

「君にさ、殺された人は君になんと言っていたか覚えてるかい?」

 

 それは歌や詩のように聴こえた。美しくはないし、感動することは何ひとつない。ただ淡々呟かれる言葉はまるで感情が籠ってない。聞いてる身としては国語の教科書を読んでいるような気分だ。このまま眠ってしまおうかとも考えてしまう。

 

「パラベラム・クリープ、君は一体何者なんだい?」

 

 下から覗き込んで来たハスター。もはや人間の姿さえ保っていない。触手が頬を愛おしそうに撫でてきて、襟元からスーツの中に入ってくる。水っぽい音が室内に木霊して、耳から侵食されるような感覚と吐息が吹きかけられること何度も繰り返された。ぞわぞわとした感覚が背筋を駆け巡り、奴の肌からどろりとした何かが肌に絡み付いて完全に身動きが取れなくなる。

 ああ、もしかしてさっきの歌のようなクソつまらない言葉はお経だったのかもしれない。だったら納得できる。そんなものを聴いて愉快になるなら相当の変わり者。せいぜい目の前にいるコイツ位だろう。

 さて、目の前の現実、もとい『カルコサ』から目が逸らせないので仕方なく質問の答えを探る。一体何者なのか。そんなことを問われたって、せいぜい本名の二つしか思い浮かばん。しかも、関係なさそうだし。と、なるとだ。俺の最後の遺言は必然的に知らんになってしまう。焦る思考に空回りで言うことを聞かない身体。唯一落ち着いてる心理で導きだした回答は――

 

「――触手プレイは勘弁してください(知らん)」

 

 目の前の視界が覆われた。やわらかくて、ぶよぶよとした感触。だがそれも直ぐに終わる。纏わりついた触手が全て離れて、視界が開けた。僅かに粘りけのある液体を振り払い、自分の得物がちゃんとあるか確認を行う。

 

「はぁー。君さぁ、ほっっっとうに、そういうところだぜ。せっかく分からせてあげようと思ったのにさぁ」

「何しようとしたんだよ」

「なにって脳クチュだけど」

 

 なんだよ、脳クチュって。奇妙な言葉に身の毛がよだつ。肝心のハスターは人間の姿で、机に置いてあったジョッキの縁を人差し指でなぞっていた。よくもまぁ人の服を汚しといて意気揚々なことで。此方の視線に気がつくと、にやけた顔で話しかけてくる。

 

「人間は走馬灯を見るって聞いてたけど、まさか君がねぇ~」

「走馬灯?」

「ありゃ。それも自覚がないのかい。君も無自覚に一途だねぇ」

「はぁ。それより、俺の死因とか黒い粉末の話はどうなったんだ」

「君の死因は大丈夫そうだ。君自身が()を結んでるみたいだし。君が覚悟をもって挑めば黒い粉末も何とかなるよ。君の前じゃ、どんな出来事も現象も、ましてや自分の事でさえ些事で笑い話だろ?」

 

 つまり、杞憂で終わると? うん。なんだか、肩の荷が降りたというか。いや、その情報もほどほど程度に信じるのが一番か。二回しか会った事のない奴の情報を信じるなんて正気の沙汰じゃないし。

 

「あーそれと君が爆破してくれた店は僕のだから気にしなくていいよ。そこに黒い粉末が紛れてたから君に踊っ……失礼、嚙んだよ。協力して欲しかっただけだから。ほら、ここの付近から動けないんだよ、僕」

 

 あの店で一体何してたんだか。碌な事じゃないだろうから聞きはしないが。

 

「ん? ライト層の信者を増やそうとしてただけだよ。ハハハッ。爆破されたけど」

 

 聴かなかったことにしとこ。いそいそと自分のコートを脱ぎ、右肩に掛ける。しっとりとした生暖かさが、冷たい風と相まって気持ちが悪い。そういえば、此処は一応酒場だよな。何でもいいから、酒を飲みたい気分だ。カウンターに近づき、置かれてたジョッキを手に取る。そして迷わず流し込む。蜂蜜の香りと良く分からない苦味。むせ上がるような甘みが口を占拠し、少しだけ潮のような香りがした気がする。

 

「これ、やめといた方がいいぞ」

 

 ジョッキを押し付けて、店を出ようとドアに手をかけたが、奴に呼び止められる。

 

「良かったらさ、うちで働――「断る」――そうかい。ああ、あと君はなるべく接触しない方が――」

 

 これ以上とどまってるとさすがに時間が……。今度こそ、扉を開けて外に出る。自分の周りが霧で包まれ、徐々に視界が霞みがかって暗転した。

 

 

 

 

 

 気がつけば見慣れた裏通り。スーツに湿った感触はないが、口の中が甘ったるい。空はすっかり暗くなり、まん丸とした月が曇天からちらほらと顔を覗かせていた。

 一息胸を撫で下ろすのも束の間。現実世界のやるべきことを思いだし、ポケットに入っていた携帯を取り出し画面を開く。そこに表示された着信履歴は十二軒。いずれもクラウンから。なんだろう。俺が悪いんだろうけど、ちょっと怖い。まぁ、仕方ない。

 

「もしもし」

「よ、よかったぁぁぁ。心配したんだぞ!」

 

 あまりのうるささに耳から携帯を離す。取り敢えず、てきとうに誤魔化してやり過ごしながら、互いの状況確認を終えた。

 

「あ、そういえばあの胡散臭いリーって奴が言ってたぞ。なんでもロドス・アイランド?「ねぇねぇ、クラウン! このお菓子凄く美味しいよ!」ああ、カステラっていうらしいぞ。あー、ごめんとにかく外部検疫所に来るらしい。どうする?」

 

 外部検疫所って確か何ヵ所もあったよな。ふむ。さすがに俺が接触するのは俺の精神がよろしくない。一連の出来事で身体がだいぶ疲弊してるし、よし。チェルノボーグの方向は周期的に……ああ、あそこの第四区外部検疫所の方から来るに違いない。と、なればそこにロープとクラウンを送り込むか。あの二人がロドスと接触した方が何かと都合が良い。ついでに、保護者としてリーもつけておこう。

 

「接触する。ロープとクラウン、それからリーは第四区外部検疫所に向かってくれ。俺は第五区外部検疫所に向かう」

「えッ、大丈夫か?「まぁまぁ、パラベラムさんなら大丈夫でしょう。取り敢えず茶でも飲んでくつろぎましょうよ」ちょっと黙ってろ。ほんとごめん。とにかく、気をつけろよ!」

 

 一方的に切られた携帯を見つめる。もしかしてのもしかしてだけど、これ選択間違えたか? いや、さすがに無いか。時間もまだ余裕があるだろうし、歩いていくか。今だけは少しだけ身体を休める。良かった良かった。こんな状態でロドスと鉢合わせたら俺の胃が壊れてしまう。これなら、羽を伸ばして明日を迎えられそうだ。

 

 

 

 

 そんな思考のせいだろうか、油断してたよ。

 

 最初は様子見で第五区外部検疫所の物陰に隠れて見てたのに、黒いバイザーをつけた不審者コーデと視線がぶつかってしまうとは。多分、人生において一生の不覚だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

p.m.10:14/晴天/視界:19km

龍門第五区 外部検疫所

 

 烏合の衆がわらわらと動く中、そこに似つかわしくない服装の二人がいた。一人はコータスの少女。もう一人は肌を露出が一切無い、黒のフルフェイスマスクを付けた人物。

 

「やはり噂通りですね……行きましょう、ドクター……ドクター?」

 

 ドクターと呼ばれた人物はそれに意を返さず、一点を見続けていた。コータスの少女は耳を傾け、もう一度呼びかけた。

 

「どうしたんですか?」

「すまないアーミヤ。ここで少し待っていてくれ」

「えっ、ドクター!」

 

 アーミヤの声を無視して、ドクターは走り出す。人の集団の隙間を縫うように、流れるように。ドクター自身、この行為がどれ程愚かである事かは理解してた。

 ただ、気になったのだ。いや、使命感の方が近いだろう。集団の向こうから自分達を覗いていた、黒い瞳を逃してはならないと。だが、悲しいかな。ドクターは集団の中でもみくちゃにされ、黒い瞳を見失っていた。そこからは集団に流されるに流され、尻餅をついてしまう始末。

 

「離せ!! 離せ!! 俺が何をしたっていうんだ!!」

 

 何処からか鳴り響く怒号。蠢く集団と野次馬のような声。そして無機質なアナウンス。明確な状況が掴めないままドクターはその中心に放りこまれていた。ただ、情報整理は出来る。一部の記憶を失っていたとしても、怒号の正体は予測できた。

 

 

 ――――感染者。

 

 自分達とは二分化されていた列の方だろう。ドクター自身、思うことがあったようだが今はそれどころじゃなかった。

 

「俺達は怪物なんかじゃ――――」

 

 その先の言葉は続かなかった。ピタリとすべての物音が止まったのだ。ドクターは一瞬、時が止まったのではないかと考えてしまうほどの沈黙だ。やがて、怒号が響いていた方の集団が徐々に徐々に割れてく。それはドクターに迫るように。そして、ドクターは再び視界に捉えた。此方に歩み寄ってくる存在を。

 なびく黒いコート、整えられた黒い髪に黒いサングラス。極東人の様な顔の成立ちに、外見的種族の特徴が一切見当たらない黒い男を。

 

 ――息が出来ない。足が動かない。黒い男はいたって普通に歩いて来てるだけなのに。

 

 目覚めたばかりのせいなのか、それともこの男のせいなのか。正直なところ、今のドクターには判断がつかなかった。黒い男はドクターの目の前に止まり、手を差し伸べて来た。

 

「大丈夫か? こんな中心で尻餅なんてついてたら、その身体じゃ大変だろ」

 

 柔らかい、軽い平坦な声。彼の発言に引っ掛かりを覚えながらもドクターは頷き返す。

 

「ほら、しっかり掴まれよ」

 

 男の手を握る。自分よりやや大きい手。立って初めて、男と身長が近しいことに気がつく。

 

「ドクター! 大丈夫ですか!」

 

 後ろから走ってきたアーミヤの声に今度こそ反応して、再び目の前を向く。周りの集団は微動だにせず、ドクター達を中心に円ができていた。

 

「あ、あの。貴方は……」

 

 アーミヤがドクターの近くに駆け寄ると黒い男に声をかけた。

 

「ああ、悪い悪い。自己紹介がまだだったな。俺は――」

「貴様がなぜここにいるんだ!」

 

 今度は別の方向から怒号が跳んできた。女性の声だ。群衆の中から青い髪の人物が黒い男に近づく。距離が近くなる程、静寂はひときわ強くなる。

 

「チェン、俺だって来たくなかったさ。ただ、ほら。一応、個人契約でウェイ長官に雇われてるからな。それに客人を歓迎しないってのは失礼だろ? そんなことしたらフミヅキさんにどやされるからな」

 

 チェンと呼ばれた女性の剣幕を臆することなく、笑顔で対応する黒い男。黒い男はドクターに振り向き、軽い口調で語る。

 

「ああ、俺の名前はクリープ。パラベラム・クリープだ。好きなように呼んでくれ。短い間だがよろしくな。ロドス・アイランドさん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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清濁併せ呑む







※今回はシリアス濃い目です。


 

 

 熊耳が生えた烏合の衆が、無機質なアナウンスに寄せられるかのように蠢く。かつて、龍門の外部検疫所に、これ程人が集まったことがあるだろうか。

 思わず立ち眩みを起こしてしまいそうな光景に独り暗がりで頭を抱えた。今日は本当に厄日かもしれない。不安を煽る様な中途半端の原作知識。ハスターには意味深なこと一方的に言われ、危うく脳くちゅされそうになった。しまいには龍門が天災の影響で止まっていることを知らなかった。お陰さまで読みは外れ、第五検疫所の方が盛り上がってるときた。

 

「帰ろう」

 

 こんな場所に独り取り残されるなんて冗談じゃない。俺は逃げるぞ――ん?

 帰ろうと右手に顔を向けた時のこと。たまたまというべきか、人混みの穴を縫うように射線が通った。最初は黒一色だけが見えて、警備隊の頭かと思っていた。だがそれが妙におかしい事に気が付く。警備隊のバイザーにしては変というかなんというか、違和感しかない。よくよく目を凝らしてみればフードを被っていることが分かった。

 ふむ。ただの黒フルフェイス不審者か。これだけ人がいるのだから不審者が一人いたって…………待てよ、フルフェイスの不審者? もう一度目を凝らすと――。

 

「――――!!」

 

 不審者はビクリと震え、此方に顔を固定した。

 蠢く群衆が止まり、自分の景色が一切凍った。

 すべての雑音が消え去る。

 唯一色を保ったドクターと見つめ合う二人だけの世界。

 ああ、動悸が早くなるの感じる。酒をリバースしてキラキラと輝かせるほどロマンチックな出会いだ。

 

 熱い視線を交わすながら、俺は一歩下がる。ゲロる為ではない。視線には幾つにも意味があって、ドクターにこっちに近付くなという威嚇を――って、おい。俺の熱い視線を無視して死亡フラグ(ドクター)が待ってましたといわんばかりに走ってくる。これは不味い。ドクターの予想外の行動は確実に今後左右する筈。そんな存在と接触しないために、出来る行動は一つしかない。暗がりから飛び出し、群衆の中へ身を投じる。四方八方に聳え立つ肉壁で自分の姿を隠しながら周囲を覗う。ドクターの姿は確認できない。熱苦しい空間で胸を撫で下ろし溜め息をついた。

 

「えっ、クリープ?」

 

 近くから誰かの呟きが聞こえた。顔を上げれば見知らぬウルサス人が俺を凝視するかのように、目を大きくさせていた。おい、その珍獣を見たみたいな反応はなんなんだ。そう声を掛けようとした瞬間、零れた雫が波紋を広めるように周りがざわめき、俺から人が離れてく。いや、なんでよ。君らさっきまで暴言吐きながら並んでただろ。日本人みたいな譲り合いの精神なんて無かっただろ。

 だがそんなことで取り乱してる暇はない。今の状態では再びドクターに発見されるかも知れない。それは非常に避けたい最悪の事態だ。取り敢えず、居場所がバレてしまう前に移動するか。

 そう考え、足を一歩踏出す。並んでいた人々が道をゆずる様にどいてく。狭まった視界はどんどんと開け、モーセの海割のような光景に一瞬だけ興奮した。いや、そうじゃないんだよ。道を開けなくて良いから、俺も集団の仲間に入れてくれ。声を大にして叫びたかったがそれを堪え、集団の外へ向け歩き出す。だが運が悪く、目の前で取っ組み合いが始まった。熱狂する取っ組み合いに周りの人々が離れ、野次を飛ばし始める。

 

「離せ!! 離せ!! 俺が何をしたっていうんだ!!」

 

 俺の気持ちを代弁するかの様に叫んだ青年と共に抵抗する人々。そしてそれを強制的に押さえつけた龍門近衛局警備員達。お陰さまで俺まで注目されそうな程に目だって仕方ない。

 

「ええい! 黙って従え!」

「俺達は怪物なんかじゃ――――」

 

 騒いでた彼らが俺を見た。自意識過剰かと考え、一瞬だけ後を振り返る。俺が通った後はぽっかりと穴が開いていて誰もいない。

 

「く、くりーぷ、さん......」

 

 そう震えた言葉を吐いたのは一体どちらだろうか。さっきまで熱気が一気に氷点下。こんな気圧で頭痛を起こさない奴は居ないだろう。目の前に立ち塞がる図体がでかい近衛局隊員に視線をやるも、びくびくと震えるだけ。うん。その気持ち分かるよ。俺だって胃がキリキリしてるもん。ドクターから逃げたいだけなのに目の前でストリートファイターが始まったのだから。だが、人はそんな状況でも進まなければならない時がある。死神から逃れるためにはなりふり構ってられないのだ。

 

「ふー。なあ、ちょっとそこからどいてくれ。今はこんなことをやってる暇が無いのはお互い様だろ?」

 

 自分でも驚くほど言葉はすんなりと出てきた。後は隊員達が退いてくれるかどうか。

 

「は、はい! 申し訳ありません! おい、速く立て――」

 

 へたり込んだ青年や感染者を引きずったり、拘束したり......そうじゃないんだよ。君ら自分の面積と体積を考えろよ。君達が退けば全部解決するんだぞ。ちょっとだけアホというか。何ともいえない気持ちになりながらも、隊員達に声を掛ける。

 

「――おい、俺は(図体がデカイ)お前らに(どいて欲しいって)言ったんだぞ。そこのウルサス人達に言ったわけじゃない。意味、分かるよな?」

 

 決して、悪口を言いたいわけじゃないので含みを持たせて遠回しに伝える。すると隊員達は黒いバイザーで俺を見つめてくる。正直、ドクターが脳裏にちらついて胃に悪いからやめて欲しい。そんな俺の願いが通じたのか隊員達が一斉に散り、再び静かになる。さすが公務員。動きが早い。そのまま進もうと思ったが一旦止まって青年に声を掛ける。

 

「ほら、しっかり並ぶんだぞ。分かったか」

「は、はい! ありがとうございます!」

 

 うん。元気そうで羨ましいよ。頬をりんごみたいに染めた青年は遠くに走っていく。ある程度彼の背中が見えなくなった後、俺は反対方向に進む。群集はまたもや俺から離れるように静かに蠢いて道を作る。居心地の悪さとキリキリとする胃。速く帰ろう。そう決意した時、目の前に奴が現れた。

 割れた先に見えるは主人公。尻餅をついたドクター......。後に逃げようかと思ったが、もう完全に鉢合わせってしまった訳で。今、ここから逃げたら真っ黒フルフェイス不審者に怪しまれる。どう考えたってドクターの方が怪しい格好なのにとんだ理不尽だ。だが出会ってしまったものは仕方ない。もう諦めたというのもあるが。気持ちを切り替え、ドクターに近づく。

 

「大丈夫か? こんな中心で尻餅なんてついてたら、その身体じゃ大変だろ」

 

 手を差し出す。反応は無い、と思ったが頷いてすんなりと手を握ってきた。これは以外。いらないと跳ね除けられるか無視されると思っていたが。いや、そっちの対応の方がありがたかったわ。

 

「ほら、しっかり掴まれよ」

 

 強く握られ、手袋特有の手触りと冷たさが伝わってくる。

 満月の夜と星空。

 そして穏やかな風。

 ふと、名前を知らない彼女の姿が、泡のように思い浮かぶ。

 いつもいつも窓枠に傷を刻む、苦手で、美しくて、可笑しな人魚。

 ああ、まったく関係ないがそんな彼女も手袋をつけていたな、と――――

 

「ドクター! 大丈夫ですか!」

 

 奇妙な考えはドクターの後から走ってきたロバ耳の少女によって掻き消された。ドクターは「アーミヤか、大丈夫だ」とくぐもった声で一言。

 

「あ、あの。貴方は……」

 

 アーミヤの碧眼が此方を向いた。きっと場違いな考えなんだろうがこの娘がヒロインだったりするのだろうか? いや、無いよな。それだとドクターが不審者から犯罪者にジョブチェンジだ。

 あー、案外、愛があれば許されるみたいな展開になりそうな気もする。『アークナイツ』って、世界観のせいでプレイヤーの心を抉るか、性癖を歪めるのかの二択だった気がするし。

 うん。やはり俺の原作知識は何も当てにならんな。自分の記憶の引き出しに一頻りの絶望味わった後、自己紹介をしようとアーミヤに声を掛けた。

 

「ああ、悪い悪い。自己紹介がまだだったな。俺は――」

「貴様がなぜここにいるんだ!」

 

 予定調和と言わんばかりに飛び出してきた龍門近衛局のチェン。彼女の眉間もモーセの海渡りの......これ以上はやめとこ。真面目に言い訳を考えよう。

 

「チェン、俺だって来たくなかったさ。ただ、ほら。一応、個人契約でウェイ長官に雇われてるからな。それに客人を歓迎しないってのは失礼だろ? そんなことしたらフミヅキさんにどやされるからな」

 

 取り敢えず、それらしい言葉を機械的に並べたが真っ赤な嘘しかない。こんな死亡フラグの権化みたいな存在を歓迎したくないし関わりたくない。原作知識を完全に忘れてるならともかく、中途半端な記憶のせいで不安が煽られて仕方ない。まぁ、接触してしまったからには仲良くしといた方がまだマシ、だと思いたい。

 

「ああ、俺の名前はクリープ。パラベラム・クリープだ。好きなように呼んでくれ。短い間だがよろしくな。ロドス・アイランドさん」

 

 

 怪しむように、不機嫌だと言わんばかりにチェンの赤眼に射抜かれた。ふふふ。残念だったな。普段の俺だったら怯えていたが、目の前で無言の圧を掛けてくるドクターの方が怖いんだよ。この未知の存在が。何よりも気がかりな点が一つあるし。

 

「はあぁぁ。もういい。クリープ、お前がこの場に現れたということは“そういうこと”と捉えて良いんだな?」

「ん?」

 

 そういう事とはどういうことか。思わず変な声を出してしまったが、チェンとドクター達は気にした様子無く自己紹介を始めた。この隙に逃げてしまおうと考えたが、無理があるよなぁ。

 横や後ろを見渡せば周りを囲むように直立している近衛局重装兵。黒曜石のように輝く盾とアーツ仕込みの警棒。しっかりと整備が行き届いてる辺り、抜かりが無いな。まさかまさか、ロドス・アイランドを迎えるためにこの数の兵を出してきたのか? もしかしてだが、ウェイ長官はロドスの戦力、もしくはチェルノボーグで何が起こったか知ってるのだろうか。だとしたら納得がいく……あれ。どっちにしろ、ウェイ長官がそんな対応をするなんて、大事じゃないか。

 

「おい、貴様も来るんだろ。速く来い」

 

 一方的に言い放ったチェンは群集を掻き分け進んでく。その背中にはドクターが付いてく。ふむ。このタイミングで離脱という形で姿を眩ませれば何とかなるかもしれない。良し。今度こそ逃げるか。

 

「あの、クリープさんは来ないのですか?」

「――ア、付いてきます」

 

 ついつい反射条件で背後から叩いて来た声に答えてしまった。誰か確認するため、後を向けば純粋無垢な笑顔で見上げてくるアーミヤ......え。なんで俺のマウント取って悪魔ムーブかましてくれてんだ? 君はドクターと二人三脚で仲良しこよし。もっとヒロインムーブをドクターの傍でかまして来いよ。君が取るべきは俺のマウントじゃなくてドクターとの籍と休暇、そして新婚旅行だろ。

 俺はドクターとアーミヤ、そしてチェンの間でサンドウィッチなんて嫌なんだ。そんなの死亡フラグが脹れあがるだけだろ。

 

「そうですか。じゃあ、行きましょうか。私は後から付いてきますから」

 

 にこやかな少女の口から飛び出した死刑判決。

 

「ソウカイ」

 

 群集の向こう、チェン達の背中を追うため歩き始める。嗚呼、これが斬首台に向かう囚人の気持ちか。周りに居る黒い重装兵に囲まれ、大衆に囲まれ、死神に捕まった。

 アナウンスの無機質な音に顔を上げる。

 真っ先に写り込むは澄み渡る、落ちてきてしまいそうな青い月。

 冷たい外気は都市の光源に当てられ鏡のように熱気を写す。

 

 

 

 人生って、上手く行かないぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 かれこれお通夜状態のドクター達に同伴すること二十分。シンクの様に輝くオフィス外を超えて艶やかなビルに足を踏み入れた。金と赤の装飾飾られた空間に、湖面の様な床。もはや建物自体が芸術作品といっても過言ではない。が、それを躊躇い無く踏みつけ先行するチェンとアーミヤ、そしてそこに挟まるドクター。彼女らの背中を視界に、俺は一歩後から存在を消そうと尽力していた。今の気持ちを例えるなら独りはぶられた遠足。少し違う所は悲しいことにこれが一番の、せめてもの抵抗だということ。いやー、なんとかアーミヤの拘束を振りほどいたというのに、この敗北感は何だろうか。

 

「チェンさん、クリープさんが「あれは気にするな。奴の職業状仕方ないことだ」......はい」

 

 たまに振り向いたりする悪魔達は無自覚に、的確に、俺の心を抉ってくる。特に、たまに振り返ってくるドクターが心臓にも胃にも悪い。

 一応、ある程度の原作知識のお陰で発狂を抑えられてるが、目の前にいるドクターにゲームのドクターが当てはまるとは限らない。ただ、ドクターという存在は間違えなくこの世界で意味がある......いや、この考えは辞めたほうがいいか。この世界がゲームかなんてどうでもいいこと。大事なのはドクターが俺にとって主要人物であって――――待てよ、主要人物。もしかして俺ってだいぶ前からやらかしてないか?

 

「さて、着いたぞ。どうぞこちらへ」

 

 ――――何時の間にか着いてしまった。ドクター達は俺を置いて室内へと入って行く。そんな彼女達の背中を見送っ――――

 

「貴様も速く来い」

「ハイ」

 

 ああ、やっぱり俺も入らなきゃ駄目なんですね。諦めて赤い絨毯を踏む。何時もと違ってシャングリラが煙に揺らめいていない。鼻に感じるむず痒さに戸惑ったが、それはそれで良いかと部屋に入った。

 

「来たか、パラベラム」

 

 ウェイ長官の暢気な声色に違和感を覚える。この声は完全に接客モード。龍門に客を迎えた時の声だ。だが気がかりなことがもう一つ。何だか聞き覚えのある声が紛れ込んでる気がする。具体的に言えばアーミヤ達が会話している相手。ドクターが壁になって見えないが、ドクターの頭から生えたように白い耳が見えた。

 

「君も此処に座りたまえ。ついさっきまで君の話で彼女と花を咲かせていた所だ」

 

 彼女? いや、まさかな。そんな訳無い。一種の願望めいた渦を胸に、確かめるためドクター達に近づく。少しずつ、無地の白い生地がドクターの横から伸び、それが白衣であると気が付いた。近づけば近づくほど嫌な物が見えてくる。そして、彼女と目が合った。不変のエメラルド。彼女の翠眼はエメラルドのように輝いて、一瞬で砕けた。

 

「「......」」

 

 静かな空間。彼女は一言も話さず、ただただ翠眼で見つめてくる。居心地が悪い。

 

「んっんっ。まぁ、掛けてくれ。一緒にケルシー君の解説を聞こうじゃないか」

 

 珍しく空気を読んだウェイ長官が助け舟を出してくれた。と思っていたが、この人が話題を振ってきたよな。話題に上がった俺の話で花を咲かせといて、本人がその場に来たら豪華な客室は氷河期を迎えるなんて笑えない。新手のいじめか? お陰でドクターは震えてるし、アーミヤは戸惑ってるし凄いカオスだよ。外相交渉で培ったお得意のお世辞でもっとマシな助け舟を出してくれよ。

 そんな意味合いを込めてウェイ長官に視線を投げるも、当の本人は何処吹く風。一瞬殴り飛ばそうかと迷ったが、殴っても仕方が無いので溜め息をついた。

 

「ッ! 君は座らないのか......その、クリープ......」

 

 ケルシーの声に顔を上げる。ドクター達とウェイ長官はとっくに座っていて、チェンはウェイ長官の傍に立っていた。

 

「俺は立ってるさ。今回は付き添いみたいなもんだからな」

「そ、そうか......すまない」

 

 あれ、おっかしいな。部屋の空気も可笑しいし、仏頂面背中露出系若作りさんの様子がたどたどしい。助けを求めるため横に居たチェンを見るも彼女は微動だにしない。頼りにならないと判断してドクター達にも視線を飛ばすが彼女らも何だか変だ。具体的に言うなら、俺のことをDV男のように見る目だ。すると、ウェイ長官が此方を向いた。

 

「ふむ。パラベラムがいるとケルシー君は話しづらいようだ。どれ、パラベラムは一旦部屋から出て「いえ、その必要はないです。私がこれから説明することに彼はなんら関与していません......これはただ、私個人の私情なのでお気になさらず」そうか」

 

 更に冷え込んだ空気。まるで俺が悪いみたいじゃないか。仕方ないので席には座らず、壁の端に寄りかかって腕を組み目を瞑る。あのまま部屋を出たかったな。

 

「さて、ケルシー君の見解を――」

「――はい。龍門は――」

 

 ウェイ長官とケルシーの話を子守唄に放棄していた考えを再び呼び起こし、整理する。ロドス・アイランドにケルシーが居ることによって嫌な予感に信憑性が増してきた。

 主要人物。これには間違いなドクターで、いわば視点となる人物。当然ドクターが所属しているロドスという組織、そしてアーミヤも重要な鍵になるのは間違えない。そんな奴らが龍門に来るんだから、此処が舞台になることは予想できた。ただ、盲点が一つあった。それが主要人物。いや、正しくは登場人物か。ああ、なぜこんなことを忘れてたのか。ロドスが関わっていく人々はすなわち原作上重要人物といっても過言ではない。それがこの生きた世界で適用されるか疑問だが、もしそうなら。そこで話し合いを行っているウェイ長官やケルシー。そしてチェンは間違いなくアークナイツでキャラとして登場してる筈。

 さて、そんな重要な彼女らの存在。そんな存在と長年関わってきた俺は昔から原作に脚を突っ込んでいたといっても過言ではない。これは非常に宜しくない。一体いつから原作に影響を及ぼしてるかはわからないし、原作改変が起きてるかもしれない。それが誤差の範囲で留まるなら良いが、生憎中途半端な原作知識のせいで判断材料が一切ない。

 となるとだ。俺が関わってきた仕事、もしくは今まで築き上げた交友(?)関係のせいで確実に原作が変わっている事がある筈。普段なら、俺程度が関わったって影響はないだろ、と楽観視出来たが、ケルシーのせいでそうとは行かなくなった。あー。俺の過去はやらかしに始まってやらかしに終わってるからなぁ。ライン生命ラボトリー、カジュミエーシェの商業団体、公証人役場、ファイヤーウォッチ.......。上げたらキリが無い。今は無きチェルノボーグが間違いなく関わっているのは分かるが、俺の行動で何かしらかけ変わった結果なのか。なんだか吐き気がしてきた。チェルノボーグには嫌な思い出しかないってのに。

 

「――パラベラム、君はどう思う」

 

 何が? なんて言える空気ではないので取り敢えず便利な言葉を。

 

「どうっていったてなぁ。良いんじゃないか? 決めるのはウェイ長官やリーさん。俺やペンギン急便の仕事じゃない」

 

 困った時は丸投げに限る。この回答をしとけば百パーセント何とかなる(その場は)。

 

「君もそうか。龍門がこの『値段』に対し妥当だと承認する条件は二つ。何簡単だ」

 

 キセルを吹かして、足を組み直したウェイ長官。今更だが、俺は回答を間違ったのかも知れない。全く話が分かんないけど。

 

「一つ、龍門に対するレユニオンの脅威を近衛局と協力して全面的に排除すること。チェルノボーグからのもそうだがすでに龍門の内部に潜伏してる連中も含む。さらに感染者の潜伏に関して有用な情報を手にしたらいかなるものであっても龍門に共有すること」

 

 何だろう。凄く怖いこと聞いた気がする。

 

「――では、二つ目の条件は何でしょうか?」

 

 ケルシーさんや、ケルシーさんや。ちらちらとこっちを見つめないでおくれ。君のキャラ崩壊が激しくてゲシュタルト崩壊が止まらないんだ。

 

「二つ目はこの体勢での初任務を終えてから伝えよう。もちろん、私の要求はロドスの能力範疇や業務内容から逸脱するものではない」

 

 なんだか重苦しい空気になってきた。彼らは話し合いに集中してるようだし、今の内に帰るか。俺が居なくても大丈夫そうだし。影と存在感を極力薄くして部屋の扉をそっと開けた。そして隙間から縫うように部屋から出る。

 ああ、あの重圧感からの解放は心地が良い。首の皮が一枚繋がった気分は本当に最高だ。湖面の様な床を早足で歩く。普段の生活がいかに贅沢かという事が良く分かる。このまま帰って風呂にでも――

 

「クリープ、待ってくれ」

 

 振り向けばケルシーが立っていた。

 

「話がある。付いてきて欲しい」

 

 よそよそしく、何処か落ち着きがない彼女。本当なら付いていきたくないが致し方ない。彼女に返事を飛ばし、露になっている背中を追う。しばらく長い廊下を渡って非常階段を上り屋上に出た。風が強く吹きつける中、彼女はどんどんと進み中央に立って、都市の光を背景に此方に振り返った。

 

「まずは此処まで付いてきてくれたことに感謝する。そして、すまなかった」

 

 頭を下げ、謝罪の言葉を述べたケルシー......正直なところ、こんな事だろうと予想はしてたが、まぁ。

 

「そうかい。用件はそれだけか?」

「......これは自己満足にしか当たらない行為だとは理解してる。だから君には私を恨む権利がある。私は彼らの未来には破滅しか――「もう良い。その話はお前が悪いわけじゃないだろ」」

 

 彼女の話を遮って、自分の懐からタバコとマッチを取り出す。赤い火を灯して煙を煽る。風に流されあっという間に夜空へと消えてしまう香り。ケルシーを尻目にただ淡々と吸っていると、彼女から声を掛けてきた。

 

「以前は散々口煩く彼に注意していたのに今は君もそれを吸っているんだな」

「ああ。くっそ不味いけどな。肺にも悪くて味も悪いが、嫌なわけじゃない。少しだけ、少しだけだが、あの酔狂な研究者が考えてた事が分かる気がするからな」

 

 赤い炎が突風によって点滅する。暖かくて、煙臭い小さな焔。何時にもまして、美しく見えた。だがそれも一瞬で消えてしまう。タバコの骸をポケット灰皿に押しつぶして懐に仕舞った。彼女のエメラルドに焦点を当て、ただ見つめ返す。

 

「......私の興味本位だが彼は、彼らは最後になんと言っていた」

「ありがとう。その一言だけさ」

「そうか。そうだったのか」

 

 彼女は腰に手を当て、少しだけ肩を下げた。ああ、これだから会いたくなかった。どうしてそんな姿を見せられなきゃならんのだ。

 

「だから、女医のお前が十字架背負って生きる必要は無い。むしろ、俺が背負って生きてくべき物だからな」

 

 俺が言った言葉に彼女は激しく否定してきた。何度も何度も、理屈のような詭弁を並べて、何度も何度も。彼女の声は屋上に響く風の音と都市の雑音によって遠くなったり、近くなったり。ただただ、揺れているエメラルドを見つめていると、彼女が近寄ってきた。

 

「だから、すまない。本当にすまない。私のせいで君の手を罪過で汚してしまった」

 

 右の肘を自分自身で握り締め、顔を逸らさない。本当に悔いているのだろうし、ケルシーの言いたいことは良く分かる。だが――

 

「――言っただろ。お前が気に病む必要は無いって。俺の手は元から汚れてたし、あれは俺が選んだことだ。アイツの助手としてじゃなくて、トランスポーターである俺としてだ」

 

 それ以上何も言わせまいと、彼女を睨みつけ威嚇する。

 

「良いか? 俺の仕事で唯一絶対に終始一貫してることがある。裏社会で生きてくには沢山の掟があるが俺が守ってきたのはこれだけだ。受けたクライアントの依頼は絶対に守る。受けた以上、例えどんなものであろうと絶対にな」

 

 それだけを言い残して、非常階段に向かう。後からは何も聞こえず、耳にこびり付いた都市の残響音。口の中にはタバコの苦味が微かに残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーあ、行っちゃった。大丈夫かな」

 

 黄色いエプロンを纏った店主は古い傷が出来たカウンターを触手でひとなでした。それから店主はジョッキを手に取り、店奥の暗闇に向かって陽気に話しかける。

 

「おーい。君も飲むかい。ずっと聞いてただろ? 彼が飲んだ――」

 

 店主が言い終わる前に暗闇から水弾が飛んでくる。それは店主の頬を掠め、店の壁に穴を開けた。余りの速さに驚いた店主は口笛を一つ吹き笑い転げ始めた。そんな中、店の奥からは足音が響いてくる。暗闇から出てきたのは肌が白い女性。目は赤く、長い髪は薄藤色。耳につけたアクセサリが風に揺れて音を立てた。

 

「ごめんあそばせ。手が滑ってしまいましたの。だから、暫く黙っていてくれないかしら。危うくこの切っ先で貴方を切り裂いてしまいそうですから」

「はははは、さてはこの僕に彼のファーストキスを奪われて怒ってるのかい? いやー、まさかこんなミミズのゲテモノに奪われるなんて彼も波乱万丈な人生だよね!」

 

 彼女の警告を気にせず、煽っていく店主。それに対して女性は舌打ちを返すだけだ。

 

「え、まさかほんとにそれだけ? マジかよ」

 

 店主は触手でジョッキを持ったまま両肩を抱きしめて女性から距離を取る。

 

「遺言はそれだけ?」

「ジョークだよ、ジョーク。ハスタージョーク。それよりもだ、聞いただろ? 彼の話を」

 

 女性はその一言に眉を上げ、武器を壁に掛けた。

 

「ええ。そうね」

「君は本当に彼を助ける気かい? 彼は害悪でしかない存在だ。どう足掻いたって周りを巻き込み、不幸をもたらす。まさに天災、悪逆非道。君が此処に居るのも彼の影響だ。それでも、助ける覚悟はあるのかい?」

 

 店主の問いは部屋に響き渡る。床が振るえ、吹き抜ける突風がが駆け巡った。それに対して女性は壁に身体を預け、嵐が吹く中、ただ目を閉じている。風の勢いが弱まってきた頃、彼女は漸く瞼を上げた。彼女は自分の得物を握り締め、赤い瞳で嵐を睨む。

 

「もちろん。彼に約束したもの。アビサルハンターとしてではなく、一固体の感情で」

 

 彼女は言葉を吐き出し、嵐に得物を振るった。空気を切り裂き、流れを切り裂き、嵐を断つ。静寂を取り戻した店内で、女性は赤い瞳を光らせながら言葉を紡いだ。

 

「例え何があっても絶対に逃がさない。この誓いに一切の嘘も後悔もありません」

「あー。そっか。君は元から彼に気が付いていたのか。そういえば、君が彼の怪我を唯一見たことがあるんだっけ。ああ、道理で落ち着いてる訳だ」

 

 店主はジョッキを放り投げ、触手で顎を掻き始めた。その様子に反応することなく女性は店主の横を通る。そして、店主に一瞬だけ女性が振り返る。

 

「それと私がここにいるのは自分の意思でしてよ? 勘違いしないことです」

 

 女性はそれだけ言い残すと、水しぶきと共に部屋から消え去える。

 

「なるほどなるほど。彼女は人魚でも怪物でもなく、ただ恋をした乙女、と。そんな年齢じゃないと思うんだけどなぁ~。まぁ、結局のところ彼女にとっての天災はただの救いの雨だったか、それとも僕のジョークのボキャブラリーが良くなかった、か」

 

 店主は放り投げたジョッキを、今度は人の手で拾った。

 

「矛盾していて、壊滅的で、愚かで、失敗を繰り返すバグの多い生き物だ。だっけ。つくずく理解できない生き方だ」

 

 ジョッキを天高く掲げ、笑顔の仮面をを剥がした。

 

「君達に、人間として生きてる君にちょっとだけ、祝福がありますように。乾杯」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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