斬屋顛末(きりやてんまつ) (木下望太郎)
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1話
因果な世でござンすなァ、お客人。あんたさんみてェなお若い方でも、斬って捨てたい輩があるなんざ。ま、お上がンなさいやし。何分やもめの侘び住まい、お構いもできやせンがね。出涸らしでよけりゃ茶など……あ、結構と。
さてと。若旦那、
何、どんな奴でも斬れるか、と? 自慢じゃァねェがこの
やけにもじもじとなさる……ははァ、何ぞ後ろ暗いことがおありで。何、お気にかけるこたァありますまい。しょせん、人が人に人斬らせるなど、人の道に外れたること。それは外道の底も底、そこより後ろはそこになく、そこより暗きもそこになし。後ろ暗さは遠慮なし、いっそ、ずかりと言いなさいやし。
ただし、いずれでございやしょうと。外道のせめてものけじめ、誰を
って、ちょっと。いきなり奥に上がられても困るンですがな。え? ああ左様で、そこに掛けてるのがあっしの商売道具でさ。ああ、刀がお好きなんでござンすか、さすがお武家で。
お目汚しですが抜いて見せますか、そら。商売に使い込んでも刃こぼれなし、折れず曲がらずよく斬れる。銘? ありゃァしやせん、
何です? ……だから何です、その勝ち誇った目は。あ? お客人の刀を見てみよと?
どれ、……ほゥ。ほゥ……。
え?
ご自分を、これで斬れ、とォ? …………はは、洒脱なお方だ、ご冗談もたいがいに……本気で? 何で、また。
はァ、刀がお好き、そりゃァ聞きましたがな。好きで好きでたまらない、左様で。中でもこの刀が一等お好きと。
ふむ、ご自分は武家の長男、すなわち武芸弓馬の家の者、闘争に備え刀槍の腕磨くもの。励めどそれがご自分の手に余り――その生っ白い腕じゃ左様でしょうな――我が事ながら情けないと。ならばいっそ死して詫びん、と。そうしてせめて、心より愛でた刀にて斬られたし。己が体の一部の如くは扱い切れずとも、せめて刃の露として、己を刀の一部としたし、と。
よほどの、お覚悟で。いささかの笑みもなく、冗談でもなさそうにござンすな。膝はずいぶん笑っておいでですが。ふゥむ、お
……
うむ、良き刀。抜いただけで違いが分かりますな。さ、お覚悟。
――え? そりゃァ今からここででござンす、仕事が早いのが取り柄でして。ご心配どうも、うちの畳なら丁度替えようと思ってた時分で。ささお座りなすって、お
参りますぞ! ――と言ったら参ります故、そのおつもりで……あァ、今のは違いますよって、座り直されませィ。
辞世の句? 念仏? さしたるものは詠む間もなく、不意に死ぬるが
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2話
さ、ささ。さァ。さァ、イヤ、さァ。さァ、さァッ、さァ! 参る――
――のは、やめときやしょう。
泣いた
――と、ン? 何ぞ、表が騒がし――ぅおッ! な、何です奥方、人の家に……と申すか誰……え? この? お客人の? 母君?
ちょ、母君、母君、叩かない、息子殿を叩かないで、落ち着きなすって落ち着きなすって、人んちの
とにかく、落ち着きなすって……ほら、ご両人一度離れて、ゆっくり息を吸って――吐いて――はい吸って――あァ母君、
えェと、で? 母君は何故こちらに。息子殿の後をつけた、ふむ。え? えェま、大きな声じゃ申せませんがね、確かに人斬り稼業なぞしておりやす。
……は? もう一度申して下さい、何と? 金は払う? 息子殿を? 斬ってくれ?
ちょ、母君、叩かない、息子殿を、叩かない、泣かないで母君話をちょっ、絞まってる絞まってるそれ息子殿の首絞まってる! 手ェ離しなすって、手!
何、つまり? 息子殿はロクにお勤めもなさらず? 病身と申して? 稽古も手習いもそこそこに、書画観劇に太刀の鑑賞、お好きな事ばかりで? はァこの
なるほどねェ、あァ息子殿、首の具合はどうで。え? そんなだからいっそ斬られて死のうと? そうでもしなきゃとんでもない道場に入らされる? あァ平山先生の。真貫流は厳しいですからな、内弟子ともなりゃァ生半可な性根じゃ務まらねェ。それで狂い死にするぐらいならいっそのこと、ってそりゃ大袈裟な。
あァ母君母君、叩かないで! ちょ、痛ッ、何を投げて……勿体無い、銭をバラ撒かないで欲しいですがね。へ? あァ確かに、ひィふゥみィの、これだけありゃァお代金に足りまさァ。斬りますかい? 息子殿を、斬りますかい? ――良う候。
しからば息子殿、せめてもの情け。ご自分のご依頼通り、白鴉にて、そっ首ィ斬って差し上げやしょう。いやさ、こりゃまた先とは別ですよって、止める理由もありゃしませんな。恨みはねェが、ささ、お覚悟。
さァ。さァ、イヤ、さァ。さァ、さァッ、さァ! 参る――
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3話
――って、ゥおおっ! 何、危なッ、何だ! 何者だあんたァ、人んちに
息子殿、悪運がござンしたなァ。律儀で鳴らした斬屋とて、邪魔が入っちゃ斬れやしねェや。此度は刀を納めますぜ。母君、お代金はお返ししやす、ご依頼は又の機に。
父君、そちらさんもどうかお腰のものをお納め下されィ。だいたいそんな、仇討ちでもあるまいに。白鉢巻にたすきがけ、袴の裾までからげなすって。さァさ、お刀を鞘へ……って危なッ! 振り回さないで、いやさ、あっしはもう斬る気なんざさらさら……ってどちらへ?
あァ、息子殿と何ぞ話が? さもありなん、危機一髪の所にござりました故、息子殿まだ震えていらっしゃいやすぜ。そうそう、そばへずいっと寄って言葉の一つもかけて――無言ですかい。左様、親子に言葉は要りませんな。あァされど、息子殿どんどんひどく震えてらっしゃいやす、せめてそう、手を上げて、肩に手でもかけておやりに――いやさ、刀はもう仕舞った方がよろしいンじゃ……って、刀を提げた手を上げて、大上段に振りかぶって、息子殿へ向かって振り下ろ――って待ったァ!
待った待った待った危ねェ! 離せ離せ、ったって離せませんぜそりゃ、いったい何でまた。え? 助けに来た訳じゃァない? 斬りに来た、息子殿を父君ご自身で?
はァ、息子殿が家
はァそれで、この馬鹿者めがと。ようもようも我が子ながら、武士の風上にも置けぬ、ご先祖様に申し訳が立たぬ。いっそ我が手で討ってくれよう、と。あァちょっ、ちょっと、どうぞ落ち着きなすって落ち着きなすって。いや、
え、どうしたんで息子殿? 何? 何が我が子か、って? どういうことで?
はァ、知っているぞ、って何を。は? 父君が、浮気を。ほゥ、四丁堀の小唄の師匠さん、あァあだっぽい良い女だありゃ、あの人と。へ? 母君も、こっちはこっちで髪結い床の旦那と。あらら。で、あァどうせ俺の生まれも妾腹に違ェねェ、さもなきゃ間男種だ、と。それかいっそ、妾腹の間男種に決まってらァ、ってそりゃさすがにおかしい。
あァ父君、そんな真ッ赤にならなくたって。あァ、何ぬかしやがる、と。この馬鹿息子めがたわけめが、てめェはこのわしが腹ァ痛めて産んだ子に決まってる、ってあんたの腹は痛んでないでしょうに。そこへ直れ、
父君お待ちを……あッ! 何てェ馬鹿力だ、振りほどかれるたァ。
父君父君、ちーちーぎーみ! 危なッ危なッ、と申しますか、人んちで刀振り回さないで欲しいンですがね! ちょ、ほら障子が、鴨居まで傷が、あああ掛け軸を真っ二つに! ちょ、お聞きなせィ、落ち着きなせィ、そこへ直れ、ったって息子殿が聞く訳ないでしょうに。だからお聞きなせィお聞きなせィ、だ、か、ら――
あァこンの…こンの、すっとこどっこいがァ……。いィい加減にしてもらわねェとよ、こっちだって黙っちゃいられねェ。そっちが抜くならこっちだってよ、刀使わにゃ止めらンねェや。一丁チャンバラ、致しやしょうかい。参りますぜ、でえェやァ!
――やァァ、あ? あれ? ゥおおォッ!? 何で息子殿、こっちに飛びかかって――と思ったら母君まで息子殿をかばって――ッて痛ッ! 何であっしゃァ、父君にぶん殴られてンですかい? 痛てて……
何? 息子殿は
やれやれ……あっしが請け負いまさァ、あんたらよっぽど血の濃い親子だ。揃いも揃ってそっくりの、とんだ人騒がせときた。
あァ息子殿、まだそんな震えて。怖ろしかったでしょうな、二手からの白刃の間、飛び込みなすったンだ。はは、左様で、父君がお怪我もなくよござンしたな。全くもって、左様で。
やれやれ、良う候、良う候。斬れぬものなしの斬屋とて、親子の
お後はもう、ささッとお帰り下さいやし。これより面倒にならねェうちにね。あァそうだ父君、息子殿。面倒の元だ、
え、障子や何ぞの代金? あァもうよござンすよござンす、とっととお帰り下さいやし。――やれやれ、ようよう行きよった。
――と思ったら何ぞ、揃って戻りよった。いかがしやした、忘れ物でも。
え? あっしを剣客と見込んで? これも縁とて息子殿を、弟子入りさせてェと?
よしやしょう。斬れぬものなしの斬屋とて、そこまで面倒、
(了)
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