マガツキノウタ〜現代異能ファンタジーエロゲ世界で何故かようじょに懐かれる件について〜 (鳥居神棚)
しおりを挟む

非現実との御対面

そよそよと吹く風が草葉を優しく揺らす。さわさわと、心地よい音が耳に届く。

月明かりが照らす田舎町のこじんまりとした一軒家の前で、八束(やつか)(すすぐ)は困惑を隠そうともせず、立ち尽くしていた。

 

短く切り揃えられた黒い髪の、これと言った特筆すべき特徴がない、どこにでもいそうな顔立ちに、学校指定の赤いジャージを着た姿は、部活帰りの高校生、と言った様子ではあるが、八月上旬、夏休みの最中かつ帰宅部である彼は別に部活帰りというわけでもなく、また立ち尽くしている理由にも関係ない。

 

「ええと……、どちら様?」

 

ややあって、絞り出すように口から溢れでたのは、そんな疑問の声であり、その言葉を向けられた相手は、何故か家の玄関口、扉を開けたその"内側"で佇んでいる。

 

そよ風に揺れるのは、おかっぱにされた、烏の濡羽のような、綺麗な黒の髪。それに赤が基調の、桜模様の着物の袖。

小柄な人影は真っ直ぐ前を見ている。その瞳は、黄金色に爛々と輝いていて、慈しむように漱の方を見つめていた。

 

「あや、もうしわけございません、あるじさま」

 

端正な愛らしい顔つきの、随分幼く見える少女は、鈴の音のような透き通った声音で、浮かべていた微笑みを、どこか申し訳なさそうなものに変えれば、ペコリと頭を下げる。

 

「なを、もうしあげて、おりませんでしたね、わたくしはヤツカ。やもりのいちぞく……ええと、ざしきわらし、ともうせば、わかりやすいでしょうか」

 

どこか辿々しく、舌足らずな印象を受ける少女の言葉に、ずきりとした頭痛を感じる。痛む頭を抑えながら、己を座敷童子、つまるところ人間ではないと、そう語る少女を見ると、漱は小さく息を漏らす。

 

「……とりあえず家の中に入って話しようか。このままじゃ俺の社会的立場がやばそうだし」

 

そう言って、やたらと重い足取りで、自分の住居であるはずのその玄関へと足を踏み入れた。

 

***

 

ズキズキと痛む頭を抑えながら、漱は12畳ほどの居間で、ちゃぶ台を挟んでヤツカと名乗った少女と向かい合わせで座っていた。

 

「んで、ヤツカちゃん、だっけ」

 

痛む頭に雪崩れ込む情報を整理するように、漱はゆっくりと言葉を吐き出す。

眼前の少女はにこにこと柔らかな笑みを浮かべたままだ。

 

「あるじさま、ってどういうこと?俺はそもそも、君のことを知らないんだけども」

 

「あるじさまは、あるじさまでございます。つくものかみ、やもりのいちぞくが、つかえるにたる、いだいなるおひとです」

 

つくものかみ、という言葉に漱は目を丸くする。頭痛はいつしか引いていて、『記憶』という名の情報の激流は止まり、だからこそその言葉に反応した。

 

「付喪神……座敷童……ヤツカ……」

 

ぶつくさと呟きながら、記憶を辿る。目の前で自分を慈愛に満ちた笑顔で見つめ続ける少女と邂逅してから新しく雪崩れ込んだ、或いは思い出した記憶と、元から持つ自分の記憶を照らし合わせて、そして。

 

(これ、前世の記憶、ってやつか。……にしても、よりにもよってこれ、『マガツキノウタ』の世界じゃねえか)

 

内心で悪態をついて、深々とため息を付いた。

 

***

 

『マガツキノウタ』とは、ビジュアルノベル、と称されるノベルゲームの一種である。

 

内容としては平穏を愛する少年が行き倒れていたとある少女を助けたことで、空想だったはずの妖怪や神が絡む様々な問題ごとに巻き込まれていく、現代風の世界が舞台の伝奇風味の異能ファンタジー。

成人向け、俗にいうエロゲーと呼ばれる類の代物で、個性的なヒロインとの恋模様も描かれていた。

 

漱が得た『前世と思しき記憶』では、その作品の根強いファンだったのか、隅から隅まで、全ルート、あらゆる分岐までやり尽くしていたようだが、だからこそ、漱はこの世界がそうであることを喜べない。

 

なんせこのゲーム、鬱ゲーなのだ。各ヒロイン毎のルートにおいても正解の道筋は一つのみ。選択肢を一つでもミスればバッドエンドかデッドエンドに辿り着くし、そうでなくてもシナリオ中の鬱度は高い。

 

軽率に知り合いが異形化したり肉団子になったり街一つ人間牧場になったりするのだ。地獄絵図としか言えない。

 

まあ、その分攻略終えた時の達成感や爽快感は段違いだったようだが。

 

記憶を整理すればする程に、気分が沈んでいく。

 

「あるじさま?」

 

不思議そうな声音でヤツカが問い掛ければ、漱の意識は記憶の海から引き摺り出される。

 

「ああ、いやごめん」

 

申し訳なさを表情に浮かべながら、漱は眼前の少女へと意識を戻す。

 

九十九の神、家守の一族、座敷童。

 

『マガツキノウタ』の世界に置いて、付喪神は妖の類ではなく、弱小とは言え正真正銘の神様である。

故に目の前の少女は神の端くれ、『家の守護』と『幸い』を司る土地神のようなものに分類される。

 

ただし、付喪神というのは一朝一夕で生まれるものでは無い。人の思念、物の思念、それが積み重なり、変じるもの、あるいは宿る物である。

 

だからこそ、なぜ彼女が己を主と仰ぐのかと、そう考えて。

 

「……ヤツカちゃん、この家に憑いてたり?」

 

「ヤツカ、でかまいませぬ、あるじさま。さすが、ごけいがんで、ございますね」

 

せいかいです、とふにゃりと笑うヤツカ。愛らしいその様子に漱は小さく苦笑を浮かべる。

 

考えてみれば単純なことで、家主である自分を彼女は主人と、そう仰いでいるだけに過ぎない。

それに思い至らなかったあたり、突然のことでまだ、余裕が取り戻せていないのを漱は自覚する。

 

「あはは、それじゃあ暫く、もしくは俺が死ぬまでかもしれないけど、宜しく」

 

気をとりなおすように、そう笑いかければ、それに対して笑顔のまま、ヤツカは言葉を返した。

 

「ええ、すえながく、おそばに」

 

柔らかく、慈愛に満ちていて、けれど狂気を、或いは狂喜と言えるような感情が滲むその言葉に、漱は薄寒いものを感じ取った。

 

(……え?)

 

言葉のチョイスが悪かったのだろうかと、真面目に後悔したのだった。




ようじょと出会って前世を知った(主)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

付喪神と過ごす日・1

かんたんなぷろふぃ〜〜る

ヤツカ・座敷童な幼女。作中では少女、で評価は統一してある。身長は142センチ、おかっぱ和服ロリだぞ!!!

八束漱・高校一年生、一般人さ!身長は180はあり、ガタイはそれなりに良い、程度で背丈の高さ以外は特筆すべきとこがない。成長期は中2で終わったらしい。


ちゅんちゅんと鳥の囀る声と、蝉の大合唱に、深く沈んでいた意識が引き摺り出される。

朝日は既に昇っていて、むわりとした熱気が肌にまとわりつく。

漱は不快そうに表情を歪めて、のそのそと立ち上がる。

 

鼻に届く、食欲をそそる様な、出汁と味噌の香りに誘われる様に、寝室から居間へと出る。

 

居間の中央に置かれたちゃぶ台には、出来立てなのだろう、ほかほかと湯気を立てている白米と味噌汁、卵焼きに切干し大根、それとアジの塩焼きが並べられていた。

 

「おはようございます、あるじさま。よくねむれましたか?」

 

「ん……、おはようヤツカ。お陰様でぐっすり眠れたよ」

 

ちょこんと座っている小柄な少女の声に、漱は柔らかな声音で答える。

 

彼女と出会っておよそ一月。共に暮らし始めてそれだけの時間が流れたからだろうか。

漱の中で、ヤツカの存在は自分の生活にすっかりと馴染んでしまった。

 

だから今日も、漱は彼女の対面に座って、手を合わせる。

 

「「いただきます」」

 

二人分の声が重なった。そうして、食事を手に取る。

 

こうして今日も、1日が始まる。

 

 

***

 

 

漱が越して来たこの町、津雲町は見渡す限りの田畑が広がる田舎町、という言葉がぴったり合う。

山と森と田畑に囲まれたこの町は、それゆえに娯楽施設というのは乏しく、山や森の中が地元の子供達のメインの遊び場で、次点が山の麓の商店街となる。

 

漱が住む家は商店街から離れた場所、森と田畑の境目の様な位置にポツンと建っている。

 

そんな、微妙な場所にある家になぜ越して来たか、と問われれば、この家が父親の実家であり、今は父親の所有する物件となっているから、というのが大きい。

 

一人暮らしに憧れた漱は、中学生の夏、ごねにごねて、遡れば江戸の時代から先祖代々住み続けていたらしいこの家に一番近い学園に通う事を許してもらった。聞けば祖父母の代には電気やガス、水道などのインフラはきちんと整備されていたらしく、家賃の問題をクリアするにはここしかないと、必死にごねた漱の粘り勝ちだった。

 

けれども、まあただでとは行かず、その条件として出来うる範囲は自分で家の修繕、補修をする事と、生活費はできうる限り自分で稼ぐ事、この二つが親によって指定された。

 

そうして、やっとこさ修繕を終えた矢先でヤツカと出会った。それが一月近く前のこと。

 

ヤツカに改めて話を聞けば、漱が住み着いて、また家を直した事により、力をある程度取り戻した、という事だった。

 

「まあ付喪神って物に付くものだしなぁ……」

 

「そうでございまする、あるじさま。わたくしども、つくものかみは、ものにやどり、あるじにつかえるものです。ひとがおらねば、わたくしどもは、うまれることすらできませぬゆえ」

 

会話の内容を思い返して、思わず呟いた言葉に、隣を歩くヤツカがこくりと頷いて答える。

 

その言葉が、きっと彼女が、漱を慕ってくれている理由なのだ。そう考えると、少し寂しい気持ちになってくる。

気分を変える様に、苦笑をこぼして、道の先に見えて来た自分達の家と同じ様に、ポツンと寂し気に建つ、木造の建物に意識を向ける。

 

「ヤツカ、ほらあそこ」

 

「りっぱなたてもの、でございますね。あれが、あるじさまのおっしゃっていた、"おみせ"でございましょうか?」

 

「そうそう、あそこが『万屋(よろずや)こくり堂』」

 

こてり、と可愛らしく首を傾げて、漱の顔を見上げるヤツカに、柔らかな笑顔を返す。

そして、それがこのまだ暑い日中に、ヤツカを連れて外に出た理由であり、目的の場所。

 

まあ、簡単に言えば買い物に来ただけである。

 

 

***

 

 

『万屋こくり堂』は4階建てのログハウスだ。コンビニ四つ分程度の広さの店内は階層ごとに違う商品が売ってある店だ。

1階は食料品、2階は衣類、3階は文具と本、4階は生活雑貨。

品揃えもそれなりに良いため、商店街から離れて暮らしている周辺住民がよく利用するのでそれなりに繁盛している、とは店主の言だった。

 

飾り気なく店名が刻まれた扉を引けば、ヒヤリとした空気が肌を撫でる。

店内は空調が効いており、中に入り扉を閉めれば、肌に滲んだ汗が徐々に引いていく。

 

「いらっしゃいませー」

 

カウンターの方にいる店員の声を聞きながら、漱はヤツカの小さな手を握って、先導するようにまっすぐにフロアの奥の方に設置された階段に向かう。

規則正しく並べられた商品棚の間を抜けて、テンポ良く階段を登り、2階に足を踏み入れる。

 

「あ」

 

2階、衣類のコーナーに足を踏み入れた途端、漱は思わず、と言った様子で声を漏らした。キョトンと、不思議そうにヤツカもそちらを見れば、身体を少しばかり強張わらせる。

 

「いらっしゃいませー」

 

こちらに気付いたのか、視線の先にいた、『こくり堂』とかかれた緑のエプロンの人物は、その中性的な顔に笑顔を浮かべてこちらを視界に入れて、ピシリと固まった。

 

「……」

 

「……」

 

「あるじさま……?」

 

ヤツカの言葉に、目の前の店員はすぐさまにポケットに手を伸ばし、携帯を取り出した。

その行動の意味を漱はすぐに察して、慌てて店員を止めにかかる。

 

「待て奏。お前は勘違いをしている」

 

「……もしもし警察ですか?」

 

「やめろって言ってんだろぉ!?」

 

「あの、あるじさま、おしりあいのかた、でしょうか?」

 

止めようとする少年、通報しようとする店員、そしてあわあわとした様子で戸惑う和服の少女。

 

控えめに言ってカオスだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

付喪神と過ごす日・2

妖ロリとか神ロリとかロリババへの愛で書き始めたところあるのでプロットが無に等しい。これが産みの苦しみ。。。(馬鹿)


「さて、言い訳くらいは聞いてやろう」

 

ところ変わり店の裏手にあるカフェスペースで、漱は先ほどの店員、九十九奏のじとりとした瞳を受けていた。

肩にはかからない程度に切りそろえられた、サラリとした黒髪に、黒い瞳。端正で、中性的な顔立ち。美人、とそう言えるその人に、冷たい瞳で見つめられるのはとても居心地が悪く感じる。

 

カフェスペース、と言っても簡易的な屋根を設置した場所に机を並べただけの場所。

 

そこで向かい合う様に奏と漱は向き合って座り、漱の隣にちょこんと、ヤツカが座っていた。

 

「お前俺をなんだと思ってるんだ」

 

「ロリコン」

 

「お前友達をもう少し信じろよ」

 

にべもなく告げられた言葉に漱は嘆息をした。

 

そう、友人。中学時代から付き合いのある友人が彼、九十九奏という男で、そして。

 

この世界で綴られるはずの物語の『主人公』が、今、漱の目の前にいる男だった。

 

 

***

 

 

「ふぅん、へぇ、従姉妹ねぇ」

 

まさか馬鹿正直に付喪神です、と言えるはずもなく、漱が苦し紛れに絞り出した言葉がそれだった。

 

いや、素直に言えば、ヤツカが空想の存在であることを、奏は疑わないことを、漱は知っている。

 

それは未だに一線を引いているように感じる彼との、友人として共に過ごした期間の問題ではなく、ゲームでの彼の設定面からのことだ。

 

「それにしては随分……」

 

訝しむように奏は漱を見つめると、その視線を一瞬ヤツカの方へと向ける。

向けられたヤツカはキョトンと、可愛らしく首を傾げて奏を見つめる。

 

疑って、その上で見透かすようなその視線には薄ら寒いものがあって、漱は思わず背筋を伸ばす。

 

すん、と鼻を鳴らせば奏は小さく息をついた。

 

「ま、そうだとしてもこんな小さい子に"あるじさま"って呼ばせるのはどうなんだ、って感じだけどな」

 

「テレビの影響でも受けたんじゃないかなぁ……」

 

「まあ小さい子供ならあり得る話だけどさ」

 

そう言うことにしといてやる、と態とらしく溜息をついたあたり、この件に関しては触れないことにしたらしい。

しれっと注文したパフェをペロリと平らげた奏は、立ち上がる。

 

「その子はあまり人目に出さない方がいい」

 

そう、すれ違い様に漱の耳元で囁くと、奏はこくり堂の中へと戻っていく。

 

残された空の器と伝票を見つめると、漱は緊張の糸が切れたのか、一気に息を吐き出した。

文句は色々と浮かぶが、仕方ないかと気持ちを切り替える。

 

「すいませーん、お会計お願いしまーす」

 

 

***

 

 

かぁかぁと鴉が鳴いていた。日は沈み始め、空は茜色に染まっている。

 

結局あのあと、買い物を済ませた漱は、両手に中身が詰め込まれた買い物袋を提げ、美味しそうにクレープを食べるヤツカと帰路を辿っていた。

両手にクレープを持ってパクパクと啄むように食べる姿は非常に愛らしく、見ているだけで和んでくる。

 

「あるじさま」

 

ふと、クレープを食べるのを一旦やめたヤツカが、漱の方を見た。漱が答えるようにヤツカの方を向くと、止めていた言葉の続きを紡ぐ。

 

「あのおかたは、なにものなのですか?」

 

その言葉には、奇しくも奏が自分達に向けていたのと同じような、疑念、それに警戒が含まれている。

その様子に漱は苦笑を浮かべる。

 

ヤツカはなんとなくだろうが、奏の異質さを感じ取っているのだろう、と漱は察した。

同様に、奏はヤツカの存在を察しているようであった。

 

お互いの懸念はどちらも正しくはある。弱くとも神の一柱がほっつき歩いているのは警戒に値するのだろうし、奏も真っ当な人ではない。

 

『マガツキノウタ』と言うゲーム内の設定、シナリオにおいて、奏は『マガツキ』と呼ばれる、怪物に取り憑かれながらも調伏し、その力を従える異能者でありながら、偉人の記憶、知識を持ち、その力を再現できる特異体質者、『再現者』と呼ばれる、前世を持つ人間。

 

そして、『勾一族』と呼ばれる、怪物殺しのプロフェッショナルの血族の一つ、浦曲家の長男である。

 

(しかもあいつ、安倍晴明の『再現者』じゃなかったかなぁ……)

 

思い返して、だからこそ、神秘の塊であるヤツカが正体を見破られたのは納得がいく。

実際に、ゲーム上では人に化けた妖や、怪物に取り憑かれた人、『禍ツ人(まがつびと)』を即座に見分けるなどの芸当をこなしていた。

相当擬態に精通している怪物や神でもない限り、その正体を隠し通すのは不可能に近い。

 

とは言え、彼は自分がそのことを知ってることを知らない筈なのだから、ごまかしたのはおかしくはない。

 

でも、少し解せないのは、人を遠ざけ、親しい仲を作ろうとしてない彼と、それなりに親しくなれたことだ。

漱の持つ、前世の記憶上、少なくとも本編開始後、彼が学園の高等部二年生になって物語が始まるまでに、彼が人を寄せ付けなくなってからはそんな人間はいなかったはずだ。

 

だから漱は、ゲームのシナリオについて深く考えるのはやめにした。これはゲームではなく、現実なのだから、設定も、ストーリーも参考程度でいいだろう。

 

「あるじさま?」

 

再度ヤツカに呼ばれて、また考え込み過ぎていたことに漱は気付いて、ヤツカの目を見て、笑って見せる。

 

「ああ、ごめんごめん。答えてなかったな。奏が何者か、ねぇ」

 

「ええ、あのおかたは、なんとも、ちぐはぐに、かんじますゆえ。きけんでは、ないのでしょうか」

 

問いかけるヤツカは不安げで、怯えているようにも見えた。だから漱は、安心させるように、袋を片腕に通し、残りを手に提げて、片手を開けると、その頭を優しく撫でる。

 

「大丈夫だろ、多分な。何者だろうと、俺の数年前からの友達なことは変わらないし」

 

「さようで、ございますか。であるならば、あんしん、でございますね」

 

「だろ?」

 

そう、友達だ。主人公でも、アホみたいに強くても、普通じゃなくたって、漱の友達であることには変わらない。

 

漱の返答にふわりとヤツカは柔らかな笑みを浮かべる。

 

 

***

 

 

かちり、かちりとピースははまり、歯車は回り出す。

 

くるくる、くるくる。

 

まだ、全ては予定調和でしかない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

学園にて・1

『こくり堂』で奏と会っておよそ一週間が経過した。あれからは奏の忠告通り、ヤツカをなるべく人目に出さないようにしていた。

 

とは言っても、元々買い出しなど、外行きの用事は漱がこなしていたこともあり、この奇妙な共同生活に特にこれといった変化はない。

 

だから今日も、いつも通りヤツカと二人で朝食を済ませる。

 

「ご馳走様、今日も美味かったよ」

 

「おそまつさま、でございます。あるじさまのおくちにあったようで、さいわいでございます」

 

漱の言葉に、ふわりと嬉しそうにヤツカは微笑む。ゆったりと立ち上がり、食器を重ねようと手を伸ばす前に、漱が二人分の食器を重ねて、それを流し台まで運ぶ。

 

「あるじさま、あるじさま、おかたづけはわたくしが」

 

慌てたように、とてとてと漱の方へと近寄り、困ったような表情でそう訴える。

全て任せきりは流石に申し訳ない漱はこのくらい、とやろうとするが、ヤツカは自分の役目だと引かない。

 

結局、二人並んで洗い物をする、と言うのがすっかりいつもの光景になっていた。

 

 

***

 

 

片付けを済ませた後、漱は家を出て学校へと訪れていた。

とは言っても、別に不思議な話はなく、単に夏休みが終わり、二学期が始まった、と言うだけである。

 

彼の通う学校、『吹寄学園(ふきよせがくえん)』は津雲町内の山の麓付近の一角を切り拓いて建てられた広々とした学園だ。

中高大一貫のこの学園は、学園長の趣味、要するに金持ちの道楽で作られた学園で、その為もあって、学費が安く、また特待生になれば学費は全額免除、懐に優しい私立学園である。

 

漱の家からは裏手の森を経由することで、自転車を使えばおよそ40分ほど。一人暮らしの為ならと、多少の苦労を呑み込んだ結果が今の状況だ。

 

「にしても、暑いな」

 

高等部の校舎の3階にある一学年の教室、そのうちの一つに漱はいた。

だれるように、窓際の、だいたい真ん中あたりにある自分の席に座り込んで、パタパタと持ち込んだ団扇を扇いでいる。

 

既に人がある程度集まった教室は騒がしく、それが余計に、教室内の温度を上げているような気さえしてくる。

 

「そうっすね、暑い暑い」

 

隣の席では、漱と同じように団扇を扇ぐ少年がいた。

やる気のなさそうな気だるげな瞳は黒に近い茶色で、眦は垂れている。濃い茶色の髪の毛は胸のすぐ下くらいまでの長さがあり、それを三つ編みに纏めて垂らしている。

前髪は真ん中で分けられていて、飾り気のない赤いヘアピンで留めていた。

 

儚げな美少年と言った顔立ちに、それなりに長い髪から時折女と間違われがちであるが、正真正銘の男、漱がこの学園に通い始めて、一番最初にできた友人が、この少年、平沢泰斗(ひらさわたいと)である。

 

漱の言葉に同意した彼は、漱の方へとチラリと視線を向ける。

 

「こうも暑いとダレるよねぇ……いっそのことマグマとか熱した鉄板のほうがいいっすわ」

 

柔らかな声音から告げられるのはどことなくふざけた言葉。夏休み明け、久々に会う級友の発言は、あいかわらずぶっ飛んでいた。

 

「それ、お前だけなんじゃねえかなぁ……」

 

「中途半端は気持ち良くない、違う?」

 

漱は、呆れたような、否、馬鹿を見る目を泰斗に向けるが、当人は何処か興奮したような様子。

 

出会った頃はまだまともだった気がするが、数ヶ月ほどでメッキが剥がれ、今ではこれである。

 

「そんな苦行喜ぶのがそもそも一部だけだと思うんですけど」

 

「長身むちむちお姉さんに命令されたらって考えると興奮するよ。するでしょ。するんだよ」

 

「うーん、極まってる」

 

「また二人して馬鹿な会話してるのか」

 

男子学生二人、馬鹿な会話に興じていると、漱の後ろから、呆れた声が聞こえてくる。

女にしては低くて、男にしては高めな、中性的な声に、二人はそちらへと視線を向ける。

 

「よう、奏」

 

「九十九さんおはようやで」

 

漱は片手を軽く上げて、泰斗はヒラヒラと団扇を振ると、声の主である奏ははよ、と短く返して、漱の後ろの席にそのまま座る。

 

「なあなあ、九十九さんも長身むちむちお姉さんに命令されたらそれがどんな苦行でも興奮するしご褒美だと思うよねぇ?」

 

「いや、普通に引くんだが」

 

「なん……だと……!?」

 

賛同者を増やそうと、先ほどの発言をする泰斗だが、奏は明らかに引いたような表情を浮かべる。そりゃそうよ、と漱は思ったが、割と真面目にショックを受けた様子の泰斗が面白いのであえて追撃もフォローもしない事にする。

 

「漱くんも九十九さんもさては異端者やね」

 

「少なくともこの空間において異端はお前だと思う」

 

「ロリコンともマゾヒストとも一緒にされたくはないんだけど」

 

己こそが正義だと言わんばかりに、手に持ったままの団扇を漱と奏の方に向けて言うも、漱は冷静に事実を突き返し、奏は嫌そうな顔を浮かべて不服そうに告げる。

 

「んー、辛辣。もっと言って?」

 

「ロリコン扱いやめろマジで」

 

こちらにも向かってきた棘に切実な気持ちを込めて物申す漱に対して、泰斗はもっと言えと要求するあたり、自分の欲望に忠実である。

 

「そういうこと言ってるからモテないんだよ平沢。ガワはいいのに」

 

「こう……大きなお姉様受けするようなサイズ感が良かったんですけどぉ……」

 

「いやほんとブレねえな……?」

 

そうやって、特に内容がない、くだらない会話を繰り広げていると、重厚な鐘の音が鳴る。

 

吹寄学園での、始業と終業の合図。敷地内の中央にある時計塔の、その最上部にある鐘が鳴らされて、その直後にガラガラと戸を開く音がする。

 

「ほら、お前ら席につけ。夏休みも終わったことだし切り替えていけよー」

 

ずかずかと中に入ってくるガタイのいい男性教師の声で、教室内の喧騒はすん、と消える。静まり返った教室からはあまり物音が聞こえず、満足したように男性教師は頷いて、口を開く。

 

「んじゃ、SHRを始めるぞー」

 

淡々と教師が連絡事項を告げていくのを、漱は真面目に聞いてはいたものの、隣の席の友人が変顔を浮かべているのが視界に入り、思わず噴き出した。

 

「ったぁ!」

 

「あぁん!」

 

「真面目に話を聞け馬鹿」

 

流れるように投げられたチョークが漱と泰斗の額に命中して、じんじんと痛み、教師の口からは忠告が飛ぶ。

 

周りはすっかり慣れているのか、気にした様子もなく、教師も忠告の後は二人の様子を無視して、淡々と続きを話しだした。

 

漱は文句をつけようとしていたのだが、無言の圧力に敗北した結果、改めて、真面目に話を聞く事にする。

 

 

隣で楽しそうに放置プレイだのなんだの言ってる声は聞こえないフリをした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

学園にて・2

あの後は特に何事もなく、退屈な始業式や、夏休み明け一発目だと言うのに存在する授業をこなして、現在お昼時。今日は午前中のみのため、既に放課後ではあるものの、学園内はまだ賑わいを見せている。

 

部活動生の為か、半日のみだと言うのに空いている食堂に、漱と泰斗は訪れていた。

どちらも帰宅部ではあるものの、わざわざこの暑い中、空腹を我慢して帰宅するのが嫌だと言う泰斗と、そんな彼にドナドナされた形の漱は、食堂の一角、角の方に空いている四人座れそうなテーブル席に座っている。

 

漱の手元には、中身が入った青い巾着袋が一つ。泰斗の手元には山のように肉が積まれた大きな丼と、味噌汁の入ったお椀が乗せられたお盆がある。

 

「にしても、漱くん今日弁当なんだ、珍しいやね」

 

「まあ、偶にはな。だから今日は教室で食おうと思ってたんだけど」

 

巾着袋の中に入っていたのは、黒い弁当箱。蓋を開けると、中には可愛らしい俵おにぎりが三つほど、それに鮭の切り身に、きんぴらごぼう、玉子焼きにほうれん草のお浸しが、丁寧に詰められていた。

 

「なんか和風やね、美味しそう」

 

「だろ?」

 

弁当箱を覗き込みながら泰斗が言えば、漱は少し自慢げに笑う。

実はこの弁当、今日の予定を話したところヤツカが用意してくれたものだ。

家族のことを誇らしく思うように、ヤツカのことが褒められるのは嬉しく思いながら、箸を持って手を合わせる。

 

いただきます、と言いながら、漱が弁当に手をつければ、泰斗も丼に手を伸ばすと、かきこむように食べ始める。

 

ゆっくりと、噛み締めて味わうように食べる漱と、詰め込んで勢いよく食べ進める泰斗の姿は対称的だ。

 

しばらくは食事の音だけが二人の間に響いて、ふと、食事の手を止めた泰斗が、思い出したかのように口を開く。

 

「そういやさ、漱くん知ってる?」

 

問い掛けに、最後に取っておいた玉子焼きを口に放り込んで、咀嚼し終えると、弁当箱を片付け始めながら、疑問を返す。

 

「何を?」

 

「ここ最近の通り魔事件なんやけど」

 

言われて、漱は思い出す。と言っても別に『マガツキノウタ』における事件や、スピンオフで語られていた話を思い返したわけではなく、つい先日回覧板で回ってきた地方新聞のようなものの内容を、である。

 

「えーと、なんだっけ。確か、隣町で"刃物で切り殺されたような死体が見つかった"ってやつだろ?」

 

被害者自身にははこれといった共通点はなく、ただしその死体は全て刃物で切り付けたような痕跡が存在し、体の一部は切り落とされていた、という凄惨な事件。回覧板で回ってきた記事を見る限り、一度限りではなかったらしい。

 

記事の内容を思い返しながら言えば、そうそう、と泰斗は頷く。

 

「そうそう、あの事件で確か四件目らしいけど。次はこの町で起きるんじゃねえかな、ってのが一つと、もう一つが、犯人は"刀の化け物"って噂が出てるんよ」

 

噂話と言った感じで泰斗は語る。

 

事件の概要と、それに付随する警察の見解、そこに含まれた民衆の空想、想像、妄想の設定。

 

曰く、最初の事件から一週間後に似たような事件が起き、それから一週間おきに通り魔事件が起きている。

 

曰く、遺体は刃物で切り付けられたような傷があり、腕か足が一本、切り落とされていた。

 

曰く、事件ごとに右足、左足、右腕、左腕と切り落とされた部位が変わっている。

 

曰く、事件が起きた隣町で次の事件が起きる。

 

曰く、事件の前日の夜、刀を持った、血走った目の男を見た。

 

曰く、最初の遺体が見つかった次の日の夜、全身から刃物を生やしたような、怪物の姿があった。

 

曰く、怪物の正体は妖刀である。

 

「とか言う噂話。まあ少なくとも刀を持った人の話辺りから真偽は不明なんすけどねぇ」

 

一通り話し終えると、ここまで来ると都市伝説みたいだよね、と笑う泰斗に対して、漱も笑って賛同したかったが、笑おうにも笑えなかった。

 

『マガツキノウタ』においてはオカルトは一般人にこそ広まっていないものの、実際に存在する超常の存在であり、同時に脅威として実在する。

 

怪物、妖怪、悪霊。それらは普段は重なり合うように存在するもう一つの世界、『虚の庭』と呼ばれる人ならざるものたちが棲まう世界にいる。普通はこちら側には出てこれない彼らが、自らの意思でこちらに来る唯一の方法が、人に取り憑くこと。

 

(どう考えても禍ツ人じゃねえかよ、それ)

 

嫌そうな顔を浮かべる漱に、泰斗はケラケラと笑いを溢すのみだった。

 

 

***

 

 

時間は飛んで夜。22時頃の商店街はほとんど人通りがなく、車通りも殆どない。大概の店は既に明かりを落としており、辛うじて存在するコンビニやカラオケ、それの街灯のみが明かりを残すのみとなっていた。

 

泰斗との昼食の後、漱はバイトのためにこの商店街内にある古本屋に訪れていたのだ。そもそも、弁当を持ってきていたのもそのままバイトに行くつもりだったからだ。

 

そんなわけで、バイトも終え、暗い夜道を自転車で進んでいた漱は、ライトが照らし出す小さな影に気がついた。

 

四角い箱の中に、黒い塊が入っている。

 

「にゃあ……」

 

弱々しく鳴く声が聞こえ、近付いてみれば、そこに居たのは小さな猫だった。どうやら足を怪我しているらしく、こちらを見て怯えたように鳴きながらも、逃げる様子はない。

 

「うーん……」

 

なんとなく、碌なことにならない気がしたが、放っておく訳にもいかないなと、そう感じて箱ごと猫を抱え上げて自転車の籠に入れる。

 

幸いと言うべきか、籠にすっぽりと収まるサイズ。一度猫を持ち上げて、クッションがわりに箱の底にタオルを数枚入れてやり、また猫を戻す。

 

「ヤツカにどう説明しようかなぁ」

 

そう呟いて、自転車を漕ぎ出した、その瞬間だった。

 

鈍い音が耳に届く。勢いよく、何かが衝突したような音だった。

耳障りな音が聞こえる。

 

それは金属が擦れるような、不快な音。

 

恐る恐る振り返ると、そこには、一つの影があった。

 

身体中から刀のようにも見える、片刃の金属を生やした、成人男性くらいの大きさの、化け物。

 

__禍ツ人と思しき、異形の姿があった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

妖しい刃

その姿を認めた瞬間、漱はペダルを踏む足に力を込めた。加速した自転車の勢いを殺さないように、全力でペダルを漕ぐ。

 

先程まであった、猫を気遣うような余裕は、もう既に漱にはない。勝手に憐れんで、ほっとけないと拾い上げた癖に勝手ではあるが、そちらに思考を回す余裕はなかった。

 

ぐんぐんと加速していて、化け物から距離を取る。引き離した、かと思えば、徐々に金属音が近付いてくる。

 

「っざけんなよ!!」

 

吐き捨てるように、気合いを入れるようにそう叫ぶと、加速を維持したまま商店街を抜けた先で森へと突っ込んでいく。

 

ある程度道は踏み均された森の小道、けれどそこに光源は月の光以外存在しない。それも、生い茂る木の葉によってその多くは遮られ、隙間から溢れるか細い光しかなく、ほとんど暗闇も同然だ。

 

そんな森の中を自転車のライトだけを頼りに必死に進む。

 

木々の隙間を縫うように出来た小道を、速度を殺さないままに駆け抜けていく。

少しでも怪物の速度を落とそうという魂胆ではあったが、気にしたことかと、化け物は、全身から金属を生やしているとは思えない速度で徐々に距離を詰めてくる。

 

障害になりそうな木々は薙ぎ倒され、更に切り刻まれて無理矢理に道が開けていく。

 

そうして、死の気配は近付いてくる。

 

何かが砕けるような、鈍い音が響き、刃の擦れる音はすぐ側で聞こえてくるようになって。そうして。

 

振るわれた凶刃は、漱の肉体を削ることはなく、けれども自転車の後輪を斬り飛ばす。

 

「うぉっ!?」

 

衝撃と、後輪を失ったことにより漱は、籠の中の猫ともども、その場から吹き飛ばされてしまう。

辛うじて、咄嗟に伸ばした手が猫を抱え込み、その姿を守るように体を丸めながら、それでも背中の方から勢いよく前方の木に勢いよく衝突する。

 

「ガァッ!?うぐぅぅっ!!」

 

肺の空気が、無理矢理外に出され、痛みに苦悶の声が漏れる。

喘ぐように息を荒げて、失った空気を飛び込みながら、激痛に耐えて立ちあがろうとするも、身体は言うことを聞かない。

 

もがくその姿を嘲笑うように、ぎゃり、ぎゃりと音を鳴らし、わざとゆったりとした動作で歩み寄ってくる。

 

そして、首を断ち切らんとその刃が振るわれて、漱は思わず目を瞑る。

 

直後、パキリと、硬いものがへし折れるような音が耳に届いた。

 

ぎゅっと、強く瞑った目をゆったりと開ける。覚悟していた死に繋がる痛みは感じず、未だ倒れ込んだまま、視線を上げた。

 

「漱、生きてるか?動けるならさっさと逃げろ」

 

耳に届くのは聞き慣れた声だった。

 

多少見晴らしが良くなった夜の森、また田畑との境界付近まで来ていたこともあるだろう。月の光はさして遮られることなく、その姿を照らす。

 

そこに居たのは、刀を肩に担いだ、学ラン姿の九十九奏、その人だった。

 

 

***

 

 

「奏……?」

 

そう、奏の名を呼ぶ漱の声は、困惑に満ちていた。奏がここにいること……ではない。漱はあくまでゲームとしての設定ではあるものの、奏が怪物退治のプロフェッショナルであることを知っている。

 

奏がここにいるのは当人が隠していた事情を含めても、まあおかしくはない。

 

だから漱が驚いたのはそこではない。

 

「……ああ、動けないのか。はぁ、仕方ない」

 

チラリと視線を漱に向けた奏は、小さく息を吐く。

その程度で動けなくなるのか、と意外そうな、呆れているような彼の姿は、基本的には特筆べきことはない。

いつものような格好で、学ランだって、漱たちが通う学園の男子制服はそれなのだから、まあ見慣れている。

 

けれど、普段の彼にはあり得ない『膨らみ』があった。服の上からでもわかる、大きな胸部の膨らみ。全体的に線は丸くなっているようにも見える、臀部も普段よりも大きく見える。

 

痛みで幻覚でも見えてるのか、と漱は激痛に悶え、漸く体に言うことを聞かせるのに成功しながらも、くだらないことに思考を飛ばす。

 

「動けないなら回復するまでじっとしてな、直ぐ終わらせてやる」

 

余裕たっぷりに奏は言う。視線こそ刃の化け物に向けてるものの、問題視などしてないような、そんな様子だった。

 

嘲るようにすら見えるその様子が、化け物の琴線に触れたのだろうか。

突如激昂したかのように不快な金属音をかき鳴らすと、勢いよく奏へと飛び込んでくる。

 

何の芸もない、純粋な突撃。けれど、全身が凶器な化け物が、化け物らしい怪力と速度で行うのだ。それは当然、相当な脅威となる。

 

相手が、普通の人間ならば。

 

「お前にはこれだけで十分だろ」

 

ただ、奏がしたことは単純だった。真っ直ぐに向かってくる化け物に対して、その場から動かずに刀を振り抜いた。

 

ただそれだけで、化け物は奏へと辿り着くことすら出来ず倒れて、無数の破片として砕け散る。

 

緩慢な動作で、身体を起こしつつ、抱え込んでいた猫が、にゃあ、と鳴きながら頬を舐める様子に、ほっとして、それと同時に目の前の光景に、いまだに理解が及ばない。

 

こちらを振り返る奏の姿は、やはりいつも通りで、けれど知らないはずの『女性』の膨らみがあって。

 

(主人公がTSしてる……)

 

助かった、と言う安堵からだろう。その事実に、困惑が止まらない。

 

だから、きっとそれが良くなかったのだろう。

 

「漱!!?」

 

ちくりと突き刺さる小さな破片に気付いた時には遅かった。

痛みを自覚した瞬間に、漱は猫を抱え込んだまま、蹲って、そのまま意識が闇に堕ちていく。

意識が落ちていく中で、慌てたような奏の声が聞こえて。

 

その僅かに生まれた奏の隙を狙って、散らばった破片が一斉に、小さな針となり、蹲った漱へと突き刺さっていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

分岐路の先へ

宣伝もたいしてせず、名声も特になく、無名な趣味物書きの趣味の産物にお気に入り登録してくれる人がいる事実が、執筆の励みになってます。読んでくださる皆様に楽しんでもらえる様に頑張りたいと思います。


それはそれとして趣味100%なのは変わらんのじゃ。


漱の肉体に幾多もの金属片が突き刺さる。

 

それは元々化け物から生えていたものであり、ある意味化け物そのものとも言える。

それらの目的は漱を殺すことではない。

 

奏に敗北し、破片になった時点で、化け物の目的は変わっていた。

人の肉体を依代にして『虚の庭』からこちら側へと出てきた妖であった、その化け物は、既に器を失っている。

故に、世界に留まるためには新たな器を必要とした。

 

破片は血肉を撒き散らしながら、ずりゅ、ぐちゅと、肉を掻き分けるような、抉るような音と共に漱の肉体へと潜り込んでいく。

 

殺す為ではなく、取り憑き、支配するための行動。

 

「……」

 

奏は目の前で起きている惨状を、じっと見ていた。今手を出しても漱はもう救えないと理解していたからだ。

 

『虚の庭』の住人、とりわけ妖の類は人に取り憑く際にその肉体を変質させる。

その手法は妖の種類によって変わることもあるが、無機物系の妖であれば、まず物品に取り憑いた後に、その所有者の肉体に潜り込んで、自分の都合のいいように書き換えるのだ。

それと同時に精神を乗っ取り、肉体の主導権を得る。

 

そしてそれは、基本的には時を巻き戻しでもしない限り、戻せない物となる。

 

完全に取り憑く前にそれらを排除出来たとしても、潜り込み始めた時点で、傷付けられた組織は回復が不可能となり、壊された心も戻りはしない。

 

今引き剥がしても変えられた組織は治らず、一生物の傷となるし、場合によってはその部分から綻び朽ちていく。

 

奏は悔しそうに唇を噛んで、ただ刀をいつでも振るえるように構えて、たった一つの希望に縋る。

 

それこそが奏自身と同じような存在に至ること。取り憑いた怪物の類を調伏し、その力を自分のものへとした者になること。

 

マガツキになることだけが、今もなお、肉体を書き換えられていく少年が、唯一救われる道であった。

 

 

***

 

 

意識が闇に呑まれた、そう思った矢先、灼けるような痛みを感じた。喰われているようにも、燃えてるようにも、作り替えられてるようにも思える、痛みと熱さが身体中に広がっていく。

 

黒に染まっていたはずの視界は赤一色。

 

何より恐ろしいのは、意識はあるのに体が一切動かないという事だった。

叫びたくても言葉は発せず、開こうとしても瞼は開かず、指先どころか己の意志での呼吸すらできない。

 

体の主導権が奪われているような、そんな気味の悪い感覚。

 

(■■せ、■ロ■、■■■)

 

それと同時に、脳内に叩きつけられる濁流のような感情を漱は感じていた。

それはノイズのように不明瞭にも関わらず、明確に悪意と澱みが雪崩れ込んでくる。

 

(クラ■!■カせ!う■エ!コろセ!!)

 

段々と、はっきりと、それでいて強く、強くこちらを呑み込もうとする悪意、殺意。

脳裏でガンガンと響くように、声が聞こえてくるようですら……否、漱の脳内には実際に、声が響いていた。

 

痛みで消耗した心に、追い討ちのように叩きつけられるその声は、心を悪意と殺意で呑み込み、八つ当たりじみた憎悪を自分以外の全てに向けさせる為のものだ。

 

(うるせえ!!人の身体好き勝手にしてくれやがって!!!!!)

 

それに対して、漱はブチギレた。口が動かないので言葉を発する事も出来ないが、その心の内、脳に直接言葉を送りつけてくるモノへ、未だ肉体を侵食していくモノにぶつける様に、怒りの感情を剥き出しにする。

 

一瞬、化け物の干渉が止まる。困惑したかの様な沈黙が生まれて、また直ぐに煩く喚き出す。

 

殺せ、奪え、犯せ、喰らえ。欲望のまま悪逆を為せ。肉を斬り、骨を断ち、血を啜れと刃と鋼の化け物__恐らくは妖刀なのであろうそれの意思が流れ込んでくる。

 

あまりにも強すぎるそれは、たとえ心が弱っていなくても、呑み込まれぬよう気を強く持っても、押し流され、意思全てを妖刀に塗り潰される。

 

(だから、いい加減五月蝿いんだよ!!!何様だテメェ!)

 

筈であった。漱の精神は消えない。その一片たりとも汚染される事はない。呑まれることなく、許可なく人の身体に住み着こうとする不届き者への怒りをさらに燃やす。

 

湧き上がる感情と共に、身体はより熱く、痛みはより強くなっていく。押し寄せる悪意はさらに膨れ上がる。

 

それに対して、漱はさらに怒りを膨らませる。

 

乗っ取られることも、唐突に襲われたことも、命を狙われたことも、その全てが今、漱の憤怒の燃料と化していた。

 

或いは、怒りはしても、ただ一方的に殺されただけなら漱にはどうしようもなかった。

彼はあくまで一般人だ。『前世と思しき記憶を持つ』という特殊な要素はあれど、それが彼の肉体に何かの影響を及ぼしているわけではない。

あくまでも人格も記憶も、八束漱としてのものは揺るぎもしないし、前世の記憶があろうと彼の性格に変化が出たわけでもない。

 

けれど、『前世の記憶を持つ』という事は、それが偉人ではなくても『再現者』という特異な人種になり、記憶に、『前世』と思しきそれに応じた力を持つのは、実は同じなのだ。

 

ただ、出力が違うだけ。偉人でもなければ、己にしか適用されないだけ。

 

ただ、漱のそれは、『精神を汚染し、心を奪う』事で肉体を乗っ取る化け物ども、妖怪どもには頗る相性が良かった。

 

(いい加減、引っ込みやがれ!!!!)

 

異能というにはしょぼすぎる、唯の個性とも言い換えれてしまう、『強靭すぎる精神性』を持って、漱は、押し寄せる妖刀の悪意を、意志を、己の憤怒で逆に呑み込み、塗り潰した。

 

 

***

 

 

ぼこりぼこりと、漱の肉体が隆起し、血が噴き出して、刃が突き出す。

徐々に、徐々に増えていくそれに、奏は強く強く、刀の柄を握り締める。

 

禍ツ人の見た目からして、恐らくは妖刀。それもかなりの殺意と悪意、憎悪を込められたであろう一振りだろうと、奏は見抜いていた。

 

その上で、漱の肉体を変質させ、異形へと寄せていくその様を見ながら、虚しさと、悲しみを覚えながら、それを殺す覚悟を固めていた。

 

弱小の怪異譚……近代以降に発生した都市伝説等から生まれた怪異、化け物であれば肉体の制御を奪い返した例はあるにはあるし、妖怪によっては自らその意志を眠らせるものもある。

 

だが、妖具と呼ばれる、『強い意志、感情を注ぎ込まれながら造られた』道具が変じた妖は別だ。それが正の方向ならまだいい。

だが、妖刀の類などの様に負の感情を多く、強く込められたものに憑かれたものは、例外無く狂い果て、禍ツ人と成り果てている。

 

だから、か細い糸の様な希望は、ゆらりと立ち上がった漱であった筈の怪物を見て、プツリと切れた。

 

「やっぱり、ダメだったか」

 

呟いた奏は、刀を構える。人ではなくなり、禍ツ人と成り果てたのなら殺さねばならない。

それが、彼女の役割だ。

 

(こんな事になるなら、親しくなるべきじゃなかった)

 

そう、心の内で呟きながらゆらゆらと、立ち尽くしたままの異形へと、刃を振るう、その瞬間だった。

 

ぽとりと、異形の体に生えていた刃が地面に落ちる。

一つ落ちれば連鎖する様に全て剥がれ落ちた後、その中に隠されていた漱の姿が露わになる。

 

その体は裂傷だらけで、とても無事とは言えない。けれど、異形と化して立ち上がった後ですら抱え込んでいた腕の中にいた猫には、なぜか傷一つなく、相変わらずにゃあと鳴きながら、傷口をぺろぺろと舐めている。

 

「ゲホッ……、ははっ、どんな、もんだ……」

 

ボロボロの姿で、勝ち誇る様に口にした『八束漱』の、その姿に、振るおうとした刀が手からこぼれ落ちるように、漱に触れる事なく地面へと落ちる。

 

「ははは……、よかった」

 

そう言って、奏はへたりと座り込むと、安心したのか、柔らかな笑みを浮かべる。

 

その姿を最後に、今度こそ漱の意識は闇に沈み始める。

 

「わわっ!?」

 

意識が落ちる寸前、ふらりと、力が抜ける感覚と共に、どこか慌てた様な奏の声が、聞こえた気がした。




前世持ち主人公くん、特殊能力『クソ強メンタル』
TS疑惑ゲーム主人公ちゃん、『安倍晴明』『???』

次回、座敷童幼女、号泣アンド憤慨!デュエルスタンバイ!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

調伏

気が付けば、漱は燃え盛る戦場に立っていた。

人の姿は既になく、けれど怨嗟の声は耳に届き、怒号は鳴り止まない。

剣戟の音は延々と奏でられていて、生臭い鉄の臭いが嫌に鼻につく。

 

けれどやはり、燃え盛る炎以外この場には何もない。生命の気配なぞ、まるでない。

 

空を見上げれば、どんよりとした雲に覆われていて、なのに血のような赤に染まっている。……いや、赤い雲に空が覆われている、というのが正しいだろう。

 

なんとも不気味な空間だった。

 

『ナゼ、ナゼダ。ナゼ』

 

不気味な声が聞こえる。男の様にも、女の様にも、子供の様にも、老人の様にも聞こえる不思議な声だった。

 

問いかける様に、あるいは問い詰める様に、なぜ、なぜと言葉を繰り返すその声の主は、あたりには見当たらない。

 

不気味で、不思議なこの状況で、漱は焦りを見せなかった。

 

(夢……に、近しい何かか?)

 

或いは、あの妖刀による精神干渉の一種……最後の足掻き、といったところだろうか。

漱が気を失った隙を突いて、『夢』という形で干渉しているのである。

 

聞こえる疑問の声を無視して、炎を避けることもせず、真っ直ぐに歩く。

 

夢の中、物理的な炎ではないと分かっているのなら恐れることはない。いくら熱かろうが、それは身を傷つけることはないし、生憎灼ける様な、燃える様な感覚を与えてこないまやかしのものであればなおさら、気にする必要性を感じない。

 

『ナゼ、ナゼ、ナゼ』

 

だから、声を無視して、熱さを無視して、ただただ前へと進む。

 

段々と聴こえる声は大きくなって、炎はその熱さを増す。まるで漱を遠ざけたいかの様に強まっていくそれらに、この選択は間違っていないと確信する。

 

故に、足は止めない。

 

 

そうして、しばらく歩いた先、炎で囲まれた空間に出る。小屋の様なものがポツンと建っているそこは、この世界で唯一、血のような雲がなく、燃え盛る戦場でもない。

その空間だけを切り取るように青い空が見え、足元には草花が茂っていた。

 

小屋の方はというと、その外観は新品とは言い難いものの、綺麗にされている。古風な、昔ながらの木造一軒家、といった感じだ。

 

引き戸を開いて中に入ると、中央には囲炉裏があり、その囲炉裏を囲うように4枚の座布団が置かれている。その直ぐそばに置かれた空の器と、漂う出汁と味噌の香りからつい先ほどまで食事をしていたのだと伺えた。

 

先程までの惨状からは想像が出来ないほどの、穏やかな様子。

 

『何故、何故なのですか』

 

『どうして、どうして』

 

『許さない、許せない』

 

けれど、怨嗟の声はより強く、はっきりと聞こえてくる。不気味だった声ははっきりと、女のもの、子供のもの、男のものと分かれて聴こえてくる。

 

「妖刀の記憶ってやつだな」

 

ポツリと、半ば断定するように呟けば、あとは声がより大きく聴こえる方へと向かう。

部屋の奥、大きな棚の方へと歩み寄れば、声に加えて異臭が鼻に届く。

 

「ビンゴ」

 

観音開きとなっている棚の扉を開けば、閉じ込められた臭いが解き放たれる。吐き気を催すほどの腐敗臭と、生臭い血の臭いに顔を顰めて、手で口元を覆う。

 

棚の中には腐肉が詰め込まれていて、大人のものと思しき頭蓋骨が二つ、小さな、子供のものと思しき頭蓋骨が一つ、丁寧に並べられている。

 

三つの頭蓋骨の中心には刀が一本。

 

『どうして、どうして』

 

『何故、何故なのですか。何故』

 

『許せぬ、許さぬ。殺せ、殺せ、殺せ』

 

自分から全てを奪う世界を呪えと、刀は訴えかけてくる。無惨な骸は無念を叫ぶ。それは憤怒であり、怨嗟であった。

 

どうしようもない、この世界の理不尽の中で生まれた妖刀の叫びであった。

 

「__五月蝿い。八つ当たりはやめろ」

 

その怒りをぶつける相手はもういないと、漱は口にして、鬱憤を晴らすようにその刀へと、思い切り拳を叩き付けた。

 

 

***

 

 

「ってぇ!!?」

 

暗転、覚醒。

 

刀を殴り付けた漱は、その瞬間夢の中にあった意識は現実に引き戻された。

身体中の痛みに声を上げながら目を見開く。

 

ぺろぺろ、と頬を舐める感触と、見慣れた天井、柔らかな感覚に、どうやら猫共々家に運び込まれたらしいことを、あまりの激痛にまともに働かない思考の中、たっぷり10秒ほど時間を置いて理解する。

 

「あるじさま!??」

 

直後、聞き慣れた、けれど初めて聴くような焦燥を含んだ声が耳に届いて、パタパタと駆けてくる足音と共に、がらりと寝室の戸が開く。

顔をそちらに向ければ、慌てた様子のヤツカが、まるで親を探す迷子のような、今にも泣きそうな、不安げな表情を浮かべて現れるのが見えた。

 

とてとてと早足に漱の側へと歩み寄ると、その傍らに座り込んで、小さな手を、漱の頬へと当てる。

 

「おきづきに、なられたのですね。あるじさま」

 

安堵のため息をついて、ぽろ、ぽろりと涙を零す。

いつのまにか猫は頬を舐めるのをやめて、漱の顔の横で丸まっていて、ヤツカはそれを気にせず、涙を零しながらも嬉しそうにその頬に添えた手を離さず、その温もりを噛み締めるような様子すら感じられる。

 

漱も、その様子に何も言えずそのまま数分ほど時間が経過して、ヤツカはその手を離すと、涙の跡を残したまま、笑顔で口にする。

 

「あるじさまは、おおけがをしておりますゆえ、ゆっくりとごようじょうください。……ええ、ええ、わたくしが、しっかりと、おせわさせていただきますゆえ」

 

「いや、動けないほどじゃないから大丈夫だって」

 

にこやかに、安心してくださいと言わんばかりに言うヤツカに、痛む体を無理矢理起こして、痛みに顔を顰めながらも気恥ずかしさと、絵面の問題としても、漱はその提案を拒否する。

 

そう、その提案を受けてみろ。万一、推定送ってくれたと思しき誰かがこの場にまだ居た場合碌な事にならない。

冷静に、努めて冷静にそう漱は考えて。

 

「……心配だからまだ残ってたんだけど」

 

ヤツカに意識を割いていたからか、漱はその声を聞くまで気付かなかった。

 

いまだ、漱の目には女性に見える奏が、寝室の入り口付近に立っている。

 

その冷たい視線と、ヤツカからの心配と、安堵と、どことなく感じる不満げな視線を浴びながら、漱は頭を抱えるのだった。




可笑しい。ぷんぷん幼女フィーバーのつもりが主人公イン妖刀ワールドになっていた。。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

マガツキ・1

ヤツカにとって漱はいなくてはならない、何よりも大切な存在だ。

それは彼女が家に宿り、家に憑く、付喪神の一種であり、『座敷童』として存在するにあたり家だけではなく住人が必要だから、と言うのもあるが、それだけでは弱い。

 

そもそも座敷童とは家を大切にするものの前に顔を出し、家を大事にする限り幸いを与え続け、家を守り続ける存在だ。

 

だから、家主だから、だけでは理由としては全く足りていない。

彼女が漱を慕うのはまさしく、自分が救われたからだ。

 

漱自身は軽く考えているが、彼が家の修繕を行ったことそのものがある種の彼女への信仰となっている。『家を大切にする』という行いそのものだ。

 

人間で例えるとわかりやすいかもしれない。

 

明日にも死んでしまうかもしれないほどの重傷、あるいは重度の病。漱はそれを治療したようなもので、それでヤツカは『姿を現せる』程にまで回復できた。

 

それは、『座敷童』として復活出来たことを示していて、ヤツカにとって、漱は『命の恩人』であり、『全てを捧げる相手』であった。

 

だからこそ、ボロボロの漱を見た瞬間、彼女は狼狽した。死んではいないとわかっても、不安は拭えなかった。

 

「ヤツカ、そんなに心配しなくても」

 

「あるじさま、わたくしはふあんなのです。あるじさまが、いなくなってしまわれないか、ふあんなのです」

 

重ねていうが、ヤツカにとって漱は大切な存在だ。失いたくない、奪われたくない、そんな存在だ。

 

だからもう一度同じことが起こるかもしれない、という恐怖がヤツカに生まれた。

 

結果、化け物に襲われ、傷だらけになった一週間後、どうにか普通に生活出来るレベルまで怪我が治ってきた現在、ヤツカは漱から離れたがらなくなっていた。

 

「学校には流石に連れていけないんだよなぁ……」

 

目の前にじっと佇んで、イヤイヤと首を振るヤツカを見て、どうするかなぁと、漱はぼやいた。

 

 

「あるじさま、あるじさま」

 

制服の胸ポケットの中、ひょこりと顔を出す小さな人形のようなもの……誤魔化しが効きやすいよう、存在の一部を分け人形サイズで生み出されたヤツカ自身が、嬉しそうな声音で漱に声をかける。

 

結局、頑として譲らなかったヤツカに、漱は折衷案を出すことにした。それが現在のヤツカの状態である。

 

「ヤツカ、約束はきちんと守ってくれよ?」

 

苦笑する漱に、とてもいい笑顔を向ける。

 

「はい、もちろんで、ございます!ごゆうじんさまの、ちゅうげんも、ございますゆえ。せいいっぱい、にんぎょうのふりに、てっします」

 

こくりと頷いてそう答えるヤツカの頭を指の腹で撫でてやりながらも、奏との会話を思い返していた。

 

 

***

 

 

時は遡り、一週間前。奏によって家に運ばれた漱が目を覚ました後のことだった。

 

ヤツカとのちょっとした攻防を終えた後、呆れた目でこちらを見ていた奏は、漱の側へと近寄った。

 

じっと、上体を起こした漱の姿を見つめる。

 

身体中に巻かれた包帯は赤く滲んでおり、白い箇所の方が少ないくらいだ。包帯を巻かれていないのはそれこそ顔くらいのもので、それが不気味さを演出している。

 

そのズタボロな姿に己の不甲斐なさを強く感じ、けれど間違いなく生きているといえる姿に安堵する。握りしめた拳と、口からこぼれた溜息が、なんともチグハグな印象だった。

 

「さて、漱。お前にはもう普通の人生は送れないと思ってくれ」

 

奏の口から告げられたのは、心配でも労りでもなく、ただ淡々とした、事実であり、警告だった。

 

それは『この世界』において、怪物、妖、それらに関わるものは秘匿すべきもので、『存在しない、架空のもの』として扱うべき代物だからだ。

 

当然、それらが絡む事件は隠蔽されるし、助けられた人々にも別の記憶が植え付けられる。本来であれば漱も似たような対処をされるはずだった。

 

しかし、漱は消滅寸前の妖刀に襲われ、取り憑かれた。この時点で、彼は怪物と成り果て殺されるか、この世界の裏側とも呼ぶべき側面に足を踏み入れるしかなくなった。

 

そんな事を、奏は淡々と漱に告げる。

 

「その付喪神だけなら、まあまだ庇えたんだけどな。マガツキになったのなら話は別だ」

 

やはりというかなんというか、ヤツカがどういう存在かを把握していたらしい奏はそう言いながら、大して驚いてなさそうな漱の様子を観察する。

 

特に何も言わない、黙って話を聞く漱を、射抜くように見つめる。

 

「……まあ、『再現者』のお前なら理解してるかもしれないけど、絶対に一般人にその子の正体を晒すなよ?お前自身のこともだ」

 

そう言った奏は、酷く真剣な様子で漱をまっすぐ見つめる。

 

細かいことは後で、そう言ってその日は奏は家に帰っていった。

 

「ところであるじさま、ごゆうじんさまは、なぜだんそうを?」

 

「あ、そうだ忘れてた」

 

結局、それから一週間、奏は再度顔を見せることはなかったので、聞く機会を逃したままだったが。

 

 

***

 

 

そんな事があったなぁ、と一週間、ほぼ寝たきりに近かった故に衰えた体力で四苦八苦しつつも学園へと辿り着いた漱は、自らの席で背もたれに身を預けながら思い出していた。

 

一週間ぶりに見る奏の姿は、男性のもので、やはり痛みが齎した幻覚だったのではないかと思うも、違和感を何処かでずっと感じていた。

 

「漱、今日放課後お前の家に行くから」

 

「あいよー」

 

しれっと言われた言葉に反射的に答えつつ、ん?と発言を反芻して暫し固まる。

 

用件は分かりきっている事である。

 

丁度いいか、と脱力すれば、チャイムが鳴るまで、机に突っ伏すことにした。

 

 

***

 

 

岐路は越えた、前提は崩れた。

 

「マガツの唄をうたいましょう。ウツロの調べを奏でましょう。終わるものは続き、(ゆが)むものは(ひず)まず、澱むものは穢れず。果てを見ましょう。果てに見ましょう。

 

ふふ、楽しみね、愛しいあなた。始まりのあなた」

 

暗闇の中、琥珀色の輝きを放つ、二つの瞳だけが浮かび上がっていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

マガツキ・2

「あるじさま、あるじさま」(ぽんぽん)
「ヤツカどうした?膝を叩いて」
「おみみの、おそうじを。きになされていたでしょう?」
「自分でやるから大丈夫」
「なりません。きけん、ですから。ですので」(ぽんぽん)
「……じゃあ、頼んでもいいか?」(苦笑)
「はい!!おまかせください、あるじさま!」(にぱー)

ある休日の一幕


そして放課後。

 

禍ツ人に襲われた事件は通り魔事件として扱われていたらしく、漱はその被害者として一週間養生していたことになっていた。まあ実際、通り魔の正体が禍ツ人だったことは間違いないのだが、その正体は狂人である、ということにされていた。

 

まあそんなわけで、未だに怪我が治りきっていないが故か、バイト先の店長からはもう暫く養生してくれ、とのことで、本日のバイトは休みとなり、漱は大人しく家に帰っていた。

 

「おかえりなさいませ、あるじさま!」

 

玄関に入ると、ヤツカが、ぱたぱたと駆け寄ってきて、それと同時に胸元のポケットから彼女の分身が本体の元へと戻っていく。

にぱぁと、輝くような笑顔に、つられて漱も笑みを浮かべた。

 

「ただいま。奏来るまで時間あるし、ゆっくりしようか」

 

「はい!では、おちゃを、よういいたします」

 

そう言って、ぺこりと頭を下げてトコトコと居間の方へと向かうヤツカをしばし見つめて、漱も靴を脱いで、家の中へと入っていった。

 

 

暫く、ヤツカと2人でお茶を飲みつつのんびりとしていたら、ぴーんぽーんと、インターホンが鳴らされる。

気付いて玄関へと行こうとすれば、それを制止してヤツカがテクテクと玄関の方へと向かい、程なくして奏を連れて戻ってくる。

 

「お邪魔させてもらうよ」

 

「らっしゃい、まあとりあえず座ったら?」

 

「おちゃを、おもちしますので、しばしおまちください。ごゆうじんさま」

 

漱は、予め用意していた座布団を指差して、奏に座るように促せば、言われるままにそこに座る。

ヤツカはそのままお茶を用意しに厨房の方へと向かっていく。

その後ろ姿をしばし眺めて、漱は奏の方へと向き直る。

 

やはり、その姿は男としてのそれで、あの日見た女性らしい丸みも膨らみもない。

けれど、違和感は消えないままだった。

 

「……?なんだよ、じっとこっちを見て」

 

じっと眺めていたからだろう。

訝しむような目で奏は漱を見る。困ったように眉根を寄せながら告げられた言葉に、漱は我に帰った。

 

「あっ、あぁ。悪いな、何の用なのか気になってさ」

 

取り繕うように告げられた言葉に、奏はああ、と口にしながらガリガリと頭を掻く。

大体察しはついていたが、話をするには聞くことは別に不思議ではない。

 

「『こちら側』の世界の話だよ。予想くらいできてただろ?」

 

そう口にする奏に、漱は苦笑を浮かべて首肯する。

 

「おまたせして、もうしわけありません、ごゆうじんさま。どうぞ。おあついので、おきをつけて」

 

「ああ、ありがとう」

 

お盆に湯呑みを乗せて戻ってきたヤツカが、奏の前にそれをおくと、礼を告げる奏に「きにしないでください」と告げ、お盆をもったまま漱の隣へとちょこんと座る。

 

湯呑みを手に持って、ふうふうと息を吹きかけ冷ましながら口の中に含み、喉を鳴らして飲み込む。

 

ほっと、一息ついたところで、改めて2人の方へと視線を向けた奏は、湯呑みを持ったまま口を開く。

 

「さて、本題に入るぞ」

 

特に2人とも反論する様子がないと見ると、奏はそのまま言葉を重ねる。

 

「端的に言えば、漱、お前は要監視対象者、ってことになった」

 

「俺がマガツキになったからか?」

 

「そう。感覚としてわかってるよな?お前の体、もう『普通の人間のものじゃない』ってのは」

 

はっきりと告げる奏に、漱は頷く。

 

普通に考えて、『内側から生えてきた刃でズタズタになっていた体』が、僅か一週間で日常生活に支障がなくなっているのはおかしいだろう。

 

体に残っている傷も幾らかの裂傷にまで減り、染みることはあっても、それらもほぼ治りかけの状態だ。

 

どう考えても異常であるし、寝たきりで体力は減っていたが、筋力が衰えた様子を感じなかったことも、異常性に拍車をかけている。

 

「マガツキってのは『妖、怪物に憑かれながらも調伏した、妖や怪物の力を扱える人間』のことなんだが、これは『肉体がそれに適するように作り替えられてる』って前提があってな」

 

お前みたいな、と漱を指差しながら、言葉を重ねていく。

 

漱は、その言葉を聴きながら、自分の記憶にある知識、設定を思い返す。

 

マガツキと禍ツ人は何が違うの、というゲームのタイトル画面から確認できるコラムでは、『人間側の理性、人格が残っているか否か』と書かれていた。

 

要するに、マガツキも禍ツ人も肉体的には同一であり、ただ『変えられて力を使えるが故に人の側に寄せれる』と言うだけなのだ。

 

「これによってマガツキは人を超える力を得る。……あんまり前例はないんだけどな、憑かれた人間の人間性によっては無辜の民にも危険が及ぶ。

 

漱が悪用するとはあんま思わないんだけどさ、悪いな」

 

申し訳なさそう言う奏に、漱は首を横に振る。実際、『勾一族』として、魔狩りを生業とする奏の立場としては仕方のないことであり、漱は責める気にはなれない。

 

「まあ、そのうち、僕と同じような人にも会わせるよ。連れてくるように命じられてるしな」

 

さて、と次の話へと切り替えようとする奏に、ヤツカがゆっくりと口を開いた。

 

「ところで、かんけいはないとおもうのですが」

 

漱の方へと目を向けて、その視線を受けた漱の頷きを見て、躊躇いがちにヤツカは口を開く。

疑問があるのだろう、と、ヤツカの発言を止めることなく、聞くように促して。

 

「ごゆうじんさま、なぜ、だんそうを、なさっているのでしょうか?」

 

ぶち込まれた爆弾に、奏はその動きをぴたりと、まるで凍りついたかのように止めた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

性別問題

「は、はぁ!??僕は男だけど!??」

 

数十秒後、硬直から解放された奏は大きな声でヤツカの問いかけを否定する。

男なのだから男の格好をしているのは不自然ではない。それは、確かにそうだ。

 

仮に女性だとしても、別に疑問に思うことではない。漱も、奏が男の格好をしていることに疑問を感じているわけではないのだから。

 

彼が疑問を感じているのは俗に言う、『お前、女だったのか……』問題の方だ。エロゲ主人公であると言う認識を置いておいても、数年間友人をやってきていて、実は女だった、なんて疑惑が浮かべば混乱もする。激痛の中で見た幻覚だと言うことにしておきたい気持ちもあるくらいだ。

 

対してヤツカは、恐らくは男女の価値観が昔、それこそ『男とはこうあるべし』『女性とはこうあるべし』と誰もが認識していた時代のそれに近しいのだろう。

 

故に純粋に男の格好をしていることに疑問を抱いた。

 

どちらにしても、『九十九奏が女である』と言う前提でなければ成り立たない話である。

 

「だよなぁ……。んじゃあやっぱアレは激痛で見た幻覚か」

 

「いえ、あるじさま。ごゆうじんさまは、たしかに、おなごでございますよ?」

 

奏の主張を素直に信じた漱とは対照的に、困り顔で奏を見て、漱の顔を見つめるヤツカ。

 

漱の目には、少なくとも今の奏の姿は男であることになんの違和感も感じないが、ヤツカの方はそうではないらしく、はっきりと断定さえしていた。

 

まるでその目には普通に女性のものに見えているようですらある発言である。

 

「……はぁ」

 

重ねられた言葉に、動揺を通り越して、逆に冷静になったらしい奏はやるせなさそうにため息を吐く。

何か思い当たることがあったのか、諦めたような様子だ。

 

「仮にも神様……ってわけだ。甘く見てた僕が悪いかもだけど。それでいつから?」

 

「いわかんは、はじめておあいしたときに。あるじさまをすくっていただいたさいには、かくしんを。わたくしは『やもりのいちぞく』にございますから」

 

ゆったりと、真っ直ぐに目を見て答えるヤツカに、奏は納得したように声を漏らす。

 

「ああ、土地神の目の前で隠し事してるようなもんか……。でも、漱に勘付かれたのは納得いかないけど」

 

土地神、というよりは守り神であるヤツカは、自分が守るべき家の中であれば、その内部の異変を察知、排除することができる。

 

そう言った『権能』があることを察したのだろう。けれど、漱の方に見抜かれたのは納得がいかなかった。

 

なんせ今でこそマガツキとなって普通の枠から外れたとはいえ、彼は一般人だ。勘付くことすら出来ないはずなのだ。少なくとも、これまではずっとそうだった。

 

「お前が助けに入ってきてくれた時、思いっきり女の姿だったんだけど……」

 

不満げに漱へと視線を送る奏に、困惑したような表情を向ける。

実際にそうだったのだから、仕方がない。夢、幻の類ではないのだとしたら、隠してきた真実を見てしまった、ということになる。

 

「はは、いやそんなワケ。確かにあの時はいつもの妖具はつけてなかったけ……ど……」

 

言いながら、奏は何かに気が付いたのか、言葉に勢いがなくなっていく。

 

気付いた、というよりは思い出した、というのが相応しいだろうか。

 

「僕は馬鹿か、漱は再現者だ。『みた』んだから確実……」

 

ぶつくさと言葉を呟き始める奏に、ヤツカは首を傾げて、漱はああ、と声を漏らす。

 

ゲームにおいて九十九奏は安倍晴明の再現者でありながら、妖に憑かれたマガツキでもある。と言っても妖の力は強力無比、というわけではない。なんせ原典においてはただ家に上がり込んでお茶を啜るだけの比較的無害な存在なのだ。

 

その名はぬらりひょん。設定上、『自分への認識を歪める』という能力を有していて、この力は精神干渉のようなものだと語られていた。

 

漱に影響しなかったのも当然である。『再現者』として得た強い精神性は妖、怪物からの干渉を受けても自己が揺らがない程のものであり、単純に相性が最悪なのである。

 

「あの日の僕はいつもの『視覚を誤魔化す』妖具……まあ、無害な妖刀みたいなもんだけど、それをつけてなかった。だから自分の能力で『男としてしか認識しない』ようにしてたんだけど、お前には効いてないんだな」

 

頭の中が整理できたのだろう。漱が怪物に襲われた日、何故女であることがバレたのか、確信を得たらしい。

 

効いていない、と言われてもいまいちと漱はピンとは来ない。ただ、漠然とそうなんだろうな、と理解はしていた。

 

「ワンチャンスに期待してたとはいえ、普通に考えれば只の人間が精神汚染に特化した化け物の支配から逃れられる訳がないからな」

 

そう、妖、怪物の中でもトップクラスの精神干渉力を持つのが負の感情を込めて作られた妖刀を始めとする『道具』がベースとなってる化け物だ。

 

その為、それを乗り越えられるとしたら特殊な条件が必要になる。漱の場合は再現者となったことで得た強靭な精神性。それが妖刀の干渉を弾くことが出来た。

 

「なあ、お前が得た記憶は誰の物だ?」

 

尋ねる奏の様子は真剣そのものだった。




明日からのfgoのレイド楽しみだなー!!だなー!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

別の世界の再現者

「つってもなぁ……」

 

漱は困ったように頬をかく。なんと言うべきか、説明に困った様子。

 

有名ではない、と言うだけなら兎も角、恐らくは世界線そのものが違う存在なのだから、『前世』の記憶を持つ存在がいるのを知っていても、別世界の人間の記憶、だなんて与太話でしかない。

 

もっとも、『再現者』なんて存在がいる時点で平行世界等も別に不思議ではないし、人ならざるものが棲まう別の世界すらあるのだから、その懸念は杞憂でしかないのだが。

 

「別に、偉人とか、英傑とかの記憶を得たって訳じゃないんだよ。ごく普通の一般人だったし」

 

そう、一般人。なんの力もない、ごく普通の人間だった。異能もない、偉業もない、何処にでもいるようなありふれた男だった。

ありふれた子供時代を過ごして、ありふれた青春を駆け抜けて、大人になり、会社に勤め、日々働く一般人。

 

この世界のように、秘匿された知られざる何かがあったのならともかく、少なくともそんなものには触れることもなく、関わることもなく生きていた、ただの人。

 

前世と思えるその記憶の持ち主は、そういう人だった。

 

「いや、それはない。一般人なら『マガツキ』も『再現者』も、オカルトと一蹴されるようなものは知らない。

 

僕が説明した時も大して驚いてなかったし、お前知ってたよな?」

 

奏は訝しむような目で、半ば睨みつけるように漱を見つめる。

実際、オカルトに関わることがなければ知ることはないし、万一関わっても只人のままであればその記憶を書き換えられる。

 

奏の疑いは正しく、けれど漱も嘘はついていない。

 

小さく苦笑を浮かべると、一つ、問いかけた。

 

「マガツキとかでもなければ知ってるのはおかしい、ってことだろ?

 

別の世界の人間の記憶があるって言ったら、お前は信じるか?」

 

漱の言葉に、奏は顔を顰める。荒唐無稽とは言わないが、この世界において、魔狩りを生業とするものが別の世界と聞いて頭に浮かぶのは一つ、『虚の庭』だ。

 

妖怪、怪物、神、それらが棲まう世界。

 

人ならざる者の庭、異形の坩堝。

 

「お前まさか」

 

苦虫を噛み潰したような表情の奏に、手をひらひらと振る。

浮かんだ苦笑と、頭を横に振る漱は、奏が言葉を言い切る前に口を再度開く。

 

「何考えてるか分かるけど『虚の庭』に流れ着いた人間の記憶、って訳じゃないぞ。一般人だって言ってるだろ」

 

「仮に並行世界ってもんがあったとしても、それなら余計お前が知ってる理由にはならなくはないか?」

 

「いや、なるんだよそれが。俺はこの世界にゲームって形で触れてたらしいんだわこれが」

 

漱が告げた言葉に、奏は文字通り目の色を変えて聴いていた。

 

本来黒いはずの瞳は翡翠の輝きを放っていて、腹の底まで見通されそうな、そんな予感すら感じられた。

 

そして、それは事実としてそうである。奏の瞳が翡翠色に染まるのは『再現者』として瞳術を使う時に限られる。

多彩な瞳術を扱える奏だが、恐らく今は心眼、心の内を見抜き嘘を見破る術を使っているのだろう。

 

「嘘……はないみたいだな。ならお前、単純に前世がメンタルが強かった、ってだけか?」

 

「なんじゃねえの?」

 

「僕そんな雑なノリで秘密見破られたのか……」

 

ショックを受けた様子の奏に、かける言葉が見当たらなかった。

 

 

***

 

 

気を取り直した奏と、この世界について情報の擦り合わせを終えた後、奏は特に話すこともなくなったのか、そのまま帰っていった。

 

去り際に念押しするように『オカルト関係の話は秘密』、『自分はこれまで通り男として扱え』と言われたこと以外、他に特筆することはない。

 

「……にしてもなぁ」

 

ぼんやりと、ため息を吐きながらぼやくように口にする。

 

やはり、奏は本当に女だった、という事実はかなり衝撃的だった。見た目は変わらないのだとしても、意識せずにいることができるかはわからない。

 

しかも何より困るのは、この先のことだ。

 

参考程度でいいだろう、と考えていた原作知識のその根幹そのものが崩れ去る。

 

漱が認識している作中での奏はまごうことなく男であり、実は女でした、みたいな話も出てこなかった。

 

そもそも、男性向けのエロゲーで、これから個性豊かな、ともすれば地雷原とも称せるヒロインを口説き落とし魅了する筈の主人公が女性なのだ。

 

「この先どうなるんだ……?シナリオ通りに進まない、あの地獄絵図にならないって信じていいものか……?」

 

ここに来て、何処か楽観的に考えていた漱は、真面目にこの先の未来について考え出した。いくら鬱ゲーの世界とはいえ、正解の道筋を知ってる自分が奏を誘導すれば酷いことにはならないだろう、なんて甘い考えはもう持てない。

 

「あるじさま?」

 

真剣な顔つきで、将来への不安を振り切るように思考を回していた漱の耳に、その身を案じるような声が届く。

 

先程まで食器を洗っていた筈のヤツカがいつの間にか隣にちょこんと座っていて、漱の顔を見つめていた。

 

「ヤツカ?」

 

「あるじさまが、なにをふあんにおもって、あんじておられるのかは、わたくしにはわかりません。ですが、あんしんしてくださいませ。なにがおきようと、こんどこそ、わたくしがあるじさまをおまもりいたします」

 

そっと、漱の頬にその小さな手を当てて、柔らかくヤツカは微笑む。

 

この世界をゲームという形で知って、知らぬ間に理不尽に晒されかねないことを知って、なおかつ、かなり甘く見ていた現実を理解して、いくら強い心を得たとしても、ごく普通の少年である漱が抱え込むにはそれは重荷でしかない。

 

だから、ヤツカの言葉は有り難く。

 

「……有難う。けど俺は大丈夫だよ」

 

男としての矜持が、それに甘えることは許さない。

いつの間にか固く握っていた拳を解いて、ヤツカの頭の上に掌を乗せ、その柔らかな髪をくしゃりと撫でる。

 

「まずは知らないとな、この世界」

 

少なくとも、目の前のこの可愛らしい付喪神には胸を張れるように、頑張らないといけないと、漱は、気持ちよさそうに目を細めながらこちらを見つめるヤツカを見て、そう感じながら、その頭を撫で続けた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間

暗い暗い部屋、パソコンの明かりがぼんやりと1人の男の顔を照らす。

どこにでも居そうな、普通の顔立ちは、けれど目の下にくっきりとついた濃い隈と、照らし付ける青白い光のせいか、酷く不気味なものに見えた。

 

カチカチとエンターキーを押す音だけが部屋に響く。時折マウスをクリックする音が入り混ざるものの、その無機質な音は静かな部屋でやけに響く。

 

開かれたウィンドウに映し出されているのは一枚絵だ。描かれるのは夜の森。

 

半ばからへし折れた木々、抉れた地面、半ば異形と化し始めている人。

 

丁寧に描かれているが故に、その情景の凄惨さを物語っていた。

 

月の光が遮ることなくそれを照らしている風に描かれている。

 

肉体を突き破る無数の刃、飛び散る血肉に、赤く濡れそぼった金属の光沢、生々しい肉の裂け目、まるで鋼のように変色し出した肌、髪の毛一本すら余さず描く、と言う気概の感じられるその一枚絵は、鮮明に、1人の人間が怪物へと変じていく過程が描かれていた。

 

「うっわ……ぐっろ……、普通ここまでやる??」

 

鮮明なのはイラストだけではない。下の方にあるテキストボックスでは、怪物へと成り果てる様を丁寧に、臨場感たっぷりに書き連ねている。

 

その文章を見ればはっきりと脳内に情景を浮かべられそうなほどに、しっかりと書き記されたテキストに、男はげんなりとした表情を浮かべつつも、進める手は止めない。

 

「さすが『マガツキノウタ』だわ……、イラストレーターもシナリオライターも、スタッフ全員病気って言われるだけはある」

 

呆れたように男は呟く。

けれど、その声には称賛と感心が入り混じっていて、気分悪そうにしながらも、画面からは目を逸らさない。

 

そうして、テキストを読み進めていくと、イラストは切り替わる。画面は暗転し、次の瞬間には真っ赤な背景の中、肉がぼこりぼこりとまるで沸騰した水の様に沸き立つ、人型の何かのものに変わる。

 

それも次の瞬間には肉の泡は弾け飛び、鮮血を撒き散らしながらその内側から人体にはありえない冷たい光沢を晒す絵が浮かべば、それもまた暗転する。

 

そうして次に映し出されたのは人型の化け物だった。

 

肉体は全て鍛え上げられた鋼のようなものに変えられ、人ではありえない金属の光沢を放つ。月の光に照らされ、いっそのこと神々しくすら見えた。

顔にはその面影はなく、顔の上半身は幾つもの鋭利な刃で覆われ、口元、その口の端からも刃がそれぞれ伸びていた。

 

指先ひとつとっても全て鋭利になっていて、肘からは大きなブレードのようなものが生えている。

 

『そうして、少年は変生した。あるいは、転生した。人ならざるもの。妖刀に憑かれ、支配され、災禍を撒き散らす怪物、禍ツ人と成り果てた。

髪の一本、血の一滴、細胞の一欠片に至るまで余す事なく、全て全て、妖刀のものとなってしまった』

 

表示されたテキストを読みながら、エンターキーを押して次に進めると、またしてもイラストが切り替わる。

 

足から順に、下から上へと黒い学ランを着た女性が映し出される。

 

躍動感たっぷりに描かれているのは今にも斬りかからんと、刀を両手で強く握り締め振り上げ、駆け出す姿だ。

 

豊満な胸を有する、学ランを着ていてもわかる肉感的な体、顔だけならどちらとも取れる中性的な、整った美しい顔に浮かぶのは何処までも真剣な表情。嘆きと諦観が入り混じって感じられるような顔つきで描かれていた。

 

今にも動き出しそうなほどに細やかに描かれたシーンは、男の手を止めさせるほどのものだ。

 

今漸く、このシーンに至るまで立ち絵を一切見せなかった主人公の姿に、男は唸る。

 

「アペンドディスクに本気出しすぎだろ……、しかも前日譚と言える話で騙し討ちやめろ……」

 

一部でカルト的な人気を得た18禁ノベルゲーム、『マガツキノウタ』のアペンドディスクで追加された2篇のシナリオ、その片方である本編開始前の、前日譚とも呼べるシナリオを読み終えた男は背凭れに体を預け、部屋の天井を仰ぎ見た。

 

本編をクリア済みの男からすれば、この前日譚は衝撃的すぎた。一切の分岐がないのは、まあ前日譚だから、と考えると当然だ。

 

本編まで行くという未来が決まってるなら、分岐がない一本道にしたほうが分かりやすいし、力も入れやすそうだ。

 

内容自体はラストを除けばごく平穏な日常だった。中学生になった主人公と、そこでできた友人との二年間、そして高校に入学して再会してから、夏休みが終わる頃までの数ヶ月間の、心を閉ざしていた主人公が少しずつ心を開いていく過程を描いたものだ。追加エピソード、とするにはとてもボリュームがあり、読み応えもあった。

 

そう、本編開始時点でなるべく人と深い関わりを持たないようにしてた主人公の、『語っていない過去』と、『明かされていない真実』を書き出していたのが、この前日譚だった。

 

「心をへし折る過程で衝撃の事実明かしやがって……。

誰がエロゲーの主人公が『元女』なんて思うかよ」

 

深い溜息と共に吐き出された言葉は静かな部屋でやけに響いているように感じられる。

 

ヤケクソのようにベッドの方へとダイブすれば、男はそのまま目を閉じる。

 

画面には、絶望したような表情をした、おかっぱの少女。黄金色の瞳からは光が失われて、赤が基調の着物の桜模様が黒く染まっていく様子をアニメーションとしてご丁寧にも描いていた。




これが公式設定、ってワケ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

猫と童と秋の昼

今まで三人称もどきで書いていましたが今話より一人称を実装します。場合により使い分けられたらいいなぁ、とは思っておりますが、至らぬところも多いので寛大な心でお付き合いくださいませ。


残暑も過ぎ、青々と茂っていた木の葉もその色を鮮やかな紅や黄色へと染めていく。

日中あれだけ騒ぎ立てていた蝉の声ももはや聴こえず、陽が沈む頃には心地よい虫の音が聞こえるようになって来た。

 

涼しい風が吹き付ける10月も終わりの頃、奏に前世について語ってから一月半ほど経ったものの、あれから奏からの、裏に関わる呼び出しも特になく、平穏な日々を過ごしていた。

 

変わったことといえば、ひとつだけ。

 

「にゃぁん……」

 

あの日拾った黒猫が、ただの猫ではなかった、ということくらいであった。

 

 

***

 

 

にゃあ、と可愛らしくなく黒猫は甘えるように床につけていた手に顔を擦り寄せてくる。

そのまま手を浮かして、体を捩り、猫の体を抱き上げてやれば、胡座をかいた、足の上に乗せてやる。

そうして頭を撫でれば、機嫌良さそうにゆらゆらと2本ある尻尾を揺らす。

 

そう、2本の尾を持つ猫、つまるところ猫又、と言うのがこの黒猫の正体だった。

 

拾った当初……、というよりはつい最近までは尻尾は一つしかなかったので気付かなかったのだが、怪我が完全に治った時点でもう一本尾が生えてきた。あるいは見えるようになったのかもしれないが、ともかく、2本目の尻尾が現れ、その正体が明らかになった。

 

作中でもこちら側の世界、裏に関わる人々が言うには現世に妖、怪物がそのまま流れ付くケース、と言うのはゼロではない。

能動的に来ることが不可能、と言うだけであり、本当に、ごく稀に虚の庭と現世、隔離された二つの世界が繋がる時がある。

 

二つの世界を隔てるのは『神仏、妖怪、怪物の類は空想である』という認識だ。

 

神はいない、妖はいない、怪物はいない。オカルトはない、怪奇現象は物理、あるいは科学的な現象だ、そういった認識によって二つの世界は隔てられている。

 

それがごく稀に、何らかの要因で繋がる事がある。

 

それが認識の壁が消えたことだったり、あるいは突発的に起きる揺らぎのようなものかは不明であるが、二つの世界は局所的につながり、あるいは重なり、現世から虚の庭へ、またはその逆へと人や怪物が流れ込むことがあるのだ。

 

そういったケースであれば、怪物の類はそのまま、『人に取り憑く』という工程を踏む必要がない。

 

「エンカウント率おかしいよなこれ」

 

わしゃわしゃと撫でるたびに心地良さそうに、甘えるようににゃあ、と鳴き、手を止めるたびにもっと撫でろと言わんばかりに頭を掌に押し付けてくる。

 

猫又の相手をしながら、ポツリと呟く。

 

まず初めにヤツカに出会った。それからこの黒猫、そのすぐ後に妖刀の禍ツ人。原作において『怪異に関わると怪異に惹かれやすくなる』と言う事実は特にない筈なのだが、短いスパンで遭遇している。

 

まあ、同居してる時点で今更なのかもしれないが、不思議なことだと思う。

 

「この世界にいること自体がそも、そうかぁ……」

 

あの日ヤツカに告げた事もあり、この世界について知らなければならないと、そう思う。

原作通りに進むのか、進まないのか、それすらわからないが、判断を間違えると即座に地獄へと転落していくのがこの世界だ。

 

ほっといても平和に終わるかもしれないが、ひょんな事で不幸に叩き落とされるのがこの世界なのだから、油断ならない。

 

「で、ヤツカどうしたんだ?」

 

思考に耽っていたところ、じっと見つめる視線の方へと目を向ける。

マガツキ、となった為か、視線やら気配やらにやたらと敏感になったような気がする。

 

前までならここまでヒシヒシとは感じなかったので、妙な感覚を覚える。

 

「い、いえ。その……」

 

ヤツカの目線は自分……もっといえばその膝の上に乗せている猫又へと向けられていた。

問い掛けにどこか答えにくそうにモジモジと言い淀むヤツカは何処か羨ましそうな、妬ましげな様子だった。

 

……猫又を足の上に乗せてるのが羨ましいのだろう。ひょい、と猫又を持ち上げてみせる。

 

「ほら」

 

「あの、その……、それでは、おことばに、あまえさせていただきます」

 

どこか恐縮そうに言えば、ヤツカは猫又へと手を伸ばす、ことはせず、ススッと身を寄せて、足の隙間の中、俺の体を背もたれにするようにぽふんと座り込むと、満足そうにむふーと、息を吐く。

 

どうやら猫又の方を羨んでいたらしく、腕の中でのんびりとする猫又をそのまま床に下ろすと、空いた手でヤツカの頭をゆっくりと撫でてやる。

 

撫でられるのは好きなようで、幸せそうにふにゃりと表情を緩めるヤツカと、もっと構えと頭を体に擦り付けてくる猫又に思わず笑みが溢れてしまう。

 

温かく、幸せな光景だと、何となく思う。

 

(だから、この世界を知らないとなぁ。ありふれた幸せすら壊れかねないんだから)

 

より強く、そう思う。

 

だから、だから、と、めぐりはじめる、あるいは焦り始める思考は、ヤツカの呼びかけですんと止まる。

 

「あるじさま?」

 

「いや、なんでもない」

 

笑いかければ、笑い返してくる。平和で、穏やかな秋の休日の昼間のひと時であった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

むちむちお姉さん出現

何かを決意しようと、あるいはこの世界が例えゲームの世界だろうと、紛れもなく自分が生きている現実であるのだから、否応なく時は流れていくし、やらなければならないことはやってくる。

 

衣替えによって黒い学ランに袖を通した俺は、胸ポケットにヤツカの分け身を潜ませて学園に訪れていた。

 

本日は平日、通常の登校日である。

 

「漱くん漱くん、話を聞いてクレメンス」

 

席について窓の外をぼんやりと眺めていると、その手にホットドッグを持った美少年、友人である泰斗がキラキラと目を輝かせながら声をかけてきた。

 

基本的にいつも気怠げで、やる気がない彼がこういう風に目を輝かせる事はない。

数ヶ月友人として関わってきて、このような姿を見せるのはごく限られた内容でだけだ。

 

「お前がこの間嬉々として語ってた養護教諭の先生は既婚者だっただろ」

 

「わいの純情が弄ばれた事件やね、って違うそうじゃないんよ。昨日商店街でドストライクなお姉さん見つけたって話ですよ」

 

即ち、好みのタイプの女性を見つけた時だったりする。高身長でスタイルが抜群な美女が好みな泰斗は、そう言った女性を見かけたとき、またはそのことを話すときだけ、こうやって子供のように目をキラキラと輝かせて語り出すのだ。

 

純粋な子供のような目をしているが、考えていることは邪なのが勿体無い。顔はいいというのに。

 

「へぇ、それって古本屋の店主?」

 

「あー、漱くんのバイト先の?あの人も美人よね、でも前丁寧に振られた」

 

「いや節操なしかよ」

 

呆れた目を向ければ、泰斗は、いやん、とふざけながら身を捩る。絶妙に気持ちの悪い身の捩り方であった。

 

口をついて出そうになった罵倒は、かえって喜ばせるだけと自分に言い聞かせてどうにか抑えると、我に帰ったように泰斗が身を捩るのをやめて、こちらに視線を向け直した。

 

「今まで見たことない人だったし、多分あの人少なくとも商店街の人やないね。でもすっごく背が高くてばいんばいんだった」

 

眼福だった、そう言いながら目を閉じて、思い出に浸るように口にする泰斗。絵面だけならいい感じではあるのだが、いかんせん発言と内容が最低だった。

 

ふっ、と柔らかく微笑んではいるが、その思考の大半はそのくだんの美人な長身の女性なのだろう。気持ち悪くにやけるわけではないのがタチが悪い。

 

「包まれたい、蔑まれたい……」

 

呟く表情は段々と恍惚としたものに変わっていく。頬は赤らみ、目はとろんと蕩け、眦はいつもより下がってくる。

 

なまじ顔が良いだけに一部の人間は喜びそうな絵面ではあるが、俺にとっては少しばかり見慣れ始めた光景だ。正直慣れたくはなかった。

 

ポツポツと呟くように願望を吐き出し始めたので、いい加減止めることにする。

 

「落ち着け、少なくとも願望を吐き出すなら時と場合と場所を考えてくれ」

 

「おっと……、危ない危ない。わいの好感度が地に落ちるところやった。大きなお姉様を紹介してもらう野望が潰えちゃーう!」

 

「少なくともこのクラスに限っては手遅れだよ」

 

周囲の目はいつものことか、といったもので、とうの昔にこの男に順応していたらしく、ちらりと視線を向ければまた談笑に戻る。

 

扱い方を心得てるあたり適応力が高い気がするなぁこいつら、と思わなくもない。

 

「話題を変えるか、お前好みに入る人って学園生でいる?」

 

「変えてるようで変えてない気がするんですがそれは。んー、好みねぇ……正直学生は対象外なんですがそれは」

 

なんやかんや言いつつも、真剣に腕を組んで考え始める泰斗。

妄想中は願望が垂れ流しになるが思考を回させてやれば、油断すれば妙なことを吐き出す口も一時的には止まることはこれまでの付き合いで良く理解していた。

 

「あー、図書委員長とか、いいよねぇ……。あれで背丈が180後半だったらいうことなかったんすけどぉ」

 

「あー、あの先輩か。そういやお前が好きそうだよなぁ。でもあの人って性格的に好みから外れてね?」

 

「甘やかしも好物だからへーきへーき。でもサドッ気強い方が好みなのは確かやけどね、ところで漱くん」

 

そうして性癖混じりとは言え昼間に話すには問題ない会話の内容に落ち着いたところで、泰斗は思い出したかのようにこちらの名を呼ぶ。

唐突に話を変えて妙なことを言い合うのはいつものことであり、なんだ?と聞き返すと、教室の前方、黒板の上あたりに据え付けられた時計を指差した。

 

「図書委員長で思い出したんだけどそろそろ当番の時間じゃない?」

 

「やっべえ!!!」

 

その言葉に、俺は慌てて立ち上がり、廊下へと飛び出した。

 

ちなみに現在昼休みであった。

 

 

***

 

 

『マガツキノウタ』の舞台の一つとなるこの学園、吹寄学園にも当然のように委員会活動というものが存在する。ある程度自由な校風であるこの学園は、だからこそ生徒の自主性、と言うものは重んじられている。

 

生徒会や風紀委員会の学内での実権が強いのはその影響であり、作中では『裏』に関わる人材であった生徒会長や風紀委員長と協力し、学内に侵入していた禍ツ人や、ヒロインとも因縁深い地下組織に属するマガツキと戦うと言うイベントもあった。

 

自分が所属している図書委員会もそんな学内組織の一つではあるが、この委員会には特にこれと言った目立った特徴はなく、ごく普通の、それこそどこの学校にもあるような委員会だったりする。

 

「遅くなって申し訳ありません」

 

胸ポケットの中で揺さぶられていたであろうヤツカには申し訳ない気持ちになりながらも、出来る限り静かに図書室の扉を開ける。

 

入口の直ぐ側にはカウンターがあり、その内側に置かれた椅子には1人の女子生徒が座っていた。

 

長い、腰の辺りまで伸ばされたサラサラの黒い髪に、目元を覆い隠さんばかりの前髪を可愛らしいヘアピンで左右で固定した、どこか優しげな、落ち着いたものを感じさせる表情の女性だ。

 

少女、と言うにはあまりにも発達した身体、むちむちとした肉感的な肢体に、セーラー服を押し上げる豊満な胸に、大人びた顔立ちの人。

 

「ううん、時間通りだよ、漱くん。でも、真面目な君が時間ぴったりに来るのは珍しいかもね?」

 

図書委員長にして、『マガツキノウタ』においてやたらと酷い目に遭う先輩キャラ、『水上葵(みなかみあおい)』は、手に持っていたハードカバーの本から目を離し、こちらへと視線を向けて、柔らかに微笑んだ。




「あるじさま、あるじさま、すこしばかり、おまちを………、あーーーれーーー」(胸ポケットの中で散々揺れてぴょんぴょんするヤツカちゃん)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

不遇キャラと委員会活動

むちむちお姉さんを出したところ一気にお気に入りが増えて驚きました。これからも頑張って更新していく所存ですので良ければこれからもお読みいただけると幸いです。

おっぱいがすげーのか年始ってのが効いてるのかはわからん


「少し友人と話し込んでしまって。すみません仕事を任せてしまって」

 

時間通り、とは言われたものの、いつもより遅れたことに違いはなく、俺は頭を下げる。

5分前、あるいは10分前行動は基本なのだ。

 

それは学生であっても同じこと、いや寧ろ学生身分であるからこそ、より意識する様に口を酸っぱく言われる事である。

 

「あはは、気にしなくても大丈夫だよ?遅刻してたら小言の一つは言わなきゃだったかもだけどね?」

 

冗談めかして水上先輩は笑いながら、パタンと、本を閉じてカウンターの上に置いて立ち上がる。

 

立ち上がるとその肉体の豊満さはより顕著になる。180cm近い背丈に、爆乳と呼ばれそうな大きさの胸、これまた豊かに実った尻肉に、むちむちとした太もも。

 

それでいて彼女は決して太っているわけではなく、むしろスタイルは良い方で、また人当たりも良いことから学内では少なくない男子から想いを寄せられている。

 

劣情を向けられているともいう。

 

ゲーム内でも彼女は非常に人気があり、プレイヤー達からも愛され、そしてその純情をへし折りまくった人でもあった。

 

なんせ彼女はヒロインではない。

 

『マガツキノウタ』においては最初の分岐、通常の紙芝居ゲーと呼ばれる作品にありがちなヒロイン分岐の選択肢以降、つまりは各ヒロインへのルート分岐を経た後に登場するのだが、そこでは露骨に彼女のフラグを建てられそうな選択肢が現れる。

 

そのビジュアルと性格から数多のプレイヤーがその選択肢に釣られて阿鼻叫喚の叫び声を上げた。

 

ルート入りしたかと思えば怪異現象により酷い目にあった挙句喰われる、洗脳された挙句妖の苗床になる、禍ツ人と化して殺される、など碌な末路が存在していない作中トップクラスに不憫な結末ばかりが用意された、このゲームが鬱ゲーだと世に知らしめたキャラが彼女だ。

 

ゲーム内の彼女の末路を思い返して虚ろな目をしていると、水上先輩はカウンターの内側から出てくる。

 

「ん?ぼーっとしてどうしたの?」

 

首を傾げながら心配するように問いかける姿は可愛らしいもので、悲惨な末路ばかりの彼女だが、その性格や過去に関しては地雷じみたものはなく、関わること自体に警戒する必要はない。

 

そもそも、ゲーム関係なしにわりかし世話になっている先輩なのだから、たとえ地雷原みたいなキャラだったとしても急に距離を取る、というのはなるべくならばしたくはないことである。

 

「いや、何でもないですよ先輩」

 

「そう?なら良いんだけど……、具合が悪いならすぐに言ってね?」

 

「大丈夫ですよ、それで、今日は一日図書館は閉めておくんでしたっけ?」

 

「そうそう。今月の本の貸し出し状況とかの確認もあるから本の整理とかも兼ねて一日丸々閉館日」

 

心配無用と笑って見せて、今日の活動について問いかけると、水上先輩はまたふんわりとした笑みを浮かべて答えてくれる。

 

図書委員会では定期的にその日の当番により蔵書と貸し出し状況のチェック、それの簡単な本の整理が行われる。

基本的に当番は二人体制、受付と整理に分担して行うが、この時のみ丸一日図書室を閉館して二人で作業を行う。

 

通常の学園の図書室より遥かに膨大な蔵書数を誇るこの学園なりのシステムなのかもしれないが、ある程度纏まった人数でやらせないあたり正気を疑いたくなる。

 

「昼休みは……とりあえず貸し出し状況の確認ですかね」

 

見渡せば、人一人通れる程度の感覚を置いて並べられた天井近くまである高さの本棚に、多量に並べられた本。これを二人で確認するのは気が遠くなる作業であるし、昼休みだけでは到底終わらない。

 

すぅっと、視線を逸らして水上先輩の方を向けば、同じように浮かんでいるのは苦笑であった。

 

「そうだね、それにもちょっとは時間かかっちゃうから」

 

そういって、水上先輩はカウンターの上に置いてある、仕切りがつけられた箱を手に取る。中にはハガキ大のカードのようなものがずらりと並べられていた。

 

これも何処の学校にもあるであろう、貸し出し管理用の貸し出しカードだ。貸し出した日、返却した日、借りた本の名前を書くようになっているものだ。

 

なお、この学園では本側にはバーコードが貼られていて、貸し出し、返却の際にバーコードを読み取って管理をしているため、カードの情報と合わせて確認する必要があったりする。

 

ともあれ、お仕事である。

 

「んじゃ、先にカードの方の仕分けしましょうか」

 

「うん。じゃあ、私は未返却の本データの方で出力しちゃうから先にやっててもらってもいいかな?」

 

「了解です」

 

箱を水上先輩から受け取り、本棚の隙間を縫うように奥の方へと向かう。

少しばかり歩けば、今度は教室二つ分程度の広さの、テーブルが並べられた空間にでる。その端からはまた本棚がずらりと並べられている。

 

このスペースは読書や勉強のためのスペースとして用意されており、ゲーム内でもとあるヒロインは常日頃からここで勉強をしていることが明かされていたし、我らが図書委員長も当番がない日はここでゆったりと本を読んでいたりする。

 

かくいう自分も時折ここで読書や勉強を行うのだが、そういう時ほど他の利用者を見ないのは不思議なものだ。

 

「っと、さっさと仕分けしてしまおう」

 

呟いて、箱をテーブルの上に置く。面倒なことはさっさと済ませるに限るのだ。

 

学級、学年ごとに仕切られた箱から、取り敢えずは、中等部の1クラス分の貸し出しカードを纏めて取り出せば、早速、仕分け作業に取り掛かるのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

むちむちお姉さんと共同作業

一瞬日間10位になったと思ったら彼方に飛ばされたけど私は元気です。


「はい、未返却の本のデータ、印刷してきたよ」

 

作業を開始して数分後、水上先輩は一枚の紙を持って来てくれた。

ぴらぴらとそれを揺らしながらやって来た彼女は、俺の隣に座ると、そのまま紙をこちらに差し出してくる。

 

「有難うございます」

 

「いえいえ、えーと、中等部のからやってくれてるんだ。じゃあ私は逆からやっちゃお」

 

俺は礼を言ってそれを受け取ると、先輩は大学部の生徒の貸し出しカードに手を伸ばすのを横目に紙面へと目を向ける。

 

と言っても特に変なことが書かれているわけではなく、彼女が言った通りまだ返却されていない、つまりは貸し出し中の本のタイトルと日付が記載されており、いつ、何が貸し出されたかがわかるようになっている。

 

ならこれだけ確認すればいいのでは?となるのだが、返却されているのに貸し出したままになっていたり、またその逆が起きるためアナログ、デジタルでそれぞれ記録を残して時折こうして確認するようにしている、ということらしかった。

 

この辺り、ゲームでもこういうシーン自体はあったのだが、細かく説明を入れていたわけではなく、これを知ってるのは委員会活動の始めの頃、まだ図書委員長ではなかった水上先輩に教わったからだ。

 

パッと見るだけでわかる貸し出し数の多さ、これを確認していく必要があるのか、と考えていくとかなりげんなりしてしまうが、放置して後から文句を言われるのも癪なもので、紙を一度テーブルの上に置いて、作業を終わらせるために手を動かす。

 

貸し出しカードの山から数枚取って、返却済み、あるいは何も書かれていないなら箱へ、貸し出し中の本がありまだ返却されていないなら机の上に。

 

返却済み、未返却、未返却、返却済み、まっさら、まっさら、まっさら、まっさら。

 

この学園の中等部の生徒、本を読まない人間、あるいは図書室で本を借りない人が多いのだろうか、半数くらいは2〜3冊借りた程度、もしくはまっさらな図書カードが結構存在している。

 

「大学部の先輩達はみんな借りてるみたいだねぇ……。この学園の大学部講義はともかく課題面倒らしいし、資料用とか論文用かな」

 

「あー、その辺り理由で大学部の生徒、生徒会とか委員会に入ってないんですっけ?」

 

この学園、中高大一貫ではあるものの、ゲームにおいて大学部の生徒、つまるところ大学生が顔を出すことは殆どない。

学園内においての生徒会、及び委員会活動、部活動も高等部、中等部の生徒ばかりであり、大学部に関しては基本的には一切関与しない。

 

その理由が単純な『レベルの高さ』にある。校風の自由さ、規律の緩さに反して大学部に上がった途端に一切の容赦がなくなる。

 

課題、試験、そのどちらに関しても一定の基準を満たさなければ即座に退学となるらしく、その基準の高さのせいで大半の生徒は他にかまける暇もなく日々勉学に励んでいるらしい。遊び呆ける大学生、というのはこの学園に限っては存在しないものである。

 

そのかわりに大学部においては学費はタダ同然で、学部も豊富な為、学ぶ、という一点においては良いところなのかもしれないが。

 

「そうだねぇ……。っと、こんなところかな?」

 

とんとん、と貸し出しカードを纏めて箱に入れる水上先輩。

 

「こっちも終わり……っと。あとはリストと照らし合わせれば取り敢えず確認は終わりですかね?」

 

未返却分のリストを目の前にあらためて置けば、テーブルの上に備え付けられていたボールペンを取り出す。

 

すると水上先輩は、仕分けされた貸し出しカードを手に取った。

 

「んじゃあ、私が読み上げてくからチェックお願いしてもいい?」

 

「お願いします」

 

どうやら読み上げてくれるらしい。

 

有難い申し出にそう返して、こくりと頷く。そうして、水上先輩が淡々と貸し出しカードに書かれた本のタイトルを読み上げて、そのタイトルと未返却の本のデータのものと間違ってないか、その照らし合わせを進めていった。

 

 

***

 

 

読み上げて、チェックしてを繰り返して10分程度。選り分けていた分のタイトルは全て読み上げが終わる。

紙面の方につけたチェックも全てのタイトルの上につけられていて、不足はなく、問題なく確認は終わる。

 

「現状パッと確認できる分で不足はなし!」

 

ぐいーーっと、水上先輩は頭の上で両手を組んで、伸びをする。

たゆん、と存在を主張するように揺れる胸に視線が吸い寄せられそうになるが、鋼の意志でそちらへと視線が行かないように固定する。

 

こんな無防備な姿で何人ものプレイヤーの純情が弄ばれたことか。唯一確認された告白が出来るルートでもその答えを聞く前に突然現れた禍ツ人にぱっくんされる、という衝撃的な末路を見せつけ、トラウマになったという人も少なくはなく、ライターが用意した最大級の罠と語る人も少なくはない。

 

脳内にトラウマシーンを自ら思い浮かべることで人のいい、この先輩への邪な気持ちを打ち消す。

 

「ですね。あとは実際の蔵書の確認の方……ですけど」

 

すぅっと、視線を後ろの本棚へと向ける。

 

正直な話、一冊一冊確認するのは不可能ではないが、一日でやるのは無理な領域である。非常にやる気が出ない。

水上先輩の方を見ると、あははは、と乾いた笑い声をあげて、目を逸らすように残りの貸し出しカードも箱の中へと戻しながら、口を開く。

 

「まあ、放課後の確認はざっと見て違う分類の本が紛れ込んでないかの確認と返却された本を元の棚に戻す事くらいだから」

 

「あ、流石に二人でこれを全部確認はしないんですね」

 

「しないしない!やるにしても年度末に全員で、って形だよ。大変だからね」

 

そりゃそうだよなぁ、と納得と安堵で小さく息を吐けば、カードが全て詰められた箱を手に持つ。

 

時計を見ればそろそろ昼休み終わる頃合いだ。

 

「戻りましょうか、あとは放課後に」

 

「そうだね。そろそろ戻らなきゃだし」

 

談笑をしながら二人揃って図書室から外に出る。

 

……放課後の仕事、図書室、と言うことに嫌な引っかかりを覚えながら、教室に戻ることにした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

厄ネタ図書室ってワケ

そして時間は飛び放課後、俺は図書室に再度訪れていた。仕事の為もあるが、少しばかり気掛かりなこともあったから、と言うのもある。

 

『マガツキノウタ』の世界において学校、と言う環境はそもそも『虚の庭』と比較的繋がりやすい、という特徴がある。

それは七不思議などを例に挙げればわかりやすいが、怪異譚の舞台、あるいは土壌としての性質に加え少年少女の非日常への願望そのものが二つの世界の間にわずかにだが繋がりを作る。

 

こう言ったある種の閉じた世界において、その集団の大多数の認識、願望が現世と虚の庭を繋げる、と言う現象はゲーム内でも明かされていて、その片鱗を最初に見せたのがこの図書室だ。

 

つながり自体は揺らぎのようなもので、直ぐに消えるようなものであっても、妖怪、怪物の類はその僅かな揺らぎを利用してこちらにやってこようとする。

 

とはいえ、そう頻繁に起こることではないらしいし、その上で都合よく妖怪や怪物のすぐ側に発生することも非常に稀だ。

 

稀、なはずなのだがライターの趣味なのか、シナリオ上の都合なのか、この学園だと割と起きやすい事例だったりする。そのうちの一つがこの図書室を起点として発生する怪奇現象だったりするのだが。

 

「ヤツカ」

 

小さく、呟くようにその名を呼べば、胸ポケットの中に座り込むようにして潜んでいたヤツカがひょっこりと顔を出す。

キョロキョロと辺りを見渡す彼女は、ぶんぶんと首を横に振る。

 

「あるじさまに、がいをなすけはいは、いまのところありませぬ。よどみも、いまはかんじませぬ」

 

座敷童、と言う付喪神は家の守護の役割を持つが、その本質は『運』を司ることだ。それ故彼女は運気を感じることができる。ヤツカ曰く、運気に人外の気配が混ざると運気に淀みや乱れが起きるらしい。

 

ならマガツキやヤツカのような神霊の分身はどうなんだ、という話になるのだが、この場合においてはどちらも差して影響をなさないらしい。

 

マガツキは能力を使わない限り、この姿のヤツカも権能を行使しない限り、『人ならざるもの』としての影響は発生しないだろう、とのことだった。

 

「ありがとう」

 

その頭を人差し指で軽く撫でてやれば、ヤツカは嬉しそうに頬を緩めて、また胸ポケットの中にその姿を潜める。

 

可愛らしい姿に和みつつも、視線を並び立つ本棚へと向ける。

 

棚ごとに一列ずつ、ざっと視線を走らせていく。基本的には綺麗に整頓された本がずらりと置かれているが、時折、シリーズものの間が抜けて傾いていたり、違うものが入り混じっていたりする。

 

見当違いのところに置かれた本は抜き出して、本来の並びに戻しておく。

 

適当なところに取り敢えずで棚に入れられた本もあるようで、図鑑の棚にラノベが置かれたりもしていた。

 

いや可笑しいだろ、せめて小説の棚に置けよ。

 

そうやって内心ツッコミを入れながら本日の業務である本の整理をしていると、足音が聞こえてきた。

 

足音の方へと視線を向ければ、小走りで水上先輩が寄ってくると、少しばかり乱れた髪を手櫛で整えながら申し訳なさそうな表情を浮かべる。

 

「ごめんね、先にやらせちゃって」

 

「いえ、気にしないでください。それをいうなら昼休み俺も遅くなりましたし、これでチャラってことで。さっさと整理終わらせましょう」

 

「はーい。じゃあ、私はあっちの棚から見てくるね!」

 

笑いながら言えば、釣られたように水上先輩も笑顔を浮かべてくれる。

 

大したことでもないのに気にし続けられるのは居心地が悪いし、切り替えが早い方がやりやすくて良い。

 

「さて、続き続き」

 

お仕事お仕事っと。

 

 

***

 

 

一通り確認を終えた後、水上先輩が選り分けていた本、恐らくは本来の分類ではないところに置かれてた分だろう、タイトルも類別もバラバラのそれはそれなりの量がテーブルの上に積まれていた。

 

俺が確認していた方はそこまで手間取らなかったが、水上先輩が見てる方だとざっと見る限り50冊近くが置かれていた。

 

上の方から何冊か取り出して、なるべく分類が同じ、つまりは同じ棚の列にありそうな本を抜き出して積み上げると、持ち抱える。

 

ずっしりとした本の重みを腕に感じるが、このくらいなら許容範囲だろう。重みを感じても特に負荷には感じない辺り、趣味が役に立った、と思いたいがこれもマガツキ化の影響だろう。

 

少しばかり悲しくなりながら、本を戻しに向かう。

 

本の背表紙に付けられた分類が書かれたシールを見ながら該当する列に次々と突っ込んでいき、無くなればまたテーブルのところに戻り、まとめて抱えて、片付けに行く。

 

そうやって往復しているうちに、テーブルの上に積まれていた本は殆ど無くなり、残りは1冊。

 

「漱くんお疲れ様」

 

いつの間にか隣にいた水上先輩は、労いの言葉をかけてくれる。

 

「お疲れ様です。まあまだ後少し残ってますけど」

 

「あはは、それもそうだね」

 

笑いながら残ったそれを水上先輩が手に取ると、その背表紙を見て首を傾げる。

ん?と不思議そうな顔を浮かべた水上先輩はそのまま本の表、裏と確認して、ますます困ったような表情を浮かべる。

 

「……?ねえ漱くん、この本シールなさそうなんだけど、心当たりある?」

 

問いかけと共に差し出された本を受け取ると、確かに背表紙に貼られるはずの分類のシールも、裏に貼られるバーコードシールもない。

どこか恐ろしげなデザインの表紙には『恐怖!怪談全集!』と記されていて、それを確認した瞬間に、ぞわりと背筋に悪寒が走る。

 

「……水上先輩、これの片付けと戸締りは俺がしておきますか__」

 

「きゃぁっ!?」

 

言い切る前に、手元の本が一人でに浮かび上がりパラパラとそのページが捲れ、それに驚いた水上先輩の悲鳴が上がる。

 

そうして、図書室が、茜色に染め上げられる。

 

『ケケケケケケケケ!!』

 

不気味な、悍ましい声が、耳に届いた。




「あるじさま、わたくしもおてつだいを」
「有難いけど大丈夫だって、そもその姿じゃ無理だろ」
「じんつうりきがございますゆえ」
「余計ダメ」

片付け中の超小声のやりとり


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

恐怖への誘い

茜色に染まった図書室、テーブルを挟んだ向こう側に何かがいた。

ゆらゆらとその姿は波紋のように揺れていて、姿ははっきりとは見えない。

 

ただ、気味の悪い声が、茜色に、夕暮れ色に染まった図書室に木霊している。

 

「嘘だろ……」

 

引き攣ったような、乾いた笑みが浮かんで、力無い声が口から勝手に溢れ出る。

眼前のどうしようもない理不尽に嫌気が差してくる。

 

本音を言えば、いまだに現状を理解出来ていなさそうな水上先輩の腕を引いて、急いで図書室から、学校から逃げ出したい。けれど、その選択肢を取るわけにはいかなかった。

 

理解出来ない現象に怯えるように、こちらに身を寄せる彼女をちらりと、一瞬だけ横目で見て、目の前の揺らぐ影へと視線を戻す。

 

「水上先輩は俺の後ろに。絶対にアレを見ないで、何があっても静かにしていてください」

 

「ね、ねえこれどうなって」

 

「いいから、後で説明しますんで今は言うことを聞いてください」

 

告げた言葉に、怯えと困惑を隠さないまま水上先輩は問いかけてくるが、それに答える余裕は、残念ながら、こちらにはない。

 

声を荒げる事はしないが、きっぱりと、有無を言わさぬ口調で伝えれば、こくこくと承諾したように頷いて、身を縮めて俺の背中に隠れてくれる。

 

その間も、不快極まりない嘲るような嗤い声は図書室に響き渡る。

 

ゲーム内でもこのようなシーンは存在した。水上先輩とこんなふうに図書室の整理をしている時に、怪物に襲われる、というものだ。

その際もこのように図書室は茜色に染め上げられていた。

 

そうして、現れた怪物に殺されるのは決まって、水上先輩だった。

 

本来なら本編開始後、つまるところ来年に訪れる筈の鬱イベントの一つ、その状況と現状は酷似している。

 

喚き散らしたい気持ちを必死に堪えて、徐々に揺らぎが減り、輪郭がはっきりとし出すその影から目を逸らすことなく思考を回す。

 

どちらにせよあの状態の化け物には干渉できない。それはゲームの方でも語られていた。あの揺らぎは二つの世界が重なっていることを示していて、それが何かの形を成しているのならそれは現世へと流れ込む何か、あるいは虚の庭へと流れ行く何かがある事を指している。

 

そうして、完全に揺らぎが消えた後で、ようやく干渉が出来るようになる。

 

そう、今のように。

 

「ケケケケケケケケ!!」

 

そこにいたのは、一人の女だった。長い黒い髪に、血に染まったように赤い、狂気に満ちた瞳、裂けそうな程に吊り上がった口元からは牙が見えていて、死人とまごうほどの白い肌。ほっそりとした腕なのに、片手で巨大な鋏を携えて、もう片腕をテーブルにつけている、下半身のない(・・・・・・)女の化け物。

 

テケテケ、そう呼ばれる怪談に登場する化け物は、嗤いながら、その目を俺に合わせる。

 

背中に冷や汗が流れるのを感じながらも、視線を逸らさない、逸らせない。

 

不意をつかれれば死ぬ、そうじゃなくても自分は戦い、なんて生まれてこの方したことはない。喧嘩だって口喧嘩ばかりで、殴る蹴る、なんて殆んどしたことがない。

 

それでも、逃げれば死ぬ。

 

この夕暮れの景色は、__窓がないはずの図書室を染め上げる夕陽の色は、この図書室、いや学校自体がある種の異界、この化け物の縄張りと化した事を示している。

 

怪談ベースの怪物は、総じて、場を己の得意な領域に染め上げる力を持つ。そうして、このテケテケは『学校の怪談』というジャンルの集合体、その一端で、起点だ。

 

図書室の外に出れば次の化け物が現れるだろう。そうして、次から次に化け物が現れ、この学園が化け物屋敷もかくや、という有様になる。

 

少なくともゲーム中、逃亡の選択肢を選ぶと化け物の群れに襲われることになる。

 

「来るなら来いや!!」

 

ヤケクソのように叫ぶと、テケテケは真っ直ぐ、その腕の力だけでこちらへと勢いよく飛び出して、両手で鋏をしっかり掴んで、勢いよく開く。

 

「っぐぅぅぅぅ!!」

 

じゃきんと、こちらに到達すると同時に、胴体を切り裂こうとする刃を、両手で止める。

 

当てて、斬り落とされる前に掴んで、両手から血を垂れ流しながらも、鋏を強く掴んで力を込める。

 

鋏を閉じようと力を込めてくるテケテケに、こちらも力を込めて押し開く。後ろには水上先輩がいるのだ、このまま押し切られるわけにもいかない。

 

胸ポケットにはヤツカだっているのだ、屈するわけにはいかない。

 

ぽたり、ぽたりと床を自身の血で赤く染めていく。灼けるような激痛も、けれど全身を作り替えられるあの痛みに比べれば幾分もマシで、耐えられる範囲だ。

 

下半身が、体を支える部位がないとは思えないその怪力と、安定感はおそらくこの領域の効果なのだろう。怪談、都市伝説の化け物は『恐れ』こそが信仰で、恐怖させることこそが存在の本質で、だから普通の人間では基本的に対処ができないし、させない。領域も、そう言った面から設定されているのだろう。

 

けれど、理解が出来るのと納得が出来るのは話が別なのだ。

 

「っっらぁぁぁ!!!」

 

鋏を強く掴んだままあえてそれを、化け物ごと自分自身の方へと引き寄せる。その力もあり、ぐいっ、と勢いよく引き寄せられたその上半身目掛けて思い切り蹴飛ばすように、足を突き出す。

 

生憎ながら、もう自分は普通の人間とは言えない。

 

錐揉み状に吹き飛ぶテケテケに向けて、ついでとばかりに串刺しになれと祈りながら、掴んだままだった鋏をぶん投げる。

 

本棚に思い切りぶち当たったテケテケに、追い討ちのようにその胸に『運良く』突き刺さる鋏。

 

憎々しげにこちらを睨みつけるのもごく僅かな時間で、やがて糸の切れた人形のように、だらりと、鋏が貫通したままの姿で、本棚には傷ひとつ付けることなく、崩れ落ちる。

 

「……大丈夫、だよな?」

 

確認するように、崩れ落ちた化け物を見つめる。

 

動きそうには、ない。

 

安堵の息をついて、水上先輩の方を見ようと振り返ろうとして、肉を突き破る感覚と共に、己の不覚を呪う。

 

図書室は茜色のまま変わらず、腹部を貫く血濡れた鋏と、嫌味ったらしい嘲笑を浮かべるテケテケを前にして、視界は黒く、昏く、赤く、紅く染まっていく。

 

「す、すぐ、くん……?」

 

耳に届く困惑した声と、耳に届かず、脳裏に直接響く、二つの声を最後に、意識は闇へと沈んでいった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『妖刀』のマガツキ

あからさまな誤字脱字ではない場合作者は意図的にそう書いている時があります。誤用の場合は遠慮なく教えてください(土下座)。

今回の話はちょっと三人称と二人称が入り混じってましてよ!


ずぶりと、引き抜かれる鋏は、鮮血と、夕陽によってテラテラと、不吉な輝きを放っている。

傷口からはごぽりと、多量の血が溢れ出していき、漱の足下に赤い水溜まりを作り出す。

 

「ケケケ、ケケケケケケケ!!!」

 

けたけたと、心底愉快そうにその化け物は嗤い声を上げる。溢れる血と、今にも倒れ込みそうな漱の姿を、嗤い続ける。

 

胸ポケットの中、ヤツカは見えずとも、その状況を知覚していた。力及ばず、主が傷付く姿を、認識していた。

ふらふらと、ぐらつき、崩れ落ちるように倒れ込みそうになる中、不甲斐なさと己の矮小さに下唇を強く噛む。

 

「あるじさま、もうしわけ、ございません」

 

傷付くことを止められなかった。それでも、ヤツカにはまだ出来ることがあった。

 

本体への回帰がそれだ。ほんの一部を切り取っただけのこの端末でも、1人くらいなら同伴させられる、強制転移。『家』の付喪神だからこそ開ける、帰る場所に通じる道だ。

 

マガツキと化して、本質的に人から外れた漱であれば、安全なところで手当てをして、休ませれば十分に助かる。

 

主が守ろうとしたものを見捨てることになるが、ヤツカにとって何よりも大切なのは主である。だから、主の心境を考え胸を痛めることはすれど、葵を救うことを優先しはしない。

 

そうして、道を作ろうとして、獣のような唸り声が耳に届く。

 

それはテケテケのものではなく、葵のものでもない。ヤツカにとっては聞き違えるはずもない、漱の声で発せられたものだった。

 

「■■■■■■■■■■!!」

 

怒りを示すよう、意味を成さない叫びが上がると、ごぼりごぼりと、肉が盛り上がり、傷口を塞ぐ。血溜まりは煮立つように沸き立ち始め、蠢き、柱のように真っ直ぐ上に伸びて、ドクン、ドクンと脈動する。

 

塞がった箇所から刃が伸びて、剥がれるように落ちると同時に、柱に無数の罅が入り、表面が崩れ落ち、血色の刀が現れた。

 

刀を掴もうと伸ばした手が、ぴたりと止まる。

 

何かに抗うように、その腕は震えていた。

 

その姿を見た瞬間に、テケテケは嗤う事をやめ、再度鋏を大きく振るう。

 

その判断は、何処までも正しいものだった。テケテケという『怪異譚』では漱……厳密には彼の肉体を再構成した妖刀には勝てない。

 

近代以降に語られ、その時代をベースに語られる怪異譚、都市伝説は出逢えば終わり、というものが多いが、こと同じ怪物同士になれば話は変わる。

 

『時代の古さ』、言い換えれば『畏れられた時代の信仰の篤さ』と言うべきだろうか。それが力の差となるのだ。だからテケテケ……学校の怪談の集合体であるその化け物では、たとえ己の領域であろうと、格上である妖刀には太刀打ちできない。

『存在しない』ものという認識が前提にある時代と、『存在する』と信じられていた時代の差は、如実に現れる、というわけだ。

 

それでも慢心しきって愉悦に浸れていたのは、漱がマガツキとしての力を使いこなせない……どころか引き出し方すら分からなかったからだ。だからこそ、漱のことをただ力が強く頑丈なだけの人間であると、テケテケはそう認識していた。

 

だがそれもつい先程までの話。

 

唸り声が上がった瞬間に目の前の存在は格上であると認識を改めた。妖刀の意識が表層に出て来たお陰で、と言うべきだろうか。

 

明確に、その脅威を感じ取ってしまったテケテケは、今度こそ確実に殺す為に動いた。

動きが止まった、という明確な隙を突いて、だ。

 

振るわれた鋏は、しかし今度はその肉体を抉ることはできなかった。耳障りな金属音を奏でて、弾かれる。

 

その間も、漱の体は変遷を遂げていく。肌が鋼のように染まり、元の色に戻る。

顔や掌などから刃が突き出したかと思えば、ぼろぼろと崩れ落ちる。

 

「■■■■■■■■」

 

その口から溢れる声は、苦し気で、刀に手を伸ばし、掴もうとした格好のまま、苦悶の声を溢して、ついに、その指先が動く。

 

刀の柄を強く掴むと、胸元へと引き寄せる。

 

「黙ってろこの(なまくら)が!!」

 

そうして、もう片方の手でその刀身を掴んだかと思えば、漱はその刀を思い切りへし折った(・・・・・・・・・・・・・・・)のだった。

 

 

***

 

 

やっとの思いで奪われた肉体の主導権を握り返した俺は、まず恐らくは俺の血で作られた刀、妖刀の核、と思しきものを叩き折ることにした。

 

主導権はどちらにあるか、上がどちらか、それを分からせる必要があったのだ。なんせこいつ、精神を汚染出来ないならと、意識が沈んだのを見計らって肉体を奪おうとしていたのだから。

 

「あるじさま!」

 

嬉し気に俺を呼ぶヤツカの頭を、指先で撫でてやる。ポケットの中の彼女は、気持ちよさそうに目を細めているのだろう。姿の確認は今はできないが、撫でるくらいのことはしておきたかった。

 

即死しなかったのはヤツカのお陰だろう。彼女が運んでくれた幸運が、時間と好機をくれた。

 

漸く、理解することができた。この体で妖刀が力を使ってくれたからだろう。その感覚がはっきりと残っている。

 

だからまず、へし折った刀を掌に突き刺す。

 

重要なのはイメージだったのだろう。『常識』で考えるべきではなかったのだ。既にマガツキ、つまり妖刀と化してるのだから、『肉体の一部を取り込む』事くらい出来るし、『肉体から刀を形成する』こともできる。

 

それが当たり前のことだと、そう、信じ込むべきだった。それが必要だった。

 

だから俺は腕を動かすように、足を動かして歩くように、あるいは無意識的に行う呼吸のように、吸収と生成を行う。

 

そうして、作り出した日本刀の柄をしっかりと握る。

 

鋏を拾い上げ、逃げ出そうとするテケテケに向けて、俺は勢いよく飛び掛かる。

 

そして、鋏ごと叩き潰すように、ただ真っ直ぐに刀を振り下ろした。




【悲報】今か今かと好機を待ち構えてた妖刀くん、出オチ芸をかます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

怪事件、一旦終息

そろそろまた幼女回にしたい気持ち


振り下ろした刀は鋏を断ち切りながらテケテケの体を斬り裂く。上半身だけとはいえ人の姿をしたそれを斬り裂く感覚は、まるで紙や糸、或いは藁の束だろうか、そういったものを斬り裂いてるような感触であった。

 

鋏の破片を散らしながら、テケテケは斬られた場所から、砂のようにサラサラと崩れていき、やがて、溶けるように消えていく。

 

図書室を満たしていた夕焼け色は消え、無機質な照明の灯りが戻ってきた。

 

「……消えた、よな?」

 

テケテケが生み出した領域も消えたし、大丈夫だと思いたい。

暫く刀を握り締めたまま、キョロキョロと辺りを見渡して見たが、影も形もなく、また図書室内が茜色に染まることもない。

 

刀を掌に突き刺して取り込むと、俺は安堵の息を吐く。

 

「ヤツカ、どうだ?」

 

小さな声で問いかけると、ヤツカはぴょこりと顔を出して、ふるふると首を横に振った。

 

「にたようなけはいは、ございません。てきいも、がいいも、かんじとれませんから、ひとまずはあんぜんかと」

 

テケテケの出現、その予兆を察知出来なかったからか、何処か自信なさげに口にするヤツカの頭を、指先で撫でる。

 

「ありがとう。んじゃ、大丈夫そうだな」

 

気にしなくていい、と伝える意味も込めて、軽く撫でた後につんつん、と優しく突いてやれば、沈んだ様子からふにゃりと、その表情を綻ばせてくれる。

 

改めて周囲を見渡して、可笑しなところがないことを確認する。

 

それなりに暴れたというのに、本にも、テーブルにも影響がないのは可笑しなことではあるが、『学校の怪談』の領域がある間は、どうも故意以外では物を動かすことは出来ず、設備や備品が損壊することもないらしい。

 

それはゲーム中でも語られていた。他にも、物によっては損壊しても元に戻ったり、領域内の出来事は夢とカウントされたりと、いろいろな処理のされ方があるが、その全てに言えることは『基本的に現世への物理的干渉は起きない』ということだ。

 

少なくとも、ああいった近代以降の怪異譚がベースになっている化け物は総じて、そういった性質を持つ。

 

だからこその、周辺の異界化だ。そうやって一定の空間を染め上げなければ人を襲うことは出来ず、物に触れることすらできない。

ただし、これは『人に取り憑く』という工程を省いた場合で起きる事で、有名な妖にもなるとこういった縛りすらないが。

 

ともかく、だ。そういった事情もあり、これ以上あの化け物の脅威は襲ってこない、と思って良さそうであった。

 

緊張を解くと、視線を水上先輩へと向ける。

 

知らないうちにへたり込んでいた彼女は、茫然とした様子で動く事なく、こちらへと視線を向けていた。

 

俺がテケテケに刺された時のものだろうか、彼女の制服に赤い血がこびりついていた。

 

この先輩、確か完全に一般人なんだよなぁ、奏に連絡して、記憶を書き換えてもらう必要があるか。

 

きっと、こういう記憶はない方がいいだろう。

 

「水上先輩、怪我はありませんか?」

 

「……」

 

「水上先輩……?」

 

「ひゃわっ!?」

 

問い掛けに先輩は反応せず、なおも惚けた様子でへたり込んだままで、近付いて軽く肩を叩けば、妙な声を上げて飛び上がる。

 

「だ、大丈夫だよ!」

 

顔を赤く染めて言えば、慌てた様子でぱんぱん、とスカートについた埃を叩いて、ぞっと、その顔色を青く変えた。制服にこびりついた血を直視してしまったからだろう。

 

「す、漱くんこそ、大丈夫なの?」

 

心配するような様子で、いまだに怯えが抜けていない様子。彼女には悪いけど、誤魔化す事にする。

 

「大丈夫ですよ、ドッキリですしねこれ。ほら」

 

そういって、鋏で貫かれた腹部を見せる。学ランも、その下のシャツも貫かれたが、それは身に付けているものは『肉体の一部』としてカウントされるかららしい。

そこを器用に隠しながら制服を捲り、刺された箇所に傷がないことを見せる。

 

「……タチが悪いよ、漱くん」

 

悪戯が成功した子供のように笑って見せると、水上先輩はむすりと、頬を膨らませそっぽを向く。誤魔化されてくれたのかどうかは分からないが、それ以上追及されないようなので、そのまま話を打ち切る。

 

「取り敢えず、帰り支度しません?」

 

「そうだね。でも私の制服汚れちゃったんだけど」

 

「……ジャージ貸すんで、勘弁してください」

 

 

***

 

 

あの後、先輩にジャージを貸して着替えてもらってる間に、奏に電話をかけた。

図書室内で発生したテケテケと、水上先輩がその場に居合わせた、ということの報告のためだ。

 

前世でゲームとしてこの世界を堪能して、今世でもマガツキという裏に関わる存在に変わってしまったとしても、俺はあくまでも専門家ではなく、現状はただの巻き込まれのようなものだ。

であれば対処は本職に任せるのは当然と言える。

 

記憶処理やら後処理についてそれとなく相談……というよりは丸投げした結果、奏から怪物ホイホイなる汚名を授かったのは、必要経費と割り切るしかないのかもしれない。誠に遺憾ではある。

 

そんな訳で、すっかりと日が暮れてしまった夜の帰り道を、2人して自転車で駆け降りていた。

 

こんな時間だし、と送ることにしたのだ。

 

因みに二人乗りである。

 

「水上先輩、あまりくっつかないで貰えます?」

 

坂道を降りながら、俺の腰に手を回す先輩にそう告げる。背中に密着する感触に、顔が熱くなる感覚を覚える。

 

「ちゃんとくっついてないと危ないでしょ?それに今日は頑張ってくれたから少年にはご褒美がいるかなって」

 

「もっと自分を大事にしてくださいよ」

 

化け物に襲われた事実なんてなかったかのような調子で、そんな軽口を飛ばし合う。

 

思ったよりも引き摺る様子がないのは、あれがドッキリとかいう無理のある言葉を信じてくれたからだろうか。

俺は命の危機の後に別の意味で命の危機を感じてる気がするのだが。

 

「漱くんには言われたくないなぁ。それに別に安売りしてるわけでもないよ」

 

「高額なら尚更じゃないですか」

 

態とらしく押し付けながら冗談めかして言う水上先輩に、呆れた声音で言葉を返す。内心、めちゃくちゃ動揺しそうになってるのが伝わらなければ有難いが。

 

「あははは、おめでとうございます!漱くんは抽選に当たりました!ご褒美を甘受するといいよ」

 

楽しそうな声で笑う水上先輩に、思わず苦笑が浮かぶ。

 

そんなやりとりをしてる間も自転車は進む。坂道を下り、時折顔を出す上り坂を越えて、また下る。

人外の身体能力があればこそ、特に苦もなく、普段は必死こいて通学していた道を通過していく。

 

程なくして商店街に突入すれば、路地の方へと抜けて、バイト先の古本屋『ミズカミ書店』に辿り着く。

 

「送ってくれてありがとうね、漱くん」

 

店の前で自転車を停めると、水上先輩はそう言って降りる。

 

そちらへと視線を向けても、暗がりのせいでその表情はよく分からない。

 

「いえいえ。それじゃ、また明日」

 

「うん、じゃあまた明日!」

 

軽く頭を下げると、俺はそのまま自転車を走らせる。

 

今からでも、奏に改めて何を言われるか、それを考えると少し憂鬱になってくるような、そんな気がしながら、漸く、今日という厄日を終われそうなことに、ホッと、息を吐いたのだった。




「あのおなご、あるじさまに、いろめを……。むぅ、あるじさま、まどわされては、なりません!!」(ポケットの中でぷくぅと頬を膨らませてたヤツカ)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ようとう

瞼を開いた瞬間、感じた熱気と、目の前に広がる光景に直感した。

 

あ、これ夢だわ。少なくとも、家で床に着いたのだ、何かあればヤツカが起こしてくれるだろう。だから、見覚えがあるようで、知らないこの場所は、夢、もしくは精神世界、というやつだろう。

 

俺が立っていたのは鍛冶場だった。鋼を打つ音が耳に届き、炉の中で轟々と燃え盛る炎の熱が鍛冶場全体を支配しているようでもあった。

 

金床には何かの塊が一つ。鍛冶場なのだろうから、玉鋼なのかと思えば、それは内臓にも、金属にも、人肌のようにも見える何かだ。赤く燃えてるようにも、黒く焦げてるようにも見えてしまう。

 

それが、宙に浮かぶ金槌に延々と叩かれて、延ばされ、畳まれ、炉の中で燃え盛る炎の中に入れられ、また叩いて、伸ばして、畳んでを繰り返す。

 

怨嗟の声が響く。痛い、熱い、苦しい。

 

鍛冶場全体に、その声が広がっている。

 

怨嗟、悲痛、悲嘆、憤怒、疑問、絶望。それらが、声を通して空間全体を埋め尽くしていく。

 

「うるせえ」

 

「随分辛辣だな、お前」

 

顔を顰めて言えば、耳に声が届く。荒っぽい口調の、可愛らしい少女の声音のようにも、野太い男の声のようにも、聴こうと思えばいかようにも聴こえる、不思議な声だ。

 

ダブって聴こえるのに、それぞれの声音がはっきりと認識できる、奇妙な感覚を感じながら、いつの間にか近くにいた人影に視線を向ける。

 

それは小さな影だった。背丈はおそらく140にも満たないだろう、ヤツカよりもさらに小さい。肩に掛かるくらいの白髪をお下げにした、真っ赤な瞳の少女がそこにいた。服装は赤い半袖シャツに、紺のオーバーオール、履いている足袋と下駄が妙な印象を抱かせる。

 

その可愛らしい姿を見た瞬間に、俺は目を見開く。

 

「おらぁ!!」

 

「っぶなぁ!?」

 

握り締めた拳をその顔へと振りかぶる。残念ながら、少女が勢いよく頭を下げたことで回避される。側から見たらどう考えてもやばい光景ではあるが、直感的にやるしかないと悟った。

 

そもそも夢の中だ、人の目を気にする必要はなく、またそんな空間で語り掛けられるなんて限られている。

 

「何をする!可愛らしい幼子をぶん殴るとか頭おかしいんじゃないかお前!」

 

「うるせえ勝手に人の体宿にしてる化け物相手に遠慮する必要性なんて感じねえんだよ鈍刀がよぉ!!」

 

姿を確認したからだろうか、耳に届く声は、可愛らしい少女のものに固定される。

抗議するように文句を言う少女、もとい妖刀への殺意を込めて拳を振るうも、その全てがギリギリで避けられる。

 

幼女に拳を振るう姿もだが、避けられる姿もなかなかに情けないが気にしないことにした。

 

「で、態々夢……ってか精神世界に引き込んで何か用か」

 

「急に落ち着くじゃないか……。なんなんだほんと……」

 

一通り殴りかかって意味がないことを理解した俺は、殴りかかるのをやめてそう尋ねる。

 

俺の豹変具合に困惑した様子を見せる妖刀。うん、自分でもこんな姿を見せられたら困惑する。でもお前がどんな姿でも容赦はしないと決めてるので仕方ない。

 

「いいから話せよ」

 

早く話すように促せば、妖刀は仕方ない、とでも言うべきにふるふると頭を振った。

その見た目は可愛らしいのが余計にムカつくが、余計な茶々は省くことにする。

 

「お前をここに呼んだのは謝罪と礼の為……だったんだが、言う気が失せた」

 

「おう、土下座しろよ」

 

「そう言うとこだぞ……。ったく、お前が我の負の感情の核を叩き折った上で、化け物を斬り殺してくれたお陰で、こうやって話せる程度には理性が得られた。憎悪と憤怒に呑まれていた製作者の意志というのが正しいがな」

 

「……この光景も関係が?」

 

妖刀の言葉に、ぐるりと視線を動かして、周囲を見る。

 

延々と、ナニカが、鍛造を繰り返している様子が存在している、鍛冶場。先程までと変わらない、同じ現象が起き続けている。

 

もしかすると、という考えが頭に浮かぶ。

 

「大有りだ。我が造られていく光景だからな」

 

その思考は、頷きながら放たれた言葉に肯定される。

 

妖刀の作成の光景、つまりは、これも妖刀の記憶、と言うやつか。

目を凝らすと、うっすらと見えて来る。

 

鉄を打ち続ける1人の男の背中と、転がる骸、炉の中で燃える肉体。そこにはもう助かりそうもないほど、無残な姿で、けれど何かを叫ぶ姿もあった。

 

絶望と、憤怒と、苦痛と、憎悪と、あらゆる負の感情が渦巻く死の炎で鉄は熱され、叩かれ、折り返し、また熱されて。

 

そうやってどうやっても助からない命を薪にして、一本の刀が造られていく。

 

鉄を打つ男の背からは、悲哀と、それ以上の憎悪と狂気、殺意が感じ取れた。それは、語られもしていないのに、ひしひしと伝わって来る。

 

化け物を殺せ、許すな、滅ぼせ。そんな声が、何処からともなく聞こえてきそうな気さえ、感じられた。

 

「我は物の怪を殺すために造られた刀だ。いくら憎悪や狂気に染まっていても、根幹はそこにある」

 

「なのに人を襲うのは本末転倒だろうがよ」

 

「そりゃ、薪にされた人間の憎悪も込められてるんだ、人間も襲う。優先度が物の怪、と言うだけだからな。化け物殺しのための刀が人まで襲うのは、まあ確かに皮肉な話だがな」

 

深い、ため息を吐く妖刀。だからと言って、同情する気にはなれない。少なくとも、自分を殺そうとしたり、肉体を奪おうとしてきた相手を許せるほど聖人君子ではないのだ。

 

そも、行く当てのない憎悪や憤怒には付き合ってなどいられない。

それは遥か昔で、今日(こんにち)まで持ち込んできていいものではないのだから。

 

「で?」

 

素気なく続きを促せば、妖刀は苦笑を浮かべる。

 

「なに、自己紹介のようなものだ。なんせ一蓮托生という奴になってしまったからな。お前は証を示した。

 

我を振るうに足る資格、我を従える資格を。

 

だから、なんだ。服従宣言、と言うやつだ」

 

すぅっと、視線を逸らして、どこかもじもじとしながらいった彼女に、俺は柔らかな微笑みを浮かべて、はっきりと告げた。

 

「いや、要らないからそういうの、クーリングオフって効く?」

 

一瞬固まって、青筋を立てる妖刀の姿に、胸がスゥッと、すっきりとするような感覚さえあった。

 

そうして、次第に、夢の中だというのに瞼が重くなっていく。

 

「一蓮托生って言っただろうが!!ってくそ!時間か!覚えてろよ!!」

 

ぎゃーぎゃーと叫び始める妖刀の声をどこか遠くに感じながら、視界はいっぱいの白に包まれていった。




「あるじさま、うなされて、おられますね。……だいじょうぶです、なにも、こわいものは、ありません。……ふふ、おちつかれ、ましたか?」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間・水上

可笑しいな、むちむち先輩は一般人だったはず……


水上葵は自室のベッドの上で、制服を抱き抱えて寝転がっていた。何の色気もない灰色のスウェットを着ていると言うのに、風呂上がりだからだろうか、火照った肌が何とも艶かしく、制服を見つめる目は、仄暗い色の炎が浮かび上がるかのようにすら感じる、情欲の篭ったものだった。

 

ぴきり、ぴきりと何かが罅割れるような音がする。葵の皮膚は赤く染まり、また元の肌色に戻る。額からは2本の小さなツノが生えて、かと思えばまるで幻覚かのように元に戻る。

 

そんな『異変』が繰り返されているにも関わらず、当の本人はまるで気にならないかのように、抱きしめた己の制服に……、もっと言えば血が滲んだそこに顔を埋めれば、幸せそうに破顔する。

 

すんすんと鼻を鳴らし、肺一杯にその臭いを吸い込めば、トロンとその瞳を蕩けさせ、湯上がりの熱とは別の熱で、頬を赤く染める。

 

「漱くん……」

 

うっとりとした様子で名前を呼んだ葵は、今日のことを思い返す。

 

夕焼け色に染まった、窓のない図書室において、明らかな異常事態だというのに、化け物に1人立ち向かった漱の姿が、葵の脳内には鮮明に思い浮かんだ。

 

厳密には1人ではなく、ポケットの中にヤツカも居たが、彼女はその姿を見ていない為、漱が自分を守るために1人で立ち向かったように見えた。

 

まるで創作物に登場するヒーローのような姿は、彼女にはとても格好良く映った。

 

そもそも、元から葵は漱に対して好感を持っていた。下心全開で接してくる他の男子とは違って、そんな姿は一切見せなかった。あくまでも、ごく普通の、誰に対してもするような対応で、それでいて当たり前のように、親切だった。

 

優しい後輩だと思っていたし、気になる男の子だとも思っていた。

 

その上で、今日の件だ。

 

身体だけじゃなく、心も守ろうとしてくれたのが、なんとなく感じられた。都合の良い思い込みかもしれないけれど、彼の気遣いは温かいものだった。

 

「ふふふ」

 

帰り道では自分でも大胆だと思う事をしたけれど、素っ気ない対応の割に、彼の心拍は上がっていて、赤くなった耳に、意識してくれてるのが理解できて、嬉しかった。

 

どうしようもなく、心と身体が漱を求めているのを自覚する。

 

そうやって夢中になって嗅いでいたからか、コンコンと部屋の扉をノックする音に、葵は気が付くことが出来なかった。

 

「葵?入るぞー」

 

声とともにガチャリと扉が開く。声とともに部屋の中に入って来るのは彼女によく似た美女だった。葵の背をもう少し高くして、髪を短く切り揃えて眼鏡をかけさせたような、そんな容姿の女性だ。

 

その女性の、よく通るそこそこ大きな声でなされた宣言に、ようやく葵は我に帰る。

 

「お、お母さん!?ノックしてよ!!」

 

恥ずかしいのか、そう叫ぶと、美女、葵の母親である水上梢(みなかみこずえ)は一瞬目を見開いたかと思えば、娘に起きる異変に分かりやすく狼狽える事なく、呆れたような口調で言う。

 

「ノックはしたっての。アンタが気付かなかったんでしょうが。

 

その肌の変色も」

 

「え……?」

 

言われて、掌を見てみれば、赤く染まったり、普通に戻ったりを繰り返すその異変を、ようやく正しく認識して、その顔から血の気を引かせた。

 

「まあ理由は分かるから説明してやるさ。取り敢えず制服置いて下に降りてきな」

 

パニックに陥りそうになる寸前で、母からの言葉で、顔を青褪めさせたまま、こくりと頷くと、手招きする母親の方へとふらふらと寄っていった。

 

 

***

 

 

16畳程の広々としたリビング。その中央に置かれた質素な4人掛けのテーブルに、向かい合うように梢と葵は座っていた。

 

2人の目の前には温かなココアを入れたマグカップが置かれていて、今は異変、異形化と言うべきだろうか、それが落ち着いて、いつも通り、ごく普通の状態の葵は、不安そうな顔でマグカップを両手で持つと、ちびりと、その縁に口をつける。

 

温もりと甘みを口で堪能して、ゆっくりと嚥下すると、意を決したように問いかける。

 

「お母さん、私どうしちゃったの……?」

 

「別に病気とかではないから安心しな。ちぃと厄介なのはまあ確かなんだけどねぇ」

 

恐る恐る、と言った様子の娘に対し、母はあっけらかんと笑って言えば、マグカップを片手で持って、ぐいっとその中身を呷る。

 

ごくごくと飲み干せば、ふぅ、と息を吐いた。

 

「葵にはウチの家系のことについては話して無かったよな?」

 

「え、うん」

 

こくこくと頷く葵を見て、梢はよし、と頷く。

 

「まあめちゃくちゃ簡単に言っちまうと御先祖様が神様なのか妖怪なのかよくわからん存在の家系なんだわ、ウチはさ」

 

告げられた突拍子のない事に、理解できてない様子の葵は、そのまま首を傾げる。

 

とは言え、化け物も、怪奇現象も遭遇したのだ、そう言うこともあるのかもしれないと、分からないままに、納得だけは出来た。

 

「えーと、先祖返り、みたいなこと?」

 

「ま、そんなとこだよ。宇治の橋姫さまってのがアタシらのご先祖さまらしいが……まあ、あれ見る限り間違いないだろうよ」

 

思ったより驚かねえんだな、と言う言葉に苦笑いを返しながらも、言われた言葉を咀嚼する。

 

宇治の橋姫……、それは葵の記憶が正しければ嫉妬に狂った女の成れの果て、1匹の鬼の名前だ。愛と嫉妬の炎で心を焼き尽くし、全てを呪った女。

 

「鬼……?」

 

「水神にして鬼神にして人、宇治の橋姫さま、ってね。んでこれがうちのお役目、ってやつに関わるんだわ。アンタはこっちの事情に関わらせたく無かったんだけどね、こうなっちまったら仕方ないし」

 

今は落ち着いて、でも何故か色が何度も切り替わる、異質な状態にあった肌を見る為か、開いた掌を見つめる。

 

今は普通の肌色、けど赤く変わった姿はなるほど、鬼と呼べるのかもしれない。少なくとも、普通の人からは大きく外れていることは明白だった。

 

「一つはこう言ったオカルトが実在することを秘匿する事、もう一つは化け物退治」

 

ぴっと指を2本立てる母親と、それを黙って見つめる娘。

 

そうして、夜も深まっていく中で、親から子への内緒話は進んでく。

 

 

 

「鬼の力っぽいのはちゃんと制御できるように鍛えてやるから安心しな!」

 

「お母さんスパルタじゃん!!」




「ヤツカ?」「なんでしょうか、あるじさま」「なにしてるの?」「おせなかをながそうと」「恥ずかしいから1人で入らせて」(日常の一コマ)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔狩り集会

「あるじさま、あるじさま!げんだいは、おいしいものがたくさん、ございますね」
「だろ?ヤツカはどれが気に入った?」
「わたくしは、その、このまっちゃぱふぇ、なるものが……」

(コンビニスイーツを食べ比べする2人)


あの事件の翌日、委員会で水上先輩と顔を合わせたが、どうも事件のことを忘れている様子はなく、奏に鬼電を掛けた結果、半ギレになりながら電話を切られた挙句、その後家に突撃されぶん殴られた後に説明を受けた。

 

水神の血を継ぐ家にして、神の器たる家系、水上は水の神。代々瀬織津姫(せおりつひめ)のヨリシロとして適性を持つ、虚の庭のことを知る家系である、とのことだった。

 

奏もこの事は知らず、水上先輩自身もこの事を知らなかったらしいが、なんでも先輩自身先祖返りだったらしく、ご先祖様……宇治の橋姫の血が目覚めた、と言う事で記憶処理は行われなかった、との事。

 

ちなみにこれは後からバイト先の店長で水上先輩の母親でもある梢さんから補足して貰ったことでもある。

 

店長アンタ、ヨリシロだったんですか!と叫びたくなったが、必死に堪えた自分を褒めた。なお俺がマガツキであること自体は薄々勘付かれていて、先輩経由で完全に確信を得た、とのことだった。まあ、だから連絡をくれた、ということだったのだが。

 

そんなこんなで時は流れて11月も末の頃。紅葉も枯れ落ちていき、枯れ木が増え始めた今日この頃。寒さも増してきて、冬の訪れを強く実感する。

 

吹き付ける風も冷たく、手先も悴んでくるようになってきて、暖かい部屋の中から出たくなくなる。

 

「冷えるなぁ……」

 

本日は土曜日、学園は普通に休みである。であるというのに俺は吹寄学園まで訪れていた。

 

いつもの学ラン……ではなく今日は黒いフード付きの紺色のジャケットに、薄茶色のカーゴパンツ。このジャケットも都合良く胸元にポケットがついていたため、ヤツカの分身を潜ませている。

 

他の中学、高校と同じように、ジャージ姿の生徒達が声を上げながら部活動に勤しむ姿を横目に見つつ、そのまま昇降口へとまっすぐに向かう。

 

校舎内でも、ちらほらと学園生の姿が目に入る。吹奏楽部と思しき、楽器を運ぶ生徒達や、恐らくは生徒会だろう、腕章を腕に付けた生徒達が廊下を通る姿が見えた。

 

それらの生徒達は自分と同じように、私服姿のようで、だからこそ、制服を着た姿は逆に目立つ。

 

「おはよう漱、悪いな呼び出して」

 

「本当にな、学校なら平日の早朝か放課後でいいだろうに」

 

使われてない、校舎の端の方の空き教室前、そこに、今日俺を呼び出した張本人、九十九奏が立っていた。

 

悪いな、と言いつつも特に悪びれた様子がない彼女に悪態を1つ吐けば、苦笑が返ってくる。

 

「仕方ないだろ、予定を合わせるのも大変なんだからな」

 

肩を竦めて見せた奏は、そう言って、空き教室の扉を開く。

 

教室の中には今は使われていない机や椅子が並べられていて、その中に複数の人影があった。

 

背丈の高い、何処か軽薄そうな男が1人、育ちの良さを感じさせる、深窓の令嬢と言った感じの少女が1人、見覚えのある人影……というよりは水上親子の計4人。

 

「まあ、とりあえず顔見せ、ってことで」

 

若干一名を除いて、『魔狩り』を生業とする超人が、その場に集まっていた。

 

 

***

 

 

水上親子以外の2人は初めて会う。けれど、2人のことを、俺はよく知っていた。

 

男の方、暗い茶髪を耳にかける程度まで伸ばし、前髪を真ん中分けした、札のような飾りのついたイヤリングをつけた、190はあろうかという高身長の彼は勾本家にその籍を置く傑物、勾柘榴(まがりざくろ)だ。

 

がしゃどくろのマガツキであり、彼は自ら望んでがしゃどくろにその肉体を差し出し、気に入られた結果、マガツキとなったタイプであり、シナリオ中ではその力を存分に奮い、奏のために暗躍し、時に障害として立ち塞がった、『九十九奏の元兄貴分』、それが彼だ。

 

奏が心を閉ざすことになった過去にガッツリと関わり、そのことを未だに後悔している、そんな男だった。

 

奏への償いをするためだけに、分家筋から本家に籍を移されるまで成り上がった執念の人。

 

対して少女の方、胸元辺りまで亜麻色の髪を伸ばした、翡翠の瞳を持つ少女は、この中ではダントツで背が低い。とはいえ、160近くの背丈はあり、またその顔つきは少し大人びている。

 

コノハナサクヤヒメと契約した、神をその身に降ろせる、と言ったヨリシロと呼ばれる特異体質者。魔狩りの任を請負いながらも、マガリを襲名しない神仏に関わる側の人間。

 

神の代行者、あるいは神の器としての適性者が彼女、『マガツキノウタ』におけるメインヒロインのうち1人、木暮咲耶(こぐれさくや)

 

水上親子はさておき、この津雲町における、オカルトに関わる最高権力者、それがこの2人だ。

 

「ふーん?君が九十九君の友人で、妖刀遣いか」

 

真っ先に口を開いたのは柘榴だった。見極めるように、髪と同じ色の気怠そうな(まなこ)を細めて、俺へと視線を向ける。

 

「素人だねぇ……、君本当に妖刀を屈服させたのかい?」

 

柔らかく、親しみやすい、けれどどこか胡散臭さが拭いきれない調子で投げ掛けられる疑問に、俺は苦笑を返す。

 

夢の中でレスバしてます、なんて言っても信じてもらえる気はしない。それに、一般人が妖刀に憑かれて無事、なんて皆無に近しい事案、疑うなという方が無理であるので、疑念を抱かれるのは仕方のないことだと割り切ることにする。

 

「屈服させられた……かはともかく、俺を乗っ取ろうとする動きはもうないですし、自由に取り出せますよ」

 

口頭だけでは信用できないのだから、と指先から小さな刀を出して、引っ込めて、とリズムを刻みながら繰り返してみせる。

 

「柘榴さん、妖刀なんて絶望と憎悪の塊に呑まれたらその時点で理性なんて吹き飛ぶんですから、目の前に彼がいる、その事実が信じられない事実を保証しているんですよ。わかりきったことは聞かないでください」

 

時間の無駄です、と淡々と語る姿は、ゲーム序盤での彼女の周りへの対応と何ら変わりがない。ハキハキと、それでいて辛辣な物言いは特定の層に大ウケしていた。

そのことを思い出して、少しばかり懐かしい気持ちになっていると、柘榴は大口を開けて笑い、それもそうだと賛同する。

 

「なっはっは!災難だったねぇ漱。うちの娘の時も含めて」

 

「お、お母さん!!」

 

そんな様子を眺めていた店長は愉快そうに笑い、付け足された言葉に、水上先輩は顔を赤くして、店長の肩に手を置くと揺さぶって余計なことを言わせないようにする。

 

騒がしく、カオスになり始める空気感は、しかし次の瞬間には一気に引き締まり、音が消えたような錯覚すら覚えた。

 

「良い良い、若人達はかくあるべきであろうからの」

 

柔らかく、可愛らしい声に反して、どこまでも重苦しい言葉に、誰もがその動きを一瞬止める。

 

そうして、ゆっくりと視線を動かすと、ここにいるはずのない人間がいた。

伊勢斎宮、そう呼ばれる神子服に身を包んだ、小さな人影、1人の少女。

腰まである長い銀の髪に、勝ち気な印象を受ける少しつりあがった眦に、こちらに真っ直ぐ向けられた、魂まで見透かされそうな真っ赤な瞳。

 

「ご足労頂き、ありがとうございます、日輪殿下(ひのわでんか)

 

__皇位継承権第一位保持者、既に虚の庭周りの権限を掌握した狡猾な皇女にして、天照の器、皇族である日輪が、そこに立っていた。




コラム

Qなんで橋姫の血筋なのに瀬織津姫?
A宇治の橋姫と同一視されてる説があるからです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

狐耳のじゃろり皇女

気が付いたらお気に入り2000超えてた……、皆さん応援ありがとう御座います!これからも読んでいただけると幸いです!!


天照のヨリシロ、作中でもトップクラスの権能を振るう化け物よりも化け物然とした少女は、俺と水上先輩へと交互に視線を向ける。

 

ヤツカより少し小さい、くらいの背丈の彼女は、にんまりと口角を吊り上げる。

 

「ふむ、話には聞いておったが、妖刀憑きに鬼神の先祖返り、興味深いのぅ」

 

まるで新しい玩具を見つけたような子供のような目でこちらを見て、くくく、と愉快げな笑い声を溢す。

 

「殿下、戯れはその辺りに」

 

それを窘めたのは柘榴であった。先程までの胡散臭い様子は引っ込んでいて、いつの間にか綺麗な所作で跪いて、頭を下げている。

 

よく見ると、自分と水上先輩以外は皆、恐らくは彼女の声が聞こえたその瞬間に、跪いていたのだろう。

 

チラリと水上先輩の方へと視線を向けると、日輪殿下に見惚れているのか、惚けた様子で立ったまま。

 

「釣れないことを言うでない、勾の。それに今日は"お忍び"と言うやつじゃ。畏まる必要はない。皆、面をあげるがよい」

 

その言葉に、皆顔を上げて立ち上がるものの、張り詰めたような空気は消えないままで、息苦しさすら感じられる。

 

何で皇女殿下がいるんですかねぇ、誰だよ呼んだの、だなんて文句も浮かんだが、おそらくは柘榴か店長のどちらか、彼女が現れた際の発言から、柘榴の方であろうと見当をつけられる。

 

まあ、だからなんだ、と言う話ではあるが。

 

「では、そこの娘、名乗るが良い」

 

ゆるりとした動作で右腕を上げ、その指先を水上先輩に向けた日輪殿下。

告げられた言葉に、先輩は我に返ったのか、それとも貴人に声をかけられて動揺しているのか、慌てた様子だ。

 

「み、水上葵です!」

 

吃りながらも背筋を伸ばして名乗りを上げる。

緊張し過ぎているのがわかる様子に、日輪殿下は、くくくと、笑い声を溢す。

 

「緊張せずとも良い、妾の美貌の前では仕方のないことかも知れぬがのう。水上……だと母親と混ざってしまうのう、葵と呼ばせてもらうが構わぬかの?」

 

「は、はい!お姉さんみたいな綺麗な人なら是非!」

 

水上先輩の顔は真っ赤で、それは緊張だけではないのが見てとれる。見惚れていたのはその通りで、まるで魅了されているような様子。

 

「そこな妖刀憑き、主も名乗るが良い。……ああ、その胸元に潜ませた者も併せてな?」

 

幼い容姿に反して、ゾッとするほどの色気を見せ、にんまりと笑う。いっそのこと、寒気すら感じるようなそんな笑み。

 

こちらにむけてくる蠱惑的な目線は、全てを見透かすようで、その上で引き寄せられるような物があった。

 

心そのものを掴まれるような感覚と、ぴょこりと視界に映った金毛の狐耳に、水上先輩の様子を思い返す。

 

魅了されてるような、じゃない。魅了されてますわこれ。

 

そう確信を得ながら、小さく息を吸って、気を落ち着ける。

 

「八束漱と申します、日輪皇女殿下」

 

そう言って一礼をする。俺は上流階級の人間でもない、ただの一市民だ。多少の無礼は許して欲しい。そう考えながら、ポケットの中に手を入れて、ヤツカを出来うる限り優しく掴んでポケットから出す。

 

掌の上に乗せると、ヤツカは正座をして日輪殿下へと頭を下げる。

 

「わたくしは、ヤツカ、ともうします。にちりんのみこさま。どうぞ、よしなに」

 

言い切って、頭を下げると、掌の上で正座をしたまま、ヤツカは俺の方へと視線を向ける。

 

褒めるように、指先でその小さな頭を撫でてやると、日輪殿下は興味深そうに見つめる。

 

ぴょこり、ぴょこりと耳が揺れる。

 

「付喪神……それも座敷童か、随分仲睦まじいのう。妾の美貌に見惚れぬとはお主、筋金入りか?」

 

にまにまと、揶揄うように語りかけてくる。

 

筋金入りってどう言うことだこの狐耳ロリが、と思わなくはないが、口には出せない。彼女の発言から姿を偽り、魅了の術を使ってるのだろう。

 

それは天照の権能ではなく、別の力が為せる技だ。彼女が作中でも最強格な所以でもある。

 

白面金毛九尾の狐、『玉藻前』を名乗り国を掻き回し(かぶ)かせた大妖。

 

それを真正面から圧倒し、心をへし折り、屈服させ、自分に憑かせることでマガツキとしての力も得た、怪物よりも怪物じみた彼女は、九尾の狐としての力、多彩な術と、万人を化かす、或いは騙す力を持つ。

 

「殿下」

 

こちらを揶揄う日輪殿下を、再度窘めるように声を掛けたのは、やっぱり柘榴だった。

 

あんまり絡まれても困るだけだし、正直助かった。一庶民には皇族の相手はしんどいだけである。

 

なんせ、この世界の皇族はただの象徴ではない。表面上は前世と同じく象徴であり表向きの権力はないとされている。しかし、彼女ら皇族は虚の庭に関わる事象、つまりはこの世界の裏側に関わる事例に対しては絶大な権力を持つ。

 

なにしろ日本における主神のヨリシロ、代行者にして代弁者だ。表向き国政に関わらない、と言う姿は見せているが、一度(ひとたび)それが虚の庭の存在に関わることになれば、彼女たち皇族の管轄に触れる。

 

下手になにかやらかせば、秘密裏に消されることだってあり得るのだから、落ち着かない。

 

「勾の、お主は相変わらず真面目じゃのう。……分かった分かった、お茶目はこのくらいにしておく故、そのような目で見るでない」

 

柘榴の視線に、バツが悪そうに目を逸らせば、ひらひらと手を振る。

 

こほん、と一つ咳払いをすると、口を開く。

 

「顔見せはこの辺りに。本題に入るとするかのう」

 

そう言って、彼女は順番に指先を向けていく。

 

「葵、漱、お主らに仕事を任せる。見た限り、信は置けそうじゃからのう。主らには力を見せてもらう。

 

何、報酬は弾むぞ?」

 

にっこりと、まるで天使や女神とすら思える優しげな微笑みを浮かべながら、日輪殿下は告げる。

 

その笑顔が、俺には悪魔の笑みにしか見えなかった。




望まず力を得た人間に仕事を振る姿はまさにパワハラ!


「あるじさま、あるじさま、むりは、むりはなさらぬよう」
「やばい案件なら即座に逃げる。……逃げれたらいいなぁ」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

皇女殿下の頼み事

「殿下、発言よろしいでしょうか」

 

「良かろう。申してみよ」

 

日輪殿下の言葉に反射的に声を上げようとした水上先輩の口元を手で押さえつつ、空いた手を小さく上げて店長は尋ねる。

 

日輪殿下は伸ばした手を引いて、鷹揚に頷く。

 

「うちの娘も漱も素人であり、戦闘経験も皆無です。こちら側に関わらせるのは荷が重いかと」

 

店長の口からはそんな言葉。忠言とも取れ、苦言とも取れるような発言だった。

 

実際、先輩はあの事件までズブの素人であり、自分自身も知っているだけ、でろくに戦闘経験なんてない。

 

日輪殿下が言う『仕事』をこなすだけの能力はこちらにはない。

 

けれど、それは日輪殿下からすれば問題にはならない様子で、くくくと意地悪く笑って見せる。

 

「梢、妾はお主が娘に稽古をつけておるのは知っておる。でなければ鬼の血に娘が呑まれかねぬからのう。それに、そこの妖刀憑きも1匹、雑魚とは言え化け物を殺しておる。最低限、生き残る実力があるならば使わぬ手はない。

 

それに、じゃ。徒に適性持ちを増やせぬのはお主も理解しておろう?」

 

その言葉に少し眉根を顰め、けれど何かを言い返す様子はない。

 

「なぁに、お主が娘の事を心配するのも分かる。故に、別に此奴らだけに任せると言うわけでもない」

 

店長の様子に気を悪くすることもなく、日輪殿下は言葉を続ける。元より、作中でも余程のことがない限りは無理な事は言わない人物である事が語られていた。

 

だから、彼女から見て出来る、と判断したからの発言なのだろう。

 

「奏、それに咲耶。お主らが付いてやれば十分であろう?」

 

「殿下、任務の内容をお伺いしても?」

 

「何、簡単な調査よ。少なくとも、基本的にはそこの2人だけでも達成可能であろうの」

 

おずおずと尋ねた咲耶への返答は、はっきりとはしないものだった。

 

簡単、基本的に、と言われても何が起こるのかがわからないのが現実だ。虚の庭と言う常識の埒外にある代物に関わる事なら尚更、楽観視はできない。

 

既にそれは身を持って体感したことでもある。

 

「自分達の役目は2人の護衛兼監視役、ということですか」

 

「ま、そんなところじゃのう」

 

奏の言葉に頷けば、日輪殿下は改めてこちらを見る。俺と、水上先輩を交互に見て、問い掛ける。

 

「どうじゃ、頼まれてはくれんか?」

 

この頼み自体は強制ではないだろう。だから断る選択肢もある。つまり、今なら逃げれるのだ。

 

平和な筈の世界の裏、命を賭けなければならない世界に飛び込む事なく、穏やかに過ごせるかもしれない。監視は付くだろうが、無理に命を張る必要はない筈だ。

 

ちらりと、視線を掌の上のヤツカに視線を向ける。視線に気付いた彼女は、こちらを見つめ返して、ただ微笑む。

 

決めたのだ。温かな光景を守りたいと願ったのだ。ささやかな幸せを手放したくないと思ったのだ。

 

だから、知らなきゃならない。目は反らせないし、弱いままでもいれない。

 

逃げ出すことは、やってはならないのだ、きっと。

 

「やります」

 

「私に出来ることなら」

 

俺は頷いて、よく考えたのかどうかは分からないが、水上先輩もこくりと小さく頷く。

 

そんな俺たちの姿を見て、満足げに頷くと、柔らかな微笑みを浮かべる。

 

「うむ、では遠慮なく任せよう」

 

そう言うと、キリリとその表情を引き締める。場を支配していた重圧のようなものがより強くなるような、そんな錯覚すら覚え、日輪殿下から目を逸らせなくなる。

 

それは正しく、皇族らしい、人を惹きつけ、人を率いる者の姿。

 

「これから妾が語るは神の言葉と心得よ。

 

妖刀憑きの八束漱、鬼神の先祖返りである水上葵、お主ら両名に十塚村(とつかむら)近辺の調査を依頼する。探索及び調査が主となるが、場合によっては戦闘も発生しかねないが故、心してかかれ。

 

調査内容はおって、九十九奏、木暮咲耶両名に通達する故、それまで双方研鑽に励むが良い」

 

幼い容姿など問題にならないほど、威厳に満ち溢れた様子で、日輪殿下は俺たちに命を下す。

 

受けるといい、こうして命じられた以上、逃げる選択肢は完全に消失する。

 

「期待しておるぞ?」

 

そう言って、にんまりと笑った後、彼女は柘榴と咲耶に視線を向ける。

手招き1つして踵を返すと、柘榴と咲耶は、教室から去っていくその小さな背中に追従するように、その場から去っていった。

 

 

***

 

 

「殿下、よろしかったので?」

 

姿を偽り、気配を隠した3名は堂々と廊下を歩いていた。

 

柘榴は、囁くような声音で日輪へと尋ねた。ぴくぴくと、柔らかそうな狐耳を動かして、日輪はその声を拾う。

 

「良いに決まっておろう。あれは面白い、家守の一族に好かれ、妖刀を屈服させた、再現者。ここまで詰め込んだ者は早々見つからぬであろうし、水上の娘も打てば伸びる」

 

機嫌が良さそうに口元を緩めたまま、くくくと笑いを噛み殺したような声を漏らす。

 

少し離れたところを歩いている咲耶には聞こえないであろう声量で言葉を返しているのだろう、咲耶は怪訝そうに目を細め、柘榴を見るが特に何かを言う様子はない。

 

「ですが、未熟なのも事実。『神隠し』の調査は荷が重いのでは?」

 

「ほう、妾の采配に異を唱えるか?」

 

意地悪い笑みを浮かべる日輪に、滅相もない、と淡々と返す柘榴に、つまらん奴よの、と唇を尖らせてみせれば、まあ良い、と呟いた。

 

「何、奴は面白いものを見せてくれるであろうよ。それこそ、期待している以上のものをな。

 

伊達に見てきてはおらんよ、妾が見た未来(さき)があやつを起点として変わっておるのは間違いないしのう」

 

ウキウキと、見た目相応に楽しげに笑って、目を輝かせて言えば、ポツリと、誰にも聞こえぬような声音で付け足した。

 

「ずぅぅっと、見てきたしの」

 

爛々と、赤い瞳を輝かせながら。




「あるじさま、よろしいのですか?」
「うん。逃げてばかりじゃいけないだろうしな。付き合わせて悪いな、ヤツカ」
「いえ、あるじさまにおつかえするのが、わたくしのよろこびですから。むりはなさらず、いくらでも、どのようなことでも、おもうしつけください」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

スパルタ訓練からは逃げられない

前回のあらすじ
皇女殿下「ずっとみてるよ♡」


真夜中。広々とした日本庭園の中、その大部分を占める池を、日輪は見つめていた。まんまるとした月が映る、波紋ひとつ立たない、静かな水面を、立ち尽くしたまま眺めていた。

 

風一つないからか、やけに静かなその場所に、かさり、と小さな物音がするだけで、妙に響くような気すらしてくる。

 

すん、と日輪は鼻を鳴らすと、ゆったりと振り向いた。

 

一瞬だけ、茜色に染まった瞳が、直ぐに元の赤に戻る。

 

「珍しいの、放浪癖のあるお主が態々顔を見せるとは思わんかったのぅ」

 

「あら、失礼しちゃうわね。アタシのことを災厄か何かだと思ってないかしら?」

 

日輪の言葉に答えるように、甘ったるくて、引き込まれそうで、どこまでも優しくて、だからこそ恐ろしい声がした。

 

赤い瞳の先には、目を惹くような、金の髪。可愛らしい花柄のシュシュで長いその髪をツインテールにした、日輪とそう大して変わらない背丈の少女。

 

真っ黒なセーラー服を着た色白の肌をもつ彼女は、その琥珀の瞳を日輪に向けていた。

 

「さして変わらぬであろうよ。妖刀憑きから臭うと思えば、やはり主か」

 

「ふふ、どうでしょう?」

 

日輪の言葉に、金の少女ははぐらかすように笑う。訝しむように目を細めた日輪であったが、諦めたようにため息をついた。

 

「よい、理解した。……全く、相変わらずじゃのう」

 

「そういう貴女も相変わらずね。覗き趣味は感心しないわよ?」

 

「お主が介入しておらんのならば、妾もそんなことはせずに済んだかもしれんがのう?」

 

「大人しく見つめていただけなのに戦犯扱いは心外ね」

 

お互いに笑みを浮かべて、けれどその目は、どちらも笑ってなどいない。

 

表面上穏やかで、麗しいはずの光景は、ピリピリと張り詰めた空気のせいで、それを見るものに、楽しむ余裕を一切与えないであろう。

 

およよ、と態とらしく泣き真似をする金の少女。

 

「白々しいのう。八束漱を再現者にしたのはお主じゃろうに、のう、空亡(そらなき)

 

問い詰める言葉に、空想から生まれた信仰によって生まれた、妖の『神様』は、答えぬままに、にんまりと笑って、その姿を闇に溶かすようにして消えた。

 

後に残された日輪は、また小さくため息をつくと、一瞬だけ池に視線を向けた後、そのまま屋敷へと戻っていった。

 

 

***

 

 

時は遡り夕暮れ時。日輪殿下が居なくなったことで、緊張が解けて腰を抜かした水上先輩は店長に担いで連れて行かれ、俺はそのまま帰宅した。

 

「で、頼み、ってのはなんだよ」

 

何処か呆れたような表情の奏同伴で、である。

 

自宅の居間、ちゃぶ台を挟むようにお互い向かい合って座っていた。

 

「俺を鍛えてほしい」

 

告げた言葉は単純なもの。頬杖をついた奏に対して、俺はちゃぶ台に手を置いて頭を下げる。 

 

呼び出しされたかと思えば顔合わせにとんでもないのがいた、とか、日取りと場所はどうにかならなかったのか、とか、先程までの会合のようなものに対する不満をぶつけたい気持ちはあったが、そんな瑣末なことを端に置いて、彼女に頼み込む。

 

俺の行動に奏は目を丸くする。

 

「構わない。というか、そのつもりではあったけど、漱の方から言い出すとは思わなかった」

 

「俺の事なんだから俺から言い出さなきゃいけないだろ。鍛えてもらう側だしな……って、いいのか?」

 

「お前が言い出したんだろ……。まあ、こちら側に踏み込むなら強くならないとやってられないのは事実だからな」

 

気にするなと、ひらひらと右手を振る奏。

 

良かった、断られれば他に当てなど特に存在しない俺である。筋トレや、或いは妖刀を引き摺り出して殴り合うことになっていたのは想像に難くない。

 

明確な指導者が居なくなる、という時点で効率は宜しくはないだろう。こと剣術に限れば、妖刀を頼る方がいいのかもしれないが、まだ、いまいちあの鈍を信用する気にはなれない。

 

使い潰しはするのだが。

 

「悪い、助かる」

 

「ははは、厳しくやるから覚悟してろよ?」

 

心の底から有難いと、そう感じる。頼れるものはやはり信用できる友人である。

 

 

***

 

 

安易に頼んだのは間違いだったのかもしれない。自分のほんの10分ほど前の発言を少しばかり後悔しながらも、だだっ広い空間を走り回っていた。

 

土を均しただけの床、体育館程度のスペースの、或いは工場の中と言われても違和感のない部屋。

 

どうもヤツカの権能で開かれた、或いは作り出された、というべきだろうか、兎も角元々我が家には存在しない空間なのは間違いなかった。

 

その事に思考を巡らせる余裕は今の俺にはないが。

 

「はははは!ほら死にたくなけりゃ全力で走れよ!!」

 

笑い声が耳に届き、ふわりと背中を撫でるような風を知覚して、俺は足に力を込める。

 

勢いよく前へと飛び出せば、遅れて風を切るような音が聞こえる。

背後からは唸り声、ちらりと視線を向ければそこには白い虎のようなものが見える。

 

凝視する余裕はないが、恐らくは四神をモチーフに奏が作り出した式神であろうことは明白だった。

 

その獣は態とらしく俺の全速力に合わせて追い回し、速度が落ちればその背中へと襲いかかるのだ。多分、音的には爪を振るってるのだろうと思われる。

 

「のわぁっ!?」

 

「ほらほら、ちゃんと走らないと食われるぞ」

 

再度振るわれる爪をまた跳ぶように前へと身体を押し出して回避する俺に、背後スレスレを抜けていく何かの感触にゾッと、血の気が引いてくような気がしてくる。

 

悪魔かと叫びたいが、そんな余裕も体力もない。

 

息を整える余裕もなく、ジクジクと痛み出す脇腹と筋肉を無理矢理動かして走る。

 

だらだらとまるで滝のように溢れ出す汗を拭うことすら惜しんで、背中を撫でる風を感じて、飛び出そうと足に力を込めようとする。

 

「やばっ」

 

「はいアウト」

 

疲労のせいだろう、力は思ったよりも入らず、ぽふりと背中に柔らかい感触を感じてぽん、と前に押し出される。

 

「あ゛ーーーっ!!きっつい!」

 

そのまま転ぶように倒れた俺は、うつ伏せの体勢からくるりと反転し、仰向けになる。

 

疲労困憊の体を癒そうと両手足を投げ出して、乱れに乱れた呼吸を整えていると、ピリリリと、無機質な電子音が鳴る。

 

どうやら奏のスマホから流れてきた音らしく、彼女は虎の式神に跨ったまま、労うようにその頭を撫でつつ、スマホを取ると、画面を開いて、またすぐに閉じた。

 

「何だったんだ?」

 

「日輪殿下からの依頼の件だよ。依頼の詳細と日取りだな。……方針切り替えるか。

 

ほら立て漱」

 

「もう少し休ませてくれ……鬼か……?」

 

奏の言葉にげんなりとしながらも、ゆっくりと体を起こす。奏の声音には余裕がない。焦りこそ見えないが、何かあったことを察することができた。

 

「今のはテストのつもりだったし、本当は休憩した後に基礎鍛錬、ってつもりだったんだけどな。時間がない。能力向上よりも死なないように扱いてやる」

 

「は?」

 

先程の着信に、それほどの何かがあったのだろうか。

困惑をしたまま、それでも立ち上がると、奏は無造作に紙を放り投げる。

 

ぱらぱらと舞い上がる紙はそれぞれ煙を纏ったかと思えば、様々な獣や人型の化物に姿を変える。

 

『再現者』、安倍晴明としての力の一端。彼女がそれにより得た、分かりやすい異能こそが陰陽術で、この光景はそれによって生み出された式神によるものだろうことは容易に想像が付く。

 

「細かい話は後でしてやる。……その状態で出来る限り生き延びてみろ」

 

そんな言葉を引き金に、式神の群れが俺へと一斉に襲いかかった。




訓練パート的なやつとコミュ的なやつ(??)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ボコボコタイム

襲いくる式神の群れの中でも先行するのは、脚の速い獣の姿の式神だ。

 

いち早く俺を射程圏内に捉えた狼の姿の式神が飛び掛かってくる。大きく開けた口からは鋭利な牙が覗いていて、噛まれればタダじゃ済まない事は容易に想像がつく。

 

咄嗟に横に跳ぶことでそれを回避する。

 

回避した先には同じ姿の式神が飛び込んできていて、その口は大きく開かれていた。

 

回避は間に合わない。そも、行動直後の明確な隙に差し込まれるその暴威は対処が出来ない。

 

訓練だから、避けれなくても酷い事にならないだろう、という甘い考えが一瞬浮かぶも、作中でも、この瞬間でも見せ付けられている、この主人公様の能力の多彩さに、思考を切り替える。

 

このままなら確定で食い千切られる、どころか他の式神にもリンチされるだろうし、隣を抜けてった、今しがた避けた式神の爪の餌食にもなるのは想像に難くない。

 

だからと言って、避け回れる元気はもうとっくに品切れで、戦闘勘なんてものも、当たり前だが持っていない。

 

「っってぇなぁ!!」

 

だから、盾にするように、左腕を前に出し、その表面を鉄に、つまりは妖刀のものへと変質させる。

 

勢いよく閉じられた口は、俺の腕に激痛を走らせ、けれど鋼鉄と化した肌を貫くことは叶わずに止まる。

 

狼型の式神が食らいついたままの格好であることをいい事に、左腕を振り回すかのように、その場で大きく回る。

 

ぐるん、ぐるんと回し、近付いてきた他の式神を巻き込みながら、腕に食らいつく式神をある種の武器として利用する。

 

力尽きて噛む力が弱ったあとは、そのまま明後日の方へとその式神は飛ばされて、そして。

 

「あっ」

 

残った力を使い果たした俺は、足を縺れさせてすっ転んで、被害を免れた、離れたところにいた他の式神に囲まれ、なす術もなくフルボッコにされたのだった。

 

くっそ痛い。

 

 

***

 

 

「はい、おわり」

 

流石にこれ以上は無理だと思ったのだろうか、俺が動く様子がないと見ると、式神は全て紙屑へと姿を変えた。

 

咄嗟に全身を硬質化させ、大きな怪我は防いだとはいえ殴打等によるダメージは未だ消えず、全身にじくじくと内側から蝕まれるような痛みに苛まれていた。

 

それとはまた別に、極度の疲労からか全身が鉛のように重く感じられ、指先一つすらまともに動かせそうになかった。

 

「あるじさま、おつかれさまでございます」

 

とてとて、と離れた所で見守ってくれていたヤツカがこちらに駆け寄ってくると、労いの言葉をかけてくれる。眉根を寄せ、悲しげな表情。それに少しばかりの安堵が入り混じるのは、目立った外傷がないからだろうか。

 

俺自身の訓練だから、とヤツカには助けを呼ばない限り介入しないように言ってはいたが、その顔つきをみるによほど心配させたようで、しつれいします、と呟いたかと思えば、ふわりと体が浮き上がる感覚と共に、一瞬のうちに視界は切り替わり、見覚えのある天井とヤツカの顔が映る。体を包む柔らかな感触と、人肌の温もりを感じて、どうも、今の一瞬で寝室に移動した上でヤツカが膝枕をしてくれたらしい。

 

上手く働かない思考ではヤツカってすげー、と言う小学生並みの感想しか浮かばない。

 

「ありがとう、ヤツカ」

 

運んでくれた事に対して礼を言えば、ヤツカは俺の頬を両手で挟むように添えれば、ぷくりと頬を膨らませる。

 

「むちゃは、なさらないでくださいと、もうしました」

 

いつもなら笑顔で、きにしないでください、と言ってくれそうなものだが、訓練の風景がお気に召さなかったらしい。

 

不服そうな顔で、けれど俺の頬を潰すようなことはせず、手を離したかと思えばそのまま優しい手つきで俺の頭を撫でる。

 

その手つきから、心配と、慈しみが伝わってくるようで、思わず笑みが溢れる。

 

「ごめんな、でもこれは必要な事だし、目を瞑ってくれると助かるよ。少なくともこの訓練で死ぬことはないから」

 

こちらが注意すれば大怪我を負わない程度に奏も手加減してくれているようではあるのだ。そも、あいつが本気を出せば鋼くらい容易く貫通する式神だって出せる。

 

「……あるじさま」

 

「大丈夫だって。無茶しなくて良いように今無茶してる、ってだけなんだ。ヤツカを置いてはいかないから」

 

「あるじさま」

 

安心させるために頭を撫でてやりたいところではあるが、あいにく体は動かないので笑いかけるくらいしか出来ない。

 

だから、笑って見せると、むぅ、不服そうなままだが、仕方のなさそうに首を縦に振ってくれる。

 

「やくそくは、まもって、ください」

 

「ははは」

 

真剣な顔付きで言う彼女に笑って誤魔化せば、ついと視線を逸らす。

 

「いちゃついてるのはいいけど、依頼の話しても良いか?」

 

「あ、頼む」

 

視線の先には呆れた顔の奏。俺の体をざっと見て、たいして怪我をしていないのを確認すれば、小さく息をつく。

 

こほん、と小さく咳払いをすれば、座り込んだまま話し出した。

 

「場所は殿下が言っていたが、十塚村、まあ津雲町の直ぐ隣……というか、まあそこの山の反対側にある村だな。山の中腹辺りにある村なんだが、そこで行方不明者が何人か出ているらしい。

 

神隠しの疑いのある村での調査任務、ってわけだ。捜索するのは行方不明者の痕跡、遺体でも、遺品でも、あるいは原因と思しきものでも構わない、との事。期間は2日から1週間を予定。

 

任務自体は1週間後から、との事だった」

 

淡々と言えば、ふぅ、とため息をつく。

 

「あのスパルタってお前……」

 

「1週間後だからな、1日は休養に充てるとしても5日しかない。それだけでお前を劇的に強くする、なんて無理だし、戦闘技術を仕込むのも厳しい。

 

だから僕がお前にしてやれるのは『最悪のコンディション』でも対応出来る様に扱いでやることだけだからな」

 

だから、と奏は付け足す。頼もしく思えるような、けれど背筋に悪寒が走るような、そんな様子で笑った。

 

「残りの日数で場数だけは踏ませてやる。少なくとも力尽きて何も出来ず死ぬ、なんてことはないようにな」

 

そんな奏の姿に、頼もしい限りなんですけど、もしかして訓練で真面目に死ぬのでは、と言う一抹の不安が拭いきれなかった。




「あるじさまが、むりをなさらなくてすむように、わたくしも、がんばらねば」(ふんす)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

任務開始

「あるじさま、あんまは、いかがでしょうか?」
「按摩……ってマッサージみたいなものだっけ」
「はい!ひびの、きびしいたんれんで、おつかれのごようすですから。おからだも、こわっているかと」
「あぁ……、お願いしても良いか?」
「はい!ぜひ!おまかせくださいまし!」(ふんす)


それからの数日間は割と率直に言って地獄だった。自ら望んだこととはいえ、マガツキになってなければそも初日の時点で死んでいたレベルだったが、それ以降は普通に死ねるレベルのものだった。

 

訓練、とは名ばかりのリンチのようなものばかり。内容は初日にやった、式神を使った模擬戦闘。

 

ただそれをずっとだ。戦えなくなるでずっと繰り返す。なまじ頑丈になってしまったせいで普通なら体が壊れるような訓練であっても耐え切れる。

 

また、奏の陰陽術には他者を回復させる術式があるのも要因の一つだろう。それもあってか、式神どもは遠慮なく俺を殺しにくるし、大怪我を負っても奏が治してくれるため怪我を理由に訓練を中断することもない。

 

気絶しても起こされ乱闘続行、指先一つ動かなくなるまで疲弊してようやくその日の訓練は終わり、と言うスパルタっぷり。

 

全裸で戦わせないだけマシかもしれないが、荒事とは無縁だった人間にやらせる代物ではない。

 

そんな苦行を乗り越えて、依頼当日である。

 

「しっかり休めたか?」

 

昨日は休息日、と言うことで訓練は休みだった。その為、軽い運動はしたものの、殆どは家でゆっくりと過ごした。

 

そのおかげで体調は万全。ヤツカが施してくれたマッサージの効果もあるだろう。肉体に疲労は一切残っていない。

 

「ああ。ヤツカがマッサージしてくれたし」

 

家の前に来ていた奏に応えながら、彼女やヤツカと話しながら用意したいろんな道具を詰め込んだバッグを背負う。

 

俺の服装は動きやすさを重視したジャージ。ただし学校指定のものではなく、新しく買った紺色のもの。その胸元にはヤツカがポケットを縫い付けてくれている。

 

そこに、いつも通りヤツカの分身が入って、準備は完了である。

 

「ならよし。じゃあ行くか」

 

そう言って、いつも通りの格好、つまるところは見慣れた学ラン姿で奏が言えば、俺はそれに頷いた。

 

 

***

 

 

津雲町自体が田舎であり、多少商店街の方が栄えているとは言え周りを見渡せば一面のクソ緑、と言いたくなる環境であるのだが、十塚村はそれ以上に田舎であった。

 

山の中腹にあるからか、離れた距離にぽつん、ぽつんと民家が建つ程度で、基本的に周囲は田畑か木々ばかり。

 

街灯一つすらまともに立っておらず、なんなら道路もあまり舗装されていない。

 

辛うじて電気やガス、水道は通っているようではあるものの、限界集落、と言う言葉が合うような村だった。

 

そんな村の外れのほう。いよいよ他の民家、どころか建物一つ見えない場所にぽつんと建つ、二階建ての一軒家の前に俺らはいた。

 

「えーと、神隠し?の調査だっけ」

 

首を傾げて口にしたのは水上先輩だ。野外での活動、と言うこともあってその長い髪をポニーテールに纏めており、黒をベースに、脇腹から腕にかけて青いカラーリングのあるパーカーに、黒いレギンスの上から同じく黒いショートパンツを履いている。

 

「そうですね。厳密には行方不明者の捜索、調査、と言う名目ですけど、神隠し、と言う噂が出た以上は僕らの出番になりますから」

 

それに言葉を返すのは奏だった。

 

恐らく、この中で最も現場での経験が多いのが彼女だろう。奏と同じように、制服姿でこの場にいる咲耶は、奏とは違い現場に出る、という機会はそう多くないことが原作で語られていた。

 

それはヨリシロ、と言う存在の特異性に帰結する。

 

神をその身に降ろせる特異体質者。だが、当然上位存在の力を借りるのはただ、とは言えない。

 

そもそも、日本において神との関係性を表すなら契約、と言うのが相応しい、というのがマガツキノウタのシナリオライターの弁であり、その言葉通りヨリシロが異能を使う場合は何かを捧げる必要がある。

 

それは契約した、つまり降ろした神によって様々であるが、コノハナサクヤヒメのヨリシロである咲耶もそれは例外ではない。

 

だから、だろうか。特に口を挟まずにいるようだった。

 

「でも、行方不明者なら警察とかそっちの方の仕事じゃないの?」

 

「先輩、違うんですよ。重要なのは行方不明者が出た、という事よりはそれが神隠しの仕業、という噂が出た事のほうなんです。それに、警察はもう動いてますよ。……魔狩りに関わる部署がですけど」

 

疑問を述べる先輩に、奏は首を横に振る。ちらり、と視線を咲耶の方に向けると、彼女はこくりと頷く。

 

説明していいか、の確認だろうか。アイコンタクトで思惑を伝え合うあたりは、流石、主人公とヒロイン、と言ったところだろう。

 

奏と咲耶は作中において、原作が始まる前からの知り合い、仕事仲間である。流石に恋愛感情までは抱いて居なかったが、同僚としては信頼し合っていたことは明かされいた。

 

だからこそ、目線だけである程度の意思疎通も出来るのだろう。

 

「梢さんから聞いていると思いますが、怪奇現象には人々の認識、と言うのが深く関わって居ます。科学の発展により『そんなものはない』という認識が強まったことで現代において殆ど怪奇現象は起きなくなりました。

 

それでも、人々の認識が覆れば現れやすくなる」

 

「神隠し、っていう怪奇現象が出た、ってみんなが思ったのがまずい、ってこと?」

 

「そういうことです。そして、その認識が出たことで仮に初めはただの事故だったとしても、それ以降は本当の怪奇現象が起きている可能性が出てくるんです」

 

真面目な顔つきの奏に、気圧されるようにこくり、と水上先輩は頷く。

 

原作の設定と違わぬその説明に、だよなぁ、と嘆息する。

 

言ってしまえば、学園が『非日常への憧れ』から虚の庭と繋がりやすくなるように、『神隠しが起きた』と噂されたこの村も虚の庭と繋がりやすくなっているのだ。

 

特に、迷信深い田舎の人間、御老人が多いこのような村では完全に重なる、という可能性もなくはない。

 

「聞き取り調査とかした方がいいのか?」

 

「いや、その辺りは必要ない……というか、学生身分の僕らがそんなことしても怪しまれるだけだろ。警察側で調書は取ってもらってる。

 

僕らはそれを参考にしながらこの村の周辺を虱潰しに調べるだけだよ」

 

「非効率極まりないですけどね。基本的には八束さん、水上さん、お2人にお任せします。自分たちはバックアップですから」

 

俺の疑問に奏は首を振りながら答えて、咲耶はキッパリと答える。

 

その言葉から余計な手出しをする気がないことは窺えるも、元からそういう話ではあったので特に気にしない事にする。

 

「とりあえず、ぐるりと歩いて回るか。水上先輩、大丈夫ですか?」

 

一度地面に置いていたリュックを背負い直して、水上先輩の方へと視線を移す。

 

不安げな様子であったが、ぱん、と気合を入れるように頬を叩けば、彼女は表情を引き締めた。

 

「うん、大丈夫」

 

頷いたのを確認すれば、コクリ、と頷き返す。

 

「なら、いきましょうか」

 

枯れ木と紅葉が入り混じる山の中、過疎化が進む村での初任務。

 

頭上を鳴きながら、幸先が不安であることを告げるように鴉が飛んでいく。

 

そうして、地獄のような1週間の幕が開けた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

任務初日

ヤツカちゃんに膝枕してもらいたい人生だった。


時間は昼前、と言ったところだろう。空に雲はなく、清々しいほどの快晴。

 

俺たちは最初に集まっていた二階建ての建物……今回の任務においての拠点、というか宿代わりらしいそこから暫く歩いて、人の営みを確認出来る地点に訪れていた。

 

山の斜面を利用して作られた田畑、俗にいう段々畑、というヤツだ。ぽつん、ぽつんと点在する民家と、畑の側に停めてある軽トラと、農作業に勤しむ人影が、辛うじて廃村ではないことを教えてくれる。

 

車がギリギリ通れるかどうか、という幅の坂道。一面の田畑と、奥に見える木々。

 

民家や畑の下方には川が流れていて、その両脇を固めるようにアスファルトで舗装された道路が見える。コンクリートブロックの壁の隙間からは生命力逞しい雑草が生えている様子も窺えた。

 

「お婆ちゃんの家の近くってこんな感じだったなぁ」

 

畑と畑の間に作られた、急傾斜の細い坂をとっとっとっ、と、転ばないように気をつけて下りながらも、懐かしむように水上先輩が口にする。

 

12月の頭、本格的に寒くなってきてはいるものの、風は強くなく、また日差しが暖かいのも影響しているのだろう。歩き続けたこともあって、その肌にじんわりと汗を滲ませながらも、水上先輩はどこか楽しそうな様子だ。

 

「そうなんですか?」

 

「うん、昔、お父さんが帰省する時に着いて行ったんだけど、ここも似たような感じだからかな、なんだか懐かしくなるね」

 

ふんわりと、柔らかな笑みを浮かべながらもどこか寂しげな表情。何かを言った方が良いのだろうか。原作においては、不思議と彼女の過去についてはあまり明かされないが故、触れて良いのかわからない。

 

というか、語る前に大概死ぬのだからそりゃ語られない。意味深に仄めかしたかと思えば次の瞬間肉片になったり、餌になったり、いきなり刺されたり、無駄にバリエーション豊かな死に様を迎える水上先輩である。

 

なんで過去を語ろうとしただけで無限に殺される必要があるのか分からないが、謀ったかのようなタイミングで怪奇現象が発生するか不審者が横切るのだ。

 

「まあ、田舎、それも山間の町村だと何処も似たような感じですからね」

 

情緒もデリカシーも微塵もない回答を返しながら、唐突に背筋に走った悪寒と、とんとん、とポケットの中から俺の胸を優しく叩くヤツカからの警告に、静かに身構える。

 

チラリと視線を少し後方を歩く奏と咲耶へと向ければ、彼女達も、いつでも動き出せるように軽く身構えている。

 

キョトン、とした様子の水上先輩だけが気付いていないようだったが、俺達の様子から尋常ではないのを察したのか、警戒するようにキョロキョロとあたりを見渡す。

 

周りには何もいない。自分達以外、特に人影もない。獣や鳥、虫の姿も見当たらない。

 

けれど、嫌な予感は止まらない。ぞわりとした悪寒は消えない。

 

一瞬、強い風が吹いたかと思えば、まるで幻だったかのように、感じていた悪寒は消える。

 

「ヤツカ、何か分かるか?」

 

「けはいは、とくにかんじませぬ。あるじさまにむけた、てきいも、がいいも、ありません。ですが、ゆらぎは、いっしゅんだけ、かんじられました」

 

小さく、ふるふると首を振りながら教えてくれるヤツカの頭を軽く指先で撫でて、水上先輩と顔を見合わせる。

 

不思議そう、ではない。どこか強張った表情の彼女は、奏と咲耶の方へと視線を向ける。

 

「九十九くん、木暮さん、あの嫌な感じがする風って、神隠しに関係してると思う?」

 

問い掛けに、奏は頷いて、咲耶が口を開く。

 

「神隠しに直接関わってるか、は分かりません。けれど、自分達が来た意味はありますね」

 

少なくとも、『虚の庭』と繋がってしまった、その事実を、ただ淡々と口にした。

 

 

***

 

 

「収穫は一応あったっちゃ、あった、って感じだな」

 

あの後、これといって妙なものは見つけられなかった。村の中をそのまま歩き続けてみたが、あの嫌な感覚と、ヤツカが察知してくれた揺らぎはあれ以降感じることはなかった。

 

時間は夜、集合場所であった民家のところに戻った俺達は、テーブルを囲んで夕食を摂っていた。

 

事前に準備してあったのだろう。棚の中に置いてあったレトルトの白米とカレーを温めただけのものではあるが、美味しいので何も文句はない。

 

一日中歩き回ったが故の空腹を満たすために黙々とカレーを食べていると、真っ先に食べ終えていた奏は一息付いたのか、そんな事を口にした。

 

「ですね。こちら側に関わる事なのは確定と言っても良いでしょうし、それが分かってるのであれば出し惜しみもせずに済みます」

 

同じく、食べ終えている咲耶はナプキンで口元を拭ってからこくりと頷く。

 

「えーと……、漱くん漱くん。あのお化けみたいなのが関わってる、って事でいいの?」

 

納得したように通じ合う2人に対して、水上先輩はいまいち理解が及んでいないのだろう。

こちらに顔を向けて尋ねてくる。

 

どう答えたものかな、と悩みながら、カレーを掻っ込む手を止めて、口の中を空っぽにしてから答える。

 

「神隠しにオカルトが関わってるかどうかは知りませんけど、こないだの化け物みたいなのがいるのはほぼ確定です」

 

隠す事ではない。というよりは隠した方がまずい内容。なんせこの先輩だけ、ピンときていないのだ。

 

専門家である2人や、前世で得た原作知識に加えてヤツカが付いてる俺は化け物の気配や存在を察知し得る。

 

対して、水上先輩にあるのは店長から叩き込まれた血の制御法と、力の使い方。それに知識だ。

 

けれど、経験を伴わないのだ。直感的に存在を認識する能力はまだ身に付いておらず、明確に違和感を覚えたのは不自然な風を受けた時だ。

 

だからここで危険性を伝えておく必要がある。

 

「警戒は怠らないようにしてください。何があるかわかんないですからね」

 

「うん」

 

俺の言葉に素直に頷いてくれる水上先輩。本当、良い人なのに何でこの人が悉く酷い目に合わせられるんだろうなぁ。

 

つい、遠い目になってしまうが、気を取り直す。

 

「夜は、多分この村で動き回るのはやばそうだから今日はこのまま休みだ。日が昇るまで家から出るなよ」

 

「分かってます。自分はお風呂先に貰います」

 

「あ、私もお先に貰うね!咲耶ちゃん一緒して良い?」

 

「……構いません」

 

女子2人姦しく風呂に向かう姿を見送って、俺と奏は顔を見合わせて苦笑した。

 

何処となくツンケンしてる咲耶だが、なんだかんだ、水上先輩と仲良く出来てるようで、それが微笑ましかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夜の語らい

保護者目線のようになったが、別に俺自身は木暮咲耶、という少女とは特に関わりはない。同学年でもクラスは違うし、自然な事ではあろう。

 

全く関わりがないわけではなくとも、必要に駆られて何度か言葉を交わしたことがある、程度の仲でしかない。ほぼ他人のような知り合い、と言うのが一番正しい。

 

それでも、俺は彼女の事を知っている。ゲーム内での彼女を思い返すとやはり先程の光景が微笑ましく思える。

 

感慨深いな、と思いながらも思考を過去から今に切り替えることにする。

 

テーブルの上、自分の皿の隣に置いておいた紙コップを掴んで、その中身の少し冷めて温くなったお茶を一口飲んで、奏の方を向く。

 

「んで奏、出て来てる化け物って妖怪の類だと思う?」

 

尋ねると、奏は露骨に顔を顰める。

 

急に顔を顰めるな、俺に話しかけられたのが嫌みたいじゃねえか、泣くぞ。いや、顔を顰めたくなる理由もわかるのだが。

 

「あの風、多分縄張りの主張と警告だろうしなぁ、そっちの可能性のほうが高そうだ。近代以降に発生した怪異なら領域の中に入って来た奴に襲いかかりはしても警告なんてしないし」

 

「賢い奴っぽいよな」

 

「正直面倒な予感しかしないんだよな」

 

面倒臭そうに奏が言えば、俺たちは同時に溜息を吐く。

 

学園で俺と水上先輩が遭遇したような化け物、近代以降に発生した怪異譚ベースのものは警告する、という思考をしない。領域に踏み込んだものを襲い、嬲り、殺して楽しむが、縄張りを主張するように侵入者を追い出すなんてことは考えもしないのだ。

 

だから、十中八九、あれはそれ以前に生まれた化け物であろうと予測が立てられる。

 

「それと懸念事項はもう一つあるけど、これは明日の朝話したほうがいいだろ」

 

そう言った奏は、玄関の方に視線を向けていた。

 

 

***

 

 

女子2人が風呂から上がったあと、奏、俺の順で入浴を済ませれば、明日に備えて、ということで全員それぞれに割り当てた個室へと向かった。

 

2階に部屋は四つ、それぞれの個室には簡素なベッドと机と椅子が一つずつ。どの部屋も内装にこれといった差はない。

 

そのうちの一つ、今回の依頼中は使用する事になる個室に入れば、かちゃりと鍵をかけて、ベッドに腰掛ける。

 

「あるじさま、おつかれさまでございます」

 

目の前には普段と変わらない姿のヤツカが、いつも通りに労いの言葉をかけてくれる。

 

そう、いつもと変わらない、同じ大きさ。

 

「あれ、ヤツカなんで大きさ戻ってるんだ?」

 

確かに、先程までは胸ポケットに入る、小さな人形サイズだった筈である。困惑したまま尋ねれば、こてり、と可愛らしく首を傾げる。

 

「……?あるじさまいがいの、ひとのめが、ございませんので、おへやにいるあいだは、あるじさまのおせわをしようかと、ほんたいから、このわけみに、ちからをいくぶんか、うつしただけで、ございます」

 

「ん……?それって大丈夫なのか?」

 

「ええ、もちろんで、ございます」

 

どうも、離れていても分身と本体間で力を移し替えることが出来るらしいヤツカは、ふんす、と意気込んで見せていた。

 

(相変わらず、ヤツカ殿は宿主にべったりだな)

 

その姿に反応するように、脳内で可愛らしい声が響く。眼前には居ない筈なのに、ヤツカの隣に白い髪の少女が見えるような気さえしてくる。

 

「……なまくらがたなめ、きやすく、あるじさまにかたりかけるでない」

 

(ははは、そのように神気を向けないで欲しいな、ヤツカ殿)

 

鈍刀が黙ってろ、と脳内でケラケラと笑う妖刀に念じるが、黙る気配がない。服従するんじゃなかったのか、しないなら体から出ていけ、と心の底から思う。無理なのだが。

 

いつも俺に向けてくれる声音から一転して、底冷えするような声音で妖刀に反応するヤツカ。

 

……妖刀が聞かせているのか、ヤツカには聞こえるのか、それとも何らかの手段で聞いているのかわからないが触れない事にする。

 

「あるじさまのにくたいに、ねづいていなければ、めっしたものを」

 

「やっぱ分離って無理そう?」

 

(一連托生って言っただろうが宿主!!許さんからな!!)

 

「もうしわけございません、あるじさま。わたくしには、なまくらかたなと、あるじさまを、きりはなすことは、かないませぬ」

 

「そうだよなぁ……、まあ仕方ないか。」

 

はぁ、と嘆息し、申し訳なさそうにするヤツカの頭を撫でながら、苦笑を溢す。

 

視界の端でぷんすことキレ散らかす妖刀の姿を幻視するが、スルーする。

 

(無視するなァ!!)

 

聞こえなーい。聞こえなーい。

 

今まで黙っていたくせにここぞとばかりに騒ぎ出す妖刀を無視しながら、ベッドの上にヤツカと2人並んで腰掛けて、視線を窓の外に向ける。

 

闇を照らすのは淡い月の光。何処か幻想的にも、不気味なように見える。

 

ちらりちらりと青白い、あるいは赤い光が外を飛び交うのを見て、ただ無言でカーテンを閉めると、ヤツカと顔を見合わせる。

 

「ヤツカ、もしかして」

 

「……ひるまは、そうでもなかったのですが。けはいと、ゆがみが、おおきく、なっておりますね」

 

奏の懸念と、食事中の忠告はこういう事なのだろう、と理解する。

 

窓の外の飛び交う光、不規則に動き回っていたそれに、引き攣った笑みすら浮かんでしまう。

 

(散々我を無視しおって……!!今宿主が見たものを先んじて警告してやろうとしたのに!!何かあっても忠告してやらんからな!)

 

脳内で喚く妖刀の叫びと、困ったように眉根を寄せたヤツカに、天井を仰ぎ見る俺。

 

完全に、虚の庭に重なってんじゃねえかよ、嘘だろお前。

 

(事実だよ馬鹿野郎!!)

 

思った以上に、事態は深刻なようだった。




「ところであるじさま、あんまは、いかがでしょうか」
「お願いするわ……」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

思った以上に非常事態

1週間きちんと書こうかなと思っていた時期が私にもありました。多分この回の後一気に時間飛ぶかもしれません。わからん。


夢の中でまた妖刀とレスバとタイマン、という一悶着があったものの、依頼2日目の朝である。

 

朝食を摂り終えた後、各々身支度を整えて改めてリビングに集合する。

 

胸ポケットにはまた小さくなった(本人に言わせると力を本体に力を戻した)ヤツカ。

念の為、と点呼を取ってから、奏は真剣な顔付きで俺たちのことを見渡した。

 

「みんなは夜の間に異変を感じたりしなかったか?」

 

前置きのように問いかけを溢す。

 

「気付いてます」

 

奏の問いかけの意図を察したのだろう。咲耶はこくりと頷く。

 

「なんか、不気味な声がしたような気がした、かな」

 

水上先輩は聞かれた通り、感じた異変のようなものを答える。

 

「火の玉っぽいの浮いてたのを見たんだけどさ、これもしかしなくても」

 

「ああ、少なくとも夜の間は完全に虚の庭と重なっていた。『カイキ』してるぞ、この辺り」

 

だよなぁ、と嘆息する俺、心底面倒臭そうに顔を顰めた奏、ほんの少し眉根を寄せる咲耶に対して、事態があまり飲み込めてないのか、困ったような表情を浮かべる水上先輩。

 

「えっと、『虚の庭』っていうのと、私たちの世界の関係性が昔のものになってる、って奴だっけ」

 

おずおずと手をあげて口を開くと、自信なさげに問いかける。

 

「はい。具体的には……そうですね、ざっくりと明路(めいじ)より前、と考えてもらうといいかもしれません」

 

つまり大体は江都(えど)時代くらいまで、というわけである。

 

『カイキ』とは、手っ取り早く言ってしまえば回帰のことを指す。それの何が問題か、と言えば当時の価値観だ。

 

明路以降は外国との繋がりにより遅れていた文明は一気に進む。その際に何が起きるか、と言えば科学、化学の流入、発展によるオカルトの駆逐だ。

 

『マガツキノウタ』の世界においては大きな括りとして、『発展が進む土壌となった』明路と江都、前世における明治時代と江戸時代が『妖怪怪異がある』とされている世界と『あくまで空想上で実在はしない』とされている世界で分けているとされていた。

 

江都時代まで現世と虚の庭の関係性が戻っている、ということは認識が『オカルトは実在する』という価値観に戻っていることを表している。

 

当時の価値観でざっくりと言えば、である。

 

夜は魑魅魍魎が跋扈する時間であり、山や森には物の怪がいる、よく分からない現象はそう言ったものの仕業。

 

それは即ち。

 

「昼間は落ち着きますけど、夜になればこの辺りは化け物の巣窟ですね、面倒な事になりました。……環境も、良くありませんしね」

 

咲耶が溜息混じりに呟く。

 

俺と水上先輩が遭遇した『ゆらぎ』の時の重なりとは訳が違う。『カイキ』した際の重なり、繋がりは二つの世界をはっきりと一つに結びつける。

 

明確に言えるのは、ここら一体が完全に魔窟と化してしまっている、という事だった。

 

 

***

 

 

とは言え、日中まで至る所に化け物がいる、というわけではない。人里や日中をメインにした怪異譚というのはあまり見ないであろう。

 

そもオカルト、神話や民話、伝承に語られるような存在は、その大半が『よく分からない事』に理由をつける行為だ。

 

未知への恐れが引き起こしたものである以上、明るい時間で、更に何が起きたかを人が看過出来るような状況だとそうそう出没することもない。

 

詳しくは語られていないが、『カイキ』によって現世に現れる妖怪の類は昼間はそのまま虚の庭に戻っているケースが多いらしい。

 

その例に漏れず、夜俺が見た火の玉を再度見ることはなく、他の化け物の痕跡も見ない。

 

強いて言えば、木の幹の傷や、雑草等が踏み倒された跡が見えるものの、それは獣の仕業、と言われても違和感のないものだ。

 

それでも、現世側に留まる化け物もいなくはないのが事実だ。きっと、昨日遭遇したアレも、現世に留まる事を選んだ妖怪の類なのだろうと思う。

 

「みんながお化けがいる、って信じてるから『虚の庭』っていう異世界と繋がっちゃうなら、もうどうしようもなくないかな?」

 

4人揃って、民家がちらほらと伺える道を歩いていると、水上先輩が小さく首を傾げながら疑問を口にする。

 

それは、ある種当然の疑問でもあるが、実のところ大した問題にはならない。

 

「いえ。信じることで繋がるのはそうですけど、そうなら『やっぱりいなかった』という事にすれば良いので、問題はありません」

 

水上先輩の疑問に答えるのは咲耶だった。ふるふると首を振る彼女に、水上先輩は困ったような顔をして少しばかり考え込む。

 

「『幽霊の正体見たり枯れ尾花』みたいにしちゃう、って事かな?」

 

「はい、そういう事です」

 

水上先輩の言葉に、咲耶は頷きながら小さく微笑む。

 

『幽霊の正体見たり枯れ尾花』というのは、怖い怖い、と思っていた事が実は大したことではない、という事を読んだ句だった気がする。怖い怖い、と思っていると全てが恐ろしく見えてしまうものだ、という内容だっただろうか。

 

つまり、咲耶も水上先輩も言っているのは『認識の上書き』だ。

 

『ある』を『ない』に変えるだけ。その為、虚の庭に関わる事象に関わる家の中には、記憶の書き換えによる情報隠蔽に特化した一族がいるくらいだ。

 

一番手っ取り早いのは、当事者からその記憶を消す事なのだから。

 

まあ、奏も、相手が一般人であれば記憶操作も片手間でできるであろうし、また分けるのはいつでもできる。

 

「問題は、この周辺に化け物、妖怪の類が潜んでるかもしれない、という事か。それの対処を先に行わないといけない」

 

でなければ、幾ら居ないと訴えても、記憶を操作しても意味がない。いたちごっこを続けるだけになってしまう。

 

小さく息をついて前を向けば、視界の先、どこか怯えるように農作業に従事する村人の姿が見える。

 

ちらりと、視線を道の脇、木々の向こうに視線を向けると、奥の方で枯れ草がかさりと動いて、鴉が飛び立つ。

 

「調査任務としてはこの時点で終了でもいい。けど、早急に対処する必要がある。先輩、宜しいですか?漱も大丈夫か?」

 

「うん。ほっとくと大変な事になっちゃうんだよね?出来ることがあるなら頑張るよ!」

 

「元よりそのつもりだったろお前。腹は括ってるよ」

 

奏の言葉に、意気込むように拳を握って見せる水上先輩に、嘆息しながらも頷く俺。

 

そもそも、ここで、放っておいたら酷い事になると分かっていて逃げれるような教育を受けた覚えはないし、引き受けた以上投げ出す選択肢はなかった。

 

「九十九さん、自分には聞かないのですか?」

 

「聞く必要あったか?」

 

淡々とした咲耶の言葉に、奏は短く返すと、咲耶の顔に笑みが浮かぶ。

 

「分かってるじゃないですか」

 

うっすらとした笑み。付き合いが長いか、自分のように表情差分一つとっても舐め回すように見ていた前世でもなければ気付けないほどのそれは、何処か猛獣を思い浮かべてしまうような、獰猛なものだった。




「あるじさま、おべんとうは、どういたしますか?」
「昼飯は用意してあるから大丈夫だよ、ありがとな」
「……はい」(用意出来なくて悲しげ)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔窟の主・1

レジェセウスに夢中になって手がつかなくなりそうになってた馬鹿は私です


近隣を歩き回って、道のない木々の間にも分け入って、虱潰しに探索してみたものの、特に化け物の姿は見当たらず、棲家らしきものも見当たらなかった。

 

縄張りの主張らしきものがあった場所も調べ直してみはしたものの、これといって収穫らしい収穫はないまま、時間が過ぎて、現在六日目。

 

肉体的、というよりは精神的に疲れた俺たちは、探索中に見つけた原っぱで休息を取っていた。

 

「カイキしてるのは明白なんだけどなぁ」

 

座り込んでボヤくように呟けば、空を仰ぐ。

 

本当に、なんの収穫もないまま時間だけが過ぎていった。村人の姿は変わらず見受けられるものの、何も起きてない、と考えるには楽観が過ぎるだろう。

 

ある程度近くで見た村人の様子は、誰も彼も怯えた様子であったし、ごく稀に見る子供たちもそれは例外ではなかった。

 

確実に何かはある。それだけは確かなのだ。

 

けれど、その正体を未だ、見つけることはできていない。

 

「夜、外が不自然に明るかったりしたもんね」

 

俺の呟きに反応したのか、水上先輩は苦笑しながら口にする。

 

彼女が言っているのはおそらく火の玉……鬼火の事だろう。あるいは火車のような妖怪等もいたのかもしれない。

 

少なくとも、辺りに街灯もないあの拠点で外に灯りが見える、というのは不自然極まりない事であるし、そも初日の夜に火の玉が飛んでいるのをこの目で確認している。

 

異常事態であることは、間違いが無いはずだ。

 

「手詰まり、ですか?」

 

咲耶は首を傾げて、奏は、はぁ、とため息を吐く。実際、俺自身はお手上げ、と言いたい気持ちだ。探せるところは探したし、ヤツカにも協力して貰った上で、引っかかるものはないのを確認した。

 

咲耶の言葉に俺が頷けば、水上先輩は唇に人差し指を当てて、何やら考え込むと、ゆっくりと立ち上がった。

 

「私たちが調べたのって基本的に民家とか畑とかから離れたところばっかりだったよね?その周りももう一回調べて見ない?灯台下暗しっていうし」

 

確かに、盲点だったような気がする。初日と二日目に軽く見て回ったくらい、だっただろうか。通りはしても、しっかりと調べた、とは確かに言い難い。

 

「そうですね。ここで管巻いてても埒があきませんし」

 

追従するように立ち上がると、奏と咲耶も立ち上がる。特に何かを言う訳でもない様子で、異論はない様だった。

 

 

***

 

 

そうして、原っぱから離れて、再び人里の方へと向かう。

 

てくてくと歩いて周りを見渡しても、やはり何処となく怯えた様子で農作業に勤しむ村人の姿からは、他に異常は見当たらない。

 

時折、ヤツカに問い掛けても気配も揺らぎもない、との返答が返ってくる。

 

「手掛かりらしきものはないなぁ」

 

「そうですね。人的被害も無さそうなので一安心ですが」

 

「でも、見かけた人たちはみんな、何かに怖がってるみたいだから放っておくわけにもいかないよね……」

 

キョロキョロとあたりを見渡しながら奏が言うと、賛同するように咲耶は淡々と口にする。

 

水上先輩は、村人の事を案じてるのだろう、そんな事を言って、きゅっと拳を握る。

 

けれど、周囲を見渡しても何も手がかりは見付けられない。田畑が広がり、その先には川や公道、それに木々。視界に映るのはそればかりだ。

 

「戻って報告済ませた方がい__っ!?」

 

ぼんやりと、もう終わりにした方が良いのではないか、そう考えて廃屋の前を通りながら口にした瞬間だった。

 

ぞわりと、背筋を悪寒が走り抜ける。

 

「あるじさま!!」

 

緊迫したヤツカの声と、ひしひしと感じる寒気を与えてくる気配の方へと体を向けながらも、いつでも動き出せるように身構える。

 

そこにあるのは今にも朽ち果てそうな廃屋だけ。壁はところどころ穴が開き、柱は傾いて、扉は曲がり、屋根は崩れ落ちかけているボロ家。

 

ゆっくりと、その廃屋に向き直ったまま後退り、ちらりと横目で3人の姿を確認する。

 

水上先輩は怯えたような表情で、けれど強がるように真っ直ぐに廃屋を睨みつけ、奏は殺気だった様子でいつの間にか取り出した刀を構え、咲耶はその手に小刀を手にした姿で、能面のような無表情で前を見据える。

 

「おや、客人かい。それにしては物騒だぁねぇ……」

 

しゃがれた老人の声が耳に届き、廃屋の中から小柄な人影が姿を現す。

 

腰を曲げたそれは、年老いた白髪(しらが)の老人は、けれど明らかに人間ではなかった。

皺の多いその肌は真っ赤であり、山伏装束を着たその背中からは、真っ黒な翼が生えており、なによりその顔には人間には存在しない、立派な嘴がついていた。

 

その姿には、見覚えがある。

 

「いけない、いけない。物騒なのはいけないねぇ。まずは、その危ないものを手離して貰わないとねぇ。何の用かは知らないけれど、安心して話も聞けないねぇ……」

 

老人は手に持った、木の葉を模した団扇を振るう。

 

ただそれだけで風が吹く。初日に吹いた不自然な強風のような、生ぬるいものではない。

 

「物騒なのはどっちだよ……っと!」

 

咄嗟に奏がばら撒いた符が宙に浮かび、動きを止めたかと思えば、金属同士がぶつかる様な甲高い音を立てる。そうして、バラバラと符は引きちぎられたかの様にバラバラになって、風に舞う。

 

「なあ、鴉天狗」

 

それは、『マガツキノウタ』屈指の嫌われ者であり、同時に外道として名高い妖怪。

 

さまざまな方法で主人公の心をへし折り、地獄を作り出した存在。鬱展開の大半にこいつが関わっている、と言っても過言ではないキャラクター。

 

「おや……?おやおや、失敬な。お前さんらは人を呼ぶときに人間と呼ぶのかい?儂にも立派に名があるというのに」

 

眉根を寄せ、不愉快そうに、白々しい様子で語るそれは、名を名乗る。

 

鬼一(きいち)という立派な名前がねぇ?」

 

くくく、と不気味に笑って見せて、再度、葉団扇を振るってみせた。




と言うことで次回からはバトルですわよ!漸くでは……??


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔窟の主・2

バトルって難しい……


それは正しく、風の刃とも呼ぶべき代物であった。1つ、2つと鬼一が無造作に葉団扇を振るう度に不可視の斬撃が生まれていく。

 

それらを、奏は取り出した符で防いでいく。その度に金属の擦れ合う音を立てて符は散って行く。

 

「ふぅむ、面倒だねぇ。陰陽師ってぇのは、もう少し不器用だった記憶があるのだけどねぇ」

 

何処となく面倒臭そうに鬼一は呟くと、葉団扇を無造作に振るいながらも、折り畳んでいた黒い翼を広げると、バサリとはためかせる。

 

そうして、黒い羽根が舞うと同時に、それらは銀色に色を変えて、その全てが俺らの方へと向く。

 

「そぉら、何処まで対処できるかねぇ?」

 

にたりと、厭らしい笑みと共に射出された100は超えていそうな銀の羽根の群れが弾丸の如き速度で射出される。

 

動こうにも動けない、というべきか。対処しようにも、自分を守るので手一杯になり、攻勢に出ることはおそらく出来なくなる。

 

奏は鎌鼬の対処のみに集中しているところを見るに、加勢できない、或いはする気がない。

 

だから、これは、『彼女』に任せよう。

 

視線を動かして、怯えながらも、逃げ出そうとはしなかった彼女の姿を見る。震える手を強く握り締めて、口を開く。

 

「『あぁ、妬ましい嫉ましい』」

 

いつもの水上先輩の声に重なるように、ドスの効いた女の声が聴こえる。言葉と共に、その肌は指先から赤く染まり出す。

 

「『汝を嫉む。汝を妬む。汝を疎む』」

 

その額には小さなツノが2つ生えて、黒い髪はその端から色素が抜け落ちていき、それと同時に、目に見えて、襲いくる銀の羽根の速度が落ちていき、こちらに届く前に全てが地に落ちていく。

 

「『空を自由に舞う、黒い翼。飛ぶだけに飽き足らず、敵を穿つ鏃にもなるだなんて、嫉ましいわ。呪いたくなるくらいに』」

 

それは呪詛だった。鬼のような姿となった水上先輩の扱える異能と呼べるもの。

 

オリジナルほどの効果はなく、他者を呪い殺せるほどの影響力は持たないそうだが、今のように、既に放たれた武具の威力や勢いを削ることは可能で、本人曰く意外と応用が効く力。

 

先祖返りによって濃くなった『宇治の橋姫』の血を励起させた彼女が、今日までである程度使えるになった、唯一の武器、であるらしい。

 

少なくともゲームにおいては一切登場しなかったことであるが、今回の依頼に臨むにあたり、予め俺と水上先輩は自分のできることについて話し合っていた。

 

だからこそ、彼女に任せる、という選択肢を俺は取ったし、取れた。

 

「宇治の鬼女(きじょ)……その子孫かい。笑えるねぇ、あの若造りにも番が出来たのか、数奇なもんだねぇ」

 

驚いたように目を見開く鬼一。原作においてもこの鬼一という鴉天狗は長寿の枠組みに入る。

 

それこそ、天狗の伝承が語られた頃から存在し続けているとんでも妖怪だ。厄介なのは、歳を重ねたことで得た経験と知識であろう。

 

だから、少しとはいえ驚愕に目を見開いた隙を逃す訳にはいかない。少しでも距離を詰めるため、一気に鬼一に向けて駆け出す。

 

原作知識を持つ身としては、ここでこいつに勝てる気はしないが、やるしかない。

 

「援護してあげますよ。……この程度なら、自分が主軸でも充分ですし」

 

咲耶の声が耳に届きて、何かが割れる音と共に、力が漲るような感覚を覚える。ヨリシロとしての権能、その一部で、咲耶が俺に対して強化の術をかけてくれたことを理解して、心の中で感謝する。

 

作り出した刀をしっかりと握り締めて、斬りつける、というよりはすれ違い様に叩き付けることが出来る様に構える。

 

「うん?お前さんも陰陽師の一種かい?それにしては……」

 

飛び込んできた俺を視界に入れた鬼一は、怪訝そうな顔をして、避けることはせず、翼を自身と刀の間に、盾のように挟み込む。

 

いけると、そう思った。思ってしまった。

 

吸い込まれるように刀は黒翼へと沈み込み、肉を裂くような感触が一瞬、掌に伝わったかと思えば、表情を変えた鬼一が思い切り翼を広げる。

 

「うっそだろ!?」

 

勢いよく吹き飛ばされた俺は、どうにか受身を取りながら地面を転がる。体は痛むが、大怪我を負った感じはしない。

 

だからすぐに立ち上がる。

 

「驚いた、よくない、よくないねぇ。まさか妖刀とはねぇ、それも特級の曰く付きじゃあないか。そんなもので斬られたらひとたまりもない」

 

顔を顰めた老年の鴉天狗は、ふるふると頭を振るうと、先程まであった余裕を残しながらも、その顔からは油断が消える。

 

勘付かれてしまったのが、最大の失態であった。最大のチャンスを不意にしたことに、内心で舌打ちする。

 

「手を止めて良いのか?敵はそいつだけじゃないんだぞ」

 

鬼一が葉団扇を振るうのを止めたからだろう。真っ直ぐに飛び込んだ奏は、鬼一の真正面から、真っ直ぐに刀を振り下ろす。

 

「なんだいなんだい、お前さんはそんな曲芸も出来るのかい?器用な陰陽師なことだ、けれどねぇ」

 

奏の声に、鬼一はようやく彼女の接近を許したことに気付いたのだろう。その視線を奏に向けて、するりと翼を盾にする。

 

「生憎、その程度でやられるつもりはないんでねぇ……、大人しく下がってなさい」

 

そうして、先程と同じように翼が一気に広げられる。たんっ、と軽快な調子で奏はその勢いを利用し自ら後方に飛ぶと、体勢を整えて安全に着地する。

 

「埒があかないねぇ……、非常に面倒だ。そこの刀憑きはここで始末したいが、儂が直接やらなくても構わないしねぇ……、相手をしてる方が馬鹿らしい。

 

お暇させてもらおうとするかねぇ……」

 

「逃す訳ないだろ」

 

「追い付けるなら追い付いてみると良いさ」

 

ふむ、ふむと頷きながらじりじりと後退りをする鬼一に、一歩踏み込みながら言う奏。

 

嘲笑するように鴉天狗が告げれば、ばさり、と翼をはためかせて飛び上がる。

 

それと同時に、俺は刀をそこへ向けて思い切り投擲しようとして、中断する。

 

唸り声、金切り声、不気味な呻きが耳に届き、俺らを囲うように現れた異形の群れに気が付いたからだ。

 

「す、漱くん、これってどうなって……」

 

「鬼一、ってあの鴉天狗の仕業だと思いますけど……奏、木暮さん、これってヤバくないか?」

 

「……やばいな。正直、術符の数も足りてないんだ僕は。あそこまでの大物が出るとは思ってなかったし」

 

ジリジリと迫り来る化け物共に体を向けて、自然と、4人で、背中合わせのような形で身を寄せ合う。

 

現状を確認するように、口々に喋ると、咲耶が小さくため息をつく。

 

「九十九さん、式神の方は用意ありますか?」

 

「そんなに多くは持ってきていないが、あるにはある。けれど、この数は厳しいぞ?」

 

「水上さん、あの化け物たちにも呪詛は効きますか?」

 

「やってみないと分からないけど……、試してみる」

 

「八束さん、まだ動き回れますか?」

 

「誰かさんのスパルタ訓練のおかげでどうにか、って感じだな」

 

3人にそれぞれ言葉を投げ掛ければ、返答に対して、小さくよし、と彼女は口にして、はっきりと、有無を言わさぬ口調で言い切った。

 

「5分……、いや、3分程時間を稼いでください。現状をひっくり返せるようにしますので」

 

どうにかする為の手段がある、と。




ヤツカちゃんとのイチャイチャ幸せライフ書きたい(発作)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

えげつない切札

祝詞使いたかったんですけどよく分からないのでもどきになった。許してほしい。


「九十九さん、八束さん、水上さん、お願いします」

 

その言葉を合図に俺たちは動き出す。

 

「数には数で、ってな」

 

奏は咲耶と水上先輩の側に立って、式神を出現させる。その数はおよそ20程であろうか、獣の姿をしたもの、人型のものが半々程度。現れたそれらは意気揚々と化け物の数を減らすために突貫していく。

 

「『嫉ましい、妬ましい。汝らの力が妬ましい。それだけのお友達がいるのだから、力は必要ないでしょう?』」

 

水上先輩は呪詛を放つ。祟りが、黒い靄として化け物どもの足元から噴き出したかと思えば、その体に纏わりつく。

 

「おらっ!!」

 

俺は手に持った刀を牽制代わりに思い切り正面にいる化け物に投擲して、化け物の群れの中へと飛び込んでいく。

 

投擲した刀は慌てた様子の化け物どもに弾かれはしたが、注目をこちらに集められたのなら問題はない。

 

手放した刀の代わりに、包丁サイズの短刀を生み出して、動揺する前方にいた妖__その姿から河童の類であろうそれの腕を斬りつける。

 

「■■■■__ッ!!?」

 

斬り落とすことは出来ず、けれど緑色の肌の奥、深く抉られ、削がれた肉の隙間からは赤い血が噴き出し、河童の口からは苦悶の声が溢れる。

 

それを気にすることなく、怒りのままに振るわれた腕を片腕で止める。

 

どうやら、きちんと水上先輩の呪詛は効果を発揮しているらしく、思った以上に軽く、すんなりと振り払うことに成功して、思い切りその腹を蹴り飛ばす。

 

後方の妖も巻き込みながら吹き飛んでいくのを確認せず、別の妖怪の元へとまた突撃する。

 

殲滅ではなく、時間稼ぎが目的。奏がいるのだから咲耶たちの方は気にしなくても良い。

 

だから、俺はこのまま、ただ暴れていればそれでいい。

 

「掛けまくも畏きコノハナサクヤヒメ」

 

咲耶の朗々とした声が耳に届く。ゆったりと、けれどはっきりとした口調。

 

声を背に、二足歩行する化け狸の片腕を斬りつけ、そのままの勢いで走り抜けながら側にいた餓鬼を蹴りつける。

 

燃え盛る猫、恐らくは火車がこちらに飛びかかってくるのを、短刀で殴り飛ばすような形で迎撃し、その影から飛び出してきた鼠を大きくしたような妖怪、旧鼠であろうそれをもう片方の手で殴り飛ばす。

 

「富士に座す、いと尊き美しい御方」

 

しゃん、しゃん、と鈴の音が聞こえる。

 

尾が二つある妖狐が鳴き声をあげ、火の玉を浮かべて俺に向けて放ち、四つの足から鎌のようにも思える刃を生やした鼬、鎌鼬が旋風に乗りながら前脚を振るう。

 

飛んで来る火の玉を、肌を鋼に変質させて強引に耐えながら前進する。着弾と同時に爆発する火の玉を無視し、焼けるような熱さを、奥歯を噛み締めて耐え、斬りかかってくる鎌鼬の鎌を腕を盾にして防ぎ、突き飛ばすように腕を振るう。

 

しゃん、しゃんと、音が聞こえる。

 

フヨフヨと浮かぶ、鬼の顔の煙のような妖怪、縊鬼(いつき)がニタニタと笑いながら俺の体に纏わりつく。

 

作中でも出てきたが、こいつはこれといった戦闘能力はない妖怪であっただろうか。

 

「首を括れ、首を括れ」

 

気味の悪い笑みを浮かべながら、しゃがれた声で囁きかけてくるそれを俺は無視して、妖狐を蹴り飛ばす。首を括るように囁きかけてくるだけなら不快なだけで、気にする必要はない。

 

妖狐を蹴り飛ばした後、またこちらへと向かってくる鎌鼬に短刀を叩き付けて吹き飛ばし、近くにいた大百足への方へと吹き飛ばす。

 

「我が身に宿り給いし、諸々の禍事」

 

しゃん、しゃんと鈴の音とともに、朗々とした声が聞こえる。

 

式神が吹き飛ばした人のものだろう。不思議と血が滴っていない頭がこちらへと飛んで来て、痛みに顔を顰めながらも煽るようにムカつく表情を浮かべるその顔に短刀の柄を叩きつける。

 

首無しであろうそれの頭はクルクルと回転しながら吹き飛び、顔に目のない妖に激突する。

 

顔のない妖怪、のっぺらぼうが顔に手を伸ばしてくるが、その腕を掴んで止め、強引に投げ飛ばして地面に叩きつける。

 

その隙を狙って倒れ込んでくる塗り壁の身体を咄嗟に両手で支え、力任せに持ち上げ跳ね飛ばす。

 

「祓い給いし、清め給う力、授け給えと申す事を、聞こし()せと」

 

人の頭に直接手足をつけたような妖怪、五体面が勢いよく転がりながら突撃してくるのを飛んで回避しようと考えて、思い留まりその場に立って、その身体を受け止める。

 

余りの勢いと質量に吹き飛びそうになるが、踏み留まり、止まった隙を突いてその顔面に膝撃ちをかまし、蹴り飛ばして、その影から奇声を上げて肉切り包丁を振り上げながら飛び掛かってきていた鬼のような形相の老婆、山姥に叩き付ける。

 

(かしこ)(かしこ)みも申す」

 

しゃん、と鈴の音がなり、柔らかな風が吹く。

 

先程まで血気盛んにこちらに襲いかかってきていた化け物達は後退り、あるいは動けなくなったのか、その場に留まったまま、視線を一点に向ける。

 

その視線は俺や、他の化け物を足止めしていた奏の式神ではない。

 

その奥、声の主へと向けられている。

 

何かを察したのか、纏わりついていた縊鬼が俺から離れ、咲耶の方へと乗り移ろうとするのを、短刀を顔に叩き込んで、勢いのまま斬りつけ、鋼色の肌に変わった掌で殴り飛ばすことで阻止する。

 

動かなくなったそれを見て、警戒するように妖の方を見ながら、チラリと咲耶の方へと視線を向けた。

 

その手首を赤く濡らし、血を滴らせている咲耶は、手に神楽鈴を持っている。

 

その服装はいつの間にか巫女服に変わっており、その髪は萌黄色に染まっていた。

瞳には薄桃の、桜の花弁のような模様が浮かび上がり、淡い輝きを放っている。

 

「『珍しいわね、呼び出しなんて。けれど、契約者の頼みですし、対価も頂きましたしねぇ……』」

 

困ったように頬に手を添えたそれは、明らかに人と違う気配を漂わせている。

 

ゲームでも咲耶は数度しか使わなかった、ヨリシロにとっての奥の手。

 

「『特別サービスよ。一時(ひととき)の夢を見せてあげましょう』」

 

咲耶の体に降臨した正真正銘の神、コノハナサクヤヒメは口にして、真っ直ぐに手を伸ばす。

 

そのまま手の平を下にして、ただ振り下ろす。

 

ただそれだけで、水上先輩の呪詛は弾け飛び、化け物の群れは雄叫びを上げる。

 

一瞬にして脅威が膨れ上がり、妖怪たちは漲る力を解放せんと一斉に動き出す。

 

「『おやすみなさい、じゃあこの子宜しくね!』」

 

咲耶であれば普段は浮かべない、天真爛漫な笑みを浮かべたかと思えば、コノハナサクヤヒメは緩く手を振るって、そのまま瞼を閉じ、崩れ落ちそうになる。

 

それと同時に、ぱぁんと、破裂音が聞こえたかと思えば、苦悶の声が断続的に響き、あれだけいた異形どもの姿はなく、肉片と血潮が飛び散って、酷い有様になった村の一角が存在するだけとなる。

 

「えげつねぇ……」

 

ゲームでも見たが、これがコノハナサクヤヒメの力。やったのは単純で、言ってしまえばただのバフだ。

 

コノハナサクヤヒメ自身の権能、というよりは名前の意味より引き出されたものではあるが、マガツキノウタにおいてはこの女神様は一時的な繁栄を与えることができ、この光景はそれによるものだ。

 

一瞬のみ、体が耐えられないレベルの強化を、繁栄を与えた、ただそれだけ。それにより生まれたのがこの光景。

 

崩れ落ちて、奏に支えられた、元通りの姿になった咲耶を見る。

 

「ヤツカ、他に異変は?」

 

「てきいは、もうかんじませぬ。あのからすめのけはいも、かんじませぬ」

 

ヤツカの言葉に安堵の息を漏らす。

 

最後におっかないものを見たが、どうにか切り抜けられたことをヨシとする事にしよう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間・鴉と狐

「あるじさま、あるじさま」
「どうしたんだ?」
「きょうは、ばれんたいんでぇ、なるものだと、おききいたしました。ごゆうじんさまがいうには、したしいものに、かんしゃとともに、ちょこれいとを、わたすものであると」
「あー……、そういや今日バレンタインか」
「はい。ですので、あるじさま。つたないもの、ではございますが、ちょこけぇき、なるものをごようい、いたしました」
「ありがとうな、ヤツカ」
「いえ。……おくちにあうと、よろしいのですが」


「………」(手が止まらなくなる漱)
「よろこんでいただけて、なによりでございます」(ごゆうじんさまに、れしぴをいただいて、せいかいでした)



とある洞穴、壁に並べられた松明の灯りが八畳間程度の空間を照らしている。外に通じるであろう場所には岩が置かれ、外との繋がりは断たれていた。

 

「……想定外だねぇ、はてさて、困った困った」

 

山伏装束の鴉天狗、鬼一は座り込んで、薄く斬られた翼を撫でながら顎を摩る。

皺の刻まれた顔に更に皺を寄せて、心底参った様子で呟く。

 

地べたに敷いた風呂敷、その上に置いた赤い瓢箪を無造作に掴み、飲み口を咥えて傾ける。

 

一口、口に含むと、また瓢箪を風呂敷の上に置いて、ふぅ、と一息をつく。

 

「簡単な仕事だと思いはしたが、良くない良くない。魔狩りの人間に目をつけられてたとはねぇ……」

 

鬼一にとって簡単な仕事の筈だった。『カイキ』した領域を作る、ただそれだけだったのだから。

 

実際に、鬼一は課された仕事をすんなりと完了させた。十塚村は『カイキ』して、夜の帳が下りてからは同胞たちがはしゃぎまわるようになっていたのだから、それは間違いではない。

 

「欲を出したのがいけなかったのかねぇ……?1人2人貰い受けた程度で騒ぎ出すとは思わなかったが……」

 

言いながら、鬼一は傍らに転がした二つの球体にチラリと視線を向ける。

 

それは、直径は50cm程だろうか、それなりに大きな肌色の球体であった。

よくよく見れば、球状であれど、ところどころ凸凹しており、時折脈動すらしている。

 

それに触れると、確かな温もりを感じる、奇妙な物体。悍ましい、成れの果て。

 

「相変わらず趣味の悪い輩ですわね、それに(かま)けて折角の牧場を台無しにされては世話がないのですけれど」

 

鬼一は愛おしげにそれを撫でていると、声がひとつ、耳に届く。

 

「お前さんがここに来るなんて珍しいねぇ、狐娘や」

 

鬼一が視線を向けると、そこには美しい少女が居た。

 

プラチナブロンドの髪は艶やかで、緩やかなウェーブを描きながら腰あたりまで伸ばされている。前髪は目元近くで切り揃えられている。

 

気の強さが見て取れるように、髪と同じ色の、細長い眉毛と眦は吊り上がっていて、その中の碧い瞳は、まるで鬼一を射抜くように睨み付けている。

 

すらりとした手足、俗に言うモデル体型、と言うやつだろうか。150前半くらいの小柄な背丈ではあるものの、全体のバランスが崩れない程度にメリハリのついた体付きだ。

 

その服装は洞穴には不釣り合いな真っ白なワンピースだった。もう冬だと言うのに、ノースリーブのワンピースを着て、その上からベージュのカーディガンを羽織っている。

 

特筆すべきなのは、その頭に生えた耳と、腰あたりから生えた柔らかそうな六本の尻尾だろう。

 

少女__、金毛の妖狐ははぁ、と深い溜息を態とらしく吐き出し、再度鬼一を睨む。

 

「おいおい、老骨をあまり虐めないでおくれよ。いかに6尾とはいえ、ゾッとしないからねぇ……」

 

「茶化さないでいただきたいのですけれど?貴方が人間を(かどわ)かさなければ見つかることもなかったでしょうに」

 

肩を竦めて見せる鬼一に、狐は毒を吐く。

 

「それを言われれば耳が痛いねぇ……。神隠し、とは言い得て妙だったがねぇ」

 

そう、神隠し。奇しくも、漱たちが十塚村を調査しにきた理由。

 

その元凶である鴉天狗はくつくつと、少しおかしそうに笑って言えば、思い出したかのように狐の方へと視線を向けた。

 

「だが事前にしくじったお前さんには言われたくはないなぁ……。お前さんの管轄の牧場も解放されたんじゃあなかったかい?」

 

「仕方ありませんわ、あんな化け物骸骨男が来るなんて聞いておりませんもの。それに貴方と違って管理は万全でしたわ。諜報に長けたものでもいたのでしょう」

 

「鼠を通す隙間があるのは明らかな過失じゃないかと思うがねぇ……」

 

「趣味に走った挙句全てパァにされた老鴉よりマシですわ」

 

相手の失敗をほじくり返して有耶無耶にしようとしたのだろう、鬼一がにやにやと笑いながら言えば、ただ淡々とした言葉が返って来る。

 

取り付く島もない、とはこの事だと思いながら、鬼一は降参とでもいうように両手を小さく上げてみせる。

 

「返す言葉もないねぇ、次は上手くやるさ。……と、おおそうだそうだ。お前さんに聞きたいことがあったんだよ儂はねぇ」

 

苦笑しながら言えば、そうだ、と口を開く。

 

碌なことではない、と感じたのだろうか。狐は嫌そうな顔を浮かべながらも、小さくため息をつく。

 

「なんですの?」

 

「いやぁねぇ、魔狩りの中に妙に小器用な陰陽師が居たもんだからねぇ、気になって気になって。お前さんの探し人も陰陽師だった気がしたからねぇ、何か知らないかい?」

 

その老人のような顔には似合わず、まるでクリスマスプレゼントにはしゃぐ子供のように目を輝かせた鬼一は好奇心を隠そうともせずに狐へと問いかける。

 

ぴくりと、何かを感じたのか狐耳が動く。けれど彼女の表情は変わらず、口からは冷たい一言だけ。

 

「知りませんわ。人間の知り合いはおりませんもの」

 

ふるふると顔を動かして、ゆらりとその尻尾を蠢かせた狐は、忠告はしましたと一言残し、背を向けるとふわりと溶けるようにその場から消える。

 

「そうかい、そりゃあ残念だ」

 

心底残念そうに鬼一は呟いた。

 

呟いて、球体をまた、愛おしむように撫でる。

 

「お前たちの仲間が増えたかもしれないんだけどねぇ……」

 

『元人間』であった、2つの球体に、そう呼びかけた。

 

 

***

 

 

人の気配のない湖、その畔にぽつんと建つ小さなプレハブ小屋、その前に妖狐は立っていた。

 

月の光を眺めながら、わなわなとその体を震わせる。眦には涙が溜まり、今にも溢れ出しそうではあるが、そこに浮かぶ表情は悲嘆ではない。

 

「あぁ……あぁ……!喜ばしいことですわ!」

 

歓喜であった。

 

頬を紅潮させ、歓喜に身を震わせながら月を見つめる。

 

己の両肩を抱いて、まるで飼い主を見つけた犬のように、尻尾をブンブンと振り回していた。

 

「ご主人様、もうしばし、もうしばしお待ちくださいませ!このコン、あなた様への捧げ物を用意したのち、すぐにお迎えに上がりますわ!」

 

誰に向けたものかも分からない愛を叫びながら、月夜の晩、狐はただ歓喜のままに叫び、悶え続けていた。




次回からはしばらく日常ほのぼの(?)だと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

あーん

暫くはシリアスは退場するかもしれません。


あの後、妖怪の群れを切り抜けた俺たちは、力尽きた水上先輩と咲耶を拠点に運び込んだ後、奏の式神を警戒用に拠点に置いた後、後始末に奔走した。

 

俺は主に残骸の片付けに動き回り、奏には村人の方を対処してもらった。

 

虚の庭に関わる記憶が残っているのは都合が悪い。なんせこの村が『カイキ』したままとなってしまうのだ。化け物たちの巣になりかねないし、そうでなくてもその事実が広まってしまえば世界規模での『カイキ』が発生しかねない。

 

なのでまた虚の庭と現世を分ける為に、認識操作、記憶処理は行わねばならないのだが、俺にはそれはできない為、奏に一任して雑用を引き受けて駆けずり回ったわけだが、その過程で判明した事実があった。

 

化け物の姿を見たのはそもそもが神隠しが起きる前、だと言う証言が為されたらしい。記憶が朧げな可能性だってあるし、確実とは言えないのだが、紛れもなく村人の口から吐かれた言葉らしく、そこから十塚村はすでにある意味手遅れであったことを知った。

 

順番が逆だったのである。神隠しらしき事件が起きて『カイキ』が発生したのではなく、『カイキ』した後に神隠しが起きていた、と言うわけだ。

 

つまり、全部あの鴉天狗の仕業、と考えて良いだろう。

 

鬼一が原作でやった悪魔的な所業の中に人間を家畜として支配する『人間牧場』の運営、管理と、人間の改造というものがある。

 

神隠しは恐らくは後者、『カイキ』していたのは前者によるものであろうと想像が付く。

 

はっきりとした事はあの村の調査に赴いた時点で完全に後手に回っていた……というか、手遅れであった事だ。

 

奏が居なければ完全に詰んでいたが、皇女殿下もこれを見越して奏をつけてくれたのだろうと思うことにする。

 

ともあれ、皇女殿下からの依頼も終えて1週間ほどが経過した。

 

 

***

 

 

冬に入り、より布団から出られなくなってくる今日この頃ではあるものの、休日である今日も、平日と同じような時間に起き出して活動していた。

 

「ぐへぇ……」

 

「あるじさま、おみずをおもちいたしました」

 

「潰れた蛙みたいな声を出すなよ」

 

「仕方ねえだろ……、ありがとうヤツカ……」

 

ちゃぶ台に突っ伏す俺に、奏が呆れた様子で辛辣なことを言い、ヤツカは労うように水を置いてくれる。

 

依頼を終えた後は内容は変わったものの、俺の頼み通り、奏は訓練をつけてくれている。

 

式神によるリンチではなく只管にただ刀を綺麗なフォームで素振りを行った後に、刀を用いた模擬戦、と言う形ではあるが、容赦がないのは変わらず。これでも手加減はしてくれているのだろうが、肉体疲労がとてつもないのは変わらないのである。

 

とまあ、そう言うことで訓練をつけて貰った後、疲れ切った俺はだらしない姿を2人に晒しているわけだ。

 

今日の訓練はここで終わりではあるのが救いである。自分で頼んだ事とはいえ、大変な目に遭っている気がする。

 

「ほらシャキッとしろ。今日は話があるって言っただろ」

 

のそりと顔を上げる。話がある、と言われても疲労はどうしようもない。こちとら全身が悲鳴をあげているのである。

 

叶うなら横になって爆睡したいが、そんな願望を内心で呟くも、ゆっくりと体を起こして背筋を伸ばす。

 

「で、なんだよ」

 

ちょこん、と俺の隣に正座したヤツカと揃って奏に視線を向ければ、何か言いたそうにしつつも、小さく息を吐いた。

 

「まあ、聞く姿勢にはなったしいいか。先日の依頼の件だ」

 

「あー、『カイキ』してた村の調査依頼のやつ。俺らが行った時には既に手遅れみたいなもんだったんだろ?」

 

「そうだ。……とはいえ、妖共の『牧場』を完全に手遅れになる前に潰せたのは良かった。あの分ならまだ取り返しがつく範囲だったからな」

 

完全に手遅れ、というのは、住人が母体にされる前に、という事だろうか、それとも改造されたり、尊厳の全てを破壊つくされた廃人しか居なくなる事だろうか。

 

まあ、細かく聞いても良い気分にはならないだろうし、あそこで食い止められた事をよしとする。

 

「それに、僕たちがあの村の調査をしたからこそ、他の牧場も並行して一つ潰せたらしいからな。それもあって報酬がそれなりに出ているのが一つ」

 

「他にもあるのか?」

 

そう尋ねると、どこか気まずそうに目を逸らす。

 

なんか、すごく嫌な予感がする。

 

外れてほしい、と祈りながらも、現実は無常であった。

 

「殿下からの呼び出しと、僕の両親からの呼び出しがある。……どちらも年明け以降の話だけどさ」

 

「はぁ??」

 

「僕も細かいことは聞いてないけど、確かに伝えたからな。給金はお前の口座に直接振り込まれることになるから!」

 

「おーい、奏さんやーい、お前、逃げるなぁ!!!」

 

そのまま流れるような動作で家の外へと飛び出していく奏に、叫ぶことしかできない。

 

面倒ごとの予感がひしひしとするし、物凄く逃げ出したい気持ちであったが、まだ先の話、と考えて気持ちを切り替えることにした。

 

 

***

 

 

「あいつ言うだけ言って爆速で逃げやがって」

 

切り替えることにした、のだがやはり恨み言が口をついて出てしまう。

お偉いさんとか、そう言うのとあまり深く関わりたくないと言う気持ちが確かにあるからだろうな、と自分で思う。

 

「あるじさま、かんみでも、いかがでしょうか」

 

いつの間にか席を立っていたヤツカが、その手にお盆を持って、とてとてとこちらへと近寄ってくる。

 

盆の上には湯呑みと皿が置かれており、皿の上には羊羹が綺麗に一口サイズに切り分けて並べられていて、黒文字と呼ばれる菓子楊枝が一つ、用意されていた。

 

ヤツカなりの気遣いだろうか、今度こそ、本当に気持ちを切り替えることにする。

 

「ありがとう。頂くよ」

 

有難い、そう思いながら、ちゃぶ台に置かれたお盆から黒文字を取ろうとすれば、隣に正座したヤツカの手が、先にそれを摘む。

 

意地悪か……?と一瞬思ったが、ぷすりと羊羹を刺して、手を皿の代わりにすれば、上目遣いで彼女は俺の方へと体を向ける。

 

「あーん、でございます。とのがたは、こういったことで、よろこばれると、おききしました」

 

そう言いながら、いい笑顔で羊羹を差し出してくるヤツカ。

 

流石に気恥ずかしいものがあるので断って自分で食べよう、だなんて思ったが、じっとしてる俺の姿に笑顔を曇らせ、不安そうにヤツカは口を開く。

 

「ごめいわく、でしたか……?」

 

「あーん」

 

そんな表情をされては断るのも断れなかった。

 

気恥ずかしいのを我慢して、パクリと食べれば、ヤツカはぱぁと、表情を明るくする。

 

結局、羊羹は全て、ヤツカが食べさせてくれた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

実質装備品のような猫又

ヤツカに羊羹を食べさせてもらう、というバカップルか、と言いたくなるような事があったが、食べ終えた後は2人で掃除をした後、俺は寝室に少しばかり籠った。

 

「ふぅ……」

 

思わず息が漏れる。それは達成感と感嘆が入り混じったものだ。

 

今日までに色々あったのもあり、我慢していたのだから、とてつもない爽快感すらあった。

 

「完璧だ……、綺麗にできた」

 

目の前には瓶の中に入れられた船の模型。俗に言うボトルシップ、と言うやつだ。大型の帆船の模型が、ボトルの中に堂々と佇んでいる姿に高揚感を覚える。

 

まあ何をしていたか、と言えばこれの組み立てであった。

 

工作、物作り全般が趣味な俺は、一人暮らしをする前は休日や、空いた時間で手慰みにプラモデルを組み立てたり、本棚や小物の収納ケースなどを自作していたが、こちらに来てからは家の修繕にバイト、家事と忙しく、ヤツカと出会ってからは少し落ち着いて趣味に走る余裕は出来たものの、程なくしてオカルト関連の厄介ごとに巻き込まれて、また趣味に興じる暇がなくなっていた。

 

だから、久々に趣味に没頭して、ついでに言えば作りかけであったものを完成させられて凄くスッキリだ。

 

「我ながら器用に出来たな。飾っとこっと」

 

ニヤニヤと口角を上げながら、寝室の片隅に置いた背の低い机の上に飾る。

 

うん、ゆくゆくは数を増やしたい……というか木材や発泡スチロール等で作ることを試してもいいかもしれない。うん、今度やってみる事にしよう。

 

(笑い方が気持ち悪いことになってるぞ宿主)

 

うるさい、ほっとけ。

 

 

***

 

 

「にゃぁん」

 

「ほめて、さしあげます。よいこ、よいこ」

 

茶々を入れてくる妖刀を無視しつつ、寝室から居間へと移動すると、ちゃぶ台の側でヤツカが正座して、クロ、以前拾った黒い猫又のことであるが、それを膝の上に乗せ、顎をわしゃわしゃと撫でてやっていた。

 

傍らには腹を上に向けて倒れ、ピクリとも動かない鼠が2匹。

 

どうやら鼠退治をしたクロを褒めているらしかった。とても可愛らしい光景である。

 

ごろごろと気持ち良さそうに喉を鳴らすクロはハッとしたように身を起こすと、こちらを向く。

 

ヤツカの膝の上から降りると、そのまま俺の方へと勢い良く駆け寄ってくると、ぴょんと飛び上がった。

 

「にゃっ!!」

 

「んがっ!?」

 

突然襲ってきた重みに蹌踉めきそうになるのを堪えつつ、顔面に飛び込んできたクロの体を両手で掴んで引き剥がす。

 

不満げに足をジタバタさせるクロを床に置くと、む、と顔を顰めたヤツカがクロが動く前にその体を持ち上げる。

 

「あるじさまに、ぶれいをなしてはなりません。めっ、でございます」

 

持ち上げたクロと目線を合わせてそう叱りつければ、しおらしく、にゃあ、とクロが鳴く。

 

反省した、と見たのか、よしと頷いてクロを抱き抱える。

 

「にゃっ!!」

 

再度俺の視界が黒く染まった。

 

 

***

 

 

「にゃぁん」

 

「あるじさま、もうしわけございません」

 

「まあ、妖怪とは言え猫だからな。ヤツカが気にすることでもないよ」

 

あの後何度か引き剥がしてみたが、執拗に顔面目がけて飛んできたため諦め、現在黒い猫又様は俺の頭の上で満足そうに鳴いていた。顔に貼り付かれるよりは頭の上に陣取ってもらっていたほうが楽であるが故の処置だった。

 

ここ最近は構ってやれてなかったから仕方ないのかもなぁ、寂しがってたんだろうなぁ、なんて思いつつ、申し訳無さそうにするヤツカの頭をぽんぽん、と優しく撫でる。

 

ここが定位置、と言わんばかりにふんす、と息を荒くするクロには苦笑が浮かんだが、まあそれはそれ。

 

「……はい。ですが、つぎこそは、きちんとしつけてみせます」

 

頭を撫でられるのが心地良いのか、表情を緩めて、けれどすぐにきりり、と引き締める。

気負わなくて良いと思いつつ、ふんす、と気張る様子にほっこりとしたものを感じる。

 

「ははは、まあほどほどにな?ただでさえ、いつも世話になってるんだし、適度に手を抜いてくれても構わないからな」

 

苦笑混じりに彼女に言う。

 

思えば、分身が作れるとは言え、である。片方は俺に同伴させて、もう片方は家のことをやってくれている。

 

休日はなるだけ、掃除などの家事は手伝うようにしているものの、いろいろなことを任せきりにしている状態であった。

 

特に、皇女殿下からの依頼の際は長期間家を空けていたし、その間のクロの世話なんかも引き受けてくれていたのだから、本当に頭が上がらない。

 

「それこそ、きにしないでくださいませ、あるじさま。わたくしは、あるじさまのおやくにたつことが、しじょうのよろこびに、ございます」

 

ゆるゆると頭を振りながら、ヤツカは柔らかく微笑む。

 

心の底から思っているのだろうし、ゲーム内の設定上でも、付喪神と言う存在、とりわけ彼女のような座敷童にとっては家主に仕えることこそが幸福であり、使命でもあるようで、主の為に行動することは、基本的には苦にはならないらしい。

 

それでも、感謝をしなくていい、なんて理由にはならないし、なんらかの形で、礼をしたい。恩に報いる、というほどではなくても、日頃の感謝を、なんらかの形で送りたい気持ちがあった。

 

「それでも、だよヤツカ。……なんか欲しいものとか、何かして欲しいこととかあったら遠慮なく言ってくれていいからな?」

 

だから、と少し考えてから口にする。

 

俺の言葉に、ヤツカは目を丸くして、その後、おずおずと、小さく首を傾げながら問うてくる。

 

「あるじさま、それは、なんでも、かまわないのでしょうか」

 

「ああ、俺のやれる範囲で考えてくれると助かる」

 

問い掛けに、笑って返す。世界をくれ、国をくれ、なんて言われても俺には出来ないし、やれる範囲、と言う枕詞は付く。

 

けれど、出来る範囲で構わないなら何かしてあげたい、と思うのは事実だ。

 

そう考えてると、ヤツカは少し視線を床に向け、また俺に向けて、もにょもにょと口元を動かす。

 

「ゆうげのしたくは……、すんでおります。せんたくものは……、だいじょうぶ……、ええと、ええと……」

 

ごにょごにょと、小声で確認するように家事の進捗だろうか、それを呟いて、壁にかけていた時計へと視線を向けて、ヨシ、と小さく意気込んだ。

 

「で、でしたら、あるじさま。めいわくで、ございませんのなら、その、ともねを、おねがいいたしたく、ございます」

 

ヤツカは、頬をほんのりと赤く染めて、もじもじと、恥ずかしげにそう口にするのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

共寝

共寝、同衾。男女が共に布団で寝る事であり、同衾に関してはR指定がつきそうな意味でも使われるのを見たことがある気がする。

 

共寝……、一緒に寝る……?

 

絵面的に完全にアウトな気がする。気がするじゃない、アウトに決まってる。既にロリコンという謂れのない称号を付与されているのだ、疑惑がより強まるのは不本意である。

 

だが家でのこと、誰かに見られる心配は基本的にないはずであるし、そも自分から出来る範囲なら、と言った。可能か不可能かで言えば簡単なことで、とぐるぐると思考を巡らせる。

 

「今からか?」

 

「はい、その、ごめいわくでないのなら」

 

一緒に昼寝をしたい、と言うことだろうか。のんびりとする事に否やはない。ボトルシップだって完成させた訳で、割と現在は満足しているし、すぐに次のに取り掛かりたい、と言う訳でもない。そのつもりではあったが。

 

ただ、絵面が事案な事だけが気掛かり。

 

「ごめいわく、でしょうか?」

 

つい先程見た気がする表情に、大人しく白旗をあげる。捨てられた子犬のような目をされてしまっては選択肢が無くなってしまうではないか。

 

そもそも、事案、だのなんだの考え過ぎている自分の方が意識し過ぎているのかもしれない、と気持ちを切り替える事にする。

 

「んじゃ、少しばかり昼寝しようか」

 

「はい!」

 

俺が頷くと、ヤツカは嬉しそうに表情を綻ばせる。まさしく喜色満面、と言う言葉が似合う笑顔で、思わず、釣られるように笑みが浮かぶ。

 

こうやって笑ってくれるなら、まあ自分の評価とかどうでも良くなってくるような、そんな気がした。

 

 

***

 

 

そうして、布団の中である。

 

共寝、と言うお願い通りに、ヤツカと同じ布団に入る。1人用の布団ではあるが、ヤツカが小さいこともあり、問題なく2人並んで寝転べる。

 

「わたくしのわがままを、きいてくださり、ありがとうございます、あるじさま」

 

ふにゃりと、蕩けきった表情で感謝を口にするヤツカ。心の底からの幸せそうな様子で、少し距離が近くないか、だなんて問いかけるのも野暮に思えてしまう。

 

「いつも世話になってるからな、気にしなくていいよ」

 

俺がそう言うと、甘えるように、ただでさえ近かった距離をさらに詰め、ほぼ密着するような形をとる。

 

視界一杯にヤツカの顔が広がり、同時に、ヤツカから発せられたであろう甘い匂いが鼻に届き、幼さを感じられるのに何処か蠱惑的に見えて来るヤツカの様子に、顔に熱を感じる。

 

確認は出来ないが、ヤツカの目には、きっと俺の顔が真っ赤になっているように見えているのだろう。

 

気恥ずかしい、とは違う。やたらと心臓が煩く感じて、けれどヤツカの顔から目を逸らすことが出来ない。

 

ヤツカも、俺から視線を逸らす事はせず、じっと見つめて、艶やかに笑ってみせる。

 

その姿に、より一層胸が高鳴る。まるで破裂しそうにも感じられるほど、心臓の鼓動が早まり出した頃合いで、分断するように黒くて長いものが俺たちの間に挟まる。

 

「にゃっ!!」

 

抗議するような鳴き声が一つ挟まり、先程までとは別の意味で鼓動が跳ね上がる。やましいことなどしてはいないが、見られたくないところを見られた時のようにびくりとする。

 

それはヤツカも同じだったようで、肩を跳ね上げさせると、視線を上……この場合は横と言った方が正しいのだろうか?

 

ともかく、頭の方に視線を向けると、クロがこちらに顔を向けて、不満げに鼻を鳴らす。

 

「なんだ、お前も一緒に寝るか?」

 

「にゃあ」

 

問い掛ければ、ぽふぽふと尻尾で枕を叩く。

 

「あまえんぼう、ですね」

 

ヤツカは、一瞬だけムッとしたような表情を浮べたかと思えば、瞬きをすれば、苦笑を浮かべているのを確認できる。

 

まあ、見間違いだろうと考えて、まるで間を開けろと言わんばかりにぽふぽふと枕を尻尾で叩き続けるクロに対して、俺も苦笑を浮かべながら、少し、端の方に身を寄せる。

 

すると、我が物顔でとてとてと俺とヤツカの間に入り込んだクロは、布団の中に潜り込んで丸くなる。

 

その様子を見た後、図らずも俺とヤツカは顔を見合わせて、2人同時に笑みを溢す。

 

「しょうがないこ、ですね。あるじさま」

 

「自由気ままな奴だよな、こいつ」

 

布団に潜り込んで、丸まって、既に寝入ったのだろう。気儘な黒い猫又に妙な空気は破壊され、いつも通りの調子に戻れた。

 

ヤツカも別に他意は無かったのだろう。ただ、クロのように甘えたかっただけと考えるのが普通だろう。

 

なんせ家族みたいなものだし。

 

いくら座敷童で、人に仕えることを喜びとしていても、長い間独りぼっちだったのだから、寂しさから家族に甘えたいと考えてもおかしくはない。

 

だから、俺も妹を甘やかすような心持ちでいればいい。

 

「くぁぁ……」

 

言い訳じみた思考を繰り返していると、欠伸が洩れる。徐々に襲い来る眠気に、とろんと、目が蕩けていくのを自覚する。

 

「ふぁ……、わたくしも、ねむたく、なってまいりました」

 

俺の欠伸がうつったのか、小さく口を開けて欠伸を洩らしたヤツカは、眠たげに瞳をとろんとさせると、先ほどまで俺の方にむけていた体を、天井に向けると、手を此方へと差し出す。

 

それに応えるように俺も、ヤツカの掌に自分の掌を重ねると、ヤツカと同じように体を天井へと向ける。

 

「おやすみ、ヤツカ」

 

「おやすみなさいませ、あるじさま」

 

目を閉じると、だんだん意識に靄がかかり始めていく。可愛らしい声が耳に届いた後、ゆっくりと、まるで包まれるように眠りへと落ちていく。

 

なんとなく、悪い夢は見ずに済むような、そんな気がした。




「クロめ、せっかくの、あるじさまとのじかんを……」(邪魔されたので不満)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

泰斗の相談事

「ふふ、あるじさま、きもちよさそうに、ねむっておりますね」(寝顔をニコニコしながら見てる)


「無防備であるのう……、もう少し警戒せねばならんであろうに」(見てる皇女殿下)
「ふふ、可愛らしい寝顔ね」(何処ぞのやべーロリ)


「漱くん今日はなんかいつもより調子良さそうやね」

 

ヤツカと一緒に昼寝をした翌日。

 

本日は普通に登校……今更だが、この場合登園の方が正しいのだろうか?ともかく、学園に訪れていた。

 

と言っても学生であり、来るのは普通のことで、皇女殿下からの依頼とか、化け物に遭遇して怪我をした事とか、そっちの方がイレギュラーな訳だが。

 

依頼の件に関しては自分から逃げる選択肢を消したところがあるので仕方はないが、それにしても非常事態に遭遇する頻度が高い気がする。

 

ともあれ、昼休み、弁当を突いていると、机を向かい合わせにして、カップ焼きそばを啜っていた泰斗がそんなことを口にした。

 

「んー。実際いつもよりは調子が良いのは事実だな」

 

一旦箸を置いて、ぐるぐると肩を回しながら身体の調子を確かめる。

 

ヤツカと昼寝したのが関係しているのかはわからないが、普段以上に快調だ。

 

めちゃくちゃ身体が軽いし、昨日の訓練での疲れも一切残ってない。夢見も良かったし、夜もきちんと寝れた上に朝もスッキリと目覚められた。お陰で普段は眠くなるような授業でも欠伸の1つもせず受けることができた。

 

まあ真剣に授業を受けたか、と言われたら首を傾げるけれども。

 

「ほーん。良い安眠枕でも買った?」

 

「いや、めっちゃ快眠だっただけだぞ。爆睡した」

 

「ばぶちゃんかな?」

 

「昼寝1〜2時間程度に8時間睡眠だぞ」

 

「うーん健康的、健康的か??」

 

健康的だろ、多分。

 

自分で言った言葉に首を傾げる泰斗から視線を外すと、また箸を手に取って弁当に手を伸ばす。

 

ヤツカも料理のレパートリーが増えて来ており、基本的に和食ばかりだった食卓に洋食や中華料理なども出てくるようになった。

 

その影響もあり、今日の弁当にはミニハンバーグにオムレツ、と言った洋食と、白菜のお浸しに切り干し大根と牛蒡のきんぴらといった和食がそれぞれ置かれている。

 

「きんぴら美味しそう……」

 

「美味いぞ、食ってみるか?」

 

「いいんすか、わぁい。んじゃ少しだけ」

 

弁当箱を泰斗の方に寄せてやると、箸で少し摘めば、そのまま口の中へと放ると、もぐもぐと、味わうように目を閉じてゆっくりと咀嚼していき、暫くしてから嚥下する。

 

「うっま」

 

目を開けたかと思えば、驚いたように目を見開いた。

 

「だろ?」

 

ヤツカのことが褒められるのは自分のことのように嬉しく感じて、自然とドヤ顔になってしまう。

 

心なしか、胸ポケットの中のヤツカも誇らしげである。

 

「こいつ、ドヤ顔だ……」

 

「褒められて悪い気はしないからな」

 

「それはそう。家族仲が良いなら親とか兄弟が作ってくれたのでも誇らしいもんね」

 

俺の言葉に泰斗はこくりと頷く。俺が作ってないと断定するような口調だが、実際調理実習の際に俺の料理の腕がそうでもないことを知ったが故にこう言ってるのだろう。

 

別に料理が下手というわけではないが、ヤツカが作るものの方がはるかに美味いし、見た目もいい。

 

箸も進むというものである。

 

ぱくぱくと適当に雑談をしながら食事を進めれば、弁当の中身はすっかり空っぽ。

 

「ご馳走様っと」

 

手を合わせて口にして、弁当を片付ける。

 

「そういや漱くん、ちょっと相談乗ってほしいことがあるんじゃが、いっすか?」

 

同じように、食べ終えた泰斗がビニール袋に焼きそばの容器を突っ込んで、袋の口を縛りながら尋ねてくる。

 

いつも通りの口調だが、どこか真剣な様子を感じた俺は、少し考えて頷く。

 

「別に良いけど、内容によるし力になれるかもわからないぞ」

 

「へーきへーき、難しい内容じゃないし」

 

へらりとした笑みさえ浮かべて見せて、泰斗は『相談事』を口にする。

 

「ナンパに付き合ってクレメンス!」

 

「やだよ」

 

何を言ってるんだこのバカは。そんな気持ちしか浮かばず、冷めた目で眼前の馬鹿を見る。

 

そもナンパをやるような性格でもないだろお前よぉ、とは思ったが、あえて黙ったまま泰斗を見る。

 

「即答って酷くない??」

 

酷くない。

 

 

***

 

 

「なるほどねぇ」

 

キッパリ拒否した俺だが、事情を含めて泰斗が話した事で考える余地はできた。

 

なんでも以前見かけた背丈の高い、好みドストライクの女性を見かけたがあまりにも好みすぎて声を掛けることが出来ず、そのままその女性は去っていったらしい。

 

去り際にその女性はハンカチを落としたが、気付かず何処かへと去っていった、らしい。

 

「んでお前は落とし物を持ち主に返したい、ってことか?」

 

「せやで。けどわい1人だとまた上がって声掛けれなさそうだから手伝って欲しいなって」

 

つまり、だ。ナンパもしたいがメインの目標としては落とし物の返還、ということらしかった。

 

こいつ、好みの女性の前だとあがり症やどもり症を発症するし、実質的なコミュ障みたいなもんになってしまうので、1人だと不安、というのは理解できる。

 

「まあ……そういうことならいいぞ。落とし物をお前が返した後は別に帰っても良いんだろ?」

 

「せやで。あわよくばお近付きになりたいとは思うねんけど」

 

「あんまり期待しない方が良さそうだよなぁ」

 

「諦めたらそこで終わりなんやで。まあわいの場合冷たい目で見られてもご褒美にしかならんのやけど」

 

けらけらと笑う泰斗に、少なくとも今この場においては実質的に無敵みたいなもんだよなぁ、と苦笑しながら俺は思う。

 

M気質複合とか手に負えないのである。

 

「んで、そのお姉さんは何処にいるんだ?」

 

「うーん、わいもわかんねえのよね。前あったのも偶然みたいなもんだったし」

 

問いかけに、うーんと首を捻りながら考え込み、ゆるゆると首を横に振る。

 

けれど、何かを思い出したかのように顔を上げると、俺と目線を合わせると、口を開く。

 

「でも、そこの商店街にいるの見たことあるし、多分そこメインに探そうかなって。

でもあの人ほんと大きかったし、見つけるのも簡単だと思うで」

 

うんうん、と頷きながら自己完結する泰斗に、はあ、と呆れたようなため息がつい溢れる。この口振りから、よく商店街の方で見かけるんだろう、とそう感じる。

 

「いつもはどのくらいの時間にいるのを見るんだ?」

 

「夕方やね。学校終わってからだからちょうど良いなって。初手で断られるとは思わんかったが」

 

「初めから真面目に言わないのが悪いわ」

 

皮肉混じりに口にした泰斗の言葉をバッサリと切り捨てる。

 

「んじゃ、詳しい話はまた後で聞くわ。そろそろ授業始まりそうだしな」

 

がたごとと、向かい合わせにしていた机を元の場所に戻して椅子に座ると、ちょうど良いタイミングで教師が姿を表す。

 

ノートを開いて、教科書を開いて、残りの授業もきちんと受ける用意をする。

 

とりあえず、午後の授業もしっかりこなしてから、泰斗の頼みのことを考えようと、そう思ったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

泰斗の探し人

「はっ!私の個性が奪われそうな気がする!」(怪電波を受信する水上先輩)
「よそ見してる暇あると思ってんのかいアホ娘!」(物凄い勢いで投擲させる枕)
「きゃんっ!?」(顔面にぶつかる)

水上親子の微笑ましいスキンシップの一幕


「へい!へるぷみー!」

 

HRが終わってすぐに、泰斗がふざけた調子で声を掛けてくる。

 

既に帰り支度を済ませているらしく、バッグを肩に掛けていて、既に席を立っている。

 

「はいはい、っと。昼休みの時言ってたやつだろ?」

 

「いえすいえす!」

 

急かすように催促する泰斗に呆れながらも、こちらも帰り支度を済ませる。

 

と言っても、教科書類は課題があるもの以外は大抵置きっぱにしているため、バッグの中身は筆記具に弁当箱、それと持ち帰る必要があるものだけだったりする。

 

なので、帰り支度はすぐに終わった。

 

「んで、今から行くのか?」

 

バッグを肩に掛けながら問いかけると、こくりと泰斗は頷く。

 

「せやね。早めに返したい気持ちはあるし」

 

滅多に見られないような、真剣な顔つきで言う泰斗に、少しだけ俺は驚いたが、すぐに小さく息を吐いて、苦笑を浮かべて見せる。

 

「お前それ、交番に届けたら良かったんじゃね……?」

 

「……うん!よしすぐに行こうそうしよう!な!!」

 

「おいこっち見ろよ露骨に目を逸らすな」

 

「う、うるせぇ!ワイの運命の邪魔はさせんぞ!!」

 

下心丸出しだった。控えめに言ってクソである。

 

 

***

 

 

「んで、具体的にどのあたりでその美人さんを見たんだ?」

 

学園から出て、現在商店街を2人で並んで歩いていた。

 

田舎町であるが故に、と言うべきか。

 

民家に商店が一箇所に纏まっているのがこの『津雲商店街』であり、夕方にもなれば学園生を含む近隣の子供達や帰路に着く大人達で溢れかえる。

 

その為、この商店街はこの時間帯はいつも賑やかで、都会ほどの人が混み合うわけではなくとも、道行く人の数はとても多い。

 

ふと視線をずらせば、道の端に屯って談笑する学生や、道の真ん中を駆け抜けていく子供達、買い物をしている主婦達が視界に入る。

 

ぐるりと、辺りを見渡せば、いろんな人々が視界に入るが、泰斗の好みに合致しそうな背丈の女性は見受けられない。

 

「泰斗、居たか?」

 

そもそも、俺は泰斗が見たという女性に心当たりがない。探しても見当たらない、というか見当がつかないのは当然のことであった。

 

隣を歩く泰斗に視線を向けて問いかけると、ゆるゆると首を横に振られる。

 

「んー、居ないっすわ」

 

へらりと笑いながら、くるくると視線動かすのを辞めない泰斗は、きっぱりと口にする。

 

固まってない様子を見るに、本当に居ないのだろう、とそう感じる。

 

「んー、じゃあ適当に店の中とかも見てみるか?意外と駄菓子屋とかゲーセンとかいるかもだし」

 

「ゲーミングお姉様という可能性……ふむ、あり」

 

「そういう話をしてるんじゃねえよ。てかお前の探し人だろ、真面目にやれ」

 

「あぁん、辛辣ぅぅ……。やめて、その目はやめて。それは気持ち良くないから」

 

ふざけ倒す泰斗に、ゴミを見るような目……ではなく、本気で頭を心配するような目を向けてやると、居た堪れなくなったのか、一旦おふざけを止める。

 

はぁ、と態とらし溜息を吐いてから、丁度通り過ぎようとしていた、町内唯一のゲームセンターへと足を向ける。

 

両開きの扉を開けると、ゲームのBGMや人々の声が耳に届く。

 

楽しそうな声から、怒号まで、他の音と合わせて一度に耳に飛び込むものだから、思わず顔を顰めてしまう。

 

それは泰斗も同じだったらしく、眉根を少しだけ寄せていた。

 

「相変わらず五月蝿いんごねぇ……」

 

「唯一と言って良いゲーム関連の娯楽施設だから仕方ないっちゃ仕方ないんだけどなぁ」

 

言いながら、ぐるりと店内を見渡す。

 

そこそこの広さの店内には所狭しとアーケードゲームの筐体が並べられており、入り口付近には両替機が置かれている。

 

そこそこ、本当にそこそこ広い、程度の店内を2人して歩きながら、キョロキョロと見て回る。

 

学生や、仕事帰りのサラリーマン、また子供達の姿はちらほらと見受けられるが、泰斗の探し人どころか女性の姿自体、あまり見られない。

 

奥の方まで行くと、衝立が立てられており、その奥には長机がいくつか並べられている。

 

壁際にはカードがずらりと並べられたショーケースがあり、その下にはカードゲームのパックがずらりと並んでいて、そのすぐ側に会計カウンターがある。

 

カードゲーム用の対戦スペースとなっているそこには、子供達に混じって、明らかに目立つ存在がいた。

 

それは、黒だった。

 

真っ黒で、癖一つないように感じられる、肩にかかる程度で切り揃えられた黒い髪。

 

真っ黒な女性用のスーツを押し上げるのは豊満な胸。腰元はキュッと締められている。

 

ぴっちりとしたズボンは体のラインを隠さず、肉感的な肢体なのが見て取れる。

 

なによりも異質なのはその背丈だ。

 

少し離れた所から見ても、自分よりも背丈が高い事がわかる。

 

「泰斗、あの人?」

 

「タブンソウ、キットソウ、メイビー」

 

泰斗に声をかけると、緊張からか、ロボットみたいな返答が返ってくる。

 

ガチガチに固まってるその姿に苦笑して、取り敢えず、泰斗の背中をぽん、と叩く。

 

「ほら、いくぞ」

 

「あい」

 

促してやれば、ぎこちない動作で女性の方へと泰斗が向かい出す。

 

それと同時に、女性は何かに気付いたようにこちらを向く。

 

人形のように思える、整った顔立ちの中にある、まるで光を一切通さないような、真っ黒な瞳が俺たちの方へと向いて、女性は口を開く。

 

「ぽ」

 

たった一文字、ただそれだけなのにぞわりと背筋に怖気が走る。

 

空気が凍るような、そんな錯覚すら覚え、無意識の内に身構える。

 

横を見ると、泰斗の表情から緊張は消え失せ、気怠さが消えた目で、じっと女性を射抜く。

 

お互いに、じっと見つめ合い、泰斗はバッグの中に手を突っ込めば、綺麗に畳まれ、袋に入れられた質の良さそうな白いハンカチを、袋ごと取り出す。

 

そして、迷いなく明らかに異質なその女性へと近付くと、真っ直ぐにハンカチを差し出す。

 

「これ、お姉さんのですよね?」

 

「あら、これはご丁寧に。有難うねぇ、坊や。……ほれ、そこの坊やも、そんなに身構えなくて宜しいのよ?」

 

「あっ、はい」

 

緊迫した空気は、泰斗の一言で一気に吹き飛ぶ。

 

異質な空気感はなんだったのか、と言いたくなるくらいに、ガラリと変わる。

 

怖気も、異質さも周囲の喧騒に埋め尽くされてく中、困惑したまま、優しく頭を撫でられてご満悦の泰斗に視線を向ける。

 

「くぅん……」

 

「うふふ、可愛らしい子ね」

 

「お前はそれで良いのか」

 

何とも言えない気持ちで、小さく息を吐き出す。

 

ともあれ、目的は達成した、と見てよさそうだった。




『宿主その女、やばいと思うが』(妖刀アラート)
「あるじさま、おきをつけくださいませ」(脳内に直接念を送るヤツカちゃん)

<・><・>「ほぅ……?この程度なら、どうとでもなるじゃろう、のう?」
<・><・>(ニコニコしながらスパチャを送ろうとして送れない事に気付く図)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

未知(既知)

感想でみんなにバレてて笑ってしまいました。


「あるじさま、いけませぬ!いけませぬ!!」

「特に何もしないのだけれど……」(困り顔)


「このハンカチは大切なものだったからねぇ……、届けてくれて助かっちゃったわね。有難う、坊や」

 

背丈の高い女性は、柔和な微笑みを浮かべて、大切そうに受け取ったハンカチをスーツのポケットに仕舞う。

 

頭を撫でられている泰斗は緊張が解けているのか、犬の鳴き声のような声を溢しながら、幸せそうに目を細めている。

 

「くぅん……わん、わん!」

 

「人間の言葉で話せ馬鹿。すいません、ええと……」

 

巫山戯始めた泰斗の襟首を掴んで引っ張りながら、女性へと頭を下げる。

 

言葉を詰まらせたのは、名前を知らないからだ。名前どころかこの目の前の女性のことは何も知らない。

 

今会ったばかりだから当然ではあるが。

 

困ったように眉根を寄せた俺を見て、女性は口を開く。

 

弥栄叶(やさかかなえ)よ、苗字でも名前でも、好きな方で呼んでくれて構わないわよ坊や」

 

「では弥栄さんで」

 

「ええ、よろしくね」

 

そう言いながら、チラリと視線を隣まで引き戻した泰斗に向ける。

 

だらしない表情をしているか、目を輝かせているのだろうなと、そう思っていたのだが。

 

「……」

 

驚愕しているのか、目を見開いて、ただ固まる泰斗の姿がそこにはあった。

 

ぱくぱくと口を開いて、なにかを言おうとして、何も言えずに口籠る事を繰り返している。

 

「坊やも言いたいことがあるようだし、ここだと話しにくいわね。……少し付き合って貰えるかしら?」

 

そう言って、弥栄さんは薄く微笑んだ。

 

 

***

 

 

商店街の外れ、住宅地の中にひっそりと佇む喫茶店。

 

こじんまりとした店で、カウンターテーブルの前に5〜6人ほど座れるように置かれ、4人掛けのテーブルが二つだけ置かれている。

 

余計な装飾はなく、けれど綺麗に掃除が行き届いた店内には、ゆったりとした音楽が流れていて、落ち着いた雰囲気だ。

 

時間帯の問題だろうか、今は客は一人も居らず、からんころんと鳴る鐘の音と、髪を短く刈り上げた壮年の男の無愛想な彫りの深い顔立ちが出迎えてくれる。

 

カウンター席の向こうにいる彼は、この喫茶店の店長なのだろうか。

 

「いらっしゃいませ」

 

短く、渋い、響くような低音の声を発すれば、視線を今もなお拭いているグラスへと向ける。

 

それに対して何かを言うこともなく、迷いなく四人掛けのテーブルの方へと向かう弥栄さんに着いていき、そのまま席に着く。

 

「それで坊や、どうかしたのかしら?」

 

柔和な笑みを浮かべて泰斗に語りかける弥栄さん。

 

その言葉に緊張で固まるわけでもなく、嬉しそうに笑みを浮かべるわけでもなく、言葉を探すように目を泳がせて、小さく息を吐く。

 

本当に、どうしたのだろうか。

 

この人から感じる異質さは、少なくとも一般人である筈の泰斗では気付けないものであるはずだが、と首を傾げていると、泰斗がゆっくりと口を開いた。

 

「お姉さんの名前って、こう書きますか?」

 

ポケットに入れていたのだろう。メモ帳とボールペンを取り出した泰斗は、サラサラと迷いなく『弥栄叶』という文字を記す。

 

それを見て、弥栄さんは1つ頷くと、残念そうに口にした。

 

「ええ、そうよ。……すぐに気付いてくれるかと思ったんだけれど、名前を聞くまで気付かないなんて、お姉さん悲しかったわ。泰斗くんの事、あんなに可愛がってあげたのに」

 

頬に手を当てて悲しげに目を細めて言う弥栄さん。口調からして泰斗の知り合いらしいが、だとすると可笑しい。

 

雲行きが怪しくなってきたなぁ、とそう思った時、わなわなと泰斗が身を震わせる。

 

「あ、有り得ねぇ〜〜!叶姉ちゃんワイより小さかったやんけ!!こんな好みドストライクな見た目になるわけ……」

 

立ち上がって、弥栄さんへと指を向けながら声を荒げるも、段々と勢いが失われていく。

 

何かに気付いたように目を細めると、手を下ろして、俺の方を見て、口を噤む。何かを言おうとしたようだが、何も言えないと、そう感じたような姿だ。

 

「泰斗くん、思うことがあるなら素直に言いなさいな、『刀』の坊やもきっと気にしないわよ」

 

そんな泰斗に、弥栄さんはクスリと笑いながら告げる。

 

俺を指して『刀の坊や』と呼称した事に俺と泰斗は同時に目を開き、そうして理解する。

 

「叶姉ちゃん、憑かれたんすよね?」

 

はぁと息を吐いて座り直し、頬杖をついた泰斗が口にする。

 

その言葉に、弥栄さんは、変わらず微笑みを浮かべたまま答えた。

 

「『八尺様』で助かったところはあるわね。……ああ、お家の方にはきちんと伝えてるから安心なさい?」

 

目の前の女性は自分と同じようにマガツキで、一般人だと思っていた友人は、表側の人間ではなく。

 

__裏側に関わる人間である、という事を。

 

 

***

 

 

ゲーム内において虚の庭に関わる家系というのは大きく分けて三つ、ヨリシロの家系、勾の家系、そしてもう一つが『陰陽師』の家系だ。

 

ヨリシロは神をその身に降ろせる特異体質者。

 

勾は化け物退治のプロフェッショナル。

 

それらに対して陰陽師は、『とあるヨリシロから陰陽術を借り受けている』家系となる。

言ってしまえば子機のようなもの、であろうか。

 

大元である道教由来の神の権能を、その身に神を降ろす必要なく扱えるようにスケールダウンさせ、契約を持って貸し与えてられているのが陰陽師だ。故に、一部例外を除いて、陰陽師という存在は特別な素質というものを持っていない。

 

と、まあこの陰陽師を含めた三つが、裏に関わる家系の大きな括りだ。

 

この内、ヨリシロの家系は苗字に降ろす神に関わる文字が必ず含まれる。水上先輩の家であれば瀬織津姫。水の神、故に水上。

 

咲耶の家であればもっとストレートである。コノハナサクヤヒメから木の一文字を引っ張ってきただけ。

 

またゲーム中においてヨリシロの苗字だけは実は一通り出てきていたりするのだが、それに平沢の文字はない。だから泰斗は該当しない。

 

次は勾の家系だ。これはもっとシンプルで、一文字で『マガリ』と読める文字が含まれているか、『マガリ』と読む苗字となる。だからこれも違う。

 

消去法的に、である。

 

「泰斗、お前陰陽師だったのか」

 

「漱くんこそ、妖刀憑きなんてたまげたなぁ……。祓う?祓う?」

 

「陰陽師にそこまでの力ないだろ」

 

「いやまあそうなんすけど」

 

ふざけた口調で言い合いながら人通りの少ない路地を二人歩いていた。

 

衝撃のカミングアウトが為されたが、彼女がマガツキであり、争う意志がないのであれば大事にすることでもない。適当にドリンクだけ飲んだ後、すぐに解散する運びとなった。

 

店を出ると、既に日は暮れていたが、冬は日の沈みが早いのだから、致し方ないことではある。

 

辺りは暗く、少ない街灯が照らしているとは言え、見通しは悪く、薄気味悪い。細い路地なのは、それに拍車を掛けている気がする。

 

「その気になればすっごいことできますよ、いけるいける」

 

「俺がマガツキなの気付いてなかったのに?」

 

「狂いそう……っ!煽りよるわこいつ!」

 

一頻り巫山戯て見せてから、でもまあ、と泰斗は口にする。

 

「気にせずこれからもよろしくやで漱くん」

 

珍しく、好みの女性の話題以外で純粋な笑みを浮かべる泰斗に、つられるように笑みを返す。

 

「まあ、宜しく頼むわ」

 

驚きはしたものの、それでも。

 

この男と友人である事実は変わらない。

 

 

 

「ところで弥栄さんとの関係は?」

 

「従姉妹やで。3つ歳上なんやけど、あっちは完全に一般家庭なんじゃけどなぁ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間:弥栄叶

とんとんとん、と軽快な足取りで女は歩いていた。

 

身に包んだ黒い衣服は、彼女の存在を闇と同化させていて、平時であれば、2m近くある背丈故に目立つその姿も、こと暗闇の中では捉えにくくなる。

 

闇に紛れるように路地をするすると抜けていく彼女は、楽しげに鼻歌まで歌って、非常に機嫌が良い。

 

久々に、可愛い可愛い、目に入れても痛くない弟分の顔が見れて、その彼が、自分の落とし物をわざわざ拾って届けてくれた。

 

それだけで、弥栄叶は天にも昇るような幸福感を感じていた。

 

だから、自分の体の重さも気にならないくらいに、今にもスキップでもしそうな程に軽い足取りで夜道を迷いなく進んでいく。

 

__そうやって、しばらく歩いて、路地を抜けた先には、こじんまりとした民家が一つ。

 

煤けた赤煉瓦で組み上げられたその家へと、まるで我が家のような気軽さで近寄り、扉を開ける。

 

中に入れば、それは果たして人の住む家、と言えるのか疑問に思う光景があった。

 

外側から見れば民家の一つ。けれど、その中は、コンテナか、あるいは倉庫か、と言った具合。

 

例えるなら、そう、四角い籠をひっくり返しただけのようなもの。仕切りも何もない、壁と屋根に覆われただけの空間。

 

そこには、いくつかの松明が並べられ、灯った火が、電灯のない空間を怪しく照らす。

 

奥の壁際には人が数人は寝転べそうなぼろ布が敷かれていて、その上には三つの影があった。

 

__一つは、背中に鴉の翼を生やした、山伏装束に身を包んだ老人の姿。

 

__一つは、白いワンピースの上から、ベージュ色のカーディガンを羽織った、狐の耳と尾を持つ少女。

 

「あら、鬼一さんもコンちゃんも、酷いことするのね」

 

もう一つの影を見て、叶は頬に手を当てて、困ったように眉根を寄せて口にする。

 

鬼一とコンの間に挟み込むように置かれた、縄をぐるぐると巻かれ、身動きの取れない子供に、気の毒そうな目を向ける。

 

けれど、救いの手を差し伸べることは、しない。

 

「幾ら『迷い家(まよいが)』を利用するためとは言え、ちょっとねぇ……」

 

「喧しい。拘束するだけに留めているのですから、むしろ温情ではありませんこと?」

 

「主を失った家守に勤め先を与えてやろうというのに、襲ってきたからねぇ……。仕方のないことじゃないかい?うん?」

 

何とも言えない表情で口にする叶に、妖狐は眉根を寄せて不愉快そうに、鴉天狗はへらへらと笑いながら、己に非はないと主張する。

 

もがこうとする子供、家守と呼ばれたそれは、叶らがいる家の付喪神だ。

 

既に尽くすべき主を失い、彷徨うだけとなった流浪の家。

 

それがこの世界における『迷い家』である。

 

『迷い家』は主を失い、新たな主たり得る存在を求めて彷徨う『家』であり、『付喪神』である。

 

その性質故に家を建てるスペースがあればどこにでも現れる事ができるのが『迷い家』で有るが、当然、それに目をつけて狙う者もいる。

 

それが、鴉天狗の鬼一と、6尾の妖狐であるコンであり、家守の端末で有る子供が、下手なことをしないようにぐるぐる巻きにしたのは、『迷い家』に損害を与えたくない、という考えのもと。

 

付喪神であり、『迷い家』そのものでもあるこの子を傷付けて、その能力に影響が出たらたまったものではない。

 

それでも、子供を縄で縛るのは好ましくないのか、叶の表情は晴れないままで、コンは気に食わないのか、鼻を鳴らして、叶をじとりと睨む。

 

「共犯者である以上、貴女も同罪ですわよ、ヒトモドキさん。善人ぶるのは良しなさいな」

 

「いやぁ、狐娘は手厳しいねぇ。感傷を抱くのは自由だろうに」

 

くっくっくっ、と、何がおかしいのかニヤニヤと笑う鬼一は、顎を摩りながら宣う。

 

叶をフォローしているのか、していないのかいまいち分かりかねる態度であった。

 

「子を好んで取り憑き殺す怪異に憑かれながら(わっぱ)に心を配るなんて愉快だねぇ」

 

「だって子供は宝じゃない。当たり前のことではないのかしら?」

 

心底愉快そうな鬼一に、むっ、と頬を膨らませる。

 

「家守の付喪神はもっと歳を重ねておりますわ。子供、という年齢ではありません。

 

と、そうではありませんわ、本題に入りましょう」

 

ゆるゆると頭を振った妖狐は、口にしながら懐より2枚の紙を取り出す。

 

それをそのまま鬼一と叶に手渡す。

 

描かれているのは津雲町の詳細な地図。

 

いくつかのポイントには赤色で丸が付けられていて、いくつかのポイントには青色で丸がつけられているそれを見て、鬼一は顔を上げた。

 

「ふぅむ……、なるほどねぇ。宴の準備、というわけかい?」

 

「ええ、準備は確実に、しっかりと、ですわ」

 

「けれど、暫くは様子見た方がいいかも知れないわねぇ……。直ぐには動けないでしょうから」

 

にやりと、口角を上げる鬼一。淡々と妖狐が答えて、叶は嘆息混じりに口にする。

 

「ええ、近頃は魔狩りもピリピリしているようですもの」

 

「それはそれは……怖い話ねぇ、嫌になっちゃうわ」

 

争い事が嫌なのだろう、叶が伏せ目がちでいえば、冷たい視線を叶に向ける。

 

どの口が言うか、とでも言いたげな視線。

 

「あの酒豪の怪童まで、その身に飼っている化け物が言っても冗談にしか聞こえませんわ」

 

「あら、この子達はお友達よ?」

 

けっ、と吐き捨てるように言う妖狐に、柔らかな笑みさえ浮かべて見せて、けれど有無を言わさぬ雰囲気を纏わせた叶は告げる。

 

ゆらゆらと揺れる火も相まって、より不気味に変わっていく空気感の中、老鴉天狗はくつくつと笑いながら、宥めるように言葉をかける。

 

「よくない、よくないねぇ。思うところはあるだろうが、儂らは目的自体は同じだろう?小競り合いは目的を達成してからで良いじゃないか、ねぇ?」

 

問い掛けるようにも聞こえるように、言葉を重ねて、妖狐はため息を吐いて首を縦に振る。

 

もとより争うつもりはないのか、叶も直ぐに引き下がる。

 

その姿を、満足そうに見た鬼一は、愉快そうに口の端を歪めて見せた。

 

 

「理由は違えど、世界をひっくり返したいと願った同志なんだからねぇ」

 

その声は、彼の耳以外には、誰にも届かない。

 

 

どんよりとした曇り空の中、雲の隙間から覗く、『迷い家』を照らす三日月は、天に弓引いているように見えた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

贈り物・1

「さっむ……」

 

「あるじさま、あたたかいおちゃを、ごよういいたしました」

 

「毎度悪いな……、ありがとう」

 

「いえ、おきになさらないでくださいませ」

 

いつも以上に冷え込む朝。寝巻きとしても愛用しているジャージの上から、更に綿入れ半纏を羽織っても、あまりの寒さに身震いする。

 

ヤツカから差し出されたお茶を手に取り、息を吹きかけて軽く冷ましながら啜る。

 

温かさが口から食堂を通り、胃の中を満たしていく感覚に、ホッと息をつく。

 

「にしても、すっごい雪だよなぁ……」

 

閉め切られたガラス窓の方へと向けると、そこには白に染められた風景がある。

 

冬らしい風景ではあるものの、雪が余り降らないこの辺りでは珍しいこと。

 

「そうでございますね。そとにでるのも、たいへんそうです」

 

「だなぁ。雪かき、したほうがいいかねぇこれ」

 

溜息混じりで呟く。寒さもあいまって、外に出るのも憂鬱になってくる。

 

そもそも、雪かき用の道具なんて用意してないのだが。

 

「おとも、いたします!しばし、おまちくださいませ」

 

ヤツカはその呟きに反応して、意気込んで見せると、ぱたぱたと奥の方へと走り去っていく。

 

その姿を見つめながら、微笑ましく思いながらも、お茶を再度啜って、息を吐き出す。

 

「どうすっかなぁ……、プレゼント」

 

本日は12月24日。クリスマスイブであった。

 

 

***

 

 

真冬の寒空の下に立っていた。

 

見渡す限り真っ白で、歩く度にぎゅむ、ぎゅむ、と柔らかいものを踏み固めるような感触と共に、足が雪に沈んでいく。

 

雪国ほどでは無いだろうが、それでもかなり積もっていて、この分なら存分に雪遊びが出来そうですらある。

 

「えいしょっ」

 

通行人すら見当たらず、自分とヤツカしか世界にいないような錯覚を覚えながらも、可愛らしい声をあげながらスノーダンプを動かすヤツカを見る。

 

いつもの和服ではなく、赤い丹前を着た上で、首元にはこれまた赤いマフラーを巻いている。

 

もこもこの手袋もつけており、防寒対策はバッチリ。

 

はじめはいつもの格好のまま外に出ようとしていたが、流石に止めて着替えさせたのだ。

 

稀に見る大雪で、人通りどころか車一つ通っていない状況でなければ、流石に1人でやっていたが、今回は有り難く手を借りることにした。

 

「よい……しょっ、と」

 

俺自身もスノーダンプを扱い、家の周りの雪を除去していきながらも、頭ではヤツカに渡すプレゼントのことを考えていた。

 

折角だから、現代のイベントごとに疎いヤツカに、そういったものを体験させたいし、良い思い出にしてほしい。

 

その為には、彼女が受け取って嬉しいプレゼントは必須だろう。イベントの始まり、あるいは締め括り。

 

微妙な気持ちになると、楽しい記憶としては残らないだろうし、嫌な想いをすれば尚更だ。

 

だから、喜んでくれるようなものを渡したいのだが、妙案が思いつかない。

 

料理、ヤツカより美味いものは作れない。ケーキは買うつもりだが、それをプレゼント、というには寂しい気がする。

 

どうせ贈るなら形に残るものが良いと思うが、どんなものなら嬉しいだろうか。

 

考えて、考えて。

 

「ふぅ……、こんなものでしょうか、あるじさま。……あるじさま?」

 

いつの間に家の周りの雪かきは済んでいて、心配そうにこちらを見つめてくるヤツカの声で我に帰る。

 

「……そうだな、切り上げようか」

 

笑みを浮かべながらそう答える。

 

結局、これ、と言った答えは出なかった。

 

 

***

 

 

「あるじさま、どうかなされましたか?」

 

昼食を食べ終えた後、食後のお茶を用意してくれたヤツカは、不安げな表情を浮かべながら問い掛けてくる。

 

心配してくれてるのがわかる声音。

 

ずっと考え事をしていたから、食事中も割と上の空だったらしい。

 

「あー……」

 

はぐらかそうかと悩んで、言葉に詰まる。

 

心配を掛けてたのに、見栄を張り続けるのはどうなんだ、という気持ちと、驚かせたい気持ちが一瞬だけせめぎ合って、苦笑する。

 

「ヤツカの欲しいものって何かなって考えてたんだ」

 

素直に、そう答えると、ヤツカは目を丸くして、くすりと微笑んだ。

 

「あるじさま、わたくしは、もう、ほっするものはすべて、えております」

 

ふるふると頭を横に振れば、何も要らないと、意志を示す姿に、どうしたものかと考える。

 

思えば、つい先日も、して欲しいことは口にしたが、欲しいものについては何も言わなかった。

 

我儘を言わないようにしているだけ、とも思ったが、この様子を見るに、本当に欲しいものはないのだろうと思える。

 

「じゃあ、好きなものとかは……?」

 

「すきなもの、でございますか……?」

 

「そうそう」

 

苦し紛れに出した問い掛けに、ヤツカは人差し指を顎に当てて、少し思案すると、ゆっくりと口を開く。

 

「かんみと、かじ、でしょうか……?」

 

「甘いもの食べる時めちゃくちゃ幸せそうに食べるもんな……」

 

「……その、すこし、きはずかしい、ですね」

 

照れ臭そうにはにかむ姿は愛らしく、けれど肝心のプレゼントへのヒントにはならない。

 

家事、なら掃除道具かとも思ったが、何故か一通りは揃っているため、その選択肢は選べない。

 

食べ物は初めから候補の外。

 

何となく、照れ臭そうにするヤツカの頭を撫でてやれば、幸せそうに目を細める姿に頬が緩む。

 

「ふにゃぁ……」

 

蕩けきった声を洩らすヤツカに苦笑して、その着物を見て、一つ、思い至った。

 

これなら、というある種の確信を得る。

 

ヤツカの頭を最後にくしゃくしゃ、と少し乱暴に撫でてやると、一言声を掛ける。

 

「ちょっと寝室に篭ってるわ」

 

そう言って、作業をする為に寝室に篭ることにしたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ケーキ買いますわよ

「よし!」

 

部屋にこもって3時間ほど。作業を終えた俺は作り上げた物を机の隣にそっと置く。

 

かなり集中出来たからか、それほど長く時間を掛けずに完成させれたことに満足しつつも、出来栄えを確認する。

 

「……喜んでくれると良いけどな」

 

個人的に満足のいくモノには仕上がった事に安堵しながらも、ぽつりと呟く。

 

スマホを起動して、時間を確認すればそろそろ夕暮れ時、と言ったところ。空も夕焼け色に染まっていくのが確認できた。

 

ゆっくりと伸びをして、立ち上がる。

 

……取り敢えず、買い物に行くか。

 

 

***

 

 

誰も居ない夕暮れの雪道を、足を滑らせないように歩いて、こくり堂へとやって来た。

 

いつぞやのように隣にはヤツカ……というわけではなく、すっかり恒例となった胸ポケットの中に入って付いてきている。

 

今日用事があるのは一階の食料品コーナー。

 

本来ならば商店街の方に行きたくはあったのだが、さすがに雪道で自転車を使うのが危険となると、あそこまで徒歩で往復するのは少しばかり辛いものがある。

 

そのため、そちらよりは近いこちらに顔を出した訳である。

 

目的はケーキ。

 

我が家ではクリスマスイブに先にクリスマスパーティーを開くのだ。当日に開くのが普通なのだろうがこれまでの習慣、と言うやつは直ぐには抜けないし、何か問題がある訳でもないので、例年通りに行うつもりである。

 

一階の隅の方に並べた菓子類のコーナー。コンビニのスイーツコーナーというよりは、デパート内の洋菓子コーナーや、洋菓子店のように、ショーケースの中にそれぞれ並べられている形だ。

 

ホールケーキ……は2人で食べるには多過ぎる。なので、視線はショートケーキの方へと向けられていた。

 

「うーん、どれが良いだろうか」

 

呟きつつ、ショーケースを眺めていると、背後から声がした。

 

「お、休みの日に会うのは珍しいやね、買い物?」

 

振り向けば、コートを着て、その腕にマフラーを巻き付けた泰斗が、いつもの眠たげな瞳を向けていた。

 

そういや、こいつも商店街よりこっちの方が近かったんだっけ、と思い返す。

 

「買い物以外の理由ではそうそう来ないだろ。バイト先ここじゃないし」

 

「それはそうやね……にしてもケーキってちょっと気が早くない?クリスマス明日やで」

 

「我が家はクリスマスイブにケーキ食べてクリスマスにプレゼントを手に入れて終わりなんだわ」

 

「あー……、親御さん建築関係の仕事してるんだっけ?」

 

「そうそう。何故か知らんがいつもクリスマスは夜景の一部に成り果ててるからクリスマスイブに前倒ししてるらしいんだよな」

 

両親共に建築業と土木工事を生業としている為か、常に忙しそうに動き回っている。

 

記念日やイベント、正月や盆は家に居てくれたが、基本的に朝早く家を出て夜遅くに帰ってくる、と言ったサイクルを繰り返しているのだ。それはクリスマスもそれは例外ではないらしく、枕元にプレゼントを置いてそのまま仕事に向かうのだから、団欒できるのがその前日のイブだけになる。

 

毎年そんな感じだった為、親元を離れた今もクリスマスイブにケーキを買うのは、イブはケーキを食べる日、と脳みそに刻まれてるからだろう。

 

まあ、どうでもいい話ではある。

 

「クリスマスの夜景になるの可哀想……。でもクリパ開いてくれるあたりいい親御さんやね」

 

「それは本当にそう。んで、お前は何買いにきたんだ?」

 

ふぅん、といつも通りの声音で言えば、小さく欠伸を漏らす泰斗。暇そうだなこいつ、だなんて問い掛ければ、はて、と首を傾げる。

 

「買い物以外でこんやろ」

 

「ブーメラン投げられたわ」

 

「まあわいは筆記具とお菓子類ですけどね。クリパは明日やるし」

 

そう言う泰斗の手にはビニール袋。既に何点か購入していたのが伺えた。

 

ケラケラと笑う泰斗はそのまま俺の隣でショーケースの方へと視線を向ける。

 

「ケーキ食いたくなってきた」

 

「菓子類を買うんじゃなかったのか」

 

「ケーキも菓子やろがい!」

 

「それはそう。確かにそう」

 

何も否定が出来ない事実だった。

 

「ホール、丸々1人で食べるのはロマンあるよね」

 

ホールのチョコレートケーキやスタンダードな苺のケーキなどを見ながら、じゅるり、と垂れ始める涎を啜る泰斗。

 

気持ちは分からなくもないが、公共の場でそれはいかがなものかと思う。

 

「そんなに入るか?」

 

「無理。多分半分も食べれず胸焼けしますわ」

 

「そりゃそうだわ」

 

ふざけた調子で言葉を交わしあいながら、視線はショーケースの中。

 

ショートケーキ2種類でいいか。

 

「すみませーん、苺のショートケーキとチーズケーキ1つずつください」

 

「わいのはガトーショコラでよろしく」

 

「自分で買え」

 

 

***

 

 

泰斗とこくり堂で遭遇したが、特に何かが起きたわけでもない。いつも通りにふざけたやりとりをしながらケーキを買い終えた俺は、帰路に着いた。

 

「ただいまー」

 

「おかえりなさいませ、あるじさま」

 

姿を現したヤツカは、ぺこりと頭を下げると、顔を上げてにこやかに笑う。

 

胸ポケットから彼女の分身が本体の方へと飛び出して、吸い込まれるように1つになる。

 

いつも見る光景とは言え、未だに慣れて来ない。

 

「はい、これクリスマスケーキ」

 

差し出した袋を両手で、そっと受け取ったヤツカは、こてんと首を傾げる。

 

「くりすます、けぇきにございますか。……けぇき、はわかりますが、くりすます、とはなんでございましょうか?」

 

ケーキに関しては何度か食べさせた為、理解しているようだが、クリスマスについては、案の定知らなかったらしい。

 

可愛らしい仕草での問いかけに、少しだけ言葉に詰まる。

 

細かく話そうか、どうしようかと考えて。

 

「良い子にいいことがある日だよ。まあ明日だけど」

 

そう言いながら、ヤツカの頭を撫でる。

 

気持ち良さそうに目を細めつつも、不思議そうな表情を浮かべる彼女に、続けて言葉を投げる。

 

「夕飯食べたらケーキ食べよう。今日のメニューは何?」

 

「たつたあげと、だいこんとかぶのおみそしる、はくまいに、ほうれんそうののりあえでございます」

 

「お、美味そう」

 

にぱーと笑いながら答えてくれるヤツカに、こちらも笑って返せば、2人並んで、居間へと足を運ぶのだった。

 

「あ、あるじさま、おてあらいをわすれては、いけません。めっ、でございます」

 

「あ、はい」




迷走してる感じは否めません。力が欲しいか……ほしい……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

贈り物・2

今日も今日とて美味しい夕食を堪能した後、風呂なども済ませて、居間に2人、並んで座っていた。

 

料理の並べられた皿は既に片付けられており、ちゃぶ台の上には二つの皿と、フォークが二つ、その上にそれぞれ乗せられたショートケーキが置いてある。

 

ヤツカの前には苺のショートケーキ、俺の前にはチーズケーキ。

 

正座をしたヤツカは目を輝かせながら、綺麗な所作でケーキの一部を切り分けたのちに、口に運ぶ。

 

もぐもぐ、とゆっくりと口を動かして咀嚼すれば、きゅっと目を閉じて、幸せそうな声を漏らす。

 

ごくり、と喉が鳴らされ、口に含んだ分は飲み込んだのだろう、ぷはぁと口を開いて息を吐き出す。

 

「おいしゅう、ございますね」

 

ふにゃりと、幸せそうに表情を蕩けさせるヤツカ。

 

洋菓子を食べさせると、いつもこのように蕩けきった表情を見せてくれるので、正直、イベントなど関係なしに食べさせたい気持ちはある。

 

まあ流石に金銭的に毎日、と言うわけにもいかないし、しょっちゅう食べてれば飽きもするだろうからこう言ったイベント時とか、気が向いた時に買う程度になる。

 

「こっちも食べるか?」

 

「い、いえ、そこまでしていただくわけには」

 

ゆったりとしたペースでケーキを食べていたヤツカは、わたわたと手を振りながら遠慮するが、無言で一口サイズに切り取った分を口元へと差し出してみる。

 

差し出されたそれをみて、俺の顔を見上げて、むむむ、と声を漏らす。

 

好意を無駄にする訳にも、けれどこれ以上は申し訳ない、とでも思っていそうな表情。

 

「……」

 

無言でずい、と差し出すと、ようやく、遠慮がちではあるものの、口を開いて、パクリと食べる。

 

ぱぁ、と目を輝かせるヤツカの口からフォークのみを引き抜いてやると、もきゅもきゅと、口元をゆったりと、味わうように動かす。

 

喜んでくれている様子に、にこにこと笑みを溢すと、こくり、と口の中身を呑み込み終えたヤツカが、じと、とこちらを見る。

 

「あるじさま、からかうのは、めっ、です」

 

小動物に餌付けしているようでほのぼのとしたことを見抜かれたのか、それとも強引過ぎたのか、ぷくぅと、頬を膨らませて、不満ですよ、とアピールするように、ヤツカは口にする。

 

「揶揄ってる……っていうか、ヤツカに食べて欲しくて買った訳だしなぁ……。ほら、全部食べていいぞ?」

 

ニマニマと笑いながら、本音で返す。

 

ヤツカに食べてもらうためなのは間違い無いので嘘は言っていない。

 

揶揄ってる事自体は否定しないが。

 

「……いえ、あるじさま。わたくしは、あるじさまと、いっしょにあじわいたく、おもいます」

 

ふるふる、と小さく首を振って、むぅと、唇を尖らせたまま、俺の顔を見つめる。

 

数秒ほど、そうしてこちらを見つめると、良いことを思いついた、と言わんばかりに笑顔になる。

 

苺のショートケーキを、また一口分フォークで切り分けて、ぷすりと刺す。

 

そうして、空いた手を皿にしながら、こちらへと向ける。

 

「あるじさま、どうぞ」

 

にこにこと、愛らしい笑みを浮かべるヤツカ。

 

「……ん、んまい」

 

あえて恥ずかしがる様子を見せずに、躊躇わずに、差し出されたそれを口に含む。

 

生クリームの甘さと苺の甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。美味しい。

 

羊羹のときに散々食べさせてもらったのでお返しの意味合いもあったのだが、独占よりもこうして施す方がお好みらしい。

 

まあ、喜んでくれてるからいいか、と苦笑を浮かべると、チーズケーキに手を伸ばす。

 

「こっちもうまいな」

 

「どちらも、たいへんおいしゅう、ございます」

 

食べさせ合いで機嫌が戻ったのか、元からあまり気にしてはなかったのか、ヤツカはふふ、と柔らかに微笑む。

 

そうして、暫くの間、2人でゆったりとケーキを食べ進めた。

 

 

***

 

 

「あるじさま、ごちそうさまでございました。ありがとうございます」

 

「喜んでくれて何よりだ。全部食べてくれてよかったんだけどな」

 

「あるじさまのごこういであれ、わたくしひとりだけしょくすなど、いけませぬ」

 

ケーキを食べ終えた後、お茶を飲んでのんびりとしていると、ヤツカが居住まいを正して礼を口にする。

 

気にしなくて良いし、全部上げるつもりだったのだが、どうやら何か譲れない部分があったらしい。

 

「ですが、たべさせあいは、よいものですね。また、おねがいしてもよろしいでしょうか?」

 

けれど、食べさせ合うのはお気に召したらしい。少し恥ずかしそうに、俺のことを上目遣いで見つめる。

 

「ああ、まあそのくらいならな」

 

「ありがとう、ございます!」

 

了承すると、眩いばかりの笑みを浮かべて、心底嬉しそうにする。

 

多少の恥ずかしさも、ヤツカが喜んでくれることに比べたら些細な問題だ。

 

嫌なわけではないし、役得だとポジティブに考えることにする。

 

 

時計を見ると、22時頃。

 

プレゼントは枕元に、と考えてはいたが、俺が眠る前にヤツカが寝静まった記憶がなく、そも付喪神である彼女に睡眠が必要かどうか、微妙な所であることに気付いた。

 

クリスマスケーキ自体が前倒しだし、今でも良いか、と考えた俺は立ち上がると、寝室へと行けば、机の上に置いていた物を手に取る。

 

そうして、再び居間に戻れば、キョトンとこちらを見るヤツカへと差し出す。

 

赤く染め上げられたそれは、簪のようにも、少し大きなヘアピンのようにも見える髪飾りだ。

 

ヤツカくらいの髪の長さでも使えるように短めに、髪を巻き込んだり、挟み込めるように作ったもの。

 

片側にはちりめんや組紐を使って作った桜の花弁が飾りとしてつけられている。

パッと、ヤツカをイメージした時に思い浮かんだ、その着物の模様をそのままに、今日作ったもの。

 

「あるじさま、これはいったい……」

 

「クリスマスは良い子にはプレゼントが配られる日なんだ。……ま、今日はその前日だけど、日頃のお礼も込めて、作ってみたんだ」

 

恐る恐る、と言った様子で、差し出した髪飾りを手に取ると、すっと、髪を片側に寄せて、着けてみれば、うるうると瞳を潤ませて、ケーキを食べている時以上に、感極まった様子を見せる。

 

「あるじさま、ありがとう、ございます。このみがつきるまで、たいせつに、あつかわせていただきます。

 

その、にあいます、でしょうか」

 

「ああ。似合ってる」

 

頬を赤らめて、はにかみながら問い掛けてくるヤツカは、いつも以上に愛らしくて、心臓がバクバクとうるさく脈打つ。

 

「ふふふ」

 

髪飾りの出来栄えと、ヤツカが喜んでくれたことに安堵しながらも、幼い容姿に似合わない、何処か艶やかな笑みに、顔に熱が集まっていくのを感じていた。




「あるじさまからのおくりもの……ふふ、わたくしは、かほうもので、ございます」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夢での会話

ぱち、ぱち、と火が弾ける。くべられた(まき)はその身を削り、崩れて、囲炉裏の灰が少しだけ舞い、火が揺れて、また薪がくべられる。

 

天井から囲炉裏に向けて伸びる自在鉤の先には、鉄製の鍋が吊るされていて、ぐつぐつと湯が沸き立っている。

 

不思議と吹きこぼれることなく、湯が沸き立ったまま。囲炉裏の直ぐ側で火箸を持って、薪を突く白髪の少女は、鍋から視線を外して、こちらへと顔を向ける。

 

赤い瞳が細められ、にこにこと人懐っこい笑みを浮かべると、火箸を火から離れたところに置いて、こちらへと近寄ってくる。

 

「ん」

 

両手を前に差し出して、何かを催促するような姿の少女に、俺は無言で片手を上げる。

 

「っぶなぁ!?」

 

上げる、と言うか、振りかぶった。握り締めた拳をその顔面に叩きつけようとして、大きく飛び退かれ回避されたことに強く舌打ちをする。

 

「宿主はなんでいつも我に対してそう暴力的なのだ!?」

 

少女、もとい妖刀は青筋を立てて声を荒げる。

 

「逆になんでそうならないと思ったんだお前」

 

真顔で返す俺に、わなわなと拳を震わせる妖刀。

 

確信犯的に殺しにきた挙句、不利を悟れば人の体を乗っ取ろうとしてたんだからこの程度の扱いの悪さは軽んじて受けてほしい。

 

結果的に生きてるとは言え、殺しにきた相手を許せるほど心は広くない自覚がある。

 

「我、良い子にしてた」

 

そう言って、その場でまた両方の手のひらを上に向けてこちらに差し出す妖刀。

 

どうやらクリスマスプレゼントの催促らしい。

 

肉体を共有しているのだから、別に知っていても不思議はないのだが、こいつは何を求めているのだろうか。

 

「仮に俺がプレゼントを用意していたとしてもここには持ち込めないだろ」

 

「それはそうだが……、用意してくれても良いだろうに」

 

「嫌だけど」

 

ヤツカが羨ましくなったのだろうか。図々しくプレゼントを要求してくるが、キッパリと伝える。

 

少なくともこいつに送るプレゼントなどない。やるとしても拳だけである。

 

「いじめか?」

 

「自分の行い振り返れよクソがよ」

 

「幼子に殴り掛かる奴よりマシだと思うが」

 

「仮に少女の姿だろうと自分を殺しにきた相手に対して遠慮する必要ってあるか?」

 

「……ないな」

 

むすっと唇を尖らせながら抗議してくるが、知ったことではない。

 

はぁ、と嘆息すれば、小さく首を振って、困ったように眉根を寄せる。手を下ろせば、囲炉裏の側にまた座り込む。

 

 

***

 

 

ぱち、ぱちと、火が弾ける。

 

ゆらゆらと揺らめく赤い炎が鍋の底に触れて、這うように広がって生きながら上へと伸びていく。

 

時折継ぎ足される薪に、火が喜ぶかのようにその勢いを増す。

 

それを、妖刀の向かい側に座って眺めていた。

 

なんで眺めてるのか、と言われればここから出られないから。精神世界でもあり、夢の中でもあるこの世界は、現実で目が覚めない限り出ることはできない。

 

長さはまちまちだが、今回はまだ夢は覚めないらしく、こうして時間を潰している。

 

「なぁ、宿主」

 

「なんだよ」

 

視線は囲炉裏の中で踊る炎に向けたまま、向けられた声に短く返す。

 

炎と鉄鍋の向こう側で、妖刀は火箸で薪を弄りながらも、困ったように眉根を寄せている。

 

「これからも敵は許さない、とでも言い続けるつもりか?」

 

問い掛けの意図が上手く理解出来ないまま、胡座をかいたまま、頬杖をつく。

 

およそ人の話を聞く態度ではないことを自覚しながらも、気にした様子がないことを確認しつつ、言葉を返す。

 

「急になんだよ……、言い訳か?」

 

視線を動かして、妖刀の方へと視線を向ける。

 

「否定はしないが、そうじゃない」

 

ふるふる、と小さく首を振る妖刀。

 

「仮にどうしようもない理由があっても、それでも許さないと言い続けるのか、と聞いているのだ。我であれば正気ではなかった、とかな」

 

告げられた言葉に、俺は口を噤む。

 

憎悪に飲まれて、望んでいなくても凶行に走らされた目の前の妖刀もであるが、印象深いのは、やはり原作をプレイした記憶。

 

例えば、家の柵などが原因で望まずとも、妹のような存在を裏切ることになってしまった勾柘榴。

 

シナリオを読み進めるうちに、俺の中にあった彼へのヘイトが段々と失われて行ったのではなかったか?

 

裏ヒロイン、と名高い黒幕の1人の事だって、憎めなくなっていたのではないか。奏は、全てが終わった後とはいえ、彼女に許しを与えていたのではなかったか。

 

けれど、それはあくまでゲームの中の話で、俺自身は当事者ではなかった。あくまでも傍観者でしかない。

 

記憶を辿りながらも、自然と口から言葉がこぼれていた。

 

「……分からない」

 

思い返して、考えて、絞り出したのはそんな結論。

 

上手い言葉すら見つけられなくて、モヤモヤとした気持ちを誤魔化すように、がりがりと乱雑に頭を掻く。

 

「けど、少なくとも、まだ、お前のことは許せない。命も、体も奪われようとしたんだ。簡単に受け入れられない」

 

精神世界にまで巣食って、共に在り続けることになった、なってしまったが、事実は変わらない。

 

結局、殺されかけた相手と、殺しにかかった相手、と言う構図は変わらない。

 

それでも、襲われた当初、あるいはへし折ったばかりの頃と比べると、こいつへの怒りや憎悪が薄まっていること自体は事実だ。

 

だから、許せるのか、と言われたらまだ許せない、としかいえないし、分からない、としか答えられない。

 

「今はそれで構わん。……邪険にされ続けるのはそれはそれで心に来るものがあるからな、改善の余地があるなら万々歳だ」

 

そう言うと、妖刀は安堵したように笑う。

 

それと同時に、瞼が重くなっていき、視界が白んでいくのを感じた。

 

夜が明けて、目を覚ます時間が訪れたようで、瞼は落ち切って、なのに視界は真白に染まる。

 

「もう朝か、名残惜しくはあるが、今はここまでだな」

 

消えゆく意識の中、そんな呟きが耳に届いた気がした。




「……わるさをしてるわけではないのなら、みのがしてあげましょう」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

今考えても仕方のないこと

「……くそっ」

 

クリスマス当日。と言っても特別なことはない。既に昨日のうちにそう言ったことは済ませており、であるならばありふれた冬の1日でしかない。

 

暇潰しでも、と机に広げた工作用の道具を弄りながらも、いまいち集中が出来ず、吐き捨てながらガリガリと頭を掻きむしる。

 

頭の中をぐるぐると巡っているのは夢での妖刀とのやりとり。

 

分からないと、そう答えはしたが、魚の小骨が喉にささったかのような感覚が胸に残り続けている。

 

全身が燃えているような熱さすら感じる痛みは、未だにはっきりと記憶に刻み込まれている。

 

どうしようもない理由があったから、と言われても、だから苦しんでも我慢しろ、なんてのは道理が通らない。

 

いや、あいつもそういうつもりで言った訳ではないのだろう。憎悪と殺意と憤怒から生まれたあの化け刀は、それこそが鋼の塊に意思を宿らせたのだから、否定することは出来ない。

 

許せない。許せないと思っている。けれど、あの質問への答えは、やっぱり、分からないまま。

 

自分の感情すらうまく飲み込めなくて、苛立ちが募り、不貞腐れたように仰向けに寝転がる。

 

「もやもやすんなぁ……」

 

呟いて、嘆息した。

 

 

***

 

 

しばらく寝そべっていると、急にぷにっとした感触が頬に伝わったかと思えば、目の前が暗くなる。

 

明かりが消えた、と言うわけではなさそうで、目の前からは鳴き声が聞こえる。

 

どうやらクロが顔の上を通過しようとして、そのまま立ち止まったらしく、黒い、もふもふとした毛並みが視界いっぱいに広がっていた。

 

そのまま膝を曲げ、しゃがみ込もうとしている様子が窺える。

 

なので、クロの身体を両手で持ち上げると、腹の方に下ろしてから上体を起こす。

 

「にゃっ!」

 

身を起こして座り直すと、クロはてしてしと猫パンチを繰り出してきて、不満なことをアピールしてくる。

 

痛みも恐ろしさもなく、ただ可愛らしいだけのその仕草に、ささくれだった心が少し、落ち着くような気がして、ありがとう、と言う代わりに持ち上げてそのまま頭の上に乗せてやる。

 

「にゃぁ……」

 

気が抜けるような、リラックスした鳴き声を漏らしたところを見るに、どうやらご満悦の様子。

 

かと思えば、てしてし、と尻尾で後頭部をペチペチと叩いて何かしらのアピールを始める。

 

机の上に手を伸ばそうとすれば、またペチペチと、そうじゃないとでも言うよう尻尾で叩かれる。

 

食事でも要求しているのだろうか、なんて考えつつ、クロを振り落とさないように片手で押さえて立ち上がり、寝室から居間へと移動する。

 

 

***

 

 

「にゃっ!にゃっ!」

 

「お前は元気そうだな……」

 

食事希望か、と思えばそうではなかったらしく、一度肩に降りてきたクロが示したのは玄関の方。

 

散歩に連れてけ、とでも言うように片方の尻尾で玄関を指し示しながらもう片方の尻尾でぺちぺちしてくるクロに苦笑しながら、防寒着を羽織って外に出たのだ。

 

「……さむっ」

 

冷たい風が頬を撫でる、というよりは突き刺すように吹きかけてきて、あまりの寒さに冷たさを通り越して痛みすら感じる。

 

頭の上に居座り直したクロは、凍えるような寒さだと言うのに嬉々とした様子で、楽しそうに鳴いている。

 

猫は冬場、暖かい場所で丸まっているイメージがあったが、猫又であるクロには当てはまらないらしい。

 

ゆらゆらと尻尾を揺らしながら鼻を鳴らすクロに苦笑して、家の裏の方へと足を向けた。

 

 

てくてく、とまだ降り積もった雪が溶けきっていないようで、白一色の道を歩く。

 

今は胸ポケットにはヤツカは居ない。クロに急かされるままに家を出たので、声を掛け損ねただけではあるが、そこまで遠出はするつもりはないし、問題はない筈である。

 

と言うわけで今はクロと1人と1匹、家の裏の方に広がる森の中を歩いていた。

 

軽く周囲を見渡せば、不自然な空白がある。

 

半ばからへし折れたような形となった木が、ちらほら見受けられるここは、化け物と命懸けの追いかけっこをした、その終着点らしい場所だった。

 

白に覆われてしまっているが、これより手前……つまりは自宅に近い側は不自然な見晴らしの良さはなく、ここから奥の方へと、真っ直ぐ見える範囲の木々は薙ぎ倒されたかのように、折れた断面があることが窺えた。

 

「改めて見ると、ほんと……なんで生きてるんだろうな、これ」

 

呟きながらも、思わず苦笑が浮かぶ。

 

前世の記憶があるとは言え、あの時までは純粋な、ただの人間だったのだ。

 

襲われた時点で、既に死が確定していたようなもので、奏が運良く現れてくれなければ間違いなく死んでいたと言える状況だった。

 

肉体が作り替えられたことでより丈夫になったことも生きている要因の一つなのだろうが、それはそれ。

 

奏が間に合ってくれていなければ確実に死んでいたのだ。

 

いくらマガツキ化で頑強になろうが、その前であれば何の関係もないことであるし、あの時の妖刀は、俺に取り憑くのではなく、殺そうとしていた。

 

だから、遅かれ早かれ俺は死んでいただろうな、と何処か他人事のように考える。

 

どんな音でも吸収してしまうような白くて綺麗な雪がたくさん積もっているからか、自分達の足音とクロの鳴き声くらいしか耳に届いてこない。

 

あれだけのことがあったのに、あった筈なのに、そんなことを一切感じさせない程の静けさに、なんだか悩んでいたことがバカらしく感じてくるようだった。

 

「……わかんねえことを考えても仕方ねえよなぁ」

 

だから、今は一旦置いておくことにしよう。

 

そう決めると、なんだか重荷を下ろしたかのように、心がスッと軽くなる。

 

頭の上のクロを優しく撫でてやり、満足そうな鳴き声に、微笑む。

 

「ありがとな、クロ」

 

「にゃっ」

 

気にすんな、とでも言うように鳴くクロのことをありがたく思いながら、踵を返した。

 

 

 

なお、家に帰った後、ヤツカに説教されたのは完全な余談である。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

正月・1

「あるじさま、おひとりで、であるくのは、おひかえ、くださいませ。なにか、あったときに、おたすけできませぬ!」(ヤバげなことに巻き込まれる頻度が高い主になにかあったらと思うと気が気ではないヤツカちゃん)

「はい……ごめんなさい……」(薄々理解してるので大人しく反省する)

「にゃっにゃっにゃっ」(漱の頭の上でご満悦)


「にゃぁん」

 

可愛らしい鳴き声で、意識が浮上する。

 

冬の冷たい空気と、布団の中の暖かさのギャップを感じながら、まだ眠気の残る頭でまだ重たい瞼を開けると、部屋の中には日の光が差し込んでいることに気付く。

 

「うぅん……」

 

呻きながら身動ぎ一つすれば、もふり、と柔らかく温かな感触を頬に感じる。

 

どうやらクロがすぐ横で丸まっていたらしい。

 

その瞳はじぃっとこちらを見つめていて、再び目を閉じて、心地よい微睡に身を任せようとする俺の頬をぺちぺちと前脚で叩いてくる。

 

どうやら目覚まし代わりらしい。

 

ぷにぷにとした肉球が何度も押し付けられ、仕方なしに再び瞼を開ける。

 

ゆっくりと体を起こすと、寒さにぶるりと身を震わせて、傍に置いていた半纏をのそのそと羽織ると、立ち上がる。

 

「くぁぁ……、眠いし寒い……」

 

ボヤくように呟きながら、軽く伸びをする。

 

ぐぐぐ、と力を入れて、ふっと脱力すると少しだけ、思考がハッキリしてくる。

 

スンスン、と鼻を鳴らすと、美味しそうな、けれどいつもの朝とは違う香りが漂ってくる。

 

はて、何かあっただろうか、そう考えながら、ああ、と、理解する。

 

居間に移動すれば、ちゃぶ台の上には重箱が並べられていて、二つ置かれたお椀には煮物にしては色鮮やかなもの……筑前煮がよそわれている。

 

割烹着を着て、髪の毛を三角巾で纏めているヤツカは、こちらに気づくと、三角巾を外そうとする手を止めて、にこやかに笑う。

 

「おはようございます、あるじさま。あけまして、おめでとう、でございますね」

 

「あけましておめでとう、だな。おはようヤツカ」

 

挨拶を返すと、込み上げる欠伸を噛み殺した俺に、ヤツカはくすりと笑う。

 

「ごはんを、よそいますので、おさきに、おかおをあらわれては、いかがですか?」

 

「ん……、そうするわ。助かる」

 

「いえいえ、おきになさらないで、くださいませ」

 

まだ幾分かぼんやりとした頭でヤツカに促されるままに、洗面所の方へと顔を洗いに向かう。

 

 

***

 

 

冷たい水で顔を洗うと、纏わりつくようですらあった眠気は吹き飛び、意識がしゃきりとする。

 

用意されていたタオルで濡れた顔を拭き、水気を拭き取った後、また、居間へと戻る。

 

ちゃぶ台の上にはご飯がよそわれた茶碗と、温かいお茶が注がれた湯呑みが追加されていて、ヤツカは割烹着を既に脱ぎ、いつもの格好でちょこんと座りながら、膝の上で器用にそれを畳んでいた。

 

本日は新年初日、お正月である。

 

だからか、重箱の中には黒豆や紅白なます、数の子に栗きんとんなど、縁起のいい食べ物が詰められている。

 

所謂、おせち料理、という奴だ。

 

良い匂いを漂わせるそれらに、ぐぅぅ、と腹の虫が鳴く。

 

キョトン、とした後にくすくすとヤツカは楽しげに笑い、俺は苦笑しながらちゃぶ台の前に座り込むと、手を合わせる。

 

「いただきます」

 

「どうぞ、おめしあがりくださいませ」

 

真っ先に手を伸ばしたのは塩焼きにされた魚の切り身。おそらくは鰤であろうそれを箸で摘めば、そのまま一口齧る。

 

パリッ、とした皮と、全くパサついた感じがしない、ふわふわとした身の食感と、程よい塩気が身の旨みを引き出してるような気がする。

 

臭みも一切感じることなく、丁寧に調理されたのが素人である自分にも理解できた。

 

……なんて、脳内で食レポ風にしてみたが、こう言ったことを言葉にするのはあまり得意ではない。

 

「うま……」

 

「よろこんで、いただけたようで、さいわいで、ございます。まだ、ほかにも、おりょうりはありますので、たくさん、おめしあがり、くださいませ」

 

口からこぼれたのは、うまい、の一言だけ。

 

うまい、うまいと言いながら夢中で並べられた料理に箸を伸ばし、ご飯と共にがつがつと食べ進める。

 

筑前煮も味がよく染みていて美味しく、紅白なますを時折口に放り込むと、酢の酸味が口の中をすっきりとさせてくれる。

 

蒲鉾、黒豆、伊達巻に栗きんとん、海老に鯛に、と夢中で箸をつけ、米をかきこんでいく。

 

そんな俺の姿に、ヤツカは嬉しそうにニコニコとした笑みを浮かべながら、自分も手を合わせる。

 

「いただきます」

 

元旦の朝の、いつもとは少し違う朝の時間は、いつも通り、平和に、笑顔に溢れたまま過ぎていく。

 

 

***

 

 

「美味かった……」

 

美味しいおせち料理をたらふく食べて満足した俺は、ごろんと寝そべっていた。

 

品数が多いからだろう、量自体は各品目毎で言えばそれ程多くはなかったが、ヤツカがご飯に合うように調理していてくれた為、おかわりの手が止まらず、いつも以上に食べた感じがする。

 

ちゃぶ台の上に置かれた器の中身は全て空っぽ。

 

残さず綺麗に食べたは良いが、少し食べ過ぎたか、と腹が圧迫されるような感覚に少しだけ思う。

 

けれどまあ、美味いものを腹がはち切れそうな位まで食べれたことに後悔などあるはずもなく、むしろ気分は最高である。

 

暫し休んで腹も落ち着いたのでゆったりと体を起こして立ち上がる。

 

空になった重箱を重ね合わせて、その上に重ねた茶碗とお椀、それに箸を乗せる。

 

纏めて台所へと運ぶと、そこには既にヤツカがおり、踏み台の上に立って、和服の裾が汚れぬように襷掛けをして、鍋やフライパンを洗っている。

 

邪魔にならないように食器を置くと、殆ど洗い終えていた様子で、ヤツカはお湯で鍋やフライパンの泡を流すと、テキパキと水気を拭き取って片付ける。

 

「あるじさま、ありがとうございます」

 

「いえいえ、と。全部やらせるのも悪いしな」

 

「あるじさまの、おせわは、わたくしのやりたいこと、でございますよ?」

 

「それでも申し訳ないし」

 

じゃー、と蛇口からお湯を流しながら重箱にお湯を満たしながら、箸に茶碗とお椀を洗剤をつけたスポンジで擦る。

 

お礼に対してそう返すと、ふふふ、と嬉しげで、申し訳なさも入り混じったような笑みを浮かべながら、ヤツカは口にする。

 

多少言葉は変われど、彼女が来てから毎回、こうして洗い物を手伝うたびにこのようなやりとりを繰り返している。

 

主の手を煩わせるのをあまり好ましくは思っていないようだが、一緒に作業できる事は嬉しいらしく、隣り合って食器を洗っているヤツカはいつも楽しげだ。

 

「そういえば、あるじさま。はつもうでには、いかれるのですか?」

 

「ああ、行く予定。誘われたし」

 

洗い終えた食器をそれ用の籠に置きながら投げかけられた問いに、重箱を洗いながら首肯と言葉で返答する。

 

「ごゆうじんさま、でございますか?」

 

「あいつはなんか忙しいらしくてなぁ……。泰斗とだよ」

 

「ごがくゆうさま、でございますか?」

 

「そうそう。昼頃から行く予定」

 

ふむふむ、と頷くヤツカは、じとり、とこちらを見る。

 

「あるじさま、きちんと、わたくしのわけみも、つれていってくださいませ」

 

どうやらクリスマスの日に、ヤツカに言わずに、クロと一緒に出掛けたことをまだ忘れてはいないらしい。

 

「ごめんって……。心配かける訳にもいかないし、きちんと連れていくよ」

 

「はい!」

 

肩を竦めて言えば、にぱ、と華やぐような笑みを見せてくれる。

 

そんなヤツカの姿に、俺は微笑ましく思いながらも、苦笑しか浮かべることができなかった。




「お母さん、私初詣行く予定だったんだけど……」
「悪いけどバイトしてもらうんだなぁこれが。アタシも行くから安心しな!」

正月朝の水上家


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

正月・2

正午少し前。ジャケットのポケットに手を突っ込みながらぶるりと身を震わせる。

 

首元につけたネックウォーマーを片手で触りながら、もう少し防寒性の高いものを買った方が良いか、なんて考えながら、待ち合わせ場所まで歩いていた。

 

家を出た瞬間からチラホラと商店街の方向へと歩く人影が見えていたが、商店街に突入すると、沢山の人が同じ方向に歩いていくのが見えた。

 

道行く人の格好はさまざまではあるものの、一際目立つのは豪華な和服、振袖に身を包んだ女性たちの姿だ。

 

柄はさまざまで、皆が皆、と言うわけではないが、着飾ったその姿は目を惹くようである。

 

ちらり、と視線を向けた後、また前に視線を戻す。

 

視界の先にも人、人、人。田舎であるがそこそこの人口があり、正月、と言うことも影響しているのだろうが、人混みには少々うんざりしてしまう。

 

田舎ならもう少し人数減ってくれてもいい、だなんて考えながらも、商店街の先を目指して黙って足を動かした。

 

 

***

 

 

商店街を抜けてしばらく歩くと山の斜面が見えてくる。常緑樹と枯れ木が入り混じった山肌には、平時であれば一本、太い、灰色の線が入っているように見える。

 

それは上へと続く石造の階段となっていて、今は行き交う人の列が、まるで1匹の生き物のように動いている。

 

なんと言うか、テレビなどで似たような光景を見たことはあるが、実際にこの目で見れば、なんとも奇妙な光景だな、とそう感じた。

 

 

そうして、斜面のすぐ側、階段の所まで近付くと、視線を横に向ける。

 

階段のすぐ側に佇む、見慣れた顔。その姿に軽く手を振ると、相手はこちらに向けて軽く手を振りかえす。

 

「ちっすちっす。あけおめやで漱くん」

 

「あけおめ泰斗。んじゃ、さっさと行こうぜ」

 

「待ってたのわいなんですがそれは……。あいあい」

 

空色のダウンジャケットを着て、緑色のマフラーを巻き付けている泰斗の挨拶に返すと、呆れた顔で態とらしく肩を落とす。

 

それもあくまでただのポーズらしく、すぐにいつも通りの態度に戻る。

 

「にしても、相変わらずここ登るのだるくない?」

 

とん、とん、と後方にいる人に迷惑をかけないようなペースで、そこそこ広く、避ける余地がありそうな広さの石階段を上がりながら、泰斗は面倒臭そうに口にする。

 

斜面自体の傾斜が急だからか、この階段も傾斜はとてもキツく、上り下りは正直辛い。

 

「だなぁ、メチャクチャ膝に来るもんな。この階段」

 

泰斗の言葉に同意するようにこくこくと頷く。

 

「おじさん臭くない……??いやまあわいもそうなんですけどね?」

 

俺の言葉に揶揄うように言って見せるが、直ぐに肩を竦める泰斗。

 

言えば自分にも返ってくると分かってても口にする辺りは、彼らしい。

 

そうやって、軽口を叩き合いながらも、とっ、とっ、とっ、と、リズム良く足音を鳴らしながら無駄に長い階段を登っていく。

 

そうして5〜6分程度登り続けると、大きな鳥居と、広々とした境内が視界に入る。

 

学園よりは幾分か低い地点に大きな公園、程度の広さの境内の中には所狭しと屋台が並べられ、参拝を済ませた子供たちが一様にチョコバナナやクレープの屋台の近くに集まっている。

 

立派な社の方に真っ直ぐと伸びている石畳の上には参拝客が四つの列を作り並んでいた。

 

屋台での買い食いも醍醐味だな、とは思いつつも、初めの予定だけ済ませようと泰斗と2人、列に並ぶ。

 

「泰斗お前何お願いすんの?」

 

「どっかで神様に頼み込んだ願いを第三者に言うと叶わないって聞くから言わない。漱くんは?」

 

「その話聞くと言うの躊躇うな……。別におかしいことを頼む気はないけど」

 

一定のペースで列が動くたびにちまり、ちまりと前に歩を進めながら、隣に並んでいる泰斗に尋ねる。

 

ぶんぶん、と拒絶の意思が示され、同じように投げ飛ばされた質問に、曖昧に答えながら肩を竦めてみせると、それもそうやね、とカラカラと笑う。

 

「まあ、言わなくても叶わない時は叶わないんすけどね」

 

「あくまで神頼みだしなぁ」

 

言いながら、段々と社に近付いていくと、厳かな雰囲気を肌に感じた。

 

肌がひりつくような、神聖な気配。神様がいる、と言われれば信じてしまいそうになる。

 

それほど、なんと言うべきか、不思議な感覚を肌で感じている。

 

どうしたものか、と考えてみると、目の前の人たちは参拝を終わらせたようで、自分の番が来る。

 

社の方へと近付くと、賽銭箱に向けて5円玉を放り込み、2度、深々とお辞儀をし、パンパン、と手を叩く。

 

そうして、また、深々と頭を下げ、胸の内で願い事を唱え終えると、ゆっくりと顔を上げる。

 

隣を見れば、泰斗も顔を上げていたようで、2人して当初の目的は達成したのだった。

 

 

***

 

 

「んー、泰斗どうするよ」

 

もきゅもきゅ、と屋台で適当に購入したフライドポテトを食べながら泰斗に視線を向けると、イカ焼きを喰い千切り、咀嚼して飲み込むと、あらためて口を開く。

 

「んまい。っと、おみくじ引いてないから引いとかない??」

 

「あー、そういや引いてないな。ついでにお守りとかも買っとこうかな」

 

言い切ってからまたイカ焼きに食らい付いた泰斗の言葉に、そう返しながら、まだあったかいフライドポテトを口の中に放り込んで、もぐもぐと口を動かす。

 

「ええやんお守り。わいも買おうかなぁ……」

 

「何買うよ。俺は……無病息災のお守りかなぁ……」

 

「すっごい切実……。自分はやっぱ……、良縁祈願っすかねぇ……」

 

切実な気持ちを込めながら言えば、お互いに購入した食べ物を腹におさめきる。

 

そのままの足で、境内にあるお守りや絵馬の販売所に向かう。

 

お堂の一つを利用した販売所は、窓口が4つあり、半分がお守りや熊手など、もう半分が絵馬の販売所となっている。

 

先にお守りを購入してからおみくじを引くことにした俺たちは、宣言通りのお守りを購入すると、そのままおみくじを引きに意気揚々と小銭を握り締めた。

 

「運勢が悪い方が奢り」

 

「500円までな」

 

「オッケー」

 

なんとも罰当たりな会話であった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

正月・3

遅くなって申し訳ありません!!寝たり他創作に心奪われてさぼってました!


「明けましておめでとう御座います。八束さんに平沢さん」

 

おみくじを引こう、と意気込み運試しを賭けの材料にする算段を付けていると、背後から声が聞こえてきた。

 

振り返ればそこには巫女服に身を包んだ咲耶の姿。

 

その手には箒とちりとり、それにゴミ袋が握られていて、どうやら境内の掃除をしていたのだろうことが窺える。

 

「明けましておめでとう、木暮さん」

 

「木暮さ……ん、あけおめやで。家の手伝い?」

 

掛けられた挨拶に、こちらも同じように返しつつ、泰斗は言葉につっかえながらも問い掛ける。

 

絶面がなさそうな二人ではあるものの、泰斗は陰陽師であり、咲耶はヨリシロ、関係性としては上司と部下、と言ったところだろうか。

 

『虚の庭』に関わりがある人間しか居ない場所でもない限り、匂わせる程度であろうとも、その関係性は表に出さないようにしているのだろう。

 

「ええ、ここは実家ですし」

 

はじめ、畏まった態度であったのが咲耶の笑みで崩れ、普段通りの調子で投げ掛けられた言葉に、咲耶はこくりと頷く。

 

ここ、『津雲神社』で祀っているのが瀬織津姫、木花咲耶姫、及びに各付喪神。

 

また『マガツキノウタ』の世界において神社というのは『神々との交信出来る場所』であり、実際に特異性を持つ『聖域』でもある。

 

『虚の庭』と重ならないままに、けれど『神様の居る場所』でもあるが故にヨリシロの身に神を降ろすまでもなく意思の疎通が可能になる、とゲーム内では言われていた。

 

そんな神社の管理者、というのがヨリシロだ。

 

この世界において神主などは一部例外を除いて殆どがヨリシロである。神をその身に降ろす、という特性からきてるのでは、とか、契約した神を祀る為、とか考察はあったが、その辺りの理由は不明とされている、

 

ともあれ、例に漏れず、この津雲神社も管理者がおり、それが木暮家となる。

 

「お二人は初詣ですよね?男2人で寂しくありませんか?」

 

「非モテって馬鹿にしてる???」

 

「わいは好みのお姉さんがみんな用事あるだけやで……いやほんとほんと」

 

ヤツカもポケットの中にいるから厳密には野郎二人だけでは無いのだが、それはそれとして。

 

遊びに誘える程度の仲の女性が殆どいないのは事実ではあるが、言われるとなんとも言えない気持ちになる。

 

「いえ、家族連れの方や恋人同士の方が多いようでしたから、お二人にはその様な相手は居ないのかな、と」

 

キョトン、と首を傾げながらも悪意なくぶつけられた棘になんとも微妙な気持ちになりながら、くしゃりと表情を歪ませる。

 

素朴な疑問、と言った調子での問いかけなのが余計に心に刺さる気がする。

 

「まだ高等部1年だしそう言うこともある」

 

「居なくてもおかしくはないんやで」

 

「まあ、それはそうですね」

 

クスリ、と微笑んだ辺り実は揶揄ってきただけなのかもしれない。

 

「哀れな2人に良いことを教えてあげます」

 

微妙な顔を浮かべたままの俺ら2人を、愉快そうにくすくすと笑えば、すっ、と、とある方向を指差す。

 

そちらは元々俺らが向かって居た方向。おみくじがある方向。

 

告げられた言葉に泰斗は目を輝かせて、俺は苦笑した。

 

 

***

 

 

当初の予定通り、拝殿……先ほど参拝を済ませた場所の側にはおみくじの自動頒布機が置かれている。

 

そのすぐ側には長机が置かれており、一つ置かれたパイプ椅子には1人の女性が座っていた。

 

巫女服を着た彼女の前にはたくさんの人がずらり、と並んでいて、自動頒布機の方には全く人が立っていなかったくらいだ。

 

にこやかな笑顔で手に持ったくじを引き、参拝客に手渡していく。

 

並んでいるのは男女問わず、みんなから人気があるのだろう、というのが察せられた。

 

視線を向けていたからか、チラリ、とこちらに視線が向けられたかと思うと、すぐに逸らされる。

 

「並ぶ?並んじゃう?」

 

「並ぶか」

 

2人して、ニヤニヤとした笑みを浮かべていた。

 

 

なんだかんだで凄い数が並んでいて、自分達の番が来るまで30分程の時間が掛かった。

 

のんびりとだべりながら行列が消えていくのを待って、ようやく売り子の前に到着する。

 

長い黒い髪を一つに結わえた巫女服の彼女……というか、水上先輩は、金を払った俺たちにぽい、とおみくじを手渡してくれる。

 

「明けましておめでとうございます、水上先輩」

 

「あけおめです」

 

受け取りながら声を掛けると、恥ずかしそうに耳を赤く染めて、じとりとした目でこちらを見る。

 

「明けましておめでとう。でも2人して揶揄ってくるのはよくないと思うな。……ええと、平沢くんかな?それに漱くんも」

 

俺らの後ろにはもう並んでいる人がいないからか、少しだけむくれた様子で文句を告げてくる。

 

揶揄うような発言はしていないが、まあにやにやとしていれば揶揄っているように受け取られるか、と苦笑を溢す。

 

「揶揄ってないですよ。水上先輩はなんでここに?」

 

「バイトだよ。本当は私も初詣来ようと思ってたんだけど、お母さんに言われちゃって」

 

「先輩のお母さんって漱くんのバイト先の店長っすよね」

 

「うんそうだけど……、あ!お母さんナンパして振られてたの平沢くんだったんだ」

 

「なんで知られてるの???」

 

「お母さんが言ってたから」

 

がっくりと肩を落とし、悲しげにする泰斗に、あはは、と少し申し訳なさそうに苦笑する水上先輩。

 

泰斗には申し訳ないが、脳内で店長が笑いながら話してる姿が思い浮かんで、思わず吹き出してしまった。

 

「き、きさまぁ!ゆるせん……」

 

「流石に笑うのは悪いよ漱くん」

 

窘めるように水上先輩が口にし、泰斗は態とらしく怒りを露わにする。

 

「いや、簡単に思い浮かんで面白くて」

 

言いながらも、くつくつと笑っていると、泰斗がはぁ、とため息をつく。

 

「畜生め、奢らせてやる」

 

「ああ、確認するか」

 

一息ついて、良い加減横に退いて、引いたおみくじを開こうとすると、水上先輩が不思議そうにこちらを見ているのに気がつく。

 

「見せ合いっこ?」

 

「いや、運が悪い方が奢りって賭けしてて」

 

「あ、私も混ざって良い?」

 

楽しそう、だなんて罰当たりな事をする俺たちに便乗しようと、許可を求めながらもおみくじを引く水上先輩。

 

泰斗と顔を見合わせて、まあ良いか、と苦笑する。

 

「構いませんよ」

 

「んじゃ、開いて見せ合いっこやね」

 

水上先輩も引き終えて3人揃って差し出して。

 

 

結果、水上先輩には500円近くするコンビニスイーツを、泰斗にはコンビニのフライヤー商品を500円近くなるように奢る事になったのだった。

 

 

そうして、賑やかに正月は過ぎていく。楽しい時間は、ひとまず終わり、と言わんばかりに、夕焼けの帰り道で、烏が五月蝿く鳴いていた。




泰斗→吉
葵→大凶(待ち人だけ『すでに来ている』)
漱→白紙。「そんなことある????」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

皇女様の訪問

サボりすぎた。今回からまた三人称になります。


冬季の長期休暇、俗に言う冬休みは終わり、学園が始まって、数日後。

 

広々とした、畳張りの客間。隅々まで手入れが行き届いて、丁寧に扱われていることが分かる部屋。

 

その部屋の奥、座布団の上にちょこんと座り、目の前に置かれた茶を啜る小さな人影。

 

モフモフの尻尾をワサワサと動かしながら、満足そうに頬を緩ませる。

 

じっと、赤い瞳がこちらに向けられ、にまりと口元が弧を描いた。

 

「何を縮こまっておる、楽にせよ。そもそもここはお主の家であろうに」

 

くくく、と愉快そうに笑う日輪殿下の姿に、なんでこうなっているのかと、遠い目をして今朝のことを思い返していた。

 

 

***

 

 

座敷童の権能によって生み出された運動用の広間。すっかりお馴染みとなった訓練所。

 

どうやらヤツカの力が働いているのか、この空間は外や、拡張されているわけではない、元からある部屋とは違って、冬の冷たい空気は流れ込んでは来てないらしい。

 

過ごしやすい気温の中、地面を踏み込む音と、金属同士を打ち合う甲高い音が響いていた。

 

奏が振るう刀を間一髪のところで防ぎながらも、その刀を振り払って切り掛かるが、その時には既に引き戻された刀がぶつけられ、鍔迫り合いになる。

 

ほんの数秒、力の押し合いが行われたものの、次の瞬間にはお互い弾かれるように後ろに飛び、距離が開く。

 

じりじり、と間合いを確かめながら、お互いに視線をぶつけ合い、痺れを切らして、漱は強く地面を蹴りつける。

 

「ッッッラァァァ!!!」

 

一気に加速し、手に持った刀を振り抜く。

 

「甘い」

 

振り抜いた刀は、あっさりと合わせられた相手の刀で逸らされ、弾かれたかと思えばそのまま、奏の持つ刀が漱の体を斬りつける。

 

ギィィィィン!!と、金属が擦れ合う不快な音が響いて、漱はそのまま仰向けに倒れた。

 

「あ゛ーーー!!勝てねぇ!」

 

金属質な輝きを放つ肌。斬撃を受ける直前、妖刀仕様に切り替えたことで怪我を負うことは無かったものの、ビリビリとした衝撃は残っている。

 

結局一本も取れないまま終わった模擬戦。

 

悔しげに声を上げる漱に、奏は呆れた目を向けていた。

 

「年季が違うからなそもそも。暫く持つようになっただけでも大したもんだよ」

 

刀を担ぎながら言う彼女の姿は、今日も今日とて男の姿。人目がなくても、男の格好をとるのはどこで誰に見られているものか分からないからなのだろう。

 

トントン、と刀の峰で肩を叩く奏を、寝転がったまま悔しげな目つきで見つめた漱だが、やがて諦めたように視線を天井へと向ける。

 

「あるじさま、ほんじつも、おつかれさまで、ございます」

 

とてとてとこちらに駆け寄ってきたヤツカはしゃがみ込むと、白湯が注がれた湯呑みを差し出してくれる。

 

身を起こしてそれを受け取ると、湯呑みの縁に口を付けて、少し口に含んで、ゆっくりと飲み込む。

 

じんわりとした温かさが口から喉へと移り、胃へと流れ着いて、ホッと息を吐く。

 

「ありがとうヤツカ。……うわ、汗だくだ」

 

落ち着けば、流れる汗に気付いて、不快感に顔を顰める。

 

そんな漱の吹き出す汗を、ヤツカは手に持ったふわふわのタオルで甲斐甲斐しく拭ってやっていて、その様子に奏は呆れた目を向ける。

 

「毎度思うけどほんと仲が良いよな」

 

ジト目で見つめる彼女に、ヤツカと漱は顔を見合わせる。

 

「わたくしは、あるじさまに、おつかえするのが、よろこびですゆえ」

 

「まあもう家族みたいなもんだし、仲が良いのはそりゃそうだろ」

 

ニコニコと笑顔を浮かべながら、漱の世話を焼くヤツカの姿は、よく出来た嫁のようですらある。

 

キョトンとした様子で、何を言ってんだ、とでも言う顔の漱の汗をある程度拭い終えたらしく、いつの間にか真新しい着替えが用意されていた。

 

「あるじさま、おめしもので、ございます」

 

「いつも悪いな、助かるよ」

 

「いえ、おきに、なさらず」

 

着替えを差し出され、それを受け取る。

 

漱の礼に、ヤツカは微笑みながら首を横に振る。

 

「夫婦か?」

 

その様子を見た奏は思わず、と言った感じに口にして。

 

「……」

 

「ふふふ」

 

漱は意識したのか気恥ずかしそうに目を逸らして、ヤツカは頬を朱に染めて、嬉しそうに笑う。

 

そんな姿に、奏は嘆息するのだった。

 

 

***

 

 

「ところで」

 

「なんだよ」

 

所変わって居間。

 

さして汗をかいていない奏は兎も角、漱はしこたま汗を掻いていたため、軽くシャワーを浴びた後に着替えを済ませた。

 

その為、現在進行形でタオルで頭を拭いている途中である。

 

ヤツカが。

 

一応彼のために弁明をしておくと、初めは自分で拭いていたのだが、ヤツカの申し出……ゴリ押しとも言うが、それに根負けして任せているだけである。

 

呆れた目を奏に向けられている漱は、流石に情けないと思ってるのか、どこかバツの悪そうな様子。

 

「……まあいいや」

 

さすがに慣れてしまったのか、はあ、とため息を吐くだけでツッコミを放棄した奏は、改めて漱を見る。

 

「去年伝えてた呼び出しの件についてなんだけど」

 

「ああ……、皇女殿下とお前の親御さんからのだっけ」

 

告げられたのは以前言われた覚えのあるもの。

具体的な内容は聞かされていない、と言う話だったし、記憶から消し飛んでいた漱は一瞬固まる。

 

思い出したかのように言えば、こくり、と奏は頷いた。

 

「うちの両親の方のはまだ何も細かい話は聞いてないけど、日輪殿下からのものの方はさっき連絡が来てな、内容と日取りが決まったらしい」

 

「おう」

 

「内容は、『マガツキ』であるお前を魔狩りとして正式に任命することと、先日の依頼について聴取……だとさ」

 

告げられた言葉に、漱は眉根を寄せる。訝しむような目つきになるが、奏は肩を竦めるばかり。

 

「いまさら、でございますか?」

 

疑問の声を上げたのはヤツカだった。

 

実際、今更の話ではある。報告時に奏の方から伝えられているはずであるし、それぞれに確認を取るにしても、依頼後の数日以内に勾一族から人を出せばいいだけだ。

 

出来るのにしないのなら、何かしらの思惑があるのだろうと、漱は勘繰っていた。

 

「今更なんだよな……。何を考えてるのかわからないのは僕もなんだけどな、まあ明日にでも迎えが来るはずだから」

 

困ったように笑いながら奏が口にすると、ピンポーン、とどこか場違いに思えるインターホンの音が鳴る。

 

通販を頼んだ覚えはないし、誰も来る、とは連絡をしていない。

 

セールスか何かだろうかと、勇んで対応しようとしたヤツカを制止しつつ、漱は玄関に向かう。

 

「はい、どちらさ……ま……」

 

扉を開けると、小さな銀色の人影一つ。

 

赤い瞳をこちらに向けて、ワサワサと、狐の尻尾を動かし、妖艶に微笑む、日輪殿下の姿。

 

「ふむ、何を惚けておる?客人を放っておくのは、些か無礼ではないかのう?」

 

明日じゃなかったのか。

 

漱はそう奏に問い詰めたかったが、日輪殿下が口を開いた途端に、マガツキとしての力に再現者としての力を併せてまで逃亡したのでそれは叶わなかった。

 

「相変わらずじゃのう、浦曲の跡取りは。……ほれ、案内せよ」

 

「はい……」

 

権力には勝てない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。