禊の風 (エタリオウ)
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おい、ござるござる煩い奴が来たぞ!

 ある日、友人のジョンがファンタを棒状に凍らせたんだ。そしたらどうなったと思う? ファンタスティック、ってね!

 ここから本編始まります。


 西洋の町並みが広がるこの宿町では、彼の風貌は明らかに浮いていた。

 黒髪黒目、腰には湾曲した剣を提げて、着物の裾をはためかせながらゆったりと歩く旅人。その様子はこの異国の地にはさぞ不釣り合いだったことだろう。彼は時折立ち止まり、辺りの様子を確かめていた。

 

「ふぅ、なんとか日が暮れる前には着いたでござるな」

 

 旅人の名前は秋風楓といった。肩口まで伸びる髪を後ろで一つ結びにして垂らしており、女とも男ともとれる顔立ちをしている。

 だが男だ、すまない。身長は自称百六十五であるが、実際はそれより低いかもしれない。

 

「おう兄ちゃん! ここらじゃ見ない顔だな? この町は初めてかい?」

 

 そんな余所者である楓に、人の良さそうな禿げ頭が声を掛けた。寂しい頭にはちまきを巻きつけていて、見るからに暑苦しい。この町の住人だろうか。黒いシャツの上に革のベストを着ている。

 

「その通りでござる」

「おう、ガストハオスへようこそ! と言っても、特に何にもねえ町なんだがな!」

 

 ガハハと禿げ頭は一人で笑っている。つんと鼻に来るアルコールの香り。どうやらこの禿げ頭は昼間っから酔っ払っているらしい。

 

「まっ、のんびりとした所さ。ゆっくりしていってくれや」

「そうさせてもらうでござる」

 

 楓は短く答えると、また景色を楽しむようにゆっくりと歩き出した。

 

 ――ここはガストハオスという宿町である。人口千人ほどの小さな町で、これといった特産品は無い。強いて挙げるのなら温泉があるくらいか。

 しかし、温泉があるというのは楓にとって大きかった。なんせ楓は()()出身なのだから。

 

「おーい! 兄ちゃん、ちょっと待ってくれ!」

 

 楓は声をかけられて振り返った。先程の酔っぱらいはよっこらせと言って立ち上がると、千鳥足になりながらこちらに向かって歩いてきた。

 

「俺ぁ、宿屋を切り盛りしてるもんでよぉ……。まだ宿を見つけてないようだったら、うちに来てくれねえか? 安くしとくからよ!」

 

 男は顔の前で手を合わせて懇願する。

 

「願っても無い申し出でござるよ。ちょうど今晩泊まる場所を探していたところでござるから、有難く行かせてもらおう」

「本当か!? んじゃ、早速案内するぜ」

「ああ、よろしく頼むでござる」

 

 男が先頭に立って歩き出す。その後ろを楓が続く。二人は裏道に入ると、暗がりを好むように奥へ進んでいった。

 

 ……やがて、袋小路に差し当たり、酔っぱらいは足を止める。

 

「道を間違えたのでござるか?」

「……なあ、兄ちゃん」

「む?」

 

 振り向いた男の表情を見て、楓は何か嫌なものを感じた。この男の目つきは尋常ではない。瞳の奥底に仄暗い炎のようなものが見え隠れしている。

 

「有り金置いてきな」

 

 男がドスの利いた声で言った。楓はその言葉の意味を理解するまでに数秒かかった。

 

「……えっと、それはどういう意味でござろう?」

「そのままの意味だよ。有り金を全部出しな」

 

 あまりの豹変ぶりに楓が言葉を失っていると、後ろからの足音に気づいた。

 人相の悪い男が二人増えた。一人は体躯に恵まれている筋骨隆々のスキンヘッドで、楓と並べば大人と子供ほどの体格差がある。もう一人はトカゲのような目つきをした豚足の男。短剣を舌舐めずりする仕草に、楓は思わず顔を顰めた。

 

「そうでヤンスよ。痛い目にあいたくなかったら、さっさと財布を置いてくヤンス!」

 

 トカゲ目の男が下卑た笑みを浮かべながら脅した。その後ろに控えるスキンヘッドは無言で圧を放っている。

 

「……なるほど、そういうことでござるか」

 

 ようやく状況を理解できたのか、楓は小さく呟いた。

 

 町に不慣れな旅人に声を掛けて裏通りに連れ込んでは、こうして三人組で金を強請る。彼らはその常習犯で、楓のようなお上りさんは恰好のカモだった。

 

 楓は嘆息すると、懐に手を入れる。

 

「おい、抵抗しても無駄だぞ?」

 

 化けの皮が剥がれた酔っぱらいの禿げ頭が言う。いや、それすらも演技で、目の前の男は酔っ払ってもいないただの禿げなのかもしれないが。

 

「ほれ、これが拙者の全財産でござる」

「あ?」「は?」「え?」

 

 三人組は一斉に素っ頓狂な声を上げた。楓は懐から巾着を取り出すと、その中から銅貨を一枚取り出して見せた。

 

「だから、これで良いでござるか?」

「……う、嘘つけ! んじゃ、銅貨一枚足らずでどうやって宿に一泊しようと考えてたんだよ! どの宿でも少なくとも銅貨三枚は必要じゃねえか!?」

「ははは、これは一本取られたでござるな」

 

 楓は頭を掻いて笑うと、改めて巾着を取り出した。

 

「こっちは銀貨でござる」

「ハッ、ちゃんと持ってんじゃねえかよ」

 

 楓はさらに続けて、巾着の中から貨幣を一枚取り出した。

 

「こちらは金貨でござる」

 

 楓の手のひらの上で煌びやかに光る黄金の貨幣。その眩い光沢は正しく金貨特有のものであった。

 

「こんなもんで足りますかな?」

「…………」

 

 三人組は言葉を失った。まさかここまでの大金持ちだとは思わなかったのだろう。

 

 この世界の貨幣の価値について説明すると、さきほど禿げ頭が言った通り、銅貨三枚で安価の宿に一泊できるほど。そして、金貨一枚=銀貨百枚=銅貨一万枚となる。

 つまり金貨一枚もあれば、そこら辺の宿に三千泊以上もできてしまうのである。

 

「貴方たち、そこで何をしているのです!」

 

 じめじめとした雰囲気の路地裏に、凛とした女性の声が響いた。その場に居た全員がそちらへと視線を向ける。

 

 そこに立っていたのは一人の少女。腰の高さまで伸びた綺麗なブロンドヘアーと、澄んだ青い瞳が特徴の、誰が見ても美しいと言えるような可憐な容姿をしていた。

 

「その旅人から離れなさい」

「チッ、面倒なことになったな」

 

 毅然とした態度で金髪の少女は言い放つと、さらに一歩前に出た。堅気には見えない三人組を前に全く臆していない。

 

「おいおい嬢ちゃん、何を勘違いしてるんだ? 俺らは右も左もわからない旅人に町案内をしてただけだぜ?」

「そうそう、俺らは善意でやってるだけさ」

「そうだそうだ!」

 

 口々に三人は弁明するが、どうにも胡散臭い。

 

「……とてもそうは見えなかったけど?」

「はぁ……。なら、道案内は嬢ちゃんに任せたぜ? お前ら! さっさと行くぞ!」

「えっ、あの金貨はいいんですかい?」

「馬鹿! いいから行くぞ!」

 

 あっさりと引き下がる判断を下した禿げ頭に、他の二人はしばらく呆気に取られていたが、やがて禿げの一喝によってその場から去っていった。

 

「ふう……。怪我はないかしら?」

「かたじけない。助かったでござるよ」

 

 楓は助けてくれた少女の方を見ると、深々と頭を下げて礼を述べた。

 楓よりも少し背が低いくらい。年の頃は十六、十七といったところか。身に着けているのは薄手のシャツとズボン。旅装というよりは、どこかの令嬢が散策に出かけているように見える。

 

「いえ、当然のことをしたまでよ」

 

 金髪の美少女は優雅な仕草で髪をかき上げた。その所作一つ一つが美しく、まるで絵画から飛び出してきたようだ、と楓は思った。

 

「拙者は秋風楓と申す。東の方から流れ歩いてきた風来坊でござる。改めて、礼を言わせてもらうでござるよ」

「東の方から、ね。ああ、私はエリン、冒険者エリンよ。よろしく」

「エリン殿でござるか。こちらこそ、よろしくお願いするでござる」

 

 エリンが差し出した手を、楓が握り返す。二人の自己紹介が終わると、早速話題は先程の男たちへと移っていった。

 

「それにしても災難だったわね。ガストハオスに来て、いきなりあんな輩に絡まれるなんて」

「拙者も迂闊でござった。この町に来たばかりでござるし、もっと警戒しておくべきでござったな」

 

 楓は反省するように腕を組んだ。そんな様子を見て、エリンは小さく微笑む。

 

「ところでエリン殿――何故、拙者の後をつけていたのでござるか?」

「えっ!?」

 

 楓の言葉に、それまで笑顔だったエリンの顔が一瞬にして強張る。

 

「き、気づいていたの? 魔道で足音も消したのに……」

「足音のない気配の方が怪しいでござるよ」

 

 楓は苦笑する。

 

「……流石はかのサムライ」

 

 エリンは小さく呟くと、観念したように事情を話した。

 

「別に、貴方が危なっかしそうだったから尾行していただけよ。近頃はああいう輩が多いから」

 

 ため息交じりにエリーゼは言う。聞くところによると、ここ最近ガストハオス……というよりも、この領地の治安は全体的に悪くなっているらしい。

 

 元々、この領地では奴隷売買が盛んだったが、今の領主になってからは表向きは禁止されている。だが、それでも闇で取引されているという噂は絶えない。人攫いもまた然り。

 幸い、先程の三人組は人攫いではなかったようだが。

 

「さて、気を取り直して、今度こそ私が信用できる宿に紹介してあげるわ」

「かたじけないでござる」

 

 二人は並んで歩き始める。しばらくして、ようやく町の喧騒が見え始めた。活気ある町並みは見ているだけで心躍らせるものがある。

 楓はふと空を仰ぎ見る。日が傾きかけていた。もうすぐ夜になるだろう。

 

「ここよ」

 

 エリンは一軒の宿屋の前で立ち止まると、誇らしげに言った。

 

「おお、立派な宿でござるな」

「そうでしょう?」

 

 楓は素直に感嘆の声を上げる。

 そこは大通りに面した大きな建物だった。木造建築で、二階建ての造りになっている。入り口の扉の上には看板が掲げられており、そこには宿の名前らしき文字が書かれている。

 

「ここは私の行きつけの宿だから、安心して利用していいわ」

「かたじけない」

「それじゃあ中に入りましょう」

 

 エリンが木製のドアを押し開けると、カランコロンと鈴の音が鳴り響く。同時にカウンターの奥にいたダンディな髭を生やした男性が顔を上げた。

 

「おかえりなさいませ、お嬢様」

「ただいま、マスター。今日も来たわよ」

「おや、そちらの方は?」

 

 店主が楓に視線を向ける。楓は軽く会釈を返した。

 

「お初にお目にかかる。拙者、旅の者で秋風楓と申す。エリン殿の紹介で参ったのだが、部屋を一つ借りれるだろうか」

「ええ、勿論ですとも。直ぐにご用意いたします」

 

 店主はすぐに鍵を持ってくると言い残し、奥へと引っ込んでいった。その後ろ姿を見送ってから、楓は改めて店内を見渡す。

 内装は外観と同じく木を基調としたもので統一されており、落ち着いた雰囲気が漂っていた。壁際には棚が設置されており、様々な種類の酒瓶が並べられていた。

 

 ぐぅううううーー。その時、腹の虫が宿の中に響いた。楓は思わず腹部を押さえる。

 

「あら? 今のはカエデの?」

「たはは……恥ずかしながら」

 

 楓が頬を掻いて答える。すると、エリンは何か思いついたのか口を開いた。

 

「なら、お勧めの食事処も紹介するけど?」

「かたじけない。是非お願いしたいでござる」

「決まりね。こっちよ」

 

 エリンは楓を連れて、宿を出た。

 

  二人がやってきた場所は町の中心部に位置する市場通り。そこでは野菜や果物、肉などの食材はもちろんのこと、衣服や装飾品など様々なものが売られていて賑やかな雰囲気に包まれていた。

 

「そういえば、この町にはいつまで滞在するつもりなの?」

「明確には決めてござらん。それでも、すぐに発つつもりはないでござるよ」

「そう、貴方が満足するまでいるといいわ」

「そうさせてもらうでござる」

 

 二人はそんな会話を交わしつつ、目的地に向かって歩いていく。市場を抜け、脇道に入ると、やがてその店は見えてきた。

 

「着いたわ」

 

 エリンが立ち止まり、店の方を指さす。楓はそちらに視線を向けた。

 

「これは、お店なのでござるか?」

「ええ、その通りよ」

 

 楓の目の前に建っているのは、一見して普通の民家にしか見えない。しかし、よく見ると窓にはガラスが嵌め込まれており、その下には小さな看板が吊り下げられている。

 

「なんと申すか……落ち着いた雰囲気の店でござるな」

「そうでしょう? ここは喫茶店なんだけど、けっこう美味しい料理を出してくれるのよ」

 

 エリンが自慢げに語る。ここも行きつけの店の一つなのだろう。

 

「さて、入りましょうか」

「そうでござるな」

 

 エリンに続いて楓は店内に入る。

 室内は薄暗く、ランプのような照明器具が天井から吊るされていた。床は板張りになっており、テーブル席が四つほど、カウンター席もあるようだ。

 

「らっしゃい!」

 

 カウンターの向こう側から声を掛けられた。

 そこに立っていたのは、肉付きのいい男性。年齢は四十代半ばといったところか。白いコック風の服に身を包んでいて、喫茶店のマスターというよりかは、飲食店の厨房の方が似合っている。

 

「こんにちは、ダンさん」

「おお、エリンちゃんか。っと、そっちは見ない顔だな?」

「こっちは旅人のカエデ。今日は私がここを紹介したの」

「よろしくでござる」

 

 楓は礼儀正しく頭を下げる。それを見たマスターは、ほう、と感心したような息を漏らした。

 

「おう、俺はこの店のオーナーのダンってんだ。よしっ、今日は腕によりをかけて作ってやっからな!」

「感謝いたす」

 

 楓はもう一度頭を下げてから、空いているテーブル席に腰掛けた。エリンも向かい合う形で席につく。

 

「それで、何にするよ?」

「私はいつものにするわ」

「ん、それじゃあ拙者もそれを頼むでござる」

「あいよっ」

 

 ダンは元気に返事をして、調理に取り掛かった。

 

「ねえ、カエデ。貴方のその腰に差してる剣って」

 

 エリンが興味深そうな視線を楓の刀に向ける。楓は小さく笑って答えた。

 

「これは、刀。拙者の祖国に伝わる刀剣でござるよ」

「……やっぱり」

 

 エリンは小さく呟く。それから、徐に席を立ち上がった。

 

「ごめんなさい。少し、お手洗いに」

「分かったでござる」

 

 

  ◇

 

 

 エリンは――本名をエリーゼ・ローゼンハイムと云う少女はトイレの個室に駆け込むと、急いで鍵をかけた。

 

 エリーゼは便座に腰掛けて、深い深いため息をつく。いや、それはため息というよりも深呼吸。自分自身を落ち着かせるためのものだった。

 

「まさか、こんなところで会うなんて……」

 

 彼女は今にも心臓が口から飛び出してしまいそうになるくらい緊張していた。膝を抱えて、先程の旅人――秋風楓のことを思い出す。

 彼女には、誰にも言えない秘密があった。

 

「あ、あれは間違いなく本物のサムライっ! ど、どどどうしましょうっ!?」

 

 それは、エリーゼが熱狂的な日本かぶれ――いや、『大和』かぶれであるということ。

 

 悲劇は彼女の幼少期、エリーゼがとある本と出会ってしまったことから始まる。その本には最東にある島国、『大和』について記されていた。『大和』の民たちは独自の文化を発展させており、中でも有名なのが忍と侍であった。

 幼いエリーゼは『大和』の国に強く惹かれた。いや、今でもその感情は薄れない。

 なんせ忍に憧れるあまり、彼女は服の下に常にオーダーメイドの忍び装束をまとっているくらいだ。加えて、護身用に携帯している武器は鎖鎌である。

 

 そんな彼女が侍と出会えば、一体どんな反応を示すのか。

 

「はぁ……」

 

 再び、エリーゼは深く息を吐き出した。

 

「大丈夫かしら、私」

 

 彼女は平静を装うのも精一杯だった。

 

 

  ◇

 

 

 その噂の侍はテーブルに突っ伏していた。楓は顔を赤くして小刻みに震えている。

 彼には、誰にも言えない秘密があった。

 

(やばい! ござるござるって言うの、もう恥ずかしいんだけど!?)

 

 秋風楓はいわゆる転生者である。

 しかし、転生特典らしきモノはなく、代わりにその身は重い呪いに蝕まれていた。その名も『ござる口調の呪い』。そう、彼は生まれつき、ござる口調でしか喋ることができなかったのである。

 

 「おぎゃーでござる、おぎゃーでござる」とこの世界に産声を上げた彼は両親に大変気味悪がられ、三歳の時に山に捨てられた。よくもまあ、三年も保ってくれたよね。

 

 楓はへこたれなかった。それどころか、ござる口調なのに剣術がからっきしだったら可笑しいと思い、山に籠もってひたすら修行に明け暮れた。

 

 そうしてめちゃくちゃ山籠りして、かれこれ二十年。『技』を身につけた楓はついに山を降り――現在、羞恥心で悶えていた。

 

(はぁ……早くこの呪い解きたい)

 

 楓は大きなため息を吐く。彼の旅の目的は、ござる口調を卒業することであった。




 年末でめちゃくちゃ忙しいので、更新はクソ遅くなると思います。ごめんなさい。


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昼下がりの宿屋にて、転落事故発生

 戦火はジョンの村にまで広がった。返り血を浴びたジョンは俺にこう言ったんだ。戦いがあたたかい、ってね!

 ここから本編です。


 昼間の三人組――酔っ払いの禿げ、豚足のトカゲ目、デカいスキンヘッドは路地裏でやけ酒を浴びていた。禿げもスキンヘッドも同じじゃね? とかいう野暮なツッコミはなしでお願いします。

 

「親分、なんであんなにあっさりと退いたでヤンスか! アイツは金貨を持ってたんでヤンスよ!?」

 

 トカゲ目の男――ゲレオンは納得いかないと、禿げのガインに詰め寄る。その様子をスキンヘッドは壁に寄りかかりながら不安げに見つめていた。

 

「まさか親分、あの金髪の女にビビっちまったでヤンスか?」

 

 挑発的な態度をとるゲレオン。それに対して、ガインは眉間にシワを寄せて睨み返す。

 

「ああ、その通りさ。俺はビビっちまった……。だがそれは、あの女にじゃねえ。男の方にだよ」

「あぁ? あの変な喋り方のガキでヤンスか?」

 

 ゲレオンは首を傾げる。何故、その名前が出てくるのか。だいたいあの旅人を狙うと決めたのはガインであるから、余計に意味が分からなかった。

 

「俺も最初はただの世間知らずだと思っていた。だから近づいたんだ。けどよ、あの金貨を見た時にビビッときたんだよ」

「どういうことでヤンスか?」

 

 ゲレオンはますます分からないというように首を振る。それに構わず、ガインは続けた。

 

「これは酒場で偶々耳に入った噂なんだがよ、隣町で開かれた武闘大会は知っているか?」

「も、勿論でヤンス」

 

 突然の質問にゲレオンは戸惑いながら頷く。

 

 隣町――シュラハトの武闘大会は、この領地の恒例行事のようなものだ。年に一度開催される大会で、賞金も金貨三枚と高額なため、腕に覚えがある者が挙って参加する。

 

 かと言って、この三人組とは縁遠いものであるのは間違いなく、ゲレオンは何故ガインがその話を持ち出したのか理解できなかった。

 

「それがどうしたんでヤンスか? どうせ今年も、騎士団の連中が優勝したんでヤンスよね?」

 

 ゲレオンは鼻で笑う。

 

 この男は騎士団が嫌いだった。彼らの武は確かに優れているかもしれないが、あのふんぞり返った態度がいけ好かない。誰かあの高慢な鼻をへし折ってくれと常に考えているような男であった。

 

「違うんだ。今回の武闘大会、優勝したのは飛び入り参加の剣士だったらしい」

 

 と言っても、優勝候補の騎士団長さまは領主の娘が家出したとかなんとかで不参加だったが、と後にガインは付け足す。

 

「……つまり、あのガキがその剣士じゃないかって言いたいんでヤンスか?」

「ああ。実際に金貨をこの目で見るまでは俺だってそんなこと思わなかったさ。けどよ、その剣士もちょうど黒髪黒目だったって噂だし、もう怖くなっちまってよ」

 

 最初、ゲレオンはガインが出任せで自分を怖がらせようとしているのではないかと疑った。しかし、彼の青褪めた顔を見て、冗談は言っていないようだと認める。

 

「た、偶々でヤンスよ。あんな優男が、まさか……」

「そ、そうだよな! 金貨なんか俺も初めて見たもんだから、ちっと動揺してたのかもしんねぇ」

 

 二人は顔を見合わせて、ぎこちなく何度も相槌を打つ。すっかり酔いは醒めてしまっていた。

 

「あっ」

 

 その時、ずっと壁に寄りかかって無言を貫いていたクールなスキンヘッドが初めて声を上げた。

 

 彼は普段から寡黙な人物で、滅多に喋ることはない。なんせガインとゲレオンでも、彼の名前すら知らないほどだった。

 そんな彼が珍しく声を上げた。一体何事かと思えば、スキンヘッドは道の曲がり角に何やら熱い視線を注いでいる。二人の視線も、自然とそちらに向けられる。

 

 そこには一人の少年が月明かりの下に佇んでいた。その瞬間、三人は息を呑む。まるで心臓を鷲掴みにされたかのような感覚に襲われたのだ。

 

「やあ、さっきぶりでござるな」

 

 少年は軽薄な笑みを浮かべて、気さくに手を振ってきた。三人組は身体が強張って、その場から動くことができない。

 ゆっくりと少年は歩み寄ってくる。

 

「お、お前は……!?」

「先程渡しそびれたんで、探したでござるよ」

 

 そう言って、少年が懐に手を入れる。

 

 ――殺される、三人組の脳裏には最悪がよぎる。懐から何を取り出すつもりなのかは知らないが、この剣士はきっと俺たちに報復に来たのだと。

 

「ほれ」

 

 少年が何か投げた。それは放物線を描いて、ガインの足元に落ちる。

 

「……なんだ、コレ」

 

 ガインが恐る恐る手を伸ばして拾い上げると、それは金色のコイン――金貨であった。

 

「金がいるのでござろう?」

「……は?」

 

 呆気にとられるガイン。いや、ガインだけではない。ゲレオンもスキンヘッドも、この旅人が何がしたいのか理解できなかった。

 

「では、拙者はこれにて失礼するでござる」

「ま、待ってくれ!」

 

 この場を去ろうとする少年の背中を、ガインは咄嗟に引き止める。

 

「どうしてこんなことを? 兄ちゃんに一文の得もあるとは思えねえ」

「拙者は旅の者。そのような大金を持っていても仕方がないでござるよ。……ああ、そうだ。これを機にあんな真似はやめるのでござるよ?」

 

 楓は目を細くして、優しく微笑む。それは根っからの善人が見せる表情だった。

 

 ……しかし、悲しいことに、彼ら三人組は善人にはなれなかった。

 

「チッ、同情しやがって……」

 

 ガインが吐き捨てる。彼は同情が何よりも嫌いであった。あの憐れみの眼差しほど自分を惨めに感じさせるものはない。

 

 昔からガインは頭がよく切れる男だった。洞察力に特別長けていて、だからこそ強請り三人組のリーダー的ポジションに収まっている。

 

「金貨一枚……確かに大金だがよ、俺たちは三人組だからなあ。一ヶ月足らずで使っちまうかも知れん。そうすると、強請りから足を洗うのは難しいかもなあ」

「えっ!?」

 

 ガインのあまりの厚かましさに、仲間であるはずのゲレオンまでも驚いた。金貨一枚も貰っておきながら、ガインは更にこの旅人から金品を巻き上げるつもりなのだ。

 これには子分のゲレオンも絶句してしまう。

 

「兄ちゃんよぉ……わりぃんだが、もうちょっとばかし恵んではくれねえか? そうすりゃ、こんなことキッパリと辞めれるんだが」

 

 勿論、何も考えなしにこのような身の程知らずな発言をガインはしたわけではない。

 

 まずガインは、この旅人が金貨の価値を正しく理解していないことを見抜いた。彼が並外れた実力を持つ剣士だったことは想定外だったが、町に慣れないお上りさんという事実は変わらない。この男は市場に詳しくないから、こうも簡単に金貨を譲ろうとしたのだろう。

 そして、彼が本当に大会の優勝者であると仮定すると、その賞金が金貨三枚であるからして、まだまだ金をせびれるとガインは判断したのだ。

 

「すまんが、それは無理でござるな」

「そこをなんとか! こんなあくどい真似は二度としないって誓うからよぉ!」

「むぅ……そうは言われても、拙者はもう金を持っていないでござるよ」

 

 困ったように頭を掻く楓。ガインはその言葉を嘘だと思った。もう持ってないよと言って、この場をやり過ごそうとしているに違いない、と。

 実際は本当に彼の手持ちは僅かな路銀と刀のみだったのだけど。

 

 しかし、そんなことをガインが知る由もなく、彼はならばとアプローチの仕方を変える。

 

「その腰に差した剣……相当な業物と見たぜ。なあ、そいつを俺に譲ってはくれねえかなぁ? 町の治安をよくするためだと思ってよ!」

 

 常人ならば、このような不躾な頼みはまともに取り合わないだろう。だが楓は常軌を逸したお人好しであった。「むむむ……。いや、でも流石に刀は……」と難しい顔をして悩んでいる。

 

 それを目にしたガインは、勝ちを確信した笑みを浮かべた。彼の異名は『口八丁』。刀は既に貰ったようなものだった。

 

 

 ◇

 

 

「随分と、腰の辺りが軽くなったでござるな」

 

 宿へ戻る最中、楓は夜道を歩きながら独りごちた。あの後、ガインが地団駄を踏んで、「欲しい欲しい、その剣欲しい〜〜っ!」と駄々をこねたために根負けした楓は刀を譲ってしまったのだ。

 まさかあの男がそこまで刀を欲しがるなんて思いも寄らず、楓はしばらく面くらってしまった。

 

「新しい剣を見繕う必要があるでござるな」

 

 とりあえず、明日は武具屋へ行こうと決める。

 

 この世界では武器は消耗品として扱われる。どんな名工が鍛え上げた最高級の刃でも、魔物の爪牙の前には耐えられないからだ。

 故に武具屋は前世の自動販売機のように何処にでもあり、並みの剣なら安価で手に入る。そういうわけで、武器に関して楓はあまり心配していなかった。

 

 そんなことを考えていると、楓は宿屋の前まで来ていた。

 

「ただいま戻ったでござるよー」

「おかえりなさいませ」

 

 扉を開けるなり、ダンディなおっさんが出迎えてくれた。彼はこの宿の主人で、名をセバスというらしい。

 

「お客さまのお部屋は二階になっております」

「かたじけない」

 

 セバスの案内に従い、楓は二階に上がる。木製の階段はギシギシと悲鳴を上げた。

 

「こちらがお客様の部屋になります」

 

 そう言って、セバスがドアを開けた。そこは四畳半ほどの狭い空間だった。ベッドの他に机があり、窓にはカーテンがついている。

 

「それでは、何か御用の際は私をお呼びください」

 

 恭しく一礼をして、セバスは去って行く。その背中を見送ったあと、楓は室内を見回した。

 

「思ったより綺麗でござるな。流石はエリン殿の行きつけの宿」

 

 床板にホコリは見当たらない。恐らく毎日掃除をしているのだろう。隅の方にも埃一つ落ちていない。

 

「……さて、さっさと休むでござるか」

 

 楓は荷物を部屋の片隅に置くと、すぐに横になった。

 

「今日は色々とあったでござるなあ」

 

 瞼を降ろして、今日の出来事を振り返る。二十年もの間山籠りをしていた楓にとって、この町の全てが新鮮に映っていた。

 それ故にかなり疲労していた楓は、すぐに眠りに落ちたのだった。

 

  ・

 

  ・

 

  ・

 

 翌朝、というよりは既に昼下がり。楓は男女の言い争う声で目を覚ました。

 

「んむぅ……痴情のもつれでござるかぁ?」

 

 寝ぼけ眼を擦りながら、身体を起こす。そのまま楓は、朝っぱらから(昼である)往来のど真ん中で口喧嘩をしている不届き者に一言物申してやろうと、窓際に近づいた。

 

 しかし、楓は半分眠っていた。

 

「おろ?」

 

 気づけば楓は宙に放り出されていた。

 風を感じ、どうやら窓から身を乗り出し過ぎたせいらしいと気づいた頃にはもう遅い。重力に従って落下する中、楓は自分の失敗に苦笑いした。

 

 

 ◇

 

 

 これは、楓が寝ぼけて転落事故を起こす少し前のこと。

 

「ふわぁ……昨日はよく眠れなかったわ」

 

 大きな欠伸をしながら、エリーゼは宿屋から出た。陽はもう高い位置にある。

 

 昨晩は興奮してなかなか寝付つことができず、普段早起きなエリーゼにしては珍しく正午まで寝過ごしてしまった。これには宿屋のダンディなおっさんもにっこり。

 熱狂的な大和かぶれの彼女にとって、生サムライは少し刺激が強すぎたようだ。

 

 ともかく、本当は町案内もしたかったのだけど、カエデといては心臓が幾つあっても足りないと思ったエリーゼは、一人町へ繰り出すことにしたのである。

 

「こんなところにおられましたか! 探しましたぞ、エリーゼ様!」

「えっ?」

 

 突然声をかけられ、エリーゼは振り返る。

 

 そこには立派なプレートアーマーに身を包んだ騎士が立っていた。兜を被っているため顔は見えないが、この熊のような大柄な男にエリーゼは見覚えがあった。

 

「き、騎士団長!? そんな、どうしてこの町に……」

 

 その屈強な騎士の名はアルスラン。領主直属の騎士団をまとめあげる男であり、その腕っぷしの強さはこの領地と言わず、王国中に轟いていた。その実力は間違いなく、この国の三本の指に入るだろう。

 そんな彼が何故ここに居るのかと、エリーゼは驚きを隠せない。

 

「私はエリゴール卿の命により、貴女様を迎えに上がったのです」

「……嫌よ、私はあんな家には戻らないわ!」

 

 エリーゼは強い拒絶の言葉を発し、半歩下がる。

 

「我儘なお嬢様のことですから、そう駄々をこねると思っておりましたよ」

 

 アルスランは困ったものだと息を吐いた。

 

 それが合図になったのか。カチャカチャと金属の擦れる音が鳴らしながら、路地から四人の鎧姿の男達が姿を現す。その手には捕縛用の縄が握られていた。

 

「エリゴール卿も心配しておられる。多少荒っぽくとも、我々に付いてきていただきますよ」

 

 有無を言わせぬ口調で、アルスランは言う。その言葉を聞き、エリーゼは奥歯を噛み締めた。

 

 アルスランがエリーゼの手を掴もうとする。聡明な彼女は理解した。四方をアルスランの手下の騎士に囲まれてしまい、逃亡は不可能。抵抗はもはや、無意味であると。

 

 しかし、その手が彼女に届くことはなかった。

 

 空から何かが凄まじい勢いで飛来した。それは一直線にアルスランの元へと向かい、その頭装備を弾き飛ばした。

 人だ、空から降ってきたのは、あろうことか人間だった。アルスランの兜を吹き飛ばした後、その人間はエリーゼのことを守るように、その前方に華麗に着地を決めた。

 

「――怪我はないでござるか?」




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叩き折られたおじいさんの竹箒

 戦いは終わり、故郷を失ったジョンは日本へ旅立った。しばらくしてから、ジョンから便りが届いたんだ。山形で弓引いたら矢曲がったんだけど!ってな!

 ここからが本編です。


(あの、なんか踏んじゃったんだけど……?)

 

 楓は頭上を見上げる。ちょうど真上に位置する宿の一室の窓が開け放たれており、カーテンがひらひらと舞っていた。なるほど、自分は彼処から落ちたらしい。

 

 そして、再び視線を下に降ろす。額に大きな傷跡の走った大男が此方を見据えている。その足元には、一部凹んだ兜が転がっていた。なるほど、自分はこの男を踏んづけてしまったらしい。

 

 楓は一つ、こほんと咳払いをする。

 

「怪我はないでござるか?」

 

 なるべく優しい声色で問いかける。これ以上、目の前の甲冑に身を固めた大男を刺激しないためだ。

 

「は、はひぃ……」

 

 何故かそれにエリンが答えた。なんでや。しかもめちゃくちゃカミカミである。

 

 楓はちらりと後ろにいるエリンを一瞥する。目に涙を溜めて、その体は震えていた。そこで楓は、これが痴情のもつれによる口論ではないことを悟る。

 

「貴様……これは私をローゼン騎士団の長、アルスランと知っての狼藉か」

(いや、知らなかったです)

 

 アルスランは威圧感のある低い声で言う。楓は元日本人の性ですぐに謝りたくなったが、まずは状況の把握に努めた。

 

 素早く視線を巡らせる。周囲にはアルスラン以外の甲冑姿の男が四人、エリンと楓を囲むように立っている。その手には荒縄が握られていた。

 

(えっ、何これ事案?)

「そこに御座すは領主エリゴール卿のご息女、エリーゼ・ローゼンハイム様である! さあ、エリーゼ様を此方に渡してもらおうか」

(全然違ったわ)

 

 ここで初めて楓は事態を理解した。

 

 エリンは偽名で、本名はエリーゼ・ローゼンハイム。元々冒険者というには優雅な立ち振る舞いだと怪しんでいたが、それがよもや領主の娘だったとは流石に楓も思わなかった。

 

 さて、どうやら騎士団長さまはエリーゼを連れ戻しに来たらしい。

 

「……それはできぬでござるな」

「何?」

 

 口を衝いたのは拒絶の言葉。

 

 しかし楓は一瞬、大人しくエリーゼを渡した方が良いのではないかと思った。それは自己保身のためではなく、親元に帰した方が彼女のためではないだろうかと考えたのだ。

 

 だが結果的に彼は拒否した。理由は単純で、楓がこの騎士団長の頭を踏んづけていたからだ。今更エリーゼを渡したところで、きっと土下座しても許されることはないだろうから。

 エリーゼの震える体や目に溜まった涙も、理由になかったわけでもない。

 

「嫌がる彼女を渡すわけにはいかぬでござるよ」

「カエデ……」

 

 アルスランは眉間にシワを寄せ、楓を睨め付ける。

 

「私は誉れあるローゼン騎士団団長。此処で不躾な旅人一人斬り捨てようが、誰も咎めることはあるまい」

「ほう」

「その上でもう一度問おう」

 

 アルスランは楓に歩み寄り、その太い腕を差し出した。

 

「エリーゼ様を此方へ寄越せ」

「断るでござる」

 

 楓は即答する。すると、アルスランの部下達は一斉に武器を抜き放った。

 

「待て、お前たちは手を出すな」

 

 しかし、アルスランはそれを手で制した。

 

「お前たちでは歯が立たん。私が相手しよう」

「随分と身に余る評価でござるな」

「抜かせ、相手の実力も計れずして騎士団長が務まるものか」

 

 言いながら、アルスランが宙に手を翳す。すると、そこに光を伴った幾何学模様が浮かび上がり、彼は無骨な大剣を引きずり出した。

 

 楓の眉がピクリと動く。

 それは俗に収納魔法と呼ばれる、ごく一般的な魔道の一つ。その引き出しの容量は術者の才に寄り、両手剣を入れられる程となれば、かなり珍しい部類になる。

 

「貴様は武器を取らんのか?」

「はっ! カエデ、腰に差していた刀はどうしたの!?」

 

 アルスランの言葉で、エリーゼは楓が佩刀していないことに気がつく。彼女は慌てて楓に問いかけるが、楓は言いづらそうに目を逸らした。

 

「あー……何処かに置いてきたようでござる」

「そ、そんな……」

 

 まさか素直に昨日の三人組に譲りましたと話すわけにもいくまい。楓は頬を掻きながら、嘘をついた。

 それを聞いたエリーゼは青ざめ、その顔を絶望に染める。楓は心の中で彼女に謝罪した。

 

(ま、拙いわ……! アルスランはシュラハトの武闘大会を三連覇した猛者。いくら楓がサムライでも、丸腰で勝ち目はないわ)

 

 しかし、幾ら焦ったところで彼女にはどうすることもできない。戦いはもう、始まろうとしているのだから。

 

「無手だろうが情けはかけんぞ?」

「望むところでござる」

 

 楓は綽々とした態度で答えるが、その内心は穏やかではなかった。

 

(やっべ〜、武器ないのすっかり忘れてた)

 

 ヤバい、ヤバイヤー、ヤバエスト。ヤバいの三段活用を脳裏に思い浮かべてしまうほど、楓は窮地に立たされていた。最早逆に笑いがこみ上げてくる。全く勉強しないで来たテスト前のような心持ちであった。

 

「行くぞ、旅人よ!」

 

 アルスランが吠えたと同時に、地面を踏み砕く。その巨躯からは想像もつかない速度で間合いを詰めてきた。

 

(うおっ、速ッ……!?)

 

 咄嵯に楓は身を捻って回避しようとするが、アルスランの一撃は風圧だけで楓を吹き飛ばした。

 辛うじて受け身を取ったものの、その衝撃で地面に亀裂が入る。直に受ければペチャンコになること間違いなしだ。

 

「『身体強化魔法』でござるか。しかし、これ程の速さとは……」

 

 楓は立ち上がり、体勢を立て直す。しかしその眼前には既にアルスランの姿があった。

 

(は、速すぎる。こんなの目が追いつかないわ)

 

 その速度にエリーゼは戦慄する。凄まじい速度で襲いかかってくる鉄の固まり。思わず楓は前世の自動車を想起させる。

 

「フンッ!」

 

 アルスランの剛腕から放たれる大上段からの振り下ろしが迫る。楓は一瞬、『真剣白刃取り』を考えたが、すぐに不可能だと諦めて後ろに飛び退いた。

 

 ズドンと大地を揺るがすような音が響く。楓の立っていた場所の地面が大きく陥没した。もしあの場に留まっていたのなら、間違いなく楓の体は真っ二つになっていただろう。

 

 楓は近くに視線を走らせる。何か、使えるものがないだろうか。そこで楓の目に留まったのは、箒で道を掃くおじいさんだった。

 

 楓は足に力を込めて走り出す。アルスランがすかさず楓を追いかけて、その背に向かって大剣を振り下ろす。

 だが、その攻撃は空を切った。楓は横飛びで攻撃をかわすと、そのまま全力疾走でおじいさんの元まで駆け抜けた。

 

「すまぬがご老人、その箒を借りても良いだろうか?」

「わし? ああ、別に構わんが……」

「感謝いたす」

 

 楓はおじいさんから古ぼけた竹箒を預かると、それを正眼に構えた。アルスランはそれを見て鼻で笑う。

 

「高が棒切れで、私の剣を受け止められるものかッ!」

 

 アルスランは再び楓に肉薄する。そして、先よりも更に速い動作で大剣を振り下ろす。対する楓はその太刀筋を見極め、竹箒を振りかざす。

 

「受け止めはせぬ。ただ往なすのみ」

「ぬッ!?」

 

 楓は迫りくる両手剣の腹を箒で思い切りぶん殴り、その軌道を僅かに逸らせる。次の瞬間、アルスランの剣は楓の真横の地面に沈み、おじいさんはほげぇっ! と驚愕の声を漏らした。

 

 しかし、形勢逆転とはいかない。すぐさまアルスランの蹴りが飛んできたため、楓は再び間合いの外側に追い出されたからだ。

 

「驚いた、まさか竹箒で大剣を凌げるとはな」

「お褒めに預かり光栄でござる」

「だが、勝った気でいられては困るな」

 

 その時、楓の視界からアルスランの姿が掻き消えた。

 

「私はまだ『身体強化』を使っていない」

「なっ――」

 

 声は後ろから聞こえた。楓は全身の毛が逆立つ感覚を覚えて、勢いよく振り返る。アルスランは楓の背後を取っていて、大剣を楓に叩きつけようとしていた。

 

 ほとんど脊髄反射の域で、楓はその大剣に竹箒をあてがう。

 

(重ッ!?)

 

 先程とは段違いの重量を帯びた一太刀。

 往なそうと力を込めた竹箒はしなりにしなり、終いにはバキッと真っ二つに逝ってしまった。おじいさんがあっ……と切ない声を漏らす。

 

「これが私の全力だ」

 

 見下ろすようにアルスランは言う。楓は折れてしまった竹箒を手に、苦い顔をして独りごちた。

 

「弘法筆を選ばずとは言うが、流石にこれは無謀でござったか……」

 

 

 ◇

 

 

 これは、楓が寝ぼけて転落事故を起こした少し後のこと。

 

「ちくしょうっ! この剣が銅貨一枚にもならないだと!?」

 

 大通りのど真ん中で、禿げが怒号を上げていた。その隣では豚足のゲレオンがやれやれと肩を竦めている。

 

「あれはどう考えても親分が悪いでヤンスよ」

「なんだと!?」

 

 ゲレオンの言い方にガインは更に腹を立てるが、それも仕方がない。なんせこの一件は、本当にガインが悪いとしか言いようがなかったからだ。

 

 武器屋の店主は始め、刀の美しい波紋に見惚れて高値で買い取ろうとしたのだが、それに気分を良くしたガインは『そうだろうそうだろう!  なんせこの剣は武闘大会の優勝者の持ち物だからな!』などと口走った。

 途端に店主の目は胡散臭い者を見るものに変わり、当然何故そんなものをガインが持っているのか疑った。快く譲ってもらったのだと正直に話しても信じてもらえず、厄介ごとに巻き込まれたくない店主はやっぱり買い取らないと言い出したのだ。

 

 しかも一度ならず、それと同じようなミスを異なる武器屋でもガインがしでかしたので、もう呆れる他ない。

 

「んあ? なんだ、この人だかりは」

 

 前方でに通りを塞ぐように人の壁ができている。彼らは何やら興奮した様子で、ザワザワと騒いでいた。

 

「おい、一体これは何の騒ぎなんだ?」

 

 ガインは野次馬の一人を掴まえて訊ねる。男は興奮冷めやらぬという様子でガインの問いに答えた。

 

「決闘だよ! ローゼン騎士団の団長と異邦人が決闘してるんだ! しかも、あの騎士団長相手にかなり善戦してるっ!」

「ほう?」

 

 興味を引かれた三人組は人垣をかき分けるようにして前へ進む。

 野次馬たちの中央で戦っていたのは、三人組が昨日出会ったばかりの少年だった。その少年は矢継ぎ早に繰り出される騎士団長の剣を紙一重で躱し、目を光らせ隙を伺っている。

 

「あの身のこなし……やはり只者じゃなかったか」

「お、親分……っ!」

「あん? どうした?」

 

 何やらゲレオンが指を差している。その先を辿るようにして、ガインは視線を動かした。

 

「帚でヤンス……! アイツ、竹帚一本で騎士団長と戦っているんでヤンスよっ!」

「な、なにぃ!?」

 

 確かに言われてみれば、その少年の手に握られているのはボロっちい竹箒。ガインは目を見開いて驚き、やがて怒りの感情が湧いてきた。

 

 騎士団長アルスランと云えば、その名を知らぬ者などいない王国屈指の実力者だ。それを帚一本で相手取るなぞ、些か自惚れが過ぎるのではないか。

 

 しかし、そんな考えは直ぐに吹き飛ぶ。楓の後ろでへたり込む、金髪の少女の姿が視界に入ったからだ。

 

「アイツまさか……ッ!」

 

 これは端から決闘ではなかった。

 詳しい事情は分からないが、騎士団に追われる身の少女を助けるために命懸けで戦っているのだ。そして貧弱な竹箒をやむを得ず使っているのは……。

 

「どんだけお人好しなんだよ、あの野郎はッ!」

「お、親分っ!?」

 

 気づけばガインは駆け出していた。ちょうどその時、楓の竹箒がアルスランによって叩き折られる。

 

「受け取れ! 旅人ぉぉぉおッ!」

 

 叫びながら、ガインは楓に向けて何かを思い切り投げつける。それは回転しながら空を切り、まるで持ち主の元へ帰るかのように楓の手の中に収まった。

 

「か、勘違いすんじゃねえぞ! お前のためにやったんじゃねえからな!? 俺はただ……そう、騎士団の連中にムカついてんだよ! その剣で騎士団長の鼻をへし折ってやんなっ!」

 

 刀を受け取った楓は、返事の代わりに柔らかく微笑んだ。その後ろにアルスランの影が迫ってくる。

 

「あっ、おい旅人! 後ろッ!」

 

 ガインが叫ぶが、楓は振り向かない。それどころか、その場でゆっくりと息を吸い込んだ。

 

「フンッ!」

 

 アルスランの剛剣が楓に迫る。楓は一歩もその場を動かないまま、静かに鯉口を切った。

 

 ――鞍馬剣舞 一の太刀

 

 丸太のような大剣が楓に触れるか否か紙一重のところまで近づき、ようやく彼は刀を引き抜く。

 

断風(たちかぜ)ッ!」

 

 その時、一陣の風が吹き抜けた。

 

 ガインは眼前の光景に自分の目を疑い、エリーゼはその流麗な剣技に心を奪われた。

 

(かあっこいい……)

 

 野次馬もすっかり黙りこくっていた。中には二人の勝敗を賭け事にしていた者もおり、何度も何度も目を擦っていた。

 

 なぜなら、彼らが勝利を疑わなかった最強の騎士、アルダインの両手剣が、その半ば辺りから真っ二つにされていたからだ。

 

(いや、ノリノリで我流剣術に名付けちゃったけど、鞍馬剣舞ってなんだよォォ〜〜ッ!)




 たぶん次の更新は一年後くらいです。


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