常に無月な一護さん (一葉 さゑら)
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1. 我らは 月無きが故に それを無月と

001-1

 

 

 一護という男は、優しく、そして強い男だった。

 

 雨にも負けず、風にも負けず、雪の寒さにも夏の暑さにも負けない頑強な肉体を持っていた。

 

 欲も見えず、感情の起伏も少ない。不器用故に笑うことは下手だったが相手を思いやる気持ちは強かった。

 

 東に病人がいれば、駆けつけて助力し、

 

 西に困った人がいれば、自ら声をかけ、

 

 南に死霊がいれば、怖がらなくていいと成仏させ、

 

 北にいじめっ子がいればそいつをぶっ飛ばした。

 

 髪は黒かった。

 

 そして、長髪だった。

 

 

 

001-2

 

 

 

「刀を寄越せ、死神。お前のアイデアに乗る」

 

 一護は、負傷したユズを避難させながら言葉を吐く。

 事態は深刻だった。

 何時ものように、不良をぶっ飛ばし、霊に感謝され家に帰ったら、見かけない黒揚羽を見つけ、死神を名乗る少女に出会った。そうして、整だの虚だのと教わっているうちにあれよあれよと事件に巻き込まれていた。

 ルキアにかけられた縛道を障子よりもたやすく破り、負傷した家族に手当を施す。

 ──そして、現れた虚をみれば、ユズを庇ってルキアが倒れていた。

 家族に怪我、薄っすらと感じる散っていた整の痕跡、満身創痍のルキア。怒り、遣る瀬無さ、ありがたさ。黒崎一護という男は、そういった様々な感情の奔流に溺れる男ではなかったが、しかし。それでも不思議と虚に対して沸々と許せないという思いを抱いた。

 だから、提案に乗った。ルキアの斬魄刀に刺され、死神となり、虚を討ち、責任を取るために。

 

「……『死神』ではない。『朽木ルキア』だ」

 

 そんな様子に対して、ルキアは安堵からか諦観からか、少し笑みをこぼした。

 

「そうか……。俺は黒崎一護だ。お互い最後の挨拶にならないようにしようぜ……」

「……うむ」

 

 そうして、それ以上の言葉は必要なかった。

 彼女は斬魄刀を静かに突き出し、一護はそれを静かに受け入れた。

 痺れを切らした虚が弱ったルキアを狙った瞬間、光が街路に溢れた。

 ……そして、その次の瞬間。

 虚は、霊圧のレの字も残さず消し飛んだ。

 

「……は?」

 

 ルキアは、目を見開いた。

 

(莫迦な……。私の霊力が全て吸い取られた……! 否! それよりも。なんだ、あやつの状態は!)

 

 ルキアは傷口を押さえながらも死神になった一護から目を離さない。離せない。

 

(斬魄刀が支給されたものより細いなら分かる。太くても理解できる。……しかし、何なのだ、あの姿は! なぜ、斬魄刀がないのだ! ……もしや、既に始解に至ったというのか!!)

 

 それだけはないと思いたかった。

 そもそも、始解とは、斬魄刀と己との対話の中から自己言及を重ねた末に、心身共に揃った瞬間に得られる代物である。何日も、何年も、何十年も、何百年も対話と修練を重ねなければ至れるはずがない境地である。

 それを力を得た瞬間に、その場に置いて始解するなんて言うのは、生まれた瞬間に仏陀が悟るようなものである。

 ぶっちゃけあり得ない。

 

(それに、なぜだ……。あやつから、一切の霊力を感じない)

 

 始解ともなれば、通常時の何倍もの霊圧を生じるはず。それが一護の場合、むしろ減っているようにルキアは感じ取っていた。

 

「……おい、ルキア。虚とか言うのはどこに行ったんだ?」

 

 口元まで包帯が周り、余計表情の読めなくなった天然男が尋ねる。

 

「……う、うむ。とりあえず去ったようだな」

 

 勿論、霊圧によって虚が消し飛んだことなどルキアに分かるはずもなく、彼女はそう言葉を濁した。

 

「……そうか」

 

 一護は行き場のない感情からか、珍しく空に向かって思いっきり腕を振った──空座町の空が割れた。

 瞬間的に大気が消し飛び、雲やチリ、光子すらもかき消され、色の無い空間が出現した。

 その空振りは、一護の通常攻撃──いわゆる『無月』──だった。それ故に、一連の現象は音も無く引き起こされ幕を引いた。

 幸いというべきか、それ故に人々は何か影が通ったような、位にしか思わなかったという。

 

 




頭無月で書きました。


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2. 人が希望を持ち得るのは 月が目に見えぬものであるからだ

 002-1

 

 

 空座町が黒に染まった、その次の日。

 朽木ルキアと黒崎一護は弓沢公園にて対峙していた。

 ルキアは物珍しそうにブランコに座り、一護は傍の柱に寄りかかっていた。

 

「……というわけで、今の私は尸魂界に帰ることができぬ。故に暫くはこの街に身を潜めることにしたのだ」

 

 と、まあ初めは、急に転入してきたルキアに対する諸々の追求がその目的だったが、やがて、二人の話題は昨日のことへとシフトしていく。

 

「なあ、ルキア。死神の力ってのは、何なんだ。霊力とは何が違うんだ?」

「そうだな……分かりやすく言うならば、自転車と自動車だな。動力が違うのだ。普通の人間は自己存在を確立するのに必要十分な量の霊力しか蓄えない。それは、魂魄に付随する極僅かな量だ。お主のように勘のいい輩だったとしても、本来であれば、その量は精々死神の絞りカスである現在のわたしと同程度以下になる」

「……勘のいい、か」

「わかりやすく、霊感の良い、と言い直してもよいのだが、まあ、それに対して死神はその魂魄に動力を内包しているのだ。それを霊圧を燃料に動作する機関、鎖結という」

「なら、今のルキアはその鎖結が故障しているってことか?」

「たわけ、故障などしておらぬ。そも鎖結は決して治るものではない。私のはただ消耗しているだけだ」

「そっか……良かった」

 

 ふう、と息を吐く一護。長髪黒髪のせいか、落ち着いた目つきのせいか、動作の一つ一つに憂いがあった。対して、ルキアは苦虫を噛み潰したようような表情で「そうでもないこともある」という。

 譲渡された死神の力が少しであれば問題なかった。半分でも問題はあっても隠し通せた可能性があった。

 しかし、現実は小説よりも漫画よりも奇妙な物で。ルキアはすべての力を彼に渡してしまっていた。

 ブランコを揺らし、ルキアは続ける。

 

「おそらく、尸魂界の死神からしたら観測できたはずの私の魂魄を見失っているはずだ。つまり、今の私は死人として扱われているはずだ」

「なるほどな……一度死んだ人間が生き返ることはないように、死神も一度死ねば終わりってワケだ。もし鎖結が回復しても帰るに帰れない──もしかしなくても、ヤバイよな、それ」

「うむ、ヤバい。危機的状況だ。しかし、心配するな、一護。利口なルキアさんはそのあたりの目処はつけておる、とりあえずの所は問題ない。問題なのは私の将来ではなく、お前のこれからのことだ」

 

 そして、ルキアは少し口を噤んで、開いた。

 

「貴様には、私の力が戻るまでの間、死神の仕事を手伝って貰いたいのだ」

「ああ、いいぜ」

「……即答、か」

「まあ、お前には家族を助けて貰ってるしな。それより、俺の中にあるこの力はお前のものなんだろう? だったらあのときと同じように返すことできないのか?」

「それは──」

 

 無理だ、と言いかけた所でルキアのポケットからけたたましい音が響いた。

 

「虚だ! 一護、この辺で霊を見たことはあるか!」

「それなら、まさにこの公園で見たことがあるぜ」

「──あそこだ!」

 

 ルキアが指す先を見れば、5歳くらいの子供が化け物に襲われる姿があった。化け物の顔には──仮面。

 

「おい、ルキア。どうすればいい?」

「じっとしておけ」

 

 直後、一護は後頭部に衝撃を受けた。

 ルキアが持つ肉体から魂を引きずり出すグローブで掌底を食らわしたからだった。

 ヌルリと、一護の魂と肉体が分離する。

 現れたのは、昨日と同じあの姿。

 

(やはり、霊圧がない。しかし、なんだ、このざわめきは。私の中のナニカが、虫の知らせのように何かを訴えている)

 

 魂の感触はあった、しかし、魂の構成要素がまるで感知できない。ルキアにしてみればそれは、まさに霊を触るかのような、形のない物を触っている気分だった。

 そして、虚はまたしても一護の莫大な霊圧にあてられて、塵となった。

 

「……またかよ。なんなんだ、一体」

 

 一護は殴られ損だな、とションボリした。

 

 

 002-2

 

 

 一方、尸魂界。

 その中の瀞霊廷。

 その中の技術開発局は、てんやわんやだった。

 

「これはヤバいですよ、マジでヤバいです。洒落にならないヤバさです!」

「その、使われない脳髄が溶け出したかのような語彙は何かネ? 私に新しい脳みそを寄越せと言っているのかネ? 状況を、平易でなくてもよいが明快かつ端的にいいたまえヨ」

「だから、ヤバいんですよ! 現世が軋みを上げるレベルの霊圧が感知されてます!」

 

 技術開発局局長、涅マユリの苛ついた表情にもかまわず、技術開発局副局長兼通信技術研究科霊波計測研究所研究科長の阿近は悲鳴にも近い声を上げた。

 初めは彼も機械の故障を疑った。それはそうである。霊力の集まりやすい尸魂界や虚圏、地獄ならまだしも、現実世界において霊波の観測なんて早々ヒットしないからである。それがどうしてこうなっただろうか、いくら機械を変えてデータのチェックを重ねようが、結果が変わらないのである。

 言うまでもなく、その霊波の正体は黒崎一護のものだった。1つ次元の違う霊圧はその次元以下の者には感知できないが、阿近の手元の機械はしっかりと観測の仕事を果たしていた。霊波の強さを示す目盛りは限界一杯まで振り切れ、観測地点を示すサーモグラフも最大値を示す箇所が多すぎて何が何だか分からない感じになってしまっていたが、しかし、それでも()()()()()()()という役目だけはしっかりと果たしていた。

 阿近は、疲労困憊の表情で言う。

 

「見て下さい、この数値を。並の隊長の卍解時どころか、総隊長のだって……」

「滅多なことは言わないことだネ。私は人の発言の責任を負う趣味はない。しかしだネ、その観測したという日付に見覚えはあるヨ。……確か、そう──朽木ルキアの死亡推定日時に近いナ」

「いえ、しかし、彼女は副隊長ですらありませんよ」

「だがネ、観測地点も中々近いところがあるヨ。……まるで、慌ててその霊波から逃れようとしたかのような」

「では、朽木ルキアはこの霊波源に殺害された、と?」

「……あるいは、アア……」

 

 そこで言葉を留めると、涅マユリはニタリと笑みを浮かべて耳を回し、その中身を引き出した。臓器に付随して粘液が滴り落ちる。一部は跳ね、阿近の頬へ伝う。

 ギコ、ギコ。ギコ。

 右に回し、左に回し。マユリは笑みの表情のまま耳を弄ぶ。

 

「……阿近。このことは上に報告しなくてもいい。が、しかしだネ。もしも今後その地点の付近に新しい種類の霊波が現れたら、真っ先に知らせるんだ、いいネ?」

「分かりました、涅隊長」

「ヨシ。──それでは私は少しばかり用事ができたから外に出る。……くれぐれも、見逃してくれるなヨ」

 

 隊長羽織を翻すとマユリは横に控えたネムを従えて部屋から出ていった。

 カシャリ。自動ドアがしまった5秒後、阿近は脱力し「嫌な予感しかしねえなぁ」と呟き、頬についた粘液を拭った。





感想、評価ありがとうございます。


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3. もし わたしが月だったなら それが永遠に交わるのことの無い 空と大地を繋ぎ留めるように 誰かの心を繋ぎ留めることができたのだろうか

003-1

 

 

 井上織姫は、かつて、虐めを受けていた。

 

 かつて、といっても、そんな記憶は決して薄れる物ではないし、そもそも、それほど昔でもない。ほんの数年前のことである。虐めた者は、彼女の髪の毛の色が生意気だと言った。その言葉は、言霊となり感情となり、やがて切断という現象を呼び起こした。つまり、鋏で乱雑に髪の毛を切り刻むという凶行まで進むことになった。

 

 その髪の毛は、兄が暖かい色で綺麗だと褒めてくれた、大切な物だったのに。

 

 しかし、虐めのきっかけなんて物は得てして、もっともっと、最も低俗で。虐めの原因が髪の毛だなんていうのは、虐めた者が自己の醜悪を認められないが故の言い訳でしかなかった。実際は、織姫の身体が膨らみを帯び、その容貌に艶が生まれ始め、周囲の目を集め始めたこと。

 

 いわゆる妬み僻み嫉みの感情。それが自分の中で処理できなくなってしまったことの顛末だった。自業自得を他人に押し付けてしまってはしょうもない。そんなのは大人の理論だと、井上織姫はただただ被害者だった。

 そんな織姫を救ったのがタツキであり、彼女は織姫の手を引き立ち上がらせ、そのまま虐めた者を退治する盾となった。

 だから、井上織姫の瞳にタツキという盾はとても美しく、眩しく映った、硬い(つよさ)の象徴だった。

 

 そんなタツキの親友が黒崎一護という男だった。

 不愛想で、長い黒髪に表情を隠した妙な男ではあったが、不思議と温かく優しい雰囲気を持った人だと、織姫は感じた。何かを諦めたような目が気に入らないとタツキは言っていたが、ケイゴや水色とじゃれ合う様子はむしろ、無邪気で純粋な印象を受けた。まるで漂白された白のようだと思った。

 気付けば目で追うようになり、ふとした彼の感情の機微に面白さを覚えるようになっていた。彼と交流する時間は凄惨な虐めの記憶を隠してくれるような気分にすらなれた。

 タツキが、相手を倒してしまうような攻撃的な盾なら、一護は優しさで包み込むような盾。

 彼もまた、織姫にとって、固い(いやし)の象徴だった。

 

「……まーた、一護のこと考えてんの? あんたも物好きよねー、織姫」

「そんなことないよ、タツキちゃん。黒崎くん、優しいじゃん」

「やぁーさぁーしぃーいー? あんた、それ正気で言ってんの?」

「うん。黒崎くんは、優しいよ」

 

 昼休みの教室の片隅。

 陽の光が照らす窓際で、二人の少女は一人の男を見ていた。

 ちゃらけたケイゴにクシャクシャにされた髪を鬱陶しそうにかき上げる一護。水色にからかわれ、憤るケイゴを眺めて笑みを溢す一護。

 

「あんなスカしたやつのどこが良いんだか。ブアイソだし、髪の毛はチャラついてるし……全く、昔はあんなんじゃなかったってのに」

「そうなの?」

「そりゃあ、もう。びえーって泣いて、ニコニコ甘えて。誰よりもガキだったんだから」

 

 へえー、と織姫は相槌を打ち、なんとなく今の一護のまま甘えん坊になった姿を想像した。

 目をキラキラさせて、大きく口を開けて笑い、ピョンピョンとせわしなく動いて、よだれかけを掛けた姿の一護を。

 

「けど、黒崎くんって大きいからベビーカー探すの大変そうだよね、タツキちゃん」

「大変なのはあんたの妄想だよ、織姫」

 

 呆れたようにため息をついて、タツキは片手に持ったパンにかじりついた。

 

 

 003-2

 

 

「── 一護! 虚だ!!」

 

 その晩、一護が予習復習を行っていると、突然後ろの押入れ戸がバタンと開き、そこから声が響いた。

 

「何事だ……ルキア。てか、お前そこに住んでるのかよ。もしかしてドラえもんだったんですか、お前は」

「そんなことはどうでも良い、虚だ!」

「いやまあ、全然よくないんで、それは後で問い詰めるとして。……それで? どこでだ?」

「──今、此処だ!!」

 

 短く叫ぶとルキアは手を伸ばし、一護のおでこを触れた。

 昼間と、同様の衝撃。

 そして、ヌルリと魂が抜けた。

 

(……霊圧が、ある──!!!)

 

 ルキアが感じたのは一般的な隊士と同程度の霊圧の雰囲気。

 そう、3回目にして一護は、無意識ながらも、霊圧のコントロールに目覚めていた。漠然と垂れ流していた力の奔流をありえない密度に圧縮し、その身体に抑えたのだった。

 ルキアはさらなる観察をしようとしたが、事態は待たず、二人の間には巨大な虚の手が飛び出す。

 

「今回は、消えちまわねえってことは、そこそこ力のある奴ってことだよな?」

 

 勿論、霊圧が垂れ流しであれば問答無用で塵になっていた。

 

「一護! 斬魄刀をだせ!」

「斬魄刀ってのは、あの刀のことか。……いや、どこにあるんだ?」

「貴様の、今のその姿は始解だ! 多分! であるならば、霊圧の通りが最も良い物が斬魄刀である筈だ!」

「霊圧の通りねえ……なら」

 

 ガッと、虚の腕を握り、虚空から引きずり出す。

 そして、そのまま現れた仮面を掴み、外へと投げ飛ばした。

 

「──全身だ」

 

 身体から薄っすらと立ち上る漆黒の霊圧。

 ルキアは纏うタイプの常時開放型斬魄刀か、と勘違いに納得する。

 虚は目論見が外れたと、一護とルキアに背を向けて駆け出した。

 

「追うぞ! 一護!」

「ああ」

 

 今の黒崎一護は、無月であれど、経験値はまるで無い。

 例えるなら、MPの値が無限に近いレベル1勇者。

 使い方を知らなければ無意味の長物。

 霊力を納めてしまえば、ただの一般死神代行系高校生である。瞬歩も鬼道も使えない一護は大人しくルキアの後を追った。

 

「虚は現世と尸魂界の間の世界から来る。奴が其処へ逃げ帰ってないということは、逃げる先に目的があるはずだ」

「目的? 前に言っていた、より高位の魂がこの先にいるってことか?」

「否、それならば私を狙うはずだ。この私を無視して行くということは、恐らく──そこに虚である理由があるはずだ」

「……つまり?」

「つまり、想いの元だ!」

 

 想い、その文字ほどのロマンチックな感情ではない。

 なにしろ、虚は本質として、悪霊である。であるならば、その想いはきっと、もっと残酷で蔑視されるべき感情だろう。と、ルキアは顔を顰めて、駆ける足を速めた。

 

 

 003-3

 

 

「悲しいな織姫! 声すら忘れられるとは!」

「どういうことだ、井上の兄貴が、──なんで、虚なんかになってるんだ……!」

 

 十分にも満たない追いかけっ子の末、一護が防いだ一撃が暴いた事実は、少なくない衝撃を与えていた。

 

「一護、よく、そして冷静に聞け。虚は元々人間の魂だ!」

「……そうさ。僕らは人間だ。今となってはもう昔のことだけど。それこそ、誰の記憶に残らないほど、ね」

 

 チラリと、虚は織姫を見る。

 

「なら、人間だっていうなら……なんで家族を殺そうとするんだ。それは、どう考えてもそれは理性から外れたことだろう」

 

 一護の、問いかけに虚は嗤う。

 

「君は理性を人間の本質とするのかい? なら、それは違うよ! 人間──生命の本質は忘れられないことさ! 僕らは忘れられた瞬間死ぬんだよ!!」

 

 虚は、井上昊は、慟哭し一護の腕を振り払った。

 そして、呆然とする織姫の魂へと向かい、腕を伸ばす。

 

「織姫! 俺の声を忘れたな! 俺へ祈ることをやめたな! 俺を殺したな!」

「お、お兄ちゃん……なの? それに、黒崎くん、なの? その姿は?」

 

 そのまま首を捕まれ、息苦しそうに呻く織姫を見て、昊は、まだ自分だけを見ないのかと憤る。

 

「なぜ、なぜだ、織姫! 俺達は二人でずっと生きてきた。織姫を育てたのは俺だ! 織姫を守って来たのは俺だ! 俺のものだ!! 俺はお前の為に生きてきた、だから、織姫も俺のために生きるべきだろう!! 決して忘れず祈り、常に想うべきだ……それができないなら、せめて! ──俺のために死ぬべきだ!!」

 

 ガパリ、大きく口を開けて織姫を喰らわんとする昊を、一護はその上顎を掴み、織姫から剥がすように投げ飛ばした。

 クローゼットに後頭部を打ち付けた昊は、呻きながらもすぐに立ち上がる。

 

「兄が、妹に向かって死ねなんて言うんじゃねぇ。俺らが妹より先に生まれるのは、殺す為じゃねえ、守る為だろうが」

「守るさ。守るために殺すんだ。死な(わすれ)ないためにも!!」

「……救えねぇ、救えねぇよ。ホントに井上がお前を忘れたんだと思ってるならよ」

 

 一護は構えていた両腕を下ろし、昊に首締められた反動でぐったりとする織姫を指した。

 昊は一護の見せた、憂いを帯びた目と戦意のない動作に釣られてその先を見る。

 

 ……そこにあったのは、六花の付いた小さなヘアピンだった。

 それは、昊が『気分転換に髪を切った』と言う織姫を見かねて買い与えたヘアピンだった。気分転換というには、あまりにも悲しい表情をした織姫に笑顔になってほしくて、けどどうすればいいのかも分からない。そんな中で行った苦肉の策だった。

 

「あのヘアピン、あげたんだってな。井上が言ってたぜ、『お兄ちゃんのくれた初めてのプレゼントだから毎日つけてる』ってな。あいつは一度だって祈るのを止めてなんかいない。お前と同じくらい、あいつだって寂しがってたんだ」

「……織姫」

「──お兄、ちゃん」

 

 息も絶え絶えに、織姫は昊へと手を向ける。

 

「私、お兄ちゃんが居なくなってから、ずっと祈ってたよね。毎日、あの仏壇に座って、ずっと……私、祈ってたんだ。──死にたいって、祈ってたの。毎日が苦しくて、哀しくて、どうしょうもなくて。……けど、たつきちゃんに出会ってそれじゃあ駄目だ、って思った、思えたの。お兄ちゃんを想うのは悲しい時じゃなくて嬉しくて楽しいときにしようって」

「……」

「……お兄ちゃん。私、お兄ちゃんが守ってくれたから、今、幸せだよ。だから、ありがとう……だいすきだよ」

 

 どんな脅威の前に立ち、護り、後ろに隠してくれる盾。

 織姫にとって昊もまた、堅い(きぼう)の象徴だった。

 織姫は痣のついた首が痛むのか眉を顰めつつも、精一杯の笑顔を浮かべる。「……そう、か」と昊は顔を伏せて呟いた。

 

「気付かなかった──俺は、忘れられていなかったのだな」

 

 ズルズルと尾を行きずらせ、ゆっくりと昊は一護へと歩みを進めた。怒りも殺意もない、緩慢で隙だらけの動作だった。

 

「──殺せ、一護。この感情を忘れぬ内に」

 

 一護は何も言わず、ゆっくりと、右腕を上げる。

 そして、先のルキアの言葉を思い出し、霊力を手のひらに込めた。

 ボッと、黒い霊圧が手のひらに集まり、流動し、弧のような形を描き始める。一護は、直感的にコレが、目の前の虚を屠り得るものだと分かった。

 

「……織姫、すまなかった」

「──うん、いいよ」

 

 昊は目を閉じた。

 目の裏に浮かんだのは味方のいない、ひたすらに辛い日々。父親に殴られ、母親になじられる非道(ひど)い日常。お金もなく、好きなことなど何もできない二人暮らし。

 そして、その中で輝くように咲き誇る、織姫の笑顔。

 

 織姫も目を閉じた。

 目の裏に浮かんだのは、昊との最期の朝。

 もらったヘアピンが、まるでいじめの象徴のようで、まるで綺麗だと言ってくれたあの言葉が嘘のようで、無性に気に食わず、拗ねて背中で昊を見送ったあの瞬間。

 そして、伝えることのできなかった、大切な挨拶。

 

「……お兄ちゃん、いってらっしゃい」

「ああ──逝って、くる」

 

 部屋に黒い閃光が瞬く。

 そうして、その最強は、また一つの塵を生み出した。

 涙のようにはらはらと散る、哀しい灰だった。



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4. ぼくたちは ひかれあう 無のように 月のように ぼくたちは 反発しあう 無のように 月のように

 004-1

 

 

「黒崎一護、15歳。現在──死神代行」

 

 その日、黒崎一護は、明確に怒りを顕にしていた。

 

「必ず、斬る。その覚悟で来た」

 

 チャドは、そんな一護の姿を久しぶりに見た。

 

 

 004-2

 

 

 茶渡泰虎にとって、自分の体は誇りと驕りの表象である。

 苦痛と非難の暗喩であり、また、自己形成の根底に存在するものだった。

 頑丈で大柄な体。浅黒い皮膚。移民としてのコンテクスト。あるいは、日本生まれメキシコ育ちという無国籍性。

 自分のものだけじゃない、民族単位での共通性を感じさせる身体感覚は、日本という舞台にて、より強調されていた。しかし、それは泰虎にとって厭なものではなく、むしろ、誇らしさすら覚えるものだった。

 茶渡泰虎が誇りを掲げることができたのは、偉大な祖父(アブヴェロ)の魂が確りと受け継がれていたからである。

 

『誰かを守るためのモノであれ』

『ヤストラ』

『その身体は神からの贈り物なのだから』

 

 スラムの片隅の路地裏であっても燦然と輝く黄金のような祖父の精神性が、苦しく狭隘な環境に置かれた泰虎の心身を暖かく、安らかに育て上げたのである。

 友情に厚く、努力を惜しまず、けれども勝利に拘らない。

 勝利は己のものでしかないから。

 人に優しく、人でない物にも優しく。

 茶渡泰虎は、そういう男だった。

 

 だから、目の前のケージに入る小鳥が呪いの鸚哥(インコ)だと知っても、その上で守ることにした。

 だから、小鳥を守るようになって以来、鉄骨が降ってこようが、バイクに轢かれようが、車に衝突しようが、何があろうが、小鳥を守ることを止めようとは思いもしなかった。

 守らなければいけないから、離れようとは考えなかった。

 

『オジチャン、オネガイダヨ』

 

 3ヶ月の災禍を耐えきったとき、インコの母親が解放される。彼の儚い夢を守ろうと、決意した。

 だから、彼は守ることにした。

 守ることができるからではなく、守らなければいけないから、守ることにした。

 守らなければいけないから。

 祖父との約束を。誇りを。

 

 何からも。何からも? ── 一体何から? 

 

(全ての脅威から。この子の願いを妨げる、その全てから、俺はこの子を守る)

 

 愛か呪いか、その両方か。祖父の博愛は茶渡泰虎にその誇りに伴うのに十分な意志の強さを与えた。

 だから、災禍から助けに来たという、隣にいるルキアが血だらけでいるから、小鳥と同時にルキアを守ることにした。その手が届く限りの博愛をもって、見えない驚異を殴り、遠ざけた。ルキアが退けと言っても退くことはなく、殴る。

 浅黒の腕の皮膚が突然裂ける。右肩がずっしりと重くなる。左腿が爆発を起こし炎症する。

 泰虎はそれを見てフッと笑う。

 

(怪我をするのが、俺だけで良かった)

 

 ルキアと協力して虚を殴り、電柱でぶっ叩き、何分もの継戦の末、一護が到着した時にはもう、茶渡泰虎の全身の身体は無事なところのほうが少なく、怪我と血にまみれた満身創痍になっていた。

 しかし、誇りは依然として。以前に増して、燦然と輝いていた。

 

 

 004-3

 

 

「……一護か? 一体、どこから。それに、その格好──」

「チャド、貴様一護が見えるのか?」

 

 一護にバトンタッチしてから、ルキアは直ぐにチャドの手当に移った。意識を保ち、尚且、動くことのできるなんて考えられない程の怪我の量と、そのタフネスさに驚いていたルキアは、彼の言葉に更に驚くことになった。

 

「ああ、それに、相対しているあの化物は……」

「……あれは、虚という悪霊だ。あのインコの中に入っている子供を、あんな風にした原因だ」

「シバタを──」

 

 ルキアは少し迷い真実を告げる。

 チャドは言葉少なに頷くと、再び一護を見た。

 沸々と湧き上がるドス黒い霊圧が閑静な周りの風景を軋ませる。前回抑え込めていた霊力が、親友の怪我と初めて触れる虚の悪辣さに動揺した感情に呼応して溢れ出していた。

 

「へへへ……喰い甲斐がありそうな魂じゃねえか。今まで食っていた死神よりも大分良質な匂いがするなぁ。それに、そっちのデカブツも急にうまそうな匂いを発してきやがって……いいぜぇ、滾る滾る滾るナァ!」

 

 虚はひい、ふう、みい。とその場にある魂魄を指折り数えてニタリと笑う。一護は、それに構わず周囲に散らした霊圧をゆったりと右腕に集め始めた。それは、己が知る中での唯一にして最大の攻撃を放つ準備だった。

 

「てめーが、人を泣かせて、人質を取って、それを利用して、そうやって更に人を傷つけるクソ野郎ってことは分かった。……だが、一つ、訊いときたいことがある」

「……アァん?」

「あのインコに入ってる霊の親を殺したのは、お前か?」

「──くひっ」

 

 肯定するように、陶酔するように嗤う虚の生前は、連続殺人犯だった。

 殺して殺して、終いには殺し返されて。殺し足りないと虚になった。

 正真正銘の悪霊。

 

「しょーじき、そのガキに殺し返された事はどーでも良かったんだぜ。確かにちょっと、カチンとすることはあったけどよ。それよりも、利口な俺はこう思ったのさ。そのガキが俺を殺したってことは、俺のやってることが気に食わなかったわけだ。──だから! 俺を殺したそのガキにも人を殺す歓びを教えてやろうってなぁ! 楽しかったぜぇ。母親をダシに人を殺させるのは! ピーピー鳴いてよぉ。謝るんだぜぇ、赦して下さい、赦して下さいってな!! ぜぇんぶ、手前ェのせいだってのによ! 俺が殺らせてるとか言い訳こいて何回も何回も人をコロスンダカラナ!!」

 

 誰が殺したのか、誰が殺させたのか。

 インコに宿る霊──シバタは涙を流す。

 自分のせいで死んでいった心優しき人々を思い出して。

 取り返しのつかない過去の過ちを悔いて。

 叶わぬ儚い夢を抱いて。

 

「鉄骨を落としたり、バイクに細工して事故を演出したり。あの手この手で殺すのは意外と面倒臭えが、それに見合う絶頂はあったぜぇ……。良い事してる奴が良い事してる奴に裏切られる瞬間が最高にキモチイイッ、てなァ!!」

 

 舌を伸ばして一護を突き刺さんとする虚。一護は避けることもせず腕へと霊圧を集め続ける。

 

「──不思議な気分なんだ。その霊やチャドやルキアにした仕打ちを許せないという義憤。そんな状況になっても、守ると言わなければいけない情けなさ。それが綯交ぜになって俺を冷静にさせる」

「冷静だぁ!? 違うね! そいつはテメェに対する失意の感情だ、死神代行ォ!! 諦観のなかで爆破死ね!」

 

 塀を飛び出した蛭の大群が一護に群がり大爆発を周囲に生む。虚は抑えきれず高笑いをする。しかし、白煙の奥から湧き出したのは黒い霊圧の奔流だった。

 

「俺の奥底の感情がお前の終わらせ方を教えてくれた」

 

 礼は言わない。

 飛び出した一護は虚の口に右腕を突っ込み。霊圧を爆発させた。

 頭を吹き飛ばされ首無しとなった虚。

 身体から宙を舞い、地面に追突──する間もなく、

 地獄の門番の大剣に貫かれた。

 

「ルキアが、教えてくれたぜ。生前の行いは地獄で精算だって。──償わなくていい。せめて、休むことなく苦しんでくれ」

 

 

 004-4

 

 オチを語ることはない。

 子供は魂葬され、チャドはルキアに記憶を消された。

 事件前と変わったのは、チャドが霊視できるようになってしまったこと位である。

 

 語るのは、それを覗き見していた不躾な輩のこと。

 

 それは障子の奥、小さな灯りに燻ぶられ、ゆらゆら影となり映し出される。

 

「はぁー、あの子。とんでもない強さですやん。下手したら副隊長レベルとちゃいますか?」

「……それはどうかな。技術開発局は隠し通そうとしているらしいが、どうやら目盛りが振り切れるほど莫大な霊波がこの辺で観測されたらしいよ」

「ふうん。それが、あの子っちゅうわけですか」

「……いやいや。ただ可能性の話さ。──ただ、残念な事にこの世には未だ完璧は存在しない。未知と未完の産物に満ち溢れている」

「だから、あらゆる可能性を潰す……と。いやあ、その用意周到さ、怖くて敵いませんわ」

「ふふふ、まあ、まだまだ先の話さ。そら、そろそろ朽木ルキアの遺体調査が始まる頃合いだ」

 

 フッと息を吹きかけて灯りを消す。

 影は消え、障子の奥には影はない。

 姿もない、もぬけの殻となった。



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5. 無月を握らなければ おまえを守れない 無月を握ったままでは おまえを抱き締められない

 005-1

 

「──以上が、今の一護サンの現状っス。まあ、控えめに言ってバケモンっスねぇ」

「人の息子を化け物扱いすんじゃねえよ」

「いやいや、バケモンでしょ、これはモウ。アナタみたいなお父サンの前で言うのもなんですが、常軌を逸してるっスよ」

 

 真っ昼間の昼下り。

 古臭い三間構成の面影を残す間取りの浦原商店の一角で、ヒソヒソと話す怪しい不審者が二人いた。

 一人は、浦原商店の店主である浦原喜助。

 もう一人は、クロサキ医院の開業医である黒崎一心だった。

 

「だとしても、言い方ってモンがあんだろうよ。ほら、この辺の表情とか母さんに似て可愛いとこあんだろうが」

「一心サンは子煩悩っスねぇ。いやはや、けどそうですか。もうこの子が生まれて15年も経つんスから、時の流れは怖いっスよ」

 

 二人が見ていたブラウン管テレビに映っていたのは、黒崎一護……詳しく描写するならば、特徴的な死神姿で黒い霊圧を腕に纏い、それを今まさに虚の口に突っ込もうとする一護だった。

 

「今見せた所で既に席官クラスの霊圧っス。朽木サンと出会ったあの夜の霊圧は、機械のエラーで正確に測ることができませんでしたが……けど、推定でそれも加味すると、一護サンの霊圧は少なくとも隊長クラスっス」

「マジか」

「はい──それも、卍解時の霊圧っスね」

「やば、うちの子やればできるってレベルじゃねーぞ」

 

 一心は、天井を仰ぎ見た。

 誇らしいやら、心配やらハラハラとした心境である。

 

「正直、想定外っスよ。滅却師(クインシー)と死神の真血だから、というにはあまりにも不可解な値なんですよ」

「崩玉、とかってのは、関係ないのか」

 

崩玉という、『虚と死神の境界を操作する道具』に因縁深い浦原喜助は目をぴくんと動かした。

 

「死神になる前から一護サンは霊感がありましたからね。変なコトが起きないように万が一にも近付けないようにしてましたよ。まあ、目覚めちゃったものは仕方ないので、計画通り、崩玉はルキアさんの義魂に入れさせてもらいましたけど」

「……あー、じゃあ他になんか思い当たるコトとかないのか?」

「それはこっちのセリフっス、一心サン。……ただ、考えられる可能性はそれほど多くない、とアタシは考えてます。何しろ、一護サンの生い立ちは特異ですからね。むしろ遊子サンのように普通の娘さんが一人でもいることが驚きですよ、アタシからしては」

 

 浦原喜助は、放り出していた足を組み、胡座をかくと、一心に向き直る。足袋が畳に擦れて、ジャッと音を立てた。

 

「まあ、何にせよ、一心サン。頼まれた調査はこんな感じっス。今の所はまだ、一護サンは、全く自分の力を理解できていない上に、無意識の内に霊圧を抑えています。なので、このままなら特に問題はないでしょう」

「そりゃよかっ」

「──ただ、これから一護サンの身に余ることが起こったら。例えば、無意識に抑えた霊圧が爆発する、なんてことが起きた場合は、ちょっとやばいかもしれません」

 

 一心の相槌を遮った浦原喜助は、じっと一心を見つめる。

 安心しきった一心が、たらり、と頬に汗を垂らすのを確認すると喜助は一転手を広げておどけてみせた。

 

「まあ、それも心配ないでしょう。朽木サンもいますし、まず席官クラスの実力は出せていますし。一護サンならまず、そんじょそこらの虚には負けたりはしないっスね。それこそ、大虚(メノスグランデ)でも出ない限り、彼にとっては作業みたいなもんでしょう」

「……んだよ、脅かしやがって。そりゃあ、無いって言ってるのと同じじゃねえか。虚圏にでも行かない限りまず見ねーよ、大虚なんて」

「──はい。なので、マ、気にせず気にして上げてください。なんせ、あの子はまだ、十五歳の子供なんですから」

「言われなくても気にしまくってるわ」

「アハハー。だから、嫌われるんスよ」

「うるせぇ」

 

 一心は喜助の悪態を笑い飛ばした。

 

 

 

 005-2

 

 一方その頃。

 茶渡泰虎の一件からも、改造魂魄やらドン観音寺やら、なんやらと、様々な厄介事に首を突っ込んだり、突っ込まれたりしていた一護とルキアは特訓と称して河原にいた。

 

「だぁーかぁーらぁー、何度行ったら貴様は理解するのだ! つべこべ言わず、斬魄刀の名前を呼べと言っておるのだ!」

「いや、斬魄刀を呼べと言われても、見当たらないもんは呼びようがないだろ。それに、道具に名前をつけるとか、そういうのはもう卒業してる……」

「斬魄刀は道具ではない! それに、一護のその姿は始解で、だから斬魄刀を纏った状態にあるのだ!」

「刀を……纏う?」

 

 議論は平行線だった。

 一護には死神の常識がなく、ルキアが言っていることが理解できなかったし、ルキアからすれば始解できるということはイコール斬魄刀の解号と名前を知っていることだった。

 そのため、互いが互いに誤解することでなにも状況が変わらないという悲惨な図式が出来上がっていた。

 

「それに貴様、技が出せないとはどういうことだ」

「なんつーか、霊力は感知できるんだけどよ、それを操作するってのが良くわからねえ。腕から霊力を出すことはできるけど、だから何だって感じだしな。それに殴ってれば虚は倒せるし」

 

 最高峰の霊力も、使い方を知らなければ意味もない。

 一護はその身に余る霊力の使い方を、未だに把握していなかった。

 

「刀も出せない、技も出せない。それではもし殴っても倒せない虚が現れたら、一体どうするつもりなのだ」

「どうするっつってもなぁ……殴る?」

「このたわけ者ッ」

 

 青空の下、今日一番の快音が一護の頭から響き渡った。

 

 

 005-3

 

 

「……黒崎……一護」

 

()()()、ジッと、そんな二人を覗く影。

 

「──僕は、死神を憎む」

 

 今、空座町を巻き込む、大騒動が始まろうとしていた。

 

 



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6 .そう、 我々に運命などない 無知と恐怖にのまれ 足を踏み外したものたちだけが 無月と呼ばれる濁流の中へと 堕ちてゆくのだ

 006-1

 

 

 その日は快晴だった。

 雲一つない、ドス黒いまでの青が隅まで満たしていた。

 季節柄、地形的にも空座町ではそう珍しい天気でもないが、この日ばかりはその青さの意味合いは少しばかり違った。

 

「勝負だ、黒崎一護」

 

神父のような姿に身を包んだ青年が右手を掲げる。この手には、コイン程度の大きさのタブレットが握られていた。

 

「──これは、撒き餌さ。これを砕くと、内包された霊圧が解放されてこの町一帯に撒き散らす。それにつられて虚が集まってくる」

「町一帯……街全体を巻き込む気か?」

 

 空座町の真ん中で相対する二人。

 黒崎一護は、長い黒髪を風にたなびかせて問いかける。

 石田雨竜は眼鏡のブリッジを上げ、答えた。

 

「そうさ。……なに、心配はいらないよ、この僕が全ての虚を滅却するからね」

「……そういう自信(こと)を聞きたいんじゃねえ」

「自信? 違うね、事実だよ。僕は、この証明のために生きてきた」

 

 右手に持つ小さなタブレット状の物、撒き餌を石田は掲げた。そして、

 

「黒崎一護。君も死神を名乗るなら、世界の守り人と言うならば、やってみせろよ!」

 

 石田は死神に対する怒りか、己への奮起か、声を荒げてそれを壊した。

 甲高い音が空へ溶け込む。

 一護は事態が既に手遅れになってしまったことを瞬時に把握し、静かに義魂丸を飲み込んだ。割けるように生身から、包帯に死装束姿の一護が現れる。

 

「コン。危ないから下がっていろ──それから、石田」

「……なんだい」

「この勝負に俺が勝ったら、どうするんだ?」

「その時は死んでやってもいいさ。煮るなり焼くなり好きにしてくれよ」

「相、分かった」

 

 偶然にも一護の背後の空間に皺が入る。魄動が乱れ皺は更に収斂し、空間が耐えきれなくなりそこに(ヒビ)が入った。虚の現世侵攻のための出入り口、空紋である。

 収斂から実に数秒と経たずに空紋から頭をのぞかせた虚、それを一護はノールックで叩き潰した。

 そして、石田を射抜くように視て、一つ要求した。

 

「頭を冷やして、話をしようぜ。互いにな」

 

賽は投げられた。

ルビコンの対岸はまだ遠い。

 

 

 006-2

 

 

 滅却師による虚の滅却は、魂魄の成仏を意味しない。

 これはつまり、現世に存在する魂魄の量が多くなり過ぎてしまうこと、そして、それが尸魂界と現世の崩壊を招きかねないことを意味していた。

 滅却師は、それを知っていて虚を滅却していたし、その行動原理となる『悪霊である虚を成仏させる必要はない』という考えは、人間的には不思議じゃない思想だった。が、しかし一方で世界の調停者を担う死神からしてみれば、それは不都合極まりない話だった。

 故に、この話は幾度とない、滅却師と死神の衝突を生み出した上に、最終的には滅却師を絶滅寸前まで追い詰める結果を招くことになった。

 石田は、そんな悲劇を師匠から聞き、冷血か純粋か、それならしょうがないと思った。石田は、師匠に滅却師の修行をつけてもらう時間が好きだったし、それを聞いた場所である山に咲く花々が嫌いじゃなかったから。世界と共にそれらがなくなるのは寂しいトコロがあると感じたからだった。

 

「──14匹目!!」

 

 一転、現在。

 石田は、死神は不必要とすら言い切る。

 それは、世界の崩壊なんて知ったことではないという自暴自棄からではない。

 

「ようやく……追いついたぞ、石田っ」

「15匹目! 見たか、黒崎! 空紋が現れた瞬間に、遠距離から射貫く。これが弓を得物とする滅却師(クインシー)だけに許された殲滅速度だ!」

 

 愛すべき時間──師匠との修行、を死神によって破壊された故の自棄(ヤケ)、でもない。

 

(僕は、この騒動、この証明を絶対に成功させなければならない。そして、僕は──!)

 

 そう、石田雨竜には、覚悟があった。

 封印指定されていた 道具(撒き餌)を用いたとしても達成しなければならないと誓ったことがあった。

 

「こうして、話すのは、初めてだね、死神……朽木ルキア」

「……うむ」

「ここに来た理由は大体、分かっているよ。そして、それが無駄だってこともね」

「──何?」

 

 あれから、時間にして2時間が経過しようとしていた。

 広範囲の索敵範囲を実現するため、石田は、見晴らしの良い河川にかかる橋の上にいた。虚の討伐こそ順調だったが、あの後、飛廉脚で一護と別れ、ひたすら神聖弓(ハイリッヒ・ボーゲン)である弧雀を放ち続けた石田は、引き金を引き続けた指は血だらけ、肩は発射衝撃により外れかけるほどの消耗、息も絶え絶えと言ったボロボロの様相だった。

 しかし、追いついてきた朽木ルキアと黒崎一護にはそれを悟らせまいと、乱装天傀(らんそうてんがい)という、『無数の糸状に縒り合せた霊子の束を動かない箇所に接続し、自分の霊力で自分の身体を操り人形のように強制的に動かす超高等技術』を駆使し、暴れる心臓も震える声と手先も強制的に落ち着かせていた。

 石田は、得物である弧雀を構えたまま、ルキアを横目で見る。

 

「おおよそ、滅却師による虚の討伐が世界のバランスを崩すだとか、それが死神による僕の粛清を招くだとか、そんなことを言いたいんだろう?」

「分かっているのなら、何故止めぬ!」

「……理由は2つある」

 

 石田は、自分より東南方向530m先に現れた、約束3m程度の空紋。そこから這い出した虚の仮面を破壊すると、ルキアに向かって2本指を立てた。

 

「1つは、僕の使った撒き餌は、不可逆ということ。効力が切れるより他、僕にも止める術はない。そして2つ目」

 

 尸魂界に所属する、()()()()()が現れたことで、石田雨竜は、初めて本当の自分の目的を告白した。

 

「死神が、粛清に来る。それこそが僕の狙いだったからさ」

「……なに?」

「聞こえなかったか? それとも理解できなかったのか? だから、僕は『死神が僕を殺しに来るのを待っている』と言ったんだ」

「──それでは、貴様は、自殺目的でこの街を巻き込んだというのか? そんな、自棄(ヤケ)でっ」

「自棄? 違うよ。それに、自殺でもない、僕の狙いは憎くて仕方のない、トロい死神を粛清することだ。粛清に来たと思いこむ死神を、殺して、殺して、そうして、祖父を殺した死神に同じ気持ちを味わわせてやるんだ!」

 

 一転、現在。滅却師(じぶん)が虚を殺し続けても良いとする理由。

 それは、石田雨竜が、そもそもこの騒動が終わったらもう虚を討伐する気が無かったからだった。

 石田は、今日より先、自分の力の全てを死神への復讐だけにしか使わない、そういう悲痛なまでの覚悟があった。彼にとって、世界の崩壊より優先するべき時も居場所も、既に世界には存在していなかった。

 今まで平和極まりないと思っていた街に眠る絶望に、絶句するルキア。一護は、そんな彼女を隠すように前へ出る。

 

「……ルキアに代わって、もう一回、訊く。自暴自棄じゃねえ、自殺でもねえ。その復讐がこの街を巻き込む理由になると、本気で思ってんのか?」

「くどいぞ、黒崎。答えはイエスだ! それだけの実力が、僕にはあると、信じている!」

 

胸を張り答える石田を一護は静かに見つめる。

そして一度、目を瞑り、開き、睨み直した。

 

「石田。俺は、お前の自信の程は聞いてない。俺は……俺は、学校や公園で、タツキや井上、チャドの霊圧が消えかけた瞬間すら感じ取れねえ! そのハンパな実力が! 手前ェの復讐に十分だって、本気で言ってんのかって訊いてるんだ!」

「な──!」

 

 普段、滅多に感情を表に出さない一護が声を荒げた。瞬間、一護を、中心に霊波が広がる。溢れた霊圧がビリビリとルキア、石田を巻き込んで伝わる。前髪がなびき、一護の怒りの形相が石田を威圧した。

 石田は、すでに無関係の人々を巻き込んでいたということに驚き、即座に霊圧感知をする。しかし、出した霊絡は、一護の霊圧が真紅に染め上げ、かき消した。

 

「もう、問題ねえよ。俺も詳しくは何があったかは分からねえけど、無事解決したみてぇだ」

「そ、そうか……」

 

 石田は、安心したように息を吐いた。一護の言葉と霊圧により乱れた霊子操作が、乱装天傀を一部解き、石田の手先が痙攣した。

 

「……二人には後で謝罪しよう。気がすまないと言うなら好きなだけ殴ってくれても構わない。……けど、無事ってことは、好都合。僕はまだこの戦いを降りるつもりはない」

「……殴るつもりも、今更止める気もねえよ。ただ、お前が本気で周りを巻き込むつもりがないって言うんなら、こんな下らない戦いも止めだ」

「何? 下らない、だと?」

「お前が死神を殺す、それで死んでも構わないって言うなら、俺はそれでも構わないって言ってんだ。『下らない』っていうのは、そういう意味での『下らない』だ」

 

 一護は空を指した。

 白い雲一つない澄み渡った空──その中に一際大きい線が入っている所を。

 

「……俺はただ、石田がこの街を悲劇に巻き込もうとしている、その一点だけが許せねえんだ」

 

 今までも何度か見せた、一護の哀しそうな目にルキアは気付いた。

 憐れみとは違う。純粋な哀しみの目。まるで、迷子の幼児が母親を探すような伺いと不安と、絶望の発露。

 朽木ルキアは、その目に二人の人物を思わず重ね合わせた。

 一人は、朽木白哉。

 

(兄様と顔を合わせる時、あの人は、いつも私を見てなんかいなかった。何か遠くの絶望と貴族という身近な柵を、孤高に翫ぶ、強いお方だった)

 

 そうして、もう一人は──。

 

(一護、お前はそんな顔をしてくれるな。その感情は、見ていて辛い。どうしようもない理不尽に圧殺されているようだ)

 

 ルキアは自分を奮い立たせるように頬を叩いた。

 

「一護、もう、時間がないぞ! 浦原喜助が霊波の集中を感知している」

「ああ。──手短に言う。石田、協力だ。じきに、虚の増殖に討伐が追いつかなくなる」

「……僕は」

「もう、手遅れなんだ。俺も、お前も。勝負というには二人で済む領界をとっくに超えちまってる。……この手が守れると勘違いした過信が、井上とチャドを危険に晒したんだ。──頼む、今だけは協力してくれ」

 

 石田はガリィッ、と奥歯を噛み締めた。

 彼には、もう分かっていた。

 自分の行為が、井上織姫と茶渡泰虎を始めとした、多くの人々を傷つけてしまったことを。

 あるいは、これ以上の継戦が只の我儘だということを。

 黒崎一護の言い分が、合理的で理性的で正義的だということを。

 しかし、石田はまた、ここが己を己たらしめる核心的なモノの分水嶺だと言うことにも気付いていた。

 きっと、一護に従ったとしたら、自分は二度と死神への復讐を行うことができなくなる、ということに。敗北感からでも傷付けた人々への罪悪感からでもなく、自分が再び納得してしまうから。

 

 復讐は良くない、何も生み出さない。

 悲しみを乗り越えることが人生で、その先に成長が待っている。

 

 そんな言葉に、今までの人生で出会わなかったワケじゃない。

 ただ、石田はそうなってしまうこと──祖父の死を穏やかに受け止められるようになってしまうことを成長や改心として捉えること──を、これまで血を吐く思いで拒否し続けてきた。

 それを生き甲斐として、生き抜いてきた。

 

(復讐に殉じることは何も怖くなかったというのに、復讐を諦めることの方が怖いだなんて。……僕はまだ、覚悟が足りなかったということか)

 

復讐という本能か、滅却師としての理性か。

 際限のない矛盾に囚われてしまう善性を、石田の父、竜玄はかつて『滅却師としての才能のなさ』として表現した。

 

「石田、お前のじいちゃんは死神の欠点を補う存在として滅却師を主張したんだろ? それって、死神と滅却師の協力関係をじいちゃんが望んでたってことじゃないのか? なあ、お前の復讐はじいちゃんが望んでたことなのかよ……」

「……」

 

 石田は眼を瞑り、弧雀を下ろし、一度、二度、三度、深呼吸をした。

 

「……いいや、違う。僕の祖父は、復讐なんて事を望むような人間じゃなかったさ」

 

 出血し痛む皮膚を霊糸で覆い、神聖弓の引き金に指を差す。

 

(この復讐が正しいか正しくないかなんてのは分からない。けど、師匠がそれを良しとする人間かどうかは明白だ)

 

 宙に発現した空紋は、とうに十を超えていて、いつ、どこからどこへでも虚が出てもおかしくない状況が出来上がりつつあった。

 

「この行為感情は僕の勝手な自己満足だよ。そして、──黒崎。お前に言われなくても祖父の行動原理くらい僕は分かっていた。だから」

 

 そして、神聖弓を掲げ、過去一番の勢いで引き絞り、

 

「そんな僕の行為と祖父の願い。どちらを優先するか? ……そんなの決まっている」

 

 矢を、放つ。

 

「僕は滅却師だ。その誇りにかけて、虚を殲滅する」

 

 協力するなら勝手にしろ。と不器用に言い回した石田の弓はルキアと一護の背後に現れた虚へと着弾し滅却した。

 

 

 

 006-3

 

 

 薄暗い部屋。

 

「……隊長、怒られても知りませんよ?」

「ウルサイヤツだネ、阿近。黙って観測し続けるんだ。いいカ? 黙ってだ。それは、ワタシ以外の誰にも報告せず、連絡せず、相談するなってことだヨ?」

 

 灯りに照らされる影。

 

「ほら、始まってるよ、ギン」

「なんや、偉い楽しそうやな、隊長」

「始まりの瞬間はいつになってもワクワクするものさ」

 

 そして、遂に収斂を始める巨大な空紋。

 さまざまな思惑が交差しながらも、終わりと始まりは直ぐそこに迫っていた。

 




新作アニメPV公開のお陰か、日刊で良い所に居たらしく、沢山の感想、評価を頂きました。
ありがとうございます。
正直、滅茶苦茶参考にしてます。
これからも、どうぞよろしくお願いします。


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7. 我々は涙を流すべきではない それは無月に対する肉体の敗北であり 我々が無月というものを 持て余す存在であるということの 証明にほかならないからだ

 007-1

 

 黒崎一護にとって、肉親の敵を討とうとする石田という人物は、断じて許せない人間ではなかった。なぜなら、一護自身もまた、母を亡くして以来、何かを恨めしく思った時があったからだ。

 だから、

 

「勝負だ、黒崎一護」

 

 と言われた時も、

 

「死んでやってもいい」

 

 と失敗すらも恐れない無謀さを見せられた時も、一護は不思議と不快感を感じることはなかった。むしろ、心地よかったといってもいい。

 なぜなら、彼のその姿に、覚悟を見たから。

 そして、そんな有り様に当てられて一護は、また、躰の奥、胸の芯がざわめくのを感じていた。真っ黒な長髪をチリチリと焦がすような焦燥感にも似た熱さだった。

 

「もし、この騒ぎが無事に終わったら、頭を冷やして、腹わって話そうぜ」

「……僕はいたって冷静だし、キミとする話なんてないよ」

「いや、冷静じゃないのは俺の方で……それに、話したいことがあるのも俺の方だよ」

 

 怪訝な表情を浮かべた石田は、これ以上何も言うことをないと飛廉脚で飛び去っていく。一護は、便利そうな技持ってんなあと思いつつ、近場の空紋へと駆け出した。

 チャドの一件から、一護の霊圧操作は確実に上達していた。ルキアの胡椒爆弾ノックやら、ウサギのチャッピーちゃんと虚の三太夫銀三郎くん見分けられるかなクイズやらが、役に立ったのかは謎だったが、少なくとも、右腕に十分な量の霊圧を流し込み殴る。

 その一動作だけは、寝ても行えるくらい反射的に行うことができるようになっていた。

 だが、残念ながら、特訓はあくまでルキア基準で行われていたため、『十分な量』とは言っても無月のポテンシャルは全然引き出せておらず、遠く及ばない威力となってしまっていた。

 つまり、一護は特訓と称して自分の力を底上げしているつもりが、その実、上手いこと手加減する練習をしていたのであった。勿論、そうはいっても、彼の右腕は、そんじょそこらの虚なら、ワンパンで灰燼と化してしまうような馬鹿威力ではあるが。

 ──そんなわけで、一護は見かけた虚を千切っては灰燼と化しては、千切っては灰燼と化す、を繰り返していた。

 

 しかし、そんなギャグみたいに大雑把な光景とは裏腹に、虚の数は減る気配を見せず、寧ろ増大していく傾向していた。中に生える空紋の数は増加の一途を辿っており、黒板を引っ掻くような虚の鳴き声も刻一刻に大きくなっていく。

 未だ晴れることのない石田の心。その歪みに呼応するように虚は吠え、宙を舞い、集い始めた。

 

「クソッ、きりがねえ……!」

 

 嘆く一護の眉間の皺が一層深まる。

 と、同時に一護と石田の丁度中央、その上空あたりに縦罅がビキビキと走った。空紋とは違う、嫌な違和感が二人を襲う。

 

「──何だ、ありゃあ?」

「……あ、あれは……。──"メノス"だ……!!」

「め、めのす? ──てか、いつの間に来たんだ、ルキア」

「今さっきだ! いいか、一護。気を付けよ! あれは幾百の虚が折り重なって混ざり合って生まれたとされる巨大な虚──大虚(メノス グランデ)、その出現の予兆だ!」

「なんだってんだよ、次から次に……そいつはやばいのか?」

 

 片手で二匹、もう片手で三匹の小虚を握りつぶし、右足で二匹の中虚を蹴り抜きながら一護は尋ねる。

 ルキアは住宅街のコンクリートブロックによろめくように寄りかかり、冷や汗をツゥーッと一筋垂らし、答える。

 

「ヤバい、なんてものではない。そもあり得ぬ話だ。教科書のお伽噺のような……況やあり得たとして、王属特務の管轄だぞ! とても……とてもじゃないが、一死神の手に負えるような相手ではないッ」

 

 そうしている間にも、罅は空割くように広がる。剥がれた空の破片が虚実の不気味な背反を起こしながら、クルクルと落下する。

 

「……黒崎、どうするんだ?」

「お、おう。石田も戻ってきたのか」

 

 俺が聞きてえよ。お前が聞くな。

 出かけた言葉を飲み込んで一護は5匹の虚を手動で穿ち抜く。無月な一護はクールな男だった。

 こうなっては、どうしようもない。黒崎は握りしめた手と、噴出する黒いモヤを眺めて息を吐く。

 諦観か覚悟か。一護は脱力してルキアの方を振り向いた。

 

「──なぁ、ルキア」

「……なんだ」

「これが終わったら、石田を殴ってラーメン奢らせよう」

「うむ!」

「ちょっとまて! 先程キミは話し合うと──」

「うるせえ! ……だから、早く終わらせるぞッ」

 

 そう言うと一護は一層の勢いで虚を殴り始めた。

 要するに、やることは変わらないし、変えようもない。虚をただ、ひたすらに、ひたむきに、倒すだけ。

 石田もそれを悟ると眼鏡をくいっと押し上げ、黙って弓を掲げた。

 

 

 

 007-2

 

 

 しかし、現実は留まらない。尋常ならぬ音を立てて、メノスグランデは顕現する。空をドレスのように身に纏い、カーテンを開けるように手をかける。理不尽とも呼ばれるような巨大という暴力がヌルリと顔を出した。そして、その畏怖を示すように、電柱に括り付けられた街灯に群がるように群がる虚がメノスグランデに喰い殺された。

 

「遂にお出ましか──」

「ええ。ついでにアタクシ達も、満を持してのご登場デス」

 

 しれっと一護の隣に立ったのは浦原商店が主、浦原喜助だった。一護達の周りでは、ジンタ、ウルル、テッサイが虚を各々で蹴散らす様子が広がっている。ウルルとジンタの無邪気な暴力性に慄きつつも、一護は浦原の方を見やる。

 

「……浦原さん」

「ほら、行った行った。この辺のザコはアタクシ達がどうにかしてあげますよ。だから、あちらは任せてもいいですよね?」

 

 閉じた扇子でメノスグランデを指す浦原喜助。

 一護は怪訝そうな目でその姿を見つめる。

 

「アンタ、いつもいつも、タイミングが良すぎるだろ。ストーカーか何かか?」

「なぁに言ってンすか。逆ですヨ、逆。アナタの方がアタシの周りを駆けずり回ってるんです──ほら、無駄口を利いてるひまなんて無い。……そうでしょう?」

「……後で色々聞かせてもらう」

「どーぞ。できるものなら」

 

 ゆらり、一護は体を傾けると、メノスグランデの方へ駆け出した。その言葉に浦原は「不器用ですねぇ……」と呟き、右手に持つ扇子で右肩を軽く2回叩いた。

 

「……それで、貴女は行かなくていいんですか、ルキアさん?」

「──一つだけ聞かせてもらおう。あ奴はメノスグランデを倒せると思うか?」

「そりゃあ、思ってなければ行かせないでしょう。そのくらい貴女だって分かってるはずですが」

「なる、ほど──」

「──それよりも、貴女が気にしなければいけないのは、心配するべきことはこれからのこと……つまり、この騒ぎが終わってからのことじゃないンですか?」

「……ふん。それこそ愚問だな。聞かれるまでもない」

 

(そう、考える意味すらないのだ)

 

 ルキアはうつむいて言葉吐き捨て、浦原喜助はサングラスの奥を見せず、そんな彼女を見つめていた。

 

 一方、一護と石田は途方に暮れていた。

 メノスグランデのデカさ、という暴力に対し何をしたら良いのかがわからなくなっていた。ハンマー片手に高層ビルを破壊してくれと言われたような状況で、何からするべきかと、二の足を踏んてしまっていたのだ。

 

「……殴って倒れるイメージが全く湧かないな」

「僕だって、射抜いて穿てるなんて思っちゃいないさ。だけどやるしかない。そうだろう?」

 

 毅然として、強気な発言を放ったものの、石田も弓を掲げない。そんな二人を他所に、メノスグランデは今まさに罅から足を踏み出し、街を蹂躙せしめんたる一瞬の間にあった。

 

「分かった、こうしよう。僕が弓矢であのメノスグランデとやらを引き付ける。その瞬間に一護、キミがあいつの仮面を殴り砕く。これでいこう」

「アホなこと言ってる場合かよ。そのビジョンが浮かばねえっつってんだよ」

 

 とはいえ、事実から述べるなら、一護にとってそれは十分可能である。何なら初撃でメノスグランデの腹を殴っても撃破できる。

 無月な一護にはその程度の膂力が当たり前のように存在していた。

 しかし、彼はそれを自覚できていなかった。

 小中虚をそこらの不良と同程度の認識に置きながらも、メノスグランデをただそのガタイの良さのみで自分より格上だと怖気づいていた。近づいても、おもったより迫力ねえな、なんて思いながら。

 それゆえに、というべきか。正しい格付けを終えたのはメノスグランデが先だった。

 一歩を踏み出そうと片足を上げたメノスグランデはその状態のまま、二人の方を見たまま固まっていた。

 久しぶりに外に出たらロケットランチャーを構えたムキムキの軍人さんが立ってた時のようなビビり方をメノスグランデはしていた。

 

「なんか、様子おかしくねえか?」

「いや、待て。こちらを見てないか?」

 

 たらり、と冷や汗をかき武器を構える二人。

 引き金に手を置かれたと更に焦るメノスグランデ。

 宙で見守る小中虚の軍勢。

 数時間に感じられる位長い瞬間の後に動き出し沈黙を破ったのは、またしてもメノスグランデだった。

 

「なんだ、あれは──口に光が収斂していくぞ! 避けろッ、一護!!」

 

 飛廉脚でビルの屋上に避難する石田。

 歩法を知らないため道路沿いに走り出す一護。

 

「────!!!!!」

 

 虚閃(セロ)

 極光の巨閃が一護を飲み込まんと発射された。

 

「一護──!!」

 

 思わず叫ぶ石田。

 メノスグランデのセロは長く続いた。

 三秒、五秒、十秒。傍から見れば虐殺にも見える猛攻の時間は続けば続くほど、徐々に違和感を表出していく。

 

「……一護サン。やはり、アナタは──」

 

 浦原は目深く帽子を被り直す。

 

「なんだ、コレは──。あれ程の霊圧に飲み込まれながら一護の霊圧に揺るぎがない、だと……」

(それどころか、黒崎の霊圧が急激に大きく、広く膨れ上がっていく。これは、締め切っていた蛇口が開くのとも、違う。まるで夕時雨のような──なんなんだ一体……この、ゆとりのある広がりは!)

 

 浦原と石田とルキア。三者三葉の驚きとは裏腹に、一護は不思議なほど落ち着いていた。人魂を紙切れのように消し飛ばしてしまう必殺の閃光の中にいるにも関わらず、起きて直ぐの布団のような心地よさを覚えていた。その極度の緊張からの緩和は、一護に半覚醒状態の冴えと緩やかな高揚感、そして不思議な浮遊感を付与させていた。

 まるで、瞑想の極致。あるいはフロー状態。

 麻薬と電気信号のチートを持ってしても尋常では辿り着くことのできない領域へと、一護は擬似的に到達した。

 

『ようやく、かよ』

「……」

『無視か、それともまだ聞こえてねえのかは、この際どっちでも構わねぇ』

「……」

『大事なのは、テメエの使い方が成っちゃいねえってことだ。ぶんぶん棒きれ回すことすらできず、手足を無様に泳がすだけ。──を、そんな児戯でいつまでも満足してもらっちゃあ困んのさ』

「……」

 

 ぼぉっと、一護は虚閃の先を見上げた。

 

『とはいえ、今からそれを教えて──を扱えるほど、お前は器用じゃねえ。だから、これは体験版だ。目をかっぽじってよく、見とけ』

「……」

 

 意識か無意識か。黒崎一護はそろりそろりと腕を挙げ、

 

『これが、当たり前。通常技ってヤツ。詰まるところの【無月】って訳だ』

 

 

──下ろした。

 

 月も無くなる一撃。

 虚閃は闇に裂け、大虚は音もなく真っ二つに割かれる。

 それが終わった時、石田やルキア達が目撃したのは、大通りに走る巨大な地割れと、光を反映する全ての大気を消し飛ばして現れた、暗黒の宇宙。

 それを成し遂げた当の本人──一護は物言わず、静かに立ち尽くすだけだった。



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8.錆びつけば 二度と突き立てられず 掴み損なえば我が身を裂く そう 無月とは 誇りに似ている

008-1

 

 その日は奇しくも、満月の夜だった。

 月は欠けども無くならない。それどころか見えなくなるという事も──月が頭上にある限り──ありえない。

 それを厄介ととるか、安心を感じるかは、立場相応に変化していくであろうものだが……今夜ばかりはそんな月光に影を落とされる者達が居た。

 一人は、赤毛の長髪をやや雑に纏め上げた男であり、もう一人は、嫋やかな黒髪を独特な髪飾りで留めている男である。

 二人は深夜にも関わらず人目はばからずといった調子で声をあげる。

 

「──しっかし、『ルキアが力を譲渡したと思われる一般人が大虚を討伐』ねぇ。こっちとら、中虚に仲間を殺されて悲しむのが日常茶飯事だっつうのに、随分とご機嫌なニュースじゃねえか。俺ァ、霊圧感知器の故障か何かでガセネタだと睨んでるけどよ、その辺どうなんです? タイチョー殿。……それとも、お兄様としては、麗しの妹に危険が及んで気が気でもねえって感じですかィ?」

「……任務中だ。物音を無闇に立てるな」

「またまたー。誰が俺らの声を聞くってんですか。……それに、任務だなんて──『捕らえよ、もしくは殺せ』だなんて、死神(オレら)の仕事じゃないスよ」

「──否。少なくとも、風紀を正すという意味では」

「……そーやって」

 

 死に装束を纏った赤毛の男は先の言葉を遮るように言いかけて、口を閉じた。

 と、ほぼ同時に二人の姿がブレ、道路から姿が消える。

 側の錆びた電灯、電柱、屋根、3軒隣のブロック塀。

 そして、とある民家の瓦屋根。

 僅か数秒のうちに1キロメートル近くを移動した二人は同時に、その双眸を同じ方角、同じ勾配に傾けた。

 

「……背面適合113。神経結合率88.5%。霊圧は……言うまでもないスね。はは、マジかよ、ホントに義骸なんかに入ってんじゃねーか」

「尸魂界 東梢局 十三番隊所属──朽木ルキア、か」

 

 

 

008- 2

 

 

 突如、街が裂けた。突然、夜が訪れた。

 平和な日常と言うには大いに余りある、ショッキングな出来事は、空座町に留まらず全世界に響き渡った。

 連日連夜、ニュースや新聞といったマスメディアは熱心に報道をかけた。異常な街の熱気に町民は浮かれ、その報せに耳を傾けた。そのせいか、今や空座町は全国規模のお祭り騒ぎ。テレビマンや写真家はひっきりなしにカメラを回しシャッターを切り、工務店や公務員は調査のためとそこら中に"keep out"のテープを張り巡らせる。

 それどころか、数週間も経てば、全国全世界から様々な人種の、オカルトマニアを始めとした、見るからに近寄りがたい風貌の人々が集まっていた。

 日中は勿論、夜中でさえホテルから溢れた多種多様なある種の『旅行客』が、興奮で迸る異様な眼差しでその裂け目周辺を歩く。『空』座町の名には似合わない光景が広がっていた。

 そんな異常が日常になりかけたある日の朝。

 

「いやー、マジで日本じゃねえみてぇだな。世界観が崩れるぜ。右に目をやれば白人のギーク、左に目をやれば筋肉隆々全身入れ墨(タトゥー)の黒人男。一体この世界はどーなっちまったんだか」

「こらこら、ケイゴ。白人とか黒人とか差別発言だよ。良いじゃないか、賑やかで。ほら、英語の成績悪いんだから練習してきなよ」

 

 浅野啓吾はキョロキョロと周りを見ながら、小島水色は周りに様々なお姉様方に話しかけられながら歩いていた。左手では連絡先の画面を出した携帯をふらふらと見せつけるように振っている。

 その、慣れた手付きに啓吾は顔を顰めた。

 

「てか、お前のその、なんつうか、可愛がられるヤツは、全世界共通なのかよ。まさに全世界を股にかけるってか? ええ?」

「はは……やかましいなぁ。やっかむなよ」

「やっかんでなんかねえし! 羨ましくなんかねえし!」

 

 涙目で縋る浅野を水色はあしらい、「けど、まあ」と鞄を肩にかけ直しながら言う。

 

「確かに、すごい景色だよね、これ。幹線道路が元から無かったかのようじゃない。本当に、何があったらこうなるんだろうね」

「……今朝のテレビでは地割れ説が濃厚だって言ってたけど、まあ、それにしても昨日の俺らは何も感じなかったしな」

「うん。夕方頃に出現、というか消えたというか……まあ、起こったらしいけど。僕も何も感じなかったよ」

 

 別のところは感じてたけど。と水色は口の中で濁した。啓吾はピクンとそれに反応したが、察することもなく、こんな日にも登校を余儀なく促がされる無情さを嘆く。水色は苦笑気味に「仕方ないさ……」と返事をすると、目の前の幹線道路だった何かに掛けられた、簡易設置されている橋を渡り始めた。

 渡り終えたその先に見えたのは、コンクリートの塀に身を預け、黒長髪をパラパラと風で揺らす黒崎一護の姿。その隣には茶渡泰虎の姿もあるが、ふたりとも身長も高く顔も良く雰囲気もタップリであるため、ただそこに立っているだけだというのに非常にオーラがあり、絵になっていた。

 実際、人目を集めており時折スマホを掲げて穴を撮っている若い女性に黄色い声を挙げられている。

 

「やあ、おはよう。相変わらずカッコいいね、二人共」

「聞いてくれよぉ、一護! コイツまた麗しいお姉様とイチャイチャコラコラしてやがったんだぜ!」

「ああ、おはよう、水色、啓吾」

 

 一護は軽く左手を上げて応じた。

 啓吾は一護にも相手にされないことを悟るや否や方向転換し、チャドにだる絡みを始める。それを呆れたように目を向けた一護は水色に改めて、挨拶を返した。

 すると、

 

「さっきまでケイゴと話してたんだけど、やっぱ慣れないよね」

 

 水色はさり気なく話題の共有をした。

 

「あー、確かに、な?」

 

 一護は頬を掻きながら応える。見るものが見れば、生徒が学校の備品を壊したときのようなバツの悪そうな表情。水色は普段、感情表現に乏しい一護が見せるこの表情が好きで、毎日一回はこの話を彼に振っていた。

 

「一護はこの裂け目、なんでできたと思う? 地球の内部運動? 宇宙人による豪快なボーリング調査? それとも超能力者による物質転移能力?」

「……そういう考察は専門家に任せる」

「いやいやー、何週間も経って何もわからないんだよ。いつの間にかできてて、誰もその発生を見てないなんてどう考えても変でしょ、ねぇ啓吾」

「そうだぜ、それに最近よぉ、突然電信柱が折れたりスレート屋根が剥がれたりもするらしいじゃねえか。隣の婆さんが修繕費用で年金がギリギリだって嘆いてたぜ」

 

 啓吾が笑って話すのとは反対に、一護は眉間の皺を一層深めた。絶対なにか知ってるんだろーなー、と思いつつ水色は何もツッコむことはせず啓吾に同調するように爽やかな笑み浮かべた。

 その後も四人は、魔法少女のコスプレをした外国人の集団や、無言で金属探知機を振るう大学生グループを横目に談笑をつづける。

 お決まりのパターンは、その後にすれ違う、怪しげな紋様を施したテナントで水晶占いを行う褐色老爺に絡まれた話を蒸し返す所だが、水色は何かを感じたのか、

 

「……て、あれ? そーいえば誰か足りないような?」

 

 と呟いた。そして、

 

「ねえ、一護────」

 

 水色は言葉を切り、息を呑む。

 黒崎一護は、笑って答えた。

 

「気の所為じゃねえの?」

 

 彼の眉間に皺は無く、穏やかな表情すら感じられる。

 水色は、啓吾と茶渡が一護を見えないような位置に移動すると、

 

「そっか」

 

 と応じた。

 遠くの方で、時刻を知らせる街のチャイムが鳴っていた。

 

 

008-3

 

 

 遡ること、三日。

 

「……こっすいネタ仕込みやがって」

「ネエさ──ん!!! カムバーック!!!」

 

 黒崎一護の自室では二人、もしくは一人と一匹(?)が佇んでいた。二人の手元には『たわけあたって私たはでたたていたく』から始まるルキアからの手紙。

 

「これ、『たわけ』ありきで書き始めただろ……」

「ネエさーん! なんでオレを置いていったんですか! 明るい、強い、可愛いの最強マスコットのオレを!」

「うるせえ、向こう見ず、あざといからだろ。てか、なんだこのヒントの絵。……コンか?」

「オレなわけねーだろ! このすっとこどっこい! 『た』の字が多いんだから狸とかじゃねえの?!」

「なるほどな。……コン、ルキアが家出する理由って聞かれて思い当たることあるか? 腹壊したとか」

 

 手紙をそっと、置いて一護は問う。

 

「オイぃ、ここまできて解読を面倒くさがるなよ! オメーの黒髪がうっとおしくなったんじゃねえの?! いっそオレンジにでも染めて、性格も明るくしろよ! この昼行灯!」

 

 コンは半狂乱状態で喚き散らかす。ルキアの薄情な対応がショックだったのか、一護が気がつくまでの時間稼ぎと、ルキアに便器裏へと磔にされたのが気に食わなかったのか、ところ構わずといった様相で喚き散らかす。

 一護は鬱陶しそうにコンの頭を握りつぶすと、手紙を改めて眺めた。

 状況は二人共、分からない。

 ただ気がかりなのは、ルキアの所在だった。

 やや時間はかかったものの、捻りのないナゾナゾが掛けられた手紙を解読する。

 

「探すな、心配するな、この手紙を燃やせ、自分の身を隠せ、か。……織姫とお泊り会か?」

「天然かよ! 神妙そうな顔でバカ言ってんじゃねえ……いや待て、ネエさんならやりそうでも──って、そうでもねえ!」

「じゃあ、なんだよ?」

「きっと、ネエさんはオレとお前を守るために出ていったんだ」

「……何から?」

「しらねえよ! ──けど、何かから! 確実に! ネエさんはその危険に気づいた、あるいは知ってたんだ。そんで、ソレからオレらを守るために一人で出ていったんだ!!」

「……そう、か」

「ホントに分かってんのかよ! すかしやがって! ああ……ネエさん、もしかして……死──」

「滅多な事いうなよ──死神化してルキアを助ける。そうだろ?」

「……そうだよ!!」

 

 普段は仲が悪い……というか、コンが一方的にイチャモンをつける関係性の二人だが、このときばかりは二人の意見が一致した。

 手紙を優しく折りたたみ、一護はそっと机に置く。

 コンは、ハッとした様子で一護の袖を引っ張った。

 

「けどよぉ、一護。どうやってネエさんを探すんだ? てか、そもそもお前、死神の姿になれねえじゃねえか」

「そうだな、霊体になれれば、霊絡を辿ってルキアを見つけられるんだが──」

「──お困りですか? 一護サン」

「やっぱり出たな、ストーカー」

「うげぇ! 目深帽子三太夫!」

「浦原喜助です、ハイ」

 

 いつからそこに居たのか。直前のような気もするし、数日前にはそこに居たような気もする。ぬらりひょんみたいな男である。そんな奇妙で神妙な様子で窓枠に馴染んだ男──浦原喜助はニコリと笑い杖を掲げた。

 

「てなわけで、時間も切羽も押して詰まってマスから、どうです? 一つ、この杖で死神になるというのはいかがでしょう?」

「頼んだ」

「はい、頼まれました」

 

008-4

 

 

「……というわけだ。赤髪奇天烈眉毛。刀を引いてくれ」

 

 発見したルキアを拘束するため峰打ちを食らわそうと振るった阿散井恋次の刀は眼前に現れた男──一護の眉間の先で停止していた。

 一護が走って駆けつけてみれば、そこには今にも殴られそうなルキアの姿があり、急いで間に割り込んだという経緯である。

 阿散井恋次は当然現れた一護のことを、直ぐにルキアから死神の力を受け継いた男であると察する。

 

「五月蝿えよ、全身黒包帯男。テメエがルキアから死神の力を奪ったっつう人間か? なら、ぶっ殺す!」

「死神ってのは、意外と稼業に精力的なんだな」

 

 一護の軽口にこめかみをピクつかせる恋次。言葉より先に手を出すべく、次の刃を振るおうと、刀を胴の近くまで寄せる。朽木白哉は、任務書と報告書の束を取りだし、一護の確認を取る。

 

「黒崎一護……黒髪長髪、長身、筋肉質で顔面の美醜。そして霊圧。報告通りだ。阿散井、間違いない。ソイツだ」

「なるほどね……」

 

 そして、朽木白哉は悟られぬよう、阿散井恋次は遠慮なく舐るように一護の全身を観察し始めた。

 

(風変わりな死装束に刀は無し。包帯が斬魄刀の役割を果たしているとすれば、始解をすでに習得している……否、卍解か? しかし、それにしては霊圧は街を()()()()程──抑えつけてる可能性もある。日数を考えると常時開放型だと考えるのが通常か……どちらにせよ、ルキアも随分と厄介な者に力を与えたものだ)

(いかにも『通じてます』って感じでルキアと見つめてくれちゃってよォ──。マジでぶっ殺してやりてぇぜ)

 

「一護、来るなといっただろうが! いくらお前と言えどタダでは済まんのだぞ!」

「俺が無事でもルキア、お前がタダじゃ済まねえなら意味ねえだろ。……コンも心配してたぜ」

「いやいや、タダではっつうか、黒崎一護は普通に秘匿死刑っしょ。……ねぇ、タイチョー?」

「阿散井恋次。軽々しく口を開くなと何度も言わせるな。──今回の任務はあくまで朽木ルキア隊員の連行のみだ」

「……承知しております。了承もいたします。ですから、一護──黒崎一護の身の安全だけは……!!」 

 

 ルキアの懇願は、通らない。

 朽木白哉は、任務には無かったとしても、少なくとも黒崎一護の霊圧を絶とうと考えていたし、阿散井恋次に至っては普通に殺そうと考えていた。

 ……そのはずだった。

 街路灯の煌めきか黒い霊圧によりチラチラと影を落とす。実態を持たないはずの霊圧が街に異様なラップ音を響かせる。

 

(霊圧が上がった……感情でリミッターを外すタイプか。やはり、厄介)

「……い、一護?」

「──よく分からねぇ。コンと浦原に煽られてここまで来たはいいが、全く状況が分からねえ……けど、多分。俺はルキアを連れ戻せばいいんだな?」

「たわけっ! 退けと言っているのだ!」

「そうだぜ、えぇ? 痛い目に遭う前に家に帰りな、坊主」

「禿げてんのはテメェだろ。バンダナからハゲがはみ出てるぞ、後退デコ奇天烈眉毛」

「やっぱテメェはぶっ殺す!!」

 

 阿散井が刀を振り上げ、上段の構えで振り下ろす。剣道よりも荒く、恐ろしく鋭く速い剣筋。死神仕込の身体使いは一護が体感する剣速度を倍加させる。

 しかし、一護はその命を刈り取る一撃よりも、荒く、速く、鋭く。阿散井恋次の腹部へ喧嘩蹴りを見舞いした。

 

「──ッガ、フーッ!」

 

 恋次は自分の身体から意識が吹き飛び、腹に孔が空いたと錯覚する。意識こそ失わなかったが、気付いた時には仰向けになりブロック塀に沈み込んでいた。

 白哉は得心したように首を頷かせる。

 

「なるほど……黒崎一護。刀を代償に膂力を引き上げたと見える。確かに、粗暴な輩に斬魄刀は過ぎた代物であるゆえ、正解なのかも知れんな」

「刀だって粗暴な代物だろ。人を傷付けるモノに貴賤はない」

「斬魄刀は己の心。信念。そして──誇りだ。通常の刀と同列に見てくれるな」

「けど、テメーらは、それを仲間のルキアに向けた。なら、お前等の心とか誇りってのは、そういうことなんじゃないのか?」

「言葉遊びをするつもりはない。全ては瀞霊廷、引いては世界のため、大義のためだ」

「……相容れねえな」

「元より、人間と死神は別次元の存在だ」

「──兄様」

「朽木隊長だ。十三番隊隊員、朽木ルキア」

 

 のそり、と阿散井恋次が立ち上がるのを確認すると朽木白哉は、「戯言はここまでだ」と話を切り上げ、その姿を()()()()()

 そして、次の瞬間には、一護の背後に居たはずのルキアを横腹に抱え、2件隣の住宅の屋根に移動していた。

 

「──どうやら、瞬歩を見るのは初めてのようだな、黒崎一護」

「待ちやがれ──!!」

「待つのはお前だよ!」

 

 阿散井が一護と白夜、ルキアの間を跳躍し、一護に斬りかかる。

 白哉の発言を聞いていたのか、踏み込みには瞬歩を用い、飛燕の要領で一護の視界に入らない太刀筋を実現していた。また、先程の攻防から、一護の包帯部分が特に硬化されていることも看破し、素肌が見えている頬を狙う当たり、阿散井恋次の戦闘適性の高さが現れていた。

 

 しかし、黒崎一護もまた、無月である。

 人間どころか、死神の認知速度すらも置き去りにする速さの摺足(すりあし)で拳一つ分後ろに下がり、一撃を躱すなり、今度は右足で一歩踏み込む。そして、左足を阿散井恋次の足元へと緩慢に差し出し、足払いのフェイントをかましつつ軸足を回転させ、その、差し出した足を大きく回した。同時に、上体を下げ、恋次の側頭部をめがけ、円を描くように、左足を蹴りだした。

 ムエタイでも中々お目にかかれない綺麗な顔面キック。チャドに教わった数ある必殺技の一つだった。

 

「うおっ、あぶねっ!!」

 

 対して、恋次。彼も彼で左から右へと振り切った後、死角から迫る蹴りの殺気を察知し、踏み込んだ右足の力を直ぐに抜く。がくんと崩れた身体の直ぐ上を一護の左足が通過し、思わず冷や汗を感じるが、直ぐに左手を地面につくと体の重心移動を利用して、垂直の位置エネルギーを一護に向けた運動エネルギーに変換し、そのままの勢いで刀を再び振るった。

 僅か数秒の間に起こる攻防は、少なくとも熟練の死神とごく一般的な高校生の間に起こるものではない。

 その後も続く応酬は、より苛烈に洗練されたものとなっていった。なお、一護の意識がまだ人間ベースの動きであり、阿散井恋次が避けているからこそ成り立つやり取りでもあった。

 見ていた朽木白哉も思わず眉間をしかめる。

 

「……朽木十三番隊隊員。黒崎一護、あいつは何者だ」

「わ、私にもここまでできるとは知らず……」

「そうか……」

 

 一護は、先日の『無月』を気にしてか、ケリを主体としたアクロバットな動き、阿散井恋次は砂を投げてもおかしく無い程の野性的な身のこなしで攻め上げる。

 ほぼ、やっかみや私怨から一護に突っかかっていた筈の阿散井恋次は、テンションのボルテージが最高潮に到達したらしく、遂に、自身の斬魄刀を解放せんと、解号を口ずさんだ。

 

「ハハァ!! 面白えぞ、黒崎一護!! 『吼えろ』、蛇尾丸! 眼の前にあるのは、手前ェの餌だ!」

 

 振るわれた刀が突如変形する。それはまるで鉈が連なったかのような形状の刀だった。そして、それは自身の間合いを自在に変化させるように伸びて一護に迫った。

 人智の戦闘や間合いを超えた現象に思わずたじろぎ、一護は体を硬直させた。

 

(てつ)(ヘビ)。まさに蛇尾丸だな)

 

 余程驚いたらしく、頓珍漢な思考する一護にすかさず好機を見出した恋次。彼は殊更に笑みを深めると刀を揺らし矛先を一護の眼孔へと向ける。

 そして──、

 

『──これが、【始解】だ』

(……だれ、だ?)

『さあな』

 

 スローモーションになる一護の視界。

 常夜灯や蛇尾丸の反射光がやけに眩しく感じる。

 先程まで気にならなかった阿散井恋次の表情が目につく。

 

(お前は──だれだ)

『はあ? だから、【さあな】つってんだろうが』

(どこから、話してる)

『それも、【さあな】だ』

 

 走馬灯。と言うには呆気ない。

 それに、知らない声も聞こえる。

 ……知らない? 

 

(……な、ぜ?)

『──それだ。その疑問には答えられるぜ? 黒崎一護』

 

 一護はここで、ようやくこの聞こえる声があの──幹線道路を吹き飛ばす一撃を繰り出した──時の声だと気がついた。

 

『ようやく気がついたみてえだな。そして、それこそがお前の疑問の答えになるワケだ』

(つまり、今から俺はあの──『無月』を繰り出すのか)

 

 しかし、無月をしてしまうと、今度は民家すら飲み込んでしまう。珍しい災害や妙な怪奇現象では片付かない。

 

(一護、お前はその体に、死神に、あらゆることに対して無知すぎる)

『──や、止めろ』

(止めろ? それは俺に言っているのか? おいおい、勘弁してくれよ。俺は何もしちゃいねえよ。……自分に言え。お前の体だろう?)

 

 既に片手が上がっていた。

 あとは、呪文のように言葉を唱えるだけ。すると、あら不思議。街は闇に飲まれてしまうだろう。それはもはや、一護には想像すらできない地獄であることは、しかし容易に想像できた。

 

(朽木ルキアか、街か、選べよ、黒崎一護。全てはお前次第だ。それだけの権利(チカラ)がお前にはある)

『──ッ!!』

 

 色が、消える。

 

 (シロ)(クロ)(シロ)(クロ)

 (シロ)(クロ)(シロ)(クロ)

 (シロ)(クロ)(シロ)(クロ)

 (シロ)(クロ)(シロ)(クロ)

 (シロ)(クロ)(シロ)(クロ)

 (シロ)(クロ)(シロ)(クロ)

 

 灰色は無く、有るのは白、あるいは黒の粗密だけ。

 

『(白と黒。どちらが何も無いか知ってるか?)』

 

 色と見れば、白。光と見れば黒。

 

『(月は光っていると言っていいのか?)』

 

 月は昇っていても太陽が無ければ認識されない。

 

『(認識できない、ということは存在しないことと同義なのか)』

 

 有るとは、見るとは、認識とは、忘却とは。

 

『(──そうか。……そうだ)』

 

 黒崎一護は、上げた片手を握り、人差し指をピンと立てた。

 

『(月は、常にある。たとえ見えなくとも、目見(まみ)えなくとも)』

『今なら、俺の名前が分かるか』

(──ああ。……でも)

 

 人差し指の爪の先に何者も見通すことのできない黒い光が球のように集う。阿散井恋次は差し向けた刀の先で起こる、その異常な光が眩しくも暗くも感じた。

 ただ、それ以上に感じたのは危険の二文字。

 

(お前を呼ぶのはまた今度にするよ)

『……そうかい。まあ、今は無い位が、居ない位が丁度いいのかもしれねえな』

(すまん)

『──抜かせ』

 

 その一言と、笑うような気配と共にソレは闇夜に溶け消えた。

 くるり、と一護は黒い光で円を描くように人差し指を回す。ゆらり、と残光が動きの残像を示し、円は描かれる。

 

「──『無月・黒小満月』」

 

 円で切り取られた光景は、阿散井恋次の左手鎖骨の下。小胸筋、鎖骨下筋、僧帽筋。そして、阿散井恋次から数十メートル先にいた朽木白哉の後斜角筋の辺り。

 円で切ったのか、縁を切ったのか。黒い光球からレーザーのように霊力が放たれる。極度に圧縮された霊力は軋むような圧を放ちながら、恋次、白夜を貫通し、雲を蹴散らした。

 そして、一護の人差し指が一周を描く頃には、初めから無かったかのように二人の体には黒い虚穴が刻まれていた。

 

「……ガハッ」

 

 阿散井恋次は何が起こったのか分からず、ただ痛みから膝をつく。

 自覚したころに、その穴もようやく血を吹き出した。

 

「──死神も血を流すんだな」

「なんだと……グッ」

「阿散井恋次。下がれ」

 

 白哉がここにきて、口を挟む。

 また時間稼ぎかと一護が目をやれば、白哉は首のあたりを負傷したというのに何事もなかったかのようにルキアを抱え込んで佇んでいた。霊圧で血管を締め付けたのか血が吹き出す様子もない。

 一護は再び人差し指に(やみ)を集めるが、白哉は次の瞬間には別の家の上に移動していた。

 阿散井恋次の方を見ても既にそこに彼は存在せず、いつの間にか朽木白哉の隣に居る。

 恋次は悔しさを滲ませた表情を隠そうともしていないが、それはそれとして死神の矜持が任務の遂行を優先させたようだった。

 

「鎖結と魄睡を砕くつもりが、逆に砕かれそうになるとは、な。……予定を変更する。お前の処遇は追って連絡するゆえ、それまで大人しくしておけ。……くれぐれも、義魂丸を悪用するなどとは考えることがないよう。貴様が企むたび朽木ルキアの待遇が悪化すると考えるがよい」

「……これは借りだ、黒崎一護。俺はテメーに実力のジの字も見せてねえからな」

「じの字って、お主……」

「うるせぇ!」

 

 呆れるルキアに逆ギレする恋次。

 黒崎一護が飛び上がって迫ってくるのを確認し、獰猛に笑い飛ばした。

 

「テメエの霊圧は大したもんだが、街も破壊し、ルキアも護れねえ。ハハッ親孝行じゃねえか、一護ォ。一つも護れねえお前は、その名に恥じねえ生き様だ!」

「テメェ!!!」

「──あばよ」

 

 ルキアに伸ばした掌は空を掴む。

 瞬歩により移動したようだった。

 一護は直ぐに態勢を立て直し、霊絡を用いて3人の行方を追うが、直ぐに、霊圧の跡が千切れてしまうのを感じ取った。

 

「クソッ!!」

 

 いつも通り、敵をぶっ飛ばしてルキアを連れ帰る。

 そう勇んだはいいものの、出てきたのが人の姿をしていて、一護は迷ってしまった。敵か、味方か。ましてや一護は高校生である。倒すべきかすら迷っていたのに殺す覚悟などできなかった。

 

 空を、見上げる。

 驕らなければ、知っていれば。そんな言い訳が出てくる自分に対して覚える怒りやら情けなさは、満月の夜光が眩しければ眩しいほど、際立ち、腹立たしい。

 浦原喜助が、人を喰ったような表情で話しかけてくるまで一護は綯い交ぜになった感情を処理できず、ただ何も握れなかった両腕をだらりと下げるのだった。





いつも、読んでくださりありがとうございます。
凄い嬉しいです。


一護が、『無月・黒小満月』とかいうシンゴジラめいたオリ技かましてしまいましたが、要するに小さい無月です。セロみたいな攻撃ですが、あくまで斬魄刀の能力で放出しています。
無月自体、『月牙天衝・無月』のような技ですので、月牙十字衝に合わせて名乗るなら、月輪小天衝になるのかなーとか妄想してました。

無月から逃げるなとか思った人はアンケートにその思いをぶつけて下さい。
長い物には巻かれようと思います。




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9.ああ おれたちは無月 眼をあけたまま 空を飛ぶ夢を見てるんだ

009-1

 

 

 浅野啓吾は、帰宅の道すがら、一人で思索に耽っていた。

 彼の担任教諭をして、物を考えるの対義語と言われて久しい男であるが、今このときばかりは確かに思考をしていた。

 それも、『どっちの映画の方が濃い濡れ場があるだろう』とか、『隣のクラスの松田さんがこっちを見てたのは惚れられたからだろうか』とか、そんないつでも気にしてしまうようなことではない。

 考えていたのは、彼の友人達のことだった。

 

 小島水色、茶渡泰虎、黒崎一護。

 その3人の存在感がここ最近ぐっと増しているのだ。

 

 小島水色は、そのあどけない表情と色気のある仕草のギャップが更に広がり妖艶さに磨きがかかった。

 

 茶渡泰虎は、体付きも一回り大きくなり髪をかきあげ、漢として憧れざるを得ない、ハリウッドスターみたいなオーラを纏いだした。

 

 そして、黒崎一護はその変わった風貌に浮世離れした雰囲気が加わり、憧れるけど近づけないカッコいい男代表みたいになっていた。

 

 実際の所はそれぞれ、世界中を股に掛けたり(意味深)、大切な物を喪う経験を乗り越えたり、様々な生死に触れたりしていた経験が身になって態度に出始めたわけだが……そんな中、友達とゲーセンで遊んだり近所のガキんちょと鬼ごっこしていた浅野啓吾は、なんだか一人だけ置いて行かれたかのような寂しさを感じていたのだ。

 このままの俺でいいのか。

 あいつらはいつまで側にいてくれるのか。

 あいつらは無理しちゃいないか。

 

「……さん。おにーさんっ」

 

 この後も、なんとなくゲームセンターに行って、なんとなく集まった友達となんとなく選んだゲームでなんとなく楽しむことに、なんとなく危機感を抱いたその時。

 直ぐに横から声を掛ける声が聞こえる。

 明らかに、自分を呼んでいる。

 普段なら無視するところだが、さっきまでそんなことを考えていた手前、啓吾に普段と違うことをしようという気が立つ。周りを見て他に誰もいないことを確認した後にその声に応じることにした。

 

「──俺、ですか?」

「そうですそうですっ!」

 

 寂れた……なんてこともなく、街のみんなにご愛顧されてる商店街の一角。土産屋と紳士帽子専門店の、人一人がぎりぎり通れるような狭間。声は、こんな隙間あったのか、と初めて気が付いた所から聞こえてきた。

 

「ちょっと、こっちで話しませんか? 絵も壺も鼠もいませんよ!」

 

 怖い怖い怖い! 

 え! 俺があの三人みたいになるにはココにいかなきゃいけないんスカ!? できれば水色みたいのでおねがいしたいんですけど! 

 などと、甘ったれた口調に思わず応じたはいいものの、流石に怖気づいていると、暗闇からの声は、ずっとここにいられるのも困るんですが! と焦りを帯び始めた。

 

「ええと、でも。その……」

「いいから来てっ!」

 

 にゅっと隙間から出てきた手と顔。

 その手は浅野啓吾の襟をつかむと、予想外な力強さでその隙間に引っ張り込まれた。

 

「あっ、まっ、てか可愛っ! えっ!? 何?」

 

 少しの好機心とそこそこの不安感。そして声を掛けてきた女の子が可愛いことによる期待感。非日常に俺も仲間入りできるのか、と男子高校生らしいメンタルのまま引っ張り込まれた先。そこには、意外なことに6畳程度の広がりがあった。四方はコンクリートの建物に囲まれ、やや荒れ気味な空き地といった感じである。

 人はだれもいない。

 

「……え?」

「ふふ……ここはね、昔建物が立ってたけどどこにも接道してないからもう何にも建てられない、再建築不可地なの。いわば都市のギャップって所かしら?」

「都市……え? GAP?」

 

 ギャップ違い。片方は森林、片方はファッション。

 妙ちきりんなすれ違いはともかく、啓吾はようやく理性らしい理性を取り戻してきた。

 

「お、おい! なんなんだよ、コレっ。も、もしかして美人局か!? や、止めとけよ。俺にはとんでもねえ友達が──」

「あ、いいです。そーゆーの」

「──はい?」

「いえいえ、貴方にお願いしたいのはお金でも男としての魅力でないので」

「あ、ええ? そうなの?」

 

 拍子抜け。

 やっぱ現実って無情だわ。啓吾は項垂れる。

 

「……ええ。貴方にお願いしたのはただ、貴方が『空座町の人間』だからよ──」

 

 そう言うと女性はつかつかと草むらに向かって歩くとしゃがみ込み「えいっ」という掛け声とともに何かを引っ張った。

 ガコッ。という音ともに啓吾の目に入ったのは赤褐色の円盤。

 

「──へ? マンホール」

「ほら、早く来て。みんな待ってるんだから」

 

 ここに来て一番の笑顔。

 水色、チャド、一護。その三人をして最も優しく情に厚いと言われた男、浅野啓吾は、「……ああ、もう!」と一声上げると彼女の元へと駆け寄った。

 

 幹線道路くらやみ事件を契機に集まった多種多様な人間達。そして不法滞在を取り締まろうとする日本警察に一儲けしようと企む第三組織。そして、とある異能者軍団をも巻き込んだ一大事件が、今、まさに始まろうとしていた。

 彼は、その渦中に、唯一の『空座町人』兼『中立審判』兼『証任者』として飛び込むことになる。その中で彼は善悪とは、罪罰とは、正義とは何かを自身の魂を軸に判断することになる。

 

 

 そう、浅野啓吾の、夏の大冒険が、はじまる──。

 

 

……かもしれない。

 

 

 

009-2

 

 

 

「おら、死ねッ! ウルル!」

「瞬歩、というのはデスね、死神の霊力を利用した移動方法です。実力次第ですが、常に相手の裏をとったり、相当な距離感を詰められたりできますので、結構重宝する技術ですね。ほら、あそこでウルルとジン太がやっているドラゴンボールの格闘ゲームみたいな感じです」

「瞬歩……」

「それにしても、黒崎サンの鎖結と魄睡が負傷しなかったのは不幸中の幸いでした。この2つが破壊されてしまうと、霊圧を作ることもそれを供給することもできなくなってましたから」

「死ね死ね死ねー!!」

「ちょっと、もー! ジン太! 今、一護さんと大事な話ししてるんですから、もうちょっとボリューム下げてください!?」

 

 浦原商店の昼下がり。

 紬屋雨と花刈ジン太という小学生組は、座敷を占拠してプレステのゲームに熱中していた。

 黒崎一護はその光景に対して、何か手に入らない美しく眩しい物を見たかのような表情をする。浦原はそんな彼を見て『子供が子供を眩しがってる』と、なんだか可笑しくなってしまい慌てて口元を隠した。

 

「ま、まあ、とにかく。お陰様でいくらか、コチラ側には余裕があると言えます」

「ルキアが攫われてもう何日も経つって言うのにか?」

「ハイ、尸魂界も現世と同じで罪人を捕まえたとしてもその後の手続きは沢山あります。つまり、ルキアさんは今の所、九割九分九厘無事と言っていいでしょう。加えて言えば、彼女の立場、罪人の扱いとを鑑みて傷一つない事とも。少なくとも、肉体面は」

「精神面は?」

「その辺は死神ですから。人間とは経験が違います」

「……けどさ、浦原さん。余裕があるって言っても無限にとは言えないだろ。その後はどうすんだよ」

「へ? 一護サンは朽木サンを助けに行かないんですか?」

「……え?」

「あれ? そういう集まりじゃないんですか? コレって」

「逆に、助けに行くことに賛成してくれるのか?」

「そりゃあ勿論──仲間じゃないですか」

 

 う、胡散臭え。

 どの言葉もあらゆる方向に解釈できるような表情態度声色じゃねえか。と、一護は思いっきりしかめっ面をしてみせる。

 浦原はまたしても笑いそうになるがぐっと心を抑え、湯呑を持つ。が、どうしてもぷるぷると手が震え、そんな自分が最後の一押しとなってしまい、ついに声を上げた。

 そして、抗議するような一護の目線を受け止め、改めて、お茶を一口飲む。落ち着く。

 

「す、スミマセンね。ちょっと、口と心とが言うことを聞かなくて」

「聞かせる気あったのかよ」

「それは、もう。多分に」

「ウィットな言い方しかしない奴だな。──だからじゃないのか?」

「こればっかりは性分なもんで……と、いうわけで。一護サン。アナタにはそのための力を付けて貰います」

 

 パシン。と手元の扇を閉めて、浦原喜助は宣言した。

 それに対して、一護は、歯切れ悪く言葉を返す。

 

「あー、うん。それは嬉しい申し出だけど……けどさ、力を付けようにも俺って、正直、何もわかんないんだよなあ。ルキアが居なくなって初めて気付いたけど、ホントに何も知らなかったんだ」

「ヘェ……」

「幽霊のこと、虚のこと、死神のこと。──浦原さん、今時の死神って、大鎌じゃなくて刀持ってんだな」

「ぶはっ、ふふっ、ふふっ、ふふふふふ……い、いま、今時って……ふふ」

「そんな笑うなよ……」

「ごめんごめん! ちゃんと教えマスから! 死神が和服着て刀振り回してる理由からね──ふふふっ」

「……」

 

 浦原喜助の珍しい爆笑にウルルとジン太は思わずゲームをする手を止め、部屋の奥からは黒猫もそろそろと寄ってくる。注目が集まるほど一護がイヤソーな表情をするものだから更に浦原が笑みを深める。

 こうなってはもう、収拾がつかない。一護は数分かけて、何とか小学生二人をテレビ画面に張り付き直すと、猫を手元に拾い上げ、未だ肩を震わせる浦原の前に座り直した。

 少しの休題を挟んだ後に、浦原喜助は復活する。

 黒猫を撫でながらお茶を啜る一護は真面目な顔を作り直す浦原喜助を呆れた目で見た。

 

「話進めてもいいか?」

「ええ……ご迷惑おかけしました、一護サン。それに、夜一サンも」

「夜一?」

「アナタが撫でてる、そこの猫さんの名前ですヨ」

「ああ、そういうコト。お前は夜一っていうのかー、うりうり」

 

 ルキアも見たことない、優しげな表情に、思わずお腹を見せる黒猫。井上織姫が見ていたら卒倒するほどの指付きで撫でるものだから、「んなぁ〜」と猫も声を漏らす。

 浦原はそう何度も咽るものかと舌を強く噛み締めた。

 

「そ、それでですね。私も考えたんですが、一護サン」

「はいはい」

「茶化さないで下さいよ、締まりませんから」

「はいよ。……で、なんだよ」

「──鬼道ってご存知ですか?」

「鬼道?」

「ええ……実は先生も用意しちゃってたりして」

「先生?」

 

 と、一護は首を傾げた。何故か夜一も一緒に。

 

 

009-3

 

「当たり前の話、人間は地球上至るところに生息します。様々な文化と生活の中で生きとし生けるものと生存競争を繰り広げています。それゆえ、その中で生み出されていった死生観というものは、その土地土地の宗教や信仰と結び付き昇華され現在に至ったものである、といえるのです」

「先生って、テッサイさんのことか……」

「ふふふ、これでも私、店長並みに鬼道が得意だったりするんですぞ?」

 

 元鬼道衆総帥 大鬼道長だった男は誇張も謙遜せず、しかし全くそれを悟らせぬようにそう告げた。

 案の定、一護はエプロンヒゲメガネの怪しさ満点なテッサイに懐疑の目を向ける。が、一応それでも浦原さんの紹介だしな、と納得したんだかしてないんだかよく分からない顔でうなずくと、人選に文句を言うこともせず、相槌を打った。

 

「……それで、死生観っつうと、神道の天ヶ原とかキリスト教の天国地獄とかってことか?」

「流石、よく知っておられますな、黒崎殿。そして、そうやって巷で囁かれるそれらはどれもが正しく、間違ってるとも言えるのです」

「へぇ」

「尸魂界は、そんな人々の解釈に寄り添うようかのように東西南北それぞれに存在していて、それぞれ東梢局、西梢局、南梢局、北梢局を名乗っております。そして、朽木ルキアさんが所属される組織こそが、尸魂界東梢局護廷十三番隊というわけです」

「なるほどな。それに、ははあ……梢ってことは中央には幹が有りそうだけど、その辺はどうなんですか、テッサイさん」

「ふふ、黒崎殿は言葉遊びが好きですね」

 

 テッサイは一護の軽口を受け流す。

 

「……それで、鬼道というのは何なのか、という話なのですが。まあ、簡単に申しますと、霊力を媒介とした魔法みたいな物です」

「魔法……っていうとあの? ザケルとか、キラキラとか?」

「ええ。加えて言えばヒャドとか、ブリザドとか、そういうヤツです」

「なら、それって呪文を唱えれば誰でもできちゃうんじゃあ──ああ、そうか。霊力がいるって言ってましたね」

「その通り。勿論、唱えれば誰でもなんて、そう上手くは行きません。必要なのは燃料となる霊力、機構となる鎖結と魄睡などの霊体組成、そしてそれを操作するための知識です」

「……知識?」

「ええ、ですから。今からするのはですね、黒崎殿」

 

 勉強ですよ。

 徐ろにテッサイは、ホワイトボードを取り出した。

 ホワイトボードには、何やら夥しい量の文字が所狭しと並んでいるのが見え、一護は戦々恐々とする。

 

「鬼道の勉強とはつまり、呪文──鬼道では詠唱といいますが──それの勉強を行って貰います。端的に申しますと、なぜその言葉その配列、その量を発言すれば鬼道が発動するのかを知っていただきたいのです」

「……あー、つまり?」

「黒崎殿は美術史は得意ですかな?」

「そんな科目、聞いたこともねえっす」

「そうですか。それでは軽く、初期キリスト教美術についてお話しましょう」

「いや、軽くされても分からないっす」

「では、概略だけ」

 

 聞き入れてくれねえ。

 ゲンナリはするものの、これもルキアのためだと黒崎は頭を上げた。以後数分、聞いてみる。

 するとどうやら、象牙のレリーフや石棺、聖堂壁画、建築形式など様々な事例を持ち出されて説明されたところによると、つまり、初期キリスト教美術というものは、その前の時代までに流行っていた美術の形式をそのまま中身だけ替えて作るということがあったらしい。

 聖書の挿絵みたいな美術品に、ギリシャ神話の構図を用いたり。

 キリスト教の聖堂をローマの神殿の形式で作ったり。

 今で言う、文化盗用や文化侵略のような、そういうことがあったらしい。

 

「現代で言いますと、MacBookでWindowsを使うようなもの、といえばわかりやすいでしょうか? ……いえ、最近は簡単にはできないんでしたっけ?」

「いや、知らねえよ──で、それがどういう結論になるんすか?」

「つまりですね、異なる文化や言語の単語であってもそこには見えない意味や文脈が存在するのです」

 

 キリスト教の背後にはどうしても紀元前の文化が香ってしまうように。

 鬼道の詠唱、その文言には、字面以上に意味が存在する。

 

「……最近授業でやったぜ。ハイコンテクストって奴だな?」

「はい。言い換えて寓喩、アレゴリーですな。そして、鬼道という術式体系は、東西南北梢局で用いられる呪文の中でも、日本らしく割と節操ないです。ですので詠唱は、東西南北あらゆる文脈を利用してしゃぶり尽くした文章をしています」

 

一護の脳内でスパゲッティモンスターがサラダボウルの中で踊り狂う絵面が浮かぶ。苦々しい表情を浮かべ、かいた胡座を崩しながら更に一護は訪ねた。

 

「それって短時間で習得できるんですか?」

「まずもって無理でしょうね。何年も学んだ尸魂界の死神見習いでも鬼道が扱えず留年する者も珍しくありません」

「えぇ……」

「結局、扱えないまま腕っ節で卒業する方もザラにいます」

「それは……どうなんだ? いいのか?」

 

 あちらでは、強いか否かが全てですから。とテッサイは笑って言った。なるほど、その分を補えるほどの有能さがあればいいのか……なんて脳筋なんだ、と一護は呆れ半分に頷く。

 

「聞くところによりますと、どうやら黒崎殿は高校のお勉強がとても御出来になられるとか」

「あ、ああ。まあ知らないことを憶えるのは嫌いじゃないからな」

「ふむ、それでしたら、まずは、人類史をやりましょう。功績、罪悪、死後の世界とこの世界はそういったものと密接に関わり合ってますので……楽しいですぞ?」

「鬼道が使えるようになる保証もなくて、しかもメニューは座学……本当にそれで強くなれるのかよ──ですか?」

「ええ、約束します……鬼道を扱うことを通じて霊力の多様な在り方を学ぶのが今回のテーマですので。まあ、黒崎殿の場合は『巧くなる』のほうが正しい気もしますが、ね」

 

 ドサドサドサッ、と様々な本やコピー冊子を机に乗せて、久々の弟子ができました、と嬉しそうに言うテッサイを見て、黒崎一護は震え上がるのだった。






読んでくださりありがとうございます。
そして、アンケートへのご協力も大変助かっております。思ってた百倍ご協力頂きびっくりしました。
感想・誤字報告も大いに助かってます。
うれしい!


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10. 俺達は 手を伸ばす  雲を払い 空を貫き  無月は掴めども  月には まだ届かない

 010-1

 

 

「──以上が、今の一護サンの現状っス。まあ、控えめに言ってバケモンっスねぇ」

「人の息子を化け物扱いすんじゃねえよ」

「いやいや、バケモンでしょ、これはもう。アナタみたいなお父サンの前で言うのもなんですが、常軌を逸してるっスよ」

 

 真っ昼間の昼下り。

 古臭い三間構成の面影を残す間取りの浦原商店の一角で、またしても、ヒソヒソと話す怪しい不審者がいた。

 

「息子が家出して早10日。友達ん家に泊まりに行くとか言ってたけどよ、実際のとこどんな調子なんだ?」

「友達の家って……処女の言い訳みたいっすねえ……気色悪っ」

「ひとの息子になんて物言いしやがる」

「──ッス。……まあ、実際も何も、さっきの言葉の通りですよ」

 

 浦原は、茶飲みを大袈裟に掲げてみせる。

 確かに──実際に、一護は意外にも、テッサイの授業にのめり込んできた。

 一護にとってテッサイの授業は引き込まれる物だった。人類史という題材こそ興味はなかったものの、死神という人間よりも遥かに高い視座で語られる人類史は新しい視点での考察も多かったためである。

 王も帝も教皇も商人も市民も奴隷も、為政者も芸術家も哲学者も建築家も全て押し並べて人間の型枠に嵌めて評価してしまう死神の人類史はいっそ、痛快ですらあった。そう、時には厳しく時には慈愛をもって語られる歴史の節々での事象は、人類の枠組みで産み出された教科書だけでは知ることのできない叡智に溢れていたのである。

 そこに伏線を回収するのように霊力や死神と虚の話も交じってくるのだから、元々勉強が嫌いでないこともあり、最終的に一護はかじりつくようにテッサイの教えを請うた。

 

 ある時、浦原は一護に対しそれとなくヒアリングしたことがあった。調子はどうか、得るものはあるか、継続できそうか。そんなことを聞くと、彼は嬉しそうに答えた。

 

『いや、面白いぜ、浦原サン。今なら鬼道を発動するってことの凄さが分かるよ』

『まあ、テッサイは死神の中でも鬼道の扱いはトップですからね』

『マジで!? テッサイ先生凄え!!』

『尊敬しすぎて、テッサイが絡むと子供っぽくなっちゃってるじゃないですか……』

『いやでもさ。90番台の詠唱とかできる死神って本当に存在するのか? あんなん人類の結論に一歩足踏み入れてるじゃん』

『テッサイは詠唱破棄できますよ』

『テッサイ先生!? もう人智超えて釈迦じゃん!』

 

 いえ、死神です。

 とは言わなかった。

 代わりに浦原は、

 

『まあ、90番台の鬼道を詠唱破棄できる程度にはテッサイは人が好き過ぎるから、あのお勉強も話半分に聞いた方が良かったりするんですけどね』

『……そうなのか?』

『はい。人の倫理観には少々、毒が強いですから』

 

 と、釘を刺すように伝えた。

 その後、浦原はテッサイを呼び寄せる。

 

『どうです?』

『ハイ。そうですね……。鬼道の習得度としては破道の一『衝』と縛道の一『縛』が完全詠唱という条件付きで発動できるようになられました』

『十日間で二種も扱えるようになったんですか。さすが、才能あり余ってますねぇ……』

『えぇ……しかし、問題もありまして』

『と、言いますと?』

『彼の技──【無月】の力とでも言えばいいのでしょうか? ソレが必ずといっていい頻度で鬼道の威力に乗ってしまいます』

『はい?』

『衝を打てば山を揺らし、縛で囲えば締め切ります……嬉しそうにできたと報告して下さる手前、黒崎殿には失敗と言えませんでしたが』

 

手加減(そのため)のお勉強だった筈ですケド!?」

「ウハハ、うちの息子つえー!」

「開き直らないで下さいよ! 尸魂界は一応、故郷ですからねっ──いいんですか、息子が自分の実家を壊すかもしれないんですよ?」

「いいんじゃね? ──って、怒るな怒るな」

 

 一心は浦原を宥める。

 浦原も浦原で、本気で焦っていたワケでもなく、溜息を一つ吐くとその場に座り直した。

 

「鬼道に斬魄刀の霊圧が乗っちまうなんてのは良くあることじゃねえか。なら、次は斬魄刀の扱い方を教えてやりゃあいいだけの話だろ?」

「それがそうもいかないんすよ。斬魄刀は本来支給された浅打から徐々に自分の魂を載せていく必要があります。なぜなら、死神は魂だけの存在ですから」

「あー、そんなこと習った気もすんな。あれだろ? 寝食を共にすることで斬魄刀に己が宿るとかなんとか」

「えぇ。てか、一心サンも刃禅して卍解を習得したんですから、身を以て知ってるでしょ──斬魄刀の実体化くらいのこと」

「……まあな。ただよぉ、斬魄刀ってのは己の精髄を染み込ませるいわば自分自身じゃねえか。一護にそんな時間あるのか?」

「いえいえ、ですから、問題はそこの前なんですよ。つまりですね、斬魄刀は己そのものと言いつつ、実の所自分とは似て非なる存在なんですよ」

「そりゃそうだな」

 

 一心は自身の斬魄刀を思いだす。

 確かに自分の魂、精髄、誇り、そういったものの象徴であり抽象であり鏡のような奴ではあるが、しかし自分そのものとはいえないな、と。

 

「ようは、浅打には強制的に自分の中に別人格を生み出させる道具でもあるわけです」

「あー、飲み込めてきたぞ」

「──はい、一護サンの斬魄刀は浅打が自身に適応したものではなく、自身の中から生まれたものです。それゆえ常時開放型なんて代物になっているのかもしれませんが、ともかく、実体化できるか分からないんですよ。なぜなら、その斬魄刀は『自分自身』デスから」

「つまり、卍解が望めないっつうことか?」

「まあ、一護サンにそれが必要かどうかは置いといて、そうですね。それどころか刃禅が成り立たないのであれ以上の応用も望めないですね」

 

 どうしたもんすかねー、と薄ら笑いを浮かべる浦原を見て、ふと一心は気付いた。

 

「……あれ? んん?」

「どうしました?」

「いや、そうだな……一つ聞きたいんだが」

「はい」

「一護の斬魄刀って鞘はあんのか?」

「──あ」

 

 斬魄刀は、鞘と刃にて成り立つ。

 ともすれば、教科書の1ページに記載されゆる事項であった。

 浦原は二度三度、瞬きを繰り返すと、ポンっと、右手で左手の平を打った。

 

「……。……、……。……。……ははぁ、なるほど。わかりました。ありがとうございます、一心サン。流石、一護サンの肉親とあってよく理解していらっしゃる。お陰様で今後の予定が決まりました」

「お、おお? おう、まあ親だからなっ!」

「ええ、親ですから」

 

 010-2

 

「……と、いうことで、修行デス」

「え? テッサイ大明神御先生は?」

「神扱いですか。いやまあ、神ではあるのかもしれませんケド。絆されてますねぇ……つくづく。しかし残念ながらテッサイの授業は一先ず終わり、今日からはアタシと修行デス」

「えー」

「えー、じゃない。というか、『えーじゃない』というアタシの返答ありきで返事しないで下さい。そんなチャラけたキャラクターじゃないでしょ、貴方」

 

 ペシペシ、と閉じた扇で一護のおでこを軽く叩く。

 それもそうだ、と長髪を揺らして黒崎は笑った。珍しく、無邪気な笑顔だった。織姫が見ていたなら鼻血を出して拝んでいたに違いない優しい笑みだった。

 

「それなら、今日からはどんな修行をするんだ?」

「ええ、死神の大きな技能4種『走・拳・斬・鬼』の内ですね……」

「おう」

「走──」

「おう」

「──と」

「おう?」

「拳と斬と鬼デス」

「なるほど、走と拳と斬と鬼ですか。って全部じゃないっすか。いらんフェイントもしてるし」

「まあまあ、ちゃんと強くしますから。それでは着いてきてください」

 

 がぱり。

 漬物床野安置室を開くような気軽さで床扉を開けた浦原は、コチラです。と言い、するすると床下へと入っていった。

 色々言いたいことはあったが、一護は持ち前の無口さをもってソレを封じ込めると一度肩をすくめ、浦原に続いていった。

 

 

 床下の巨大な地下空間に関して一頻り浦原と一護が言い合った後に始まったのは、『走・拳・斬・鬼』の内の『走』についての説明だった。

 

「──とまあ、こんな感じで走るのが瞬歩なわけです。要は、高速戦闘用の歩法デス。利点は、霊力を用いた運動エネルギーの操作ですから、身体感覚で運用できることですかね」

「そういえば、前に石田が使ってた瞬間移動みたいなやつ、アレも瞬歩だったのか?」

「いえ、あれは飛廉脚と呼ばれる別の技ですよ。死神と違って霊力が少ない、いわば人間用の技術(トリック)とでも言いましょうか。わかりやすい例を探すなら、そうですね……霊子を固めて作ったスケートボードに乗るイメージですかね。霊力消費する物ではないので消耗は少ないですけど、扱いが身体感覚とは少し離れます」

「へぇ……なるほどな」

 

 霊子を固めるというトリックは、応用すれば空中で瞬歩を用いることが可能になるのだが、それは隠密機動の秘技でもあったため浦原は口を閉ざした。

 ちなみに破面(アランカル)の用いる響転(ソニード)は、霊圧や霊子感知する探査神経(ペスキス)に引っ掛からないという利点を持つが、移動前に着地点を設定する必要があるため、応用や変更が効きにくく着地狩りされやすいデメリットもある。これまた前者2つの歩法とは別系統の技であった。

 地団駄を踏むようにして瞬歩の練習をする一護をみて、懐かしそうに微笑む浦原は、キリのいい瞬間を見極めて一つ疑問を投げかける。

 

「さて、尸魂界にいる死神に対峙しなくてはいけない一護サンですけれど、アナタのアドバンテージとは何でしょうか?」

 

 戸惑いつつも、一護が答える。

 

「突然、何を……いや、そうだな。経験値や技量は負けてるし、霊圧の強さは分からない。──けど、多分、防御力ならいい勝負できるんじゃないか? この前戦った阿散井とかいう死神の一撃もあんま痛くなかったし」

「なるほど、不正解です」

 

 ぴし、と浦原は持っていた扇子を開く。

 そこには達筆な字で『不正解』の文字。

 

「また、端的に否定してくれるじゃねえか……じゃあ、一体何なんすか?」

「若さ、です」

「はあ?」

「まあまあ。では、死神の平均年齢をご存知ですか?」

「今んとこ出張ってきてる奴はみんな普通の大人位の年齢だし、戦闘職だし、やっぱ、いいとこ三十半もいかないんじゃないんですか?」

「あははは。そんな、人間じゃないんですから……。──二百歳は超えてますよ。なんでしたら、隊長クラスになると更に数百歳は加算されると見ていいでしょう」

「──マジかよ。……あぁ……そういやぁ、ルキアが年齢そこそこ行ってるみたいな話をしてたような気もするな……。いや、けど、浦原さん。その割に大人らしい死神に会わないのは何でなんだ? いいとこ三十代の容姿だったぜ? それに言動だって数百年生きたにしては幼かったし」

「そりゃあ、大人も一皮むけば、子供と変らないからじゃないですか? 死神は人間みたいに取り繕う文化がありませんからね。子供おじさんと子供おばさんだらけですよ」

 

 アタシも含めてね、と自虐する浦原喜助。

 恥ずかしそうに扇子をあおぎ、浦原は言葉を続けた。

 

「ともかく、君は若いんです」

「なら余計不利なんじゃねえの? それだけ経験豊富ってことだろ?」

「いやいや、だからこそ、有利なんですよ。なぜなら、体感速度は生きてきた時間に反比例しますからね。つまり、若いほど、時が経つのは遅いですから、ね」

「……と、言うと?」

「簡単な話、15歳の貴方と750歳の死神の間には、単純計算にして『50倍もの体感時間の差がある』ってことです。勿論、個人の脳味噌や気質によって差はありますが。けど、どうしたってその差は埋まらないんです」

「なのに、隊長クラスは平均年齢が高いのか?」

「おや、いい質問ですね。そうです。長生きは(うま)いんです。先程、一護さんがご自身でおっしゃったように、彼らには途方も無い経験がありますからね。……けど、逆を言えば経験がないことには滅法弱い。だからこそ、彼らは簡単な策謀や知略にいいようにされてしまう──っていうのはアタシの愚痴ですけども。……ね、一護サンにもちゃあんと、利益はあるでしょう?」

「ふーん……なるほど、な」

「アラ、ノリの悪い反応ですね」

「──この二週間、どれだけその手のノリ食らったと思ってるんだ、いい加減慣れたぜ」

「あらら、それは残念。……けど、その慣れは危険ですねぇ? しっかり一回一回把握して咀嚼して判断して切り捨てて貰わないと。それこそが、貴方の利点──『若さ』なんですから」

「あぁ? あ、ああ。そういうことか」

「はい、そういうこと──つまり、体感時間が長い分貴方には死神との戦闘中、思考時間という何よりも重用なファクターにおいてアドバンテージを持っているのです。それこそ、百倍も」

 

 例えば、それは、学生時代の3年間と社会人の3年間のような違い。とでもいえば、ピンとくるだろうか。尤も、黒崎の場合は小学生と中学生の対比にしたほうが分かりやすいのかもしれない。

 どちらにせよ、浦原喜助の話は、要するに、3年間の儚さは過ぎってしまった後に実感するという定型文の類型だった。

 

「まあ、ルキア救出に必要ってんなら、俺はやるだけだ」

「えぇ、その通りデス。……ひとまずは、瞬歩。次に近接格闘術、そして剣術。合間に鬼道。そして刃禅。……やることは沢山ですよぉ?」

「……あぁ、迷惑かけるな」

「──アハハ。……いいんですよ、アタシらの仲じゃないですか」

 

 どんな、仲だよ。と一護は冗談めかして地面を蹴った。

 ただの蹴りにしては、一護の体が勢いよく進む。

「才気に溢れてますねぇ」と浦原喜助は嬉しそうに笑った。

 

 朽木ルキア救出作戦まで10日を切った昼下がりの会話だった。

 



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11. 届かぬ月に 無を灯す  あの月を 見ずに済むように  この無を 仕舞わぬように

 

 011-1

 

 

「感じ取れへん霊圧なんて隊長は言わはるけど……おもろいやん。……感じ取れへんちゅうことが感じ取れるなんてなぁ」

 

 軽妙洒脱な様子で尖塔の先に佇む銀髪細目の洒落男は、なんの感情を感じ取らせない表情で呟いた。

 瞬間。彼のすぐ右隣の空中に現れたのは、隊長羽織を身に纏った、知的さを携えたオーラを放つ優男。

 

「……藍染隊長、こんなけったいな場所に呼び出して、どうしたんです?」

「ギン、旅禍の到着は確認したかい?」

 

 市丸ギンは突拍子もない出現をさも当然のことのように受け止め、藍染もまた、同様の態度で言葉を交わす。

 藍染の言葉は、質問というよりかは淡々とした声色の確認だった。そして、またギンの問いかけへの答えでもあった。

 ギンはやや気だるそうな猫背をぐいっと伸ばして答える。

 

「──勿論。知り合って間もないルキアちゃんを助けるための侵入だなんて──いじらしい……まるでイナゴや。よくも知らず、理想を押し付け群がる面の厚さ──羨ましいわぁ」

「勢い任せの衝動の結果なんて、たかが知れている。それを美徳と取る文化性の低い環境で育ったというだけの話だよ」

 

 二人はポツリポツリと会話を交わす。まるで答え合わせでもするかのように安定した、終始穏やかなテンポ感。

 やがて、二人の目線のはるか先で感じ取れぬ霊圧の揺れが起きた。

 

「旅禍達はどうやら、門番と接敵したようだね」

「門番は兕丹坊言うことは、旅禍の皆には役不足や。……あぁ、南無阿南無」

「なに、殺されることはないだろう。現代の市井の民は優しいからね」

 

 藍染は、そう言うと腰に下げた斬魄刀の柄を、トントンと人差し指で叩いてみせる。

 

「──そや。隊長はんの鏡花水月……旅禍には見せに行かなくてもよろしいんです?」

「……これは、いずれはなくなる能力だからね。ならば、なくなる前に『鏡花水月』がなくなった私というものも試しておくべきだろう?」

「……おっしゃるとおりで」

 

 ギンは、心内で嗤う。

 藍染は、それすらも見透かしたように苦笑い──、そして、「そういえば」と言葉を投げかける。

 

「……そういえば、朽木君の様子はどうだったんだい? 君のことだ、既に揶揄いに行ったのだろう?」

「あー、ええ、まあ。行きはしましたけど、てんで駄目でしたわ。アノ子、知らんうちに随分なおきゃんになってまして……」

「ほお? 彼女の朽木家に囚われ過ぎる鬱気が晴れた、ということかい?」

「ああ、いや。ちゃいます。むしろ、それ以外を吹っ切っている、言うんが正しいんやと思います。『お兄様』にかかる迷惑への憂慮以外の心配をまるでせえへん。いくらか揺さぶってもみましたけど、そもそも自分が死ぬなんて思っていない様子でしたわ」

「それは……興味深いね。──と、なると、心の隙を突くにもコツが入りそうだ。……ふむ、そうだ、今から旅禍の様子を見てきてくれないかい? 危険だと感じた時は知らせてくれたまえ。報告次第では万全を期することも検討するとしよう」

「ええ、ええ。委細、承知しました」

「ふふ──期待してるよ」

「……はいな」

 

 トン、と音を感じさせぬ一足でギンは消えた。

 入れ違いにトトン、と雛森桃が現れた。

 

「た、た、大変です!! 藍染隊長! りょ、旅禍が兕丹坊と接敵しました!!」

「──なに、そうなのかい?」

「はい! 総隊長が隊長に招集命令を下されました。至急一番隊隊舎に向かってください!!」

「……それはそれは。流石一番隊、対応の早いことですね。脱帽です。相、分かりました、今から向かうとしましょう」

 

 自然な動きで雛森の肩を抱くと藍染と雛森は同時に消えた。

 青天にたなびく白雲を背景に伸びる尖塔。

 一陣の風が吹き、幾許かの塵が舞った。

 

 

 

 011-2

 

 

「通れ! 白道門の通行を、この、兕丹坊が許可をする!!」

 

 尸魂界瀞霊廷西極部、西門『白道門』の門番である兕丹坊は声高々と宣言した。

 現世の常識から並外れた体躯から発せられた彼の宣誓は、大気を、大地を揺らし、その大音量に井上と石田は思わず顔を顰める。黒衣を纏った一護は静かに「──そうか」と呟き瀞霊廷に入らんと重心を微かに前倒した。

 

 

 蒲原喜助の修業が始まり二週間。

 八月三日。同日、浦原より尸魂界への侵入経路が整ったと連絡を受け、一護達は各々の修業を切り上げた。そしてそこから三日かけ身辺整理と修業で傷んだ身体の治癒を行い、八月六日出立。同時刻、断界と呼ばれる現彼の挟間に侵入。途中、拘流と拘突と呼ばれる排他機能に追われたり、時空の歪曲により体感の六十二倍の時間を掛けたりしつつも、八月八日に尸魂界に到着した。

 その後、黒崎一護、石田雨竜、茶渡泰虎、井上織姫は天国とは程遠い荒廃した景色に何を思ったのか。たじろぐ一護たちの様子を見かねた四楓院夜一に背中を蹴られながら、彼らは瀞霊廷へと向かう。

 程なくして、瀞霊廷の門番が一人、兕丹坊に出遭い、衝突。その後、打ち負かした。

 そして、先の言葉。つまり、通行許可を貰い、兕丹坊は門を引き上げ──、

 

「いやいや、ははァ……こら、アカン。アカンなぁ……門番は門開けるためにいてんのとちゃうやろ」

 

 左腕を切り落とされた。

 一護は動かした重心を静かに乱入者へ向け、身体をブレさせ、瞬間的に奴の懐へと移動させる。

 

「破道の一【衝】」

「──これまたアカン。奴さん、破道使えるんかい」

 

 乱入者……市丸ギンは差し出された一護の右腕を右足の裏で踏ん付け、インパクトを地面へとズラす。爆散する床面のタイルを避けるように瞬歩で移動したギンは静かに兕丹坊を見上げた。

 

「今ので君()身に、この子は重すぎたんは理解したわ。……けどな、門番が(いち)言うんは、つまり(かんぬき)ゆうことや。地に落ちた閂は壊れたゆうことやろ?」

 

 ゆっくりと、しかし決して無駄なくギンは斬魄刀を抜いた。

 

「──ほんなら、兕丹坊。お前が生きとるんは、可笑しいやろ?」

 

 兕丹坊に向かって突き出されたギンの斬魄刀は、一護の掌底とかち合った。

 金属と金属が打ち合ったような激しい音と共に霊圧が吹き溢れる。ギンは狐のような笑みを深めた。

 

「黒崎一護……クン。君、斬魄刀は?」

「……知らねえよ」

「ああ、答えんでええよ。その変な死覇装見れば解るしなァ──大方、纏うタイプの始解言うことやろ? 早数ヵ月で始解に至ってて、瞬歩と鬼道も実践レベルで使えるなんて、才能に恵まれてて羨ましいわ」

 

 ギンは得体のしれない態度を崩すことなく、ちらりと一護の背後を見た。

 

「ほんなら、後ろのカワイ子ちゃん達も強いんやろなァ。……ボクん瞬歩に対応するくらいには」

 

 一護の腕を振り払う──瞬間には一護は織姫達の前に立っていた。

 

「ははっ、流石。ケド、狙いはこっちやねん」

 

 ギンは兕丹坊を蹴り飛ばし、門を落とした。

 石と石が擦れ、重厚な悲鳴をあげる。ギンは一層笑みを深めて手を振る。

 一護は静かに、口を開いた。

 

「井上……三天結盾で皆を守ってくれ」

「──! 火無菊、梅厳、リリィ!!」

 

 井上は即座に応える。

 一護は右腕を掲げ、その肘を反対の手で支えるように掴んだ。

 夜一はこの先の出来事を悟り、血相を変え、叫ぶ。

 

「もう止せッ! ここは一旦退くのじゃ!! 奇襲は失敗した!」

「……奇襲は失敗したなら、今は準備の時間を減らすのが最善だろ、夜一サン。──俺が、囮になる。皆は先にルキアの元に向かってくれ」

 

 右手の先に黒い焔が纏縛する。急激に高まる霊圧にギンは退却の一手を冷静に選択した。

 

「──【無月】」

 

 無音の豪風は霊圧と共に唸りを上げ、うねり、練上がり、門などなかったんだとばかりに前方を消し飛ばす。

 一護は修行前とは比較にならない霊圧操作で無月をまとめ上げ、無尽蔵に突き進む無月を門だけ消し飛ばした後に引っ張り上げた。返す刀のように一護へ迫った無月は纏うように一護の中へと戻って行った。

 荒れ狂う馬を操るような動作に込められた、一護の精緻な霊圧操作。味方の夜一でさえも、その才能に一筋の汗を垂らす。

 見るべき者が見たならば、一護の行った、自分の身から離れた霊圧の操作という技術が、霊子の隷属に類するモノだと気付いただろうが、今この場、この力量においては石田がやや眉をひそめるに留まった。

 

 ……かくして、旅禍の存在、その実力は瀞霊廷に広まる。感知できない霊力の束が瀞霊廷に異様な虚無空間を生み出したことは知れ渡った。

 

 ──故に。

 一人が、遠くの先では一人が血相悪く咳込み、

 一人が、ゴミを改造(イジ)って首歪め、

 一人が、歌舞く鈴を揺らし一振りし、

 一人が、振り返って千慮に沈み、

 一人が、沈黙保ち瞠目し、

 一人が、目深に笠を下して嘆息し、

 一人が、意気揚々と屹立し、

 一人が、兀立した場所で瞑想深め、

 一人が、深く笑い、

 一人が、嗤い、

 一人が、(わだ)える蛇の如く潜み、

 一人人が、眉顰めて一歩踏み出し、

 

 ──そして。

 一人が一切合切委細些事であると切り捨てた。

 

「……今だ」

 

 一護が小さく呟く。

 夜一は早に「任せたぞ」と託し、残る三人を引き連れ瀞霊廷に駆け抜けた。

 

「──行かせへんよ」

「それはこっちのセリフだ」

 

 瞬歩で詰めようと踏み込んだギンの足を一護が瞬歩で詰め、踏み抜く。

 

「あらま、意趣返しや」

「たまたまだ」

「……キミ、護廷十三隊に就職せぇへん?」

「悪ぃが、俺はもう高校生に就いてんだ」

 

 一護は皆が無事侵入したことに安堵する。

 ギンはやらかしたと、今後のことを憂いる。

 

「──そうだぜぇ、ギン。コイツは護廷十三隊にはならねぇ。んなモンになっちまったら俺が叩ッ斬れねぇだろうがッ!!」

 

 そして二人の間を割気振り抜かれた一振りの刀。

 刀、と言うにはあまりにもボロボロなソレを見た市丸ギンは、憂いを振り払い即座に離脱を図った。

 

「次から次に……」

 

 黒崎はじろり、と横目で刀の持ち主を見遣る。

 しかし、人影を捉える間もなく、振り下ろされていたはずの切っ先は、横薙に振るわれて目前へと迫っていた。

 

「──なッ!!」

 

 人間としての常識が一護の身体を硬直させる。

 直ぐ側で聞こえた高笑いと共に衝撃が襲い、一護を付近の建物へと吹き飛ばした。

 

「チッ、思ったよりも軽ィし硬ェな」

 

 刀を肩に担ぎ文句を垂れる男は吹き飛ばした先から目を離さない。

 理性から程遠いその本能が残心を勧めている、彼は相手の沈黙を一片たりとも信じていなかった。

 程なくして積み上がった瓦礫を振り払い立ち上げる一護に、男は口角をあげる。

 

「そうこなくっちゃなぁ、旅禍」

「何者だよ」

 

 ギンは既に舞台から立ち去っており、逃した自分に一護は苛立ちつつ尋ねる。

 

「あぁ?! 名乗り(ソレ)は今、必要なのかよ?」

「──確かに、そうかもな」

「だがテメェが俺を悦ば(たのしま)せるっつう話なら別だがなッ──」

「けどよ、夜一サンが言ってたんだ」

 

 拭き溢れる霊圧。

 メノスグランデや浦原との修行で浴びた敵霊圧とは比べ物にならない勢いで立ち昇る闘気は一護に暴力の奔流を予感させるには十分だった。

 

「……『一般隊士なら問題なし。席官なら要注意で、副隊長なら即離脱。もしそれが隊長なら抗え』。俺はてっきり隊長相手じゃあ逃げるのも無理ってことなんだと思っていたんだ」

「ああ?」

「お前、隊長だろ? なら、合点が言ったぜ。──隊長は倒せる相手だってことがなッ!」

「ハハァッ! 俺ぁ、バカは、好きだ、ぜ!!」

 

 一護は煽った。

 男──十一番隊隊長【更木剣八】は嗤って応えた。

 その頭に鈴は既になく、眼帯もまた取れていた。

 



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012. 我々が無き月を美しく思うのは 我々が無き月を止められないからだ 悚れ無き その月のように 無へと踏み出せずにいるからだ

 

 012-1

 

 粗筋も粗捜しもあったものではない。

 朽木ルキアの死刑には、決定という結果のみが存在していた。彼女に対する取り調べもそれとなく能書き垂れたものであり、貴族の養女に対する敬意など当たり前のように無視されていた。

 捕まり2日も経てば物置の箪笥(たんす)のような扱い。

 物珍しげにふらっと訪れる輩を除けば、彼女を見守るのは頑強な白亜の天井だけである。

 しかし、彼女は不思議と落ち着いていた。

 蛇のような男の蛇のように下卑た甘言にも惑わされず、浅黒い盲目の見透かしたような詰りにも情動を誘われない。貧困層出身のルキアは、かつて霊術学院で賜った、明鏡止水の高説を生臭坊主の(のたま)いでしかないと考えていたが、どうやらそれも改める必要がありそうだと、口の端を歪めた。

 

 遠くの方ではここ数ヶ月で馴染みに馴染んだ漆黒のような霊圧が響いている。彼と出会ってから相当に早い段階で、ルキアはその霊圧を感知できるようになっていたが、その異常性に彼女はとんと気付いていない。

 

 ぐー、そしてぱー。

 

 霊圧の波長に合わせて手を開いて閉めてを繰り返す彼女。

 その度、彼女の【崩玉】は拓いて占めての胎動が生じる。

 その波動は赤子をあやす揺り籠のように、彼女を落ち着かせるのだった。

 

 

「朽木ルキア。取り調べだ、出てこい」

 

 囚われたルキアには隊士としての責務が免除される代わりに日に数回の取り調べが義務付けられていた。

 といっても、先の通り、取り調べは精霊廷としての体裁を取り繕うためのものとして形骸化しており、取り調べ専門の隊士や尋問官が出てくることもなく、ただ単に暇の空いた隊士が同席して時間を潰すように反省を促してくるだけだった。

 しかし、本日はどうやら趣が違うようで、呼び出す隊士の額にはうっすらとした汗が見え、声は緊張で若干の震えが見える。ルキアはそっと取調室に霊圧感知を向けた。

 

「なるほど……」

 

 納得したように呟くと、彼女は正座の姿勢を崩して静かに腰を上げた。鍛えがよかったおかげか、数時間ぶりに動かした脚に痺れや凝りはなかった。

 牢が軋みを上げて扉を開くのを見届けてくぐり通る。無機質な廊下をひたひたと歩き、囚人室、物置、見張り室、看守室、警備室、看守実務室、警備実務室、看守長室、警備長室、等と質素に書かれたいくつものネームプレートと扉を横目に抜け、見知った霊圧へと迷いなく向かう。

 

「よー、ルキア。思ったよりも元気そうじゃねえか」

 

『取調室・柒』

 菖蒲の茎根が墨で描かれた扉に花はなく。

 黒く縁取られた室内では、椅子にドカッと座り、取り調べ用の机に両足を乗せた恋次がニタニタと嗤っていた。監視役の一般隊士は罪人を過剰に煽っているのではないかと不安そうな顔をしている。しかし、一方のルキアは、幼馴染の不器用な気遣いに気づき、強張らせていた体を緩めた。

 

「──何用だ」

 

 監視の手前、ルキアは突っぱねた物言いをしてみるがなんとなく格好がつかない。恋次もまた、そんなルキアを見て内心吹き出していた。

 

「いやぁ、なんだ。何も用もねえんだがよぉ、これから処刑されるテメエに一つ教えてやろうと思ってな」

「一護──旅禍のことなら既に探知している。貴様に教えられなくとも、な」

「……霊圧探知を阻害する術式は施設全体に行き渡っているはずだぜ?」

「阻害はしていても遮断はしていない……そうだろう?」

「……ハッ、洒落クセェ言い方するようになったじゃねえか。死神の誇りだけじゃなくて現世でテメエの出身も忘れたのか?」

「私の誇りなど、叩けば出ていくような甘さでしかなかったさ」

「チッ──」

 

 ルキアの言葉は、どこまでも()かした物言いだった。

 しかし、言うは易し。先程ルキアの話した霊圧感知の困難さは、その場にいる恋次が何より理解していた。席次を持つ者にとって、霊絡を含めた霊圧探知の精度は実のところそれほど悪いものじゃない。それこそ霊圧阻害があったとしていても働く程度には感度は良い。しかし、阻害の壁を突破してその方向。その特徴、その特定を行うことはフーリエ変換を脳内感覚で行うようなものであり、隊長であっても出来ると豪語するのは(はばか)られる、難事であるはずだった。

 

(現世でのことはよくわからねえが、大分成長してやがる……)

 

 恋次は澄まし顔の幼馴染を見て思う。実力もそうだが、胆力、そして死神としての風格が段違いであると。

 

(ひょっとしたら……いや。いやいや、ありえねぇ)

 

「おい、ルキア。ならよ、その大切なオナカマが今誰とカチ合ってるのかも分かってるよなあ?」

「──無論。市丸ギンと遭遇していたことも、今は貴様の敬愛する更木剣八と戦っていることも、委細承知しているとも」

 

 ルキアは、迷わず南南西の方向──今まさにその両者が戦闘を行う方角を向き静かに答えた。

 恋次はその彼女の表情を見てイラついた様子を遂に表立って発露した。

 

「ンだよ、腑抜けやがって! テメエがフカしてるなんてこたぁ、わかってんだよッ。捕まったらそれまで、急に姫様顔晒してんじゃァねえぞ、 オイッ!」

「姫様……か。私はな、恋次。この数か月、あやつと共に過ごして初めて自分の弱さを知ったのだ」

「ああ? テメエは……いや、俺らは何時だって弱かっただろうが! だから強くなるために死神になったんだろうが!」

「いや、恋次。私は思うのだ。強さというのは、弱くない、ということではなく、護られないということでもない。むしろ、弱くて庇護下で、優しい。そういうものなのだ」

「在り方の話なんてのは強さの本質じゃねえ、だから俺は隊長が、更木剣八に……!」

 

 恋次は顔色一つ変えないルキアに悟った顔しやがって、と自覚もしていない怒りを覚える。

 

「──恋次、貴様の言う通り、更木隊長の無茶苦茶な強さには私の言ったような感傷はないのかもしれない。だがな。もしもこの私に、【朽木ルキア】に、もしも、強さなんてものがあるならば。……それはきっと、一護に倣うべきなのだと私は思うのだ」

「一護……黒崎、一護」

 

 いけ好かない黒長髪のスカした表情がルキアとダブる。

 恋次は自身を灼き尽くさんばかりに襲い来る正体不明の怒りを必死に圧し殺す。

 

「だからテメエは、赤ん坊みてえにあいつの真似をするってわけかよっ」

「ははは──まさか。むしろ一護は更木隊長に近いだろうさ」

 

 当たり前のように強くて、だから強い。

 主人公だから、と理不尽な理由を聞かされたとしても納得してしまうような強さが彼らにはあるとルキアは語った。

 

(そしてそれは、きっと兄様にも……)

 

「ならよぉ、ルキア。テメエはアイツを何として倣うってんだよ」

「──反面教師として」

「はあ?」

 

 予想外の言葉に恋次は思わず聞き返す。奇跡的に抑え続けられてきた霊圧がここで初めて吹き出る。

 喧嘩腰の威圧ととらえた監視官は釣られて短い悲鳴を上げた。

 

「霊術学院の教官が『戦争というものは正義と別の正義の衝突だ』と話したことを貴様も覚えているだろう。正義の反対が悪でないように、強さの反対もまた、弱さではないということだ」

「迂遠すんじゃねえよ。ソイツは言葉遊びに過ぎねえだろううが……!!」

「そう思うならば、恋次の強さもまた、一護と同類の物なのかもしれないな……」

 

 羨ましいよ、とルキアは吹っ切れた表情で笑った。恋次は「よく言うぜ」と頬杖を机に打ち付けた。

 

「それよりも、だ。恋次、何か大事な用があってきたのだろう?」

「……チッ」

「優しい貴様のことだ。大方、私の処刑が早まったことでも伝えに来たのだろう? 不器用なトゲ付の言葉で」

「──知ってたのかよ」

「虫を食い殺した蛇が囁いたのでな」

「あの野郎か。……そうだ、上の意向でお前の処刑日を早めることになった」

「ふむ、いつだ?」

 

 恋次は少し口をつぐみ、何かをこらえるような表情をし、一息吐いた。

 

「──今夜だ」

 

 そうか、とルキアは頷いた。

 あまりにも軽妙な物言いに恋次は再び怒鳴りかけたが、これ以上の主張は癇癪でしかないと我に返り、一つ舌打ちをして何を言うでもなく、彼女に別れを告げ監視員に言葉をかけ部屋を出た。その後、ルキアもまた監視員に引っ張られながら退出する。

 

「……普通なら。嘆きの一つでもしていたのだろうな」

 

 誰に言うわけでもないその言葉は、穏やかな表情のルキアを通り過ぎ、宙の泡沫と消えた。

 

 

 

 

 012-2

 

 

 

 剣八と一護の戦闘は、激闘の一戦というにはシンプルで、達人の間合いというには大味過ぎた。

 

 剣八といえば走って寄って斬ろうとするばかりだったし、一護は時間稼ぎのため中距離から小規模な無月を放つばかり。

 

 映像としてはバッティングセンターよりも味気ない。話としても一辺倒。

 

「おいおい……楽しいなあ、オイ!!」

 

 しかし、更木剣八の表情は退屈には程遠く、山田花太郎なら見ただけで失神してしまいそうな獰猛さを存分に発露していた。

 剣八は頬をかすめる無月を気にすることなく一護に近づき、荒々しく刃こぼれした斬魄刀を叩きつける。いつもなら鋸を挽いた時のような感触が腕に伝わるのだが、斬った気配もなく、分厚い鋼鉄を殴りつけたような感覚がじいん、と手首を痛める。

 ブンブンと腕を振り、手首がイカレていないか確かめ、剣八は首を捻った。

 

「……ああ? なんだぁ?」

「──無月」

 

 そんな様子に容赦なく無月を放つ一護。

 黒い斬撃は屋根に立つ剣八の側を通り、空へと消えていく。

 

 無月は本来であれば、霊王宮ですら半壊しうる通常攻撃であるがその本質はその規模には無い。無月、と一護が呼ぶ撃衝と月牙天衝の違いにこそ本質がある。

 月牙天衝とは、黒崎一護が内包する莫大な霊圧を斬月を媒介にして放つ技である。そしてそのユニークな性能は放つプロセスには非ず、その後の放った霊圧を発散せず保持する性能にある。滅却師よろしく、霊圧をまとめ続け、推進する斬衝撃が特徴なのである。つまり月牙天衝は、霊圧を自発し溜め込むことができる死神としての力、霊子を操り攻撃に転ずる滅却師としての力の複合技ともいえる。

 一方で無月とはどのような性質にあるのだろうか。

 それは、端的にいえば、月牙天衝の滅却師的側面を究極的に押し出しつつ虚の力を加えた技である。

 一度、飛び出した斬撃が偏在する霊子に触れた時、その霊子は滅却師的側面によって隷属され、虚の力の片鱗により侵食し一護の霊圧として同化する。つまり、霊子で構成されており霊子の隷属に対して抵抗を持たない物であれば、無月に当たった時点で脱構築し、無月へ再構築及び収斂されるのである。

 

 しかして、この違いは、一護に対し、強烈な戦闘の制約を強いていた。

 

 一護は、寡黙であるがその根底は明確に善であり、少しでも彼を知っているものであれば、百人に百人がその名に恥じぬ優しい男であると答える程度には甘い男であった。

 一護は自分が明確に侵攻者である自覚をしており、また、ギンと相対し無月を放った時点で既に、尸魂界が霊子で構成されており、無闇矢鱈に無月を使い続けた後の悲惨な顛末に勘付いていた。

 ゆえに、更木との戦闘では無月の矛先が建物や地面に向かないようにすることが求められていた。

 かといって、イカれた刀を持つ大男に肉弾戦を挑むほど経験値があるといえば、そうではなく。

 結局のところ中距離を保ちつつ、宙に向かって、無月を放つのが精いっぱいなのであった。

 

「何処までも付き合ってやるぜェ!?」

 

 剣八は一護の葛藤など知る由もない。知るべくとないし、知ろうともしない。剣客の癖して人と人との遣り取りに対しててんで素人で『あろう』とするその悪癖に、遠くの窓際リンドウの花瓶の傍らで眉を潜める隊士も居たりするが、剣八はそれすらも笑い飛ばす。

 どこまでも下品でどこまでも本能的な嗤い声。

 一護は五月蝿ぇ、とゲンナリした表情で無月を振り上げた。

 

「──あっ、やべ」

 

 思ったよりも力が籠もったらしい。そして、剣先が逸れたようだ。

 幸いにも剣八を狙うラインから離れた無月は地平より87度の角度で打ち上がり、隊舎の軒先を消し飛ばし、空へと消えていった。

 ぐんぐんと伸びた無月は減速も減退もせず瀞霊廷の果へと突き進む。雲も、空気も、光さえも霊子に還元し、その動力へと転進させて行く。

 そしてついた先は、沈丁花の墨絵が掲げられた零番隊庁舎、【二枚屋王悦】の寝床であった。

 



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