TS衛生兵さんの成り上がり (まさきたま(サンキューカッス))
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1章 西部戦線
1話


 突然ですが、皆さま。貴方はFPSと呼ばれるゲームジャンルをご存じでしょうか。

 

 これは、いわゆる一人称視点のシューティングゲームジャンルの総称です。

 

 一人称視点というのは、非常に難しいです。

 

 装備によっては視野が悪くなりますし、画面に酔うことも多いですし、何より死角に回り込まれると反応できません。

 

 なので、普通に走っていただけなのに突然死亡するなんて理不尽な事態も良くあります。

 

 ですが、それがまた面白いポイントで、いかに相手の死角を突いて理不尽に殺すかという快感もあります。

 

 

 自分はそんな、FPSゲームにおいて神でした。

 

 卓越した索敵力、常軌を逸したAIM力、咄嗟の撃ち合いに反応する反射神経、そしてなにより相手の思考を読む裏取り能力。

 

 これらを高い水準で兼ね備えていた自分は、とあるバトル・ロワイアルゲームの世界覇者となりました。

 

 そのまま企業のスポンサーまで付いて、プロゲーマーとなりました。

 

 平和な日本においては、ただのゲーム中毒者の自分ですが。

 

 戦争の世界で、銃を持って戦う限り、自分は無敵でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二次元の世界では、ね、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゲームの戦争とは、単なる遊びです。

 

 戦いが終われば、撃ち殺した人と馬鹿な煽り合いをして、笑い合うことができます。

 

「────っらぁ!」

「ぐぇ」

 

 しかし、現実の戦争では。

 

 頚元を突かれ殺された兵士は、鼻と口からどす黒い飛沫と泡を吐き出して、2度と喋らなくなります。

 

「おら小娘! ボーッとすんな、突っ込むぞ!」

「え、あ、はい」

 

 小隊長────、前世の自分と殆ど歳も変わらない若い男が、襲い掛かってきた兵士を突き殺しました。

 

 そして周囲に叱咤号令して、勇猛に敵の領域へと踏み込んでいきます。

 

 彼に追従することが任務の自分は、小隊長の背中について走ることしか出来ません。

 

 

「この丘陵地帯を占領する。俺に続けぇっ!!」

 

 

 怒号と断末魔が飛び交い、糞尿と腐肉の異臭が漂う中、ビチャビチャと何かよく分からない水っぽいモノを踏みつけて。

 

 この日、初めて戦争に参加した自分は、誰かの体液と脂でベトベトになりながら、敵の領地だった丘を駆け上がりました。

 

 

 58m。それが、今日の自分たちが戦争で稼いだ距離です。

 

 何度も何度も進んだり戻ったりしながら、多くの人の命を踏み台にして前進した距離です。

 

 

 約800人。それが、今日の戦友達の犠牲者数です。

 

 戦線が58mを進むのに、800人が死亡しました。

 

 

 人の命は、距離になります。

 

 距離とは、すなわち領地です。つまり本日、我が国の国境は58mも進んだのです。

 

 

 

 

「がはははは! 大勝利だ、なあ小娘」

「……おめでとうございます。小隊長殿の、勇気と指揮あっての事です」

「初陣が、この俺の指揮下で良かったな。思いきり効率よく、使い殺してやるから安心して死ぬといい!」

 

 自分は、本日付でこの隣国との戦線────西部戦線へと配属されました衛生兵です。

 

 は、はははは。

 

「貴様の命で、俺は1mは稼いでやるぞ!」

「お国のために、見事役目を果たす所存です」

「安心しろ。死んだらちゃんと、貴様の遺族に武勇伝を伝えにいってやるからな」

 

 ああ。狂っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分は、トウリ・ノエルです。名はトウリで、姓がノエルです。

 

 前世は日本で、FPS廃人をしておりました。

 

 今世では性別が変わって、女の子になっております。

 

 因みにトウリと言うのは孤児院の院長から貰った名前で、ノエルというのは単なる地名です。

 

 父母は戦争に巻き込まれ、爆撃に遭い死亡したそうです。

 

 しかし、村が炎に包まれていくなか、たまたま生きていた自分を抱いて逃げてくれた村人が居たそうです。

 

 彼は、私を孤児院に預け、どこぞに消えたそうです。

 

 そして自分は、ノエル孤児院で引き取られ育ったので、ノエル姓を名乗っています。

 

 

 ノエル孤児院は、決して裕福ではありません。

 

 ある程度の歳までは面倒を見てくれるのですが、自活できる年齢になると出ていくか、働きに出てお金を入れるよう諭されます。

 

 自分も例に漏れず、15歳になって成人したところで働きに出ることになりました。

 

 

 

「君には……回復魔法の素養がある」

「え、本当ですか」

「きっと、磨けば光るだろう。仕官する気は無いかね」

 

 

 

 そんな折。自分は、国家の行っている徴兵検査で回復魔法の適正を見いだされました。

 

 回復魔法の使い手は、そこそこ稀少です。なので、

 

「仕官せずとも、回復魔法適性では徴兵対象になるだろう。自分から仕官した方が、色々と優遇されるよ」

「……」

「それに、沢山のお給料が入る。君の孤児院も、きっと裕福になる」

 

 自分は半ば選択肢もないまま、志願することになりました。

 

 

 

「院長先生、今までお世話になりました」

「……トウリ、無理をするんじゃないよ。怪我をしたら、遠慮なく戻ってきなさいね」

 

 正直、軍に志願するのはあまり嫌ではありませんでした。

 

 前世でのゲームにおける成績から、自分は優秀な兵士になれる自信があったからです。

 

 それに日本と違い、生まれ変わったこの世界はずっと戦争中です。

 

 いつ、どこで命を落とすか分かったものではありません。

 

 ならば、

 

「もし、戦争が終わったら。また、ここに戻ってきます」

「トウリ……」

「どうか、お達者で」

 

 兵士は、死亡した時に「慰労弔問金」の形で孤児院の財政に貢献できるのです。

 

 もし自分が死んだとしても、また自分の様な孤児を引き取って育てる資金になるのです。

 

 ノエル孤児院には大きな恩があります。

 

 なので、どうせいつ死ぬか分からない命なら、孤児院の為になるよう使ってあげたかったのです。

 

 

 

 因みに、今年の孤児院から軍への仕官は2名でした。

 

 自分と、悪戯っ子のバーニー・ノエルという少年です。

 

 バーニーとは同い年で、小さな頃からよく遊んでいました。幼馴染みといって良いかもしれません。

 

 彼は兵士になっても、自分に会いに来てくれると言っていました。

 

 戦争にいくのに、一人でも知り合いがいてくれたのはすごく心強かったです。

 

 しかし。

 

 そんな彼は配属初日に奇襲に遭い、敵の炎魔法に包まれ、コンガリ焼けて死んだそうです。

 

 同じノエル姓であったので、自分はバーニーの家族の様な扱いとして、彼の死体に対面が叶いました。

 

 昨日まで笑顔で話し合っていた彼は、苦しそうな顔で身体をパンパンにして、目を見開いて死んでいました。

 

 

 自分の軍での唯一の知り合いで、幼馴染みだった少年の死はとても辛かったです。

 

 嘘だと言ってよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「昨日はいきなり実戦になって災難だったな。昨日の今日だ、流石に敵さんも一息入れるだろう」

「……はい」

 

 いきなり戦場へ出撃させられた翌日。

 

 自分は、改めて小隊長からオリエンテーションを受けることになりました。

 

「ようし。貴様は回復魔法を使えるらしいな。しばらくは、俺の背後で……」

「使えません」

「……ん?」

 

 ここで、何やら大きな誤解があったことに気付きます。

 

 確かに自分は、回復魔法の適性を見出だされたので志願しましたが、まだソレを習っていません。

 

 回復魔法を教えてもらえるどころか、詳しい軍規すら説明されることなく戦場送りにされました。

 

 その場で学べ、と聞かされて。

 

「……。じゃあ貴様は何が出来るんだ小娘」

「何も、出来ません」

「じゃあ何をしに此処に来た?」

 

 来たくて来たわけではありません。

 

 ほぼ選択肢もないまま、戦場送りにされました。

 

 まあ、そんなこと言ったらぶん殴られそうなので言いませんが。

 

「何も出来ないなりに、国に貢献しようと思いました」

「はっ! 心掛けだけは一丁前だな、小娘。生意気なんだよ!」

「……ぐっ!!」

 

 結局ぶん殴られました。

 

「今の貴様は邪魔者だ、ごみ虫だ、無駄飯食らいの寄生虫だ。俺がベテラン衛生兵を紹介してやるから、とっとと技術を身に付けやがれ」

「ありがとうございます」

 

 ひでぇ世界です。これがリアルの戦争なんでしょうか。

 

 割とファンタジー要素が強い世界観だから、もっと和気あいあいと戦争してると思ってました。

 

 勇者の魔法ドーン! とか、ドラゴンブレスぶしゃー! とか。

 

「じゃあ、ついてきやがれ。その辺の死体踏むなよ、蛆湧いてるから」

「……気を付けます」

 

 別に、勇者とかそんな人はいなくて。戦争は前世と同じく、人間と人間が血みどろで殺し合いをするだけでした。

 

 やはりファンタジー世界でも、戦争は泥臭く汚いものみたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君、新人でガーバックの部隊に配属されちゃったか。御愁傷様だね」

「……」

 

 自分が小隊長に「さあ学んで来い」と連れられた先にいたのは、看護師キャップを被った優しそうなお姉さんでした。

 

 泣き黒子がチャーミングで、お胸も大きい美人さんでした。

 

「アイツ馬鹿……ん、おっほん。突撃することしか頭にないから、付き合わされる方は大変でしょ」

「いえ、まだ着任したてなので、その」

「あらそう。じゃ、そのうち分かるわ」

 

 その優しそうなお姉さんから聞かされた内容は、上官の悪口でした。

 

 厳密には、小隊長(ガーバック)殿よりこのお姉さんの方が官位が上らしいですけど。

 

「ガーバックは突撃兵士としては優秀よ、殺される恐怖より敵を殺す高揚感の方が勝ってるから。ビビらずガンガン敵陣に突っ込めて、本人の能力も優秀なもんで戦果もかなりあげてる」

 

 ベテランの衛生兵さんは、そこまで言うと少し困った顔になって、

 

「ただし、自分の部下を盾に使うので有名なの。突っ込み過ぎたと思ったら、部下を蜥蜴の尻尾にして真っ先に逃げ出すのよ」

「……」

「それも何の罪悪感もなく。ガーバックの奴、自分が死ぬより部下が死んだ方が損害が少ないって思ってるみたいね」

 

 そんな聞きたくなかったことを言いました。

 

「私の名前は、ゲール。ゲール衛生部長、階級は少尉相当」

「あ、失礼いたしました。自分はトウリ2等衛生兵です」

「うん、よろしくね。とりあえず、衛生兵として最低限の技能は教えてあげる。ガーバックにも貴女を大事にするよう言っとくし、なるべく長生きしてね」

 

 成る程。

 

 ゲールさんの話を聞く限り、自分はどうやら最悪なタイプの上官に当たってしまったようです。

 

「ただし、一応言っとくと馬鹿な命令でも、上官の命令には絶対服従よ。ガーバックの奴、命令違反者は容赦なく処刑するから」

「存じております」

「命令に逆らって処刑された場合、遺族に弔問金も行かなくなっちゃうらしいわ。どうせ死ぬなら、あの馬鹿の命令通りに死ぬことね」

 

 その理屈で行くと、そのうち自分が死んでしまうのは確定っぽいです。

 

 戦場に来ることで、自分の前世で培ったFPS技能を少しでも有効活用できるかと思いましたが……。

 

 そもそも兵士の行動はすべて上官の命令ありき。

 

 自分で判断して行動する機会なんぞほぼないですよね。

 

「ま、せいぜい長生きして頂戴。これからよろしくね」

 

 ゲームの戦争はあんなに楽しいのに、リアルな戦争は地獄です。

 

 中途半端にファンタジー要素があったせいで、自分は少し楽観し過ぎていたと気づきました。

 

 ああ、今では兵士に志願した自分が恨めしくてたまりません。孤児院のこととか気にせず、恥も外聞もなく逃げ出すべきだったと後悔しています。

 

 ですが、もう地獄に来てしまったものはしょうがない。

 

 せいぜい、必死にあがいてやることにしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっと、【癒】! こうでしょうか」

「あら、お上手ね」

 

 自分が西部戦線に配属されてから3日間、初日以外に大きな戦闘は起こりませんでした。

 

 その間に自分は、他の新米数人と共にゲール衛生部長から講義を受けていました。

 

「おめでとう、これで貴女も晴れて衛生兵よ」

「ありがとうございます」

 

 部長の講義はわかりやすく、自分たち新米衛生兵は全員、回復魔法を使えるようになりました。

 

 どんな形にしろ回復魔法を使えたら、一応衛生兵として認められるそうです。

 

 例え今の我々の回復魔法が、擦り傷を治す程度の効果しかないエセ回復魔法でも。

 

「衛生兵は、この前線に数十人ほど所属しているわ。逆に言えば、この広い戦線で回復術を使える兵士はそれっぽっちしかいない」

「はい」

「あなた達5人も、非常に貴重な戦力よ。よく働いて頂戴ね」

 

 その数十人の衛生兵の頂点に立っているのが、目の前のゲール衛生部長なのでした。

 

 この前線には、10万人近い兵士がたむろしていると聞きます。

 

 割合で言うと、衛生兵は兵士全体の0.04~0.05%ほど。

 

 回復術の使い手は、めっちゃ貴重っぽいです。

 

「トウリ、貴方は魔力量が少し多めね。だから、頑張れば2回分くらい回復魔法を使えそう」

「2回ですか」

 

 自分のホイミは、魔力量的に2回分らしいです。魔法専門職にしちゃ、少し物足りなくないでしょうか。

 

 目の前で講義してくれているゲール衛生部長は、授業中にもう4、5回は回復魔法を使っていますけど。

 

「ええ、新米にしては素晴らしい数字よ」

「新米にしては……」

「魔力は鍛えることができるから。生き残って何度も経験を積めば、ドンドン使える回数は増えていくわ。10回以上使えるようになれれば、優秀な術者として後方部隊に転属もできるわよ」

 

 なるほど、要は自分がまだ低レベルだから使用回数が少ないんですね。

 

 そして、魔力量が増えるとご褒美として? 安全な場所に移動できると。

 

 ……それ、逆では?

 

「あの。失礼ながら自分たち回復魔法使いは、後方で経験を積んで回数を使えるようになったあと、前線に送る方が効率的では……?」

「衛生兵をゆっくり、後ろで教育する時間も場所も施設もないわね。この国はもう末期も末期なのよ、こんな兵士とも言えないレベルの娘をいきなり前線送りにするなんて」

 

 ああ、やはりそんな余裕はないんですね。そんなに貴重な回復術師なら大事にしろと突っ込みたいのですが。

 

 もう10年以上、戦争は続いています。きっと、それなりに優秀だった兵士や指導者はみんな、殉職しちゃったんでしょう。

 

 だから、そんな馬鹿な方針がまかり通ってしまっていると思われます。

 

「あ、そうだ。トウリ、貴方には【盾】の魔法も教えておくわ」

「【盾】ですか?」

「そう。あのガーバックについてくなら、とっさに身を守る術を持っておかないと即死するもの。本当なら装甲兵(タンク)向けの魔法なんだけど、私たち衛生兵が習得することも多い魔法よ」

 

 興味がある子は、トウリの傍に来なさい。衛生部長はそう言って、コホンと咳払いをした。

 

 その魔法、非常に興味があります。自分の生存率に直結しそうじゃないですか。

 

「この【盾】は、魔力の障壁を咄嗟に展開することができるの」

「障壁、ですか」

「軽い攻撃魔法や、弓矢、投擲などは防いでくれるわ。中級以上の威力の魔法や銃は、防げないけど」

 

 衛生部長が掌を向けた先に、薄紫のガラスの様な板が出現します。

 

 それに触ってみると、まあまあの強度の板のような物体でした。

 

「これが咄嗟の時、命を救ったりするわ。自分だけじゃなく、仲間の命もね」

「おお……」

「トウリは習得必須だけど、他の子も興味があれば練習してみなさい」

 

 確かに、これは有用そうです。

 

 前世のゲームでも、似たようなスキルがあった気がします。あっちは銃弾でもなんでも防げてましたが。

 

 ベテラン衛生兵のこういう助言は、非常にありがたいものです。

 

 教えられた技術はしっかり習得して、ガーバックの無茶振りに備えるとしましょう。

 

 

 こうして、何のチートも持たない自分の異世界戦争生活が、幕を開けたのでした。

 

 この時の自分は、まだ知る由もありませんけれど。

 

 もう10年以上も続いているこの戦争は、まだまだ『序盤戦』でしか無かったのです。

 

 後の世に『東西戦争』と呼ばれたこの戦いは、自分が従軍した年から加速度的に犠牲者を増やし続けることになりました。

 

 人を人と考えず消耗品の様に使い捨ててしまう、本物の狂気の幕は、まだ開けてすらいなかったのです。

 

 しかしこの時の私は、戦争というものに初めて触れて、ただひたすらに怯えているだけでした。



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2話

「何時まで寝ている! この蛆虫ども!!」

 

 西部戦線に所属して、4日目。

 

「本小隊は、たった今より敵地への侵攻作戦の任務につく! 急ぎ準備せよ」

「了解しました」

 

 まだ日も出ていない明朝、自分はガーバック小隊長の怒声で目を覚ましました。

 

 寝起きで頭が働いていませんが、どうやら今すぐ出撃するようです。

 

 うぅ……、地べたで寝たせいで身体中が痛い。孤児院のベッドが恋しいです。

 

「ガーバック隊長……、え、今からっすか!?」

「この馬鹿モン! 命令に口答えするか!」

 

 自分はすぐに着替えて装備の点検を始めましたが、同僚の新米2等兵……、確かサルサ君が余計な口を利いて殴られていました。

 

 ああ、何故わざわざ地雷を踏みに行くのでしょうか。

 

「いえ、こんな直前じゃなく、前もって教えておいていただければ」

「貴様、さてはスパイか!? 大事な軍事方針を、貴様に説明する必要がどこにある!」

「ご、ごめんなざい! 痛い、殴らないでください!」

 

 そうです。下級兵士である我々は、いつ出撃になるかなんて説明してもらえるはずがありません。

 

 こうしていきなり、出撃せよとの命令が下るのです。

 

「マリュー上等歩兵分隊、以下3名、準備整いました」

「アレン偵察隊、以下2名、準備整いました」

「トウリ2等衛生兵、準備整いました」

「さ、サルサ2等兵! 準備整いました!」

「よし」

 

 このガーバック小隊というのは、小隊長のガーバック軍曹を指揮官とした10人編成の小隊です。

 

 しかし現時点で10人に満たないのは、4日前の戦闘で3人戦死者が出たからです。

 

 その後、小隊長殿の申請でサルサ2等兵が補充され、現在8名です。

 

 因みにサルサ君はつい4日前にこの戦線に到着したばかりの新米。つまり、自分と同期になります。

 

「マリュー隊が先行せよ、アレン隊は俺の横で待機。トウリとサルサは、俺の真後ろについてこい」

「了解しました、小隊長殿」

 

 ガーバック小隊長の号令に、雄々しく返事する精悍な顔立ちの兵士さん達。

 

 実はこの3日間、ずっとゲール衛生部長の下で講義を受けていた自分は、まだ彼らと挨拶を交わしたことすらありません。

 

 あんまり喋ったことがない人と、いきなりチーム行動を取らされるわけです。不安です。

 

 しかし、変に仲良くなってなくてよかったのかもしれません。

 

 この場にいる全員が、生きて今夜を迎えられる可能性は低いでしょうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おお、流石魔導部隊だ。俺たちの仕事、ほとんど残ってないんじゃないか」

 

 今日の攻撃は、魔導部隊による遠距離砲撃から始まりました。

 

 じっくりと数時間かけて、敵の構築したであろう陣地や罠を焼き払っていきます。

 

 これが、この世界の一般的な戦術だそうです。

 

 歩兵による攻勢をかける前に、たっぷり攻撃魔法による砲撃で敵兵を殺してしまう。それにより少ない被害で、領土を確保できるのだそうです。

 

「すごいものですね」

「戦争の主役は、悔しいがあいつらだ。俺たちが必死こいて敵に突撃して首を切り飛ばすより、あいつらがコソコソ遠くからぶっ放した魔法の方がよほど被害を生み出すことができる」

「ならどうして毎日、砲撃しないんですか?」

「そりゃ、あいつらが大掛かりな魔法を発動するのに大量の魔石を食うからさ。毎日砲撃なんてしてたら、予算がいくらあっても足りねぇ」

 

 それに、と小隊長殿は話を続けました。

 

「敵に攻撃を読まれて、砲撃予定の陣地を空にされたら大損だ。相手が確実にその陣地にいるって確証がないと、出来ないのさ」

「なるほど、勉強になります」

「よろしい、じゃあ5分後の砲撃終了と同時に突撃だ。本小隊の戦術目標は川岸まで前進、可能であれば他部隊と連携して川を確保する」

 

 そう宣言すると小隊長殿は獰猛な笑みを浮かべ、自らの腰に差した銃剣を引き抜きました。

 

「さあ、虐殺の始まりだ。心の腐った侵略者どもを、野犬の糞に変えてやろう」

 

 その言葉と共に、自分たちガーバック小隊は敵陣地へと突撃していきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果は、散々でした。

 

「小隊長殿! どこからともなく、炎が沸き上がって────」

「くそったれ!」

 

 何と自分たちが突撃した先には、誰もいなかったのです。

 

 走った先にあったのは、がらんどうの死体一つ転がっていない焼けた敵陣地だけでした。

 

 それを見て怪訝な顔をしていた小隊長は、やがて周囲から怒声が上がったのを聞いて、慌てて撤退を宣言しました。

 

「引くぞ、もうすぐここは集中砲撃される! 作戦読まれてんじゃねーか、参謀部は何してやがる!」

「た、助けて、死ぬ! 焼け死ぬ!」

「サルサはそこで勝手に焼け死んでろ! ノロマ!」

 

 何もないように見える地面から、突然に沸き上がった炎を浴びて、サルサ2等兵は転げまわっています。

 

 おそらく設置式魔法陣、と呼ばれる罠でしょう。

 

 これは踏むとコンガリ焼けてしまう、悪辣な地雷みたいなものだそうです。

 

 前もってこんな罠を仕掛けている辺り、本当に今日の攻勢は敵にバレていた様ですね。

 

「そのまま激しく、地べたに転がってください! 土をかけ消火します!」

「あ、あっつぅ! 早く、早く!」

「うんっしょ!」

 

 同期を放っておくわけにはいかなかったので、土をまぶして消火を手伝ってあげました。

 

 そして、既に撤退を始めている小隊長たちの方へと一緒に走ります。

 

「あ、足がっ!!」

「……、了解です。ちょっと待ってください」

 

 しかし、サルサは走ることができずその場に崩れ落ちました。

 

 見れば、彼の足はパンパンに水膨れしており、歩ける状態ではなかったのです。

 

 

「……【癒】。……【癒】」

「あっ、はぁ、あ」

「重ね掛けをしました、自分の拙い魔法でも少しはマシになったでしょう」

 

 

 おまじない程度の効果しかない、回復魔法。

 

 それを繰り返した結果、サルサの足の腫れはわずかに引いてくれました。

 

 まだかなりの重傷ですが、自分は2回の連続使用しかできません。

 

「それで走れないのであれば、すみません、自分はサルサを見捨てなければなりません」

「う、ぐっ」

「自分に、貴方を背負って走るだけの体力はありません」

「わかった。走る、走るから置いていかないでくれ!」

 

 おそらくまだ激痛が走っているであろう足を地面に立て、サルサは再び走り出しました。

 

 それを確認し、自分も全力で撤退を再開します。

 

 どうやら敵からの砲撃魔法は始まっているらしく、そこかしこから爆音と断末魔が響き渡っていました。

 

「はぁ、はぁ、はぁ! これ、死んじゃう、本当に」

「ええ、神頼みですね。砲撃が自分たちの方向へ来ないことを祈りましょう」

 

 自分たちは走りました。

 

 既に、遥か先へ走り去った先輩兵士たちを追って、爆音におびえながらひたすらに駆けました。

 

 四方八方で、敵の攻撃とおぼしき爆裂音と豪火が沸き上がっています。

 

 あれらが直撃したら、ひとたまりもありません。

 

「……はぁ、はぁっ」

 

 自分は、もともと体力のある方ではありません。

 

 前世では運動不足なゲーム廃人でしたし、今世では孤児院の図書室に引きこもっていた本の虫でした。

 

 もう、どれくらい走ったでしょうか。

 

 命の危機で異常にアドレナリンが分泌されているおかげで走れていますが、普段ならとっくに気を失っているほどの運動量です。

 

「死にたくない、死にたくない! おっ母ぁにまだ、何も返せてねぇ!」

「それだけ叫ぶ元気があれば、走ってください」

 

 サルサは、存外に元気でした。足が痛くてたまらないだけで、絶叫しながら走る余裕はあるようです。

 

 自分は、さっきから息をするたびに血の味しかしません。

 

「うあああああああああ!」

 

 

 

 

 

 果てし無くうるさいサルサの隣で、走ること数百メートル。

 

 非常に幸運なことに、自分とサルサは魔法の直撃を受けることなく自軍の最後方陣地まで撤退することができました。

 

 ここならば、敵の砲撃も届かないでしょう。

 

「……」

「あれ? お、おい! トウリ!?」

 

 ゴールにたどり着いた直後から、何も覚えていることがありません。

 

 話を聞くにどうやら、自分は意識を失った様です。

 

 そして自分は、サルサ君によって医療施設にまで運んでもらったと聞きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「このドアホ!!」

 

 目が覚めた後。

 

 小隊長に召喚された自分を待っていたのは、鉄拳での制裁でした。

 

「なぜ、俺の許可なく回復魔法を行使した。なぜ、俺の撤退命令に従わずサルサを救助した!?」

「すみません」

 

 どうやら自分がサルサを救助し、撤退が遅れたのが命令違反にあたると捉えられたようです。

 

 そんなつもりでは無かったのですが、ここは余計なことを言わない方がよさそうです。

 

「同期で情が沸いたか? そのせいで貴様、どれだけ周囲に迷惑をかけたと思う!?」

「……分かりません」

「そうか、教えてやろう。たまたま、だ。たまたま俺も貴様も、敵の攻撃を受けることなく帰還することができた。非常に幸運だったな、え?」

「はい、非常に幸運でした」

 

 そう答えた瞬間、腹に鈍い衝撃が走ります。

 

 どうやら小隊長は、自分の腹を殴打したようです。

 

「────っ」

「仮定の話だ。もし不運にも、この俺が爆撃を受けてしまい。その時、遅れてきた貴様が通りかかったとする」

「は、い────」

「その時、貴様。俺を救助する魔力は残っていたのか?」

 

 続けてバシン、バシンと頬を平手打ちされ。

 

 最後に、忌々しそうな顔で、小隊長は自分を思いきり蹴っ飛ばしました。

 

「貴様がしたのはそういうことだ。あのウジムシ以下の新人を救うため、この俺の命を危険に晒したのだ」

「申し訳ありません」

「回復魔法を使うのは、上官の許可が必須! 俺の許可なく魔法を行使するなど、言語道断!」

「すみません」

「そもそも貴様の回復魔法は、俺以外に基本的に行使されることはないと思え! 何のため、俺がわざわざ衛生兵の補充を要請したと思う! 俺がより深く敵陣に切り込んで、戦争を終わらせるためだ!」

 

 小隊長の暴行は、苛烈でした。

 

 その余りの激しさに軍服も破れたし、そこから覗く脇腹は赤く腫れあがっていました。

 

 苦痛がひどすぎて、言葉を返すのも絶え絶えです。

 

「懲罰だ。貴様は本日、昼食抜きとする。そして、俺のテントの前で陽が落ちるまでそのまま、直立姿勢で立っていろ」

「……はい」

 

 それが、自分に下された罰でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼を過ぎ、空に赤みがかかった頃。

 

 顔を痣だらけにして立たされている自分に、サルサが話しかけてきました。

 

「ごめんよ、すまねえ」

「これは、自分の落ち度です。貴方が気にする必要はありません」

 

 正直、ガーバックの体罰はどうかと思います。明日以降の戦闘に支障が出るレベルで、部下を殴打するのは非効率的としか思えません。

 

 しかし、回復魔法の行使に上官の許可を得るのは、考えてみれば当然っちゃ当然でした。

 

 そこの確認を怠り、独断専行に走った自分に間違いなく落ち度はあります。

 

「でもよ、トウリが助けてくれなきゃ俺……」

「死んでいたでしょう、小隊長殿に見捨てられていましたから。自分の罰を気に病む必要はありませんが、命を救った恩義はぜひ感じてください」

「も、もちろんだ!」

 

 サルサは、まるで女神でも見るような顔で自分を見ていました。

 

 これは少し、宜しくないかもしれません。

 

「恩義を感じてもらえるなら、おなかがすいているので夕食を少し分けてくれませんか」

「……お、おお」

「それでチャラで良いです」

「安いな、命の恩……」

 

 正直、自分は彼とあまり仲良くなるつもりはないです。

 

 まぁ、だって十中八九死ぬでしょうこの人。

 

 まだロクに行動を共にしていませんが、かなり迂闊だし空気も読めないし、とても終戦まで生き残れそうな優秀な兵士には見えません。

 

 そして自分は仲良くした人間が死亡したら、かなりダメージを受けるタイプです。

 

 どうせ傷付くなら、最初から仲良くならない方が良いのです。

 

 愛など要らぬ。

 

「まあいいよ、昼飯抜いたらそら腹も減るわな」

「ありがとうございます。では、自分は太陽が沈むまで起立していないといけないので」

「おう。俺も今さっき、小隊長殿に呼ばれたんだ。ここで失礼するぜ」

 

 サルサはそう言って自分に敬礼した後、小隊長殿のテントへと入っていった。

 

 戦友とは、このくらいの距離間で良いでしょう。

 

 仲良くしすぎず、かといって敵視せず。

 

 戦いのときは連携を取れど、プライベートでは会話も多くなく。

 

 短い期間でしょうが、サルサ君とはうまくやって行けそうです。

 

 

 

 

「このアホ、ボケ、カス! 死ねオラァ!! せっかく拾ったその命、そんなに投げ捨ててえなら俺直々に始末してやるわ!!!」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさ────」

 

 

 

 

 数分後。

 

 彼は、自分より重傷を負ってテントの前に立たされました。

 

「……」

「……」

 

 サルサの顔面は腫れあがって、ところどころ出血しています。鼻から真っ黒な液体をタラタラ流していて、右腕は……折れてそうですね。

 

 これは、やはり指導の域を超えています。おそらく数日、回復魔法でケアしようとサルサは戦闘行為に耐えません。

 

 どう考えても非効率的です。

 

「くそぉ、痛ぇ……」

「あの。何をやらかしたんですか、サルサ2等兵」

「昼のブリーフィング忘れてた……」

「はぁ」

 

 ですが、この男も大概ですね。

 

 ここまで強く殴らないと矯正が期待できないという小隊長殿の判断なのでしょうか。

 

「あの、コレめちゃくちゃ痛くてさ。トウリ、その、こっそり回復魔法とか、使ってくれたりしない?」

「自分が叱責された理由は、許可なく魔法を行使したからです。その罰則で起立させられている時に、許可なく魔法を行使なんてしたら小隊長殿に縊り殺されます」

「……デスヨネ」

 

 この男は本当に反省しているのでしょうか。また自分を、体罰の嵐に放り込むつもりでしょうか。

 

 そもそも使っていいとしても、先に自分に使います。自分だって、重傷なのです。

 

「後さ。ごめん、トウリ。夕食抜きって言われた……」

「……」

 

 ……。



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3話

 自分はトウリ・ノエル2等衛生兵です。

 

 西部戦線に所属して、本日で一週間になりました。

 

 自分は幸運にも、死なずに今日も生きております。

 

 頼りない同期、暴力的な上官と苦労することは多いですが、故郷の孤児院のために今日も頑張りたいと思います。

 

 

 

 

 

 ここで一度、現在の情勢について簡単にご説明いたしましょう。

 

 自分の飛ばされた西部戦線は、東西戦争と言われ10年続いている我が国「オースティン」と敵国「サバト連邦」の戦争の最前線です。

 

 ここ数年の戦況は膠着しており、元々の国境である『タール川』を起点に一進一退の攻防を繰り広げています。

 

 しかし最近はちょっと押し込まれ気味らしく、現時点でタール川は完全に敵占領下となっておりました。

 

 それもその筈。現時点での戦力差は、我が軍の総勢10万人に対し、敵兵力推定は18万人だそうです。そりゃ勝てません。

 

 

 

 そんな情勢なので、タール川の再奪還が我が軍の当面の目標となっていました。

 

 3日前の魔導部隊の援護の下で突撃作戦も、タール川奪還が目的だったんですね。

 

 しかしその作戦が敵に漏れていたのか読まれていたのか。砲撃した敵陣はもぬけの殻であり、味方の魔導部隊による渾身の砲撃は空振りに終わりました。

 

 そして、突撃した我々ガーバック小隊含めた歩兵部隊は、奇襲を受け返り討ちにされたのでした。

 

 その結果、我々が放棄した陣地や物資は敵に奪われ、戦線も100m以上後退する羽目になりました。

 

 タール川が、ますます遠退きます。

 

 

 

 

 そして現在、我々は後退したラインを軸に急ピッチで新たな塹壕を構築している最中です。

 

 塹壕は重要です。こうやって戦線が動いた後、歩兵さんは一日ショベルを片手に穴を掘っているらしいです。

 

 命懸けの戦闘1割に対して、命懸けの土木作業9割。

 

 それが、兵士の日常なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「起床時刻です。速やかに、準備してください」

「う、うう……。トウリか、おはよう」

 

 下っ端兵士の朝は早いです。

 

 空も白む午前5時に、小隊の定期ブリーフィングがあります。なので、その時刻までに起床して装備を点検し、いつでも出撃できるように準備を整える必要があります。

 

 アラームなんて便利なものはないので、お寝坊さんは同僚や寝ず番の方に起こしてもらいます。

 

 自分はストレスのせいか眠りが浅く、周囲がザワザワし始めると目が覚めるようになったので寝起きには苦労しませんが。

 

「自分はもう準備を済ませております。サルサが遅刻をすると自分も連帯責任を負わされるので、速やかに準備を整えてください」

「わ、分かった」

 

 その日の出撃の有無は、ブリーフィングで知らされます。

 

 ブリーフィングに顔を出したら即出撃、なんてケースもあり得るので遅刻するわけにはいきません。

 

 ゲール衛生部長からのオリエンテーションが終わり、正式にガーバック小隊所属の衛生兵となった自分は、小隊長のテント近くの塹壕で寝泊まりすることになっております。

 

 ガーバックには個人用のテントが支給されていますが、下級兵士にそんなものはありません。

 

 長々と掘った穴に、男も女も並んで雑魚寝です。

 

 女性兵士は寝ている間に体をまさぐられたり、襲われたりする事があるらしいです。

 

 しかし強姦行為はもちろん軍紀違反なので、上官に報告したら相当の罰則が課されます。

 

 何なら和姦でも、女性兵士が妊娠すると戦線離脱することになるので重罪です。

 

「トウリ2等衛生兵、準備整いました」

「サルサ2等兵、準備整いました」

「よし、ブリーフィングを開始する」

 

 ガーバック軍曹は傲慢で暴力的ですが、軍紀に非常に厳しいです。

 

 なので自分がそういう被害にあった場合、間違いなく適正に処分が下してもらえるとゲール衛生部長はおっしゃっていました。

 

 ガーバック軍曹は、軍紀に則れば平気で人を殺します。

 

 そのおかげか、今のところガーバック小隊のメンバーからセクハラ染みた扱いを受けたことがありません。

 

「トウリ2等衛生兵に令を下す。本日はゲール衛生部長の指揮に従って行動するように」

「了解いたしました。令を復唱します、自分は現時刻から明朝5時までの24時間、ゲール衛生部長の指揮に従って行動を行います」

「よろしい」

 

 本日の指令は、ゲール衛生部長の手伝いでした。

 

 ゲール衛生部長は普段、戦線の最後方────第5防衛ラインより後ろにいくつか簡易の野戦病院を構築し、負傷兵の治療にあたっています。

 

 殆どの衛生兵は、そこで働いています。自分みたいに小隊所属の衛生兵も、戦闘の無い日は野戦病院の手伝いに駆り出されるのです。

 

 この命令は衛生兵としての修行になりますし、最後方なので安全ですし、ゲール衛生部長含め衛生兵の皆さんは優しいので最高です。

 

 ひたすらキツい肉体労働である穴堀りに参加しなくても良いのは、衛生兵の特権と言えましょう。

 

 隣のサルサ君は「今日も穴掘りか……」と、こっそりボヤいていますが。

 

 

 

 

 そして、最近知ったことがあります。

 

 ガーバック小隊長は安全な第5防衛ラインで、しかもテントでの宿泊を許可されているのですが……、それは彼が当戦線の『エース』の一人だからだそうです。

 

 そうなんです。ガーバック小隊は新米とはいえ衛生兵を編成に加えられたり、自分のテントを持っていたりと妙に優遇されていると思いましたが。

 

 それは全て、彼自身の功績によって認められた権利だそうです。

 

「だからこそ、彼の傍若無人を咎める人がいないのよね。文句があるなら俺以上の戦果を挙げてみろ、と言われたら皆黙ってしまう」

「それは、何というか。直属の上官が優秀なのは、心強いです」

「アイツは馬鹿なだけよ。自分の命や仲間の命を軽視した突撃を繰り返して、運よく生き残ってる」

 

 仲間を囮に、見殺しにしてね。と、ゲール衛生部長は嫌な顔をした。

 

「死んだ部下の功績も、全部ガーバックに帰順するもの。無謀な突撃を繰り返し、危なくなれば部下を見殺す事で自分の功績を増やす。……突撃兵としては優秀かもしれないけど、指揮官としては最悪よね」

「その。ゲール衛生部長、あまりそう言った発言は」

「ああ、確かに。ごめんなさい」

 

 放っておくといつまでもガーバックの悪口をつづけそうだったので、やんわりと止めておきます。

 

 確かに、自分もガーバックにあまりいい印象を持っていませんが、衛生部長も他の兵士の悪口をその部下に吹聴するのはどうかと思います。

 

「ちょっと感情的になってしまうの。私、アイツに弟を殺されたから」

「……」

「弟の訃報を聞いたあと。私の弟の命は、我々の15mの前進になったって。だから喜んでくださいって、言いやがったのよガーバック」

「それは、その」

「話を聞けば、単なるアイツのミスの尻拭い。ガーバック小隊だけ突出してしまい、窮地に陥ったんだって。その危機を脱するために、弟を囮に帰還したそうよ」

 

 そう話すゲール衛生部長は、まさに般若の表情でした。

 

「アイツの小隊に衛生兵を派遣しろって要請を受けた時、私は徹底して反対してたんだけど……。アイツの功績を認めた上層部が承認しちゃってね。ごめん、貴女に貧乏くじを引かせちゃったわ」

「いえ、命令に従うのが軍人です」

「そう。私に出来ることがあれば協力するから、頑張ってね」

 

 成程、そういう背景があったからゲール衛生部長はガーバックに批判的なんですね。

 

 確かに、小隊長殿のミスの尻拭いで死にたくはないです。

 

 ただまぁ現状は、自分よりサルサ2等兵の方が囮要員として優先度が高そうです。貴重な回復魔法の使い手を、そうホイホイ囮にはしないでしょう。

 

 なので彼が生き残ってくれる限り、自分も安全と言えるかもしれません。

 

 がんばれサルサ君。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 野戦病院では、負傷者の応急処置や重傷者の管理を行っています。

 

 とはいっても、新米である自分はまだ戦力と言えるほど役に立っておりません。

 

 なので自分は新米の同期と共に、先輩の衛生兵に指導を受けながら手伝いを行います。

 

「魔力行使が甘いっ! こう、がーっとやってパって感じなのだぁ!」

「先輩、恐縮ですがもう少し具体的な」

「だから、グっとガッツポーズしてな?」

 

 いろんな先輩の指導を受けて、いかにゲール衛生部長の講義が分かりやすかったかと感じました。

 

 回復魔法のコツを、理論的に説明するのは非常に難しい様です。

 

 殆どの先輩は、割とアバウトな助言しかしてくれません。

 

 ただ、ほぼ全ての先輩が共通して言うには、

 

「回復魔法は、数をこなしたら段々理解できてくる」

 

 と言うことでした。習うより慣れよ、という話みたいですね。

 

 

 野戦病院では、回復魔法の需要に事欠きません。

 

 自分は比較的軽傷な兵士を振り分けられ、幾度か魔法の行使を行いました。

 

 初めて回復魔法を行使した時より、多少は効果が増している気がします。

 

 数を重ねれば魔法が上達するのは事実のようです。

 

 こうしてスキルアップを実感できるのは、楽しいです。侵攻作戦なんか行わず、ずっとこうしていられたら良いのですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「前回取られた陣地を奪還する。ガーバック小隊、出撃だ」

 

 翌日、再び自分達に出撃命令が下されました。

 

 やはり最前線に来ている以上、平和に過ごすことなど夢物語なようです。

 

「まだ、敵は新たに得た陣地の構築を完了できていないと想定される。おそらく今、急ピッチで物資の整理と塹壕の補強作業を行っているところだろう。そこを砲撃し、その後に我々が突撃、制圧を行う」

「了解しました」

 

 作戦は前回同様、魔術師による砲撃の後に自分達が突撃し制圧する作戦らしいです。

 

 ……正直、前は失敗しているので不安がよぎります。

 

「サルサ2等兵、トウリ2等衛生兵。貴様らは、今回も俺の後ろにつけ」

「はい、小隊長殿」

「次に命令違反を犯した場合は、即座に銃殺する。覚悟して任務に臨め」

「承知しております」

 

 前回やらかした自分に、小隊長はしっかり釘を刺してきました。

 

 自分が命令違反で処刑されたら、孤児院にお金が入りません。

 

 ……憂鬱ですが、危険な命令を出されても逆らわず、おとなしく死ぬとしましょう。

 

「ようし、行くぞ。貴様らに、このガーバック流の突撃を見せてやる!」

 

 これから戦いに行くというのに、小隊長は満面の笑顔でした。人を殺せるのが嬉しくて仕方ないといった表情です。

 

 この人は殺される恐怖より、敵を殺す喜びの方が上回っているのですね。

 

「異国のクズどもを、汚ぇ泥まみれのミンチにしてやれ」

 

 ……長いこと戦場に居たら、人間はこうなってしまうのでしょうか。

 

 

 

 

 

 この戦争の終わりは、なかなか見えていません。

 

 もう10年もの間、我が国はこの戦線の陣取り合戦を行い続けています。

 

 

 こんな話を、先輩の衛生兵に聞きました。

 

 タール川付近の地面は、以前はさわやかな草原とフカフカな茶色い大地が広がっていたそうです。

 

 しかし、今のこの場所は殆どが黒土に置き換わってしまっています。

 

 その理由は簡単。

 

 土の鉄分含有量が上がると、色が黒くなるそうです。

 

 この土地では、土の色が変わってしまう程の血液が流され続けたという事です。

 

「突撃ィ!!!!!」

 

 自分は今日も、真っ黒な土を踏みつけて銃弾の飛び交う平原を駆けます。

 

 この土は、今自分が踏みつけているモノは、誰かの大切な家族の一部だったのかもしれません。

 

 我が国の津々浦々から集められた鉄分が、今日もこの地に撒き散らされます。

 

 

 この戦場では生きていられるだけで、途方もない幸運なんです。

 

 死にたくない。こんな陰気な場所で、ただ土を濡らす鉄分になりたくない。

 

 その一心で、自分は小隊長殿の背中を必死で追うのでした。

 



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4話

「突撃ィ!!!!!」

 

 2時間ほどに渡る魔導師部隊の爆撃が終わり、いよいよガーバック小隊の突撃が開始されました。

 

 自分達は、敵を攻撃する指示を受けていません。

 

 ただ合図と同時に塹壕から飛び出して、敵からの銃弾が飛び交う平原を駆け、次の塹壕まで全力疾走するだけです。

 

「トウリは、俺の後ろから離れるな! サルサは、命に代えてでもトウリを守れ!」

「了解です」

「ハイっす!」

 

 どうやら、小隊長殿はサルサや自分を戦力と期待していないようです。

 

 自分は単なる回復役、そしてサルサは自分を守る肉壁と見なされているのでしょう。

 

 サルサ自身も、ある程度それを自覚しているようなのですが、

 

「令を復唱しまっす! 俺は命に替えても、トウリ2等衛生兵を守るっス」

「良い意気だ! 言ったからにはやり遂げろ」

 

 何か妙に、サルサに気合いが入っている気がします。捨て駒扱いされて、何でそんな士気十分なのでしょうか。

 

 まあ、気合を入れて護衛してくれるならそれに越したことはありません。

 

 それに、今の小隊長殿の言い方だとやはり、自分よりサルサ2等兵の命の価値の方が安そうです。

 

 少し安心しました。

 

 

 

 

 この日の突撃作戦は、どうやら成功の様子でした。

 

 3日前と違って敵の焼死体がそこら中に転がっており、ツンと焼けた人肉と鉄の匂いが鼻腔を直撃します。

 

「ガハハハ、敵もこんなに短期間で攻めてくるとは考えていなかったらしいな。生き残った害虫どもに引導を渡してやれ!」

 

 ガーバック小隊長は、高笑いと共に敵陣に切り込んでいきます。

 

 四方から銃声が鳴り響き、爆音と血飛沫が舞う戦場で、まるで水を得た魚のように楽しそうに。

 

「……は、速っ」

「小隊長殿に置いて行かれぬよう、速度を上げますよサルサ」

 

 ガーバック小隊長は、他の誰より先駆けて突進し続けました。

 

 自分たちも全力疾走しているのに、その背中はどんどん離れていきます。

 

「チェストぉぉぉ!! 俺の刀の錆びになりやがれ!」

 

 追従させられる自分は『無謀な突撃はやめてください』と内心悲鳴をあげていました。

 

 周囲の援護もないまま、たった一人で銃弾の雨に向かって飛び込む小隊長殿は、自殺志願者にしか見えません。

 

 ですが、おかしなことに先陣を切って切り込んでいるはずの小隊長殿の後ろこそ、この戦場で一番の安全地帯なのでした。

 

「何で銃弾が当たらないんだ、あの人!」

「……斬ってますね、銃弾」

 

 成程、忘れていました。

 

 あんまりにも泥臭い戦争をしているので頭から抜け落ちていましたが、この世界は剣と魔法のファンタジーです。

 

 小隊長殿は、剣士なのです。それも銃弾くらいなら切り落とせる、熟練の。

 

「何で銃弾切りながら走ってる小隊長の方が、俺らより足速いんだよ!」

「知り、ませんっ……!」

 

 小隊長殿の戦闘は、凄まじいの一言でした。

 

 敵の潜んでいるであろう塹壕に向かって飛び込んで、血飛沫をまき散らし、制圧していきます。

 

 自分やサルサは、本当に金魚の糞の如くついていくだけでした。

 

 それも、ガーバック小隊長が時折立ち止まって敵の首を切り落としてくれているので、何とか追い付けている状態です。

 

「オラ、ひよっこども置いていくぞ! 死にたくなければ俺の後ろから離れんな!」

「りょ、了解、です!」

 

 まさか、生身の人間が銃弾を剣で切り落とすなんて芸当を現実で見ることができるとは思いませんでした。

 

 今までガーバックは粗暴で傲慢で、上官としては最低だと思っていましたが……。

 

 あの小隊長を毛嫌いしているゲール衛生部長が、優秀な突撃兵だと認めるだけはあります。

 

 まがりなりにもガーバック小隊長は、『エース』なのです。

 

 

「小隊長殿! 進みすぎです、それ以上は他部隊と連携がとれません!」

「あん? またかよ、だらしねぇ」

 

 しかし、彼の悪癖はゲール衛生部長から何度も聞かされた通りでした。

 

 彼は突撃が楽しくてたまらないからか、放っておけば周囲を観察せずドンドン切り込んでいってしまうと。

 

 今の自分達はさすがに突出しすぎでした。

 

 友軍はまだ、数十メートル前の地点でまだ戦闘している状況です。

 

「はぁっ! はぁっ、小隊長、殿。自分は、これ以上の、進軍より、地形の確保の優先を、提案、します」

「……たく、しゃーねぇな。お前らもへばってるし、潮時か」

 

 間違いなく自分達の小隊は、孤立しかかっていました。

 

 それに気づいたのか、小隊長殿は水を差されたような顔になりましたが、溜息を吐いて進軍を停止してくれました。

 

「あー、てめえら集合。当小隊はこの塹壕を拠点として、友軍の進軍を援護する」

「「了解です」」

 

 集合の命令とほぼ同時に、自分たちの周囲に小隊メンバーが現れました。

 

 汗だくの自分やサルサと違い、先輩方はまだ余裕がありそうです。

 

 彼らはしっかり、戦闘しながら小隊長殿に追いついてきていたのですね。

 

 流石、歴戦の兵士といった所なのでしょうか。

 

「小隊長殿。失礼ながら報告が」

「何だ、言ってみろ」

「自分の部隊のグレー1等歩兵が、銃弾で大腿部を負傷しております。出血が続けば死亡の危険があります、衛生兵による救護を要請します」

 

 その言葉にふと見れば、肩を担がれた若い男性兵士が苦痛に顔をゆがめています。

 

 小隊長殿はふぅむ、と少し考える顔になって、自分の方へ向き直ります。

 

「んー。トウリお前、回復魔法は2回まで使用可能だったな」

「はい」

「よろしい。グレーへの応急処置と、必要に応じ1度までの回復魔法を許可する」

「承りました。ではグレー1等歩兵殿、患部をお見せください」

 

 おお、とうとう普通の衛生兵らしい仕事が割り振られました。

 

 疲労困憊で立っているのもしんどいですが、こういう前線での治療こそ自分の存在意義でもあります。

 

 気合を入れて、丁寧にやりましょう。

 

「ようし、俺たちは周囲を固めるぞ。他の小隊の前進を援護しつつ、トウリ・グレーの二人を護衛だ」

「は、ハイっす!」

 

 にしても、ガーバック小隊長殿はちゃんと部下にも回復魔法の許可を与えるんですね。自分にしか使わせないと言っていましたが。

 

 まぁ、今日はもう戦闘終了だからなのかもしれませんが。

 

 ガーバック小隊長を恐れてか、殆ど周囲の敵兵は撤退していますし。

 

「大腿の銃創部に血種が出来ていますね。血抜きをしますので、少し痛いですよ」

「……うぐっ! サンキュー、トウリちゃん。今度デートしよう」

「凝血塊の摘出を確認しました、これより回復魔法を行使します。【癒】」

「少しくらいなんか反応欲しいなー」

 

 初めて面と向かって話しましたが、グレー1等歩兵はチャラい系の兵士っぽいです。戦場でデートって、何処に連れていくつもりなのでしょう。

 

 しかし、グレー1等歩兵は若そうに見えて、相当鍛え上がった体をしていました。それなりにベテランさんなんでしょうか。

 

「治療を完遂しました、経口補液を支給しますので速やかに摂取してください。また24時間以内に血尿など認めましたら、速やかに自分か他の衛生兵に申し出てください」

「ほい、ご苦労さん。……む、痛てて」

「申し訳ありません、自分の技術では完治には至りませんでした」

「いやいや、血を止めてくれただけで十分よ。正直死ぬかと思ったから」

 

 自分はそのままグレー殿の大腿を消毒し、包帯で保護しました。

 

 グレー殿の顔色は悪く、それなりの失血している可能性がありましたので、水分も渡しておきます。

 

「止血には成功しています、また撃たれない限りグレー1等歩兵殿の命は保証いたします」

「そっか。じゃ、気を付けるわ」

「終わったか? ならグレーも友軍の援護に加われ。トウリは、敵が掘った塹壕の中に隠れてろ」

 

 小隊長殿の指示もあったので、自分はその後塹壕に籠っていました。

 

 自分は武装しておらず、装備のリュックには医薬品や医療器具しか入っていないので、そもそも戦闘に参加できないのですが。

 

 幸いにも友軍は追いついてきてくれて、自分たちと合流し地形の確保成功しました。

 

 

「戦闘終了だ! 各員は後方部隊と交代し、本地点の確保を維持せよ!」

 

 

 やがて、我々とは違う小隊の方がやってきて戦線を明け渡し、本日の戦闘は終了となりました。

 

 この日、我々は31mの前進に成功しました。

 

 前回の敵の侵攻分を全て取り戻せたわけではないですが、仕返しが出来た形です。

 

「ガハハハ、大勝利だ。今日の我が小隊の犠牲はたった1人、進んだ距離は31m! こんなに効率の良い進撃は久しぶりだな」

 

 ガーバック小隊長殿は、心底愉快といった笑い声をあげていました。

 

「他の小隊がもう少し早く前進してたら、前の負けを丸ごと取り返してたのに勿体ねぇ。俺が後、10人いればなぁ」

 

 ……戦いが終わった後、小隊長殿の言葉を聞き自分は改めて周囲を見渡しました。

 

 そして、気付きます。ガーバック小隊のメンバーが、7人しかいません。

 

 1人、居なくなっています。

 

「小隊長殿、一応アレやっときましょう」

「お、そうだな。あー、偵察兵レンドルの命は、我らの勝利の礎になった。俺たちが進んだ31mは、レンドルの命の結晶だ」

「……」

「全員、勇敢な偵察兵レンドルに敬礼せよ」

 

 我々は数秒、どこで死んでいるかも分からないレンドル偵察兵に向けて敬礼を行いました。

 

 後で聞けば彼は、小隊長の突撃についていこうと必死で周囲の警戒を怠り、頭を撃ち抜かれたそうです。

 

 そして彼はまだ兵士として経験が浅く、ここに来て一年も経っていない新米だったようです。

 

「よし、じゃあ帰って一杯やるか。俺がまた倉庫から、褒賞としてエールを奪って来てやるよ」

「ありがとうございます! 小隊長殿!」

「がはは、感謝すると良い」

 

 レンドルの死を悲しんでいる人は、この場にはいませんでした。

 

 ガーバックは機嫌良く笑っているし、他の小隊メンバーの表情も朗らかです。

 

「サルサ、トウリ。貴様らもウジ虫の割によく生き延びた、特別に同席を許してやろう」

「……光栄です。ご配慮感謝します」

「その代わり、何か芸を用意しておけよ!」

 

 人が死んでいるのに、どうして彼等はこうも朗らかなのでしょうか。

 

 ……いや、そうでした。ここは戦場なのでした。

 

 人の死など、きっと珍しいことではないのです。

 

「……大丈夫か? 顔が青いぞ、トウリ」

「何の問題もありません。サルサこそ、血の気が引いているように見えますが」

「俺は、大丈夫。大丈夫だ」

 

 レンドル偵察兵は、どんな顔をしていたのでしょうか。どんな性格だったのでしょうか。

 

 話をしたことのない自分は、彼の事を何も知りません。見知らぬ人が死のうが、自分に関係は無いはずです。

 

 だというのに、こみ上げてくるこの吐き気は何なのでしょう。

 

 

「……なあトウリ。何で、あの人たち笑ってんだ?」

「それは、本日の戦闘で戦術目標を達成したからではないでしょうか」

「そっか。そうだな」

 

 

 耐えなければなりません。この死と隣り合わせの日常こそが、自分たちの身の置く『戦場』なんです。

 

 レンドル偵察兵は死にましたが、彼の犠牲はしっかり我が国の利益になったのです。

 

 だから、自分も笑わないと。

 

 

「おうい、新米ども。ボーっとすんな、俺達小隊は後続に引き継いで撤退だ」

「は、はいッス先輩」

「お、やっぱり暗い顔してんな。新米どもは仲間が死ぬとみんなそうなる、気にすんな切り替えろ」

 

 先ほど治療を行ったグレー1等歩兵殿が、呆けていた自分たちを心配してやってきました。

 

 感情の整理がつかなかったせいで先輩に迷惑をかけてしまったようです。反省しないと。

 

「大変失礼しました、グレー1等歩兵殿。すぐさま撤退行動を開始します」

「うんうん。普段あんま表情変えないトウリちゃんも、そんな顔するんだね。実にプリティーだ」

「自身の未熟を恥じるところです」

 

 しかもどうやら、仲間の死をがっつり引き摺っているのがバレてしまったようです。

 

 自分は結構顔に出るらしいです。

 

 これ、まさか小隊長殿の教育対象とかになるんでしょうか。

 

「そんな表情を出来るのが羨ましいよ。俺達は、もうとっくに諦めちゃったから」

「その。やっぱ、仲間の死とか、日常なんスか、グレー先輩」

「まーね。そりゃ、最前線の突撃兵やってんだから殉職なんて日常茶飯時さ。俺だって明日生きてる保証はない」

 

 グレー先輩の顔は怒っているというより、我々を慮っている表情でした。

 

 大人が、怖い夢を見たと泣く子供をあやすような、そんな慈愛すら感じる目つきでした。

 

「でもさ。考えてもみなよ、この戦争のゴールってどこだと思う?」

「ゴール、ですか?」

「そう、ゴール」

 

 そしてグレーさんは、優しく自分たちに諭してくれました。

 

「もう10年の間、俺達は此処で戦ってるんだ。綱引きみたいに戦線を押したり引いたりしながら、延々と」

「……先輩方の奮闘に、頭が下がる思いです」

「そういうのはいい。一体どうすればこの戦争は終わるのか、お前ら分かるか?」

 

 向こうさんの立場も考えて、ね。

 

 グレー1等歩兵は、真面目な顔をしてそう続けます。

 

「今はちょっと押されているが、ウチだってまだまだ戦える。まだ内地に残ってるであろう若い男性を、まるごと徴兵すればあと10年は持つ」

「……」

「敵さんだってそうだろう、まだ増員できる兵力は結構残っているはず」

 

 それは、確かにそうかもしれません。自分は回復魔法適性があったのでほぼ徴兵を拒否出来ませんでしたが、ほかの孤児院の友人の殆どは軍属ではなく市井へ稼ぎに行っています。

 

 唯一、自分と同じタイミングで軍に所属したバーニーも、徴兵ではなく志願でした。

 

 裏を返せば、まだ徴兵できる人材は本国に残っているといえます。

 

 しかし、もしそこまで徴兵をしてしまえば、この国の生産力は壊滅してしまうでしょう。

 

「塹壕戦っていうのはな、防衛側が絶対的に有利なんだ。塹壕にこもっている側が、攻めてきた側を撃つ。この構図になると、どうあがいても攻撃側の被害の方が大きくなる」

「それは、確かにそうッスね」

「んで、魔導師部隊もよくやってくれているが、あの爆撃だけで塹壕にこもった兵士を皆殺しにすることは不可能だ。敵も防御呪文やら対爆装備やらで必死で生き延びて、砲撃が終わった後に突撃してくる俺達を撃ち殺すべく待っている」

 

 確かに、塹壕から応戦した方がどう考えても有利ですね。

 

 だからこそ、念入りに時間をかけて魔導師の方に攻撃してもらうのですが。

 

「戦争はあと10年は続く。明日も生きていられる保証がないこの場所で突撃兵やって、10年間も生き延びられると本気で思うか?」

「それは神に祈るか、必死に努力するしか」

「無理だよ。俺達は此処で死ぬ、それはもう確定してる」

 

 諦めている、ってのはそう言うことさ。

 

 グレー先輩は、寂しげにそう笑った。

 

「死が、ゴールなんだよ。これまでよく頑張ってきました、もう解放してあげますっていう神様からの救いなんだ」

「……そんなことは。例えば敵の陣地を突破して、首都を陥落させれば」

「無理さ。戦争の形態は、変わったんだ。ちょっと前の騎兵やらが活躍していた時代とは違い、銃や火薬兵器が世界中に普及した結果、この塹壕戦が戦争の主流になった」

「……」

「塹壕戦ってのは終わりがない。負けて後退しても、そこに新たな穴掘って銃構えるだけで強固な陣地になってしまう。だから以前みたいに敵の首都まで一気に侵攻なんて出来るわけがない」

 

 ここまで言えば分かるよな、と。グレーさんは話を続けた。

 

「死んだヤツはゴールしたヤツだ。こんな地獄から一足先に抜けられた、ラッキーな連中だ。レンドルだってきっと今ごろ、先に逝った戦友と向こうで楽しく宴会してるハズさ」

「それ、が。グレーさんの死生観なのですか」

「そう思わないと突撃兵なんてやってられねぇよ。俺達にとって死は救済なんだ、神様に認めてもらった権利なんだ」

「……う。でもお、俺はまだ、死にたくない、っス」

「そりゃそうだ。そこまで達観するには、お前もトウリちゃんも経験が全然足りてねぇ。でもまあ、きっと分かる日が来るさ」

 

 グレー1等歩兵は、ポンとサルサの頭に手をおいて、

 

「そのうち、死ねたヤツが羨ましくなってくるから」

 

 そう言って、話を締めました。

 

 

 

 

 

 

 

 グレー先輩に呆けていたのを咎められた後、自分とサルサは二人並んで小隊長殿のテントへ向かって歩いていました。

 

「死ねるのが羨ましい? 理解ができねぇ」

「同感です、サルサ2等兵」

 

 自分達のベースに帰還した後、本日はガーバック小隊長により宴会? が行われるようです。

 

 グレー先輩曰く、酒を飲んだ小隊長殿は普段の5割増で理不尽らしいので、遅刻するわけにはいきません。

 

「死にたくねぇよ、俺は。こんな寂しい場所で、蛆が沸いてゴミみたいに転がる肉片になりたくない」

「自分も御免ですね」

「でも……。長い間戦場にいると、俺もああいう考えになっちゃうのかな。死に救いを求めるようになっちまうのかな」

「さあ? それは、貴方の死生観次第ではないですか」

 

 サルサ君は、先程のグレー先輩の言葉を深く考え込んでいる様子です。

 

 確かに、先程自分達を諭していた先輩の表情は、正気とは思えないほど穏やかでした。

 

「グレー1等歩兵殿はおそらく、優しすぎるのでしょう」

「優しい?」

 

 自分はあの言葉から、彼の人となりの一端を垣間見た気がします。

 

 グレー殿は本来、きっととても優しい御仁であると考えられます。

 

「死に救いを求めることの、何が優しいんだ」

「まぁ、単に自分が死ぬ事への恐怖を紛らわせる為という可能性もありますけど」

 

 死は救いである。

 

 本当にそんな歪んだ考えを信じているなら、グレー先輩はすぐ自殺してないとおかしいわけで。

 

 自分達にあんな事を言っておきながら、彼はきっと死ぬのを恐れているのです。

 

 ですがそれ以上に、

 

「それ以外に何があるんだ?」

「グレー先輩はきっと。死んだ戦友が、あの世で救われていると思わないと正気を保てなかったんじゃないでしょうか?」

 

 自分には、そう思わずにはいられませんでした。



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5話

「1番サルサ、脱いで踊りまッス!」

「帰れボケナス!!」

 

 戦場は、地獄です。

 

 誰もが、狂気に囚われて正気を失ってしまいます。

 

 それは、お酒の場でも同じ様でした。

 

「男の裸なんぞ見て誰が喜ぶ! ぶっ殺すぞサルサぁ!」

「す、すみません! ごめんなさいッス!」

「新米は何やらしてもダメだなぁ」

 

 今日の大勝利を祝って、宣言通りに小隊長殿は宴会を開きました。

 

 日も落ちかかり視野も悪くなる中、塹壕の中に小さな焚火を焚いて、小さな宴会が始まります。

 

 一番最後に現れたガーバック小隊長の手には、戦場では希少な酒類や菓子類が握られていました。

 

「つまらん奴に渡す酒はねぇ。ケツ穴に銃弾突っ込まれたくなきゃ引っ込んでろ」

「すみませんッス!」

 

 宴会が始まって数分、小隊長殿は既に1瓶濃いお酒を開け、気持ちよさげに顔を赤らめていました。

 

 そして冗談交じりに、サルサ君含めた小隊メンバーに蹴りを入れています。

 

 出来れば、こんな状態のガーバック小隊長に関わりたくありません。

 

「新人の癖に、まともな芸も出来ねぇのか! 俺様を舐めてんのか!?」

「申し訳ありません」

 

 だというのに、サルサや自分は何か芸をしろと命令されました。もし自分が逆らった場合、2度の命令違反で処刑だそうです。

 

 こんなアホみたいな命令で処刑されるのは御免こうむります。冗談だと信じたいです。

 

「アハハハ。すんごい無茶振りと思うかもだけど、コレは別にウチの隊だけじゃなくて、いろんな小隊でもやってる伝統だよ」

「まぁ小隊長殿は、芸に厳しめではあるけど」

「俺を不愉快な気分にさせやがったら、マジでボコボコにして埋めてやる」

 

 確かに、そういう宴会芸も新米の役目だと聞きます。前世でもそうでした。

 

 しかし自分は前世を通じて、こういう飲み会というものを経験したことがありません。

 

 それで、どうしたものかと困っていたら。サルサ君がいきなり手を上げてバカなことを言い、小隊長殿に怒鳴りつけられたという状況です。

 

「戦場で役に立たねぇなら、せめてこういう場で貢献しろってんだ」

「あの。先ほどの言い分ですと、自分が服を脱いで踊るべきなのでしょうか……」

 

 サルサ君には、少し空気を読むというスキルを身に着けてほしいものです。

 

 彼に裸踊りなんかされて、変な流れになったら被害を受けるのは女性である自分です。

 

 銃殺か裸踊りか選べと言われたらそりゃ踊りますが、出来れば勘弁してもらいたいのが本音です。

 

「いらねぇよ貧相チビが! ガキの体見て喜ぶバカが何処にいる、殺すぞ」

「申し訳ありません」

 

 小隊長殿に怒鳴りつけられ、少し自分はホッとしました。その言い草的に、どうやら自分は変な要求はされずに済みそうです。

 

 『男が脱ぐな』という趣旨で怒鳴っていたので、このまま自分がソッチ方面の芸を強要されるかと思っていました。

 

「つっても、どっちも何も芸がねえならトウリはそれで許してやる。サルサは何か面白い事しろ」

「……。裸踊りは勘弁願いたいので、手前味噌ながらおひとつ」

「お、何だぁトウリ? 何かあるのか」

 

 こんな小道具も何もない場所で出来る芸といえば限られています。

 

 幸いにも、孤児院のころにシスターに教わった芸があるので、自分はソレで乗り切らせてもらいましょう。

 

『こんこん、キツネさんです。わんわん、イヌさんです』

「お、腹話術か。上手いもんじゃねぇか」

『こんこん、わんわん』

 

 自分は、手の指で犬と狐の形を作って動かしながら、唇を動かさずに鳴いてみました。

 

 懐かしいです、孤児院の子供とよくこうやって遊んでやったものです。

 

 本当は人形を使ってやるものですが、今手元に何もないので手で代用します。

 

「へー、器用なもんだねぇ。声色も変わってるし、口も全然動いていない」

「鳴き真似するトウリちゃん可愛いし、自分はアリだと思いますよ小隊長殿」

『わんわん、じゃあこのまま一曲歌うわん』

「へぇ、ソレで歌まで歌えるのか」

 

 自分は結構、この芸に自信を持っています。

 

 何なら、軍に志願させられる前はこれで旅芸人でも目指そうかと真剣に考えていたくらいです。

 

『「光をはーなつ(はーなーつー)、わがー祖国(そーこーくー)」』

「え、声が二重に聞こえてくるぞ」

『「勇猛ー無比なる(むひなーるー)、始祖の加護をー(かーごーをー)」』

「待てトウリちゃん、1人で合唱し始めたぞ」

「すげぇ、コイツ腹話術でハモってやがる! ガハハハハ!」

 

 自分は腹話術のまま有名な軍歌を、腹話術のまま輪唱しました。

 

 長い修行の末、自分は声色を変え二つの声で同時に歌えるようになっていました。

 

 この芸で孤児院では『腹話術のトウリ』の異名を貰い、いつも拍手喝采でした。

 

「以上です。お粗末でした」

「おうおう、よくやった。ほら褒美だ、お前はまだガキだから酒じゃなくてチョコレートやるよ!」

「過分な評価、恐悦です。小隊長殿」

「デキる奴はしっかり評価するさ、ガハハハハ!」

 

 幸いにも、小隊長殿の機嫌を損ねずに済んだ様です。

 

 むしろ大爆笑で、機嫌良く自分の頭を撫でておりました。

 

 ああ、良かった。芸は身を助けるというのは、本当ですね。

 

「トウリが……裏切ったっス……」

「何の裏切りですか」

 

 サルサは何故か、恨みがましい目で自分を見てきます。

 

 どっちかというと裏切られたのは、貴方のせいで裸踊りさせられかけた自分でしょう。

 

「で、サルサ。お前はどうすんだよ」

「……。とりあえず脱いで、その」

「裸芸から離れろ、殺すぞ」

 

 その後、彼はアホなことを言い続けた結果『腕立て100回、スクワット100回、腹筋100回……etc』と筋トレを課され続け、飲み会半ばで潰れていました。

 

 戦場では、新入りを貴重な酒で潰すのではなく、体力的に潰すのが通例だそうです。

 

 自分が何も芸を持ってなくて裸踊りを拒否していたら、同じ結末を迎えていた事でしょう。

 

「……」

「小隊長殿。サルサが明日動けるよう、マッサージしてやる許可を求めます」

「好きにしろ」

 

 このままでは、彼は明日筋肉痛で動けないでしょう。

 

 小隊の健康を預かるものとして、サルサのマッサージとクーリングくらいはしといてやるとしましょう。

 

 彼は、自分の大事な肉盾なのですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「起きたか、サルサ2等兵」

「な、何スかこんな夜中に」

 

 まだ日も照らぬ、深夜。

 

 ガサコソと周囲が煩くなったので、自分は眠りから覚めました。

 

「ふわぁ。夜分遅くお疲れ様です、先輩方。何か任務でしょうか」

「げ、トウリちゃんも起きちゃったか」

「……?」

 

 顔をあげて見ればグレー先輩含めた小隊メンバー数人が、寝ぼけた顔のサルサを起こしているところでした。

 

 時刻は深夜、丑三つ時。塹壕内の焚火も消え、兵たちはみな寝静まったころです。

 

「トウリ2等衛生兵、起床しました。ご用件をお伺いします」

「あー……」

 

 誰か負傷したとか、夜間作戦の命令があるとか、そういうのかと思って飛び起きたのですが……。

 

 グレーさん含めた先輩方は、何故かやっちまったと言う顔をしています。

 

 そういえば、自分は別に起こされていませんでした。

 

 サルサ2等兵だけへの、極秘任務か何かだったのでしょうか。

 

「えっと、夜襲とかっスか? 今から装備点検した方が良いです?」

「あーいや、そうじゃねぇ。任務じゃないよ」

「では、何のご用でしょうか」

「……あー。えっと、その、グレー1等歩兵。説明してやりたまえ」

「ここで俺に振ります!? ……まぁ、何だ」

 

 自分に用事を問われた先輩方は、どことなく狼狽している様子です。

 

 ……この雰囲気、作戦行動中の何かではありませんね。何となく、想像がついてきました。

 

「まー、うちの小隊長は新人いびりが激しいからな。サルサもストレス溜まってるだろうし、少しガス抜きしてやろうと思ってな」

「俺だけっスか? トウリだって、結構……」

「まぁ、察しろサルサ。男だろ? そういうの、溜まってるだろ?」

「……あっ」

 

 そこまで言われて、サルサも悟った顔になります。

 

 やっぱりソッチ方面ですか。男同士の付き合いというやつですか。

 

「あー、成る程っス。えっと、あー、じゃあその」

「……」

 

 これは、非常に申し訳ない空気になってしまいました。

 

 女性兵士に手を出すのは軍規違反です。しかし常に命がけの状態だと、本能が高ぶって性欲が亢進すると聞きます。

 

 彼らも適度に性欲を発散しないといけないのでしょう。きっとエッチな写真だの本だの、どこぞに隠し持ってるんでしょうね。

 

「……何の話をしているか分からないのですが、自分に用がないなら睡眠に戻らせていただきます」

「お、おお。何か悪い、トウリ」

「明日寝坊とかやめてくださいね、サルサ」

 

 ああ、やってしまいました。自分が起きてしまったせいで、とても気まずい空気です。

 

 何も気づかないふりをしてそっぽを向き、再び眠るとしましょう。

 

「んー。起きちゃったならいっそ、トウリちゃんも来る?」

「げほっ!?」

 

 と、せっかく寝る体勢に戻ったのに、グレー先輩の言葉に思わずむせ込んでしまいました。

 

 何を言い出すんですかこの人は。

 

「ちょ、先輩?」

「いや、だってもう察されちゃったし。トウリちゃん15歳っしょ? ちょうどエッチな事とか興味があるお年頃ど真ん中じゃない?」

 

 先輩は本当に、悪気ない顔で自分を誘っていました。

 

 女性を誘ってエロ本鑑賞とか、何を考えているんですかこの人は。

 

 絶対に、ひたすら気まずいじゃないですか。

 

「い、いえ自分は遠慮を────」

「衛生兵の娘も、結構売りに来てるよ。お小遣い稼ぎで」

 

 衛生兵が売りに来ている。

 

 その言葉に、自分は思わず振り向いて跳ね起きてしまいました。

 

「そ、それはどう言う意味ですかグレー1等歩兵殿」

「戦場に女の子とか殆どいないからね。近場の町の嬢が定期的に体売りに来てんだけど、それに交じって衛生兵や工作兵の女性兵士とかも売春に参加して────」

「ちょ、ちょっと待ってください軍規は? それは、軍規違反であると自分は認識しておりますが」

「ああ。妊娠するような行為が違反ってだけで、穴を使わない口とか手とかは合法なんだよ。あと、男同士も合法」

「おとっ!?」

 

 自分の想定は、どうやら甘かった様です。

 

 精々、夜中に集まって小隊メンバーで集まってエロ本を読む程度と思ってました。

 

 が、この人たちは思ったよりガッツリエロいことをする予定でした。

 

「ガーバック小隊長殿も、買春は黙認してくれてるぞ。この前誘ったらブン殴られたけど」

「今の衛生部長のゲールさんも、昔は売りに参加してたらしいって噂だぜ」

「あのエロい人でしょ? かー、良いなぁ。当時の人が羨ましい」

「……」

 

 ああ、聞きたくありません。

 

 かなり尊敬している衛生部長のそんな噂とか、信じたくもありません。

 

 確かに、ものすごくゲールさん美人ですけど。本当なら結構ショックです。

 

「あー、先輩方。トウリ困ってそうなんで、そのへんで」

「ま、やっぱり女の子に話す内容じゃないわな。変なこと言った、ごめんね」

「い、いえ……。ただ自分に、そう言う話題は、今後振らないで戴けると助かります」

「年下っスよ、まだトウリは15歳っスよ。流石にシモの話はもうちょい待ちましょう先輩」

 

 サルサ君は、めっちゃ気を使って自分を庇ってくれました。グッジョブです。

 

 男は軍に染まると下品になると聞きますが、ここまでデリカシーがなくなるものなのでしょうか。

 

 仮にも女性に向かって『売春でもしないか』なんて、普通口が割けても言わないものですが。

 

「悪かった悪かった。トウリちゃんいつも無表情だし『別に構いませんが』とか素面で言いそうな雰囲気あったから」

「自分をどんな風に見ておられるのですか……」

 

 無表情になったのは、戦場にきてストレスで笑えなくなっているからです。

 

 孤児院暮らしの時は、普通によく笑ってました。

 

「ま、先輩、行きましょう行きましょう。トウリは、ゆっくり休んでてくれ」

「はい、ではお言葉に甘えて」

「さーて、久々にがっつりヤるかぁ!」

「楽しむぞぉ」

「あははは、は」

 

 下卑た笑みを浮かべて歩く先輩達(と、引きつった笑顔のサルサ)を、自分は呆れた目で見送りました。

 

 サルサ君。どうか変な先輩に影響されて、貴方までデリカシーを失わないでください。

 

 唯一の同期から卑猥な冗談を日常的に聞かされる羽目になったら、自分は間違いなく病みます。

 

「……ふわぁ」

 

 こうして無駄に睡眠時間を削られたことにほんのり腹を立てつつ、再び自分は深い睡魔に身を任せました。

 

 ああ、今日も土が冷たい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くすん、くすん……。もうお婿にいけない」

「……」

 

 翌朝。

 

 自分が目を覚ましたら、既に起きていたサルサ君が目を赤く腫らして泣いていました。

 

 お尻を押さえながら。

 

「……あの。先輩方、サルサに何をなさったのですか」

「あ、あはははは。昨晩、グレーのヤツがサルサを騙して、全裸で男色部屋に突撃させてさ」

「すぐ出てくるかと思ったら、ガッツリ捕まってしまったらしく、そのまま……」

「思い出させないでくださいっス!!」

 

 ……あっ、ふーん。

 

「大丈夫ですよ、サルサ2等兵。自分はサルサがどんな事をしようと、決して偏見を持ったりしませんので」

「かつてないほどトウリが優しい目をしてる!? いや、最後の一線は守りきったから!」

 

 それでサルサ君は、さっきからお尻を押さえていたのですね。

 

 軍隊はソッチも多いと聞きますし、きっと若い彼は大人気だったんでしょうね。

 

「まぁ、元気出せサルサ。な? 次はちゃんと、奢ってやるから」

「昨晩は流石にふざけすぎたよ。悪かった」

「もう2度と先輩方は信用しないっスからね!」

 

 こうして、戦場に来て初めての祝勝会はサルサ君が多大な心の傷を負って終了しました。

 

 昨日みたいな大勝利の後は、しばしばこういう宴会が兵士のガス抜きとして開催されるそうです。

 

 この僅かな娯楽の為に生きている、という兵士も多いのだとか。

 

「……。因みにサルサ、何人くらいと関係を……?」

「誰とも結んでない、触られただけ! 貞操は守り抜いたから!」

 

 彼は涙目になりながら、強い語気で自らの潔白を主張し続けました。

 

 自分としてはむしろこれを気に、サルサ君が男に目覚めてくれれば安心なのですが。

 

「俺の身はまだ清らかだから!」

「……そうですね。辛かったですね」

「目が優しいままっ!?」

 

 やはり戦場には狂気が渦巻いています。

 

 そう実感した、1日でした。



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6話

「……雨だ」

「おうい、雨が降ってきたぞ!」

 

 戦場において天候は、非常に重要です。

 

「おい、ビニールシート取ってきたぞ。みんな集まれ」

「屋根作るぞ~」

 

 例えば、雨。本来であればソレは農作物にとって恵みの象徴であり、河川を確保できていない我々にとって貴重な飲料水の補充機会でありますが。

 

「傘とかカッパとか無いんすか?」

「出世したら貰えるぞ、新米」

 

 戦争の最前線、歩兵たちにとって雨というのは……この上ない強敵になるのでした。

 

 

 

 

「へーっくしゅん!!」

 

 まだ夜が明ける前。自分たち小隊は塹壕で入眠していたのですが、ポツポツと感じる冷たい感触で目を覚ますことになりました。

 

 雨です。

 

「おういサルサ、対岸のシートの端を釘で固定してくれ」

「は、ハイっす」

 

 雨が降ると各小隊ごとに1枚、支給されている大きなビニールの布を取りに行きます。

 

 そしてビニール布を塹壕にかぶせるように敷いて、仮設の屋根を作ります。

 

 我々歩兵はその屋根の下で、雨をやり過ごすのです。

 

「ちゃんと、斜めになるように屋根を作るのがポイントだ。何でか分かるかサルサ」

「えっと、水が溜まらないように……?」

「正解。水平に作っちまうと、真ん中に水が溜まるからな。ちゃんと一番低くなる溝を用意して、排水させる機構を作るんだ」

 

 雨というのは、歩兵にとって基本的に不利に働きます。

 

 まず大雨が降ると地面はぬかるむので、進軍しにくくなります。

 

 さらに、火薬を用いた銃などの兵器が不発しやすくなります。

 

 一応、歩兵に支給された銃は完全防水を謳っているそうですが……。

 

 雨の中で使うと、そこそこの確率で湿気て撃てなくなるのだとか。

 

「逆に言えば、敵さんも条件が同じ。なので、雨中の戦闘行動はあまり推奨されていない」

「じゃあ、今日の出撃はないッスか?」

「いや。銃が使えなくとも、火薬に頼らない武器────、弓矢とか剣とかは雨でも使える。防水性の手榴弾だって開発されてる。だから敢えて、雨で奇襲を仕掛けるという作戦もないことはないぞ」

「でも結局、弓は飛距離も落ちるし狙いも定まらんし滑るしで安定しないからなぁ。雨で戦闘はやらん方がいいとは言われてるな」

 

 という理由で、雨の日は戦闘が発生しづらいそうです。

 

 攻める方が距離を稼ぎにくいし、火薬使いにくいしでやや防衛側有利な状態になるのだとか。

 

 つまり、本日は野戦病院で仕事させてもらえる可能性が高いですね。

 

「それなら、ずっと雨が降ればいいのにッス」

「……アホか。今はまだ暖かいから分かんねぇだろうが、雨は俺たちにとって最悪の敵だぞ」

 

 サルサの軽口に、苦汁をなめつくした顔で先輩方がボヤき返しました。

 

 正直、自分も今サルサと同じようにずっと雨が降らないかなぁと考えてました。

 

「最悪の敵、っスか。塹壕に籠って俺たちを撃ちまくってくる敵兵よりヤバいんすか?」

「ああ、そいつらは小隊長に突っ込んで貰えば何とかなるしな。雨ばっかはどうにもならん」

 

 先輩は、雨が銃を向けてくる敵より怖いと言います。

 

 ……何かのジョークかと思いましたが、先輩は真面目な顔でそう言っていました。

 

「俺はここに配属される前、防衛部隊にいたんだ」

「防衛部隊、ですか」

「そう。今も戦線の最前列の塹壕で、ガタガタ震えながら守備についてくれてる連中だよ」

 

 その、物凄く嫌な顔をしている先輩────、偵察兵のアレンさんは、自分とサルサにその経験を語ってくれました。

 

「俺は雨に、戦友5人と足の指を3本持っていかれた」

「指、ですか」

 

 

 

 

 

 

 防衛部隊、というのは『一番前の塹壕にこもってひたすら敵を待つ』という凄まじくイヤな仕事をしている部隊です。

 

 突撃部隊である我々は、戦闘の際に前進して目の前の塹壕内にいる敵を殺し地形を確保するのが仕事です。

 

 防衛部隊は、塹壕に籠って我々突撃部隊を迎撃するのが仕事です。

 

 

 それぞれの装備や、兵科の構成も大きく異なります。

 

 突撃部隊には小回りの利く小さな銃を装備した歩兵、先行して進行方向の塹壕内の敵を調べる偵察兵、遠距離から塹壕を制圧できる擲榴兵など攻撃力・制圧力の高い兵科が編成されています。

 

 主に攻勢をかける際に活躍し、味方の防衛網が突破された際には遊撃兵として援護に向かいます。

 

 なので臨機応変に動けるよう、戦場の後方にベースを構えているのです。

 

 そして、今ガーバック小隊には居ませんが、殆どの突撃部隊には擲榴兵が編成されています。

 

 擲榴兵とは手榴弾のような小型爆薬を敵の塹壕目掛けて投擲したり、専用の銃で射出したりする兵科です。

 

 遠距離から塹壕内の敵を効率的に殺傷できるので、非常に強力な兵科です。

 

 以前ガーバック小隊にも擲榴兵は配属されていたそうですが、ある日新米の擲榴兵がガーバック小隊長の進軍速度を見誤り、小隊長の突撃した直後の塹壕に手榴弾をブチ込んだという凄まじい惨事があったそうです。

 

 それ以来、ガーバックは自身の部隊に擲榴兵を編成しなくなったそうです。その新米がどうなったかは、皆が口をつぐんで教えてくれませんでした。

 

 

 一方で、防衛部隊には耐久力の高い装甲兵、防御魔法を使える魔導士、外傷・感染症に強い衛生兵や防壁作りや鉄条網を巻く工作兵など持久戦に耐えうる兵科が編成されています。

 

 防衛部隊は(突撃部隊より多少は)死亡率が低いうえ、最前線治療の意義が非常に大きいため、時折衛生兵が所属することがあります。

 

 その任務の過酷さは全部隊でもトップクラスで、いつ魔導隊から爆撃されるかも分からない恐怖に怯えながら、敵の襲撃に備えて警戒をし続けるという地獄みたいな部隊です。

 

 その代わり、突撃兵と違い休暇が非常に多いです。当戦線では、防衛部隊は3日おきに休養日が貰えるそうです。

 

 休養日は何をしても軍規に触れなければお咎めなし。戦友とカードで遊ぶも良し、女を買いに行って楽しむもよし。娯楽品も、そこそこ優先的に支給されます。

 

「まぁそんだけ優遇してやっても、発狂する割合が一番高いのが防衛部隊だ」

「……でしょうね」

 

 突撃部隊は、攻め込む前にある程度心の準備をする時間があります。

 

 それに、ブリーフィングで何も言われなかったら、戦闘がないことが分かり安心できます。

 

 しかし防衛部隊にはそれがない。一度任務に付いたら、交代時刻までずっと息をひそめて最前線で爆撃に怯え続ける羽目になるのです。

 

 そのストレスは、想像を絶するそうです。

 

「防衛任務に就いている時の雨が、もう本当に最悪なんだ。最前線までビニールシートなんて取りに行けない、雨降ったら基本野ざらし」

「うわ……」

「地面は水浸し、汚水でビチャビチャだ。そのせいで伝染病が流行り、腹下した奴の下痢が足元を流れてくるんだぞ」

「……」

「俺の隊では血下痢が流行って、脱水で戦友がバタバタ死んでいった。下痢で死ぬと悲惨だぞ、自分の汚物に埋もれて動けなくなるんだから」

「うっ……」

「しかも冬は凍り付くくらい水が冷たいから、雨に濡れるだけで足の指が壊死するんだ。ブーツなんて履いてても何の意味もなかった、水位が上がると下痢の混じった汚水が靴の中まで入り込んでくるからな」

 

 思い出すのも嫌だったようで、アレン先輩はゲンナリした顔のまま、そこで話を切りました。

 

 最前線は、凄まじく衛生状態が悪い様子ですね。そこに配属されなくてよかったです。

 

「突撃兵は恵まれてる。死亡率が高い代わり、こうやって屋根のある場所で雨を凌げるんだから」

「そうッスね……、めっちゃ恵まれてるっス」

「ま、トウリちゃんは小隊長がわがまま言わなけりゃ、そもそも野戦病院のテントで寝れてたんだけどね」

「衛生兵はそもそも戦闘員じゃないからな。突撃部隊所属の衛生兵とか、聞いたことなかったぞ」

 

 あ、やっぱりそうなんですね。

 

 どう考えてもおかしいですもんね、衛生兵が最前線を突っ走らされるの。

 

「そもそも何で、小隊長殿は衛生兵を要求したんだ?」

「ガーバック小隊長がこないだ爆撃食らって負傷撤退に追い込まれた時に『前線に衛生兵が居ればまだ進めた』と上層部に噛みついたとか」

「爆撃食らってなお前進するつもりだったのか小隊長殿」

 

 そこはおとなしく撤退しましょうよ。

 

「これから雨季に入る。きっと、俺たちの出撃も敵の攻勢の頻度も減る」

「だと良いのですが」

「だから、今のうちに学べることは学んでおけ新米。サルサも、そのうち小隊長殿のお守りがなくなるからな」

「は、はいッス」 

「まあまずは、低姿勢で走ることを覚えようか。今みたいに頭上げてぴょこぴょこ走ってたらすぐ死ぬぞお前」

 

 こうして、早朝の雨に叩き起こされた自分たちは、先輩の体験談を聞きながら夜を明かしました。

 

 歩兵の先輩から、じっくり話を聞く機会はなかったので新鮮でした。

 

「被弾面積を下げるんだ。頭を伏せ腰をかがめて走るだけで、普通に走るより1~2割は被弾面積が小さくなる。自分の生存率を上げるための技術だ、しっかり意識しろ」

「こう……ですか」

「そうだ。普通に走るより遅いし腰に負担がかかるが、その前傾姿勢に慣れておいた方がいい。これからも突撃兵やるならな」

 

 自分たちはまだまだひよっこです。戦場の定石とか技術とか、知らないことだらけです。

 

「もうすぐブリーフィングの時刻だな。よし、小隊長のテントの前に行くぞ」

「ウッス、ありがとうございました」

「勉強になりました」

 

 こうして、少しずつひよっこである私たちも『兵士』になっていくのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トウリ、今日は野戦病院だ。明日までゲール衛生部長の指揮に入れ」

「了解しました」

 

 やはり、本日は病院勤務でした。

 

 少なくとも今夜は死線を潜らずに済むと分かり、一安心です。

 

「他の連中は、塹壕堀りだ。雨で足場が悪いから気を付けろ」

「了解です」

 

 ああ、本当に歩兵じゃなくてよかったです。

 

 自分の体力でこの雨の中、1日中土木作業とか間違いなく死ねます。

 

 ましてや防衛部隊として塹壕で待機とか、考えたくもありません。

 

「では解散。各員は、持ち場に向かって────」

 

 そうホっと胸をなでおろした、直後でした。

 

 

 

 

 ────ズシン、と。

 

 

 

 何かがさく裂したような、大きな地響きが遠くの塹壕に響き渡ったのは。

 

 

「……っ! 敵襲だ、全員戦闘態勢!」

「了解!」

 

 雨の中、自分たちは慌てて塹壕に飛び込みました。

 

 そして、息を殺して黒土に背を押し付けます。

 

「アレン、報告を」

「報告します。本地点より約500mほど北の味方塹壕に、複数の爆煙が上がっております。敵魔導歩兵による攻勢と推測されます」

「ようし、上層部の指示を仰ぐ。先の命令は取り消しだ、各員待機せよ」

 

 偵察兵のアレン先輩が塹壕から顔を出し、双眼鏡を使って周囲の状況を伝えてくれました。

 

 ……敵の攻勢。

 

 雨では火力が下がるので、あまり攻撃してこないという噂でしたが……。

 

「上層部より指令。本小隊は、速やかに敵迎撃のため北上する」

「りょ、了解です」

「現地に到着次第、我々はレンヴェル少佐殿の指揮で行動する。てめえら喜べ、馬鹿がミンチになりに遊びに来やがったぞ」

 

 小隊長殿は嬉々として、塹壕沿いに北上していきます。

 

 攻撃命令がないのに、敵兵を殺せるのが嬉しくて仕方ないのでしょう。

 

「先輩の嘘つき! 雨の中であんま敵は来ないって言ったじゃ無いっスか!」

「来ちゃったねー」

 

 戦場に爆音が、鳴り響きます。

 

 敵魔導部隊による無慈悲な攻撃が、前線に降り注いでいます。

 

 今も、あの最前線で防衛部隊の人達は必死に身を守っているのでしょう。

 

「塹壕の防衛部隊を減らすため、数時間はたっぷり爆撃がある。その間に、後方の俺達が集まって背後を固める」

「おそらく最前線の塹壕は放棄するはめになるだろうが、ソレ以上は抜かせねぇ」

 

 これが、防衛側の基本的な動きだそうです。魔導師による砲撃は強力無比である反面、数時間かかるので言わば『今からこの陣地を攻撃しますよ』という予告になってしまうのです。

 

 しかし魔導師による爆撃を行わなかったり、あるいは時間が短すぎると、防衛部隊が全く減っていないので攻撃側が返り討ちにあいます。

 

 だから、魔導師はしっかり攻撃せざるを得ません。その結果、防御を固める時間が生まれます。

 

 なので、1度の攻勢で一気に距離を稼ぐのが難しいんですね。

 

 

 

 

 

 攻勢をかけた側は、多額の費用と突撃兵の命を代償に、僅かな距離を前進します。

 

 しかし、決して敵陣を突破することは敵いません。塹壕を1つ制圧する頃には、その後方に十分な兵が配備されているからです。

 

 そして、多大な犠牲を払って得たその『距離』は、次回の敵の攻勢であっさり取り返されます。

 

 その敵の、多額の費用と突撃兵の命によって。

 

 

 

 

 ────こんな、陣取りゲームに何の価値があるのでしょうか。

 

 そんな疑問に対する正答を持つものは、当時、おそらく陣地の何処を探してもいなかったと思います。



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7話

 レンヴェル少佐殿────彼は、100km近くに及ぶ当戦線の、中央部から北部にかけて数十kmの範囲の指揮を任された方です。

 

 ガーバック小隊長殿にとって直属の上司と言える立場の人で、オースティンの誇る名将の一人です。

 

 自分の様な下っ端ではまだその顔を見たことすらありませんが、もう結構な老齢であり、開戦する前から軍で指揮をとり続けているベテラン中のベテランなのだと聞いています。

 

 今回我々は、その名将さんの指揮下で戦うことになるのですが……。彼からの指令は全てガーバック小隊長経由で下されるので、結局はいつも通りに戦う感じです。

 

「少佐からの指令だ、俺達は第3防衛ラインで防衛網を構築する」

「了解です」

 

 基本的に塹壕は、防衛ラインに沿って構築されます。第1防衛ラインは最前線の塹壕、第2防衛ラインはその次の塹壕です。

 

 相手の攻勢が、第1防衛ラインで押し返せたら完全勝利。第2防衛ラインで痛み分けという印象です。

 

 敵の攻勢が始まった後、我々の様な遊兵が周囲から援護に来るので、第3防衛ラインまで奪われることは稀です。

 

「防衛部隊の連中が頑張ってくれりゃあ、俺たちの出番はないはずだが」

「最近、敵さん数に任せてすごい勢いで突っ込んでくるからなぁ。第2防衛ラインくらいまでは、また割られるんじゃねぇか」

「せっかく俺たちが進んだ距離が……」

 

 この防衛網を構築するにあたって、衛生兵の役割は────はっきり言ってありません。

 

 負傷した兵を最前線で治療出来る、この場所に衛生兵が存在するメリットはこれくらいです。

 

 何せ後方に近いこの防衛ラインで負傷したら、そのまま後方の野戦病院まで担いでいってもらえば済む話なのです。

 

 そうすれば新米の自分より正確な治療が施されるので、我ながら自分の存在意義が分かりません。

 

 無駄に場所をとる分、此処にいて邪魔まであります。

 

「トウリは俺に万が一が有ったらば、命がけで俺を救助して治療する役目だ。万が一がなければ、ずっと穴の中で縮こまって震えてろ」

「……はい、小隊長殿」

 

 と、小隊長殿の言い草からもはっきり言って何で自分は連れてこられたんだ状態です。

 

 無理矢理に自分の存在意義を見出すなら、ガーバック小隊長殿が死ぬ可能性を僅かに下げる安全装置、それくらいでしょう。

 

 

 

 

 

「敵突撃部隊、前進してきます!」

 

 数時間後。

 

 魔導部隊による攻撃が終わり、敵が突撃してきました。

 

 アレンさんの偵察鏡越しに見た感じ、明らかに我が軍より突撃部隊の密度が濃いです。

 

 数に任せて、と言うのはこのことを言っていたのでしょう。

 

「あー。もう第一防衛ライン、突破されました」

「……ちっ」

 

 突撃開始から1時間もたたないうちに、最前線が突破されたことを報告されました。

 

 つまり、最前線の兵士さんは死んでしまったか捕虜にされたという事になります。

 

「ったく、ちょっとは粘れや。俺たちの決死の突撃を何だと思ってやがる」

「……」

 

 ガーバック小隊長殿の、表情は険しいです。

 

 分かってはいましたが、小隊長殿に防衛部隊の方を心配する様子はありません。

 

 何なら舌打ちして、文句まで言っています。

 

「第2防衛ラインも、間もなく突破されそうです。小隊長殿、ご準備を」

「んだと!? かーっ、雨中突撃の癖に早すぎるだろ。うちの防衛部隊は、腑抜けしか残ってないのか」

「……というより、ウチらの正面の部隊がかなり練度が高いっぽいですね。他の敵に先駆けて、凄い勢いで突進してきてます」

 

 自分たちの正面の部隊が、すごい勢いで前進している。

 

 そんなアレンさんの報告を聞いて、ガーバック小隊長殿はピクリと眉を動かしました。

 

 彼の不機嫌そうな顔が一転し、ニヤリと唇をゆがめて笑いだします。

 

「ほう? 指揮官の風貌は?」

「雷を纏って突進してくる、金色長髪の小槍使いです」

「お、そりゃ良い。大将首じゃねぇか」

 

 ガハハ、と小隊長殿は機嫌よさげな顔になり、アレンさんから偵察鏡を奪い取りました。

 

 そして、自分の目で敵の顔を確認し、ニヤリと笑いました。

 

「間違いねぇ、雷槍鬼(カミキリ)だ」

「カミキリ……ですか」

「エースだよ、敵の。運のねぇ野郎だ、ワザワザこの俺が潜んでる防衛網に突っ込んでくるとはな」

 

 ギョロリと、ガーバック小隊長殿の目が獰猛に動きます。

 

 エース。それはつまり、敵の中の『ガーバック小隊長殿』のような存在という事でしょうか。

 

「雨中だからこそ、奴の雷魔法が映える訳ですね」

「奴は突撃するのも早いが、撤退するも早い。機動力を削がねぇと────、足を狙いてぇな」

「お任せください」

「ようし、総員足狙いだ。出来るだけ引きつけた後、俺が飛び出して戦うから援護しろ。そんで、奴の首を取る」

 

 手柄だ、大将首だ。小隊長殿は、見るから嬉しそうにウズウズしています。

 

 先ほどまでの不機嫌が、嘘の様です。

 

 自分としては、突撃してくる敵の部隊がエースと聞いてゲンナリしているのですが。

 

「今日はツイてるぜ!」

 

 自分を殺しに来る敵が強いことを喜んでいる小隊長殿は、やはり狂っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トウリは、塹壕から首だけ出して俺の背中から目を離すな。俺に万一のことがあれば、迷わず背後から回復魔法を使え。アレンは周囲を警戒しつつ、俺が負傷した場合は飛び出して塹壕へ救助し保護せよ。マリュー、てめぇはその場合雷槍鬼(カミキリ)に突っ込んで時間稼ぎな」

「「了解です」」

「他の連中は、塹壕内でその他の敵に応戦せよ。一人たりとも塹壕内に踏み入らせるな」

 

 小隊長殿の指令で、自分はちょこんと塹壕から顔を出すことになりました。

 

 偵察兵であればニュッと上に伸びる偵察用の鏡を持っているのですが、自分には支給されていません。

 

 無防備に頭だけ、塹壕の上に出して撃たれないでしょうか。

 

「安心しろ、俺の後ろへ銃弾なんぞ飛んでこねーよ」

「はい、よろしくお願いします」

 

 正直怖いですが、小隊長殿の命令なら仕方ありません。

 

 命令違反で銃殺されるくらいなら命令通り死ぬ方がマシ、という悲しい現実がありますので。

 

「小隊長殿! 敵、間もなく突撃してきます」

「よっしゃああ!!」

 

 アレンさんの合図とともに、勢いよくガーバック小隊長殿は塹壕を駆け上がりました。

 

「雨の中、わざわざ殺されにご苦労様ァ!!」

 

 自分は指示通り、ガーバック小隊長殿の背中越しに見守ります。彼は黒い泥をまき散らし、飛び交う銃弾を切り伏せながら、最短距離で敵将へと肉薄していきました。

 

「────!」

 

 完全に不意を食らったのか、敵の槍使いは体勢を崩して小隊長殿の突撃をやり過ごします。

 

 その隙を逃すものかと、抜刀したガーバック小隊長殿は槍使いに深く切り込みました。

 

 激しい打ち合いが生じる中、小隊メンバーの援護で槍使いが足を負傷したのが見えました。

 

 あのまま押せば、ガーバック小隊長殿が勝てそうに見えます。

 

 

 

 

 

 

 ────見えます、が。

 

 

 

 

 

 

 ちらり、と視界の端に気になるモノが映りました。

 

 それは、切り合ってるガーバック小隊長殿よりずっと先で、誰かが何かを銃で打ち上げる姿です。

 

 

 真正面の敵に集中しつつ、視界の端の動きを見逃さない。それは、FPSにおける必須の技能でした。

 

 それが、自分の(ライフ)に直結する場合であれば尚更。

 

 

 

 ……擲榴兵。

 

 今、擲榴兵が間違いなく、自分達の潜む塹壕に向けて何かを打ち込みました。

 

「あっ────!!」

 

 思考が混乱の渦に巻き込まれました。

 

 敵の打ち出した何かは、もう1秒もしないうちに我々小隊のど真ん中に落ちてきます。

 

 そうなれば、皆、死────

 

「どうしたトウリ、撃たれたか!?」

「……【盾】!」

 

 隊長に無許可ですが、自分は咄嗟に防御魔法を行使しました。

 

 と言うか、許可をとってる時間なんぞ有りません。

 

「へ? ちょ、トウリ────」

「伏せてください!」

 

 この時の自分の行動は、完全に無我夢中と言って差し支えないものでした。思い返しても、愚かとしか言いようがありません。

 

 何と自分は榴弾を防ごうと夢中で、薄っぺらいガラス板ほどの強度しかない不完全な【盾】の魔法を自分の真上に形成したのです。

 

 もし降ってきたのが信管式────いわゆる、衝撃に反応して爆発するタイプの手榴弾であれば、自分は黒焦げだったでしょう。

 

 しかし幸いにも、自分たちに投擲された手榴弾は衝撃により起爆するタイプではなく、時限式で爆発するタイプのようでした。

 

 後で教えてもらったのですが、自らの手で投擲するタイプの手榴弾は衝撃に反応するタイプが多く、専用銃で射出する手榴弾は誤爆しないよう時限式が多いそうです。

 

「げ、手榴弾!?」

「伏せろぉ!」

 

 数秒間しか持たない魔法の【盾】に当たって跳ねた手榴弾は、シューという不気味な音を立てながら、自分たちから僅かに離れた塹壕内に転がっていきました。

 

 しかし、まだ我々は爆風の圏内。このままであれば、重傷は免れません。

 

「間に合え、【盾】……っ!」

 

 間髪入れず、自分は転がった手榴弾と小隊メンバーを遮るように防御魔法を使用しました。

 

 至近距離の爆風なんぞ耐えれるはずもない脆弱な盾ですが、何もしないよりは遥かにマシです。

 

「トウリちゃん、それは危ないっ!!」

 

 盾の呪文を完成させた直後、自分は誰かに押し倒されました。おそらく、隣にいたサルサ君かと思われます。

 

 塹壕の床に叩きつけられる形で、自分はサルサ君にのしかかられ頭を打ちました。

 

 その直後、耳が割れそうなほどの爆音と、視界が真っ白になるほどの閃光が立ち上がり、

 

 

「……あ?」

 

 燃えるように熱い空気を吸い込んで、凄まじい衝撃と共に全身が痛み出します。

 

 数秒遅れて、自分とサルサは炎に巻き込まれたのだと気付きました。

 

「この死にぞこないがぁ!!」

 

 激しい耳鳴りと頭痛で意識が朦朧とする中で、遠くにガーバック小隊長の怒声が響いたのが聞こえました。

 

「逃げんなカス! ボケ!!」

 

 ゆっくり目を開けると、自分は泥まみれになって塹壕の淵に仰向けに倒れていました。

 

 ヒンヤリとした雨が、針のように痛みを伴って降り注いでいます。

 

「生きてるか、トウリ2等兵!」

「おい、しっかりしろ!」

 

 どうやら自分は爆風により、数メートル吹っ飛ばされ転がったようです。

 

 幸いにも、雨で抜かるんだ土がクッションになって致命傷だけは避けられたようですが……。

 

 自分の両足に、灼熱の様な痛みを感じます。

 

「酷い火傷だ、こりゃもう立てねぇな。おい、意識はあるか」

「はい、その、自分はどうなったのでしょう、か」

「足が真っ赤に腫れあがってるが、他に特に傷はねぇ。まだ死なねぇから、気をしっかり持て」

 

 徐々に、周囲の景色がしっかりしてきます。口の中に、泥と鼻水が入り込んでいるのがわかり、思わずむせ込んでしまいます。

 

「くそったれ!! 逃げやがった、あの臆病モン!」

 

 少しずつ意識を立て直しているうちに、怒り心頭といった顔の小隊長殿が塹壕に戻ってきました。

 

 どうやら、敵のエースを討ち取ることはできなかった様です。

 

「しかも、結構な被害じゃねぇか。手傷負った雑魚はとっとと後退しろ、後退!」

「あ、う……」

 

 その小隊長殿の指令で、

 

「ほら、力抜いてトウリちゃん。大丈夫だ、俺が運ぶから」

「ありがとう、ございま、す」

 

 自分はほぼ無傷だったグレー先輩に担がれました。

 

 そうしてようやく、周囲の状況を見渡すことができました。

 

 身体の左半分に大火傷を負ってフラついている人、まだ塹壕に倒れてピクピクしている人など、ガーバック小隊は満身創痍というにふさわしい状況でした。

 

「ま、待ってくだ、さい。あの人の、治療が必要────」

 

 その中で、自分は塹壕でうつ伏せになって痙攣している人は、もう死にかけであると気付きました。

 

 彼は背中を黒焦げにして、小刻みにけいれんし、息が荒くなってきています。

 

「今ここで治療しないと、彼は────」

「……ああ。彼はもう遅いよ、トウリちゃん」

 

 だというのに、グレー先輩は自分を抱えて歩き出しました。

 

 まだ遅くなんかありません、呼吸をしている限り生きる希望はあります。適切に応急処置をすれば、まだ、

 

「アレン先輩、ソイツの顔見せてやってくださいよ」

「……ああ」

 

 そしてゆっくりと、アレン先輩はうつ伏せに寝ている人の顔をこちらに向けてくれました。

 

 わざわざ見やすいように、体を起こして。

 

「────サルサ君?」

 

 その兵士は、サルサでした。

 

 先ほど爆発の際、自分を庇って押し倒し、至近距離で爆風を浴びてしまったサルサ君でした。

 

「……手榴弾の破片で、顔が半分なくなってる。助かりっこない」

「もう寝かせといてやれ、こいつはよくやったよ」

 

 そんな彼の顔は、右目から後頭部にかけて大きな亀裂が入っていました。顔をあげると同時にどろり、と赤黒い脳漿が地べたに零れ落ちました。

 

「……さ、る……」

 

 呆然と、自分が彼の名を呼び終わるより前に。

 

 サルサ君はビクンと大きく体を跳ねて、二度と動かなくなりました。 



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8話

 サルサ2等兵はろくな訓練も受けないまま歩兵として駆り出され、西部戦線に参加して10日で殉職しました。

 

 彼はまだ18歳であり、ハイスクールを卒業したばかりの若者でした。

 

 少し前まで平和な学園生活を送っていた青年が前線に駆り出されて命を落とす……、それはどれほどの悲劇でしょうか。

 

 

 結論から言えば、そんな悲劇は前線ではありふれています。

 

 一度の攻勢、防衛戦で平均して敵味方合わせて千人弱が命を落としますし、そのうちの大半は前線送りされたばかりの新米兵士なのです。

 

 新米が突撃兵士になった場合は、半年以内に殆ど死ぬといいます。残った優秀な突撃兵だけが暫く生き残って、地獄の様な日々を送る権利を得るのです。

 

 どちらが幸せなのかは、正直分かりません。

 

 

 サルサは、自分にとって決して友人と言える立場の存在ではありませんでした。

 

 付き合いも浅いですし、別段仲良く会話していた事もありません。

 

 初日に死んでしまった、同じ孤児院出身のバーニー・ノエルの方がよほど親しかったです。

 

 迂闊で間抜けなサルサが、この戦場で生き残れないことはわかっていました。

 

 なので自分は、あまり彼と親しくならないよう心の壁も作っておきました。

 

 

 

 

 ────だというのに、どうしてでしょう。

 

 彼の死に際の欠けた顔が、頭にこびりついて離れません。

 

 ただ無表情に、痙攣するサルサの体躯が頭に瞼の裏に浮かんで消えません。

 

 少しでも気を抜くと、大声をあげて泣き出してしまいそうです。

 

 その理由はおそらく、自分が彼に命を救われたからでしょう。

 

 サルサ君が自分を庇ったりしなければ、きっと自分の顔が半分に欠けていたと思われます。

 

 他人に庇われて生き延びるのが、こんなに辛いとは思いませんでした。

 

 自分は、自分自身で思っていたよりはるかに、心の弱い人間だったようです。

 

 

 

 

「足が治癒したようだな、トウリ衛生兵」

 

 呆然としたまま、野戦病院に運び込まれた自分は、衛生兵の先輩から治療を受けました。

 

 そして看護兵(衛生兵の補助や、点滴などの薬剤を管理する人)の方に案内され、小さな布切れの上で静かに寝かされていました。

 

「……ガーバック小隊長殿」

「貴様に問いたださねばならぬことがあるので、至急俺のテントに顔を出せ」

 

 野戦病院で治療を受け終わった後、小隊長殿が自分の床の前に来てそう命じました。

 

 ガーバック小隊長は、険しい顔で自分を見下ろしていました。

 

 その彼の怒りに、思い当たる節はいくつかあります。

 

「了解しました」

「ちょっと! 軍人さん、その娘はまだ安静を……」

「黙れ、上官命令だ」

 

 正直、何故かその時の自分は、怒ってもらえるのであればありがたいと感じました。

 

 自分がもう少し、何かをうまくやっていれば、サルサは死なずに済んでいた様な気がしたからです。

 

 きっと、そうに違いありません。

 

「おら立て、歩けトウリ」

「……はい」

 

 半ば幽鬼になったような感覚で、自分は促されるままに立ち上がりました。

 

 そして、先輩に丁寧に火傷を治していただいた両足で、しっかり小隊長殿の背中についていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあトウリ、俺は学習能力のない奴がこの世で一番嫌いなんだ」

「……はい、小隊長殿」

「ついこの間だ。貴様は自分が魔法を使う時は、何が必要と聞いた?」

「小隊長殿の、許可を求めるように、と」

 

 案の定というか。

 

 ガーバック小隊長殿についていった自分を待っていたのは、激しい叱責と暴行でした。

 

 無許可での【盾】の魔法の行使。それが、今回の自分の叱責理由でした。

 

「覚えていたのに、何故それを怠った?」

「自分が、無能だからです」

 

 返答の直後。自分の顔面を、胸を、腹を、小隊長殿の激しい鉄拳が襲います。

 

 それは以前、サルサ君に自己判断で回復魔法を使った時より、遥かに激しい暴行でした。

 

「なぁ、俺は言わなかったか? 命令違反を2度繰り返したら、どうするって」

「……処刑を、行うと仰っていました」

「俺様からのありがたい指導を、覚えておく頭はあったわけだ。じゃあつまり、お前は自分の意志で、この俺に歯向かったという事になるな」

「弁明のしようもございません」

「死ねこのクソガキ!!」

 

 このままでは、死ぬ。ガーバック小隊長殿に殴り殺されてしまう。

 

 しかし、自分には抵抗する気力も、命乞いする気概も残っていませんでした。

 

「死ね、死ね、死ね、この能無し! そんなに俺の命令を聞くのがイヤだってなら、次の任務で二度と命令聞かなくていいよう殉職させてやるよ!」

 

 強く握りしめられた拳で、何度も何度も殴打されました。

 

 その間、自分は一言も発さずただ殴られ続けました。

 

「テメェの代わりなんざいくらでもいるんだ!」

 

 やがて、自分は全身がクタクタの塩辛のようになるまで暴行は続きました。

 

 手も、足も、目に見える範囲全ては痣だらけ。何度か血反吐も吐きましたし、そこらの骨が軋んで腫れあがっています。

 

「今日は一日、食事抜き。あと、直立姿勢を崩さず俺のテントの前で立ってろ」

「……了解しました」

「治療行為は許さん。そのまま死んでろ、ゴミ」

 

 その小隊長殿の命令を受けて。

 

 自分は、ヨロヨロと折れた足を引きずりながら、言われた通りにテントの外で起立することになったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「派手にやられたな、トウリ2等衛生兵」

「……」

「ったく小隊長殿も……。苛立つのはわかるけど、こりゃやり過ぎだ」

 

 1時間近くに及ぶ小隊長殿の『指導』が終わり、外に立たされた自分を待っていたのは偵察兵のアレン先輩でした。

 

 彼はボロ切れのようになった自分の身体を見て、申し訳なさそうにしていました。

 

「……あの、先輩」

「どうしたトウリ」

「その。先輩の、そのお姿は一体」

 

 そんなアレン先輩の顔を見て、自分はギョっとしてしまいました。

 

 何せ、

 

「ああ、俺もボコられたよ。痛てーよな、まったく」

「……」

 

 アレン先輩も、自分と同じくらい苛烈な傷を負っていたからです。

 

 そして自分より先に殴られ、かなりの時間を立たされていた様子でした。

 

「ぶしつけで申し訳ありませんが、その。先輩も何か、命令違反などやらかしたのでしょうか」

「いや? 俺は何もやってないよ」

「では、小隊長殿の機嫌を損ねてしまったとか」

「ま、それは間違いねぇや」

 

 その時、やはりガーバック小隊長殿の暴行は度を越していると感じました。

 

 罰で起立させられているアレン先輩は、普通に野戦病院で寝てないといけないレベルの重傷を負っています。

 

 いくら機嫌を損ねたからと言って、これほど暴力を振るわれるのは非効率的すぎます。

 

「……俺は、殴られて当然なんさ。何せ、何もしなかったからな」

「え?」

「小隊長殿が出撃した後の周囲警戒は、偵察兵の俺の仕事だ。あの榴弾に気づくべきは、俺だった」

 

 アレン先輩は、悔しそうに唇を噛みました。

 

 彼の下あごに、小さな血の雫が垂れて行きます。

 

「俺が擲榴兵に気付いてたら、魔法で対空するなり避難誘導するなり出来た。なのに、俺はトウリが防御呪文使ったその瞬間まで、榴弾に気づけなかった」

「……かなり、遠距離からの射出でした。もしかしたら、アレン先輩の位置からは死角になっていたかも」

「だとしても、音で察知しろって話だ。俺はガーバック小隊長殿と雷槍鬼(カミキリ)の打ち合いに集中しすぎて、周囲の警戒をおざなりにしてたのさ」

「……」

「そんで、ド新人のトウリが気付けた敵の榴弾を見逃し、部隊を危機に陥らせた。何でベテランの俺が気付かなかったんだって、小隊長殿に怒鳴られてこの始末」

 

 自分はアレン先輩に、兵科ごとの役割分担を教えてもらいました。

 

 榴弾を撃ち込まれた場合はソレに気付いた歩兵が、即座に撃ち落とすか避難指示をするのが正解だそうです。

 

 時限式の榴弾は、着地してから数秒ほど爆発まで猶予があります。

 

 致命傷となる爆風の範囲はおおよそ4~5mほどなので、即座に走って落下地点から距離を取って伏せれば生存は不可能ではないのだとか。

 

「……小隊長殿のおっしゃる通りさ。俺はヘマで、未来ある有望な新人を、殺しちまったんだ」

「そ、それは。違います、サルサ君は自分を庇ったんです。自分が、伏せるのが遅かったから」

「周囲の警戒は衛生兵の仕事じゃねぇ、それはお前の罪じゃない。そもそも配属され10日の、15歳の娘にそんなこと言わせてる自分が情けなくて仕方ねぇ」

 

 もっと理想を言えば、偵察兵は周囲の警戒を仕事にしているので、擲榴兵に弾を撃ちこまれる前に気づいて銃撃しなければならないそうです。

 

 銃弾が飛び交う中で、擲榴兵が正確に塹壕を狙うのは困難です。だから、当たらなくとも撃つだけで牽制になるんですね。

 

「俺がしっかりしてりゃ、サルサは死ななかったしトウリがボコボコにされることはなかった。トウリ、小隊長殿を恨むなら、代わりに俺を恨んどけ」

「……自分は、恨んだりは」

「あの人はキチガイだし、頭おかしい人格破綻者だけど、今回の件の責任は間違いなく俺にある。小隊長殿がブチ切れるのも道理だし、俺に怒り過ぎてトウリへの指導もやりすぎただけだ」

 

 それは自嘲しているような口調でした。

 

 今回の責任は全て自分にある、と。アレン先輩はそう感じている様子でした。

 

「胸を張れトウリ。確かに命令違反はしたかもしれねぇけど、お前が咄嗟に榴弾の軌道を変えてなきゃ死傷者はもっと増えてただろう。ストライクコースの擲榴弾だった、何なら小隊の半分は死んでた」

「……そう、でしょうか」

「間違いねぇよ。お前の盾が榴弾をはじく瞬間はしっかり見たからな。お前の命令違反は、間違いなく人の命を救った」

 

 アレン先輩はそこで、始めて優しく笑い、

 

「だからさ、お前は自分を責めるな」

 

 そう言ってくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……日が暮れたか。よしアレン、お前は治療を許可する」

「ありがとうございます」

 

 自分とアレン先輩は、1日間飲まず食わずで立ちっぱなしでした。

 

 折れた脚が赤黒く腫れ、ずっとズキズキ痛んでいます。

 

「ただしトウリ、てめぇはまだダメだ。これから俺様が直々に、たっぷりしごいてやる」

「……ありがとうございます」

「しょ、小隊長!?」

 

 しかし、小隊長殿はまだ自分を許してくれない様でした。

 

 2度の命令違反が、よほど腹に据えかねたのでしょう。

 

「こ、これ以上何かやるなら俺にしてください。今回の責任は、俺にあります!」

「やかましいアレン、殺すぞ。おらトウリ、こっち来い」

 

 自分は動かぬ足を引きずりながら、フラフラと小隊長殿について行きます。

 

 それが命令だからです。

 

「小隊長! 待ってください!」

「うるせぇ! お前は明日に備えてとっとと治療しに行け!」

 

 アレン先輩は転倒してまで、自分を追いかけようとしてくれていました。

 

 しかし、やはり満足に動けないのか倒れ込んだままおきあがれません。

 

 そんなアレン先輩を無視して小隊長殿は、テントから後方へ離れた場所まで数分歩くと、そこで自分に直立不動を命じました。

 

 

 

 

 

「さて、指導だクソガキ」

 

 小隊長は無造作に、その辺に落ちていた小石を拾いあげました。

 

「おら!!」

「……ぐっ!!」

 

 そして勢い良く、自分に向かって投げつけました。

 

 石はわき腹にあたり、肉を抉って大きな傷になりました。

 

「避けるなよ。これは指導だからな」

「……はい」

 

 もう自分は満身創痍なのに、まだ苛烈に暴行を加える様です。

 

 本気で、ガーバック小隊長は自分を殺すつもりみたいです。

 

 命令違反に対する処刑、という事なのでしょうか。

 

「なあトウリ。お前、何で盾の呪文なんか覚えてたんだ? 誰に習った?」

「それは、ゲール衛生部長殿に習得しておくよう指導されたからです」

「ああ。成程合点がいった」

 

 ガーバック小隊長殿は不機嫌そうな顔で、再び小石を拾い上げました。

 

 また、石をぶつけられる様です。

 

「で? あんなゴミみたいな呪文、何の意味がある?」

「それは、その、防御としての」

「あんな脆弱な呪文に魔力消費する意味を聞いてるんだ。ようし、じゃあ」

 

 ガーバック小隊長殿は、まるで敵にでも向けるような獰猛な目つきになって、自分にこう言いました。

 

「【盾】の呪文の使用を許可する。防御とやらをやってみろ」

「っ!」

 

 その言葉と同時に、小隊長殿は思いっきり石を投げつけてきました。

 

 

「【盾】っ!! ……あぐっ!」

「オラどうした。防御するんじゃなかったのか」

 

 

 ────自分の盾の呪文は、まだ不完全です。ゲール衛生部長のような、十分な硬さと厚さを確保できません。

 

 小隊長殿の投げた小石は自分の盾を突き破り、まっすぐ折れた脚にぶつかりました。

 

「どうした、防いでみろや。その自慢の防御の術で!」

「た、【盾】! 痛っ!」

「全部当たってんじゃねぇかゴミカス! そんなカス術に魔力消費する馬鹿がどこにいる!!」

 

 どれだけ盾を行使しても、小隊長殿が投げた石は一つも防げませんでした。

 

「いい加減自分の無能を理解したか、この雑魚!」

 

 とうとう立っていることも出来ず、自分は地面に伏せました。

 

 痛みと絶望で、満足に力も入りません。

 

 ああ、グレー先輩の言っていたことが理解できてきました。これは確かに、死んだ方がマシです。

 

 サルサ君に庇われて生き延びたことも、こうして上官からの暴行に晒されることも、辛くて仕方がありません。

 

「は、い……。自分は、無能、です」

「この無能、何を寝てやがる! とっとと起きろ、そんで【盾】を構えろ!!」

 

 戦争に駆り出された時点で、自分の不幸は確定していたのでしょう。

 

 ここで殺してもらえるなら、それも良いかもしれません────

 

 

 

 

「斜状防御だ。【盾】は斜めに出すもんだこの間抜け!」

 

 

 

 やがて、小隊長殿は石をぶつけるのをやめると。

 

 自分に見えるように分かりやすく、大きな【盾】を三角形に展開しました。

 

「……へ?」

「ゲール衛生部長は医療のプロかもしれないが、前線の戦い方に関しては素人だ。【盾】が使えたなら何故、俺に習いに来なかったトウリ」

 

 ガーバック小隊長殿は、無言で【盾】を維持し続けます。

 

 自分の正面に頂点を置き、くの字に折れるよう展開されたその盾の形状を見せつけるように。

 

「この形で出してみろ、トウリ」

「あ、えっと、その。た、【盾】!」

「違う、出来ていない」

 

 くの字になるよう盾を出せ。

 

 いきなりそんなこと言われても、イメージが上手くいかず失敗してしまいました。

 

 いつも通りの、平らな板が自分の前に形成されます。

 

「慣れていないうちは、掌の先に板を突き出すイメージをしろ」

「掌の、先に」

「そして、掌で形成したい【盾】の形を作るんだ」

 

 ガーバック小隊長殿はそういうと、両掌を外向きに三角形に組んで見せました。

 

 自分もそれを真似して、掌の前に【盾】を形成してみます。

 

「た、【盾】! ……あっ」

「そうだ、それでいい」

 

 そうすれば自分も小隊長殿のように────、薄いですが三角形の【盾】を形成することができました。

 

 ……そうか、この形は。

 

「そら」

 

 間髪入れずに、小隊長殿が自分に小石を投擲しました。

 

 先ほどと同じように、本気の投擲です。

 

 しかし斜めに形成された【盾】に石がぶつかると。

 

 【盾】は砕け散りましたが、石は弾かれてあらぬ方向へと飛んでいきました。

 

「分かったか、敵の攻撃ってのは逸らすもんだ。正面から受け止めるもんじゃない」

「……」

「もし爆風を前にその斜状防御で【盾】を形成できてさえいれば、破片の幾つかは逸れ、被害状況は大きく変わっただろうな」

 

 厳しい口調で、ガーバック小隊長殿はそう言いました。

 

 自分が、この技術を習得していれば、被害は減ったと。

 

「では、サルサ君は」

「運が良ければ、助かっただろう」

 

 グラリ、と眩暈に襲われます。

 

 こんな簡単な事だったのです。小隊長殿に一度、軽く手解きしてもらえただけで【盾】はより強固になったのです。

 

 自分がこの、斜めに盾を出す技術を習得してさえいれば、あの人の好いサルサ君は────

 

「前もって貴様が、咄嗟の際に【盾】を使う許可を求めてさえいれば。俺は無論、この技術を伝授しただろう」

「……」

「お前がボコボコに指導を受けた理由、理解できたか」

 

 目の前が真っ暗になっていくのを感じました。

 

 そうです、自分が怠っていたのです。

 

 まだゲール衛生部長に習っている最中だからと、【盾】の術について小隊長殿に情報共有しなかったのです。

 

 そのせいで、彼は。

 

「指導は終わりだ。野戦病院で治療を受ける許可をやる」

「は、は、い……」

「あと今後、非常時に限り【盾】の呪文の使用を2回まで許可する。土壇場で俺に許可とる時間なんぞ無いだろうからな」

 

 殴られて当然でした。

 

 自分は以前、上官命令の重要さを指導されておきながら、ソレを疎かにして同期の命を奪ったのです。

 

「……次はないぞ、トウリ」

 

 ガーバックはそう言うと、一人でテントに戻っていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

「と、トウリちゃん!?」

 

 そして自分は、吐きそうになりながらフラフラと野戦病院に戻りました。

 

 全身の痛みと、自分のしでかした罪の重さで、頭が変になりそうでした。

 

「……ガーバックの奴ね!! 重傷の少女兵相手になんてことしでかすのよ!」

 

 もう何も考えられず、激怒して叫ぶゲール衛生部長の金切り声を子守唄に、

 

「もう我慢の限界だわ! 衛生部長として抗議を出すんだから! 治療した先から重傷負わすって、何考えてんのよあのキチガイ!」

 

 自分はゆっくりと、意識を手放しました。



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9話

 翌日。

 

 自身の仕出かした責任に打ちのめされて眠った自分は、野戦病院の床で目覚めました。

 

 自分の隣には、同じ小隊のアレン先輩が寝かされていました。

 

「……起きたのね、トウリちゃん」

 

 顔をあげると、優しい声が自分へ語り掛けてきました。

 

 振り返れば、泣き黒子の美人ゲール衛生部長がにこやかにデスクに座っていました。

 

「おはよう、トウリちゃん。無事で何よりね、昨日の地獄をよく生き残ってくれたわ」

「はい、衛生部長殿。おはようございます」

 

 何故自分がこんな場所に寝かされていたかと聞けば、病床が足りず臨時で増設する羽目になったからだそうです。

 

 自分はその場で着替えながら、ゲール衛生部長から被害状況について聞かされました。

 

 昨日の防衛戦では、かなり被害が出た様でした。

 

 味方の死者だけで1000人を超え、負傷者を含めると被害は約3000人に上るそうです。

 

「トウリちゃんも負傷明けで悪いんだけど、病院は人手が全く足りてないの。ガーバックに許可はとってるから、今日は治療を手伝って頂戴」

「はい、了解しました。現時刻から明朝5時まで、自分はゲール衛生部長の指揮下に入ります」

「お願いね。……本当は昨夜から手伝って欲しかったんだけど、あの馬鹿の八つ当たりのせいで……」

 

 一瞬ですが、ゲール衛生部長は物凄く怖い顔をしました。

 

 大量の患者が入床した時の、衛生兵業務はかなり忙しいです。

 

 そんな大変な時に呑気に熟睡していた自分は、かなり不興を買ったことでしょう。後で皆に、しっかり謝罪しておかないと。

 

「ガーバックが居ないだけで私達の仕事はどれだけ減るのかしらね。……はぁ」

「自分が不甲斐ないせいで迷惑をお掛けして申し訳ありません」

「トウリちゃんは悪くないわ。仕事は真面目だし、よく働いてくれてるし。と言うか、ガーバックの折檻の理由聞いたんだけど、私が教えた【盾】のせいなんでしょう? ……ごめんなさいね」

「とんでもありません、ひとえに自分が報告を怠ったせいです。昨日の小隊長殿の指導内容は、至極妥当であったと理解しております」

「うーん……。本当に、突撃部隊に配属させとくには、勿体ない真面目さねぇ」

 

 自分の答弁を聞いて、ゲール衛生部長は困ったような表情を浮かべました。

 

 どうしたのでしょうか。

 

「隠すのもなんだから伝えておくけれど、実は昨日、上層部にトウリちゃんを私の衛生部隊に編入させるよう要請したの」

「それは、やはり自分が前線での任務に耐えられないという判断でしょうか」

「いや、最近負傷者の数が増加傾向だからよ。昨日の防衛でトウリちゃん、九死に一生だったんでしょ? 人手が全然足りてないのに、前線で貴重な衛生兵を殉職させられちゃたまらないもの」

「……成程、理解しました」

 

 野戦病院の、衛生兵は慢性的に人手不足です。満床の時は回復魔法の回数が全く足りません。

 

 なので体には悪いですが、魔力が尽きたら秘薬を飲み、精魂尽き果てるまで回復魔法の行使を行います。

 

「1度で通るか分かんないけど……。衛生兵が一人増えるだけで兵士を何人助けられるか、説き伏せてやるんだから」

 

 目の前のゲール衛生部長も、目の下にガッツリ隈を作っています。恐らくは、徹夜明けでしょう。

 

 衛生兵は数十人しか存在しませんし、回復魔法は人数がものを言います。

 

 自分のような新米でも非常に大きな労働力になります。だからこその、要請でしょうか。

 

「さて、目を覚ましたなら顔を洗ってらっしゃい。もうすぐ、D病床の回診が始まるからトウリちゃんも付いていきなさい」

「了解しました」

 

 ま、自分の活用法に関しては上層部の判断に従うのみです。

 

 昨日のサルサ君を殺したミスは、自分の怠慢から来るもの。

 

 そんな迂闊な小娘を前線に送り出すより、後方で医療に従事させていた方が利益になるという判断が下されても仕方ありません。

 

「……それと、あまり気に病まないようにね。うなされていたわよ、とても」

「気を付けます」

 

 デスクから立ち去る間際、衛生部長から軽く釘を刺されました。流石に、ゲールさんは人を良く観察しています。

 

 正直、自分はまだ色々とショックを引きずっています。しかし、苦しんでいる患者さんの為に切り替えないとなりません。

 

 たっぷり眠っていた衛生兵が集中不足で医療ミスなんかしたら、それこそ申し開きもできませんから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トウリちゃん君、思ったより魔力量が増えてるな」

「……本当ですか」

 

 D病床の朝回診から仕事に参加した自分は、衛生兵の先輩にそんなことを言われました。

 

「トウリちゃん、15歳だっけ」

「はい、その通りです」

「そっか、成長期だもんな~。この成長速度なら、来年には主力になれてると思うよ」

「そんな、1年程度で先輩には追い付く筈がありません」

「だって、来年から俺いねえし」

 

 この先輩は所謂、かなりデキる系の人です。

 

 医学の素人の自分とは違い、彼はもともと医療を専攻していたプロで、徴兵され前線送りにされたそうです。

 

 知識量も回復魔法の精度も非常に優秀で、徴兵組でありながら病床主任を任されています。

 

「俺は来年、兵役終わったら大学に戻るけど。トウリちゃんも生き延びられたら、ウチの大学来ない?」

「大学ですか」

「うん、そこでしっかり修行して回復術を身に付ければ、戦争終わっても食いっぱぐれないよ」

「お誘いありがとうございます、是非検討させていただきます」

 

 もし生きて帰ることが出来たら。先輩は、そんな言葉を口に出しました。

 

 野戦病院で仕事に従事する衛生兵にとって、その言葉は決してあり得ない話ではありません。

 

 何せ、戦場の最後方である病院まで戦火が及ぶことは、あまり無いからです。

 

「自分が生き延びられる可能性は、あまり高くはありませんが」

「……まぁ、お前はな。とっとと降参なり停戦なりして欲しいね」

 

 突撃部隊に所属しているファンキーな衛生兵である自分はさておき、基本的に衛生兵の死亡率はかなり低いです。

 

 志願兵はそれなりに功績を立てれば後方勤務になりますし、徴兵組は兵役である3年間を生き延びれば故郷に帰れます。

 

 ずっと前線で衛生兵やりたい、なんて奇特な人もいるらしいですが。

 

「はよ負けろ。前線で殺し合いの尻拭いさせられるより、研究で医学を発展させる方がよっぽど万民の為になる」

「その言葉、上層部の方に聞かれるとまずいのでは」

「まずくねぇよ、俺の本音さ」

 

 なので基本的に、衛生部に所属する人は軍人であるという意識は低いです。

 

 危険地域に強制就労させられた一般人、と認識している人の方が多いでしょう。

 

「人を殺しに行く奴の傷を治せだなんて、癒者(ヒーラー)を馬鹿にしてやがる」

 

 だから、彼らの価値観はかなり市井に近い気がします。

 

 戦争に毒されていない、まともな感性の人ばかりなのです。

 

「ちょっと病院テントの外を見てみろ、兵士の連中が穴掘ってるだろ」

「はい、今日も塹壕を掘ってくれている様子です」

 

 話の流れで、先輩が外を指さしました。

 

 そこには、ショベルを持った兵士の方々が集まり、大きな穴を掘っていました。

 

 前線ではよく見る光景です。

 

「いや、野戦病院より後方に塹壕掘って何になる。ありゃ墓穴だ」

「お墓、ですか」

「おう、死体を回収して貰えたラッキーな奴の墓。激戦区で死んだ奴の死体は野晒しだからな、埋めて燃やして貰える奴は幸運だろう」

 

 言われてみれば、確かに塹壕にしては掘った穴が丸いです。

 

 それに、涙を流していたり黙祷をささげていたりする兵士が幾らか見受けられました。

 

 あれは、確かに埋葬の様です。

 

「俺は今朝、あの中に自分が担当してた奴を見かけたよ」

「……」

「我ながら完璧な処置で、以前の様に手首を動かせるように丁寧に手術してやった。ありがとう先生、って破顔して喜んでくれたよ。その3日後に、戦死してあの穴の中さ」

「それは、運が無かったとしか」

「運だ? 履き違えるな、国が一言『参りました』『もうやめましょう』って言えれば死ななかった命だ。ソイツは国に殺されたんだ」

 

 先輩はそう言うと、遠い目で穴に放られていく死体を眺めながら、

 

「毎日積み上げられていく死体の中に君が混じらない事を祈ってる」

 

 そう呟きました。

 

 

 

 

 

 

 

「……あ」

 

 そして、自分は。

 

「すみません先輩、少しだけ休憩を頂けないでしょうか」

「ん? ああ良いよ、君の魔力も切れてるだろう。少しリフレッシュしてくると良い」

「ありがとうございます」

 

 その掘られた墓穴の近くに、ある人物を見かけました。

 

「では少し、席を外させていただきます」

 

 その人物とは、アレン先輩です。

 

 昨日、たっぷりガーバック小隊長に指導され野戦病院で寝かされていた偵察兵の先輩です。

 

 もう動けるようになったなら、声をかけておきましょう。

 

 

 

 

 

 

「……アレン先輩」

「おお、トウリか」

 

 流石は衛生部の仕事、昨晩の暴行によってアレン先輩が受けた傷の殆どは完治している様子でした。

 

 彼はショベルを片手に持って、墓穴造りに参加していたそうです。

 

「体のお加減はもうよいのですか」

「ああ、ありがとう。トウリも、思ったより元気そうでよかった」

 

 アレン先輩は、自分を見て優しく笑いました。

 

 この調子だと、明日から問題なく復帰できそうです。

 

「……トウリ、良いタイミングで来てくれたな。アイツもなかなか捨て置けん」

「良いタイミング、ですか?」

「ああ。休養日の少ない俺達が、こうして戦友を見送れる機会なんて多くないからな」

 

 アレン先輩はそう言うと、自分を視線で寝かされた死体の山へ促しました。

 

 そこに寝ていたのは、

 

 

「サルサ君……」

「ああ、今から火葬だ」

 

 

 乱雑に積み上げられた死体の山から顔を出した、同期のサルサ君の顔でした。

 

「……」

 

 心拍が、早くなるのを感じます。

 

 彼の肌は不気味なほど青白く、顔は赤黒く焼けただれ、頭の損傷部を隠す様に布が縛りつけられていました。

 

 ……覚えています。

 

 サルサ君がついこないだの宴会で、ひょうきんに裸踊りをしようとしていた事を。

 

 その彼の馬鹿馬鹿しくも、どこか優しさを感じさせる人柄は、決して嫌いではありませんでした。

 

「そうだ、トウリ。サルサについて良い思い出話がある」

「自分に、ですか? アレン先輩」

「ああ。と言っても、たいした話じゃないが」

 

 やがて、集められた全員分の遺体が穴に放り込まれると、周囲にその辺に咲いていた花や野草が添えられ始めました。

 

 そして牧師のような服を着た兵士が前に出て、冥福を祈る口上を始めました。

 

「この前、女を買いに出かけた時に話したんだが。アイツな、お前に命を救われたことを凄く気にしてたぞ」

「サルサ君が、自分に?」

「ああ。救われたのに夕食も分けれなかったし、借りっぱなしだって」

 

 アレン先輩の言葉に、そう言えばと思い出します。

 

 最初の命令違反で彼の命を救った時、彼はブリーフィングをすっぽかして夕食抜きとなり、結局何も返して貰ってませんでした。

 

「サルサの奴はなぁ。何としてでも、今度は俺がトウリちゃんを守って見せる。そして、『借りは返したぜ』って言ってやるんだ、って息巻いてた」

「……それで、あんなに危険な真似を」

 

 ああ、サルサ君がそんな事を考えていたなんて気づきませんでした。

 

 思い返せば彼は、自分の肉盾になる命令を受けた時、妙に張り切っていたような気がします。

 

 まさか彼は、自分を庇おうと張り切り過ぎた結果、

 

「まさに有言実行だ。俺は、この若造サルサに敬意を表するぜ」

「そんな、理由で」

 

 自らの命を落としてしまった、というのでしょうか。

 

 

「……さあ、黙祷するぞ」

 

 

 やがて、牧師の方が呪文を呟き、穴全体を火が包み込みました。

 

 脂肪の焼けた湿っぽい臭みが、周囲に蔓延します。

 

 しかし、その場を離れようとする兵士は一人も居ませんでした。

 

 

 

 死体は、感染微生物の温床となります。

 

 そのまま埋めるよりかは、可能な限り回収して、焼いてやるのが好ましいとされています。

 

 

 しかし、燃料は貴重なので死体に振りまくことは出来ません。

 

 人体の脂分と、その衣類のみを燃料に、死体はゆっくりと燃えていくことになります。

 

 

「────」

 

 

 サルサ君は、静かに火に包まれて行きました。

 

 皮膚が解け堕ち、黒い何かを垂らしながら、蝋燭のような静かな炎に焼かれました。

 

 火に包まれるサルサ君は、決して安らかには見えません。

 

 熱で口が開き、手が折れ曲がり、背を丸め断末魔の形相を呈しています。

 

 

「……」

「そうだ、それで良いトウリ」

 

 そうなってしまうと、もう駄目でした。

 

 どれだけ堪えても、涙が溢れてきて止まりません。

 

「溜め込むな。新米の癖にいきがって、大人の振りをするんじゃない」

「……」

「きちんと発散した方が、切り替えが早くなる。……だから、それで正解だ」

 

 それ以上、自分は燃えていくサルサ君を見ていることが出来ませんでした。

 

 心が弱い。自分が、こんなにも打たれ弱い人間だったとは思いませんでした。

 

「────っ!」

 

 両膝をついて、手で顔を覆い、声にならぬ声を嚙み殺しました。

 

 ボロボロと、落ちる涙はとめどなく。

 

 零れた雫は、揺れる炎を映します。

 

 

 

「勇敢だった、戦友達に黙祷を」

 

 

 そして自分は情けなく、声を上げて泣いたのでした。

 



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10話

 防衛戦の後、数日ほど自分は野戦病院につきっきりでした。

 

 前の防衛戦は、ここ最近の間でもかなり大掛かりな攻勢だったようで、多大な犠牲が出ていたのです。

 

 なので衛生部は患者のケアに追われ、てんてこ舞いでした。

 

 仕事は治療・処置だけではありません。

 

 敵に大きく前進されたので野戦病院を後方に移転させなければならず、荷物や患者さんの移動にかなり時間をとられました。

 

 また、ストレスの限界に達したのか、発狂し暴れ始めた新米兵士を必死で宥めたり、それで負傷してしまった衛生部の人員を治療したり。

 

 包帯や消毒などの医療資源は全然足りておらず、回復魔法も追いつかず、病床数も看護兵も足りずと修羅場の様な日々でした。

 

 厳しい状況の中で自分も懸命に働きましたが、それでも手は足りておらず何人もの兵士が死んでいきました。

 

 満足な治療を施せれば助かった命も、あったと思います。

 

 しかし自分たち衛生部も、限界ギリギリで働き続けましたが……。全員に手を届かせるのは不可能だったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 サルサ君の死から、4日後。早朝3時ごろ。

 

 不規則な睡眠時間と過労の中で働き続けた自分は、

 

「トウリちゃん。……悪いけど今日は、ガーバックが戻ってこいって」

「了解しました」

 

 久し振りに、病院ではなく前線勤務を命じられました。

 

 まだまだ院は忙しいのに自分が呼び戻されると言うことは、本日は攻勢なのでしょうか。

 

 徹夜明けで休めておらず、かなりコンディションは悪いですが……。命令なら仕方ありません。

 

 自分はその場でゲール衛生部長に敬礼すると、その足で小隊長殿のテント付近まで移動しました。

 

 

 

 

 

 

 

「ふん、来たなボンクラ。気楽な後方勤務は楽しかったか? 気合いを入れ直せよ」

「はい、小隊長殿」

 

 ブリーフィング場所に向かうと、ガーバック小隊長殿は既にお目覚めでした。

 

 集まった小隊メンバーの中には、傷も癒えて普段通りのアレン先輩の姿もありました。

 

「指令を言い渡す。歩兵どもは穴掘り、トウリは俺がしごいてやるからついてこい」

「はい、小隊長殿」

 

 すわ攻勢かと身構えていましたが、どうやら本日の出撃はなさそうでした。

 

 攻勢に出る日は体力温存の為、歩兵さんは塹壕掘りではなく待機を命じられることが多いのです。

 

 となると自分を呼び出した理由は、前の【盾】の魔法の講義の続きとかでしょうか。

 

 もしかしてまた何かやらかして、折檻が待っているのかもしれません。

 

 まあ何にせよ、自分は言われたことをこなすのみです。

 

「ふん。それとトウリ、お前はまだ補充組と顔合わせしてなかっただろう。挨拶しておけ」

「了解しました」

 

 ガーバック小隊長殿に促され、改めて小隊のメンバーを見渡します。

 

 そういえば、見たことの無い人が小隊に混じっています。

 

 自分がいない間に、小隊メンバーの補充が行われたようです。

 

「自分は、トウリ・ノエル2等衛生兵です。つい2週間ほど前に着任したばかりの新米です。どうぞ先輩方のご指導のほど、よろしくお願いいたします」

 

 見た感じ、新顔は3人でした。

 

 しかもかなり若い……、全員サルサ君と同い年か、下手したら年下くらいではないでしょうか。

 

「……ナリドメ2等歩兵です」

「俺は、ロドリー2等歩兵だ。……聞いた通り、貧相なヤツだな」

 

 二人は2等歩兵……、ということはサルサ君と同じ階級ですね。恐らく、ほぼ同期と思われます。

 

 それぞれ無口で不愛想な人と、口の悪い人という印象です。

 

「私は、ヴェルディ伍長と言います。本小隊で、ガーバック軍曹の次位の指揮権を拝命いたしました。兵科は偵察兵、それなりに知識は持っているつもりなので分からない事があれば気軽に聞いてください」

 

 最後に名乗ったヴェルディ伍長は、何と言うかまともそうな人でした。

 

 彼もかなり若そうですが、恐らく士官学校卒でしょうか? 年齢の割に階級が高いように思います。

 

 いずれにせよヴェルディ伍長には、忘れず敬語を使うようにしましょう。

 

「終わったか。じゃあ、トウリはこっちにこい」

「はい、小隊長殿」

 

 そして、彼らは他人です。決して仲良くなってはいけません。

 

 変に情を持ってしまうと、サルサ君の時の様に傷つくことになってしまいます。

 

 今度こそ心の距離を取り、誰が死のうが我関せずと言える精神を養いましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あと10周、しっかり掛け声出せ!」

 

 自分が小隊長殿から課されたのは、ランニングでした。

 

 それも、戦場と同じく装備を背負ったままでの長距離走です。

 

「いち、に。いち、に」

「声が小さい、喘いで誘ってるのかこの淫乱!!」

「いち、に! いち、に!!」

「そうだ、声を張り上げろ!」

 

 何でしょうか、コレは。衛生兵用の訓練ではなく、歩兵用の訓練ではありませんか。

 

 無論自分は、こうした筋力鍛練の重要性は理解しているつもりです。

 

 この努力が、自分の生存率に大きく関わる事も分かっています。

 

 しかし自分は、衛生兵です。こうして自分がトレーニングしている今も、後方では必死で治療に当たっている先輩方がいるのです。

 

 ……正直なところ、その手伝いを放り出して走るのは罪悪感しか感じません。

 

「10周終わりました!」

「ようし、そのまま防御訓練だ。【盾】呪文の行使、2回まで許可する」

「はい、小隊長殿!」

 

 ノルマを終えると間髪入れず、ガーバック軍曹は大量の石を投擲してきました。

 

 即座に自分は、教わった通りの【盾】の呪文を行使します。

 

 せっかく鍛えて貰っている以上は、少しでも成長せねばなりません。

 

「【盾】」

 

 自分は以前習った通り、くの字に盾を形成しました。

 

 そのお陰で小隊長殿の投石は直撃することなく、自分の身体の端を掠めるに留まりました。

 

「展開速度は良いが、角度が甘い! 盾は直角になるように形成しろ」

「はい、小隊長殿!!」

 

 ダメだしされながらも、小隊長殿はポンポンと石を放ってきます。

 

 言われた通り、直角になるように角度を調整しながら再度盾を形成します。

 

 次は、ひとつの石も自分にかする事はありませんでした。

 

「ようし、再びランニングだ! まだまだへばるな、これからが本番だ」

「はい、小隊長殿」

「走っている最中に、不意打ちで投石する。ランニング中も周囲を警戒して走れ!」

 

 ……。ただ、鍛えていただいている身で言うのは少し抵抗があるのですが。

 

 こういう訓練は、前線に送る前にしていただければ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴様の体力が無さ過ぎて、部隊の進軍速度が落ちてしまっているのだ。お前はのろまな芋虫だ」

「はい、申し訳、あり、ません」

「衛生兵として業務に携わる日も、今の訓練のうちランニングノルマは最低こなせ。余裕があれば周囲の連中に頼んで、石を投げて貰え。休憩時間に鍛えるならば、文句は言われまい」

 

 徹夜明けでの訓練は、まだ未熟な体にとって凄く過酷でした。

 

 体中の筋肉を虐め抜かれ、最後には立っていることすらできず、地面で痙攣していました。

 

 放っておくと明日動けなくなるでしょう。この後、体をほぐさないと。

 

「ようし、明日から衛生兵業務に戻ってよし。サボるなよ」

「はい、ありがとう、ございました」

「数週間もすれば、芋虫から蟻んこくらいには成長しているだろう。していなければ殺す」

 

 訓練中の、彼の話の節々から察するに。

 

 小隊長は、自分の足が遅いせいでゆっくり進軍する羽目になっているのが、気に食わなかったようです。

 

 まぁ、自分は2週間前まで何の訓練も受けていない孤児院生まれの15歳。そりゃあ、体力なんて貧弱なものです。

 

 なので隙を見て自分の体力を鍛えるつもりだったようですが、なかなか訓練日を作れなかったようで。

 

 小隊長殿は昨晩、だったら衛生兵業務中に鍛えればいいじゃんという結論に思い至り、自分に鍛錬メニューを課したようです。

 

「……」

 

 つまり自分は、忙しい衛生兵業務の間の休憩時間にも、休むことが出来なくなってしまった様です。

 

 必要なことだとは理解しています。ですが自分の身体、持ちますかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、トウリ2等兵」

「……どう、も。えっと、ロドリー……2等兵殿」

「何だ、走っただけでへばってんのか。情けねぇ」

 

 疲労困憊。それが、今の自分の状態をこれ以上なく的確に表現した言葉でした。

 

 ここまで体力も気力も使い果たしたのは、人生で初めてかもしれません。

 

 しかし自分はこの後、久しぶりの十分な睡眠時間を頂くことになります。

 

 何故ならガーバック小隊長殿の命令は、明朝5時から再び病院勤務なのです。この夜だけはぐっすり眠れます。

 

 今も必死に働いてくれている衛生兵の同僚には申し訳ありませんが、今は休ませてください。さもなくば、本当に死んでしまいます。

 

「トウリちゃん、お疲れー」

「お疲れ、様です、グレー先輩」

「疲れ果ててるねぇ。ガーバック軍曹、やっぱ扱きはキツいのな」

 

 グレー先輩が、同情的な視線を送っていました。

 

 ええ、徹夜明けの地獄の訓練は流石に堪えました。

 

 もう指一本動かせません。

 

「少し早いですが、その、休養を頂きます」

「ほいほい、早めに寝な。新兵も一人、もう休んでるし」

 

 ふと塹壕の方を見ると、既に無口な方の2等兵が横になっていました。

 

 確か、ナリドメと名乗っていた方です。

 

「……何で、こんな……。……俺は、……」

 

 彼は塹壕掘りが終わると、誰とも話そうとせずすぐ横になったそうです。

 

 そして何故か目を見開いて、ブツブツと何か呟き続けているそうです。

 

「……あの」

「ああ、新米の間はああなるヤツ多いのよ。放っておけ」

 

 自分の言いたいことを察してくれたのか、グレー先輩は乾いた笑いを浮かべ教えてくれました。

 

 野戦病院で発狂して、大暴れした患者さんと雰囲気が似てますね。

 

 ちょっと怖いので、彼とは距離をとって眠りましょう。

 

「では失礼します、グレー先輩」

「ああ、おやすみトウリちゃん」

 

 自分は彼と反対の端の、塹壕の小さな溝に体を預けると。

 

「……」

 

 そのまま、文字通り泥のように眠ったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────そこには懐かしい光景が、広がっていました。

 

 それは孤児院の隣の空き地で、幼馴染み達と追いかけっこをしている景色です。

 

 楽しく遊んでいる人の輪の中には、バーニーの姿も見えました。

 

 これは、ほんの一月前までの自分にとっての日常でした。

 

 孤児仲間と笑いあい、遊び合っていたのが『当たり前』なのです。

 

 しかしそれは、前線の人達が命がけで敵兵を食い止めてくれたおかげで、享受出来ていた『平和』でした。

 

 

 自分はこの場所に帰りたいです。

 

 軍なんか逃げ出して、何もかも投げ捨てて、あの孤児院に戻りたい。

 

 そして暖かいスープを飲んで、フカフカのベッドで眠りたいです。

 

 

『そりゃ駄目ッスよ、トウリ』

 

 

 次に、サルサ君の死に顔が脳裏を過りました。

 

 苦しそうに体を曲げながら、炎に包まれて黒く焦げていくサルサ君の姿が、はっきり思い起こされます。

 

 その姿を見るだけで、胸が圧迫され動悸が早くなります。

 

 

 彼は命懸けで自分を救ってくれました。

 

 だから、置いていっちゃいけないのです。

 

 サルサ君をこんな寂しい場所に寝かせたまま、自分だけ帰るわけにはいきません。

 

 自分はサルサ君の分まで、頑張らないといけないのです。

 

 

 

『一人だけ楽になろうなんてズルいッス』

「────っ」

 

 

 

 だから、サルサ君。せめて夢の中で。

 

 この僅かな休養の間だけ、楽しくて暖かかった孤児院の夢を見る事くらいは、許してください。

 

 目が覚めて、また明日の朝からは、きっと必死に戦いますから。

 

 だから、怒らないでください。そんな、胸ぐらを掴むなんて怖いことはしないでください。

 

 サルサ君が怒るのは分かりますけど、これ以上自分を追い詰めないでください────

 

 

 

「……はっ!」

「っ!?」

 

 

 

 自分はそのあまりの違和感に、覚醒しました。

 

 あの優しかったサルサ君が、自分の胸ぐらを掴みあげて怒るなんてあり得ません。

 

 だって彼はとても紳士的で、穏やかな性格でした。

 

 

「へ? え……?」

「ちっ」

 

 

 つまり自分は、現実で何者かに胸ぐらを掴まれているという事になります。

 

 それに気づいて目を開くと、前に血走った目の男の顔がありました。

 

「何、を────むぐっ!」

「うるさい、黙れ」

 

 彼は自分が目覚めたのを知るや、自分の口を手で塞いで、首筋を掴み締めました。

 

「抵抗したら殺す。黙ってろ」

 

 ……暗闇で、いまいち顔がよく見えませんが。

 

 察するに小隊の誰かが、自分の寝込みを襲ってきたようです。

 

 男の手は既に軍服の下に滑り込んでおり、自分の素肌を犯していました。

 

 

 

「……」

 

 

 

 迂闊でした。まさか、ここまでされるまで目覚められなかったなんて。

 

 普段なら触られた時点で覚醒するのですが、今日は少々眠りが深かったようです。

 

 このままおとなしく……、抵抗しなかったら姦通の軍規違反で死刑にされますね。

 

 どっちにしろ殺されるなら、いちかばちかで抵抗してやりましょう。

 

 

「……あ痛ぇ!? え、え、何!?」

「なっ……」

 

 

 自分はそのまま足を開き、のしかかってきた男ではなく、隣で寝ていた誰かを蹴飛ばしました。

 

 何せ自分はその男に首筋を握り締められていたので、叫んだら本気で殺される可能性があったのです。

 

 なので騒がず、こっそり自由に動かせる足を振って、隣の人に起きて貰ったのです。

 

「えっと……トウリちゃん? いや、待て、何してる!」

 

 隣で寝ていたのは、声的にグレー先輩の様子ですね。

 

 自分は先輩を蹴っ飛ばしたことになります、後で謝っておかないと。

 

「おい、お前だ! どこの誰だ、所属を言え!」

「……なんだよ、もう良いよ、ちっ……」

 

 グレー先輩に銃口を向けられ、その誰かは不満げに自分の喉を離しました。

 

 やがて周囲のメンバーも目を覚まし、ライトがその誰かに向けられます。

 

 

 

「────ナリドメ、お前!」

 

 

 

 そこで照らし出されたのは。

 

 寝る前にブツブツと何かを呟いていた、危ない雰囲気の新米兵士────ナリドメ2等兵でした。

 

 



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11話

 グレー先輩に銃口を突き付けられた新兵、ナリドメ2等兵は舌打ちをしながら両手を上げました。

 

 気のせいか、その視線からは尋常ではない悪意を感じました。

 

「動くな。トウリちゃん、こっちへ」

「ありがとうございます」

 

 彼に覆い被さられていた自分は、そのまま地面を這って脱け出ました。

 

 ……起き上がってみれば、衣類がかなり乱れていることに気づきました。シャツは首筋まで引き上げられていますし、ズボンと下着もずらされてますね。

 

 どれだけ寝入ってたんでしょうか、自分。

 

「何をしていたか説明しろ、ナリドメ2等兵」

「……いつもこうだ、もう。……最期くらい、美味しい思いしても、良いじゃないか……」

「おい、ちゃんと答えろ!」

 

 自分はそのまま、グレー先輩の背後に移動しました。

 

 さりげなく、ずらされた衣服を直しながら。

 

「落ち着いてくださいグレー1等兵。とりあえず一旦この場は上官である私が預かります」

「あ、ヴェルディ伍長」

 

 激高して叫んだグレー先輩に代わり、新顔のまともそうな伍長さんが出てきて、場を仕切り始めました。

 

 グレー先輩はナリドメ2等歩兵を睨んだ後、自分を庇う様に手を開いて一歩下がりました。

 

「では、あらためて問います。ナリドメ君、今君は何をしていたのかな」

「……別に」

 

 女性兵士に手を出すと厳罰です。強姦であった場合は死罪もあり得ます。

 

 なので下手したら、自分は強姦されたあと証拠隠滅で殺されたかもしれません。

 

 地味に、命の危機でした。

 

「ナリドメ君。それ以上黙秘を続けるなら、拘束しなければなりません」

「あー……。はいはい、やりました……。ムラっと来たので……その娘の体を触りました……」

「それが軍規に抵触することは理解していますね」

「……最後までヤらなきゃ良いんでしょ……。伍長だって、休日には女買いに行ってましたよね……」

「買春は軍規には触れません。今私は、君の女性兵士に対する猥褻に対し質問しています」

「ちっ……、触っただけでしょうが……」

 

 ナリドメ2等兵……自分を襲った男は、悪びれもせずヴェルディ伍長の詰問に答えています。

 

 ああ、なるほど分かりました。この人は、

 

「ああ、そうだ。俺、誘われたんですよその娘に……」

「は?」

「さっきのは合意の上です、ハイ。だったら無罪、そうでしょ? えっと……誰だっけ、衛生兵ちゃん」

 

 この人は、もう。生きることを諦めてるのですね。

 

「衛生兵ちゃん、昨日の夕方に俺を誘ったよねぇ? 一緒にエロいことしようってさぁ」

「そのような事実は存在しません」

「いやいや誘ったって。あーつまり君は、僕を嵌めた訳だ。僕をその気にさせて襲わせて、いざとなったら白を切る。最低な奴だね」

「ナリドメ2等兵。俺は彼女が、訓練から帰還しすぐ就寝したのを確認している。虚偽の報告は、処刑だぞ」

「ちっ……」

 

 今の尋問に対する態度から見ても、ナリドメ2等兵は正気とは思えません。

 

 彼は戦場の悪意、恐怖に負けてしまったんでしょう。

 

 だからこんな、自暴自棄な真似をしたのです。

 

「と、グレー1等兵は証言していますが。ナリドメ君、君は上官に対して虚偽の報告を行いましたか?」

「……昨日まで散々、安全な後方でゆっくり遊んでた癖に。……頑張ってる俺らにちょっと触られただけで被害者面かよ」

「弁明はナシですか。でしたら拘束させていただいて、明朝の小隊長殿の沙汰を待ちましょう」

「あーあ、殺される。キミのせいで殺される」

 

 手足を拘束され始めた彼は、抵抗せず、ただ自分に対して恨みがましい目を向けてきました。

 

 ……そんな目で見られる謂れは、ないと思うのですが。

 

「……君が口を合わせてくれれば、死ななかったのになぁ。あぁ、最悪……。ねぇ、衛生兵なのに人を殺すって、どんな気分……?」

「耳を貸すな、トウリちゃん。コイツ狂人だ」

「そもそも、女の癖に前線に出て来といて、悪戯すんなっておかしいでしょ……。むしろ、女を前線に置く意味とか、慰安以外ねーだろ……」

 

 どうやら彼は、自分に対し当てつけのように恨み節をぶつけてきたようです。

 

 まぁ確かに、彼の言う通り口裏を合わせなかったせいで彼が死んだとも言えます。

 

 しかし彼の言い訳に口裏を合わせたら、自分が男を誘った罪で処罰されるので、あまり罪悪感は沸きませんね。

 

「この人殺し……、お前が俺の意図を汲んでたら、こんな事にはならなかったんだからな……」

「おいナリドメ貴様! それ以上喋ればこの場で銃殺するぞ!」

「あれーー? 上官に確認もせず処刑ですか……? それ、軍規違反ですよぉ……?」

「はぁ、また新米がこうなったか。トウリ、気にするな」

「はい、ありがとうございます」

 

 アレン先輩やグレー先輩は、自分を気遣ってくれていました。

 

 年若い女性がそんな事をされれば、さぞ傷ついただろうという同情を感じます。

 

 しかしこの時、何故かびっくりするほど自分は無感情でした。

 

 正直、ゲール衛生部長から『女性兵士に対するセクハラ』については聞かされていたので、なんとなく覚悟はできていました。

 

 前世の性別もあるので、触られた事も気持ち悪いですがそんなに気にしてません。

 

「……この人殺し」

「……」

 

 この彼からの呪詛も、自業自得だろうとしか感じませんでした。

 

 

「殺されたら恨むからな……! 悪霊になって一生呪いつくしてやる、この人殺しぃ!」

「アホか、前線は人殺しが一番偉いんだよ」

「────っ!」

 

 

 グレー先輩たちに拘束され、自分に罵詈雑言をぶつけてきた彼は。

 

 何の前触れもなくいきなり暗闇から現れた巨漢に、顔面を掴み上げられ黙りました。

 

 ……あっ。

 

「この俺様の安眠を妨げやがったバカはコイツだな?」

「し、小隊長殿……」

「ああ、何というか救いようがねぇ」

 

 それは案の定というか、ガーバック軍曹でした。

 

 自分の強姦騒ぎに気付いて目が覚めたのか、小隊長殿は物凄く機嫌が悪そうな声でのっそり塹壕へ降りて来ていたようです。

 

「お、おはようございます、小隊長殿」

「まだ深夜だろうが」

「そ、その、えっと。では小隊長殿、現状の報告をさせていただこうかと」

「いらん、聞いてた」

 

 恐る恐る報告を行おうとしてグレー先輩が、一喝され黙り込みました。

 

 ああ、ダメです。あれは人殺しの目です。

 

 ナリドメ2等兵に覆い被さられ凄まれた時の目より、今の寝起きのガーバック小隊長の目の方が100倍くらい怖いです。

 

「おいナリドメ」

「痛い、痛ぁ……、顔を、離して、くだ」

「すぐ遺言を言え。10秒後、首を刎ねる」

「ひぃっ!?」

 

 そして小隊長殿は、迷わず抜刀しました。

 

 ああ、これは本気ですね。あの軍規に厳しいガーバック隊でこんな事をすれば、そりゃあ処刑されるでしょう。

 

「いやだ、ふざけるな、軍事裁判はどうした────」

「それが遺言だな。貴様の家族に一言一句違えず伝えてやろう」

「チクショウ、この気狂い……っ!!」

 

 ガーバック軍曹は片手で彼を掴み上げたまま、刀を真っすぐ首筋に向けて構えました。

 

 もうすぐ、彼の首は切り落されるでしょう。それに対して、何の同情の念も湧きませんけれど。

 

「貴様は『戦友に迷惑をかけ、国に何ら利益をもたらさず、ただ無意味に殺されに前線へ来ました』と死亡通知書に付箋つけておいてやる」

「やめっ────」

 

 人が殺される場面なんて見たくないので、自分は静かに顔を背けました。

 

 彼だって最初から悪人だったとは思えません。きっとこの場所で、人格を歪められたのだと思います。

 

 もし彼との出会いが、こんな戦場ではなく普通の日常だったら。

 

 はたしてどう、自分たちの関係は変わっていたでしょうか……。

 

 

「ま、待ってください、小隊長殿。今の戦況で、無駄に兵士の命を減らすのは勿体ないかと」

「あ?」

 

 

 と、小隊メンバーの誰もが軍曹殿の行動を止めず見守っていたら。

 

 正義感を燃やしたのか、命知らずにも小隊長殿に食って掛かる人間が居ました。

 

「ヴェルディ伍長、何か言ったか」

「ですから小隊長殿、彼を殺す必要はなくないでしょうか。今回は未遂に終わったわけですし、彼も追い詰められていたことですし」

「知らん。軍規は軍規だ、この場合は処刑が妥当だ」

 

 ヴェルディ伍長────、この小隊に編入してきた新しい上官です。

 

「しかし軍規違反を企画しようと、未遂に終わった場合は直属の上官の裁量で減刑できる筈です」

「何故減刑せねばならん」

「前線兵士の数が足りていないからです。彼をここで殺すより、教育し更生させる方が軍にとってより利益に」

「無能な味方は、敵よりたちが悪い」

 

 ……未遂と言いますが、おそらく結構な範囲を触られているんですけどね。

 

 自分の服装の乱れ方からして。

 

「軍曹殿は、部下の命を軽視しすぎです。まだ初犯なのですから、しっかり指導をして」

「味方を害する行動をとる奴に、俺の背中を預ける気はない。背後から撃たれる可能性があるからな」

「男が一度、情欲に負けたくらいでなんですか。もしこのまま本気で彼の首を刎ねるのであれば────」

 

 ヴェルディ伍長は語気荒く、ガーバックに食って掛かります。

 

 正直、何でそんな度胸があるのかわからないです。

 

 自分は、今の不機嫌ガーバック小隊長に睨まれるだけで背筋が凍りつくのですが。

 

 

「叔父上に、仔細を報告させていただきますから」

「……」

 

 

 ヴェルディ伍長のその言葉に、小隊長殿は動きを止めました。

 

 ……叔父に報告する?

 

「レンヴェル閣下は、現状の戦力不足を非常に憂いておられます」

「それで?」

「小隊長殿の噂は、かねがね聞いております。良い噂も、悪い噂も」

 

 その言葉はガーバックにとっては非常に重たかったようで、ピクリと動きを止めます。

 

 そして掴んでいたナリドメの顔面を離すと、無表情にヴェルディ伍長へ向き直りました。

 

「もし悪い方のお噂……、あまりに部下の命を軽視した行動をとり続けていたのが真実であれば、相応に小隊長殿の評価を改めねばなりません」

「ふん、要は貴様、お目付け役だったか。くだらねぇ」

「軍規に照らして減刑できる筈の部下を、わざわざ処刑するのは命の軽視と言わざるを得ません。即刻、裁定を訂正してください」

 

 ヴェルディ伍長の言葉は、部下という身分を明らかに逸脱していました。

 

 ほぼ命令口調に近い言葉を、ガーバックにぶつけています。

 

「……そこまで言ったんだ。きちんとテメェが責任もって、指導するんだろうな」

「もちろんです」

「次、ソイツが何かやらかした時。指導責任としてお前にも同様の処罰を行う、良いなヴェルディ」

「……ええ」

 

 その時の軍曹の声は、背が凍るほど冷たいものでした。

 

 しかし、それ以上小隊長は言葉を発することなく自らのテントに戻りました。

 

「ふぅ、ではお説教と行きましょうか。ナリドメ君」

 

 つまり彼は────あのガーバック小隊長殿を、押しとどめることに成功したのでした。

 

 

 

 

 

 

「レンヴェル少佐は、私の叔父なんですよ。つまり、私は前線指揮官の甥です」

「それで、あの小隊長殿が引き下がったのか……」

 

 翌日、ブリーフィング前。

 

 ヴェルディ伍長の出自を聞いて、先輩方は目を見開いて驚いていました。

 

「ガーバック軍曹殿の功績は素晴らしいですが、同時に部下を使い捨てるなど黒い噂が絶えませんでした」

「えー、あー、まぁ」

「おそらく、全て事実なんでしょう。しかし、それを報告出来るだけの強い立場の兵士が居なかった。なので、事の真偽を探るために私が編入されたという訳です」

 

 話を聞けば、何とこのヴェルディ伍長も自分とほぼ同時期に編入された新米だそうです。しかし、軍学をしっかり修めていたことを加味され昇進し(というか多分、コネ)、伍長の地位で参戦したそうです。

 

 経験を積んでゆくゆくは、参謀将校になるのだとか。

 

「今後、軍曹殿の明らかにおかしい指示や処罰があれば自分にご相談ください。場合によっては、相応の処罰を下せるでしょう」

「……そりゃあ有難いですが」

「ナリドメ君は、暫く私についてきてください。しっかり、指導をさせていただきますので」

 

 そう言ってドヤ顔をしているヴェルディ伍長を、先輩方は何とも言えない顔で眺めていました。

 

 正直、自分も同じ気持ちです。

 

 つまり、小隊長殿があんな舐めた真似をされて、何を考えているか分からないという恐怖です。

 

「あー伍長? まぁ、その、程々にしときましょうな」

「……? 何をでしょうか」

 

 小隊長殿はあの場で引き下がっただけで、想像も絶するような恐ろしい報復が彼を襲う気がしてなりません。

 

 あれほど恐ろしいガーバック小隊長の殺気を目の当たりにして平然としているとは、ヴェルディ伍長の危機感知センサーはバグっているのでしょうか。

 

「トウリ2等衛生兵も、どうか彼を許してあげてください。アレはいわば、男全員が抱えている共通の爆弾みたいなものです」

「……は、はあ」

「これから共に戦う仲間です、家族です。今後も彼を嫌って距離を取らず、しっかり付き合っていってあげてください」

 

 ヴェルディ伍長は、そんな先輩方の視線に気づかないままニコニコ顔で自分にそう言い聞かせました。

 

 ……別にナリドメ2等兵に限らず、誰とも親しくするつもりはないのですが。

 

「それでは、ブリーフィングに向かいましょう。遅刻はいけませんからね」

 

 ヴェルディ伍長は、最初まともな人と思っていましたが。

 

 この人も少し、個性的な面を持っていると感じました。

 

 

 

 

「……グレー先輩、昨日はその、蹴ってしまって申し訳ありませんでした。そして、助けていただいてありがとうございました」

「ん? ああ良いって、それより怖かったろ?」

 

 そして、その後。

 

「いえ、怖くありませんでした。先輩の声が聴こえて、とても心強かったです」

「お、本当に? ……む。これはもしかして、俺トウリちゃんに誘われて────」

「連日になれば、流石のヴェルディ伍長も庇えないと思いますのでご自愛ください」

「はぁい」

 

 ちゃんとグレー先輩にお礼は、言っておきました。

 

 小隊メンバーと仲良くするつもりはありませんが、礼節は大事です。

 

 



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12話

 少し嫌な思いをした一夜が明け、再び野戦病院に配属された自分は。

 

「南の方の戦線で、また大規模な攻勢があったのよ」

「……」

 

 物凄いことになっていた患者の数に、呆然と頭を抱えることになりました。

 

 ここ最近は戦闘がなかったはずなのに、どこから来たのか大量の負傷者の数。

 

 聞けばどうやら、南部戦線からの転院だそうです。

 

「早速で悪いけど、トウリちゃん。もう回診始まっちゃってるけど、D病床に向かって頂戴」

「はい、分かりました」

 

 そう、自分の所属するこの戦線は、複数の医療圏に分かれていたのです。

 

 100km近くに及ぶ当戦線は3つに分かれ、北部、南部、中央部にそれぞれ医療本部が設置されています。

 

 野戦病院はその医療本部の補給・支援を受けながら、戦線の後方にテントを用いて建設しているのです。

 

「ウチも余裕はないんだけど……、南部はもっとキツそうなのよね」

 

 自分が所属している、中央医療本部は規模としては一番大きいです。ゲール衛生部長が直接統括してます。

 

 だからこそ、南部や北部で手に余るほどの負傷者が出た場合は、ここに搬送されてくることもあるのです。

 

「最近、敵の攻勢が強まってる気がするわ。……トウリちゃん、くれぐれも気を付けてね」

「はい、ありがとうございます」

 

 南部戦線で昨晩、大規模な攻勢が行われかなりの死者が出たそうです。

 

 結果、我が軍は30~40m程後退を余儀なくされたそうですが、敵の損害は我が軍の倍以上と推定されています。

 

「トウリちゃん、もう少しだけ頑張って生き延びて頂戴」

「……? ええ、努力いたします」

 

 終わらない数多くの人間の命を賭け金(チップ)にした、陣取り合戦。

 

 この場所は、いくら何でも人の命を軽視しすぎている気がします。

 

 自分を庇い命を落としてしまったサルサ君のためにも、生き延びる努力を欠かすわけにはいきません。

 

「では、失礼します。ゲール衛生部長」

「ええ、あと少しだから」

 

 自分は衛生部長に敬礼し、指示されたとおりに病床に向かいました。

 

 この時の自分は、きっと忙しいだろうその日の業務で頭がいっぱいでした。

 

「もう少しで、あの気狂いの悪行が暴かれるんだから……」

 

 だからでしょうか。

 

 テントの去り際、呟くようなゲール衛生部長の声を、自分は聞き取ることはできませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うーわ、最悪ね」

「ま、そうなるよね。前線の奴ら、私ら女を食い物としか見てないもん」

 

 この日、自分は治療の片手間に、女衛生兵の先輩に相談を行いました。

 

 相談内容は、男性からのセクハラ対策です。

 

「触られるだけならまだ我慢できますが、そのまま殺されるのは御免です。昨夜は、本気で殺されかけました」

「正直、私は触られんのも無理。前線の奴ら、くっさいもん」

「あー気持ち悪」

「どうにか、ならないでしょうか」

 

 昨晩の様な事件は、二度と御免です。自分なりに何か対策が立てられるなら、ぜひ実践したいところです。

 

「なら、小隊の中に彼氏作るといいよ、彼氏。それも、なるべく地位のある彼氏」

「……彼氏、ですか」

「小隊長さんとか口説いてみたら? 上官の女に手を出すってなると、流石に躊躇うんじゃない」

「えーでも、突撃兵の恋人ってやだなぁ。すぐ死ぬじゃん」

「だからこそ、後腐れないんじゃん」

「……」

 

 ……一理ありそうですが。

 

 彼氏を作るの、は抵抗がありますね。これでも前世、男なので。

 

 まあ確かに、ガーバック小隊長とかを彼氏?にしたら、誰も襲ってこない気はします。

 

 しかしあの暴力男が恋人とか、まったく想像がつきません。てか怖すぎて嫌です。

 

 ヴェルディ伍長、は……。暴力とかはなさそうですが、少しアレですし。

 

「そもそも彼氏作っても、ぶっ壊れた新兵は気にせず襲ってくるんじゃない?」

「そーね、やけくそで寝込み襲われたらどうしようもないもんね。上官に相談して遠ざけて貰ったら?」

「それがちょっと歩く羽目になるけど、トウリちゃんだけ寝る場所を野戦病院にしてもらうとか」

「それを小隊長殿が許してくださるか、ですね」

 

 野戦病院での寝泊まりとか、絶対許してもらえないでしょうけど。

 

 だって急な防衛戦の時、野戦病院で寝てたら配置につくまでどれだけ時間かかるか分かりませんし。

 

「そもそも病院のベッドも絶対安全じゃないし。私寝てたら、患者に襲われたことあるよ」

「……」

「診察中のお触りとか日常茶飯事だよね。わざとらしく胸に手を当てて来るし、バレバレだっての」

「どうせ死にゆく人間だから見逃してあげてるけど……、いい気分じゃないよね」

 

 どうやら先輩方は、もう兵士からのセクハラ行為に慣れ切っている様子です。

 

 不思議なことに自分はまだ、そこまでの目に遭ったことはありませんけど。

 

「そりゃあねぇ。トウリちゃんの年だと、特殊な趣味の人しか手を出してこないでしょ」

「貴方はそりゃ可愛らしいけど、性欲は刺激しなそうな体格だもんね」

「娘とか、妹に欲しくなるタイプね。素直だし」

「は、はぁ」

 

 ……成程、自分が幼児体型なのが幸いしていたようです。ただでさえ15歳で兵役最低年齢なうえ、自分は年齢より幼く見られますし。

 

 有難いことに、殆どの方から対象外と見られているのでしょう。

 

 しかし裏を返せば、数年たって体が成長してしまったら被害を受けやすくなってしまうという事でしょうか。

 

「とりあえず、襲ってきたロリコン男には要注意よ。絶対に繰り返すわ、そういう奴は」

「当面は守ってくれそうな人の隣で寝るようにしなさい」

「分かりました」

 

 守ってくれそうな人。

 

 ……自分の中では、少しチャラいけどグレー先輩か、ベテランで落ち着いているアレン先輩の顔が浮かびます。

 

 今後はどちらかにお願いして、隣で寝させてもらうようにしましょう。

 

「ま、安心して。最悪貴女がご懐妊したら、軍規上は臨月までに後方に飛ばして貰えるわ」

「……」

「なので、どうしようもなくなれば無抵抗もアリね」

 

 言われてみれば、妊娠した女性兵士は後方に転属でしたっけ。

 

 不本意な妊娠をする代わり、この地獄から逃れられるならアリな気がしてきました。

 

「そういう方は以前いらっしゃったのですか?」

「いたわよ。ただ衛生業務の過労働で流産して、ショックで自殺しちゃったけど」

「……」

 

 まぁ、この過酷な勤務状況だと流産しちゃいますよね。

 

 嫌な話を聞きました。

 

「てかトウリちゃん、故郷に彼氏とかいるの?」

「経験はある?」

「あ、いえ。自分はその」

「前線所属の人は、いつかマジで襲われる日が来るっぽいから。経験無いなら、良い人作って初めて捨てといた方が」

「衛生部の中なら、お勧めは主任かなー。実家、超金持ち!」

 

 そしてあまり実のある情報を得られないまま、先輩方は恋話に移行していきました。

 

 ここは戦争の最前線、趣味品や嗜好品などはほとんど供給されません。

 

 だもんで衛生部女子の、共通の娯楽はそういう方面しかない様子です。

 

「実は、お金も儲かる大人な世界もあるんだけど……。トウリちゃんにはちょーっと、早いかなぁ?」

「いや、アレに誘うのはやめときなさいよ。幾つだと思ってるの、この娘」

「……」

 

 そして、グレー先輩の言っていた例の『衛生兵が売春している』噂は本当っぽいことが分かりました。

 

 この人、多分ヤっています。

 

「興味があれば、安全そうな人を紹介するわよー」

 

 相談する相手を間違えたっぽい。

 

 自分は、心底そう思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、の夕方ごろでしょうか。

 

「速報です、前線で攻勢がありました! 各員、警戒態勢に入ってください」

「……」

 

 野戦病院に、警報が轟きました。

 

 息もつかせぬ猛攻というべきか、今日も敵国は攻勢をかけてきた様子です。

 

「また!? もう病床なんて残ってないわよ!?」

 

 ゲール衛生部長が、悲鳴をあげていました。

 

 幾らなんでも、3日連続で攻勢をかけてくるとか多すぎです。

 

 もしかしたら敵は、痺れを切らして一気に押し切るつもりなのでしょうか。

 

「トウリ2等衛生兵! ガーバック小隊長が部隊に帰還せよって」

「はい、了解しました」

 

 防衛戦となったので当然、小隊所属の自分は前線に呼び戻される様です。

 

 分かってましたけど、病院で働いてたら出撃しなくて良いとかは無いんですね。

 

「トウリちゃん、慌てず入念に装備を点検して出撃なさい。どうせ数時間は、砲撃だけだから」

「分かりました、衛生部長殿」

 

 この時、既に遠く前線から、爆音が木霊していました。

 

 有り難いことなのか知りませんが、この砲撃が終わるまで時間の猶予はたっぷりあります。

 

 野戦病院にいた自分が、前線に駆けつけるくらいの時間は余裕で。

 

「……」

 

 敵の攻勢は、徐々に激しさを増してきました。

 

 もしかしたら、敵も焦っているのかもしれません。

 

 いつまでも終わらないこの戦争の、決着をつけるため無理をして攻めているのかも。

 

 だとすれば。もうちょっとしたら『キリの良い場所まで戦線を動かして講和』なんて事も起こりえるのでしょうか。

 

 終わりの見えない戦争に片足を突っ込んで絶望しかけていた自分はこの時、暢気にそんな事を考えていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時の自分は知る由もなかったのですが、実は本当に敵は焦っていたそうです。

 

 連邦では、長期にわたる終わりなき戦争の影響で、民衆の間に不穏な気配が漂っていました。反戦派の過激勢力の動きが活発化していたのです。

 

 その勢いは日ごとに増しており、続けば国家転覆もありえたといいます。

 

 

 なのでこの時、連邦側は予算を絞り出して必死に連続攻勢を行っていたそうです。

 

 つまりこれは優勢な戦況を演出し、戦争の終結が近いことをアピールする政治的な攻勢だったそうです。

 

 その実、別に戦線が数十メートル動いたからと言って戦争の終わりが早まるわけではなく、多くの兵士の命を犠牲にした無益な前進ではあったのですが。

 

 

 

 そんな中、とある人物が敵軍の参謀将校として抜擢されていました。

 

 この戦争の大きな分岐点は、その参謀将校────当時15歳の少女であったシルフ・ノーヴァの参戦でした。

 

 

 彼女は、孤児院出身の一兵卒としてこの戦争に参加した自分(トウリ)とは正反対に。

 

 敵の総司令官の娘で、その類まれな才能を認められ、いきなり参謀将校として抜擢されました。

 

 

 彼女の抜擢には、親の欲目もあったのかもしれません。

 

 実際シルフは優秀な魔導士ですし、軍事学校でも主席を取る素晴らしい頭脳の持ち主でした。

 

 そのせいで彼女は、何ら前線で経験を積むことなく参謀の地位に就いてしまったのです。

 

 

 

 

 後世の歴史家からして、戦争の指揮官の評価というのは分かれることが多いです。

 

 結果だけ見れば何もできずにボコボコにされた敗軍の将であろうと、調べてみれば当時の情勢にあった理知的な作戦を練っていたりして、運がなかっただけで実は優秀だったなんて話はいくらでもあります。

 

 つまり戦果だけで将の評価をすべきではないのです。現実の戦争なんて多大な運の要素が絡むのですから。

 

 

 そんな中、彼女────シルフ・ノーヴァの後世の評価は一定しています。

 

 自分と同い年で前線指揮官にまで上り詰め、この戦争において多くの功罪を残した彼女に対し、歴史家の皆が口をそろえてこう評します。

 

 シルフ・ノーヴァは机上の空論だけが得意な、史上最低の『愚将』であったと。

 

 

 彼女の参戦により、この戦線の均衡は崩壊する事となります。

 

 本物の地獄が幕開けるカウントダウンは、音もなく静かに始まっていたのでした。



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13話

 自分は野戦病院を出た後、しばらく塹壕内を走ってガーバック隊に合流しました。

 

 我々が配置された場所は、敵の砲撃の真正面でした。つまり、最も激しい攻勢が予想される場所です。

 

 と言うか既に、僅か数十メートル先で大きな火柱が上がっていました。

 

「トウリ・ノエル2等衛生兵、到着いたしました」

「遅ぇわ殺すぞ」

「申し訳ありません」

 

 既に小隊メンバーは戦闘準備を終えていて、塹壕沿いに銃を抱えていました。

 

 チラリと、新米2人組の顔に大きな痣が見えましたが気にしないでおきましょう。

 

「トウリ。貴様は俺が負傷したら、すぐ治療しろ。それ以外のケースは、穴の中で震えてろ」

「了解しました」

 

 自分の運用は、前と同じようにガーバック小隊長の救急箱みたいです。

 

 もし小隊長が飛び出すことになれば、塹壕から顔を出さないといけません。

 

 銃弾とか榴弾が飛んでこなければ良いのですが。

 

 ……あ、そういえば。

 

「小隊長殿、報告があります」

「何だ」

「自分は先程まで病院勤務中でしたので、魔力を消耗しています。残量的に回復魔法は1度が限度です」

「……チッ、分かった」

 

 前回の反省を生かし、逐一ホウレンソウです。

 

 こう言う細かいことも、きちんと報告するようにしときましょう。

 

 もう、怒鳴られて折檻されるのは勘弁です。

 

「次から余力を残しとけ」

「……はい、努力いたします小隊長殿」

 

 一応返事をしてみましたが、無理なんだろうなと思います。

 

 病院勤務中は、回復魔法をひたすら使わされるので魔力に余裕は全くありません。と言うか、足りません。

 

 実は今も魔力切れてるんですが、敵の攻勢開始までの時間で、何とか1回使えるだけ回復すると思います。

 

「それと自分の魔力量が成長したようで、魔力全快時には回復魔法を連続3回まで使用可能となりました」

「あっそ」

 

 そして先日、病床主任に言われて気づいたのですが回復魔法の使用回数が増えてました。これも一応報告です。

 

 ……連続使用3回、って全然威張れる数字じゃないんですけどね。一般的な平均衛生兵が5~6回なので。

 

 新米にしては高めなので見込みあるぞ、と主任は誉めてくれましたが。

 

「報告はもう終わりか? なら配置につけ」

「了解です」

 

 ま、これで報告漏れは無いでしょう。無いですよね?

 

 後は小隊長殿のご指示通り、彼が負傷するまでプルプル塹壕の中で震えておくとしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

「敵、前進してきます」

「よし、総員構え」

 

 自分が布陣についてからも1時間ほど砲撃が続き、やがて敵の攻勢が始まりました。

 

 殆ど抵抗らしい抵抗もなく、第1、第2防衛ラインは突破されてしまいました。

 

 本日はかなり長めの砲撃だったので、最前線の塹壕に防衛部隊は殆ど残っていなかったみたいです。

 

 敵はあまり消耗が無いまま、我々の塹壕へと突撃して来ました。

 

「撃て撃てぇ! この俺の小隊が守るラインに攻めてきたこと、後悔させてやれ!」

「了解でぇす! 小隊長殿!」

「死ねぇぇぇ!! サバトの悪鬼ども!!」

 

 しかし、ここからはそう簡単に攻略される訳にはいきません。

 

 敵は、二つ目の塹壕を越えた瞬間にバタバタ倒れ始めました。

 

 敵の砲撃魔法が届かないこの第3防衛ラインから、我々の抵抗は一層激しくなるのです。

 

「ひゃーっはははぁ!! 皆殺しだぁぁ!」

「新米! 敵の発砲音が聞こえねぇから叫ぶな!」

「……」

 

 口の悪い方の新米(ロドリー)が無駄に叫び、小隊長に殴られました。アホですね。

 

 それにしても被害が増えると分かっているのに何故、敵は第3防衛ラインまで突撃してくるのでしょうか。

 

 ラインを2つ押し上げて、戦術目標達成と前進をやめてくれたらありがたいのですが。

 

「小隊長! 右方向の、味方の防衛ライン制圧されそうです!」

「ちっ、マリュー・グレーは塹壕右側を死守しろ!」

 

 しかし、敵もさるもの。人数差に任せた決死の突撃により、右隣の塹壕内に敵が侵入していきました。

 

 すかさず、ガーバック小隊長は部下を2名ほど右側に配置します。

 

 隣の拠点が制圧された場合、塹壕沿いに横から攻められる可能性があるからです。

 

 

 

雷槍鬼(カミキリ)は……いねぇか」

 

 つまらなそうな呟き声が、隣から聞こえてきました。

 

 今日のガーバック小隊長は、塹壕に籠って小銃を撃っています。

 

 いつもは剣振り回していますので、普通に戦ってる小隊長を見るのは新鮮でした。

 

「小隊長殿。今日は、突撃はなさらないのでしょうか」

「あぁん? する訳ねぇだろ、アホか」

「……失礼致しました」

 

 聞いてみたところ、今日は小隊長殿は突撃していくつもりが無いようです。

 

 銃を扱えるなら、普段から剣を振り回さず銃使えば良いのに。

 

「ちっとは考えろ。塹壕側の有利を一番生かせるのは、銃撃戦だろうが」

「はい、小隊長殿。では何故、前回の攻勢で小隊長殿は剣を携え突出されたのですか?」

雷槍鬼(カミキリ)が相手だったからだ。基本、エース級に銃弾は効かん」

 

 エースに銃弾は効かない。

 

 言われてみれば、そうです。

 

 ガーバック小隊長も、銃弾の雨の中を平気で突っ込んでいって傷一つ負っていません。

 

「剣技や装備、【盾】などを駆使すれば銃弾なんぞ防げるんだ。この戦場で長生きしてるエース級は、何かしら銃撃に対する『答え』を持ってる」

「……成程」

「銃弾をある程度対処できるようになるだけで、この地獄で悠々自適な贅沢暮らしが出来る立場になる。貴様も精進しろ」

 

 精進しろとおっしゃられましても、そう簡単に銃を対処できるなら戦争で人は死にません。

 

 周囲で話を聞いてるグレー先輩やアレンさんの呆れ顔を見るに、恐らくガーバック小隊長は無茶苦茶を言ってるのでしょう。

 

「小隊長殿! 右陣地突破されました!」

「攻めてきたら応戦しろ! 勝てそうになければ泣きつけ!」

 

 どうやら、自分たちの一つ右で防衛をしていた部隊が壊滅したみたいです。ついに、この塹壕内に敵が侵入してしまいました。

 

 大ピンチですが、ガーバック小隊長の顔に焦りはありません。

 

 そういう場合の備えとして、塹壕にはいくつか工夫が凝らされているからです。

 

「トウリ、テメーは死角に隠れてろ!」

「はい、小隊長殿!」

 

 まず、横方向への防御として塹壕内には土嚢が積まれた壁を設置してあります。

 

 更に塹壕はS字に蛇行して作られており、隣の拠点から直接射撃されないようになっています。

 

 この蛇行して掘られた道のお蔭で、塹壕沿いに攻められた場合、防御側は土嚢に隠れたまま『角待ち』出来るのです。

 

 塹壕は、よく考えられて作られています。

 

「手榴弾、投擲します!」

「許可する!」

 

 しばらく待ちましたが、敵が攻めてくる様子はありませんでした。

 

 敵部隊は反対側へ向かったか、塹壕に攻めず拠点の確保を優先した様でした。

 

 すかさず、グレー先輩達は手榴弾をぶん投げました。

 

「■■■っ!!?」

「命中!」

 

 その制圧部隊の殆どは、手榴弾で爆殺されたみたいです。

 

 どうやら敵は、拠点を確保した後に動かなかったみたいですね。

 

「お見事です、グレー先輩」

「俺達は、味方の拠点の位置を把握してるからな。敵と違ってブラインドでも、手榴弾で爆撃できるんだ」

 

 敵は、初めて入った塹壕の構造など把握している筈がありません。

 

 しかし自分たちはそれぞれ、両隣の防衛拠点の位置を把握しています。

 

 地形の確保を優先し動かなければ、拠点目掛けて投擲された手榴弾の良い的になるのです。

 

「がーはははは! 奴ら逃げていくぞ、背中を撃て!」

 

 こちらの爆撃に驚いたのか、敵部隊は慌てて塹壕から這い出て撤退を始めました。

 

 しかし、その背中を小隊長殿は楽しそうに撃ち抜いていきます。

 

 このように、1部隊だけ先行して塹壕を制圧してしまうと酷い目に遭うのです。

 

 戦争において部隊の突出は、死を意味します。向こう見ずな突進は、戦場における最も愚かな行為なのです。

 

「身の程知らずに攻めるからだ!」

 

 なので塹壕攻めの王道は、味方を支援しつつ、複数の部隊で同時に塹壕の制圧を行うべきなのです。

 

 そうすることによって最低限の被害で、拠点を制圧することができるのです。

 

 なの、ですが……。

 

「アレと同じ事やって、いつも勝ってるお方もいるんだよなぁ」

「何だグレー、文句でもあるのか」

「いえ、とんでもありません、サー!」

 

 自分のすぐ隣にいる頭のおかしい小隊長殿は、拠点を制圧してから塹壕伝いに次々と虐殺していくのです。

 

 防衛側の立場になって初めて、自分たちの上官の恐ろしさを実感しました。

 

 いくら銃を撃っても切り落として突っ込んできて、塹壕に血の海を築き上げる突撃兵とか怖すぎです。

 

「小隊長殿、再び敵の攻勢です!」

「あん? また来たのか」

「先ほどより、規模が大きいです」

 

 これで今日の仕事は終わりかと思いきや、再び敵の攻勢が始まりました。

 

 一体どこに、これほど敵がいたのでしょうか。

 

「ふん、何度来たって返り討ちにしてやる」

 

 そう言って小隊長殿は笑って、再び銃を取りました。

 

 しかし敵の兵数的に、味方の旗色はかなり悪そうです。

 

「右の拠点、再び制圧されました!」

「お前らは正面の敵に集中しろ! 右方向の敵は、マリュー達に任せればいい」

 

 塹壕越しに、数多の敵の断末魔の声が聴こえてきます。

 

 自分は頭を出していないのでわかりませんが、塹壕の上には恐らく地獄が広がっているのでしょう。

 

 何故こうも多くの犠牲を払ってまで、敵は進んでくるのでしょうか。

 

「ガーバック小隊長、一大事です。左の拠点も、敵に侵入されています! このまま制圧されれば挟み撃ちに!」

「あんだと? 使えねぇなぁドイツもコイツも!!」

 

 アレン先輩が、珍しく慌てた声を上げました。どうやら、左の拠点も危ないらしいです。

 

 両隣の拠点が陥落すれば、物凄くヤバいです。すぐさま撤退しないと、かなり不利な戦いを強いられることになります。

 

 敵に包囲される形になりますので。

 

「もういい、俺が出る。左拠点の援護に向かう、トウリは俺から目を離すな!」

「はい、了解です」

「他の連中は、正面の攻勢を耐えしのげ! 俺が戻ってくるまで絶対に、落とされるんじゃねぇぞ」

 

 それは流石に見過ごせなかったのか、ガーバック小隊長は抜刀し塹壕の上へ飛び出しました。

 

 

「■■■!!?」

「やかましい、死ね!!」

 

 

 いきなり飛び出してきたガーバックに困惑していた敵兵は、即座に切り刻まれます。

 

 そして小隊長は、物凄い速度で左拠点へ走っていきました。

 

「シャアアアッ!!」

 

 流石というべきか、小隊長殿は雄叫びをあげて敵兵を惨殺していきます。

 

 ……やっぱり、剣抜いたほうが強いんですね小隊長殿。

 

「……っと、アレン先輩!」

「分かってる!」

 

 その時、視界の端で正面の敵が手榴弾を投げつけてきたのが見えました。

 

 自分は即座に【盾】を構えましたが、アレン先輩も素早く反応し、

 

風砲(ウィンド)!」

 

 風の魔法で手榴弾を吹き飛ばしてくれました。

 

 成程、魔法で対空するって言っていたのはこれの事ですか。

 

「まだまだ来るぞぉ!」

「こいつら死ぬのが怖くないのか!?」

「■■■っ!!」

 

 しかし、アレン先輩の銃撃が止んでしまった事で戦列に隙が生まれます。

 

 いつの間にやら、自分の目と鼻の先まで敵兵が来ていました。

 

 真上から無表情に冷徹な殺意を叩きつけられ、思わずたじろいでしまいます。

 

「何をやってる! ナリドメ、撃て!」

「……」

「ぼーっとすんな! 早く迎撃を!」

 

 そのまま敵兵はナリドメ2等兵……、この前に自分を襲った新米の方へと飛び込んでいきました。

 

 銃の引き金を引けば狙わずとも当たる距離なのに、彼は身動き一つ取りません。

 

「ナリド────」

 

 やがて敵は、ナリドメの顔を蹴り飛ばして塹壕内に侵入してきました。

 

 蹴り飛ばされてなお、彼は微動だにしません。そして、ようやく自分は彼の身に何が起こったかを知ります。

 

 ナリドメ2等兵の額に、風穴があいていました。いつの間にか、彼は撃ち殺されていたようです。

 

「■■■■■■ぁ!!!!」

 

 塹壕に入ってきたその兵士は、30歳くらいの中年の男性でした。

 

 彼は両手に血濡れた剣を構え、すぐさまヴェルディ伍長へと斬りかかりました。

 

「ひぃいい!?」

 

 ヴェルディ伍長は慌てて銃口を向けましたが、それより早く男の剣が一閃します。

 

 すると伍長の腕は斬り飛ばされ宙を舞いました。

 

 そのまま敵は、もう片方の剣でヴェルディの首まで狙われますが、

 

 

「伍長伏せろ!」

「■■っ!?」

 

 

 アレン先輩が援護射撃を行い、敵兵が避けるため身を反らして事無きを得ました。

 

 そのまま敵は伍長から大きく距離を取り、自分の近くまで跳躍してきます。

 

 やがて、滑りながら土煙をあげて、その『剣士』は自分の目の前に着地しました。

 

 

 ……さて。

 

 

「トウリ、逃げろぉぉぉ!!!」

 

 

 そして『敵』の目は、まっすぐ自分を見据えていました。

 

 その距離は、1mほど。十分に、斬撃の間合い内ですね。

 

「■■■■■……っ」

 

 敵の言語はよくわかりません。何を言っているのか、さっぱり理解できません。

 

 しかし、一つだけ伝わる事が有ります。それは、

 

■■■■■(コロシテヤル)っ!』

 

 敵のその目に浮かんだ、溢れんばかりの殺意と怨念でした。

 

 

 その時、小隊の誰も自分を助けられる位置に居ませんでした。

 

 自分は15歳の少女です。場合によったら、年齢より幼くみられることもある外見です。

 

 だというのに、その敵兵に躊躇などありませんでした。

 

 彼は、子供兵にすら明確な殺意を向けていました。

 

■■(シネ)

「あっ」

 

 剣士は振りかぶり、叩き付けるように自分の頭へ凶器を振り下ろしました。

 

 このままでは死んでしまう。サルサ君に救われた命を、何の意味もなく消費してしまう。

 

 それは嫌です。自分のためにも、彼のためにも。

 

 

「【盾】」

 

 

 その時の動きは、ほぼ無意識だったと思います。

 

 咄嗟に自分が構えたその盾は、ガーバック小隊長殿に教わったモノよりずっとずっと鋭角でした。

 

 鋭い槍先のような、2等辺三角形の【盾】。自分がそれを、敵の真正面に突き出した結果、

 

「■■■!?」

 

 振るわれた剣先は【盾】の面上を滑り、綺麗に逸れていきました。

 

 小隊長殿に教わった通り、敵の攻撃を受け止めずに弾く。

 

 それを、我ながら完ぺきに実践出来た様子です。

 

 至近距離の一撃を避けられ、敵の剣士の動揺が伝わってきました。

 

 

「……死ねっ」

 

 

 その一瞬のスキを、逃さずに突っ込んできてくれた人が居ました。

 

 それは、

 

「死ね死ね死ねっ!! このクソッタレ、鬼畜、人でなし! 血肉を啜るゲスどもが!」

 

 口の悪い新米……ロドリー君でした。

 

「■■■■!!」

「どうだ、苦しいか! ざまーみろ、好き勝手に人を殺しまくった報いだ! あははは!」

 

 彼は敵兵に背後からとびかかると、そのまま首筋を掻っ切りました。

 

 自分の顔面に、男の生暖かい血飛沫が降り注ぎます。

 

「あひゃひゃひゃひゃ!!」

 

 ……その時のロドリーは、第一印象の時とは明らかに様子が違っていました。

 

 何か、大事な糸が切れたような。そんな印象を受けました。

 

「あひゃ、あひゃ、あひゃ!!」

 

 彼は支給されたアーミーナイフを何度も何度も、半狂乱で笑いながら敵の顔面に叩きつけていました。

 

 それは頼もしいと言うより、ただ不気味でした。

 

「ちょ、落ち着けロドリー! 殺したなら、正面の敵の迎撃に戻れ!」

「……あ? ちっ、了解でっす」

 

 しかし彼は、グレー先輩に声を掛けられると急に元のテンションになりました。

 

 そして何食わぬ顔で、再び塹壕に隠れて迎撃を再開します。

 

 何だったんでしょうか、今のは。

 

「……クソッ、もっと苦しめて殺せばよかった、失敗した」

 

 その時のロドリーの、ボソッとした呟きが嫌に耳に残りました。

 

 ちょっと気味は悪いですが、自分は彼に命を救われたのです。

 

 後でしっかり、お礼は言っておきましょう。

 

 血塗れで尻餅をついたまま、自分はそう思いました。



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14話

 自分は少し危ない雰囲気の同僚、ロドリー君の援護で九死に一生を得ました。

 

 敵兵はロドリー君の攻撃で噴水の様に血を吹き出し、動かなくなっています。

 

 完璧なタイミングでしたが贅沢を言うなら、血をぶちまける方向を考えて頂きたかったです。首の横からナイフを突き刺すとか。

 

「あっあっ! 腕、腕ぇ!!」

「伍長!」

 

 自分はリュックの中からタオルを取り出して顔を拭った後、先ほど腕を切り落とされたヴェルディ伍長の方へ向き直りました。

 

 見た感じですと斬られた範囲は、肘より先だけ。割と綺麗な切断面なので、早めに治療をすればくっつくと思われました。

 

 小隊長殿が戻ってきてから、治療を要請しましょう。

 

「ヴェルディ伍長、切り落とされた腕を拾って塹壕壁側に来てください! 止血処置を行います!」

「う、うぐぅぅ! わ、分かっり、ました」

 

 塹壕での治療行動は、前壁近くで屈んで行います。敵に突撃された際、死角になって気付かれにくいからです。

 

 まあ『ガーバック小隊長殿から目を離さない』命令があるので、自分は塹壕から頭だけ出しておかねばなりませんが。

 

「ひろ、拾ってきました!」

「傷口を洗浄します。痛み止めを使う暇はないので、歯を食いしばってください」

「は、はいっ。く、うががががっ、がぁあ!!」

 

 チラチラと流し目で戦場を確認しながら、伍長の処置を並行して行いました。

 

 感染予防として、リュック内の生理食塩水の蓋を開けて創部を洗い流した後、清潔なガーゼで清拭・圧迫します。

 

 同時に、傍目でガーバック小隊長殿が左の塹壕から飛び出したのが見えました。そろそろ、戻ってきてくださる感じですかね。

 

「止血完了です。これで失血死はしないので、おとなしく待機してください。小隊長殿が戻ってきてから、治療要請を行います」

「え? ちょ、すぐ回復魔法は使わないんですか?」

「すみません、自分の権限では回復魔法の行使は出来ません。小隊長殿の許可がないと」

 

 自分はそう言い放ち、創部の洗浄に使った生理食塩水の残りを『これ飲んでおいてください』と手渡しました。

 

 失血した後は水分補給が大事です。

 

「あ、そうか。じゃあ、トウリ2等衛生兵、私への回復魔法を命令します」

「え? あ、えっと」

「早く戦線復帰したいので、治療していただけますか」

 

 ヴェルディさんにそう言われて、自分は少し混乱しました。言われてみれば、ヴェルディ伍長は自分より立場が上の将校です。

 

 なら、ヴェルディ伍長の命令があれば自分は回復魔法を行使できるんでした。

 

 ……でしたっけ?

 

「早く、このままじゃ腕がくっつかなくなってしまいます!」

「……」

 

 いえ、冷静になりましょう。ガーバック小隊長の許可なく回復魔法を行使して、『指導』されるのはもう御免です。

 

 指揮権、そう指揮権の問題です。これはヴェルディ伍長が自分に対して指揮権を持っているか? という問題です。

 

 冷静に指揮系統を整理しましょう。

 

 この小隊の隊長であるガーバック小隊長は、部下全員に指揮権を持っています。

 

 そしてこの小隊には、『アレン偵察隊』『ヴェルディ上等歩兵部隊』の2つの分隊が存在します。

 

 この2分隊に衛生兵である自分を加えて、ガーバック小隊は成り立っています。

 

 分隊長であるアレン先輩とヴェルディ伍長は、それぞれ自分の分隊メンバーに対してのみ指揮権を有します。

 

 歩兵ではない自分は、その分隊のどちらにも所属していません。自分の立場はガーバック小隊長の直属です。

 

 つまり、

 

「大変申し訳ありません、ヴェルディ伍長。貴方は自分に対し、指揮権を有していないと認識します」

「え?」

「ご安心ください、切断された腕の治療期限(ゴールデンタイム)は数時間です。まだまだ全然間に合います」

「え、いやちょっと!」

 

 そうですそうです、自分より階級が上の将校なら誰でも治療命令できる訳ではありません。

 

 それがまかり通るなら、1等歩兵のグレー先輩も自分に命令し放題です。

 

 しかし以前にグレー先輩が負傷した時、彼は当時の分隊長だったマリューさんを介し、小隊長殿に治療を要請してました。

 

 つまり自分がヴェルディ伍長を勝手に治療したら、伍長ともども過酷な暴行にあいます。

 

「自分はガーバック軍曹を視認しておく必要があるので、これで失礼します」

「待って、私は腕斬られてるんですよ!? ガーバック小隊長に確認しなくても、治療許可は絶対に下りるでしょう! そんな指揮権がないからって、バカげた」

「馬鹿げていません、命令は絶対です」

 

 ヴェルディ伍長は焦った声で自分の肩を揺らしますが、そんなこと言われても困ります。

 

 自分はもう、2回も命令違反で厳しく指導されているのです。これ以上、また命令違反なんてしたら、

 

「命令は、絶対なんです」

「……え? ト、トウリ、さん?」

「嫌です、もう、もう指導されるのは嫌なんです。申し訳ありません、ヴェルディ伍長。どうか小隊長殿が戻ってくるのをお待ちください」

 

 もしまたやらかしたら、前以上に過酷に折檻されるに違いありません。

 

 自分は、小隊長殿の怒り顔を想像するだけで、ガクガクと体の震えが止まらないのです。

 

 彼に折檻されている間は少しでも不興を買わないよう堪えていますが、小隊長殿の鉄拳は死ぬほど痛いのです。

 

「どう、か、ご納得いただけると……」

「……失礼しました、取り乱しました。仰る通り、私にトウリさんへの指揮権はありませんでした」

「伍長、ご理解いただけて幸いです」

「すみません。貴女をそこまで怖がらせるつもりはなかったんです、無茶を言いました」

 

 どうやら自分は随分と青い顔をしていた様で、逆にヴェルディ伍長に心配させてしまいました。

 

 今気付いたのですが、どうやら自分はガーバック小隊長に相当なトラウマを植え付けられてますね。

 

 そのせいで自分は、小隊長殿の命令を絶対遵守する体にされています。

 

 これも彼の狙い通りなのでしょうか。

 

「あ、見てください。小隊長殿がこちらに向かってきます」

「向こうでの援護が、終わったようですね」

 

 そうこうしている内に、件の恐ろしい人が戻って参りました。

 

 ガーバック軍曹は銃撃が飛び交う戦場を、敵兵を切り殺しながら突っ切って来ます。

 

 さっき襲われた敵より恐ろしいな、と感じたのは秘密です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう攻勢は終わったかな。ようし、ヴェルディを治療してやっていいぞ」

「ありがとうございます」

 

 勝手に治療しなかった自分の判断は正解だったようで、戻ってきた小隊長殿にヴェルディ伍長への処置をお伺いすると「戦闘終了まで待て」との事でした。

 

 どうやらガーバック小隊長は、自分の身の安全が確保されるまで部下に回復魔法を使わせるつもりはないようです。

 

 これ、うっかりヴェルディ伍長の命令に従ってたら縊り殺されてたんじゃないでしょうか。

 

「【癒】」

「お、おおぉー?」

「伍長、動かないでください。そのまま包帯で固定しますので」

 

 自分は、何とか絞り出した魔力でヴェルディ伍長の腕をくっつけました。

 

 ……ちょっと魔力が足りなかったのか、効果が弱いような気がしますね。

 

「小隊長殿。ヴェルディ伍長へ行ったのは応急処置です、完全に快復するには野戦病院での治療継続が必要です」

「だろうな。もう良い、とっとと治療しに行っちまえ」

 

 自分は治療の出来に自信がなかったので、このまま野戦病院に行って貰うことにしました。

 

 大丈夫でしょうかね。歩いてる途中に固定が外れてポロリ、と手首が落ちたりしませんかね。

 

 そうならないよう、少し強めの固定をしときましょう。

 

「あー、小隊長殿。ヴェルディさんがいく前に一応、アレやっときます?」

「……いや。ナリドメに敬礼なんぞ要らんだろ」

 

 小隊長殿は、額に風穴を開けて倒れこんでいるナリドメの遺体を一瞥し、そう言いました。

 

 アレ、というのは……。戦死者が出た時の敬礼のことでしょうか。

 

「死んで元々。自棄を起こした新兵が、戦力になることなんてねぇんだ」

 

 そしてガーバック小隊長殿は、興味もなさそうにナリドメの遺体から目を背けました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あの、ロドリー君」

「あ?」

 

 そのナリドメの遺体は、ロドリー君が後方まで運んでくれることになりました。

 

 仲間の遺体運びは、部隊で一番の新米の仕事なのです。

 

「今日はありがとうございました」

「え、何の事だ?」

 

 自分は本日、この同期で口の悪い新米であるロドリーに命を救われました。

 

 なのでお礼だけでもしておこうと声をかけたのですが……、彼から返ってきたのは怪訝な顔でした。

 

「その、自分の危ないところを助けていただいたので」

「そんな事あったっけか?」

「ほら、敵剣士が塹壕に飛び込んできた時の」

「あー……。そういやお前死にかけてたな」

 

 どうやら彼に、自分を助けたという自覚は一切なかったようです。

 

 あの時のロドリーは、

 

「俺の目の前に、背中向けてる敵がいたから殺しただけなんだけど」

「……」

 

 だ、そうです。自分の安否なんぞ、一切気にかけていなかったようですね。

 

「というかお前、敵が目の前にいたのに何で反撃しねぇの? ちゃんと戦意ある?」

「自分は衛生兵ですので、攻撃装備は持たされていないのです」

「その腕は何のためについてんだよ、その歯は何を嚙み切るためにあるんだよ。武器なんぞなくても、敵が目の前に居たら殺しにかかるのが普通だろ」

 

 ロドリー君はそういうと、見下した顔で自分を指さし、

 

「お前、今日の戦場で一番役に立ってなかったからな。わざわざお前なんぞ助けるヤツなんていねぇよ」

「……」

「敵が殺せるから殺した、それだけだ。変にすり寄ってくんな気持ち悪い、お守りしてほしいのか?」

 

 吐き捨てるようにそう言って、ペッペと唾を吐きました。

 

「俺は弱い癖に媚び売るのが上手い人間が一番嫌いなんだ。お前みたいな、な」

「……はあ」

「二度と話しかけてくんなよ、くっせぇ」

 

 その言葉を最後に、ロドリーはそっぽを向いてテクテク歩き去っていきました。

 

 ナリドメ2等兵の遺体をズルズル引きずりながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜、小隊長殿に休養を言い渡された自分は、いつもの塹壕の溝に体をうずめて眠りました。

 

 今日を、生き残れたことに感謝しながら夜空の下で目を瞑ります。

 

 因みに、もうナリドメは居ませんが、念のためグレー先輩の隣で寝かせてもらうようお願いしました。

 

 グレー先輩は何か嬉しそうでしたが、ロドリー君はゴミを見る目で自分を見ていました。

 

「ふわぁ~、明日はもっと殺してぇぜ」

「……」

 

 そのロドリーのボヤきが、深夜の塹壕に響き渡ります。

 

 彼はどうやらイヤイヤ戦っているのではなく、明確に戦意を持って此処に居るようです。

 

 それは正しい事、だと思うのですが。その反面、回復しか出来ない自分に対し侮蔑のような感情を抱いているようにも感じました。

 

 ちょっと、居心地が悪いです。

 

「……」

 

 ああ。こうなると、改めて思います。

 

 初めて会った時は頼りないと感じましたし、迂闊でアホっぽい同期と考えおざなりに扱っていましたが。

 

 

 

 

『1番サルサ、脱いで踊りまッス!』

『年下っスよ、まだトウリは15歳っスよ。流石にシモの話はもうちょい待ちましょう先輩』

『令を復唱しまっす! 俺は命に替えても、トウリ2等衛生兵を守るっス』

 

 

 

 

 サルサ君って、最高の同期だったんですね。親しみやすいし、紳士だし、口も悪くないし。

 

 彼が生き残っていれば、どれだけ自分は救われていたでしょう。

 

 自分は失って初めて、サルサ君という存在のありがたみを実感したのでした。

 



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15話

「先輩、俺も手榴弾とか欲しいんだけど」

「知らん」

 

 何時ものように死線を潜り抜けた、朝。

 

 自分はいつものように装備の点検を終え、病院に戻る準備を進めていました。

 

「何で俺には支給されないんだよ?」

「爆発物を扱えるのは、1等歩兵以上になってからだ」

 

 まだ何も言われてませんが、おそらく今日は病院勤務のはずです。

 

 昨晩の防衛戦の被害を考えるに、恐らく野戦病院は修羅場になっていることでしょう。

 

 となると十中八九、ゲール衛生部長が「自分(トウリ)を戻せ」と命令しているに違いありません。

 

 この被害状況で、味方が攻勢に出るとも考えにくいですし。せめて、壊滅した部隊の再編を終えてからかと思われます。

 

「アレ1個あれば、どれだけの敵を爆殺できると思ってるんですか」

「手榴弾1個作るのにどれだけコストがかかると思ってんだ。新米の分まで用意できるわけあるか」

 

 そんな自分のすぐ傍で、戦闘狂(ロドリー)君がグレー先輩相手に文句を言っていました。

 

 聞き耳を立てたところ、ロドリー君は手榴弾が欲しいみたいです。

 

「そんなに欲しいなら、小隊長殿に言えよ。なんで俺に言うんだよ」

「……だって先輩、2個持ってるじゃん」

「俺の予備だっつの。コレ新米に横流しなんてしたら、首を切り飛ばされるわ」

「えー、ずっこい。俺も爆殺してぇなぁ」

 

 手榴弾というのは、とても恐ろしい兵器です。

 

 爆風だけで4~5メートルに及び、更に高速の破片が飛び散り、爆破圏内の数多の人間を殺傷します。

 

 自分も爆風に巻き込まれましたし、サルサ君はそれで命を落としてしまいました。

 

 そんな自分としては、そんな軽い気持ちで爆殺したいとか言わないでほしいです。

 

「ま、いいや。じゃあ小隊長殿に直談判しよ」

「……それも、やめといたほうがいいと思うぜ? ウチは、以前に擲榴兵がやらかしたからなぁ」

「何だ、俺により手柄立てられるのが怖いんですかぁ、先輩? 小心者が」

 

 ロドリー君はケッと、悪態をついて立ち去りました。

 

 彼の態度は、先輩に対するソレではありません。

 

「お前は本当に可愛くねぇなぁ。俺はちゃんと忠告しといたぜ」

 

 普通ならムっとしそうなモノですが、グレー先輩は気を悪くした風もなく冷静にあしらってしまいました。

 

 チャラそうに見えて、割と大人なんですよねグレー先輩。

 

「お?」

 

 そんな二人の会話をぼんやり見ていたら、グレー先輩と目があいました。

 

「どうしたトウリちゃん、もしかして俺に惚れたか? 朝から熱い視線を感じるねぇ」

「……そういうところ以外は、尊敬していますよグレー先輩」

 

 ニカっと笑顔を向けて、グレー先輩が話しかけてきます。

 

 自惚れでは無ければ自分は、それなりにグレー先輩から可愛がってもらっているように感じます。

 

 異性的なモノではなく、先輩後輩的な好意ではありますが。

 

「良い女ってのは、良い男を本能的に見分けるもんさ。つまりトウリちゃんは、良い女って事だ」

「その台詞、お得意の口説き文句だそうですね。アレンさんが、グレー先輩の手口を幾つか教えてくれました」

「あー、やべ。知ってたの?」

「はい」

 

 自分の返答を聞いた後、グレー先輩は誤魔化すように大笑いして、自分の頭を撫でてくれました。

 

 こういう所さえなければ、自分も彼を文句なく尊敬できるのですが。

 

 いえ、もしかしたらこの軽薄な感じも、敢えてそう振舞っているのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トウリ、貴様は今すぐ野戦病院へ走れ。ダッシュだ!」

「へ? は、はい!」

 

 ブリーフィングの5分前。

 

 既に集合場所にいたガーバック小隊長は、自分を見るなりそう命令しました。

 

「今日の貴様は病院付けだ、向こうは相当忙しいらしい」

「はい」

「1秒でも早く合流しろ。オラ、何をモタモタしている走れ!」

 

 朝一番で告げられた自分への指令は、病院までのランニングでした。

 

 やはり本日は病院勤務の様ですが……。

 

「たった数㎞くらい、走って移動して見せろ」

 

 小隊長殿の命令内容は、体力トレーニングのおまけ付きのようですね。

 

 とにかく体力のない自分を、さっさと並の兵士並みに走れるようにしたいのでしょう。

 

「了解です。現時刻より全力で、野戦病院まで走ります。その後、ゲール衛生部長の指揮下に入ります」

「よし、いけ」

 

 ふぅ、朝から大変ですが頑張りましょう。

 

 

 

 

「ふ、ふ、ふ、ふ……」

 

 そして、走ること十数分。自分は汗だくになりながらも、野戦病院に到着しました。

 

 何というか早朝ランニングは気持ち良いですね。

 

 重装備を背負っていなければ、ちょうど良い運動だったかもしれません。

 

 今後は体力をつけるため、塹壕から野戦病院に向かうときは走るようにしましょう。

 

 ……朝っぱらから汗臭くなってしまうのが難点ですが。患者さんの前に出る前に、軽く濡れタオルで体を拭うとしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トウリちゃん、よく来てくれたわ。応急診療所に今すぐ入ってくれる?」

「応急診療所、ですか?」

 

 ゲール衛生部長の前に顔を出しましたら、即座に手を引かれました。

 

 このまま病床に連れていかれるのかと思いきや、この日はいつもと違う場所に案内されました。

 

 その先にあったのは、見たこともない長蛇の列でした。

 

「あのテントの中に、医療設備と看護兵を配置してるわ。あの中で、負傷者の処置を順番に行ってちょうだい」

「なるほど、了解しました」

 

 いつの間にやら、野戦病院の脇に一昨日まではなかったテントが一つ増設されていました。

 

 どうやらその入り口を先頭に、ズラリと負傷者が順番に並んでいるようです。

 

「病床が全く足りなくて、自力で歩ける人はみんな入院させずにソコに並べてるのよ」

「……なんと」

「軽傷者は最低限の処置だけやって、前線で休ませて治す事にしたわ。そうしないと捌ききれない」

 

 そうボヤくゲールさんは、もう疲労困憊といった顔色でした。

 

 まさかこの人、一昨日から全く寝てないんじゃ……。

 

 いや、寝られるわけないですよね。昨日の攻勢で凄まじい数の患者が搬送されてきたと思いますし。

 

「痛ぇ……、痛ぇよぉ」

「腕の感覚がねぇ……、これ壊死してねぇか?」

 

 チラリと列を見た感じ、今までなら入院してたレベルの人が、野ざらしで待たされています。

 

 腕が千切れて腐りかけてる人とか、横になって動かない人とか沢山います。

 

 これ、相当ヤバいんじゃ……。

 

「並んでいるのは比較的軽傷な人だけだから、全部トウリちゃんに任せる事にするわ。回復魔法使うタイミング、間違えないでね」

「……へ?」

 

 そんな自分に、衛生部長はとんでもない指令を出しました。

 

 今、まさか全部って言いました? ちょ、ちょっと待ってください。

 

 ここに並んでいる百人くらいの列を、全部見るんですか!? 一人で!?

 

「ごめんね、人手が全く足りてないの。そのうち交代要員をよこすから、それまで頑張って」

「は、はい……」

 

 ……軽傷で命の危険がない人の処置が追い付かないので、自分に全部投げたんですね。

 

 自分は昨日眠れていて、魔力も体力も有り余っているから。

 

 

「頼んだわよ~」

 

 

 衛生部長は申し訳なさそうな顔をしながら、大慌てで走り去っていきました。

 

 さて、どう見ても百人……は、居ますよね。えっと、1人10分かけて処置したとしたら、16時間超え……。

 

 そんなに最後尾の人を待たせるわけにはいきません。

 

 だから、この結構な負傷者たちを10分以内で捌かないと追いつかないという事ですね。

 

「……」

「あ、やっと衛生兵さん来てくれたのね。こっちです、入ってきてください」

「……は、はい」

 

 とはいえ、新米がどうやってこの数を捌けと言うのでしょう。せめてもう1列、診療所を増やせないのでしょうか。

 

 いえ、泣き言を漏らす暇があるなら働かないとだめですね。

 

 ペーペーの自分に全部任せざるを得ないということは、病床はもっと修羅場になっているという事でしょうし。

 

 野戦病院は今日も超絶ブラックですが、前線勤務と比べ命の危険がないだけマシと思いましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、おい! 散々待たされて、処置するのがこんなガキんちょかよ!」

「……ご不満ならどうぞお帰りください」

「俺はここで、夜からずっと待ってたんだぞ! ちゃんと、もっと上の衛生兵を出してくれ!」

 

 さて、そんなこんなで初めての外来をやらされたのですが。

 

 まあこれが、大変極まりなかったです。

 

「回復魔法を使ってくれよ! ほら、足が動かないんだ」

「すみません、恐らくただの骨折と思われます。きちんと固定すれば治癒しますので、お待ちください」

 

 何せ自分はペーペー、回復魔法の連続使用は3回まで。薬でドーピングしてもそんなに頻繁には使えません。

 

 なので、患者さんが大げさに痛がっているのか実際痛いのかを、逐一判断していかないといけないのです。

 

 そして使うべき人を間違えず、適切に治療していかねばなりません。

 

「あ、トウリちゃん……」

「あ、ヴェルディ伍長、お疲れ様です。腕の調子はどうですか」

「ああうん、大丈夫っぽいですよ」

 

 昼頃になると、見知った顔が診察室に入ってきました。ヴェルディ伍長です。

 

 彼も軽傷と認定されていたみたいで、列に並ばされていた様でした。

 

 ……昨晩は少し自信がなかったのですが、見た感じ上手く腕はくっついてくれたようです。良かった。

 

「では、伍長は完治です。戦線に戻って頂いて構いません」

「うん、ありがとうね」

 

 病院で小隊メンバーと会話するのは何か違和感ありますね。

 

 伍長は頑張ってね、と応援して診察室を去っていきました。

 

 では、言われた通り頑張っていきましょう。

 

「見てくれ、俺の、尻が爆発して────」

「あら、これはひどい火傷です」

 

 

 

 

 ……。

 

 

 

 

 結局。その大量の列が掃けたのは空が暗くなってきてからでした。

 

 自分は何度も秘薬を飲んで魔力を絞り出し、気力も体力も限界に達していました。

 

 食事休憩なんてとる暇すらなく、診療の合間にレーションを啜り体を動かし続けました。

 

「トウリ2等衛生兵、あと数人で終わりです」

「お、終わるん、ですね」

 

 一緒に働いてくれた、ベテラン看護兵さんがそう声をかけてくれました。

 

 衛生部長は交代要員をよこすといっていましたが、結局そんな人員は送られてきませんでした。

 

 まぁ無理ですよね、病床忙しいですもんね。

 

「君は若いのにしっかりしてるな。ありがとう、衛生兵」

「ありがとうございます。どうかお大事になさってください」

 

 一部ヤバい人もいましたが、患者さんの殆どは軽い怪我で、かつ礼儀正しい人でした。

 

 それに助けられ、自分は診た怪我を機械的に診察して、処置をし続けました。

 

 終盤はあまり、頭も働かなかった様な気がします。

 

 普段の病棟業務より、ずっとずっと辛いです。

 

「最後の方、どうぞ」

 

 しかし、その過酷な業務もこれで最後。流石にゲール衛生部長も、この仕事が終われば休憩をくれるでしょう。

 

 くれますよね? 夕食くらいは、ゆっくり取れますよね?

 

 だから最後の元気と愛想を振り絞って、丁寧に冷静に治療を……

 

 

 

 

「……」

「……んだよ」

 

 

 

 

 最後に入ってきた患者さんは、もう凄い傷を負ったロドリー君でした。

 

「……あの」

「早く治療しろ、無能」

「本当に、小隊長殿に手榴弾要求したんですね」

「うっせぇわ」

 

 そしてこのロドリーが、今日一番の重傷患者(味方からの体罰)でした。

 

 全身打撲、骨折に加え、一部関節が脱臼してますね。

 

「……ちょっと待っててくださいね」

「あ? 何飲んでんだよ」

 

 普通に回復魔法を使わないといけない怪我だったので、自分は体に鞭打ってドーピングし、【癒】を行使してあげました。

 

 治療してる側からすると、ガーバック小隊長殿の暴行(しどう)の処置をするのはイラっとしますね。本当、余計な仕事増やさないでくださいよ、小隊長……。

 

 一応、彼は命の恩人なのでかなり丁寧に処置をしました。

 

 ですがロドリー君は「治療が遅いし、まだ痛みも残ってる。とんだヤブだ」と吐き捨てて帰っていきました。

 

 何とも言えない虚無感に襲われます。

 

 最後の患者が、一番疲れました。

 



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16話

「お疲れ様、トウリちゃんは少し休んでいいわ」

「はい、ありがとうございます」

 

 応急診療所の仕事を終えたことを報告すると、自分は1時間ほど休憩時間をもらえました。

 

 この時間でおいしい食事を取って仮眠することが出来ました。

 

「トウリ、13番ベッドの処置任せる!」

「はい」

 

 しかし休めたのはそれだけ。夜からは、急変していく病床患者の対応に追われる事となりました。

 

 応急診療所の患者と違って、病床の患者は対応を誤ると死んでしまいます。

 

 そこら中のベッドで患者の危険を知らすアラームが鳴り響き、主任の指示で自分はあちらこちらへと走り回りまわされました。

 

「18番はもう無理だ、諦めて看取れ。助けられる奴に治療を集中しろ!」

「主任、15番も危篤です」

「そっちはまだいける、外液増やせ! 心不全兆候を注意して見とけ」

 

 恐ろしいことに、自分はかなり優遇されていたという事実を知りました。

 

 聞いたところ、病床主任や先輩方はもう1週間も寝ていないのだとか。

 

「しゅ、主任。4番ベッドの血圧が下がってきました」

「ゼプってんだろソレ! 抗生剤は?」

「他の患者に使う予定の在庫しかありません」

「……じゃあ看取れ」

 

 夜の病床は、本当に修羅場でした。

 

 患者の数が多すぎて、医療資源の供給が全く追いついていないのです。

 

 治療手段も何もない時、我々は意識もなく寝ている患者の命の取捨選択を行うしかないのです。

 

「18番ご臨終です」

「運び出せ。で、外で放置してるトリアージ高い重傷者を運び入れろ」

「はい」

 

 運が悪ければ、このベッドに眠っているのは自分だったかもしれません。

 

 そしてここで命を落としてしまえば、主任の号令で機械的に病床から運び出されて墓穴に投げ捨てられるのでしょう。

 

 前線も、野戦病院も、この世の地獄です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おうテメェら。待ちに待った攻勢の日だ」

 

 明朝、午前五時。

 

 目まぐるしく働いた徹夜明けに、朝一番で小隊長殿に呼び出された自分が告げられたのは、そんな言葉でした。

 

「今の戦力で、再度攻勢ですか」

「推定だと、敵の被害兵数の方がかなり多い。今攻めれば、一気に取り返せるだろう」

「……了解です」

 

 基本的に塹壕戦は、攻勢をかけた側の被害の方が大きくなるものです。

 

 敵の連続攻勢で我々にも重大な被害が出ましたが、敵の死傷者はそれ以上という事なのでしょう。

 

「窮地にこそ好機あり。間もなく味方魔導士による砲撃が始まる、各員突撃に備えろ」

「はい、小隊長殿」

 

 この戦争は、同じことの繰り返しでした。

 

 敵が無理して攻勢をかけたら、その消耗した隙をついてこちらが攻勢をかけ。

 

 そして、我がオースティンと敵サバト連邦の国境が、数十メートル単位で前後する。

 

 その国境のわずかな前後のために、我々兵士の命を大量に消費しながら。

 

「調子に乗って攻めすぎた馬鹿どもに、天誅を下してやるぞ」

「うおおおおっ!!」

 

 ガーバック小隊長の言葉に、ロドリー君はものすごくテンションを上げていました。

 

 そういや、この小隊になってからロドリー君は攻勢に初参加ですね。

 

「アレン隊は先行しろ、ヴェルディ隊は何も考えず俺に追従してればいい。トウリはいつも通り俺の真後ろだ。ヴェルディ隊は俺とトウリの両脇を固める形を作り守れ」

「了解」

 

 ガーバック小隊のフォーメーションは、いつもの形のようでした。

 

 練度の高い分隊を先行させ、ガーバック小隊長の突撃の露払いをさせる。

 

 もう一つの分隊でガーバックの左右を固め、正面への制圧力を高める。

 

「ヴェルディ、貴様は最後方だ。トウリの背後を固めろ」

「はい」

 

 そして、練度の低い自分やヴェルディ伍長は後方に設置してお守りする。

 

 おそらく小隊長殿の後ろにいる人は、見習い扱いという事なのでしょう。

 

「今日はトウリちゃんの隣か、よろしく」

「頼りにしています、グレー先輩」

 

 自分のすぐ脇を固めてくれたのは、グレー先輩でした。彼も、ヴェルディ分隊の所属です。

 

 ヴェルディ分隊は元々、マリューさんというベテラン突撃兵が仕切っていました。

 

 しかし階級が上のヴェルディ伍長が加入した事により、指揮系統が上書きされマリュー分隊がそのままヴェルディ分隊になったのです。

 

 ですが、

 

「今日は俺が仕切らせてもらっていいんですね、伍長」

「ええ、お願いしますマリューさん」

 

 実戦での指揮能力は、マリューさんの方が圧倒的に上です。いくら伍長が士官学校出とはいえ、経験値が違いすぎます。

 

 なので今日の突撃の指揮も、ヴェルディ伍長はマリューさんに委託するそうです。

 

「伍長、最初は難しい事は言いません。ただ走って、トウリ衛生兵の後ろを固めてください」

「ええ」

「背後から撃ってくるような奴は滅多にいませんので、ビビらず行きましょう」

 

 とまぁ、突撃前のブリーフィングはこれで済んだのですが……。

 

 

「俺はアレン分隊なのに、なんで後ろ……」

「お前の訓練度では、隊列を乱すだけだ」

 

 

 自分は先行できると思って大はしゃぎしていたロドリー君が、アレンさんの指示で後ろに回されブーたれていました。

 

 そうです。彼も自分やヴェルディ伍長同様に新米なので、ガーバック小隊長の後ろに配備されるのです。

 

「よく学んで、強くなれ。そしたら先行部隊に交じれる」

「こんな後ろから、どうやって人を殺せっていうんだ……」

 

 相変わらず、素晴らしい殺意です。平時であれば、是非とも関わり合いになりたくない人ですね。

 

「また上官命令に不満あるのか、ロドリー」

「い、いえっ」

 

 ブツクサ文句を垂れていた彼も、小隊長殿にひと睨みされたら顔を青くして引き下がりました。

 

 昨日の指導が、効いている様ですね。流石の彼も、ガーバック軍曹は怖いみたいです。

 

「……」

 

 小隊長殿に促されたロドリー君は、無言になってスゴスゴと自分の後ろで配置につきました。

 

 チラリと見えたその顔は、頬を膨らませて不満げでした。

 

 かなり精神的に幼い印象を受けますが、幾つなんでしょうか彼。もしかして自分と同じ、最年少の15歳組とかなんですかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数時間のたっぷりの砲撃の後。

 

「予定時刻になった、突撃を開始するっ!」

 

 小隊長の一喝と同時に、ガーバック小隊は出撃しました。

 

 我々の左右でも、同様に部隊が塹壕から這い出て突っ込んでいきます。

 

「うおおおおおぁああああっ!!」

 

 我々は雄叫びとともに、ガーバック小隊長の後ろを走ります。

 

 敵の塹壕の中に飛び込んでその拠点を制圧できれば、勝利です。

 

「がはははははははっ!!」

 

 しかし、塹壕の間には凄まじい数の銃弾が飛んできます。

 

 そんな中を無傷で走り抜けるのはガーバック小隊長くらいです。先行しているアレン分隊は、既にかなり消耗しているように見えました。

 

 あ、一人頭を撃ち抜かれました。アレンさんも、右肩を被弾したっぽいですね。

 

「制圧だ、死に晒せ」

 

 そんなこんなで先行したアレン分隊に続き、ガーバック小隊長殿が塹壕へ突っ込みました。

 

 味方が一人死んだことなど気に留めた様子もなく、小隊長殿はいつものように血の嵐を巻き起こしていました。

 

 飛び込んでから数十秒で、小隊長は最初の拠点を制圧してしまいました。

 

「俺は左右拠点の制圧に向かう! 今のうちにアレンの処置だけやっとけトウリ!」

「はい」

 

 そう言い残し、小隊長は塹壕越しに走って消えました。

 

 アレンさんが損傷したのは、右肩の神経叢ですね。……これは、後方で治療しないと腕を動かせないでしょう。

 

 とりあえず、止血だけしておきましょう。

 

「俺はここまでだな。すまん、マリュー。後は任せる」

「了解」

 

 アレンさんは、ここでリタイアになりました。

 

 負傷で動けなくなった人は、確保した塹壕に捨て置いて前進します。その方が安全だからです。

 

 これで小隊は、残り7人。 

 

「ようし、北側拠点の確保完了。南側の制圧に向かうぞ、てめえら!」

「はい!」

 

 アレンさんに最低限の処置をしている間に、小隊長殿がすごい勢いで駆け抜けていきました。

 

 そういえば、最初の突撃の頃はガーバック小隊長について行くのがやっとでしたのに、今は普通について行けてます。

 

 数週間で体力ってつくもんじゃないと思うので、適切な走り方が身に付いたってところでしょうか。

 

「無、無茶です。無茶苦茶ですよこんなの!」

「何やっているんです、走りますよ伍長。置いて行かれちまいます」

「おかしいでしょう!? どうして味方が追い付いてきてないのに、先行制圧してるんですかあの人! 突出しすぎです!」

「……」

 

 遠くでヴェルディ伍長の、悲鳴に近いぼやきが聞こえてきます。

 

 やっぱりおかしいんですね、この突撃。味方を遥か後方に捨て置いて一人だけ突出するの、危険なだけですよね。

 

「叫んでる暇があったら、走るぜ伍長!」

「こんな突撃法、教本に書いてません! むしろやっちゃいけない『誤った突撃』のお手本です!」

「伍長、良いことを教えてあげますよ。教本なんてモンは、後方に逃げた臆病モンが書いたちり紙なんでさぁ!」

 

 アレンさんに代わって先行部隊の指揮官になった、マリュー1等兵がヴェルディ伍長をからかうように答えました。

 

 おお、何か軍隊っぽいノリですね。こんな命のやり取りをする場でジョークは不謹慎だとは思われますが……。

 

「じゃあ私は、チリ紙を有難がって暗記してきた訳ですか」

「伍長、チリ紙を馬鹿にしちゃいけねぇ。戦場ではケツ拭く紙だって貴重品でさ」

「ああそうですか! だったら初めから、勇敢な小隊長殿が書いた教本を配ってほしかったもんです! 凄まじい犠牲が出そうですけどね!」

「あははは! おいおい伍長、ウチの小隊長殿は教本(もじ)なんて書く教養持ってませんぜ」

 

 ヴェルディ伍長とマリュー分隊長は、軽口を飛ばしながらガーバック小隊長にくらいついて行きました。

 

 実戦においては適度な緊張と、適切なリラックスが最大のパフォーマンスを生むといいます。

 

 なので敢えて、彼らは不謹慎だろうとリラックス出来る軽口(ジョーク)を叩いているのですね。

 

「ガーバック軍曹に付いて突撃してたら、いくつ命があっても足りないです。至急、陣形の見直しを求めます」

「ところがどっこい、うちらガーバック小隊はむしろ死亡率低いんだわ伍長。衛生兵の配備を許してもらえる程度には」

「そんな、不条理な……」

 

 ヴェルディさんは、ガーバック小隊長の無茶苦茶ぶりにげんなりしていました。

 

 そうなんです、この小隊はガーバック軍曹のお守りのお蔭で死亡率が比較的マシなんです。

 

 『比較的』という所がミソです。

 

「ぜえー、ぜえー」

「おーい、大丈夫か」

 

 しかし悪態を吐きながらも、ヴェルディ伍長はしっかり突撃に追従できています。

 

 体力は十分、士官学校でしっかり鍛えてこられたみたいですね。

 

「……あの、ロドリー君。無理でしたらこの塹壕に残られたらどうです」

「ま、まだまだ、走れるから放っておけ貧乳……」

「はあ」

 

 今の小隊の中で最も危なそうなのは、ロドリー君でしょうか。

 

 体力不足のためか、彼は既に肩で息をしています。

 

「まだ誰も……殺していない……」

 

 呼吸音もヒューヒューしてますが、大丈夫でしょうか彼。

 

 これだけ殺意にあふれてるのに、体力が追い付いていないのは何とまぁ……。

 

「ようし、戻ったぞ。二つ目の塹壕に、突撃だ!」

「はい!」

 

 そうこうしているうちに小隊長殿が戻ってきました。もう、隣接拠点を制圧したんですね。

 

 ロドリー君は返事だけは素晴らしく良いのですが、明らかに無理をしています。

 

 意地を張らずガーバック軍曹に残らせてくださいと、懇願すれば良かったのに。

 

 せっかく昨日、頑張って治療したのに翌日殉職されるとか悲しすぎます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして2つ目の塹壕も、小隊長殿はあっさり確保いたしました。

 

 敵の抵抗は想定より激しく、小隊にちらほらと負傷者は出始めていましたが、

 

「トウリ、残り魔力は?」

「昨晩から、出撃に備え節約させてもらっていました。【癒】を2回、薬を使えば3回はいけます」

「ふうん、なら1回分だけ使ってやれ」

 

 幸いにも、本日の犠牲者は序盤で死んだ1名だけでした。

 

 先ほど心臓に銃弾が掠め、ほぼ致命傷だったヴェルディ伍長も自分の前線治療で一命をとりとめました。

 

 今すぐ治療しないと死ぬ旨を説明したら、渋々ながら許可が下りました。珍しいもんです。

 

「小隊長殿、後ろが全然追いついてきてねぇ。潮時じゃないですか」

「アホか、3つ目からが本番だろうが。敵の補充兵が薄くなっている今、食い破らんで何時食い破る」

 

 致命傷だったヴェルディ伍長と足を怪我した歩兵の方が脱落し、ガーバック小隊は残り5名。

 

 そして、次の第3防衛ラインからは敵の抵抗が激しくなると予想されます。

 

 なので、此処を確保して戦闘終了、戦術的勝利と行きたいところなのですが……。

 

「味方が追い付いてきたら、先陣切って突っ込むぞ」

 

 小隊長殿は、ここで引く気はないようです。

 

「トウリもまだ、走れそうだしな。ふん、蟻んこにはなったか」

「……光栄です、小隊長殿」

 

 ああ、成程。今日は自分の体力に余裕があるから、まだ突っ込むおつもりなのですね。

 

 今迄は自分の体力に合わせて、前進を止めていたのですね。

 

「両隣の味方、前進してきました」

「お、やっぱ今日はいけそうだな」

 

 今からでも疲れ果てた演技をするべきでしょうか。

 

 いえ、そんなことをしたらトレーニングをサボったと思われて指導されるでしょう。

 

「ようし、突っ込むぞ。今日こそ、連邦の防衛線を食い破ってやれ!」

 

 そして、自分は初めて『敵の本気の防衛網』に足を踏み入れることになります。

 

 今迄のように魔法で十分攻撃された後の塹壕を攻略するのではなく、気合ばっちりの無傷の部隊が待ち構える第3防衛ラインへと。

 

「行くぞぉ!!!」

 

 ……その抵抗の激しさは、自分の予想をはるかに上回る規模でした。

 

 そしてこの突撃が、自分にとって忘れ難い1つの転機になる事をまだ知りませんでした。



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17話

 塹壕でパラパラと飛び交う銃弾は、自分の知る世界のものとは違い、正面から見ると七色の色彩を放っていました。

 

 戦場で見た、昼間の塹壕に輝く星空。

 

 それはきっと、この世界の武器が火薬だけではなく魔法も用いた兵器だからなのでしょう。

 

 魔法石の発光は、さまざまな種類があると聞きます。

 

 ただ一見すれば、それはゲーム画面の様な鮮やかでポップな光景と言えました。

 

 

 そう、喩えるならそれはオーロラです。

 

 不思議で幻想的な虹色の幕が、塹壕の境界を彩るように引かれているのです。

 

 弾けんばかりの喧しい喧騒と、ため息を吐きたくなるような美しい虹色。

 

 

 それこそが───

 

 

「死ぬ気で突っ込めぇぇぇっ!!」

 

 

 第3防衛ラインに足を踏み入れた、自分の見た景色でした。

 

 

 

 

 

 塹壕を這い出た小隊長殿は、【盾】を形成したまま走っていきました。

 

 マリュー1等兵、グレー先輩もそれに続き、その最後方を自分とロドリー君が守られるように走っていました。

 

「……ぐぉっ」

 

 第3防衛ラインの抵抗は、自分の想定していたモノよりはるかに凶悪でした。

 

 まず全員で塹壕を這い出た瞬間、マリュー1等兵……先行部隊の指揮官だった方が、腹を撃ち抜かれて塹壕に叩き落されました。

 

 彼は苦しげに呻き声をあげたあと、動かなくなります。

 

 即死ではないでしょうが、放っておけば死んでしまうでしょう。

 

「気にするな、走れぇ!」

 

 これで、残り4人。

 

 そのうち2人は、自分とロドリー……、新米兵士です。

 

「何も考えずついて来いぃ!!」

 

 つまりもう、残ったまともな戦力はガーバック小隊長殿とグレー先輩しかいません。

 

 こんな有り様で前進して、どうするというのでしょうか。

 

「俺が生きていればどうとでもなる!」

 

 もしかしたらガーバック小隊長殿は、元より1人でこのラインを攻略するつもりだったのかもしれません。

 

 衛生兵(じぶん)を部隊に配置したのだって、

 

「左足を被弾した! とっとと治療しろトウリ!!」

「は、はい!」

 

 彼は部下をそこまで当てにしていなくて、自分を信じることしかできなかった可能性があります。

 

 この戦争を終わらせるためには、自分(トウリ)という救急箱を用意して、彼自身を前線治療しながら突っ込むという作戦を立てたのではないでしょうか。

 

「【癒】!」

「クスリ飲んどけ、すぐまた使うかもしれん!」

「了解です」

 

 治療中、小隊長殿は足から血を噴き出しながらも、走りを止める気配はありませんでした。

 

 それに合わせて、自分も走りながら処置を行います。

 

 ガーバックはたった一人、鬼のような形相で痛みを堪え、この戦場で最も過酷なラインの先陣を切って突っ込んでいきます。

 

「小隊長、腕が、足がっ!」

「死ぬ気で付いてこいグレーェ!!」

 

 ガーバック小隊長に随伴する形でついてきたグレー先輩は、一瞬で血まみれになっていました。

 

 少なくとも3発、被弾しています。しかし、幸いにも足の傷は掠っただけっぽいですね。

 

 腕は太い血管をやられてます。致命傷……では無さそうですが、すぐ治療しないとまずそうです。

 

「貴様には、俺が確保した塹壕を守る仕事がある!! 10分後に死んでも構わんから、今は走れぇ!!」

 

 当たり前ですが、グレー先輩への治療許可はおりませんでした。

 

 塹壕内に入れば止血だけは出来るので、どうか耐えてください先輩。

 

 

 

 

 

 

 この時、自分たちが走っていた場所の塹壕間の距離は、20mほどと推測されます。

 

 塹壕間の距離は、場所によって差があります。何故なら塹壕は蛇行して掘られるからです。

 

 通常の20m走を行ったとすれば、陸上選手なら4秒以内に駆け抜けることができるでしょう。

 

 しかし、自分たち兵士が20mという距離を走るのには物凄く時間がかかります。

 

 何故ならクラウチングスタートなんて出来ませんし、戦場は陸上トラックのように整地された場所ではありませんし、我々は20kg以上ある装備を背負っています。

 

「グレー、手榴弾投げ込めぇ!!」

「了解!」

 

 それに、こうして塹壕間でも戦闘を行う必要があるからです。

 

 当たり前ですが敵の塹壕に飛び込む前に、塹壕内の敵をある程度始末せねばなりません。

 

 何もせず飛び込んだとしても、その先にあるのは死です。

 

「投擲!」

 

 グレー先輩は左腕を負傷していたので、口で手榴弾のピンを引き抜いて塹壕に向かって投げました。

 

 手榴弾は放物線を描き、綺麗に敵の潜む塹壕へと吸い込まれていきます。

 

「■■!」

「あっ」

 

 しかし残念ながらグレー先輩の手榴弾が、敵を殺すことはありませんでした。

 

 敵の塹壕から風弾が打ち出され、手榴弾は明後日の方向へ飛んでいってしまいます。

 

 前にアレン先輩もやっていた、対空魔法です。

 

 

 

「ガハハハハハハっ!!!」

 

 

 

 しかし、ガーバック小隊長は対空されるのも折り込み済だったようです。

 

 彼はその一瞬の隙を突き、一気に速度を上げ塹壕へ乗り込んでしまいました。

 

 一瞬、気を逸らせれば十分だったみたいですね。

 

「行きますよロドリー!」

「ぬお、お、お……」

 

 置いてきぼりを食らってしまいましたが、自分達も遅れる訳にはいきません。

 

 きっと塹壕の中では、もう小隊長殿による制圧が始まっています。

 

 こんな危険な場所で棒立ちしている時間があれば、一刻も早く援護に向かわないと────

 

 

「グレー先輩も、早く!」

「……あー、あはは」

 

 

 だというのに、グレー先輩の返事が弱弱しいです。

 

 気になって振り返ってみると、そこには左足の無いグレー先輩が地面に倒れ込んでいました。

 

 

「スマンね、俺はもう無理」

「……っ!!」

 

 

 グレー先輩の、左の太腿から先は焦げて無くなっていました。

 

 まずいです。敵に魔法を撃たれたか、魔法罠に引っかかったのかは知りませんが、グレー先輩は足を負傷したようです。

 

「ほら、早く先行けって」

 

 グレー先輩は、自分達に先行を促します。

 

 しかし、これでは塹壕に入った後の拠点確保ができません。

 

 ロドリー君と衛生兵(じぶん)だけで、拠点防衛とか絶対無理です。

 

「っ!」

 

 そこまで考えが及んだ瞬間、自分は無意識のうちにグレー先輩に駆け寄って、その肩を担いでいました。

 

「ちょ、バカ! 放って先に行け!」

「貴方を放置したら、小隊長殿の拠点制圧が無駄になるんです」

 

 彼がもう少し、遠い場所で倒れていたら見捨てていたかもしれません。

 

 しかし、幸いにもグレー先輩が倒れていたのは塹壕手前2~3mほどの位置。

 

 しかも、目の前の拠点は小隊長が制圧中。攻撃が止んでいる状態です。

 

 救助は十分、可能な状態と判断しました。

 

 

「う、ぐ」

「おい、無理すんな!」

 

 

 しかし彼の身体を担いだ瞬間、自分の判断ミスに気づきます。

 

 グレー先輩の体が、重すぎるのです。

 

 そう、歩兵は様々な装備を身に着けています。グレー先輩のように体格の良い男性兵士の重さは、100㎏を超えるでしょう。

 

 自分のような小柄な女性が、迅速に救助なんて出来る筈もなかったのです。

 

 せめてグレー先輩に装備を捨てさせてから、肩を担ぐべきでした。

 

 

「まず、一歩……っ」

 

 

 しかし、やってしまったものは仕方ありません。

 

 ここから数歩だけ、前に歩めばゴールなんです。

 

 グレー先輩の体を引きずりながら、自分は火事場の馬鹿力で足を踏み出しました。

 

「お、おお?」

「まだ死なせませんよ、先輩……。拠点内で、自分達を、守っていただきたいです……」

 

 チラリ、と塹壕内の様子が見えました。小隊長殿が、敵の首を切り飛ばして無双しています。

 

 もう殆ど、敵は残っていなさそうですね。

 

 よかった、これならすぐ飛び込んでもよさそうです。

 

「10分後に死んでもいいので、小隊長殿が確保した塹壕を、防衛してください。上官命令、ですよ」

「……まだ死ぬことを許しちゃもらえないってか。男使いが荒いぜ、トウリちゃん」

 

 グレー先輩は非常に重たかったですが、頑張って一歩目を踏み出せば、ズルズルと進めました。

 

 彼さえ塹壕内に引きずり込めれば、あとは自分の領分です。

 

 確保した拠点の防衛をしながら、並行して止血治療を行えば良い。

 

「もう、少し……」

 

 

 その最後の一歩を踏み出す、直前でしょうか。

 

 迂闊にも自分が警戒を外していた、敵の隣接拠点からの援護が入ったのは。

 

 

 

「────あ」

 

 

 

 ────ふわり、と。丸い物体が、自分たちの方へと飛んできました。

 

 自分から右側────敵の隣接拠点の兵士が、塹壕内に飛び込もうとしている自分とグレー先輩をめがけて手榴弾を放ったのです。

 

 その事実を脳が認識した時には、もう手遅れでした。

 

 

「手、が」

 

 

 【盾】は間に合いません。

 

 自分は両手を前に突き出さないと、斜めの【盾】を形成できないからです。

 

 グレー先輩を背負い、両腕を使っている状況では、無意味な平面の【盾】しか形成出来ないのです。

 

 

「どうした、トウリちゃ……」

「あ、あ、あっ!!!」

 

 

 いえ、そもそも。目と鼻の先に飛んできた手榴弾の爆発を、自分の拙い【盾】で防げるべくもありません。

 

 この場合、グレー先輩を捨てて避けるしか、自分の生き残る手段はありませんでした。

 

 だというのに。ゴールする直前で気が緩んでいたのか、自分は手榴弾が投げられた瞬間に一瞬頭が真っ白になってしまったのです。

 

 

 

 

 ────死。その時自分は、サルサ君のように無残に死んでしまう未来を、はっきりと意識しました。

 

 パニックに陥っていた、と言ってもいいかもしれません。この非常時に、思考を停止させ呆けるなんて無能もいい所です。

 

 ですがグレー先輩にのしかかられ自由に動くことができない状態で、目の前に手榴弾を放られた自分は、ただ迫りくる死を呆然と受け入れるしかなかったのです。

 

 

 

 そして世界が、時の流れが、ゆっくりになりました。

 

 走馬灯というやつでしょうか、今までの人生の記憶が噴出してきました。

 

 一方でスローモーション撮影のように、敵の投げた手榴弾が自分の足元へとゆっくり落ちていくのを認識だけしていました。

 

 

 

 ああ、こんなにもあっさりと自分は死ぬんですね。

 

 申し訳ありません、サルサ君。せっかく庇っていただいた命が無駄になってしまいました。

 

 戦争になんか来るんじゃありませんでした。兵士になんかなるんじゃありませんでした。

 

 前世のゲームで、軽い気持ちで人を撃ち殺しまくっていた自分が憎らしいです。

 

 殺してやりたいほどに能天気だったかつての経験から、気軽に志願なんかしてしまった自分の愚かさを呪いたいです。

 

 

 もう一度、生まれ変わりというものができるなら。

 

 せめて次の人生は、平凡でも良いので戦争がない、平和な世界で生きていきたいものです。

 

 

 

 

 

「良ぃモン、見っけたぁ……っ!!」

 

 

 

 

 と、まぁこの時の自分は完全に死を覚悟していたのですが。

 

 その時、自分の短い15年弱の走馬灯に割り込んで、負の感情を煮しめた様な楽しげな呟きが耳元から聞こえてきたのでした。

 

 

「良いもんくれて……っ!!!」

「へ?」

 

 

 そしてスローモーションの世界で、ゆっくりと着弾しつつある手榴弾の脇から、ニュっと手が生えてきたのです。

 

 その手は自分の手榴弾()を、地面に落下する直前に掬い上げられるようにキャッチしました。

 

 そして、

 

 

「どうもアリガとぉォォオ!!!」

「ええええ!?」

 

 

 自分たちに向けて投擲してきた拠点に向け、高笑いとともに投げ返してしまったのです。

 

 流石の敵も予想外すぎて反応できなかったのか、彼の投げ返した手榴弾は対空されることなく敵拠点の中へと吸い込まれ、激しい爆音を奏でました。

 

 

「爆、殺!! あひゃひゃひゃひゃ!!!」

 

 

 そう、ロドリー君です。

 

 ロドリー君は何と、自分たちに向けて投げつけられた手榴弾に反応してキャッチし、投げ返すという離れ業をやってのけたのです。

 

 

「と、トウリちゃん! 今のうち!」

「は、はいっ!」

 

 

 ロドリーの神業で生き延びた自分達は、無事に塹壕内へと進入できました。

 

 自分は無傷、グレー先輩も重傷ですが生きています。

 

 これは……ロドリー君の、大戦果では無いでしょうか。

 

「む、負傷したかグレー。拠点防衛は可能か」

「左手がアレですが、銃を固定できれば戦えますよ」

「ふん、ならいい。トウリ、止血してやれ」

 

 拠点内ではもう、ガーバック小隊長が敵部隊を壊滅させてしまっていました。

 

 小隊長殿はピシャっと、剣を振るって血を飛ばしています。見た感じ、大きな怪我はなさそうです。

 

「あれ? もう全員死んでる……」

「ロドリーも無事か。なら貴様ら、全員でここの拠点を防衛しとけ」

「了解です」

「俺も殺したかったなァ」

 

 そういうと小隊長殿は、さっさと隣の拠点に走って行ってしまいました。

 

 相変わらず、凄まじい体力です。

 

 

「……」

「んだよ、何見てんだよ」

 

 

 グレー先輩の処置を行いながら、自分はぼんやりとロドリー君の方向を眺めていました。

 

 いえ、本当にどうしたもんでしょう。

 

 この前、彼にお礼を言ったら死ぬほど罵倒されました。

 

 ですが、さっきの彼の勇気ある行動には感謝の念が絶えません。

 

 怒られても良いのでもう一度、きちんと謝意を伝えるべきでしょうか。

 

「……」

 

 ……しかし多分、彼的には自分達を助けたかったんじゃなくて、敵を殺したかっただけなんだとは思います。

 

 だとしたら、お礼なんて言われても鬱陶しいだけでしょう。

 

 そんな、今の彼にかけるべき言葉はと言えば……

 

 

 

 

「えっと。な、ナイス爆殺、でした」

「は? 何言ってんのお前、殺すぞ」

 

 

 

 

 どうやらこれも、違った様です。



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18話

()っつぅ……」

「すみませんが、我慢をしてください」

 

 塹壕に入った後。

 

 自分はロドリー君に周囲の警戒を任せて、グレー先輩の処置を行いました。

 

 先輩の足と左腕は、重傷でした。

 

 どちらも大きな血管が破れてしまっていたので、止血するために肉の表面をバーナーで炙らざるを得ませんでした。

 

 神経も焼かざるを得なかったので、恐らく後遺症で動かしにくくなるでしょう。しかしこれが、回復魔法を使えない条件下で出来る最大の治療でした。

 

「じゃあトウリちゃん、そこの土嚢の隙間に銃を挟んでくれ」

「こう、ですか」

「そうだ、そんでもう一個上に土嚢を積んで……」

 

 グレー先輩の処置を終えた後、自分は先輩の指示通りに銃の固定に取り掛かりました。

 

 彼はもう、両手で銃を撃つことができません。ロドリー君は新米なりに、頑張って土嚢に籠って警戒中です。

 

 なので、敵の来そうな方向に銃を固定する仕事は自分に割り振られたのです。

 

「ありがとう、これで上等だ。トウリちゃん、後は俺の後ろに隠れてな」

「よろしくお願いします、先輩」

 

 自分の拙い出来の、臨時固定銃口を見てグレー先輩は満足げに笑いました。

 

 うーん、こういうのも事前に習っておくべきでしたね。

 

 グレー先輩は上等と言ってくれましたが、自分が不器用だったからか形が歪で出来が悪いです。

 

「なぁグレー先輩、もう1個手榴弾ねぇの?」

「ねぇよ、有っても渡さねえよ。拠点防衛しろって言われたのに、何で攻撃する気なんだよ」

 

 土嚢に籠って敵を待っている間も、ロドリー君は殺る気マンマンでした。

 

 さっき爆殺した所じゃないですか。まだ満足してなかったのでしょうか。

 

「むぅ、じゃあ小隊長に全部殺されるなァ」

「どうして、貴方はそんなに殺意高いんですか? ロドリー君」

「んなもん、敵が憎いからに決まってンだろ。このチビ」

 

 ロドリー君は、自分の問いに目をギラつかせて答えました。

 

 敵が憎いから、ですか。

 

「おチビ。お前は、誰か大事な人をサバトの連中に殺されたことは無いのか?」

「……しいて言うなら、この前に戦友を」

「じゃ、それで十分だろ。敵を殺す理由としたら」

 

 敵を殺す理由。

 

 そんなこと、考えたこともありませんでした。

 

 何せ自分は衛生兵ですので、直接誰かを殺すような事はありません。

 

 しかし、

 

「敵を殺す理由くらい持っとかねぇと、いざって時に躊躇って自分が命を落とすことになるぞ」

「へぇ。ロドリー、新米の癖に知ったような口を利くじゃねぇか」

「前の小隊の時に、分隊長に言われた言葉だ。グレーさん、アンタより階級も上のベテランの言葉だ」

「成程ねぇ」

 

 敵の命を奪わないといけない彼ら歩兵にとっては、『殺す理由』というモノは凄く重要なのでしょう。

 

「そこで怪我塗れで瀕死になってる誰かより、余程頼りになるセンパイだったゼ」

「やれやれ、本当に可愛くねぇヤツだ」

 

 ロドリー君の憎まれ口を、グレー先輩は苦笑して聞き流しました。

 

 いざという時。例えば目の前に敵がいて、自分だけがその敵を殺せる状態に居た時。

 

 果たして自分は、迷わずその敵を殺せるでしょうか。

 

「……」

「ま、でもトウリちゃんにソイツは必要ねーよ」

「えー。衛生兵だって、ちゃんと殺意を持っとくべきだろ」

 

 サルサ君は、敵の投げた手榴弾で死にました。

 

 それはとても悲しい出来事でしたし、今でもたまにサルサ君の死に顔は夢に見ます。

 

 自分だって何度も殺されかけました。敵に、明確な殺意を持って剣を振り下ろされたこともありました。

 

「……自分は」

 

 ですが、どうしてでしょう。自分はあまり、敵の兵士に対して強い憎しみを感じません。

 

 敵を恨むより、味方の死を悲しむ事の方が多いです。

 

 いえ、何なら……。大量に死んでいく敵の兵士にすら、悲しみを感じてしまうこともあります。

 

「自分は、そういうのは……。苦手、です」

「はァ。弱虫ヘタレ」

 

 ゲームの経験で、自分は優秀な兵士になると勘違いをしていましたが……。

 

 どうやら前世の価値観ゆえか、自分は人を殺すことに強い忌避感を抱いてしまっているようです。

 

 いえ、きっと自分は元より兵士向きの性格をしていなかったのでしょう。

 

 そう思い至って凹んでいると、グレー先輩は突然に自分の頭を撫でてくれました。

 

「なぁロドリー。どういう連中が衛生兵になるか、知ってるか」

「あん? 知らネっすけど」

「回復魔法の適性ってのは、『他人を害する気持ち』より『他人を思う気持ち』が強くないと発現しねーらしいんだ」

 

 俗説だけどな、とグレー先輩は笑って、話を続けました。

 

「トウリちゃんは、きっと性格的に誰かを憎むのが苦手なのさ」

「それ、は……」

「そんなヤツに殺しさせる覚悟なんざ要らねぇよ。俺ら野蛮人が、守ってやればいい」

 

 性格的に人を憎むのが苦手。

 

 そんなグレー先輩の言葉は、どこか腑に落ちてしまう所がありました。

 

 そうです。自分は誰かを、憎むのが苦手なのです。

 

 非常に暴力的で理不尽も多いガーバック小隊長や、自分の寝込みを襲ったナリドメ2等兵。

 

 彼らに対してすら、自分はあまり憎しみを感じていません。

 

 ……恐怖を感じては、いますけど。

 

「ケッ、ようは臆病モンじゃねぇか」

「……ええ、そうですね。自分は、とても臆病です」

「ちっ」

 

 自分はとても怖がりです。それは、この戦場に来て重々に自覚しました。

 

 傷つくのが怖いから、他人と深く関わろうとしなかったり。

 

 殴られるのが怖いから、ガーバック小隊長に逆らおうとしなくなったり。

 

「そんなにビビりなら病院に籠ってろってんだ。前線に出てくんな」

「オイオイ、恐怖を押し殺してこんなとこまで治療しについてきてくれるトウリちゃんに何てことを。見捨てられるぞ、お前」

「は、戦場で死ぬなら本望。一人でも多く、道連れにして死んでやる」

 

 そんな自分だから、きっと彼は毛嫌いしているんでしょう。

 

 自分は、死ぬのが怖いです。彼のように、死んで本望なんてとても言い切れません。

 

 ですが。ロドリー君の様な人こそ、歩兵として素質十分なのかもしれません。

 

「死ぬなら本望、ね」

 

 そんな強気なロドリー君の言葉を、グレー先輩は憐れむように、そして微笑ましいものを見るかのように見つめていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「戻ったぞ」

 

 まもなくして。

 

 ガーバック小隊長殿は、険しい顔をしたまま自分たちの拠点に戻ってきました。

 

「周囲の拠点を制圧した。後は、味方部隊の前進を待つのみだ」

「お疲れ様です」

「それと腹を撃たれた。トウリ、治療しろ」

 

 ガーバック小隊長はそう言うと、即座に装備を下して上半身裸になりました。

 

 ……それは無数の古い銃傷や、切り傷が刻まれた筋骨隆々の肉体でした。

 

 彼の右上腹には赤黒い血種が出来ていて、ダクダクと血流が零れ出ています。

 

「……。って、致命傷じゃないですか!」

「ああ、早く治せ」

 

 腹を撃たれたと言うから見れば、それは肝臓部でした。

 

 触ってみた感じ、波動を触れます。肝臓は間違いなく破裂しています。

 

 なんでそんな体で歩けるんですか、この人。

 

「き、緊急手術が必要です。まだ習ってない技術を見よう見まねでやるので、失敗して死んでも化けて出ないでください」

「御託はいらん、失敗するな」

 

 これは、集中治療が要るレベルの大けがです。どれだけ無茶をしたんでしょうか、この人。

 

 悩んでいる暇はありません。放っておいたら、小隊長殿は殉職してしまいます。

 

 注射薬で麻酔を効かせた後、自分は主任のやっていた処置を思い出しながら小隊長殿の腹を掻っ捌きました。

 

「ひ、ひぃぃ……」

「敵が戻ってくるかもしれん、5分以内に処置しろ」

「出来る訳が無いでしょう!?」

 

 血が、滝のように溢れてきます。慌てて傷口を焼きつつ、自棄くそで自分は小隊長の腹に手を突っ込みました。

 

 手術器具なんて持ってきてないので、自分は清潔な手袋を嵌めた手で無理やり肝臓内に残っていた銃弾を掴みだします。

 

 ついでに、腹の中の出血の激しすぎる血管を焼いていきます。

 

 ……今日ほど、自分が小柄であることを感謝したことはありません。この手の小ささが、上手く手術を進めてくれました。

 

 壊れた肝臓のうち、壊死してそうな部位は取り出して繋がりそうな部分は縫合し、強引にくっつけます。

 

 最後に臨時助手のロドリー君に、生理食塩水を腹の中にぶっかけてもらって洗浄しました。

 

 表面の麻酔しか出来ていないので、ガーバック小隊長には想像を絶する激痛が走っていると思われますが……。

 

「あの……」

「俺の顔色を伺う暇があれば、早くしろ」

 

 こんなエグいことをされて、眉一つ動かさず平然と自分を睨みつける小隊長殿が怖すぎます。

 

 小隊長の顔色が変わらなさ過ぎて、今の出血量とかバイタルサインとかが全く分かりません。

 

 むしろ今は、体調を表情に出してください。お願いですから。

 

「……ふぅ、これで最低限の処置は終えました。後は……【癒】」

「終わりか」

 

 自分はかなり荒っぽく破裂していた肝臓の形を修復し、銃弾を取り出して出血を止めることに成功しました。

 

 後は、うまく回復魔法が作用してくれることを祈るのみです。

 

 こんな超難易度の手術を、素人に毛が生えただけの自分が素手でやってよかったのでしょうか。

 

 スピード重視で突貫工事したため、色々やり残した個所も多いと思います。

 

「終わり……と、思います」

「ふん」

 

 ────【癒】で無理矢理に止血したのも、本当にアレで良かったのか自信がありません。

 

 そもそも、こんな最前線で手術した症例なんて自分が初めてではないでしょうか。

 

「もう起きてもいいんだな」

「いえ、小隊長殿の重症度ですと、いかなる処置をしたとしても絶対安静なんですが」

「ふん、確かに楽になっている。これなら先に進めるな」

「絶対安静なんですが」

 

 ヤダこの人、まったく人の話を聞いてくれません。

 

 まだ進む気でいるんですか、小隊長殿。もうグレー先輩も動けませんし、ここで満足しましょうよ。

 

「小隊長殿。これ以上の前進は、小隊長殿の容態的に困難と愚考します。自分は、本地点の確保をもって戦闘終了を提案します」

「却下だ、この機を逃すわけにはいかん。本日の攻勢は数年ぶりの好機だ」

 

 ここで戦闘終了を提案しましたが、小隊長殿は受け入れてくれませんでした。

 

 最前線で手術してまで、先に進みたい理由とは何でしょうか。

 

「小隊長殿。好機とは、どういう意味でしょう」

「ふん。トウリ、この戦争の決着をつけるにはどうすればいい?」

「……それは、敵の首都の制圧かと思います」

「んなもん無理だ、現実的じゃねぇ」

 

 ガーバック小隊長は、ギロリと自分を睨みました。

 

「トウリ、敵陣地の後方には何がある」

「後方、ですか。おそらく敵の治療施設や、食料・武器の備蓄設備などがあると推測されます」

「ああ。それを今日、叩く」

 

 そしてガーバック小隊長は、自分の胸元から小さな瓶を取り出しました。

 

 酒でしょうか。取り出したそれを、ガーバックは無言でグビグビ飲み始めました。

 

 手術直後に、飲酒は……。それも、肝臓破裂した直後なんですけど。

 

「兵士とて、人だ。飯がなく、手当てもされずとなれば戦えない」

「……」

「貴様が日々安全だと思って過ごしている野戦病院こそ、我々前線兵士にとって最大の攻撃目標なのだ」

 

 止める間もなく小隊長殿は酒を一気飲みし、空きビンをその辺に投げ捨てました。

 

「非戦闘員であろうと、容赦なく殺すという事でしょうか」

「そうしないと、決着がつかん」

「その好機が、今日だと?」

「ここ数日の連続攻勢で、敵が激しく消耗している。ここ数年で、もっとも防備が薄い状態らしい」

「……」

「今日、戦線を突破出来なければ次のチャンスはいつ来るか分からん。だから、今日は行ける所まで行く」

 

 ガーバック小隊長は、そう言って土嚢の上に腰かけました。

 

 そして祈る様に空を見上げ、

 

「隣接拠点の制圧まではやった、後は友軍さえ俺達に追いついてくれば」

 

 と呟きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後は、ひたすらに待つだけでした。

 

「……また、敵の気配がする。隣を見てくる」

「お気をつけて」

 

 自分は魔力が尽きたので、この場において完全に役立たずです。

 

「トウリちゃん、ちょっと体を起こしてくれ」

「はい、先輩」

「サンキュー」

 

 一人で撤退するのは危険すぎますし、かといって武器がないので警戒も無意味です。

 

 なので自分は、腕や足の動かないグレー先輩の介助役になり下がりました。

 

「まだ、友軍は前進してこないのでしょうか」

「……どうだろうな」

 

 ガーバック小隊長は、あの重傷の体で時折隣接拠点に足を運び、敵を切り殺し戻ってきました。

 

 そして自分とグレー先輩の正面の土嚢に、無言で座ります。

 

「指令だ、しばし待て」

「はい」

 

 我々が拠点を制圧し、15分ほど経過してからでしょうか。

 

 小隊長の持つ通信用の魔道具に、連絡が入りました。

 

 

 

「……そうか、了解だ」

「あの、小隊長殿?」

 

 

 

 その指令を受けた後。

 

 ガーバック小隊長殿は、大きく嘆息して空を見上げました。

 

 

「撤退だ。本拠点は、破棄する」

 

 

 どうやら、友軍は……。第3防衛ラインの突破に、失敗した様子でした。

 

「破棄、ですか……」

「まもなく、この拠点に敵が再侵攻してくるだろう。荷物まとめろ」

 

 ガーバック小隊長は、悔しそうに拳を震わせています。

 

 これだけの、必死の思いで確保した拠点を放棄しなければならないなんて。

 

 そう思うと自分も、かなりの虚無感に苛まれました。

 

「……ガーバック小隊長」

「何だロドリー」

「この人、どうするんです」

 

 ロドリー君が、小隊長殿の命令を聞いて質問をしました。

 

 この人、とは即ち足を失って倒れこんでいる……

 

「ふん。グレー、分かってるな」

「ええ、分かってますよ小隊長殿」

 

 グレー先輩の事です。

 

 そうです、誰が彼を背負うのでしょうか。

 

 順当にいけばロドリー君ですが、新米である彼の体力的に20mも走れるでしょうか。

 

 

 

「こいつは殿だ。ここに放置する」

 

 

 

 ガーバック小隊長は、足を失った先輩を一瞥し。

 

「俺たちが撤退する間、背後を絶対に取らせるな。死ぬ気でここを守って死ね」

 

 グレー先輩に、そう言い捨てたのでした。



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19話

 人間は死を目の前にして、どんな感情を抱くものなのでしょうか。

 

 ガーバック小隊長は、躊躇う事なくグレー先輩に命令を下しました。

 

 ここで死ね、と。

 

「了解です、小隊長殿」

 

 先輩は当然のように、小隊長殿へそう返答しました。

 

 自分はその時のグレー先輩の顔を、一生忘れることはないでしょう。

 

 ……彼は、泣いていました。

 

 グレー先輩は、まっすぐ前を向いてガーバック小隊長に敬礼し、笑いながら泣いていました。

 

「よし、トウリ、ロドリー、ついてこい」

「えっ、あ……っ!」

「俺達が撤退してる瞬間を、敵は逃すまい。なるべく近隣の拠点が交戦してるタイミングで出る、俺の号令と共に走れ」

 

 小隊長は自分達を、塹壕の後壁に手招きしました。

 

 自分が死を命じたグレー先輩の方を、一瞥すらしません。

 

「……ん、はやく行きなトウリちゃん」

「先、輩……」

 

 ……自分は、その残酷な命令をされたグレー先輩を呆然と見つめていました。

 

 彼は静かに、自分が固定した銃口の前に胡坐をかいて銃を握っています。

 

 もしかしたらこの時、自分も泣いてしまっていたかも知れません。

 

「……ああそうだ、小隊長。俺の荷物の中に、家族に宛てた書きかけの手紙があるんですよ」

「そうか」

「パシるようで申し訳ないんですが、俺の死亡通知と一緒に貼り付けといて貰って良いです?」

「分かった」

 

 ですがグレー先輩は涙をこぼしてはいたものの、決してそれを態度に出すことは有りませんでした。

 

「そんで最後に。今まで、ありがとうございました小隊長」

「ん」

 

 彼はいつも通りに飄々と振る舞っていました。

 

 きっと自分達新米が動揺しないように、敢えてそうしていたのでしょう。

 

「……なぁ、ガーバック小隊長」

「どうした、ロドリー」

「俺、まだ体力に余裕あるスよ」

 

 

 そんな、グレー先輩を暫く見つめた後。

 

 自分と同じ新米(ロドリー)が、ボソリとそう言い出しました。

 

「俺専用の背中の肉壁として、グレー先輩運んでいっちゃダメですかね」

「駄目だ」

「……どうしてッスか」

「さすれば、貴様の死亡率が上がるからだ」

 

 自分にはロドリー君のその提案は、凄く意外に思いました。

 

 彼の提案は、明らかにグレー先輩を助けようとする趣旨のものです。

 

 まだ体力がない彼が、強がってまでグレー先輩を背負おうと言い出すなんて。

 

「……んな事ねっスけど」

「却下だ」

「……」

 

 にべもなく提案を却下されたロドリーは、不満げな顔で小隊長を睨み付けました。 

 

 その表情からは、悔しさすら滲んでいたように思えます。

 

「グレーを助けて何になる、足を失ったコイツはもう戦えない」

「……」

 

 ……自分はあまり塹壕掘りに参加して無かったので知りませんでしたが、もしかしてロドリー君はグレー先輩と仲が良かったのでしょうか。

 

 多少無理をしてでも、助けたいと思うくらいには。

 

「俺の事はもう良いよ、ロドリー。そのへんにしとけ、帰ってから殴られるぞ」

「……ふん」

 

 最後にはグレー先輩本人に諭され、ロドリーはそっぽを向いてしまいました。

 

 もしかしたら、彼も泣いていたのかもしれません。

 

「ああそうだ、ロドリー。最期に、1つ助言しとく」

「……何スか」

「全方位への暴言、やめといた方が良いぜソレ」

 

 小隊長が静かに脱出の機をうかがっている間に、グレー先輩はロドリーに語り掛けました。

 

 それはいつものように、優しく温かい先輩の顔でした。

 

「お前は俺とよく似てるよ、ロドリー。多分、考えてることも一緒だ」

「……」

「お前さ。前に所属してた部隊の連中とは、かなり仲良くしてたんだろ? 生き残りに聞いたぜ」

 

 そんなグレー先輩の話を聞いて、ロドリーの顔色が変わりました。

 

 ロドリー君と仲良くやれる部隊があったんですね。

 

 もしかして、前の部隊では憎まれ口を叩いてなかったのでしょうか?

 

「辛ぇよな、仲の良かったヤツが殺されんのは」

「……当たり前だ」

「殺してえほどに、敵が憎いよな」

「当たり前だ!!」

 

 ……壊滅した部隊の生き残りは、各小隊の欠員の補充として移動されることになります。

 

 ロドリー君がガーバック小隊に移動してきたということは、おそらく彼の元の所属部隊は……。

 

「だからだろ? 憎まれ口を叩いて、全方位に喧嘩売ってんのは」

「それは」

 

 グレー先輩は、そこまで言った後。

 

「どうせ死ぬなら誰とも仲良くならない方が、気が楽だって考えたんだろ?」

 

 やはり涙を溢していたロドリーの、頭を撫で始めました。

 

「でもお前にゃ、その生き方は無理だ。お前は優しすぎる」

「……」

「お前は配属されてからずっと、仲間の動向に気を配ってただろ。また仲間を失うことが、怖くて仕方ないんだろ」

 

 もういいんだ、それはお前の役目じゃない。

 

 そんな先輩の言葉を、ロドリー君は唇を噛みしめながら聞いていました。

 

「……まさか、ロドリー君は」

「そういうこと、感謝しとけよトウリちゃん。コイツはずっと暴言吐きながら、自分より非力なトウリちゃんを庇い続けてたんだ。そんな生き方してるヤツが、孤独に戦おうなんて破綻してるぜ」

 

 そう聞いて、思い至ることは沢山あります。ロドリー君は偶然だと言っていましたが、彼はもう2度も自分の窮地を救ってくれてました。

 

 それも、これ以上ないという絶妙なタイミングで。

 

「違う……」

「じゃあなんで、俺を背負って逃げようなんて言い出したんだよ」

 

 彼は、ロドリー君は、自分と同じだったんです。

 

 仲間に感情移入しすぎないよう冷たく振舞い、それでいて甘さを捨てきれなかった。

 

 自分が反射的にグレー先輩を背負ってしまったように、彼もきっと反射的に自分を助けに入ったのです。

 

 本当は誰からも嫌われて、一人でいたいのに。

 

 

「違う……、俺は……」

「もっと素直になれ、殻に籠るな。仲間の死を悲しんで、前に進む強さを持て。これ以上メンタルやられたら、死に直結するぜ」

 

 

 

 ……その、先輩の言葉が終わった直後。

 

 

「今だ、飛び出せ! 全力で走れぇぇぇ!!」

 

 

 ガーバック小隊長殿の、号令が咆哮されました。

 

 

 

 

 

 

 

 慌てて自分は、ロドリー君は、塹壕から這い出ます。

 

 そして、小隊長の形成した【盾】の中に入って駆けだしました。

 

「グレー先輩っ!! 俺はァ!!」

「話す暇があれば、足を動かせ間抜け!」

 

 自分はこの中で一番足が遅いです。

 

 なので無我夢中で足を動かし、1秒でも早く安全な前の塹壕へと向かい走ります。

 

 

「俺はもう……誰かに庇われたりすんのは、嫌だったんだァ!!」

 

 

 その言葉が終わるかどうか。

 

 グレー先輩の確保している塹壕から、けたたましい銃声が鳴り響きました。

 

 きっと我々が脱出したのを見計らい、敵が詰めてきたのでしょう。

 

 

 

「ウオオオオオオオオォォォォォォ!!!」

 

 

 

 背中から、雄たけびが聞こえます。

 

 それは優しくて、暖かくて、格好の良かったグレー先輩の粗暴な咆哮でした。

 

「オオ……オオオ、ォォォォォ!!」

 

 しかしその声は、数秒で掠れるように途切れ始めます。

 

「……ォ、……」

 

 やがて、何かの爆発音とともに途切れてしまいました。

 

 

 自分は疾走している小隊長殿の背中を見ながら、嗚咽をこぼし走っていました。

 

 今の声は、もう駄目です。血が肺に入った、末期の負傷兵の出す苦痛の声です。

 

 たとえ今からグレー先輩に駆け寄って、魔力全快で治療をしても助けることは難しいでしょう。

 

 

 グレー先輩は、小隊長殿の命令通りに時間を稼いでくれました。

 

 自分たちの命を守るため、彼を見捨てて逃げた自分たちのため、必死で応戦してくれました。

 

 彼が命を捨てて稼いでくれた時間は、ほんの数秒間です。

 

「あと、少し……」

 

 その数秒間で、自分達は大きく前進出来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分たちが、無事に後方の塹壕に飛び込めた後。

 

 どこか遠くで、悲痛な断末魔が聞こえてきました。

 

 

 

 

 

「マ、マァー!!」

 

 

 

 最後、微かに聞こえたグレー先輩の断末魔は。

 

 母親を、呼ぶ声でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「小隊長殿、グレー1等兵を捨て駒になさったのですか!」

 

 安全な塹壕まで撤退に成功した後。

 

 自分とロドリー君は、1時間ほど無言でその場にへたり込み続けていました。

 

「ああ」

「どうして此処のラインの確保で、戦闘を終了しなかったのですか。残存戦力で突破できる筈がなかったでしょう」

「出来たさ。俺が後、10人居たらな」

 

 塹壕を飛び出した時に撃たれたマリューさんは、既に死亡していました。

 

 これで、本日の死傷者は3名になります。

 

「あなたが進軍を思いとどまっていれば!!」

 

 一方で、自分が処置したヴェルディ伍長は無事の様子でした。

 

 彼は目を覚ますと、現在の状況を把握してガーバック軍曹に激怒していました。

 

「明らかに無謀な進軍です。指揮官としての資質を疑います」

「そうか」

「今回の件は報告させていただきます。前線指揮官は、無意味に猪突猛進すればいいというものではない!」

「好きにしろ」

 

 伍長は激しく、上官であるガーバックを叱責しました。

 

 自分は無言で、そんなヴェルディ伍長とガーバック小隊長のやり取りを聞いていました。

 

 いろんな感情がマヒしていて、彼らの口論に対し何の感情も抱くことができませんでした。

 

「すみません、私が被弾して意識を失ってさえいなければ……。ロドリー2等兵、トウリ2等衛生兵、貴方達は怪我はありませんか」

「……ええ」

 

 やがて小隊長殿にそっぽを向くと、ヴェルディ伍長は自分たちに向かって謝りに来ました。

 

 彼は心底、申し訳なさそうな顔をしていました。

 

「お二方にも、詳しい状況などを聞きたいのですが」

「……分かり、ました」

「小隊長殿の進軍号令時の被害状況や残存弾数。そして彼……、グレー1等兵は、最期にどのような言葉を仰っていたのか。よろしければお聞かせ願えますか」

「……」

「それも上に、報告するつもりですので」

 

 上官からの問いには、虚偽なく正確に報告せねばなりません。

 

 しかしその伍長の問いに、詳細に答えるだけの元気は自分にありませんでした。

 

 この時の自分は、半ば抜け殻のような状態でした。

 

 

「……格好良かった」

 

 

 そんなヴェルディ伍長の問いに答えたのは、ロドリー君でした。

 

「え? 恰好……?」

「グレー先輩は、格好良かった。ただそれだけだった」

 

 ロドリー君は、拳を握り締めて唇から血を垂らし、絞り出すような声でそう言いました。

 

 自分はここまで激しく泣く彼を見たのは、後にも先にもこの時だけでした。

 

「あの人は俺みたいに逃げなかった。誰かと仲良くなるといずれ傷つくって知ってるのに、逃げずに最期まで俺みたいなのを支えてくれたんだ」

「……ロドリー2等兵?」

「あの人は納得済みで逝った。ガーバック小隊長に『ありがとう』って言って、笑って逝ったんだ」

 

 そう零した後、ロドリーはいきなりヴェルディ伍長の胸ぐらをつかみ上げました。

 

 そのあまりの暴挙に、ヴェルディ伍長は目を白黒させています。

 

「間違っても、グレー先輩の名誉を傷つけるような報告はしないでくれよ伍長……っ! あの人がガーバック小隊長に無理矢理命令されたとか、不本意に死んでいったとか、そんな先輩の覚悟を侮辱するような報告はっ!!」

「お、落ち着いてください、ロドリー2等兵」

「俺は、俺はせめて、あの人の名誉だけは守りたいんだ。絶対に、守らなきゃなんねぇンだ!」

「どういうことです、君は何を」

「あの人はガーバック小隊長の命令を快諾し、俺やトウリの撤退を援護するため命を惜しまず戦った」

 

 上官に歯向かうような行動をとったのに、ヴェルディ伍長はロドリー君を叱るそぶりを見せませんでした。

 

 何故なら彼は、

 

「そんなの格好良いとしか、言えねェだろ……」

 

 ボロボロと、伍長に掴み掛りながら大粒の涙を隠そうともせず泣いていたからです。

 

 

「……自分も、同感ですロドリー君」

 

 

 そしてグレー先輩の言葉は、自分にも大きく刺さっていました。

 

 

 ────仲間の死を悲しんで、前に進む強さを持て。

 

 

 それはきっと、自分にも欠けていた大事な事でした。

 

 仲間の死を恐れるあまり、心を閉ざしてしまう。そんな新米兵士は、きっとたくさん居たのでしょう。

 

 しかし、そんな状態で部隊の連携を取れるはずがありません。

 

 背中を預けるに足る、信用出来る仲間ではない人間と一緒に戦って、勝てるはずもありません。

 

 

「だから、自分達は。グレー先輩の死を悲しんで、前に進まなければいけないのです」

 

 

 自分はそこまで言い終わると。

 

 激高しているロドリー君の腕を取り、伍長から引きはがしました。

 

「ですから、落ち着いてくださいロドリー君。貴方の敵は伍長ではありません」

「……チッ」

「ヴェルディ伍長も、迷惑をおかけしました。彼はきっと、少し疲れているのです」

「……」

「かくいう自分も、相応に消耗しております。報告は、少し待っていただけないでしょうか」

「え、ええ。その様ですね」

 

 このままロドリー君が揉め事を起こしたら、また小隊長殿に折檻されるでしょう。

 

 大事な恩人を、そんな事にさせたくありません。なので自分は、ロドリー君とヴェルディ伍長の間に入って仲裁を行いました。

 

 

「それと、ロドリー君」

「ンだよ、もう分かったっつの」

 

 

 そして、そのまま彼の手を取って。

 

「今日、危ない所を助けていただいてありがとうございました。貴方も、格好良かったですよ」

「……っ!」

 

 何も隠さず、ただ真っすぐ、心からのお礼を述べたのでした。



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20話

 今回の侵攻戦の、結果報告になります。

 

 我々の突撃作戦は、大成功に終わりました。

 

 敵の防衛が薄かったからか、被害状況も大したことはありません。

 

 多くの部隊が壊滅する事なく、50m以上の前進に成功しました。

 

 

 前線兵士は歓喜に沸き、戦友と肩を組んで勝利の歌を口ずさんでいます。

 

 河岸まで戦線を押し返す日も近い、と戦意を高ぶらせていました。

 

 また戦勝の祝いとして、各兵士にちょっとしたお菓子が配られもしました。

 

 攻勢の成功と久々の嗜好品に、歩兵達の士気は高まっていました。

 

 

 しかし浮かれた空気になるのも、無理はないでしょう。

 

 結果だけ見れば、敵の猛攻を耐えに耐え、兵力を消耗させつつ、少ない被害で距離を取り戻した形です。

 

 文句のない戦術的勝利ですし、大本営もその様に民衆へ発表したそうです。

 

「……」

 

 しかし、その熱狂の中で。

 

 ごく一部の者は、その様を見て悔しげに拳を握り締めていました。

 

 昨日の戦果を敗北と捉えている軍人も、僅かながら居たのです。 

 

 

 

 

 

 

 

「ロドリー君」

「んだよ、おチビ」

 

 突撃作戦に成功した日の夜は、数少ない突撃兵にとっての休暇となります。

 

 この日の夜も例に漏れず、小隊長から休養が言い渡されました。

 

「今夜から、隣で寝ていいですか」

「はぁ!?」

「強姦対策です。今まではグレー先輩にお願いしてましたが」

「……ああ。そゆこと」

 

 しかし前回の休暇とは違い、ガーバック小隊長は宴会を開きませんでした。

 

 何故なら彼は、肝臓が破裂していたからです。アルコールとか論外です。死ぬ可能性もあります。

 

 なので自分は小隊長殿の健康を考え、速やかに病院へ行くよう進言しました。

 

 小隊長自身も今日は宴会する気分じゃなかったようで、自分の進言を聞き「ふん、そうか」と素直に病院まで歩いていきました。

 

 何で歩けるんですかね、あの人。

 

「構わんが、今夜は居ないぞ」

「……はあ」

「アレン先輩に、誘ってもらったんだ」

 

 そう言うとロドリー君は少し気まずそうに、自分から顔を逸らしました。

 

 ベテラン偵察兵のアレンさんは、今回は序盤で負傷撤退していたので、既に治療を終えていたみたいです。

 

 ……命に別状がなくて良かったです。

 

「ちゃんと、そう言うのに付き合うようにしたんですね」

「グレー先輩を見習ってな。俺だっていつまでも子供じゃねぇ」

 

 ロドリー君は憑き物の落ちたような顔で、そう言いました。

 

 今の彼からは、もう逃げないという決意を感じます。

 

 彼は今日で、人としても兵士としても大きく成長した様です。

 

「で、何処に誘われたんですか?」

「……まぁ、ちょっとな」

 

 ただ、自分に誘われた内容を濁してる辺り、そう言う場所に行くつもりなのでしょうけど。

 

「ああ、そうだ。ロドリー君、そういう場所にいくなら良い口説き文句がありますよ」

「おい、行き先知ってたのかよ」

「これは以前、とある素敵な方に口説かれた際の言葉なんですが」

 

 ……懐かしいです。

 

 そういえばサルサ君も侵攻の後に、先輩に誘われてそう言う場所に行ってましたね。

 

「良い女ってのは、良い男を本能的に見分けるもんさ。つまり君は、良い女って事だ」

「……何だ? その歯の浮くようなチャラい台詞」

「良い文句だと思いますよ。この言葉をさらりと言えるように、精進してください」

「意外だなぁ。お前、そういうキザ男が好きなんだな」

 

 怪訝そうな目で自分を見つめるロドリーに、自分は微笑みを返しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が落ちる頃。

 

 既に男性兵士たちは、みな何処かへ出払っていってしまいました。

 

 塹壕にはポツリ、と自分一人残されています。

 

 

「……」

 

 

 今日の前線は、戦勝で明るいムードでした。

 

 この空気は、前の戦勝会の時も味わいました。

 

 

「人が死んでいるのに、あんなに楽しそうに笑えるんですね……」

 

 

 今更ながら、自分はこの環境がいかに狂っているかを実感しました。

 

 無論、無傷で進軍に成功した部隊だってあったでしょうけど、そんなのは珍しい例です。

 

 今回の突撃でも、殆どの小隊で誰かしら犠牲者が出たでしょう。

 

「……」

 

 もう皆、戦友の死なんかには慣れきってしまったのでしょうか。

 

 それとも、悲しいのを隠して明るく振る舞っているだけなのでしょうか。

 

 ……だとすれは、戦勝の時の宴会というのは戦友の死を乗り越えるための儀式なのかもしれません。

 

 

「……先輩」

 

 

 自分はまだ、グレー先輩が死んでしまった事を吹っ切れてなどいませんでした。

 

 彼がとても格好よくて勇敢だったことを知る人は殆ど居ません。

 

 我が軍で彼の最期を知っているのは、小隊長殿と自分とロドリー君だけです。

 

 

「…………先輩」

 

 

 兵士にとって、死は救いでありゴールでもある。

 

 グレー先輩自身が言っていたこの言葉に、すがることが出来ればどれほど楽になるでしょう。

 

 自分にはまだ、グレー先輩が殺されて幸せ者だと思うことが出来ません。

 

「……」

 

 だから、1人で静かに悼みましょう。

 

 そして明日からは、彼の死を受け入れて乗り越えるのです。

 

 先輩は、あまりに多くのモノを自分にくれました。

 

 自分が辛い時には優しい声をかけてくれて、危ない時には助けてくれて、最期にロドリー君の心も開いてくれました。

 

 彼の死を、そうですかとあっさり乗りきることは出来ません。

 

 むしろ、したくありません。

 

 なので今日だけは、悲しむことを許してください。

 

 

「……」

 

 

 自分は誰もいない塹壕で、ロドリー君の荷物付近の小さな溝に体を預け、そのまま眠り始めました。

 

 今なら、良いでしょう。誰も、見ていないので。

 

 そのまま自分は、声を押し殺してひとしきり泣いた後、顔を拭って目を閉じました。

 

 泣き痕がついていたら、ロドリー君にからかわれてしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 兵士は、常に死と隣り合わせです。

 

 戦場(ここ)で過ごしていると、人の命というモノがどんどん軽くなってくる気がします。

 

 自分はどうして敵と戦い、殺しあわないといけないのでしょうか。

 

 

 その理由は、きっと遠い昔の国同士の恨み辛みで。

 

 そんな『憎悪』は戦えば戦うほど、きっと強まっていくのでしょう。

 

 

 このまま陣取りゲームをし続けることに、上層部の方々はどのような意味を思い描いているのでしょうか。

 

 何か現状を打ち破るような新兵器を、こっそり開発していたりするのでしょうか。

 

 それとも、ガーバック小隊長の仰っていた通り……。敵陣地を突破して後方を叩けない限り、ずっとこのままなのでしょうか。

 

「……ふぅ」

 

 いち兵卒である自分には、その答えを得る術がありません。

 

 この戦争が終わるまでに、自分は戦友を失い、何回泣けば良いのでしょう。

 

 いえ何回、無事に生き残れて泣くことが出来るのでしょう。

 

 そしていつか自分が死ぬ番になった時。

 

 自分は、どんな断末魔を上げるのでしょうか。

 

 

 

 

 

 そんな、答えの出ない問答を頭の中で繰り返し続けている間に。

 

「……すぅ、すぅ」

 

 何時の間にやら、自分は深い眠りに落ちていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 時刻は、深夜。

 

「……あの糞ったれども、2度と信用しねぇ……」

 

 昨晩は病院勤務でしたのであまり寝ておらず、そのまま今日の出撃となったこともあり、この日も自分は疲れて深めの眠りについていました。

 

 グレー先輩の死で、精神的にもかなり消耗していたのでしょう。

 

 そのせいでこの晩、自分は少し周囲に鈍くなっていたようです。

 

「何が天国、だ。あんなおぞましい場所は初めてだァ」

 

 そして後から話を聞いたのですが、どうやら新米兵士を夜の町に誘って、裸で男色部屋に突撃させるのはガーバック小隊の伝統の様でした。

 

 『誰がそんな阿呆な伝統を作ったのですか』と聞いたら、とても尊敬できるチャラい先輩の名前が出てきました。

 

 ロドリー君も例に漏れず、アレンさんの悪ふざけですっ裸のまま男色小屋に突撃させられたそうです。

 

 

「げっ。おチビのヤツ、俺のリュック抱いてやがる……」

 

 

 そこで為すすべなく蹂躙されたサルサ君とは違い、ロドリー君は必死の抵抗を試みたそうです。

 

 そして何とか活路を切り開いた彼は、脱いだ服すら回収せず、そのまま男小屋から脱出して逃げ帰ってきたのだとか。

 

 

「……、起きんなよ……」

 

 

 とまぁ、これが悲しい事故の原因となりました。

 

 自分の寝相はあまり良くなく、近くにあるものを抱き寄せてしまう癖があったのも(あだ)となったのでしょう。

 

 彼の荷物は自分の腕の中で、抱き枕になっていた様でして。

 

 

 

 

「……ぅ?」

「あっ」

 

 

 

 

 ロドリー君が自らのリュックから替えの服を取り出そうと、自分の腕を掴んだ瞬間。

 

 ようやく、自分は目を覚ましたのでした。

 

 

「……」

「……」

 

 

 まったく事情が分からなければ、この場面はどう映るでしょうか。

 

 客観的に、状況だけ描写しますと。

 

 深夜に全裸のロドリー君が、熟睡している自分に股がって腕を掴んでいる形です。

 

 

「…………」

「待て、違うぞおチビ」

 

 

 自分は無言のまま、ロドリー君を睨み付けました。

 

 周囲が真っ暗で幸いでした。

 

 そのお陰で、ロドリー君のブツをはっきり見ずに済んだのですから。

 

「……………………」

「誤解だからまず落ち着け。そして、手に持った荷物を離せ」

「…………………………………………」

「説明する、ちゃんと話すからまずは冷静に」

 

 ロドリー君はこの時『冷静に』と連呼していましたが、テンパっていたのはむしろ彼の方でしょう。

 

 この時の自分は、実は冷静でした。

 

 ロドリー君もかなり若いし、性欲とかもて余してたんだろうなとか。

 

 自分みたいな未発育女性が趣味だったのかなとか、様々な誤解をしてはいたのですが。

 

 まずは話を聞いてみよう、くらいの気持ちでは居たのです。

 

 問題は、

 

 

「何をしてるんですか、ロドリー2等兵……?」

「げ、ヴェルディ伍長!?」

 

 

 その時タイミング良いのか悪いのか、ヴェルディ伍長が目を覚まし、様子を見に来ていた事でした。

 

「…………はぁ。君は、ナリドメ君の1件を覚えていますか」

「待って、誤解だから、弁明させてくれェ」

「若い情熱をもて余すのは仕方ありませんが、戦友にそのような獣欲を向けるのはどうかと思いますよ」

「あ、いや、違」

 

 なぜヴェルディ伍長だけ此処にいたのかと言えば、彼は夕方からはずっと、上層部のテントでガーバック小隊長の件の報告をしていたからだそうです。

 

 それで疲れてしまったので、買春を行わずこの塹壕に戻ってきて寝ていたとの話でした。

 

「……その。自分としてはロドリー君に命を救われた恩もありますし、不本意ではありますが、軍規に抵触しない程度で協力を求められるのであれば……」

「違うっつってんだろおチビ! いやこれは、だからな!?」

「良いから服を着てくださいロドリー2等兵。くわしく事情を聴取します」

「服が着たいんだよ俺もォ!」

 

 そして、この後しばらくヴェルディ伍長によるお説教が始まったそうです。

 

 自分は眠気が勝ったので、伍長に断って再度スヤスヤ寝入りました。

 

 結局、彼の弁明により誤解はすぐ解けた様です。

 

 戻ってきたアレンさんの証言と、再度寝入った自分が彼のリュックを抱き抱えていた事から、ロドリー君の弁明が信用に足ると判断されたそうです。

 

 しかし、彼はしばらく小隊の先輩から『エロドリー』なる不名誉なあだ名で弄られるようになりました。

 

「……速やかに小隊に馴染めて良かったですね」

「……」

 

 勿論それは先輩らの冗談ですし、自分達に向かって話しかけてくるようになったロドリー君を可愛がっている形なのでしょう。

 

 これまで散々、先輩方に舐めた口を利いてきた彼への意趣返しの意味もあったのかもしれません。

 

 その結果、軍隊ってのは理不尽な組織だと、ロドリー君は自分にボヤくようになりました。

 

「大丈夫ですよ、自分はエロドリー君だなんて思っていませんから」

「うるせェ」

 

 そして、せっかく開きかけていたロドリー君の心は、再び固く閉ざされました。

 

 ロドリー君は存外に、真面目な性格のようです。



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21話

 色々なものを失った、侵攻戦の後。

 

「……お疲れ様。トウリちゃん、休憩(エッセン)入って良いわよ」

「ありがとうございます」

 

 数か月ほどの間、自分達ガーバック小隊は平和な日々を過ごしていました。

 

 

 

 不思議なことに、あの後から敵の攻勢はピタッと止みました。

 

 かといって敵が弱まったのかといえばそうではなく、強固に防備を固めて動かなくなってしまったのです。

 

 兵力で上回られた状況で守りを固められたせいで、我が軍も攻めあぐねてしまい、ここ数か月戦線は小競り合い程度しか起こらなくなっていました。

 

「ほんと、最近は平和ね。このまま終戦してくれないかしら」

「どっちにしろ、俺はもう兵役が終わります。終戦しようがしまいが、この地獄とはお別れです」

「羨ましいわ」

 

 ここ数か月は、本当に何も変わったことはありませんでした。

 

 しいて言うなら、ゲール衛生部長の兼ねてからの『自分を前線部隊から衛生部へ所属替えする』要望が棄却され、しばらく荒れたくらいでしょうか。

 

 ゲール部長に話を聞いたところ、どうやら自分がガーバック小隊長殿を救命したことで『エース部隊に衛生兵を所属させる価値はあるのではないか』という内容が上層部で議論され始めたようです。

 

 もしかして自分が悪いんですかね、コレ。

 

 

 噂で聞いたのですが、衛生兵の中で誰をガーバック小隊に所属させるかを決めたのは、ゲール衛生部長らしいです。

 

 そして自分を前線部隊に選んだ理由は、小柄で体力がなく、そして孤児だかららしいです。要は、使い潰されて死ぬ前提で自分を差し出していたようですね。

 

 自分みたいな新米は、すぐに死んでしまうことが予想されました。

 

 もし自分が速攻で戦死すれば、ゲールさんは『ほら、前線に衛生兵を出したから』とガーバック小隊長に言えるわけです。

 

 その噂が本当だとしたら、衛生部長って物凄く腹黒いのでは。

 

「ほら、この茶葉は町で買ってきてもらったの。トウリちゃんもどうぞ」

「ありがとうございます、ゲール衛生部長」

 

 しかし、噂は噂。自分の目の前にいるのは、いつも優しい美人なゲールさんです。

 

 あまり、気にしないようにしましょう。

 

「俺も貰っていいですか」

「ああ、主任。どうぞ」

 

 ここ数か月、野戦病院は平和そのもので、午後にティータイムを楽しむ余裕すらありました。

 

 入院者も片手で数えるほどしかいなくなり、来ても大体が外傷ではなく伝染病という有様です。

 

 今までの忙しすぎる日々から一転し、天国のような勤務状況でした。

 

 

 まあ、自分は小隊長にトレーニングを課されていたので結構忙しかったんですけども。

 

 

「見てくれ、トウリちゃん。娘の写真だ」

「おお、なんと。主任は結婚されていたのですか」

「ああ。あと2か月だけ頑張れば、俺は娘に会えるんだ」

 

 最後に会ったのは2歳のころだったか、パパの顔を忘れてはいないかな。

 

 そう言って、主任は珍しく上機嫌に自分に惚気ました。

 

「3年ぶりに会うんだ。帰る前に何か、良いモノを買って帰ってやらんとね。たしか近場の街に、人形の有名な店があったハズだ」

「ああ、自分も聞いたことがあります。マリオネット商店ですね」

「たんまり退職金をいただいて、娘に良いお人形を買って帰ってやろう。きっと喜んでくれる」

 

 今日で、自分がこの最前線に飛ばされてから、半年ほどになります。

 

 近頃の戦場は、不気味なほどに平和でした。

 

 

 その平和は自分達の戦闘区域だけではなく、全戦線にわたって戦闘が発生しなくなっていたようでした。

 

 我が軍の攻勢は何度か行われていたのですが、敵の固すぎる防備を前に被害が増えるだけであり、やがて行われなくなりました。

 

 あまりにも戦闘が減ったので、兵士たちの間では『もしかしたら両国間で、秘密裏に和平交渉が進んでいるのではないか』という憶測も飛び交っていました。

 

 自分は政治的な背景に詳しくなく、ただ『死人が少なくて嬉しいな』としか思っていませんでしたが、本当にそうならばどれほど良かったでしょうか。

 

 

 では実際のところ、なぜ突然に敵の攻勢がやんだのか。

 

 終戦後の資料によりますと、何と当時の敵将アレックス・エーフェルトは参謀本部に対しストライキを起こしていたそうです。

 

 

 お前ら政治家の都合を、これ以上軍部に押し付けるな。

 

 それが、敵司令官アレックスの主張でした。

 

 

 先の連続攻勢は、政治家主導の民衆を宥める為のパフォーマンスです。

 

 そのせいで彼は部下の無意味な犠牲を強いられた挙句、無理をした隙を突かれ敵に反攻されて、『あと一歩で防衛網が抜かれていた』という肝を冷やす事態に陥ったのです。

 

 これ以上参謀本部の無茶振りに付き合っていたら、祖国は滅ぶと判断したのでしょう。

 

 政治家のプロパガンダにうんざりしていた前線指揮官たちは皆アレックスの主張に賛同し、『兵士の補充をされない限り攻勢は行わない』と参謀本部に向けて宣言していたのだとか。

 

 そして参謀本部からの攻勢命令を一切拒否し、強固な防御陣を敷いたのです。

 

 

 

 この衝突は、敵首脳と前線兵士の戦況認識が大きく異なっていた事に起因します。

 

 当時の敵サバト連邦の政治家は『倍近い兵力差があるので、数で押せば勝てるだろう』と考えていたみたいです。

 

 

 この東西戦争以前は、銃火器なんて凶悪なものはなく、剣と魔法を用いて平原で白兵戦をやるのが主流でした。

 

 そんな時代の人からすれば、倍も兵力差があれば多少被害が出ようとゴリ押しすれば勝てると考えてしまったようです。

 

 

 しかし今の塹壕戦を知っている者からすれば『何をアホなことを』と言いたくなるでしょう。

 

 当たり前ですが塹壕越しに敵と戦えば、攻撃側に凄まじい被害が出ます。

 

 防衛側が殆ど無傷のまま、突撃部隊だけ壊滅させられるなんて事もざらに有ります。

 

 倍程度の戦力差なんて、攻勢の不利であっさり覆ってしまうのです。

 

 

 なので、アレックス指令は戦力差を利用して堅実に前進していく方針をずっと主張していたそうです。

 

 しかし、いつ民衆が反乱するか分からない情勢のなか必死で国を統治していた政治家達は、そんなのんびりしたアレックスの方針を受け入れませんでした。

 

 もうすぐ戦争は終わる、勝てば裕福な暮らしが待っている、そんな甘い言葉で民を慰撫するのも限界が来ていたのです。

 

 そして、ストライキ敢行から数か月。とうとうアレックスは更迭となり、代わりの司令官として参謀次長であったブルスタフ・ノーヴァという男が前線に送られることになりました。

 

 ブルスタフは参謀本部に忠実な男であり、かつ前線兵士にも顔が広いまさに『アレックスの代理に適役』な人間だったそうです。

 

 

 そんな、政府と前線の確執が広がっていく中。

 

 ブルスタフはとある奇想天外な論文に目をつけました。

 

 

 その論文著者の名は、シルフ・ノーヴァ。彼女はブルスタフの娘で、士官学校を首席で卒業した素晴らしい経歴の自慢の娘でありました。

 

 彼女はその論文で、とある作戦を実行するだけで1か月もかからずに、西部戦線を突破し戦争に勝利することができると主張したのです。

 

 勿論そんな夢物語のような論文を、誰も鵜呑みにはしていません。彼女の書いた論文は当たり前の様に棄却され、彼女の自室に転がっていました。

 

 

 ブルスタフがこの論文に目を付けたのには、理由があります。

 

 当時のサバト連邦の情勢は日々悪化しており、そんな中で軍部が攻勢ストライキを敢行したため、政府には全く余裕がなかったのです。

 

 そんな情勢なので、ブルスタフは参謀本部から『多少被害は出てもよいので、今年の内に決着させよ』という無茶振りを受けます。

 

 無理難題に頭を抱える中、ブルスタフは娘の論文を見つけて『アイデアの足しになるかな』と軽い気持ちで読んでみたのですが、やがて彼はその内容を真剣に検討し始めました。

 

 もしかしたらこの論文は、正鵠を射ているのではないか。そう思わせる何かが、彼女の主張にはあったのです。

 

 そして多少の修正を行い参謀総長に作戦内容を相談したところ、シルフの論文には穴がなく、成功の公算は十分にあると判断されました。

 

 

 

 そして、季節が秋に移り変わったころ。

 

 とうとう参謀本部は、ブルスタフ主導の下で弱冠15歳の少女の論文を軸にした作戦を敢行する決定を下します。

 

 論文の著者であるシルフも、参謀将校の一人として前線に出向くことになりました。

 

 そんな彼女の主張した、まともな軍人が見れば卒倒しそうな作戦の内容と言えば。

 

 

 

 

 

 ────この東西戦線全体での、同時侵攻作戦でした。

 

 

 

 

 そんな広い攻勢範囲ですと魔石も魔導師も足りないので、魔法攻撃はほんの一瞬の間だけしか出来ません。

 

 そして無傷に近い我が軍の防衛3ラインを、まったく戦力を集中させずに平べったく侵攻するという内容です。

 

 

 

 シルフ・ノーヴァはそうすることにより、敵は広すぎる攻撃範囲に対応しきれず、何処かの戦線が突破できればそこから風船に穴が開いたように敵は敗走すると主張したのです。

 

 

 塹壕側は、攻勢する側が不利です。

 

 ほとんど消耗していない防衛部隊に向かって、魔法の援護もなく突撃するなど愚の骨頂です。

 

 その作戦内容を聞いた前線の人間は皆、顔を真っ青にして参謀本部の決定に猛反対しました。

 

 そんな事をしたら18万人の兵士の死肉が戦線にならび、一気に首都まで占領されると涙ながらに訴えました。

 

 前線指揮官の一人に至っては、ブルスタフを諫めるためにその場で腹をかっさばいたと言います。

 

 しかし、作戦立案者のシルフはそんな指揮官たちの様子を見て、

 

 

「突破が不可能と思うのであれば、君達が今まで怠慢に戦っていただけである」

 

 

 と言って、前線指揮官たちを嘲笑したと言います。

 

 

 

 かくして、史上最悪の作戦が実行に移されることになったのですが、当時の自分はそんな事を知る由もなく『負傷者が少ない』事実に喜んでいただけでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その作戦は、突然に決行されました。

 

「……え?」

 

 季節は晴天、透き通るような雲ひとつない青空の下。

 

 新たな司令官ブルスタフの下で、そのシルフ立案の一斉攻勢作戦は、何の前触れもなく開始されました。

 

 

「魔法攻撃音……、珍しいですね」

「……。すみません、話の途中ですが」

「そうね、トウリちゃんは前線に向かって。その後、ガーバック小隊長の指示に従いなさい」

 

 

 今でも自分は、この日のことを鮮明に覚えています。

 

 この日も自分は、野戦病院の勤務から前線での防御の為に走っていくことになりました。

 

 病院からガーバック小隊の駐留している拠点まで、十数分。

 

 あまり遅れたら小隊長に怒鳴られるので、走って配置に向かいます。

 

 

 ……しかしこの日の攻勢は、明らかにおかしかったのです。

 

 何せ、

 

「え?」

 

 自分がガーバック小隊の拠点に到着する前より、敵が突撃を開始していたのですから。

 

「や、やばいです」

 

 いくらなんでも、突撃してくるのが早すぎます。

 

 ほとんど事前準備の魔法攻撃を行わず、突撃を仕掛けてくるなんて予想外にもほどがありました。

 

 この時の自分は、確かこう考えていました。

 

『そんな短時間で攻めてくれるのはありがたいですが、運が悪いことに敵が攻めてきている場所は真正面。流れ弾が届かないとも限らないので、慎重に移動せざるを得ません』

 

 本当は不運でも何でもなく、敵は殆ど全ての場所で攻勢をかけていたのですが、そんなことを知る由もありません。

 

 自分は念のため、正面の塹壕から距離を取りながら拠点を目指す事にいたしました。

 

 

 

 

 そんなにのんびりと移動している余裕なんて、無かったことに気付かずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「拒否する、断固として」

 

 若き『天才』シルフ・ノーヴァの立てた作戦に、反対する者は多かったそうです。

 

「我らは今回の作戦に従わず、いざという時は首都を守る最後の砦になろう」

 

 中でもサバト連邦の南方総指揮官であったエーヴェムという方は、断固としてシルフの作戦に反対し、下された攻撃命令を拒否してしまいました。

 

 そんな事をすれば、地獄絵図が広がるのが目に見えていたからです。

 

『軍法会議モノの規律違反である。敵前逃亡は、死刑である。ただちに命令を遵守せよ』

「私の命で多くの兵士が助かるのであれば、処刑されようと本望だ」

 

 命令を拒否したエーヴェムにはすぐ本部から怒涛の連絡が届き、いますぐにでも攻勢を開始するよう命令が下りましたが、彼はまったく従う様子を見せませんでした。

 

 業を煮やしたブルスタフは、直に攻勢の開始後にすぐエーヴェムと通信したそうです。

 

『本作戦は非常に成功する公算の高いモノである。その成功には広い範囲での攻勢が必要不可欠であり、貴殿のその命令無視のせいで全体が敗北する危険すらある』

「どこをどう解釈すれば、アレが成功の公算が高い作戦なんて寝言が生えてくるのかお聞かせ願いたい」

 

 エーヴェムの対応は、にべも無い態度でした。

 

 どう説得しようとも、彼は攻勢を開始するつもりなど全くなかったのです。

 

 エーヴェムは全戦線が壊滅したとしても、自分達だけでも生き残って故郷を守ると固く誓っていたそうです。

 

『そんなことも分らんのか、間抜け』

「は?」

 

 エーヴェムはしばし司令官のブルスタフと口論をしていると、やがて通信先から聞こえてきた声が少女のモノへと切り替わりました。

 

 それは冷酷で、生意気で、そしてはっきりとした知性を感じる不思議な声だったそうです。

 

 

『まず本作戦の肝は奇襲性にある。今までの慣習(・・)どおりであれば、数時間かけてたっぷり魔法で突撃予定地点を攻撃していたそうだが。……そんなもの、ただ『これからここを攻めますよ』という予告でしかないと思わんか』

「そうしないと、塹壕に潜んだ防衛部隊に返り討ちにあう。塹壕内の敵を殲滅してから攻撃するのが、塹壕戦の基本───」

『防衛部隊、そう防衛部隊だ。最前線の塹壕に潜んでいるのは、長い時間の攻撃魔法に耐えられるよう編成された、防御特化の部隊なのだ』

 

 

 少女の声は、嘲りと侮蔑の感情を載せていました。

 

 事実、シルフはエーヴェムという男を見下していたのでしょう。

 

 この時の彼女は15歳の少女であり、人生で最も多感で傲慢な時期でもあったのです。

 

 

『防衛部隊の反撃など、たかが知れている。敵の本気の抵抗は、第3防衛ラインからなのだろう?』

「……」

『だが、その第3防衛ラインを構成する部隊は、魔法攻撃で予告された場所にテクテク移動してくる遊撃部隊だ』

 

 

 だから情緒面では幼い部分も目立っていましたが、

 

 

『では、遊撃部隊をどう動かせばいいか判断できぬほどに、広範囲で攻勢をかけたらどうなると思う?』

 

 

 その戦略眼は、当時のどの参謀将校より抜きんでて高かったといえるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日。10年にわたって膠着していた西部戦線は、ついに決壊しました。

 

 それがどんなに堅実な作戦であっても、敵の行動を完全に把握できていれば、裏をかくことが出来ます。

 

「おチビ、何をしている! 早くこっちにこい、撃たれるぞ!」

「え? ロドリー君?」

 

 これまでの戦略は、一点突破戦術が主流でした。

 

 攻撃目標となる地点を設定し、その場所に戦力を集中させ、濃い密度の攻撃で敵陣突破を狙うのです。

 

 戦力を集中させることにより突破力を高め、敵陣を突破してから後方設備を脅かす。

 

 それはこの時代では最新の戦術であり、ガーバック小隊長自身もこの戦術をよく理解して戦っていたと思われます。

 

 

 一方で防御側は、後方に置いてある突撃部隊を敵の攻撃に合わせて移動させ、第3防衛ラインに使う戦術を採用していました。

 

 これは敵が攻めてくる場所がわかっていたからこそ、出来た戦略でした。

 

 長ければ半日近く、突撃準備として前線へ魔法攻撃が行われるのです。そんな時間があれば、かなりの兵数を動かすことができたでしょう。

 

 

「もう敵が目の前まで来ている! 塹壕に飛び込め!」

「は、はい!」

 

 

 だからこそ。ごく短時間の魔法攻撃の後の突撃は、素晴らしい奇襲性を発揮しました。

 

 後方の防衛網構築が間に合わないままに、敵が突撃してきたのです。前線兵が、浮足立つのも当然といえます。

 

 

 

 奇襲とはいえ、それなりにサバト側の被害は大きかったそうです。

 

 何せほぼ無傷の防衛部隊相手に突撃をかましたのですから、冷静な部隊が守っていた塹壕はあっさり撃退されました。

 

 しかし、最前線で持久力勝負をしていた疲労困憊の防御部隊が皆、冷静な対処が出来た訳ではなかったのです。

 

 

 まだ突撃してくるわけがないと高をくくってボっとしていた者、魔法攻撃を警戒しすぎてガチガチに防御魔法を展開し対応が遅れた者など、敵側からすればさまざまな付け入るスキがありました。

 

 そして防御部隊を抜いた先に、まだ第3防衛ラインは構築されていません。

 

 魔法攻撃開始から制圧が早すぎて、防衛ラインの構築が間に合わなかったのです。

 

 その結果、この広い戦線で数多の防衛網が突破されるという異常事態が発生してしまいました。

 

 

 

 やがて戦場に、地獄が広がります。

 

 それは戦闘ではなく、蹂躙でした。

 

 どんな優秀な部隊でも、四方を敵に囲まれれば為すすべなく壊滅してしまうでしょう。

 

 まるで狩人が獣を追い込んでいるかのように、一方的な暴力で味方が殺され始めたのです。

 

 

 それは、戦争の勝敗を決するに足る致命の一撃でした。

 

 攻撃命令を拒否した、エーヴェム指揮する南部戦線以外の全ての戦線で。

 

 両軍にとって積年の願望だった『敵陣突破』を、サバト連邦は成し遂げたのです。

 

 

「小隊長! 既にもう、敵部隊が後方に……」

「わかっている」

 

 

 敗戦。

 

 我が祖国オースティンは、敵の参謀シルフ・ノーヴァの立てた戦略の前に敗れさりました。

 

 今までの戦略目標通り、一点を突破されただけでは、まだリカバリーも効いたでしょう。

 

 万が一、突破される可能性を考えてオースティン首脳部も様々な備えをしていたそうです。

 

 

 しかし。全戦線で敵に突破されてしまっては、どうリカバリーをしろというのでしょうか。

 

 

「どこかに援護に行かなくていいんですか!」

「このままじゃ、取り残されて、囲まれてしまいます!」

「分かっている!」

 

 この日、全てが終わりました。

 

 自分がのんびりゲール衛生部長に渡された紅茶をすすっている間に、戦争の勝敗は決してしまっていたのです。

 

 

「───分かっているが、何の命令も来ないのだ」

 

 

 敵前逃亡は重罪です。

 

 ガーバック小隊長も、命令がなければ撤退を行えません。

 

「また敵が!!」

「迎え撃て! ここを通すな」

「ここ以外から、もう通っちゃってるんですって!」

「なら背後にも気を配れ」

 

 この時の味方の司令部は、完全に機能停止していたようです。

 

 どうやら、敵に突破された地点が凄まじい数になっていたようで。

 

 司令部ではひっきりなしに報告が飛び交って、どこにどう戦力を配置すればいいかなど判断が出来なかったのです。

 

「ですが、このままでは!」

「待て。……ああ、了解した」

 

 そんな中、自分たちの前線指揮官だったレンヴェル少佐だけは、咄嗟の判断で全部隊に命令を飛ばしました。

 

 

「撤退命令だ。下がるぞ」

「……っ! は、はい!!」

 

 

 作戦本部の許可を得ぬままに、彼の指揮する範囲の部隊全員に、持ち場を放棄しての撤退を許可したのです。

 

 普通ならあり得ない命令ですが、レンヴェル氏は目の前の状況から当戦線の敗戦を確信し、戦力保護のため独断で撤退を許可したのです。

 

 この判断のお陰で、結果的に多くの兵士が生き延びることに成功しました。

 

 しかし、まともな前線指揮官が指揮していた多くの戦線で、撤退命令は下されず。

 

 

 本作戦におけるオースティンの被害は、死者と行方不明者を合わせ1万人超、負傷者と捕虜は数万人という、全戦力の半分近くを失う凄まじい被害を受けてしまいました。

 

 政府は慌てて近隣諸国へ救援を求めるのですが、助けに来てくれる国家などありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今までの自分は、この東西戦線こそがこの世の地獄だと思い込んでいました。

 

 こんなにも軽く、容易く人の命が奪われていく事実に打ちのめされていました。

 

 

 しかし自分はまだ、本当の地獄なんてモノを経験していなかったと知ります。

 

 戦場で人が死ぬのは、当たり前です。本当の地獄は、戦場ですらない場所に築き上げられるのです。

 

 

 

 

 

 後の世では本作戦は『シルフ攻勢』と呼ばれ、今回の東西戦争における最大の戦功と評されています。

 

 この日、若き天才参謀のシルフ・ノーヴァによる画期的な作戦によって、サバト連邦が史上でも類を見ない大勝利を収めました。

 

 ブルスタフは手を打って喜び、エーヴェムは愕然として一言も話さなかったといいます。

 

 その後、エーヴェムはサバトの歴史的快勝と『私欲ではなく祖国のための行動であった』ことを理由に命令違反を恩赦されるのですが、責任を取って自ら軍を辞して野に下ったといいます。

 

 またこの功績によりシルフ・ノーヴァは高く評価され、参謀本部内で物凄い発言力を得るようになります。

 

 それがサバト連邦にとって、そして若きシルフにとっても、後の大きな不幸にもなるのですが……今は、置いておきましょう。

 

 

 

 

 

「……あ」

 

 ガーバック小隊長の背を追って、無我夢中で撤退し走る中。

 

 自分は野戦病院があった付近に、火の手が上がっているのに気が付きました。

 

 

 ゴウゴウと、優しかった人々が居た病院は、銃声と炸裂音に犯されていました。

 

 

 この時は野戦病院まで様子を見に行く余裕なんてありませんし、その後しばらく友軍と散り散りになったので、ついぞ自分は病院の被害状況を知ることはできませんでした。

 

 戦後あれこれ手を尽くして調べたのですが、結局自分はこの野戦病院の生き残りと再会することは出来ませんでした。

 

 おそらくは、ゲールさんも主任さんも、この日に命を落としてしまったと思われます。

 

 

 

 

「……っ!」

 

 

 

 こうして自分は、生温い戦場から本物の地獄へと叩き落されることになりました。

 

 この日を機に、加速度的に戦争の被害は増えていきます。

 

 そんな大きな歴史の転換点に立っていた自分は、まだ何も知りません。

 

 

 ただ、唸る歴史の奔流に、怯えることしか出来ないでいました。




1章終了です。
ストックがありませんので、2章開始まで少し投稿期間を開けさせてください。
出来るだけ早めに再開をいたします。


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2章 マシュデール撤退戦
22話


 その日、我々の戦争の概念は一変しました。

 

 何時降ってくるかわからない魔法攻撃に怯えながら塹壕で待ち構え、我慢比べをする現代戦。

 

 そんなものは児戯であったと、敵の参謀シルフ・ノーヴァに思い知らされた形です。

 

 

 振り返ってみれば、シルフ攻勢は間違いなく西部戦線における『戦争へ勝つための正答』でした。

 

 アレ以外に、戦線を突破しうる作戦は存在しなかったといえましょう。

 

 

 当時はまだ、銃火器というものが開発されたばかりの時代でした。その凶悪すぎる兵器の効率的な運用方法を、両国とも手探りで探っていた段階でした。

 

 お互いに銃の威力を理解し、恐れていたからこそ大胆な作戦に踏み切れなかったのです。

 

 

 だからこそ、彼女の戦略は深く刺さったのです。

 

 この若き連邦の天才シルフ・ノーヴァによる多点同時突破戦略は、これまでの塹壕戦の常識を大きく覆す革命的な作戦でした。

 

 当時主流であった一点突破戦術の真逆を行く発想は、これ以上ない奇襲性を発揮したのです。

 

 その結果、10年間という長すぎる時間、両軍を釘付けにしていた戦線をたった1日で突破してしまいました。

 

 

 よくも悪くも戦争の段階を大きく進めたこの作戦は、後に様々な改良を施され、戦後でも塹壕戦における定石の1つとして応用され続けることになります。

 

 それほど、当時からすれば画期的な戦略だったのです。

 

 

 

 そして我々ガーバック小隊は、シルフ攻勢の初日、かつてない窮地へと陥っていました。

 

「小隊長! 後方に、敵がっ……!!」

「……」

 

 戦闘開始から数時間、もう左右の友軍は壊滅しており、我々は完全に孤立していました。

 

 小隊長殿の超人じみた戦闘力に守られ何とか自分は生き残っていましたが、小隊内に負傷者や死者も出始めていました。

 

 前後左右を敵に侵された状況下では、どれだけ優れた部隊であろうといずれは壊滅する運命です。

 

 ガーバック小隊長ですら、死を覚悟していたかもしれません。

 

 

『殺せ、犯せ、蹂躙せよ。積年の恨みを晴らすのだ』

 

 

 この時の敵兵は、恐ろしいほど気迫を纏って突撃していました。

 

 彼らは凄まじい勢いでオースティンの領地を踏みにじり、飢えた獣のように我々の拠点を破壊していきました。

 

 

 我々の戦友がサバト兵に殺されたように、彼らもまた仲間を我々に殺されています。

 

 彼らは戦友(とも)を殺された憎しみをもって、自分達を執拗に追撃していたのです。

 

「何故、司令部は何も命令を出してこない!」

「我々はいつまでここで戦っていれば良いのだ!」

 

 そんな非常事態だというのに、オースティン司令部は石像のごとく動きませんでした。

 

 想定を遥かに超えたサバトの侵略速度に翻弄され、情報が錯綜し、司令部機能が麻痺していたのです。

 

 何なら「前線は異常なし。全ての戦線が突破された等の報告は撤退を促すための偽報(デマ)である」等という、敵から投げられた偽情報の方が現実味を持っていた始末です。

 

 後方都市に設置されていた司令部には、この敵からの偽情報を見抜くことは出来ませんでした。

 

「このまま、俺達に死ねというのかよ!」

 

 この日、前線兵士には実に24時間以上の間、何の命令も出されなかったのです。

 

 その結果、多くのオースティン兵たちは撤退も移動もままならぬまま、殺されるか捕虜にされました。

 

 

 

 

 

 そんな混乱の中、自分たちガーバック小隊に撤退命令が出されたのは、戦闘開始から5時間も経ったころでした。

 

 我々の前線指揮官であるレンヴェル少佐は独断で、司令部の許可なく撤退を開始したのです。

 

 この判断は後に高く評価されましたが、当時の状況からは臆病風に吹かれたとしか見えない軍法会議ものの行動でしょう。

 

 彼のこの英断のお陰で、自分は生き延びることができました。

 

 

 とはいえ、当戦線に於いても撤退命令が出されるまでに5時間もかかったのです。

 

 この長い時間からも、レンヴェル少佐はかなり悩んだ末に決断したことが伺えます。

 

 そして、その5時間という猶予の間に、敵は既に我々の撤退路を阻むよう内地へと侵攻していたのでした。

 

 我々が前線塹壕にこびりついて生き延びていた間に、既に近隣都市は敵に侵されつつあったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 そんな窮地に陥っていた我々ガーバック小隊に残された生き延びる手段は、ひたすら走るのみでした。

 

「敵の侵攻線を追い抜けば、後は安全だ。ひたすら走るぞ、ついてこれない奴は置いていく」

 

 小隊長殿はそう仰ると、先頭に立って剣を抜き、いつものように疾走を始めました。

 

 

 塹壕周囲は、真っ黒い土の平原です。

 

 周囲に遮蔽物はありません。ちらほらと仮設倉庫が設営されていたくらいです。

 

「まずは森林区域を目指して走る。平原を突っ走っていたら、いつか死ぬからな」

 

 西部戦線の戦場となっていた平原は、塹壕の後方10km以上に渡り続いています。

 

 つまり我々は、前後から撃たれ放題の状況で10km以上も走らざるを得なかったのです。

 

「こちらから敵に応戦はするな、立ち止まって銃を撃つ暇があれば走れ」

「了解です」

「撃たれた場合は諦めろ。見捨てて逃げる」

 

 ガーバック小隊長は、言葉短かに命令を下しました。

 

 小隊長はこの時、チラリと自分やロドリー君を睨んだような気がします。

 

 咄嗟に仲間を助ける悪癖を持つ我々を、牽制したのでしょうか。

 

「応戦しないのであれば、銃弾などは捨てていきますか?」

「阿呆、絶対に荷物は捨てるな。俺たちは今後、補給を受けられないんだぞ」

 

 ガーバック小隊長は、そんな質問をしたヴェルディ伍長を叱りつけました。

 

 我々は一回戦闘出来る分の弾薬しか、保持していません。

 

 だから無駄な戦闘を避けるという意味で、応戦を許可しなかったのでしょう。

 

「背の荷物こそ、俺たちの命綱と知れ」

「……はい」

 

 これから、弾薬は貴重品です。

 

 今後、我々が敵陣を突破せねばならない状況に陥った時、銃弾も手榴弾もなければどうしようもなくなるでしょう。

 

 だからこそ、節約していかねばならないのです。

 

「周囲に敵が少ない方向へ進む。アレン、貴様が先導しろ」

「イエッサー、小隊長殿」

 

 それと、応戦すれば目立って撃たれやすくなるという判断もあったのかもしれません。

 

 我々はただ、周囲の敵兵に狙撃されないことを祈りながら、コソコソと走ることしかできなくなったのです。

 

 かくして、ガーバック小隊の地獄のマラソンが幕を開けました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 シルフ攻勢が行われた季節は、秋の初め頃でした。

 

 心地よい涼風が平原を吹き抜けるなか、我々は飛び交う銃弾に怯えながら、地獄の喧騒の中を行軍しました。

 

 見晴らしの良い平原地帯で、足を止めるなどあり得ません。撤退初日、我々はひたすら走り続けるのみでした。

 

 

 アレンさんの案内で付近の都市をなるべく避ける形で進んだので、幸い我々はあまり敵に遭遇せずに済みました。

 

 敵兵の大半はこの時、軍事拠点の制圧や近隣都市の占領に向かっていたようです。

 

 結局、我々が撤退中に出くわしたのは、散発的に哨戒していた偵察部隊だけでした。

 

 

「俺の背中から離れるな」

「了解!」

 

 撤退中、ガーバック小隊長殿の【盾】は本当に頼りになりました。

 

 小隊長殿の【盾】は自分の貧弱なソレとは異なり、しっかりと銃弾も弾いてくれる強固な【盾】でした。

 

 自分も半年ほど訓練を行い、多少はマシになりましたが、まだガーバック小隊長殿のような強固な【盾】には至っていません。

 

「……トウリ!」

 

 しかし、流石の小隊長殿といえど、出来ることには上限があります。

 

 例えば強固な盾を保持しながら投げられた榴弾を対空したりは、さすがの小隊長殿でも出来ません。

 

 なので、普段は偵察兵のアレンさんが榴弾対策を行ってくれるのですが……

 

「了解です、【風砲】!」

 

 アレンさんが先行した今、榴弾の対空責任者は自分になっております。

 

 実はこの【風砲】という魔法は、魔力と「風銃」と呼ばれる魔法具さえあれば誰でも簡単に撃つことのできる魔法なのです。

 

 風銃は偵察兵の初期装備であり、魔力のある1等歩兵以上の歩兵にも支給されます。

 

 本来武装は、衛生兵である自分には支給されないのですが……。

 

 

『ふん、偵察兵としての訓練もしておけ。損はない』

 

 

 と言ういつもの小隊長からのパワハラを受け、アレン先輩に風銃の使い方を教えてもらっておりました。

 

 そしたら自分は、元より自信のあった視野の広さや反応速度のお陰で、対擲榴兵訓練においてアレンさんに次ぐスコアを叩き出しました。

 

 自分は手榴弾に対し、非常に嫌な思い出がたくさんあります。

 

 そういう経験も、榴弾攻撃に対する敏感さに一役買っているのかもしれません。

 

 この結果を評価され、小隊長殿の要請で自分にも風銃が支給されました。同時に手榴弾に対する一定の責任を負う羽目になりました。

 

 

 本音を言えば、いざという時のために実弾銃も欲しかったのですが。

 

 残念なことに、自分には銃を持つ許可が下りませんでした。

 

 理由は『衛生兵に戦闘行動をさせない』という軍規に引っかかるからだそうです。

 

 

 何故そんな規則があるかといえば、その昔、騎兵戦の時代まで遡ります。

 

 重騎兵はその防御力ゆえ致命傷を負うことが少なく、最強の兵科とされていたころ。

 

 回復魔法の使い手だけで重騎兵を育成し、不死の軍隊を作ろうと企画した将軍がいたそうです。

 

 

 しかし、結果はさんざんでした。

 

 回復魔法使いは非好戦的な人が多かったうえ前線慣れしていなかったからか、あっさり罠に嵌り落とし穴に生き埋めにされてしまったそうです。

 

 結果、当時でも貴重だった回復魔法の使い手が全損し、戦も手痛い敗北となったそうです。それ以降、参謀本部が衛生兵の戦闘行為を禁止したのだと聞きます。

 

 その時代の煽りで、自分は銃を持たせてもらえないんですね。

 

 

 しかし、『風銃』は単に風を飛ばすだけの魔法具です。その主目的は手榴弾への迎撃であり、いわば防具に分類されます。 

 

 銃の形をしていますが、防衛部隊所属の衛生兵に支給された前例もあり、自分が持っていても問題ないそうです。

 

 そういった経緯で、自分は風銃をいただけました。

 

 

 ちなみに風銃に殺傷力はありません。ブワって凄い風が吹くだけです。

 

 至近距離で撃てば、敵のバランスを崩すことに使えなくもないくらいの威力です。 

 

 わざわざ風銃を敵に撃つくらいなら、実弾を撃った方が百倍強いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 というわけで。

 

 自分たちは時折飛んでくる榴弾や実弾を対処しながら、西部戦線から南東に位置する森林地帯へと向かって撤退していました。

 

 死ぬ思いで走り続けた結果、森の中へ入ったころにはとっくに日が暮れていました。

 

 ここで、ようやく一息が吐けます。

 

 森林内なら狙撃される心配もありませんし、敵と遭遇しても近接戦では無敵なガーバック小隊長殿が何とかしてくれます。

 

「ガーバック小隊長、被害報告ですが……」

「2人だけか。まぁ、よくやった方だ」

 

 しかしその森にたどり着くまでに、ガーバック小隊から2名の脱落がありました。

 

 1人は塹壕の中で、迂闊に顔を出してしまい脳味噌を撃ち抜かれました。

 

 もう1人は、小隊長殿の【盾】から大きく逸脱した場所を走っていたせいで狙撃されて死にました。

 

 

 この2名は、自分たちの後輩兵士です。数か月前、欠員補充として当小隊に配属されました。

 

 ここ数カ月実戦がなかったので、この撤退戦が事実上の初陣でした。

 

 派兵されたばかりの新米は、初陣が一番命を落としやすいと言います。

 

 彼らにとって、初陣がかくも過酷であったのは、不幸としか言えなかったでしょう。

 

 

 

 

 

 

 しかし逆に言えば、犠牲者はその新米2名だけで済みました。

 

 アレン先輩がうまく、部隊を敵の少ない方面へ誘導してくれたお陰です。

 

「敵の影が見えなくなりましたね」

 

 小隊が森林地帯に逃げ込んだ後も夜間行軍を続けましたが、まったく接敵しなくなりました。

 

 森の中で待ち伏せも警戒していたのですが、杞憂に終わったようです。

 

 

「森林内まで、追撃してくる気配は無さそうですね」

「勝ち戦で、わざわざ死にたい奴はいないだろう」

 

 

 敵からしても、わざわざ森まで追撃する理由は薄いのでしょう。

 

 森林での遭遇(ゲリラ)戦であれば、残存戦力の少ないオースティン側でも勝機は残ってます。

 

 そんな危険を冒して多少の敗走兵を始末するより、どこぞの施設を占領したり破壊したりした方がよっぽど功績になります。

 

 撤退中の我々からすれば、ありがたい限りです。

 

「……これからどうします、小隊長殿」

「森林地帯を直進し、マシュデールを目指す」

 

 小隊長殿は、撤退先の目標をマシュデールにしました。

 

 この都市は西部戦線における物資の中継地点であり、かつ城塞都市でもあるので防衛戦に適しています。

 

 自分の故郷である、ノエルの近郊都市でもあります。

 

「マシュデールは、豊富な戦時物資を保管しています。恐らく最優先で狙われる都市と思われますが」

「レンヴェル少佐殿は、各員マシュデールを目指せと指令を飛ばした。おそらく、少佐もそこへ撤退するはずだ」

 

 マシュデールに豊富な物資があることは、敵兵も承知の上です。

 

 間違いなく、攻勢の勢いのままサバト兵は攻めてくるでしょう。

 

「撤退した先が既に火の海だったらどうします」

「マシュデールが俺達の到着より先に落ちることはない。俺達の弾に限りがあるように、敵も弾薬を補給しないと戦えん」

「成る程」

「時間との勝負だ。つまり少佐は、落とされる前にマシュデールに来て戦えと仰せだ」

 

 西部戦線からマシュデールまでの距離は、40~50kmほどです。

 

 平地を走るのであれば、2日以内に到着は出来るでしょう。

 

 しかし敵を警戒しながら森の中を進むとあらば、時間がかかりそうです。

 

 

 ですがそれでも、敵の行軍速度は我々より遅いはずです。

 

 敵も補給線を整えないとなりませんし、周囲を警戒し街を占領しながら進まねばならない訳で、ただ逃げればよい我々とは進軍速度が全然違います。

 

 補給を無視して進軍したとしても最低4~5日、通常であれば1週間ほどかけて進んでくると予想されます。

 

 1週間もあれば、流石に森林内の行軍とはいえマシュデールに先着できるでしょう。

 

 

「撤退の間の食料や、水は……」

「森で調達しろ」

「……ですよね」

 

 

 ただ問題は、人間は水がないと動けないということです。

 

 一応、洗浄用の生理食塩水などはリュックに背負っていますが……。

 

 数日行軍することを想定した準備など、出来ておりません。

 

「安心くださいや、2,3日くらい飲まず食わずでも人間は死にゃしないさ伍長」

「いえ、流石に水分欠乏は……。熱中症で死亡するリスクがあるでしょう」

 

 森林内で一息吐けてしまったことで、ヴェルディ伍長は改めて現状を把握しなおしたのか顔を真っ青にしました。

 

 何せ武器弾薬、食料水分に衣類など重要な物資を、自分達はリュックに入る分しか持ち出せていません。

 

 5時間にわたる塹壕での防衛戦のお陰で、弾薬も残りわずか。

 

 そんな状態で、獣も害虫も住む森を行軍せねばならないのです。

 

「川や湧水が見つかることを祈るしかあるまい」

「……」

「あ、今後小便は捨てるな。飲めるらしい」

「…………」

 

 戦場における敵は、決して銃を振りかざしてくる敵兵だけではありません。

 

 天候、地形、獣、虫、飢え、口渇、ありとあらゆるものが我々に牙を剥きます。

 

 シルフ攻勢が始まったこの日から、自分達はしばらくこれらの強敵と戦うことになりました。

 

 

「アレン、案内は任せたぞ」

「ええ、小隊長殿」

 

 この無い無い尽くしの中、偵察兵の標準装備として方位磁針が支給されていたことだけが不幸中の幸いでした。

 

 そのおかげで、視界不良な森林中でも迷うことなくマシュデールを目指せたのですから。

 

 

 ここから結局、我々は5日間をかけて地獄の行軍を行うことになります。

 

 そして自分は、今まで地獄と思っていた前線塹壕が実は衣食住の保証された素晴らしい環境であったと、実感することになるのでした。

 

 

 



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23話

「みんな、こっちだ! 湧き水だぞ!」

 

 

 シルフ攻勢の開始から、3日が経ちました。

 

 既に西部戦線は完全に崩壊し、前線付近の町では逃げ遅れた人が虐殺されている様です。

 

 彼らは、本来であれば我々軍人が助けるべき人達ですが、満身創痍で撤退中の我々にそんな余裕なんてありませんでした。

 

 何せ弾薬も装備も、尽きかけているのです。体力的にも、戦闘行動は難しいと判断されました。

 

 

 そしてガーバック小隊も、決して気楽に森の中を行軍していた訳ではありません。

 

 飢えや渇きと戦いながら、苔に覆われた倒木を乗り越え、睡眠も取らず森林内を3日間ずっと歩き通していたのです。

 

「本当ですか、アレンさん!」

「ああ」

 

 ガーバック小隊の面々は、みな倒れる直前でした。

 

 何せ不幸にも、3日間歩いてずっと水源に出くわさなかったのです。

 

 自分の持っていた生理食塩水の空き瓶を舐めあい、鉄帽に出した自分の小便をすすり、それでかろうじて動けていた状態です。

 

 あまりに脱水が激しかったからか、眩暈は酷くて吐く息が酸っぱく、足が鉛のように重くなっていました。

 

「水だァ! ヒャッハァァァ!!」

「だ、駄目です! ロドリー君!」

 

 ガーバック小隊長は『食料や水分を森林内部で自給自足』とおっしゃられましたが。

 

 いざ森林の中を進んでみると、思った以上に水分や食料の確保と言うのは難しいものでした。

 

 進行方向に川がポンポンあればよかったのですが……、残念ながら初日、2日目はどれだけ進んでも河川に到達しませんでした。

 

 そして3日目、手持ちの水分はとっくに尽きて行き倒れ直前に、ようやくアレン先輩が小さな湧水を発見したのです。

 

「ひ、久々の、水ゥー」

「ちょっと、ま、待ってくださ……」

 

 もう少し水源の発見が遅ければ、我々小隊は全滅している所でした。

 

 脱水と言うのは洒落になりません。

 

 あのガーバック小隊長ですら、唇は渇き目が落ち窪み、死人のような様相になっていました。

 

 尿を捨てるなという小隊長殿の命令がなければ、隊員に死者が出ていたでしょう。

 

 ここまで森林でのサバイバルが厳しいものだとは、思いもよりませんでした。

 

「誰も口を付けないなら、俺から飲むぜェ……」

「……ふん」

「痛ァ!?」

 

 そんな限界ギリギリの状況で、貴重な水源を発見して飛びついたロドリー君を小隊長の鉄拳が襲います。

 

 ロドリー君を止めてくださったのはありがたいですが、治療の手間を考慮して殴ってください。結構吹っ飛びましたよ今。

 

 

「ロドリー君、煮沸が先です。もし生水に中ったりしたら、我々は全滅です」

「……う」

「各員、土で竈を形成した後に、鉄帽を逆さにして水を溜めてください。口を付けて良いのは、沸騰した水を冷ましてからです」

「……はい」

 

 この森の水が感染微生物に汚染されていたら、洒落になりません。

 

 質の悪い下痢症にでもかかったら、部隊全滅もあり得ます。

 

 万が一を考え、一度沸騰させてから飲むのがベターでしょう。

 

「と言う事は、その」

「しばし休息だ」

 

 こうして我々は、3日ぶりに行軍を停止して休息を取ったのでした。

 

 

 

 

「あ、あつっ……」

「良く冷ましてから飲んでください」

 

 久しぶりに飲んだ水分は、本当に美味しいものでした。

 

 脱水で涙など出ませんでしたが、普段のコンディションなら泣いていたかもしれません。

 

 水分というのはここまで人体に重要だったのかと、改めて再確認できました。

 

「こうしてみると、衛生兵用の装備ってサバイバル向きなの多いな」

「ええ、傷口を焼く用のバーナーがあって助かりました」

 

 幸いにも、火種には困りませんでした。

 

 自分が持ち出した医療器具の中に、止血用のバーナーが有ったからです。

 

 更に生理食塩水を入れていた空き瓶が2つ、消毒液の小瓶、清潔な布や外傷用の軟膏など、極限状況で役に立つ物資がたくさん入っています。

 

 これは衛生兵が、最前線の塹壕で数日間の任務に耐えられるよう支給された装備だからでしょう。

 

 特に生理食塩水は、貴重な水分と塩分だったので助かりました。

 

 重たい生食を2瓶も入れるよう設定したゲール衛生部長に、感謝の念が堪えません。

 

 

「小隊長殿、少し寝ても良いでしょうか」

「駄目だ、想定より行軍が遅い。水を再度確保したらすぐ出発する」

「……了解です」

 

 

 そして水資源の補給が遅れたせいで、我々の行軍はかなり遅れていたみたいです。

 

 途中から皆、脱水でフラフラになって走っていましたからね。

 

 そりゃあ、進軍速度も落ちるってもんです。

 

「マシュデールについたら、補給が受けられるだろう。それまでの辛抱だ」

 

 結局、この時の我々が休息したのは数時間だけでした。

 

 後から振り返れば、この進軍速度では敵の侵攻ラインを越えているかどうかというギリギリだったみたいです。

 

 サバトは破竹の勢いで侵略を続けており、もしここで休んでいたら、森林から出た後に敵に囲まれて全滅していたかもしれません。

 

 そんな状況であったので、我々は疲れた体に鞭打って先に進まねばならなかったのです。

 

 

 

 

 

 

 因みに、森林内で友軍と合流することは出来ませんでした。

 

 我々以外の僅かな生き残り味方部隊はと言うと、多くは我々と同じく森林へ逃げ込んだそうです。

 

 しかし一部は森林に入らず、マシュデールまで平原を突っ走る選択をした部隊もあったそうです。

 

 敵の侵攻ラインさえ超えれば、平原を走った方が追いつかれにくくて安全という判断ですね。

 

 あるいは偵察兵が欠けて森林内で迷う事が予想されたり、獣に襲われる可能性を天秤にかけて、平原行軍を判断したのでしょう。

 

 

 そしてどちらが正解だった、というものはありませんでした。

 

 平原行軍した部隊は、短い期間でマシュデールまで逃げ延びたそうです。

 

 しかし、敵の侵攻線を突破する際に甚大な被害が出てしまい、壊滅した部隊も多くあったそうです。

 

 一方、森林行軍を選んだ部隊はマシュデール到着まで時間がかかりましたが、より生存者を多く保ってマシュデールに到達していました。

 

 ただ森林内で倒れたりあらぬ方向へ遭難したりと、こちらも全員が生き残ったわけではないみたいです。

 

 森を踏破する自信があったガーバック小隊長は、より自分の生存確率が高い方を選択したのだと思います。

 

 

 

 

 かくして撤退すること5日目、とうとう我々は森林地帯を抜けて交易路の整備された平原へとたどり着きました。

 

 この時の敵の侵攻ラインは、僅か7㎞後ろというかなり危ない状況でした。

 

 遠くに火の手が上がっている村落もあり、交易路には傷ついた市民や兵士達が真っ青な顔でマシュデールへと歩いています。

 

 間一髪、我々は逃げ延びることに成功したようでした。

 

 

 

 

 

 

「……こんな状況で、マシュデールに来ることになるとは」

 

 幼き日に、遠目に見たマシュデールの城塞。

 

 この『マシュデール』は自分の故郷であるノエルの近郊都市ですが、今まで1度も来たことはありません。

 

 

 ノエルはのどかな田舎町で、田園だけが広がる何もない場所でした。

 

 そんな田舎の孤児達にとって、都会であるマシュデールは憧れの場所でした。

 

 自分も友人と、いつかマシュデールで美味しいレストランで食事を取り、楽しい演劇を見るんだと夢を語った事もあります。

 

 その、幼い自分にとって憧れだった街に、こんな形で辿り着くことになろうとは思いもよりませんでした。

 

 

「あと一息だ。行くぞ」

「うお、やべぇ。あそこの村、燃えてる」

「思った以上に、敵の侵攻が早いですね」

 

 気を引き締めねばなりません。

 

 今日、自分はマシュデールに遊びに来たのではなく、戦いに来たのです。

 

 浮わついた気持ちのまま、マシュデールに入る訳にはいきません。

 

 

「ちくしょう、サバトの連中め……。一般市民だろうと関係なく皆殺しかよ!」

「落ち着けロドリー」

 

 

 自分は改めて覚悟を決め、現在の敵の所在を確かめるべく、ロドリー君の指さした方角を見つめました。

 

 その先には、確かに火の手が上がっている村落がありました。

 

 かなり、距離も近いです。

 

 

「……」

「どうしたおチビ、早く……」

 

 

 その村が燃え落ちる光景に、自分の頭は真っ白になりました。

 

 それは、無意識のうちに考えないようにしていた光景だったからかもしれません。

 

「……あ」

 

 現在の、敵の所在。

 

 すなわち、彼の指さした先に有った燃える村とは、自分の故郷であるノエルの街でした。

 

 

「ノエル、が……」

 

 あの街には、軍事物資など何もありません。

 

 ただ優しい孤児院の院長先生や、わんぱくざかりの子供が暮らしているだけです。

 

 あまり美味しくない芋の畑や、苦い野菜が植えられた畑が広がっているだけです。

 

 

「……ノエルに、火が!」

「っ! 何処に行く、おチビ!」

 

 

 ノエルが燃えている。

 

 そのあまりの衝撃に、自分は我を忘れてノエルへと走り出しかけました。

 

 ロドリー君に肩を掴まれていなければ、本当に走っていたかもしれません。

 

「敵が、街を、犯しています。自分の、故郷の、ノエルに!」

「そうか」

「小隊長、早く、助けに行かないと……! 皆が!」

 

 

 自分は思わず、ガーバック小隊長に詰め寄りました。

 

 気が動転していて、何も考えられなかったのだと思います。

 

 

 ────鈍い音。

 

 

 詰め寄った直後、自分の顔面を鈍い衝撃が穿ちました。

 

 その勢いで自分は地面に叩きつけられ、尻餅をつき、口腔内に血の味が滲みます。

 

 どうやら自分は、久しぶりに小隊長殿に顔面をブン殴られたようでした。

 

「目が覚めたか」

「……」

「俺達の撤退目標はマシュデールだ。走るぞ」

 

 目がチカチカとして、ふらつきつつも自分は立ち上がりました。

 

 小隊長殿は、そんな自分を無言で見下ろしていました。

 

 

「……」

 

 

 小隊長殿は強いです。接近戦では、無敵に近いと感じています。

 

 彼であれば、今からノエルに戻って敵を迎撃出来るのではないでしょうか。

 

 腰の悪い院長先生は、きっと逃げ遅れています。

 

 まだ乳母車に乗っている乳児は、そもそも逃げる事すらできないでしょう。

 

 しかし、今なら間に合うかもしれません。今すぐにノエルに向かえば、誰かを助けられるかも────

 

 

「……了解、です」

「ふん」

「大変失礼いたしました、命令を復唱します。自分はマシュデールに向かって走ります」

 

 

 しかし、殴られて冷静になった脳の一部が、理解していました。

 

 今、消耗しきった我々ガーバック小隊が危険を冒してノエルに救援に向かう事に、何の戦略的意義も存在しない事を。

 

 今すぐ走れば救えるかもしれない故郷の人々を、見捨てるのが最適解であることも。

 

 

「踏みとどまったか、トウリ。その言葉に免じて、今も俺を睨んでいることは不問にしてやる」

「……ありがとうございます」

「では行くぞ」

 

 

 この時、全く意識していなかったのですが、自分は小隊長殿を睨んでいたようです。 

 

 きっと自分は心のどこかで『小隊長殿が救援に行ってくれれば、助かるのに』という身勝手すぎる願望を抱いていたのかもしれません。

 

 ここまで撤退するのに、数多の街が焼かれました。

 

 それらを見捨ててのうのう逃げ延びてきたのに、自分の故郷だけ守って貰おうだなんて虫が良すぎます。

 

 これは故郷を焼かれたという、自分の感情だけの問題なのです。

 

 

 ……ドクン、ドクンと鼓動が煩しく鳴り響きます。

 

 この後、自分は決してノエルの方向を振り返りませんでした。

 

 振り返ってしまえば、走り出さない自信がなかったからです。

 

 

 自分が命を懸けて、軍に志願し衛生兵となった1番の理由は、孤児院への恩返しです。

 

 自分はこの世界で、唯一の家族であり肉親であったあの場所の人々に、少しでもお返しがしたかったのです。

 

 

「……ぁ」

 

 

 喉も乾いて、口はパサパサ。

 

 3日何も食べず、フラフラで歩いていた自分の瞳に涙など浮かびません。

 

 

「……あぁ、ぁぁぁ……」

 

 

 自分からただ漏れ出たのは、低く渇いた呻き声だけでした。



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24話

 城塞都市マシュデール。

 

 その名の通り、かつて城塞として名を馳せたこの街は、3つの堡塁に囲まれた中心にありました。

 

 堡塁とは、銃弾を防ぐべくしっかりと土や砂利、コンクリートを固め作られた高さ数メートルの防壁です。

 

「よくぞご無事で」

「ああ」

 

 堡塁の関門で小隊長が我々の所属と名前を伝えると、衛兵は我々を歓迎してくれました。

 

 奇跡の生還を喜び、小隊メンバーと抱き合う方もおられました。

 

「……」

 

 そんな空気の中、自分は一言も発さず、ただ虚空を見つめるのみでした。

 

 

 

 

 

 

 

「もう、市民は避難誘導されてんだな」

「市街戦も想定しているのだろう。民を残しておく理由はない」

 

 

 初めて足を踏み入れたマシュデールの街は、廃墟街のような人気のない寂しい場所でした。

 

 自分にとって子供のころの憧れだった、華やかな城塞都市マシュデール。

 

 賑やかだったであろう街並みに市民の姿はほとんどなく、軍服を着た兵士が忙しなく走り回っています。

 

 メインストリートではひび割れたパン屋の看板が、石造りの店の前に倒れていました。

 

 路傍に咲く花は誰かに踏みにじられ、街角には至る所で無機質な土嚢が積み上げられています。

 

「すまない、少し宜しいか」

「む、撤退兵でありますか」

 

 ガーバック小隊長は近くの兵に声をかけ、所属と名前を伝えレンヴェル少佐に取り次ぎを願いました。

 

「取り次ぎますので、待機場所でお待ちください」

 

 兵士の対応は慣れたもので、自分達はすぐに待機場所の広場に案内されました。

 

 待機場所には、既に多くの兵士が屯しています。

 

 彼らは元々マシュデールの警らをしていた者や、平原を突っ走っていち早くマシュデールまで撤退された兵たちだそうです。

 

「おお、あのガーバック小隊か。実に頼もしい」

「エースだ、エースの帰還だ」

 

 広場にいくと、ガーバック小隊長はかなり歓迎されました。

 

 我々の戦線の兵で、ガーバック小隊長の名を知らぬ者は少ないです。

 

 小隊長は頭がおかしい事で有名ですが、同時に多くの兵士にとって先行して敵をぶっ潰してくれる有難い存在とも見なされているようです。

 

 

「どうぞ、一服してください」

 

 広場で暫く待っていたら、何も言わずともパンと温かなミルクが出てきました。

 

 撤退兵には、まず最初に食事を出すよう指示が出ているそうです。

 

「め、飯っ!!」

「……エロドリー、ミルクと一緒にゆっくり食え。一気にかっ込んで喉詰めるなよ」

「むぐっ……」

「言わんこっちゃない」

 

 ロドリー君は貪るように、パンに噛みついてえずきました。

 

 無理もありません。数日ぶりのまともな食事なのです。

 

 出されたパンは固くなっていましたし、ミルクも薄めてありました。

 

 この時の自分はフラフラと、ただショックで何も感じずに口に運んだ気がします。

 

「……ぅ」

 

 しかし身体は正直でした。久し振りの栄養摂取に、凄まじい幸福を感じてしまいます。

 

 この日に食べたパンは人生で一番美味しかったかもしれません。

 

「美味、しい……」

 

 ミルクを飲み干し、パンを腹に詰めた後、ようやく自分は落ち着きを取り戻したのでした。

 

 

 

 

「レンヴェル少佐に会って来る。貴様らはここに待機、ヴェルディのみ追従しろ」

「了解です、小隊長」

 

 ガーバック小隊長は食事を終えると、すぐ作戦本部へと向かいました。

 

 敵はもう、マシュデールの目の前まで侵略して来ております。

 

 のんびり休んでいる時間はないのでしょう。

 

「この町も戦場になるんだろうな」

「……でしょうね」

 

 ロドリー君はぽつりと、呟くように話しかけてきました。

 

 先程、自分の故郷ノエルは燃やされてしまいました。

 

 そしてこのマシュデールも、自分たちが奮戦しなければ火の海に沈むのです。

 

「ちょっと無神経なこというぞ、おチビ」

「……何でしょう」

「故郷を燃やされて、流石に憎んだか。サバトの連中」

 

 ロドリー君は至極真面目な顔で、自分にそう問うてきました。

 

 ノエルを燃やされて、恨まなかったか。

 

 それは勿論、

 

「流石に、故郷の大事な人たちが殺されていたら。とても、恨めしいです」

「だろうなァ」

「これがロドリー君のよく言う、敵と戦う───殺す理由ですか」

「ああ」

 

 まだ、孤児院の方々の安否など分かりませんけど。

 

 もし院長先生が逃げ遅れて、敵兵に殺されていた場合を考えますと。

 

 胸が張り裂けそうなほど悲しいですし、きっとその敵兵を殺したいほど憎むに違いありません。

 

「……でもな、おチビ。やっぱそういうのは野蛮な俺たちに任せとけ」

「え?」

 

 ロドリー君は珍しく優しい顔をして、自分の頭をさすってくれました。

 

「前はいろいろ言ったけどな。衛生兵みたいな連中は、臆病にビクビク逃げ回ってくれた方が良いんだ」

「えっと、それは」

「後ろにお前ら医療職が居るから、俺達は安心して命張れる。おチビが無謀に敵に突っ込んで、命を散らされる方が迷惑だ」

「……」

「憎しみのあまり敵に特攻するのは、俺達人殺しだけでいい」

 

 自分は思わず、ジっとロドリー君の顔を見つめました。

 

 それはいつもの彼らしからぬ、とても優しい言葉でした。

 

「頼むから無茶やって、敵に突撃したりすんなよチビ。今まで通り、臆病に縮こまっててくれや」

「……あの。ロドリー君」

「なんだァ?」

 

 結局、ロドリー君は性格なのか、グレー先輩の忠告の後もやや口は悪かったのですが。

 

 彼の言葉の裏には常に、人を思いやる何かが隠れている事が多いのです。

 

 つまり、

 

「お気遣いありがとうございます。……大丈夫ですから、ご安心ください」

「そうかい」

 

 ロドリー君は先ほど、ノエルが燃えて大いに取り乱した自分を心配してくれていたのでしょう。

 

 隠れ仲間思いの彼らしい行動です。

 

 要は『怒りに任せて自分を見失うな、冷静にいつも通り行動しろ』という忠告ですね。

 

「あと、ロドリー君」

「どした?」

「本当、グレー先輩に似てきましたね」

「……」

 

 自分はそんなロドリー君に、尊敬すべき先輩の影を感じました。

 

 ロドリー君は、グレー先輩に「俺とよく似ている」と評されていましたっけ。

 

 どうやら先輩の見立ては、間違っていないようです。

 

「……どういう意味だよ、ウゼェな」

「あれ、もしかして照れてますかロドリー君」

「やかましいドチビ」

 

 確かに、自分は少々平静さをかいていました。

 

 過酷な行軍や故郷を燃やされたショックで、取り乱していた自覚はあります。

 

 しかし、軍隊において平静を失うことは死を意味します。

 

 彼からの忠告を、よく胸に刻んでおきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……君が、例の衛生兵かね」

「はい、肯定します」

 

 ……。

 

「よくやったガーバック。彼女を……、衛生兵を無事にマシュデールまで撤退させた功績は大きいぞ」

「光栄です、少佐殿」

「ふむ、若いと聞いていたが……、想像以上だな。俺の孫と同じくらいに見える」

 

 そんなこんなでロドリー君に癒されていたら、いきなりヴェルディ伍長に声を掛けられました。

 

 聞けばなんと、レンヴェル少佐────この地の最高司令官が自分を呼んでいるようです。

 

 おっかなびっくり、伍長に連れられマシュデールの役場に連行された自分は、ものすごく強面のお爺ちゃんの前で直立させられていました。

 

「君の名と階級は」

「はっ。自分はトウリ・ノエル1等衛生兵です」

「そうか。ご足労感謝する」

 

 老人は見るからに立派な軍服を着ていて、顔面に山ほど古傷があり、老いてなお筋骨隆々の肉体をしています。

 

 そして、あの傍若無人なガーバック小隊長殿が背筋を正し敬礼していました。

 

 つまり、この威圧感たっぷりのご老人こそ……。

 

「俺は中央部前線指揮官、レンヴェル少佐である」

「お会いできて光栄であります」

 

 自分にとって上司の上司。

 

 ガーバック小隊長すら顎で使える前線指揮官、レンヴェル少佐その人でした。

 

「時間がないのでいきなり本題に入るが構わんな、トウリ1等衛生兵」

「はい、少佐殿」

 

 少佐は睨むように厳しい顔で、話の枕もなく命令の話に入りました。

 

 レンヴェル少佐の顔にはハッキリと疲れが浮かんでいますが、部屋は書類で溢れており休んだ形跡がありません。

 

 この作戦本部に、まったく余裕がないのが窺えます。

 

 あまり無茶な命令を、しないでもらえると助かるのですが。

 

「では貴殿に命ずる。明朝までに、このマシュデールに医療拠点の設立を命ずる」

「……」

 

 レンヴェル少佐は、真顔のまま自分を見下ろし。

 

 そんな、想定よりかなり上の無茶振りを仰ったのでした。

 

「返事はどうした」

「……命令を復唱します。自分は明朝までに、医療拠点を設立します」

「よろしい」

 

 この方は何を仰っているのでしょう。

 

 医療拠点を設立って、何をどうするのですか。

 

「機密事項なので自軍の総兵力は話せないが、おそらく数百人規模の死傷者が予想される。それに対応できる規模の医療本部が必要だ」

「はい、少佐殿」

「敵の侵攻予想時刻は、早ければ明け方。その時点で、すぐ重症患者を受け入れる態勢を整えておけ」

 

 数百人規模を受け入れられる医療拠点と来ましたか。それ、元々自分が働いていた野戦病院と同等の規模ですよね。

 

 衛生兵が自分一人しかいないのに? 医療物資や看護兵などの当てなんて全くないのに?

 

 こんな15歳の小娘捕まえて、どんな期待をしているのですか。

 

 しかし命令ということは、自分に拒否権ないんですよね。

 

「質問の許可を求めます」

「構わんよ」

「医療拠点の場所と人員に関しては、ご用意いただけるのでしょうか」

「それも貴殿に一任する、その為の権限も用意しよう」

「……はい、少佐殿」

「期待しているぞ、トウリ」

 

 医療本部の設立に関しては、必要な権限は貰えた上で、自分に一任いただけるようです。

 

 言い換えれば、今から全部自分がやれってことですね。

 

 明日の朝までに、看護経験のある人とか集めて、医療物資を運び出して、拠点を設立すると。

 

 

 マジですか?

 

 

「……あの、少佐殿。あんまり俺の部下を虐めんでくださいや」

「く、くっ」

 

 自分が顔を真っ青にしながらパクパクと静かにパニくっていると、ガーバック小隊長が呆れた顔で口をはさみました。

 

 それと同時に、困り果てた自分の顔がよほど面白かったのか、レンヴェル少佐が真面目な顔を崩して噴き出してしまいました。

 

 ……。

 

「くははははっ、すまん、すまんね。出来ない命令は断って構わんのだよ、トウリ1等衛生兵。無理な命令に従って失敗したら、軍全体に迷惑がかかるからな」

「は、はぁ」

「悪い悪い、君が真面目な顔なもんでからかってみたくなってな。ホラ、俺みたいなこんな歳なのに少佐にしかなれてないヘッポコ指揮官相手に、そうガチガチに緊張することなどあるまいよ」

 

 どうやら先ほどの無茶振りは、彼なりのジョークといったところのようです。

 

 見た感じ、このレンヴェル少佐という方はかなりお茶目な面があるみたいですね。

 

 自分はまんまと、揶揄われたといったところでしょうか。

 

「だが、いかに劣勢であろうと心に余裕を持つことは大事だぞ、少女よ。確かに西部戦線は崩壊し、我が軍は旗色が悪い。だが、こんな時こそ明るい顔をせねば……」

 

 こういう場合は、合わせて笑えばよかったのでしょうか。それとも上官に砕けた態度をとるのは、やはり無礼なのでしょうか。

 

 そもそも故郷(ノエル)を焼かれたばかりの自分にはまだ、笑えるほど心に余裕などないのですが。

 

「お、叔父上。その、トウリ1等衛生兵はその名の通り、今日焼かれたノエル村の出身で───」

「……えっ」

 

 どう対応すればいいかわからず困り果てた顔をしていたら、ヴェルディ伍長が慌てた顔でレンヴェル少佐に耳打ちしてくれました。

 

 ヴェルディ伍長も、先ほどの取り乱した自分を見ているので気を使ってくれたのでしょう。

 

「……」

「……」

 

 確かにロドリー君の言葉で少し気が楽になりましたが、まだ消化できていません。

 

 あの優しかった院長先生のことを思うと、今にも目頭が熱くなって泣き出してしまいそうです。

 

 

 

「……それは本当にゴメン。トウリ1等衛生兵……」

「いえ」

 

 

 気づけば瞳に涙が浮かんでいた自分を見て、今度はレンヴェル少佐が顔を真っ青にして謝ってきました。

 

 レンヴェル少佐なりに気分を盛り上げてくれようとしたのかもしれませんが、タイミングが悪かったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「真面目な話をすると、医療本部の設置はもう終わってるのだ」

「はい」

「ただ、この町の癒者を頭を下げて集めただけで、軍部の人間がおらん。君に、軍人として医療本部のまとめ役を頼みたい」

「なるほど、了解いたしました」

 

 ばつが悪そうな顔で、レンヴェル少佐は自分に本当の命令内容を教えてくれました。

 

 聞けばあの野戦病院で働いていた衛生兵は、自分を除き全員が生死不明だそうです。

 

 つまり、自分は今この場所で唯一の衛生兵ということになります。

 

 なので設立したは良いが、ほぼ民間病院みたいになって指揮系統があやふやだった医療本部で、仮に自分がリーダーをしろという話でした。

 

「彼らはあくまで民間協力者なので、君に命令権とか指揮権はないのを注意してね」

「はい、少佐殿」

 

 しかし招集された医療者たちは、おそらく自分よりも経験豊富な人ばかりです。

 

 自分が軍属しているから、まとめ役になるだけでしょう。

 

 いざという時は自分が矢面に立って、彼らを守らなければなりません。

 

「あと、場所はこの役場内の会議室だから」

「おお、ではすぐそこですね」

「役場を重点的に守るよう布陣するからな。医療本部も、作戦本部と一緒にしといた方が安全だし」

 

 部下に案内させるから、挨拶しにいっといで。

 

 レンヴェル少佐殿はそう言って、少佐の後ろに控えていた1人の女性将校を手招きしました。

 

「君の相談役には、アリア少尉を遣わせる。何か分からないことがあれば彼女に聞きなさい」

「分かりました」

 

 レンヴェル少佐の言葉と共に、一人の女性将校が自分の前に歩いてきます。

 

 アリア少尉と呼ばれたその将校は、長い金髪でキツい目付きの女性でした。

 

 少尉と言うことは、ガーバック小隊長より上官です。それなりに若そうに見えますが、きっと経験豊富な方なのでしょう。

 

 そして女性を当ててくれたのは、自分に対する配慮でしょうか。

 

「レンヴェル少佐直轄、魔導中隊長アリアだ。よろしく」

「はい、よろしくお願いいたします。少尉殿」

 

 女性兵士は、かなり少ないです。

 

 基本的に歩兵は、男性のみで構成されます。

 

 例外として、非戦闘員である工作兵や衛生兵、直接戦闘しない魔導師など一部の兵科でのみ女性将校として編入されます。

 

「少尉は士官学校で次席の卒業だ、きっと何でも力になってくれるだろう。非常に優秀なので、存分に頼るといい」

「過分な紹介です」

 

 魔導師と衛生兵は、比較的女性将校の多い兵科です。

 

 しかし女だてらに中隊長になるのは、並大抵の事ではありません。やはり、男性兵士の方が優遇される傾向にあります。

 

 コネでも無い限り、女性中隊長とかあり得ないと思っていました。

 

 男性兵士を押しのけて隊長格に任命されたと言うことは、彼女がすさまじく優秀であるという事でしょう。

 

 

「因みに、アリアは俺の娘だったりする」

「……何と」

「君の部隊のヴェルディ伍長とは、従兄弟の関係だ。彼と話すように、気軽に接してくれ」

 

 

 コネでした。




ぴょー様(ID:272009)より、大変素敵なガーバック小隊長の支援イラストを頂きました。
誠にありがとうございます。

https://img.syosetu.org/img/user/272009/92237.jpeg


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25話

「ではトウリ、貴女を医療本部に案内しよう」

「了解です」

 

 レンヴェル少佐から、医療本部を総括する辞令を受けた後。

 

 その流れで自分はアリア少尉に連れられ、隣の広い講堂へと案内されました。

 

「レンヴェル少佐も言っていたが、彼らはあくまで民間協力者だ。おそらく、命令だといっても簡単に従ってくれまいし、従う義務もない」

「はい」

「そして彼らは、わざわざこんな危険な場所に残ることを承諾してくれた奇特な人達でもある。一筋縄では行かない、一癖も二癖もある奴ばかりだ。呑まれるなよ」

 

 アリア少尉は、講堂に入る前にそう忠告してくれました。

 

 どうやら、それなりに個性の強い人たちが揃っているようです。

 

 自分なんかに、纏められるとよいのですが。

 

 

 

 

「失礼する」

「……今度は何だい、軍人さん?」

 

 少尉は、すぅと一呼吸おいて講堂のドアを開きました。

 

 すると、入り口付近にいた男の人が無表情に応対してくれました。

 

「……子供?」

「悪いが各員作業を一旦止めて、こちらを注視してくれ」

 

 

 医療本部の設立は終わっているとの言葉通り、講堂はほぼ病院のような設備が取り揃っておりました。

 

 もう床には何枚も布が敷かれ、白紙のカルテが並べられて簡易の病床になっています。

 

 椅子は物品置きになっており、幾つもの紐が結ばれて、熱湯消毒された清潔な布が干されていました。

 

 窓際では若い看護兵さんが、清潔布を細く切って包帯を手作りしています。

 

 規模は小さいですが、医療本部は確かに野戦病院の体は成していました。

 

「今までは臨時で私が医療本部の責任者を務めていたが、正式な人員が到着したので紹介する」

「新しい責任者だと?」

 

 その場に居た医療従事者達は、やはり全員が年上の様でした。

 

 見た感じ20代から40代くらいの方がまばらに作業をしています。

 

 その殆どが怪訝な顔で、アリア少尉の後ろに控えている自分を見つめていました。

 

「おい、俺達のまとめ役ってまさかその後ろのお嬢ちゃんか」

「ああ。トウリ1等衛生兵、挨拶を」

 

 レンヴェル少佐は、彼らを民間の協力者と仰っていました。

 

 つまり彼らはこのマシュデールの病院で働いていた、自分なんかよりよっぽど経験豊富な医療従事者達という事です。

 

 ただ軍属しているという理由だけで上司になった、自分のような経験の浅い小娘にあれこれ指示されるのは不満でしょう。

 

 ここは高圧的にならず、無難に彼らを立てながら働いてもらう形を目指しましょう。

 

「ご紹介に与りましたトウリ・ノエル1等衛生兵です。臨時ではありますが、この苦しい中で協力いただきました皆様の力となれるよう尽力していく所存です」

 

 第一印象が肝心です。

 

 自分は真っすぐ彼らの目を見つめ、そして丁寧に一礼しました。

 

 出来る限り低姿勢で、丁寧に応対しましょう。

 

 この非常事態に、人間関係で骨を折るような事態だけは避けねばなりません。

 

「歳はいくつだ、嬢ちゃん」

「……今年で15歳になります」

「何?」

 

 そんな自分に話しかけてきたのは、最初に応対してくれた体格の良い中年の男性でした。

 

 クマのような髭を生やした、恰幅の良い男です。

 

「15歳の娘に責任者やらせるってか、どういうつもりだ軍人さん」

「他に人員がいない。彼女が、このマシュデールに唯一辿り着けた衛生兵だ」

「おいおい、冗談じゃねぇぞ!」

 

 やはりというか、長年プライドを持って診療してきた方々は、自分のような子供に取り仕切られるのは嫌な様です。

 

 とても不満げな顔で、彼はアリア少尉に突っかかっていきました。

 

「こんな子に、病院が仕切れるかよ」

「もう決定された命令です」

「それを撤回しろって言ってんだ」

「他に適任者はおりません」

 

 さて、どうしたものでしょう。この様子だと、自分なんかの指示に従ってくれる方は少なそうです。

 

 彼らの不満を宥め、納得して貰うのも自分の仕事に入るんでしょうか。

 

「落ち着いてください、自分は皆様を仕切ろう等と考えておりません。ただ自分の事は、軍部からの伝言役のように思ってください」

「んな事いってもよぉ」

 

 クマさんみたいな男は、困り顔のまま自分を見つめています。

 

 年下である自分が配慮することで、何とか不満を抑えて貰えないでしょうか。

 

 

「こんなちっちゃな子に責任押し付けちゃ可哀想だぞ、軍人さん」

「この娘は、先に逃がしておやりよ。こんな危険な場所に子供を留めちゃいけん」

「……ほら娘っ子、飴ちゃん要るか……?」

 

 

 そんな事を考えていたら、近くにいたお爺さんから飴を貰いました。

 

 素直に飴を受け取ると、お爺さんは物凄く嬉しそうにニコニコしていました。

 

 

「この場所まで、敵に侵攻されたらどうするつもりだ」

「……彼女は軍人だ。もちろん、死ぬ覚悟は出来ている」

「そんな可哀想な! まだ15歳なんだぞ」

「アリア少尉の仰った通り、ご配慮は無用です。自分は志願して軍に籍を置いております、死も覚悟の上です」

「……偉いなぁ、飴ちゃんあげよう……」

 

 飴が2つに増えました。

 

「ノエル姓ってことは、あの村の出身?」

「……はい」

「ああ、可哀想に。どうしてこんな子供まで戦争に巻き込まなきゃいけないの!」

 

 どう反応していいか困っていると、自分はまるまる太ったご婦人に抱きあげられました。

 

 そのまま彼女の為すがまま、自分はスリスリとご婦人に頬擦りされ、その豊満な体に押し付けられます。

 

「君のご両親はどうした。娘がこんな最前線に飛ばされて何も言わないのか?」

「いえ、その、自分は孤児院の出身で」

「そういうことか……、身寄りがないから軍属に」

 

 これはつまり、アレですね。

 

 自分は軍人としてみなされず、完全に子供扱いされていますね。いや、実際子供なんですけども。

 

「俺達だけで十分、仕事をして見せるさ。……だからこの子は逃がしてやっておくれよ」

「トウリ1等衛生兵は優秀な回復魔法の使い手と聞いている。彼女の協力で、きっと多くの命が救われるだろう。それは、医療者の本懐ではないのか?」

「う……、だが」

「少佐から、命令はもう下りている。そもそも、トウリに拒否権はない」

 

 そして、ここの人たちの雰囲気はどこか野戦病院の方々を思い出しました。

 

 根が善人というか、ものすごく優しいオーラが出ているのです。

 

 グレー先輩の言っていた『回復術の素養は、人を思いやる性格の人に発現しやすい』というのは本当かもしれません。

 

 その理屈でいくと、ロドリー君とかも発現しそうな気がするんですけども。

 

「畜生、わかったよ……。だけど、危なくなったら彼女を一番に避難させてあげろよ軍人さん!」

「大丈夫よトウリちゃん、いざとなったら私たちが守ってあげるからね」

「いえ、あの、自分は軍人なので、むしろ矢面に立つのは自分であるべき……」

「駄目よ、まだこんな若いのに。危ない事は大人の仕事なの!」

 

 そんな有無を言わさぬ彼らの勢いに押されて、自分は医療本部の愛玩動物として就任いたしました。

 

 いえ、一応ちゃんと物資運搬などの手伝いはさせてもらったのですが、扱いが完全にそうとしか思えません。

 

 事あるごとに褒められるし、飴を手渡されるし、甘やかされました。

 

 

 ……一応、半年ほどですが衛生兵として働いてきたのですけれど。

 

 まぁ、彼らの長い医療経験から見れば自分なんか小童も良いところなんでしょうね。

 

 

「で、実際トウリちゃんは回復魔法は使えるのかい?」

「はい、クマさん。連続使用は5回まで可能です」

「おお、その歳で凄いなぁ」

 

 因みにクマ髭の男は本当にクマさんという名前でした。

 

 タクマが本名らしいのですが、その見た目からクマさんと愛称されているようです。

 

 そして彼こそ、

 

「じゃあ、時々手伝ってもらうからね。あんまり無理しないように」

「はい、了解しました」

「分からないことが有れば気軽に相談してね。患者さんのためだからね」

 

 事実上のこの医療本部のリーダーにして、30年以上に渡ってこのマシュデールの医療を引っ張ってきた生き字引。

 

 大都会に一人はいる、国から指定された『医学博士』の資格を持つ超大物癒者(ヒーラー)だったのでした。

 

 

 

 

 

 

 衛生兵の平均的な回復魔法の回数は4~5回です。

 

 最近自分も、この連続使用回数を達成出来ました。これは、1等衛生兵に任命される条件でもあります。

 

 多くの衛生兵は、半年から1年かけて1等衛生兵に到達します。

 

 そして1等衛生兵になれれば、やっと一人前と見なされます。研修期間が終わった、みたいな扱いですね。

 

 

 そして連続使用4回と言うのが、殆どの衛生兵が到達できる最低ラインでもあります。

 

 魔力の量は個人差は大きいですが、4回くらいまでなら大体の人が使えるようになるみたいです。

 

 

 そして、これ以上の回数になると才能がモノを言います。

 

 どれだけ頑張っても4回までしか使えない人も居れば、どんどん使用回数が成長し続ける人もいます。

 

 ゲール衛生部長など、上位の癒者は10回以上使えるそうです。

 

 

 

 そして、このクマさんも連続使用10回超え。ベテラン中のベテランで、おそらくゲール衛生部長クラスの術師でしょう。

 

 専門は外科ではなく感染症で、抗生剤の開発に関わって医学博士を得たという凄まじい経歴の持ち主です。

 

 その腕を評し、マシュデールの医療関係者は口を揃えて「クマさんに治せない患者を、救える癒者は居ない」と言わしめたそうです。

 

 そんな大物癒者であるクマさんは「故郷のためなら」と、危険な最前線に残って医療本部を設立する件を快諾してくれました。

 

 レンヴェル少佐も、まさか二つ返事で引き受けてくれるとは思わなかったそうです。うれしい誤算と言えましょう。

 

 それだけではなく医療本部の設立を宣言した際、クマさんが残るなら自分も残ると多く彼の信奉者が医療本部に駆けつけてきました。

 

 このことからも、彼の人望の厚さが窺えます。

 

 そのお陰で、自分がマシュデールに到達したときにはもう殆ど医療本部は完成していたのです。

 

 クマさんの一言で、8名の回復術師を含めた数十人のスタッフが最前線に残る決意をしたあたり、マシュデール医療のトップの名は伊達ではないのでしょう。

 

 丸々太った自分を可愛がってくれるご婦人はクマさんの奥さんですし、本部に残ってせっせと働いている人々は彼の弟子や支援者達です。

 

 この医療本部は、まさに彼を中心に成立しているのです。

 

 

「さあて、今夜はしっかり休養してね。栄養もしっかりとって」

「……はい」

「さぁ頑張るよ。外の軍人さんに、怪我しても俺たちがいるぞって心の支えにしてもらうんだ」

 

 

 マシュデールにクマさんが居たことは、自分にとってもオースティンにとっても望外の幸運だったと思います。

 

 かくして、決戦前夜。自分は優しい人たちに囲まれて、しばしの平和な時間を過ごすことができたのでした。

 

 



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26話

 久しぶりの休養。

 

 医療本部の愛玩動物になった自分は、この晩、数日ぶりに穏やかな時を過ごす事が出来ました。

 

 横になって眠れるというのは、素晴らしい事です。それも、布の上で眠れるなんて兵士にとっては望外の幸福としか言いようがありません。

 

 

 敵の侵攻速度から、攻勢の予想時刻は明朝とされました。

 

 彼らは現在、近隣都市を蹂躙し、制圧していっているそうです。

 

 嵐の前の静けさなのでしょうか、この夜のマシュデールは呆れるほどに静かでした。

 

「あの、クマさん。一つ、お伺いしてよろしいでしょうか」

「なんだい、トウリちゃん」

 

 この貴重で平和な時間に、自分は色々とクマさんに質問をしました。

 

 いざ本番になって分からずてんやわんやするより、今のうちに聞いておこうと思ったのです。

 

「殉職された方のご遺体は、どこに運べばよいでしょうか」

「……ああ、それならこの役場の2階に運ぶつもりさ。名前を書いた紙で顔を隠しつつ、デスクの上に並べようかと思ってるよ」

 

 クマさんは殉職した兵士を机の上に寝かし、かつ素性が分かりやすいように配慮するつもりの様でした。

 

 きっと、兵士も死んだ後にそういう扱いをされた方が嬉しいでしょう。

 

 ですが、

 

「それは、少し難しいかもしれません」

「どうしてだい?」

「戦況が白熱すれば、おそらく殉職した兵士を2階まで運ぶ時間は無いでしょう」

「……では、どうするんだ?」

「野戦病院では、病床近くに穴を掘っていました。そこにご遺体を投げ込んで、空いたベッドに新たな負傷者を運び込むのです」

 

 戦闘直後の野戦病院は、まさに修羅場でした。

 

 モグラ叩きのような反射神経で、急変していく患者に適切な対応をせねばなりません。 

 

「それは。いや、前線ではそうせざるを得なかったかもしれないが」

「戦闘が激しくなれば、負傷者の処置が追い付かなくなります。一人でも多くの命を助ける為に、殉職者に割く時間が惜しかったのです」

 

 これは決して、前線に従事していた衛生兵が冷酷であったからではありません。むしろ、人一倍優しい人たちばかりでした。

 

 しかし、だからこそ生きている人を最優先に考えた結果なのです。

 

「時間がある時は、クマさんの仰る方法で良いでしょう。しかし、火急の時に重いご遺体を2階まで運ぶのは現実的ではありません」

「……」

「一階に倉庫がありました。使用許可を取っておきますので、そこにご遺体を積み上げるようにするのはどうでしょうか」

 

 いまさら穴を掘る時間なんてありませんし、倉庫に転がしておくのが無難でしょう。

 

 

 野戦病院の病床主任さんが居たなら、遺体を窓から放り出しそうですが。

 

 あの人、生きている限りは人間として扱いますが、死んだら容赦なくモノ扱いしますからね。

 

「それほど大量に、死者が出ると思うかね」

「出るでしょう」

「そうか」

 

 今のサバト兵の勢いは、目を見張るものがあります。

 

 いくら城塞都市とはいえ、無傷で守り切れるとは到底思えません。

 

「これでも、難攻不落のマシュデール城塞だなんて言われてたんだけどなぁ」

「時代は変わりましたから」

 

 そもそも、城塞というのは弓矢や騎兵の時代に有効だとされた防衛設備です。

 

 馬で城壁は飛び越えられないし、弓矢も石造りの壁に効かないし、城壁も対魔法加工されているので相当時間をかけないと壊せません。

 

 なのでかつて、このマシュデールは難攻不落の要塞と呼称されていたのです。

 

 

「むしろ、この少ない兵力で何時まで持ちこたえられるのでしょうか……」

 

 

 しかし時代は変わり、火薬や重火器による遠距離攻撃が主流になってきました。

 

 城塞を崩せる火薬や擲榴弾の登場で、魔術師でなくとも城壁の破壊が可能となり、その価値は大きく下がってしまいました。

 

 また現在では、鉄条網や踏むと爆発する設置魔法陣等の開発により、穴を掘っただけの塹壕でも十分な防衛能力を発揮出来てしまいます。

 

 城塞は大きな壁ではあるので一定の防衛能力は誇るのですが、かつての様な有用性は失われつつあるのです。

 

「君の意見は分かった、とりあえず許可は取っておいてくれ。確かに、生きている人が最優先だからね」

「了解しました」

 

 もしかしたらクマさんは、想像だにしていないのかもしれません。

 

 このマシュデール市街内に、サバト兵が乗り込んでくるその光景を。

 

 

 そして、あの野戦病院では日常だった『無造作に積み上げられていく遺体の山』を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明朝、午前五時ごろ。

 

 自分は数名の医療スタッフと共に、マシュデール城壁の外へと足を運びました。

 

 マシュデールの外は、まばらに雑草の生えた平原です。過去の戦争の痕跡なのか、ところどころに穴が開いていました。

 

 かなり地面は凹凸が激しく、これがまた容易な進軍を妨げるのです。

 

 

「この付近を借りてよろしいでしょうか」

「ええ」

 

 

 自分たちはその凸凹の地面の斜面で、敵から見えにくい位置に大きな風呂敷を広げ、テントを設営しました。

 

 更に、兵士達には分かりやすいよう医療本部の旗を入り口に掲げました。

 

 

「完成だな、前線医療本部」

 

 

 医療本部はマシュデール内部に設置してあるのですが、これはあくまで重症患者用の病床です。

 

 ちょっとした負傷で、いちいち街の中まで撤退するのは効率的とは言えません。

 

 なので自分の提案で、軽い怪我に対応出来る出張診療所を前線に設置することにしたのでした。

 

「では、ここに物資を置きましょう」

「了解、リトルボス」

「……普通にトウリと呼んでください」

 

 前線医療本部と名付けられたこの拠点は、軍人である自分が指揮を預かることになりました。

 

 といっても、医療技術では自分が一番下っ端。もちろん自分も働きますが、形の上での責任者ですね。

 

 では自分の一番の役割は何だと言われれば、対応困難な重傷者を判別し、後方に送るか前線で治療するかのトリアージです。

 

 銃創や火傷など戦場ならではの外傷に関しては、流石に自分の方が見慣れています。なので、より正確なトリアージが出来るだろうと思われました。

 

 

「ケイル先生、敬語使わなきゃ。トウリさんは一応、上司ですよ」

「確かに。いや、こんな可愛い上司なら大歓迎なんだけどなぁ。なんで俺の指導医(オーベン)はあんなにキツい人ばっかなんだろう」

「人の命がかかっている仕事ですので、指導は厳しくなるのでしょう」

「いーや、単なるストレス解消だよ」

 

 

 前線についてきてくれた若手の癒者ケイルは、まだ余裕のある表情で上司の愚痴を言っていました。

 

 まだ戦闘が始まっていないので、軽口をたたく余裕があるのでしょう。

 

 敵は朝から仕掛けてくると予想されていましたが、遠くに布陣したまま動く様子はありませんでした。

 

 どうも、休養を取っている様子です。

 

「はー、どうせなら銃を撃ってみたかったなぁ。ここまで攻めてきた敵を、俺が吹っ飛ばしてやるんだ」

「素人に、銃の扱いは難しいでしょう」

「でもよぉ、いっぱい余ってんだべ? 銃の在庫。一個くらいくれてもいいじゃん」

「銃が余っているのではなく、兵士が足りていないという表現が正しいですね。それと、自分たちは衛生部なので銃の所持は軍紀で禁じられています」

 

 

 ケイルと言う若い癒者は、戦争ゲームにでも来たかのような軽いノリで話をしていました。

 

 この雰囲気には、覚えがあります。従軍を勧められ、2つ返事で了承してしまった時の自分にそっくりです。

 

「せっかく危ないところに配置されたのに」

「せっかくって、何ですか……」

 

 彼は何故か意気揚々と前線配置を希望されたのですが、やはり危険な場所に配備されるのは嫌がる方が多かったです。

 

 更にクマさんは、自分を含めた若手が最前線に出ることを怒り『子供を前線に行かせるなんて!』とひと悶着ありました。

 

 これが最適な布陣だと、アリア少尉は押し切りましたけど。

 

 

 実際、若造が軽症の治療を担当するのが理にかなっているでしょう。

 

 それに前線といっても、配置される場所は戦場の最後方です。

 

 前まで小隊長の背中で最前線を突っ走っていた身としては、むしろ小隊の仲間に申し訳ないくらい安全な配置です。

 

 

「ま、今日はよろしくなボス」

「ええ」

「私たちも頑張りますよ、頼りにしてくださいね」

「よろしくお願いします」

 

 

 自分と同じように、前線に配置された看護兵や癒者は若手メインでした。

 

 先ほどから緊張感のない20代くらいの癒者さんを、若くフレッシュな看護師さん達が囲んでキャイキャイしています。

 

 

「では、敵が侵攻してくるまでしばし待機です。今は、体力を温存しておいてください」

「はーい」

 

 

 ……これは、体力がある年代を選定した結果です。

 

 クマさんは丸々太った偉丈夫であり、100mも走ったら息切れを起こしてしまう中年男性です。

 

 いざ前線が破られ撤退しなければならなくなった時、十分な体力がないと命を落とす危険があるのです。

 

 

「もしここまで敵が来たらどうしましょ」

「はっはは、こう見えても僕はフットボールの選手だったんだ。いの一番に逃げ出して見せるさ」

「いや、アレだけ言っといて一人で逃げないでくださいよ先生」

「あっはっはっは」

 

 

 もうすぐ開戦だというのに緊張感が見えないのが気になりますが、自分は捨ておくことにしました。

 

 その軽口が、兵士たちの良くやる『恐怖をごまかすための軽口』に見えなくもなかったからです。

 

 それに、ここまでサバト兵が来ることがあるならば、それは我々の全滅を意味します。

 

 殺されるかもしれないという恐怖におびえて逃げだされるよりは、楽観していてもらいましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同日、正午過ぎ。

 

 休養を取って気合十分、サバト兵は雄たけびを上げて城塞都市マシュデールへと侵攻を開始しました。

 

 

 我々オースティンは、堡塁に立てこもって抵抗を試みます。

 

 マシュデールの城壁は、おそらく現代の砲撃魔法に耐えうる強度はありません。

 

 3つの堡塁をすべて落とされ、マシュデール城壁に砲撃が撃ち込まれて崩れてしまえば、我々の敗北です。

 

 市街戦に移行させられたとすれば、一人でも多くの味方を撤退させるための時間稼ぎに徹さざるを得ないでしょう。

 

 

 ガーバック小隊の皆は無事でしょうか。

 

 ロドリー君やアレンさん、ヴェルディ伍長などの知り合いがこの前線医療本部に致命傷で運ばれてきたときに、自分は果たして冷静に対応できるでしょうか。

 

 心の準備をしておきましょう。私情に流されてはいけません。

 

 瀕死で助かる見込みのない状況で、無駄に救命しようと手を尽くしてしまうのは悪です。

 

 そのリソースを他に回し、助かる命を助けられなくなるからです。

 

 

 いざ、呻き声を上げるロドリー君が、全身を火傷して運ばれてきた時。

 

 自分は冷徹に、彼を診療所から追い出して、その辺りに転がしておかねばなりません。

 

 ロドリー君が息を引き取るその瞬間まで、僅かな時間も彼のためにかけてやることは出来ないでしょう。

 

 

「……」

 

 

 胃の酸っぱい味が逆流してきます。考えるだけで吐きそうです。

 

 だけど、この場で唯一戦場を経験している自分が、それを判断しないといけないのです。

 

 この戦争で負けないため、そして一人でも多くの味方を救うために。

 

 

「……お、どうしたボス。やっぱ怖いなら、街内に下げてもらうか?」

「い、いえ、覚悟を決めていただけです。ご心配なく」

「そうよね、やっぱり怖いですよね。まだ子供なのに」

 

 

 戦闘が始まってから青い顔になった自分を、スタッフさんたちが心配げに囲んできました。

 

 これはいけません、上官が周囲を不安にさせてどうするというのです。

 

 ガーバック小隊長は、いついかなる時でも平静でした。自分の内臓をまさぐられている時ですら、真顔だったのです。

 

 まったく顔色を変えない小隊長は恐ろしかったですが、反面とても頼もしくもありました。

 

 

 ……だからあの人は、いつも仏頂面で高圧的だったのかもしれません。

 

 

「無理しないで、怖くなったら本部に逃げてもいいよ。君はまだ、この中で一番若いんだから」

「……いえ、本当に大丈夫なんです」

 

 

 心配げに自分を見守る癒者さんたちに向き合って、自分は曖昧な笑みを浮かべて返答しました。

 

 自分にガーバック小隊長みたいな真似は無理ですが、せめて纏め役としての責務を果たすとしましょう。

 

「自分にとって何より怖いのは、敵に殺されることではなく。ただ、戦友が死んでしまうことなのです」

「そっか」

 

 その言葉が終わるか、否か。

 

 マシュデールの前線に、爆音が鳴り響き始めました。

 

 



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27話

 敵の侵攻が始まって、1日目。

 

 堡塁に立て籠るオースティン兵は、意外にもかなりの善戦を見せておりました。

 

 善戦といっても、防衛側の有利を押し付けた結果ではありますが。

 

 

 言ってみれば堡塁とは、高さのある塹壕みたいなものです。防衛側は、堡塁に隠れ敵を撃ち続ければ良いだけです。

 

 幸いにも、マシュデールは兵士こそ少ないですが、銃や弾薬はたっぷり保管されています。弾薬切れの心配もありません。

 

 潤沢な資源を用いて行われた迎撃は、多くのサバト兵の死体を平原に積み上げました。

 

 シルフ攻勢の奇襲性が失われた今、兵力差は有れど防衛側が圧倒的に優位なのです。

 

 

 更に幸運なことに。

 

 敵は十分な魔石を補給出来ていないのか、はたまたシルフ攻勢の成功を受けて魔法攻撃を軽視しているのか分かりませんが、魔法による事前攻撃を行わぬまま堡塁へと突撃してきました。

 

 もしかしたら敵の前線指揮官は、我々がマシュデールで防衛陣地を構築していることを把握していなかったのかもしれません。

 

 結果、無傷のオースティン防衛部隊は敵の兵力を寄せ付けることなく半日以上粘り続けます。

 

 やがて力押しでは不利だと悟ったのか、敵は日が沈む前に引き上げていってしまいました。

 

 初日は、オースティンの完全勝利と言えましょう。

 

 『調子に乗った馬鹿が的になりにやってきた』と揶揄されるほど、この日の敵の突撃は迂闊なモノでした。

 

 

 そもそも、このマシュデールという都市は歴史的に数々の戦争の舞台となり、そして一度も陥落したことがありません。

 

 かつての内乱で10年以上に渡り敵の侵攻を食い止めた際に、この都市を落とせる軍はないとマシュデール市民は自慢げに語ったそうです。

 

 難攻不落と謡われたこの都市は、オースティン国民にとって希望の象徴でもありました。

 

 だからこそ、兵士たちの士気も高く普段以上の働きを見せたのでしょう。

 

 100年以上前に建築され、今なお威容を誇るその城塞は、その逸話に恥じぬ防衛能力を持っていたのです。

 

 

 

 

 

「腕が、腕が!」

「……大丈夫ですよ、すぐに治療をします。奥の初療室へどうぞ」

 

 

 そんなオースティン優位な状況ではありましたが、味方の負傷者は次から次へとひっきりなしに運ばれてきました。

 

 快勝に沸く前線と違って、野戦病院はいつも通り修羅場真っただ中です。

 

 堡塁越しの撃ち合いで負傷した者や、投げ込まれた手榴弾で被爆した者、暴発事故や転落などで負傷した者など次から次へと患者が運ばれてきました。

 

「……げ、骨盤の複雑骨折だ。こりゃ此処では処置出来ない」

「そうですね、中の病床で見てもらいましょう。彼を医療本部に搬送お願いします」

「体勢をあまり動かすな! 出血したらコトだぞ」

 

 実は戦況が優位だからと言って、劇的に負傷者が減る訳ではありません。

 

 むしろ善戦しているからこそ、負傷者が無事に撤退出来るケースが増えるのです。

 

 無論、これは喜ばしいことです。

 

 そんな彼らを救えれば、それだけ長い期間を戦うことが出来るのですから。

 

 

「リトルボス、腹が減った。なのに、飯を食う暇もない」

「治療しながらレーションでも啜ってください。ちゃんと食事はとってくださいね、栄養が足りないと魔力の回復が遅れます」

「僕は魔力タンクか何かなのか」

 

 

 そんな過酷な現場ですが、栄養はしっかり確保しなければなりません。

 

 衛生兵にとって魔力は、何より大切な軍事資源です。

 

 自分も、お爺さんに貰った飴をカラコロと舐めながら働いています。

 

 

「この方も回復魔法が必要ですね、秘薬を提供します。処置をお願いします」

「……またかよ」

「あ、秘薬を飲んだ時間はしっかり記載しておいてください。3時間以上空けて使用しないと、大変なことになります」

 

 自分は若手癒者ケイルさんにそう注意しながら、紙を差し出して秘薬を1瓶開けてあげました。

 

 マシュデールの物資が豊富で良かったです、秘薬の補給があるとないとで効率が大違いです。

 

「あの、ボス。これって、1日1本までって言う劇薬じゃないの?」

「3時間さえ空けたら、使って良いそうです。と言うか、使わないと回りません」

「……副作用とか聞いても良い?」

「聞かない方が良いですよ、聞こうが聞くまいがやることは変わらないので」

「僕ひょっとして、とんでもない貧乏くじ引いた?」

「何を今さら」

 

 彼は進んで前線に志願したのでそんな事だろうと思っていましたが、仕事の内容を楽観していた様子ですね。

 

 前線衛生兵は、3徹4徹当たり前で薬漬けになりながら治療し続ける部署です。

 

 休みなんてあるはずがありません。自分たちの治療速度が、そのまま戦力補充速度につながるわけなので。

 

「昨晩はたっぷり寝たでしょう。あと3~4日は眠れなくても文句言わないでくださいね」

「えっ」

「前線に志願するってのはそういうことです。普通は自殺志願者か、マゾヒストしか志願しません」

「嘘だろ……!?」

 

 自分の言っていることが冗談や軽口ではないと悟ったのか、彼は顔を真っ青にしました。

 

 こういう理由もあるので、前線は体力が必須なのです。

 

「命の危険がないだけマシですよ。最前線を走らされるよりは、ずっと……」

「ここより酷い職場があるのか」

 

 この半年間、自分はひたすら小隊長殿に走らされ続けました。

 

 それもこれも、全て体力を付けるための訓練です。小隊長殿は、自分に最優先で体力訓練を課しました。

 

 彼に「今の貴様に最も足りなくて、かつ最も必要なものだ」と怒鳴られながら、フル装備マラソンを血反吐吐くまでやらされた記憶はここ最近の一番のトラウマです。

 

 しかし、その訓練がなければ自分はマシュデールまでの撤退に成功していないでしょう。

 

 つまり戦場において生き残るためにはスタミナ……、バイタリティこそ何より重要なのです。

 

「次は自分が飲みましょう。薬を1本頂きますね」

「え、さっきも飲んでなかった?」

「大丈夫です。自分はまだ若いので、臓器も元気です」

「……」

 

 恐ろしいものを見る目で若手癒者が自分を見ていますが、気にせずグビグビと秘薬を一気飲みします。

 

 確かに薬を飲みすぎると背が伸びにくくなったり、肝臓がヤバい事になったりするので注意は必要です。

 

 しかし、兵士の数が足りず戦線が押し負けた場合、自分は命を奪われるのです。

 

 だから多少の無茶は、仕方がありません。ゲールさんもそう仰っていました。

 

「あーもう、分かったよ俺もやるよ!」

「ご協力感謝します」

 

 淡々と治療を再開した自分を見て、覚悟を決めたのか彼も瓶を一気飲みしました。

 

 よかったです。この薬はアルコールも含んでいるからか気分を軽く高揚する副作用もありますので、

 

「よっしゃあ、こうなりゃ患者何人でも薬を何本でももってこい! 全部さばいてやる!」

「頼りにしております」

 

 一度飲んだら、次は躊躇いなくお代わりしてくれるようになるのです。

 

 衛生兵の中では『キマる』とかそんな隠語が使われるほど、テンションが上がります。夜勤中、嗜好品代わりに愛飲しだす人すらいます。

 

 幸か不幸か自分はあんまりテンションが変わりません。もしかしたら自分は、お酒に強いのかもしれません。

 

 

 

 

 

 こうして戦闘初日は、日が暮れるまで延々と軽症の患者の処置に追われて時間が過ぎていきました。

 

 幸いにも、ガーバック小隊のメンバーが運ばれてくることはありませんでした。

 

 今日は殆ど死傷者が出なかったという話ですし、きっと生き残ったのでしょう。

 

 

 

「戦闘は終わったんじゃなかったのか」

「戦闘が終わったからこそ、来てくださったんですよ」

 

 

 そして夜。相変わらず、前線診療所は大賑わいでした。

 

 昼間は堡塁防衛が忙しく離脱できなかった負傷兵が、敵の撤退を受け治療にやってきたのです。

 

 

「ばい菌が入ると危ないので、薬を処方しておきます。3日間は飲んでください」

「了解だ、小さなドクター」

 

 このマシュデールの前線医療拠点には、自分達しか存在しません。

 

 しばしば中央医療本部に振ってはいますが、それでも大忙しです。

 

 

「……あまりに、眠い」

「お辛いなら、仮眠をとって頂いても構いません。その間、自分が対応しておきます」

「それは流石に、大人として出来ない……」

「では、引き続きお願いします」

 

 

 徹夜に慣れている自分は余裕ですが、早くも若い癒者はフラフラになっていました。

 

 自分も徹夜になれていない頃は、こんな感じでした。

 

 

「もう少し頑張れば、負傷者もひと段落します。それまでの辛抱です」

「おう……」

 

 

 

 

 幸いにもこの夜は、2時間ほど寝ることが出来ました。

 

 深夜3時ごろには患者の足が途絶え、休むことが出来たのです。

 

 戦闘があった日の晩に寝れるなんて、奇跡的といえます。

 

 いかに、初日はオースティン側が優勢であったかが分かります。

 

 

 

 

 

 

 しかし残念ながら2日目からは、敵も本腰を入れて攻勢を行ってきました。

 

「隠れろ! 爆風の直撃を受けるな!」

「堡塁が壊されて、仲間が生き埋めにされた!」

 

 サバト兵は、塹壕での定石どおりにたっぷり数時間の魔法による事前砲撃を行ったのです。

 

 これで先に塹壕内の防衛部隊を弱らせてから、突撃して制圧する。これは、もう何度も何度も西部戦線で繰り返してきた基本中の基本戦術でした。

 

「敵が突撃してきたぞ、撃ち返せ!」 

 

 こちらもアリア少尉率いる魔導部隊が応戦したのですが、やはり戦力差はどうともしがたく。

 

 初日とは打って変わって、我々オースティン部隊は苦戦を強いられました。

 

 味方の死体を頭に被り爆風をやり過ごす、いつもの地獄が堡塁にも広がり始めました。

 

 

 

 

 

 

「痛い、痛い痛い痛いぃ!」

 

 

 敵が魔法攻撃を開始した2日目から、一気に味方の死傷者の数が増えました。

 

 朝から前線医療本部は、パンク寸前まで負傷兵の処置に奔走することになります。

 

 

「ぐ、腹腔内出血……。くそ、早く本部に搬送してくれ!」

「はい、先生!」

 

 

 運ばれてくる重傷者の数は、ぐっと増えました。その中で、自分たちは命の選別を行わねばなりません。

 

「先生、患者の呼吸が浅くなってます!」

「その人は、もう無理だ……。お看取りしろ」

 

 ……何せ、負傷者に交じってもう助からない人も搬送され始めましたので。

 

 

 

 

 

 戦闘開始から、数時間も経った頃。

 

 

「なっ……!? ちょ、君!」

 

 

 自分がトリアージを行っていると、いきなり後ろで癒者がギョっとした声を上げました。

 

「熱い、あづぃ……。助げ、て」

「ま、待ってくれ、今治療中だ……」

 

 振り返ってみると、彼は患者の列を無視し横入りした兵士に腕を掴まれていました。

 

 その兵士は息も絶え絶えで、抱き着くように癒者に詰め寄っていきます。

 

「死ぬ、じぬ……」

「あっ、その、治療には順番があってだな」

「たずけ、て」

 

 その負傷兵の顔面の大半はドロドロに溶けた赤い皮膚になっており、頬は真っ白、目は白く霞んでいました。

 

 上半身は真っ白で水疱に覆われ、ところどころ炭になっています。

 

 その方の火傷のおどろおどろしさに、癒者も看護師も固まってしまいました。

 

 ……。

 

 

「助けてぐれぇ……!」

「う、あ……」

 

 

 ケイルさんは、これほどの重傷者を見るのは初めてなのでしょうか。

 

 全身大火傷の患者を診て、完全に固まってしまっています。

 

 いけません、治療の主役のケイル氏が硬直してしまえば、すべての処置がストップしてしまいます。

 

 

「大丈夫です、負傷兵さん。こちらにお越しください、お薬を処方します」

 

 

 自分はトリアージを中断し、若い癒者を助けるべく手早くその負傷兵の手を引きました。

 

 ズルリと、掴んだ負傷兵の腕の皮がめくれ、薄く黄色い漿液が自分の手袋を伝います。

 

「ヴぁ……」

「そのままじっとしてください」

 

 そして自分は負傷兵の顔を抱きしめてやり、事前に水に溶いて準備していた薬をシリンジに吸いました。

 

 同時に、若い癒者にそのまま治療を続けるよう目配せします。

 

「おれ、生き残ったんだ、あの、ぜいぶせんせんを」

「そうでしたか」

「じにたくない、こんなどころで、じにたくない」

「大丈夫です、落ち着いて深呼吸をしてください」

「まだ、じねないりゆうが、ある────」

 

 火傷は、重症度によって症状が変わります。

 

 まだ赤黒い火傷は神経が残っていますが、青白くなったり炭化した皮膚には神経が残っていません。

 

「やっと、ふりむいて、ぐれたんだ。かのじょに、あいたい、あいたい」

「……」

「そして、つだえるんだ、おれの、おれの───」

 

 つまり、真っ青な皮膚を抱きしめても患者さんは痛くないのです。

 

 自分は泣き叫ぶその兵士を抱きしめたまま、ゆっくりと薬を口の中に落としてやりました。

 

「あ……」

「そうです、そのままゆっくりお休みください」

 

 シリンジで口の中に全て薬を入れ切ってやると、その兵士の目は虚ろになっていき。

 

 まもなく、負傷兵の息は浅くなってイビキをかき始めました。

 

「何も考えなくていいんです、静かにおやすみください」

「……あ、い、……」

 

 やがて彼は自分の腕の中で、そのままカタリと昏倒しました。

 

「あ……」

 

 その呼吸は浅く、微かなものです。

 

 

「看護師さん、この方を所定の場所へ」

「……あの」

「お看取りです」

 

 

 先ほど飲ませたのは、かなり強めの睡眠薬です。

 

 彼の熱傷の範囲から、救命はどうあがいても困難でした。

 

 せめて痛みを感じぬまま、逝ってもらった方が楽でしょう。

 

 

 このように、治療中に他の患者が乱入してくることは多々あります。

 

 そう言った場合も、なるべく手早く処理しないと他の方の治療が滞ります。

 

 しかし必要以上に冷徹に対応すると、その患者がパニックを起こすばかりか、前線兵士の士気にかかわります。

 

 

「では、次の方」

 

 

 なので自分は、先ほどの様に穏便に対応する事が多いです。

 

 冷酷に見えますが、医療をスムーズに行う為に手段を選んでいられません。

 

 人によってやり方は違いますが、話が通じないケースは一服盛るのが最もスムーズですね。

 

 

「……ごめん、リトルボス。嫌な仕事押し付けちまった」

「トウリと呼んでください」

 

 

 ですが、何度経験しても思います。

 

 死にゆく人を抱きしめるのは、辛いものです。

 

 自分には、冷え切って固く冷たい兵士を抱きしめた感覚が、今もなお残っていました。



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28話

「爆音が止んだ……」

「終わったみたいですね」

 

 

 マシュデール防衛戦、2日目の夕方。

 

 敵サバト軍は、本日もマシュデール堡塁を突破する事が出来ず、引き上げていきました。

 

 レンヴェル少佐指揮するマシュデール戦線は、敵よりはるかに少ない兵力で2日目も迎撃に成功したのです。

 

「……推定被害はどのくらいでしょうか」

「医療部で看取っただけでも100人は超えるぞ」

 

 しかし、初日との大きな違いはオースティン兵にも多大な被害が出たという事です。

 

 魔法による遠距離砲撃は、塹壕や堡塁に籠る防衛部隊にとって最も効率的な攻撃です。

 

 どんなに強固な防御魔法を展開していても、崩れてきた堡塁に生き埋めにされては助かりようがありません。

 

 

「これを繰り返されたら、明日にでも落ちるかも……」

 

 何より問題なのは、本日の敵の攻勢で堡塁の一部が損壊してしまったことです。

 

 急遽、前線では損壊部位に塹壕を慌てて掘っているそうですが、明日までに間に合うかどうか分かりません。

 

 そもそも、明日まで敵が待ってくれるかも不明です。間髪入れず、夜襲を掛けてくる可能性だってあるのです。

 

「むしろ、今日どうして引いてくれたんだ?」

「サバトとしても、今日中に攻め切る必要はなかったんでしょうね。我々の迎撃体制から、残存兵力が少ないのはバレているでしょうし」

「ゆっくり確実に攻略しに来たわけか」

「ええ、元より自分達に勝ち目のない戦いです。我々は、避難民と物資輸送のための時間稼ぎが出来れば十分でしょう」

 

 サバト側には、マシュデール攻略にあたり時間制限なんてありません。

 

 むしろ、たっぷり時間をかけた方が後方から物資が届いて有利になります。

 

 彼らは既に、戦争の勝利者なのです。主力の殆どを失ったオースティンを、いかに被害少なく占領するかが重要です。

 

 だからこそ、本日は余裕をぶっこいて撤退していったのでしょう。

 

「マシュデールが落ちる日が来るなんて、想像だにしていなかった」

「自分も同じ気持ちです」

「逃げ遅れて敵に捕まっちまったら、どうなると思う?」

「嬲り殺しにでもされるのではないでしょうか」

 

 敵サバト兵の憎しみは、深く根強いです。

 

 ロドリー君が敵を激しく憎んでいるように、彼らも我々を恐ろしく憎んでいるでしょう。

 

 だからこそ、捕まった時に凄まじい悪意に晒されることは想像に難くありません。

 

 

「……この方も、お看取りです。外に運び出してください」

 

 

 前線の医療本部は、腐った屍肉の匂いで充満していました。

 

 自分たちの服には数多の血痕がこびりついていて、ギトギトと脂が光っています。

 

 しかし、自分たちに着替えたり休んだりする時間はありません。治療対象者に対して、癒者が少なすぎるのです。

 

 

「先生、指が千切れちまって」

「これは、残念ですが潰れてしまってますね。結合は無理です、このまま止血します」

「背中が火傷で痛くて痛くて」

「大丈夫、これならまだ死なないさ。看護師さん、誰か彼に軟膏を塗ってあげてください」

 

 やはり野戦病院は、修羅場です。

 

 まだ徹夜2日目なので自分は体力に余裕はありますが、若手のケイル先生が心配です。

 

 今のところ、眠気が超過してハイになったのか、彼は休むことなく働き続けてくれていました。

 

 目が虚ろになってきていますが、意識はしっかり保っています。

 

「先生、次の患者です」

「ああ、ジャンジャン連れてきたまえ」

 

 あの感じですと、明日くらいに糸が切れたかのように失神して眠ると予想されます。

 

 そうなったら、自分一人で頑張るとしましょう。

 

「うーん、回復魔法が要るね。薬、薬、と……」

「あれ、さっきも飲んでいませんでしたっけ」

「僕はまだ若いんだ、臓器だって健康さ」

 

 ケイルさんはいつの間にか、随分とキマっている様子でした。

 

 あの濁った目は懐かしいですね、初めて秘薬を飲むと結構キマりやすいのです。

 

 自分の同期の衛生兵は、初めて薬に頼った時はキマリ過ぎて1週間くらい起きていたと言ってました。

 

「あはははは、漲る、漲るぞぉ!」

「トウリさん、この薬大丈夫なんですか?」

「少なくとも自分は、割と大丈夫でしたよ」

 

 秘薬には覚せい剤成分に加え、ステロイドとかアルコールとか色んなものが入っているっぽいので、前世基準だと絶対アウトですけど。

 

 こういう自分の限界を超えて働かないといけない場所では、実に有用だったりします。

 

 強いて文句をいうなら、自分はこの薬を飲み始めてから身長が伸びなくなった事ですかね。

 

「これくらい気分が高揚しないと、恐怖に飲まれますからね」

「……」

 

 恐らく今夜は徹夜でしょう。何なら、戦闘終了までずっと寝れない可能性の方が高いです。

 

 それならば、多少ハイになってもらって限界まで稼働してもらった方が助かります。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、ヴェルディさん」

「ぐぅううむ……、ゴホゴホ」

「……げっ。今すぐこの人を、街内の医療本部に搬送お願いします」

 

 因みにこの日、ヴェルディ伍長がかなりの重傷で運ばれてきて少し焦りました。

 

 街内の医療本部で頑張れば助かりそうだったので、急いで運んでいってもらいました。

 

 ロドリー君やアレンさんは無事でしょうか。

 

 ガーバック小隊長殿は……、どうせ死なないでしょう。致命傷でも真顔でスタスタ歩いてきそうです。

 

「……肺塞栓だ。搬送急げ!」

 

 ヴェルディ伍長は、本部のクマさんの必死の治療で生き長らえたそうです。

 

 しかし戦線復帰は1週間後だそうで、事実上のリタイア。

 

 1週間もマシュデールが持つとは思えません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────深夜。

 

「手伝いに来た」

「アリア少尉殿」

 

 それなりにキマったケイル氏と自分が変なテンションで治療を続けていると、助っ人が現れました。

 

 それは何と、アリア少尉殿でした。

 

「私は元々、看護兵志望だったからな。応急処置は任せてくれ」

「おお、そうでしたか」

「私に砲撃魔法の適性さえなければ、今衛生部に所属していただろう」

 

 アリア少尉殿は、元々は看護兵として後衛勤務を希望していたそうです。

 

 しかし士官学校で適性を調べてみれば、これ以上ないくらい砲撃魔法適性を持っていました。

 

 これを受け、彼女は魔導士の道を進み看護兵になる夢を断念しました。砲撃魔法使いも衛生兵に負けず劣らず希少であり、遊ばせておく余裕なんて有りません。

 

「それと、ヴェルディの容態はどうだ?」

「それなりにヤバくはありました。ただ、早めに運び込んでもらえたので助かると思います」

 

 アリア少尉は、ヴェルディ伍長の様子を尋ねて来ました。

 

 従兄弟だそうなので、心配だったのでしょう。

 

「……それは良かった。あと昼間に1人、ここにダラットという魔導兵が運ばれてこなかったか」

「魔導兵でしょうか。……すみません、治療対象の兵科の確認は怠っておりました」

「いや、別にいい。少し彼の容態が気になっただけでな」

 

 アリア少尉は手伝いながら、色々と自分に聞いてきました。

 

 もしや彼女は、知り合いが心配で我々の手助けを理由にお見舞いに来たのでしょうか。

 

「ダラットさんは、アリア少尉の部下の方ですか?」

「ああ、うちの魔導中隊のメンバーだ。……私の撤退の判断が遅れて、敵の爆撃に巻き込まれてしまった」

「でしたら少尉、ここはあくまで診療所です。病床はマシュデール役場の中に設置されており、重症な方はそちらに搬送されます。ご心配でしたら病床に行かれてはどうでしょう」

「……いや。少し気になっただけなんだ、彼の見舞いが本題ではない」

 

 少尉はかぶりを振って、負傷者の処置を手伝い始めました。

 

 見舞いも兼ねて、処置の手伝いに来てくれたといったところみたいですね

 

 いずれにせよ、一人看護兵が増えるだけで大助かりです。アリア少尉がそう言うのであれば、ありがたく手伝ってもらう事としましょう。

 

 

「……先生、治療待ちの列で倒れている人が」

「トリアージはどうなってる?」

「赤です」

「看取れ」

 

 

 治療を続けている間に、また一人殉職者が出た様子でした。

 

 トリアージ、というのは重症度に合わせ患者に付けたタグの事です。

 

 赤い色のタグの意味は『集中治療を行わねば死ぬ重症度』。

 

 つまり、全力で治療しても助かるかどうか分からない人です。

 

「トリアージが赤なのに、列に並ばせていたのか?」

「……ええ。赤の方は、並んだままにしております」

 

 普通の病院であれば、トリアージの赤は最優先の救命対象です。

 

 しかし、戦場においては『助けるとコストパフォーマンスが悪い』患者さんと言えます。

 

 なのでトリアージが赤の患者さんは、自分の判断で街の中に搬送せず捨て置くことにしました。

 

 

「……殉職した人は、どうしてる?」

「城壁に沿って並べています」

 

 

 死体の処理として、事前に穴を掘っておき死体を入れておくと燃やしやすいし埋めやすいのですが、我々にそんな時間的余裕はありませんでした。

 

 亡くなった戦友は、無造作に大地に転がされて放置されています。

 

 きっと彼らは、サバト兵にマシュデールを占領された後に供養もされず野晒しになると予想されます。

 

 できれば、同胞である我々の手で埋葬してやりたいのですが、そんな余裕はどこにもないのです。

 

「……分かった」

 

 アリア少尉は黙したまま、殉職者の足を持って運んでいきました。

 

 その遺体の人に赤のトリアージを付けて、見殺しにする判断をしたのは自分です。

 

 ……今日だけで自分は、100人以上を見殺しにしたことになります。

 

 

 自分は、死んでも天国には行けそうにないですね。

 

 

 

 

 

 

「……少尉?」

「ああ、いや」

 

 死体置き場から戻ってくると、アリア少尉は涙声になっておりました。

 

 どこか、憔悴している様にも見えます。

 

「……その、もしかして」

「ああ。居たよ」

 

 そんな彼女の様子を見て、自分は察しました。

 

 彼女が心配していた部下が、どうなってしまったかを。

 

「助からんとは思ったが、やはり目の当たりにするとなぁ」

「……アリア少尉、部下を失ったのは初めてですか?」

「いやいや。これでも、君よりずっと長く戦場で生きてきたんだ。部下を失うくらい、何度も何度も経験してきたさ」

 

 そのアリア少尉の部下には、やはり赤いトリアージが付いていたそうです。

 

 自分が、その重症度から見捨てる判断をした方の様です。

 

「ただ」

 

 アリア少尉は、看護兵志望です。

 

 無論、赤いトリアージの意味くらいは理解したでしょう。

 

 そして、この前線本部で誰がトリアージを行っていたかも把握しています。

 

 

「ボーイフレンドを失ったのは、初めてかな」

 

 

 どうやらアリア少尉の恋人は、自分が見捨てたようでした。

 

 

 

 

 

 

「私は、性格がキツい方だから。あんまり、寄ってくる男はいなかった」

「そんな風には、見えませんけど」

「普段はもっと威張ってるんだぞ? 隊長って肩書きを持ってしまうとな、どうしても威厳が必要なんだ。部下を従える能力がそのまま、部隊の生存率に直結するからな」

 

 少尉は、力なく笑いながら自分の隣に腰かけました。

 

 そして、目の前で呻いている患者に包帯を巻くのを手伝ってくれました。

 

「上に立つものは、怖がられるのが仕事。特に私を親の七光りと、嫌う部下も多かったさ」

「……」

「でも、ダラットは子犬みたいな男でな。どんなに怒鳴られようと、ずっと私の回りをピョコピョコついてきた」

「……」

「最初は相手にもしなかったんだが、あんまり懐かれるもんで絆されてな。いつしか、そういう関係になってた」

 

 アリア少尉に、自分を怨むような素振りはありませんでした。

 

 ただ、自嘲するかのような口調で、恋人との思い出を語るのみでした。

 

「分かってたのになぁ。こんな戦場(ばしょ)で、恋なんてすべきじゃないって事くらい」

「それは」

「ああ、迂闊だった。……前線兵を援護しようと焦るあまり、私の中隊は敵の砲撃の範囲内に入ってしまっていたんだ」

「……」

「結果、ダラットは詠唱中に敵炎魔法の直撃を食らった。彼が助からないのは……自分だって理解していた」

 

 そういえば、と自分は思い出しました。

 

 凄まじい火力で全身を火傷しており、救う手立てがなく看取った兵士が居たことを。

 

「……その。もしかしたら、ダラット氏を看取ったのは自分かもしれません。彼はもう救命が難しい状態でしたので、その」

「ああ、安心してくれ。彼が爆撃を食らったのも、私の判断ミスだ。君は、何も気にする必要は無いさ」

「……」

 

 自分は彼が騒がないよう、淡々と睡眠薬を飲ませて昏倒させました。

 

 ダラット氏が最後に何か言おうとした言葉さえ、聞こうとしないまま。

 

「彼を看取ってくれてありがとう」

 

 その言葉を最後に、少尉殿は一切話さなくなりました。

 

 

 

 

 

 

 その後、深夜までずっとアリア少尉は、自分達医療部の仕事を手伝い続けてくれました。

 

 

「……あの、少尉殿」

「何だ」

 

 

 それは、彼女なりの贖罪だったのでしょうか。

 

 それとも、何も考えたくなかったから無心に手伝ってくれていたのでしょうか。

 

 

「もう、日付が変わります。少尉は、明日の戦闘に備えて休養すべきです」

「……そうか。もう、そんな時間か」

 

 

 アリア少尉は、結局。

 

 夜遅くまで延々と、医療部の手伝いをし続けたのでした。



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29話

 マシュデール防衛戦、3日目。

 

 この日も敵は、突撃する前に朝から時間をかけて魔法による事前攻撃を行いました。

 

 どうやら奇をてらった作戦を取らず、ひたすら堅実に攻めてくる方針のようです。

 

「……ああ、マシュデールの外郭が」

 

 遠目に見える崩壊した堡塁を見つめ、若い癒者は呆然としていました。

 

 明朝からの砲撃の末、最外郭の堡塁はほぼ破壊され尽くしました。

 

 あの有り様では、最早銃撃を防ぐ壁として機能しないでしょう。

 

 それはつまり、

 

「3日目で、もう堡塁が1つ落ちたのか」

 

 我々の、最初の敗北を意味します。

 

 

 

 

「まだ戦争が始まったところなのに、堡塁が落ちて大丈夫なのか?」

「大丈夫とは言えませんが、味方に被害が無いことを救いと思いましょう」

 

 幸いにも今、サバト軍が必死に砲撃している堡塁に防衛部隊はいません。

 

 この日、敵の砲撃開始を受けてすぐ、レンヴェル少佐は予め最外郭の堡塁の放棄を味方に通達したからです。

 

 つまり敵兵は、防衛部隊のいないがらんどうの堡塁を半日以上砲撃し続けているのです。

 

 敵に無駄に資源を浪費させ、かつ味方の被害はなし。

 

 戦術的にはレンヴェル少佐の勝利と言っても過言ではないのですが……。

 

「少佐も怖いことするねぇ。僕らが兵を下げた瞬間に、敵が突撃してきたりしないの?」

「しないでしょうね。敵は自分達とそんな読みあいをしなくても、入念に魔法攻撃すれば被害なく堡塁を占領できるので」

「まあそうするわなー……、それが一番確実だもんな」

 

 敵からしたら、防衛部隊が居ようが居まいがやることは変わりません。

 

 万が一の事を考え、愚直に丁寧に事前砲撃をかますだけです。それが一番確実で、被害が少ないからです。

 

 そしておそらく彼らは、輸送されてきた軍事物資を節約する必要が無いと考えているのでしょう。

 

 

「砲撃用の魔石なんて、戦争中しか価値がありませんからね」

「戦争が終わるのに、魔石を余らせとく必要なんざ無いからなぁ」

 

 この戦いは、戦争の雌雄を決する戦いではありません。西部戦線を突破された時点でもう、決着はついているのです。

 

 もしかしたらレンヴェル少佐に一発逆転の秘策があるのかもしれませんが、普通に考えるならこのマシュデール防衛戦は我々の悪あがきでしかありません。

 

 だからサバト兵は、届いた資源は惜しみ無く使うのでしょう。彼らも自分たちの悪あがきで余計な被害を負うより、使えるものを全部使って安全に決着させたいハズです。

 

「……本当に、落ちるんだな」

 

 そして、マシュデールを攻略する事の政治的価値は結構大きいです。

 

 マシュデールはオースティンにとってまさしく『精神的支柱』。

 

 長い間「難攻不落」としてオースティンの民の心のよりどころであったマシュデールを陥落させれば、国民の精神(こころ)をへし折ることができます。

 

 心の折れた市民の方が、侵略者にとって統治しやすいのです。

 

「うっかり逃げ遅れて捕虜にでもされたら、そりゃあ酷い目に遭うだろうな」

「サバトの人は、女性相手でも容赦しないらしいですね」

 

 侵略者達は軍事力によって、植民地の民を押さえつけねばなりません。その為に、マシュデール陥落と言う戦果はこの上ない材料となります。

 

 なので彼らは惜しみ無く資源を吐いて、確実にマシュデールを攻略するのでしょう。

 

 

 

 

 

 3日目は、敵方が最外郭の堡塁を確保して終了となりました。

 

 これは双方にとって、予定通りの結末です。オースティンは味方の被害なく敵の砲撃を躱し、サバトは被害なくマシュデールの堡塁を占領したのですから。

 

 これで、マシュデールに残された堡塁はあと二つ。

 

 初日の迂闊な突撃を加味しなければ、2日おきに堡塁が攻略されていく計算です。

 

 

「このままだとあと1週間以内に、マシュデールは落ちるでしょう」

「かもな」

 

 

 レンヴェル少佐は、一体どこまで戦局を見通して戦っているのでしょう。

 

 住民の避難の時間稼ぎとして奮戦しているとすれば、我々はここで捨て石にされるのでしょうか。

 

 それとも、まだ何かしらの勝機があるからこそ粘っているのでしょうか。

 

「もう負け戦だろう? とっとと降参すべきじゃないのか」

「おそらく政府も、無条件降伏を検討しているでしょうね」

「早く敵の外交官に土下座しに行ってほしいもんだ。降伏までの期間で散らす命が勿体ない、まさに無駄死にじゃないか」

「いえ、価値は大いにあるでしょう」

 

 若手の癒者ケイルは、かつての病床主任のようなことを言い出しました。

 

 今になって考えると、病床主任の言う通りとっとと降伏していた方がよほどマシだった気がします。

 

 降伏とまではいかずとも、もし講和に成功していればノエルは焼かれずに済んだのですから。

 

「我々は今、命を賭けて後方の民を守っているんです。我々の犠牲で助かった命があるなら、この戦いに意味があると信じます」

「……だと、良いがね」

 

 そして今、我々はノエルのような都市をこれ以上増やさないよう奮戦しているのです。

 

 政府が重い腰を上げ、サバト連邦に泣きついて慈悲を乞うその日まで、一人でも多くの民間人を守り抜く。

 

 それが、軍人の定めです。

 

「なので、いざという時は自分を置いて逃げてください。ケイルさん」

「や、だから君の方が年下で」

「軍人とはそういうものなのです。間違いなく、軍属の自分より民間協力者のケイルさんの方が先に避難命令が出されるでしょう。その時はどうぞ、躊躇って無駄に命を落とすことの無いよう」

 

 故郷ノエルを失い、家族がいなくなった今。

 

 自分に残されたのは、軍人であるという肩書とガーバック小隊で知り合った戦友だけです。

 

 戦争が終わったとして、自分に帰る場所はありません。

 

「どうせ自分が死んでも、悲しむ人はほとんどいないですから」

「おいおい」

「孤児の自分が、出身の孤児院を焼かれたのです。少なくとも貴方よりは、身軽な身の上です」

 

 ロドリー君とかは自分が死んだら悲しんでくれそうですけど、きっとすぐに乗り越えて前に進んでくれます。

 

 それが、今は亡きグレー先輩から教わった最期の訓示だからです。

 

 

「……その言葉、二度と吐かないでくれよリトルボス。気分が悪いから」

「すみません」

 

 

 しかし、確かに癒者の前で『自分が死んでも悲しむ人はいない』と言うのは、ぶしつけだったかもしれません。

 

 そんな自分の言葉を聞いたケイル氏は、明らかに怒っていました。

 

 当たり前です。自分もきっと、助けようとしている患者にそんな言葉を吐かれたら不快になるでしょう。

 

「口が滑りました、訂正してお詫びします」

「なぁリトルボス。これは僕個人の勝手な感想ではなく、あくまで一般論だが」

「はい」

「『自分が死んでも誰も悲しみません』とか言ってる15歳の女の子が戦死して亡くなったらよ、大概の大人は発狂するくらい悲しむ」

「……」

「よくよく覚えとけ」

 

 その言葉で自分は知らずのうちに、自身の命を軽視していた事を自覚しました。

 

 このマシュデールの戦いで命を落とすことは無意味とは言いません。しかし、だからと言って自分の命を粗末にしていいわけではないのです。

 

「ごめんなさい、ケイルさん」

 

 自分の命は、多くの犠牲の上に成り立っているのです。

 

 自分の命はサルサ君にグレー先輩、ロドリー君とたくさんの人に支えられ、助けられてきた命だったのです。

 

「自分の考えが甘かったです、すみません」

「ああ」

 

 自分は生きねばなりません。たとえ家族がおらずとも、今まで助けてくれた人に報いる為にも簡単に死ぬわけにはいかないのです。

 

 それが、死んでいった戦友たちへの何よりの贖罪なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初の堡塁が陥落してから、2日後。マシュデール防衛戦、5日目。

 

 マシュデールの2層目の堡塁の攻略は、やはり敵の魔法攻撃から始まりました。

 

「攻撃が1日空いたってことは、やはり敵も補給が追い付いていないんだろう」

「魔石が到着するのを待って、攻撃を再開したという事ですか」

 

 サバト側は、徹底して被害を少なくマシュデールを攻略する方針の様です。

 

 遠距離からの魔法攻撃に、歩兵が対抗する手段はありません。

 

 ただ陰に隠れてブルブルと震え、砲撃がこっちに飛んでこないよう神に祈ることしか出来ないのです。

 

「……」

 

 いかに古い城壁とはいえ、かつては難攻不落を謳われたマシュデール。

 

 敵も甘く見ず、堅実に攻めてきているのでしょう。

 

「政府の降伏声明は、まだでしょうか」

「西部戦線が崩壊してからもうすぐ2週間。この戦況だと、そろそろ声明を出してもおかしくはない。ここが落ちる前に成立させてほしいねぇ」

「政府が色気を出して、無条件降伏ではなく何とか講和出来ないか交渉しているとかでしょうか」

 

 無条件降伏をしてしまえばこの土地は植民地になりますし、我々オースティン国民はサバトの奴隷になります。

 

 それを回避すべく、何とか国と領土を保とうと交渉している最中。

 

 終戦が遅れている原因としては、このあたりでしょうか。

 

「南の方は、まだほとんど被害が無いんだろう? そこから救援を出せないのか」

「そんなことしたら、無事だった南方面の都市も焼かれてオースティンは終わりですね。おそらく、南部都市以外の領土の大半を割譲されての講和になると思われます」

 

 唯一このオースティン内で戦火を免れているのは、シルフ攻勢に参加しなかった南部戦線のみでした。

 

 当時の自分は敵が南部戦線でも攻勢を行わなかった理由は分かりませんでした。

 

 まさか、敵将が攻撃命令を拒否しているとは思わなかったです。

 

 流石に全戦線で突撃するのは怖かったのかな、とか南は資源に乏しいのであえて放置されているのかな、とそんな感じに思っていました。

 

「南の都市を維持出来ている点が、現状唯一の希望ですね。もし政府が講和を目指しているなら、我々に許される領地はここになるでしょう」

「講和、ねぇ」

 

 南部都市は資源に乏しい代わり、現在もなお戦力は保たれていて市民も無事です。

 

 それはつまり、講和となればオースティン側で保有を許してもらえそうな領地でもあります。

 

 だからこそ、首脳部は南の戦力を動かしたくないのでしょう。

 

「そりゃ講和出来るなら、それに越したことはないけど。今の戦力差で受けいれて貰えるとは思えんが」

「もしかしたらレンヴェル少佐は、講和を引き出すためにここで奮戦するおつもりかもしれませんね」

「ここで敵の侵攻を押し止めて、講和に持っていくってこと? ……できるの?」

「……すみません、自分は軍学に乏しいのでわかりません。レンヴェル少佐の心のうちも、想像でしかないので」

 

 実際、マシュデールで戦線を維持できるかと聞かれたら微妙としか言えません。

 

 そもそも、マシュデール以外の近隣都市は突破されております。

 

 このマシュデール付近だけ、敵の進軍を押し止めているのです。それにどれ程の戦術的価値があるかは不明です。

 

 それも敵と戦力が拮抗し押し留めているのではなく、ただ時間稼ぎをしているに過ぎません。

 

 その稼いだ時間で市民が逃げられるなら、命を張る価値はあると思いますが。

 

「敵が僕達の相手を面倒臭がって、マシュデールを迂回してくれる可能性はあるかな」

「マシュデールを迂回して放置すれば、我々は敵の補給線を襲い放題です。そんな有り難い事をしてくれはしないでしょう」

「だよね」

 

 

 城塞の弱点のひとつとして、迂回に弱い事が挙げられます。

 

 太古の昔より、堅牢すぎる城塞のある都市は放置されて別の地域から進軍する戦略は多々ありました。

 

 しかし、今のサバトがそれをやってしまうと侵攻ラインより後ろに敵戦力を残してしまうことになります。

 

 そうなれば我々は嬉々としてマシュデールを出撃し、敵の補給線を攻撃するでしょう。うまくやれば補給困難で敵が戦闘継続できなくなり、撤退に追い込むことすら可能だからです。

 

「それに、敵もマシュデールからいろいろ略奪したいんだろう」

「……敵からすれば、都会であるマシュデールは魅力的でしょうね」

 

 だから敵が、マシュデールを放置してくれる可能性は限りなく低いのです。

 

 ここにオースティン兵が立て籠もっている以上、彼らは真面目に攻略しないとなりません。

 

 レンヴェル少佐も、それを見越してマシュデールへ撤退したと思われます。

 

 

「失礼、通信です。……ええ、了解しました」

 

 1日空けただけあって、敵の魔法攻撃は苛烈の一言でした。

 

 瞬く間に前線防衛部隊は被害甚大となり、撤退に追い込まれてしまいました。

 

「どうした? ボス」

「少佐が撤退命令を出しました。2つ目の堡塁も、放棄するみたいです」

 

 このまま堡塁に固執したら全滅させられるだろうと、少佐は後退を指示したのです。

 

「もう堡塁が落ちたのか」

「我々にも、撤退命令が出ています。これ以上、前線での作業は危険でしょう」

 

 たった1日で、2つ目の堡塁が落とされてしまった事になります。

 

 これで我々に残された防備は、3層目の堡塁とマシュデール城壁のみ。

 

 

 

 戦争は防衛側が有利とはいえ、戦力差がありすぎるとこうなってしまいます。

 

 当時の資料によると、マシュデール付近に集められたサバト兵が数千人居たのに対しこの時のマシュデールの防衛戦力は800人ほど。

 

 しかも2日目の負傷兵や死傷者で、兵力の2~3割を失っていたそうです。つまりこの時、我々は10倍近い戦力差で迎撃していた訳ですね。

 

 そりゃあ勝てません。

 

 

「つまり、いよいよ」

「ええ」

 

 そして2つ目の堡塁が落ちてしまったので、自分達が居るこの前線医療本部も放棄せねばなりません。

 

 間もなくこの場所にも、砲撃魔法や銃弾が飛んでくることになります。

 

 

「マシュデールで市街戦が始まります」

 

 

 そして3つ目の堡塁が陥落してしまえば。

 

 敵は我々を殲滅すべく、いよいよこの都市の内部へ乗り込んでくるでしょう。

 

 そして、長い歴史を持つマシュデールの街を焼き払ってしまうのです。

 

 それを止める方法を、この時のオースティン軍部は持っていません。

 

 

「……」

 

 

 それはまさに、猟師と獲物の関係と言えたでしょう。

 

 何も対抗することができない無力さを、この時の自分たちは噛みしめていました。

 

 

 何か奇跡でも起こらないでしょうか。

 

 自分はそんな、あやふやな願望を胸に抱きながら街中へ退く事しか出来なかったのです。




世界一位様(ID:16543)より、素晴らしいキャラクター紹介絵を頂きました。
こちらは修正版になります、迅速な対応を誠にありがとうございました。

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30話

 マシュデール防衛戦、7日目。

 

 自分やケイルさん達若手スタッフが、街の中に撤退してから2日が経過しました。

 

 戦友達も必死の抵抗を行っていた様子でしたが、多勢に無勢は覆りません。

 

 少しでも皆の力になろうと、自分達も必死で治療を続けましたが、

 

 

「全ての堡塁が攻略された」

「……敵はもう、城壁に砲撃を始めたそうだ」

「ああ、この都市は持たない」

 

 

 この日、最後の堡塁も制圧され、いよいよ市街地に王手がかかったのです。

 

 そして、それを正面から迎え撃つだけの戦力なんて何処にもありませんでした。

 

「負け戦だ────」

 

 それはつまり、我々オースティン軍のマシュデールでの敗北がほぼ確定した事を意味しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 街中の医療本部は、死臭でむせ返っていました。

 

 自分たちが撤退し、前線でのトリアージが行われなくなった結果、大量の死傷者が運び込まれるようになったからです。

 

 当初の予定通り、溢れかえった死体の山を丁寧に並べていく余裕はなく、1階の倉庫に放り込んでいたのですが……、これは自分の判断ミスでした。

 

 密閉空間に死体が積まれたせいで、作戦本部にも垂れた糞便や腐った肉の匂いが充満するようになったのです。

 

 

「死体は、縄で縛って崩れないように積み上げろ」

 

 

 西部戦線だと、体液は大地に染み込むし腐肉は地中の虫に食われますので、最悪放置していても何とかなります。

 

 しかし、室内に大量の死体を放置するのは想像以上に宜しくない選択肢だった様でした。

 

「戦友の死体は、裏路地をふさぐように設置しとけ」

「……はい」

「それを板で支えれば、ほら。人の防壁の出来上がりだ」

 

 レンヴェル少佐は、倉庫の死体を運び出すよう命令しました。

 

 そして、彼は死後硬直の始まっている死体を積み上げて、土嚢代わりにする指示を出したのです。

 

「街中に、圧倒的に壁が足りていない。土嚢なんざ、急に増やせないからな」

「……」

「建物内の脱臭もできるし一石二鳥だ。俺の若いころも、よく味方の死体を矢の盾代わりに被って耐え凌いだものさ」

 

 少佐の指示で布でくるまれた死体は無造作に組み上げられ、ヌルヌルと滑る肉の壁へと変貌しました。

 

 その積んだ死体の陰に隠れ、数名の兵士が外を伺っています。

 

 あの中に自分の大切な人が居たらと思うと、胸が張り裂けそうです。

 

「さて、最終決戦だ。気張れよトウリ衛生兵」

「はい、少佐殿」

 

 

 ────そして、誰もいなくなった医療本部で。

 

 自分はレンヴェル少佐の背後に立ち、静かに街の中を伺っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 昨日、最後の堡塁が落ちた瞬間に、レンヴェル少佐は医療スタッフを含めた非戦闘員の全員の退去を命じました。

 

 クマさんを含めた医療チームのほか、戦闘に耐えない負傷兵、備品運搬など雑用のために残ってくれた民間協力者達を先に避難させたのです。

 

 なので、この場に残ったのは……。

 

「アリア少尉。戦況はどうなっている」

「はい、敵魔導兵の砲撃が始まって3時間、一部の城壁が崩落し侵入が可能な状態になっています」

「被害は」

「詳細は不明ですが、それなりに」

「よろしい。城壁を放棄しろ、街中に撤退し遅滞戦闘に移行せよ」

 

 死ぬ覚悟のできている、軍人だけになります。

 

 

 

『ふざけるな、その娘を残して逃げれるか』

 

 案の定というか、自分一人が残されると知った時、クマさんたちは大騒ぎしましたが……。

 

 そこは自分が頭を下げ、納得してもらいました。

 

『これでも自分は軍人です、4~5日なら徹夜で動けます。自分は、此処に残っても敵から逃げ延びる自信があるのです』

 

 民間協力者であるクマさんたちと、軍人である自分の一番の違いは体力面です。

 

 たった半年ではありますが、自分はガーバック小隊長の地獄のしごきに耐え、それなりに鍛えられております。

 

 特に持久走に関しては、小柄で体重の軽い自分はかなりのスコアを叩きだしています。

 

 その気になれば数日は走りっぱなしで移動できる、自分が残るべきなのです。

 

『万が一、少佐に何かあった時のために自分は残らせていただきます』

 

 そしておそらく、いつものように自分の役割は救急箱でしょう。

 

 レンヴェル少佐が負傷した際、自分が治療する為に残されたと思われます。

 

 ただし、どこかの小隊長殿と違ってレンヴェル少佐は最後方に鎮座する役目です。ヤバくなったらいの一番に撤退するでしょう。

 

 きっと、自分の出番は少ないと思われます。

 

 

 

 

 

 

 

「質問です、少佐殿。遅滞戦闘は、どれほどの時間を稼げば良いと想定しておられますか」

「1日で十分だろう。流石に1週間も時間を稼いだんだ、それで逃げても上は文句を言わんさ」

 

 この時、敵が取るであろう作戦は、複数考えられていました。

 

 敵が取ってくる可能性の高いと思われた作戦は、城壁を確保した後も即座に侵攻してこず、1度街内を砲撃してくる作戦です。

 

 街内を壊滅させることにより、我々にゲリラ戦を仕掛けさせない作戦ですね。サバト軍からして、最も被害が出にくく堅実な作戦です。

 

 敵がこの戦略を取ってくる様子であれば、自分たちは即座に街を明け渡して撤退する手筈でした。

 

 もとより時間稼ぎが目的なので、敵がじっくり砲撃してくれるならもう目標を達成したようなモノなのです。

 

 

 厄介なのは敵が乗り込んできて、数の暴力で制圧するパターンです。

 

 建物や物資をそのまま奪うため、街内へ砲撃を行わないケースですね。

 

 この場合ですと、今せっせと逃げているクマさんたちの為に我々は遅滞戦闘を行わねばなりません。

 

 せっかく今日まで生き残った味方部隊を、使いつぶさねばならないのです。

 

 できれば敵には、時間をかけてじっくり砲撃してもらいたいものです。

 

 

 

「少佐殿、報告です」

 

 サバトの攻撃開始から、半日ほどの時間が経ちました。

 

「敵が、城壁内に侵入してきました」

「そうか」

 

 希望的観測と言うものは、えてして当てにならないものです。 

 

 その報告が終わるか否か、城壁の方向から激しい銃撃音と雄たけびが聞こえてきました。

 

「砲撃してくれなかったか……」

 

 残念ながら敵は、城壁を確保して満足せずに市街へと突入してきました。

 

 サバト兵士は、ゲリラ戦をお望みの様です。

 

「読みが外れてしまいましたね」

「もしかしたら敵さん、もう魔石が残ってないのかもな」

 

 無論、自分たちも敵が突撃する可能性に対し最大限の備えは行っていました。

 

 そこら中に魔法罠を設置していますし、建物や路地に兵士を隠して迎撃にあたらせています。

 

 ですが、流石に多勢に無勢。

 

 敵の侵攻を押しとどめられるとは思っていません。

 

「少佐殿、すぐ退避されますか」

「……いやいや、ぎりぎりまで粘るぜ。指揮官が最初にトンズラこいたら部下に示しがつかねぇ」

 

 作戦本部は、街の中央部に設置されていました。

 

 火の手や爆発音は遠巻きに聞こえてきており、普通の指揮官であれば逃げる算段を立てる段階でしょう。

 

「ま、若い嬢ちゃんには悪いけど最悪ここで死んでくれや。ここで稼げた時間がそのまま、オースティンの未来の財産になるんだ」

「無論、いざとなれば命を惜しむつもりはありません」

 

 やはり自分に、レンヴェル少佐が何を考えているかわかりませんでした。

 

 どうやら彼は何らかの確信をもって、このマシュデールで時間を稼いでいる様子でした。

 

 広い作戦本部には、もう殆ど人が残っていません。

 

 戦えるものは全て外に出て、配置についております。

 

 今、作戦本部にいるのは、老いたレンヴェル少佐とその護衛2人、そして自分だけでした。

 

「これでも俺は、昔は猛将として知られてたんだぜ。戦斧のレンヴェルっつってな、重装騎兵部隊を率いていたんだ」

「ご勇名は、聞き及んでいます」

「あの時代は良かった、敵から飛んでくる兵器は弓矢と石ころくらいだった。重い鎧をかぶったまま動く事が出来れば、それこそ無敵だった」

 

 少佐は自慢げに、昔話を始めました。

 

 軍人は後輩に、武勇伝を聞かせるのが一番楽しい瞬間と聞きます。

 

「中でも俺は一等力が強くてな。フルプレートを纏ったまま、この大きな戦斧を振り回す膂力があった」

「素晴らしいことです」

「あの時代は、それが正義だった。強い奴がまっすぐ突っ込んで、敵を蹴散らしていく。戦場で死ぬのは弱い奴、逃げ出すのは臆病者」

 

 そういうと少佐は、壁に立てかけていた戦斧を片手でつかみ上げ、肩に担ぎました。

 

「銃なんて無粋な武器が出てこなけりゃ、戦争ってのはもっと早く決着したもんだ。敵を蹴散らして、追い詰めて降伏させて、そんでおしまい。今みたいに、10年も穴倉に籠ってチマチマ撃ち合いするなんて考えられやしなかった」

「……」

「しかも銃撃戦で矢面に立つのは、強い奴じゃなく弱い奴だ。新米兵士が最前線で銃を撃ちあって、俺らみたいな前時代の遺物は後方でふんぞり返って指示を出す。そんなのは、歪んでるだろ」

 

 レンヴェル少佐は、どこか寂しそうな顔で斧を担いだまま歩き出します。

 

 自分と護衛の兵士は、そんな少佐の後を追って歩き出しました。

 

「上からの命令は、少しでも時間を稼げ、だ。その間に色々と外交戦略を整えるんだとか」

「それは。その情報を、自分たちに聞かせてもよいのですか」

「構わんだろう。命を捨てる意味くらい、知っとかなきゃならん」

 

 少佐はカラカラと笑って、自分の頭を撫でました。

 

「何か期待させちゃ悪いと思ってな。援軍が来るだとか、起死回生の策があるだとか、そんな希望的な要素はこのマシュデールに何もないんだ」

「……ええ、薄々察しておりました」

「この都市を抜かれたら、首都まで一直線に侵攻されるからな。俺たちは、首都のお偉いさんが右往左往する時間を稼ぐために死ぬわけよ」

「そうでしたか」

「だが、軍人である以上は逃げてはいかん。どんなアホな命令であろうと、その真意を末端が理解した気になって勝手に行動するのは、軍人として最も恥ずべき行為だからな」

 

 彼の言葉を聞き、自分はやっと少佐の真意が読めてきた気がしました。

 

「……ま、西部戦線を放棄して逃げた俺に言えた台詞じゃねぇけどよ」

 

 このお方は、何かを狙ってマシュデールで耐久戦をしていたわけではありません。

 

 レンヴェル少佐はただ、政府からの『なんとか時間を稼いでくれ』という懇願を、ただ遵守していただけなのです。

 

「衛生兵ってのは、戦場で最も役に立つ兵科だ。歩兵を何人も再生できるお前らは、歩兵の何倍も価値はある」

「……ありがとうございます」

「だから期待してるぜ、トウリ1等衛生兵」

 

 自分は軍人です。

 

 どんなアホな命令に見えても、疑問を持たず命を捨てて実行せねばなりません。

 

「上の命令通り、ここで十全に働いて、そして死んでくれ嬢ちゃん。せめて俺は、セコセコ逃げたりしねえからよ」

「……」

「民間人守る為に死ぬのが、軍人の誉れだ。派手に命を散らして、この戦争の終焉に血の華を添えてやろう」

 

 つまり、自分が此処に残された理由は『クマさん達を逃がすための時間稼ぎ、捨て駒』。

 

 クマさんは自分を子供扱いしていましたが、少佐は自分を軍人と扱ってくれていたようです。

 

「同感です、少佐殿」

 

 自分は怖がりです。本音を言えば死にたくないですし、早くここから逃げ出したいと思ってもいます。

 

 ですがそんな自分にとっても、唯一残された肉親のような『戦友』達を置いて逃げ出す方が、よほど心苦しいです。

 

「自分は此処で死すとも、きっと少佐を怨みはしません」

「そうかい、ありがとな」

「ですが……」 

 

 ただ1つだけ。

 

 彼の意見に賛同できないことが有るとすれば、

 

「自分は何があろうとも、決して生き残ることを諦めるつもりもありません」

「……」

「まだ若い嬢ちゃんですから」

「……だはははっ! そうか、そりゃそうだ。頑張れよトウリ1等衛生兵!」

 

 多くの命に救われてきた自分の命を、おいそれと投げ出すつもりはありません。

 

 一人でも多くの戦友を助け、戦い抜いて、その上で意気揚々と撤退して見せます。

 

 それが、自分の選ぶ道です。

 

 

 

 

 

「俺達も出るぞ。応戦しながら、撤退する」

 

 レンヴェル少佐は、後退していく味方と足並みを揃えながら撤退を始めました。

 

 先行して逃げない指揮官は珍しいです。これは、きっと彼が昔気質の指揮官であったからでしょう。

 

 何なら少佐自身も、接敵して斧で戦う気満々の様でした。

 

「もう負けかけてるのに、指揮官が先陣切って逃げてどうするんだ。どうせ、戦後に処刑されるに決まってんのに」

 

 との事です。

 

 

 

 

 マシュデール市街では、既に数多の犠牲が出ておりました。

 

 オースティン兵は路上に敵の死骸を積み上げながら、勇敢に応戦しています。

 

 しかし撃ち合いにおいて、数は正義です。どんな銃の達人であろうと、2対1の対面で勝てるはずがありません。

 

 少しでも有利な状況を作ろうと、我々は高台から狙撃したり細い路地に逃げ込んだりしてゲリラ戦を仕掛けていますが、一人、また一人と殉職していきます。

 

 

「少佐、負傷兵です」

「治療してやれ、俺の分の魔力なんぞ残さんで良い!」

 

 

 レンヴェル少佐は、小隊長と違って積極的に味方へ治療許可を出しました。

 

「銃を碌に扱えん俺が生きるより、若いのが生きて応戦した方がよっぽどマシだ!」

 

 それは、レンヴェル少佐は現代戦の経験があまりに少ないからでしょう。

 

 彼は指揮官です。その仕事は、手に銃をもって塹壕に籠る事ではありません。

 

「この場において、斧を振り回すしか脳の無い俺は最も治療優先度が低いのだ!」

 

 そして、少佐はきっと。

 

 この戦いを以て、殉職するつもりだったのかもしれません。

 

 

 

 我々の命は、時間になります。

 

 政府の要人たちがサバト連邦にゴマを擦り、へりくだり、譲歩を引き出すための交渉期間を捻出します。

 

 首都がサバトに焼かれれば、その被害者数は凄まじいことになるでしょう。

 

 その悲劇までのカウントダウンを、自分たちは命がけで遅らせているのです。

 

「うおあああああっ!! この俺が大将首だ、かかってこい雑兵どもぉ!!」

 

 

 老いてなお壮健。レンヴェル少佐は、敵兵を見て怯むどころか挑発をしています。

 

 全身に鎧をまとい、大きな斧をブンブン振り回し敵を叩き切るその姿は、なるほど前時代の英雄の様でした。

 

 

「少佐を殉職させるな! 命を懸けて応戦しろ!」

「父上、無茶をされるな!」

 

 

 その雄姿は、部下の目にどのように映ったのでしょうか。

 

「少佐は俺達と、共に命を懸けて戦っているんだぁ!! その気概に応えろぉ!」

 

 少なくとも、自分一人だけ撤退する上官よりは遥かに頼もしかったに違いありません。

 

「ぐあ、ああっ! 脚が、ぁああ!」

「っ! 大丈夫です、まだ助かります」

「ちくしょおう、もう少し若ければ!」

 

 しかし、いかに少佐が勇敢であったとはいえ、銃火器の前に斧は無力です。

 

 ついに、レンヴェル少佐は狙撃され脚を負傷してしまいました。

 

「……そのまま、動かないでください。【盾】」

 

 少佐は、石造りの路上の上に足を抑えて倒れこんでしまいました。

 

 その四方八方から、銃声が響いています。後方には、こちらに向けて銃を構えているサバト兵も見えています。

 

 今狙われたら、躱し切れません。

 

「おい、今治療なんぞしたら殺されるぞ!」

「はい、ですのでどうぞお静かに。無駄に時間がかかります」

 

 しかし、自分の中で最優先の治療対象は現状レンヴェル少佐です。

 

 彼が生き延びることで、兵士の士気はどれだけ保たれるかわかりません。

 

 彼にガーバック小隊長のようなアホみたいな強さはありませんが、この絶望的な状況における兵たちの精神的支柱として、これ以上ない役割を持っています。

 

「【癒】、これで血は止まります。どうぞ、早く立ち上がってください」

「す、すまん、不甲斐ない……」

「大丈夫です」

 

 幸いにも、後方の銃弾が少佐を打ち抜くことはありませんでした。

 

 念のため設置しておいた【盾】のお蔭でしょうか。

 

 この呪文を教えてくれた小隊長とゲールさんには感謝です。

 

 

「……あれ?」

 

 レンヴェル少佐が立ち上がったのを確認し、自分も撤退を再開しようと膝を立てた瞬間。

 

 いきなり激しい眩暈に襲われ、自分は思わず手のひらを地面についてしまいました。

 

「……」

 

 足が鉛のように重たく、下腹部が焼けるように重いです。

 

 ジンジンと、ズキズキと、拍動する激痛が体を蝕みます。

 

「トウリ1等衛生兵っ……!」

「少佐、お気になさらず。早く撤退してください」

 

 額に、冷や汗が伝います。

 

 ゆっくりと視線をおろせば、自分は腹を撃ち抜かれてボトボト血を零していることに気が付きました。

 

「少佐殿」

「……っ、すまん!」

 

 それを自覚した瞬間、もう立ってなどいられません。

 

 グラリと、貧血でも起こした時のように地べたに体が叩きつけられます。

 

 じんわりと、腹から赤い液体が広がっていきます。

 

 

 そうです。今まで自分が戦場で生き延びてこられたのは、あの凄まじい戦闘力を誇る小隊長殿にお守りをされてきたからなのです。

 

 彼の守りが無い今、こんなだだっ広い場所で隙を晒せばこうなってしまって当然です。

 

「すまんっ……!!」

 

 

 目線を上げた先に、走り去っていくレンヴェル少佐の姿が見えました。

 

 彼は自分を見捨て、逃げ延びる決断をしてくれたようです。

 

 

「……」

 

 

 そのまま、自分は全身の力を抜いて。

 

 迫りくる、敵兵の軍靴の音に身を任せることにしたのでした。



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31話

 この世界の捕虜の扱いは、どんなもんなんでしょうか。

 

 捕虜に暴行してはいけないとか、そういう人道的な配慮はされるのでしょうか。

 

 

 ……少なくとも自分は、そういった条約の類を聞いたことはありません。

 

 敵につかまったが最後、生殺与奪は敵の思うがまま。

 

 自分はまだ幼いですが女性兵士なので、そういう扱いで生かされる可能性もあるやもしれません。

 

 

 ですがやはり、迫りくる敵兵は自分にとってただただ恐怖でした。

 

 今すぐ治療をさせてもらえないと、自分は失血死します。

 

 ですが、言葉の通じない相手にそれをどう説明しましょう。

 

 魔導士が魔法を行使するのは、基本的に敵対行動です。

 

 自分の処置をしようと魔法を発動した瞬間、銃で脳みそを吹っ飛ばされても文句は言えません。

 

 

 敵の衛生兵に処置を願うのが理想なんでしょうが……、そもそも敵が自分を治療するでしょうか。捕虜の治療をする暇があれば、自軍兵士の治療を優先する気がします。

 

 

「■■■■っ!!」

「■■」

「■■■■■■っ!」

 

 

 彼らはがなり声で、自分を指差して叫びました。

 

 聞いたことのない異国の言語。何を話しているのでしょうか、まったく見当もつきません。

 

 しかしそれが、友好的な態度ではないことは明らかです。

 

 じんわりと腹部が痛み、息が苦しくなってきます。

 

 やがて彼らは、そんな横たわる自分に真っすぐ走ってきて、そして。

 

 

「■■■■■■ォー!!!」

 

 

 

 自分を無視して、レンヴェル少佐を追っかけて走っていきました。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ……っ、【癒】」

 

 周囲に誰もいなくなったのを確認してから、自分は急いで応急処置を行いました。

 

 そして自分は街道を這って、誰かの住居内に侵入しました。

 

「……、……!」 

 

 幸いにも弾丸は貫通していたようで、腹の処置は傷を塞ぐだけですみました。

 

 しかし、結構ヤバい所を撃たれていたのか、回復魔法を使った後でも歩くのも辛かったです。

 

 出血量も多く、かなりフラフラになっておりました。

 

 ですが逆に、そのお陰で致命傷と思われ捨て置かれたのでしょう。

 

 実際、自分が衛生兵でなければ普通に致命傷ですし。

 

 ついでとばかり、頭を撃ち抜かれずに済んで助かりました。

 

「……っぐ、はぁ、はぁ」

 

 とはいえ、ちゃんとした治療は出来ていません。

 

 この感じ、間違いなく腹膜炎を起こしていますね。

 

 本音を言えば腹を開けて洗浄や縫合したいところですが……、そんな事をすれば多分自分の意識が持ちません。

 

 多少雑ですが、【癒】でゴリ押しして治しましょう。

 

 

 こうして、自分は残り魔力を使いきるまで回復魔法を行使したあと、リュックに入れていた秘薬と生食を飲み干しました。

 

 秘薬を持ち出していたのは、大正解でした。多少キマれば、痛みもマシになりますし魔力も回復しますしで一石二鳥です。

 

 そのまま自分は数十分ほど、誰もいない民家で休憩させていただきました。

 

 そして家主さんには悪いですが、勝手にベッドシーツを切って包帯替わりに使わせて頂きました。

 

 まだ少し腹に響きますが、これなら何とか走れそうです。

 

 

 窓の外を窺うと、そこかしこで火の手が上がっていました。

 

 自分はここから、敵兵に見つからず後方まで脱出せねばなりません。

 

 小柄である体躯を利用し、こそこそ隠れて移動すれば何とかなるのではないでしょうか。

 

 

 今、この市街は全域でゲリラ戦が行われています。その混乱に乗じて、上手く撤退するのです。

 

 

「■■■■■■■■っ!!」

 

 

 周囲を探るべく耳を澄ませていたら、突然にすぐ近くで敵の怒声が聞こえ、ビクリと肩が震えました。

 

 どうやら、今この家屋のすぐ外に敵兵がいる様です。

 

「■■■■っ」

「や、やめてくれ。た、助けてくれぇ……」

 

 壁越しに様子をうかがうと、命乞いをする味方兵士の声が聞こえてきました。

 

 どうやら交戦中みたいです。そして、負けているのは味方の様子。

 

 命乞いをしている彼には悪いですが、乱入しても自分に出来ることは何もありません。ここは、彼らが立ち去るまで身を潜めていましょう。

 

 

「■■■■」

「なにとぞ、なにとぞ、へへへ。ほら、靴も舐めます、えへへ」

 

 

 幸運なのかどうなのか知りませんが、彼はすぐさま射殺されず捕虜にしてもらえそうな雰囲気でした。

 

 プライドを捨てても生き延びようとするその姿勢には、少し敬意を覚えます。

 

 どうか、助かってくれればよいのですが。

 

 

 

「と見せかけて! 隙あり脱出ぅー!!」

「■■■■!!」

「ばーかばーか、誰が捕まるか! 拷問とか大嫌いなんだよ俺はぁああ!!」

 

 

 

 そんなことをぼんやり考えていた、直後。

 

 垂れ目の情けない顔の男が、自分が隠れていた家屋の窓へ突っ込んできました。

 

 

「あんぎゃあああ!! 痛ぁああ!!」

 

 

 そして窓枠に足を引っかけ、無様に床で顔面を強打しました。

 

 鼻血がダクダクと流れ、床を汚しています。

 

 ……。

 

「■■!」

「ひやああああ!! 違うんですごめんなさい、これは逃げようとしたわけじゃないんです!」

 

 逃亡に失敗したその味方兵は、即座に小銃を突き付けられて両手を上げました。

 

 そして媚びるような表情で、敵兵達に向かってヘコヘコ土下座を始めます。

 

 ……欠片も、プライドが残っていませんね。

 

「……お?」

「……」

 

 

 幸いにもこの時、自分は敵兵の目からは死角になって気づかれていませんでした。

 

 しかしプライドの無い彼は、壁越しに息をひそめて隠れている自分に気が付きました。

 

 じぃぃぃ、と彼は自分に視線を集中します。

 

 そんなに見ないでください、自分まで気づかれてしまうでしょう。

 

 どうか、ここは知らないふりをしていただけると……。

 

 

「旦那、旦那、そこの壁の裏!! 人が隠れていますぜ、ソコに!!」

 

 

 その兵士は自分の存在に気付くや否や、大袈裟に自分を指さして騒ぎ始めました。

 

 ……。

 

「ほら、アレですよ! 俺は、何かこの家屋が怪しいと思ったんすよ! ホラ、敵がいた! 隠れてた! 誉めてください旦那ぁ!」

「……」

「■■■■? ……」

「……」

 

 まもなく、敵兵さんは自分の方を覗き込みました。

 

 そして、バッチリ目が合ってしまいます。

 

「■■■」

「……はい」

 

 異国の言葉が分からないので何を言われているのか知りませんけど、銃を突き付けられたので自分はおとなしく手を挙げて立ち上がりました。

 

 この男……。味方を気遣うとかそういうのは一切ないようです。

 

 

 

 

 

 まもなく自分達は家屋内で両手を上げ、背を向けたままの状態で壁沿いに立たされました。

 

「■■」

「へ、へい。わかってますって」

 

 もう一人のオースティン兵は何やら敵の言葉をある程度理解しているっぽいです。

 

 彼はおとなしく、手に持っていた物を全て地面に置いて装備を外し始めました。

 

 いよいよ自分たちは、捕虜にされるようです。

 

「■■っ!」

「……え、えっと?」

「わああ、何をボーっとしてる、旦那を刺激すんなよガキんちょ! 武装解除しろって言ってんの、服も含めて全部脱げ!」

「は、はい!」

 

 装備を外し始めている男兵士に怒鳴られ、自分は慌てて服を脱ぎ始めました。

 

 捕虜は武装解除、そりゃあそうです。ただ、何を言われたか分かるなら自分にも教えてください。

 

 ……にしても、武装解除ですか。

 

「はい、脱ぎましたぁ!! これでどうか、命だけはお助けを!」

「……」

 

 そうなると全裸ですよね、やっぱり。

 

 自分も殺されたくはないので、おとなしく彼同様に服を全て脱いで背中越しに手を上げました。

 

 ……ああ、死ぬほど嫌な予感がします。

 

「■■■■■」

「……」

 

 女性兵士の捕虜、って実際はどんな感じに扱われるんでしょうか。

 

 本当にそういう感じになるのなら、ある意味生き残れるのでありがたいのですが。

 

「■■■……」

 

 ガクガク震えながら立っていると、敵の男性兵士は、当然のように自分の体を触ってきました。

 

 というか胸ですね。かなり強い手つきで、揉みしだいています。

 

「■■■■?」

 

 ……やはり、そうなるのですか。解放してもらえるまで、しばらく嫌な思いをすることになりそうです。

 

 もしかしたら終戦後も、そういう奴隷として扱われる可能性も───

 

「おい、旦那がお前の性別聞いてるぞガキんちょ。男か女かどっちだって」

「……女性ですけど」

「えっと、……。■■ってさ!」

「■■■■!」

 

 敵兵士は意外そうな、そして納得した顔で自分を見つめました。

 

 彼は自分の性別を確認するために、胸を触ったようです。

 

 しかもさっきまで、胸を触った後も微妙な表情で自分の顔を見ていましたね。

 

「■■■■!」

「はいはい、えーっと」

 

 というか下も脱いでいるでしょうに、そっちで確認してくださいよ。

 

 ……ああ、そういえば下腹部に包帯を巻いているんでした。それで陰部が隠れて、わからなかったんですね。

 

「ガキんちょ、包帯取って前向いて、脚広げろってさ」

「……」

 

 そして今から、そっちで確認するんですね。

 

「……」

「■■■」

「…………」

 

 結局自分は、敵の指示通りに動きました。

 

 それはとても、屈辱的な気分でした。

 

 何とか平静を取り繕いましたが、正直色んな感情がごちゃまぜになって泣きそうです。

 

「ほらほら旦那、今はここには誰もいませんよ。人の目なんてないんです」

「■■?」

「いいじゃないですか、こんなところで命がけに戦わなくても。ちょっと楽しんで行きゃどうです? ほらほら、よくみれば可愛いでしょうコイツ」

 

 すると、同じく全裸の男はニヤニヤしながら揉み手で敵兵に媚び始めました。

 

 ……さっきから、この男は何なのでしょうか。

 

 味方の兵士の筈なのに、先ほどから自分に矛先をそらすことしか考えていないように見えます。

 

 その気持ちを理解できなくはないですが……。

 

「■■■■■■」

「ええ、多分処女っすよ。なぁ!」

「……」

 

 怒ってもいいですよね、自分。

 

「■■■」

 

 敵の兵士はニヤっと笑うと、自分の体を床に押し倒しました。

 

 ……本当にその気になってしまったみたいですね。

 

「■■■■■■っ!」

「■■■■」

 

 そのまま敵兵が数名ほど、自分の周囲に集ってきます。

 

 こうなってしまえば、仕方ありません。

 

 命だけでも助けてもらえるよう、従順に振る舞うとしましょう。

 

「……えへへ、そうですそうです。戦場でもネ、こういう娯楽は必要ですよネ、げへへ」

「■■……」

 

 そして、自分をこんな窮地へと追い込んだ男はといえば、

 

 

「……チャーンス!! 今だぁぁぁ!!!」

「■■!?」

 

 

 自分が襲われかかっている合間に、隙を見て脱兎のごとく逃げ出していきました。

 

「きゃっほぉぉう!!」

 

 兵士たちの不意を突き、自分一人だけ玄関方面に駆け出していきます。

 

 全裸で。

 

 

「……えー」

「……■ー」

 

 

 これには自分のみならず、敵兵も呆れた声を出しました。

 

 多分、この時の敵兵さんと自分の気持ちは全く一緒だったでしょう。

 

「……」

「……」

 

 人間は、呆れるという感情が上限突破すると絶句するんですね。

 

 自分より年下であろう女の子の貞操を餌に、よくぞそこまで出来るもんです。

 

 

「……」

 

 テンションが下がったのか、敵兵は銃を突き付けたまま、無言で自分から離れていきました。

 

 若干、憐れむような表情がその顔に浮かんでいます。

 

 ……。よし。

 

 

「……えぇ、ぇん」

「!」

 

 

 ここは一丁、泣いてみましょう。

 

 幸か不幸か、敵兵士たちは彼に呆れて自分に乱暴しなかったあたり、最低限くらい情がありそうです。

 

 そして自分は、かなり未発育。見た目は純粋無垢な子供です。

 

 その幼い外見を利用し、プライドを捨てて情に訴えかけ、命乞いをしましょう。

 

 

「……、……?」

「えーん、えん」

 

 ポロポロと、自分はその場でしゃくり上げながら涙を溢し始めました。

 

 因みにこれは泣き真似とかじゃありません。

 

 というか、実際泣きたいから泣いています。さっきから堪えていただけで、ずっと泣きたかったですし。

 

「■■、■■」

 

 こちらの狙い通り、敵はかなりバツの悪そうな顔をしました。

 

 そうです、その罪悪感を大事にしてください。

 

 そして出来れば、今後自分を丁重に捕虜として扱って貰いたいです。

 

 

 

 やがて敵兵達は、その辺に落ちてた布切れを自分に1枚渡してくれました。

 

 先程、自分が包帯を作ろうとして切り刻んだシーツの残りですね。

 

 自分はありがたくソレを受け取って、しゃくり上げながら部屋の隅でシーツにくるまりました。

 

 ふぅ、モラルのある敵で助かったです。

 

 サバト兵は非戦闘員だろうと気にせず惨殺すると噂で聞いていましたが……。

 

 多少は、誇張が入っていたのでしょう。

 

「……■■■」

 

 とはいえ、まだ油断はできません。 

 

 捕虜として拘束する手間を考え、ここから自分を殺して前進するとかもあり得ます。

 

 気を抜かず、自分の命を最優先に動きましょう。

 

 ポロポロ泣きながらも、内心でそんな事を冷静に考えていた折でした。

 

 

 

 

 

 

 ころん、ころん、と。

 

 

 突然に窓から、丸い何かが投げ込まれてきたのは。

 

 

 

 

 え、手榴弾?

 

 

「た、た、【盾】! 」

 

 

 手榴弾の恐怖は身に染みています。

 

 何度も何度も、この恐ろしい兵器には煮え湯を飲まされてきたのです。

 

「■■■!?」

「…■■!!」

 

 自分は反射的に【盾】を出した後、頭を反対側にして床に伏せました。

 

 その直後に、敵兵達の動揺した気配を感じて、

 

 

 

 ────凄まじい炸裂音と共に、部屋が爆風に包まれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっほ! えっほ!」

 

 幸いにも、自分はその爆風の中を生き延びることができました。

 

 咄嗟に盾を出せたお陰で爆風を逸らせ、軽い火傷で済んだのです。

 

 しかし、直撃を食らった敵兵達は駄目でしょう。

 

 爆心でしたし、見るも無惨な事になっていると思われます。

 

「……けほ、けほ」

 

 にしても一体、どこの兵士でしょうか。

 

 いきなり、敵兵が何人も残っている家屋に手榴弾を投げ込むなんて。

 

 乱暴にも程があります……。

 

 

 

「ふぅー! へへへ、ざまぁ見やがれこの雑魚ども! 俺の荷物返してもらうぜ、あーっはっは!」

 

 

 ……。

 

「それと、誰か知らないけど俺のために犠牲になってくれたガキんちょにも敬礼! いやあ、最高の囮だったぜ」

「……」

「クソガキの癖に一丁前に恥ずかしがってたお陰で、アホ共を焚き付けるのも楽だった。そのままあの世で乱交でもしてろ、あーっはっは……」

「…………」

「……あっ」

 

 …………そのまま高笑いして部屋に入ってきた彼は、大層冷たい目をしていただろう自分と目が合いました。

 

 

「……ふぅ、嬢ちゃん。無事だったか、俺の計算通りだぜ」

「……」

「色々と酷いことを言ったが、どうか許してくれ、あの場を乗りきって二人とも助かるにはああ言うしか無かったんだ」

「…………」

「ま、そう気にするな。子供を守るのは大人の務めってな。命を救われたからと言って、あまり恩に感じる必要はないぜ」

「…………」

 

 命の恩、ですか。

 

 ……そもそも、お前が自分を巻き込まなければ命の危機には陥らなかったのですが。

 

「ま、まぁ取り敢えず服を着ようぜ相棒。こんな姿で二人だと変な誤解をされちまう」

「……」

「さあ、軍服を……げ、げげ! 俺の装備が焦げてる! 服も!」

「……」

 

 

 ……。




ぶり様から、当小説内のオースティン・サバト軍服の素敵なイラストを頂きました。
ありがとうございました。

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32話

「いやー、この家の人が古着残してくれてて助かったな!」

 

 絶体絶命の窮地から脱し、敵兵を爆死させた後。

 

 自分は、味方?の男性兵士と共に家捜しをして衣類を見つけ出しました。

 

 

「……あの状況で手榴弾なんて、よく隠し持てましたね」

「いいや? 丁度、外に味方の死体が転がってたから拝借した。いやー助かったぜ」

 

 

 この男が投げ込んだ手榴弾は敵の手榴弾にも誘爆し、凄まじい爆発を引き起こしました。

 

 その激しさは部屋全体を焼き尽くすほどで、石造りの家でなければ大火事になっていたと思われます。

 

 幸いにも自分は部屋の隅で屈んでいて、かつ咄嗟に盾の呪文を出していたお陰で直接爆風を浴びずには済みました。

 

 しかしそれでも、部屋の熱気でところどころ火傷していますし、髪の一部がチリチリ焦げ付いています。

 

「……貴重な物資が」

 

 そして残念なことに、それほどの火力が部屋を覆ったせいで、自分が脱いだ軍服や装備は使い物にならなくなっていました。

 

 リュック中の瓶は衝撃で割れぐちゃぐちゃになっていますし、包帯やガーゼはボウボウと現在進行形で燃えています。

 

「……」

 

 医療資源を失ったとなると、自分は単に回復魔法を使えるだけの一般人に成り下がります。

 

 その回復魔法の使用回数も、残り僅か。予備の秘薬も零れてしまったので、手持ちの魔力からして後1回使えるかどうか、でしょうか。

 

 

「うん、その姿だと完全に逃げ遅れた民間人だ。よし、これで逃げるぞぉ!」

「……」

 

 

 自分は手榴弾で軍服を失ったので、自分はこの家の箪笥を漁って見つかった少女服を借りました。

 

 白く無地で、埃の被ったワンピースです。子供服らしく、小柄な自分が着ても少し窮屈なサイズでした。

 

 しかし、何にせよ着られる服があって良かったです。最悪、全裸で撤退する羽目になるところでした。

 

「おい、この手銃はまだ使えるっぽいぜ。ほら、やるよ」

「……どうも」

 

 男は農夫の作業服のような姿に着替え、敵の死体を漁り銃を手渡してきました。

 

 彼は外の味方の死体から小銃をくすねてきたようで、フル装備になっています。

 

「……」

 

 自分は受け取った敵の手銃をスカートの中に隠し、見た目は民間人の少女へ擬態しました。

 

 この方が、生存率は高いでしょう。

 

「ああそうだ、自己紹介をしておかないとな。俺はゴムージ、階級こそは2等歩兵だが実際のところはエースみたいなもんだ」

「……はあ」

「相棒、ガーバック小隊って知ってるか? そう、泣く子も黙るうちの戦線のエース部隊! 何を隠そう、俺はそのガーバック小隊の裏エースなのさ!」

 

 プライドの無いこの男は、ゴムージと言うそうでした。

 

 彼はガーバック小隊のメンバーを名乗りましたが、自分はこの男の顔を見たことがありません。

 

 ……虚言癖もあるのでしょうか?

 

「裏エースとは?」

「俺は小隊で唯一、ガーバック小隊長の背中を任された人間なのさ。部隊に所属してまだ1日だが、小隊長には分かってたんだろうな。俺の真の実力ってヤツが」

「……」

「小隊長殿は開口一番、俺に背中を任せるといった。つまり俺とガーバックは、背中を預けあった戦友同士ってワケ。まぁ、何でも分からないことがあれば俺に聞いて良いぜ? この戦線の裏エース様が、何でも答えてやるからよ!」

「……」

 

 ああ、なるほど。

 

 こいつは、自分が抜けた後にマシュデールでガーバック小隊に編入されたのですね。

 

 そして2等兵なので、ガーバック小隊長の背中で守られている、と。

 

「それで、お前の名前は?」

「はい。自分は医療本部を統括しておりました、トウリ・ノエル1等衛生兵です」

「ほー、衛生兵さんか。どうりで武器を持ってなかったワケだ!」

「1等、衛生兵です」

「……」

「貴方の階級と所属を、もう一度復唱してください。ゴムージ2等歩兵」

 

 ……この人、大きな口を叩いておいて自分より階級が下の新米じゃないですか。

 

「あー、と。君、年はいくつ? 俺よりは年下に見え……」

「軍において年齢は重要ではありません。階級が上の相手には、最低限敬語を使うべきと思います、ゴムージ2等兵」

「……あ、あははー!」

 

 ゴムージさんは、自分の詰問をヘラヘラ笑って誤魔化しました。

 

 もしかして彼は、マシュデールで徴用された兵士とかなのでしょうか?

 

 この態度、とても西部戦線あがりには見えません。

 

「ま、ま、そんな事は置いておこう。俺たちは運命共同体、ここから脱出して味方と合流しないとさっきみたいにとんでもない目に遭うかもしれないワケ!」

「……はあ」

「ま、大船に乗った気持ちで俺に任せてくれ。衛生兵じゃ、前線のあれこれなんてわからないだろう? この戦線の裏エースの力、見せてやるよ」

 

 ゴムージはそういうと自信満々に腕を組みます。

 

「お嬢ちゃんは実に幸運だぜ。この俺に守ってもらえるんだからな!」

 

 

 ……。

 

 

「いえ、結構です。二手に分かれて行動しましょう」

「何でぇ!?」

 

 自分は彼の提案を、真顔で拒否しました。

 

 当り前でしょう、作戦行動において信用できない味方は敵よりたちが悪いものです。

 

 そして、言わずもがなこの男は一切信用なりません。自分が生き延びる為なら平気で人を使い捨てるでしょう。

 

「どうして、こんな危ない場所なんだから力を合わせて───」

「先ほどのご自身の行動を思い返してください。どうせ、また自分を囮にする心積もりでしょう」

「えうっ! あ、あれは誤解だ、俺は最初から君を助けるつもりで───」

「それに、民間人に偽装するなら私服姿の自分一人の方が都合がいいです。より、兵士と思われにくい」

「この薄情者! 自分一人助かればそれでいいってか!? お前は最低の人間だ!!」

「……」

 

 ……。

 

「なので、自分はこれで失礼します」

「ああいや悪かった。言い過ぎたごめん、だからやめてくれ、頼む、一人にしないで」

「この戦線の裏エース様なんでしょう。ご自身の力で脱出してはどうです、ガーバック小隊長殿ならそれくらいやって見せますよ」

「きょ、今日は本調子じゃないんだ……」

 

 自分が本気で彼と別行動をしようとしているのを察したのか、今度はゴムージは自分の足元に泣きついてきました。

 

 胡散臭い目で、自分は彼を睨み付けます。

 

 その心の奥底を、見透かすように。

 

 

 

 

 ────こんなに良い釣り餌を、逃がしてたまるか。

 

 ────衛生兵だ、回復要員だ。

 

 ────このガキを従えれば、生き延びる可能性がぐっと増えるぜ。

 

 

 

 

 

「申し訳ありませんが、自分はお前を信用できません。拒否します」

「そこを何とか。さっき、生まれたままの姿……裸を見せ合った仲じゃないか! なあ相棒」

「今後二度と、その表現を使わないでください。虫唾が走ります」

 

 男の目には、自分勝手な願望しか浮かんでいませんでした。

 

 彼はしつこく、自分に追従するよう懇願を続けます。

 

 その姿に、一切のプライドは見当たりません。

 

 ……しかし自分には、こんな男と共に行動をするメリットを思い付けません。

 

 

「俺でよければ、生き残ったあかつきに何でも言うことを聞いてやるから。ほら、金でもお菓子でも何でも言ってみろ?」

「……」

 

 自分の言うことを一切聞かない、チームメンバー。

 

 その仲間は好き放題、自分のやりたいことを勝手にやるだけ。

 

 そんな仲間と共に、生きるか死ぬかの戦場を走るなんて────

 

 

 ……。

 

 ……そんな経験を、何処かでやった事があった様な。

 

 

「では、自分が指揮権を預かります」

「へ?」

 

 あんまりにゴムージがしつこいので、自分は諦めて彼の追従を許可することにしました。

 

 このままゴムージに足を掴まれていたら、自分の脱出も遅れてしまいます。

 

 死ぬほど面倒くさいですが、彼も同行させましょう。

 

 

「え、指揮権?」

「そうです、ゴムージ2等兵。お前は、上官である自分の命令に一切拒否する権利を持ちません」

「……いや、それは。衛生兵に前線指揮が出来るわけ無いだろ。後方に引きこもってばっかの癖に」

「自分は前線衛生兵です。半年ほどずっと、ガーバック小隊に所属しております。お前にとっては、小隊の先輩でもあります」

「え」

 

 まぁ、この男が本当にガーバック小隊だったら、ですけど。

 

「ゴムージ、自分はお前を信用していません。なのでお前の指揮に従うのは論外です、拒否します」

「うぅ……」

「選んで下さい。別行動をするか、自分の指揮下に入るか」

「……はいはい、わかった、わかりましたよ。従う従う、これでオーケー?」

「了解しました。お前の命を不本意ながら預かります」

 

 ゴムージは渋々恭順を示しましたが、どうもその目は納得しているように思えません。

 

 いざとなったら、見捨てて囮にする算段でも立てているのでしょう。

 

 まぁ、それならそれで構いません。最初から、そういうものとして扱います。

 

 

「では、まず絶対に守ってもらいたいルールを説明します」

「あいあい」

「1つ。敵に見つからないよう、常に隠れて移動すること」

「ま、そりゃそうだ」

 

 なので自分は、最低限彼に足を引っ張られてもリカバリーが利くようにルールを設けました。

 

 敵から隠れて行動する。これは当たり前ですが、敵との戦闘が少ないに越したことはありません。

 

「2つ。自分が退けといったら、絶対に退くこと。これに従わない場合は、見捨てます」

「……はあ」

 

 そして指揮を預かると言った以上、彼の命は自分の責任下にあります。

 

 自分の指揮に従っている限り、自分は彼を最大限助けるように行動せねばなりません。

 

「そして、3つ」

 

 ……そう、自分は彼を守らねばならないのです。

 

 どんなに腹の立つ男でも、それが同じチームのメンバーであるならば。

 

 

 そしてその『無茶苦茶な仲間』を上手にコントロールしつつ、時に悪態を吐いたり、時に煽ったりしながら、最高のパフォーマンスを引き出して勝利に導く────

 

 

「これが一番重要なルールですが」

「お、おう」

 

 

 

 ────しかし。()()は本当に、使って良い技術なのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あ、ボイチャしてる方ですか? ヨロでーす』

『ええ、どうもよろしくお願いします』

 

 どこかで誰かの、声がしました。

 

 それは遠い昔の、懐かしく楽し気な男達の声です。

 

『って、●●さん!? このID、本物ですか?』

『ええ、まあ』

『うっほ! 凄い、同チーム感謝です。世界覇者と組めるなんて光栄ッス!』

『まあ、気負わず楽しくやりましょう』

 

 自分は、これを知っています。

 

 これは他愛ない、遊びの中の会話です。

 

 命のやり取りどころか、人の死体すらろくに見た事の無い平和な世界の『戦争遊び』。

 

『ていうか俺、●●さんの指示に従いますよ! 勉強させてもらいます!』

『はは、そう言ってくれるなら幾つかお願いさせてもらいましょうか』

 

 そのお遊戯の世界で、自分はかつて────

 

『じゃあ3つだけ、良いですか』

『神のプレイを間近で見れるんです、お安い御用ッスよ』

 

 

 ────神と、呼ばれていました。

 

 

 

『1つ、余計な戦闘は避ける事。寒いプレイかもしれませんが、俺は常に勝ちに行ってますんで』

『リョっす』

 

 自分には、そのゲームにおいて凄まじい才能が有ったのです。

 

 視界の端にチラリと映る敵を見逃さない、視野の広さ。

 

 気付いてからの行動が早く、正確無比なエイムを行える技術。

 

 そして、

 

『後、俺が退くって言ったら従ってください。たとえ、勝てそうな盤面でも絶対に』

『うス』

 

 このまま戦っていたら『ヤバい』事を誰より早く感じられる、危機察知能力です。

 

 敵が近づいてきている様な感覚、敵に狙われている様な気配、そのような『脅威』を察知する能力は自分の最大の取り柄と言えました。

 

 だからこそ、サバイバル系のFPSは自分の最も得意とする分野だったのです。

 

『そして、最後ですけど……』

『はい、何です?』

 

 

 そしてFPSゲームにおける鉄則、それは多対1では決して勝てないという事。

 

 自分一人が生き残って、周囲のプレイヤーを全滅させられるなんて夢物語はありません。

 

 的も分散しますしダメージ効率が違いすぎるので、2対1で撃ち合いになった時点で負けなのです。

 

 だからこそ、たとえどんなに無能な仲間であっても誉めて煽てて、失わないように立ち回らなければなりません。

 

 

 

『お前は────』

 

 

 

 

 

 

 

「────お前は余計な事をせず、這いつくばって生き延びる事だけ考えてなさい」

 

 

 

 戦争ゲーム、なんてものは現実の戦争とまったく別の遊びです。

 

 そんなゲームの世界の経験を、現実の戦争に利用しようだなんて頭の悪い事この上ありません。

 

 

 しかし、自分にはこの世界において小隊指揮の経験なんてありません。

 

 今の自分が頼るべき手管は、あの能天気な戦争ゲームの中にしか無いのです。

 

 

「え?」

「分かりましたね、ゴムージ」

 

 思い出しましょう。あのゲームで自分は、どんな事を考えながら動いていたか。

 

 索敵、隠密、移動プラン、射線管理、弾薬補充、装備拡張────。

 

 あの能天気なゲームの中から使える情報、使えない情報を取捨選択して現実に昇華させていくのです。

 

 

 ────言い様の無い、かつてよく(・・)感じた(・・・)悪寒。

 

 まもなく、この家に敵部隊が様子を窺いに来そうな気がします。

 

 あれほど大きな爆発があったのです、そりゃあ様子を窺いに来るでしょう。

 

 この家屋に逃げ込む前の、風景を思い出さないと。どの窓から脱出すれば、見つからずに裏路地を進むことが出来るでしょうか。

 

 敵が侵入してくるとしたら、何処から? やはり、自分たちも侵入に使った窓からでしょうか?

 

 ……。

 

「この部屋と反対側の、台所付近の窓から脱出します。そのまま、路地に入って索敵をしましょう」

「は、はあ。その道で良いのか?」

「それ以外のルートですと、恐らく捕捉されて今度こそ殺されます」

 

 太ももに縛り付けた手銃が、冷たく皮膚を擦ります。

 

 これは、お守り。今までロクに銃を撃ったことのない自分が、実戦でいきなり狙い(エイム)を定められるとは思えません。

 

 現在の最大目標は、一度も戦闘せず無事に味方の防衛ラインまで撤退し、合流する事。

 

 一度でも正面戦闘になったら、それは敗北と同義です。勝てる訳がありません。

 

 

「……」

「お、おいトウリ1等衛生兵殿?」

 

 

 マップも無ければ、落ちてるアイテムや蘇生スポットもない、そこら中で死体が転がる本物の戦場で。

 

 自分は生まれて初めて、誰かを従え自己判断だけで戦闘行動を行うことになりました。

 

 自分は臆病者です。

 

 殺意に溢れた敵に囲まれたこの状況で、無事に味方のもとへ逃げ延びるなど恐怖で気が狂ってしまいそうです。

 

 ですが、やるしかありません。

 

 自分は生き延びます。自分の命を、決して粗末に扱う訳にはいかないからです。

 

「……なにをボーっとしているんです。早く、行動してください」

「いや、その」

 

 そして、何故でしょう。

 

 この絶体絶命の苦境に立ち、心底怯えて頭が変になってしまったのでしょうか。

 

 この時の自分は、生まれてこの方初めてというレベルで、

 

 

 

「何で笑ってるんだ、お前────」

 

 

 

 ……気分が高揚、していたのでした。



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33話

 それは、遠い記憶の彼方にあった下らない景色です。

 

 そこには、一人の平凡な男が喜色満面にガッツポーズして立ち上がっており。

 

 周囲にはそれなりの数の観客と、大きなスクリーンに映されたゲーム画面がありました。

 

 

 その中心に居るのは、かつての自分です。

 

 そう、これは最初の有名FPSゲーム世界大会の決勝の舞台。

 

 それは選ばれた数十の精鋭チームが覇を競い、互いを撃ちあい、そして散っていった本ゲームの伝説の一夜でした。

 

 

 ────最後のアレはないぜ、せめて撃ちあってくれよ!

 

 ────いや、俺も撃ちあいたかったです。ただ、そんなことしなくても勝てたんで。

 

 ────誰だよコイツを神って言った奴は! 逃げてるだけじゃねぇか!

 

 ────つまり、お前らはチャンピオンと撃ち合いが出来るレベルに達していなかったって事だ。

 

 

 

 

 

 たかがゲームの大会とは言え、世界大会であるその会場はそれなりの規模でした。

 

 それなりの大きさのイベント施設が借り切られ、中にはスポンサーの垂れ幕がそこら中に掲げられています。

 

 参加プレイヤー全員に席とモニターが用意され、司会の後ろの大型モニターには神視点でゲーム映像が流れていました。

 

「最後の、●●チームが裏を取ったのが決め手でしたね! 見事な戦略勝ちでした!」

「運が良かったってだけじゃ、ないでしょうね。ちゃんと敵チームの索敵方法を事前に把握していないと、選択できない移動ルートでした」

「追い詰められた●●が一転、奇跡のムーヴで大逆転! これだからこのゲームは面白い!」

 

 その大会で、オンラインで知り合っただけの初対面に近い仲間と共に。

 

「それでは皆様、新たなるチャンピオンに祝福を!」

 

 自分は、くだらない『世界最強』の名を手に入れたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、周囲は安全です。行きますよゴムージ」

「あ、ああ」

 

 自分達は敵の部隊が様子を見に来る前に、いち早く焼け焦げた家屋から脱出しました。

 

 台所側の窓を越えた先にあったのは、そこら中に血痕が飛び散った小汚い路地でした。

 

 見た感じ、敵が居そうな気配はありません。

 

「……」

 

 自分は先に路地に降り立って、周囲を探った後、ハンドジェスチャーでゴムージに追従するように指示しました。

 

 小隊の指揮と言うのは、部下の命を預かることと同義です。

 

 ゴムージが新米の2等兵である以上、歩兵として普通程度の働きを期待するのは厳しいでしょう。

 

 偵察やクリアリングなどは、未経験ながら自分が行った方が良いと思われます。

 

 どちらも同じ素人歩兵なら、先輩である自分の役割です。

 

「お、おいそんなズンズン進んでいいのかよ? そもそも、本当にこの道で大丈夫なんだな……?」

「……さあ」

「おい!?」

 

 そんな事を言われても、土地勘もマップもない市街で迷わず進めるわけ無いでしょう。

 

 しかしモタモタしても敵に見付かるだけなので、足早に移動するしかないんです。

 

 今の我々に出来ることは、進んだ先が袋小路でないことを祈るのみ。

 

「せめてもっと慎重に、敵が先にいないか確かめてから────」

「……シッ! 止まってください、敵です。息を潜めて、数分待機」

「……っ!」

 

 ゴムージが不満げに自分の肩を掴んだ直後、前方に敵の気配を察知しました。

 

 そのまま物陰に隠れて数分、息を潜めます。

 

「……」

「……」

 

 すると、自分達が通ろうとしていた狭い十字路を、目を血走らせたサバト兵が横切りました。

 

 気付かず直進していたら、間違いなく見つかってましたね。

 

「……もう大丈夫でしょう。進みますよ、ゴムージ」

「お、おお。ちゃんと警戒してたんだな、お前」

「ええ、こう見えて偵察兵としての訓練も積んでいますので」

 

 銃の扱い方は教えてもらえませんでしたが、それ以外の偵察技術は時折アレンさんに指導されていました。

 

 言わずもがな、いつもの小隊長殿の無茶振りです。

 

 アレンさんは丁寧に、様々なことを教えてくれました。

 

 視界に映った違和感を絶対に見逃さない事、手榴弾の射出音や軍靴特有の移動音を聞き逃さない事。

 

 そして異常を察知したら反射的に行動できるよう、常日頃から非常時を想定しておく事。

 

「いくら衛生兵といっても、ちゃんと前線兵か。頼りにしてるぜ、先輩!」

「……どうも」

 

 この世界はゲームではありません。現実だからこそ、五感を研ぎ澄ませばゲームより情報量は遥かに多いです。

 

 風から漂ってくる硝煙の香りや、周囲の怒声の遠近、死んだ兵士の鮮度など、ゲームにはとても表現できないヒントが数多く存在します。

 

 それらを最大限利用しつつ、自分自身の直感も頼りに撤退していく。それがきっと、この場を逃げ延びる上で最上でしょう。

 

 

 

 

 幸いにも、その後しばらく、周囲に敵部隊の気配はありませんでした。

 

 ゆっくり道なりに進んでいくと、裏路地はそのまま大通りに繋がっていました。

 

「……うーわ、もう大通りは押さえられてるな」

「ここで撃ち合ってくれていたら、楽だったのですが」

 

 オースティン兵は、もう大通りから撤退していたようでした。

 

 マシュデールの街並みは崩壊し、死体や血肉が転がる大通りを、凄まじい数の敵部隊が闊歩しています。

 

「……」

「おい、ここを突破するのは無理だろ。引き返そうぜ」

 

 ゴムージは、すぐさま迂回を提案しました。

 

 確かに彼の言う通り、このまま大通りを突っ切っても射殺されるのがオチでしょう。

 

 大通りを避け、もっと細く敵兵の少ない道を使って前進した方が良いと思われます。

 

「どうした、先輩。何を立ち止まっている、ここを突破するとか言わねえだろうな」

「……いえ」

 

 しかし、ここを引き返して迂回するとなると更に路地を奥深く進むことになります。

 

 当然、敵の哨戒部隊にバッタリ出くわす危険も高まってしまうでしょう。

 

 ────と言うか何となくですが、このまま迂回しても『敵に見つかるだけ』の様な気がします。

 

「……」

「どうした、早く戻るぞ」

 

 では、どうするべきか。

 

 武器や弾薬の尽きた状況で生き残るため、自分は今までどんな事をしてきたでしょうか。

 

 

 対人戦において重要なのは、自キャラの性能を最大限に引き出すことだけではありません。

 

 長い時間をかけ訓練所に籠り、最強のエイム力と防御技術を身につけた(プレイヤー)であっても、ある視点が欠けていれば全く怖くないのです。

 

 それはFPS初心者が上級者になるための最初の壁であり、何千年も前からずっと「戦争」における定石でもあります。

 

 

 敵を知り己を知れば、百戦危うからず。

 

 

 対人戦で勝つには、敵のやりたいことを察さねばなりません。

 

 敵の目線に立って、敵の動きを潰す。あるいはそれを狙って、自分の動きで敵を誘導してやる。

 

 

 ある程度の上級者同士になると、ゲーム内でこの読み合いが何度も発生します。

 

 敵が裏取りを狙っているのが分かったなら、逆に待ち構えて殺せば良いでしょう。

 

 敵が高いポジション目指して移動していたなら、投げモノを使って奇襲してあげます。

 

 あのゲームでは自分のエイム能力を高めるより、敵の動きを予測できるようになった方が百倍強くなりました。

 

 

 それは、きっと実際の戦争でも同じこと。相手が人間である以上、相手の立場に立って物事を考れば自ずと道は見えてきます。

 

 

 では、この市街戦において『敵のもっともやりたいこと』は何でしょうか。

 

 見敵必殺、我々を何としてでも殺したいのでしょうか? それとも物資略奪、家屋に残された財産や物資を思うがまま奪いたいのでしょうか?

 

 ────否。

 

 もし自分が敵の立場ならば、間違いなくこう考えるでしょう。

 

 

 勝ち戦で死にたくない、と。

 

 

 

 

 

「ゴムージ、引き返す前に大通りの反対側を目掛けて、山なりに石を投げてください。手榴弾と誤解させられれば十分です」

「はぁ?」

「あの店付近に敵を集められれば、自分たちが進む路地を哨戒してる敵を追い払える可能性が高いです」

 

 おそらく、敵は自分の命を最優先に考えます。

 

 少しでも脅威を感じたら、即座に集まって警戒体制をとります。

 

 そして、堅実に周囲の異常を調べる事でしょう。

 

「おい、それで俺達の居場所がバレちまったら!」

「はい、なのでなるべく山なりに投擲してください」

「大体の方向はバレるだろ!」

「さっきの家の隣家に、木製のゴミ出し箱が有ったでしょう。そこに入れば隠れられます」

 

 恐らく、今この辺りを哨戒している敵は突撃兵ではありません。

 

 今先行してレンヴェル少佐たちに追いすがっているのが突撃部隊で、そして後方で地形の確保を行っている彼らは本来防御部隊に所属する兵と思われます。

 

 そして、突撃兵と防御部隊の最大の違いは「死を恐れるかどうか」。

 

 防衛部隊は生き残ってナンボです、敵の砲撃をかいくぐって、突撃してくる敵兵を迎撃するのが仕事なのです。

 

 だからこそ彼らは、きっと余計なリスクを背負わない。

 

 敵の気配を察知した瞬間、真っ直ぐ飛び込んできたりはしない……筈です。

 

「この付近に敵が隠れていると気づけば、きっと敵は哨戒部隊を広場に呼び戻すでしょう。その一瞬の空白を逃さず、路地を迂回しながら全力疾走します」

「いや、そんな無茶苦茶な」

「ゴムージがやらないなら仕方ありません。自分は肩が弱いので山なりにならず、おそらく投げた方向もバレバレになると思いますが────」

「おいやめろ、そんなプルプルした腕で何するつもりだ。分かった、やめろ、俺が投げるから!」

 

 その辺に落ちていた拳大の割れレンガを拾ってみたら、思った以上に重たくてビックリしました。

 

 ダメですね、これ投げたら肩を壊しそうです。

 

「投げモノは、もっと軽いのにしましょう。あ、空の薬莢とかどうです? これなら……」

「おう、そうだな、そうするか……。俺、とんでもねぇガキに付いてきちまったか?」

 

 彼はブツクサ言いながらも、思い切り薬莢を大通り目掛けて投げ付けてくれました。

 

 ゴムージは結構肩が強く、かなり山なりの良い軌道で薬莢が放り投げられます。

 

「それ、走りますよ」

 

 それが地面に落ちる前に、自分達は引き返して大きな木箱のゴミ入れに飛び込みました。

 

 ちゃんと、人間二人分くらいは入るスペースがありそうです。

 

 ただ、底に生ごみがこびり付いていましたので、ゴムージに先に入らせました。

 

「変なところ触らないでくださいね」

「てめぇなんかに欲情するか鼻垂れ!」

 

 かなり大きめの木箱でしたが、二人で入るとそれなりに狭かったです。

 

 床に仰向けに寝たゴムージに抱きかかえられるように、自分たちは二人で木箱に収納されました。

 

「■■■■!!」

 

 ゴムージと身を寄せあって息を潜めていると、激しい怒声が街中に響きました。

 

 やがて街の大通りの方向が騒がしくなり、ザワザワとした話し声が聞こえ始めます。

 

「どうやら、敵は薬莢に気付いたみたいですね」

「だな」

 

 さて、ここからが重要です。

 

 敵が哨戒部隊を呼び戻したタイミングを見計らって、全力で走らねばなりません。

 

 その空白の瞬間に、敵の警戒網を突破せねば自分たちの命は無いのです。

 

 分が悪い賭けですが、何となく『この方法以外に』自分が逃げれる可能性がない気がします。

 

 敵が読み通り、哨戒部隊を呼び戻してくれればよいのですが……。

 

「おっ。敵さん、反対側の路地に俺たちが潜んでると思ってるみたいだぜ」

「ほう? そう言えば貴方、敵の言葉が分かるんでしたっけ」

「まぁな、元々オヤジがあっちの生まれなんだ」

 

 ゴムージが言うには、敵は何故か自分達の位置を誤認している様でした。

 

 一体、どういうことでしょうか。

 

「薬莢の跳ねた方向が、こっちに向いたっぽいな。反対の路地を走ってたオースティン兵が、うっかり薬莢を溢したと思われてる」

「それは僥倖ですね」

「そしてお前さんの読み通り、奴さん哨戒してる部隊を集め始めた。こいつは良いぞ」

 

 敵はやはり、堅実に行動してくれる様です。

 

 潜んでいるオースティン部隊の規模が分からないので、徒党を組もうという判断ですね。

 

 やがて数分後、何回かザワザワと木箱の前を数名の敵兵が通っていく気配がしました。

 

 かなりの数の哨戒部隊が、裏路地に潜んでいたようです。

 

 適当に進んでいたら、間違いなく捕まっていましたね。

 

「■■■ーっ!!」

「■■!」

 

 敵は大通りで何やら声高に号令を受け、複数部隊を編成され反対側の路地へと駆けていきました。

 

 一方で、自分たちが潜んでいる木箱のある細い路地に戻ってくる兵士はいません。

 

「今なら安全と思われます」

「よし、とっとと逃げるぞ」

 

 本当は、集まって部隊を編成しているこの隙を突くつもりでしたが。神様は想像以上に、自分たちをひいきしてくれた様です。

 

 サバト兵が反対側を重点的に哨戒してくれるとすれば、かなり安全に移動できるでしょう。

 

 

 

 

 

 

「この分かれ道はどっちに行く?」

「……左方向へ進みましょう。新鮮な死体の転がっていない道の方が安全なはず」

「違いねぇ」

 

 そして自分達は、人気の無い寂れた小道をひたすら突き進んできました。

 

 やはり、そこかしこに死体や血痕があり、時折便臭や血の臭いが鼻を付きます。

 

「うっ……、ひでぇ事しやがるな」

「前々から思っていたのですが、ゴムージ、もしかしてお前は西部戦線上がりじゃないのですか?」

 

 少し気になったので、自分はゴムージにそう問いました。

 

 上官への態度といい、死体に対する反応といい、彼はまるで一般市民のような面が多々見受けられました。

 

 とすると、西部戦線すら経験していない兵士なのかもしれません。

 

「ああ、マシュデールで門番の仕事をしてたらいきなり徴兵されたんだよ。有り得ねぇぜ」

「やはり」

 

 ゴムージはどうやら、マシュデールの衛兵だった様です。

 

 自分は衛生兵なので死体にある程度耐性があるのですが、ゴムージは結構顔色を悪くしていました。

 

 西部戦線を経験していない人間からすれば、きっとそこら中に転がっている血肉は地獄絵図に見えるのでしょう。

 

 

 自分も普段ならきっと、心を痛めていたと思います。

 

 しかしこの時の自分は、きっと何処かおかしくなっていたのでしょう。

 

「……ふむ、この付近の死体の血が固まってますね。死斑もある……」

 

 この時の自分には、戦友達の遺体が『情報オブジェクト』にしか見えていませんでした。

 

 まだ血を流し続けている遺体は、きっと殺されて間もない人です。

 

 つまり、そんな死体が転がっている先には敵部隊が待ち受けている可能性が高いと推測されます。

 

 だから自分の脳は、この時死体を『どれくらい前に敵部隊がここを通過したか』という情報源として処理していたのです。

 

「……とっ! マズいです、敵がこの路地にまっすぐ走ってきます」

「お、おいどうすんだ。ここらに隠れる場所は無かったぞ」

「死んだふりをしときましょう。ほら、落ちている肉を背中に張り付けてあげます」

「お、おお、分かった」

 

 そして、数多くの死体が転がっているという事は、自分たちにとっても良い隠れ蓑になります。

 

 隠れ場所がない咄嗟の事態に、死んだふりがそれなりに有効に作用するのです。

 

 とはいえ、普通の哨戒部隊ならば死体をしっかり見聞するでしょう。調べられて息があると分かった瞬間、射殺されても不思議ではありません。

 

 ただし、

 

「■■■!!」

「■ー!!」

 

 走って移動している部隊は、何かしら急ぎの用事で移動中だと思われます。

 

 オースティン兵を追っているか、あるいは召集があったか、いずれにせよ道端の死体にかまける余裕は無いはずです。

 

 だからきっと無視して貰える。この時の自分は、そんな判断を下しました。

 

 

「……■■■、■■■?」

 

 

 ゴムージの背に血肉を塗った後。

 

 自分は新鮮な死体さんの血を腹周囲に擦りつけ、さっき腹を撃たれた直後の体勢で倒れ込んでいました。

 

 実際に自分が撃たれた時の姿勢なので、リアリティはある筈です。

 

 ある筈、なのですが、

 

 

「■■■■」

「■■■?」

 

 

 この時の自分の想定は、流石に甘かったようで。

 

 敵の兵士────二人組の銃を持ったサバト兵は、死体の振りをした自分とゴムージの前で、立ち止まりました。

 

 

「……」

 

 

 心臓の音が高鳴ります。

 

 見た目は死体として、不自然じゃない程度に装飾したつもりなんですが、何か違和感でもあったのでしょうか。

 

 と、ここで自分はある致命的なミスに気づきました。自分たちは、市民に身をやつしているのです。

 

「■■」

 

 そもそもこの場に、市民が死んでいるのがおかしいのです。

 

 今まで、このマシュデール市街で一人でも民間人を見かけたでしょうか?

 

 否、マシュデール市民の大半はもう、とっくに脱出して首都へ避難しているのです。

 

 この地に残っているのは、オースティン兵士のみ。民間人なんて居ません。

 

 だというのに、市民の装いをした死体が転がっていたら、不審に思うに決まっています。

 

「■■■」

 

 兵士の一人が、自分に銃を突きつけました。そりゃそうです、自分だって哨戒中に民間人の服を着た死体があれば警戒します。

 

 撃たれる、殺される、怖い、怖いです。

 

「……」

 

 そのままゆっくりと、二人の敵兵は歩いて近づいてきました。

 

 どうしましょう、ここはなりふり構わず立ち上がって、全力で逃げ出すべきでしょうか。

 

 いえ、しかし、そんな事をしても生き残れるとは思えません。

 

「…………っ」

 

 ここは死んだふりを通す、それ以外に生き残れる道が思いつきません。

 

 ですのでお願いです、撃たないでください。

 

「■、■■■」

 

 生唾を飲み込んで、自分は何とか平静を保ち続けました。

 

 そんな自分を弄ぶように、敵の兵士は小銃を自分に押し当てて、

 

 

「■、■■~♪」

 

 

 自分のワンピースのスカートをめくりあげ、自分の陰部を見て大喜びし始めました。

 

 ……。

 

 

「■■■っ!!」

 

 

 直後、そんな舐めた事をした敵兵は、相方のサバト兵に顔面をブン殴られました。

 

 民間人少女の死体を辱めるって、相当なクズ行為だと思います。

 

 それで相方の兵士は怒ったのでしょう。自分は下着を付けていなかったので、凌辱された後に撃たれた感じに見えなくもないですし。

 

「■■■、■■■」

「……■■!」

 

 ぶん殴られた後もヘラヘラ笑いをやめなかったクズ兵士は、そのまま逃げるように走り出しました。

 

 もう一人の兵士は、そんな彼を追いかけてぶりぶり怒りながら立ち去りました。

 

「……」

「……もう、良いですよゴムージ。立ち去りました」

「お、そうか」

 

 あの兵士、ワンピース女性の死体(じぶん)を見つけたからふざけて捲りあげたのですね。

 

 そんなくだらない事で、いちいち立ち止まらないで欲しいものです。緊張して損をしました。

 

 こんなアホなことで尻に敷いてた手銃がバレていたら、末代まで祟ってやるところです。

 

「にしても先輩、今日はよく見られる(・・・・)日だな」

「……」

「痛ぇ!」

 

 上官に舐めた口を利いたので、自分は一発ゴムージの腹をぶん殴りました。

 

 今のが小隊長殿なら、きっと満身創痍にまで追い込んでいるのでしょう。

 

 これは指導です。決して、腹いせではありません。



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34話

 死んだフリで、敵の哨戒をやり過ごした後。

 

「……」

 

 それから暫く、自分達は敵に発見されることなく路地を進み続けられました。

 

 時おり敵の気配を感じましたが、そういう場合はゴムージを誘導して道を変えました。

 

「おい先輩、ここなら……」

「ええ、今なら通過できそうです」

 

 大通りを大きく迂回して、やがて道も狭くなってきたころ。

 

 自分達は敵兵が殆ど居ないタイミングを狙って、マシュデールのメインストリートを突破することに成功したのでした。

 

 これで後は、細い路地を伝って最後方まで移動できると思われます。

 

「俺らは、東門から首都目指して撤退するんだったな」

「ええ、あと少しです」

 

 これで自分達の生還の目は、かなり大きくなりました。

 

 鬼門だった町の中央───敵に占領された大通りを通過出来たのであれば、敵の哨戒数はぐっと減るでしょう。

 

 この先はサバトは地形を確保している段階のはずなので、ウヨウヨ敵が歩いている可能性は低いのです。

 

 このまま、うまく交戦していない友軍陣地を見つけさえすれば、保護してもらうのも夢ではありません。

 

「……お、おい。この先で誰か撃ちあってるぞ?」

「そうですね、迂回しましょうか」

 

 前へ歩むごとにだんだんと、激しい銃撃音が近づいてきていました。これは決して悪い情報ではありません。

 

 何故なら、それはつまりオースティンとサバトの撤退戦線、つまり味方の陣地が近付いてきている事を意味するからです。

 

「この先はどんな感じだ、先輩?」

「……シッ。敵兵の気配です、隠れましょう」

「お、おお。先輩、本当に鋭いな。俺には全然わからねぇや」

 

 逆に言えば、ここらをうろついている敵兵は殺る気マンマンの戦意の高い連中です。

 

 今まで以上に慎重に、対処せねばなりません。死んだふりなどもきっと、通用しないでしょう。

 

「先輩さえいれば、楽勝だぜ。いやぁ、あんたの背中で戦えて光栄だよトウリ1等衛生兵殿!」

「……お前、何かしましたっけ」

 

 一方でゴムージは、もう撤退成功したかのような気楽な雰囲気を出していました。

 

 まだ油断はしてほしくないのですが……。実はこの時、大通りを越えられたことで自分にも心に余裕が出てきてしまっていました。

 

 そんな自分の気の緩みが、伝わってしまっていたのかもしれません。

 

「生きて帰れたら、ウチにきて息子をファックしていいぜ先輩!」

「お前、そんな良い歳の子供がいたのですか?」

「今年で3歳だ。先輩にはお似合いだろ?」

 

 このまま先に進めば、十分に撤退できる可能性がある。

 

 後は最後のヤマ……、敵と味方がバンバン撃ちあっている最前線を突破して味方と合流する、それさえクリアできれば作戦目標達成です。

 

「待て」

「お、おお」

 

 進んだ路地の先に人の気配を感じ、激しい銃撃音が聴こえたので立ち止まりました。

 

 耳をすませば、この先で正面の敵と戦闘している敵がいるのが分かりました。

 

「……敵だ」

 

 敵の陣地の、裏取りに成功です。ゲームなら迷わず突っ込む場面、ですけど……。

 

 それは敵チームと味方チームが、同じ人数であるのが前提です。

 

 銃の狙いも定まらない衛生兵と、新米歩兵が背後を取って奇襲した所で撃ち殺されるのがオチでしょう。

 

 ここは大きく迂回してでも、戦闘をしていない場所からオースティン側に逃げるのが堅実です。

 

「この先の突破は現実的ではないですね、迂回しましょう」

「おう、なら分岐路まで戻ろう」

 

 ここまで来れた幸運を、逃してはいけません。

 

 今、自分は曲がりなりにも指揮官です。

 

 ゴムージという他人の命も、この手に預かっているのです。

 

 詰めの判断を誤らず、最善手を取り続けなければなりません。

 

「……お?」

 

 路地を引き返して分岐路の方を進むと、その先に敵はいませんでした。

 

 不思議なことに先には敵も味方も陣取っておらず、狭い小道がまっすぐ奥に続いていました。

 

 人気の無い、一本道。その先に見えるのは、東門へ真っ直ぐ続く、安全な撤退路。

 

 ここを進めば間違いなく、オースティン側の防衛線の内側まで、撤退できるでしょう。

 

「おおおっ! すげぇ、何てラッキーだ。生き残っちまったぜ俺達、オイ」

「……」

「ガキだなんて言って悪かったよ、先輩は最高だ!」

 

 不思議なこともあるものです。

 

 この小道は、敵にも味方にも発見されていなかったのでしょうか。

 

 そうでないと、この道に敵も味方も配置されていない説明がつきません。

 

「これは……」

 

 きっと敵は大通りでバンバン撃ちあうのに夢中で、こういう小道を探索するのを怠っていたのでしょう。

 

 これは、凄まじい僥倖です。

 

 今回の撤退作戦の一番のキモだった『防衛線突破』を、こうも容易く達成できるとは思ってもいませんでした。

 

「よっしゃ、じゃあまた念のため先輩が先行してくれ。トウリ1等衛生兵殿は、敵の気配に随分敏感だからな」

「……」

「まぁ大丈夫だとは思うけど。この細い道のどこに敵が隠れるって話!」

 

 神様はどれだけ、自分達をひいきしてくれたというのでしょうか。

 

 早く逃げようぜ、とゴムージはウインクして自分の背を押しました。

 

 どうやらその場においても、自分に先行させるつもりらしいです。

 

「はい、では────」

 

 最後までゴムージは、自分の背に隠れて危険を犯そうとしませんでした。

 

 まあそれは、自分の指示通りなんで別に良いんですけど。

 

 彼は姑息な男でしたが、これでこの男との付き合いも終わりです。

 

 彼の今回のアレコレは上に報告して、たっぷり小隊長殿に教育をお願いしましょう。

 

 正直ゴムージのことは嫌いですが、仮にも命を預かった身です。

 

 小隊長から治療許可が出た際には、きちんと治してやりましょう。

 

 そんな、浮ついたことを考えて一歩踏み出した瞬間でした。

 

 

 

「────っ!!」

「先輩?」

 

 

 

 全身の臓腑が、氷点下に冷え込みました。

 

 そして同時に、『この先に絶対進むな』と直感が凄まじい警告(アラート)を発していたのに気が付きました。

 

 この先に生はない、自分の撤退すべき道は最初の道。敵がドンパチ撃ち合っている最前線こそ、唯一の活路だ。

 

 そう、自分の中の誰かが声高に叫んでいました。

 

「……ダメですゴムージ、ここは退きます」

「……は?」

「先ほどの道を通って、敵の背後を突きましょう。そして敵の銃撃拠点を確保した後に、銃弾の雨の中を突っ切ります」

「おい、何を言っている?」

 

 この感覚を、自分はよく知っています。

 

 一見は安全そうに見えるのに、進んだ先に破滅が待っている地獄への入り口。

 

 悪逆なプレイヤー達が自分を殺すために仕組んだ、罠。

 

「正気か? どうして此処を突っ切っていかない?」

「直感です。この道を進むのはやめた方がいい、そんな気がします」

「……馬鹿かお前」

 

 ゴムージはゲンナリした顔で、自分の方へ向き直りました。

 

 ええ、自分だっておかしなことを言っている自覚はありますとも。

 

 しかしかつてゲームにおいて、この感覚が間違っていたためしがありません。

 

 この心臓を握り潰されるような、濃厚な破滅の予感の先にあるのは、きっと惨めな敗北です。

 

「寝ぼけたことを言うな、さっさと先に進め。ガキの遊びに付き合っている時間なんざねぇんだ」

「そちらこそ、お忘れですか。最初に自分が言ったことを」

 

 この感覚はきっと、他の人にはどう説明しても通じないでしょう。

 

 だから、自分は常にゲーム開始前にこう言うのです。

 

「自分が退けと言ったら退く、と。そういう約束でしょう?」

 

 殆どのプレイヤーは、勝てそうな美味しい盤面でまず撤退しません。

 

 その先に破滅があるかもしれなくても、目の前の旨そうな餌に釣られついつい突っ込んでしまいます。

 

 なので、前もって世界覇者である自分がそう宣言しておかないと、殆どの仲間は撤退を受け入れてくれないのです。

 

「……そうかい。要はテメェ、土壇場で怖気づいたって事かよ」

 

 しかしこの世界において、私は世界覇者ではありません。何処にでもいる、衛生兵の小娘です。

 

 案の定、くだらねぇとゴムージは呟いて、その小道を歩き始めました。

 

「良いよ良いよ、じゃあここは俺が先に行ってやるよ」

「駄目です、許可できません。ゴムージには、自分と共に敵の背後を強襲していただきます。貴方の様な新米でも、居るといないとでは防衛線の突破確率に大きく響きます────」

「アホか! 敵を迂回して進もうって話はどこに行ったんだよ!」

 

 彼は、先へ進むのを押し留める自分にそう恫喝すると、怒気をはらみながらテクテク歩いて行ってしまいました。

 

 自分が先ほど感じたデッドライン、死線のその先に。

 

「……あっ」

 

もう駄目です。自分が彼を助けられるラインを、彼は自身の足で踏み越えていきました。

 

 それと同時に、自分は先ほどから感じていた違和感の正体にようやく気付きます。

 

 良く見ると、所々石造りの路地が焦げている────

 

「足元に、気をつけなさい、ゴムージ!」

「えっ?」

 

 直後、彼の歩んでいた路地から魔法陣が浮き上がり、業火が舞い上がりました。

 

 ゴムージの顔が、恐怖に歪みます。

 

「あ────」

 

 設置式魔法陣。おそらくこれを仕掛けたのは、味方側(オースティン)です。

 

 一見、防衛線の背後に回り込めるような小道を用意しておいて、そこで罠に嵌める味方の策略だったのです。

 

「熱い、熱い、ぐああぁあ!」

 

 下半身を火に包まれた彼は、その場に倒れこみのたうち回りました。

 

 このままでは近くに設置してあるだろう他の罠魔法を起動してしまい、全身黒焦げになってしまいます。

 

「ゴムージ、手を出してください!」

「あぃ~ぃ!!」

 

 自分は咄嗟に一歩踏み出して、彼へ手を伸ばします。

 

「あちゅぃい!!」

「暴れないでください!」

 

 鼻息も荒く、必死の形相で彼は自分に手を掴みました。

 

 体重差が大きいですが、これでも自分は半年間、ずっと体力トレーニングを重ねてきたのです。

 

「……このっ!」

 

 思い切り腹に力を込め、自分はゴムージを引っ張り出しました。

 

 フル装備の兵士は、100㎏を超える重量です。

 

 いくら自分が鍛えていようと、簡単に引きずり出すことは難しいのですが、

 

「わっ!?」

 

 何故か勢いよく、ゴムージは自分に引っ張られて死地を脱出することに成功しました。

 

 彼は勢いのまま自分に伸し掛かり、若干自分まで火傷を負ってしまいました。

 

「ひぃ、ひぃー……」

「ぐ、大丈夫ですか、ゴムージ……」

 

 どうやら小路が濡れていたらしく、彼はヌルリと滑って来れたようです。

 

 この男は、いったいどこまで幸運なのでしょうか。

 

「足が、足がぁぁぁ……」

 

 普通なら死んでもおかしくない状況で、都合よく道がぬかるんでいるなんて───

 

 

 

 ───彼の滑った軌跡には、大量の血液がベットリと付いていました。

 

 

「……」

「足の感覚が、ねぇよぉ……。どうなったんだ、俺ぇ……?」

 

 ああ、なるほど。そういう罠も、ありましたね。

 

 一撃で兵士の行動を封じるべく、足を爆発で吹き飛ばしてしまう凶悪な罠魔法。

 

 

「足はぁぁ……?」

 

 

 ゴムージの両足は吹き飛んでいて、今もなおダクダクと血を零し続けていました。

 

 それで彼の体重も軽くなって、こんなにあっさり引っ張り出せたんですね。

 

 

 今、自分の背に、リュックはありません。

 

 彼の足の傷口を焼くバーナーも、止血をするための包帯も、何もないのです。

 

 

 そして、唯一彼を助ける方法があるとすれば。

 

 

「痛い、痛い、痛い! 治療をしてくれぇ、先輩ぃ」

 

 

 自分の残り1回の魔力を使った、回復魔法による止血。

 

 医療資源を失ってしまった、自分にとって最後の『切り札』である【癒】の魔法。

 

 

 

 

 ───だが、しかし。自分の命令を無視して進み、両足を失った彼を治す価値はあるのでしょうか?

 

 ───そもそも。ゴムージを治したとしても、彼を背負ったまま敵の最前線を突破するなんて可能なんでしょうか?

 

 

 

 

「嫌だ、死にたくねぇ……。なんでボーっと見てるんだ、まさか見捨てるつもりなのか、ちくしょォ……」

「……」

「俺が悪かった、何でもする、助けて、治療してくれぇ」

 

 今なお足の動脈から血液を垂れ流しながら、男は懇願するように自分の足元へすり寄ってきます。

 

「子供が生まれたばっかりなんだぁ……、俺は何としてもこんな場所で死ぬわけにはいかねぇんだ」

「……」

「クソッタレ、警らに所属してただけで徴兵とか聞いてねぇんだよ! 俺は市民のために懸ける命なんか持ってねぇ、俺の命は女房と子供だけの為にあるんだ」

「……あ、その」

「そもそも前線兵のお前らが、ちゃんと戦っていりゃ俺はこんな目に遭わずに済んだんだ! 恨むぞ、死んだら一生恨んでやる! 俺を治療しろ、それがお前らの義務だろうがこのヘッポコクズ兵士ども!」

 

 もう殆ど体力も残っていないだろうに、ゴムージは目を血走らせて自分のワンピースの裾を掴み、恨み節をぶつけてきます。

 

 そんな彼に、自分はどう言葉をかけたものか全く分かりません。

 

 ただ一つ言えることは、自分には彼を治療する理由も義理も、何もないのです。

 

「家内が俺の帰りを待ってるんだ! 息子を食わせなきゃならねぇんだ!」

「……」

「お前らが勝手にやってた戦争だろ! 無様に負けてマシュデールに逃げ込んできた臆病者が!」

 

 自分は今、この世でただ一人ゴムージの命を救うことが出来ます。

 

 そして、きっと彼が生還すると信じている家族がこの世の何処かに居るのでしょう。

 

「お前らが負けた尻拭いを、市民にさせてんじゃねーよバーカ!!」

 

 どう考えても見捨てるしかない、味方の兵士。

 

 そんな彼を見下ろして固まってしまった自分に、黒焦げの男は力を振り絞って絶叫したのでした。



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35話

 自分はこの地獄で、命の取捨選択をずっと行ってきました。

 

 助けられる命、助けられない命、助けるとコスパの悪い命、助ければ利益の大きい命。

 

 いつの間にか自分は、ずいぶんと人の命を安く見積もるようになってしまった気がします。

 

 

 目を虚ろにしながら、自分を救えと絶叫する助かる見込みの無い兵士。

 

 そんな連中を、自分は何度も何度も相手にし続けました。

 

「何とか言えよ、言ってくれよ先輩ぃ!」

「……っ」

 

 平常時の自分であれば、きっと彼を見捨てる判断をしたと思います。

 

 ゴムージをここで治療しても、何の得にもならないからです。

 

 「逆らったら見捨てる」と前置きしておいたのに命令違反をした挙句、両足を失った彼はお荷物とすら言えましょう。

 

 

「見捨てないでくれぇ……」

 

 

 助ける理由がない。その魔力は自分にとっての命綱、無駄に浪費すべきではない。

 

 そう理解していたからきっと、「理性」の部分が最後まで自分を躊躇わせていたからです。

 

 

「────大丈夫です、ゴムージ」

 

 

 数秒の躊躇いの後。

 

 自分は溜め息を吐いて、男の前に屈みました。

 

 

「安心してください、自分はお前を見捨てません」

 

 

 今、自分がゴムージを見捨てても、きっと誰も責めなかったでしょう。

 

 自分に残された回復魔法1回分の魔力は、命綱です。

 

 魔力の有無は、今後の自分の生存率に直結します。

 

 

「そのまま、ゆっくり深呼吸してください」

「え、あ」

「───【癒】」

 

 

 だというのに、自分はなけなしの魔力をはたいて、治癒魔法を使い、ゴムージの足の出血を抑えてやりました。

 

 

 この男は放っておいて、他に生き延びる道を探す。

 

 戦力が減ってしまったが、それをリカバリーする何かを考え、生き延びる。

 

 それが、おそらく冷静で正しい判断だったでしょう。

 

 

「さて、落ち着きましたかゴムージ」

「う、あ、ああ」

「さて、もうこれで懲りましたね? これからは、自分の指揮に従ってもらいますよ」

 

 

 他人に甘いこと、この上ありません。

 

 自分の、他人を助ける悪癖もここまで来てしまったかと自嘲したことを覚えています。

 

 

「もう自分に逆らわないと誓うなら、新米1人くらい運送(キャリー)して見せましょう」

「あ、ああ。誓う、誓うから」

「よろしい」

 

 

 こうして自分は、両足の動けない新米兵士を治療して魔力を殆んど使い切ってしまいました。

 

 この時、自分は残り【盾】を一発撃てるかどうかという魔力残量でした。

 

 魔力も医療資源も失ってしまった今、自分は無力な15歳の小娘に成り果てたのです。

 

 そんな代償を支払ってまで、彼を治す意味はあったのでしょうか。

 

「ならば後は自分(せんぱい)に、任せてください」

 

 

 

 しかし後から思えば。

 

 この時、彼を治したのは決して良心や優しさからではあり(・・)ません(・・・)でした。

 

 自分の直感────、いえ、自分の中の「誰か」の声に従った結果だったように思います。

 

 その自分の中の「誰か」はこの極限状態において、ゲームに生き残るための最適行動を自分に示し続けていたのです。

 

 そして恐らくその「誰か」が、満身創痍のゴムージを治して力を借りることが、生存への最適解であった事を感じ取ったのでしょう。

 

 だから、貴重な魔力を使ってゴムージを癒したのです。

 

 

 

 

 

 

 魔法で両足の止血を終えた後も、彼はかなり消耗している様子でした。

 

 意識は何とか保っていますが、目は虚ろなままです。

 

 かなり失血していますからね、まともに動かすのは危険でしょう。

 

「腕は動きますね、ゴムージ」

「あ、ああ」

「じゃあ貴方には、角待ちをしてもらいます」

 

 そういうと自分は、彼を背負って立ち上がります。

 

 こんな状態の新米に、難しいことは要求できません。

 

「おい、何をするつもり、だ」

「先ほど裏を取れていた敵の銃撃拠点を、制圧しに向かいます」

「アホか……、俺たち2人で、どうやって」

「そこを突破できなければ、自分たちはそのうち殺されますけど」

 

 なので自分は、新米にも出来る分かりやすい仕事を振りました。

 

 角で待って、敵が来たら撃て。彼の仕事は、それだけです。

 

「そこを突破するしか、ねぇってのか?」

「ええ。手榴弾が一つでもあれば、一気に楽になるんですけどね」

 

 残念ながら、ここまでの死体に手榴弾はありませんでした。

 

 大通りに転がっている沢山の死体をあされば、手榴弾1つくらい補充できそうですが……、人目の多い場所に姿を見せるリスクが高すぎます。

 

 自分の服装は血濡れた白ワンピース。大通りに姿なんて見せたら、さぞ目立つでしょう。

 

 背後から手榴弾を投げ込んで一掃する作戦は、ナシですね。

 

 となると、手持ちの武器───手銃と小銃で、背後から奇襲をかけるしかない。

 

 せっかく誰にも見つからないまま敵の裏を取れたので、これをぜひ利用したいところです。

 

「自分が敵を誘い出すので、お前は誘いに乗って追いかけてきた敵を銃撃してください」

「あ、ああ」

「間違って自分を撃たないでくださいよ」

 

 撃ち合いにおける必勝パターンの一つ、裏取り。

 

 それは敵の背後から、見つかる前に奇襲するFPSの最強の戦術です。

 

「自分は銃撃の経験がありません。まともに小銃を扱えるのは、ゴムージ、おそらくお前だけです」

「お、俺だってまだ本当に人を撃ったことは」

「撃ち方は知っているでしょう」

 

 自分は衛生兵なので、銃の扱い方も知りません。

 

 自力でリロードも、おそらくできないでしょう。

 

「この手銃は単発式なんですね? 一発撃てば使い物にならない」

「あ、ああ」

 

 そもそも、敵から奪ったこの手銃は単発式でした。小銃が壊れた時の予備、あるいは咄嗟の近接戦で使う用のお守りの様です。

 

 だから、自分はどんなに頑張ろうと、1人しか殺せなかったのです。

 

「お前が、主力です。頼みましたよ、ゴムージ」

 

 最初から彼に戦ってもらう他、自分に最前線を突破する方法なんて無いのです。

 

 

 

 

 

 

「声的に、あの銃撃拠点に10名ほどの敵兵がいると想定されます」

「10人……っ」

 

 自分たちは息を潜め、再び先ほどの銃撃拠点の裏に移動してきました。

 

 敵はおそらく、小隊規模。気配的に、多めに見積もって10名と仮定しました。

 

「む、無理だろ。そんなの突破出来っこねぇ……」

「出来ないと負ける、それだけです」

「そんな無茶苦茶な! おい、まさか俺を囮に1人だけ逃げようって腹じゃねぇだろうな!」

「そんなつもりなら、わざわざ貴重な魔力を使って助けませんよ」

 

 お前じゃあるまいし。

 

「自分が1人で突撃します。しかしこの手銃の性能からして、どんなに頑張っても仕留められるのは1人」

「あ、ああ」

「だからお前は、裏路地に逃げ込んだ自分を追ってきた兵士を待って、撃ち殺してください」

 

 彼にそう命令を下した後、自分は後ろ手に小さな手銃を握りしめました。

 

 たった一発の、撃ったことすらない実銃。

 

 これを敵に命中させる必要は、必ずしもありません。敵に自分という存在を認識させ、脅威を感じさせればそれでいいのです。

 

 あくまで自分は囮、本命はゴムージによる角待ち作戦。

 

 ですが欲を搔くなら、この一発で誰かを仕留めておきたい所です。

 

「それでは、お願いしますね」

 

 自分は、暗い路地に座り込んだ部下を流し見た後。

 

 

 血に濡れたワンピースを靡かせて、静かに敵の拠点へと歩いていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 硝煙の香りの乗った風が、色濃く吹き荒れる中。

 

 自分は姿も隠さず、堂々と敵の背後へと姿を見せます。

 

 

「■■■ー」

 

 

 裏路地を出てすぐのところに、大きな家がありました。

 

 どうやら敵は、その家の庭に陣取っている様子です。その数は……7人ですか。

 

 塀越しに様子を窺っていましたが、後ろを気にしている敵兵はいませんでした。

 

 まあいきなり背から敵が出てくるとか、想定していないでしょう。

 

 何せ背後の大通りは、サバト軍が制圧しているはずなのですから。

 

「■■■!」

「■■■■ー」

 

 敵は、家屋を覆う石造りの壁を盾代わりにオースティン兵と撃ちあっていました。

 

 誰か富豪の家の庭を、銃撃拠点に使用しているようです。

 

 なるほど、その家の壁は低く兵士にとって撃ちやすい高さであり、四方を覆われているので拠点としては理想的な作りをしていました。

 

 良い場所に目を付けましたね。

 

 

「さて」

 

 そして、壁が四方で覆われている状況は、自分にとってもありがたいです。

 

 自分も伏せるだけで、敵の銃撃を躱す事が出来るので。

 

 敵が気づいていないうちにゆっくりと、自分は手銃を取り出して目と鼻の先に立っていた指揮官らしい男に銃口を向けます。

 

「……リコイルって、どのくらいでしょうか?」

 

 以前自分に与えられていた風銃は、ほとんど反動がありません。

 

 魔法により、反動が制御されているそうです。

 

 ですが、これは実銃。自分の筋力の無さも鑑みて、かなり低めを狙った方が良いでしょう。

 

 

 当たるも八卦、当たらぬも八卦。

 

 一番偉そうで、指示を飛ばしている敵の兵士の心臓に狙いを定め、

 

「───っ!!」

 

 

 自分はこの世界で初めて、実弾銃を発射しました。

 

 

 

 

 

 結論から言いますと、自分の銃は割といいところにあたってくれました。

 

 思ったより反動は大きかったので、心臓直撃とはいきませんでしたが……、敵前線指揮官の左肩を撃ち抜くことが出来ました。

 

 おそらく、肺は破った筈です。前線に衛生兵でも配備していない限り、治療は不可能でしょう。

 

 初めて撃ったにしては、上々ではないでしょうか。

 

 

「さて、と」

 

 

 敵たちは凄まじい形相で自分の方へ振り向きました。

 

 そして、自分という敵の存在を認知しました。

 

「こっちですよ」

 

 すかさず、当初の予定通り自分は屈みこんで、裏路地の方向へと走っていきました。

 

 このまま、路地裏までついてきてくれたりはしませんかね。

 

「■■■■、■■っ!!」

 

 敵の慌てた声が、裏路地に響きます。

 

 そして間もなく、数名の敵が裏路地側の壁に張り付いた気配を感じます。

 

 流石に不用意に、路地裏まで追ってきてくれはしないですね。

 

 ならば、追わざるを得ないようにするだけです。

 

 

「■■■ァ!!」

 

 

 敵は自分が路地裏に逃げ込んだ直後、手榴弾を投げ込んできました。これも、想定通りです。

 

 未知の敵が背後に現れた時、きっと敵は手榴弾という強力な兵器に頼るだろうと信じていました。

 

 広々とした塹壕戦ならともかく、こんな距離の近い位置で迂闊に手榴弾を使えばどうなるか教えてあげましょう。

 

「───【盾】」

 

 自分は残りの魔力を全て使って、投擲を行った敵兵の目の前に【盾】を出現させてやりました。

 

 手榴弾には2種類のタイプがあります。それは時限式で爆発するタイプと、衝撃に反応して爆発するタイプ。

 

 そして手投げの手榴弾の多くは、衝撃に反応して起爆するタイプであり、

 

 

「■■!!?」

 

 

 敵の投げ込んだ手榴弾は、自分が路地に隠れたまま展開した【盾】にぶつかり大爆発を起こしました。

 

 その爆発で自分が狙ったのは、敵の撃破ではありません。自分達と彼らを遮る、壁の破壊です。

 

 そう、敵は不用意な手榴弾の投擲により、大事な「家の壁」を崩壊させてしまったのです。

 

 これで、自分達の隠れている裏路地と敵の拠点を遮るものが何もなくなりました。

 

 ついでに運良く、爆風に巻き込まれたらしい敵が1人重傷を負ったのが見えました。

 

 これで残りの敵は、5人。

 

 

 そして、この状況を自分は作りたかったのです。

 

 敵からすれば銃を持った敵が背後を取って、いつでも路地に隠れながら狙撃できる状況です。

 

 背後を取られたまま、正面のオースティン兵と撃ち合うなんて正気の沙汰ではありません。

 

 しかし路地裏に手榴弾を投げ込めば、どうなるか先ほど思い知ったはずです。

 

 だからきっと自分達を排除する為、敵は絶対に乗り込んでくると自分は読みました。

 

 

「■■■■!」

 

 

 敵の判断は早く、すぐさま2名の兵士がこちらに向かって突撃してきました。

 

 自分がもう弾も魔力も尽きているハリボテ兵士とは思わなかったのでしょう。

 

 彼らはちゃんと自分を、危険な敵として判断してくれたようです。

 

「……こっちですよ」

 

 そのまま自分は、狭い路地裏でサバト兵と正面から相対することになりました。

 

 今の自分は魔力が尽き果てて、【盾】を出すことすら出来ません。

 

 だから精一杯の虚勢を張って、必死に敵を睨み付けるのでした。

 

 

 

 今、自分が着ている服は真っ白なワンピースです。

 

 ところどころ血で赤く染まったこの服は、それはもうよく目立ちます。

 

 そんな自分が、裏路地の奥で堂々と立って睨み付けたら、敵の目線はどうなるでしょうか。

 

 

 ───裏路地の角、足を失って壁際にもたれていた「新米兵士」に、きちんと注意を向けられるでしょうか。

 

 

「今ですゴムージ!」

「お、オォ!!」

 

 

 敵が銃を構えるより早く、ゴムージが敵兵に向け小銃をぶっぱなしました。

 

 この男は、かなり生き汚い性格です。

 

 そんな彼が生殺与奪の権を自分の作戦に握られている以上、きっと最高のパフォーマンスを見せてくれると信じていました。

 

「やったぜ、当たったぃ!」

「■、■、■っ!!」

 

 血反吐を吐きながら、撃たれた敵兵はゴムージを睨みつけます。

 

 サバトの勝ち戦の、最後の詰めで戦死しようというのです。

 

 それはもう、凄まじい未練があるでしょう

 

 その凄まじい形相の敵に対し、

 

「悪いな、俺のために死んでくれやぁ!!」

 

 ゴムージは何のためらいも無く引き金を引き切ったのでした。

 

 

 

 

 これで、敵の残存戦力はあと3人。彼らさえ倒せば、拠点制圧です。

 

 こちらの戦力は、ゴムージと自分の2人。武器弾薬は、先ほど殺したサバト兵士さんから頂戴しました。

 

 新米と衛生兵の2人というか細い戦力ですが、実はこれでも十分すぎます。何故なら、

 

 

「おお、何か敵が勝手に死んだぞ」

「対面のオースティン兵ですね。これで、もう残存戦力はわずかです」

 

 

 自分達は彼らサバト兵を、包囲しているのです。

 

 前後に注意を払わねばならない戦況というのは、どのような優秀な部隊であっても壊滅しかねない絶体絶命の窮地なのです。

 

「……今です、敵が2人とも前を向いています。狙撃してください」

「よし来たぁ!」

 

 目の前で仲間が撃ち殺された事に動揺したのか、迂闊にも目前のサバト兵の我々への警戒が途切れました。

 

 そのタイミングでゴムージをけしかけ、サバト兵の1人を射殺します。

 

 これで敵は、残り1人。たった1人で前後に注意を払うなんて事は出来ません。

 

 これが、包囲されるという事の厳しさなのです。

 

 まぁもっとも、

 

「さて、そろそろ味方陣地に突っ込みますよゴムージ。自分に背負われたまま、銃を乱射して下さい」

「え?」

「そろそろ時間切れです。間もなく大通り側から此処へ、サバト部隊が詰めに来ますよ」

「えええ!?」

 

 背後の大通りをサバトが制圧しているので、包囲されているのは自分たちも一緒なのですが。

 

 前線部隊が壊滅しそうだという情報が後方に渡れば、すぐさま後詰が送られてくるはずです。

 

 さっきから破滅の予感がビンビンしていましたが、そろそろ限界っぽいです。

 

 

「是非、突っ込みながら拠点の最後の敵を仕留めてくださいゴムージ。そうしなければ、自分達は敵兵を背に銃弾飛び交う前線を突っ走らなければならなくなります」

「お、おい正気か」

「ゴムージ、お前は自分の肉盾です。背後からの銃弾は、お前で受け止める所存です。撃たれたくなければ、仕留めてください」

「ああ、もう、クソッタレ!」

 

 

 自分の立てた作戦はかなり上手くいったのですが、それでも一歩足りなかったようです。

 

 間も無くここに、サバト兵が詰め寄せてくる気がします。

 

 自分達は今すぐ飛び出して、目の前のサバト兵と交戦せねばなりません。

 

 現状、一番これが生存率の高い作戦とはいえ、十中八九死んじゃう気がします。

 

「行きますよ!」

「おお、おおおっ!!」

 

 背後に迫る敵の気配から逃げるように、自分とゴムージは裏路地を飛び出しました。

 

 敵はギョっとした顔でこちらを向いて、そして銃口を向けてきました。

 

「ひぃい!」

 

 銃弾の1発が自分の腹をかすめ、そしてゴムージの腕を貫きました。

 

 その1発が自分達にとって致命の一撃でなかったことは幸いでした。

 

 しかし、敵が撃ち抜いたゴムージの腕は銃を持っていた腕であり、

 

「あ、馬鹿、何をしているんです」

「撃たれたんだよ! 痛ってぇ!!」

 

 ガチャーン、と大きな音をたてて。

 

 ゴムージは大事な命綱である小銃を、地面に落としてしまったのです。

 

 もちろんそれを拾いに行く余裕なんてありません。

 

「……■■■!!」

 

 敵は既に、再度自分達に銃口を向けていました。

 

 しかも、今度はきっちりストライクコース。重たいものを背負っている自分に、避ける手段はありません。

 

 どうやら、自分の撤退作戦は失敗ですね。割と、頑張ったつもりだったんですが。

 

 まぁ、元々無理ゲーに近い条件だったんです。次はもっと、上手くやりましょう。

 

 

 ああ、いいえ。

 

 もう、自分に次なんて無いんでした。

 

 だってこの戦争はゲームなんかじゃなくて、硝煙の匂いや火傷の痛みも本物で、敵が自分に向けて撃ってくる銃弾は実銃なのです。

 

 

 最期まで自分は愚かでした。

 

 戦争ゲームなんかの経験を使って、実際の戦争を生き延びようだなんて、おこがましい事この上ありません。

 

 自分なりに全力で生き抜こうとしましたが、自分はここまでのようです。

 

 今までたくさんの人に支えられて生きてきた命だというのに、無駄にしてごめんなさい。

 

 死ぬ前に、せめて。孤児院の皆の、安否を知りたかったです。

 

 

 

「まだ走れるな、トウリ」

 

 

 

 そう、死ぬ覚悟を決めて居た折でした。

 

 厳しくも恐ろしく、そして誰よりも前線で頼りになる軍人の声が聞こえてきたのは。

 

「……あ」

「退くぞ」

 

 その男は自分の背丈程の剣を振るって、自分に銃口を向けていた敵兵を真っ二つに切り裂きました。

 

 彼は肩から血を流し腹に包帯を巻きながらも、平然とした顔で立っています。

 

 

「ガーバック、小隊長殿」

「ふん、運の良い奴」

 

 

 自分は慌てて、彼の背へと向かって走りました。

 

 何故ここに彼が居るのか、どうして彼は助けに来てくれたのか、何も分かりませんが。

 

 1つだけ言えるのは、ガーバック小隊長の背中に居さえすれば、この前線の何処よりも安全なのです。

 

 

「どうして、その」

「少佐殿の仰せは、負傷兵の撤退を支援し戦線を維持せよ、だ。こんな命令じゃなきゃ、てめぇなんぞ助けに来ねぇよタコ」

 

 そう言ったきり、小隊長殿は黙って走り去っていきます。

 

「あっ、その」

「……」

「ありがとうございます、小隊長殿!」

 

 その背は、とても頼もしくて。

 

 自分は置いていかれまいと最後の体力を振り絞り、戦場で一番安全な男の背中と共に味方陣地へと撤退したのでした。

 

 



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36話

 自分とゴムージは、たまたま撤退した方向に布陣していたガーバック小隊に合流という形で保護されました。

 

 小隊長殿は、街の小娘に扮し敵部隊と交戦していたのが自分と気付き、かつ前方の敵部隊が壊滅したのを受けて突撃してきてくださったそうです。

 

「トウリの指揮権は、保護した小隊の長である俺が受けとる。そしてゴムージ2等兵は、再び俺の指揮下に戻れ」

「了解です」

 

 こうして自分は久しぶりに、ガーバック小隊に復帰しました。

 

 そしてガーバック小隊に護衛される形で、この地獄のようだったマシュデールを離脱することに成功したのでした。

 

 

 

 

「───以上で、報告を終わります。ガーバック小隊長殿」

 

 マシュデールを脱出した後、自分達は先に布陣していた味方と合流しました。

 

 その間に隊の仲間から、自分が抜けた後にガーバック小隊がどうしていたかを聞くことができました。

 

 西部戦線にその名を轟かせていたガーバック小隊は、マシュデールでも獅子奮迅の働きを見せたそうです。

 

 堡塁においてもその強さは健在で、多くの突撃してきた敵兵士を返り討ちにし、味方の士気を大いに高めていたそうです。

 

 本日もガーバック小隊は一番戦闘の苛烈な場所で殿を務め、脱落者を出さずに粘り続けていたのだとか。

 

 

「そうか。そのほかに報告事項はあるか、トウリ」

「……ありません」

 

 

 あの小路に設置魔法陣を仕掛けたのも、ガーバック小隊長の指示だそうです。

 

 魔法陣を敢えて即死させず足を吹き飛ばす威力に留めたことで、救助者による二次被害を狙った悪辣な罠でした。

 

 あの罠だけで数名の兵士を負傷撤退に追い込んだ(ゴムージ含む)というから流石です。

 

「……ふん」

 

 設置魔法陣というのは、いわば地雷のような兵器です。

 

 その魔法陣に接触すると爆発する仕組みで、工作兵が居ると設置することが出来ます。

 

 マシュデールに到着後、医療本部に引き抜かれた自分と入れ替わる形でゴムージと、ヨットさんと言う工作兵がガーバック小隊に編入されたそうです。

 

 工作兵とは罠を仕掛けたり、鉄条網という妨害備品をばら撒いたりと戦闘補助に特化した兵科です。

 

 ヨットさんという、突撃部隊に編成されないはずの工作兵を十全に使いこなしているあたり、流石はガーバック小隊長殿と言えましょう。

 

 

「では、歯を食いしばれトウリ」

「……っ」

 

 

 聞けば、小隊長殿は市街戦をする想定なら工作兵を配備しろとレンヴェル少佐に強く要望したそうです。

 

 相変わらず我が儘な要求ですが、自分を引き抜いた負い目があった少佐殿はあっさり受け入れたのだとか。

 

 

 

 

 ───ドスン、と。

 

 

 

 そんな暢気なことを考えていたら、自分はガーバック小隊長殿に鳩尾をぶん殴られました。

 

 鈍い痛みとこみ上げる吐き気が、自分の体を揺らします。

 

 

「状況は理解した。貴様が手銃を使用し、敵を撃ったのも十分に酌量の余地はあるだろう」

「……はい、ありがとうございます、小隊長殿」

「だが、軍規違反には違いない。衛生兵が武装し、発砲するなど言語道断。今のは罰として受け入れろ」

「ご指導、ありがとうございます」

 

 ガーバック小隊長殿は、自分が撤退の過程で手銃を使用した話を聞いて、思い切りぶん殴ってきました。

 

 撤退に必要だったとは理解してくださったようですが、軍規は軍規なので罰則として殴ったと言ったところでしょうか。

 

 

「貴様とゴムージの治療は禁じる。そのままトウリはゴムージを背負ったまま待機」

「はい、小隊長殿」

「少佐に会ってくる。トウリ、ゴムージ、お前らは沙汰を待て」

 

 

 そしてぶん殴られた自分の後ろには、満身創痍で虫の息のゴムージが倒れ伏していました。

 

 彼もまた、小隊長殿の鉄拳制裁の被害者です。

 

「ぢ、ぢくしょう、痛ぃ」

「……ほら、行きますよ」

 

 彼は自分が報告する前から、ゴムージは小隊長殿に伸し掛かられて速やかにタコ殴りにされていました。

 

 まあそれは自業自得なので、どうでもよいです。

 

「なるべく骨の折れたところは触らないようにしますので、掴まってください」

「な、何だよあの男……、おかしいんじゃねぇのかよぉ」

「あ、ゴムージも気付きましたか」

 

 自分は小隊長殿に言われた通り、半泣きのゴムージを背負って立ち上がりました。

 

 そして、レンヴェル少佐の下へ報告に行った小隊長殿の帰りを待つこととなります。

 

 現在、自分達はマシュデールから首都に向かって撤退中です。あまり長時間、休憩するわけにはいきません。

 

 きっとすぐ、戻ってきてくださると思われます。

 

 

 

「重傷者にここまでしなくても良いじゃねぇかぁ、ぐすっ」

「……」

 

 背中にゴムージの涙とか鼻水とか血の感触が伝って、嫌な気分になりました。

 

 これを含めての罰、という事でしょうか。

 

「それに先輩だって、必要だから敵を撃ったってのに殴るなんてありえねぇ。いかれてやがる……」

「……よ、指導は済んだかおチビ」

「あ、ロドリー君。お久しぶりです」

「おう」

 

 そんな自分とゴムージの体罰を遠目に見ていた、ロドリー君が話しかけてきました。

 

 1週間ぶりに話をしましたが、彼の顔を見ると安心します。

 

「あ、ロドリー君。腕を切ってるじゃないですか」

「ん? ああ、弾がかすった」

「大丈夫ですか? 消毒とかちゃんとしましたか?」

「要らねぇよ、ていうか前線に消毒液なんざねぇよ」

「駄目です、小さな切り傷だからと舐めてはいけません。飲料水とかで、傷口は一度洗い流してください」

「……へいへい」

「あのー、先輩? あんたの背中に、切り傷どころか全身打撲と骨折まみれの重傷者が居るんだが?」

 

 ロドリー君は、見た感じ大きな怪我をした形跡はありませんでした。かすり傷は絶えませんが、どれも軽傷です。

 

 彼は元々勘が鋭くて反射神経もよいので、今まで訓練でも重傷を負ったところを見たことがありません。

 

 とはいえ、ロドリー君は他人を助ける時に向こう見ずになる面もあるので、心配はしていました。

 

 怪我が無くてよかったです。

 

「で、おチビ。お前も気づいたか?」

「ええ。小隊長殿ですよね」

「ああ」

 

 そんなロドリー君は、自分に耳打ちするようにそう話しかけてきました。

 

 無論、先ほどから自分もすごく気になっていたことがあるのです。

 

「小隊長? あの重傷者相手にタコ殴りする狂った小隊長殿がどうしたんだ?」

「ええ、その通りですよゴムージ。小隊長殿がおかしいんです」

「だよな、どう考えても狂ってやがる」

「まったく、そうだよな。アイツ狂ってるぜ」

 

 既に立ち去っているとはいえ、地獄耳な小隊長殿に聞こえないよう、自分はロドリー君達と静かに影口を叩きました。

 

 先ほどの小隊長殿は、少し気持ち悪かったです。何せ、

 

「「軍規を犯して罰がアレだけとか、優しすぎる」ます」

「ん?」

 

 軍規違反を指摘しておいて、鳩尾一発殴るだけって小隊長殿にしては甘すぎます。

 

 撤退戦の途中だからという配慮もあったのかもしれませんが……、だとしたら首都に到着後にみっちり制裁すればいい話です。

 

 撤退道中に軽く殴って罪を清算してくださるのは、優しいというほかありません。

 

「とうとう小隊長も慈愛の心に目覚めたのかなァ」

「元々、優しい人だったのかもしれませんね。自分も、全身打撲くらいは覚悟して報告していたのですが……。鳩尾一発だけとか想定外です」

「優しい人は普通、負傷者をボコボコに殴らねぇよ?」

 

 ゴムージは自分の背中で、ドン引きして突っ込みました。

 

 普通の基準で考えれば確かに暴行が苛烈に見えますが、小隊長を基準に考えると今日はメチャ甘です。

 

 と言うかゴムージに関しては、普通基準で考えてもかなり甘い対応な気がします。

 

 何故ならばこのゴムージ、

 

「そもそもゴムージ、敵前逃亡したお前が生かされてる時点でゲロ甘だぞ。俺はてっきり、射殺して捨ておくつもりかと思った」

「えええ!?」

 

 小隊長殿の背中について突撃する恐怖に耐えきれず、一人逃げ出したそうです。

 

 しかし、逃走先で敵兵に出くわしてそこらを逃げ回り、結果自分と合流したのだとか。

 

 敵前逃亡は銃殺、当たり前です。むしろゴムージはどうして、生かしてもらえると思っていたのでしょう。

 

「嘘だろ、俺殺されるところだったの?」

「そりゃそうです。不自然な甘さですよね、小隊長らしくない」

「ま、そりゃトウリに配慮したんだろ」

「おや、アレンさん」

 

 ガーバック小隊長の変化をロドリー君と気持ち悪がっていたら、アレンさんが苦笑いして話しかけてきました。

 

 彼も無事、生き延びていた様です。

 

「ゴムージは、トウリが命がけで背負って助けた訳だ。そんな彼を銃殺し不和の種を作るのを嫌ったんだろ」

「はあ」

「特にトウリはこないだ、かなり感情的になっていたからな。撤退中ってのを鑑みて、その辺のリスクを避けたんだと思うぞ」

「あー、成程ォ」

 

 アレンさんが言うには、要は自分への機嫌取りでゴムージを殺さなかったようです。

 

 ゴネる新米(じぶん)の相手をするのを嫌った、という事でしょうか。

 

「自分だって軍人です、軍規の重要さは理解しております。そんな気を使っていただかなくても良かったのですが」

「先輩? その言い方だと、俺が死んでも別に良かったって意味にならねぇ?」

「……それにトウリ、お前はもう少佐直轄だからな。余計なこと言われたくなかったんだろ」

「あー」

 

 ……そういえば、今の自分はガーバック小隊の衛生兵ではなく、レンヴェル少佐の直属の部下でした。

 

 階級こそガーバック軍曹より下ですが、言おうと思えば小隊長を好きに報告できる立場です。

 

 自分は知らずのうちに、ヴェルディ伍長ポジションを獲得していたという事ですか。

 

「その、この間は恥ずかしいところをお見せしてすみませんでした」

「人間である以上は仕方ないさ。もっと人生経験を積めば取り乱すこともなくなる」

「ありがとうございます。もう、自分は感情的になったりしません」

「ははは、そんな言葉を言ってる間は無理だトウリ。感情ってのは思った以上に厄介で、操りにくい。感情的にならないのを目指すんじゃなくて、感情的になった時にソレを自覚できるようになりな」

「……成程」

 

 つまり自らの感情を御すのではなく、感情と折り合いを付けろという事ですか。

 

 流石はアレンさん、含蓄があります。

 

「そうだぜ先輩、本心をうまく隠した方が人生上手く行きやすいってもんさ。馬鹿を騙す時とかな!」

「……」

 

 そして流石はゴムージ、品性を疑います。

 

「後、トウリを撤退させたゴムージへのご褒美って意味もあったのかもな。功罪差し引いて、体罰で済ませたか」

「そ、そうか。じゃあ俺も命を張った甲斐があったってもんだ!」

「かけられた迷惑の方が多かった気がしますけど」

「先輩ィ!?」

「……ここまでトウリに塩対応される奴は初めて見るなァ」

 

 まぁ、どんな理由であれ小隊長殿が彼を生かす判断をしたのであれば従うのみです。

 

 自分は、ガーバック小隊長に逆らう気はありませんので。

 

 指揮系統こそ移りましたが、きっと自分は一生彼に頭が上がらないのでしょう。

 

 

 

 

「おい、トウリ」

「あっ。何でしょうか、小隊長」

 

 数分ほど経って、ガーバック小隊長殿が戻ってきました。

 

 彼は自分の目の前にきて見下ろすと、指でクイクイと呼び寄せました。

 

「少佐に引き合わせる、ついてこい」

「了解です」

 

 ガーバック小隊長は相変わらず無表情で、声色は不機嫌でした。

 

 罰則が異常に甘かった割に、ご本人はあまり機嫌はよろしくない様子です。

 

「……」

 

 自分とガーバック小隊長は、二人並んで暗い陣地を歩きました。

 

 白状しますと自分は先程まで、久し振りに小隊の仲間と会えて心軽やかでした。

 

 絶体絶命の窮地から脱した事も、その要因であったでしょう。

 

 

「……負傷兵が、こんなに居たんですね」

「気になるか」

 

 

 しかし、こうして陣地の中を散策すると、改めてオースティンの現状の厳しさを突き付けられました。

 

 自分たちが合流した陣地には、多くの負傷兵が茫然と座り込んでいました。

 

 頭に包帯を巻いて横になっている者、眼を虚ろにして三角座りしている者、片腕をだらりと垂らして銃を点検している者など、悲壮な光景が広がっています。

 

「……こんなに沢山、誰から治療をすればよいのでしょう」

「ふん」

 

 怪我人だらけの暗い陣地を、小隊長殿と2人で歩きました。

 

 秘薬や包帯など医療資源があれば治療できますが、果たしてどれほど持ち出せているのでしょうか。

 

「ここにいる連中の治療は基本的に不要だ。戦闘に耐えない重傷者は、先に搬送されてる」

「そう、でしたか」

「今此処にいるのは、戦える力が残ってる連中だ。敵の追撃に備えてな」

 

 とてもそうは思えませんでしたが、ここに座っている怪我人は「比較的に軽傷」と判定され、後方に撤退を許されなかった兵士だそうです。

 

 つまり後方には、これ以上の重傷者が大量に搬送されているという事でしょう。今頃、クマさん達が必死で救命しているものと思われます。

 

「……本当に、これだけの負傷者で戦闘なんてできるのでしょうか」

「やれと言われたらやるしかない。兵士ってのはそういうものだ、右腕が吹き飛ぼうと全身火だるまになろうと命令を遂行するのみ」

 

 ガーバック小隊長殿は、ふんと鼻を鳴らしました。

 

 ……確かにこのお方ならどれだけ負傷しようと応戦できるでしょうけど、他の一般兵にそれを当てはめるのはどうでしょう。

 

「ま、もっとも。もう戦闘なんて、起きねぇだろう」

「そうなのですか?」

「ああ」

 

 小隊長殿は、苦虫を噛み潰したような顔でそう吐き捨てました。

 

 ガーバック小隊長殿のその呟きに首をかしげていると、

 

「ほら、ついたぞ」

 

 やがて大柄な男性が岩に腰かけているのが見えました。

 

 ……レンヴェル少佐です。

 

 

「む、来たかトウリ衛生兵」

「レンヴェル少佐殿、よくぞご無事で」

 

 彼は自分の顔を見て、随分と安堵した表情になりました。

 

「君のお蔭だ。君こそ、よく生き延びた」

 

 彼はそのまま顔をほころばせ、喜色満面に自分の手を取りました。

 

 見た感じ、少佐に大きな負傷はなさそうです。命がけで彼を治療した甲斐がありました。

 

「本当によくやったガーバック。好きな階級を言うといい、俺の権限で好きなだけ昇進させてやるぞ」

「はっ、泥船の階級なんぞ願い下げです」

「遠慮するな、俺の少佐の立場なんてどうだ」

「俺の手には余りますな」

 

 レンヴェル少佐は、不機嫌そうな小隊長殿とは対照的にジョークでも飛ばすような声色で話をつづけました。

 

 少佐殿は、どんな絶望的な状況でもこういう余裕を失わない人なのでしょう。

 

「トウリ1等衛生兵、恥ずかしながら逃げ延びて参りました。再び、少佐殿の指揮下に入ります」

「ああ、いや別に良い。君はそのままこの男に護衛してもらいなさい」

「……はい」

 

 少佐殿は、自分の指揮権を再び小隊長に預けました。

 

 あっさり負傷して役に立たなかったのでクビ、という事でしょうか?

 

「ああ、そんな顔をする必要はない。ただ、どうせもう交戦は起こらないだろうから、気心の知れた部隊の仲間と共に首都まで撤退しろという話さ」

「……交戦が起こらない、ですか?」

「ああ」

 

 少佐殿はそういうと、静かに目を閉じて微笑みました。

 

 ……レンヴェル少佐までもガーバック小隊長殿と同じく、もう交戦は起こらないと宣言しました。

 

「その、質問をしてよろしいでしょうかレンヴェル少佐殿」

「どうした、トウリ衛生兵」

「交戦が起こらないとは、一体どういう事でしょうか?」

「ああ、まだガーバックから聞いておらんかったんだな」

 

 少佐殿は自分の質問に対し。

 

 どこまでも透き通った瞳で、はっきりと答えてくれました。

 

 

 

「───先ほど、政府がサバト連邦に対し無条件降伏の声明を出した」

 

 そして自分は、少佐殿の言葉を聞いて、

 

「終戦だ」

 

 オースティンという国が、敗北した事実を知ったのでした。



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37話

 無条件降伏。

 

 それは戦争の終結において、もっとも屈辱的な結末の一つです。

 

 

 シルフ攻勢により西部戦線を突破された後、各地で虐殺・略奪を行いながらサバトはオースティンを侵略していきました。

 

 その間、政府は必死でサバトと停戦交渉を続けたようですが全て棄却されました。

 

 そして本日、オースティン政府はマシュデールが陥落した事実を受け、とうとう無条件降伏に踏み切ったのだといいます。

 

 

 

「……そっか」

 

 政府が無条件降伏を宣言したことは、その晩の間に味方兵士全体に知れ渡りました。

 

 これで我々は、サバトの植民地のような扱いになってしまうのでしょう。

 

 しかし、それでも。

 

「やっと、終わるのか」

 

 兵士たちの反応は悲嘆にくれる者ばかりではなく。

 

 茫然と肩の荷が下りたような、そんな顔をしていた兵士も多くみられました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……最後の問題は、いつサバトの最前線まで無条件降伏したことが伝わるかだ」

 

 政府が無条件降伏の声明を出した、その翌日。自分はガーバック小隊長と共に、再びレンヴェル少佐の元へ呼び出されていました。

 

 聞けば、マシュデールを偵察してきた兵士の報告によるとサバト軍は未だに周囲の村を焼き討ちし続け、また我々へ追撃を準備しているそうです。

 

 敵はまだ、侵攻を続ける気マンマンという事です。

 

「まだ、戦いは終わっていないという事でしょうか」

「ああ、最後の仕事だ」

 

 とはいえ、これは一応想定内の事です。

 

 自分の前世と違い、この世界の通信機器は魔法によるモノが主です。その有効範囲は精々、数㎞と言われています。

 

 サバトが破竹の勢いで我々の土地を進軍してきた以上、まだ通信環境などの整備が万全に済んでいるとは思えません。

 

 政府が発した声明文書をサバトの官僚が受け取って、停戦命令が最前線まで情報が往復するのに、多少ラグがあるのは仕方ないでしょう。

 

「俺達が無条件降伏しましたっつって叫んでも、撤退を誘う嘘に見えなくもねぇからな」

「向こうの上層部経由での、停戦命令があるまでは交戦状態が継続するという事でしょうか」

「ああ。少なくとも、俺達からの無条件降伏文書の受け渡しは今日の昼間だ。敵の通信網がどうなってるか知らないが、おそらく完全な終戦は明日以降になるだろう。最悪、数日かかる可能性もある」

 

 レンヴェル少佐はそう言うと、ふぅとため息をつきました。

 

 我々はまだ、無条件降伏を声高に叫んだだけです。文書で受け渡しすらしていません。

 

 敵の前線指揮官もこんな段階で無条件降伏を鵜呑みにせず、最初は「サバト軍を後退させるための偽情報じゃないか」と疑っている段階でしょう。

 

 サバトの上層部から停戦命令が出るまでその瞬間まで、我々の戦争は続くのです。

 

「では、どうなさるおつもりですか」

「敵の侵攻軍の偵察を続けながら、我々は敵に合わせて後退していこう」

「……足を早め、遠くに逃げなくてもよいのですか」

「俺たちが一目散に逃げたら、周辺の村の被害が増えるだけだからな。適度に俺達を警戒してもらいつつ、後退する方が良いさ」

 

 どうせもう戦わないんだしな、と少佐はくたびれた声で笑いました。

 

「敵さんもそれなりに被害があったから、マシュデールを制圧したまま息もつかず追撃してこないだろう。おそらく態勢を立て直してから追ってくるはずだ」

「……自分もそう思います」

「だから慌てて、尻尾巻いて逃げる必要はない。むしろ敵を警戒させ市民の略奪を牽制するためにも、敵の目に留まる範囲に俺達がいないとまずい」

 

 それが俺たちの最後の仕事だな、とレンヴェル少佐は続けます。

 

 自分達は、オースティンの軍人です。無条件降伏を宣言した後でも、民の為に行動せねばなりません。

 

 多少は危険な役目ですが、それがレンヴェル少佐なりの軍人としての矜持なのでしょう。

 

「ガーバック、また最後尾を頼むわ。ねぇと思うが、万一敵と接触したら上手く捌け」

「了解です、少佐」

「交戦しても、絶対に敵を殺すなよ? 降伏する意思を疑われたらヤバい」

「……無茶を仰る」

 

 そして、少佐殿はその命令を言い渡すために、自分達を呼び出したようでした。

 

 ガーバック小隊は、レンヴェル少佐の旗下に残った唯一のエース部隊です。割り振られるのはやはり、一番危険な場所なのでした。

 

「あと、トウリ1等衛生兵。お前は、戦後の身の振り方を今のうちに考えておきな」

「身の振り方、ですか」

 

 その話の最後、少佐は思い出したように自分に忠告してくれました。

 

「戦後、間違いなく軍は解体される。さすれば家族と故郷を失ったお前は、天涯孤独という事になる」

「……」

「後ろ盾のない女子の末路なんて、悲惨なもんだ。誰かに保護してもらっとかないと、金に困った民に攫われて奴隷としてサバトに売り飛ばされるかもしれん」

「それは……」

 

 確かに、それは少佐の言う通りです。

 

 身寄りのないまま自分みたいな小娘が生活していれば、人攫いの格好のカモになるでしょう。

 

「しかし、自分に誰か頼れる伝手などは……」

タクマ氏(クマさん)など、君が関係を持った医療従事者の伝手を頼るのを勧めよう。癒者として尊敬を集めている彼なら、戦後もそれなりの権力を持ってるだろう。あるいは、小隊の中の誰かに籍入れするのも良いだろう」

「……なるほど」

「本当は、命の恩も兼ねて俺の家で世話してやりたいんだが……。ま、それがちと厳しそうなのよな」

 

 少佐は、そのまま自分の頭を撫でました。そして、まるで孫を可愛がるかのような態度で、彼は言葉を続けました。

 

「流石に俺は、責任取らされるだろうから」

 

 

 ───そう。おそらく目の前にいるレンヴェル少佐は、戦後に敵国からそれなりの処罰を受けることになります。

 

 レンヴェル少佐は広い範囲の前線指揮官で、サバト兵を多く屠った張本人です。恐らく、生かされる事はないでしょう。

 

「……少佐は、何処かにお逃げにならないのですか」

「逃げたいよ? だから昨日から、ずっとガーバックに少佐にならないかって聞いてるんだ」

「その地位は、俺の手に余りますな」

「だけど、この一点張りよ。まったく、上司に対する敬意ってもんが足りない」

 

 くっくっく、と堪えきれない様にレンヴェル少佐は笑いました。

 

「ま、よくよく考えるといい。きっと、君の人生はまだまだ長いから」

「少佐殿……」

「話は以上だ。くれぐれも、せっかく生き残ったその命を無駄にするんじゃないぞ」

 

 そういって、歴戦の老人は優しく笑いながら自分を見送ってくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「敵も、のんびりだが追いかけてきてるな」

「やっぱり、補給を待って万全に攻めてくる様子ですね」

 

 マシュデールに駐屯しているサバト兵を見張る事、2日目。

 

 ようやく敵は、マシュデール郊外に布陣している自分達を目掛け出陣してきました。

 

 付近の村の制圧より、見えている位置の敵である我々を優先してくれたみたいです。

 

「撤退命令だ、奴らに追いつかれないように退くぞ」

「了解」

 

 やはり、まだ彼らに終戦の情報は届いていない様子でした。

 

 サバト兵は鼻息も荒く、自分達に遠距離銃や魔法攻撃を構えています。

 

「もしかして今日は、一日走り通しだったりします?」

「知らん、敵に聞け」

 

 幸いにもゴムージは、昨日のうちに負傷兵扱いでとっとと首都へ搬送されていました。

 

 実に危ないところでした。あの男を背負って愚痴を聞かされながらマラソンなぞさせられたら、凄まじいストレスだったでしょう。

 

「今ここで死んだら馬鹿みたいだぞ。死ぬ気で走れ」

 

 この日の戦いは、なんとか遠距離から砲撃しようとするサバト兵と、その有効射程から死ぬ気で逃げるオースティン軍という地味な勝負になりました。

 

 必死こいて逃げる我々を、追いかけるサバト軍。

 

 補給も十分、士気も高いサバト兵はかなりの速度で進軍してきたのですが、少佐殿はかなり安全マージンを取って布陣していたので敵の砲撃が自分達に届くことはありませんでした。

 

 結局、日が暮れる前にお互いかなり距離を取って、進軍を停止する形になりました。

 

「そういえば、自分達の魔導師部隊はいないのですか?」

「……少佐の権限で、先に撤退したそうだ。もう魔石も無いらしい」

「マシュデールにいっぱいあったように見えましたが」

「ふん、少佐殿は娘が可愛かったんだろうよ」

 

 撤退中、ふと味方部隊が敵に魔法で威嚇射撃してくれれば楽なのになと考えたのですが。

 

 どうやら少佐殿は、アリア少尉率いる魔導師部隊を既に撤退させてしまっていたそうです。

 

 ……何だかんだ、物凄く身内に甘いんですねあの人。

 

「それは本当で? 指揮官が公私混同ってマズいんじゃないですかい、小隊長」

「余計なことは考えるな。公私混同は多かろうと、軍命は軍命だ」

 

 ガーバック小隊長は舌打ちしながら、吐き捨てるようにそう言いました。

 

 レンヴェル少佐は優しそうな人ですが、その反面確かに身内贔屓も多そうです。

 

 どんな人にも多少の悪癖はあるという事でしょう。

 

「もしかしたら、何か深い理由があったのかもしれません」

「ねぇよ、どうせ。昔からあの人はそうなんだ」

「……もしかしてガーバック小隊長殿は、レンヴェル少佐をお嫌いなのですか?」

「その質問に答えて、何か意味があるのか?」

「いえ、何も」

 

 自分は余計なことを聞いてしまい、小隊長殿に睨まれました。

 

 薄々そんな気はしていましたが、やはりレンヴェル少佐とガーバック小隊長殿って相性良くなさそうです。

 

「ただまぁ、俺はあの人に頭は上がらん。それだけだ」

「そうなんですか」

「テメェの前では優しそうなツラしかしてねぇけど、元々あの人は理不尽な鬼だぞ? 思い出すだけで飯がまずくなる」

 

 小隊長殿は、珍しく忌々しげな声を出しました。

 

 驚いて彼の顔を見上げると、小隊長殿は顔をしかめていました。

 

 ……よほど、レンヴェル少佐に嫌な思い出があるようです。

 

「小隊長殿から見て、少佐はどんな人ですか」

「レンヴェル少佐は、いわば剣を振って戦ってた時代のエースだ。調子乗りで、酒乱で暴力的で、それでいてクソ強ェ」

「……」

「戦功は無駄に立てるせいで、周りの誰もあの人を止められなかった。まさに、戦場の暴君ってやつだな」

 

 ……それは、何処かで聞いたことのある話ですね。

 

「若い頃のレンヴェル少佐は、指導と名目して部下をいたぶることで有名だった。気に入ったやつはトコトン贔屓するし、仕事中に平気で酒飲むし、やりたい放題だったな」

「そ、それは」

「後方に引っ込んでからは随分とおとなしくなったが、今でも少佐殿の顔を見ると俺ぁ胃がムカムカしてきやがるのさ」

 

 堰を切ったように、ガーバック小隊長は勢いよくレンヴェル少佐の愚痴を言い始めました。

 

 成る程。小隊長と少佐の関係が、何となく分かりました。

 

 ついでに、人生で初めて小隊長殿に親近感を覚えてしまった気がします。

 

「もしかして小隊長殿は、レンヴェル少佐を見習って自分達を指導していたのですか?」

「は? 何で俺が少佐の真似をしなきゃならん」

「……いえ、別に」

「今のは聞き捨てならんぞ。俺が今まで、理不尽に罰則を加えたりしたか? え、トウリ?」

「あ、その、すみません」

 

 ……小隊長は、思わず突っ込んでしまった自分の失言に割と本気で怒りました。

 

 どうしましょう、はっきり言った方が良いんでしょうか。

 

 多少、その、ガーバック小隊長殿も、他の隊の小隊長と比べて暴力が苛烈なきらいがあるような……。

 

「小隊長。レンヴェル少佐殿は、どんな感じに理不尽だったんですかい?」

「ああ、聞けアレン。少佐は『欠伸が出そうだったのに貴様の顔を見て引っ込んだ』と言って顔面をブン殴ってきた人だ」

「想像以上に理不尽でした」

 

 優しそうに見えたのに、レンヴェル少佐ってそんな人だったんですか。

 

「何発、あの人に無意味に殴られたか覚えてねぇ。少佐が酒なんて飲んでた日にはもう、何しても殴られたもんだ。思い出しても腹が立つ」

「……ご愁傷さまです」

 

 ガーバック小隊長のその言葉の節々からは、深い恨み節を感じました。

 

 もしかしなくても、ガーバック小隊長の暴行癖はレンヴェル少佐譲りなのかもしれません。

 

 彼が自身が受けた指導経験から、苛烈な暴行が当たり前だと勘違いしているのでしょう。

 

「ただ。そんな無茶苦茶な性格でも、戦争で負けねぇのがあの人の唯一の取り柄だった」

「……」

「頭も性格もアレな上官だったが、あの人が負けてる姿なんて1度も見たこと無かった。そこは唯一、俺があの人を尊敬していた所だ」

 

 しかし最後に、ガーバック小隊長は少し寂しげにそう呟き。

 

「堂々と敵の前に姿を見せて被弾し、死にかけるとは。耄碌したんだろうな」

 

 小隊長殿はそう愚痴ったきり、話さなくなりました。

 

「……」

 

 自分には、そんな小隊長の愚痴の裏腹に、レンヴェル少佐の能力に対する信頼も微かに感じたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無条件降伏から、2日目。

 

「おい、サバトの連中、今日も攻めてきてますよ」

「待てばそのうち、停戦命令が届くって話じゃないんですか」

「あいつら、ちゃんと通信機器持って移動してんだろうな?」

 

 翌日も元気に、サバト軍は我々を追って首都方面に進軍してきました。

 

 報告を聞いた感じ、略奪をやめる様子も見受けられないとのことです。

 

「向こうの通信技術はどうなってんだ。もしかして、サバトって未だに伝書鳩とか使ってんじゃねぇの?」

「俺達は伝書鳩使ってる軍に負けたってか。笑えねぇ」

 

 自分達は辟易としながら、いつまでも戦いをやめてくれないサバト軍から逃げ続けました。

 

 ちゃんと最低限の通信設備が担保されていれば、1日以内に参謀本部からの指令は前線に届くはずです。少なくとも、オースティンの技術レベルではそうでした。

 

 だというのに、何故こんなにもタイムラグが生じてしまっているのでしょうか。

 

 

 それもそのはず、実はこの時戦っていたサバト軍は、前線の総指揮官が現地に出てきて指揮をふるっていたのです。

 

 その指揮官は自己判断で侵攻出来るだけの権力を持っていたので、マシュデールを占領した後、本部から「無条件降伏の声明あり、進軍を停止せよ」という入電を見る前に出撃してしまっていたのだとか。

 

 そして不幸にも、我々と全速力で追いかけっこをしてしまったせいで、この時サバトの通信限界距離を超えてしまっていたそうです。

 

 

 こうして無条件降伏の情報が最前線に届かぬまま、

 

「……なぁ、此処を越えられるのはまずくないか」

 

 サバト軍はいよいよ、首都へと続く最後の関門。

 

 ここを突破すれば首都へ直通してしまう、ムソン砦へと肉薄してきたのでした。



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38話

 ムソン砦とは、首都の玄関口として設計された小さな砦です。

 

 その要塞としての規模はマシュデールに劣るものの、険しい山岳の間道を塞ぐように設計されているため、それなりに強固な砦として機能します。

 

 首都へ向かう為にこの砦を避けて森林内へ迂回できなくもないですが、進軍速度は大きく落ちるでしょう。

 

 大軍で侵攻するには、やはりこの砦を落とさざるを得ないと思われます。

 

 

 逆にこの砦さえ抜けてしまえば、後は何の障害もなくオースティンの首都「ウィン」に到達することができます。

 

 つまり文字通り、ムソン砦はオースティンの最後の砦なのです。

 

 ここを突破され、砲撃に特化した現代の魔導師部隊に首都を包囲されれば、おそらく数日以内に首都が焼き付くされてしまうでしょう。

 

「少佐、どうするんです」

「……俺達は無条件降伏をした立場だ。もし向こうの手違いで街を焼かれても、文句なんぞ言えん」

「ではこのまま、首都を焼かれるのを眺めてるおつもりで?」

「そうは言っとらん」

 

 レンヴェル少佐は、進軍を止めてくれない敵軍を見て悩んでいました。

 

 今、残った全戦力をムソン砦に残して敵を迎撃するか否か。

 

 その判断に、迷っているのでしょう。

 

「俺は、奴等に冷静になってもらう為にも一戦交えるべきと思いますがね」

「迎撃なんてしたら、戦争継続の意思と取られるじゃろう。さすれば、それこそ街を焼かれる」

 

 レンヴェル少佐にとって、最も悩ましかったのはその点でした。

 

 首都を守るためとはいえ、無条件降伏した後に戦闘行動を行えば、降伏する意思を疑われてしまう恐れがあったのです。

 

 自分が余計なことをしたせいで、戦争が継続してしまえば元も子もありません。

 

「敵だって、無条件降伏したってのに攻めてきてるじゃないですか。伝書鳩使って連絡してるからか知りませんけど、要は中央と上手く連携できてないんでしょう?」

「……」

「なら、敗走してるこっちが連携出来なかったとして、何の矛盾があるってんです」

 

 消極的な少佐とは対照的に、ガーバック小隊長は迎撃を主張しました。

 

 自分達も通信設備に難があり、無条件降伏を理解していなかったという体での迎撃を主張したのです。

 

「首都を攻撃されないための無条件降伏でしょう。ここで奴等を素通りさせるくらいなら、降伏なんぞしなくて良い」

「……」

「そんで戦後、少佐殿が責任とって処刑されればよろしい」

「相変わらず、無茶苦茶を言いおるなお前」

 

 レンヴェル少佐は、既に戦後処刑される覚悟は決めておられました。

 

 だったらあと2~3個罪状が増えるくらい気にせず、どうせ処刑されるだろうレンヴェル少佐の責任で交戦するべきです。

 

 

 ────それが、ガーバック小隊長殿の進言でした。

 

 

「首都の目の前まで来ている奴等こそ、首都へ最初に入る部隊となるだろう。我々がここで応戦したら、その八つ当たりが市民に向かないはずがない」

「んなもん、敵に快勝させてやればよろしい。要は、戦闘行動を取らせて時間稼ぎすりゃあ良いだけでしょう」

 

 その、ガーバック小隊長の進言した作戦は、

 

「決死の兵を募って、数十名ほどで応戦するんです。当然、完膚無きままに叩き潰されますが、だからこそ良い。サバト側も憎い俺達を殲滅できて、気持ちいいでしょうな」

「……」

「そいつらだけを捨て駒にすれば、こちらにも大きな被害は出ない。やらん手は無いでしょう」

 

 所謂、捨て奸とも言うべき戦術でした。

 

 

 

 

 

 

 捨て奸とは、言わばトカゲが尻尾を切って逃げるがごとく、少数の決死部隊に殿させて本体が脱出する時間を稼ぐ苦肉の策です。

 

 捨て奸は確かに有効な戦術です。島津の退き口でも、その有用性は示されています。

 

「誰がそんな役目をやるんだ」

 

 ただその前提として、命を捨ててもなお戦い抜くだけの気概を持った兵士が十分存在する必要があります。

 

「流石の俺も、今このタイミングで部下に『死ね』と命じる気にはならんぞ」

「ああ、それなら何の問題もありませんぜ」

 

 そんなレンヴェル少佐の詰問に対し、小隊長殿は飄々と、

 

「今から、志願者を募ってみればよろしい。俺の見立てですと、数十名は集まるでしょう」

 

 そう答えたのでした。

 

 

 

 ……ここを逃げ延びれば、終戦です。この地獄みたいな戦いから、生き残ることができます。

 

 しかし、捨て奸部隊に入ればまず生きては帰れません。

 

 勝利する事も許されず、ただ僅かな時間を稼ぐためだけに、敵に蹂躙される役目。

 

 誰が、そんな役目を買って出るでしょうか。

 

 

「……そうか、お前がそう言うならばやってみよう」

 

 

 レンヴェル少佐は、ガーバック小隊長の進言を受けて決死の兵を募ることにしました。

 

 もしも十分な人数が集まるなら、ガーバック小隊長の作戦を採用する心積もりだそうです。

 

 しかし、集まらなかった時は────素直に、砦を放棄して逃げようと、仰いました。

 

「……小隊長。流石に、あのような条件で兵士が集まるとは思えませんが」

「何だトウリ、てめぇは来ないのか」

「自分には荷が重いと、考えています」

「ま、そうだな。新米の衛生兵なんぞ居ても居なくても一緒か」

 

 自分には、そんな奇特な人たちが数十人も居るとは思えませんでした。

 

 小隊長殿にいかなる根拠があってそんな事を言っていたのか分かりません。

 

 きっと集まらないのだろう、そんな確信さえありました。

 

 

 

 

 

 

 

「以下、54名」

 

 しかし、現実は。

 

 生きては帰れず、勝利も許されず、ただ殺されるためだけの決死の部隊に。

 

「ムソン砦の防衛部隊として志願いたします」

 

 50名を超える志願兵が、レンヴェル少佐の前に押し寄せたのでした。

 

「……ガーバック、お前もか」

「ええ」

 

 より多くの人々を守るために、少数の犠牲を享受するのは戦争においてよくある事です。

 

 しかし、誰もがこう思うはずです。『貧乏くじを引くのは自分以外であってくれ』と。

 

 自分から貧乏くじを受け取りに来る兵士が、こんなにも多いなんて思いもしませんでした。

 

「レンヴェル少佐。こいつらの指揮権は、俺が貰っても構わんですな?」

「……ああ、お前に任せよう」

「これだけの規模の部隊だと、俺ぁ中隊長を名乗れますな。墓石には、見合った階級を彫っといてください」

「なんだ貴様、階級に興味がなかったんじゃないのか」

「見栄えの問題でさ」

 

 しかし、志願した兵士たちは……、何故でしょうか。

 

 どこか、安心したような雰囲気で。そして、嬉しそうな表情をしている兵士すら見受けられました。

 

「……小隊長殿」

「何だトウリ」

「その。どうして小隊長殿まで、志願なされたのですか」

 

 中でも衝撃だったのは、その志願部隊にガーバック小隊長が名乗り出た事です。

 

 あれだけ生存に貪欲で、自分が生きていることこそが最大の国益だと主張してやまなかった人でしたのに。

 

 自分はてっきり、ガーバック小隊長はゴムージほどじゃなくとも、それなりに生き汚い人間だと思っていました。

 

「分かんねえならそれで良いさ。多分、此処にいる連中は全員俺と同じ気持ちで志願したんだと思うぜ」

「……」

「んな顔すんな、情けねぇ。俺ぁ別にお国のために命を捨てようだとか、首都の民の命を守るためだとか、そんな高尚な志で志願したわけじゃねぇ」

 

 しかし、この時のガーバック小隊長殿は間違いなく正気で。

 

 かつ、これ以上ないくらい晴れやかで機嫌のよい顔をしていました。

 

 

「単に、サバトの連中をぶっ殺せるチャンスを最期に貰えたから残るっていう。ソレだけの話だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 志願した54名の兵士の、大半は家族のいない孤独な兵士でした。

 

「アレン、俺のタグはお前に預ける。遺言なんざねぇ」

「……確かに、受け取りました」

 

 彼らはそれぞれ、自身のドッグタグと短い遺言を一筆添えて、自分達に預けました。

 

 家族のあるものは家族へ届けて貰うよう頼み、孤独なものは見晴らしの良い場所に墓を建てて埋葬してくれと言いました。

 

「少佐。砦には1日分の弾薬と食料だけ、残していってください」

「……1日か」

「この俺が指揮するんです、そんくらい稼いでやりますよ」

 

 その絶望的な戦いに挑む兵士たちの顔は、みな朗らかでした。

 

 士気はむしろ高揚しており、それはまるで戦勝した後の塹壕での飲み会の時のような雰囲気でした。

 

「……」

 

 自分には、そんな彼らの気持ちが全く分かりませんでした。

 

 我々は敗残兵です。こんなところで命を捨てても、きっと誰も称賛してくれません。

 

 勝利も名誉もなく、ただ無残な結末だけが待っている彼らに、どうしてこのような顔が出来たのでしょうか。

 

 

 

 

 

 戦争が終わるのが怖かった。

 

 でも、家族が居たので帰らざるを得なかった。

 

 これは、自分が戦後に出会った当時のマシュデール撤退メンバーの1人から聞いた言葉です。

 

 

 戦争神経症という言葉があります。これは、軍人が戦後に発症することが多い種々の精神症状の総称です。

 

 実は軍人であるということは、ある種類の人間において精神安定に大きな意味を持っていました。

 

 自分は組織の命令によって行動していたのであり、軍事行動中に行った一切の行為は『自分の責任ではない』と言い訳することが出来たのです。

 

 そういった兵士は倫理観や感情を切り離して行動することが出来たため、往々にして非常に優秀な兵士であることが多かったそうです。

 

 

 そんな彼らは、いざ戦争が終わって日常に戻ると。

 

 今まで運命共同体であった戦友が居なくなり、まるで一人戦場に取り残されたかのような錯覚に陥ってしまうそうです。

 

 また、戦争中に行った殺人行為に対する良心の呵責に耐えかね、殺した兵士からの呪詛を幻視するようになり、やがて正気を失ってしまうのだとか。

 

 長い間、兵士として塹壕で命のやり取りを続けている事による精神への負担は、想像を絶するものなのです。

 

 

 自分は衛生兵でした。マシュデール撤退中に敵を殺傷した他に、誰かの命を直接奪うようなことはしてきませんでした。

 

 だからこそ、理解できなかったのでしょう。歩兵たちの、自らが軍人でなくなってしまうことに対する、苦悩と恐怖が。

 

 そんな彼らは、きっと軍人として死ぬことでしか救われないのです。

 

 

 

 

 ───ガーバック小隊長殿は、楽し気に志願兵たちに指示を飛ばし、迎撃態勢を整え始めていました。

 

 その手には好物の濃い酒を握りしめ、ほんのり頬を赤らめて笑っています。

 

 それはいつか見た、宴の席で気持ちよく飲んでいる時の彼と同じ雰囲気でした。

 

「ガーバック小隊長殿。今まで、お世話になりました」

 

 自分たちガーバック小隊の面々は砦を出発する間際、そんな彼に最期の挨拶をしに行きました。

 

 

「……ん。じゃあな」

 

 

 返ってきた言葉は、それだけです。

 

 それが、自分が聞いたガーバック小隊長の最期の言葉でした。

 

 そして我々は、ガーバック小隊長に殿部隊の全権を委ね、ムソン砦から撤退したのでした。

 

 

 

 

 

 この、ガーバック小隊長の率いる54名の中隊のムソン砦での戦闘記録は、オースティンには残っていません。

 

 何故なら、当たり前ですが誰一人として生還する者がおらず、戦闘の詳細を報告する人が居なかったからです。

 

 なので、彼らの扱いとしては『マシュデールから首都に撤退する最中、敵と交戦して戦死した』と処理されました。

 

 彼らが砦でどれ程勇敢に戦ったかを、知る人はオースティンにはいないのです。

 

 

 

 一方で、サバト側にはしっかり戦闘記録が残っていました。

 

 ムソン砦に敵が潜んでいることを確認した彼等は、進軍を停止しました。

 

 そして潤沢な資源を使って事前の魔法攻撃を行い、ムソン砦を崩壊させた後に突撃して制圧したそうです。

 

 

 その記録の中には、『剣鬼』たるオースティンのエースを仕留めたと記載がありました。

 

 彼は銃弾で蜂の巣になりながらも突撃してきた兵士数名を切り殺し、手が付けられなかったので遠巻きに手榴弾で体を爆散させて殺害したそうです。

 

 サバト兵の『剣鬼』への憎しみは凄まじく、その兵の遺体は肉片になるまでリンチされたそうです。

 

 ……きっと、それがガーバック小隊長の最期だったのでしょう。

 

 

 ただこの迎撃により、敵軍はムソン砦で24時間に渡り足止めを食らいました。

 

 その間にサバトの通信機器が担保され、敵の総指揮官は砦の制圧中に我々の無条件降伏を知ったそうです。

 

 

 そしてムソン砦を制圧したサバト軍は、進軍を停止しました。

 

 もし誰も砦で応戦していなければ、この突出した敵軍による略奪や虐殺は続いていたと思われます。

 

 つまりガーバック小隊長達は、命を賭して時間を稼ぎ、首都圏を守ったのです。

 

 それはきっと、砦に残った54名の本懐であったでしょう。



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39話

「ああ」

 

 ムソン砦を後にして、撤退すること2日。

 

「ついに、帰ってきた」

 

 自分達オースティン敗残兵は、とうとう首都ウィンへと帰還することが出来ました。

 

「母さん! 母さん!」

「おお、ヨット! 無事だったかい」

 

 ウィンの正門付近には、数十人ほど兵士達を出迎える市民が集っていました。

 

 おそらく、兵士達の家族や知り合い達でしょう。

 

 戦友の中には涙を流し家族との再会を喜ぶ者、無言で抱き合う者、座り込んで泣く者などいろいろな人が居ました。

 

 

「……これが首都か。華やかなもんだな」

「そうですね、ロドリー君」

 

 

 一方で自分やロドリー君など、首都出身じゃない兵士からすればその感動はわかりません。

 

 マシュデールより栄えている町、という意味では確かに目を見張りますが……。

 

 自分には前世の記憶がありましたので、流石首都だなーというくらいの感想しか持てませんでした。

 

 

 

 

 ウィンの正門付近には、大きな広場が設置されていました。

 

 本来であればそこは、旅商人や傭兵など首都に入ろうとする者の荷車を検問するスペースらしいです。

 

 自分達はそこに待機を命じられ、中央に報告に行ったレンヴェル少佐の帰りを待つ事となりました。

 

 少佐は「それなりの報奨金をぶんどってきてやる」と言っていたので、待っていれば何かしらの配給をもらえるのでしょう。

 

「ロドリー君は、今からどうするおつもりですか」

「南の故郷へ行く。……俺の故郷はまだ、焼かれてないはずだ」

「そうですか」

 

 終戦後、ロドリー君は故郷に帰省するようでした。

 

 彼は元々南部の農家の生まれで、兄弟も多く、貧しい実家を支えるべく兵士に志願したそうです。

 

「おチビは行く当てあるのか」

「……ええ。伝手を辿って、医療に携わろうと思っています」

 

 自分はレンヴェル少佐の勧め通りに、クマさんに雇ってもらえないか交渉するつもりでした。

 

 クマさんならきっと、首都でも大きな病院を任されることになるでしょう。そこで衛生兵としての経験を活かし、外傷に強い癒者として働いていくつもりです。

 

 そもそも回復魔法使いは希少なので、自分程度の腕でも食いはぐれる事はないでしょう。

 

 そうして生計を立てながら、孤児院や野戦病院ではぐれた人達の行方を追っていこうと思っています。

 

「じゃあ、お別れだな」

「そうですね」

 

 思えば、この半年間で一番仲良くした人はこのロドリー君でした。

 

 何度も命を救われましたし、年も近く話もしやすいので一緒にいる機会も多かった気がします。

 

 故郷も家族も失った自分にとって、今や一番大切な人と言っても過言じゃないでしょう。

 

「……貴方には何度も命を助けられました。もし自分の力が必要なことがあればいつでも呼んでください」

「そっちこそ食うに困ったら、ドクポリという村に訪ねてこい。戦友のよしみで、物置と粟飯くらいは用意してやる」

 

 正直なところ、彼と別れるのは少し寂しくありました。

 

 しかし、もう戦争は終わっています。

 

 ガーバック小隊長は死に、小隊は解散されました。

 

 自分とロドリー君を繋ぐものは、もう何もありません。

 

「……」

 

 こうして、自分にとっては辛い出来事や経験となった東西戦争は、オースティンの敗北で幕を下ろしたのです。

 

 色々なモノを失った戦争でしたが、同時にサルサ君にグレー先輩や小隊長殿などから、自分にとって大切なものも沢山貰えました。

 

 その経験を糧に、自分はこれからも生きていくのでしょう。

 

 

「またな」

 

 

 ───自分は、差し出されたロドリー君の手をしっかり握りしめ。

 

 この日、この瞬間まではそんな未来が待っていると、信じていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『───親愛なる、臣民に告ぐ』

 

 

 今でも、たまに夢想することがあります。

 

 もし、本当にここで戦争が終わってくれていたら、どれほど良かったことだろうと。

 

「ん? 何だ、この声は」

「音声放送、でしょうか」

 

 それは、自分達がウィンに入って半日ほど経った時刻でした。

 

 

『───我々の想いは、踏み躙られた』

 

 

 我々敗残兵が正門付近で、戦友達と別れを語り合っていた最中。

 

 無機質な声色の公共音声放送が、待機中の我々の耳へと流れてきたのです。

 

 

『───前日の昼、忸怩たる想いで差し出した降伏文書は棄却された』

 

 

 その放送の意味を理解するまで、しばらく時間がかかりました。

 

 流石は首都、町内放送なんてシステムが整備されているんだなぁなんて呑気な感想を抱いていました。

 

 

『───敵は既に進軍を再開した、臣民は手に武器を取り、戦闘に備えよ』

 

 

 しかし、やがてその放送の内容が理解できていくにつれ、自分の顔が真っ青になるのを自覚していきます。

 

 同時に首都ウィンのそこら中から、怒号と絶叫が広がり始めました。

 

 

『───我々には、降伏すら認められなかった』

 

 

 そう。

 

 我々の降伏声明から2日ほど経って、サバト連邦がオースティンの無条件降伏を拒否したのです。

 

「降伏拒否ってなんだァ!」

「……」

 

 この行為は、当時の倫理観からしても有り得ない程に非道なものでした。

 

 現に、頭を垂れて許しを乞うた国をさらに攻撃するという残虐な行為は、当時の自国民からすら非難の的にされたといいます。

 

「奴らはまた、攻めてくるってのか!? 俺達はまた、戦わなきゃいけねェのか!?」

「……あ、あ」

 

 自分は茫然とその場にへたり込み、ロドリー君は顔を真っ赤にして激高しました。

 

 戦争が、まだ続いてしまう。

 

 敵がもうすぐ、自分達を殺しにやってくる。

 

 そんな恐怖がぐるぐると頭を支配して、自分は目眩と共に地に伏せってしまいました。

 

 

「だったらガーバック小隊長は、何の為に死んだって言うんだ!!」

 

 

 戦争は終わったものと、思い込んでいました。

 

 降伏を拒否されるだなんて、想定すらしていませんでした。

 

 また、戦争が始まる。

 

 自分はその事実に打ちのめされ、茫然自失に陥っていたのです。

 

 

 

 何故、当時のサバト連邦の政府は無条件降伏の拒否などという暴挙に出たのでしょうか。

 

 これについては、当時のサバト政府高官が戦後に2度、釈明を行いました。

 

 

 最初の言い分はこうでした。「オースティンの言語が翻訳できず、降伏ではなく講和だと誤訳した。降伏を拒否したのではなく、講和拒否という意味だった」と。

 

 しかし、この言い分は当時の前線指揮官によって明確に否定されてしまいました。

 

 何故ならその指揮官は一度、『無条件降伏の声明が出たので進軍を停止せよ』という上層部の命令をはっきり聞いていたからです。

 

 

 このお粗末な釈明には非難が集中したため、途中から釈明内容は変更され「ムソン砦での迎撃行為が有ったため、無条件降伏は敵の偽報作戦だと判断した」としました。

 

 これも、当時のオースティンの戦況から無条件降伏が偽報だと判断するのはあまりに無理があると突っ込まれまくったのですが、現時点ではこの釈明が正式な当時の首脳の見解だったとされています。

 

 

 しかし一方で、市民の間ではこんな噂が流れています。

 

 無条件降伏の拒否は、企業から賄賂を受け取った政府高官のせいである、と。

 

 つまり『あまりにも終戦が急すぎたので、武器弾薬を製造している企業から待ったがかかったのだ』という噂です。

 

 

 当時サバト連邦の国民は重税を課され、その財産を兵器や武具に宛がわれていました。

 

 なのでこの戦争はサバト国民からは不満だらけでしたが、一方で軍事物資を扱っていた企業にとってはボーナスの様な『戦時特需バブル期』でもあったのです。

 

 敵の兵力はオースティンより倍近かったため、いくら生産しても物資が足りない状況でした。

 

 だから企業が作った商品は、そのまま全て政府に公金で買い上げてもらえたのです。

 

 そんな美味しい状況だった為、10年にわたる戦争の長期化を受け、企業は生産ラインを増築し続けておりました。

 

 

 しかし、シルフ攻勢により一気に東西戦争は終戦に向かってしまいます。

 

 企業からすれば、巨額の投資して生産ラインを整えたのに、急に需要が無くなられると困るのです。

 

 戦争というお祭りが終わり、これからは大きな減収が予測される企業達。

 

 そんな彼らから、せめて『今の在庫を売りさばけるまで戦争を続けて欲しい』という賄賂があったのではないか。

 

 そんな、真っ黒な噂です。

 

 

 後は、シルフ・ノーヴァが戦争継続を希望したからだという説もあります。

 

 シルフが「我々は恨みを買いすぎた。オースティン国民が反乱を起こさないよう、口減らしをするべきである」と頓珍漢な提言をして、それに軍部が従ったのだという説です。

 

 なお、これに関して本人がきっぱり否定しています。

 

 それに、当時の彼女はまだブルスタフ将軍の付属品みたいな扱いでしかないので、そんな権力もなかったでしょう。

 

 彼女の後世の印象から、シルフならそんなことを言い出しても不思議ではないと思われ出来た説と思われます。

 

 

 いずれにせよ、どうして当時のサバト政府がそんな決断をしたかという理由は闇の中です。

 

 ただもしも『企業から贈賄を受けて戦争を継続した』という噂が事実であったら、どれだけ冷酷で傲慢な決断だったことでしょう。

 

 彼らはオースティンの民の虐殺を許容し、自らの私腹を肥やそうとしたわけです。それは到底、許せるものではありません。

 

 

「ああ、見える」

 

 

 この時ウィンには、ロクな戦力が残っていませんでした。

 

 正規兵は我々敗残兵を含めても500名に満たず。

 

 武器弾薬はマシュデールから運び出せていたものの、銃を撃ったことのある人間は殆どいません。

 

 

「我々を殺しに来た、悪魔の軍勢が見える────」

 

 

 そんなウィンの市民たちにとって。

 

 遠目に、広く展開されたサバト連邦の正規軍が迫ってくる光景は、どれだけの恐怖だったでしょうか。

 

 

「逃げ道はない、どこに逃げても一緒だ」

「せめてあの悪魔に、一矢報いたいものは名乗り出ろ!」

「女子供を逃がす時間を稼げ!」

 

 市民たちの中には勇敢に立ち向かおうとする者もいました。

 

 彼らは運ばれてきた武器弾薬を手に取って、我々敗残兵にその扱い方を習いに来ました。

 

「死ぬときは一緒だ」

「敵が来たら、家に火を放とう」

 

 また全てに絶望し、心中を図ろうとする家族もいました。

 

 彼らは最期の瞬間まで、楽しい思い出の詰まった我が家で抱き合っていようとしました。

 

「逃げるんだ、地の果てまでも」

「持ち出せるものは全て持ち出せ、絶対に生き抜くんだ」

 

 そして。行先も定めぬままに、どこか遠くへ逃げようとする者も大勢いました。

 

 その目に色濃い絶望を浮かべながら、彼らは狂ったように走っていきました。

 

 

 

 そんな喧騒の中、自分は一歩も動けませんでした。

 

 自分は、どこか現実感のない、フワフワとした夢を見ているような気分でした。

 

「おいおチビ、何をボーっとしてる!」

 

 この時ロドリー君は、自分の肩をずっと揺らしていたのを覚えています。

 

「呆けてる場合じゃねぇぞ!」

 

 きっと、自分はさぞ情けない顔をしていたことでしょう。

 

 目を見開いて、何も考えることもできず、迫りくるサバト兵を眺めることしか出来なかったのですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 シルフ・ノーヴァは間違いなく、この東西戦争における主役の一人でした。

 

 長きにわたる戦線の硬直を打ち砕き、サバトに完全勝利をもたらしかけたこの少女は、歴史を動かした天才といっても過言ではありません。

 

 戦争がこの時点で終わっていたのであれば、彼女は救国の英雄であると評価されたでしょう。

 

 

 ですが現実には、後世の書籍においてシルフの名前はいつも、『とある男』と比較されて記載されます。

 

 彼女の後世の評価は『史上最低の愚将』です。

 

 確かに、彼女はこの後あまりに致命的な失敗を数多く重ねました。

 

 ただし、比較対象となったこの男のせいで大きく評価を落としてしまっている部分も多いと感じます。

 

 つまり『相手が悪かった』と、そう言ってあげても良いのかもしれません。

 

 

 

 たった一人の人間が、歴史を動かすなんてことは多々あります。

 

 それはシルフがそうであったように、時代を大きく進める天才と言うのはどんな場所にも一定の確率で現れるのです。

 

 しかし、そんな天才の多くは凡人に理解されず、世に出ることは出来ません。

 

 何故なら、理解されないがゆえにその能力を見出されず、生涯を終えてしまうからです。

 

 シルフ・ノーヴァが世に出た理由は、たまたま彼女の父親ブルスタフがサバト軍で屈指の権力者で、かつ娘の才能を理解するだけの器を持っていたという様々な幸運が重なった結果でした。

 

 だから、歴史の表舞台に立てる天才と言うのは、本当に希少なのです。

 

 幸運ではない天才は、奇人として俗世に埋もれてしまうだけなのですから。

 

 

 

 

 ────そんな不運な天才が、実はこの時代にもう一人だけ居たのです。

 

 

 

 

 それは自分達がウィンに落ち延びる、1日前に遡ります。

 

 実は首都まで情報が伝達するのにタイムラグがありまして、サバト軍が無条件降伏の拒否を宣言し、侵攻を再開したのはこのタイミングでした。

 

 サバト連邦は、潤沢に余った兵器弾薬を惜しみなく注ぎ込んで、全戦線で(・・・・)攻勢を開始したのですが……。

 

 

「入室許可を求めます」

「来たか」

 

 

 しかし、その攻勢の開始より10日ほど前に。

 

 とある男性将校が、南部戦線の指令室に呼び出されていました。

 

 

「お初にお目にかかります、アンリ中佐殿」

「ご苦労、ベルン君」

 

 

 彼の名はベルン・ヴァロウ少尉。

 

 このベルンという将校は、士官学校をそれなりの成績で卒業し、参謀将校の見習いとして働くことを許されました。

 

 しかし「とある理由」で一年前に参謀失格の烙印を押されてしまい、事務係に左遷されていた人間です。

 

 そのとある理由、というのが。

 

 

 ───1年も前にシルフ・ノーヴァと全く同じ『全戦線による多点同時突破作戦』を提案し、現実的な作戦立案が出来ない参謀将校と見なされてしまったからです。

 

 

 ベルンは事務仕事もそれなりにこなせたので、参謀ではなく裏方としてこの1年ずっと南部戦線の雑用係をこなし続けました。

 

 しかし2週間前。

 

 シルフ・ノーヴァによる多点同時突破戦略によりオースティン軍が壊滅した事を聞き、南部戦線指揮官だったアンリ中佐はベルンの事を思い出し、慌てて彼を司令部に招集していたのです。

 

「自分達の目が曇っていた。先の非礼をまず詫びさせて欲しい、君がかつて提出した作戦案は決して的外れではなかった」

「うぇっへっへ、そいつはどうも」

「……そして、改めて君の意見を聞きたい。我々は今から、どう動くべきか」

 

 指揮官アンリは、ベルンを事務係に左遷したことを謝罪し、何か意見を出してくれと乞いました。

 

 一方でベルンは左遷されたことを気にした様子もなく、「1年ほど楽が出来ました」と屈託なく笑ったそうです。

 

「まぁ、確実に勝つとは言いませんけど。分の良い賭けになる作戦案なら、ありますよ」

「本当かね」

 

 そして、彼は現状を打開する作戦を聞かれ、こう答えました。

 

 

 

 

 

「知っていますか、アンリ中佐。ジャンケンで連続勝負する時、勝ちやすくなる方法を」

「……いや、分からない」

 

 彼は作戦案を説明するにあたり、まるで世間話でもするかのように気安く指揮官に話をしたそうです。

 

「人はどうやら、直前に自分が出した手に勝つ手を出したくなるそうです」

「……それで?」

「その人が前にどんな手を出したか。それを覚えてさえいれば、ジャンケンの勝率が上がりそうじゃないですか?」

「……すまない、もう少し具体的に話してくれたまえ。君は何が言いたいんだ」

「ただ、これって普通の人の話なんですよね。俺達が戦う相手って、普通の人じゃないんです」

 

 ヘラヘラとのんびりした口調で、ベルン・ヴァロウはマイペースに持論を語り続けました。

 

 しかし、どれだけ待っても肝心要な作戦の話が出てきません。

 

「俺達がジャンケンすべきは、敵の参謀なんですよ。普通の人とは思考回路がまるで違う」

「……すまない。まだ、その前置きは続くのか?」

「ええ!」

 

 しかしベルンは、周囲の軍人が少し苛立ち始めた事を、意に介す素振りすら見せませんでした。

 

 ただ楽しげに、ピクニックの予定を話すかのように、彼の演説は続きます。

 

「要するに、敵の参謀が何をしてくるか考えろという話だろう。それくらい、言われずともずっと────」

「あっはっは、考えなくてもいいんですよそんなもの。何せアイツらの考えることは、平民より単純ですから」

「……」

「『前にこの手で勝ったんだから、次もこの手で勝てるだろう』。そんな間抜けな事を大真面目に言って、ドヤ顔するのが参謀って生き物なんです」

 

 そこまで言うと、ベルン青年はニタリと笑って、こう言いました。

 

「これだけの大勝です。これだけの成功体験です。相手はきっと愚直に、同じ手を繰り返すでしょう」

「……」

「じゃあ待ってあげようじゃないですか。相手が同じ手で攻めて来るのを」

 

 と。

 

 

 

 サバト連邦は、その可能性をもう少しだけ考えておくべきでした。

 

 自分達にシルフ・ノーヴァが居たように、オースティンにも新時代を築く英雄が現れていたという可能性を。

 

 

 東西戦争の段階を一気に進め、戦争を勝利目前まで導いた天才シルフ。

 

 彼女に呼応するかのように、その才覚を見出され抜擢された青年ベルン。

 

 今後の戦争において、この二人は何度も知恵比べをし、その戦略の切れ味を競い合うことになります。

 

 

 

 

 無条件降伏が拒否されたその日。

 

 西部戦線で唯一、お互いにずっと動きがなかった南部方面において、朝一番からサバト連邦の攻勢が始まりました。

 

 前任指揮官で辞職したエーヴェムに代わり、新たにサバト側の南部の指揮官となったニヴェムが「自らも戦功を立てたい」と南部での攻勢を熱望したのです。

 

 完膚無きままに、オースティンを攻め滅ぼす。ついでに、余った軍事物資を使い切ってやろう。

 

 もうこの戦況ではオースティンは戦意を維持できまい、きっと赤子の手を捻るより簡単に勝てるだろう。

 

 この時、ニヴェムもサバト参謀本部も、そう楽観していたに違いありません。

 

 

 事前の準備砲撃は、数十分で終わりました。そして息もつかぬまま、サバト軍は雄たけびを上げて塹壕に籠ったオースティン兵に襲い掛かります。

 

 予想通りに、オースティン側は総崩れとなり、塹壕を破棄して大慌てで逃げ出しました。

 

 敵将ニヴェムの取った作戦は、シルフ攻勢と全く同じ、広い範囲を同時に短期間で侵略するという『多点突破戦術』の焼き直しでした。

 

 その結果、敵は塹壕を放棄して総撤退を始めます。これもまた、シルフ攻勢の焼き直しでした。

 

 

「ほうら、同じ手で来た」

 

 

 もはやオースティン軍如き敵ではない。

 

 そう思い込んだサバト軍は、士気高くオースティンの領地へと斬りこんでいきます。

 

 サバト兵はオースティン内地での略奪や、蹂躙、そして宴会と言う戦場の『ご褒美』に胸を高鳴らせながら、我先にと前進していきました。

 

 そして、シルフ攻勢の時と同じように最後方の塹壕を突破し、いよいよ周辺の村落へとなだれ込もうというタイミングで───

 

 

「そろそろ良いんじゃないです?」

「ああ」

 

 

 敵が攻勢を開始するのを、じっくり10日以上待ち構えていた南部オースティン部隊から集中砲火を浴びて、凄まじい被害を受けることになったのです。

 

 

 まさしく、完ぺきな釣り野伏が決まった形でした。

 

 敵にあえて塹壕を突破させ、敵の身を隠すものをなくした状態で、歩兵と魔法で集中砲火する。

 

 これは、敵がまた多点同時突破を狙ってくると読み切った若き天才ベルンの最初の戦果でした。

 

 

 ベルン自身がそう言ったように、塹壕戦にただ一つの正解はありません。ジャンケンのように、読み合って戦う必要があるのです。

 

 突撃、防御においても色々な戦略があり、その作戦それぞれに得手不得手が存在します。

 

 つまり多点突破戦術は、あくまで1点突破に備えた防御ドクトリンを形成している軍に対し有効なだけであって、万能無敵の最強戦術では断じてありません。

 

 奇襲性・即攻性がキモとなる作戦なので、敵に下がって待ち伏せされるとその作戦の効力を大半失ってしまうのです。

 

「■■■■!!?」

「■■!!」

 

 罠に嵌められたことを悟ったサバト軍は、たまらず撤退を始めるのですが、

 

 

「多点同時突破戦術のキモは、即効性と奇襲性にあるんだよね」

 

 

 ここからが、彼の真骨頂でした。

 

 ベルンという男をおいて、こうした決定的な好機を利用する事で右に出る者はいません。

 

 

「今って、これ以上ない奇襲のチャンスでしょ」

 

 

 何と彼は敗走状態の敵部隊に目掛けて、多点同時突破戦略をカウンターとして仕掛けたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 それは、まさしくシルフ攻勢の焼き直しとなりました。

 

 数の上では有利だった筈の南部サバト兵は、文字通り壊滅させられる事になってしまったのです。

 

 塹壕すらない平原で集中砲火を浴びていた敵部隊に、オースティンの突撃を冷静に対処しろと言うのは流石に困難でした。

 

 結果、シルフ攻勢の時と攻め手と守り手がそっくり入れ替わるように、南部戦線の殆どをオースティンが突破しました。

 

 サバトは死傷者合わせ、4万人強。とても南部戦線を維持できる状況ではなく、サバトは総撤退に追い込まれます。

 

 その被害はといえば、シルフ攻勢におけるオースティン側の戦死者を上回ったそうです。

 

 ただこれはサバト側の兵力が大きかったのが原因であり、被害の割合で言えばオースティンの方が多かったでしょう。

 

 しかし、この戦果は戦局をひっくり返すには十分でした。

 

 

「アンリ指揮官、次どうするか分かってますよね」

「ああ、無論」

 

 

 これはサバト軍にとって致命的で、かつ悪夢のような結果でした。

 

 ほぼ勝利が決まっていた戦争を、振り出しに引き戻されたようなものなのですから。

 

 

「このまま北上して、敵の補給線を叩く」

 

 

 南部戦線が崩壊した結果、サバトの補給線はベルンを相手に無防備な横腹を晒していたのです。

 

 サバト軍の本隊は着々と首都ウィンを包囲しつつありました。

 

 裏を返せばそのか細い補給線を頼りに、敵地の奥深くへ切り込みすぎていたのです。

 

 もしここで補給線を失えば、彼らは敵地オースティンの真ん中で孤立してしまうことになります。

 

 すぐさま首都戦線を放棄して撤退しないと、主力軍の壊滅は免れません。

 

 

 この戦果報告は、進軍を再開したサバト前線指揮官の全員を恐怖のどん底に叩き落としました。

 

 彼らは整備された補給線から潤沢な資源が送られ続けてきたが故、殆ど食料弾薬の節約をしていません。

 

 正面の首都には窮鼠となった市民が銃火器を手に取っていて、背後からは無傷の南部オースティン軍が詰めてくるという状況。

 

 圧倒的優位な侵略者であった立場が一転、袋の鼠に陥ってしまったのです。

 

 

 サバトは無条件降伏という、もう殆ど手中に収めていた勝利の2文字を、あまりにも愚かに手放してしまいました。

 

 この失態はあまりに多くの恨みを買いすぎてしまい、戦後に当時の高官の大半がサバト国民自身の手によって血祭りに(しょけい)されました。

 

 

 一方で、オースティン側はその新たな英雄の登場に歓喜し、大喝采をもって彼を褒め称えます。 

 

 オースティン南部軍は、シルフ攻勢で戦線の大半を突破されたその日から、この一発逆転のカウンターを蛇のように執念深く狙っていました。

 

 これはまさにオースティンという国の存亡を、首の皮1枚繋げた奇跡の戦略と言えました。

 

 まさに彼は、オースティンの救世主と言えましょう。

 

 

 

 ただ自分は、やはりこの日に無条件降伏が受け入れられていた方がずっと良かったと思います。

 

 ベルン・ヴァロウという天才の出現によりオースティン軍は持ち直すのですが、裏を返せば彼のせいで『終戦が一気に遠のいた』と言えなくもないからです。

 

 あの日に、戦争が終わってさえいれば。

 

 サバトが、降伏を受け入れてさえいれば。

 

 きっとシルフ・ノーヴァは稀代の天才少女として名を残したでしょうし、オースティン国民は属国として扱われながらも、多くの人々が死なずに済んでいたと思われます。

 

 しかし現実はそうはなりませんでした。

 

 戦争という魔物は、まだまだ血に飢えていた様で。

 

 本当の地獄は、もっともっと深い泥沼へ転がり落ち行く我々を、大きく口を開き笑って待っていたのです。

 

 

 

 

 

 

 

「────へ?」

 

 だけど。この時、この瞬間ばっかりは。

 

「あれ、何だ?」

「サバトの連中、なんか減っていってないか」

 

 主都ウィンが包囲され、勝つ見込みもなく死を待つばかりだと絶望していた自分にとって、

 

「見ろ、退いている! サバトの連中が退いているぞ」

「オォ、オオォォ……」

 

 目の前で、唸るほどの数のサバト軍に覆われていた平原から、ゆっくり敵が掃けていくその光景が、

 

「奴らが逃げて行くぞォォォォ!!」

「やったァァァァ!!」

 

 ただただ、この上ない救いでした。

 

 




2章終了です。
再開までしばしお待ちください。


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3章 冬季行軍
40話


 

 自分が衛生兵として従軍することになってからの半年は、間違いなくオースティンの歴史の大きな転機と言えました。

 

 10年以上にわたり均衡を保ってきた西部戦線が破られ、ガーバック小隊長やゲールさん達が死に物狂いで守ってきた西部戦線を失い、無条件降伏さえ拒否された激動の6か月間でした。

 

 一時は終戦すら見えた情勢でしたが、結果として戦争は終わりませんでした。

 

 降伏を拒否され、「このまま殺されるくらいなら」と最後の一人になるまで戦う決意を固めたオースティン国民。

 

 殆ど決していた勝勢を覆され、不満が爆発寸前の国民に対し「負けました」と言うわけにはいかないサバト連邦。

 

 お互いに決して負けることが出来なくなってしまったこの東西戦争は、このままズルズルと「国としての機能を維持できないレベルでの、人の命のすり潰しあい」に発展していくことになります。

 

 それは後に「総力戦」と呼ばれ、今後の戦争において最も避けるべき形態の一つとして語り継がれていくことになるのでした。

 

 

 

 

 

 

 そして、この日の出来事をオースティン国民が忘れることは無いでしょう。

 

 首都ウィンの国営放送で、無条件降伏が拒否されたという情報が流れて、街はパニックに陥りかけていました。

 

 しかし何故か敵軍は撤退していき、間もなく南部オースティン軍が劇的に勝利したという戦報が、首都ウィンまで届いたのです。

 

 絶望から一転して見えた希望はひとしおで、自分はロドリー君と肩を抱き合って喜びあいました。

 

「飲めや歌えや」

 

 そんな状況で、民衆たちが落ち着くはずもなく。

 

 結局、その日は住民たちが昼からお祭り騒ぎを始めてしまい、それに巻き込まれる形で自分達も首都の民と喜びを分かち合ったのでした。

 

 

 

 

 しかし、そんな浮かれた空気もつかの間です。

 

 翌日の朝、我々オースティン軍は再び装備の点検を始めていました。

 

 戦争はまだ続いています。サバトにより、続けられてしまったのです。

 

 

「お前らは、実によく戦ってくれた」

 

 

 我々は寝床として、首都内の士官学校の設備を貸し出されていました。

 

 この日は校内の講堂に雑魚寝する形で、戦友と並んで一夜を過ごしました。

 

 

「我々がマシュデールで奮戦していなければ、きっと首都は火の海だっただろう。我々は、英雄なのだ」

 

 

 再び戦地に赴く覚悟を決めた兵士たちは、レンヴェル少佐により今後の具体的な方針の説明を受けることになりました。

 

 

「しかし、我々の戦いはまだ終わっていない。いや、戦争はこれからが本番なのだ。憎きサバトの連中を、この国から追い出して、我らがオースティン同胞の安全を保証できるその日まで、我々の闘争は終わらない」

「「はい、少佐殿」」

「国家は、全力で我々を支援してくれるそうだ。手始めに減ってしまった人員を確保すべく、首都で募兵が開始されている」

「……」

「我々の新たな仲間が、間もなく配属されてくるのだ。各員気を引き締めて、その指導に当たってほしい」

 

 レンヴェル少佐が説明した具体的な方針とは、つまり。

 

「我々は1週間後、この首都ウィンを出立する。憎きサバトの悪鬼どもへ、いよいよ反撃を行うのだ」

 

 撤退していくサバト兵を、我々がオースティン南部方面軍と呼応して追撃するという方針でした。

 

 

 

 少佐の話によると、南部から我々へ出撃の要請があったそうです。

 

 首都方面と南部方面から、包囲網を作って敵を殲滅していく作戦だそうです。

 

 しかし我々の戦力は壊滅しています。現在の首都の戦力のみで出撃するのは、流石に困難でした。

 

 なので、この1週間で比較的若く体力のありそうな人々を徴兵し、我々の部隊に組み込む予定だそうです。

 

「配属されてくる新米は、素人だらけになると予想される。まともに使える人材は、ほとんどいないだろう」

「「はい、少佐殿」」

「実戦を経験したお前たちが、それをまともな戦力として育て上げろ。後輩育成も、貴様らの重要な職務だ」

 

 思えば半年前。

 

 自分はガーバック小隊長殿にボコボコに指導を受け、アレンさんやグレー先輩からいろんな話を聞き、少しづつ成長していきました。

 

 その若手を教え導くという役割が、早くも回ってきたという事でしょう。

 

「編成が固まり次第、お前たちに任を下す。今日、ここに生き残ったお前たちこそ、我が新生レンヴェル軍の主力となるのだ」

「「はい、少佐殿!」」

「恐らく、編成が完了するのは3日後になるだろう。なので今日、明日はゆっくり休養を取るといい。家族に会いに行くもよし、戦友と街に繰り出すもよし。人生最後の休日になるかもしれんから、心残りの無いよう全力で楽しめ」

 

 そういうとレンヴェル少佐は、ドンと大きな金貨袋を地面において、

 

「政府からの特別褒賞だ。喜べ、ブン取ってきたぞ、大金を!」

「「おお!」」

「せっかくの、貴重な首都での休暇。俺の部下たちに『金がなくて十分に楽しめなかった』なんて無様な思いをさせる訳にはいかん。さあ順番に並べ、お前たちは今日豪遊できるだけの働きをしてくれたのだ、遠慮はいらん! たっぷり持っていけぇ!!」

 

 物凄い笑顔で、その両手に金貨を掴み取ったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……褒賞は半年分の給与、か。一度に貰えると凄い額だな」

「自分達は若手で少なめとはいえ、結構な額になりますね」

 

 と、言うわけで我々一般兵士は、2日間の休養を言い渡されました。

 

 たった2日で使い切るのは難しそうな額の金貨を、袋に入れて手渡されて。

 

「アレン先輩は、休暇何かすンですか?」

「親に顔を見せに行こうと思ってる。奇跡的に生きて帰れたんだ、親孝行しないと」

「ああ。アレンさんは、首都出身だったんですね」

 

 首都出身の兵士たちは、皆家族に会いに行くつもりのようです。

 

 今度こそ生きて帰って来られる保証はないですし、それはそうでしょう。

 

 家族が生きているなら、少しでも幸せな時間を過ごしていただきたいものです。

 

「ロドリー君はどうするつもりです?」

「そうだな。俺ァ、まずヴェルディ伍長の見舞いに行こうとは思ってるが」

「おお、自分も行きたいです」

 

 ロドリー君は、今から首都の中央病院に向かうようでした。

 

 我々の負傷した戦友は、その病院に収容されて治療を受けているそうです。

 

 ヴェルディ伍長には普段からお世話になっていますので、見舞いには行っておくべきでしょう。

 

「なら、俺もご一緒しようかね」

「アレンさんも来られますか」

「戦友だって、大事な家族だからな。無事な顔を見た方が、寝覚めも良い」

 

 と、いう訳で。

 

 人生最後かもしれない休日は、お見舞いから始まったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただ、もしヴェルディさんが重傷で、面会謝絶とかならどうしようかなと思っていたのですが。

 

「おお、皆さんご無事でしたか。大事な時に負傷撤退してしまい、申し訳ありません」

 

 病院に行って面会の許可を求めると、ヴェルディ伍長にはあっさり会うことが出来ました。

 

 彼はもうほぼ治癒しており、明日には退院できる状態だそうです。

 

「お元気そうで何よりです、ヴェルディ伍長」

「トウリちゃん、ありがとうございました。貴殿の迅速な判断のおかげで、一命をとりとめることが出来ました」

「……正直、自分の前に運ばれてきた時は見捨てようか迷うくらいに重傷でした。助かってよかったです」

「う、結構瀬戸際だったんですね、私」

 

 今でも、前線医療本部で血反吐吐きながら運ばれてきたヴェルディさんの姿はよく覚えています。

 

 全身が浮腫んでショック状態でしたが、緊急手術すればギリギリ5体満足で救命出来そうだったので、半ば賭けるように後方に送った気がします。

 

「本当に悪運が強いな伍長。九死に一生を得たの、これで何度目です?」

「伍長はちょっと不注意なんスよ。敵の視線を感じたらすぐ屈まないとダメっス」

「ははは、返す言葉もない」

 

 道端で購入しておいたケーキを手渡すと、伍長は苦笑して受け取ってくれました。

 

 何にせよ、無事でよかったです。

 

「私はやはり、前線には向いていない人間みたいですね」

「いきなりどうした、伍長?」

「ロドリー1等歩兵の言ったとおりです。自分にはどうも、注意力が足りないらしい」

「……あ、その」

 

 ロドリー君は軽口を取り上げられて、ばつが悪そうに眼をそらしました。

 

 そんな彼を見て、ヴェルディさんは笑ったまま気にしていないと手を振りました。

 

「叔父上からのお達しで、私は昇進することになりました。マシュデール撤退戦での功績を評してと言われましたが、ご存じの通り私は何もしていません。ただ、撃たれて撤退しただけの役立たずでした」

「……」

「叔父上も、私の無能が分かったのでしょう。だから多少強引に昇進させて、私を前線から引きはがしたのです」

 

 ヴェルディさんはそこまで言うと、面目なさそうに眉をㇵの字にし、やがて頭を下げました。

 

「これから私が、直接皆さんの力になれる機会は無いようです。……申し訳ありません」

 

 それは、薄々自分も感じていたことではありました。

 

 運が悪かったといえばそれまでですが、ヴェルディ伍長は咄嗟の事態で動けず負傷することが多く、あまり優秀な歩兵とは言えませんでした。

 

 ロドリー君とかは危機を感じると凄まじい反応を見せるのですが、ヴェルディ伍長は頭が真っ白になって固まってしまうタイプの様です。

 

 彼がこれ以上最前線にいたら、いつ死んでも不思議ではありません。

 

 そもそもヴェルディ伍長は、参謀将校になる過程として歩兵を経験しただけで、本来は後方でふんぞり返っている側の人なのです。

 

「昇進おめでとうございます、伍長。アンタが何も謝ることはありませんぜ」

「……ですが」

「伍長が偉くなったなら、俺もたくさん自慢出来ますから。あのお偉いヴェルディ様の尻を蹴飛ばして、指導してやったのは俺だってね」

「それは。……間違いありませんね」

 

 しかし、それはヴェルディ伍長にとって非常に心苦しい話だったみたいです。

 

 早々に負傷撤退しておいて、自分だけ昇進するなんてという負い目を感じているのでしょう。

 

「あと、貴方達も少し階級が上がると思います。野戦任官というやつですね」

「おお、そうなのですか」

「本来、その階級であるべき兵士が殆ど死傷してしまいましたから。欠員を補充するために、アレンさんは小隊を1つ任されると思いますよ」

「へぇ、そりゃ凄い。ついに、アレン小隊が結成されちまうってわけですかい」

 

 そして、昇進するのはヴェルディ伍長だけでなく自分達もだそうです。

 

 まぁ、シルフ攻勢で主要な軍人のあらかたが殺されてしまいましたからね。

 

 自分やロドリー君のような新米でも、貴重な実戦経験者という事になるのでしょう。

 

「それでは、これにて。私は、貴方達の今後の活躍を願っています」

「ああ、またなヴェルディ伍長様。もしスゲェ権力を握ったら、こっそり旨い酒をアレン小隊に回してくれよ」

「それは……出来かねます、ね」

 

 そういって我々は、伍長と最後の握手を交わしました。

 

「今までありがとうございました、ヴェルディ伍長」

 

 そして、すこし寂しそうな顔をしているヴェルディ伍長を背に。

 

 自分達は、ゆっくりと病院を後にしたのでした。

 

 

「ありゃ? おーい先輩!」

 

 

 ……病院を、後にしようとしたのですが。

 

「ほら、こっちこっち! おーい、聞こえてねぇのか? トウリ1等衛生兵殿ぉ!」

 

 どこからともなく、自分の名前を呼ぶ奇怪な声が聞こえます。

 

 これはいったい、どうした事でしょうか。

 

「おい、呼ばれてるぞトウリ」

「……。そうですね」

 

 軽くため息をついて声の方向に向き直ると、そこには、

 

「おお、やっぱり先輩じゃねぇか。会えてうれしいぜ、俺の見舞いに来てくれたのか?」

「……ええ、まぁ、そんなところです」

 

 髪の長い女性に抱きかかえられた、両足の無い垂れ目のオッサンが自分に向けて手を振っていたのでした。

 

 

 

 

「ああ、紹介するぜ。俺の家内のクーシャだ」

「貴女がトウリさんですか。ウチのアホ旦那が世話になったみたいで、ホンマありがとうございます!」

 

 声をかけられてしまったので近づいていくと、ゴムージが満面の笑顔で自分を出迎えてくれました。

 

 その近くには線の細いハキハキした女性と、ボーっと彼女のスカートの裾を掴んで自分を眺めている幼児が居ました。

 

「ママー、誰?」

「パパのお友達や」

「いやー、マシュデールの時は本当に助かったぜ。先輩は命の恩人だ、こうして家内と会えたのもアンタのお蔭さ!」

 

 ゴムージの奥さんは、思ったより美人でした。吊り目で気立てがよさそうな、少し方言っぽい女性です。

 

 コイツが結婚していたという話、本当だったんですね。こんな男が、どうやってここまで可愛い人を捕まえたのでしょう。

 

「ゴムージ、特に恩に感じる必要などはありませんよ。先輩が後輩を守るのは、軍人として当たり前のことです」

「ほらみろ、謙虚なもんだ。兵士ってのはこうじゃなきゃいけねぇ、権力を盾にイバり腐る連中とは大違いだ」

「……はあ」

「先輩ほど出来た人間を俺ぁ見たことがねぇ。息子がもう少し大きけりゃ、土下座して嫁に来てもらうところだぜ」

 

 ゴムージは軽やかな口調で、快活に美辞麗句を並べてきました。

 

 ……マシュデールでは、自分に対して散々クソガキだのなんだの言って命令無視した癖に。

 

 まったく、調子の良い男です。

 

「先輩、俺ぁこの足だ。退役って形で、戦わなくていいことになった」

「まぁ、そうでしょうね」

「だもんで、俺は家内を連れて安全な場所に避難するつもりだ。幸いにも退役金として結構な額が貰えてな、その金を元手にどっかで商売でも始める予定」

 

 どうやら彼は、軍を辞めた様子でした。

 

 彼のまったく信用ならない性格からしても、兵士を続けるのは無理だったでしょう。それで正解だと思われます。

 

 にしても、敵前逃亡した身で退役金まで貰えるとは、本当に運の良い男です。

 

 ガーバック小隊長が気の迷いでゴムージを逃亡兵ではなく、遭難兵扱いで小隊に復帰させたから退職金を貰えたのでしょう。

 

「てな訳で、俺はもうすぐウィンを離れるんだが……。ま、ここで会えたのも良い縁だ」

「はあ」

「おいクーシャ、例のチケット有ったろ。先輩に、渡してやっちゃくれないか」

 

 そんなゴムージが自分を呼び止めた理由は、何やらプレゼントをもらえるようです。

 

 ……一体、何をくれるつもりでしょう。

 

「あー、アレね。まあ確かに、命の恩人ならしょうがないわ」

「チケット、ですか?」

「ああ、家内が見に行く予定だった劇場のチケットさ」

 

 そういって手渡されたのは、何やら豪勢な装飾のチケットでした。

 

 劇場……、成程。首都には、そんな娯楽もあるのですね。

 

「聞いてくれよ先輩、この女は俺がマシュデールで死にかけてる時、暢気に劇場のチケットを予約してやがったんだぜ」

「だってせっかくの首都やし、楽しまな損やろ」

「普通、旦那を心配して食べ物すら喉を通りませんとか、そういう感じになるもんじゃねぇの? なんで当たり前のように観光してやがるんだ」

「だって臨時収入あったし」

「俺が徴発された保証金だろうがそれはぁ!!」

「ちゃうわ、粗大ごみの回収金や」

 

 ゴムージの奥さんはあっけらかんと、そう言って笑っていました。

 

 旦那が死にかけている事を、意にも介さぬその胆力。

 

 なるほど、実はお似合い夫婦なのかもしれません。

 

「明日の公演のチケットだが、俺達はもう今日中に出発する予定だ。家内は残って劇が見たいと寝言をほざくが、もう俺は一秒でも危険な場所にいるつもりはねぇ」

「まぁ、いつサバト軍が引き返してくるか分かりません。なるべく早く、奥地に避難すべきでしょう」

「だからこのチケットは、とっとと路銀がてら売りさばくつもりだったが……。先輩は、まだ首都に残るんだろ?」

「ええ」

「だったらやるよ、コレ。かなりの人気劇団らしいぜ。知り合いに売ろうが、自分で見に行こうが好きに使ってくれ」

 

 ゴムージはそう言うと、苦笑しながら2枚のチケットを手渡してきました。

 

「大人1枚、子供1枚。中途半端なチケットですまんな先輩」

「いえ、ありがとうゴムージ。ちょうど、明日まで休暇をもらって予定も無かったところです」

「おお、そりゃ丁度良かった。15歳までなら子供で通るから、誰かもう一人誘って楽しんできな」

 

 それは、ゴムージなりの誠意だったのでしょう。

 

 彼の性格からして、金銭になるモノを無償で手放すなど考えにくいです。

 

「俺ぁ内心、ヘマをして足を失ったあん時、先輩に見捨てられるに違いねぇって覚悟してたんだ」

「……」

「本当に感謝してる、こんなしょぼいモンで恩を返せたってつもりはねぇ。また何か困ったことがあったら、いつでも力になるぜ先輩。こう見えて俺は、一度受けた恩を絶対忘れねぇんだ」

 

 そう言うと、ゴムージという男は奥さんに背負われたまま、

 

「アンタの無事を、心の奥底から祈ってるぜ、先輩」

 

 そう言って自分と、握手を交わしました。

 

 

 

 

 

 

 

「ゴムージと話は終わったのか」

「ええ。まぁ、相変わらず煩い男でした」

 

 こうして2枚の劇場のチケットを手に、自分はロドリー君の下へ戻ってきました。

 

 ゴムージは戦火の届かぬ、サバト方向と対極の都市まで逃げるつもりのようです。

 

 きっともう自分は、生きて彼に会うことはないでしょう。

 

「彼から貢物を頂きました」

「へぇ、良かったじゃねェか。って、何だそのチケット」

「人気劇団の、公演チケットだそうです。ただこの状況で劇場って、運営してるんでしょうか」

「さーな。……やってなさそうだが、昨日のお祭り騒ぎを見てると再開してる可能性はあるかもな」

 

 最後まで色々と胡散臭い男でしたが、あんな男にも家族が居ました。

 

 奥さんや子供さんは、足を失ったゴムージですら嬉しそうに抱きかかえていました。

 

 自分の判断は、彼女たちの笑顔を守ることが出来ました。

 

 あの日、自分が多少無茶をしてでも彼を助けた事に、ちゃんと意味はあったのです。

 

「ねぇ、ロドリー君。このチケット、2枚組なんです」

「あ?」

 

 それが分かって、ほんの少しだけ、

 

「良ければ明日、自分とデートしませんか」

「え」

 

 少しだけ、嬉しい気持ちになったのでした。



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41話

「良ければ明日、自分とデートしませんか」

 

 自分はゴムージから貰った2枚の劇場のチケットを手に、ロドリー君を散策に誘いました。

 

「……」

「どうでしょう」

 

 自分がロドリー君を誘ったのは、何かしらの感情があったからではありません。

 

 単に、他に誘う人の選択肢があまり無かったからです。

 

 アレンさんが実家に帰るなら、自分の知り合いは殆ど軍に残っていません。

 

 マシュデールで一緒に働いた医療本部の人達とは、連絡の取りようがありませんし。

 

 首都にも知り合いがいない以上、今の自分の知己はガーバック小隊の面々だけになります。

 

「んー、まァ良いぞ。劇場かぁ、そこに行くんだな?」

「ええ、営業してたらですけど」

「おいおいお前ら。こんな非常時にデートとはお熱いねぇ」

 

 ロドリー君も特に予定はなかったようで、二つ返事で了解を頂けました。

 

 彼にも、特に照れた様子はありません。アレンさんの冷やかしにも、面倒くさそうな顔を返すのみでした。

 

「デートっつてもなぁ、アレンさん。相手がトウリだしなぁ」

「おや、ご不満ですか」

「いや、その。んー、まぁ確かにデートかァ」

 

 この時、どちらかと言うとロドリー君は自分に対して色々配慮して言葉を選んでいた気がします。

 

 彼は年上好きらしいので(アレンさんからの情報)、そういった意味で自分は対象外なのでしょう。

 

 だからこそ気兼ねなく誘えるのです。変に期待されないのは楽でいいです。

 

「おいおい、女の子に誘われてその反応は失礼だろロドリー」

「いえ、ただトウリは、アレなんスよ。俺ン妹に、もうビックリするほど似た奴がいて」

「妹さんですか」

「そう。ソイツ見た目はトウリにあんま似てないンですが、雰囲気とか口調とか生き写しレベルでそっくりなんで。だから、こう、こいつと話してると妹を相手にしてる感じになってきてなァ」

 

 なるほど。道理で妙にロドリー君と話しやすいと思いました。

 

 彼は、少し寡黙で口下手な自分みたいな人を相手するのに慣れていたんですね。

 

「ロドリー君は、その妹さんに何て呼ばれていたのですか?」

「ロド兄さん、だった。まぁ可愛いヤツなんだが、同時に執念深かったり小うるさかったり」

「なるほど。ねぇロド兄さん、貴方の妹はこんな感じですか」

「やめろ。マジでやめろ、本当に似てるから」

 

 これは面白いことを聞きました。ロドリー君をからかう良いネタに出来そうです。

 

「因みにいくつなんだ、その妹さん」

「今年で12歳くらいだった、と思います」

「なら、3年だな」

 

 そんなしょうもないことを考えていたら、アレンさんはふと真面目な顔になって、

 

「3年って、何がでしょうか」

「もう、国は男女問わず徴兵・動員していく構えらしい。流石に歩兵は男で固めるらしいが、武器弾薬工場には女がドンドン強制就労させられるし、衛生兵や看護兵、輜重兵などには女性兵士の採用が増えるだろう」

「……」

「15歳から徴兵だ。妹を守るためにゃあと3年以内に、戦争を終わらせないとな。ロドリー」

「……そうッスね」

 

 そう、呟くように言いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、今日は明日のデートに備えて買い物でも行きますか」

「備えて、って何を備えるんだ」

「そりゃあ決まってます。今後の長期任務に備え、持っていける実用品の購入です。ぜひ、予備の衣類や雨具などは手に入れておきたいですね」

 

 アレンさんと別れた後。 

 

 自分はロドリー君と、町の買い出しに出かけることにしました。

 

「それが、デートの何の備えになるんだよ」

「明日に買って回ると、デート中の荷物が凄い事になるでしょう? 今日のうちに必需品を買っておいて、明日は身軽に散策したいじゃないですか」

「あー、そういうことね」

 

 せっかくの首都です。

 

 持ち運びできる荷物には限りがありますが、それでも今のうちに入手できるものはしておきたいです。

 

「買い物はデートじゃねぇの?」

「まぁその辺は言葉遊びなので、深く考えないでいいですよ。戦友に「最後の休日、何をしてたか」と聞かれた際、デートと答えられたら便利でしょう?」

「あー……」

 

 因みにデートという言葉を使った事に、深い意味はありません。

 

 まぁ、その方がお互い戦友に自慢できるから、という理由くらいです。

 

 これでむやみやたらと、新しい部隊でも子ども扱いされずに済むでしょう。

 

「因みにロドリー君。女性とデートのご経験は?」

「……まぁ、お前に見栄張る必要もねェか。ねェよ」

「そうですか。しっかり経験を積んでくださいね」

「うーむ。妹を遊びに連れてったことは何度かあるし、ソレと同じ雰囲気になりそうな気がしなくもないが」

 

 まぁ、自分もそうなると思います。

 

 間違えても色っぽい雰囲気にはならんでしょう。

 

「ま、何でもいいです。どうせなら楽しい思い出を作りましょう」

「そォだな」

 

 それはそれで構いません。

 

 ……次の任務も、生きて帰ってこられる保証はないのです。

 

 ならせめて死にゆく前に、1秒でも多く幸せな時間を作っておきたい。

 

 きっとそれが、自分にとってデートの最大の目的でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、これ。ガーバック小隊長が好きだった銘柄の酒じゃねェか?」

「本当ですね」

 

 昨日はまばらにしか店が開いていなかったのですが、今日はちょくちょく営業を再開している店がありました。

 

 何処から聞きつけたのか、大金持った軍人さんが街で豪遊するらしいという噂が出回っているようです。

 

 それで、小金を稼ぐべく商人たちは店を開き始めたのだとか。

 

「飲めるんですか、ロドリー君?」

「わからん。けど、何かお守りになりそうじゃね? いざという時は中身を捨てて小便入れれるし」

「ですね」

 

 ロドリー君はガーバック小隊長にあやかるべく、その濃いお酒を購入するようでした。

 

 マシュデールへ撤退する時、瓶を持ってなかった歩兵は不衛生な鉄帽に尿を貯めて飲んでました。

 

 そういう意味でも、瓶は持っておくべきでしょう。中身は水にしておくべきと思いますが。

 

「店主。これ、いくらだ?」

「ゴメンネー、ちっと高いよソレ。戦時だから値段は定価の倍貰うヨ」

「うお、高ェ」

「……商魂たくましいですね」

 

 店で提示された値段は、普通ではまず払えない額でした。

 

 元々ガーバック小隊長が好んでいた柄が高価だったのを差し引いても、凄い額です。

 

 どうせ大金持ってるなら毟ってやれと思われたのか、このようにボッタクリな値段設定をしている店はたくさん見受けられました。

 

 その一方で、

 

「おーい、そこの軍人さん達! どうせ酒買うならウチで買いなよ、うちは全品半額セールだ!」

「お?」

「これから命がけで戦ってくれる軍人さんに、アコギな事が出来るもんか! さぁ、おいでおいで」

「コラァ! 営業妨害だヨ、商人会合で摘発するヨ!」

「うるっせぇ、ウチがどんな値段で売ろうと勝手だ! お前こそ、少年兵相手に何をバカやってやがる!」

 

 自分達へ感謝のつもりなのか、普段以上に割引してくれる店も存在しました。

 

 この辺は、個人の考え方の違いというやつなのでしょう。

 

「同じ酒だ、コレだろう? うん、オマケして割る用の水も付けてあげよう。結構濃いから、酒に慣れてないうちは直に飲むなよ?」

「お、おー。ありがてェ、感謝っス」

 

 こちらの店主はなんと、無料で水入りの小瓶も渡してくれました。

 

 こういう時に、人間性というのは出るのですね。

 

 自分にとって損しかないだろうに、大事な商品を安売りしてくれるのには感謝しかありません。

 

「さっきから良い加減にしろヨ! 客を奪うのはマナー違反だロ!」

「軍人さん相手にぼったくる方がマナー違反だ!」

「お前さん店を引き払うから、在庫処分してるだけだロ! 自分だけいい顔しやがっテ!」

 

 自分達は店主に一礼して、店を後にしました。

 

 見れば少しずつ、街に活気が戻ってきています。

 

 この様子だと、明日の劇場公演も期待できますね。

 

 せっかくチケットを貰ったわけですし、中止しないでやって欲しいものです。

 

 

 

 

 

 その後、自分達はひたすら買い物を続けました。

 

「……これで、粗方欲しいもんは買ったかな。乾パン買えたのはありがてぇ」

「瓶詰めされてるので、保存も利きますね。これでもし前みたいな状況になっても、カロリーは確保できます」

「おチビ、お前は妙にいっぱい衣類買ったけどそんなに使うのか?」

「ええ、任務中にどうしようもない時があるんです。下着が血で汚れて破棄せざるを得ない時とか」

「あ、すまん」

 

 1日かけて物資を入手し続けたら、いつの間にやら夕方に差し掛かっていました。

 

 チラホラと商店街に、店じまいが始まっています。そろそろ、お開きですかね。

 

「……お、玩具屋も開いていたのか。最後に寄ってみようぜ」

「はい、分かりました」

 

 ロドリー君は最後に、玩具屋を覗こうと言い出しました。

 

 どうやら、

 

「せっかくだし、首都の良いモンを兄弟に送ってやろう」

 

 ロドリー君は家族に対する、贈り物を買うつもりのようです。

 

 今日明日で使い切れなかった資金と一緒に、家族へ送るのだとか。

 

 自分も、孤児院が焼かれていなければ何かしらを買って送っていたかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 店に入ると、所狭しと子供が喜びそうな玩具が並んでいました。

 

 その店は総合雑貨店のようで、玩具だけではなく楽器や絵具など、割と幅広いジャンルのモノが並べられていました。

 

「……これとかどうかな。ウチの弟は、好きそうだ」

「玩具とはいえ、鉄砲を贈るのはどうなんです? 縁起が悪くないですか」

「まぁ、そうかァ」

 

 そのうちの玩具の小銃を手に取って、ロドリー君は悩んだ顔をします。

 

 確かに男の子は喜びそうですが、自分としては子供に銃なんてものを喜んでほしくないです。

 

「妹さん向けに、人形とかどうですか」

「人形なァ、俺は正直人形は何が良いとか分らんのよな」

「自分が選んであげましょう」

「ああ、じゃあ頼む」

 

 ロドリー君には妹さんもいる筈なので、自分は人形を勧めました。

 

 この世界には娯楽が少ないので、小さな女の子は人形1体で無限に遊び続けます。

 

 首都の出来の良い人形を贈ってもらえたら、きっと凄く喜んでくれるでしょう。

 

「……12歳くらいなら、この辺でしょうか」

 

 自分は孤児院での記憶を思い出しながら、よく取り合いになっていた人形を探しました。

 

 やはり、動物系の人形は孤児院でも人気でした。いつも人形入れから無くなっていた。クマのぬいぐるみ等は何処でしょうか。

 

 あれはフカフカして触り心地も良かったので、贈るならその辺の───

 

 

「……」

「どうした、おチビ」

 

 

 自分はふと、目についた人形の一つを手に取りました。

 

 それは、少し奇妙な顔つきで笑う狐の人形でした。

 

「それが良いのか? 何か、顔が気持ち悪いが」

「ええ。この人形は多分、人気商品ではないでしょう」

「おいおい。じゃあ、何でそんなもんを手に取った」

「人気が無くて、孤児院でいつも余ってたので。この狐さんは自分が、芸の練習に愛用していた人形なんです」

 

 

 その狐人形は、自分が良く知っていたものでした。

 

 あの平和な孤児院で、自分は人形で遊ぶ時にはいつだってこの狐を選んでいました。

 

 人気のある人形を独占していると白い目で見られるので、この人形以外を選べなかったのです。

 

 慣れてくるとなかなか愛嬌を感じ、出兵前には自分の一番のお気に入り人形としてずっとそばに置いていたのです。

 

 まさか、こんな場所でこの狐人形に再会できるとは思いませんでした。

 

「ふーん、そっか。……おい店主、その狐はいくらだ?」

「え、ロドリー君?」

「これで足りるか」

「毎度」

 

 そんな自分の感傷を察したのか、ロドリー君はすかさずその人形を購入してしまいました。

 

 自分が何か、口を挟む暇すらありませんでした。

 

「ほらおチビ、持っていけ」

「え、あ、その」

「そんな思い入れがあるなら、良いお守りになるだろ。心の安定剤だ、大事にしろ」

 

 そして購入した狐人形を、そのまま自分の買い物袋に放りいれました。

 

 ……自分も買おうとは思っていましたが、まさかプレゼントしてもらえるとは。

 

「ありがとうございます。ロドリー君」

「気にすんな。グレー先輩なら、間違いなくこうしたからな」

「……確かに」

 

 最近のロドリー君は、事あるごとにグレー先輩の後を追って行動している気がします。

 

 ロドリー君にとっての「格好良い理想の男像」は、きっとグレー先輩がイメージされているのでしょう。

 

 彼は自分に「グレー先輩に似てきた」と言われる度、口ではつれないのですが結構嬉しそうな表情をしています。

 

「大切にしますね」

「あァ」

 

 自分はロドリー君からもらった人形を手に取ると。

 

 彼の目を見てまっすぐ、お礼を言ったのでした。

 

 

 

 

 

 この時ロドリー君に買ってもらった、狐のお人形。

 

 この人形は、今でも自分の大切な宝物として、ずっと手元においています。

 

 たった2日だけでは有りますが、ロドリー君と平和で楽しく過ごせたこの休暇は、自分にとって一生の宝物になりました。

 

 数少ない戦争中の楽しかった思い出として、今日この日まで1度も忘れたことはありません。

 

 

「ロドリー君、贈り物は決まりましたか?」

「そうだな、妹にもその狐人形を送ってやるか」

 

 思えばそれは、とてもとても短い期間でしたが、

 

「では、今日はもう帰りましょうか。夜も遅くなってきました」

「……」

 

 自分やロドリー君が、年相応に楽しく遊ぶ事の出来たかけがえのない休暇だったのです。

 

 もし戦争なんてモノがなくて、平和な世界で友人としてロドリー君と出会っていたとしたら。

 

 こんな平穏な子供時代を、当たり前のように過ごせていたのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、トウリ? すまんが俺、ちょっと用事が」

「あ、そっか。ロドリー君は今から……」

「いや、その。グレー先輩なら、間違いなくこうするから」

 

 因みに買い物が終わったあと、ロドリー君と途中で別れました。

 

「……男の子ですね」

「いやだって、せっかくのアレで」

 

 どうやら彼はこの後、一人でいかがわしいお店に行ったようです。

 

 まぁ、貴重な休暇ですからね。仕方ないでしょう。

 

 



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42話

 自分は前世も含め、演劇というものを劇場でじかに体験したのは初めてでした。

 

 ロドリー君と買い物をした翌日、劇場は運よく運営を再開していて、自分達はチケットで問題なく席を頂けました。

 

 

「えー、かくして偉大なる魔導師イゲルはたった独り、魔王を打倒することに成功し。意気揚々と凱旋をして、10年ぶりに自らの故郷の村に帰り着いたのであります。しかし、イゲルを待っていたのは受け入れがたい現実でした」

 

 

 劇の内容は、勇者モノでした。

 

 物語の語り部が舞台のすぐ近くに座っており、声を張り上げてナレーションを読み上げていきます。

 

 そして彼の合図で照明が切り替わり、別の舞台が照らし出されました。

 

 それは見る者を飽きさせないよう、創意工夫の凝らされた素晴らしい舞台でした。

 

 

「おお! これは、一体どうしたことでしょうか!」

 

 

 照明が切り替わった先の舞台には、きらびやかな衣装を着た大男が膝をついて悲嘆にくれていました。

 

 彼は心底悲しそうな顔で、ピクリとも動かない村娘の前に跪いていました。

 

「そう。ご覧の通り世界を救った英雄であるイゲルの故郷の村は、凍り付いて滅び、誰も生きてなかったのです。彼が勇者として旅立ったその日の風景を氷に閉じ込めたまま、村は壊滅しておりました」

「……」

「果たして何が起きていたのか。時は戻って、イゲルが魔王を打ち倒さんと旅に出た次の日。魔王の忠実な配下であった氷の魔女は、勇者イゲルのその意を挫かんと村に襲い掛かっていたのです」

 

 その語り部の読み上げと共に、いかにも悪そうな顔をした長髪の女性が悠然と舞台に上がります。

 

 その氷の魔女が謎の粉を振り撒くと、舞台上の人々はピクリとも動かなくなりました。

 

「彼女は襲来して瞬く間に、イゲルの村を氷に浸けて滅ぼしました。そう、イゲルがずっと心の拠り所にしていた故郷は、彼が生涯の愛を誓った女性は、彼がいない間に失われていたのです」

 

『おお! マイア、マイア!!』

 

「イゲルが泣きついた先には、青黒い肌になった少女の氷漬けがありました。それはいつもの日課で水を汲みに、桶を持って歩く姿のまま死んだ、自らの婚約者の遺体でした」

 

『君は、どうしてそんな事になっているんだ』

 

「イゲルは半狂乱になって、氷を砕きます。さすれば、彼女の遺体はポロポロと崩れるように、大地へと落ちていきました」

 

 勇者の婚約者役の女優さんは、イゲルが氷を砕く仕草に合わせ器用に体勢を崩していきました。

 

 ……おお、良い演出ですね。

 

『マイア、僕は君と幸せな未来を歩むために、かの悪逆の魔王を打倒したと言うのに!』

 

 地面にペタンと倒れた少女を、イゲルは抱き上げて泣き叫びました。

 

『おおマイア、僕が帰ってくるまで待っていると言う君の誓いは嘘だったのか』

 

 そして彼は、青黒い肌の遺体を抱き締めて泣き伏せます。

 

『こんなことならば勇者となって魔王など倒しにいかず、ただ無力な民として君の隣に居れば良かった!』

 

 そして、彼は物言わぬ遺体となった婚約者の唇に、ゆっくりと近付いて────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうでしたか、ロドリー君」

「んー。最後がちょっとなぁ」

 

 初めての劇場観賞。

 

 それは想像していたよりずっと、楽しくて興味深いものでした。

 

「キスをしたら婚約者が生き返るって、なんじゃそりゃ。死人ってのは生き返らねぇから死人って言うんだ」

「まぁ、そこは物語ですから」

 

 劇のストーリーはスタンダードな展開で、勇者になった男イゲルが冒険の末に魔王を打ち倒すというものでした。

 

 変に話に捻りがない分、分かりやすくて自分は楽しめました。

 

「物語っても、実話をもとにしてんだろ?」

「多少は脚色もあって良いでしょう。せっかく、勇者が魔王を倒したのに婚約者が死んでエンディングとか、後味悪くないですか?」

「まぁ、そうだけどさァ」

 

 因みに、この劇のジャンルは一応「歴史物」です。この世界のずっと前の時代には、魔王や勇者が実在していたそうです。

 

 時折忘れそうになるのですが、そういえばこの世界は剣と魔法のファンタジーでした。

 

「多分、実際のところは……」

「勇者イゲルが帰った時には、もう故郷は滅んでたんだろうな。劇だからハッピーエンドに改変しただけで」

「きっと、彼は失意に沈んだのでしょうね」

 

 ロドリー君も、なんだかんだ言って結構劇を楽しんでくれたようです。

 

 魔王と勇者が一騎打ちする場面では、目を輝かせ舞台を見つめていました。

 

 珍しく、彼が年相応の男の子っぽく見えた気がします。

 

「そうとも限らないよ、小さなお客さん達」

「……おや?」

 

 そんな感じに劇の感想で盛り上がっていた、自分達に話しかけてくる声がありました。

 

 それは、

 

「貴方は……」

「どうも。私は当劇場で役者を務めている、アルノマと言う者だ」

「ど、どうも」

 

 何と先ほどまで劇場に立っていた、勇者イゲル役の役者さんでした。

 

 

 

 

 

 出口に舞台俳優さんが出てきて驚きましたが、どうやらこの劇場では客に俳優が挨拶するのが当たり前みたいです。

 

 見れば勇者役の人以外にも、チラホラと舞台俳優さんが姿を見せ、客と歓談していました。

 

「さぁ、君達にサービスだ。私の好物を分けてあげよう」

 

 彼は自分達を見て微笑むと、自分とロドリー君に小さな飴玉を手渡してくださいました。

 

 アルノマさんは近くで見ると、かなり整った美形の男性です。

 

 年は……ガーバック小隊長より年上でしょうか? 30代くらいに見えました。

 

「今回の話はどうだったかな、お客さん」

「とても素晴らしいものだったと思います。楽しい時間を過ごせました」

「それは上々。そっちの君はどうだい?」

「あー。いえ、良かった、です。ハイ」

 

 役者本人に感想を聞かれて文句をつけることが出来なかったのか、ロドリー君はバツが悪そうにそう答えました。

 

 最後のオチがどうたら、という勇気はなかったようです。

 

「おや、君はあのオチが気に入ってないんじゃないのかい?」

「えー、あー」

 

 まぁ、アルノマさんにはしっかり聞かれていたみたいですけど。

 

「実はあれ、脚色ではなく伝承通りの展開なのさ。本当に、イゲルの恋人は蘇って彼と添い遂げたとされているよ」

「そうなんですか?」

「あの蘇生の正体は、かつてイゲルの時代に存在した『口づけを介した回復魔法』の効果だそうだ。口づけには、回復魔法を高める効果があるらしいよ」

「……」

「勇者ほどの魔力があるならば、口づけにより氷漬けの恋人を復活させるくらいワケがなかったという話さ」

「……えー」

 

 え、そうなの? といった目でロドリー君が自分を見ていますが……。少なくとも自分は、そんな話を聞いたことがありません。

 

 本当にキスくらいで回復魔法の効果が上がるなら、衛生部はキス魔だらけになっていたと思います。

 

 少なくとも野戦病院にいた先輩衛生兵たちは、躊躇せず男女構わず口づけしまくっていたでしょう。

 

「どうだい、伝説を信じる気になったかい?」

「アルノマさん、うちの衛生兵が胡散臭い目をしてるんだが」

「む、衛生兵……?」

 

 まぁ、でも創作の世界で「キスが神聖な効果を持つ」というのは王道設定なのでしょうね。ロマンチックさは、感じますし。

 

 実際に試してみる気にはなりませんけど。感染のリスクとか考えると、不衛生すぎます。

 

「え、まさか。君たちは兵士なのかい? そんな年で?」

「ああ、俺達は西部戦線帰りの敗残兵だ。今日は、人生最後の休暇らしいぜェ」

「……そっか。だから、君たちのような歳の子がウチの劇場のチケットを買えたんだね」

 

 アルノマさんは、自分達を兵とは思っていなかったようです。

 

 まぁ、軍服を着ていなければ自分達が兵士とは思わないでしょうね。

 

 今日のロドリー君はタンクトップに軍用ズボンというラフな格好で、自分は昨日露店で買ったワンピース姿でした。

 

 マシュデール撤退の時に、市民に偽装できる服装を一つくらい持ってて損はないと思ったので買っていたのです。

 

 ワンピースの生地は意外と軽くて、畳めばさほど収納場所を取らないのもグッドです。

 

「……君たちは、どうして戦おうとするんだ。死ぬのは怖くないのかい」

「怖くないワケねぇだろ」

「じゃあ、どうして逃げ出さないんだ?」

「どうしてって、そりゃあサバトの連中が憎いし。……んー、それと、そうだな。色んな人から色んなモンを、受け継いじまったからかなァ?」

 

 ロドリー君は、難しい顔をしてそう言いました。

 

 昔、彼に戦う理由を聞いた時は『敵が憎いから』としか言わなかったのですが。

 

「今更戦友を置いて逃げられねぇって、そんな気持ちも強ぇなァ」

 

 いつの間にか、彼の戦う理由も変化しつつあるようです。

 

 きっと、それはロドリー君にとっての成長なのでしょう。

 

「自分は、生まれ育った孤児院の助けになる為に軍に志願しました。ですが今は、そうですね。故郷を焼かれた今、ロドリー君の言った通り、戦友を置いて逃げられないという気持ちが強いです」

「……」

「自分は人の命を救う立場なので、ロドリー君ほど危険な場所にはいきません。後方に自分が居ることで誰かの命を取り留められたなら、とても素敵では無いでしょうか」

 

 自分が逃げ出さない理由はもっとシンプルです。

 

 まず軍から逃げても、行き先がありません。

 

 兵士を辞め一般市民となったとしても、戦況を鑑みるといつサバト軍に虐殺されても不思議ではないです。

 

 ならば、少しでも戦友の力になれる場所にいて治療を続ける方が、自分のためになるでしょう。

 

「それに、ロドリー君はすぐ無茶をしますから。衛生兵は一人でも多くいた方が良いでしょう?」

「あ? 俺がヘマなんぞするかよ」

 

 それに今自分がこの世で最も守りたいのは、このロドリー君やアレンさん、ヴェルディさんといった軍で知り合った方々です。

 

 そんな方たちを捨ててまで逃げる価値がある場所を、自分は知りません。

 

「……そっか。貴重な話を聞かせてくれてありがとう、勇敢なお客さん」

「おお、これで満足か?」

「ああ。すごくためになる話だった」

 

 アルノマ氏は、そんな自分達を見て何とも言えぬ顔をしていました。

 

 ……もしかして、何かを悩んでいたのでしょうか。

 

「じゃあな、アルノマさん。またこの劇を見に来ることがあったら、そん時はまた話しかけに行くわ」

「きっと、それはずっと先の話になりそうですが。また次も、楽しい劇を見せてくださいね」

「……ああ。その時は、また最高の舞台を用意して待っていよう」

 

 そして、彼の悩みは自分達の話を聞いて、解消されたようで。

 

 アルノマ氏はどこか、晴れ晴れとした笑顔をしていました。

 

「それでは、また」

 

 そんな何気ない再会の約束をして、自分とロドリー君はアルノマの元を離れました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 劇を見終わった頃には、すでに空は赤らんでいました。

 

 昼から約半日ほど、自分達は劇場で過ごしていたことになります。

 

「結構時間を使ってしまいましたね。貴重な休暇を、自分に付き合っていただいてありがとうございました」

「いや、良い息抜きになったよおチビ。前線で張り付いてるときに、仲間と出来る話のタネになる」

「それは良かったです。ゴムージに感謝ですね」

「アイツにはあんま感謝したくねぇなぁ」

 

 暮れつつある空を見上げ、自分はついにこの幸せな時間が終わるのだと実感しました。

 

 昨日と今日は、本当に楽しい日でした。戦争に駆り出されてから、初めてまともに遊んだ気がします。

 

「明日から、また軍務か」

「何か、やり残したことは無いですか?」

「……いや」

 

 これで、つかの間の休息は終わり。

 

 明日から、自分達はまた兵士に戻ります。

 

「この町には、もうねェ」

「そうですか」

「サバトの悪鬼どもを追いかけて戦友たちの仇を取る。それが、今の俺のやり残したことだ」

 

 きっと、これからも辛く苦しいことがたくさんあるでしょう。

 

 戦争になんか参加するんじゃなかった、恥も外聞も捨てて逃げだせばよかったと、そう考える日が来るかもしれません。

 

 ですが、

 

「ガーバック小隊長は死んだ。俺達は、明日からは別の部隊になるだろう」

「ええ、そうなるでしょうね」

「おチビ、死ぬなよ。お前みたいな弱っちいのを守ってくれた人はもういない」

 

 自分を心配して、戦友と想ってくれている人がこうして居てくれる限り。

 

 自分はきっと、この地獄から逃げ出すことはしないでしょう。

 

「だったらロドリー君、敵を自分達のいる場所まで攻め込ませないでくださいね」

「それは任せとけ。俺の仕事だ」

 

 それが、今の自分の使命だからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アレン小隊所属、ロドリー上等歩兵」

「おお」

 

 翌日の朝、士官学校の講堂にそれぞれ兵士の所属が張り出されました。

 

 各小隊は集合して小隊長による点呼を受け、完了次第報告するよう指示を受けます。

 

「元々の編成をなるべく崩さんように部隊を再編してるっぽいな。旧ガーバック小隊のメンツは、俺の小隊に固まってら」

「お、そりゃ助かる」

 

 ロドリー君は、アレンさんの小隊に編入されたようです。

 

 そしてアレンさんは軍曹に、ロドリー君は上等歩兵に階級がアップしていました。

 

 しかも、

 

「……あとのメンツは、顔も知らねぇ新米が5人。こりゃ、ロドリーが分隊長になるな」

「おお、大出世ですねロドリー君」

「マジか」

 

 何とロドリー君が、分隊長の地位に就くっぽいです。

 

 今や西部戦線帰りの歩兵は貴重ですので、まだ従軍して1年たっていない彼ですら指揮を執る立場になってしまったのです。

 

 大丈夫でしょうか、オースティン軍。

 

「……自分の名前は、アレン小隊にはありませんか」

「そりゃあそうだろ。トウリを付けられるようなエースでは無いからな、俺ぁ」

 

 当たり前ですが、自分の名前はアレン小隊にはありませんでした。

 

 恐らく、今度こそゲールさんのような正規の衛生部所属にされたのでしょう。

 

 前線の突撃小隊所属なんてファンキーな衛生兵を、もうしなくて良いと思うと安堵します。

 

「見た感じ歩兵小隊の所属しか張り出されてないな。トウリの所属はまだ決まってないんじゃないか?」

「まぁどうせ衛生部だろおチビは。もし、何か怪我した時は頼むぜ」

「ええ、お任せください」

 

 とはいえ、心配なのは現状この軍に衛生兵は自分しかいないことです。

 

 癒者は貴重です。恐らくある程度数を確保して、編成しなおすにはかなり時間がかかると思われます。1週間やそこらで編成できるとは思えません。

 

 流石に「1人でやれ」と言われることは無いでしょうが、自分はここでアレンさん達と別れて後詰で出発させられる可能性もありそうです。

 

「トウリ・ノエル! トウリ・ノエルは居るか!」

「あ、はい、ここにおります!」

「ようし、こっちにこい。任を言い渡す」

 

 とか言っている間に、自分はレンヴェル少佐から呼び出されました。

 

 とうとう、自分の新しい所属が分かるようです。

 

「お、行ってこいおチビ」

「では、また」

 

 こうして自分はアレンさん達と別れを告げ、

 

「ああ、またな」

 

 新たなる部隊で、共に生死を預ける仲間と出会うことになったのです。

 

 

 

「えー、トウリ・ノエル1等衛生兵。貴殿のマシュデールでの功績を鑑み、衛生兵長への昇格を言い渡す」

「ありがとうございます」

 

 そこでレンヴェル少佐から告げられた階級は、衛生兵長でした。

 

 歩兵でいうところの、兵長の位です。ロドリー君より、階級が少し上ですね。

 

「そして、貴様の所属は衛生部だ、トウリ衛生兵長」

「はい、少佐殿」

「衛生部は、まだ人事が確定していないが……。タクマ氏を中心に、マシュデール撤退戦を経験した癒者たちを招集している。だが、恐らく始動するには数か月かかる見通しだ」

「数か月、ですか」

「ああ。物資の管理やら供給ルートやら、看護兵の手配やらでやることが多すぎるらしい。中央の衛生部が壊滅した今、すぐさま動くのは難しいそうだ」

 

 ある程度形が残っている歩兵部隊と違い、現状衛生部は全滅しています。

 

 なので、流石にまだまだ時間がかかるのでしょう。

 

「上層部はウィンや近辺村落で徴兵を行って、最終的には歩兵1万人を3か月後までに動員させると発表した。そのタイミングに合わせて、衛生部は再始動するそうだ」

「成程」

「衛生本部は、3か月後に歩兵部隊と連動して前進してもらう。だが、先行してサバトを追撃する我々レンヴェル軍に一人も衛生兵が居ないのはちと心細い」

「……はい、おっしゃる通りです」

「そこで」

 

 そこまで言うと、レンヴェル少佐は1枚の紙を自分に手渡しました。

 

 その紙に書かれていた内容は、

 

「貴様を小隊長として、先行部隊である我々に衛生小隊を組織する」

「はい」

「喜べ、貴様も今日から小隊の長だ」

 

 まさかの、自分への小隊編成の指示でした。

 

 つまり自分はトウリ衛生小隊なる、衛生兵と看護兵などを集めた部隊を任されるという事です。

 

「小隊メンバーには、若手で体力がありそうな連中を揃えている。今日の午後に小隊メンバーの健康診断があるので、小隊長である貴殿自ら行う様に」

「了解しました」

 

 この時はあまり深く事を受け止めていませんでしたが、これはかなり異例の人事でした。

 

 本来であれば見習いと言って差し支えない経験年数の自分を、衛生のトップに据えるなど冗談ではありません。

 

 しかし、どうやらこれは「気に入った人物を贔屓する」悪癖を持ったとあるお方のごり押しした人事だったそうで。

 

「では、存分に腕を振るえ」

「ありがとうございます、レンヴェル少佐殿」

 

 そのせいでとんでもない苦労を沢山背負い込むことになる事を、自分はまだ知りませんでした。



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43話

「やあリトルボス。無事な顔を見れて何よりだよ」

 

 小隊長の任命を受けた後。

 

 自分はレンヴェル少佐の指示に従い、とある街内の病院の診察室に向かいました。

 

 そこは徴兵検査を受けている兵士達の、健康診断が行われていた病院でした。

 

「おお、お久しぶりです。ケイルさん」

「ああ、久しぶり」

 

 徴兵検査とは、その人物が兵役に耐えうるかどうかを肉体的・精神的に審査するモノです。

 

 その徴兵検査をクリアした人も、最終チェックとして入隊前に衛生部が診察を行います。

 

 自分も入隊前に、一通り診察を受け感染症や持病の有無などを調べられました。

 

 しかし今回は人手の関係で、町の病院で一般的な健康診断だけを受けて入隊前診察と扱うそうです。

 

「マシュデール以来ですね」

「あの時は先に逃げて申し訳なかった」

「いえ。ケイルさんは民間人でしたから、至極当然です」

 

 ただし、衛生小隊に関しては感染症などのリスクが高いです。

 

 元々が病院勤めなことが多く、感染源に曝露する機会が多いので、普通の人より念入りに検査せねばなりません。

 

 なので顔合わせの意味も込めて、衛生小隊メンバーだけ自分が入隊前診察を行う運びとなったようです。

 

「それが、悔しくてね」

 

 最初に診察室に入ってきたのは、見覚えのある若い癒者でした。

 

「あの時、君を見捨てて逃げた事を、ずっと後悔してたんだ。大人として、情けなくて仕方なかった」

「……それは」

「もう、君を一人置いて逃げたりしないよ。僕に手伝えることがあれば、何でも言ってくれ」

「ありがとうございます。とても、心強いです」

 

 彼の名はケイルさん。とても心優しくて、若く優秀な癒者です。

 

 彼と自分は、マシュデールの前線衛生部で一緒に秘薬をキメて、1週間近く不眠不休で働き続けた仲でした。

 

「それで、先行部隊に配属して戴いたのですね」

「ああ。基本、先行部隊に交ざるのは僕みたいな若く士気の高い志願兵だけらしい」

 

 ケイルさんはそう言うと、「それにまぁ、良い歳した偉いセンセイ達に強行軍は無理でしょ」と言って気をよく笑いました。

 

 彼はマシュデールでも、結局ダウンすることなく徹夜で最後まで働き続けてくれました。

 

 聞けばどうやら彼はフットボールチームに所属しているバリバリのスポーツマンだそうで、体力面のスコアは他に徴兵された歩兵と比較しても非常に優秀なのだとか。

 

 このケイル氏のバイタリティならば確かに、すぐ衛生兵として徴用に耐えうるでしょう。

 

「しかもマシュデールでの功績のお蔭で、僕は1等衛生兵として編入されるそうだ」

「それは心強いです。自分もまだまだ至らぬ身ですので、色々と相談させてください」

「ああ、僕でよければいつでも」

 

 自分は衛生兵として、まだ1年も働いていません。医療者としては、ケイルさんに敵うべくもない素人です。

 

 外傷の処置はともかく、一般的な医療知識はこのケイルさんの方が圧倒的に上でしょう。

 

 いざという時に相談できる、心強い味方が出来てホっとしました。

 

「……健康に問題はなさそうですね。はい、では入隊前検診を終わります」

「うん、ありがとう」

 

 これはうまくいけば、マシュデールの時と同じくお飾りのリーダーになれそうです。

 

 他にもケイルさんクラスの衛生兵が集められているなら、癒者としての能力は自分が一番下っ端でしょう。

 

 軍人としての行動や責任をとる時以外は、むしろ自分が勉強させていただくことになりそうです。

 

 そう考えると、少し気が楽になりますね。

 

 

 ……と、そんな甘い事を考えていたのですが。

 

 

 

「はい、どうも初めまして。私はラキャっていいます」

「これはどうも」

「これから、トウリ小隊長の下で頑張っていきます。よろしくお願いします」

 

 診察室に入ってきた二人目の衛生兵は───学生服を着た、自分と同年代の女の子でした。

 

 サラリとした白髪の、少し眠たそうな目の女性です。

 

「あの。ラキャさんはどこかで医学を学ばれていたのですか?」

「いえ、全く。私には回復魔法の適性があるらしくて、どうせ徴兵される事になるから志願したらと勧められました」

「……」

 

 ああ、どこかで聞き覚えがある話です。

 

 ラキャさんに詳しく話を聞けば、徴兵検査の係の人に「お給料ももらえるし、後方だから安全だよ」と騙されて、二つ返事で先行部隊への志願を了承してしまった様でした。

 

 ……こういう馬鹿正直な人を騙すトラップを張るのは、やめたほうが良いと思います。

 

「まだ何も出来ないけど、何かお役に立てることがあるならと思い志願しました。体力には自信があります、ずっと兄弟姉妹の面倒を見てたので」

「それはありがとうございます。とてもありがたい心意気です」

 

 ラキャさんはどうも、完全な素人のようでした。

 

 全員がケイルさん級の衛生兵というのは、流石に甘い夢を見すぎましたね。彼女はしばらく、戦力外でしょう。

 

 ラキャさんが戦力と言えるくらいに育つまで、どれくらいかかるでしょうか。

 

 少なくとも自分は、1か月ほど先輩衛生兵の足を引っ張りながら色々勉強させてもらいました。

 

 彼女が自分より優秀であれば、もう少し早く仕事を任せられるかもしれませんが……。あまり、過度な期待はしないでおきましょう。

 

「はい、健康ですね。これからよろしくお願いします、ラキャさん」

「はい、よろしくおねがいします!」

 

 誰だって最初は素人です。

 

 彼女にしっかり成長していただけるよう、自分なりに出来ることを伝えていかねばなりません。

 

 ケイルさんとも相談しながら、彼女を育成していくプランを練ることにしましょう。

 

 

 

 

 

 そんな事を考えながら、3人目の診察相手を呼びました。

 

「やあ。小さなお客さん」

 

 最後に診察室に入ってきたのは、壮年で筋肉質な男性でした。

 

 その堀が深く、整った顔立ちには見覚えがありました。

 

「おや、貴方は」

「また会いましたね」

 

 トウリ衛生小隊に所属する衛生兵は、全員で4人だそうです。

 

 一人が自分で、もう一人はケイルさん。あとは、先ほどのラキャさんと、

 

「あー、その、どうも。勇者イゲル役の……」

「アルノマだよ」

 

 目の前の30歳くらいのイケメン男性……アルノマさんなのでした。

 

「驚きました、あなたも回復魔法が使えたのですね」

「あー、ごめん。適性があるって言われただけで、その辺は軍に入ってから習ってくれと言われたんだ」

「……」

 

 アルノマさんは、現在ウィンの劇場を借り切って公演を行っている演劇団のエース俳優です。

 

 彼はオースティン人ではないので徴兵に応じる義務を持たないのですが、何故か強い希望で衛生小隊に入隊を決意したそうです。

 

「私は元々、回復魔法の適性は持っていると言われてきたが……。役者になるのが夢だったからね、癒者として勉強はしてこなかった」

「では、どうして」

「今回の侵略で私の友人や……、また公演しに行くと約束した子達が居た村が、サバト軍に焼き尽くされたからだ」

 

 彼はグっと拳を握りこむと、悔しそうに歯をギリギリと鳴らして怒りました。

 

「笑顔の素敵な子が居たんだ。生え変わりの時期で欠けた歯がキュートな、花咲くような笑顔を見せる子だった」

「……」

「そんな彼女は私の舞台を見て泣くほど感動し、また私の公演が見たいと言った。私は彼女に、もう一度最高の舞台を見せてあげると誓った。だから我々はこの国を去る前に、その村に行って約束を果たすつもりだった」

 

 アルノマさんは、鬼気迫る表情で話を続けました。

 

「その村には、もう一人も生き残りはいないそうだ」

 

 その話をする彼からは、とても深い後悔を感じました。

 

「とはいえ私は、オースティン出身じゃない。東の国、フラメール生まれの旅芸人をしていた。サバトが憎いからと言って、命がけで戦うだけの理由は無かった」

「では、どうして?」

「昨日……君の意見を聞いて思い直したんだ」

 

 アルノマさんはニコリと、堀の深い顔を笑わせて、

 

「降伏を拒否するなんてどういうことだ、そんなに人の血が見たいのか! しかし流石に祖国でもない国の為に命を懸けて戦うのは、気が進まない……」

「……」

「だけど! この私が回復魔法を使って、人を治すだけでいいなら。虐められている隣国の友人に手を差し伸べてほしいというのであれば、力になろうと思ったのさ!」

「そ、それはどうもありがとうございます」

「なあに、悪逆には必ず報いがある。サバトには絶対に報いを与えなければならない。だからフラメール人の血と誇りにかけて、私は君たちの傷を癒す光となろう!」

 

 そう、舞台上のような身振り手振りと声量で、高らかに宣言したのでした。

 

 

 

 

 

「……」

 

 自分の小隊に編入された衛生兵のうち、2人が素人でした。

 

 アルノマさんもラキャさんも体力はありそうですが、1から衛生兵としてのスキルを訓練していかなければなりません。

 

 それを、サバト兵を追撃するための強行軍の中で指導する必要があるのです。

 

 これはかなり、厳しい責任を負わされてしまいました。

 

「……ケイルさんが編入された事が、せめてもの救いですね」

 

 ケイルさんは軍人としては不馴れですが、癒者としての腕は確かです。

 

 当面は、彼と自分で二人を引っ張っていかねばなりません。

 

「ツーマンセルで、指導医方式にしてみるのもアリでしょうか」

 

 指導医方式とは、言わば癒者同士でペアを組み、師弟関係を作って教育する方式です。

 

 それぞれの指導医の得意分野を吸収でき、指導方針がぶれないので効率の良い教育が施せます。

 

 幸い、新人は男女一人づつです。ラキャさんは若い女性ですし、年上の男性に相談しにくいこともあるでしょう。

 

 自分がラキャさん、ケイル氏にアルノマさんを付けて実務に当たりながら指導する、というのが無難な気がします。

 

 とはいっても人間関係には相性もありますので、臨機応変に組み合わせは調整するとしましょう。

 

「トウリ衛生兵長。次は、新入看護兵の診察もお願いします」

「了解しました」

 

 そんな事を考えていたら、次の診察者が外に並び始めていました。

 

 自分の小隊には癒者の他、看護兵もそれなりの数が配属されるらしいです。

 

 全員合わせて10人超、ちょうどマシュデールでの前線衛生部ほどの規模になります。

 

 看護兵さんとの関係も仕事効率に直結しますので、彼らとのコミュニケーションも大事にしていきたいですね。

 

「では、お入り下さい────」

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 

 

 

「と、言うことで。自分は小隊を一つ任されることになったのですが」

「へえ、偉くなったじゃねぇかトウリも」

 

 その晩。

 

 宿泊場所として指定されていた士官学校の講堂に戻った後、自分はアレンさん達に相談しに行きました。

 

 内容はもちろん、小隊の指揮の執り方などを教えてもらうためです。

 

「小隊長とは、具体的にどのような役回りなのでしょうか」

「要は中間管理職だよ。上層部の命令を聞いてそれを遂行するべく、下級兵に指示を出す役回りだ」

「成程」

 

 アレンさんはベテラン兵士ですので、こういったことを相談する相手としては最適でした。

 

 自分が唯一知っている小隊長といえば頭がおかしい事で有名なあの人なので、参考にするのは少し厳しかったのです。

 

「ガーバック小隊長殿は、暴力が苛烈だったが小隊長として優秀な人だった。小隊長に求められるのは、部下に命令違反させない統率能力が第一だからな」

「ええ、逆らう気は全く起きませんでした」

「まぁ、あの人はソレに加えてフィジカルや判断能力など色々と優秀すぎた。エースの名は伊達じゃねぇ」

 

 彼の優秀さは、自分も全く疑っていません。

 

 あの人さえいれば何とかしてくれる、そんな安心感を感じたこともあります。

 

 その倍以上の頻度で、心が凍りつく恐怖心を感じていましたけど。

 

「ただ、トウリがガーバック小隊長の真似をしても誰もついてこないだろう」

「やはりですか」

「おチビが本気で部下を殴ったところで、自分の拳を痛めるだけだしな。もし部下が逆切れして襲い掛かってきたら、逆にボコボコにされるんじゃないか」

「否定はできませんね」

 

 部下を統率するのに恐怖心を利用するのは有効ですが……、大前提として「この人に逆らったらヤバい」と思わせるような何かが必要です。

 

 ガーバック小隊長殿の場合、それが暴力だったわけですが……。まぁ、ソレは15歳の小娘である自分には厳しいでしょう。

 

「トウリはそうだな。命令に従いたくなるような、人望のあるタイプの小隊長を目指せ」

「人望、ですか」

「お前の幼い外見や年齢は本来指揮官としてデメリットにしかならんが、人望で指揮するタイプだとプラスに働きうる。特に、衛生兵の連中は泣き落としに弱かろう」

「……それは、確かに」

 

 要はアレンさんは、自分に恐怖ではなく情を使って部下を従わせろと仰っているのですね。

 

 確かに、そのやり方の方が自分に向いていそうです。戦場において、命令違反は死に直結します。

 

 部下に命令違反をさせず、作戦中の行動を完全に掌握することは小隊長として最も重要なスキルでしょう。

 

「それと、外国籍の男には一応注意を払っとけ」

「アルノマさんの事ですか?」

「外国籍ってだけで、スパイの疑惑を持つ奴も多いだろう。実際、その可能性も否定できんし」

 

 アレンさんはそういうと、少し小声で自分に耳打ちしました。

 

「アルノマって男を信じるか信じないかは、お前が判断するんだ。信用できると思うなら庇ってやればいいし、スパイっぽければ証拠を押さえろ」

「……」

「実際、軍は人手不足に喘いでいる。スパイが紛れ込んでも全く不思議はない」

 

 それは、確かにあり得る話でした。

 

 アルノマさんの話を聞いた感じは本心からモノを言ってそうでしたが、彼の本職は舞台俳優です。演技なんて、お手の物でしょう。

 

「ありがとうございますアレンさん。とても参考になりました」

「そうかい、そりゃあ良かった。で、どうするんだ」

 

 となれば、方針は固まりました。

 

「出発前に、レクリエーションとして親睦会を企画しようと思います。会食を設定して、それぞれ良い関係性を構築してもらおうかと」

 

 親善を深め、かつアルノマさんの人柄をもっと深く知る。

 

 その一石二鳥をこなせる策として、食事会が最適だと思われます。

 

「良いんじゃねぇの? ウチの小隊も、新入兵士にメシを奢る会はやるつもりだぜ」

「アレンさんも人望タイプ狙いですか」

「まあな。俺の溢れ出る魅力で、部下を統率してやるのさ」

 

 そう言うと、アレンさんはニカリと笑いました。

 

「お互い、小隊長頑張ろうぜトウリ」

 

 アレンさんは、滅多に暴力を振るってくる人ではありません。

 

 きっと、人望のある良い小隊長になると思われます。

 

「いやいやそりゃ無理筋だアレンさん。新人を騙して男色部屋に放り込むような外道に、人望なんてあるワケねェ」

「なんだよ。その後、ちゃんと可愛い娘を奢ってやったじゃねぇかロドリー」

「アレンさんお勧めの娘は、なんか馬鹿っぽくてなァ」

「それが良いんだろうが」

「あのー、そういう話は自分のいない所でして頂けますか」

 

 旧ガーバック小隊の二人は、自分をそっちのけに下ネタで盛り上がり始めました。

 

 いつの間にか、ロドリー君もすっかり下品な空気に染まってしまいましたね。

 

 自分は悲しいです。

 



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44話

 新人兵士は入隊した後、士官学校内で研修を受けます。

 

 軍規の解説から始まり、軍事行動における命令系統の重要性や、賞与や手当などの話、軍規や装備の取り扱いについてなどを、講義形式でお堅い服装の人が長々と話し続けます。

 

 そして最後に、いざ戦場に行ったらどんな日々を過ごすのか、退役軍人から実体験を交えて具体的な話を聞かされます。

 

 身動き一つできない退屈な時間が続きますが、寝たら木刀でしばかれるので我慢して聞き続けねばなりません。新米兵士、最初の試練です。

 

 それらの研修は士官学校の教員によって行われますので、自分達は直接関わらないのですが……。

 

 

「つまりだ、新兵。お前たちに脳味噌はいらんのだ。お前たちがすべき事は、全て俺が決めさせてもらう。お前らは俺が許可を出すまで何もしてはいかん!」

「はい、アレン小隊長殿!」

 

 

 戦争の実体験については、現役軍人の方が詳しくお話しすることが出来るでしょう。

 

 そして自分達は今、運よく士官学校に駐屯しています。

 

 と言うわけで、新米への研修の一環と自分達との顔見せを兼ねて、各小隊長が編入予定の兵士を集めブリーフィングが開催されました。

 

「そこの、お前! 名前と階級を言ってみろ!」

「レータ2等歩兵であります、アレン小隊長殿」

「よろしい。お前はどうして、この先行軍に志願した?」

「兄をサバト兵に殺されたので、敵討ちがしたくて先行部隊に志願しました」

「そうか、大いに結構! 俺の指示に従いさえすれば、お前は本懐を遂げるだろう」

「よろしくお願いします」

 

 各小隊の長は、良い感じに訓示を行っていました。

 

 緊張しながら名乗りをあげる新兵達の姿は、半年前の自分達を見ているようでした。

 

 自分がガーバック小隊長の前で、回復魔法を使えない旨を説明してぶん殴られた事は記憶に新しいです。

 

 

「……」

 

 

 さて。それで、自分の……。

 

 15歳の小娘により統括される「トウリ衛生小隊」のメンバーはと言いますと。

 

「やー、その、な? あの時は、その、本当に反省してるんだ」

「……反省等は必要はない。出来れば2度と貴方の顔を見たくなかった、ただそれだけ」

 

 ケイルさんと看護兵の一人に、深い因縁が有ったようで。

 

 召集早々、物凄く悪い空気が流れてしまっていたのでした。

 

「あの、お二人は知り合いだったのですか」

「……親しい間柄ではないわ」

「ま、まー、この辺にしとこうエルマ。後で幾らでも文句は聞くから」

「……お断りよ、どうして貴方と会話なんてしないといけないの」

「君の言いたいことは分かる。もう、あの時の事は全面的に俺が悪い。すまなかった」

 

 取り敢えずメンバーが集まって、点呼を終えた後。

 

 看護兵のエルマさん────小隊の看護長を任せる予定の方と、ケイルさんがバチバチに口論を始めてしまったのです。

 

 正確には、ケイルさんが顔を青くして平謝りし、エルマさんがそれを氷のような目付きで追及している形です。

 

「……」

 

 取り敢えず、自分も他の小隊長の様に訓示を行いたいのですが……。

 

 この空気、どうしたものでしょうか。

 

 ラキャさんやアルノマさんは、居心地悪そうに目を背けてます。

 

 エルマさんの部下である看護兵達も、同じような反応です。

 

 そうですよね。自分が何とかしないとダメな感じですよね、これ。

 

「こほん。そろそろ自分が話してもよろしいでしょうか」

「あ、ああ。そうだな、リトルボス。ほら、小隊長の言葉は大事だし、少し落ち着こうかエルマ」

「……分かった。いえ、分かりました」

 

 自分は恐る恐る、二人の口論に割って入りました。

 

 何があったか、なんて詳しく問い詰めるつもりはありません。やぶ蛇になるだけです。

 

 今は二人のトラブルについて、全力で放置します。

 

「自分は、ここにいる皆様の指揮権を預かる事になりました、トウリ・ノエル衛生兵長になります。どうぞお見知りおきください」

「……」

「あ、上官が何か発言した場合、返事は必須です。今の場合ですと大きな声で『ハイ、小隊長殿』と返事してください」

「「ハイ、小隊長殿!」」

「はい、良い感じです」

 

 空気が凍っていたからか誰からも返事がなかったため、やんわりと注意します。

 

 間違っても「貴様ら、返事も出来ねぇのか!」とブン殴ったりはしません。

 

 自分は人望のある小隊長を目指すのです。

 

「おそらく皆さまは、小隊長である自分の容姿を見て少なからず驚かれたと思います。こんな子供が小隊長だなんて、と頼りなく感じられたかもしれません」

「「ハイ、小隊長殿!」」

 

 ……肯定されてしまいました。

 

 まぁ実際、頼りないと思われてるのでしょうけど。

 

「しかし、自分は貴方達よりほんの半年だけ、長く軍に居ます。しかしこの半年という年月は、貴殿方が考えているよりずっと重たいです」

「「……」」

「突撃兵は、着任から半年で約8割の新米が死ぬと言われています。自分は幸運にも半年ほど突撃部隊に所属し、その8割に入らずにすんだ実績があります。それを評価されたからこそ、この場で最年少であろう自分が指揮官に指名されたのです」

 

 まぁ、半年間生き延びたと言ってもシルフ攻勢前は殆んど交戦してませんでしたが。

 

 頼りないという印象を持たれたままですと、いざという時に命令を聞いてもらえない可能性があります。

 

 ここはある程度、威厳とまではいかずとも「従っておいた方が良いな」と思わせる必要があるでしょう。

 

「自分は皆さんに、勇敢に戦って敵を殺せと言うつもりは有りません。ただ、生き延びることに全力を出していただければそれで構いません」

 

 衛生小隊のメンバーは、基本的に戦闘に参加しません。

 

 ですが、だからと言って常に安全な場所に居られると思えば大間違いです。

 

「はっきり言いましょう。この先、皆さんには何度も死線をくぐってもらう事があると思います。絶対に安全が保障された戦場なんて、この世に存在しません」

「「……」」

「自分は、生き延びる事が得意です。マシュデール撤退戦においては、ただ一人敵のど真ん中に取り残された状態から生還した経験もあります。なので、そういう危機に陥った際には生き延びるために自分の判断・指示に従ってくださいね」

「「……ハイ、小隊長殿!」」

 

 訓示とは、こんなものでよろしいでしょうか。

 

 とりあえず伝えたいことは伝えましたので、後は細かな軍人としてのルールを教え込んでいきましょう。

 

「では皆さん、何か質問はありますか」

「……えっと、では一つ。トウリ小隊長、今後……。例えばこの中の誰かが功績を上げて、小隊長が変更される可能性はありますか?」

「おや、自分が小隊長ではご不満ですか」

 

 看護兵のエルマさんは、開口一番で小隊長が替わることがあるか聞いてきました。

 

 やはり、子供に上に立たれるのは不満なんでしょうか。

 

「……いえ、貴女に不満などはございません。単に、その、個人的に従いたくない方が部隊にいますので」

「……」

 

 ああ、成程。ケイルさんが小隊長になる可能性を心配しているのですか。

 

 まぁ、実力的にはケイルさんが小隊長でも全然不思議はないですからね。

 

「エルマさん。軍隊は、私情を挟むべき場所ではありません。先ほどの質問に返答しますと、無論、この中の誰かが小隊長に昇格することはあり得ます」

「……そうですか」

「ええ。例えば自分が殉職すれば、その時点で指揮官はケイルさんです」

 

 これはどう注意したものでしょうか。

 

 ケイル氏は小隊の副隊長であり、その指示に従いたくないと宣言されてしまえば指導せざるを得ないのですが。

 

 上官命令には絶対従う、という旨を強調して注意しないと。

 

「誰かに従うのがご不満でしたら、今すぐ辞職してください。緊急時、指揮系統に乱れがあれば小隊全体が危機に陥ります」

「……」

「指揮権のある方からの命令は、絶対です。自分も含めて、それがどんな馬鹿げたモノに見えようとも、上からの命令に逆らうという選択肢を持ってはいけません。命令に対し何かしら意見がある際には、必ず上官に提案を行い、却下された際にはおとなしく従ってください」

「……それは。たとえ、明らかに間違っている命令でもですか」

「ええ。間違っているかどうかを判断するのは、部下の仕事ではありませんので」

 

 自分がそうたしなめると、エルマさんは物凄く不満げな顔になりました。

 

 少し、言い方が厳しかったでしょうか。ですが、いざという時に命令無視をされると困ったことになります。

 

 ……サルサ君の時のように、上官命令への理解のなさで命を落とすような人を作るわけにはいきません。

 

「それが正しい意見であるならば、自分は部下からの提案を柔軟に受け入れるつもりです。それで、今はご納得くださいエルマさん」

「……わかりました」

 

 流石に空気を読んだのか、エルマさんはそれ以上の言及をしてきませんでした。

 

 しかしエルマさんの雰囲気からは、ケイルさんに従えと言われても納得しなさそうな感じがします。

 

 これは迂闊に殉職できませんね。

 

「他にご質問などは在りませんか」

「……」

「無いようでしたら、小隊の親睦を深めるために今から食事会を開こうかと思っています。首都内の店を一つ押さえておりますので、どうか移動願えますか」

 

 自分は何とか笑顔を作って、元々予約していた飲食店へ向かうことにしました。

 

 抑えたのは士官学校からすぐそばの、広々とした大衆酒場です。

 

 ここの値段なら、部隊全員の分を自分が出しても払いきれます。

 

「……」

「……」

 

 本当は、もっと和気あいあいとした雰囲気で食事会を執り行いたかったのですが。

 

 道中、誰も歓談などを始める様子はありませんでした。

 

 看護兵さんは固まってビクビク歩いていますし、ケイルさんの背後に続くラキャさんやアルノマさんも終始無言です。

 

「……」

 

 はぁ。どうしてこうなってしまったのでしょうか。

 

 後でたっぷり、ケイルさんから事情を聴取するとしましょう。

 

 

「……なぁ、小さな小隊長さん」

「おや、何でしょうアルノマさん」

「その、食事会が始まったら、少しお願いがあるんだけど」

 

 そんなこんなで重い空気の中。

 

 店に入る直前、濃い顔のハンサムさんが自分の肩をチョンと叩きました。

 

 

 

 

 

 

 

「ラァーラー!! フォルテッスィモォ!!」

 

 

 

 

 

 

 アルノマさん、我がトウリ小隊の最年長である舞台俳優。

 

 何と彼は、食事会を始めた瞬間に「新米である私に、芸をするよう振ってくれ」と自分から申し出たのです。

 

 新入りがそういう扱いを受けるのはよくよく知っていましたが、自分から言い出すとは思っていませんでした。

 

「エクストリィィィメっ!!」

「お、おぉ!! 何て歌声だ」

「め、めちゃくちゃ恰好良い……」

 

 そう。彼は舞台俳優です。

 

 観客を楽しませる為、その半生を芸能に身を置いてきた場を盛り上げるプロ中のプロ。

 

 彼は、小隊の雰囲気が悪いのを察して、即座にこんな役回りを買って出てくれたのです。

 

「……エルマさん、彼に手拍子をしましょう」

「え? あ、ああ、そうですね」

 

 これも、本来は自分の役目でしょう。

 

 部隊の雰囲気をよくして、最適なパフォーマンスを引き出すのは上官の務めです。

 

 アルノマさんに、自分がやるべき事を肩代わりしてもらった形になります。

 

 着任早々、彼には大きな借りが出来てしまいました。

 

「す、凄いな、流石は俳優。この後に、続いて芸を出来る人なんて居るのか」

「出来ない人は無理をなさらずとも結構ですよ。ただ、こういった新人に芸をさせる文化は自分の隊特有ではなく、色々な部隊で取り入れられているモノです。自分もやらされた経験がありますよ」

「そうなんだ。病院も軍隊も一緒なんだな、ソコは」

 

 ケイルさんと言い方から察するに、病院でもそういう場はあったのですね。

 

 アルノマさんの芸は歌って踊るだけというシンプルなものでしたが、その完成度が高すぎて圧倒されました。

 

 その素晴らしさから他の客席の人や、店員さん達からも注目の的でした。

 

 これが、芸で身を立てる者の力なのでしょう。

 

「ふぅ。どうだったかい、即席の私のステージは」

「素晴らしいものでした、アルノマさん。貴殿は、現在の我が小隊の勲功第一となりました」

「それは上々」

 

 自分の賛辞に、アルノマさんはニコリと応えました。

 

 うーん、格好いい人は何をやっても絵になりますね。

 

 やはり、この人はスパイなどではなく、ちゃんと我々の味方をするために入隊してくださったように見えます。

 

「私に続いて、何か芸をする者は居ないかね」

「あははは、えっと、ちょっと今日は調子が悪いかなぁ!」

 

 舞台俳優が芸をした後に、宴会芸を振られるのは流石に厳しかったみたいで。

 

 テーブルについている新米さん達は、困り顔で首を振っていました。

 

 ……ふむ。

 

「では手前味噌ですが、小隊長である自分が続きましょうか」

「え、何か出来るのかいリトルボス」

「ええ。ちょうど、先日人形を仕入れたところでして」

 

 まぁ、そうなれば仕方ありません。

 

 小隊の仲間と距離を縮めるためにも、自分が泥をかぶりましょう。

 

「人形?」

「狐さんです。ほら、可愛いでしょう」

「えっ。可愛い、と言われたら確かにちょっと」

 

 こう見えても、自分は軍に入る前は旅芸人として生計を立てていくプランもありました。

 

 自分の腹話術を使った人形劇は、年下の子達をよく夢中にしたものです。

 

 『まるで生きているようだ』と評された人形捌きの巧みさから、かつて自分は『人形師(ドールマスター)』と呼称されていたほどです。

 

 

「えー、こんこん。狐さんです」

「お?」

「こんこん、こんこんー」

「へー、上手いもんだねリトルボス」

「こんこん(にゃー)、こんこん(にゃー)」

「おお!? ハモりだしたぞ!?」

 

 そのまま人形を使ってミュージカル風に童話を演じたら、皆が度肝を抜かれた顔で自分を見ました。

 

 腹話術の輪唱は、やはりウケが良いですね。

 

 結構な好評を頂けて、自分は満足でした。

 

「……ふふ。まさかトウリ小隊長が、これ程とは思わなかった」

「どうかしましたか、アルノマさん?」

「認めよう、小さな小隊長。君は───私の好敵手だ」

「いえ、上官です」

 

 そして小劇が終わったら、何故かアルノマさんに対抗心を持たれました。

 

 舞台に身を置くものとして、何かしらでも自分の芸に感じたものがあったのでしょうか。

 

 だとすれば、非常に光栄な話です。



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45話

「入室許可を願います」

「入り給え」

 

 アルノマさんの機転で、無事に部下との親睦を深められた翌日。

 

 自分は朝一番に、とある人物に呼び出されていました。

 

「トウリ・ノエル衛生兵長。入室しました」

「うん。よく来てくれた」

 

 その人物とは、今回の遠征において自分の直属の上官となる方で。

 

「お久しぶりです、アリア少尉」

「ああ、久しぶり。それと今、私は大尉である」

「それは、大変失礼いたしました。アリア大尉殿」

 

 レンヴェル少佐のご息女であり、マシュデールで共に治療に携わったアリア大尉なのでした。

 

 

 

 

 

「私は今回の遠征から、大隊を1つ任されることになった」

「それはおめでとうございます。アリア大隊長殿」

「ありがとう」

 

 アリアさんは大尉に出世して、大隊長になっていました。

 

 小隊が5~10部隊ほど纏まると中隊になり、その中隊を更に複数纏められると大隊と呼ばれます。

 

 その総人数は、1000人近くに及びます。この世界の人口において、千人というのは凄まじい兵数です。

 

「貴女の衛生小隊も、私の大隊に組み込まれることになった。これからは、私の指揮に従って動いてもらう」

「了解いたしました」

 

 聞けばアリア大尉は、他の指揮官級の人材はシルフ攻勢で殆ど討たれたせいで、その人材不足を補うべく異例のスピード出世になったみたいです。

 

「まぁ、いつもの父の身内贔屓もあるのだろう。やめてくれと言っているのだが」

「……いえ、自分は適切な任官だと思います」

「ははは、ありがとう」

 

 アリア大尉は、現在の自身の階級に何とも言えぬ顔をしていました。きっと、やっかみも多く買っているのでしょう。

 

 彼女は以前、色々と陰口を叩かれているのを知っているらしい発言をしていました。

 

 コネ出世と言うのも、苦労が多いようです。

 

「レンヴェル少佐は、最前線で自ら大隊を率いるおつもりらしい。我々は、レンヴェル少佐殿の後を追って移動することになる」

「ご勇敢な事です」

「今回の遠征軍では、我がアリア大隊は最後方に配置される。貴女達が私の大隊に配置されたのは、私が一番安全な位置にいる部隊だからだ」

「成程」

「貴女達の護衛も、私の大隊が請け負っている。貴女達は周囲を気にせず、ただ治療に専念してくれればいい」

「ありがとうございます」

 

 どうやらアリア大尉は、レンヴェル少佐の計らいでかなり安全な位置に配置されたようです。

 

 そして自分の衛生小隊も、その安全な場所にいるアリア大隊に護衛されて移動するのですね。

 

 衛生部は軍の生命線ですから、大事に運用してくださっているのでしょう。

 

「あ、それと貴女の小隊の護衛だが。顔見知りが良いだろうという事で、ヴェルディ中隊に任せるつもりだ」

「ヴェルディさんですか」

「ああ。ヴェルディ少尉には歩兵中隊を一つ任せている。貴方達は、そのヴェルディ歩兵中隊と共に行動してもらう予定だ」

 

 ヴェルディさんは前線から退いて指揮官になると聞いていましたが……、中隊長になられたのですね。

 

 確かに彼ならば、話しやすくて助かります。

 

「明日、ヴェルディ少尉を貴女の部隊と引き合わせよう。午前7時に、部隊全員を集合させて私に顔を見せ給え」

「了解しました」

「その後貴小隊は、ヴェルディ少尉の指示に従って訓練を受けてくれ。以上、何か質問はあるかね」

「いえ、何もありません」

「そうか」

 

 アリア大尉の話を聞いて、トウリ衛生小隊の立ち位置がなんとなくわかってきました。

 

 どうやらマシュデールの時のような前線衛生部を、向かった先々で設営していく仕事のようです。

 

 後はいつも通り、後方で治療に専念すればいいだけの様子ですね。

 

「トウリ。ここからは軍人としてではなく、貴女の知己として話をするが。……いきなり重い役割を背負わしてしまって、申し訳ない」

「いえ、そんな」

「貴女の年齢の兵士に小隊長の役目を振るなんて、正気の沙汰ではない。……せめてもう一人だけでも、前線衛生部の生き残りが居ればよかったのだが」

 

 部屋を去り際、アリア大尉は口調を砕けたものに変え、申し訳なさそうに謝ってきました。

 

 確かに、自分みたいな若造がいきなり小隊長に任命されるのは異常です。

 

「南部方面軍と合流できれば、経験豊富な衛生兵を融通してもらえるよう打診するつもりだ。それまでの短い期間ではあるが、どうか小隊の上に立つものとして頑張ってくれ」

「本当ですか」

 

 どうやら、南部方面軍と合流さえできれば自分は小隊長の任務を解いてもらえるっぽいです。

 

 それを聞いて、凄くホっとしました。

 

「随分と、安心した顔になったな」

「正直なところ、少しばかり荷の重さを感じていました。隊のほぼ全員が年上なので、自分はどのように統率すれば良いか困っていたのです」

「そうだろうな」

 

 昨日みたいに隊員同士が喧嘩しそうな状況であったとして、指揮するのがガーバック小隊長であればどうなったでしょうか。

 

 恐らく、威圧感でエルマさんはそんな話を切り出せなかったでしょう。

 

 もし切り出していたとしても「それは戦争に関係がある事なのか、無駄口をたたく権限が今のお前に存在するのか」と男女平等な鉄拳制裁が加えられて、二度とその話題を口にしなくなったでしょう。

 

 ……そう考えると、暴力による恐怖政治ってかなり楽なんですね。

 

 そういった手段で部下を統率しようとする軍人が多いのも、納得です。

 

「貴女はただ、頑張る姿を見せていればいい。そうすればきっと、周囲の部下も力を貸してくれるでしょう」

「はい。未熟ではありますが、粉骨砕身して頑張らせていただきます」

「頼む」

 

 しかし、自分に暴力的な手段で部下を従えるつもりはありません。

 

 また、そもそも筋力的にできません。

 

 なのでこれから、いざという時に部下に信頼して従ってもらえるよう、誠実に振る舞っていかねばならないでしょう。

 

 そうすればきっと、皆力を貸してくれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────そう、思っていたのですが。

 

 

 

 

 

 

 

「あの。自分は午前6時に起床し、グラウンドに集合せよと命令したはずですが」

「来ないね」

 

 就寝前。

 

 自分達を護衛してくれる中隊長との顔見せがあるので、小隊メンバーに早朝6時にグラウンドへ集合するよう布告を行いました。

 

 いざ出征すれば、ブリーフィングのある朝5時より前に目覚めなければなりません。

 

 その肩慣らしとして、この時間に設定したのですが……。

 

「点呼を取ります。ケイルさん、アルノマさん、エルマさん、オーディさん、ブチャラッティさ……」

 

 トウリ衛生小隊の総勢11人中、集合したのは僅かに6名でした。

 

 自分の最初の召集命令の、半数が遅刻という異常事態です。

 

「他の方はどうしていますか」

「すみません、私が見た時には起きていたように思うのですが」

「……遅刻した女性は、エルマさんが。男性は、ケイルさんが様子を見に行ってもらえますか」

「了解、リトルボス」

 

 兵役を経験したことがない人って、こんなものなのでしょうか。

 

 いえ、アルノマさんやケイルさんなど、ある程度年配の方はきっちり時間を厳守して集合してくれました。

 

 ある程度、社会経験のある方は時間を厳守してくれるものです。

 

 しかし、先行部隊である我がトウリ小隊に配属されたメンバーは15歳のラキャさんを始め、看護兵さんも10代の若手が多いです。

 

 その若手の面々が、ことごとく遅刻していた様でした。

 

「それと、アルノマさん。その」

「私がどうかしたかい」

 

 しかも問題は、遅刻だけではなく。

 

「貴方はどうして、化粧をしているのでしょうか」

「ああ。マナーだからね」

 

 舞台俳優のアルノマさん。彼はちゃんと早起きして、時間通りに集合してくれたのは良いですが。

 

 何故かバッチリ、舞台に出るようなメイクを決めて現れたのです。

 

「その、化粧は従軍行動に必要がないので、ご遠慮いただきたいのですが」

「どうしてさ。別に、何も悪い事ではないだろう」

「患者さんの処置を行う時に、その」

「患者さんだって、どうせなら美しい顔の人にケアしてもらいたいはずさ。化粧は、私にとっての戦闘衣装。時間はきっちり守ってるんだ、これくらいは許してほしいな」

 

 やんわりアルノマさんを嗜めようとしたら、何が悪いのだといった態度で言い返されてしまいました。

 

 話を聞いてくれる様子は、無さそうです。

 

「小隊長。むしろ貴女こそ、そろそろ化粧の勉強などを始めた方がいい。きっと、喜ぶ患者も増えるはずだよ」

「……」

「それとも、軍規に触れるのかい? 昨日貰った資料の中には、何も書いてなかったが」

 

 ……確かに、軍規に化粧の記述はなかったとは思います。

 

 しかし化粧に使った粉などが、患者の処置中にポロポロと零れ落ちることがあります。

 

 それが万一、患者さんの創部に落ちてしまったら、目も当てられません。

 

 なので、自分としてはなるべく化粧をしてほしくないのですが……。

 

「……」

 

 軍規に書かれていない以上、確かに彼の言うとおり自分に化粧を制限することは出来ません。

 

 何なら、森林迷彩としての化粧を研究している軍人もいます。

 

 無駄に反感を買わないためにも、あとでやんわりお願いしていくことにしましょうか。

 

「すみません、遅れましたぁ」

「ごめんなさーい」

 

 10分ほど待つと、姿を見せなかった看護兵やラキャさん達が集合場所に現れました。

 

 

「ふわぁ……」

 

 ラキャさんは寝ぼけ眼をこすっており、まだパジャマ姿です。

 

 どうやら彼女は、かなり朝が弱いみたいですね。

 

「もう時間過ぎてたか~」

「本当に申し訳ありません……」

 

 一方で看護兵達は目は覚めていたようで、ちゃんと軍服を着てきてくれたのですが、

 

「……何で看護兵さん達も、バッチリ化粧を決めてるんですか」

「え? いやだって」

「化粧をしている時間があるなら、集合時間に間に合うよう行動してください」

「いや、だってラキャちゃん寝てたし、まだ良いかなって。そもそも呼び出されたの、7時だよね?」

 

 どいつもこいつも、化粧をしっかりキメてやがりました。

 

 何故、集合より化粧を優先……?

 

「あの、エルマ看護長。首都の病院内では、派手な化粧は許可されるものなのでしょうか」

「……私はマシュデール出身なので、首都については何とも言えませんが。私の所属する病院では、見苦しくない程度になら許可されていました」

「そんなものですか」

「……とはいえ、彼女たちの化粧は過剰に見えますけどね」

「だって、病院と違ってここルールないし」

 

 遅刻してきた看護兵達に、あまり反省の色は見えません。

 

 これは、流石に怒った方が良いのでしょうか。

 

 いくら人望がある小隊長を目指さないといけないとはいえ、軍規の違反には厳しいところを見せないと、規律がなぁなぁになります。

 

 ……嫌われるかもですが、遅刻者には罰則を設けるとしましょう。

 

「化粧についても、本音を言えば禁止したいところですが。軍規に書かれていないので、現時点では不問とします」

「やった」

「……ただし本日、遅刻してきた5名の方は朝食、昼食を抜きとします。軍隊は時間厳守です。今後、このようなことがないように気を付けてください」

「げっ!!」

 

 自分が遅刻の罰で食事抜きを宣告すると、何人かは物凄く不満げな顔をしました。

 

 そこまでやるか、と言った表情です。

 

 体罰が無い分、とあるお方に比べて非常に軽い処分なのですが……。

 

 遅刻したのは自分なのですし、それくらい受け入れてください。

 

「メシ抜き!? 本気で?」

「そんな……、たったそれだけの事で!?」

「いや、集合時間は大事だよ。明日からは遅刻しない様にね」

「えー、朝早すぎますって」

 

 ……これが、これが新兵というやつですか。

 

 あまり他人の事を悪くは言えませんが、意識が自分達と違いすぎます。

 

 多少の遅刻は許されるもの、上官の罰則には反抗するもの。そんな、彼らにとっての当たり前が見てとれます。

 

 この方達は、『上官の命令は絶対』という軍人の常識なんて持っていないのです。

 

「ラキャさんは早く着替えてきてください。寝巻で大尉に面会するつもりですか」

「はーいぃ……」

 

 これは、どうやって意識を変えるべきでしょうか。

 

 平時である今ですら満足に部下に言う事を聞いてもらえていないのに、いざという時に自分は彼らを統制できるとは思えません。

 

 やはり、自分には威厳とかカリスマとか、そう言うものが不足しているようです。

 

 ……ああ。早く、南部方面軍と合流して小隊長の任務から退きたいです。

 

 

 

 軽くげんなりしつつも、着替えに行かせたラキャさんの帰りを待っていると、

 

「あの、ラキャさんはまだ戻ってこないのですか?」

「さっき、急におなかが痛くなってきたって、トイレに籠っちゃいました」

「……」

 

 食事抜きで絶望の淵に沈んだラキャ2等衛生兵は、トイレから出てこなくなりました。

 

 ……まさか、無言の抗議とかじゃありませんよね、これ。

 

「あの、ラキャさん。もうそろそろ移動を始めないと、不味いのですが」

「ごめんなさい、本当に、お腹が痛くって」

「……」

 

 そんな彼女が、腹を押さえながらトイレから出てきたのは、7時の直前でした。

 

 アリア大尉の部屋まで走ったとしても、ギリギリ間に合わない程度の時間です。

 

「うぅー、ごめんなさいトウリ小隊長! も、もう大丈夫だから」

「……」

 

 ああ。

 

 これが、今の自分の指揮能力なのですね。

 

 集合時間に間に合うよう行動してくれるのは、部隊の半分。

 

 化粧をやめてくださいという、自分の意見は拒否されて。

 

 罰則を言い渡すと、部下はトイレに籠って出てこなくなる。

 

 

 ……やはり、自分に小隊長は荷が重い任務です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この、愚か者がぁ!!!!」

 

 結局、アリア大尉との集合時間には間に合いませんでした。

 

 7時2分。それが、自分達トウリ衛生小隊がアリア大尉の執務室に集合できた時間です。

 

 2分間の、遅刻でした。

 

 

「トウリ衛生兵長。貴様は半年間、西部戦線で何を学んできた?」

「はい、アリア大尉殿。自分は、何も学んでなどいませんでした」

 

 激しい殴打音が、大尉の部屋に鳴り響きます。

 

 遅刻して入室した自分達を見て、アリアさんは憤怒の表情で自分の頬を張り飛ばしました。

 

「衛生小隊が遅刻することの意味を、お前は学んで来なかったのか!」

「申し訳ありません」

「2分あれば、人は死ぬぞ。貴様はたった今、人を一人見殺しにしたかもしれんのだぞ!」

 

 そういえば、今は亡きガーバック小隊長が言ってました。

 

 レンヴェル少佐は、かなり暴力的な指導を繰り返すタイプの人だったと。

 

 そのレンヴェル少佐の娘であるアリア少尉も、結構手が出るタイプみたいです。

 

「気合を入れて立て、トウリ。まだ話は終わっていないぞ!」

「はい、大尉殿」

 

 自分に追従して部屋に入ってきたメンバーは、目の前で激しい暴行が繰り広げられ目を白黒させていました。

 

 自分がヌルすぎるだけで、普通の兵士はこんなもんです。

 

 せっかくなので、よく見ておいてください。

 

「まず、貴様が連れてきた衛生兵の一人。白髪の、すっとぼけた顔をしたお前だ!」

「は、はいィ!?」

 

 突然アリア大尉に話を振られ、ラキャさんは泣きそうな目で返事を返しました。

 

 自分も殴られると思ったのか、肩を竦めてガタガタ震えています。

 

「貴様、呼ばれたら階級と名を名乗れェ!!」

「はい、ら、ラキャ2等衛生兵、です!」

「ラキャか。貴様、どうして軍服の裾が翻っている!! お前は満足に、服を着ることすらできんのかァ!!」

「は、はい、ごめんなさぃい!!!」

 

 ラキャさんの、服装が乱れていることにアリア大尉はご立腹のようです。

 

 トイレから慌てて出てきたので、しっかり服装を整えられなかったのでしょう。

 

「歯を食いしばれぇえ!!」

 

 彼女はラキャさんに向かって怒鳴ると、迷わず自分の頬を張り飛ばしました。

 

 ああ、制裁はこっちに来る感じですか。

 

「貴様の指導不足だ。小隊長を任されたなら、服装くらいはしっかり指導しろ」

「はい、申し訳ありません」

 

 ……アリア大尉って、上官として接するとこんなに厳しい方だったんですね。

 

 彼女の恋人だった兵士は、よく彼女に惚れようと思ったものです。

 

 そっちの趣味とかあった人かもしれません。

 

「次に。貴様ら、どいつもこいつもその濃い化粧は何だ!!」

「「は、はい」」

「貴様らは男に媚びに戦場へ出るのか? サバト兵に性奴隷を献上するために、我々の貴重な軍費を浪費するつもりか?!」

 

 頬を張るのに飽きたのか、アリア大尉は自分の腹部の殴打へ罰を切り替えました。

 

 腹を殴られ、自分は思わずその場に蹲ります。

 

 あー、懐かしい感覚です。

 

 ガーバック小隊長殿は鳩尾を穿った後、うずくまった瞬間に脛を蹴飛ばしてきましたっけ。

 

 それを考えると、アリア大尉は有情ですね。

 

「トウリ貴様、誰か他の衛生兵が化粧をしている姿を見たか? そんな事も部下に伝えられんのか!?」

「はい、スミマセン」

「化粧箱なんぞ持ち歩く余裕があれば、1本でも多く包帯を持ち歩け! ひよことはいえ衛生兵だろ、この能なしども!」

 

 アリア大尉の激昂は、続きます。

 

 自分の背後では、顔を真っ青にしたアルノマさんや看護兵達が、殴られている自分を見下ろしていました。

 

 一方、ヴェルディさんは……。恐る恐る、と言った顔で口をつぐんで様子を見ています。

 

 ……あ、これってもしかして。

 

 

「大変申し訳ありませんでした、全て自分の監督不行届きです。以後このようなことが無いよう、徹底して指導します」

「ふん、言われる前に最初からやれ」

 

 自分は絞り出すように謝罪すると、やがてアリア大尉はどっかと椅子に座りました。

 

 そしてヴェルディさんの方に向き直り、ふんと鼻息を鳴らします。

 

「とりあえず本題だ。そこにいるヴェルディ少尉───私の従弟だが、ソイツが貴様ら衛生小隊と行動を共にする部隊の長だ」

「よ、よろしくね」

「今から貴様らはヴェルディに案内させ、中隊と合流させる。そこで、衛生小隊もヴェルディ監督の下で各種訓練を受けろ」

「「は、はい! 大隊長殿!」」

「では解散、下がれ!」

 

 アリア大尉は、鬼のような形相のまま命令を下しました。

 

 衛生小隊のメンバー全員が、緊張しきった顔で敬礼してカクカクと退室していきます。

 

「次は遅刻することの無いように、トウリ」

「はい」 

 

 最後にそう言葉を交わし、自分とアリア大尉は別れました。

 

「……」

 

 アリア大尉の最後の言葉には、あまり怒りの感情を感じませんでした。

 

 むしろ、多少の慈しみも混じっていた気がします。

 

「な、何だあの女軍人さん……おっかねぇ」

「あの人が私達の上官……」

 

 ……そういえば、以前に彼女は言っていましたね。上に立つものは、怖がられるのが仕事だと。

 

 アリア大尉の恫喝を受けて、小隊メンバーは全員、戦々恐々としていました。

 

「……」

 

 今の激しい折檻は、もしかしたら自分のためにやってくれたのかもしれません。

 

 自分では歳上の部下を十分に叱責できないと判断して、敢えて厳しく指導したのです。

 

 衛生部に入るような優しい人間にとって、年下の娘がボコボコに折檻される光景は見るに堪えないでしょう。

 

 それが、自分の責任から来る折檻であれば尚更です。

 

 つまりアリア大尉は自分に代わって、恐怖で従わせる役割を引き受けてくれたと思われます。

 

「うぅ、やべぇ所に所属しちゃった」

 

 ガーバック小隊長もそうでしたが、上官というのは基本的に疎まれるものです。

 

 常日頃から陰口を叩かれている彼女にとって、恐怖の目でみられるのは辛いことに違い有りません。

 

 だというのに、未熟な自分のためそんな役回りを引き受けてくれた彼女には、頭が上がりません。

 

 

 

「す、すまなかった小さな小隊長。……次からは、ちゃんと言うこと聞くよ」

「ごめん、ごめんね小隊長ぉ~。私が遅刻したせいで」

「いえ、お気になさらず」

 

 そのアリア大尉の威光で、部下たちは命令に従ってくれるようになりました。

 

 年下の娘が自分のせいで暴行される図というのは、想像以上に堪えたようです。

 

 これも、アリア大尉の計算通りなのでしょう。



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46話

「よし。トウリ衛生小隊は、集合してください」

 

 アリア大尉の部屋から退出した後。

 

 ヴェルディさんは、士官学校のグラウンドの一画に自分の部隊を集結させました。

 

「「……はい、少尉殿!!」」

「良い返事です」

 

 グラウンドでは既に彼の部下と思わしき歩兵達が、訓練を開始していました。

 

 今から何をさせられるのか、どんな暴行が待っているのかと、衛生小隊の面々は顔を真っ青にしてヴェルディさんに敬礼しています。

 

 少し、脅かしすぎてしまったでしょうか。

 

「皆さん初めまして。私は君達の上官となる、ヴェルディ少尉と申します。従姉上(あねうえ)ほど苛烈に指導を行うつもりはないので、そう怖がらないでください」

「はい、少尉殿」

「ただ、訓練において命に関わるようなミス────それも、自分だけでなく部隊全体を危機に陥らせるようなミスに関しては、厳しく指導します。先程のように、時間に間に合わない等はもっての他だからね」

「申し訳ありませんでした、少尉殿」

「以後気を付けるように」

 

 ヴェルディさんはやんわりと、自分達に注意を行いました。

 

 大事なことなので、繰り返し注意喚起したのでしょう。

 

「君達には、まず体力トレーニングを行ってもらおうと思います。しかし、訓練ではなく実際に戦場にいるんだと思って訓練を受けてください」

「「はい、少尉殿」」

「君達には専属の教官として、本士官学校の教員を手配しています。歩兵調練のプロですので、何でも分からないことがあれば質問するように」

「ありがとうございます、少尉殿」

 

 チラリと目線を隣にやると、いかにも怖そうな髭のオジサンが警棒を片手に威圧的な笑みを浮かべていました。

 

 顔面にはいくつも傷があり、まさに退役軍人という風貌です。

 

「では後はお願いいたします、先生」

「了解した」

 

 教官にそう告げると、ヴェルディさんはカチコチに固まった自分の部下に苦笑しつつ、忙しそうに立ち去っていきました。

 

 きっと、少尉になった彼には山ほどやるべき事があるのでしょう。

 

「では、貴様らに訓練を開始する」

「はい、教官殿」

「まずは準備運動だ! 各自体をほぐした後、全ての装備を背負ってグラウンドに集合せよ!」

 

 残された教官の人に自分達が言い渡されたのは、どうやら歩兵用の訓練メニューでした。

 

 強行軍を行うにあたって、衛生小隊も歩兵並の身体能力を要求されるからでしょう。

 

 まずは重装備での持久走から始まり、近接戦における受け身や着地の訓練、罠魔法を見破る訓練など、実用的な訓練を沢山施してもらえました。

 

「ひ、ひぃぃぃい!! 死ぬ、死んじゃうぅ!」

「こんなもの、舞台の稽古に比べたら……。いや、やっぱキツい!」

 

 長距離走では、掛け声がずれたりコケたりする度に全員で走り直させられました。

 

 罠の看破訓練では、誰かが失敗する度に全員が罰でスクワットをさせられました。

 

 一人のミスは全員のミス、という概念を植え付ける為の様ですが……。

 

「ラキャ! また貴様か、このアンポンタン!」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」

「お前のせいで、皆がまた苦しむことになる。さぁスタート地点に戻れ、全速力!」

 

 今まで安穏と首都で暮らしていた人間にとって、軍隊仕込みの訓練は負担が大きすぎたようで。

 

 時間が経つごとにみるみると、皆の顔色が悪くなっていきました。

 

 平気なのは、既にガーバック小隊長に似たようなメニューを毎日やらされていた自分だけです。

 

「……これを、毎日やらされるの? 頭が狂ってるとしか思えないわ……」

「足が、足が痛い……」

「まだまだ、訓練はこれからだぞ新米ども!」

 

 歩兵に入隊した新米は、こういった訓練を数日かけて出征前に施されていたそうです。

 

 自分の際は、衛生兵だったので省かれていた様ですね。

 

 

 

 

 

 

 

「さて、これで貴様らの訓練メニューは終了だ」

「ありがとうございました、教官殿」

 

 日が赤く染まる頃、自分達トウリ衛生小隊はやっと訓練終了を言い渡されました。

 

「ぜー、はー」

「き、きついね、これ……」

 

 小隊メンバーは若手で体力があるとは言え、全員がヘトヘトになっていました。

 

 フットボール選手であったケイルさんですら、汗だくで地面に屈み込んでいます。

 

 流石のケイルさんも、一般兵士並の体力までは身に付けていなかったようです。

 

「歩兵達は、まだ訓練を続けるのですか」

「ああ、むしろこれからが本番と言えるだろう」

 

 グラウンドでは、まだ歩兵たちが隊列を組んで的を目掛け銃を構えています。

 

 歩兵達の訓練は、続けられる様子です。

 

「疲労がピークに達した今こそ、実のある実戦訓練が出来る。体力気力の溢れたベストコンディションでしか戦えない歩兵に価値などない」

「成程」

 

 歩兵達は疲弊した状況で、戦闘を継続できるかどうかが非常に重要です。

 

 だから基礎訓練が終わった後に、やっと実戦的な戦闘訓練を施されるみたいです。

 

 しかし戦闘訓練は、衛生兵に無用の長物です。

 

 それで、自分達だけ早めに切り上げてもらえたのでしょう。

 

「しんどかった、これが軍隊……」

「シャワー浴びたーい……」

 

 ……ふむ。

 

 しかし、早めに訓練を終えてもらったからといって、衛生兵だけさっさと休憩するのもおかしな話ですね。

 

 歩兵と同じく、体力気力にあふれた状態でしか診療を行えない衛生兵はあまり戦力になりません。

 

 ケイルさんの様に1週間徹夜していても、平然と仕事を続けられる精神力はやはり必要です。

 

 それに歩兵達がまだ訓練を続けるのであれば、我々も何かしらすべきです。

 

「では、衛生小隊の皆さんには今から、座学を行いましょう。30分の休息の後、再度此処に集合してください」

「えっ」

 

 そう考えて、自分はこれから衛生兵としての勉強会を始める事にしました。

 

 あわよくば、自分自身もケイルさんから学ばせてもらおうという魂胆です。

 

「も、もう今日は十分訓練したじゃない!?」

「今日はまだ、体力訓練しかしていません。自分たちの兵科を覚えていますか、ラキャさん」

「え、えぇ……?」

 

 と言いますか、むしろ衛生兵としての訓練をするためには、今からしか時間をとれません。

 

 明日以降も、日中は体力トレーニングを課されるのです。

 

 体力トレーニングが終わった後に、実戦的な練習を行う。それはきっと、衛生兵にとっても有用な訓練となりうるでしょう。

 

「あの、座学って何をするんですか」

「まずは、症例討論(ケースカンファ)あたりを行うつもりです。その後は、回復魔法の実践もしてみましょう。なのでこの休息時間の間に、しっかり食事をとっておいてくださいね」

「えええ~っ!?」

 

 精魂尽き果てた部下から、悲鳴のような声が上がりました。

 

 もう休めるとばかり思っていたのでしょうか。

 

 しかし、申し訳ないですが我々には時間がないのです。

 

 特に今は、ラキャさんやアルノマさんなど素人に近い人が沢山いる状況。

 

「では解散。あ、衛生兵としての訓練内容については、ケイルさんにも相談に乗っていただきたいです」

「あー了解、リトルボス」

 

 出征前に少しでも、成長しておいて貰わないと困るのです。

 

 可能なら、本日の訓練で出た怪我人を使って治療の練習もさせてもらいたいですね。

 

 負傷者がいなければ、自分の腕でも切って回復魔法を練習させてあげなければなりません。

 

 その旨も、ヴェルディさんに相談してみましょうか。

 

 

 

 

 

 

 

「ヴェルディ少尉。以上で、本日の報告を終わります」

「うん、お疲れ様」

 

 衛生部としての訓練を終えた後。

 

 小隊長である自分は、就寝前にヴェルディ少尉に本日の活動について報告をさせられました。

 

 小隊長は直属の上司に戦果や被害状況、装備の損耗率などを報告する義務があります。

 

 おそらくガーバック小隊長も、部下が就寝した後に通信でレンヴェル少佐に報告を行っていたのでしょう。

 

「トウリちゃんはまだ、余裕ありそうだね」

「ガーバック小隊長に、訓練メニューを課されていましたから。今思うと、ありがたい配慮でした」

「あー……。私は、どうかと思いましたけどね。衛生兵に偵察兵の真似をさせたり、負担が大きすぎるんじゃないかと」

 

 確かに負担は大きかったですが、前線で衛生兵を突っ走らせてる時点でそんなことは気にしなくていいと思います。

 

 負担の大小より、生存に役立つ訓練を課して貰えた方がありがたかったですし。

 

「あの訓練はマシュデールでも、生き延びる上で非常に有用でした。偵察兵としての訓練も、是非続けたいと思っているくらいです」

「……偵察兵の訓練ですか。まぁ、アレンさんとかに頼めば教えてくれそうですが」

「おや」

 

 アレンさんは偵察兵のベテランで、自分にとって偵察兵の師匠です。

 

 彼には、西部戦線で様々なことを教えていただきました。

 

 その名前が出てくるということは、

 

「もしかしてアレンさんって、ヴェルディ少尉の中隊に所属してるのですか?」

「ええ、知己だから扱いやすいだろうと回してもらいました。ベテランで頼りになりますし」

「おお、それは嬉しい情報です」

 

 アレン小隊も、ヴェルディ中隊に所属しているみたいです。

 

 つまり何か相談事があれば、出発後も彼らに会うことが出来るんですね。

 

 もしかしたら今日も、訓練をしている人の中に混じっていたのでしょうか。

 

「では今後アレンさんなど、偵察兵の方に当小隊の訓練を依頼してもよろしいですか? 周囲の警戒など、学ぶべきことは多かったので」

「ええ、ただし教えを乞う偵察兵はよく選んだ方が良いです。私の部下には、衛生小隊へ『対尋問訓練』をさせてくれと懇願した馬鹿もいました」

 

 ヴェルディさんは何とも言えない顔で、聞き慣れぬ訓練名を口にしました。

 

 ……なんですか、その不穏な訓練は。

 

「対尋問訓練、とは何でしょうか?」

「敵に捕まって拷問された時に、秘密を漏らさないよう拷問に耐性をつける訓練ですね。上級偵察兵になる際は、必修です」

 

 ああ、そういった訓練は聞いたことがあります。

 

 味方から拷問を受け口を割らない様にする、懲罰みたいな訓練です。

 

 単独で敵陣に潜入する事のある偵察兵は、確かに必修でしょう。

 

「かなり過酷な訓練で、最初に全裸にさせられ人としての尊厳を踏みにじられるそうです。要は、女性が多い衛生小隊にそれをやりたかったのでしょう」

「それが必要であると少尉が判断されるのであれば、当小隊も受け入れますが。現状、敵に尋問される訓練より優先して履修すべき技能があるかと愚考します」

「同意します。というかそもそも、吐かれて困る軍事作戦上の機密を衛生小隊に共有するわけないでしょう」

 

 なるほど。

 

 本気で偵察兵としての訓練過程を履修する場合、そんな訓練を受けさせられるのですね。

 

 それを、大半が女性である我々に課したいと。

 

 ……衛生小隊にどういう理由で提案したのでしょうか、その人は。

 

「身の安全のために、そんな提案を行った兵士の名前を聞いておきたいのですが」

「……。ファリス准尉という方です」

「よく覚えておきます」

 

 ファリス准尉。その名前は、念のため小隊で共有しておきましょう。

 

 危険人物候補です。

 

「ただし、トウリちゃん。向上心を持つのは素晴らしい事ですが、まずは基礎訓練を大事にしてくださいね」

「了解いたしました」

 

 ヴェルディさんはそう言うと、自分に敬礼して下さいました。そろそろ帰れというサインですね。

 

 自分も即座に敬礼を返し、一礼して退室します。

 

 ヴェルディ少尉は、まだ暫く仕事が残っているのでしょう。あまり、長居しては迷惑です。

 

「……おやすみ、トウリちゃん」

「お疲れ様でした」

 

 ヴェルディ少尉のデスクには、山盛りの書類が積んでありました。おそらく彼には、まだまだ仕事が残っているものと思われます。

 

 昇進すればするほど、仕事が忙しくなっていくのでしょう。

 

 今思えばガーバック小隊所属時の、訓練をさせて貰いつつ仕事さえ終われば眠れる下っ端というのは気楽な身分でした。

 

 昇進とは、命の危険はそのままで仕事だけが増える貧乏くじなんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その、翌朝の事です。

 

「……あの、トウリ小隊長」

「どうかしましたか」

 

 自分たちがトウリ衛生小隊として集結し、2日目の出来事。

 

 本日もヴェルディ少尉の下へ出向き、歩兵の基礎訓練に混ぜてもらうべく朝一番に招集をかけていたのですが。

 

「……朝からどこを探しても、ラキャさんの姿が見当たらないのです」

「え」

 

 自分は定刻に間に合うよう、寝坊助なラキャさんを起こしておくよう、看護長のエルマさんに依頼していました。

 

 しかし朝一番、エルマさんからラキャさんが寝床からいなくなって行方知れずになっていることを報告されました。

 

「トイレなどにはいませんか」

「はい、近場は見に行ったのですけど」

 

 思えば訓練を終えた直後、ラキャさんは顔面蒼白になって倒れていました。

 

 昨晩はそんな彼女をたたき起こして、フラフラの状態のまま座学と回復魔法の実習を行わせたのですが……。

 

「……ラキャさんの荷物も、無くなっているんです」

「……」

 

 よほど訓練がきつかったのか。

 

 自分と同じ15歳の新米衛生兵ラキャは、脱走を図ったようでした。

 

 



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47話

「小隊は少し待機してください。自分は、ヴェルディ少尉に報告を行って指示を待ちます」

 

 結局集合時間になってもラキャさんは姿を見せませんでした。

 

 おそらく、ほぼ脱走で確定でしょう。

 

 彼女は確か、首都の出身者でした。おそらく、逃亡先は実家でしょうか。

 

「……了解しました。小隊各員に通達、貴方たちは予定通りヴェルディ少尉の下へ向かって訓練を受けてください。自分はラキャさんの捜索部隊に加わります」

「「はい、小隊長殿」」

 

 これは非常にまずい事になりました。

 

 部下の手前なので出来るだけ平静を装っていますが、内心かなり焦っています。

 

 

「では、各員移動を始めてください。自分は、捜索部隊と合流します」

「「はい、小隊長殿」」

 

 

 ……部下の逃亡は上司の管理責任。自分はそれなりの処罰を受けるでしょう。

 

 ですが、それはどうでもいいです。

 

 自分がぶん殴られて制裁を受ければ済む話です。

 

 

 問題はラキャさんの扱いです。軍規にはしっかりと、「逃亡兵は銃殺」と明記されています。

 

 悪運の強いゴムージが殺されなかったのは、逃亡ではなく「はぐれた兵士」として軍に復帰したからです。

 

 オースティンの降伏が目前だったあの状況で、無駄に軍規を守って彼を殺すのは非合理的だと判断したガーバック小隊長一世一代の激甘裁定です。

 

 そんな特殊すぎる状況でもない限り、見つかった時点で射殺されてしまうでしょう。

 

 

『こちら、ヴェルディです。貴小隊以外にも複数部隊で、行方不明者が出ている様子です。トウリ衛生兵長も捜索に参加し、ラキャ2等衛生兵が捕縛か銃殺された場合は現場に向かって本人確認を行ってください』

『了解しました』

 

 

 ラキャさんの行方が分からなくなった事実は、既に各所に伝わりました。

 

 自分も軍人として、逃亡兵を隠ぺいすることは出来ません。隠ぺいなんてしたら、自分も幇助の罪で銃殺されます。

 

 ヴェルディさんは、銃殺された場合という言葉を使いました。

 

 ……つまり、彼女にはもう銃殺許可が下りているのです。

 

 

 ヴェルディ少尉は優しい人ですが、それでもきっと軍規は順守するでしょう。

 

 たとえ生きて捕縛されたとしても、彼女に待っているのは処刑です。

 

 そこはキッチリしないと、今後脱走兵が増えてしまうからです。

 

「……どうして」

 

 ラキャさんも軍規についての講義を聞いていたはずなのに、どうして逃亡したのでしょうか。

 

 殺される危険を冒してでも、軍から逃げ出したくなった……にしても変です。

 

 実戦を経験した後なら逃げ出したくなる気持ちはわかるのですが、まだ彼女が命がけで逃げ出すような出来事はなかったはずです。

 

 訓練が辛いだけで、死の危険がある逃走などするでしょうか。

 

 初めて部下を失う理由が、味方による銃殺とか勘弁してください。

 

 お願いだから、何かしら納得のできる理由を用意していてください。ラキャさん。

 

 

 

 

 

 

 

 

「───あ」

「く、来るなっ!!」

 

 

 

 

 

 自分はまず、ラキャさんの逃走経路を推察しました。

 

 士官学校の出入り口には、常に見張りの兵士が居ます。

 

 脱出するためにはこの見張りを突破するか、士官学校をぐるりと囲む3mほどの高さのコンクリート壁をよじ登らねばなりません。

 

 なので外壁や敷地外の捜索は他の兵士に任せて、自分は人気のない校舎の隙間などを探しました。

 

 まだ、ラキャさんが脱出できていない可能性を考えたのです。

 

 

「あれ、女の子?」

「げ、げぇ……。トウリ小隊長じゃん」

「嘘、コイツ小隊長格!?」

 

 

 そして自分は、見つけてしまいました。

 

 3人ほどの、軍服を着た歩兵───。

 

 ラキャさんと見知らぬ二人の少年兵が、固まって身を潜めていたその場所を。

 

 

「……く、来るな! 来たら撃つ!」

「う、う……。ごめんなさい、ごめんなさい」

 

 

 どうやら、ラキャさんは少年兵たちと共謀して逃亡を試みた様子でした。

 

 背の高い赤髪の少年が自分にまっすぐ銃口を向けており、ラキャさんともう一人はその陰に隠れて怯えています。

 

 

「……」

 

 

 血の気が引くのを、感じました。

 

 銃という兵器は恐ろしいです。彼がうっかり引き金を引いた瞬間、自分の顔面は木っ端みじんに吹っ飛びます。

 

 今まさに、自分の命は風前の灯火と言えましょう。

 

 

「そ、そのまま両手を上げて背を向けたままこっちに来い。余計な真似さえしなければ、拘束するだけですませてやる」

「……」

 

 

 少年兵は、震えた声のまま自分に投降するように呼びかけました。

 

 こういう場合こそ、冷静に行動せねばなりません。

 

 まずは彼を刺激しないよう、両手を上げて敵意が無いことを示しましょう。

 

「こうでしょうか」

「あ、ああ。そのまま背中向けて、一歩づつ下がってこい」

 

 この時の自分と彼の距離は、10mほど離れていました。

 

 銃を持った相手に対し、何をしようと勝てる距離ではありません。

 

「……」

「おい、早く来い!」

 

 しかし彼らは、校舎間の細い隙間に潜伏していました。

 

 つまり、隙を見て真横に走れば彼の射線から逃れることは可能でしょう。

 

 わざわざ彼に近づいて素直に拘束されるのは、ただ自分の死亡率を上げるだけな気がします。

 

 少し、揺さぶってみますか。

 

「……あの、赤髪の方に質問です。そう、銃を構えている貴方です」

「何だ」

「貴方、まともに人を撃ったことがありませんね?」

 

 自分の言葉に、少年兵は動揺した様子を見せました。

 

 やはり、彼らはこの街で新規に徴兵された新米兵士なのでしょう。

 

「銃の持ち方がめちゃくちゃですよ。その構え方で本当に、この距離の自分へ弾を当てられるのですか?」

「う、うるさい!! だったら撃つぞ、試してやろうか」

「撃っていいんですか?」

 

 自分の指摘に少年兵が激高して、自分の鼓動がもの凄い事になりました。

 

 そんな彼が構えて狙っているのは、自分の頭部です。

 

 もし狙い通りに当てられたら自分は即死なのですが……。

 

「銃声が響いた瞬間、ここに貴方達を殺す部隊がわんさか押し寄せますよ」

「……っ!」

 

 彼、リコイルとか気にせずまっすぐ狙いを定めていますね。

 

 自分はマシュデールではもっと近い距離で、銃の反動も予想し狙い撃ちましたが、目標から数十センチ外れて着弾しました。

 

 あの銃の角度だと、流石に1発目は外れてくれるでしょう。そう気づくと、自分は少しだけ冷静になれました。

 

「赤髪の貴方。貴方が構えているその銃は、どういう銃か知っていますか」

「んだよ、それくらい知ってるよ。オースティン産の量産銃で、OSTの3型───」

「そういうことを聞いてるんじゃありません。……その銃のために、どれほどの血が流されたかご存じですか」

 

 冷静になった後、自分は少年兵を見据えて。

 

 マシュデール撤退戦の、悲しい記憶を幾つも思い出していました。

 

「その銃は、おそらくマシュデールから輸送されたものでしょう。我々西部戦線から撤退した兵士が、命がけで守ったものの一つです」

「……っ」

「聞いていますか。貴方が逃亡する行きがけの駄賃で持ち出そうとしているソレは、誰かが命懸けで輸送した銃です」

 

 彼らの持っている銃は、マシュデールでロドリー君が新規に支給されていた銃と同型でした。

 

 おそらくは、マシュデールに蓄えられていたものでしょう。

 

「祖国のために散った兵士の想いのこもったその銃を、自分(みかた)に向ける罪の重さ。貴方はそれを、理解していますか」

「や、やかましい。黙れ!」

「……」

「そんなもん、俺の知った事かぁ!」

 

 男性兵士にそれとなく罪を自覚させようとしたのですが、結果は失敗のようでした。

 

 ……何とか切り口を見つけて、投降させたいのですが。

 

「ラキャさん。貴女は軍規を知っていますよね」

「ぐ、軍規ですか」

 

 興奮させてしまった男性兵士は放って、一旦ラキャさんの説得に挑戦してみることにしました。

 

 彼女が逃亡しようとした理由を聞き出せれば、何かしら対応はできるかもしれません。

 

「逃亡兵は基本銃殺であることは、ご存じですよね。……なのにどうして、こんな無謀な脱走なんか」

「……えっ?」

 

 基本銃殺という言葉を聞いて、ラキャさんの顔が真っ青になりました。

 

 あれ、知らなかったのでしょうか。 

 

「ラキャは目を開けて寝れるからな。聞いてなかったんだろ」

「え、えっ!? このままだと私、殺されるの!?」

「このままですと、そうなりますけど」

 

 軍規については入隊時にきっちり説明があった筈ですが、彼女は聞き逃していたようです。

 

 そこまで覚悟を決めての逃走で無いのならば、説得の余地はあるかもしれません。

 

「バカ、このまま軍にいたって殺されるだけだろうが!」

「……で、でも! ああ、嘘ぉ」

「脅そうったってそうは行かねーぞ! 俺だっていつでも、お前を殺せるんだからな!」

 

 赤髪の少年が、不安げなラキャさんを宥め始めました。

 

 もう一人の男も、ガタガタ震えつつラキャさんを庇っています。

 

 その2人の、妙にラキャさんと親し気な態度はもしかして。

 

「貴方達3人は、もしかして知り合いですか」

「学校の友達です。昨晩、一緒に逃げ出そうって誘われてぇ……」

「ははぁ。それで」

 

 成程。ラキャさんは自発的に脱走したのではなく、背後の男二人に誘われて逃亡兵になったのですね。

 

 まだ脱走するだけの理由もないのに、変だと思いました。

 

「うるさい、探りを入れるな、黙れ。背を向けたままこっちに来て座れ、さもなくば殺す」

「貴方達こそ、おとなしく投降しませんか。……今ならまだ間に合います。この状況を他の捜索部隊に見られたら、射殺されますよ」

「うるっせえ、こんなイカれた軍にいられるか! もうたくさんだ!」

 

 だとすれば、背後の少年兵士二人に脱走する理由があったことになりますが。

 

 ……何が、ご不満だったのでしょうか。

 

「ちょっと口答えしただけで殴る蹴る、俺達は上官のストレス解消の玩具じゃねぇ!」

「あんなキツい訓練、毎日出来るわけないでしょ! 後方勤務と聞いていたのに騙されたぁ!」

「命がけの戦場に駆り出されて、あんなゴミ以下みたいな扱いを受けてまで国に尽くす気ねーよ!」

 

 ……。

 

 そういえば最近すっかり麻痺していましたけど、自分もガーバック小隊に入った直後はあの苛烈な暴力に不満を持っていましたっけ。

 

 おそらくこの二人も、ガーバック小隊長みたいな上官に当たってそういう扱いを受けたのでしょう。

 

「お前は女だから殴られたことないかもしれねーけど、男の扱いは本当に悲惨で───」

「いえ、自分もよく全身骨折するまで折檻されましたが」

「……」

「軍隊は男女平等ですよ」

 

 しかし、そればっかりはどうしようもありません。

 

 おそらく彼らの上官も、部下の手綱を握ろうと必死なのでしょう。

 

 褒められたことでは有りませんが、暴力という手段に手を染めてでも命令に逆らわぬ兵士を育成しないといけないので。

 

「……あー。そういやトウリ小隊長は、私の遅刻の責任を負わされて、顔面腫れ上がるまで殴られてたわ」

「……。なあ、あんたも一緒に逃げないか?」

「いえ」

 

 ガーバック小隊長からの鉄拳制裁に慣れすぎて、最近はかなり耐性がついていましたけど。

 

 一般の人からしたら、相当な苦痛ですよねアレ。

 

「そうですね、ではラキャ2等衛生兵。貴女が投降した場合、望むのであれば基礎訓練を免除してもよいですよ」

「ヘ?」

「貴女だけ特別に、歩兵の基礎訓練を免除します。衛生兵としての訓練は参加していただきますが」

「え、良いんですか!?」

「お、おいラキャ!」

 

 男二人に関しては、自分の管轄外です。

 

 ですが、ラキャさんの不満に関しては自分に解決するだけの権力があります。

 

「ええ、構いません。ですので、投降していただけませんか」

「え、あ、でもぉ」

「おい馬鹿騙されんな、どうせ嘘に決まってる!」

「男性のお二人も。……その扱いは新米兵士の殆どが通る道です」

 

 出来るだけ優しい口調で、自分は3人の逃亡兵に語り掛けました。

 

 ここで上手く説得できれば、銃殺処刑を回避することが出来るかもしれません。

 

「貴方達が脱走を企ててから随分時間が経っていますが、まだ士官学校から抜け出せていないということは、逃走経路を確保できなかったのでしょう?」

「む、む」

「仮にも正規軍人が駐留しているこの施設は、相当に警備は固いです。このままですと、貴方達は十中八九撃ち殺されるだけ」

「そんなの、分からないだろ……」

「今すぐ、投降をお勧めします。自分も貴方達の小隊長に口添えしますので、もう少し頑張ってみませんか」

 

 自分は出来ればこんな場所で、同年代の部下を失いたくないのです。

 

「う、うるせえ、信用できるか! てかもう俺達は銃殺なんだろ!? 今更投降出来るわけが……!」

「ここで銃を下すのであれば。貴方達は逃亡なんて企ててなかった。別の深い事情があった。そういう事にしてあげますよ」

「……え?」

「無論バレたら自分も銃殺されますので、口裏はしっかり合わせてくださいね」

 

 ……逃亡を手助けするわけにはいきませんが、自分にも彼らの気持ちはよくわかります。

 

 ヴェルディさんも優しい方なので、ちゃんとした大義名分を用意しておけば何が何でも殺そうとしないでしょう。

 

「ここで自分を射殺して逃げ出したところで、待っているのは処刑でしょう。どうか冷静になって、やり直してみませんか」

「……」

 

 自分はそういうと、なるべく優しい声を出して。

 

「貴方達の気持ちも、よくわかりますので」

 

 そう、説得してみたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……彼らは逃走したのではなく、友人間で集って愚痴で夜を明かし、そのまま寝過ごしたと?」

「本人らはそう供述しております」

 

 その後、自分はこの3人を連れてヴェルディ少尉の前に出頭しました。

 

 自分が咄嗟に考えた、適当な方便を携えて。

 

「あのトウリちゃ……。おっほん。トウリ衛生兵長」

「は、何でしょう」

「その話を信じるのであれば、君はまたも部下の手綱を握れず、遅刻を許したということになるけど」

「はい。いかようにも罰してください」

「んー。はぁ……」

 

 ヴェルディさんは、物凄く困った顔をしていました。

 

 まぁ、嘘なのはバレバレでしょう。要は、自分から出頭したので恩赦してやってくださいという自分からの懇願です。

 

「トウリ衛生兵長。君への処罰は追って伝達する」

「ありがとうございます」

「後ろの3人。君達への罰も同様だ、あとで再度呼び出すからそのつもりで。では各自、今すぐ所属部隊と合流して訓練を再開せよ」

 

 ヴェルディさんは、あっさりと逃亡兵たちの部隊への復帰を許してくれました。

 

 ただ、彼の顔からは『次はないよ』という謎の圧力を感じます。

 

「……では失礼いたします」

 

 自分はそんなヴェルディさんのご厚意に感謝しつつ、ラキャさんの手を引いて退室しました。

 

 彼は今からアリア大尉やレンヴェル少佐など、怖い方々にさっきの事を報告しに行かねばなりません。

 

 恐らく今から、ヴェルディさんは「自分の用意したバレバレの弁明」で頭下げて回るんだろうなと思われます。

 

 ……彼の優しさに付け込んだようで、申し訳ない気持ちです。

 

 

 

 

 

「……あの、本当に私って訓練をサボっても……?」

「ええ、参加しなくていいですよ。自分が体調不良と認定すれば免除して貰えますので」

「あ、そうなんですか」

 

 ヴェルディさんの部屋から退室した後、ラキャさんが不安げな顔をしていたので安心させてあげます。

 

 ええ、どうしてもというのであれば訓練に参加しなくても大丈夫です。

 

 その話を聞くと、ラキャさんはウキウキとした表情に変わりました。

 

「そもそも、あの訓練自体がご厚意でやってもらっているものですから」

「……ご厚意?」

「ええ。訓練というのは、少しでも自分の死亡率を下げる為に施されるものです。あの訓練をしっかり履修することで、いざ命の危険に陥った場合も生還できる見込みがぐっと上がります。本来あれらの訓練は衛生小隊に施されないものですが、今や衛生兵は希少兵科なので大事をとって訓練していただける運びになったのです」

 

 そう。訓練には場所と時間がかかります。

 

 教官を用意したり洗濯量が増えたりと、それなりにコストもかかります。

 

 そんな手間暇をかけてでも、兵士の生存率を上げるために施されるものです。

 

「あれらの訓練は、貴女自身のためのものですよ。ラキャ2等衛生兵」

「……」

「しかし訓練のせいで脱走されるなら、自分はサボりにも目を瞑ります。損をするのはラキャ、貴女だけです」

「……」

「そして無論、実戦の際に訓練不足でついてこれなくなった時には、見捨てられることも念頭においてください」

 

 作戦行動と違い、訓練は軍に利益をもたらしません。兵士に利益をもたらすのです。

 

「いざ、戦争で死を目前にした時。今日の訓練をサボってしまったことを、死ぬほど後悔しても遅いです。それを理解した上で訓練に参加しないのであれば、自分から言うべき事はありません」

 

 その有難い訓練を拒否するのであれば、まぁそういう兵士であると扱うのみです。

 

「……。ご、ごめんなさい、やっぱり参加します……」

「それは素晴らしい」

 

 自分が本気で訓練に参加しない場合、本気で見捨てると言っていることを悟ったのか。

 

 ラキャさんはげんなりした顔で、項垂れてそう答えました。



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48話

 ラキャさんを連れ帰って、訓練に合流をした後。

 

 夕方、再度ヴェルディさんに呼び出された我々への罰は、10枚ほどの反省文を書かされるだけで済みました。

 

 そして、上官である自分がラキャさんをみっちり指導するようにとお達しを受けました。

 

「ま、実際のところよくある事なんだ」

 

 聞けば士官学校では、新入生が激しい訓練に耐えかねて逃亡するのは毎年の恒例行事らしいです。

 

 なのでレンヴェル少佐も『逃亡兵くらい出るだろうな』という予想は立てており、しっかり士官学校の警備を固めていたのだとか。

 

 無論、逃亡兵が銃器を持ち出している場合は追手の安全確保のため射殺許可が出ます。

 

 しかし、説得に応じ自分から帰ってきた場合は基本的に処刑しない方針だったそうです。

 

「この俺に恥をかかせやがって!!」

 

 ヴェルディさんの前に呼び出されたのは自分とラキャさんの他に、2人の男性兵士の上官であろう強面の軍人さんもいました。

 

 彼はヴェルディ少尉に敬礼して退出した後、廊下で不機嫌そうに2人を蹴飛ばし始めました。

 

「てめぇらのせいで俺のメンツは丸潰れだ!」

 

 今朝、自分の説得に応じて帰順したラキャさんの友人兵士達の顔は、痣だらけになっていました。

 

 どうやら2人は、かなりの折檻を受けた様です。

 

「あ? 貴様ら、何を見てやがる!」

「ひっ……」

 

 その兵士は機嫌が悪かったのか、友人に声をかけようとしてオロオロしているラキャさんを恫喝しました。

 

 歳は40付近でしょうか? それはくるくると巻いたパーマの、筋骨隆々な髭の兵士でした。

 

 ……おそらく少年兵たちは、この人が怖くて逃げだそうとしたのでしょう。

 

「あの、上官殿」

「あん? 何だぁテメェ」

 

 自分は恐る恐る、そんな強面の彼に話しかけました。

 

 自分も恐ろしいですけど、彼らの小隊長に口添えをするよう約束しましたので、声をかけざるを得なかったのです。

 

「自分は、本軍の衛生小隊長を務めているトウリ衛生兵長と申します。この度は自分の部下が、貴小隊のメンバーにご迷惑をおかけしました」

「お? ……んだよ、そのナリして小隊長か」

「はい」

 

 さて、この方はどういうタイプでしょうか。

 

 見た感じガーバック小隊長と同類に見えますが……。

 

「ふーん? 衛生小隊のトップは少女兵と聞いていたが、マジだったんだな」

「まだ若輩ではありますが、誠心誠意、職務に準じる覚悟です」

「そうか」

 

 少し、この人の態度の方が偉そうというか傲岸な気がします。

 

 ガーバック小隊長殿は、もっと純粋に暴力的な感じでした。威張り散らす真似は……時折しか、しなかったです。

 

「俺はファリス准尉である。俺も人の事を言えんが、互いにしっかり部下の手綱は握らんとな」

「はい、准尉殿」

 

 彼が名乗った名には、聞き覚えがありました。

 

 ファリス准尉。それはつい昨日、ヴェルディさんから聞いた危険人物の名前でした。

 

「ところでファリス准尉。少しお話があるのですが、お時間よろしいでしょうか」

「あ、俺にか?」

「はい」

 

 ……自分はそんな危険なお方に、今から折檻の手心を加えるよう要請しなければならないのですか。

 

 逆切れされて、自分までボコボコにされなければ良いのですが。

 

「何の用だ?」

「大した用ではないのですが。現状の衛生小隊の状況を鑑みての、お願いになります」

「……ふん?」

 

 まぁ、約束してしまったものは仕方ありません。

 

 それっぽい理由をつけて、言いくるめてしまいましょう。

 

「見た感じ、貴小隊のお二人はかなりの重傷に見えるのですが」

「それがどうした」

「その。現状、衛生小隊の戦力的に、今まで通り体罰指導を続けられると仕事が回らなくなる可能性が高いのです」

「あ?」

 

 自分は申し訳なさそうな顔で、ファリス准尉に頭を下げました。

 

「そこにいるラキャを含め、衛生小隊に衛生兵────回復魔法使いは4人しかいません。しかもそのうち、2人は素人です」

「おいおい、そんな状況なのか」

「はい。ですので、各歩兵部隊の小隊長殿に今まで通りの折檻をされてしまうと、負傷兵で溢れてまともな軍事行動をとれなくなる可能性が高いです」

 

 自分の言葉に、ファリス准尉は顔をしかめました。

 

 嘘は言っていません。

 

「なので、今まで通り激しい体罰を行われていそうな小隊長格の兵士を見かけた場合、自分の判断でお声かけさせていただいております」

「ふむ……、衛生兵の補充はいつ来る? そんな有様で、まともに衛生部が機能するとは思えんが」

「はい、准尉殿。我々先行部隊は、南部戦線の戦力と合流できればまともな衛生部を組織できると思います。あるいは、後詰めの本隊にはそれなりの規模の衛生部が設営される予定です。それまでは、この貧弱な衛生小隊のみで軍を運用せざるを得ない状況です」

「……分かってはいたが、オースティン軍は中々に苦しいのだな」

 

 自分の説得に対しファリス准尉は面白くなさそうな顔をしていましたが、一応は納得したような顔になりました。

 

 これで、多少は体罰が軽くなってくれればよいのですが。

 

「うむ、ならもっと肉体的ではなく精神的な罰に切り替えるとしよう。衛生小隊の要請は承諾した、今後もよろしく頼むぞ」

「ご、ご理解いただけて幸いです」

 

 ファリス准尉は、納得した顔のまま意地の悪そうな笑顔を浮かべました。

 

 ……精神的な罰に切り替える、ですか。

 

「体罰の方がマシだと思ったが、衛生小隊長がそういうのであれば仕方ないな。よし」

「ほ、ほどほどにしてあげてくださいね」

「馬鹿を言っちゃいかん。適当な指導をされて命を落とすのは、こいつらなんだぞ? 俺は遠慮なく、最大限の教育を施すだけだ」

 

 そんなファリス准尉の言葉に、2人の兵士は顔を真っ青にしました。

 

 もしかして自分は、余計な事を言ってしまったでしょうか。

 

「体は治療すれば治るが、精神(こころ)はなかなか治せない。……壊れるなよ、小童ども」

 

 まぁただ、実際体罰を繰り返されると業務に大きく支障が出てしまいますので。

 

 精神的な罰と言うものがどんなのか知りませんけど、耐えられる内容であることを祈るのみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そればっかはどうしようもねぇよ、トウリ」

 

 夜。自分は、脱走兵についての一連の話をアレンさんに相談しに行きました。

 

 果たしてこれでよかったのか、他にどうすべきだったかの助言を頂きたくて。

 

「そのファリス准尉がやってるのは軍では普通の指導法だ」

「はい」

「脱走させないために体罰を軽くして甘やかしたところで、いざ実戦の厳しさを知ってしまえば結局新米は逃げ出しちまう」

 

 アレンさんは難しい顔で、自分の相談に乗ってくれました。

 

「かくいう俺も、理不尽に怒られて上官を死ぬほど恨んだこともある。だが、戦場ってのは上官なんかよりずっとずっと理不尽だ」

「……」

「気の良くて真面目なヤツが、セオリー通りに壁に張り付いて丁寧な偵察をして、運悪く転がってきた手榴弾で爆死する事が有る。下品で適当な性格の奴が、上官命令を忘れて寝過ごして、その結果部隊で一人だけ助かるなんて事もある」

 

 この時のアレンさんは何処か、実体験を話しているように見えました。

 

「理不尽に慣れるって意味でも、積極的に介入せず放っておけ。ファリス准尉の腕が確かなら、1か月以内には従順で生意気な兵士二人が出来上がるはずさ」

「成程」

 

 オースティンの新米兵士には、種類がいくつか存在します。

 

 まず、士官学校を卒業してきっちり兵士としての心構えやスキルを身に着けているエリート新兵。

 

 士官学校は出ていないものの、自ら志願しそれなりの期間訓練を受ける事が出来た普通の新兵。

 

 そして、徴兵されたまま訳も分からず送り出された素人。

 

 

 素人でも銃を構える事が出来れば戦力になってしまうので、西部戦線の後期では練度より補充速度を優先し、政府はガンガン素人を戦場に送り続けてきました。

 

 その名残で、今回の徴発でも素人が大量に動員されてしまったのです。

 

 そんな彼らを普通の新兵にまで成長させるべく、今各部隊の小隊長は必死であれこれと努力しているのでしょう。

 

「ありがとうございました、アレンさん」

「おう」

 

 だとすれば自分がすべきは、他の部隊の新米兵士を激しい暴力から守ることではなく。

 

 自分の部下として配属された、ラキャさんやアルノマさんを訓練して生存率を高めてあげることです。

 

 少し前まで一般市民だった彼らにとっては過酷な状況ですが、それがいつか自分の命を助ける事になります。

 

 それを邪魔することの方が、彼らにとって不利益となるのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、結論から申しますと。

 

 自分たちに施されたこの体力訓練は、実はただの訓練ではありませんでした。

 

 

 毎日毎日、歩調を合わせて重装備を背負ったまま延々と走らされ続けること3日。

 

 ラキャさんはおろか、ケイルさんやアルノマさんなど体力のありそうな男性陣にも疲労が見え始めた頃、

 

 

「見よ兵士たち。この一片の曇りもない青空を!」

 

 

 とうとう、我々先行部隊の出陣の日がやってきたのです。

 

 

「晴天の日に出陣するのは、太古の昔より必勝の予兆とされる。これは我々の行く先に、曇りなき栄光の輝きが待っていることを示した素晴らしい天気だ!」

 

 レンヴェル少佐は機嫌よく演説を行い、兵士の士気を存分に高めていました。

 

 その背後に並んでいる将校には、アリア大尉の姿も見えます。

 

「我々は、サバトの悪鬼に鉄槌を下さねばならない。それは正義を示すため、そして大事な我らの同胞を守るため。神は、そんな我々の大義を祝福してくれている!」

 

 そして我々の見送りのため、数多くの市民たちが城門に集まっていました。

 

 涙を流しながら、兵士に向かって手を振っている年配の方々がいくつも見受けられます。

 

「さあ進め、勇敢な兵士達よ! 全てを終えてこの首都に凱旋するその日まで、我らは一心同体の兄弟である!」

 

 

 そのレンヴェル少佐の掛け声とともに、我々オースティン軍は首都ウィンを出立したのでした。

 

 

 

 

 

 

 

「……あの体力訓練、実際の移動距離とほぼ同じに設定されていたんですね」

 

 首都から出立し、1日間進軍して気づいたことがあります。

 

 それは実際の進軍距離が、訓練中に毎日走っていた距離とほぼ同じだったのです。

 

「ぜー、ぜー」

「成程ね。あの訓練は単に体力を付けるだけではなく、我々が強行軍についてこられるか試す目的もあったんだね」

 

 我々トウリ衛生小隊は、軍の最後方から味方に引っ付いて前進するだけの役目です。

 

 前方では、偵察兵を飛ばし周囲を警戒しながら進まねばなりません。

 

 そんな前方と比べたら、ただついていくだけの我々は非常に楽な進軍なのですが、

 

「無理ぃ。もう、足が、パンパンよぉ……」

「む。ラキャ君、どうしてもというならば私が背負って走ろう」

「それは許可できません。アルノマさん、貴方だってギリギリのはずです」

「足が痛ぁい……!」

 

 その代わり、我々衛生小隊は軍でも指折りに体力のない部隊です。

 

 女子供の多く交じったこの部隊は、部隊の進軍についていくだけでも一苦労です。

 

「どうしてもとなれば、輸送部隊にお願いしてケガ人扱いで軍荷の上で搬送してもらいます。ですが、それは最終手段にしましょう」

「……うー」

「文字通り、お荷物扱いされたくなければ気合を入れて走ってください」

 

 後方には、衛生小隊の他に様々な非戦闘系の部隊が配置されています。

 

 例えば物資の輸送に特化した、大荷物の荷車を引きながら移動する輜重兵部隊。

 

 輜重兵は戦争において何より重要な兵站に関わる、戦場の陰の主役です。

 

「だ、騙されたわ。こんなの詐欺よ、騙されてとんでもない部隊に志願しちゃったわ」

「奇遇ですね。自分もです」

 

 西部戦線までの兵站輸送には鉄道が使われていましたが、鉄道のない場所には未だに荷車を引いての移動がメインです。

 

 トラックなど自動車も開発されているようですが、高価なために水や魔石の輸送など一部でしか運用されていません。

 

 また、荒れた地で車はまともに走行できないようです。

 

 なので兵站の殆どは、まだ人力や馬車などで輸送しているのが現状です。

 

「キツかったら無理せず、輸送部隊の人にお願いした方が良いよラキャちゃん。彼らも、疲れ果てた女の子を運ぶ分にはそんなに怖い目をしないハズさ」

「でも輸送部隊の人たち、荒っぽいし下品だからスケベな悪戯されそうで……」

「まぁ、負傷したベテラン歩兵がメインだからな。そりゃあ荒っぽいさ」

 

 因みに、輜重兵部隊は体力勝負なので筋肉モリモリな男性だらけです。

 

 その多くが、腕を撃たれたり片目を失ったりして前線に居られなくなった元歩兵です。

 

 そんな場所に動けなくなった女性兵士が放り込まれたら、そりゃあセクハラの嵐となるでしょう。

 

「女性だらけの輸送部隊とか無いの?」

「ありますけど、本当に女性だけですからね。力仕事なんてお願いできませんよ」

 

 一方で女性のみで構成された輜重兵も存在してはいます。

 

 

 それは、炊事洗濯などを行う『洗濯兵』などと呼ばれる人たちです。

 

 洗濯兵は毎日毎日、手作業で洗濯を行って兵士達に清潔な軍服を支給してくれる役割です。

 

「むしろ、その洗濯兵さんこそ輸送されてんじゃないかな。洗濯兵も新米だらけでしょ」

「一応、体力自慢を集めたとは聞いたけど……。女性メインの部隊はキツいだろうね」

「あまりに脱落者が多いと、進軍速度を落とすことになります。到着が遅れると南部軍に迷惑をかけちゃいますので、頑張ってついていきましょう」

 

 そんな感じにレンヴェル少佐は、過酷な進軍になる事を見越して我々に歩兵訓練を課したそうです。

 

「うええええーン」

「頑張ってください、ラキャさん」

 

 おそらく、これからはこの進軍速度が日常となるのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 この時の我々の1日当たりの進軍速度は、10km強でした。

 

 10kmと聞くと大した移動距離ではないように感じますが、重装備を背負った状態で整備されていない道を歩かされれば物凄い疲労になります。

 

「さて皆さん、今からが本番ですよ」

 

 周囲が暗くなり、進軍が停止され休養の許可が下りた頃。

 

 マシュデールでの撤退戦を経験している自分には余裕がありましたが、衛生小隊の皆さんは大半がバテて倒れこんでしまいました。

 

「はぁ、はぁ。まだ何かすることがあるのかい、小さな小隊長」

「ええ」

「……また、座学ぅ……?」

「いえ、仕事です」

 

 今から歩兵の皆さんは、明日の進軍に備えて寝床を確保し休養するのでしょう。

 

 周囲では夜営の為に火を起こしている者、小隊長のテント付近に穴を掘って簡易の寝床を作る者など、色々な兵士が散見されました。

 

 ほぼ全員、休養を取る態勢に入っています。

 

 しかし、部隊の進軍が停止して野営の準備を始めた今こそ、我々の仕事は始まるのです。

 

「日中に連絡を受けていたのですが。転倒して足を負傷した歩兵が1人と、倒れこんで嘔吐をしているらしい洗濯兵さんが1人、診察を受けに運ばれてきます。各自、治療の準備を開始してください」

「……わーお」

「今日は戦闘が無かったのでこの人数ですが、もし敵と接触があればもっと大量の負傷者が押しよせます。そうなれば、このまま徹夜で治療しないといけません。この程度でヘバっている余裕はないですよ」

 

 そう。我々はただ、マラソンする為に先行部隊に配属されたのではありません。

 

 軍全体の負傷者を治療するため、ここに居るのです。

 

「よし、頑張ろうか。エルマ、点滴の準備を」

「……私に命令しないで」

「今から……仕事……?」

「あは、ははは。さすがの私も、ちょっと後悔してきたぞ」

 

 衛生部の仕事は忙しいですが、その代わりに安全な位置に配備して貰ったりと優遇されている部分も多くあります。

 

 なので、我々は仕事で応えねばならないのです。

 

「ふむ、了解です。皆さん、患者さんを2名追加だそうです。指導の際の激しい体罰で、歯が折れた兵士が診察を希望している様です」

「……えぇ?」

「この体罰指導を行った上官には、あとで抗議文を出しておきましょう。では、今日はアルノマさんとラキャさんに最初から問診を行ってもらいます」

 

 さて、今夜もそれなりの数の負傷者が送られてきそうです。

 

 負傷者の数が少ないうちに、新米二人をしっかり育てていきましょう。

 

「……こら、点滴の針を手で触ったでしょう。そんな不潔な管理をどこで習ったの」

「すみません、エルマ看護長!」

「秘薬は、秘薬はーっと」

「ケイルさん、今日は使わないでおきましょう。在庫に限りがあるので、節約していくべきです」

「あ、すまない。前の時の癖でね」

 

 衛生部の仕事は、決して楽なものではありません。

 

 何なら、命の危険がないだけで全部隊で最も過酷な労働環境と思われます。

 

 こんな毎日を過ごす中で、少しづつ体力を付けていってくれると助かるのですが。

 

「……本当に騙された」

「……ふぅ。愚痴っても仕方ないさ、行こうラキャ君」

 

 こうして。

 

 出陣して初日は、初めての進軍で慣れない人が多かったのか負傷者がそこそこの数やってきました。

 

 その大半が上官からの暴行だったりします。そんな必要のない負傷のせいで、自分達衛生小隊は夜遅くまで仕事を続ける羽目になったのでした。

 

「……少しは加減して、ケガしないように殴るとかできないのかね」

「あー、もう、無理ぃ……。シャワー浴びてあったかいお布団にくるまりたーい……」

 

 新人さんたちの眼の光がどんどん消えていくその様子が、半年前の自分を見ているようでほっこりした気分になりました。

 

 



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49話

 オースティン軍アリア大隊所属、トウリ衛生小隊の朝は早いです。

 

 歩兵がブリーフィングする時間に合わせて進軍を開始できるよう、その30分前から備品のチェックを始めねばなりません。

 

 衛生部は管理する物品が多いので、歩兵より早起きして確認する必要があるのです。

 

「おはようございます、起床時刻です。では、備品のチェックから始めましょう」

「あの、夜に患者さん来たせいで3時間しか寝てないんですけど」

「それは素晴らしい。そんなに眠れるなんて、ラッキーでしたね」

 

 しかも日中は進軍で時間を取られる為、我々の診療時間は夜間に限られます。

 

 昼間は走って、夜は仕事。そんな日々をこれから毎日過ごすことになります。

 

 必然的に、我々は慢性的な睡眠不足に晒されることになるでしょう。

 

「頭がぼーっとするわ……」

「ラキャさん。睡眠不足を無難に乗り切るコツは、イライラしないよう自分を冷静に客観視する事です。3徹したあたりから、どんな温厚な人でも人格変わりますので。人間関係のトラブルを避けるためにも、自分の言動をメタ的に認知して────」

「睡眠不足を解消するって考えはないんですか」

「衛生兵ですよ? 眠っている暇があるとお思いですか」

 

 昨晩はまだ敵と接触していないからか、3時間も眠れたラッキーデーなのですが。

 

 ラキャさんたちにとっては、夜間に起こされるだけでもかなり辛いようです。

 

「安心してください。慣れます、本当に」

「……」

 

 もう少し人手があれば、当直を交代制にしたりして休養日を確保出来ると思われるのですが……。

 

 現状、まともな戦力が自分とケイルさんしかいません。

 

 指導役と実務役が1人づつしかいない以上、交代で休養を取れるようになるのはラキャさんやアルノマさんが戦力になってからになるでしょう。

 

「さぁ、今日も頑張って移動しましょう。忘れ物はないですか」

「はーいぃ」

 

 今はまだ、焦る必要はありません。

 

 新兵は少しづつ、正しい方向に成長していけば良いのです。

 

 そしてゆくゆくは、戦争が始まって負傷者が山のように運ばれてくるようになった折、この2人にも奮戦して貰いましょう。

 

 

 

 

「……おお、砦が見えてきた」

 

 

 

 

 首都を出発して、2日目の夕方。

 

 苔の生えた岩造りの、山の間を覆うように建築された砦が我々の前に現れました。

 

 マシュデールからの撤退の際、ガーバック小隊長が殿を務めた砦───ムソン砦です。

 

「あの砦の再占領が、我々の最初の戦術目標です」

「……え、じゃあ今日は戦闘が起こるの?」

「その可能性もありますが……、かなり低いでしょう」

 

 ムソン砦が敵の占領下にある状態は、首都に王手をかけられている状態に等しいです。

 

 この遠征の最初の戦術目標は、そのムソン砦の奪還でした。

 

 ムソン砦に、ガーバック小隊長のような敵の殿が残っていたら戦闘になるのですが……。

 

 

「……は、了解しました」

「どうしたの? トウリ小隊長」

「先行部隊が、ムソン砦を確保したそうです」

 

 

 ムソン砦に居たサバト兵は全員撤退していたらしく、我々はあっさり最初の目標を達成する事が出来ました。

 

 南部の攻勢が成功したとはいえ、まだまだ敵は優勢を保っています。

 

 こんな敵の本拠地のど真ん中を、命懸けで維持する必要は無いのでしょう。

 

「先行部隊は、このまま前進してムソン砦の周辺を確保するそうです」

「ほう」

「そして我々アリア大隊は、首都から派遣されてくる防衛隊に引き継ぐまで、ムソン砦を占領しろとお達しを受けました」

「つまり?」

「本日は、ここで進軍停止。我々は、ムソン砦で夜を明かすことになりますね」

 

 ムソン砦とウィンまでの距離は、足の速い人なら1日で移動できます。

 

 重装備を背負った我々歩兵部隊ですら、たった2日の強行軍で辿り着けました。

 

 今から通信で首都に防衛隊派遣を要請すれば、明日の朝には引き渡す事が出来るでしょう。

 

「じゃあ、今日は屋根がある場所で寝られるのね。やった」

「ただし、血みどろでしょうけどね。慌てて撤退したサバト軍が清掃や死体の処理をしたと思えないので」

「……へ?」

 

 我々が所属する最後方のアリア大隊には、洗濯兵など非戦闘員が多めです。

 

 そんな我々が屋根のあるムソン砦で一夜を過ごす権利を与えられた、ということはつまり。

 

「要はムソン砦が、清掃しないと寝床に出来る状態ではなかったのでしょう。後方部隊に明け渡されたということは、拠点を占領した先行部隊が寝床にするのを嫌ったという事です」

「えぇ……」

 

 この砦に籠って、サバト軍を迎え撃ったのはあのガーバック小隊長です。

 

 多勢に無勢とはいえ、彼ならばきっと獅子奮迅の抵抗を見せたでしょう。

 

 恐らく、埋葬前の敵味方の死体が山積みされていると予想されます。

 

「そういった耐性のない人は、覚悟を決めて砦に入ってくださいね」

「……」

 

 そう。

 

 つまり、この砦には────

 

 

 

 

『ん、じゃあな』

 

 

 

 

 あの、西部戦線で最強と称されたエースの一人が眠っているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 砦の門を潜ると、最初は思ったより綺麗な状態を保っていました。

 

 しかし、綺麗だったのは首都ウィン側の攻撃を受けていない側面のみ。

 

 奥に進むにつれて砦の壁に激しい損壊が見られ始め、爆発の痕跡や乾ききった血痕がそこら中に目立ち始めます。

 

 兵士の遺体はある程度纏められ、倉庫に放り投げられていました。

 

 壁は崩落し、土と埃が蔓延して、曇った星空が屋根の亀裂から覗けました。

 

「こんなに戦闘って激しいモノなわけ?」

「……きっと、魔法による砲撃を受けたのでしょう。敵は、我々オースティン軍が砦に潜んでいると知り、事前砲撃を選択したのです」

「驚いた。かの勇者イゲルは、魔法で城を更地にしたと聞くが……。この威力を見ると、実際に出来そうだね」

 

 この有様ですとムソン砦は、防衛機能をほぼ失ってしまったと言えるでしょう。

 

 おそらく、今から急ピッチで修理が進められると思われます。

 

「食料庫、武器庫は無事みたいだね」

「地下ですからね。砲撃の影響を受けにくい造りに設計されたのでしょう」

 

 しかし、ごく一部の施設だけは焼け残ってそのまま使用できそうでした。

 

 自分達衛生小隊は、そんな比較的形の残った食料庫を一つ割り当てて貰えました。

 

 衛生部が特別優遇されているから……、という訳ではなく。

 

「私たちは此処を使って寝ていいの」

「ええ、患者さんさえ来なければ」

 

 単に、仕事に使うからです。

 

 今夜、我々はそこを仮の診療所として夜間の救急を行わねばなりません。

 

 ……まぁ戦闘はなかったので、患者が来たとしても体罰を食らった新米兵士くらいでしょうけど。

 

「この倉庫は……、食料庫じゃない? でも食べさししか残ってないわね」

「食べれそうなものは残ってないか?」

「マシュデールからの撤退戦の時、この食料庫から物資はあらかた持ち出しています。ここに残った部隊のための食料は、1日分だけ。おそらく、殆んど余りはないでしょう」

「……よく、死ぬことが分かってて残ったもんよね」

 

 食料庫や武器庫は重要だからか、砦の一番奥深くに配置されていました。

 

 なので、比較的形を保てていたのだと思います。

 

「ダメね。殆んど、空箱ばっかり……。美味しそうなお菓子の」

「最後の晩餐ですから。きっと、美味しいものを残していって貰えたのでしょう」

「……高級な酒瓶もある。死ぬ前に1杯楽しんだのかな」

「どんな気持ちで、これ飲んでたんだろうね。やっぱり、泣いていたのかな」

 

 そんな、食料庫の部屋の隅に投げ捨てられていた酒瓶を、ラキャさんが拾い上げました。

 

 その酒は、自分がよく知っている人物が好んでいた銘柄でした。

 

「……いえ。心底、楽しそうに笑っていたのではないでしょうか」

「トウリ小隊長?」

 

 記憶の片隅にある、ガーバック小隊長の最後の姿が思い出されます。

 

 恐らくその瓶は、別れ際に彼が手に持っていた瓶だと思われます。

 

「……」

 

 そのお酒を飲んでいた小隊長殿の気持ちは分かりませんけれど。

 

 あのときの彼は珍しく、機嫌良さげに顔を赤らめていました。

 

 間違っても泣いたりはしていなかったでしょう。

 

「小さな小隊長。急に目を閉じて、どうしたんだい?」

「いえ、少し黙祷していただけです。ここで散った戦友達に」

「……ああ、成る程」

 

 そう言えばこう言う時に、言うべき言葉がありました。

 

 今は自分が小隊長です。せっかくなので、部隊の皆と共に死者の冥福を祈るとしましょう。

 

「よければ、皆さんも続いてください」

「おっ、なんだい」

「ちょっとした、儀式ですよ」

 

 半年前。

 

 初めてこの文句を聞いた時には、想像だにしていませんでした。

 

「ムソン砦防衛部隊54名の命は、我らの勝利の礎になりました。自分達が今日、この砦を確保できたのは彼らの命の結晶です」

「……」

「勇敢だった我らの戦友に、敬礼」

 

 まさか自分が小隊長として、あのガーバック軍曹へ黙祷して祈る羽目になるなんて。

 

「これで、儀式は終わりです。いつか自分が殉職することがあれば、黙祷くらいはお願いしますね」

「おい、縁起でもないことを」

「……それも、そうですね」

 

 戦争に参加していると、自分の命がどんどん軽くなっていくのを感じます。

 

 明日、敵に遭遇してうっかり死んでしまったとしてもまったく不思議ではないのです。

 

「では、診療に備えて清掃と物品整理を始めましょう。皆さん、よろしくお願いします」

 

 この日は、昨晩よりも患者の数は少なめでした。

 

 新米の皆さんも、砦に残された兵士の遺体の埋葬や黙祷で忙しく、怒られるような真似を出来なかったからでしょう。

 

 あの鮮烈すぎる小隊長の姿を思い出しながら、晩はゆっくりと眠ることが出来ました。

 

 

 ……そして後日、アレンさんから話を聞いたのですが。

 

 ムソン砦で、ガーバック小隊長の遺体は発見されなかったそうです。

 

 しかし、彼だったであろう────サバトの言語で散々に罵倒された落書きまみれの、バラバラの肉片は砦の外門の前に散らばっていたのだとか。

 

 その遺体の残骸は、歩兵達によって丁寧に葬られたそうです。

 

 



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50話

 我々はムソン砦を奪還した後、更に西へと進軍しました。

 

 それは、マシュデール撤退時のルートをそのまま逆行する形でした。

 

「このままいけば、僕達はマシュデールに入ることになりそうだね」

「……市内で一泊くらい出来るかしら」

 

 衛生小隊である自分達に作戦の目的は教えられていませんが、恐らく次の目標はマシュデールの奪還になると思われます。

 

 マシュデールを奪還する事が出来れば、戦略的にも精神的にも意義が非常に大きいからです。

 

 この軍には、マシュデール出身で行き場を失った難民が多く組み込まれています。

 

 故郷を奪還することが出来れば、士気は大きく高まるでしょう。

 

「マシュデールに、敵が籠城してたらどうしようか」

「いよいよ、本格的な戦争が始まる感じ?」

「いえ。その場合は無理をせず、南部軍との合流を待って攻略することになるでしょう。」

 

 小隊メンバーはいよいよ戦争かと、緊張を顔に浮かべました。

 

 しかし、現状の戦力だけでマシュデールにこもったサバト軍を打ち破れるかといえば、まぁ不可能でしょう。

 

 その場合は無理をせず、味方と合流できるのを待つことになると思います。

 

「まぁ恐らく、敵はもうマシュデールを放棄しているでしょうけど」

「そうなの?」

 

 しかし自分は、サバトは撤退していると考えています。

 

 マシュデールはオースティンの中央付近に位置していますので、占領を続けるのであればサバト側から長い補給線を維持せねばなりません。

 

 南部の味方軍により補給路が脅かされている今、サバトも無理して維持しようとはしないでしょう。

 

「じゃあマシュデールの実家の様子を見に行けるかな」

「それは厳しいと思います」

「そっかぁ」

 

 ただ、自分達がマシュデールを再占領しても維持できるほど戦力はありません。

 

 おそらく、敵が居ないのを確認して素通りするだけになると思います。

 

 その間に兵士に自由行動を許せば、火事場泥棒が頻発するだけでなく、町中に残っている魔法罠で甚大な被害が出るでしょう。

 

「まぁでも、故郷の街並みを再び見れるだけでも幸せか」

「そうですね。自分も、余裕があればノエルの様子を確認しに行きたいのですが」

「通り道になってくれたら、様子を見れるかもしれないけど。強行軍中で、わざわざ寄るのは無理だろうね」

 

 同様に、自分がノエルの街を見に行きたいといっても、その要望が通ることはないでしょう。

 

 何せノエルに寄るルートは、西部戦線方面に進むのに遠回りになります。

 

 故郷の無事を確かめるのは、後続の主力軍にお任せするしかなさそうです。

 

 そう言って、自分はケイルさんとため息をついたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……この時の自分は未だ、どうも戦争というものを楽観視していたように思います。

 

 人間の悪意と言うものを、詳しく理解していなかったのかもしれません。

 

 

 戦争ゲームは、あくまでお遊びです。

 

 ゲームなら死体は放っておけば消えますし、瀕死になっても仲間が生きてればボタン一つで復活できます。

 

 西部戦線の塹壕戦では、敵味方どちらも死体を丁寧に埋葬していました。

 

 それは疫病を流行らせないためであり、同時に『自分が死んだとしても、そういう風に扱ってほしい』という願いの表れだったのでしょう。

 

 なので、ご遺体を弄ぶ様な輩なんて滅多にいなかったのです。

 

 

 

 

 しかし村落への侵略においては、話が全く変わります。

 

 侵略側はどんどん奥地に進んでいくので、いちいち埋葬している時間は有りません。

 

 それに勝ち戦なので敵の死体をどう扱ったとしても、自分の身に返ってこないという安心感もあったでしょう。

 

 それが戦後にどのような軋轢を生むかなど、末端の兵士は想像だにしないのです。

 

 

 

 戦争で侵略された場所の様子を見に行くという事が、どれだけ残酷なのか。

 

 サバトの末端兵士の悪意は、どれほど深かったのか。

 

 自分達は、それをここから目の当たりにしていくことになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ムソン砦とマシュデールの間には、しばしば村落が点在していました。

 

 それらの村は、首都とマシュデールを行き来する商人にとって休憩所のような役割を持っていました。

 

 村人たちは農耕や牧畜を行い自給自足をしつつ、旅人からもわずかな収益を得て静かに暮らしていました。

 

 自分の故郷のノエルもそんな小規模な村の一つで、孤児院や教会が併設されたのどかな村でした。

 

 

「……」

「おい」

 

 

 村民達の大半は、首都まで避難していませんでした。

 

 何故なら、地主から田園と牧場を借りてその日暮らしをしていた貧しい村人は、首都に避難したところで生きていく方法がないのです。

 

 金を稼ぐ手段を持たぬ農民たちにとって、田畑は命そのもの。

 

 なので彼らの多くは、自分の村が焼かれないことを祈って、村に留まり生活を続けていました。

 

 自分達オースティン軍が、サバトの侵略を止めてくれることをただ信じて。

 

 

「何だ、これは」

 

 

 ムソン砦を出発して2日。

 

 我々が進む道の途中に、小さな村落がありました。

 

「……」

「どうかしましたか、ラキャさん」

「……私。この村に、来たことあるわ」

 

 野道を進軍していくと、普通は村落を横切ることになります。

 

 それは、道というものは村と村を繋ぐよう敷かれているからです。

 

「芋餅が名産の、活気のある村だった」

「……」

「私は収穫祭の遊覧に、家族で遠出してきたの。母さんの友人がこの村に住んでて、泊めてもらった」

 

 そして我々は、人っ子一人いなくなった村落を横切るような形で、進軍を続けました。

 

 

 

 

 ジトっとした粘っこい風が腐った肉や、道中にまき散らされた獣の糞便の匂いを運んできました。

 

 視界をふさぐほどの羽虫が、そこら中に集まりをなして不快な羽音を響かせて。

 

 けたたましい獣や野鳥の鳴き声が、そこかしこで木霊しています。

 

 

 

「ここは、優しい人がいっぱい暮らしてた、平和な村だった……っ!!」

 

 

 

 村の入り口には、半ば骨の露出した小児の顔が転がっているのが見えました。

 

 身体は獣に食われたのか、ズタズタに引き裂かれていて。

 

 ジョークのつもりなのか、その子供の両眼には、木の枝が突き刺さっていました。

 

「あそこよ、彼処の広場にたくさん屋台が建ってたの」

「……落ち着いてください、ラキャさん」

「だけど今、何があるの。あの広場に、無造作に積まれているものは何?」

「……直視しては駄目です。興奮しないで、ゆっくりと深呼吸してください」

「何でこの村からは! 人の声が一切しないの!?」

 

 サバト兵による虐殺は、常軌を逸したものでした。

 

 女子供であろうと関係なく、虐げて殺して弄んだ形跡がそこら中に残っていました。

 

 そんな、残酷すぎる光景にラキャさんには耐えきれなかったようで。

 

「ここで生活していた人たちは、どうなったっていうのよ!!」

 

 ポロポロと涙をこぼしながら、やがて嗚咽を溢してしゃがみこんでしまいました。

 

 

「ひっ! あの死体、動いてる!」

「違う、蛆だ……。皮膚の下で蠢いて」

 

 裸に剥かれた眼球の無い妙齢の女性が、田んぼに倒れていました。

 

 その肌の一部が不気味に蠢いて、ところどころに肉と蛆が露出していました。

 

「なんだこれ、人間か怪物か!?」

「……水死体です。水を吸ったご遺体は、青く変色して膨れ上がるのです」

 

 水路にプカプカ浮いていた青黒いご遺体は、ガスを内包してパンパンに腫れ上がっていました。

 

 野鳥がその水死体の肉を突ついた瞬間、シューと音を立てて腐った下水のような異臭が噴き出しました。

 

「……ああ」

 

 サバト兵に、村人を生かしておくという考えは全くなかったようで。

 

 村落の民の御遺体と思われるものは、村中に散乱しておりました。

 

「俺達が、負けたから」

 

 錆び付いた鉄の臭いが糞便と腐った血肉の臭いに混ざり、噎せ返るような異臭に耐えかねて、歩兵の多くが口を押さえて歩いていました。

 

 農夫の銃殺死体がそこらの道端に転がされ、鳥が群がっています。

 

 下水路には、誰かの肉と血痕がこびり付いて羽虫がたかっています。

 

「……吊られてる?」

 

 中でも、目を引いたのは。

 

 先ほどラキャさんが指差した中央広場で、大樹に数人の裸の遺体が吊られており、その付近にはサバト語が記された菓子類の袋が乱雑に放り捨てられていました。

 

 遺体にはダーツの様な矢が刺さっていて、その遺体を中心に酒瓶が転がり、破れたシートがいくつか捨てられていました。

 

 おそらく、宴会の後と思われます。

 

「どうして、サバト兵はこんなことが出来るんだ───?」

 

 人間は、兵士は、時にどこまでも残虐になるようです。

 

 今まで苦しめられた憎い敵兵、憎い敵国民だからこそ、どこまでも非道を行っても構わないとタガが外れてしまったのでしょうか。

 

「……」

 

 アルノマさんは、それらの死体を見て一言も発する事もありませんでした。

 

 ただその瞳に轟々と、凄まじい感情を内包しているように見えました。

 

 ケイルさんは平静を保とうとしつつも、顔を真っ青にして今にも倒れそうになっています。

 

 死体など見慣れているハズの看護兵たちの中にも、嘔吐する人までいました。

 

「……行きましょう。モタモタしていると、置いていかれます」

 

 この村で何が行われていたのか。

 

 自分達が敗走したせいで、村人たちはどんな目に遭ったのか。

 

 それをまざまざと見せつけられ、自分は打ちのめされていました。

 

「……」

 

 こんな光景は、西部戦線ですら見たことありませんでした。

 

 あの場所では、勇敢に散った遺体には敵味方問わず最低限に敬意を払い、しっかりと埋葬していました。

 

 人としての最低限のマナーすら失った、サバト兵の蛮行。

 

 ───それが作り出したのは、まさにこの世の地獄でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 自分の小隊は、途中からほぼ無言でした。

 

 いえ、自分達の部隊だけでなく、共に進軍していた部隊からも一切の雑談が聞こえなくなりました。

 

 言葉を失った、という表現が的確です。

 

 普段から衛生兵として、死体を見慣れていた自分ですら激しいショックを受けました。

 

 つい1週間前まで一般の学生だったラキャさんなどにとっては、見るに堪えない光景でしょう。

 

「……」

 

 歩きたくない。

 

 これ以上前に進みたくない。

 

 自分の中にそんな気持ちがフツフツと湧いてきました。

 

 

 マシュデールを通り抜ければ、その先にはノエルの村があります。

 

 自分にとって親のような存在である院長先生や兄弟姉妹である孤児院の皆の遺体が、あのように残酷な扱いを受けている光景を見たとき、果たして自分は平静を保てるでしょうか。

 

 

 いえ、無理です。まず、冷静さを保てるとは思えません。

 

 きっと半狂乱になって、泣き喚いてしまうと思います。

 

「……」

 

 見たくない、進みたくない。

 

 やがて自分は、逆にノエルの村を通りませんように、と祈り始めました。

 

 恐らく通らないから大丈夫、と必死で自分の頭に言い聞かせました。

 

 今の自分には、現実を直視する勇気がなかったのです。

 

 

 

 

 

 

「ここにも、村」

 

 マシュデールまでにいくつも村落を、横切ることになりました。

 

 どの村も、似たり寄ったりの光景でした。

 

「ああ、ご遺体が腐ってきている」

「日にちが経つと、こうなるのでしょう」

 

 ラキャさんなど、一部の若手は大変でした。

 

 夜になると魘されて、汗もびっしょりに目を覚ましてしまうのです。

 

 ただでさえ睡眠時間の少ない衛生兵が、さらに寝不足に追い込まれることになってしまって、日中にバタリと倒れる人もおりました。

 

「リトルボスも、無理せずね」

「いえ、自分は小隊長ですから」

 

 本音を言うと、自分も眠りが浅くなって何度も目が覚めたりしているのですが。

 

 徹夜に慣れきっているおかげで、自分は日中も普通に活動することは出来ました。

 

 ただ疲労は隠せなかったのか、ケイルさんにはかなり心配をかけたように思います。

 

 

 

 

「……マシュデールだ」

 

 そんな、地獄のような光景から目をそらしながら歩くこと、3日。

 

 やがて我々は、いくつもの堡塁に囲まれた城塞都市を再び目にしました。

 

「とうとう、帰ってきた」

 

 オースティンの誇る難攻不落の要塞都市、マシュデール。

 

 戦力差はいかんともしがたく、先日放棄したばかりのオースティン人の精神的支柱。

 

 そんなマシュデール城塞に、レンヴェル軍は再び戻ってきたのです。

 

 

 

 

『マシュデール内に敵影なし』

「はい、了解です」

 

 

 

 

 やはり、マシュデールはもぬけの殻のようでした。

 

 先行部隊が半日掛かりで偵察を終え、安全を確かめた我々は被害なくマシュデールに入ることが出来ました。

 

「リトルボス、上層部は何て言ってる?」

「どうやら、本日は此処で一泊するようです」

「お、本当か」

「マシュデール内の水路が生きているようなので、汚れた軍服を各自洗濯して下さい。ただし、桶を使って水を確保し、汚水を水路に流さないこと」

 

 これ以上前進するとウィンからの補給が追い付かないらしく、また兵士にも休養が必要という事で、この日は休みになりました。

 

 確かに、そろそろ自分の小隊は限界でした。ラキャさん達には一度休憩をとってもらいたかったので助かりました。

 

「自分の家に戻るのは、やっぱりダメ?」

「申し訳ありませんが、それはちょっと」

「あはは、だよね」

 

 歩兵たちは、街道沿いにテントを設営していきました。

 

 民間の家屋への立ち入りは、当然ですが禁止です。

 

 それが自宅であっても、敵が罠を設置していないとも限らないからです。

 

「活動範囲は、偵察兵さんが安全を確認した大通りだけにしてください。それ以外の場所では、罠が残っている可能性があります」

「そりゃあ困る」

「実際、先ほど1名の歩兵が罠を踏んで大火傷したという情報も入ってきました。間もなく搬送されてきますので、治療の準備もしておきましょう」

「あらら」

 

 このマシュデールには、まだそこら中に罠が張り巡らされています。

 

 偵察兵や工作兵の皆さんが解除していってくださっている様子ですが、全ての罠の除去は難しいでしょう。

 

 このように戦争後にも置き土産が多いから、市街戦は嫌われるのです。

 

「でも、マシュデールを確保できたのは大きいね。ここを拠点に、補給路を構築できる」

「そうですね」

 

 本格的な罠の解除は後続に任せるとして、マシュデールを再確保できれば良い拠点になるでしょう。

 

 一部は損壊しているものの、街内には倉庫になりうる建物がたくさん残っています。

 

 被害が大きいとはいえ、輸送の中継拠点として利用するには十分でしょう。

 

「結構、家も荒らされてそうだな。俺の家は大丈夫だろうか」

「……好き放題しやがって」

 

 故郷を荒らされてマシュデール出身者が怒っていますが、マシュデールの状況は途中の村落よりはるかにマシでした。

 

 レンヴェル少佐の大号令で市民の全員が避難していますので、市民の死体は転がっていません。

 

 民も一番大事な財産は持ち出しているので、大したものは略奪されていません。

 

 路傍に積まれた戦友たちの遺体に蠅がたかっていたりするのですが、それでもあの地獄よりはマシです。

 

「……」

 

 いえ。

 

 それは、自分だけの感想ですね。

 

 マシュデールの出身者にとって、この惨状は身を引き裂かれるように辛いのでしょう。

 

 何せ、故郷です。自分にとっては、ノエルの村が荒らされたようなモノです。

 

「リトルボス。診療所の設営場所はどうする?」

「今、使用可能な家屋がないか上層部と交渉中です」

 

 きっと歩兵たちの多くは、今までの景色を見て非常に辛い思いをしていると思います。

 

 だからこそ、自分に出来ることは最大限やっていかねばなりません。

 

「今、連絡が来ました。マシュデール中央病院の、安全確認が完了したそうです。我々は本日、病院で寝泊まりします」

「おっ、良いね。中央病院なら勤務したことあるよ」

「……物資、残ってたら貰っていきましょう」

 

 こうしてマシュデールに帰ってきた自分達は、久しぶりの休養を頂けました。

 

 西部戦線を経験している兵士にとってはまだ全然疲れていないでしょうけど、新米達にとっては進軍するだけで相当な重労働だったのです。

 

 特に、精神的な面でのダメージが非常に大きく、一度落ち着いた場所で休憩できるに越したことはないでしょう。

 

「……はい?」

「ん、どうしたリトルボス」

「……ええ、了解しました。すぐに伺います」

 

 しかし。

 

 こうしてやっと、腰を落ち着けられるハズだった自分の部隊に、一通の連絡が入りました。

 

 それは、衛生兵としての患者の受け入れ要請ではなく、衛生兵長である自分への個人的な要請でした。

 

「すみません、自分は呼び出しを受けましたので指揮権を一時ケイルさんに預けます。各自、このまま中央病院に向かって診療所を設営してください」

「ああ、了解」

 

 その、自分を呼び出してきた相手とは。

 

 

 

『こちらはファリス准尉である。貴殿に個人的な要請があるので、面会を求む』

『了解』

 

 

 

 ラキャさんの友人たちが所属する部隊の隊長にして、典型的な暴力タイプの軍人。

 

 衛生小隊に対尋問訓練を提案した、警戒すべき人物。

 

 ファリス准尉、なのでした。



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51話

「ファリス准尉殿。トウリ衛生兵長です、要請に応じ参上いたしました」

 

 ファリス准尉から呼び出しを受けた自分は、まっすぐ彼に指示された場所へ向かいました。

 

 一応、以前にラキャさんが迷惑をかけた相手ですので、丁寧な対応をした方が良いでしょう。

 

「ご苦労、呼び出してすまんな」

「いえ、お気遣いなく」

 

 ファリス准尉率いる歩兵小隊は、正門よりの大通りにキャンプを設営していました。

 

 彼の小隊の規模は少し大きく、人数にして20名程。

 

 いわゆる、増強歩兵小隊の様でした。

 

「ご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか」

「何、個人的な頼みだ。あまり硬くなる必要はない」

 

 自分が敬礼をして用件をうかがうと、ファリス准尉は曖昧な笑みを浮かべて「まぁ座れ」とジェスチャーしました。

 

 あまり、急ぎの用件ではないのでしょうか。

 

「どうだ、トウリ衛生兵長。コイツはうちの隊の支給品だ、好きなのをつまんでいけ」

「……。いえ、自分は」

「そう遠慮するな」

 

 小隊長格であり准尉の位である彼のテントには、いくつか茶菓子が支給されておりました。

 

 それはファリス准尉の部隊の物であり、自分が勧められたからと言って手を付けて良いものではありません。

 

 そう言って固辞しようとしたのですが、彼は半ば強引に自分の手にクッキーを握らせました。

 

 これは、どういった話をされるのでしょうか。

 

「……その、ファリス准尉殿?」

「ん、まぁ用件というのはコレなのだ」

「コレ、と申しますと」

「本日は、全軍が休養を貰ったからな。部隊間の親睦を深めておこうと、貴小隊を我がファリス小隊の宴席に招待したい」

 

 ファリス准尉はそういうと、背後の歩兵たちを指して話を続けました。

 

 彼の部下の歩兵たちは、何とも言えない顔で自分を見ています。

 

 何となく、彼の言いたいことが分かってきました。

 

「宴席ですか」

「まぁつまり。息を抜いて楽しまんか、衛生兵長」

「……」

 

 この人は自分の小隊に女性が多いのを見越して、飲み会に誘ってきたみたいです。

 

 まさかそんな用件で、衛生兵長を呼び出すとは……。

 

「そんな顔をするな。まぁぶっちゃけると、新米共のメンタルケアだよ」

「と、申しますと」

「途中の村の惨状を見て、何人かが使い物にならなくなっちまった」

「ああ、成程」

 

 ファリス准尉の話によると、彼の部隊の新米もかなりショックを受けたようで。

 

 特に、ラキャさんの友人二人が実家に帰りたいと泣き叫んだ日もあったのだとか。

 

「お前のところの少女衛生兵が、あいつらと仲良かったのを思い出してな。聞けば親友同士らしい」

「そうなのですね」

「だから奴等に飲ませて愚痴らせて、ガス抜き出来たらなと思って呼び出させてもらった。貴様んところのあの女も、それなりにショック受けたんじゃないか?」

 

 その話を聞いて、自分は少し納得しました。

 

 そう言えば、ファリス小隊はラキャさんのご友人が所属していた部隊でしたね。

 

 それで、仲良し同士で話をさせてストレスを解消しようという腹ですか。

 

「確かに。当小隊のラキャも、かなり取り乱しておりました」

「なら決まりだ。どうだ、今からでも───」

「ですが申し訳ありません、当小隊はこれから仕事です。既にいくつか負傷兵が搬入されてくる情報が入っており、しばらくその対応に追われることになります。飲み会をする暇は恐らくないでしょう」

「……そうか」

 

 そういう旨であれば、確かに一考の余地はあるのですが。

 

 残念ながら休暇となれば、今からも軽傷の診察依頼が殺到してくることが予想されます。

 

 おそらく、夜までずっと治療に追われることになるでしょう。

 

 軽傷の方に関してはラキャさんやアルノマさんに投げてみようと思いますので、彼らに抜けてもらうのも困ります。

 

「夕方からでも、何とかならんか」

「厳しいでしょうね。深夜になれば時間が出来ると思いますが、そうなれば部下も流石に睡眠を取りたいでしょう」

「……」

 

 ファリス准尉は当てが外れた、といった表情になりました。

 

 彼は、衛生小隊の労働量をかなり少なく見積もっていたみたいです。

 

 出陣前に、お伝えしたはずなのですが……。

 

 衛生兵の数が少なすぎてヤバいので暴力行為を控えてくださいと。

 

「うーむ、あの小童どもに女をあてがって元気づけてやりたかったが」

「ボランティアで衛生小隊の手伝いをしてくれるなら歓迎しますよ。列の整理や物資運搬、清掃の補助など仕事は山盛りです」

「ふん、何で休養日にまで働かなきゃならん。戦闘行為の無い貴様らと違って、我々は疲労がそのまま生存率に直結する。それは小隊長として許可できん」

「そうですか」

 

 宴席に参加する気が無いことを悟ったのか、ファリス准尉はプイとそっぽを向きました。

 

 そして不機嫌そうにため息をついた後、

 

「時間を取らせて悪かった、仕事に戻れトウリ衛生兵長」

「ご希望に添えず申し訳ありませんでした」

「そのクッキーはやるから、道中で腹に詰めておきな」

 

 そう、自分に退席を促しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ファリス准尉は、女遊びが激しいので有名だ。断って正解だぞ、その誘い」

「そうだったんですか」

 

 その後自分は、当初の予定通りマシュデール中央病院に向かいました。

 

 マシュデール中央病院は、この都市の基幹病院の一つです。

 

 その規模は大きく、3階建ての入院病床までついた大病院でした。

 

「今後もその手の誘いは山ほど来ると思うが、基本乗らなくていい。小隊長の命令で参加させられる宴会など、楽しいはずもない」

「というと」

「部下に息抜きさせたい場合は、休養を与えろ。個人で勝手に飲みに行かせた方が良い」

「成程」

 

 そのマシュデール中央病院に、アリア大尉が視察に来ておりました。

 

 彼女は、自分の様子を見に来てくれたみたいでした。

 

 以前、自分を指導し(ボコっ)た後にフォローに来るタイミングが無かったのを、かなり気にしていたようです。

 

「というかファリスは理由を付けて、衛生部隊の女と仲良くなりたかっただけだろう」

「……」

「マシュデールで重傷者が見捨てられるのを見て、兵士の連中はこう考えたわけだ。衛生兵とねんごろになれば、優先して救ってもらえると」

「……。私情は挟まず、重症度でトリアージを行っていたつもりですが」

「まぁ人間だからな、情に流されることもあろう。少なくとも、兵士はそれを信じている」

 

 成程、その思考は確かに理解できます。

 

 いざ自分が死にそうな目に遭った時、衛生兵と恋仲であれば生存率が上がる。

 

 確かに、現実味のありそうな話です。

 

「まぁ、衛生兵はただでさえ『戦場の天使』だの言われてモテる立場だ。悪い男に騙されんよう注意しておけ」

「はい、大尉殿」

 

 ですがまぁ、少なくとも自分がトリアージする場合は冷静に対応するつもりです。

 

 ……ロドリー君やアレンさんが運ばれてきた時なども、なるべく冷静に。

 

「あと、私情を挟まぬような対策としては、可能な限り知り合いのトリアージはするな。どうしても情がよぎる」

「成程」

「自分の顔見知りが運ばれてきた場合は、他のトリアージ者に判別してもらえ。その方が冷静な判断ができるだろう」

 

 確かに、それが正解かもしれません。

 

 少しでもロドリー君が助かる可能性があれば、普段は見捨てるような重傷でも手当てをしてしまう気がします。

 

 旧ガーバック小隊の面々が運ばれてきた場合は、ケイルさんに判断を任せましょう。

 

「それと、ここからが本題だが」

 

 そんなことを考えていたら、ふとアリア大尉が顔を近づけてきて、自分の耳元で囁きました。

 

 どうやら、今のは話の枕の様です。

 

「何でしょう」

「サバト軍が、まだ割と近い位置にいた痕跡が見つかった」

 

 アリア大尉はそう言うと、静かに目を伏せました。

 

「おそらく撤退中のサバト軍だと思われる、近日中に接敵するかもしれん。心の準備をしておけ」

「……」

 

 自分は、もう敵はマシュデールを放棄して、もっと遠くに撤退していると思いました。

 

 意外にも、敵はすぐ近くに潜んでいたらしいです。

 

「他言無用だ、今の話は部下の誰にも話すな」

「了解です」

「マシュデールで休養を取ったのも、実のところ周囲の索敵に時間をかけたかったからだ」

 

 まだマシュデール付近に潜伏していたなんて、敵の目的は何でしょうか。

 

 追撃部隊である我々の偵察とかでしょうか。

 

「父上は、奇襲を警戒しておられる。戦闘開始になる可能性、十分に考慮しておけ」

「はい、アリア大尉」

 

 あるいは、レンヴェル少佐が警戒している通り奇襲を受ける可能性もあるのでしょうか。

 

 自分達は、先行部隊が安全を確保した後を進みます。

 

 おそらく、戦闘となっても我々にまで戦火は届かないと思われます。

 

 しかし、負傷兵が山の様に運ばれてきてしまえば、衛生部隊が疲労でパンクしてしまうかもしれません。

 

 本日から、しっかりケイルさんや若手に休養を取ってもらう必要がありますね。

 

「ではな、トウリ。しっかりやれ」

「ありがとうございます、大尉殿」

 

 となると、患者が少ない時間の間は交代制を導入してみますか。

 

 患者の診察速度は落ちますが、その代わりに休憩者が数時間眠れるようになります。

 

 今後接敵する可能性があるなら、体力を蓄えておかないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トウリ衛生小隊としての、初の接敵。

 

 この時の自分はまだ指揮能力など身に着けておらず、小隊長という立場はただ部隊を取りまとめる者という認識しか持っていませんでした。

 

 前もって戦闘に巻き込まれた際のシミュレーションを行い、的確な指示を下せるように訓練を受けておくべきだったと、今でも後悔しています。

 

 

 初めての実戦で、いきなり何もかもうまくできる人は稀です。

 

 殆どの人は何かしら行き届かないところがあって、それを反省し後悔し、少しづつ成長していくのです。

 

 それは自分が新米であった時でもそうでしたし、小隊長となった今でも変わりません。

 

 だからせめて、訓練と言う形で前もって備えておくべきだったのです。

 

 

 初めての小隊長、初めての指揮。

 

 軍人として自分は責任を負うべき立場になったというのに、その自覚を欠いていました。

 

 

 後方で、ただ治療をしていればよい。

 

 何時間も続けて治療し、目の前の患者さんを治して、戦線に復帰させることだけを考えていればいい。

 

 当時の自分は、本気でそんな程度の職務であると信じていました。

 

 それは、末端衛生兵の考えです。指揮される側の甘えです。

 

 指揮官とは、部隊全員の命を預かる責任者です。

 

 自分はソレを、この最初の戦いで思い知らされることになりました。

 

 

 

 それと同時に実は、これはとある人物にとっても初陣でありました。

 

 この時のオースティン軍の殆どが、指揮経験の浅い小隊長で溢れていたのですが。

 

 それと同じように、サバト軍でも初めて前線に出て指揮をふるう人間が1人いたのです。

 

 

 

『そんな作戦は聞いたことがないが』

『そうか、それは良い。なら、敵も想像だにしない作戦だろう』

 

 

 その人物は弱冠15歳にして、サバト軍に歴史上でもまれな大勝利をもたらした人物で。

 

 オースティン軍の若き新星『ベルン』率いる南部軍に苦戦していたサバト軍が、駄目元で指揮官に抜擢してしまった「もう一人の天才」。

 

『南部軍に相対する前哨戦として、まずは老害レンヴェルの首を取っておこう』

 

 後世に史上最低の愚将と揶揄されたシルフ・ノーヴァの、初陣でもあったのです。

 

 この時の彼女は自分達、オースティン中央軍残党に対する迎撃を命じられておりました。

 

 かくして、気温が下がり冬に差し掛かろうとしているこの週に、自分達は久方ぶりに敵兵サバトと相対することになります。

 

 

 そして。

 

 当時は知る由もありませんでしたが、これが自分とシルフ・ノーヴァの最初の邂逅で。

 

 長きにわたる因縁の、その序章でもありました。

 

 

 



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52話

「診療体制の、縮小を行おうと思います」

「おっ?」

 

 アリア大尉からこっそり耳打ちして貰った情報を受け、自分は早速行動を起こしました。

 

 部下の体力を保つために、休養時間を設定する事にしたのです。

 

「現状の負傷兵さんの数なら、おそらく現在の半分の規模の診療体制で間に合うと判断します」

「まぁ、結構空いてる時間もあるもんね」

「小隊の状態を鑑みるに、このまま不眠不休での診療を続けたら脱落者が出そうですので」

 

 本音を言えば徹夜に慣れて貰うのと、少しでも経験を積んでほしいので新米二人には働き続けてもらいたいのですが。

 

 この疲労状態のまま戦闘が発生して、多量の患者さんが搬送されれば地獄を見ることになるでしょう。

 

「そ、それってつまり?」

「時間交代制で、休養を設けます」

「やったぁぁぁ!!!」

 

 休養と聞いて看護兵さんから、歓喜の声が上がりました。

 

 ここの所、毎日パラパラと来る患者さんに深夜まで対応を余儀なくされていました。

 

 そのせいで皆が睡眠不足になっていたので、ちょうど良いタイミングでしょう。

 

「では本日の夕方から前半、後半に分かれて5時間ずつ休養を設定します。飲酒や外出は認めませんが、当直室ベッドを使用して睡眠を取って頂くのは許可します」

「はーい!」

「ではエルマ看護長、看護兵の前後半の振り分けをお願いします。衛生兵は、自分が振り分けます」

 

 具体的な休憩方法に関しては、時間帯を2つに分けて前半、後半と設定しました。

 

 これまでの傾向ですと、日勤である前半の方がやや患者が多くなることが予想されます。

 

 なので、不公平の無いように前半と後半は、日替わりで交代するつもりです。

 

「衛生兵の振り分けは、自分とアルノマさん。ケイルさんとラキャさんでお願いします」

「おや、この間は男同士、女同士で指導医(オーベン)組むって話じゃなかったっけ」

「勤務を分けるとなると、話は変わります。自分とラキャさんで組んでしまうと、男手が必要なときにどちらかを起こさないといけなくなっちゃいます」

「あ、そっか」

 

 チーム分けに関しては、あまり悩む必要が有りませんでした。

 

 自分とケイルさんのどちらかがいないと仕事が回らないので、ここを分けるのは確定です。

 

 後はラキャさんとアルノマさんをどう振り分けるかですが、単純に男手が足りる組み合わせを選びました。

 

 処置の痛みに耐えかねた兵士が暴れたりすると、どうしても男手が必要になるのです。

 

「では、そうですね。今日は前半が自分とアルノマさん、後半がケイルさん達で如何でしょう」

「了解、リトルボス」

「もしも手に負えないくらいの患者さんが来た場合は、応援を求めることがあります。そこは、ご了承ください」

「ああ、勿論」

 

 こうして、我が衛生小隊に初の休養が設けられたのでした。

 

 適切な休養は、部隊の仕事効率を上げてくれます。

 

 きっと、この休養が衛生小隊全体に上手く作用してくれることでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、リトルボス。ちょっと今時間あるかい?」

「ええ、患者さんが途切れていますので。どうかされましたか?」

 

 とまぁ、そんな初めての休憩だったのですが。

 

 いつも通りパラパラと姿を見せた患者も、夕方ごろには足が途絶えました。

 

 なので、交代時間までアルノマさんと歓談しつつ夕食のパンを食べていた折、診察室にケイルさんとラキャさんが姿を見せました。

 

「……ぐす。ぐすん」

「実は、さっきからラキャさんがずっと泣いてるんだ」

 

 部屋に入ってきたお二人を見れば、ラキャさんは目を腫らしてしゃっくりあげていました。

 

 ケイルさんは困った顔でそんなラキャさんを眺めていて、看護兵さんはオロオロとしています。

 

 泣く子の扱いに、苦慮しているようです。

 

「こんな彼女を一人にするのは可哀想でね。ここで、ラキャさんを休ませてやってくれないか」

「……分かりました」

 

 どうやら、ラキャさんはあの村落の光景がとてもショックだった様でした。

 

 道中でも、しばしば深夜にラキャさんの魘された声が聞こえていました。

 

 死体を見慣れている医療従事者ですらキツかったのです。一般人だったラキャさんにはトラウマに近い経験となったでしょう。

 

「駄目なの、トウリ小隊長。布団に入ると、怖いこととか嫌なことばっかり頭に浮かんじゃって……」

「……」

「こんな筈じゃなかったのに。もっと、楽しくてやりがいがある仕事だって聞いてたのに」

 

 彼女はそう言うと、顔を伏せて再び泣き出しました。

 

 ケイルさんもアルノマさんも、どう声をかけていいかと難しい顔をしています。

 

 2人とも子供はいなかったので、思春期ごろの女の子の扱い方は知らないのでしょう。

 

「トウリ小隊長はスゴいよね、私なんかよりよっぽど落ち着いて、心も強くて」

「……その」

「私には隊長みたいに落ち着いて仕事なんて無理よ。聞いてない、こんなの聞いてなかった。怖い、死にたくないぃ……」

「ラキャさん……」

 

 ラキャさんは、聞かされた話と現実とのギャップに苦しんでいるようでした。

 

 自分も徴兵検査の時、軍人から随分と都合の良い話ばかり聞かされた気がします。

 

 確か、

 

「『最後方だから安全な職場で、皆優しく教えてくれるよ』とか、『前線の兵士から女神のように慕われて、時には素敵な異性と恋仲になれるかも』とか、そんな感じの話を聞いていたのに」

「……」

「そんな話がどこにあるっていうのよ!!」

 

 そんな感じの事を、自分も言われましたね。

 

 詐欺以外の何物でもないです。正直どうかと思います。

 

「軍人さんは怖いし、昼間はマラソンだし、夜は体罰被害者の治療でほぼ徹夜だし。村の夢を見るせいで、もう3日も熟睡できてないし……」

「お、落ち着いてラキャさん」

「詐欺よ、こんなの詐欺よ。帰してよ、私をウィンに帰してよぉ!」

 

 やがてラキャさんは堰を切ったように泣き叫びました。ケイルさんが必死になだめますが、落ち着く様子はありません。

 

 これは……、この症状は自分も見たことがあります。

 

 自棄になりかけている新米兵士によく見られる、周囲に暴言を撒き散らし始める状態です。

 

「……」

 

 これは、早く対策しないと行けません。

 

 これが進むと鬱っぽくなって無言になり、ブツブツ言い始めます。

 

 最後には自殺したり逃走したり、殿方ならば軍規を破って婦女暴行に走ったりしてしまいます。

 

「落ち着いてください、ラキャさん。我々はちゃんと負傷兵の方々から、とても感謝されています」

「こんな過酷な労働環境とか知らなかったわよ……!」

 

 自分も宥めようと話しかけたら、ラキャさんは大泣きしながら癇癪を起こしました。

 

 ……ぶっちゃけまだ、全然過酷ではないんですが。

 

 それを言うとラキャさんがヒートアップしそうなので、黙っておきます。

 

「そうですね、とても苦しいと思います。少し前まではただの学生だったラキャさんには、とても耐えきれない仕事量でしょう」

「そう、そうよ!」

「自分だって、慣れるまでは散々に辛い思いをしました。こんな仕事だと知っていれば、志願はしなかったと思います」

「その通りだわ。本当に、大人は嘘ばっかり!」

 

 こういう場合、まずは不満に共感してあげて気持ちを吐き出させてあげましょう。

 

 頭ごなしの否定は、大体状況を悪くしてしまいます。

 

 共感した後に、『だけど~』という形で自分の意見を述べるのです。

 

「ですが、過酷な環境に置かれるのは自分達だけではありません。最前線の歩兵さんたちは、今も命懸けで周辺の偵察を行ってくれています。いつ命を落とすか分からないその環境は、我々よりもっともっと過酷です」

「……」

「そして、もっとも過酷なのは……。サバト軍に侵略されてしまった一般市民の方でしょう。ラキャさん、貴女も見た筈です、あの惨状を」

「……ぅっ、うっ」

「ウィンですら、焼かれる直前だったのです。もう、我々オースティン国民には、安全な場所なんて残されていません」

「……うぅー……」

「今の自分達の周囲は、沢山の歩兵さんたちが守ってくれています。それはとても有難いことです。だからこそ、我々も奮起してこの軍の兵士の為に働かねばなりません」

 

 自分はなるべく、ラキャさんを刺激しないように現状を説明していきました。

 

 無論、皆が今までのようにウィンで平和な学生生活を過ごせたらどれだけ良いでしょうか。

 

 自分だってあの孤児院を卒院した後、平和に旅芸人として生きていけたらどれだけよかったかと妄想することが多々あります。

 

 しかし、現実問題としてサバトは攻めてきています。我々が戦わなければ、首都すら焼かれるのです。

 

 ラキャさんには、逃げても今まで通りの生活は出来ないことを、自覚してもらわなければなりません。

 

「そんなこと言われなくても分かってるわよ……。でもそれにしたって、その、謳い文句に嘘が有りすぎて」

「素敵な異性に出会える可能性だって無いことはないですよ。ほら、ケイルさんもアルノマさんも、素敵な方ではないですか」

「……流石に、年が違いすぎるじゃない」

 

 自分はなるべく笑顔を作って、我が小隊のモテそうな男性陣二人をアピールしました。

 

 話を振られて、お二人が格好いいポーズを取ってくれました。ノリが良いですね。

 

「ケイルさんは、そんなに年が離れてなかった気がしますが」

「20代前半でしたっけ。いや、それでも結構な差じゃない?」

「えー、まだ若いつもりだよ?」

 

 少し、ラキャさんの表情が柔らかくなりました。このまま、恋の話題を続けてみましょうか。

 

 この年頃の女の子には、恋の話を振っておけば大体話が弾むのです。

 

 自分はかつて孤児院で同年代の女子に囲まれ、そう学びました。 

 

「別にこの部隊に限らずとも、他の部隊に目をやれば年の近い男性だって居るでしょう。自分だってデートする相手居ますよ、別の部隊に」

「えっ」

 

 嘘は言っていません。

 

 『デート』という単語に、ラキャさんがかなり食いつきましたね。

 

 このまま話題を変えて、気を逸らしてしまいましょう。

 

「スゴく気になる話が出てきたわ。え、トウリ小隊長、彼氏いたの?」

「残念ながらまだ恋仲ではないですね。仲の良い異性と言うだけで」

「どんな人か聞いても良い?」

「この軍で出会った、年の近い男の子です。これがなかなかに優しくて頼りになる方で」

 

 やはりこの年頃の女の子は、彼氏の話に非常に食い付きが良いです。

 

 ロドリー君とはそう言うのではないのですが、せっかくなので利用させてもらいましょう。

 

「そういうラキャさんだって、ずいぶんと仲の良い殿方が二人ほど居たようですが」

「へ? あー、いや、アイツらはそう言うのじゃなくて」

「あの二人、ラキャさんを庇って前に出ていましたね。向こうからの感情は有るんじゃないですか?」

「いや、だから!」

 

 興味のある話題になったからか、はたまた本当に恋人が出来る可能性にテンションが上がったのか。

 

 ラキャさんは少しずつ、饒舌に会話をし始めました。

 

「本当に、ただの友達で」

「ではラキャさん、お二人について話して頂けますか?」

「お、僕も興味があるな。若い娘の恋愛模様」

「小さな小隊長の方の話も、是非聞きたいけどね」

 

 大人2人は空気を読んだのか、そのまま話に乗っかってきてくれました。

 

 ラキャさんは先程までの泣きっ面はどこやら、顔を赤くして怒っています。

 

 誰だって、完璧に感情をコントロールするのは難しいです。

 

 だから誰かと話をして、愚痴を思いっきり吐き出して、そして心を守るのです。

 

「何で私ばっかり! トウリ小隊長から先にしてよ!」

「……えぇ、まぁ構いませんけど。あまり面白くはないんですよ、自分のは」

 

 男性兵士は下品なジョークを使ってリラックスしますが、女性兵士は恋愛話でストレスを解消する様です。

 

 そういえば、野戦病院でも女性衛生兵は不倫だの婚活だのの話で盛り上がっていましたっけ。

 

 ラキャさんも、立派な女性衛生兵としての1歩を踏み出したということでしょうか。

 

「……もぉーっと、面白い話もあるわよぉ?」

「おや、エルマさん」

 

 こうして、マシュデールでの一夜は静かに更けていきました。

 

 完全休養日だからか、体罰を受けて重傷を負った人の数は少なく。

 

 この日、自分達は久々にゆったりとした1日を過ごせました。

 

「げぇっ、エルマ!」 

「……これは、ある若い男癒者の話なんだけどね」

「ちょっと待て、その話は……!!」

 

 この1日の休養日を使って、前線では大規模な索敵が行われた様ですが……。

 

 結果は空振り。潜伏している敵部隊の気配はなく、奇襲を受ける可能性は低いとのことでした。

 

 そして、アリアさんの言っていた『敵がいた痕跡』と言うのは、我々を監視していた偵察部隊だったのだろうという結論に至りました。

 

「えぇ? それは、ヤバいでしょ」

「信じられないでしょう? 本当にやりやがったの、その男」

「……なぁエルマ、申し開きをさせてくれないか?」

 

 この索敵の際に、重点的に調べていたのは我々の進行方向の森です。

 

 我々は平野を西に進み、南部軍と合流する予定を立てておりました。

 

 

 マシュデールから西部戦線にかけては、平野と森林が広がっています。

 

 自分がガーバック小隊長に率いられ、撤退したあの思い出の深い森です。

 

 平野は遮蔽物なく見渡せるので、索敵は必要ありません。

 

 なので、レンヴェル少佐は森林の索敵を重点的に行っていました。

 

 

「当時の僕はまだ、その、色々と旺盛な時期で」

「……だからって」

「言い訳は男らしくないわよ」

 

 

 ただ、一つ反省点を列挙するのであれば。

 

 味方の索敵が不十分だったとは思いませんけれど、『周辺の平野がどんな地形をしていたか』くらいは調べておくべきだったと思います。

 

 強行軍の最中であり時間に余裕がなく、かつ地元の民がほぼ皆殺しにされていて聞き込みが行える状況ではなかったのが、我々にとっての不幸でした。

 

 平野には見渡せる様に見えて、我々の進路からは死角になっていた部分もあったのです。

 

「大丈夫です、ケイルさん。自分は結構チャラい人も好みです」

「……」

 

 かくして。

 

 マシュデールを出立してまもなく、自分達はサバト軍から奇襲を受けることになるのですが。

 

「……小隊長の好みが分からないわ」

「表面だけの男はだめよー?」

 

 この時はそんな未来に気付くことなく、自分達衛生小隊は平和なガールズトークに興じていたのでした。

 

 

「まぁ、若気の至りだねケイル副隊長。私も以前はそれなりにヤンチャだったよ」

「分かってくれるかアルノマさん」

「浮気はしたことないけどね」

 

 

 そして3人を同時に恋人にしていた事実が発覚したケイルさんは、3等性欲兵とあだ名される事になりました。

 

 自分は前世が男だったからか「むしろ、よくやったなぁ」という感心が大きかったのですが、ケイルさんは部隊の女性陣からの評価が大きく下がりました。

 

 浮気はいけません。



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53話

 マシュデールでの1日休養の後、我々は西へと進軍を再開しました。

 

 聞けば南部軍は、破竹の勢いでサバトの補給線を破壊し北上しているそうです。

 

 その進軍速度は想定より早く、このままだと南部軍との合流が間に合わない可能性が有ったのだとか。

 

 味方が思った以上に優勢だったせいで、機を逃すことの無いようレンヴェル少佐も少し急いでいたのでしょう。

 

「今夜は、この辺りにテントを設置しましょう」

「はーい」

 

 休養日明けのこの日、小隊メンバーに元気がありました。

 

 かくいう自分も、ぐっすり眠ることができたので調子が良かったのを覚えています。

 

 こうして元気いっぱいな我々は、マシュデールから10㎞ほど西に進んだ平野で、簡易診療所のテントを設営していました。

 

「……」

「どうかした、トウリ小隊長?」

 

 この夜、レンヴェル軍が野宿の場所として選んだのは、ノエルより北の平野でした。

 

 オースティン軍は自分の故郷、ノエルを通過しなかったのです。

 

 ノエルは別に、大きな町と町を繋ぐ中継拠点として設置された村ではありません。

 

 だから、ノエルを通ると遠回りになるのです。

 

「……いえ。何も、何でもないです」

「そう」

 

 実はノエルを通らないと分かった時、自分は心底ホッとしていました。

 

 もしノエルに、今まで見てきた村のような残酷な光景が広がっていた時に、自分が平静を保てるか自信が無かったからです。

 

 自分は、まだ感情を御せない事が多いです。

 

 ですが、今までのように誰かに甘えることはできません。

 

 今の自分は、最年少とはいえ指揮官です。

 

 ただでさえ舐められやすいのに、取り乱したりなんてすれば完全に子ども扱いされるでしょう。

 

 それではいざという時に、皆が命令に従ってくれるか分かりません。

 

 だから自分は指揮官として、精神的にも成長していかねばならないのです。

 

 もう、自分が取り乱した時にぶん殴ってくださったガーバック軍曹は居ませんので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「患者さん来ませんね」

「良い事さ、小さな小隊長」

 

 この日も我々は、交代休憩制を導入していました。

 

 前半はパラパラと風邪を引いた兵士だったりが受診してきたのですが、後半である自分とアルノマさんの受け持ち時間になる頃には患者が途絶えておりました。

 

 なので今は、ラキャさんとケイル3等性欲兵には休んでいただき、アルノマさんと二人で歓談していました。

 

「コーヒーをもう一杯、飲むかい?」

「はい、アルノマさん」

 

 自分は親睦を深めるため、アルノマさんの生い立ちを聞きました。

 

 アルノマさんは、俳優をやる前には旅人として世界を回っていたそうです。

 

 その時に様々な地域での文化や伝承を知って、その旅で得た感動を皆と共有するべく俳優になったのだとか。

 

「この戦争が終わった後、また兵士をやめて俳優に戻るつもりだ。次の演目は、激しい戦争を生き抜く青年衛生兵の話にしようと思ってる」

「それは素晴らしいです、生きていれば是非見に行かせていただきます」

「生き残るさ。何せこの部隊には私がいる」

 

 そういってアルノマさんは、自分にウインクをしました。

 

「それはどういう意味ですか?」

「主人公の周囲の登場人物は、神様から守られるものなのさ」

 

 最初は不思議なことを言うものだ、と思いましたが。

 

 どうやらアルノマさんは、「この世界の主人公は私だ」と思っているようです。

 

 だから自分の周囲の人々は守るし、守られるのだと言い切りました。

 

 

「……それは、舞台の上の話でしょう?」

「現実を舞台にして何が悪いのさ」

 

 

 ただそれは、決して彼が主人公願望の強い勘違いさんというだけではなさそうです。

 

 それはどちらかと言えば、彼の願望というより「戒め」であるらしく。

 

 アルノマさんは自分の人生を演劇に見立て、その主人公として恥ずかしくない行動をとろうという考えを持って行動している人の様です。

 

「私の人生の主役は私に決まっている。君の人生の主役は君だろう?」

「……その通りです」

「だったら、君は主役としてどう行動するべきか。楽な方へ、自堕落な方へと考えが歪み、主人公らしくない行動をしてはいないだろうか。そう、省みるのが重要だと思うのさ」

 

 自分が世界の主人公なのだから、妥協した生き方は出来ない。

 

 その考え方がアルノマさんの根底にあるので、どんなに辛い選択肢であっても「それを選ぶのが主人公だ」と努力し続けたそうです。

 

「だから、私はいつも魅力的であろうと思っている。主人公に魅力のない劇など、つまらないじゃないか」

 

 彼のその生き方は少しエキセントリックですが、尊敬できる所も多いと感じました。

 

 アルノマさんの高い自信は、彼が積み上げてきた努力に裏打ちされているからです。

 

 何をするにしても一生懸命なアルノマさんは、きっとこれからも成功し続けるでしょう。

 

 ……それが戦争のない、平和な世界なら。

 

「アルノマさん。貴方のその高潔な精神には敬意を表します」

「ありがとう」

「ですが、1つだけお願いがあります」

「……何だい?」

「間違っても、自分は何でも出来ると思い込まないでください。いざというときは他人を見捨ててでも、自らの命を大事にしてください」

 

 自分はこの話を聞いた時、アルノマさんに一抹の不安を感じてました。

 

 その、高い志と主人公願望から、

 

「自分は、他人を庇って死んでしまった人を沢山知っていますので」

 

 何となく彼がサルサ君のように、誰かを救うために無茶をしてしまうような予感がしたのです。

 

「……うん、気を付けるよ」

「お願いしますね」

 

 だから自分は、しっかり念を押しておきました。

 

 アルノマさんは、自分の大切な仲間です。

 

 くれぐれも無謀な行動をして、命を落としてしまう事のないよう注意しましょう。

 

 

 

 

 

 

「今日はもう、来なさそうですね。いったん、休みますか」

「そうだね」

 

 深夜、殆どの兵士が寝袋に包まって寝息を立てる時間。

 

 この時間に活動をしていたのは、自分たち衛生小隊の夜勤担当の人員と、一部の寝ずの番の兵士だけでした。

 

「じゃあ、寝る準備をしましょうか」

 

 自分たち衛生兵がテントを建てた場所は、レンヴェル軍の最後方で、周囲をヴェルディ中隊に固めてもらっている安全な場所です。

 

 自分たちのみならず、非戦闘員の多く所属する部隊の多くがこの最後方に配置されていました。

 

 それを、敵も予想していたのでしょう。

 

「……ん? なんだか、外が騒がしいような」

「何かあったのでしょうか」

 

 時刻は、深夜2時。一部の兵士が松明を持って巡回している以外に、一切の光源のない闇に包まれた平野に。

 

「爆音? 誰か罠でも踏んだか……?」

「いえ、これは砲撃です! みんな目を覚ましてください、敵襲です!」

 

 何度も西部戦線で聞かされた、大地をえぐる魔法攻撃の音が鳴り響いたのです。

 

 自分は即座にテントの外に駆け出して、その夜の空から降り注ぐ炎の雨を確認しました。

 

 それは丁度、自分達が居る場所へと降り注いできていました。

 

 

「総員、退避を!! 敵の砲撃の射程外に移動してください!!」

 

 

 自分は即座に声を張り上げて、部隊全員を起こしました。

 

 この時、敵が奇襲先として選んだのは我々アリア大隊でした。

 

 恐らくサバトの指揮官は、レンヴェル軍にとって命綱である補給部隊や衛生部隊は最後方であるアリア大隊に配置されていると読んだのでしょう。

 

「これは……、これが砲撃!?」

「いやぁぁぁぁ!? 死んじゃうぅぅ!」

 

 この的確すぎる奇襲攻撃で、寝起きの我々は大混乱に陥りました。

 

 夜の闇のせいで逃げる先すらわからず、右往左往した兵士たちが次々に焼き殺されていきました。

 

 

 周囲は厳重に偵察されていたはずなのに、突如奇襲をかけてきたこのサバト軍は一体どこに潜んでいたのでしょうか。

 

 実はこの時、シルフ率いるサバト軍は堂々と平野の起伏に潜んでいたのです。

 

 ノエルの付近に、丘がありました。

 

 その丘は起伏がかなり急で、その陰に兵士を中隊規模で伏せる事が出来ました。

 

 ノエルの民にとって馴染みの深い『蒲公英(タンポポ)の丘』と呼ばれる観光スポットで、その丘から見下ろす野原が美しいとされていた有名な場所なのですが……。

 

 この近辺に詳しい者でないと蒲公英の丘なんて知りませんし、丘の裏に深い窪みがあると一目で気付けないのです。

 

 蒲公英の丘の地形と我々の進軍予想経路を見て、シルフ・ノーヴァはここに兵を伏せる事を提案したそうです。

 

 この場所は偵察兵が丘を登ればすぐにバレますし、逆に丘の上から銃撃されるリスクが高いので、シルフ以外の指揮官は猛反対したのですが……。

 

 シルフの「大丈夫、どうせオースティン人は馬鹿ばかりだ」の一言により、強引にこの作戦は決行されたのでした。

 

 恐らくシルフは、我々が蒲公英の丘付近を通過しないことを読みきっていたのでしょう。

 

 

「みんな起きろ! 今すぐここから脱出するぞ!」

 

 

 アルノマさんが怒鳴り声をあげ、慌てて自らの装備を背負っている間。

 

 自分は降り注ぐ砲撃魔法の雨を観察し、その砲撃方向を割り出しました。

 

「南西です、南西の方角から敵は撃ってきています」

「……各員、後退せよ!! 敵から距離を取ってください!」

「北に逃げろぉぉ!!」

 

 やがて暗闇の中から、ヴェルディさんの声が響いてきました。

 

 素早く撤退命令を出してくれたので、これで堂々と後退できます。

 

「全員撤退、方向は北西を目指してください。駆け足!」

「あひゃぁあああ! もう何よ、何なのよぉ!」

「寝起きの方は、荷物を捨て置いて構いません。ラキャさん、急いで!」

 

 自分は小隊の全員が起きたのを確認し、先導するように走り出しました。

 

 寝ぼけて方角を間違えて逆走する人が居ないようにです。

 

 しかし、

 

「……オーディさん、何をしているんです!」

「す、す、すいませーん! こ、腰が、抜けて」

 

 衛生小隊の全員が走り出せたわけではありませんでした。

 

 看護兵のオーディさんが、尻餅をついたままパニックを起こし、立ち上がれなくなってしまったようです。

 

 このままでは、オーディさんは爆死してしまいます。

 

 

 ───今から背負いに戻る? いえ、それは自殺行為です。

 

 ───このまま見捨てたらオーディさんは、おそらく助かりません。

 

 ───まずは、落ち着いてもらう様に声掛けを……

 

 

 自分は、その一瞬でオーディさんを助ける方法を色々と考えました。

 

 しかし結局、有効な手段は思い浮かびません。

 

 その考え込んだ数秒間、自分が黙り込んでしまったことがマズかったのでしょう。

 

 

「あーもう、しょうがないわね!」

 

 

 自分が何も言わぬうち。

 

 気づけばラキャさんが一人で逆走して、オーディさんを背負いに行ってしまったのです。

 

 

「な───何をやって」

「ほらオーディさん立ち上がって! 走るわよ!」

 

 

 止める暇はありませんでした。

 

 いえ、止めようとすれば止めれたのかもしれませんが、自分が混乱のあまり指示を出せなかったのです。

 

「大丈夫、あんなに辛い思いをして走らされてきたじゃない」

「あ、ありがとう、ラキャ」

「良いから、走るわよ」

 

 オーディさんは涙声で、ラキャさんに感謝を伝えました。

 

 そして、ラキャさんは看護兵に手を貸して立ち上がらせた直後、

 

 

 

「……え?」

 

 

 

 突如、地面から沸き起こった爆炎に包まれて火達磨になったラキャさん達は、蹴っ飛ばされた空き缶のように暗闇内に転がって消えました。

 

 ───ジュウジュウと、肉が焼ける音を鳴らしながら。

 

 

 

 

 

「あ、ら、ラキャ君───」

「走って!!」

 

 

 自分がようやく立ち直り、張り上げた指示はただ走れというだけでした。

 

「ああなりたくなければ、走ってください」

「ひぃ……!!」

 

 自分は部隊の先陣を切って真っすぐに走り続けました。

 

 夜の闇の中、まだ降り注いでいる敵の砲撃に怯えながら、がむしゃらに走り続けました。

 

「あと100mも走れば射程の外です! 頑張って!」

 

 振り返ると、ラキャさんとオーディ看護兵以外の全員がしっかりついてきてくれていました。

 

 全員、死ぬ気で走ってくれているようです。

 

「こっちです衛生小隊、この坂の下に隠れてください!」

「ヴェルディ少尉!」

 

 ヴェルディ少尉は既に周囲の兵士をまとめて撤退し、隠れるのに都合がよさそうな地形を確保していました。

 

 自分は彼の案内に従って、衛生小隊全員を、

 

「トウリ衛生小隊、合流しました」

「よし、私の中隊はトウリ衛生小隊を護衛せよ。周囲の敵を警戒!」

 

 ヴェルディ少尉の下まで撤退させることに成功したのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜襲砲撃の被害は、それなりに大きい様でした。

 

「集まったのは何人ですか」

「120名ほどです」

「……そうですか」

 

 ヴェルディ少尉の率いる歩兵の他に、洗濯兵や輜重兵など非戦闘員を多く含んでの、120名。

 

 それが、無事にあの砲撃からヴェルディ少尉の元に逃げ出せた兵士の総数です。

 

 勿論ですが、待っても待ってもラキャさん達が走ってくることはありませんでした。

 

「ここは、敵の砲撃の射程外みたいですが……」

「敵の魔法兵が前進してきたらヤバいぜ少尉」

 

 敵の砲撃は、まだ続いていました。

 

 自分達の前方では爆発音と共に炎が巻き上がり、平野を穴だらけにしていっています。

 

 ラキャさんの様子を見に戻ることは、不可能でしょう。

 

「どうする、少尉」

「え、えっと……」

 

 ヴェルディさんは額に汗を浮かべて、固まっていました。

 

 と言うのも。今の我々のおかれた状況が、この上なくまずいモノだったからです。

 

 

 そう。敵は、自分達をアリアさん達本隊から分断するように砲撃を仕掛けていました。

 

 

 我々は四方に敵が潜むなか、孤立してしまったのです。

 

「つ、通信は? 通信機はないんですか?」

「あります。ですが、魔力を使うと探知される危険が」

「うっ……」

 

 現在、この場にいる120名で最も地位が高いのは彼です。

 

 ここにいる皆は、ヴェルディさんの指揮で行動するのです。

 

「なあヴェルディ少尉。早いとこ、アリア大隊と合流しましょうや」

「……ファリス准尉」

 

 この場の120名の中に、アレン小隊は居ませんでした。

 

 彼らも犠牲になってしまったのでしょうか。

 

 ……いえ、そう言った事を考えるのは後です。

 

 今はまず、目の前の問題を解決することに全力を出さねばなりません。

 

「敵は南西から撃ってきてる。それで本隊と分断されちまった」

「そうですね」

「だからぐるっと北へ大回りして、敵を避けて合流しましょう」

 

 ヴェルディさんが固まったのを見て、ファリス准尉が助言を出しました。

 

 ヴェルディさんは中隊長とはいえ、指揮官としては新米です。

 

 そんな時、実質的な指揮を階級が下のベテラン兵士が取るのは、軍隊でよく見る光景でした。

 

 

「俺達が先の偵察を行います。少尉は、安全を確認した後に悠々ついてきてくださいや」

 

 

 確かにファリス准尉の提案は妥当です。

 

 敵の砲撃から距離を取りつつ、多少遠回りになろうと友軍との合流を狙う。

 

 

 ……ですが、自分の中の誰かが────ファリス准尉の提案を、ヤバいと叫びました。

 

 北へ進んで逃げるのは一見して正しいように見えますが。

 

 その行動こそ敵の思う壺になるような、そんな予感がします。

 

「確かにそうですね。ではファリス准尉の言う通り、このまま北を迂回して────」

「……その。意見をよろしいでしょうか、ヴェルディ少尉」

「おや。どうかしましたか、トウリちゃん」

 

 この時の自分は、妙に冷静でした。

 

 自分の責任で、ラキャさんとオーディさんを戦死させたのです。

 

 普段であればショックで呆然としていても不思議ではないのに、

 

「北回りは一見安全に見えて、全滅の危険があります」

「……ほう? それはどういう事ですか」

「ええ、ご説明します」

 

 何故か鼓動が早くなり、脳内は何処までも冴え渡っていました。

 

 それはかつてマシュデールでゴムージと二人逃げていた時の様な、感情の高ぶりでした。

 

 

「ヴェルディ少尉。我々は今から砲撃を避け、敵の潜む南西────その方向へ、突っ込んでいくべきです」

 

 

 後に振り返ってみると。

 

 前世の自分は『コレ』が大好きだったから、FPSゲームに没頭していたのでした。

 

 

 いつ殺されるかわからない緊張感。

 

 どう逃げれば助かるのか、どう行動すれば生き残れるのか、それを考えている時の高揚感。

 

 この感覚が好きで堪らなくて、ひたすらFPSゲームをやり込んでいたのです。

 

「……え?」

「自分は正気です、時間がないので手短に説明します」

 

 これだけが、自分の取り柄です。

 

 窮地において、冷静に生存する可能性が高いだろう道を探し当てる。

 

 それは敵を打ち倒せる強者の特技ではなく、死を恐れ逃げる弱者の技術です。

 

 

 この世界で自分は、敵を倒すことなど出来ませんが。

 

 こういった絶体絶命の窮地で、生き残るためにどうすれば良いか考えなさいと言われた時だけ。

 

 ────前世では、世界の誰よりも強かったのですから。



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54話

 

「ヴェルディ中隊が、分断されただと!?」

「敵の奇襲により、連絡が取れなくなったようです」

 

 同時刻、アリア大尉は砲撃音で飛び起きていました。

 

 すぐさま魔法の光が煌めく夜空を見て、敵の夜襲があったことを知ったそうです。

 

「ヴェルディ部隊の大まかな位置も分からんのか」

「……現在、通信を試みているところです」

 

 しかし結局、アリア大尉は何も行動を起こすことが出来ませんでした。

 

 ヴェルディ部隊の所在が分からず、砲撃や銃撃による反撃を行うことが出来なかったのです。

 

 がむしゃらに魔法を撃ち返せば、味方のヴェルディ中隊を誤射する可能性が十分にありました。

 

 彼らを見捨てるにしても、ヴェルディ中隊が護衛しているモノの価値が大きすぎたのです。

 

 武器弾薬の予備や食料、衛生小隊に輜重兵部隊。

 

 それら軍の生命線が、ヴェルディ中隊と共に配置されていたのですから。

 

「ヴェルディからの連絡は? 位置を報告させろ!」

「まだ、通信が出来ません」

「……死んでないだろうな」

 

 ただでさえ夜戦であったせいで、自分の陣地に向かって近づいてくる兵士が敵か味方か分かりにくい状況でした。

 

 そんな状態で部隊を分断され、オースティンはまともな反撃が出来なくなってしまったのです。

 

「……しばし待機だ。父に要請した応援が来るまで、持ちこたえろ」

「了解」

 

 そしてアリア大尉は、応援を呼んだ後で突破口を作る方針を選択しました。

 

 今、暗闇で敵の数は不明ですが、かなりの密度の銃撃が今もアリア大隊に浴びせられているのです。

 

 まずは、目の前の敵を何とかするのが最優先。

 

 ヴェルディ中隊を救おうとアレコレ頭を捻りましたが、結局味方の位置が分からないとどうしようもありません。

 

 かくしてアリア大尉は歯噛みをしながら、好き放題をするサバト軍と睨み合う事しか出来ませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方で、そのころのヴェルディ中隊では。

 

「サバト軍の方針は、包囲作戦であると予想します」

「包囲ですか?」

 

 自分がファリス准尉に睨まれる中、敵が潜んでいるであろう南西に突撃しようという馬鹿な作戦提案の、その内容を説明していました。

 

「敵の砲撃の方向と距離から、恐らく敵は『蒲公英の丘』の背側に隠れていたと予想します」

「『蒲公英の丘』とは、どんな地形ですか」

「平野の中央に隆起した丘です。こちらからは見えにくいですが、裏に大きな崖があって中隊規模でも2~3部隊は隠れられます」

 

 自分は地面に、簡単な地図を描いてヴェルディさんに説明しました。

 

 この丘は割と細長く、南西から北東にかけて伸びています。

 

 背面の崖は高低差があって、崖下にはなだらかな土場があります。

 

 自分が生まれるよりずっと昔に、大きな地震で隆起した丘だと院長先生に教わりました。

 

「恐らく敵はこの丘の南西部から、我々を砲撃したと思われます」

「……なるほど。トウリちゃんはノエル出身でしたね、このあたりの地形には詳しいのですか」

「ええ。ノエルはお散歩くらいしか楽しみの無い、のどかな村ですから」

 

 恐らく、この辺の地形に関してはヴェルディ中隊120名の中で一番自分が詳しい自信があります。

 

 ……ノエル出身者は、おそらく自分だけなので。

 

「そしてこの丘を登る方法ですが、南西と北東のどちらかの坂道を利用すれば通行が可能です。それ以外の場所は、傾斜が急すぎて登るのは困難です」

「……ふむ」

「なので敵が部隊を分けているなら、北東にも布陣している可能性が高いでしょう」

 

 蒲公英の丘を裏から登れる場所は、その2箇所のみです。

 

 あの残酷なサバト兵が、奇襲砲撃だけで満足して逃がしてくれるとは思えません。

 

 北東にも布陣してしっかり囲んで殲滅してくると、そう思われます。

 

「このまま敵が包囲してくると仮定して。一番、包囲が手薄になりそうな場所は何処でしょうか」

「……」

「あわよくば、敵が包囲しないでくれる可能性のある場所は何処でしょうか」

「なるほど。蒲公英の丘を登って、敵の包囲網をやり過ごす案ですか」

 

 敵が蒲公英の丘の上まで、兵士を配置するとは思えません。

 

 我々が、砲撃方向である丘の方に逃げてくるとは考えない筈です。

 

 そもそも丘の裏は急斜面の崖なので、逃げ場がある様に見えないでしょう。

 

 敵はきっと丘の中央部は無視し、平野部で待ち構えている筈です。

 

「この夜の闇です。敵も我々を狙って砲撃できているわけではありません。現に我々が逃げた今も、同じ場所を砲撃し続けています」

「……」

「敵の砲撃が無い場所を伝って、前進するべきです」

 

 自分は、そう言ってヴェルディ少尉に意見を具申しました。

 

 ……後は、ヴェルディさんが自分を信じてくれることを祈るのみです。

 

「危険すぎるし、論外だ。衛生兵長が、作戦に口を挟むな」

「……ファリス准尉」

「トウリ衛生兵長。敵が貴官の読み通りに進んでくるっていう、保証は何処にある?」

 

 ファリス准尉は、自分の意見を聞いてもなお反対の様子でした。

 

 余計な口を挟むな、と言いたげな表情です。

 

「奇襲を受けた場合は変な事をせず、堅実に行動するべきだ少尉」

「ファリス准尉……」

「人は混乱するとパニックになって、理解不能な行動を取りがちだ。奇襲を受けたから、奇襲を受けた方向に進むなんてアホでしょう。そんな女の子の言う事を真に受ける必要はあるまい」

「……自分は方針を提案したまでです。恐らく、今の案が最善であると確信しています」

「さっきの意見には想像や推測が多すぎる。机上の空論としか聞こえない。もっと地に足の着いた提案をすべきだ、衛生兵長」

 

 ファリス准尉は、自分の意見を一蹴しました。

 

 まぁ、確かに色々と推測の混じった意見であることは認めます。

 

「そもそも丘に登った後、どうするつもりだ。逃げ場を失うだけじゃないか」

「それは、お任せください。地元民なら誰でも知っている、丘の下まで一直線の素敵な滑り台がありますので」

「……それは危なくないのか」

「危ないので、小さな子供は使っちゃダメと言われておりました。ですがご安心下さい、見る限り年齢制限に引っかかりそうな兵士はいませんので」

「貴官が大丈夫なら、そうだろうな」

 

 ですが、こういった時の自分の直感は外れたことがありません。

 

 自分は丘を越えて撤退するのが一番安全であるという、この直感を信じます。

 

「北に敵が展開していようと、俺の部隊が偵察すれば安全な進路を割り出せる。奇をてらった作戦など、実戦には必要ない」

「ですから。北には恐らくもう、逃げ場なく敵が包囲してる危険があります」

「だったら、どこか薄い場所を探して一点突破すればいい」

「全員が准尉の様な強兵であれば、それも可能でしょう。しかし残念ながら自分の衛生小隊は、突撃作戦に耐えうるような経験も訓練も積んでおりません」

「それは貴小隊の練度の問題だ、兵士であるなら練度不足を言い訳にするな」

「そのご意見こそ、机上の空論でしょう。実戦である以上は配置されたばかりの新兵の練度を、考慮すべきです」

 

 ここで引いたら、甚大な被害が出る。

 

 自分はそう確信しましたので、ファリス准尉にしつこく食い下がりました。

 

 これ以上、大事な仲間を失うなんて自分には耐えられません。

 

「どうするんです、ヴェルディ少尉」

「……ヴェルディさん」

「うっ……、えっと、えー」

 

 自分とファリス准尉の意見を受け、ヴェルディさんは板挟みにあって目を泳がせていました。

 

 申し訳ないとは思いますが、自分はこれ以上誰かを死なせたくないのです。

 

「方針を決定するのは貴官ですよ、少尉」

「信じてください、ヴェルディさん」

「あーっと、その、どうしようかな」

 

 両隣から声をかけられ、ヴェルディさんは困り顔でしばし沈黙しました。

 

 そして数秒眉を曲げた後、覚悟を決めたのか顔をあげて、

 

「……よし。よし、決めました」

「おっ」

 

 決断を下したのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この時の、ヴェルディさんの決断の根拠はと言えば。

 

「戦場において正しい判断をするためには、情報収集が必須です。情報が多ければ多いほど、正しい判断が出来ます」

「……で?」

「トウリちゃん───、このノエル付近の住民だった彼女は、我々より地形の情報を有しています。となれば、私やファリス准尉よりトウリちゃんの判断の方が正確な可能性が高い」

「ヴェルディさん!」

「トウリ衛生兵長に命じます。我々を先導して、貴官の思い描いた撤退路まで誘導してください」

 

 この真っ暗闇で地形情報が何もない中では、ベテランの軍人であるファリス准尉と言えど勘や推測でしか先導が出来ません。

 

 それならば、地元民である自分の案内で行動したほうが、まだ生存率が高いでしょう。

 

 と、いう判断のようでした。

 

「……少尉のご判断なら従いますがね。だったらせめて、俺の部隊で先行偵察するのは許してもらえますか」

「許可します。ファリス准尉の偵察であれば、安心できます」

「へいへい、お任せを」

 

 ファリス准尉はたいそう不満げな顔で、自分を睨んでいます。

 

 強面なのも相まって、かなり怖かったです。

 

「では、急ぎましょう。ここからはまず、南へまっすぐ森林沿いに移動しようと思います」

 

 しかし、提案を受け入れてもらえたからには全力を尽くすのみです。

 

 砲撃を受けてない道を選んで、この120名を蒲公英の丘まで案内してみせましょう。

 

「そして川に突き当たった後、森の中に入ってから蒲公英の丘へ隠れて移動します」

「よし、分かった」

「はい、おそらく南に進んで10分以内に小川が見えると思います。その地点までの偵察を、お願いします」

 

 しかし、彼こそ戦場で最も頼るべき偵察兵です。

 

 敵に突っ込むだけで良い突撃兵と違って、偵察兵は無尽蔵の体力と視野の広さ、抜け目のなさなど様々な適性を要求される兵科です。

 

 こういった遭遇戦において勝利に大きく貢献するのは、突破力より索敵能力です。

 

 ファリス准尉はアレンさんより軍歴の長いベテラン、存分にその力をお借りするとしましょう。

 

「……安全だ、敵の気配はねぇ。ヴェルディ少尉、上層部と連絡はつきましたかい?」

「いえ、取っていません。通信を行うと、魔力を探知されて位置を特定される可能性がありますので。しばらくは通信を封鎖するつもりです」

「成程。じゃあ、この衛生兵の案内に従うのは確定っすか」

「まだ不満だったんですか……」

 

 ファリス准尉は不満有れど、さすがは軍人です。

 

 新米とはいえ、上官であるヴェルディ少尉の命令にはしっかりと従っていました。

 

「次はどっちだ、衛生兵長」

「……。少し南に寄りすぎてますね、このままだと敵の砲撃拠点にぶつかりそうです。進路をやや北に微調整しましょう」

「なら、こっちか」

 

 ファリス准尉は不満を顔に出せど、仕事は早く丁寧で。

 

 自分が指示した道を、正確に偵察し続けてくださいました。

 

「……この丘が、あんたの言ってた蒲公英の丘ってやつか」

「はい。一面に蒲公英の花が咲いていた、とてもきれいな場所でした」

「確かに、この南に魔導兵が陣取ってやがった。大当たりだ、嬢ちゃん」

 

 ファリス准尉は強面なだけでなく、非常に優秀な方の様で。

 

 彼は敵に見つかることなく、魔導砲兵部隊の位置を特定してくれました。

 

 それだけではなく、

 

「北に200メートルほど進めば、空白地帯がある。そこからなら、丘の頂上を目指せる」

「おお」

 

 後半になると、自分の地形の記憶よりファリス准尉の索敵情報の方が、遥かに有用でした。

 

 これだけの索敵能力を持ってたからこそ、あれだけ自信満々に未知の土地でも方針を示せたのでしょう。

 

 彼の活躍はそれだけにとどまらず。更に、

 

「……ここが、滑り台です。ここから滑れば、丘の下までスムーズに移動できます」

「下が暗くてよく見えねぇな」

「この下に、敵がまだ残っている可能性も……」

「はいはい分かりました、我々偵察兵が先行しますよっと。もし敵兵が居たら、即座に銃撃してぶっ殺すこと。そんでもし下で銃声が響いたら、別のルートを探すとしよう」

「了解、よろしくお願いします。ファリス准尉、ご武運を」

「いや、俺は行かないけど。おい、そうだな、ダッポ。お前が行ってこい」

「えええ!?」

 

 滑り台の先の偵察───、もし敵が潜んでいたらまず助からない死地の偵察も、快く引き受けてくださいました。

 

 まぁ正確には、彼の部下ですけれど。

 

「銃声しないな。よし、次のヤツ行ってこい」

「……」

「何だよ、小隊長が先陣を切るわけねーだろ。誰でも出来そうな威力偵察は、死んでも替えが利くヤツの仕事だ」

 

 結果、幸運にも滑り台の下に敵兵はいませんでした。

 

 敵の包囲をこうして突破出来た後、我々はそのまま戦場を遠回りしてアリア大尉の陣地を目指すことになりました。

 

 敵の砲撃の被害こそ受けたものの、ヴェルディ少尉の元に結集してからは一人も負傷兵を出しておりません。

 

 ……厳密にはラキャさんのご友人の兵士が、キョロキョロと不安そうに自分の衛生小隊を眺めて騒ぎ、ファリス准尉にブン殴られましたが……それだけです。

 

 こうして我々120名は全員、土埃まみれになりながらも安全かつ迅速に、味方との合流に成功したのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日の事を後日、シルフは「煙のように、分断した部隊が消え去ったと報告を受けた。歩兵の怠慢だ。また、他人のせいで私の戦果が露と消えた」と愚痴っておりました。

 

 この撤退行はサバト軍からすれば、手品のように人が消えてしまったとしか見えなかったそうです。

 

 そして、

 

 

 

「アリア大尉、ようやくヴェルディ部隊と連絡が付きました」

「本当か! よし、奴らは今どこにいる。生き残りはどれほどだ!?」

「それが……」

 

 アリア大尉からしても、こうもあっさりヴェルディさんが戻ってくるとは想像だにしていなかったそうで。

 

「殆ど犠牲も出ておらず、間も無く我々の今いるこの拠点へ帰還するそうです」

「は?」

 

 ヴェルディさんが何食わぬ顔でアリア大尉の前に帰還を果たし、度肝を抜かれたそうです。

 

 果たして、撤退が完了するまで通信を封鎖していたヴェルディ中隊は、敵味方とも予想できない瞬間移動を成し遂げ、その戦果を大きく称えられることになったのでした。

 

 この一戦で若き名指揮官ヴェルディの名は、両軍に轟く事になったのです。

 

 



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55話

 

「やってくれたな、ヴェルディ。私は前々から、お前に見所があると思っていたぞ」

 

 敵に分断・包囲されたヴェルディ中隊は、誰からの援護を受けることなく独力で撤退に成功しました。

 

 その戦果はアリア大尉を大いに驚かせ、そして喜ばせたそうです。

 

「……え、あ、どうも光栄です」

「どうした? 歯切れが悪いな、もっと誇れ」

 

 

 ヴェルディさんが撤退に成功させた部隊には、衛生兵など非戦闘員が多く交じっていました。

 

 撤退戦は、非常に難しいです。

 

 熟練の指揮官でも、昨晩のように包囲が完成されかかっていた状況であれば、全滅は必至でしょう。

 

 そんな非常に難しい撤退を、少尉になったばかりの従弟ヴェルディがやってのけたのですから、アリア大尉の喜びはひとしおだったと思われます。

 

「報告の通り、私はトウリちゃんの案内にしたがって脱出しただけですから。今回の功績は、彼女に帰属して……」

「馬鹿言え、立派なお前の手柄だよ」

 

 ヴェルディ少尉は当初、自分に手柄を譲ろうとしたようです。

 

 あの撤退戦の際、道筋を指示したのは自分で、その安全を確認していたのはファリス准尉でした。

 

 そんなヴェルディさんは「部下に任せて何もしていない自分が、功績だけ受け取っていいのか?」と、罪悪感に囚われていたそうです。

 

 ですが、

 

「指揮官の職務は、自分で作戦立案ができればそれに越したことはないが。部下の提案を吟味し、適切に採用するのも大事な仕事だ」

「……」

「お前は、まだ実績も殆どない衛生兵の提案を自己責任で採用し、戦果をあげた。紛れもなく昨晩の撤退劇は、トウリの案を採用したお前の戦果に違いない」

 

 アリア大尉は、自分に戦果を譲る提案を却下しました。

 

 そして昨日の戦果は紛れもなくヴェルディ少尉の功績であったと告げ、

 

 ついでに、『これ以上トウリを昇進(むり)させてどうする』と苦笑したそうです。

 

 

 

 このアリア大尉の判断には助けられました。

 

 当時の自分は、小隊長という立場にいっぱいいっぱいでした。

 

 しかもこの時はラキャさんの件で打ちひしがれており、表彰を受けられるような精神の余裕は有りませんでした。

 

「トウリへの褒章は、地位ではない何かを考えよう。今回の戦功はお前が受け取っておけ、ヴェルディ」

「了解です、従姉上(あねうえ)

 

 結局、この撤退戦の功績の殆どはヴェルディさんに帰属することとなります。

 

 それによりヴェルディさんは中尉に昇格となり、勲章を授与されることになったのだとか。

 

 ヴェルディさんは『また新しく仕事を覚えないといけないのか』と苦い顔をしたそうです。

 

 

 実際、本作戦におけるヴェルディさんの功績はとても大きいものでした。

 

 敵に認知されぬまま撤退を成功させた事により、サバト軍は夜闇の中、いる筈のない我々を夜通し探し回ることになりました。

 

 そして夜が明けて太陽の光が平野を照らし始めると、

 

 

「敵の位置を確認した。魔導部隊、反撃せよ!」

「おっしゃぁ!!」

 

 

 アリア大尉率いる魔導部隊とレンヴェル少佐が回してくださった応援部隊が、サバト軍へお返しの砲撃を撃ち込んだのです。

 

 昨晩の夜襲で魔石を使いきってきたサバトはこれに撃ち返す事ができず、総撤退に追い込まれました。

 

 そして互いに距離を取り、森林や平原の起伏に隠れて睨み合うことになりました。

 

 

 我々はサバトの奇襲砲撃でそれなりの被害を受けましたが、敵も同じくらい被害を受けていると予想されるそうです。

 

 不意打ちの奇襲を食らったのに被害が互角なら、上出来と言う他ありません。

 

 

「敵だ、塹壕を掘れ」

「歩兵の仕事は穴堀りだ!」

 

 

 敵軍の奇襲を受けた後。

 

 我々はマシュデール付近まで後退し、塹壕を作り始めました。

 

 敵を見つけたら、まず塹壕掘り。これが、戦争の基本です。

 

「このまま敵を、釘付けにしてやろう。後方の補給線を、南部軍が切ってくれるまで」

「いや、多分そのうち敵は逃げ出すぞ。追撃のチャンスを逃すな、偵察兵はよく見張っておけ」

 

 マシュデールは首都とかなり近い拠点です。この場所に戦線を構築できれば、オースティンがかなり有利です。

 

 補給線の長さが違いすぎるので、我々は楽に補給を受けることができますが、サバトはその限りではありません。

 

「追撃戦で、サバトに地獄を見せてやる」

 

 そして逃げる敵を追撃する場合、基本的に追撃する側が有利です。

 

 士気が違いますし、背を撃つ方が向かい合って撃ち合うより楽に決まっています。

 

 面倒くさいのは、ちまちま塹壕を構築して隠れつつ、罠を撒かれて撤退されるケースですが……。

 

 その時は、先行部隊が頑張ってくれるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……全身水脹れ、この方はもう助かりませんね。次の方を運んできてください」

「了解です、トウリ小隊長」

 

 そして戦争が始まったと言うことは。

 

 我々衛生兵にとっても、地獄が始まると言うことです。

 

「リトルボス、大丈夫か?」

「ええ、自分は問題ありません。それより、アルノマさんの補助を」

 

 我がトウリ衛生小隊は、命の危機に晒された上に仲間を2名も失い、精神的にも人員的にも大きな被害を受けました。

 

 オーディさんやラキャさんと仲の良かったメンバーはショックが大きく、普段よりミスが目立つようになりました。

 

 

 しかし、患者は決して待ってくれません。

 

 負傷兵は次から次へと、我々の下に運ばれてきます。

 

「リトルボス、昨晩から働きすぎだ。ずっとフラついてるじゃないか」

「いえ、自分はこれくらい慣れっこなので」

「……せめて、秘薬を飲んできたらどうだ? 見てて危なっかしいよ」

 

 そして、普段通りのコンディションを保てていないのは自分も同じようです。

 

 まだ徹夜1日目だと言うのに、眩暈と吐き気で頭がガンガンしています。

 

 これは、精神的なものでしょう。

 

 ラキャさん達を見殺しにしてしまったと言う罪悪感が、自分を苛んでいるのです。

 

「では、薬を取ってきます」

「……」

 

 しかし、今は心の問題で休んでいる場合ではありません。

 

 ケイルさんも奮闘してくれていますが、癒者の手が全然足りないのです。

 

 以前の、マシュデールの前線診療所なら集中治療の必要があれば後方に送るよう指示するだけで良かったのですが。

 

 今回は、助かりそうでかつ治療のコスパの良い患者を選別し、この場で処置をしないと回らないのです。

 

「次の患者はアルノマさんに振ってください」

「……わ、わかった、やってみるさ」

「すぐ戻ってきます。厳しければ泣きついてください」

 

 そう言って、自分はフラフラと歩きながら輸送物資の置いてあるマシュデール内の簡易倉庫へと移動しました。

 

 休んでいる暇はありません、死んでいった二人のため、もっともっと働かないと。

 

 

 

 

 

 

 

 倉庫の中は、真っ暗でした。

 

 秘薬は地面に敷かれたシートの上に並べられており、まだまだ数は残っています。

 

 そのうち一瓶を手につまむと自分は蓋を開けて一気に飲み干しました。

 

 

「ああ、何だか心が軽くなっていく」

 

 

 この薬には、高揚効果があります。

 

 辛いことや苦しいこと、嫌な気分などを一時的に忘れさせてくれるのです。

 

 それは、何と素晴らしいことでしょうか。

 

「……おや」

 

 薬を飲み干すと、頭痛が止まりました。

 

 そしてフワフワとした酩酊の中で、倉庫内にいるある人物と目が合います。

 

「……」

「また、ここに来たのですか」

 

 その少女は無表情に、倉庫の中央に立っていました。

 

 彼女は全身に火傷を負って、ズタズタに軍服を切り裂かれ。

 

 生気の無い真っ白な肌色で、瞳孔の開ききった目を此方に向けています。

 

「……ラキャさん」

 

 そう。

 

 自分はあの日以来、時おり暗闇に彼女の姿が見えるようになったのでした。 

 

 

 

「あれはラキャさんが悪いんですよ。自分の命令を無視するから」

 

 このラキャさんは幻影です。

 

 あの15歳で何もわからぬまま騙されて従軍した少女は、恐らく爆風に巻き込まれて戦死したでしょう。

 

 だから、こんな場所にいるはずがありません。

 

「自分はちゃんと、撤退を指示しましたから。その命令を無視し、オーディさんを背負いにいったのはラキャさんです」

「……」

「命令の遵守の重要性は、何度も説明したでしょう。そんな目で自分を見ないでください」

 

 これは、自分の心の産み出した幻覚です。 

 

 それは理解しているのですが、

 

「……」

 

 ラキャさんは責めるような目を向けたまま、ずっと無表情に自分を睨んでくるのです。

 

 言い訳をしてしまうのも、仕方ないと言えるでしょう。

 

 そうです。

 

 あの一件は、ラキャさんの自己責任。自分の責任ではありません。

 

 そのまま命令の通り、オーディさんを見捨て逃げ出していれば。

 

 オーディさんは殉職したかもしれませんが、ラキャさんだけは助かっていたのに。

 

 そう、彼女が言うことを聞かないから────

 

 

「……」

 

 

 本当に、そうなのでしょうか。

 

 果たして、ラキャさんは命令無視をしたのでしょうか?

 

 いえ、間違いなく命令を無視はしたのですが、その自覚は彼女にあったのでしょうか?

 

 

 ラキャさんは、新米です。

 

 彼女は集合時間すら守れぬ程に、軍隊と言うものを理解していない一般人です。

 

「……もしかして、ラキャさんは」

 

 自分が初めて戦争に参加した頃は、どうだったでしょうか。

 

 サルサ君と二人で、ガーバック小隊長の背中を追いかけて走っていた頃。

 

 空から無数の砲撃が飛んできて、サルサ君が魔法罠で足を負傷した時、自分はどうしたでしょうか。

 

 

 

 命令無視した自覚もなく、サルサ君に駆け寄って助けにいったのはどこの誰?

 

 

 

「……もしかして貴女は、負傷した仲間を助けるのは常識だと思っていて。自分の命令に違反したつもりなど、なかったのですか?」

 

 

 そうです。

 

 サルサ君を助けた時、自分はガーバック小隊長の命令に逆らっているなんて自覚はありませんでした。

 

 他人が危険な場所で動けなくなった、だから助けよう。

 

 そんな、一般人の当たり前の感覚で、行動を起こしました。

 

 

「ああ、それなら理解できます」

 

 

 ラキャさんは心優しい少女です。

 

 心優しいからこそ、回復魔法の素養が発現したのです。

 

 

「その過ちは、自分も犯したことがありました」

 

 

 命令を無視したと言う自覚すらなく、上官の想定と全く違う行動を取ってしまう。

 

 成る程、これが新米が命を落とす理由なんですね。

 

 ラキャさんには、この命令伝達の重要性を先に話して指導しておくべきでした。

 

 

 新米兵士が、そんなミスを犯しうる事を自分は知っていました。

 

 だって、そのミスについてはガーバック小隊長に全身骨折する勢いでボコボコに殴られ、指導を受けていましたので。

 

 ああ、あの時のガーバック小隊長の指導は正しかったのです。

 

 サルサ君を助けに行った時、一歩間違えれば自分は死んでいたのです。

 

 当時はガーバック小隊長の苛烈すぎる暴力に対し不満すら感じていましたが、小隊長の立場になって初めてわかりました。

 

 あの戦場のエースが、自分にトラウマを植え付ける勢いで体罰を科したその意味を。

 

 

「……なら」

 

 

 なぜ自分は、ガーバック小隊長の話をラキャさんにしなかったのでしょうか。

 

 かつて自分が指導を受けたその話を、どうして同じ新米であるラキャさんに共有しなかったのでしょうか。

 

 もしその話を前もってラキャさんが聞いていたら、オーディさんを背負いに行ったりはしなかったんじゃないでしょうか。

 

 

「そうですか。つまり、ラキャさんが死んだ原因は」

「……」

 

 

 青白いラキャさんの生気の無い目が、ずっと自分を射抜いています。

 

 彼女は死にました。

 

 爆風に巻き込まれ、蹴っ飛ばされた空き缶の様に夜の闇に消えていきました。

 

 もしかしたら、暫く息があったかもしれません。

 

 燃えるような全身の火傷の痛みに苦しみながら、自分達が誰も助けに戻ってこないことを知り、絶望して死んでいったかもしれません。

 

「自分の怠慢が原因、だったと。貴女(ラキャ)はそう仰りたいのですね」

 

 鼓動がドクンドクンと早くなります。

 

 無言で恨みがましい目をしたラキャさんが、倉庫の中でじっと睨み付けてきます。

 

「……ああ」

 

 その視線を受けて、自分は微かに息が切れ始め、頭痛と目眩が襲ってきました。

 

 彼女の怒りには、正当性が十分にあったのです。

 

「そうです、その通りです────」

 

 吐きそうになりながら、自分はラキャさんの前に屈み込みました。

 

 ごめんなさい、申し訳ありません、自分はあまりに上官として未熟でした────

 

 

 

 

 

「おーい! リトルボス、大丈夫か!?」

「へ?」

 

 

 

 次の瞬間、倉庫の扉が開かれて。

 

 心配そうな顔のケイルさんが、自分の前に姿を見せました。

 

「ずっと戻ってこないから、声を掛けに来たんだ」

「ああ、すみません。少し、ボーっとしていたようです」

「その、ボス。……何を、ブツブツ言ってたんだ?」

「いえ、別に」

 

 ケイルさんに声をかけられ、自分は慌てて立ち上がります。

 

 こんな所を、年上とはいえ部下であるケイルさんに見せるわけにはいきません。

 

「すぐ、戻ります」

「……ちょっと休んだ方がいいんじゃないか? ボス、あんたの顔色すごいことになってるぞ」

 

 ……ああ、やってしまいました。

 

 ただでさえ貴重な時間を、幻覚とお喋りして潰してしまうなんて。

 

 ケイルさんは、呆れてないでしょうか。

 

「いえ、心配をお掛けしてすみません。もう大丈夫です」 

「そうか……」

 

 まだまだ患者さんは運ばれてきています。

 

 ラキャさんを殉職させた反省は、後からでも出来ます。

 

 今はラキャさんの事は一旦忘れ、救える命の為に奮闘するべきです。

 

「では、行きましょう。ケイルさん」

「あ、ああ」

 

 自分は気合いを入れ直し、ゆっくり立ち上がりました。

 

 眩暈やふらつきも、薬のお陰かマシになっています。

 

「おや、どうしたんですか」

「……リトルボス?」

 

 心地よい酩酊の中で、自分はその場で振り返り。

 

「早く行きますよ、ラキャさん」

「……っ」

 

 いつまでもその場に立って動かぬラキャさんに、声を掛けたのでした。



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56話

「その方はもう助からないでしょう。どこか邪魔にならない場所に、寝かせてあげてください」

 

 敵の奇襲から、およそ3日が経ちました。

 

 冬も間近、マシュデールという拠点を背に形成された両軍の睨み合いは、オースティン側がかなり優勢に進めておりました。

 

 敵のプランとしては、奇襲攻撃で我々に打撃を与えて翻弄し、被害を与えた後に西部戦線へ折り返すつもりだったと思われます。

 

 ヒット&アウェイ戦略で物資を節約しつつ、我々の臓腑と呼べる後方部隊を壊滅させ、自壊を狙う。

 

 その作戦が上手くいっていれば、残存兵力の少ない我々にさぞ有効だったでしょう。

 

「なあ、リトルボス」

「……? 何でしょうか、ケイルさん」

 

 何故敵の狙いが、ヒット&アウェイだったと言えるのか。

 

 それは敵の歩兵が、明らかに短期決戦の準備しかしていなかったからです。

 

 オースティン側はこの3日間、ずっと強気に攻撃をしかけました。

 

 しかし、サバト側からの銃弾や砲撃の撃ち返しは、潤沢とは言えませんでした。

 

 彼らは攻勢を強める我々を前に、ジリジリと背を向けぬ様に塹壕越しに応戦しつつ、後退を続けました。

 

 その動きからも、敵の今の戦術目標が撤退であると予想されます。

 

「ボスが最後に休んだの、何時だ?」

「……、えーっと」

 

 本音を言えば、今すぐサバト軍は走って逃げ出したいでしょう。

 

 しかしそれをすると被害が大きくなりすぎるので、チマチマ後退していっていると思われます。

 

 本格的な戦闘が始まったというのに、この人数の減った衛生小隊で回せているのは、そういった背景もあるのでしょう。

 

「ドクターストップだ。リトルボス、少し休養してきてくれ」

「どうしてですか。自分はまだ、気力に溢れています」

「……君を今動かしているのは、気力と言えない」

 

 しかし、仕事が回せているとは言え、決して余裕があるわけではありません。

 

 ラキャさんは新米衛生兵と言えど、回復魔法は使えたので軽傷な人を振る事はできました。

 

 今はラキャさんが抜けているので、人手が全く足りていないのです。

 

「今の君を動かしてるのは、執念……。いや、妄執だ」

「違います、気力ですとも。それに、自分が休む暇なんて無いでしょう」

「そう。君にまで倒れられたら困るんだ」

「……」

「僕が踏ん張るから1時間だけでも、仮眠を取って来てくれないか」

 

 だというのに、ケイルさんは自分に何度も休憩を取れと進言してきました。

 

 こう見えて、自分は徹夜に強いです。西部戦線の野戦病院では、1週間ぶっ続けで働き続けた経験があります。

 

 まだ、自分に休養は必要ないでしょう。

 

「……ダメですよ、ケイルさん」

「どうして」

「だって」

 

 自分はケイルさんの進言を却下して、再び次の患者さんの診察へ向かいました。

 

 まだまだ、自分の体は動きます。

 

「自分が休むと、ラキャさんが怒りますから」

「……」

「じっと見詰めてくるんですよ。彼女、暗いところで何時も立ってるんです」

 

 それに寝ようとすれば、ラキャさんが自分を魘しに来てしまいます。

 

 ラキャさんを見殺しにしておいて、のうのうと休むなんて許されるはずもありません。

 

「……自分から、仕事を奪わないでください」

「リトルボス……」

「何かを考えてないとダメなんです。何かをしていないとダメなんです」

 

 そんなラキャさんも、患者を診察している時だけは何も言ってきません。

 

 彼女だって分かっているんです、患者を治療する事の大事さを。

 

 だから自分がサボろうとしない限り、ラキャさんは自分を責めないのでしょう。

 

「さあ、まだまだ頑張りますよ」

「……」

 

 そう言えばアリア大尉も、恋人が死んだ時。

 

 何も考えたくなかったからか、没頭するように自分の仕事を手伝ってくれましたっけ。

 

 今なら、大尉の気持ちがよくわかる気がします。

 

 患者さんを前にして奮闘していられる方が、ずっとずっと気が楽になるのです。

 

「では次の患者さんどうぞ」

 

 その自分の呼び声に合わせて、二人の兵士が自分の目の前に歩いてきました。

 

 一人は足が折れていますね。

 

 もう一人は、そんな兵士に肩を貸している様子です。

 

「では、負傷の状況を教えていただけますか。見た感じ、足でしょうか」

「爆風で吹っ飛んできた岩に、足を潰されて」

「……成程。ですがご安心ください、これなら整復すれば歩けるようになれますよ」

 

 自分はいつものように患者さんに声をかけ、用意して頂いたお湯で創部を洗い流しました。

 

 泥や腐った骨片などを取り除いた後、骨を元の形に固定しましょう。

 

 そして魔力に余裕が出来たタイミングで、回復魔法を軽くかければオッケーです。

 

「お願いします、衛生兵さん……」

「ええ」

 

 さあ、いつも通り頑張ります。

 

 だって、こうして働いている限り、自分の心はとても穏やかで────

 

 

「おい」

「はい、何でしょう」

「……どうした。眼が虚ろだぞ、おチビ」

 

 

 タオルを手に取って屈んだその時、とても聞き覚えのある声が自分に話しかけてきました。

 

 自分がハッと顔を上げたら、そこでやっと足を折った兵士に肩を貸していたのが、

 

「ロ、ロドリー、君?」

「気付いてなかったのかよ」

 

 ガーバック小隊の旧友にして、自分にとって誰より大切な仲間の一人。

 

 ロドリー君だったことに気付きました。

 

 

「何で、えっと」

「……新米が歩けないって言うから担いできてやったんだよ」

「あ、いや、その」

 

 

 

 今ロドリー君に会うと思っていなかったので、ぐるぐる、と頭が混乱し始めました。

 

 ロドリー君には、大きな怪我は見当たらなそうです。

 

 本当に負傷者の介助でついてきてくれただけなのでしょう。

 

「おお、君は確か……。私の小さな小隊長と、劇場デートに来てくれた男の子だね」

「お、アルノマさんだっけ、そう言えば居たんだったなアンタ。俳優さんがよくこんな激務やる気になったもんだ」

「ここまでの激務とは聞いてなかったけどね」

 

 と、取りあえず落ち着きましょう。

 

 今の自分の仕事は、この目の前の負傷兵を治療する事です。ロドリー君が肩を貸しているのは、関係ありません。

 

 まず、丁寧にデブリ(汚い組織を除去すること)を行ってから、洗浄を……。

 

「見てくれ、うちの小隊長はどう見ても限界なんだよ」

「……だな。まーた、何か溜め込んでるのかおチビ」

「君、恋人なら何とか休むよう説得してくれないか。私やケイル副小隊長がどれだけ進言しても、受け入れてくれないんだ」

「あ? 恋人?」

「ちょっと、アルノマさん!?」

 

 丁寧にいつも通り、処置をしようとしたらアルノマさんがとても余計な口を挟んできました。

 

 変なことを言わないでください。

 

「デートしてたし、違うのかい?」

「違います、前にそう説明しませんでしたか」

「恋人ってか妹だなァ。ま、それはどうでも良いや」

 

 ロドリー君は照れた様子もなく、自分を睨んで溜め息を吐き、

 

「おう、おチビ。お前さ、信頼される小隊長になるとか言ってなかったか?」

「へ? え、ええ」

「部下の二人が口揃えて休めって言ってんなら、ちゃんと休め」

 

 ペチン、と自分の額を指で弾きました。

 

「あ痛っ!」

「お前も俺もまだまだ新米なんだから、部下といえど年上の意見は尊重しましょう。はい復唱」

「え、え?」

「お前はまだチンチクリンの新米なんだから、部下の言うことを尊重しましょう。良いから復唱しろやァ!」

「は、はい!」

 

 自分はロドリー君の一喝を受け、慌てて彼の言葉を復唱しました。

 

 あれ、でもちょっと待ってください。何で自分が、ロドリー君に複唱を命じられなければならないのでしょう。

 

 ロドリー君、上等歩兵ですよね。自分の方が、階級、上ですよね……?

 

「撤退戦の話、聞いたぜ。ヴェルディさん、今回のお前の誘導をベタ誉めしてたぞ」

「あ、いえ、自分は」

「だけど、ヴェルディさんが今回戦果をあげたのも、ちゃんと部下の提案を受け入れたからだ。だったらお前もちゃんと、他の人の意見を受け入れねぇと」

「で、でも」

「チラッと顔見ただけで、今のお前のヤバさくらい分かるわ。そんな顔色じゃ処置される側も不安だっつの」

 

 ブツクサとロドリー君は自分へそうボヤいた後、

 

「俺がやった変な狐人形でも、抱き締めて寝てこい。この新米が足折ったのは自業自得だから放っておいても構わねぇから」

「え、ロドリー分隊長?」

「新米が調子乗って前に出すぎるからだ。次からはちゃんと、アレン小隊長の指示に従え」

 

 自ら運んできた負傷兵に説教しながら、自分の首根っこをヒョイと掴んで立ち上がらされました。

 

「でも、ロドリー君」

「でももクソもねェ」

 

 そのまま自分はシッシと追い払われそうになります。

 

 ですが今、自分が一人になってしまえば、またあの幻覚に苛まれる事に……。

 

「どうした、歩かねぇなら引きずっていくぞ」

「……」

 

 ……。

 

 

「その。では一人になるのは怖いので、引きずってください……」

「あ?」

 

 

 暗闇に立つラキャさんを思い出して体が震えそうになったので。

 

 自分は半ば、懇願するようにロドリー君の手を握ったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あー。そんで思いつめた顔してたのかよ、おチビ」

「だって自分のせいで、ラキャさんが」

 

 結局、自分はロドリー君に手を引かれて休憩所を目指すことになりました。

 

 彼が連れてきた負傷兵は、ケイルさんが引き受けてくれることになりました。

 

「んなもん気にせずとっとと忘れて、糞して寝ろ」

「で、ですが!」

「初めて小隊長を任された人間が、何でもかんでもできる訳ねぇだろ。アレンさんだってポカしまくってんだぞ」

「……」

 

 その間、ロドリー君に何をそんなに悩んでいるのかと聞かれ。

 

 自分は先の奇襲の際、自らの不手際でラキャさんを死なせてしまった事を打ち明けました。

 

「西部戦線の時とかも、戦友なんて死にまくってたじゃねぇか。何をいまさら」

「だって、ラキャさんは自分の部下で」

「部下だって新米なら死ぬよそりゃ。お前、ガーバック小隊長を思い出してみろ」

 

 自分はあの優しく、素直で明るかったラキャさんの事を思い出すたび泣きそうになります。

 

 ですが、ロドリー君は自分の話を聞いてもやれやれと言った顔をするだけでした。

 

「おチビ、お前が小隊長としてガーバック軍曹に勝ってるところがどれだけある?」

「へ?」

「あの人はアホみたいに厳しいしムカつくけど、上官としちゃ優秀だった。それで、おチビはどうだ」

 

 ロドリー君は自分とガーバック小隊長を比べてみろと言いました。

 

 そんなの、考えるまでもありません。衛生小隊長に任命されてから何度、自分がガーバック小隊長だったらと夢想したか分かりません。

 

 自分は、何もかも彼に届いておりません。

 

「そんなの、自分とエースを比べる事なんて」

「ああ、そりゃそうだ。だがそのガーバック小隊長ですら、突撃するたびに毎回死者を出してたんだぞ?」

 

 ロドリー君は呆れるように、そう言いました。

 

「お前は責任感を持ちすぎなんだよ。部下の命を軽視しろとは言わないが、重荷として背負いすぎるな」

「あ、でも」

「もし、今のおチビがガーバック小隊長なら……。その死んだラキャって衛生兵の死を気にも留めず『今度はもっと使える部下をよこせ』ってレンヴェル少佐に詰め寄っていただろ。絶対」

 

 ……。確かに、ガーバック小隊長なら部下の死なんて一切気にしなさそうですけど。

 

「ですが、自分にはあっさりラキャさんの事を忘れて切り替えるなんて無理です」

「ま、お前にゃ無理だろうな。だけど、抱え込みすぎて他の部下に心配かけるのはいただけねェよ」

「……」

「俺達にはとても頼りになった先輩が居ただろ。あの人の言葉を思い出せ、話はそれで終わりだ」

 

 ロドリー君はそういうと、自分を休憩場所である倉庫のドアの前で手を振って、

 

「今は悪いが俺も忙しくてな。また、休養日が貰えたら顔を見に来てやるよ」

「あ、ええ、どうも」

「あんま思いつめるなよ」

 

 そのまま忙しそうに、診療場所まで引き返してしまいました。

 

 

 

 

 

 

 ───仲間の死を悲しんで、前に進む強さを持て。

 

 

 

 

 

 そんな誰より優しくて、格好の良かった先輩の声が頭に響きます。

 

 ラキャさんの死は悲しい事です。そしてあの夜は、小隊長として反省すべき事の多い経験となりました。

 

 ですが、前に進まなければいけません。彼女の死を悲しんで、立ち止まっている余裕なんて自分にはないのです。

 

 

「……ラキャさん」

 

 

 

 暗い倉庫には、やはりラキャさんがまだ立っていました。

 

 彼女は恨みがましい目で、自分をジトっと見つめてきています。

 

 申し訳ありません。自分はラキャさんのことを忘れたりはしません。

 

 ですが、今立ち止まってしまったら、救える命を救えなくなるかもしれないのです。

 

 

「……そうだ。狐さんの、お人形」

 

 

 自分はロドリー君に言われた通り、幼いころから愛用していた狐人形を胸に抱きしめました。

 

 この人形を抱いて寝るのは、自分が小さな頃によくやった睡眠方法でした。

 

 何かに掴まってベッドに入ると、自分はとても安心して眠れたのです。

 

「……」

 

 ロドリー君の勧めた方法は、効果覿面でした。

 

 人形を抱いた瞬間にラキャさんの姿が薄くなり、気にならなくなってきて。

 

 自分は半透明のラキャさんの見守る中で、やがて静かに寝息を立て始めたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……すみません、ご迷惑をおかけしました」

「おっ」

 

 ほんの1時間だけの仮眠のつもりでしたが、目を覚ましたら既に空が夕方になっていました。

 

 どうやら自分は誰にも起こされず、かなりの時間休ませていただいたみたいです。

 

「かなりの時間、ケイルさん達にお任せしてしまったみたいですが大丈夫でしたか」

「安心してくれ、今日は撃ちあいが無かったみたいで。何とか回ったよ」

「お疲れさまでした、今からは自分が頑張りますので少しお休みください」

 

 ぐっすりと睡眠をとれたのは、随分久しぶりな気がします。

 

 あれもこれも、ロドリー君のお蔭でしょうか。

 

 彼に話を聞いていただいて、ぐっと心が軽くなった気がします。

 

「そうか……、今は患者さんも少ないしね。じゃあ、お言葉に甘えて休ませてもらおうかな」

「うん、良い顔色になったね。これなら、大丈夫そうかな」

「……昼までは土気色だった」

「ご心配をおかけしました」

 

 アルノマさんやエルマさんも、自分の顔を見て安心した様子でした。

 

 そんなに、休む前の自分はひどい顔をしていたのでしょうか。

 

 部下に心配をかけるとは、反省です。

 

 

「では、頑張りましょう」

「はいな」

 

 

 こうして自分は、何とかメンタルを整えることが出来ました。客観的に見返すと当時の自分は、かなり追い詰められていたと思います。

 

 あのまま無理をし続けていたら、精神的にぶっ壊れた新米兵士のような状態に陥っていたかもしれません。

 

 そうしたら、部隊にどれだけ迷惑をかけたでしょうか。

 

 ガーバック小隊長も「自棄を起こした新米が役に立つことは無い」と断言していました。

 

 反省です。

 

 

「にしてもあのロドリーって兵士、なかなか見所あったね」

「……ちょっと言葉遣い汚いけど、根はいい子っぽいわ」

「ええ、彼は優しくて頼りになる、最高の戦友です」

 

 

 後、ロドリー君については自分の部隊のメンバーからも評価は上々でした。

 

 彼が褒められるのを見て、何故か自分も良い気分になりました。

 

「でも向こうはあんまりなリアクションだったけどねぇ」

「いや。気のない素振りをしてたけど、アレは押せば何とかなるんじゃないかな」

「しっかりアピールすれば、十分な可能性を感じるわ」

「……? 何の話ですか」

 

 ただし、そんなロドリー君の襲来に一つだけ弊害があったとすれば。

 

「小隊長、ファイトだ」

「……ま、頑張りなさい」

「え、ええ。気合を入れて、頑張ります」

 

 部下の間でどうやら、自分がロドリー君に片思いしているという誤解が広がってしまった様です。

 

 途中で気づいて否定をしたのですが、アルノマさんやエルマさんもニヤニヤとしているばかり。

 

 まったくもって面倒です。

 

 ……ラキャさんが生きていれば、どれだけこの話に食いついたでしょうか。



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57話

 

「おい、今日もサバトの連中、後退してるぞ」

「そりゃ良い」

 

 オースティンとサバトが睨みあって、1週間ほど経ちました。

 

 その間に激しい交戦は発生せず、両軍は静かな睨み合いを続けていました。

 

 

 この時は、お互い攻勢に出難い状況でした。

 

 首都で新兵を補充したとはいえ、決して兵数の多くないオースティン軍。

 

 攻勢に出て返り討ちにされたら、今度こそ態勢を立て直せなくなるでしょう。

 

 一方でサバトは兵数は勝るものの、武器弾薬の補給線が危ういので大きな作戦行動がとれません。

 

 オースティン軍を返り討ちに出来るだけの弾薬を保持するために、攻勢に出られなかったのです。

 

 そもそもサバト側は、こんな場所で戦線を押し上げても全く旨味がありません。

 

 本音を言えば撤退したいのでしょうが、正面にオースティン軍が展開されているので、背を向ければ大きな被害が予想されました。

 

 結果、両軍は大きな戦闘を起こさないまま、ジリジリ西に向けて戦線を移動するに留まっていたのです。

 

 

「このペースなら、そのうち南部軍が敵の補給線を切ってくれるだろう。我々は余計な事をせず、敵を足止めすればよい」

 

 

 そんな戦況でしたので、レンヴェル少佐は手堅い戦略を取りました。

 

 彼は塹壕で堅実に守りを固め、敵がしびれを切らして逃げ出すのを悠々待ったのです。

 

 敵もこのレンヴェル少佐の動きの意味を察知していたので、大胆な撤退行動を取れず。

 

 かくして戦況は持久戦の様相を呈し始めていました。

 

 

 

 そんな、硬直した戦線を大きく動かしたのは、天の神様でした。

 

 

「げ、雪……」

 

 

 秋の終わりごろ。

 

 神様がサバト軍に味方したのか、はたまた敵はこの天候を最初から待っていたのか。

 

 我々の睨み合う塹壕に、真っ白な粉雪が降り始めたのです。

 

「雪が強まってきました」

「くそ、冬はまだ先のはずだろ?」

 

 待っても雪は止まず、少しづつ降り積もり、大地を銀色に染め上げました。

  

 そして雪のせいで、我々の視界はどんどん悪くなりました。

 

「敵が撤退の準備を整えています」

「まずい、敵を逃がすな」

 

 気温が急激に下がり、兵士たちが凍える中。

 

 サバト軍は待ってましたとばかり、視界不良に乗じて撤退を始めます。

 

 無論、我々も追いかけたのですが……。

 

「サバトの連中、防寒具をしっかり用意してやがる」

「これは、追いつけないかも」

 

 オースティンと比べ、サバトの気候は非常に寒いことで知られており。

 

 冬用の防寒装備は、冬国である彼らに大きな分がありました。

 

 気温が下がる事は兵士に、馬鹿にできない疲労を与えます。

 

 体温を維持するためにより多くのエネルギーを必要とするので、同じ距離を走るにしても疲れ方が全然違うのです。

 

「……逃がしたか」

 

 この様に防寒具の質は、進軍速度に大きく関わります。

 

 無論、冬が近い事はわかっていたので、我々も防寒具は用意していました。

 

 しかしオースティン産の防寒具は、性能がサバト製に比べかなり劣るのです。

 

 こちらの防寒具は、厚手の布で作られた手袋と帽子、そしてコートです。

 

 このコートは所謂トレンチコートと言われるもので、塹壕内で使用される前提で製造されました。

 

 薄手ではありますが、雨の中でも戦える様に防水性を担保されているのが特徴です。

 

 

 一方でサバトの防寒具は防水性は低いですが、その分寒さに耐えることに特化しています。

 

 毛皮まで使用したそのフカフカのコートは、サバト兵士を極寒からよく守ります。

 

 その代わり、雨には強くありません。水を被ると、すぐ傷んでしまうそうです。

 

 こんな仕様なのは、サバトの冬は水なんか凍り付くからです。

 

 寒さに強ければそれでよし、という設計なのでしょう。

 

 この防寒具の観点から冬場の戦闘は、温暖気候ではオースティン軍に、寒冷地ではサバト軍に分があります。

 

 今回は、この有利を突かれる形でサバトに撤退を許してしまいました。

 

 

 

「……何て冷え込みだ」

 

 

 

 かくして、雪に紛れ撤退したサバト軍を追いかけながら我々は進軍を続けます。

 

 敵を見失ったため、我々は再び奇襲を警戒しながら偵察を密に行わねばなりません。

 

 日を追うごとに冬は徐々に厳しさを増してきて、西に進むにつれてどんどんと気温は下がり、吐く息が白く濁ります。

 

「……」

 

 冬に入ってから、レンヴェル軍の進軍速度は1日に5km以下になっていました。

 

 移動距離は減ったものの、寒さは兵の体力を奪い続けるので疲労度は変わりません。

 

 もしかしたら、寒さで夜も震えているせいで前より疲れている可能性すらあります。

 

「どうして、今年に限って」

 

 この冬入りによる被害は、オースティン軍の想定を大きくずらしてしまいました。

 

 どうやら今年は異常気象で、例年より1か月以上冬入りが早かったようです。

 

 冬将軍の登場でオースティン側は、せっかくの攻勢の好機に水を差され。

 

 態勢を立て直す時間が欲しかったサバト側にとっては、最強の援軍の到来と言えました。

 

 

 戦闘が起こらなくなるのは衛生兵にとってありがたいのですが、偵察兵にとっては地獄です。

 

 肌も凍り付きそうな雪景色の中を走りまわって、より見つけにくくなった敵部隊を索敵し、安全な進路を確保せねばなりません。

 

 今まで通り強行軍を維持するなど、不可能なのです。

 

「……天はオースティンを見限ったのか」

 

 冬入りによる少佐の落ち込み様は、それは凄まじいものでした。

 

 何故ならこの異常気象のせいで、レンヴェル少佐の目論みは全て崩壊してしまったからです。

 

 

 

 この時、オースティン首脳陣は『北部決戦構想』というプランを下に動いていました。

 

 これはレンヴェル少佐の主張した『自軍の総兵力を以て敵の主力を短期決戦で打ち破る』という作戦案でした。

 

 具体的な方法として、南部軍が補給線を破壊しサバト軍を突き上げれば、敵軍は残った補給線を頼りに北上していくと予想されます。

 

 敵の主力が北部に集まるのに合わせ、オースティン側も兵力を結集させて総叩きにするという、ちょっと無理がありそうな作戦です。

 

 我々の総戦力は、やはりサバトに大きく劣ります。

 

 全ての作戦が上手く行ったとしても、倍近い兵力差があるサバト軍を決戦で打ち破らないといけないというハードモードな構想なのです。

 

 

 しかし、他にオースティン側に勝機のありそうな作戦が少なかったのも事実でした。

 

 国土の大半がサバトに焼かれたので、我が国に長期戦を行うだけの生産力はもうありません。

 

 実のところ、南部軍が奇跡の大勝を収めたこの機を逃さず、短期決戦を挑んで打ち破るのが一番現実的な勝ち筋でした。

 

 

 オースティン北部は主要都市が少なく、大規模な戦闘を行っても被害は大きくありません。

 

 大きな戦闘が予想されるので、前もって避難誘導を行う事も可能です。

 

 更に窮鼠となったオースティン側の士気はかつてないほど高く、一転窮地に陥ったサバト軍の士気は低いと予想されました。

 

 オースティンが生き残るには、敵主力との決戦に勝利するしかない。

 

 そんなレンヴェル少佐の演説の結果、北部決戦構想は可決されました。

 

 決戦は3か月後。

 

 冬入り前までにサバト軍を北に追い込み、3か月後に首都ウィンから送られてくる1万の動員兵と合流し、決戦するプランだったようです。

 

「冬前に、せめて南部軍と合流したかったが」

「厳しいでしょうな」

 

 しかしこの起死回生のプランは、残念ながら冬将軍に阻まれてしまいました。

 

 進軍速度が大きく落ちてしまった今、想定していた地点までサバト兵を押し上げるのは困難です。

 

 この豪雪では、南部軍の進撃も止まる事でしょう。こんな天候で、寒さに慣れていないオースティン側から作戦行動を仕掛けるのは危険すぎます。

 

 しかし今ここで我々の反撃が止まってしまうと、敵は広い戦線を維持したまま来年を迎える事が出来ます。

 

 そのまま再び長い塹壕戦になれば、生産力の差で我々の敗北は必至なのです。

 

 こういった背景から、レンヴェル少佐は早すぎる冬の到来をこの上なく嘆いたのでした。

 

 

 

 

 

 そんな、上層部の思惑なんていざ知らず。

 

 我ら衛生小隊は、日々の業務に追われて忙しい日々を過ごしていました。

 

「凍傷で、指が……」

「これは、しばらく指が腫れあがりますよ。どうして手袋は使わなかったのですか」

「賭けで負けた罰ゲームで、1日防寒具を外したんです。風邪もひいたみたいで、ヘーックチュ」

「……」

 

 戦闘による外傷こそありませんが、冬に入ってから凍傷で患者が増えました。

 

 雪を舐めた行動を取った兵士がしばしば、我々の元へ折檻の傷跡と共にやってきました。

 

「凍傷の患者さんの半分くらいは、自業自得なような」

「首都はあまり雪が降らないんだ。だから、兵士もはしゃいでしまったんだろう」

 

 首都に1年以上住んでいたアルノマさんは、そう教えてくれました。

 

 やはり今のレンヴェル軍の兵士の質は、お世辞にも高いとは言えません。

 

 彼らが一人前の軍人になるまで、それなりに年月がかかるのでしょう。

 

 自分だってまだまだ、新米のひよっこ衛生兵なのです。

 

 

 

「おう、衛生兵長。機嫌はいかがか」

「ファリス准尉殿」

 

 冬になって変わったことと言えば、しばしばファリス准尉殿が衛生小隊に顔を出すようになったことでした。

 

 進軍速度が落ちた煽りで、歩兵に時間の余裕が増えたのでしょうか。

 

 そしてファリス准尉がここに顔を出す理由と言うのが、

 

「前々から、衛生小隊とつながりを持っておきたかったからな。前の撤退戦で力を合わせた仲だ、そう邪険にすることもあるまい」

 

 と言って茶菓子を持って遊びに来るという、何とも狙いが分かりやすい話でした。

 

「女は良い。居るだけで、男の心を穏やかにする」

「まぁ、生物の性でしょう」

 

 彼は女好きを隠すつもりはないようで、衛生小隊の若い看護兵を見てニヤニヤと機嫌よくしています。

 

 エルマさんを筆頭に、女性にだらしない殿方が地雷となる看護兵さんは多いです。

 

 だからぶっちゃけ迷惑なのですが、上官ですし手土産に色々持ってきてくれるので、時間があれば自分がそこそこに対応しています。

 

「トウリ衛生兵長、貴殿も数年すればよい女になるだろう」

「恐縮です」

 

 自分は知っています。こういう兵士は、隙あらば平気でセクハラを仕掛けてきます。

 

 尻を触られるのも仕事のうち、と野戦病院の女性衛生兵も割り切っていました。

 

 ただ、ちょっと前まで普通の看護師さんだったであろう部下に、その被害を見過ごして病まれてしまっても困ります。

 

「その時は存分に俺と飲んでくれ、ガハハ」

 

 まぁセクハラに関しては未成熟な体型の自分が応対する限り、殆ど飛んできません。

 

 セクハラのキツそうな方の相手は、今後もケイルさんやアルノマさん、自分で応対するようにしましょう。

 

 

 

 

 

 

 それと別の問題として。

 

「……また、腕を庇っていませんか。アルノマさん」

「げ、バレちゃったか」

 

 なぜか最近、アルノマさんがよく負傷するようになりました。

 

 それも、パっと見ではわかりにくい場所……、腹部や腕など軍服で隠れる部位の傷です。

 

「今度はどうしたんですか」

「気温が下がってから、よく寝起きにフラついてね」

「また転倒ですか」

 

 アルノマさんは恥ずかしそうに負傷しながら、打撲した部分を見せてくれました。

 

 回復魔法を使えば一発なのですが、彼の魔力も大事な軍の資源です。

 

 放っておけば勝手に治る程度の打撲だったので、軽く冷やすように指示をして話を終えました。

 

 

「気を付けてくださいね」

「いやぁ、面目ない」

 

 

 アルノマさんは、とてもハンサムなお方です。

 

 女性看護兵からも評判がよく、しばしばアプローチを受けることもあるようです。

 

 言葉は紳士的ですし、話も面白く、顔も美形。

 

 

「……あの。アルノマさん」

「何だい、小さな小隊長」

 

 

 まさかとは思いますが。

 

 いや、うちの部隊に限ってそんなことは無いと信じたいのですが。

 

「最近、イジメなどに悩んだりしていませんか……」

「大真面目に、そんな事を聞かれるとは思わなかった」

 

 男の嫉妬による、イジメ。

 

 ケイルさんはそんなことをしないと思いますが、自分がこのアルノマさんの負傷から男性看護兵の方や、その他部隊の男性兵士からイジメをうけている可能性に思い至りました。

 

「集団ではどうしても起こりうる、非常にデリケートな問題です。特にアルノマさんの様な、嫉妬を買いやすい方はなおさら」

「心配しなくても良いよ、本当にうっかりの怪我なんだ」

「悩みは一人で抱え込まず、周囲によく相談してください。年下の自分に相談するのが恥ずかしいかもしれませんが、自分にはそれを何とか出来る権限があります」

「あははは……」

 

 軍隊でのイジメは、非常に悪辣だと聞きます。

 

 幸いにして自分はまだイジメられたことは無いのですが、信頼すべき戦友から負の感情を向けられて戦うのは想像を絶する苦痛でしょう。

 

「人間関係に悩みもありませんか」

「本当に何もないんだ、君の思い過ごしさ」

「本当、なんですね?」

「ああ」

 

 自分は心配してアルノマさんに詰め寄りましたが、彼は何でもないと笑って首を振るのみでした。

 

 ……、本当でしょうか。しかし、そう言われてしまったからにはこれ以上追及できません。

 

「では、これから何か困ったことが有りましたらいつでもご相談ください」

「ああ、分かったよ。ありがとう、小さな小隊長」

 

 この日は仕方なく、話をここで打ち切りました。

 

 まだ自分はアルノマさんに小隊長として信用してもらっていないのか、はたまた本当に自分の思い過ごしなのか。

 

 モヤモヤとした感情を胸に残しながらも、自分は仕事に戻ったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まぁ大人が、イジメの問題を年下の娘に相談できんだろ」

 

 我が衛生小隊に遊びに来てくれるのは、ファリス准尉だけではありません。

 

 前の宣言通り、ロドリー君やアレンさんもしばしば顔を見せてくれるようになったのでした。

 

「それに、アルノマさんも良い歳だ。そのくらい、自分で解決できるだろう」

「そんなものでしょうか」

「彼は、劇場で主役を張る舞台俳優だったんだろ? その陰で、どれほどの嫉妬と戦ってきたと思ってるんだ」

「まぁ、確かに」

 

 アレン小隊は、ヴェルディさんの指揮した撤退戦の時、より近かったアリア大尉の本隊側に逃げて分断を避けたそうです。

 

 ヴェルディ中隊が分断されたと報告を受けた際、危険を顧みずに延々と我々の捜索を続けてくれていたのだとか。

 

 まったく、頭が下がります。

 

「後、俺が来たら妙に看護兵さんたちのテンション高くねェ?」

「……高いでしょうね」

 

 そしてロドリー君が衛生部に顔を出す度、部下から好奇の視線が飛んでくるようになりました。

 

 言わずもがな、例の誤解のせいです。

 

 自分とロドリー君の関係は、彼女等にとって良いゴシップなのでしょう。

 

「もしかして俺、結構イケてるの?」

「いえ、それは関係ないかと」

 

 ロドリー君はどうやら、看護兵さんのテンションが高いのは自分が格好いいからだという幻想を抱いた様です。

 

 残念ながら、そんなに都合の良い展開はありません。

 

「どうやら自分が、ロドリー君に片想いしているかららしいです」

「……え? してんの?」

「しているように見えますか?」

 

 別に隠すこともないと考えたので、ロドリー君が勘違いしないよう事実を伝えておきました。

 

 誤解されるような言動を避けてもらう意味でも、伝えておいた方がいいでしょう。

 

「……お前、そんな気無いよな? 少なくとも俺ァ、そう思ってるが」

「無いですけど」

「だよなァ」

「部下達から見たら、有る様に見えたみたいです」

「そりゃ、災難だったな」

 

 ロドリー君は事実を知って、反応に困ったのか苦笑しました。

 

 一方で、不満げな自分の顔がそんなに面白かったのか、アレンさんは大爆笑していました。

 

 ……何がそんなに、面白いのでしょうか。



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58話

 冬入りして、一月程が経ちました。

 

「後見人、ですか」

「ああ」

 

 我々がのろのろと冬季行軍を続け、衛生小隊の仕事に余裕が出来始めた頃。

 

 自分はアリア大尉に呼び出され、ある提案を受けました。

 

「先の撤退戦において、ヴェルディから貴官の功績は聞いている。是非とも貴官の功績を賞したい」

「ありがとうございます」

「とはいえ貴官は既に、その経験と年齢からは十分な任官を受けているだろう。これ以上の昇進を果たした徴募兵の前例がない」

「はい、もう過分に評価を頂いています」

 

 話を聞くと、どうやら先日中尉に昇進したヴェルディさんが、撤退戦の時の自分の功績を報告していたらしく。

 

 その評定として本日、自分が呼ばれたそうです。

 

「……まぁ、堅苦しい口調はこの辺にするか。今は、誰も周囲に居ないしな」

「はい」

「すまんがトウリ、勲章はヴェルディにくれてやってくれ。真面目でお勉強が得意なアイツなら、仕事が増えてもへっちゃらだろう」

「そうして頂けた方が、自分としてもありがたいです」

 

 どうやらアリア大尉には、これ以上自分を出世させる気が無さそうでした。

 

 非常にありがたいです。

 

「それで、昇進以外にどうすれば君の功績に報いることが出来るか考えてだな。ふと孤児の後見人制度を思い出して、これならばと思ったんだ」

「後見人、と言いますと」

「要は保護者だな。君の身に何かあった時、その面倒を見る保証人だ」

 

 アリア大尉の提案というのは、何と彼女が自分の後見人を引き受けてくれるという話でした。

 

 アリア大尉はレンヴェル少佐のご息女で、この大隊の隊長です。

 

 後ろ楯になってくれる存在として、これ以上の人は中々いないでしょう。

 

「私は父のようにコネで、露骨に貴女を優遇するつもりは無いが。何か困った事が起きた時、後見人の立場なら私が口を挟む事も出来るだろう」

「はい、大尉殿」

「例えばトウリが重傷を負って退役を余儀なくされた時、私が後見人なら治療や生活の援助をしてやれる。貴方にとって、メリットのある話と思うが」

「確かにとても、ありがたいご提案です。……どうして、自分にそこまでしていただけるのですか?」

 

 その話は自分にとっても非常に魅力的な話でした。

 

 自分は故郷を焼かれ、頼れる親戚も伝もなく、この身一つが資本という状態です。

 

 もし取り返しのつかない負傷をしてしまい軍人として働けなくなれば、身寄りのない自分は日銭を得る手段がなく野垂れ死ぬしかないでしょう。

 

 しかしアリア大尉が後見してくれるのであれば、話は大きく変わります。彼女の家は軍事の名門ですし、父親であるレンヴェル少佐はこの軍における最高権力者です。

 

 きっと自分が負傷したとしても、よくしてくださる筈です。

 

「トウリ、貴女は私の家族を二度も救ってくれた。マシュデールでは父レンヴェルの窮地を救い、先日は従弟のヴェルディの生還に大きな功績を残した。言ってみれば、我が一族の恩人なんだ」

「いえ、自分は職務に準じただけで」

「それだけで、私がトウリの後見人となる理由は十分なのさ」

 

 アリア大尉は優しい口調で、そう話を続けました。

 

「父にも話を通してある。大賛成してくれたよ、良い考えだってな」

「……」

「良ければ、貴女の面倒を見させてくれないかトウリ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分としては断る理由のない申し出でした。

 

「よろしくお願いします、アリア大尉」

「うむ、任せておけ。悪いようにはしないさ」

 

 二つ返事で、アリア大尉の申し出を受けました。

 

 自分自身が、家族と言うものに飢えていたのもあったかもしれません。 

 

 生まれは孤児で、心のよりどころであった孤児院を失い、大切な人はいつ死ぬとも分からない戦友だけ。

 

 この時は誰か心の支えになってくれそうな人を探していた、そんな気がします。

 

「話は以上だ。トウリ、今まで以上に気軽に頼ってこい」

「ありがとうございます」

 

 因みに、後で聞いた話によると。

 

 アリア大尉はご厚意でこの提案をしてくださったようなのですが、その背後に居たレンヴェル少佐の腹は真っ黒でした。

 

 軍閥─────、軍にも様々な派閥が存在しております。例えば今この軍にいる指揮官の殆どは、レンヴェル少佐派の兵士でした。

 

 色んな軍閥があるといっても現状、『サバトに対する徹底抗戦』しか無いとわかっているので方針で揉めたりはしていません。

 

 この国家の非常時なので、ある程度一致団結してはいました。

 

 それでも水面下で静かに、大量の戦死者が出た中で空白になったポストの奪い合いは起きていた様です。

 

 もともとレンヴェル少佐の派閥は身内贔屓が激しく、自分の息がかかった人間を重役にしようとする悪癖があります。

 

 そんな折、自分が南軍からの衛生兵派遣を希望していると知って、少佐は危惧を抱きました。

 

 衛生部は軍のキモです。もし自分が派遣されてきた衛生兵に心服し、その派閥に取り込まれたらレンヴェル少佐の衛生部への影響力が弱まります。

 

 そこでアリア大尉の後見人の案を聞いて「その手があったか」と大賛成したのだとか。

 

 それなら衛生部に影響力を保持できる上に、自分にとって褒賞にもなる一石二鳥の案。

 

 かくして自分はアリア大尉に後見される立場となり、レンヴェル少佐の一派に組み込まれることになりました。

 

 と言ってもこの時は、何かが大きく変わるという訳ではなく『後ろ盾が出来た』くらいの認識でした。

 

 自分がこんな軍閥の面倒ごとを意識することになるのは、これよりずっと後の事です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「冬に大掛かりな攻勢に出るのは、そもそもリスクが高い」

 

 後見人ついでに、今後の戦闘の予定をアリア大尉に聞いてみたところ。

 

 軍事機密のため詳細は教えられないと前置きした後、アリア大尉は殆ど全部教えてくれました。

 

「もし今、西部戦線の時の様にサバト軍と塹壕越しに睨み合っているなら、多少は攻勢に出ることもありえただろう」

「はい」

「だが、現状の様にどこに敵が居るかもわからん状況でどうやって攻撃作戦を行うんだ。敵の正確な位置を捕捉出来ない限り、我々は合流地点を目指してノロノロ進軍を続けるしかない」

 

 彼女の見立てでは、しばらく戦闘は行われないようです。

 

 だから、当面は部下の育成に集中してほしいとのことでした。

 

「首都から、衛生小隊の補充などは送られてくるのでしょうか」

「衛生小隊の欠員補充は、現状難しい。しばらく待ってもらいたい」

「了解です」

 

 一応衛生兵の補充の当てを聞いてみましたが、希望は薄そうでした。

 

 小隊長は部隊に欠員が出た場合、補充を要請することが可能です。

 

 しかし、首都ウィンから定期的に補給物資は送られてきていますが、兵士はなかなか送ってもらえません。

 

 ただでさえオースティンは現在、兵士を必死でかき集めている最中です。

 

 即座に前線送りに出来る兵士の余裕など、無いのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 なので自分は、生き残った小隊メンバーを大事に守っていかねばなりません。

 

 体力もあり、頼りになるケイルさん。

 

 自信家で、自分に厳しいアルノマさん。

 

 エルマさんを中心に、衛生兵をサポートしてくれる看護兵さん達。

 

 この少ない人数で、軍全体の健康を守っていかなければならないのです。

 

 

 

 ですので、

 

 

「あの。アルノマさん、また脇腹にアザが」

「あー……」

 

 

 いくらアルノマさんが大人とはいえ、イジメ問題を見て見ぬふりは出来ません。

 

「流石におかしいです。アルノマ2等衛生兵、この打撲痕が出来た時の状況を詳細に報告してください」

「あー、いや、その」

「自分の様な小娘では頼りなく感じるかもしれませんが、貴方の上官としてこれ以上看過できません。正確な報告を求めます」

 

 自分がアルノマさんの体のアザに気付いてから、約半月。

 

 時折、彼の負傷については何度も聞きましたが誤魔化されるので、踏み込めないでおりました。

 

 しかしそろそろ、きちんとした報告が欲しい所です。

 

「誰にやられたのですか、アルノマさん。これは、明らかに殴打の痕ですよね」

「……いや、あー。本当に気にしないでほしいんだ、もうすぐケリをつけるつもりだから」

「貴方の立場で、どうケリをつけるおつもりですか。自分には公正な賞罰をしていただける上官に伝手も持っております、ちゃんと相談してください」

「まぁ、確かにちょっとした喧嘩はあったんだけど。本当に問題はない、うまく解決してみせるさ」

 

 相変わらずアルノマさんは、自分の詰問をあいまいな笑みを浮かべて誤魔化しました。

 

 アレンさんに放っておけと言われましたが、彼は大事な衛生小隊の仲間です。

 

 彼一人に解決を任せるより、上官である自分が悩みを共有した方が良いに決まっています。

 

「やれやれ。小さな小隊長の調子が、完全に戻ったようで何よりだけど。貴女に出てこられると、少し話がややこしくなりそうでね」

「成程、状況によっては自分は表立って動かないよう配慮しましょう。では、その状況を報告してもらえますか」

「……」

「先ほど、アルノマさんの口から喧嘩という言葉が出てきましたね。部下のトラブルについては、上官にも責任が問われます」

 

 アルノマさんやケイルさんには、自分が追い込まれていた時に助けて頂きました。

 

 思い返せば虚空を見つめてブツブツ言いだすのは、西部戦線で何度も見てきた新兵が壊れる前の典型的な兆候です。

 

 そんな状況になっていたのに、自分では『このままだとヤバい』という自覚が全くありませんでした。

 

 一人で悩みを抱えるというのは、想像以上に視野が狭くなってしまいがちなのです。

 

「これは命令です、報告してください」

 

 だから、こういったことはしっかり報告してもらいたいのです。

 

 

「……ふぅ、命令とあれば仕方ないね。了解したよ、小さな小隊長」

「わかってくれましたか」

「ただ、ちょっと説明が長くなりそうで。私も背景を整理してから説明がしたいんだ」

 

 アルノマさんは自分の熱意に押されたのか。

 

 苦笑いを浮かべて、とうとう了承してくれました。

 

「今夜までに、報告書という形で小隊長にコトの詳細を報告するよ。文書に残した方が、小隊長自身も上官に相談しやすいだろう」

「成程、了解しました。では、報告書を作成してください」

 

 いますぐ、話を聞くことは出来なかったのですが。

 

 アルノマさんは今夜までにしっかり事の詳細を、文書で持ってきてくださるそうです。

 

「じゃあ、書類の作成に取り掛かるよ。ちょっと待っていてくれ」

「はい、アルノマさん」

 

 ぱっと口頭での報告を行うのではなく、文書にするあたりがアルノマさんの社会経験を思わせます。

 

 そんな風に考えて、自分は夜まで彼の報告を待つことにしたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この時の自分は精神面こそ立ち直っていましたが、アリア大尉の後見人の話など考えることがいっぱいで、幾つか失念してしまっていたことがありました。

 

 一つは、アルノマさんが外国籍であったということ。

 

 彼は東のフラメールという国の出身者であり、軍隊で他国籍の兵士はスパイ疑惑を掛けられることが多いです。

 

 だからアレンさんも、アルノマ氏がスパイっぽければ証拠を掴め、違いそうなら守ってやれと自分に助言してくれていました。

 

 

 しかし自分はアルノマさんの事を、ただ信じていました。

 

 スパイなんて人を実際に見たことのない上、アルノマさんはとても優れた人です。

 

 回復魔法の腕はまだまだですが、優しくて頼りになる、自分に厳しい人。

 

 そんな彼の人柄に、気を許してしまっていたのです。

 

 

 しかし、一方で。

 

 スパイというものはいつの間にやら軍に紛れ込んで、大事な情報を敵に送り続けている事をよく知っている兵士もいます。

 

 それは、軍人としての経験が長く情報戦の重要さをよく理解している、ベテランの軍人です。

 

 

 だからこそ、彼は───ファリス准尉は、ずっと衛生小隊にアプローチをかけていたのでしょう。

 

 外国籍で『本人の強い希望により』先行するレンヴェル軍の衛生小隊へ配属されたという、フラメール人の衛生兵を尋問(・・)するために。

 

 

 ファリス准尉は、最初からアルノマさんを疑っていたようでした。

 

 どうやら彼は少し民族差別的な主義も持っていたようで、フラメール人という人種に『信用ならない、鼻持ちならない』というマイナスイメージを持っていたみたいです。

 

 そんな彼がアルノマさんの情報を聞いて、「さてはスパイに違いない」と決め打ったそうです。

 

 だから我々……、というか自分とコネクションを作ろうと画策しつつ、衛生小隊に顔を出しては見えないところでアルノマさんに恐喝じみた尋問をしていたそうでした。

 

 殴る蹴るは当たり前、時には銃器を向けるような事もあったそうです。

 

 

 自分は、ファリス准尉とアルノマさんが裏でそんなことになっていたとはいざ知らず。

 

 呑気に「アルノマさんは美形だから、男の嫉妬を買いやすいんだろうなぁ」と見当はずれな考察をしていました。

 

 アルノマさんは素性からスパイを疑われるという、自分でも十分予想が出来ていた事態に巻き込まれていただけだったのです。

 

 

 

 

 かくして、夜。

 

 とうとう、事件は起こってしまいました。

 

「大変だ、トウリ衛生兵長。すぐに出動してくれないか」

「何事ですか」

 

 アルノマさんが来るのを待ちつつ、ヴェルディさんに向けた本日の衛生小隊の勤務記録書を作成していた折。

 

 大慌てで衛生部に駆け込んできた見知らぬ歩兵に促され、自分は肌寒い冬の夜を走っていきました。

 

「……な」

 

 自分は書類作成に夢中で聞き逃していたのですが。

 

 聞けばつい先ほど、ヴェルディ中隊のキャンプ地に銃声が鳴り響いたそうです。

 

 その音を聞いた見張り番の兵士は、すぐさま音の出所へ向かいました。

 

 するとキャンプ内に、後頭を射ち殺された遺体を発見したそうです。

 

「……助かる見込みはありますか、衛生兵長」

「助かるわけが、ないでしょう」

 

 彼の体はまだ温かく、撃ちぬかれた後頭部からは動脈血が時折噴き出していました。

 

 うつ伏せに倒れ込んだ彼は、既に死亡が明らかです。

 

 

「ファリス、准尉殿……」

「お知り合いですか」

 

 

 その人物の正体は先の撤退戦で、完璧な偵察を行い自分達を安全に撤退させてくれた立役者、ファリス准尉殿だったのでした。

 



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59話

「指示があるまでご遺体に触れるな。哨戒を増やして本地点から周囲500mの索敵を行え」

「ヴェルディさん」

 

 自分がファリス准尉の遺体を確認していると、まもなくヴェルディ中尉が現場にやってきました。

 

 この時、温厚な彼にしては珍しく険しい表情をしていました。

 

「トウリ衛生兵長に、本遺体の検死を命ずる。死亡者の素性、死亡推定時刻、直接死因を報告せよ」

「了解です」

 

 有無を言わせぬ口調でしたので二つ返事で了承しましたが、自分は死因の特定法などはあまり教えてもらっていません。

 

 こういった分野は法医学の範囲なので、衛生兵はあまり習わないのです。

 

「部下を呼んで良いですか」

「許可します」

 

 だから自分はケイルさんを呼んで、一緒に遺体の検分を行いました。

 

 まさかこんな、殺人事件の現場検証みたいな事までやらされることになるとは思いもしませんでした。

 

「ヴェルディ中尉。ご遺体の風貌とドッグタグ、並びにファリス准尉が行方不明になっていることから、遺体の素性はファリス准尉で間違いないと思われます」

「続けて」

「死亡推定時刻は、体温や角膜の透明度から1時間以内と推測されます。直接の死因は恐らく銃撃によるもので、銃弾は後頭右下部を背中側から撃ち抜かれています」

 

 見たところ後頭部の他に死因になりそうな傷はなく、普通に考えれば銃で背後から撃たれて死んだと思われました。

 

 銃声が鳴り響いたのはつい30分前。死因は銃殺であると考えて、矛盾はありません。

 

 しかし問題なのは、キャンプ地付近に敵の姿は見えず、銃声が聞こえてきたのもオースティン軍のキャンプ内部からという事でした。

 

「ヴェルディ中尉、いかがしますか」

「ファリス小隊のメンバーを今すぐ招集してください、事情聴取します。そして今夜非番だったはずの、ガンドレス小隊、アレン小隊、キアルデ小隊も緊急招集してください。彼らに、ファリス准尉の捜査を命じます」

「了解」

 

 つまりファリス准尉は、おそらく敵の攻撃によって殉職したのではなく。

 

「味方に、凶悪な殺人犯が交じっている可能性があります。警戒を厳にして、捜査に当たってください」

 

 状況からは味方に撃ち殺された可能性が、非常に高いのです。

 

 

 

 

 

 

「ファリス准尉の遺体の近くに、銃弾を発見しました。おそらく量産銃OSTの2型、3型で採用されている6.2㎜口径の銃弾でしょう」

「サバト軍の銃弾ではないのですね」

「はい、オースティン製と思われます」

 

 ファリス准尉の銃殺事件の捜査は、夜通し行われました。

 

 遺体の状況から、准尉はやはり味方に殺された可能性が高い様子です。

 

「銃弾の在庫と、全兵士の銃弾の残数を照らし合わせてください。用途不明の銃弾があった兵士を洗い出しましょう」

 

 ヴェルディ中尉をはじめ、軍の上層部はこの事件を非常に重く受け止めました。

 

 味方を殺す兵士が軍に潜んでいるなど、放置しておけるはずがありません。

 

「本日に銃弾を消費した兵士は、16名でした」

「……その詳細は?」

「大半が、点検による『不良品として破棄』です。他に訓練、暴発などによる消費が報告されています」

 

 ファリス准尉の一件は殺人事件として扱われました。

 

 かくして、1日掛かりで調査が行われる事になったのですが、

 

「衛生小隊は、銃火器を所持していないので調査の対象にはなりません。検死、ご苦労様でした」

「何か、お手伝いできることがあれば」

「いえ、もう朝なので業務に戻ってください。必要があれば、再度要請します」

 

 我々衛生兵は銃火器を支給されていないので、犯行は不可能であると判断されました。

 

 なので容疑者から除外され、自分は診療業務に戻ることになったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そうですか、あのよく顔を出していた准尉さんが」

「頼りになる方だったのですが」

 

 夜通し捜査に協力した自分は、欠伸を噛み殺しながらテントに戻りました。

 

 これからいつもの業務……、と言っても今日は進軍しないそうなので、テントで凍傷の患者さんを待つだけです。

 

「ボス、ちょっと寝てきたら?」

「そうですね。患者さんが少なければ、休みを頂くかもしれません」

 

 正直なところ、自分はファリス准尉の死に思ったより衝撃を受けていませんでした。

 

 もちろん悲しかったのですが、ラキャさんの1件のせいでかなり耐性がついてしまっていたようです。

 

「……ああ、そうでした。アルノマさん、昨日はドタバタして受け取り損ねていましたが、貴方からの報告書も読ませていただきたいです」

「あー。いや、もう必要が無くなっちゃったかな?」

「まだ、そんな事を仰るのですか」

「いや、えー。まぁ、読んでもらえれば」

 

 アルノマさんに報告書の提出を促すと、彼は随分と微妙な顔をしました。

 

 取りあえず報告書を受け取って、内容に眼を通すと、

 

「……ファリス准尉が?」

「まぁ、そうなんだ」

 

 アルノマさんの負傷が、ファリス准尉によるものだと知ったのです。

 

 

「小隊長はファリス准尉と仲がよさそうだったけど、私にとっては悪魔のような人だったよ」

「……そうでしたか」

「元よりファリス氏は暴力的、高圧的で有名だったらしい。特に最近は指導が陰湿で、ネチっこく精神を追い詰めるような暴言を繰り返していたそうだ。彼の訃報を聞いて、むしろ私は納得していた」

「納得ですか?」

「私はファリス准尉がいつか、部下から撃たれるに違いないと思っていた」

 

 アルノマさんは珍しく、不快そうな感情を隠さずにモノを言いきりました。

 

 どうやら、彼とファリス准尉の確執は相当に深かったみたいです。

 

「悩みの種が一つなくなって、良かったよ」

 

 アルノマさんはファリス准尉の死を、悲しむどころか喜んでいる様子でした。

 

 

 

 

 

 

 

 その日、1日掛かりで捜査が行われましたが犯人は見つかりませんでした。

 

 一応、いくつか犯人の候補は絞れたみたいですが、特定には至らなかったようです。

 

「以上で報告を終わります、少佐殿」

「ふん、それで?」

 

 ヴェルディさんは捜査の報告をレンヴェル少佐に行いました。

 

 彼の中隊での事件なので、その責任や報告義務は彼にあるのです。

 

「落とし前はどうつけるつもりだ、ヴェルディ」

「いかようにもなさってください、どんな罰則も受け入れるつもりです」

「お前の罰則じゃない。貴様を処罰した所で、何も変わらんだろ」

 

 レンヴェル少佐は、謝罪するヴェルディさんを前にため息を吐きました。

 

 彼が気にしていたのはヴェルディさんの責任の取り方ではなく、

 

「味方殺しが軍に潜んでいるかもしれないという状況を、どう始末つけるか聞いている」

「……っ」

 

 こんな事件が明るみになってしまった以上、今後は味方すら警戒しなければと疑心暗鬼になってしまい、放置すれば兵士の士気に関わるのです。 

 

 なのでレンヴェル少佐は、明確な犯人の検挙を求めたのです。

 

「資料は読ませてもらった。良い兵士がいるじゃないか」

「良い兵士、とは?」

「ファリス准尉の部下だ。この男は、不良品を理由に銃弾を破棄しているな」

「……ええ、彼の破棄した銃弾は見つかっておりません」

 

 その中で一人、恰好に怪しい兵士が居ました。

 

 彼は当日、銃弾を破棄していた兵士の一人で。

 

「以前、脱走騒ぎを起こした時や日々の訓練の際、ファリス准尉から大層に厳しく指導を受けていたそうだが」

「ええ、それも裏が取れております」

「動機は十分という訳だ」

 

 以前自分が、ラキャさんと共に脱走した際に説得を行った、赤髪の新米兵士でした。

 

「他に、ファリス准尉に明確な恨みがありそうでかつ、銃弾を破棄した兵士はいるか?」

「……いえ。ですが彼にはアリバイがあり、犯行時刻に会話していたという兵士が」

「その証言をしている兵士は、同じ学校出身の仲の良い相手と記載がある。その証言は、信用に足らんという事で良いだろう」

 

 レンヴェル少佐は、何処までも軍人でした。

 

 物事の正しさより、軍の規律を維持する事を優先したのです。

 

「彼を犯人として検挙しろ。そして犯人を特定し、捕縛したと触れ込みを出せ。これから国の命運を賭けた決戦となるのだ、何としても兵士を安心させんといかん」

「……証拠が、不十分では」

「ヴェルディ。その新米の命と兵士の士気、どちらが重要だ」

 

 

 

 

 

 かくして、一人の兵士が犯人として確保され、がんじがらめに拘束されました。

 

 それは赤い髪の新米兵士、ラキャさんのご友人。首都から従軍したばかりのローヴェ2等歩兵です。

 

「では彼を犯罪者として、首都に護送します」

「バカモン、どうやって送る。物資の輸送とは訳が違うんだぞ」

「……それは、帰還する補給部隊などに依頼して」

「人を殺せば、補給部隊に囲まれて首都に戻れるのか。そりゃあいい、脱走したい兵士は次から次へと上官を殺し始めるだろうな」

 

 ヴェルディさんは捕縛した兵士が犯人だと確定できないので、裁判所に判断を任せるつもりだったようでした。

 

 しかし、補給部隊による囚人輸送など簡単に脱走できるでしょう。

 

 囚人護送用の檻なんてありませんから、拘束して一緒に歩いてもらう形になります。

 

 不意をついて疾走すれば、おそらく容易に脱走できます。

 

 もしそんな沙汰を下せば、脱走目的の模倣犯が増えるかもしれません。

 

 それは現実的な手段とは言えませんでした。

 

「味方殺しを許すわけにはいかん。軍規に照らし即日、射殺せよ」

 

 かくしてレンヴェル少佐の鶴の一言で犯人確定となり、軍規による射殺が決定されたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺じゃない! 俺は何もやっちゃいない!」

 

 その夕方。

 

 ファリス准尉を殺した兵士の、処刑が行われました。

 

「やめてくれ、話を聞いてくれ」

「やかましい、これ以上しゃべるな」

「んー、んー!!!」

 

 兵士には猿轡がまかれ、地面につきたてられた杭に全身を縛り付けられています。

 

 その周囲をぐるりと、新兵が囲んで銃を突き付けています。

 

「よく狙え、外すなよ。なるべく苦しまんよう、頭を撃ち抜いてやれ」

「は、はい……」

 

 今回の処刑は、新米兵士の射撃練習の的にされるというものでした。

 

 新米にとって貴重な「他人を殺す機会」なので、ヴェルディ中隊の多くの新米が集められ、処刑に参加しました。

 

 そして自分は、遺体の検分役としてこの場に召集されていました。

 

「……んー!!」

 

 その赤髪の新米兵士は、自分の姿をまっすぐ見つめてきました。

 

 それは救いを乞うような、何かを訴える様な、不思議な色をしていました。

 

「トウリちゃん、怖ければ目を背けても構わないよ」

「いえ」

 

 自分がこの場に呼ばれたのは、死亡確認の為です。

 

 赤い髪の兵士が死亡した瞬間、眼を背けていては職務放棄です。

 

 それ以前に、彼に軍隊への帰順を促した者として目を背ける訳にはいきません。

 

「……それより、ヴェルディ中尉。せめて、彼の猿轡は取って差し上げませんか?」

「それは」

 

 ただ自分はヴェルディさんに、その新米2等兵に遺言を残させてやる許可を求めました。

 

 彼が自分に、『何かを訴えかける様な』視線を送り続けていたからです。

 

 ラキャさんのご友人だった彼が何を自分に言いたいのか、その内容は想像がつきます。

 

 おそらく恨み節でしょうが、それはちゃんと聞いて受け止めるべきだと思ったからです。

 

「遺言は、しっかりと聞いてやるべきでしょう」

「そう、ですが」

 

 因みに自分は、彼が処刑されるに至った経緯を『彼が殺人犯と確定した』と聞いていました。

 

 だから、彼がファリスさんを殺した犯人だと信じ込んでいました。

 

 しかし実際のところは状況証拠のみの逮捕であり、ヴェルディさんは余計な証言をされれば困るので猿轡をしていたのです。

 

「自分は彼と、ほんのわずかながら親交がありました。どうか、お願いします」

「……」

 

 自分は真摯に、ヴェルディ中尉に懇願しました。

 

 本来であれば、ヴェルディさんは迷わず却下すべきだったでしょう。

 

 しかし中尉は自分の提案を断ったら、怪しまれると思ったのか。

 

 はたまたヴェルディさん自身、良心の呵責もあったのでしょうか。

 

「分かりました。1分だけ、猿轡を外してあげてください」

「了解」

 

 ヴェルディ中尉は根負けするように、目を伏せて。

 

 赤い髪の新米兵士、ローヴェに1分だけ発言の自由を与えたのでした。

 

 

 

 

 

 

「はあっ!! はっ、はっ」

「発言を許可する。早く遺言を残せ、殺人鬼」

 

 そしてこの、たった1分間だけの助命が。

 

 まさしく、自分の運命を大きく変えたのです。

 

「……ああ、えっと、その」

「どうした」

 

 猿轡を外されて数秒、その兵士は何かを考えるように黙り込みました。

 

 どんな遺言にしようかと迷っていると思ったのですが、ここからの彼の発言は予想外の方向へ向かいました。

 

「……、一つ目は友への遺言を。早まるな、自分を見失うな、と」

「む? 友とは誰だ、その遺言は誰に伝えればいい?」

「彼ならばきっと、この場に来ています。伝言は不要です」

 

 彼は最初に、友人への遺言を述べました。

 

 処刑場に連れられるまでに騒いでいたのがウソのように、静かな態度でした。

 

「二つ目の遺言は、そこで見ている女に。衛生小隊の、隊長殿」

「……自分ですか」

「以前、お前には命を救われた。ありがとう」

「それは、その。どういたしまして」

 

 そして意外なことに、彼は自分に遺言としてお礼を残しました。

 

 正直なところ、彼からそんな言葉をかけられるのは想定外でした。

 

 彼の親友であるラキャさんは、自分の不手際で命を落としています。恨み節をぶつけられてしかるべき、とすら考えていました。

 

「だから、お前に伝えておきたい。夜道で一人になるなよ」

「は、はあ」

「あんたを恨んで、撃ち殺したいと思ってる奴だっている。用心しとけ」

 

 そこまで言うと、少年兵は仰ぐように空を見あげました。

 

「最後に、故郷で待つ俺の家族に。申し訳ない結末を詫びてほしい。だけどローヴェは、誓いを破ってはいないと伝えてくれ」

「……」

 

 そう、呟いたのでした。

 

 

 

 その時ドクン、と胸の鼓動が早鐘を撃ちました。

 

 それはこの戦争に参加してから何度も感じた、命の危機を予見する感覚。

 

 このままでは殺される、何か行動を起こせと自分の中の誰かが叫んでいる気配。

 

「遺言はそれで終わりですか」

「ああ」

 

 少年兵が余計な事を言わなかったので、ヴェルディさんはホッとため息をつきました。

 

 再び赤髪の兵士は猿轡をはめられて、その場に立ち尽くします。

 

 

 銃が、数多の銃が、その殺人犯に向けて構えられる中。

 

 

 ───自分は半ば、反射的に。

 

 

「っ!」

「え、トウリちゃん!?」

 

 

 地面に、飛び伏せていました。

 

 

 

 

 

 

 

 たぁん、と。

 

 

 

 

 

 

 一発の銃声が処刑場に轟きました。

 

 まだヴェルディさんは、射撃の許可を出していないのにです。

 

 

 

「……な、何をしている!」

「ちっ!」

 

 

 同時に凄まじい風圧が、地面に伏せた自分の真上を通過しました。

 

 ……顔を上げれば、ローヴェ2等兵を囲んでいた少年兵の一人が、眼を血走らせ自分に銃口を向けているのが見えました。

 

 

「お前が! ラキャを、俺達を連れ戻しさえしなければっ!!」

「し、周囲の兵士は何をしている! 彼を取り押さえろ!」

 

 自分を狙い打った少年兵は、すぐさま次弾を装填し構えなおしました。

 

 周囲に集まった新米達が目を丸くして立ち尽くす中、彼は再び地面に伏せた自分を目掛けて銃弾を放ちます。

 

 

「死ねっ!」

「【盾】っ!!」

 

 

 そう簡単に自分は、殺されるわけにはいきません。多くの人に救われて、守られてきた命なのです。

 

 自分はコロコロと地面を転がりながら、ガーバック小隊長に教わった【盾】を展開しました。

 

「くそ、ちょこまかと────」

 

 そのお陰なのか、幸いにも弾は自分に当たることなく土煙を上げるのみに留まりました。

 

 ……そして、彼に許された『猶予』はそれが最期でした。

 

 

 

「……ヴェルディさん、すんません。状況が状況だったので、撃っちまいました」

「ロドリー上等歩兵……」

「あとで始末書、持ってきますァ」

 

 

 処刑場に、3発目の銃声が轟き。

 

 『殺人犯の処刑』に参列していたロドリー君が、ヴェルディさんの許可を待たず少年兵を射殺したのでした。

 

 

 

 

 

 

 

「……馬鹿野郎。あれだけ、止めたってのに」

 

 

 

 

 話を聞けば、どうやら。

 

 ファリス准尉を殺害した本当の真犯人は、先ほど自分に銃口を向けた少年兵だったようでした。

 

「詳しい事情を説明してもらえますか」

「ええ」

 

 その少年兵も、ラキャさんの親友であった兵士で。

 

 自分の説得でラキャさんと共に軍に帰順した、もう一人の少年兵でした。

 

「アイツは、ラキャを好いていました。だからか彼女が殉職してから、言動がおかしくなっていって」

 

 彼は突然に命の危険に晒され、幼馴染みの想い人を失い、精神的に弱りきっていました。

 

 そんなタイミングで、ファリス准尉は彼にラキャさんの死を、『命令を無視して愚かに死んだ』と聞かせたそうです。

 

 その言葉を聞いて彼は激高し、ファリス准尉に詰め寄りました。

 

 しかしファリス准尉は「自業自得だ」と鼻で笑ったのだとか。

 

 想い人を失い、その死に様を馬鹿にされた少年兵は殺意を抱きました。

 

 その恨みの先は、

 

「あの衛生兵長が俺達が逃げるのを阻止したから」

「あの女がラキャを見捨てて逃げやがった」

 

 ファリス准尉だけではなく、自分にも向いたのです。

 

 かくして彼は『ファリスとトウリの2人は何としても殺す』と執念を燃やし始めました。

 

 その間、ローヴェ2等歩兵は少年を何度も説得したのですが聞き入れられず、とうとう昨晩に犯行に及んでしまったそうです。

 

 

「少しドン臭いですが、優しくて大らかなヤツだったんです。だからいつか目を覚ましてくれると信じて、アイツの罪は俺が被ろうと」

「……」

 

 ローヴェ2等歩兵は、自分の銃弾が盗まれた事に気が付いていました。

 

 しかし友人を売ることは出来ず、不良品を破棄したと嘘の報告をしたのです。

 

 処刑される間際であっても、ローヴェは友人の事を想い真犯人については黙秘しました。

 

 そして遺言と言う形で親友の説得を続けつつ、遠回しに自分の身の危険を警告してくれたのでした。

 

「ドン臭いアイツが、こんな衆人環視の中でトウリ衛生兵長を狙ったのもきっと、皆に俺が犯人じゃないと分からせるためです」

「……」

「アイツは俺が処刑されないよう、今このタイミングでコトを起こしたんです。戦争に歪められちまっただけで、本当は情に厚い良い奴だった」

 

 ロドリー君に撃ち抜かれた殺人者の亡骸の前に屈んで、ローヴェ2等歩兵は静かに涙を流しました。

 

 首元を撃ち抜かれたその遺体は、雪原に赤黒い泡を吐き続けていました。

 

「今の報告に、嘘は有りませんか」

「天に誓って、嘘はありません」

「……貴方の処遇は、今から再度審議します。それまで、拘束を受けてください」

「了解です、中尉殿」

 

 

 それが、ファリス准尉の死の真相でした。

 

 上官からのストレスと親しい人物との別離による苦悩、それらが合わさって狂ってしまった兵士による凶行。

 

 冬の寒さに震えながら限界ギリギリの状態で進軍を続けていた兵士達は、思った以上に追い込まれていたみたいです。

 

 

「おうおチビ、命拾いしたな」

「……ありがとうございました、ロドリー君。また、命を救われてしまいました」

「恩を感じるなら始末書を書くの、手伝ってくれやァ」

 

 

 彼から自分に向けられた銃口は、自分の行いの報いです。

 

 自分がちゃんとしていればラキャさんも死なず、彼もこんな凶行に及ばなかったでしょう。

 

「彼もせめて、死後はご冥福を」

「あ? そんな奴にも祈るのか」

 

 彼の死は、自分に端を発しています。

 

 なので、せめてもの弔いに、自分はその少年兵の亡骸に手を合わせ冥福を祈りました。

 

 怪訝な顔をしつつも、ロドリー君は自分に付き合ってその遺体に手を合わせてくれました。

 

「……」

 

 来世では是非、戦争のない世界に生まれ変わってください。

 

 貴方が本当に情に厚かった人であれば、来世では幸せな人生を送れるはずです。



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60話

 

 オースティン軍を大きく動揺させた、ファリス准尉の射殺事件。

 

 その顛末は、犯人射殺で幕を下ろしました。

 

 

 この事件の後始末には、レンヴェル少佐も苦心したようでした。

 

 何せローヴェ2等歩兵は、冤罪で処刑されかけた訳です。

 

 この事実が明るみになると、兵士の間に不信が広がる危険性がありました。

 

「貴官は虚偽の報告を行った、それが誤認逮捕の原因となった」

「はい、少佐殿」

 

 なので、「ローヴェ2等歩兵は、友人を庇って自ら逮捕された」という触れが出されました。

 

 誤認逮捕になった原因はローヴェのせいで、軍はちゃんと捜査をしていましたとアピールしたのです。

 

 それと同時に、

 

「ローヴェに友人を庇う意思はあったが、軍に歯向かう意思はなかった。偽証の罪に関しては終戦まで、一時不問とする」

 

 と、レンヴェル少佐はローヴェを実質的に無罪放免にしてしまいました。

 

 

 

 そんな裁定の裏には、実はちょっとした司法取引がありました。

 

 レンヴェル少佐は彼を呼び出し、

 

 

「君は十分な尋問を受け、その場で偽の自白を行った。そうだろう?」

「え、いえ、ほぼ有無を言わさず処刑場に連行されたんです、けど」

「なら、そういう事にしておきたまえ。厳しい尋問を受けてなお友を庇ったとあれば、その友情に免じて君の罪を軽くしてやれる」

 

 とても優しい顔で、彼の肩を抱いて囁いたそうです。

 

「君はとても見どころのある人間だ、友人を庇って処刑を受け入れる事など出来る人間は少ない」

「は、はい、どうも」

「ヴェルディ中尉の早とちりで君を逮捕してしまってすまなかった。俺は処刑場で起きたことを聞いて、甚く君を気に入ってしまった。是非、君の力になりたいんだ」

 

 レンヴェル少佐はヴェルディさんに謝罪させた後、優しくローヴェ2等歩兵に茶菓子を用意して語り掛けました。

 

 その言葉を聞いてローヴェ2等歩兵はレンヴェル少佐を信じ(?)、友を庇う為に犯行を自白したと証言するようになったのでした。

 

 

 

「叔父上。あれじゃ、我々の不手際を誤魔化すのに協力してもらった様なモノでは」

「ローヴェという男も、罪が軽くなって喜んでおっただろう。Win-Winという奴じゃ」

 

 ローヴェさんが心の底からレンヴェル少佐を信じたのか、はたまた「従っておいた方が良い」と判断したのかは分かりませんが。

 

 この司法取引の様な何かのお陰で、兵士の間に不信が広がるようなことはありませんでした。

 

 流石に、何年も軍の権力争いに勝ち抜いてきただけあってレンヴェル少佐は非常に老獪だったようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、オースティン軍は射殺された少年兵を埋葬した後、すぐさま進軍を再開しました。

 

 ただでさえ冬入りが早かった上、ファリス准尉の捜査で時間を取られたので、我々は予定よりかなり遅れていました。

 

「本当に寒いな、いくら冬でももう少しポカポカした日は無いもんかね」

「おそらく、サバトに近づけば近づくほど寒くなっていくのでしょう」

「やってられないな」

 

 少しでも暖かな日があれば一気に進軍できるのですが、雪がやむ気配はありません。

 

 自分が暮らしていたノエルでは、時折ポカポカとした暖かい日が冬でもありました。

 

 こんなに毎日毎日、飽きもせず雪が降り続けるような気候ではなかったです。

 

 この寒さは異常気象も原因の一つと思われますが、そもそもこの付近の気候が寒冷なのもあるでしょう。

 

「昨晩、とうとう凍死が出ましたしね」

「笑えないよ、本当に」

 

 この地域がいかに極寒であったかは、日々の患者さんの大半が凍傷であったことからも伺えます。

 

 昨晩には、ついに風邪だった兵士が休養を取らず偵察に出て、フラリと倒れこみ殉職しました。

 

 体調の悪い人間が極寒の地で意識を失えば、あっさり凍死してしまう危険があるのです。

 

 これを受け、我々衛生部はレンヴェル少佐に『体調不良者は絶対に休ませてください』と上申しました。

 

「風邪も流行っているようだし、ますます進軍速度は落ちるんじゃないか?」

「レンヴェル少佐殿は、何とか進軍速度を上げようとしている様子ですが」

「これ以上進軍速度を上げたりなんてしたら、凍死者が増えるぞ」

 

 この時、オースティン軍ではインフルエンザによく似た風邪が流行っていました。

 

 勿論、当時のオースティンにはインフルエンザの特効薬なんてありません。

 

 そして、現代日本のような衛生状態を保てない軍隊では、感染力は凄まじいです。

 

「抗生剤も、在庫が心もとなくなってきた」

「節約していかないといけませんね」

 

 流行病は非常に恐ろしい存在です。

 

 小さな子供であれば罹るだけで命の危険がありますし、大人であってもコンディションが悪ければあっさり病死してしまいます。

 

「抗生剤の補充は、しばらく先か……」

「本国でも流行しているようで、そもそも不足気味なようです」

 

 あと、この世界では『風邪には抗生剤が有効である』とされていました。

 

 現代日本の知識として、ただの風邪に抗生剤は無意味な筈ですが……。

 

 そんな事を自分が言い切ったところで説得力も何もありません。

 

 いずれそういう結論に達するのかもしれませんが、現状はこの時代の医療知識に従って、自分も抗生剤を処方していました。

 

 

「今後は抗生剤の使用を、重症な人に限定しましょう」

「そうするしかないか」

「歩兵たちに、可能な限り清潔を保つよう触れを出しましょう。また、鼻水や血液などの着いたゴミは穴を掘って埋めるようにしましょう」

 

 

 こうして衛生部は、外傷ではなく病魔とも闘う事になりました。

 

 もし軍に肺炎が流行すれば、かなり大きな被害が出ます。

 

 それらの流行を食い止めるのも、衛生部の務めです。

 

 この日からしばらく我々は、高熱と咳や鼻水に苦しむ兵士と悪戦苦闘することになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 雪の中を進むこと、1か月。

 

 我々はやはりノロノロと、スローペースの進軍を続けていました。

 

「足跡は、無いな。やっぱり、この辺に敵はいなさそうだ」

「敵は、もう遥か先に逃げたんじゃないか?」

 

 この間、サバト軍は影も形も見せませんでした。

 

 なので衛生小隊的に、目下最大の敵は寒さと流行病だけです。

 

 

「敵影無しなら、前進だ!」

 

 

 歩兵たちは偵察のついでに、暖を取るため枯れた木枝を集めるのが日課になっていました。

 

 平原に降り積もった雪が溶けることは無く、身を切り裂くような冷たい風が吹きすさんでいました。

 

 幸いにして風邪は軽症な性質のようで、肺炎に至る人はいませんでした。

 

 しかし軽症な代わりに感染力は強いようで、軍のほぼ全員が一度は体調を崩すくらい流行しました。

 

「リトルボス、また鼻水が垂れてきているよ」

「ああ、失礼しました」

 

 自分も例にもれず3日ほど熱を出しましたが、幸いにも自然に治ってくれました。

 

 まだ咳や鼻水が続いていますが、そのうち治まるでしょう。

 

「何だか最近、雪が少なくなってきたな」

「冬入りが早かった分、冬が明けるのも早いのでしょうか」

「いや、流石に早すぎるよ」

 

 1ヶ月もたって流行が治まりを見せてきた折、我々オースティン軍に1つの朗報が届きました。

 

 それは、

 

「おお、ヴェルディさんから連絡です。従軍気象部によると、今週だけは非常に温暖となる可能性が高いそうです」

「ほう、それは良い」

「なので本日から進軍速度を上げ、これまでの遅れを取り戻すらしいです。要は、マラソン再開ですね」

「……それはあんまり、嬉しくないお知らせだね」

 

 冬場だというのに、今週一杯は比較的暖かくなるという予報でした。

 

 それは青天の霹靂の如く、真冬に穏春が訪れたのです。

 

 この機を逃すまじと、レンヴェル少佐は嬉々として強行軍を命じました。

 

「たった1週間だけでも早く進めれば、戦況が大きく変わるそうです。頑張りましょう」

「了解だ、ボス」

 

 雪はまだ土の上に残っていますが、お日様が暖かければ走りやすさは全然違いました。

 

 我々は1週間の間だけ、今まで通りの進軍速度を取り戻したのです。

 

 気候が温暖なうちに、西部戦線の基準線でもあった『タール川』まで進みたい。

 

 それが、この時の戦略目標でした。

 

 

 

 タール川は、元々サバトとオースティンの国境となっていた川です。

 

 東西戦争は、このタール川を境に始まりました。

 

 この川を確保するため、ガーバック小隊長を始めとした西部戦線の勇士達が日々奮闘していたのは懐かしい記憶です。

 

 

 現状、おそらくサバト軍は国境であるタール川まで撤退していると予想されます。

 

 そこで補給線を確保しつつ、我々オースティン軍を迎え撃つ算段を練っている所でしょう。

 

 

 そんなサバト軍を我々と南部軍で挟んで、北へと追いやるのが当初の予定です。

 

 冬入りした今となっては不可能でしょうけど、せめてタール川を挟んだ戦線を構築しておきたい。

 

 レンヴェル少佐の目標は、そこにありました。

 

 

 

「えっさ、えっさ」

「走れー、新米どもー」

 

 

 

 この頃になると、流石に走らされたくらいでダウンするような新米は少なくなっていました。

 

 首都から出発して約3ヶ月経ち、新米達に少し体力が付き始めていたのです。

 

 我々は南部軍が今も北上し続けていることを信じ、無心に合流地点へ向かって走り続けていたのでした。

 

 

 

 当年の冬は数十年ぶりの極寒となりましたが、この1週間だけは温暖な天気となっていました。

 

 それはまさに、1週間だけ春を前借り出来たような奇跡の瞬間でした。

 

 この奇跡が無ければ、きっと我々は冬の内にタール川に辿り着くことは出来なかったでしょう。 

 

 

 レンヴェル少佐は『北部決戦構想』を諦めず、部下に鞭打って強行軍を続けました。

 

 他にオースティン国民に生き残る道はない、どんな被害を被ってでも決戦を成し遂げてやるという、気迫を持っての強行軍でした。

 

 その、オースティンを守るべく決死の行軍を見せたレンヴェル少佐の想いに応えるかのように、霧は少しづつ晴れていきました。

 

 

 冬入りしてからずっと我々の視界を奪っていた忌々しい霧でしたが、この1週間だけは露と消えたのです。

 

 そのお陰で偵察兵の仕事が楽になり、進軍速度は益々上がりました。

 

 

 この調子ならば、合流地点であったタール川に到達することも可能でしょう。

 

 南部軍と合流出来れば、いよいよサバト軍との決戦です。

 

 それは一度は無条件降伏まで追い込まれたオースティンが、奇跡に奇跡を積み重ねて得た千載一遇の好機なのです。

 

 この神様からの贈り物と呼べる暖かな1週間を逃さず、レンヴェル少佐達は走り続け───

 

 

 

 

 

 ───マラソンの開始から、3日目。

 

 我々は、絶望を目の当たりにしました。

 

 

 

 

「……敵が」

 

 

 

 

 それは晴れた視界に、よく映りました。

 

 小さな山を越え、とうとう西部戦線を構築していた平原へとたどり着いた我々は。

 

 数十キロは先に見える合流予定地点に、数えるのもバカらしいほどの大軍───

 

 我々中央軍の10倍はあろうかというサバト軍が、タール川の手前にうじゃうじゃと進軍している姿を見たのです。

 

「……あんな数と闘うのは、流石に無謀じゃないか」

 

 それは先月に我々を奇襲した部隊なんかより、遥かに大勢の敵でした。

 

 地を這う蟻の群れのように、サバトの大軍が我々の行く手を阻もうと蠢いていました。

 

 

 そしてその付近に、オースティン南部軍の姿は見えませんでした。

 

 

「……リトルボス、あの敵の数は一体?」

「すみません、分かりません。上層部に、連絡を取らないと」

 

 

 南部軍は、もう負けてしまっていたのでしょうか。

 

 我々の必死の強行軍は全くの無駄で、南部軍はもう敗れていて。

 

 これから自分達は、目の前の狂暴なサバト兵に蹂躙されるしかないのでしょうか。

 

 そんな、ネガティブな妄想が頭に浮かびました。

 

「ヴェルディ中尉は、新たな命令が下るまで進軍を続けよと仰いました」

「お、おいおい! あの大軍に向かって直進しろっていうのか」

「それが命令であるならば、自分達は従わなければなりません」

 

 ヴェルディ中尉も、まだ目の前の光景について何の情報も持っていないようでした。

 

 もしかしたら南部軍も合流が遅れているだけで、もう少し進めば南部軍の姿も見えてくるのかもしれません。

 

 ならば、進軍するというのも納得できます。

 

 あの、膨大な数の敵兵と対峙するのが我々オースティン軍の仕事なのですから。

 

「……あんな大勢の敵が、ビッチリと平野を覆う光景。流石の私も、気分が悪くなってきたよ」

「アルノマさん、落ち着いてください。きっと、我々まで戦う事にはなりません」

「そうだといいがね」

 

 霧が晴れてしまったせいで、明確に見えてしまった『恐ろしいほどの敵の大軍』。

 

 優に数万人は超えていそうな大軍が、行く手を阻んでいるのです。

 

 それがどれだけ、我々の戦意を挫いたでしょうか。

 

 あれほどの敵を前にして、たかだか数千人の我々にどれほどの事が出来るでしょうか。

 

「えートウリ衛生兵長。伝令です、部隊で情報を共有してください」

「は、はい。中尉殿」

 

 そんな、実際に戦わない衛生兵である自分ですら囚われてしまった絶望は。

 

「……」

 

 次にヴェルディさんから聞いた『戦報』に、更にブン殴られました。

 

 

 

 

「皆さん、落ち着いて聞いてください。敗走しているそうです」

「敗走?」

 

 流石のレンヴェル少佐も、目の前の状況を把握すべく各方面に通信を試みた結果。

 

 合流場所近くまで来ていた『オースティン南部軍』と、ついに連絡が取れたようです。

 

 そのオースティン南部軍からの、情報によると。

 

 

「目の前の、優に数万人を数える敵サバト軍は」

「はあ」

「南部軍の攻勢に敗北し、北方向へ敗走して逃げている最中だそうです……」

「……は?」

 

 

 目の前で蠢いている数万の敵は隊列も崩れており、北を目指して我先にと逃げ出している真っ最中だという信じがたい報告でした。

 

 冬に入った後、流石の南部軍も攻勢に出られず、サバトと塹壕越しに睨みあっていたのですが。

 

 オースティン南部軍に現れた天才、ベルン・ヴァロウ参謀大尉はこの『奇跡の1週間』を活用し、奇襲をかけて散々にサバト兵を撃ち破ったというのです。

 

「我々中央軍も、追撃に参加するよう要請を受けました。ここからは偵察を行わず、駆け足でサバト兵を奇襲するそうです」

「待て、待て何を言っているリトルボス」

「自分も、信じられません。信じられませんが、どうやら───」

 

 こうして、本来は頓挫する寸前だったオースティン最後の奇策『北部決戦構想』は。

 

「我々は、最高の形で合流出来てしまったみたいです」

 

 思わぬ形で、当初の予定通り進んでいくこととなったのです。

 

 そして翌年の春。

 

 サバトとオースティンはお互いの命運をかけ、最終決戦を行う事となりました。

 

 

 

 

 この『北部決戦』を戦後に振り返ってみると、オースティン側の参戦者が凄まじい顔ぶれであった事が分かります。

 

 稀代の戦略家ベルンや、老獪な英雄レンヴェルを始め、綺羅星の如く将星が集っていました。

 

 東西戦争が始まる前から従軍し、オースティンを支え続けてきた当時最高峰のベテランの将兵達だけでなく。

 

 まだ無名でしたが、後にオースティンを支える次世代の英傑たちも勢揃いしていたのです。

 

 この決戦に名を連ねた将官の豪華さは、東西戦争におけるオースティン軍のオールスターと呼んでよいでしょう。

 

 そんな奇跡の様に集った人傑の指揮を執り、その名を轟かせるに至った怪物ベルン・ヴァロウ。

 

 自分と、その化け物の邂逅は間も無くの事でした。




3章終了です。再開をしばしお待ちください。


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4章 北部決戦
61話


 

 この世界の戦場には『エース』と呼ばれる人たちが居ます。

 

 前世においてこの言葉は、よく戦闘機乗りに対して使われた言葉でした。

 

 敵の戦闘機を5機も落とせばエースパイロットとして名が轟き、叙勲を受ける事が出来たそうです。

 

 

 一方この世界において、エースと呼ばれる明確な定義などはありません。

 

 ただ兵士が突出した成果を上げ続けた際に、自然と周囲からそう呼ばれるそうです。

 

 かつてガーバック小隊長は、その頭のおかしい制圧成功率を評価され10年かけてエースと呼ばれるようになりました。

 

 ……ガーバック小隊長ほどの人物が、開戦からずっと最前線で生き延び続けてやっと、エースの称号を得るのです。

 

 

 兵士にとってエースという言葉は、軽くありません。前線兵士にとって、希望の象徴なのです。

 

 

 西部戦線において、オースティンにエースと呼ばれた人物は合計13名おりました。

 

 ガーバック小隊長の様な怪物染みた兵士は、こんなにもいたのです。

 

 彼らはそれぞれの戦線で味方を支え、サバトに大きな打撃を与え続けました。

 

 

 

「俺があと10人いればなぁ」

 

 

 

 そんなガーバック小隊長の言葉が、思い出されます。

 

 実はオースティンには、13名もガーバック小隊長の様な怪物が居たのです。

 

 もし彼らが一堂に会することが有れば、オースティンが戦線を突破する事が出来たのでしょうか。

 

 ……尤も、現実には各地のエースを集結させる余裕なんてものは無かったそうですが。

 

 

 

 しかし現在、そんなエースの大半は既に失われていました。

 

 ガーバック小隊長を含めた、9名の『エース』がシルフ攻勢で殉職したそうです。

 

 今まで戦線を支えてきたオースティンの人傑は、今や4人しか残っていないのです。

 

 1000の兵は得やすく、1人の将は得がたしと言います。

 

 シルフ攻勢での最大の痛手は、この9人のエースを失ったことかもしれません。

 

 

 

 そして思い返せば、自分は実に幸運でした。

 

 自分は新兵の頃よりガーバック小隊長という、貴重なエース直々に指導して貰っていたのです。

 

 当時から『突撃兵としての完成形』と評された彼の技術を、その背からずっと眺めることが出来たのです。

 

 銃弾を切って戦場を駆ける、その鮮烈な彼の姿は───とても怖かったのも事実ですが、間違いなく自分の一つの憧憬でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……驚いたな」

 

 刈り上げの武骨な兵士は、自分の作り出した【盾】を見て目を細めました。

 

「貴官は衛生兵と聞いていたが、装甲兵の真似事も出来るのか」

「いつか自分と仲間の身を守れるよう、かつてゲール衛生部長、ガーバック小隊長にご指導頂きました」

「ガーバック、あの男か。突撃狂と聞いていたが、なかなかどうして器用な」

 

 その兵士は自分が【盾】の魔法を使えると聞き、やって見せろと指示を出しました。

 

 それに応じ、ガーバック小隊長殿に教わった通りに【盾】を展開したのですが。

 

「展開速度、形状、共に申し分ない。強度も、これだけあれば十分だと思う」

「恐縮です」

「貴官が適切な研修を積めば、すぐに装甲兵として運用できるだろう。少なくとも【盾】の魔法には、一般的な装甲兵として合格ラインを出せるレベルだ」

「ありがとうございます」

 

 ガーバック小隊長は、自分を思った以上に苛烈に鍛え上げてくれていた様で。

 

 自分の【盾】が、普通に装甲兵としての運用に耐えうるレベルにまで達していたことを告げられました。

 

「それでは、その」

「ああ、軍人に二言はない。明朝6時から、演習場に来い」

「……はい」

 

 当時の自分は、少し焦っていた時期でした。

 

 自身の怠慢でラキャさんを失ってしまった事から、もう二度と「何かをし忘れて後悔したくない」という強迫にかられており、漫然とした日々を過ごすことが恐怖だったのです。

 

「貴官に、我が中隊の訓練への参加を許可する」

「ありがとうございます」

 

 だから冬季で衛生部に暇が出来て、比較的のんびりとした時間が流れる中。

 

 自分は目の前に立つ細身の魔術師───砲撃すらも防ぐ防御魔法の達人。

 

「俺は女子供とて贔屓はしない、厳しく指導する」

「了解です、ザーフクァ曹長殿」

 

 オースティンに残った数少ない『エース』の名を持つ男に、弟子入りを申し出たのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 話は、1週間前に遡ります。

 

 我々が南部軍と、合流を果たした後の話です。

 

「よくも、俺達の故郷の街を!」

「随分と調子に乗った真似をしてくれたな!」

 

 オースティン兵のサバト軍への追撃は、鬼気迫るものがありました。

 

 我々は、虐殺された村の様子をこの目で見てきたばかりです。

 

 同胞や家族を殺された恨みで大いに昂った我々は、怒りのままサバト兵に突撃していきました。

 

 

「……また、吹雪が濃くなってきた」

「ここまでか」

 

 

 その追撃を嫌った敵は逃げ、最終的に北部オースティン領まで引っ込んでいきました。

 

 この地域は、オースティン首脳が画策していた、北部決戦の予定地でもありました。

 

 つまり、我々は見事に当初の戦術目標を達成することが出来たのです。

 

 そして、逃げた敵を包囲するよう我々は塹壕を掘り、防衛網を構築して越冬を始めました。

 

 

 冬入りした後は、異常な程の極寒でお互いに攻勢に出られる状況ではなくなり。

 

 我々は春が来て雪が溶けるその日まで、雪原で睨み合うことになったのです。

 

 

 

 

「どうもー、貴方が生き残った衛生兵チャン? 聞いていた通り、可愛いわね」

「初めまして、レィターリュ衛生准尉殿」

「長いからレイリィで良いわよ。うん、こんなに小さい体で今までよく頑張ってきたわ!」

 

 今の話は、最前線から治療に来た兵士さんから聞いた話です。

 

 もちろん衛生兵である我々は、戦闘に参加していません。

 

 我々トウリ衛生小隊は追撃部隊と別れ、パッシェンという村に陣取った南軍の衛生部に合流していました。

 

「それに……、フフ。なかなか色っぽい良い男も連れてきたじゃない。どっちか狙ってたりするの?」

「いえ、その」

「じゃあ私がパクっとヤっちゃってもいい感じかしら?」

「……、お、お好きなように」

 

 南軍で衛生部長を務めている方は、レィターリュという准尉さんでした。

 

 そばかすがキュートな、黒髪で豊満な肉付きの女性です。

 

「よく来たわ新米衛生兵たち! まだまだ分からないことも多いでしょう? 私が手取り足取り教えてア・ゲ・ル♪」

「……」

 

 レィターリュ衛生准尉は、とてもアグレッシブな方でした。

 

 我が小隊のハンサム二人を見るや否や、挨拶そっちのけで誘惑を始めました。

 

「貴殿方、結婚してたりする? 今フリー?」

「えーっと、あー」

 

 彼女の部下が呆れた視線を向けていますが、気にする様子はありません。

 

 小隊長の自分を放っておいて、キャッキャとアルノマさん達に絡みに行く潔さは少し尊敬できる気がします。

 

「久々の新人、テンション上がるわ! 歓迎会の準備をしなくっちゃ!」

「ど、どうも」

「とりあえず、病床の回診終わったらパーティしましょ、パーティ。とっておいたワイン、開けちゃおうかしら」

 

 レィターリュ部長はそう言うと、鼻歌交じりで「ワイン取ってくるわー」とテントを出ていきました。

 

 台風のような人、という印象を受けました。

 

「明るい人だったね……」

「上官が、話しやすそうな人柄で良かったよ」

 

 絡まれた新人二人は何かを言いたそうにしていて、何も言わずに苦笑していました。

 

 まぁ、ガーバック小隊長みたいな怖い人が出てくるよりは助かるのですが。

 

「おい、新入り二人。レイリィ部長はあんなこと言ってるけど、変な仲になったりすんなよ」

「へ? あ、はい」

 

 レイターリュさんが去った後、眉間に皺の寄った真面目そうな男性衛生兵が話しかけてきました。

 

 見た感じ、レィターリュさんの部下でしょう。

 

「そうですね、妊娠するような行為は軍規違反ですからね」

「あー、いやそうじゃなく。まぁ、そこも何だが」

「どうしました? 何か、歯切れが悪いですけど」

 

 彼は、チラっと周囲を見渡した後。

 

 ケイルさんとアルノマさんに近づいて、小声で耳打ちしました。

 

「レイリィは、前々から新兵に手を出す悪癖があってね。先輩風を吹かして、優しく誘惑するのが十八番だ」

「はぁ」

「ところがレイリィの恋人は今まで全員、付き合った1週間以内に殉職してる。呪われてるんだよ、あの人」

「え、えぇ……」

 

 彼の話によれば、レィターリュさんは付き合った男性を不幸にする属性をお持ちのようで。

 

 男性兵士から『ヤれば戦死する危険人物』として警戒されていると聞きました。

 

 ……。

 

「付き合うなら、それを覚悟の上でな」

「……は、はい」

 

 確かに前世でも、交際相手に幸運をもたらす方もいれば不幸を見舞う方もいました。

 

 それはその本人が悪いというより、単に星の巡りの問題だとは思うのですが。

 

「たっだいまぁ~」

「あ、レイターリュ衛生部長」

 

 男性兵士の言葉が終わるかどうかといったタイミングで、満面の笑顔で南軍衛生部長がテントに戻ってきました。

 

 彼女はまだ封の開いていないワインを両手で抱えており、

 

「さぁ、久しぶりにコンパよ! 新兵の歓迎飲み会よ!」

 

 楽し気な表情で、その瓶に頬擦りしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レィターリュさんは第一印象の通り、気さくで付き合いやすい人物でした。

 

「そこの処置が分からない? ええ、任せて、お姉さんこういうの大得意だから!」

 

 わからないことを聞けば、親身になって教えてくれます。

 

 暗い顔をしている兵士には積極的に話しかけに行って励ましますし、部下に任せておけば良い雑用なども、自分から進んでやってくれます。

 

 南部軍の衛生部を任されているだけあって、優れた人格者と言えました。

 

 ただ唯一の悪癖が、男癖の悪さというか。

 

 軍規に則っており妊娠するようなことはないのですが、新兵───主に少年兵をターゲットにつまみ食いする癖があるそうです。

 

 つまみ食いされただけでも重傷を負うことが多く、レィターリュさんと付き合うに至った場合は殉職、というのが彼女の恋愛遍歴なのだとか。

 

 恋人を失っては号泣し、次の恋に目覚め、再び失って号泣する。それを、レィターリュさんはずっと繰り返しているそうです。

 

 死亡率が妙に高いのは彼女が新米を狙ってるためでしょうが、常に死と隣り合わせの兵士達はゲン担ぎを結構大事にするようで。

 

 レィターリュさんは「男の精と寿命を搾り取る淫魔」と恐れられてしまったそうです。

 

 そのせいで彼女はもう1年以上、新米兵士を釣れていないのだとか。

 

「久々の新兵! それもイケメン!」

 

 自分の噂についても重々承知していたそうで、南軍で彼氏を作るのは難しいと考えていた折。新米兵士を含む我々トウリ衛生小隊が指揮下に入ることとなり、とても喜んだそうです。

 

 男日照りの彼女に訪れた、久々の新米男性衛生兵。何としても食ってやると、我々の合流を聞いた瞬間からレィターリュさんは息巻いていたそうです。

 

 初対面で彼女のテンションが異様に高かったのには、そんな理由があったのです。

 

 

「ちょ、ちょっと僕は遠慮しとこうかな」

「私は俳優として、今は特定の個人とは……」

「えー? まあまあ、そう言わず!」

 

 

 うちの男性陣は少し固い笑顔でしたが、概ねトラブル等は起きず。

 

 レィターリュさんは機嫌よく、我々トウリ衛生小隊を受け入れてくださったのでした。

 

 

 

 

 

 この時、レイリィさん率いる南軍衛生部が滞在していたのは、前線からオースティン領内に10kmほど戻った場所にあるパッシェンという都市の跡でした。

 

 この街はオースティンの北寄りの村で、サバトの略奪の被害を受けた村落の1つです。

 

 我々はほぼ廃墟となったパッシェンにテントを並べ、野戦病院代わりの拠点としました。

 

 

 こんな、前線から離れた場所に拠点を作ったのには理由があります。

 

 戦況は南部軍が押していたとは言え、兵力で優位を保っているのはやはりサバト側でした。

 

 しかも当時のサバト軍はシルフの指揮のせいで、リスク度外視の何をしてくるかわからない敵と印象付けられていました。

 

 だから万一を考え、衛生部や物資を守るべく最前線から引き離して拠点を作らせたのです。

 

 しかも視界が良くない冬の間は、遠回りしてきた敵からの奇襲もあり得るため防衛部隊が駐留してくれました。

 

 このことからも、オースティン首脳部が衛生小隊や軍事物資をとても大切に運用してくださっていたことが分かります。

 

 

 結局、冬の間はお互いに戦闘を起こさず睨みあうだけになったのですが。

 

 その平穏の間、自分はザーフクァ曹長───南軍のエースから直々に指導を頂けたのでした。

 

 




世界一位様より、とても素敵なイラストを頂きました。
誠にありがとうございました。

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62話

「寒いわね~、こういう日はワインを飲んで温まりましょう!」

 

 南軍の衛生部と合流してから、数日ほど経ちました。

 

 吹雪が強まってからは戦闘が起こらなくなり、衛生部に来る患者さんの数はどんどん減ってきていました。

 

「異常気象って、サイコーね! こんなに患者さんが少ないのはいつ以来かしら~」

 

 野戦病院とは思えないほど、衛生部は平和でした。

 

 患者さんと言えば時折、風邪を引いた人が抗生剤を求めてやってくる程度です。

 

「新米さんは今のうちに、しっかりお勉強しましょうね。レィリィ塾の始まりよ~」

 

 レィターリュ衛生准尉は手持無沙汰になるや、毎日のようにアルノマさんやケイルさんの尻を追いかけ始めました。

 

 新米への指導────、と言う名目の逆ナンです。

 

 レィターリュさんは暇な時にいつも、ちょっと近めの距離感で我々に指導をしてくれました。

 

 ケイルさんはともかく、戦争外傷の治療経験が少ない新米にとって、レィターリュさんという凄腕衛生兵の直接指導はとてもありがたいでしょう。

 

「……ねぇ、アルノマ君。今夜、空いてたりしない?」

「あ、あははははは!!」

 

 だから彼らは、新米は彼女からのセクハラに耐えつつも話を聞くしかないのです。

 

 結構タメになるので、自分も積極的に聞きに行きました。

 

 話のオチがいつも夜這いの誘いや下ネタなのは、ご愛敬でしょう。

 

 

 

 

 ……とまぁ、これが南軍の衛生部に合流してからの日常です。

 

 自分もいろいろとご指導を頂きましたが、患者さんが来ないのであまり勉強になりませんでした。

 

 習うより慣れよ。回数を重ねるごとに上達していく回復魔法は、やはり実戦が一番の修行です。

 

 患者が減って上達しない自らの技術にやきもきしながら、先輩方から伝え聞いた座学などを吸収しつつ、レィターリュさんのセクハラを眺める日々を過ごしていました。

 

 南軍と合流してから1週間ほどは、戦争中に似つかわしくない平穏な日々となりました。

 

 

 ────そしてこの平穏こそが、自分にとっては恐怖でした。

 

 

 自分は、まだ小隊長としては未熟です。なのに、こんなにノンビリとして良いのでしょうか。

 

 今この瞬間、何か努力しておくべき事柄があるのではないでしょうか。

 

 初めて部下を失ったあの日から。

 

 自分はラキャさんみたいな防げる犠牲を防ぎたいと、ずっとそう考えていました。

 

 

 確かに自分はまだ小娘と言える年齢ですが、前世の事を考えると成人済みと言えます。

 

 何なら、ガーバック小隊長より年上です。信じられませんが、前世を換算するとあの男は年下男性なのです。

 

 だから、自分はもっとしっかりしていて然るべきなんです。

 

 

 ラキャさんの反省を生かし、南軍と合流してからは飲み会の席で自分の失敗談を語るようにしました。

 

 あの鬼軍曹にボコボコに指導を受けた経験は数知れず、中々に話が尽きることはありません。

 

 宴席で自分語りをするなど部下からしたら鬱陶しいだけでしょうが、とても大事なことなので我慢して聞いていただいています。

 

 

 かつてガーバック小隊長に申し付けられた訓練メニューも、時間が出来てから再開しました。体力は、いくらあっても困りません。

 

 自分は南軍と合流してから、衛生兵として勉強をしつつ体力鍛錬も怠りませんでした。

 

 しかし、それだけでは何かが足りない。いつか目の前の誰かが命を落として、もっと自分が努力していればと後悔するかもしれません。

 

 そんな焦りが、自分の中に確かにあったのです。

 

 

 そんな折、自分はある話を聞きました。

 

 今、我々を護衛してくださっている中隊の長は【盾】魔法のスペシャリストで─────オースティン軍の誇るエースの一人である、と。

 

 

 

「皆、注目せよ。彼女は本日より、訓練に参加するトウリ衛生兵長だ」

「よろしくお願いします」

 

 

 

 自分はレィターリュさんに話を通し、防衛部隊の隊長……ザーフクァ曹長に訓練の参加許可を頂きました。

 

 せっかく、近くに熟練の歩兵が居るのです。指導してもらえるなら、それに越したことは有りません。

 

 当初は、「君では無理だ。きちんと【盾】が扱えないと、訓練にならないだろう」とザーフクァ曹長は、衛生兵の小娘が訓練に参加することに難色を示しました。

 

 しかし自分がガーバック軍曹に教わった【盾】を使って見せると、一転して参加許可を貰えました。

 

 自分の【盾】は、ザーフクァさんのお眼鏡にかなった様です。

 

「ご紹介に与りました、トウリ衛生兵長です」

「彼女は衛生兵だが、遠慮はいらん。【盾】は1等歩兵レベルだ、存分に教えて鍛えてやれ」

 

 

 自分は、ザーフクァ曹長の紹介を受けゴツゴツとした軍服を着こんだ兵士たちの前に立ちました。

 

 彼らは所謂、『防衛部隊』と言われる兵士達です。

 

 それはガーバック小隊のような突撃部隊と異なり、防御向きな兵科が多く編成されている部隊です。

 

 西部戦線で彼らは長い時間塹壕に籠り、敵を迎え撃つ役目についていました。

 

 

 

 装甲兵は厚い防具で身を固めて、爆風の中で生き延びられるようになった兵科です。

 

 元々は白兵戦で、騎馬突撃を受け止める役割だったようです。

 

 かつては重い鎧を身に着け、馬を切れる大刀を装備する必要があったので、筋骨隆々の巨漢が配置されることが多かったそうです。

 

 しかし現在の戦場において、騎馬兵なんて愉快な銃の的でしかありません。

 

 なので現在の装甲兵は、被弾面積が小さく長時間の任務に耐えられるよう『小柄な兵士』がよく選ばれるそうです。

 

 ザーフクァ曹長も例にもれず、少し小柄な男性でした。

 

 

「彼女は衛生兵だ、怪我しても自分で治せる。見た目に惑わされ容赦をするな、好きなだけ痛めつけろ」

「「はい、曹長殿」」

 

 

 そして装甲兵に必須なのが、【盾】の素養です。

 

 【盾】は結構ポピュラーな魔法で、適性を持っている方は多いそうです。そして適性があれば、高確率で装甲兵に配置されてしまうそうです。

 

 適性持ちは多くても、ポンポン殉職していくので需要は高い兵科なのです。

 

 自分が男で回復魔法の素養がなかった場合、100%装甲兵として配属されたでしょう。

 

 ゲールさんは自分に【盾】を教えてくださいましたが、その素養が有ることを徴兵検査で確認していたのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザーフクァ隊の訓練は、ウォーミングアップから始まりました。

 

 流石エース部隊だけあって、ウォームアップだけでも大変な運動量です。

 

 兵士たちはストレッチ、ランニング、筋力トレーニングをテキパキとこなしていきました。

 

 日ごろ鍛えていたはずの自分も、ついていくのが大変でした。

 

 

「トウリ衛生兵長、小銃を貸し出す。OST-3型の撃ち方はわかるか」

「はい、中隊長殿。恥ずかしながら、まだ学んでおりません」

「そうか、ならゴスペル1等歩兵。簡単に手ほどきしてやれ」

 

 

 ウォームアップを終えると、自分はいきなり銃を貸し出されました。

 

 衛生兵なのに武器を持っていいのでしょうか。

 

 いえ、これは【盾】の訓練です。

 

 訓練は戦闘行為に分類されないので軍規上問題ない……と、いう事でしょうか。

 

「これがボルトだ。ここを回転させて後ろに引いた後、排莢して───」

「……はい、了解です」

 

 ゴスペル1等歩兵は30代くらいのおじさんで、懇切丁寧に銃の使い方を教えてくれました。

 

 ゲームではリロードなんてワンボタンでやってくれるので意識していませんでしたが、実際に銃の使用法を聞くと結構時間がかかりそうですね。

 

 ……ところで、自分が銃の扱いを学ぶのって、本当にセーフなんでしょうか。

 

「安心しろ、訓練用のゴム弾だ。当たっても、死にはしない」

「はい、中隊長殿」

「そしてゴム弾による訓練は、銃の使用に該当しない。衛生兵である貴官が扱おうと、何の問題も無い」

 

 自分の心配を見越したようで、ザーフクァ曹長は顔色一つ変えず自ら背負っていた小銃を自分に手渡しました。

 

 軍規上問題がないならば、有難く練習させていただきましょう。

 

 

「当たれば、すこぶる痛い。だが兵士という職業は、痛みと共に成長していく。泣き言を言うなよ」

「……はい」

 

 

 初めて手渡された銃にほんのり高揚していたら、ザーフクァ曹長は真面目な顔で忠告をしてくださいました。

 

 いけません、FPS関連でテンションが上がってしまうのは悪い癖です。自分の感情と、しっかり折り合いがつけられるようにならねば。

 

 

「では、撃ち方用意。射撃と同時に【盾】を展開せよ」

「了解です」

 

 

 兵士達はザーフクァ曹長の掛け声で、迷わず銃を正面の兵士に構えました。

 

 自分も先ほど教わった通りに、対面兵士の腹をめがけて銃口を構えます。

 

 小銃を構えたのは初めてですが、結構重くて銃口が細かく震えますね。

 

 

「撃てっ!!」

 

 

 そのザーフクァ曹長の、雷鳴の様な号令の直後。

 

 鈍く激しい腹の痛みと貫かれるような衝撃で、自分は大きくのけぞって倒れてしまいました。

 

 銃口を向けられる恐怖と、銃で敵を狙うことを意識しすぎて、【盾】の展開が間に合わなかった様です。

 

 

 

 

「自分が発砲したのと同時に銃撃を受けたという想定の訓練だ。攻撃と同時に【盾】を展開する事が出来れば、死亡率はぐっと減る」

「成程」

「貴官にとっては、射撃の良い練習にもなるだろう。さぁ、次は頑張って弾を防いで見せろ」

 

 訓練の内容は、非常に実戦に即したものでした。

 

 銃を撃った瞬間に相手からも撃たれるケースは、防衛部隊だと多いでしょう。

 

 【盾】を展開したままだと、こちらも発砲出来ません。だから敵を撃った直後に【盾】を展開し、身を守る。

 

 これが、防衛部隊の戦い方なのです。

 

「訓練用のゴム弾は、ぐにゃぐにゃで当たっても人体を貫通しない。ただ、眼や肋骨など急所にあたれば致命傷になりうる」

「はい」

「だからしっかり、【盾】を出すことを意識しろ。あと治療は、訓練終了まで行うな。実戦で治療する余裕なんて無い、敵はお前が治るまで待ってくれん」

 

 自分は銃を撃つ機会は多くないと思われますが、それでも何か作業をしながら【盾】を展開する機会は訪れると思われます。

 

 たとえば以前、マシュデールでレンヴェル少佐の治療を行い負傷した時。自分の【盾】の練度が高ければ、あんな命がけの撤退をせずに済んだかもしれません。

 

 咄嗟に【盾】を出す訓練は、どれだけやっても損はないでしょう。

 

「休憩終了、各員構え!」

 

 そう言うと、ザーフクァさんは再び兵士に向かい合うよう号令しました。

 

 自分も、痛む腹を無視して立ち上がります。

 

 確かにザーフクァ曹長の言う通り、敵は治療を待ってくれません。

 

「では、訓練再開!」

 

 自分は再び気合を入れなおし、痛む腹を庇いながら銃を構えました。

 

 この訓練は厳しいですが、とても有用だと感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

「衛生兵長。本日の訓練はどうだった」

「はい、大変勉強になりました」

「明日も来るか」

「よろしければ、是非」

 

 銃の扱いに四苦八苦すること5時間、やっと訓練は終わりました。

 

 結局、この日は一度も治療を許可してもらえなかったので、自分は全身アザだらけになっていました。

 

 他の兵士は、自分よりもっと軽傷な人ばかり。

 

 自分の負傷が多いのは、練度が低いからでしょう。

 

「それはよかった。せっかく傷だらけになったなら、明日も続けるべきだからな」

「それは、どういう意味でしょうか」

「痛みと言うのは学習の為に存在するからだ。人は痛い思いをしたくないがため、どうすれば良いか考えて、努力する」

 

 ザーフクァ曹長は、全身ボロボロになった自分を嗤ったり心配したりしませんでした。

 

 彼はただ、真面目な顔で自分の赤く腫れ上がった肩を見つめていました。

 

「今逃げ出したなら、ただ貴官は痛い思いをしただけだ。痛みを訓練に換えるには、継続が必要だ」

「はい、曹長殿」

「筋は悪くなかった。後は、反復と継続だ」

 

 そう言うと、彼は自分に背を向けて。

 

「我が隊の訓練は、戦場で生き延びるために役立つ。少なくとも、損をすることはないだろう」

「はい」

「……貴官が何に焦って訓練に参加したかは知らんが、自分を見返す良いきっかけになるだろう。励め、少女よ」

 

 訓練を終えたばかりだと言うのに、兵士を集めて哨戒任務へと移ったのでした。

 

 

 今思えばザーフクァ曹長は、当時の自分の悩みを見透かしていたみたいでした。

 

 経験若くして指揮官の立場になった兵士には、気負いすぎて病むタイプの人も居たようです。

 

 自分は間違いなくそのタイプであり、周囲から見れば危なげに見えた事でしょう。

 

 そんなタイプの人がすべきは、自信を持つ事です。

 

 自らの能力に自信が持てるようになれば、自然と心に余裕が生まれ気負いも減っていくそうです。

 

 ザーフクァ曹長は自分のそんな未熟さを見抜き、自信をつけさせるために訓練に参加を許可したのだと思います。

 

 防衛部隊として身を守る訓練は、少なくとも身に着けて損をする技術ではありません。

 

 事実、彼に教わったことはこの後何度も自分の身を助けることになりました。

 

 自分にとってこのザーフクァ曹長との出会いは、ガーバック小隊長との出会いに次ぐ2度目の幸運と言えました。



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63話

 

 ザーフクァ曹長の訓練は、昼過ぎに終わりました。半日ほどの訓練でしたが、非常に充実した時間でした。

 

 彼らの行っている訓練は、あくまで体力を保ち実戦の勘を忘れないようにするためのモノです。

 

 いつ奇襲されるか分からないので、体力が尽きるまでの訓練は行わないみたいです。

 

「ああ、居ました。アルノマさん、アルノマさん」

「おや、小さな小隊長。どうしたんだ」

 

 ザーフクァ中隊長は訓練のあと、周囲の哨戒に行ってしまいました。

 

 流石に任務にお邪魔は出来ないので、自分は野戦病院へ戻りました。

 

「訓練はどうだった?」

「大変勉強になりました。流石はエースの名を持っている方だと」

「そうか。だが小隊長は小柄なんだから、あまり無茶をしないでくれよ」

「気を付けます」

 

 病院に戻ると、共用テントでアルノマさん他数名の衛生兵がくつろいでいるのが見えました。

 

 どうやら、今日も患者さんはいないみたいです。

 

 負傷者がいないのは良いことです。

 

「アルノマさん、今から時間はありますか」

「ああ、何か用かい」

「ええ、ちょっとついてきてもらえますか」

「どこに向かえば良い?」

「自分の診察室へ向かいましょう。……村の入り口付近にあった家屋です」

「了解だ」

 

 自分は衛生兵長なので、拠点の中に専用の診察室を与えられています。

 

 それは自分の体型でも使いやすい、ミニマムサイズの診療器具の揃った部屋です。

 

「こちらです、ではお入りください」

「お邪魔するよ」

 

 そこにアルノマさんを迎え入れて、着席を促した後。

 

 自分はカチャリと、診察室のドアの鍵を閉めました。

 

「お、おい、小さな小隊長? 何を」

「……」

 

 いきなり鍵を閉められて、不穏な空気を感じたアルノマさんを無視して。

 

 自分はスルスルと、アルノマさんに背を向けて軍服を脱ぎ始めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

「トウリちゃんがアルノマ君といかがわしい真似をしていると聞いたわ!!」

「おや、レィターリュさん」

 

 自分がアルノマさんと個室診療所に籠って30分ほど。

 

 目の色を変えた変な人が、唐突に診療所のドアを開け放ちました。

 

 ……せっかく鍵を閉めたのに。

 

「え、衛生部長代理! ち、違うんだ、これは小隊長が」

「……はぁ」

 

 彼女はどうやら、マスターキーを使ってまで自分の診察室に押し入ってきたようです。

 

 何がそこまで彼女を突き動かすのでしょうか。

 

「すみません、レィターリュさん。出来れば扉を閉めてもらえますか、見ての通り自分は肌を晒しているので」

「いーやぁー!? ホントに脱いでる! これが、これが『寝とられ(NTR)』と言うやつね!」

「……寒いので、早く扉を閉めて頂けますか?」

 

 自分は親しみやすいし腕も確かなので、レィターリュさんを尊敬しています。

 

 ですが、ソッチ方面で暴走している時は冷めた目で見るようにしています。

 

 ……本当に、変な人なので。

 

「……って。トウリちゃん傷だらけじゃない、どうしたのソレ!」

「ええ、この傷はザーフクァ曹長の訓練で負傷したものです。せっかくなのでアルノマさんの練習台になろうかと」

「さっさと自分で治しなさいよ! すごく痛いでしょ、その傷」

「いえ、骨も折れてませんし」

 

 因みに、自分がアルノマさんを個室に連れこんだのは勉強の為です。

 

 回復魔法は、習うより慣れよ。新米は、回復魔法を行使してナンボです。

 

 せっかく全身を打撲したので、アルノマさんにはちょうど良い練習になると思って声をかけました。

 

 彼は現在、シャツ姿の自分と効率的な回復魔法の行使について勉強して貰っていた所です。

 

「とは言え、男と二人っきりだなんて!」

「アルノマさんは紳士です。それに、自分の体型に欲情などしないでしょう」

「……まぁ、信用していただけるのは光栄だけど。小隊長はもう少し、警戒心を持っても良いかもね」

 

 男の体なら共用のテントで服を脱いでも良かったのですが、今の自分は女性なので下着姿を晒すのはTPO的に問題がありそうです。

 

 なので自分用の診察室を利用して、アルノマさんにお勉強していただいたのでした。

 

 まぁ、それ以前に共用テントがとても寒いという事情もあるのですが。

 

「ほら、集中力が途切れていますよアルノマさん。かすり傷なんですから、そんな大層な魔力は必要ありません。もっと薄く、まんべんなく【癒】を行使してください」

「あ、ああ。これがやっぱり、なかなか難しいね」

「……トウリちゃん。そんな全身傷だらけにして……、痕が残っちゃったらどうするの」

「傷痕ですか? 大丈夫、アルノマさんがしっかり治してくれれば残りません」

「うわ、凄い責任を投げてきたね小隊長!?」

 

 自分の発言を聞いて、アルノマさんの顔がひきつりました。

 

 まぁアルノマさんの治療が不適当なら、後で自分で治すのでご心配なく。

 

「ちょっとくらいなら傷が残っても気にしませんよ」

「そんな訳にはいかないだろう……。普通なら責任モノだ」

 

 冗談めかしてそう言うと、アルノマさんは気合を入れて【癒】に集中し始めました。良い事です。

 

「……」

 

 自分の知ってる小隊長(ガーバック)は、全身に旧い傷がたっぷりついていました。

 

 傷痕は勲章みたいなもの。それは、乗り越えてきた死線の数。

 

 積極的に傷痕を作ろうとは思いませんが、自分の真っ白な肌は未熟者の証の様な気がして、少しコンプレックスに感じることもあります。

 

 なので、本当にちょっと傷が残っても、自分は気にしません。

 

 

「傷が残ったら責任を取ってくれるのね。……アルノマ君、次は私も治してくれるかしら!?」

「レイターリュさん!?」

 

 そんな事を考えていたら、真顔のレイターリュさんが自らの腕をハサミでばっさり切ってしまいました。

 

 ……。

 

「あ、やば。切りすぎちゃったかも」

「うわ、動脈が! 動脈切れてます!」

「このままだと死んじゃう! アルノマ君、早く私の治療を!」

「ちょ、ちょっと、何で脱ぎ始めるんですか!? 腕ですよね、脱ぐ必要ないですよね!」

「このままだと獲物がトウリちゃんに取られるわ!」

 

 衛生部長自ら、新米の練習台になるべく負傷する。

 

 そう聞くと、レイターリュさんは部下思いな素晴らしい人に思えるのですが。

 

「……、本当に傷が深そうなので自分が治しますね。【癒】」

「あー! なんてことを!」

「あと、自分の診察室が汚れたので掃除用具取ってきてください。レイターリュ衛生部長」

「この娘、上司をパシろうとしてるわ!」

「……いいから早くとってきてください」

 

 このお馬鹿な暴走癖は、何とか直していただきたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「と、そんな感じで最近はとても平和です。南軍の皆さんは雰囲気が良く、トラブルも発生していません」

「それは良かった」

 

 自分が南軍の衛生部に転属されて、一月ほど経った日。

 

「衛生部長には、何度か自重するよう上申してみたのですが……」

「どう返された?」

「明るく振る舞った方が兵士も安心するだろう、と」

「ははは、間違いない」

 

 よく見知った顔が、自分の診察室を訪れました。

 

「自分の近況は、こんな所です。アリア大尉は、ご壮健でしたか」

「ああ、幸いにも前線は動きが無いからな。雪解けまでは、お互い様子見と言ったところだろう」

 

 防寒服に身を包んだ、魔導中隊の女傑。

 

 レンヴェル少佐のご息女、アリア大尉殿です。

 

 彼女は本日休暇を取られており、健康診断───という名目で、自分の所に遊びに来てくれたのでした。

 

「ザーフクァ曹長の噂は聞いたことがあった、何でも魔法砲撃の直撃を受けても耐える凄まじい防御魔法の使い手だと」

「凄い方なのですね」

「……魔導師である私としては、力比べしたい気もするな。我が中隊の砲撃を、本当に防げるのかどうか」

「やめてくださいね、そんな訓練で負傷者が出たら馬鹿みたいです」

「無論だ。私の興味本位で祖国に残されたエースを、焼き殺すわけにはいかないからな」

 

 はっはっは、とアリア大尉は機嫌よく笑いました。

 

 彼女にはザーフクァ曹長を、焼き殺す自信があるようです。

 

「トウリ達には、冬明けに我々の指揮下に戻ってきてもらうつもりだ。それまで、よく学んでおくといい」

「冬明けに戻る、ですか」

「ああ。ここパッシェンは南軍の布陣場所に近いが、我がレンヴェル軍の駐屯場所からかなり距離がある。我々の近くにも、衛生部は設置しておきたい」

 

 アリア大尉はそういうと、今後の我々の動きについて簡単に教えてくれました。

 

 

 春までに首都から送られて来る後詰の兵士1万人は、レンヴェル少佐の指揮下に入ります。

 

 これでレンヴェル軍が15000人ほどになり、南軍の残兵力32000人と合わせて5万人弱の兵力になります。

 

 一方で、サバト軍の総勢は10万人前後と推測されています。この敵10万人を撃破すれば、サバトに殆ど余力は無くなり戦争継続は困難になると予想されます。

 

 この決戦に勝利したうえで、講和を成し遂げればオースティンの勝利と言えましょう。

 

 倍近い兵力差ですが、南軍にとてつもなく頭の切れる指揮官が現れたそうで、今のところ連戦連勝。勝機は十分以上にあるとの事です。

 

「首都からの後詰に、衛生部が設置されている。そこに、トウリ衛生小隊は合流してもらいたい」

「本当ですか」

「ああ。退役した衛生兵経験のある者や、首都の最前線でバリバリ医療に携わっていた者など、南軍に負けない規模の衛生部を招集した。とはいえ、戦場での経験は浅い者が多い。トウリ、君の経験をそこで存分にフィードバックしてほしい」

「了解しました」

 

 つまり、レイターリュさんのお世話になるのは冬の間だけのようです。

 

 冬明けに我々が去ると聞いたら、彼女は発狂するんじゃないでしょうか。

 

 今日も、物凄く露骨にケイルさん達にアピールしていましたし。

 

「まぁ、話はそんなところかな。後は、少し私の愚痴にでも付き合ってくれないか」

「愚痴、ですか」

「ああ。まぁ、父上と南軍司令官のアンリ中佐殿は相性があまり良く無くてな。板挟みにあって、私もそれなりに苦労しているのだ」

 

 そういうと、彼女は胸元から金属製の水筒を取り出しました。

 

 彼女が蓋を開けると、アルコール臭が漂ってきます。

 

「トウリの前だと、あまり気張らなくてよくて落ち着くよ。向こうだと礼儀に小うるさい将校が、酒を飲むだけでグチグチと言ってくる」

「大変ですね」

「こんなに寒いんだ、体を温める酒は必需品だろう。……ふぅ、休暇中くらい好きにさせてほしいもんだ」

 

 アリア大尉は、かなりストレスをためているようでした。

 

 向こうでは休暇中ですら、歩いているだけで南軍の将校に絡まれるのだとか。

 

 よく、彼女の胃に穴が開かないものです。

 

「嫌味を言うヤツが半分、ナンパしてくるヤツが半分だな。ま、私は出世狙いの将校からは憎たらしいだろうし、良いカモでもあるだろう」

「……」

「父の身内贔屓は有名だ。私を女にすれば、出世が約束されている。どいつもこいつも、私ではなく私の裏に父上を見て誘ってくる」

「それは、ご愁傷さまです」

 

 自分なんかで話し相手が務まるかは分かりませんが、今日は彼女のガス抜きに付き合うとしましょう。

 

 少なくともこの街パッシェンは、前線なんかよりずっと平和なのですから。

 

 

 

 

 

「いやぁ、今日は楽しかった。すまなかったな、仕事中に邪魔をして」

「いえ、自分も久しぶりにアリア大尉と話せてうれしかったです」

「そうか、本当に可愛い部下だなお前は」

 

 夕暮れよりかなり前に、アリア大尉は席を立って帰り支度を始めました。

 

 レンヴェル軍の駐屯場所は遠いので、早めに帰らないと暗くなってしまうのです。

 

「明日から頑張れそうだ。……また、遊びに来ても良いか」

「喜んで」

 

 彼女はひとしきり愚痴った後、失った自分の恋人の思い出を語り泣いて、それなりに晴れやかな顔になりました。

 

 少しでも彼女の助けになれたなら、幸いです。

 

「それじゃあ、またな。トウリ」

 

 自分は村の入り口で彼女と握手を交わし、別れを告げました。

 

 そのまま立ち去る彼女を見送ろうとしたら───

 

 

 

「おお、これはまさかアリア大尉殿?」

「え?」

「こんな所でお会い出来るとは。俺は運が良い」

 

 

 

 あろうことか、いきなり帰路に就いたアリア大尉の手を掴む男が現れたのです。

 

 その男は無遠慮に近付いてきて、白い息をアリア大尉にぶつけました。

 

「ちょ、誰だ貴殿は」

「これは失礼、お会いできた喜びで我を忘れていました。何度かお茶に誘おうとしたんですが、なかなか貴女の御父上の目が厳しくて」

「すまないが、そういう誘いは断らせていただいている。他に用が無いなら、もう失礼する」

「ああ、ちょっと待って。少しだけ、少しだけ」

 

 ナンパ男は、アリア大尉に厄介な絡み方をしていました。

 

 なるほど、これがアリア大尉の日常なのですね。そりゃあ、ストレスも溜まるでしょう。

 

 自分は、アリア大尉を守るべく男を引きはがそうと近づいたのですが、

 

 

「5分だけでいいんで、お話ししませんか───」

 

 

 その男に話しかけようとした瞬間、全身に鳥肌が立って。

 

 底冷えするような悪寒に体を蝕まれ、一歩も動けなくなってしまいました。

 

 

「女性の誘い方がなっていないな、しつこい男は嫌われるぞ」

「まあ、そう言わず。ああそうだ、先に自己紹介しないと」

 

 

 その感覚は、今まで感じたことのないものです。

 

 命の危機に陥った時ともまた違う、本能的な恐怖感……いえ、嫌悪感(・・・)でした。

 

 

「俺は、ベルン・ヴァロウ参謀大尉と申します。気安くベルンとお呼びください」

「……ベルン?」

「ええ」

 

 

 この人だけは駄目だ、救いようがない。

 

 自分とこの人は、決して分かり合うことが出来ない。

 

「同階級ではありますが、軍属期間は貴女より下です。親しみを込めて、呼び捨てて戴きたい」

 

 目の前にいるのは、純粋な『悪』だ。

 

 自分は根拠もなく、そう感じ取ったのでした。



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64話

 

 戦争犯罪、という言葉があります。

 

 この言葉は、使われた時代や国によって少しづつ意味が変わってくる言葉です。

 

 前世の日本においては、『戦時国際法に違反する、非人道的な平和に対する罪』と言った意味で使われていたと記憶しています。

 

 

 自分は、この戦争犯罪と言う言葉に前世の時から違和感を持っていました。

 

 確かに戦争を行うにあたって、虐殺や非人道的な行為は許されるものではありません。

 

 しかし、この言い方ですと───まるで『戦争そのものは罪ではない』かのような、誤解を生じる気がしたからです。

 

 

 生まれ変わったこの世界において、まだ戦時国際法と言う概念は存在していません。

 

 オースティンもサバトも、つい10年前まで当たり前のように騎馬に乗って剣や槍を振り回しておりました。

 

 そんな技術レベルの戦争では、敵国民を皆殺しにするなんて不可能でした。

 

 だから戦争に勝利した側は、敵の領地や財宝を奪ったりするだけで満足していたのです。

 

 

 しかし、銃火器の普及によりその前提は大きく変わりました。

 

 人類は、容易に敵を皆殺しにする殺傷力を手に入れたのです。

 

 その殺傷力に対するブレーキを設定しておかないと、狂気に毒された兵士たちは躊躇いなく敵を皆殺しにしてしまいます。

 

 敵国の民は犯すもの、殺すもの。それが、今までの戦争の常識だったのですから。

 

 

 この世界でも、戦後の流れは似たようなものでした。

 

 戦後に我々は二度とこのような被害を出さないよう、戦争におけるルール……『国際法』の様なものを協議することになります。

 

 そして国際法に違反するような、悪辣な行為を指摘された指揮官は『戦争犯罪者』として、相応な処罰を受けることになりました。

 

 この戦後処理を終えるまで、10年以上の歳月が費やされました。

 

 それだけ、この戦争により残された爪痕は大きかったと言えました。

 

 

 

「俺は悪人だ。だけど、オースティンに必要な悪人だった」

 

 これは、とある新聞記事に掲載されたベルン・ヴァロウの言葉です。

 

 彼は笑みを浮かべ自慢げに、次のように語ったそうです。

 

「人を嵌めて殺すのが、楽しくて仕方なかった。俺の立てた作戦で敵に凄まじい犠牲が出ることが、この上ない快感だった」

「……人を殺すのが楽しかった、と仰るのですか」

「その通り。いや、言われなくても分かっているとも。それは、とても悪い事だ」

 

 人を殺すのが楽しかった。

 

 彼はそんな事を、悪びれもせず新聞記者に語って聞かせました。

 

「だが俺がいかに悪人であろうと、オースティン国民が俺を非難することは出来ない。何故ならオースティン軍が優秀な指揮官を欲し、俺はその需要に応えただけだからだ」

「……それは、貴方が人殺しを好むことと何の関係があるのですか」

「分からないか? そうだな。スポーツで例えてみよう。フットボールが嫌いなやつと、好きなやつ。どっちが良い選手になると思う?」

 

 ベルン自身、自分の異常性について理解している様子でした。「もし戦争なんてモノがなければ、俺は自らの異常性を隠し、ちょっと頭がいいだけの一般人として一生を終えていただろう」と、彼は別の機会に語っています。

 

 しかし現実として戦争は起こり、彼は士官学校へ入学し、参謀将校となりました。

 

 時代が、戦争が、ベルンを異常者として振る舞うように仕向けたのです。

 

「俺は悪人になる才能が有った。そして戦争が、国が俺を悪人になるよう求めた」

「……」

「これが、戦争が忌避されなければならん理由さ。戦争ってのは、悪人が称えられる行事だ」

 

 彼には、常識がありました。悪いことは悪いと思える、判断力がありました。

 

 しかし、それらを全部承知の上で───彼は、悪人になることを選びました。

 

 そうしないと、オースティンと言う国を救えないことに気づいていたからです。

 

 

 ベルン・ヴァロウは祖国を大切にしていた、愛国者であったことは間違いないでしょう。

 

 彼の行動は一貫して祖国のためのものであり、時には我が身の犠牲すら厭わぬ大胆な作戦を立てることもありました。

 

 この事から後世においてベルンは人格破綻したサイコパスではなく、人格を破綻させる(・・・)ことを(・・・)選んだ(・・・)サイコパスと評されています。

 

 彼は戦果とその言動から、悪の業を時代に背負わされた悲劇の英雄だったとされ。

 

 戦後のオースティンでは、ダークヒーローの様な扱いを受けていました。

 

 

 

 しかし、彼の人となりを知っている自分としては……その人物像には懐疑的です。

 

 彼は祖国のために嫌々ながら悪人になる事を選んだのではなく、むしろ「祖国のため」と言う大義名分を得た快楽殺人犯で。

 

 自分の知る限り、ベルン・ヴァロウは口先が上手く悪知恵の働く、ただ陰険でロクでもない奴であったと口を大にして断言するところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな彼と自分の出会いは、パッシェンで南軍の衛生部に身を寄せて医療に従事していたこの時でした。

 

 初めて会った時のベルン・ヴァロウは、厚手のコートを着て、短髪の赤髪をニット帽から覗かせていた、鷹のように鋭い目つきの男でした。

 

 気持ちが悪い、吐き気がする。それが、自分のベルンに対する第一印象です。

 

 蛇に睨まれた蛙とはこんな気持ちになるのでしょうか、自分は彼の目を見ただけで気が遠くなりました。

 

「ベルン大尉殿、か。その名は聞いたことが有る」

「光栄ですね、まさかアリア大尉殿にお見知りおきいただいていたとは」

 

 彼は慇懃無礼な態度のまま、アリア大尉に近づいて握手を交わしました。

 

 ベルン大尉はにこやかな笑顔なのに目は一切笑っておらず、まるで爬虫類の様に無機質な瞳でした。

 

「こちらこそ、南軍連勝の立役者に会えて光栄だ」

「いえいえ、そんな」

 

 アリア大尉は警戒を解かぬまま、その男に向き合って敬礼を取りました。

 

 自分もアリア大尉に慌てて追従し、敬礼をします。

 

 この時やっと自分は階級がずっと上の人を前に、棒立ちしていたことに気づきました。

 

 それほど、彼に対する嫌悪感が強かったのです。

 

「どうです、まだ夕方前でしょう。少しぐらいお時間を取れませんか」

「申し訳ないが、ここは私の駐屯地とかなり距離があってな。そろそろ、タイムリミットなんだ」

「まぁそういわず。遅くなったなら、俺の部隊から案内と護衛をよこしますので」

 

 彼は積極的に、アリア大尉を誘いました。

 

 自分は最初、どうして彼がアリア大尉にご執心なんだろうと不思議に思っていました。

 

「作戦を立案する身としては、ぜひ知っておきたいんですよ」

 

 南軍勝利の立役者、ベルン大尉。その名は、レンヴェル軍にも噂になっていました。

 

 戦術の天才で連戦連勝を重ね、オースティンの未来を担う逸材と聞いていました。

 

 そんな彼が、出世目的でレンヴェル少佐のコネを当てにするとは思えません。

 

 ましてや、初対面のアリア大尉に惚れた訳でもないでしょう。

 

「レンヴェル少佐旗下の最後の『エース』、魔導姫アリア大尉殿の人となりを」

「……成程。私が従順な兵士かどうか、試しに来たわけか」

「いえいえそんな、そういう訳では」

 

 しかし、どうやら彼はコネを作りに来たわけではなく。

 

 祖国に残った数少ない『エース級』のアリア大尉の性格を知り、戦場で想定外の行動をするタイプかどうか見定めに来た様子でした。

 

 

 自分は後見までしてもらっていたのに、アリア大尉という軍人の事を全く知らなかったみたいです。

 

 彼女は父親の身内贔屓もあって若いうちから魔導兵部隊を率いて経験を積み、ガーバック小隊長と同じく10年以上の月日をかけて功績を上げ続け、いつしか『エース』の名を与えられていた超大物だったのです。

 

 

 この時まで自分はずっと、アリア大尉の謙遜を信じ彼女がコネで地位を引き上げられているのだと思っていました。

 

 しかし、その後に彼女の過去の戦果を調べてみれば、凄まじい戦果がずらずら並んでいるのを知ります。

 

 1時間の爆撃だけで敵拠点を3つ潰したり、突撃してきた敵兵に対するカウンターとして1中隊で数百人の死傷者を出したり。

 

 これは、他の魔導中隊の戦果の数倍以上のスコアです。これほどの戦果を挙げ続けた魔導中隊は、全戦線を探しても彼女の他に見つかりません。

 

 彼女の魔導中隊長としての技量は、他の追随を許さぬ優秀さでした。

 

 マシュデール防衛戦の時も、数で圧倒的に不利だったオースティンが1週間近く粘れたのも彼女の功績あっての事。

 

 今まで近くに居て何故知らなかったのか、自分の後見人であるアリア大尉はオースティンの誇るエースの一人だったのでした。

 

 

「俺は貴女と、ただ話をしてみたいだけですよ。貴女だって、どんなヤツが作戦立案しているのか知りたくはないですか?」

「……今日は、本当に無理だ。また今度、時間を作って誘いに乗ってやる。それで良いか」

「ええ、勿論。いやぁ、楽しみだ」

 

 結局アリア大尉は溜め息をついて、ベルンの誘いを受けました。

 

 ベルンという名を聞いて、アリアさんも無視する訳にはいかなかったみたいです。

 

「あ、ところで。そこの小さい衛生兵ちゃんは、アリア大尉のご友人かな?」

「……っ!」

 

 ベルンは満足げにアリア大尉と約束を取り付けた後。

 

 気配を消してアリア大尉の陰に隠れていた自分に、彼はギョロりとした眼を向けました。

 

「俺が声をかけるまで、随分仲良く話してたみたいですけど」

「はっ、初めまして、自分はトウリ衛生兵長です」

 

 話を振られ若干声を上ずらせましたが、すぐ自分は自己紹介をしました。

 

 初対面の上官に話を振られたら自己紹介、これは常識です。

 

「……この娘は見送りに来てくれた私の部下だ。あまり怖がらせないでやってくれ」

「またまたぁ」

 

 本音を言えば、自分は彼と顔見知りになりたくありませんでした。

 

 アリア大尉もそれを察してくださったのか、やんわりと割って入ってくれたのですが、

 

「貴女が後見人になって世話してる、可愛い妹分なんでしょう? ただの部下扱いは、冷たいんじゃないですか」

「……」

 

 彼は既にアリア大尉の身辺情報を集めていた様で、自分の事も知っていたようです。

 

「話に聞いていた通り、随分と可愛らしいお嬢さんだ。怪我をしたら是非、君に診てもらいたいね」

「どう、も。光栄です」

 

 彼は、今日アリアさんと話すのが無理と知るや、獲物を自分に切り替えました。

 

 優しそうな表情で、蛇のような視線で、ベルンはクッキー缶を片手に自分に笑いかけてきました。

 

「どうだい、少し君の時間ももらえないか。美味しい茶菓子も持っているんだ」

「え、その」

「少しお喋りするだけさ。上官とのコネを作っておくのは、無駄にならないよ」

 

 きっとベルンは、自分からアリア大尉の情報を引き出すつもりだったのでしょう。

 

 ベラベラとアリア大尉の事を話すつもりはありませんが、彼の言う通り上官とのコネを作っておくのは決して悪い事ではありません。

 

 なので受けても問題のない話ではあったのですが、

 

「……おい、トウリが怯えているだろう。年頃の娘に、あまりグイグイ迫るもんじゃない」

「おや、これは失敬」

 

 この時、自分はとてもそんな気になれず。

 

 ベルンはどうして自分の事を知っていたんだとか、どんなことを言われるのかとか、そんな恐怖で頭がいっぱいでした。

 

「大変、失礼しました、その。決して、自分はベルン大尉を怖がったつもりではなく」

「俺、そんなにビビられるタイプじゃない筈なんだけどなぁ。トウリ衛生兵長は、どうしてそこまで顔ひきつってるの?」

「はい、ベルン大尉殿は、とても優しい顔をしてらっしゃると思います」

「だよねぇ。じゃ君は、俺の何を怖がっているの?」

 

 ベルンは大真面目な顔で、自分へそう問いました。

 

 確かに、普通はベルンの慇懃な態度や表情から恐怖を感じたりはしないでしょう。

 

 事実、彼は軍内に敵を作らないよう、にこやかな表情を意識して作っていたそうです。

 

 それを胡散臭いと感じる将校は多かったそうですが、怯えられるようなことは無かったのだとか。

 

「何か俺に直せるところがあるなら直すから、教えてくれない? 第一印象でそこまで怖がられるのって、ちょっと傷つくし」

「……自分は決して、怖がってなんか」

「建前は良いよ、怖がるのは許してあげる。ただその代わり、どんな無礼なこと言っても気にしないから、君が怖がる理由を教えてよ」

 

 彼としては、問い詰めている自覚なんてなく。ただ、どうして自分がここまで怯えているのか知りたかっただけなのでしょう。

 

 しかし自分からすれば上官から、自分の態度に対する詰問を受けている形です。

 

「は、はい、ではお答え、します」

 

 半ば強制されるような形で、自分はベルン大尉に回答させられることになりました。

 

 この時、対尋問訓練を受けていればもっと冷静に対応できたのでは、と内心考えてしまったのは内緒です。

 

「その、何となくなんですけれど」

「うん、続けて」

「ベルン大尉から、その、重圧を感じたといいますか。自分の、個人的な感覚なのですが」

「へぇ、どんな重圧?」

 

 最終的に自分は、声を震わせながら。

 

 正直に、

 

 

「貴方から、その、恐ろしい程の『悪』を感じた気がして、その」

「お、おいトウリ。初対面の相手に向かって……」

「は、はい、申し訳ありません! いかような処罰も、お受けします」

 

 

 そう、白状してしまいました。

 

 

 

「─────へぇ?」

 

 今でも、自分はこの時のベルン大尉の顔を覚えています。

 

 この時、彼の顔に浮かんでいたのは、怒りや苛立ちではありません。

 

 むしろ、彼は唇の端を吊り上げていて、

 

「面白い感性をしているね、君。いや、経歴的には危機察知能力なのかな?」

「そ、その、ごめんなさいベルン大尉殿」

「謝らなくていい。その言葉を言わせたのは俺だし」

 

 彼は、愉快な玩具を見つけた子供の様な。

 

 そんな、心底楽し気な表情をしていたのです。

 

「アリア大尉。その娘を大事にした方がいいですよ」

「は、はぁ」

「んで、トウリちゃん」

 

 余計なことを言わなければ良かった。

 

 そんな後悔も先に立たず、

 

「君のことも、よく覚えておくよ」

 

 ベルン・ヴァロウの中で自分がただの「アリア大尉の付属品」から、興味の対象へと移ってしまったのでした。



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65話

 

「ねぇ、トウリちゃん。貴女、何かやったの?」

「い、いえ」

 

 自分がベルン・ヴァロウと知り合って、数日後の事でした。

 

 ザーフクァ曹長の訓練を終え、野戦病院で仕事を始めようとした折に、

 

「貴方に、司令部から出頭要請が出ているわ」

「え、えぇ……?」

 

 軍のお偉いさんからの出頭要請という、恐ろしい命令が自分の下へ届けられました。

 

 

 

 司令部に出向くのは、基本的に指揮官級の軍人です。

 

 大隊長クラスの人が司令部で直接命令を受け、それを末端まで伝達していくのがオースティンの指揮系統になります。

 

 しかし最近は通信技術が発達し、直接呼び出されることは少なくなりつつあるそうです。

 

 ですがやはり重要な作戦・機密を話し合う時は、司令部で直に会議を行うそうです。

 

 

 そんな大仰な場所、司令部に自分みたいな下っぱが呼び出されるとすれば。

 

 それは内通を疑われたり、身に覚えのない事件の容疑者になっていたり、といった好ましくない事態であることが多いのです。

 

「トウリ衛生兵長殿は本日15時迄に、南軍司令部へ出頭されたし。はい、正規の要請書」

「……」

「庇える感じの悪いことしたなら、先に言っといてくれる? 私でよければ力になるわよ」

「いえ、思い当たる節が無いのですけど。その、命令はどなたが?」

「命令の出所はベルン大尉って人よ。聞いたことあるでしょ、南軍の大英雄」

「……思い当たる節ありました」

 

 自分を呼び出した人物は、ベルン大尉でした。

 

 つい先日、自分が「第一印象から『悪』って感じました!」と宣言した上官です。

 

 あの時ベルン大尉は気にしていない素振りでしたが、普通に考えて無礼千万な対応でしょう。

 

 上官への態度に対する叱責、という話ならこれ以上なく筋が通ってしまいます。

 

「ありゃりゃ、ベルン大尉って今やオースティンの救世主じゃない。何でそんな暴言を……」

「その、自分でもどうしてあんなことを言ったのか」

「うーん、私じゃ庇いきれない相手ね。実は男性恐怖症ですとか言って平謝りすれば大事にならないんじゃない? 前に怖い男性の上官が居て、そのトラウマで───みたいなバックストーリー」

 

 それはとても現実味のある言い訳ですね。

 

「ベルン大尉は、気にしていない様子だったのですが」 

「男の人って器が小さいからね。プライドを傷つけられたら、案外ねちっこいモンよ」

 

 そういうと、レイターリュさんはゴソゴソと粉薬の瓶を取り出して、自分の手に握らせました。

 

「トウリちゃん。一応、避妊薬を渡しておくわね」

「え?」

「もしベルン大尉が求めてきた場合、断っちゃだめよ。ベルン大尉の権力なら、トウリちゃんが要求に応じなかったら好きな罪を着せて処刑できるわ」

「……」

「大丈夫、初めては痛いでしょうけど【癒】を使えば……」

 

 レィターリュさんは大真面目な顔で、自分にそんな忠告をしてきました。

 

 え、貞操の危機なんですか、この呼び出し。

 

「女性兵士に、罰という名目で悪戯する男はたまにいるの」

「……」

「だから今後は、お偉いさんには逆らわない事。女が戦場で身を守るためには、隙を見せてはいけないわ」

 

 レィターリュさんは眉を八の字に曲げて、そう続けました。

 

「私はベルン大尉の人となりは知らないけど、ある程度覚悟を決めて出頭しなさい。もし本当に辛い目に遭ったなら私、トウリちゃんの力になるから」

「は、はい」

「呼び出されて愚痴や嫌味を言われるだけだったら、ハイハイと頷いて反省した態度を見せる事。余計な反論しちゃだめよ」

「了解しました」

 

 レイターリュさんはそういうと、静かに自分の前で黙祷し、

 

「幸運を祈るわ」

「……」

 

 物凄く、不吉な言葉をかけてくださったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トウリ・ノエル兵長です。ベルン大尉殿の要請を受けて、司令部に出頭いたしました」

「確認いたします。……はい、問題ありません」

 

 南軍司令部は、パッシェンから走って1時間ほどの場所にありました。

 

 自分は手渡された出頭要請を見張りの兵士に渡すと、10分ほど待たされて大きなテントに案内されました。

 

「ここでお待ちください、との事です」

「了解です」

 

 そのテントの中には円形のテーブルと椅子がポツンと置いてあるだけでした。

 

 自分は促されるままに座り、そこでベルン大尉の到着を待ちます。

 

 さて、自分は何を言われるのでしょうか。……大した話でなければ良いのですが。

 

 本当にレイターリュさんの危惧した展開になるのであれば、数日は寝込む自信があります。

 

 

 

 

 

 

「お、来たかトウリ衛生兵長! よー、元気?」

「は、はい! 先日は大変失礼しました、ベルン大尉殿」

「良いって良いって。別に敬礼とか要らないから座って座って」

 

 30分ほど経った後。

 

 ベルン大尉は機嫌よさそうに、テントに入ってきました。

 

 自分は速やかに起立して敬礼すると、彼に面倒くさそうに手を振って着席するように促されました。

 

「まぁ、そう硬くならないでいいよトウリちゃん。とって食おうってわけじゃないんだから」

「は、はぁ」

「前は流されちゃったけど、改めて今からお話しない? って話」

 

 彼はニコニコと軽い雰囲気で、持ってきた水筒から黒い飲料をカップに注ぎ始めました。

 

 あれはコーヒ-、でしょうか。

 

「ん、気になる? これは蒲公英茶っていって、ちょっと珍しいお茶でね。また渋くて旨いのよ、トウリちゃんもどうぞ」

「あ、どうも。ありがとうございます」

「そのまま飲むと渋いから、ミルクとか混ぜて飲んでね。はい、こっちの水筒はミルク」

 

 彼の態度的に、無礼を働いた自分を糾弾しようという空気は感じませんでした。

 

 まるで友人を、お茶に誘っただけのような距離感です。

 

 それがまた、何とも言えず不気味でした。

 

「大尉の地位になってから、蒲公英茶を好きなだけ仕入れられて最高だ。月に一度の贅沢だった蒲公英茶を、毎日のように飲める」

「とてもおいしいです、ベルン大尉」

「だろ? 出世するのも悪い事ばかりじゃないもんだ。で、蒲公英茶飲みながらゆっくり聞いてほしいんだけど」

「は、はい。何なりと」

 

 蒲公英茶は、少し薄いコーヒーのような味でした。

 

 個人的にはかなり美味しく感じます。ベルン大尉が好むのもよくわかります。

 

「アリア大尉って彼氏いると思う? めっちゃタイプなんだけど」

「……エフッ!!」

 

 ベルンさんは席に着くと、開口一番真面目な顔でそんな話を始めました。

 

 思わず、飲んでいた蒲公英茶をむせます。

 

「まさか、その話をしたいがために自分を呼び出したのですか」

「うん」

「……」

 

 そう聞き返すと、ベルン氏はキラキラと目を輝かせ、胡散臭い笑顔で自分を見つめています。

 

 頂いた蒲公英茶は美味しかったのですが、彼の顔を直視するとやはり凄まじい嫌悪感が沸き上がってきてしまいます。

 

 ……。

 

「申し訳ありませんが、上官命令とはいえ他人のプライベートに関する情報を開示する気はありません。知りたいなら、ご本人に確認してください」

「あれ、ダメ?」

「自分はアリア大尉殿に、いろいろと恩があります。裏切る事は出来ません」

 

 アリア大尉が恋人を亡くされていることは知っていましたが、自分は口をつぐむことにしました。

 

 本人の許可も取らず、勝手に話しても良い内容ではないからです。

 

「ただ申し上げるなら、自分はその様なアプローチをすべきではないと考えます。アリア大尉は、そういった誘いに辟易とされている事だけお伝えします」

「……そっか、よし」

 

 なので遠回しに、ベルン大尉に忠告するだけに留めておきました。

 

 恋人を失った直後の彼女にアプローチをするのは、地雷でしかないからです。

 

「ま、合格にしとこう」

「合格、ですか?」

「あ、今の話は忘れていいよ。俺がアリア大尉に懸想してるって話、嘘だし」

 

 そんな自分の答弁を聞き、彼は全く気を悪くすることなく。

 

 むしろウンウンと満足げにうなずいて、自分の前にビスケットを置きました。

 

「ごめんね、君の口の堅さをテストしたの。これはお詫びのクッキー」

「は、はあ」

「その年で、話して良いことと悪い事の区別が出来るのは偉いよ。もし俺がスパイだったら、今の情報はどれだけ悪用出来るか分からない」

 

 ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべたまま、ベルン大尉は自分の頭を撫でました。

 

 いきなり体を触られてビクっと体が反応しましたが、彼は気を悪くした様子もありません。

 

「ま、君の口が堅いのはわかった。じゃ、いよいよ本題だ」

「はい」

「……実は俺、君と同世代の女の子を匿っててね。彼女と友人になってもらいたい」

 

 ベルンはクッキーを齧り、いよいよ本題を切り出しました。

 

「女の子、ですか」

「おう、俺が個人的に保護してる。ま、ちっと訳アリなんだが」

 

 ベルン大尉は少し照れた顔で、頭を搔きました。

 

 いきなり「女の子を保護している」なんて話を切り出されるとは思っていませんでした。

 

 もしかしたら、その娘がベルン大尉の想い人とかなんでしょうか。

 

「軍ってのは男所帯だからな。怖い男に囲まれて生活し続けたからか、彼女の精神が不安定になってきたんだ」

「まぁ、自分と同世代であるなら軍人は怖いでしょう」

「それで彼女のガス抜きを兼ねて、女の話し相手を探してたんだ。最初はアリア大尉殿とか候補にしてたんだが……」

 

 ベルン氏はそういうと、少し声のトーンを落として。

 

「話で聞いてたより、アリア大尉の性格キツくてさぁ。相性悪そうで困ってたんだ」

「……はあ」

「で、そんな折に君を見つけてね。物腰も柔らかいし、適任かなぁと」

 

 困り顔のまま、そう話を続けました。

 

「その娘は、俺の部隊が戦場で保護した女性だ。兵士に乱暴される寸前だった」

「それは……」

「男の俺じゃ、どう頑張っても彼女に共感してやることはできない。……力を貸してくれないか、トウリちゃん」

「成程。ではベルン大尉は、自分にその女性のメンタルケアを依頼したいという事ですね」

「そうなるね、衛生兵としての業務の範疇じゃない?」

 

 話を要約すると、そういう事のようでした。

 

 確かに戦争被害者の精神ケアも、医療の範疇です。

 

 そういう依頼でしたら、軍人として受けることに何の不満もありません。

 

「了解しました。トウリ衛生兵長、その任務を拝命いたします」

「ありがとう。後、このことは他の兵士には他言無用で頼むよ」

「了解です。元より患者さんの情報を、べらべらと話したりする気はありません」

「うん、いい返事だ」

 

 メンタルケア、と言っても自分は専門的な知識を持っているわけではありません。

 

 今日は話を聞き、共感してあげて心を落ち着かせてあげましょう。

 

 そしてカウンセリングなどの専門的な手法を、今度ケイルさんに聞いてみましょう。

 

「じゃあ今から、彼女───レミの元に連れて行くけど」

「はい」

「残念ながらレミはオースティン語を話せない。俺が通訳するから、そのつもりで」

「……はい?」

 

 そんなことをぼんやりと考えていたら。

 

「レミは、サバト人なんだ」

 

 ベルン大尉は話の最後に、大きな爆弾を落としていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺達オースティン軍も、作戦の都合でサバト領を犯しててね。陽動がてら、村をいくつか焼き討ちした」

「……」

「そんな目で見ないでくれよ。サバト軍の方が百倍はエグいことしてるっつの」

 

 レミさんの元に向かう道中、ベルン大尉は彼女についての詳細を語ってくれました。

 

「で、俺達が先月焼き討ちした村に彼女が居た。見目麗しい若い女性だったから、すぐに俺達の捕虜として拘束された」

「……それで、どうしたんです」

「放っておくと、兵士たちは彼女に乱暴しただろう。だから俺が保護した」

 

 どうやら彼女は、オースティン兵が焼き討ちした村に居たサバト女性のようで。

 

 兵士たちに凌辱される直前に、ベルン大尉が見つけて匿うことにしたそうです。

 

「あれからレミは随分、男に怯えている。トラウマになっているらしい」

「それは、無理もないでしょう」

「俺はまだ、彼女の笑顔を一度も見ていない。俺には少し心を開いてくれてるんだが、他の兵士にはだんまりだ」

 

 その話を聞いて、自分は衝撃を受けました。

 

 ベルン大尉は間違っても、そんな人道的行為をする印象が無かったのです。

 

 自分は彼に悪のイメージを勝手に持っていましたが……、自分の勘も当てになりません。

 

「俺は、出来る事なら彼女を安全にサバト領に帰してやりたい。だけど、そんなの日夜サバト兵と戦っている兵士連中からしたらありえない行動だ」

「……」

「勝利して捕縛したサバトの女を、どうして手厚く保護してやらないとならないんだって話よな。司令部も俺が彼女匿ってる事、あまり快く思っていなさそうで」

 

 ベルン大尉は、話を聞く限りとても頭が切れる方です。

 

 そんな彼が、自分の立場を悪くしてまで彼女をかくまった理由は、

 

「ベルン大尉は、もしかしてその女性を」

「さあな、どうだろう」

 

 もしかしたら彼は、そのレミという女性を好いてしまったからかもしれません。

 

 美しい敵国の女性に一目惚れをしてしまった彼は、不条理と理解しつつ彼女に入れ込んでしまったのでしょう。

 

 そういう話であれば、彼の助けになることもやぶさかではありません。

 

 サバト兵に対し思う所はありますが、一般市民を乱暴したり虐殺したりというのには断固反対です。

 

 このベルン氏の思いに応えて力になろう、と。この時の自分は、そう思っていました。

 

 

 つまり当時はまだ、自分はベルンという人間をよく理解していなかったのです。

 

 彼は、悪人です。根っからの愛国者で、戦争好きで、快楽殺人犯の人でなしです。

 

 それを知らなかったから、自分はありもしない彼の善性を信じてしまったのです。

 

 

 彼が何か優しい行動を起こすとすれば────それは、より多くの人間を殺すための下準備でしかない。

 

 ベルンにとって、戦友や部下とは、殺人の下準備を手伝ってくれる奴隷でしかなく。

 

 彼は日夜、そんな自らの欲望を満たす人足を探し求めていただけ。

 

 

 そして不幸にも『ベルン・ヴァロウ』に目を付けられた自分は、今後しばしば彼の悪事に加担させられることとなってしまいました。

 

 ああ、あの時余計な一言を言わなければと、今でもたまに思います。

 

 ……口は禍の元、という前世の諺は真であると実感した次第です。

 

 



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66話

 

「■■■……」

 

 その女性は、ベルン大尉の個人テントのその奥に、座って本を読んでいました。

 

 それは真っ白な長髪で、雪の妖精のように透き通った肌の、儚げな女性でした。

 

「■■■■」

「トウリちゃん、この娘がレミだ。……どうだ、何か感じるか」

 

 その人を見た瞬間、自分は目を離せなくなりました。

 

 人を引き付ける魅力とでもいうのでしょうか。

 

 彼女の瞳を見た瞬間、自分はまるで初恋をしたかのように心を奪われ、言葉を失ってしまったのです。

 

 レミさんは10代であろう幼さが残ってはいますが、傾国の美女と言って差し支えない美貌の持ち主でした。

 

 ベルン大尉が入れ込むのも、よく分かりました。

 

「……優しい。彼女は、とても優しい気がします」

「ほう?」

「赤子のように純粋で、素直で、透き通るような優しさを備えた人。……こんなに、綺麗な人を見たのは初めてです」

「そうか」

 

 ベルン大尉は、自分の言葉を聞いて小さく笑いました。

 

 人と会っただけで、こんなに心を動かされたのは初めての経験でした。アイドルに会えたかのような、不思議な高揚感を感じました。

 

 こんな人が敵の村に居たら、そりゃあ取っ捕まるでしょう。

 

「ベタ褒めだな。俺の時はボロクソにこき下ろしてくれたくせに」

「う、すみません」

「良いよ、気にしてないから。ただ、一つだけ聞きたい」

 

 自分が熱に浮かされたようにその女性を見つめていたら、オッホンとベルン大尉が咳ばらいをしました。

 

 あまりにも美人な人に会ったからか、少し我を忘れていたみたいです。

 

「なぁ、トウリちゃん」

「はい」

「どうして、君は今、後ずさったんだ?」

 

 

 愉快そうに唇をひん曲げたベルン大尉にそう言われ、ようやく。

 

 自分は、

 

「え?」

 

 その美人さんに目を吸い込まれながらも、必死で逃げようと体が震えているのに気が付きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

『初めまして。私は、レミと言います』

 

 彼女は自分を見て立ち上がると、自己紹介して一礼してくださいました。

 

『貴女が、話に聞いていた衛生兵さんですか』

「ええ、トウリ・ノエル衛生兵長です」

 

 自分は会釈を返して息を整え、レミさんの前に座りました。

 

 ベルンは通訳に徹するようで、会話に入ってくる様子はありません。

 

『初めまして、トウリ。本当に、軍隊にも私より年下の女の子がいるんですね』

「ええ、オースティンでは15歳から入隊が許可されています」

『貴女みたいに若い女の子は、結構いるのかしら?』

「……ええ、自分の部下にも一人いま(・・)した(・・)

『そう。いつか、お話してみたいですね』

 

 レミさんは小さな笑みを浮かべ、自分を見ていました。

 

『今日は、私のワガママに付き合ってくれてありがとうございます。話し相手がどうしても欲しかったのです』

「いえ、こちらこそお招きいただいて幸いです」

 

 彼女は今日、自分が連れて来られる事を知っていた様でした。

 

 いえ、むしろ彼女の言い分的には、レミさんがベルン大尉に同年代の女性を連れてくるようにねだった風に聞こえました。

 

『女の身で軍人は、大変ではないですか』

「……まぁ、それなりには」

『ではトウリ、貴女はどうして戦争に参加しているのですか。こんな大勢で殺しあうなんて、馬鹿げていると思いませんか』

 

 レミさんは、戦争に嫌悪感を持っているようでした。

 

 オースティン軍に村を焼き払われたのですから、それも当然でしょう。

 

 彼女が軍人に心を開かないのは、そんな理由もあるのだと推測されます。

 

「自分も、戦争は嫌いですよ。本当であれば、参加したくありません」

『では、どうして』

「サバトが、戦いをやめてくれないからです」

 

 自分は彼女の問いに、正直にそう答えました。

 

 少なくともオースティン側は一度、無条件降伏まで提示したのです。

 

 それを跳ねのけたサバトと言う国家に、自分は少なからず含みを感じていました。

 

 嫌味っぽい言葉になってしまいましたが、それが正直な自分の意見です。

 

『……? この戦いはオースティン側が仕掛け、今も続けているのでしょう』

「……」

『あなた方が戦いをやめれば、我々もやめると思いますよ』

 

 しかし、それはあくまで自分がオースティン人だから知っていた情報で。

 

 サバトの領内の人間は、我々が無条件降伏したという話を聞いていない様です。

 

「数ヵ月前の、我々の降伏宣言を知らないのですか」

『オースティンは、降伏するのですか?』

「いえ、もう降伏したのです。オースティンの首都の放送で降伏が宣言され、サバトがそれを拒否したのです」

『そんな話は、全く聞いていません。デマではないですか』

 

 お互いの国民は、お互いの国家の言葉を信じます。

 

 だから、こうやって意見や主張が食い違うのも当然でしょう。

 

『ではもし、サバトが攻撃をやめればオースティンは戦わないのですか』

「戦うことは無いでしょう。……いえ、我々にはもう戦う力が殆ど残っていないのです」

『私が故郷に戻って、偉い人を説得出来たら戦争は終わりますか』

「きっと、終わります」

 

 自分は、レミさんの問いにそう答えました。

 

 そういう軍事的な方針を決めるのは上層部なので正確なことは言えないのですが、状勢的にオースティンが戦争継続を望むとは思えません。

 

『私はサバトで、ずっと戦争をやめるよう訴えてきました』

「……」

『なのに、誰も話を聞いてくれませんでした。戦争に反対すると、警察が捕まえに来ます』

「それは、恐ろしい事です」

『本当に、恐ろしかった。これ以上、友達が拷問されて死ぬのを見るのは悲しいです』

 

 彼女はポロポロと涙を流して、自分にそう告げました。

 

 聞けば彼女は、サバトでずっと戦争反対を訴えていたそうです。

 

 しかしそんな事をすれば警察が黙っておらず、彼女は危険思想の持ち主として追われることとなりました。

 

 そして首都を脱出し国境付近まで逃げてきたところで、オースティン軍に捕まり今に至るのだとか。

 

『私は、ベルンにお願いしました。戦争をやめるよう、戦いを終わるよう』

「はい」

『彼は約束してくれました。もしサバトが戦いをやめたら、そのまま講和の交渉をすると。でも、今のままではどちらも戦いをやめる様子がない』

「……そうでしょう」

『私は、それが悲しい』

 

 それが、ベルンの庇った女性レミの事情でした。

 

 彼女には同情できるだけの事情があります。自分がベルン大尉の立場なら、間違いなく庇ったでしょう。

 

 しかしオースティンが決戦でサバト軍を打ち破るぞと息巻いている時に、こんな非戦論者を自由にしておくわけにはいきません。

 

 なので彼女は、こうしてこっそり匿われていたのでした。

 

「根気強く、声を上げ続けるしかないでしょう」

『トウリさん?』

 

 この世界にも戦争に反対する人間は、居たようです。それを知って、少しだけ自分は安堵しました。

 

 当然です。誰だって、こんなに悲しい殺し合いを続けたいとは思いません。

 

「自分達のような、何の権力もない一般人に出来ることは。根気強く、声を上げ続けるしかありません」

『……』

「そして、圧倒的多数の人が戦争を嫌えば、きっと戦争は終わります」

 

 一度戦争が起これば、その恨みは蓄積していきます。

 

 その国民が全滅でもしない限り、戦後にずっと根強い戦争の火種がくすぶり続けます。

 

 国に歴史がある以上、戦争の種を消し去ることは決してできません。

 

 だから、共通認識として世界中で『戦争は悪であり、忌むべき物』という概念を浸透させなければならないのです。

 

 

 前世では当たり前の感覚だった『戦争は忌むべき物』という概念。

 

 残念ながら今のこのオースティンやサバトには、そんな近代的な概念はありません。

 

 国家の間で諍いがあれば戦争するのが当たり前で、死者が出るのも当然。

 

 そんな旧い価値観が、この戦争の引き金でした。

 

「戦争は民衆に被害を、権力者に利益をもたらします」

『……』

「だから民衆が主体となって、反対せねばならないのです」

 

 前世で歴史の授業を受けていた時に、自分はその意味をあまり理解していませんでした。

 

 例えばアメリカ大統領のウッドロウ・ウィルソンが発表した「14か条の平和原則」は、平和を守るため各国が何をすべきかをまとめた原則で、第一次世界大戦中に提唱されたものです。

 

 当時の自分は、お偉いさんが平和を守りましょうと叫ぶことに何の意味があるんだと思っていました。

 

 ウッドロウ・ウィルソンが奇麗事を言ったところで、結局第二次大戦は勃発したじゃないかと考えました。

 

 

 しかしこの世界に来て、国家首脳の戦争に対する薄い忌避観を知り、自分は彼の偉大さを実感しました。

 

 様々な国家間で『戦争は避けるべき』という共通認識を持たせるのは、非常に重要なのです。

 

 この共通認識があるだけで、外交交渉の一環として武力をちらつかせると国際的に孤立するリスクを孕むようになり、戦争の防止に役立つのです。

 

 戦争に参加する兵士になった今、彼のような奇麗事を堂々と宣言してくれる国家元首が居ればどれだけ素晴らしいだろうかと、思わずにいられません。

 

 

 

 

 ……少なくとも開戦時は、サバトもオースティンも戦争行為をまだ『外交戦略の一種』と捉えていた節すらありました。

 

 武力の行使により国力を示威し、交渉を有利に進めようと考えていた気がします。

 

 しかし銃火器の発展により、戦争の重みは増していました。

 

 少なくとも以前までの様に、外交戦略として気軽に行えるものではありません。

 

 その変化に気づいておらず、両国とも未だ戸惑っている状況です。

 

 お互いに想定外の死者を出してしまい、戦争の止め時を見失っているのでしょう。

 

 この認識をただす事が、きっと今からの我々に重要なのです。

 

 

 

「それが、自分の持論です」

『……』

 

 自分は今の内容を、レミさんに持論と言う形で語りました。

 

 そう簡単に行く話でないことは、理解しています。

 

 これは2度の世界大戦で数多の犠牲者を出してやっと、前世の人々がたどり着いた結論です。

 

 大きな被害を出し多くの悲しみを知って、人は学習していくのです。

 

 

 裏を返せば人間は、一度痛い目を見ないと学びません。

 

 その『痛い目』として犠牲になりかかっているのが、現状の我々でありサバト軍なのです。

 

『本当に、そんな事が出来るのでしょうか』

「……」

『男の人は戦うのが好きです。「兵士に志願して敵を殺しまくるんだ」と語る青年をサバトで何人も見てきました。人を殺すのを、楽しんでいる人もいます』

「そうかも、しれません」

 

 レミさんは物憂げに、そう話してくれました。

 

 兵士に志願する前の人ならば、確かにそんな言葉が出てくるかもしれません。

 

 ですが、

 

「その勇敢な言葉を吐いたサバト人も、きっと目の前でたくさんの戦友を失えば、戦争なんてものを嫌いになってくれると思います」

『……』

「だからレミさん、貴女は間違っていません。戦争は、忌避すべきものなんです」

 

 自分はそう、話を続けました。

 

 

 

 

 

 

 

『ありがとう、トウリ。貴女と話せて本当に良かった』

 

 その後、しばらく自分はレミさんと話を続けました。

 

 彼女は少しずつ饒舌に、明るい表情で話してくれるようになりました。

 

『貴女みたいに優しい人ばかりなら、戦争なんて起こらなかったのに』

「……サバトにも、レミさんの様な人がたくさん居ればよかったのですが」

『私のように、戦争に反対する人は沢山いました。皆、捕まってしまっただけです』

 

 レミさんは涙を拭きながら、自分に手を差し出しました。

 

『私、ベルンに頼んで何とかして故郷に帰ります。そして今度こそ、もっと沢山の人に戦争を反対してもらえるよう頑張ります』

「……あまり、無茶はしないでくださいね」

『ええ、ありがとう。親愛なるトウリ』

 

 自分は彼女の手を握り返し、

 

「いつか平和な世界になったら、またお茶会をしましょう」

『喜んで』

 

 そう言って、彼女と別れました。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……くくく、いや、最高だったよトウリ衛生兵長。君に任せてよかったと、俺は心底思っている」

「それは、どうも」

 

 レミさんとのお茶会が終わった後、ベルン大尉は自分をテントの外に連れ出しました。

 

 どうやら、自分を野戦病院があるパッシェンまで送っていってくださるようです。

 

「見るからに、レミの顔色が良くなった。大分立ち直ってくれたみたいだ」

「ええ、自分にもそう見えました」

「後は俺の仕事だ、立ち直った彼女を何としても無事にサバトに送り届けて見せる。任せておけ」

「お願いします」

 

 ベルン大尉は胡散臭い笑みを浮かべたまま、そう断言してくれました。

 

 南の英雄ベルン大尉がそういうなら、きっと上手くレミさんは送り返してもらえるでしょう。

 

「レミの事、お前はどう感じた?」

「優しく奇麗で、不思議な求心力のある方だと思いました」

「そうか、じゃあお前はもう二度とレミに会うな。今後、彼女への面会は許可しない」

「え?」

 

 そしてベルン大尉は、自分が今後レミさんに会うことを禁じました。

 

 自分がパチクリと目を瞬かせると、大尉は曖昧な表情で自分の視線を受け流します。

 

「……自惚れでなければ、自分はとても彼女を元気づけられたと思うのですが、どうしてでしょうか」

「ああ、期待以上の働きだったよ。今日の君の言葉は、レミに大きな影響を与えた。君があんなにも深く、この戦争の結末について考えてくれてたとは思わなかった」

「それでは、何故?」

「それは、君自身も理解しているだろ?」

 

 もうレミさんに会えないのは寂しいと感じたのでベルン大尉に聞いてみたら、彼は満面の笑みを浮かべ、

 

「君は、彼女から逃げようとしたよね。言葉の上では心惹かれていると言っても、内心では怖くて仕方がなかったんだ」

「それは、違います。自分は、その」

「いや、それで良い。それで正解なんだよ、トウリちゃん」

 

 自分の頭を撫でながら、次のように教えてくれました。

 

「何せ彼女は無自覚なだけで、俺なんかよりよっぽど極悪人だからな」

「……へ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、彼女─────レミさんは、ベルン大尉の手腕で故郷のサバトに帰還する事に成功したそうです。

 

 しかもベルン大尉は、ただ彼女の帰還を支援するだけではなく『大量の銃火器、支援金』を用意してサバトの拠点に送り届けたそうです。

 

 

『私は、オースティン軍で素晴らしいことを聞きました』

 

 

 その拠点とは、過激派の反政府組織が隠れ蓑に使用していたもので。

 

 彼女は、その反政府組織のメンバーでした。

 

 

『戦争に反対する人を増やせば、戦争は終わります。オースティンの偉い人が、戦争を止めるために支援をしてくださいました』

 

 

 レミさんが国境付近の村に潜伏していたのは、サバト本国の警察の目から逃れるため。

 

 彼女は、サバト政府が血眼になって探していた危険思想犯の一人であり。

 

 ─────その求心力の高さから、若くして反政府組織のリーダーに選ばれていたのです。

 

 

『戦争を終わらせましょう。私たちの手で、サバトを変えましょう』

『ああ、レミ様』

『最初は小さな一歩から。少しずつ、歩みを進めて行くのです』

 

 ベルン大尉によりサバトの中に放り投げられた、小さな火種(レミ)

 

 それはやがて、平和への狂気を持ってサバトに旋風を巻き起こしていきます。

 

『戦争に賛成しているのは、政府の高官、貴族、そして商社の富裕層』

『ああ、その通り』

『彼らが権力を握る限り、永遠に平和は来ない。人は平等であるべきです。国は我々の様な民衆が、議会をもって話し合って進めるべきです』

 

 自分は、一つ大きな勘違いをしていました。

 

 レミさんは、善意で行動します。だから、自分は彼女を優しい人と形容してしまいました。

 

 

『その為に、一人ずつ』

『地道に、富裕層を殺していきましょう』

 

 

 しかし、彼女の本性は。

 

 目標の為なら殺人すら厭わない、壊れた平和狂信者だったのです。

 

 

『すべての民衆に、平等な社会を』

『議会による統治を』

『戦争の終結を』

 

 

 彼女は自身の善意と優しさで、サバトという国を真っ二つに分断していきました。

 

 そしてベルン大尉の援助の下、『労働者議会』と呼ばれる革命集団をサバト中に組織していきます。

 

 

 ───サバト革命。

 

 やがて彼女は革命を実行に移し、多くのサバト都市に血の海を作り上げます。

 

 平和を求め、平等を愛し、戦争を嫌悪した彼女のグループは……相手が『政府側の人間』であれば、テロリズムという悪辣な手法を以て女子供すら躊躇わずに虐殺していきました。

 

 そんな彼女に多くのサバト市民が賛同し、平和のためという名目の下で略奪・殺人が横行し始め、サバト国内は大混乱に陥ります。

 

 オースティンから秘密裏な援助を受けたテロ組織『労働者議会』は、こうしてサバトという巨大な国家を内部から崩していくのでした。

 

 

 そんな彼女の引き起こした歴史に残る大惨劇の糸を、陰から引いていたのは。

 

 オースティン救国の英雄、ベルンだったという事はあまり知られておりません。

 



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67話

 

 自分が何やら、ベルンに恐ろしい謀略の片棒を担がされてから数日が経った頃。

 

「雪中の行軍訓練ですか」

 

 今度は南軍の司令アンリ中佐から、衛生部にとある告知がありました。

 

「冬明けから作戦の準備がとれるよう、今のうちに寒さに慣れておこうって魂胆みたいね」

「成程」

 

 それは、歩兵訓練の補助要請でした。

 

 冬入りしてから身動きが取れず、前線の兵士は暇を持て余していました。

 

 そのせいで士気が高かった筈のオースティン兵に、緩んだ空気が流れ始めていたそうです。

 

 そんな気配を察した司令部が、気を引き締める意味で大規模な訓練作戦を企画したのだとか。

 

「小隊規模で代わる代わる、合計3日間の訓練を実施するそうよ」

「はい」

「そして、兵士さんは訓練の最終日にパッシェンに寄るわ」

「訓練終了後のメディカルチェックですね」

「ええ。だからこれから、仕事が増えるわね」

 

 衛生兵である我々まで訓練しろと言われませんが、その代わり訓練を手伝えという話だそうです。

 

 行軍訓練は3日かけて行われ、その最終日にパッシェンに到達します。

 

 我々は訓練を終えた兵士を出迎え、清潔なタオルや温かいスープを渡し、健康診断を行い、彼らが去ったら後片付けを行うように申し付けられました。

 

「訓練中に雪山で遭難なんて事にならなければ良いのですが」

「あ、今回は新米も多いから山に入らないそうよ」

 

 それなら、大丈夫でしょうか。

 

 

 

 

 

 

「到着予定時刻には、たっぷりお湯を用意しておきなさい。雪の中だから熱中症にはならないけど、低体温と脱水症は起こしうるわよ」

 

 この訓練作戦は、実に妙案でした。

 

 レンヴェル軍の大半は、中央で緊急募兵された新兵ばかりです。

 

 彼らが少しでも経験を積めるのは、素晴らしい事です。

 

「レイターリュさん、薪の消費量を予測しますと全く足りません」

「大丈夫、訓練の過程で兵士が木材を切り出して運んでくれる手筈よ」

「成程」

「ただし持ち込まれた薪は乾いてないから、すぐに使えないわ。空き小屋に運び込んで乾かしなさい」

 

 訓練の準備には力仕事が多く、ケイルさんやアルノマさんなど男手が重宝されました。

 

 ザーフクァさんの部隊のメンバーにも手伝ってもらいつつ、自分たちはパッシェンに簡易の集会所を設営しました。

 

 そして一週間かけて広場に焚火、給食所、診療所などを設営していき、やがて百人ほど収容できる会場が完成しました。

 

「さあて、明日から本番よ。各員、それぞれに割り振られている役目を確認したわね?」

「はい」

「じゃあ、解散。明日は頑張りましょう!」

 

 レイターリュさんは人員をそれぞれ運営本部、調理班、医療班、資材班、運搬班に分けました。

 

 運搬や資材などの力仕事は、輜重兵の筋肉質な方々が担当してくれるそうで。

 

 衛生部の拠点だけあって医療班の人員は余っており、自分は調理班に組み込まれました。

 

「調理って言っても、私達で用意するのは温かいスープだけよ。あんなもん、レシピ通りに鍋に放り込んどけば難しくないわ」

「はい」

「でも、それを兵士に配っていくのは大変よ。数も多いし、結構な力仕事になるでしょう」

 

 自分はよく体力訓練に参加しているので、比較的力仕事になるだろう場所に配置されたみたいです。

 

 それと、

 

「それにムサ苦しい男より、トウリちゃんにスープ持ってきてもらった方が兵士も嬉しいんじゃないかしら」

「はぁ」

 

 どうやらマスコット的な働きも期待されている様です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁい、訓練ご苦労様。温かいスープを用意しているわ、温まっていきなさい」

 

 訓練初日は、朝から大忙しでした。

 

 午前に大鍋でスープを作り、食器とお盆を準備しておき。

 

 メディカルチェックを受けた兵士を会場へ誘導して、スープを手渡しします。

 

 そこで兵士さんに一息入れてもらい、前線に帰還してもらう手筈です。

 

「おうい、スープのお代わりをくれないか」

「申し訳ありません、人数分しか用意していないのです」

 

 この訓練は合計1か月かけて、全軍に施されるそうです。

 

 気を引き締める目的だったからか過酷な訓練だったようで、何人かは脱水で入院になりました。

 

「おう、どうせなら可愛いボインが接待してくれや! 何で料理運びが男ばっかりなんだ」

「これ、結構な力仕事だからね。レディに任せるのは躊躇われるのさ」

「俺は定期的に女の尻を撫でないと死んじまうんだ。寒すぎて売春嬢が前線に来なくなってるんだぞ」

 

 時折、困った兵士さんが暴れたりもしました。

 

 この世界にセクシャルハラスメントなんて概念は浸透しておらず、粗暴な兵士は平気で女性に悪戯してきます。

 

 ですが、

 

「ハァイ、お望みの美女が来たわよ!」

「げ、戦場の死神!」

 

 そういったセクハラに対しては、最終兵器レイターリュ衛生部長が駆けつけて解決してくださいました。

 

「どう、私の尻でも撫でていく? 部下の為なら私は、犠牲になっても本望よ!」

「やかましい、テメェのケツに触れたらいつ爆弾が降ってきてもおかしくねぇだろ。俺は逃げさせてもら……あ痛ぁ!」

「流石レイリィだ、軽く声をかけただけでスッ転ばせて負傷させたぞ」

 

 というか、逆にセクハラを返します。

 

 あのバイタリティは、見習っていきたいですね。

 

「あ、頭から血が出てるわね。入院よ、その男を確保して」

「あー、小石に頭ぶつけたね。これは、経過観察しないとマズい」

「うわあああああ、この俺に近づくな!」

 

 こうしてセクハラ男は無事に入院となり、レイリィ部長に手厚く医療(・・)されることになりました。

 

「ちっと年食って好みから外れてるケド……たまには枯れたモン食べてみますか」

「誰か、た、助けっ────」

 

 

 

 翌日、彼女が妙に肌ツヤが良かったのですが、気づかない事にしました。

 

 南軍の衛生部のセクハラ対策は万全のようです。

 

 もしかしたら過酷なセクハラを受けた末が、今のレイターリュ部長の性格なのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうぞ、スープをお持ちしました」

「お?」

 

 そして、全体訓練が始まって半月ほど経った頃。

 

「すまない衛生兵さん、ちょっとこっち来てくれ」

「はい」

 

 自分は、スープを手渡した見知らぬ兵士に呼び止められました。

 

「どうかしましたか」

「……本当に居たのか」

「はい?」

 

 彼は自分を意外そうに見た後、右手を差し出して、

 

「会えて光栄だ、トウリ衛生兵長殿。俺と握手してくれないか?」

「え」

 

 いきなり、握手をせがんできたのです。

 

「ありがとう、変な事を頼んで悪かったな」

「い、いえ。これくらいでよろしければ」

 

 特に断る理由もなかったので握手に応じると、兵士はとても嬉しそうにお礼を言って立ち去りました。

 

 セクハラ……にも思えませんし、何が目的だったのでしょう。

 

 まぁ、別に嫌な思いはしていないので気にしないことにしました。

 

 

 

「おお、そこの衛生兵殿! 少し時間を頂けないか」

「は、はあ……」

 

 その日から、ちょくちょく似たような事が起こる様になりました。

 

 自分を見て拝んだり、頭を撫でさせてくれと言ったりと、妙に見知らぬ兵士に絡まれるのです。

 

「……これは、どうしたことでしょう」

「リトルボスは可愛いからね」

「そういう話なんでしょうか」

 

 お尻や胸を触られたりするわけではないので、そういう目的とは思えません。

 

 ですがいちいち兵士に声を掛けられるのは、仕事をする上で非効率的です。

 

 一度、レイターリュ衛生部長に相談するべきでしょうか。

 

「誰か事情を知りませんか?」

「さあ。でも、本当にそんなノリだと思うんだけどね僕は」

 

 自分の相談を聞いたケイルさんは、曖昧な笑みを浮かべて、

 

「衛生部にリトルボスみたいなカワイイ娘がいるって南軍で広まれば、名物みたいな扱いを受けても不思議じゃない」

「名物……」

「特にボスはかなり若く見えるからね、兵士の間で噂になっても仕方ないんじゃないか?」

「……そういうものでしょうか」

 

 彼は自分が『珍獣』扱いされているという説を、悪びれもなく語ったのでした。

 

 

 

 

 

 この、自分が珍獣扱いされているという説は当たらずも遠からずで。

 

「おお、トウリ。聞いたぞ、お前なんか最近『幸運運び(ラッキーキャリー)』とか呼ばれてるらしいな」

「何ですかソレ」

 

 アレンさんが訓練を終えてパッシェンに到着した際に、ようやく詳しい事情を聴く事が出来ました。

 

 

 どうやらスープ運びをしている自分を見た兵士が、「衛生部で、小さな女の子が頑張ってる」という噂を流したそうで。

 

 最初は「珍しいなぁ」という話だったのですが、自分がスープを持って行った兵士がカードで馬鹿勝ちしたり恋人が出来たりと、妙に幸運に恵まれたそうで。

 

 レイリィ部長の悪名を十分に知っていた南軍の兵士は、逆に「その小さい女の子は、幸運を呼ぶ衛生兵じゃないか」という噂を立て始めたのです。

 

 同時期に、ヴェルディ中尉が活躍した撤退作戦で「自分が一緒に撤退していた」という情報も広がり、自分が幸運運び(ラッキーキャリー)に違いないと様々な兵士が信じ始め。

 

 そのご利益を求めた兵士に、しばしば絡まれるようになったという話だそうです。

 

 

「その『幸運運び』様はお人形みたいに可愛い、表情乏しめの女の子衛生兵って話だって聞いてな。俺とロドリーはもう、大爆笑したんだ」

「……」

「俺もそのご利益にあやからせてくれよ、クッククク」

 

 久々に会ったアレンさんは、大層機嫌よく自分の頭を撫でました。

 

 何がそんなに面白かったのか、二人を小一時間ほど問い詰めたいところです。

 

「お前も頑張ってんだなって。あの、塹壕の中で顔を青くして震えてたトウリがこんなに立派になぁ」

「アレンさん……」

「もう、一端の軍人の顔をしてるよお前は」

 

 しかしアレンさんにそう頭を撫でて貰えるのは、少しだけ嬉しい気分にもなりました。

 

 なんだかんだ、先輩に誉めてもらえるのは嬉しいです。

 

「自分なんて、まだまだです」

「んなことはねぇよ。少なくとも幸運運び(ラッキーキャリー)の噂だけで、俺たちの士気は大いに上がってるぞ?」

「それは、自分の功績ではありません」

 

 まぁ、そういう事であれば珍獣扱いも気にしないようにしましょう。

 

 自分が拝まれるだけで兵士の士気が上がるなら、好きにしてくれと言うものです。

 

「そういえば、ロドリー君はどうしたんですか?」

「あいつか? ロドリーは間抜けにも、訓練中に熱出してな。今、治療班に並ばせてる」

「え、大丈夫なんですか?」

「熱出てるだけで平常運転だ。いつも通りに生意気で口の悪いロドリーだ」

 

 そしてロドリー君がいない理由を聞いてみたら、なんと彼は風邪を引いたみたいでした。

 

 時間があれば、お見舞いに行きたいところですが。

 

「会いに行かねぇのか」

「……自分は、調理班なので」

「ま、顔を見に行くくらいは良いんじゃないの」

 

 傷病者のケアは医療部の仕事です。自分の仕事ではありません。

 

 本当はロドリー君と少しお話をしたかったのですが、仕方ありませんね。

 

「では、スープを飲んだら気を付けてお帰りください。帰り路に怪我をして、引き返すなんてことの無いように」

「おう、じゃあまたなトウリ」

 

 少し後ろ髪をひかれますが、まだ調理班の仕事は一杯残っています。

 

 ロドリー君は心配ですが、ちらりと医療部の方を覗いて顔を見るだけにしておきましょう。

 

 

 

 

「あらー、少年兵。良いわ、新兵かしら!?」

「お、おゥ……。何か威圧感のある衛生兵だなァ」

「どうしたのボク? お熱? どこかにばい菌が入っていないか、隅々まで全身をチェックしてあげるわ!」

「あ、おい、おい」

「少年兵1名ご案内~! さ、私の診察室に……」

 

 

 

 

 医療部を覗いたら、鼻息を荒くした不審者(レイターリュ)が、ロドリー君を診察室に連れ込もうとしていました。

 

 ……。

 

 

「痛いわ! 何、何でいきなり私、チョップされたの?」

「……彼は自分の知り合いなので、自分が診察しますね」

「あ、トウリちゃん! その男子に先に目を付けたのは私よ!」

 

 他の兵士であれば百歩譲って見逃していましたが、流石にロドリー君はダメです。

 

 うっかりレイリィさんに関わって、戦死されたらたまりません。

 

「あ? どうした、おチビ?」

「ロドリー君も、自分に診てもらいたいですよね」

「え? でも俺その人けっこう好み────」

「そうですか、じゃあ自分が診ますね」

「おいィ!?」

 

 自分は目を吊り上げて不審者を威嚇しながら、ロドリー君を引きはがしました。

 

 ロドリー君は、レイリィさんの噂を知らないんでしょうか。

 

「おい、分かった、お前について行くから手を放せって」

「駄目です」

 

 確かにレイリィ部長は美人で、ナイスバディです。自分も男だったらクラッと行く自信があります。

 

 しかしその色香に惑った兵士は皆、今まで悲しい結末を迎えているのです。

 

「あー、衛生部長、少し耳を」

「……あ、そうなの。トウリちゃんの先約かぁ、それはしょうがないか」

 

 背後でケイルさんが何か部長に耳打ちしていました。

 

 その内容は、推測したくもありません。

 

「そっかー、青臭くて良いなぁ」

「あれは邪魔しちゃいけません」

 

 

 ……。

 

 成程、この行動を端から見れば自分がロドリー君に片思いしているように見えるのですか。

 

 そうですね、誤解されても仕方がない動きに見えますね。

 

「……おチビ、お前さぁ。もしかして本当に」

「ロドリー君。どうか変な誤解をして、自分の心労を増やさないでください」

「お、おう」

 

 やはり世の中は不条理です。



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68話

 

 冬入りして、およそ3か月ごろ。

 

 雪中での訓練作戦も完了し、いよいよ決戦の春が近づいて来ました。

 

 前線では微かな雪解けを合図に、両軍が開戦に向けた動きを見せ始めていました。

 

 

 冬の間、サバト軍はタール川岸から数kmに渡って十層以上の塹壕を堀り、堅実な陣地を構築していました。

 

 サバトはオースティンへ攻め込む起点として、タール川を死ぬ気で確保するつもりのようです。

 

 ここを失うと、サバトは次の攻勢に出る際に河を渡らねばなりません。

 

 タール川の川幅は80mほどで、それなりに水流が速く、生身の人間が泳いで渡るのは不可能です。

 

 5年前、このタール川を確保するためにサバトは大きな犠牲を出しました。

 

 当時のサバト軍は兵力にモノを言わせ魔力船を量産し、物量作戦で強引にタール川を掌握したそうです。

 

 タール川にはサバト兵の遺体がビッシリ浮き、腐敗臭を撒き散らしました。

 

 そして渡河作戦から数日、タール川の下流では赤黒い汚泥が絶えることなく流れ続けたそうです。

 

 

 そんな光景を見て「川にタールが流れてきた」と、当時の兵士たちは例えました。

 

 ……この川はサバトとの戦争の際、何度も決戦の場となっています。

 

 もしかしたら、このタール川の語源は人の血をタールに例えたのが始まりかもしれません。

 

 

 そして現在、タール川には随所に物資運搬用の橋が架けられています。

 

 無論、サバトが物資の運搬路として建築したものです。

 

 今、サバトはこの橋を用いて我々の領地へと攻め込んでいます。

 

 

 

 この河岸の拠点を陥落できれば、事実上オースティンの勝利と言えます。今のサバトの体力で渡河作戦を再度実行できるかは怪しいでしょう。

 

 橋を破壊できれば、サバトに講和の席に着いてもらえるとアンリ中佐は考えていました。 

 

 

 

 現在タール川に架けられた橋は、残り2つとされています。

 

 敵の陣地の後方に一つ、北に10㎞ほどの地点に小規模な橋がもう一つ。

 

 それ以外の確認されている橋は、もう南軍が破壊しています。

 

 

 ……この2つの橋は、川岸に陣取るサバト軍にとって急所と言えました。

 

 橋を破壊できれば、サバト軍は補給線を失います。

 

 銃弾も魔石もない軍隊など、何も怖くありません。

 

 橋を失った時点で、オースティン領土内にどれほど兵を残していようと、敵は全滅するでしょう。

 

 

 

 

 ────しかし、逆に言えばオースティンの勝ち筋はそれだけです。

 

 長期戦になれば、生産力を失ったオースティンはジリ貧です。

 

 一方サバトはタール川に橋が架かっている限り、強大な生産力をもってオースティンを圧倒するでしょう。

 

 

 何としても橋を落としたいオースティンと、橋を狙いに来ることが分かっているサバト軍。

 

 総兵力は大きくサバトに分がありますが、士気や将兵の質が高かったのは間違いなくオースティンでした。

 

 

 オースティン軍の参謀は歴史に名を残す名将ベルン・ヴァロウ。

 

 迎え撃つは時代の寵児、サバトに現れた鬼才シルフ・ノーヴァ。

 

 これが歴史上、初の二人の直接対決であり。後々まで戦争に大きな影響を残し続けた、歴史的にも重要な戦いです。

 

 そんなお互いの国の命運をかけた『総力戦』ともいうべき決戦の火蓋は、雪解けを合図に切られました。

 

 

 

 

 

「別にこれは作戦じゃなく、そうするしかないだけ」

 

 ベルン大尉は冬が明ける前に、タール川の橋正面に戦力の大半を結集させました。

 

 それは敵に向けて事実上「その橋を狙っています」という宣言に近いものでした。

 

「どんなに隠しても、敵が橋の警戒を怠るわけがない」

 

 作戦行動が敵に筒抜けになるのは避けるべきなのでしょうけど、今回のケースではオースティンの勝ち筋がそれしかないのです。

 

 だったら狙いを誤魔化すことに手間をかけるより、作戦の本筋を洗練した方がマシだという考えでした。

 

 当時ベルン・ヴァロウが頭に描いていた作戦は「敵の主力をオースティン側に残したまま、橋を落として退路を断ち全滅させる」という絵です。

 

 実現の可能性がとても低い「絵に描いた餅」ですが、この目標はオースティン首脳陣の大多数も賛同しています。

 

 何故なら戦後の事を考えると、敵主力を逃がした場合にサバトが講和に応じる可能性が低かったからです。

 

 

 オースティン首脳の戦後の構想は、タール川を国境にして講和した後、お互い川岸に強固な防衛陣地を建設するというものでした。

 

 タール川沿いに強固な防御陣地を建設しあえば、お互いに侵略できなくなります。

 

 この陣地建設案はサバトに対する牽制であると同時に、民への救済でもありました。

 

 路頭に迷っている人々に公的事業で仕事を与える事が出来るし、国境付近の荒れた土地に商売の需要が生まれるのです。

 

 サバトの大量虐殺により人口が減ってしまった事で、オースティンは逆に食料は1年ほど持ちそうなのでした。

 

 その1年の間にサバトと講和を成立させ、公共事業で食料を配って国を立て直そうとしたのです。

 

 

 そんな戦後構想を実現するには、敵主力の壊滅は必須でした。

 

 敵に余力があったならば、虫の息であるオースティン相手に講和をする理由がありません。

 

 講和を引き出すには、彼らにも虫の息になってもらう必要があるのです。

 

 それをよく理解していたベルンは、橋の破壊に加え敵の殲滅も目標に加えたのです。

 

 

 

 

 

「……なんだ?」

 

 そして、長い冬が明け。

 

 オースティンから見えるサバト陣地は、実に奇妙な事が起きていました。

 

「……敵が、居ないぞ?」

 

 そう、敵が時間をかけて掘ったであろう塹壕の中に、殆んど兵士の姿が見えないのです。

 

 橋付近には小規模な部隊が駐屯して見えるのですが、どう見てもオースティンより少勢でした。

 

 塹壕の何処からも、飯を炊く煙も殆ど上がりません。時おり、まばらに煙が見えるだけです。

 

 もしや撤退しているんじゃないかと疑うほど、敵の兵の痕跡が見えないのでした。

 

 

「もしや、サバト主力は撤退したんじゃないか?」

「遠目に見る限り、塹壕の中に殆ど兵士が見えないぞ」

 

 

 サバト軍はオースティンに攻め込む為に、橋を守り抜かねばならぬ筈です。

 

 撤退して、塹壕をがら空きにする筈がありません。

 

「まさか、隠れているんだろう」

「でも、もしサバト国内で何か事件が起こって持ち場を離れているなら……」

 

 そんな偵察兵の報告は、オースティン参謀本部を悩ませました。

 

 ここを好機として見るか、はたまた罠と見るか。

 

 もし本当に敵が少数で、橋を破壊できるチャンスであれば見過ごすわけにはいきません。

 

 それは我々が、喉から手が出るほど欲していた勝機なのです。

 

「リスクは承知の上で突っ込むべきだ、もし偵察した通りであれば戦争を終わらせられる」

「馬鹿、もっと時間をかけて偵察してから……」

「モタモタしている間に、敵の主力が帰ってきたらどうする!」

 

 塹壕に籠っている敵は、ごく僅か。少ない兵を絞り出して、布陣している可能性が高い状況。

 

 そんな幸運を前にオースティン参謀本部は色めき立ったのですが、

 

 

 

「罠に決まってんだろバーカ」

 

 

 

 と、そんな参謀達を一蹴したのはベルン大尉でした。

 

「サバトに、オースティンとの戦争以上に優先すべき軍事行動なんざありませんよ」

「だが、万一……」

「その万が一、と言う甘えた考えを引きだすために兵士を少なくして見せてんでしょう」

 

 

 

 

 

 

 まぁ、これはお察しの通りサバト側────というか、シルフ考案の作戦でした。

 

 ベルンにさんざん煮え湯を飲まされてきたサバト軍は、今度は逆に罠にかけてやろうと頭を捻ったのです。

 

 そして彼女は、冬の間に「2段の塹壕」を兵士に掘らせることを提案しました。

 

 シルフは塹壕の奥に2段目の深い塹壕を掘らせ、そこに兵士を隠すことであたかも『塹壕内に兵士が潜んでいない』ように見せたのです。

 

 そして飯の煙が上がらないよう、2段目の塹壕にこもる兵士は冷たくても食べられるレーションをすするよう徹底したそうで。

 

 その結果、雪が解けて現れたサバトの陣地に、殆ど敵兵の姿が見えなくなっていたのです。

 

「いかにも、サバトのアホが考えそうな作戦でしょう。まんまと引っ掛かってどうするんです」

「何故、そう断言できるんだ」

 

 冬の間、時間と人手があったサバトはこんな罠を張っていました。

 

 シルフ本人は「これで釣れればラッキー」くらいの気持ちで提案したそうです。ですが、決してこの策は馬鹿にできません。

 

 何せこの罠はオースティン参謀本部を真っ二つに割って、数日間の討論を巻き起こしたのですから。

 

 少し考えれば自ずと分かる罠なのですが、戦場の極限状態では「もしや何か奇跡が起きたのでは」という誘惑に抗えない人も多かったのです。

 

 

「ベルンの臆病者! 何が英雄だ! オースティンは、千載一遇の好機を逸した……っ!!」

「……はぁ、バカばっか」

 

 

 結局シルフの罠は、ベルン大尉の発言力が高かったせいで空振りに終わりました。

 

 その決定を受け「オースティンは自ら勝機を手放した」と慟哭する指揮官はかなり多かったです。

 

 もし参謀本部にベルンがいなかったらどうなっていたかは、考えたくありません。

 

 

 因みに戦後、この作戦について「シルフが余計な穴を掘らせ兵士に冷たいレーションを強要し、士気を大いに下げた」と結構ネタにされています。

 

 この2段の塹壕は、ちょくちょく前線で酔ったサバト兵士が足を踏み外し負傷させたそうです。

 

 なのでシルフからサバトへの罠だったんじゃないか、という説も囁かれています。

 

 しかし罠に引っ掛かって小勢のオースティン軍から突撃していたら、サバト側の圧勝だったでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レイターリュ衛生部長殿。今まで、お世話になりました」

 

 そして、春が来て前線の動きが活発になり始めたころ。

 

 ついに待ちに待った首都ウィンからの後詰1万人が、この最前線へと到着しました。

 

「我々トウリ衛生小隊は、本日付けをもってレンヴェル少佐の指揮下に移動します」

「……うー」

 

 それを受け、我々トウリ衛生小隊も本来の所属であるレンヴェル少佐の下へと戻ることになりました。

 

 そしてレンヴェル少佐の下で、新たな衛生部を再編する事になります。

 

 なので自分は、冬の間にお世話になった人々に挨拶をして回っていました。

 

「あの、ケイル君かアルノマ君か、どっちかだけでも置いてってくれない?」

「駄目です」

「独り占めはずるいわよ。私だって、トウリちゃん愛しの彼は譲って手を出さなかったじゃない」

「愛しの彼ではありません」

 

 レイターリュさんは、最後までテンションが変わりませんでした。

 

 この明るさと人当たりの良さは、真似できません。

 

「ま、新しい衛生部でも頑張ってね! 困ったことがあれば相談なさい、患者の受け入れとかもドンと来いよ」

 

 彼女は別れ際に自分をギュっと抱きしめました。

 

 とても豊満でした。

 

 

 

 

 

 

 

「そうか、分かった」

 

 そんなレイターリュさんとは対照的に、ザーフクァ曹長との挨拶は淡白なものでした。

 

「ここで俺に習ったことはよく復習しておけ。特に、【盾】の応用法は忘れるな」

「はい、曹長殿」

「いざという時、貴官の生死を分ける。……そういう技術を選んで、教えたつもりだ」

 

 しかし淡白な別れとは裏腹にこの冬、彼と濃密な訓練時間を過ごしました。

 

 曹長は、ガーバック小隊長ほど言葉は厳しくありませんが、訓練の厳しさは彼以上だったかもしれません。

 

「貴官に貸している訓練銃と弾倉は餞別だ。持っていけ」

「え、ですが」

「ゴム弾しか入れていないから、訓練用だと言い張れ。戦場で銃を持たずに行動させるなんてありえん」

 

 別れ際、彼は自分に1丁の銃を手渡してくれました。

 

 銃や弾薬は厳重に管理されており、こうした勝手な譲渡は出来ないはずですが……。

 

「俺のやることに文句を言える連中なんぞ、そうおらん。……それにまぁ、じきに衛生兵も銃の所持が合法になるだろうし」

「そうなんですか」

「ああ。件のヴェルディ中尉の撤退作戦の時に『後方部隊が武装していなかったせいで撤退方法の選択肢が狭まった』と、レンヴェル少佐が問題提起したそうだ。あの人は強引だから、無理やり軍規を変えてくると思う」

「……」

 

 ちなみに、ベルン大尉を南軍の英雄とするなら、ヴェルディさんが我々中央軍の英雄ポジションです。

 

 レンヴェル少佐が大々的に戦果をアピールしまくったせいで、彼の武勇伝は全軍に広まっていました。

 

「たまたま貴官の上官がヴェルディ中尉殿だったので助かったが、本来あのような死地に放り込まれたら死んで当然。自らの為に訓練弾でもいいから、銃は持っておけ」

「はい、曹長殿」

「レンヴェル少佐の指揮下に戻るなら、取り上げられる心配も薄いだろう。ちゃんと、手入れを欠かすなよ」

 

 ザーフクァ曹長は言葉は少なめですが、その分ものすごく熱意をもって自分に接してくださいました。

 

 彼は元々面倒見の良い方だそうで、意欲的に訓練に参加する新兵はザーフクァ曹長によく可愛がられるのだとか。

 

 自分も、その枠に入れて貰えたみたいです。

 

「では、貴官の幸運を祈る」

「今までありがとうございました、ザーフクァ曹長」

 

 自分は彼に敬礼を返し、銃を肩にして立ち去りました。

 

 そのまま自分はヴェルディさんやアリア大尉のいる、レンヴェル軍へと戻ることになりました。

 

 いよいよ、新しい衛生兵としての日々が始まります。戦争が再開し、再びこの世の地獄を体現するであろうあの日々が。

 

 

 

 そして、自分の右肩にかかった1丁の量産銃。

 

 この銃は彼の言う通り、本当に自分の生死を分ける事になりました。

 

 

 

 戦争は、世界は、常に我々の想定通りに動いてくれるとは限りません。

 

 今みたいに「もう、この作戦を成功させるしかオースティンに生き残る道はない」という絶体絶命の窮地にこそ、歴史は弱者に意地悪く牙を向けます。

 

 この春から、いよいよ激動の1年が始まります。

 

 この年はオースティンにとっても、そしてサバトにとっても最悪の1年となることを、まだ誰も知りません。



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69話

 南軍の皆さんに別れを告げた後、トウリ衛生小隊はレンヴェル軍に復帰しました。

 

 ただトウリ衛生小隊という枠組みは解体されず、今後もそのまま1つの診療グループとして扱われるそうです。

 

 幸か不幸か、自分の小隊はそこそこ実戦経験を積めていました。

 

 少佐は、危険な任務に追従出来る衛生小隊を1つ確保しておきたかったのかもしれません。

 

 

 

 そして我々は、新設されたというレンヴェル軍の衛生部へと出向いたのですが。

 

「儂はドールマン衛生曹である」

 

 簡易テントの並んだ野戦病院には、えらく立派なひげを蓄えたお爺ちゃんが居ました。

 

 年老いてはいますがガーバック小隊長より大柄な人で、その左手は欠け体中に古傷がありました。

 

「退役して6年の、しがない老爺だ。墓に入る前に前線に呼び出され、再び衛生兵として貴様らの指揮を執ることとなった」

「よ、よろしくお願いします」

「もう魔力も枯れて大した戦力にならんが……、貴官らの誰よりもマシに戦争出来るだろう」

 

 彼は開口一番、自分の頭を鷲掴みにして凄みました。

 

「一つ言っておくと、儂は反抗的な兵士が嫌いだ。この年になると、人を癒すより殴る方が得意になってくる」

「は、はい。ドールマン衛生曹殿」

「トウリ衛生兵長。貴様、まだガキンちょの癖に良い階級を持っているな。そんな貧相なナリをして、お偉いさんにケツでも振ったか?」

「いえ、そのような」

 

 こんな怖そうな軍人にギロリと睨みつけられ、正直自分は委縮してしまいました。

 

 最近、周りに優しい人が多かったのでこういった軍人然とした人は久々ですね。

 

「貴様はレンヴェル少佐殿のお気に入りらしいが、儂は戦争が終わればまた隠居生活に戻る。儂に、上層部からの圧力は通じん」

「はい」

「心して仕事にかかれ。甘えた寝言を抜かしたら、容赦なくブン殴る。ママのミルクが恋しくなれば、とっとと少佐殿に泣きつくんだな」

 

 ギリギリと、自分の頭を掴む握力が強まってきます。

 

 恐らくドールマン氏は、レンヴェル少佐とコネを持ってる小娘に釘を刺したかったのでしょう。

 

「大尉殿から話があるらしい。すぐ行ってこい」

 

 一通り脅して満足したのか、彼はそれ以上言葉を続けず自分をシッシと追い払いました。

 

 ……小隊長に任ぜられはしましたが、自分はまだまだ新兵です。まだ、先輩から学ぶべきことは沢山あります。

 

 久し振りに、厳しく怖い上官に当たりました。しかし、彼から学べることは多いでしょう。

 

 少しでも衛生兵として、軍人として彼から学ばせていただきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あはは、随分と昔気質な衛生兵が来たもんだろ」

 

 ドールマン氏の指示通りアリア大尉に会いに行くと、彼女は機嫌よさげに出迎えてくれました。

 

「ドールマンは、士官学校の教員でな。突撃兵上がりらしいが、衛生部に勤務した実績もあったのでこの度、衛生部長に任命した」

「……突撃兵だったんですか?」

「ああ。昔は色々と緩くて、回復魔法が使えてもやる気があれば歩兵をやれたんだ。ドールマンは突撃兵として前線勤務した後、左手を失ってから衛生部で退役まで働いたらしい」

「凄まじい経歴ですね」

 

 道理で、全身傷だらけで威圧感があると思いました。

 

 衛生兵かつ突撃兵という過酷すぎる仕事を、自ら好んでやる人が居たんですね。

 

「頼りになるし、きっと部下をよく引き締めてくれるだろう。首都に良い人材が残っていたものだ」

「有難いことです」

 

 アリア大尉は、ドールマン衛生曹を非常に高く評価しているようでした。

 

 軍人としては、彼のように厳しい人の方が信用におけるのでしょうか。

 

「トウリ、貴官は衛生兵長だ。これは、衛生部ではドールマンに次ぐ階級位だ」

「はい」

「なので、衛生副部長の肩書も渡しておく。ちょっと書類仕事が増えるが、給料も良くなるぞ」

「は、了解しました」

 

 自分は、中間管理職みたいな立ち位置のままみたいです。

 

 ……まだ従軍して1年弱の自分が、副部長で良いのでしょうか。

 

「安心しろ、面倒ごとはドールマンが大体片づけてくれるだろう。彼は恨まれるのも仕事だと割り切ってくれる、昔気質の軍人だ」

「はい」

「部下の締め付けは、彼に任せておけばいい。トウリは逆に、部下のメンタルケアを中心に立ち回ってくれ」

「メンタルケアですか」

「厳しいタイプと優しいタイプをセットにすると、ほどほどに引き締まって良い部隊になる。飴と鞭だな」

 

 アリア大尉は、そんな風に自分の役割を説明してくださいました。

 

 成程、だから敢えて厳しいタイプの軍人を衛生部長に置いたのですね。

 

「拝命しました。自分は、上手く役割をこなして見せます」

「ああ、がんばれ。無理をしすぎんように」

 

 確かにドールマン衛生曹殿は、『強引にでも部下を従わせる圧』を持っていそうです。

 

 きっとラキャさんの様な無駄な犠牲を出さずに、自分達を導いてくれるに違いありません。

 

 その圧で潰れる人が居ないよう、自分が矢面に立ってケアしていけば良いみたいです。

 

 

「それと、アリア大尉殿。実は、南軍のザーフクァ曹長からこれを……」

「む、銃の所持許可書だと?」

 

 その命令を受けた後、自分は忘れないよう用意していた書類を提出しました。

 

 

 

 

 

 

 

「ん、詳細は把握した」

 

 ゴム弾の弾倉と量産銃の所持許可は、思ったよりあっさり下りました。

 

 【盾】魔法の訓練用、という名目でザーフクァ曹長が前もって申請してくださっていたそうです。

 

 あとは所属部隊の長であるアリア大尉のご許可があれば、すぐに携帯出来る形でした。

 

「私の名前でも、携帯許可を出しておこう。もし誰かに見つかって問題になれば、私に話を通しに来るといい」

「ありがとうございます」

「ただ、現状はあくまで訓練用だから勝手に使うなよ。携帯許可は、盗難防止目的だ。訓練に用いる際は前もって場所と時間を申請して、使用した弾丸の数は報告する事」

 

 アリア大尉も、別に反対する事もなく許可を下してくださいました。

 

 これで、自分が銃を持っていてもドールマン氏にぶん殴られずに済みます。

 

 先に許可を得ておくことは大事です。

 

「他に用事はないか?」

「はい、大尉殿」

「よし、じゃあまた困ったことが有れば来てくれ」

 

 こうして意気揚々、自分は量産銃を肩に担ぐ許可を得たのでした。

 

 銃は偉大です。自分が丸腰だと敵は狙い放題ですが、自分が銃を構えていると敵も身を隠さないといけなくなります。

 

 なので量産銃をぶら下げているだけで、とても強力な牽制になるのです。

 

 それなりに重いので、程よい筋力トレーニングにもなりそうです。

 

 ……出来れば、これで誰かを撃つ機会は来ないでほしいものですが。

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、これがちょっとした問題になりました。

 

 右肩に量産銃を背負った衛生兵というのは、なかなかに見慣れないもので。

 

 診療中は床に置いているとはいえ、時折ギョっとした目で患者さんに見られることが有ります。

 

 そして何より、

 

 

「……ほぉお? 貴様、わざわざ銃を背負って歩いているのか」

「ザーフクァ曹長殿に、勧められました。戦場での心構えとして、持っておけと」

 

 

 それがドールマン衛生曹の目に留まり、すぐさま呼び出されてしまったのです。

 

 自分は、銃の携帯許可書とゴム弾であることを衛生曹殿に見せたのですが、

 

「実戦も知らん小娘が、銃を持って何になる! 銃口を向けられた時点で固まって動けなくなるのがオチだ」

「はい、衛生曹殿。なので、冬の間に訓練を受けておりました」

「何故貴様が、歩兵の訓練を受けている!」

「以前、突撃部隊に所属しておりました際に歩兵訓練の重要性を痛感し、自ら願い出た次第です」

「そうか!」

 

 その自分の弁明を聞いたドールマン衛生曹殿は大層に目を吊り上げて、

 

「実に、気に入った!」

 

 グワハハハ、と気持ちよさげに笑ったのです。

 

 

 

 

 

 

 彼は既に衛生部長として、行軍中に厳しく新兵を締め上げていました。

 

 厳しい締め付けは部下を成長させますが、同時に精神的に追い詰められ凶行に走るリスクも増えます。

 

 アリア大尉の目論見は、自分はそんな厳しいドールマン衛生曹とは別の立場になってそんな新兵をケアして欲しかったみたいですが。

 

「貴様はなかなか見所のある小娘だな。そう、衛生兵であっても戦場に立つ以上、敵と命のやり取りをする覚悟を持っておかねばならん」

「はい、衛生曹殿」

「儂も若い頃はそうだった。最前線でこそ、回復魔法という技術は役に立つのだ。治療までの時間が早ければ、それだけ助かる命も増える!」

 

 突撃部隊に所属した過去を持ち歩兵の訓練を好んで行った自分は、ドールマン氏の琴線にバッチリ触れてしまったみたいで。

 

「そのナリをしてなかなか見どころがある! 若いもんはそうでなくてはいかん」

「……恐縮です」

 

 それはもうガッツリ、気に入られてしまいました。

 

 多分、ご自身の過去と重ねられてしまったのでしょう。

 

「そうか、訓練用の銃か! 儂も申請しておこう、銃の携帯にそんな抜け道があったとはな!」

「はい」

 

 彼は軍規に従って、左手を失い衛生部に所属した後、武器の所持を禁止されたそうです。

 

 ですがそれが不満だったらしく、「片手でも手榴弾くらいは投げられる」と武器の所持許可を上申したが許可が貰えず。

 

 やがて魔力が枯れて回復魔法を行使できなくなった時、「自分が前線で役立てる事は無くなった」として士官学校の教導部隊に移籍したそうです。

 

 

 そんな彼は、再び銃を握れると聞いて大層嬉しそうでした。

 

 片手でどうやって銃を撃つつもりですかと問うと、彼は自慢げに「儂ならば出来る」と断言しました。

 

 どうやら古い型の小銃────初期型OST-1は、単発式である代わりに装弾機構が単純で、慣れれば片手でクルリと回しつつ装填できるそうです。

 

 映画とかで見た事の有る、とても格好良いヤツです。

 

 彼はまだまだ兵士として現役で活躍したいそうで、ウキウキと訓練用の銃の携帯をアリア大尉に申請し、

 

「申し訳ないが、初期型の訓練弾は生産が中止され、もう在庫がない」

「……」

「新型であれば、訓練弾と共に携帯を許可できるが」

 

 アリア大尉に申し訳なさそうに却下され、分かりやすく落ち込みました。

 

 最新型の小銃OST-3は弾薬も小さくなり、射程距離と装弾数が伸びています。

 

 その弊害で、ちょっと装弾機構が複雑になってしまっています。

 

「……実弾、貰ったらダメかのう」

「それは、軍規なので……」

 

 仕方なく彼は最新式の、自分と同じ型の小銃を借りて────片手での装填を1日ほど試みた挙句、諦めて小銃を返還しました。

 

 銃を返しに行くときのドールマン氏は、泣きそうなチワワみたいな目をしていました。

 

 見た目に反して彼は、感情の豊かな人みたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほう、レイリィが南軍で衛生部長になっていたのか」

 

 ドールマン衛生曹と話した際、レイターリュさんの話題になりました。

 

 彼女は南軍で衛生部長を務めていると知って、彼は懐かしそうに目を細めました。

 

「あの小娘が、そこまで出世するとはな。また今度、話をしに行くとするか」

「お知合いですか」

「ああ、レイリィは儂の部下だった。なかなか見どころのあるヤツだとは思っていたが」

 

 ドールマン氏的に、レイターリュ衛生部長はかなり高評価の様でした。

 

 実際、彼女の人柄は多くの衛生兵に慕われています。少しばかり悪癖はありますが、レイターリュさんは間違いなく軍内でトップクラスに優秀な衛生兵でしょう。

 

 と、思って話を聞いていたら。

 

「どうだ、相変わらずアイツは堅物か?」

「……え、はあ」

「冬の間は楽しかっただろう。貴様とレイリィはなかなか相性がよさそうだ」

「……」

 

 ……どうも、自分の中のレイターリュさんとドールマン氏の語る人物像に大きな乖離がある様子でした。

 

「おや、微妙な顔をしておるな。レイリィとは、合わんかったか」

「いえ、確かにとても楽しい方でした。上官としても、尊敬できる部分が多いですが」

「含みがあるのう」

 

 間違いなく、彼女は尊敬できる方です。

 

 自分はまだまだ、彼女の様な医療技術も求心力も持っておりません。

 

 ですが、彼女が堅物と言われて肯定できるかは……議論の余地が残ります。

 

「何があったか知らんが、アイツは優秀な衛生兵だ。まぁ邪険にするな」

「自分もそう思います、人物としては好感が持てます。ただ、その、とても砕けた方という印象でしたので」

「おう?」

 

 遠回しに「堅物」という文句を否定したら、今度はドールマン氏が怪訝な顔をしました。

 

 そして、

 

「儂の知っとるレイリィは、貴様みたいにずっと敬語で話す表情の乏しい女だったが」

「……」

 

 以前のレイターリュさんの話を、自分に教えてくれました。

 

 

 

 

 

 生真面目で冗談の通じない、職務第一の女衛生兵。

 

 それが、ドールマン氏が現役のころのレイターリュさんの印象だったそうです。

 

 

 振られた仕事はテキパキとこなし、多少の無理もなんのその。治療も丁寧で上官の信頼も厚い、まさに理想の衛生兵でした。

 

 そんな彼女はかなり兵士からモテたそうですが、誰も相手にしなかったそうです。

 

 色恋に準じている時間があれば、他にやるべきこともあるはずだ。そう、表情一つ変えずに言い切っていたのだとか。

 

「まぁでも、儂の退役する間際に相手が出来たみたいだがな」

「それは……」

「その男はどうなったのかのう。案外うまくいきそうに見えたが、そこで儂は退役してな。その先を知らんのだ」

 

 そんな彼女にめげずに数か月アプローチを重ね、とうとう心を射抜いた兵士が居たそうです。

 

 あのレイリィに男が出来たかと、ドールマン衛生曹は感慨深かったそうですが。

 

 

「レイターリュさんは交際して間もなく、恋人を殉職して失ったと聞きました」

「む……、まぁ歩兵は死ぬもんだ。仕方なかろう」

 

 

 結果は知っての通り。彼女は恋人を失って、悲嘆にくれたと聞きました。

 

 その後、彼女は何度も恋人を作っては戦死させ、死神の様な扱いを受けることになります。

 

 その話をドールマン衛生曹に話してみると、

 

「あー、成程のう。真面目なレイリィらしい、かもしれん」

「と、言うと?」

 

 彼はそう言って、納得したように首を振りました。

 

 

「ヤツと付き合っていた恋人の口癖だったな。『もう少しレイリィは、明るい表情をした方がいい』、と」

「……」

「『明るく振る舞った方が兵士も安心するだろう』なんて言われて鏡の前で笑顔の練習をしとったわ」

 

 



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70話

 

 前線に話を戻しましょう。自分がレンヴェル少佐の指揮下に復帰した、その2日後の事です。

 

 タール川橋の正面でサバトとオースティンの両軍が睨み合いを続けていましたが、春の雪解けを合図にいよいよ戦闘が開始されました。

 

「戦力の配置、完了しました」

「よぉし」

 

 最初に攻勢に出たのは、我々オースティンからでした。

 

 気温も上がり十分な戦闘行動が出来るようになったその日、オースティンはなけなしの資源を使い正面の塹壕に砲撃を行ったのです。

 

 

 

 

 無論、ベルン含めた参謀本部は『攻めた側が不利』な戦いと理解していました。

 

 しかし、オースティン側が勝つには弾薬食料が持つうちに攻勢に出ないといけなかったのです。

 

 考えなしに突撃するのは論外としても、何かしらの行動は起こしていかねばなりません。

 

 受け身のままだと、ジリ貧となるのですから。

 

 

『ついにオースティンが動いた』

『最後の決戦が始まる』

 

 

 砲撃が始まったその日。

 

 両軍の兵士に「いよいよ開戦か」と、緊張が走りました。

 

 塹壕に籠る部隊は、冷たいレーションをすすりながら我々の突撃を待ち構えたそうです。

 

 しかしその日はオースティン軍が突撃してくることなく、ただ弾薬と魔石を浪費して日暮れを迎えました。

 

 貴重な資源を使って何がしたかったのかと、サバト軍が頭をひねっていたその時、

 

『え、通信の中継拠点が潰された?』

 

 サバト軍は、北の橋との連絡拠点がいくつか襲撃されたという報告を受けました。

 

 そう、初日の我々の砲撃は陽動で、南北を繋ぐ橋の中継拠点を潰すことが本命だったのです。

 

 

 

『さてはオースティンめ、北の橋を先に破壊する目論見だな』

 

 ここで、サバト軍は我々オースティンの狙いを悟りました。

 

 中継拠点は、南北の橋を繋ぐ塹壕内に設置された通信用の拠点です。

 

 破壊されたところで被害は1個小隊のみ、大した被害ではありません。

 

 

 しかしこの中継拠点は、南北の橋で通信を行うのに必要です。

 

 当時は2~3㎞以上の通信を行う技術が確立しておらず、遠距離の通信を行う為には通信を中継する拠点が必要とされました。

 

 拠点と名はついていますが、通信用の機材を持って小隊が数㎞おきに塹壕に籠るだけなので防衛性能は高くありません。

 

 もし破壊されたとして、機材と中継小隊を配置しなおすだけで容易に再設置できます。

 

 問題は、再設置するまで南北で連携が取りづらくなってしまうことだけ。

 

 

 サバト軍は、遠回りにサバト領内を経由し連絡を取るルートも設置していました。

 

 しかしその方法だと、最短距離を中継しないせいで30分ほどラグが生じるのです。

 

 30分というラグは、近代戦において致命的でしょう。

 

 更にこの拠点は『橋の間の哨戒拠点』にもなっており、此処を潰す事でタール川岸の合間の警備が弱める事も出来ます。

 

 オースティンが資源を陽動に割いてまで中継拠点を潰したことが、北の橋を奇襲する布石であるのは明白でした。

 

 

 

 以前お話しした通り、タール川を渡す橋は二つ存在していました。

 

 北にある狭めの小橋と、正面のサバト主力軍が守っている大橋です。

 

 北の橋は兵士が1列にならないと渡れないほど狭いので、敵にとって本腰を入れて守るべきは背後の大橋になります。

 

 だから、敵は大橋の前に数㎞の範囲にわたって塹壕を築き上げました。

 

 この世界における一般的な魔法砲撃の射程距離は数百メートルです。

 

 我々が、そんな橋を破壊出来る距離まで詰めるのに、10層以上の塹壕を突破する必要がありました。

 

 

 オースティン軍の狙いは、敵主力の殲滅です。

 

 その為にはサバト軍をオースティン側に残したまま、タール側を渡れる橋を全て潰さねばなりません。

 

 苦労をして背後の大橋を破壊しても、北の橋から逃げられてしまえば台無しです。

 

 北の橋にちょっかいをかけるのも、必然と言えました。

 

 

『北に敵の主力が移動するかもしれない。偵察を密にしろ』

 

 サバト側も、むざむざ北の橋が落とされるのを見ているわけにいきません。

 

 哨戒する兵士の規模を拡大し、オースティン軍の偵察を増やしました。

 

 そして増やした偵察の報告によると、オースティン軍は少しずつ北の橋に主力を移動させている様でした。

 

『どうする、今のうちに数の減った正面本隊を叩くか』

『また敵の罠かもしれないぞ』

『陽動かもしれん、迂闊に攻めるな。北の橋で攻勢に出られても耐えうるよう、北に増援を送っておけ』

 

 その動きを悟って、サバト軍もオースティン主力の移動を追うように戦力を移動させました。

 

 待てば有利になるサバトは、迂闊に攻勢に出たりしません。

 

 彼らは何度も『攻めさせられて返り討ち』というベルンお得意の作戦を経験し、疑心暗鬼になっていました。

 

 なので迂闊な攻勢に出ず、ただ北橋に増援を送ろうとしたのですが、

 

『移動中の兵士が奇襲砲撃を受け全滅しました』

『……』

 

 翌日、増援として送り出されたサバト軍は奇襲を受け、壊滅させられてしまいました。

 

 塹壕内を移動するタイミングをベルンに完全に読まれていたようです。

 

 

 

『北の橋を囮にするのはどうだろう』

 

 参謀本部の長ブルスタフは、思いきって北の橋を捨てる作戦を提案しました。

 

『攻めたいのであれば、敵に北の橋を攻めさせて敗走を偽装すればいい』

『それでどうします』

『北の橋を破壊しているところを囲んで、奇襲してやろう』

 

 彼は北の橋を重要視していませんでした。

 

 この橋は小さく、大軍の移動には向きません。失ったところで、大きな被害にはならないのです。

 

 むしろ2つの橋を守るため戦力が分散するより、一つの橋を徹底的に守り抜いたほうがいいと考えました。

 

『お待ちください、父上』

『おお、シルフ』

 

 それに待ったをかけたのは、彼女の一人娘シルフ・ノーヴァでした。

 

 彼女は断固として、北橋の放棄に反対しました。

 

『兵力はこちらが上なので、2つの橋は十分に守り抜けます。いざという時の退路を確保しておくのは重要です』

 

 シルフは必死に、北橋の重要性を父に説きました。

 

 ここを落とされれば、サバトが敗北しうると説きました。

 

『もし私がオースティンの指揮官なら、北の橋を確保した日のうちにもう一つの橋をも破壊できます』

『なに、どうやってだ』

『水路による奇襲です』

 

 彼女が恐れたのは、船に乗った決死の特攻部隊による奇襲でした。

 

 北橋は、サバト陣地の上流にありました。

 

 万が一ここを確保されると、サバト軍は水流に乗った奇襲を警戒せねばなりません。

 

 シルフは船に大量の火薬を載せて、自殺覚悟で自爆特攻されたら対応が困難だと説得しました。

 

『絶対に北の橋を捨ててはなりません』

 

 事実、その作戦を敵がやってくる可能性は十分に考えられました。

 

 サバト側は、自らの橋を守るためにタール川上流も確保しておかねばならなかったのです。

 

 そんなシルフの進言により、サバトは戦力を分散させ両方の橋を確保する方針になりました。

 

 そしてこの方針こそが、

 

 

「ベルン様の予想通り、敵は北へ戦力を分散させています」

「馬鹿だねぇ。初めから俺は、正面の橋が本攻だって宣言して布陣してんのに」

 

 

 オースティンにとって厳しすぎた、倍近い戦力差の是正に成功。

 

 固く閉ざされたタール川橋周囲の塹壕を突破する、第1の扉を開いてしまったのでした。

 

 

 

 

「さて、2つ目の扉も開かせてもらおうか」

 

 

 

 

 ベルンはその後、何度か北橋へ移動するサバト兵を奇襲しました。

 

 拠点確保というより、敵兵力や物資の損耗が目的の作戦です。

 

 ここはオースティン領内、地元の兵士による土地勘も利用できました。

 

 敵は長く掘られた塹壕を伝って移動しています。

 

 しかし、砲撃も届かないほど分厚く塹壕が作られていたのは橋の周囲のみで、移動中の部隊の場所が割れてしまえば容易に砲撃されてしまいました。

 

 そんな小規模な奇襲を繰り返し、オースティンは費用の割に地味な被害を与え続けた結果、

 

 

『無理をしてオースティン領内の塹壕を移動しなくても、サバト領内を移動すればいいじゃない』

 

 

 サバト軍は兵力の移動に、対岸を利用し始めました。

 

 これまでは川岸に長く掘られた塹壕を伝って北に物資を届けていたのですが、奇襲砲撃を嫌ってサバト領に戻り北の橋を使って戻るルートで物資と人員を輸送し始めたのです。

 

 

 これが、またサバトの致命的なミスでした。

 

 移動ルートを変えたせいで川岸を哨戒する兵士が減り、北橋と本陣の隙間にオースティン工作兵が入り易くなってしまったのです。

 

 

 ベルンはこの機会を生かし、大量の罠を陣地間の塹壕に設置する指示を出しました。

 

 このお陰でサバト軍の気付かぬうちに、塹壕のあらゆる箇所で魔法罠が設置されました。

 

 これで最終決戦のその瞬間まで、この魔法罠は不活化され隠されることになります。

 

 

 

 

 ベルンの思い描いた作戦は、ここまで完璧な出来でした。

 

 陽動による敵の戦力分散、陣地間に罠の設置と、サバト軍は彼の掌の上でやりたい放題に動かされていたのです。

 

 稀代の名将として名を残すベルンの本領発揮と言える成果でしょう。

 

 このままベルンの思い描いた通りコトを運べれば、シルフがどのように動いたかは分かりませんが─────オースティンが勝利する可能性は非常に高かったと思います。

 

 

 

 もし、このまま想定外の事態が起こらなければ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 とある日の事でした。本格的な軍事作戦が開始され、1か月も経っていないある日。

 

 衛生部から突然、アルノマさんが姿を消してしまったのです。

 

 

「アルノマさんの荷物は、全て残ったままです。まるで、誰かに拉致されたような状態でした」

「……ええ、トウリちゃん。報告は受けています」

「ヴェルディ中尉殿、誰か侵入した痕跡などはないのですか」

「すみません、今は調査中でして」

 

 滅亡寸前だったオースティンが死ぬ思いで築き上げた、細くも確かな『勝利』への糸。

 

 そんな我々の努力を、あざ笑うかのような出来事が起こってしまいます。

 

 それは、自分の部下のアルノマさんが失踪したことから始まりました。

 

 

「……」

 

 

 この日から、衛生部長ドールマン氏は仮面のように表情を一切動かさなくなりました。

 

 そして何を問うても、自分たちに「いつも通りに仕事に励め」と機械のように繰り返すようだけになりました。

 

 

 前線での作戦は、上手く行っていたと聞きます。

 

 確かに戦闘が再開されたことで、衛生部も負傷兵でにぎわい始めていました。

 

 しかし、首都から来ていただいた新衛生兵の方の半分は現役バリバリの癒者であり、現場もよく回っています。

 

 だというのに何故、ああもドールマン衛生部長は険しい顔なのでしょうか。

 

 自分も含め、多くの衛生兵が首をかしげておりました。

 

 

 

 

「トウリ衛生兵長。アルノマ氏の件でいくつか、尋ねたいことが有る」

 

 

 

 

 軍の空気が変わってから、3日後。

 

 自分は、軍の治安部から呼び出しを受け出頭しました。

 

「アルノマさんが見つかったんですか」

「……」

 

 そこで自分を出迎えたのは、怖い表情をした中年の憲兵でした。

 

 彼は自分の質問に答えず、ただ、

 

「彼には現在、スパイだった容疑がかけられている。思い至る事が無かったか、報告してもらいたい」

「えっ」

 

 そう、自分に告げました。

 

 

 

 

 無論、自分は彼の無実を訴えました。

 

 アルノマさんは誠実で、まっすぐな人です。まだ短い付き合いですが、自分は彼に悪い印象はあまり持っていません。

 

「アルノマさんがサバトのスパイなら、今失踪するなんておかしいです。彼は逃げたんじゃなく、きっと遭難しただとか拉致された可能性が高いです。早く、見つけてあげてください」

「……彼は失踪したわけではなく、我々が拘束しているだけだ。安心しろ」

「なっ」

 

 そこで自分は、アルノマさんが失踪していた訳ではなく「味方により拘束」されていた事実を知りました。

 

 憲兵曰く、アルノマさんは今も尋問を受け、檻の中で生活しているそうです。

 

「そんな、一体どのような根拠があって!」

「……」

 

 それを聞いて、流石に自分の声も荒くなりました。

 

 自分の大切な部下を、いきなりそんな目に遭わされたら腹も立とうと言うものです。

 

「その根拠となる情報を、君に開示する義務はない」

「彼に怪しい所など見受けられませんでした。誤認逮捕である可能性が高いです。即刻、彼を解放するべきであると意見を具申します!」

「……落ち着きなさい、君はただ情報を正確に提供してくれれば良い」

 

 どうしてアルノマさんが疑われているのか、彼は今も無事なのか。

 

 それを尋ねようと自分は憲兵に詰め寄って、

 

「私に情報を開示する権限はない。事情を詳しく聴きたければ、アルノマ氏を捕縛・尋問する命令を出した方に直談判しろ」

「誰ですか、その命令者は」

 

 今回、アルノマさんを確保する命令を下した人物を教えてもらいました。

 

 

「レンヴェル少佐のご息女、アリア魔導大尉殿だ」

 

 

 

 

 

 

 普通は、一介の衛生兵が指揮官級の人物に面会を求めてもかなうはずがありません。門前払いにされるのが基本です。

 

 しかし、自分とアリア大尉は話が別です。自分はアリアさんに後見人を務めて頂いているので、あっさり面会申請は通りました。

 

 忙しい中、彼女は時間を作って自分の面会に応じてくださいました。

 

 

「ああ、貴官は来るだろうなと思っていた。アルノマ2等衛生兵とも、良好な関係だったと聞いている」

「アリア大尉。どうして、彼を拘束なさったのですか」

「……それを貴官に話しても良いが、しっかり機密保持が出来るか」

 

 

 アリアさんはこの時、自分に「知人」としてではなく「上官」として接してました。

 

 彼女は公私の区別はつけるタイプで、上官として話す時は自分を「貴官」と呼びます。

 

「はい、大尉殿。アルノマさんが何をしたのか、教えてください」

「……いや、彼は何もしていない。尋問や捜査をしても、彼が諜報をしていた証拠らしい証拠が出てこない。私も、彼がスパイじゃないんじゃないかと思っているくらいだ」

「では、アルノマさんは解放していただけるんですか」

「それは難しいな」

「何故ですか。彼がスパイである可能性は、低いのでしょう」

 

 アリア大尉は、部下に相対する一人の指揮官として。

 

 自分の強い上申を受けてなお、険しい表情のまま彼の解放を拒否しました。

 

 その理由は、

 

 

「───フラメール及び、その同盟国のエイリスがオースティンに宣戦布告を行った」

「……」

「今の情勢で、フラメール人を自由に仕事させるわけにはいかない。彼は、敵国の人間だ」

 

 

 微かに見え始めていたオースティン存続への希望が、外野により叩き潰されてしまった事を告げられました。

 

 

 

 

 亡命してきたオースティン人が暴徒となり、フラメール国民から略奪を行った。

 

 これを侵略行為と見なし、報復と自衛を目的にオースティンへ宣戦布告を行う。

 

 ────それがフラメール側の主張でした。

 

 

 この情勢ですので、国外へ逃亡したオースティン人もいたでしょう。

 

 そして生活基盤を持たなければ、犯罪行為に手を染めても不思議ではありません。

 

 実際、フラメール領土内で略奪をしたオースティン人がいた可能性は高いです。

 

 

 そんな宣戦布告と共に、フラメールはオースティンに侵攻を開始しました。

 

 総兵力は先行軍8万人に、後詰として同盟国エイリスとの連合軍合わせて13万人とされています。

 

 これは、現在のオースティン軍の4倍以上の兵力でした。

 

 

 ……どう考えても、これは一朝一夕で動員できる兵力ではありません。

 

 冬前───シルフ攻勢で西部戦線が突破された頃から準備していないと、動かせるはずの無い兵数です。

 

 紛う事なき、侵略行為です。

 

 

 もっとも、彼らにも言い分は有るでしょう。

 

 侵略国家サバト連邦がオースティンを併合した場合、次に狙われるのはフラメールと容易に想像がつきます。

 

 だから「戦争の緩衝地帯」としてオースティンの土地を求めたと思われます。

 

 彼らはオースティン領土を防波堤とし国土を守り、更に捕らえたオースティン国民を奴隷兵としてサバトに立ち向かわせようと画策したのです。

 

 

 それが、フラメールがわざわざエイリスに声をかけた理由でしょう。

 

 フラメールも、たった1国でサバトに対抗できるとは考えなかったようです。

 

 協力者として友好国家だったエイリスと共同し、侵攻を開始したみたいです。

 

 まぁ、単にエイリスが植民地欲しさに参加したがった可能性もありますが。

 

 

 いずれにせよ、彼らはサバトという侵略国家に対抗する為にオースティンに宣戦布告をしたのです。

 

 シルフ攻勢によりオースティンの敗北濃厚とみるやすぐさま侵略行動を開始したのは、国家戦略としてそこまで大きな間違いではないのかもしれません。

 

 ですが、そこに……オースティンという国家に対する情は、欠片もありませんでした。

 

 

「……どうするんですか」

「どうしようもない」

 

 

 それが、3日前からドールマン氏の顔を険しくしていた情報でした。

 

「サバトに勝てる見込みは、十分にあった。あのベルンという男の立てた作戦は、これ以上なく上手くいっていた」

「……」

「だが。悔しいが我々に、サバト軍10万人と同時に連合軍20万人を撃退する戦力はない」

 

 

 我々の国土を、命を、弱い者いじめのように奪い取りに来たフラメールによって、

 

 

「オースティンの、敗北だ」

 

 

 北部決戦が始まるより前に、オースティンの滅亡はほぼ決定してしまったのでした。

 

 

 

 

 

 それは何度目かもわからない、絶望感です。

 

 何と身勝手な人たちの、欲望に溢れた軍事行動でしょうか。

 

 

 確かにオースティンは、シルフ攻勢で隙を晒しました。

 

 滅んでしまう一歩手前まで、追いつめられる醜態をさらしました。

 

 そんな隙を見せたから、隣接国家達は舌なめずりして軍備を整えたのです。

 

 

 このままではオースティンという国家は消失し……我々の国土は、民族は、散り散りとなって世界に虐げられる事になるでしょう。

 

 

 この2国の参戦は、敗報と同義です。

 

 そんな情報が兵士に出回れば、軍は形を保てなくなります。

 

 だから緘口令が敷かれ、一般兵士の耳には届けられませんでした。

 

 

「……トウリ、財産を整理しておけ」

「へ?」

「一人だけなら、適当な方便を用いて軍から追放させられる。亡命の準備をしろ」

 

 

 アリア大尉は真剣な顔のまま、小声でそう呟きました。

 

 

「絵はこうだ。トウリは部下のフラメール人を助けるべく勝手に鍵を持ち出し逃走の手引きをした。その罪で私が、トウリを軍から追放する」

「あ、アリアさん?」

「後はアルノマと合流して、彼の伝手でフラメールにでも亡命しろ。そうすれば……」

「な、何を言ってるんですアリア大尉」

「そうすれば、貴重なオースティンの同胞が異国の地で生き残れる」

 

 彼女は小声のまま早口で、自分にそう告げると。

 

「話は終わりだ、これ以上貴官と話すことは無い」

「ま、待って下さい。自分はまだ」

「今の話は他言無用だ。貴官は平静を保ち、決して周囲に動揺を悟られるな」

「……っ」

「私は、この軍を離れる訳にはいかない。私の背には、守るべきものがたくさんある。無論、貴官も含めて」

 

 最後に、哀しそうな顔で自分に笑いかけました。

 

「また、私は貴官を呼び出すだろう。詳細は、その時に」

「……」

 

 

 果たして自分は、この時。

 

 アリア大尉のご命令通りに、平静な表情を保てていたでしょうか。

 

 



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71話

 

 フラメールとエイリスの参戦が表明され、単純なサバトと1対1の戦争ではなくなったこの日。

 

 この戦争はサバトとオースティンの東西戦争から、複数国家を巻き込んだ「世界大戦」へ名前を変えることになりました。

 

 世界大戦の勃発は、この世界の歴史で初めての出来事です。

 

 複数の国家が戦争に関わることは以前からあったのですが、幾つもの国家の存亡をかける事になるような「世界規模の潰し合い」は今まで起こったことがなく。

 

 オースティンは、世界は、ますます血生臭く死臭の漂う地獄へと変貌を遂げていく事になります。

 

 

 この2国が宣戦布告した日、アリア大尉はオースティンの敗戦を確信しました。

 

 そして彼女は、一人でも多く部下を何とか安全な場所まで逃がそうと裏工作を始めます。

 

 それが、彼女なりの最後の仕事だと考えたみたいです。

 

 

 ただ、諦めが悪く「まだ何とか戦う手段は無いか」と模索する指揮官も当然いました。

 

 外交戦略で靴を舐めてでも停戦をなし、苦しい顔であがこうとする政治家も僅かに存在しました。

 

 しかし、ただ一人だけ。あの男だけは、

 

 

「───へぇ?」

 

 

 その報告を聞いて、楽し気な声を上げたといいます。

 

 

「ふぅん、報告ありがとうね」

「べ、ベルン大尉? どうしてそのような楽し気な顔を」

「そりゃそうだろ」

 

 ……先ほどの自分の物言いに、違和感を持った人もいたのでは無いでしょうか。

 

 複数国家が寄ってたかって敗戦国をただ蹂躙するだけの戦いを、果たして世界大戦と呼ぶのかと。

 

 普通であればそれは、ただの侵略行為でしかありません。

 

 オースティンは、歴史の敗者として滅びゆく被害者として、ただ嬲られるだけです。

 

 

 しかし、この男……ベルン・ヴァロウがオースティンにいたせいで。

 

 

「要は、壊して良いブリキの玩具が増えただけだろ?」

 

 

 彼はこの侵略行為を『世界大戦』へと昇華させてしまったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 フラメールとエイリスの宣戦布告は、当時のオースティン首脳部を真っ青にしました。

 

 サバトだけでも勝てるか分からないのに、3国も同時に戦うなんて無謀でしかありません。

 

 殆どの政治家は、勝利を諦めオースティン国民の利になる負け方を模索し始めました。

 

 

 無論、彼らも指を咥えフラメール侵攻を見ていたわけではありません。

 

 当時首相であったフォッグマンは、慌ててフラメール軍の先鋒司令部へと自ら足を運んで停戦を交渉しに行きました。

 

 どんな賠償金を積み上げてでも和平を成立させると、決死の覚悟だったそうです。

 

 

 しかし、そんな彼を待っていたのは鉛弾の雨でした。

 

 彼は交渉の旗を掲げ丸腰で近づいたにもかかわらず、即座に撃ち殺されてしまいました。

 

 フラメールは、断固として和平交渉に応じようとしなかったのです。

 

 

 

 

 その首相の後を継いだのは、弱冠18歳の青年だったフォッグマンJrです。

 

 オースティンの政務は、世襲制です。というのも、政府役職には人ではなく「家」が任命されていたからです。

 

 フォッグマン家は代々首相の家系で、その長男が成人すれば当主として首相になります。

 

 当主が若すぎる場合は、他の貴族家が代役を立てる場合が多いのですが……。

 

 フォッグマンJrは凄まじい熱意で周囲の反対を押し切り、首相に就任してしまいました。

 

 

 この非常時に、内政指導者が18歳であることに不安を感じる人は多かったでしょう。

 

 事実、この混乱の中で多くの要職についていた人物が国外逃亡を図って消息を絶ちました。

 

 それを見て多くの官僚が、オースティンという国の滅亡が現実味を持って来たと感じました。

 

 

 しかしフォッグマンJrは、ここで大半の予想を裏切り大活躍を始めます。

 

 その若すぎる未熟な青年は、この非常時において誰より頼れる指導者だったのです。

 

 そんな彼の若い熱意に圧された僅かな政治家がオースティンに残り、国民の為に奮闘を始めました。

 

 フォッグマンJrは戦争に直接関わっていませんが、陰からオースティンの苦境を支え続けたその功績は後年に高い評価を受けました。

 

 

 

 

 ここで、簡単にオースティンの政治体制にも触れておきましょう。

 

 

 オースティンに選挙制度はなく、貴族が世襲制に政治を行う形でした。

 

 皇帝はいますが、政治に口を出さず貴族にまかせっきりです。

 

 普段の皇帝のお務めは、食っちゃ寝しながら贅沢を楽しみつつ、時折民衆の前に出て演説する事でした。

 

 

 まぁこれは悪い事ではなく、むしろ適材適所に仕事を振っていたと言えるでしょう。

 

 皇帝が政治に口出しして好き放題するより、世襲という形でしっかり政治を学んできた貴族にお任せする方が、よほど安定した政府になります。

 

 そしてこの国の皇帝の役目は、もう1つありました。それは、政務を行う貴族の査察です。

 

 皇帝はお飾りとはいえ最高権力者なので、不適切な仕事をする貴族が居れば懲戒する権力はあります。

 

 なので、部下を使って抜き打ちで政治家の仕事内容をチェックしたり、時には自ら出向いて捜査を行ったりしました。

 

 つまり皇帝一族は、実質的に政治の監査部の様な役職をこなしていたそうです。

 

 

 その監査部である皇帝の気質が、代々「生真面目一辺倒」だったそうで。

 

 オースティンの政治は貴族世襲制の割に、そこそこクリーンだったそうです。

 

 まぁ、多少は汚職があったみたいですけど。

 

 

 

 話は戻って、このフォッグマンJrですが……。

 

 幸いにも彼は、短絡的な部分が有れど優秀な首相でした。

 

 彼は父親を撃ち殺された直後、参謀本部を訪れて「和平・講和を引き出すため、3国を相手に防戦出来る戦略を見積もるように」と指示を出しました。

 

 そして自ら物資輸送のプログラムを大幅に書き換え、徹夜で資源を再配置しフラメールに対する防衛線を構築しました。

 

 更にフラメール国境付近の民を総動員して塹壕を掘らせ、同時に若い男を徴兵し動員します。

 

 そして現地徴兵した兵士は銃の撃ち方のみを教え、すぐ塹壕に籠らせました。

 

 銃火器の恐ろしいところは、素人でもそれなりに成果を上げるところです。それを把握していたフォッグマンJrは、兵士が殆ど居ないフラメール国境に銃と弾を大量に輸送したのです。

 

 10年間に渡る東西の戦争で塹壕戦の経験・ノウハウはオースティンに蓄積されており、首都に残っていた退役軍人を総動員してフラメールへの防衛網を構築しました。

 

 今まさに故郷を焼かれようとしている現地住人の士気は高く、女や老人まで塹壕に籠って死に物狂いで抗戦したそうです。

 

 一方でフラメール・エイリスの連合軍は銃火器を装備した銃兵こそ居たものの、その大半が近代戦を未経験の剣や鎧を装備した『騎士』でした。

 

 彼らは意気揚々と参戦した初戦、正面からオースティンの構築していた防衛網に突撃を行い───騎馬は銃弾の音に驚いて使い物にならず、重装備の鎧兵は遅すぎて手榴弾の良い的にされ、味方の死体に足を取られて転倒し前に進めず、と大きな被害を出すことになりました。

 

 フラメールが僅かに連れてきていた銃兵も、時代遅れの単発式銃を装備していたそうです。

 

 これはオースティンが東西戦争の初期に使用していたOST-1型小銃の改良型で、当時オースティンやサバトが使用している小銃から2世代は遅れた性能でした。

 

 この性能差では、太刀打ちできなくて当然でしょう。

 

 

 この急造オースティン軍は現地徴兵した3000人しかおらず、フラメール先鋒軍8万人の20分の1以下の小勢でした。

 

 しかし圧倒的な戦力差にもかかわらず、フラメールは塹壕を1層すら突破できず敗走してしまいました。

 

 歴史的大勝利だとオースティン側は大いに沸き、次々に兵士志願者が国境に集結し始めたそうです。

 

 その結果、彼らはオースティン主力軍の到着を待つことなく戦線の膠着に成功しました。

 

 この後、流石に銃兵の重要性を理解し始めたフラメール軍によって少しずつ戦線は押し上げられていくのですが、一気にフラメールに戦線を突破されるような事態は回避できたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 親を失って間もない青年が、ここまで咄嗟に動けたのは評価されるべきでしょう。

 

 その決断の速さは若さゆえの暴走もあったと思います。いくつか失策らしき事もしていました。

 

 例えば急に軍事物資の再配置を行ったことで、北部決戦に用いる予定だった弾薬が足りなくなり、ベルンの立てていた戦略は頓挫してしまいました。

 

 ベルンはこの急場で、計画の立て直しを迫られます。

 

 また彼の指示書の字が読みにくかったせいでミスが発生し、数日の運搬遅延が発生したりもしていました。

 

 フォッグマンJrは、完全無欠のスーパーヒーローという訳ではなかったみたいです。

 

 

 しかしスピードが求められるこの情勢で、彼はほぼ最短時間で妥当な指示を出し続けました。

 

 弾薬の不足はある程度仕方がありませんし、彼が迅速に行動を起こしていなければフラメール軍により更に被害が出たことでしょう。

 

 フォッグマンJrが優秀であったことは、オースティンにとって1つの幸運でした。

 

 

 

 一方で、オースティン参謀本部は。

 

 フォッグマンJrに「3国相手に講和を引き出す戦略を提出しろ」と命令を受けてなお、何も考えていませんでした。

 

 残念ながら、オースティン本国の参謀本部は他国と比べても見劣りすると言わざるを得ません。

 

 何せ、この非常時に彼らは出す指示を全てフォッグマンJrに任せ、まったく動かなかったのですから。

 

 

 彼らにも、擁護出来る点はあります。

 

 戦略を見積もれと言われても、こんなバカみたいな戦力差で勝てる訳ないのです。

 

 更に僅かながら居ただろう「頭が切れる参謀」は、フラメール侵攻の知らせを聞いた瞬間に亡命してしまっていました。

 

 未だオースティン本国に残っている参謀は……祖国愛に溢れているか、少し頭の回転が遅い人ばかりでした。

 

 

 そしてやはり、本国の参謀本部には世襲制の貴族しかいません。

 

 彼らは階級こそ高いですが、言ってみれば近代戦に関して素人の集団でした。

 

 一応、親から騎馬兵の扱いや剣術などを学んではいますが、そんな知識は時代遅れでした。

 

 彼らは近代戦に対応できず、戦争に関しては平民あがりの前線指揮官にお任せしている状態です。

 

 

 何のために存在している参謀本部なんだと突っ込まれそうですが、ここ10年で戦争の形態が変わりすぎたのも原因なので、彼らもある意味不幸であったと言うことにしておきましょう。

 

 

 

 この参謀本部が唯一優れていたところは、自らの分をよくわきまえていた所です。

 

 実は彼らも戦争の初期は参戦しており、前線で指揮を執っていました。

 

 そんな彼らが何を指示したかといえば、高い金をかけて騎馬隊を組織し、敵の塹壕に正面突撃を繰り返したのです。

 

 結果、馬は塹壕の高低差に対応できず立ち止まるか転倒し、蜂の巣にされたそうです。

 

 定期的にサバト兵に馬肉ステーキを御馳走した彼らは、やがて半年で戦場からつまみ出されました。

 

 

 

 

 そんな過去もあったので、この非常時にも関わらず彼らは戦争に関わろうとしなかったのです。

 

 自分達が何をしても足を引っ張るだけと、ある意味潔く諦めていたのでしょう。

 

 だからフォッグマンJrからの要請も、前線の参謀将校に丸投げしました。

 

 彼らはとても急がしい最前線の参謀に、「対フラメールの戦略」の提出を求めたのです。

 

 

 しかし前線の限られた情報だけで、戦争の大戦略なんて立案できる筈もありません。

 

 そして困り果てた前線の参謀……というか、ベルン大尉が5分で書いて返信した内容がこちらでした。

 

 

『───女子供を動員してもいいので、歩兵の頭数を揃えて訓練しといてください』

 

 

 ……参謀本部はその返信を受けるまで、募兵すらしていなかったそうです。

 

 フォッグマンJrが優秀だった事は、本当にオースティンにとって救いでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話は戻って、衛生部。

 

 自分はアリア大尉からの話を聞いてから暫く、表情を取り繕うのに必死でした。

 

 そんな絶望的な情報を、軍の中でばら撒くわけにはいきません。

 

 サバトとの決戦を控えているというのに、オースティン軍が崩壊したらそれこそ大惨事です。

 

 

「……アルノマさん、ご無事ですか」

「ああ、小さな小隊長。久しぶりだね」

 

 

 自分は数日後、アリアさんの手引きでアルノマさんへ面会が叶いました。

 

 彼は下着姿で捕虜用の小さな檻に入れられ、胡坐をかいてボゥっとしていました。

 

 ちゃんと食事を摂らせてもらっているのか、少し頬が痩せこけていました。

 

「いやぁ、参ったよ。いきなり憲兵が来たと思ったら、スパイの容疑でこのザマだ」

「……それは、不運でした」

「まったく。私の荷物を調べたら、スパイじゃないことなどすぐ分かるだろうに。もっと早く、容疑を晴らしてもらいたいものだ」

「自分も、貴方が拘束されたと聞いたのはこの間なのです。面会に来るのが遅れて申し訳ありません」

「いや、良いさ。……小さな小隊長が会いに来てくれたってことは、釈放は近いのかな」

「……」

 

 アルノマさんは、まだフラメールが参戦したことを聞かされていないようでした。

 

 いきなりスパイの疑惑をかけられ、ほとほと参っている様子です。

 

「自分はアルノマさんを信じています。アリア大尉殿にも、無実を訴えて説得しました」

「ありがとう」

「ですが、その。釈放は、受け入れてもらえませんでした。叶ったのは面会だけです」

「ああ、その言葉は聞きたくなかったよ。……そうか、まだこの生活が続くのか」

「……」

 

 まだ釈放はされないと聞いて、アルノマさんはゲンナリとした表情になりました。

 

 流石の彼も、拷問生活で限界が近づきつつあるようです。

 

「アルノマさん、安心してください。きっと、何とかします」

「……小隊長?」

「待っていてください。貴方をこれ以上、こんなみすぼらしい場所に閉じ込めておく気はありません」

 

 自分は彼に顔を近づけ、小声でそう呟きました。

 

 いくら待っても、彼が釈放されることは状勢的にあり得ません。

 

「……このままいくら待っても、貴方の解放は難しいでしょう。ですが、他にも檻を出る手段はあります」

 

 フラメールと戦争中に、フラメール人の兵士を野放しに出来る筈もありません。

 

「自分は、アルノマさんを信じます。だからアルノマさん、どうか自分を信じてください」

「……小さな小隊長。君は、まさか」

 

 昨夜の話では、アリア大尉も彼の脱出のために手を回してくださる筈です。

 

 言わば、出来レースの脱走劇です。

 

 だからそれをほんのり伝えつつ、今は彼を安心させてあげましょう。

 

「あまり思いつめないでくれ、小さな小隊長。私にとって、この程度の苦難は屁でもない」

「アルノマさん……」

「主人公に試練は付き物さ。こんなものはむしろ、大きな活躍する前の演出としては上出来な部類だ。君が焦って、危険を冒す必要はない」

「ですが、その」

 

 しかし当のアルノマさんは、自分がしようとしていることを察してか。

 

 少し厳しい口調で、自分をたしなめました。

 

「大丈夫、すぐに疑惑は晴れるさ」

 

 彼はそう言うと、目を閉じて黙り込みます。

 

 どれだけ待っても釈放されることなど無いというのに、

 

「私は何時まででもここで待とう。だから小隊長、貴女はいつまでも潔白なままでいてほしい」

 

 そう、自分に言って聞かせました。

 



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72話

 

「決戦の日を早めましょう」

 

 フラメール侵攻の知らせから、数日経って。

 

 ベルン・ヴァロウは、総司令官であるアンリ中佐にそう進言しました。

 

「ご存じの通り、間もなく弾薬食料が底を突いてしまいます。予定通りに作戦を遂行することは出来ません」

「……早めて、勝てるのか」

「味方の犠牲も増えますし、敵に結構な付け入る隙を晒すでしょう。しかし、少し無理を通せば勝てなくはない」

 

 オースティン軍の本来のプランは入念に準備を重ね、サバトの革命勢力の蜂起に合わせ決戦を行うというものでした。

 

 その前準備として鬼才ベルン・ヴァロウによって様々な陽動作戦が立案されており、それらを少しづつ実行に移していた段階です。

 

 しかし、フォッグマンJrによる物資運用の変更でそれらの殆どが実行できなくなった挙句、

 

「というか、もう半月も食料が持ちません」

「だな」

 

 オースティンがサバトと戦争を出来る時間が、あと半月しかないという状況に陥りました。

 

「我々に、勝ち目はあるのか? サバトと戦った後に、フラメールの連合軍と連戦になるんだぞ」

「そりゃあ、向こうに行ってみないと何とも。ですが、まぁ勝てるんじゃないですか?」

「この戦線の維持はどうする? タール川に戦力を残していく余裕なんてないだろう」

「あー、それも手を打ってます。上手いこと行けば、サバトは戦争どころじゃなくなります」

 

 ベルンはきっと、レミ達が革命を起こしたタイミングで攻め込みたかった筈です。

 

 そうすれば、レミ達の革命自体の援護にもなるからです。

 

 それが実行不可能となった今、彼はある程度の犠牲を覚悟しての決戦を提案しました。

 

「もはや、負け方を探す段階じゃないのか。いますぐフラメールに降伏し、属国となり、連合国の力を借りてサバトを打ち破るべきでは」

「そんな事をしたら、俺達オースティン国民は全員奴隷兵にされますよ」

「じゃあ他にどんな手がある」

「全部、撃破すりゃあいいじゃないですか」

「そんな事が出来てたまるか」

「できます」

 

 ベルン大尉は、ここで大言を吐きました。

 

 彼は3国を相手取ってなお、勝てると大見栄を切ったのです。

 

「夢物語だ」

「俺は今まで何度も『夢物語』を吐きましたけど、結果はどうでした」

「……」

 

 普通ならばあり得ない大法螺でしょう。

 

 ですが、目の前の男─────ベルン・ヴァロウは、今まで何度もその『夢物語』を現実に描き続けてきたのです。

 

「決戦は3日後。そこで、勝負を決めましょう」

 

 彼は余裕の表情のまま、そう宣言しました。

 

 この男の大言壮語には、何故か説得力がありました。

 

「……信じるぞ、ベルン」

 

 その自信満々な言葉を聞いたアンリ中佐は、彼の魔力に取りつかれたかのようにその作戦を承認してしまいました。

 

 

 ─────この決戦はベルン・ヴァロウにとって初めての、サバトの天才シルフとの一騎打ちでした。

 

 そして彼自身、本音を言えば「絶対に勝てる」という自信はなかったそうです。

 

 

「勝利の為には、レンヴェル少佐殿」

「何だ、ベルン大尉」

「貴方に、大きく割を食って貰わないとならない。許可を頂きたい」

「は、本当に勝てるのであれば何でも協力してやるわ」

 

 

 しかし、たとえ大敗北する可能性があろうと。

 

 目の前にいる「大量のサバト兵を虐殺出来る機会」に高揚していた彼は、祖国の為だという大義名分のもとに自分の立てた作戦を実行したくて仕方なかったのでしょう。

 

「ありがとうございます」

「その代わり、絶対に勝利せよ。負けたら縊り殺してやる」

「任せてください」

 

 そして同時に彼は、少しでも負ける可能性を示唆すれば軍隊が離散することも理解していました。

 

 だから、こんな大見得を切って見せたのです。

 

 

「……とはいえ、北の橋くらいは落としておきたかったがなー」

「どうしました、ベルン大尉」

「いや、何でもねぇ」

 

 

 聡い彼は、敵の動き次第では大敗する事を知りながらその決死の策を実行します。

 

 国民全員の命を担保にした、ベルン・ヴァロウ一世一代の大博打が始まろうとしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃の、自分はと言えば。

 

 アルノマさんに脱走を断られ、オースティンの敗北が決定的と聞かされ、かなり憔悴していました。

 

「……貴様、聞いたな?」

 

 そんな様子を見てドールマン衛生曹は、自分がフラメール侵攻の話を聞いたと悟ったようでした。

 

 彼は怖い目で自分に「余計な事を言うなよ」と釘を刺し、「体調不良」を理由に休養を取れと言い渡されました。

 

 自分が、機密を暴露するかもしれないと危惧したのでしょう。

 

 

 休養を命じられた自分は、何も考えず共用テントへ休みに行きました。

 

 衛生兵は男女に別れて、それぞれ大きな丸いテントで寝泊まりしています。

 

 物資不足で、個人用テントなんてものはありません。

 

 

 そのテントの周囲では、

 

 

「……お、どうしたおチビ。随分と顔色が悪いじゃねぇか」

「ロドリー君?」

「ああ、今日は俺達アレン小隊がテントの警護担当だ。つっても今テントにゃ誰もいねぇけど」

 

 自分がよく知っていた顔が、双眼鏡を片手に周囲を警戒してくれていました。

 

 

 

 

「アレンさんは哨戒に出てくれてるよ。もうちょっとしたら戻ってくる筈」

「そうですか」

 

 ロドリー君は、明るい表情で語り掛けてきました。

 

 彼はまだ、フラメールの侵攻を聞いていない様子です。

 

「前線は結構、良い調子らしいな。俺も前に行きたかったぜ」

「……やめてくださいよ、わざわざ危険な場所に行こうとするの」

「何言ってんだ、歩兵なんぞ命のやり取りしてナンボだろ」

 

 この時、確かにサバトへの前線の調子は悪くなかったみたいです。

 

 フラメールの侵攻さえなければ、普通にオースティンが勝利して終戦したと後にベルンも語っていました。

 

 流石に作戦の詳細は布告されていませんでしたが、オースティンが勝勢だという噂は兵士の間で共有されていたみたいです。

 

「これでやっと、サバトの連中に思い知らせてやれると思うとワクワクするぜ」

 

 だから、この時の前線兵士は笑顔で戦意を高ぶらせていました。

 

「ロドリー君は、まだ敵を……サバト兵を殺したくて仕方ないんですか」

「おう、そりゃそうだ。アイツらへの恨みはどれだけ時間が経ってもなくなると思えん」

 

 自分の問いに対して、ロドリー君は前線の方を見て銃を握りしめました。

 

 彼はとても優しいですが、一方で苛烈な激情家でもあります。

 

 今まで失ってきた戦友達を悼み、無惨に殺された民衆の為に怒り、悲しんで戦ってきたのでしょう。

 

「先に逝っちまった仲間にバカにされたくねーからな。あの世で「お前らより断然被害を出してやったぜ」って自慢する為にも、あと100人はぶっ殺さねぇと」

「……ロドリー君」

「せっかくの勝ち戦だ、俺も前に出て思う存分恨みを晴らしたいんだ」

 

 今までずっと、苦渋の連続でした。

 

 サバトの銃弾でたくさんの戦友を失いながら、逃げて、隠れて、追い回されました。

 

 それを乗り越えてやっと、サバトを相手に勝機を見い出せているのです。

 

「ああ。お前らのお守りも重要な仕事だって分かってらぁ。任務を放り出して敵に突っ込むほどガキじゃねぇ、安心しろ」

 

 だからこそ、彼は……オースティン兵はこうも戦意を滾らせているのです。

 

「そういやおチビも、銃を持ち歩くようになってるじゃねぇか。よく許可がもらえたな」

「これは訓練用のゴム弾です。殺傷力はなくとも、銃を背負っているだけで警戒して距離を取ってもらえますので」

「ほーん? 実弾を持たせてくれりゃあいいのに」

 

 とても、あんな話を伝える気にはなれません。

 

 オースティンが四面楚歌、絶体絶命の窮地だなんて事実で彼の顔を曇らせたくありません。

 

「でも、ロドリー君がいれば自分は銃なんて撃たなくていいんでしょう?」

「まーな。おチビのところまで兵が来る前に、全員ぶっ殺しておいてやらぁ」

「頼りにしていますよ」

 

 だから自分は命令に従って、何も話さずにロドリー君と雑談する事にしました。

 

 命令は絶対です、自分は何も情報を漏らすわけにはいきません。

 

 

 

「この戦いに勝ったら、もうサバトは攻めてこないでしょうか」

「知らんけど、そうじゃねーの?」

 

 自分は、当たり障りのない話を選んでロドリー君に話しかけました。

 

「ここに主力を集めていますけど、今のうちに南から攻められたりはしないんでしょうか……」

「流石に、それは警戒してるんじゃないか?」

 

 ロドリー君は不安げな口調であれこれ話す自分の話を、呆れ顔のままよく聞いてくれました。

 

「てかサバトも南に回す戦力があれば、ここに持ってくるだろうさ。今更、荒れ果てたオースティン領をさらに荒らして何になる」

「南は、まだ殆ど被害が出ていませんし。ロドリー君の故郷も南の方ですよね、心配じゃないんですか?」

 

 彼と話していると何故でしょう、心が穏やかになっていきます。

 

 ……もうロドリー君とは、ずいぶん長い付き合いになりました。

 

「大丈夫。俺の故郷は、まぁ無事だ。オースティン領で一番サバトから遠い町だ」

「……そうなんですね」

「ああ、何てったって南の端、フラメールとの国境線にあるからな」

 

 自分とほぼ同期で、新兵時代からずっと近くで戦ってきて。

 

 危ない時には、何度も自分の命を助けてくれました。

 

「流石のサバトも、フラメール国境付近で暴れたりはしねぇだろ。敵が増えちまう」

 

 

 そんな彼に重要な情報を黙って、上辺だけの話をするのは騙しているような気分になります。

 

 

「……お?」

 

 その話を聞いた瞬間、自分はどうしても感情を御せなくなりました。

 

 どれだけ取り繕おうとも、平静を装いたくても、心が言うことを聞いてくれませんでした。

 

「どうしたよ、おチビ。いきなり泣き出して」

「すみ、ません……」

「はぁ。本当にお前、ウチの妹とそっくりだな」

 

 

 あの情報を悟られるわけにはいかないのに、涙が溢れて止まらないのです。

 

 ロドリー君の故郷は、フラメールとの国境付近だそうです。

 

 どれだけ早く我々が折り返しても、国境付近の村まで守れるとは思えません。

 

 フラメールの侵攻で最初に焼かれるのは───彼の故郷です。

 

 

「意味がわかんねぇタイミングで泣くのよ、アイツも。ホラ、どうしたおチビ」

「……すみません、その、自分でも感情の折り合いがつかなくて」

「話してみろよ、聞いてやるぞ」

「職務上、話せないことで」

「あー、それじゃ仕方ねぇか」

 

 これだけ何度も助けてくれた人に、自分はそんな大事な事を黙っておかねばならないのです。

 

 ロドリー君の故郷の危機を知りながら、何も伝えられない。自分はとても不誠実で、冷酷な人間です。

 

「ごめんなさい、ロドリー君」

「あーあ、大泣きしちまった」

 

 何とか涙を引っ込ませようと唇を噛んでいたら、ロドリー君がアームロックをするように自分の頭を抱きました。

 

「とりあえず、落ち着けって」

「……あの」

「ほら、頭を撫でてやるよ。よーしよし」 

 

 ……これは女性の抱き方ではありません。

 

 どちらかと言えば、大型犬とかをあやす時の抱き方です。

 

 そう気付くと、すーっと頭が冷静になりました。

 

「お。ちっとはマシな顔になったか」

「人を犬か何かと思っていませんか」

「まぁ良いじゃねぇか、妹もよくこうやってあやしたんだ」

 

 ロドリー君を睨んでみましたが、彼はヘラヘラと笑うばかりでした。

 

 彼に悪気はないのかもしれませんが……。

 

「ロドリー君って、かなり自分を下に見てますよね」

「だって年下だろうが」

「この前、年齢を聞いたら1つしか違わなかったじゃないですか」

「年下には違いねぇ」

 

 まぁ、そうかもしれませんけど。

 

 軍人としては同期なんですから、出来れば対等に扱ってほしい気もします。

 

「そうむくれるな、いきなり泣き出す奴が悪ぃだろ」

「むくれてはいません」

「おチビはあんまりにもよく似てて、妹と重ねてしまうんだわ。戦場なんか居ると、家族が恋しくてなぁ」

「……」

 

 それが事実であれば、納得するのもやぶさかではありませんが。

 

 正直、今のは口先で誤魔化している感じに聞こえました。

 

「そういう事にしておきます。ですが、自分を妹のように扱うと本物の妹さんがむくれますよ」

「むくれてくれる可愛げがあれば良いんだがな」

 

 へっへっへ、とロドリー君は快活に笑いました。

 

 ……随分と、自分の扱いが上手くなりましたね。

 

「戦争が終わって、生き残ることが出来たら何をしますか」

「生き残っちまったら、故郷に帰って農業かなぁ。もうこんな因果な仕事は辞めて、のんびり暮らしたいもんだ」

「……」

「実家の農村で力仕事を手伝ってさ。そんで尻のでっかい嫁を貰って、いっぱいガキをこさえて、孫に囲まれてベッドの上で死ぬんだ」

「その年で、そこまで人生設計を立てているんですか」

「今のは、俺の爺の死に方だ。死ぬ間際に「良い人生だった」と笑った爺を見て、俺もこうなりてぇなと思った」

 

 彼はそこまで言った後、

 

「そんな人生を歩みたい奴は、俺の他にもたくさんいるだろう。だけど、そんな平和をぶち壊しにサバト軍が攻めて来た。じゃあまずは、あの連中をぶっ殺すしかねぇよな」

 

 そう言って、話を締めくくりました。

 

 

 

 

 

 

「そうですね」

 

 ロドリー君の夢は、きっともう叶いません。

 

 彼の実家があるだろう南東の村は、フラメール侵攻で大きな被害を受けるでしょう。

 

「じゃあもし、自分も生き残ったらロドリー君の家に遊びに行きましょうか」

「おう、来い来い。戦友は全員、大歓迎でもてなしてやる。何たって、家族みたいなもんだからな」

 

 彼に真実を告げない罪悪感に苛まれながら、自分はロドリー君の思い描いた素敵な夢に乗っかりました。

 

「はい。自分も、ロドリー君は家族のように思っています」

 

 

 

 ……それと同時に。

 

 自分の中で、何かが吹っ切れた気がしました。

 



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73話

 

 数日後。自分はアリア大尉に内密の話があると呼び出されました。

 

「……来たか、トウリ。あまり時間が取れないので、質問などは手短にな」

「あ、その」

「では、さっそく手順を説明する」

 

 部屋に入ると、アリア大尉は口早に『自分の亡命の算段』を説明し始めました。

 

 簡単にまとめると、見張りの交代のタイミングで自分がアルノマさんを連れだす手順のようです。

 

 しかし、自分はそんな彼女の言葉を遮るように、

 

「アリア大尉殿。やはり自分は、軍に残りたいです」

「……」

「孤児である自分にとって、大事な人はこの軍にしかいません。アリア大尉殿も含め、戦友たちは家族のように思っています」

 

 自分は彼女の目を見据え、そう宣言しました。

 

「……そうか」

「自分の死に場所はここです」

 

 

 

 アリアさんの勧め通り、他国に亡命するのが正解だったでしょう。

 

 殺されるのはとても怖いですし、これ以上戦争に関わりたくなんてありません。

 

 全てを忘れ、平和な他国で生を謳歌できるのであればどれだけ幸せでしょうか。

 

 

 しかし実行に移そうとすると、……罪悪感に胸を押しつぶされそうになるのです。

 

 今までお世話になった、多くの人の顔が頭に浮かんで離れません。

 

 

 今までずっと、自分の相談に乗り続けてくださった頼れるアレン先輩。

 

 真っすぐで優しく、少しだけ天然なヴェルディさん。

 

 年上の目線で自分を支えつつ、立ててくれる部下のケイルさん。

 

 南軍でお世話になった、レイターリュさんやザーフクァ曹長。

 

 ……そして、いつも自分を助けてくれるロドリー君。

 

 

 

 彼らを見捨てて逃げてしまえば、自分は今後一生、重たすぎる罪悪感に苛まれ続けることになります。

 

 自分の命と彼らへの感情を天秤にかけたら、どう考えても彼らの方が大事だったのです。

 

 

「アリアさん。自分をどうか、ここに置いてください。自分は死ぬ直前まで戦友の負傷を癒し続けます」

「……」

 

 彼らを見捨て生き残るだなんて、死ぬより辛い事でした。

 

 だから自分は、ここで彼らとともに死ぬことを選びました。

 

「死ぬぞ」

「分かっています」

「ここを生き延びても、次はフラメール人と殺し合いだ。戦争はいつまでも終わらない」

「……悲しい事です」

「私は、トウリに生きてほしい」

「……ごめんなさい」

 

 そう謝ると、アリア大尉はふぅとため息をつきました。

 

 彼女の厚意を無下にしてしまった罪悪感はありますが、それでも後悔はありませんでした。

 

「……ただアルノマさんは、何とか逃がしてあげたいです」

「まぁ、そっちも手は回しているんだが。だが、本人が頑として脱走を良しとしないらしい」

「そうですか」

「フラメール侵攻の事実を伝えるわけにもいかないし、対応に困っているんだ。あの男は、いずれ自分の潔白が証明されると信じている。……まぁ、あの男はスパイじゃないわな」

 

 あとの心残りは、アルノマさんでした。

 

 自分が脱走を介助する計画でしたが、本人が真面目過ぎて上手く行きそうにないのです。

 

 フラメールが攻めてきたことを知れば流石に脱走を決意するでしょうが、檻の見張りをしている兵士にフラメールが攻めてきたという情報を知られるわけにもいきません。

 

 なので、手詰まりの状況なのです。

 

「とりあえず、これ以上拷問などはしないよう通告はしている。まずはサバトを打ち破って、その後考えよう」

「はい」

「お前は、自分の意思で残るといったんだ。最期の瞬間まで、国に尽くしてもらうぞ」

「了解です、アリア大尉殿」

 

 自分はアリア大尉の前で敬礼を行い、

 

「死の瞬間まで、自分は貴女に尽くします」

「……。そうか」

 

 悲しそうに目を背ける彼女に、元気よく返答しました。

 

「では、自分はこれにて。アリア大尉殿」

「ああ、無理はするなよ」

 

 そして自分は、アリア大尉に敬礼しテントから立ち去りました。

 

 

 

 

「……さて。先に死ぬのは、どちらだろうな」

 

 

 

 

 別れ際。

 

 その、呟くようなアリア大尉の声を、自分は聞き取れませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 決戦の日。

 

 オースティンはありったけの魔石を、アリア大尉の部隊へ託しました。

 

「準備していた船はどうなっている」

「無事に輸送を終えています」

「よし」

 

 当初よりベルンの思い描いていた策は、水路からの奇襲です。

 

 オースティンの戦力的に正面から何層もの塹壕を突破していくなんて不可能で、それ以外の橋へのアプローチ方法なんて最初から水路しかありませんでした。

 

 橋を落として大混乱に陥ったサバト軍を、塹壕ごと包囲してジワジワ嬲り殺しにする。

 

 これが、人殺しの天才ベルンが作り上げたかったシチュエーションでした。

 

 

 

 命懸けの水路による特攻は、サバト側も想定していました。

 

 もう一人の天才シルフが、父親にその危険性を何度も何度も進言していましたので。

 

 だから、我らがアリア魔導中隊が北橋とサバト本陣の中間─────タール川沿いのサバト拠点へ奇襲を仕掛けた時、彼らはほくそ笑んだでしょう。

 

 

 

 

 

 サバトの反応は、待ってましたと言わんばかりでした。

 

 奇襲を受けた地点にすぐさま、予備戦力を送るドクトリンを形成していました。

 

 彼らの対応は、実に迅速でした。

 

 

 サバトの川岸の塹壕が妙に薄かったのは、ここを攻めさせて返り討ちにする罠だったのです。

 

 薄そうに見える川岸の塹壕は、しかしその実、非常に強固でした。

 

 塹壕は波のようにクネクネと形成されていて、薄いところにこそ火力が集中するような形だったのです。

 

 突撃兵が迂闊に攻めれば、集中砲火を浴びて即座に蒸発したでしょう。

 

 しかし、

 

『進軍路に、大量の設置罠が!』

『兵が配置できません!』

 

 もともと、度重なるベルンの奇襲の影響で両橋の間の哨戒サバト兵士が減ってしまっていました。

 

 そんな折に、塹壕内に仕掛けられていた罠が一斉に起動して、サバト兵士の移動を阻んだのです。

 

 ここで、哨戒兵士を減らし工作兵が侵入する隙を作らせた悪魔ベルンの下準備が生きました。

 

「今こそ、オースティン兵の誇りを見せる時よ!」

 

 塹壕の攻略も、スピード勝負です。

 

 アリアさんやザーフクァさんのようなエース部隊を、ベルンは惜しみなく投入しました。

 

「塹壕を確保しろォ!」

「味方の進軍を援護しな!」

 

 その一番槍、オースティンに残っていた『ライデルト小隊』というエース突撃部隊の成果で、

 

 

『オースティン軍が川岸の塹壕を、陥落させました!』

 

 

 奇襲開始1時間で、オースティンは川岸の確保に成功しました。

 

 

『塹壕を再奪還しろ、オースティンに船を運ばせるな』

『駄目です、敵の守りが異様に硬くて……』

 

 

 塹壕を確保した後は、防衛に特化したエース「ザーフクァ」中隊がアリア大尉の部隊が船を運ぶまで鉄壁の守りを見せます。

 

 砲撃すらも防ぐという前評判は本当だったようで、彼の守っている間アリア大尉の部隊に銃弾一つ飛んでこなかったそうです。

 

 

『やばい、川に出られるぞ』

『橋が、橋が壊される!』

 

 

 サバト軍は罠を張っていたつもりが、逆に罠に嵌ってしまいました。

 

 絶対に防がなければならなかった水路を囮に釣りをして、見事に餌だけ食い取られてしまったのです。

 

 

 

「大尉殿、良い景色ですな」

「ああ、視界良好。良い船旅になるだろう」

 

 

 

 後で聞いた話によると、アリアさんの部隊は全員、軍服ではなく礼服を着て船に乗り込んだそうです。

 

 ……この世界の、死に装束は礼服です。

 

 一生に一度の晴れ舞台、小汚い軍服ではなく華美な服装で迎えたいというアリア大尉の要望に、レンヴェル少佐が応えたそうです。

 

 

 

 川岸にはズラリ、と敵の歩兵が並んでいて。

 

 敵の魔導師部隊は躍起になって、陸からアリア中隊の船団を砲撃しました。

 

 

 敵の必死の抵抗に逢い、オースティン船も無傷とはいきませんでした。

 

 サバトの砲撃により幾つもの軍船が、川底に沈んでしまいました。

 

 しかし、この時代の砲撃は動く船を捉えられるほど正確ではありません。

 

 この砲撃で橋を射程に捉えるまで撃沈した軍船は、僅か数隻にとどまりました。

 

 

「さあ、パーティ会場に着いたぞ」

「盛り上げていきましょう、アリア中隊長殿」

 

 

 ……こんな自爆特攻作戦にアリア大尉の部隊が選ばれたのは、理由があります。

 

 フラメールとの戦争も控えているのに、貴重なエースであるアリア中隊を捨て駒に使った理由。

 

 それは彼女の魔導部隊はオースティンでも群を抜いて優秀だったからで、何より────

 

 

「およそ1km先に、橋を確認」

「うむ、第一射」

 

 

 アリア大尉の部隊の、遠距離狙撃能力が両軍合わせても頭一つ抜けていたからです。

 

 

「第一射、南西32度に130m強の後逸しました」

「第二射まで、30秒。その間に予想される船の移動距離は、80m程です」

「分かった。仰角3度上げて、魔石を1割減らせ」

 

 砲兵に求められるのは、咄嗟で精密な計算速度と、細やかな仰角管理を行える器用さです。

 

 この世界において精密な観測砲撃なんて技術は発展しておらず、魔法砲撃の有効射程は目視できる距離────数百メートルが限界でした。

 

 導火線の長さも統一されておらず、発射までの時間もコンマ数秒ズレるのが当たり前の技術レベルです。

 

 

 そんな状態で、どうやって遠距離砲撃なんて実行していたかといえば……。

 

 それぞれ砲兵の指揮官が「経験」に基づき、魔石の量や砲撃角度を調整していたのです。

 

 だから砲撃の射程距離、精密性は、その指揮官の技量により大きく左右されました。

 

「次は当たる」

 

 もしその特攻に成功しても、生還は難しい事はわかっていました。

 

 本音を言えば、アリア大尉を失う様な作戦は実行したくなかったでしょう。

 

 しかし、移動し続ける不安定な船を土台として遠距離砲撃を行える部隊は、オースティンの全軍を見渡しても彼女の部隊しかいなかったのです。

 

 

 

 今までアリア大尉が実戦で決めた、長距離砲撃の最大射程は1083mでした。

 

 つまり、彼女は安定した足場なら1㎞先の兵士すら屠れるのです。

 

 これは、当時の魔導師部隊の人からすればホラとしか思えない距離でした。

 

 

 しかしこの時も、アリア大尉は─────

 

 

「第二射、撃て」

「……命中、確認しました」

「よし」

 

 

 およそ870mの遠距離砲撃を成功させ、見事にサバトの守る橋に命中させて見せたのです。

 

 この一撃で橋の一部は損壊し、10mほどの範囲が崩れ落ちました。

 

 

「あの程度の崩壊なら、簡単に修復できる。第三射、用意!」

「了解」

 

 橋はしっかりとした造りで、一撃で全てを破壊できませんでした。

 

 しかしアリア大尉は、前もって予想していたのか取り乱す様子もなく第三射を命じます。

 

「アリア大尉殿、機嫌良さそうですな」

「ああ、最高の気分だ」

 

 徐々に激しく、強くなっていく敵からの妨害を意に介さぬその胆力。それは、まさにエースの証左でありました。

 

 アリア大尉は仲間の船が次から次へと水没していく中、敵に沈められるまで合計八射の魔法砲撃を実行しました。

 

 そのうち三射が見事に命中し、その結果───

 

 

 

「……ウェディングドレスは用意できなかったが、彼に会いに行くには十分な装いだろう」

「美しゅう思います、大尉殿。まったくあの男も、果報者です」

 

 

 

 サバトが大事に守り続けていた橋はアリア大尉の奇襲からほんの数十分で崩落し、同時にアリア大尉を乗せた船は川底に沈みました。

 

 タール川の水流は速く、泳ぐことは出来ません。

 

 彼女たちが流されていく先には崩壊した橋の欠片が鋭利にむき出されています。

 

 アリア大尉の育て上げた、全軍でも屈指の魔導兵部隊はこの偉業を成し遂げた直後、その指揮官と共に川へと投げ出されました。

 

 兵士たちは水流に抗う事は出来ず、その殆どが自ら破壊した橋の瓦礫に激突し、その命を落としました。

 

 しかし、その部隊の誰一人として、後悔の表情を浮かべるものはいませんでした。

 

 

 その遺体の中の、一際美しいドレスを着た女性将校は────

 

 薬指に真新しい指輪を嵌めて、幸せの絶頂といった顔だったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして本来の予定とは大きく狂いましたが、それでもなおオースティン軍は勝利を手にしました。

 

 大橋の崩落は、事実上のサバトの敗北です。

 

 元来ベルン大尉はもう少し時間をかけ、アリア大尉を犠牲にしないプランを立てていたそうです。

 

 しかし時間と資源が限られてしまったので、身内大好きレンヴェル将軍のご息女を捨て駒にするというとんでも作戦を実行に移してしまいました。

 

 ただ大橋の陥落は、その大きな代償に見合う成果と言えました。

 

「さて、突然の奇襲で撤退路を失ったサバト兵はどうすると思います?」

「……北の橋に殺到するだろうな」

 

 魔法のように大橋を陥落せしめたオースティン軍。後は逃げ惑うサバト兵を蹂躙していくのみ。

 

「既に北の橋へ向かう撤退路の大半を封鎖しました。赤子の手を捻るより容易く、敵を皆殺しに出来るでしょう」

「……北橋を守っていた連中はどうする? そいつらを逃がさないようにする手はあるのか」

「そいつらに逃げられるのはしょうがないでしょう。流石に欲張りすぎです」

 

 ただ、この作戦ですと北橋を守っている兵士は自由に動けます。

 

 そのまま撤退される可能性も、我々の敷いた敵の撤退路を塞ぐ布陣を裏から襲撃する可能性もありました。

 

「まぁこの状況なら十中八九逃げるとは思いますが……、万が一に背後を突いてきても対策はしてますのでご安心ください」

「……そうか。では我々は、勝ったんだな」

「ええ、もう勝利は揺るぎません」

 

 ベルン大尉は自信満々に、自らの成果を断言しました。

 

 彼の言葉を聞いて参謀達は頬を緩め、ずっと黙り込んでいたレンヴェル少佐すら小さく吐息をこぼしました。

 

「……報告します、北の橋を守っていた兵が消えているようです」

「ああ、やっぱり逃げたんだな」

「見事な献策だった、ベルン大尉」

 

 そして、レンヴェル少佐は低い声でベルン大尉の功績を表しました。

 

 手塩にかけて育ててきた、大事な愛娘を勝利のために死なせてしまう。

 

 少佐の心中は推し量れないモノがあったでしょうが、ひとまず指揮官として誉めることを選んだようです。

 

 

 

 しかし。

 

「は? 兵が消えた?」

「どうした、ベルン大尉」

 

 その報告を聞いて初めて、ベルン・ヴァロウが狼狽した表情になりました。

 

「ちょっと待て、どういう事だ。裏を突いて、奇襲してきたとかじゃなくてか?」

「ええ、忽然と橋の周囲から消え去ったようです」

 

 南軍指令、アンリ中佐はそんなベルンの表情を見たのは初めてでした。

 

 今迄の彼は、ずっと飄々と余裕を崩さず「すべて想定通りですよ」といった態度を見せ続けていたのです。

 

 そんな男が狼狽した声を出すなど、想像だにしていませんでした。

 

「どうしたね。君の想定した通り、撤退したのだろう」

「……北の橋の防衛兵力は、推定して数万です。あんな細い橋を使って、この短期間で渡り切れるはずがありません」

 

 この時、ベルン・ヴァロウは敵が想定外の行動に出たことを悟りました。

 

 もし大橋を落とされてしまった場合、北の橋の指揮官が優秀ならまず撤退を開始するでしょう。

 

 何故ならサバト軍が撤退するとなった際、橋を通過するのにかなりの時間を要する事になるからです。

 

 なので、少しでも多くのサバト兵を生存させるためにすぐ撤退を開始するべきなのです。

 

 

 あるいは、味方の撤退を支援する目的で南下して撤退路を確保する可能性も十分にありました。

 

 これは、兵士を逃がすというより指揮官級の将校の撤退を優先する作戦です。

 

 自ら犠牲となりサバト軍の有力将校を保護すべくオースティン軍を叩く事は、十分に考えられました。

 

 

 しかし、そのどちらをも選択しない場合。

 

 第3の選択肢として、サバトはどんな作戦を取ってくるでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻、タール川北部。

 

『あれほど、水路からの奇襲に気を付けろと提言しておいたのに。父上は、何を考えている……っ』

 

 彼女は、北の橋を保持すべきと参謀本部で声を上げました。

 

 それは、この水路を使った奇襲を警戒していたからに他なりません。

 

 そんな彼女────シルフ・ノーヴァは、『そこまで言ったからには、自分で守って見せろ』とブルスタフ司令官の指示で北橋に参謀として派遣されていたのです。

 

『負けだな。サバト軍はもう、川岸を確保する戦略的意義を失った。もう何をしても勝ち目はない』

『おいシルフ参謀、そんな無責任な事を言わず逆転の策を考えろ』

『勝ち目がないものをどう逆転するんだ』

 

 北橋の指揮官に怒鳴られてなお、煩そうな表情を崩さなかったシルフは。

 

『ただまぁ、出来るとしたら引き分け狙いだな』

『……引き分け?』

『ああ、今までの我らの戦果を思い出してみろ。敵の国土は焼け野原、オースティン軍が今使っている資源は搾りカスしか残っていないハズ』

 

 ベルンが想定しつつも「ケアする余裕がない」と可能性を切り捨てていた、オースティンが取られて最も嫌な動きを提案したのです。

 

『オースティンの連中の立場になってみろ。こんな大規模な攻勢を行い、防衛部隊の要も前線に出張ってきていると来た』

『……』

『そんなザマで、果たして守りにどれだけ兵士を割いているかね』

 

 そう。

 

 腐っても「天才」と称された少女シルフはサバトの敗北を悟った瞬間。

 

『今から敵資源を破壊・強奪し尽くせば、オースティンに戦争継続能力はなくなる。さすれば我々の国土も安泰というものだ』

『おお、成程』

 

 自らを危険に晒しながらも、オースティン軍の資源倉庫へ奇襲を提案しました。

 

『祖国の為だ、やってやろうじゃないか』

『奴らに一泡吹かせてやる!』

 

 まっとうな指揮官なら、撤退路の保持を放棄して橋から離れる事がまずあり得ません。

 

 それは、唯一の退路となった北橋へ撤退開始したサバト主力軍に対する裏切りでしかないからです。

 

 勝手な行動をとるにしろ、せめて味方の支援か即時撤退でしょう。

 

 

 橋を失うことは、サバト軍に唯一残された安全な渡河手段を喪失することを意味します。

 

 それがどれだけ、兵士の士気を下げ心を砕くか想像もつきません。

 

 しかしシルフは安全も味方支援も投げ捨てて、敵後方への突撃を立案しました。

 

『さあ、敗戦を痛み分けに変えてやろう』

 

 これが彼女の特性というか、悪癖でした。

 

 シルフは参謀として味方の都合なんてものは無視し、いかに敵に被害を与えるかに特化した戦略をよく好んだのです。

 

 彼女は自分の父親すら含む主力軍を見捨て、地獄絵図を築き上げる事を選びました。

 

 そんなシルフもまた、ベルンと同じくどこか頭のネジが歪んだ戦争狂だったのかもしれません。



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74話

 

 アリア大尉の決死の奇襲で橋を落とした時。

 

 サバト軍はまだ、フラメールがオースティンに侵攻した事実を把握していませんでした。

 

 厳密には「オースティン領にフラメールが侵攻してきており、敵は窮地に陥っている」という情報自体はキャッチしていたのですが、その事実の裏取りが済んでおらず罠の可能性があるとして保留されていたのです。

 

 彼らがこの情報が事実であると知ったのは、この奇襲から数日経ってからでした。

 

 

 サバト軍に自らの窮地を悟られる前に、勝勢を決したベルン・ヴァロウ。

 

 彼は少ない資源と限られた時間で、よくやったと言えるでしょう。

 

 

 しかし、彼は初めてその戦略においてミスを晒しました。

 

 オースティンにとって最後の命綱であった軍事物資を、敵の遊撃兵の前に無防備で晒してしまったのです。

 

 

 まぁミスというより、資源的にどうしても手が回らなかった(本人談)そうです。

 

 あの戦況でそんなことしないだろうという、固定観念もあったのでしょう。

 

 たとえシルフが奇襲を成功させたとしてもサバトの「負け戦」はひっくり返らないし、失敗しようものなら味方からどれだけ糾弾されるか分かりません。

 

 普通の参謀将校であれば、間違いなく躊躇う一手でした。

 

 

 事実、この後オースティンは容易く北の橋の破壊にも成功し、サバトの退路を完全に断つ事に成功しています。

 

 最期の希望である北橋が焼け落ちるのを見たサバト兵は絶望し、自ら川に飛び込み始めたそうです。

 

 シルフの、北橋勢力の取ったこの一手は間違いなくサバト全軍を裏切るモノでした。

 

 

 

 しかし、結論から言えば……。

 

 この橋を放棄しての奇襲は最善手ではないだけで、決して悪い作戦ではありません。

 

 むしろ「フラメールが参戦していない」という条件下で考えると、祖国サバト本土を守りうる唯一の手段になり得(・・・)ました。

 

 

『おい、撤退する際に橋に爆発罠を設置しておこう』

『……どうしてだ?』

『橋がまだあったら、味方はこの北橋を目指してきてしまう』

『それの何がいけないんで?』

『北橋までの塹壕はオースティンに確保されてるんだ、きっと大きな被害が出る。こんな少数しか渡れない橋で味方を撤退させるより、散り散りに逃げて潜伏させた方が生存率が良い』

 

 

 川を渡る手段は橋だけではありません。

 

 敵を撒くことが出来れば、数日かけて流れが緩やかな場所まで撤退し、サバトに帰還するという手段もあったのです。

 

 そのオースティンの追撃を躱すためにも、敵後方の奇襲と資源略奪は有効といえました。

 

 

『むしろ、この橋を下手に残したら敵の進軍の足掛かりにされてしまう』

 

 

 また彼女はサバト軍が、オースティン領で行った蛮行の影響をよく理解していました。

 

 彼女はほんの少し前まで軍人ではありません。

 

 だから味方兵士の行った残虐行為を理解できず、同時に『やり返されたらどうしよう』という恐怖を抱くようになったのです。

 

 そして今サバトの敗北が濃厚となって、彼女はオースティン兵士によるサバト領土内の虐殺を恐れました。

 

 国土を焼かれたオースティン軍は、食糧事情に厳しいと予想がつきます。

 

 彼らが逆襲してサバトに攻め込んできたら、そこかしこの農村で略奪が行われることは必然でしょう。

 

『私たち軍人は死ぬのが仕事だ。だが、民はそうもいかん』

 

 殆ど現場に立ったことがない彼女は、戦友より国民の命を重視していました。

 

 そしてシルフ・ノーヴァは、もし橋を残したままサバトの主力が壊滅したら、オースティン兵がなだれ込んできて民へ蛮行に及ぶと考えたのです。

 

 だから橋を敢えて壊させることで、時間を稼ぎつつオースティンの国内侵攻を防ぎたかったのだとか。

 

『オースティンの追撃を振り切った後、どこかで悠々と小舟を作って川を渡ればいいだけさ』

 

 実際はフラメールが領内に侵攻しているので、我々がサバト領に攻め込む余裕などありませんでした。

 

 そもそも、我々の対サバトの戦術目標は講和です。

 

 残された物資的に、フラメールが侵攻していなかったとしてもサバト国内での戦争継続は不可能だったでしょう。

 

 

 しかしシルフは、オースティンがサバト国土で『復讐』に走ると怯えていたそうです。

 

 オースティン兵がサバトを強く恨んでいるのは事実です。

 

 だから万が一オースティンが橋を破壊しなかった時の事も考え、持ち場を離れる際に爆発罠を設置までするほど徹底していたそうで。

 

 撤退路を失った味方サバト兵の絶望なんて「私の警鐘を無視してまんまと水路を攻められた連中が悪い」と歯牙にもかけなかったのだとか。

 

 

 つまりシルフは、ここで橋を破壊しオースティンの戦争継続能力を削ぐことが一番の国益だと判断したのでした。

 

 その意見具申を聞いた北橋指揮官はシルフの策を受け入れ、実行に移してしまいます。

 

 結論的にはこの一手は、無駄どころか双方の被害をただ増やしただけの愚策でした。

 

 しかし、もしオースティンが彼女の読み通りサバト侵攻を目論んでいたとすれば……国土と民を守った一手だったかもしれません。

 

 

 

 

 シルフが守る北の橋の近くに布陣していたのは、レンヴェル少佐の指揮する部隊でした。

 

 敵の布陣の南方向をアンリ中佐、北寄りをレンヴェル少佐が固めるよう、オースティン軍は配置されていました。

 

 ……つまり。この時の、シルフの特攻の目標となったのは─────

 

 自分も駐屯する、衛生部と軍事資源の倉庫を兼ねた拠点。

 

 ドールマン衛生曹の率いる、新設されたばかりのレンヴェル軍衛生部の駐屯地でした。

 

 

 

 

 

 

 

 その報告は、青天の霹靂でした。

 

「敵が、この拠点を目指して攻めてきています」

 

 オースティンが一大攻勢に出た、この日。

 

 昼前に哨戒に出ていたアレンさんが、大慌てでドールマン衛生曹の下に駆け込んできました。

 

「敵だと!?」

「すぐに撤退の準備を開始してください、これはヴェルディ中尉の指示です」

「……なんてこった」

 

 実はこの日、我々は味方が決戦をしている等と知らされておらず、いつも通りに目の前の負傷兵と奮闘していました。

 

 作戦が行われた日の夕方に詳しい戦況を教えていただけますが、リアルタイムの情報は中々入ってこないのです。

 

 なので我々にとって「普段通りに仕事をしていたらいきなり敵兵が来た」という、かなり急な展開でした。

 

「敵の規模は?」

「複数師団、と予想されます」

「……司令部は何と言ってる」

「通信は妨害されており、連絡がとれません。おそらく、通信拠点を潰されたか……」

「はん、頼りない味方だ」

 

 その奇襲報告に、衛生部のメンバーは大きく動揺しました。

 

 レンヴェル軍の衛生部はほぼ全員、緊急徴兵された新兵です。

 

 安全な後方勤務と聞かされて入隊したのに、いきなり殺されるかもしれない情況となれば仕方ないでしょう。

 

「もう、ヴェルディ中尉が動いています。まもなく、撤退が始まるので各自荷物をまとめてください」

「ようし分かった! 治療中止、各員集合せい! 歩ける負傷兵は、外で隊列を組め!」

 

 しかしドールマン衛生曹は流石というべきか、動揺した様子すら見せず指示を飛ばしました。

 

 自分を含めケイルさん、エルマさんなど小隊メンバーもすぐに荷物をまとめ始めています。

 

「衛生兵は抗生剤、秘薬だけ持ち出せぃ! 余計なものは背負うな、敵に追いつかれて殺されるぞ!」

「トウリ衛生小隊、準備を終え次第集合して下さい。点呼を行います」

「時間との勝負だ、トロい奴は容赦なく置いていく! 死にたくなければ急いで支度しろ!」

 

 やはり、少しでも経験を積むと人間の動きは大きく変わります。

 

 まだ混乱の最中にある新米衛生兵の多い中、トウリ衛生小隊の面々は凄まじい速さで整列を完了してくれました。

 

「点呼確認、全員集結したよリトルボス」

「ありがとうございます、ケイルさん。ドールマン衛生部長、トウリ衛生小隊は只今より味方の物資運搬を手伝います」

「おう、任せた」

 

 新米が最適な行動をとれないのは仕方ありません。

 

 こういうケースでは、ちょっとだけ先輩な我々が彼らの負担を減らしてやるべきでしょう。

 

 

「……衛生部の皆さん、聞いてください。私は、本拠点の指揮官であるヴェルディです!」

「中尉殿、来てくださったか」

 

 

 そんな事を考えながら医療資源を取りに行こうとした瞬間、野戦病院のテントにヴェルディさんが割って入ってきました。

 

 彼は青い顔をしたまま、周囲を見渡して。

 

「本拠点にある軍事物資の輸送を、衛生部の方々に手伝っていただきたい。輜重兵だけで持ちだすのは困難だそうです」

「……おう?」

 

 そう、命令を下しました。

 

「ひ弱な俺達に、荷物を担いで逃げろと?」

「時間がありません、早く倉庫に向かって荷物を受け取ってください。既に輜重兵の方々は物資を運搬して、南方向へ撤退を開始しています」

 

 そのヴェルディ中尉の言葉に、自分やドールマン氏は頭に疑問符を浮かべました。

 

 衛生部の荷物は病院内にあります。倉庫にあるのは、食料や弾薬ばかり。

 

 どう考えても、衛生兵が運ぶ資源ではありません。

 

「荷物って何だ」

「小銃・弾薬、魔石等です」

「そんなもん捨て置け中尉殿、大荷物抱えて撤退が出来るか! 兵の命と鉄屑、どっちが大事なんだ!」

「鉄屑に決まっています」

 

 しかしこの時、温厚なヴェルディ中尉にしては珍しく鬼気迫った表情で。

 

「上官命令です。直ちに、医療資源をまとめた衛生兵を倉庫に向かわせてください」

 

 有無を言わせぬ口調のまま、彼は自分たちに輸送部隊の真似をしながら撤退せよと命令を下しました。

 

「……おい、中尉殿! 目を覚ませ、しっかり正気を保て」

 

 ドールマン氏はヴェルディさんの胸ぐらを掴み、脅すように睨みつけました。

 

 普通、奇襲を受けて撤退となったのであれば物資なんて捨てていきます。

 

 命あっての物種、死んだ兵士は生き返りません。しかし、失った銃や弾は作り直せばいいのです。

 

「私は正気です。繰り返しますドールマン衛生曹、上官命令に従ってください」

「……」

「これは私の判断です。今この拠点の倉庫に眠っている銃弾は、貴方達の命より重い」

 

 しかし、この時のヴェルディさんは頑固として譲らず。

 

「ドールマン、貴方であれば分かるでしょう。……この鉄屑を無事に輸送しないと、オースティンに未来が無いことを」

 

 そう言って、衛生曹を諭したのです。

 

 

 

 

 我々の衛生拠点には、虎の子の資源がたっぷり積まれていました。

 

 オースティン軍の全体の4割ほどの銃火器、銃弾、火薬、食料、医療物資がレンヴェル軍衛生部に併設された倉庫に保管してあったのです。

 

「この銃弾を失えば、壊走する敵を殲滅できません。オースティン領土内に、強大な武装集団を解き放ってしまう事になります」

 

 今や、オースティン産の銃器は希少です。

 

 領土内の実に7割以上の軍事工場は破壊され、残っているのはサバトが攻め込んでいない南部の工場のみ。

 

 この生産力で、現在の軍の銃弾の在庫4割を失うのはあまりに痛過ぎました。

 

 ドールマン氏もヴェルディさんも口には出しませんでしたが、この後フラメールとも決戦せねばならないのです。

 

 本当に、この銃弾は我々の命より重たい『フラメール国境付近の市民の命』にかかわるものでした。

 

「だが、逃げ切れるわけが─────」

「私たちを信じてください。ヴェルディ中隊が、ここに残り皆さんの撤退を支援します」

 

 無論、重い荷物を背負っての撤退が無策で上手く行く等とヴェルディさんは考えておらず。

 

「私たちの命を以て、皆さんを安全に撤退させて見せます」

 

 彼はこの場所で、命を捨てる覚悟で戦う心づもりの様でした。

 

「目標は南軍の司令部にしましょう。南東方向に約8km、最寄りの友軍拠点です」

「レンヴェル少佐殿の中央拠点は? そこの方が近いぞ」

「……彼らは出撃していますので、兵が残っていません。もぬけの殻です」

 

 本来であればここまで敵が攻め寄る前にレンヴェル軍が立ちふさがり、衛生部を分厚く守ってくれていたのですが……。

 

 今日に限ってはオースティンの友軍はアリア大尉の特攻を補助し、敵主力の逃げ道を塞ぐために出払っていました。

 

 なので、現状我々を守れる戦力はヴェルディさん達しかいなかったのです。

 

「ちゃんと時間を稼いでくれんじゃな、中尉殿」

「ええ、天命を尽くします」

「……、儂らの英雄を信じてみるか」

 

 ドクン、と鼓動が早くなってきます。

 

 彼の眼を見れば分かりました。ヴェルディさんは、ここで死ぬつもりの様でした。

 

 彼はここで自らの指揮する中隊と共に、非戦闘員を逃がして殉職する気でした。

 

「さあ、時間がありません。各衛生兵はドールマン衛生曹の指示に従って行動を開始してください!」

「気合の入れ時だ、ひよっこども! 儂らの頑張りで祖国を救ってやるぞ!」

 

 それは、つまり。

 

 ここまでずっと一緒に戦ってきたアレンさんやロドリー君も、ここで命を落とすという事です。

 

 

 ……もう自分に残された、唯一の家族と言っていい彼らが、死んでしまうという事です。

 

 

 

 

 

「……ヴェルディ中尉殿。提案があります」

「どうしました、トウリ衛生兵長」

 

 それだけは、嫌でした。

 

 ロドリー君やアレンさんをここに置いて逃げるなんて、自分には耐えられません。

 

「撤退先として、南軍衛生部の拠点であるパッシェンを提案します。距離はここから約15km離れていますが、実際の移動時間は南軍司令部より短いでしょう」

「理由は?」

「南軍司令部に最短距離で到達するには、いくつか森林を突っ切る必要があります。体力訓練を受けていない衛生兵・看護兵が荷物を持って慣れていない悪路を進むのは難しいと思われます」

「ふむ」

「しかし目標がパッシェンであれば、ある程度整備された道を進む事が出来ます。荷車も有効に活用でき、より撤退がスムーズになるでしょう」

「……成程、一理ありますね」

 

 これは、エゴかもしれません。

 

 歩兵が足止めしている間に、後方へ資源を運ぶ。そんなのは至って、普通の戦略でしょう。

 

「そしてパッシェンへ撤退するのであれば、その撤退路の途中、パッシェンから5km程の地点にザーフクァ中隊が設置した塹壕があります。これは訓練用のモノで、本物の塹壕と同様の作りをしています」

「それは本当ですか」

「事実です。自分はザーフクァ隊の訓練に参加しておりましたので、塹壕の場所も把握しています」

 

 ですが、少しでも生き残れる可能性があるのなら。

 

 自分はその僅かな可能性の為に、全力を注ぎたいと考えてました。

 

「少し塹壕の位置が遠そうですが……」

「塹壕が設置されている付近に、通信拠点も設置されています。自分が把握している通信拠点の中では、そこが最寄りになります」

「……なるほど、確実に援軍を要請出来るのは良いですね。もし敵より先に塹壕に到達できれば、より確実に時間が稼げる。その提案を採用しましょう」

「ありがとうございます」

 

 敵が間もなく、ここに進軍してきます。

 

 ここからは時間との勝負。オースティンにとって虎の子の資源と衛生兵を撤退させる、皆で『生き残るため』の戦い。

 

 それはきっと、自分が最も得意とする戦い方でした。

 

 

 

「────では、ヴェルディさん」

「何ですか?」

 

 

 

 北橋の塹壕を分厚く守っていたサバト兵は、凡そ3万人強と言われています。

 

 対する我らがヴェルディ中隊は、非戦闘員を合わせて数百人規模です。

 

 戦闘にすらならない、圧倒的小勢でした。

 

 

 進軍速度も、オースティン側が大きく劣っています。

 

 訓練を受けたサバト兵と、普段以上の大荷物で慣れぬ悪路を行く衛生兵では、数倍近いスピード差がありました。

 

 たとえヴェルディ中隊が陣地に残り、獅子奮迅の抵抗をしたとしても逃げ切れたとは思えません。

 

 サバトの戦力的に、ヴェルディさんを足止めしつつ、別動隊を用いて我々を包囲するなど容易かったでしょう。

 

 普通に撤退したのであれば、荷物を全て捨てていたとしても全滅していたと思われます。

 

 

 だから、皆に生き残ってもらう為には。

 

「────自分に案内を、任せてもらっても良いですか」

 

 普通(・・)ではない撤退作戦を、ヴェルディさんに選択して頂かなくてはならなかったのです。



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75話

 

『偵察兵はまだ戻ってこないのか』

『そう急かしなさんな、参謀殿。子供のお使いじゃねぇんだから』

 

 北橋のサバト軍はシルフの指揮の下、オ-スティン軍の後方を脅かすべく進軍を開始しました。

 

 しかし流石の彼女も、スピード勝負の状況とは言え迂闊にオースティン陣地に突撃したりはしません。

 

 多少オースティンは予備戦力を隠していると考え、拠点の特定と残敵兵力を推定するため偵察兵を放ちました。

 

『偵察兵どもはこの奇襲が、時間との勝負と理解してるんだろうな』

『彼らは今も命懸けで危険を冒して索敵してくれてるんですぜ』

『とはいえ遅い。ちょっと目と鼻の先の陣地に乗り込んで様子を見てくるだけで、何故30分も待たされるのだ』

『遅くないですって、これが普通です』

 

 しかしシルフは、偵察兵を放ったことを少し後悔していました。

 

 いくらスピード重視でやれと言われても、偵察兵も命がかかっているのです。

 

 目の前にあるとはいえ、戦力不明の敵拠点を偵察するなら数時間はかかります。

 

 30分で偵察兵が戻ってくるはずがないのです。

 

『もういい、待ってられん。人数で圧倒してるんだ、どうせ勝てる。突っ込むぞ』

『あー、もう落ち着け参謀殿。せめて敵の位置を把握しておかんと』

 

 とうとう痺れを切らしたシルフは偵察兵の帰還を待たずに侵攻を再開しようとしました。

 

 本来シルフに指揮権など無いのですが、彼女は総司令官の娘です。

 

 現場の下士官が逆らえるはずもなく、作戦開始時に指揮権を没収されていました。

 

 

『お、通信。参謀殿、偵察兵からです』

『遅い! ちっ、何と言っている』

『めちゃくちゃ早ぇーですって。……ほほーう』

 

 

 そしてシルフが行動を開始してから、約1時間後。

 

 サバトの偵察兵にもなかなか優秀な人材がそろっていたらしく、この短時間で偵察を終えました。

 

 彼らはその1時間で拠点が空っぽだと調べ上げ、

 

『敵陣に1兵もいなくて、後方拠点ももぬけの殻。ただ南東方2㎞の地点で、衛生部隊と思しき連中が大荷物抱えてチンタラ撤退中だそうです』

『ははぁ! 奴ら、やはりこの奇襲を警戒していなかったな』

『そのようで』

 

 撤退していた自分達ヴェルディ小隊の位置まで特定してしまったのです。

 

 その報告を聞いたシルフは機嫌良さそうに笑みを浮かべ、

 

『偵察兵どもへ通達、そのまま奴らの撤退している先の地形の詳細を報告せよ』

『ほい、了解』

『我々は今すぐ出撃、その部隊を根絶やしにしてやる』

 

 意気揚々と、自ら指揮を執り追撃を始めました。

 

『我々はこのまま敵の後方を追撃だ。右翼軍は、南回りで敵部隊にアプローチ。左翼軍は北回りに詰めろ。挟み撃ちにして一人も逃がすな』

『はい』

『そして中央軍は敵後方まで回り込め。その際によく伏兵を警戒し、もし見つければ応戦せよ。その敵部隊が釣り餌である可能性を忘れるな』

 

 シルフには以前、指揮を下士官に任せて後続部隊を取り逃がした記憶がありました。

 

 その経験から、二度と敵を逃がさぬよう自ら指揮を執りたがったのです。

 

『完全に退路を断つぞ』

『了解』

 

 彼女は我々の物資を強奪し、後方からオースティン軍を脅かすつもりでした。

 

 シルフが我々の軍事物資も焼き尽くせば、オースティンが死に体になることをよく理解していたのです。

 

 その彼女の一発逆転戦略の第一歩として目を付けたのが、我々レンヴェル軍衛生部とその資源でした。

 

 

 

 ……流石に、戦力に差がありすぎました。

 

 荷物を運ぶオースティン衛生兵は移動速度がとても鈍重で、それを護衛する戦力はヴェルディさんの中隊のみ。

 

 一方、シルフが襲撃に動員した兵士は北橋を守っていた3万人という大軍です。

 

 この瞬間、オースティンとサバトの攻守が完全に入れ替わったのです。

 

 

 ベルン・ヴァロウもこの動きを察知し、即座に兵を動かしてシルフの背後を脅かしました。

 

 北橋勢力の南下に備えていた伏兵を解除し、すぐにシルフ率いる北橋戦力へ向かわせたのです。

 

 

 しかしシルフは「時間との勝負」であることを重々承知しており、かなりの速度で我々に詰めていました。

 

 ベルンの動かした援軍がシルフの背後を突くのは、ここから数時間は経ってからです。

 

 兵は神速を貴ぶとはまさにその通りで、橋が落ちた瞬間に攻勢に出た彼女の戦果といえましょう。

 

 シルフはたった数時間だけですが、オースティンの後方で好き勝手に暴れる権利を手に入れたのです。

 

 

『さて、父上の「負け」を「痛み分け」に変えてやるか』

『アイアイサー』

『包囲が完了次第、即座に突撃を開始しろ。蟻んこ一匹も逃さず皆殺しだ』

 

 

 この北部決戦は、全体的な大戦略においてベルンが快勝しましたが。

 

 局地の小戦略において、シルフという少女がベルンを上回っていたのも事実でした。

 

 もし彼女の狙い通り我々が全滅してしまったら、きっと今後のオースティンの戦略は大きく狂ってしまっていたでしょう。

 

 

 

 

 

『……さて、そろそろ何処かの部隊から戦果報告は来ないか』

『まだですね』

『確かに包囲してるんだろうな。前みたいに、こっそりと抜け出されていたりはしまいな』

『流石に、逃げる場所は無いと思われますが』

 

 こうして、我々はまんまと包囲網を敷かれてしまいました。

 

 しかし、この展開は想定内でした。この包囲を避けることは、速度的に困難だったのです。

 

 ヴェルディさんの部隊だけ残って応戦しても、他の予備戦力が悠々と我々を滅ぼしたでしょう。

 

 

『……む、何だか騒がしいぞ』

『爆音……?』

 

 

 つまりは、シルフが奇襲を選択した時点で我々ヴェルディ中隊は詰んでいたのです。

 

 100通りの逃げ道を使ったとして、100回全滅します。

 

 そんな絶体絶命の状況において、我々衛生部隊の執った渾身の戦略が───

 

 

 

『───参謀殿! これは、敵が!』

『……あっ』

 

 

 

 まずは軍隊に指示を出す「頭脳」を潰すこと。

 

 我々は敵の偵察兵に捕捉されたことを確認した瞬間、反転して敵の目の前に肉薄したのです。

 

 

『まずい! しまった、クソッたれ!』

 

 

 自分がこの作戦を提案した時、ヴェルディさんは頭を抱えました。

 

 無謀すぎるだろう、というドールマン氏からのご意見もありました。

 

「アレンさんから報告いただいた敵兵力を聞いて、本気で逃げ切れるとお思いですか」

「……でも、トウリちゃん」

「逃げ切れる可能性があるとすれば、敵のミスに期待するしかありません」

 

 しかし何故でしょう、自分の直感が「生き残るにはこれしかない」と告げていたのです。

 

 自分のこういった直感は、今まで何度も自分の身を助けてくれました。

 

「普通に逃げては、まず全滅するでしょう?」

 

 元々、我々が確実に全滅することはヴェルディさんも予見していた様で。

 

 自分の具申を聞いたヴェルディさんは、数秒間ほど物凄い顔で悩んだ後、「分かった、君に賭けよう」と作戦を了承してくださいました。

 

 

 反転攻勢して、敵を攻撃する。それが、自分の提案です。

 

 無論ですが、1個中隊だけで正面突破なんて絶対に不可能です。荷物を抱えた鈍重な衛生兵を守りながら突撃なんて、臍で茶を沸かす行為でしょう。

 

 敵の司令部と思しき場所を銃撃し混乱せしめ、その後ヒットアンドアウェイの要領で反転して全力で撤退しようという作戦です。

 

 サバト軍の指揮系統が正常のままでは、とても脱出できる状況ではないという判断からの作戦でした。

 

 そんな訳で敵司令部の真正面に姿を現した我々ですが、これを見たシルフは大層驚き、

 

『まずいぞ、敵の狙いは逃亡じゃない。正面突破だ!』

『まさか、ブラフでしょう』

『馬鹿言え、よく考えろ!!』

 

 自分達が正面突破を本気で狙っていると、勘違いしてしまったのです。

 

 シルフは「この周囲に我々しかいない」なんて楽観的に考えず「どこかに伏兵がいる筈だ」と思い込んでいて、

 

 

『今この瞬間、私たちの包囲網で一番兵が薄いのは正面のこの場所だ───』

 

 

 そんな状況での我々の反転攻勢は、彼女から見て『自分達サバト指揮官を狙い撃ちする罠』に見えたのです。

 

『包囲に出した兵を呼び戻せ! 敵の撤退路は南じゃない、私たちのこの正面陣地だ!』

『りょ、了解!』

『絶対に此処を突破させるな! 味方が戻ってくるまで持ちこたえろ!』

 

 彼女がパニックになるのも無理はないでしょう。

 

 何せ今まで、シルフは現場を下士官に任せて作戦立案のみをやってきた人間です。

 

 そんな彼女が居る陣地に、本物の鉛弾が大量に撃ち込まれてきたのです。

 

 生まれて初めて命の危機にさらされ、平静を保てないのは無理もない話でした。

 

『確かに一番合理的な撤退路だ、オースティン人もバカばかりじゃないらしい……っ!』

 

 彼女は半狂乱になりながら汗臭い鉄帽を被り、周囲の兵士に応戦を指示しました。

 

 いくら守りが薄いとはいえ、彼女を守るサバト軍の数は数千人。とてもヴェルディ中隊だけで突破などできません。

 

 彼女が冷静さを保って前方を見ていれば、兵を退く事はなかったでしょう。

 

『ひゃぁ! また銃弾が飛んできた!』

『参謀殿、下がりますよ! 俺についてきてください』

『わ、分かった! くそ、この借りは返すぞオースティン人───』

 

 初めての実戦、初めての死線。

 

 ぬくぬくと育てられてきた彼女が、生まれて初めて陥った本物の苦境です。

 

 自分が居る場所付近まで銃弾が飛んできたのをみて、シルフはすぐさま逃げ出しました。

 

 迎撃を部下に任せ、いの一番に最後方へ走り出したのです。

 

 ……そんな彼女に、待っていたのは────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おチビ、お前はあんま無茶すんな!」

「大丈夫です!」

 

 その瞬間は、今でも自分の記憶にしっかり残っています。

 

「これでもしっかり稽古をつけてもらっています、任せてください!」

「おチビは衛生兵だろうが!」

「……戦力が足りん、トウリにも出て貰わねぇと仕方ねぇんだ」

 

 この時、自分は【盾】をうまく活用しつつ、アレン小隊と共にサバト軍兵士と最前線で撃ちあっていました。

 

 訓練弾とはいえ銃もあるので、案山子の代わりにはなれると思ったのです。

 

 また、【盾】魔法は味方をよく守ってくれました。

 

 ザーフクァ曹長から防衛戦を学んでいて、本当に良かったと感じました。

 

「ヴェルディ中尉、攻勢はどれだけ続ける!?」

「15分を予定しています、合図と同時に全員撤退してください」

「くそ、訓練銃を返すんじゃなかった。ええい、死んだ兵士はおらんか! 儂に銃をよこせ」

「ドールマン衛生曹、落ち着いてください」

 

 と、防御に関しては【風銃】や【盾】で結構お役に立てたのですが、攻撃に関しては敵に狙いも定めず制圧射撃の援護をするだけです。

 

 まぁ訓練弾なので、しっかり敵を狙う意味があんまりないんですよね。

 

「おい新米ども、銃構えたらケツを引け! 何度言ったらわかるんだ!」

「ご、ごめんなさい」

「おチビの方がまだマシに撃ってるぞ、恥ずかしくねぇのか!」

 

 こうして、ヴェルディさんやロドリー君と肩を並べて戦うのは久しぶりでした。

 

 流石というべきかロドリー君は、バンバン敵を撃ち殺していました。

 

 同時に、怒鳴りながら新米兵士の尻を蹴っ飛ばし吠えています。

 

 いつの間にか、ロドリー君も先輩兵士の風格です。……口が悪いロドリー君は、怖い先輩なんでしょうね。

 

 

「……あ」

 

 

 そんな懐かしくも恐ろしい一瞬。

 

 自分は、ふと何かに惹かれるように顔を上げました。

 

 見逃してはいけない何かが居た、そんな気がしたのです。

 

 

「あ、おチビ! 顔を上げすぎだ、もっと屈んで───」

「見つけました」

 

 自分は反射的に立ち上がり、ザーフクァさん達に教わった通りに真っすぐ銃を構えました。

 

 ロドリー君の焦った声が聞こえてきましたが、心を落ち着けて集中します。

 

 

「……目視、照準、エイムOK」

 

 

 自分は半ば無意識に、その「目標」に狙いを定めました。

 

 敵が射線上に居てくれるのは、大体ほんの一瞬だけ。

 

 その瞬間を抜け目なく射貫くことが、遠距離戦の極意です。

 

 

「きっとアレが、敵の頭脳(インゲームリーダー)

「お、おいトウリ、何をしてる!?」

 

 

 無数の銃弾が、こちらに飛んできました。早く射撃を終えて盾を展開しないと、こちらも被弾します。

 

 ヘッドショットを決められたらお陀仏。時間をかけると撃ち殺されてしまうでしょう。

 

 ザーフクァさんに教わった技術(テク)を思い出して。銃弾を撃つと同時に【盾】を展開し、後隙を減らす。

 

 これがあるので【盾】スキル持ちの自分は、遠距離の撃ち合いでは有利なんです。

 

 だから、自分が撃たないとダメなんです。

 

 

「ええ、外しませんとも」

「……おい、おチビ?」

「これを外しているようでは、世界なんて取れませんので」

 

 

 

 自分はエイムを固めたその先に。

 

 顔を真っ青にして鉄帽を被っている、華美な軍服を着た少女将校の眉間を捉えていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パシュン、と乾いた音と共に。

 

 シルフ・ノーヴァは眉間に大きな衝撃を受け、大きくのけぞって倒れ伏しました。

 

『げっ! おい、参謀殿!?』

『あっ』

 

 眉間を撃ち抜かれた参謀シルフは、その場で泡を吹いて失神してしまいます。

 

 頭を撃ち抜かれた瞬間を見た周囲のサバト兵は、皆シルフの殉職を確信したそうです。

 

『畜生、指揮権は俺が引き継ぐ。各員戦線を維持しろ!』

『大変です、たった今、敵オースティン部隊が我々の背後に向かって進軍を開始したそうです』

『なんだと!?』

 

 シルフは死んだものとして、すぐさまシルフから指揮権を受け継いだ(元来、彼の部隊なので返してもらったともいう)兵士はそんな報告を聞き、頭を抱えました。

 

『くそ、前の敵だけは絶対に仕留めるぞ! この嬢ちゃんの死を無駄にするな!』

『……あれ?』

 

 このサバト前線指揮官は不満を抱えど、何だかんだでシルフという幼い参謀を評価していました。

 

 なのでせめて、彼女の遺した最期の作戦を完遂してみせると、胸に誓ったそうです。

 

『サバトに殉じた少女の、弔い合戦だぁー!!』

『うおおおおっ!』

『あー』

 

 と、サバト司令部は一瞬盛り上がったのですが、

 

『あの、シルフ参謀は生きてるっぽいです』

『……きゅー』

『へ?』

 

 

 その数秒後、彼女の眉間を射抜いたのが何故か訓練弾だった事実を知り、

 

 

『近くにゴム弾が落ちています……』

『えぇ……?』

 

 北橋戦力の司令部は、困惑した空気に包まれたそうです。

 



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76話

 

 

「アレンさん、この先を偵察お願いします。今なら突破出来るかもしれません」

「よっしゃ、任せろ」

 

 我々の決死のヒットアンドアウェイ作戦は、上手く嵌ってくれた様でした。

 

 自分達を包囲していたサバト兵は反転し、サバト司令部へ撤退してくれました。

 

「ヴェルディ中尉、通信はまだ回復しませんか」

「まだの様です」

 

 その隙を突いて1時間ほど、我々は死に物狂いで走りました。

 

 自らの命を守るため、そしてオースティンの未来を繋ぐため。

 

 幸いにも、その間の敵の追手は止まっていました。

 

 シルフが意識を失ってしまった事で、一時的にサバトの指揮系統が麻痺してくれた様です。

 

「結構、味方が疲労しているのう。情けない」

「援軍と合流さえできれば、後はどうとでもなるのですが……」

 

 しかし敵の包囲を突破は出来ましたが、流石に衛生兵は疲労困憊といった様相でした。

 

 一時間も走ったというのに、この時の我々はパッシェンまでまだ10㎞近い距離がありました。

 

 ドールマン氏は流石というべきか、まだ汗をかいていないのですが……。

 

「エルマ看護長、僕が少し荷物を持つ。小袋を渡してくれ」

「……結構よ、貴方の力なんか借りないわ」

「今は意地を張ってる場合じゃないだろ」

 

 フットボール選手のケイルさんですら疲れた顔を見せ始め、女性看護兵達は顔を真っ青にして倒れそうです。

 

 大荷物を抱えた状態での、全力疾走1時間は流石に厳しかったようです。

 

 首都ウィンで受けた歩兵訓練ですら、ここまで過酷なプログラムはありませんでした。

 

「おいヴェルディさん、サバトの連中がもう一回俺達を囲みに来てるっぽいぜ」

「もう立ち直ってしまいましたか」

 

 そして、サバト側はいつまでもボンヤリとしてくれません。

 

 しばらくすると立ち直り、改めて我々への追撃を再開したのです。

 

「やはり荷物なんか捨て置かんか。このままじゃ、本当に全滅しますぞ中尉殿」

「……っ」

 

 我々が自力でサバトの追撃を振り切るのは、やはり不可能でした。

 

 進軍速度の差が大きすぎます。

 

 となれば司令部と連絡を取り、援軍を要請するしかないのですが。

 

「まだ、通信は回復しませんか」

「……まだですね」

 

 ヴェルディさんの通信機器はうんともすんとも言いません。

 

 この時代の通信距離は2~3㎞が限界でした。

 

 パッシェンまでの距離を考えると、すぐ通信がつながるとは考えにくい状況でした。

 

「あと少し、もう少し進めば通信が出来るかもしれません。もうひと踏ん張りしましょう」

 

 しかしヴェルディさんは、このまま前進を指示しました。

 

 パッシェンにたどり着くまでの何処かに、味方の通信拠点は設置されていると考えたのです。

 

「後方から再び、サバト軍が進軍中。1時間以内に、我々の包囲が完成すると思われます」

「こちらヴェルディ、報告了解です。各員、死にたくなければ走ってください」

 

 我々の進軍路はバレバレです。

 

 物資運搬のため荷車を用いているので、整備された道を進むしかなかったからです。

 

 道沿いに進んでいる我々を再捕捉するなど、容易だったでしょう。

 

 だからこそ、通信封鎖も行わなかったのですが。

 

「ああ、上官命令を了解。……クソッタレ」

 

 半ば意固地になってるんじゃないか、というヴェルディさんの命令を受け毒吐きながら。

 

 我々は、体力をすり減らしてマラソンを続けるのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 実はこの時、近くまで味方の援軍は近づいてきてくれていました。

 

 ベルン大尉が、我々の撤退補助の為に司令部付近の兵を動かしてくれていたのです。

 

 

 しかし彼らは、自分達の詳細な位置を特定できていませんでした。

 

 捜索部隊は『我々がこの辺にいるだろう』という予測を元に捜索してくださってました。

 

 しかし当初の撤退予想位置にサバト軍が展開していた為、「味方は敵に捕捉され、全滅したと思われる」という内容の通信がベルンに届けられました。

 

 一応ベルンはその通信に「諦めず、もっと広範囲を捜索せよ」と返信した後、大きなため息を吐いたそうです。

 

 

 そして「もっと広範囲を捜索せよ」と命じられた指揮官が次に捜索を行ったのは、パッシェン付近でした。

 

 何かの間違いで我々が囲みを突破したなら、ここしかないと当たりをつけて探しに来てくれたのです。

 

 

 

 

 

 そんな訳で「もうあと少し頑張ればなんとかなる」というヴェルディさんの判断は、決して間違ったものではありませんでした。

 

 後もう少し、数十分ほど走れば味方と連絡がつく位置まで我々は到達していたのです。

 

 問題はそこまで部隊の士気を保てるかどうかがカギでした。

 

「ええ、ヴェルディ中尉。自分も、あと少し進めば何とかなる気がしています」

「そうですとも、頑張りましょうトウリ衛生兵長」

「ここを乗り切れば、平和な日常が待っているんです。もうひと踏ん張りです」

 

 自分は敢えて大きな声で、ヴェルディさんとそんな会話をしました。

 

 何の根拠もない、わざとらしい味方への鼓舞でしたが。

 

 そんな自分の言葉は、水輪のように兵士たちの間に広がっていきました。

 

「そっか。この苦行を乗り越えれば、故郷に帰れるんだ」

「もう戦争なんかやらずに済む。退役金をがっぽり貰って、一生、平和なところでのんびり暮らすんだ」

「ウィンに帰ったら、オヤジにたっぷり武勇伝を聞かせてやる」

 

 彼らはまだ知りません。フラメールが侵攻し、戦争が長引いてしまった事を。

 

「この間ウィンで、報奨金使って豪遊している兵隊さんを見てうらやましかったんだ。俺も一生に一度でいいから、あんな豪遊してみてぇ」

「俺は孝行に金を使うんだ。いつも腰が痛ぇって嘆いてるお袋に、木造の揺り椅子買ってやるんだ」

「ならウチの実家の家具店に来るといい。腕のいい職人さんに、オーダーメイドで作らせてやる」

 

 ここで死に物狂いで走っている彼らは、この戦いの先に平和なオースティンがあると信じているのです。

 

「おいおチビ、数㎞先に分かれ道があるぞ。どっちに進めばいい」

「えっと、西に進めばタール川沿いに出ます。南の方の分かれ道が、パッシェンに続いてます」

「なら、南に進めばいいんだな」

 

 

 もうちょっと頑張れば平和が待っている。

 

 これが最後の戦いだ。

 

 兵士たちはその言葉を拠り所に、限界を超えてなお走り続けました。

 

「まずいぞ、サバト兵が追い付いてきているぞ」

「……向こうさん、既にこの辺の地形を把握してるっぽいな。あまりに侵攻が早い」

 

 しかし、サバト軍はシルフの最後の指示────我々の逃走先の地形を偵察しておけ、という指示のせいで進軍が迅速でした。

 

 恐らく、この先の分かれ道についても把握されていると予想出来ました。

 

「どうする、もう一回ヒットアンドアウェイをやるか?」

「……いえ、二回目は流石に無効でしょう」

 

 敵が我々の行く手を阻むように、高速で布陣していく状況。

 

 しかし自分は何の根拠もなく、此処を乗り切ればゴールだと感じていました。

 

 

 今、我々を包囲しようと先回りしている部隊さえ躱せば────生き残れる。

 

 

「……そうですね、こういう状況ならば」

 

 さて、先回りしてくる敵は「あのゲーム」でもしばしば居ました。

 

 FPSは動きながら戦うより、遮蔽物を使い待って戦う方が強いです。

 

 なので敵を見つけた際に、進む先を予測して待ち伏せするプレイヤーもたまに見受けられました。

 

 

 ただし、まぁ敵がそんな作戦を取ってくると知っていれば対策は容易です。

 

 

「……何かまた、とんでもない作戦でもやるんですかトウリちゃん」

「ええ。一つ、提案、が────」

 

 

 ゲームでは、対策が、容易、でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────あ、待ち伏せっぽいですね。敵さん

 

 ────お、よく気付いたな。流石は世界覇者

 

 

 ええ、待ち伏せしてくる敵の対策なんて、簡単なんです。

 

 敵は自分達が、こっちに来るに違いないと息巻いてくれている訳で。

 

 

 ────じゃ、俺が回り込むんで。

 

 ────俺も付いていきますわ。

 

 ────あー、じゃあ。

 

 

 人は敵を騙していると思い込んでいるとき程、簡単に騙されます。

 

 この場合、まんまと罠にかかったふりをして、裏を取るのが常套手段。

 

 つまりは────

 

 

 

 ────囮、任せました!

 

 ────うーわ、了解です。ちゃんと蘇生してくださいよ? 

 

 ────分かってるって!

 

 

 

 

 チームが負けなければ、死んだ味方は生き返ります。

 

 そのゲーム性を利用した、囮による陽動が非常に効果的なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「作戦、は────」

 

 ……囮、ですか?

 

 囮って、この状況で、誰を?

 

「……トウリちゃん?」

 

 自分の直感が告げていました。

 

 その作戦はきっとうまくいく、と。

 

 

 ────少数の囮を『西』へ進ませて、自分達の逃走先をタール川沿いと誤解させる。

 

 ────敵は、我々をタール川へ進ませぬよう西に大きく展開する。

 

 ────その隙をついて、本隊は南方面……パッシェンに進路を取る。

 

 

「あ、あ、あ……」

 

 

 その後、囮部隊の西への進軍が罠だったと敵は気づきます。

 

 すぐさま、パッシェンに向かっている本隊を追いかけるに決まっています。

 

 そこで、味方に被害が出ないよう足止めをする必要があります。

 

 

 ────つまり囮部隊が、本隊を追いかけようと突撃してくるのを、迎撃する必要があるのです。

 

 

「作戦は、流石にもう出てきませんか」

「あり、ます」

 

 ……それを、言えというのですか。

 

 自分がこの場で「決死の囮を使えば無事に脱出できる」と、進言しなければならないのですか。

 

 

「あるん、です……」

 

 

 ゲームではないこの世界で。

 

 人が死んだら、二度と生き返らない現実で。

 

 囮による陽動を実行しろと、提案しないといけないのですか。

 

 

「……またおチビが泣き出したよ。今度は何だ、オイ」

 

 

 突然に誰かが、自分の尻を蹴飛ばしました。

 

 振り返った場所に居たのは、やはりロドリー君でした。

 

「ヴェルディさん、コイツ最近情緒不安定でさ。突然こうやって泣き出すんです」

「……女性の尻を蹴飛ばすのはどうかと思いますよ、ロドリー上等歩兵」

「おチビなんてこんな扱いで良いんですよ。その胸じゃ女扱いできませんって」

 

 ロドリー君は呆れ顔で、自分を見ていました。

 

 その顔を見て、ほんの少しだけ、心が落ち着きました。

 

「……囮、なんです」

「あ?」

「きっと、何名かの囮を使えば、本隊は無事に脱出できると思われます」

 

 少し平静を取り戻せたその隙に、自分はポツリポツリと作戦の概要を話しました。

 

「小隊規模を西方面に先行させ、偵察するふりをさせます。そうやって、我々の進路を西と誤解させるんです」

「……」

「そうすれば、敵は包囲先をタール川方面にするでしょう。その隙に本隊を南に逃がし────」

 

 

 自分が行うのは、作戦の提案のみ。

 

 その実行を決めるのは、ヴェルディ中尉です。

 

 

「囮部隊はそのまま、本隊に突撃してくるだろう敵部隊を迎撃します。彼らが時間を稼いでくれさえすれば、本隊が脱出できる余裕は十分にあります」

「……その作戦ですと、囮の方は」

「全滅するでしょう」

 

 

 ですが、きっと。

 

 元々、全滅覚悟でサバト兵を迎撃する予定だったヴェルディ中尉は────

 

「……他に妙案が無ければ採用します。今日のトウリ衛生兵長の案は全て当たっている」

「ありがとう、ございます」

 

 少数の犠牲くらいなら、きっと容認してしまうでしょう。

 

 

「さて、じゃあ俺がその貧乏クジに立候補していいですか」

「ロドリー上等歩兵?」

 

 

 そんな予感は、していました。

 

 自分がもし、この作戦を提案してしまったら。

 

「まぁ、ちょっとでも罪悪感は軽い方が良いだろ」

「ロドリー、君」

「おう、俺が逝ってやるよ。いや、俺が逝きたい」

 

 彼は絶対に、名乗り出てしまうだろうと。

 

 

 

「……ロドリー君。貴方は祖父のように、大往生したいと言っていませんでしたか」

「戦争が終わってたらな。戦争中なら話は別だ」

 

 彼の性質は、どこまでも仲間思いで。

 

「この土壇場で、咄嗟に腹くくれる兵士も多くねェ。そこそこ敵もぶっ殺して時間稼ぐ自信はある、俺が適任だ」

「……」

「むしろ俺ァ、戦友を犠牲にして────一人ひぃこら逃げ出す方が、よっぽど苦痛だね」

 

 戦友の事を誰より大事に思っている、とても優しい男の子です。

 

「んー、ロドリーだけに格好いい思いさせるのも癪だな」

「アレンさん……」

「小隊長として、俺も一肌脱ぐか。うん、どうせ生き残っても苦労が多いだろうしな」

 

 ロドリー君が名乗り出たのを見て、少し躊躇った顔を見せた後。

 

 アレンさんも、自分の提案した囮作戦の部隊に志願してしまいました。

 

「お二人とも、本当にいいんですか?」

「応ともさ、ヴェルディ中尉殿。時間もねぇし、さっさと決めないといかんからな」

「あと数名……できれば1小隊分は欲しいな。他にも志願者は居ねェか」

 

 ヴェルディさん自身も、仲良くしていた二人を囮に送り出すのは辛そうでした。

 

 しかし、

 

「おチビ、変な勘違いすんなよ。俺ぁ、勝手に名乗り出たんだ」

「ロドリー、君……」

「お前が作戦を提案したから死ぬんじゃねぇぞ。俺が、英雄願望こじらせて暴走しただけだからな。よーく覚えとけ」

 

 自分はそんな二人に、胸が詰まって何も言葉をかけられませんでした。

 

 お二人があまりにも、晴れ晴れとした顔で志願したものですから。

 

「……俺は孤児なんで。アレン小隊長、ロドリー分隊長、ご一緒させてもらいます」

「ああレータ、お前も来るか」

「他にも、この糞みたいな貧乏くじが欲しい奴は居ないか~」

 

 

 

 

 ズシリ、と臓腑が重くなった気がしました。

 

 鉛を丸ごと呑み込んだ様な吐き気が、クラクラと自分を蝕みます。

 

「ようし、後2~3名ってところかァ。結構すぐ集まったなぁ」

「意外と人気あるのな、この貧乏くじ」

「今ならあん時のガーバック小隊長の気持ちが少しわかる気がするぜ。あー、思ったより晴れ晴れとした気分だ」

 

 そんな自分とは対照的に、ロドリー君は良い顔で笑っていました。

 

 彼は死ぬことを決めたのです、だからこんなに暢気に笑えるのです。

 

 何と無責任な。生き残ってしまう自分の気持ちなんて、理解してくれないでしょう。

 

 

 生き残って、しまう……。

 

 

 

 

 

「嫌、です」

 

 ああ、成程。

 

 こういう気持ち、なんですね。

 

「ヴェルディ中尉、すみません」

「どうしました、トウリちゃん」

「ここからは道なりに進めば、パッシェンに到達できます。道順に不明があれば、ケイル1等衛生兵などがお答えできるでしょう」

「……トウリ、ちゃん?」

 

 死んでしまう戦友を、置いていくのが怖い。

 

 ロドリー君やアレンさんが、自分を生かすために犠牲になるのが堪え切れない。

 

 

「自分も、囮に志願したく思います」

「……」

 

 

 ならば、彼らと共に────最期まで戦えばいい。

 

 そう決めた瞬間、自分の心がとても軽やかになりました。

 

「あ? おいおチビ、お前が来て何になる」

「衛生兵も付いていけば、ますます撤退先が偽装とは気づかれにくいでしょう? それに、訓練弾とはいえ銃も持っています」

「……あのなぁ」

 

 ヴェルディさんが、息を呑んで自分を凝視しました。

 

 自分の全身が、警告音(アラート)を鳴らしているのが分かります。

 

 その選択の先に、自分の命はありません。

 

「戦友は家族なんですよね、ロドリー君」

「……」

「だったら。死ぬその瞬間まで、一緒に居ませんか」

 

 

 だというのに。

 

 自分の心は透き通る晴天のようで。

 

「はぁ、馬鹿なヤツ……」

「それはロドリ-君も一緒でしょう」

「違いねぇ」

 

 自分は久々に、それはもう従軍して以来かもしれない────心の奥底からの笑みを浮かべることが出来たのでした。



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77話

 

 この戦争の行く末は地獄だと、理解したのはいつだったでしょうか。

 

「何だか、トウリが小隊に居るのは懐かしいな」

「自分もです、アレンさん」

 

 自分たちの進むその先に、命はありません。

 

 生還困難な作戦を命じられ死んでしまう事も、兵士という職業の役割です。

 

「こうしてみるとおチビも、昔より筋肉ついてんな」

「怖い小隊長殿に、訓練されましたからね」

 

 いつだったか。グレー先輩は、こんなことを言っていました。

 

 戦争が終わるまで生き延びることなんてできない。俺たちの死は絶対だ。

 

 だから、死というものは─────兵士にとって地獄からの解放される権利、すなわち救いだと。

 

「後悔してブルってる奴は居ねぇな?」

「当然だろアレンさん」

「なら良い。……役目を果たすぞ、死にたがり共」

 

 自分はまだグレー先輩ほど経験を積んでいませんが。

 

 今なら少しだけ、彼の気持ちが分かってしまった気がしました。

 

 

 

 

 

 この決死の囮部隊に志願した兵士は、11名でした。

 

 アレンさんのようなベテランから、入隊したばかりの新米まで、様々な年齢層の人が居ました。

 

「これより西の分岐路、タール川方面へ先行する」

「了解」

「この先行が陽動だと勘付かれたら台無しだ。敵の偵察兵が優秀だと信じて、身を隠し進軍するぞ」

 

 先行部隊は、身を隠して行動するのが普通です。

 

 堂々と隠れず進軍すれば、陽動だとバレてしまうでしょう。

 

「トウリ、お前も偵察に加われ。出来るだろう?」

「はい、アレンさん」

 

 だから敵に捕捉してもらえると信じつつ、自分達は森林地帯に潜って草むらに身を隠しながら進んでいきました。

 

「あ、敵を発見。こちらには気づいていないようです」

「敵の規模は?」

「複数の小隊です、西タール側方面に移動中」

「動きが早いな。もう、西に移動し始めたのか」

 

 アレン小隊が西に進路を取った直後、敵はタール川方面に手を伸ばしました。

 

 自分達は出発した瞬間から、サバトの偵察兵に見張られていた可能性があります。

 

「周囲を警戒し、敵兵を索敵しろ」

「……北方面、見当たらねぇなァ」

「あ、南方面5時の方角に1人居ますね。撃ちますか」

「ああ、ただし当てるなよ。俺達の位置情報を報告してもらわないとならん」

「了解」

 

 許可を頂いたので、自分はすぐさま訓練弾を発砲しました。

 

 自分の銃弾が敵近くの樹を揺らすと、偵察兵は身を隠しどこかに消えました。

 

「外しました」

「よろしい、今のうちに場所を変えるぞ」

 

 ……なんだか、銃を持ってアレンさんの指揮に従うのは新鮮ですね。

 

 今まではずっと、穴蔵の中で震えていろとしか言われなかったので。

 

「敵に捕捉して貰えたなら、これからは詳細な所在が割れない状況にしとかねぇと。この後、すげぇ数の敵を相手に大立ち回りするんだからな」

「了解」

 

 自分はアレンさんのその言葉に、静かに頷いて周囲の警戒を続けました。

 

 この11名全員の命を代価とした作戦なのです、絶対に成功させねばなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 囮小隊の人数11名に対し、正面に相対する敵の数はおおよそ5000人規模だったといいます。

 

 この時もまだシルフ・ノーヴァは失神中であり、指揮系統は回復していませんでした。

 

 

 シルフの代わりに指揮を執ったのは、比較的常識的な北橋の指揮官でした。

 

 彼は我々が極少数だと気付いたので、追撃部隊を大きく減らし、後方から来るオースティン軍に対し防衛線を構築する指示を出したのです。

 

 

 もしシルフに意識が有ったら「時間との勝負なんだから背後なんて気にせず全軍で突っ込め」と激怒したでしょうが……。

 

 北橋指揮官に、その判断をする度胸がありませんでした。

 

 後ろから敵が迫っている状況で、その敵を無視して突っ込むなんて戦略はどの教科書にも書いていません。

 

 そもそもこの奇襲作戦自体が教科書に載っていない奇策なので、考案者のシルフ以外が本作戦を指揮するのは難しかったのでしょう。

 

 

 

 

『敵がタール川を目指している』

『ああ、オースティン主力と合流する気だ』

 

 その5000人のサバト兵も我々囮部隊に釣られ、タール川方向へ展開を始めました。

 

 タール川方面には我々のオースティン軍の本陣と言える南軍司令部があります。

 

 元々ヴェルディさんが指示した撤退先は、この南軍司令部。なので、敵からしても不自然な進路には見えなかったのでしょう。

 

 

 

「……お?」

『─────が、─────』

「つ、繋がった! 繋がりました!」

 

 

 囮部隊と別れてから、数十分。

 

 本隊が南方面に進路を取ったあたりで、ついにヴェルディ中尉は味方と通信に成功しました。

 

「こちらヴェルディ中隊、パッシェン方面に撤退中! 保護を求む」

『─────詳細、了解し─────、繰り返─────パッシェ……』

 

 敵の妨害もあり、通信は途切れ途切れでしたが。

 

 ヴェルディ中尉以下、衛生部や輜重兵の面々は感涙して喜びました。

 

「我々の位置は───、迅速な応援を求めます!」

『要請───を受───諾した』

 

 通信に成功した後。

 

 オースティン南軍は10分後、ヴェルディ中隊の保護に成功しました。

 

 この時、南軍の指揮官は、ヴェルディ中隊の低すぎる損耗率と運んできた物資の量に仰天しました。

 

 何せヴェルディ中隊は、倉庫にあった軍事物資の大半を持ち出すことに成功していたのですから。

 

「ただ撤退しただけでなく、物資まで運んでこられたのですか!?」

「ええ。これからの我々に、必要なものですので」

 

 この時、ヴェルディ中尉は自身の成果を一切誇ることはなく。

 

 ただ泣き腫らした目で、

 

「戦友の命より重い鉄屑です。どうか、丁重に扱ってください」

 

 援軍の指揮官に、そう告げたそうです。

 

 

 

 この報告はすぐさま司令部に届けられました。

 

 ヴェルディ中尉の報告によりサバト軍の位置や進路が詳細に報告され、いよいよオースティンの逆襲が始まります。

 

 こうしてシルフ・ノーヴァが死ぬ覚悟で作り上げた『オースティンの資源を焼き払う奇跡の時間』は、終わりを告げました。

 

 最早サバト軍には、前も後ろもオースティン軍に囲まれた絶体絶命の状況が残されたのみです。

 

 シルフ・ノーヴァ……北橋勢力の頭脳が再び目を覚ましたのは、全てが終わった後でした。

 

 

 

 

 一方、オースティン司令部では。

 

「ヴェルディが! またヴェルディがやってくれた!」

 

 本日の作戦で娘を失い、意気消沈していたレンヴェル少佐は……その報告に大きく吠えたそうです。

 

「ただの優等生かと思っていたが、あやつは本物だ! 俺の後を継ぐ逸材は、アリアの他にも育っていた!」

「落ち着いてくださいレンヴェル少佐」

「これが落ち着いていられるか! 俺が自ら出向く、早くアヤツを迎えに行かせい!」

 

 自ら甥として目をかけてきた若者の戦果、それも祖国オースティンの命運をも救ったものとあれば興奮を抑えきれないのも無理はなかったでしょう。

 

 ヴェルディ中尉は、この2回の撤退戦の成果をもって『若手で最も優秀な前線指揮官』としてオースティン軍内の評価を確固たるものにしました。

 

 若き天才参謀将校ベルン、奇跡の撤退指揮官ヴェルディ、この二人はオースティンの未来を担う逸材として異例の速度で取り立てられていきます。

 

 この頃まだ10代だったという二人は、オースティンの未来を担う傑物として国中にその名前を轟かせることになります。

 

 

 

 

「……嬉しい誤算、というより気持ち悪い誤算だ」

 

 そんなレンヴェル少佐とは対極に。

 

 もう一人の天才ベルン・ヴァロウは、ヴェルディさんの成果を聞いて、喜ぶと同時に頬を引き攣らせたそうです。

 

「少なくとも俺じゃ、その撤退作戦を成功させる自信がない」

 

 彼は内心「ヴェルディ中隊は壊滅確定、一部の衛生兵だけでも逃げ延びてくれればラッキー」と思っていたそうです。

 

 意外にも彼はシルフの奇行を読めず、自らの指揮で大きな被害を出してしまった事を恥じ、結構落ち込んでいました。

 

 そんな折、ヴェルディさんがほぼ無傷で物資まで抱えて撤退してきたと聞いて、最初は報告内容を理解出来なかったのだとか。

 

「どうだ南軍の英雄。俺の甥もやるもんだろう!」

「いや、やり過ぎでしょ」

 

 レンヴェル少佐の自慢げな声に、流石の彼も生返事を返すばかりでした。

 

 ベルンは「奇跡を何回連続で起こせばそうなるんだ」と困惑し、実際に大荷物を抱えて戻ってきたヴェルディ中隊を見て、

 

「……彼がサバト軍にいなくて、本当に良かった」

 

 ヴェルディという青年に、彼なりの最大限の賛辞を贈ったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アレンさん、それは何ですか?」

「楽しい玩具(ホビー)だ」

 

 ────ヴェルディさんが通信に成功した、ほぼ同時刻。

 

 自分達はまんまと敵を引き付ける事に成功し、扇形に展開したサバト兵にぐるりと周囲を囲まれていました。

 

「使い方は簡単。導火線に火をつけて、その辺に放り捨てておくだけ」

「随分安っぽい玩具ですね」

「ウィンで纏め売りされてたヤツだからな。……こんなふざけたモンを軍が仕入れてるとは思わなんだ」

 

 我々に先回りする形でタール川方向に布陣した彼らは、そろそろ自分達が囮だと気づき始める筈でした。

 

 ヴェルディさんが南方面に進路を取った瞬間、きっと彼らは騙されたことを知り突撃してくるでしょう。

 

「さーて、広く布陣するぞ。こっちの手勢がたった11人だと悟られるな、伏兵を隠してますよーって顔をして堂々と応戦するんだ」

「はい、アレン小隊長」

「その為に玩具をいっぱい持っていけ。ほらトウリ、お前も」

「いただきます」

 

 その予想される敵の突撃に対処する手段として、自分達はオースティン軍の秘密兵器とも言える玩具を使わせていただくことにしました。

 

 その玩具とは、

 

「銃声花火、ねぇ」

「都会にはこんな玩具があるのですね」

「街中でやると怒られるけどな」

 

 銃声花火……と呼ばれる、銃を発射する音が鳴る玩具です。

 

 これは最初は娯楽用品(パーティグッズ)として作られ、首都の参謀本部によって軍事転用された、オースティンの誇る3大ネタ兵器の一つです。

 

 銃声を鳴らすことで敵の注意を惹くという目的で改造され、導火線を長くして設置後に時間をおいて銃声を鳴らす形になりました。

 

 その花火の音は実際の銃声より高く間抜けなので、知っている人が聞けば一発でバレる代物です。

 

 首都参謀本部は自信満々に前線までこの玩具を持ってきたのですが、あまりにもネタ過ぎ実際に使用された経験はほとんどなく。

 

 西部戦線の一部で使用された記録があったそうですが、その有効性には議論が残されたままでした。

 

 因みにその記録によると、塹壕内で使用したら花火が予備弾薬に飛んで暴発するという悲劇が相次いだそうです。

 

 

 そんな本戦争屈指のネタ兵器である銃声花火ですが、この兵器の唯一のメリットは安さです。

 

 16発の銃声を鳴らす値段で、パンがやっと一つ買えるそうです。

 

 なので、この兵器は前線兵士から『宴会芸の余興に用いる』目的で需要がありました。

 

 要はこの花火、西部戦線では兵器というより娯楽品のような扱いだったそうです。

 

 

 

「なぁ、今こそこの花火の使いどころでは」

 

 

 

 ですが、この状況ですと結構有用な使い方が出来ます。

 

 この兵器の真の力は、少数の兵を大軍に見せる幻惑性能にあります。

 

 銃声を鳴らすだけなので、塹壕戦などではネタ兵器にしかなりえませんでしたが、

 

「ある程度撒き終わったぜ、アレンさん」

「よーし、じゃあ各自散開せよ! 玩具と一緒に、最後の華を挙げてやろう!」

 

 決死の囮部隊が時間稼ぎをする目的なら、かつてないほど有効に活用できるでしょう。

 

 そこら中で似たような銃声が轟いている状態で、果たして敵は無警戒に突っ込んでこれるでしょうか。

 

 こんなネタ兵器を持ち出すよう指示したヴェルディさんの判断には、舌を巻きます。

 

 

 

 

 

 

 これがアレン小隊の、最期の戦いでした。

 

 この日、西部戦線からずっと戦い抜いてきた我々アレン小隊は、終わりのない戦争のゴールテープを切ることを許されたのです。

 

 

「アレンさん。今までありがとうございました」

「おう。正直、トウリにはついてきて欲しくなかったが。……そういや孤児だったな、お前」

「こういった役目は、家族が居ない兵士の役目ですから」

 

 アレンさんは別れ際、自分の髪を大きな手で撫でました。

 

 彼とは父娘くらいの年齢差があるので、こうした扱いも嫌な気分にはなりませんでした。

 

「もったいねぇなぁ。トウリがもうちょい成長すれば、きっと美人になったろうに」

「アレンさんもそう思いますか」

「ああ、思う。3年後くらいに会ったら、口説き始めたかもしれんな」

 

 アレンさんは、そこまで言った後。

 

 自分の耳にこっそり、

 

「だが、もう時間はねぇ。言うべきことがあるなら言っとけよ、トウリ」

「……何のことですか」

「死ぬ直前に意地張っても、悔いが残るだけだ。そら、行ってこい」

 

 そんな耳打ちをした後、アレンさんはニヤニヤとした顔で、自分をロドリー君の前に押し出しました。

 

 

 

 

 

「あっ……」

「おう、おチビ。アレンさんと別れは済んだか」

 

 ……まさかアレンさんまで、そのような勘違いをしているとは思っていませんでした。

 

 自分はそこまで、ロドリー君に気があるように見えるものなのでしょうか。

 

「ええ、済ませました」

「で? お前、俺に何か言っとく事あるの?」

「ありませんよ、全く」

 

 だよな、とロドリー君は苦笑いをしました。

 

 自分が彼に抱いている感情は、純粋な好意です。

 

 異性に対する愛情ではありません。

 

「それなら良いンだ」

「何が良いんですか」

「……もし、そういう事なら。俺が志願したせいでお前も付いてきてしまったのかと思ってなァ」

 

 彼はポリポリと、自分の頬を照れ臭そうに搔きました。

 

 どうやらロドリー君は、自分が彼に付いていくため志願したと思ったそうです。

 

「それは……」

「ま、俺もお前も英雄願望のバカだったと。それだけの話か」

「いえ、それはそうです。自分はロドリー君、アレンさんが志願したのでついてきたんですよ?」

「ってオイ!」

 

 まぁ、それはその通り。誤魔化すつもりはありません。

 

「孤児である自分にとって、もはや残された家族は戦友ロドリー君達だけです。家族が死地に向かったんですから、そりゃあついていきますよ」

「お、お前な」

 

 アリア大尉やヴェルディさん等も、とても大切な人ですが。

 

 自分の中でロドリー君やアレンさんの比重の方が、重かったのです。

 

 軍隊に入隊した時からずっと一緒だったので、交友の濃度が違いすぎました。

 

「自分はイヤですよ。ロドリー君を置いて、犠牲にして、生き残るなんて耐えられません」

「……」

「それに、その。……いえ、何でもありません」

「おい、何だよ」

 

 それに。

 

 もしここを生き残ったとしても、フラメールとの戦争が待っています。

 

 その何処かで戦死するくらいなら、ここでアレンさんやロドリー君と一緒に果てるのも悪くないでしょう。

 

「今、何か言い淀んだだろ」

「何でもないです」

 

 そんなロドリー君を絶望させるだけの情報を、ここで伝える必要はありません。

 

 口が滑りかけましたが、ここは沈黙が正解です。

 

「あのなぁ、この期に及んで隠し事なんぞ」

「……内緒です」

「はぁ……」

 

 自分が誤魔化すように目を逸らすと、ロドリー君は呆れた息を吐きました。

 

「おい、まだ別れも惜しいが……。そろそろサバト兵が詰めてきそうだ」

「はい、アレン軍曹殿」

 

 何とも言えぬ空気でロドリー君と見つめあっていたら、前方から銃声が響き始めました。

 

 いよいよ、最期の時が近づいてきたようです。

 

「ったく。じゃあなおチビ、また来世で会おうぜ」

「ええ、ロドリー君」

 

 

 我々11人はそれぞれ孤独に、森の草木に身を隠し、花火を撒きつつ敵を撃ちます。

 

 こうして時間を稼ぎ、背後のヴェルディさんの撤退を支援せねばなりません。

 

 

 ここでどれだけ時間を稼げるか。

 

 それが、オースティンの未来に大きく関わるのです。

 

 

「今度は平和で、文化的で。銃弾なんてゲームの中でしか存在しないような」

「……おチビ?」

「そんな国に生まれて、また出会いたいですね」

 

 

 そんな願いを呟いて。

 

 自分達アレン囮小隊は四方へと散り、押し寄せてくるサバト兵の迎撃を始めました。



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78話

 

 その光景を自分は、かつて西部戦線で見たことがありました。

 

 この世界の銃は、魔力による補助を受け発砲の際に光ります。

 

 それはきっと、多くの兵士が死ぬ間際に見た光景────

 

 銃弾の雨の中で輝く、オーロラの様に美しく冷たい星空です。

 

 

 

 我々11名は小銃と花火を手に別れて、木の陰や泥穴の中に隠れました。

 

 そして爪先から髪の毛まで葉や泥で迷彩し、息を殺して敵を待ちました。

 

 別れ際、ヴェルディさんに実弾を手渡されかけましたが、それは断りました。

 

 サバト兵の足止めが目的ですので、積極的に殺さなくても良いと思ったのです。

 

 実弾は節約し、1発でも多くフラメール戦線に持って行って貰うべきでしょう。

 

 

「……来ましたね」

 

 

 配置について間もなく、自分は複数小隊がこちらに歩いてきているのを見つけました。

 

 すかさず威嚇射撃を行いながら、花火に火を付けます。

 

 自分の銃弾が訓練弾だとバレるのはまずいので、敢えて近くの草木に当てるに留めました。

 

 

 

 

「……【盾】」

 

 

 

 敵も即座に、自分という脅威を認識して撃ち返してきました。

 

 自分は【盾】を使いつつ、こまめに位置を変えて敵を迎撃します。

 

 

 実はヴェルディさんから実弾を手渡された時、断った理由はもう一つあります。

 

 訓練弾には、殺傷性能はありません。

 

 殺傷性能が無いから、躊躇いなく引き金を引きます。

 

 少しの気の迷いが命取りになるこの状況で、自分は使用経験のほぼない実弾を使いたくなかったのです。

 

 

 

 1時間。

 

 自分たちは時間稼ぎすべき目標を、1時間と設定しました。

 

 そこまで時間を稼げれば味方との通信に成功するだろうという、あまり根拠のない目標設定です。

 

 しかしこういう終わりのない戦いでは、何かしら小目標を設定しておく方が兵士の士気は上がるのです。

 

 

 ……戦闘開始から、10分。

 

 自分の右方向から、銃弾花火の音がしなくなりました。

 

 そこに配置されていたのは、確かアレン小隊の新人兵士さんです。

 

 今から、右方向にも注意を払わねばなりません。

 

 確か、レータさんと言いましたか。……彼と言葉は交わしていませんでしたが、純朴そうな青年でした。

 

 

「……【盾】っ!」

 

 

 30分もすると、我々の陣地から鳴り響く銃声は半分以下に減っていました。

 

 しかしまだ、まばらに遠くで銃声花火の音が響いています。

 

 ロドリー君は、アレンさんは無事でしょうか。

 

 無事であることに何の意味もありませんけれど、生きていてくれればとても心強いです。

 

 

 

「……ぁっ!」

 

 

 

 ふと集中力が途切れた一瞬、自分は【盾】を出す事が出来ず被弾してしまいました。

 

 負傷部位は、右脚大腿ですね。右方向からの狙撃みたいです。

 

 自分はすぐさま転がって、右方向からの射線を切ります。

 

 そして銃声花火で誤魔化している間に、治療は終えることが出来ました。

 

 

「……ふぅ、ふぅ」

 

 

 油断してしまいました。今のは結構痛かったです。

 

 何が痛いって、残り魔力が半分ほどに減ってしまった事です。

 

 回復魔法は、【盾】と比べて魔力消費が多いです。

 

 まだまだ【盾】を使っていかなければならない以上、次に致命傷を負えば全快は厳しいでしょう。

 

 

 

 

「……あら」

 

 

 

 40分後。自分の手持ち花火が、とうとう無くなってしまいました。

 

 使用配分を間違えて、1時間持たずに使い切ってしまったみたいです。

 

 しかしこの頃になると、殆ど味方の陣地から銃弾の音がしなくなっていました。

 

 最初から、1時間分には足りなかったのでしょう。

 

 

「花火の終わりは、いつだって寂しいものですね」

『■■■ぁ!!!』

 

 

 銃声が鳴りやんだら、いよいよ敵の突撃部隊が突っ込んできました。

 

 少しづつ後退しながら必死に粘っていたのですが、いよいよ年貢の納め時みたいです。

 

 その場に留まると撃ち殺される気がしたので、自分は右方向にこそこそ移動しました。

 

 あわよくば早々に死んだ味方の銃声花火で、時間を稼ごうと考えたのです。

 

 

「っ! 【風砲】!」

 

 

 敵の突撃部隊が迫ってきて、ますます死の気配は濃くなってきました。

 

 そこら中に榴弾や銃撃が降り注いでいます。奴らは、本気で自分を殺しに来ているようです。

 

 殺されるまでに1秒でも時間を稼いでやると、自分は匍匐前進で移動を続けました。

 

 

「……アッ!?」

 

 

 いきなり背後で、大きな爆発が起きました。恐らく、投擲された手榴弾でしょう。

 

 自分の位置は、殆ど敵に特定されているようです。

 

 爆風範囲から外れてはいましたが、飛んできた木の枝で耳を大きく切ってしまいました。

 

 パクリと耳が裂けて、血液で耳穴が塞がれました。

 

 

 ……ですが、致命傷ではありません。

 

 血を拭き取れば、音は全然聞こえます。

 

 回復魔法は、まだ使わないでおきましょう。

 

 

「────ぐぁっ」

 

 

 爆風の位置から離れようと地面を這ったら、今度は右肩に大きな衝撃を受け木にぶつかりました。

 

 上腕骨が折れたらしく、ジーンと腕が麻痺し右腕の感覚がなくなってしまいます。

 

 見れば大きな動脈を損傷したようで、右肩から血が噴き出ていました。

 

 

「……くっ、【癒】!」

 

 

 これは、使わざるを得ません。

 

 腕が動かないと匍匐前進できないからです。

 

 この傷を放置すると、上腕神経が壊死して二度と腕を動かせなくなります。

 

 すぐに回復魔法で、治療するしかありませんでした。

 

 

 

「……ああ」

 

 

 

 軍靴の音が、迫ってきます。

 

 このままでは、敵に見つかって撃ち殺されてしまうでしょう。

 

 

「……自分は馬鹿です」

 

 

 腕を癒したのは、そんな敵に少しでも抵抗するため。

 

 せめて、訓練弾でもいいから敵に撃ち込むためです。

 

 だというのに、

 

 

「小銃、ひん曲がってるじゃないですか」

 

 

 先ほど自分が被弾したのは右肩でした。自分の命綱といえる、小銃を抱えていた場所です。

 

 そう。右肩を被弾した時に小銃にも被害があったようで、貸し出されたOST-3型小銃の銃身が折れ、使い物にならなくなっていました。

 

 

 

 

 そんな状況で腕を癒して、何になるというのでしょうか。

 

 丸腰の小娘が一人、戦場で何をなせるというのでしょうか。

 

 

「嗚呼。いよいよ」

 

 

 自分はコロコロと、何も考えず転がりました。

 

 転がって、少しでも敵から離れようと頑張りました。

 

 

「最期の、時ですね」

 

 

 ……被害にあった村々を見る限り、サバト兵は敵の死体を弄ぶ悪癖があります。

 

 自分の骸も、彼らの玩具として損壊されるのでしょうか。

 

 それは、少しばかり不愉快です。

 

 

「……わぷっ」

 

 

 何も考えずコロコロと転がっていたら、自分はストンと落とし穴に嵌りました。

 

 誰が、いやどんな動物が掘ったものやら知りませんが、最期の最期に何と間抜けな事でしょう。

 

 

「あー……」

 

 

 しかしその穴に嵌ってすぐ、自分は気づきました。

 

 その地面はまだ熱気を持っていて、臭い煙が上がっているのです。

 

 この穴は誰かが掘った穴ではありません。

 

 おそらく先ほど、背後で爆発した手榴弾で出来た爆発痕でしょう。

 

「……」

 

 

 

 

 

 

 一か八か、そのまま自分は土埃を纏って穴の中に寝転がりました。

 

 血の跡がべったりついた、右肩を上にして。

 

 こうすれば、手榴弾が直撃して爆死したように見えるかなぁと思ったのです。

 

 穴の中なので、ぱっと見で分かりにくい位置ですし。

 

 まぁ、見つかって殺されて元々です。自分達はもう十分、時間を稼げたと思います。

 

 

「■■■■……」

 

 

 すぐ近くで、サバト語が聞こえました。

 

 彼らは小隊を組んで、ゆっくり自分の近くに歩いてきました。

 

 

 

「■■■■!」

 

 

 やはり自分は、見逃してもらえませんでした。

 

 爆発痕の中でひん曲がった小銃を抱えて横たわっている自分は、敵のサバト兵に見つかってしまいました。

 

 

 

 殺すなら殺してください。

 

 弄ぶならどうぞご自由に。

 

 

 大好きな皆と果てるのであれば、死ぬのも怖くはありません。

 

 もとより、捨てた命です。

 

 

「■■っ!!」

 

 

 ズドン、と彼らは自分の腹に銃弾を撃ち込みました。

 

 自分は脱力したまま、その銃弾を受け入れて転がりました。

 

 鈍い腹の痛みで、吐きそうでした。

 

 

「■■■っー!」

「「■■」」

 

 

 その後サバト兵は自分の身体を弄ぶことなく、急いだ様子で前進しました。

 

 流石に遊びよりも、ヴェルディさん達の追撃を優先したようです。

 

 ……自分にできるのは此処までです。どうか無事に逃げ延びてください、ヴェルディさん。

 

 

 

 ……。

 

 まだ、ちょっとだけ、魔力に余りが、ありますね。

 

 

 

 

 

 

「────【癒】」

 

 

 

 

 

 

 自分は死んだふりをしてサバト兵をやり過ごした後、治癒しきっていない腹の傷を押さえながら移動を再開しました。

 

 大きな傷は何とか塞ぎましたが、自分の臓器は滅茶苦茶でしょう。

 

 ちゃんとした治療を行わないと、死にますね。

 

 

 そして、治療を行える場所まで撤退するのは無理です。

 

 周囲には凄まじい数のサバト兵の気配。

 

 這って動くのがやっとの自分が、逃げ切れるとは思えません。

 

 

「ロドリー君の、配置は、確か……」

 

 

 なので自分は、戦友(ロドリー)の下を目指しました。

 

 どうせ死ぬのなら、彼の傍で死にたかったのです。

 

 

 この辛い世界で、自分に残された大切な人。

 

 故郷も、親も、親族も、何もない自分にとっての縁。

 

 

 ……。

 

 

「死ぬ間際に近くにいた方が、来世で会える確率が上がりそうですから」

 

 

 出来ればあの日本で、彼と再会したいです。

 

 クラスメイトとか、近所の遊び友達とか、そんな関係で。

 

 ゲームで一緒にチームを組んで、楽しんで、ロドリー君と笑いあいたいです。

 

 そのためにも、あと一頑張り。

 

 

「……」

 

 

 数十メートルが遠いです。

 

 移動とは、こんなに時間がかかるものだったでしょうか。

 

 銃撃を受けた影響で、体がくらくらして頭が痛いです。

 

 

「……ロドリー君」

 

 

 それでも、それでも。自分は一人で死ぬのが嫌でした。

 

 あの口が悪く、心優しい少年の近くで、西部戦線の塹壕の時のように並んで眠りたかったのです。

 

 

「……っ!」

 

 

 死ぬ前に、一度でいいですから。グレー先輩も、サルサ君も、あの恐ろしい小隊長もいる西部戦線の塹壕で。

 

 お尻を押さえてシクシク泣いているサルサ君を笑いながら、アレンさんやヴェルディさんが見守る中、酒を飲んで頬を赤らめているガーバック小隊長の前で芸をして、

 

 冷たい土の上、夜はロドリー君の隣で眠りたかった。

 

 

 

 

 

 

「え?」

「……よう、おチビ」

 

 

 そんな願いをモチベーションに、必死で体を動かすこと100m。

 

 自分は、ありえない光景を目にしました。

 

 

「何だ、お前まだ動けてるじゃねーか。しぶといヤツ」

「……ロドリー君こそ」

 

 そんな事が起こるはずはないのです。

 

 あの敵兵が、ロドリー君を生かしておく理由なんてないのに、

 

「何で生きてるんですか?」

「へっへっへ。撃たれた後、そこの木の根に隠れてやり過ごしてやった」

 

 自分と同じように、こそこそ地面を這いつくばるロドリー君に再会したのでした。

 

 

 

 

「……すぐに手術をしないと」

 

 ロドリー君は重傷でした。顔は青く、腹部に青黒い皮下出血がありました。

 

 腹腔内で大量の出血が起きていることは明白です。

 

 今すぐ手術セットで治療しないと、助かりそうもありません。

 

「手術道具なんてあるのか?」

「……取りに、戻れば」

「じゃあ無理だろバーカ」

 

 ロドリー君は息をするのも苦しい筈なのに、ケラケラと自分を見て笑いました。

 

「かくいうお前も、大分顔色悪ィけど?」

「自分は一応大きな傷は塞いだので、もう少し持ちます」

「……致命傷っぽい傷が、肩と腹に見えるんだが?」

「まぁ、どっちも致命傷ですね」

「駄目じゃねーか」

 

 何が面白いのか、ロドリー君は自分を見て笑い続けました。

 

 それにつられて、自分も少しだけ微笑みました。

 

「あー。まさか死ぬ間際に見る顔が、お前とはな。おチビ」

「何が不満なんです」

「不満はねーよ。サバト兵に噛みついて死ぬ予定だったのに、当てが外れただけだ」

 

 彼の体力が、徐々に減ってきているのが分かります。

 

 ロドリー君の言う通り、彼はもう駄目でしょう。

 

 だからもう、焦って何かをする必要はありません。

 

「最期に、戦友と話が出来るなんて最高だ。これは夢かなんかじゃねーよな?」

「自分も、生きて動いているロドリー君を見て、一瞬夢かと思いましたね」

「だよな、どっちも悪運強いというか」

 

 ロドリー君は顔を青くしたまま、ゆっくりと顔を上げて木に腰かけました。

 

 自分も、彼に寄り添うように隣に座ります。

 

「流石は幸運運び(ラッキーキャリー)だなァ」

 

 そして四方八方で銃声が轟く中、二人並んで青空を見上げました。

 

「あ、そうだ。おチビ、出撃する前、何か言い淀んだ言葉を聞かせてくれよ」

「え」

「最期の最期に隠し事なんざすんなよ。それ、例の言えない軍事機密か何かか? 気になってたんだ」

 

 ロドリー君はふと、そんな事を聞いてきました。

 

 彼はフラメールが侵攻してきたという悲報を、よほど聞きたいようです。

 

 ……今際の際ですし、話しても良い様な気もしますけど。

 

「そうです、非常に重要な軍事機密です。誰にも話せません」

「えー、ケチケチすんなよ」

 

 あの件を聞いて、ロドリー君は何を思うでしょうか。

 

 少なくとも、楽しい気持ちにはならないでしょう。

 

 いえ、きっと。物凄く悲しむと思います。

 

「……ふぅ、仕方ないですね。聞いても後悔しませんか?」

「しねぇしねぇ、知らんけど」

 

 確かにフラメール侵攻を告げてしまえば、自分の心は楽になるかもしれません。

 

 ロドリー君に隠し事せず死ねる、と言うのは魅力的に感じます。

 

 ……だとしても。

 

「それは、ですね」

「何だよ、勿体ぶるな」

「自分が……ロドリー君の事が好きだった、と。それだけの話です」

 

 

 自分は、死の間際の人にそんな現実を叩きつけたくはありませんでした。

 

 

「は? それが軍事機密?」

「ええ、非常に高度で重要な軍事秘密です」

「……。なんだそりゃ」

 

 自分はロドリー君に、最期まで嘘を吐きました。

 

 フラメールの侵攻なんて事実は、ありません。

 

 あの時言い淀んだ内容は、自分が意地を張ってロドリー君に恋心を伝えなかっただけという、陳腐な話にしたのです。

 

「いきなり泣き出すから、もっと何かやべぇ話かと思ったが」

「何を言いますか。とんでもなく大事な話じゃないですか」

「……はぁ、拍子抜けだ」

 

 ロドリー君は、呆れた目で自分を見つめました。

 

 構いません、存分に呆れてください。そして、フラメール侵攻を勘づかないでください。

 

「自分の気持ちを知って、どうですか。ロドリー君」

「いや、その。悪いけど知ってた」

「あう」

 

 悪いけど知っていた、と来ましたか。

 

 残念ながらそれはロドリー君の勘違いなのですが、指摘しないでおきましょう。

 

 こういう勘違いは、すごく恥ずかしいですからね。

 

「まぁでも、そうなら死ぬ前に言っとけよ。黙ったまま死に別れたら、悔いが残ったろ」

「死ぬ直前にフラれるのもな、と思いました」

「……」

「振るでしょう? ロドリー君」

「いや」

 

 もう、どうせ掻く恥もありません。自分がロドリー君に懸想していたという馬鹿な話を、持ち帰る者はいないのです。

 

 だったら存分に、死にゆくロドリー君を良い気持ちにしてあげましょう。

 

「そういわれてたら、じゃあ結婚するかって話になったかな」

「……え」

「もう他の女捕まえる時間もねぇし。あの世でグレー先輩に自慢するためにも、嫁さん作っとくのは悪くねェ」

 

 

 ……。

 

 

「しょうがないですね、ロドリー君は」

「何がだよ」

 

 ロドリー君は随分と、失礼な人です。

 

 彼は他に捕まえる女が居ないから、自慢する為だけに結婚相手を自分で妥協してやるとそう言い放ったのです。

 

 普通の女性が聞いたら、頬を張り飛ばすモノの不愉快発言です。

 

「良いですよ」

「あ?」

「ロドリー君がそこまで言うなら仕方ありません。籍を入れて差し上げましょうか」

「……何で、俺から申し込んだみたいになってる」

 

 ですが、まぁ。

 

 今まで何度も命を助けてきてくれた人なので、帳消しにしてあげます。

 

「じゃあ結婚しましょう。はい、成立です」

「お、おお」

 

 自分はロドリー君の手を取って、そのまま見つめあいました。

 

 ほんのりと、彼の顔に赤みが差した気がします。

 

「さて、我々はこれで夫婦ですけど。何か感想はありますか、ロドリー君」

「えー、そんなあっさり……。何かこう、指輪を嵌めるとかねーの?」

「無いですね。指輪が」

「そりゃそうだ」

 

 ロドリー君は少し微妙な顔をして、ポリポリ頬を掻いています。

 

 ですが、まんざらでもないような顔をしていました。

 

「……ロドリー君、貴方のファミリーネームは何でしたっけ」

「ロウだ。ロドリー・ロウ」

「じゃあ、今日から自分もトウリ・ロウと名乗りましょう。死ぬまでの間」

「あとちょっとだな」

 

 そろそろロドリー君の顔が土気色になってきたので、自分は彼の頭を膝においてあげました。

 

 膝枕です。

 

「あ、そうだ。自分のドッグタグ、ノエルを横線引いて消してロウに変えておきます」

「おー」

「これで意味を察して貰えれば、墓石を並べてもらえるかもしれませんよ」

 

 徐々に目の光を失っていく彼に、自分は優しく声をかけ続けます。

 

「何か、良いな」

「何がですか」

「結婚するって、嫁さんがいるって、良い」

 

 うすぼんやりと、ロドリー君は虚空を見つめながらそんな事を言いました。

 

 その目は最早、自分を捉えていませんでした。

 

「ありがとな、おチビ。俺なんか、好きになってくれて」

「……。不正解です、自分はおチビじゃありません」

「……ああ」

「自分の名前は、トウリ・ロウです」

「そっか、すまん」

 

 やはり、もうロドリー君は限界が来ていたのでしょう。

 

 自分の目の前で、徐々に彼の命の火は尽きようとしていました。

 

「ほんのちょっとだけ、夢がかなった」

「……」

「子供も孫もいねぇし、ベッドの上じゃないけれど。尻も胸もちっせぇ嫁が、看取ってくれるたぁ幸せだ」

「まったく」

 

 その、消えゆく命を抱きしめて。

 

「最期まで失礼な人ですね」

 

 自分は、動かなくなったロドリー君に嗚咽を零し。

 

「じゃあな。トウリ」

「また会いましょう。ロドリー君」

 

 静かに、唇を重ねました。

 

 

 

 

 

 

「……ああ」

 

 

 唇を離すと、彼は絶命していました。

 

 瞳は虚空を見つめ、全身の力が抜け、ずっしりと体が重くなります。

 

 

「アルノマさんの嘘つき」

 

 

 自分は、亡くなった彼にもう一度だけ口づけをしました。

 

 血と土と涙の味がしみ込んだ、哀しい唇でした。

 

 

「これが自分の、人生初めてのキスですよ」

 

 

 ああ、懐かしい記憶です。

 

 人生最後の休日、首都でアルノマさんの劇を見に行ったデートの時。

 

 勇者イゲルは、恋人を生き返らせたと言っていたのに。

 

 

「生き返らないじゃないですか、ロドリー君……っ!」

 

 

 

 自分は、敵に見つかる可能性すら厭わず。

 

 ロドリー君の遺骸を抱きしめて、声を上げて泣いたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 お腹が、とても重たくて。

 

 眩暈と頭痛で、吐きそうになりながら。

 

「……ふぅ」

 

 自分は、敵の哨戒の目を縫う様に二人で(・・・)歩き続けました。

 

「もう少しですからね、ロドリー君」

 

 

 

 

 革のベルトを使ってロドリー君の遺体を背負いながら、自分は一歩づつ無我夢中に、前を目指して歩きました。

 

 背中の彼の体温が、どんどんと冷たくなっていくのが分かります。

 

 それがどうしようもなく悲しくて、唇を噛みしめました。

 

 

「……」

 

 

 タール川付近にはまだ、多くのサバト兵が展開されていました。

 

 右にも左にも、前にも後ろにも、濃密な死の気配が漂っています。

 

 自分はそんな地獄のような場所で、持ち前の勘で安全な方へと、フラフラと前進し続けました。

 

 

 

 足は重く棒のようです。口には血の味が広がって、腹は鈍く痛みます。

 

 だけどそれでも、自分には行きたい場所がありました。

 

 それは、

 

 

「ほら、ロドリー君。到着しましたよ」

 

 

 戦争中とは思えないほど、のどかで穏やかな水音。

 

 サバトとオースティンの戦争の幕開けとなった、タール川の川辺です。

 

 

「……綺麗な場所とは思いませんか」

 

 

 自分は背のロドリー君に話しかけながら、ゆっくりと川に足を踏み入れました。

 

 そろそろ、自分の命脈も尽きようとしているのが分かりました。

 

 ゴールにたどり着いたと気を抜いた瞬間、そのまま意識を失って眠ってしまいそうでした。

 

 しかしあと数歩だけ、意識を保って歩まねばなりません。

 

 

「ロドリー君の体を、敵に弄ばせるものですか」

 

 

 自分の目的は、ロドリー君を水葬する事でした。

 

 あのまま山の中に捨ておいて、彼の首でフットボールとか始められたら死んでも死に切れません。

 

 本当はアレンさん達も弔いたかったのですが……、自分の体力的に無理でした。

 

 

「それに、自分の骸に悪戯されるのも、良くないです」

 

 

 じゃぶん、と水飛沫を上げて自分は川の中を歩きます。

 

 膝元まで水に浸かったあたりから、急に一歩が重くなりました。

 

 それでも、ここまで来たのだからと全身に鞭打って前に進みます。

 

 

「一応、ロドリー君のモノですからね、この身体は……っ」

 

 

 

 

 自分は衛生兵です。自らの診察くらい、当然できます。

 

 腹膜炎、腹腔内出血、全身打撲、肩甲骨骨折。即座に後方の医療施設に搬送されないと助からない重症度です。

 

 ここからどうあがいても、自分が助からないことは理解していました。

 

 この時だって、ちょっと気を抜けば失神しそうなほど弱り切っていました。

 

 

 自分は、こんな状態で何をするべきか考えました。

 

 全てを諦め、ロドリー君と並んで寝るのも良いと思いました。

 

 ですが、そんな時。すぐ近くに、タール川のせせらぎを聞いたのです。

 

 

 どうせ命を失うなら、泥臭い土の中より綺麗な場所がいいなと。

 

 そう思った自分は、ロドリー君の骸を背負って歩き始めたのです。

 

 

「……」

 

 

 川が、だんだんと深くなってきました。

 

 二人分の体重で必死で踏ん張っていますが、足を滑らせたら一気に持っていかれるでしょう。

 

 もう少し、奥に。もう少し、深いところで身を投げよう。

 

 そうすれば、もっと遠くに運んでもらえる気がしました。

 

 

「おや」

 

 

 自分に背負われたロドリー君が、少し硬くなってきた気がしました。

 

 まだ死後硬直を起こすには早いのですが……彼の腕は自分を抱きしめる力が、徐々に強くなってきています。

 

「案外寂しがり屋ですね、ロドリー君は」

 

 そんな彼の腕を覆うように抱きしめて、髪を撫で。

 

「そんなに心配せずとも大丈夫です、しっかりベルトで固定していますので」

 

 

 やがて自分は体の限界を感じ、

 

 

「─────死がふたりを分かつとも、ずっと一緒ですよ」

 

 

 足の力が抜け、崩れ込むように水面へ飛び込んで。

 

 ゴボゴボという奇麗な水音と共に、自分は水流へ身を投げました。

 




世界一位様から、本話の素敵なイラストを頂きました。
いつも本当にありがとうございます。


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79話

 

 こうして、オースティンとサバトの命運を分けた「北部決戦」はオースティンの快勝に終わりました。

 

 奇襲が空振りに終わったシルフの部隊はオースティン軍に反攻され、大きな被害が出たそうです。

 

 そして生き残れるはずだった北橋サバト軍3万人の多くは、帰らぬ人となりました。

 

 その代わりオースティン資源の僅か一部を焼き討ち出来ましたが、到底その被害に見合った戦果とは言い難いものでした。

 

 

 参謀シルフ・ノーヴァが目を覚ましたのは、戦況が決まりきった後でした。

 

 四方八方をオースティン兵に囲まれ、銃声が轟く中シルフは意識を取り戻しました。

 

 そこで彼女は、北橋指揮官に涙を溢しながら謝られたそうです。

 

『参謀殿、俺の力及ばず申し訳ない。貴女の立てた作戦を台無しにしてしまった』

『……』

『ここから、脱出できる案はあるだろうか』

『……待ってろ、少し考える』

 

 彼女は最早取り返しがつかない状況に陥ったことを知るや、すぐさま撤退を指揮しました。

 

 オースティン軍は彼女を包囲してはいましたが、並行してヴェルディ隊の捜索も行っていたため陣形が歪でした。

 

 シルフはその包囲の弱所を看破し、一点突破で強引に窮地を脱します。

 

 その後、何とかオースティンの追撃を振り切った彼女は、しばらく身を隠しオースティン領内を転々とし、密航という手段で祖国サバトに帰還したのだとか。

 

『私の指揮が浅はかだった。次は、こうはいかない』

 

 また彼女の父で総司令官だったブルスタフは、乱戦の中で撃たれ死亡しました。

 

 彼のみならず、多くのサバト将校がこの戦いで犠牲になりました。

 

 シルフは帰りの船の中、いつかオースティンへ復讐してやると唇を噛んで誓ったそうです。

 

 

 もしシルフが自らの持ち場を守っていれば……ブルスタフは殉職せずにすんだのでしょうか。

 

 実のところ、あの悪魔ベルンが大量に罠を仕掛けていたので、結局命を落としていたと思われます。

 

 アリア大尉が橋の破壊に成功した時点で、彼の命運は決まっていたのでしょう。

 

 

 この北部決戦の被害はお互いに大きく、快勝したはずのオースティン側も約1万人近い死傷者を出していました。

 

 アリア大尉を川岸まで送り届けるまでに突撃して命を落とした人、アリア大尉と共に川に投げ出された人、サバト兵の死に物狂いの抵抗で命を落とした人など、オースティンの被害は軽くありません。

 

 またアリア大尉というエースの殉職を含め、軍を支える人材も多く失われました。

 

 そんな多くの死と悲しみを乗り越えて、オースティンは勝利を手にしたのです。

 

 

 

 一方で敗北したサバト軍は、死者1万2千人に負傷兵2万人、行方不明者3万人という凄まじい被害を出し、事実上壊滅しました。

 

 敗残兵の中には故郷に戻れず、オースティン領土内に取り残された者も多くいました。

 

 負傷兵は野盗として暫く暴れまわり、オースティン国民を苦しめたそうです。

 

 彼らが祖国に戻る事が出来たのは、暫く経ってからでした。

 

 そして行方不明者の多くは、自ら川に飛び込むなどして自殺した兵士だそうです。

 

 命懸けで川を渡り切って生き延びたサバト兵士も僅かながら存在するそうですが、その大半は命を落としたと思われます。

 

 

 

 北部決戦の後、自分とロドリー君は行方不明と報告されました。

 

 味方が自分と彼のドッグタグを、川辺で発見してくださったみたいです。

 

 作戦行動中の行方不明者は暫くすると殉職と扱われ、しっかり遺族に殉職手当てが行くようになっています。

 

 自分やロドリー君の死体は見つかりませんでしたが、囮部隊を買って出たという状況から殉職したと推測され、処理されました。

 

 そしてトウリ・ロウと訂正された自分のタグを見て、ヴェルディさんは自分とロドリー君のお墓を並べるよう指示してくれたそうです。

 

 

 

 

 

 こうして多くの犠牲と、悲しみを生み出した東西戦争は一段落となりました。

 

 この被害では、流石のサバト連邦も戦争継続は出来なくなったようです。

 

 そしてサバト民衆の反戦感情も、飽和しつつありました。

 

 というのも、「実はオースティンの無条件降伏を政府が蹴っていた」という情報が広がり、サバト各地で暴動が発生し始めたのです。

 

 その噂を流した『労働者議会』と呼ばれる過激派組織は、熱狂的な民衆の支持を以て勢力を拡大していきます。

 

 サバト史に残る狂人レミ・ウリャコフと、その仲間たちが国を掌握するのは……間もなくの事でした。

 

 

 

 

 オースティン首脳部は北部決戦の後、すぐさま主力軍をフラメール国境に急行させました。

 

 対フラメール戦線が、長くは持たないことを知っていたからです。

 

 フラメールは戦争経験こそ未熟ですが、人口も生産力もオースティンを凌駕する大国でした。

 

 鉱石資源も豊富で金属加工も盛んであり、銃火器を量産出来る素養は高かったのです。

 

 彼らが近代戦を学べば……、恐ろしい敵となることは明白でした。

 

 

 

 そして彼らは恐れていた通り、我々の使うOST-3型小銃を奪い研究を始めました。

 

 フラメールは少しずつ、近代戦のノウハウや装備を学習していったのです。

 

 オースティンは現地住民の必死の抵抗で時間稼ぎは出来たのですが、その反面「フラメールが近代戦を理解する時間」をも与えていたのです。

 

 

 彼らの技術的進歩は、目を見張る速度でした。

 

 開戦当初のフラメール軍は、「攻撃精神が下がる」と塹壕を掘るのを嫌い、平地突撃を繰り返しました。

 

 そんな馬鹿な戦法だったので銃を手にしたばかりの農民でも迎撃が出来て、戦線は拮抗しました。

 

 しかしフラメールは途中から、塹壕を利用し銃兵をメインに据えて戦う近代戦の態勢を取り始めます。

 

 そうなると20万人という圧倒的物量、そして余裕のある国力、生産力を前に寡兵のオースティンでは勝ち目がありません。

 

 フラメールの主武装が単発式小銃と言え、兵力差に物を言わされて少しづつ戦線は押し上げられていきました。

 

 

 そして、フラメールとの開戦から2か月ほど。

 

 フラメール技術者がOST-3を参考に、既存のフラメール小銃に『複数装填が可能となる』外付けパーツの開発に成功します。

 

 これによりフラメール銃は3発まで連射可能となり、オースティン銃との性能格差が縮まりました。

 

 この時期から、本格的にフラメール戦線が押され始め。

 

 外付けパーツの開発から1か月、とうとう戦線の一部がフラメールに食い破られてしまったのです。

 

 

 そして開戦3か月目に、オースティン南部都市の一部がフラメールに占領されてしまいました。

 

 フラメールは近代戦を理解してから、破竹の勢いで連勝を重ねました。

 

 彼らは順調に領土を増やし、侵攻を進めていきます。

 

 

 それで彼らは、勝ちを確信でもしたのでしょうか。

 

 連戦連勝に沸くフラメール軍は、調子に乗って国境付近の村落で略奪を繰り返し───

 

 彼らが首都ウィンへ到達する前に、前線へオースティンの誇る殺人狂ベルン・ヴァロウの到着を許してしまいました。

 

 

 オースティン正規軍が到着してもなお、数で圧倒していたフラメール勢は余裕をこいていたそうですが。

 

 悪魔ベルンが、そして百戦錬磨のオースティン主力が到着したその時から、彼らの余裕が消し飛ぶことになるのはまた別のお話です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「出てください、アルノマ2等衛生兵。釈放です」

「……やっとかい」

 

 北部決戦の直後に、話を戻しますと。

 

 スパイ容疑で拘束されていたアルノマさんは、決戦の後に解放となりました。

 

「ようやく私の疑いが晴れたという事かな」

「ええ」

 

 ただし、

 

「全く、オースティン軍はひどい捜査力だね。フラメールなら、1時間もあれば私の手荷物をすべて確認し終えるのだが」

「それは申し訳ないですね」

「では、私は衛生部に戻らせてもらうよ。詫びる気持ちがあるならば、少し豪勢な茶菓子でも用意してくれないか」

「……いえ、貴方の軍への復帰は認めません。貴官に借与した物品も返還していただきます」

「おいおい」

 

 当然の処分というべきか、裏切ってフラメールに付く可能性のあるアルノマさんは除名処分とされました。

 

 

「それを決めたのは誰だい? あの、おっかない女性大尉殿か?」

「……そうですね。アリア大尉の御命令です、貴方を除名処分で釈放するようにと」

「こんなオースティンの辺境で、いきなり放り出されたらたまらないんだが」

「決定事項です」

「それはないだろう、もう疑惑は晴れたんじゃないのか? 詳しい理由を聞きたい、アリア大尉殿を出してくれ」

「もう居ない」

 

 当初、まったく事情を知らされていなかったアルノマさんはヴェルディさんに食って掛かったそうですが、

 

「先の決戦で殉職された」

「……それは、残念だ。では貴方から、理由を聞いても?」

 

 ヴェルディさんのただならぬ雰囲気を感じ取り、まず落ち着いて理由を尋ねたそうです。

 

 この頃には緘口令は解除され、フラメール侵攻の情報は殆どの兵士に周知されており、

 

 

「フラメールが、宣戦布告……!?」

「事実です」

「そんなバカな! 偽情報だ、わが祖国がそんなことをするはずがない!!」

 

 

 

 アルノマさんもとうとう、自分が隔離されていた本当の理由を知る事となりました。

 

 

 

「司令部は、貴方の銃殺も検討しておりました。しかしアリア大尉、そしてトウリ衛生兵長の両名が助命を嘆願し、このような形になりました」

「……嘘だ」

「我々の物資も残り少なく、貴方に退職金や路銀を与える余裕はありません。今までの給与分はそのままお渡ししますので、それを使ってフラメールに帰還してください」

「そんな事、ただの弱い者いじめだろう! 祖国は何を考えている!」

 

 アルノマさんは酷く狼狽し、憤怒したそうです。

 

 表向きフラメールは正義と規律、そして騎士道を重んじる国でした。

 

 実際、過去にもそこそこ下種な侵略をしていたりもするのですが、少なくともフラメール国民はそう信じていたのです。

 

「……分かりました、除名処分を受け入れましょう。そして祖国が本当にそんなことをしたのか、自分の目で確かめる事にします」

「そうですか。では、監視の下で荷物を取りに行く許可を出します」

「その、中尉殿。最後に、私の仲間に……小さな小隊長に挨拶に行くことは出来ませんか」

「出来ません」

 

 アルノマさんは、フラメール侵攻についてまだ半信半疑のままでした。

 

 サバトの流した偽情報という可能性すら考えていました。

 

 そんな彼は最後に、衛生部に顔を出したいとヴェルディさんにお願いしたそうですが、

 

「トウリ衛生兵長も、殉職しました」

「……っ」

 

 自分の殉職を聞いて、その場で座り込んでしまったそうです。

 

 

「どうして。どうしてあんな子供が! 少女兵だぞ!? 君たちが一番、守るべき対象じゃないのか!」

「そうですね、アルノマ2等衛生兵」

「そもそも、何故衛生部が攻撃されている!? 貴方は……、歩兵は何をしていた!」

 

 我に返ったアルノマさんは、ヴェルディさんの胸ぐらを掴みかかりましたが、

 

「良い事を教えてあげましょう、アルノマ元衛生兵。アリア大尉はトウリちゃんを、軍から脱出させる計画を練っていました」

「ならば何故、脱出できていない」

「15歳の少女が一人、脱走した所でどうやって生きていくのです。彼女にはアルノマ2等衛生兵───貴方と共にこの死地を脱し、フラメールへ亡命していただく予定でした」

 

 そんな話を聞いて、顔を真っ青にし黙ったそうです。

 

「貴方が頑として、脱走を良しとしなかったそうですが」

「……そうか。小さな小隊長は、あの時」

 

 実際、その話は自分の意志で断ったのですが。

 

 ヴェルディさんはアリア大尉から「アルノマさんが逃げてくれない」という相談を受けており、アルノマさんのせいで脱出計画がとん挫したと誤解をしていたようです。

 

「しかし助かりましたよ、アルノマ元衛生兵」

「何が、です」

「貴方が、トウリちゃんを脱走させないでくれて助かりました。彼女が居なければ、オースティンの未来は破滅でしたので」

 

 この様なことを言われて、心優しいアルノマさんの狼狽は想像に難くありません。

 

 そんな憔悴したアルノマさんに追い打ちをかけるように、

 

「トウリ衛生兵長は、私の指示で……。敵を引き付ける囮として、国家のため有効に死んで頂きました」

 

 ヴェルディ中尉は、笑ってそう告げたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「叔父上。アリア大尉とトウリちゃんの最後の心残り、片づけて置きました」

「おう」

 

 この後、アルノマさんは憤怒の表情で軍を出ていきました。

 

 同僚と挨拶すら交わさないまま、少ない給金と食料を手に、フラメール国境を目指し一人旅を始めました。

 

「……おい、何だその顔の痣は」

「ああ、これですか」

「誰にやられた? お前をやっかんだ輩か」

「いえいえ」

 

 そしてヴェルディさんは、レンヴェル少佐の旗下で出世頭として様々な表彰を受けます。

 

 彼はそのままアリア大尉の後釜として、レンヴェル派の中核となっていくのですが、

 

「ただの、自己満足ですよ」

「そうか」

 

 そんな彼が、勲章を受ける際。

 

 誰かに拳で顔を殴られたような、大きな痣があったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、自分の北部決戦は終わりました。

 

 ロドリー君やアレンさんは命を捧げ、多くのオースティン国民の命を守りました。

 

 彼らの死は決して無駄ではなく、むしろ殺人鬼ベルンによりこの上なく有効に活用して貰える事になります。

 

 仲間を愛した彼らは、民を守る為に本懐を遂げたと言って良いでしょう。

 

 

 

 ……自分も、そのつもりでした。

 

 この北部決戦で本懐を遂げ、もう人生の役目を終えたと思っていました。

 

 次は平和な国で生まれ変わって、ささやかな幸せと共に新たな生を謳歌するつもりでした。

 

 

「……おい、見ろよ。兵隊さんだ」

 

 

 しかし。

 

 アレンさんも、ロドリー君も、皆ゴールテープを切っていったというのに。

 

 自分だけ、ゴールする直前に手首を掴まれたのです。

 

 まだやるべきことが残っているぞと、その死を咎めるように。

 

 

「二人の兵隊さんが、くっ付いて死んでいる」

「ひっ、肉がズタボロじゃないか。くわばらくわばら」

 

 この時の自分は、もう何も見えていませんでした。

 

 息をすることすら難儀で、胸が凍り付いたように寒く。

 

 全身の感覚が抜け落ちて、真っ白に輝く太陽光をボンヤリと感じるのみでした。

 

「いや、よく見ろ。内側の……、抱かれている娘の方はまだ息があるっぽいぞ」

「本当だ。おうい、お癒者さん。助けてあげなよ」

「馬鹿言うな」

 

 ロドリー君は、まだ自分の傍にいるのでしょうか。

 

 全身の感覚が無いので、それすらも分かりませんでした。

 

「もう瀕死だよ、瀕死。この娘を助けるのに、持ち出したありったけの薬や物資を使わなきゃならん」

「でも……」

「アタシはただでさえ、魔力が少なめなんだ。この有り様じゃ、確実に助かるかも分からん」

 

 だけど、まだ微かに体の芯が暖かく在り。

 

 体は何とか生きようと、もがいていました。

 

「全財産使ってまで、見知らぬガキを助けてられないね。これからサバトに亡命するって時に」

「……冷てぇ女」

「何とでも言え」

 

 やがてガヤガヤと、自分は周囲が騒がしくなるのを感じました。

 

 出来れば、静かにして欲しい。自分とロドリー君の旅立ちを邪魔しないで欲しい。

 

「なんだその目は。じゃあお前が払えよ、治療代。お前が積んできた貴金属、全部渡すなら助けてやるよ」

「そ、それは」

「出来ねぇだろ? アタシ達にゃ、これからの生活があるからな。見知らぬガキより自分の未来だ」

 

 そう思って薄っすらと、細目を開けました。

 

 

 

 

 

 

「───俺が払おう」

「あ?」

 

 ぼんやりと目を開けば、誰かがまっすぐ自分を見つめていました。

 

 どこかで見たことがあるような、無いような。そんな、顔でした。

 

「おい癒者、俺達が持ってきた宝石から必要な分を持っていけ。その代わり、絶対にこの娘を助けろ」

「お、おう。急にどうした、お前」

「ぼーっとすんな、すぐ治療に取り掛かれ! 間に合わなかったらしばき倒すぞ!」

「あ、ああ。分かった、本当に払うんだな!?」

「男に二言はない!」

 

 それが誰かも分らぬままに、何故か身体が楽になってきました。

 

 暖かな癒しの魔力が、自分の体を包み込んだ様です。

 

「じゃあまず、滋養薬を口移しで飲ませてやれ」

「おし。クーシャ、任せた」

「了解や」

 

 これは、治療でしょうか。

 

 誰かが、自分を治療している?

 

 もしや自分は、味方に救助でもされたのでしょうか?

 

 だったら、ロドリー君、は?

 

「ほい、薬代。確かに渡したぞ」

「お、おう、サンキュー。にしてもお前、そんなキャラだったんだな」

「んだよ」

「兵士の遺体なんか見つけたら、迷わず財布を漁るような奴と思っていたが」

「ああ、まぁ普通ならそうするが」

 

 ただ、この時の自分はどうしようもなく眠くて。

 

 自分を治療している誰かの輪郭がはっきりしないまま、ドンドンと意識が沈んでいきました。

 

「他人は騙すもんだし、利用するもんさ。それが賢く生きていく方法だ」

「……だよなぁ。お前はそういう奴だ」

「そして、受けた恨みは忘れねぇ。俺は人を騙していいが、騙されたら一生かけてでも復讐してやる」

「ああ、だからお前だけは敵に回したくねぇと思ってるよ」

 

 

 そして自分が気を失う間際、

 

 

「だけど、同時に。このゴムージは、受けた恩も絶対に忘れねぇ」

「ほう?」

「まして命の恩なら猶更だ。俺は全財産はたいてでも、この娘を助けにゃならん」

 

 

 垂れ目で性格の悪そうな、両足の無い男の姿を瞳に捉えました。

 

 

「安心しろ先輩、後は全部俺がうまくやってやる。だから今は安心して、ゆっくり眠っといてくれや」

 

 




4章終了です。
少し忙しい部署に異動になりましたので、再開までお時間を頂きたく思います。


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5章 サバト革命
80話


 

「トゥーちゃん、トゥーちゃん。あれ見て!」

「はいはい、何でしょうかセド君」

 

 春も終わりに近づくころ。

 

 自分は小さな男児の手を引いて、小さな村落を散歩していました。

 

「変なの歩いてる!」

「む……、あれはヤマネコですかね」

 

 ここはサバト領内のタール川付近にある、農業と酒造を主産業とするオセロという小さな村です。

 

 北部決戦の後、自分はゴムージに救われてこの村に亡命していました。

 

 それから数か月、自分はこの村で平和に生活していました。

 

 

「あれ、噛むかな?」

「はい、噛むかもしれないので近づいてはダメですよ」

「うん!」

 

 

 今自分が相手をしている子は、ゴムージの息子さんのセドル君です。

 

 くりくりとした垂れ目が可愛い、悪戯好きでわんぱくな4歳児です。

 

 ゴムージ夫妻が出かけている間は、自分が彼の世話をするのが日常になっていました。

 

 

 

 

 このオセロという村はゴムージの生まれ故郷だそうです。彼の両親はオセロを起点に行商をして、それなりに裕福な暮らしをしていました。 

 

 少年時代のゴムージは、両親の行商に付き添って商売の手伝いをしていたそうです。

 

 しかし運悪くオースティン滞在中に東西戦争が勃発し、ゴムージ一家はサバトに帰ることが出来なくなってしまいました。

 

 

 戦争が始まってから、ゴムージはオースティンの農村で肩身の狭い生活をしていました。

 

 敵国の商人であることを理由に酷い扱いを受け、母親は暴行死してしまったそうです。

 

 彼の父も重い肺炎を患いましたが、『サバト人を治療する義理などない』と見殺しにされました。

 

 

 そんな理由でゴムージは、ひどくオースティンを恨んでいました。

 

 父親の遺産を使って、テロでも起こしてやろうかと考えていた程だそうです。

 

 

『随分金を持ってそうやのに、死にそうなツラしてるなぁおっちゃん』

『何だテメェは』

『どうせ死ぬならその金くれや、可愛い女の子に使ってもらった方がお金も幸せやろ』

 

 

 そんな不幸のどん底にあった彼でしたが、夜の街でクーシャさんと出会いました。

 

 クーシャさんは、親に売られてオースティンまで出稼ぎさせられていたチェイムという東国出身の娼婦でした。

 

 

『その金が有れば、ウチは自由になれんねん』

『そんなの、俺の知ったことか』

『じゃあ、まずはウチの事を知ってもらおか』

 

 

 その後に色々あったそうで(詳細はゴムージが恥ずかしがって頑として話してくれませんでした)、ゴムージはクーシャさんに惚れこみ、大金を使って身請けしました。

 

 クーシャさん自身もゴムージの事をあしからず思ったそうで、そのまま二人は夫婦となりました。

 

『なぁ、ゴムージ。サバト出身ってのは隠して、こっそり生きやんか』

『そうだな』

 

 そしてゴムージは自らがサバト人であることを隠し、オースティン人としてマシュデールに移住しました。

 

 そこで彼は衛兵の仕事について、クーシャさんと共に幸せな家庭を築きました。

 

 元気な男の子も授かって、まさに幸せも絶頂というそんな折。

 

『あ? 俺が、徴兵……?』

 

 シルフ攻勢によって、マシュデールまで戦火が及ぶこととなったのです。

 

 

 

 そこからは自分も知っての通り。

 

 無理やり徴兵されたゴムージはガーバック小隊から逃げ出し、両足を失いながらも自分とマシュデールを脱出しました。

 

 彼は負傷退役となり、その退役金を元手に馬車を購入し行商を始めます。

 

 首都で売れそうな商品を根こそぎ買い込んで、そのまま南部都市に移り住む予定でした。

 

 

 しかし彼は、フラメールが侵攻の手筈を整えているという噂を耳に挟みます。

 

 噂を聞いたゴムージは悩みましたが、真実であると考えサバトに亡命する決断をしたそうです。

 

 

 彼は非合法な組織に渡りをつけ、タール川を密航する算段を立てました。

 

 そしていよいよ決行に移そうかという折、瀕死の自分が目の前に流れ着いてきたそうです。

 

 

『他のオースティン兵なら迷わず見捨てるが、先輩なら話は別だ。俺はあの村のオースティン人のように、薄情でも不義理でもない』

 

 

 そこで彼は、共に亡命を試みていたサバト人癒者に頼み込み、財産をはたいて自分の治療をしてくれました。

 

 自分の意識がない間も看病をしてくれていたようで、何とか自分は一命をとりとめました。

 

 そして放心状態だった自分を、オセロまで連れてきてくれました。

 

 第一印象は最悪でしたが、彼は意外に義理堅い性格だったようです。

 

 

 因みにオースティン兵の装備を持っていたらマズいので、自分の装備は河岸に捨て置かれたそうです。

 

 あの場所から持ってこれたのは、昏睡していた自分が握って離さなかったロドリー君の服の切れ端だけでした。

 

 

 そんな経緯で自分は、オセロ村に住む事となりました。

 

 現在自分は共に亡命してきた癒者───アニータさんの診療所で癒者として働いています。

 

 その給金をゴムージ家に入れ、彼の養子みたいな扱いで生活をしています。

 

 

 

 

 

 因みに、自分がオースティン人であることはすぐばれました。サバト語を話せないので。

 

 敵国民である自分は、それなりの扱いを受ける事になると思っていたのですが、

 

『その歳で苦労したねぇ』

『これから我々の仲間になるんだろう? ここは良い村だ、のんびり暮らせばいいさ』

 

 想像に反して、オセロの村人は殆どが自分に同情的に接してくださいました。

 

 ゴムージ曰く、自分の幼い容姿がプラスに働いた結果だそうです。

 

『癒者が増えるなら大歓迎だ、困った時は頼むよ』

『君みたいな子供に、オースへの恨みをぶつけられんさ』

 

 サバトの兵士は残酷でしたが、サバトの民は牧歌的な人が多い様です。

 

 そんなこんなで、自分は遠い異国の地で幼い男の子の世話をしつつ、平和な日々を過ごしていました。

 

 

 

 こんな幸せな暮らしをしている自分ですが、心にずっと何かが引っかかっていました。

 

 それは恐らく、オースティン軍に戻らなくていいのかという強迫です。

 

 軍規に従うならば、兵士である自分は部隊とはぐれた場合、速やかに生存を軍に報告すべく帰還しないといけません。

 

 

 しかし、自分がタール川を渡りオースティン軍に帰還するのは困難でした。

 

 北部決戦の後、両国とも川岸に警戒網を敷いていて、迂闊に渡河を試みれば射殺される危険があるのです。

 

 戦闘中のどさくさに紛れて渡るならともかく、現状で船なんか出せばハチの巣にされるでしょう。

 

 

 そんな訳で、自分は兵士の仕事を忘れ、

 

「トゥーちゃん、だっこ! だっこ!」

「もう、仕方ないですね」

 

 平日は町の癒者として診療所で働き。

 

 休日はゴムージの息子セドル君の面倒を見つつ、家事の手伝いにいそしむ平和な暮らしをしていたのでした。

 

 

 

 

 

 

 診療所の主、アニータさんも自分によくしてくれていました。

 

「いやぁ、助かるねぇ。アタシは魔力が少ないから、アンタが手伝いに来てくれて本当に感謝してるよ」

「いえ、自分こそよく学ばせていただいています」

 

 ……それは、とても平穏な日々でした。

 

 胸が痛くなるような、甘く蠱惑的な生活でした。

 

 自分が戦場でずっと求めてやまなかった、命の危険も大事な人を失う恐怖もない平和な日々でした。

 

「アンタの診察、かなり評判がいいよ。丁寧だってさ」

「嬉しいご意見です」

「トウリ、アンタもう帰還しようなんて考えないでさ。ずっと、ここで暮らせばいいじゃないか」

 

 この村が平和であればあるほど、自分の中の何かが減っていくのが分かりました。

 

 オースティンの窮地は、まだ続いています。

 

 ドールマン氏やケイルさん達も、きっとまだ衛生部で頑張っています。

 

 アリア大尉やヴェルディさん、レンヴェル少佐なんかも戦場に立って命がけで戦っているかもしれません。

 

 だというのに自分だけが、このような生活をしていいのでしょうか。

 

「もうアンタは十分頑張ったよ。これからは、ただ幸せに生きればいい」

「……」

 

 軍に戻れば、また命がけの日々がやってきます。

 

 ゴムージは、ロドリー君の死亡を確認したと言っていました。

 

 彼のドッグタグを付けた肉塊は、自分を守る様に抱きしめ果てていたそうです。

 

 ……ロドリー君は死してなお、自分を守ろうとしてくれたのでしょう。

 

 彼の仲間想いは、筋金入りです。

 

「ええ、そうかもしれませんね」

「だろう」

 

 せっかく、ロドリー君に守ってもらったこの命。

 

 無駄に危険に晒さずに、このまま平穏に暮らしていくべきなのかもしれません。

 

 自分一人がオースティン軍に戻ったところで、きっと戦況は変わらないでしょう。

 

 だったら、せっかく得たこの平穏を大事にしても悪くないのではないでしょうか。

 

「あの河がある限り、アンタはオースティンに戻れないんだ」

 

 いずれにせよ、今の自分に選択肢なんてものはないのです。

 

 軍に帰る決心をしたところで、あの河を渡れるだけの資金も度胸もありません。

 

 ならば大金を使って自分を助けてくれたゴムージに対する恩に報いる為、診療所で働いてお金を入れるのが筋だとも思います。

 

 そう自分を納得させて、あっちこっちへ走るセドル君を追いかけながら、自分はため息をこぼしました。

 

 

 

 

 

 

「おう、今日はセドルの世話を任せて悪かったな先輩」

「おかえりなさいゴムージ。奥さんとデートは楽しめましたか」

「モチロンよ、そろそろ2人目授かるかもな」

 

 ゴムージは、この村を起点に行商を始めました。

 

 彼はオースティンから運び込んだ馬車を使って、ふらりと1か月ほど居なくなり、商品を仕入れて戻ってきます。

 

「セドルはどうしてる」

「遊び疲れて、もう寝ています」

「先輩に随分なついたみたいだな、クーシャが『息子取られた』って愚痴ってたぞ」

「ははは」

 

 ゴムージは村に滞在している間、よくクーシャさんとお出かけしている様子でした。

 

 マシュデールでは仕事で時間が取れなかったとかで、ここでは毎日のようにデートに出かけています。

 

 仲睦まじい事で、良い事です。

 

「先輩も大分、サバト語が上達してきたな」

「もう3か月も、診療所で仕事していますからね」

「まぁ、基本の文法は一緒だからな。後は単語さえ覚えりゃすぐだ」

 

 サバト語は、ゴムージ夫妻やアニータさんから教わりました。

 

 文法が似ていたので、日常会話はすぐ話せるようになりました。

 

「もうちょっとしたら、俺ぁまた商品仕入れに旅に出る」

「そうですか」

「また家を頼むぜ。先輩が守ってくれるなら怖いものなしだ」 

 

 人当たりも面倒見もよく、仁義と家族を大事にする男ゴムージ。

 

 戦争は人を変えると言いますが、ここでの彼は別人のように人格者で心優しいです。

 

 

 マシュデール撤退の時の彼は、追い詰められて余裕がなかったのでしょう。

 

 人間は場所が違えば、全く違った側面が見えてくるみたいです。

 

 ……他の戦友も、平和な場所で出会っていたら印象がだいぶ変わったのでしょうか。

 

 ガーバック小隊長とかがどうなるのか、ちょっと気になります。

 

 

 

 

 

 とまぁ、外国人である自分を受け入れてくれる村人も多いのですが。

 

「お前に触られたくねぇ。薬だけよこせ、あとは自分でやる」

「……」

 

 一部、やはり攻撃的な人もいました。

 

「どんな薬が有効かわからないので、診察させていただけませんか」

「うるさい。近づいたらぶん殴るぞオース豚」

 

 そんな人の多くは、戦争で家族を失った人でした。

 

 つまりオースティン兵に、身内を殺された人です。

 

 自分に恨みを向けるその心情も、十分に理解できます。

 

「やかましぃぞ、何を騒いでる」

「てめぇアニータ! オース豚の診察室に俺を入れるなよ、鼻が曲がるだろうが!」

「文句あるなら帰れ、アタシはお前に来てくださいって頭下げた覚えはねぇ。騒ぐなら営業妨害で牢獄番に突き出すぞ」

 

 この診療所で働いている癒者は、自分とアニータさんだけです。

 

 アニータさんは僻地では貴重な癒者なので、よく村の外からも診察依頼が来るのですが、

 

「診療拒否か? これだからオース豚雇ってる癒者は性格が悪ぃ!!」

「他の患者の迷惑になるから帰れってんだよ!」

 

 村の外の人は、オースティン人が診察しているなんて知らなかったと騒ぐケースが頻繁にあります。

 

 この男も自分の顔に唾を吹き付け、カンカンに顔を赤くして怒りだしました。

 

「……」

 

 この程度の暴言は、覚悟の上です。自分は、彼らにとって敵であり仇です。

 

 自分だって、サバト兵士を撃ち殺した事があります。

 

 嫌がらせを受けるのは、当たり前。

 

 殺さず受け入れてくれるオセロ村の懐の深さに、感謝をしておきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……とまぁ、自分のサバトの村での生活はこんな感じでした。

 

 一部の人から激しい罵倒を受けるのみで、概ね平和で静かな暮らしは出来ていました。

 

 しかし罵倒はされても、直接的な暴力をふるってきたりはされていません。

 

 なので、体罰に慣れていた自分にとっては暴言程度「どこ吹く風」でした。

 

 

 

 

「最近は盗賊が多いと聞きます。お気を付けて、ゴムージ」

「ああ、心配するなって先輩」

 

 

 しかしゴムージが再び行商の旅に出た後、とうとう恐れていた事態が起きてしまいました。

 

 それはいつものように診療所業務を終えた後、ゴムージの息子の遊び相手をしていた折です。

 

 

「……いきなり、何をするんですか!」

「あぁ?」

 

 

 セドル君の砂遊びを見守っていた自分は、唐突に肘鉄を食らい地面に叩きつけられたのです。

 

 激しい耳鳴りと激痛で、意識が飛びかけました。

 

 

「逃げんなこのガキ」

「やめてください!!」

 

 

 フラフラと立ち上がって周囲を見渡すと、3人の男がまだ4歳のセドル君を蹴り飛ばしていました。

 

 咄嗟に男の背中にしがみついてセドル君から引き離そうとしますが、逆に自分の喉を掴み上げられ、再び地面に叩きつけられました。

 

 ボキりと、腕の骨が嫌な音を立てます。

 

 

「貴方達は誰ですか!」

「何で答えなければならん」

 

 

 突然襲撃してきた彼らの顔を、自分は見たことが有りませんでした。

 

 しかし、その体格や面構えから何となく正体の想像がつきます。

 

 

「俺達ぁ、豚を駆除しに来ただけだ」

「オース産のくせぇ豚は、屠殺して川に流しておかねぇと」

 

 その、オースティンに対する怨みの感情。

 

 これは、何度も戦場でぶつけられたことのある明確な「殺意」。

 

「……今、あなたが蹴り飛ばした子はサバト人ですよ」

「貴様を受け入れている家のガキなら同罪だ」

 

 

 自分を嘲るその男は、刀傷で片目がありませんでした。

 

 他の男たちも腕が無かったり杖をついていたりしますが、肉体は筋骨隆々です。

 

 

「あなた方は、サバト兵ですね」

「ああ。お前らオース豚のせいで、大事な友をたくさん失ったよ」

 

 

 その男達はやはり、負傷退役となった元サバト兵のようでした。

 

 北部決戦がひと段落したので、故郷に戻ってきたのでしょう。

 

 

「オース兵は悪魔だ」

「幼い少年兵が命乞いしているのを見て、笑いながらその頭を撃ち抜いた」

「戦友の死体を串刺しにして、笑い者にした」

「悪魔が憑いていないと、あんな残虐な事は出来っこない」

 

 

 早口でまくし立てる元兵士の言葉で、自分が聞きとれたのはそんな内容でした。

 

 その眼は自分を殺す事に何の躊躇を抱いていない、狂った兵士の目でした。

 

 

「さあ天罰だ。悪事には必ず報いが来るのだ」

「今までの所業を反省し、後悔して死ぬがいい」

 

 

 自分と彼等は初対面の筈ですが、きっと理屈ではないのでしょう。

 

 オースティンは悪で、敵で、殺すべき相手。

 

 彼らにとってそれが当たり前なのです。

 

 

「……」

 

 周囲に人が集まって心配そうに自分を見ていますが、割って入ってくれる人はいませんでした。

 

 迂闊に自分を庇えば、巻き込まれる可能性があるからでしょう。

 

「自分を殺すのは構いません。ですが、この幼い子まで傷つけるような倫理にもとる─────」

「オース豚が倫理を語るな、おこがましい!」

「貴様らに正義を語る資格などない!」

 

 セドル君は大泣きしながら、自分の腕のなかで震えています。

 

 自分はそんなセドル君を【癒】で治療しながら、この子だけは助けてくれと兵士に懇願しました。

 

「ははは、貴様らオースが一度でも俺達の命乞いを聞いた事があったかぁ!?」

 

 激しい高笑いと共に、自分の顔面が蹴り飛ばされました。

 

 すみません、ゴムージ。家を守ってくれと頼まれましたが、自分は無力です。

 

 一介の衛生兵ごときでは、男3人に勝てるはずもありません。

 

「いいザマだ! 覚悟しろや!」

 

 せっかくロドリー君やゴムージに救ってもらった命を、こんな形で失うなんて胸が張り裂けそうです。

 

 せめて、セドル君だけでも何とか逃がしてあげたいのですが──── 

 

 

「俺達の恨みを思い知れェ!!」

 

 

 ……これが、戦争が終わらない理由です。

 

 自分だって、サバト兵に強い憎しみを持っています。

 

 村落での虐殺風景を思い返す度に、腹が煮えくり返りそうになります。

 

 

 しかし、自分はオースティン軍がサバトに行った蛮行の全てを知りません。

 

 味方の残虐行為など、いちいち軍は宣伝しないからです。

 

 彼らの口ぶり的に、きっとオースティンも大概な事をしたのでしょう。

 

 

 敵の非人道的行為だけを大々的に報じ、戦意を高ぶらせるのが軍のやり方です。

 

 だから互いに、互いをずっと憎しみ合うのです。

 

 

「楽には死なせねぇぞ、生まれてきたことを後悔させてやる!!」

 

 

 腹を蹴られ、血反吐を吐き、それでもなお暴行は止まる気配がありませんでした。

 

 終わらない、憎しみの連鎖。

 

 ずっとオースティン軍と殺し合いを続けてきた兵士の憎悪は、深く激しいものでした。

 

 こうして戦場ではない場所で、その恨みを晴らそうとするほどに。

 

 

 

「面白いことをしている」

 

 そんな深い憎悪に釣られたのか。

 

 はたまた、自分を庇うために出てきたのか。

 

 先ほどまで静かに場を静観していた、一際目立つ金髪の大男が割って入ってきました。

 

(われ)も、この騒ぎに混ぜろ」

「……お?」

 

 その男は背丈2mあろうかという巨漢で、熊のように毛深い静かな声の男でした。

 

 上半身裸で体中に古傷があり、左腕から先を失っていますが、全身から凄まじい威圧感を放っています。

 

「ふん」

 

 彼は整えられていない金髪の隙間から、鋭い目で自分を睨みつけました。

 

「アンタもこの村出身だったのか!」

「会えて光栄だぜ、英雄!」

「よしてくれ。吾はもう、ただの村人だ」

 

 その男と目があった瞬間、身の毛がよだったのを覚えています。

 

 自分は彼を、何処かで見たことが有りました。

 

 そう。あの金色の兵士の名は、確か……

 

 

「……雷槍鬼(カミキリ)

「あ?」

 

 

 そう。西部戦線の時、ガーバック小隊長が仕留めそこなったと喚いていたサバト側のエース。

 

 雷を纏って突撃してくる、槍使いの兵士。

 

 

 

「何故、吾のその呼び名を知っている」

「……」

「貴様は、元オースティン兵か」

 

 

 彼は、憤怒と怨嗟の目で自分の方へ向き直ると。

 

 サバトの英雄(エース)は薄く唇を曲げ、獲物を見る目で自分を睨みつけました。

 

 




78話のあとがきに、世界一位様から素晴らしい挿し絵をいただき掲載しました。ありがとうございました。


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81話

 

 その金髪の偉丈夫は、険しい目で自分の方へ歩いてきました。

 

 彼の迫力に自分はおろか、先程まで暴行を加えていた兵士までたじろいでいました。

 

「オースティン兵が、ここで何をしていた?」

「自分の世話をしてくれている家の子の世話を」

「……ふん」

 

 彼の問いに、自分は素直に応えました。

 

 嘘をついても、すぐ見透かされる気がしました。

 

「覚えておけ。吾は雷槍鬼(カミキリ)と呼ばれるのは好かん」

 

 サバトのエースは、仁王像の様な険しい顔で自分の顔を鷲掴みにした後。

 

「吾の名はゴルスキィ。特例突撃部隊ゴールドブラストの、元指揮官だ」

 

 目前に顔を突き付けて、そう凄みました。

 

 

 サバト突撃兵のエース、ゴルスキィ。

 

 彼は東部戦線(サバト側は西部戦線を、こう呼称しています)において数多の塹壕を乗り越えてきたエースだそうです。

 

 しかしシルフ攻勢が始まる前に左腕を失い、首都に撤退していました。

 

 彼は前線復帰を希望し、右腕一本で戦えるようリハビリに励んでいました。

 

 しかし北部決戦が決着し、前線で出番がなくなった事を告げられ、退役を選んだようです。

 

 指揮官職への誘いを受けていたそうですが、大好きな酒を生業として生きたくて故郷の村へ戻ってきたのだとか。

 

 

「……失礼しました、ゴルスキィさん。無礼を謝罪します」

「ああ」

 

 

 彼の姿を見た瞬間、鳥肌が立ったのが分かりました。

 

 自分ではどうしても絶対に勝てない相手、という事を肌で感じ取ったのです。

 

 彼の機嫌を損ねれば、殺されることは間違いないでしょう。

 

「オースティン兵の少女。続けて聞こう、何故ここにいる」

「……生きのびるべく、命からがら逃げてきました」

「恥知らずな奴だな」

 

 自分はなるべく冷静に、彼を刺激しないよう答えました。

 

 彼が乱入してきた理由は分かりませんが、何とかセド君を巻き込まない展開にもっていかねばなりません。

 

 最悪、殺されるのは自分だけに留めないと。

 

「貴様は軍を捨て、戦友を捨て、一人情けなく生き延びていると」

「……否定はしません」

「なら話は簡単だ」

 

 ゴルスキィはゆっくりと、右の拳を振り上げました。拳骨だけで、自分の顔面くらいありそうです。

 

 彼の全力の殴打を食らえば、自分の顔など一撃で砕かれるでしょう。

 

「ですが、それは自分の罪です。この子に罪はありません。どうか……」

 

 自分は覚悟を決めて目を閉じ、セドル君を背に隠して懇願しました。

 

 潔く死ぬまで殴打されて、震え泣いている彼だけでも守ろうと思いました。

 

 

「おい、そこの3人。貴様らの所属は?」

「イリゴルと言います。元クローリャ大隊所属、突撃歩兵部隊でした。ゴルスキィ殿の御高名はかねがね」

「結構。なら今は退役した訳だ」

「ええ、俺は右目をやられまして」

 

 

 しかしその大男は、右拳を振り上げたまま男たちに向き直ると。

 

 

「戦場でサバト兵が敵オース兵を殺すならば、理解できよう」

「ゴルスキィさん?」

「だが平和な村で、敵でもない娘を殺すな。恥を知れ、この阿呆垂れっ!!」

 

 

 そう言って一番手前の男をぶん殴り、大喝したのです。

 

 

 

 

 

「イリゴルと言ったな。貴様は殺人鬼か、それとも誇り高きサバト兵か?」

「あ、あの、ソイツも元兵士なんでしょう!?」

「見て分からんか、衛生兵だ! 彼女はさっきから回復魔法を使っていただろう! この田舎で貴重な癒者を殺してどうする、この大間抜け!」

 

 

 凄まじい迫力でした。

 

 彼の大喝にはガーバック小隊長が怒鳴ったときのような、有無を言わせぬ何かがありました。

 

 

「吾とてオースは嫌いだ。奴らの所業に、何度吐き気を催したか分からない」

「だ、だったら」

「だが私怨で人を殺せば、ただの殺人鬼だ」

 

 ゴルスキィ氏は最初こそ苛烈な怒鳴り声でしたが、徐々にその兵士3人に対し優しい声になり、

 

「それは貴様らが侮蔑してきたオース兵以下の行いだ」

「……」

「戦場でもない場所で、人を殺すのは許されん。その感覚を取り戻さんと、貴様らもこの村に馴染めない」

 

 そう、言葉を続けて説得しました。

 

「取り返しのつくうちに、気付いて戻れ。本当に幸運なことに、吾らは生きて故郷に戻ったのだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ゴルスキィさん、ありがとうございます」

「貴様の為にやったことではない。あの3人の戦友を救うため、そして自らの故郷のためだ」

 

 ゴルスキィさんの説得を聞き、3人の兵士は囲みを解いてくれました。

 

 その後、ゴルスキィ氏はセドル君に「戦友が失礼した」と頭を下げ、詫びだと言ってチョコレート菓子を与えました。

 

「先に言っておく。吾は貴様が嫌いだ、オース人と話すなど吐き気がする」

「はい」

「だが、今の騒動の被害者は貴様達だ。吾は、貴様にも謝罪をしよう」

 

 そしてゴルスキィ氏は自分にも向き直り、傷だらけの顔を地面に向けました。

 

 

「戦友が無礼を働いて、すまなかった」

 

 

 その潔い態度を見て、自分は何とも言えぬ気持になりました。

 

 自分は心中で、サバト兵は「残虐な鬼畜外道の集まり」という印象を持っていたのです。

 

 まさかこんな、堂々とした振る舞いで謝られるとは思っても居ませんでした。

 

「……どうか頭をあげてください、ゴルスキィさん。救われたのは自分の方です」

「否。吾が頭を下げることで、示せる正義がある」

 

 しかし、考えてみれば当然です。

 

 サバト軍も、オースティン軍も、人間の集団です。

 

「誇り高きサバト兵は公平無私で清廉潔白、戦友が悪しきことをしたならば正すのが上官の務めだ」

 

 サバト兵士の中に残虐で横暴な人も居れば、清廉で誇り高い人も居るでしょう。

 

 ただサバト兵士というだけで、一纏めにして偏見を持ってはいけないのです。

 

「少女よ、年は幾つだ」

「もうすぐ、16になります」

「そうか。ならば、貴様への謝罪はこれがよかろう」

 

 そしてサバト兵は、オースティン人を恨んでいて当然です。

 

 自分だって、ロドリー君やアレンさんを殺したサバト兵と仲良くしたくありません。

 

 だというのに、かつて戦場でエースとまで呼ばれたゴルスキィ氏が自分に頭を下げたのです。

 

 彼の人間として器が伺い知れます。サバト兵とはいえこの人には、敬意を払うようにしましょう。

 

 そう思った矢先です。

 

「ほら、ヴォック酒だ」

「……」

「飲め」

 

 自分は、ずっしり重い酒の小瓶を手渡されました。

 

 サバト語ですが、明らかに酒と書いてあります。

 

「あの、ゴルスキィさん。自分は、その、まだ未成年で」

「そこの3人も来い。俺のヴォック酒を分けてやる、飲むぞ」

「……そのー」

 

 いきなりの超展開に頬を引き攣らせていると、ゴルスキィ氏は先ほど襲ってきた3人を呼び寄せて同様に酒瓶を手渡しました。

 

 ……どうして、酒なんでしょう。

 

「サバトでは兵士同士が諍いを起こした時、ヴォック酒を飲ませて一晩語り合わせるのだ。それで、大体うまく付き合えるようになる」

「何と」

 

 なるほど、それは確かに効果がありそうな仲直り方法ですね。

 

 問題は、自分が未成年であるという点を除いてですけど。

 

「その、年齢的に自分にはまだ早い様な」

「む? こっちでは12歳の誕生日に酒瓶を空けるが、オースでは違うのか?」

 

 ……そして、酒に対する文化も違うようです。どうやらこの国の方が、飲酒解禁が早いんですね。

 

「まぁ、試しに飲んでみろ。16歳であれば、全然問題がないはずだ」

「……」

「酔い潰れたらそこの子供も連れて、家まで送ってやる。放置はしないから安心しろ」

 

 セドル君は、自分の背中に隠れながらチョコレートをポリポリ食べていました。

 

 先ほど自分が怪我を治したので、今はお菓子に夢中っぽいです。

 

「……では、1瓶だけ」

「おう。イリゴル、少女と瓶を交わせ。そして吾の前で今後、諍いを起こさぬと誓え」

「は、はい! ゴルスキィ殿」

 

 自分は、その1瓶の乾杯を受け入れる事にしました。郷に入れば郷に従えという言葉もあります、サバトの文化に習うのも仕方ないでしょう。

 

 それに、思い返せば自分は秘薬(ヤク)漬けで仕事をしてました。

 

 あの薬は結構な量のアルコールを含んでるっぽいので、飲酒なんて今更な話です。

 

「それでは、乾杯だ」

「はい」

 

 そして自分は、秘薬を飲んでもテンションがあまり変わらないことで有名でした。

 

 同僚がキマって変なテンションで仕事を続ける中、自分だけは淡々と普段通りに職務を全うし続けました。

 

 恐らくですが、自分はアルコールにそれなりの耐性があると推測されます。

 

「……あえ?」

「どうした少女」

 

 だから、1瓶くらいなら大丈夫、の、筈……。

 

 

「グビっと一気飲みしたな、この娘」

「豪快だねぇ」

「……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トウリちゃん、無事かー」

「あれ?」

 

 意識が戻ると、自分はゴムージ家のベッドで寝かされていました。

 

 起き上がって周囲を見渡そうとしたら、ズキンと刺すような頭痛に襲われました。

 

「頭が、痛い、です」

「やろうな。水を持ってくるから待っとき」

 

 身体が重くて、頭が痛くて、吐きそうです。

 

 油断しました。多少のアルコールなら大丈夫と、高をくくっていましたが……。

 

 あの酒を口に含んだ瞬間に広がった、化学的な薬品味がフラッシュバックします。

 

 ゴルスキィ氏に手渡されたヴォック酒とやらは、想像以上に濃いお酒だったようです。

 

「話は聞いたわ、退役兵に襲われるとは災難やったな。セドルを守ってくれたみたいで、ありがとさん」

「セド、ル、君は、無事、ですか」

「おお、まさかあんな酷いコトする奴がおるなんて……。セドルとトウリちゃんに狼藉働いた兵士どもはウチが引っ叩いといたから安心してな」

 

 クーシャさんはプリプリと怒って、水を持ってきてくれました。

 

 今の状況から察するに、自分は酔いつぶれて速攻で撃沈したのでしょう。

 

 そしてゴルスキィ氏は、意識の無い自分をゴムージの家に運んでくれたみたいです。

 

 ……何とも情けない話です。

 

「ただ、サバト人と酒比べなんかしちゃいかんよ。ジュース代わりに酒を飲む連中や、初めて酒飲んだ娘が勝負になる訳ないわ」

「すみ、ません。有無を言わさぬ、形で勧められまして」

「ま、トウリちゃんも無事でよかったよ。慣れてないうちに濃い酒を飲んだら、そのまま死んじゃう事もあるねんで」

 

 クーシャさんが持ってきてくれた水を飲み、自分はようやくひと心地つきました。

 

 サバト人と酒に付き合わない。ええ、覚えました。

 

 飲酒に対する感覚が、オースティンと違いすぎます。

 

「まぁでも、少しは打ち解けたみたいでよかったわ」

「打ち解けた、ですか?」

「覚えてへんの? ウチが呼ばれていった時には、アンタ兵士と泣きながら話し込んでたけど」

「……え」

 

 先ほどの反省を胸に刻み、この国で二度と酒を飲むかと誓っていると。

 

 クーシャさんが、あまり聞きたくない情報を教えてくれました。

 

「自分が、誰と話し込んでいたんですか?」

「金髪のデカいオッサンの髪の毛とか髭を引っ張りながら、ポロポロ泣いて酒瓶咥えてたで」

「え、ええ?」

「挙句、もっと酒よこせって喚いてたし。金髪のデカい人、困り切ってたわ」

「ええええ!?」

 

 からかっている様子もなく、クーシャさんはそんな話を聞かせてくれました。

 

 自分には、そんな記憶はまったくありません。

 

 まさか酒に飲まれて、やらかしてしまいましたか自分。

 

「じ、自分は他に、何をしていましたか」

「何か3人のオッサン睨んで、猫みたいに唸って引っ搔いてたなぁ」

「ほ、他には?」

「んーと」

 

 

 

 聞けば自分が記憶がない間、結構な大暴れをしたみたいです。

 

 自分は泣き上戸だったらしく、3人の帰還兵を相手に大泣きしながら恨みつらみを喚き始めたのだとか。

 

『サバト軍が降伏を蹴らなかったら、もっと平和だったのに』

『途中の村々で見たこの世の地獄を、自分は今でも夢に見る』

『ロドリー君にもう一度会いたい』

 

 村の元兵士3人はサバト軍の村落での蛮行を知らなかったようで、大層ショックを受けていたそうです。

 

 特に、「無条件降伏の拒否」や「農村での無差別虐殺」に関しては受け入れがたかったらしく、そんなハズはないと最初は食って掛かったのだとか。

 

 しかし、自分と共に亡命してきたアニータさん達がオースティン国内の証言をして真実だと知り、

 

 

「祖国の考えが分からない」

 

 

 と茫然自失し、髪の毛を引っ張ったり髭を引き抜いたりする自分のされるがままとなっていた様です。

 

 

 というのも彼らもオースティン内地侵攻に参加しておらず、ベルン率いる南軍に散々に打ち破られた敗残兵だそうで。

 

 ベルンはベルンで、陽動としてサバトの村落を焼いたり遺体を弄んだりと胸が悪くなるような作戦を実行していました。

 

 そのせいで、彼らの中でオースティン=悪魔の図式が成立していたみたいです。

 

 

 しかし一般市民に対する虐殺を先に仕掛けたのはサバトですし、そもそも降伏を拒否しなければ終戦していたのです。

 

 泥酔していた自分はその恨み節を全部ぶちまけてしまったようで、

 

『自分の生まれ故郷はもうありません』

『家族の様な戦友だって奪われました』

『貴方達はこれ以上、自分から何を奪おうというんですか』

 

 そう一方的に泣き喚いた自分は、呆然とするゴルスキィ達4人のサバト兵から次々に酒瓶を奪い取って、最終的にヴォック酒瓶を4つ空けて失神するように眠ったそうです。

 

 ……何をしているんでしょう、自分は。

 

「トウリちゃんは酒乱のケがありそうやから、お酒を飲まん方が良いかもね」

「そ、そうですね」

 

 あんな濃いお酒を4瓶も空けたら、そりゃ二日酔いになるでしょう。

 

 頭もガンガンして耳鳴りも煩いし、しばらく動くことは出来なそうです。

 

 しかし体調が治った後で、絶対にゴルスキィ氏に謝りに行きましょう。

 

 

「うぅ……」

「あ、吐きそう? 吐くんやったら外の下水路でな」

「は、はい」

 

 下水路の方を見ると、泥だらけのセドル君がニッコリ自分に微笑んでいました。

 

 



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82話

 

「……ああ、貴様か」

「先日は、ご迷惑をおかけしました」

 

 酒に飲まれ、醜態をさらした数日後。

 

 自分はゴルスキィ氏の家に、ヴォック酒を買いなおして謝罪に行きました。

 

「色々と無礼な口を利いてしまいました」

「それでいい。理性を取っ払い、無礼をする免罪符として酒を飲むのだ」

 

 自分の謝罪に対しゴルスキィ氏は、表情を変えず「予定通りだ」と仰いました。

 

 最初から自分を酔い潰す気マンマンだったみたいです。

 

「……溜まっていたものは吐き出せたか?」

「はい」

 

 アレはもしかしたら、サバト軍式の洗礼なのかもしれません。

 

 上官に濃い酒を勧められ断れず、訳も分からなくなり泥酔して痴態を晒す。

 

 さすればからかいの種が増え、新米は部隊に馴染みやすくなる。

 

 騙して全裸で男色部屋に放り込むよりは、よほどマシな洗礼と言えます。

 

「では少し、シラフで話さんか。先日はゆっくり盃を交える暇もなかった」

「分かりました」

 

 とはいえ昨日は自分が大暴れしたせいで、あまり会話は出来ていません。

 

 ゴルスキィ氏は真顔のまま、自分を私室へと誘いました。

 

「家族が酒盛りしているが、気にするな」

「……はい」

 

 朝一番、ゴルスキィ家のリビングでは、子供や老人がベーコンを頬張って酒盛りをしていました。

 

 本当にサバトでは、ジュース感覚でお酒を飲むんですね。

 

「あれから、怪我はどうなった」

「幸い、完治しています」

「かなり激しく殴られていたが、傷などは残っていないか」

「あの程度で傷跡なんて残りませんよ。自分の上官の方が、よほど苛烈に殴ってきました」

「そうか、なら良かった」

 

 開口一番、ゴルスキィ氏は自分の怪我を気遣ってくれました。

 

 傷跡が残りやすいのは、銃創とか斬創です。それ以外は大体、回復魔法でキレイに治ります。

 

 なので本当に、傷などは出来ていません。

 

「部屋に呼んで悪かったな、一度オース兵と、話をしてみたかったのだ」

「はい」

「吾が敵は何を思い、何を考え戦っていたのか知りたい」

 

 ゴルスキィ氏の家族と軽く会釈を交わした後、自分は彼の個室で二人きりになりました。

 

 彼の部屋にはあまりモノが無く、大きなベッドと小さな丸テーブルが置いてあるのみです。

 

「どんな悪い噂でも構わん。貴様の知っている雷槍鬼とは、どのような存在か聞かせてくれないか」

「自分は衛生兵なので、歩兵の言っていたことのまた聞きになりますが」

「それで良い」

 

 自分は円型テーブルの椅子に腰かけるよう促され、ゴルスキィ氏と向き合う形で座りました。

 

 彼は何処からともなくチョコレート菓子の箱を取り出して開き、自分に向けてドンと差し出しました。

 

雷槍鬼(カミキリ)はその名の通り、雷を纏って突進してくる金色長髪の小槍使いです。雨中での突撃は目を見張るので注意されたし、と聞きました」

「……そうか。まぁ、そんなモンだろう」

 

 差し出されたチョコレートを摘まみながら雷槍鬼についての噂を伝えると、ゴルスキィ氏は少し愉快そうな顔をしました。

 

 敵の内部の評価を聞けるって、なかなか貴重な経験ですものね。

 

「実は一度、自分も貴方の部隊に突撃されたこともあります。擲榴弾を撃ち込まれ自分は大火傷を負い、戦友も1人失いました」

「ふむ、それは運が良かったな」

 

 自分はこのサバトのエースの事を、よく覚えていました。

 

 何故なら彼の部隊によりサルサ君─────自分の同期の戦友が死んでしまったからです。

 

「吾が部隊の突撃を受けて生き延びられたのは実に幸運だ。普通は、全滅する」

「……ええ」

 

 自分が事前に【盾】の使用許可を取っていなかったせいで、サルサ君は戦死してしまいました。

 

 ちゃんと先に小隊長から【盾】の指導を受けていればと、今でも夢に見て悔やみ続けています。

 

 思えば、自分とゴルスキィ氏は因縁浅からぬ関係ですね。

 

「貴方の突撃は、今なお自分のトラウマです」

「そうか」

 

 ゴルスキィ氏は話を聞いて、薄く微笑みました。

 

 そう、よく考えたら目の前の人はあの優しくひょうきんなサルサ君の仇。

 

 改めてそれを実感すると、何とも言えぬ気分の悪さを感じました。

 

「……ああ、吾は謝らんぞ。戦争とはそういうものだ」

「はい。少し、感情の整理をしていただけです」

「ならば良い」

 

 その自分のモヤモヤとした感情は見抜かれてしまったようですが、ゴルスキィ氏は流してくれました。

 

 突撃を指示したのはサバトの参謀本部で、作戦に沿って我々を殺すのがサバト兵の仕事です。ゴルスキィ氏に罪はありません。

 

 今後も村で喧嘩の種にならないよう、今の様な感情を顔に出すべきではないでしょう。

 

「では、次だ。剣鬼の情報を聞きたい」

「剣鬼……、ですか?」

「長剣を携え、幾度もサバトの塹壕を突破したオースティンのエースだ」

 

 ゴルスキィ氏は、剣鬼という名前を出しました。

 

 自分はその剣鬼という名を聞いたことはありませんでしたが、何故かその名から一人のエースを思い出しました。

 

「剣一本で塹壕間を突っ走る、時代を間違えているとしか思えん30代の短髪兵士だった」

「もしかしたらそれはガーバック小隊長の事、かもしれません」

「おお、知っているなら教えてくれ。あの男が、吾にとって一番の怨敵なのだ」

 

 彼はガーバックという名を聞くと、恨めし気に失った自分の左腕を睨みました。

 

 もしやゴルスキィ氏が負傷撤退した理由って、ガーバック小隊長なのでしょうか。

 

「彼はまだ生きているのか? そもそも本当に人間なのか」

「あの人は化物染みてはいましたが、人間でしたよ。……恐らく」

 

 味方からしても人間か怪しかったガーバック小隊長殿。

 

 敵として戦場で相対していたサバト兵は、さぞ化け物に見えた事でしょう。

 

 彼がサバト側でどのように扱われていたのか、是非聞いてみたいです。

 

「剣鬼……ガーバック小隊長のサバト軍での評判はいかがだったでしょうか」

「ヤツは頭のおかしい突撃狂だ」

「我々と同じ評価ですね」

 

 ガーバック小隊長殿は向こうでも、狂人扱いされていたようです。

 

「どう考えても突出しすぎなのに、ヤツを咎めようとしても包囲した側が斬り殺される。接近戦では手が付けられなかった」

「ええ、部下の立場から見ても凄まじい戦闘能力でした」

「しかもヤツは剣だけじゃなく、【盾】や銃器の扱いにも長けていた。遠距離で撃ち合っても、まず仕留められないんだ。アイツは本当に、何者だったんだ?」

「さ、さぁ」

 

 ゴルスキィ氏は心底、呆れた声を出しました。

 

 自分もいくつかの撤退戦を経験し、改めてあの人の優秀さを実感しています。

 

 西部戦線からマシュデールまで銃弾の雨の中、部下を庇いながら数十キロの撤退劇を難なく成功させているのもよく考えればおかしいです。

 

 ガーバック小隊だけ、部隊損耗が新米の兵士2名しかいなかったんですよね。

 

「極めつけは、吾がこの腕を失った時の話だ。吾はあの日、初めて剣鬼に土を付けた」

「土を、ですか」

「ああ。不意を突いて襲い掛かったのが上手く行ってな、剣鬼に銃弾をぶち込んでやった事がある」

「すごいです、どうやってあのガーバック小隊長に銃弾を?」

「ヤツの【盾】を槍で斬り割いた後、部下と囲んで蜂の巣にしてやったのだ。間違いなく、仕留めたと思った」

 

 そこでゴルスキィ氏は、大きなため息をつきました。

 

 知っての通り、ガーバック小隊長は西部戦線で命を落としていません。

 

 まぁ彼が、蜂の巣にされたくらいで死ぬ筈がないですよね。

 

「だが次の瞬間、俺の左腕が斬り飛ばされて宙を舞った。ヤツは何と、腹を撃たれながらも剣を振るったのだ」

「……」

「よく見れば銃弾も、殆ど剣と盾で弾き飛ばされていた。共に急襲した部下達も、みじん切りにされていた」

「それは……」

「だが1発は、間違いなく剣鬼の腹に当たっていたのだ。生き残った部下も確認している」

 

 ガーバック小隊長は、腹を撃たれたまま戦闘を継続したそうです。

 

 西部戦線の時は「撃たれてなお戦うなんて、この人は頭おかしいな」としか思っていませんでした。

 

「防弾装備の無い腹のど真ん中を、確かに撃ち抜いたんだ。絶対に仕留めた、そう思ったから吾は撤退した。左腕を捨て置いて、命からがらにな」

「……」

「だが! あの男は頭がおかしいことに、腹を撃たれたまま撤退せず拠点を維持し続けたのだ」

 

 しかし実際に、戦場で何度かお腹を撃たれてみて分かりました。腹を撃ち抜かれたら、どんなに気合入れて立ち上がろうとしても絶対に動けません。

 

 下手に動くと出血が激しくなり、腹全体に激痛が走るのでうずくまる事しかできないのです。

 

 冷や汗が滝のように流れてきて、下痢の時の数十倍の痛みが脳を焼くように刺激し続けます。

 

 本当に、ガーバック小隊長は妖怪だったのかもしれません。

 

「あの男の隙を作るため、何人もの勇敢な兵士が特攻し殉職した。皆が断末魔の声を上げる中、吾は涙を呑んで逃げ出した。剣鬼を仕留めたと、信じたからだ」

「……あ、その」

「だがヤツはその後も戦闘を継続し、吾の後に突撃した増援を壊滅させ、悠々と撤退したらしい。手塩にかけて育てた部下たちの大半が殉職し、吾も首都まで負傷撤退せざるを得なかったというのに」

 

 ……しかし、ゴルスキィ氏の話を聞きながら少しづつ額に汗が流れ始めました。

 

 もしかしたら自分も、その話の当事者かもしれないと気づいたからです。

 

「その後も剣鬼はピンピンと、元気に東部戦線で突撃してくる姿を確認している」

「……」

「吾が『勝てぬ』と思ったのは、後にも先にもその男だけだ。銃で体幹を撃ちぬかれてなお、平然と戦闘を続ける男にどう戦えばいいのか」

 

 だんだんと、西部戦線の時の記憶が蘇ってきます。

 

 そう、それは確かサバトが連続攻勢を仕掛けてきて、オースティンが戦線を破る千載一遇のチャンスだった時。

 

 ロドリー君やグレー先輩と、死ぬ思いで確保した3つ目の塹壕でガーバック小隊長は致命傷を負って戻ってきて─────

 

 

 

 

 

 

「それ、自分の仕業かもしれないです」

「……あ?」

 

 

 

 

 

 もしやと思ってゴルスキィ氏と当時を振り返って見ると、やはり剣鬼というのはガーバック小隊長の呼び名でした。

 

 最前線で腹を撃たれてなお命をとりとめたことが確認された彼は、サバト軍で妖怪扱いされていたそうです。

 

「突撃部隊に、衛生兵である貴様が配置されていたのか? オースティン軍には衛生兵が余っているのか?」

「余ってなかったと思います……」

 

 珍しくガーバック小隊長が致命傷なんて負ってくるから驚きましたが、あの時の交戦相手はサバトのエース雷槍鬼(カミキリ)だったのですね。

 

 消耗した状態で不意を突かれたガーバック小隊長殿は、致命傷を負ってなおゴルスキィ氏を撤退に追いやったのでしょう。

 

 その後、自分の見様見真似の手術で一命をとりとめ、グレー先輩の殿で後方に撤退する事が出来ました。

 

「しかし良かった、ちゃんと致命傷だったか。……ヤツは妖怪ではなかったのだな」

「ええ、処置が遅れていればまず助からない傷でした」

 

 ゴルスキィ氏は、自分が処置しなければ小隊長が死んでいたという事実を聞いて自分を睨みつけました。

 

「ああ、憎々しい。吾らがどのような犠牲の上で、あの男の腹を撃てたと思っている」

「……そうですか」 

「お前さえいなければ、ブーリャやニコフらの、皆の死も報われたというに……!」

 

 ゴスルキィ氏がやっとの思いで仕留めたと思ったガーバック小隊長を、自分が台無しにした形ですか。

 

 しかし左腕を失ったゴルスキィ氏は前線を離れることになり、北部決戦に参戦せず生き延びて。

 

 致命傷すら克服して見せたガーバック小隊長は、撤退戦の中で命を落としました。

 

 ……戦争とは、因果なものです。

 

「……謝りませんよ」

「ああ。それでいい」

 

 うっすらと涙を浮かべるゴルスキィ氏は、自分のその言葉を聞いて唇を噛み、

 

「貴様も、職務に準じただけだ」

「……」

「悪しきは、戦争だ」

 

 そう、呟きました。

 

 

 

 

 

 

「剣鬼は貴様から見て、どのような兵士だった?」

「暴力的で、怖く厳しく、そして頼りになる人でした」

「……ふむ、まぁ典型的な突撃兵だな」

 

 その後も、戦場で出来た精神の傷を舐めるように、自分達はぽつぽつと会話を交わしました。

 

「あと銃弾を剣で叩き切っているのを見て、まぁ人間離れしているなと思いました」

「あー。まぁ、銃弾斬りはさほど難しくない」

「……はぁ」

 

 ガーバック小隊長の一番化け物染みていた点である銃弾切りの話を振ってみたら、ゴルスキィ氏も出来るらしいです。

 

 そう言えば、この人はガーバック小隊長と互角に渡り合った猛者でした。

 

 戦場のエースは、銃弾に対する「答え」を持っている者でしたっけ。

 

「そんな化け物を見る目で吾を見るな」

「では銃弾を切るのが難しくない人を、どんな目で見ればいいんでしょうか」

「ふん、あれは手品みたいなもんだ。ちゃんと種がある」

 

 ゴルスキィ氏は自分のあきれ顔に少し憮然とした表情をした後、部屋に立てかけられていた鋼色の小さな槍を掴みました。

 

「見ろ」

 

 そして自分によく見えるよう、大きな【盾】を展開します。

 

 それはガーバック小隊長殿に勝るとも劣らぬ、剛健なV字の【盾】でした。

 

「例えばこの状態で、正面の貴様が吾に銃を撃ったとしよう」

「はい」

「しかし吾に向かって飛んできた銃の大半は、【盾】で逸れる」

「はい、そうなるでしょう」

「だから、中心を外れた弾は無視していい。どうせ当たらん」

 

 ゴルスキィ氏は槍を上段に構えたまま、射貫くようにこちらを睨んでいました。

 

 サバトのエースと対峙している気分になり、少し肝が冷えました。

 

「斜め横から飛んでくる銃弾も、基本的に当たらない。横に動く的というのは、当てにくいのだ」

「はい」

「少なくとも吾の場合は、一度も当たったことは無い」

 

 まぁ連射能力の低い銃で、横移動する敵は狙いにくいですね。

 

 敵の射線に対し、横方向に移動しながらピョンピョン跳ねるのがFPSの定石でした。

 

 【盾】の存在で弾が横に逸れやすいこの世界では、斜めの敵は狙わず正面の敵を撃つのが定石とされています。

 

「問題は、真正面から体幹中心に飛んできた弾だ。中心に来た銃弾は【盾】で逸らし切れん」

「……はい」

「それを防ぐためには、銃撃に合わせ展開した【盾】の中心峰を真っすぐ切ればいい。敵の弾が中心を外れていれば問題ないし、もし正面に来ていたら弾けるのだ」

 

 と、ゴルスキィ氏は種明かしをするように教えてくれました。

 

 なるほど、流石の小隊長も弾を見てから切り落としてたとかじゃないんですね。

 

「剣鬼も、【盾】の練度は高かったのではないか? もし、盾も使わず平然と切り落としているのならば化け物だが」

「……ガーバック小隊長殿は、突撃兵とは思えぬほど強固な【盾】の使い手でした」

「さもありなん」

 

 そう聞かせて貰えれば、確かにギリギリ人間業として理解できなくもない気がします。

 

 敵の銃声に反応して、即座に真正面へ袈裟斬り出来るのも十分おかしいですけど。

 

「こんど練習してみろ。【盾】を出したまま、何かしらの武器をまっすぐ素振りするだけだ」

「……は、はい」

「習得難易度の割には見栄えが派手で、宴会受けが良い」

「え、宴会芸……」

 

 こうして自分は、戦友サルサ君の仇であるゴルスキィ氏と親交を深める事が出来ました。

 

 彼にとっての自分も、きっと大事な戦友の仇と言えるかもしれません。

 

 しかし、その恨みを忘れないと平和な世界は訪れないのです。

 

「ほら、もっと脇を締めい。貴様は小柄だから、斬り上げる形がよかろう」

 

 だから自分は、色々な感情を飲み込んで。

 

 いつの間にやらヴォック酒を飲み始めていたサバトのエースから、戦場で生き延びるのに役立つ宴会芸を仕込んでもらったのでした。

 

 因みにこの村の他のサバト兵にも話を伺ったところ、この「銃弾斬り」を宴会芸扱いしているのはサバト軍でゴルスキィ氏だけっぽいです。

 

「もっと素早く切り上げろ! 違う、角度が地面と垂直になっておらん」

 

 将来的に芸人として生きていく事も視野に入れていた自分は、一応「銃弾切り」を学ぶことにしましたが……習得できる気配はありませんでした。

 

 銃弾と同じ速度で斬らないと間に合わないので、自分の身体能力では再現不能っぽいです。

 

 と言うか、出来たらガーバック小隊長ですよねコレ。



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83話

 

 あの暴行事件から半月ほど。

 

「トゥーちゃん、トゥーちゃん。これあげる!」

「まぁ、ありがとうございます」

 

 あれ以降は大きなトラブルもなく、自分は平穏な日々を過ごしておりました。

 

 今日もセドル君の子守りを任され、彼がせっせと作る泥団子を受け取って並べる仕事をしています。

 

「これ、トクベツなお団子! おいしいから」

「それは素敵ですね」

 

 戦場帰りの兵士に囲まれた時は、どうなる事かと思いましたが……。

 

 それぞれゴルスキィさんや家族に説得され、思い直してくれたみたいです。

 

 自分と彼らはすれ違うと顔をしかめられる、そんな程度の関係に落ち着きました。

 

「白砂をのっけるの」

「へぇ、綺麗ですね」

 

 ですがあれから念のため、自分とセドル君は家の敷地内で遊ぶようにしました。

 

 何かあった時に最低限、セドル君だけでも家の中に逃がす事が出来るようにです。

 

 彼らの憎悪対象は自分なので、セドル君が家に籠ったら追ってまで暴行しないでしょう。

 

「ほんま、エラい好かれとるなぁトウリちゃん」

「おや、クーシャさん。こんにちは、店番はよろしいのですか」

「売り物は大体捌けたし、ちょっと店じまいや。亭主の仕入れ待ち」

 

 そんな訳で、ゴムージ邸の近くの地面を掘りセドル君を遊ばせていたらクーシャさんがやってきました。

 

 彼女は機嫌よさそうに、売り上げが入っているだろうカバンを持っていました。

 

「ママもお団子、いる?」

「おお、ありがとなセド。……今日もよく遊んでもらったか」

「うん。トゥーちゃん好き」

 

 ここは戦場ではないので、診療所も常に大入り満員ではありません。

 

 なのでこうして、セドル君と遊ぶ時間も十分に貰えました。

 

 前線では想像もつかないのどかな日々が、この村では流れていました。

 

「ほんま、セドによう好かれとるなー。ママちょっと妬けるわぁ」

「ははは……」

 

 自分が小柄なせいか、セドル君にかなり親近感を持たれている気がします。

 

 彼にとって、年の近い友人になっているのでしょう。

 

「トウリちゃん、ちょっと私に付き合えへんか?」

「付き合う、ですか?」

 

 クーシャさんはそんな自分達二人を見て、意味深に笑いました。

 

 ……どこかに連れていってもらえるのでしょうか。

 

「何処に行かれるのですか?」

「すぐ近所や。一遍、アンタを村の連中に紹介しとこうと思ってな。前みたいな危ない事にならんよう」

「ああ、成程」

 

 彼女はちょっと眉を(ひそ)め、自分にそう告げました。

 

 確かに、今までの自分の交友範囲はオースティン語が通じる範囲に限定されていました。

 

 すなわちゴムージ夫妻とゴルスキィ氏、そして診療所の癒者アニータさんのみです。

 

 サバト語が分かるようになってきた今、他の村人さんともコミュニケーションを取っていくべきでしょう。

 

「是非お願いします、クーシャさん」

「ほんならセドルは私が着替えさせるから、トウリちゃんは出かける準備しといてー」

「はい、分かりました」

 

 クーシャさんやゴムージは、よく村に溶け込んでいました。

 

 この二人が村に馴染んでくれていたから、自分も村で受け入れられていたのでしょう。

 

 狭い村コミュニティにおいて、円滑な人付き合いは身を守ってくれます。

 

 今までゴムージ夫妻に任せていたその努力を、いよいよ自分も始めるべきなのです。

 

「自分は口下手ですが、幾つか宴会芸は用意しています。人形劇とか受けますかね?」

「……ちょっと、人形の持ち込みとかはやめた方がええな。普通に話をするだけでええと思うよ」

 

 自分の特技でもある宴会芸の出番だと気合を入れたら、クーシャさんにたしなめられました。

 

 サバトの文化は、そういう感じではないっぽいです。

 

「分かりました、では何かしら菓子折り(ヴォック酒)などを買っていく感じですか?」

「まぁ飲む人はおるけど……今は危ないから持っていかんでええやろ」

「そうですね」

 

 確かに。あのお酒、濃すぎて危ないんですよね。

 

 アルコールが濃ければ旨いと勘違いしてる人じゃないと、あんなの飲まないです。

 

「とりあえず、着替えとタオルだけ持ってくればええわ。今、生理中じゃないんよね?」

「はい」

 

 クーシャさんは、自分にそう助言し家に戻っていきました。

 

 ……着替えと、タオル?

 

「あ、男の人に裸見られるから、下の毛の処理もしとき」

「……?」

 

 ……下の毛?

 

 

 

 

 

 

 

「クーシャさん、自分は一応パートナーが居てですね。古風な考えではありますが、先立たれたとはいえ操を立てるべきと考えており……」

「何を面白い顔してんねん、トウリちゃん」

 

 自分はサバトの文化を舐めていたようです。

 

 この国の性風俗は、そんなにユルユルな感じだったのですか。

 

 挨拶で裸を見せねばならぬ程、爛れた国とは思いませんでした。

 

「変な誤解しとるようやけど、多分想像してるのとは違うで」

「誤解、でしょうか」

 

 自分が未知の文化に恐れおののいていると、クーシャさんはニヤニヤしたまま自分の頭を撫でました。

 

 完全にからかっている時の顔です。

 

「裸の付き合いって言ってな。他人と仲良くなるなら、全てを見せ合って語り合うべきなんや」

「……えぇ」

「そのために今から向かうのが……」

 

 クーシャさんはそういうと、悪戯っぽく笑って、

 

「ヴァーニャっていう、要は蒸し風呂やな」

 

 

 

 

 

 

 そのまま彼女に連れられ、自分は大きな木造の建物に案内されました。

 

 結構な人でにぎわう建物内で服を脱ぎ、自分はクーシャさんとサウナのような蒸し風呂に入りました。

 

「トゥーちゃん! あそこ燃えてる、ボーボー燃えてる!!」

「あれは炉ですね、触ったら火傷しますよセド君」

「うん!」

 

 蒸し風呂は20人ほどが入れる大部屋になっていて、中心の炉から熱い水蒸気が吹き上がり、大きな枝箒を持った人がそれを掻きまわして熱風を振りまいていました。

 

 部屋の中では既に年配の男性や女性から、小学生のような子供までワイワイと雑談をしていました。

 

 一糸纏わぬ、全裸で。

 

「ここが、この村の社交会場なんや。恥ずかしがって布で体を隠すと、からかわれて引っぺがされるから注意し」

「はぁ」

 

 クーシャさんもすっぽんぽんで、色っぽい体躯を隠そうともせず仁王立ちしています。

 

 どうやら、体を隠すのはマナー違反になるみたいです。

 

「この風呂、美容やお肌にもええらしいで」

「……」

 

 ヴァーニャというのは、日本で言うところの銭湯のような場所でした。

 

 サバトに昔から根強く人気のある娯楽施設で、男女混浴のルールになっています。

 

 見た目はサウナですが温度はサウナほど熱くはなく、ちょっと暑い日程度の温度でした。

 

「暑くなったら外に出て、体を冷やして瓶から水を飲むとええ」

「はい、分かりました」

 

 子供をサウナに連れ込むのは大変危険ですが、この気温なら問題ないでしょう。

 

 セドル君はテンション高めに、クーシャさんの太ももをペチペチ叩いています。

 

 念のため熱中症にならないよう、自分が注意して見ておきましょう。

 

「……お、オース人の娘だ。彼女も来たのかね」

「せやで、紹介も兼ねて連れてきたわ。私らも話に交ぜてや」

 

 クーシャさんは慣れたもので、いろいろ隠そうとせず知り合いであろう年配のご夫婦に声を掛けに行きました。

 

 自分も彼女に追従して、ぺこりと頭を下げます。

 

「このご夫婦は村の生き字引で、村長さんみたいな人らや。トウリちゃん、こっち来て」

「は、はい、よろしくお願いします」

 

 裸を隠さない文化は結構面喰らいましたが、ヴァーニャの中の村人が余りに堂々としているのでだんだん気にならなくなりました。

 

 そういうもの、と受け入れるべきなのでしょう。こういう場では恥ずかしがる方が、逆に恥ずかしいのです。

 

「どうだいトウリっ娘、ヴァーニャは良いだろう。10歳は若返る気がするな」

「は、はい。とても気持ちの良い空間です」

「そうだろうそうだろう、オース人にも分かるかこの良さが。心が洗われる気持ちになる」

 

 サバト人にとってこの場所は、神聖なところみたいです。

 

 休日はヴァーニャで疲れや罪を洗い流し、また仕事を元気に頑張るのだそうです。

 

「男女とも裸になっても、イヤらしい事にはならないんですか?」

「ああ、そういうのは絶対禁止だ。もしこの神聖な場所でそんな真似をしたら、村から叩き出してやる」

 

 だから、男女ともに裸でもヴァーニャの中でそんなことをしてはいけないのだとか。

 

 変な匂いが籠って汚れるので、絶対のタブーだそうです。

 

「相手の居ない男女にとって、出会いの場的な意味はあるみたいやけどね」

「まぁ、そうですよね」

 

 ただそういう行為がタブーなだけで、ヴァーニャで知り合った女性と恋仲になるというのは、よくある事だそうです。

 

「トウリっ娘、前はひどい目に遭ったな。まだ、オースに対する憎い感情が癒えん人も多い」

「はい、理解しています」

「だが一緒にヴァーニャに入れば、それはもう仲間だ。あの乱暴者たちとも一度、ここで語り合ってみるといい。酒を飲んだ後の状態ではなくシラフのまま、冷静にな」

 

 その年配の男性は、大股開きでブツを隠そうともしないまま、

 

「ここは何の隠し事もなく話ができる、世界で唯一の場所だ」

 

 そういってダンディに笑いました。

 

 

 

 

 

 

「どうやった、トウリちゃん」

「とても、良い時間でした」

 

 結論から申しますと、自分はこの蒸し風呂をとても気に入りました。

 

 ヴァーニャはきっと、前世日本でも心地よいスパ体験として通じたでしょう。

 

 要はここは、気軽にコミュニケーションの取れる健康ランドでした。

 

 サウナほど熱くなくずっと籠っていられるので、村の人とたくさん話ができました。

 

 ヴァーニャの中では、村人がみな気安く話をしてくれます。ここは、そういう場所なのです。

 

 そして風呂上がり、汗をたっぷり流して喉が渇いてから、コップ一杯の水を飲み干すのはまさに至福でした。

 

 体の老廃物を根こそぎ洗い流しリフレッシュできる感覚を、この世界で味わえるとは思いませんでした。

 

 今世で、最も気に入った施設かもしれません。

 

「男女共に裸なのに、男の人はみな紳士的でした」

「ま、たまにスケベも来るけどな。夕方過ぎて、仕事終わりの時間は特に多いわ」

「……なるほど」

「真っ昼間なら時間のある老夫婦か、うちらみたいに主婦が子供連れて来る事が多いな。ヴァーニャに行くなら昼にしとき」

「分かりました」

 

 これからは休日は、しばしばヴァーニャに顔を出すことにしましょう。

 

 知り合いも増え気持ちよくて、一石二鳥です。

 

「ヴァーニャでヴォック酒飲みながら語り合ったら、親友になれるらしいで。年の近い女の子とかおったら、誘ってみ」

「……同世代の友人、ですか」

 

 クーシャさんは、自分にそんな助言をしてくれました。

 

 そういえば孤児院を離れてから、同世代の女友達は一人も出来ていません。

 

 ここで交遊範囲を増やし、少しでも村に溶け込めるよう努力しましょう。

 

 前みたいな窮地に、割って入ってくれる様な友人が出来れば最高です。

 

「分かりました、頑張ります」

「ま、気張らずに適当にな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、自分はしばしば蒸し風呂へ足を運ぶようになりました。

 

 ヴァーニャは村の殆どの人が利用しているようで、

 

「げっ」

「おお、貴様も来ていたか」

「どうも、ゴルスキィさん」

 

 ある日、帰還兵と一緒にヴァーニャに入っているゴルスキィ氏にも出くわしました。

 

 この蒸し風呂の中で会話を交わせば、仲間になれるといいます。

 

 自分はオースティン軍人で彼らはサバト兵。

 

 分かり合えないにしろ、最低限の関係は構築するべきだろうと挨拶に行きました。

 

「先日はご指導を頂きありがとうございました」

「気にするな」

 

 ゴルスキィさんは非常に器が大きい人で、自分を見て露骨に不快感を示したりしません。

 

 帰還兵3人は居心地悪そうに自分から顔を背けていますが、まぁそれは良いでしょう。

 

「イリゴル、貴様も軍人なら会釈くらいしろ」

「……よう、小娘」

「ええ、こんにちは」

 

 自分だって、その3人とは積極的に仲良くする気はありません。

 

 ただ、もうあんなことが起こらないよう釘を刺したかっただけです。

 

「にしても貴様、堂々としたものだな」

「何がでしょうか、ゴルスキィさん」

 

 とりあえず、帰還兵イリゴルと会釈を交わしただけで今日は成功としましょう。

 

 これからもこの土地で生きていく以上、折り合いはつけねばなりません。

 

 

「貴様の年頃の娘は気恥ずかしがって、普通は体を隠すものだが」

「オースは裸を気にしない文化なんじゃないのですか、ゴルスキィさん」

「何とまぁ豪胆な」

 

 

 ……隠してよかったんですか。



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84話

 

「おうクーシャ、先輩、帰ったぜ」

 

 夏も盛り、乾いた日差しが照り付ける中。

 

「あら、アンタどうしたんその怪我」

「賊にやられたよ。……ったく、治安が悪くなったもんだ」

 

 ゴムージは行商の旅を終え、顔に包帯を巻き付けて帰ってきました。

 

 まだ包帯には赤黒い血が滲んでおり、隙間から見える傷は痛々しいです。

 

「賊やって? 大丈夫やったんか」

「ああ、護衛が追っ払ってくれたぜ。やっぱ安全には金をかけるべきだよな」

 

 ギョッとして駆け寄ったクーシャさんに、ゴムージはカラカラと笑顔を返しました。

 

 ゴムージは馬車上から動けないので、行商の間は信用できる傭兵団に護衛を依頼していたのです。

 

 この男は、本当に抜け目がありません。

 

「その護衛に、治療を依頼しなかったんですか?」

「ああ、治療は有料だってさ。なら、先輩に治して貰った方が安上がりだろ?」

「……化膿したら大変なので、次からは治療を受けて下さいゴムージ」

「おう、すまんかった」

 

 ですがこの強突く張りは、自分の回復魔法を当てにして治療を断っていたようです。

 

 お金はそこそこ持っているんですから、その場でちゃんと治療を受けてください。

 

「お前らは何か困ったことなかったか?」

「そうそう、うちらもひと悶着あってな。オースティン出身やからって、トウリちゃんが襲われかけたわ」

「何ぃ? 村の連中は納得してたハズだが」

「退役兵が、村に戻ってきよったんよ」

「んだとぉ?」

 

 自分の治療を受けるゴムージは、自分とセドル君が暴行されかけた事件を聞き、片眉を吊り上げて怒りました。

 

 ……ゴムージの怒り顔を見るのは、マシュデール以来かもしれません。

 

「そいつらはどうなった?」

「理性がある人が、場を治めてくれたわ。セドを蹴っ飛ばしてくれた男は、ウチが睾丸蹴っ飛ばしといたで」

「よくやった、流石俺の女房」

 

 そんなことしてたんですか、クーシャさん。

 

「成程、そういう可能性もあったか。悪い先輩、見落としていたわ」

「いえ、その」

「この俺が戻ってきたからには安心しろ、もうそんないざこざは起こさせねぇ。しばらくは村に留まるつもりだから、安心してくれ」

 

 ゴムージは自信満々に、自分にそう言って微笑みました。

 

 もしかしたら彼は、村で自分を受け入れて貰うための根回しをしてくれていたのかもしれません。

 

 ……ゴムージは、人の心の内側に入り込むのがうまいですから。

 

「俺は身内のためになるなら、やらねぇことはねぇ」

 

 自分がこの村で平和に過ごせているのは、彼の庇護があってこそ。

 

 初対面で爆殺されかけた男にこうも世話になるとは、人生は分からないものです。

 

 

 

 

 

 

 

「ふーん? 先輩、あの蒸し風呂気に入ったのか」

「ええ、とても快適でした」

「俺は好かんけどなぁ」

 

 自宅でのゴムージの身の回りの世話は、自分かクーシャさんが行っていました。

 

 彼の馬の世話や餌やりなども、自分の仕事だったりします。

 

「若い男にヴァーニャは、ちょっと辛ぇんだ」

「……それはどうしてですか?」

 

 雑談の中でヴァーニャの話題になると、ゴムージは微妙な顔になりました。

 

 世話になっているので、彼が望むなら背負って行ってあげるつもりだったのですが。

 

「……その、興奮してるのがバレちまうからな。足が無い俺は、誰かに抱っこされないと入れんし」

「あぁ」

「クーシャ相手におっ勃つならともかく、その、他の女に目が行ってるのがバレるとクーシャが怖くて」

「……成程」

「でも男なら、目が行っちまうもんなんだよ」

 

 まぁ、気持ちはわかります。自分も、美人がヴァーニャに入ってるとチラチラ目を奪われてしまいます。

 

 変な意味ではなく、目を引かれるという感じですけど。

 

「ヴァーニャは神聖な場所だから、興奮するだけで白い目で見られるんだ。目の前に御馳走を用意され、お預け食らってるようなもんよ」

「そんなものですか」

「あと、たまに男に誘われる。尻が痒くなる」

「男にとっては天国かと思いましたが、案外に辛いのですね」

「わかってくれるか、先輩。まぁ先輩と入る分にはまったく気にせんで良いんだが」

 

 確かに、そう考えると既婚者には少し辛い場所なのでしょうか。

 

 妙齢の女性が肌を晒す中、僧のように無心でいなければならないわけなので。

 

「ま、てなもんで俺は家の水場で十分だな」

「そうですか」

「先輩が行きたいなら好きにすりゃあいい。年頃の男を捕まえるにはうってつけの場所だ」

「自分は既婚なので、そういうのは結構です」

「そうだったな」

 

 自分があの場所を気に入ったのは老若男女問わずにコミュニケーションが取れて、かつ素敵なスパ体験が出来るからです。

 

 そういう目的ではありません。

 

「ま、先輩は焦る必要はないぜ。嫁ぎ遅れそうになったら、セドが引き取るから大丈夫だ」

「流石に歳の差があるでしょう」

「俺とクーシャだって、6歳離れてる」

 

 自分とセド君は、12歳離れてますけど。

 

「自分なんかあてがったら、セド君がかわいそうですよ」

「アイツ、どう見てもお前にデレデレだぞ」

「あの年ごろの子は、よく遊んでくれる人に懐くだけでしょう」

 

 確かに今のセド君は、自分を見るなり笑顔で駆け寄ってくれますけど。

 

 他の同年代の子と遊ぶようになれば、自分から離れていくと思います。

 

「まぁ、先の話だ。そうそう、先輩に渡すモノがあったんだった」

「渡すモノですか?」

「おう、良いもん見っけてな。そこの木箱の前、開けてみろよ」

 

 ゴムージは思い出したように、手を叩いてそう言いました。

 

 彼の指さす方向には、小さな木箱があります。

 

「その箱の中の、筒をとってみてくれ」

「これですか?」

「そうそう、その箱の中の黒い筒だ。鉄製のヤツ」

 

 自分はゴムージの指示するまま、黒い筒を取り出しました。

 

 それはずっしりと重い、黒光りの鉄筒でした。

 

「これは……?」

「そこの留め具を外して、開けてみろよ」

 

 自分は指示されたとおりにその鉄筒を開くと、

 

「これは、手術セットですか」

「ああ、ピンセットにメスが3本と針、糸、砥石入り。耐熱性だから、熱湯消毒可能だ」

 

 新品の手術道具が、きれいに収納されていたのでした。

 

 奇麗な鋼色の光沢から、高級品であることが伺えます。

 

「俺からのプレゼントだ、どうよ?」

「これは、とても素晴らしいものでは。あ、この穴に紐を通せば肩に掛けられるんですね」

「そうだ。それさえあれば、いざという時に手術道具を取りに行かなくて良いだろ」

 

 携帯できる手術セット……、とても良いものを貰いました。

 

 これでいつでも重傷者に応急処置をすることができます。

 

「ありがとうございます、ゴムージ。とても嬉しいです」

「そうだろ? 先輩の商売道具にしてくれ」

「一生、大事にします」

 

 アニータさんの診療所に手術道具はありますが、それはあくまで借り物。

 

 自分専用の手術セットがあるのは、やはり嬉しいものです。

 

 それも、携帯できるとあれば言うことはありません。

 

「先輩がマシュデールで、処置の時にアーミーナイフを使ってたのを思い出してな。自前の応急処置セットは持ったことねぇんじゃねえか?」

「ええ、あの時の自分の医療物資は誰かに爆散させられましたからね」

「それを言うなよ、先輩」

 

 実はアーミーナイフは応急処置にも割と使えて、メスが不足している時は衛生部でも使っていました。

 

 壊死組織の除去(デブリドマン)の時とかに意外と有用なのです。

 

「ああ、やっぱり先輩にゃ武器より医具のがよく似合う」

「……どうも」

「出来ればもう、あんな物騒なモンを握らないまま過ごせりゃいいんだが」

 

 しかし正直、アーミーナイフはサイズ的に自分の手に余っていました。

 

 彼が今日プレゼントしてくれたメスの方が、手に合ってそうです。

 

「ええ、自分もそう思います」

 

 ゴムージから受け取った手術セット。

 

 これを使って一生、オセロで癒者をやるのも悪くないかもしれません。

 

 衛生兵であったことを忘れ、ロドリー君ら失った戦友を悼みながら、一般市民として生きていっても良いのかも。

 

 自分は手渡された鉄筒を見て、そんな感傷を抱きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、戦友への裏切りであることはわかっています。

 

 ですが恐ろしい戦場の毎日に比べ、この村の生活は余りにも平穏で幸せでした。

 

「……何だ、こりゃ」

「どうしたんです、ゴムージ」

 

 自分がそんな、甘えた感傷を抱いた罰が当たったのでしょうか。

 

 全てが壊れる前触れとして、1枚の号外紙がオセロに届けられました。

 

「その紙に、何が書かれているのですか?」

「ヨゼグラード……。サバトの首都が、焼き払われたと書いてある」

「首都が? 誰にです、まさかオースティン軍?」

「いや」

 

 その号外紙は、首都の新聞社が刷ったものでした。

 

 日付は、およそ1か月前となっています。自分たちの住むオセロはサバトの辺境なので、情報の伝達はかなり遅いのです。

 

「労働者議会、と名乗る連中だ」

「……労働者議会?」

 

 自分はその組織の名前に、聞き覚えは有りませんでした。

 

「これが本当なら、凄まじい大事件だ」

「この情報の真偽を確かめるまでは、ゴムージも行商には出ない方が良いでしょう」

「だな。最近妙に治安が悪いと思っていたが……」

 

 自分はレミさんと知り合ってはいましたが、彼女の詳細な情報は貰っていません。

 

 ベルンから、「レミは他人の命を毛とも思わないテロリスト」という話を聞いていただけです。

 

「嫌な予感がしやがるぜ」

「その予感が、外れてくれればよいのですが」

 

 だから、この時サバトで何が進行していたかなんて知る由もありませんでした。

 

 

 

 そして残念ながら、ゴムージの嫌な予感は最悪の形で的中してしまいます。

 

 これから間もなく「サバト革命」と呼ばれる、サバト連邦を二分する大きな内乱が勃発してしまうのです。

 

 悪魔(ベルン)により誘われた地獄への扉が、ゆっくりと音を立てて開きつつありました。

 

 

 

 

 

 この時、首都では何が起こっていたのでしょうか。

 

 実は当時、「サバト政府が降伏を拒否し、勝利を逸した」という情報が広まって、暴動に近いデモが行われていたのです。

 

 市民は政府からの説明と補償を求め、連日のように政治家の自宅や役所へ押しかけました。

 

 そしてとうとう、市民の手によって政治家が暴行される事件が発生してしまいます。

 

 身の危険を感じた政治家は、デモに参加した国民を賊として対処するよう軍に命令しました。

 

 軍事力で、市民をねじ伏せようとしたのです。

 

 

「どうして、友や家族を撃たなければならないんだ?」

 

 

 これが、実に悪手でした。

 

 兵士だって市民であるということを、彼等は失念していたのです。

 

「あそこにいるのは俺の妹だ、撃たないでくれ!」

「でも、命令が」

「それ以上銃撃を続けたらぶっ殺すぞ!」

 

 当たり前の事ですが、首都に駐留している兵士の大半は首都出身でした。

 

 彼らにとっては、自分の家族や友人を撃てと命令されたようなものです。

 

「すまんが俺ぁ、うっかり命令を見逃したようだ」

「なら仕方ないですね」

 

 この命令を実行する部隊は少なく、多くの部隊がサボタージュを決め込みました。

 

 それどころか、一部の兵士は脱隊してデモの護衛すら行ったと聞きます。

 

 こうして軍の指揮系統は乱れ、機能しなくなってしまいました。

 

 

「今、サバトは生まれ変わらねばなりません。戦争を憎み、平和を愛し、家族と力を合わせ生きていける国家に」

 

 

 そんな混沌とした情勢の中、勢力を急拡大したのがレミ・ウリャコフの率いる「労働者議会」でした。

 

 「労働者議会」は脱隊した兵士の受け皿となり、デモ隊を守る様々な活動を始めます。

 

 街中に巨大なバリケードを設置して、負傷した市民を運び込んで治療し、戦争反対を声高に訴えました。

 

 その活動は多くの市民の支持を集め、大量の援助が集まりました。

 

 レミ・ウリャコフ自体の圧倒的な美貌やカリスマも、その勢力拡大に一役買いました。

 

 彼らの影響力は日増しに高まっていき、市民は政府より労働者議会に従うようになっていきます。

 

 そして政府より影響、軍事力、人望が「労働者議会」が上回ったその日。

 

 事実上、サバト連邦は崩壊してしまいました。

 

 

「金の亡者が権力を持つから、この国は歪みました」

 

 

 「労働者議会」は旧政府の力を削ぐため、政府高官の家を襲い暗殺して回りました。

 

 彼らの攻撃対象は、「戦争継続を希望したらしい」軍事企業にも向けられました。

 

 レミは演説で民を煽動し、民衆により多くの企業本社が焼き払われていきました。

 

 その企業は悪だ、という風潮は徐々に拡大していき、

 

「我々は平等であるべきです。財をため込み、独占する企業は悪です」

 

 資産家に対する無差別な憎悪として、民衆の間に浸透していってしまいました。

 

 

 

 レミさんは、自らの演説でこのような思想を語りました。

 

「国民が全ての財産を共有することが出来れば、貧富の差はなくなります」

 

 と。

 

 

 「全ての国民の財を政府が管理する」とも言い換えられるこの恐ろしい思想は、多くの貧困層の労働者に受け入れられました。

 

 彼らはそれが実現できれば、素晴らしい国になると信じたのです。

 

 レミさん自身もきっと、そう信じていたに違いありません。

 

 

 しかしこの新たな思想のせいで、サバトは大混乱に陥ってしまいました。

 

 この思想に大義名分を得て、資産家に対する無差別な略奪がサバト全域で横行したのです。

 

 補足しておくと、レミさんは決して略奪を容認していたわけではありません。

 

 彼女が武力攻撃の対象としたのは戦争で甘い汁を吸っていた企業だけであり、行商人などには「政府打倒のための寄付」を呼び掛ける程度にとどめていました。

 

 レミさんは商人を排斥するつもりなんてなく、むしろ物流の為にも積極的に取り込みたいと考えていたのです。

 

 彼女が企業を敵視したのは、分かりやすい悪人を作り上げることで味方の結束力を高めるためでした。

 

 実際レミさんは演説で「行商は民の豊かな暮らしに不可欠である」としていますし、結構な数の町商人が彼女のパトロンになっています。

 

 

 しかし、彼女の演説を聞いた民衆は「自分の都合の良いように」解釈をしてしまいました。

 

 「皆で財産を共有する」ので窃盗が許されると勘違いしたり、「企業が敵」だから商人を襲うのは正当だと思い込んだり。

 

 レミさんの考え方は新しすぎて、多くの民衆に誤解を与えてしまったのです。

 

 

 この急速な治安の悪化に対処すべく、レミさんは独自に治安維持軍を組織しました。

 

 これはデモ隊の時に離反した軍人が中心となった私設軍で、思想を曲解して蛮行に走った賊を処罰していきました。

 

 しかし彼女の手が届いたのは首都の周囲までで、辺境まで対処する余裕までは有りません。

 

 平和な村だったオセロにも、戦乱の導火線がゆっくり敷かれていたのです。

 

 

 

 恐ろしいことに、この年のサバトは戦争が行われていた時の数倍に及ぶ犠牲者が出てしまいました。

 

 それも死者の大半は兵士でなく、平和に暮らしていた一般市民でした。

 

 こうしてサバト連邦政府の崩壊をきっかけに、サバト史上最悪の1年が幕を開けたのです。 

 

 

 この惨状のどこまでが彼の狙い通りだったかは分かりません。

 

 しかしこの地獄を作り上げたのは間違いなく、オースティンの英雄ベルン・ヴァロウでしょう。

 

 



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85話

 

「クーシャには店番を任せっきりだったからな。日頃の礼も兼ねて、たまにはお洒落も良いだろう」

「あら、ええやん」

 

 その日の朝。

 

 自分はイチャイチャしている夫婦を横目に、セドル君の着替えを手伝っていました。

 

「綺麗なネックレスですね」

「ほんま、ゴムージにしては気が利くで」

「嫁には綺麗でいて欲しいからな」

 

 ゴムージはクーシャさんにもプレゼントを買っていました。

 

 彼はいかにも高価そうな、赤い宝石がついたネックレスをクーシャさんの首にかけました。

 

 ゴムージ曰く、割と奮発したのだとか。

 

「ありがとー、宝物にするわ。また貢いでなダーリン」

「へいへい」

 

 ネックレスを撫でて小躍りするクーシャさんを見て、ゴムージは苦笑しました。

 

 セドル君は、そんな二人の様子をポカンと眺めています。

 

「トウリちゃんもアクセサリーとか要らんの?」

「いえ、自分は」

「ウチのおさがりで良ければ、あげよっか?」

 

 女の人はアクセサリーが好きと言いますが、クーシャさんの目の輝かせ方は凄まじいものでした。

 

 きっと、ゴムージから貰ったからこその喜びようなのでしょう。

 

「トウリちゃんはそやなぁ、赤よりも青系の方が似合いそうや。ちょい待っとき、幸せのおすそ分けを……」

「あー。えっと、その」

 

 ですが自分は、着飾ることにはあまり興味がありません。

 

 職業柄、化粧をすることにすら抵抗があります。

 

 なのでアクセサリーを貰っても、正直困ってしまうのですが……

 

「ほっといてやれよ。先輩はそう言うの、苦手なクチだろ」

「えー、そうなん?」

「まだ、いまいちピンと来ていないんです」

 

 自分の困惑を察してくれたゴムージが、助け船を出してくれました。

 

 この男は最初から、自分がアクセサリー類に興味が無いと気付いていたようです。

 

 その辺の機微の察し方が、商人らしいというのでしょうか。

 

「勿体ないわぁ。トウリちゃん野暮ったい服ばっか着てるし、お洒落してみればええのに」

「自分の身の丈にはあっています」

「良いじゃねぇか、それはそれで先輩の良さだ」

 

 まぁ、自分はそのあたり一般女性とは感性が異なるのでしょう。

 

 クーシャさんは自分を微妙な顔で眺めたあと、ゴムージにお礼のキスをしました。

 

 ゴムージもキスを仕返したので、自分は無言でセドル君の目を塞ぎました。

 

 ああ、毎朝のことながらLoveな熱気に当てられそうになります。

 

「今日は出勤日なので、お先に失礼します」

「行ってらっしゃいトウリちゃん」

「トゥーちゃん、ばいばい」

 

 自分は二人の熱に当てられる前に、職場に退散することにしました。

 

 幸せで、眩しすぎるその風景から逃げるように。

 

 

 この日はゴムージが、家でセドル君の世話をしてくれる予定でした。

 

 自分はいつも通りアニータさんの診療所で、応急診察の手伝いです。

 

 クーシャさんはゴムージ雑貨店の看板娘として、今日も元気に働く手筈です。

 

 

 いつもと変わらない、平穏で静かな日々。

 

 自分を追いかけ、玄関の外でずっと手を振ってくれているセドル君に微笑み返して、アニータさんの診療所に出かけました。

 

 

 ────その笑顔はもう二度と、戻ってこないとも知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 ゴムージの雑貨店は、元は倉庫だった建物を改装して作られていました。

 

 場所はゴムージ家のすぐ隣で、1分で行き来できる距離です。

 

 その倉庫の入口にレジカウンターを置いて、注文された商品をクーシャさんが取りに行って代金と引き換え渡すような仕組みです。

 

 女一人で店番と聞けば不用心に思えますが、店前は人通りが多く、強盗などが現れても誰かが助けに入ってくれるでしょう。

 

 人通りが少ない時間になると、クーシャさんは早々に店を閉めます。

 

 そんな訳で、今までは特に問題なく彼女一人で店番ができていたのです。

 

 

「……随分、儲かってそうだな」

「ええ、おかげさまで」

 

 クーシャさんはその日も、いつものようにニコニコと笑顔を振りまいて店のカウンターに立っていました。

 

 ただこの日は、朝にゴムージから贈られた高価なネックレスを身に着け、いつも以上に機嫌が良かったでしょう。

 

「そのネックレスは幾らしたんだ?」

「さぁ? 旦那が買ってきてくれたもんで」

「旦那さんは何やっている?」

「行商やよ。仕入れたもんを売るのが私の役目や」

「ちっ」

 

 そんな彼女の笑顔を見て、店内に入っていた客は舌打ちしました。

 

 その理由は、

 

「随分と、不当に貯め込んでいるんだな」

「はい?」

 

 この客はある過激な思想家によって、「資産家は祖国を滅ぼす敵」であるという認識を植え付けられていたからです。

 

 いや、正確にはこの男は客ではなく、

 

「お前らのせいで、何人の罪なき市民が死んだと思っている?」

「あのー、お客さん?」

「貴様らが良い思いをして、贅沢を極めたばかりに」

 

 最初から、略奪を行うためにオセロ村に訪れていた暴徒の一人でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、突然の出来事でした。

 

 平和だった村にいきなり大きな悲鳴が上がった直後、数発の銃声が鳴り響きました。

 

「いったい何事だ?」

「……何やら不穏な雰囲気ですね」

 

 この時、自分はアニータさんの診療所で仕事をしている最中でした。

 

 診察を中断して窓から外の様子を窺うと、銃を手に持った男が大声で何かを叫んでいるのが見えました。

 

「我々は───、革命に───」

「────村長を、出せ────」

 

 それは、数十名の小汚い身なりの武装集団でした。

 

 遠すぎて話の内容は断片的にしか分かりませんが、どうやら「金と食料と財産をよこせ」という要求みたいです。

 

 それが革命のためであり、祖国のためなので協力しろという言い草でした。

 

「盗賊だな。……どうしたもんか」

「村長を出せと言っていますが」

 

 彼等は通りがかった住民を脅し、口の中に銃口を突っ込みました。

 

 あのまま発砲されたら、頭が吹き飛んでしまうでしょう。

 

 脅された村人の、顔が真っ青になっています。

 

「あ、あぁ。お爺……」

「……っ」

 

 そんな粗暴な男どもの呼びかけに応じ、1人の老人が恐る恐る歩いてきました。

 

 自分は、その老人に見覚えがありました。

 

 以前、自分がヴァーニャで会話を交わした老夫婦の旦那さんです。

 

「……」

「つまり、……」

 

 男は老人と言葉を交わしました。

 

 老人は腰を低くして、ペコペコと頭を下げなから何か交渉しています。

 

 彼は必死に頭を下げ、賊に何かを懇願していました。

 

「あっ!」

 

 暫く言葉を交わされた後。

 

 武装した男はおもむろに、銃を老人に向けました。

 

 老人は目を見開き、男はニヤリと唇を歪めます。

 

「いかん、逃げろ爺────」

 

 直後、村に大きな銃声が響き渡り、老人は顔面を吹っ飛ばされました。

 

 大きな悲鳴が村中に響き、頭を失った老人は力なく倒れてしまいます。

 

「この男は───、我々に協力しないのであれば───、我々は革命の敵に対し───、命を懸けて戦う覚悟が───」

 

 老人の頭を吹き飛ばした殺人男は、再び演説を始めました。

 

 おそらく老人は村の為に、彼らの要求を断ろうとしたのでしょう。

 

 その結果、銃で撃ち殺されたのです。

 

 

「ただいまより徴収を行う───」

 

 

 粗暴な男たちは銃を構えたまま、散ってそれぞれ民家を回り始めました。

 

 そして住人に銃口を突き付け、家から財産を持ち出し始めます。

 

 居留守を使った家は燃やして、堪らず出てきた人を撃ち殺してしまいました。

 

 

「卑怯な人間を我々は許さない────」

 

 

 それは紛うことなき略奪でした。

 

 老人を殺す事で本気だと示し、速やかに財産を奪うその手口。

 

 そのやり口の慣れ方を見るに、もう何度も略奪を行ってきたのでしょう。

 

「こ、ここに来たら、アタシが対応する。トウリちゃん、患者を奥にまとめて隠れさせとけ」

 

 アニータさんは顔を青くしながらも、そう言って玄関口の方へ行きました。

 

 診療所の主として、矢面に立つつもりのようです。

 

 この非常時に、かつて軍人だった自分のとった行動は────

 

 

 ────部屋の隅で、顔を青くして屈み、震える事でした。

 

 

「ひぃっ、また銃声が」

「何なんだよ、あいつらは……っ!!」

 

 

 自分は、無力でした。

 

 銃声が聞こえるたびに恐怖で心が凍り付き、涙を浮かべることしか出来ませんでした。

 

 装備も何もない今の自分では、武装した集団に為すすべがありません。

 

「……ゴムージ」

 

 外の賊達は、やがてゴムージの家に入っていきました。

 

 きっと、彼の家の財産や商品を根こそぎ奪っていくのでしょう。

 

 ゴムージは口が上手いので酷い事にはならないと思いますが、心配でした。

 

「くそったれ、何だってんだよぉ」

 

 まさか真昼間から堂々と、襲撃してくる賊が居るとは。

 

 この地域の警察は、軍は、何をしているのでしょうか。

 

 ガクガクと、腰が震えて動けません。

 

「だ、大丈夫だお癒者さん。いざとなりゃ、俺が」

「す、すみません」

 

 よほど酷い顔色だったのか、自分は患者さんに心配されてしまいました。

 

 戦場帰りで鉄火場に慣れている筈なのに、この場の誰より落ち着いていなければならないのに。

 

「……大丈夫、の筈です」

 

 いえ。違いますね。

 

 自分が戦場帰りだからこそ、銃の音が怖くて震えが止まらないのでしょう。

 

 銃の恐しさを知っているからこそ、恐怖に押し殺されているのです。

 

 あの武器がどんなに簡単に人の命を奪えるか、衛生兵だった自分はこの上なく熟知しています。

 

 

 ────ああ、本当に情けない。

 

 

 そんな自嘲と共に、自分は目を閉じて泣いていました。

 

 ……すると。

 

 

 バァン、と。

 

 突然にゴムージの家の方から、大きな銃声が響き渡ったのです。

 

 

 

「……っ!」

「トウリちゃん!?」

 

 

 確かに聞こえました。彼の家から大きな銃声が。

 

 あの家の誰かが、撃たれた可能性があります。

 

 そう思った瞬間に腰の震えが止まり、自分は立ち上がっていました。

 

「すみませんアニータさん」

「な、なんだトウリちゃん」

「自分はゴムージの様子を見に行ってきます」

「ちょ、ちょっと!」

 

 嫌な予感で、動悸が止まりません。

 

 何か致命的な事が起こったような悪寒が、喉を渇かしました。

 

「……ご迷惑はかけません!」

「おーい!」

 

 自分はゴムージに貰った黒い鉄筒を肩にかけ、裏口から診療所を飛び出しました。

 

 冗談ではありません。口が上手いのが取り柄でしょう、ゴムージは。

 

 どうして、発砲されるなんて事になったのですか。

 

「……」

 

 自分は走りました。万が一のことがあれば、彼を助けるのは自分の役目です。

 

 この数か月の平穏は、彼のお陰で手に入れました。

 

 彼だけは、絶対に見捨ててはいけないのです。

 

 

 自分は敵の位置を確認しながら、民家の裏を駆けました。

 

 発砲音がしてからまだ数分ほど、即死でなければまだ助かる見込みはあります。

 

 誰にも見つからぬように、足音を忍ばせて。

 

 見つからぬ様ゆっくりと、ゴムージの家の裏口付近まで走って────

 

 

 

「……あ」

 

 

 

 その、ゴムージ雑貨店の入り口に。

 

 見覚えのある女性(クーシャ)の生首が、血を撒き散らして転がっているのが見えました。

 

 



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86話

 

 資産家は殺しても、罪に問われない。

 

 今まで仕事もせずに甘い汁を吸い、贅沢の限りを尽くしてきた悪人である。

 

 その報いとして財産を没収し、皆で分け合うのが新しいサバトの法律だ。

 

 

 この時、自分たちを襲撃してきた賊の主張はそんな内容でした。

 

 ゴムージが、今までずっと家を支えてくれていたクーシャさんへのお礼として奮発して買ったネックレスが、賊の怒りの琴線に触れてしまったのです。

 

 目撃者の話によると、クーシャさんは抵抗する暇もなく取り押さえられ、アーミーナイフでギコギコと首を切り落とされてしまったようでした。

 

 村に響いた最初の悲鳴は、クーシャさんのモノだったのです。

 

「……」

 

 この日の村の空気は、今まで経験したことが無い味をしていました。

 

 普段は村の住宅通りには、草木や土の匂いに混じって香ばしいパンやシチューの香りが漂っています。

 

 今の時間なら子供の遊び声や主婦の世間話、揺れる草木のそよめきで賑わっていました。

 

 自分はその、牧歌的で温かな雰囲気のオセロ村が大好きでした。

 

 

 ですがこの時は、硝煙のツンとして鼻を突く臭いが混じり、家の外壁には血飛沫が飛んで、そこら中にピクリとも動かぬ肉塊が転がっていました。

 

 音を発するのは賊の怒声か銃のみで、時おり悲鳴と救いを求める断末魔が響いていました。

 

「う、う」

 

 吐き気を堪えるのがやっとでした。

 

 こんなに簡単に、地獄の扉は開かれるものなのでしょうか。

 

 人はこんなにも躊躇いなく、平和を叩き壊せるものなのでしょうか。

 

 

「……っ、ゴムージ!」

 

 

 クーシャさんは光のない眼で、自分をぼんやり見つめていました。

 

 自分は必死で呼吸を整え、銃声が聞こえてきた母屋の裏口に回りました。

 

 ゴムージまで、撃たれた可能性があるのです。今は取り乱している暇はありません。

 

 せめて彼とセドル君だけでも、救わねば。

 

「……」

 

 壁越しに中の様子を伺うと、複数の男の声が聞こえてきました。

 

 セドル君の凄まじい泣き声で、その話の内容はよく聞き取れません。

 

 ……なので、敵の気配に注意して耳を傾けました。

 

「複数の足音がリビングを移動中……」

 

 足音を聞く重要性は、アレンさんに何度も教えてもらいました。

 

 見えずとも気配が探れ、大まかな敵の位置を割り出せるのです。

 

「賊の声は、2人分でしょうか」

 

 リビング付近でセドル君が泣いていて、その室内で敵が二人ほど歩いているのが分かりました。

 

 他に息を潜めている敵がいる可能性もありますが、今分かるのはこんな所です。

 

「……」

 

 先程、大きな銃声が響いていました。つまり、敵は銃で武装していると思われます。

 

 一方で自分は丸腰、強いて言うならメスが投擲武器になるくらいでしょうか。

 

 投げメスなんて練習したことないので、正直あんまり当てにできません。

 

 

 ……ここで自分が乗り込んでも、死体が増えるだけの可能性が高いです。

 

 不意をついて一人を何とかしても、もう一人に銃を向けられたら勝ち目がありません。

 

 何とか、中の二人を助ける方法は……。

 

 

 

 ────裏取りは出来ている。武器がないなら奪えばいい。

 

 ────適当な鈍器を、背後から頭に投げ付ければ一人は倒せる。

 

 ────敵の進行ルートを予測、そろそろ二手に分かれる。孤立するタイミングで襲え。

 

 

 

 ……その時、スッと。

 

 誰かの助言が、聞こえてきた気がしました。

 

 

 

 

 

 

 周囲を見渡せば、近くに手頃な鈍器がありました。

 

 それは投げやすいサイズに固められた、土の塊。

 

 きっとセドル君がこしらえたであろう、カチカチに乾いた(トクベツな)泥団子です。

 

「……」

 

 泥団子を拳で掴み、自分はこっそりと家の外壁に張り付いて様子を伺いました。

 

 ……中から一人の男が出てきて、倉庫に向かっているのが見えます。

 

 どうやら一人が母屋の中の家財を運び出す役割で、もう一人は倉庫を物色する役目になったみたいです。

 

 つまり今、家の中に1人しか敵がいません。

 

 

「……あ?」

 

 意を決して、自分は裏口の戸を開け中に突入しました。

 

 握り込んだ泥団子は、結構な重さがありました。

 

 野球ボール程の土塊を自分は思い切り振りかぶって、

 

「誰か、他にも隠れてやがったか────?」

「えいっ」

 

 振り向きかけた男の、側頭部に全力投球してやりました。

 

「が、あ……」

 

 泥団子と言えど、それなりに鍛えている自分の全力投球は馬鹿にできない威力でした。

 

 暴徒の右顔は陥没し、耳や鼻から血を噴いて男は失神してしまいました。

 

「トゥーちゃん!」

「セドル君、何処かに隠れてください」

 

 自分はその男が手に持っていた小銃を拾い、すぐさま玄関口の方向へ構えます。

 

「何があった!?」

「……」

 

 直後、もう一人の暴徒が銃を構えたまま家に突撃してきて、

 

「誰だテメェ────」

「【盾】!!」

 

 互いの姿を確認した瞬間、ほぼ同時に撃ち合いました。

 

「痛っ……」

 

 自分は撃った直後に、【盾】を展開しました。

 

 敵の銃弾は【盾】を砕きましたが、軌道が逸れてふくらはぎに命中するに留まりました。

 

 思わず自分は、苦痛に顔を歪めます。

 

 しかし、

 

「────ぁ」

 

 敵は鼻っ柱に銃弾が命中し、脳みそを撒き散らして絶命していました。

 

 敵と同時に撃ち合う訓練をしていてよかったです。

 

 咄嗟に【盾】が出せなければ、自分は下腹を撃たれて重傷でした。

 

「自分の怪我は軽傷、治療は後回しで良い。ゴムージ、ゴムージは無事ですか」

「……ここ、だ……」

 

 自分は痛む足を押さえながら、ゴムージの姿を探しました。

 

 彼はテーブルの下で、血を吐きながら生きていました。

 

「ゴムージ、良かった無事でしたか。今、怪我を確認します」

「いや、いい。先輩は先に、自分の足を直せ」

「……自分の足は、致命傷ではありません。ゴムージの方がずっと重傷です」

「分かってるよ、そんな事くらい」

 

 自分は急いでゴムージの所に駆け寄り、その傷の重さに内心で動揺していました。

 

 彼は腹を撃たれたのか、腹を押さえて仰向けに倒れていました。

 

 出血量をみるに、間違いなく致命傷です。既に体は失血死寸前で、臓器は幾つか破裂していそうです。

 

 これは、今すぐ手術してギリギリ間に合うかどうか。

 

「なぁ、今から俺を治療する時間があるのか?」

「ええ、貴方さえ気合を入れて耐えてくれれば、きっと治療は間に合います」

「そうじゃねぇ。銃声が何度も響いて、賊の仲間が様子を見に来ねぇかって聞いてんだ」

 

 自分はゴムージの治療に取りかかろうとした瞬間。

 

 顔が真っ青な彼の手に制止され、治療の手を止めました。

 

「セドルを連れて逃げてくれ、先輩」

 

 ……冷静に、自分の「直感」に尋ねます。

 

 ここでゴムージを治療し始めて、完遂するまで見つからずに済むかと。

 

 

 複数の臓器破裂。どれだけ端折って応急処置だけにとどめたとしても、手術には1時間近くかかるでしょう。

 

 そもそも、手術の間に失血死する可能性の方が高そうです。完遂できる可能性は3割以下。

 

 そして、手術中に賊が様子を見に来ない確率は─────ほぼゼロ%。

 

 

 ……ゴムージを救うのは、現実的に不可能です。

 

 

「……ゴムージ、自分は、貴方に救われて」

「そんな顔すんなよ、俺だって救われたんだからおあいこさ」

 

 ゴムージはそう言って笑うと、最期の力を振り絞ってセドル君を手招きしました。

 

 セドル君はしゃっくり上げながら、ゆっくりと父親の下に歩いて行きます。

 

「セドルや」

「……パパ?」

「俺ぁもう駄目だ。これからはクーシャと、先輩の言う事をよく聞いて生きていけ」

 

 ゴムージは優しい笑顔を浮かべて、最愛の息子の顔を撫でました。

 

「セドル、これからの人生、信用する相手はよく選べよ。義理を返してくれる人の信用は、絶対に裏切るな。人を騙すこすっからい奴は、逆に徹底的に騙してやれ」

「……?」

「分かんねえならそれでいい、大きくなってから思い出してくれ。そうだな、まずはこの先輩は絶対に裏切るな。その人は絶対に、お前を助けてくれる人だから」

「トゥ-ちゃんを?」

「そうだ」

 

 ゴムージは血塗れの手で息子の頬を撫で終わると、最後にチラリと自分の方を見て、

 

「クーシャとセドルを頼んだぜ。先輩の凄さを、俺は知ってるから」

「……ゴムージ」

 

 そう、言い残しました。

 

 ────ですが、クーシャさんは、もう。

 

「分かりました、今からクーシャさんと共にこの村を脱出します」

「ああ。先輩がついてくれるなら安心だ」

「自分の命に代えても、貴方の家族を守ります。ゴムージ」

 

 自分は力が入らなくなったゴムージの手を握り、そう言い切りました。

 

 ……そう言うしか、ありませんでした。

 

「……クーシャに伝えてくれ。……最期まで情けねぇ旦那ですまなかったと」

 

 彼は血の滲んだ涙を浮かべ、最後にセドル君の方を向いて、

 

「ああ、畜生ォ。やっと掴んだ平穏だったのに」

 

 そう言い残して事切れました。

 

 

 

 

 

 ────危険察知。数分以内に、ここに敵が来る気配。

 

 ────ここでの撃ち合いは、セドル君を巻き込むリスク大。

 

 ────早期の撤退を。

 

 

 

 

 幼いセドル君は、動かなくなったゴムージの顔を叩いていました。

 

「パパ! パパァ!!」

 

 彼は何度も何度も父親の頬叩いて、大きな叫び声を上げ泣きじゃくっていました。

 

 その声はきっと、近づいてきている賊にも聞こえている筈です。

 

 

 ────丁度良い、泣かせておこう。今は自分の足の治療に専念するべきだ。

 

 ────ショックは溜めるより泣かせた方が、落ち着くのが早くなる。

 

 ────パパ、パパと泣いてくれれば、撃たれたのはこの家の父親だと誤解してくれるに違いない。

 

 

 ……自分の冷静な部分が、酷く冷酷な判断を下しました。

 

 自分は泣きわめくセドル君を放置し、とりあえず自らの足の処置を始めます。

 

 ゴムージに頂いた手術セットのおかげで、1分以内に治療は完遂しました。

 

「……よし。セドル君。行きますよ」

「トゥーちゃん、パパ、パパ、パパが!」

「パパは、ちょっとお昼寝しているだけです。セドル君も、お昼寝しに行きましょうか」

 

 逃亡中も彼が泣き続ければ、見つかって殺されてしまいます。

 

 彼をあやしつつ、安全な場所まで撤退せねばなりません。

 

「パパ、起きないよ?」

「後で目を覚まします」

「本当?」

「ええ」

 

 自分は張り裂けそうな胸を押さえ、セドル君を抱き上げました。

 

 彼の半信半疑の目に、ぎこちない笑顔を作って。

 

「ママもきっと先に逃げています。早く、行きましょう」

「……」

 

 泣き腫らした目のセドル君を、力一杯に抱き締めて。

 

 自分はそんな、残酷で悪辣な嘘をつきました。

 



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87話

 

 自分が他人を殺したのは、これで二度目でした。

 

 普段の自分なら、人を殺してしまった自責の念に囚われてしばらく呆然としていたことでしょう。

 

 しかしこの時の自分は冷静なまま、セドル君の手を引いて玄関に向かいました。

 

 

 ……これは良い事なのか悪い事なのか、自分は鉄火場で肝が据わる性質のようです。

 

 ラキャさんを戦死させてしまった時も、撤退作戦の間だけは至って冷静だったのを覚えています。

 

 命の危機に晒された時だけ、いったん感情を捨て置いて行動できるみたいです。

 

 

 実はこういう性質の兵士は珍しくありません。

 

 アレンさんやロドリー君も平時こそ気さくで騒がしいですが、戦闘中は冷静になるタイプでした。

 

 冷静さを失ってしまう人は戦死してしまい、前線ではそういう兵士しか残らないからでしょう。

 

 そういえば前世の「ゲーム」でも、自分は窮地に陥ってなお冷静なのが売りと言われていましたっけ。

 

「……トゥーちゃん」

「大丈夫ですよ、セド君」

 

 この時の自分も、何かのスイッチが入った様に冷静でした。

 

 セドル君の命を最優先に、村から安全に脱出することだけを考えていました。

 

 ゴムージ夫妻が死んだ事も置いて、冷静に周囲の索敵を始めていました。

 

「今から絶対に、一言もしゃべってはいけません。お口にチャックです」

「ん……」

 

 外の様子を窺うと、10mほど西から4名の敵がこの家に歩いてきていました。

 

 目的は、銃声が響いたこの家の調査でしょう。

 

 このままでは見つかってしまいます。

 

「しっかり掴まってくださいね」

「ん」

 

 自分は賊から奪った小銃を脇に挟み、セドル君を抱きあげました。

 

 銃は弾を装填して、後は引き金を引くだけにしています。

 

「おい、銃声が何度も響いたが何があった」

 

 

 家の外から、男の声が聞こえてきました。

 

 4対1で撃ちあえば、自分が蜂の巣にされるだけでしょう。

 

 それに、サバト小銃の装弾数は最大5発と聞いていますが、フル装弾されているとは限りません。

 

 基本的に、無駄な戦いは避けるべきです。

 

 

「おい、入るぞ」

 

 

 自分はセドル君を左手に抱いたまま、家の裏口から脱出しました。

 

 後はこのまま、誰にも見つからず村の外まで走って逃げるだけです。

 

 

「……ゲッ! おい、殺されてやがるぞ!」

「警戒しろ、家の中に潜んでるかもしれん」

 

 

 セドル君を抱きながら、自分は家の外壁伝いに玄関の方の様子をうかがいました。

 

 玄関前の通りにはチラホラ、哨戒している賊が歩いていました。

 

 正面から家の外に飛び出したら、すぐ見つかりますね。

 

 そうなれば子供を抱えている自分が、追いかけっこで勝てるはずありません。

 

「家の周囲も探せ。見つけ次第撃ち殺せ」

 

 一方、家の後ろ側は錆びた鉄製の扉で施錠されています。

 

 内側から手動で鍵を開けられるのですが、大きな金属音を立ててしまうので出来れば使いたくありません。

 

 ……誰も近くに居ないタイミングで、裏扉を飛び越してしまうのが良いでしょうか。

 

 だとすれば何かで気を引いて、その隙に脱出したいのですが……。

 

 

「ヒヒーン」

「あっ」

 

 

 そこでふと、自分はこの家にある馬小屋の事を思い出しました。

 

 ゴムージがオースティンで購入した、行商のための馬です。

 

「……」

 

 ゴムージは苦労して、この馬をサバトに密輸しました。

 

 この国で、馬はそれなりに高価な財産です。

 

「力を借ります、馬さん」

 

 残念ながら自分に騎馬技術はないので、彼らに乗ることは出来ません。

 

 そもそも自分の身長では、一人で乗ることは困難です。

 

 ドラマのように格好良く、馬に乗って脱出などは難しいでしょう。

 

 ……しかし、馬を逃がして賊の気を引くことはできます。

 

「それ、お元気で」

 

 そう自分が扉をあけ放った瞬間、馬はすさまじい勢いで逃げ出していきました。

 

 どうやら銃声が轟いていたせいで、馬は恐慌状態に陥っていたようですね。

 

 馬は駆蹄音も高らかに、玄関から村の外に出ていってしまいました。

 

 

「うおっ! 馬だ!!」

「おい、撃つな! 捕まえろ」

 

 

 温暖なオースティンと違い、冬国のサバトでは牛の畜産がメインです。

 

 この国での馬は希少価値が高いので、出来るだけ逃がしたくないでしょう。

 

「畜生、一体誰が────」

 

 よし、これで気を引いている間に脱出を……。

 

 

「あぁーっ!! トゥーちゃん、逃がしちゃダメだよ!!」

「……」

「パパ困るよ!」

 

 ……ゴムージが大切にしていた馬を逃がした事で、ずっと黙っていたセドル君が大声をあげてしまいました。

 

「あ、ガキが二人外に出てる」

「銃を持ってるぞ! 殺せ!」

 

 その声に反応して、ゾロゾロと男たちが集まってきます。

 

 先にセドル君に、作戦の内容を伝えておくべきでしたか。

 

 

 

 

 

 

 

「……【盾】っ!」

 

 まもなく4人の男が家から飛び出てきて、逃げる自分に銃弾を放ちました。

 

 死を覚悟しつつ【盾】で応戦しましたが、幸いにも一発も掠らずに済みました。

 

 結構、敵の狙い(エイム)は雑ですね。

 

「追え、逃がすな! 銃を持ってる、何をされるか分からん」

 

 自分はやけくそで大きな音を立てながら、裏口の扉を開け放って逃げ出しました。

 

 セドル君を背負った自分を、4人の男が追いかけてきています。

 

 向こうの方が足が速く、いつか追いつかれてしまいそうです。

 

「トゥーちゃん、喋ってごめんなさい」

「大丈夫、でも次は気を付けてくださいね」

 

 セドル君は怯えた声で、自分の背にしがみつき泣いていました。

 

 背後から、銃を構える気配を感じます。

 

 このままだと、弾がセドル君に当たってしまう可能性があります。

 

「……」

 

 どこか、撃ちあいに適した場所は無いでしょうか。塹壕のように、身を隠しながら敵と戦える場所。

 

「……セド君、もうすぐ飛び降りますのでしっかり掴まっていてくださいね」

「あい」

 

 少し臭いですが、下水の中を塹壕のように走り回って応戦するのが良いでしょう。

 

 この村では道沿いに、深さ1mほどの排水路が設置されています。

 

 汚水を流す水路ですが、自分のサイズ的に丁度良い塹壕になりそうです。

 

 

「……よし、回り込んだぞガキ!」

「うっ」

 

 

 しかし敵も、そう都合よく逃がしてはくれませんでした。

 

 自分が逃げ込んだ角の陰から、大柄な肥満男性がヌッと姿を現したのです。

 

 角待ち、まずい、初弾は避けきれません。

 

 すぐに飛んで致命傷を避けつつ、振り向き撃ちで応射(カウンター)を─────

 

「さぁ、おとなしくしろ」

「え?」

 

 タァン! と、軽快な銃声が1発だけ路上に響きました。

 

 火を噴いたのは自分の小銃だけで、肥満男は茫然と撃たれた首元を見つめた後、血を噴き出して倒れました。

 

「ああ、フリードが撃ち殺された!」

「あのガキィ!!」

 

 どうしてこの人は撃たずに話しかけてきたのでしょうか。

 

 ……少し罪悪感を感じましたが、今は考えないようにしましょう。

 

 

 

 これで、自分が使用した銃弾は3発。残り最大装弾数は2発です。

 

 少し遠回りして肥満男の銃を回収していきたいですが、敵が近づいてるので諦めました。

 

 遠回りしてる余裕はありません。そもそも、普通に下水に飛び込む前に追いつかれそうな状況です。

 

 

 ───状況を整理。

 

 現在の確認できる敵の気配は、背後から3人。

 

 次の目的地は、向いの通りにある下水。

 

 しかし途中で囲まれそうなので、ちょっと時間稼ぎをしたい。

 

 

「……畜生、あのガキ撃ってきやがった!!」

「隠れろ!」

 

 

 即座に自分は背面走り(バックラン)に切り替え、後ろを向いて敵を威嚇射撃しました。

 

 練習していない撃ち方なので外してしまいましたが、それは構いません。

 

 一瞬でも敵に身を隠させ、逃げる時間を稼ぐのが目的です。

 

 貴重な弾ですが、包囲されるよりマシなので仕方ありません。

 

「トゥーちゃん、怖い!」

「後でギュってしてあげます! ちょっと我慢してください」

 

 自分の威嚇射撃を見て、敵は民家の角に身を隠し応射してきました。

 

 自分はその反撃にしっかりと【盾】を展開し身を守りつつ、セドル君を背負いなおして走ります。

 

 ……どうやら敵は軍人ではなく、素人ですね。銃の狙いが粗すぎます。

 

 先ほどから敵の銃弾が、自分の【盾】にすら掠っていません。

 

 これで悠々、下水に飛び込む時間は稼げそうです───

 

 

「運が悪かったな小娘」

「───あ」

 

 

 敵が排莢する隙を逃さず、自分は下水を目指して全力疾走しました。

 

 あの中に飛び込めさえすれば、得意の塹壕戦に持ち込めます。

 

 銃弾は心許ありませんが、下水の中を逃げ回れば村の外に脱出も可能でしょう。

 

 そう考えた折でした。

 

 

「あばよ」

 

 

 下水の中に潜んでいた「敵」が、自分に向けて真っすぐ銃を放ったのは。

 

 

 その敵はこの村では見覚えのない、壮年の痩せた男性でした。

 

 彼はギリギリまで身を隠し、下水から頭を出した一瞬で狙いを定め、自分に容赦なく撃ってきたのです。

 

 ……それは、素人ではなく軍人(プロ)の動き。

 

 

「───【盾】」

 

 

 考えるより先に、反射的に体が動いていました。

 

 ザーフクァさんの訓練で体で覚えさせられた通り、自分は銃口を向けられた瞬間に【盾】を展開し、大きく前屈します。

 

 しかし、それは悪手でした。

 

 敵のエイムが良すぎて、【盾】で弾いても弾が逸れそうにないのです。

 

 【盾】の中心に飛んできた銃弾は、そのまま直進します。

 

 銃を向けられた瞬間に、横っ飛びして躱すべきでした。

 

 

「……」

「トゥーちゃ────」

 

 

 バリンと、無情にも自分の【盾】は即座に砕けました。

 

 銃弾は何処にも逸れず、真っすぐ自分の額に吸い込まれてきます。

 

 あの軍人崩れは、きっと自分が下水を目指している事に気付いたのでしょう。

 

 そして背面走りしていた自分の死角を突いて、先回りし待ち伏せたのです。

 

 

 なんと、理不尽な死。しかし、これは予想していなかった自分の落ち度です。

 

 いかに敵を理不尽に殺すことが出来るか。それが、あのゲームの「上手さ」だったのですから───

 

 

「……死」

 

 

 走馬灯。

 

 時の流れがゆっくりになり、世界が真っ暗になりかける中で。

 

 

「……死、ね」

 

 

 自分の右手が、何かを掴みました。

 

 それは、黒い鉄の、筒です。

 

 その鉄筒は冷たくも、気持ちは暖かいゴムージからの贈り物。

 

 

「……まだ、死ねません!!」

 

 

 無我夢中だったと言っていいでしょう。

 

 セドル君を守らねば、そんな思いでこの間習ったばかりの宴会芸を反芻しました。

 

 

 ────真っ直ぐ、鉄の筒を自分の正面に斬り上げます。

 

 

 ゴムージから受け取った命は、まだ燃やさねばなりません。

 

 セドル君を逃がすため、自分は絶命するワケにはいきません。

 

 彼は、自分の命の恩人の忘れ形見なのです。

 

 

 

 ───直後、甲高い音が頭上で炸裂しました。

 

 

 

 ジーンと鈍い痛みが、振り上げた右腕に響きます。

 

 轟音で鼓膜がしびれ、硝煙の香りが鼻につきました。

 

 そして背中のセドル君が大声で泣き叫び、前で誰かが息を呑む音が聞こえてきました。

 

 

「嘘だろ、斬っ────」

「あああァァ!!」

 

 

 前傾姿勢をとっていた自分は、そのまま大地を踏みしめて下水へと突撃しました。

 

 2発目を撃たせるわけにはいきません。次はきっと、防げません。

 

「こ、このガキっ!」

「セド君に、銃を向けないでください!」

 

 男のボルトハンドルを引く動きは滑らかで、熟練者のソレでした。

 

 間違いなく、元軍人。

 

 ……そう確信した自分は、咄嗟に鉄筒を下水の中に投げ込みました。

 

 カラン、と乾いた鉄音が下水に響きます。

 

 

「……ひぃ!?」

 

 

 男は即座に、その場から跳躍して下水に伏せました。

 

 そう。塹壕戦を経験したものであれば、それは絶対に知っている恐怖。

 

 軍人ならば、近くに鉄の塊(しゅりゅうだん)を投げ入れられて反応しない筈がないのです。

 

「ってただの、鉄クレじゃねぇか───」

「ええ」

 

 1秒、気を逸らせればそれで充分でした。

 

 自分は下水に飛び込みながら、起き上がろうとする敵に狙いを定めます。

 

 

「……手榴弾じゃなくてよかったですね?」

 

 

 

 至近距離での撃ち合い。

 

 普通は衛生兵である自分が、本職の歩兵に勝てるべくもないのですが、

 

「や、やめ───」

 

 サバト銃は、1発撃つごとに排莢する手間が必要です。

 

 2発目の準備を終える前に地面に伏せた男は、応射することすらできず。

 

 

 

 ───タァン、と乾いた音。

 

 

 

 下水の中、銃声が響いて自分は男の胸を撃ち抜きました。

 

 

 

「あのガキ、流石にそろそろ弾切れの筈だ!」

「ビビらず突っ込めぇ!」

 

 

 間もなく背後から、怒号が聞こえてきました。弾の数を数えていたやつがいたのですね。

 

 しかしこの銃に弾がなかろうと、今殺したばかりの男から銃を奪えば済む話です。

 

 

「……あ、う」

「───って、【盾】!」

 

 

 そう思って今殺したばかりの男を見た瞬間。

 

 自分は血の気を引かせ、セドル君を抱き締めたまま下水中に飛び伏せました。

 

 なんとこの軍人崩れ、自らの死を悟ったのか……

 

 

「うわああああ!!?」

「爆発音!?」

 

 

 残りの力を振り絞って手榴弾のピンを抜き、力強く地面に叩きつけたのです。

 

 【盾】の展開が少しでも遅ければ、命を落とすところでした。

 

 

「トニーが自爆したんだ、チクショウ!」

「絶対にあのガキを殺せ!」

 

 

 ……これは、まずい状況です。

 

 あの爆心で、彼の銃が無事だとは思えません。攻撃手段を完全に失いました。

 

「セド君、無事ですか!?」

「舌噛んだぁ!」

 

 腕の中でセドル君が号泣しています。命に別状はなさそうです。

 

 しかし今の爆発で破片が直撃したのか、自分の左脛が折れて血が噴き出ていました。

 

 治療しなければ、走るのは厳しそうです。

 

 せめて自分を道連れにしようという、あの軍人崩れの意地でしょう。

 

 軍人はこれだから厄介です。

 

 

「居たぞ、あのガキだ───」

 

 

 一応は逃げようと、壁に手を付いて立ち上がりました。

 

 あの男たちのエイムなら、逃げ切れる可能性は有るかと思ったのです。

 

 自分がダメでも、せめてセドル君を……

 

 

「とっとと自分を治せ、オース豚が」

 

 

 覚悟を決めたその時、突然に自分の頭上で銃声が響きました。

 

 直後、暴徒は血反吐を吐いて呻き地面に倒れました。

 

「次はどいつが撃たれたい?」

「くそ、新手か!」

 

 見上げればいつの間にやら、下水の上から片目の無い男が険しい顔で自分を睨みつけていました。

 

 賊達は慌て、それぞれ身を隠します。

 

 どうやら、誰かが自分を助けてくれたようでした。

 

「……貴方は」

 

 その誰かは、よく見覚えのある男でした。

 

 右目の無い、若い筋骨隆々の男。

 

 それは以前、自分とセドル君を囲んでタコ殴りにしようとした暴行犯の一人です。

 

「イ、イリゴルさん。……ありがとうございます」

「ふん」

 

 彼に感謝を伝えた後、自分は足を引きずって、先ほど放り投げた鉄の筒を拾いに行きました。

 

 ゴムージが渡してくれた、大事な手術セットです。

 

 これがあれば、最低限の応急処置が……。

 

「あ……」

「それ、もう使いもんにならんだろ。捨てろ」

 

 残念ながら鉄筒は、銃弾が直撃して大きくひん曲がっていました。

 

 中身のメスは折れていて、針糸は千切れていました。

 

 ……これでは、使い物になりません。

 

「ったく。ホラ、アーミーナイフ貸してやる」

「ど、どうも」

「治療が終わったら言え」

 

 

 

 ───ああ、やっぱり先輩にゃ武器より医具のがよく似合う。

 

 

 

 誰かの声が、心に浮かんだ後に消えました。

 

 自分はイリゴルからアーミーナイフを受け取ったあと、ズボンの左部を切って患部を露出させます。

 

 慣れた手つきで下腿を切って血抜きを行い、回復魔法をかけ止血しました。

 

 最後にズボンの切れ端を包帯の代わりに太ももに巻いて、処置終了です。

 

「終わったか」

「……はい」

「移動するぞ、お前はガキのお守りに専念しろ」

 

 そしてゴムージから貰った応急手術セットを、下水の中に捨て置いて。

 

 鉄筒の紐を引き抜き背にセドル君を括り付けた後、自らの手に余る大きなアーミーナイフを握り、サバト兵イリゴルの背を追って駆け出しました。

 



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88話

 

 この時、オセロ村を略奪に来ていた賊は総勢50人ほどでした。

 

 彼ら賊の正体は、実はもともと近隣に住む農民だったそうです。

 

 彼等も略奪の被害者で、全てを失い困っていた時に「レミさんの思想」に出会ってしまったのだとか。

 

「ああ、何て素晴らしい考え方だ」

「自分達も、労働者議会に賛同しよう」

 

 明日の食い物にも困っている中で、略奪が正当化されるような思想に出会ったら飛び付いてしまうのも無理ないでしょう。

 

 自分達は奪われた側だ、奪い返して何が悪いという感情もあったと思われます。

 

 彼らは周囲の村を略奪し財産を集め、それを手土産に「労働者議会」の傘下に入るつもりだったようです。

 

 

 しかし彼らがいくら資金をかき集めても、レミさんに歓迎される事はなかったでしょう。

 

 何故なら「労働者議会」の支持母体は一般市民であり、掲げている公約は「平和」だからです。

 

 略奪に走った賊を受け入れてしまえば、レミさんは民衆の支持を失ってしまうでしょう。

 

 もし彼らがレミさんに出会えても、すぐ処刑されるだけです。

 

 

 賊に襲われ、賊に身を落とし、討伐される運命にある哀れな元村民。

 

 彼らもまた、荒れ狂う時代の被害者だったと言えるかもしれません。

 

 この時代、彼らのような賊は各地で大量に発生していました。

 

 政府が力を失いすぎたため、略奪への抑止力である軍がまともに機能していなかったからです。

 

 

 それを顕著に表していたのが、闇市の存在でした。

 

 実は当時、サバト小銃は闇市でかなり安価に入手することが出来ました。

 

 それは北部決戦の際、脱走兵の多くが倉庫から武器を持ち逃げし、生活のために売りさばいていたからです。

 

 窃盗された銃火器はそこら中に出回り、一時的に供給過多になっていました。

 

 

 そんな不埒な真似をした脱走兵が、軍に戻ることなど出来ません。

 

 脱走兵は各地に湧いていた盗賊に取り込まれ、傭兵として生活していました。

 

 オセロ村を襲っていた賊の一部が軍人くずれだったのには、そんなからくりが有ったのです。

 

 

「情けねぇ話だ。民草を守るために戦うべき軍人が」

「同感です」

 

 

 盗賊達にも全く同情できないわけではありません。

 

 「野垂れ死ぬ」か「盗賊になる」かを選べと言われ、死を選ぶ人は少ないでしょう。

 

 祖国の為、なんてお題目を用意されてしまえばなおさらです。

 

「銃を手に取った者が、私利私欲に走るなんて絶対にいけない事です」

「はっ、オース豚が何をいい子ぶってやがる」

 

 しかし、だからと言って彼らを許すわけにはいきません。

 

 彼らは自分達の村を襲い、命を奪いました。

 

 ならば、殺されても自業自得と納得して頂かねばなりません。

 

「知りませんでしたか? オースティン兵士は清廉潔白で品行方正なんです」

「笑えねぇ冗談はやめろ」

 

 

 このイリゴルも退職金の一部を使って、闇で売られていた小銃を1丁購入していたようです。

 

 ただ彼は、別に悪だくみをしていた訳ではなく、単に銃が近くにないと眠れなかったからだそうです。

 

 元兵士の悲しい性ということでしょう。

 

「奴らに比べれば、殆どの軍が清廉潔白だ」

 

 

 

 

 自分達はしばらく下水を移動し、外の様子を窺い続けました。

 

「……」

 

 隠れて移動はしていますけど、敵に自分達が潜んでいる大まかな場所はバレていると思われます。

 

 ですが、敵が此方に詰めてくる気配がありませんね。

 

 遠巻きに、こちらの様子を見ているだけっぽいです。

 

「敵は動かないか」

「そのようです」

 

 向こうも、我々を警戒しているのでしょう。

 

 下手に突っ込んで殺されるよりは、見張っておくだけの方が安全という判断ですかね。

 

「イリゴルさん。どうして、自分を助けてくれたのですか」

「……姉が撃たれたんだ。お前に治療を頼みたい」

「なんと」

 

 下水に潜みながら、自分はイリゴルさんの事情を聴きました。

 

 ……自分とイリゴルはお世辞にも仲良くありません。むしろ、険悪といえる関係でした。

 

 そんな彼が、危険を冒してまで自分を助けてくれる理由が分かりませんでしたが……。

 

 どうやら、治療してほしい家族がいるみたいですね。

 

「姉が助かったら、お前らの脱出も手伝ってやる。どうだ?」

「自分は、治療を求められて断るような真似はしません」

「そうか」

 

 聞けばイリゴルの姉は未婚の若い女性で、色欲に目がくらんだ賊に暴行されかけたそうです。

 

 結婚を控えていた姉は激しく抵抗し、撃たれてしまったのだとか。

 

「姉に銃を向けた瞬間、飛び掛かったが間に合わなかった。隙を突いて賊は殺せたが」

「……お姉さんの状況は?」

「真っ青で、息も弱くなってた。……あのままじゃ、きっと死んじまう。それで、何とか癒者を連れてこようと俺だけ家を飛び出したんだ」

「なるほど」

 

 イリゴルが自分を助けるなど妙だと思いましたが、そんな事情があったのですね。

 

 嫌いなオースティン人を助けたのは、その姉の為なのでしょう。

 

「まずは俺の家に来て姉を治療してくれ、道は俺が切り開く」

「分かりました」

「ヘマして死ぬんじゃねーぞ」

 

 イリゴルはギョロギョロと、隻眼を動かし周囲を見渡しました。

 

 セドル君は先程からずっとグズっているので、抱きしめて落ち着かせ、もう少しだけ静かにしてくださいとお願いします。

 

「こっちだ」

「はい」

 

 イリゴルは手招きして、自分とセドル君に追従するよう指示をしました。

 

 彼の家は、西の方にあるみたいです。しかし、そちらは……。

 

「下水から頭を出すな、ここを真っすぐ突っ切るぞ」

 

 ……敵が、高所からこちらを窺っていますね。

 

 敵の射線のど真ん中を、イリゴルは突っ切ろうとしていました。

 

「見える範囲に敵は居ねぇが、家の陰に隠れてる可能性がある。慎重に進むぞ」

「いえ、イリゴルさん。賊の一人がこの先の民家に入っており、まだ出てきていません。どうやら2階の窓越しに、こちらを警戒しているようです」

「……何ぃ?」

 

 自分の報告を聞いて、イリゴルはビタリと足を止めました。

 

 彼は片目を失っているせいで、死角になって見えなかったのでしょうか。

 

 自分は治癒をしながら、周囲の警戒を続けていたのでその賊の動きが見えていました。

 

「11時方向の民家に一人。真正面から遠巻きに自分たちを警戒している賊が2人。自分たちがその道を直進したら、この3人が妨害してくると予想されます」

「……11時、民家。む、マジでこっち見てやがる」

「少し遠回りですが、南回りのルートを使えば敵の射線を切って移動できます。いかがでしょう」

「分かった。それでいい」

 

 イリゴルは少しムっとした顔で、自分の提案を受け入れてくれました。

 

 ……オースティン人である自分に作戦の主導権を握られたのが、気に入らないのでしょうか。

 

「……俺ぁこの目だ。以前ほどの視野はねぇ、気づいたことが有ったらまた教えてくれ」

「分かりました。自分は偵察兵としての訓練も受けています、お任せください」

 

 片目になると視野は想像以上に狭くなります。

 

 盲点と呼ばれる死角が出来てしまう上に、遠近感覚が全く掴めません。

 

 イリゴルも負傷前ならば十分な索敵能力を発揮できたでしょうが、現状彼に索敵を任せるのは少し酷でしょう。

 

「あ? お前、衛生兵じゃなかったのかよ」

「その認識で正しいですよ。ただし、突撃部隊所属の衛生兵でした」

 

 自分が偵察兵だったという話を聞いて、イリゴルは微妙な顔をしました。

 

 正確には偵察兵ではなく、偵察兵の訓練を受けた衛生兵として運用されていた感じですけど。

 

「西部戦線では銃弾に怯えながら、塹壕間を走っていました。周囲の警戒を怠れば死ぬので、偵察訓練も受けさせられました」

「……衛生兵が突撃部隊に交じってたのか? オース軍の考えることはよくわからんな」

 

 ええ、自分も正直よくわかりません。

 

「【盾】を使ってたように見えたが、あれは見間違いじゃなかったんだな」

「最前線を突っ走るなら習得は必須だと、当時の上司に仕込まれました」

「……確かに必須だわな」

 

 イリゴルは自分の話を聞いて、少し考えこみました。

 

 そして躊躇った後、

 

「よし、お前が先行しろ。俺が後ろから援護する」

「……自分は、セドル君を背負ってるんですが」

「だったら、お前が安全なルートを選択しろ。俺は銃を撃つ仕事がある、ガキは背負えん」

 

 自分が矢面に立つよう、指示を出しました。

 

 

 

 実際、それは正しい陣形と言えました。

 

 彼は突撃兵上がりで、銃の扱いもうまく、格闘戦にも精通していました。

 

 しかし隻眼になってから、偵察の精度は落ちてしまっています。

 

 直接戦闘では自分を大きく上回っていますが、その他の仕事はあまりこなせないでしょう。

 

 

 一方自分は戦闘力こそ貧弱ですが、偵察、防御を最低限こなせます。

 

 というか戦場では、【盾】持ち兵士が先行するのが常識です。

 

 危険度の高い場所への突撃制圧は彼に任せ、偵察は自分が担当する方が、よほど効率的です。

 

「自分の【盾】はさほど練度も高くないので、あまり過信しないでくださいね」

「最初から期待していない。あんなもん、殆どの兵士にとっては気休めだ」

 

 そんな訳で自分は、イリゴルさんの家までの大まかな進軍ルートを話し合いました。

 

 距離は此処から300mほど、下水を伝えばそれなりに彼の家に近付けるみたいです。

 

 ただし自分の索敵で適宜、ルートは調整する方針です。

 

「トゥーちゃぁん……」

「……セドル君」

 

 責任は重大です。

 

 もし自分が敵を見落とせば、セドル君まで殺されてしまうでしょう。

 

 ……。

 

「……では、南からのルートで。セドル君、またしばらくお口にチャックですよ」

「う、うん」

「大丈夫です、安心してください」

 

 それを自覚した時、ドンドンと感情が冷えていく感じがしました。

 

 ヘマをやって死ぬのが自分だけなら、ここまで気負いはしなかったでしょう。

 

「……」

 

 自分の背中には、怖くて震えながら4歳の男の子がしがみついています。

 

 彼は自分の恩人の一人息子で、この数か月ずっと共に過ごした平和の象徴でした。

 

 ……こんな幼い子を殺そうとする、略奪犯の好きにさせて良いのでしょうか?

 

 

 ────3人組の、脱出ミッション。1人は完全な初心者で、何の戦力にもならない状況。

 

 これはゲームではない。撃たれたら死ぬし、爆風がかすっただけで行動不能にされる、本物の戦場。

 

 だけど、自分がやるべきことは何も変わらない。

 

 

「……はははっ」

「あ?」

 

 

 今、自分は弾を持ってません。しかし、武器がないなら拾えばいい。それが基本。

 

 幸いにも、この戦場(フィールド)には銃が山ほど存在しています。

 

「イリゴル、南方向の民家から賊が二人出てきています。一人は酒樽を、もう一人は革袋を持ってます」

「ああ、いるな。確認した」

 

 ああ、愚かな賊がいますね。略奪の帰りでしょうか。

 

 酒樽を背負うため、無防備に銃を構えず歩いている敵がいるではありませんか。

 

「あと10メートルほど進めば、彼等は自分たちのすぐ傍を通ります」

「……」

「我々に背を向けた瞬間、どちらかを撃ち殺してください。自分が突撃してもう一人を制圧しますので、援護をお願いします」

「おい、そんな危険を冒す必要がどこにある。まずは隠れて俺の家まで────」

 

 少し焦った顔をしているイリゴルを手で制し、自分は静かに下水を屈んで進みました。

 

 隠れたままイリゴルの家にたどり着けても、包囲され家に火を放たれれば終わりです。

 

 その状態で強行突破するには、武器がどうしても必要になってきます。

 

「お姉さんを治療した後の事を考えると、銃は必須です。家に立て籠もっても、放火されるのがオチです」

「だとしても、お前の体格で突撃するのは無茶だ」

「では自分に銃を預け、イリゴルさんが突っ込んでいただけますか。自分をご信用頂けるなら、それが最善です」

「……」

「自分は射撃訓練も積んでいます、至近距離なら外すことは無いと断言します」

「あーっ、もう」

 

 自分の頑なな態度を見てイリゴルは眉をひくひくと動かした後。

 

 彼は叩きつけるように、自分へ持っていた銃を突き出しました。

 

「分かった、俺が突撃してやる。その代わり絶対に外すなよ」

「ええ」

「おとなしそうな雰囲気してとんでもねぇガキだ、畜生」

 

 残弾を確認。……残り、2発ですか。これだけあれば、十分でしょう。

 

 自分が敵の片方を射殺、その混乱を突いてイリゴルがもう一人を縊り殺す。

 

 これで銃を2丁ゲットです。

 

「銃を撃った後は急いで移動するぞ、流石に敵が集まってくるはずだ」

「勿論」

 

 その後の敵の動きの予測は、もう済んでいます。

 

 下水に潜む我々が賊を奇襲し始めたら、流石に敵も詰めて来るに違いありません。

 

「自分が発砲した後の、敵の動きは……」

 

 流石の敵も、大通りをまっすぐ走って近づいては来ないでしょう。

 

 おそらく遮蔽物の多い裏路を使って、先回りするように詰めてくると思われます。

 

 であれば銃を奪った後、移動して裏路で待ち伏せしてあげてるのが良さそうです。

 

「賊二人の殺害後は、下水を上がって14時方向の裏路に潜みましょう。そこで敵を待ち伏せして撃破すれば、後はまっすぐイリゴルさんの家まで走りましょう」

「……あ? 何で裏路?」

「そこに敵が来るからです」

 

 ああ、今日はどうやら調子が良い日っぽいですね。

 

 自分でも恐ろしく感じるほど視野が広く、手に取るように敵の動きも予測できています。

 

 前世でも年に数度だけ、このように妙に頭が冴えている日がありました。

 

「お前、何を言ってるんだ? 敵の動きを読めるのか?」

「いえ、まぁ、そんな気がしているだけです」

「本当かよ」

 

 こういう場合の自分は、大体百発百中で狙い通りの展開に持っていけます。

 

 FPS仲間の間では神ゾーンに入ったとか、そんな言われ方をしていました。

 

 ……まぁ、だからと言って何もかもうまくいくとは限らないんですが。

 

 いえ、むしろ────

 

 

「……よりによって、今日なんですね」

「あ?」

 

 

 昔から自分に、一つのジンクスがありました。

 

 それは、今のような滅茶苦茶に「調子が良い」日のジンクスです。

 

 これは本当に、何故なのか分かりませんが────

 

 

「そうだ、イリゴルさん。自分に万一のことがあれば、セドル君をどうかお願いしますね」

「……?」

 

 

 調子が良い日に限って、自分はいつも不運な大敗北を喫するのです。

 

 勝利寸前に回線が乱れて切断失格になったり、見たこともないバグが発生して即死したり、親が急病で倒れ大会どころじゃなくなったり。

 

 前世で自分がゾーンに入った日は、例外なく神様からの「調子に乗るな」という警告のような不幸が訪れました。

 

 ……つまりこれは、自分にとってはあまり嬉しくない頭の冴えなのです。

 

「5秒後、接敵します。突撃はお任せします」

「ああ」

 

 言い知れぬ嫌な予感を感じつつ、自分は作戦通りに無防備な敵へ照準を合わせました。

 

 手振れがほとんどない。今まで経験したことがないほど、敵を狙いやすい。

 

 間違いなく今、自分はゾーンに入っています。

 

 ……できれば、セドル君を脱出させられるくらいまでは不幸に待ってもらいたいものです。



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89話

 

「お見事です、イリゴルさん」

「……」

 

 やはり、この日の自分は絶好調でした。

 

 自分の放った銃弾は狙った通りに、敵の額へ吸い込まれていきました。

 

「お前こそ、よく当てたな」

「たまたまです」

 

 その後、自分は銃を拾う時間を稼ぐため、民家に向けて威嚇射撃を行いました。

 

 射程距離ギリギリですし駄目元で狙い打ったのですが……、幸運にも民家から警戒していた敵を仕留めることが出来ました。

 

 これで射線管理がだいぶ楽になりましたね。

 

「ん、ここが良い位置取り(ポジション)ですね。このゴミ箱の裏に伏せましょう」

「……本当に敵が、この道に来るのか?」

 

 これで我々だけで、一気に3人仕留めたことになります。

 

 流石に無視はできなくなったのか、読み通りに敵はこの下水に詰めてきました。

 

「……来ましたよ。セド君、シーッです」

「あい」

 

 ここまでは、狙い通りの展開。

 

 後は、敵が通るルートで待ち伏せし、仕留めるのみ。

 

 ……の、筈でしたが。

 

「まさか、やりすごせるとは」

「奴等、裏を覗きすらしなかったな」

 

 敵は、ゴミ箱裏に隠れた自分達に気づきすらしませんでした。

 

 ゴミ箱で息をひそめる自分たちの目の前を、3人ほどの男がドタドタと足音を立てて走り去って行きました。

 

 あの人たちは警戒(クリアリング)という概念を持っていなさそうですね。

 

「こっちの方が都合が良い、より忍び込みやすくなった」

「ええ」

 

 気付かれずに済むなら、それに越したことはありません。

 

 スニーキングが一気に楽になります。

 

「すぐこの小道を駆け抜けましょう。今ならば、敵に捕捉される前に貴方の家に飛び込めます」

「ああ」

 

 自分達は敵をやり過ごした後、まっすぐイリゴルの家へ走りました。

 

 幸いにも、見つからずにイリゴルの家にはたどり着けました。

 

 

 

 

 

 

「裏から入るぞ」

「了解です」

 

 イリゴルの家は、少し旧い作りの豪邸でした。

 

 彼の案内に従い、自分とセドル君は裏口の窓から家に入りました。

 

「カノ姉さんの容態はどうだ!」

「おぉイリゴル、さっきからカノゥが息をせんのだ……」

「……なんだって!?」

 

 家に入ると、胸を押さえた女性が床に寝かされているのが目に入りました。

 

 唇は真っ青で、殆ど動いていません。

 

「イリゴル、お姉さんに人工呼吸を。……イリゴルのお母さん、煮沸した清潔な水などはありますか」

「……いや、ありゃあせん。今から湯を沸かすわぁ」

「お願いします」

 

 自分はイリゴルの母らしい人に指示を飛ばした後、倒れた女性の服をずらし、創部をアーミーナイフで切り裂きました。

 

 もはや一刻の猶予はなさそうなので、手術しながら状態を確かめようと思ったからです。

 

「……」

「おいどうした、衛生兵!」

「……これはかなり厳しいです、最悪の事態も覚悟しておいてください」

 

 自分が胸を刺した瞬間、鮮血と共に大量のゼリー状の凝固血が噴き出してきました。

 

 どうやら銃弾が心臓を掠って、内膜を抉っていたようです。

 

 心膜内に大量の血が貯留していたのでしょう。

 

「何とか助けろ、頼む」

「やるだけやってみます」

 

 前世だと心臓内膜切開なんて凄い大手術ですが、この世界では【癒】があるので強引にアプローチできます。

 

 幸いにも、心臓そのものは無事でした。弾は掠っただけみたいです。

 

「……」

 

 銃弾は背へ貫通しており、血を掻き出して【癒】をすれば治癒可能でした。

 

 銃創などで出来る小さな傷は、内臓破裂しない限り【癒】だけで十分なのです。

 

 心臓は止まっていたものの、マッサージをすれば再び動き出してはくれました。

 

「……心臓は、治りました」

「助かるのか!?」

「いえ」

 

 しかし、自分に出来るのはここまででした。

 

 確かに心臓は、元通りに動かす事が出来ました。

 

「姉さんが起きないぞ」

「ええ、もう目覚めることはありません」

 

 しかしこの女性に、再び意識が戻る可能性はなさそうでした。

 

「……脳死、ですね」

「何だそれは」

 

 血は糊のように粘っこく、血流が滞ると容易に固まってしまう性質があります。そして血管の中で固まってしまうと、血栓と呼ばれる物質になります。

 

 血栓は様々な血管を詰まらせ、その先の臓器を壊死させてしまいます。

 

 例えばこの女性のように、固まった凝血塊が頭に飛んで脳が壊死してしまったり。

 

「反射が出てません。……もうこの方が、話す事や歩くことは無いでしょう」

「────っ!!」

 

 自分が淡々とそう告げると、イリゴルは自分の胸ぐらを掴みあげ、そして殴りつけました。

 

 仰天したセドル君が大声で泣き、老婆は慟哭し、家は阿鼻叫喚に包まれました。

 

 ……冷静なのは、自分一人でした。

 

「自分を殴って、気は済みましたか?」

「────」

 

 ここで自分は、敢えてイリゴルを怒らせる言い方をしました。

 

 いっそのこと、怒りを自分にぶつけた方が立ち直りが早いと思ったのです。

 

「自分は貴方と合流してから、お姉さんを救うためベストを尽くしたつもりです」

「……んな事は分かってる!」

「では、早く平静を取り戻してください。貴方にはまだ、守るべき母親がいるでしょう」

 

 自分は、イリゴルに「無茶を言っている」自覚はありました。

 

 家族を失って、すぐに立ち直れる人間などいる筈がありません。

 

 ですが冷静さを欠いたまま行動すれば、余計な被害が増えるだけです。

 

「自分の背にも、守りたい(セドル)がいます」

「……」

「家族も故郷も何もかも失う前に、落ち着いてください。まだ守るべき人がいるというのは、幸運なんです」

 

 自分は殴られた顔の痣を治療しないまま、きっぱりとイリゴルにそう告げました。

 

 

「……姉をこんな風にしやがった、賊どもを皆殺しにしたい」

「たった一人で、ですか?」

「無理なのは承知だ、だが一矢報いたい。この手の銃で、奴等の数人を縊り殺してやりたい」

 

 イリゴルは悔し涙を目に浮かべ、声を震わせて呟きました。

 

「俺が士官を蹴って故郷に戻ったのは、姉の嫁入りを見たかったからだッ!!」

「……」

「チクショウ、あいつら、舐めやがって! 何が革命だ、何が大志だ────」

 

 ……その感情は、よく理解できました。

 

 自分だって、家族の一員のように扱ってくれたゴムージ夫妻を殺された憎悪はずっと胸の奥にくすぶっています。

 

 セドル君を無事な場所まで運んだ後……、きっと大泣きして取り乱すくらいには。

 

 ですが。

 

「それは……母親の命より大事な事ですか」

「……違う」

 

 ……まだ、自分達にはやるべきことが有るのです。

 

 

 

 イリゴルは姉の為、この家に来た賊を縊り殺しました。

 

 彼が銃を使わずに賊を殺したので、外の賊に勘づかれていないだけです。

 

 しかし仲間がいつまでも戻ってこなければ、じきに調べに来るでしょう。

 

 つまり自分たちは一刻も早く、この家を離れなければいけません。

 

「お袋、今からこの4人で村から脱出する。カノ姉さんは……」

「おお、おぉ……。カノゥ……」

「ベッドに寝かせておいてあげましょう」

 

 イリゴルが脳死となった姉を寝かせている間に、自分は裏口の周囲を偵察しました。

 

 ……下水から自分たちが消えているのがバレたらしく、敵の警戒が強まっていますね。

 

 慌ただしく賊が走り回って、自分たちを探しているのが見えます。

 

 我々を炙りだしたいのか、火を放たれている家もありました。

 

「……外の様子はどうだ、オース」

「今、脱出するのは厳しいですね。かなり警戒が強まっています」

「ならどうする」

「籠っていても、この家に潜伏しているのがバレればおしまいです。タイミングを窺い、強行突破するしかないでしょう」

「強行突破だと? 母の体力じゃ危険すぎる」

 

 この家に着くまでに派手に暴れたからか、賊は目を血走らせ我々を捜索していました。

 

 家探しも始めている様子ですし、じきにこの家も探しに来るでしょう。

 

「タイミングは、自分が計ります。なるべく警戒が少ない瞬間を狙って、村の外まで脱出しましょう」

「無茶だ、無謀だ。この家に隠れ、奴らの捜索をやり過ごしてからの方がいい」

「彼等は今、民家を燃やして回っています。もう、なりふり構っていなさそうです」

「……」

 

 燃やされている家を見て、ドクン、と自分の鼓動が早くなりました。

 

 恐らく賊が民家を燃やし始めたのは、銃をもった我々が潜伏したからです。

 

 ……自分達が、巻き込んだようなもの。

 

「貴方が同行を拒否するなら、自分は独りセドル君を背負って出ていきます」

「……チクショウ」

「このまま立て籠るのが良策とは、とても思えません」

 

 村の被害を増やした以上、何としても生き残らねばなりません。

 

 今だけは落ち込むんじゃなくて、前を向かねば。

 

「だがお袋の足じゃ、まず逃げ切れない」

「……殺せばいいじゃないですか」

 

 先ほどの賊から奪った銃の残弾は、4発でした。

 

 これだけあれば、十分に戦えます。

 

「数人も殺せば、奴等は怖がって追ってきませんよ。彼らの目的は制圧ではなく、略奪ですから」

 

 

 

 

 

 

 

「セドル君。また、お静かにお願いしますね」

「……うん」

「また目もつぶっていてください。自分との約束です」

 

 我々4人は数分後、イリゴル家を出ました。

 

 人目がこちらに向いてない瞬間を見計らい、裏口の窓から飛び降りました。

 

「居たぞ!!」

「ん……、見つかりましたか」

「流石に目立つか」

 

 裏口から出たハズですが、自分達はあっさり敵に発見されてしまいました。

 

 どうやら死角から、この家の裏口も見張られていたようですね。

 

「銃をもった二人だ! 撃て、撃て────」

「……【盾】」

 

 敵の声がした方向では、5人ほどの賊の集団がこちらに銃を構えていました。

 

 【盾】を展開して1射目をやり過ごした後、即座に撃ち返します。

 

「右から3人目は軍人あがりだ、気を付けろ」

「分かりました」

 

 やはり賊は、軍人と素人の混成のようです。

 

 銃を撃った後にその場で再装填している人が居れば、すぐに物陰に隠れ姿を消す者もいました。

 

 ……その姿を隠さなかった素人は、自分たちの撃ち返した弾が当たってその場に倒れ伏しました。

 

「……お袋、走れ!」

「は、はぁ……っ!」

 

 イリゴルは母親を、自分はセドル君を庇いながら賊と相対し続けました。

 

 後の我々の目標は、村の外へ脱出するのみ。セドル君を背負った自分、足の遅いイリゴルの母の脱出時間を稼ぐ為に、しばしば撃ち合わねばならなかったのです。

 

「イリゴル、自分は先行しています! お母さんを守ってあげてください」

「あ? お、おい何処に行く」

 

 ですが、このままですといつか逃げ道を塞がれてしまうでしょう。

 

 ────いや、むしろもう。

 

 そう気づいた自分はセドル君を背負ったまま、走る速度を上げてイリゴル達を置いて行きました。

 

「てめぇ、俺達を見捨てる気か────」

「【盾】っ」

 

 嫌な予感がしていた、十字路の角。

 

 案の定、そこに敵が待ち伏せしていました。

 

「ここに敵です、イリゴル」

「ぬ」

 

 自分が先んじて【盾】を置いたので、敵は慌てて銃を自分に構えました。

 

 ……さて、よくタイミングを見計らって。

 

「くそ、待ち伏せがバレてやがる。撃てェ!!」

「よっと」

 

 自分はそのまま、自ら出した【盾】を蹴ってバックステップしました。

 

 【盾】を足場にすることで、急な方向転換を行う技術はかなり有用です。

 

 これで自分を待ち伏せていた敵の、一斉掃射をうまくかわす事が出来ました。

 

「敵が次弾を装填する間に走り抜けますよ、イリゴル!」

「あ、ああ」

 

 この待ち伏せに気づいてなければ、自分たちは全員お陀仏でしたね。

 

 本当に今日は、調子が良すぎます。

 

「何だよあのガキ!」

「チクショウ、早く撃て」

「駄目だ、また隠れやがった!」

 

 二発目の装填を終える前に、自分たちは十字路を駆け抜けて。

 

 こうして自分たちは、待ち伏せしていた賊を振り切る事が出来ました。

 

「……敵の気配、もうありません。背後から追ってきている連中だけです」

「そうか、なら走るぞ」

 

 そして今の待ち伏せが最後の防衛ラインだったようで、

 

「……くそ、逃がしたか」

「戻ってこないか、しっかり見張っていろ! 村の外に逃げたならもういい、深追いするな」

 

 村の外まで走り抜けた後は、賊が追ってくる気配はありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……お二人とも、怪我はありませんか」

「ない」

 

 村の外に逃げた後も1㎞ほど走り続け、追跡が無いのを確認し、自分たちはようやく走るのをやめました。

 

 老婆は最終的に、イリゴルに背負われて肩で息をしていました。

 

「……ふぐ……ぅっ」

「ごめんなさいセドル君、もう泣いても良いですよ」

「うあああん……、ぅああああああん!!」

 

 そして自分もやっとセドル君を地面に下し、抱きしめてあげる事が出来ました。

 

 4歳の幼い彼は、きっとまだ両親が死んだ事もよく理解できていないでしょう。

 

 ただ怖い目に遭っているのにずっと、声をかみ殺して耐えていたのです。

 

「ドゥーちゃん……っ!! 怖がっ……っ!!」

「ごめんなさい」

 

 そんなとても頑張った彼に対し、自分は抱きしめることしか出来ません。

 

 彼の父や母に会わせてやる事は、もう出来ないのです。

 

 今までずっとゴムージの世話になっておきながら、何という体たらくでしょうか。

 

 

「……ごめんなさい、セドル君っ……」

 

 

 しかし、これでせめてもの約束は守れました。

 

 ゴムージの最期の、息子を守ってくれという約束を。

 

 これからどうすればいいのか、何処に落ち延びればいいのか、何も分かりませんけど……。

 

 少なくともセドル君は、ここで生きてくれています。

 

 

「おい、オース人。ちょっと静かにしろ」

「……イリゴル。この子は今とても、落ち着ける状況では────」

「違う」

 

 やがて自分も、徐々に感情が制御できなくなり。

 

 大泣きしているセドル君を抱いたまま、泣き出しそうになって……。

 

 

「ぐぁ!!」

「……へ?」

 

 

 

 その直後。

 

 何やら周囲を警戒していたイリゴルが、突然悲鳴を上げて倒れ伏しました。

 

「……え?」

「お、おお! イリゴル、イリゴル!!」

 

 イリゴルは胸を押さえたまま、血反吐を吐いて何かを睨みつけています。

 

 その彼の視線の先には────銃を持った無数の何かが、蠢いていました。

 

「……」

 

 ああ、油断。背後から追跡が無かったから、もう敵を振り切ったと思い込んでいました。

 

 セドル君が泣いた瞬間、感情の制御が聞かなくなって自分も一緒に泣いてしまいました。

 

 まだここは、敵がいた場所から1㎞しか離れていない危険地域だというのに。

 

 

「動くな。余計な口を利くな。貴様らは私の命令以外で行動する事を許可しない」

 

 

 見れば現在自分を囲んでいる敵は、暴徒ではない様子でした。

 

 凄まじい数の、統制された武装集団が無表情に自分達を睨んでいました。

 

「……そうだな、まず両手を挙げ武器を捨て、叛意がない事を示せ」

 

 そう、気付けば自分たちは、四方八方から銃を向けられていたのです。

 

 何たる油断、何たる無能。偵察役は自分だった筈なのに、包囲されるまで気付かなかったなんて。

 

「……」

 

 その気になれば彼らは、いつでも自分を物言わぬ肉塊に変える事が出来るでしょう。

 

 号泣し始めたセドル君を庇いながら、自分は指示通りに銃を捨てて手を挙げました。

 

 

「さて、と。貴様らは、誰だ?」

 

 

 自分たちが武装解除したのを受けて、敵の指揮官らしき人物がゆっくりと姿を見せました。

 

 その指揮官は、銀色に輝く髪を靡かせて、武骨なサバト軍服に身を包んでいました。

 

「ここで何をしていた?」

 

 ……その眼は昏く、氷のようで。額には、小さな痣がありました。

 

 自分はその少女を見た瞬間、

 

 

「早く答えろ、撃ち殺されたいのか?」

 

 

 「出会ってはいけない人と出会った」ような、直感的に言いようのない憎悪と恐怖を感じました。



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90話

 

 サバト連邦軍、参謀大尉シルフ・ノーヴァ。

 

 その名は連邦軍の中で「奇跡の象徴」として、広く知れ渡っていました。

 

 

 彼女の最大の功績は、西部戦線における多点同時突破戦略の提案でした。

 

 サバト連邦軍の指揮官ブルスタフはこの戦略を用いて、オースティンに絶大な被害を与えました。

 

 その結果オースティンが無条件降伏声明を出すまで追い込まれていたことからも、シルフが歴史を動かした人物であるのは間違いないでしょう。

 

 ……もし、そこで戦争が終わっていれば彼女の運命も大きく変わっていたと思われます。

 

「シルフはサバト随一の知恵者だ。将来の軍は、シルフを基に編成されるだろう」

 

 残念ながら戦争は続き、シルフは参謀将校として軍に招聘されました。

 

 父ブルスタフは「娘の優秀さ」を喧伝したため、彼女は士官学校を卒業した直後に関わらず一目置かれる存在となっていました。

 

 総司令である父から信頼を受けていた彼女は、参謀として様々な作戦に参加し、優秀な成果を挙げ続けました。

 

 ラキャさんが命を落としたあのノエル付近の攻防でも、彼女の作戦そのものは高く評価されました。

 

 シルフは続いてしまった戦争の中で、自らの価値を証明していったのです。

 

 

 ただブルスタフから見て、娘のシルフには大きな欠点がありました。

 

 彼女の立案する作戦は、その多くが「博打的」な内容ばかりだったのです。

 

 

 ブルスタフには、こんな信条がありました。

 

 それは、軍事作戦とは綿密な計算に基づいて実行されるべきものであり、人の命で博打をしてはいけないという信条です。

 

 若いシルフの立てる作戦には光るものはありますが、同時に危なっかしいものも感じていました。

 

 ブルスタフは愛娘にそれをよく諭し、不確定な要素をなるべく避けるように指導をしました。

 

 

「ああ、父は分かっていない」

 

 

 その父の言葉に表面上は頷いていたシルフですが、その心の奥底では鬱屈とした感情を抱えていました。

 

 シルフは自身の作戦が博打的であることなど、重々承知していたからです。

 

「博打をする必要なく、推測通りに敵が動いてくれるのが理想だ。だが、それは理想でしかない」

 

 父親ブルスタフは、非常に優秀な指揮官でした。

 

 システマティックな作戦を運用するのが得意で、その状況での最善手を無難に選択できる、安定感のある指揮を取柄にしていました。

 

 そんな父をシルフは尊敬していましたが、

 

「その信条は、選ぶ作戦を自ら制限して戦っている様なものだ。凡人には決して負けないが、きっと知恵者には読まれてしまう……」

 

 北部決戦における敵の動きを見て、父の指揮にずっと嫌な予感を感じていました。

 

 

 シルフは幾つかの作戦を北部決戦で提案しましたが、その殆どを父に却下されました。

 

 採用されたのは、空振りに終わった二重塹壕作戦くらいです。

 

 ブルスタフは兵力と生産力で有利を取っている以上、積極的な作戦を避けて守りを固めたのです。

 

 シルフの提案も殆どリスクの無い作戦しか、採用して貰えませんでした。

 

 ……シルフは、ずっと嫌な予感を感じていたそうです。

 

 敵の掌で踊らされ、取り返しがつかなくなる予感を。

 

 なのでシルフは、サバト側から打って出るような様々な作戦を父に提案し続けました。

 

「……その作戦は、リスクと戦果が見合っていない」

 

 しかし、その作戦をブルスタフは尽く却下していきました。

 

 防御側の有利を散々に経験してきた彼は、「いかに相手に攻めさせるか」を作戦の軸に置いていたのです。

 

 自分から攻めるなど、狂気の沙汰でしかありません。

 

「シルフはまだ若すぎた。実戦への参加は早かったかな」

 

 愛娘からの積極策提案を煩わしく感じたブルスタフは、彼女を北橋の防衛へと向かわせました。

 

 自身の安定した指揮で勝利する姿を見せれば、娘も納得して成長するだろう。

 

 ブルスタフはこうして娘の具申を却下し、自ら指揮を執り続け────

 

 その作戦内容を読み切っていたベルンに、これ以上無いほどの完敗を喫してしまったのでした。

 

 

 

 

 北部決戦に敗れ、オースティン領をさ迷ったシルフは、死ぬ思いでサバトに帰還しました。

 

 若い女性であるシルフに、汗と泥に塗れながら数十㎞の撤退行は、とても辛い経験でした。

 

 帰って父に文句を言ってやると息巻いて、やっとの思いでサバト領に戻ってきた彼女は、

 

「ブルスタフ司令は勇敢な最期を遂げられた」

 

 最寄りの拠点で、父ブルスタフの死を告げられました。

 

「まぁ、あの状況で父は助かるまい」

「シルフ殿……」

 

 シルフは寂しそうに、父の遺品の勲章を手に持ってそう呟きました。

 

 頭の良い彼女は、認めたくなかっただけで……、何となく父の結末を察していたようです。

 

「近くにサバト軍の司令部は有るか」

「ここからですと、東方司令部が近いです」

「そうか」

 

 そしてここからが、彼女にとって苦難の始まりでした。

 

 

 

 シルフはサバト東部、オースティンとの国境よりに設置された東方司令部に帰還しました。

 

 彼女は参謀将校であり、今回の戦争の顛末を参謀本部に報告をする義務があります。

 

 彼女は東方司令部で一息ついた後、すぐ首都に出向するよう命じられました。

 

「……ああ、最悪の里帰りだ」

 

 彼女の家族は首都ヨゼグラードに在住しており、ついでに顔を見せに行くつもりでした。

 

 シルフはまだ17歳、年若い少女です。父親の死について、家族と話をしたかったのです。

 

 しかし、首都に帰った彼女が見た光景は、

 

 

「……」

 

 

 民衆が暴動をおこし、謎の過激派組織により掌握されてしまった彼女の故郷でした。

 

 

 首都の有様はひどいモノでした。

 

 そこら中に崩壊した建物の残骸が散らばり、街中には遺体が転がっていて、謎の集団が声高に平和を訴えていました。

 

 

「……参謀本部、が」

 

 

 そして参謀本部は、民衆の手によって叩き壊されていました。

 

 レミさん率いる労働者議会は、政府側の有力者を焼き討ちして回っていたからです。

 

 参謀本部に所属していた有力者を殺害する為、参謀本部は焼き討ちにされていたのでした。

 

「……」

 

 それだけではありません。

 

 シルフの父ブルスタフは政府高官では無かったのですが、

 

「私の、家……」

 

 政府寄りの軍人として知られていたせいで、その実家も被害に遭っていたのです。

 

 無条件降伏の破棄はブルスタフ独断というデマも出歩いていたようで、その邸宅は焼き討ちされ家族は消息不明になってしまっていました。

 

 首都は、シルフの故郷は、もう別の何かに支配されていたのです。

 

 

「……」

 

 

 シルフは東方司令部に戻り、首都で見た仔細を報告しました。

 

 聞けば東方司令部も1週間前から参謀本部と連絡がつかなくなっており、シルフを偵察の駒として使ったみたいです。

 

 東方司令部はその「労働者議会」を反政府勢力として調査を始め、シルフは東方司令部に所属する事となりました。

 

「西方司令部、南方司令部とも連絡が取れない。やはり、通信拠点が破壊されている」

「北方司令部は、周囲で大量発生している暴徒の対応に追われ動けないそうだ」

 

 全国的に通信拠点が破壊されているようで、司令部間の連絡はほぼ取れない状況でした。

 

 通信拠点にも軍事物資が蓄えられているので、武器を欲しがった暴徒が襲撃していたのです。

 

 暴徒を鎮圧するに当たり各司令部と足並みを揃えたかったのですが、それは不可能でした。

 

 更にこの頃から、

 

「この付近にも大量の賊が発生している。幾つかの集団が『労働者議会に与する』と宣言し、各地で略奪を繰り返しているらしい」

「なんてことだ」

 

 東方司令部付近の村落から大量の救援要請が入り始め、司令部はその対応に追われることとなりました。

 

 

「シルフ殿。年若い貴女に任せるのは抵抗があるが」

「構わん。指揮官も足りんだろう、私が出てやる」

 

 

 東方司令部には北部決戦の予備兵力が駐留しており、兵数はそれなりにありました。

 

 しかしベテラン兵士は北部決戦に駆り出されており、所属していた指揮官級は士官学校上がりの経験の浅い者のみでした。

 

 実戦経験者で、かつサバト随一と言われた知恵者であるシルフを遊ばせておく余裕はありません。

 

 前線帰りのシルフは指揮官として、賊の討伐の為に各地を走り回る事になっていたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここで何をしていた?」

 

 そんな理由で、この時のシルフは賊の討伐のため毎日のように飛び回っていました。

 

 この日も、賊らしい集団をオセロ近辺で目撃したとの情報を受け、調査に来ていたようです。

 

「貴様らが今、手に持っていた装備はサバト軍の正規装備のようだが。何処で手に入れた」

「……これは、賊から奪ったものです」

 

 そんな状況だったので、サバト小銃を手に持った4人組が接近してきているとの報告を受け、シルフ・ノーヴァは我々を賊の斥候と勘違いしたようでした。

 

 なのでイリゴルを撃ち、我々を包囲して事情聴取と相成ったようです。

 

「聞いてください。オセロの村が、賊に襲われているんです」

「貴様らがその、賊ではなくてか?」

「お疑いなら、自分達を拘束していただいて構いません。あの村の民に聞けば、我々が村民で有る事は証明していただけるでしょう」

 

 シルフは半信半疑ながらも、自分たちの面々を見て微妙な顔をしました。

 

 賊は村人が身をやつしたケースが多く、一般人と区別がつかない事が多かったのです。

 

 自分たちの様に子供や老婆連れであっても、賊である可能性は十分にありました。

 

「なのでどうか、そこのイリゴル……。村の仲間を、治療させてもらえませんか」

「……」

「自分はあの村で癒者の見習いをやっていた者です。回復魔法を、使わせてください」

 

 先程体を撃たれたイリゴルは、鬼の形相で軍服の少女を睨むのみでした。

 

 老婆は彼に抱き着いて、声にならない慟哭をあげるのみ。

 

 イリゴルにはもう、声も発する余裕がないと思われます。

 

「それには及ばない。ふん、最初から急所は外すよう指示している」

「……どうか、治療を」

「見知らぬ相手に魔法を使う許可を出すと思うか? ……エライア、応急処置だけしてやれ」

 

 シルフ・ノーヴァは、自分より年上であろう女性兵士に指示を飛ばしました。

 

 どうやら、向こうの衛生兵に治療してもらえるみたいです。

 

「まぁ良いだろう、諸君らの身柄は我々が預かる。供述した通り村人だというならば、安心すると良い。今から、オセロ村とやらを見に行ってやる」

「ありがとうございます。賊は自分の見えた限りですと数十人規模、一部に軍人崩れが混じっていると思われます」

「は、情報提供感謝する」

 

 向こうの衛生兵は、硬い態度を崩さないままイリゴルの腹の処置を始めました。

 

 ……それなりのベテラン衛生兵っぽいですね。安心して治療はお任せできそうです。

 

 軍が到着したなら一安心、後は彼らに任せましょう。

 

 

 そんな事を、思っていたら。

 

「……それよりも。おい、そこの女」

「自分ですか」

「そうだ」

 

 シルフはおもむろに、セドル君を抱く自分にツカツカと近づいてきました。

 

「お前、そのサバト語の訛りは何だ?」

 

 そしてシルフ・ノーヴァは、憎悪を瞳に灯したまま。

 

「お前、本当にサバト人か?」

 

 自分の額に、銃口を突きつけました。

 

 

 

 

「私には今、嫌いなものが3つある。1つは、レーションの中に入っているヨレヨレのパプリカだ。あれは人の食べる物じゃない」

 

 彼女の口調は軽く、まるで友人にジョークをかますときのような軽快さを持っていました。

 

 ですが、その眼光は氷点下の雪原を思わせる昏さでした。

 

「2つ目は、言う事を聞かぬ部下だ。私は今まで優秀な部下に縁が無くてな、何度も作戦を台無しにされてきた。次にミスをすれば銃殺してやろうと、心に決めているくらいに」

 

 そのシルフの言葉に、彼女の部下からピリっとした空気を感じました。

 

 シルフは外見と裏腹に、非常に冷酷な軍人であると思わせました。

 

「3つ目は……オース人だよ。一度は白旗を上げた癖に、往生際悪く抵抗を続け、挙句私の父を殺した」

 

 銃口を握るシルフの指先に、力が入ります。

 

 彼女に銃を突き付けられた自分は、目を瞑ってセドル君を抱きしめる事しか出来ません。

 

「さぁ、答えろ。お前の出身は何処だ? 何故、そんなにもサバト語が訛っている?」

 

 

 ……直感で、分かりました。

 

 彼女は、自分がオースティン出身であると話した瞬間に引き金を引くと。

 

 

「セドル君。ごめんなさい、また少し目を閉じていてくださいね」

「トゥーちゃん?」

 

 

 どう答えるべきか。どうせ、村で聞き込みをされれば自分がオースティン人である事はバレるでしょう。

 

 しかしここで正直にオースティンと答えると、即座に撃ち殺されます。

 

 下手をすると、セドル君までオースティン人と勘違いされるかもしれません。

 

 ……。

 

 

 

「この子の名前はセドルと言います。彼はれっきとした、サバト人の子です」

「そんな事は聞いていない。貴様の出身を聞いている」

「……彼はサバト人です。それは嘘ではありません、村で聞いて回って貰って結構です」

「私の言葉が聞こえなかったのか?」

 

 自分がセドル君を守る方法は、これしか思いつきませんでした。

 

 嘘をつかず、本当の事を言ってセドル君の安全を確保する。

 

「そして自分は、オースティンの出身です」

「は、はは。はははっ!」

 

 その上で正直に、自分の国籍を偽りませんでした。

 

 ここで嘘をついてしまえば、セドル君の国籍まで疑われてしまうかもしれないからです。

 

「私はオースが嫌いだ。同じ空間で息をすることすら汚らわしい。貴様らさえいなければ……」

 

 ブツブツと何かを呟いた後、シルフの目が殺意に染まりました。

 

 そして彼女は、泣き笑いのような表情を浮かべた後、

 

「父の仇、取らせてもらうぞ」

 

 ……ゆっくりと、引き金を引く指に力を込めました。

 



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91話

 

 結局のところ、サバトに自分の居場所なんてものはありませんでした。

 

 オースティン人である自分は、サバト人にとって憎き仇でしかありません。

 

 父親を失ったシルフにとっても、そうだったのです。

 

「言い残すことは」

「セドル君、どうか御達者で。……パパやママの分も、自分の分も、長生きしてください」

「ふん」

 

 彼女に銃口を向けられた瞬間から、撃たれる覚悟は出来ていました。

 

 この人達がサバト連邦軍であるなら、自分を生かしておく理由も義理もないからです。

 

「トゥーちゃん?」

「……はい、ちょっとあちらを見ててくださいね」

 

 濃密な、逃れ得ぬ死の気配。

 

 自分は死ぬ瞬間をセドル君に見せないよう、彼の顔を明後日の方向に向けさせました。

 

 ……せめて彼のトラウマが、少しでも少なくなるように。

 

「心の準備はいいか、オース豚」

「はい」

 

 そして彼の未来が少しでも、明るいものになる事を祈って、背中越しに抱き締めて。

 

 自分はゆっくりと、瞳を閉じました。

 

 

「待って、くださいっ……っ!!」

「……あ?」

 

 

 しかしその、引き金が引かれる直前。

 

 一人の男が、自分とシルフの間に割って入ってきました。

 

 それは、

 

「イリ、ゴルさん?」

「この娘を撃つのは、許してやってください指揮官殿!」

 

 先ほど撃たれて、まだ応急処置しか済んでいない元兵士。

 

 帰還兵のイリゴルでした。

 

 

「貴様は誰だ?」

「元クローリャ大隊所属、突撃歩兵部隊のイリゴル伍長です。北部決戦の前、負傷により撤退し退役となっておりました」

「……ほう?」

 

 シルフは、イリゴルの名乗りに眉を上げました。

 

 どうやら、聞き覚えのある名前だったようです。

 

「クローリャの所の兵士か。散々にオースティンに打ち破られたという、あの」

「情けない限りです」

「貴様も、貴様の戦友も、さぞかし無能だったのだろう。ああ、貴様らさえしっかりしていればサバトはこんな苦境に陥らずに済んだ」

「……返す、言葉も、ありません」

 

 イリゴルは何か言葉を呑み込みながらも、必死で傲慢な少女に頭を下げました。

 

 ……戦友を侮辱されているというのに、イリゴルは頭を下げたままピクリとも動きませんでした。

 

「それで。貴様はこのオースの処刑に割り込んで、何といった」

「彼女の処刑を、思い直していただきたい」

「ほう? 貴様、オースティンと繋がっていたのか?」

 

 この時の自分は、疑問符でいっぱいでした。

 

 どうして、イリゴルさんが割って入ってくれているのか。

 

 どうして彼が、自分を庇ってシルフ・ノーヴァに頭を下げているのか。

 

「彼女は、村に亡命してきたオース人です。……俺も、最初はぶち殺してやろうと思いました」

「で?」

「でもこの娘は、先程の襲撃の際、俺の家族を救おうと命を賭けてくれました。一度はボコボコに殴りかかった、この俺の家族をです」

「それで?」

「オースティンという国家が悪いのであって、この娘が悪いんじゃない。……今、貴女が銃を向けているのは、何の罪もない我が村の仲間だ」

「……」

「どうか、考え直してください。俺は仁義に厚いサバト人の誇りに掛けて、彼女の助命を懇願しています」

 

 ただ分かるのは、彼が本気だという事でした。

 

 一度は自分を殺そうとしたイリゴルが、どういう心境の変化か自分を救うために命懸けで頭を下げてくれているのです。

 

 その彼の態度に、自分は唖然とするのみでした。

 

「無理だ。オースを、保護する余裕も義理もない」

「ソコを、何とか」

「そもそも、コイツがスパイではない保証がどこにある。この情勢で、サバトの村に亡命してきたオースティン人だぞ? オースティンからの内偵と考えるのが自然だろう」

「こいつはそんなんじゃありません。絶対に違う。俺以外の村の連中にも聞いてみてください」

「はっはっは、お前のような単細胞を騙せる奴がスパイになってんだ。余計なリスクを背負い込む理由は無い」

 

 シルフはそんな、イリゴルの嘆願を切って捨てました。

 

 彼女は侮蔑を表情に残したまま、

 

「それ以上、その無様な嘆願を続けるなら撃ち殺すぞ」

 

 次はイリゴルに、銃口を向けたのでした。

 

 

 

「イリゴルさん、ありがとうございます。もう結構です」

「オース人……」

「ぶしつけな願いではありますが、どうかセドル君のことをよろしくお願いします」

 

 彼女の言う事は当然です。

 

 スパイの可能性がある敵国民など、殺さない理由がありません。

 

「そうだ、一応聞いておこう。貴様はどんな経路で、このサバトに侵入(はい)って来た」

「経路、ですか」

「ああ。先程、当たり前のように『亡命してきた』と言ったな。どんなルートを使えば、オースティンからサバトへ潜りこめるんだ? 正直に話すなら、そこで震えているガキは助けてやっても良いぞ」

 

 イリゴルに銃口を向けたまま、シルフは獰猛な笑みを浮かべて自分を見ました。

 

 そして、そのまま視線を下にずらし、

 

「嘘を吐けば、その子供は家畜の餌にしてやる」

 

 獲物を見るような目で、自分に抱きついて震えるセドル君を見下しました。

 

「……お答えします」

 

 ……そのシルフの問いに、自分は正直に答えるしかありませんでした。

 

 

 

「自分は、オースティン軍の衛生兵でした」

「ほう?」

 

 

 

 自分は、傲慢に見下すシルフの前で、ポツリポツリと今までの話を語ってきました。

 

 孤児院の生まれで、徴兵によりオースティン軍に入隊となり、西部戦線に放り込まれた事。

 

 シルフ攻勢により首都まで撤退し、多くの仲間を失った事。

 

 死ぬような思いで冬に行軍し、北部決戦に臨んだ事。

 

 

「自分は北部陣地の後方で、衛生兵として働いていました」

 

 

 この戦争で、自分は大切な人を失いました。

 

 最初の同期、心優しいサルサ君。

 

 自分やロドリー君に戦場の心構えを教えてくれた、グレー先輩。

 

 優しく自分に衛生兵としての基礎を教えてくれたゲールさん。

 

 とても怖く頼りになった、ガーバック小隊長。

 

 初めての部下で、歳も近かったラキャさん。

 

 

「北部決戦の時は、訳も分からないうちに敵に囲まれていました。後方である自分たちは安全だと思っていたのに、全滅するしか無いような大軍に囲まれて」

 

 

 そして北部決戦でも、沢山の戦友が死んでしまいました。

 

 新兵の頃からずっと自分を導いてくれた、兄貴分のアレンさん。

 

 ……ずっと隣にいてくれて、辛いときはいつだって支えてくれた、優しい男の子ロドリー君。

 

 

「自分は、ただ、彼と一緒にいられればよかった。戦争なんか、したくなかった」

 

 

 結局彼の遺髪は、手放せずにずっと家に置いたままでした。

 

 今でも、ずっと考えていることがあります。

 

 自分は、戦場なんかでロドリー君と出会いたくなかった。

 

 もっと平和な場所で、平和な時代に、彼と普通に友人になりたかった。

 

「初めてのキスは血の味で。想いを交わしたその日から、自分の時間はずっと止まったままで」

 

 気付けば、自分はシルフの前で涙を溢していました。

 

 自分をこの世に縛るものは、殆ど残っていないと気付いたからです。

 

 

 自分が家族のように思っていた戦友の大半は、死んでしまいました。

 

 心が凍てついた自分を家族の様に迎え入れてくれたゴムージ夫妻は、賊に惨殺されました。

 

 今の自分の心残りは、背中で恐怖に震えているセドル君だけです。

 

「だからもう、自分を殺すなり好きにしてください。会いたい、彼にもう一度、会いたい────」

 

 どうして、後方の拠点がいきなりサバト軍に囲まれたのか。

 

 どうして、ロドリー君が死なねばならなかったのか。

 

 そんないろんな感情をごちゃまぜにしながら、自分は嗚咽をこぼして号泣しました。

 

 どれだけ平静を保とうとしても、心が言うことを聞きません。

 

「死んで、あの人に会えるなら────」

 

 やがて自分は落ち着くことを諦め、不細工な泣き顔のまま、いつでも撃ってくださいとばかりに目の前の少女を見上げると……。

 

 

「……」

 

 

 その華美な軍服を着た少女は、顔全体から脂汗を噴き出していました。



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92話

 

 ────き、貴様が敵の衛生兵だったというなら話は別だ。尋問、そう敵の軍内部の情報を得るために尋問せねばなるまい!

 

 

 自分の喚きを聞いた後、少女指揮官(シルフ)は銃口を離し、処刑を取りやめました。

 

 後でたっぷり尋問してやる、と言い残して。

 

「トゥーちゃん、この人たち、誰?」

「……大丈夫です、大丈夫ですよセド君」

 

 その後、自分は捕虜として捕縛されました。

 

 自分は後ろ手に手錠を嵌められ、柱に括り付けられて、檻に入れられました。

 

 これは罪人用の収容設備でしょうか。所々錆びている、旧い鉄製の檻でした。

 

「トゥーちゃん、それ痛くない?」

「自分はへっちゃらです」

 

 セドル君も拘束こそされていませんが、自分と同じ檻に収監されていました。

 

 彼は柱に縛り付けられた自分を、足元から不安げに見上げていました。

 

「パパは、ママは、まだ?」

「まだ、みたいですね……」

 

 檻は複数人用なのか、それなりの広さがありました。

 

 柱も、数本おっ建てられています。

 

「……」

 

 ……もしかして、捕まった敵の賊もこの檻に入ってくるのでしょうか。

 

 だとすれば、セドル君が心配です。

 

 

 

 

 

 

 その後サバト軍は、イリゴルの案内の下、オセロ村に進軍していきました。

 

 この軍の規模ならば、賊はすぐさま制圧される事でしょう。

 

 ……自分の知り合いが心配です。アニータさんは無事でしょうか。

 

 ゴルスキィさんは、……大丈夫でしょうけど。

 

「おい、オース人」

「はい、自分ですか」

 

 檻の中でオセロ村民の無事を案じていると、残って自分を見張っている兵士の一人が声をかけてきました。

 

 何故か、金属製の棒を持って。

 

「オース人が何故、村にいた?」

「先程もお伝えした通り、北部決戦の折に川に飛び込み、救助されました」

「本当の事を言え。俺は尋問官のソーニャだ。嘘なんざ簡単に見抜ける」

 

 その棒を持った男は、尋問官を名乗りました。

 

 そう言えば、敵指揮官は自分を尋問をすると言っていました。

 

 どうやらオセロ村の攻略に平行して、自分の尋問を行うようです。

 

「どれだけ対尋問訓練を受けても、人は嘘を吐いた時に必ず何らかのサインが出る。今の貴様のようにな」

「嘘など、ついていません」

「北部決戦後の、我々の動向を探ろうと諜報に来たのだろう? ほら随分と、脈が速くなってきているぞ」

 

 そりゃあ、さっき何度か出血したんですから脈くらい速くなるでしょう。

 

 【癒】で治療したから動けてるだけで、自分はそこそこ重傷です。

 

 自分の服は血塗れなので、それくらい分かりそうなものですが。

 

「次に嘘を吐いたら、お仕置きだ。……さて、改めて聞くぞオース人。貴様は何故、あの村にいた?」

「……北部決戦の折に、救助されました」

「良い度胸だ!」

 

 尋問官は激高した声をあげ、ウオオォと怒鳴って自分の身体を殴打しました。

 

 自分は嘘なんかついてないんですが、認めてくれる素振りはありません。

 

 どうしたものでしょうか。スパイですと言えば殺されますし。

 

「嘘はついていません、どうか」

「正直に話せば何もしないって言ってんだよ!」

「トゥーちゃん、トゥーちゃん!!」

「あの、セド君が怖がっているので、自分を尋問するなら彼の見えないところでやってくれませんか」

「舐めやがって!」

 

 これは……、どうしようもなさそうですね。

 

 暫く無抵抗に、いたぶられるとしましょう。

 

 加減を間違え、殺されない事を祈るのみです。

 

「仲間との連絡手段はどうしている! 吐け、吐かないとこのまま殺すぞ!」

「……」

 

 ただこの人、割と加減を知らないっぽいです。

 

 今、お腹で何かが破裂した感じがしました。……放っておかれると死にますね、自分。

 

「いつまでも下らない意地を張らないことだ! 貴様の嘘など、こちらは全部お見通しだ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アホかァ!!」

 

 ふと意識が戻ると、自分は誰かに治療を受けていました。

 

 目の前で妙齢で短髪の、真面目そうな女軍人さんが【癒】を行使してくれていました。

 

 先ほど、イリゴルを治療した衛生兵の人でしょうか。

 

「軍内部の情報を得るための尋問だ! スパイと決めつけてかかってどうするこのタコ!」

「で、ですがコイツ、間違いなくスパイで」

「この女は敵の衛生兵であるところまでは認めていただろう! 敵衛生兵なら知っているであろう、敵軍内部の情報を聞き出しながら、その発言に矛盾があれば突いて行くんだ。殴るだけなら猿でもできるわ大間抜け!!」

 

 そんな自分の近くでは、誰かが大声で怒鳴り声をあげていました。

 

 とても神経質そうな、ヒステリックな声で。

 

「そもそも、私は尋問しろなんて命令していないだろう!! 自ら聞き出すつもりだったのに!」

「ですが前は、命令されずとも自分で考えて行動しろと言ったじゃないですか」

「職務の実行は、上官命令を待てドアホ! 前のは、命令がなくとも掃除くらいしろと言っただけで────」

 

 キンキンと煩い声に頭痛を覚えながらも、自分はゆっくり頭を上げました。

 

 声の方を見ると、憤怒と呆れに顔を歪めた少女が、尋問官をゲシゲシ蹴っていました。

 

「そもそも尋問官が、捕虜を殺しかける時点で職務すら全うできていない! この無能、カス、毛の虫ダンゴ!」

「す、すみません」

「もういい、貴様には今後二度と尋問を任せる事は無いと思え。失せろ!」

 

 その激昂している少女を改めて見ると、不思議で神秘的な雰囲気の娘だと感じました。

 

 絹のような白い肌で、銀色に輝く長髪を靡かせた、蒼い目(ライトブルー)の少女でした。

 

 しかしその眼は氷のように冷たく、生気を全く感じません。

 

「……起きたか、オース人」

「はい、意識は戻りました」

「後で私自ら尋問を行う。しばし檻に放り込んでおけ」

「分かりました」

 

 シルフは自分を一瞥した後、フンと鼻息荒く背を向けました。

 

 その言葉を受け彼女の部下が自分を再び縛り、柱にくくりつけます。

 

 ただ心なしか、さっきより紐が緩めな気がしました。

 

「ああ、そうだ。そこのアホも、罰として檻に放り込んで括り付けておけ」

「了解です」

「……本当に部下に恵まれない。私の意を汲み取って、背中を任せられる奴がどうして出てこない」

 

 ついでに尋問官の人も、自分と同じスタイルで柱に括り付けられました。

 

 まぁ、確かに下手な尋問でしたし仕方ないでしょう。

 

 情報を吐かせたいならもうちょっと上手いやり方がある筈です。

 

「あ、その子供にはちゃんとした食事を出してやれ。栄養が必要な年齢だ」

 

 少女指揮官(シルフ)はそう言い残し、プリプリ怒って歩き去って行きました。

 

 部下達もそれぞれ、持ち場に戻っていきます。

 

 後その場には、シルフの大声に怯え隠れているセドル君と、不満そうに拘束された尋問官。そして、全身痣だらけの自分だけが残されました。

 

 

 

 

 

「トゥーちゃん、あーん」

「どうも」

 

 名目上は、自分と尋問官は食事抜きだったらしいです。

 

 自分は尋問中の捕虜だからで、尋問官は罰則という意味で。

 

 ですが、セドル君に出された食事が4歳児が食べる量ではありませんでした。

 

 普通に成人一食分くらい、出してもらっていました。

 

「おいしい?」

「ええ、おいしいです」

 

 ……これは、物凄く迂遠にですが自分の分の食事も用意して貰えたのでしょうか。

 

 さっきからセドル君が自分の口に食事を運んでいますけど、見張りの人は何も言ってきませんし。

 

「あ、こぼしちゃった。トゥーちゃん、ごめんなさい」

「構いませんよセド君」

「拭いてあげるー」

「ありがとうございます」

 

 ただ、セドル君が若干不器用なせいで自分の服がドロドロになっていますけど。

 

 スープを掬って自分の口に運ぶ過程で、何度もひっかけられました。

 

 まぁ、この服は血塗れですし、捨てる予定でしたので問題はありません。

 

 

 

 

 

 

「おい、オース人。シルフ様がお呼びだ、出ろ」

「はい」

 

 食事を終えて一息つくと、自分は先程の少女に呼び出されました。

 

 この時初めて、自分は彼女の名────シルフ・ノーヴァという名を知りました。

 

「シルフ様は参謀大尉で、本中隊の指揮官である。不遜を働けば、即射殺されると思え」

「……はい」

 

 セドル君は檻の中に残るように言われ、わんわん泣いていました。

 

 心は痛みますが、自分の尋問に巻き込まずにすんで少しホッとしました。

 

 最悪、射殺されますし。

 

「中に入れ。……余計なそぶりを見せたら、即座に撃つから注意しろ」

「分かりました」

 

 自分は兵士に連行されたまま、大きなテントに案内されました。

 

 どうやら、この中にシルフがいるようです。

 

 

 ……先程の氷のような目。そこからあまり感情は読み取れませんでしたが、おそらく相当に恐ろしい人物であることが予想されます。

 

 なるべく、刺激をしないよう気を引き締めてかからねばなりません。

 

「失礼します、シルフ参謀大尉殿。オース人を連行して参りました」

「うわあああ! ちょ、今は入ってくるなバカ!」

「はい?」

 

 自分を連行してきた兵士が、真剣な表情でそのテントの幕を上げると、

 

 

「おお、貴様も無事だったか」

「早く降ろせ、この筋肉馬鹿!」

 

 

 何故かゴルスキィさんが、シルフを肩車して遊んでいました。

 

 

 

 

「ぜー、ぜー……。良いかゴルスキィ、貴様を呼んだのはその娘が真に村人かと確認するためだ。私で遊ぶなドアホ!」

「久しぶりに会えて光栄である。美人になったなシルフ」

「やかましい!」

 

 想像以上にほのぼのした風景が広がっていたので、自分も兵士も目が点になっていました。

 

 どうやらこの二人は、お知り合いだったみたいです。

 

「吾は彼女の父ブルスタフ氏と懇意でな。幼少期にシルフと会った事があるのだ」

「成程」

「今は私の方が階級上なんだぞゴルスキィ! 不敬とは思わんのか!」

「吾は今、一般人である。階級を持ち出すなど無粋であろう?」

「そうだったなチクショウ!」

 

 初対面の印象に反して、シルフは随分と愉快な性格をしていました。

 

 彼女は神経質で怒りっぽいみたいですが、その反面弄られキャラでもあるみたいです。

 

「……で? その女は確かにオセロで暮らしていたんだな、ゴルスキィ?」

「無論。吾と共にヴァーニャを浴びた間柄である」

「オース人の癖にかなり馴染んでるな!」

 

 そう言えば、ゴルスキィさんとも一緒にヴァーニャしましたね。

 

「吾の主観で話すが、彼女は諜者ではなかろう。少なくとも数か月彼女と暮らして、一度も不審感を覚えなんだ」

「それがどれだけ当てになるか分からんが」

「彼女は嘘を吐けぬ性質よ。聞きたい事があれば、何でも聞いてやると良い」

「まぁ、言われずとも聞くわ」

 

 シルフはゴルスキィさんの脛を蹴った後、ドスンと丸テーブルに着席しました。

 

 そしてトクトクと、何やら液体をカップに注いで置きます。

 

 匂い的に……ヴォック酒でしょうか。

 

「おい、オース人。テーブルにつけ」

「……了解しました」

「一緒に檻に放り込んだ子供は、貴様に食事を分け与えたらしいな? よく懐かれてるみたいじゃないか」

 

 そしてシルフは、グビリと一杯の酒を飲み干した後。

 

 品定めでもするかのような顔で自分の目を見つめ、

 

「普段の自分の行いに感謝しておけ。……子供は悪意に敏感だ、貴様はそれなりに信用を得ていたのだろう」

「……どうも」

 

 そう言ってニヤリと笑いました。

 

 ……なるほど、あの多すぎるセド君の食事は自分の人格テストだったんですか。

 

「さて、と。貴様は北部戦線で衛生兵をしていて、我々の襲撃を受け川に身を投げたと言ったな」

「はい」

「ならば、知っているはずだ。ヴェルディというオースティンの参謀大尉について。どんな小さな情報でも良いから、聞かせてもらおうか」

「……ヴェルディ、さんの?」

「ああ」

 

 そう、問いました。

 

「奴こそが私の、宿敵なのだ」

 

 

 

 

 

 

 

 ここで自分は、シルフが今まで経験した大まかな作戦を聞かされました。

 

 彼女は東西戦争で、参謀や指揮官として様々な戦いに参加したそうです。

 

「私は北部決戦で、ヴェルディの指揮する後方陣地を奇襲した」

「……っ!」

 

 シルフが我々を奇襲した指揮官であると聞いた時は、怒りで頭が沸騰しかけました。

 

 目の前の女が、ロドリー君の仇なのです。

 

 それと同時に彼女の額を見て、「そういや敵将の額を狙撃したっけ」と思い出して冷や汗をかきました。

 

 彼女の額にはガッツリ痕が残っています。バレたら絶対に殺されるでしょう。

 

 そのお陰で、怒りに飲まれず冷静さを保てました。

 

「ヴェルディ・マジックの種が知りたい。あいつは何をどうして、我々から逃げおおせたのか」

「……はあ」

 

 どうやら北部決戦以後、ヴェルディさんは魔法使いと称されて時の人になっているようです。

 

 というのもノエル村周囲の夜間進軍や、北部決戦での撤退劇は全て「ヴェルディの魔法」として、あるお方が宣伝しまくったそうで。

 

 ベルンとヴェルディの2大名将によりオースティンは奇跡の逆転勝利をあげ、今もなおフラメール相手に互角以上に立ちまわっているのだとか。

 

「実は、自分は新兵の頃からヴェルディさんと同じ小隊に所属していました」

「お、本当か! 詳しく聞かせろ、奴はどんな男なのだ」

「えーっと、その、優しい人です」

 

 ヴェルディさんはベルンと双璧を成す天才として、その名をサバトまで轟かせていました。

 

 なのでシルフも、ヴェルディさんのせいで自らの策が破られたことを知っていたのです。

 

「優しくて、前線ではちょっとだけボンヤリしてる雰囲気でした。でも、指揮官としては物凄く優秀でした」

「ほうほう、典型的な参謀タイプだな。考えている事が多すぎて、前線じゃ咄嗟に動けないタイプだ」

「ああ、成程」

 

 前線のヴェルディさんはボーとしているんじゃなくて、考え事が多すぎて処理が遅かったんですね。

 

 言われてみれば、士官学校でも頭の良さはピカイチと聞いていました。

 

「オースティン1の傑物は、そのヴェルディと言う男だ。他に何か、奴の弱点みたいなモノは無いか」

「自分の印象では、底の知れなさではベルン・ヴァロウの方が上でしたけど。彼からは底冷えする様な邪悪を感じました」

「あ? ベルンって北部決戦の指揮をした男だろう? あっちは大したことは無い、小物だ」

「え」

 

 自分の中で、ヴェルディさんは凄まじく優秀な人ですが「怪物」ベルン・ヴァロウには及ばないと考えていました。

 

 しかし、サバト側から見た印象は違うみたいで、

 

「父上が私の策を却下したからやられただけ。私が全権を握っていたら、普通に戦力差で勝るサバトが勝っていただろう」

「……」

「正直、ベルンの手は見え透いていた。まんまと嵌る前に軌道を修正するよう、私は何度も進言した。……その結末が、アレだ」

 

 シルフ・ノーヴァはヴェルディさんの方をこそ、高く評価していたみたいです。

 

「オースティンに生まれてベルンの真似ごとをしろと言われたら、私は多分できる」

「それは」

「ただヴェルディの真似だけは無理だ。どんな度胸があれば、あんなか細い撤退路を見出せるというんだ。真の怪物は、ベルンではなくヴェルディだよ」

 

 まぁ確かに、鉄火場のヴェルディさんの指示の的確さは凄まじいですけど。

 

 ……あの撤退に関しては、何と言うか他に(・・)方法(・・)が無(・・)かった(・・・)ので、ラッキーパンチなんですけどね。

 

「ああ、ヤツの作戦指示の内容についても聞かせてくれ。北部決戦の折、彼にどんな根拠があって数百人で私の陣地に突撃してきたのか。他にはどんな指示を出していたか」

「あー」

 

 まぁ、そんなに大した話ではありませんので白状してしまいましょう。

 

 真相を聞けば破れかぶれのヤケクソ作戦なので、シルフも呆れてしまうと思いますが。

 

「その件は、自分の提案です」

「……あ?」

 

 自分の返答を聞いたシルフは、呆けた声を出しました。



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93話

 

「─────と、自分の提案はこんな内容でした。普通に撤退したら全滅する状況でしたので、僅かでも勝ちの目がある作戦を提案しただけです」

「……」

「ヴェルディさんも苦渋の顔で、自分の作戦を採択してくれました。それを実際に成し遂げたのは、彼の状況判断力と指揮能力もあったでしょう。ですが正直なところ、運が良かったのが一番の要因です」

 

 自分はシルフに、北部決戦の折のヴェルディ隊の動きをシルフに報告しました。

 

 ……これは、機密漏洩になるんでしょうか?

 

「あの状況下で、策もないまま物資を運び出す判断をしたのか。その、ヴェルディ参謀大尉とやらは」

「はい」

「……アホだろう」

 

 しかしセドル君を人質に取られている以上、話せる事を話さねばなりません。

 

 それにオースティン軍の内部情報ならともかく、自分が適当に提案した作戦概要など話しても問題ないでしょう。

 

「数百名……、貴様らは何故そんな小勢で、我がサバト本軍の正面に姿を見せた?」

「と言いますと?」

「そんなもの、普通は陽動と判断される。陽動部隊が現れたとて包囲を解く理由にはならん、死にに行くだけの愚行だ」

「でも、そうは判断されませんでしたよね」

 

 半年くらい前の話ではありますが、あの時の状況ならスラスラと述べることができました。

 

 ……あの撤退戦は、今でもトラウマとして夢に見ていますので。

 

「あの周囲は起伏が激しい森林地帯で、兵が隠れる場所が沢山ありました。相対すれば誰もが伏兵を警戒するでしょう」

「……」

「そして、あの時のサバト軍の奇襲速度だと入念な索敵を行っている可能性は低いと判断が出来ました。なので、ブラフの意味を込めて少数で姿を見せました」

 

 今でも胸が煮えくり返りそうになる、あの戦い。

 

 彼女からしても、あの撤退戦は面白くない結末だったでしょう。

 

 自分やロドリー君の決死の囮で、ヴェルディ隊は撤退して見せたのですから。

 

「自分達の他に、奇襲部隊が伏せてあると考えませんでしたか?」

「……ふん、そこまで考えてのあの行動か」

「はい」

 

 実はこの作戦は自分で考えたものではなく、何時かの大会で敵に使われた作戦でした。

 

 敵チームの最後の生き残りが、仲間と連携している様なムーヴをかまし、自分のチームから逃げ遂せた事があったのです。

 

 最後は撃ち勝ちましたが、一度は見事に騙されたので印象に残っていました。

 

「……。貴様、名前は?」

「トウリ・ロウと申します」

「そうか」

 

 シルフと話を始めて30分ほど。

 

 北部決戦についての大方の説明を終えた後、彼女は自分の名前を聞いてきました。

 

「トウリ、オースティン国籍の貴様を自由にするわけにはいかん。とはいえこうして情報を提供したわけだし、貴様とあの子供の衣食住は保証してやる」

「……ご厚意、感謝します」

「思ってもない事を口に出すな。先程から、貴様の目に恨み節が浮かんでいるのは分かっている。あの作戦を指揮した私はさぞ憎らしかろう?」

 

 シルフはそう言うと、少し自虐的な笑みを浮かべ、

 

「認めてやろう、あの作戦は私の失敗だった。サバトもオースティンも、余計な被害を被っただけだ」

「へ?」

「怖かったのだ。オース領土内での、我が軍の蛮行は常軌を逸していた。アレをやり返されると思うと、気が狂いそうだった」

 

 少しばかり泣きそうな目をして、こう続けました。

 

 

「私だって貴様らが憎い。父上が死んだのは、私の家族が消息不明なのは、貴様らオースが抵抗したからだ。だから……私は今すぐにでも貴様を殺したい」

「そうでしょう」

「そんな私が貴様を生かしてやるのは、気まぐれ────。いや、良心の呵責という奴だろうな」

 

 この言葉を出した時のシルフは、形容しがたい複雑な顔をしていました。

 

 悲しそうで、悔しそうで、憎々し気で、それでいて……何故か少しだけ、嬉しそうでした。

 

「諸君らは、我がサバト兵が悪魔に思えただろう。同様に、我々もオース軍は悪魔にしか見えなかった」

「……」

「人と言う生き物は、闘争が起こるとどこまでも残虐外道に落ちていく。踏み留まらねばならんのだ、自らの中に悪魔が芽生えそうになったらば、自制せねばならん」

 

 私も含めてな。

 

 そう言い零すシルフは、戦争の指揮官という狂気に身を置きながら、まるで「正気」であるかのように彼女は振舞っていました。

 

「だが、殆どの人間はそれが出来ず、精神の内で飼っていた悪魔の言いなりに行動する」

「……」

「最初にオースティンの戦線を突破した時に、略奪を行わず講和すればよかったのだ。オースティンをサバト連邦の属国とし、その財を吸い上げればもっと我々は豊かだった。兵が、国が、悪魔の誘惑に負けて全てを失った」

 

 そこで、自分は初めて気づきました。

 

 先ほどから傲慢で神経質で、氷のように冷たい目をした目の前の少女からは、

 

「降伏破棄なんて、サバトの民が激怒するのも無理はない。私にはもう、どうすれば良いのか分からん」

 

 ────ベルン・ヴァロウとは対称的に、捻くれきった『善性』を確かに感じたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シルフの手で『保護』された自分は、その後セドル君と共に再び鉄檻に入れられる事になりました。

 

 ただし今度は個人用の檻で、広さは2~3畳ほどですが、マットと毛布を支給していただきました。

 

 捕虜としては破格の待遇……ですかね。

 

「トゥーちゃん、今からどうなるの」

「ここでお泊りしましょう。今日は、自分と二人でおやすみです」

「……分かった」

 

 この日、結局自分たちは夜まで拘束されたままでした。

 

 ただ檻に入れられる前に、

 

「服を脱げ」

「え」

 

 服を奪われ、自分たちは全裸にされましたが。

 

 まぁこれは仕方ないかもしれません。

 

 下水を走り回ったので、自分たちはかなり臭いんですよね。

 

 服も血と汚水でドロドロだったので、処分してくださったようです。

 

「水を小分けにかけてやる、満足したらそこの雑巾で体を拭け」

「きゃー」

 

 裸にされた後、捕虜特有の「全裸にされて水をぶっかけられるヤツ」をやられました。

 

 檻の中にいる自分たちは、女性兵士に小さな桶で何度も水をひっかけられました。

 

 ……セドル君はちょっと楽しそうでした。

 

「服は後で別のものを支給する、それまで暫く毛布にくるまっておけ。すまんが、見張りは時折男性になる」

「いえ、構いません」

 

 水かけが終わった後、下に敷く用マットと毛布を渡されました。

 

 そのおかげで、濡れた床で寝ずに済みました。

 

 水も、お湯を混ぜてくれていたのか、そこまで冷たくありませんでした。

 

「トゥーちゃん、おしっこー」

「あ。えっと」

「……おまるを支給する、少し待て」

 

 そして、かなり融通も利かせてもらいました。

 

 ……まぁ、セドル君は本来捕虜じゃなくて保護対象ですからね。

 

 彼に対する配慮、と言ったところでしょうか。

 

「おねむ……」

「おやすみなさい、セド君」

 

 マットの上で毛布にくるまって寝られるのは、その辺のサバト兵より待遇が良い気がします。

 

 兵士は基本、塹壕の中で雑魚寝ですし。

 

 

 

 

 

 

 

 

「出ろ」

 

 翌朝、朝食としてパンとスープを頂いた後、自分たちはオセロ村に連行されました。

 

 自分とセドル君は全裸毛布マン状態でしたので、晒し者みたいにされるのかと思いましたが、

 

「小官の古着で済まんが」

「あ、ありがとうございます」

 

 自分はサバト兵の女性用インナーを借りることが出来ました。

 

 下着なので布面積は小さいのですが、それでも毛布の下に着こむ分には十分です。

 

「監視下なら、君は家に戻る許可も出ている。そこで、衣類や財産を整理して持ってこい」

「その後は、どうするのですか」

「司令部の設置した、難民キャンプに連れていくつもりだ。君のスパイ疑惑が晴れれば、そこに置いて行かれることになるだろう」

「……難民キャンプ」

 

 どうやら、この辺りは賊が多すぎるので一時的に難民キャンプに避難する事になるようです。

 

 自分は今こそスパイ疑惑で監視されていますが、後々解放して貰える手筈みたいでした。

 

「シルフ様のご厚意だ。あの人は、本当に一般市民に甘い」

「……シルフ指揮官殿は、どのような人なんですか」

「戦場を揺るがす機智と、子供のような正義感を持った、思春期で気難しいお方だ」

 

 昨日出会った、ロドリー君の仇でもある少女指揮官。

 

 しかしベルン・ヴァロウとは対称的に、彼女からは全く『悪意』を感じませんでした。

 

「彼女は天才だ、だからこそ不幸だ」

「どういう意味です」

「小官達のような大人は、凝り固まった固定観念に支配されて大胆な策を選べない。彼女はそんな縛りなく、無限の選択肢の中からより良いものを選び続けられる。あのお方には、それが出来た」

「……」

「だけど、シルフ様は人が死ぬたびに心を摩耗させている。死ぬのが部下であろうと、敵であろうと。彼女には参謀としての能力があっても、適性が無さすぎる」

 

 そんな少女がどんな人物かを部下に聞いて見たのですが、

 

「たぶん彼女はもう、精神が壊れ、狂いきっている」

「……では狂人に、指揮を任せているのですか」

「ああ。残念なことに」

 

 自分の世話をしてくれた女性兵士は、哀しそうな顔でそう教えてくれました。

 

「人が善い少女に軍の指揮が任せられると思うか? 狂っているからこそ、任せられるんだ」

 

 

 

 

 

 

 

「来たか。トウリ・ロウ」

 

 自分はそのまま、まっすぐシルフの下へ連れていかれました。

 

 その青い瞳には光が無く、顔に生気はありません。

 

 

 もしこの少女が、戦場ではなく平和な街の広場に居たらどんな顔をしていたでしょうか。

 

「昨日は、戦後処理があってあまり時間が取れなかったからな。今日は、もっとじっくり話を聞かせて貰おう」

「……分かりました」

 

 目の前の少女は、心を摩耗させている。そう聞いて改めて観察すると、昨日は気付けなかった事に沢山気付きました。

 

 彼女の目の焦点は、定まっていません。どこかフワフワと夢うつつ、しかしかろうじて正気は保っています。

 

 あの顔は、確か────

 

 

『……どうした。眼が虚ろだぞ、おチビ』

『ロ、ロドリー、君?』

 

 

 ラキャさんを喪って、心身ともに衰弱しきっていた時の自分と、同じ雰囲気を発していました。

 

「安心しろ、大方の賊は討伐した。貴様の村は無事だよ」

「ありがとうございます」

「恩を感じたなら、しっかりオース軍の内部情報を聞かせて貰うから覚悟しろ。軍事機密であっても黙秘は許さん。オース軍の内情を丸裸にしてやる」

 

 シルフは、とっくに消耗しきっていたのです。だからこそ、北部決戦ではあのような愚行に出たのでしょう。

 

 この女はロドリー君の仇です。しかし、今はオセロの村を助けに来てくれた恩人でもあります。

 

 ……。

 

「無論、答えられることはお答えします」

「当然だ」

 

 彼女を怨む気持ちは消えません。しかしせめて、恩を受けたなら自分に出来る事はしておきましょう。

 

 今後も彼女を、怨み続けるためにも。

 

「では、そこの民家を借りて尋問といこうか────」

「いえ、そこよりももっといい場所がありますよ」

「あん?」

 

 自分はそう考え、彼女をとある場所に誘いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヴァーニャです」

「いや、何でだ」

 

 と、いう訳で。

 

 自分とシルフは、数名の護衛を連れてヴァーニャに足を運びました。

 

「シルフ指揮官殿も長旅でお疲れでしょう? 少し休まれてはいかがです」

「いや、確かに私も久々にヴァーニャを浴びたい気もするが」

 

 幸いにもヴァーニャは、賊が荒らした様子もなく無事でした。

 

 流石の賊も、神聖なヴァーニャは焼けなかったみたいです。

 

「トゥーちゃん、はっぱで煽ぐ奴やりたい」

「どうぞ、こけてはいけませんよ」

「おい、まだ入るとは言っていない。平然と服を脱ぎ始めるな」

 

 兵士さんから借りたインナーを汚すと悪いので、自分は速やかにヴァーニャスタイルになりました。

 

 後は瓶に水を汲み、炉に火を付けておけばよいでしょう。

 

「ヴァーニャか。吾も付き合おう」

「どうも、ゴルスキィさん」

「だから話を進めるな」

 

 金色の英雄ゴルスキィも、ついてきてくれました。

 

 シルフの顔見知りっぽいですし、丁度良かったので声をかけたのです。

 

「何で尋問するのにわざわざヴァーニャに入らなきゃならん! さっさと服を着ろ、場所を変えるぞ」

「ですがシルフさん。ヴァーニャは太古よりサバト人の聖地であり、何も隠し事が出来ない場所です。尋問するのに、これ以上の場所は無いのでは?」

「何でオースティン人の癖にそんなに詳しいんだよ!」

 

 あの時の自分も、たっぷり寝て一度リフレッシュする事で正気を取り戻しました。

 

 今の狂気に染まったシルフの精神を少しでも楽にするために、ヴァーニャは丁度良い息抜きになるでしょう。

 

「まだ賊の捕縛や被害状況の確認で時間がかかるだろう。少し息を抜いたらどうだ、シルフ」

「……ゴルスキィ。だが、肌を見せるのは、だな」

「そう恥ずかしがるな、シルフ。まだ小娘であろうに」

「誰が小娘だ、子供扱いするな! むしろトウリ・ロウは何故平然と服を脱げる、恥ずかしくないのか」

「自分はむしろ、ヴァーニャを恥ずかしがるのが意外ですね。指揮官殿はサバト人なのに」

「サバト人でも既婚者以外は体を隠すわ! 痴女か!」

 

 ……えっ。そんな文化、あったんですか。

 

 成程、それでクーシャさんは堂々としてたんですね。

 

「ならば、自分は既婚者なので平気です」

「私は未婚で処女だよ!」

 

 処女は自分もその通りです。

 

 

「あーもう、わかったよ!」

 

 

 その後、少し言い争いはありましたが。

 

 シルフは少々躊躇った後、結局ヴァーニャに入る事になりました。

 

 ただし、

 

「吾も駄目か」

「駄目だ、出ていけ!」

 

 シルフは未婚の女性なので、男性とヴァーニャするのを嫌がり、女風呂となりました。

 

 なおセドル君だけは自分に引っ付いて離れなかったので、男性で唯一入浴を許可されました。

 

「煽ぐの、おもしろい」

「良かったですね」

 

 女性天国となったヴァーニャで、セドル君だけ団扇を持って元気に走り回っていました。

 

 ペチペチと自分のお腹を団扇で叩き、大爆笑していました。

 

 ……シルフは、頭を痛そうに押さえていました。

 



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94話

 

「ふむ。大体の話は分かった」

「そうですか」

 

 ヴァーニャでシルフと話し込む事、数時間。

 

 自分は休憩所で、シルフと並んで水を飲んでいました。

 

「要は貴様は、衛生部で働いていただけで軍事作戦の殆どには関わっていなかったのだな」

「ええ、嘘ではありません」

「いや、疑ってはいない。衛生部への情報制限など、我が国も似たようなものだ」

 

 シルフには、話せる範囲で今までの自分の経験を伝えました。

 

 彼女の言う通り自分は軍事作戦にはほぼ関わっておらず、持っている内部情報もたかが知れています。

 

 自分の持っていた情報など、大した価値は無かったでしょう。

 

「ああ、貴様に回復魔法の素養があって良かった。衛生兵でいてくれてよかった」

「……どういう意味ですか?」

「オースは、随分と勿体ない事をしたなと嘲笑っただけだ」

 

 しかし、そんな自分の話をシルフは大層興味深そうに聞いていました。

 

 何が彼女の琴線に触れたのかよく分かりませんが、彼女の機嫌が良さそうなので少しホッとしました。

 

「よかろう、今の情報を信じてやる。その情報の価値を以て、貴様を捕虜扱いから解放してやるとする」

「ありがとうございます」

「ただし、暫くは監視付きで従軍生活してもらう。それくらいは受け入れろ」

「ええ、了解しました」

 

 シルフは笑みを浮かべ、そう言って自分を解放してくれました。

 

 自分がスパイではないと、信じてくれたようです。

 

「では行け。エライア、お前がトウリの監視につけ」

「了解です」

「寝場所も、貴様の小隊のテントで寝かせろ。絶対に逃がすなよ」

「御意」

 

 シルフは、そう言って一緒にヴァーニャに入っていた女性兵士に命令を下しました。

 

 エライアさんは、少し表情が乏しめの背の高い女性でした。

 

「トウリ、エライアは我が中隊で唯一の衛生兵だ。同じ女性同士、しばらく監督役を任せる」

「了解です、シルフ様」

「ああトウリ・ロウ、貴様を遊ばせておくつもりはないぞ。経歴に嘘が無いか確かめるためにも、エライアと共に我が部隊の仕事を手伝ってもらうつもりだ」

「分かりました」

「その代わり、最低限の報酬は提供してやる。貴様が供述通りに回復魔術師なら、遊ばせておくつもりはない」

 

 そこまで言い終わると、シルフ・ノーヴァは笑みを含んで、

 

「貴様は私が、最大限に有効活用してやろう」

 

 そう言い残し、去って行きました。

 

 

 

 

 

 

 

「トゥーちゃん、パパは? ママは?」

「……。迷子になったみたいですね、見当たりません」

「えー!」

 

 ヴァーニャを出た後、自分たちはゴムージの家に財産を整理しに行きました。

 

 オセロ村は賊の襲撃から1日経ち、街中に転がっていた遺体は整理され、こびり付いた血痕が目立つのみになっていました。

 

「ゴムージ……」

 

 家に帰ると、それはもう無惨なことになっていました。

 

 ゴムージ家の金庫は破られ、美術品や食料は持ち出され、家財も荒らされていました。

 

「ゴムージさんの財は、賊が粗方、持っていったよ」

「……ありがとうございます」

 

 ご近所さんが言うには、賊が奪った資産は全て軍に接収されてしまったそうです。

 

 その資産の中に、ゴムージ家の財産も入ってそうですが……。

 

 どこまでが彼の財産なのか分からず、返還を求めましたが応じて貰えませんでした。

 

「パパとママを探しに行く!」

「……」

 

 ゴムージ邸に戻った後、セドル君はひどく混乱して泣きわめきました。

 

 どうやら彼は、自宅に帰ると両親に会えると思い込んでいたようです。

 

 ……自分がついた、嘘のせいで。

 

「トゥーちゃんも探して!」

「……ええ」

 

 

 セドル君は泣き喚きながら、ゴムージ邸の周囲を走り回りました。

 

 パパ、ママ、と泣き叫んで、声が枯れるまで呼び続けました。

 

 ────そしてこの時、街の広場では。

 

「パパとママの居場所ですが。自分に心当たりがあるので、ついて来てください、セド君」

「ほんと!?」

 

 沢山の御遺体が、告別の為に並べられていました。

 

 

 

 

 

 

 

 セドル君に何も話さず、いつかパパとママは帰ってくるよと誤魔化して、広場に向かわないという選択肢もありました。

 

 彼にはいつまでも、戻ってこない両親を待ち続けて貰い、心の平穏を保ってもらうという選択です。

 

 もしかしたら、これが正解だったのかもしれません。

 

 

「……ぱぱ」

 

 

 ギリギリまで、迷いました。

 

 ですが、自分がセドル君の立場になってみた時。

 

 親の顔を見る最期の機会である告別式に、行かせないというのはあまりに残酷に思えたのです。

 

 

「……まま?」

 

 

 遺体は、火葬されるのが一般的でした。

 

 ゴムージが、クーシャさんが、その姿を保てるのは今日の午後までしかないのです。

 

 

 今日告別式に連れてこなくとも、いずれセドル君も両親が死んだ事実を知るでしょう。

 

 そしてその時、彼はどう思うでしょうか。

 

 ……両親の死に顔すら見れなかった後悔を、一生抱えてしまうのではないでしょうか。

 

 

「まま、お顔が取れてる」

「……」

 

 

 クーシャさんのご遺体は、首を元の位置に据えられ白い布を被されていました。

 

 布をめくると、目は閉じられて血涙の痕跡が流れ、唇は強く噛んだ跡がありました。

 

 

「ぱぱ、目を覚まさない」

 

 

 ゴムージは、死んだ時と同じ表情のまま、目を見開いて動かなくなっていました。

 

 体はぞっとするほど冷たく、土のように硬くなっていました。

 

 

「……なんで?」

 

 

 ですが自分は改めて、彼をこの場に連れて来たことを後悔していました。

 

 本当に、まだ幼いセドル君にこんな光景を見せて良かったのかと。

 

 

 

 

 

 幼い子供は、死を理解できません。

 

 明確に「死」というものを理解し始め、受け入れられるのは7歳ごろからと言われています。

 

 それ以下の子供は、親の遺体を前にして「そのうち生き返るに違いない」とボンヤリ考えるそうです。

 

「パパもママも、死んでしまった、からです。セド君」

「死んだの?」

 

 この時のセドル君の目に浮かんでいた色は、悲哀でも絶望でもなく、無機質でした。

 

 これは、本当に「何も理解していない」時の子供の目です。

 

「どうやったら、パパとママは喋るの?」

 

 彼は、セドル君は、両親の遺体を見て悼んでなどいません。

 

 どうすれば生き返るのか。どうすれば、パパとママはまた自分を抱っこしてくれるのか。

 

 そんな疑問で、頭がいっぱいなのです。

 

「言ったもんね、トゥーちゃん」

「……」

 

 ……失敗でした。

 

 こんな状態になったご両親の遺体を、彼に見せるべきではありませんでした。

 

 もしかしたら、自分は保身に走ってしまったのかもしれません。

 

 将来セドル君から、「親の死に顔を見せなかった」という負い目を感じたくなかったがためだけに。

 

「また、パパは目を覚ますって」

 

 自分は自分が楽になるため、セドル君を告別式に連れてきて。

 

 幼いセドル君の心に、癒える事の無い傷を付けてしまったのかもしれません。

 

 

 

 

 

「君の両親は、二度と目を覚まさない」

 

 その時、誰かの冷たい声がしました。

 

 ガクガクと膝が震え、セドル君にどう声をかけていいかも分からず。

 

 無機質な彼の目から、顔を背けて立っていると。

 

「死とは、二度と会えないという事だ」

「え?」

 

 自分とセドル君の監視の為に、無言でついて来ていた衛生兵エライアが口を挟みました。

 

「会えないの?」

「ああ。今から、君のパパとママは燃やす」

「いや!」

 

 その衛生兵────エライアさんは、真顔でセドル君の前に立ってそう言い切りました。

 

「だめ! 火を付けちゃダメ!」

「邪魔だ、どきなさい」

「やめて! やだ! 燃やさないで! ……痛っ!」

 

 エライアさんは、鬼のような形相でセドル君を突き飛ばしました。

 

 自分は唖然として、口を挟む事も出来ません。

 

「やめて! やめて、やめてよ!!」

「ほら、燃やせば二度と目を覚まさないのは理解出来るだろう」

 

 そして彼女はそのまま、ゴムージやクーシャさんの遺体を火葬用の焚台に運んで行ってしまいました。

 

 膝にかみつくセドル君を、蹴っ飛ばして。

 

「な、何を、エライアさ……」

「君は手を出すな。トウリ・ロウ」

 

 いきなり何をするんだと、我に返った自分もエライアさんに食って掛かろうとしました。

 

 しかし、自分は彼女の冷たい目に射抜かれ、

 

「君がこの子の保護者だろう。君だけは、怨まれちゃいけないんだ」

 

 そう、言い捨てました。

 

 

 

 

 

「いやだぁああ!!!!」

 

 まもなく、村の犠牲者たちは油を掛けられ、火葬されました。

 

 セドル君は、エライアさんにガッチリ拘束され、泣きわめいていました。

 

「パパが、ママが!! 燃えちゃう、やめて!!」

 

 幼い子供は、死というものを理解できません。

 

 ですが、「何かを失ってしまう」事ならば理解できてしまうのです。

 

 それは、玩具を壊した時のように。宝物を失くしたときのように。

 

「うわあああああん! うああああああん!!」

 

 セドル君は、燃え盛る炎を前に泣き叫びました。

 

 黒煙に炙られて黒くなっていくパパとママの姿を前に、パニックを起こして絶叫していました。

 

「ぱぱぁぁああああ!! ままぁぁあああああ!!」

 

 吐き気を催す脂肪の燃える匂いが、村の広場に咽せ返り。

 

 セドル君は黒く変色していく両親の胸に飛び込もうと、必死で手を伸ばし続けました。

 

 

 

 

 

 ああ。自分は、間違えました。

 

 連れて来るべきではありませんでした。

 

 セドル君が死を受け入れられる年齢になるまで、騙し貫くべきでした。

 

 こんな残酷な場所に、4歳のセドル君を連れて来てはいけませんでした────

 

 

「貴方の判断は間違っていない。トウリ・ロウ」

「へ?」

 

 

 そんな狂乱するセドル君を前に、そして亡くなったゴムージ夫妻を目の当たりに、自分は止まらぬ涙を垂れ流していました。

 

 我が身可愛さに、幼児の心に消えぬ傷を付けてしまったと、胸が張り裂けそうになりました。

 

 後悔と自責の念で、気が変になりそうになっていると、

 

「歪みは、時間が経てば経つほど歪んでいく。問題を後回しにすれば、きっと後悔は大きくなるだけ」

「……」

「今からこの子を支えてあげなさい。……大切な子なのでしょう?」

 

 セドル君に噛みつかれ、腕から血を流しているエライアさんが、自分にそう微笑みかけてくれました。

 

 

 

 

 

 この戦闘における村側の被害者は、14名でした。

 

 賊達は、村人が少しでも反抗的な態度を見せれば射殺したそうです。

 

 また、少しでも豪華な装飾品を所持していると逆恨みで殺されました。

 

 彼らにとって、それは正しい行い────正義だったそうです。

 

 

 そして確認された賊は、合計で52名でした。

 

 その大半はシルフ率いるサバト連邦正規軍に包囲され、その場で射殺か捕縛されました。

 

 生け捕りにされた賊は、尋問にかけられた後に処刑されるようです。

 

 

「あぁ……、あぁぁぁぁぁぁ……」

 

 

 炎に包まれる、被害者達の火葬場では。

 

 いつまでも、その死を悼む家族達の悲痛な声が上がり続けました。



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95話

 

「紹介する。彼女は先の村で招集された衛生兵、トウリ・ロウだ。シルフ様の命令で、本日からこの隊で面倒を見る事となった」

「……」

「先に言っておく、この娘はオースティン人だ。私が彼女の行動を全て監督する役目を申し付かっている」

 

 被害者たちの告別が終わり、最低限の財産の整理が終わった後。

 

 泣きつかれ寝たセドル君の身を村人に預け、自分はエライアさんの部隊の面々の前に引っ立てられていました。

 

「自己紹介を」

「……トウリ・ロウです」

「あ? オースだとぉ?」

「オース豚を、この神聖なサバト連邦軍に配属するだぁ? 舐めてるのかあのクソガキ様は」

 

 自分がオースティン人である、という紹介をされた瞬間に周囲の空気が凍り付きました。

 

 そりゃあそうですよね。バリバリの敵ですもんね。

 

「我らが偉大な指揮官殿は、こいつを仲間として扱えって言ってるのか?」

「いや、彼女の立場は民間協力者……つまり部外者だ。実情、トウリは我々に捕縛され、労働を強いられている立場と言える。回復魔法が使えるので、ここに配置された」

「ああ、成程。そういうことか」

「私は逃がさないようにする監視役、という訳さ」

 

 空気が凍ったので、エライアさんは適度の空気を読みつつ、周囲を納得させるような言い訳をしました。

 

 まぁ、確かにそういう言い分の方がカドは立たないでしょう。

 

「つまり、この女は俺達の奴隷という訳か」

「へっへっへ、たっぷり今までの恨みを晴らさせてもらわねぇとな」

「……」

 

 ただ、そういう言い方をされた場合の、自分の扱いが少し心配ですけど。

 

「俺達の部隊にようこそ、オースゥ」

「可愛がってやるぜ」

 

 この部隊は後方に配置される、歩兵と後衛兵科の混合部隊だそうです。

 

 多少性格に難があったり、前線の戦闘に向かない歩兵の管理もしているそうでした。

 

「ふむ、顔は悪くねぇじゃねえか」

 

 そのサバト兵士の一人は、自分の全身を品定めするように眺め始めました。

 

 どうして、女性の捕虜を見つけるとこう……そっちに直結するのでしょうか。

 

「なぁエライア副長、コイツはある程度好きにしていいんだよな」

「どういう意味だ?」

「まぁ、そりゃあ分かるだろ? まぁちょっと幼いが、娼館代の節約に……」

「ああ、その件だが」

 

 その兵士は、完全に自分をそういう対象に見ていますね。

 

 ……立場的に拒否はできませんし、どうしたもんでしょうか。

 

 汚されまいと自決したら、セドル君が天涯孤独になりますし。

 

「トウリの監視役は小官だ。小官の目の届かない場所に彼女を置くわけにはいかない」

「……はぁ」

「で、小官はそういうのが大嫌いだ。小官の目の届く範囲では絶対に許さん。……さて、他に何か聞きたい事は有るか?」

「えー、そりゃねえっすよエライア姉さん」

 

 と、一瞬は貞操の危機を感じましたが、幸いにもサクっとエライアさんが助け船を出してくれました。

 

 一安心ですが、この人たちの前ではなるべく油断しないようにしましょう。

 

「ちょっとくらい、頑張っている俺らにも報酬を────」

「何が、報酬なんだ?」

 

 そんな風に警戒心を高めつつ、ジリジリと兵士から距離を取っていると。

 

 自分の前にヌっと、金髪の大男が立ちふさがりました。

 

「で、でけぇ……」

「だ、誰だ。誰ですか貴方は……?」

 

 物凄く大きく、たくましいその背中に自分は見覚えがありました。

 

 自分の前で黄金の威圧感を発するその大男の名は、

 

「……あ、ゴルスキィさん」

「おうトウリ、吾も徴兵されてな。部隊を一つ、任されるに至った」

「それは、……おめでとうございます」

「めでたいことは無かろう」

 

 かつての西部戦線のエースで、オセロに隠居していたゴルスキィさんでした。

 

「あの……ゴルスキィさんって、ゴールドブラストのエースの?」

「黄金槍の、英雄?」

「いかにもである」

 

 成程、オセロ村を引き払うにあたってシルフは彼をスカウトしたのですね。

 

 顔見知りだったっぽいですし、声をかけやすかったのでしょう。

 

「あ、えっと。お会いできて光栄です、ゴルスキィ殿」

「うむ」

「それで、その、我々に何の用でしょう?」

「なに、友人の顔が見えたので、挨拶にな。トウリ、何か困ったことがあれば吾を頼ると良い。力になろうぞ」

「どうも、ありがとうございます。ゴルスキィさん」

「おう」

 

 自分と気軽に挨拶を交わすゴルスキィ氏の顔を見て、兵士の顔が凍り付きました。

 

 ゴルスキィさんは、サバト兵にとっては英雄です。引退したとはいえ、未だに大きな影響力を持っていると思われます。

 

 そんな彼がわざわざ自分を「友人」だと強調した意味を、分からない人はいないでしょう。

 

 ……本当に、このお方には世話になりっぱなしですね。

 

「えええぇぇぇ……」

「ま、妙な気は起こすなという事だ」

 

 粗暴な雰囲気を醸し出していた兵士は、ガックリと項垂れました。

 

 流石のサバト兵も、エース級を敵に回す度胸は無かったようです。

 

「俺好みに小柄で無愛想で、ストライクだったのに……。だったら金で一晩買えないか、オース」

「……その、申し訳ありませんが自分には操を立てた夫が居まして」

「うえー」

 

 成程、この兵士はロリコンでしたか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エライアさん。自分は従軍を命じられましたが、セドル君の扱いはどうなるのでしょうか」

「彼が望むなら、君と寝食を共にしても良い。無論、彼を戦場に連れてこられるのは困るが」

「分かりました」

 

 部隊への顔見せが終わった後、自分はエライアさんと村に戻りました。

 

 そこで、これからの自分とセドル君の暮らしについて尋ねました。

 

「君は今後、難民キャンプで生活してもらう。オース人を司令部内に入れる訳にはいかんからな」

「キャンプ暮らしですか」

「ああ。ちなみに難民キャンプは、常に軍の監視下にある。脱走とか、妙な事は考えないでくれよ?」

 

 エライアさんは軽く念を押すように、そう言い含めました。

 

 言われずとも行く当てがないので、脱走などする気はありません。

 

「君の扱いは、サバト軍衛生部の民間協力者になる。オースティン国籍の者は、軍に徴用出来ないからな」

「はい」

「そして本中隊に、衛生兵は小官一人である。なので、君は小官以外に上司はいない。直接命令を聞かねばならないのは私以外だと……シルフ様くらいだろうか」

 

 シルフの中隊には、衛生兵がエライアさん一人しかいないようです。

 

 そんなので、本当に仕事が回るのでしょうか。

 

「それが存外、何とかなるんだ。野盗狩りで死傷者はそんなに出ないからな」

「そんなものですか」

「基本は軽傷を手当てするだけだ。重傷者が出ても、応急処置だけすればいい。本部まで持たせられればよし」

 

 さらっと言いましたが、重傷者の応急処置は結構難しい筈です。

 

 しかし昨日のイリゴルさんを治療した手際を見るに、エライアさんはかなりのベテラン衛生兵っぽい感じでした。

 

 部隊の副長を任されている事からも、エライアさんはそれなりのキャリアがあるのでしょう。

 

 その技術で何とか回している、と言ったところでしょうか。

 

「エライアさんは、それなりに勤務が長いのですか」

「ああ。小官はこう見えて、ゴルスキィ氏と同世代だ」

「えっ」

 

 そう言われ、自分は改めてエライアさんを見上げました。

 

 ゴルスキィさんは確か、シルフが子供の頃に関わっていたと言ってましたっけ。

 

 外見からしても、若く見積もって30後半から40歳前後────

 

「……えっ」

「なぜそんなに動揺している」

 

 一方でエライアさんは、黒髪短髪ショートの吊り目美人です。

 

 外見は、どう見ても20代前半にしか見えません。

 

「では、東部戦線の経験もあるんですか?」

「ああ。シルフ様とは、彼女が初陣の頃からずっと共に戦ってきた」

 

 ……これは、美魔女とでもいうのでしょうか。

 

 まさかエライアさんが、倍以上も年が離れているとは。年が近めの先輩衛生兵くらいと思っていました。

 

「君はまだ、シルフ様に思うところがあるのだろう。彼女と話すときだけ、口調や態度がほんのり硬くなる」

「……本音を言えば、そうです」

「これは、小官の我儘だが。なるべく彼女に、辛く当たらないであげてくれ」

 

 エライアさんを呆然と見つめていると、彼女はまるで娘でも見るような目で話を続けました。

 

「……彼女はそれはもう、兵士に嫌われている。部下に対する態度を見ればわかるだろう」

「そうだと思いました」

「部下を怒っても良いが、適切に誉めねばならない。そのバランスが大事なのだが……、シルフ様にそれはまだ難しそうだ」

 

 年齢を考えれば無理もないのだがな、とエライアさんは続けました。

 

「小官はシルフ様こそ、サバトに残された最後の希望だと考えている。英雄ブルスタフ将軍の忘れ形見、その知略は国内で右に出る者はいまい」

「……」

「彼女の傍で、ずっとその手腕を見ていたから分かる。彼女の戦略の切れ味は、恐らくブルスタフ将軍より秀でていた。惜しむらくは……部下がその命令を実行するにあたって、『どうせ小娘の出した命令だ』と適当に仕事をした事」

「それは、例えばどんな」

「そうだな。包囲を維持しろと命令した筈の部隊が、持ち場を放棄して宴会をしていたり……とかかな」

 

 それは……。本当に兵士なのでしょうか?

 

「完璧な包囲網を敷いていた筈だったのに、ヴェルディ率いるオース軍が忽然と消えたノエルでの奇襲作戦。ヴェルディ氏は丘から脱出したと聞いて、私は唖然としたよ」

「……蒲公英の丘、ですね。あの時は、そこしか脱出先が無いと感じました」

「そう、その撤退路はまさに────シルフ様の読み通りだった」

 

 ……えっ。ではあの蒲公英の丘を下るのは、シルフに読まれていたのですか。

 

「当時の指揮官グェリャ殿は、そんな場所に兵を配置する意味はないと切って捨てたそうだ。だが『死ぬ気になれば丘くらい下れる、だからしっかり包囲網を敷け』と参謀に過ぎないシルフ様が、越権行為をしてまで兵士に指示を出した。そんな背景もあって丘に配置された兵の士気が下がり、持ち場を放棄して飲み会を始めたらしい」

「……」

「それを聞いたシルフ様は、もう激怒なんて言葉では生ぬるいくらいに部下を叱責した。だけど、持ち場を放棄した部隊の隊長は『飲み会をしながらも見回っていたが誰も来なかった、他の部隊が逃がしたんじゃないか』と言い返し、指揮官グエリャ殿もその意見を支持してしまった。それで、当時の部隊とは折り合いが悪くなってな」

 

 それは、確かに彼女が部下を毛嫌いする理由がよくわかります。

 

 もし彼女の指示通りに包囲が行われていたら、ヴェルディ中隊の被害はもっと大きかったでしょう。

 

「結局シルフ様は、別の部隊の参謀に配置された。小官はともに異動になったが、あの時の彼女の辛そうな顔が忘れられない」

「……」

「彼女は人を使うには幼すぎた。だが彼女の指揮が全軍に行き渡っていたら、きっとオースティンに勝ち目は無かった。シルフ様はどうしてあと10年、早く生まれてくれなかったのか」

「部下を上手に扱うのも、指揮官の能力でしょう。自分の上官だったヴェルディさんは自分の少し年上くらいですが、物凄く上手に指揮をしていましたよ」

「それは……。違いない」

 

 口では平静には答えつつも、自分は内心で冷や汗をかいていました。

 

 とても、とても嫌な想像をしてしまったからです。

 

「天は二物を与えず、という事かな」

 

 もしシルフに求心力があり、部下がこぞって力を貸すような人格者であったなら。

 

 自分は、ヴェルディさんは、ノエルで命を落としていたかもしれない────

 

「シルフ様はいつも嘆いていた。私はこんなに頑張っているのに、何故誰も応えてくれないのかと」

「……」

「自分より歳を食った兵士達が、どうして揃いも揃って自分より頼りないのか。……そんな彼女の言葉に、小官は何も言い返せなかった」

 

 その時、自分の心に芽生えていた感情は……恐怖でした。

 

 先程の話で、シルフには同情できる部分が多いです。ですが、そんな事よりも自分は、

 

「つまりシルフさんが成長し、人間関係の機微を理解できるようになれば」

「サバトは安泰だろう」

 

 先日、自分とヴァーニャで話をした少女は────

 

 近い未来、オースティンにとって最強最悪の「敵」になりうると、直感的に感じていました。

 

「君は歳も近いし、理知的だ。彼女の愚痴を聞いてやれる存在になるかもしれない」

「……」

「シルフ様は君に、かなり便宜を図っている。少しでもそれを感じているならば、彼女に対し距離を取らず普通に接してあげて欲しい」

 

 ベルンの指揮を小物と切って捨てたシルフ・ノーヴァ。

 

 もし彼女の指揮に障害がなければ、北部決戦はどうなっていたでしょうか。

 

「……っと、お喋りはここまでだ。これ以上近づくと、内容を村人に聞かれそうだ」

「はい」

「君は持てるものを持ち出して、速やかに此処へ戻ってきたまえ。ちゃんと、自分の手で持てる範囲にな」

 

 きっとエライアさんは、自分にシルフの良き理解者になってほしかったから、そんな話をしたのかもしれません。

 

 彼女からは、シルフに対する愛情を確かに感じました。

 

 ……しかし自分は。エライアさんのその話を聞いて、ますますシルフに対し警戒心を強めていたのでした。



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96話

「トゥーちゃんドコ行ってたの!」

 

 ゴムージ家の近くに戻ると、目を覚ましていたセドル君が激怒し突進してきました。

 

 彼はボロボロと大泣きしながら、鼻息を荒くして自分の腹をぽこぽこ殴ってきました。

 

「ドコ行ってたの!!」

「すみません、偉い人に呼ばれていました」

「いや! 行っちゃダメ!」

 

 ご両親を失って眠った直後、目を覚まして自分まで消えていたのでパニックになっていたようです。

 

 ……自分までいなくなると思って、取り乱してしまったみたいですね。悪い事をしてしまいました。

 

「アンタは無事だったんだね、トウリ」

「アニータさん」

「その子の世話は大変だったよ、もう大暴れさ」

 

 そんなセドル君のすぐ近くで、服をよれよれにしたアニータさんが座り込んでいました。

 

 彼女が、彼の面倒を見てくれていたようです。

 

「お手数を掛けました」

「村の仲間の子だ、気にすることはない。ゴムージには借りもあるし」

 

 わんわんと泣くセドル君を抱き上げて、自分はアニータさんに向き合いました。

 

 アニータさんはゴムージ家と近所付き合いしていたこともあり、セドル君の事をよく知っています。

 

 そして自分は、彼女と数か月付き合ってみて、信用に足る人物と感じていました。

 

 なので、

 

「でしたら、その。自分はサバト軍に衛生兵として徴兵されることになりまして」

「……そうかい」

「大変厚かましい申し出なのですが。……ゴムージの遺産や自分の給与などはお渡ししますので、どうかセドル君を」

「アタシにその子を預かれってか」

 

 ……セドル君の面倒を見て貰えないかと、頭を下げてみました。

 

「その子は随分、アンタに懐いているよう見えるが」

「本音を言えば、自分がお世話をしてあげたいですけど。……戦場に、子供を連れ込むわけにはいきません」

「ま、いいさ。面倒を見ろと言われれば見てやる、丁度子供が欲しかったしね」

 

 本音を言えば、セドル君を預けるのは不安がいっぱいです。

 

 もしサバト軍に徴用されなければ、自分が彼の世話をするつもりではいました。

 

 ですが、軍に所属させられた以上……セドル君を連れまわすのは、危険に晒すだけです。

 

「ただ、今は駄目だ」

「今は、ですか」

「ああ。今、アンタとセドルを引き離してみろ。その子は、アンタに捨てられたって考えて性格ひん曲がっちまうよ」

「そう、ですね」

「一番つらい今だけは、一緒にいてやんなよ」

 

 もし自分が遠征する事になったら、連れて行くわけにはいきません。

 

 セドル君にはアニータさんの保護の下で、生活をしてもらった方が安全です。

 

 ……自分が徴兵された以上、彼とは別れねばならぬ運命なのです。

 

「……トゥーちゃん」

「はい」

 

 自分は、肩に嚙みついて離れないセドル君の頭を撫でて、

 

「セド君。今夜は一緒に、寝ましょうか」

「……うん」

 

 優しく、そう諭しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

「財産の整理は終わったか、トウリ・ロウ」

「ええ。全て、知人に預けました」

「そうか」

 

 その日、自分はセドル君を背負ってエライアさんの元に戻りました。

 

「その子は連れ歩くことにしたのか」

「いえ、知り合いに預けます」

「まぁ、そうだろうな」

 

 セドル君は一通り大暴れした後、怒り疲れて再び眠りました。

 

 賊に追い回され、捕虜として檻に閉じ込められ、両親を失ってと4歳の子にとっては大変な2日間でした。

 

 今は、彼をゆっくり休ませてあげましょう。

 

「今夜、君は特に仕事は無い。負傷者の手当ては、昨日のうちに済ませている」

「了解です」

「就寝テントは私と共用だ。案内するから、その子を寝かしつけてやれ」

 

 エライアさんは何も言わず、自分のテントに案内してくれました。

 

 そして彼女の古着を割いて、セドル君用の簡易なシーツにしてくれました。

 

 

「おやすみ」

 

 

 

 

 

 こうして、オセロ村の民は故郷を捨てて東司令部付近の難民キャンプへ旅をすることになりました。

 

 司令部の周囲は流石に治安が安定しており、賊は殆ど出没しないようです。

 

 なので治安が安定するまで、我々はキャンプで生活することになりました。

 

「……これは」

 

 難民キャンプと聞いて、まぁそんなに豊かな暮らしは出来ないと思ってはいましたが、

 

「これのどこがキャンプだ。ゴミ捨て場の間違いじゃないのか?」

「いや、それ以下だろう」

 

 案内されたキャンプ場とは、時折木製の柱が突っ立てられただけの、荒れ果てた荒野でした。

 

 地面には草すら生えておらず、むき出しの赤土と放棄されたゴミが延々と広がっています。

 

 その荒れた大地には既に複数のキャンプが形成されており、汚い身なりの民がウロウロと蠢いていました。

 

「こんな場所で、生活をしろと? 食事は? 水は?」

「水源がかなり遠いから、定期的に水を汲みに行く必要がある。食料に関しては、少し期限を超過したレーションが定期的に支給される」

「……」

 

 そのキャンプ地にいた人々は、皆目が虚ろでした。

 

 水源が乏しいせいで糞便は一か所に埋められ、凄まじい悪臭を放っています。

 

 彼らは所々に穴の開いた汚いテントの中で、期限切れの軍用レーションを啜って生活しているのです。

 

 きっと、そのストレスは想像を絶するでしょう。

 

「まれにパンやスープの、炊き出しが行われる日もある。美味しい食べ物が欲しければ、その日を待て」

「パンやスープが、ご馳走ってか」

 

 その光景を見た村人は皆、息を飲んで立ち尽くす事しか出来ませんでした。

 

 これは……キャンプとはとても言えません。スラム街か何かでしょうか。

 

 せめて水源を近くに設置してくれれば、まだ過ごしやすくはなりそうですが。

 

「この辺の川ってのは、雨が増えすぎると洪水を起こすんだ。川の近くにキャンプを設置したら、最悪飲み込まれる」

「それで……」

「このキャンプ場は川より高台にあって、滅多な事では水位が届かん。……その代わり、長い坂を上り下りしないと水を汲んでこれないが」

 

 どうやら、現状のサバトの村民の生活は思っている以上に……苦しい様子でした。

 

 

 

 

 

 

 自分はセドル君と共に、そのキャンプ地の一角を借り受けました。

 

 粗雑に建てられた柱にゴムージの家から持ち出してきたベッドシーツを繋ぎ合わせ、何とかテントの体裁は保てるようになりました。

 

 自分が陣取った周囲の住人はオセロ村の知り合いばかりなので、それなりに安心はできるのですが、

 

「さっき、設営を手伝ってやっただろ。良いから、テメェらが持っている食料を分けろ」

「馬鹿を言うな、これは非常食だ」

 

 案の定というか、元々キャンプ暮らしをしていた人と諍いが発生したり、

 

「無い! 水を汲みに行っている間に、ウチの衣類が盗まれて……!」

「さっき、他の村の連中がうろついてたぞ」

 

 当たり前のように窃盗が横行していたりと、セドル君の教育にとてもよろしくない環境になっていました。

 

 

「……」 

 

 

 エライアさんが言うには、自分が昇進すれば宿舎を借り受けることはできるようになるそうです。

 

 しかし、そこにセドル君を連れ込む許可はおりませんでした。

 

 自分が彼と生活するためには、このキャンプ地で共に野宿をするほかないのです。

 

「あの兵士、ずっとこっちを見ているよ」

「恐らく、自分の動向を見張っているのでしょう」

 

 そしてこのキャンプ地での生活には、厳しい監視の目がありました。

 

 チラチラと、このキャンプを周回している兵士が自分の方を注視しているのが分かります。

 

 オース人である自分は、かなりマークされているようです。

 

「トゥーちゃん、ここで寝るの?」

「ええ。少し狭いですけど、我慢してくださいね」

 

 こうして、避難民である我々のキャンプ生活が幕を開けました。

 

 

 

 

 キャンプの生活は、とても厳しいものでした。

 

 朝は照り付ける日差しの中、水を汲みに行く仕事から始まります。

 

 兵士からオセロ村全員で共用する大きな水瓶を渡されたので、朝一番に当番の者が瓶やバケツを持って水を補充します。

 

 かなりの力仕事なので、老人や子供にはとてもこなせません。

 

 なので自分やイリゴルなど、軍人上がりの者が率先して当番に入りました。

 

「汚物は、なるべく一か所にまとめた方がいい。隣の連中が汚物捨てに使っている付近に、我々も便所を設置しようと思う」

「分かりました」

 

 便所の穴も、全て自分達の手で掘らねばなりませんでした。地面が赤土なので、水路を形成することも出来ません。

 

 我々は用を足すときに、小さな杓で水瓶から一杯分だけ掬い、清潔を保ちました。

 

「ちょっと早いが、水当番は出発してくれ。そろそろ瓶の水が尽きそうだ」

「もう? 誰だよ、無駄遣いした奴は」

 

 一番大事なのは、手分けして水を運び続け水瓶が尽きないようにすることでした。

 

 普通に使い続けると日中には水が尽きてしまうので、何度も容器を持って川に向かわねばなりません。

 

 水源である川までは、往復で10㎞ほどかかります。

 

 その川付近には熊など猛獣が出ると報告されているため、キツイだけでなく危険な仕事でもあります。

 

「……」

 

 今は夏なので暖かいですが、これが冬になったらどうなるでしょう。

 

 雨の日なんかは恐ろしいことになると思います。凍死者が出ても不思議じゃない、劣悪な環境と言えました。

 

 自分とセドル君のテント布は、ただのベッドシーツです。現状ですら、雨の日はとても寒い思いをしています。

 

 

 

「塹壕を掘ろう」

「……イリゴルさん」

「穴を掘って、その上に何枚もシーツをかぶせ防水性のある屋根を作るんだ。冬までに作らないと、死人が出る」

 

 そんな状況を憂いたイリゴルさんは、自分達オセロ村住人を集めてそんな提案をしました。

 

「塹壕内は、安全と防水と保温の最低限がそろった居住区になる。本当に最低限だがな」

「火源も確保したい。土でかまども作っておきたいな」

「司令部に行って借りれないか交渉してくれ。軍の施設にスコップが置いてないわけがない」

 

 と、イリゴル氏の提案を受けオセロ村の住人はグルリと円形の塹壕を作ることにしました。

 

 幸いにも、キャンプに必要だと申請したらスコップは借りる事が出来ました。

 

「トウリ、お前は体重が無いから他の事をしろ。そうだな、水を運び続けてくれ」

「……ええ」

 

 スコップの仕事は、体重が無ければ効率が上がりません。

 

 小柄で軽い自分は、残念ながら土木作業の適性は低めでした。

 

「えっほ、えっほ」

 

 その代わり体力があった自分は、ひたすら川とキャンプを往復する羽目になりました。

 

 塹壕堀りは体力を使うので、水の消費量も多めです。普段以上に多くの水が必要になったので、自分はほぼひっきりなしに走り通しでした。

 

 1日中バケツを両手に走り続け、夜には自分で運んだ水を使い汗を流す生活が続きました。

 

 ……これも適材適所、という話です。塹壕の掘り方、興味があったんですけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分たちがキャンプで生活を始めて、1か月ほどが経ちました。

 

「トウリ。トウリ・ロウはいるか」

「エライアさん」

 

 帰還兵イリゴルの指揮で塹壕が形になりつつあったころ、エライアさんが自分を呼びに来ました。

 

 自分は民間協力者の手当てを貰っている以上、断ることは出来ません。

 

「召集だ。概要は、ブリーフィングで発表する」

「了解しました」

 

 どうやら、シルフ中隊が出撃する事になったようでした。

 

 新しい賊の情報が入ってきたのかもしれません。

 

「トゥーちゃん、どうしたの?」

「自分はお仕事で、少しお泊りしに行ってきますね」

「……いつ帰ってくる? すぐ?」

「暫く時間がかかるかな、と」

「じゃあダメ」

 

 オースティン人である自分が見逃されているのは、この徴役があるからです。

 

 なので出動には応じねばなりませんが、残念ながらセドル君の許可が下りませんでした。

 

 自分はなるべく笑顔を作って、彼の頭を撫でてやります。

 

「大丈夫、ちょっとの間アニータさんの言う事を聞いていてくださいね」

「いや」

「……お願いです」

「いや、いや、だめ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「随分と引っかかれたな」

「拗ねられてしまいましたね」

 

 結局セドル君はアニータさんに捕まえてもらいました。

 

 絶対に帰ってきますと何度も伝えた後に、大泣きするセドル君を置いて出動に応じました。

 

「……また、賊の討伐だ。だが安心しろ、我々は後方支援部隊。前線には配属されんさ」

 

 道中に、自分は簡素な今回の仕事内容の説明を受けました。

 

「後方支援、と言いますが前線の援護は行わないのですか」

「ああ。我々は支援とは名ばかりの、様々な兵科が混在するお試し部隊だからな」

「お試し部隊?」

「シルフ様は何かしら新しい構想を練ることが多い。その有用性を確かめるため、前もって試験するための部隊なんだ。例えば特殊な指揮系統を試したり、補給ドクトリンを弄ったり、見張りのタイムスケジュールを変えたりと」

「……試用部隊、という事ですか」

「そのお試し部隊に、衛生兵や工作兵など前線に配置しない兵科を編入し、護衛させている形だ」

 

 そんな頻繁にドクトリンを調整すると、部下が混乱しそうなもんですが。

 

 だからこその、お試し部隊と言う事でしょうか。

 

「良かった構想は採用して、いまいちだったものは練り直す。気付いたことが有ったら、小官にフィードバックしてくれ」

「はあ」

 

 それはシルフなりに、精一杯頑張っているという事でしょう。

 

 少し、空回りしていそうですけど……物事の改善点を模索すること自体は、決して悪くはありません。

 

「まぁ、我々には変な命令は出されないだろう。衛生兵だからな」

「分かりました」

 

 民間協力者として成果を挙げれば、サバト内の通貨で褒賞を貰えるらしいです。

 

 気になった事柄や意見があれば、積極的にフィードバックしてみても良いかもしれません。

 

 それで褒賞が出たら、少しでも栄養のあるものをセドル君に提供してあげましょう。

 

「さて、集合に遅れたら大目玉を食らう。少し足を速めるぞ」

「了解です」

 

 今のセドル君の保護者は、自分です。いつも通りに後方部隊の所属といえ、戦場で油断したらいつ死んでも不思議ではありません。

 

 何としても絶対に、生きて戻って来なければ────

 

 

 

 

 

 

 

 

「トウリ・ロウ」

「はい」

 

 等と、生き抜く決意を固めていたら。

 

「貴様は次の戦い、ゴルスキィの突撃部隊に混じって衛生兵をやってくれ」

「……はい?」

 

 エライアさんと共に出頭した司令部で、意地の悪い笑みを浮かべたシルフ・ノーヴァから、とんでもない命令を受け取ったのでした。

 

 



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97話

 

「昨日、二百人規模の賊のアジトを特定した。放棄された市街の民家を占拠し、独自のライフラインを形成して生活しているらしい」

 

 シルフは集まった部下の前で、そう説明しました。

 

「二百人規模と言っても、その内訳には女子供も交じっている。実際の戦力は百人にも満たないだろう」

「……女子供がいるという事は、彼等も元一般市民と言う事ですか」

「その通りだ。敵は日々の食料を賄うため、略奪行為を繰り返している事を確認した」

 

 今回シルフ中隊が言い渡された命令は、市街を占拠する賊の制圧です。

 

 ただ賊は殆どの場合、包囲されて銃口を向けられるだけで降伏するそうです。

 

 正規軍を相手に勝てるわけがないと、早々に諦めるのだとか。

 

「しかし今回の敵は、ちと数が多い。アジトにきちんと、防衛網を構築していると情報もある。抵抗される可能性が高いだろう」

「……」

「各員、戦闘に備え気合を入れて任務に臨め」

 

 しかし今回の敵の規模はかなり大きく、シルフ中隊とほぼ互角であると推測されました。

 

 なのでいつものように、戦力差を押し付けての制圧が難しいのだとか。

 

 

「シルフ様。他の味方が帰還するのを待って、もう少し戦力を整えてから出撃しては如何でしょう」

「賊を放置すればするほど略奪の被害が増え、その結果として新たな賊が増えていく。……案ずるな、私の指揮があれば楽に勝てる」

「……」

「賊は見つけ次第、叩かねばならぬのだ。無事な村人は保護し、賊に落ちた者は叩く。それしかない」

 

 この司令部にも、無尽蔵に兵士が居る訳ではありません。

 

 教えてもらえませんでしたが、各地で賊が湧いてカツカツなのでしょう。

 

 現にこの時は動かせる兵の大半が賊の討伐に出払っており、動けるのはシルフ中隊だけだったようです。

 

「それで、そのシルフ様。トウリ・ロウの運用についてなのですが」

「その女は、供述の通りだと突撃部隊に所属経験があるのだろう? ゴルスキィの部隊が新兵の寄せ集めでな、実戦経験のある兵士を配置してやりたかったんだ」

 

 『多少リスクが有ろうと、1日でも早く賊を討伐する』という考えまでは、まぁ納得できなくはないです。

 

 問題は、何故衛生兵である自分をゴルスキィ氏の突撃部隊に交ぜるのかという話です。

 

「トウリ殿は、衛生兵です」

「衛生兵としてではなく、実戦経験者としての運用だ。トウリ・ロウはゴルスキィとも懇意だそうじゃないか、丁度良いだろう」

 

 シルフは実戦経験者と言いましたが、自分の歩兵経験値は新米に毛が生えた程度です。

 

 歩兵としての運用であれば、その辺の新兵に及ぶべくもありません。

 

 エライアさんもシルフに抗議してくれましたが、

 

「まぁ心配するな、ちゃんとフォローはしてやる」

「……了解しました。では、ゴルスキィさんに挨拶に行って来ます」

「うむ」

 

 頑として譲る気配の無いシルフを前に、自分から折れるような形で了承しました。

 

 ……自分は外様の、オース人衛生兵です。大事に運用などして貰えなくて当然です。

 

「ゴルスキィにも話は通してある。ま、せいぜい頑張るんだな」

 

 もしかしたら、体よくオース人である自分を殺すために最前線送りにしたのかもしれない。

 

 そんな諦め顔の自分を、シルフ・ノーヴァは何か期待した表情で見つめていました。

 

 

 

 

 

 

 

「また無茶を申し付けられたな、オースよ」

「よろしくお願いします、ゴルスキィさん」

 

 しかし、結論から言えば。

 

 彼女が自分をゴルスキィ氏の下に付けたのには、別の狙いがありました。

 

「安心しろ。吾の部隊に来たからには、絶対に生かして帰してやる」

「……ありがとうございます。頼りに、しています」

 

 金色の英雄、ゴルスキィの部隊に配属された時。

 

 自分は小さな、違和感を覚えたのです。

 

「まぁ案ずるな。……こう見えて、吾は強いぞ」

 

 片腕を失ってなお、槍を持つその姿は威風堂々。

 

 普段は竹を割ったように、快活なゴルスキィさんでしたが。

 

「……あの、ゴルスキィさん」

「なんだ」

「いえ、その。すみません、何でもありません」

 

 この日ばかりは、何かしらを「隠しているような」後ろ暗い雰囲気があったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その理由は敵のアジトの前に到着し、突撃の準備を整えている時に分かりました。

 

「……本当に、最前線なんですね」

「どうした、トウリよ」

 

 我々は、軍の左翼最前線に配置されました

 

 ゴルスキィ氏が与えられた部隊は10名ほどの小隊で、ちょうどガーバック小隊と同じ規模でした。

 

 自分という衛生兵の他に、新米ながら偵察兵や擲榴兵など一通りの兵科が揃えられていました。

 

「さて、諸君。我々ゴルスキィ小隊の受けた命令は、遊撃である」

「遊撃、ですか?」

 

 物陰から敵のアジトの様子を窺うと、ちょっとした要塞を思わせる造りになっていました。

 

 廃墟となった市街を囲むようグルっと鉄条網が設置され、バリケードが張られ、その後ろに塹壕が3層に渡って形成されていました。

 

 一個中隊でこれを突破するのは、なかなかに骨が折れそうでした。

 

「遊撃、という命令の意味が分かるか」

「臨機応変に敵の行動を見て対処せよという命令です」

「大まかにはそれでよい」

 

 我々が攻めてきた事は賊も把握しているらしく、既に塹壕内には銃を持った賊が潜んでいました。

 

 きっと、我々の突撃を今か今かと待ち構えているのでしょう。

 

「戦場の情勢は、数秒ごとに移り変わるものである。吾が隊はその機微を察し、適切に行動せねばならない」

「はい、ゴルスキィ小隊長殿」

「吾はそれなりに経験を積んで居る。その信用を以て、現場判断での行動権を頂いた」

 

 そして、このゴルスキィ小隊はシルフから「独自に戦況を判断し、行動する権利」を言い渡されたそうです。

 

 ゴルスキィ氏がエース級であることを鑑みて、彼女が許可を出したのだとか。

 

「この戦場を見渡し、最適な判断をせよ。……さて諸君、まずは初動について意見があれば聞こう」

 

 その言葉を聞いて、小隊のメンバーはゴクリと息を呑みました。

 

 今からどんな行動をするべきか、その場で判断して動けという命令に驚いたからでしょう。

 

 たかが1小隊に、こんな超越権限を言い渡されることなど滅多にありません。

 

「吾とて万能ではない。諸君らは、何か気付いたことや提案があればどんどん発言してほしい」

 

 兵士は、上部の命令を受けて行動するのが基本です。特に、新米兵士ならなおさら。

 

 だからいきなり、自由に行動せよと言われても困惑することしか出来なかったのです。

 

 

 

 ────ただ自分は、その命令を聞いた瞬間。

 

 

「では、我々が先陣を切りましょう。ゴルスキィ小隊長殿」

「む」

 

 目の前の快男児がやましい雰囲気を出しているのも、シルフがこの小隊に謎過ぎる権限を与えたのも、全て納得出来ました。

 

「仲間の布陣が整い次第、正面の敵へ突撃する事を提案します」

「お、おい。何を言い出すオース!」

「俺たちは遊撃だって言ってんだろ!」

 

 ああ、馬鹿らしいことこの上ありません。

 

 このブリーフィングの時間は、言ってみれば茶番でした。

 

「それは、如何なる理由か。トウリよ」

「ゴルスキィ小隊長殿が、それを一番よくご存じではないのですか」

 

 あの神経質そうなシルフが、部下が勝手に動くことなど許すはずがないのです。

 

 そして屈指の突撃能力を誇るゴルスキィ氏に、遊撃なんて役目を押し付ける訳がありません。

 

 

「味方の布陣を見るに、攻勢における始線はこのゴルスキィ小隊でしょう?」

「……」

「恐らくシルフさんの本当の命令は『先陣を切って突撃せよ』ではありませんか」

 

 

 これはつまり、シルフからの────クイズと言ったところでしょうか。

 

「自分たちの場所がこの周囲で唯一、隠れながら榴弾を敵の塹壕内に撃ち込めるポイントです。敷かれた鉄条網を安全に吹き飛ばせるここ以上に、突撃の始線として有用な場所はありません」

「うむ」

「更に我々の隣接地点には、増強小隊が2つも配置されています。我々の攻撃で崩れた敵の防衛網を、確実に確保するため配置したと考えるべきでしょう」

 

 最初から、ゴルスキィ小隊が先陣を切る役目だったのです。この場所に布陣された瞬間、それは分かりました。

 

 しかしシルフは、部下に何も考えさせずに先陣を切らせるのではなく、戦場を見渡すきっかけを与えたかったのでしょう。

 

 だからゴルスキィ氏に、敢えて「遊撃」という偽の役目を部下に伝えさせた。

 

「……。うむ、認めよう。その通り、シルフ指揮官から仰せつかった役目は一番槍である」

「はい」

「オースに状況判断力で負けてどうする。貴様らも、もっと周囲の状況を読め」

 

 シルフは、部下の教育にも力を入れていたようです。

 

 やはり、彼女は敵に回したくありません。彼女が成長すれば、オースティンにとってこれ以上ない敵になる。

 

 自分は、ほんのりとそんな事を考えていました。

 

 

 

 

 ああ、甘っちょろいことこの上ありません。

 

 自分はこの時点でまだ、彼女の事を大きく見誤っていたのです。

 

 『私の指揮があれば楽に勝てる』と、断言した彼女の台詞の意味を、この後自分は味わうことになるのでした。

 

 

 

 

 

 

「砲撃音だ。各員、戦闘配置」

「はい」

 

 午前11時。予定通りに、攻勢が開始されました。

 

 我々の配置された場所の反対側、右翼から激しい準備砲撃が始まります。

 

 その砲撃音を合図に、我々ゴルスキィ小隊は榴弾を目の前の塹壕内に撃ち込んで、突撃を開始しました。

 

 

「……あ、れ?」

「どうした、トウリよ」

 

 

 ゴルスキィさんは、まだまだ現役と言えました。

 

 賊は、砲撃音も鳴りやまぬうちに突撃してきた我々に驚き、迎撃の反応が遅れました。

 

 その隙を逃さず賊に槍から電撃を走らせ、英雄は塹壕内の敵を次々無力化していきました。

 

 それはかつての、ガーバック小隊長をも彷彿させる凄まじいモノだったのですが、

 

「走れ、ます」

「何?」

「今ならもう1段、敵の塹壕内に斬り込めます。正面の塹壕に、兵の配置が追い付いていない」

 

 それよりも自分は。

 

 ゴルスキィ小隊が突撃したその奥、ぽっかりと空いた敵の布陣の穴に、呆気にとられていました。

 

 

「いくら何でも、敵のカバーが遅すぎます」

「なに?」

「……っ、まさかシルフ指揮官は!」

 

 

 その布陣の穴は、あと1分も経てば塞がる穴でした。

 

 自分たちが制圧した正面塹壕には、数人の素人らしき賊が籠っているのみでした。

 

 そして奥の方から、慌てて賊が配置に付こうと走っているのが見えています。

 

 つまり今この瞬間にだけ、突くことのできる穴─────

 

「前に、前に進む提案をしますゴルスキィさん!」

「何?」

 

 シルフは準備砲撃を、敵からも視認できる丘の上から行いました。

 

 それで、恐らく敵は遊兵を右翼側に集中させたのでしょう。

 

 我々の奇襲を、最大限に活用するために。

 

「この瞬間を、シルフは逃すなと言っているんです!」

 

 彼女は近くに増強小隊を2つも配置し、敢えて(・・・)自分達の背後を固めさせました。

 

 なので今、我々は背後を気にする必要はありません。

 

 きっとシルフは最初から、これを見越してさらに奥まで突っ切れると想定していたのです。

 

 

「今なら一気に、敵の第2塹壕まで制圧できます。さすれば、戦況は一気に我々に傾く────」

 

 

 自分達が深く切り込むのに合わせ、サバト軍は波打つように変化を見せました。

 

 砲撃が行われている反対側から「突撃するぞ」と怒声が響き、敵の防衛兵力を釘付けにして。

 

 シルフ率いる本隊が前進を始め、我々の突撃地点への援軍を遅らせます。

 

 そんなシルフの縦横無尽な動きに、賊の防衛部隊はしっちゃかめっちゃかにかき乱されていました。

 

 

 それは紛れもなく、自分達への援護でした。

 

 

「第2塹壕、先に制圧完了しました。向かってきた賊は、慌てて引き返していきます」

「よしトウリ、此処でいったん止まろう。この場所を維持すれば、きっと後続がすぐに来てくれる」

 

 やはり敵は素人だったようで、突撃したゴルスキィ氏になすすべなく制圧されました。

 

 これで我々は殆ど被害なく、第2塹壕まで到達する事は出来たのです。ここまでは、作戦大成功と言えましょう。

 

「素晴らしい視野の広さである。トウリ、良い目をしているな」

「ちょっと、勇猛果敢が過ぎるけど」

 

 しかしその代償として、自分達は戦線から突出していました。

 

 なのでゴルスキィさんも、これ以上の前進は危険と判断したみたいです。

 

 自分の勘も、これ以上の深入りは危険だと訴えていました。

 

 潮時です。後は、拠点の維持に専念しましょう。

 

「……」

「どうした、トウリ」

 

 そう考え第3塹壕の先を見渡したその瞬間、凄まじい爆音が轟いたのです。

 

「背後から、魔法砲撃っ!? 我々が突撃しているというのに!?」

「む、皆の者伏せよ!」

 

 どうやら味方のサバト軍が背後から砲撃したようで、目の前の第3塹壕の右方面が大爆発を起こしました。

 

 駆けつけてきていた敵の増援部隊が炎に包まれ絶叫が響いた後、シンと静まり返ります。

 

「ぐ、吾らを殺す気か! シルフの奴め、何て危険な────」

「……今すぐ、10時方向の塹壕に突っ切りましょうゴルスキィさん」

 

 カチリ、カチリとパズルのピースがハマっていく音がしました。

 

 シルフ・ノーヴァがこの戦場に描いた終局図が、少しづつ彩られていきます。

 

「前に、出られます」

 

 魔法砲撃は、本来であれば味方が突撃する前に行うものです。

 

 この時代の砲撃は狙いが荒く、遠距離だと狙いが数メートルは平気でずれるからです。

 

 間違っても、突撃中の味方がいる塹壕付近に撃ち込むものではありません。

 

「落ち着けトウリ、流石にこれ以上突き進んで味方から孤立するのはマズい」

「違います、見てください。あそこに、ゴールがあります」

 

 しかし、この時の味方砲兵は非常に近い位置から砲撃を行っていました。

 

 だからある程度、自分達に当たらないよう狙って敵を撃てていたのです。

 

 そう。この時シルフは魔法砲兵を、最前線ギリギリまで押し上げていました。

 

 

 ────それが出来たのは、我々が第2塹壕まで一気に攻略していたからです。

 

 

 自分達が第2塹壕まで確保したから、敵の第1層の防衛部隊は撤退を余儀なくされました。

 

 退かなければ第2塹壕越しに背後をとられ、挟み撃ちにされるからです。

 

 その結果、敵の塹壕からの妨害がなくなり、我ら左翼の魔砲兵部隊は前に出る事が出来たのです。

 

 ────それは明らかに、自分達が第2塹壕を制圧することを予見していないと出来ない動きでした。

 

 

 

 この時、賊の応援は右方向から大慌てで移動してきておりました。

 

 敵はこんなに早く、第3塹壕まで到達されることを想定していなかったみたいです。

 

 そして第3塹壕の防衛部隊がようやく配置に着こうかという瞬間、味方の砲撃でその部隊が消し飛びました。

 

 突撃されてる最中に砲撃されるとは、敵も想定していなかったのでしょう。

 

 

 ─────つまり正面の第3防衛ラインは、今なら無人。

 

 

 そして、その塹壕を越えた先に、

 

「居住区────」

「賊の非戦闘員の家ですね。司令部も、そこにありそうです」

 

 敵の急所が、むき出しになっていたのです。

 

 

 

 

 気持ちが悪い。気味が悪い。

 

 こんなのは、戦場ではありません。

 

「敵の居住区に到達! 全体を見渡せそうなあの民家の屋上が、指揮官の居場所と思われます」

「確かに、兵がおるな」

 

 自分達が居住区に到達した瞬間、背後からの銃声がやみました。

 

 賊も、自らの仲間(かぞく)が住んでいる区画に銃弾を撃ち込む勇気はなかったのでしょう。

 

「ウオオオォォォォォ!!」

 

 ゴルスキィ氏は雄たけびを上げ、その司令部と思しき民家に突撃していきました。

 

 その背を追って、我々ゴルスキィ小隊も突撃していきます。

 

「貴様が首魁だな」

「ひ、ひぃい!」

 

 居住区付近の防衛戦力は、大したことありませんでした。ここまで突破される想定をしていなかったのだと思います。

 

 結果として我々はただ一人の死者も出すことなく、敵司令部の制圧に成功しました。

 

「わ、分かった。とても敵わない、降参する!!」

「うむ、よろしかろう」

 

 ゴールドブラストと呼ばれた伝説の突撃部隊のエース、ゴルスキィ氏の迫力を見て司令部の賊は戦意を失ったのでしょう。

 

 司令部の制圧後、彼らは速やかに降伏を申し出て、敵のボスに降伏を宣言させました。

 

 これは戦闘開始からほんの、16分後の出来事でした。

 

 

「……凄まじい観察眼だったな、トウリ。きっとシルフも、誉めてくれよう」

「いえ」

 

 これ以上にない、まさに完勝でした。

 

 敵味方共にほとんど被害を出さず、ただ賊の頭と急所を押さえ降伏に持って行ったのですから。

 

 まるでマンガやゲームのような、理想的な勝利。

 

 

 

 

 ────そんな勝利を、させられた。

 

 

 

 これは自分の功績ではありません。

 

 自分はただ、戦場を読んで適切に動いただけです。

 

 目の前の塹壕が手薄だったから、突っ込んだ。

 

 敵の急所ががら空きだったから、制圧した。

 

 ただ、それだけ。

 

 

 本来なら、塹壕があんなに手薄になるはずがないんです。

 

 居住区という急所を、敵ががら空きにするわけがないのです。

 

 

「これが貴女の指揮だというのですか、シルフ」

 

 

 今回の戦場は、本当にゲームのようでした。

 

 状況に応じて「正答」が用意されており、プレイヤーはそれに答え次のステージへ進んでいく。

 

 そうなるよう、誰かの手でコントロールされていました。

 

「何を、そんなに怯えた顔をしている。トウリよ」

「だってそりゃあ、怖いですよ」

 

 今回の戦場は徹頭徹尾、シルフにより回答が用意されていたのです。

 

 戦場全てがまるで練習問題のように、「勝利できるように」構築されてしまっていたのです。

 

 

 ……初めて戦った敵の拠点内の動きを、完全にコントロールして?

 

 ……敵味方とも最も被害が少なくなるような戦術を、数日で練り上げ?

 

 ……しかもそれを、部下の教育の為の練習台に用いる?

 

 

「『怪物』はどっちですか、シルフ・ノーヴァ」

 

 

 今回の、アジト制圧戦が終わった後。

 

 自分は後方で指揮をしていた同世代の少女に、心底恐怖を抱いていたのでした。



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98話

 

「……セド君、ホットミルクが出来ましたよ。零さずに飲んでください」

「あい」

 

 自分が賊の討伐作戦に参加させられて、数日が経ちました。

 

 幸い命を落とすことなくキャンプに戻って来られた自分は、褒賞として頂いた粉ミルクを溶いてセドル君に飲ませてあげていました。

 

 

 シルフは作戦の後、白々しく「素晴らしい功績だ」と自分を褒めたたえ、褒賞として何が欲しいか聞いてきました。

 

 放っておくと軍の地位を用意されそうになったので、とりあえずミルクと応えておきました。

 

 

 セドル君はもう4歳です。年齢的にはもう粉ミルクなどいらないのですが……。

 

 このキャンプでは毎日、期限切れレーション(乾パンや牛肉粉末)やオニオンスープなどしか食べさせてもらえないので栄養の偏りが心配でした。

 

 この時期の子供に必要な栄養素はカルシウムやたんぱく質、鉄分です。これらをまとめて補給できてかつ、入手難度の低い食料としてミルクを要求してみました。

 

 ……分けて貰えたのは乳児用ミルクでしたが、貴重なカルシウム・鉄源なのでセドル君には毎日飲んで貰う様にしました。

 

「トゥーちゃん、今日はどこにも行かない?」

「ええ、自分はセド君の傍にいますよ」

 

 前の作戦に参加させられてから、セドル君はしばしば自分が出かけないか不安げに聞いてくるようになりました。

 

 あの作戦の行軍期間は1週間ほどだったのですが、彼は毎日「自分の帰還はまだか」とアニータさんに問うて困らせたそうです。

 

「じゃあ、少し出稼ぎに行きましょうか」

「うん」

 

 自分が戦闘を終えキャンプに戻ってくると、既にオセロ村人による塹壕は完成していました。

 

 赤土を掘って耐水シーツの屋根を張り、普通にテントを作るより広く雨風の凌げる空間を確保できていました。

 

 ドーナツ状に掘られたその塹壕の入り口には水瓶が設置され、便所と居住空間を完全に分けたことで悪臭もかなり改善していました。

 

 塹壕内にはかまどが設置され、その火が絶えない様にする火番という役目もいつの間にかできていました。

 

 燃料である木材は、近くの森から持ってきています。その森は川より近い上、道が舗装されているので水より運搬が楽なようです。

 

「どなたか、空き缶や空き瓶、食料、衣類の切れ端をください。1瓶の水と交換です」

 

 塹壕が完成した後は、水運び当番のローテーションにも余裕が出来ました。

 

 なので自分は当番から外れている日、水を個人的に汲んできて他の集落と物々交換をするようになりました。

 

 自分は普段のトレーニングの延長として、水を運ぶ作業をあまり苦にしていません。

 

 オースティン軍に居た頃はもっと重い荷物を背負って走らされていましたし、オセロ村でも自主練的にランニングを行っていました。

 

 日課のランニングの、場所が変わっただけです。

 

「足袋の切れ端では駄目か」

「いえ、十分です。受け取りましょう」

 

 この時の自分は冬に備え、少しでも布を集めようと躍起でした。

 

 幼児は大人に比べ、体温の調節が苦手です。セドル君が無事に冬を越えられるかどうかは、自分の頑張りにかかっています。

 

「はぁ、旨い。久々にたっぷり水が飲めたよ」

「毎度あり、です。脱水に気を付けて、今後もご贔屓に」

 

 どこの集落も、水の管理は非常に厳しいみたいです。喉が渇いた時、好き勝手に水を飲めるという訳ではありません。

 

 体を洗う水も、相当に節約を強いられているようです。なので、水運び商売は普通に成り立ちました。

 

「足袋は煮沸して、消毒した後に川でよく洗って……」

 

 足袋というのは、いわば靴下です。布をぐるぐると包帯のように足に巻き付け靴を履くのが、当時のサバトの文化でした。

 

 そのままだと水虫や雑菌などがついて物凄く汚いので、しっかり熱湯消毒しないと使い物になりません。

 

「トゥーちゃん。これ何に使うの?」

「上着の外に縫い付け、防寒性を高めます。サバトの冬は厳しいので、早めに備えないと」

 

 他人から譲り受けた布を消毒し、重ね、防寒具を作り上げる。

 

 こうして自分達は、スラムのような劣悪な環境のキャンプ地で、必死に生きていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シルフ様がお呼びだ。トウリ・ロウ」

「……了解です」

 

 自分がキャンプに帰還してから、1週間。

 

 再び自分は、シルフ・ノーヴァに呼び出されました。

 

「また、出撃ですか」

「いや、単に貴女と話がしたいだけだと聞いている。……前の作戦の褒賞じゃないか」

「もう粉ミルクを頂いているのですけど」

 

 どうやら出撃ではないらしいので、それは良かったのですが……。また、セドル君のご機嫌が悪くなります。

 

 しかしエライアさんとシルフの呼び出しには、立場上応じねばなりません。

 

 自分は溜息を吐いて、セドル君の頭を撫でました。

 

「……すみませんセドル君、少し自分はお出かけします」

「ダメ」

「今回は、すぐに帰ってきます」

「いや」

 

 いつも、出撃する時はこれが大変です。

 

 自分はセドル君を抱いてあやして、何とか了承を取り付けたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よく来たなトウリ」

 

 自分はエライアさんに連れられる形で、司令部内のシルフの私室へと案内されました。

 

 ベッドとロッカーが置いてあるだけの狭い部屋ですが、個室を与えられている事からも彼女は相当権力を持っていると思われます。

 

「キャンプの暮らしはどうだ」

「いち衛生兵として申し上げるならば、早急な環境の改善が望ましいです。特に、防寒面と清潔面の改善は必須です。冬には死者が出ますよ、あの状況では」

「……む、そこまで劣悪か」

「一度、ご自身の目で視察なさってはいかがですか」

「検討はしてみよう」

 

 シルフとは開口一番、そのような会話を交わしました。どんな無茶を言われるかと思えば、自分のキャンプ生活の探りですか。

 

 ……エライアさん曰く彼女は、改革に積極的に取り組んでいるらしいです。

 

 もしかしたら、難民キャンプの現状を調査すべく自分を招集したのかもしれません。

 

 だとすればありがたい話です。

 

「さしあたって、キャンプ地の民が求めていそうなものはなんだ」

「第一に、安全な水や食料。第二に、治安でしょう。窃盗など軽犯罪が多発しているのに、見張りの兵士に訴えても管轄外だと撥ねつけられます」

「何? ……見張りの兵士には、犯罪者を取り締まるよう命令が出ていたはずだが」

「犯人を現行犯で確保し連れて行けば、捕縛してくれます。犯人が不明だったり、犯人が逃げた後にしらを切っている場合は不介入なケースが多いです」

「……はぁ。分かった、それも対応してみよう」

 

 見張りの兵士も人手不足なのか、勤務態度がかなり悪い印象です。

 

 民衆の事を見下しているのか、明らかに年上の老人に対しても高圧的な態度で話しかけてきます。

 

 仕事も雑で、何なら目の前で窃盗が起きても、犯人を追いかけてくれないことすらありました。

 

「エライア、今のトウリの話がどこまで真実なのかお前の部隊で調査しろ。ちゃんと信用に足るメンツを選んでな」

「分かりました」

「はぁ。士官学生や徴兵年齢前の者を、大量に徴用したツケだな」

 

 自分は、現状のキャンプ地の問題をシルフに報告していきました。

 

 彼女は、それなりの権力者であると予想できます。

 

 少しでも、セドル君にとって暮らしやすい環境になってほしいものです。

 

「治安の問題は対策を練るとして。水はともかく、食料に関しては北部決戦で余った大量のレーションが配布されているはずだが」

「期限切れのものばかりでしょう。先日、腹を下し血下痢をまき散らし、衰弱死しかけたものが出ました」

「あー、まぁ腐っているのもあるよなぁ」

「密封が甘い粗悪品が混ざっているようで、それが食中毒を起こしているみたいです。品質の管理を徹底すべきです」

「……頭が痛くなってきた」

 

 こういう苦情も見張りの兵士に報告したのですが、曖昧な返事しかもらえませんでした。

 

 因みにその衰弱死しかけた人は、アニータさんが治療して事なきを得たそうです。

 

 放っておいたら本当に死んでたと仰っていました。

 

「かなりキャンプ生活での不満は高まっています、いずれ爆発するかもしれません」

「堪えてくれ、やれるだけのことはやるから。元の村で、賊に襲われ殺されるよりはましだろう」

「それは、そうですが」

 

 とはいえ、賊が蔓延っている元の村で生活し続けるよりかはマシなのかもしれません。

 

 いつ賊が現れて、虐殺を行わないとも限らないのです。

 

「トウリ、貴様からも不満を宥めるような言い方をしてほしい」

「……命令であれば従いますが。オースティン人である自分の影響力など、ほぼ無いかと」

「そうか……」

 

 村の人は、賊に襲われるよりはマシと必死で我慢しているのが現状です。

 

 これが疫病などで死者が大量発生し「賊に襲われた方がまし」という状況になれば、きっとその恨みは軍に向くでしょう。

 

「レーションの品質管理についても、問題提起はしてみよう。兵士も口にする食べ物だからな」

「ありがとうございます。ご用件は以上でしょうか」

「あーいや、別に今のは本題じゃない。まぁ、ちょっとした雑談のつもりだったんだ」

「……雑談?」

 

 シルフは頭が痛そうな顔のまま、自分に座れとハンドサインしました。

 

 自分は促されるまま、シルフの正面の木椅子に腰かけます。

 

「本題は、先日の貴様の参加した賊討伐作戦についてだ。お前が何を考え、何を見てどう判断したかを聞かせろ」

「成程。そちらが本題だったのですね」

「ああ」

 

 どうやらシルフは、先週の作戦における自分の行動の意味を問いただすつもりのようでした。

 

 ……つまり、答え合わせですね。

 

「ゴルスキィからの報告書にも目は通している。虚偽の報告などはするなよ」

「勿論です」

 

 彼女は、少し怖い顔で自分にそう念を押しました。

 

 

 

 

 

 

 

「以上が、先の戦闘における自身の提案とその根拠です」

「……む、よくわかった」

 

 自分はシルフに問われるがまま、あの戦場で見た内容とその行動を報告しました。

 

「トウリ、貴様は偶然にも敵の司令部がガラ空きになっているのに気づき、制圧したと。そう言いたい訳だな?」

「ええ、偶然(・・)です」

 

 流石に『全部貴女の想定通りなんですよね』みたいな事を言う勇気は無かったので、自分は偶然上手くいったという言い方をしました。

 

 シルフは底意地の悪そうな笑みを浮かべていますが、ここを深く突っ込んで藪から蛇を出す気はありません。

 

「よかろう、トウリ・ロウ。貴様、本格的に私の下で働く気は無いか」

「どういう意味です」

「そのままの意味だ。私付きの副官になれ、と言っている」

 

 するとシルフは少し言葉を選びつつ、恐る恐るそう尋ねました。

 

 自分に仕官をせよ、と。

 

「相応の報酬と権力は保証しよう。オース出身であることを含め、私が守ってやる」

「遠慮します」

「即答か」

 

 彼女のその言葉がどういう意図かは、図り切れませんでした。

 

 しかし、その問いに対する答えは決まっていました。

 

 もちろん否、です。

 

「理由を聞いても良いか?」

「今の自分は少しでも長い時間、セドル君と過ごしてあげることが最優先です。貴女の招集に立場上断れませんが、本音を言えばずっとあの子の傍にいたく思います」

「ふむ、成程」

 

 自分が仕官などしてしまえば、ますます彼の傍から離れなければなりません。

 

 本音を言えば、今も彼の世話をアニータさんに任せているのが申し訳ない。

 

 恩人であるゴムージとクーシャさんの忘れ形見を、精一杯守ってあげるのが今の自分の生き甲斐です。

 

「私は信頼できる部下が欲しかった。貴様は、少なくとも先の戦いで能力は示した」

「……」

「はっきり言おう。……私は今、多少強引な手を使っても貴様を手元に置いておきたいと考えている」

「自分を、随分と買っていただいているのですね」

「そりゃあもう」

 

 彼女の言葉の端々から察するに、シルフが戦場で用意した「問題」に上手く回答して見せた自分を気に入った……という事でしょうか?

 

 それとも、他に何かしら狙いがあるのやもしれません。

 

「軍で保護してやろう、その子供も。貴様と過ごせる部屋を、基地内部に用意してやる」

「……」

「話を聞く限り、随分とキャンプ地は環境が悪いようだな。どうだ、屋根とベッドのある部屋で養育してやりたくはないか」

「いえ、お断りします」

 

 シルフはかなりしつこく、自分を勧誘しました。

 

 何がそこまで、彼女を突き動かすのでしょうか。

 

「貴女の部下として軍属するとなれば、いつ自分が戦死しても不思議ではありません。セドル君には、自分の死後に世話をお願いしているアニータさんとも過ごしていただかねばならないのです」

「……」

「もし自分が戦死した場合、セドル君の扱いはどうなります。彼の一生を、貴女が世話してくれると言うのですか」

 

 自分は、はっきりとシルフの誘いを断りました。

 

 無論、セドル君の事を考えての拒否のつもりなのですが……。もしかしたらそれ以上に、

 

「はぁ……。そんなに私が憎いか、トウリ・ロウ」

「……別に、そのような」

 

 ロドリー君を死においやった目の前の女(シルフ・ノーヴァ)が、思った以上に憎らしかったからかもしれません。

 

「そもそも、今の自分は貴女の捕虜です。勧誘ではなく、そうせよと命じればよいだけではないですか。さすれば自分は、淡々と従うのみです」

「それでは意味がない。……自らで思考して、サバトの為を考えて戦える部下が欲しいのだ」

「オースティン人である自分に、それを求めますか」

「筋違いなのはわかっている」

 

 シルフはとても悲しそうな顔で、自分を見つめていました。

 

 そして懇願するかのような口調で、

 

「今、この国は未曽有の危機に瀕している」

「首都の、暴動の話ですか」

「ああ。反政府組織の暴動により首都は壊滅し、各地に賊が溢れ出している。私は、これを止めたい」

 

 自分にそう言って、頭を下げました。

 

「……貴様も、オセロの民が殺されて傷ついたのを見て、怒りを覚えなかったか」

「それは」

「貴様が私の下に居るといないとでは、恐らく被害が大きく変わる。貴様に故郷を裏切り、オースティンと戦えとは言わない。あの暴徒どもを鎮圧するまでの間だけで良い、力を貸してほしい」

 

 そう自分に頼み込むシルフからは、企みの気配などは感じませんでした。

 

 本当に、市民の事だけを考えているかのように感じました。

 

「……サバトに平和が戻ったら、その時点で退職してかまわん。子供を一人育てきれるだけの金を用意するし、安全な居住区も確保しよう。そこで存分に、あの子を育てると良い」

「それで良いのですか」

「ああ」

 

 敵である賊と、その親玉である反政府組織の討伐。

 

 その期間だけ、自分は彼女の指揮下に入れば良い。それさえ終われば、平和になったサバトで自分はセドル君と一生平和に暮らせる。

 

 シルフは、そんな条件を出してきました。

 

「憎くはないのか。オセロ村を襲い、あの子の親を殺したという敵────『労働者議会』を名乗るテロ組織が」

「それは、無論。……憎い、です」

「だろう」

 

 確かに、その条件なら悪くないかもしれません。

 

 期間付きで退職出来て、生き残りさえすればセドル君とずっと一緒に生きていける。

 

「随分と、良い条件……いえ、良すぎる条件です。先ほども聞きましたが、貴女は自分に命令すれば良いだけなのにそこまで譲歩する意味は何ですか」

「ああ、ゴルスキィから聞いたんだよ」

 

 そんな好条件を出してくるシルフに、自分は少し疑念を抱いてしまいました。

 

 なので、その理由を問うてみたところ、

 

「貴様は一度でも是と頷けば、義理堅く尽くす性格であると。そういう輩には命令で従わせるより、納得してもらった方がよほど堅実だ」

「……」

「いくら命令しようと、貴様はセドルとやらの為ならば平気で裏切ろう。……お前に土壇場で裏切られるのはちと怖い、貴様の口から仕えるという言葉を聞きたいのだ」

 

 と、返答がきました。

 

 

 

 ……。自分はオースティン軍の兵士であり、サバト軍に属するのは裏切りでしかありません。

 

 しかしこの命令を拒否しても、どうせ定期的に呼び出されて従軍させられます。

 

 それならば、

 

「分かりました」

「おっ」

 

 一度だけ、この少女に尻尾を振って自由を手にするのも悪くないかもしれない。

 

「その条件であれば自分は、しばらくシルフ様の下に仕えたく思います」

 

 そう、考えました。

 

 

 この時のシルフの、花が咲いたような笑顔は今でも忘れられません。

 

 こうして自分は、サバトの民間協力者という立場から「シルフ参謀大尉の副官」として本格的に従軍することになったのでした。

 

「そうか……、そうか! 貴様のような猛将が力を貸してくれるとは、頼もしいことこの上ない! よろしく頼むぞ、トウリ・ロウ」

「……猛将?」

 



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99話

 その日の、夜。

 

「良かったんですか? あの娘を退職させる約束なんかして」

「ああ、構わん。奴は『労働者議会』が何とかなれば、とっとと内地で隠居して貰おう」

 

 シルフ・ノーヴァは異国の衛生兵の勧誘が上手く行き、ご満悦の表情で自らの腹心の一人エライアに話しかけられていた。

 

「あの女は、対オースティン戦では恐ろしくて使えない」

「恐ろしい、ですか」

「私の想像を超えた手段で裏切らんとも限らん。あの女ならやりかねん」

 

 シルフは優秀な部下を得て、心を躍らせていた。

 

 先の戦場で期待通り、いや期待を超えた戦果を挙げたトウリ・ロウ。

 

 そんな彼女をどう運用してやろうかと、若い指揮官はワクワクが止まらなかった。

 

「だが、トウリ・ロウにとっても憎い仇である『労働者議会』が相手なら、存分に腕を振るってくれるはずだ」

「そうですね」

「ゴルスキィにも、彼女から色々と学んでもらおう。ヤツの戦場を俯瞰する視野の広さは、前線指揮官としての最高の資質だ」

 

 トウリ・ロウは戦争が嫌いらしい。

 

 彼女の性格上、安住の地で子供を育てるだけの資金を得れば、オースティンに帰らずサバトに永住する可能性が高い。

 

「今、私は彼女から深く怨まれている。……だからこそ、あの娘の口から自分に従うという言葉を聞きたかった」

「それで、あんな強引な勧誘をなさったのですか?」

「ああ。後はこれから、トウリと良好な関係を築き上げれば良い」

 

 サバトに住んでくれさえすれば、あのトウリという凄まじい前線指揮官が敵に回ることは無くなる。

 

 トウリと良好な関係を築けていれば、義理を感じて東西戦争が再開してもオースティンに帰らない可能性が高い。

 

「エライア、トウリにはなるべく便宜を図ってやれ。多少、周囲のやっかみを買っても構わん」

「それは、あまり良くないのでは?」

「彼女はオースだ、サバト軍に馴染む事は出来ないだろう。だったら、我々だけでも彼女の味方になってやるんだ」

 

 シルフはこの時、かなりあくどい顔をしていた。

 

「あの娘は私より年下の少女。育児のストレスや劣悪なキャンプ環境に加え、部隊で孤立している環境にきっと一人では耐えきれまい」

「……」

「そんな彼女を目一杯に甘やかし、心の支えになってやろう。そして我々に依存させ、裏切れなくしてやるのさ」

「そういう事をしているから、部下が付いてこないんですよシルフ様」

「煩い、それくらいしないと……。彼女の瞳から、恨みの感情は消えてはくれん」

 

 彼女には士官学校時代から、対等な立場の友人というものがいなかった。

 

 自分の成績や能力でマウントをとり、従わせるような人間関係しか構築してこられなかった。

 

「何と言われようと、私はトウリを最大限に甘やかしてやる」

「はあ」

「そして、ゆくゆくは……」

 

 そんなシルフが初めて出会った、同世代で優秀な兵士。

 

 今は過去の怨恨で心の距離は大きく離れているが、もしかしたら初めてのシルフにとって『親友』になれるかもしれない娘。

 

「よし、もう仕事は無いな。トウリの下に行くぞ、エライア」

「分かりました」

「トウリは今、所属するゴルスキィ隊に改めて挨拶しに行ってるのだったな。もう終わっている頃か?」

「恐らく、顔合わせの最中かと」

「そうか」

 

 きっとトウリは、ゴルスキィ隊で肩身の狭い思いをしてるに違いない。

 

 ゴルスキィが目を光らせているとはいえ、彼女は虐められてもおかしい状況ではない。

 

 指揮官の立場の自分がゴルスキィ隊に顔を出し、しっかり釘を刺しておく方がいい。

 

「この先ですね、ゴルスキィ小隊は」

「む、トウリがいたぞ」

 

 彼女の顔が暗ければ、適当な理由をつけて連れ出してもいいだろう。

 

 確かシルフの部屋には、手を付けていない高級クッキーなどが置いてある。これを餌に、トウリを茶の席に誘おう。

 

 そう考えたシルフ・ノーヴァは、エライアを引きつれ足早にゴルスキィ小隊の元へと向かった。

 

「む、居たぞ」

 

 エライアの言っていた通り、トウリ・ロウは顔見せの真っ最中だった。

 

 周囲を屈強な男に囲まれ、一人ぽつんと台の上で立たされていた。

 

 そんな異国の衛生兵(トウリ・ロウ)に声をかけようとシルフは足早に近づいて、

 

 

「以上、お粗末でした」

「良いぞ! 良いぞ!」

「何だお前、オースの癖に面白いヤツじゃねぇか!!」

 

 

 小隊の中心で拍手喝さいを浴びる、少し得意げな顔のトウリ・ロウと目が合った。

 

 

「……滅茶苦茶馴染んでるな!」

「あ、シルフ指揮官殿」

 

 

 

 

 

 

 

 

「オースの衛生兵が、本格的にうちに所属するのか」

「前の戦いで、意味不明に前進を提案しまくった女」

「……」

 

 芸は身を助ける。これは前世の日本での諺です。

 

 異世界に転生し、文化も言語も違うこの世界でもその諺は有効と言えました。

 

「貴様ら、そう威圧するな。トウリ、自己紹介を」

「はじめまして、トウリ・ロウです。衛生兵として皆様の健康を預からせていただきます」

「こんなチビに出来るのか?」

 

 自分はシルフの命令で、そのままゴルスキィ小隊所属になりました。

 

 しかし、彼の部下とのファーストコンタクトは、あまり良いものではありませんでした。

 

 前に肩を並べたとはいえ、敵国民と仲間として絡むのはやはり抵抗が大きいみたいです。

 

「わかりました。では皆様に自己紹介を兼ねて、一曲歌わせていただきます」

「あん?」

 

 そんな微妙な空気を察したゴルスキィさんは、自分の歓迎会を開いてくれました。

 

 前の戦いでゴルスキィ小隊は戦功第一とされ、兵士は酒や嗜好品の褒賞を得たそうです。

 

 その時の余りを使い、訓練所の片隅で小さな宴が催されました。

 

「オースの歌なんか聞きたくねぇぞ」

「では、知り合いのフラメール人から聞いた歌を」

 

 自分はその場で、一生懸命に歌を歌おうと考えました。

 

 この時の自分に対する皆の目つきは、敵意すらはらんでいました。

 

 このままでは作戦行動中に『誤射』されてしまうかもしれないと思い、何とか親睦を深めたかったのです。

 

 フラメールの歌なら、そんなに敵愾心を刺激しないでしょう。

 

「おお、何だこの歌声」

「セルフコーラス? す、すっごい」

 

 自分は眼を閉じて、アルノマさんに教わった歌を唱え始めました。

 

 長い修行の末、自分は音程を変え二つの声で同時に歌えるようになっていました。

 

 この芸で孤児院では『孤独な残響(ロンリーエコー)』の異名を貰い、いつも拍手喝采でした。

 

 徴兵さえされなければ、芸人として食っていくつもりだった程には自信があります。

 

「一曲目、フラメールの赤い夕雲。如何だったでしょうか」

「良いぞ、すげぇじゃねえかオース!」

 

 一人でハモり、合唱を行うこの芸はサバト兵士にも好評でした。

 

 本来であれば人形を用いて腹話術で歌わせるのですが……、二重歌唱だけでも十分に満足いただけたようです。

 

 最初は微妙な顔をしていた兵士も、徐々に笑顔になっていきました。

 

「多芸だなぁ。本当に衛生兵か?」

「今の自分は、さすらいの芸人です」

「ほほう。じゃあ、他にも何か芸はできないのか」

 

 ヴォック酒も入ってテンションが上がり始めた彼らは、やがて次々と自分へリクエストを飛ばし始めました。

 

 こんな場を用意してくれたゴルスキィさんに感謝ですね。

 

「えーっと、簡単なジャグリングとかでしたら」

「おお、じゃあ空き瓶でやってみろ」

 

 兵士が飲み終わったヴォック酒の空き瓶を投げながら、最近教えて貰ったサバト軍唄を歌い、宴は大盛り上がりを見せました。

 

 酒を飲む席につくのは、やはり仲良くなる何よりの手段です。

 

 最初は怖い目つきだった兵士さんも、目から険が取れ、バシバシと笑顔で自分の肩を叩くようになりました。

 

 その様を見て、ゴルスキィさんも満足そうに笑っていました。

 

 良かった、自分はこの部隊で上手くやって行けそうです─────

 

「……滅茶苦茶馴染んでるな!」

「あ、シルフ指揮官殿」

 

 と、そんな感じに兵士と親睦を深めていたら、シルフ・ノーヴァが大声で突っ込みを入れてきました。

 

 

 

 

「おうシルフではないか。何のようだ」

「ゴルスキィか。いや、トウリの様子を見に来たんだが」

「自分に何か御用でしたか」

 

 見ればシルフは、困り顔のエライアさんを引き連れゴルスキィ小隊の宴会場(訓練所の片隅)に来ていました。

 

 彼女は中間管理職の筈ですが、暇なんでしょうか。

 

「トウリとはこれからも仲良くしたくてな、茶にでも誘いたかったのだが」

「おう、ならばちょうど良い。今はトウリの歓迎の席である」

「みたいだな。馴染めているなら良かったよ、孤立していないか心配だった」

 

 どうやら彼女は、自分を心配して様子を見に来てくれたようです。

 

 そう言えば「オースであっても守る」と勧誘の時に言っていましたっけ。

 

 その約束を守るため、時間を作って来てくれたのかもしれません。

 

「今は時間があるのか、シルフよ」

「ああ。……だがゴルスキィ、徴兵に応じたならちゃんと私に敬語使えよ」

「残念ながら今この場は、無礼講である。間が悪かったなシルフよ」

「ったく」

 

 シルフはやれやれと言った表情で、ゴルスキィ氏の隣に座りました。

 

 そして、自らの懐から小瓶を取り出しグビグビと飲み始めます。

 

「私も交ぜて貰おうか。遠慮はいらん、無礼講で構わん」

「う、は、はいっす」

「そう萎縮せんでいい」

 

 ゴルスキィ氏の前では大はしゃぎしていた兵士も、シルフの前では態度を固くしてしまいました。

 

 彼女は癇癪もちで、かつ部下に厳しい事で有名です。

 

 それで、固まってしまったのでしょう。

 

「シルフよ、貴様が来たせいで場が白けたではないか」

「……はぁ。何だゴルスキィ、邪魔だから帰れってか?」

「いや。ここにいる兵士共も、貴様の事をよく知らんから緊張しているのだ。きちんと自己紹介くらいせい」

「自己紹介? 私の事を知らん奴が、私の部隊にいるというのか?」

「いや、そう言う意味ではない」

 

 その空気を機敏に察したゴルスキィ氏が、シルフの肩をポンポンと叩きました。

 

 正直、自分も結構シルフに苦手意識を持ってはいるので、兵士の気持ちは分かります。

 

 何というか、高圧的で少し怖いんですよね、彼女。

 

「宴に参加するならば、自分を知ってもらわねばなるまい。その為に─────」

 

 

 

 

 

 10秒後シルフは、先程まで自分が歌っていた宴会中央のステージに立たされていました。

 

「えっ」

「なんか面白い事をやれ、シルフ。サバト最高の頭脳と言われる貴様なら、造作もあるまい」

 

 ゴルスキィさんはそんな非情な振りをして、ニヤニヤとヴォック酒をもう1瓶開けました。

 

 鬼ですかあの人は。

 

「先程のオース……いやトウリは、その状況から見事に兵士全員の心を掴んだぞ」

「おうとも! よろしくな、ちっこい戦友!」

「安心しろ、命を懸けて守ってやるぜ」

「ど、どうも」

「だから、いつも馴染み過ぎではないかお前は!」

 

 ゴルスキィ隊の兵士はノリが良いのか、さっきまで敵視していた自分と戦友のように肩を組み始めました。

 

 これは多分、シルフに対する煽りも入ってますね。

 

「え、エライア~……」

「小官は、その、頑張ってくださいとしか言えません」

 

 ……にしても、成程。これはゴルスキィさんなりの、シルフへの援護でしょうか。

 

 彼女は部下に嫌われているので有名です。

 

 だからこそ、親しみやすさを演出すべくこのような苦境に立たせたのでしょう。

 

 ゴルスキィさん、そういう人間関係の調整が凄く上手ですね。

 

「芸がないならママから聞かされた子守唄でも歌ったらどうだ、シルフ中隊長殿!」

「やめろよ、お子様であられる指揮官殿がスヤスヤ寝ちまったらどうするんだ!」

「は? 誰だ今の発言をしたのは、処刑してやろうか!」

「無礼講、無礼講であるシルフよ。それとも、貴様の頭脳をもってしてもこの苦境は突破できぬか?」

「何ぃ!?」

 

 そんなこんなで、シルフは「無礼講でいい」と言ったばかりに無茶苦茶煽られ始めました。

 

 兵士たちも色々と彼女に溜め込んでいたものがあったのか、遠慮なく騒ぎ始めてしまいます。

 

 酒を飲んで気が大きくなっているのでしょうか。

 

「あ、こんなところに誰かのカバンが」

「ま、待て貴様! 私の私物をあさるな!」

「小隊長殿! こんなところに指揮官(シルフ)殿の帽子を発見しました! これをこうすれば……」

「あ、あれは! むぅ、まさか本当に実在していたとは」

 

 これは駄目な飲み会ですね。

 

 全員の理性が取っ払われて、どこまでも悪ふざけに走っていく流れです。

 

 自分は巻き込まれないよう、静かにエライアさんの隣に移動しておきましょう。

 

「知ってるのですか、ゴルスキィ小隊長」

「あれはヴォック鉄帽……。突撃部隊ゴールデンブラストに伝わるという、伝説の度胸試しである。ひっくり返した鉄帽になみなみとヴォック酒を注ぎ、一気飲みするという……」

「ちょっと待て!」

 

 憐れにもシルフは、飲み会の中央で兵士に囲まれて逃げ場がありませんでした。

 

 そして2Lは有ろうかという帽子に注がれたヴォック酒を、一気飲みする流れに乗せられました。

 

「エライアさん、これがサバトの日常なのですか」

「ええ。恥ずかしい事に、サバト軍兵士の死因第3位は急性アルコール中毒と言われています」

「そんな軍に負けかけたのですか、オースティンは」

 

 この国の、お酒に対するTPOはどうなっているのでしょうか。法で取り締まらないんでしょうか。

 

 そんな事を考えながら。自分はおろおろと心配そうにシルフを眺めてるエライアさんの隣で、少しだけお酒を頂きました。

 

 煽られるシルフを肴に『サバト最高の知謀を誇る彼女は、どうやってあの苦境を乗りきるのだろう』と静観していると、

 

「ふっ、やはりお子様だな。もういい、分かったよ」

「まったくくだらねぇ女だぜ」

「あ?」

 

 何やら、シルフには煽られ耐性が無かったようで。

 

「場を白けさせてごめんなさいしたら、許してやるよ」

「がっかりだ、やっぱりシルフ殿はシルフ殿であられますな」

「……上等じゃないか! 貴様ら、見ておけ!」

「おっ」

 

 散々になじられたシルフは我慢の限界が来たのか、なみなみと注がれたヴォック酒を手にとって

 

「ぐびぐびぐびぐび」

「おー! 良いぞ!」

「シルフ様が顔真っ赤だぜ!」

 

 周囲に煽られるがまま、イッキ飲みをしてしまいました。

 

 ……ヴォック酒は蒸留酒でチビチビ飲むものであり、あんな飲み方をしたらどうなるか賢い彼女が分からないわけないでしょうに。

 

「……。うきゅ~」

「あ、大変だ、シルフ様が倒れた」

「衛生兵、衛生兵~」

「きゃー、シルフ様!?」

 

 案の定シルフはそのまま昏倒して、衛生兵(エライア)に運ばれて行きました。

 

 その様子を、ゴルスキィ氏はにんまり笑って眺めていました。

 

「な、意外と愉快な娘だろう。諸君らもあまり邪険にしてやるな」

「ゴルスキィさん。急性アルコール中毒は危険なので、衛生兵としてヴォック鉄帽の廃止を提案します」

「えー」

 

 この後、ちょっと酔い始めていた自分は、ゴルスキィ氏に中毒の危険について説教しました。

 

 窒息したらどうするつもりだったんですか。兵士の死因の第3位だというなら、しっかり規制してください。

 

 



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100話

 

 こうして自分はサバト東方軍司令部、シルフ参謀大尉の部下として従軍する事になりました。

 

 当初、サバト軍では『オースが配属される』という事実に不満が噴出したそうです。

 

 しかしシルフ中隊は司令部内で当時もっとも戦果を挙げていた部隊で、その指揮官であるシルフ・ノーヴァの発言力は非常に強く、ゴリ押しで司令部に自分の配置を認めさせたそうです。

 

 

 そんな背景もあって自分の立場は怪しかったのですが、幸いゴルスキィ小隊ではそこまで毛嫌いされることはありませんでした。

 

 小隊長であるゴルスキィ氏が、上手く人間関係を調整してくださったからだと思います。

 

 ただ自分の勤務形態は少し特殊で、普段はキャンプ場で生活し、実戦時のみ召集される形となりました。

 

 これは「敵国民(オース)を司令部内で生活させるのは認めない」という強い意見と、自分の希望(キャンプ場で少しでもセドル君と過ごしたかったのです)があり、シルフが折れる形でこの勤務形態を認めたのです。

 

 そのお陰で、自分は従軍後もキャンプ暮らしを続ける事が出来ました。

 

「トゥーちゃん、これ見て」

「はいはい、セド君」

 

 キャンプ生活も2カ月目に入り、季節が秋にかかるころ。

 

 いよいよ、サバト内の戦乱は本格化してきていました。

 

「あのね、これが僕でね、こっちがトゥーちゃん、こっちがアニー」

「これは、泥人形ですか」

「3人で、ピクニックしてるの」

 

 自分は賊が見つかる度、シルフに呼び出され出撃させられていました。

 

 しかし、ほとんどの場合は戦闘すら発生せず、敵は降伏するか逃げだすかのどちらかでした。

 

 激しい戦闘になったのは結局、初めて招集された時の一回のみです。

 

「上手にできましたね」

「うん!」

 

 捕らえた賊は懲役として、工場での勤務を義務付けられるそうです。

 

 ただその工場は非常に劣悪な環境らしく、冬には凍死者が後を絶たないのだとか。

 

 全てを奪われ、賊に身を落とした村人の最期と考えると、非常に哀しい事です。

 

「トゥーちゃん、だっこ。だっこ」

「……はいはい」

 

 自分がサバトに来て半年ほど、季節はもうすぐ冬に入ります。

 

 各地の治安は改善したとは言い難く、まだまだサバト全土に賊は溢れていました。

 

 早く無事に内乱が鎮圧され、平和にセドル君と生きていければと、自分はただそれだけを考えていました。

 

 

 

 

 

 

「労働者議会の勢力が、思った以上に強まっている」

 

 自分がキャンプでセドル君と戯れていた頃、ある知らせが届いてサバト軍上層部は現状に頭を抱えていました。

 

 彼らは当初、この内乱は民衆が暴動を起こしただけで、力づくで鎮圧出来ると思っていたらしいですが……。

 

「南の司令部が、労働者議会に降伏したそうだ。このままでは、本当に国家が転覆するぞ」

 

 秋の始め、東西南北に設置されたサバト軍司令部の内、南方司令部が降伏したという情報が流れてきたのです。

 

 首都と南部の戦力を支配下に置いたこの時点で、『労働者議会』はサバト内で最も権力をもった勢力になりました。

 

「首都の民衆は労働者議会に心酔し、我々政府を敵視しているらしい」

「……どうしてこうなった」

 

 この情勢を最も危険視していたのは、サバト連邦政府の高官だった面々でした。

 

 このシルフの所属する東方司令部には、落ち延びてきた数名の政府高官がかくまわれていました。

 

 彼らは自分の権力がいよいよ怪しくなってきたことを知り、居ても立ってもいられなくなったのです。

 

「労働者議会からの密書が来た?」

「はい、ブレイク将軍宛です」

 

 一方で、東方司令部の長であるブレイク将軍は、その労働者議会から手紙を受け取っていました。

 

 その内容は「サバトを立て直すのに協力してほしい、政府高官を差し出し降伏すれば命は取らない」という内容の勧告です。

 

「ふざけている、一介の市民だった連中が調子に乗り過ぎだ」

「偉大なるサバト連邦を、こんなテロリスト共に渡してなるものか」

 

 ブレイク将軍は憤り、その手紙を即座に破り捨てました。

 

 彼はきちんと祖国を愛しており、テロリストに屈する程に臆病ではなかったのです。

 

「奴らを鎮圧して、私達で首都を取り戻そう」

「本物の兵士と戦って酷い目に遭えば、民衆も目を覚ますはずだ」

 

 その手紙の内容を政府高官に伝え、ブレイクは首都奪還を目標に掲げました。

 

 そして政府高官から「首都を奪還したあかつきには、軍の最高権力者である元帥位に推挙する」という確約を取り付けます。

 

「偉大なる祖国の為に、英雄とならん」

 

 そんな勇ましいブレイク将軍の言葉に、高官たちは頬を緩めたそうです。

 

 

 

 

 しかし、「首都奪還」と口で言うのは容易くても、現実は中々上手く行きません。

 

 遠征には、多くの食料や魔石、燃料弾薬が必要になります。

 

 キャンプの民に食料を分け与えながら、遠征に足るだけの物資を確保するのはなかなか困難でした。

 

「早く労働者議会を潰さないと、どんどん民心が離れていくぞ」

「今ある物資を持ち出して、遠征中に村に立ち寄り徴収してはどうか」

 

 首都進軍の方針は決まりましたが、それを実行するだけの物資はありませんでした。

 

 賊だけでなく民を動員し工場をフル回転させても、冬明けまで待たねばなりません。

 

 今すぐ出撃するなら、行く先々で略奪するしか方法は無さそうでした。

 

 しかしそれは流石に、大きな禍根を残す事になると思われました。

 

 

「オースティンに出させれば良い」

 

 その会議の場で、シルフはそう言いました。

 

「かの国と停戦を餌に、物資を要求するんだ」

「それは。貴様、オースと決着を付けずにどうする」

「そもそも我々の一存でそんな事は決められない」

 

 そのシルフの意見に、周囲からは非難囂々でした。

 

 何と彼女は、オースティンとの停戦を提案していたのです。

 

 オース憎しの感情が強いサバト軍で、そんな提案をしてはシルフの立場も危うくなるでしょう。

 

 しかし、

 

「オースとの国境を守るのは、この東方司令部だ。現状またオースと開戦して、我々に得があるとお思いか」

「だが、そんな国家戦略を決めるのは政府であって」

「首都の参謀本部と連絡が取れない以上、ご滞在いただいている政府高官のご意見を取ればよかろう。我々が首都を制圧した後は、あの方々が政治の主権を握るのだから」

 

 シルフの案は、恐ろしく現状に即していると言えました。

 

 周囲には賊が溢れかえり、村落の殆どは壊滅したか避難して無人でした。

 

 この時の東方司令部が補給を受ける先があるとすれば、外国であるオースティンからしかありえなかったからです。

 

「どうせ今の情勢だと、サバトはしばらくは戦争できまい。停戦は、むしろ我々から頼みたいくらいなのだ。オースが手早くフラメール・エイリスと和睦して、ここに再侵攻してくる方が怖い」

「む」

「それにオースティンもまだ、我々の危機的状況についてそこまで詳しくは把握していないだろう。今ならある程度、賠償が得られるかもしれない」

「言われてみれば、確かにそうか」

「だが、オースに屈するなど」

「いや、賠償を呑ませたのなら実質勝利だろう」

 

 結局、ブレイク将軍はシルフの案を採用する事にしました。

 

 オースティンと停戦を条件に、物資を要求する事にしたのです。

 

「向こうもそれなりの苦境にある。要求するのは、数か月分の携帯食と……、オースティン銃。いや、銃は流石に断られるか。余りなど無いはずだ」

「こちらからの要求は、食料と魔石だけに留めておいてはどうでしょう」

「そうだな、銃は闇市を摘発して確保しよう。このくらいの資源なら、オースも呑めなくはあるまい」

 

 司令部は計算を練り、現在の東方司令部の兵士が半年活動できるだけの資源を計算しました。

 

 この要求が通れば、手持ちの資源と合わせて十分に首都まで進軍できるように。

 

 その交渉役には、たまたま滞在していた政府の外交部長官が選ばれました。

 

「本職の外交官が残っていてよかった」

「お願いします、先生」

「ああ、任せておけ」

 

 外交部の長官は自信満々に手紙を携え、オースティンの首相の下へと旅立っていきます。

 

 こうして秘密裏に、東方司令部ブレイク将軍はオースティンを相手に停戦交渉を始めたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、結論から言えば。

 

 この停戦交渉を、オースティン側が一方的に突っぱねたのでした。

 

「奴らはまだ、戦争をする気満々だ。今の相手が終わったら、またサバトの国境を荒らしに来ると宣言した」

「何て野蛮な連中だ」

 

 その知らせを聞いて、シルフ自身も大きく驚きました。

 

 まさかオースティンの現状で、停戦を拒否されるとは思っていなかったのです。

 

「当てが外れたな、シルフ参謀大尉」

「まさか……どうして。オースの連中、思った以上に愚かなのか」

「向こうの首相は非常に若かった、きっと感情で動いているのでしょう。狂犬ですな」

 

 その時、シルフの脳裏にはちらりと過去のサバトのやらかしが頭に浮かんでいました。

 

 オース側からの無条件降伏を、サバトが一方的に拒否したという事実です。

 

 もしかしたらサバトは、既に外交における信用を失い切っていたのかもしれない。

 

 だから、どうせ騙されると思われて拒否された。

 

 そうでなければ、停戦を拒否される理由が見当たらない─────

 

 

「おい。外交官殿、この停戦条件は何だ」

「最低限の、譲歩できるラインですな」

「オース政府による戦争の敗北宣言、今後20年にわたる賠償、タール沿岸部の軍事的占有権。これを条件として出したのか」

「ああ、これがギリギリである」

「アホかぁ!!」

 

 シルフがそう思って文書を読み進めていたら、サバトからの要求が凄まじい内容になっていた事を知りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは、我らからの善意であると受け取っていただきたい」

 

 その外交官はオースティンの首相フォッグマンJrと会談し、そう言ってのけたそうです。

 

「我々が先の戦争で受けた被害は、その倍以上である。しかし、今の貴国にその全てを賠償できるとは思えないので、その額で書面を準備した」

「で?」

「貴国が条件を呑んで敗北(・・)()宣言(・・)すれば、サバト連邦は貴国を尊重し脅かさない事を誓おう」

「ばかばかしい」

 

 一方で書面の内容を見たフォッグマンJrは、即座に外交官へ投げ返しました。

 

 時間の無駄だったと言わんばかりに、溜息を吐いて。

 

「何と愚かな。まだ戦争を継続するつもりか、オースの長よ」

「この書面を持ってきた貴様がそれを言うか、耄碌ジジイ」

「口の利き方に気を付けよ、仮にも停戦交渉にはるばるやってきた使者に向かって」

「停戦交渉? アホが狂言かましにきた、の間違いじゃねぇの」

 

 フォッグマン自身、停戦は熱望していました。

 

 本音を言えばタール沿岸に配置している兵を減らし、フラメールとの前線に送りたかったからです。

 

 なのでシルフの読み通り、フォッグマンは停戦にあたり多少の賠償程度であれば呑むつもりでした。

 

 しかし資源がカツカツなのはオースティンも同じ。その外交官の提示した内容など、受けられるはずがありません。

 

「自称外交官殿がお帰りだ、とっととつまみ出せ」

「了解ですフォッグマン様」

「オ、オイ待て! 本当に良いのか、ここで我らを敵に回しても─────」

「その条件呑んだら国が亡ぶ。居るならもうちょっと頭の良い奴に、文書を作ってもらいな」

 

 しかし、彼の持ってきた文書は無条件降伏後のような横暴な賠償内容で。

 

 フォッグマンは彼の要求を一蹴し、即座に首都から追い出してしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

「条件は、一回遠征できるだけの物資で十分だと伝えただろう! どうしてここまで要求を盛った!」

「シルフ殿は、まだ若くて分からんだろうが、もしそんな内容で停戦なんてしたら民衆が納得しない。これはまさに、民が求める最低限の─────」

「今、民衆が一番求めているのは停戦だろうが! 何で暴動が起きていると思っている!」

 

 人選ミス、というべきか。この外交官は、完全にサバトが優位の立場であるという前提で交渉を行ったのでした。

 

 外交長官である彼は、停戦に当たっての条件を調整する権限を持っており、司令部の出した『要求案』を勝手に書き換えたのです。

 

 そしてサバトはいつでも攻勢を再開できるぞというハッタリをかまし、このような無茶な条件を呑ませようとしたのでした。

 

「こんな要求では突っぱねるに決まっているだろう!」

「いや、オースの現状を考えろ。これくらいは呑んで当然である、向こうの首相の頭が足りぬ」

 

 もしも本当に「サバトがいつでも攻め込める」という状況なら、あるいは通ったかもしれません。

 

 しかし、残念ながらオースティンはレミさんとパイプを持っていた為、サバトの現状をそれなりに正確に把握していました。

 

 内乱に次ぐ内乱で、現状サバト軍は攻勢に出るどころか防衛すらままなりません。

 

 だからフォッグマンJrは、自信をもって彼の交渉を一蹴したのです。

 

「もっと要求水準を下げて、行ってこい。真冬に入ったら、もう遠征出来ないんだぞ」

「それは出来ない。サバトという国家を軽んじられる事になる、これが最低ラインだ」

 

 シルフと外交官は何度も激しく口論しましたが、お互いに主張を頑として譲らず。

 

 外交官にも外交官の矜持があったみたいで、年下のシルフの提案を軽んじ、頑として聞き入れる事はありませんでした。

 

「じゃあどうするんだ、資源もなしに遠征は出来ないぞ」

「そこは軍部の管轄だろう」

 

 結局、この停戦交渉がまとまることはありませんでした。

 

 そしてこの停戦交渉の失敗が、本格的にサバト連邦の息の根を止める事になってしまいます。

 

 もし、この時の外交官がもう少し頭の良い人物であったら、歴史は大きく変わっていたかもしれません。

 

 

 

「資源が準備できるまで、待つしか無かろう」

 

 こうなればやむを得ず、シルフは越冬を提案しました。

 

 冬の間、キャンプ地の市民に労役を課して資源を貯めようとしたのです。

 

 司令部併設されていた工場をフル稼働し、保存食や弾薬を貯め込み、来春の攻勢を提案しました。

 

「そんなに待っては、ますます敵の勢いが強まらないか」

「もし、オースが敵を退けて反転攻勢してきたらどうするんだ」

「ああ、本当にな!!」

 

 しかし、越冬に政府高官たちは反対しました。彼らは置いてきた財産が心配で、一刻も早く首都に戻りたかったのです。

 

 彼らは軍部に対し、受け入れて貰った感謝などは無く。むしろ「軍部が不甲斐ないせいで反乱が抑えきれず、こんな不自由な暮らしをさせられている」という不満すら抱えていました。

 

「貴様がまともに停戦してくれていれば、もっと状況は良かったんだ」

「はぁ、分からん奴だな。あの条件で停戦などしたらサバトは大損だ。英雄ブルスタフの娘がここまで白痴だとは」

「所詮、外交の『が』の字も知らない子供よな」

 

 この時の政府高官は軍に関わったことが無い人ばかりで、シルフの言葉の1割も理解していなかったと聞きます。

 

 だからシルフがどれだけ現状の苦境を訴えても、それは軍部の不備だとしか思われませんでした。

 

「今すぐ攻勢に出ろ、その通り道の村落で物資を徴収しても良い。許可を出す」

「そんな事をしたら、本当に国が亡ぶ!」

 

 そして、彼等は自国での略奪を軍部に許可したのです。

 

 本来、この遠征先で略奪を行うという戦略は敵国に侵攻している時に取る手段です。

 

 自国の内乱を鎮めるときに、自国の民に略奪を行うなど正気の沙汰ではありません。

 

「首都に蔓延る賊を鎮圧するためだ、民も納得しよう」

「ただでさえ民心が向こうに傾きかけているのに、納得する訳ないだろう!」

 

 シルフは顔を真っ赤にして、政府高官に食って掛かりました。

 

 国益を考えても、倫理的に考えても、絶対に取ってはいけない戦略だったからです。

 

「そもそも、何処も略奪の被害を受けて蓄えなんて残っている訳が────」

「あー、子供が口を挟むな。煩い、煩い」

「お前は現場で指揮を執ってりゃいい」

 

 しかしこの司令部の最高指揮官は、ブレイク将軍でした。

 

 彼は元帥にしてもらえるという甘い言葉に動かされ、政府高官に逆らえずにいたのです。

 

「……了解しました。遠征の準備に取り掛かります」

「うむ、期待しているぞブレイク将軍殿」

「そんな!」

 

 こうして東方司令部は、ゆく先々で略奪を行いながら首都を目指す『地獄の遠征』を強いられました。

 

 冬に差し掛かる前に蓄えを奪われる民が、どんな感情を抱くかも考えずに。

 

「あぁ……」

 

 こうして自分も旧政府側で従軍していた、サバト史上最悪の殺し合い─────首都ヨゼグラードの攻略戦が勃発します。

 

 冬季の行軍、それも自国の民を略奪しながらの遠征は、旧政府がいよいよ末期になっていた事を示していました。

 

 そしてこの不毛な戦争の勝敗のカギを握ったのは、いや握らされたのは、

 

「これでは、勝っても誰も喜ばない。……民に怨まれるだけじゃないか」

 

 弱冠17歳の英雄、シルフ・ノーヴァでした。




5章終了です。再開を暫くお待ちください。


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6章 ヨゼグラード攻略戦
101話


 

 自分は今までの従軍生活で、何度も辛く残酷な戦いを経験してきました。

 

 飢餓と口渇に苦しみぬいた、シルフ攻勢の山中撤退戦。

 

 ゴムージと数多の罠と敵兵の中を突破した、マシュデール撤退戦。

 

 年若いラキャさんが犠牲になった、ノエル近郊の脱出戦。

 

 ロドリー君やアレンさんを犠牲にして生き延びた、北部決戦。

 

 平和なオセロ村で行われた、賊による残虐な略奪事件。

 

 

 そのどれもが思い出すだけで、哀しくて胸を掻きむしりたくなるような記憶です。

 

 もし自分が何かもっと行動をしていたら、助かった命があったんじゃないか。

 

 自分の力不足で死んだ人に、どう償えば良いのか。

 

 戦場を一つ生き延びるたび、自分は悪夢に魘される日が増えていきました。

 

 

 だがしかし。

 

 自分が人生で経験した中で、最も悲惨な戦場は何処かと問われれば……このサバト革命におけるヨゼグラード攻略戦を第一に挙げるでしょう。

 

 今迄の戦いは、辛く苦しくとも意味がありました。

 

 グレーさんも、ガーバック小隊長も、ラキャさんも、アレンさんも、ロドリー君も、ゴムージやクーシャさんも、その命は誰かのための犠牲でした。

 

 軍人として、親として、それぞれ命を賭して大切なものを守った彼らの精神は、気高いものであったと認めない人はいないでしょう。

 

 

 一方で、ヨゼグラードの戦いに意味などはありませんでした。

 

 勝ってはいけない勢力(レミさん)にこそ正義があり、負けてはいけない政府側(シルフ)に大義は無く。

 

 平等と言う綺麗な言葉に騙され、正義に酔った志ある者が命をただ無意味にすり潰した。ただ、それだけの出来事でした。

 

 だからきっと、あの戦いに殉じ戦死したとして、後世で称えられることも語られることもないでしょう。

 

 あの戦いで大志に燃え、縦横無尽の活躍と共に散った兵士は数多くいましたが、そのどれもが「ただの戦死」として後世に伝えられました。

 

 もっと命を懸けるべき場所が他にあれば、と思わずにはいられません。

 

 

 シルフが旧政府側で戦ったのは、革命勢力の行く先が地獄であると気付いていたからでした。

 

 シルフ・ノーヴァは『労働者議会』の実情を知った後、きっぱりとこう言い切ったそうです。

 

 「奴らは賊に見えないだけで、このサバト全土を見渡しても比肩する存在の無い稚拙で凶悪な賊である」、と。

 

 

 レミ・ウリャコフ……労働者議会の指導者であった彼女の思想は、危険極まりないものです。

 

 皆で生産を分担し、共有の財産を分配する貧富の差のない社会。

 

 それは貧富の差が激しかったサバトでは、夢の社会構想と言えました。

 

 ただ。そんな社会が本当に実現できるかどうか、なんて疑問を浮かべられる知識層は……労働者の逆恨みによって殺されていました。

 

 

 シルフはレミ・ウリャコフの思想に対し、こう予言したそうです。

 

 その狂人が作り上げた『泡のように脆い幻想』が力を持ってしまえば、きっとすぐに民衆を不幸のどん底に叩き落とすだろう、と。

 

 シルフはレミさんの思想が引き起こすであろう悲劇を、全て予見していたと思われます。

 

 

「……なあ、エライア」

 

 

 腐敗した旧政府軍、現実の見えていない革命勢力。

 

 そのどちらが勝利しても、きっとサバトに未来はありません。

 

 そんな詰んだ状況でもし、サバトの未来に明るい日差しを求めるとしたら、

 

 

「私が軍部を支配し、実権を握ると言ったら付いてきてくれるか」

「それは」

 

 

 シルフ自身が、サバト軍を掌握する以外に方法はありませんでした。

 

「……戯れだ」

 

 ただシルフ・ノーヴァに人望はありません。それはシルフ自身も、自覚していたでしょう。

 

 彼女が正攻法で軍の頂点に立つのは、年齢的にも人望的にも困難でした。

 

 

 しかし一方で、軍部が彼女を重用していたのもまた事実でした。

 

 それはシルフが賊討伐における勝率、損耗率、所要日数、全てのスコアにおいて他の部隊を圧倒していたからです。

 

 英雄ブルスタフの娘は、用兵において右に出るものなし。天才の血を引く才女である。

 

 今は幼く能力が足りないが、きっと将来は軍を背負って立つ人間だろう。

 

 それが、軍内における彼女の評判でした。

 

 なので、彼女が本気で策を練っていたら「ブレイク将軍を排しての軍部掌握」までは、成し遂げられた可能性があります。

 

 

 ただ、軍人一家に生まれたシルフは、政治的なノウハウを持ち合わせていませんでした。

 

 彼女が今まで学んできた技術は軍事方面に特化しており、政治家として手腕を振るうのは不可能だったでしょう。

 

 だからもし、シルフが権力を手にしたとしても上手くやれないことは、彼女自身がうっすら悟っていました。

 

 

「言ってみただけさ」

「シルフ様」

「私にはまだ、国を背負い込む覚悟も、鬼になる度胸もないのだ」

 

 それに、もし策を練って権力を奪取した場合。

 

 そんな彼女の進む先は、血で血を洗う畜生道になったと思われます。

 

 軍による武力を下地にした独裁体制。若く善性の彼女に、そんな修羅の道を歩む度胸はありませんでした。

 

「私に、その道は歩めない」

 

 ……そしてシルフは結局、下された命令に逆らうことができず。

 

 ヨゼグラードに向け、進軍する準備を始めました。

 

 

 

 

 

 

 

 季節は、秋の真っ最中。

 

 まだ秋と言えど、サバトはそれなりの冷え込みを見せていました。

 

 以前アレンさんが、冬の塹壕で足の指が壊死したと言っていたのも納得の気温です。

 

 キャンプ暮らしを強いられていた我々難民は、掘った穴の中で焚き火に薪をくべて、何とか生き延びていました。

 

「また水がなくなってるじゃねぇか! 当番は誰だ!」

「……とりあえず、自分が汲んできましょう」

 

 この寒さは、キャンプ生活に様々な悪影響をもたらしました。

 

 例えば気温が下がってから、水の運搬当番がよくサボるようになりました。

 

「汲んできましたよ」

「すまん、オース。当番のやつ、熱出してやがった」

「そうでしたか。では後で診察にいきましょう」

 

 凍えながらの長距離の運搬作業は、とても過酷でした。

 

 夏ならばなんとか運んでいた民も、秋に入ると役目を不精するようになっていました。

 

「もうアニータが見に行ってるよ。だからお前は、野草スープでも飲んどけ。ほら」

「ああ、どうも」

 

 その寒さの対策として我々が始めたのが、スープの炊き出しでした。

 

 オセロ村のキャンプ付近の森には、食べられる野草が生えていたのです。

 

 調味料などが無くとも、酸味を含んだ野草を煮るとスープに仄かな味がつきました。

 

 その味は……正直に言ってゲロマズですが、貴重な新鮮野菜なので我慢して皆啜っていました。

 

「それ、きらいー……」

「……」

 

 セドル君は、どう説得してもこのスープを飲んでくれませんでした。

 

 好き嫌いはダメと怒りたいところですが、味が味なので仕方ないと許してあげました。

 

 自分ですら、飲むのを躊躇う味です。これを無理に食べさせて、本格的な野菜嫌いになられても困ります。

 

 

 

「なぁ、トウリ。出発は明日だったな」

「ええ。しばらく、セド君とはお別れです」

 

 そんな寒さが本格化してきた頃、いよいよ自分も戦争に駆り出されることになりました。

 

 ヨゼグラード……サバトの首都を攻略する為の遠征が、いよいよ決定したからです。

 

「敵のテロ組織を制圧できれば、報奨としてセドル君を育て上げられる程度の資金と、安全な住居を貰える約束です」

「そっか」

「ですが、もし。自分が帰ってくることがなければ、セドル君の事をどうかよろしくお願いします。自分の戦死手当ての受け取り先は、アニータさんにしていますので」

「あいよ。この子の事は心配せず行ってきな」

 

 キャンプが始まってから、セドル君は大分アニータさんに慣れてきました。

 

 元々ゴムージ家と家族ぐるみの付き合いはあった相手なので、それなりに受け入れが早かったみたいです。

 

「……心配は、従軍中もずっとしているでしょう。今の自分には、もうこの子しかいませんから」

「そうかい」

「もし長引きそうなら、手紙を出します。アニータさんもどうかお達者で」

「癒者にお達者もなにもないさ」

 

 セドル君も、大分自分がいなくなることに慣れてきました。

 

 招集されることになると、哀しそうな目で手を振ってくれるようになりました。

 

 だけど、その前日は決まって自分の寝床に転がり込んできて、ピッタリくっついて眠りました。

 

「あんたこそ、達者で帰っておいでよ」

 

 こうして、手縫いの防寒具にくるまって寝るセドル君を撫でながら。

 

 出征前の最後の夜は、静かに更けていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪逆無道なテロリストによる、首都ヨゼグラートの占拠はまことに許しがたき暴挙であり……」

 

 次の日。

 

 自分はゴルスキィさんの小隊の最後尾で起立して、司令官の演説を聞いていました。

 

 ブレイク将軍、という方らしいです。

 

「我々は断固とした正義をもって、賊を討伐せねばならない。それがサバトの、ひいては世界にとっての益である───」

 

 自分達を直接指揮する立場であるシルフも、そのブレイク氏の背に控えていました。

 

 何故か少し落ち込んでいて、覇気が無さそうでしたが。

 

「諸君らの健闘を祈る。サバトの未来は、我々にかかっているのだ!」

 

 ブレイク氏が演説を終えると、オーとかウラーという雄叫びが轟きました。

 

 空気を読んで自分も、小声で「うおー」と言っておきました。

 

 黙ってて絡まれても面倒ですし。

 

「偉大なるサバトの未来のため、前進せよ!」

 

 こうして、サバト史上最悪の戦い『ヨゼグラード攻略戦』が幕を開けました。

 

 今なお戦時中最大の悲劇として語り継がれる悪夢の一戦の始まりは、こんなにものどかなものでした。

 

 そして、この戦いでもシルフは存分にその卓越した戦術眼を発揮することになります。

 

 

 

 

 さて、自分達が出発した東方司令部から首都ヨゼグラードまでには、2つの防衛拠点が設置されていました。

 

 対オースティンを想定し、首都侵攻に対する防御としてサバト政府が建設したものです。

 

 

 そのうち、東側にあるプーツゥ砦は東方司令部の指揮下でした。

 

 ここは攻略する必要はなく、その防御兵500名も首都攻略部隊に編入されるそうです。

 

 問題は、ヨゼグラード付近に設置された要塞────首都司令部の管轄だったルソヴェツ要塞でした。

 

 この要塞は、オースティン人にとってマシュデールのような、サバト人の精神的支柱ともいえる非常に強固な防衛施設でした。

 

 普通に攻めれば数か月単位での攻略期間が必要なのですが、そんなに時間をかけると冬入りしてしまいます。

 

 一体どうするのだろうと疑問に思いましたが、

 

「要塞攻め、と言えば難しそうに思える。しかし現在、ルソヴェツを占拠しているのは素人だ。攻略は赤子の手をひねるより容易い」

「おお、勇ましいものだ」

 

 と、ブレイク将軍は政府高官へ自信満々に言い切ったそうです。

 

「出来れば要塞は、冬入り前に落としたい。我々は、先行して要塞を攻略してまいります」

「……うむ、任せたぞ」

「先生方は後方から、ごゆるりと追ってきてくだされ」

「そうか、期待しているぞブレイク」

 

 例年通りであれば、冬入りまであと2か月しかありません。

 

 それまでにルソヴェツ要塞を落とすべく、ブレイク将軍はかなりの強行軍を行いました。

 

 彼のプランでは冬までに要塞を攻略し、要塞で越冬しながら物資を集め、春と同時に首都に侵攻するつもりだったようです。

 

「全力で進め! 我らが首都を取り返すのだ!」

「あの、将軍」

「どうした」

 

 無茶な日程は承知ですが、シルフはこの強行軍には反対しませんでした。

 

 首都攻略まで時間がかかるほど、周辺の村落で略奪する回数が増えてしまいます。

 

 民の被害を減らす、という意味でも強行軍を十分やる価値はあるでしょう。

 

 ただし、

 

「今朝から13名ほど、兵士の行方が分からなくなっています。逃亡かと」

「見つけ次第処刑しろ」

 

 ただ、予想通り多くの脱走者を出してしまう結果となりました。

 

 ここで脱走した兵士は故郷に逃げ帰るか、労働者議会に降ったそうです。

 

 更に、脱走以外にも兵士の被害があり、その中で最も多かったのは……

 

 

 

 

 

「ゴルスキィ小隊長。……ザラマゾフ2等兵が限界のようです」

「……吾が背負ってやる」

 

 自分達ゴルスキィ小隊に、17歳の若さで従軍していたザラマゾフは、無理がたたって高熱に倒れました。

 

「小隊長、行軍停止の提案はまだ通りませんか」

「分かった、もう一度、具申してみよう」

「お願いします」

 

 この時、運が悪い事にサバトで疫病が流行り始めていました。

 

 医療技術に関してはオースティンが一歩先を行っていた様で、この国では抗生剤や点滴補液などの治療が出来ません。

 

 自分もいつ、ウイルスを貰ってダウンするか分からない状況でした。

 

「ザラマゾフ2等兵の口に、薄布を巻いておきましょう。彼の咳を浴びれば、きっとゴルスキィさんにも移るでしょう」

「……すまん」

 

 この疫病がなかなか厄介で、インフルエンザのような強い感染性と毒性を持っていました。

 

 重症になると肺炎を起こし、発症から数日で患者を死に至らしめるのです。

 

 これ以上強行軍を続ければ、戦う前から大量の死者を出してしまうと予想されました。

 

 進軍を停止して治療に専念すべきだと、自分は何度もゴルスキィさんを通して上層部に提案しましたが、

 

「上から命令が返ってきた」

「なんと?」

「病人は感染源になるから捨てよ、との命令だ」

「……」

「ザラマゾフは……置いていこう」

 

 軍の上層部は、感染源になりうる疫病の兵士は捨て置いて前進するように指示を出しました。

 

 ブレイク将軍は何としてでも、真冬になる前に要塞の攻略を終えたかったのでしょう。

 

「彼を置いていった後、誰が彼の世話をするのですか」

「……」

 

 この年の流行病は、去年のそれに比べて毒性が強いようでした。

 

 例年、冬頃になると軍で疫病が流行するのが恒例行事で、この年も例外なく軍内にウイルスが蔓延していました。

 

 歴史的にはこの後にパンデミックを引き起こした悪魔の感染症「チェイム風邪」の方が有名ですが、この年のウイルスもそれなりに凶悪な肺炎を引き起こしていました。

 

「置いていかないで、ください。見捨てないで、ください」

「……」

 

 ゴルスキィ氏の背中で懇願する新兵、ザラマゾフ。その咳嗽には血が絡み、息も絶え絶えといった状況です。

 

 こんな状況で見捨てられればどうなるか、想像は難しくありません。

 

「命令なのだ。……許せ、ザラマゾフ」

「小隊長ォ……!」

 

 

 ゴルスキィ氏はザラマゾフさんを道の脇に下ろし、数日分の食料を置いて別れました。

 

 もし彼が快復すれば、東方司令部に戻るように命令を残して。

 

「いやだ、死にたくない、です。ゴルスキィ、小隊長ォ」

 

 激しく咳き込みながら泣き叫ぶ新兵を背に、我々ゴルスキィ小隊は唇を噛んで前進しました。

 

 その、我々が進む道の脇には、

 

 

「……」

 

 

 ポツンポツンと、動かないサバト兵士が道しるべのように倒れ込んでいたのでした。



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102話

 

 病魔による脱落者を出しながら、肌寒くなってきた道を進軍すること1週間。

 

 自分達ゴルスキィ小隊は1名の脱落者を出したものの、無事プーツゥ砦に到着していました。

 

 この砦の歴史は比較的古く、設置型の弓台など旧世代の武器も数多く残っているそうです。外目から見る限り、歴史を感じる葦の茂った石造りの砦でした。

 

 そんな昔からあった砦を、近代戦に耐えうるよう改装したのがこのプーツゥ砦だそうです。

 

「もう砦には、数か月分の食料が備蓄されておるらしい。皆よく頑張った、今夜は少し豪勢な食事が期待できるぞ」

「そうなのですか」

 

 ブレイク将軍はこの砦の兵士に、周囲の村落から徴発を行うよう指示を出していました。

 

 少しでも早く、軍を進めたかったのでしょう。

 

「ヴォック酒くらいは、期待していいもんですかね」

「そうだな。今夜くらいは、少し羽目を外してよかろう」

 

 ゴルスキィさんは、今夜出されるだろう酒が略奪の成果であることに、薄々気づいていた筈ですが。

 

 彼は渋い顔で笑顔を作り、強行軍についてきた自分達をねぎらいました。

 

 

 

 まぁ、しかし現実はうまくいきません。

 

 小隊長の言う通り、本来であればこの砦には酒や食料がたっぷり積まれている筈でした。

 

 予定通りに村落からの徴発が成功していれば、です。

 

「何故、物資が集まっていない?」

「反乱が起こっていまして」

 

 案の定というか、軍からの徴発命令に納得する農民は殆どいませんでした。

 

 徴発の対象となった村落は武装蜂起し、村民は物資を持ち出してそこかしこに逃亡してしまったそうです。

 

「何故、反乱を鎮圧しない」

「兵力不足です」

「では、我々の到着を待って鎮圧するつもりだったのか」

「いえ、それも反対です」

 

 ブレイク将軍はその話を聞き、砦を指揮していたサバト軍少尉を呼び出し叱責しました。

 

 この砦には、500名の兵士が待機している筈です。

 

 それだけ兵士が居れば、蜂起した農民位は討伐できると思ったのでしょう。

 

 しかし、その少尉はくたびれた声で、

 

「……この情勢ですと、民にも蓄えなんてありません。兵士の消耗や治療費、弾薬代を考えると赤字にしかならんでしょう」

「……」

「疫病も広まりを見せており、軍内にも混乱が予想されます。引き返して、春の攻勢に方針転換することを提案します」

 

 そうブレイク将軍を諭しました。

 

 

 この少尉はもとより、本作戦に反対の立場だったそうです。

 

 時間的にも物資的にも無理だろう、と考えていたそうです。

 

「我々が今奮起しないと、春まで首都の民は賊に苦しめられることになる」

「そんなに苦しんでるようには見えませんでしたがね」

 

 それにこの少尉は、そもそも首都攻撃に乗り気ではありませんでした。

 

 レミさん率いる労働者議会が、市民を大事にしている事を知っていたからです。

 

「偵察を行いましたが、どうやら首都の治安は保たれているようです。民もデモを続けていた夏頃よりは、落ち着いているかと」

「貴様、賊を擁護するか!」

「……まだ、焦って攻略する必要はなさそうだという意見ですよ」

 

 レミさんは家を失った民を保護し、炊き出しなどを行ったりとかなり良い政治を行っていました。

 

 何なら戦時中より、治安が良い状況かもしれません。

 

 そんな首都の様子を知った少尉は、あまり労働者議会に悪い感情を持ちませんでした。

 

 なんなら労働者議会の行動に、感銘すら受けていました。

 

「口答えは不要だ、職務不履行の責任は取ってもらうぞ」

「私はきちんと、受けた命令を実行したつもりです。実現できなかったのは出された命令に、問題があったんじゃないですかね」

 

 まだ若かった少尉は、皮肉交じりにブレイク将軍にそう言い放ちました。

 

 彼は労働者議会に賛同してはいましたが、少なくとも命令通り徴発に赴いてはいたのです。

 

 職務は果たしていた筈です。反乱勢力との戦闘を回避したのは、赤字になるからに他なりません。

 

「貴様、自身の怠慢を責任転嫁するか!」

「って、ちょっと!?」

 

 しかし、その若い少尉の言葉に激昂したブレイクは、即座に銃を握り構えました。

 

 銃を向けられた少尉の顔は凍り付き、周囲の兵も慌て始めます。

 

「落ち着きください、ブレイク将軍。貴重な指揮官を更に減らすおつもりですか」

「引っ込んでおれシルフ大尉! 貴様も聞いただろう、この男の妄言を」

「その少尉は、礼儀を知らんだけでしょう」

 

 ブレイク将軍は短気な男で、自分の作戦を貶されるのをとことん嫌いました。

 

 総司令官としてのプライドが、強かったのです。

 

 なので先程の少尉の発言は、地雷の中の地雷でした。

 

「ここで彼を殺すことに、何の戦略的価値もありません」

「こんな臆病者が軍にいたら、士気に関わる!」

 

 ただでさえブレイク将軍は、大量の脱走者、予定通りに集まらない物資、流行病の遷延などに苛立っていました。

 

 そんな背景もあり、感情的に怒鳴ってしまったのです。

 

「ブレイク将軍、落ち着いてください」

 

 流石に見かねたシルフは、焦った声色でブレイクをとりなして宥めました。

 

 そして少尉を庇って立ち、

 

「将軍閣下のお怒りも尤もです。彼には私から厳重注意して、サバトへの忠義を行動で示させましょう」

「……」

「今はまともな指揮官を失うのは得策ではありません。彼の身柄を、私に預からせてもらえませんか」

 

 そう言って、珍しく頭を下げました。

 

 

「……ふん」

 

 

 この時、傲慢なシルフが珍しく頭を下げて頼み込んだこともあり。

 

「分かった、矛を収めてやる。その代わり、しっかり教育しておけシルフ」

「ご厚情に感謝します」

 

 ブレイク将軍は苛立ち交じりに、その少尉を許したのだそうです。

 

 若い少尉は憔悴し、銃口を下げて貰えたことに心底ほっとして、

 

「……」

 

 その後、小さくシルフ・ノーヴァからウインクを受け、頬を赤く染めたそうです。

 

 

 

 

 そんな訳で結局、我々サバト政府軍は十分な資源が集まらないまま、ルソヴェツ要塞の攻略をしなければならなくなりました。

 

 食料は半月分ほど、魔石や武器弾薬も潤沢とは言えず、要塞を攻め落とすにはかなり心許ない状況です。

 

 砦に着いた日も、ゴルスキィさんの言った豪勢な食事などは出ずいつも通りレーションを手渡されただけでした。

 

 ……これから死地に向かうというのに、最後の休息となる砦の食事には酒すら出ない。

 

 この時のサバト正規軍の士気は、まさに地の底でした。

 

 

「本当にこのまま、要塞攻略に向かうのですか」

「やめておきましょうよ」

 

 

 ゴルスキィさんを含め、多くの下級指揮官からブレイク将軍にそう提案しました。

 

 ……殆どの兵士は、この作戦が上手く行かないことを察していたからです。

 

「手持ちの物資では、厳しいかと思います」

「くどい。今回の敵は正規軍ではないので、非常に脆弱なはずだ。そしてあの要塞を攻略すれば、たくさんの食料や武器弾薬が補充出来るだろう」

「……」

 

 この作戦に自信満々なのは、司令官のブレイクだけでした。

 

 しかし実は、ブレイク将軍自身も失敗する予感を感じていたそうです。

 

 けれど彼は大言を吐いた手前、撤退を選ぶ事ができませんでした。

 

 要は、メンツの問題だったのでしょう。

 

「シルフ、貴様には期待しているぞ!」

「……はぁ、是非ご期待に応えましょう」

 

 そのブレイク将軍の頑なな態度を、シルフはため息を吐きながら見ていました。

 

 

 

 

 

 

 砦を出発して、2週間。

 

 いよいよ我々は、首都の玄関口であるルソヴェツ要塞の傍までに歩を進めていました。

 

「明日はいよいよ攻勢だ。我々は天下のルソヴェツ要塞に、この身一つで挑まねばならん」

 

 偵察の情報によると、ルソヴェツ要塞にはぐるりと何層も堡塁が立ち並び、敵兵がびっしり配備されているようです。

 

 しかも敵の士気は高く、『新しい社会を作るんだ』と労働者議会側は高揚しているようでした。

 

「諸君らの活躍に、サバトの未来がかかっている。賊から首都を取り戻す、その大事な初戦だ」

「オー……」

「健闘を期待する」

 

 一方自分は、ここまで士気の低い軍で戦うのは初めての経験でした。

 

 か細い雄叫びをあげているゴルスキィ小隊の面々は、最早諦め顔です。

 

「今夜はよく休め」

「一応確認したいんですが、明日の一番槍はどの部隊ですかね」

「さぁな。まぁ、吾ら以上に適した部隊があるとは思えんが」

「ですよね」

 

 今までの出撃では、大体ゴルスキィ小隊が最前線を任されていました。

 

 負傷したとはいえ、東西戦争からのエース級を使わない手はないのです。

 

 つまり、あの無数の敵に対し先陣を切るのは、自分たちの役割。

 

「……はぁ。熱が出て途中で道中見捨てられてたら、ワンチャン生きて帰れたのかね」

「ザラマゾフの奴、どうなったかなぁ」

 

 上官の不安は部下に伝わります。

 

 最高指揮官であるブレイク将軍ですら失敗を予見していたせいで、その嫌な予感は前線指揮官に伝わっており、ゴルスキィさん自身も態度には出していませんが「負けるんだろうな」という諦感を纏っていた気がしました。

 

「案ずるな、幸いにも我らが上官のシルフは聡い。引き際を誤ったりはせんさ」

「あのクソガキ様も、どこまで信用に足るのやら」

「無茶苦茶な作戦ばっかり用意してきやがる」

 

 シルフは相も変わらず部下に嫌われているようで、ゴルスキィさん以外はあまり当てにしていないようでした。

 

 自分はこの戦い、怪物シルフ・ノーヴァが何とかしてくれるんじゃないかという微かな希望を持ってはいましたが……。

 

 シルフを信じられない兵士達からすれば、完全に希望を持てない状況なんですね。

 

「まぁ、なるようにしかならん。軍に兵士として勤めている時点で、吾らの命は国のモノなのだ」

「ここで死んで本当に、国のためになるんですかね?」

 

 そんな不貞腐れた態度の兵士を前に、ゴルスキィ氏も疲れた笑みを浮かべる事しかできていませんでした。

 

 

 

 

 その日の晩。

 

「おい、トウリ。シルフがお前を呼んどるぞ」

「自分を、ですか」

 

 明日の戦いに備えてさっさと寝ようと思っていたら、シルフ参謀大尉から呼び出しを受けました。

 

 特に何か、問題になるような行動を起こしたつもりはなかったのですが。

 

「詰問でしょうか」

「いや、話し相手が欲しいらしい」

「はい?」

「あの娘は年齢と態度でよく損をする。随分と、シルフも溜め込んでいるらしくてな。同年代の女同士、愚痴を聞いてやってくれないか」

「は、はぁ」

 

 ゴルスキィさんは苦笑いで、自分にそう言いました。

 

 ……まぁ、確かにストレスがたまりそうな職場には見えますね、サバト軍部。

 

「吾らが大将シルフ殿が癇癪を起したら、正真正銘この軍はおしまいだ。全軍の未来を担っているつもりで雑談して来てくれ」

「なんと」

 

 ただの雑談に、全軍の命運がかかっているのですか。

 

「因みに正規の命令だ。断ることは出来んぞ、職務だからな」

「それは、衛生兵の仕事の範疇でしょうか……」

「違うだろう。だが、ストレスに悩む者の気晴らしは『芸人』の仕事の範疇ではないか」

「たしかに」

 

 ふむ、芸人としての自分に対する依頼ですか。

 

 そういう事ならば、受けるのもやぶさかではありません。

 

「いずれにせよ、招集命令に逆らうことは出来ん。行ってきてくれ、トウリ」

「了解です。拝命いたしました」

 

 こうして、自分は悩める少女シルフの下に呼び出されることになりました。

 

 人形はありませんが、手近なものでも芸は十分にできるでしょう。

 

「任せてください。自分の技芸で見事、シルフの気持ちを盛り上げて見せましょう」

「ああ、任せたぞ」

 

 

 

 

 

 

 

「いや、芸はいい。そんな気分ではない」

「……」

 

 と、意気揚々シルフの下に向かったのですが、あっさり芸を却下されました。

 

 気合を入れてきたのに、残念です。

 

「では、自分に何をお求めですか」

「ヴォック酒を開ける。少し付き合え」

 

 彼女はそういうと、自分を簡素な丸椅子に座らせ、テーブルにグラスを置きました。

 

 どうやら今から、彼女の酒の相手をさせられるようです。

 

「まぁ、力を抜け。どうだ、このベーコンは旨いぞ」

「はあ……」

 

 シルフは自分をコンパニオンか何かと思っているのでしょうか。

 

 芸人とコンパニオンは、似ているようで全然別物なのですが。

 

「さて、トウリ。貴様はこの遊戯を知っているか?」

「これは、……チェス、ですか?」

「おお、知っていたか」

 

 自分がほんのり睨んでいるのを気にせず、シルフは机の上にドンとチェス盤を置きました。

 

 それは前世の日本でもあった、西洋発祥のボードゲームです。

 

「ルールは分かるか」

「いえ、あまり」

 

 ……この世界にもチェスはあり、ルールも前世のソレと似通っていました。

 

 異世界で文化が異なろうとも、盤上遊戯というのは何処かの誰かが考え付くものらしいです。

 

「なら、教えてやろう」

「はあ」

 

 そのままシルフは、自分にチェスの初心者講座を始めました。

 

 聞けば彼女はチェスが趣味で、しばしばエライアさん等を相手に息抜きしているそうです。

 

 しかしどうやらシルフは強すぎて近場の人はあまり相手にならず、新しい相手を探していたのだとか。

 

「貴様なら鍛えれば、そこそこ歯ごたえがあるかもしれんと思ってな」

「どうして、自分……」

「何、たんなる余興だ」

 

 自分はこういった盤面遊戯は、あまり嗜んだことがありません。

 

 もっと派手で刺激のあるゲームの方が、好みだったからです。

 

「このコマは兵士(ポーン)と言ってだな」

「はぁ」

 

 にしてもまさか、この為だけに自分は呼ばれたのでしょうか。

 

 遊び相手が欲しかったからと言って、下級兵士を呼び出し付き合わせるとは。

 

 ……これは、現代日本ですとパワハラ待ったなしですね。この世界にそんな概念は無さそうですけど。

 

「……今から、私に適当に相槌をしておけ。小声で話すからよく聞き取れ」

「へ?」

「要塞攻略についての話だ。今からお前に伝える情報を、ゴルスキィだけに伝えろ」

 

 そんな感じにゲンナリしていると、シルフは周囲を見渡しながらそう囁きました。

 

 どうやら本題は、別にあるようです。

 

「まぁ貴様も察しているだろうが、このままだと私達は負けるだろう」

「……参謀大尉殿がそんな事を言って、良いんですか」

「誰もが知ってる事実だ」

 

 シルフは頭が痛そうな顔で、チェスの解説を続けながら小声で会話を続けました。

 

 なるほど。ゴルスキィさんへの密命に、自分を遣う訳ですか。

 

「それで、シルフ参謀殿には何か敗北を覆す腹案があるのですか?」

「ああ。……詳細は密書に記した、ゴルスキィに手渡してくれ。あと、読んだ後にすぐ燃やすように」

 

 シルフはチェスのコマを手渡すふりをして、小さなメモを自分に握り込ませました。

 

 それを受け取った後、自分は何食わぬ顔でポケットに入れます。

 

「ブレイクに勝手に動いたことを知られると、臍を曲げられそうだからな。出来れば誰にも知られずに、ゴルスキィにその作戦を伝達したい」

「……それで、自分を呼んだので?」

「お前はブレイクに通じていたりせんだろう? ゴルスキィとも懇意だし、伝言役として最適だ」

「はあ」

「我が儘な私が、同年代の少女兵士を酒に付き合わせた。周囲からはそうとしか見えん、ブレイクも私が一計案じているなど気づかんさ」

 

 自分とシルフは小声で唇を動かしながら、チェス盤の上にコマを並べていきました。

 

 なるほど、それで自分を指名したのですか。

 

「あくまで、現場判断で動いた体にしてくれ。ブレイク閣下の読み通り『要塞の兵士は練度が低く、容易に攻略が出来ました』という事にな」

「それが、必要なのですか?」

「ああ。私が出しゃばって指揮を執ってブレイク将軍に疎まれたら、本当にサバトは終わる」

 

 シルフはそう言うと、疲れた笑みを浮かべました。

 

 彼女がそう言うからには、きっとそうなのでしょう。

 

「さて、お前にも働いてもらうぞトウリ。まあ、ひとまず最初に……」

 

 シルフは兵士(ポーン)のコマを握り、ドンと自分の前に突き付けて、

 

「貴様らの部隊に、勝利の立役者でもやってもらおうか」

「はい?」

 

 そう、何でもない風に言ってのけました。



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103話

 シルフからパワハラ呼び出しを受けた夜。

 

 自分はシルフとチェスを1局指して、ボコボコに負けて帰りました。

 

 まぁ初心者の自分が勝てる訳もないのですが、シルフ的にはご不満だったようで「次までにもう少し勉強し、腕を上げておくように」と言われました。

 

 もしかして、ゴルスキィさんに密命がある度に呼び出されるのでしょうか。

 

「やることは前と同じだ。行ける所まで進んでくれ」

 

 テントから退出する際、彼女は自分の耳元でそう囁きました。

 

「突撃の際、背後は気にするな。私が何とかしておく」

「それを、ゴルスキィさんにお伝えすればよろしいので?」

「いや、ゴルスキィには手紙で十分だ」

 

 背後は気にするな、と来ましたか。

 

 シルフの指揮能力の高さは、前回の賊の討伐戦で嫌というほど理解しています。

 

 彼女がそう言うのであれば、きっとうまくやってくれるのでしょうけど。

 

「ヤバいと思ったら退きますからね。自分には大切な恩人の遺児がいるのです、貴女の駒として使い捨てられる気はありません」

「構わん。私も貴様やゴルスキィを失いたくない、勝勢が決したら適当なところで止まっていい」

「……ご命令、了解しました」

 

 前回の戦いは、敵の規模も少なく防衛網に穴もありました。

 

 しかし今回は、何層にもわたる堡塁に守られた鉄壁の要塞が相手です。

 

 前と同じようにドンドン進んだら、いつか孤立して全滅してしまうでしょう。

 

 シルフには悪いですが、言われずとも適当なところでゴルスキィさんに歯止めをかけるつもりです。

 

「行ける範囲で、進みます」

「ああ」

 

 孤児で家族もいなかった以前とは違い、今は自分の帰りを待つ幼い子供が居るのです。

 

 ……たとえ部隊が全滅しようと、生きて帰らねばなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日はやや曇り空だ。この暗さでは、昼間でも敵に気付かれにくいだろう。そう、天は我々に味方している!」

 

 翌朝、いよいよ攻勢をかける直前に、ブレイク将軍は大声で全軍に訓示を行いました。

 

 その内容は、突っ込みどころが多いものでした。

 

「ゴルスキィ小隊長殿。多少曇ったくらいで視界は悪くならんのでは?」

「悪くなるかもしれんだろう」

 

 ブレイク将軍の演説の声は若干覇気のないものでした。

 

 この時の彼は、まるで勉強していないままテストの日を迎えた受験生の様な、暗雲とした雰囲気を纏っていました。

 

「今からでも、攻勢を中止するよう進言して来てくださいよ。このままじゃ、無駄死にですぜ」

「かなり脱走兵も出ているんでしょう? 隣の部隊なんか、3人抜けてスカスカですよ」

「……落ち着け。まぁなんだ、吾らには話されていないだけで秘策は有るらしい」

「本当ですかぁ?」

 

 まぁ確かに、秘策はあるのでしょう。それもブレイク将軍の策ではなく、サバト屈指の参謀シルフ・ノーヴァの練った秘策が。

 

 気になるのは、昨晩ゴルスキィさんが密書を読んだ後にギョッとした顔になったことです。

 

 一体、何が書かれていたんでしょうか。自分達は、どんな無茶に付き合わされるのでしょうか。

 

「さぁ、配置につくぞ」

「本当に、やるんですか……。あのルソヴェツ要塞に、物資も弾薬も不十分なまま突撃を」

「武器弾薬は1週間ほど持つ、その間に十分落とせる……そうだ」

「オースティンが侵攻してきても、10年は戦える設計って触れ込みじゃありませんでしたっけ」

「知らん、吾らが強いのだろう」

 

 この砦は対オースティンを想定して建築されており、しっかり近代戦に対応しているそうです。

 

 堡塁に銃だけ出せる窓がついていたり、榴弾を射出する砲台が有ったりと、聞いている限り苦戦しないわけがないのですが。

 

 マシュデールでサバト軍は、小勢のオースティン敗残兵が守る要塞を陥落させるのに1週間かかりました。

 

 武器も魔石もカツカツで、兵力も士気も心もとない我々がたった1週間で要塞を落とせるのでしょうか。

 

 

 

「……あれ? なんか友軍が離れていってません?」

「む?」

 

 

 

 シルフ・ノーヴァの恐ろしさを知っている自分ですら不安だったのです。

 

 他の兵士たちはどれだけ絶望していたかなど、想像に難くありません。

 

 そんな絶望的な状況で、我々シルフ中隊が配置されたのは、

 

 

「なぁゴルスキィ小隊長。配置の時点で、なんか孤立していません?」

「……案ずるな」

 

 

 まるで1中隊だけハブられているかのような、孤立した配置でした。

 

 シルフ中隊の配置だけ、左右にぽっかりと空白地点が出来てしまっています。

 

「シルフ大尉からの命令だ。人数をカサ増しして見せるため木を組み立てろ、だそうだ」

「……木、ですか?」

「デコイだ。我々が孤立していない風に見せるため、木に軍服を着せて戦場に立たせろとの命令だ」

「俺らの参謀殿はアホですか」

 

 次にシルフは、自分たちに木材を組んで軍服を着せろと命じました。

 

 それもしゃがみこんで、銃を構えてる感じにしろとの事です。

 

「……こんなもんでどうでしょう」

「おお。良いな、皆トウリの真似をしろ」

 

 最初は苦心しましたが、三角錐になるよう木を組んで、上からコートで包むといい感じでした。

 

 三角座りして銃を構えているように見えなくもないです。

 

「これが、秘策ですか?」

「ああ」

「もう駄目だ」

 

 木材は大小が不揃いで、器用に固定しないとデコイ人形はすぐ崩れました。

 

 縄を上手く使って、接続部を縛るのが大事でした。

 

「オースちゃんがかつてなく真剣な顔してる」

「好きなのか、こう言うの?」

「銃で敵を撃つよりかは、好きですね」

 

 我々は手がかじかむ中、数時間かけて四苦八苦の末に人形を組み上げました。

 

 自分で言うのも何ですが、自分の組み立てた人形はかなりのクオリティな気がします。

 

 手品の小道具作りで培った技術が、こんなところで役に立つとは。

 

「ふぅん。まぁ、悪くはないだろう、この辺にしておくか」

「ああ、そうですかい。シルフ参謀大尉ちゃんは、山盛りのお人形に囲まれて満足だってさ!」

「そうだな。ぶきっちょな部下が私のため、寒い中で頑張って組み立ててくれた人形だ。まぁ、満足したということにしておいてやろう」

 

 シルフは組みあがったそのデコイを確認したあと、台車やソリに載せて運ぶように命じました。

 

 雪が積もった道の上、重たい木組みの人形を引いて自分達は進みました。

 

 白い布で人形を隠しつつ、敵の眼を盗みながら、第1堡塁の前へと。

 

 

 

「一応、デコイの設置は終わりました」

「ご苦労」

 

 そこから更に数時間かけ、我々は敵から隠れながらデコイを設置する事に成功しました。 

 

 かなり遠めではあるので、恐らく敵からは本物の兵士に見えなくもない……でしょう。

 

「攻勢開始は、いつですか」

「ブレイク将軍殿の、砲撃開始の合図と同時だ」

 

 シルフは我々が堡塁の前に着くと、「後は任せた」と言って砲兵陣地に引っ込みました。

 

 曰く、これ以上前線に行くと危ないからだそうです。

 

「なぁ。俺達は今から、攻勢をかける訳だろ?」

「ああ」

「じゃあデコイを設置する意味無くね?」

 

 デコイ人形は、彼女の指示で自分達の左右の空白地帯に設置されました。

 

 これで、ぱっと見我々は孤立していないように見えるそうです。

 

「せっかく人形を置いたところで、俺らだけ突っ込むことになるんだから結局孤立してね?」

「そうですね」

「あの木の人形、遠めならギリギリ兵士に見えなくもないが、近くに来られるとすぐバレるぞ」

「やっぱり、あんなガキを指揮官にしたのが間違いじゃねぇの?」

 

 正直、それは自分も思いました。

 

 デコイ? は有効に使えるなら強い戦術ですが、こんな場所に設置しても何も生まないような気がします。

 

「父親のネームバリューだけで、成り上がった娘なんてこんなもんよ」

「付き合わされる兵士の身にもなれというもんだ」

 

 兵士達は、シルフの事をとことん馬鹿にしている様子でした。

 

 現状、彼女を高く評価しているのはブレイク将軍など軍の上層階級だけでした。

 

 下級兵士からすれば、訳の分からない無茶を吹っかけてくる無能上司にしか見えないようです。

 

「あー。こんな馬鹿の思い付きに付き合って、死にたくねぇよ……」

 

 ただでさえ士気は低いのに、シルフ中隊の兵士はますます堕落していました。

 

 このやる気の無さでは、いかにシルフが凄い策を講じても勝てないんじゃないでしょうか。

 

 そう思った直後、

 

「砲撃だ。攻勢が始まったぞ、気合を入れろ!」

「うーす」

「吾らも、シルフ中隊の砲撃が終わった同時に前進する! 突撃準備!」

 

 遠く、中央のブレイク将軍の陣地で砲撃音が鳴り響き。

 

 それに合わせ、各陣地で魔法の砲撃が火を噴きました。

 

「砲兵ども、頑張ってくれよ。お前の狙いが、俺たちの命を左右するんだからな────」

「む。む!?」

 

 無論、我々の後方の魔法砲撃部隊も、しっかり火を噴きました。

 

 この砲撃で少しでも堡塁を損傷出来れば、それが制圧の良い足掛かりになります。

 

 その損傷具合を見て、どこに突撃するか決めるのです。

 

「────はい?」

 

 ……という、手筈だったのですが。

 

 その砲撃は、さっき設置したばかりのデコイ人形を吹き飛ばしていました。

 

 

 

 

 

 

「さあ砲撃は終わった! 前進せよ! 敵堡塁の門を目掛け、一心不乱に走り抜け」

「いや、敵の堡塁無傷なんですけど。砲撃、かすりもしていないんですけど」

「自分の作ったデコイ人形が!」

 

 味方の呆けた声が、戦場に響きました。

 

 自分達が丹精込めて丁寧に作ったデコイ人形達は、味方の砲撃で見る影もなく吹っ飛んでいきました。

 

 結構ショックでした。

 

「いや、その、うちらの参謀大尉はちょっとアレだな」

「馬鹿という言葉でも生ぬるい」

「……」

 

 まもなく自分は、唖然と言葉を失いました。

 

 何故、味方は左右のデコイ陣地を吹き飛ばしたのか。

 

 吹き飛ばすなら何故、わざわざ組み立てさせたのか。

 

 そんな疑問を感じるより早く、戦場に起きた異常事態に気が付いたからです。

 

「……ゴルスキィさん、前進しましょう。一番槍ですよ」

「お、おお。シルフの奴、やりおったのか」

「やってくれたみたいですね」

 

 彼女は裏で、一体どんな小細工をしていたのか。

 

 我々シルフ中隊の正面、その堡塁の強固な扉が、大きく開け放たれていたのです。

 

 

 

「見ろ、扉が開いているぞ」

「の、乗り込め! この勝機を逃すな」

 

 

 シルフ中隊の大半は状況をよく理解していないまま、その開け放たれた扉に向かって走りました。

 

 これは千載一遇のチャンスです。

 

 もしこのまま堡塁の中に侵入できれば、守兵の大半を挟み撃ちに出来るのです。

 

「堡塁へは撃たんでいい、門を通り過ぎるまで走り抜け!」

「り、了解」

 

 背後からシルフの叫びが聞こえてきました。

 

 ……その言葉を聞いて、シルフがやったことの想像はついてきました。

 

「これ、向こうに内通者がいるな。シルフめ、やりおる」

「いつの間に内通者なんて仕込んだのでしょうか?」

 

 どんな手を使ったのかは知りませんが、シルフは戦う前に既に敵の中に手駒を送り込んでいた様です。

 

 こんな搦手も持っていたんですね、彼女。

 

「堡塁、突破に成功。周囲を確保しろ」

「8、9小隊は堡塁の門を確保せよ! 1から7番隊は前進し、第2堡塁を襲撃せよ」

 

 自分達は開け放たれた門を悠々と通過し、そのまま更に前進するよう命じられました。

 

 2つ目の堡塁は、1㎞ほど先にあります。たった1個中隊で1㎞も孤立して前進するのは、少し躊躇われますが……。

 

 

「砲兵が援護する、臆せず突っ込め!」

 

 

 何故か自分の勘は、行けると言っていました。

 

 この感覚は前の戦いのときと同じ。誰かによりゲームメイクされ、その掌の中で正答を「選ばされている」感覚。

 

「全力疾走だ。案ずるな、次の堡塁の攻略は容易い────」

 

 ゴルスキィさんは吠えるように、自分達を鼓舞して走りました。

 

 自分はそんな勇猛な上官の後押しを得て、どこまでも走り続けました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 シルフの策は、酷く単純でした。

 

 敵に内通させたのではなく、味方から内通者を送り込んでいたのです。

 

「シルフ様は、労働者議会に味方しようとしている」

 

 その内通者となったのは、プーツゥ砦を守っていた少尉でした。

 

 実は彼は以前から労働者議会のシンパになっていて、政府軍に属していながらも「労働者議会の方が正しいんじゃないか」とずっと胸に思いを募らせていたそうです。

 

 そんな時に、ブレイク将軍から大義の無い略奪命令を受け、その挙句に殺されかけました。

 

 それで彼は、完全に軍に愛想を尽かしていたのです。

 

「サバト政府軍の中にも、戦争を嫌う人間は多い。どうか、労働者議会に帰順させてほしい」

 

 そんな彼にシルフは接近し、こう囁きました。

 

 今の政府に守るべき価値はない。君の不満も考えも、至極もっともである。

 

 私も彼らに賛同している、隙を見て投降したいからどうか君が橋渡し役になってくれと。

 

 

 少尉はそんなシルフの頼みを受け、先行して単身で要塞に乗り込みました。

 

 そこで労働者議会に対する恭順の意を伝え、内通を約束していたのです。

 

 使者となったその少尉は、心から労働者議会の理想を信じ、尊敬していました。

 

 だからこそ、その内通工作には説得力があったのです。

 

 

「ブレイク将軍はどうしようもないが、シルフ中隊は労働者議会の味方だ。戦闘開始と同時に左右の政府軍陣地を砲撃し、その証拠を示す」

「どうか信じて貰えたなら、シルフ中隊を匿ってほしい」

 

 

 シルフは降伏の条件として、戦闘開始と同時に「サバト政府軍の隣接陣地を砲撃し、誠意と証拠を見せる」と要塞の司令官に伝えていました。

 

 少尉を通じて攻勢開始の予定日時をあらかじめ伝え、そして攻撃開始と同時にシルフ中隊は自らの左右の部隊────デコイの陣地を、砲撃で吹き飛ばしたのです。

 

「ほら、シルフ殿の寝返りは確かだったでしょう」

「今から彼女の部隊は、堡塁に向かって逃げてくる手筈です。どうか、迎え入れて下さい」

 

 それを見た敵は、シルフ中隊の裏切りを信じてしまいました。

 

 敵の指揮官はシルフ・ノーヴァが同志であると信じ、彼女を保護すべく堡塁の門を開けてしまったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこからは、一方的でした。

 

 シルフ中隊が確保した門から、サバト政府軍が一斉に堡塁内部に侵攻を始めました。

 

 堡塁に籠っている兵士は、背後から急に銃撃され大混乱に陥ります。

 

 結果、敵兵は前後から挟み撃ちに遭い、なすすべなく壊滅していきました。

 

 

「あそこ、あの位置はまだ配置が薄そうです。ゴルスキィさん」

「任せておけ」

 

 

 2層目の塹壕攻略は、思ったよりあっさりでした。

 

 敵側も万全の備えとはいかなかったようで、最初の堡塁にはしっかり兵士を用意していましたが、第2堡塁の全域に兵士を待機させるほど余裕はなかったのです。

 

 防衛戦力が薄い場所は、放たれる銃声の数ですぐ分かります。

 

 自分が守りの薄い場所を見つけると、ゴルスキィさんが凄まじい勢いで単身突っ込んで制圧してしまいました。

 

 おかげで大きな被害も無く第2堡塁の突破に成功し、自分達は爆薬で大きな穴をあけ通過拠点を作り出しました。

 

 

「……敵は大混乱だな。ああ、味方がなだれ込んでくる」

「まだ第3の堡塁があるみたいですが」

「第2堡塁ですら穴だらけなんだ、誰も守っておらんだろ」

 

 行けるところまでいけ、とはシルフの弁です。

 

 なので自分達の仕事は此処までとし、第2堡塁の通過拠点の維持に努めました。

 

 これ以上の前進は、流石にリスキーだからです。自分達が無理に攻めずとも、既に勝勢は決していましたし。

 

「素晴らしい働きだ、戦友。ここは任せるぞ!」

「ええ、ご苦労様です」

 

 30分もすれば応援が到着し、自分達が確保した通過拠点から内部に味方兵が戦果を求めて侵攻していきました。

 

 朝までの士気の低さはどこへやら、勝ち戦となれば兵士達も意気揚々と切り込んでいきました。

 

「酷いもんだ。鉄壁のルソヴェツ要塞が、穴だらけのバケツみたいになってら」

「……結局、何で門が開いたんだろうな」

「敵がうっかり間違ったんじゃねぇの?」

 

 昼を過ぎる頃になると、自分たち以外にも多くの味方が通過拠点を作っていました。

 

 こうなると四方八方から侵入してくるサバト軍に、労働者議会側は対応できる筈もありません。

 

 逃げる者、投降する者、特攻する者などに分かれて敵は壊滅してしまいました。

 

「……ああ。終わりだな」

「終わり、ですか」

 

 戦闘が終了したのは、その日の夕方でした。

 

 3層目の堡塁が攻略され、丸裸となった司令部で敵の指揮官の自決した遺体が発見されたのです。

 

 残存する敵戦力は、もう残っていません。

 

「あのルソヴェツ要塞が、たった1日で落ちちまった」

 

 こうして我々サバト政府軍は、1週間どころかたったの1日で、難攻不落と謡われたルソヴェツ要塞を手中に収めてしまったのでした。



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104話

 

 ルソヴェツ要塞を攻略し、自分たちサバト政府軍は戦勝に沸いていました。

 

 圧倒的不利な物資状況だった、ルソヴェツ要塞攻略戦。

 

 この無謀な戦いを、たった1日で完勝してしまったのですからそりゃあ士気もあがるでしょう。

 

「本当に敵は弱いぞ」

「勝てる、勝てるんだ」

 

 このルソヴェツの戦いの被害者は7000~8000人程と言われています。

 

 その殆どは、ルソヴェツ要塞を守るべく募兵に応じた義勇軍の兵士でした。

 

 彼らの大半は、レミさんの描いた理想に惚れ、新たな時代を築き上げるべく銃を持った『徴兵年齢前の若い男性』でした。

 

 

「今日は祝宴だ! 流石に今日くらいは羽目を外せるんだよな、シルフ様!」

「……ああ、褒賞をかけ合ってこよう」

「期待してるぜクソガキ参謀大尉殿!」

 

 シルフ中隊の兵士も、確保した拠点で勝ち鬨を聞いて大騒ぎしていました。

 

 自分は衛生兵なので、堡塁の中に隠れたままその様子を見守っていました。

 

「貴様らよく頑張った」

 

 そして、この凄まじい戦果を挙げたシルフはと言えば。

 

 兵士の言葉に適当な相槌を打ちながら、その堡塁の近くに転がっている童顔の少年の遺体をぼんやりと眺めていました。

 

「……」

 

 その少年は枯れ草と泥で顔を汚し、瞳孔は灰色に霞んでいました。

 

 彼の腕に巻かれたリボンには、サバト語で「未来で会おう」と短く記されていました。

 

 それは出征する兵士に家族が掛ける慣用句の様な、生還を願う祈りでした。

 

「シルフ様、何を見ているんだ?」

「いや、別に」

 

 この亡くなった少年は、まだ10代前半でしょうか。

 

 この少年はきっと、満足に兵士として教育も受けないまま出征したのでしょう。

 

 だから最前線ではなく、この2層目の堡塁に配備されていたのです。

 

 きっと家族も居たでしょう。もしかしたら、恋人だっていたかもしれません。

 

 

「……ちっ」

 

 

 シルフは、市民が傷つくのを嫌いました。

 

 兵士は民を守るために命を張るものだという、確固たる理念があったからです。

 

 市民に被害が及ぶのは、敗北だとすら捉えていました。

 

 そんな彼女が、武装蜂起した市民を相手に戦う心情はいかなるものでしょうか。

 

「早く革命勢力を潰さないと、さらに悲劇は広がる。貴様ら、羽目を外すのは良いが気は抜くなよ」

了解(ラジャー)だ、我らが乳臭い大尉殿!」

「そして、先程から口汚い貴様は酒抜き」

「えっ」

 

 少なくとも自分から見る限り、シルフはこの空前絶後の大勝をあまり喜んでいるようには見えませんでした。

 

 

 

 

 

 

「なぁトウリよ。少し、私とチェスに付き合わんか」

「またですか」

「今日は裏などない。ただ、付き合ってほしいだけさ」 

 

 シルフはブレイク将軍から、一番槍の功績を評され酒と干し肉を貰ってきました。

 

 それを受け取った兵士達は、要塞の一角を占拠して飲み会を始めました。

 

「エライアが負傷兵の治療に駆り出されていてな。退屈なんだ」

「そういやシルフ様は、エライアさん以外とあんまり話してる姿を見ませんね」

「……言うな」

 

 いつも彼女の傍に控えているエライアさんも、戦闘後は治療に駆り出されて大忙しみたいです。

 

 自分は敵国の衛生兵なので、働かされずに済みました。

 

 オースティン人なので、何か悪戯するかもしれないと思われていたようです。

 

「自分なんぞより、もっと明るい兵士と飲んだ方が酒が旨いと思いますよ」

「そんなことは無い」

 

 自分はシルフに付き合って、教えられたとおりにチェスの駒を並べていきました。

 

 自分はチェスは好きではありませんが、シルフの落ち着いた雰囲気は嫌いではありませんでした。

 

「私は今日の戦いに、あまり明るい気持ちになれんからな」

「そうですか」

「それは貴様も同じではないか? トウリ・ロウ」

 

 自分もこの日は、あまり楽しい気分になれませんでした。

 

 それは今日戦った敵が、想像以上に「子供」だったからでしょう。

 

 

「自分は。……自分より年下の人間を、生まれて初めて殺しました」

「貴様も、銃を撃ったのか」

 

 

 今日戦った敵は、物凄く若い相手が交じっていました。

 

 前世では中学生じゃないかという歳の、あどけない敵兵をたくさん見ました。

 

「彼らは、きっと」

「労働者議会に乗せられ、操られた市民だよ。……子供を殺して飲む酒なんざ、旨いとは思えん」

「……」

「でも、飲まなきゃやってられん。ああ、酒というのは麻薬だな」

 

 こうして話してみて思います。

 

 シルフは軍の指揮官という立場でありながら、どこまでも普通の感性を持った少女でした。

 

 戦争に狂わなければならないのに、まだ狂いきれていない部分が残っていました。

 

「あのテロリスト共には、絶対に政権を渡してはいかん。国が亡ぶ」

「そうなのですか」

「当たり前だ」

 

 シルフは忌々しそうに酒を飲むと、労働者議会という敵についてボヤき始めました。

 

「……全国民で財産を共有するという社会は、嘘つきが出ない前提でしか成り立たない。作物を多めに作って隠すだけで、人より裕福な暮らしができるからな」

「そうでしょうね」

「すると皆がウソをつき、虚言と賄賂が蔓延る社会になる。その先に待つのは、更なる混乱。思想そのものが間違っているんだよ、あのテロリストども」

「では国家が、嘘を吐けないようなシステムを作るのは難しいのですか?」

「いや、それは可能だ。酷く簡単にな」

 

 シルフは、労働者議会の考えをとことん嫌っているようでした。

 

 従軍中、自分には何度も「夢見がちな馬鹿が考えた、頭の悪いシステムだ」と口汚くののしっていました。

 

「その思想の狂信者だけで国を作ればいい。そうすれば、誰も嘘をつかぬ奴らの理想の国家が出来るだろう」

「……」

「辺境の小村でそれをやるなら、好きにすればいい。その思想を他人に強要し、一大国家を築き上げようというのが問題なのだ」

 

 そう。聡い彼女は前世の知識もないというのに、

 

「ヤツの作る社会では、狂信者以外は罪人でしかない。すると、今までは一般市民だった筈の罪人をひたすら処刑していく独裁国家の誕生だ」

「成程」

「敵のこれまでの行動を見る限り、処刑に躊躇いなど感じんだろう。奴らが勝利した先には地獄しか始まらんさ」

 

 共産主義国家の末路を、まるで見てきたかのように断言して見せたのです。

 

「私はな、トウリ。人の命を奪う仕事についている限りは、奪った命に見合った『平和』を実現しなければならんと考えている」

「……」

「私は血に濡れた両手で、誰かの幸せを守らねばならないのだ」

 

 シルフは、ずっと悩んでいたようです。

 

 彼女の仕事は、大量に敵を殺す事。

 

 敵を殺す度に傷ついていく彼女が戦い続けるためには、殺人の先に平和があると信じ込まねばならなかったのです。

 

「私は、もう私の家族を失ってしまったけど。それでも誰かの家族くらいは、守ってやりたい」

「シルフ、様」

「それはオースである貴様にも、だ。トウリがあの幼子と、平和に一生を終えられる場所を作ってやるのが今の私の目標さ」

「……ありがとうございます」

「まぁその為に、貴様の力を借りんといけないのだがな。格好がつかないもんだ」

 

 傷ついて、狂気に支配されそうになって、なお誰かのために前に進もうとする少女シルフ・ノーヴァ。

 

 人を殺すのが大好きな、どこかの誰かに見習ってほしいものです。

 

 

 

「ほら、トウリ。この盤面はどうすれば良い?」

「えっと。女王で切り込めば、タダで駒が取れそうですが」

「残念、それは罠だ。一見するとタダに見えるが、こうすれば逃げ場を塞がれる」

「あっ」

「ポーンを進めるのが正解だ。安易に女王で切り込まんほうが良い」

 

 シルフはそのままヴォック酒を口に含みつつ、自分にチェスの手ほどきを始めました。

 

「いつもの勘の良さはどうした、もっと盤面全体を見ろ」

「盤面全体、ですか」

「チェスの駒は、盤面全体に干渉できる物が多いだろう。局地だけを見ていると、見落としが多くなる」

 

 チェスが趣味というのは本当のようで、シルフは珍しく楽し気に話をしていました。

 

 自分は彼女に教わるがまま、チェスの駒を動かしていきます。

 

 まぁ、確かに戦略性のありそうな奥の深いゲームですね。じっくり考えて駒を動かすのは、戦略眼を養うトレーニングにもなりそうです。

 

「そうだな、では私はここにナイトを進めよう」

「むむ……」

「よく考えろ? 今の手は強いように見えて、非常に迂闊な一手だったぞ。ここから上手くやれば、貴様は私を詰ませることが出来る」

「本当ですか」

「ああ、本当だとも」

 

 今回のシルフは手加減モードのようで、わざと迂闊な手を打って自分に考えさせるよう戦っていました。

 

 自分の得意分野を、人に布教するは楽しいのでしょう。珍しく、彼女は心の底からの笑みを浮かべているように見えます。

 

 こうしていると、シルフは年齢相応の少女にしか見えませんね。

 

「一手目はここ、ですか」

「おお、素晴らしい。やはり貴様は才能があるぞトウリ」

 

 よくよく考えて、何とか自分は細い詰みルートを見つけました。

 

 これが正解なのか少し自信はありませんが、シルフの顔を見る感じ間違っていなさそうです。

 

「だが、次の手は少し難しいぞ。よく考えろ」

「む、そうなんですか」

「ああ」

 

 自分は楽し気なシルフに見つめられるまま、ウンウンと唸ってチェス盤を見つめ……

 

 

「何だ、何だ。指揮官殿は宴席でチェス盤なんて広げやがって」

「場が白けるじゃねぇか!」

「うわっ、何だ貴様ら」

 

 

 そうしている間に、とうとうベロンベロンに酔っぱらったシルフの部下に乱入されました。

 

「おいゴルスキィはどこにいる、この馬鹿どもを鎮圧しろ」

「ゴルスキィさんはヴォック鉄帽を一気飲みして気を失った」

「何をやっているんだあの馬鹿!」

 

 周囲が騒がしくなりましたが、自分は気にせず盤面を睨み続けます。

 

 む……女王を動かすのに固執せず、他の駒を上手く使えばもっと確実に……?

 

「分かった、こいつら脱衣チェスをしているんだ! 負けた方が脱ぐに違いない」

「そういう事なら納得だぜ! ヒュー」

「オースちゃんよりかは、大尉のがマシか……?」

「誰が脱ぐかァ! 貴様らは私を上官だと認識しているだろうな!?」

 

 あ、そうか。女王より先にルークで切り込んでチェックすれば、攻めが途切れませんね。

 

 となると、次の手は女王ではなくルークから……。

 

「チェック、です」

「あっ」

 

 見えました、確かにこれで詰みますね。

 

 この盤面を、シルフは何手前から読んでいたのでしょうか。

 

「おお! クソガキ様が負けたぞ!」

「おら脱げ脱げぇ!」

「……」

 

 そう思って自信満々に顔を上げると、顔を真っ赤にしたシルフが、

 

「貴様らいい加減にしないと全員素っ裸にして雪原ランニングさせるぞ!」

「ひえー」

 

 目を怒らせて、泥酔した兵士を追いかけまわしていました。

 

 ……サバト軍の宴会は、本当によくないですね。

 

 

 

 

 

「年頃の女に向かって何たる口の利き方……上官と部下以前に、人間としての礼儀にもとる。そうは思わんか!」

「そうですね」

 

 乱痴気騒ぎが終わった後、シルフ中隊の兵士はうすら笑いを浮かべ寝落ちしてしまいました。

 

 ……吐物で窒息しないよう、後で体勢を整えてあげましょう。

 

「ですが彼らも、シルフに馴染んでもらおうとしているのですよ」

「そうだとしても。もう少し、敬えとは言わんが上下関係をだな」

「それは……、難しいものです。見た目というのは重要らしく、自分も部下になかなか従ってもらえませんでした」

「まぁ、貴様の見た目はなぁ。……というか、部下居たのか」

「衛生小隊長でしたよ、オースティンでは。何処かの国の大攻勢で、上官が根こそぎ行方知れずになったので」

「あそこで仕留め切れていればな。いや、無条件降伏を引き出したわけだし、仕留めてはいたのか」

 

 シルフは遠い目で、かつての大攻勢に思いをはせているようでした。

 

 自分からすればトラウマでしかない撤退戦なのですが、彼女からすれば栄誉の瞬間……だったのでしょうか。

 

「トウリ、オースでのサバト兵の蛮行はさぞ憎かったろう」

「……」

「実は、私もだ。そこまでする必要がどこにある、戦後の統治に悪影響が出るだけだ、無駄な虐殺をするなと戦勝に沸く兵士を怒鳴り散らかして────、とても白い目で見られたよ」

 

 シルフは、そう言うと少しだけ俯きました。

 

「あの時はまだ、私はオースが憎くなかった。何せ、従軍した直後の小娘だ。オースに個人的な恨みなどなく、ただ父に褒められたくて必死に作戦を練っていただけだった」

「そうですか」

「オースとの決戦で父を失って、初めて蛮行に及んだ兵士の気持ちを理解した。敵が憎い、殺してやりたい、復讐したい。北部決戦に敗れた後、私はしばらく復讐に取りつかれていた」

「……今も、憎くはないのですか」

「憎いさ。でも、何だ。お前を見て少し、気が変わってしまった」

 

 彼女は酒臭い白い息を吐いた後、チラリと自分を流し見て話を続けました。

 

「お前は憎いオースだというのに、話してみるとどこにでもいる普通の女だ。……ちょっと変わってはいるが」

「ええ、自分は何処にでもいる凡人ですとも」

「最初にお前がオースだと聞いて、殺そうと思った。でも泣きわめく貴様の話を聞けば聞くほど、何で殺さなきゃならないのかわからなくなった」

「……」

「最初から殺しあわなければ良かったんだ。殺し合いなんかで、国の利益を追求してはいけなかった」

「それは。きっと、その通りです」

 

 シルフは少し酔った顔で、もう一度グビリとヴォック酒を飲みました。

 

 彼女の上気した頬に、零した酒の雫が滴ります。

 

「首都ヨゼグラードを奪還した後に、改めてオースに講和を申し込むべきだと思う。だがそのためには、邪魔な奴らが居る」

「邪魔な、人ですか」

「私にはその踏ん切りがつかん。より多くの人を救うためとはいえ、手を汚して癌を取り除く決意が出来ん。私は、思った以上に凡人らしい」

 

 この日は珍しく、シルフは自嘲を溢しました。

 

 それも、とても剣呑な内容をはらんでいました。

 

「トウリ。貴様がもし、誰かを殺すことで大多数の命を守れるとしたらどうする」

「難しい問題ですね。その人に何の罪も無いならば、きっと自分は引き金を引くことが出来ません」

「その誰かが、許されぬ罪人であればどうする」

「それは。……その罪の重さと状況次第では、大多数の命を選ぶでしょう」

「そうか」

 

 彼女は珍しく弱々しい声のまま、三角座りで丸くなって、

 

「お前もそう思うのか、トウリ」

 

 そう呟いた後、黙り込んでしまいました。

 

 



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105話

 

 ルソヴェツ要塞を攻略した、その翌日。

 

 車を使って悠々と移動してきた政府高官達は、ブレイク将軍に出迎えられてルソヴェツ要塞入りを果たしました。

 

「見事、この短期間でよくルソヴェツを落として見せた。ブレイクよ」

「お褒めに預かり光栄です。これで、春と同時に首都を攻略出来ます」

 

 ルソヴェツ要塞を攻略できた事で、我々は最初の戦術目標を達成できました。

 

 冬の行軍はここまでで、これからは長い休養期間へと入ります。

 

「冬はこれ以上進まんのか?」

「ええ、流石に真冬の戦闘は難しいでしょう」

 

 今から1か月以内に、本格的な冬入りとなるそうです。

 

 冬のサバトは地獄です。

 

 吹き荒れる吹雪で視界が悪く、その寒さは立小便をすると小便が凍り付くと言われるほどだとか。

 

 そんな状態では、まともな戦闘は出来ないでしょう。

 

「気温の条件は向こうも同じだろう。いや、訓練をしている職業軍人だからこそ、真冬の戦闘では有利に立てるんじゃないかね」

「いえ、それは有りません」

 

 それは、現場の兵士なら当たり前の常識でした。

 

 確かにサバトでは、極寒での戦闘を想定した防寒具や武器も開発されてはいます。

 

 なので、吹雪の中の戦闘と言うのもあり得ない話では無いのですが……。

 

「真冬の戦闘は、すぐ家屋に籠って温まれる防衛側が圧倒的に有利です。極寒の中で攻勢に出れば、壊滅は必至でしょう」

 

 それはあくまで、敵も極寒で凍えている中で戦い合う想定です。

 

 今の状況ですと野営する我々のみが寒さに震える一方、防衛側は家屋内で体力を蓄えて戦闘を行えます。

 

 既に摂氏は氷点下に達しつつあり、本格的に冬入りすると気温は-20~-30℃に届くといいます。

 

 どう考えても今からの攻勢では、大きな不利を強いられるでしょう。

 

「冬に入る前に、ヨゼグラードの家屋を制圧すれば良いだけの話だろう。そこからは市街戦で、賊を追い出していけばいい」

「流石にそれは現実的ではありませんよ。賊はもう、ヨゼグラード周囲に大きな防衛網を構築しています」

「我々を政治家と思って甘く見るなよ。その首都の防衛網よりはるかに強固なルソヴェツも、1日で落ちたではないか。それは単に、貴殿が冬に戦いたくないという怠慢だろう」

「……しかし、補給の問題が」

 

 なので、流石に冬はのんびりできる……筈だったのですが。

 

 我々に追いついてきた政府高官の方々は、どうやらすぐにでも首都に戻りたい様子でした。

 

「今すぐ、軍を動かす準備をしたまえブレイク。少しでも疾く首都に戻り、国民を安心させねばならん」

「……」

 

 きっと彼らの頭には、首都に置いてきた財産の心配しかなかったのでしょう。

 

 あの奇跡のようなルソヴェツ要塞攻略を、『出来て当然の成果』としか考えておらず。

 

「出来れば冬の間に、首都の攻略を終えてくれよ? そこまでできれば、満点だ」

「ですから、それは」

 

 既に満点以上の戦果を挙げたブレイク将軍に、さらなる発破をかけ。

 

 高官たちは要塞内の安全な部屋で、優雅にヴォック酒の宴会を始めてしまったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ、出撃ですか?」

 

 流石のシルフも、ブレイク将軍のその命令を真顔で二度聞きしたそうです。

 

 それは「そこまで愚かな事はしないだろう」という、想定の2段階くらい下の命令でした。

 

「無論そう諫言したが、聞き入れて貰えずな。仕方あるまい、各員準備をせよ」

「この軍の最高司令官はブレイク将軍閣下でしょう。政治家共に指揮権などないハズですが」

「彼らが事実上、今のサバトの統治者なのだ。逆らえるものか」

 

 要塞を攻略した兵士達は、もう完全に休養ムードでした。

 

 シルフ自身「冬の間に偵察して首都の攻略案を練ろう」と考えていて、出撃など想定すらしていませんでした。

 

「ここから首都まで、どれほどかかるかご存じですかブレイク将軍」

「1週間ほどであるな」

「我々の手持ちの物資は如何ほどとお思いですか」

「……1週間である」

 

 元々、この要塞の攻略時点で1週間分の食料・水しかありませんでした。

 

 本拠の東方司令部から物資の補給はあるでしょうが、それを待っていると冬入りしてしまいます。

 

 冬までに首都を制圧するのであれば、今ある物資だけで出撃しないと間に合わないのです。

 

「この要塞内の残存物資を確認中ですが、それを足しても殆ど戦闘などできないのでは?」

「首都を電撃的に攻め落とし、徴発を行うしか無かろう」

「……」

 

 この要塞にも、食料の貯蔵はありました。

 

 しかし敗北を悟った敵に、毒を盛られていないとも限りません。

 

 なので今、保健部が食料の安全を確認している最中です。

 

 つまりそのチェックが終わるまでは事実上、我々の残り食料は1週間分だけ。

 

「せめて、後方から物資を取り寄せないと」

「補給を待っていたら冬入りして、圧倒的に不利になるからな」

「じゃあ越冬すればいいじゃないですか」

「それが出来れば苦労はしないのだ」

 

 あまりにも無謀な攻勢です。流石のシルフにも、それを成就させる策など浮かんできませんでした。

 

「そんな無茶苦茶を言う高官など無視してしまえばいいでしょう」

 

 と、シルフはブレイク将軍にそう進言しました。

 

 これは能天気で楽観主義なブレイクですら、無理難題と分かる話です。

 

 最初から不可能な任務を実行して敗北するほど、バカらしいことはありません。

 

「あの連中に従う理由がありますか。貴方はこの軍の、最高権力者なのです。聡明なブレイク閣下であれば、此度の作戦は無謀であると分かる筈です」

「む、だが」

「彼らがどれほど叫ぼうと、貴方が一声かければ拘束して牢につなぐ事も出来るのです。このまま奴らの言いなりになって出陣すれば、天下の愚将としてブレイクの名が歴史に残りますよ」

「……」

 

 年下の少女シルフにそこまで言われ、ブレイク将軍は再び唸りました。

 

 政府高官は傲慢ですが、権力があります。

 

 もしブレイクが首都を奪還した際には、きっと国の中枢に居座るだろうコネと財産を持っています。

 

「あの連中の言いなりになって愚を犯すより、ブレイク閣下自身が権力を持って奴らを制すべきです。政治家に軍事など分かりますまい、この軍は閣下の頭脳あってこそ」

「シルフ……」

「どうかくれぐれも、賢い決断をお願いします。少なくともシルフは閣下の味方ですので」

 

 なので、政府高官の機嫌を取りながら首都入りして取り立てて貰うのがブレイク将軍の当初の構想でした。

 

 しかし、流石の無茶振り続きでブレイク将軍も辟易とし始めていたのも事実です。

 

「ブレイク司令の方が、彼等よりよほど優秀です。権力を握るのは貴方であるべきだ」

「そ、そう、かもな」

 

 そのシルフの口から垂らされた甘い誘惑に、グラリと心を動かされそうになりましたが……。

 

 

 

 

 

 

「明日から攻勢だとさ」

「冗談だろう?」

 

 結局、ブレイク将軍は政府高官の言いなりで、出撃を決定してしまったのでした。

 

「司令、どうして」

「……シルフ。お前はまだ、若すぎる」

 

 元よりブレイクは政府高官の無茶振りに応える形で、冬の攻勢を強行していました。

 

 なので、その政府高官を蔑ろにすれば無理な攻勢を行った意味が無くなります。

 

「我々が賊に勝利し、サバトに秩序をもたらそうとするのであれば、彼らの力は必須なのだ」

 

 そして何より。彼ら政府高官は少なくとも、今まで国を実際に運営してきた実績と経験がありました。

 

 彼らは多少は汚職に手を染めようと、いや「多少汚職を行っても国を回せる」程度には政治手腕に長けていました。

 

 あの傲慢な態度と振る舞いが許される程度には、国に必要とされた人材だったのです。

 

「昨日の話は聞かなかった事にしてやる。これからも忠義に励め」

「っ。了解、しました」

 

 ……そして、理由はそれだけではありません。

 

 これが恐らく、シルフにとって最大の誤算だったであろうポイントでしょう。

 

「精強なる我が軍をもってすれば、首都の奪還も十分可能だろう」

「……」

「また貴様も存分に腕を振るえ、シルフ」

 

 そう。

 

 彼はルソヴェツ要塞での歪んだ成功体験に、味をしめてしまっていたのです。

 

 

 

 シルフがいなければ大敗もありえた、ルソヴェツ攻略戦。

 

 少ない武器食料に低い士気、少なすぎる作戦期間。

 

 その条件の悪さにブレイク自身もうっすら敗北を予見していましたが、蓋を開けてみればこれ以上無い快勝でした。

 

「……閣下」

「敵は、惰弱な市民兵だ。我々の練度をもってすれば、この程度の悪条件は屁でもない」

 

 その影響でブレイクは「もしかして首都攻略も、案外上手くいくんじゃないか」という楽観的な予測を立ててしまいました。

 

 シルフがブレイク将軍の気分を損ねないよう気を配ってしまったせいで、最悪の思い違いをしてしまったのです。

 

 

 

 

 

 

「……ああ、父は名将だった。所詮ブレイクは前線に呼ばれず、後方のお飾り指揮官に甘んじていた男だ」

 

 シルフは出陣の前、そうエライアさんに愚痴ったそうです。

 

 彼女の父ブルスタフ将軍はリスクの高い作戦を避ける、大胆な策を取れぬ指揮官でした。

 

 そこを突かれてベルン・ヴァロウに大敗しましたが、彼は優秀な指揮官だったことに疑いはありません。

 

 ブルスタフは退くべき時は退き、不利になる戦いは極力避け、敵を自らが有利な戦場へ誘導する戦術を徹底していました。

 

 高水準に何でも出来たからこそ、危険を冒さず安全策に走るタイプの指揮官だったのです。

 

 それがシルフの目には歯痒く映りましたが、逆に言えば「致命的な失策を犯さない」指揮官とも言えました。

 

 「多少博打になろうとも、最も有効な手を選ぶ」シルフとは方向性が違っただけで、彼もまた1つの指揮官としての完成形に至っていました。

 

 

 ところが、目の前のブレイク将軍は戦況の判断すら出来ていません。

 

 不可能な命令にあやふやな根拠で従い、その成功を盲信するブレーキの壊れた特急列車です。

 

「これは何のための戦いなんだ? 誰か教えてくれ」

 

 ブレイク将軍の戦う理由は、主にプライドと虚栄心でした。

 

 お飾りの地位にいた男が元帥の地位をちらつかされて舞い上がり、兵士の命を賭け金(ベット)に無謀なギャンブルを行っているのです。

 

 そして政府高官は、自らの栄華と財産を取り戻し、再び贅沢な日々を送りたいだけ。

 

「違うだろう。そんなモノの為に命を犠牲にしていいわけがない。一人でも無駄な死人を減らすために、兵士は戦うんだろう」

 

 シルフにとって指揮官とは、兵士から預かった「命」を効率的に運用し、本懐を遂げさせる仕事でした。

 

 兵士の本懐とは、故郷の家族を守ることです。兵士が死を恐れず戦う理由は、守るべきものがあるからなのです。

 

 そう信じていたシルフは、市民に被害が行くような作戦をとことん嫌いました。

 

 それは、家族のために命を懸ける兵士に対する裏切りと考えていた節すらありました。

 

「私だって、最初は母や兄妹を守りたくて。それで、軍に志願した」

 

 シルフの家族はもう有りません。

 

 首都の暴徒達に家を焼き討ちされ、行方知れずです。

 

 そんな悲劇を繰り返さないため、シルフは戦いを続けていました。

 

「……今の私に成せるのは、兵士の命を浪費し民の平穏を奪った先にある平和か」

 

 しかしこの戦いでは、戦闘を継続するのに略奪は必須です。

 

 首都の民家から財を奪い、糧とせねば戦闘はままなりません。

 

 何故なら首都に到着するのとほぼ同時に、食料の備蓄が途切れるのですから。

 

「ブレイクは、駄目だな。アレももう、根元まで腐りきっていた」

 

 そしてこの瞬間、シルフは自らの上司を完全に見限りました。

 

「平和を求めるから、民はあんな賊に惑わされている」

 

 彼女は部下からは人気がありませんでしたが、シルフ攻勢の噂はサバト国民に流布されていました。

 

 一人の天才少女により、一時はオースティンに勝ちかけた事。

 

 これは、サバト国民にとって何よりの「痛快事」でした。

 

 その立役者たるシルフは、民衆にとってお飾りの旗印くらいにはなる人気はあったのです。

 

「サバト政府の後ろ盾を持ったまま、私が終戦和平派の旗印となれば、乗ってくる市民は多い筈だ」

 

 戦争推進派の市民は、もはやヨゼグラードに残っていません。

 

 労働者議会のテロにより、殆どが殺害か追放されていたからです。

 

 つまり今、首都の市民の大多数は終戦派という状況でした。

 

「政治家どもは、自分の財産さえ確保できたら文句は言わん。……利に敏い奴等の事だ。私が市民から支持を得られたなら、ブレイクではなく私を祭り上げるはず」

 

 まずは諸悪の根元、レミ・ウリャコフをサバトから叩き出す。

 

 その後で、シルフが終戦派の市民を纏めあげ権力を得る。

 

 それ以外にきっと、サバトに平穏な未来はありませんでした。

 

「……となると私は、修羅の道を選ばねばならんか」

 

 そしてシルフがブレイク将軍に愛想をつかした、その瞬間。

 

 彼女は、何かを決意したのでした。

 



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106話

 

 熱とは、体温とは、エネルギーです。

 

 人間は恒温動物であり、その体温を維持するために莫大なエネルギーを必要とします。

 

 その主たるエネルギー源は食事です。

 

 食料を食べることで我々は、極寒の地でも生命活動を維持出来るのです。

 

「おい、今日のレーションの数、足りなくないか」

 

 結局、ブレイク将軍達はルソヴェツ要塞を確保しただけでは満足せず、首都に向けて侵攻を再開しました。

 

 しかし、これは誰の目から見ても無謀な攻勢でした。

 

 ルソヴェツ攻略時点で弾薬もレーションも、残りわずかといった状況だったからです。

 

 今まで通りに食事をすると、首都に到着する頃に食料は尽きてしまう見込みでした。

 

「行軍中の食事は、今までの半分で我慢しろとさ」

「二人で1つのレーションを分け合うんだ」

 

 そこでブレイク将軍は、行軍中の食事は普段の半量に制限しました。

 

 1人分のレーションを2人で分けさせ、節約しようとしたのです。

 

「ふざけんな、お前食いすぎだろ! どう見ても半分以上減ってるじゃねーか!」

「元々の量が少な目だったんだよ、それでちょうど半分だ」

「嘘つけ、俺の飯返せ!」

 

 これがまた、よくない方針でした。

 

 兵士の間でトラブルが多発し、そこら中で喧嘩が発生しました。

 

 負傷者が増え包帯も浪費し、ますます兵士の腹は減りました。

 

「貴様らの統率力不足が原因だぞ。部下の手綱くらいしっかり握らんか」

「……申し訳ありません」

 

 ブレイク将軍はこれを前線指揮官の責任とし、「喧嘩が起きたら部隊ごと罰する」と触れを出しました。

 

 喧嘩が起きた場合は連帯責任として、小隊全員を食事抜きにすると触れを出したのです。

 

「てめぇらまた喧嘩してんのかぁ!! 殺すぞ!」

「ひぃい!」

 

 なので各部隊の小隊長達は、指導という名の暴力で兵士間の喧嘩を鎮圧しました。

 

 その結果、ますます部隊は関係が悪くなり、せっかく要塞攻略で上がっていた士気も下がり始めました。

 

「……どうぞ。自分は、少食なので」

「そんな訳にはいかんよ。しっかり食えオースちゃん」

「顔色悪くなってきてるぞお前」

 

 サバト連邦軍はそんな状態のまま、首都ヨゼグラード付近まで再び強行軍を行いました。

 

 この強行軍での脱落者は1000人を数え、3個中隊の人数に迫りました。

 

 つまり我々は行軍しただけで、中隊を3つ全滅させたのです。

 

 この被害の規模としては、ルソヴェツ要塞攻略より大きかったそうです。

 

「兵士にも家族が居ただろうに。こんな被害を出してまで、急戦する理由が『権力者どもの我が儘』とは」

 

 脱落した兵士は、路上に捨て置かれていました。

 

 名目上は『体調不良のため拠点に帰還』という事になっていますが、見殺しの様なものです。

 

 食料不足の為、今度は捨て置かれた兵士に食料もありません。

 

 倒れた兵士は空腹と凍傷に苦しみながら、味方の行軍する足音を聞きつつ息を引き取っていくのです。

 

 それは、いかなる心境だったでしょうか。

 

 

 自分の経験した中で最も過酷だったヨゼグラード攻略戦は、行軍中ですらこの有様でした。

 

 戦場は人の命が軽くなるといいますが、ここまで人命が雑に扱われている軍を見たのは初めてでした。

 

 そして自分もかつてここまで、他人の命に無頓着になった経験は有りませんでした。

 

 

 

 

 

 

 寒さは、思考を奪います。

 

 サバト式の高性能な防寒具をもってしても、氷点下の行軍というのは非常に辛いものでした。

 

 実は自分も気温が下がってから、調子を崩してしまっていました。

 

 体が熱っぽく、ぼーっとする時間が増え、気を抜くと倒れそうになるのです。

 

 恐らく、自分も流行り風邪に侵されていたのでしょう。

 

 

 発熱した状況では氷点下では風に吹かれるだけで、冷たさが染みてきて悪寒が走りました。

 

 サバトの冬は、気温より湿度が大事です。湿度が高くなると、風の冷たさが段違いに強まります。

 

 この日は雪がよく降って、強い季節風の吹く日でした。雪も降っていないのに、コートに霜がびっしり結露するくらいには湿度もありました。

 

 こんな日に皮膚を露出していると霜焼けになるので、頭までフードをすっぽり被って口を隠し、吐く息をコートの中に入れて体温を逃がさぬようにしました。

 

 そこまでやっても、ブルブルという身体の震えは治まりませんでした。

 

「あ、あは、暑い、暑いぃ」

 

 新兵より体力があり、燃費の良かった自分ですらここまで追い詰められていました。

 

 そんな状況なので、新兵の多いサバト連邦軍に大量の脱落者が出たのも無理はありません。

 

「アーリゾナフが全裸になって倒れたぞ」

「こいつ、何でいきなり服を脱ぎだしたんだ?」

 

 例えば自分達の仲間だったアーリゾナフさんは、突如として錯乱し服を脱ぎ棄て、そのまま全裸で眠るように倒れ動かなくなりました。

 

 あまりに寒すぎると体温調節中枢がバグって、暑いと感じ始めるようです。

 

 これは矛盾脱衣と呼ばれる現象です。体を鍛えていなければ、自分もこうなっていたかもしれません。

 

「……トウリ、無事か」

「だい、じょうぶ、です。ゴルスキィ小隊長」

「そうか」

 

 心身とも衰弱していた自分は、他人の事を気にする余裕などありませんでした。

 

 アーリゾナフ氏が倒れた時も、チラリと眼をやるのが精一杯でした。

 

 もしかしたらゴルスキィさんは、自分に彼の治療をさせようとしたのかもしれません。

 

 しかし、当時の自分のコンディションでは難しかったでしょう。

 

「やったぁ。アーリゾナフと食事ペアを組んでる俺は、今日たっぷり飯が食えるぞ」

「ふざけんな、皆で分け合うべきだ。アーリゾナフは、俺ら全員の仲間だぞ」

「やかましい、あんな少ない量を全員で分けれるか。今日は、俺が全部いただく」

 

 最初は倒れた仲間を心配していた兵士達も、この行軍中はむしろ仲間の死を喜び始めていました。

 

 真冬のサバトできちんと食事が取れなければ、死んでしまうのです。

 

 仲間が死んで食料の余裕が出来ることを、喜んでしまうくらいに追い詰められていたのでしょう。

 

 軍は、極寒で少しずつ狂気に支配されつつありました。

 

 

 

 一方。ブレイク将軍などの指揮官級も食事を減らしていたのですが、彼らは暖かい輸送車で運んでもらっていたそうです。

 

 極寒で行軍する必要がないなら、食料を半分にされてもさほど辛くはありません。

 

 だからブレイク将軍はこの『食事量半減命令』の重みをまったく理解しておりませんでした。

 

 我ながら名案だ、とすら思っていた節があるそうです。

 

 

 こうして多くの犠牲を出しながら、いよいよ我々は首都ヨゼグラードの東西方面に軍を進めました。

 

 そして、元は一般市民だった敵兵を相手に血で血を洗う殺し合いを始めることになります。

 

 その結末を、この戦闘開始前から頭に描いていたのは────恐らくシルフ・ノーヴァを含めても、一人も居なかったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな最悪のコンディションでヨゼグラード近郊に到着した我々は、まさに疲労困憊でした。

 

 マシュデールまで山の中で飲まず食わずの撤退劇を経験した自分でしたが、間違いなくあの時を上回る過酷さでした。

 

 あの時は気候が穏やかだった上、森により直射日光は遮られていました。

 

 水が飲めないのはキツかったですが、途中で1度水源を見つけ休憩も出来ました。

 

 しかし今回の行軍は、油断して倒れたら死ぬという精神的恐怖に加え、極寒が凄まじい勢いで体力を奪っていくのです。

 

 あと数日行軍が続いていたら、本気で危なかったと思います。

 

「おいオース、眼が虚ろだぞ。大丈夫か」

「はい、自分は、何とか」

 

 実際、自分は体調を崩して途中で倒れかけました。

 

 そのたびに、ゴルスキィさんが1時間ほど背負って自分を休ませてくれました。

 

 彼には、背を向けて寝れません。

 

「……無理もねぇ。この娘にゃ寒さに対抗するだけの脂肪が無いんだ」

「その体格で俺達によくついてきてるよ、お前」

 

 きっと、自分は低体温症に陥っていたのでしょう。

 

 十分な脂肪の貯蓄が無かったせいで、他の男性兵士より体温が奪われやすかったのです。

 

 夜、焚火の傍でしばらく休ませてもらうと自分の体調はだいぶ改善しました。

 

「オース、お前は小柄だしゴルスキィ小隊長の寝袋に潜っちまえ」

「筋肉暖房だ」

「む、よかろう。ただし上着とズボンは脱いで入ってくれ。雪がついて冷たい」

 

 そんな訳でやむを得ず、自分は就寝時にゴルスキィさんの寝袋に下着姿でお邪魔する事になりました。

 

 実は自分とゴルスキィさん以外にも、道中で寝袋を二人で共有して寝る兵士達も多くいました。

 

 しかしオースティン人で、かつ女性である自分を誘うのは少し躊躇ったみたいです。

 

「ゴルスキィさんは男好きだからな。オースも安心だろう」

「正直、俺もゴルさんと同じ寝袋が良かった。うらやましいぜオース」

「えっ」

 

 男性との同衾は抵抗はありましたが、ゴルスキィさんは安全なようでした。

 

 そもそもゴルスキィさんは変なことをしないだろう、という信頼はあったのですが……。

 

 そうだったんですか、やはり軍隊には多いんですね。

 

 

 因みに、筋肉暖房はとても暖かかったです。後、香水でもつけていたのかちょっと良い匂いがしました。

 

 逆に自分は、ゴルスキィさん曰く、ゾッとするほど冷たかったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「各員、戦闘準備。敵が、待ち構えているらしい」

「走れないっすよ。もう」

 

 そしていよいよ、首都を目前に控える平原に到着したころ。

 

 気温はより一層下がり、吹雪が吹き荒れて視界が悪くなってきました。

 

「吹雪が強くなってきている。冬入りしてねぇかコレ」

「ああ、冬入りしてるな。さっき小便が凍り付いた」

 

 サバトの冬は、想像以上の寒さでした。

 

 銃の撃鉄が凍り付き、弾を込めるのも一苦労です。

 

 唇を軽く舐めただけで、凄まじい冷たさを感じ参りそうになります。

 

「あ、ああ。もう嫌だ、何で真冬なのに1日中外に居なきゃならねぇんだ」

「体が、動かねぇよぉ……」

 

 冬に入ったことで、兵士たちのコンディションは限界に達しつつありました。

 

 体力的にも限界で、戦う前から何もしなくても全滅しそうな勢いです。

 

 新兵の多い部隊で、真冬に食料無しでの行軍は、どう考えても無茶でした。

 

 彼らは寒さに負け、戦闘どころではなくなっていました。

 

「よ、よく頑張った。今日は休み、鋭気を養え」

 

 流石のブレイク将軍も、この兵士たちの顔色の悪さを見て「流石にマズいな」と思ったのでしょう。

 

 我々は首都に攻め込む前日、かまくらを作って焚火を囲み、武器の点検と英気を養う時間を貰えました。

 

 

「今日は、いつも通り食事を取ってくれ。明日はいよいよ決戦だ」

「はは、は」

 

 この日は流石に、通常量の食事を出してもらえました。

 

 自分はゴルスキィ小隊の面々と身を寄せ合い、焚火を囲んで1人前のレーションを食べました。

 

 出発前の陽気な宴は何処へやら、誰もが死んだ目と乾いた声で笑うだけでした。

 

 垂れた鼻水を焔で溶かしながら、これまで5名が脱落したゴルスキィ小隊は、それぞれ無言で寝袋の中に入りました。

 

 

 

 

 

「ゴルスキィさん」

「どうした、トウリよ」

 

 その晩、寝袋の中で自分は、こっそりゴルスキィさんに明日の相談をしました。

 

「シルフ指揮官殿は、どのようなご様子でしたか」

「アイツが気になるのか」

「ええ」

 

 シルフは指揮官級なので、ブレイク将軍と同じく輸送車で移動をしています。

 

 ゴルスキィさんなど小隊長級がその輸送車両に出向き、小隊長経由で我々は詳しい作戦内容などを伝達されるのです。

 

「彼女が我々の生命線ですからね。この絶望的な戦いの中で勝機があるとすれば、彼女の鋭利な策謀に他なりません」

「……うむ、シルフは非常に頼もしく育ったものだ」

 

 はっきり言って、自分はこの戦いに全く勝機を見出せませんでした。

 

 この寒さで、兵たちが普段通りのパフォーマンスを発揮するのは難しいでしょう。

 

 それは自分だって同じです。この気温で今迄の戦場のように、機敏に行動できるとはとても思えません。

 

 一方で敵は、家屋の中で暖を取りながらしっかり飯を食って我々を待ち構えているのです。

 

 攻撃側の不利に加え、兵站も士気もパフォーマンスも不利となれば、普通に考えて惨敗するしかないでしょう。

 

「安心しろ。彼女はとても疲れた目で、髪に寝癖を付け、我々に作戦を伝達した」

「それは、安心していいのでしょうか」

「安心してよかろう。シルフがあんなに疲れるまで作戦を練ったのだ。吾は部分的にしか概要を知らんが、きっと素晴らしい切れ味の作戦に決まっている」

 

 ゴルスキィさんが言うには、シルフは疲れ切った顔をしていたそうです。

 

 彼女も自分ほどではないですが、華奢な体躯をしていました。年齢相応の女性相当で、少なくとも良い体格をしているとは言えません。

 

 もしかしたら体調を崩していたりしないかと、心配だったのです。

 

「もし彼女が風邪をひいていたとして、側近のエライア殿が献身的に看病するさ」

「そうですね」

「それよりトウリ、貴様の体調は大丈夫か。明日はいよいよ決戦だが」

「頑張ります。……自分には、まだ死ねない理由がありますから」

 

 何にせよ、シルフがしっかり作戦を練ってくれているのは朗報です。

 

 あの凄まじい戦略眼を発揮し、オースティンをとことん苦しめた彼女の智謀を今は信じるとしましょう。

 

「……では、おやすみなさい」

「しっかり休め」

 

 こうして、ちょっと毛深いゴルスキィさんの大胸筋の中で、自分は意識を手放しました。

 

 そしてヨゼグラード攻略戦における最後の平穏な夜は、ゆっくりと更けていきました。

 

 



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107話

 

 首都ヨゼグラードはサバトで、最も発展した都市でした。

 

 人口100万人を超えるこの都市の特徴は、南北に町を横断するボルガ川です。

 

 この川は水流が緩やかな幅の広い淡水河川で、この水源を目当てに太古から人が集い、極寒のサバトの大地に大きな都市を形成したのだそうです。

 

 

 そんな水源豊かな首都ヨゼグラードは、水路が都市中に巡っていました。

 

 その川には淡水魚がよく棲み、その小魚を油で漬けた料理が酒のつまみとして食べられているそうです。

 

 

 サバトの料理は酒に合わせているのか、油や塩のキツイ料理が多い印象ですね。

 

 自分は何となく、オースティン料理の方が口に合っている気がします。

 

 サバト料理も不味くはないのですが、胃もたれしそうになるのです。

 

 

「さて、諸君。いよいよ我らは首都に戻ってきた」

 

 そんなヨゼグラードを5㎞ほど目前に、サバト政府軍の総司令官ブレイク将軍は演説をしました。

 

「我らが故郷ヨゼグラードには、数多の家屋の光があるだろう。あれらは賊の光だ。賊により搾取され、支配された歪んだ蛍光だ」

「……」

「あのような光を見て、心が痛まぬはずはない。あるべき光を、有るべき者のところへ返さねばならない」

 

 前回のルソヴェツ要塞攻略の時と違って、今日のブレイク将軍は自信ありげでした。

 

 よほど、何か素晴らしい奇策を用意しているのでしょうか。

 

 はたまた、あまり根拠もなく勝てる気でいるのでしょうか。

 

「各員配置に付け、これは聖戦だ。賊という闇を払い、そしてサバトに光を取り戻そう!」

 

 そんな自信にあふれたブレイク将軍の訓示に対し。

 

「オー……」

「ウラー……」

 

 兵士からの返答は、弱弱しいものでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回も、敵の塹壕の真正面ですか」

「毎回、一番危険な場所か。嫌になるぜ」

 

 自分たちゴルスキィ小隊はやはり、最前線でした。

 

 上官の合図と同時に先頭に立ち、塹壕に目掛けて勇敢に突撃する役目を言い渡されました。

 

「シルフ様。随分とお疲れの様ですが」

「ふん」

 

 そんな配置の裏、我らが参謀シルフ大尉は機嫌悪げに座り込んでいました。

 

 今までは後方にいた彼女も、今日は陣頭で指揮を執ってくれるようです。

 

「ぬくぬく移動して来たってのに、シケた顔をしてやがりますな大尉殿」

「作戦の詳細を問う気はありませんけど、シルフ大尉殿の自信はいかほどで?」

 

 そんなシルフに、兵士達は皮肉交じりに作戦の出来を問いかけました。

 

 彼女の作戦次第で、自らの生死が決まるのです。自信の無い作戦では、堪ったものではありません。

 

「……自信はあるらしいぞ。もっとも、今日の作戦指揮は私主導じゃないがな」

 

 その問いに対しシルフはハァと溜め息をつき、ぼんやりとボルガ川の畔を見渡しました。

 

 シルフの顔は何処かいじけているように見えました。

 

「ではどなたの指揮で?」

「我らが総指揮官、ブレイク将軍さ」

「えっ」

 

 ……そう言うとシルフはやる気がなさそうに、防寒具にくるまって座り込んでいました。

 

 その言葉の節々からは、もはや諦めの念すら感じます。

 

「そいつは一体、どんな作戦で?」

「まぁ見てろ、すぐに分かる」

 

 サバト軍東方司令部ブレイク将軍の、肝いりの作戦。

 

 シルフの策じゃないのは少し不安ですが、ブレイク氏は総司令官に任命される人物です。

 

 それなりの質の作戦を用意していると信じましょう。

 

 と、思って正面の塹壕の様子を窺っていると。

 

「さあ進撃を開始せよ! 我々の勇敢さを、賊共に叩きつけてやるのだ!」

 

 そんな合図とともに、高らかな吹奏楽器の音が木霊しました。

 

「……あれ、作戦は?」

「ああ、聞いて驚け」

 

 その合図に合わせてゴルスキィさんは立ち上がって走り出し、慌てて自分達も付いていきます。

 

「多点同時突破だそうだ」

 

 

 

 

 

 

 我々は塹壕を掘る時間も無かったので、生身で全力疾走しながら敵の第1層目の塹壕目掛けて疾走しました。

 

「突撃以外の、素敵な作戦は無いのかよ!」

「そんなものが有ったら、10年も戦争が続いておらんわ!」

 

 塹壕は、なかなか突破できないからこそここまで普及しているのです。

 

 あのベルン・ヴァロウですら、サバト軍の塹壕を正面から突破しようとせず、川を使った奇襲を行いました。

 

 裏を返せばベルンであっても、塹壕を突破するような素敵な作戦は思いつかなかったのです。

 

「多点同時突破戦術は確かに有効ですが……」

「あれは国境線でやるものだ、1都市の攻略でやると範囲が狭すぎて普通の1点突破と変わらん」

「ですよね」

 

 そんな状況を覆したシルフの、東西戦争における切れ味抜群の多点同時突破戦術。

 

 この戦術の衝撃はすさまじく、様々な国の指揮官がこぞってシルフの猿真似をするようになりました。

 

 その結果、このように作戦の本質をよくわかっていない突撃が横行してしまいました。

 

「要は敵に、対応できないほど広範囲の攻撃を加えて混乱させるのが目的だからな。今やっても、普通に対処されるだけだ」

「では、この突撃作戦の意味は何でしょう」

「無策の正面突撃」

 

 無策の突撃と聞くと、もう聞くからにダメダメです。

 

 と言っても、まぁ他に何か素晴らしい作戦があるかと言えばないのですが。

 

「そろそろ敵の砲兵の射程に入るな。私は此処で離脱する、健闘を祈るぞ」

 

 そういうと、シルフは疲れた顔で砲兵陣地に引っ込んでいきました。

 

 結局、塹壕戦の基本は生身の人間による正面突撃しかないのです。

 

 

 

 

 

 ……それは、かつて西部戦線で日常だった風景でした。

 

「ウラァアアアアアッ!!!」

 

 非力な自分はただ雄々しき小隊長(ゴルスキィ)の背中を追って、硝煙の匂いが漂う戦場を駆け抜けました。

 

 あの時と違うのは、下がジョリジョリとした滑る雪の大地と言うこと。

 

 自分は寒波で鉛のように重くなった体躯を、死にたくないと言う必死の感情で動かし続けました。

 

「吾の槍を恐れぬ者は、かかってこい!」

 

 叫びと共に、ゴルスキィさんが金色の髪を揺らして塹壕に切り込んでいきました。

 

 銃声と共に放たれた、七色の虹の光で出来たオーロラが、自分の【盾】を衝撃で揺らします。

 

 ゴルスキィさんの血肉が噴き出しましたが、彼は一切ひるむことなく突撃を続けました。

 

「雪原の戦場は、塹壕間近なら滑り込め。姿勢が低くなるし、塹壕内で着地もしやすい」

「了解です」

 

 同じ小隊のトムベルというサバト兵が、自分にそう教えてくれました。

 

 雪の上の戦いでは、滑り込みもそこそこ有効だそうです。

 

 一度でも誰かが踏みしめた雪は、よく滑るのです。

 

「って、ぎゃあ! 足が!」

「……」

 

 なおこれは慣れていないと、うっかり足を折ります。

 

 いつもの感覚で滑り込むと、重装備を背負っているせいで普段より体が重く、勢いを見誤るのです。

 

「うわ、痛そう」

「大丈夫ですか」

 

 そのトムベルは滑り込む際にボッキリ脛骨を折ったので、ゴルスキィさんに許可を得て治してやりました。

 

 

 

 

「諸君、ご苦労。我々は無事、1層目の攻略に成功した!」

「……で?」

 

 その後、しばらく戦いは続き。

 

 我々サバト正規軍は、何とか1層の塹壕を確保してその日の作戦を終えました。

 

「ブレイク将軍は『よく頑張った、もう休め』と言っている」

「もう、殆ど弾薬が尽きましたからね。休むしかないでしょう」

「ゴルスキィ小隊長、飯は何処です? 今日の分が届いてないんですが」

「もうない、明日には届くらしい」

 

 夜はマイナス30℃以下になる、真冬のサバトの塹壕内。

 

 自分達はそこで食事も与えられぬまま、塹壕内での野宿を強いられる事になりました。

 

「隊長。寒くて、目が霞んで来てます」

「寝るなよ。まだ死にたくなければな」

「……」

 

 これは、死にます。

 

 比喩でも何でもなく、低体温症でかなりの死者が予想されます。

 

 放っておけば手足が、寒冷で壊死してしまう危険性もありました。

 

 塹壕にこもる兵士達は、何としても火に当たって暖まる必要がありました。

 

「焚き火、を。火を付ける許可を」

「やるなら雪は全て除け。溶けて水になったら、火が消える」

 

 そんな極限状態の中、我々は暖を取るため焚き火を行いました。

 

 スコップで塹壕の中の雪を掻き分け、土が露出した窪みを作り、そこに生存者で円を作って囲みました。

 

「何を、燃やす」

「蝋燭……?」

「アホか、そんなので暖が取れるか」

 

 幸い、医療用バーナーなどの装備のお陰で火種には困りません。

 

 しかし、木材など燃やせる物は手元に多くありませんでした。

 

 この冬場の戦闘に当たって、寒冷対策はただ蝋燭を1本手渡されたのみです。

 

「塹壕の支柱とか掘り出せねぇか」

「使っちまえ、どうせ氷で固まって崩れやしない」

「雪で濡れていますが、乾かせば……?」

「砕け砕け、支柱はスコップで砕いて小さくして燃やせ」

 

 兵士達は、近場にあった燃やせるものを全て燃やし始めました。

 

 手始めに死者の衣類を剥いで、塹壕の土台に使われていた材木を掘り返し、塹壕内で植物の根を堀り集めました。

 

 これで何とか小一時間は火が持ちましたが、やがて燃料は尽きてしまい。

 

 ────

 

 

「……うわ、くっせえ」

「でもよく燃える」

 

 

 次に火を付けたのは、人間の死体。

 

 そう、サバト軍兵士は極限情況で暖を取るため、敵の遺体を燃やして暖まったのです。

 

「恨まないでくれよ、っと」

「恨まれんさ。敵だってのに火葬してやったんだから、感謝して欲しいくらいだ」

 

 深夜に入る頃、何処の塹壕にも焼けた脂肪の臭いが充満していました。

 

 自分達は煙い塹壕の中で固まって暖を取り、互いを励まし続けました。

 

「皆さん、良ければどうぞ。雪解け水を温めたお湯です」

「助かるオースちゃん、生きて帰ったら一発抱かせろ。お前の事好きになりそうだ」

「自分は下品な人は嫌いです。そもそも既婚者です」

 

 我々も、パチパチと不気味な音を立てながら、年端もいかぬ敵兵の燃ゆる体躯を囲んで暖をとりました。

 

 誰かの大事な家族だった少年は、帽子や髪の毛に火がついてから、顔は真っ黒な骸骨に変貌していきました。

 

「うっ、吐きそう」

「吐くなら後ろを向けよ。間違っても、遺体にぶっかけて火を消すなよ」

 

 死後に便で汚染された衣類は、悪臭が煙となって立ち込めました。

 

 その痛烈な臭いに鼻をやられつつも、兵は遺体のキャンプファイヤーを決してやめませんでした。

 

 そうしないと、体の節々が壊死しそうなほどに寒かったからです。

 

「……また火が消えた。次の死体はあるか?」

「しばらくは余熱で温まろう」

「あ、昼頃に逝った戦友、レイモンズ2等兵の遺体がまだあるぜ」

「そっか。仲間だけど、燃やすか」

 

 極寒の地では全身燃えてくれず、遺体に火をつけても軍服と体表の一部が燃えるのみでした。

 

 そんな燃え方で何時までも火が持つ訳はなく、かといって深夜の冷え込みに火種なしで耐えきれる筈もないので、自分達は最終的には仲間の遺体にも火をつけて夜を越えました。

 

 昨日までの仲間は服が焦げ、炭となった皮膚を晒しながら、塹壕の床に転がされています。

 

 きっと正気なら、耐えられなかったでしょう。

 

「明日は我が身と思うとやるせねぇな」

「お前ら。死んだら燃やされても文句言うなよ」

 

 兵士たちはそう約束し、身を寄せ合って夜を越しました。

 

 この戦いで命を落とせば、その日の晩には燃料にされてしまうのです。

 

 自分も殉職すれば、同じような扱いをされることになる。そう思うと恐怖で、心まで凍り付きそうでした。

 

「腹へったなぁ。これ、食えるのかなぁ」

「食べない方が賢明でしょう。この人の下痢から生臭い匂いがします。何かに感染してそうです」

「そっかぁ」

 

 一部の兵士は、遺体の肉に涎を垂らして食べようとしました。

 

「オースちゃん、あんまり燃えなさそうだな」

「妙な品定めを、しないでください」

 

 寒さにより倫理観が麻痺し、人の遺体が食物にしか見えなくなっていたのです。

 

 自分が止めなければきっと、人肉の宴が始まっていたかもしれません。

 

 

 

 

 

 この日は、一睡もできませんでした。

 

 寝たら死ぬ可能性があるだけでなく、下手したら仲間にそのまま燃やされていたからです。

 

 我々は眠気と戦いながら、仲間と肩を組んで火にあたり、励まし合い、長い長い夜を越えました。

 

 

 この夜の凍死者は、かなりの数に上りました。

 

 西部戦線以上の地獄があるとは、驚きです。

 

 アレンさんの体験談の中にも、ここまで過酷な情況はありませんでした。

 

「ああ、夜が明ける」

 

 朝になり太陽が昇って、少しだけ気温が温かくなりました。

 

 相変わらず食事の配給は無いので、エネルギーが足りず体を動かす事すらおっくうでした。

 

「また、戦うのか。俺達は」

「もう無理だ。こんなのに毎晩、耐えられる訳がない」

「帰りてぇ。温かいベッドのある基地に帰りてぇ」

 

 ヨゼグラード攻略戦、2日目。我々はまだ、市街地の入り口にも到達しておりません。

 

 兵士たちは氷と雪に怯えながら、朝の食事すら食べられず、僅かな弾薬を頼りに目前の故郷(もくひょう)に向かわねばならないのです。

 

 既に兵士に戦意などはなく、死にたくないという恐怖や絶望だけが蔓延っていました。

 

「ゴルスキィさん」

「……何だ」

「時間です。指示を」

「ああ。そうか、もう時間か」

 

 寒さに凍えながら、自分達は塹壕越しに敵の街を見つめ。

 

 命からがら、今日も命懸けの戦争が始まりました。



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108話

 

「今日は突撃しないんですか」

「弾が無いからな」

 

 ヨゼグラード攻略戦の2日目は、防衛に徹する形になりました。

 

 初日の突撃で弾薬がほぼ底を尽き、食料が無いので体も動かず、攻勢に出られる状態ではなかったからです。

 

「明日には補給が来るさ」

「本当に来てくれりゃあ良いんですがね」

「今日、敵が攻めてきたらどうするんですか?」

「石でも投げよう」

 

 明日にルソヴェツ要塞から弾薬や食料が、届くとゴルスキィ小隊長は言いました。

 

 ルソヴェツ要塞から、安全確認が終わった物資を輸送してくれるみたいです。

 

 なので今日の攻勢はお休みし、防衛に専念する事になりました。

 

「……おい、14番小隊が持ち場を離れて木材を切り出しに行ったらしいぞ」

「何だと! ……じゃあ俺達も!」

「待て待て、全員で持ち場を離れる訳にはいかんだろうが!」

 

 しかし突撃命令が無いからといって、のんびりしているわけにはいきません。

 

 とり急ぎ自分達は、極寒の夜に備えねばなりませんでした。

 

 昨晩はかなりの凍死者が報告され、燃やす物に恵まれなかったエリアの小隊は全滅していたそうです。

 

 塹壕の支柱や敵の死体など、燃焼物の多かった我々は実に幸運だったのです。

 

「今夜と、出来れば明日の分の木材も確保しないと」

「でも、塹壕を空けるわけにはいかんぞ」

 

 遺体に火を灯しても、ろくな暖房になりません。

 

 ちゃんと燃える木材を確保しないと、命にかかわるのです。

 

 なので防衛任務中でありながら、兵士達は持ち場を離れて木材を切り出す為に出撃しました。

 

「トムベル、グレシュの2人は一度戦線を離脱し、木材を確保して戻ってこい」

「了解です、ゴルスキィ小隊長」

「俺たちの命に係わる物資だ。頼んだぞ」

 

 我々ゴルスキィ小隊も、人員の一部を割いて薪の確保に奔走しました。

 

 その間、自分達は弾の無くなった銃を置き、ナイフを握りしめて塹壕に籠り続けました。

 

「敵さん、守りに徹してるな」

「突撃戦の経験がないんだろ。……このまま攻めてこない事を祈るばかりだ」

 

 幸いにもこの日、敵の攻撃はありませんでした。

 

 敵の大半は訓練を受けた兵士ではなく、徴兵前の少年兵です。

 

 経験が必要な突撃兵の真似事を、出来る人は少なかったのでしょう。

 

「というかそもそも、アイツら無理に攻める必要もないだろうしな」

 

 それに現状は、防衛側が有利な状況です。極寒で、こちらが勝手にどんどん消耗していく状態なのですから。

 

 危険を犯して前に出るメリットが、ほぼ無いのでしょう。

 

「ゴルスキィさん! こんなに、薪がありました!」

「よくやった、トムベル、グレシュ!」

 

 なのでこの日は戦闘が発生せず、我々の小隊は十分な薪の確保に成功しました。

 

 昨日より大きい火源を得たので、その晩は少しだけ暖かい夜を過ごすことが出来ました。

 

 相変わらず、寝れる状況ではありませんでしたが。

 

「じゃあこの黒焦げ死体、どうする?」

「……」

 

 ご遺体は、埋める体力がなかったので塹壕の外に放り出して野晒しにしました。

 

 きっと春に入れば、野生動物が食べてしまうでしょう。それまでに埋葬できれば良いのですが。

 

 

 

 

 

「レーションだ、久々の食事だ!」

 

 ヨゼグラード攻略戦3日目、自分達は補給を受ける事ができました。

 

 本当に、ルソヴェツ要塞からの物資が届いたのです。

 

 正直、兵士の士気を保つためだけの方便かもしれないと邪推していました。

 

「くそ不味ィ……、幸せだ」

「ああ、元気が湧いてくる。この腐った味のピクルスに感謝したのは生まれて初めてだ」

 

 2日ぶりの食事は、とても美味しく感じました。

 

 焚火で温めた瓶詰めのスープは、体を芯から温めてくれました。

 

「さぁ、飯と弾薬は届いたな」

「ええ、まぁ」

「じゃあ出撃だ」

 

 そして補給を受けられたという事は、戦闘が再開になるという事でもありました。

 

 最低限の活力を取り戻した我々は眠気と戦いつつ、再びブレイク将軍の指揮で突撃作戦を敢行ました。

 

「今日中に敵の市街地に到達するぞ」

「屋根のある部屋で、温まって眠りてえ」

「もう塹壕の中は嫌だ」

 

 この日の自分たちの士気は、それほど低くは有りませんでした。

 

 目の前の塹壕を突破して市街地に入れれば、少しはマシな場所で寝泊まりできるからです。

 

 暖かな寝床を求めて、兵士たちは死に物狂いで突撃をしました。

 

「……駄目だ、逃げろ! 砲撃が飛んでくるぞ!」

「くそったれ! 守りが硬すぎる」

 

 しかし、この日の攻勢の結果は散々なモノでした。

 

 極寒の地で消耗しきった兵士が、満足に動けるはずが無いのです。

 

 それに敵は、非常に上手く砲兵を活用していました。

 

 ちょうど突撃をしようとした瞬間に爆炎が上がるものですから、迂闊に走り続けられないのです。

 

「あああぁぁァ!!」

「トムベル!!」

 

 ゴルスキィ小隊の近くにも砲撃が着弾し、味方の一人が爆炎の直撃を受け帰らぬ人になりました。

 

 自分は地面が揺れたので転倒し、暫く耳がキーンとなって鋭い吐き気を催しました。

 

 こんな至近距離で砲撃を受けたのは、西部戦線以来でしょうか。

 

 あと3mも砲撃が右にずれていたら、小隊全滅だったでしょう。

 

「むぅ。一旦退くぞ、皆下がれ!」

「りょ、了解です」

 

 寒すぎる気温下での、砲撃、銃撃、魔法罠、鉄条網などによる迎撃は苛烈を極めました。

 

 圧倒的な突撃力を持っているゴルスキィさんですら、攻めあぐねるほどの防御力でした。

 

 結局、自分達は塹壕間の半分も走り抜けることが出来ず、スゴスゴと元の塹壕に引き返しました。

 

「砲撃が濃すぎる」

「敵の砲兵陣地が近いですから。かなり正確に狙われていそうです」

 

 戦場の主役は魔法砲撃兵。ガーバック小隊長は、そんな事を言っていましたっけ。

 

 どれだけ腕の立つ突撃兵でも、砲撃が一発直撃すれば即死してしまうのです。

 

 彼の言葉の意味が、また1つ分かった気がしました。

 

「……無理だな、今日はここまでだ」

 

 結局この日は、新たな塹壕を確保できず。

 

 自分達は最初の塹壕に撤退したまま、1日の終わりを迎えました。

 

 突撃で力押しできるほど、敵は脆弱では無かったのです。

 

 

 日中、改めて敵の防衛網を偵察してみると、かなり強固な作りに仕上がっていました。

 

 塹壕間には鉄条網や魔法罠などが隙間なく設置されており、避けて走れば火力が集中するキルゾーンに誘導されるようになっていました。

 

 塹壕は砲兵陣地からグルリと扇状に設置され、魔法砲撃の支援が受けやすいような配置になっています。

 

 敵は素人だという触れ込みでしたが、どう見てもプロが構築したとしか思えない陣形となっていました。

 

「思った以上に塹壕が硬い、突っ込む隙が見つからぬ」

「少なくとも陣地作成を指揮した人は、本職の軍人ですね」

 

 ゴルスキィさんは、そう敵の硬い作りの敵陣を嘆きました。

 

 それもそのはず、実は敵の指揮官は元サバト軍の将軍(・・)トルーキーでした。

 

 彼は元南方司令部の前線指揮官で、かつては東西戦争に参加して塹壕戦を経験してきたベテラン軍人です。

 

 特に防衛戦を非常に得意としていた指揮官で、今回の戦いはまさに彼の本領発揮といったところでした。

 

 敵兵は素人でも、指揮官はベテラン中のベテランだったのです。

 

「何処かが抜けそうになっても、対応が早い。すぐ援軍がやってきた」

「不味いな、ここで戦線が膠着したら俺達負けるぞ」

 

 敵はひたすら堅実に、我々の突撃を防ぎ続けました。

 

 塹壕に籠り、よく引き付けて銃撃し、乗り込まれたらすぐ援軍が駆けつける。

 

 塹壕戦の基本であるそれを、忠実に守り続けたのです。

 

 防衛戦が得意なトルーキー将軍の面目躍如と言ったところでしょう。

 

「……」

 

 この日は、政府軍が大きな被害を出しただけで1層も攻略できずに戦闘が終わりました。

 

 1日の間の死者は1500人ほどで、負傷者を合わせると5000人に届きます。

 

 それだけの兵士が命を失って、戦線は小揺ぎもしませんでした。

 

 

 

「今日も生き残ってるのか、オースちゃん。運が良いな」

「貴方こそ」

 

 夜が来るたび、ゴルスキィ小隊の数は減っていきました。

 

 東方司令部を出た時は増強小隊20名で編成されていたゴルスキィ小隊は、今や残り11名になっていました。

 

 出征時にヴォック酒を酌み交わした仲間の半分は、もう死んでしまったのです。

 

「今日、親友のトムベルが死んじまってな。寂しいから今夜俺のバカ話に付き合ってくれねぇか」

「自分は構いません。トムベル2等兵殿とは、親友だったのですか」

「ああ、一昨日からの親友だ。その前日、親友のアーリゾナフが死んじまって新しい親友にした」

「貴方、その親友アーリゾナフが死んだときに大喜びしてレーションを独り占めしてませんでしたっけ」

 

 夜になると我々は、生き残った面々で静かに雑談を始めました。

 

 寝たら死ぬ気温だから、うっかり眠れないのです。

 

 横になるのも、体温を奪われるので自殺行為。座って焚火で暖を取り続けないと、凍死まった無しです。

 

「トムベルは中々面白い男でな。同じジョークを一晩で3回も繰り返したんだ」

「猿に妹のパウンドケーキを取られる話でしたっけ」

「オースちゃんも聞いていたのか。いやぁ、2回目までは笑えなかったが、3回も繰り返されると失笑しちまったぜ」

「自分は、面白いジョークと思い聞いていましたよ」

 

 自分は仲良くもないサバト兵の男と、ボソボソ呟くように言葉を交わしました。

 

 確かこの男は口が悪く、シルフ大尉に舐めた口を利いて酒抜きを言い渡された人でした。

 

 あまり、自分とは相性の良い相手ではありません。

 

 ですがそんな彼と、10年来の友人のように会話を交わしました。

 

「オースはジョークの文化が遅れているな。あんな話で笑えるとは」

「では、もっと面白いジョークがあるのですか」

「ああ、特別に聞かせてやろう。俺の姉の話なんだが……」

「お姉さんの彼氏が、ゴリラに似すぎていて動物園に収監される話ですか? そのジョークはもう5回目ですよ」

「5回目でも面白いだろう?」

 

 自分のつまらなそうな返答に、男はばつの悪そうな顔をしました。

 

 ……せっかくジョークを披露しようとしてくれたのです。無理にでも、笑うべきでしたかね。

 

「すみません、場をしらけさせました」

「いや。……オースちゃんは、全然笑わねぇな」

 

 そう言えば従軍してから、自分は殆ど笑っていませんでした。

 

 これがオセロ村の集会所で、ゴムージ達との楽しい宴会の最中だったら、きっと5回目のジョークでも笑っていたでしょう。

 

 しかし残念ながら、戦場で自分の表情筋はうまく動いてくれないようで。

 

 焼けた屍肉や鉄と硝煙の香りの中では、自分は満足に笑えなくなっていました。

 

「気に障ったなら謝ります。……ですが自分は、戦場で笑えない性質なんです」

「ふん?」

「従軍前は、結構笑う方だったはずなんですけどね。軍人になってから、感情が上手く出せなくなってしまいました」

「ほう?」

 

 そんな言い訳をして、自分は目の前の兵士に謝りました。

 

 西部戦線に参加して以来、自分の顔からどんどん感情が消えていったのは事実です。

 

 元々快活な性格ではありませんが、最近はそれに輪をかけて不愛想になってしまいました。

 

 そう謝ると、口の悪い男は自分にニヤリと笑いかけ、

 

「なら今から、爆笑の新作ジョークを披露してやろう。そこまで言ったからには、絶対に笑うなよ」

「……は、はあ」

「笑ったら罰ゲームだ。そうだな、明日のお前のレーションを貰おうか」

「まぁ、構いませんよ」

「よっしゃ」

 

 このまま寝るわけにはいかず、かといってベラベラと会話するのは得意でないので、自分は男のジョークを一晩中聞き続けました。

 

 そのまま彼は、上手くも面白くもないジョークを延々自分に語って聞かせてくれました。

 

 ちょうど良い眠気覚ましでありがたかったのですが、結局自分は一度も笑いませんでした。

 

 

 

 

 

 ……4日目の、朝。

 

「敵の砲兵陣地を、制圧せよ」

 

 この日、ついに自分達の参謀シルフ・ノーヴァから命令が届けられました。

 

 内容はシンプルで、ただ『塹壕を突破したら、まっすぐ砲兵陣地を目指せ』という内容でした。

 

「そもそも塹壕が突破できないんだが」

「味方の砲兵は何をしているんだ?」

「魔石が尽きたので動けないらしい」

 

 どうやら今日から、シルフが指揮を執ってくれるみたいですが……。

 

 その命令は無理難題というか、「やれるならやってるわ!」という内容でした。

 

「くそ、あのクソガキ様め。ジョークのネタにして、猿と結婚させてやる」

「また、酒抜きにされますよ」

「酒なんて寄こさねえじゃねえか」

 

 しかし、あのシルフが出した命令です。きっと何か、狙いがあってのことに違いありません。

 

 自分達は前線の歩兵。指揮官の指示を、ただ信じる事しかできないのです。

 

「砲兵陣地の方向へ、走るべきでしょうか」

「いや、大分斜行する事になって難しい。まずは、今まで通り正面へ突撃しよう」

「そうですね」

 

 そしてこの日も自分達は、尿も凍り付く極寒の塹壕内で、塹壕越しに敵と撃ち合う事になったのでした。

 

 

 

 

 

 

 結局、我々は正面突撃以外に有効な戦術を持っていなかったのでしょうか。

 

 否、実際は我々の戦闘の裏で、シルフが着々と攻略の準備を進めてくれていました。

 

 その策が実るまでに、4日という期間が必要だっただけです。

 

「……む、何だか敵が騒がしいな」

「何か騒ぎになっていますね」

 

 この日、やっとシルフの一つ目の作戦が始動していました。

 

 まだ突撃命令が出た直後だというのに、敵の市街地が騒がしくなってきたのです。

 

「敵の市街地で、戦闘音が響いています。同士討ちでしょうか」

「なに?」

「敵に動揺が広がっているな。これは好機やもしれん」

 

 温めたレーションを腹に流し込みながら、自分達は目前の敵が忙しなく動き続けているのを観察し続けました。

 

 

 

 

 

 シルフの奇策とは、ボルガ川からのソリによる奇襲突撃でした。

 

 ボルガ川は例年、冬入りと同時に凍り付いて表面に厚い氷を張るのです。

 

 平時であれば人々は、この氷の上で釣りやスケートを楽しむのだそうです。

 

 その川の上を、シルフは進軍路に利用しました。

 

「さあ、今こそ突撃せよ! 味方が、敵市街地内に潜入して陽動しているぞ」

「何と!」

 

 シルフはソリの扱いに慣れた兵士を集め、ソリの前面に鉄盾を付け重りとし、川の上流からまっすぐ下降させたそうです。

 

 川には塹壕なんて物は有りませんので、ソリは誰からも咎められぬまま突き進み続けました。

 

 突然、音もなく川の上流から滑り降りてきた奇襲部隊は、その勢いのまま水路越しにヨゼグラード市街地まで侵入したのです。

 

「突撃のチャンスを逃すな。吾が見定めるから、合図と同時についてこい!」

 

 シルフはこの奇襲を行うために部隊を分けて、ソリの得意な者を河川の上流まで移動させていたのです。

 

 その移動の為に、4日という時間がかかっていたのでした。

 

「ゴルスキィ小隊長、報告です。敵の塹壕、動きが乱れている場所がありますね」

「ふむ? どこだ、トウリ」

「右前方、配置が減って装甲兵が薄くなっています。後ろ側に装甲兵を配置しなおしたのかもしれません。かなり手榴弾が通りやすくなっているかと」

「……そうか、それは好機!」

 

 塹壕は、敵に後方に入られると一気に脆弱性を晒してしまいます。

 

 前方向からの防衛に特化した作りなので、特に横や上からの攻撃には弱いのです。

 

「今こそ、突撃ィ!!」

 

 後ろに入られた塹壕など、脆いものです。

 

 自分達はようやく掴んだチャンスだと、意気揚々で突撃を行いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうしてシルフ・ノーヴァの奇策は、成就しました。

 

 敵は後方を攪乱され、指揮系統が大混乱するという千載一遇のチャンスがやってきたのです。

 

「なかなか良い献策だったぞシルフ、実に見事!」

「どうも」

 

 シルフ自身、かなり作戦の成功に安堵してはいました。

 

 彼女は兵士の士気が低すぎるのを知っており、奇襲部隊が全員逃げ出さないかと内心ヒヤヒヤしていたそうです。

 

 流石に軍人としての矜持が勝ってくれたかと、胸をなでおろしました。

 

「右翼は敵の第2塹壕を制圧したそうです」

「そうか。ゴルスキィ達だろう、ここから一気に攻め込んでもらうとするか」

「む、だが中央は迎撃に遭い、撃退されたらしいぞ」

「後ろを取られたとはいえ、敵もいきなり総崩れとはいかんでしょう。1部隊でもどこかの塹壕を制圧出来れば、そこから一気に敵は崩れます」

「そんなものか」

 

 こうなれば、後はしめたもの。シルフは、何処か塹壕を一か所でも突破出来れば、それで勝利だという確信を持っていました。

 

 そして、それを成し遂げるゴルスキィ(エース)小隊が存在する事も知っていました。

 

 こういう場面でこそ輝くのが、エースなのです。決定的な好機をモノにする、戦場全体の勝敗を決する戦果をもたらす存在。

 

 

 ……そう。個人で戦況を動かせる人物こそ、エースの名を許されるのです。

 

 

「中央の敵軍が、こちらに突撃してきました」

「む、何だと!」

「背後を取られて、焦ったんでしょうな。冷静に追い返せば良いでしょう」

 

 ここでシルフに一つだけ、小さな誤算がありました。

 

 ゴルスキィさんの突撃成功で作戦は見事に成功したかに見えたのですが、不運な事に敵にも傑物は混じっていたのです。

 

「突出してきた敵の小隊の一つが、我らの塹壕を突破しました」

「は?」

 

 そう。

 

 それは名前も知らぬ、まだほとんど実戦経験も無い、若手の指揮官でしたが────

 

「敵部隊、まっすぐこの幕舎に向かってきています」

「ちょ、ちょっと待て」

「何処から嗅ぎつけたのかわかりませんが、敵はこの司令部の位置を知っているようです!」

「げっ、迎撃を!」

 

 恐らく将来は『エース』の称号を手にしたであろう、勇敢で有能な小隊長が敵にも居たのです。

 

 その部隊はすさまじい勢いで侵攻し、我々の防衛網を突き破って司令部に迫りました。

 

 敵は野生じみた勘で周囲を圧倒しながら、この『ブレイク将軍が居る司令部』へ突撃してきたのです。

 

「中央軍に通達、攻撃を中止して反転せよ! 侵入してきた敵部隊を背後から討つよう命令を出せ」

「待ってください司令、中央付近の兵は塹壕突破に必要です。後方に控えさせている予備兵力を迎撃に向かわせて」

「それでは遅い、ここに敵が来たらどうする!」

 

 この敵のがむしゃらな突撃が、実に強烈でした。

 

 たった1小隊ですが、中央突破されたことで、こちらの侵攻作戦がほぼ機能停止してしまったのです。

 

「今が千載一遇のチャンスです、此処を逃したらもう塹壕の突破は難しい」

「だが司令部を叩かれるわけにはいかん。指揮系統を失えば軍は瓦解する」

 

 この機会を逃したくないシルフは予備兵力で何とか対応したかったのですが、ブレイク将軍は中央軍を引き返しての防衛を即断しました。

 

 実際、この未来のエース小隊に司令部を叩かれたら、軍は空中分解していたでしょう。

 

 なので、ブレイク将軍の判断は誤りではありません。

 

「多少は博打をしないと、本当に勝てなくなりますよ!」

「知らん!」

 

 しかしシルフは「このタイミングを逃したら二度とヨゼグラードは取れない」事を良く知っていました。

 

 ソリによる突撃なんて奇策が通じるのは一回こっきり。

 

 それも中央突破に時間がかかれば、奇襲部隊は鎮圧されてしまうでしょう。

 

 だからこそ、今しかないのです。

 

「おそらく敵はエース部隊だ、遊撃部隊を呼び戻していたら間に合わん!」

 

 しかしブレイク将軍は、何かしら確信があったようで。

 

 彼は中央軍を撤退させ、突破してきた敵のエース部隊を迅速に包囲し、殲滅させるよう指示を出しました。

 

 

 

 

「ほうら、見ろ。敵はもうここまで来ていた」

 

 臆病な男だからこそ、何かを感じとっていたのでしょう。

 

 敵の侵攻速度はすさまじく、シルフの言う通りに遊撃部隊を移動させていたら間に合わない速度でした。

 

 もしシルフの言う通り博打に出ていたら、司令部を潰されていたでしょう。

 

 ブレイク将軍の采配が当たった形になります。

 

「これが敵将だ」

「うわ、むかつく顔をしていやがる」

 

 その、凄まじい執念の短期突破を成し遂げた若い男の指揮官は、やり遂げた顔で雪原を赤く染めて死んでいました。

 

 この男はたった1部隊で、自らの命と引き換えに千載一遇のサバト政府軍の攻め手を潰して見せたのです。

 

 エースになりうる凄まじい才能と能力を持っていたその男は、歴史に名を語られる事も功績を称えられる事もないまま、ブレイク将軍の臆病な指揮により殺されてしまいました。

 

「よし、よしよし。危ない所だった、冷や汗をかいたぞ」

「……」

 

 それと同時に、シルフはサバト政府軍の敗北を確信しました。

 

 運が悪かったのか。はたまた、運命だったのか。

 

 主力である中央戦力を引き返してしまったので、きっと戦列はガタガタになっているでしょう。

 

 今から再度侵攻しようにも、恐らく中央部の塹壕は敵に制圧されています。

 

 シルフの頭脳が捻り出した千載一遇のチャンスは、こうしてたった1部隊の活躍により潰されたのです。

 

「……負け、ですね」

「何を言うシルフ、貴様」

「今日がヨゼグラードを取り返す、最後のチャンスでした。これ以上は被害が増えるだけ、撤退を進言しますブレイク司令」

 

 シルフ・ノーヴァはブレイク司令に、そう提案しました。

 

 彼女はとうとう、無茶が過ぎる暴走進軍のツケを払う日が来たのだと悟ったのです。

 

「いや、今日も優勢だっただろう。時間を掛ければ十分に勝機はあるはず」

「今日が、最後の優勢に戦える日でした。私たちは、あまりに多くの将兵を失いすぎました」

 

 この時点で、ヨゼグラード攻略戦であまりに多くの被害者が出ていました。

 

 ヨゼグラード攻略にあたり、動員された兵士は東方司令部から約5万人ほど。そのうち、既に半数近くが死亡・脱走していました。

 

「潮時です」

 

 兵士の士気は低く、毎日のように凍死者が出ています。

 

 物資運搬も自転車操業で、多くの被害が出たからこそ逆に足りている状況でした。

 

 そして乾坤一擲の奇策も未来のエースに防がれてしまい、サバトの誇る天才もとうとう打つ手がなくなってしまったのです。

 

 これ以上は何をやっても、勝ち目はない。ただ徒に、兵士を消耗するだけである、と。

 

「もう、本当に無理なのか」

「閣下。それは閣下自身が、一番よくご存じでしょう」

「貴様から、また何か妙案が聞けると信じていたが」

「私の能力不足をお詫びするところです」

 

 シルフにそう断言され、ブレイク将軍は苦々しく臍を噛みました。

 

 彼自身、もともと無理だろうなと感じていた作戦です。

 

 実際に力押しをしてみて凄まじい被害をだし、いよいよ彼もこの無謀さを自覚していました。

 

「……もう、案は無いのだな」

「ええ。私の思い描く先は、今日でヨゼグラード西部を手中に収め、敵の潤沢な魔石弾薬を奪った上にありました」

 

 シルフは今日の攻勢だけは、潰されたくありませんでした。

 

 ここを失敗したら、弾薬も魔石も足りず兵士は凍え、どうしようもなくなるのです。

 

 何としてもサバト軍は今日中に、市街地に到達せねばならなかったのです。

 

「ブレイク司令、総撤退の準備を。今も攻勢を続けている、左右両翼の部隊にも後退の許可を」

「……」

 

 この敗北を引き出した、名も知らぬ労働者議会のエース部隊。

 

 その男のやり遂げた顔を横目に見つめながら、シルフはそうブレイク将軍に迫りました。

 

「……」

「司令!」

 

 しかしブレイク将軍は、この期に及んでまだ迷っています。

 

 その彼の苦渋に満ちた表情に、シルフはこれ以上はゴネさせまいと強い口調で声をかけ、

 

「あ、シルフ様、前線から報告です。ゴルスキィ小隊が、敵の砲兵陣地と市街地の一部を制圧したそうです」

「……」

 

 その報告を聞いて、黙り込みました。



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109話

 

 シルフ発案の氷上渡りソリで奇襲する、後方攪乱作戦は成功しました。

 

 背後の市街地から火の手が上がったことで、敵は明らかな動揺を見せました。

 

「砲撃、来ます!」

「恐れるな、爆風からは吾の【盾】で庇ってやる!」

 

 その動揺を突いて、ゴルスキィさんは勇敢に突撃を敢行しました。

 

 何処か一か所でも塹壕を占拠できれば、そこを足掛かりに友軍も付いてきてくれます。

 

 その最初の一か所を確保する事こそが、エースの仕事でした。

 

「トウリ、【盾】を構えぇい!」

「はい!」

 

 

 

 

 この日の突撃は、いつもと大きく違いました。

 

 それは自分が、『完全に歩兵として』運用されるようになったからです。

 

 ……小隊の人数が減りすぎて、後方で守ってもらう形が取れなくなってしまったそうです。

 

「すまんがトウリ、前に出てくれ。吾の右を固めよ」

「了解です」

 

 自分は、一人で先陣を切って突っ込んでいくゴルスキィさんの右脇に配置されました。

 

 本来、【盾】を扱える兵士は前衛が適正ですからね。

 

 それ以上に【癒】の適性がレアなので、後ろに配置されていただけです。

 

「【盾】と【癒】の使用許可は頂けますか」

「【盾】は、自分の判断で自由に使え。【癒】は確認を取ってくれ」

「ありがとうございます」

 

 突撃の最前列を走るのは、初めての経験でした。

 

 しかし考えれば自分は、たった1年とは言え西部戦線を経験しているので、小隊の中ではベテランです。

 

 むしろ自分が、後ろの兵士を守らねばならないのです。

 

「……」

 

 練習通りに。訓練通りに。自分は姿勢を低くして、小銃を抱え走りました。

 

 見れば正面の塹壕から兵士が銃を構え、真っすぐ自分に狙いを定めています。

 

 遠いので当たるかどうかは不明ですが、守っておくに越したことは有りません。

 

「……【盾】」

 

 自分が咄嗟に出した【盾】は、数発の銃弾を弾いた後に砕け散りました。

 

 その弾丸の軌道の1つは、自分の左胸────まっすぐ心臓をとらえていました。

 

「……っ」

 

 今、自分は死にかけました。僅かでも【盾】を出すのが遅ければ、今ので自分は死んでいました。

 

 これはゲームではありません。銃弾がかすれば怪我をしますし、急所を撃たれたら死にます。

 

「ぎゃああ!」

 

 背後の方で仲間が倒れ、悲痛な声が聞こえました。味方部隊の誰かでしょうか。

 

 ……致命傷でないことを祈るのみです。運が良ければ、後方に運んでもらえるでしょう。

 

「トウリ、また正面の敵が狙っておるぞ!」

「り、了解です!」

 

 こんな恐ろしい場所を、【盾】も無しに走るなんて想像もつきません。

 

 ロドリー君やアレンさんは、こんな戦場をずっと生き延びてきていたのですね。

 

「……え、えい!」

「おっ」

 

 敵の発砲と同時に、自分は正中に銃を振り上げました。

 

 万が一、真正面に飛んできた時に銃を弾けるように。1%でも死亡率が下がるならと。

 

「ここで、死ぬ訳には、行きません!」

 

 敵が銃を撃つ度、自分は必死で銃を振るいました。

 

 怖くて、恐ろしくて、一歩でも早く進めと焦燥に身を焦がしながら。

 

 自分は、あの平和な村でゴルスキィさんに習った宴会芸を、心の支えにしたのです。

 

 

 

 

 ────幸運にも、銃弾が自分の身を掠めることは有りませんでした。

 

 我々は無事に正面の塹壕に到達し、ゴルスキィさんが塹壕に飛び込みました。

 

 直後、塹壕に轟音と雷光が轟き、敵兵は痙攣して倒れました。

 

「制圧完了した! 塹壕に乗り込め!!」

「了解!」

 

 勇敢な彼に続いて自分達も塹壕に滑り込み、無事に拠点を確保出来ました。

 

 自分は息が上がっており、不覚にも尻餅をついてしまいましたが。

 

「……はぁ、はぁ」

「トウリ、銃弾を斬りたいならナイフを使え。小銃を使うと暴発する危険がある」

「は、はい」

「……だが軍用ナイフは、そうか。持ってないのか」

「自分は、代わりに医療用ナイフを支給されました」

「じゃあ、吾のを貸してやる。どうせ吾は槍しか使わん」

 

 バクバクと、心臓の鼓動が早くなっています。

 

 今、自分は初めて自分の力だけで塹壕間を走り抜けたのです。

 

 まるで生きた心地がしませんでした。あんなに多くの銃口を向けられたのは、生まれて初めてです。

 

 歩兵の皆さんは、こんな恐怖とずっと戦っていたのですね。

 

「さて、吾らに友軍が追い付いたら砲兵陣地に乗り込むぞ。周囲を援護する、吾についてこい」

 

 ゴルスキィさんはそのまま塹壕を、横押しで攻略するつもりでした。

 

 塹壕の一部を確保出来れば、背後に回るか横押しで友軍を援護するのが定石です。

 

 今日の勝負は、シルフにより後方が攪乱されて非常に勝ち目の大きい戦いでした。

 

 ここで勝負を決める、とゴルスキィさんも意気込んでいたのでしょう。

 

 しかし、

 

「む、何だか様子がおかしいです」

「どうした、トウリ」

 

 ……ここで、自分は奇妙な事が起きているのに気づきました。

 

「……中央軍が、退いています」

「うん?」

 

 この攻勢における主力────ブレイク将軍の率いる中央主力軍が、何故か早々に撤退していたのです。

 

「どういうことだ? 一気に砲兵陣地まで制圧するんじゃないのか」

「お、おい、敵に塹壕を取り返されて行ってるぞ。まずい、俺達の背後が」

 

 中央の軍が撤退したことで、一気に敵は戦線を押し戻されました。

 

 サバト政府軍の左右両翼は圧迫され、このまま放置すれば退路を失ってしまうでしょう。

 

「何かの、作戦なのか……?」

 

 ゾクリ、と嫌な悪寒が背筋に走りました。『この場に留まっていたら死ぬ』という、臓腑が凍り付くような悪寒が。

 

 しかし自分達にはまだ、撤退命令は出ていません。なのにどうして、中央だけが退いていったのか。

 

 これを意図してやったのだとすれば、シルフは何を考えているのか。

 

「分かりません」

「うむ。だが、吾らに撤退命令が出ていない以上、攻勢を続けるほかない」

 

 ……。これを、シルフが何かを意図してやったと仮定しましょう。

 

 多点同時突破の最中に中央の戦線を崩壊させることにより、何が生まれるでしょうか?

 

「きっと、何か深い理由があるに違いない」

「本当にあの小娘が、そんな色々と考えてるもんかね」

 

 自分も、ゴルスキィ氏と同じ意見でした。自分は今までの、鋭いシルフの策略の数々を目の当たりにしています。

 

 きっと、何か深い狙いがあるに違いありません。現場ではその意図に気付けないような、そんな策があるに違いありません。

 

「単に何かアクシデントが起きたんじゃないんすか。逃げた方がよくないです? 包囲されたら死んじゃいますよ」

「命令も無く、軍人が撤退することなどありえない」

「へいへい。あー、命令に殉じて死んじまったら化けて出ますからね」

 

 そう考えて、自分は退路ではなく前を見ました。

 

 シルフは、砲兵陣地を攻略しろと命じました。そこに、きっと何かヒントがある。

 

 そう、信じて。

 

 

 この時、自分達は撤退を選びませんでした。シルフ・ノーヴァという参謀を信用したから、前へと進んでしまいました。

 

 実際これは彼女の意図した状況ではなく、敵のエース部隊により強引に戦場を動かされたがゆえの歪みだと気づかずに。

 

 

 そう。敵エースの中央突破により、戦線は大きく歪んでしまいました。

 

 敵は、エース級の才能を持った若者の犠牲と引き換えに中央を奪い、政府軍の左右両翼を圧迫していきました。

 

 元々、攻勢側の進軍線は細いです。その細い攻撃線を足掛かりに、塹壕内に潜入し制圧していくのが突撃兵です。

 

 そんな細いラインは、中央主力軍を失って間もなく物量差で分断されてしまいました。

 

 

「……あっ」

「どうしたトウリ」

 

 流石の自分も、その時点で気づきました。

 

 ゾワリと全身に鳥肌が立って、息が出来ないほどに心音が高鳴りましたので。

 

「しまった」

 

 敵に背後を押さえられ、完全に退路を断たれたその瞬間。そこまできてやっと、自分は悟りました。

 

「……後ろ、が」

 

 中央の後退は、シルフの作戦でも何でもなくて。

 

 自分達の居場所が、とっくに死地になっていたという事に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────嫌な予感はずっとしていたのに、どうして撤退しなかった。

 

 自分はすぐさま、気づいた背後の状況についてゴルスキィさんに報告し、これからの行動を相談しました。

 

 完全に背後を断たれ、孤立無援の状態に陥ってしまった事。

 

 自分達1小隊だけでは、砲兵陣地に乗り込んだところで蜂の巣にされるだけだという事。

 

 

 ────何故自分で考えず、作戦の全てをシルフに委ねた。

 

 自分は見誤ってしまいました。戦場をこの目で見て、リアルタイムで行動できるのは自分達現場の兵士だけだというのに。

 

 シルフという優秀な参謀を盲信し、この不利な状況も深い考えがあるに違いないと、思考停止して前へ進んでしまったのです。

 

 

 ────まぁ、兵士としてはそれが正しいかもしれん。

 

 しかし言い訳するならば、自分は指揮官ではありません。

 

 下級兵士である自分は、基本的にシルフの命令通りにしか動いてはいけないのです。

 

 歩兵は何も考えず、その頭脳を指揮官に委ねるのが正しい形。

 

 

 ────それはただ、『シルフが用意した、回答を選ぶだけの兵士』。

 

 そうです。彼女は、戦場をメイキングするのが異常に上手かった。

 

 シルフによって作られた『正答』を、自分はただ選べばよかった。

 

 それは、とても簡単な仕事で。すごく、安心感があって楽な行動で。

 

 

 

 ────なあ。それは、お前が本当に今までやってきた事か?

 

 自分が今まで経験してきた戦場は、そんなゲームのようなものだったでしょうか。

 

 いえ。自分はゲームで、そんな簡単な仕事しかしていなかったでしょうか。

 

 

 

 

「今から、後方に突撃して友軍との合流を図る」

 

 ゴルスキィさんは素早く、そう決断しました。

 

「前に進めば、死あるのみ。吾らに生き残る道があるとすれば、撤退できる後方しかない」

「ほーら、だから言ったじゃないですか」

「うるさい。……異論がなければ、吾が先陣を切る。かなり厚い防衛戦力に見えるが、時間をかけすぎると包囲されるからな。多少無茶でも突っ込むぞ」

「うー、今度こそ死んじまったかなぁ」

 

 きっと、その先は地獄でしょう。

 

 孤立した我々が逃げようとするのを、敵は待ち構えています。

 

 ゴルスキィさんだけなら何とか脱出できるかもしれませんが、自分を含めた他の面々が生き残れる可能性は低いと思われます。

 

「さあ覚悟を決めろ、準備は良いか!」

「提案があります、ゴルスキィ小隊長。後退する前に、少し横押しするのはどうでしょうか」

「あ、横押し?」

 

 この戦場にはどこにも、用意された正答がありません。

 

 今までだってそうでした。戦争で勝つためには「こうすればいい」と、答えを用意してくれる人なんて居る筈が無いのです。

 

「ええ。塹壕沿いに攻め、中央突破している敵兵士の後方を脅かしましょう」

「……それで?」

「敵が素人であるなら、少なくとも1部隊くらいは隙が出来るんじゃないでしょうか。万全の構えで待ち構えている敵を突破するのと、混乱した敵を突破するの、どちらが楽でしょうか」

「む。まぁ、一理はあるか。だが弾薬は足りるか?」

「敵兵の武器は我々と同型なので、倒した敵から弾は回収できるでしょう」

 

 このままでは、自分に生存の目は有りません。

 

 生存の目が無いなら、チャンスが生まれるよう行動していかなければなりません。

 

「少なくとも今、この拠点から後退するのはリスキーと思います」

「確かにな。では、いったん塹壕越しに横を攻めるか」

「はい、お願いしますゴルスキィさん」

 

 自分はそういって槍を握る英雄(ゴルスキィ)の隣で、静かに小銃を構えました。

 

 

 

 

「うわっ! こっちに来た!」

 

 隣接拠点で待ち構えていたのは、幼い癖毛の少年でした。

 

 孤児院で、自分を姉のように慕っていた歳くらいの男の子を思い出します。

 

「革命のてきめ! かくご────」

 

 そのくせ毛の少年兵は、自分に銃を向けましたが────

 

「……」

 

 それよりも早く、自分の小銃が火を噴きました。

 

 狙いを定める時間がかかりすぎです。きっと初陣とかなのでしょうか。

 

 

「……拠点制圧、弾薬も接収出来ました」

「よろしい」

 

 そのまま自分達は、まるで攻勢を継続しているようなノリでどんどん隣接拠点を潰していきました。

 

「いってぇ。オースちゃん、負傷しちゃった」

「……治療許可をお願いします」

「許可する」

 

 最前線の衛生兵は、こういう状況でなかなかに優秀です。

 

 即死でもない限り、大概の負傷は癒せるのです。ガーバック小隊長が衛生兵を欲しがったのもよくわかります。

 

「後方から敵が侵入して来てます。迎撃の準備を」

「ほう、良く気づいたな」

 

 敵は自分達の動向を見て、それなりに慌ててそうでした。

 

 塹壕で背後を敵にウロチョロされるのは、かなり面倒くさいですからね。

 

 かなりの部隊が自分達を殲滅しようと、派遣されてきていました。

 

「どこか、突っ込めそうな拠点はあるか」

「さっきよりはマシですが。……今のところ、生きて帰れそうな突撃拠点は見つかりませんね」

 

 そのお陰で、そこそこ敵の陣形は乱れてはいました。

 

 しかし、現在のゴルスキィ小隊10名で突破出来そうな場所もまた、ありませんでした。

 

 やはり、そう簡単にはいきませんね。

 

 

 しかし、これが当たり前。戦場で「こうすれば大丈夫」みたいな正答がある方がおかしいのです。

 

「成功しても生きて帰れなさそうな突撃拠点ならありますけど、どうしますかゴルスキィ小隊長?」

「生きて帰れなさそうな、って。どういう意味だ」

「ええ、前をご覧ください」

 

 だったら自分は、直感を信じます。

 

 それがどれだけ細い道筋だとしても。万に一つでも生還の目があるなら、諦める理由は有りません。

 

「自分達を包囲しようと躍起になりすぎて、砲兵陣地の一部が攻めやすくなっているんです」

「……おい、まさか」

 

 敵の砲兵陣地の防衛は、かなり薄まっていました。

 

 当たり前です。砲兵陣地を守っていた連中が前進し、我々を追い詰めているのですから。

 

 そもそも今、砲兵陣地に突撃をかけられる部隊はゴルスキィ小隊だけです。

 

 自分達以外の政府軍は後退しているのに、防衛部隊を前進させない理由がありません。

 

「砲兵陣地に切り込みましょう、ゴルスキィ小隊長。そしてもっと、敵を攪乱しましょう」

「……」

「この突撃はきっと無駄になりません。今、苦境に立っている味方への援護にもなります」

「それは、確かに、そうだが」

「賊をしっちゃかめっちゃかにしたその先に、きっと活路は現れます」

 

 状況は絶望的ですが、生き残りを考えるなら単独小隊で砲兵陣地に乗り込むのが一番マシです。

 

 直感が言っています。ここで後方に撤退突撃しても、自分が生還できる可能性はゼロだと。

 

 なので、ここで後退を選ばれるわけにはいかないのです。

 

「自分を、信じてください」

 

 それにここから前に出た方が、味方に対する良い援護となるでしょう。

 

 戦線全体にとっても、ここは前進した方が利益が大きいと思われます。

 

 エース級のゴルスキィさんだからこそ出来る、強引な攪乱作戦です。

 

「前に出るとしたら、どこを狙う?」

「もう少し、右側に移動してから突撃しましょう。そこの配置が薄そうです」

「……なあ、オースちゃん」

「どうかしましたか」

「いや、何でもない」

 

 そんな自分の、口早な作戦提案を聞いて。

 

 いつもは口と態度が悪い男性兵士が、何とも言えぬ顔をしていました。

 

 

 

 

「お前、戦場では笑わないって話じゃなかったのかよ」



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110話

 

 自分は前世から、身の危険を察知するのが得意でした。

 

 これ以上進むとヤバいな、という引き際を本能的に察知出来たのです。

 

 それは自分がただ臆病だったのか、動物的な本能が残っていたのかはわかりません。

 

 ですが、それが自分の1つの特技だったことは確かでした。

 

 

 例えば。

 

 嫌な予感がして曲がり角を立ち止まると、目の前を暴走トラックが駆け抜けていきました。

 

 ある日、給食が口に合わなくてすぐ吐き出したら、学校で集団食中毒が発生しました。

 

 

 ─────そして、例えば。

 

 出発前に言い知れぬ恐怖を感じ、1人ゴネて家族旅行について行かなかったら。

 

 両親の乗った飛行機は墜落し、二人とも帰らぬ人となりました。

 

 祖父母に預けられた自分だけ、生き残りました。

 

 

 

 

 天涯孤独となった自分は学校に行かなくなり、家に籠りました。

 

 そして親の遺産を食いつぶし、大好きだったFPSゲームに没頭しました。

 

 祖父母も、ゲームをしている時だけは楽しそうにしていた自分を止められなかったのでしょう。

 

 自分は現実を忘れてゲーム漬けの日々を過ごし、メキメキと腕を上げていきました。

 

 

 バトルロワイヤル方式のFPSは、自分の特性と非常に相性が良いゲームでした。

 

 何となく狙われている気がする。何となく待ち伏せされている気がする。だから、ここで攻めるのは危ない。

 

 そんな第六感が働くのですから、ゲームの世界で自分は強者でした。

 

 

 引きこもっていた自分は、不安げな祖母を尻目にゲームに興じ続けました。

 

 長い時間をかけて修練を積んだ自分は、やがて神と呼ばれ君臨しました。

 

 随分と、歪んだ神もいたものです。

 

 

 

 

 

 

 

 そんなFPSゲームで、自分が今までやってきたことは単純でした。

 

「敵は砲兵陣地の防衛を割いて、我々を囲みに来ています。これは好機です」

 

 これ以上はヤバいと感じるギリギリまで、攻めるだけです。

 

 無理だと感じたら、退く。やっていたのは、ただこの繰り返し。

 

 バトロワ系ゲームでは攻撃と防御を天秤にかけ、いかに死なず敵を撃てるかのバランスが大事でした。

 

 そのバランス感覚に関して、少なくとも前世で自分の右に出る者はいませんでした。

 

「流石にそれは無茶だ、トウリ。そんなことをすれば退路がますます遠のき、死ぬしかなくなる」

「大丈夫です。自分たちは死にません」

 

 その先に破滅があるなら、自分はそれを察知出来ます。

 

 裏を返せば、自分の直感がいけると感じている限りは、どこまでも攻めるべきなのです。

 

 今まではそれが、勝利への近道でした。

 

「自分は、セドル君を残して死ぬわけにはいかないんです」

「トウリ……」

「少なくとも今、後方に撤退するよりずっと生存の目は有るでしょう。どうか信じてください」

 

 ゴルスキィさん達は、とても胡散臭い目で自分を見ていました。

 

 ……ですが、自分は譲る気はありません。もともと、自分の役割はこうだったはずです。

 

 誰か(シルフ)に指揮を任せて、指示通りに仕事をこなすのが自分の役割ではありません。

 

「ゴルスキィさん。自分は……、自分はまだ死にたくありません」

 

 作戦指揮は、チームのIGL(リーダー)は、いつも自分でした。

 

 あのゲームで世界の頂点を取った時も、自分がチームの司令塔でした。

 

「……砲兵陣地を制圧してから、どうする」

「そのまま突破し、市街地へ侵攻します。家屋を占拠し立て籠もれば、暫く持つでしょう」

「一般市民を攻撃する事になるが、覚悟はできているか」

「流石にこの付近に残っている人に、一般市民はいません。一般人であれば、とっくに避難しています」

 

 自分はただシルフの策を盲信するのではなく、ちゃんと撤退を進言すべきでした。

 

 それが出来なかった反省を生かして、今こそ自分の意見を述べねばならないのです。

 

「現状、市街地への脱出こそ、自分たちに残された唯一の退路です」

「……んー」

 

 

 

 そんな自分の強い提案により、ゴルスキィ小隊は前進する方針となりました。

 

 手薄になった砲兵陣地の防衛網を突破し、そのまま市街地へ駆け抜けていく作戦です。

 

「引くも無茶、攻めるも無茶。どうせ無茶をやるなら、とことん敵さんに嫌がらせしてやろう」

「どうせ俺たちはもう助からねぇんだ。付き合ってやろうじゃねぇの」

 

 どう考えても、1小隊でそれをやるのは無謀が過ぎました。

 

 受け入れてくれた仲間の大半は、「どうせ死ぬなら」というテンションだったと思われます。

 

 しかし無謀が過ぎるからこそ、敵の警戒も薄かったのでしょう。

 

 まさか前進してくるなんて、と裏をかけた面もあったと思います。

 

「あそこ、前に鉄条網が多いからか塹壕内が手薄になっています。小隊長殿の槍で道を開き、制圧してしまいましょう」

「うむ」

 

 そして、我らがゴルスキィ小隊長が全軍で屈指の突撃力を持っていたのも幸いでした。

 

 多少の鉄条網であれば、雷を纏った槍で切り裂いて進めるのです。

 

 誰よりも疾く敵陣に突っ込むその様は、いつかのガーバック小隊長の雄姿を思い出します。

 

「皆、覚悟を決めろ。吾とここで死ぬ覚悟を以て、敵に致命の一撃をくれてやろう」

 

 

 

 

 

「ここで散ることを誉れと思えェッ!!」

 

 前に出ると決めたが早いか、すぐさま自分達は最終ラインの塹壕に突撃しました。

 

 更に前進してくると思っていなかったのか、敵の反応はかなり鈍かったです。

 

 想像以上にスムーズに、塹壕の確保に成功しました。

 

「休むな、畳み掛ける! 砲兵陣地へ銃撃を開始しろ!」

「了解!」

 

 その先には土嚢が積まれているだけの、砲兵防衛陣地があるのみでした。

 

 とうとう自分達は、敵のむき出しの急所に王手をかけたのです。

 

「……あっち、あっちです。あっちが、安全です」

「ほう、成る程。確かに左側が脆そうである」

「じゃあ左に突っ込んじまうか! オースちゃん!」

 

 ゴルスキィ小隊の士気は上々でしたが、それは生き残るという気概ではなく、むしろ「死ぬ前にひと華咲かせてやろう」というテンションでした。

 

 彼らは何かを諦めた笑顔で、ワシャワシャと自分の頭を撫で始めました。

 

 またこういう(ペット)扱いなんですね。人妻なのに。

 

「小隊長、右後ろのストーカーどもから鉛弾の差し入れです。俺達のファンですかね」

「ちっと撃ち返してやりませんか? ファンサービスしてやりましょうや」

「む」

 

 砲兵陣地の手前まで侵攻されて焦ったのか、慌てて敵は引き返し始めていました。

 

 そして自分達に対する攻撃も、苛烈さを増してきました。

 

「ゴルスキィさん。右後方からの銃撃は相手にせず、左に逃げて砲兵陣地を窺いましょう」

「逃げるのか」

「ええ、アレはかなりの手練れ部隊ですね。撃ち合ったら負けそうです」

 

 右後ろから攻撃してくる部隊は、非常に優秀と推測できました。

 

 自分達に安易な撤退を許さぬよう、牽制を的確なタイミングで行っていたからです。

 

 恐らくは、熟練の指揮官の部隊。まともに撃ち合ったら人数差で不利でしょう。

 

「でもよぉ、左に逃げてどうするんだ。そのうち行き止まるぞ」

「左前方の敵を、突破しようと思います。真正面の敵も、少し強そうです」

 

 自分たちの正面にいる敵の練度も、悪くなさそうでした。

 

 土嚢に隠れ均一に兵士を配置する、綺麗な布陣を敷いていました。

 

 まるで教本に載っている図のような、綺麗な陣形です。

 

 教科書通りの動きが出来るということは、きっと優秀な指揮官なのでしょう。

 

「……しかし左前方の部隊は、妙に動きが悪いので」

 

 しかしその隣接部隊、左前方の部隊の動きは非常に乱雑でした。

 

 銃声もまばらに散発してますし、兵士の配置も疎密があって不安定です。

 

 恐らく急造部隊か、指揮官の経験が浅いかどちらかでしょう。

 

「……あんなに頭を出して。実戦経験が、無いんでしょうね」

 

 しかもその部隊の指揮官は、ずっと自分達の位置を『土嚢から首を出しっぱなしで』確認していました。

 

 偵察鏡のようなモノを、使っている様子がありません。

 

 今まで、アレで命を落とさずに済んでいたのは実戦を経験してこなかったからでしょうね。

 

「……狙えますね。銃撃の許可を」

「構わん」

 

 ……3秒だけ、塹壕から頭を出しましょう。それだけ時間があれば────

 

「命中です。今、敵の小隊長と思しき兵士を撃ちました」 

「当てたのか」

「幸運でした」

 

 自分でも、その迂闊な敵の指揮官は撃ち抜けました。

 

 これでも、射撃はザーフクァさんにしごかれているのです。

 

 動かない的ならば、自分はそこそこの精度で狙えます。

 

 

「敵の指揮官を撃った、この混乱を逃すな! この陣地を越えたら市街地に逃げ込める、最後の頑張りだ」

「オオ!」

 

 指揮官を失った部隊は、統制を失い一気に弱体化します。

 

 練度が高ければすぐ指揮権を切り替えられるのですが、あの雑な動きの部隊が上手くできるとは思えません。

 

「砲兵陣地に突入する! 吾に続けぇ!!」

「オオオオォ!!!」

 

 案の定、その部隊は統制が取れなくなって混乱していました。

 

 その隙を逃すゴルスキィさんではなく、凄まじい勢いで土嚢に切り込んで敵兵士を惨殺しました。

 

「動きを止めるな、走り抜けろ! 撃たれた奴は置いていく、死にたくない奴は走れェェ!!」

 

 

 

 

 ゴルスキィ小隊は、その粗雑な部隊が壊滅した隙を突いて砲兵陣地を駆け抜けました。

 

 精鋭の中に連携の取れない部隊が1つ混ざっただけで、穴はこうも大きく広がるのです。

 

 ……そして砲兵陣地に突入さえできたなら、後はやりたい放題でした。

 

「砲兵を撃ち殺せ! 魔石の入った木箱も銃撃、あるいは爆破しろ!」

「了解です」

 

 魔砲兵は、銃器の扱いを得手としません。衛生兵が銃の訓練をしない様に、彼らも銃を学ばないのです。

 

 四方八方から飛び交う敵の銃弾は、時にゴルスキィ小隊の兵士を撃ち抜き、時に乱反射して味方の筈の兵士を傷つけました。

 

「……魔石を破壊するより、砲兵を撃つ方が効果的ですね」

 

 自分は目につく限りの砲兵を、撃って撃って撃ちまくりました。

 

 致命傷かどうかは気にしません。当たるだけで良しとしたのです。

 

「このまま市街地へ突っ込め!」

「はい」

 

 敵が貯蔵していた魔石の箱は、味方の手榴弾で爆散しました。

 

 砲兵を守るべく割って入ってきた防御部隊は、ゴルスキィさんの槍の錆になりました。

 

 

 この突撃における、自分の被弾は2発でした。そのうちの一発は斜め方向から、自分の頬を吹き飛ばしました。

 

 口腔内に血が垂れるので、すぐに治療許可を頂けました。顔面に被弾したのは初めてです。

 

 しかし、撃たれたのがほっぺで助かりました。もうちょっと角度が内側なら、眼や脳を撃ち抜かれていたでしょう。

 

 

 被弾が少なかったのもラッキーでした。

 

 必死に走り抜けたから、たった2発の被弾で済んだのです。

 

 少しでも止まったら、きっと囲まれて殺されていました。現に、滑って転んだ味方兵士は即座に蜂の巣になっていました。

 

 自分が生き残れたのは、本当に運が良かったからとしか言いようがありません。

 

 

 

 ゴルスキィ小隊が包囲されてから、砲兵陣地に突入し、市街地まで駆け抜ける間の戦闘時間は30分もありませんでした。

 

 ノロノロしていたら、きっと完全に退路を失って全滅していたでしょう。

 

 だからゴルスキィさんが果断即決で、自分の提案を受け入れて前進してくださったからこその成果です。

 

「……」

 

 そしてこの30分で、ゴルスキィ小隊の生存者の半分が死にました。

 

 5名の兵士が極寒の雪上に、鮮血を撒き散らして殉職しました。

 

 これは自分の無茶な提案が原因での、死亡です。

 

 単独小隊で敵の砲兵陣地を正面突破など、無謀が過ぎたのです。

 

 全員での生還など、元より不可能だったのでしょう。

 

 

 ……ですが。あのまま退いていたら全滅もあり得たと思います。

 

 なので。その5名の小隊メンバーを救う事は最初から不可能だったと、割りきらねばなりません。

 

 ラキャさんの時のように引き摺って、迷惑をかけるわけにはいかないのです。

 

 

 

 

「一旦、あの家に隠れよう。周囲に敵がいないうちに」

「了解です」

 

 砲兵陣地を走り抜けたあと、自分達は市街地へと攻め込みました。

 

 市街地まで来ると、迎撃してくる兵士の数はかなり減りました。

 

 哨戒部隊からの迎撃を受ける程度で、殆どはゴルスキィさんの威容を見て逃げ出していきました。

 

「ゴルスキィ小隊長ォ……、右目が見えねぇッス」

「手榴弾の爆風にやられたな。トウリ、治せるか」

 

 そして敵を撒いたタイミングで、自分達は民家に侵入し隠れることができました。

 

 まだ敵に囲まれている状況ですが、ようやく一息つけました。

 

「すみません。回復魔法では、眼は再生しません。……失明は治せないんです」

「だろうな」

 

 この間、兵士に目の医療依頼を受けました。しかし残念ながら、眼は【癒】を使っても回復しません。

 

 再生力が弱い臓器だから【癒】が効かないのだそうです。

 

「片目が見えねぇくらいなんだ。俺達ぁまだ生き残ってんだぞ、それだけで幸運だ」

「……違いねぇ」

「へへへ、まだまだ暴れ足りねぇよ。もっともっと奥へ突き進んでやる」

 

 そんな満身創痍の状態でしたが、ゴルスキィ小隊の面々は殺る気十分でした。

 

 ……これは、死を覚悟しているからこその高揚でしょう。

 

 兵士は死を覚悟した時、心が軽くなってテンションが高くなるみたいです。

 

「少し休んで、また暴れましょうや」

「うむ。……まさか、ここまで来れるとはな」

 

 ゴルスキィさん自身も、死を覚悟していたように思います。

 

 自分の「生き残るために」という説得など、誰も信じていなかったのでしょう。

 

 どうせ死ぬなら、最期のひと華。

 

 それは兵士として戦場に立つ者なら誰もが一度は妄想する、理想の死に様の1つでした。

 

 ただ何でもない普通の戦闘で死ぬより、命がけの特攻で劇的に死んだ方が格好いいと思っているのでしょう。

 

 

「いえ、ゴルスキィ小隊長。ここで戦闘を終了しましょう」

「お?」

「戦術目標は達成しました。そして、これ以上の前進は危険です」

 

 

 その主義思想はわからなくもありません。

 

 ですが自分は、まだそんな劇的な死に様を求めてなどいないのです。

 

「……じゃあ、今からどうする」

「待っていれば良いです。それで、きっと生還できます」

「待つ、って何をだ?」

 

 ここから先に進むことに、恐らく意味はありません。

 

 本当に、ただ劇的に死ぬことが出来るだけ。

 

 それは自分の望むところではありません。

 

「そりゃ、奇跡が起こるのを待つんです」

「おいおい」

「良いから信じて待ちましょう」

 

 自分達はやれるだけの事をやりました。

 

 敵の撹乱、砲兵陣地の破壊工作、そして中央の敵の撤退陽動。

 

 ここまで戦況が有利な状況になるようお膳立てされて、あの怪物がじっとしている訳がないのです。

 

 

「聞こえませんか。先程自分達が駆け抜けた陣地から響く、鬨の声が」

 

 

 今日の戦闘のどこまでが、彼女の想定通りだったのかはわかりません。

 

 少なくとも中央陣地を突破され、シルフ中隊が塹壕に取り残されたこと等は想定外だったと思います。

 

 自分達ゴルスキィ小隊以外の取り残された部隊は、ほぼ全滅してしまっていましたので。

 

 

「確かに、声が聞こえてくる」

「何だ? 戦場で何が起こっている?」

 

 

 一方で、万が一を考え色々と作戦を練っていたのもまた事実だと思います。

 

 彼女が作戦開始前に「砲兵陣地を目指せ」の命令を出したのは、きっと「万一の時は無理に撤退するより前に出てくれ」という今の自分達の行動を想定した上での命令だった気がします。

 

 その証拠に、シルフの命令通りに砲兵陣地を駆け抜けた自分達は、

 

「……味方だ。味方の部隊が、塹壕を突破して市街地になだれ込んできているぞ!」

「生き残れるんだ! 俺達、生き延びちまった!」

 

 自分達を追いかけるように攻勢に出たサバト軍により保護され、無事に生還を果たしたのでした。



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111話

 

「よくやったな、ゴルスキィとその勇敢な部下たち」

 

 味方に保護してもらった自分達は、すぐ衛生部に運ばれました。

 

 そこでメディカルチェックを受けると、みんな思った以上にボロボロでした。

 

 自分の撃たれたほっぺは小さな傷が残るそうですし、何本かの足指は凍傷で壊死しかかっていました。

 

 片目を失った兵士もいますし、凍った足を切り落とすことになった兵もいました。

 

「貴様らは英雄だ、後日に表彰してやるぞ。……だから今日は休め」

「休め、ですか」

「勝利の立役者に対するご褒美だ。旨い酒と肉も用意させよう」

「やった!」

 

 彼女はそう言って自分の、治したばかりの頬を優しく撫でました。どうやら休暇がもらえるようです。

 

 この日のシルフは、いつになく優しい顔をしていました。

 

「一生ついていきますぜシルフ様!」

「今日は随分と、素直に喜ぶのだな。いつもはクソガキだの散々な言い草のくせに」

「口の悪いアイツは、もう雪原の奥に旅立っちまいましたから」

「……そうか。あの口が悪い男も逝ったのか」

 

 そう呟くと、少しだけシルフは哀しそうな顔をして。

 

「阿呆もいなくなれば、寂しいものだ」

 

 軍服を翻し、去っていきました。

 

 

 

 

 

「シルフ様も話が分かるじゃねぇか」

 

 その日は、本当に休暇を貰えました。

 

「俺はこの後、どうなるんだろうなァ」

「片足じゃあ戦えねぇだろ。退役じゃねぇの」

 

 更に部隊全員に、一瓶のヴォック酒と士官用の温かな食事を配給もされました。

 

 民家の一角を借り受けた我々は、暖かな暖炉を囲みゆったりとした時間を過ごせました。

 

「お、机の引き出しにチョコレートが隠してあったぞ。この家主のものかな」

「食っちまえ食っちまえ、明日には死んじまうかもしれないんだ」

 

 ゴルスキィさんを入れて、生き残った兵士は5名です。

 

 そのうち片目を失った兵士と片足の無い兵士は、この後の戦闘に耐えられないでしょう。

 

 ゴルスキィさんも防弾装備の部分に銃撃を受けて、肋骨を折っているそうです。全治一週間ほどだとか。

 

 ゴルスキィ小隊は、暫く機能停止ですね。

 

「申し訳ありませんがグレシュ1等兵殿は、酒を飲まず安静にしてください。傷が開きますよ」

「えーっ!」

「完治してから飲めばいいじゃないですか。酒は無くなりません」

 

 負傷したメンバーのアフターケアは、自分に割り振られました。

 

 逆に言えばそれしか仕事は振られず、重傷な人は適当なソファに寝かせておきました。

 

「あの状況から生還できるとは、吾も悪運が強い」

「悪運ではありません。ゴルスキィさんの雷槍あってこそでした」

「何を言うトウリ、ほぼ貴様の功績だろう」

 

 話しかける相手がいなかった自分は、ゴルスキィさんの傍に座りました。

 

 ゴルスキィさん以外の人とは、テンションが違い過ぎて話しにくいのです。

 

「貴様は冷静だったな。誰よりも狂っているように見えて、誰よりも生きることに貪欲だった」

「そりゃあ、自分の帰還を待っている子がいますから」

「そうか」

 

 流石の金色の英雄も、今日ばかりはくたびれた顔で無精髭を生やし、静かに酒を呷っていました。

 

 彼には、相当な無茶を強いてしまいました。

 

「そういえば、吾にも居たな。帰りを待つ家族が」

「そうでしょう」

 

 ゴルスキィさんがチビリと酒を飲むのに合わせ、自分も静かにヴォック酒を口に含みました。

 

 非常に濃いお酒ですが、少しづつ口に含めばそう悪酔いはしないのです。

 

「……実は、シルフから密命があった」

「密命、ですか」

「トウリの提案は最大限採用しておけ、密書にそう書かれていた。シルフは、貴様を随分買っていたようだ」

「えっ」

 

 ここで自分は、意外な事実を知りました。

 

 ゴルスキィさんは、自分の提案を妙に採用してくれるなと思っていたのですが……。

 

「特に『窮地に陥った時は頼ってみろ』と書いてあった。正直なところ、まだ若い貴様の案を採用するのは不安だったが……」

「シルフが、どうして」

「その理由は、貴様自身が証明して見せただろう」

 

 何とシルフは、自分の提案を採用する様な命令をゴルスキィさんに下していたのです。

 

「教えてくれ、貴様には何が見えていたんだ?」

「何が見えているか、と聞かれましても……」

 

 彼女は一体、自分をどのように考えているのでしょうか。

 

 妙に買われているなとは思っていましたが……。

 

「自分は死にたく、ありませんでした」

「そりゃあ、誰だってそうだろう」

「自分の帰りを待っている、セドル君の顔を曇らせたくありませんでした。どうすれば生き残れる可能性が高いかって、必死で考えました」

 

 自分は、ただ臆病な小娘です。

 

 この血と泥に塗れた場所で自分は、前世のFPSゲームみたいに百発百中のエイム力も画面内の敵を発見する技術も持っていません。

 

 ただ、

 

「そしたら自分の中の誰かが、教えてくれたんです。『どうすれば、生き残る可能性が高いのか』を」

「幻聴か」

「そうかもしれません。そしていつも、自分の中の誰かの声に従えば、死なずに済むんです」

 

 何となく「この先には破滅が待っている」という根拠の無い直感だけが、今の自分を支えてくれています。

 

「幻聴が聞こえる兵士は、たまにいる」

「そうなんですか」

「ストレスに耐えかねた者が、精神を分裂させることで心の安定を得るのだそうだ。心が壊れたから聞こえる幻聴ではなく、心を(・・)壊さぬ(・・・)ために聞く幻聴らしい」

 

 自分の中から聞こえてくる声についてゴルスキィさんに話すと、彼は困ったように眉をひそめて、自分に教えてくれました。

 

 戦場での、幻聴への向き合い方に。

 

「心が壊れた者の幻聴は、大体が呪詛だ。死んでいった仲間の恨み節や視線が、頭にこびりついて離れなくなる」

「……それは。自分も、経験があります」

「そうか。吾もある」

 

 ゴルスキィさんも幻聴を聞いた事がある、と聞いて驚きました。

 

 勝手に目の前の偉丈夫は、そんな心の葛藤とは無縁と思いましたが、

 

「長く戦場にいると、一度は聞くもんだ」

「……」

 

 よく考えればゴルスキィさんにも新兵だった時代はある訳で。

 

 その時に色々と経験を積んで、今の彼に至ったのです。

 

 きっと、自分が悩んでいる葛藤などはすべて経験済なのでしょう。

 

「そういう兵士は休養を取らせるか、何かしらの強い意志で乗り切るしか治す方法はない」

「強い意志、ですか」

「ああ。吾にも、青臭い時期があったのだ」

 

 ゴルスキィさんは苦笑いの顔でそう言って、恥じるように顔を背けました。

 

 きっと彼は、強い意志でその幻聴を乗り切ったのでしょう。

 

 自分が幻覚に苛まれた時は、ロドリー君に抱き着いて寝て治しましたっけ。

 

 今思うと、ロドリー君が勘違いしても仕方ないようなことしていますね。

 

「しかしそれとは別に、自分の中にもう一人の人格があり、ソレが語り掛けて来るという幻聴を聞くものもいる」

「……はい」

「この場合も同様に、休養を取らせるケースが多いのだが……。これが、なかなか治らない」

 

 ゴルスキィさんは、そう話を続けました。

 

 ……彼が言っているのはきっと、2重人格症と呼ばれるモノなのでしょうか。

 

「戦争神経症の一つらしい。兵士が戦場のストレスに耐えかねた際、もう一つ人格を作り出し精神の安定を図るのだと、知り合いの衛生兵は言っていた」

「もう一つの人格、ですか?」

「そうだ。その場合、作られる人格は『戦場に適応した自分』が多い。戦場の死や暴力に恐怖を覚えず、どんな時も冷静に行動でき、やがては戦場を楽しみ始める」

 

 そう言った人格に体を任せた方が、心が楽になるからな。

 

 ゴルスキィさんはそう言って、心配げに自分を見つめました。

 

「トウリよ。その『声』とやらが聞こえてきたのはいつからだ? 戦争に参加してからか?」

「はい、そうです」

 

 そう言えば自分の中で誰かの声が初めて聞こえたのは、確かゴムージと共にマシュデールの市街地を突破した時でしたっけ。

 

 あの時も、確か自分は窮地に立たされていました。

 

「……無理をせず、ゆっくり思い返して欲しいのだが。トウリ、貴様の心の内から聞こえてくるという声は」

「はい」

「戦場に適応した自分の声だと、そう感じたことは無いか」

 

 そしてゴルスキィさんは言葉を選びつつ、真剣な目で、

 

「そしてトウリ。貴様は今、自分が正気であると断言できるか?」

 

 そう、聞いてきました。

 

 

 

 

 

 自分のもう一つの、人格。

 

 戦場という異常なストレスに暴露された状況下で、精神を安定させるために生まれたもう一人の自分。

 

 その説明は、これ以上無くすっと自分の中に受け入れられました。

 

「そう、でしたか」

 

 自分は、精神の弱い小娘です。

 

 殴られるのは嫌ですし、戦友を失うのは怖いですし、自分が死ぬのなんて考えたくもありません。

 

 だから、自分が死ぬかもしれない状況になると、パニックを起こしていたのです。

 

「トウリ、どうした」

「いえ。とても、納得のいく話をありがとうございます」

 

 自分がパニックを起こしてしまった時。自分は、前世の栄光を頼ったのでしょう。

 

 FPSで世界覇者になったという、前世の自分の誇れる唯一の記憶。

 

 常に冷静で、どんな苦境からでも逆転して見せた、天才ゲーマーとしての『人格』。

 

「自分は、自分が思っていた以上に、心が弱かったみたいです」

 

 自分は前々から、窮地に陥ると妙に冷静になりました。

 

 大事な人を失った悲しみや、死んでしまうかもしれないという恐怖から解放され、どこまでも冷静沈着に行動をすることが出来ました。

 

 それは自分が戦争に慣れていたからではなく、弱すぎる自分が作り出した虚栄の人格に切り替わっていたのでしょう。

 

 戦場のストレスに耐える為に。そして、冷静に生き残る手段を見つけ出す為に。

 

「ありがとうございます、ゴルスキィさん。一つ、自分を知れました」

「そうか。……それで、大丈夫なのか」

「ええ、大丈夫です。自分は正気です」

 

 なんてことはありません。自分は心の防衛反応として、落ち着いて冷静に行動できる人格を心のうちに飼っていただけです。

 

 そして土壇場において、冷静になれるメリットは非常に大きい。

 

 それがたとえ、苦境に在ってなお『ゲームのように戦場を楽しむ』ような変態人格であっても。

 

「きっと今は、アレが正気なんです」

 

 すぐにパニックを引き起こすような、脆い精神(こころ)の自分に命を預ける方が狂気的です。

 

「そうか。では精神に不調があれば、すぐ申告しろ」

「了解です、ゴルスキィ小隊長」

「ソレは、今はとても有用に感じるかもしれないが……。全てが終わって平和になってから、ゆっくり貴様に牙を剥くやもしれん。あまり頼りすぎるな」

 

 ゴルスキィさんはそう言って、大きな掌で自分の頭をワシャワシャと撫でました。

 

 まるで、泣く子をあやすときのように、乱暴に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の攻勢は、夜まで続きました。

 

 我々サバト連邦政府軍は速やかに首都の東区画を占拠し、市街に防衛網を構築したそうです。

 

「川上からソリで滑って市街地を奇襲した部隊と、単独で敵塹壕を突破したゴルスキィ小隊の面々に、勲功第一として褒賞を与える」

 

 このヨゼグラード侵攻の勝利の立役者となったのは、命を顧みず特攻して後方をかく乱した奇襲部隊と、塹壕を正面突破して大いにかく乱した我々と言う事になりました。

 

 サバト兵の中でゴルスキィさんの凄まじさが改めて周知され、部隊が再編される折にゴルスキィ小隊へ所属の希望が殺到したそうです。

 

 いっそゴルスキィさんを中隊長格に格上げしようという動きもあったのですが、

 

「中隊長になると、後方で指揮を執る事になる。ゴルスキィを最前線で用いないのは勿体ない」

 

 と、結局ゴルスキィさんに与えられたのは増強小隊のままでした。

 

 最前線で突っ込むのは小隊長まで。中隊長にもなると戦死した場合の指揮系統の乱れが甚大なので、最前線に立つわけにはいかないのです。

 

「要は、いつ死んでも構わんという扱いよ。突撃兵とはそう言うものだ」

 

 ゴルスキィさんはその扱いに不満は言わず、「後ろでアレコレ指示を出すのは性に合わん」と言って笑いました。

 

 勇敢なゴルスキィさんが最前線を走ってくれるからこそ、我々も安心して付いて行けるのです。

 

「ここだけの話な。吾は負傷退役でオセロ村に戻った事を後悔していたのだ」

「それは、どういう理由ですか」

「吾には何もなかったんだ。家族も、村の友人も、皆が吾を尊重して慮ってくれた。だけど、ただむなしかった」

 

 彼はヴォック酒を飲んだ時、自分にそう愚痴りました。

 

「仲間が逝った戦場こそ、吾の死に場所だ。そう決めていたのに1人安穏とした村に帰って、ポッカリと胸に穴が空いたようだった」

「……」

「戦場に適応するという事は、戦場に死を求めるという事だ。戦場に慣れすぎるなよトウリ。お前はまだ、死を求めるには若すぎる」

「……はい」

「吾が今まで、どれほどの人間を殺してきたと思う。そんな人殺しが、安穏とした生活を送る裏切りを誰が認める。この世の誰が許そうと、この吾が許さんのだ」

 

 その言葉を聞いて。

 

 自分はかつてガーバック小隊長が、これ以上無く嬉しそうに『殿』を買って出た理由の一端を理解した気持ちになりました。

 

「突撃兵は、戦場の死でしか救われない。ベッドの上で大往生など、夢物語でしかない」

 

 ゴルスキィさんは獅子のように勇敢で、象のように優しく繊細な男でした。

 

 彼はとっくに死を受け入れて、兵士である事に殉じていたのでしょう。

 

 ガーバック小隊長が同じような事を考えていたかは知りませんが、

 

「ではゴルスキィ小隊長。貴方はベッドの上で死ぬのではなく、仲間の為に戦い殉職する事こそが突撃兵の救いだと、そうおっしゃるのですか」

「その通りだ」

 

 彼の言う事が本当なら、ガーバック小隊長はこの上なく救われていたと。

 

 そう、考えても良いのかもしれません。




ノロにかかって地獄を見ていますので、次回更新を1日遅らせて1月9日にさせてください。


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112話

 

「もうすぐ勝つらしいぞ、俺ら」

 

 暖かな家屋で、ゆったりと休暇を過ごした日の夜。

 

 自分達は周囲を哨戒する兵士から、そんな噂を聞きました。

 

「今日で既に、首都の半分を掌握したんだとさ」

「そりゃ有難いね。早く故郷に帰ってヴァーニャを浴びたいよ、俺ぁ」

 

 その噂によると、我々の勝勢はほぼ決したようでした。

 

 敵将トルーキーは、こんなに急に市街戦へ持ち込まれると考えていなかったのでしょう。

 

 市街地内の敵の防衛網は、驚くほど薄かったみたいです。

 

「敵の占領下にあった市民も、どんどん解放していってるそうだ」

「反抗的だけどな。奴ら、俺達に感謝するどころか怨んでるぞ」

 

 トルーキーは首都ヨゼグラードを囲むように、何重も塹壕を用意していました。

 

 その塹壕の造りは強固で頑丈でしたが、逆に言えばそれだけしか準備する時間は無かったのです。

 

 こちらが物資を準備する時間が無かったように、労働者議会も万全の備えをする時間はありませんでした。

 

 サバト高官に急かされ電撃的に奇襲したメリットが、ようやく出た形です。

 

「ま、敵テロリストを追い出せば市民も大人しくなるだろ」

「出来ればさっさと、戦闘を終わらせたいね」

 

 労働者議会側は絶対に、塹壕を突破されてはいけませんでした。

 

 彼らの被害は、大事な防衛網を丸ごと失っただけ(・・)に留まりません。

 

 我々は暖かな寝床を確保出来てしまったので、時間稼ぎされても困らなくなりました。

 

 ただ塹壕を守るだけで我々が自滅する、労働者議会にとってのボーナスタイムは終わってしまったのです。

 

「……うーん」

「どうした、オースちゃん」

「いえ、何だかイヤな予感がしまして」

 

 それはあまりにも都合の良すぎる、トントン拍子での成功でした。

 

 自分たちが死ぬ思いで敵中を突破したからこその、この成功だと言われればそこまでなのですが……。

 

「何だか上手く行きすぎている気がします」

「上手く行っているなら良いじゃねぇか」

「いや、トウリは正しいぞ。好時こそ災いありという。上手く行っている時こそ警戒を強めねばならん」

 

 敵の参謀本部は今頃、顔を真っ青にして頭を抱えている事でしょう。

 

 我々の勝利は目前。何なら、降伏や逃走を視野に入れているかもしれません。

 

 そんな圧倒的に有利な状況だというのに。自分は何となく、この状況すら『誰かの掌で踊らされている』ような予感がしたのです。

 

 これが考えすぎなら、それに越したことはありません。しかしなるべく油断せず、冷静に任務に就きましょう。

 

 そう心に決めて、自分はブリーフィングに臨みました。

 

 

 

「ははは、心配などいらんよトウリ。もう勝ち戦だ」

「今の状況が、敵の狙い通りという事はないですか」

「ありえん」

 

 その日の晩、シルフは自分達の滞在する家屋に戻ってきて、ささやかな宴会を開きました。

 

 後日、ゴルスキィさんは小隊を代表して表彰されることになるそうです。

 

「確かに、敢えて敵を街内に誘い込んで包囲するという作戦もあるだろう」

「はい」

「だが、そんな作戦を実行するより塹壕を守り続けた方が強かろうな」

 

 その席で、自分は酔っぱらったシルフに捕まりました。

 

 彼女はご機嫌で、チェス盤を開いて自分に相手をさせました。

 

「むしろ、敵が市街地を囮にするような連中なら与しやすい。せっかく得ている民衆の支持を失いかねん、愚かな策だ」

「……それは、確かに」

「まぁ、苦し紛れにその策へ切り替えてくる可能性はあるだろう。この私が、引き込んでの包囲などという稚拙な策に引っかかる筈はないが」

 

 彼女は、もう勝利したかのような言い草でヴォック酒を飲んでいました。

 

 眉間にシワが寄っていないシルフを見たのは、初めてかもしれません。

 

「トウリ。この戦いに勝利すれば、貴様はゴールだ。約束通り、それなりの家と財産を用意してやる。思う存分、子を愛でて育てるといい」

「ありがとうございます」

「……だが私にとっては、この戦いに勝利する事がゴールではない。スタートラインに立つだけだ」

 

 そう断言するシルフは、やはり嬉しそうに見えました。

 

 流石の彼女も、完全勝利を前にすれば浮かれるのでしょうか。

 

 いえ、どちらかと言えば「もう殺さずに済む」ことを喜んでいるのかもしれません。

 

「ここまでは、何とかなった。まぎれもなく貴様のお陰だ、礼を言う」

「……いえ」

「ここからは、私が。出来る事を、成していかねばならん」

 

 シルフは酒で頬を赤らめながら、何かを思い白い息を吐きました。

 

「やっと、やっとこの馬鹿げた戦いを終わりに出来る。もう誰も、殺さずに済む。私達が愛した平和は目の前だ」

「はい」

「明日、最後の決戦を行う。ゴルスキィ小隊の再編も、手配してある」

「最後、ですか」

「ああ。負傷している所悪いが、ゴルスキィにもひと頑張りしてもらう。もう少しだけ、私に力を貸してくれトウリ」

「……はい」

 

 シルフは、自分のその肯定の返事に、心底嬉しそうな笑みを浮かべました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 

 我々は手痛く負けました。

 

「……」

 

 どうやら敵は、一夜漬けで市街地内に我々に対する布陣を構築したようでした。

 

 まだ未完成ながら、敵はしっかり防衛網を敷いていたのです。

 

 だというのに、昨日の勢いのままブレイク将軍は勝てると踏んだのでしょう。

 

 彼は自信満々で、無策での正面突撃を命令しました。

 

 そして当たり前のように、防衛側の有利を押し付けられて散々に負けました。

 

「あー、その、なんだ」

 

 しかし、ブレイク将軍がそんな指揮をするのはシルフの想定通りでした。

 

 彼ならやりかねないと予測していたそうです。

 

 なのでシルフは勝つために、ブレイク将軍から別行動を取る許可を得ていました。

 

 その別行動とは─────、敵ゲリラ部隊陣地への奇襲です。

 

「……シルフ様、もう勝ったようなものって昨日言ってませんでしたっけ」

「あー」

 

 労働者議会勢力は、市街内に潜伏してゲリラ作戦を敢行していました。

 

 街のそこら中に小規模の部隊が隠れ、我々に不意打ちで襲い掛かってきたのです。

 

 隠れる場所の多い市街地では、これが実に効果的でした。

 

 守りの得意なトルーキー将軍らしい、王道で効果的な防御策と言えるでしょう。

 

「……ごめんなさい」

 

 その情報を聞いたシルフは、ゲリラ部隊を叩かないと凄まじい被害が出ると判断しました。

 

 しかし、そこら中に潜伏するゲリラ部隊を一掃するのは困難です。

 

 なのでシルフは、そのゲリラ部隊の補給線を狙いました。

 

 敵のゲリラ部隊の前線補給拠点となっているであろう場所を予測し、そこを襲撃しようとしたのです。

 

 そこまでは、良かったのですが。

 

 

 

 

「完全に読まれていたな」

「死ぬかと思った……」

「何が勝ち戦だ、くそったれ」

 

 その奇襲は、完全に読まれておりました。

 

 意気揚々と突撃した敵陣地は空っぽで、踏み込んだ直後に四方八方から銃撃を受けました。

 

「ゴルスキィ。トウリ。すまん、本当に助かった」

「いえ」

 

 嫌な予感がしていたので、自分はシルフに『負傷中だから』と頼んでゴルスキィ小隊を後方確保する役目にしてもらっていました。

 

 そのお陰で、囲まれた瞬間にゴルスキィさんが包囲の穴をあけ、脱出路を確保出来ました。

 

 ゴルスキィさんが居なければ、本当に全滅もあり得ました。

 

「流石に、舐めすぎていた。何たる、何たる無知蒙昧」

 

 ……とまぁ、これもシルフの悪癖というか、弱点と言えました。

 

 若い彼女の提案する作戦は、全てが期待値で計算されていたのです。

 

「……ここに補給拠点があって、叩けていたら戦闘が終わっていたんだ」

「ここには無かったっすケドね」

 

 シルフは常に、その時に考え付く中で一番期待値の高い作戦を選択していました。

 

 多少リスクが有ろうと、成功した時のリターンが大きければ採択してしまうのです。

 

 彼女はそんな指揮官だったので殆どの戦闘で圧勝するのですが、運が悪いとあっさり負けてしまう事もありました。

 

 それは、父親ブルスタフが危惧していた『シルフ・ノーヴァの危うさ』と言えました。

 

「まったく、独り善がりも勘弁してくれよ」

「やっぱりガキが指揮官じゃあダメだな」

「……」

 

 もっと安全な攻め手が有ろうと『博打的だがより有効な』手を選択してしまう。

 

 それは彼女なりの、少しでも無駄な被害を減らしたいがための選択でした。

 

 戦闘が長引けば長引くほど、市民から略奪し続けねばならないのですから。

 

「シルフ様……」

「……」

 

 しかし、負ければ元も子もありません。

 

 これは若いシルフにとって初めての、「自らのせいで、被害が増えた」経験だったみたいです。

 

「素直に、ブレイク将軍と肩を並べて進めばよかったのに」

「それはそれで凄い被害が出たんじゃねぇか」

 

 天才にも失敗はある。しかし、兵士にはそれが分かりません。

 

 シルフは兵士達のボヤキを、唇を噛みしめて聞いていました。

 

 

 実際のところ。

 

 ここまでシルフに連敗してはいましたが、敵指揮官トルーキーは決して無能な指揮官ではなかったのです。

 

 サバト軍が奇襲策を繰り返してきたので、今度も何かしら奇襲策があると読んでいたのでしょう。

 

 奇策繰り返すべからず、兵法の基本です。

 

 そんな事を忘れてしまうくらいには、いつの間にかシルフ自身も、敵を舐めてかかってしまっていたのです。

 

「……少し、新しい策を考える。時間をくれ」

 

 シルフ・ノーヴァはそう言って。

 

 あわや壊滅かという危機から脱した日、早々に司令部に戻っていってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 そしてこの日から再び、戦線は膠着しました。

 

 度重なる連勝で我々の勝勢は決したかと思われましたが、想像以上に敵の士気は高いままでした。

 

 そもそも我々は連勝を重ねてはいますが、まだ超不利な戦いだったのを奇策を弄して五分の条件に戻しただけ。

 

 勢いのまま無策で戦いを挑んで、勝てる筈はないのです。

 

「……はぁ」

 

 せっかくヨゼグラードに入った我々でしたが、地獄は続いていました。

 

 いいえ、ある意味でここからが真の地獄だったかもしれません。

 

「流石に敵は良将だ。攻める隙が、まったく見つからん……」

 

 頼みの綱のシルフ・ノーヴァも、とうとう策は出し尽くしてしまったようでした。

 

 いくつかの作戦を立案したのですが、その全てがもうトルーキー将軍に対策されていました。

 

 奇襲に用いられるような地下路、裏路などは全て兵が配置されており。

 

 余すところなく魔法罠が用意されているようで、迂闊に急襲すれば部隊は黒焦げになり。

 

 これ以上街を荒らされてなるものかと、敵の兵士は士気高らかに我々を迎撃し続けました。

 

 トルーキー将軍が指揮を執り続ける限り、シルフは奇策に頼らず正面突破するほか無かったそうです。

 

 そんな訳で、ここから市街地内で長い長い睨みあいが始まることになるのですが……。

 

 

 

「なぁオースちゃん、ちょっと負傷者を見てやってくれないか」

「どうかしたんですか」

 

 確かに市街地を占拠できたことにより、我々は寝床で凍えることは無くなりました。

 

 しかしその占拠した家屋は、元々は誰か市民の所有物です。

 

 我々は誰かの家や財産を奪って、暖かな暮らしをしていたのです。

 

 多くの市民が『家屋を借り受ける』という名目で家を追い出され、市民会館など大きな収容施設に移動させられました。

 

 中には運が悪く、宿泊場所がないので野宿を強いられるケースもありました。

 

 ……それらは、想像を絶するほど市民の恨みを買う行為でした。

 

「市内を哨戒していたら、石が飛んできて頭を怪我したんだ」

「俺は息子を返せって、老婆に切りかかられた。結構パックリいっちまったよ」

「……」

 

 労働者議会はヨゼグラード市民の殆どを味方につけていたため、市街地内で抵抗が相次ぎました。

 

 資産家から分捕った資源を使って食料を分配(・・)していた労働者議会と、「首都を解放するため」という名目で市民から略奪(・・)を繰り返す政府軍。

 

 どちらが歓迎されるかなんて、火を見るより明らかでした。

 

「老婆を撃ち殺したら、市民共から凄い目で見られたよ。放っておけば俺が殺されたかもしれねぇのに」

「あーあ、迂闊に市街も歩けんよ。俺の故郷だってのに」

 

 我々は、侵略者でした。

 

 労働者議会が国を変えようとしているのに、それを邪魔して略奪を繰り返しているのです。

 

 そんなサバト軍に、味方なんていません。我々の命懸けの戦いを、称える人など誰も居ません。

 

「……何のために戦っているのかね。俺らぁ」

 

 最初は市民に配慮していた兵士達も、そんな度重なる嫌がらせに辟易とし始めました。

 

 誰の為に俺達は命懸けで戦っているのか。

 

 地獄の行軍をして此処に来た我々が、何故ヌクヌクと生活していた市民に嫌がらせされないといけないのか。

 

 そんな感情が芽生えるのに、あまり時間はかかりませんでした。

 

 

 

 

 ある日、自分達ゴルスキィ小隊が市内を哨戒していると、家屋の前でトラブルがありました。

 

「やめろ! 私たちはお前らなんか必要としていない! 何故放っておいてくれないんだ!」

 

 どうやら若い女性の市民が、サバト兵に囲まれている様子でした。

 

 彼女は瞳を怒りに染め、キッチンナイフを片手に握り、恐怖に頬を引き攣らせ叫んでいました。

 

「……出ていけ! ヨゼグラードから出て行ってくれ! ここにはあんたらに食わせる飯も、酒も無い!」

 

 その女性の前には、肩から血を流している兵士が立っていました。

 

 どうやら兵士は、女性から抵抗を受けて刺されてしまったようでした。

 

「言いたいことはそれだけか」

「市民に銃を向けるのか! このクソッタレ共!」

「先にナイフを向けたのはお前だ、この(アマ)ぁ!」

 

 恐らくその兵士は、軍の命令で民家から略奪を行っていたのでしょう。

 

 その結果、家人の女性に切りかかられたのです。

 

 

 

 

 

 

 もちろん、その女性の家族は皆殺しにされました。

 

 兵士に手を挙げて、無事に済ませる訳にはいかないのです。

 

 ただ同情すべきは、この家は既に別部隊から略奪を受けていたようでした。

 

 一家を惨殺した後、兵士が家に残っていた食料を調べたところ、数個の缶詰だけしか残ってなかったそうです。

 

「この家屋も、明日から駐屯所として使える。司令部に報告しろ」

「了解です」

 

 その家には、子供が3人もおりました。

 

 母親はこれ以上食料を持っていかれたら、子供たちが餓死してしまうと思ったのでしょう。

 

 なので、徴発に来た兵士に対しナイフで切りかかって抵抗したのです。

 

 

 その一家の遺体は、路傍に放置されました。

 

 極寒の中わざわざ体力を使って、彼女たちを埋葬する兵士はいません。

 

 なのでしばらく、大通りの路傍に遺体が転がり続けることになりました。

 

 

 子供の遺体が、3つ積まれます。

 

 そのうち最も幼い子は、セドル君と同じくらいの背丈でした。4-5歳と言ったところでしょうか。

 

 そのご遺体はやがて雪に埋もれ、道に大きな凸を形成しました。

 

 

 

 極寒の中で、遺体は腐敗しません。

 

 微生物が活動しないので、ただ皮膚の水分が凍り付くだけです。

 

「……う、ぅ」

 

 見るに堪えず、ある日自分はスコップを借りて埋葬してやろうと思いました。

 

 哨戒を終えた帰り道、自分は小隊の仲間を誘ってその遺体に近づきました。

 

「うわ、これ子供か」

「雪中で死ぬとこうなるのか」

 

 雪に包まれたあどけない童顔は、老人のように皺が増えていました。

 

 目は半開きのまま、何故か笑っているような表情で、うつ伏せに凍り付いて死んでいました。

 

「……ああ」

 

 凍死体は奇麗と聞きますが、皮膚の水分が凍り付くせいで小さな皺が出来るみたいです。

 

 凍り付いているため遺体は固く冷たく、その子を抱き上げたときは鉄塊を持っているかのように錯覚しました。

 

「オースちゃん、落ち着けよ」

「泣くなら室内に戻れ、涙も凍るから」

「ずみ、ません。この子がセドル君だったら、と、思うと」

「はいはい、いったん撤収しよう。オースちゃんが無理だ、これ」

 

 その、幼い子の笑ったような表情がセドル君に似ている事に気付いたら、もう駄目でした。

 

 吐き気と哀しさで胸いっぱいになり、とても埋葬を続ける気持ちになりませんでした。

 

 

 この時そこら中で、サバト政府軍による市民の虐殺は行われ続けました。

 

 サバト軍の兵士とて、市民を殺したくて殺した訳ではありません。同胞の、故郷の住民を誰が好んで殺すでしょうか。

 

 しかし、自らに刃を向けた市民を見過ごすと戦友が殺されるかもしれないのです。

 

 ブレイク将軍からの「抵抗する市民は賊とみなし、見せしめに殺せ」という命令もあり、反抗した市民は殺すしかなかったのです。

 

 

 この年の春に、雪が解けた大通りを行くと。

 

 無数の銃殺遺体がヨゼグラードの至る所に姿を見せ、その凄惨な様子を様々な画家が記録しました。

 

 大通りに横たわる色が蒼白く変色し始めた無数の遺体の、大半は衣類を剥ぎ取られ裸でした。

 

 家を焼かれたり、野宿を強いられた者たちが生きるために衣服を奪ったのです。

 

 

 服を着た遺体の大半は、家の中で餓死して死んだ者ばかりでした。

 

 家族同士で食い合ったのか、四肢の欠損した遺体もありました。

 

 

 見せしめとして処刑されたものは、街木に吊られその遺体を晒されていました。

 

 彼らには激しい暴行の痕跡が残されており、彼らの末期の苦痛が窺えました。

 

 

 その光景はまるで宗教画のようで、しかし現実に起こってしまった、気が遠くなるように哀しい光景でした。

 

 

 持っていた家や食料は略奪され、反抗すれば銃殺され、従順であれば餓死をする。

 

 この年のヨゼグラード市民は、間違いなく地獄だったでしょう。

 

 



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113話

 

 我々がヨゼグラードに到達してから、はや半月ほど経ちました。

 

 市街地まではテンポよく侵攻出来た我々でしたが、そこから攻め切れない日々が続いていました。

 

 作戦も何もなく。人の命を距離に換え、銃声と砲撃音の鳴り響く戦場を、少しずつ前進していく作業を繰り返す日々です。

 

 自分達は半月をかけて少しずつ、本当に少しづつ前線を押し上げ、ようやくヨゼグラードの6割強を占領するに至りました。

 

「今日は出撃だ。吾らは東3番通りでルーベック小隊と持ち場を交代し、任務を引き継ぐ」

「了解です」

「途中の通路が昨日、爆破されて通れなくなっていますが」

「迂回しよう」

 

 市街地に侵入(はい)られてからは、敵もなりふりを構わなくなりました。

 

 建物の被害を気にせず、そこら中に火薬を仕掛けてくるようになりました。

 

 そうすれば進軍を妨害できますし、家屋の崩落に巻き込めれば部隊損壊も見込めます。

 

 後先を考えなければ、非常に効果的な戦法と言えました。

 

「ああもう怖ぇ! いつ、目の前の建物が爆発して倒れてくるかわからねぇ」

「……大丈夫です。この建物はきっと、爆発しません」

「んな事、分からねぇじゃねえかよ」

 

 しかしどの建物が爆破されるかは、ある程度予想は出来ました。

 

 敵だって、無限に火薬があるわけではありません。

 

 戦闘後の被害を考えても、そうポンポン爆発させるわけありません。

 

 爆弾を仕掛けるのは、我々の攻撃に対し一定以上に有効である可能性が高いです。

 

「……ゴルスキィさん。自分なら、あの郵便局を崩落させると思います」

「吾もそう思う。あそこは避けるか」

 

 なので自分達は、どこが爆発するかを予想して立ち回るようになりました。

 

 一気に敵の内部へ詰められる小道、退路を塞がれたら不味い場所など、爆破されそうな場所へ近づかないようになりました。

 

 

 ……そして、これもきっと敵の想定通りだったのでしょう。

 

 このせいでサバト軍の動きは、大きく制限されました。

 

 敵の裏を突けるような「有効な」進軍路ほど、火薬を仕掛けられている可能性が高いのです。

 

 これがまた、戦線の停滞に大きく寄与していました。

 

 

 無論、こちらもやられっぱなしではありません。

 

 我々は敵に対し、ひとつの大きなアドバンテージを持っていました。

 

 それは、砲兵の存在です。

 

「西南方向、砲撃しろ! ゲリラ部隊をあぶり出せ!」

 

 先日の戦闘で、敵の砲兵部隊は大きな被害を受けました。砲兵陣地を占領されたのですから、恐らく殆ど魔砲兵は残ってないと思われます。

 

 一方、我々の砲兵はほぼ無傷でした。魔石不足も、敵の砲兵陣地から略奪できて解消されていました。

 

 これが、自分達と敵の最大の戦力差だったでしょう。

 

 政府軍は砲兵を使い、強引に戦線を押し上げる事が出来ました。

 

「……ああ、また故郷の街が燃える」

「今ので何人が死んだかな」

 

 ……最初は、故郷の町に砲撃する事に対する反発が大きく、市街内で砲撃は使わない方針でした。

 

 政府の高官たちも、自分達の財産を燃やされる危険があったので使用を禁じていました。

 

 しかし敵がどんどんと家屋を爆破し始めたので、こちらもなりふり構っていられなくなったのです。

 

「壊せ、壊せ! 歩兵が進軍しやすいように!」

 

 放っておいても敵が壊すなら、仕方ない。

 

 これ以上首都を壊される前に、労働者議会を追い出さなくては。

 

 

 この様な主張のもと、砲兵の使用が解禁されました。

 

 そして先週、丸一日に及ぶ市街地砲撃が行われ────主通りであるヨゼストリートの家屋は、大半が廃墟となって崩れ落ちました。

 

 ヨゼストリートには民家だけでなく店舗、病院や役所など、街にとって主要な施設が集まっていました。

 

 そんな大事な大通りが、今や見る影もなく崩壊しているのです。

 

「我らが砲兵よ、偉大なる火力よ」

 

 魔法により壊された瓦礫と廃墟の中を、歩兵たちが雄たけびと共に少しづつ前進していきました。

 

 その靴の下に、かつてのサバト国民の骸を踏みしめて。

 

「さあ賊を蹴散らせ、闘いの時は今だ────」

 

 我々は砲兵により更地になったヨゼグラードを、少しづつ前進していったのです。

 

 

 

 

 

「今日も、あまり前進できませんでしたね」

「そろそろ抵抗を諦めて欲しいのだがな」

 

 そこには、何の作戦も駆け引きもありません。

 

 ただ機械的に大量の魔石と人命を消費して、戦線を押し上げるだけの作業です。

 

「魔石がなくなったら、どうなるんだ?」

「そりゃあ、地道に銃撃戦するしかねぇんじゃねぇの」

 

 兵士達は交代で持ち場を守りながら、壊れていく街を眺めるだけでした。

 

 多くの人の命をすり減らしながら、市民に怨みを込めた目で睨まれつつ、我々は小さな勝利を積み重ねていきました。

 

 

 

 

 

 

「トウリよ、またシルフが呼んでいる」

「自分ですか」

 

 そんな日が1週間以上も続いて、市民の遺体を見ても何も感じられなくなってきた頃。

 

 自分は、シルフ・ノーヴァから呼び出しを受けました。

 

「今から彼女の滞在している部屋に、1人で来て欲しいそうだ」

「ふむ。いよいよ、シルフ様が次の手を思いついたのでしょうか」

 

 それは以前、ブレイク将軍に知られずに作戦を伝達する時に使われた手でした。

 

 女友達を呼ぶようなノリで、自分とゴルスキィさんにだけ「何か」をさせる。

 

 シルフはこの停滞した戦場に、いよいよ何かしらのアクションを起こすのでしょう。

 

「出来ればその次の手とやらで、全てを終わらせてほしいものだ」

「もう誰かの大事なものを壊して戦うのは、まっぴらですからね」

 

 自分はずっと、それを待ち望んでいました。

 

 ここヨゼグラードでの戦闘は、あまりに辛いものだったからです。

 

 心が摩耗し、転がる遺体に何も感じなくなってしまう程には、地獄が広がっていました。

 

 

 

 

 

 

 「見せしめ」は、自分たち兵士の命を守る為でした。

 

 占拠した市街地には、兵士に危害を加えようとする市民が数多くいたのです。

 

 ただ反抗するだけではなく、不意打ちで兵士を殺そうとする人も報告されました。

 

 その全てに甘い対応をしていると、どんどん抵抗はエスカレートしていったでしょう。

 

「やめろ!やめてくれ!」

「ただいまより、処刑を行う」

 

 自分達は命を守るために、抵抗してきた市民一家を引っ立てて、残虐な方法で処刑しました。

 

 火で炙ったり、皮を剥いたり、四肢を裂いたりと、その処刑は苛烈を極めました。

 

 それは抵抗をする気が起きなくなる事を目的とした、刺激の強い残酷な手法でした。

 

 

 

 処刑をする兵士は楽しそうでした。

 

 この極寒の中、嫌がらせをし続けてくる市民を大義名分の下で処刑できる事を喜びました。

 

 獣のような断末魔が響いた後、市民は四肢を裂かれて死ぬまで裸で木に吊るされました。

 

 

 

 敵もやられっぱなしではありません。まもなく、我々の市民処刑に対する報復がありました。

 

 捕虜となっていた自分たち政府軍の兵士が、全身骨が粉々になるまで棒打ちされた後、目玉をくり貫かれて自分達の陣地に返還されたのです。

 

 彼らは全員その日の夜に皮膚を土気色にして、吐物を撒き散らしながら死亡しました。

 

 毒か、ウイルスを盛られていたのでしょう。

 

 

 

 やられたからやり返す。

 

 そんな幼稚園児の喧嘩のような勢いで、どんどんと虐待はエスカレートしていきました。

 

 敵に捕まれば地獄。油断すれば市民に殺される。

 

 ただでさえ極寒の戦闘で、兵士達は極限に追い込まれていたのです。

 

 同じ国で生まれた、サバト人同士だというのに。

 

 

 

 自分も何度か、市民から石をぶつけられました。

 

 雪の中に隠された猛犬用のはさみ罠に引っかかり、足首から先を失いかけました。

 

 そのような悪意を向けられ続けた結果、どんどん心が擦り切れていきました。

 

 

 

 

 

「やっとシルフが、全てを終わらせてくれる」

 

 なので、シルフから呼び出しがかかった時の自分の心境は、喜びでした。

 

 自分にとってシルフ・ノーヴァは、誰より憎い仇です。

 

 ロドリー君を殺した事は心底怨んでいますし、彼女の提案した大攻勢でノエルが焼かれた事を想うと、まさに不倶戴天の敵と言える相手でしょう。

 

 ですがこの時ばかりは、その頭脳で全てを終わらせてくれるなら何でもすると思えるほどに、彼女に期待してしまっていました。

 

 毎日のように繰り広げられる地獄に、参ってしまっていたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ、トウリ・ロウよ」

 

 そんな気持ちで、シルフの部屋に入った自分が見たものは。

 

「シルフ、様?」

「何か、現状を打破出来るような妙案を持ってはいないか」

 

 幽霊のように顔色の悪くなった、疲れた目の少女でした。

 

 それは目を見開いて髪を振り乱し、半狂乱で幽鬼の如く立ち尽くす、サバト随一の天才の姿でした。

 

 

「駄目なんだ、私では」

 

 その声に、いつもの覇気はありませんでした。

 

 少女のように弱々しく、頬のこけたシルフは自分の肩を揺すりました。

 

「トウリ。貴様から何か、敵の全てを一撃で葬り去れるような秘策は出ないか」

「お、落ち着いてください。自分は、作戦を提案する立場にありません」

「構わん、許可するから、頼む」

 

 シルフは、何か奇策を思いついたわけではありませんでした。

 

 彼女は、自分に作戦を相談しようと思って呼び出したようでした。

 

「……その様な事を仰られても」

 

 当り前ですが、自分に軍単位の作戦提案は不可能です。

 

 何せ自分は敵の情報を一切知りませんし、なんなら味方の配置すら情報を貰っていません。

 

 そんな情報量で、どうやって作戦を立てろと言うのでしょうか。

 

「何でもいい、思い付きで構わん」

「え、えっと。では兵を分けてヨゼグラードから出し、外から奇襲を行う、とか?」

「もう考えた。敵は、偵察兵を外部にも張り巡らせ警戒していた」

 

 何でもいいと言われたので、とりあえず思いついたことを挙げてみました。

 

 しかし、自分は別に作戦提案に長けているわけではありません。

 

 FPSゲームでは、軍団の作戦指揮なんてしませんし。それは、歴史シミュレ-ションとかが得意な人のやる事です。

 

「再び凍った川をソリで、奇襲するとか」

「ソリは、ある程度の高度が無いとスピードは出ない。それに、水路も警戒されている」

「砲撃で崩壊した戦域を囮にして、敵を引き込んで包囲、とかは」

「一昨日やった。私達が撤退しても、敵は追撃せずその場に留まるのみだった」

 

 やはり自分でも思いつくような作戦は、殆どシルフは考え着いているようでした。

 

 そしてその殆どは、もう敵に潰されているようでした。

 

「何か無いのか。貴様が時折見せる、猛犬のように攻撃的で効果的な攻め手は!」

「……と言われましても、自分は指揮官ですらない衛生兵の小娘です」

「ただの小娘を私が部下にスカウトするか!」

 

 シルフは半狂乱に、泣き叫ぶように、自分の肩を掴んで揺すり続けました。

 

 ……ここまで憔悴したシルフの姿を見るのは、初めてでした。

 

「なぁ。何で私達は、市民を殺して回ってるんだ?」

「そうしないと、兵士の命が危ないからです」

「何でそこまでして、私達は戦ってるんだ!?」

「労働者議会に国を掌握されると、マズいからではないでしょうか」

「今の状況の方が、よっぽどマズいではないか!!」

 

 そう絶叫するシルフは、唇に血が滲んでいました。

 

 無表情な瞳から大粒の涙を零して、シルフは泣き叫び続けました。

 

「ブレイク将軍は、市民の命など意に介さずに指示を出す! 見せしめに市民を殺せと、ボンヤリとした顔で!!」

「お、落ち着いてくださいシルフ」

「私が何とかしないと駄目なのに! 私じゃ何とも出来ない、敵の指揮官は優秀だとも! 経験が違い過ぎる。私の攻め手が尽く潰される!」

 

 

 ……究極的な、話をしますと。

 

 この時代の戦争は、いかに相手の弱点を読んで付け込むかが大事でした。

 

 まだ銃火器を用いた戦術が完成していない頃なので、殆どの陣形に付け入る隙があったのです。

 

 そしてシルフは、敵の弱みを見抜くのに長け、そこを突くことに関して右に出る者はいない指揮官でした。

 

 味方の弱点にも気づきやすく、防御も決して苦手ではありません。

 

 間違いなく、この時代で最高峰の参謀将校の一人だったでしょう。

 

 

 しかし、どんな攻めの得意な指揮官であっても、弱点の無い敵にはどうしようもありません。

 

 シルフのようなタイプの指揮官は、『正攻法でしか勝てない』ような布陣をされると何もできなくなるのです。

 

「奇襲は駄目で、釣りに応じず、ただ愚直に決められた場所を守り続けるのみの敵。勝とうとする意思がない、石像のような防衛戦法」

「は、はい」

「それらを一気に制圧するには、常識外の作戦が必要なんだ! 頼む、何か考えてくれ……っ!」

 

 銃火器を装備した部隊によるゲリラ戦法は、この時代で最も有効な防衛戦術の一つでした。

 

 少ない人数でかなりの防衛能力を発揮できるうえ、敵を纏めて一気に叩く手段が無いのです。

 

 補給が難しく、力押しの持久戦で少しづつ押されてしまうという欠点がありますが、裏を返せばそれくらいしか攻略法が無いのでした。

 

 

 ゲリラ戦法は前世でも、小国が大国の侵攻を防ぐ際に使用されてきた強力な戦法です。

 

 侵略戦争における「防御側の正答」を、とっさの判断で採択できた敵将トルーキーは優秀だったのでしょう。

 

「私には、何も思いつかないんだ……」

 

 敵の戦術はあまりに有効でした。そして、あまりに……愚直でした。

 

 このゲリラ作戦の最大の欠点は、連携が取りにくい事に有ります。

 

 それはつまり「守ることは出来ても、反転攻勢は出来ない」陣形であるとも言えます。

 

 ゲリラ戦法は防御には優れる反面、組織だった攻勢に出る事はほぼ不可能という、重大な欠点があったのです。

 

「敵は、時間稼ぎに徹しているという事ですか」

「ああ、愚かしい事に」

 

 現にトルーキーは亀のように。自分から撃って出ることをしませんでした。

 

 攻めを捨てて、ゲリラ戦法で守りに徹する敵。

 

 この時代では、正攻法以外に有効な手立ては無かったでしょう。

 

 シルフが発狂してしまう程に、トルーキー将軍の防衛戦略は完璧で、そして愚かだったのです。

 

「でしたら、こちらも待ってみればどうです」

「これ以上、戦闘を引き延ばせと言うのか」

「そうです」

 

 実際に戦闘している身からすれば、ゲリラ部隊を奇策で一掃するのは不可能に近いと思います。

 

 敵がどこに隠れているか分からず、隠れている場所が分かったとしても撃ち合いの戦闘になるだけです。

 

 砲兵により少しづつ、戦線を進めていく以外に安全策はありません。

 

 ならば、

 

「攻撃に力を入れるのではなく、占拠した市街地に慰撫を行い、民心を取り戻すのが先決では無いでしょうか」

「あ……」

「兵士のストレスや絶望は、占拠している地域の住民からの反発によるものが大きいです。命懸けで戦って守っている筈の民からの攻撃は、精神的に辛いもの。兵士の士気を上げるためにも、そして戦後の事を見据えて、今すぐ市民の慰撫を行うべきではと提案します」

 

 魔石は少しづつ輸送されてきます。なので、砲兵の進む距離も少しづつです。

 

 どうせ一度で攻めきれないなら、積極的な攻勢に出ず市民の保護を優先するべきだと自分は思いました。

 

 それが、シルフの仕事の範疇かはさておいて。

 

「そうだな。おおいに、その通りだ」

「……」

「視野が狭くなっていた。目の前で市民が傷つけられているというのに、何故私は軍事作戦に妄執していたのだ。父が聞いたら呆れるか怒るか」

 

 その提案を聞いて、シルフは憑き物が落ちたような顔になりました。そんな簡単な事を、考えもしなかったようです。

 

 自分は毎日のように殺されていく市民を見て、ドンドンと臓腑が重くなっていくのを感じていました。

 

 しかしシルフは、この狭い部屋に籠りっきりで作戦立案をし続けたので、頭が凝り固まっていたのでしょう。

 

「貴様を呼んでよかった。すまん、恩に着る」

「今の程度の助言でよろしければ、いつでもご相談ください」

 

 これで、少しでも状況が改善してくれればいいのですが。

 

 そう考え自分は書類を作り始めたシルフに一礼した後、彼女の部屋から退室しようとして、

 

 

「シルフ様、大変なことが起きています」

「どうした、騒々しい!」

 

 

 扉を開けようとした瞬間、部屋の外から凄まじい怒号が鳴り響きました。

 

 

 

 そして、自分達はこの日。

 

 トルーキー将軍が、何故あんな愚直で時間稼ぎに特化した作戦を取っていたかを知る事になります。

 

「労働者議会から、声明文が出ました!」

「声明だと?」

 

 彼はそう叫んで、一枚のビラをシルフに手渡しました。

 

 それは労働者議会が作成した、新聞の号外紙でした。

 

「それと同じ内容の声明を、オースティン政府が────」

「……オースティン?」

 

 そのたった一枚のビラが、自分とシルフの運命をひっくり返しました。

 

『同盟、成れり』

 

 この日。

 

 いよいよ歴史が重苦しい機械音を鳴らし、若きシルフの未来に牙を剥き始めました。

 

『オースティン連邦は、労働者議会が設立した臨時政府を正式に国家(・・)と認め、軍事的・物資的に支援する』

 

 ……そしてこれが、自分とシルフが袂を別つ分岐点にもなりました。



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114話

 

 それはサバト政府高官が、フォッグマンjrに停戦を蹴られたのと同時期。

 

 もう一つのサバトの臨時政府、労働者議会もまたオースティン連邦政府に使者を出していました。

 

「自分達の革命を支援・援助してほしい」と。

 

 

 そもそも労働者議会はベルン・ヴァロウの援助で成立した組織です。

 

 オースティンとは、繋がりの強い成り立ちと言えました。

 

 

 しかし革命直後は、まだサバト国民の嫌オースティン感情が強い状況でした。

 

 戦争中の敵国と言うのもあって、オースティンは毛虫のように嫌われていました。

 

 そんな状況で労働者議会がオースティンとの繋がりを大っぴらにすると、反感は確実だったでしょう。

 

 なので最初はオースティンとの繋がりを隠し、『停戦・講和』を掲げる程度に留めていたのです。

 

 

 

 

 しかしシルフ・ノーヴァの鋭すぎる作戦指揮により、レミさん達は敗北寸前に追い込まれていました。

 

 シルフが苦しんでいる以上に、労働者議会側も苦しんでいたのです。

 

 避けたかった市街戦に持ち込まれ、守りに徹する他に道はなく。

 

 かといってこのままではじり貧で、全く勝機が見えない状況でした。

 

 ジワジワと、真綿で首を絞められるかのような戦況。

 

 そんな状況を打破する苦肉の策として、労働者議会は隠していたオースティンとの関係を公開したのです。

 

 

 この同盟締結には、サバト市民の感情の変化も一役買いました。

 

 ヨゼグラード市民もオースティンは憎いですが、それ以上に現政府への恨みの方が強まっていたのです。

 

 強引な略奪、徴発、処刑などを現在進行形で行う政府軍。

 

 そんな横暴な組織から救われるなら、オースティンだって頼りたくなるでしょう。

 

 

「オースティン軍が、来る」

 

 

 その声明文には、軍事的・物資的に支援すると明記されていました。

 

 それは百戦錬磨のオースティン軍が、サバトに乗り込んでくるということです。

 

 今、国境であるタール川にサバト軍の戦力は残っていません。

 

 彼らはタール川を突破し、いとも容易くサバトの地へ踏み込んでくるでしょう。

 

 それはつまり、

 

 

「東方司令部の、難民キャンプが。セドル君が……」

 

 

 東方司令部の難民キャンプは、ヨゼグラードへの侵攻線上にあります。

 

 オースティン軍の、サバト連邦への恨みは深いです。

 

 故郷をあんな残酷に焼き討ちされ、恨みが消える筈がありません。

 

 そんな彼らが、東方司令部付近に住んでいる市民を保護するでしょうか。

 

 ────怒りのまま、虐殺してしまう可能性が高いのではないでしょうか。

 

 

 

 自分は呆然と、その場に立ち尽くしました。

 

 レンヴェル少佐が、アリア大尉が、ヴェルディさんが敵になる。

 

 そしてあの悪辣なベルン・ヴァロウが自分を殺しに来る。

 

 そう考えただけで、体がすくんでしまったのです。

 

 

 

 フラリと眩暈を起こしそうになった自分を、シルフは無表情に見つめ、

 

「……おい、兵士。このトウリ・ロウを捕縛しろ」

「え?」

「囚人檻に入れておけ。ただし、決して危害を加えるな」

 

 兵士に自分を拘束して収監するよう、指示を出しました。

 

 

 

 

 

 

 こうして自分は、再び捕虜になりました。

 

「そう顔を青くするな、トウリ」

「……」

 

 自分はオースティン人です。

 

 オースティンが参戦してきた今、今まで通りに兵士として配属させるわけにはいきません。

 

 なので、拘束されるのは当然です。問題は、スパイとして処刑されたりしないかどうかですが……。

 

「……お前が居なくなるのはちと痛いが、まぁ何とかするよ。なるべく広い檻にしておいたから、ゆっくり休むと良い」

「シルフ、様?」

 

 シルフ・ノーヴァは少し困り顔をしているだけで、相変わらず自分に気安く話しかけてきました。

 

 自分が収監された檻には、ベッドや机などが備え付けられていて。

 

 鉄格子が付けられてはいますが、小窓からは空が見える居心地の良い独房でした。

 

「ここは警察本署だ。今は、我々の作戦本部に使用している建物だ」

「はあ」

「この警察署の3階に、拘置所があったのを思い出してな。悪いがちょっと収監されてくれ」

 

 自分の身分は衛生兵から捕虜に格下げになった筈ですが。

 

 その待遇は民家で雑魚寝から、個室ベッド付き生活にランクアップです。

 

 これは一体、どういった魔法が働いているのでしょう。

 

「シルフ様、これは一体?」

「貴様がスパイじゃない事なんぞすぐ分かる。お前1人でどれだけ戦果を挙げたと思ってる」

「あ、その、どうも」

「ただ、それが分からん連中が貴様に危害を加える可能性が高い。流石に、無罪放免とはいかんのだ」

 

 シルフは自分を檻に入れた後、ニヤリと笑みを浮かべました。

 

 先ほどのオースティン参戦の情報を聞いていた筈なのに、全く気にしている様子が全くありません。

 

「あの、シルフ様。オースティンの参戦が、その」

「ああ、朗報だったな。私としても、ずいぶん気が楽になった」

「ろ、朗報ですか」

「ああ。こんなに分かりやすく弱音を吐いてくれれば、気が楽になるというものだ」

 

 むしろシルフは、その報告を聞いて嬉しそうですらありました。

 

 彼女は、オースティンが参戦したのに何故こんなに余裕があるのでしょうか。

 

「よく考えろ。あのオースティンが、サバトの冬に戦闘できる防寒装備を持ってるわけないだろう。万が一、本当に援軍が来るとしても春以降だ。そのころにはとっくに、戦闘なんて終わっている」

「……ああ」

 

 そう言われて、確かにと思いました。

 

 オースティンの防寒装備は、サバトに比べてかなり質が悪いです。去年の冬季行軍で、我々は防寒具の差でサバト軍の逃亡を許したのです。

 

 オースティンの冬ですらこの始末。真冬のサバト国内に入って進軍できるような防寒具など、オースティン国内に存在しないでしょう。

 

 となると、もしかしたら。

 

「十中八九、ただのブラフだろうな。そもそもフラメール、エイリスと戦争中のオースティンが、我が国の革命に首を突っ込む余裕があるとは思えん」

「それは、そうでしょうね。ですがベルン・ヴァロウならもしかしたらと」

「ベルン・ヴァロウがいかなる天才かは知らんが、兵力を倍にする魔法でも持っていない限り無理だろうな」

 

 あの同盟声明自体が、単なるこけおどしの可能性が高いのでしょう。

 

 それを、シルフは即座に見破ったようです。

 

「本当に介入してくる気なら、声明なんぞ出さず奇襲した方が良い。あんな声明を出してきた時点で、もうギブアップ寸前ですと自白している様なもの」

「ああ、成程」

「それよりも、目の前の蛮行を止めねばならない。早くブレイク将軍に進言しないとな」

 

 シルフはそう言って、自分に小さくウインクしました。

 

 それは、年相応の少女のように。

 

「貴様はそこでぐうたらしておけ。安心しろ、私達は勝つだろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日から自分はしばらくの間、監獄生活を送りました。

 

 監獄生活と言っても部屋から出れないだけで、拷問を受けたりもしなければ、食事も普通に配給されます。

 

 自分はぬくぬくとした部屋で、やることもないので身体トレーニングに勤しむ日々を送っていました。

 

 それは難民キャンプよりも、よほど快適な生活と言えました。

 

「ゴルスキィさんは無事でしょうか」

 

 こうなってくると、心配なのは戦友達の安否です。

 

 外に出られないので、ゴルスキィ小隊の面々の安否を確かめようがありません。

 

 ゴルスキィさんは強くもありますが、優しくもあります。

 

 市民に不意打ちされて、大怪我をしていないか心配です。

 

「……」

 

 あの日以来、シルフは顔を見せに来なくなりました。

 

 彼女はこの軍の生命線です。自分なんかに構う余裕は無いのでしょう。

 

 

 

 

 このヨゼグラード攻略戦が終われば、サバトはどうなるのでしょうか。 

 

 シルフは勝つと言いました。ならばきっと、勝つのでしょう。

 

 しかし既に市街地は無茶苦茶です。治安も劣悪と思われるので、戦後の復興には時間がかかりそうです。

 

 市民から強く恨みを買っている、政府軍の自分が首都に住むのは危険が大きいでしょう。

 

「……」

 

 ですが、自分は別にヨゼグラードに住む必要はないのです。

 

 平穏が戻れば、シルフから頂いた退職金を元手にオセロ村に戻ってゴムージの家を建て直しましょう。

 

 あそこは、セドル君とご両親の思い出が詰まった場所です。彼を育てるのであれば、オセロ村しかありません。

 

 そこでアニータさんやイリゴルさんなどの助けを借りながら、セドル君と平和な日々を過ごしましょう。

 

「今日は食事の配給、遅いですね」

 

 極寒の中、多くの罪なき人を殺し、略奪して突き進んだヨゼグラード攻略戦でした。

 

 何度も死にかけましたし、何度も目の前で戦友が散っていきました。

 

 その多くの犠牲の果てに、サバトはやっと平穏を取り戻すのです。

 

 

 こうして数カ月にわたったヨゼグラード攻略戦は、終わりを迎えました。

 

 この戦争の終わりは、実にあっけないモノでした。

 

 自分が捕虜として収監されているうちに、全てが終わってしまったのですから。

 

 この暖かな部屋で、事の顛末など何も聞かされぬまま、やがて銃声は聞こえなくなりました。

 

「少し、声をかけてみましょうか」

 

 自分が捕虜として生活をしたのは、2週間にも満たない期間でした。

 

 その2週間の間にも、やはり多くの市民と兵士が犠牲になったそうです。

 

 シルフは市民を守るべく様々な保護政策を提案しましたが、なかなか上手くいかず。

 

 市民から政府軍への、怨嗟は最高潮に達しつつありました。

 

「おや?」

 

 結局、サバト政府軍は市民への虐待を継続しました。

 

 どれだけ宥めても納得する様子を見せなかった市民は、各所で反抗して見せしめに殺されました。

 

 そしてシルフ達政府軍は、吐かれた唾棄の如くヨゼグラード市民に嫌われたまま、

 

 

「……鍵が、開いていますね」

 

 

 ヨゼグラードでの戦闘開始から1か月経った頃。

 

 労働者議会に『敗北』し、ヨゼグラードから全軍を撤退したのでした。

 

 

 

 

 

 

 

「居たぞ! 残党だ!」

「へ?」

 

 その日。何故か、自分を閉じ込めていた監獄の鍵が開け放たれていました。

 

 自分は不思議に思って、施錠されていない事を報告しようと扉を開きました。

 

 そして、部屋を出た瞬間。無数の人影が、自分に銃口を向けたのです。

 

「軍服を着ている! 敵だ!」

「お、女の子じゃないか」

「関係ない、敵だ、撃ち殺せ!」

 

 脳全体に、警告音が鳴り響きます。

 

 自分は咄嗟に、射線を切ろうと床を蹴り、監獄に転がり込もうとしました。

 

「あ()っ!」

「逃がすな、撃て、殺せ!」

 

 しかし、地面を蹴るより敵が引き金を引く方が遥かに早くて。

 

 自分が足に力を籠めた直後、鉛弾が霰の如く降り注いで自分の体を貫きました。

 

 撃たれた瞬間、凄まじい衝撃に押されて転倒し、頭を強く打ちました。

 

「が、ぱっ」

 

 運悪く、銃弾の1発は右胸の肺を撃ち抜いたようでした。

 

 喉の奥から血反吐が湧き上がって来て、胸が掻き毟られるように痛く、どんなに息を吸っても苦しくてせき込むばかりです。

 

 不味い、です。これは、処置をしないと、すぐに窒息────

 

「仕留めた!」

「まだだ、頭を撃て。息があるぞ」

「お、おい、確認せずに殺して良いのか」

「敵だぞ!? 生かしておく理由がどこにある」

 

 自分は、混乱の極致に有りました。

 

 ただ施錠されていないのを不審に思い、報告しようと扉を開けただけです。

 

 こんな、いきなり射殺されるようなことをした覚えはありません。

 

「……なぁ。この部屋の内装、おかしくね」

「何だ!」

「この娘、収監されてたっぽいぞ? 見ろよ、この部屋の中は監獄……」

「え」

 

 だんだんと、吐く息が弱くなってくるのが分かりました。

 

 酸欠で、意識も朦朧として来て。頼りの綱である【癒】を、発動させる集中力をすら確保できません。

 

 ああ。きっと、これは最期です。

 

「……この娘、敵か?」

「……」

 

 やがて、自分は咳込む事すらできなくなって。

 

 静かに、眠り込む様に、その場で意識を手放したのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日。

 

 サバト政府軍は敗北し、全軍を撤退させました。

 

 

 その敗因は、よく分かっていません。ブレイク将軍がまた何かをやったのか、はたまたシルフの奇策が失敗したのか。

 

 ただ一つ言える事は、サバト軍はたった半日で占拠した市街地の全てを放棄し、ヨゼグラードから撤退したのです。

 

 

「……」

「ああ、目が覚めましたか」

 

 

 自分が突然の銃撃にあい、瀕死の重傷を負った後。

 

 包帯でぐるぐる巻きになって、穴と言う穴に管を突っ込まれた状態の自分は、小さな病室でゆっくりと目を覚ましました。

 

 

「生きて、いるのですか」

「ええ、危ない所でした」

 

 

 しかし体は、満足に動きません。まだ胸や、撃たれた四肢が、完治していないようです。

 

「癒者の言葉によると、完治に1週間はかかるそうです」

「確かに、それくらいはかかりそう、ですね」

 

 まだ、言葉を紡ぐのも億劫で。

 

 自分はゼエゼエと、微かに動く右腕で自分の胸をまさぐりながら、患部へと手をやりました。

 

 そして、魔力を振り絞り【癒】を発動させます。

 

「……【癒】」

「ああ。そういえば、貴女は衛生兵でしたね」

 

 スーっと、胸の痛みがマシになっていくのがわかりました。

 

 自分はかなり丁寧に処置をされていたようです。

 

 肺の中の血抜きは済んでいますし、外科手術で再形成もしてもらっているようです。

 

 あとは自然治癒で何とかなるので、こうして病室で転がされていたのでしょう。

 

 【癒】は稀少なので、そういう場合に回復魔法は使われない事が多いです。

 

 ですが、自分は自力で使えるので治しておきましょう。

 

 

「トウリ。胸に【癒】を使うなら、胸腔ドレーンを抜いてもらってからがよろしいでしょう」

「……む。確かに、その通りです」

「今、癒者を呼んできますね」

 

 続けて四肢を治していたら、自分は誰かにそう諭されました。

 

 胸腔ドレーンとは、気胸を起こした時や胸の手術をした後などに、胸水の排出や脱気を目的に挿入する管の事です。

 

 今はその管を通す為に胸に穴が開いているので、ドレーンを抜いてから【癒】を使わないと穴が塞がりません。

 

「ありがとうございます。その、えっと?」

「ああ、申し遅れました」

 

 自分はまだ、意識がぼんやりしていたようです。

 

 恥ずかしくて顔を赤らめつつも、忠告してくれた人にお礼を言って頭を上げました。

 

 すると、その声の主はまるで聖母のように優しく微笑んで、

 

「レミ・ウリャコフです。お久しぶりです」

 

 

 愛おしいものを見る目で、自分にそう語りかけました。

 

 

「小さな平和主義の、衛生兵さん」

「────」

 

 

 その瞬間、血の気が失せて。

 

 全身総毛立つほどの『命の危険』を、自分はようやく察知しました。



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115話

 

 レミ・ウリャコフという存在について、自分はあまり多くを語るつもりはありません。

 

 自分が彼女と過ごした時間はあまりに少なく、自分自身も彼女の奥底が良く分からないからです。

 

 

 自分が言えるのは、彼女はこのサバト革命の実行犯である労働者議会の指導者であり。

 

 純粋な善意で行動している、大量殺人犯だと言う事くらいです。

 

 

「何故、貴女が此処にいるのでしょうか。私は、貴女の顔を見てとても驚きました」

「……レミさん、ですか?」

 

 

 あの、自らを『悪人だ』と言って憚らないベルン・ヴァロウはキッパリこう評しました。

 

 レミ・ウリャコフは『自覚が無いだけで、俺なんかよりよっぽど極悪人』であると。

 

「良かった。貴女は無事に、故郷に帰れていたんですね」

「いえ。まだ、私の故郷はありませんの」

「レミさん?」

 

 しかし、そんな大事な事も忘れて。

 

 自分は脳に鳴り響いている警鐘を無視し、レミさんと言葉を交わしました。

 

 状況が呑み込めていないので、自分はレミさんがサバトに帰還できたことを知り、ただ喜んだのです。

 

 何故彼女がここに居るのかすら、理解しないまま。

 

「私は今から、この地に故郷を作るんですよ」

 

 うふふ、と。

 

 そんな自分の疑問顔に、レミ・ウリャコフは聖母のような笑みで応えました。

 

 

 

 結論から言うと、この時の自分の立場は捕虜でした。

 

 労働者議会の兵士に銃撃された自分は、応急処置を受けて衛生施設に寝かされていました。

 

 自分は収監されていたので、「政府軍の残党」とみなされませんでした。

 

 軍服を着ていたことから、恐らくは「政府軍を裏切ろうとして捕まった少女兵士」であると思われたのでしょう。

 

 何らかの重要な情報を持っているかもしれないと、尋問するため治療をしてくれたみたいです。

 

 

 しかし、レミ・ウリャコフが野戦病院に慰撫に来た時。

 

 眠っている自分の顔を見て、彼女はハッと思い出してくれたのだそうです。

 

『ああ、なんてこと。この娘は私の親友です』

『レミ様……?』

『どうかこの子を、私の部屋に』

 

 自分とレミさんの対談は、彼女へ大きな影響を与えていたようで。

 

 レミさんは意識の無い自分を自室に連れ込み、目覚めるのを待ってくれていたのだとか。

 

 

「また会えて嬉しいです、可愛い衛生兵さん」

「ど、どうも。トウリと呼び捨てにしていただいて構いませんよ」

「……それではお言葉に甘えて。ではトウリ、貴女は何故あそこに収監されていたんですか」

「え、あ、それはですね」

 

 

 彼女はニコニコと、屈託のない笑みを浮かべて自分に話しかけてきました。

 

 その落ち着いた雰囲気と声色は、自分の心を落ち着かせてくれました。

 

 何でも正直に話してしまいそうになる、不思議な声でした。

 

 

 ああ、いけません。

 

 自分が何も考えずレミさんの問いに応えようとしたその時、

 

「っ!? エッホ、エフッ」

「まぁ! 大丈夫ですか、トウリ」

 

 激しくせき込んで、血反吐を吐いてしまいました。

 

「水を取ってきます。そのまま、ゆっくり深呼吸していてください」

「あり、がとう、ございます」

 

 鉄臭い痰の塊が込み上げて、自分は何度も嘔吐きました。

 

 手術をしてもらったとはいえ、自分は肺を撃たれた直後なのです。

 

 長く話そうとすると、むせこんでしまうに決まっています。

 

 そう激しく咳き込みながら反省し、レミさんから布と水を受け取って────

 

 

 

 ────今、自分は咳込まなければ死んでいた。

 

 ────政府軍として戦っていた事実を、正直に話したら射殺されていた。

 

 

 

 自分がすんでの所で命拾いした事実に気づき、全身から汗が噴き出しました。

 

 

 

 

 

「政府軍の指揮官に脅されて、衛生兵をしていました」

「まあ」

 

 自分は、全てを話しませんでした。

 

 変な嘘はつかず、ただ大事なところを話さずにボカして、今までの事を話しました。

 

 北部決戦の後、オセロ村に滞在していた事。

 

 労働者議会を名乗る賊に襲われ、恩人の一家を失い、その一人息子セドル君を育てる事になった事。

 

 そのセドル君を半ば人質に取られ、従軍を余儀なくされた事。

 

「そして、オースティンが参戦したという情報が流れた日に、自分はスパイの容疑で収監されました」

「それは、大変でしたね。もう大丈夫ですよトウリ」

 

 何を話したら殺されるのか。何がバレたら不味いのか。

 

 自分は直感でそれを見分け、レミ・ウリャコフに弁明を続けました。

 

 それはまるで、地雷原を歩くような命懸けの事情聴取でした。

 

「貴方の身柄は、この私が保証します。安心してください」

「ありがとうございます、レミさん」

 

 この時、彼女がどこまで自分の誤魔化しに気付いていたかはわかりません。

 

 もしかしたら薄々勘づいていながらも「自分が上手く誤魔化したから」、それに乗っかってくれた気もします。

 

「各地で暴れている賊に頭を悩ませているのは、私も一緒なのです。トウリ」

「……」

「私の演説は歪め伝えられ、間違って広まってしまいました。一度広がった情報を訂正するのは、これが中々に難しい」

 

 オセロ村が「労働者議会を名乗る敵に襲われた」という話を聞いた後。

 

 レミさんは心から悲しそうな表情を浮かべ、涙を流しながら謝りました。

 

 彼女の絶世の美女と呼べる風貌も相まって、それは一枚の絵画のように美しい光景でした。

 

「ではトウリ。貴方の恩人が命を落とすきっかけを作ったのは、この私ですね」

「そ、そんな、事は」

「ごめんなさい、トウリ。辛い思いをさせてしまいました」

 

 

 レミさんは声を震わせて、何度もそう謝ってくれました。

 

 そこには、何の欺瞞もありません。

 

 彼女は心からオセロ村に起きた不幸を悲しみ、そして謝ったのです。

 

 その潔い態度に、自分はグラリと心のどこかを掴まれた気がしました。

 

「賊達は、資産家からは何を奪っても良いと。そんな言い草で、ゴムージを殺しました」

「そんな訳は無いでしょう。人は決して、誰かから何かを奪ってはいけないのです」

「では、レミさんが言いたかったのはどのような事だったんですか?」

「私が目指すのは、誰からも何も(・・)奪わ(・・)れない(・・・)世界。全ての財産を共有し、皆が『分け与え合う』事で実現する平等で平和な世界」

 

 これが、彼女の危険性です。盲目的に人を惹きつける、天性のカリスマ性。

 

 かつてベルン・ヴァロウは、自分をレミさんに二度と会わせないよう徹底しました。

 

 そして自分も、レミさんに惹かれつつ『この人に関われば命が危ない』という悪寒を常に感じていました。

 

 自分はこの日、その意味を理解しました。

 

「そんな社会が、本当に実現出来るのでしょうか」

「出来ない訳が無いでしょう。いえ、もうとっくに世界中で実現しているのですよ」

「へ?」

 

 彼女の言葉は、スルリと胸の奥に溶け込みます。

 

 レミさんの持つ独特の雰囲気と間に魅入られ、気付けば彼女の言う事は『すべて真実』だと思い込んでしまうのです。

 

 それは、これ以上無い────歴史上でも類を見ない「詐欺師」の素養でありました。

 

 

「父親は働きに出て、母親は家を守り、兄は畑を耕し、姉は弟妹の世話を焼く」

「……は、はぁ」

「そして父が得た財産は家族で分配され、それぞれに平等に行き渡る。それはどこの家庭でもやっている事なんです」

 

 レミさんの演説は、例え話を多用します。

 

 政治を身近なもので例える事で、学の無い民衆にも分かりやすく思想を伝えられたのです。

 

「どこの家族も当たり前にやっていることを、政治に応用しようと言うだけですよ」

「あ、ああ、成程」

「新しいサバトは、皆が家族なんです。隣人は恋人で、道行く人は親友で、空き地で遊ぶ童は息子です。それが今から、私達が実現する新しいサバトの在り方」

 

 そんな事が簡単に実現できるはずがない。

 

 自分は前世の歴史で、それをよく知っている筈でした。

 

「何処の家庭でも実現出来ていることを、我々が実現できないとお思いですか?」

「そう言われれば、確かに」

「隣人を愛し、皆が争いをやめれば、戦争は終わります。我々は、皆家族になるんです」

「それは、素晴らしい考えだと、そう思います……」

 

 だというのに。

 

 自分はレミ・ウリャコフの雰囲気に圧倒され、その聞こえの良い甘言にクラリと同意してしまいました。

 

 

 シルフ・ノーヴァは言いました。

 

 労働者議会の作る世界は、嘘つきがいない前提でしか成り立たない。

 

 狂信者以外は、排斥されていく地獄のような思想だと。

 

 

 ですが、改めて目の前の女性を相手にして思います。

 

「そうでしょう! 素晴らしい考えでしょう!」

「え、ええ」

「トウリ、貴女ならわかってくれると信じていました!」

 

 これは、実現できるかもしれない。

 

 レミ・ウリャコフなら国民全員を狂信者にして、本当に平等で平和な社会を実現してしまうかもしれない────

 

 

「ねぇトウリ、貴女も私に力を貸してくださいませんか」

「え、あ、その」

「一緒に平和な世界を実現しましょう! 私は貴女が居れば、もっと頑張れる気がするんです」

 

 レミ・ウリャコフは目を輝かせ、自分の手を握り、鼻息荒く迫ってきました。

 

「私の考えを最初に理解してくれた、貴女が必要なんです。トウリ」

 

 それもいいかもしれない。

 

 レミさんと共に、理想の社会を実現するために頑張るのも楽しいかもしれない。

 

 そんな、とても現実味のある(ファンタジーな)未来は、

 

 

 ────とっととその、地獄直行の泥船チケットから手を離せ。

 

 

 自分の中の誰かの、冷たい助言のお陰でふっと掻き消えてくれました。

 

 

 

 

「ごめんなさい。自分は、オースティンに戦友が居るんです」

「……ああ、そうでしたね」

 

 これが、自分の知るレミさんという人間の全てです。

 

 当り前のようにスルリと警戒の内側に入り込んできて、心を掴んで離さない。

 

 

 この時代、レミさんに心酔して命をも惜しまないサバト人は数多くいました。

 

 まだ若い少年兵が、自らの命を顧みず政府軍に命懸けで戦いを挑みました。

 

 どうしてここまで士気が高いのか疑問でしたが、レミさんと実際に話してみると理解できました。

 

「私と同じ景色を、見てくれる知人が欲しかったのですけれど」

「すみません、レミさん」

 

 彼女は、まさしく魔性の女です。

 

 自分は彼女の申し出を断るだけでも、かなり心苦しさを感じていました。

 

 このテロリスト集団、労働者議会に本気で入ってしまおうかと迷ってすらいました。

 

 ……もし自分の中に『彼』が居なければ、ここでレミさんと共にテロリストになっていたかもしれません。

 

 

「自分の方からも、質問してよろしいですか」

「ええ、何なりと」

「サバト軍は。自分を拘束していた、政府軍は負けたのですか?」

「ええ。もう撤退していきましたよ」

 

 そんな悪魔の誘いを、何とか断った後。

 

 自分はレミさんから、シルフ達がどうなったのかを聞きました。

 

「どうやらオースティンが参戦したという話を聞いて、大混乱に陥ったみたいです」

「……え」

「本当に幸運でした。正直なところ、オースティン軍にこのヨゼグラードまで来てもらうような話はありませんでした。ただのハッタリでしたが、効果は抜群だったみたいですね」

 

 聞いた話によると、オースティンの参戦を知った政府軍は恐慌状態に陥って撤退してしまったのだそうです。

 

 それは。……少し、腑に落ちない話でした。

 

 だってシルフ・ノ-ヴァは。あの天才は、オースティン参戦を聞いた瞬間にブラフだと見破っていたのですから。

 

「今頃は大慌てで、来るはずもないオースティン軍に怯え塹壕でも掘るんじゃないでしょうか」

「はぁ」

「……辛い戦いでした。沢山の市民が犠牲になりました。しかし、奇跡的に私達は、逆転勝利を収めたのです」

 

 そう言って頬を緩めるレミ・ウリャコフ。その裏で、自分の頭は疑問符でいっぱいでした。

 

 一体どうして、シルフは撤退を選択したのでしょうか。

 

 我々がここまで苦労して、あんなに多くの犠牲を払って、やっと占領した市街地だったというのに。

 

「本当に、撤退していったのですか? 偽装撤退の可能性は?」

「私が聞いた話ですと、本当に帰っていったようですよ」

 

 しかし事実として、シルフ達は撤退してしまったようです。

 

 もしや、また彼女の上司(ブレイク司令)が暴走したのでしょうか。

 

 否、話を聞く限り彼はプライドの高い、天性の楽観家でした。シルフが説得すれば、納得して攻勢を継続したはずです。

 

「……」

 

 では、どうしてこんな労働者議会に都合が良い展開になっているのでしょうか?

 

 敗北寸前の劣勢から、こんなたった1週間で、魔法のように政府軍を引き返させるなんて。

 

 それはまるで『天才』が裏工作をして、その結果だけ見せられているかの様な─────

 

「……あの、レミさん」

「何でしょう」

「今回の防衛戦を指揮していた指揮官は、何という方なのですか」

「あら? 流石にそれは、軍事機密ですよ」

 

 自分がそれを尋ねたのは、半ば勘で、半ば確信でした。

 

 敵の指揮官がトルーキー将軍、というのはシルフから聞いていました。

 

 彼が南部戦線で活躍した、防衛の得意なエース級の指揮官で有る事も。

 

「どうして貴女が、そのようなことを気になさるのですか?」

「もしかしたら、自分の知っている名前が出てくるのではないかと思いまして」

 

 ですが、この時自分は。

 

 レミさんの口から全く違う名前が出て来るんじゃないかと考え、問わずには居られませんでした。

 

 

「ベルン・ヴァロウ大尉。彼が、1枚噛んでいませんか」

「あら、あらあら」

 

 

 自分がその男の名前を出した瞬間。

 

 レミさんは花の咲いたような笑顔になって、

 

「知らなかったんですか? 彼はもう、少佐になっていますよ」

 

 それだけ、教えてくれました。



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116話

 

 結局のところ自分は、レミさんから事の詳細は教えて貰えませんでした。

 

 彼女とは旧知の仲とはいえ、軍事機密を含む話までは教えてはいただけないようです。

 

 自分が話して貰えたのは、一般市民ですら把握しているレベルの情報だけ。

 

「ではトウリ、貴女は是非のんびりと平和が来るのを待っていてください」

 

 レミさんはそう言うと、ニッコリ笑って自分を抱擁しました。

 

「残念ながら今すぐ、貴女をオースティンに帰す事は出来ません。タール川への陸路は、まだ政府軍の勢力下なのです」

「はい」

「ですが安心して下さい。今度は私たちが、きっと貴女を故郷へと帰して見せます」

 

 彼女は、自分をオースティンに帰してくれると約束しました。

 

 それは遠回しに、これから東方司令部を攻めると教えてくれたのでしょう。

 

「かつて貴方達が、私をこの土地に届けてくれたように。あの時の御恩を、いま返しましょう」

「……ありがとうございます」

「ですがいつか。貴女もこの国に住んでみたいと、そう言ってくれる日が来ると思いますよ」

 

 レミさんのその言葉に、あいまいな笑みを返した後。

 

 自分は逃げるように、彼女の部屋を辞しました。

 

 

 

 

 その後の話です。

 

 自分は捕虜ではなく、市民として労働者議会に協力する事となりました。

 

 

 自分の立場は微妙でした。何せサバト人にとって、憎く恨めしい元オースティン兵なのですから。

 

 しかし、労働者議会は「オースティンと同盟する」と声明を出したばかりです。

 

 いくら心情的に憎くとも、自分に危害を加えるような人はいませんでした。

 

 

「また、此処にも死体だ」

「辱めた痕跡もある。何て恥知らずな」

「これが仮にも、政府を名乗る軍隊のやることかよ」

 

 

 政府軍が去ってからは、食料の確保や負傷者の手当てにインフラの再整備と、革命軍は大忙しでした。

 

 魔法砲撃で水路が破壊されていたので、かなりの区域で断水が起こっていました。

 

 そのため、応急処置的に人力の水輸送が開始されました。

 

 また食料も足りてなかったので、狩人による熊狩りが毎日のように行われました。

 

 熊の解体作業、初めて見ました。

 

「……この方の手術をしたいので、どなたか助手に入れませんか」

「この人の処置が終わったら入りまーす!」

 

 自分は民間協力者として病院に配属され、負傷者の治療を任されました。

 

 胸の治療を受けた恩返しの意味も込め、自分は身を粉にして働き続けました。

 

「オースティン人に、治されるのは、複雑、だ」

「自分は、サバト人を治療しても複雑な気持ちになりません」

 

 同盟宣言があったからか、オセロ村の時のように悪意を向けてくる患者は殆どいませんでした。

 

 親し気に話しかけてくる人も、いませんでしたが。

 

 『治してくれるなら誰でもいい』というのが、彼らの本音なのでしょう。

 

「痛みはまだ残っていますか」

「あんたに切られた場所が、少し」

「なら痛み止めを追加しておきますね。今夜は痛みますよ」

 

 自分は久しぶりに、ただの癒者として無我夢中で働きました。

 

 ……マシュデールの野戦病院で、徹夜で戦友を治し続けた日々を思い出します。

 

 患者さんと向き合って、日夜問わずにがむしゃらに仕事をし続けました。

 

 そのお陰か、病院の人とは時おり会話を交わす程度に仲良くなれました。

 

「なぁトウリさん。もう、患者は殆どいなくなったよ。少し休んだらどうだ」

「いえいえ、何のこれくらい」

 

 そして自分は病院で、逃げるように強迫的に、ひたすら仕事を続けたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 この時のサバトの情勢について、簡単に語りましょう。

 

 東方司令部からの攻勢をしのぎ切ったことで、労働者議会はサバト国内の最大勢力にのし上がっていました。

 

 オースティンが労働者議会を政府と認めた今、レミさんが正真正銘サバトの支配者になったのです。

 

 

 サバト内の軍事力を、レミさんがほぼ掌握していたのも大きいでしょう。

 

 元よりこの国の兵士の大半は、オースティンに隣接する東方司令部と南方司令部に所属していました。

 

 なので、東方、南方の両司令部を撃破・従属させた時点で、彼女に敵対する軍がいなくなったのです。

 

 つまり先のヨゼグラード攻略戦が、事実上サバト国内の頂上決戦でした。

 

 その戦いで政府軍が敗北を喫してしまったので、政権交代が成し遂げられてしまったのです。

 

 

 ちなみに、南方司令部の攻略法は内通工作だったそうです。

 

 レミさんは攻撃しに来たトルーキー将軍と対談し、その思想を染め上げて降伏させたのだとか。

 

 やはり、彼女と一対一で対面するのは非常にリスキーみたいです。 

 

 

 

 

 そんな労働者議会にとっても、ヨゼグラードでの戦いは紙一重でありました。

 

 政府軍が凄まじい勢いでヨゼグラード市街地まで攻め上がってきた時は、流石のレミさんも顔が真っ青だったそうで。

 

 一時は「もはやこれまでか」と、幹部間で自決するべきか話し合ったこともあったのだとか。

 

 

 しかしベルン・ヴァロウの入れ知恵で、一気に政府軍を撤退させることに成功しました。

 

 あの同盟宣言の裏でどのような策謀があり、何故シルフ達が撤退に追い込まれたか当時の自分には結局わからずじまいでした。

 

 この時の裏で起こっていた駆け引きを知ったのは、ずっと後になっての事です。

 

 

 

 

 そしてこの戦いの結果、当時の東方司令部軍はほぼ壊滅しました。

 

 無茶な行軍で大量の脱走者と脱落者を出し、無策な攻勢で兵力を消費し、そして無意味に撤退し兵士の心を折った結果です。

 

 また、この戦いで政府軍の参謀を務めたシルフは、一気にその名声を失う事となりました。

 

 一時は時の人としてオースティン討伐の立役者になりかけた彼女の存在は、オースティンと友好路線を選択した新政府にとって邪魔でしかなかったのです。

 

 分かりやすい『悪』を作りたかったレミさんにとって、旧政府軍の指揮官たちは格好の標的でした。

 

 その中でもシルフの悪評は根が深く、虐殺行為も彼女の指示だったというデマを大半の市民が信じていました。

 

 彼女に散々に煮え湯を飲まされたトルーキー氏の、私怨も有ったのかもしれません。

 

 

 この戦いにおける両軍の被害は凄まじいモノでした。

 

 記録上5万人強いた東方司令部軍は、帰還時に1万人まで消耗していたそうです。

 

 実に8割以上の兵士が脱落、死亡、脱走している計算です。3割以上の兵士が死傷すれば壊滅と判定される近代戦で、この被害の凄惨さがよくわかるのではないでしょうか。

 

 

 一方で労働者議会側として参戦した志願兵、南方司令部の兵士の死傷者は合わせて7万人と言われています。

 

 もっともこれは兵士だけの死傷者であり、戦闘に巻き込まれたり、虐殺や餓死による市民の被害を合わせると20万人近くに上るそうです。

 

 すなわちヨゼグラードの人口の5人に1人が被害にあった計算です。その戦闘の苛烈さと、恐ろしさが良く分かります。

 

 たった5万人という小勢で、ここまでの被害を出せたシルフはやはり天才だったのでしょう。

 

 本人が望んだ結末かはさておいて。

 

 

 とまぁ、そんな両軍ともにボロボロの状況でしたが、労働者議会の戦意は高らかでした。

 

 政府軍が撤退した後も士気高く、敵が建て直す前に出陣して叩くべしと盛り上がっていました。

 

「政府軍は市街地を荒らすだけ荒らして、出ていきやがった」

「アイツらさえいなければ、親父は死なずに済んだんだ」

「許さねえ、許しちゃおけねぇ」

 

 彼らの怒りも、当然でしょう。大事な家族を、友人をただ傷つけられたのですから。

 

 ですが自分はシルフの想いを聞いていただけに、やるせなくて仕方ありませんでした。

 

 彼女はただ、レミ・ウリャコフという怪物に騙された市民に目を覚ましてほしかっただけなのです。

 

 なお、

 

「今すぐ攻勢に出る物資が無い。春を待ってくれ」

「……」

 

 そんな市民を宥める様に、敵の偉い人(恐らくトルーキー将軍)がお触れを出しました。

 

 冬の間はとりあえず、平和みたいです。

 

 

 

 

 

 

 本音を言えば、自分は一刻も早くシルフ達を追いかけセドル君と再会したかったです。

 

 しかし自分はそれなりに疑われてはいたようで、常に周囲に誰かの目がありました。

 

 一人で街の外なんかに出たら、多分射殺されていたでしょう。

 

 自分はレミさん達に保護されてはいましたが、同時に監視されてもいたのです。

 

「大丈夫です、春の攻勢で東方司令部を陥落させます。貴女の友人たちは、私達が保護して差し上げます」

 

 レミさんにオセロ村の住人の事を相談してみると、そう返ってきました。

 

 彼女の言葉を信じる限り、労働者議会は難民キャンプの市民に手を出すつもりは無いのでしょう。

 

 いえ、レミさんはサバトを指導していく立場の人間として「市民に手を出すわけにはいかない」のかもしれません。

 

「……」

 

 ですが、もしレミさんがサバトを統一したとしたら。

 

 労働者議会への反発の強いオセロ村の住人が、レミさんの方針に反発した場合、何が行われるか想像に難くありません。

 

 自分の直感が言っています。彼女は、理想のためならば容赦なく他者を殺す人物だと。

 

 ────何としても、セドル君を連れて国外に脱出しないと。

 

 自分はそんな焦燥を胸に抱えつつ、ただの民間癒者として、サバトの野戦病院で忙しい日々を送り続けました。

 

 

 

 

 ヨゼグラードへの大量の支援物資が届けられたのは、まもなく冬が明けようかという頃でした。

 

 南方司令部────、サバト南部の穀倉地帯から、大量の食料と武器弾薬が輸送されてきたのです。

 

 これによりヨゼグラード市民は食料確保に奔走する必要がなくなり、いよいよ開戦に向けて準備が進められました。

 

「母さん。俺、新しいサバトを作ってくるよ」

「くれぐれも、体に気を付けて」

 

 街中の若い男は、ほぼ自らの意思で徴兵に応じました。

 

 二度と、あの悪魔の軍勢(サバト政府軍)をヨゼグラードに入れてなるものかと意気込んでいました。

 

 自分より年下の子供たちが、簡素な防寒具と実銃を身に纏って整列する姿は、胸が痛くなりました。

 

 

 先の戦いで、自分は少年兵を撃ちました。

 

 希望に燃えていた、銃を持っているだけの幼い子供の胸を、出会い頭に迷わず撃ち抜きました。

 

 生き残りたい、セドル君に会いたいという自分勝手な都合で、誰かの大事な子供を帰らぬ人にしてしまいました。

 

 

 その先に、セドル君との平和な暮らしが待っていると。

 

 サバトの国内で、異国の地で、夢にまで見た安寧を手に入れる事が出来ると。

 

 そう思い込んで、自分は少年兵を撃ちました。

 

 

 結局、自分がその子を殺した意味は、何もありません。

 

 だって、サバト政府軍は負けたのですから。

 

 撤退するサバト軍に自分は置いて行かれ、ただ『自分は無意味に大量の殺人を犯した』という事実だけが残りました。

 

 

「……レミさん。出征するなら自分を、衛生部においてください」

「トウリ?」

「少しでも。一人でも、自分の働きで兵士の命を救う事が出来ればと」

「まぁ」

 

 

 ヨゼグラード攻略戦について深く考えようとする度に、自分は吐き気と眩暈で倒れ込みそうになりました。

 

 今まで衛生兵として、ろくに人を撃ったことがなかった自分に、その事実は重すぎました。

 

 相手が、しっかりと覚悟を決めた軍人であればこうも心にダメージを負わなかったかもしれません。

 

 しかし自分は、扇動されただけの希望に燃える少年兵を、無意味に殺して回ったのです。

 

 

「……トウリ、貴女。凄い目をしているけど大丈夫?」

「ええ、前にもこう(・・)なった(・・・)ことはありますので」

 

 

 働いていないと、何か別の事を考えていないと、気が狂いそうになるこの感覚。

 

 このどんよりと世界が回る感覚には、覚えがありました。

 

 そして、こうなってしまった時にどうすれば良いかも自分は知っています。

 

 ────誰か、安心できる人に抱き着いて、ぐっすりと眠る事。

 

「でも、ここにロドリー君は居ないんです」

「……トウリ?」

「もう、あの人は居ないんです」

 

 しかし今のヨゼグラードに、自分を助けてくれる人はいません。

 

 この地で自分は、たった一人置いて行かれた落伍兵です。

 

 レミさんも、周りの癒者も、誰も信頼できません。

 

「自分は、早くセドル君に会いたいんです……」

「……トウリ」

「どうか、自分を軍の衛生部に置いてください」

 

 だから、懇願するように。

 

 自分は出征の準備を進めているレミ・ウリャコフに、そう申し出ました。

 

 

 

 そして。

 

 自分が義勇衛生兵として革命軍に参加することになったのは、翌春になってからでした。

 

 



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117話

 

 少しずつ雪が解け、路上に水たまりが出来る気温になった頃。

 

 労働者議会が組織した民兵────通称『革命軍』と呼ばれた若き兵士達は、東方司令部を目標に出発しました。

 

 多くの少年兵士が決戦へと向かう最後尾、自分も義勇衛生兵としてその戦列に加わっていました。

 

 

 

 

 革命軍が東方司令部に辿り着くためには、2つの拠点を通過する必要がありました。

 

 それはすなわち、自分が通過したルソヴェツ要塞と、プーツゥ砦です。

 

 そのうち、ルソヴェツ要塞の攻略は難しくないと予想されました。

 

 何故ならあの要塞は、既にボロボロに破壊されているからです。

 

 

 したがって決戦の地は、プーツゥ砦と予想されました。

 

 この砦は歴史こそ古いですが、対オースティンを想定して改修されているので近代戦に対応できます。

 

 しかも戦場になっていないので、無傷の状態でした。

 

 政府軍が待ち受けるとしたら、ここ以上の場所は無いでしょう。

 

 

 

「やあ、また兵士が死んでる」

「道標を残してくれる、政府軍の優しさに涙が出るよ」

 

 

 

 道中、雪解けた道の端には、多くの兵士の遺体が転がっていました。

 

 それらは極寒の中で力尽き、見捨てられた兵士達の骸です。

 

 ……その中に、自分は同じゴルスキィ小隊だった、アーリゾナフ氏のご遺体を見つけました。

 

 自分は密かに十字を切って、黙とうを捧げました。

 

 

「……」

 

 

 この時は戦力差を鑑みるに、優勢なのはどう見ても革命軍でした。

 

 政府軍の残虐行為の影響で、冬の間に革命軍へ志願者が殺到していたからです。

 

 老若男女問わずに多くの人が『打倒政府軍』を掲げ、その動員総数は10万人を数えました。

 

 

 

 ……10万人と言えば西部戦線の時の、オースティン全軍とほぼ同等の数字です。

 

 それほどの兵力を動員できた理由は、政府軍への恨みだけでなく、稀代の革命家『レミ・ウリャコフ』の演説効果あっての事でしょう。

 

 彼女の演説には、人の心を揺り動かす何かが有ったのです。

 

 

 

 

 そしてこの動員数は革命軍にとって、諸刃の剣でした。

 

 何故なら動員数が多すぎて、働ける人手が首都に残っていなかったのです。

 

 もし革命軍が敗北すれば、サバト国民は日々の生活も維持出来なくなるでしょう。

 

 それは『サバト滅亡』を意味します。

 

 それほどの覚悟を持って、レミさんは東方司令部討伐に臨んだのです。

 

 

「やはり、ルソヴェツ要塞に兵士は残っていない」

「そりゃあそうだろう」

 

 

 1週間ほど歩いた後。我々は無事に、ルソヴェツへと到着しました。

 

 予想通り、ルソヴェツ要塞に政府軍は残っていませんでした。

 

 ルソヴェツ要塞は3層の堡塁を擁しており、その防衛には多くの人員配置を要求します。

 

 今の政府軍に、ルソヴェツを維持するだけの兵力はないのです。

 

 

「さあ進め、勇敢な同志達よ!」

「敵はもう目の前だ」

 

 

 政府軍の弱体化を証明しているようなルソヴェツ要塞の放棄に、革命軍は大いに沸きました。

 

 そして、士気高らかに最後の砦『プーツゥ砦』へと向かいます。

 

 

「新しいサバトの夜明けを、俺達の手で────」

 

 

 戦友と肩を組んで陽気に軍歌を歌う、年下の少年兵たちを眺めながら。

 

 自分は何処かから聞こえてくる怨嗟の幻聴を聞き流し、フラフラと歩き続けました。

 

 

 

 行軍中、自分は妄想にふけっていました。

 

 

 自分はついこの間、革命軍の少年兵を撃ちました。その先に平和があると、信じて。

 

 しかし、勝利したのは革命軍でした。自分が撃った少年兵は、ただ無意味に命を失ったのです。

 

 

 ……そんな現実から逃げたくて、妄想を始めました。

 

 それはプーツゥ砦で革命軍が、シルフに大敗してしまうという妄想でした。

 

 ここまでが全てシルフの作戦通りで、実は被害を抑えるために敢えて市街戦を放棄し、革命軍をプーツゥ砦に誘い込んでいたという内容です。

 

 そしてプーツゥ砦には凄い罠が張ってあり、革命軍は一網打尽にされてしまいます。

 

 

 政府軍の大勝利。

 

 自分が殺した少年兵も浮かばれます。

 

 無駄死ではなかったと、言い訳出来ます。

 

 そして自分はシルフに保護されて、「どうして首都で待っていなかったんだ」と怒られてしまうのです。

 

 最後にセドル君を迎えに行って、シルフは約束を守り、自分はサバトの大地で彼と共に平和な日々を過ごすのです。

 

 

 ……そこまで考え、とても嫌な気分になりました。

 

 自分は今、周りを歩く少年兵が犠牲になる事を望みました。

 

 自分が犯した殺人を正当化したいがため、より数多の死者が出る事を夢想したのです。

 

 

 それは、どこまで最低な思考だったでしょうか。

 

 ベルン・ヴァロウにも劣る、畜生の考えです。

 

 罪を許されたいがため、多くの人の死を願うなんて。

 

 

「……はは、は」

 

 

 自分で自分に呆れかえって、軽蔑して。

 

 そして怒りのあまり、自らの頬をぶちました。

 

 しかしどれだけ殴っても、聞こえてくる少年兵たちの怨嗟の声は消えませんでした。

 

 

 

 

「プーツゥ砦にも、誰も居ない」

「そんな馬鹿な」

 

 やがて我々は、決戦の地である筈のプーツゥ砦に到着しました。

 

 葦の生い茂った、歴史ある荘厳な石造りの砦です。

 

 そこでいよいよ、政府軍との最終決戦が行われると予想していたのですが、

 

「もぬけの殻だ」

 

 予想に反して、プーツゥ砦も人っ子一人いませんでした。

 

 人の気配のない砦の外壁には、野鳥が活発に飛び回っていました。

 

 どうやら政府軍は、プーツゥ砦をも放棄してしまったようです。

 

 

「まさか、難民を盾にして戦うつもりじゃなかろうな」

「奴らならやりかねん」

 

 

 となると、政府軍は東方司令部で我々を迎え撃つつもりなのでしょうか。

 

 政府軍が、司令部で決戦をするメリットは一応考えられました。

 

 それは司令部のすぐ近くに、難民キャンプが設置されている事です。

 

 

 司令部付近で砲撃戦になれば、キャンプ地に大きな被害が出るでしょう。

 

 レミさんの指示で難民キャンプを攻撃した、何てことになれば彼女の地位は大きく揺らぎます。

 

 革命軍は市民の味方である限り、東方司令部を砲撃できないのです。

 

 

 ────だから、政府軍は司令部付近を決戦の地に選んだ。 

 

 

「ありえません。シルフ・ノーヴァがそんな策を許容する筈が……」

 

 

 確かにそれは有効かもしれません。市民の味方を謳うレミ・ウリャコフが、難民キャンプを気にせず砲撃などすればその名声は地に落ちます。

 

 しかし、その結果として多くの市民が犠牲になり、取り返しがつかない状況になるかもしれないのです。

 

 そんな作戦を、果たしてあの市民想いのシルフが採用するでしょうか。

 

 いえ、絶対にあり得ません。断固としてブレイク司令に噛みつき、猛反対するに決まっています。

 

 

 それでもなお、政府軍がそんな案を採用したとしたら。

 

 もしかしたらシルフに、ろくな発言権が残っていないか。

 

 ────あるいは彼女が、どこかで殉職してしまったのか。

 

 

 ドク、ドクと鼓動が早くなっていくのを感じました。

 

 このまま数日も歩けば、東方司令部に到着してしまいます。

 

 そしてセドル君が、アニータさんが暮らしているそのキャンプ場が、革命軍の攻撃対象になるかもしれないのです。

 

 

「……っ、……っ」

 

 

 死んでしまうかもしれません。

 

 セドル君が、あの甘えん坊で自分を慕ってくれる幼子が、革命軍に殺されてしまうかもしれません。

 

 そんな事が、許されてたまるものですか。

 

 あの子が今の自分に残された、最後の生きがいなのです。

 

 彼を守る為ならば自分はこの命を代償にしても、惜しくはありません。

 

 

 自分はこみ上げる吐き気を押さえつけながら、必死で従軍を続けました。

 

 隙あらば1人で軍を脱走し、難民キャンプに駆け込もうと考えていました。

 

 そこでセドル君さえ保護して、自分が守りながら遠くへ逃げ出せばいいのです。

 

 遠く、彼と二人で暮らすことが出来る安住の地を探しに。

 

 

 

 

 ゆらゆらと、歩き続けること2週間。

 

 首都を出発して、結局一度の戦闘も発生しないまま、革命軍は東方司令部に到着しました。

 

 

 ここを制圧できれば、革命軍の戦いは終わります。

 

 東方、南方の両司令部を支配下に置いたレミさんは、サバトの支配者となるのです。

 

 そんな、最後の決戦の地である東方司令部に有ったのは────

 

 

 

「……あ、あ」

 

 

 

 ────黒ずんだ血のこびりついた、革のコート。

 

 ────無数の獣の唸り声に、食い散らかされた肉塊。

 

 ────数えるのも馬鹿らしくなるほどの、腐臭を放つ死体。

 

 

 

 東方司令部は。難民キャンプは、見る影もないほどに荒れ果てていたのでした。

 

 

 

 

 

 同士討ちでも起こったのでしょうか。

 

 そこにあるのは、糞便と瓦礫と野鳥の群がる遺骸のみ。

 

 東方司令部の基地内にも、難民キャンプにも、生きている人は一人も見当たりませんでした。

 

「何です、か。これは」

「お、おい。アンタ、何処に行く?」

 

 死体です。

 

 自分の目の前には、沢山の死体が転がっているのです。

 

 出発前に、こんな遺体はありませんでした。

 

 だからこれは、自分達がヨゼグラードに出発した後に出来た遺体です。

 

「キャン、プ。きゃん、ぷ」

「おい、あの娘を止めろ。まだ安全確認も済んでないのに」

「お、落ち着け。ほら、今から偵察兵さんが────」

「あそこなんです。あそこ、に、キャンプが。自分の家族が、セドル君が!!」

 

 フラフラとした足取りで、自分は難民キャンプがあった方向へ歩き出しました。

 

 難民キャンプでは常に火が焚かれ、煙が立ち上っていました。

 

 人が生活している証として、火が存在していないとおかしいのです。

 

 なのに、

 

「煙が無い。火が、焚かれてない……」

「け、結構力があるぞ、この娘」

「おかしいです、そんな事は、ある筈が」

「み、みんな手を貸してくれ。この娘を押さえるの、手伝ってくれ!」

 

 難民キャンプの方向にはもう、人の気配が殆ど無いのでした。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

「略奪されてるな、オイ」

「まさか、自分の所で保護した難民から?」

「正気じゃねぇ」

 

 難民キャンプには、市民と思しき遺体がたくさん転がっていました。

 

 その遺体は、死後一月以上は経っていそうな状態でした。

 

 恐らく、冬の間に虐殺されて放置されていたのでしょう。

 

「……」

 

 呆然と。自分は、オセロ村に割り当てられた難民キャンプ区域に向かって歩きました。

 

 イリゴルさんが提案した、塹壕の掘ってある区域です。

 

 

「……セドル君、は」

 

 

 自分は、一歩歩くごとに気が遠くなり。

 

 その掘られた塹壕の下へ、向かおうとしては屈みこみました。

 

 

 ────もし、あそこにセドル君の遺体が有ったらどうする。

 

 

 まだ、自分は彼の死を確認していません。

 

 だから、自分が塹壕の下に降りさえしなければ、セドル君が死んだことは確定しないのです。

 

 この下を検めさえしなければ「どこかに彼が生きている」という希望を捨てずに済むのです。

 

 

「……」

 

 

 進みたくない。

 

 塹壕の下に、降りたくない。

 

 

 だってもし、自分がソレを見つけてしまったとすれば。

 

 正気でいられる自信は、全くありません。

 

 

「……この下か、アンタの家族がいる場所は」

「居ません、居ないんです、居る筈がありません」

「今は無理して見に行くな。……一回落ち着いて、心の整理がついてから見に行った方がいい」

 

 

 自分がその塹壕の入り口で立ち尽くしていると、革命軍の衛生兵が自分を抱え込みました。

 

 そして半ば無理やりに、

 

「離して、ください。あそこに、彼が居ない事を、確かめ、ないと」

「明日にしときな。偵察兵が、安全を確認するまで自由行動は許されねぇんだ」

 

 声が震えている自分を拉致し、その『場所』から遠ざけたのでした。

 

 

 

 

 

 何が起きたかは、もう何となく理解していました。

 

 おそらく政府軍は潰走し統率を失い、兵士が好き勝手に略奪を始めたのです。

 

 きっと難民キャンプだけではなく。この付近の村落も、丸ごと略奪されているのでしょう。

 

 

 政府軍の兵士達は、個々に勝手に逃げ出したのです。

 

 その行きがけの駄賃として、キャンプの物資を強引に奪っていったのです。

 

 それがきっと、この場で起こってしまった事の顛末です。

 

「う、あ────」

 

 強引に後方へ連れ帰られて、自分は抜け殻のようになっていました。

 

 どうして、こんなことになってしまったのでしょうか。

 

 シルフは言ったじゃないですか。もう勝った様なものだから心配は要らない、と。

 

 『セドル君と安全な場所で幸せに暮らせ』と、言ってくれたじゃないですか。

 

 

「死んだ、と、したら」

 

 セドル君が生きている可能性はどのくらいでしょうか。

 

 上手くアニータさんあたりが彼を連れて、別の村に避難しているなんて事はありえるんじゃないでしょうか。

 

 やっぱり、見に行かなければいけません。あの難民キャンプへ、数か月だけセドル君と共に暮らしたあの場所へ。

 

「セドル君が死んだとしたら、ちゃんと、弔わないと」

 

 吐きそうだから、体調が悪いから、見に行かないなんて甘えです。

 

 自分は彼を、探さなければならないのです。

 

 あの場所に遺体があれば、弔って。

 

 あそこに遺体が無ければ、彼を探し出して抱きしめてあげないと。

 

 

「自分は────セドル君の、家族なんです」

 

 

 フラリ、と自分は再び立ち上がりました。

 

 そして、鉛のように重たい足を引きずって、その場所へ向かおうとしました。

 

 自分にたった一人だけ残った、この世界で唯一の家族を探す為に。

 

 

 

 

 そんな折でしょうか。

 

 革命軍の屯所が、少し騒がしくなったのは。

 

「お、おい。また出かける気かよ」

「……」

「今日はやめとけって、少なくとも安全確認が済んでから……」

 

 自分を気に掛けてくれていた衛生兵の方が、自分を呼び止めました。

 

 その声を無視して、自分は再び『オセロ村のキャンプ跡』へ向かおうとして、

 

 

「……え」

 

 

 よく見知った男の顔を、視界の端に捕らえました。

 

 

 

 

 

「つまり貴方達は我々へ保護を求めていると?」

「ああ。俺達を守ってくれる兵士連中は、大暴れして消えちまったからな」

 

 その顔を見た瞬間、自分は迷わず走り出しました。

 

 無我夢中で、わき目もふらず、真っすぐに。

 

「労働者議会ってのは、民衆の味方なんだろ?」

「ええ、もちろん。ただ、その、身分証明が出来るまで少し不便な思いをしていただくことになりますが」

「構わねぇ、メシと水さえもらえればな」

 

 その男は片目が無い、筋骨隆々の青年です。

 

 彼とは、一度ともに死線を潜った間柄である────

 

「い、イリゴルさん!」

「……お? オースじゃねぇか」

 

 サバト軍の負傷退役兵、イリゴル氏でした。

 

 

 

「彼とは、同郷です。同じ、オセロ村で知り合いました」

「ほう、じゃあ難民ってのは間違いじゃなさそうか」

 

 自分は会話に割って入り、彼の身分を証言しました。

 

 彼はオセロ村の住人であり、難民キャンプで生活していた一人だと。

 

「あの、イリゴルさん、よくご無事で」

「ん、お前も生きてたんだな」

 

 自分は過呼吸になりながら、イリゴルさんに向かい話しかけました。

 

 この男が生きている。ならばもしかしたら、セドル君も。

 

「あの! その、それで、ですね」

「ああ」

 

 矢継ぎ早に、イリゴルさんに問いかけようとしました。

 

 セドル君が生きているのか。そして、彼の所在はどこにいるか。

 

「ほうら、お前に会いたがってたぞ」

「……」

 

 彼は、自分が言葉を紡ぎ出す前に。

 

 自分が何を言いたくて、何を聞きたいかを理解してくれました。

 

 

「お、トゥーちゃん……?」

「セドル君!!」

 

 

 彼の指さした方向には。

 

 ぬくぬくと防寒具を着こんで、少しばかり背が伸びたセドル君が、アニータさんに抱き着きポカンと口を開けていました。

 

 

 

「……軍の連中の動きが、キナ臭かったからな。ちょっと避難してたんだ」

 

 予想した通り、どうやら政府軍は難民キャンプでも蛮行に及んだようでした。

 

 政府軍の生き残りは、血眼になって食料弾薬を強奪し、四方八方に四散したそうです。

 

 ヨゼグラードの戦いを経て、略奪行為に対する敷居が下がっていたのかもしれません。

 

 

 

 しかしイリゴルさんは、帰還した政府軍が統制を失いつつあった事にいち早く気付いたのだそうです。

 

 元兵士だからこそ、政府軍が尋常な状態では無いのを察知できたのでしょう。

 

 だから彼は略奪が起こった瞬間、オセロ村人を難民キャンプから連れ出し、『タール河岸警備隊』に保護を求めたそうです。

 

「タール川の付近までは、奴らも略奪に来なかった」

「そうですか……、国境付近の警備兵に保護を」

 

 サバトの国境警備隊は『保護を求めてきた市民』の要請を断りませんでした。

 

 何故なら自国民の保護は、兵士の義務だからです。東方司令部が『謎の敵に攻撃されている』と言われれば、追い返すわけにはいかなかったのです。

 

 そして彼らは偵察を出し、本当に東方司令部で大規模な略奪が行われているのを確認しました。

 

 その略奪の主犯が『敗北した政府軍』であるという事実も知り、状況が落ち着くまで前線基地にオセロ村民の滞在を許可したのです。

 

 

「国境付近の兵には、もう反抗の意思はありません。よければ、降伏を受け入れてやってください」

 

 

 その後、労働者議会の兵士が進軍してきたのを見て、国境警備隊は早々に降伏を決断しました。

 

 彼らは全員合わせても数千人しかおらず、労働者議会の動員が10万人と聞いて戦意を喪失していたのです。

 

 その降伏の橋渡し役として、民間人であるオセロ村民を革命軍に向かわせたのでした。

 

 

 

 

「トゥーちゃん、おそい! ふゆのあいだ、ずっと待ってたのに」

「ごめんなさい、セドル君……」

「すっごい雪だるま作ったのに。トゥーちゃんに見せたかった」

「そうですか。頑張ったんですねセドル君」

 

 声がかすれて、目の奥が熱くなり、涙が溢れて止まりません。

 

 自分が心配してやまなかったセドル君が、こうも元気に自分を出迎えてくれたのです。

 

 笑顔を振りまいて、自分に駆け寄ってきて抱き着いてくれたのです。

 

 これ以上の幸せが、この世に存在するでしょうか。

 

「……良かったよ、政府軍の顛末を聞いてアンタの生存を諦めてた」

「ええ、我ながら悪運強いと思います」

「本当に良かった。その子が悲しむ姿なんて、見たくなかったしな」

 

 自分はギュっと力を込めて、セドル君を抱きしめて泣き続けました。

 

 冬の寒さの中に、仄かな温かみを感じました。

 

「トゥーちゃん、泣いてるの」

「はい」

「よしよし、泣いちゃだめーよ」

 

 この幸福を、現実であると感じたくて。

 

「……トゥーちゃんのほっぺたに、キズ出来てる。いたくない?」

「ええ、ええ」

 

 ニコニコと自分の顔を撫でるセドル君を、いつまでも抱きしめ続けたのでした。

 

 



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118話

 

 こうして自分は、セドル君と再会を果たしました。

 

 数か月ぶりに再会した彼は、元気いっぱいという感じでした。

 

「前線基地の暮らしは、案外悪くなかったよ」

「そうなんですか」

「何せ、屋根があるからねぇ。家ってのは偉大だね」

 

 アニータさんは笑いながら、この1か月の暮らしぶりを教えてくれました。

 

 国境警備隊の保護下の暮らしは、難民キャンプよりずっと良かったようです。

 

 倉庫の1つを借りられたので、村人は狭くとも温かい暮らしが保証されました。

 

 そして川沿いなので水源には困らず、時折川魚料理も楽しめたそうです。

 

「あと、まぁこっちの兵隊さんは怖かったね」

「まぁ、最前線ですからね。ピリピリもするでしょう」

「それが逆に良かったのさ」

 

 そして何より、ここはとても治安が良かったそうです。

 

 実はオセロ村以外にも、複数のグループが保護を求めて前線に来ていました。

 

 そのグループ間に多少のトラブルが起こった際、「最前線でくだらない事で言い合うな」と介入してくれたのだそうです。

 

 頻発していた暴行犯や窃盗犯にも、「我らが保護する以上は郷に従え」と軍規に照らした体罰を科しました。

 

 そのお陰で窃盗や暴行はほぼなくなり、トラブルが頻発していた難民キャンプより暮らしやすい環境になっていました。

 

「イリゴルさん。セドル君を守っていただいて、本当にありがとうございました……」

「ふん、礼など受け取れん。俺は自分の故郷を守っただけだ」

 

 因みに難民キャンプでは、そうしたトラブルに対してイリゴルさん達が目を光らせてオセロ村の民を守っていました。

 

 ……彼が避難を指示していなければセドル君が死んでいたと思うと、いくら感謝してもしたりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、この周辺に政府軍は影も形もありませんでした。

 

 意気揚々と出陣した10万人は、1発も銃を撃つことなく勝利を手にしたのです。

 

「アニータさん、相談があります」

「え、何だい急に」

 

 兵士たちの大半は、そのままヨゼグラードに帰還する事になりました。

 

 しかしオセロ村の人々は、引き続き国境警備隊の倉庫で生活する事になりました。

 

 

 まだ、周囲には政府軍崩れの賊が多発していると予想されました。

 

 なのでオセロ村に帰っても、略奪されるのが目に見えていたからです。

 

 治安が安定するまでは、しばらく前線基地暮らしをした方が無難でしょう。

 

 

「自分は、セドル君を連れてオースティンに戻ろうと思っています」

「む、そりゃまたどうして」

「嫌な予感がするからです」

 

 

 こうしてサバト革命は終結し、革命軍の戦いは終わりました。

 

 しかし、自分にとっての戦いはここで終わりではありません。

 

 むしろ、今からが本番です。

 

「このままサバトに残っていたら、きっと酷い事になるでしょう」

 

 自分は『世紀の扇動家』レミ・ウリャコフから、セドル君たちを守らねばならないのです。

 

 

 

 レミさんは無事に、サバトを手中に収めました。

 

 今からサバトは、彼女によって改革が進められていきます。

 

 この世界では初の、『共産主義』国家として。

 

 

 前世の、歴史を信じるならば。そしてシルフの言葉を信じるならば。

 

 皆で資産を分け合い、分配する社会なんてものが成立するはずがありません。

 

 これからサバトに待っている未来は、『粛清と虐殺』の繰り返しです。

 

「労働者議会の思想は、国家として成立しません。きっとこの先、今よりひどい混乱が待っています」

「……それで?」

「自分はオースティンに帰国するつもりです。レミさんからも、自分をオースティンに帰して頂けるという言質も貰いました」

 

 だから、自分はセドル君をオースティンに連れて行かねばなりません。

 

 それにセドル君はオースティン生まれのオースティン育ちです。サバト語も話せはしますが、オースティン語の方が流暢です。

 

 彼の事を考えても、オースティンで暮らす方がよいでしょう。

 

「だから、アニータさん。貴女もサバトを捨てて、どうか一緒にオースティンに来ては下さいませんか」

「ん。いや、まぁ、そっか」

 

 だから自分は、アニータさんに頭を下げてオースティンについて来て貰うよう交渉しました。

 

 セドル君は自分と同じくらい、アニータさんにも懐いています。

 

 出来れば、彼女にもついて来て欲しいのです。

 

「サバトを捨てたくないという気持ちも分かるのですが、どうか」

「いや。アタシは元々オースティン生まれだから、別にソレは良いけど」

「それでは」

 

 アニータさんはタハハ、と頬を掻きました。

 

 成程、そうであればお願いしやすくはなるのですが……。

 

「問題は、オースティンに移住してどうやって生活するんだって話。一文無しだよ、今の私は」

「うっ」

「オースティンから持ってきた財産も、賊に奪われた。資産がこの身一つしかない状況で、外国に移住する度胸は私にゃねぇなぁ」

 

 アニータさんは申し訳なさそうな顔で、自分のお願いを断りました。

 

「取り敢えずオセロに戻れば、診療所も住居もある。仕事も住む場所もある訳だ」

「アニータさん……」

「亡命するってなら、移住先の住居と当面の生活費が必須だよ。今の私に、オースティンに帰る度胸は無いね」

 

 どうやら、アニータさんはオセロ村に戻る気の様でした。

 

 身一つで国を渡るのがどれだけリスキーな行為かを、よく知っているからでしょう。

 

「そこを、何とかお願いできませんか」

「本当にサバトが地獄になるなら、勿論アンタに付いて行くんだけど。それも、ただの予想なんだろ?」

「……恐らく、本当にそうなります」

「うーん、そこまで言い切るなら考えても良いけど。でも、流石に博打が過ぎるよなぁ」

 

 彼女は、この先のサバトがどれほどの地獄か理解していないみたいです。

 

 そりゃあそうです。共産思想の危うさを誰も理解できなかったからこそ、前世では悲惨な歴史が刻まれたのです。

 

「……では、こういうのはどうですか」

 

 今ここで、アニータさんにその危険性を理解して貰うのは困難でしょう。

 

 だから、自分はただ彼女に頭を下げて、

 

 

「自分のオースティンでの貯蓄、財産を全てお渡しします。だから、どうか」

 

 

 そう、頼み込みました。

 

 

 

 自分には、そこそこ貯蓄がありました。

 

 マシュデールで頂いた褒賞は全て、自分の軍用口座に入れています。

 

 西部戦線時代の、1年近くの給与所得も手つかずで残してありました。

 

 それら全てをアニータさんにお渡しすれば、しばらく食べ物には困らないと思われます。

 

 

「成程、じゃあ住処は」

「それも、何とかなります」

 

 

 後は、自分達がオースティンに戻った後に住居を確保するだけ。

 

 一応、それも自分には当てがありました。

 

「自分の後見人である、アリア大尉殿のお力を借りれば用意はできると思います」

 

 そう、オースティン軍で絶大な権力を持つアリアさんの力を借りるのです。

 

 彼女は自分の後見人として、住居などの世話をしてくれると仰っていました。

 

 それにアリアさんの父親であるレンヴェル少佐は、オースティン軍で最高権力者の一人です。

 

 1家族分の住居を用意するくらい、きっと訳も無いでしょう。

 

「……ってことはさ」

「はい」

「アンタ、オースティン軍に復帰するつもりなのかい」

 

 しかし、自分がアリアさんにアポイントを取ろうとするのであれば。

 

 自分は再び、オースティン軍に復帰せねばなりません。

 

「自分は、まだオースティン軍所属の衛生兵ですから。自分がいるべき場所に戻るだけです」

「また、戦場に行くのかい。セドルが悲しむよ」

「本当はもう、行きたくなんてないんですけど」

 

 サバト国境が封鎖されていた以前と違い、今はオースティンに連絡を取る事が可能です。

 

 自分の立場は、オースティン軍の落伍兵。

 

 復帰が可能な状況になった以上、速やかに軍へ帰参しなければならないのです。

 

「大丈夫です。自分はどうせ、後方の衛生部勤務ですから」

「そう」

「戦争が終わったら、貴女とセドル君の下に帰ってきます。……どうか、もう少しだけ力を貸してくれませんか」

「はいはい、どうせ乗り掛かった舟さ。今更セドル坊を捨てるのも、後味が悪いしね」

 

 こうして、自分が長い時間をかけて頼み込んだ結果。

 

 アニータさんは何とか、オースティン行きを了承してくれたのでした。

 

「その代わり、ちゃんと金や住居は世話してくれよ?」

「ええ。セドル君の為にも、全力を尽くします」

 

 自分はアニータさんの言葉に、力強く応じて見せました。

 

 

 

 

 

 とは言いましても。

 

 オースティンでの住居の確保は、正直なところ結構な難題でした。

 

 アリアさんの力を借りる為には、最前線に行って彼女と面会せねばなりません。

 

 しかし、セドル君やアニータさんを最前線に連れて行く訳にはいきません。

 

 なので首都ウィンで宿を取って、住居が決まるまで滞在していただく予定でした。

 

 

 問題は、自分の貯蓄だけで、いつまで宿を確保できるか分からないことです。

 

 そもそも首都で、自分の貯蓄を下せるかどうかの保証もありません。

 

 もしかしたら戦没者扱いで、口座を凍結されている可能性もあります。

 

 だから正直なところ、行き当たりばったりな展開になると思われました。

 

「おい、トウリ。これを見てみろよ」

「……おや」

 

 なるべく、不確かなプランでオースティンへ渡航したくありません。

 

 なので自分は、色々とオースティンに渡ってからのプランを練っていたのですが……。

 

 意外にも、これらの問題はすぐに解決する事になりました。

 

「サバトの経済特区を、オースティンに作るのですか?」

「どうやら、向こうが難民受け入れ政策を始めたらしい」

 

 何と、オースティン政府からサバトに難民受け入れの提案があったのです。

 

 これはレミさん達からしても、渡りに船でした。

 

「よくこんな時期に、大規模な難民の受け入れを企画したもんだね」

「戦争で人口が、大きく減ったからでしょうか」

「ああ、なるほど。むしろ今だからこそか」

 

 大混乱だった1年を乗り越え、略奪がそこら中で勃発していたサバトでは、各地に難民が溢れていました。

 

 しかしレミさんら臨時政府には、その全ての難民を食わせるだけの資金力はありません。

 

 なので飢えた難民は暴走し、賊になり、ますます治安が悪くなっていったのです。

 

 

 そこに目を付けたフォッグマンjrは、『慈善事業』と銘打って難民を受け入れる宣言を出しました。

 

 その目的は、短期的に生産力を回復させる事でした。戦争で多くの国民を失ったオースティンにとって、難民は喉から手が出るほど欲しい『労働力』だったのです。

 

 フォッグマンは彼らを軍事工場や食糧生産に利用しようと画策し、サバトにそんな打診をしたのです。

 

「サバトからの移民だけで、村を作るっぽいね」

「オースティン人と一緒にしない方が、衝突も少ないでしょう」

「違いない」

 

 彼の気が利いたところは、移民を各地に散らさず固めて生活させたところです。

 

 オースティン国民からしても、サバトはまだ憎い敵国民です。

 

 普通の農村に混ぜてしまえば、様々なトラブルが起きてしまうでしょう。

 

 

 なので、フォッグマンjrは経済特区という形で国民と移民を隔離したのです。

 

 それでも、この経済特区は色々なトラブルの種になったのですが……。

 

 今まで稼働できなかった工場を動かせるようになったり、荒廃した土地を再開発出来たりとオースティンにとってメリットは非常に大きかったでしょう。

 

 

 

 

 

 

 こうして、1年ほどに及ぶ自分のサバトでの生活は終わりました。

 

 もう、ロドリー君が死んで1年が経つのかと思うと時の流れの速さを感じます。

 

 

 アニータさんはオースティン移民を志願して、その切符を勝ち取りました。

 

 様々な審査を受け、何枚も念書を書かされたそうですが。

 

 イリゴルさんなどにも声をかけてみましたが……、断られました。

 

 ……彼は故郷を、サバトを愛しているのだそうです。

 

 そして自分は、落伍兵としてオースティン軍部にレミさんを通じて届け出ました。

 

 政府の許可が下りれば、渡河させてもらえるそうです。

 

 

 

 

 それから、3か月の月日が経ちました。

 

 

 

 

 結局、タール川を渡る許可が下りたのは、夏に入ってからでした。

 

 難民の受け入れには準備する事が多いようで、時間がかかってしまったようです。

 

 この3か月の間、自分達は革命軍の指揮下で東方司令部の補修を手伝わされました。

 

 

 セドル君やアニータさんと平和に生活できたこの3か月は、自分にとって癒される時間でした。

 

 朝起きたら、自分の寝床にセドル君がくるまっている生活。まさに、夢のような時間です。

 

 いつしか少年兵たちの怨嗟の声が聞こえなくなる程度には、落ち着いた日々を過ごせました。

 

 

 

 革命軍の下での生活は、本当に悪くなかったのです。

 

 政府軍とは違って治安維持に積極的ですし、食事の配給の回数も多かったです。

 

 レミさんが心から、サバトを良くしようとしているのが伝わりました。

 

 ただその方法に、思想に、問題があっただけなのです。

 

 

 

 

 そして、日差しが照り付ける初夏の折。

 

 とうとう、自分やアニータさんはオースティン入りを許可されました。

 

 そして多くの監視の中、たくさんのサバト難民と一緒に船に乗ってオースティン領へと渡りました。

 

 

「さあ、貴様らはこっちへ来てくれ。新しい住居へ案内してやるぞ」

 

 

 受け入れられた難民は、タール川沿いの『廃墟となった村落』に連れていかれました。

 

 戦争の傷跡が生々しく残る農村で、畑や家屋は荒れ果てていましたが、その中央の広場には木材や食料などが山積みされていました。

 

 そこで各人に家屋の補修や開墾、工場勤務など仕事が割り振られました。

 

「住居を建て直す時間は無かったが、物資は運搬しておいた。家は自分達で直してくれ」

「おー」

「今年は、難民村落に課税をしない。その代わり、しっかり仕事はしてもらうぞ」

 

 アニータさんは診療業務を割り当てられ、難民村落の健康を預かる事になりました。

 

 セドル君と共に大きめの家屋を割り当てられ、診療所として改装していくことになりました。

 

 雨が降ると困るので、自分とアニータさんは真っ先に家の改修を始めました。

 

 セドル君に風邪を引かせるわけにはいきません。

 

「役人さん。もっと木材と石材が欲しいんだが切り出しても良いのか」

「む、十分な物資は用意したと思ったが。何に使うんだ」

「そりゃあ、ヴァーニャだろ」

「何だそれは」

 

 しかし何故かサバト難民達は、自宅の補修より先にヴァーニャの建造を始めました。

 

 男達はせっせと木を組み、石材で炉を作って、ヴァーニャを組み上げてしまいました。

 

 オースティンの役人さんの怪訝な目が印象的でした。

 

 

 

 

 

「それではアニータさん」

「もう行っちまうのかい」

 

 自分は、アニータさん達の家を建て直すのを手伝った後。

 

 翌日の昼に、首都へ向けて出発しました。

 

「自分は、兵士です。……軍には戦友が待っているんです」

「そうか」

「フラメールとの戦争さえ終われば、退役して戻ってくるつもりです。それまで、しばしのお別れです」

 

 ここ数か月は、非常に幸せな時間でした。

 

 可愛い盛りのセドル君と、平和な時間を堪能できました。

 

「トゥーちゃん……」

「また、会いましょうセドル君。自分は絶対、此処に戻ってきますので」

 

 しかし、そんな甘えた時間はもうおしまいです。

 

 自分は、オースティン軍の衛生兵。戦場で傷ついた戦友を治し、命を救う立場にいる人間です。

 

 これ以上、この幸せに甘んじて助かる命を見捨てる訳にはいきません。

 

「最後に、ギュってして」

「ええ」

 

 もう二度と会えないかもしれない、大事な子を抱きしめて。

 

 自分は、何時までもぐずるセドル君のおでこにキスをしました。

 

「良い子で待っていてくださいね。アニータさんを困らせてはいけませんよ」

「うん」

「自分が戻った後、色々とお話を聞かせてください。楽しかったこと、辛かったこと、全部」

 

 セドル君の泣き顔を、しっかり目に焼き付けた後。

 

 自分は、彼が拾ってきたという小石をお守りにポケットに入れて、

 

「では、行ってきます」

 

 戦友達が待つ、オースティン軍へと旅立ったのでした。

 



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119話

 

 ここから先に語る内容は、自分が戦後に知った話が多分に含まれています。

 

 当時の自分は何も知らないまま、レミさんのご助力でオースティンに帰国しました。

 

 

 あの時、政府軍に何が起こっていたのか。

 

 自分が政府軍に捕虜として拘束された後、どうしてシルフが総撤退を選択したか。

 

 それについて分かる範囲で、簡単に説明しておこうと思います。

 

 

 今回のヨゼグラードの戦いについて、きっと歴史の教科書にこう書かれることでしょう。

 

 『サバト旧政府軍は革命軍の戦力を見誤り、兵站を確保せずヨゼグラードに侵攻した結果、完膚なきまでに大敗した』と。

 

 

 

 この戦いをきっかけにレミ・ウリャコフは政権を奪取し、議会制を導入した新しい政治形態を進めていくことになりました。

 

 この世界で初めての、共産主義政府が樹立した瞬間です。

 

 そして、その後のサバトは……自分の知る共産主義国家の歴史をそのまま歩むことになります。

 

 

 レミさんは目的のためなら殺人すら厭わない理想主義者でしたが、同時に稀代のカリスマでもありました。

 

 もし彼女さえ健在なら、その暴力的な求心力でサバトに共産主義を根付かせる事ができたかもしれません。

 

 彼女の狂信者だけの国を作るという、シルフが言っていた共産主義国家を実現する為の条件を満たせた可能性があったのです。

 

 

 ですか、不幸なことに。

 

 数年後、レミさんは志半ばに、病魔に倒れる事になります。

 

 そして彼女が目指した「平等な社会」を実現するために、再びサバトは混乱に陥ることになるのですが、それは別の話です。

 

 

 

 

 

 

 このサバト史上最悪の一年間を絵に描いた元凶は、オースティンの参謀本部にいる一人の男でした。

 

 ベルン・ヴァロウ参謀大尉。彼は狡猾で残忍な愛国者で、自他ともに認める悪人でした。

 

 彼の謀略により多くの犠牲が出た結果、サバトは脅威ではなくなりました。

 

 歴史に残る大量の虐殺が行われたこの1年は、ベルンにとって満足な結果かと思っていたのですが……。

 

 実はこの結末も、彼の想定からは大きく外れていたのです。

 

 

 

 

 シルフ・ノーヴァが違和感に気づいたのは、ヨゼグラードで少しずつ戦線を押し上げていた頃でした。

 

 彼女はヨゼグラードの戦いを短期決着させるため、秘策を勘案し続けていました。

 

 その時から、疑問に感じてはいたのでしょう。

 

 ここまで急に、敵に付け入る隙がなくなるものかと。

 

 

 

 

 以前シルフは自分から、オースティンの内情について聞き出していました。

 

 その中で自分は、ベルン・ヴァロウについて話していました。

 

 と言っても「彼にサバトの反政府組織の人間と引き合わされました」とか、「とても頭が良いらしいですが、悪い人だと思います」くらいの内容ですが。

 

 当時自分はベルンとあまり接点を持っていなかった為、話せる内容が少なかったのです。

 

 しかしその僅かな情報だけで、シルフはある可能性に思い至っていました。

 

 それは、

 

「ベルンという奴がトウリに引き合わせた女性というのは、まさか労働者議会の指導者ではないか?」

 

 オースティンと労働者議会が、最初から繋がっていたという可能性です。

 

 尤もこの時点でそれは推測でしかなく、シルフも軽く頭に留めておく程度でした。

 

 しかし、労働者議会とオースティン政府が同盟を宣言した瞬間、シルフの中でそれが確証に変わりました。

 

「やはり繋がっていたか」

 

 聡明なシルフは、ベルン・ヴァロウこそ今回の革命劇の絵を描いた人物であると見破ったのです。

 

 それも、ほぼ確信に近いレベルで。

 

「確かに、有効だ。私でも(・・・)そう(・・)する(・・)……!」

 

 敵の反政府組織を支援して、内部崩壊させる策。

 

 参謀将校なら一度は夢見る、自らの戦力をまったく消耗しない魔法の一手です。

 

 サバトはベルンに、一杯食わされた形になるでしょう。

 

 それに気づいたシルフは、オースティン参謀本部にいるだろう(ベルン)に歯噛みをしたと思います。

 

 

 彼女が、ベルン・ヴァロウの介入に気づけた理由は、他にもいくつか有りました。

 

 まず市街戦になった瞬間、敵の布陣にまったく隙がなくなったのも不可解でした。

 

 シルフからすれば、チェスの相手が急に変わった様な感覚でしょう。

 

 

 ────革命軍に、入れ知恵をしている存在がいる。

 

 

 となれば、シルフと互角に戦争(チェス)を指せそうな指揮官で、労働者議会とつながっている人物となれば、ベルン・ヴァロウくらいしかいなかったのです。

 

 この時代の通信設備は貧弱でしたが、数日かければオースティンと通信は可能でした。

 

 恐らく、途中からベルンが遠隔で指揮を行い始めたのだとシルフは読みました。

 

 

「だが、ヤツも介入が遅すぎたな」

 

 

 ベルン・ヴァロウは、サバトで『最悪の敵』として有名でした。

 

 南部戦線を非人道的な手腕で突破した「悪魔の申し子」として、悪名を知られていたのです。

 

 ベルンの指揮ならば、ここまで隙がないのも納得です。

 

 

「だが、もう勝勢は決している。今更ヤツがどんな奇策を練ろうと、我々の勝利は揺るがない」

 

 

 ですが、それでもシルフは慌てませんでした。

 

 流石の彼も、介入が遅すぎたのです。

 

 

 既に政府軍の勝勢は決していて、レミさんは時間を稼いでいるだけの状況でした。

 

 後はシルフが何か大きなミスをしない限り、政府軍の勝利はほぼ確実でしょう。

 

「我々を舐めすぎたな、ベルン・ヴァロウ────」

 

 

 

 

 その代わり。

 

 首都はきっと火の海になり、凄まじい数の市民が犠牲にはなりますが。

 

 

「……」

 

 

 このまま戦えば、政府軍は勝利を手にするでしょう。

 

 しかし、少々腑に落ちないことが残っていました。

 

 ベルン・ヴァロウの才覚が聞いたとおりであれば。

 

 これほど隙が無い陣形を指揮できる、優秀な指揮官であるならば。

 

 今の状況で守りに徹するのではなく、何かしらの博打策を打ってくる筈なのです。

 

 

 このままゲリラを続ける限り、革命軍に勝ちの目は無いでしょう。

 

 ただ時間をかけて、嬲り殺しにされるしか未来は無いのです。

 

 逆転を狙いたいのであれば、政府軍の急所を奇襲して然るべきなのです。

 

 なのに革命軍は亀のように防御策を講じ、勝利を目指してきません。

 

 

「……まさか、な」

 

 

 シルフはチラリと頭をよぎったその考えを振り払い、攻勢を指揮し続けました。

 

 1週間かけて少しづつ戦線は押し上がり、革命軍は悲鳴を上げ始めました。

 

 そんな中、政府軍は制圧した敵の通信拠点と思しき施設から、とあるものを発見しました。

 

 それは焼け落ちた敵の通信施設に保管されていた、文書の一部です。

 

 ……その文書の内容を報告され、シルフは顔が真っ青になったそうです。

 

 

 それは、レミ・ウリャコフとオースティン軍の将校との間の通信記録。

 

 その内容は、襲撃予定の政府要人のうち、誰を(・・)逃がし(・・・)誰を(・・)殺すか(・・・)を相談したものでした。

 

 

「おい、嘘だろう」

 

 

 有能な政治家は、集中的に狙い殺され。

 

 欲深く頭の悪い政治家こそ敢えて逃がし、政府軍に保護させるという謀略が、そこに記載されていました。

 

 つまり、ヨゼグラードに政府軍が出撃している今の状況すら、ベルンの掌で転がされている事になるのです。

 

 

 ────そしてシルフは、その謀略のさらなる奥底。

 

 ベルンの思い描いた真の目的に、思い至りました。

 

 

 

「……まさか、まさか!」

 

 

 きっと彼女は、背筋が凍る思いだったでしょう。

 

 人間に、この様なことが思い付けてしまうのかと。

 

 いいえ、思い付いたとしても実行に移してしまえるのかと。

 

 

「ベルン・ヴァロウ。貴様は────」

 

 

 ……ここまでは全て、この男の想定通りだったのです。

 

 政府軍が冬季攻勢に出る事も。

 

 革命軍が敗北を重ね、市街戦に持ち込まれて窮地に陥っている状況も。

 

 そう。この男は労働者議会を支援してはいましたが、決してその革命を成功させたかったわけではありません。

 

 

「わざと、負けていたのか、貴様はっ!!」

 

 

 彼は途中から、政府軍に入れ知恵を始めたのではありませんでした。

 

 通信施設には、ベルンがルソヴェツ要塞の防衛戦略から、ヨゼグラード前の防衛網の敷き方まで、細かく助言していた記録が残っていたのです。

 

 革命軍の、ヨゼグラードでの防御戦術は素晴らしい完成度でした。

 

 一分の隙もない程に、正確で綿密でした。

 

 これほどの指揮を遠隔で行える指揮官が、北部決戦でタール川を奇襲に使った彼が、凍河上をソリで奇襲するなんて作戦を見落とすはずがありません。

 

 つまりベルンはわざとシルフの策に引っ掛かり、政府軍をヨゼグラードに誘い込んでいたのです。

 

 

 

 ────1人でも多くのサバト人を、殺傷するために。

 

 

 

 信じられるでしょうか。

 

 彼はたった一人で、この地獄絵図をキャンバスに描いていました。

 

 これは、いかに「サバト国民に被害を出すか」だけを突き詰めた謀略です。

 

 常人なら思い付いたとしても、まずやろうとは思わないでしょう。

 

 百度地獄に落とされたとしても、文句を言えない悪行です。

 

 

「……奴の目的が虐殺なら、次はどうする? どう動く?」

 

 

 シルフは、ベルンとほぼ互角の頭脳を持っていました。

 

 なのでこれだけの情報から、奴がどんな手を考えているかを導き出せました。

 

「今、オースティンが欲しいものは何だ? 土地か? 物資か? いや、違う……!」

 

 悪魔(ベルン)の描く、この惨劇の結末。

 

 天才シルフをして、背筋を凍らせた悪魔の戦略の終着点。

 

 それは、

 

 

奴隷(にんげん)だ……」

 

 

 この時代で敗戦国は、領土だけではなく人間も奪われます。

 

 植民地化した領土からは、敵国民を奴隷として連れ去るのが当たり前です。

 

 戦争に次ぐ戦争で人手不足のオースティンは、さぞサバト国民を奴隷としてオースティンに連れ帰りたいでしょう。

 

 

 ベルン・ヴァロウは、サバトとの講和を求めているのではありませんでした。

 

 むしろ、戦争を続ける気満々でした。

 

 サバトの国力を削ぎ切った状況で、戦争を続け『サバトに勝利する』のが彼の最終目的だったのです。

 

 

「……政府軍が勝ったら、そうなる」

 

 

 あの快楽殺人鬼が、疲弊しきったサバトと仲良くするなんぞあり得ません。

 

 レミさんというカリスマを用いてサバトを分断し、限界まで国力を弱めてから『自らの手で叩き潰したかった』。

 

 だからこそ、レミさんに同盟を宣言させ(弱音を吐かせ)て、政府軍の攻勢を誘ったのです。

 

 

『革命軍はバレバレのブラフに頼る程に、追い詰められています』

「ふざけてるのか?」

 

『さああと一息。たくさんの犠牲が出ますが、政府軍の勝利は確実です』

「この男は、性根が腐っているのか?」

 

『さあ叩き潰してください! 残虐に、同胞同士で殺し合ってください! 勝利は目の前ですよ!』

「どこまで『悪』なら、こんな戯けた事を実行に移せるんだ────」

 

 

 そのベルンの悪辣な誘導に、誰より乗せられていたのはシルフ自身でした。

 

 

「私は、私は大馬鹿者だ!」

 

 

 全てを見抜き、自らの失策を悟ったシルフは、大声で慟哭しました。

 

 

 

 これ以上無いほどに、サバトは詰んでいました。

 

 政府軍が勝利した先には、オースティンに攻め込まれて植民地にされる未来でした。

 

 きっと、それに対抗できるだけの人口も物資もサバトには残っていないでしょう。

 

 

 しかし革命軍が勝利した先に有るのは、夢見がちなカリスマ指導者による地獄の政権です。

 

 多くの市民が歪んだ理想に押し潰され、犠牲になっていくと思われます。

 

 

「……は、は」

 

 

 どうすれば、この状況を覆せるでしょうか。

 

 シルフは考え、悩みました。

 

 進めど地獄、退けど地獄のヨゼグラード戦線。

 

 そこで、彼女の出した結論とは────

 

 

「ははは、はは!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「オースティンは本当に来るだろう。すぐに撤退すべきだ、ブレイク将軍」

 

 撤退、でした。

 

「まさか、そんな筈はあるまい。この間のお前は、オースティンが来るはずないと言ったではないか」

「考えが変わりました」

 

 シルフは、ブレイク将軍と「二人きりで話がしたい」と頼み込み、そして撤退を進言しました。

 

 そしてこれこそが、サバト政府に残された唯一の『勝機』でした。

 

「南方司令部経由で、サバトの防寒装備を入手したオースティン兵が来る可能性がありました」

「む、南からだと」

「ええ。敵が最初からオースティンと繋っていたのであれば、そのルートは有り得るのです」

「そ、そうか。そうなのか?」

「ええ、私を信じて下さい」

 

 市街戦を続けるだけで、サバトの人口はどんどん減っていきます。

 

 だから政府軍は少しでも早く撤退し、人をサバトに残さねばなりません。

 

「だがなぁ、そんな不確かな推測を元に撤退なんぞ……」

「もしオースティンが来てしまったら、我々政府軍は全滅です。民の恨みを買っている現状、負ければ死より恐ろしい事になるでしょう。将軍の安全のためにも、撤退すべきです」

 

 しかしシルフは全てを説明せず、ブレイク司令に『本当にオースティンが来るから』という名分で撤退を進言しました。

 

 彼に全てを理解できるほどの頭脳は無いと、諦めていたのでしょう。

 

「いや、ダメだ。ここで退いては、今まで死んでいった部下達に申し訳が立たない」

「……」

 

 しかし、やはりブレイク将軍はシルフの進言に頷きませんでした。

 

 何せ、もう後一歩で勝てる状況なのです。

 

 勝利の先に待つ栄華を妄想し続けていた彼にとって、「やっぱり負けるから退こう」等という進言を受け入れられる筈がないのです。

 

「では見て下さい。あそこの、革命軍の布陣を」

「む?」

「本当にオースティンが来る手筈でないと、あのような珍妙な布陣は引きません」

「むぅ、何処の事を言っている?」

 

 シルフは弁舌を振るいましたが、結局ブレイク将軍を納得させる事は出来ませんでした。

 

「ほら、3番通りの奥。あの布陣が見えませんか」

「むむぅ?」

 

 ブレイク将軍は、大きな方針転換を嫌います。

 

 上手く行きそうな現状で、全軍撤退なんて方針を説得出来る筈がないのです。

 

 それを悟ったシルフは、警察署の窓から見える敵の部隊をブレイク将軍に示しました。

 

「良く分からん、普通の陣形に見えるが」

「ああ、すみません」

「アレのどこが、珍妙なのだ────」

「貴方には、何も見えていないのでしたね」

 

 そして、窓を注意深く覗き込んだブレイク司令の後頭部に、

 

 

「……貴方が悪人ではないのは知っています。ただ、平凡だっただけ」

 

 

 しっかりと狙いを定め、拳銃で撃ち抜いたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

「敵の奇襲があった、ブレイク司令が窓から狙撃された。各員、警戒しろ」

 

 こうして指揮官を失った政府軍は、撤退を余儀なくされました。

 

「ブレイク将軍が失われた今、作戦の続行は困難だ。撤退を開始する」

「りょ、了解です」

「現時点で指揮権はこの私、次席指揮官のシルフ・ノーヴァ参謀大尉が継承した。各員、撤退の準備に入れ」

 

 ブレイク将軍が納得せず、戦闘を継続してしまえばサバトは終わってしまうのです。

 

 なのでシルフは覚悟を決め、ブレイク将軍の暗殺に踏み切ったのでした。

 

「……シルフ様。これは、これは一体!」

「エライアか。死体を検案し、ブレイク将軍の死因は狙撃だったと伝えろ」

「まさか、貴女は、司令を!」

「頼む、エライア」

 

 発砲音が鳴り響き、駆けつけてきた腹心のエライアさんにそうお願いをした後。

 

 シルフは据わった目をして、

 

「私に従ってくれ」

 

 そう、言い放ったそうです。

 

 

 

 

「これからどうするつもりですか」

「国外に逃げる。そこでサバト連邦政府を存続させる」

 

 こうして政府軍は総撤退に追い込まれました。

 

 政府軍の残党は、シルフに纏められて国外への脱出を図りました。

 

「フラメール・エイリス連合軍に合流を打診しよう」

「……それは」

「向こうからしても、人手が増えるのはありがたいだろう。それにサバト軍の兵装を研究できるとあらば喜んで受け入れてくれるはずだ」

 

 そして現在オースティンと戦闘中のフラメール、エイリスの連合軍に保護して貰う方針を取りました。

 

 それが、恐らくオースティンにとって最も嫌な選択肢だと考えたからです。

 

「悔しいがしばらく、サバトを……あの賊どもの手に預ける。今はそれしかない」

「シルフ……」

「国民があの夢見がちな女の幻想がハリボテだと気付いた時に、旧政府勢力が滅んでいたらどうしようもなくなる。我々は、生き延びねばならんのだ」

 

 レミ・ウリャコフの政治は、実際すぐにボロが出てしまいます。

 

 彼女はカリスマこそ持っていたものの、実務は同志に任せっきりだったのでした。

 

 それを見越していたシルフは、騙されている国民の目を覚ます為に『敢えて首都を明け渡し』ました。

 

「……トウリさんは。あのオースティン人の衛生兵はどうしますか」

「牢の鍵だけ開けて、放置しろ。オースティンと戦いに行くのに、連れて行けるはずが無いだろう」

 

 これが、政府軍が突然に撤退した真実でした。

 

 シルフ・ノーヴァはすんでの所でベルンの悪意を看破し、そして躱したのです。

 

 

 しかしこの件はシルフと自分の間に、埋めようもない溝を作っていました。

 

「……トウリ。違うよな、お前は」

 

 全ては、単なる偶然だったのですが。

 

 ヨゼグラードで政府軍が負けそうになった時に、強引に戦線を動かしたのは誰だったか。

 

 市街戦で戦線が膠着した時に、より戦争が長引くような助言をしたのは誰だったか。

 

「お前は、私が見込んだから、私がスカウトしたからソコに居るんだよな」

 

 そんなぐるぐるとした疑念が、シルフの中に渦巻いていて。

 

 彼女は自分に一言も告げないまま、ヨゼグラードを後にしたのです。

 

 

「お前は、ベルン・ヴァロウの手先じゃないよな。トウリ────」

 

 

 

 

 その後、シルフは諜報から聞いたそうです。

 

 自分がレミ・ウリャコフの私室に連れ込まれ、仲睦まじく会談をしていたという報告を。

 

「────そうか」

 

 彼女にとって自分は、初めての同年代の友人だったのかもしれません。

 

 シルフは事あるごとに、チェスを名目に自分に絡んできました。

 

 だからこそ……、その『誤解』は彼女を大きく傷つけたことでしょう。

 

 

 

 しかし、考えてみればこれこそが自然な関係でした。

 

 元々、自分と彼女は知り合うべきではなかったのです。

 

 

 シルフ・ノーヴァは、自分にとって怨敵です。

 

 自分の故郷を焼いたのも、ゴムージがサバトに亡命するきっかけを作ったのも、ロドリー君やアレンさんが犠牲になったのも、全て彼女の策略が原因です。

 

 仲良くなど、出来る筈がありません。

 

 この世界で誰よりも、自分にとってシルフは敵なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、オースティンでは。

 

「そうかそうか、それは良かった。レミには、そうだな。祝辞と友好の内容で返信しておくよ」

 

 シルフ達の撤退が、ベルンに伝わったその日。

 

 彼はにこやかに通信兵を出迎え、満面の笑みですぐに返事を作成し、レミさんの偉業を褒めたたえました。

 

 そして今後も、末永く友好を保つようにレミさんと約束を交わしました。

 

 

「いや、お見事な手腕でしたな」

「たまたま、上手く行きすぎただけですよ」

「ベルン君が居ればオースティンは百年安泰だ」

 

 

 レミさんの革命成功の報は、オースティン参謀本部でも大いに祝われました。

 

 後顧の憂いがなくなり、むしろサバトから支援を受けられる形になったのです。

 

 オースティン軍からすれば、まさに理想的展開でしょう。

 

「どうした、もう飲まないのかね」

「はは、嬉しすぎて酔いが回るのが早いみたいです」

「そうかそうか、無理をせず休みたまえ。君は国の宝なんだ」

 

 その作戦を主導したベルンもまた、称賛を受ける形となりました。

 

 彼の上官であるアンリ大佐は、手放しでその手腕を誉め続けました。

 

 そんな大戦果をあげたオースティンの大英雄は、

 

 

「……ちっ!」

 

 

 宴も早々に自室に帰った後、苛立ち紛れに椅子を蹴り飛ばしたそうです。

 




6章終了です。しばし再開をお待ちください。


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7章 フラメール国境攻防戦
120話


 

 自分は今から2年前、15歳の春にオースティン軍に志願しました。

 

 徴兵検査で回復魔法適性を見出されたのをきっかけに、孤児院への恩返しになると聞かされ戦争に参加する事を決めたのです。

 

 正直に申しますと従軍当時、戦場に向かうまでの道すがらワクワクしていました。

 

 次から次へ現れてくる敵を撃ち殺す、ゲームのような戦場を想像していました。

 

 愚かしい事、この上ありません。

 

 

 

 現実の戦場は、自分が考えていたものよりずっと過酷でした。

 

 ゲームのような派手な撃ち合いは存在せず、死の恐怖に心を殺されながら、靴が沈むほど重たい荷物を背負って走るだけ。

 

 敵の銃弾が、自分の顔を掠めた回数は数知れず。

 

 少し運が悪ければ、今ごろ自分は大地に骸を晒して辱められていたでしょう。

 

 

 

 本音を言えば、自分は戦場に戻りたくありませんでした。

 

 いつまでもセドル君と一緒に、平和な後方で暮らしていたいと思いました。

 

 しかし今のオースティンに、兵士ほど安定した食い扶持はありません。

 

 セドル君たちの住むサバト経済特区は裕福ではなく、支援が打ち切られれば辛い暮らしが待っています。

 

 生きる為にも、何処かでお金を稼いでくる必要がありました。

 

 

 そして何より前線では、アリアさんやヴェルディさんなどはまだ戦い続けています。

 

 生還したのに前線に戻らないのは、彼等を裏切る行為でしょう。

 

 だから自分は、再び前線に赴く事を決めたのです。

 

 

 

 それに幸いオースティン軍は、衛生兵を大事に運用してくれます。

 

 サバトの時と違って、自分が銃を振るう様な事態にはならないでしょう。

 

 後方の安全な野戦病院で、患者さんの治療に追われる日々を過ごすだけです。

 

 そう考えると、少しだけ気が楽になりました。

 

 

 

 軍に復帰するには、いろいろと手続きが必要でした。

 

「トウリ衛生兵長殿。軍籍を照合する必要がありますので、一度首都ウィンの司令部へ出頭していただけますか」

「了解しました」

 

 経済特区で政府役人に復帰の方法を伺うと、まず首都ウィンへ向かうように指示されました。

 

 ウィンで身分を確認できれば軍籍に再登録され、前線に送っていって貰えるそうです。

 

「おうお嬢ちゃん、ウィンを目指すなら一緒にいかないか」

「おや」

 

 そしてウィンまでの旅路は、民間の運送業者に同行させて貰えることとなりました。

 

 彼らはサバト経済特区まで、政府の指示で支援物資を輸送してくれた人たちです。

 

 自分はありがたくその申し出を受け、ともに首都を目指す事になりました。

 

「飯もこっちで用意してやるよ。困ったときはお互い様だ」

「ありがとうございます」

 

 こうして、自分の首都への旅が始まりました。

 

 

 

 ……とまぁ。

 

 少し言い訳をしますと、自分は半年間も幸せな時間を過せたせいで平和ボケしていたのでしょう。

 

 セドル君を甘やかしに甘やかした至福の月日は、自分の『勘』をとことん鈍らせていたようです。

 

 

「あ……う?」

「あはは、お嬢ちゃんごめんね」

 

 

 運送業者の言葉に甘えて、彼らのスープを分けて頂いた後。

 

 しばらくすると体がグラリとふらついて、眩暈で立てなくなってしまいました。

 

 

「俺達もさぁ、必死なのよ。もうこの国では、明日食べる飯があるかも保証されていない」

「……これ、は」

「傷は有るが、見てくれは悪くない。お嬢ちゃんはきっと、高く売れるんだ」

 

 

 自分のスープには、しびれ薬(恐らくは、神経系毒キノコの粉末)が盛られていたようです。

 

 この運送業者は、どうやら奴隷売買にも手を出していたようで。

 

 オースティンに帰る道すがら、自分は再び捕虜……というか奴隷の身分にされたのでした。

 

 

 

 危機意識が薄かったのでしょう。

 

 オースティンは安全だ、という思い込みもあったのだと思います。

 

 仮にも女性である自分が、無警戒に見知らぬ人に付いて行くべきではありませんでした。

 

 少しでも警戒していれば、彼の心の奥に隠れた『欺瞞』を見破れたはずです。

 

「まだ幼いし、顔に傷があるなぁ。売れるか?」

「普通に可愛い方じゃないの? 俺は結構な額になると思うがな」

「……」

 

 自分は運送業者の男から、その日の晩に奴隷商に引き渡されました。

 

 薬さえ盛られていなければ、逃げ出す事も出来たかもしれません。

 

 しかし体をピクリとも動かせぬ自分は、観念して奴隷商の檻に入るしかありませんでした。

 

「飯は出してやるから、そうビクビクしなさんな」

「……」

 

 檻には自分以外にも、数名の奴隷が捕まっていました。

 

 皆が下着姿で腕と足を縛り上げられ、絶望の表情を浮かべていました。

 

「ちょーっと痛いけど我慢してね。怨むなら、迂闊な自分を怨んでねー」

「な、何を」

「足の腱、切らせてもらうだけだよー」

 

 その後、自分は足の腱を切られ縛り上げられて、馬車で運ばれる事になりました。

 

 よく見れば自分以外の女性も全員、足の腱を切られているようです。

 

 ……容赦が無いですね。

 

「最後のはちんまいけど、まぁ小金稼ぎにはなるだろう」

「幾らになるかな」

 

 こうして自分は檻の中、しばらく馬車に揺られることになったのでした。

 

 

 

 当時のオースティンに、こうした人身売買グループは多かったみたいです。

 

 オースティン国内の治安維持の為に動ける戦力が、ほとんどいなかったからです。

 

 フォッグマンjrも対策はとっていたようですが、武力を行使しない限り賊は居なくなりません。

 

 こういった賊は戦後になるまで、摘発されることはありませんでした。

 

 

 

「今日はどの女にするかな」

「処女には手を出すなよ」

 

 奴隷商は5人組の集団でした。

 

 全員が銃で武装しています。おそらく旧型のオースティン小銃で、闇ルートで転売されたのでしょう。

 

 自分を縛る縄は、かなりボロボロでした。力を入れれば微かに伸びるので、頑張れば抜けれそうです。

 

 しかし檻は強固で、どうあがいてもこじ開けれそうにありません。

 

 仕方が無いので自分は、おとなしく震えて檻の中でうずくまっていました。

 

「今日はお前だ、おい立て」

 

 奴隷として囚われて1週間ほど経った晩。

 

 無抵抗におとなしくした事が功を奏したのか、待ちに待った好機が訪れました。

 

 彼らがお楽しみのため女性奴隷を連れ出した時、うっかり檻の鍵を開けっぱなしにしてくれたのです。

 

「……おい、鍵どうした」

「あっ」

 

 賊はすぐ、扉の鍵を閉め忘れた事に気づき戻ってきました。

 

 その間は1分ほどの短い時間ですが、自分はこの千載一遇のチャンスを逃すわけもなく、

 

「おい、鍵締め忘れてんじゃねぇかタコ!!」

「す、すんません」

「あのガキ逃げてるぞ、探せ!」

 

 即座に、緩めていた縄から抜け出して檻の外へと走り去りました。

 

「遠くにはいっていないはずだ。足の腱は切ってるはずだから」

「その辺に隠れてんだろ、おーい出てきやがれ! 隠れ続けやがったら、見つけた後全身の皮を剝ぐぞ!」

 

 足の腱など、とっくに自分で治しています。

 

 自分が回復術師だと気付かれずに済んで助かりました。

 

「どこにいる、早く出てきやがれ!!」

 

 この誤解のお陰で、賊に追いつかれることなく安全な距離まで脱出することが出来ました。

 

 

 

 

 

 と、こんな感じに賊から逃げられたのは良いのですが……。

 

 次の問題は、自分がどこにいるか分からないという事でした。

 

 ウィンを目指すルートからは外れており、現在位置が分からないのです。

 

 

 幸い、夏のオースティンには食べられるものがよく転がっていました。

 

 どんぐりなんかは、皮を剥きさえできれば不味くとも食べられました。

 

 時折生えている蒲公英(たんぽぽ)は、自分の地元だったノエルでもサラダによく使われていた野草です。

 

 水源も、小川に巡り合うことは出来たので問題はないように見えたのですが……。

 

「ヴっ、うぅぅ……」

 

 ……問題は火を起こす手段がなかったので生で飲まざるを得ず、腹を下してしまった事です。

 

 

 どうやらこの辺の水は寄生虫などに汚染されているようです。

 

 おなかを下してから数日ほど、動けない状況になりました。

 

 果実などから水分を取ろうとしましたが、全て吐き出してしまいました。

 

 やがて皮膚が渇き声が枯れ、自分でもわかる程に脱水が進んできます。

 

 水を飲まねばならないのに、小川の水はとても危険。

 

 今の自分は、鉄帽も瓶も持っていません。下着だけの、質素な衣装です。

 

 何とか火を起こせたとしても、煮沸する方法がないのです。

 

 安全に水を飲む手段が、どこにもありません。

 

 脱水による死が、現実味を帯びてきていました。

 

 

 そんなこんなで、心身ともに弱ってきたころ。

 

 自分は一つ、大きな幸運を手繰り寄せました。

 

 それは、

 

 

「む、誰だ貴様は」

「あ、あぁ……、保護を、自分を保護してください」

「保護だと?」

 

 その川沿いに休憩中の、オースティン軍服を着た集団を見つけたのです。

 

 恐らく、オースティン正規軍の兵士達。

 

「……むむ、かなり脱水が酷いな」

「水を与えないと死にますよ、この娘」

「むぅ、仕方あるまい」

 

 こうして自分は、帰国早々に死にかけはしましたが、無事にオースティン軍に合流(?)出来たのでした。

 

 

 

 

「自分は、人攫いの賊に捕まっていました」

「ふむ」

 

 その部隊の隊長から清潔な水と塩分を頂き、息を吹き返した後。

 

 自分は、その輸送隊の隊長の男性に事情聴取をされました。

 

「お前は何故、その歳で旅をしていた」

「自分はオースティン軍所属の衛生兵です。軍に帰還する為、旅をしておりました」

「なに? お前軍属なのか? ならばどうしてこんなところにいる」

「はい、隊長殿。自分はオースティン軍の衛生兵長として、北部決戦に参加していました。しかし、決戦の最中に負傷し、タール川に流され、落伍兵となっていたのです」

 

 自分は淡々と、置かれた状況を説明しました。

 

 サバトに渡ったことも、同盟と共に帰還したことも。

 

「……北部決戦って、去年だろ。今まで何をしていたんだ?」

「運悪くサバト側に流れ着き、先日同盟が締結されるまで帰還の目途が立ちませんでした」

「それに、お前の年齢で衛生兵長ってなぁ」

「お疑いなら、回復魔法を使って見せましょうか」

「いや、今怪我人いねーし」

 

 自分の話を聞いて、隊長は怪訝な顔をしました。

 

 どうやら自分の言い分に疑問を持っているようです。

 

「悪いが、我が部隊は前線への輸送任務に就いている。お前がウィンを目指しているなら、1人旅を続けて貰わねばならん」

「ならばどうか、自分を前線に連れていって貰えませんか。自分をお疑いなら、アリア大尉殿が身元を保証してくださると思います。彼女が、自分の後見人を引き受けてくださっています」

「だがなぁ」

 

 隊長は、自分を追い払う気満々のようでした。怪しい自分を、同行させたくないのでしょう。

 

 しかしここで置いて行かれたら、今度こそ死んでしまうかもしれません。

 

 自分は必死に、隊長の説得を行いました。

 

「自分がアリア大尉殿と話をしたのは1年以上前ですので、もう昇進されているかもしれませんが」

「……ああ、アリア様は少佐になられている」

「少佐殿ですか。成程、随分と出世なさったのですね」

「ただし彼女は去年、勇敢な最期を遂げられた。その功績をもっての昇進だ」

 

 自分はそこで、まずアリア大尉の名前を出したのですが。

 

 ここで彼女が北部決戦の折に、壮絶な最期を迎えた事を知りました。

 

 

「アリア、さんが。お亡くなりになったのですか……」

「他に、お前の身分を保証できる将校は居るか?」

「……彼女のお父上であるレンヴェル少佐殿、また直属の上官であったヴェルディ中尉殿と面識があります。衛生部に行けば、ドールマン衛生曹やレイターリュ衛生部長などとも面識がございます」

「ふむ、ヴェルディ大隊長殿の知り合いとな」

 

 自分がアリアさんの死にショックを受け、涙を堪えていると。

 

 目の前の若い男性将校は、意外そうな目で自分を見ました。

 

「俺達は、ヴェルディ増強大隊所属の輸送部隊だ。本当にお前がヴェルディ様の知己であれば、引き合わせる事は出来る」

「本当ですか」

「ああ。無論、厳重にボディチェックはさせて貰うがな」

 

 どうやら、この部隊はヴェルディ大隊に所属している輸送部隊の様で。

 

 そしてこの、若くも粗暴な雰囲気のある男の正体は、

 

「俺はガヴェル曹長である。レンヴェル中佐殿の孫で、ヴェルディ少佐殿の従甥」

「えっ」

「お前がさっき名を出したアリア少佐は、俺の叔母だ」

 

 レンヴェルさん一族の、若き曹長だったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガヴェル曹長は、自分より2つ年下の新米兵士でした。

 

 若そうな印象を受けましたが、まさか年下だとは思いませんでした。

 

「俺はこの春に士官学校を卒業し、すぐに任務に就くことを許されたんだ」

「はあ」

 

 彼は15歳で士官学校を卒業した後、曹長の地位で参戦しました。

 

 しかし、いくら士官学校出身と言えど彼は戦場未経験の新米兵士。

 

 なので最初は、安全な輸送部隊長を任じられたようです。

 

「俺は指揮官になる人間だからな。前線には出なくて良いのさ」

 

 ガヴェル曹長だけでなく、士官学校を卒業した直後の人がいきなり前線に駆り出されることは少ないです。

 

 ヴェルディさんも、ガーバック小隊に所属した年齢は17歳でした。

 

 2年ほど後方で下積みをして、前線に出てきていたようです。

 

「お前はヴェルディ少佐殿と、どういう知り合いなんだ」

「はい、お答えします。自分は新米の折、ヴェルディさんと同じ小隊に所属しておりました」

「ほほう、それは幸運だったな。あの人の活躍を、そんな間近で見られたのか」

 

 ガヴェル曹長は、ヴェルディさんについて色々と聞いてきました。

 

 何故か少し、恍惚とした表情で。

 

「ヴェルディさんは凄い人です。絶体絶命の窮地にこそ、冷静な判断力を発揮できる方です」

「そうだろう、そうだろう。あの人は本当にすごいんだ」

 

 ガヴェル曹長は、ヴェルディさんに心酔しているようでした。

 

 ノエル撤退戦の時のヴェルデイさんの武勇伝を語ると、目を輝かせて喜びました。

 

「今のオースティンの優勢があるのは、ヴェルディ様のお陰だよ。本当に、誇らしい人だ」

「ええ」

「ヴェルディ大隊長殿こそが、オースティンの生命線と言って過言ではない」

 

 聞けばヴェルディさんの活躍で、戦争はオースティンが優勢に経過しているようでした。

 

 既に敵を国内から追い返すことに成功しており、今は敵の残党を始末している最中だそうです。

 

 ……話に聞いた通りの戦況なら、自分が着く頃には戦争終わってるかもしれませんね。

 

「我らが偉大なヴェルディ大隊長殿に栄光あれ!」

「ええ、ヴェルディさんに栄光あれ」

 

 しかし、得てして大本営発表と言うのは当てにならないものです。

 

 味方兵士は常に「優勢である」という情報しか聞かされません。

 

 実情がどうであれ、自分はただ怪我人を癒し続けるのみです。

 

 

 

 

 

「あの、自分も何か持ちましょうか」

「ああ? 要らねぇよ」

 

 こうしてガヴェル曹長に保護された自分は、特に仕事を振られるわけでもなく。

 

 ただテクテクと歩いて、付いて来るよう指示されました。

 

 積み荷から予備の軍服だけ、貸し与えられて。

 

「お前が荷物なんて持ったら、重すぎてひっくり返っちまうだろ」

「一応、それなりの重装備にも耐えられるよう訓練はしているのですが」

「強がるなって、こういうのは男に任せろ」

 

 輸送部隊は、基本的に馬車や人力車で物資を運びます。

 

 もう数年経てば鉄道や車などが軍に配備され、人力車の出番は無くなります。

 

 恐らくこの戦争が、人力での長距離輸送が行われた最後の戦争でしょう。

 

「心意気は買うがな、それは衛生兵殿の仕事ではないぞ」

「アンタは俺たちが運ぶ物資みたいなもんさ。おとなしく運ばれとけ」

 

 そんな力仕事をこなす輸送部隊の兵士達は、大体が前線を退いた負傷兵でした。

 

 彼らは気性が荒く、少々おっかない人が多い印象です。

 

 負傷し退役出来たのに、わざわざ兵士を続けようとするような人ですからね。

 

「それにもう、誰が何を持っていくかは割り当てられている」

「そうですか……」

 

 そんな輜重兵と呼ばれる彼らは、己の肉体一つで物資を運ぶので筋骨隆々です。

 

 自分も鍛えてはいるのですが、彼等の筋肉には遠く及びません。

 

「まぁ心意気は買うぜ、衛生兵長ちゃん」

 

 ガヴェル曹長はからかう様に、自分の背をバンバンと叩きました。

 

 一応自分の方が年上ですが、軍では階級が全てです。

 

 ペット扱いされてる気がして少し不快でしたが、甘んじて受け入れましょう。

 

 

 

 このガヴェル曹長という男は、あまり優秀な士官学生ではなかったそうです。

 

 トレーニングをよくサボり、座学の成績も平均以下で、卒業できたのもギリギリだったと聞きました。

 

 ヴェルディさんは優秀な成績だったそうですし、アリアさんに至っては士官学校の次席だったことを考えると、レンヴェル一族の中では落ちこぼれだったようです。

 

 

 なのでヴェルディさんは、彼を前線で運用するつもりはありませんでした。

 

 彼は指揮官として、あまりに多くのものが不足していたのです。

 

 「俺は指揮官だから前線に出なくていい」と彼が言っていたのは、遠回しにヴェルディさんが彼を指揮官として運用する気がない事をオブラートに包んで告げられていただけでした。

 

 ガヴェル曹長は良くも悪くも、ヴェルディさんに守られていたのです。

 

 

 しかしレンヴェル中佐は、逆に彼を買っていたそうです。

 

 成績も悪くサボりがちな彼を見て「俺の若い頃に似てやがる」と評価したのだとか。

 

 ガヴェルは大器晩成で、育てば立派な指揮官になると断言しました。

 

 

 そんな微妙な経歴のガヴェル曹長は、この時点で15歳。

 

 自分が初めて西部戦線に放り出された時と同じ年です。

 

 そんな青々しい彼は、軍人になってから自分で考える事をしていませんでした。

 

 彼は上官であるヴェルディさんの指示に、ただ従い続けるだけの日々を送っていました。

 

 

 勿論、兵士に考える頭は要りません。兵士は命令されたことをただ実行すればよいのです。

 

 だからガヴェル曹長の行動は、兵士としては正解だったでしょう。

 

 問題は、彼が兵士ではなく指揮官の立場にあるという事でした。

 

 

 兵士が考える頭を持たないで良いのは、指揮官が代わりにものを考えているからです。

 

 部隊長である彼だけは、よく考えて行動せねばなりません。

 

 

 そう。

 

 15歳では無理もないのですが、彼は漫然と生きていたのです。

 

 ただ命令通りに、思考を停止して輸送するだけ。

 

 どういう時に指揮官として、どう動けばいいかなど想像だにしていませんでした。

 

 ……それはかつて、自分がラキャさんを死なせてしまった時と同じように。

 

 

 

 

 

 自分がそれに気付けたのは、偶然でした。

 

「ガヴェル曹長、緊急事態です。敵と思しき部隊を発見しました」

「え?」

 

 あまりにやる事が無かったので、戦場に慣れるリハビリを兼ね索敵をしていたのですが……。

 

 本当にうっかり、敵兵を見つけてしまったのです。

 

 二度見しましたが、確かに偵察鏡を持った兵士が数名ほど自分達を見つめています。

 

 恐らくは、敵です。

 

「2時方向、およそ400mです。当部隊の待ち伏せであるとすれば、敵は中隊規模と予想されます」

「ちょ、お前、何を言っている」

 

 本当に見つかるとは思っていなかったので、正直かなり焦りました。

 

 輸送部隊である以上、狙われても不思議ではないというのに。

 

「ど、何処だ? 見えないぞ、俺をからかっているのか?」

「曹長殿、雑木林の下だ。俺にも見えてる、マジで敵だな」

「何!」

「大手柄だ、お嬢ちゃん」

 

 輜重兵の方も、自分の見つけた敵を確認してくれました。

 

 ざわざわと、部隊の人達がざわめき始めます。

 

「中隊規模ってのはどこで判断した?」

「偵察兵だけで小隊を組んでいるので、敵の規模は中隊以上でしょう。そして目前の地形に大隊が待ち伏せ出来るほどの場所はなさそうなので、中隊規模と推測しました」

「ほう、やるじゃねぇか。衛生兵にしとくにゃ惜しい」

 

 その輜重兵の方は、目の前に敵が見つかったのに焦る様子もなく、にこにこと自分の頭を撫でていました。

 

 ……随分余裕がありますね、相当な修羅場をくぐってきた方でしょうか。

 

「何を落ち着いている! 本当に中隊が待ち受けているのか!? あそこに敵が居るって事か!?」

「ええ、その娘の言う通り中隊規模だと思いますぜ」

 

 その偵察兵上がりらしき人も、自分と同じ読みのようでした。

 

 このガヴェル輸送部隊は増強小隊で、20名規模です。

 

 中隊を相手にするには、かなり人数に差がありました。

 

「さて、どうする曹長殿」

「え、お、俺か?」

「アンタ以外に誰が指示を出すんだ、部隊長どの」

「そ、そうか。そりゃあそうか」

 

 突然に判断を仰がれて、ガヴェル曹長は目をパチクリさせました。

 

 最年少の彼に判断を任せるのは酷ですが、指揮系統はそうなっているのです。

 

「よ、よし。逃げよう、迂回だ」

「……あい、了解。どっちへ逃げます?」

「え、そうだな。あー……」

「迂回して前線を目指すのか、後退して拠点に戻るのか、どっちですかい」

「こ、後退しよう」

 

 ガヴェル曹長は絞り出すような声で、そう指示を出しました。

 

 後ろに逃げる方が安全だと、判断したのでしょう。

 

 といっても、敵が簡単に逃がしてくれるとは思えませんが。

 

「……あ、敵部隊が前進してきましたね。待ち伏せを感知されたと、気付いたようです」

「げっ」

「曹長殿。早く、森林内に部隊を寄せましょう。身を隠さないと全滅します」

「ちょ、本当だ、敵がいっぱい出てきたぞ! うわあああ!?」

 

 この時のガヴェル曹長は、あまりに若く未熟でした。

 

 ヴェルディさんは、冷静に指示を飛ばすことが出来ていたのですが……。

 

 新米指揮官に、それを期待するのは酷でしょう。

 

「全員撤退、荷物は捨て置け! 命あっての物種だ!」

「ガヴェル曹長?」

「逃げろ、俺達は殆ど武装もしてない、勝てる訳がない。荷物なんかくれてやれ」

 

 彼はパニックに陥りながら、「逃げろ」とだけ叫びました。

 

 一応、勝ち目の無い状況で輸送部隊が襲われた場合、荷物を捨てて逃げ出すのは教本通りではあります。

 

 ……勝ち目の無い状況であれば。

 

「落ち着いてください、ガヴェル曹長殿」

「俺は落ち着いている、冷静だ! とっとと撤退を始めろ────」

「良いから、落ち着いてください!」

 

 今のオースティンで、武器弾薬は稀少です。

 

 ガヴェル曹長が投げ捨てようとしているこの荷物は、前線兵士にとっては命に代えがたい代物なのです。

 

「曹長。速やかに物資を保持したまま、右手にある森林地帯に避難することを提案します」

「お、おい、馬鹿か! 敵が来たら」

「よく見てください、まだ接敵まで時間はあります」

 

 だから自分は冷静になって貰うべく、ガヴェル曹長を励ます様に声をかけました。

 

 ここは逃げ出すべきではありません。

 

 敵の様子を見る限り今の状況は、勝ち目の無い戦いではないからです。

 

「接敵する前に逃げなきゃいかんだろうが────」

「逃げるにしろ、報告のためにも敵の戦力を把握すべきです。恐ろしいでしょうが目を逸らさず、前を見てください」

 

 自分の勘も、告げていました。

 

 まだ、ここは死地ではない。ここで突っ張っても、大事には至らないと。

 

「現状を整理します。我々は幸運にも、敵の待ち伏せを察知できました。なので敵は仕方なく、姿を現したのです」

「え、あ、はぁ」

「近代戦は、防衛側が圧倒的有利。この程度の戦力差であれば、ひっくり返ってしまいます」

 

 輸送部隊の兵士は、パチクリとした目で自分を見ていました。

 

 ですが自分は物怖じせず、この未熟な部隊長に気合いを入れてもらうべく、

 

「どうです、ガヴェル隊長殿。ひと手柄、立ててみませんか?」

 

 そう提案しました。



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121話

 

 この時、自分たちはオースティン南部、フラメールとの国境付近の森林地帯に居ました。

 

 ここは対フラメール戦線の激戦地でしたので、民間人は残っていません。

 

 森林内の倒れた木々や開けられた大穴が、その戦闘の苛烈さを物語っていました。

 

「お、おおお、敵が走ってきているぞこっちに!」

「ええ、来ていますね」

「接敵まで2分ってところか」

 

 敵は森林内から飛び出て、雄叫びをあげ突撃してきました。

 

 その剣幕にガヴェル曹長はパニック状態でしたが、部下達の方は冷静でした。

 

「……戦うったってどうする気だ、衛生兵長殿」

「普通に、ですよ。特別な事は必要ありません」

 

 自分は改めて敵を観察しました。

 

 ここはオースティンの領土内です。敵兵が潜んでいることがまずおかしい。

 

 では何故、あの敵部隊はオースティン領内で待ち伏せしていたのか。

 

 後方の輸送部隊を襲うため、オースティン軍に気づかれぬよう忍び込んできていたのか。

 

 ─────否。その理由は、敵の姿見れば一目瞭然でした。

 

「勝手な方針を立てるな、隊長は俺だぞ! もう、早く、逃げろってば!」

「……見てください、ガヴェル曹長」

「何をだ!」

 

 敵の中隊が、こんなオースティン勢力圏ど真ん中で待ち伏せできた理由。

 

 それは、

 

 

「彼らはどうやら、敗残兵みたいです」

「あ?」

 

 

 彼らは最初から奇襲する目的で、このオースティン領土内に潜伏することが出来た部隊ではなく。

 

 既に戦闘に敗れ、我らの勢力圏内に孤立して(・・・・)しまった潰走軍だったのです。

 

 

 姿を隠しながら近づいてくる敵には、血塗れで治療も受けていない負傷兵が散見されました。

 

 統率もまばらで、銃を失っている兵すらおりました。

 

 彼らは皆、必死の様相で我々に突撃を仕掛けてきたようです。

 

 ……生き残るために。

 

「恐らく彼らは敗走後、オースティン領内に潜伏したのでしょう。そしてたまたま我々の輸送部隊を見つけ、襲撃してきたのです」

「む、そうなのか。確かに、ずいぶんとボロボロだな」

「あの有様なら、敵に弾薬はあまり残っていないでしょう。我々にも勝機は十分にあります」

「……」

「むしろ、ここで我々が逃げ出せば、みすみす敵の補充を許すだけではありませんか。ガヴェル曹長」

 

 窮地に陥っているのは、敵も同じでした。

 

 いえ、むしろ敵の方が絶望的な状況と言えました。

 

 我々は敗走しても保護を求めればいいですが、敵は負ければ死ぬしかないのですから。

 

「……もしかして、本当に勝てる感じ? 林に隠れた後はどうすんだ?」

「敵が森に入ってくるまでは、銃で迎撃を。森林内まで侵入を許してしまえば、遭遇戦を仕掛けましょう」

「それで勝てるのか」

「ええ」

 

 そして障害物の多い森林で、ゲリラ戦法以上に有用な防御戦術を自分は知りません。

 

 ヨゼグラード市街戦で嫌というほど味わった「いつ死角から鉛弾が飛んでくるかわからない」恐怖は、攻撃側の士気を恐ろしく下げます。

 

「だが……俺の部下は輸送部隊だぞ? 銃なんか撃てるのか?」

「撃てと言われれば撃てますがね。歩兵時代のような働きは期待せんでください」

「それで十分でしょう」

 

 輜重兵の多くは、元歩兵です。

 

 負傷により腕や脚が動かなかったりで、前線を退いた兵士が多いのです。

 

 なので十全に戦えるわけではありませんが、実戦経験だけはかなり豊富と言えました。

 

「敵を全滅させる必要はありません。敵に我々を諦めさせれば勝ちなのです」

「だが……しかし。絶対に勝てるとは限らんじゃないか」

「無論、それでも曹長殿が逃げるというのであれば自分は従います」

 

 片腕を失い銃を持てない人には、手榴弾を投げてもらえばいい。

 

 満足に走れぬ人には、茂みに隠れて待ち伏せしてもらえればいい。

 

 我々は攻められる側です。五体不満足な兵士でも、十分に活躍できるでしょう。

 

 障害物に隠れて敵を待つという行動は、この時代の戦争において、何より有利なのです。

 

「しかし貴方の敬愛するヴェルディ様は、四方を敵に囲まれた窮地において、見事に物資を運び出し撤退に成功したのでしょう?」

「む」

「あの時よりも、遥かに状況は良いです。ガヴェル曹長が率いている輜重兵の方々は、歴戦の勇士ばかり。存分に頼ってみてはいかがでしょうか」

 

 自分はヴェルディさんの話を例に出し、ガヴェル曹長を説得しました。

 

 ここまで進言してなお却下されるなら、大人しく撤退に従うつもりでした。

 

 自分の立場で出来るのは提案まで。最終的に判断するのは、ガヴェル曹長だからです。

 

「お前等、やれるか?」

「やれと言われればやりますよ曹長。それが兵士ですから」

「久々に敵を撃てるのか、良いねぇ」

 

 輜重兵の方もそれなりに乗り気でした。

 

 軍人でいる事が好きで負傷後も軍に残った兵士にとって、むしろ嬉しい展開なのかもしれません。

 

 一部の、前線が嫌で輜重兵に志願したっぽい人は顔を青くしていましたが。

 

「……そうか。じゃあ、やってみるか」

「おっしゃ。久々の実戦だ、銃を寄越せ!」

「俺の荷物が銃火器と弾薬だ、ほら全員装備しろ」

「手榴弾もあるぞ。こいつは危ないから、扱った事がある奴だけ持っていきな」

 

 こうしてオースティン軍に復帰して早々、自分は再び戦火に巻き込まれたのでした。

 

 

 

 

 

「……厳密に自分はまだ、軍に復帰していないので。これはセーフと言う事にしてください」

 

 自分もオースティン銃と風銃(手榴弾を撃ち落とす兵器)を借り受けて、戦闘に参加しました。

 

 オースティンの軍規では、衛生兵は戦闘に参加してはいけないハズです。

 

 ですが、まだ復帰を認められていない今だけなら、きっと問題にはならない……のですかね?

 

「ん? 何のことだ」

「自分は衛生兵なので、その、銃を撃つのは不味いかなと」

「ああ、そう言う事か。大丈夫、去年から衛生兵の銃所持は認められてるぞ」

「そうなのですか」

 

 ところが話を聞くと、どうやらオースティンの軍規が変わり、衛生兵でも銃を使用できるようになったみたいです。

 

 ドールマン氏あたりがゴネたのでしょうか。

 

「ま、でもお前は無理すんな。どうせ当たんねーんだから、撃っても弾の無駄にしかならん────」

「11時方向、小隊長格と思しき敵兵を発見、撃ちます。……左腕に命中しました」

「……上手いな」

 

 自分は木々に姿を隠しながら、こちらに走ってくる敵に攻撃を開始しました。

 

 距離はおよそ50mほどでしょうか。左胸を狙ったつもりでしたが、少しズレましたね。

 

 使い込んでいたサバト銃と勝手が違うので、少し狙いの感覚がおかしいようです。

 

 当て勘を取り戻していかないといけません。

 

「狙撃、【盾】。狙撃、【盾】。……敵の小隊長、今度こそ仕留めました」

「おお、なんだ嬢ちゃん本当に衛生兵か? 装甲兵みたいな動きしやがって」

 

 改めて振り返ると装甲兵のエース、ザーフクァ曹長に課された訓練内容は恐ろしく実戦的でした。

 

 今、こうして自分が使用している動きの大半は、彼の部隊との訓練で身につけた動きです。

 

 障害物越しに敵を捕捉した後、短時間で構え、撃ち、そして【盾】を張って身を隠す。

 

 これを徹底するだけで、死亡率はぐっと減るのです。

 

「手榴弾投げまーす、曹長殿許可をくれ!」

「え、ああ、許可する」

「おーいしょぉ!!」

 

 自分の隣では髪の薄めでマッチョな男が、足元に手榴弾の詰まった箱をおき、満面の笑みで投擲を始めました。

 

 ……彼の狙いの敵は100mほど離れており、流石に遠いのではと思ったのですが、

 

「えっへへ、どんなもんよ。まだまだ現役やれたんじゃねぇかなぁ」

「良い肩をしていますね」

「昔は投擲榴弾兵ってな、遠くに手榴弾投げれる奴は特別な兵科を名乗れたんだ。専用銃が開発されるまで、こうやって手で投げてたんだぜ」

 

 40歳後半とおぼしきこのおじさんは、かつて擲榴兵としてブイブイ言わせていたみたいで。

 

 久々に手榴弾を投げることが出来て嬉しいのか、ウキウキと投擲をし続けました。

 

 昔はエース級だったりしたのでしょうか。

 

「よーいしょぉ! こーらしょぉ!! 投げても投げても手榴弾が余ってるってなぁ素晴らしいな!」

 

 恐らく今回の戦闘のMVPはこの手榴弾投げおじさんだったでしょう。

 

 彼は非常に強肩で、次々と敵兵を爆散させ続けました。

 

 その凄まじさは、ちょっとした砲撃と言えました。

 

 自分もチマチマ狙撃をしたのですが、仕留められたのは数人だけです。

 

「ぎゃー! 腹を撃たれた、死ぬ、死ぬ」

「……ガヴェル曹長、治療の許可をください。彼はいますぐ処置しないと、死にそうです」

「あ、ああ。治してやれ」

 

 自分が攻撃に参加したのは、最初の30分ほどだけでした。

 

 わざわざ衛生兵である自分が銃を撃たなくても、輜重兵の方々だけで十分な防衛力を発揮できていたからです。

 

 途中から自分は、敵に撃たれた兵士の治療に専念する形になりました。

 

「医療物資の入った荷物はありますか?」

「えーっと。すまん、どれか分からん」

「じゃあアーミーナイフを貸してください。それ1本で何とかします」

 

 ……せめて針と糸があれば魔力が節約できたのですが、仕方ありません。

 

 どうせ長期戦にはならないでしょうし、出し惜しみなしで治してあげましょう。

 

「お、おお。楽になった、サンキュー」

「とりあえず、しばらく安静にしておいてください。傷が開いたら死にますので」

「了解です衛生兵殿」

 

 この戦闘では、兵士数だけ見れば敵の方が多かったでしょう。

 

 しかし敵は弾薬が尽きかかっており食料も水も足りておらず、かなり弱っていました。

 

 そんな状況で物資を運ぶオースティンの輸送部隊を見つけた時は、天に上る心地だったでしょう。

 

 彼らは万全を期すため、今すぐにでも襲いかかりたい気持ちを堪えて待ち伏せを選択したのです。

 

 

 

 しかし残念ながら待ち伏せは看破され、彼等は突撃せざるを得なくなりました。

 

 我々ガヴェル輸送部隊から積み荷を奪えなければ、敵に未来はありません。

 

 窮鼠猫を噛むが如く、彼等は追い詰められていたのです。

 

 

 ガヴェル曹長が当初の命令通り逃げ出していれば、きっと彼らは再び活気を取り戻していたでしょう。

 

 場合によっては、このまま賊としてオースティン内地に侵攻していったかもしれません。

 

 ここでガヴェルが「敵を迎撃する」と判断が出来たことは、オースティンにとって大きな利になりました。

 

 

「……もう、敵が向かってこなくなったな」

「自分の目にも、敵は見当たりませんね」

 

 

 戦闘開始から半日ほど。

 

 死に物狂いで襲ってきた敵兵は、やがて力尽き撤退していきました。

 

 多くの骸を、オースティンの大地に置き捨てて。

 

 

「彼らはフラメール兵ですか?」

「そうだろうな。フラメールの軍服だ」

 

 これが自分にとって、初のフラメール兵との戦闘でした。

 

 彼らこそ火事場泥棒のようにオースティンに侵略し、南部の民衆を脅かした「敵」。

 

 今のオースティンが、何としても倒さねばならぬ敵です。

 

「勝った……、勝ったぞ……、大戦果だ!」

「ええ、そうですね。おめでとうございますガヴェル曹長」

「ああ、ああ、よくやったぞトウリ衛生兵長! お前の事も、ヴェルディ様に褒めておいてやるからな!」

 

 初の実戦、そして初めての本格的な戦争。

 

 それをこれ以上無い形で乗り越えられたガヴェル曹長は、感極まって飛び跳ねていました。

 

 彼なりに、未熟な指揮官として勇気を出した結果でしょう。

 

「結局、敵さんろくに撃ち返してこなかったな」

「こっちの被害は負傷兵が数人だけ、か。完勝じゃないか」

「敵は敗残兵ですし、そんなものでしょう」

 

 この一件はガヴェル曹長の評価を、大きくあげました。

 

 涙を流して大喜びする15歳の指揮官を、自分を含めた年上の部下たちは生暖かく見守っていました。

 

 

 

 

 

「約束通り、お前をヴェルディ少佐に引き合わせてやるからな。ちっと待ってろ」

 

 数日後、我々は無事に対フラメールの最前線へ到着しました。

 

 そこには野戦病院のテントや、設営型の武器弾薬倉庫など、西部戦線で見慣れたものが数多く並んでいました。

 

「ヴェルディ大隊長殿に報告に来た。ガヴェル曹長だ」

「はい、お待ちください」

 

 自分はガヴェル曹長に引き連れられ、司令部のテントへと足を運ぶことになりました。

 

 ……ヴェルディさんは、ここで自分たちを待っているそうです。

 

「……お、緊張してきたのか?」

「ええ、少し」

 

 彼とは実に1年ぶりの再会です。

 

 自分は一体どんな扱いを受けるのでしょう。

 

 

 よく生きていた、と喜んでくれるのでしょうか。

 

 それとも1年間も脱落して何をしていた、なんて怒られたりするのでしょうか。

 

 いえ、公の場では事務的に「復帰を認める」と短く言葉をかけられるだけなのかもしれません。

 

「じゃあ、俺が先に入って話を通して来るからよ。トウリはちょっと待っとけや」

「はい、曹長殿」

「その間に緊張ほぐしとけ、カチコチになってヴェルディ様に余計な時間を取らせるなよ」

 

 ヴェルディさんは、今や少佐になられたそうです。

 

 少佐と言えば、初めて出会った時のレンヴェルさんと同じ立場。現在のオースティン軍の、最高権力者の一人と言っても過言ではありません。

 

 もう彼は、昔のように気やすく「ヴェルディさん」と声を掛けられる相手ではなくなっているのです。

 

 

「……失礼します。ガヴェル輸送隊長、入室します」

「ああ」

 

 

 テント越しに、懐かしいヴェルディさんの声が聞こえました。

 

 その声には、どこか威厳が乗っているかのように感じました。

 

「─────日の午後13時、我がガヴェル輸送小隊は敵兵を事前に発見し、これを迎撃する決断を致しました」

「ほう。続けてください」

「敵の規模は中隊と予想され……」

 

 彼はもう、オースティン軍の重鎮の一人です。

 

 今迄の様に、気さくな態度で部下に接することは難しいのでしょう。

 

「最後に、移動中に一人の落伍兵を保護致しました。歳若い少女兵ですが、先の戦闘にいて一定の戦果を挙げております。ヴェルディ少佐殿と面識があるとの事で、現在幕外に待機させております」

「ふぅん。ガヴェル曹長、報告は了解しました。よくやりましたね」

「あ、ありがとうございます。光栄です!」

 

 しっかりと、上下関係を意識した態度で面会に臨みましょう。

 

 自分が妙な事を言って、ヴェルディさんに恥を掻かせるわけにはいきません。

 

 誠心誠意、敬意をもって挨拶をしましょう。

 

 きっと彼ならば、昔のように優しい笑顔を浮かべて出迎えてくれると思いますが────

 

 

「ですが、最後の話は少し聞き逃せないですね。貴方は、何と仰いましたか?」

「え?」

「ガヴェル曹長。最後に、貴方が最後に発言した内容を確認しています」

 

 

 そんな感じに、ヴェルディさんに会うため呼吸を整えていると。

 

 目の前のテントから、底冷えのするような冷徹な声が響いてきました。

 

 

 ……あれ?

 

「不思議ですね。ガヴェル曹長、どうして貴方は何の身分の保証もされていない人間を、戦闘に参加させたのですか」

「いや、その、それは、アイツが落伍兵だと……」

「その証拠はありますか? 通信で、その方の軍籍の照合は行いましたか?」

 

 何の感情も籠っていないような、冷たい台詞。

 

 それは自分の知人の声の筈なのに、全然知らない人の話を聞いている様な感覚でした。

 

「貴方の見た通り、実は3日前の戦いでフラメールの敗残兵がオースティン領土内に逃げ込んでしまいました」

「……」

「そのフラメール人の兵士が私の命を狙うつもりならば、どういう手を使うでしょうね」

「あ、その、ソイツはオースティン語がペラペラで。それにまだ少女兵で」

「スパイがオースティン語を勉強していないなんて事がありえますか? ……無害そうな少女兵を、暗殺者として差し向ける可能性は考えませんでしたか? 貴方がすべきは、その者の軍籍を照合した後に私にアポイントを取って、連れてくるべきでした」

 

 くどくど、とテントの中でねちっこいお説教が続きます。

 

 自分からその様子はうかがえませんが、顔を青くして縮こまっているガヴェル曹長の姿が目に浮かぶようでした。

 

「先程の話によるとガヴェル曹長は、その娘の身分を確認せず私のテントの前に連れてきているのですね」

「あ、はい、その」

「彼女が手榴弾を隠して持ち込んでいれば、私も貴方もお陀仏だったわけですが。その自覚はありましたか」

「い、一応、ボディチェックは行っていまして」

「女性であれば隠す場所は幾らでもありますが。その全てをつつがなくチェックしたのですか」

「そ、そこまでは」

 

 ……ガヴェル曹長は、冷静に叱責をされ続けました。

 

 自分は、その、本当にヴェルディさんのテントに連れてこられているのでしょうか。

 

 別の、物凄く怖い人に紹介されそうになっているのではないでしょうか。

 

「途中の敵の撃退報告までは、貴方を褒める気でいたのですが。非常に残念ですよ、ガヴェル曹長」

「す、すみません」

「それで、どうするのです」

「あ、アイツはいったん連れて帰ります。それで軍籍を照合した後、身分を確認して改めてアポイントを」

「よろしい」

 

 ガヴェル曹長はボソボソと、意気消沈して返事をしました。

 

 どうやら今日は、ヴェルディさんに会うことは出来ないみたいですね。

 

 ……まぁ、確かに今の自分が怪しいというのは納得です。

 

 少佐になったヴェルディさんが警戒するのも無理はないでしょう。

 

 

 

「……あ、その」

「話は聞こえていました、ガヴェル曹長殿」

「そっか」

 

 彼はテントを出てきた後、申し訳なさそうに自分に話しかけてきました。

 

 残念ですが、今日は出直しましょう。

 

「すまんな、その、軍籍の照合は少し時間がかかるらしいが。それまでは俺の隊で保護してやるよ」

「ええ、ありがとうございます」

「お前の、フルネームを聞いていいか?」

「トウリ・ロウです。……ですが恐らく、軍籍はトウリ・ノエルで登録しています」

「トウリ・ノエルね。分かった、じゃあ今から情報部に────」

 

 ガヴェル曹長はしょんぼりした顔で、肩を落としていました。

 

 厳しいお説教でしたが、これもヴェルディさんの愛あっての事でしょう。

 

 自分が原因の一端ではあるので、よく慰めてあげましょう。

 

 

「────って! トウリちゃんだって!?」

「ひあっ!?」

 

 

 そんな事を考えつつ、テントに背を向けた直後。

 

 凄い声を上げて、眼鏡姿のヴェルディさんがテントから飛び出してきました。

 



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122話

 

「……また、貴女に会えるとは思っていませんでしたよ」

 

 ヴェルディさんは自分の顔を、感情を殺した表情で凝視しました。

 

 その後唇を噛み締め、耐えるような顔で一筋の涙を溢します。

 

 そんなヴェルディさんの態度に、ガヴェル曹長は目を丸にしていました。

 

「お久しぶりです、ヴェルディさん。今は少佐に昇進されたとお伺いしました」

「ええ、地位ばっかり偉くなってしまいました」

 

 1年ぶりに再会したヴェルディさんは、やつれて見えました。

 

 頬もこけていますし、目の下に隈も出来ています。

 

 きっと、苦労されていたのでしょう。

 

「トウリちゃんは、少し大きくなったかな」

「本当ですか、ヴェルディさん」

「身長は変わってなさそうですが、雰囲気が大人になりました」

「身長は変わってませんか」

 

 彼は自分の返答に苦笑すると、ようやく涙を拭っていつもの落ち着いた顔になり。

 

 そして自分に、テントの中に入るよう促しました。

 

 本人と認めて貰えたみたいです。

 

「ガヴェル曹長は、少し外で待っていてください。私は彼女と二人で話がしたい」

「は、はい。了解です」

 

 自分はガヴェル曹長に一礼した後、テント内へと足を踏み入れました。

 

 

 

 

 

 

 

 ヴェルディさんのテントは7~8畳ほどのスペースがあり、デスクやベッド等の家具が備え付けられていました。

 

 流石は少佐待遇です。

 

 ただテント内は支柱が建てられており、実際よりやや狭く感じました。

 

「まずは貴女の生還を祝いましょう、トウリちゃん。まさか生きているとは思いませんでした」

「自分も、生き残るとは思っていませんでした」

 

 ヴェルディさんはすっと、自分に紅茶を淹れてくださいました。

 

 お礼を述べて口に含むと、とても甘く美味しい味が広がりました。

 

「アレンさん達は確認出来たのですが、ロドリー上等兵と貴女だけ行方不明でした。もしや、彼も……」

「いえ。ロドリー君は亡くなりました」

「そうですか」

 

 アレンさんのご遺体は、確認されているようです。

 

 もしかしたら生きているかもと思っていたのですが……、やはり悲しいですね。

 

「それでは貴女はどうして生きているのですか。そして今まで、何処で何をしていたんですか」

「はい、お答えします」

 

 ヴェルディさんは真面目な顔で、自分にそう尋ねました。

 

 この様子ですと、自分の情報が届いていないみたいですね。

 

「自分はついこの間まで、サバトにおりました」

「サバトですか!?」

「はい。北部決戦のあと、河に身を投げサバトに流れ着いたのです」

「ではトウリちゃん、貴女はまさか去年……」

 

 レミさんは、自分の生存をオースティン軍に伝えたと言っていましたが。

 

 何か、手違いでもあったのでしょうか。

 

「はい、昨年自分はサバト革命に参加していました」

「……詳しく、話を聞かせてください」

 

 ここは最初から、すべて説明していきましょう。

 

 

 

 

 

 自分は、昨年の出来事をつまびらかに説明しました。

 

 ゴムージに命を救われ、半年ほどオセロ村で過ごした事。

 

 オセロが襲撃された後、サバト旧政府軍に保護されキャンプ生活をした事。

 

 冬には政府側の兵士として、ヨゼグラードの戦いに参加した事。

 

 

「そうですか。……随分、大変な経験をしましたね」

 

 

 ヴェルディさんは自分の報告を、うんうんと頷きながら聞いてくださいました。

 

 自分がサバト軍に参加したと聞いた時は少し顔を顰めていましたが、何も言わずに最後まで聞いてくれました。

 

「成程、それで同盟が成立するまでオースティンに帰れなかったのですね」

「はい。帰国が可能になってから、速やかに労働者議会を通じてオースティン政府に連絡を取ったのですが」

「……恐らく、政府側で軍籍の照合が済んでから連絡が来る手筈だったのでしょう。トウリちゃんがウィンを経由せず前線に来てしまったから、情報が止まっていたのです」

「ああ、成る程。自分の不手際でした、申し訳ありません」

「良いですよ、しょうがない」

 

 そう言えば、役人さんからまずウィンを目指すように言われていましたっけ。

 

 きっと、彼の言う通りにしていたらヴェルディさんにも連絡が行って、安全に最前線へ送っていただけたのでしょう。

 

「では、改めて。トウリちゃん、貴女の軍への復帰を認めましょう。またしばらく、衛生部を手伝ってください」

「はい、了解しました。ヴェルディ少佐殿」

「衛生部へはガヴェル曹長に案内させます。……少し書類を作るので待っていただけますか」

「分かりました」

 

 こうして自分は、オースティン軍への復帰を認めていただきました。

 

 所属はやはり衛生部。恐らく、ドールマン氏の下に戻る事になるのでしょう。

 

「これから、忙しくなるところでした。貴女の復帰は、きっと喜ばれますよ」

「……それは。間もなく敵が、たくさん攻めて来るという事ですか」

「いや、オースティンが近々大規模な攻勢を予定しているんです」

 

 ヴェルディさんは書類を作りながら、そんな事を教えてくれました。

 

 ……大規模な攻勢、って。それは、軍事機密では?

 

「それは、自分が聞いて大丈夫な話でしょうか」

「ええ、軍全体に宣言していますからね。詳細な日時は伏せていますが、もうすぐ敵の鉱山地域への攻勢を予定しています」

「……良いんですか? そんな作戦内容を広めてしまって」

「ええ。この作戦は敢えて漏洩させています。これ以上の情報は機密なので、あしからず」

「ああ。成程、了解しました」

 

 つまり、情報戦の一種ですか。

 

 ならば知りすぎない方が良さそうですね、これ以上聞かないでおきましょう。

 

「……にしても鉱山地域、ですか。それは、オースティン領土内じゃありませんよね」

「ええ、敵の領土です。幸いにもオースティンは奪われた領土の殆どを取り戻し、敵領に侵攻している状況なんです」

「なんと」

 

 ヴェルディさんの話によると、オースティンは大分勝勢な様子でした。

 

 我々の方が兵力が少ないはずですが、どうして優勢になっているんでしょうか。

 

 あの悪い人(ベルン)がまた何かやったのですかね。

 

「それはまぁ、単純に技術力の差でしょうね」

「技術力ですか」

「ええ、小銃一つとってもそうです。我々の銃は装弾数も、射程も、精密さも敵とは比べ物になりません。近々、新型のOST-4小銃が試験運用されるそうですし」

「ああ、成程」

「それに、トウリちゃんが知らないような新兵器もどんどん実戦投入されています。我々は敵国に、技術の点で大きく有利を取っているのです」

 

 戦力差のわりに優勢な事を不思議に思ったのでヴェルディさんに理由を問うてみると、そんな答えが返ってきました。

 

 エイリス・フラメールの銃火器技術は、東西戦争が開戦した直後のオースティンに毛が生えた程度だそうです。

 

 一方で我々は、10年にわたりサバトと技術競争を繰り広げてきた実績があります。

 

 たった1年やそこらで、その技術力の差が埋まる筈がないのです。

 

「では、まだ当面は有利に戦えそうなのですか」

「ええ、おそらく」

 

 それを聞いて自分は、少し安心しました。

 

 また、命の危機に瀕するような事態に巻き込まれる可能性が低そうだからです。

 

「さて、書類が出来ました。これを、衛生部のドールマン衛生曹長に渡してください」

「了解しました」

「きっとあと1年もしないうちに、戦争は終わるでしょう。あと少しの間、力を貸してください」

「はい。粉骨砕身いたします」

 

 ヴェルディさんも、あまり戦争は長期化しないと考えているようです。

 

 というのも実は半年ほど前、戦争の勝敗を分ける決戦『ウィン防衛戦』が行われ、オースティンの勝利で終わっていたのです。

 

 その勝利によりフラメール軍は大打撃を受け、もう殆ど戦争の勝敗は決したのだとか。

 

 今の状況は、ウィニングランのようなもの。

 

 少しでも良い条件で終戦するための、最後の一押しだそうです。

 

 そう聞いて自分は、思ったより早くセドル君に再会できそうだと喜びました。

 

「講和がなされたら、自分は軍を辞することが出来るのでしょうか」

「講和、ですか? 戦争さえ終われば軍を辞していただいても構いませんが……。トウリちゃんは軍に残っていた方が、有利だと思いますよ」

「戻って来てなんですが、自分はやはり争いごとは苦手でして」

「まあ、貴女がそう言うのであれば仕方ありませんが」

 

 この戦争が終わったら、ただの癒者としてセドル君の下に戻りましょう。

 

 アニータさんの診療所を手伝いながら、サバト経済特区の平民として一生を終えるのです。

 

 余裕があれば、戦争孤児を支援するような活動も始めたいですね。

 

 そんな、幸せな未来を頭に思い描いていると。

 

「ただ恐らく、終戦の形は講和では無いでしょう。我々がフラメールの首都を占領する形で、戦争が終わります」

「え、そんなに連合側は強情なのですか」

「連合側が強情、と言うかですね」

 

 ヴェルディさんは生徒の間違いを正す様な、微妙な顔で。

 

「我々が断固として、講和を受け入れるつもりが無いのです。ここ数ヵ月は、向こうから停戦要請が毎日のように来ていますよ」

 

 そう言った後、ヴェルディさんは困ったような笑みを浮かべました。

 

 

 

 

「それは、どういうことですか?」

「そのままの意味です」

 

 この時の自分は、大きく勘違いをしていました。

 

 オースティンという国が、何を考えているのか。

 

 この戦争の落し処を、一体どこに持っていく気なのか。

 

「……フラメールの全土を、制圧するつもりで?」

「流石に全土を攻めるのは効率が悪いので、主要都市を落とすだけになるでしょう」

 

 この世界の人間は、まだ世界大戦を知りません。

 

 戦争の後の怨恨や賠償が、新たなる戦争の火種を生むことなど想像だにしていなかったでしょう。

 

 だから、その場その場で『最適』と思われる方針を選ぶしかないのです。

 

「そんな事をしたら民間人に、凄まじい被害が出ます。オースティンの悪評が、世界に広まります……」

「仕掛けてきたのは連合側です、となれば非難は敵に向きますよ」

 

 その最適な方針を、オースティンの政府首脳や軍高官が話し合った結果。

 

 採択された『戦争の行く先』は、フラメールという国を亡ぼすまで攻撃し続けるというものでした。

 

 オースティンの勝利はもう確定しているのに、民間人に被害が出る事を厭わず、侵攻し続ける。

 

 いえ。むしろ我々は『民間人こそ狙って』、戦争を続けようとしていたのです。

 

 

「大丈夫、正義は我々に有ります」

 

 

 ……しかし。これはある程度、仕方がない事だったかもしれません。

 

 当時のオースティンは、あまりに周辺国家から虐げられすぎたのです。

 

 周囲の国を全く信頼できなくなっていたオースティンは、口先ではなく国力を下地にせねば外交が成り立たないと考えました。

 

「我々は大手を振って、敵国民を殲滅する事が出来るのです」

 

 そんなオースティン政府と軍部の出した結論は、────虐殺による勝利だったのでした。

 

 

 

 

「ど、どうして講和を行わないのですか」

 

 あの優しかったヴェルディさんが、当たり前の話をするように。

 

 民間人の虐殺を続ける事こそ、正解なのだと断言しました。

 

「も、もう戦わなくてよくなるのですよ。オースティン軍の兵士の命も守られますし、それにフラメールの民間人も死なずに済みます」

「……そのトウリちゃんの優しさは、平時であればこの上ない美徳なのでしょうね」

 

 その話を聞いて自分は立っていられず、グラリと立ち眩みを起こしました。

 

 戦争は終わるのです。オースティン首脳が、軍部がその気になったら何時でも終われるのです。

 

 今、この戦いは『オースティンが望んで』続けられているのです。

 

「先程、貴女はどうして我々が優勢に戦えているかを聞きましたね」

「は、はい」

「そう、我々は技術で大きく勝っているからですよ」

 

 オースティンは、戦争をやめる気がありません。

 

 フラメールという国を丸ごと滅ぼすその日まで、銃を手に取り続けるのです。

 

 そんな結論に至った理由とは、

 

「停戦して、敵に技術を研究する時間を与えたらどうなると思います?」

「……あ」

 

 それ以外に、オースティンという国家が生き延びる方法が無かったからです。

 

「我々は兵力で、フラメールに大きく劣ります。生産力も、資源も、雲泥の差です」

「……」

「ここで戦争をやめれば、我々が唯一持っているアドバンテージを捨てる事になります」

 

 オースティンがフラメールに優勢に戦えるのは、今この瞬間だけでした。

 

 大国であるフラメールは、人口も多く国土は肥沃です。

 

 消耗戦に持ち込まれれば、オースティンに勝ち目はありません。

 

「お互い、もう二度と、領土を侵犯しないような条約を結べば」

「果たして彼らは本当に約束を守るでしょうか? 技術が追い付き、我々に勝てる軍備を揃えてなお、不可侵を守ってくれるでしょうか?」

「……」

 

 政府首脳は、連合側の講和条件を信用など出来なかったのです。

 

 あんな不意打ちで侵攻してきたフラメールとエイリスが、「劣勢になったから停戦しよう、不可侵条約を結ぼう」などと言い出しても戯言にしか聞こえませんでした。

 

 ではオースティンは、どうすれば生き残れるのか。

 

「フラメールには、人口を減らして貰わねばなりません。技術が追い付こうと我々に勝てない程、悲惨で貧しい国になって貰わねばなりません」

 

 だから、オースティンは戦争を続けるのです。

 

 技術で優っているうちにフラメールを植民地として、資源を吸い上げてオースティン本土を立て直そうとしたのです。

 

 それが、今のオースティン政府の出した結論なのでした。

 

「フラメール人の、恨みを買いますよ」

「買うでしょうね」

「きっと、それは新たな戦争の火種になります」

「なるでしょう」

 

 それはこの上なく合理的な思考で。

 

「だから本作戦で、フラメール人は一人残さず殺すのが理想ですね」

 

 この上なく、愚かな結論なのでした。

 

 

 

 

 フラメール・エイリス連合との開戦当時、敵の総勢力は20万人と言われていました。

 

 この戦力は残存していたオースティン軍の5倍以上の兵力で、連合側は勝利を確信していたでしょう。

 

 

 しかし、いざ蓋を開けてみればオースティン側が圧倒的に優勢に戦争を進めていきました。

 

 連合側が押していたのは、オースティン主力部隊が到着する前だけ。

 

 いざ歴戦のオースティン軍が戦場に到着してからは、その技術力と練度の差で圧倒されたのです。

 

「トウリちゃんは、何も考えず目の前の負傷兵を救い続けていてください」

「……はい、了解、しました」

「汚れ仕事は我々が担います。……大丈夫、絶対にもう、貴女をあんな窮地に立たせたりしません」

 

 そんな自分の蒼い顔を見て、ヴェルディさんはそう言ってくれました。

 

 かつて故郷(ノエル)の村が焼かれた時、自分が取り乱した事をヴェルディさんは知っています。

 

 自分がショックを受けているのを知り、気遣ってくれたのでしょう。

 

「……私は、本当に貴女と再会できて嬉しかった。トウリちゃん」

「はい、自分も、またヴェルディさんにお会いできて光栄です」

「ありがとう。……ガヴェル曹長、入室してください」

 

 自分は何とか、色々な言葉を飲み込んで。

 

 これから虐殺されるであろうフラメールの人々の事を考えないように、ヴェルディさんに敬礼しました。

 

「ガヴェル曹長、入室しました」

「よろしい。貴官は今から、トウリ衛生准尉を衛生部まで案内してください」

「はい、了解しました」

 

 ……自分は戦争に来たのです。

 

 人を殺す為に、ここに立っているのです。

 

 自分一人が戦いをやめようと騒いだところで、何も起きません。

 

「後で、貴女に遣いを出します。軍に復帰するにあたり色々な手続きが必要なので、早めに書類を用意してくださいねトウリ衛生准尉」

「はい」

 

 この戦争は予想通り、のちに大きな火種を残します。どうしてこんな虐殺をしたんだと、後世で非難される事になります。

 

 しかし当時のオースティンが連合国と講和条約を結ぶには、文化が未熟すぎました。

 

 隣国が弱っていれば、自国を富ませるために侵略戦争を『仕掛けるのが普通』というレベルの文明で、話し合いによる決着は成立しません。

 

 だからきっと、この時間違っていたのは自分で、正しかったのはオースティン政府だったと思います。

 

「ではトウリ衛生准尉、退室します」

「よろしい」

 

 だから今の我々は、民間人を殺すしか未来がありません。

 

 民間人とは、人間です。人間は兵士になります。

 

 ならば兵士になる前に殺してしまえと、そう言う発想に至ったのでしょう。

 

 

 

 

「……ところで、衛生准尉って何ですか?」

「トウリちゃんの死亡が確定した際、叔父上が『墓石に刻む階級など盛っとけ』と言って、無茶苦茶な昇進を……」

「……」

 

 

 話を聞くと尉官以上の兵士は、墓標が少し豪華になる様で。

 

 自分を気にかけてくれていたレンヴェル中佐は、キリが良く准尉の地位まで昇進させてくれたみたいです。

 

「や、後で官位は調整するつもりです。こう、良い感じに」

「良い感じに」

 

 この世界に2階級特進などと言う文化はありませんが、功績は死後であろうと評価されるようです。

 

 自分は「ノエル村付近の撤退案の提案」「北部決戦での撤退進路の提案」「命を顧みない囮部隊への志願」などの功績が盛りに盛られてこんなことになったのだとか。

 

「郊外のドクポリ村跡に、トウリちゃんの墓石があります。隣にロドリー軍曹の墓も立てていますので、今度参拝に行ってはどうですか」

「……ええ、ありがとうございます」

 

 後日、見に行った自分の墓にはちょっとキラキラした意匠がこらされていました。

 

 



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123話

 

 レンヴェルさんの悪癖で、自分の階級がとんでもないことになっている事を知った後。

 

「……あー、トウリは准尉殿、だったんだな、ですね」

「そうみたいですね」

 

 ガヴェル曹長は態度を一変させ、慣れぬ様子で敬語を使うようになりました。

 

 さっきまでと立場が逆転し、微妙な空気になりました。

 

「えー、この先が、衛生部、です」

「ありがとうございます、ガヴェル曹長殿」

 

 衛生部は、司令部のすぐ近くの平原に設置されていました。

 

 沢山の白い軍用テントが並ぶ、見慣れた光景がそこにありました。

 

「あー。トウリ准尉殿は随分と、その、ヴェルディ少佐に気に入られていました、ね」

「光栄な話ですが、ヴェルディさんには自分が新兵の時から、目を掛けていただいていまして」

「それは羨ましいな……です」

 

 この時のガヴェル曹長の顔は、少し納得がいってなさそうと言う感じでした。

 

 ……もしかしたら、嫉妬でしょうか。

 

「お待たせしました、ここが衛生部です。あー、それじゃあ、俺はこれで」

「分かりました。案内ありがとうございました、ガヴェル曹長殿」

 

 ガヴェル曹長は短くそう告げると、一応敬礼してそそくさ立ち去ってしまいました。

 

 後で何かしら、フォローしておいた方が良いかもしれません。

 

「……」

 

 久しぶりに見た衛生部のテントは、西部戦線の頃とまったく同じでした。

 

 忙しそうに血がこびり付いた看護兵が走り回り、呻き声をあげる兵士が茣蓙の上に寝かされていました。

 

 ツンと香る消毒液の匂い、草木の茂った土の香り、それに混じる血と肉の腐った臭い。

 

 戦場に戻ってきた事を、改めて実感しました。

 

 

「ドールマン衛生曹長は、現在重要な会議中でして。少しお待ちいただけますか」

「はい」

 

 近くの人に身分を告げドールマン氏への面会を申請すると、大きなテントに案内されました。

 

 そのテントの床には旧式のOST-1小銃が転がって、いくつもの勲章が飾られていました。

 

 ドールマン氏のテントでしょうか。

 

「にしてもドールマン氏は衛生曹長になられたのですか」

「はい」

 

 ドールマン氏は、衛生曹長に出世しておられました。

 

 以前のままならドールマン氏が衛生副部長で、レィターリュさんに次ぐ立場の筈です。

 

「あの。今の衛生部長は、誰なのでしょうか?」

「レイターリュ衛生少尉殿です」

「ありがとうございます、了解です」

 

 そして衛生部長は、レイリィさんのままみたいでした。

 

 以前は衛生准尉だった筈ですが、もう少尉になられたみたいですね。

 

「では、しばしお待ちくださいトウリ様」

「了解いたしました」

 

 因みに衛生部長の階級は、大体少尉~中尉くらいが妥当だそうです。ゲールさんも少尉でした。

 

 その前例があるので、レイリィさんも昨年少尉に昇進させられたそうです。

 

 衛生部の人間はあまり、昇進を喜びません。

 

 階級が上がると書類の量がもっさり増え、自由が減るからです。

 

 男好きなレイリィさんは、昇進の知らせを聞いて悲嘆にくれたそうです。

 

「ドールマン氏は、あと数十分で戻られます」

「了解です」

 

 ドールマン氏は、自分を見てどのような反応を示すでしょうか。

 

 彼と一緒に仕事をしたのは、ほんの2~3か月だけでした。

 

 流石に忘れられてはいないと思いますが、感極まって抱き着かれたりもしないでしょう。

 

 淡々と、事務的な再会になりそうです。

 

 

 

 

 

 

「トウリちゃん!! 生きていたのね!! お姉さん嬉しい!!」

「ぐぇ」

 

 感極まって抱き着かれました。

 

「こんな傷だらけになって! サバトは過酷だったでしょう、よく生き延びたわ!」

「お、お久しぶりです、レィターリュさん」

「貴女が囮部隊に志願したって聞いて、どれだけ悲しかったか!! もう二度とあんな事しちゃだめよ!」

 

 ドールマン氏を待つこと数十分。

 

 ようやくテントの入り口に人影が見え、いよいよドールマン氏とご対面かと思ったら、豊満な肉体の不審者が乱入してきました。

 

 現在、衛生部で一番(えろ)い人と噂のレィターリュさんです。

 

「おう、良く帰ったな」

「ドールマン衛生曹長殿も、どうもお久しぶりです」

「久しぶりに痛快な話が聞けたわ。あの状況を生き延びるとは、恐れ入った」

 

 先程までドールマンさんが会議していた相手が、レィターリュさんだったらしく。

 

 自分が生還したという報告を聞いたレィターリュさんは、大興奮で付いて来てくれたようです。

 

「トウリ。ヴェルディ少佐の書類によると、階級はお前の方が上だが、中央の衛生部は引き続き儂が仕切ってくれとさ」

「はい、是非お願いします」

「お前は、なるべく普通の衛生兵として扱ってやってくれとお達しだ。……その方が、お前にとっても良いだろう」

 

 自分は階級こそ上がりましたが、結局ドールマン氏の下で働くことになるそうでした。

 

 余計な仕事を振られずに済んでホッとしました。

 

「これからもよろしくご指導をお願いします」

「あいよ、衛生准尉殿」

 

 自分は、レンヴェルさんの悪い癖で階級が盛られただけです。

 

 別に衛生兵として、偉くなるようなことは何もしておりません。

 

 これからも謙虚に、衛生部の皆さんから色々と学ばせていただきましょう。

 

「おお、それともう一人会わせたい人がおる」

「人、ですか」

「おい、タクマ殿」

 

 ドールマン氏はテントの外に声をかけると、しばらくしてヌッと髭面の大男が入ってきました。

 

 その優しそうで、クマみたいな愛嬌を持っている男を自分はよく知っていました。

 

「僕を覚えているかい、小さな英雄ちゃん」

「クマさん、ですか。お久しぶりです」

「ああ、久しぶり」

 

 それはマシュデールの撤退戦の時、街に残って衛生部を組織してくださったオースティン医学界の生き字引。

 

 多くの癒者の信奉を集めている生きる伝説、タクマ氏でした。

 

「またお会いできるとは思いませんでした、どうして前線に?」

「ま、ちょっとした野暮用で呼ばれてね。うん、君も元気そうで何よりだ」

 

 タクマ氏は見た感じ、前より少し痩せている様に見えました。

 

 以前は丸々と太った恰幅の良い男性だったのですが、今の彼は少し小太りというだけの感じです。

 

「戦争はあと少しで終わるだろう。あと少し、僕達に力を貸してくれ」

「無論、身を粉にして働きます」

 

 にしてもオースティン軍衛生部の大物3人が、わざわざ自分の生還を祝いに来てくださるとは。

 

 凄い面子ですが、この3人で重要な話し合いをしていたのでしょうか。

 

「さて、と。僕はもう少し話す相手がいるからここで失礼するよ」

「はい、お疲れ様です」

「レィターリュ君も、ドールマン君も、例の件はよろしくね」

「……ああ、委細承知した」

 

 クマさんは自分と握手を交わした後、意味深な言葉を残して立ち去りました。

 

 そんな彼をドールマンさんは無言で、レィターリュさんは手を振って見送りました。

 

 ……おや。

 

「……レイリィさん、どうかしたんですか?」

「え、私?」

「いえ、その。今、クマさんを睨んでいませんでしたか?」

「い、いやいやいや。そんな事ないわよ、何言ってるのトウリちゃん!」

 

 しかしクマさんを見るレィターリュさんの目が、少しだけ怖かったのが気になりました。

 

 何か、トラブルでもあったのでしょうか。

 

「もー、変な事を言う子ね。抱きしめてしまおうかしら」

「レイリィ、貴様もそろそろ持ち場に戻れ。儂はトウリを皆に紹介せねばならん」

「……はーい。じゃ、またねトウリちゃん」

 

 そのレイリィさんの態度が気になりましたが、深入りするつもりはなく。

 

 自分はその場で一礼して、レイリィさんとも別れたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、皆、新しい衛生兵を紹介する。見覚えがあるものも多いだろうが……、おい、挨拶せい」

「どうも、皆さま。お久しぶりです。ご紹介に与りました、トウリ・ロウ衛生准尉と申します」

 

 野戦病院のテントに入ると、相変わらずどの病床も修羅場になっていました。

 

 今にも死にそうな患者がズラリと並べられ、そこかしこで集中治療が行われています。

 

 自分の挨拶を聞いていそうな人は、殆どいません。

 

「何ぃ、新人衛生兵か! 腕は? 経験は何年だ」

「従軍して2年ほど。【癒】の連続使用は7回です」

「良いじゃねーか! こっち手伝え!」

 

 とりあえず近くの衛生兵から介助要請が出たので、ドールマン氏に確認を取った後すぐに処置に入りました。

 

 この癒者は見覚えありませんね、自分が離脱してから招集された人でしょうか。

 

「俺ぁ咽頭の処置で手一杯だ、腹の縫合頼む。内臓はそんなに傷ついてないから、破れたところを切って洗浄するだけでいい」

「……腸が破裂してますが」

「そんなもん軽傷だろうが。お前にゃ無理か?」

「いえ、出来ます」

 

 この言葉が荒い感じ、懐かしいですね。徹夜が続くと、大体の人は口が悪くなってきます。

 

 きっとこの人も寝ていないのでしょう。

 

「処置が丁寧だが遅い! スピード勝負だ、雑で良いからちゃっちゃと仕上げろ」

「はい、了解です」

 

 いきなりこの有様では、次に自分が寝られるのはいつになる事でしょうか。

 

 

 

 

 

 

「衛生准尉!? めっちゃ偉いな、お前。何でまた」

「まぁ、その。一言でいえばコネです」

「正直な奴だな」

 

 そのまま立て続けに3連続で手術に入らされた後、病床主任さんに挨拶に行く事になりました。

 

 どうやら今日は戦闘直後だったみたいで、緊急性の高い患者さんが多かったようです。

 

「自分の階級の事はお気になさらず、ただの若造衛生兵として扱ってください」

「お前がそう言うならそうさせてもらう。なんたって、上官命令だからな」

「そうですね」

 

 オースティンの衛生部の役割は非常に重要です。

 

 兵力の少ないオースティンは、一人でも多く戦線復帰させる事に大きな意味があります。

 

 その為に、レンヴェル少佐は国中から癒者を集め衛生部を立て直したのだとか。

 

 そのお陰で衛生部の規模は自分の知る頃より大きくなり、自分の知らない人も結構増えていました。

 

 今や衛生部の規模は、西部戦線時代に戻りつつあるそうです。

 

「あ、いた。おうい病床主任、新入りが来たぞ」

「え、新入り?」

 

 衛生部の規模が大きくなるのは良いことですが、自分は見知らぬ人の中で仕事をするのは少し不安でした。

 

 なので自分はドールマン氏に、()のいる部署に配属して欲しいと希望を出していました。

 

 その彼とは、

 

「……。え、リトルボス?」

「どうも、お久しぶりですケイルさん」

「あ、どうも……」

 

 マシュデールからの知り合いで、衛生部でずっと一緒に働き続けた副官。

 

 恐らく自分が軍属してから最も長い時間を共に過ごした戦友、ケイルさんでした。

 

「……って、ええええ!?」

 

 

 

 

「どうもケイルさん、自分は本日付でこの病床に配属されました。お久しぶりです」

「ちょっと待って、理解が追い付かないから」

 

 久しぶりに会ったケイルさんは、病床主任を任されるまでに偉くなっていました。

 

 彼は自分の殉職(とみなされた)後、自分の衛生小隊を引き継いで従軍を続けたそうです。

 

 そしてフラメールと戦う際にも前線部隊に追従し、勇敢に味方を助けたのだとか。

 

 その功績が評価され、彼は衛生兵長として病床を任されるに至ったのだそうです。

 

「幻覚? 夢でも見てるか俺? 秘薬飲み過ぎた?」

「自分は本物ですよ。握手しますか」

「あ、ああ。……本人なのか、これ」

 

 そんなケイルさんは、自分を見てしばらく呆然としていました。

 

 幽霊でも見たかのような反応です。

 

「病床主任殿、知り合いだったんですかい」

「はい、ケイルさんとは昔からの戦友です」

 

 彼は呆然と、言葉を詰まらせて自分の両手を握りしめました。

 

 数秒ほど自分の顔を無言で見つめた後、声を震わせて膝を付き、

 

「……そうか、そっかぁ。生きていたか、ボス……」

 

 そう言い零して、クゥゥと鼻声の嗚咽を零しました。

 

 

 ────北部決戦の折、自分はケイルさんと別れの言葉を交わしていませんでした。

 

 彼には命を軽々しく扱うなと説教を受けていたのに、自分はそれを無視し囮部隊に志願しました。

 

 ケイルさんは、裏切られた気持ちになったに違いありません。

 

「ケイルさん。身勝手な行動をして命を粗末にして、すみませんでした」

「いや、生きててくれればそれでいいよ、リトルボス……。本当に、夢じゃねえよな?」

 

 自分が囮に志願した時は、きっと彼を苦しめたでしょう。

 

 あの時自分は、ケイルさんの上司という立場を捨て、ロドリー君と死ぬ事を選んだのです。

 

 随分と、悪い事をしてしまいました。

 

 

「ほー。……って事は、あれか。ケイル主任が口説きのネタにしてる『見殺しにしてしまった可哀想な少女衛生兵』ってのはアンタの事か、トウリ衛生准尉」

「口説きのネタって、何ですか」

「お、おい余計な事を言うお前!」

 

 そんな感じにケイルさんに謝っていたら、気になる話が青年癒者の口から出てきました。

 

 口説きのネタって何ですか。

 

「コイツ、酒飲むと決まってアンタの話してな。『俺にもう少し勇気があれば、あの健気な少女は死なずに済んだんだ……っ』っつって、陰のある自分を演出して女を口説く訳。中々に語りが上手いせいで、女の方も『慰めてあげるわ』って気持ちになるらしい」

「いや、口説きに使ってるんじゃなくて! 未だに心の傷だから、酔うたびに愚痴っちまうだけ!」

「でも、その手で何人も女食ったでしょう。キャッシーに、ベレネに、あー、レィターリュさんもだっけ?」

「あんな疫病神に自分から手を出すか! 他の女を口説いてたら勝手に乱入して来て、勝手に搾り取って帰ってっただけだ」

 

 ……。口説いてたんじゃないですか。

 

「違う、誤解だリトルボス。本当に、君をダシにしたとかそんなつもりは一切ない! 神に誓って言える!」

「はぁ。まあ、別に自分をどう使おうが気にしませんけど」

「俺ぁてっきり主任の作り話だと思ってたが、ちゃんと本物が居たんだな。主任の話によるとアンタ、恋人を追って決死の囮部隊に志願して、命を散らしたって事になってるぜ」

 

 まぁ、ケイルさんの性格を鑑みるに、本当に心の傷にはなっていたのでしょう。

 

 マシュデールで一人先に逃げた事を気にして、わざわざ先行部隊である自分の小隊に志願してくださったわけですし。

 

「恋人を追った訳ではありません。……夫です」

「お?」

「彼の死の間際、婚姻を交わしました。今は姓が変わって、トウリ・ロウと名乗っています。改めてよろしくお願いします」

「あー、そっか。こういう言い方は変かもしれないけど、良かったねリトルボス」

「……ええ」

 

 自分の話をネタに口説くくらいは気にしないであげましょう。

 

 思うところが無い訳では無いですが、ケイルさんが優しく頼りになる人間と言うのは知っていますし。

 

「……あ、その話はマジだったの?」

「本人の前ではやめてくれ、デリカシーに欠けるよ」

「あ、す、すまん。そっか、吹かしてたんじゃねぇんだな」

 

 こういう異性にだらしないところも含めて、ケイルさんという人間です。

 

 自分はようやく、オースティン軍の衛生部に戻ってきたんだなと改めて実感しました。

 

 

 

 

 

 こうして自分は、いち衛生兵としてオースティン軍に復帰しました。

 

 ただし小隊長など管理職を振られるのではなく、自分はヒラの衛生兵と扱われました。

 

 衛生部に十分な人員が補充された今、自分の様な若造を管理職に据える必要がなくなったのでしょう。

 

 

 これは他ならぬ、ヴェルディさんのご配慮でした。

 

 彼は自分に、余計な苦労を背負わせたくないと慮ってくれていたのです。

 

 特に理由もなく官位を下げる事が出来ないため、彼は自分の衛生准尉の地位を野戦任官という扱いにして、階級を戻してくれるそうです。

 

 野戦任官とは、要は「人材が不足しているので、戦争中だけ仮で階級を上げる」制度です。

 

 功績をあげれば、戦後もその階級は追認されることが多いようですが……、自分に与えられた衛生准尉という階級はちょっと高すぎました。

 

 手続きが済めば最終的に、衛生曹(歩兵でいう軍曹の地位)くらいに落ち着かせてくれるそうです。

 

 

 無論、自分はその降格に不満など無く。

 

 むしろまだ、高すぎるくらいだと感じておりました。

 

 

 自分は、2年目のぺーぺー衛生兵です。

 

 無駄な地位は軋轢を生みますし、人間関係にも悪い影響を及ぼします。

 

 自分より能力が下の人間に、敬語を使わせられるというのは良い感情になりません。

 

 だから自分は積極的に、ただの若造と扱ってくださいとお願いして回りました。

 

 

「まぁ降格しても、リトルボスは僕よりは階級上なんだけどね」

「それはまぁ……従軍期間の違いという事でご容赦ください」

「いや、不満なんて有るわけ無いさ。昔から君が僕の上官だった。これからも頼むよリトルボス」

 

 こうして自分は、今から始まるだろう悲惨な侵攻戦の後方で、ただの衛生兵として。

 

 オースティン軍の最後方で、殺し合いに関わらないまま戦争を過ごしていく事になりました。

 

 ……我々の手で繰り広げられるであろう悲劇から、目を逸らして。

 

 

 

 

 

 

「トウリ衛生准尉殿、ヴェルディ少佐からの遣いできました」

「はい、ご苦労様です」

 

 その日の夕方。

 

 聞いていた通りにヴェルディさんから連絡がありました。

 

 意外な事に遣いで来たのは、同年代の若い女の子でした。

 

「女性兵ですか」

「トウリ様は女性と伺ったので、私が遣いに選ばれました」

「成程」

 

 この時は『珍しいものを見た』と思ったのですが、どうやら最近は女性兵士はあまり珍しくないようで。

 

 人手不足で男女問わず徴兵されるようになった結果、前線の戦闘は男性に割り振られるので、通信兵などの裏方業務は女性が多いようです。

 

「こちらが復帰願い、こちらが殉職による口座凍結の解除依頼。そして貴女の階級に関する書類ですが────」

 

 その女性通信兵はテキパキと、自分に書類の説明をしてくれました。

 

 自分と同世代に見えるのに、随分としっかりしている印象です。

 

「以上、書類の説明に何か疑問はありませんか」

「いえ、分かりやすく説明していただきありがとうございます」

「それは何より」

 

 聞いた感じ、結構書類は多そうでした。ヴェルディさんは早めに仕上げろと言っていたので、今日から取り掛かってしまいましょう。

 

「要件は以上でしょうか」

「いえ、最後にこれをお受け取りください。ヴェルディ少佐が保管していた、貴女の遺品だそうです」

「自分の遺品、ですか? ……これは!」

 

 その通信兵さんは最後に、自分へ木箱を手渡してくれました。

 

 遺品と聞かされたので、ドッグタグでも入れられているのかと思いきや、

 

 

「……狐の、人形」

 

 

 それは、今は亡きロドリー君が自分に贈ってくれたプレゼント。

 

 マシュデールで買って頂いた、狐の人形なのでした。

 

 

 

「少し気持ち悪い、人形ですね」

「ええ、自分の宝物です」

 

 北部決戦の後、サバトに渡った自分はこの人形を失ったことを結構気にしていました。

 

 てっきり、戦火の中で失われたと思っていましたが……。

 

 まさか、ヴェルディさんが回収してくれているとは思いませんでした。

 

「ヴェルディさんに感謝をお伝えください。……心の底から喜んでいます、と」

「了解しました」

 

 自分は我も忘れてその人形を抱きしめて、静かに涙を零しました。

 

 心が折れそうだった時『この人形に抱き着いて寝ろ』と言ってくれた日を思い出します。

 

 口が悪くぶっきらぼうで、仲間想いなロドリー君の思い出がこの人形に詰まっていました。

 

「……随分と思い入れ深いのですね」

「それは、もう」

 

 いきなり人形に抱きついた自分を、女性通信兵は怪訝な目で見ていました。

 

 ……他人の目がある場所でやる行動ではなかったですね。

 

「自分の宝物を届けてくれてありがとうございます」

「いえ、職務ですので」

 

 誤魔化す様に自分は、その女性通信兵に礼を言いました。

 

 彼女は眉ひとつ動かさず、無表情に自分を見つめているだけでした。

 

「あの、通信兵さん」

「まだ何か?」

「少し考えを聞きたいのですが」

 

 ふと、自分は彼女に聞きたいことが浮かんできました。

 

 この女性通信兵は、非常に若く見えます。

 

 恐らくは徴兵されたばかりの、新兵だと思われました。

 

「自分達は今からフラメールに攻め込み、民家を攻撃するそうです」

「はい、私もそう聞いています」

「……そのことを、どう感じましたか?」

 

 彼女は今から、敵の市民を攻撃することをどう感じているのでしょうか。

 

 オースティン軍に嫌悪感を感じてはいないのでしょうか。

 

 それを彼女に、聞いてみたくなったのです。

 

 きっと自分はヨゼグラードでの経験から、虐殺行為にトラウマを持っていたのでしょう。

 

「どう感じたか、ですか」

「はい」

「質問の意図が分かりかねますが、一言で応えるなら────」

 

 ただの市民だった彼女なら、自分の求める答えを言ってくれる気がしていました。

 

 非戦闘員を殺す行為の残酷さに、共感してくれる気がしました。

 

 

「それは、やっとこの時が来たかという興奮ですね」

 

 

 その少女兵は自分の問いに対し、嬉しそうに唇の端を歪めて笑いました。

 

「奴らが侵攻を開始してから1年間。やっと、やっと思い知らせてやることが出来ます」

「……」

「笑いながら、嘲りながら、楽器でも叩くように。フラメール兵が家族をいたぶり殺した光景はいまだに忘れられません。兵隊さんにはあの時の屈辱を、家族が受けた苦しみを百倍にして、出来るだけ残酷にフラメール人を殺してほしいですね」

 

 ────これが、彼女から返ってきた答えでした。

 

 そしてこれこそ、殆どのオースティン兵が感じている気持ちでした。

 

 既にやられた(・・・・)側であるオースティン兵は、民間人であろうと敵を虐殺する事に何の躊躇いも感じていなかったのです。

 

「そう、ですか」

「そんな事が聞きたかったんですか?」

「ええ、まあ」

 

 政府の判断も、兵士の心情も、フラメール全土で虐殺する方向で一致していました。

 

 虐殺は良くないなんて考えている自分こそ、異端だったのです。

 

「ありがとうございます、その、通信兵さん」

「はい、どうも。そう言えば名乗っていませんでしたね」

 

 これが今のオースティン人にとって、当たり前の感情なのです。

 

 散々好き勝手に暴れておきながら、敗戦濃厚になって慌てて停戦を求めてこられても受けいれる筈がありません。

 

「私はリナリーと言います。ヴェルディ少佐から伝言があれば、また私がお伺いすると思います」

「あ、ええ、どうも。今後ともよろしくお願いします、リナリーさん」

 

 自分はその回答に失望しつつも、顔には出さず通信兵にお礼を言いました。

 

 その通信兵は無表情な顔に戻り、自分に敬礼を返しました。

 

「それでは、私はこれで」

 

 その時、どくんと。

 

 何かに気が付いて、胸の鼓動が高まりました。

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいリナリー2等通信兵」

「まだ、何か」

 

 気づけば自分は、その少女を呼び止めていました。

 

 自分は先程の、瞳に殺意を燃え上がらせる激しい表情に、見覚えがある気がしたのです。

 

 敵を殺す事をいとわず、堂々と喜ぶその高い攻撃性。

 

 そして、大事な人が傷つけられる事を嫌う、激情の奥に隠された優しさ────

 

 

「……最後に、その。貴女のフルネームを聞いても良いですか」

「私ですか?」

 

 それは、本当に何となく。

 

 しかし、絶対に聞いておかねばならない気がして。

 

 自分は少女の肩を掴み、改めてその名を尋ねました。

 

「リナリー・ロウ」

 

 振り向いた彼女のその瞳は、

 

「私はリナリー・ロウ2等通信兵です。以後、お見知りおきを」

 

 西部戦線時代のロドリー君と、瓜二つでした。



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124話

 

 リナリー・ロウと名乗ったその少女は、自分とあまり背丈の変わらない小柄な少女でした。

 

 その凛とした雰囲気は、一度手折れた草木のような痛々しさを孕んでいました。

 

「あ、では、貴女はロドリー君の」

「ええ。聞いていますよ、トウリ様は兄と同じ部隊だったそうですね」

 

 聞いてみるとリナリーは、やはりロドリー君の実の妹でした。

 

 動転して腕を握りしめましたが、彼女は表情ひとつ変えませんでした。

 

「積もる話もあるでしょうが、今は職務中ですので。いずれ、またお話ししましょう」

「え、ええ。ご苦労様です」

 

 自分が何か言葉を継げようとして、声に出すことができずにいると。

 

 リナリーは冷めた目で自分に一礼して、

 

「それでは、私はこれにて失礼します」

 

 淡々と別れを述べ、立ち去ってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

「……ロドリー君の、妹さん」

 

 リナリーと別れてから、しばらく自分はソワソワしていました。

 

 ピンと糸を張ったような、凛とした雰囲気の少女通信兵リナリー・ロウ。

 

 そんな彼女の無機質な瞳が、頭から離れなくなっていました。

 

「……」

「どうしたリトルボス、そんなぼーっとして」

 

 リナリーは、自分に興味がなさそうな態度でした。

 

 ヴェルディさんからの遣いであるなら、自分と彼の関係は聞いているはずです。

 

 ……彼女はロドリー君の従軍中の話を、聞きたくないのでしょうか。

 

「ケイルさん。実は、ロドリー君の妹さんに会いまして」

「ほう?」

 

 自分は叶うなら、リナリーとお話をしてみたいです。

 

 出来れば彼女とも仲良くなって、義理の姉妹になれればとても嬉しいです。

 

 だけどどうすべきか分からないので、ケイルさんに相談してみました。

 

 

 

 

「……と、いうわけでして」

 

 自分はロドリー君の最期の話と、リナリーと会った時の様子をケイルさんに伝えました。

 

 ロドリー君とは一応、婚姻を交わした仲です。自分はリナリーと戸籍上、義理の姉妹関係になります。

 

 彼女がその辺どう思っているのかも、是非伺いたいところです。

 

「リナリーちゃんの態度も仕方ないと思うけどね。そりゃ、いきなり初対面の人を義姉扱いできないだろう」

「それは、そうでしょうけど」

「そう扱ってほしいなら、リトルボスからアプローチしていかないと。向こうは2等兵なんだから、准尉相手にはお固い対応になっちゃうよ」

「そう言うものですか」

 

 それは確かに、そうかもしれません。

 

 同年代とはいえ、上官を相手に馴れ馴れしく出来ないのは当然です。

 

 自分から気を使うべきでしたね、そこは。

 

「それに、リトルボスも同じような雰囲気じゃないか。出会いたての頃は、僕と仲良くしたくないのかなと思ったもんさ」

「自分もそんな印象なのですか」

「不愛想とは言わないけど、表情が乏しく人と距離をとっているように見えるね。付き合いが長くなると、何考えているか分かってくるんだけど」

 

 ケイルさんにそう言われ、ロドリー君がかつて自分を「妹に雰囲気がそっくりだ」と言ったのを思い出しました。

 

 なるほど、自分は他から見るとああいった雰囲気に見えるのですか。

 

「もしかして自分も、話しかけにくい雰囲気なんですか」

「そこまでは言わないけど、フレンドリーかと言われたら疑問かな。作り笑いでもいいからさ、ちょっと笑う練習でもしてみたらどうだい」

 

 続けてケイルさんは、「笑顔はコミュニケーションの潤滑油だよ」と助言してくれました。

 

 そういえば確かに、最近笑う機会が減って自然な笑顔が作れないんですよね。

 

 リナリーが自分に話しかけにくいと感じても、仕方ないかもしれません。

 

「ありがとうございます、ケイルさん。少し練習してみます」

「そうするといい」

 

 レィターリュ衛生部長も笑顔の練習をして、快活な雰囲気を手に入れたと聞きます。

 

 あそこまでする必要はないでしょうが、患者さんに話しかけやすいと思われるよう笑顔を練習するのも悪くないかもしれません。

 

「……」

「そうだボス、その調子だ」

 

 ……こうしてこの日から日課に、鏡の前で笑顔の練習をするのが加わりました。

 

 我ながらぎこちない、ひきつった笑みでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 噂を聞くとリナリーは、冷静な態度とは裏腹に好戦的な通信兵みたいでした。

 

 彼女は通信兵なのに、常に怪我だらけで治療を受けに来るそうです。

 

 どうやら女性なのに前線を熱望し、過酷な訓練に臨んで負傷しているらしいです。

 

 そのおかしな通信兵の話は、衛生部でもちょっとした噂になっていました。

 

 

 女性でも前線で戦うことは可能です。軍規上は成人したら、本人が希望する場合アリアさんのように前線で戦えます。

 

 しかし特殊な才能が無い限り、女性で前線を希望する人は滅多にいません。敵に捕縛されたらどうなるか、容易に想像出来るからです。

 

 

 ヴェルディさんも戦友(ロドリー)の妹を、なるべく前線に立たせたくありませんでした。

 

 なので軍規を理由に、リナリーを通信兵の仕事に従事させていたみたいです。

 

 

 ……きっと、今のリナリー・ロウは。

 

 自分と初めて出会った頃の、復讐に取り憑かれ周囲が見えなくなっているロドリー君と同じかもしれません。

 

 周囲に無愛想な態度を取り、ひたすら敵を殺すことに熱意を燃やす、グレー先輩に諭される前の未熟なロドリー君。

 

 もし、そうであるならば。

 

 

「あの、リナリー2等通信兵」

「どうかしましたか、トウリ様」

 

 

 自分に、どこまでできるかはわかりませんが。

 

 かつてグレー先輩がしてくれたように、彼女を諭そうと思いました。

 

 煙たがられるかもしれませんが、それでも先達として失敗談を伝えることは重要です。

 

 ラキャさんの時のような悲しい事態は、避けねばなりません。

 

「貴女の兄ロドリー君の事などについて、お話ししたい事があります」

「はい」

「少し自分とお茶に付き合ってくれませんか」

 

 自分は腹を括って、拒絶されるのも覚悟の上で、リナリーをそう誘いました。

 

 

 

 

 

 

「本日はお招きいただきありがとうございます」

 

 自分の誘いを、リナリーはあっさり受けてくれました。

 

 上官からの誘いだったので、断れなかったのかもしれません。

 

「どうぞ、リナリー2等通信兵」

「お邪魔します」

 

 自分はケイルさんに許可をとり、衛生部の空いているテントを一つ借りました。

 

 そこでお茶菓子を用意し、リナリーをもてなしました。

 

「自分はトウリ・ロウ衛生准尉と申します。ご存じかもしれませんが、貴女の兄ロドリー軍曹とは旧知の間柄でして」

「ええ。貴官と兄の関係も、ヴェルディ少佐からお伺いしています」

「そうですか」

 

 リナリーは既に、自分とロドリー君の関係を知っていたようでした。

 

 しかしそこに何も思う所は無いようで、彼女は無表情に自分を見つめるのみでした。

 

「最初に断っておきます、トウリ衛生准尉殿。私は兄と、良好な関係ではありませんでした」

「そうなのですか?」

「はい、険悪と言っていい間柄でしょう。正直なところ、私はまだ兄に腹を据えかねています。家を飛び出して、軍に志願して、どれだけ母は悲しんだか」

 

 席に着いた彼女は淡々と、ロドリー君に対する愚痴を零しました。

 

 どうしたものか困っていると、リナリーは静かに溜息を吐いて、

 

「トウリ様には申し訳ありませんが、本音を申し上げると兄の事など思い出したくないのです」

 

 そう、言い切りました。

 

 

 どうやらロドリー君は、軍に志願する際に家族とかなり揉めたそうです。

 

 農作業は大変です。男手が一人抜けるだけで、とても大きな痛手になります。

 

 彼の両親は何度も、ロドリー君におとなしく家業を継ぐよう説得したそうです。

 

 だというのに、彼は「サバトの悪鬼を懲らしめないと気が済まない」と言い、反対を押し切って志願してしまったのだとか。

 

「ロド兄さんは見た事もない敵を殺すのに夢中になって、家族をないがしろにしました」

「それは、そんな事はありません。我々兵士が命を懸けるのは、常に背後の家族を守るためで」

「フラメールの連中が村に来た時。私の力では撃たれた父を背負えず、見捨てて逃げざるを得ませんでした」

「……」

「しかしもしあの時、体力のある兄が居たら。アイツが私達を見捨てて戦場に行かなかったら、皆逃げ延びれたかもしれません。……兄は家族の命より、敵を殺す事を選んだのです」

 

 リナリーがロドリー君を恨んでいる一番の理由は、そこの様でした。

 

 家族で唯一無傷で逃げ出せたリナリーは、弟と両親を見捨てただ一人逃げ続けました。

 

 兄さえ居てくれればという想いを胸に抱えながら、オースティン軍に保護されるまで走り続けました。

 

「軍に保護された後は、兄の伝手を頼るつもりでした。もう兄が、私に残された唯一の親族でしたので。アイツに会って父と母の最期を伝え、存分に詰ってやるつもりでした」

「それは」

「まさか、自分から囮部隊に志願して殉職していただなんて。兄には、ほとほと愛想が尽きました」

 

 リナリーはロドリー君の殉職を知らされ、怒りの余り彼の遺品のドッグタグを地面に叩きつけたそうです。

 

 そして彼女に残されたのは、フラメールという国への憎悪だけでした。

 

 兵士として一人でも多くのフラメール人を殺してやると、そう家族の墓に誓ったそうです。

 

「……ロドリー君は、貴女の事を気にかけていましたよ」

「知った事ではありません。ロド兄さんが送ってきた気持ち悪い人形も、すぐゴミ箱に放り込みました」

 

 リナリーは心底、ロドリー君を毛嫌いしているようでした。

 

 彼女の胸の奥には、ずっと「あの時ロドリー君がいてくれれば」という思いがくすぶっているのでしょう。

 

 ですが、自分は知っています。ロドリー君は、あの口の悪い少年は、妹の事を気にかけていました。

 

 自分はマシュデールで、妹を「可愛い奴だ」と言ってはにかんだ彼を見ました。

 

「あんな人は兄ではありません」

 

 だからリナリーのその言葉を聞いて、自分は酷く悲しい気持ちになりました。

 

 

 

 

「一応、貴女の事も兄から手紙で聞いていました。トウリ衛生准尉殿」

「そうでしたか」

 

 リナリーは、思い出したようにそう教えてくれました。

 

 ロドリー君は従軍後も、しばしば家族に手紙を送っていたようです。

 

 そしてリナリーは、兄の事を嫌いながらも手紙には目を通していたようです。

 

「彼は、自分の事をどのように言っていましたか」

「『俺に好き好き光線を向けてくるおチビ衛生兵』が居ると。てっきりモテない兄の虚言かと思っていましたが」

「ぐっ……」

 

 リナリーは半目でそう言って、溜息を吐きました。

 

 ……家族にどんな内容の手紙を送っていたのですか、ロドリーくんは。

 

「申し訳ありませんが、その内容は訂正をさせていただきたいです。別に自分は好き好き光線などという妙な光線を出した記憶はありませんし、ロドリー君だっていうほど背が高い人間ではありません。そもそも結婚だって、ロドリーくんの方がしたいというから仕方なく、ですね」

「後、その衛生兵は『結構な意地っ張り』とも書いていました。そして彼女が意地を張る時は、口早になると」

「……」

「なるほど、聞いていた通りです」

 

 ……。

 

 ロドリー君が生きていたら小一時間ほど、詰めてやりたい内容ですね。

 

「それとも、貴女以外にそんな女性がいたのでしょうか」

「リナリーさん。自分は貴女の事、結構嫌いかもしれないです」

「それは残念」

 

 リナリーは飄々とそう言って、眉をへの字に曲げました。

 

 この娘、第一印象はロドリー君と似ていると思いましたが、話してみると全然タイプが違いますね。

 

 彼はただ口が悪いだけですが、リナリーは皮肉屋な面が強いようです。

 

「私にお話しできる内容はこれ位でしょうか。他に何か聞きたい事はありますか」

「い、いえ。色々と教えていただきありがとうございました」

「そうですか。では、私はこれにて」

 

 一通り彼の話を聞いた後、リナリーは早々に席を立とうとしました。

 

 これ以上自分と話すことは無いとでも言いたげに。

 

「あ、その。リナリーさんは、自分からロドリー君の話などを聞きたくは無いのですか」

「興味もありません」

 

 彼女は、本当は自分と話などしたくないのでしょう。

 

 引き留めようと声をかけてみたのですが、彼女は面倒臭そうに首を振るだけでした。

 

「では、最後にその。リナリーさん、何か困ったことが有ったら自分を頼ってください」

「トウリ准尉殿を、ですか」

「自分はまだ若造ですが、きっとお力になれると思います。貴女は自分の義妹(いもうと)に当たる訳ですから、遠慮なく」

「……やめてください」

 

 それでも自分は諦めず、リナリーにそう申し出ました。

 

 彼女は、自分を何度も守ってくれたロドリー君の妹です。

 

 助けを求められれば、全力で力になるつもりでした。

 

「私はもう、彼を兄とは思っていません」

「……ですが」

「それに、貴女が本当に義姉であるかも疑わしい」

 

 しかし、自分に返ってきた返事は、

 

「私は貴女を必要としていません」

 

 これ以上無く明確な拒絶でした。

 

 

「義姉であるかも疑わしい、とは」

「私は、貴女と兄の婚姻が嘘である可能性もあると思っています。失礼ながら、貴女は兄の好みと対極の見た目をしているので」

「……」

「兄が死んだのをいいことに、片思いが高じて虚言を吐いているのではありませんか?」

 

 そのリナリーの言葉は、あまりにも無礼で攻撃的でした。

 

 仮にも自分は上官です。

 

 後ろ盾になると申し出られたら、適当に相槌を打って礼を言っておけばいいでしょうに。

 

「では、失礼します」

 

 そんな彼女の態度に対し、自分は怒るというより困るような感じでした。

 

 彼女の考えていることが、何となく分かったからです。

 

 周囲との交流を拒絶し、誰とも仲良くなりたくない。

 

 そんな風に考え周囲に喧嘩を売りまくっていた、心優しい少年をよく知っています。

 

 

 リナリーは家族を失った傷が癒えず、周りに敵意をむき出しにしているのでしょう。

 

 そんな彼女を見ても怒るより、憐憫の情が先に来てしまいました。

 

 ロドリー君に舐めた口を利かれていたグレー先輩も、こんな気分だったのでしょうか。

 

「今の発言は聞かなかったことにしておきます。貴女が信じようが信じまいが、彼との婚姻関係は事実ですので」

「そうですか」

 

 ……タイプは違えど、上官であろうと気にせず喧嘩を売るあたり本当に兄妹ですね。

 

「また、誘ってもいいですか」

「ええ、ご自由に」

 

 心を閉ざしている新米と向き合うのは、こんなにも難しいのですね。

 

 自分は、グレー先輩のありがたさを改めて実感しました。 

 

「……」

 

 残念ながら自分は、グレー先輩ではありません。

 

 自分は彼のように、頼りになって人を惹き付ける人間では無いのです。

 

 ……ならば自分は時間をかけて、ゆっくりリナリーの心を開いていくとしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

「ケイルさんは、思春期くらいの女の子に好かれるコツとかご存じですか?」

「ん? ああ勿論さ、僕に任せなさい」

 

 グレー先輩はもういないので、とりあえず身近のチャラい人に相談(コンサルタント)してみました。

 

「あの年頃の娘は大人に、幻想を見ている。だから、向こうの理想の大人を演じてやるのが口説くコツさ」

「ほう、成程」

 

 ケイルさんはスラスラと、年頃の娘の口説き方を教えてくださいました。

 

 ……別に口説くつもりはないのですが、それなりに参考になりそうです。

 

「流石、よく知っていますね」

「実は最近、思春期頃の娘さんが上官だったもので」

 

 ……。

 



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125話

 

 あれからもリナリーは、あまり友好的な態度を取ってくれませんでした。

 

 話しかけても皮肉を飛ばしながら、淡々と最低限の受け答えをするだけです。

 

 そういった態度は自分に限定したことではなく、どうやら通信兵仲間にも煙たがられている様子でした。

 

 その全方位に敵意を振りまく態度はロドリー君と一緒だと伝えたら、リナリーはどんな顔をするでしょうか。

 

 深いところで、やはり二人は血を分けた兄妹なんだなと感じました。

 

 

「来てくれてありがとう、トウリちゃん」

「いえ、ご招待頂きありがとうございます」

 

 その後自分は、ヴェルディさんにお茶の誘いを受けました。

 

「……そうですか。トウリちゃんにも態度を変えませんでしたか、リナリーは」

「はい」

「彼女は家族を失ったばかりで、まだ不安定なのでしょう。……出来れば、気にかけてあげてください」

 

 どうやらヴェルディさんは、自分にリナリーの件を相談したかったみたいです。

 

 彼女はヴェルディさんにとって、悩みの種のようでした。

 

「リナリーは今も毎週のように、歩兵への転属願を持ってきます」

「それは」

「余程、フラメール兵が憎いのでしょうね」

 

 ヴェルディさんはリナリーの後見人を引き受けて、世話を焼いているそうです。

 

 彼はリナリー以外にも、旧ガーバック小隊の遺族に個人的な支援を行っているのだとか。

 

「私は彼女を歩兵にする気はありませんよ。……誰にとっても良い結果にはならないでしょう」

「自分もそう思います」

「どうせ戦争が終わるまであと僅か。彼女には戦後の生き方を、模索していただきたいのですが」

 

 ヴェルディさんは年齢を理由に、リナリーの歩兵への転属願を却下したそうです。

 

 そして終戦まで、リナリーの転属願いを却下し続けるつもりみたいです。

 

 

 軍規上、前線で歩兵として戦えるのは15歳以上の成人です。未成年の兵士は、基本的に戦闘に参加できません。

 

 その理由は単純で、15歳未満は体がまだ出来ていないからです。

 

 どうせなら成長し、戦えるようになってから前線に出せと言う軍規でした。

 

 例外として未成年でも、尉官以上の兵士に補佐官として抜擢されれば前線に出られるそうですが……。数十年前まで遡らないと、その前例は出てこないようです。

 

 

 だから14歳のリナリーは、前線には立てません。

 

 彼女の割り振られた通信兵の仕事は、戦闘ではなく事務仕事です。

 

 通信兵は比較的新しい兵科で、魔法による通信が開発された後に生まれた、通信魔法具を扱う専門の兵科です。

 

 その主な仕事は魔法具から送られてきた情報を文書化して、上層部に伝達する役割です。

 

 

 リナリーの様な下っ端にそんな仕事を任せて良いのかと心配になりましたが、どうやらちゃんと通信内容は暗号化されているようです。

 

 この時代の通信魔法は傍受が簡単なため、暗号にしないと敵に筒抜けになるのだとか。

 

 なので通信兵は無意味な文字列を正確に記載する必要があり、大雑把な人には向きません。

 

 その一方で文字さえ覚えれば仕事ができるので、通信兵には女性や未成年が起用されることが多いです。

 

 賃金こそ低いものの衣食住を保証されるので、リナリーのような孤児にはうってつけの仕事でした。

 

 その仕事を投げ捨ててまで危険な前線を希望するなんて、普通は考えられません。

 

「大丈夫です、リナリーがどう足搔こうと軍規に則って15歳までは歩兵になれません」

「……彼女が15歳になるまでに、戦争は終わりますか」

「ほぼ確実に終わるでしょうね」

 

 自分の問いに対して、ヴェルディさんは自信満々にそう言い切りました。

 

 

 

 そして自分は、今迄の戦争の経緯について教えてもらいました。

 

 戦争が始まった直後は、敵連合軍が圧倒的に優勢でした。

 

 当時のオースティン主力軍は北部決戦の真っ最中で、暴れまわるフラメール・エイリス連合軍に何も出来なかったそうです。

 

 

 敵は「オースティンは滅びゆく国だから、何をやっても問題ない」という認識でした。

 

 実戦の練習だと言わんばかりに、次々と村を焼いて暴虐の限りを尽くしました。

 

 彼らの想定では、オースティンは北部決戦でサバトに敗北し滅亡する予定だったのでしょう。あったとしても、両国が潰し合って痛み分け。

 

 まさかオースティンが倍の戦力差をひっくり返して勝利するなど、考えもしていなかったのです。

 

 

 そんなオースティンを舐め腐っていた連合軍は、好き放題に暴れまわりました。

 

 立ち上がった民兵も物量差でねじ伏せ、女や食料の備蓄を奪い、欲望のままに蹂躙していきました。

 

 この頃、敵司令官は「すでに戦争に勝利せり、現在は残敵を掃討中である」と本国に報告していたらしいです。

 

 彼らは勝利したつもりで、後はいかに被害を少なく領土を広げるか議論していたのだとか。

 

 

 ……戦後のフラメール側の資料によれば、彼らは銃を持っただけの市民を『正規軍』と勘違いしていたようで。

 

 市民兵を打ち破ったことで、オースティン本隊を壊滅させたと思い込んでいたようです。

 

 

 

 そんな敵軍を、オースティンは入念に準備して迎え撃ちました。

 

 開戦した瞬間から、フォッグマンJrはウィン市民を動員して決戦に備えていたのです。

 

 彼は半年かけて大量の鋼材や弾薬を運び込み、ウィンの周囲に何層も塹壕や土嚢を張り巡らせました。

 

 その距離はぐるりと50㎞に及び、そこら中に鉄条網や魔法罠が張り巡らされたそうです。

 

 

 備えはそれだけではありません。

 

 ウィン内に沢山の軍事工場が移設され、稼働していたのです。

 

 国土の大半が焼け落ちた今、まともな生産施設を動かせる労働力があるのはウィンだけでした。

 

 武器の数こそ歩兵の数。そんなスローガンの下、フォッグマンは大幅な武器弾薬の製造計画を実行したのです。

 

 その代わり食料生産力は落ちましたが、想定以上に人口が減っていたので備蓄分で補えたのだとか。

 

 

 

 そして昨秋、ウィンに戦火が及ぶ直前にオースティン本軍が戻ってきました。

 

 フォッグマンJrは帰還した兵士を自ら出迎えてその戦功を称え、アンリ中佐と抱き合って指揮権を渡しました。

 

 

 ウィンに戻った兵士たちは、その張り巡らされた完成度の高い防衛線に仰天したそうです。

 

 指揮権を受け取ったアンリ中佐も「これだけ準備されてたら誰が指揮しても勝てる」と、感嘆したといいます。

 

 戦争は準備段階で勝負が決まると言いますが、今回の戦いはまさにその言葉通りの展開になりました。

 

 

 

 さて、季節は冬の終わりごろ。ちょうど、自分がヨゼグラード侵攻に出征していたのと同時期です。

 

 フラメール・エイリス連合軍はいよいよ、首都ウィンの攻略に手を伸ばしました。

 

 ウィンが陥落すればオースティンは滅び、戦争が終結します。

 

 向こうも「これが最後の戦いだ」と、気合を入れて戦争に臨んだでしょう。

 

 しかし連合軍はこのウィンで、想像を絶する苦戦を強いられる事になります。

 

 

 

 オースティン主力兵は、堅実な戦いを徹底しました。

 

 塹壕から頭を出さず、気配を押し殺して潜み、一瞬で敵を撃ち抜きました。

 

 手榴弾や魔法罠などを駆使し、塹壕付近に敵を寄せ付けません。

 

 西部戦線時代から生き残り、塹壕戦を知り尽くした兵士は比べ物にならない練度でした。

 

 ここでようやく連合軍は『本物のオースティン兵』と戦ったのです。

 

 

 戦車も飛行機もないこの時代には、突撃以外に塹壕を攻略する方法はありません。

 

 そして練度の高い兵士の籠る塹壕を落とすには、かなりの犠牲が必要になるのです。

 

 今までの戦いとの被害の差に、敵は動揺しました。

 

「くそ、抵抗が今までと段違いだ!」

 

 防衛側の有利は大きく、無策で突撃を繰り返した連合側に凄まじい被害を出しました。

 

 彼らは最初の塹壕1層を制圧するのに1週間かかり、1万人以上の死者を出したそうです。

 

 しかし、それでも20万と4万人の戦い。連合軍は潤沢な資源と兵力にものを言わせ、少しずつ塹壕を制圧していきました。

 

 この時はまだギリギリ、目が眩むような量の血を流しつつも連合側が押していると言える状況でした。

 

 

「おい、何だアレは」

「銃なのか?」

 

 

 しかし、戦闘開始から1か月。

 

 連合側がおびただしい数の死者を出しながら、やっと数層の塹壕を攻略出来た頃です。

 

 ついにオースティンに新時代の兵器が導入され、とうとう連合軍の進軍が止まりました。

 

 

 それは数年前から研究が進められ、西部戦線で実戦に投入される予定だった『小銃の進化系』ともいえる武器。

 

「違う、銃じゃない。あれが銃の筈がない、デカすぎる」

「あそこに近づくな、皆殺しにされるぞ!」

 

 その新兵器は台車の上に載せられた不格好な砲身から、雨あられと銃弾をまき散らしました。

 

 オースティン50連式銃と呼称されたその兵器は、何と50発の弾丸を絶え間なく連射することが可能な新時代の銃────いわゆる機関銃でした。

 

 

 機関銃から放たれた弾丸は、多くのフラメール兵を肉塊へ変えました。

 

 この『凄まじい連射ができる銃』というコンセプト自体は以前から提唱されていたのですが、本格的に実戦投入されたのはこの戦いが初めてでした。

 

 西部戦線の中期からサバト、オースティン両国で開発が進められていましたが、なかなか実戦投入に足る出来にはなっていなかったのです。

 

 残念ながらこの時投入された機関銃も完成品とは言い難く、熱により自壊・暴発しやすいという未完成な兵器でした。

 

 しかしそれでも、機関銃の登場は戦争に大きな変化をもたらしました。

 

 熟練の兵士が1週間塹壕に籠ることで、殺せる敵兵の数は平均して10人ほどだそうです。

 

 一方でこの兵器はたった10秒で……数十人の敵をミンチに変えてしまうのです。

 

 その威力の絶大さに、最初の撃ち手に選ばれた兵士は「俺たちがしてきた戦争は何だったんだ」と顔を青くしたのだとか。

 

 

「あの銃がある場所に近づいたら無駄死にだ」

 

 

 機関銃の前に姿を見せるのは死体を増やすだけの、無謀な行為でした。

 

 連合側はその性能に恐れおののき、機関銃が設置してある塹壕を避けるようになりました。

 

 だから機関銃が壊れてもそのまま敵避けに置いておく、なんて事も多かったみたいです。

 

 故障してなお絶大な威力を発揮する機関銃のお陰で、連合軍の侵攻は完全に停止してしまいました。

 

 

 

 機関銃の登場で戦線は膠着しましたが、連合は攻め手を止めませんでした。

 

 いえ、止める判断が出来ませんでした。

 

 連合は定例行事のように毎日突撃を敢行し、仲間の血で大地を赤く染め続けました。

 

 もう「戦争に勝利している」なんて報告を送ってしまった敵の司令官は、今更負けましたなどと言えないのです。

 

 司令官の意地とプライドが、多くのフラメールの若者の命を奪いました。

 

 

 連合軍からすれば、この様は悪夢だったでしょう。

 

 ここまで苦戦するとは、こんなに人が死ぬとは思わなかった筈です。

 

 彼等は20万人という大軍を以て、オースティンの首都ウィン攻略に臨みました。

 

 これほどの人数を動員すれば、ほぼ勝利は疑いないと考えていたようです。

 

「……」

 

 しかし首都ウィンの手前5㎞の地点で戦線が膠着し、兵力が10万人を切りました。

 

 ここまで被害を出したにもかかわらず、連合軍はまだ撤退を判断できず。

 

 無謀な戦いを強いられた連合の兵士達は、恒例行事のように肉塊になりました。

 

 死ぬだけの無意味な突撃を命じられる兵士の士気は下がり、やがて命令を拒否するようになりました。

 

「……もう駄目だ」

 

 連合側は鳶が油揚げを攫うように、オースティンの領土を欲し侵攻しました。

 

 サバトとオースティンの戦争に介入し、漁夫の利を狙って殺戮を繰り広げました。

 

 その結果、オースティンとサバトが溺れていた昏く深い『戦争の沼』に、自分達まで浸かりこんでしまったのです。

 

 連合軍がそんな自分達の陥った状況に気づくのに、1年もの年月を費やしました。

 

 

 やがて、冬が明ける頃。

 

 連合軍は攻勢の失敗を認め、態勢を立て直そうと撤退を決断しました。

 

「今回は退いてやる、次はこうはいかないぞ」

「次はしっかり銃を研究してきてやる」

 

 連合側は「これは敗北ではなく、一時休戦だ」と自国の兵士に言い訳して、全軍撤退を行いました。

 

 オースティン軍と距離を取り、ウィンの手前に防衛線を設置しようとしたのです。

 

「……お?」

「アイツら、追ってきてないか」

 

 しかし簡単に撤退なんてベルン・ヴァロウが許すはずがなく。

 

 それを見て「待っていました」と言わんばかりに、オースティン兵が猛追撃を始めました。

 

 

 追撃戦では、基本的に撤退側が不利と言われています。

 

 それは防御戦と違って、守りを固めて待つ時間がないからです。

 

 ずっと連合側の横暴に耐えてきたオースティン兵は、鬱憤を晴らすかのように追撃しました。

 

「オースティン領土内はあいつらのテリトリーだ、分が悪い」

 

 この反転攻勢で連合側は、奪ったオースティン領地を殆ど手放すことになりました。

 

 ベルン・ヴァロウの指揮により敵の弱点を見抜いて連絡線を切り、各個撃破していったのです。

 

「くそ、いつまでも追ってくる」

「早くフラメール領に逃げるんだ」

 

 戦列が崩壊してしまった連合軍は、脆いものでした。

 

 彼らは連携を取ることもままならず、戦線を大きく押し戻されてしまいました。

 

「よし、やっとフラメール領だ」

「ここまでは奴らも、追ってこないはずだ」

 

 生き残った連合兵は、()()うの体でフラメール領内に逃げ込みました。

 

 彼らは、オースティンはフラメール領土内まで攻めて来ないだろうと高をくくっていたみたいです。

 

 サバトとも戦争中の我々に、侵略戦を仕掛ける余裕なんて無いと思ったのでしょう。

  

「この先の村で、保護して貰おう」

「久々に、まともな食事がとれる────」

 

 しかし、ほぼ同時期。

 

 ヨゼグラード攻略戦が決着してレミ・ウリャコフがサバト革命を成し遂げていました。

 

 レミさんはオースティンとの同盟を宣言し、またフラメール・エイリスとの戦争に対し支援を表明しました。

 

 こうなればオースティンに、フラメール侵攻を躊躇う理由はありません。

 

 サバトとの国境に居た兵士も動員可能となった事もあり、オースティン政府はフラメールへ侵略戦争を決断しました。

 

 そして国境付近のフラメール村落の民は、無惨に虐殺されたそうです。

 

 

「何て連中だ、野蛮にもほどがある」

「国境を越えたことを後悔させてやる」

 

 

 同胞を虐殺されたフラメール国民は激怒し、すぐ反撃に出ようとしました。

 

 彼らは自国の兵士の蛮行など知らされておりません。

 

 オースティン人が国内で悪事を働いたので報復として攻め込んだら、それにオースティン軍が逆切れして侵攻してきたという認識です。

 

 そんな状況でしたので、国民はオースティン人を悪魔の化身と信じ、多くの若者が軍に志願しました。

 

「敵の新型銃が強すぎて歯が立ちません」

「射程が違い過ぎて、こちらの銃が当たる距離まで進めません」

「くそったれ! これじゃウィン攻略の時と一緒だ」

 

 しかしいくら兵士が集まろうと、所詮は素人の集まり。

 

 練度と技術力に差がありすぎて、フラメールはどんどん領土を切り取られて行きました。

 

 フラメール政府はまさか、ここまで自国軍が弱いとは思っていなかったようです。

 

 

 彼らが虎の尾を踏んだ事を理解したのは、フラメールの主要都市のひとつエンゲイが陥落したころでしょう。

 

 エンゲイはフラメール最大の商業都市で、多くの食料物資が集まっていました。

 

 食料不足に悩んでいたオースティンは真っ先にエンゲイを攻め落とし、食料備蓄を接収してしまいました。

 

 それに逆らうものは皆殺しにされ、数日ほど銃声と断末魔が響かぬ夜は無かったそうです。

 

 

 エンゲイ陥落時のフラメール政府の反応は、怒りではなく『恐怖』だったそうです。

 

 大都市がなすすべなく落とされたことで、フラメール首都の占領が現実味を帯びてきたのでしょう。

 

 この頃からフラメール軍はプライドをかなぐり捨てて、必死で停戦を要求するようになりました。

 

 食料の供与や多額の賠償金など、かなり良い条件を提示して講和を求めたそうです。

 

「終戦は貴国の無条件降伏以外に認めない。フラメールの資源も人手もすべてオースティン復興に使わせていただく」

「そんな馬鹿な要求が飲めるか!」

 

 しかしオースティン側が求めたのは講和ではなく、フラメールの無条件降伏でした。

 

 オースティンの条件を飲んでしまうと国民は総じて奴隷にされ、事実上の植民地にされてしまいます。

 

 流石に条件を飲むことは出来なかったフラメールは、あの手この手でオースティンの外交官に交渉をしました。

 

 ……その要求の殆どを、父を殺されたフォッグマンJrは笑顔で突き返したそうです。

 

「フラメール大使殿。我々エイリス軍は態勢を立て直すべく、本土に戻ってまいります」

「そんな!」

 

 同盟国の筈のエイリスも負けを悟ってか、フラメール領から兵士を引き上げ始めました。

 

 相方に見捨てられ、フラメールは存続の危機に瀕している状況でした。

 

 

 戦い続ければいずれ無条件降伏を引き出せる状況でしたので、オースティンが戦争をやめる筈がありません。

 

 少なくとも鉱山や穀倉地域など、自国の復興資源を確保するまでは戦い続けねばならなかったのです。

 

 

 

 

 

 この時のオースティンは、かつて無いほどに勝勢でした。

 

 だから自分を含めた兵士達は、みな心に余裕がありました。

 

 毎日のように進んでいく侵攻ラインを見て、祖国の勝勢を肌で感じていたのでしょう。

 

 

「今日もたくさん負傷者が出たなぁ」

「そろそろ休憩が欲しいもんだね」

 

 

 衛生部は相変わらず修羅場でしたが、西部戦線時代ほどの忙しさではありません。

 

 衛生部の規模は変わらないのに、兵力は半減しているからです。

 

 単純に仕事量は、以前の半分ほどで済んでいました。

 

「もう1か月も休暇を貰っていないぜ」

「次の休日はいつになるかね」

 

 西部戦線時代では考えられませんが、何と衛生兵にも休暇が言い渡されることがありました。

 

 かつて無いほどに、オースティン軍には余裕がありました。

 

 

 きっともうすぐ、戦争は終わります。

 

 フラメールさえ降伏させれば、オースティンの平和を脅かす国は居なくなります。

 

 オースティンの平和で理想的な未来は、もう手が届く場所まで来ていたのです。

 

 少なくともこの時の自分はそう信じて、日々を勤勉に過ごしておりました。

 

 

 

 

 

 

 

「あー、痛たたたぁ。すまんが、ちっと俺を診てくれねぇかね」

「あ、はぁ」

 

 なのでこれは、もしかしたら罰が当たったのかもしれません。

 

「診察を希望なら、此処ではなく診療所へ向かってください。ここは、病床です」

「いや、君じゃないと俺の病は治せないんだ、トウリ・ノエル衛生准尉」

 

 民間人の虐殺がどれほどの悪事か、自分は良く知っています。

 

 故郷ノエルだけでなく、オセロ村やヨゼグラードの時だって、その非道さを目の前で見てきました。

 

 だというのに自分は、虐殺しながら進軍するオースティン兵の蛮行に目を逸らし続けていたのです。

 

「……俺の病は、君がいないことなんだから」

 

 リナリーとお茶会をした翌日、ある男が自分の前に姿を現しました。

 

 その男は柔和な笑みの裏に、蛇の様な狡猾さと子供の様な残虐性を併せ持った、不世出の天才と呼ばれた人。

 

「何ですか、それは。口説いているおつもりですか」

「実はそうなんだ。俺は君に首ったけ」

「職務中です、既婚です。申し訳ありませんがご遠慮願います」

「つれないねぇ」

 

 後で聞いたところによると、この男は何と自分の生存情報を止めていたそうです。

 

 偶然が重なって、自分はヴェルディさんの部隊に保護されましたが……。

 

 本来のウィンを経由するルートで前線に向かった場合、この男の下に送られていたのだとか。

 

「別にとって食おうって訳じゃないさ。君にとっても良い話さ」

「それは自分の仕事に関わることですか」

「ああ。お前さん、サバトで色々とやったそうじゃない?」

「……」

 

 ───ベルン・ヴァロウ参謀少佐。

 

 ヨゼグラードの悲劇を一人で妄想し、現実に描いたオースティン最大の悪人。

 

「君みたいな優秀な人物を、准尉なんて地位にしておくのは勿体無いと思ってね」

「あの、何を」

「なぁトウリ衛生准尉……」

 

 彼は自分のサバトでの行いを知っていました。

 

 政府軍についてシルフの下で戦ったこと、突撃部隊に所属して前線で駆け回ったこと。

 

「君にもっとちゃんとした立場を用意してあげるから、俺の部下にならない?」

 

 その何が彼の琴線に触れたのかは、分かりません。

 

 彼はこの日、わざわざ衛生部まで足を運んできて、自分を部下にスカウトしようとしたのです。

 

「お断りします」

「あれっ?」

 



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126話

「噂で聞いたんだけど、君、降格になるみたいだよ」

「はい」

 

 思えば自分が、本格的にこの男と関わるようになったのはこの日からでした。

 

 自らを悪と断じるダークヒーロー気取りの異常者、ベルン・ヴァロウ。

 

 オースティンが生んだ、今世紀最悪の快楽殺人鬼。

 

「ヴェルディ少佐も酷いよね。あのサバトの内乱を生き延びて、命からがら戻ってきた軍人に対する仕打ちじゃないよねぇ」

「いえ、自分は納得しています」

「畏まらなくて良い、誰だって不満に思うはずさ」

「本当に気にしておりませんので」

 

 彼は『うんうん、俺には分かっているよ』と言いながら病床業務中の自分に向かって歩いてきました。

 

 清潔にしておかねばならない物品があるので、無暗に歩き回られると困るのですが……。

 

「大丈夫。俺だけはちゃんと、君の輝きを知っている」

「……」

「トウリ衛生准尉。久しぶりに会ったけど、とても魅力的になった」

 

 そのまま彼は自分の肩を抱いて、耳元でそう囁きました。

 

 嫌悪感でゾワリと鳥肌が立ちましたが、上官なので我慢しました。

 

「その、ベルン様は自分に何を仰りたいのですか」

「俺はただ、君が羽ばたく力添えをさせて欲しいんだ」

「はあ」

 

 ベルン氏は吐息交じりに、顔がこわばった自分の肩を抱き寄せました。

 

 変な柑橘系の香水の匂いが、ほんのり漂ってきました。

 

「……おお」

「どうしたんだ、トウリ衛生准尉?」

 

 この時にやっと、自分がセクハラを受けているのだと気がつきました。

 

 ベルン氏に限らず、女性兵士にこういうセクハラを仕掛けてくる軍人さんは多いです。

 

「つまりベルン様は、自分の手伝いをしたいと仰るのですか」

「ああ」

 

 今まで自分がセクハラを受けなかったのは、見た目が幼かったからでしょう。

 

 しかし今年で自分も17歳。複雑ですが、自分もとうとう大人の女性と見なされる日が来たのです。

 

 こういうナンパを上手くあしらえる様になってこそ、一人前の衛生兵。

 

「ではベルン様、消毒液をこの辺に散布しておいてくれますか」

「えっ」

 

 自分はベルン・ヴァロウに練習中の笑顔で微笑みかけると。

 

 持っていた散布用の消毒液を、より掛かってくるベルン・ヴァロウ氏に手渡しました。

 

 

 

「あ、その辺にも撒いといてください」

「お、おう」

 

 彼は自分の指示通り、素直に消毒液を散布してくれました。

 

 ついさっき患者さんが敗血症でお亡くなりなった場所なので、感染予防として病床の洗浄が必要だったのです。

 

 続いてシーツの交換、器具の補充、医療ゴミの廃棄とやることはたくさんありました。

 

「次は手袋を着けて、シーツをたたんでください。膿が付着している場所は感染源なのでなるべく触らずに」

「あ、ハイ」

 

 オースティンの英雄っぽい雑用係は、要領よくテキパキと掃除を手伝ってくれました。

 

 流石に少佐ともなれば仕事が早いですね。遠慮なくこき使わせていただきましょう。

 

「じゃあシーツ替えますよ。そっちの端を持ってください」

「……はぁ」

 

 こういった雑用は、下っ端である自分の仕事です。衛生准尉なんて階級は関係ありません。

 

 衛生部では人を殺して高い階級を得た人より、治療の腕と知識がある人が偉いのです。

 

 

 

「あのー、これいつまで続くの?」

「まだまだやるべきことはありますよ。衛生部は忙しいのです」

「じゃあどこか適当なところで切り上げて、そろそろ俺の話聞いてくんない?」

 

 そんな感じでベルン氏を気にせず仕事を続けていたら、とうとう止められてしまいました。

 

 このまま誤魔化せるかとも思ったのですが、上手く行かないものです。

 

「……ねぇ。本当に降格になる件、気にしてないの?」

「はい、むしろ感謝しております」

「何で? ヴェルディのヤツに上手いこと言いくるめられちゃった?」

 

 仕事を手伝って貰ったお礼という訳では無いですが、自分はベルン・ヴァロウに向き合って話に応じました。

 

 ……目が合うだけで嫌悪感が湧き上がりましたが、悟られぬ様に抑え込みました。

 

「自分は管理職などまっぴらごめんです。上に立つ者の器も能力もありません」

「そんなこと言って。本当は前線指揮官として、バリバリ戦ってみたいんじゃないのかい」

「そんな筈がありますか」

 

 ベルンが一体どういう情報を得て、自分にアプローチを仕掛けてきたかは分かりませんが。

 

 この自分の返答は予想外だったようで、彼は目を丸くして驚いていました。

 

 自分が前線を熱望しているとでも思っていたのでしょうか。

 

「すまんね、ちょっと情報に食い違いがあったみたいだ。……君、あんまり前線部隊に興味はないの?」

「それが正規の異動命令であるならば、自分の上官であるヴェルディ少佐を介してお命じ下さい。貴官は、自分に対する人事権をお持ちでない筈です」

「いやいや、これは命令じゃなくて提案さ。君がその気なら、俺は力になるよっていう」

「では、大変恐縮ですがお断りさせて頂きます」

「……」

 

 自分はベルン・ヴァロウの目を見てはっきりとそう告げました。

 

 前線勤務など、まっぴら御免です。自分は生きて、セドル君の下に帰らなければならないのです。

 

「聞いてた情報と大分違うなぁ。少佐である俺から直々のスカウトなのに、こうも冷たく対応されるとは」

「先ほどのが、スカウトに来た方の態度なのですか? ベタベタと体を触ったり、嫌がる女性の方が多そうですが」

「ああ、それはチャラ男好きって噂の君に合わせたつもりだったけど。もしかしてデマだった?」

「まぁ、その噂はデマじゃないですが」

 

 成程。それで妙に馴れ馴れしく体を触ってきたのですか。

 

 ……どれだけ調べてここに来たんでしょうか、この人。

 

「じゃあ気が変わったら俺に言ってね」

「気が変わることは無いかと思います」

 

 自分はグレー先輩を尊敬しているだけで、チャラいだけの人には全く興味ありません。

 

 かなり強い拒絶の意思を込めて、自分はベルンを睨み付けました。

 

 この時のベルンの、後ろ髪を引かれるような顔はよく覚えています。

 

 

 ────自分は、人の死を見るのが嫌いでした。

 

 これまで余りに多くの人の死を経験して、少しその感覚が麻痺しつつありましたが。

 

 西部戦線で、無造作に転がる敵味方の遺体を見るのは嫌でした。

 

 マシュデールで、まだ息がある重傷者を見捨てるのは心が痛みました。

 

 目の前で、体温を失っていくロドリー君を思い出すだけで涙が溢れてきます。

 

「自分は、もう2度と前線に出たくありません」

 

 命の危機と隣り合わせの歩兵は、自分には余りに荷が重すぎました。

 

 自分に前線の適性など、無かったのです。

 

「そうかい」

 

 その返答を聞いたベルン・ヴァロウは、つまらなそうな表情を浮かべて、

 

「誰よりも楽しそうに敵を撃つ、戦場の銃姫。……君、サバトでそう呼ばれてたそうだよ?」

「えっ?」

「もうちょっと、正直になってくれれば助かるんだがな」

 

 そう言い捨て、立ち去ってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

「南軍の英雄から誘われとったそうじゃな」

「耳が早いですね、ドールマンさん」

 

 あの時ベルンが何を考えていたか、なんて事を考えるのは時間の無駄です。

 

 結論から言うと彼は、何でも考えています。

 

 彼は言動に裏があるタイプではなく、目的に応じて複数の意味を用意しておき、その場で最適な選択をしていくタイプの参謀です。

 

 この自分を誘った時だって、ただ降格の不満につけこむだけではなく「口説いて手込めにすれば従順になる」だの「戦闘狂だったらより過酷な戦場を用意できる」だの「孤児院の再建に協力する」だの、様々な交渉札を用意して勧誘に臨んでいたのだそうです。

 

 あまりに自分の拒否が強すぎて、早々に諦めたそうですが。

 

「あまり面識はないが、不気味な男よの。あれほど無機質な目をする人間はなかなか見ない」

「無機質、ですか」

「ああ。昔から腕の良い参謀は、目が無機質なものだ」

 

 そんな悪人(ベルン)に目を付けられてしまった時点で、自分の命運は決まっていたのでしょう。

 

 この日、彼は諦めて帰ったように見えましたが……。

 

 彼が諦めたのは自分を「説得する事」だけで、自分を引き抜く事はこれっぽっちも諦めていなかったのです。

 

 ベルン・ヴァロウと初めて出会った日、余計なことを言わずアリアさんの後ろで震えてさえいれば。

 

 口は災いの元、とはよく言ったものです。

 

「あまり気を許さん方が良いぞ。参謀という人種には特に」

「気を付けておきます」

「まぁ、単にあの男が小児性愛という可能性もあるが。……あ、すまん。失礼だったな」

「自覚はありますのでお気遣いなく」

 

 なお、ベルンが自分を口説いている様子は衛生部の皆に見られており。

 

 彼はしばらくロリコンの謗りを受けたそうですが、気に留める様子は全くなかったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トウリちゃんに、ベルン少佐が会いに来たのですか?」

「はい。ヴェルディさんは何か事情を知りませんか」

 

 とまぁ、そんな事があったので。

 

 自分はヴェルディさんに、不審者情報を届け出ました。

 

「うーん、すみません。彼の考えていることはさっぱり分からないのです」

「そうでしたか」

「彼が若い少女兵士を口説いているという噂は聞いていましたが、トウリちゃんだったんですか」

 

 ヴェルディさんは、ベルン・ヴァロウの奇行に首をかしげていました。

 

 どうして面識のない自分を口説きに来たのか、本気で分からないようです。

 

「他にベルン殿は何と仰っていましたか?」

「自分の活躍の手伝いがしたい、歩兵部隊に移らないかと」

「えっ、正気ですかあの男は」

 

 しかし相手はベルン・ヴァロウ。オースティンの英雄で、勝利の立役者。

 

 雑に対応していい相手ではありませんので、ヴェルディさんに対応いただくのが無難でしょう。

 

「自分は出来れば、前線に立ちたくありません。情けない話ですが、恐怖で足が竦むのです」

「わかりました、折を見て釘を刺しておきましょう」

「ご配慮、感謝いたします」

 

 ヴェルディさんは、自分の言わんとすることを察してくれた様子でした。

 

 こんな些事でヴェルディさんに手を煩わせて、申し訳ないです。

 

「これからも困ったことがあれば、遠慮なく頼ってください」

「ありがとうございます、ヴェルディ少佐殿」

 

 申し訳なさそうに礼を述べると、ヴェルディさんは気にしていないよという風に手を振ってくれました。

 

 頼りになるお方です。

 

 

 

 

 

 

 自分はヴェルディ少佐に敬礼を返し、彼のテントを退室しました。

 

 時刻は夕暮れ、そろそろ忙しくなる時間です。

 

 防衛部隊が交代する時間なので、前線にとどまっていた負傷兵がわんさか押し寄せてくるからです。

 

「あ、トウリ衛生准尉殿。これはどうも」

「……おや」

 

 忙しくなる時間帯までに帰ろうと、小走りで衛生部を目指している道すがら。

 

 幼さの残る我の強い顔の男が、自分に敬礼を向け挨拶してきました。

 

「ガヴェル曹長、どうもお疲れ様です」

「ああ、うん。トウリ殿はヴェルディ少佐と、話をされていたのですか」

 

 それは先日、輸送部隊で共に戦った指揮官、ガヴェル曹長殿でした。

 

 

「自分に敬語は、使わなくて結構ですよ。来月から衛生曹に降格が決まりましたので」

「え、何で?」

 

 自分はまず、彼に降格したことを伝えました。

 

 来月から再び、彼の方が階級が上になります。それを伝えておかないと、軋轢を生みそうだからです。

 

「レンヴェル様は自分が殉職したと思って、階級を無駄に盛ってくださったみたいです。士官学校を出ていない自分が尉官なんて変でしょう?」

「はあ」

「なので自分が生還した今、つじつまを合わせるため本来の階級に戻るみたいです」

「あ、なんだそうなの」

 

 自分が降格になった事情を説明すると、ガヴェル曹長は納得した顔になりました。

 

 士官学校出のエリートに敬語を使われるのは慣れませんし、ちょうどよかったです。

 

「ヴェルディさんのご配慮です。能力に見合わぬ階級は、害にしかなりません」

「そんなもんかな」

 

 ガヴェル曹長はピンと来てなさそうですが、器の無い人物が権力を握ると録な事になりません。

 

 サバト政府軍のブレイク氏などが良い例でしょう。あの人の無茶振りのせいで、兵士は散々な目に逢いました。

 

 ……シルフ曰く、悪い人ではないそうなのですが。

 

「じゃあ、もういつも通りに話すけどいいか?」

「かまいませんよ。自分に何か御用でしょうか」

「ああ、お前に聞きたいことが有ったんだ」

 

 ガヴェル曹長はすぐに敬語をやめ、自分に詰問する態度になりました。

 

 何となくですが、ちょっと不機嫌そうな表情に見えます。自分が何かやってしまったでしょうか。

 

「その、お前は結構やるんだってな。ヴェルディ様から聞いたよ」

「結構やる、とは何のことでしょう」

「北部決戦の時、あの撤退作戦を立案したのはお前だって聞いたよ。お前の提案を、ヴェルディ様が採用したって」

「ああ、その事ですか」

「……実に見事な作戦だと、ヴェルディ様は手放しに誉めていた。俺も感心したよ、一介の衛生兵とは思えない」

 

 ガヴェル曹長は淡々とした口調で、自分を褒め称えました。

 

 ……ベタ誉めする割には、顔に不満の色が浮かんでいますけど。

 

「随分とヴェルディ様に気に入られているみたいじゃないか、お前。よくそんな簡単に、面会要請が通るもんだ」

「……はい。申請したらあっさりと、アポイントをくださいました」

「あの人は本来、ただの衛生兵と会える立場の人じゃない。オースティン軍の最高権力者の一人だぞ」

「すみません」

「謝ることは無い、ただお前はもっとその幸運を自覚しろ」

 

 ガヴェル曹長は自分に、以前の様に気安くヴェルディさんに会うなと忠告しました。

 

 確かに、今のヴェルディさんはとても忙しそうな身です。かなりやつれていましたし、今回のような軽い要件で相談しに行くのは不味かったかもしれません。

 

「はい、ご忠告感謝します。以後気を付けます、ガヴェル曹長殿」

「分かればそれでいい。だが、本題はそれじゃない」

 

 それは確かにその通りなので、素直に反省しておきました。

 

 いちいち面会せず、書面などで相談した方がヴェルディさんも楽だったかもしれません。

 

 しかしガヴェル曹長の用件はそれだけでは無かったようで、

 

「先日、俺の輸送部隊が襲撃を受けた。お前も居た、あの戦闘だ」

「はい」

「あの時のお前の作戦提案の根拠を聞きたい。内容を文書に残すから、虚偽なく報告しろ」

 

 本題は、襲撃を受けた際の自分の提案の根拠を問うものでした。

 

 成程。指揮官であるガヴェル曹長は、その作戦内容を上官に報告する意義があります。

 

 作戦提案者である自分に問いに来るのは、当然でした。

 

「……それは申し上げた通り、確認した敵の様相から敗残兵と思われたからです。我が隊の積み荷の中には武器弾薬もありましたし、待ち構えての防衛戦であれば輸送部隊の兵力で十分に対応可能であると考えました」

「それは結果論だ。もし敵の戦力が想定以上だったらどうしていた」

「それは。……ガヴェル様の仰る通り、リスクのある行動であったと反省しています」

 

 ────何となく、そんな事にはならないだろうという勘があっての提案だったのですが。

 

 そんな不確かなものを根拠としてあげたら、とても怒られる気がします。

 

 素直に謝っておきましょう。

 

「まあいい。リスクの無い戦闘なんてない。先程のお前の発言内容を、そのまま報告書に記載するが問題ないな」

「問題ありません」

「協力感謝する」

 

 ガヴェル曹長はメモを取りながら、自分の言葉を聞き終えました。

 

 ……自分が怒られたりするのでしょうか、これ。

 

「心配せずとも、お前が何か言われることは無い。戦闘の功績も、叱責も、全て部隊の指揮官に付随する」

「は、はい」

「お前のリスキーな提案が失敗だったとしても、採用した俺の責任だ。今日は、報告書に記載する内容を補足したくて時間を貰っただけ」

 

 自分が少し不安そうな顔をしたのがばれたのでしょうか。

 

 ガヴェル曹長はフンと鼻を鳴らして、そう教えてくれました。

 

「尤も、作戦を提案したお前は褒められるかもな」

「それは、どうしてですか」

「ただでさえヴェルディ様は、俺の前でお前をよく誉めるんだ。トウリを信じて何度も生き延びた、幸運運び(ラッキーキャリー)の名は伊達じゃないと」

「え、まだその変な愛称残ってるんですか」

「むしろ、お前が死んだせいで伝説になったぞ。我が身を犠牲にして国を守った、気高い少女だっつって」

 

 ……まあ、確かにプロパガンダにしやすそうな話ですが。

 

 それが事実なら、あまり歩兵陣地に近づかない方がよさそうですね。

 

 去年の時点で拝まれたり撫でられたりと、お地蔵様みたいに扱われることが多かったのです。

 

「伝説って……」

「ああ。そういう話があった方が、士気が上がる」

 

 自分が生還したことが広まったら、変な宗教みたいになるかもしれません。

 

 幸運運びが生きて帰った、なんて聞けばご利益がありそうに見えるでしょう。

 

「あの、出来れば、自分が生還したと広めないでくださると助かります」

「もう一部で噂になってたけどな」

 

 ガヴェル曹長にそうお願いして、自分は何とか噂が広まるのを阻止しようとしました。

 

 仕事が回らなくなるのは困るのです。

 

「それよりだ。トウリ、お前に聞きたかったのはソコだ」

「……はあ、何でしょう」

 

 しかしガヴェル曹長は、自分の幸運云々にまったく興味なさそうでした。

 

 そんな事はどうでも良いと言いたげに、彼は本題に入りました。 

 

「戦況を判断するコツみたいなのがあるなら、教えて欲しい」

「こ、コツですか。自分の場合は、直感的なところもあるかと思います」

「その直感ってのは、どういうものだ」

「どういうものかと問われましても……」

 

 彼はどうやら、自分が作戦を提案した根拠などを聞きたかったみたいです。

 

 確かあの時はいつもの通り、直感でイケると思ったから迎撃を提案しましたっけ。

 

「すみません、うまく説明できません」

「そっか。ふん」

 

 答えられるなら、答えたいのですが。

 

 自分の中の声に従って動いているとか言ってしまったら、正気を疑われそうです。

 

 ゴルスキィさん曰く、戦場に適応した自分の第2人格だそうですが……。これは、なるべく内緒にしておきましょう。

 

「どうして、そのようなことを自分に問うのでしょうか。無学の自分なんかより、教えを乞うべき優秀な方は軍にたくさんいそうですが」

「……ああ、その通り。お前は、士官学校すら出ていない一般人だろ」

「ええ」

 

 それに、自分は作戦立案の講義・訓練を受けた人間ではありません。

 

 ガヴェル曹長が欲するスキルは、自分ではなくもっと他の……、熟練の指揮官から学ぶべきではないでしょうか。

 

 そう提案すると彼は眉を顰め、

 

「ただの募兵組の癖に、お前の方が俺よりヴェルディ様の信頼を得ているのが気に食わん」

「えぇ……?」

「ずるい。お前のその直感とやら、俺に教えろ」

 

 かなり正直に、そう吐露されてしまいました。

 

 

「……えーっと、こう、これ以上進むと不味いなという感覚でして」

「分からん」

 

 そこまで言われては仕方がないので、自分はあやふやなまま直感の使い方についてレクチャーしてみました。

 

 ……講義している側が言うのもなんですが、怪しい宗教みたいな説明しかできませんでした。

 

「その、全身が総毛立つ感覚と申しますか。本当に、ヤバイなと言うラインギリギリまで攻めると言いますか」

「何を言っているかさっぱり分からん」

「自分も、何を説明しているのかさっぱりです」

 

 理論立てて説明できない事なのもあるでしょうが、単純に自分のプレゼン能力が低いのが原因な気もします。

 

 元々、あまり人前でしゃべるのは得意じゃないんですよね。

 

「……もういい」

「あまりお力になれず、すみません」

 

 結局、30分ほど時間をとって説明してみましたがガヴェル曹長は頭に疑問符を浮かべたままでした。

 

 笑顔だけじゃなく人と話す練習もしておこうと心に決めていたら、

 

「いずれ俺はヴェルディ様の右腕になる男だ。お前みたいなのには負けんからな」

「はあ」

 

 ガヴェル曹長は自分に『アンタなんかにヴェルディ様は渡さないわ』という宣戦布告をして去っていきました。

 

 軍隊には多いそうですし、彼もそうなのでしょうか。



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127話

 

「じゃあ、今日はトウリちゃんの復帰祝いよ! みんなワインは持ったかしら!」

「はーい」

「あ、トウリちゃんはジュースね」

「飲めないのは自分だけですか」

「気にしなーい」

 

 ガヴェル曹長と微笑ましいやり取りの後。

 

 数日ほど経って、自分は衛生部長レィターリュさんから宴席に招待されました。

 

「エルマさん、お久しぶりです。ケイルさんと働く病床が違うんですね」

「……アイツと同じ場所で働きたくなかったの」

 

 その宴席には、見覚えのある看護兵さんが集められていました。

 

 それはエルマ看護長を筆頭に、かつて「トウリ衛生小隊」に所属していた看護兵さん達です。

 

「皆さんご無事で何よりです」

「本当、みんなよくあの戦いを生き延びたわ!」

 

 久しぶりに出会った彼女たちは、顔つきも体格も凛々しくなっている様に感じました。

 

 出会った頃は厚化粧の我儘な人だらけで心配でしたが、今の皆にはフワフワした雰囲気は微塵もありません。

 

 命懸けの戦場を幾つも越えてきた彼女達は、今や衛生部の主力として大活躍しているようです。

 

「……これだけ集まったのに、ケイルは不参加なのね」

「彼は病床主任ですから、病床を空けるわけにはいかないのでしょう」

「……どうせ逃げたんでしょ」

 

 ただ残念ながらケイルさんだけは、仕事が忙しいので不参加となりました。

 

 自分が北部決戦で離脱した後、彼が部隊を率いてくれたそうなので是非参加してほしかったのですが……。

 

 ケイルさんは「病床主任が仕事を投げ出すわけにはいかない、リトルボスは楽しんできてくれ」とさわやかな笑顔で、自分を送り出してくださいました。

 

「懲りもせずまた、複数に手を出そうとしたんですよケイル小隊長」

「同時並行で口説いただけで、付き合う前だから浮気じゃないと言ってたけど」

「……後でお説教しておきます」

 

 どうやらケイルさん、本当に逃げたっぽいですね。

 

 頭が良い人なのに、何故学習しないのでしょうか……。

 

 

「初めて小隊長を見た時は『こんな小さい子が隊長で大丈夫か』と思ったけど、なかなかどうして頼りになった」

「ありがとうございます、ブチャさん」

「……年齢の割にしっかりしているわ、トウリ小隊長は。どっかのバカに見習ってほしい」

「ケイルさんも、頼りになる方ですよ」

「駄目よ、あの男を信頼なんてしちゃ。間違っても身体なんか許しちゃだめよ」

「そっち方面は信用していませんので、ご安心ください」

 

 戦友と卓を囲む食事会は、とても楽しいものでした。

 

「トウリちゃん、これ美味しいわよ! パンの表面にチーズを塗って炙ったの」

「ありがとうございます、とても美味しいです」

 

 レイリィさんは様々な料理を用意してくださっていました。

 

 チーズやパン、ベーコンなど戦場では貴重な食糧ばかりです。

 

 彼女のポケットマネーで用意して頂いたそうで、感謝せねばなりません。

 

「サバトに行って一番驚いたのは入浴文化で、ヴァーニャと言うのですが……」

「えー! そんな素晴らしい施設があるのね! 食べ放題じゃない」

「神聖なヴァーニャで不埒な事をしたら、出入り禁止になりますよ」

 

 自分が今までサバトで何をしていたか根掘り葉掘り聞かれ、この日はずっと喋り通しでした。

 

 サバトでの暮らし、セドル君を引き取った事、革命に参加した事。

 

 皆、自分の話を飽きもせず聞いてくれました。

 

 こんなに誰かに話をし続けるのは、生まれて初めてかもしれません。

 

 

 自分の話を終えた後、次は衛生小隊の皆さんが今どうしているかを聞いてみました。

 

 ウィン防衛戦を境に衛生小隊は解散となり、それぞれ地位を得ていろんな病棟に飛ばされたのだそうです。

 

 戦場での経験を、ウィンで募った新人に伝えていくために。

 

「エルマさんはもう、看護兵長なのですね」

「……ここにいる皆は大体、上等兵以上になってるわ。募兵組の中では出世頭」

 

 なんとエルマさんは、階級的にはケイルさんと同格の看護兵長になっていました。

 

 前線の病棟師長を任されている様で、今も大活躍しているそうです。

 

「私の方が偉いわよ~!」

「レイリィさんより偉い人は衛生部に居ませんよ」

「だから上官命令! 男はみんな、上半身裸になりなさい! トウリちゃんに品定めの仕方を教えてあげるわ」

「……衛生部長、それは教育に悪い」

「痛いわ!」

 

 エルマさんだけではなく、ここにいる皆はいろんな部署で衛生部の屋台骨として支えているようです。

 

 レイリィさんが上手くスケジュールを調整してくださらないと、こうして集まる事は難しかったでしょう。

 

 なので、彼女が悪い酔い方をしているのはご愛敬としておきましょう。

 

「……トウリ小隊長。衛生部長の醜態はいつもの事だから気にしないで」

「大丈夫です、可愛いものです。自分はもっと激しい席を経験したことがあります」

「レイリィ部長より酒癖悪い人は、滅多にいないと思うけど」

 

 サバトだとそろそろヴォック鉄帽したり、全裸で雪原にダイブして冷たくなる人が出始める頃合いです。

 

 男を襲いだすだけのレイリィさんなんて、可愛いものです。

 

「あはははー! 良い男ー!」

「うわ、衛生部長が来た! 逃げろ!」

 

 ……少し自分の感覚は、麻痺しているのでしょうか?

 

 

 

 

 

「そういや小隊長は、色恋沙汰には興味ないのかい?」

「はあ」

「こーんなに、可愛いのに」

 

 宴会の途中、ほろ酔いの男性看護兵が自分の頭を撫でながら色恋の話題を出しました。

 

 どう答えたものかと一瞬口ごもると、

 

「えっと、まぁ自分は既婚ですので」

「あっ、ご、ごめん。……痛っ!」

 

 即座にテーブルの下で、エルマさんが彼の足を踏みつけました。

 

 男性看護兵も酔いがさめたらしく、顔を真っ青にして謝ってきました。

 

「別に、そう腫物を触るようにしなくていいですよ。話を振られたら、適当に惚気させていただきますから」

「……」

 

 楽しかった宴席の空気が凍ってしまいました。自分とロドリー君の話は知られていたようですね。

 

 自分なりにジョークで場を和ませようとしましたが、スルーされてしまいました。

 

「あー、その。自分は本当に気にしていませんので」

「そ、そう。じゃあ、代わりに私が恋バナでもしようかしら! じゃあ最近食べた、ケイル君の話でも」

「……それは、私が聞きたくないのでやめてください」

「えー」

 

 気を使われる側と言うのも、なかなか面倒なものです。

 

 こういう時は、軽く流して頂けると助かるのですが。

 

「では、恋バナという訳ではないのですが。最近、人間関係で悩んでいる事がありまして」

「お? 何、お悩み事かしら? お姉さんが相談に乗ってあげるわ」

「ありがとうございます、実はですね……」

 

 仕方が無いので、自分は適当に思い付いた話題を振ってみました。

 

 せっかくの楽しい食事会。この凍りついた空気を、さっさと払拭したかったのです。

 

 

 

 

 

 

「ツンツンな義理の妹を口説こうとしたら、憧れの先輩を取り合って男から宣戦布告を受けたのね」

「……はい」

「ぶっちゃけ面白いわ!」

 

 と、言うわけで。

 

 リナリーとガヴェル曹長の件を相談してみたら、レイリィさんが大興奮し始めました。

 

 何が面白いのでしょうか。

 

「その義妹のリナリーって、あの銃持って走り回ってる通信兵の女の子よね? 先週も怪我して衛生部に来てたけど」

「何で女の通信兵が訓練してんだって、話題になってたよね」

 

 リナリーのことは、旧小隊の人々も良く知っているみたいでした。

 

 よく負傷するので、顔を覚えられていた様です。

 

「女の子なのに、傷が残るような怪我ばっかりしてくるのよ。治すのが大変なんだから」

「でも心配して話しかけても、『余計な話をせず治療してください』の一点張りでさ。ちょっと態度悪いよね」

「何であそこまで必死で訓練をしてるのだか」

 

 リナリーは治療を受ける際も不愛想で、殆ど会話に応じないそうです。

 

 どこが痛いのかとか、そんな最低限の情報しか口に出しません。

 

 手際が悪いと「その様な腕で良く衛生兵をやれますね」と皮肉を飛ばしてくることもあるようです。

 

「とりあえずあの娘は、訓練内容を考え直して貰うべきね。流石に怪我が多すぎるわ」

「訓練の負傷を迷惑だとは言いたくないけど……仕事増やされるのは良い気しないよね。早く治せ、みたいな態度もどうかと思うし」

「トウリ小隊長から上手いこと、諭してやれない?」

 

 と、リナリーに対する話題は尽きることはありませんでした。

 

 生意気な態度と負傷の多さから、悪い意味で有名な様です。

 

 ……本当に、兄妹ですね。

 

「で、もう一人のガヴェル曹長? は知らないわ。ごめんなさい」

「……誰、それ」

「曹長クラスなら、顔を見れば思い出すと思うんだけどねぇ」

 

 ちなみに、もう一人の悩みの種であるガヴェル曹長を知っている人は1人も居ませんでした。

 

 よく考えればガヴェル曹長は輸送部隊なので、基本的に前線にいません。

 

 そりゃあ誰も知らないはずです。

 

 

 

 

 

 

 

 自分の復帰祝いの会は、日が暮れるまで続けられました。

 

 この日の宴席は、本当に楽しい時間でした。

 

「さて衛生部長、そろそろ解散しないと仕事が……」

「嫌よ、今日はこのまま気持ちよく潰れて寝るわ」

「今夜中に仕上げるべき書類がたっぷり待っています」

 

 レイリィさんは食事会が終わると、すぐ部下に連行されてしまいました。

 

 ……今から徹夜で書類仕事だそうです。申し訳ない気持ちになりますね。

 

「……じゃあ、またね小隊長。困ったことがあったら相談して頂戴。力になるわ」

「ありがとうございます」

 

 エルマさん達はそれぞれ自分に挨拶して、帰路につきました。

 

 自分も彼らも、明日からまた仕事です。頑張りましょう。

 

 

 

「……夜」

 

 

 

 ケイルさんの管理する病床は、ここから数㎞ほど離れた場所でした。

 

 辺りを見渡すと、既に夜闇が周囲を覆い、草むらから羽虫の鳴き声がまばらに聞こえていました。

 

 もう季節の変わり目なのか、蒸し暑い夏の空気の中で涼やかな風が吹き始めていました。

 

 

 走れば、30分ほどで自分のテントに帰ることが出来るでしょう。

 

 しかし自分は感傷を踏みしめたくて、ゆっくり歩いて帰ることにしました。

 

 懐かしく、優しい人たちに再会できたその感傷を。

 

 

 

 

 

「ぐ、ぅ……」

「っ!」

 

 

 

 ところが10分ほど歩いた道すがら、自分は路傍から苦しげな呻き声を聞きました。

 

 自分はすぐさま息を殺し、周囲の警戒を強めました。

 

「……っ、……っ」

 

 近くで誰かが、息を荒く何かをしているみたいです。

 

 ────戦闘、でしょうか?

 

 ここはオースティンの勢力圏ですが、敵の敗残兵が隠れていないとは限りません。

 

 自分は草木の中に伏せて姿を隠し、ゆっくりと声が聞こえてきた方向へ忍び寄りました。

 

 

 

「まだ、……足り、ない」

 

 

 自分が進んだ先には、1人の少女が居ました。

 

 彼女は上半身に汚れたタンクトップシャツを身に纏い、肩や腕からダラダラと血を流し立っていました。

 

「……ぜっ! ハッ!」

 

 少女は目を閉じると真っすぐ、木の幹に拳を振るいました。

 

 ドスンと鈍い肉の音が夜闇に響き、木の皮と血飛沫が舞いました。

 

 

「ハアっ! はァ! ……はああァぁっ!!」

 

 

 ……それは、鬼気迫る表情でした。

 

 彼女は瞳に黒い影を纏い、痛みを押し殺すようなダミ声をあげて何度も木の幹に拳を振るっていました。

 

「……リナリー」

 

 復讐に取り憑かれた少女リナリー・ロウは────誰も居ない空間で一人、傷だらけになって木を殴り続けていました。

 

 

 あんな訓練を、自分は知りません。恐らく、歩兵の近接戦闘プログラムだとは思いますが……。

 

 今の時代に拳をメインに据えた、近接戦闘訓練を行うものでしょうか。

 

 まず先に、ナイフや銃の扱いをマスターすべきだと思うのですが。

 

「……っ!! ……っ!」

 

 リナリーは上着を脱ぎ捨て、タンクトップシャツに軍用ズボンというラフな格好で訓練を続けました。

 

 体に傷が出来ることなど気にも留めず、拳や肘鉄、蹴りにタックルとあらゆる技で木にぶつかり続けました。

 

 全身に、傷を作りながら。

 

 

「……やあ」

 

 次に彼女は、ボロボロの腕を使って木に登り始めました。

 

 クライミングで体幹トレーニングをしているのかと思いきや、彼女はそのまま木から飛び降りて受け身を取る練習を始めました。

 

「────ひぐっ! 痛ぅ……」

 

 リナリーは嫌な音を立てて右肩から着地し、暫く激痛に悶えた後。

 

 再び立ち上がって、右肩を庇ったまま木登りを再開しました。

 

 ……恐らく、骨が折れていますね。肩が上がらなくなっていて、木を登るのに苦労しています。

 

 よく見れば彼女が着地した場所の周囲は土が抉れ、赤黒い血痕のついた草木が押し潰されていました。

 

 彼女はきっとその訓練を、何度も何度も続けていたのでしょう。

 

 

 

 

 

 リナリーの行っている訓練は、お世辞にも効率的なものとは言えません。

 

 仮に近接戦闘の訓練をするにしろ、相方がいないと効率が悪いでしょう。

 

 受け身を取る練習にしても、複数人でやるべきです。

 

 一人で骨を折って動けなくなったら、誰かに見つけて貰うまでそのままです。

 

 頸椎をやられたら、息が止まって死ぬこともあります。

 

「……」

 

 そんな危険極まりない訓練を、リナリーは一人でこなしていました。

 

 誰に見張られるでもなく、誰に命令されるでもなく、一人で黙々と。

 

 獣のような目でフラメールの方角を眺めながら、歯を食いしばって訓練をしていました。

 

 

「も、もうす、ぐ」

 

 リナリーは幼さの残る顔を泥で汚し、再び右肩から地面に着地して呻き声を上げました。

 

 ミシリ、と嫌な音を立てて右肩が赤黒く腫れあがりました。

 

「会いに、行き、ます」

 

 彼女の綺麗だった黒髪は、土と脂汗でバラバラにかき乱されていました。

 

 落ちていた石に肩の肉を大きく抉られたみたいで、ギョッとするほどの血を垂れ流し始めました。

 

 彼女はそんな右肩を押さえ、声にならない悲鳴を上げて────

 

(とぉ)さん、(かぁ)さんっ……!」

 

 再び、自分が飛び降りた木に登り始めようとしました。

 

 その黒く霞のかかった瞳の先に、『死』を見据えて。

 

 

 

 

「……駄目です」

 

 違う。あれはロドリー君と似ているようで、全く違います。

 

 ロドリー君は、ただ仲間の敵討ちがしたかっただけです。

 

 周囲の仲間に敵意を振りまいていたのは、仲良くなった人が死ぬのが辛かったから。

 

 彼は自ら、死を求めてなどいませんでした。

 

「それは駄目です、リナリーさん」

 

 ですが、彼女は違いました。

 

 リナリーは、天涯孤独となった少女は、あの無表情な仮面の下に────

 

「そうなるにはまだ、早すぎます……」

 

 湧き上がってくる自殺願望を、フラメール兵への殺意で塗りつぶしていたのです。

 

 

 

 

 14歳の少女が、家族を失って寂しくないハズがありません。

 

 今まで平和に暮らしていた女の子が、天涯孤独になって平然としていられる訳がありません。

 

 だからリナリーは、両親や兄に会いたくて。

 

 死んだ先に家族が待っていると信じて、過酷な訓練を続けていたのです。

 

 

「……」

 

 

 それが彼女が、前線を希望する理由でした。

 

 彼女が周囲を遠ざけている理由は、もうすぐ前線で死ぬ予定だから。

 

 明らかに無茶な訓練をこなしているのは、訓練中に死んでしまったとしても構わないから────

 

 

「リナリー2等通信兵!」

「……おや」

 

 

 ……そう思い至った瞬間、たまらず自分は彼女に詰め寄っていました。

 

 このまま放っておけば、リナリーは間違いなく死ぬでしょう。

 

 彼女は命を蔑ろにして訓練中に事故死するか、敵陣に突っ込んで死ぬに決まっています。

 

「これはトウリ衛生准尉殿、私に何か御用でしょうか」

「その訓練プログラムは、誰に課されたものですか。危険で非効率的で、無茶が過ぎます」

「自主訓練ですよ。全て自己責任で行っているので、ご心配なく」

 

 放置しておくわけにはいきません。

 

 大事な戦友の忘れ形見が自殺するのを、見過ごすことなんて出来ません。

 

「駄目です。そんな非効率的で無意味な訓練をして、死んだらどうするのですか」

「貴女には関係ないでしょう」

 

 しかしリナリーは、頑固な娘でした。

 

 自分が何かを言って説得しようとしても、馬耳東風に聞き流されてしまうだけでした。

 

 彼女は既に死を選んでいるので、誰が何を言っても心に響かないのです。

 

「私の選んだ道です。どうか関わらないでください」

「いえ、自分が言いたいのはそうではなくて─────」

 

 リナリーにとって自分は、見知らぬ他人です。

 

 少なくとも今、彼女にどんな言葉を掛けようと。

 

 自分ではリナリーの生き方を変えることなど出来ないでしょう。

 

「随分とヌルい訓練をしていますね、と。嗤いたかったのですよリナリー」

「……っ!」

 

 だから自分は、必死で考えました。

 

 リナリーに自分の言葉を届ける、その方法を。

 

「衛生兵の貴女が、何を知っているのです」

「こう見えて自分は、突撃部隊あがりですよ。『幸運運び(ラッキーキャリー)』の噂を聞いたことはありませんか」

 

 恐らく正攻法では、何を言っても聞き入れてもらえません。

 

 彼女が興味を持ってくれるとしたら、それは……。

 

「……私は訓練を妥協しているつもりなんてありません。何が足りないというのですか」

「男性に体格で劣る女性兵士が、近接戦を学んで何になります? そんな暇があれば1秒でも長く走ってください」

「え?」

 

 彼女が歩兵を志すなら、行うべき訓練内容の話でしょう。

 

 

 

 

 

「歩兵は走るのが仕事です。飛び降りたり殴りあったりする前に、走って目的地に行かないといけないのです」

 

 と、いう訳で。

 

 自分は日課のランニングを、リナリーと共に再開することにしました。

 

「実戦では銃を構えて戦闘になるまでに、ひたすらマラソンをし続ける事になります。体力が無いと、銃すら構えられなくなります」

「……は、はあ。そう、です、か」

「もし歩兵になりたいならば。あんなに馬鹿みたいに傷を作って飛び跳ねてないで、走ってください」

 

 まず自分は、彼女が勝手にやっていた訓練内容を是正する事から始めました。

 

 肩の傷を治した時に、今の訓練内容は誰に指示されたか聞きましたが……。

 

 なんとリナリーは、軍人だった祖父から聞いた訓練内容を勝手に再現していたみたいです。

 

 彼女の祖父が軍人だったのは、銃火器が出現する前の時代です。半世紀も前の訓練なので、あんなに非効率的だったのですね。

 

「何ですかその銃の持ち方は。ここは警戒区域だと仮定したでしょう。銃は左肩に掛けて、左手でグリップを握ったまま保持です」

「……はい、すみ、ません」

「敵を見つけた瞬間に構えられるよう、意識してください。自分が合図を出した瞬間、指定の方向へ銃を構えるのですよ」

 

 あんな訓練をしていたら、いつ半身不随になるか分かりません。

 

 今の時代の歩兵は近接戦の練習をする前に、まず走り込みです。

 

 ついでに小銃の正しい構え方も指導しておきましょう。

 

「3時方向、敵影! その場で構え!」

「えっ」

「遅いです。反応が遅れれば死ぬと思って、もう一回やりましょう」

 

 自分の話の大半を聞き流していたリナリーも、歩兵訓練の内容なら素直に聞いてくれました。

 

 どうやら彼女自身、ちゃんとした訓練プログラムを知りたかったみたいです。

 

「1時方向、敵影! その場で屈んで、膝撃ちの構え」

「ひ、膝撃ち?」

「こうです。片膝をついて、股を直角に開いてください。遮蔽物などがあれば隠れながら応戦できます」

 

 この辺はガーバック小隊長は教えてくれなかったので、ザーフクァさんの訓練で学んだ内容です。

 

 指示への反応が一番遅かった人が罰ゲームをやらされるので、みんな必死でした。

 

「3時方向、敵影! すぐ迎撃態勢!」

「……はいっ! はぁ、はぁ」

「何ですか、もう息が切れたのですか。歩兵を目指すのではなかったのですか」

「こんなに、歩兵が、走る事なんて、あるの、ですか」

「何なら行軍中はずっと走ってますよ。もっと重たい荷物を背負って」

「ぐ、う、うっ……」

 

 この訓練内容なら、リナリーが頑張っても怪我をすることは少ないでしょう。

 

 少なくとも今までの、木から飛び降りるような蛮行よりはよっぽど有用な訓練内容です。

 

 熱中症を起こさないよう、水と塩は備えておく必要がありますが。

 

「2時方向、敵影。屈んで迎撃態勢!」

「……はい!」

「む、よろしいでしょう。良い時間ですし、そろそろランニングは終わりますか」

 

 夜間の歩兵訓練は、2時間ほど続けられました。

 

 訓練が終わるころには、流石のリナリーもへとへとでした。今までは危ないだけで、体力のつく訓練をしてこなかったみたいですね。

 

 ランニングに勝る訓練はないというのに。勿体ない事です。

 

「お、終わっ、た……」

「ほら、何を寝ているのですか。まだランニングが終わっただけですよ」

「え」

 

 しかし、ランニングだけでは不足です。

 

 歩兵には塀の飛び越えや悪路の山中行軍など、筋力が必要となる状況も多々あります。

 

 ランニングと筋トレは1セット。筋トレは場所も取りませんし、歩兵を志すならやらない手はありません。

 

「ただいまから、体幹のトレーニングを行います。まずは腹筋から行きましょう。100回」

「え……?」

「これは一般的な歩兵訓練の、ウォーミングアップの内容です。これすらついてこれないなら、歩兵なんか無理でしょうね」

「……」

 

 今は亡きガーバック小隊長殿は、新兵だった自分にひたすら筋トレと走り込みを課しました。

 

 あの人の性格は無茶苦茶ですが、やる事は理にかなっているので参考になります。

 

「おや、限界ですか。諦めて今日はここで終わりにします?」

「……なっ! やり、ます。やります!」

「そうですか」

 

 リナリー・ロウは中々に頑固な少女でした。

 

 新兵には少しハードな内容でしたが、彼女は自分の訓練についてきました。

 

「ぜぇっ!! ぜぇっ……!」

「頑張ってくださいー」

 

 彼女より小柄な自分が、涼しい顔で訓練をこなしているのが刺激になったのかもしれません。

 

 スポーツ少女だったラキャさんが初日で逃げ出した訓練内容を、リナリーは見事やり遂げたのでした。

 

「お疲れ様です、訓練は終了です。出来れば毎日、この訓練内容を継続してください」

「……」

「あー、大丈夫です?」

「……」

 

 しかしリナリーはどうやら、気力だけでやり切ったみたいで。

 

 訓練が終わった直後、彼女は汗だくで気を失ってしまいました。

 

「よい、しょっと。とりあえず、運びますか」

 

 放っておくわけにもいかないので、その晩はとりあえず自分のテントに運んでやりました。

 

 どこか適当な場所で水浴びがしたいですね。今日の所は水道を借りて、明日以降は水場の近くで訓練するようにしましょう。

 

 ……やはり、適切なトレーニングは気持ち良いです。今後も空いた日は、リナリーを誘って訓練するとしましょう。

 

 



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128話

 

「リトルボス。最近、夜に抜け出してないか?」

「おや、気づかれましたか」

 

 あの日から自分とリナリーの、深夜の歩兵訓練が始まりました。

 

 リナリーも聞き齧っただけの訓練内容では不安だったようで、自分の指導を拒まず聞き入れてくれました。

 

「申し訳ありません、私用で抜けさせてもらっていました」

「何をしてるんだ? 悪い遊びとか覚えちゃったなら僕泣いちゃうぞ」

「覚えていませんよ……」

 

 仕事を放り出して、昼間から訓練する訳にはいきません。

 

 なので自分は、夜勤の無い日に抜け出してリナリーに会いに行っていました。

 

「僕は心配なんだ。リトルボスみたいなタイプは、簡単に男に騙されて食われちゃうから」

「成る程。つまりケイルさんは、自分など簡単に騙して食えると」

「……まあ、やろうと思えば出来るかな?」

「失敬な」

 

 しかし非番とは言え、やはり勝手に夜に抜け出すのは良くないでしょう。

 

 たとえ目の前の病棟主任(ケイル)さんが、率先して買春に抜け出していたとしても。

 

「申し訳ありません。自分は義妹と一緒にトレーニングするため、抜け出していました」

「ふーん? 義妹って、君の旦那の妹かい?」

「ええ、リナリーという通信兵の娘です。少し生意気な所はありますが、素直な良い娘です」

「そうだったのか」

 

 なので自分は素直に謝って、何をしているか白状しました。

 

 買春に比べれば、やましい事ではない筈……です。

 

「帰ってくるの、かなり遅いみたいだけど。トレーニングって何してるんだ?」

「えーっと、走り込みを2時間、筋力トレーニングを2時間ですね」

「4時間もぶっ通しで?」

 

 リナリーとの訓練は、まだ体力トレーニングが主でした。

 

 彼女はまだ、兵士として前線まで行軍出来る身体能力を持っていません。

 

 歩兵になりたいなら、まずは体力と筋力を手に入れないと話にならないのです。

 

「それって僕らも、出征前にやらされたヤツ?」

「はい、あれをちょっとだけ改良した内容です」

「……そんなキツい訓練内容なら、リナリーちゃん普段の業務に支障出ない?」

「出るかもしれませんね」

 

 確かに14歳の女子には厳しい内容ですが、歩兵になるために必要な最低限の訓練でもあります。

 

 正式な訓練は、たった4時間で終わりません。

 

 あの程度で動けなくなるなら、元より歩兵になる資格はないのです。

 

「……ですが。今のトレーニングすら耐えられないのであれば、歩兵は諦めて貰うつもりです」

「スパルタだね」

 

 ……本物の歩兵訓練は、今やっている体力訓練に加えて実戦訓練も行われます。

 

 24時間ぶっ通しの訓練なんて当たり前の、成人男性ですら音をあげる内容です。

 

 14歳の女の子がこなすのはキツいでしょう。

 

 

 しかし、歩兵に男女の区別なんて無いのです。

 

 殺し合いの場で『女の子だから、14歳だから』と忖度してもらえる事はありません。

 

 必要な訓練を積まず戦場に立ったなら、死あるのみです。

 

「自分は彼女に、歩兵の現実を知ってもらいたいのです。例えば戦闘する機会より、穴を掘る機会の方が遥かに多い事」

「まあそうだね。……前線兵の話を聞く限り、命の危険がある土木業者と例えるのが最適だ」

「そしてストレスで気が立っている屈強な男たちの中に、リナリーみたいな可愛い娘を放り込んだらどうなるか。……恐らく、彼女が男性不信になる様な事が起きるでしょうね」

 

 そして、前線に女性兵士が居ない理由の一つは、性暴行の対象になる可能性が高いからです。

 

 明日死ぬかもしれない恐怖に震えている状況で、隣に女が寝ていたら手を出してしまいたくなるのでしょう。

 

「同意の上でも軍規違反の筈だけど、やっぱりそういうのは多いのかい?」

「ええ。……よく聞く話です」

 

 ストレスの多い前線では、兵士も理性のタガが外れやすいのです。

 

 だからこそ、前線では売春買春が盛んに行われるのでしょう。

 

 女性を買う事で、自らの心を落ち着かせ淫欲を律するのです。

 

 あの堅物のヴェルディさんですら、そういう場所を利用していたくらいですし。

 

「関係が築けたら、その辺もリナリーとしっかり話すつもりです。それまで、夜に抜け出すのをご了承ください」

「そっか。そう言うことなら、まぁ咎めないでおくよ」

 

 そもそも非番の夜に抜け出しているのは自分だけではありません。

 

 衛生兵にも色々と溜まるモノが有って、そういう場所に行っているみたいです。

 

「ま、ほどほどに頑張るといいさ」

 

 これで病床主任の許可ももらえたので、大手を振ってリナリーに会いに行けます。

 

 また、新たな訓練メニューを考えておきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日も、訓練を行いますか」

「お願いします、トウリ衛生准尉」

 

 そんなリナリーとの訓練は、1週間ほど続けられました。

 

 彼女は息も絶え絶えながら、しっかりと訓練についてきました。

 

「ほら、銃を構える時に利き手が震えていますよ。それで狙いを定めているつもりですか」

「ご指導ありがとうございます」

 

 訓練中のリナリーは、とても真面目な態度でした。

 

 今までの反抗的な物言いは何処にいったのか、素直に自分の言うことを聞いてくれます。

 

「トウリ衛生准尉。……背後を向くときの足運びは、どのようにすればいいでしょう」

「ああ、それはまず踵を引いて……」

 

 質問も積極的に飛んできますし、自分が来れない日もサボらず訓練を続けているようです。

 

 ……根はきっと、真っすぐな娘なのでしょう。

 

「リナリーは振り向き様に引き金を引く癖がありますね。狙いを定める一瞬の溜めを作った方がいいですよ」

「敵の存在に気付いたら、なるべく早く撃ちたくて」

「気持ちは分かりますが、敵を発見したらまず上官に報告してくださいね?」

「どうしてですか?」

 

 しかし彼女が言葉を聞いてくれるのは、訓練の内容に関してのみでした。 

 

 それ以外の事、特に軍隊のルールなどに関しての理解はあまりよろしくありませんでした。

 

「撃つべきかどうか判断するのは、上官の仕事だからです」

「その間に撃たれたらどうするのです?」

「敵の射線上であるなら、身を避けるくらいは許されます」

 

 軍隊において、上官の命令は絶対です。

 

 しかしリナリーは、命令より自らの憎悪を優先していました。

 

「報告している間に撃ち殺せるとしてもですか」

「先に報告してください」

「既に敵に撃たれている場合は、流石に撃ち返しても良いんですよね?」

「駄目です。往々にしてそう言う場合、すぐに上官が適切な指示を飛ばすでしょう」

 

 彼女はまだ、『兵士』にすらなれていません。

 

 市井の感覚のまま、歩兵になろうとしています。

 

「敵を撃ち殺す事で、不利益が生じるとは思いません。撃てるならすぐ、撃つべきじゃないのですか」

「敵を撃つのが目的ではないのです、リナリー。軍人が敵を撃つ時には必ず理由があります」

「……はあ」

 

 自分の言葉にリナリーはピンと来ていないようでした。

 

 ……恐らく彼女は、手段と目的を取り違えているのでしょう。

 

 戦争に勝利するために敵を殺すのではなく、敵を殺すために戦争に参加しているのです。

 

「自分もかつて、人を撃ったことがあります。しかし、人を撃つ事を目的にした事はありません」

「どうして、ですか」

「人を殺す事を目的にしたならば、最早それは『殺人鬼』だからです」

「殺人鬼ですか」

「ええ。それはきっと、よくないことです」

 

 軍人の中には人を殺すのを目的にし、殺人に快楽を見出す者も確かにいます。

 

 憎い敵を蹂躙する事で、自らの征服欲を満たしているのです。

 

 往々にしてそう言う兵士は、とても頼りになります。

 

 なので、そういった兵の存在を否定する気はありません。

 

 

 ────ただ自分がリナリーに、そんな人になって欲しくないだけです。

 

 

「私は何の理由もなく、面白半分に家族を奪われました」

「……」

「だけどそれを敵にやり返してはいけないと、そう仰るのですか」

「はい」

 

 その自分の言葉にカチンときたのか、珍しくリナリーは自分に食って掛かりました。

 

 もちろん彼女の心情も分かりますし、こんな綺麗事でリナリーが納得するとも思っていません。

 

「勘違いしてはいけません。自分達が戦争しているのは仕返しが目的ではありません」

「……」

「オースティン国民に被害が出ないよう、悲劇を繰り返させないように戦っているのです」

 

 きっと自分はリナリーに、ロドリー君の影を重ねていたのでしょう。

 

 優しく仲間思いだった彼に、虐殺をしてほしくなかった。

 

 そんな自分勝手な理想を、リナリーに押し付けていたのです。

 

「リナリー2等通信兵。戦争は生きている人間の為にするものです。死んでいる人間の為ではありません」

「……貴女の言っていることは、よくわかりません」

「そうですか」

 

 自分はリナリーに、少しでも思い直してほしかったのですが。

 

 彼女は、人形のように無感情な瞳で自分を睨みつけるだけでした。

 

 

 

 

 

 

「今日の訓練はここまでにしましょう」

「はい、ありがとうございました」

 

 結局のところ自分の押し付けは、リナリーにほぼ聞き流されてしまいました。

 

「命令と言うのはすごく大切です。それはかつて、自分が新米だった時の話ですが─────」

「はあ」

 

 死に場所を欲しているリナリーに、命の大切さを説いても伝わるはずがありません。

 

 彼女は自分の薄っぺらい説得になど、微塵も興味がなかったのです。

 

「指揮官の言う事に逆らうと、軍隊として成り立たなくなります」

「そうですね」

「なので、面倒かもしれませんが部下から意見があるときは提案という形で……」

 

 リナリーは、自分を見ていたのではありません。

 

 自分の過去に積み上がっていた、殺人の経験を知りたかっただけでした。

 

「それを蔑ろにした自分は、顔の形が変わるまで当時の上官に殴られたものです」

「……そうですか」

 

 彼女にとっての最優先は、フラメール兵の命を奪うこと。次の目的は、華々しく散って死ぬことです。

 

 このまま戦場に出たら、リナリーは命令違反を犯して戦死するでしょう。

 

 

 新米兵士を無駄死させないために、指揮官は様々な努力をしています。

 

 ガーバック小隊長は、血反吐が出るまで殴って言い聞かせていました。

 

 アレンさんは気さくで部下に慕われ、話をよく聞かせていました。

 

 ゴルスキィさんは、戦場では獅子の様なカリスマで部下を従えていました。

 

「ところでトウリ衛生准尉。その話は、訓練と何か関係があるのでしょうか」

「ええ」

 

 自分には、そのどれも真似する事は出来ません。

 

 リナリーが歩兵になるのであれば、彼女の上官にお任せすべきことなのでしょう。

 

 ですが、

 

「貴女が歩兵になるならば知っておいて欲しい事です」

「……分かりました」

 

 少なくとも自分には、リナリーを変える力が無い。

 

 それを実感して、哀しい気持ちになりました。

 

 

 きっと自分は、思い上がっていたのです。

 

 ロドリー君の妹と聞いて、自分は勝手に親近感を感じていました。

 

 しかし彼女にとって自分は、義姉を自称する赤の他人です。

 

「最後に伺います。リナリー、貴女にとって死とは何ですか?」

「……死、ですか?」

 

 リナリーは、死んだ先に本物の家族が待っていると思っているのです。

 

 紛い物の義姉妹である自分なんて、最初から眼中に在りませんでした。

 

「死とは、ゴールでしょう。全ての人間の帰る場所です」

「……」

 

 だからリナリーは今も、死人のような瞳で自分を見つめていたのでしょう。

 

 

 

 

 ────その言葉には聞き覚えがありました。

 

 自分にとって大切な、かけがえのない先輩だった人のセリフです。

 

 そして、リナリーにだけは言ってほしくない言葉でした。

 

 

「死は、ゴールですか」

「ええ。なので、私は死を恐れません」

「……とても格好よくて、それでいて優しい人も同じことを言っていました」

「はあ、そうですか」

 

 グレー先輩。自分が戦争に参加したての頃、色々なことを教えてくれた自分の恩人。

 

 あまりに優しくて、逝った戦友が救われていると思わないと正気を保てなかった人です。

 

「リナリーさん。……貴女が死をゴールと捉えることを否定する気はありません」

「ええ、どうも」

「ですが、そう簡単にゴールを目指されては困ります。……貴女はまだ、何も成してはいません」

 

 グレー先輩もかつて「死はゴールで、歩兵に許された救いなのだ」と言いました。

 

 その言葉だけ見れば同じ意味ですが、込められた思いは全く違います。

 

 彼は、自殺願望なんて持っていませんでした。

 

 何度も戦い、何度も戦友を失い、そして終わりの無い戦場に絶望してそう言ったのです。

 

 グレー先輩は自分とロドリー君に進むべき道を指し示し、最期まで生きる為に足掻き続けていました。

 

 彼は死にたくないと思いつつも、死の恐怖に打ち勝っていたのです。

 

「それは、もっと命を大切に思っている人が言うべき台詞です」

 

 リナリーに先輩と同じ言葉を口にされ、少しだけカチンときていました。

 

 目の前の死にたがりの少女は、死の恐怖に打ち勝ったわけではありません。

 

 ……ただ、自らの命をないがしろにしているだけです。

 

「リナリーは、自分のご両親を敵に殺された時にどのように思いましたか」

「……いきなり何ですか」

「答えてください。大事な事です」

 

 気付けば自分は未熟にも、リナリーに対し怒気をはらんで詰め寄ってしまいました。

 

 グレー先輩の覚悟を侮辱された気がして、少し平静さを失ってしまったのです。

 

「何を、って。そんなの、は」

「貴女の故郷にフラメール兵が現れた時。……貴女はどうしていましたか」

 

 リナリーは何故、自分が突然こんな態度を取ったのか理解できなかったでしょう。

 

 自分の剣幕にたじろいだ彼女は。

 

「あの日、は」

 

 少し怯えたような声で、ポツポツとその日の事を話しだしました。

 

 

 

 

 

 

 農家の娘だったリナリーはその日、ドクポリという村の畑で煙を焚いて害虫駆除を行っていました。

 

 収穫を終えて見晴らしの良くなった田んぼの中で、来期の為の土づくりをしていたそうです。

 

 当時は北部決戦が始まって間もないころで、オースティン南部は平和でした。

 

 戦争なんて遠い場所で行われている他人事のような、そんな感覚だったそうです。

 

 ……そんな平穏だった彼女の暮らしは、突然に壊されました。

 

 

 まず、村に銃声が響いたのが異変の始まりでした。

 

 ぱぁん、と乾いた音が田んぼの裏から聞こえてきたのです。

 

 平和ボケをしていたリナリーは、猟師が銃を暴発させたんだろうと気にも留めていませんでした。

 

 次の発砲音で父親が、田んぼに倒れ伏すまでは。

 

 

「父さん!?」

 

 

 リナリーは急いで父の下に駆け寄りました。

 

 彼は、撃たれた胸を押さえて息苦しそうに口をパクパクと動かしました。

 

「父さん、どうしたのですか。その胸は一体」

「……、ぉ」

 

 父は何かをしゃべろうとしているみたいですが、良く聞こえません。

 

 リナリーは父の首元まで顔を近づけ、そして─────

 

「に、げ、ろ─────」

 

 その父の遥か後方に、銃を構えた重装備の敵が悠然と立っているのに気づきました。

 

 

 銃兵はリナリーを見つけるや否や、ガチャガチャと重々しい音を立てて近づいてきました。

 

 走りながらもゆっくり、次弾を装填しています。

 

「ひ、ひぃっ」

 

 リナリーは慌てて、父を背負おうとしました。

 

 しかし、年端のいかぬ少女が成人男性を抱えて逃げることなどできません。

 

 やがて二発目の準備を終えた敵兵は、走りながらリナリーに向けて銃を構えました。

 

「早ういけェー!、リナリー!」

「おばあちゃん!」

 

 あわや撃たれるかという瞬間、近くで農作業をしていたリナリーの祖母が敵兵にタックルをしました。

 

 老婆は兵士の右脚にしがみ付いて、地面へ押し倒しました。

 

「坊を連れて、村の外へ逃げェ! 隣町へ行け、追いかけるけェ!」

「わ、分かりました」

()ぅはもう無理じゃ、置いていけ!」

 

 そこまで叫んだ直後、鉄の籠手が老婆の顔面を砕きます。

 

 転かされた兵士は苛立たしそうにリナリーの祖母に馬乗りして、何度も顔面を殴り続けました。

 

「おばあちゃ……」

「行けェ─────」

 

 血反吐を吐きながらも絶叫する祖母の声に押され、リナリーは母屋に向かって走りました。

 

 自分の家の中にいる、幼い弟を避難させるために。

 

 

 

「ああ、ああ」

 

 辿り着いたリナリーの母屋の扉は、破壊されていました。

 

 彼女の弟は悪ふざけの様に庭の洗濯棒に括り付けられ、絞首されていました。

 

 家の中からは、母の苦痛に呻く声が響いていました。

 

「母さん!」

「駄目、来ては駄目、リナリー!」

 

 家に飛び込んだリナリーの目に映ったのは、二人の屈強な男が薄ら笑いを浮かべて母の首を折るところでした。

 

「逃げて、逃げ……」

 

 まるで面白半分に、リナリーの母は首根っこを掴まれて。

 

 金属鎧の重量で、その首をねじり曲げられました。

 

「あぁァ─────」

 

 少女は、すぐさま走りました。

 

 騎馬隊の蹄音や轟く銃声に怯えながら、村の裏にある森林に飛び込みました。

 

「はっ、はっ、はっ……」

 

 母の死を見せつけられたリナリーは、唇を噛んで走り続けました。

 

 パニックになった頭の中で、ただ両親の言葉だけが反芻されていました。

 

 逃げろ。

 

 逃げろ。

 

 その言葉を呪詛のように呟いて、リナリーはただ一人、フラメール兵の跋扈するドクポリ村から逃げ出したのでした。

 

 

 その後リナリーは、昼夜問わずうわごとのように両親の遺言を繰り返しながら、フラメールの侵攻線より先へと脱出しました。

 

 彼女は首都ウィンから展開してきたオ-スティン軍に保護されるまで、涙と汗を噛み締めながら走り続けたそうです。

 

 



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129話

 

 命からがら故郷から逃げ出した後、リナリーは義勇兵として塹壕戦に参加しました。

 

 尤も、当時13歳だった彼女は直接戦闘に参加していません。

 

 塹壕後方で物資運搬や伝令などの、雑用を任されたそうです。

 

 リナリーは小柄な体躯を生かし、銃弾の飛び交う最前線まで銃弾や食料を配ってまわりました。

 

 どんな危険な場所であっても躊躇わず運んだ彼女は、その戦果を認められ正式に軍に通信兵として雇われました。

 

 その後主力部隊と合流した際に、ヴェルディさんがリナリーの存在を知って幕下に加えました。

 

 それがリナリーの、ここに至るまでの経過でした。

 

 

 彼女は賊の襲撃以来、故郷ドクポリへ戻っていないそうです。

 

 オースティン軍によりドクポリが解放された後も、彼女は故郷に帰ろうとしませんでした。

 

 故郷に戻っても、彼女の大切な人々はもういないと知っていたからです。

 

「私は死んでも構いません。フラメールの連中が今日も、のうのうと生きていることが許せないのです」

 

 リナリーは故郷に戻るより、戦場に残ってフラメールに仇討ちする事を選びました。

 

 雑用のような仕事でも、フラメールに被害を与える為ならばと喜んでこなしました。

 

 口は悪くとも仕事には熱心で、周囲からは変な女だと敬遠されていたそうです。

 

 そしてゆくゆくは通信兵から、直接敵を殺せる歩兵になると心に決めているのだとか。

 

 

 

「私たちはフラメールに迷惑をかけず、自らの畑で自給自足して暮らしていました。それを脅かし、いきなり悪行に走ったのはフラメールの方です」

「……」

「アイツらを殺したいと思うのはいけない事ですか。大切な人を皆殺されても我慢し、受け入れろと仰るのですか」

 

 リナリーは氷の様な瞳で、そう自分に食って掛かりました。

 

 ……憎悪の炎が、その瞳の奥で激しく揺れ動いていました。

 

「トウリ准尉は命を大切にしろと仰いますが、その大切な命を先に奪ったのは奴等です。何の罪もない私の家族を殺したのは、フラメールの連中です」

「……」

「まだまだ楽しいことが沢山あった筈でした。弟は10歳の祝いで祭りに参加し、踊りを披露するはずでした。畑の土造りを終えた後に、家族でハイキングに出掛ける予定もありました。それを全部全部、フラメールの奴らが奪っていった!」

 

 リナリーの口ぶりは、嚇怒という言葉がふさわしい苛烈なものでした。

 

 髪は逆立ち血管が浮き出て、悪鬼羅刹の様な表情で彼女は叫びました。

 

「憎いのです。私から何もかも奪っておいて、ヘラヘラと笑うフラメール兵が!」

「……」

「生爪を剥いで、目玉をくり貫いて、全身を火で炙ってもまだ足りない。同じように奴等の故郷にいる家族も、火炙りにしないと気が済まない!」

 

 殺意。害意。悪意。

 

 彼女の口から零れた言葉は、負の感情を煮しめて焦げ付いた様な怨嗟が込められていました。

 

 ですが、それは。

 

「リナリーさん」

「何でしょうか、トウリ准尉!」

 

 ……ありふれた話。

 

 リナリーの言葉を聞いた自分は、率直に言ってそう感じました。

 

 その程度の悲劇であれば、オースティンのそこら中で起こっています。

 

「それは辛かったですね」

「貴女に何が分かる!」 

 

 むしろ彼女のような悲劇を経験していない人の方が珍しいくらいです。

 

 自分の故郷であるノエルの孤児院も焼かれましたし、戦友も殆ど戦死してしまいました。

 

「ところで、リナリーに伺いたいのですが」

「何を、ですか」

 

 ですが皆その悲劇を受け止め、前に進んでいます。

 

 激しい怨嗟を抱きながらも、リナリーの様に自暴自棄にならず戦っているのです。

 

 では何故、彼女はまだ家族の死を乗り越えられていないのか。

 

「……貴女は、いつ泣いたのですか」

「へ?」

 

 ─────それはきっと。

 

 彼女がまだ、両親や家族への告別を済ませていないからではないでしょうか。

 

 

 

「泣くって、何ですか」

「亡くなった人との、別れの儀式ですよ」

 

 リナリーは、目の前で家族を惨殺されました。

 

 しかしフラメール兵から逃げるため、ゆっくり泣くことは許されませんでした。

 

「それはきっと、とても大切な事です。亡くなった人の為にも、生き残った人の為にも」

 

 オースティン軍に保護されてからは、義勇軍として参加しました。

 

 当初のフラメール戦線は、休む暇など無い程に忙しかったと聞きます。

 

 そんな彼女に、家族を悼む暇が果たしてあったでしょうか。

 

 いえ、無かった筈です。

 

「もう一度、ゆっくりと家族の事を思い出してください。リナリー」

「准尉殿?」

「貴女の御父上は、どのような方でしたか」

 

 自分はリナリーの肩を掴んで、出来るだけ優しい声を出して。

 

 彼女の瞳をじっくり覗き込み、そう問いました。

 

 

「父さんは、少し気弱な人でした。いつも、母さんの尻に敷かれてました。ワインを飲むのが大好きで、母に隠れてこっそり飲んで、よく叱られていました」

「……」

「だけど優しくて、私やロド兄さんが悪さをして母に怒られた時、慰めてくれたのはいつも父でした。母さんには内緒なって言って、パンをこっそり分けてくれて」

「良いお父さんじゃないですか」

「ええ。本当に、良いお父さんで─────」

 

 ほろり、と。父の事を話すリナリーの瞳から、涙が伝いました。

 

 かちかちと歯のぶつかる音が聞こえ、少しづつ声が震えてきました。

 

「あ、あれ。すみません、トウリ准尉」

「かまいません、続けて下さい。貴女のお母さんは、どんな人でしたか」

「私の、母さん、は」

 

 大切な人を失った悲劇を乗り越えるためには、故人に想いを馳せる時間が必要です。

 

 今からでも遅くない。自分はゆっくりと、彼女に家族を思い出すよう促しました。

 

「母さんは怒りんぼで、厳しくて。ちょっと悪戯すると、物凄い剣幕で怒ってくる人でした」

「はい」

「でも、頼りになる人で。私が用水路に落ちた時、服が汚れるのも気にせず真っ先に飛び込んで助けにきてくれて。一家の大黒柱で……」

「ええ」

 

 リナリーはもっと早く、こうするべきでした。

 

 歩兵の訓練をさせるより先に、家族の弔いをさせるべきでした。

 

 思い出すのが辛いから、彼女はずっと目を背けていたのでしょう。

 

 彼女を誰より愛してくれていたはずの、彼女だけの家族の死を。

 

「おばあちゃんはちょっと天然で、良くベッドを間違えて弟の小さいベッドで寝ていたり。だけど聞き上手で、何を話しかけてもうんうんって聞いてくれて、最後は沢山褒めてくれます」

「そうですか」

「弟はやんちゃ盛りで、そこら中に水を撒いて泥だらけにして。それを私のせいにするもんだから、いつも一緒に怒られました。そのくせ甘えん坊で、いつも私にぴったりくっついて寝ていました」

「可愛いじゃないですか」

 

 最初は渋っていた彼女も、やがて堰を切ったように家族の話を続けました。

 

 今までずっと、胸の奥に溜めこんでいたものを吐き出すように。

 

「兄は、ロド兄さんは、勝手な人です。お母さんもお父さんも必死で止めたのに、一人勝手に軍の人について行って」

「……」

「ドクポリまでサバトが来ないように戦うんだって、馬鹿みたい。結局サバトじゃなくて、フラメールが攻めてきたじゃないですか」

 

 気付けば彼女はその場に座り込んで、唇を震わせていました。

 

 土を両手で握りしめ、ボタボタと顔から涙や鼻水を地面に零し、

 

 

「ロド兄さんに、戦地に行ってほしくなかったのに。ずっと一緒に、農作業をして生きていけばよかったのに」

「……そうですか」

「兄さんが出ていってからの、父や母の寂しそうな顔は忘れられません。私だって。私だって……っ」

 

 最早リナリーは泣いている事すら隠そうとしなくなり。

 

 やがて深夜の草原に、少女の嗚咽が響きました。

 

「もう家族みんないなくなって、私にはロド兄さんしか居なかったのに。何で、囮に志願して死んだって、何ですか! そんなに私たちに興味が無いんですかロド兄さんは!」

「……違います、それは」

「帰ってきて、帰ってきてください。誰でもいい。父さん、母さん、おばあちゃん、ロド兄でもいい。誰でもいいから帰ってきて。会いたい─────」

 

 気付けば自分は、リナリーを抱きしめていました。

 

 鼻のすする音が胸の中で響き、リナリーに強く掴まれた肩が痛みました。

 

「私、ぁ、ただ。何も、トクベツは、いらなくて。家族と、皆と、農家をやって、生きていければ、よかったんです」

「リナリー……」

「高望み、なんて、していない、はずです。ただ、ただ、家族と、暮らし、たくて、それでェ!!」

 

 自分なんかの薄っぺらい説得なんて、最初から無意味でした。

 

 そもそも彼女は、まだ家族の死を受け入れられていませんでした。

 

 まず家族を殺された事実を、受け入れる必要があったのです。

 

「良い人たちに育てられたのですね、リナリーは」

「う、うぅ、返して下さい。私に、皆を」

 

 リナリーの嗚咽は止まりません。

 

 ずっと目を背けてきた家族の記憶がフラッシュバックして、感情が制御できないのでしょう。

 

 ですが、それで良いのです。

 

 ……こうして思い出して泣いてやる事こそ、亡くなったご家族にとって何よりの供養となる筈です。

 

「いいんですよ。思いっきり泣いて、悲しんでください。亡くなった貴女の大切な人を、よく悼んで」

「あ、う」

「溜め込んではいけません。子供の癖にいきがって、大人の振りをしなくて良いんです」

 

 そんな、泣きじゃくるリナリーを抱きしめて。

 

 夜が明けるまで、自分はリナリーをあやし続けました。

 

「リナリー、よく思い出してください。襲撃の折、貴方の父は、母は、祖母は何と言っていましたか」

「……えっ」

 

 彼女に届くのは、自分の言葉ではありません。

 

 リナリーにとって大切だった、家族の言葉です。

 

「リナリーのご家族は、貴女に『フラメール軍と戦って死ね』と、そう言っていましたか?」

「……それは」

「ご両親は、本当に貴女に死んでほしいと願っていたのですか」

 

 ……逃げろ。

 

 ……逃げて。

 

 それが、彼女の家族がリナリーにかけた言葉。

 

「家族がフラメール兵に殺されかかっている状況でなお、貴女にかけた言葉は何でしたか」

「でも、だって」

「貴女の大切な父は、母は、リナリーが命を粗末にフラメール軍へ突撃して、本当に喜ぶのでしょうか」

 

 自分には、そうは思えません。

 

 むしろそれは、既に亡くなった彼らの思いを踏みにじるような行動だと思います。

 

「自分はリナリーのご両親の事は知りません。会ったこともありません。だから、貴女自身が考えて下さい」

「……」

「貴女のご両親が生きていたら、今のあなたにどんな言葉をかけるのかを」

 

 だから、彼女の心の中で生き続けている筈の。

 

 リナリーの家族から、説得していただくことにしました。

 

「うあ、ぁぁ」

 

 彼女が両親から、どんな言葉を掛けられたのかはわかりません。

 

 だけどきっと、絶対に今のリナリーを、肯定したりはしないでしょう。

 

「うああああぁぁぁ……」

 

 その言葉を聞いた後、彼女は自分に抱きついて。

 

 リナリーはしばらくの間人目も気にせず、わんわんと泣き続けたのでした。

 

 

 

 

 

「それで、どうなったんだい」

「何も変わりませんでしたよ、何も」

 

 一晩中、少女は泣き明かしました。

 

 しかしリナリーは、家族と告別を済ませた後も歩兵を志すのをやめませんでした。

 

 やっぱり、家族を奪ったフラメール兵が許せないのだとか。

 

「じゃあリトルボスの骨折り損だったのか」

「そうかもしれません」

 

 家族の言葉を聞いてなお、彼女がそう決意したのであれば自分が言うべきことはありません。

 

 フラメールへの憎悪は、一晩泣いた程度では収まらないということでしょう。

 

「ですが、ちょっとだけ。彼女の顔つきが良くなったような気もしています」

「そうかい」

「……何も変わりませんでしたが、何かの意味はあったと思いたいですね」

 

 しかしリナリーは、憑き物が落ちた様にスッキリとした顔で宿舎に帰りました。

 

 自分に「また、訓練をお願いします」と言い残して。

 

「意味ならあったと思うよ。君は自分が思っているより、大きな事を成し遂げた」

「大きな事、ですか」

「ああ。よく頑張ったね、リトルボス」

 

 ケイルさんはそう言うと、誉めるように自分の頭を撫でました。

 

 意味があったなら、徹夜で話を聞いた甲斐があったというものです。

 

 それなら今日も、頑張って働くことが出来るでしょう。

 

 

 

 ……その日の、昼。

 

「……トウリ准尉」

「おやリナリー、どうしましたか」

「伝令をお届けに参りました」

 

 声を掛けられて振り返ると、リナリーが自分に書簡を差し出していました。

 

 ヴェルディさんからの書類を届けに来てくれたみたいです。

 

「ありがとうございます」

「確かにお渡ししました」

 

 彼女は自分に書簡を手渡すと、少しだけ自分の顔を見て変な顔をしました。

 

 何か言いたげで、何も言えないような、そんな顔です。

 

「……昨晩の事は、その」

 

 やがてリナリーは覚悟を決め、顔を真っ赤にして。

 

 プルプルと震えながら、言葉を絞り出してきました。

 

「昨晩の事は、なんでしょう」

「誰にも言わず、忘れていただけると……」

 

 数秒待って、彼女から出てきた言葉がこれでした。

 

 見ればリナリーは微かに目に涙を浮かべながら、自分を睨み付けていました。

 

「……」

「……」

 

 さて、これはどうしたものでしょうか。

 

 自分は数秒ほど彼女とにらめっこをした後、少し咳払いをして、

 

「今朝、自分は病床主任に帰りが遅かったことを査問されましたので、全て報告してしまいました」

「何やってるんですか!?」

「ほら、あそこで生暖かい目で見ている方が病床主任のケイルさんです」

「嫌ぁ!?」

 

 そう正直に白状したら、リナリーは耳まで真っ赤にして逃げ出してしまいました。

 

 別に恥ずかしがるような事ではないのですが……。

 

「リトルボス、そこは嘘でも内緒にしておくと言わないと」

「嘘はつきたくないので」

「思春期の女の子は扱いが難しいんだよ」

 

 逃げ去っていくリナリーの背を眺めながら、自分とケイルさんはそんな雑談を交わしました。

 



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130話

 

 その日からリナリーは、少し態度が柔らかくなりました。

 

 憎悪とある程度折り合いをつけたみたいで、ピリピリした危うい雰囲気は霧散していました。

 

「トウリ衛生准尉。伝令です」

「はい、ご苦労様です。なんでしょう」

 

 彼女の態度が柔らかくなって、いくつか気が付いた事があります。

 

 リナリーは表情が乏しく感情の分かりにくい娘ですが、そのご機嫌は声の高さに出るようです。

 

 今日の彼女はいつもより澄んだ目で、半音階ほど高い声色で話しかけてきました。

 

「明日の正午を以て、トウリ様は衛生准尉から衛生曹に降格となります。期日までに階級章を返却し、衛生曹の辞令を受け取ってください」

「了解しました、リナリー2等通信兵」

 

 リナリーは淡々と、自分が降格になる事を教えてくれました。

 

 待ちに待った朗報に、自分は安堵の息を吐きました。

 

「今は仕事中なので、明日の朝にでも提出に伺います」

「分かりました、そう事務方に伝えておきます」

 

 一つ、大きな肩の荷が下りた気持ちです。

 

 結構、この衛生准尉という肩書で実害が出る事も多かったのです。

 

 

 

 

 尉官というのは、前線では最高権力者の持つ階級です。

 

 衛生部長とか大隊長級の、たくさん人を束ねている人の肩書です。

 

 

 今のオースティンの階級を簡単に説明しますと、もちろん将官が一番偉いのですが……貴族の世襲制なので事実上おかざり役職です。

 

 彼等は前線指揮官アンリ大佐に指揮権を預けていますので、実質的に権力を持っていません。

 

 なので今、オースティン軍の最高司令官は元南軍の司令官だったアンリ大佐です。

 

 その下にレンヴェル中佐、ヴェルディ少佐やベルン少佐と続く感じです。

 

 そして基本的に佐官は、命の危険がある前線に足を運びません。

 

 彼らは軍を動かす中枢の人材なので、万が一が有ってはいけないのです。

 

 現にヴェルディさんも、ずっと後方司令部で書類仕事をしています。

 

 なので、前線での最高権力者は尉官になります。

 

 5万人と言われる現オースティン軍兵士のうち、准尉以上の人は100名に満ちません。

 

 そんな選ばれし地位に、何故か士官学校すら出ていない従軍三年目の自分が居座っているのです。どう考えてもおかしいです。

 

 

 そして何より、普段の診療業務に実害が出ているのが問題です。

 

 自分が診察すると、階級章を見た患者の脈が早くなるので結構迷惑です。本当に痛いのか判断がしにくくなります。

 

 それに、

 

『なんだ子供兵かよ。他の衛生兵は居ないのか、まったく』

『すみません、人手不足で』

『嬢ちゃん、生理はもう来てるのか。今度俺が相手してやろうか』

『はあ。……すみません、触らないで頂けますか』

 

 と、こんなぶしつけな輩は前々から結構いたのですが。

 

『げっ!? 准尉殿でしたか!?』

『ええ、まあ一応……』

 

 そんな彼等は自分の階級章に気づいた瞬間、顔を真っ青にして土下座し始めるようになりました。

 

 仕事をやりにくいったら仕方ありません。謝るなら最初から下品な冗談を飛ばすなと思います。

 

『す、すまんかった。いや、その、てっきり二等兵くらいかと』

『気にしていませんので、早く患部を見せてください』

『あ、ああ。いや、その、すみませんでした』

 

 時間をおいて再度謝りに来たり、動揺のあまり血圧が下がって失神した人までいました。

 

 とはいえ階級章を付けていないと身分を疑われるので、外すわけにはいかず。

 

 自分はこの高すぎる地位に、ずっと辟易していたのです。

 

「随分と嬉しそうですね、降格になるのに」

「自分は地位なんて求めてませんからね。求めるのは、戦争の終結と平穏な暮らしです」

「……立派な願いをお持ちですね」

 

 その降格の知らせをウキウキと聞く自分に、リナリーは変な顔をしていました。

 

 自分の目的は、お金をためてセドル君の下に帰る事。

 

 権力を握る事に、欠片の興味もないのです。

 

「リナリーは、戦争が終わって欲しくないのですか」

「それは。できれば、私が銃を撃てるようになるまで続いて欲しいものですが」

「……」

「ですが、早く終わるならそれに越したことは無いのでしょうね」

 

 リナリーはそう言うと、遠く前線の方をぼんやり見つめました。

 

 彼女は今年で14歳。歩兵になるためには、後1年必要です。

 

 このままいけば1年後には、きっと戦争は終わっているでしょう。

 

「もし戦争が終わったら、どうします」

「……そう言えば、考えたこともありませんでした」

「良ければ、自分の住む村に来ませんか。サバトの経済特区に、知り合いがいるのです」

「サバトですか? ……うーん、ロド兄さんを殺したサバト人と一緒に住むのはちょっと」

 

 戦後、リナリーに一緒に住まないか誘ってみたら、渋い顔をされました。

 

 同盟を締結したとはいえ、まだまだオースティン人はサバトに対する悪感情が大きいのでしょう。

 

「良ければ、考えてみて下さい。とても良い人達ですよ」

「……ええ」

「義理とはいえ、自分達は姉妹なのですから」

「う……」

 

 少し勇気を出して『姉妹』を強調してみたら、リナリーは凄く微妙な顔をしました。

 

 やはり見知らぬ自分に、姉妹扱いされたくないのでしょうか。

 

 そう思って溜息を吐くと、彼女はおずおずと自分に頭を下げました。

 

「その、トウリ衛生准尉。先日、とても失礼な口を利いてしまいました。謝罪します」

「……ああ。その件を気にしていたのですか」

 

 そう言えばこの間、結構失礼な口を利かれましたね。

 

 リナリーの気持ちは理解できたので、あまり気にしてはいないのですが。

 

「あの時はその、少し周囲が見えていませんでした。……反省しておりますので、どうかご容赦を」

「気にしていませんよ。普段面倒を見ている患者さんの方が、よほど下品で無礼な人ばかりです」

「それもどうかと思いますが」

 

 出来るだけ優しい顔で気にしていないと言ってみたのですが、リナリーは恐縮するだけでした。

 

 こういう時も、階級差は不便ですね。同期とか同い年なら、もうちょっとフランクに話が出来るものですが。

 

「それで、その。トウリ衛生准尉」

「はい、何でしょう」

「その、私、実は……」

 

 何故かカチカチに固まったリナリーは、一拍を置いて息を吐き、おずおずと話しかけてきました。

 

 何か、言いにくい事でもあるのでしょうか。

 

 

「実は、私トウリ准尉に────」

「あ、見つけた」

 

 

 そして、彼女が何かを言おうとした、その瞬間。

 

 空気が読めない男の野太い声が、自分達の会話に割って入りました。

 

「探したぞ、ちっこくて見つけにくいんだよお前」

「え、自分ですか」

 

 その男は、自分達の会話に割って入った事を気にも留めず。

 

 目を真ん丸にするリナリーを尻目にずんずん近づいてきて、自分の前に立ちふさがりました。

 

「トウリ、お前に話が有ってきた」

「あの、先にリナリーと会話をしていたのですが……」

「知らん、通信兵なんぞ待たせておけ。俺の用事が優先だ」

 

 唖然としているリナリーを押しのけ、無遠慮に自分に絡んできたその男は、

 

「……それで、何か御用ですか。ガヴェル曹長」

 

 先日、ヴェルディさんの件で宣戦布告を受けた因縁の?相手。

 

 輸送部隊の小隊長、ガヴェル曹長なのでした。

 

 

「ちょっと待ってろ、今から書類を出す」

「了解しました。……輸送部隊なのに、まだ前線に残ってらっしゃったのですね」

「ああ。前の闘いの功績も評価され、我がガヴェル輸送部隊は100人規模の中隊になった。その編成に時間がかかったんだ」

「それはおめでとうございます」

「まだ後方に敵がいるからだろうけどな。俺ら以外の輸送部隊も、何度か賊に襲われてたらしい。だから護衛を増やすって話だ」

 

 ガヴェル曹長は相変わらずな態度で話しかけてきました。

 

 まぁ、オースティン国内の治安は相当悪いでしょうからね。

 

 食料目当てに輸送部隊を襲う賊が居てもおかしくはないでしょう。

 

「それで、自分に用というのは」

「いい話だ、お前に縁談を持ってきた。レンヴェル爺ちゃんからのご厚意だ」

「はい?」

「好きな相手を選べ」

 

 そう言うとガヴェル曹長は、自分に1枚の名簿を差し出しました。

 

 そこには見覚えのない兵士の名前と階級が、記されていました。

 

「爺ちゃん曰く、衛生曹に降格させる代わりに良縁を提供してやるんだと。今、特定の相手はいないんだろう?」

「……」

「ここから選んでおけ。この名簿は俺の親族で、エリート将校ばかりだ。お前の相手としちゃ勿体ない人しかいない」

 

 その急すぎるガヴェル曹長の話に、自分は目が点になりました。

 

 ……縁談? 自分が、結婚ですか?

 

「その。自分はもう、結婚した後で」

「その辺の経緯は聞いてるよ。でも、どうせ数年空けて次の相手見つけるんだろ? だったら今、良い相手を選んどけ」

 

 そのガヴェル曹長の態度は、デリカシーの欠片もないというか。

 

 『良い話を持って来てやったから喜べよ』という態度を隠そうともしませんでした。

 

 ……この辺の感覚は、まだお子様なんでしょうね。

 

「嫌ならそれでいい。この話はナシだ」

「はあ。では、それで構いません」

「え、断るのか?」

 

 呆れる気持ちを隠しつつ断ったら、ガヴェル曹長は驚いて目を見開きました。

 

 ……喜んで飛びつくと思っていたのでしょうか。

 

「ジーヴェ兄さんは中尉だし、アルヴェリーは去年の士官学校首席だぞ。こんな凄い縁談、もう二度とねぇだろうに」

「……レンヴェル中佐に、ご厚意は感謝しますとお伝えください。ですが自分は生涯、ロドリー君以外と婚姻を結ぶつもりはありませんので」

「あー。本当に良いんだな? 後からやっぱりって懇願しても聞かねえからな」

 

 自分はガヴェル曹長に苦笑しつつ、なるべくやんわり断りました。

 

 恐らくレンヴェルさんは、本当にご厚意でこの話を持って来てくれたのでしょう。

 

 そしてガヴェル曹長も空気が読めていないだけで、悪気がある感じはしません。

 

 ……というか、よく見たらガヴェル曹長の名前も載ってますね。しれっと手で隠していたようですが。

 

「自分は終戦後、職を辞すつもりですので軍人との縁談はお受けできません」

「え、お前志願兵だろ。衛生曹にまでなってるのに、軍辞めるのか」

「……ええ。戦争が終わったら、静かに町癒者として暮らしたいと思っています」

「とことん勿体ねぇ奴だなお前」

 

 もともと自分が志願したのは、孤児院に援助が出来るからです。

 

 ……ノエルの村が焼け落ちた以上、もう自分が軍にいる意味はありません。

 

 今自分が戦場にいる理由はケイルさんやヴェルディさんなどに対する義理と、セドル君を育てる資金稼ぎです。

 

「戦争に勝ったら、俺たちの地位は保証される。一生安泰だぞ」

「そうかもしれませんね」

「まぁ、お前の好きにすりゃあいいが。やれやれ、とんだ無駄足になっちまった」

 

 ガヴェル曹長はため息をついて、差し出した書類を丸めてポケットに入れました。

 

 これで彼の要件は終わりの様です。

 

「じゃあな、話を割ってすまんかったな」

「それでは。すみませんリナリー、お待たせしました」

 

 突然の話で少し驚きましたが、実害は無いので良かったです。

 

 自分はガヴェル曹長にあいまいに会釈した後、改めてリナリーに向き直りました。

 

 先ほどの話の続きをしようと。

 

「……」

「え、リナリー。どうしましたか」

 

 しかし彼女は、自分の方を見ようともせず。

 

 とても険しい顔色で、ガヴェル曹長をにらみつけていました。

 

 

「あ? 何だ通信兵」

「……」

 

 

 そのリナリーの睨みに気が付いたようで、ガヴェル曹長は不快そうにリナリーに向き直りました。

 

 自分より背の高い相手に見下ろされたのに、リナリーは一切態度を変えません。

 

「……別に」

 

 そう答えるリナリーの声は、トーンが下がっていました。

 

 明らかに、さっきより不機嫌になっています。

 

 そんなに話に割りこまれたのが腹立たしかったのでしょうか。

 

「言いたいことがあるなら言えよ」

「言ってよろしいのでしょうか」

 

 自分は何とかリナリーを宥めようとしましたが、それより先にガヴェル曹長が彼女に絡んでしまいました。

 

 不良同士のメンチの切り合いみたいな感じになっています。

 

「失礼を承知で申し上げるなら、トウリ衛生准尉の降格は明日正午です。それまでトウリ様は准尉なのに、その態度口調はどうなのかと新米なりに疑問を感じたところです」

「あ?」

 

 自分が口を挟む暇もなく、開口一番でリナリーはガヴェル曹長に喧嘩を売りました。

 

 どうしてこう、喧嘩っ早いんですかこの兄妹は。

 

「この女は士官学校すら出ていない志願組だぞ? 准尉なのがおかしいんだ、もっと下の階級がふさわしい」

「失礼、私は新米なのでわからないことだらけでして。成程、上官であろうと下の階級がふさわしいような人には舐めた口をきいても構わないのですね」

「コイツが特別なだけだよ。なんだお前、面倒くさい絡み方してくんな」

 

 そのリナリーの剣幕にあたふたしている間に、彼女の口調はヒートアップしていきました。

 

 ……早く仲裁しないと、ややこしい事になりそうです。

 

「大丈夫です、リナリー。自分の方が『もうすぐ階級が下がるので別に敬語は使わなくていい』とガヴェル曹長に申し上げていたので」

「だとしても、上官と部下の区別は厳格であるべきです。この前トウリ准尉自身が、そうお話ししてくれたではないですか」

「それは、そうですけど」

「そもそも上から目線で縁談を持ってきて、あの言い草。トウリ准尉に失礼にもほどがあるでしょう」

 

 リナリーはとげとげしくそう言うと、ガヴェル曹長に睨み続けました。

 

 自分の為に怒ってくれていたのですか、この娘は。

 

「自分は気にしていませんから。一度落ち着いてくださいリナリー」

「……ですけど」

「もう話は良いか? 俺も忙しい中、わざわざこの女の為に時間を見つけて来てやったんだ。何で文句言われなきゃなんねぇんだ」

 

 そんなリナリーの態度に気を悪くしたのか、ガヴェル曹長は舌打ちして身を翻し、

 

「お前の顔、覚えたからな通信兵。次、変な絡み方したら懲罰牢にぶち込んでやるぞ」

 

 そうリナリーを脅して、プリプリ怒って立ち去ってしまいました。

 

 

 

「駄目ですよリナリー。上官に無駄に食って掛かってはいけません」

「ですが、あの男の態度は……!」

「だとしても、です。戦場の上官なんて、理不尽で横暴なものです」

 

 ガヴェル曹長の言い草に、自分はほんのり冷や汗をかきました。

 

 確かに今のリナリーの態度は、懲罰の対象とされても文句は言えません。

 

 彼にはそれを実行するだけの権力があるのです。

 

「リナリー。ガヴェル曹長がそうと限りませんが、女性兵士に懲罰と称して猥褻な事をしてくる兵士もいるのです。無駄に逆らって、大義名分を与えてはいけません」

「そんな事、許されるんですか!」

「軍では、階級がある人が全てです。……そうなった場合、自分ではリナリーを庇いきれません」

 

 もしガヴェル曹長にリナリーを懲罰牢に連れていかれたとしても、自分の権力ではどうする事も出来ません。

 

 ヴェルディさんに頼み込んでとりなして貰うことは出来るでしょうけど……、忙しい彼の手をこれ以上煩わせたくはありません。

 

「女性で兵士を志すなら、隙を見せてはいけないのです」

「……」

「自分の為に怒ってくれたのは嬉しいのですが、なるべく目上の人には逆らわないようにしましょうね」

 

 そう言ってリナリーを諭すと、彼女は頬を膨らましつつも「了解です」と答えました。

 

 納得いっていないと、顔に書かれています。まだまだリナリーは若いですね。

 

 後で自分からも、ガヴェル曹長にお詫びしておきましょう。

 

「その、私も気が動転していまして。先程、トウリ准尉に言おうとしたことが、その」

「ああ。そう言えば、何の話だったのですか」

「……。それが、その。大変失礼なのですけど」

 

 彼女は少しすねたような顔になったあと、おずおず話を続けました。

 

 そのリナリーが、先程言いかけた話の内容とは、

 

「あんな物言いをして、何ですが。義姉(あね)と呼んでもよろしいですか、と聞きたかったのです」

「……!」

 

 まさかの、義妹宣言でした。

 

「ええ、ええ。もちろん喜んで!」

「そ、その。トウリ准尉にはとても感謝しているんです。忘れてはいけなかった、大切な事を思い出させてもらえました。それで」

「リナリーさん」

 

 その言葉を聞いた直後、自分は感極まってリナリーを抱きしめていました。

 

 天にも舞い上がりそうな、そんな心地でした。

 

「リナリーさん。自分は、今まで家族が居なくて。孤児院で過ごした幼馴染たちも、みんな死んでしまって」

「は、はあ」

「凄く、嬉しいです。リナリーさん」

 

 自分が想像以上に喜んだので、リナリーは少し動揺している様子でした。

 

 ですがこんなに嬉しい事は、そうありません。

 

「これからは自分に何でも頼ってください。義姉(あね)ですので」

「は、はあ」

 

 自分にとって初めてできた、戸籍でつながった明確な家族。

 

 その存在はどれだけ、自分の心を明るく照らしたでしょうか。

 

 

 思えば、ずっと自分は『家族というもの』に飢えていたのでしょう。

 

 自分が死んでも、誰も悲しまない。戦争が終わっても、待ってくれている人もいない。

 

 そんな自分の境遇に、少なからず思い悩んでいたのです。

 

 だからセドル君を必死で守りましたし、リナリーにも付き纏いました。

 

「ではよろしくお願いします。義姉(ねえ)さん」

「ええ」

 

 だから自分は、少し照れ顔でそう言ってくれたリナリーに、この上なく舞い上がったのです。

 

 

 

 この時は、まさに幸せの絶頂でした。

 

 戦争は間もなく終わり、平和な時代がやってくる。

 

 その平和な時代を、リナリーやセドル君と共に生きていく。

 

 そんな未来を、夢想しました。

 

 

 この時フラメールはどうしようもなく詰んでいて、オースティンはほぼ確定的な勝勢で。

 

 余程のことが無い限り、どんな無能な指揮官がオースティンを指揮しても負けは無かったと思われます。

 

 ましてや、今オースティンを指揮しているのは百戦錬磨のレンヴェル中佐。その幕下には稀代の参謀ベルン・ヴァロウ。

 

 ……普通に考えて、負ける筈が無いのです。

 

 

 たった一つ、誤算があったとすれば。

 

 たった一人、見逃してはいけない人を見逃していた事でしょうか。

 

 

 それは、今年の夏ごろ。ある小軍が、ボロボロになって連合側に駆け込んできていました。

 

 その軍の兵力は、たった2000名。

 

 祖国で権力争いに敗れ、ボロボロの状況で逃げ出した敗残兵。

 

 そう。シルフ・ノーヴァの率いる旧サバト政府軍が、連合側に合流していたのです。

 

 

 彼女は今のフラメールの戦況を知った後、自信満々にこう言ってのけました。

 

 私に軍の全権を預ければ、オースティンを壊滅させてやると。

 

 

 そんな少女の妄言は却下され、彼女は連合に付き従う1部隊として追従する事になりました。

 

 いきなりやってきた外様の、それも敗走してきた参謀少女のいう事など、信用されるはずもないでしょう。

 

 ……シルフ自身もそれは承知の上で、敢えて最初に大言壮語を吐いたようです。

 

 今後、彼女が自らの価値を示した時に、要求が通りやすくなるように。

 

 

 そして非常に迂闊な事に────

 

 このサバト旧政府軍の存在を、オースティンの誰も察知していませんでした。

 

 シルフが周到だったのか、オースティンの偵察兵がサボったのかは分かりませんが、彼女は我々に気付かれることなくフラメール・エイリスに合流していたのです。

 

 

 戦争の沼が再び、邪悪な牙を研ぎ始めました。

 



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131話

 

 リナリーと義姉妹の関係になった、その日の午後のことです。 

 

「衛生部各員、集合してください。レィターリュ衛生部長から伝達事項があります」

「了解しました」

 

 お昼御飯の後、レイリィさんが自分達に召集をかけました。

 

 何やら大切な話があるそうです。

 

「忙しい中、集まってくれて感謝します。それと、いつも元気に働いてくれてありがとう」

「「はい、衛生少尉殿」」

「今からとても大切な話があります。各員、気を引き締めて聞いてください」

 

 新しい恋人でも出来たのかと皆が集まると、レィターリュさんは堅苦しい口調で挨拶を始めました。

 

 奔放な彼女にしては珍しい、とても真面目な表情でした。

 

「本日、ビュエリ鉱山群の制圧作戦が発令されました。大規模な戦闘が始まるので、多くの負傷者が予想されます」

「「了解です、レィターリュ衛生部長殿」」

「そして、何より大事な事だけど。本日から治療に当たる者には、特殊な器具の装着が義務付けられます。全員、昼までに本部に取りに来るように」

 

 レイリィさんは、以前ヴェルディさんが仰っていた『鉱山制圧作戦』が実行された事を発表しました。

 

 噂では、この戦いでフラメールとの戦争が決着する可能性が高いそうです。

 

 相当大規模な作戦らしいので、周囲の衛生兵たちにピリリとした緊張が走りました。

 

「作戦が失敗した時、ここまで敵が襲ってきたりする可能性はありますか?」

「基本的には大丈夫のはずだけど。何が起こるか分からないから、いざという時の心の準備はしておきなさい」

 

 ビュエリ鉱山は、フラメールにとっての命綱です。ここを奪われれば、敗北がほぼ確定します。

 

 鉱山を奪われれば鉄が採掘できなくなるので、銃の供給が止まってしまうのです。

 

「今回の戦いは、ウィン防衛戦以来の大規模なものになるでしょう」

「……」

「オースティンが勝つには、衛生部がどれだけ味方を助けられるかがカギを握っているわ。皆、頑張りましょう」

 

 そう言ってレィターリュさんは、笑顔を作り自分達を鼓舞していました。

 

 この鼓舞に衛生兵達は応え、雄叫びを返しました。

 

 ─────しかし、何故かレイリィさんの顔色は優れないように見えました。

 

 

 

 この日いよいよ、我々は弱りきったフラメール軍の守るビュエリ鉱山に侵攻を開始しました。

 

 ここが落とされると、フラメールは無条件降伏を呑まねばならなくなります。オースティンはいよいよ、この戦争に王手をかけたのです。

 

 そんな絶体絶命のフラメールでしたが、兵士の士気は決して低くありませんでした。

 

 むしろ、かつてないほど高まっていると言えました。

 

 何故ならこの戦いは、フラメールにとっても起死回生の好機(チャンス)と言えたからです。

 

 ビュエリ鉱山は傾斜が激しく道は荒れ果て、天然の要塞となっていました。

 

 人手も十分で、鉱山夫の力を借りれば塹壕掘りも自由自在でしょう。

 

 また鉱山内のあちこちに空けられた坑道を行き来する事で、兵士の配置を臨機応変に動かせました。

 

 しかも狭い鉱山内の遭遇戦であれば、銃の射程があまり関係ありません。

 

 我々とフラメール軍の間の技術力の差を、誤魔化すことが出来るのです。

 

 フラメールにとって、これ以上条件の良い防衛陣地はなかったでしょう。

 

 

 

 

 なのでフラメールは、オースティンの動きを察知すると残存戦力の殆どを鉱山にかき集めたのでした。

 

 一大決戦を仕掛け、一気に逆転勝利を狙ったのです。

 

 

 この構図は、先のサバトとの北部決戦と近いものがありました。

 

 劣勢側だったオースティンが戦力かき集め、一か八かサバトと決戦に踏み切ったのと同じ形です。

 

 我々が危険を冒し鉱山へ攻めこんだ事は、フラメールからして『望むところ』だったでしょう。

 

 

 そんな事情があるのに、何故オースティンは鉱山へ攻撃したのでしょうか。

 

 ましてやその作戦の存在を隠さず、周知した理由は何でしょうか。

 

 強者の余裕の表れなのか、それとも何か裏があるのか。

 

 その理由は、オースティン軍の攻勢が始まって分かりました。

 

 

 

 

 

「……おかしい」

 

 決戦が開始されたその日の夕方。

 

 負傷者は殆ど、病院に運ばれてきませんでした。

 

 攻勢の日は、いつも満入りに病床が埋まるものです。

 

 しかしこの日、野戦病院に運ばれてきた兵士は数名だけでした。

 

「助けて、衛生兵、さん! 息が、出来なくて、目が、焼けそうで」

「……これ、は?」

 

 しかも運ばれてきたオースティン兵士には、銃創傷などありませんでした。

 

 彼らが訴えたのは溢れんばかりの咳と鼻水、そして嘔吐です。

 

 真っ赤に充血した目からポロポロと涙を流し、嘔吐のような咳を繰り返すのみでした。

 

「助けて、衛生兵さん、死ぬ、死んじゃう」

「さ、酸素缶を。酸欠症状が出ています」

 

 こんな症状の患者を、自分は今まで見たことが有りません。

 

 しかし運ばれてきた兵士は一様にして、同じような呼吸苦を訴えました。

 

「トウリちゃん、水を桶で用意してくれる? ……看護兵は、負傷者の服を脱がせて全身を水で洗い流して」

「レィターリュさん、この症状は一体」

「それと治療に当たるときは、このマスクをつけるように」

 

 レィターリュさんはそんな患者を診ても動揺せず、静かにため息をついて。

 

 顔をすっぽり覆うような大型のマスクを被り、自分達にも差し出しました。

 

 前もって、病床に用意していた木箱の中から。

 

「このマスク、は」

「毒ガスを吸い込まなくするための装備。今朝通告した通り、治療に当たる人は全員付けなさい」

「……毒ガス?」

「ええ」

 

 そのマスクの形状と、レィターリュさんの辛そうな顔を見て。

 

 自分は、オースティン軍が手を出してはいけない恐ろしい兵器を使用してしまった事を知りました。

 

 

 

 

 ガス兵器。それは、前世では国際条約で禁止されていた兵器です。

 

 自分は前世で生きている時、いつも疑問に思っていました。

 

 銃や大砲で人を撃つことは禁止されていないのに、ガス攻撃は何故禁止されていたのか。

 

 同じ人を殺す兵器だというのに、銃は良くてガスは駄目な理由は何なのか。

 

 ────その理由を知るには、目の前で苦しむ患者を診ないと理解は難しいでしょう。

 

 その理由はとてもシンプルです。あまりに、非人道的であったからです。

 

 

 このガス兵器の開発者は、タクマ氏でした。

 

 彼は抗菌薬の開発に携わり、マシュデールでは臨時衛生部の設立に協力してくださった方です。

 

 クマさんの愛称でも親しまれる彼は、医学と化学の両方に精通した天才でした。

 

 

 そんな彼に軍は、何度も化学兵器の開発を打診していました。

 

 ですが当初タクマ氏は『自分は人を殺すために研究しているのではない』と協力を拒否していたそうです。

 

 タクマ氏のスタンスは、『人を殺す研究は御免だが兵士を救うのには協力する』といった感じでした。

 

 そのスタンスが変わったのは、サバトに無条件降伏を拒否された後です。

 

 彼は人が変わったように、化学兵器の研究に打ち込み始めました。

 

 優しい彼は家族が殺される事に恐怖し、悪魔に魂を売ったのです。

 

 

 もとより石鹸の工場で人体に有毒なガスが出る事は知られていました。

 

 クマさんもガス被曝者の治療に携わったこともあり、戦争に利用出来そうな事を知っていました。

 

 そして彼は苦心の末、その有毒なガスを量産して缶に詰める技術の開発に成功しました。

 

 こうして、オースティンはこの世界で初めてのガス兵器の開発に成功したのです。

 

 

 このガス兵器は扱いが難しく、誤ってオースティン兵が被害を受ける可能性も十分にありました。

 

 だからクマさんは前もってガス兵器の概要と治療法を説明すべく、前線の野戦病院へ訪問していたのです。

 

 

 ─────そしてこれが、オースティンが鉱山への攻撃計画を漏らした理由でもありました。

 

 オースティンは出来るだけ、鉱山に兵士を集めて居て欲しかったのです。

 

 一網打尽に、皆殺しに出来るように。

 

 オースティン軍は最初から、鉱山地域に突撃戦を仕掛けるつもりなどありませんでした。

 

 ただ敵兵を集めて、淡々とガスを焚くだけのつもりだったのです。

 

 鉱山を攻撃するという餌で、敵をひとまとめにした上で。

 

 

 ガスの威力は絶大でした。

 

 オースティン兵の放った黄緑色の毒々しい煙幕は、風に運ばれてゆっくりと鉱山へと流れていきました。

 

 歴史に残る悪辣兵器のその最初の一撃は、凄まじい被害を出しました。

 

 

 毒ガスは空気より重いので、塹壕に流れ込んでしまう性質を持っていました。

 

 塹壕内に隠れるフラメール兵士に、逃げ場などありません。

 

 穴の中にガスが充満した結果、塹壕に籠っていた兵士の殆どが窒息死してしまいました。

 

 それは魔法の様に、無機質で残酷な殺戮でした。

 

 

 しかしオースティンからすると、このガス攻撃は思った通りの戦果を挙げた訳ではありませんでした。

 

 何故ならガス兵器は、塹壕内に籠っていたフラメール兵には効果覿面だったのですが……。

 

 高所には届かず、山上の敵には全く効果が無かったのです。

 

 ガスは山を登らず麓で左右へ分かれ、ゆっくり散ってしまいました。

 

 一気に鉱山を占領できると思っていた軍部は当てが外れ、オースティンは作戦内容の転換を余儀なくされたそうです。

 

 

 とはいえ、最前線のフラメール兵を窒息死させただけで、費用対効果は十分と言えたかもしれません。

 

 準備砲撃より遥かに安価な戦費で、数層に渡る塹壕内の敵を一掃できたのですから。

 

 

 

 

「まるで害虫駆除だな、これは」

 

 ガス攻撃の後、フラメール兵が掘った塹壕を確保した兵士はそう言い残しました。

 

 確保した塹壕内には、ガスと吐物で異臭の漂う顔面蒼白な死体がたくさん転がっていたそうです。

 

 その殆どが仰向きにひっくり返り、塹壕からずり落ちるように死んでいたのだとか。

 

 それは、農家が噴煙などで害虫駆除を行った後にそっくりだったそうです。

 

「ひっくり返った(いなご)みたいだ」

「ざまぁねぇぜ。……ああ、オレぁオースティン軍で良かった」

 

 

 兵士は何故、仰向けに死んでいたのでしょうか。

 

 それは起坐呼吸と言って、毒ガスで肺水腫を起こすと座った方が呼吸が楽になるからです。

 

 ガスに満たされた塹壕内で敵兵はせき込み嘔吐しながら、黄緑色に染まった空を見上げて塹壕壁に座ろうとしたのでしょう。

 

 しかし酸欠に陥り力尽きてずり落ち、天を見上げる様に亡くなってしまったのです。

 

 それは覚悟を決めて勇敢に戦地へ赴いた兵士の末路として、あまりに残酷でした。

 

 

 

 

 このガス兵器をみたフラメール軍は殆ど抵抗を見せず、逃げ惑うように山上へ追い詰められていきました。

 

 戦闘らしい戦闘が発生せず、煙を焚くオースティンと逃げまどうフラメールという図式のみが広がりました。

 

 

 ならば野戦病院は暇だったのかと言えば、そういうこともなく。

 

 夜になるとオースティン兵のガス被曝者が、次々と運ばれてきていたのです。

 

 彼らの大半は、ガス攻撃後の塹壕を確保した兵士たちでした。

 

 どうやら自己判断で、マスクを勝手に外してしまっていたのです。

 

 ガスは塹壕内の土や敵兵の遺体に濃く残留し、暫くの間残っています。

 

 低濃度であっても長時間ガスを吸うと、体調を崩してしまうのです。

 

 それを知らなかった兵士は、塹壕を確保した後「視界が悪くなるし、息苦しい」とマスクを外しました。

 

 そのせいで野戦病院は、軽症なガス被害者であふれかえったのです。

 

 

 彼らは湿った咳と淡い血の混じった痰を吐いて、病床でもがき苦しんでいました。

 

 ガスの被害者は死ぬにせよ助かるにせよ、苦しむ時間が非常に長いです。

 

 兵士は嗚咽を溢し、のたうち回り、殺してくれと叫ぶものすら居ました。

 

 喉が焼けるように痛く、目が塩漬けにされた様に染みて、呼吸する度に痰がせり上がっていました。

 

 ……それはまるで、拷問を受けているような苦しみ様でした。 

 

「リトルボス、そっちの患者は?」

「……駄目です、お亡くなりです」

「そうか」

 

 窒息は、この世で最も苦しい死に方の一つです。

 

 重症な兵士は喉を掻き毟り、もがき苦しんで逝きました。

 

 軽症であっても完治は難しく、兵士はこの後ずっと息苦しさを感じながら生きねばならなかったそうです。

 

 前世でガス兵器が条約で禁止になった理由が、良く分かりました。

 

 

「素晴らしい攻撃方法だ。我々はまた、時代を一歩進めた」

「今からガスマスクの量産が必要だ。今後、敵にガス兵器を使われても問題ないように」

「その通り」

 

 

 そんな兵士達の苦しみを知らず、数字として被害状況を聞いていたオースティン司令部は戦果報告を聞いてご満悦でした。

 

 より安全により安価に、人を殺せるこの兵器を褒め称えたのです。

 

「タクマ氏は実に素晴らしいものを作ってくれた」

「彼のお陰で、オースティンは戦争の最前線を走り続けられる」

 

 ……ここからの戦争は『どうやって敵を倒すか』ではなく『いかに効率的に人を殺せるか』に変わっていってしまいました。

 

 兵力が少ないオースティンからすれば、それは当たり前なのかもしれません。

 

 しかし、その技術の進歩が我々だけに利益をもたらすとは限らないのです。

 

 

 このビュエリ鉱山への攻勢が、戦争が『戦闘』から『殺戮』に変化した節目だったと思います。

 

 技術の進歩、大量殺戮兵器の開発、人道の無視。

 

 あまりにオースティンは戦争に慣れ過ぎて、大切なものをたくさん見失っていたのでしょう。

 

 その天罰なのか、それとも歴史は同じ結末を辿る運命なのか。

 

 オースティンはこの毒ガスを開発したツケを、早々に支払う事になります。



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132話

 

 その日は遅くまで、ガス被害者の治療に追われました。

 

 残念な事に、彼等に対する有効な治療はあまりありませんでした。

 

 外傷じゃないからか【癒】の効果も微妙で、酸素缶も気休め程度の効果しかありません。

 

 意外にも抗生剤は有効でしたが、貴重な薬なのであまり多くは使えません。

 

 心苦しいですが軽症な患者さんには「出来ることは無い」と告げて、帰って貰う形になりました。

 

 その日のキャンプは吐物血痰が飛び交い、地獄絵図のようだったそうです。

 

 

 

 

「お疲れですね、トウリ義姉さん」

「リナリー」

 

 久しぶりに大忙しだった晩を越え、朝になると。

 

 相変わらずツンツンして表情の乏しい娘が、自分の病床に訪ねてきました。

 

 リナリーです。

 

「おはようございます、自分に何か御用でしょうか」

「ええ。衛生部はお忙しいと聞いたので、少しお手伝いでもと思いまして」

 

 彼女は昨晩も訓練を行っていたらしく、体に土と汗の臭いが残っていました。

 

 ……昨晩、通信兵は忙しくなかったのでしょうか。

 

「階級章と書類を受け取りに来ました。提出は、今日の正午までですよ」

「降格の件ですか。ありがとうございます」

 

 リナリーはどうやら、自分の提出物を受け取りにきてくれたみたいです。

 

 正直なところまだまだ患者が列を作っており、提出に行く余裕が無かったので助かりました。

 

「昨日の攻勢は、我々の勝利みたいですね。新兵器を使って敵を一網打尽にしたのだとか」

「ええ。……とても、残酷な兵器でした」

「義姉さんは勝利が嬉しくないんですか」

「敵とはいえ人が死ぬのが、どうにも」

 

 リナリーは昨晩の勝利を、喜んでいるようでした。話だけ聞くと、完全勝利ですからね。

 

 しかし自分はガス中毒者の苦しみを思い、手放しに喜ぶ気にはなれませんでした。

 

 ……戦争に参加してそんな事を考えてしまうのは、欺瞞なのでしょうけれど。

 

「そんな性格でよく、ロド兄さんとくっつきましたね」

「ええ、まあ」

 

 ロドリー君が存命なら、迷うことなく今日の勝利を祝うのでしょうね。

 

 彼は優しいだけでなく、敵を殺す覚悟もしっかり持っていました。

 

 自分が優柔不断で、覚悟が無いだけです。

 

「これじゃ私が歩兵になる前に、戦争が終わってしまうかもしれません」

「そうあって欲しいものです、リナリー」

「……せっかく訓練を頑張ったのに」

 

 リナリーはちょっぴり残念そうに、そう呟きました。

 

 確かに彼女が歩兵になる前に戦争が終わりそうですが……。リナリーの努力は恐らく、無駄にはなりません。

 

「いえ。この時代を生きるなら、体力をつけておいて損はありませんよ。人攫いから逃げられる程度には走れないとまずいです」

「人買いなんて居るのですか」

「ええ、自分も拐われかけました。絶対に見知らぬ人を信用してはいけませんよ、リナリー」

「……本国はそんなに、治安が悪いんですね」

 

 ずっと従軍していたリナリーは、今の国内の混乱ぶりを知らないのでしょう。

 

 当たり前のように人身売買が横行しているとは思いませんよね。

 

「はい、これで書類は全てです。階級章もお返しします」

「確かに受け取りました」

 

 そんな話をしながらも、自分は提出物を纏めてリナリーに手渡しました。

 

 彼女はそれを無表情に受け取ると、中身を確認しました。

 

「ああ、それとトウリ義姉さん。ちょっと、お願いがあるんですが」

「何でしょう」

 

 数十秒で確認を終えた後、リナリーは自分の顔を見上げて、

 

「また今度、お時間を取って貰っていいですか」

「時間、ですか」

「よろしければロド兄さんの話を、お聞かせ願いたいのです」

 

 ちょっと照れたように、そう呟きました。

 

「私はまだ、ロド兄さんを許すつもりなどないのですけど」

「……」

「私たち家族を放ったらかしてまで、あの人が何を成し遂げたのか。それを私に、教えてくれませんか」

 

 きっとそれは、リナリーなりの譲歩だったんだと思います。

 

 未だに飲み込めないロドリー君への怒りを、消化しようという彼女なりの歩み寄り。

 

「分かりました。この鉱山への攻勢が終わり次第、時間を作りましょう」

「楽しみにしています」

 

 リナリーは家族を悼む時間を持った事で、感情に整理がついてきたみたいです。

 

 いえ。もしかしたら意地を張っていただけで、最初から自分にロドリー君の話を聞きたかったのかもしれません。

 

「その代わり、自分にもロドリー君の話を聞かせてくださいね」

「喜んで、トウリ義姉さん」

 

 自分も、兵士になる前のロドリー君の話をもっと聞きたいと思っていました。

 

 リナリーだけが知る、お兄ちゃんとしてのロドリー君。

 

 面倒見の良い彼はきっと、良い兄をやっていたと思います。

 

「それでは、また」

「はい」

 

 早く攻勢が終わって、彼女とゆっくりお茶でも飲みたいものです。

 

 微かに笑みを浮かべ立ち去る義妹を、自分は手を振って見送りました。

 

 

 

 

 

 

 この日も朝一番から、オースティン軍はガス兵器を使用しました。

 

 山の麓の塹壕まで制圧を終えたオースティン軍は、山上に向けてガスを放ったのです。

 

 ガス攻撃が高所の敵に効果が見込めないのは分かっていましたが、多少は被害を出すだろうと考えたのでしょう

 

 あと、ガス兵器の使用期限は短いので勿体ないという理由があったそうです。

 

 

 そしてこのガス攻撃も、きちんと成果を上げました。

 

 フラメール軍は迫りくるガスを見て、パニックを起こし潰走したのです。

 

 昨日ガス攻撃を受けた彼らは、黄緑色の煙を見ただけでトラウマを爆発させたのでしょう。

 

 殆どガスは上がって行かないというのに、フラメール兵は蜘蛛の子を散らすように逃げ出してしまいました。

 

 

 

 ……そんな残酷なガス攻勢の裏で。

 

「もう持たない。彼は見捨てて酸素缶外せ、他の助かる患者に使え!」

「了解です。……ごめんなさい、兵士さん」

 

 昨日に引き続いて衛生部は、治療と処置に追われていました。

 

 運ばれてきていた兵士が次々と急変し、いよいよ亡くなり始めたのです。

 

「オゲェ、おげぇえ! ヒュー、ヒュー」

「……乾燥蒲公英(たんぽぽ)です、飲んでください」

「無理、エッホエホ! 飲め、ない。口移しで、たの、む!」

「嚥下困難なら、管に入れて胃に注入しますね」

 

 ガスを吸うと肺に少しずつ水が溜まってしまいます。これは肺水腫、と呼ばれる状態です。

 

 そのまま放置しておくと、患者さんはやがて自らの体液で溺れ死んでしまうのです。

 

 なので、

 

「衛生兵さん、おしっこ出そう! てか出る、トイレに行かせてくれェ!」

「重症なので動かれると困ります。し瓶を渡しますのでソコに捨ててください」

「あんまりだ!」

 

 肺の水をおしっこにして排泄するのが、一番の治療になります。

 

 抗生剤がガス患者に有効なのも、副作用で利尿作用があるからなのですね。

 

 ただ抗生剤はとても貴重なので、途中から乾燥蒲公英を利尿薬として代用していました。

 

「はぁ、少し楽になった。さっきの乾燥蒲公英? よく効くな。もっとくれないか」

「飲み過ぎると毒ですよ」

 

 実は蒲公英にも、利尿作用があるのです。しかも嗜好品として手に入りやすいので、代用品にはうってつけでした。

 

 どこかの自称悪人の大好物だからか、軍内に結構な量の備蓄があったのです。

 

 ただし腎臓に悪いので、飲み過ぎると死んでしまいます。飲みすぎ注意です。

 

 

 

 

 

 そんなこんなで、朝から忙しく働いていると。

 

「おう、誰か衛生兵来てくれないか!」

「おや」

 

 唐突に衛生部へ乗り込んできて、大声を出す人が居ました。

 

 見ればまだ年若い曹長が、ズカズカとテントの中に足を踏み入れてきていました。

 

 ガヴェル曹長です。

 

「どうかしましたか、ガヴェル曹長」

「すまん、俺の部隊に急患が出た。急を要するので、手早く対応願いたい」

「……。でしたら自分が向かいます。よろしいですかケイルさん」

「ああ、頼んだリトルボス」

 

 本来であれば治療の順番はトリアージで決めますが、曹長級の治療要請は拒否できません。

 

 ガヴェル曹長はトリアージを無視して、衛生兵を呼びつけられるだけの権力を有しているのです。

 

「準備出来ました、どちらに向かえば良いでしょうか」

「ついて来てくれ」

 

 本当は忙しくて離れたくないのですが……。

 

 自分は病床の事はケイルさんに任せ、ガヴェル曹長の部隊に急行する事になりました。

 

 彼の隊は輸送任務に出発する直前で、ここから数㎞ほど北で一時停止しているようです。

 

 ……前線とは真逆方向ですが、何が有ったのでしょうか。

 

 

 

「これは……」

「すまん、教育のつもりだったんだ」

 

 色々と疑問を浮かべながら目的地に到着すると、顔をパンパンに腫らした兵士が地面に横たわっていました。

 

 激しい暴行の痕跡があり、ヒューヒューとか細い息をしています。

 

 これは、まさか。

 

「悪いなトウリ、ちょっと部下を殴りすぎた」

「……」

 

 ……自分が呼び出された理由は、体罰の後始末でした。

 

 しかも確かに、急いで治療しないと命に関わる状態でした。

 

「……」

「そんな目で見るなよ、俺が直接殴ったんじゃねぇぞ!」

 

 自分はガヴェル曹長をギロリとひと睨みした後、すぐにその負傷兵に駆け寄りました。

 

 顔面と肋骨の骨折、肩の脱臼に加えて気胸も起こしてそうですね。

 

 ……指導にしてもちょっとばかし、暴行が苛烈で雑すぎます。

 

「俺は、教育はほどほどで良いって言ったんだ。殴るのはあんまり好きじゃねぇし。だけどコイツが!」

「そう言う態度だから、新米がつけあがるんですぜ曹長。だがまぁ、確かに俺もやりすぎた」

 

 そのガヴェル曹長の隣で、筋骨隆々の中年男性────手榴弾投げおじさんが申し訳なさそうな顔をしていました。

 

 どうやら彼が、この指導の下手人の様です。

 

「この新米は、入隊時からやたら反抗的で手を焼いててな。今日もタメ口で『お前みたいなのに隊長が務まるか』って喧嘩売って来て」

「はあ」

「そしたらメイヴ……、そのおっさん教育が必要だって、タコ殴りにしちまったのさ。別に気にしてねーのに、やりすぎだっつの」

「とはいえ曹長、このままコイツを実戦に連れていけませんよ。いざ実戦になった時、命令に従わなかったらどうします」

「そりゃあ、まぁ。でも殺しかけることないじゃねーか」

 

 その二人の会話を聞いて、何が起こったか大体理解が出来ました。

 

 この反抗的な新米兵士さんは、態度を咎められ手榴弾おじさんに教育されたのでしょう。

 

 それは決して嫌がらせではなく、『しっかり殴られた新米の生存率が上がる』から。

 

 命令違反するリスクが減るので、怨まれてでも殴って教育する事が新米への愛なのです。

 

 殴られる側からすれば、理不尽極まりない話なのですけどね。

 

「どうだ、助かるか」

「ええ、大丈夫ですよ」

 

 そしてこの手榴弾投げおじさんは、さじ加減を間違えてしまったのでしょう。

 

 西部戦線でも、似たような新米患者を沢山診ました。

 

 ……何もかも戦争が悪い、という事にしておきましょう。

 

「迷惑をかける。あんなに態度がでかい癖に、ここまで虚弱だとは思わなかった」

「以後、気を付けていただきたく思います。決して衛生部も暇では無いのです」

「今回は俺、ガヴェルの責任だ。悪かったよ。あー、トウリ衛生曹?」

「ええ。厳密にはあと1時間で降格ですけど、それで構いませんよ」

 

 ガヴェル曹長は自分の目を見て、素直に謝りました。

 

 この辺の若さと素直さが、彼の味なのでしょうね。

 

「治療にかかる時間は、15分ほどでしょうか」

「すまん、じゃあ任せた。……はぁ、後で報告書を書かねーと」

 

 彼は「お前のせいだぞ」と言って手榴弾投げおじさんを蹴り飛ばした後、面倒くさそうに板と書類を取り出しました。

 

 意外としっかり隊長をやっている……のでしょうか?

 

「お前が来てくれて助かったよ、トウリ衛生曹。お前の発言を記載した書類の方が、ヴェルディ様に通りやすい」

「……」

「本当に気に入られてるなぁ、お前。ムカつくけど」

 

 最後のその発言さえなければ、もう少し見直したのですけどね。

 

 

 

 それは思い返せば、まるで何かに運命を操られていたかのようでした。

 

 太陽が真上に上り切る、ほんの少し前。

 

 自分は、ガヴェル輸送中隊の駐屯するテントに出張していました。

 

 

 朝早くから行われた、鉱山への2回目のガス攻撃。

 

 前世では条約で禁止された、凶悪な殺人兵器による攻勢。

 

 誰も何もしなければ、オースティンが快勝して戦争は終わっていた筈です。

 

 

 ヴェルディさんも、レンヴェル中佐も。

 

 あのベルン・ヴァロウでさえ、何事も起きずに鉱山攻略作戦が成功すると確信していた事でしょう。

 

 

 たった一人で歴史を動かす事が出来る『天才』が、この時代に二人も生まれていました。

 

 一人はオースティンの滅亡寸前から頭角を現して現在の優勢を築き上げた『悪人』ベルン・ヴァロウ。

 

 そしてもう一人、民衆にも政府にも裏切られてなお、父の愛した祖国の為に働き続ける『愚将』シルフ・ノーヴァ。

 

 

 ……彼女が此処に居ると知っていれば、きっとベルンもこんな作戦を実行したりはしなかったでしょう。

 

 ガス兵器の優れている点は、ただ安価で大量の敵を殺せることだけです。

 

 この作戦には大きな弱点がありますし、それをベルン自身も気付いていたようですが……。

 

 『フラメール如きにその弱点はつけないだろう』と言う慢心が有ったのでしょう。

 

 

 オースティン軍参謀部も、ガス兵器をサバト軍相手に使うつもりはありませんでした。

 

 この兵器で得られる優勢は一時的なもので、後々通用しなくなることが分かっていたからです。

 

 もうすぐ終戦だから、敵が自分達より技術で大きく劣るから、今回は安価なガス作戦を採用しただけです。

 

 

 前世でもガス兵器の寿命は、非常に短いものでした。

 

 すぐガスマスクという対策が取られ、成果が上がらなくなってしまいました。

 

 もしも条約で禁止されなかったとしても、すぐに廃れていた兵器だったでしょう。

 

 

 そう。ガス兵器は、そもそも欠陥兵器なのです。

 

 あくまで初見殺しの、一発ネタ作戦と言えました。

 

 だからその1回を有効活用する為、オースティンは鉱山にたっぷり敵を集めたのです。

 

 

 その初見殺しが通用しない相手が居ることを、考慮すらせずに。

 

 

 

 

「……っ!」

「何だ? 前が騒がしいぞ」

 

 丁度、自分が処置を終えようかというタイミングで。

 

 ゾクリと、全身が総毛立つような悪寒に襲われました。

 

「戦闘音だ。すぐ近くで誰か、銃を撃ちあってますぜ」

「馬鹿な。今日の作戦は銃を使わない筈だが……。敵が破れかぶれに突っ込んできたのか?」

 

 久しぶりに感じた、死の感覚。

 

 このままではヤバいという、本能からのメッセージ。

 

 自分の中の誰かが、大声で騒ぎ立てている感覚。

 

「待て、火の手だ。ヴェルディ少佐の居る中央司令部に、煙が上がっているぞ」

「何だと!」

 

 それらが自分の鼓動を早め胸を圧迫し、噴き出る脂汗が身の危険を警告していました。

 

「あ────」

「どうした、トウリ衛生曹」

 

 我々ガヴェル輸送中隊は、前線からオースティン寄りの森林地帯に一時駐留していました。

 

 敵が前線を突破してこない限り、ここまで銃声が聞こえて来る事はありえません。

 

「本部に連絡を試みたが繋がらない。……これは何かあったぞ」

「どうする、ガヴェル中隊長」

「……総員戦闘準備せよ、我々はヴェルディ少佐の無事を確かめに本部に戻る。場合によっては戦闘になるから、心の準備をしておけ」

 

 ガヴェル曹長は、少し迷って本部に戻る選択をしました。

 

 この周囲に敵が侵攻してきているなら、手持ちの兵力で輸送任務が完遂できるか分かりません。

 

 どの進路が安全かも判断が出来ず、作戦を続行できる状況ではないと判断したようです。

 

「ガヴェル曹長、自分はどうしたらよろしいでしょうか」

「え? ああ、お前はついてこなくていい。戦闘に巻き込まれるとまずいから、衛生部に帰還してろ」

 

 そんなこんなで急遽、ガヴェル輸送中隊は本部に戻る事になりました。

 

 ついでに自分は、衛生部に戻るように命令されました。

 

「……此処は既に戦闘区域の可能性があります。出来れば、貴隊で自分を保護して戴けませんか」

「曹長、戦闘区域に衛生兵を一人で放り出すのはちと容赦ないですぜ」

「あー。じゃあお前もついてこい」

 

 非常事態は団体行動が基本です。

 

 この状況で一人衛生部に帰れとか、鬼畜過ぎるでしょう。

 

「よし、ヴェルディ少佐を救援に行くぞ。全員駆け足、遅い奴は置いて行くからな」

「「了解」」

 

 こうして自分はガヴェル曹長の指揮下に入りました。

 

 そして、自分がガヴェル輸送中隊に保護された事こそが、

 

「各員、前進!」

 

 今後の自分の運命の、大きな分岐点だったのでした。



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133話

 

 日差しの強い森林内。

 

 まだピカピカの新品銃を背負ったガヴェル小隊の兵士達は、不安を隠そうともせず銃声の鳴り響く方角へと走っていました。

 

「ガヴェル中隊長。何度通信しても、司令部が応答しません」

「……分かった。各員戦闘準備、偵察兵が先行し状況を報告せよ」

 

 目指す司令部に近づくにつれ、銃声や悲鳴の音が大きくなってきました。

 

 敵が近いと判断したガヴェル曹長は、部隊を止め偵察兵に先行させました。

 

 かなり慎重ですね。

 

「前方1km程の森林地域で戦闘中みたいです。我がオースティン司令部は、もぬけの殻の様子」

「分かった。……敵に前線を突破されたのか? 何が起きてるんだ」

 

 自分達は少しずつ、ソロリソロリと前進を続けました。

 

 ガヴェル中隊は百人規模、まともな戦闘が出来る人数ではありません。

 

 恐怖と焦燥を顔に浮かべながら、ガヴェル曹長は先行して部下である我々に指示を出し続けています。

 

「報告です。最前線の塹壕が制圧・突破されていることを確認しました」

「……何故だ。奴らに、我々の塹壕を突破できるほどの練度があるとは思えん」

「それが……」

 

 30分もすると、偵察兵の一人が前線の様子を確認し戻ってきました。

 

 敵は一体どうやって、ガスの焚かれた最前線を突破したのでしょうか。

 

 その方法とは、

 

「奇妙な事に、直線的な黄緑色の煙が鉱山から塹壕へ何本も突き刺さっていました」

「……そうか、風銃か!」

 

 歩兵であれば標準装備として渡される武器、風銃でした。

 

 

 ガス兵器は、我々が考えている以上に弱点の多い作戦でした。

 

 まずガス兵器は、風上でないと使えません。

 

 なので攻撃地点が、容易に予想されてしまいます。

 

 更にガス攻撃は銃火器に比べ、ゆっくりとした攻撃です。

 

 目立つ黄緑色の煙が焚かれるので、攻撃を見落とすこともありません。

 

 だからガス攻撃が始まったのを見て、山上に避難することが容易なのです。

 

 現にフラメール兵はパニックを起こし山上へと撤退したため、死傷者は殆ど出ていませんでした。

 

 山に陣取った敵にガスを使用したのは、オースティンの最大の失策でしょう。

 

 

 そして問題はこれだけではありません。

 

 この世界には前世と違って、ガス攻撃に致命的な弱点がありました。

 

 それは手榴弾を撃ち落とす武装、通称『風銃』と呼ばれる魔法具でした。

 

 

 風銃には本来殺傷力は在りません。ブワっと風が吹くだけの、防具に分類される兵器です。

 

 しかしガス攻撃下で、この装備は凄まじい威力を発揮しました。

 

 致死性の高い毒ガスを、敵に向けて逆噴射できるのですから。

 

 まさに、ガス攻撃に対する明確な解答でした。

 

 

 

 無論、オースティン側も風銃を使用されることを想定していなかったわけではありません。

 

 フラメールやエイリスではまだ開発されていない兵器ですが、オースティンやサバト国内の賊から横流しされている事も想定してはいたそうです。

 

 実際ヴェルディさんは、風銃による反撃を受けた時も落ち着いていて、「敵と同じようにガスを撃ち返す様に」と指示を出しました。

 

 風銃が有るのはこちらも一緒。更に、風上はこちらです。

 

 ガスマスクも用意していますので、撃ち合いになっても有利。

 

 だから敵が風銃を持っていたことを、ヴェルディさんは意外だとは思いつつ脅威とは認識していなかったそうです。

 

 問題は、それこそシルフ・ノーヴァの「想定通り」だったことでした。

 

 

『ヴェルディ少佐。敵が煙に紛れて突撃し、塹壕を制圧されました』

『何ですって!?』

 

 

 シルフがガスを撃ち返した狙いは、視界を奪い気を引くことだけでした。

 

 彼女の本命の作戦は、煙幕に紛れての突撃制圧だったのです。

 

『そこら中で、爆発が!』

『手榴弾だ、手榴弾が投げ込まれているぞ!』

 

 ガスマスクを装備すると、非常に視界が悪くなります。

 

 更に風銃をガスの撃ち返しに使ったせいで土煙が舞い上がり、視界がさらに悪くなってしまいました。

 

 そのような状況で、上から落ちてくる手榴弾に対処できるはずもありません。

 

 

『今だ、風銃のお陰でガス濃度は薄まっている。塹壕内の敵を殺しマスクを奪え!』

『了解』

『敵の視界は悪い、今を措いて突撃するタイミングはない!』

 

 高所に陣取っていたサバト兵は、オースティン側の塹壕位置を把握していました。

 

 一方で、視界の悪いオースティン側はシルフ達の位置を正確に把握できません。

 

 その結果、前線オースティン兵は手榴弾により大きな被害を受けてしまいました。

 

『蹂躙せよ! 我々の勝利は目前だ!』

 

 シルフは我々の遺体からマスクを強奪し、塹壕を突破してしまいました。

 

 そして運が悪いことに、ヴェルディさんはガスの二次被害を恐れ『なるべく少数でガス作戦を決行させろ』と命令を出しており。

 

 少ない兵力ではサバト軍の突撃を止められず、後方司令部まで突破を許してしまったのです。

 

 

 

 実に効果的で、電撃的な突撃でした。

 

 ヴェルディさんはこんな展開を予想していなかったらしく、近くで銃声が鳴り響くまで奇襲を受けたことにすら気付いていなかったそうです。

 

 この戦略の切れ味は、間違いなく彼女……シルフ・ノーヴァの指揮だったでしょう。

 

「ガヴェル曹長、司令部の様子を確認しました。……壊滅しています、人っ子一人いません」

「……。ヴェルディ少佐は!?」

「分かりません」

 

 我々が司令部に到着した時には、多くの味方の遺体が転がっていました。

 

 それは、中央司令部が敵軍により敗走したことを意味しました。

 

「ヴェルディ少佐のテント周囲に敵影はあるか?」

「自分が見る限り、確認できません」

「なら少佐のテントだけ確認しにいく。……あの人の生死の情報は、何より重要だ!」

 

 壊滅した司令部を見て、ガヴェル曹長はまずテントの確認に向かいました。

 

 ヴェルディさんの遺体が無いか、確かめる為です。

 

「ヴェルディ少佐! ヴェルディ少佐はおられますか!」

 

 ガヴェル曹長は半狂乱になって、周囲の警戒もせずテントへ駈け込んでいきました。

 

 そんな彼に追従し、我々もテント内に入りました。

 

 血痕と鉄臭のこびりついた、かつてヴェルディさんと紅茶を頂いたテントに。

 

 

 

「……いない」

 

 テントの中に、ヴェルディ少佐の遺体はありませんでした。

 

「恐らく逃げたのでは?」

「そうか。ならば良いんだが」

 

 机は引き倒されており書類も散乱していますが、ヴェルディさんの姿は確認できません。

 

 ただテントの中には、一本の旗が無造作に立てられていただけでした。

 

 

「これ、サバトの国旗か?」

「敵にサバト人がいるって事か?」

「ったく、ひでぇ事しやがる」

 

 

 ここで自分達は、敵がフラメール人ではなくサバト軍だと気づきました。

 

 何故なら司令部のあちこちに、同じようにサバト国旗が立てられていたからです。

 

 

 戦場に自らの国旗を立てるという行為は、かつて戦場でよく見られた光景でした。

 

 ここは自分達の国の領土だとアピールするのに、これ以上なく分かりやすいシンボルだったからです。

 

 しかし銃が出現し塹壕戦が主体になってからは、いちいち旗を突き立てたりすることは無くなりました。

 

 奪った領地をすぐ奪い返されるので、いちいち旗を立てるのはコストの無駄と判断されたのです。

 

 

 しかしこの示威行為は、本拠地を失ったシルフ達にとって大きな意味がありました。

 

 彼女は国民に、『サバト旧政府勢力は滅びていない』とアピールしなければならなかったからです。

 

 また現サバトとオースティンの関係が悪化する事も、シルフにとっては大きなメリットになりました。

 

 なのでシルフはわざわざ司令部に国旗を立てて、サバト軍の存在を世界に誇示しようとしたのです。

 

 それは彼女なりの『足掻き』の一つだったのでしょう。

 

 

「……もういい、此処に用はない。俺達も退くぞ」

「何処へ撤退するんですかい」

「南軍の司令部だ。恐らくヴェルディ少佐が逃げるとすればそこだろう」

 

 

 しかし旧サバト兵は、ただ地面に旗を立てるだけでは満足が出来なかったのでしょうか。

 

 彼らはヨゼグラードや首都侵攻戦の経験から、残虐行為にすっかり慣れてしまった様で。

 

 ヤツらはわざわざ殺した『オースティン兵の遺体』の顔面に、喉を貫通させ旗を突き立てていたのです。

 

 

 苦悶の表情で。血の涙を流しながら。

 

 旗を立たせる『台』にされたその兵士は、静かに事切れていました。

 

 その残虐さに、ガヴェル曹長も思わず顔を背けていました。

 

 

「おいトウリ衛生曹。聞いていたか」

「……」

「退くぞ。もう、俺達が此処にいる理由は無い」

 

 

 自分はふと、今朝の彼女とのやり取りを思い出していました。

 

 リナリーは良く気が付く娘でした。

 

 攻勢が始まって忙しそうだった自分に代わり、わざわざ書類をヴェルディさんの下へ運んでくれると申し出てくれました。

 

「……いっ」

「おい」

 

 だから本当なら、自分がこうなっていた筈なのです。

 

 忙しいからとリナリーの好意に甘えず、自ら書類を提出しにヴェルディさんの下へ訪れていたら。

 

「イひっ……」

「おいってば」

 

 ああ。気付きたくはありませんでした。

 

 そうであってほしく無いと、何度も何度もその遺体を見て。

 

 自分は、その顔面に旗を突き立てられた少女が、

 

「何故、リナリー、が、いるんです……?」

「お、おい。トウリ?」

 

 大事な大事な、自分の義妹であるという事に。

 

 

 その瞳は見開いて。瞳孔は無様に開き切って。

 

 彼女は口からサバト国旗を吐き、突き立てられて死んでいました。

 

 

「あ。この娘、まさかこないだ絡んできた……」

「……」

「……おいメイヴ、トウリを肩にかつげ。多分、暫く使い物にならん」

 

 

 ぐるぐると、眩暈が全身の感覚を奪いました。

 

 立っているのも難しいほどに、吐き気が込み上げてきました。

 

「トウリは多分、この哀れな味方の知り合いだ」

「ちっ、そりゃしょうがねえ。任せろ、しっかり運んでやるさ」

 

 その衝撃に呆然としていると、自分は誰かに抱き上げられました。

 

 そしてリナリーの旗を取ってやる事も出来ないまま、自分はテントの外に担ぎ出されました。

 

「よし、全員いるな。これより我々は南軍司令部を目指し撤退する」

「了解」

「余計な戦闘はするな。偵察兵、警戒を密にしろ」

 

 自分のせいでしょうか。

 

 彼女が、リナリーが、あんな目に遭ったのは自分のせいでしょうか。

 

「……ア、はァ」

 

 暫く自分は大口を開けて、ボタボタ涙や涎を垂らし続けました。

 

 冷たい雫が肩に当たっていただろうに、自分を抱えてくれた大男は一切何も言わずにいてくれました。

 

「よし、では出発だ。各員、冷静に行動しろ」

 

 肩に抱かれながら自分は、何度もこの身の情けなさを呪いました。

 

 ここは戦場です。今から皆命懸けで撤退しようというのに、ただ一人担がれて情けない。

 

 大事な義妹も守れずに、今もなお皆に迷惑をかけて。

 

「10時方向で戦闘音です、迂回しますか中隊長」

「ああ、迂回だ」

 

 どうしてサバト兵は、あんなことを?

 

 何故リナリーが、殺されなければならなかった?

 

 そういった疑問がグルグルして、もう何も考えられなくなって。

 

「なるべく戦闘は避ける。無事にオースティン本軍に合流する事が、今の俺たちの使命だ」

「了解」

 

 

 

 

 ─────違うだろ。

 

 

 

 

 その時、誰かの冷徹な声が頭に響き。

 

 スゥっと頭が冷え込んで、何かが切り替わる音がしました。

 

「……ご迷惑をおかけしました。もう大丈夫です、降ろしてください」

「お?」

 

 涙は止まらないまま、自分は唐突に平静を取り戻しました。

 

 氷の様に冷たい何かが、臓腑に落ちて広がっていく感覚で落ち着いていきます。

 

 ……いえ、違いますね。ゴルスキィさんの説だと『狂った』だけかもしれません。

 

 

「ガヴェル曹長。10時方向で戦闘音が有ったとの事ですが」

「……おい。お前、もう大丈夫なのか」

「ええ、大丈夫ですとも」

 

 先ほどまでおぼつかなかった呼吸は、静かな吐息に変わり。

 

 寝起きのようにスッキリとした、戦場を見渡す思考回路が戻ってきました。

 

 まるで、大会でゲームをしている時のように。

 

「方針に対する提案があります。ガヴェル曹長」

「……あ?」

「敵の方へ向かい、我々も戦闘に参加するのは如何でしょうか」

 

 そよ風のようにクリアな思考の中で、自分はガヴェル曹長にそう提案しました。

 

 自分の中の『誰か』も、自分を導く『直感』も、そうすべきだと言っていました。

 

「お前、俺達は100人しかいないんだぞ!? 敵の数も分からないのに、許可も得ず戦闘って────」

「でも、勿体ないじゃないですか。せっかく裏を取れ(・・・・)ている(・・・)のに(・・)

 

 今の状況で、自分達が戦闘に参加しない理由は有りません。

 

 我々は敵の進軍経路を、後ろから追いかけている状況だからです。

 

 このまままっすぐ進むだけで、敵の背後から奇襲できます。

 

「敵は恐らく風銃を使って、司令部に奇襲を仕掛けてきたのでしょう?」

「まぁ状況的には、その可能性が高いだろう」

「だとすれば敵は、わざわざガスの焚かれた道を引き返して帰ると思いますか?」

 

 それに、このまま敵を放置するのも戦略的にあまりよろしくありません。

 

 何故なら敵はオースティン陣地内に潜りこんだことを利用し、更に悪辣な作戦を仕掛けてくると思われるからです。

 

「奴らはまだ、味方の陣地を襲おうとするはずです。奴ら自身の退路を確保するために」

 

 自分はこの時点で、敵は『シルフ・ノーヴァ』だと確信していました。

 

 リスクは有れど期待値が高ければ、常識にとらわれず博打策でも採用し。

 

 そしてその奇想天外な作戦を、実行に移せるだけの計画性を併せ持つ。

 

 そんな異常な指揮官を、自分はシルフ以外に知りません。

 

「司令部が壊滅した今、前線に命令は届きません。前線の兵士は逃げられないのです。敵はビュッフェでも楽しむように、好きな陣地を殲滅していくでしょう」

「……」

「そんな彼らを救えるのは我々しかいません。……奴らの後方を脅かし、味方を助ける事こそ我らの使命ではありませんか」

 

 シルフ・ノーヴァを放置すればすさまじい被害が出るでしょう。

 

 彼女は紛れもなく天才で、そしてオースティンの天敵です。

 

「決断してください、ガヴェル曹長。貴方は我が身を可愛がり、多くの味方を見殺しにするのですか」

「だが、それは」

「ヴェルディさんを目指す貴方が、本当にそんな方針を選ぶのですか」

 

 そうガヴェル曹長に提案する、自分の声は震えていました。

 

 しかし、それは恐怖からではありません。

 

 何せ自分は、何の根拠もなくこの作戦が「上手く行く」と思い込んでいるのですから。

 

「き、危険が過ぎるじゃないか。上手く行く保証がどこにあって」

「上手くいくかは、貴方の指揮次第です。ご決断を」

 

 ああ、涙が溢れて止まりません。

 

 リナリーの残酷すぎる最期を見て、今にでも泣き叫びたくて仕方ありません。

 

 なのに、口角が少しずつ、つり上がってしまうのです。

 

「む、無理だ! 悪いが俺は輸送部隊しか指揮していない、実戦は────」

「では提案です。今は午前11時14分。自分はまだ、衛生准尉(・・・・)

「……お前」

「確かに、曹長の実戦経験では不安が多いでしょう」

 

 ガヴェル曹長は、まだ踏ん切りがつかないようでした。

 

 彼はまだ実戦の指揮に自信がない様子です。

 

「どうか、この自分に指揮権を預けてください」

「トウリ、お前!」

「自分が幸運運び(ラッキーキャリー)と呼ばれた所以をお見せしましょう」

 

 士官学校を卒業したばかりの士官に代わり、叩き上げが指揮を執るのは珍しい事ではありません。

 

 自分は青ざめるガヴェル曹長をあやすように、そう言って笑いかけました。

 



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134話

 

 この時の我々は唯一、「サバト軍に背後から奇襲を掛けられる」部隊でした。

 

 ガヴェル輸送中隊は「たまたま負傷者が出たので待機していた」だけで、本来ならとっくに首都ウィンに向けて出発していた筈の部隊です。

 

 その位置は前線から2-3㎞ほど北に寄っただけの、戦略的に何の意味もない場所。こんな場所に伏兵など予想できるはずがありません。

 

 サバト軍指揮官シルフ・ノーヴァからすれば『何でそんな所に中隊が居るんだ!』と喚きたくなったでしょう。

 

「知り合いを殺されて、腹立たしいのは分かる。だけどそれは無謀だ、トウリ」

「自分は冷静ですよ。……本当はもっと取り乱さなければならないのに」

 

 この時確かに、自分は怒っていました。

 

 リナリーの無残な姿を見て、サバト兵に対する殺意を胸いっぱいに抱えていました。

 

 だけどそれ以上に、

 

「……どう見ても今のお前は、正気じゃない。落ち着けよ。ここで俺達がサバト兵を奇襲したからって、お前の友人は帰ってこない」

「知っていますとも。自分は仇討ちの為にこんな提案をしたのではありません」

「じゃあ何で、そんな」

「少しでも味方の被害を減らす為です」

 

 愉しくて仕方がない。

 

「自分が自棄になって、怒りに呑まれて、そんな提案をしている様に見えますか」

「……いや」

 

 自分はこの戦場で、敵の背後を突いて奇襲できるという圧倒的優位な戦況に、

 

「心底楽しそうに、見える……」

「ええ」

 

 FPSで裏取りに成功した時の様に、高揚していたのです。

 

「兵士として、味方の力になれる事が幸せで仕方ないのです」

 

 

 

 

 

 

「無茶だと思ったら、すぐ撤退の指示を出すからな」

「ええ、了解しました」

 

 こうして自分はガヴェル曹長に、奇襲の有用性を説きました。

 

 これは勝てる戦闘であり、何よりヴェルディさんの為になると順序だてて説明しました。

 

「ご安心ください、こう見えてもそれなりに経験は積んでいますので」

「……お前は衛生兵だろ?」

「何せよく、突撃部隊に所属していましたから」

 

 まぁ、指揮官として指示を出すのは初めてなんですけど。

 

 ゴルスキィさんの副官として指揮官の真似事をした事はありました。

 

「彼らのやり口を、自分はこの場の誰よりも知っています」

「……信じるぞ、お前」

 

 こうして自分は説得の末、ガヴェル曹長から一時的に指揮権を譲り受ける事が出来ました。

 

 

 

 

 

 これが、自分が初めて指揮官として歩兵部隊を率いた戦いでした。

 

「ガヴェル曹長、本当にこの娘に指揮を任せるんで?」

「何かご不満でしょうか、メイヴ輜重兵長」

「あー、いや。准尉殿には逆らいませんよ」

 

 自分が指揮権を受け取った時に、部下の顔はかなり不安げでした。

 

 年若い自分に従って大丈夫なのかと思ったのでしょう。

 

「……ひっ」

「何か?」

 

 ただ准尉に面と向かって文句を言う度胸はないようで。

 

 不満げな兵士もひと睨みすれば、顔が蒼くなり言う事を聞いてくれるようになりました。

 

 今だけは、この無駄な階級に感謝しておきましょう。

 

「3つの分隊があるのですね。ではそれぞれA班、B班、C班として指示を出します」

「りょ、了解だ。トウリ中隊長代理殿」

 

 ガヴェル中隊は100名規模の中隊で、輜重兵である30名とその護衛である70名で構成されていました。

 

 護衛は3班に分かれており、新人が多いながらよく訓練されているそうです。

 

「A班は自分に追従してください。B班は迂回して、3時方向に展開。C班は9時方向に、敵を包み込むように移動をお願いします」

「ただでさえ少数なのに、分かれるのか?」

「ええ。と言うか固まるメリットがないです」

 

 本格的な指揮など初めてでしたが、自分は一切の迷いなく指示を出していきます。

 

 ……まるでゲームで、チームメンバーに作戦を伝える様にスムーズに。

 

「……幸運運び(ラッキーキャリー)殿の言うことだ、信じてみよう」

「ありがとうございます。ではガヴェル曹長、C班の指揮をお任せしてよろしいですか」

「分かった」

 

 ガヴェル曹長はそんな自分を、値踏みするような目で見ていました。

 

 彼はきっと、自分のかつての「逸話」を知っているから指揮を預けてくれたのです。

 

 その期待に添えるよう、しっかり戦果を挙げるとしましょう。

 

「では、奇襲を開始します」

「あ、ああ」

 

 自分は数十名の味方を背中に率いて。

 

 銃声の鳴り響くサバト軍の居る方向へ、静かに駆け出していきました。

 

 

 

 

 ────近づいてみると、敵は思ったより少数でした。

 

 鉱山周囲の森の起伏の無い場所に、焚火を構えて休んでいる様子でした。

 

 眠っていたり、酒を飲んでいる兵士もいるようです。

 

「B班、配置についた様子です」

「了解。C班の様子はどうですか」

 

 敵は100人規模で、半分ほどが包帯を巻いて横たわっていました。

 

 恐らくは負傷兵、これ以上戦えないので後方待機を命じられたのでしょう。

 

 楽に勝てる相手です。出来れば一人も逃さず殲滅したいですね。

 

「C班もまもなく配置につきそうです」

「分かりました。では、合図の旗を準備してください」

 

 気付かれずに接近できたので、自分達は森の木々に隠れて3部隊に分かれて彼らを包囲しました。

 

 三角形で囲い込む形は友軍が射線に入らないし死角が殆ど無いので、非常に強力なのです。

 

「両班、準備整いました」

「では合図をお願いします」

「了解」

 

 自分達は確実に相手を殺すべく。

 

 部隊間に通信兵を置き、手旗信号で連携をとりながら作戦を行いました。

 

 部隊間のコンビネーションが、実戦では何より大事なのです。

 

「……B、C班、合図と同時にそれぞれ射撃を開始しました」

「敵、逃げまどっています」

 

 自分は先に、BとC班の2方向から攻撃をさせました。

 

 狭く視野の悪い森林地帯でいきなり挟撃されて、敵の兵士は大混乱に陥りました。

 

 サバトからすれば、何でここに敵が居るのか意味不明でしょうね。

 

「首尾は上々ですね。さて、A班」

 

 自分は混乱状態に陥ったサバト兵を確認し、静かに背後の兵士達に合図を出しました。

 

 我々こそ、この戦いで一番重要な部隊。

 

「────我々も作戦を開始します。では、突撃」

 

 そう、突撃部隊です。

 

 

 

 

 

 遠距離の撃ち合いで与える被害には、限界があります。

 

 時間を掛ければ殲滅できるでしょうが、この状況だといつ援軍が来るか分かりません。

 

 短時間でスムーズに全滅させる為には、やはり突撃が必要でした。

 

「雄たけびは必要ありません。静かに、すーっと距離を詰めましょう」

 

 これは自分は前世で得意にしていた、三手詰めの奇襲戦法です。

 

 普通の人間は、動く物体に意識を割けるのは2方向まで。

 

 3方向以上になると脳の処理が追い付かず、どうしても注意がおざなりになってしまうのです。

 

「そろそろ、銃の射程に入りますね。よく狙って、まだ我々は気付かれていません」

 

 自分達は木々に身を隠しながら、サバト兵の背後10~20mほどの距離まで詰めていきました。

 

 最初の2方向からの挟み撃ちは、ただの陽動。

 

 自分の突撃部隊に注意を向けさせないのが、狙いだったのです。

 

 

「今です、撃て!」

「了解!」

 

 

 部下によく狙いを定めるように指示を出した後。

 

 自分達は掛け声と同時に銃弾を放ち、多くのサバト兵を肉塊に変えました。

 

 

 

 

「逃げ出した兵士は居ましたか?」

「いや、俺が見た範囲ではいなかった。全滅だと思う」

 

 自分達が戦った敵は、やはり戦線離脱した負傷者でした。

 

 彼等は移動も撤退もままならず、我々の銃の前に倒れ伏してしまいました。

 

「狸寝入りはいないか?」

「大丈夫っぽいです。91名の遺体を確認しました」

「一応サバト銃も徴収してください。弾切れを起こした時の為に」

 

 自分はそう指示を出し、ご遺体からサバト銃を頂いて背負いました。

 

 自分はサバト銃の方が扱いやすいので、無傷のものを手に入れられたのは幸運でした。

 

 使い慣れているのもありますし、射程がオースティン銃より少し長いのもグッドです。

 

「周囲の偵察状況を教えてください」

「1時方向、5㎞先で銃声があり。戦闘が発生しているようです」

「了解です、ではそちらに向かいましょう」

 

 サバト兵の物資を漁っている間に、偵察兵さんが敵の位置を特定してきてくれました。

 

 予想通りサバト兵は、オースティンの塹壕を背後から攻撃しているようです。

 

「もう結構な戦果を挙げたんじゃねぇか? 敵の後方部隊を壊滅させたぞ、俺達」

「いえ、まだまだです」

 

 ガヴェル曹長はやんわりと、もうやめようと言ってきましたが……。

 

 まだ、自分達は何もしていません。むしろ今からが、本番です。

 

「敵にプレッシャーを与えるためにも、前線にはいかねばなりません」

 

 それに今ここで逃げたら、勿体ありません。

 

 冷や汗が止まらない窮地に陥るまで、自分はまっすぐ突っ走らねばならないのです。

 

 今まではずっと、そうでしたから。

 

 

 

 

 

 

「敵、交戦中の模様です」

「見つけましたか」

 

 偵察兵の示した方向へ行くと、報告の通りサバト兵が味方と交戦している真っただ中でした。

 

 森を抜けて見晴らしの良い平地になっているので、先程みたいな包囲戦法は使えなさそうです。

 

 サバト兵はテントや土嚢に身を隠し、塹壕に籠る味方と撃ち合いをしていました。

 

「味方の陣地、まもなく破られそうです」

「……どうするんだ」

「そうですね。まずは再び3部隊に分かれ、配置につきましょうか」

 

 自分はガヴェル曹長にそう言い残すと、再び分隊ごとに分かれるように指示を出しました。

 

 この状況なら、なるべく広い範囲で背後を突いた方が敵の動揺を誘えます。

 

「無理な前進は必要ありません。敵の背後を脅かすだけで、十分な脅威になります」

 

 目の前にいるサバト兵は、凄まじい数でした。

 

 たった百人でこれほどの敵を相手にするなど正気ではありません。

 

「配置につく前に、退路の確認を徹底して下さい。敵が詰めて来たら、迷わず退いて下さい」

「分かりました」

 

 普通にやれば物量差でボロボロにされてしまいます。

 

 だからここからは、いかに兵士が『身の危険を餌にチキンレース出来るか』。

 

「目の前の味方は窮地に陥っています。そんな彼らを援護し、生還させる事こそ最大の目標です」

「はい、准尉殿」

「よろしい。では、制圧射撃っ!」

 

 自分はその掛け声と同時に、サバト兵の頭蓋を背から撃ち抜いたのでした。

 

 

 

 

 

『敵だ、奇襲だ』

 

 サバト兵はすぐ我々に気付き、応射してきました。

 

 流石に、サバト革命を生き延びた精鋭中の精鋭。

 

 動揺しつつも即座に対応してくるあたり、練度が高いです。

 

「撃った後は身を隠す事を徹底してください! 自分の生存を最優先に。我々の最大の目的は、敵を殺す事ではなく『挟撃している状況』を維持する事です!」

 

 近接戦闘では、兵士の練度がモノを言います。

 

 普通に考えて、新米だらけのガヴェル中隊がサバト兵に勝てる訳がありません。

 

 先ほど敵を壊滅させられたのは、彼らが後方に配置されていた負傷兵だったから。

 

 普通に戦えば、兵士としてのレベルが違い過ぎてまず勝てません。

 

「敵を狙わなくていい、敵の方向に弾が飛んでいけばそれでいいです。敵を動揺させ、意識を分散させることが出来れば上等です!」

 

 ですが、どんなベテラン兵士でも挟み撃ちされれば容易く死にます。

 

 前後どっちにも目を持っている兵士は、存在しないからです。

 

 あのガーバック小隊長ですら挟撃を嫌って、部下に警戒させていたくらいです。

 

「トウリ衛生准尉。敵が、我々に距離を詰めてきています」

「そうですか、では手筈通り撤退を」

 

 敵の中に、判断が早い部隊が居ました。我々を倒すべく、距離を詰めてきたのです。

 

 恐らく、それは間違った行動ではありません。

 

「B、C班と連携を。飛んで火にいる夏の虫ですよ」

 

 ちょろちょろと背を飛び交う羽虫が居たら、撃ち落としたくなるものです。

 

 ですが、これこそ自分が待っていた展開でもありました。

 

 そう、我々は3つの分隊に分かれているのですから、

 

「敵、想定していたポイントまで突撃してきます」

「分かりました」

 

 深追いしてくれれば、あっさり包囲が完成してしまうのです。

 

 詰められたら、退く。そして別の場所の背後を脅かす。

 

「合図の空砲を撃ってください。同時に、一斉射撃を」

「了解です」

 

 これぞチーム制FPSの基本戦術です。

 

 一人を囮にして誘い出し、包囲して撃ち殺す。

 

 タイミングさえ間違えなければ、一番確実に敵を倒せる方法でしょう。

 

「……」

 

 まんまと引っかかったサバト兵は、血飛沫を上げて倒れていきました。

 

 彼らは何が起きたのか分からないという表情で、自分達を見て絶叫しました。

 

「このように無理をせず、敵が来たら退いてください。前線の敵戦力を削れるだけで、十分な戦果なので」

「了解」

 

 ……彼らはかつて、自分と肩を並べて戦った戦友でしたっけ。

 

 今の自分に、そんな事を思い出す余裕なんてありませんでした。

 

 

 

 

 

 このエセ啄木鳥戦法で敵兵を削りながら、自分達はころころ位置を変え敵の背後を脅かしました。

 

 いろんな場所でかく乱する事により、全敵兵に後方警戒を強いることが出来るのです。

 

「そろそろ退かないか? もう十分だろ」

「……いえ、もう少しやりましょう。そうしないと、酷いことになる」

 

 できればシルフを見つけたかったのですが……戦場のどこにも、彼女の姿は在りませんでした。

 

 彼女ならどんな劣勢からでも、針の穴を通すような勝利を実現して見せる事を知っています。

 

 ……やはり彼女は、前線には出てきていないのでしょうか。

 

 

 

 

 

「敵さん、結構疲弊してきたんじゃねえ?」

「ええ、いつ背中から撃たれるか分からない状況はすごく疲れるのですよ」

「俺たち自身はそんなに敵を倒してないのにな」

「自分はそこそこ仕留めています」

 

 ガヴェル中隊は数時間ほど後方攪乱を行い、嫌がらせに徹しました。

 

 背後を取っているとはいえ、正規兵を相手に突撃できる程に練度は高くないのです。

 

 新米の多い部隊なので、あまり無茶が出来ません。

 

「そろそろ武器弾薬も心もとないな」

「奪ったサバト銃を使っても駄目ですか」

「それを含めりゃ、もう少しは戦えそうだが」

 

 それに護衛兵たちの持っている弾薬は、戦闘一回分のみでした。

 

 しかも新米が多いせいで、思ったより弾薬消費が激しかった様です。

 

「であれば、もう少しだけ頑張って貰いましょうか」

「衛生准尉、再び敵が突撃してきました」

「では後退を」

 

 武器弾薬が尽きてしまったら、我々に存在価値はありません。

 

 敵を挟撃しているという状況の維持こそが、ガヴェル中隊の最大目標なのですから。

 

 心もとなくなってきた武器弾薬を、どう節約しようかと考えていたら……。

 

 

 

 獅子のような咆哮が戦場に響き渡り。

 

 戦場を照らす眩い閃光が、一直線に突き進んできました。

 

 

 

「……っ! 総員退避、あの閃光から逃げてください!」

 

 ゾワリ、と伝う凶悪な死の気配。

 

 自分は即座にその光に向かって銃弾を放ちましたが、【盾】に当たり軌道が歪んで外れました。

 

「速すぎます、何ですか、あれは────」

「撃て、撃て!」

 

 自分はその兵士を知っていました。

 

 かつて西部戦線で、ガーバック小隊長と互角に戦っている姿を見たことがありました。

 

 それは獅子のように雄々しくて、風のように優しくて、雷のように苛烈な人。

 

「……C班、7時方向に撤退。B班は4時方向へ」

「りょ、了解」

「我々はまっすぐ後ろに。アレと正面から戦ってはいけません」

 

 ゾクゾクと、恐怖がせり上がってきました。

 

 ダメです、此処で突っ張っては駄目。ここが退き時です。

 

 自分の直感が急遽、警告音を体全体に鳴り響かせていました。

 

「あれは何だ!?」

「聞いた事はありませんか」

 

 その雷を纏った槍の戦士は、見た事も無いような冷たい目をしていました。

 

 

「西部戦線でのサバト軍エース級突撃兵、雷槍鬼(カミキリ)です」

 

 

 ────ゴルスキィさん。

 

 かつて凍死しかけた自分を、わざわざ寝袋の中に入れて温めてくれた人。

 

 共にヴァーニャで語り合った、サバトでの戦友の一人。

 

 

 そんな彼は凄まじい形相で、隻腕を振るい雷槍を輝かせると。

 

 数多の雷撃が戦場に降り注ぎ、近くに居たオースティン兵を黒焦げに焼き殺してしまいました。



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135話

 

 その人の逸話は、今なおオースティン兵の中で語り継がれていました。

 

 雷を纏って突撃してくる、サバトの神速の雷槍使い。

 

 西部戦線でガーバック小隊長と互角に渡り合った、正真正銘の『エース級』。

 

「雷槍鬼、って。エース級の……?」

「聞いた事がおありですか、ガヴェル中隊長」

 

 敵エース級の情報は、積極的に歩兵間で共有されます。

 

 それは戦場で生き残るために大事な情報だからです。

 

「あの男と正面からやり合ってはいけません」

 

 彼が現れただけで、ビリビリと空気が緊迫し鳥肌が立ちました。

 

 勝てない。自分の細腕ではどうやっても、あの偉丈夫を殺せない。

 

 捕食者と餌の様な、圧倒的な実力差がそこにありました。

 

 蛇に睨まれた蛙の気持ちがよく分かりました。

 

「……ゴルスキィ、さん」

 

 

 ……アレは、敵です。

 

 彼は自分達を殺そうと、部下を率いて突撃してきた死神です。

 

 彼の姿を見た時、動揺しなかったと言えば嘘になります。

 

 ですが自分はすぐ、「敵として」のゴルスキィさんをどう対処すれば良いか考え始めました。

 

「どうする、もう挟撃は諦めて撤退するか?」

「ええ、確かにすぐにでも撤退したいのですが。相手が悪すぎます、逃げ切れるとは思えません」

 

 ゴルスキィさんは非常に厄介です。

 

 まず、移動速度が早いこと。ガーバック小隊長も最初に「足を潰したい」と考えるくらいに、常軌を逸した速度で突進してきます。

 

 その上、あの人は【盾】が堅すぎて銃弾で死んでくれません。

 

 運良く盾を破れたとしても、槍で弾かれてしまいます。

 

 手榴弾をぶち当てたり、生身の接近戦で仕留めるしか倒す方法がないのです。

 

「敵エース級、こちらに突っ込んできます。どうしますか!?」

「雷槍鬼は無視して、彼の部下を撃ってください」

「じゃあアイツは放置ですか!」

 

 ガーバック小隊長ですら仕留めきれなかった、東西戦争からのサバトのエース。

 

 まともにやりあったら、まず勝つことはできないでしょう。

 

 なので、

 

「……自分が出ます」

「は?」

「自分が離脱した後の命令を伝えておきます。復唱して忘れないように」

 

 彼が動揺してくれる可能性がある、自分(トウリ)が出る。

 

 それ以外に、この危機を脱する方法はありません。

 

「覚えましたか。では突っ込みますので、後は手筈通りに」

「ちょ、ちょっと衛生准尉殿!?」

 

 そう方針を決めた瞬間、本能からの『死』の警告がけたたましく鳴り響きました。

 

 しかしそれは「行ったら死ぬ」のではなく、「行かな(・・・)ければ(・・・)死ぬ」という脅しのような警告。

 

「時間くらいは稼いで見せます。自分が死んだら、ガヴェル曹長の指示に従って撤退して下さい」

 

 自分は、部下の兵士にそう告げた後。

 

 意を決してたった一人、雷槍鬼(カミキリ)の前に突っ込んでいきました。

 

 

 

 

 

 

 

 戦場に、落雷が四方八方に木霊して。

 

 蒼い森の木々の隙間を縫って、銃撃が四方八方に飛び交っていました。

 

『オースだ、撃て!』

『死ね!』

 

 懐かしの、サバト語。

 

 彼らに自分が近づくや否や、すかさず集中攻撃を受けました。

 

 流石に、反応とエイムが良いですね。

 

「【盾】」

 

 右の掌を開いて【盾】を出し、銃撃を弾きます。

 

 弾は自分の細い体躯を、僅に外れて抜けていきました。

 

 そんな濃い銃撃の合間を左右ジグザグに動き、自分は敵に近づきました。

 

『動きが早いぞ』

『【盾】で銃撃を弾かれた! 気を抜くな』

 

 彼らはサバト語で怒鳴り、隙間なく射撃を行ってきました。

 

 自分の動きを止める目論見でしょうが……。むしろ撃ってくれた方が、リロードの隙をついて動きやすいんですよね。

 

 サバト銃の装填間隔は、身に刻み込んでいるのです。

 

『動きに迷いがない。気を付けろ、エース級かもしれんぞ!』

『エースどころかただの衛生兵ですよ! 失礼ですね』

『えっ、女?』

 

 何やらエースと誤解されそうだったので、時間稼ぎがてらサバト語で怒鳴り返してみました。

 

 あの人に届くかもしれないという、期待を込めて。

 

『……もしや、と思ったがな。トウリか、貴様』

『ええ、お久しぶりです』

 

 やはり、彼はそこにいました。

 

 自分は樹木に身を隠しながら、ゴルスキィさんの声に返事を返しました。

 

 彼の声は聞いた事も無いほどに……、冷徹でした。

 

『トウリって、あのオースちゃんか……?』

『ええ、お久しぶりです。出来れば、戦場でお会いしたくなかったですけどね』

 

 思い返してみれば、先程自分を撃った兵士も顔見知りでしたね。

 

 ゴルスキィ隊結成の際に、一緒にヴォック酒で席を囲んだ間柄のサバト兵です。

 

『何の用だ。降伏の申し入れという訳ではなさそうだが』

『それはこちらの台詞です。いきなり、フラメールとの戦争に乱入してきてなんですか。サバトとの戦争は終わったと認識していましたが』

『戦争は終わってなどいない。オースを滅ぼした先にこそ、サバトの未来はある』

 

 自分はゴルスキィさんを相手に、軽口を叩いて時間を稼ごうとしました。

 

 戦おうとしても、殺されるだけなので。

 

『降伏の申し出で無いのならば撃つ、それだけである。総員、構え』

『……何も答えてくれないんですね、ゴルスキィさん』

『ヤツはオースだ、敵だ。手榴弾を投げ込んだあと、第2射を撃て』

 

 しかし流石は、歴戦のエース。

 

 ゴルスキィさんは一切の動揺を見せず、自分の潜んでいる木陰に攻撃命令を出しました。

 

 彼はもう自分を敵として殺す覚悟を持っているようです。

 

『抵抗はしませんよ。自分は兵士です、殺される覚悟はありますとも。……貴方をここに引っ張り出せただけで、戦果は十分でしょうし』

『そうか』

 

 そんなゴルスキィさんを相手に、自分はなるべく平静を装って会話を続けました。

 

 数千人規模の敵を相手に百人中隊で立ち向かい、後方を撹乱して数多の被害を出し、エースを後方に引っ張り出したのです。

 

 新米だらけのガヴェル中隊の戦果としては、大金星と言える結果でしょう。

 

『どうぞ、撃ってください。……わがままを言うと、どうせ殺されるなら貴方がいいですねゴルスキィさん』

『……ぬ』

 

 それにこの人が本気で追えば、ガヴェル中隊は全滅してしまうでしょう。

 

 自分が姿を見せたから、こうして問答に応じてくれているのです。

 

 冷徹に振る舞っておきながら、何だかんだゴルスキィさんは甘いですね。

 

『ああ。それとシルフに、遺言を伝えて貰っていいですか』

『何だ』

『この戦いは、貴方を引っ張り出した自分達の戦術的勝利です、と。そう、自慢たっぷりに言っていたと伝えてください』

 

 ……自分がそんな軽口を叩くと、ゴルスキィさんはふっと笑い。

 

 優しい声になって、

 

『そんな遺言は伝えられんな。我らがボスに癇癪を起こされると敵わんのだ』

『それは残念です』

 

 そう、軽口を叩き返してくれました。

 

 

 ────不思議な事に。

 

 この時ですら、まだ自分はあまり『死ぬ』気配を感じていませんでした。

 

 もう少し、突っ張れる。

 

 あと数十秒、時間を稼げる。

 

『望み通り、貴様は吾が槍で貫いてやろう。……姿を見せい』

『分かりました』

 

 自分は、その直感に従って。

 

 抵抗の意思を見せぬよう両手を上げながら、ゆっくりとゴルスキィさんの前に姿を見せました。

 

 ────生き延びる、為に。

 

『本当に、貴様か。トウリ』

『……ええ。ゴルスキィさんは、少し痩せましたか』

 

 金色の英雄は、自分の顔を見て悲しげな表情になりました。

 

 その隻腕で握りしめる槍には、バチバチと電流が伝っていて。

 

『動くな。せめて、一撃で痛みなく仕留めてやる』

『どうも』

 

 ゴルスキィさんはゆっくりと、その槍を自分に突きつけて構えを取りました。

 

 

 

 ────自分が処刑される時が、近づいてきました。

 

 

 

 ゴルスキィさんは一切の油断なく、まっすぐ自分を見据えて立っています。

 

 けたたましい警告音が、自分の脳をチリチリ焼いています。

 

『さらばだ、親愛なる故郷オセロ村の友人トウリ。……謝らんぞ、これが戦争だ』

『ええ、よく存じています』

 

 ドクン、ドクンと脈が速くなってきました。

 

 限界はもう、そろそろでしょうか。

 

『安心してください、恨みはしませんよ』

 

 このままでは自分は、槍に突かれて死んでしまいます。

 

 全身を脈打つように、心地よいゾクゾクが張り巡らされて────

 

 

『む、トウリ貴様?』

『何ですか?』

 

 

 ああ。あと一瞬で殺されるという、ギリギリの緊迫感に。

 

 ……自分はどうしようもなく、心を躍らせていました。

 

 

『何を企んでいる!』

 

 

 突如、ゴルスキィさんの態度が一変しました。

 

 彼はいきなり姿勢を低く保つと、口角を(・・・)吊り上(・・・)げている(・・・・)自分に向けて、

 

「そろそろ、ですかね」

 

 音速で飛び込んで、まっすぐ槍を突き上げました。

 

 

 

 

 

 彼の槍の一閃には、凄まじい轟雷が追従しました。

 

 少しかすっただけでも、その電熱に触れるだけで感電死していたでしょう。

 

 自分はそのギリギリのタイミングで後ろに跳躍して槍の間合いから逃げました。

 

 あと一瞬でも飛ぶのが遅ければ死んでいましたね。

 

『皆、撃て。トウリを撃て!』

『りょ、了解です』

「あはっ……」

 

 跳ぶ、飛ぶ、翔ぶ。

 

 自分はギリギリのスリルを楽しみながら、自ら出した【盾】を足場に蹴って森林内へ逃げ戻りました。

 

 ……敵を翻弄するのが愉しすぎて、思わず忍び笑いが零れてしまいました。

 

「あははっ」

『弾が当たらない! 避けられてます!』

『馬鹿な!』

 

 興奮で、胸の鼓動がなかなか収まりません。

 

 ゴルスキィさんは顔を青ざめ、そんな自分を撃つように部下へ命令しました。

 

 チリチリとした心地よい緊張感の中、致命傷になりうる弾が何発も飛んできます。

 

 それらの軌道をよく見て【盾】で弾き、銃剣で切り飛ばして木陰に再び身を隠すのは……。

 

 これ以上ない、至福でした。

 

「あははははっ!!」

『もういい吾が突っ込む、あの女を逃がすな────』

 

 どうやらゴルスキィさんは、自分の降伏がブラフだと見抜いたようで。

 

 動揺したまま怒りに任せ、自分を本気で殺すべく突っ込んでくれました。

 

 ……自分の狙い通りに。

 

『すみません、見失いました!』

『阿呆! あの木の裏だ、彼処までヤツは移動しておる!』

 

 追ってきてくれないと、どうしようかと思いました。

 

 自分にはゴルスキィさんを殺せないですが、だからと言って見逃すわけにはいきません。

 

 一人で勝てない相手は、囲めばいいのです。

 

『ぐぁ────!?』

『手榴弾!?』

 

 彼が自分を追って大きく踏み込んだ、その直後。

 

 背後で火炎と共に爆発音が鳴り響き、ゴルスキィさんの部下が爆死しました。

 

「あはははははは!」

 

 これは「味方が配置に付いた合図」である手榴弾ですね。自分の指示通りの配置についてくれたみたいです。

 

 ……自分は準備が出来たら、手榴弾を一つ放るように手榴弾投げおじさんにお願いをしていたのでした。

 

『あいつ、本当にオースちゃんなのか!?』

『アイツ、あの女……。トウリに死ぬつもりなど毛頭ない! 吾の気を引くために姿を見せただけだ!』

 

 その爆発を囮に、自分は森林内に転がり込んで姿をくらましました。

 

 逃げる方向だけはわかる様に、嗤い声を残しながら。

 

『オースが逃げていきます、ゴルスキィ小隊長!』

『追え、撃て!』

 

 自分は最初から、命を投げ出す気なんてありません。

 

 サルサ君やリナリーの仇であるサバト兵(ゴルスキィ)を殺す為。

 

 少しでも油断を誘い時間を稼ぐべく、会話を試みただけです。

 

「……」

 

 ゴルスキィさんは、凄い人です。

 

 西部戦線の時代からずっと、突撃兵として最前線で槍を振るい続けた英雄。

 

 あのガーバック小隊長ですら、仕留め切れずに逃がしてしまった本物のエース。

 

 自分では逆立ちしたって勝てる敵ではない相手でした。

 

『アイツを逃がすな! ヤツを放っておくと、サバト再興の最大の敵になる!』

 

 だから自分は逃げを選択しました。

 

 自分より装備が多く、装甲も高い「格上の敵」に出会った時。

 

 無理をして勝負を挑むのではなく、逃げて機会を窺うのがゲームのセオリーだったから。

 

 

 

 

 ゴルスキィさんは、どんな気持ちで自分に槍を向けていたのでしょうか。

 

 サバト革命の時、彼はどこまでも自分に親身に接してくれました。

 

 異国人である自分が孤立しないように気を使ってくれて、貧弱な自分が凍死しないよう寝袋に入れてくれて。

 

 自分が今、五体無事にここに立っているのは彼のお陰と言っても過言ではありません。

 

 

 ゴルスキィさんは獅子です。

 

 優しく、気高く、そして強い兵士です。

 

 顔にこそ出していませんが、きっと自分を殺すのにはすごく抵抗があったはずです。

 

 そうでなければ、自分との会話に応じたりしません。

 

 

 なのに、自分は。

 

 この瞬間、どうすればゴルスキィさんを殺せるかを悩み、醜悪な笑みを浮かべていたのです。

 

 ……自分で自分が信じられません。

 

「凄いですね、ゴルスキィさんは」

 

 彼の突撃は、猪の如く迅速でした。

 

 木々に隠れて姿を隠さないと、一瞬で追いつかれていたでしょう。

 

「まるでガーバック小隊長みたいです」

 

 そして、彼の防御技術は完璧でした。

 

 四方八方からガヴェル中隊が彼を狙撃したのに、全て躱すか叩き落としていたのです。

 

 エース級は銃弾に対する答えを持っている、というのは本当なんですね。

 

『四方からオースに銃撃されています!』

『誘い込みか。トウリめ、最初から全部計算しておったな』

 

 ですが、それが出来るのはエースであるゴルスキィさん本人だけ。

 

 彼の部下は、精鋭とはいえ普通の兵士です。

 

 包囲銃撃されて、無傷で切り抜けられるほどの練度は無いのです。

 

『これ以上は危険です、そろそろ退きましょう』

『ぐぬぅ、トウリめ覚えていろ』

 

 周囲を包囲されたと悟ったゴルスキィさんは、早々に撤退を決断しました。

 

 自分が彼の部下を集中的に攻撃させたので、部隊損耗率が思ったより多かったみたいです。

 

 誘われて斬り込まされた(・・・・・・・)事に、もう気付いたようです。

 

『全軍撤退────』

 

 まぁ、彼はすぐ冷静になって退くだろうと思っていました。

 

 彼は勇猛に見えて冷静で、部下が傷つくのを嫌います。

 

 部下の被害が多くなれば、早めに撤退の判断をしてくれると思っていました。

 

 だからこそ。

 

 

「1点読みが当たりましたね」

 

 

 自分はガヴェル中隊を後方に退かせるのではなく、迂回して前方に(・・・)撤退させていたのです。

 

 

 

 

 それは、逃げるゴルスキィ隊を包み込むように。

 

 ガヴェル輸送中隊は、ゴルスキィ隊を左右から挟撃する事に成功しました。

 

『ゴルスキィ小隊長、退路に敵が待ち伏せしています!』

『くそ、トウリ(ヤツ)は一体どれほどの兵を用意して来た!?』

 

 逃げた先で数多の兵に待ち伏せされたので、ゴルスキィさんは伏兵と思ったみたいです。

 

 まさか後方撤退中のガヴェル中隊が、撤退のタイミングを1点読みして回り込んだとは思わなかったのでしょう。

 

『急がないと、後ろの部隊が反転してくる。吾が道を切り開くから付いてこい!』

『了解!』

 

 ゴルスキィさんはまっすぐ、ガヴェル中隊の包囲を突き抜けて突破しました。

 

 流石は理性的で勇猛な、西部戦線からのエース級。

 

 ここまで完全に罠に嵌めてなお、討ち取るには至りませんでした。

 

『逃げるんですか、ゴルスキィさん』

『ぐ、トウリか!』

 

 これが、金色の英雄ゴルスキィ。

 

 ここまでやっても殺せないからこその、エース級。

 

『此度は退く。次は貴様に、一切の情けはかけん!』

『逃がしませんよ』

 

 ゴルスキィさんは自分の声に釣られず、振り返らずに走り続けました。

 

 撤退すると決めた以上、方針がブレないのは良い事です。

 

 少しくらい、後ろ髪を引かれてほしかったんですがね。

 

「手榴弾の爆炎に乗じて一斉射撃。視界の悪い状況で一斉射撃してください」

「了解!」

 

 これが、最後の攻撃でした。自分達の武器弾薬も残りわずか。

 

 ゴルスキィさんを仕留めるため、出し惜しみなく全てを使って一斉攻撃を行いました。

 

「……っ!!」

 

 爆炎、銃声、悲鳴。

 

 大地を揺らす銃撃音が十秒ほど鳴り響き、ガヴェル輸送中隊は敵を包囲し一斉射撃をお見舞いしました。

 

 

 

「は、は。……はぁ」

「嘘だろう」

 

 

 ……しかしやはり、ゴルスキィさんは英雄でした。

 

 自分ごときではとても太刀打ちできない、正真正銘のエース級。

 

「最後は自ら殿になって、弾を全部はじきやがった」

「本当に、人間かアレ」

 

 爆炎で目くらましをしての一斉射撃だったはずですが。

 

 彼は煙の中で我々の攻撃を正確に捌き、部下と共に撤退を成功させました。

 

「……すみません。トウリ衛生准尉殿」

「いえ」

 

 恐らく、出来る事はすべてやったと思います。

 

 自分が持っている武器を全て使って、ゴルスキィさんの人の好さにまで付けこんで殺しにかかったのに。

 

 金色の英雄は一発の銃弾を浴びる事もなく、部下を引き連れ撤退していきました。

 

「エースは逃がしたが、戦果はもう十分以上だ。トウリ、もう終わろう」

「……ガヴェル曹長」

 

 流石は歴戦のゴルスキィ小隊、見事な突撃でした。

 

 彼らによりガヴェル中隊は武器弾薬を使い切らされ、これ以上サバト軍を挟撃することは出来ません。

 

 まんまとゴルスキィさんは、後方撹乱を行う我々を撃退し帰還したのです。

 

 戦術目標を達成したゴルスキィさんの────勝利でしょう。

 

「いえ、まだです」

 

 ……そんなことを許して良いのでしょうか。

 

 リナリーをあんな目に遭わされたのに、のうのうと逃げ帰らせて良いのですか?

 

 彼はこの戦闘の後、いつものようにヴォック酒で宴会でもするのでしょうか。

 

 あの娘は、あんなに苦しめられたのに?

 

 

「あはっ……」

 

 

 自分に残された銃弾は、たった一発だけ。

 

 排莢を終えた後、自分は小銃を空の彼方へと向けました。

 

 

「……トウリ?」

「まだ、終わっていません」

 

 

 この時代の小銃に、狙撃性能なんてありません。

 

 衝撃で手元はブレるし、酷使すれば熱で銃身がすぐ曲がります。

 

 そんな粗悪な銃で遠距離狙撃など、まぁまずありえないのですけれど。

 

「リナリーの、仇」

 

 撃つだけなら無料(ただ)。自分の両目は、仲間を気遣いながら逃げ帰る金色の髪の男を捉えていました。

 

 何となく、当たりそうだと思った角度とタイミングで。

 

「逃がすものか……っ」

 

 自分はどんどん距離が離れていくゴルスキィさんの後頭部に、一発の実弾を放ちました。

 

 

 遠距離の狙撃には、正確なエイム力なんて必要ありません。

 

 大事なのは当て勘です。

 

 銃弾が到達するまで時間がかかるので、敵の動きを読みながら勘でぶっ放すのがコツでした。

 

 当たれば儲けもの。外れて元々。

 

 

 

「なっ!」

「あっ」

 

 

 

 そしてぱたり、と。偉丈夫は音も無く倒れました。

 

 

 

 こんな遠距離で狙われるなんて、想像もつかなかったでしょう。

 

 ゴルスキィさんは最期まで、何が起きたか分からなかったはずです。

 

 ────これくらいしないと、あのエースを仕留めることなどできなかった。

 

「仕留めました、か」

 

 自分が放った銃弾は数秒ほど山なりに放物線を描き、数百メートル先で走るゴルスキィさんの後頭部を捉えていました。

 

 この時代の遠距離狙撃で、恐らく世界記録を出したと思います。

 

「各員前進、追いますよ。彼の死体を確認しましょう」

 

 ゴルスキィさんが倒れた瞬間、多くのサバト兵が立ち止まりましたが。

 

 前進し始めた我々を見て遺体を捨て置き、躊躇う様に走り去っていきました。

 

「……嘘だろ、お前。あの距離で狙い当てたのか」

「偶然ですよ。こんな銃で確実に当てられるわけないでしょう、適当に引き金を引いたら当たりました」

「そうか。そうだよな、そうであってくれないと困る」

 

 実際、自分で言った通りこの狙撃は運が多大に絡んでいました。

 

 同じことをやれと言われても、多分二度とできません。

 

「偵察兵は先行し、彼の遺体を確認して来てください」

「了解しました」

 

 この時も、実は本当に当たっていたのか半信半疑で。

 

 死んだふりで我々を誘っている可能性も考え、偵察兵を放って死体を検分させていました。

 

「……死んでる。コイツ、死んでるぞ!」

「やった! エース級を仕留めた!」

 

 結局のところ、自分の銃弾はゴルスキィ氏を仕留めていました。

 

 彼は目を見開いて、何が起こったのか分からないという表情で地面に倒れていました。

 

「この、よくも戦友を殺ってくれたな! チクショウ!」

「蹴れ、踏め! ミンチにしてやれ!」

「ざまあみろ! これだからサバトは信用できないんだ!」

 

 ゴルスキィの遺体に近づくと、味方兵士は奇声を上げて遺体を暴行し始めました。

 

 今日の戦闘で、ガヴェル中隊に最も被害を与えたのはゴルスキィさんです。

 

 戦友の仇ともなれば、恨みをぶつけたくなる気持ちも分かります。

 

「散々にてこずらせやがって、このクソが────」

「肉を切り裂いてミンチにしてやる!」

 

 彼の顔面は踏みつけられて、目玉が潰れ落ちました。

 

 鍛え上がった肉体は割り割かれ、四肢が銃剣で切り落とされました。

 

 それは、憎らしいサバトのエース級にはお似合いの最期と言えました。

 

 

 

 ────私怨で人を殺せば、ただの殺人鬼だ。戦場でもない場所で、人を殺すのは許されん。

 

 ────取り返しのつくうちに、気付いて戻れ。

 

 

 

 その、光景を眺めていたら。

 

「……」

「よく当てたなお前。幸運運びの実力(ラッキーキャリー)、見せてもらった」

 

 

 ポロリ、と一滴の涙が頬を伝いました。

 

 同時に自分を褒めるガヴェル曹長の声が、霞みかかって。

 

 心が、胸が、凍てつくような怖気に支配されました。

 

 

 

 ────貴様も職務に準じただけだ。悪しきは、戦争だ。

 

 

 

「あ、れ」

「おい、トウリ?」

「自分は、一体、何を?」

 

 

 それは雨がやむように、魔法が解けていくように、自分の興奮は溶けて消え去りました。

 

 どろどろとした憎悪が削ぎ落ちて、取り返しのつかない『出来事』が目の前に転がっている事に気づきました。

 

「どう、して?」

 

 自分の目前で、恩人が死んでいました。

 

 サバトに流れ着いてからずっと、自分の力になり続けてくれた偉丈夫。

 

 人格者で温かく、色々な事を教えてくれた自分の父兄の様だった人。

 

「あっ────」

 

 自分はさっき、サバトであんなに世話になったゴルスキィさんを撃ち殺し、狂喜乱舞していたのです。

 

 

 

 ────トウリ、何か困ったことがあれば吾を頼ると良い。力になろうぞ。

 

 

 

 ゴルスキィさんの瞳は濁り、虚空を見つめ動かなくなりました。

 

 顔は変な方向を向いていて、右の目玉は引き抜かれて踏み潰されていました。

 

 全身を銃身で袋叩きにされた後、やがて銃剣で首を斬り落とされ、赤黒い血が大地に零れ落ちました。

 

 

 ……自分はまた、大切な人を失ってしまった、のでしょうか。

 

 

「違う、違います。……殺した、殺してしまっ……」

「お、おい。どうしたトウリ、さっきから顔色がおかしいぞ」

「自分は、嬉々として、彼を殺しました……っ!」

 

 

 ああ。気付きました。

 

 自分はゴルスキィさんに、そうはなるなと教えて貰っておきながら。

 

 リナリーに、偉そうに『私怨で人を殺すな』と説教を垂れていながら。

 

 

「リナリーが殺されたのが、憎くて。憎悪に呑まれ我を忘れていた────」

 

 

 後悔と情けなさで、吐き気が込み上げてきました。

 

 先ほどの自分は、命の危機に怯えて『ああなった』のではなく。

 

 純粋にサバト兵が憎くて、リナリーを失ったのが悲しくて、『ただ殺す事を目的に』ゴルスキィさんを撃ったのです。

 

 

 今なら、ゴルスキィさんが自分を見て殺そうとした理由が分かります。

 

 あの時の自分は、きっと狂った表情(かお)をしていたのでしょう。

 

 憎悪と復讐に囚われいつもの自分ではなくなっていることを、彼は看破したのです。

 

 だからこそ危険視して、殺そうとした。

 

 

 

 

 そのゴルスキィさんは死にました。

 

 自分に背後から撃ち抜かれ、森林に血液をぶちまけて。

 

 兵士に四肢をもがれ唾を吐きかけられ、無様な肉塊へと変貌していました。

 

「……全員、今すぐその乱痴気騒ぎをやめて集合してください」

 

 自分は絞るように声を出し、部下に集合を掛けました。

 

「どうした衛生准尉、アンタはやらないのか」

「馬鹿ですか。まだ敵はすぐ近くにいるのに、無駄に体力を消費してどうします。そもそも、勝手に行動していいという許可を自分は出しましたか」

「あ、いやその」

「集合です。すぐ点呼をとり、小隊ごとに整列してください」

 

 込み上げてくる吐物を必死でこらえ、自分はそう命じて蛮行をやめさせました。

 

 ゴルスキィさんの遺体を、これ以上損壊させたくありませんでした。

 

「……ガヴェル曹長。作戦行動は終わりです、一度指揮権はお返しします」

「あ、ああ」

「自分の我儘を聞いていただきありがとうございました。今回の作戦における被害の責任はすべて自分が持ちます」

「お、おい」

 

 少しでも油断すると、意識が飛んで倒れ込みそうで。

 

 息が早くなり気が遠く、立っているのもやっとでした。

 

「では、自分は現時刻を以てガヴェル曹長の指揮下に入ります」

「……トウリ、お前さ」

 

 そんな限界ギリギリの自分を、ガヴェル曹長は憐れむように見つめて、

 

「何で勝った瞬間に、死人みたいな能面顔になってんだよ」

 

 そう、つぶやくように問いました。

 



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136話

 

 サバト軍、ここにあり。

 

 シルフ率いるサバト旧政府軍は、ガス攻撃の隙に乗じオースティン司令部への強襲に成功し、大きな戦果を挙げました。

 

 この奇襲によるオースティンの死傷者は、数千人に上ったそうです。

 

 また、オースティンの貴重な軍事物資がたくさん焼き払われてしまいました。

 

 我々にとっては久々の、手痛い敗北と言えるでしょう。

 

 

 この結果を受けオースティンは、鉱山制圧作戦を諦めました。

 

 天然の要塞ビュエリ鉱山は、正攻法だと大きな被害が予想されます。

 

 参謀本部は元より、ガス作戦が失敗したら撤退するつもりでいたみたいです。

 

 変に固執せず撤退を選べるのは、オースティン参謀本部の良い所なのですが……。

 

「ああ、負けたのか。俺達は」

 

 この結果は否応なしに、連戦連勝で波に乗っていたオースティン兵の士気を陰らせることになってしまいました。

 

 

 

 またサバト軍が戦場に突き立てた『国旗』も、戦闘後に大きな波紋を生みました。

 

 どうしてサバトが敵に居るんだと、オースティン内で大きな問題になったのです。

 

 オースティンと労働者議会(サバト)は同盟を結んでいるはずです。

 

 なのに何故、敵がサバト軍の最新装備で奇襲してきて、戦場にサバト国旗が立てられているのか。

 

 この一件は労働者議会とオースティン政府の間に、小さな確執を作り出しました。

 

 

 レミさんはすぐ「そのサバト兵は労働者議会と無関係な旧政府勢力であり、今後もオースティンに支援と同盟を続けるつもりである」という旨の声明を出しました。

 

 続いて彼女は自ら首都ウィンに出向き、多くの支援物資を手土産に今後の友好を訴えました。

 

 オースティンとの同盟の維持は、労働者議会にとって命綱です。

 

 戦争反対派が彼らの支持層なので、オースティンと再び険悪な間柄になる訳にはいかないのです。

 

 

 一方でフォッグマンJrは、労働者議会との同盟の維持は同意したのですが。

 

『サバト旧政府軍が参戦しているなら、労働者議会も一定の責任を負うべきである』

 

 として、サバトにフラメール戦線へ出兵を求めたのです。

 

 サバト軍の参戦、特に銃火器の技術供与はオースティンにとって大きな痛手でした。

 

 また今回のサバト軍の奇襲で、オースティンが受けた被害は相当なものです。

 

 旧政府軍がこんなに迷惑をかけているのだから、労働者議会も前線に来て戦えという理屈でした。

 

 

 ……サバトとオースティンが同盟を結んだ理由は『利害が一致しているから』でした。

 

 その根底にあるのは信頼ではなく、打算です。

 

 

 ですが今回の一件で、オースティン政府は労働者議会へ小さな疑念が湧いていました。

 

 実はサバトはまだ、戦争を続けたいんじゃないか。

 

 今は態勢を立て直しているだけで、裏で旧政府軍とつながってオースティンの国力を削ろうとしているのではないかと。

 

 

 傍から見れば疑心暗鬼でしかありませんが、当時のオースティン政府は大真面目に疑っていました。

 

 我が国は他国を……、サバトを一切信用できなかったのです。

 

 

 その疑惑を解消するため、オースティンはサバトに出兵を求めました。

 

 サバト労働者議会勢力が血を流して戦うならば、最低限の信用をしようというオースティンなりの試し行動だったようです。

 

 しかしレミさんはこれを『援軍派兵は現実的ではない』と拒否してしまいました。

 

 実際、サバト国内の状況を考えれば本当に現実的ではありません。

 

 レミさんは広大なサバトの領土で、そこら中に湧く賊や旧政府残党を討伐している真っ最中。

 

 兵が全く足りていない状況で、援軍を送る余裕などある筈が無いのです。

 

 フォッグマンJrもサバトの情勢を聞いて表面上は納得はしたそうですが、外交上に小さなしこりが残ってしまいました。

 

 ……オースティン国内にも賊は湧いているが、それを放置して戦っているのに。

 

 そんな気持ちが、首相の中に確かにありました。

 

 

 

 このあたりも全て、シルフの狙いの一つだったのでしょう。

 

 彼女はたった一回の奇襲でサバトとの講和に大きな影を残し、オースティン軍は大きな被害を受け、そして自らの価値を連合側に示す事が出来ました。

 

 シルフはたった1部隊で、鉱山を守り切って見せたのです。

 

 フラメール参謀本部はこの戦果を見て、彼女が近代戦に精通した優秀な指揮官であるという評価を下しました。

 

 最初に彼女が吐いた「私が全権を握ったならオースティンに勝てる」という大言壮語が生きたのです。

 

 そしてシルフはサバト代表として、連合側の参謀会議への出席する許可を得ました。

 

 それも、フラメールやエイリス司令官とほぼ同等の発言力を持って。

 

 ……オースティン最悪の敵が、いよいよ権力を握りつつありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

「久しいな、トウリ衛生准尉。そして我が孫ガヴェルよ」

 

 そんなオースティンにとって手痛い敗北の裏で。

 

 自分とガヴェル曹長は、レンヴェル中佐に呼び出しを受けていました。

 

「あー、ガヴェル曹長、ただいま参上しました!」

「……お久しぶりです、レンヴェル中佐殿」

「畏まらんでいい、二人とも身内じゃろ。特にトウリ、貴様はよく生きて帰ったな」

 

 自分達はゴルスキィさんを討ち取った後、南の司令部へ帰還しました。

 

 全身の感覚が消えてふわふわとした浮遊感の中、自分はガヴェル曹長に手を引かれレンヴェルさんのテントに入りました。

 

 そこでヴェルディさんが負傷して入院している事や、鉱山攻略に失敗したこと等を知らされました。

 

「以上が、俺の教えられる話だ。何か聞きたいことは有るか」

「……ヴェルディ様は、ご無事なんでしょうか」

「命に別状はない。近くにいた通信兵に庇われて、致命傷は負わずに済んだらしい」

 

 どうやらヴェルディさんは近くにいた通信兵に庇われ、負傷したものの部下に背負われて撤退に成功したようです。

 

 現在も衛生部で治療中らしく、レンヴェルさんが彼のフォローをしているそうです。

 

「では報告せいガヴェル、今回の貴様らの作戦経過を。負傷したヴェルディに代わって、俺が聞いてやる」

「了解しました」

 

 久しぶりに対面したレンヴェルさんは、げっそり痩せしわが増えていました。

 

 少し背の高い老人といった風貌で、もう戦斧を振り回すのは難しそうです。

 

 しかし彼は痩せてなお、恐ろしい威圧感を放っていました。

 

「最初は、ウィンに向かう途中に負傷兵が出まして。それでトウリ衛生兵に治療を要請したのですが……」

 

 そんなレンヴェル中佐に、ガヴェル曹長は緊張した面持ちで報告を始めました。

 

 

 

 

 

 

「……ただの輸送部隊が、たった100人でサバト軍の後方攪乱を行い、エース級の撃破に成功したと」

 

 自分とガヴェル曹長は、言われた通り正直に戦闘の報告を行いました。

 

 たまたま負傷兵が出たので、ガヴェル輸送中隊がウィンに出発しなかった事。

 

 自分達が居る場所がサバト兵の後方攪乱に最適だったので、奇襲している敵の背後を突いた事。

 

 そして激闘の末に、サバトのエース雷槍鬼を仕留めることが出来た事。

 

「……」

 

 レンヴェルさんは報告を聞いた後、自分とガヴェル曹長を交互に眺めて難しい顔をしました。

 

 今回の作戦で、ガヴェル輸送部隊は17名の死者を出してしまいました。

 

 その原因となった後方攪乱作戦に関しては、指揮権を奪った自分の責任になります。

 

 衛生准尉である事を盾に指揮権の譲渡を迫ったことなど、自分でも何を考えていたのか分かりません。

 

「のうトウリ、貴様は何故そうしょげかえっている」

「……自分が余計な事をしたせいで、17名も死んだと思うと。後悔で身が蝕まれる気持ちです」

「阿呆、兵士は死ぬのが仕事じゃ」

 

 レンヴェル中佐は、面白くなさそうに溜息を吐きました。

 

 同時にガヴェル曹長の方へ歩いてきて、

 

「貴様はどう感じた。今回の作戦行動を」

「……。トウリ衛生曹の指揮は、そこまで悪いモノでは無かったと隣で見ていて思いました」

「当り前じゃ、貴様らがサバト兵のケツを叩かなければもっと味方を殺されていたわ。よくぞやってくれた、大戦果じゃ」

 

 レンヴェルさんは怖いくらい、手放しで自分を誉めてくださいました。

 

 しかし、その表情は険しいままでした。

 

「じゃがのぅ。よしガヴェル、歯を食いしばれぃ」

「え?」

 

 彼は自分を褒めつつも、グっと腕に力を入れると。

 

「ガヴェル貴様、衛生兵に前線指揮させるのは軍規違反だと習わなかったか!」

「痛ってェ!!」

 

 ガツーンと、ガヴェル曹長の頭にゲンコツを落としたのでした。

 

 

 

 

「衛生兵が銃を携帯できるようになったのは、あくまで護身用。基本的に作戦行動に参加させちゃならん」

「……すみません。自分も把握していませんでした」

「構わん。復帰したばかりの貴様に、その辺を説明する義務があったのはガヴェルの奴だ」

 

 レンヴェルさんが険しい表情をしていたのは、自分が思いっきり軍規違反を犯していたからでした。

 

 どうやら衛生兵が戦闘に参加するのは、まだ許されていなかったみたいです。

 

 前の賊襲撃時は非常事態なのでヴェルディさんが見逃してくれたみたいですが……。

 

 今回はがっつり衛生兵に指揮権を譲渡しているので、問題になっているみたいです。

 

「申し訳ありません、以後気を付けます」

「……全く。貴様は戦果を挙げとるんだから誇れ。ちょっとくらい調子に乗っているモンと思っとったが」

 

 そう指摘されてますます身を縮こめると、レンヴェルさんは自分の頭蓋をすっぽり覆って撫でました。

 

「天狗になっとったら喝を入れようと構えとったのに。お通夜みたいな顔して入ってくるもんだから、どうして良いか分からんかったわ」

「自分は、反省すべきことをしました。……恐ろしく昏い感情に呑まれ、躍起になって人を殺そうとしました」

「実に結構、大いに人殺しに躍起になると良い。兵士としての本分だ」

 

 レンヴェル翁は自分を気遣うように優しい声で、そうきっぱりと言ってのけました。

 

 確かに、兵士としては人を殺す覚悟を持っている方が良いのでしょうけど。

 

「親しくしていた通信兵、リナリーだったか。彼女の件は残念だったな」

「……」

「憎いか。殺したいほど敵を憎いと思ったか」

「……はい、思ってしまいました」

「そうか、それは衛生兵に不要な感情だ」

 

 レンヴェルさんに問われ、ふと残酷な彼女の遺体を思い出してしまいました。

 

 瞬間、身も焦がすような憎悪が込み上げて来て、眩暈を押さえるのに苦労しました。

 

「すみません、精進します」

「────だが、前線兵士には必要な感情だ。普通の人間は、憎くもない相手を殺すと心を病む」

 

 これは良くない感情だ。

 

 なんとか自省して、平静を取り戻さないと。

 

 そう気持ちを静めている自分に、レンヴェル中佐は獰猛な笑みを浮かべていました。

 

「憎いのだ。八つ裂きにしたいほどに、敵兵を殺したくて仕方がない。その感情を胸に抱えているからこそ、我々は命を懸けて前線を走り抜ける」

「それは」

「殺したくもない相手を殺す為に、銃弾の飛び交う前線を走り抜けられると思うか? 貴様が胸に帯びている感情は、歩兵としては普通のものだ」

 

 心のうちに湧き上がる憎悪は、歩兵として普通のもの。

 

 そう言われ、自分は今まで出会った人たちの事を思い返してみました。

 

「貴様らさえいなければ、誰も死なずに平和に暮らしておれたのに。貴様らが攻めて来るから、大事な戦友は逝ってしまった」

「……」

「そう考えるのが自然で、そう考えない者は異常なのだ」

 

 確かにロドリー君は、胸のうちに憎悪を秘めて戦っていました。

 

 自分の考えるように割り切って人を撃っていたのではなかったように思えます。

 

 ガーバック小隊長は嬉々として敵を殺していましたし、あのゴルスキィさんでさえ『オースは憎い』とオセロ村で言っていました。

 

「トウリ、貴様には歩兵部隊に入ってもらう」

「……え?」

 

 人を憎むのが当たり前。

 

 その言葉を反芻している間に、自分は恐ろしい命令を受けました。

 

「レンヴェル中佐殿。それは、いったいどういう」

「そうしないと戦後処理がややこしいのだ。これだけの戦果を挙げたのに、衛生兵が指揮したことになると責任と功績が不透明になる」

「……はあ」

「昼に貴様の階級変更届が受理されただろう。だが幸いにもその書類は、今日の襲撃で失われた」

 

 レンヴェルさんはそう仰ると、何食わぬ顔で新しい書類を自分に渡して、

 

「貴様、希望で歩兵軍曹に配置転換していたことにせい」

「えっ」

「貴様が歩兵軍曹なら、経験の浅いガヴェル曹長に代わって指揮を執ったところで何の問題もない。勲功も責任も全て、丸く収まる」

「は、はあ。成程、ですがそれでよろしいのですか? 書類の改ざんでは」

「阿呆、そう言う事にしないと余計な書類が10枚くらい増えるのだ。この忙しい時に、俺に無駄な仕事をせいと言うのか貴様」

「い、いえ。とんでもありません」

 

 レンヴェルさんにそう言われては、引き下がるしかありませんでした。

 

 自分はあまりに堂々とした公文書偽造の現場に戦慄していると、レンヴェルさんはとても真面目な顔になり。

 

「トウリ軍曹、並びにガヴェル曹長。貴殿らの此度の戦果は大きい。軍としては、最大限の褒賞をもって報いるつもりである」

「え、あ、はい。ですがその」

「追って沙汰を待て。因みにトウリ、貴様はガヴェル中隊の所属だ、しばらくガヴェルと同行せよ」

「は、はい。了解しました」

 

 そう告げられ、ポンと歩兵軍曹の階級章を手渡されてしまったのでした。

 

 

 

 

「……ガヴェル曹長」

「妙な事になっちまったな」

 

 レンヴェルさんのテントを離れた後も、しばらく現実を受け入れられず自分は目を白黒としていました。

 

 自分が前線指揮をしてしまったせいで、歩兵軍曹にされるのですか。

 

 これが、暴走した自分に対する罰なのでしょうか。

 

 ……自分はかつてガーバック小隊長の肩についていた『軍曹』の階級章を、呆然と見つめていました。

 

「とりあえず、ウチの中隊の駐屯場所に案内するよ。……女はお前1人だけど、どうしようか」

「どうしようと言われましても……」

「お前、男に交じって野宿でも良いか? 今日は一人じゃない方が良いだろうし」

「……どうしてですか?」

 

 ガヴェル曹長の会話に適当に返事しながら、自分はまだ悪い夢の中をさ迷っているような心地でした。

 

 色々なことがありすぎて、未だに現実を直視できていなかったのです。

 

 今夜寝たら全てが元通り、今日の朝に戻っているんじゃないか。

 

 リナリーが「義姉さん」と、自分を呼んで起こしてくれるんじゃないか。

 

 そんな空想が現実に起こるような気がしてなりませんでした。

 

「どうしても、だ。じゃあ、案内するからちょっと来い」

「……はい」

 

 ……きっと自分は、現実を受け入れるのが怖かったのでしょう。

 

 リナリーがあんな残酷な最期を迎えたことも。

 

 自分がこの手で、ゴルスキィさんを殺してしまった事も。

 

 全て妄想だったらと、ずっと考え続けていました。

 

「案内していただいた後は、その、衛生部に戻っても良いでしょうか。今日はとても、忙しい筈で……」

「だめ。とっとと肩に階級章つけろ、お前は歩兵軍曹なんだ」

「はあ」

 

 自分はガヴェル曹長に促されるまま、気持ち悪いほど冷静に軍曹の階級章を付けました。

 

 そしてポワポワとした感覚のまま、再びガヴェル曹長に手を引かれ────

 

 

「……いや、ちょっと待ってくれないか。トウリ衛生准尉」

 

 

 駐屯場所へ移動しようとした直後。

 

「そこの曹長。その女を、俺と話させろ」

「え?」

 

 底冷えのするような、悪意に満ちた声に行動を遮られ。

 

 見れば、軽薄な口調は鳴りを潜め、怒気すら孕んだ表情の『悪魔』がそこに立っていました。

 

「……ベルン少佐殿」

「上官命令だ、こっちにこい」

 

 彼は鋭い目つきで自分を睨んだまま、ガヴェル曹長から強引に手を奪いました。

 

 自分も、彼も、眼を白黒とするばかりでした。

 

「あ、あの?」

「黙ってついてこい。曹長はそこで待機してろ、後でこの女を返しに戻る」

 

 呆然とするガヴェル曹長から拉致するように、テントへ連れ去られてしまったのでした。

 



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137話

 

「ご足労戴き感謝する、トウリ衛生准尉」

「はい。もう、衛生准尉じゃないらしいですけど」

「それは俺の関知するところではない」

 

 この時の彼は、今までとは明らかに態度が違っていました。

 

 眉間にしわを寄せ、悔しそうに腹立たしそうに自分を睨みつけていました。

 

 これが胡散臭い笑顔(ペルソナ)を張り付けていたベルン・ヴァロウの、本来の顔なのでしょうか。

 

「……今日は随分と、そっけない口調ですね」

「少しだけ、怒っているからな」

 

 彼は珍しくも、顔に薄ら笑い一つ浮かべず。

 

 威圧しているかのように、両の眼で自分を見抜いていました。

 

「虚偽なく答えろ。本日の鉱山作戦の際、奇襲してきた敵の後方攪乱を行った部隊の指揮を、お前が執ったってのは事実か」

「はい」

「幼い少女が笑いながら、誰よりも勇猛にサバト兵を屠っていったと。……それも、お前だな」

「……はい」

 

 何処で聞いたのか、彼は自分が仕出かした事を耳に挟んでいたようでした。

 

 虚偽なく答えろと言われたので、正直に肯定しておきました。

 

「楽しかったか?」

「……何が、ですか」

「たくさんサバト兵を殺して、エース級まで撃破して。大満足だったんじゃないか、お前?」

「そんな筈が無いでしょう」

 

 ベルンは少しばかり嫌味ったらしく、そう食って掛かってきました。

 

 ……戦闘が楽しい筈がありません。

 

 願うなら、朝からもう一度今日をやり直したいくらいです。

 

「何故楽しくなかった?」

「……人を殺して、楽しいはずが無いでしょう。自分の指揮で17名もの犠牲が出た事、敵エースのゴルスキィさんを撃った事さえ後悔しています」

「だが、戦場では笑っていたと報告を受けたぞ」

「自分は感情を制御できなくなると、笑ってしまうようでして」

「いい加減にしろよ、お前」

 

 ベルンがどういう意図でそんな質問をしたのかは分かりません。

 

 しかし虚偽なくと言われたので、正直にそう答えたつもりだったのですが。

 

楽しか(・・・)った(・・)だろ(・・)?」

「……何を仰りたいので?」

 

 自分の返答に不満だったのかベルンは苛立ちを隠そうともしなくなり、忌々しげに自分を睨み付けました。

 

「これまでのお前の、部隊遍歴を調べさせてもらった。スゲェじゃねぇか、ヴェルディ様の活躍の陰にお前の姿ありってな」

「何を仰っているのかよく分かりません」

「分かっている筈だ。あのボンボン野郎の何処にあんな戦果をあげる才覚があったのか謎だったが────」

 

 彼は鋭い目付きで、射殺すように自分を見つめたまま。

 

 静かに息を吐いて、言葉を続けました。

 

「ヴェルディの活躍の種はお前だ、トウリ・ロウ。アイツに特別な才覚はない」

「自分が作戦提案した事を、仰られているのですか。あの時は指揮官はヴェルディさんで……」

「提案を受け入れて実行するのは指揮官の功績だ。そういう意味ではヴェルディの功績ってのも間違っちゃいないけどな」

 

 自分が言おうとしたことを遮って、ベルンは話を続けました。

 

 言い訳など許さないとでも言いたげに。

 

「お前の作戦は士官教育を受けていない素人のものだが、理にかなった妙手ばかりだ」

「……どうも」

「もう何度も、お前はその能力を示した。偶然で片付けるつもりはない」

 

 ベルンは一体何処まで自分を調べあげたのでしょうか。

 

 彼はそう言うと乱暴に自分の胸ぐらを掴み上げ、

 

「そんなに『自分が悪人だ』と、認めたくないのかお前は」

 

 顔と顔を突き合わせ、そう凄みました。

 

 

 

「認めるよ、俺は悪人だ。人を嵌めるのが大好きで、敵を殺すのが得意だ。だから参謀職についた」

「……」

「これでも俺ぁ……ちゃんと故郷を大事に思ってるからな」

 

 怒りに任せて胸ぐらを掴み上げられるのは、久しぶりでした。

 

 軽い自分は軍服が伸びてあっさりと持ち上がり、宙吊りになって足がプラプラします。

 

「悪魔だと罵られようと、気持ち悪がられようと、俺は祖国を救う才能が有ったから立ち上がった」

「それは」

「その結果、多くの人を殺したかもしれん。だけど、オースティンの役に立ってきたつもりだ」

 

 彼の言葉には迫力がありました。

 

 今までずっと、参謀としてオースティンの国防の最前線に立ち続けてきた彼は、

 

「ああ、俺は悪人だろうさ。でもお前よりずっと、国に貢献してきてる!」

「……っ」

「良いねぇ、羨ましいねぇ。お前は一人、いい子ちゃんで居られてさぁ!」

 

 想像以上に、自分の心の臓腑を撃ち抜きました。

 

「何でお前は自らの悪を認めない! 人に良い顔がしたいからって、才能隠して楽をしてんじゃねぇ!」

 

 

 

 

 その言葉の後、ベルンはゆっくりと自分の胸から手を離しました。

 

「お前が何の才能もない、ただの衛生兵だったならこんなことは言わねぇさ」

「……自分は」

「でも違う、それはお前自身がよく知っているだろ」

 

 暴力的な指導は、ガーバック小隊長で慣れっこでしたが。

 

 彼の言葉は、自分の心を揺さぶり続けました。

 

「お前が最初から前線に居たら、サバト軍の戦線突破を許していたか?」

「分かりません」

「何とか食い止めてただろうな。少なくとも俺は、それが出来ると評価している」

 

 自分がもし最初から歩兵で、塹壕の最前線で指揮を執っていたら。

 

 シルフの奇襲に対処し、守り切れていた……?

 

「そんな、保証は何処にも」

「今までのお前の戦果からは、それくらい出来たとしか思えん」

「あの戦果も偶然と運が絡んだもので」

「偶然と運だけで戦況をひっくり返されたら、参謀なんて仕事は要らねぇんだよ」

 

 もし、彼の言う事が事実だったとすれば。

 

 自分は人に良い顔がしたしたかったばかりに、リナリーを犠牲にしてしまった?

 

「違う。自分が居たくらいで、シルフ・ノーヴァの奇襲が食い止められていたとは」

「あの場にお前が居ただけで、ヴェルディの動きはだいぶ違っただろうさ」

 

 そんな事は認められない。認めたくない。

 

 自分はその場で崩れ込む様に、地面にへたり込みました。

 

「認めろよ。トウリ・ロウ」

「自分、は」

「お前は人を殺すのが好きで仕方ない異常者だ。敵を撃ち殺すのに興奮する変態だ」

「……違います、自分は」

「だからこそ、優秀な指揮官だ」

 

 ベルンの言葉が、ぐるぐると自分の脳裏にしみこんできます。

 

 自分は今まで、喜んで人を撃ったことなどありません。

 

 なのに何故、こんな事を言われなければならないのでしょうか。

 

「否定するな。お前が人を撃って興奮して頬を緩ませていた顔は、部隊の全員がしっかり見てんだよ」

「……あ、違」

「何が違う、言ってみろ。俺の目を見てはっきり言ってみやがれ」

 

 ……いえ。

 

 確かに喜んでいた、かもしれません。でもそれは、自分じゃない誰かで。

 

 もしかしたらあれも、自分の一つの側面なのでしょうか?

 

「自分は、その」

「腐った性根を認めるなら、俺の部隊に来いトウリ・ロウ」

 

 彼の叱責に頭が狂いそうになって、呆然としていたら。

 

 ベルン・ヴァロウは怒気の孕んだ表情のまま、言葉を続けました。

 

「俺の権限で大隊長の地位と大尉の階級を用意する。お前には、自らの能力に見合った責任を果たして貰う」

「……」

「『人を殺したくない』なんて甘えた事を言うな。……お前はまた、同じ過ちを繰り返すつもりか」

 

 ……。

 

 

 

 ……内心で、感じたことはありました。

 

 それはまるでFPSゲームをやっている時の様な、撃ち合いが楽しいという感覚。

 

 実銃を撃てることに興奮し、敵の頭を撃ち抜いた時の快感に悶え、1人でも多くKill(ころ)したいという感情。

 

 

 最初、自分はベルン・ヴァロウの事を極悪人だと感じて怯えていました。

 

 ですが本当は、自分こそどうしようもない悪人で。

 

 ベルン・ヴァロウを見て同族嫌悪のように、心底嫌っていたのでしょうか────

 

「……」

「答えを聞こうか。トウリ・ロウ」

 

 そこで自分は、ようやくベルン・ヴァロウの顔に向き合って。

 

 ……小さく、笑みをこぼしました。

 

 

「すごいですね、ベルン・ヴァロウ参謀少佐」

「何がだ」

 

 

 自分は悪い人間で、人殺しを楽しんでいる。

 

 確かにそうかもしれません。

 

 人殺しが楽しいと、そう感じてしまった事もあったかもしれません。

 

 

 認めましょう。自分は、悪い人です。

 

 恩人を撃ち殺(ヘッドショット)して、ニヤニヤと笑っていた異常者です。

 

 

 

「自分を、貴方と(・・・)一緒に(・・・)しないでください」

 

 

 

 でも流石に、目の前の男とは格が違う。

 

 ベルン・ヴァロウは人殺しを楽しむだけ(・・)のような、そんな程度の低い『悪』じゃない。

 

 

「自分は、何となく人の嘘とかを見抜けるのです。欺瞞とか、そう言うのを」

「あ?」

「今気づきました。それ、怒っている演技ですよね」

 

 

 ああ、騙されるところでした。

 

 この男は、先程の話に本気で怒っている訳じゃなく。

 

「そういう風に説得すれば自分を引き込めると、計算したから怒った。今の言葉は、貴方の本心ではない」

「……」

「貴方はオースティンの戦友が死ぬことなど、毛ほども気にしない。手元の玩具が減ったくらいにしか、感じていない」

 

 自分を騙して使役する為だけに、怒った演技をしていたのです。

 

「自分が『良い子ちゃんで居られて羨ましい』? 馬鹿を言わないでください、貴方は自分が悪であることに誇りすら感じているくせに」

「……」

「貴方は祖国の為に働いているんじゃない、自分の所属(オースティン)陣営を勝たせたいと思って戦争で遊んでいるだけでしょう」

 

 確かにベルン・ヴァロウは愛国者でした。

 

 しかし、彼は特別な想いがあってオースティンに尽くしているわけではありません。

 

「そんなに新しい自分(おもちゃ)が欲しかったんですか、ベルン・ヴァロウ参謀少佐」

「……バレた?」

 

 自分は気付いてしまいました。彼はたまたまオースティンに生まれ落ちたから、我々の陣営で采配を振っているだけです。

 

 運動会で紅組に所属したから頑張る。

 

 そんな程度のモチベーションで、ベルン・ヴァロウは戦争を楽しんでいたのです。

 

 それは命を懸けて戦っている兵士全体への────冒涜では、ないでしょうか。

 

 

 

「あーあ! 俺も嘘を吐くのが下手になっちまったなぁ!」

 

 それを指摘した後の、ベルン少佐の表情の変化には身震いしました。

 

 今までの、憤怒の表情はどこへやら。

 

 彼はヘラヘラと醜悪に唇を歪め、無機質な目に爛々とした闇を浮かべて、

 

「ざーんねん!」

 

 ベルン・ヴァロウは頭を抱え、大声で嗤ったのです。

 

「結構、良い所まで行ったと思ったんだけどね。そっかー、見破っちゃうか」

「……」

「ますます君が欲しくなっちゃった。君ほど使い勝手の良さそうな凶器(ナイフ)はないからね」

「……」

「誰だって、良く斬れるナイフがあったら手元に置きたくなるだろう? たとえ人の物でも」

 

 嫌悪と恐怖で、吐き気が止まりませんでした。

 

 彼は自分を見ている様で、まったく見ていないのです。

 

「ああ、君は実に良いなぁ」

 

 ベルンはただ新型武器を物色するように、無機質な視線を向けていました。

 

 人間である、自分に対して。

 

「どう? 俺ならもっともっと効率的に殺せる、もっともっと楽しい戦場を用意してあげるよ」

「……」

「嘘をついたのは悪かったさ、謝るとも。でも俺は、もっと人を殺し(たのしみ)たくて仕方ないんだ」

「それで」

「でも正直に話しても、君はスカウトに応じてくれないだろ? 隠すしかなかったんだ」

 

 気持ち悪い。おぞましい。

 

 自分は前世まで全ての記憶を通じて、目の前の青年より醜悪な人間を見た事がありません。

 

「お前が人を撃つのが好きなのは、事実なんだろ?」

「……確かに、そうかもしれませんね」

「だったら俺の部下に来てくれよ。お前も俺もお互い楽しめるような、地獄に招待してやるからさ」

 

 だけど、ベルンは恍惚として喋るのをやめず。

 

 【性能の良い武器をドロップした時のような顔で】自分の手を抱き寄せて。

 

「そしてそれが、一番オースティンの為になる」

 

 そう、言葉を続けました。

 

 

「ベルン少佐」

「なぁに?」

 

 その虫唾が走るような、スカウトに対し。

 

 

 

「死んでも御免です」

 

 自分は、きっぱりと拒絶しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、おかえり。どうした、長い話だったな」

「ガヴェル曹長殿」

 

 悪魔はその答えを聞くと、おやつを取り上げられた子供のようにがっかりした顔になりました。

 

 ……間髪入れず、自分はベルン氏に一礼してテントから立ち去りました。

 

 これ以上、あの男と同じ空気を吸っていたくなかったからです。

 

「別に。大したことではない。世間話でした」

「とてもそんな感じには見えなかったが」

「本当ですよ。……何の意味もない、くだらない内容です」

 

 幸い、ヤツは自分を追ってきたりはしませんでした。

 

 追っても無意味と判断したのか、あるいは他に狙いがあるのかは知りません。

 

「分かったよ、聞かないでおくよ」

「感謝します」

 

 ガヴェル曹長は察してくれたようで、何も聞かずに歩き出してくれました。

 

 ああ。道に塩を撒きたい、と本気で思ったのは人生で初めてです。

 

「……そうだ、ガヴェル曹長。一つお聞きしたいのですが」

「何だ?」

「今日、作戦行動中に自分はどんな風に笑っていましたか?」

「あー……」

 

 しかしベルンの言う事にも、一理だけは在りました。

 

 他者を殺し喜ぶような性質を持つ人間を、悪と呼ばずして何と呼ぶでしょうか。

 

 自分は悪い人です。今日、それを自覚しました。

 

 ……ガヴェル曹長に自分は、どんな風に見えていたでしょうか。

 

「笑うっていうか。どっちかっていうと、泣いてただろお前」

「泣いていた?」

「目が、全く笑ってなかった。あんなのを笑顔とは言わん」

 

 自分の問いに、ガヴェル曹長はそう答えました。

 

 その後、年上である筈の自分の顔に手を近づけて

 

「大事なもんを失って、癇癪起こしてるガキにしか見えなかったよ。だから指揮権渡すの、躊躇ったんだ」

「……」

「でもヴェルディ様に、『窮地に陥った時、またトウリちゃんが居たら相談してみなさい』って言われててさ。お前がもっと普通のコンディションだったら、スっと指揮任せてたと思うぜ」

 

 そう言って自分の額を弾きました。

 

「因みに、まだお前の顔ヤベーからな。ちゃんと心の整理、つけとけよ」

「驚きました。……意外と、人のことを見ているのですね」

「あ? 喧嘩売ってんのか」

 

 あの時彼は、自分が正気じゃない事に気付いて指揮権を渡すのを躊躇っていたのです。

 

 ガヴェル曹長には失礼ですが、もっと何も考えていないと思っていました。

 

 流石はレンヴェル中佐のお孫さん、という事でしょうか。

 

「……心の整理、ですか」

「ああ」

 

 心の整理をつけろ。

 

 その言葉はつい先日、自分がリナリーを諭す時に使いました。

 

 生きている者に死者に出来ることは一つだけ。その死を悼み、思い出し、そして供養する事です。

 

 そうやって人は、大切な人と離別を乗り越えていく。

 

 

 ────感情ってのは思った以上に厄介で、操りにくい。

 

 ────感情的にならないのを目指すんじゃなくて、感情的になった時にソレを自覚できるようになりな。

 

 

 そういえば昔、アレンさんに言われましたっけ。

 

 感情を完全に制御するのは難しいから、客観的に認知できるようになれと。

 

 今日、自分がもう少し『感情的になっている』事を自覚していたら、何かが変わっていたのかもしれません。

 

 例えば、ゴルスキィさんを撃つ直前に我に返ることが出来ていたりとか。

 

「ありがとうございました、ガヴェル曹長。もう大丈夫です」

「……全然、大丈夫には見えんがな。そうだ、今日の戦死者の合同埋葬でも出て来いよ。……お前の知り合いとの、今生の別れになるぞ」

「いえ、結構です」

 

 それじゃあ、駄目です。

 

 我に返ってしまっていたら、自分はあの人を絶対に殺せなかった。

 

 そして正気なら、次に戦場でシルフを発見した時、間違いなく引き金を引くのを躊躇ってしまいます。

 

「リナリーの事は、心の整理をつけず抱えていく事にします」

「……」

「そうしないときっと、弱虫な自分は何もできないから」

 

 ベルン・ヴァロウの言葉にも一理ありました。

 

 自分が良い子ちゃんで居たがる限り、もっと多くの大事なものが掌から零れ落ちていきます。

 

 

 もし自分が前線に居たら、サバト軍の突破など許していなかった。

 

 自分が良い子ちゃんの振りをしていなければ、リナリーは死なずに済んだ。

 

「……サバト兵を殺したい、そんな憎悪を抱えていた方が自分は優秀な兵士になるようです」

 

 自分はもう、二度と同じ轍を踏みません。

 

 その為にリナリーの死を抱えて、憎悪と共に前へ進みます。

 

「そっか」

「はい」

 

 そう決意した自分を見て、ガヴェル曹長はポツリと、

 

「何か、小銃が似合う顔になったな。お前」

 

 そう言い零しました。




7章終了です。再開までしばしお待ちください。

仕事の都合で、少し期間が開いてしまうかもしれません。


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間章
『幸運運び』少女の噂


「俺さ……。この戦争が終わったら、結婚するんだ」

「そうか、おめでとう」

 

 運気と言うものは、確かに存在する。

 

 少なくとも俺は、そう信じている。

 

「首都にいるカワイイ幼馴染が、俺の帰りを待っているんだ」

「へえ」

 

 俺はしがない2等歩兵。

 

 最低限の体力訓練だけ課された、銃の扱いも素人な新米兵士。

 

 祖国オースティンが危機に陥ったため、拒否権もなく徴兵された哀れな男だ。

 

「お前も恋人を作ってみろよ。生きて帰ろうっていう強い意志が生まれるから」

「ああ。まぁ、頑張ってみるよ」

 

 俺が駆り出される先は、どうやら苦戦必至の激戦区のようだった。

 

 恐らく、此処に居る兵士の大半は帰らぬ人になるだろう。

 

 何の技術も持たない俺が生き残るには……幸運の女神さまに微笑んでもらうしかない。

 

「ああ、アンジェ。早く君に会いたい……」

 

 因みに、戦場で恋人自慢はすべきではないと言われる。

 

 その理由は演劇で、恋人自慢を始める兵士は死ぬのがお約束だからだ。

 

 俺にずっと自慢してきたこの戦友も例に漏れず、サバト軍の奇襲で蜂の巣となった。

 

 偶然だと思うが、俺は恋人が出来ても自慢すまいと誓った。

 

 

 

 

「……ん? お前、また祈ってんのか」

「あ、分隊長。どうも」

 

 兵士はゲン担ぎを大切にする。

 

 何の根拠もない与太話だったとしても、生き延びる可能性が上がるならやって損はない。

 

「おい、銃の置き方考えろ。邪魔だ」

「いや。銃を北に向けて寝た方が、縁起がいいらしいんですよ」

「知るかボケ」

 

 そんな兵士達の間では、様々な『運が良くなる』おまじないが囁かれてた。

 

 何の根拠もないジンクスから、実在する宗教逸話まで様々だった。

 

「お前が何に祈っても構わねぇが、戦場で無駄な行動してたら撃ち殺すからなァ」

「はい、気を付けます」

「おし」

 

 俺は耳に挟んだ縁起が良くなるまじないを、片っ端から試した。

 

 本当に効果があれば、万々歳。少なくとも、心を落ち着かせる効果はある。

 

「そんなにオカルトが好きなら、例のアイツを撫でてきたらどうだよ」

 

 俺は兵士の中で、屈指のおまじない好きだったと思う。

 

 オカルトに頼る俺を馬鹿にする者もいたが、気にしなかった。

 

 信じる者は救われる。その気持ちが大事なのだ。

 

「例のアイツ、って何ですか」

「知らないのか? お前が好きそうなネタだが」

 

 そんな俺はある日、先輩から少女の噂を聞いた。

 

 先輩はからかう様な笑みを浮かべ、

 

幸運運び(ラッキーキャリー)さ。何でも、撫でると運が良くなるらしいぜ」

「え、何ですかその噂」

 

 その噂の詳細を、教えてくれた。

 

 

 

 

 衛生部に、年端のいかぬ幼い少女衛生兵が勤めている。

 

 その少女は人形のように無表情で、硝子細工のように華奢で、蒲公英の花のように可愛らしい。

 

「何でその娘が、幸運の象徴呼ばわりされてんですか」

「ソイツ、何度も奇跡的な生還を遂げたんだとさ」

 

 幸運運び(ラッキ-キャリー)は、西部戦線時代から衛生兵として働いているそうだ。

 

 そして運命の女神に導かれたみたいに、今まで奇跡的生還を3度も果たしているらしい。

 

「1度目は、サバト軍の一斉突撃の時。最前線に取り残されたが、ソイツの小隊は殆ど被害なくマシュデールまで撤退できた」

「そりゃすげえ」

「2度目はそのマシュデールに取り残されて孤立した時。たまたま、ソイツはエース部隊に保護されて脱出に成功した」

「ほほー」

「そして3度目は、こないだヴェルディ中隊が包囲された時だ。あの時も絶体絶命だったが、英雄ヴェルディ中尉殿の指揮のおかげで生き延びたらしい」

「そりゃ本物の幸運持ちだ。そんな娘が衛生部にいるんですか」

「ああ。……ククク、お前が好きそうなネタだろ」

 

 彼女は話を聞く限り、凄まじい運を纏ってそうだった。

 

 事実なら、そこまで幸運の女神に愛された人間も少ないだろう。

 

「それだけじゃない。ヤツを撫でた奴はカードで馬鹿勝ちしたり、彼女が出来たりと良いことづくめらしい」

「それは一度会ってみたいですね」

「そうか。だったら大怪我して、衛生部に運び込まれたら会えるんじゃねぇか?」

「そいつはちっと勘弁願いたいです」

 

 その噂を聞いて、俺はその少女と会ってみたくなった。

 

 あわよくば、その少女に撫でさせて貰えないか頼みこむつもりだった。

 

 是非とも、彼女の幸運にあやかりたい。

 

「まぁ、待ってりゃそのうち会えるさ」

「それは俺が、じきに大怪我するって言いたいんですか」

「いやいや」

 

 だが先輩の言う通り、大怪我でもしない限り衛生部に行く機会はない。

 

 休みをもらってわざわざ、見知らぬ人に会いに行くのも変な話だ。

 

 そんな風に諦めかけていた俺だったが。

 

「もうすぐ、冬季行軍訓練が行われるだろ? その訓練のゴールが衛生部らしいぞ」

「おお」

「その幸運運び(ラッキーキャリー)様も、上手く行けば会えるだろ」

 

 先輩のその言葉を聞いて、俺は目を輝かせた。

 

 

 今年の冬入りは、異常に早いらしい。

 

 その異常気象の影響でサバトもオースティンも、寒すぎて冬明けまで戦闘を行えなくなったのだ。

 

 そして冬の間、兵士の腕がなまらないようオースティン軍本部は冬季行軍訓練を歩兵に課した。

 

「訓練なんぞ、面倒くさいと思ってましたけど。その話を聞けば、楽しみになってきましたね」

「そうかい、そりゃよかった。くれぐれも興奮しすぎて、途中で熱出して離脱すんじゃねぇぞ」

 

 先輩は興奮する俺を、ニヤニヤした目で見ていた。

 

 なんだか、含みのある目だった。

 

 

 

 

 

 

「さて、本日から雪中行軍訓練だ。各員、準備は出来てるな」

「はい」

 

 数週間後。いよいよ、訓練が始まった。

 

 訓練は合計3日間、サバイバル形式で行われた。

 

 行軍中はほとんど休みなく、寒い気候の中で限られた食料を部隊で分け合い、目的地を目指すらしい。

 

 一応、負傷者が出た場合は信号弾を打ち上げれば救助が来るらしいが……。

 

「滑落して即死したら助からんからな。くれぐれも雪に足を取られるな」

「はい」

 

 本当に救助などしてもらえるのだろうか。

 

 周囲の視界は悪く、吹きすさぶ風は寒々しかった。

 

「てめぇら踏ん張れ! 訓練で死んだら良い笑いものだぞ!」

「は、はい」

 

 半日ほど歩いた頃、俺は体中の水分が凍り付くような錯覚を覚えた。

 

 筋肉は疲れているのに汗は出ず、骨身に染みる寒波で全身が火傷みたいな熱を持っていた。

 

「辛いです、小隊長ォ」

「頑張れ。衛生部で若いねーちゃんが、温かいスープ作って待っててくれてるそうだ」

「それは、良いッスねぇ。美人にワイン注いでもらいたいな」

「南軍の衛生部長は、すげぇ色っぽい美女らしいぞ! 期待して前へ進め」

「……おー」

 

 因みに衛生部のレィターリュ部長は確かに美人だが、同時に「戦場の死神」と恐れられるほど縁起が悪い事でも有名である。

 

 もし彼女に悪戯しようものなら、次の日に流れ弾が当たって死んでも不思議ではない。

 

 そんな噂を知ってか知らずか、小隊長は大きな声を上げ、

 

「衛生部長は慈しみに溢れてるから、尻くらい触っても怒らねぇぞ」

 

 そう言って俺達新人兵士を鼓舞したのだった。

 

 

 

 

 

 

 そして、いよいよ訓練最終日。

 

 疲労困憊の俺達小隊は、なんとか衛生部キャンプへと辿り着く事が出来た。

 

「あーダルい……」

「死ぬ、マジで死ぬかと思った」

 

 坂で滑落しないよう気を張りながら、重装備を身に纏っての行軍は想像以上に体力を消耗した。

 

 雪中訓練は、想像以上に過酷な訓練だった。

 

「よし、脱落者は居ないな。お前らよく頑張った」

「うーす……」

 

 他の小隊には訓練中に転倒し、衛生部に運ばれていった兵士も結構いるらしい。

 

 俺達の小隊がほぼ全員、無傷で訓練を終えられたのは幸運だった。

 

「……ズビビー」

「先輩、さっきから顔紅いですよ」

「あー、風邪ひいたっぽい。チクショウ」

 

 まぁ怪我人がいないだけで、熱を出した人はいるが。

 

「ま、衛生部がゴールでよかったじゃねぇか。診て貰えよ」

「了解、アレンさん。あー、頭痛ェ」

 

 俺が良く話す先輩ロドリーは、訓練途中から体調を崩していた。

 

 そして最終日の朝、とうとう熱を出してしまっていた。

 

「俺が診察室まで運んでいきましょうか、先輩」

「要らねーよ、一人で行けるわこんくらい」

「無理すんなよロドリー」

 

 俺はロドリー先輩に肩を貸そうとしたが、手を除けられてしまった。

 

 彼は「移ったらどうする」と不機嫌そうな声で怒って、一人で診察室に歩き去ってしまった。

 

「ほんと、アイツは意地っ張りだな。風邪の時くらい、仲間を頼ればいいのに」

「そうですね」

 

 ロドリー先輩はなかなか、意固地な性格のようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 治療を受けに行ったロドリー先輩と別れ、俺達は衛生部の広間に設置された休憩所に向かった。

 

 既に数十人の兵士が地べたに座りこみ、仲間と共にスープをすすっていた。

 

「ここで待ってろ。もうちょっとしたら美人の姉ちゃんがスープを運んできてくれらぁ」

「小隊長。運んでるの、男しかいませんけど」

「食事運ぶのも、力仕事だしなぁ」

 

 残念なことに、食事の運搬係は男性が多かった。

 

 もしかしたら、悪戯を防止する意味もあるのかもしれない。

 

「お、でも俺達のところに来るのは女の子っぽいぞ」

「でも、凄く小さいな」

 

 まぁ別に、俺は誰がスープを運ぼうと興味などない。

 

 ただ噂に聞く『幸運運び』殿はいないかと、周囲をキョロキョロ見回して……。

 

「スープ、お持ちしました」

「あっ」

「……どうかされましたか」

 

 声をかけられてやっと。俺はスープを運んできてくれた少女が『ソレ』であると気が付いた。

 

「おおー」

「……?」

 

 無表情な顔、華奢な体躯、吸い込まれるような瞳。

 

 小首をかしげるその仕草は、何処か神秘的な雰囲気もあって。

 

「本当に居た……」

 

 ロドリー先輩の話で聞いたとおりの、衛生服を着た少女がそこに立っていた。

 

「どうも、初めまして衛生兵さん。失礼ながら、少し撫でさせていただいてもいいですか?」

「またですか。まぁ、構いませんが」

 

 自分はその少女に了解を得て、すぐ頭を触らせてもらった。

 

 少女は慣れたような態度で、少しだけ面倒くさそうに俺の方へ頭を傾けてくれた。

 

「ありがたや」

「……はあ」

 

 彼女の頭を撫でると、何だか不思議な力が湧いてくる気がした。

 

 かじかんだ掌に、サラサラとした柔らかな髪の感触を感じた。

 

 確かに、何かご利益がありそうな感じがする。

 

「おう、次は俺にも代われ」

「あ、小隊長殿。了解です」

 

 本物の『幸運運び』にじーんと感動していたら、アレン小隊長も近づいてきた。

 

 小隊長殿も、撫でたかったのだろう。

 

「おお、トウリ。聞いたぞ、お前なんか最近『幸運運び(ラッキーキャリー)』とか呼ばれてるらしいな」

「何ですかソレ」

 

 しかし予想と違って、アレン小隊長はニカニカ笑って少女衛生兵に話しかけた。

 

 それはまるで、戦友に語り掛けるように気兼ねない態度だった。

 

「もしかしてその呼び名、自分が撫でられるようになったのと関係があるのですか?」

「ああ。何でも、お前は幸運のマスコットらしいぞ」

「はぁ」

 

 少女からアレン隊長への態度も、気安いものだった。

 

 察するに、アレン小隊長殿は彼女の知り合いだったのかも。

 

「おいレータ。話してやれよ、この『幸運運び』様の噂を」

「俺ですか? えっと、所属部隊が何度も奇跡の生還を果たした衛生兵が居て、その子を撫でると幸運に見舞われるって聞きました」

「それで、貴方も自分を撫でたのですか」

「その『幸運運び』様はお人形みたいに可愛い、表情乏しめの女の子衛生兵って話だって聞いてな。俺とロドリーはもう、大爆笑したんだ」

「……」

「俺もそのご利益にあやからせてくれよ、クッククク」

 

 アレン小隊長はからかうように、クシャクシャと少女衛生兵の髪を撫でた。

 

 少女衛生兵は憮然としたような、くすぐったいような、不思議な表情をしていた。

 

「お前も頑張ってんだなって。あの、塹壕の中で顔を青くして震えてたトウリがこんなに立派になぁ」

「……」

 

 髪をくしゃくしゃにされたが、少女に嫌がるそぶりはなかった。

 

 きっと、アレン小隊長と少女の間の関係はこういう感じなのだろう。

 

 口を挟むのは野暮な気がしたので、俺は黙って見守ることにした。

 

「そういえば、ロドリー君はどうしたんですか?」

「あいつか? ロドリーは間抜けにも、訓練中に熱出してな。今、治療班に並ばせてる」

 

 ひとしきり撫でられた後、少女は周囲を見渡しそんな事を言い出した。

 

 彼女は、ロドリー先輩とも知り合いらしい。

 

「え、大丈夫なんですか?」

「熱出てるだけで平常運転だ。いつも通りに生意気で口の悪いロドリーだ」

 

 そういえばロドリー先輩は、この娘の噂に詳しかった。

 

 元々ロドリー先輩は、オカルト話に興味を持つタイプではない。

 

 きっと知り合いの話だったから、詳しく知っていたのだ。

 

「……そうですか」

 

 少女は少し寂しそうな顔をして、ため息をついた。

 

 少しだけ、唇が尖っていたのが印象的だった。

 

「では、スープを飲んだら気を付けてお帰りください。帰り路に怪我をして、引き返すなんてことの無いように」

「おう、じゃあまたなトウリ」

 

 しかし少女はそれ以上何も言わず、俺達に一礼すると立ち去ってしまった。

 

 俺は少女衛生兵に軽く会釈を返し、そのまま熱いスープを飲み干しにかかった。

 

 続々と訓練を終えた兵士が、広場に戻ってきていた。

 

 あまり長居をすると迷惑だろう。

 

「いや、本当に居たんですね『幸運運び』。アレン小隊長、お知り合いだったんですか」

「ああ、戦友だ。俺が前に居た部隊に、アイツも居たんだ」

「成程」

「噂で聞いただろう? 最前線から脱出した小隊に『幸運運び』がいたってな。俺もその幸運(ラッキー)な小隊に居たんだよ」

 

 その言葉を聞いて、俺は得心した。

 

 ロドリー先輩が妙に楽し気に『幸運運び』殿の話を振ってきた理由が分かった。

 

 きっと先輩は、戦友が信仰対象にされているのを知り面白がっていたのだ。

 

「あんな小さな娘が、最前線に居たんですね」

「ああ。ああ見えてトウリは、根性もある」

 

 『幸運運び』の話を聞いたアレン小隊長とロドリー先輩は、顎が外れるほど大笑いしたらしい。

 

 曰く『トウリはそんな神秘的な存在ではなく、ただ宴会芸が好きな面白い娘』だそうだ。

 

「ま、一見すると独特の雰囲気だけど。話してみると普通の女の子だ」

「普通、ですか」

「おおとも。ちょっとアレ見てみろよ」

 

 アレン小隊長はそう言って、ふと俺の後ろの方を指さした。

 

 それにつられて俺も振り向くと、

 

「あっ」

「な、普通だろ」

 

 とても不機嫌そうな『幸運運び(ラッキーキャリー)』ちゃんが、頬を膨らませて立っていて。

 

 その視線の先に、衛生部長に誘惑されて鼻の下を伸ばすロドリー先輩の姿が見えた。

 

「あれって、つまり」

「同じ小隊に居たころから、あんな感じでな。幸運運び様も、お年頃ってワケだ」

「ははは」

 

 目を吊り上げてロドリー先輩の頬を引っ張る少女の姿に、俺は微笑ましさを覚えた。

 

 俺が先ほど頭を撫でた少女は、幸運の女神の化身なんかではなく……年相応の少女だったのだ。

 

「ロドリー先輩も隅に置けないですねぇ」

「あ、ただロドリーをからかわねぇ方がいいぞ。アイツ、イジられるのは苦手だから」

「了解です、小隊長」

 

 その仲睦まじい二人の様子を肴に、野菜のスープを飲み干すと。

 

 俺は彼女を撫でた手をボンヤリ見つめながら、小隊の仲間とゆっくりとベースキャンプに戻っていった。

 

 訓練の終わった日の夜は、休みになっていたはずだ。

 

 俺は無駄に運を使いたくないから、ギャンブルには手を出さない方だけど。

 

 今日くらいは、カードで遊んでみてもいいかもしれない。

 




4章ごろの一般兵士目線のお話です。


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ゲール外伝『生真面目衛生兵さんの奮闘記』

「……できました」

「おお、見事」

 

 少女は、小さく歓喜の声を上げた。

 

 彼女の手の前には、小さな薄い壁────【盾】の魔法が確かに形成されていた。

 

「呑み込みが早いな。流石はゲール、衛生部の若きホープ」

「……ありがとうございます」

「まぁ、儂の教え方が良かったのかもしれんが」

 

 その少女の名前は、ゲールといった。

 

 泣き黒子が印象的な、大人びた雰囲気の女性だった。

 

「【盾】の魔法は、誰かを守りたいという気持ちを強く持てる人間に発現するという」

「はい、ドールマン衛生部長」

「ゲール。お前は、誰かを守れる衛生兵になりなさい」

 

 老いた兵士ドールマンはそう言うと、ゲールの肩を掴み。

 

「決して、儂のような衛生兵にはなるんじゃないぞ」

 

 自嘲するような声で、そう言って聞かせた。

 

 

 

 

 ゲールの一族は、代々軍の重役を務めるエリートであった。

 

「ゲール一等衛生兵と申します。これから衛生部でお世話になります」

「おお、君が噂の……」

 

 彼女はそんなエリート一族の中でも、『神童』と持て囃された麒麟児だった。

 

 貴重な回復魔法の適性を持ち、豊富な魔力量を誇り、頭の回転も速く、責任感も強い。

 

 まじめな性格で努力を惜しまず、温厚な性格で同僚からの信頼も厚かった。

 

「ゲールさん、少し手伝ってくれないか。この患者は少し、骨が折れそうなんだ」

「お任せください」

 

 ゲールは衛生部に入ると、すぐ頭角を現した。

 

 彼女はメキメキと腕を上げ、数年も経つ頃には衛生部の中心人物となっていた。

 

「お前のような女が入ってきたからには、衛生部は安泰だ」

「恐れ入ります」

 

 当時の衛生部長だったドールマンは、ゲールをよく可愛がった。

 

 彼女を一番弟子と扱い、持てる医療技術の全てを彼女に伝えていった。

 

 それは贔屓でも何でもなく、純粋に彼女の能力が高かったからこそだそうだ。

 

「衛生部長を継がせる奴を選ぶとしたら、ゲールしかおらんだろうな」

 

 ドールマンは数年ほどのキャリアしかないゲールに、そこまで期待していた。

 

 

 

 

 

「ナイン上等兵です! 今年、士官学校を卒業しました」

 

 ゲールが従軍して数年後。

 

 一人の若い少年兵が、ゲールに挨拶に来た。

 

「姉さん、どうですか。似合っていますか」

「ええ」

 

 ニコニコと屈託のない笑顔をゲールに向けるその少年は、彼女の実弟ナインだった。

 

 軍人の一族である彼もまた、歩兵として前線に配属されてきたのだ。

 

「お国の為に、力を尽くす所存です!」

「ナイン、くれぐれも無茶をしちゃだめよ。自分が生き残る事を最優先に考えなさい」

「はい!」

 

 ナインは素直で明るい少年だった。

 

 そしてゲールに似て利発で、真面目な性格だった。

 

「後方に異動になるまで、しっかり生き延びなさい」

 

 彼もまたゲールと同じく、士官学校を出た「エリート組」だ。

 

 前線勤務を経験した後は、軍の中枢へ食い込んでいく手はずだった。

 

「安心してください姉さん。どうやら、損耗率の低い部隊に配置して貰えたみたいです」

「あら、そうなの」

「心配性な父さんが、手を回したのかもしれません」

 

 彼は自慢でもするように、ゲールに自らが所属する部隊の名を語った。

 

 その軍人の名に、ゲールも聞き覚えがあった。

 

「あの有名なエース、ガーバック軍曹の部隊だそうです!」

「あらあら」

 

 ────突撃狂で、部下を見殺しにする噂があるエース級ガーバック。

 

 弟が口に出したその軍人には、あまり好ましくない噂が有る事で有名だった。

 

 その名を聞いたゲールは、弟を心配そうな目で見つめたが……。

 

「あれ? どうかしましたか、姉さん」

「いえ、何でもないわ」

 

 彼女の冷静な部分が、「余計な先入観を与えて、不和の原因になってはいけない」と口をつぐませた。

 

「頑張ってね、ナイン」

「ええ」

 

 ゲールは実弟に何も伝えず、笑顔を作って誤魔化した。

 

 それが、大きな後悔を生む事とも知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナイン! どうしたの、その怪我は」

「あはは」

 

 その数日後。

 

 ナインは、見るも無残な大怪我を負って衛生部に運ばれてきた。

 

「大丈夫なの? 骨も折れてるし、全身打撲……。待ってなさい、今治してあげるから」

「落ち着いて下さいゲール1等衛生兵、もう処置は終えています」

 

 慌てたゲールが回復魔法を行使しようとしたら、鉄面皮な衛生兵に手を掴んで止められた。

 

 ゲールはキっとした目で、その衛生兵を睨みつけた。

 

「まだボロボロじゃない」

「自然治癒で治る範囲です。回復魔法の適用は無いと思われます」

「でも……っ」

「姉さん、落ち着いてください。大丈夫ですから」

 

 戦場で、回復魔法は貴重だった。

 

 数日で自然治癒が見込めるような傷には使わないのが鉄則だ。

 

 それはゲールも知っていたが、身内が傷だらけになっていると治したくなるのが心情である。

 

 可愛がっている弟なら、猶更だった。

 

「それに彼は、見た目よりは元気でしょう」

「えっ」

「治療中、ずっと私の胸を見ていました」

「うぐっ!」

 

 しかし、当の弟は美女衛生兵の胸に気を取られていたらしい。

 

 気まずい沈黙が数秒ほど流れた。

 

「ち、違うよ、そう言う意味じゃなくて」

「ご心配なさらず、気にしていません。触ってこないだけ紳士だと考えます」

 

 ゲールは脱力し、ナインは顔を真っ赤にしてアタフタと言い訳を続けた。

 

 弟のそういう部分は、出来れば知りたくなかったのが本音だった。

 

「まぁレイリィの胸はおっきいものね。はぁ、心配するのが馬鹿らしくなってきた」

「ごめんなさいぃ……」

「では私はこれで失礼します、ゲール1等兵」

 

 顔を真っ赤にしたナインは、一礼して立ち去るレィターリュに小声で謝っていた。

 

 そんな弟に、ゲールはあきれ顔で体罰の理由を問うた。

 

「その、殴られたのは僕が悪かったんです。小隊長の指示を聞き間違え、1人だけ塹壕を逆走してしまって」

「はあ」

「それを敵前逃亡だと思われたみたいで、タコ殴りにされました……」

 

 ゲールが話を聞いたところ。

 

 ナインが重傷を負った理由は、ガーバックによる体罰だった。

 

 聞く限り、ナインにも非がありそうな話ではあった。

 

「なかなかにガーバック小隊長は苛烈な人で。夜まで立たされた後、やっと治療許可を貰えました」

「誰にだって聞き間違えくらいはあるわ。流石にやり過ぎよ」

「僕は納得してますよ。……一応」

 

 ナインは少しだけ曖昧な笑みを浮かべた。

 

 内心ではちょっと思うところがあるらしい。

 

「まぁ、他人の胸を見る元気があるなら良かったわ」

「あまりそこをイジらないでください。その、凄い美人だったので思わず、というか」

「レイリィは倍率高いわよ?」

「そんなんじゃないんですって」

 

 新米は殴られて育つもの。

 

 そういった戦場の常識を知っていたナインは、文句を口に出さずに飲み込む程度の分別を持っていた。

 

「じゃあ今日はもう帰ります。ご心配をかけてすみません、姉さん」

「ええ、次は気を付けなさい」

 

 ゲールも弟を暴行された事に複雑な気持ちはあったが、前線の事に関与する権力も筋もない。

 

 彼女は少し不安そうな目で、弟を見送った。

 

 

 

 その日から時折、ナインは顔面を腫らして野戦病院にやってきた。

 

 新兵が体罰により、病院に連れて来られるケースは珍しくはない。

 

 とはいえ、ガーバック小隊の体罰はかなり苛烈な部類であった。

 

「……また来てるの、ナイン」

「うっ。見つかってしまいましたか」

 

 今日もナインは全身をタコ殴りにされ、見るも無惨な姿になっていた。

 

 いくらそれが「新米兵士にとっての日常」であれ、ゲールは心中穏やかではなかった。

 

「流石にやり過ぎね。ガーバックには私から言っておくわ」

「良いよ姉さん、そんな過保護な。殴られてるのは僕だけじゃないし」

 

 ゲールは何度か、ガーバックに苛烈な指導を避けるよう要請を出そうとした。

 

 しかし、それを止めたのは他ならぬナインだった。

 

「そんな事したらむしろ殺されるし」

「ナイン……」

「悪目立ちしたくないんだ。頼むから余計な事はしないでおくれよ姉さん」

 

 ナインはガーバックを酷く恐れている様子だった。

 

 そんな彼の懇願を聞いて、結局ゲールはガーバックへの文句を飲み込み続けた。

 

 

 

「口を出さん方がいい」

「そういうものですか」

 

 悩んだゲールはナインの事を、衛生部長ドールマンに相談した。

 

 多大な功績をあげたドールマンは、未だに前線兵士に絶大な影響力を持っていた。

 

 ゲールから注意するより、衛生部長である彼から注意してもらう方が良いと考えたのだ。

 

 しかし、ドールマンから返ってきた言葉は淡白なものだった。

 

「儂も前線を経験したが、ある程度の体罰は仕方ないと思う」

「……」

「そのガーバック小隊は、部隊損耗率の低い小隊なのだろう?」

 

 歩兵には歩兵のルールがある。

 

 そこに、前線を知らないゲールが干渉するのはあまり良くない。

 

「損耗が少ないという事は、ガーバックが部下の教育に長けている証左だ。苛烈であれ、適切な指導を行っていると思われる」

「そういうものでしょうか」

「前線に、平時の常識を持ち込むものではない」

 

 そう言ってドールマンは、ゲールの悩みを切って捨てた。

 

 

 ゲールの心中は複雑だった。

 

 ナインの事は心配だ。何度も酷い目に遭わされる弟を見て、ゲールは心を痛め続けた。

 

 しかし、死なないで欲しい。ガーバック小隊の新兵損耗率が低いのもまた、事実だった。

 

 別の部隊に再配置されて戦死されるよりは、幾分かましだ。

 

 そんな感情の板挟みで、ゲールは悩んでいた。

 

 心に折り合いがつかない中で、沢山の負傷兵の治療に追われて憔悴していく日々。

 

 だがまもなく、ゲールは更に悩みを抱えることになった。

 

 

「姉さん。レィターリュさんと、つ、付き合いました」

「はあ?」

 

 悩みの種であった弟が、後輩のレィターリュと付き合うことになったのだ。

 

 休憩中のゲールはいきなりそう告げられて、報告に来たレイリィとナインを二度見した。

 

「どういうことなの?」

「こ、告白したら、上手く行きました」

 

 かなりの衝撃だった。

 

 どういう流れでそうなったのか、そもそも付き合う暇なんかあるのか。

 

 平静を取り繕って問いただすと、弟は視線を外しながらボソボソと答え始めた。

 

 

 きっかけは、怪我の治療だった。

 

 ナインは体罰で怪我をした事を、姉に知られたくなかった。

 

 なので衛生部に来た際には目立たぬよう、端っこの診察列に並んでいたようだ。

 

 そして、その列を担当していたのはレィターリュ。必然的に何度も顔を合わせることになった。

 

 そうして彼女に何度も治してもらっているうち、ナインの方がコロっと惚れてしまったのだという。

 

「ビシっとしていて、恰好が良くて、それでいて治療は丁寧で優しい。いつしか彼女の事しか考えられなくなって、ミスが増えて益々殴られるようになりました」

「……」

「このままじゃ良くないと気持ちの整理を付けるつもりで、玉砕覚悟で思いを告げたのですけど。何故か、その、構わないと言われて」

「……はぁ」

 

 ゲールの目の前に座る弟は、全身を無残な傷だらけにしつつレイリィと手をつなぎ、幸せな笑みを零していた。

 

 はっきり言って不気味だった。

 

「レイリィ。その、ナインと付き合うって本当?」

「はい。先日、恋人でも作ってみてはどうかと衛生部長に助言されまして、良い機会と考えました」

「……」

 

 相変わらずレィターリュは無表情なまま、淡々とそう返答した。

 

 彼女は、自分にも他人にも厳しい鉄面皮な女性だった。

 

 そんなレイリィが恋人を作ったこと自体が驚きだったが。

 

「今まで、恋人とかは全て断ってなかったっけ?」

「恋人を作る事に興味を感じませんでしたので。しかし『生物である以上は生殖こそが生存意義』とドールマン衛生部長に諭され、納得した次第です」

「……」

 

 恐らくレイリィは、男女交際というものを理解していなさそうだった。

 

 生殖こそ生物の生存意義、という理由で付き合われるナインも可哀そうである。

 

 そう考えたのでナインに思いとどまるよう説得しようとした、が。

 

「それと、ナインはかなり可愛い顔をしています。正直に申し上げて、私的にストライクでした」

「えっ」

「なので、交際を受け入れました」

 

 唐突に、レィターリュがショタコンをカミングアウトしたのだ。

 

 ゲールは絶句したが、ナインは嬉しそうな顔で照れている。

 

「そういう訳だから、姉さん」

「よろしくお願いします」

「頭が痛くなってきたわ」

 

 そう言われてしまっては、説得のしようがない。

 

 ゲールは二人の交際を許す事にした。

 

「レィターリュさんは、もっと笑った方が可愛いですよ」

「そうですか。努力しましょう」

「ここでイチャつかないでくれる?」

 

 弟と後輩が相思相愛、両想いだというなら応援する以外の選択肢はなかった。

 

 こうしてゲールに、新たな悩みが増えた。

 

 

 ゲールの本音としては、この二人の交際をあまり好ましく思わなかった。

 

 何故なら、ナインは士官候補生だからだ。

 

 彼はゆくゆくは後方へ転属になり、指揮官として活躍する立場の人間である。

 

 一方でレィターリュは、優秀な衛生兵。暫くは前線に居て貰わないと困る人材だ。

 

 ナインが出世し後方勤務になった場合、レィターリュがついて行ってしまう可能性がある。

 

 優秀な衛生兵を失うのは、病院的に苦しかった。

 

 それに加え、ゲールはそこそこ弟を溺愛していた。

 

 姉弟間で年が離れていたので喧嘩も少なく、ナインはよくゲールに懐いた。

 

 そんな彼を、ゲールもよく可愛がった。

 

 弟をレイリィに取られてしまう形なので、少しモヤモヤとした感情はあった。

 

「どう思いますか、ドールマン衛生部長」

「はあ」

「戦場は色恋に現を抜かす場では……」

 

 彼女はしばらく、その話を直属の上司ドールマンに愚痴ったという。

 

 なおドールマンは、生暖かい顔でゲールの話を聞き流していたようだ。

 

 

 

「ゲール、お前。衛生部長になってみるつもりはないか」

「え?」

 

 ちょうど、2人が付き合い始め一月ほど経った頃だろうか。

 

 衛生部長ドールマンが、回復魔法を使えなくなってきたのは。

 

「昨日、色々と頑張ってみたが。とうとう、一度も【癒】が発動しなくなってしまった」

「……そうですか」

 

 魔力が枯れたのだ。

 

 ドールマンは御年60を超える老齢だった。流石に、体にガタが来始めていたらしい。

 

「儂は後方に退こうと思う。……思ったより、その時が遅くなってしまったがな」

 

 彼は元より魔力を失ったら、引退すると決めていたそうだ。

 

 今後は後方で、新人育成に励むつもりだという。

 

 そして彼は衛生部長の地位を、ゲールに譲ることにした。

 

「儂の代わりに衛生部をよく纏め、多くの命を救ってくれ」

 

 ドールマンの人選は妥当と言えた。

 

 能力的にも人望的にも、ゲールに匹敵する人物は衛生部にいなかった。

 

「私に出来ることであれば」

「任せたぞ」

 

 ゲールは、ドールマンの手を取った。

 

 彼女自身、自分が衛生部長を継ぐ覚悟は決めていた。

 

「色々と辛い事が、沢山あるだろう。迷いがあれば儂に手紙を書け。相談に乗ろう」

「ありがとうございます」

 

 こうしてゲールは、若くして衛生部長の地位に就くことになった。

 

 それが彼女にとって、悪夢の始まりであるとは想像だにしなかっただろう。

 

 

 

 

 ちょうどドールマンが引退した、数日後。

 

 サバト軍により『タール川占領作戦』と呼ばれる、大規模な攻勢が行われた。

 

 それは長い間オースティンとサバトの国境であった「タール川」を、サバト勢力下にしてしまおうという作戦だった。

 

 

 この作戦に動員されたサバト兵は、20万人近かった。

 

 サバトは数千隻の鉄甲船と数万発分の魔砲石を準備し、選りすぐりの精鋭がタール川沿線に集結したという。

 

 当時のサバトの全資源を投入した、大規模な作戦だった。

 

 もしタール川を占領されてしまった場合、オースティン側は苦境に立たされる。

 

 タール川を確保されるとオースティン側は水資源を失い、防衛面も大きな不利を背負ってしまうからだ。

 

 サバトはいつでもオースティン本土へ攻め込めるのに対し、オースティンはタール川を越えねばサバト本土に手を出せない。

 

 何としてもオースティンは、この作戦を食い止めなければならなかった。

 

 

「敵が、延々と河を越えて押し寄せてくる────」

 

 

 オースティン兵は、まさに恐怖だっただろう。

 

 何人殺しても、タール川を血で染め上げても、サバト兵は止まらないのだ。

 

 船を沈めても仲間の遺体を浮き代わりに、死に物狂いで泳いでくる。

 

 その鬼気迫る突撃に、そしてサバトの用意した物量に、オースティンは押されていった。

 

「早く、俺を戦場に返してくれ。仲間が、小隊長が、殺されちまう!」

 

 その日の野戦病院は、いつも以上の修羅場だった。

 

 前線兵は戦況の不利を感じ取っていたらしい。

 

 普段であれば、治療に横入りする兵士などさほど多くないのだが……。

 

「すまん、俺は軽傷だ。腕を癒してもらえれば戦線に復帰できる。先に治療に当たらせてくれ」

「……チクショウ。俺は戦線復帰は難しいから譲ってやる」

 

 早く戦場に戻れる者を優先して治療させようと、兵士同士の譲り合いが発生する始末であった。

 

「その代わり、絶対にサバトの連中を食い止めてくれよ」

「ああ、任せろ、すぐに戻る」

 

 タール川を占領されたら、オースティンは負ける。

 

 今まで戦ってきたことすべてが無駄になってしまう。

 

 それを肌で感じているベテラン兵士が、数多くいたのだ。

 

「待って、貴方は治療が遅れたら死ぬ可能性が────」

「かまわん、軽傷なヤツの治療を優先してくれ! そして、前線に戻してやってくれ!」

 

 ……従軍経験が長ければ長い程、負け戦というモノに敏感だった。

 

 普段なら治療に横入りされると激怒する兵士が、順番を譲るなどあり得ない話。

 

 ゲールは前線で、ただならぬ事態が起きていると察した。

 

 

「ありがとう、衛生兵。じゃあ俺は、再び前線に行ってくる」

「無茶をしないでね、まだ完治はしてないんですから!」

 

 ゲールは身を粉にして、彼らの治療を続けた。

 

 彼らの鬼気迫る様相に、『本当に前線はまずいんだ』と理解したからだ。

 

 ゲールは前線兵士たちの要望通り、戦線復帰が可能な軽傷な者の治療を優先した。

 

「次、さっきの兵士よ! あの人、治療が遅れたら死んでしまうんだから!」

「……その兵士は、先ほど亡くなりました」

「もう! もう!!」

 

 結果、手遅れになる兵士が増えてしまった。

 

 そうまでして助けた兵士も、再び前線に出てサバト兵に撃ち殺され、帰らぬ人となった。

 

 ゲールとしては気が狂いそうになるような、命の選択だった。

 

 かつてない程高く積み上がる、死体の山。

 

 順番通りに治療すれば助けられたはずの、若い命。

 

「こんなのおかしいじゃない。こんなの、こんなのって!」

 

 それはこの世の地獄だった。

 

 少なくともゲールは、今まで体験したことが無かった地獄だった。

 

 しかし、そこまでやってなお。

 

「────オースティン軍はタール川の防衛に失敗した」

「タール川付近から、オースティン軍は撤退。死傷者は、数え切れず」

「我々は、大きく後退する事になった」

 

 その日の深夜に聞かされた戦報は、残酷な結末だった。

 

 

 

「俺はいい。足を失った俺はもう治らねぇ。だから、戦える奴を、優先して」

「もう戦いは終わったそうよ」

「嘘だ。嫌だ、俺達は負けてねぇ。まだ戦える、ちくしょォ……」

 

 夜の野戦病院は、お通夜のような雰囲気だった。

 

 サバト軍は数多くの犠牲を出しつつも、タール川の確保に成功してしまった。

 

「サバトの畜生ども、よくも。よくも……っ!」

「痛ぇ、痛ぇ。治療を後回しにしてたら、脚が黒ずんできやがった」

 

 既にサバト兵は、タール川沿いに強固な防御陣地を作成し始めているという。

 

 大きな被害を受けたオースティン軍に、その陣地作成を妨害する余力は無かった。

 

「腐ってる。俺の、両親から貰った大事な足が、腐ってきている」

「すみません、小隊長殿。すまん、新兵ども……」

 

 治療を受ける兵士たちは、泣いていた。

 

 唇を真一文字に、カチカチと歯音をならして、泥と涙で顔を汚して泣いていた。

 

「……秘薬を取ってくる。少し、治療を代わってもらえるかしら」

「はい、ゲール衛生部長」

 

 ゲール自身も、疲れた体に鞭打って治療を続けた。

 

 悔しかったし、それ以上に不安が募った。

 

 オースティン軍は、負けてはいけない戦いに敗北した。

 

 これからオースティンはどう戦っていけばいいのか。

 

 もし負けてしまった場合、オースティン国民はどんな目に遭わされるのか。

 

 悲壮な雰囲気の漂う野戦病院で、ゲールは兵士たちの嘆きを聞いて顔を青くしていた。

 

 

 

 

「……あら」

 

 秘薬を取りに戻る途中。

 

 ゲールは、レィターリュの傍を通った。

 

「どうしたの、レイリィ」

「……」

 

 珍しいことにレィターリュは、激しく泣いていた。

 

 泣きながらも歯を食いしばって、震える手で治療を続けていた。

 

 鉄面皮だった彼女がここまで感情をあらわにしたのは、ゲールから見て初めてだった。

 

「何かあったの?」

「ごめんなさい、ゲール衛生部長」

「へ?」

 

 ゲールに問いかけられたレィターリュは、ハッと息を呑んだ。

 

 そして静かに、指先を震わせて、一人の遺体を指さした。

 

 目を覆いたくなるほどの屍が寄せ集められる中に、その少年の遺体も積まれていた。

 

「ごめんなさい……」

 

 レィターリュが指さす先には、虚ろな目でゲールを見つめるナインの姿があった。

 

 

「ナインは『僕を後回しにしろ』と、言ったのです」

 

 膝から崩れ落ちるゲールは、レイリィの懺悔のような言葉を聞いた。

 

「前線が危ないから、僕が行っても役に立たないから。そう言って、彼は後ろの者に治療を譲り続けました」

「あ、あぁ」

「そしてつい、1時間ほど前でしょうか。ナインは言葉を発しなくなり、私のすぐ隣で冷たくなりました」

「あ、ああァ。ナイン……」

 

 ゲールはよろよろと、自らの弟の骸へ歩み寄った。

 

 ナインの瞳は濁ったまま、明後日の方向を向いて動かなかった。

 

「ナインは、すぐに治療すれば間に合っていたはずの傷でした」

「……」

「私が治療を後回しにして、見殺しにしました」

 

 ポツリ、ポツリとレイリィは告白を続けた。

 

「私がナインを殺しました」

 

 彼女の言葉を聞いたゲールは、獣のような叫び声をあげた。

 

 

 

 

 それからのゲールは、鬼が憑いたようだった。

 

 髪を振り乱し、身だしなみすら気にせず仕事を続けた。

 

 鬼気迫る様子の彼女を恐れ、話しかける人は少なかった。

 

「ゲール衛生部長。今日、戦死者の告別式があります」

 

 そんなゲールに話しかけるのは、レィターリュくらいのものだった。

 

「ナインの告別の時くらいは仕事を休み、出席してはどうでしょう」

「誰が。誰のせいでっ……」

「私です。ナインが死んだのは私のせい」

 

 ゲールはレィターリュの顔を見るだけで、吐き気がするほど怒気を放った。

 

 出来る事なら、弟を見殺しにしたレィターリュを殺してやりたいと思っていただろう。

 

「……行くわ。最期くらい」

「本日の14時です」

 

 しかし、そのレィターリュも憔悴しきった顔をしていた。

 

 傷ついているのはゲールだけではない。

 

 そして、ゲールは部下に当たり散らす見苦しい真似をしないだけの分別はあった。

 

 ゲールは色んな感情を嚙み殺し、告別式に出ることにした。

 

 ただの儀式でしかないが、心の整理には必要なプロセスだと理解していたから。

 

 

 

 戦場の告別式は簡素なものだ。

 

 遺体が山のように積み上げられ、牧師の真似事をした兵士が簡単な言葉を述べ、やがて火をくべる。

 

 儀式は、それだけだった。

 

 ゲールはレイリィと並び、ナインの遺体の正面に立ってその冥福を祈った。

 

「貴殿がゲール衛生部長殿か」

 

 式はつつがなく進行した。

 

 ゆっくり炎に包まれていく遺体の周囲に多くの兵士が集まり、皆が悲嘆にくれていた。

 

「……貴方は?」

「ガーバック軍曹だ。お見知りおきを頼む」

 

 そんな告別式の最中。

 

 一人の粗暴な雰囲気の男が、ゲールに話しかけた。

 

「何の御用ですか?」

「貴女の弟の武勇伝を、伝えに。ナイン上等兵との約束だったのでね」

 

 ガーバックと名乗った男は、まだ若い青年兵だった。

 

 鋭い目つきで全身に傷跡のある、まさに『突撃兵』という風貌の兵士だった。

 

「貴女の弟ナイン上等兵は、優秀な兵士だった。恐れることなく2名の敵を射殺し、最期まで戦い続けようとした。お見事でした」

「……貴方が、ナインの小隊長ね。どうしてナインを守ってくれなかったのよ」

「命を守るのは俺の仕事じゃありませんのでね」

 

 ガーバックはゲールの恨み節を、そう言って軽く流した。

 

 その態度に、ゲールはカチンときた。

 

「じゃあ貴方の仕事って何なの!?」

「上官の査問に応えましょう。兵士の命を有効に使ってやるのが、俺の仕事です」

「有効に使う、ですって?」

「ええ」

 

 ゲールは思わず口を荒げ、ガーバックに食って掛かった。

 

 そんな彼女の問い詰めに、男は面倒くさそうに答えた。

 

「ナインは見事でした。俺の指示通り一人塹壕に籠って、1分ほど時間を稼ぎました」

「……貴方の、指示通り?」

「ヤツが命を張らなければ、味方が態勢を立て直す暇はありませんでした。結果、戦線がもう15メートルは後退していたでしょう」

 

 ガーバックは鋭い目付きでゲールを見据え、

 

「ナインの命は、15メートルもの距離になったのです」

「……」

「貴女が軍人であるなら、弟の戦果を喜ぶべきではないですか」

 

 そう、冷たく言い放った。

 

 

 

 

 

 

 ガーバック小隊はギリギリまで、最前線でサバト兵を迎撃し続けたのだという。

 

 味方が態勢を立て直し、最前線に戻ってくると信じていたそうだ。

 

 しかし結局、サバトの猛攻に耐え兼ねて戦線は後退した。

 

 その際にナインは負傷し、致命傷を負ったのだという。

 

「ガーバックが早々に撤退を判断していれば、弟は死なずに済んだ……」

 

 もう、オースティンの敗色は濃厚だった。

 

 そんな中でガーバックは最前線で孤立し、無駄に部下を危険に晒しながら戦闘を続けた。

 

「喜べ、ですって?」

 

 弟の死の真相を聞いたゲールの激高は、止まらなかった。

 

 要はガーバックが戦況判断を誤った結果、ナインは命を失ったのだ。

 

 彼がゲールに『武勇伝を聞かせに』やってきたのも、それを誤魔化したかったからだろう。

 

「歩けば数秒の距離を稼ぐ代わりに弟を殺されて、喜べですって!?」

 

 この日からゲールは、ガーバックの事を一切信用しなくなった。

 

 人目もはばからず、罵倒するようになった。

 

 ……彼女の背景を知っている人は、皆その様子を痛ましそうに見るだけであったという。

 

 

 

 しかしそれからもゲールは、衛生部長の仕事をこなし続けた。

 

 ゲールはことあるごとにガーバックを懲戒するよう上層部に掛け合い、苦い顔をされてはいたが……。

 

 彼女はガーバックに強い憎悪を抱いている以外は、優秀な衛生部長だった。

 

 

 ゲールはレィターリュと、一応は和解した。

 

 弟の仇という感情は無くならなかったが、彼女もまた深く傷ついていることは見て分かったからだ。

 

 レィターリュはナインの遺言を真面目に守り、日課として毎朝鏡の前で狂った笑みを浮かべるらしい。

 

 レイリィにとっても、ナインは大きな存在だった。

 

 それを理解したゲールは、大人の対応として今まで通りに接し続けた。

 

 ……だが。

 

「人肌が恋しいのです。ナイン、ナイン……」

「ちょっと、酒臭いわよレイリィ」

 

 とある非番の日。

 

 ゲールは、レィターリュが酒におぼれている折に絡まれた。

 

「ううぅ、うぅぅぅ……。全てを忘れてしまいたい」

「貴女、実は絡み酒ね?」

 

 酔っぱらったレイリィは、ゲールにひっついて離れなくなった。

 

 それに辟易としたゲールは、相手にするのが面倒くさくなり、

 

「だったら男娼の店にでも行ってきなさいよ、面倒くさい」

「男娼……?」

「人恋しい娘は通ってるらしいわよ」

 

 女性兵の間で流行っているという、近くの性風俗のある街へ連れて行ってしまった。

 

 

 別に他意があった訳ではない。

 

 ゲール自身そういう店を利用したことは無かったし、興味もなかった。

 

 ただゲールなりに『レイリィには弟の事を忘れ、また元気に働いてもらおう』という発破のつもりだった。

 

「あはぁ~。此処、いいれすねぇ……」

「……」

 

 しかし残念なことに、レイリィは風俗にドハマりしてしまった。

 

 心の隙間を埋めるかのように、依存してしまった。

 

 時折ゲールは、風俗街にレイリィを迎えに行かされることすらあった。

 

「人肌が恋しい。もっともっと、誰かに居て欲しい」

 

 レイリィには元々素質はあったようだが、風俗に通って一気に才能を開花させてしまったらしい。

 

 真面目だった女性がどんどん堕落していく様は、ゲールからして見るに堪えなかった。

 

 風俗通いだけならまだ害は無かったのだが、

 

「今晩どうかしら~」

「ちょっと、レイリィ!」

 

 とうとう、自制が利かなくなって。

 

 レイリィは時折、患者に手を出すようになった。

 

「……」

 

 性依存症。誰かと行為をしていないと不安になる、一種の精神病だ。

 

 レイリィは、これに近い状態に陥っているらしい。

 

「ちょっと、環境を変えた方がいいわね……」

「はぇ?」

 

 ゲールは少し悩んだあと、風俗の店が近くにない『南軍衛生部』へとレイリィを転属させた。

 

 優秀なレイリィを失うのは痛かったが、このままでは彼女は壊れてしまうと考えたのだ。

 

「えっ、転属ですか? でも私、あの町の人と仲良くなってきたところで」

「うるさい、とっとと行きなさい。それと貴女はもう、風俗禁止」

「えええっ!?」

 

 ゲールは安易に、傷心女性をそういう店に連れ込まない方が良いことを学んだ。

 

 優秀だった部下が堕落していく様は、見るに堪えないものだった。

 

 その原因の一端が自分にあるというのが、またやりきれない。

 

 レイリィが堕落した弊害はそれだけではなく、

 

「ゲールさんをたまに風俗街で見かけるんですけど」

「あの」

「もしかして、その、売春もやってたりするんですか」

「……その」

「そうであれば是非。是非一晩だけでも────」

「はあ。この患者を摘まみ出しなさい」

 

 ゲール自身の風聞に、面倒な誤解が生まれてしまっていた。

 

 彼女の前でその話題を出した兵士は、衛生部を出禁になったという。

 

 それがますます、噂が真実味を帯びてしまう結果となったのが何とも皮肉な話だ。

 

 

 

 

 

 そんな噂にもめげず、ゲールは衛生部長として数年働き続けた。

 

 オースティン軍は何とかタール川を奪還しようと、躍起になっていた。

 

 タール川を奪還しないと、停戦すら受ける事が出来ない。

 

 兵士達は死に物狂いになって戦ったが、少しずつ戦線は押されていった。

 

 一方でサバトはタール川を確保したので勝利宣言をしたいところだが、オースティンは抵抗をやめなかった。

 

 毎日のように小競り合いが発生し、その都度数メートルほど前線が前後し、多くの命が犠牲になった。

 

 10年間。

 

 兵士たちはこの無意味な陣取りゲームで、命をすり潰し続けていた。

 

 終わる気配のない戦いに、兵士が辟易とし始めたころ。

 

 ある日ゲールは、軍の上層部から一つの命令を受けた。

 

『ガーバック小隊が衛生兵を欲しがっている。派遣する人材を選定してほしい』

 

 と。

 

 

 衛生兵は貴重だ。そうホイホイと前線に送れるものではない。

 

 ましてや、ガーバックの部隊は突撃部隊。衛生兵を所属させるなど、前例のない話だった。

 

「断固として拒否します。衛生兵が一人いれば、どれだけの負傷兵を救えるか」

「しかし、今までのガーバックの功績は計り知れない。また戦況的にも、彼を失う訳にはいかなくなってきている」

「駄目です、駄目。絶対に」

 

 ゲールはかなり、しつこく上層部に食い下がった。

 

 ガーバックと言えば、部下を平気で見殺しにする悪魔染みた突撃兵。

 

 大切な自分の部下を譲り渡す気など起きなかった。

 

「……衛生兵であれば誰でも構わん。何とか派遣してくれないか」

「本当に、誰でも構わないんですね」

 

 しかし、ゲールも軍人である。

 

 上官の命令に食い下がる事はあれど、拒否する事は出来なかった。

 

 どれだけ具申しても折れることはなく、ゲールは渋々ガーバックに差し出す衛生兵を選定する事となった。

 

「確か、今年の新人に……」

 

 大切な部下を、ガーバックに手渡したくない。

 

 しかし、命令には逆らえない。

 

 そこで苦肉の策として、ゲールは入隊予定の新兵リストを取り出した。

 

『トウリ・ノエル二等衛生兵。孤児院出身で身寄りは無し。体格は小柄で、肉付きも悪い。おそらく虚弱。長期の任務には耐えがたし』

 

 それが、ゲールなりの抵抗。

 

 その年の新人で『入隊前の評価が低く身寄りもない』衛生兵をリストアップし提出したのだ。

 

「この娘には悪いけど……」

 

 写真を見る限り、トウリ・ノエルは幼い子供のような風貌だった。

 

 きっと甘美な文言に騙されて、入隊してしまった哀れな少女だろう。

 

 このような娘であればきっと、ガーバックも扱いに困るに違いない。

 

 囮にすら使えなさそうな、何も知らぬ新兵なのだから。

 

「彼女を、ガーバック小隊に配属する衛生兵として推挙します」

「……おいおい。流石に、これは」

「衛生兵の人事権は、私にあります。彼女以外を差し出すつもりはありません」

 

 ゲールは強引にその人事を押し通し、上層部も納得させた。

 

 ゲールのガーバック嫌いは有名だったので、これ以上の説得は困難だと思ったからだ。

 

 こうしてトウリ・ノエルはガーバック小隊へ所属する事になった。

 

「ごめんなさい、何も知らないトウリちゃん」

 

 ────そしてこのゲールの小さな『ガーバックへの抵抗』こそ。

 

 のちにオースティンの命運を、大きく変える人事になったのだった。




放置されてた伏線の回収する外伝です。
本編開始より前の時系列のお話です。
書籍版にも、クレタ様が可愛いゲールさんを描いてくださっています。
宜しければご確認くださいませ。


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8章 アルガリアの奇跡
138話


 

 憎悪は、人を戦地へ導きます。

 

 戦場は、憎たらしい敵兵を殺せる場所。

 

 前線に出て敵と戦い、戦友を失って、また憎む。

 

 兵士は、ずっとそれを繰り返します。

 

 

 そこに善悪なんて概念はありません。

 

 戦場にあるのは、生きるか死ぬかの生存競争だけ。

 

 

 誰だって、理性ではわかっています。

 

 敵にだって家族がいて、その命を奪うのは罪深いことだと。

 

 撃ち殺した相手にも、積み重ねてきた人生があるのだと。

 

 

 そんな綺麗ごとに蓋をして、憎悪と義憤に身を任せ、我々は銃を手に取ります。

 

 祖国の掲げたプロパガンダが、正しいのだと信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 前世の自分は、FPSゲームが好きでした。

 

 敵の思考の裏をかき、騙し討ちして殺す快感に震えました。

 

 ゲームの中で自分は、誰よりも人殺しが上手い人でした。

 

 

 そして、ゴルスキィさんを殺した日の深夜。

 

 そんな前世の『自分』が夢枕に立ち、脳裏に語りかけてきました。

 

 

 ────ゴルスキィを殺す時、もっと上手くやる方法があったんじゃないか。

 

 ────回り込みの指示をもう少し早く、かつ配置を的確に指示出来ていたら。

 

 ────狙撃なんて運ゲーに頼らず、もっと確実にゴルスキィを仕留められていたんじゃないか。

 

 

 彼はそう言って、寝袋の中で自分を叱責しました。

 

 その通り、彼のいう事はもっともです。

 

 あの時自分は、ゴルスキィさんに作戦負けしていました。

 

 ゴルスキィさんは自分の罠を越え、生き残った部下と撤退に成功していたのです。

 

 最後の狙撃が当たったのは、運が良かっただけ。

 

 あんな無様な指揮をしていては、前世の自分に怒られて当然です。

 

 

 ではあの時、自分はどうすれば良かったか。

 

 逃げる際にもっとゴルスキィ隊に寄って、深く切り込ませるべきだったのでしょうか?

 

 それとも回り込みのタイミングをもう少し早め、魔法罠などを設置させておくべきだった?

 

 

「ああ」

 

 寝入れそうで寝付けない、深夜未明。

 

 夢うつつに前世の自分と議論していた自分は、そこまで考えて。

 

「ゴルスキィさんを殺した事ではなく、殺す手順が甘かった事を反省するなんて」

 

 自らが鬼畜外道の類だと、ようやく自覚しました。

 

 

 

 

『小銃が似合う顔になったな、お前』

 

 

 

 

 今まで必死で目を背けてきた、悪人としての自分。

 

 ベルン・ヴァロウが高笑いして『一緒に遊ぼう』と誘う、快楽殺人鬼。

 

 それは間違いなく自分の一面であり、今までそれに助けられてきたのも事実です。

 

 そしてオースティンが欲しているのは、この悪人としての自分なのでしょう。

 

 

 

 

 

「よく眠れたかよ」

「……どうも、ガヴェル曹長」

 

 ゴルスキィさんを殺した日。

 

 そしてリナリーの死を胸に抱えて生きると決めたあの日から、悪い夢をよく見るようになりました。

 

 毎晩のように前世の自分が語りかけ、リナリーの最期が脳裏にチラつき、よく眠れなくなっていました。

 

「顔色悪いな。あんま寝れてねぇのか」

「正直な話、少し」

「そうか」

 

 寝る前、食事の時、ふとした瞬間に彼女の最期の顔がフラッシュバックしてしまいます。

 

 ……そんなリナリーの背後には、恨みがましそうな目で見ているゴルスキィさんも居ました。

 

 ああ、これはラキャさんの時と同じ症状ですね。

 

「部隊の損耗報告書が出来たから、俺は爺ちゃんに報告に行く」

「はい」

「お前は階級だけで言えば次席指揮官だから、ついてきてもらおうと思ったんだが……」

 

 ガヴェル輸送中隊は、先日の挟み撃ちで3割ほど損耗が出ていました。

 

 この有様では戦闘はおろか、輸送任務にすら出ることができません。

 

 再編成されるまで、しばらく任務はないでしょう。

 

「……顔色悪いし、休んどくか? お前が居ても居なくても変わらんし」

「いえ」

 

 ガヴェル曹長は心配そうに、自分の顔を覗き込みました。

 

 しかし死者の幻覚が見える程度なら、自分は何度も経験があります。

 

 そろそろ慣れていかないと、戦友を失うたびにメンタルブレイクしていたらやっていけません。

 

「これくらいは自力で乗り越えます」

「なら、好きにすればいいけどさ」

 

 自分は多少強がりながらそう言って、ガヴェル曹長についていきました。

 

 

 

 オースティン軍は山の麓を境に連合軍と睨み合ったまま、動きがありませんでした。

 

 お互いに守りを固めて手が出せず、戦況が均衡しているようです。

 

 シルフにやられた被害を立て直すことができるので、この均衡はオースティンにとってはありがたいでしょう。

 

「どう部隊が再編されるかはわからない。俺とトウリが同じ部隊かどうかも分からん」

「はい」

「ただ、また俺の部隊に配属されたなら……。次は指揮権は渡さないからな」

 

 ガヴェル曹長は移動の最中、ポツリとそんな事を言いました。

 

「前は非常時だったから指揮を任せたけど、本来は俺がすべき事だ」

「はい」

「提案にはしっかり耳を傾ける、遠慮なく意見は具申してくれ。次はちゃんと、俺が指揮するから」

 

 どうやらガヴェル曹長は、サバト挟撃の際に指揮が出来なかった事を後悔しているようでした。

 

 従軍1年目という経験不足な状況では、仕方なかったと思うのですが……。

 

「俺はガヴェル。偉大なレンヴェル爺ちゃんの孫で、未来のオースティンの英雄」

「……」

「この戦争で戦功を立てて、父ちゃん母ちゃんが自慢できるような男になる。いつまでもお前に頼ってられないんだ」

 

 彼なりに思う所があったみたいで、次こそは自分で上手くやりたいと決意したようです。

 

 この辺の意識の高さは、やはり若さなんでしょうか。

 

「お前が優秀っぽいのは知ってるが、今度は自分で指揮をしたい」

「わかりました。自分が力になれるかはわかりませんが、微力はつくします」

「頼んだ」

 

 ガヴェル君は良くも悪くも、とても真っすぐな心根のようです。

 

 たまに空気を読めていませんが、それもまた彼の味なのでしょう。

 

 ……そういえばヴェルディさんも、空気を読むのは苦手っぽい雰囲気がありますね。

 

「今はヴェルディ少佐が負傷して大変な時期。少しでも早く成長して、戦力になってやるんだ」

「おお」

 

 その彼の志の高さには、好感を持てました。

 

 きちんと士官学校で軍学を学んだ彼の方が、絶対に指揮官に相応しいです。

 

 彼にはしっかり成長していただいて、立派な指揮官になって貰いましょう。

 

「……頑張ってください、ガヴェル曹長。自分が出来る事なら協力しますので」

「ああ、それで戦争なんてとっとと終わらせる」

 

 きっと彼も数年後には、立派な指揮官になるはずです。

 

 そのころにはきっと、戦争は終わっていると思いますが。

 

「俺だって一人前だと、証明するんだ」

 

 こうした若い芽が、未来のオースティンを作ってくれるのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺、レンヴェル中佐より辞令を通達する。トウリ軍曹は今回の戦功を以て、少尉に任官。同時にトウリ遊撃中隊の編成を命ずる」

「……はい、光栄です」

「貴様は中隊長として、150名規模の遊撃中隊を編成せよ。ガヴェル曹長、貴様はトウリの副官として編成を補佐せよ」

「……」

 

 レンヴェルさんのところに行くと、『トウリ中隊編成書』なる謎の書類を見せられました。

 

 そして、ガヴェル曹長が部下になりました。

 

「あのー、爺ちゃん」

「中佐と呼ばんかバカモン」

 

 あまりの謎命令に頬を引きつらせていると、恐る恐るガヴェル曹長が口を挟んでくれました。

 

 お願いします、是非とも異議を申し立ててください。

 

「レンヴェル中佐。……なんで民間出の応募兵が少尉になってるんだ、なってるんですか?」

「戦功挙げたから」

「で、ですが」

 

 不服げなガヴェル曹長の意見具申に、中佐はあっけらかんとそう言い放ちました。

 

 普通、士官学校を出ていない兵士は曹長までしかなれません。

 

 尉官以上になるには、士官教育が必須……の筈でしたが。

 

「戦果の功罪は、指揮官に与えられる。先の戦闘で、お前が指揮権をトウリに渡したからこうなった」

「えー!」

「あれだけの功績をあげたんだ、昇進してやらねば無粋というもの」

 

 何やらレンヴェル中佐の不思議な力(悪癖)が働いて、自分は少尉になってしまったようです。

 

 ……勘弁して頂きたい。

 

「これでもトウリは以前、衛生小隊の隊長もやっておったしな。指揮官としてのキャリアはそれなりにあると判断した」

「……」

「ほら、コイツも顔引きつってる! そんな簡単に昇進できるものじゃないだろう、少尉って」

「ああ。普通はこうもすんなり昇進できないんだがなぁ」

 

 にしても、階級の調整はかなり難しいと聞いています。

 

 ヴェルディさんも、自分の階級を下げるのに苦労していました。

 

 どうしてこうも短時間で、自分が少尉になる許可が下りたのでしょう。

 

「あー少し汚い話をすると。俺とアンリ大佐は戦友でもあるが、どうしても意見がぶつかり合うこともあってな」

「は、はい」

「そういう時は軍内で影響力がものをいう。なので、お互いに息がかかった軍人を昇進させたがる訳だ」

 

 レンヴェル中佐は悪そうな顔になって、そんなことを言い始めました。

 

 ……成程、レンヴェルさんは自分を昇進させたかった訳ですか。

 

 レンヴェルさんの派閥ですもんね、自分。

 

「だがのう、トウリの昇進は気持ち悪いほどあっさり賛同されてな」

「えっ」

「アンリの奴、普段はかなり渋るのにのぅ。素晴らしい戦功だ、彼女は少尉にふさわしいと即日で返答された」

 

 そう言い零すレンヴェルさんの顔には、疑問符が浮かんでいました。

 

 理由はよくわかっていないみたいです。

 

「ただアンリの奴、トウリと面識がないから直に会って話がしたいとさ。明日の14時に、アンリのテントに向かって面接を受けてくれ。そこで問題なければ、正式に少尉に任官が決まる」

「はい、命令了解しました」

「トウリ貴様、そんなにアンリに気に入られるようなことをしたか? いやでも、面識ないと向こうは言っとるしな」

 

 確かに、自分はアンリ大佐と面識はありません。

 

 顔も知りませんし、命令で関わったことすらないはずです。

 

「レンヴェル中佐。もしかしたら、関係ないかもしれないんですけど」

「何じゃ?」

「先日から、ベルン・ヴァロウ参謀少佐から俺の部隊に来ないかとずっと誘われていまして。それが関係しているかも……」

「なぁにぃ!?」

 

 しかしベルン・ヴァロウは南軍の総司令官であるアンリ大佐の懐刀。

 

 ヤツがアンリ大佐に入れ知恵している可能性は十分にあるでしょう。

 

「あー、こないだベルン少佐にテントに連れ込まれたのってソレか」

「ベルンの奴に何と言われた?」

「大尉と大隊長の階級を用意するとか、意味不明な誘いでした」

「……どう答えた」

「断りました。出来れば二度とベルン少佐の顔を見たくありません」

「あの腹黒め、妙にあっさり賛成すると思ったら……」

 

 レンヴェルさんはその話を聞いて、憤怒して立ち上がりました。

 

 ……まぁ、そういう事なのでしょうね。

 

「直に会って話すとか珍しいと思っていたら、勧誘をするつもりじゃったか!」

「お、落ち着いて爺ちゃん」

「娘アリアだけでなく、孫代わりの娘まで奪おうというなら容赦できんわ!」

「ま、孫代わり、ですか」

「アリアは逝ったから、今のトウリの後見人は俺だ。孫みたいなもんだ」

「そうだったのですか」

 

 ここで初めて、自分はレンヴェル中佐に後見して頂いている事を知りました。

 

 アリアさんが亡くなったので、自分は再び身寄りが亡くなったと思っていたのですが。

 

「というか、出来ればウチの親族とくっついて欲しいんだがのう。この間、断られて結構ショックだったぞ」

「すみません……。自分には、操を立てた夫がいますので」

「ヴェルディから事情は聞いたわ。……まぁ待つから、もしその気になったら声をかけてくれい」

 

 レンヴェルさんが後見人になってくださっているなら、例えば自分が負傷してお役御免になった時なども安心ですね。

 

 身内には甘い方なので、ちゃんと面倒は見てくれそうです。

 

「ガヴェル、お前もトウリをよく口説くといい。年齢も近いし、相性も良いだろう」

「口説けって……。爺ちゃん、戦場は色恋なんて」

「その為に同じ部隊に捻じ込んだんだぞ」

 

 ガヴェル君はどうやら自分を落とすため、同じ部隊に配属されたみたいです。

 

 それを聞いた彼は結構ショックそうでした。

 

「それ、自分が聞いても良いんですか」

「お前の性分的に、隠さん方が良いだろう。同じ部隊で苦楽を共にすれば、自然と感情は芽生えるもんだ」

 

 まぁ裏でこそこそされるよりは良いですけど……。

 

 レンヴェルさんは婚姻関係の結び方が、かなり脳筋ですね。

 

「ただし子供は絶対に作るなよ。戦争終わるまでは」

「作りませんよ……」

 

 まぁ昔気質の人なので、それがレンヴェルさんにとっての自然なのかもしれません。

 

 むしろ自分の様に一生操を立てるという考えの方が、異端という説もあります。

 

 実際、殉職した兵士の未亡人は年月を空けて再婚する人も多いのだとか。

 

「名実ともに我が孫になってみんか」

「……そ、その。今はまだ、心の整理が」

「良い。それくらい夫を大事にする娘の方が、良い家庭を作る」

 

 ……そもそも自分は結婚するつもりがありませんでした。

 

 なのでレンヴェルさんには申し訳ありませんが、このまま一生を終える予定です。

 

 ロドリー君だけ、特別なのです。

 

「レンヴェルさん。どんな待遇を用意されようと、自分は引き抜きに応じるつもりはないので安心してください」

「それは、ありがたいが」

「ベルン・ヴァロウと同じ場所にいたくありませんので。今はそれでご容赦ください」

 

 こうして自分はレンヴェル中佐からの縁談をあしらいつつ、良い感じに場を纏めました。

 

 彼にとって縁談は、派閥作りの手段の一つみたいですね。

 

 もしかしてアリアさんに言い寄ってきた人の中には、レンヴェル中佐の息がかかった人も居たのかもしれません。

 

「そんなにガヴェルは駄目か」

「駄目ではないのですが、その。結構可愛いところはあると思っています、よ?」

「可愛いだと!?」

 

 その後、うっかり口を滑らせ余計な事を言ってしまい、ガヴェル君の機嫌がたいそう悪くなってしまいました。

 



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139話

「お疲れ様です。この先が、アンリ大佐のテントで間違いないでしょうか」

「はい。……貴官は衛生兵でしょうか? ご用件を伺ってもよろしいですか」

 

 翌日。

 

 自分は身なりを整え衛生兵服に身を包み、アンリ大佐のテントへ伺いました。

 

「自分はトウリ・ロウ軍曹と申します。アンリ大佐のお呼び出しを受け、参上しました」

「えっと、トウリ軍曹殿の件はお伺いしています。身分証を……、はい、確認いたしました」

「どうも」

「ではお取次ぎいたしますので、少しお待ちください」

 

 衛生兵服を着ている理由は、歩兵服に自分のサイズがなかったからです。

 

 衛生部に少女兵は居ても、前線に少女兵なんていませんからね。

 

「……」

 

 受付さんと話している間、銃を持った兵士が自分から目を離そうとしませんでした。

 

 職務に準じているだけなのでしょうが、居心地が悪いです。

 

「入室許可を確認しました。今から大佐の下へご案内いたします」

「ありがとうございます」

「ではトウリ軍曹殿。失礼ながら、面会の前にお身体を改めてもよろしいでしょうか」

「はい、構いません」

 

 テントに入る前に自分は、ボディチェックを受けました。

 

 護衛の兵士が見張る中、自分は女性職員さんに体の隅々まで調べられました。 

 

 何故か最後に頭をぽんぽんされました。

 

「問題ありませんね。お通ししますので、ついてきてください」

「はい」

 

 この職員はアンリ大佐の秘書さんとかでしょうか。

 

 オースティン軍の最高指揮官ですから、秘書くらい雇っていても不思議ではありません。

 

「お入りください」

「失礼します。トウリ・ロウ軍曹、入室します」

 

 女性職員の案内を受け、自分は軽く息を整えたあと。

 

 礼儀正しくお辞儀をして、テントの入り口を潜りました。

 

 

 

 

「よく来たね」

「お会いできて光栄です、アンリ大佐殿」

 

 テントに入ると、古く高価そうな木の机に山盛りの書類を積んだ、一人の男が出迎えてくれました。

 

 部屋の中にも数人の兵士が控え、鋭い目付きで自分を睨み付けていました。

 

「そう、緊張せんで良い。その椅子に腰をかけたまえ」

「ありがとうございます」

 

 アンリ大佐の第一印象は、とても普通の人という印象でした。

 

 姿勢の良い細身の男性で、しわの寄った顔に白髪交じりの髭を蓄えた、つぶらな瞳のおじさんです。

 

 普通の服を着て街に紛れられたら、すぐに大佐と気付ける自信がありません。

 

「いや、確かに聞いていた通り実に若い。報告にあった君の武勇伝が、とても想像も出来んな」

「恐縮なお言葉です」

「若く優秀な将校は、オースティンの未来そのもの。実にあっぱれ」

 

 ……ただ、気になる所があるとすれば。

 

 アンリ大佐の語る言葉から、感情が読めないのです。

 

 嘘や欺瞞がある場合、自分は何となくそれを察知できるのですが。

 

「今日、君に出会うことが出来て本当に嬉しいよ。未来ある若者との会話は数少ない楽しみなのだ」

「い、いえ。大佐殿はまだまだお若く現役でいらっしゃる。と認識しております」

「気を使わんで良いさ。もう髪に、こんなに白髪が交じってしまった。そろそろ隠居してお茶でも啜りたいものだ」

 

 先程から彼の言葉の真意が、何一つわからないのです。

 

 本気で言っているのか、油断させようとおどけているのか。

 

 人の好さそうな優しい顔の裏に、何を隠しているのでしょう。

 

 残念ながら自分では、彼の腹の底を推し量れませんでした。

 

「さて、では話を始めようか」

「はい、大佐殿」

 

 これは……、レンヴェル中佐とは違ったタイプの傑物ですね。

 

 アンリ大佐は前線指揮より、政治力に特化したタイプの軍人な気がします。

 

 礼儀正しく物腰柔らかいのが、また不気味な印象を受けました。

 

「トウリ・ロウ軍曹」

「はい」

 

 そんな彼、アンリ大佐は自分をジロリとひと睨みすると。

 

「君、結婚とか興味ある?」

「はい?」

 

 ウキウキとした表情で、若い男の写真を机に並べ始めました。

 

 

 

 

 

「ほら、彼とかどうだろう。素晴らしい美男子だ、私の若い頃にそっくりな」

「あのー、自分はそう言うのは」

 

 ……まったくもって、アンリ大佐の言葉の真意が理解できませんでした。

 

 この人は何か狙いがあるのか、何も考えていないのか。

 

「大佐殿。これは、一体」

「相手がいないなら作っておかないと不便だろう」

「えーっと」

 

 つい先日も、同じ話をレンヴェルさんにされた気がします。

 

 どうしてご年配の方は、若者の縁談を世話したがるのでしょうか。

 

 ……これは派閥に入れという、遠回しな勧誘なのでしょうか?

 

「地位のある女性士官は珍しいからな。特定の相手を作っておかないと、山のように求婚されるよ」

「……そんなものでしょうか」

「女性が少尉になる事自体、かなり稀だからね。今だと……レィターリュ君くらいじゃないか」

 

 そういえば、レイリィさんと同じ階級になってしまうのですか。

 

 ……自分があの女傑と同じ階級なんて、分不相応も良い所です。

 

「衛生部長はちょくちょく女性がやってるが。前線の女性指揮官なんて、レンヴェル中佐のトコのアリア女史以来だな」

「そんなに珍しいのですか」

「女性が前線に出る時点で相当に珍しい。その中で出世して指揮官になるなんて、そう多くはない」

 

 確かに、アリアさん以外の女性を前線で見たことが無いですね。

 

 男所帯に女が一人放り込まれれば、モテて仕方がない……のでしょうか。

 

「女性兵士が求婚やナンパなどで苦労する話はよく聞く。アリア君もレィターリュ君も、きちんと相手は見つけていたよ」

「……」

「まぁ、レィターリュ君の場合は特殊というか、少しアレだけども」

 

 レイリィさん、最高指揮官にもアレな人と認識されているのですか。

 

「だから君も、仮で良いから特定の相手を」

「うーん、では適当な指輪を仕入れておきます。既婚であると周知するために」

「そうか。……うむ、なら縁談話はこの辺で止めようか」

 

 自分がテコでも縁談を受ける気が無いと察し、アンリ大佐はスっと話を終えました。

 

 この辺の空気をサっと読んでくれるのは、とてもありがたいです。

 

「面接は問題なしとしておこう。君の少尉への任官に同意する旨、レンヴェルに伝えておくよ」

「ありがとうございます」

「あの男にしては、珍しくまともな人事らしいからな。……アイツ、普段は自分のお気に入りしか出世させないのだ」

 

 アンリ大佐は困ったような笑みを浮かべ、そう愚痴をこぼしました。

 

 ……いえ、今回も相当にコネが入った人事な気がしますけど。

 

「君の事はベルンからよく聞いているよ。トウリ・ロウ軍曹は若手で一番の有望株だから、昇進を打診されたら同意してくれと言われていた。彼がそこまで言う人間に、是非一度会ってみたくてね」

「……ベルン・ヴァロウ参謀少佐殿ですか」

「ああ。アヤツ、君に随分とお熱の様だ。出来れば引き抜いてくれとまで頼まれていた」

「……」

 

 まぁ内心、そういう事だろうとは思っていました。

 

 自分は、総司令官アンリ大佐に1対1で面談して貰える立場ではありません。

 

 他ならぬベルン・ヴァロウの頼みだったからこそ、わざわざアンリ大佐は時間を作って自分と話をしたのでしょう。

 

「引き抜くためなら君を娶るとまで言っていてな。どうだい、もし君が乗り気ならベルン君との婚約を進めようかと─────」

「それだけはお許しを」

 

 ネタばらしをするように笑うアンリ大佐の前で、自分は間髪入れず土下座をかましました。

 

 自分でもびっくりするくらい、大きな声が出ました。

 

「お、おお。そんなに嫌か」

「すみません、自分とベルン少佐はとことん相性が悪く……」

 

 自分はあの男の目を見ただけで、全身に鳥肌が立ってしまいます。

 

 この地上のどんな生物より、彼が苦手です。

 

 あんなのと結婚させられるなんて、想像するだけで吐きそうです。

 

「むぅ。ベルンは気が利くし有能だし、これからのオースティンを背負って立つ男だぞ。そんなに嫌か」

「こればかりは、好みと巡り合わせの問題でしょう。自分は彼と結婚せずに済むなら、代わりに何とでも結婚します」

「そんなにか」

「例えばそこを這う蟻さんでも良いです。毎日餌を用意して、土を換えて水をやり、幸せな家庭を築きます」

「君、聞いていたより面白い娘なのか?」

 

 自分は蟻と結婚する事になっても、ベルン・ヴァロウと結婚するよりはマシでした。

 

 少し混乱して変な事を口走ってしまいましたが、それだけあの男が嫌いなのです。

 

「話は分かった、別に無理というつもりはない。ただ、我々は君を高く評価しているとだけ認識してくれれば良い」

「それは大変に恐縮なお話です」

「いや、妙な事を言ってすまなかったな。……蟻以下か、くくっ。面白いからかいの種が出来たかもしれん」

 

 アンリ大佐は自分のそんな態度に気を悪くした様子はなく、むしろ少し楽し気な雰囲気でした。

 

 ……ふぅ。怨恨なくお断りすることが出来て良かったです。

 

「では、そろそろ本題に入ろうか」

「本題、ですか?」

「ああ。まぁ、今の話はついでと言うか。単なる話の枕だよ」

 

 話はこれで終わりかと思ったのですが、アンリ大佐は笑顔のまま自分に紅茶を勧めました。

 

 まぁ、縁談の為だけに呼び出しはしませんよね。

 

「君も知っての通り、先日の旧サバト政府軍の奇襲で、我が軍は大きな被害を受けた。久々の敗北だ」

「……はい」

「それを手札に連合側は『停戦しろ』と外交官をしつこく寄越してきてな。ここで停戦など受けられるはずが無いだろうに」

 

 アンリ大佐は憎々し気に、フラメール語で書かれた書状をヒラヒラと見せてきました。

 

 ……自分はフラメール語は読めませんが、そんなものを一般兵である自分に見せて良いのでしょうか。

 

「まぁ、これは別に良い。突っぱねるだけだ」

「停戦は、難しいのでしょうか」

「当り前だ。この停戦を受けたら、我々は兵を進められなくなる。今の領土状況での停戦は敗北と同義なのだよ」

 

 アンリ大佐は、停戦するつもりなど毛頭ない様子でした。

 

 ヴェルディさんの言っていた通り、戦略的に見て我々は停戦できないのだそうです。

 

 ……フラメールを再起不能に叩きのめすまでは。

 

「ただ、その外交官の奴がな。先日、妙な手紙を一通添えて渡してきた」

「妙な手紙、ですか」

「ああ。『これは公式な文書ではなく私的な手紙だ』と言って、ある兵士を名指しで宛てでな」

 

 そこまで言うとアンリ大佐は、困ったように眉を顰めて。

 

 一枚のくしゃくしゃな封筒を机の上に置き、自分に差し出しました。

 

「君は、彼女を知っているのかね?」

「────」

 

 その封筒の表には。

 

 綺麗なサバト語の字で、一筆だけ記されていました。

 

 

 

 ────親愛なるトウリ・ロウへ。シルフ・ノーヴァより。

 

 

 



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140話

 

 シルフ・ノーヴァ。

 

 当時既に、彼女の名はオースティン軍で有名でした。

 

 奇策『多点同時突破戦術』の考案者であり、旧サバト司令官ブルスタフ・ノーヴァ将軍の娘。

 

 サバト革命に抵抗し、旧政府軍の残党をまとめ上げている敵。

 

 そしてベルン・ヴァロウが、『最も危険視すべき敵の一人』と名指しした人間でした。

 

 

 ベルン・ヴァロウは、オースティン救国の英雄として有名です。

 

 戦えば連戦連勝、サバト軍に後れを取ったことがない彼でしたが……。

 

 実はベルンはこれまで、シルフを相手に完勝したことはありません。

 

 北部決戦も、サバト革命も、彼女に邪魔され画竜点睛を欠く結果に終わっています。

 

 それはベルンにとって耐えがたいストレスだったでしょう。

 

 

 ────この女が居たら、気持ちよく虐殺が出来ない。

 

 

 戦場に湧く不快な害虫。

 

 それが彼にとっての『シルフ・ノーヴァ』だったのかもしれません。

 

 

 ベルンはサバト革命の後、シルフの悪評をサバト国内に流布していました。

 

 旧政府軍の悪行の殆どをシルフの仕業として吹聴し、ヨゼグラードから逃げ出した彼女を無能な臆病者とそしりました。

 

 シルフ・ノーヴァが二度と、サバトで権力を握る事が出来ないようにするためです。

 

 わざわざそんな工作をしたことからも、ベルンがかなりシルフを警戒していた事が分かります。

 

 

 そしてベルンは口に出していませんが、オースティン軍は『俺が居ないとシルフに負ける』と考えていた節があります。

 

 特にレンヴェル派……、ヴェルディ少佐の能力を疑問視していた様でした。

 

 確かにヴェルディさんは若くして少佐の仕事をこなせる、非常に優秀な人物でしょう。

 

 しかし歴史を動かした天才シルフと互角かと言われれば、難しいかもしれません。

 

 

 ベルンは知らないところで、勝手にオースティンに負けられては困るのです。

 

 今回のガス攻勢だって、決行したのはレンヴェル派の軍人たちでした。

 

 レンヴェル中佐派のタクマ氏の提案で、作戦準備が進められたのです。

 

 ベルンはガス兵器作戦を見て、弱点が多かったのであまり気乗りしなかったようでしたが……。

 

 『敵の技術レベルで対応は困難だ』とレンヴェル中佐の主張にゴリ押しされ、認めてしまいました。

 

 実際フラメールはまだ『風銃』を開発できていなかったので、妥当性のある判断だったでしょう。

 

 しかし現実は旧サバト軍に介入され、オースティンは手痛い敗北を喫しました。

 

 国土を焼かれたオースティン軍は、人員補充が難しい状況です。

 

 ほんの数千人の被害であっても、計画が大きく狂う大損害です。

 

 中央軍レンヴェル中佐の暴走は、いつもベルン・ヴァロウの悩みの種でした。

 

 

「この手紙を見る限り、君はサバト軍の総司令官シルフ・ノーヴァと旧知の仲であるという事になるが」

「……」

 

 話を戻しますと。

 

 ベルンにすら警戒されている大物、シルフ・ノーヴァ。

 

 そんな彼女から個人宛に手紙が届いたものですから、アンリ大佐も対応に困ったことでしょう。

 

「君はシルフ将軍と面識があるのか」

「はい、以前サバトに流れ着いた時、彼女の指揮下で戦った事があります」

「ふむ」

 

 この手紙の真意は、今でもよくわかりません。

 

 普通に考えれば、自分に内通疑惑を向けさせる策略にも見えます。

 

 しかし自分は離間策を仕掛けるほど重要な人物ではありませんし、労力に釣り合った策とは思えません。

 

「……自分はその、手紙を検める許可を頂けるのでしょうか」

「見たいかね」

 

 その手紙に何が書かれているのか、自分は気になってはいました。

 

 しかし内通が疑われそうな状況では見せて頂ける訳がありません。

 

「見たいです、が。……この状況で見せていただけるとは思っておりません」

「いや、構わんよ。さぁ手にとって見るといい」

「良いんですか」

「ああ。正直なところ、我々としてもその手紙の意味を知りたいのだ」

 

 そう思っていたのですが、あっさりシルフからの手紙を見せて頂く許可が下りました。

 

 アンリ大佐は微妙な顔で、自分へ封筒を開いて渡します。

 

 その中にはたった一枚、小さな紙が入っていました。

 

 

 

 ────射ぬかれた、リンゴの絵。

 

 

 

 描かれていたのはそれだけでした。

 

 絵具で描かれたであろう絵の回りには、文字はありません。

 

 リンゴはまだ青く硬く、熟しきっていないような色あいでした。

 

 突き刺さった矢から果汁を滴らせ、くしゃりと潰れていました。

 

「あの、手紙はこれだけですか?」

「ああ」

 

 それはなんとも、味気のない手紙でした。

 

 どうしてシルフがこんな手紙を送ってきたのか。

 

 そもそも、この気味が悪い絵はなんなのか。

 

「どういう意味か、分かるかね?」

「いえ」

 

 意味がわからない。

 

 それが、自分の本音でした。

 

「何かの暗喩か、君への暗号なのか。……君の解釈を聞きたい」

「そうですね」

 

 あのシルフが、何の意味もない事をするとは思えません。

 

 わざわざ手間隙をかけて絵を描き、自分に届けさせたのには意味がある筈です。

 

「……未熟なリンゴが射ぬかれる絵。素直に捉えるのであれば、宣戦布告でしょうか?」

「宣戦布告、とは」

「見ての通り、自分は若輩者ですから。自分を青いリンゴに見立てて、射殺してやるぞというメッセージかなと思いました」

「ふむ」

 

 自分はその場で思い付いた解釈を伝え、アンリ大佐はうーむと唸ってそのリンゴの絵を睨みました。

 

 

 ……この自分の考察は、当たらずとも遠からずでした。

 

 当時は知らなかったのですが、サバトには「リンゴに変えられた親愛な友を、そうと知らずに射殺してしまう」という有名な昔話があったみたいです。

 

 それに見立て、シルフは自分を射殺す暗喩としてリンゴの絵を描いてきたのでしょう。

 

 ただ分からないのは、何故シルフがこんな手紙を自分に送ってきたのかです。

 

 自分が考えた意味が正しいのであれば、これは敵意を示すだけの単なる殺害予告です。戦略的には何の意味もありません。

 

 しかもそんな意味であれば、内通を疑わせる策として破綻してしまいます。

 

 しばらくの間、この手紙をシルフが送ってきた意味を考え続けましたが、結局わからずじまいでした。

 

 彼女のきまぐれ。これが、自分の出した結論です。

 

 

 ……もしかしたら、これは彼女自身が踏ん切りをつけるための手紙だったのかもしれません。

 

 シルフは当時18歳。まだまだ未熟と言える年齢でした。

 

 そしてサバト軍で、自惚れでなければシルフに目をかけてもらっていた気がします。

 

 彼女が自分に少しでも、友情を感じてくれていたのであれば。

 

 シルフ自身が自分を殺す覚悟を決める為に、あの手紙を送ってきたのではないでしょうか。

 

 これは『そうだったら嬉しいな』という、自分の願望が混じった推測です。

 

 自分と彼女は敵同士。友情なんて、有って良い筈が無いというのに。

 

「まぁ、そういう事にしておこうか。この手紙は、こちらで処理しておく。悪いが君に渡すことは出来ない」

「了解いたしました」

 

 彼女は事あるごとに、自分をチェスに誘いました。

 

 シルフは年上の部下に囲まれて、同年代の娘と殆ど接する事も無かったでしょう。

 

 その部下たちも、シルフに好意的だったかと言われればそうでもなく。

 

 家族も失い友達もいない彼女は、きっと寂しかったに違いありません。

 

 ……自分も、軍属した後は同世代と接する機会は少なかったので気持ちはわかります。

 

「よしトウリ君、もう出て行っていいよ」

「ありがとうございます」

「君の働きには期待している。……これからもよろしく頼む」

「はい」

 

 ですが自分は、シルフと友人にはなれません。

 

 この世界でだれよりも、自分にとってシルフは敵です。

 

 同時に、彼女にとっても────

 

「逆に自分の方が、シルフを討って御覧に入れましょう」

「頼もしいね」

 

 ゴルスキィさんを殺した自分こそ、殺す以外にありえない「敵」になってしまったのです。

 

 

 

 

「やあ。トウリちゃん」

「ベルン参謀少佐殿」

 

 アンリ大佐のテントを出ると、蛇のような笑みを張り付けた男が自分を待ち構えていました。

 

 ベルン・ヴァロウ。今のオースティンを支える屋台骨の、不世出の天才です。

 

「待ってたよ。俺とお茶の席でも囲まない?」

「……申し訳ありませんが、遠慮をしたく」

「はい残念、正規の命令。君が敵総大将(シルフ・ノーヴァ)から手紙なんか貰っちゃったからさ、事情聴取しないといけなくてネー」

 

 ベルンはニヤニヤと笑いながら、自分に出頭命令の書類を手渡しました。

 

 内容は敵将との内通疑惑に対する査問、だそうです。

 

「……命令を了解しました。出頭いたします」

「ま、本当に内通を疑ってるわけじゃないから安心してよ。まさか君が『シルフ・ノーヴァ』にまで気に入られているとは思わなかった」

「自分は、その」

「あんな絵を送ってくる程度には、シルフと仲が良かったんだろう? 君の報告書を見ても『シルフに尋問された後、政府軍に追従させられた』としか書かれないし。君の過去を調べた感じからも、てっきり険悪な関係だと思ってたんだけど」

 

 ベルンはあの絵について、何やら彼なりの解釈をしているようでした。

 

 自分の手を取ったベルン・ヴァロウは、とても楽しそうに笑って。

 

「嘘は許さん。あの女について────」

「……っ」

「お前の知っている情報、全部吐ケ」

 

 気が遠くなるほどに冷たい声色で、自分の腕を掴みました。

 

 

 それからは地獄のような時間でした。

 

 尋問用テントに連れ込まれた自分は、狭い部屋でベルン・ヴァロウと二人きり。

 

 夜遅くまでたっぷり、質問漬けにされました。

 

「シルフの風貌は。顔つきは、肉付きは、髪の長さは、声色は、胸のでかさは、背丈は、瞳の色は────」

「そ、その」

 

 ベルンの質問には際限がありませんでした。

 

 シルフ・ノーヴァという人間を丸裸にしてやろうという、偏執的な気迫を感じました。

 

 自分は彼女の一挙手一投足から、果ては指したチェスの棋譜に至るまで、つつがなく白状させられました。

 

「なんでそれくらい覚えていないんだ」

「……すみません」

「あー。怒ってるわけじゃないからとっとと思い出せ」

 

 自分は軍で他の誰よりも、シルフ・ノーヴァについて詳しいはずです。

 

 敵の総大将の情報なんて、いくら金を積んでも手に入るものではありません。

 

 だからきっと、自分の話はベルンにとって金塊のようだったでしょう。

 

「確か、こういう手を指して言いました。『今、私はとても迂闊な手を打った。考えてみろ』、と」

「へぇー、シルフはそんな事を言ったのか」

 

 自分が彼から解放されたのは、深夜に差し掛かる時刻でした。

 

 たっぷり数時間話し込まされ、心身ともにヘトヘトになった自分とは対照的に、

 

「そうか、お前はそういう考え方をする人間か」

「……」

「見えてきたぞォ、塹壕の魔女(シルフ・ノーヴァ)。テメェの輪郭が……」

 

 ベルン・ヴァロウの目は燦々と輝き、興奮で頬を紅潮させていました。

 

 気色悪かったです。

 

 

 

 

 

『拝啓、シルフ・ノーヴァ殿』

 

 ……因みに、自分は全く知らなかったのですが。

 

『陣中よりのお手紙を拝見しました。とても懐かしく思います』

 

 どうやらシルフからの手紙に、ベルン・ヴァロウが勝手に返事を出していたそうです。

 

 ご丁寧に自分の筆跡を真似て、オースティン語で。

 

『貴女との思い出はとても楽しいものでした。もう一度貴女とチェス盤を囲みたいです』

 

 それくらい自分の許可を取るか、せめて報告くらいはしてほしかったのですが……。

 

 ベルンが謎に乗り気だったので一任したとの事です。

 

『次もちゃんと、我が軍の策にしっかりと嵌って沢山の死人を出してくださいね。楽しかったですよ、何も知らず舞い上がる貴女との友情ゴッコは』

 

 ……そのシルフへの返信内容を聞いて、自分はベルン・ヴァロウを一生許さないと決めました。



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141話

 

「正式な辞令が来たぞ。喜べトウリ、今日から貴様は少尉だ」

「光栄です、レンヴェル中佐殿」

「改めて中隊の編成許可を出す。ガヴェル輸送中隊を元として、150名規模の部隊を編成せよ」

 

 アンリ大佐との面談から、数日ほど経ってから。

 

 ついに自分に、歩兵中隊を指揮せよという正規の命令が届きました。

 

「部隊を編成する手続きは、ガヴェルが知っとるから聞け」

「了解しました」

 

 なお編成せよと言われても、自分は具体的な事務手続きなど知りません。

 

 レンヴェル中佐もそれは分かっていたから、ガヴェル曹長を部下につけてくださったのでしょう。

 

 部隊編成について学ぶ場所は、士官学校です。

 

 だから士官学校を出ていなければ本来、指揮官になれないのです。

 

「近々、オースティン軍は大きな作戦を実行する予定だ。速やかに準備を整えてくれ」

「はい、中佐殿」

「あ、今の話は誰にも言うなよ。尉官にだけ伝えている話だ」

「了解です」

 

 レンヴェル中佐はギロリと、自分の瞳を覗き込んで釘を刺しました。

 

 尉官にだけ伝える話。つまり、ガヴェル曹長に伝えてはいけない話ですね。

 

「ではこれより自分は、部隊編成の任務に就きます」

「よろしい」

 

 このように階級が上がるにつれ、伝えられる情報は増えていきます。

 

 情報を与えられる代わり、適切で正確な判断を行わねばなりません。

 

「では失礼します」

 

 指揮官になった以上、部下全員の命を背負っているという自覚が必要です。

 

 自分のヘマで人が死ぬなんて、あってはならぬ事なのです。

 

 ……ラキャさんのような人を2度と出さないためにも。

 

 

 

 

「編成の上限は150名か。今のガヴェル輸送中隊が51名だから大体100人補充する必要があるな」

 

 ガヴェル曹長はまず、兵士の補充申請をすべきだと教えてくださいました。

 

 どの兵科を何名申請するか考え、書類を作らねばならないそうです。

 

「輜重兵の数はもう十分だ。補充の必要はなかろう」

「はい」

「偵察兵も足りている、そんなに要らない。突撃兵と装甲兵を重点的に要請しよう」

「成程」

 

 150名で中隊を編成するといっても、その全員が戦闘要員ではありません。

 

 部隊の3割は輜重兵や看護兵など非戦闘員で、実際に戦う歩兵は残り7割ほどだそうです。

 

 それらの歩兵を「小隊」単位で振り分け、運用するのが一般的です。

 

「偵察兵と装甲兵が、歩兵の核なんだ」

「ふむふむ」

 

 各小隊には偵察兵と装甲兵が必須と言われています。

 

 偵察兵は状況把握に長けた兵士で、望遠装備を与えられ広い視野を持つ兵科です。

 

 視力検査や反射神経など、難しい適性試験をクリアしないとなれないそうです。

 

 装甲兵は【盾】を扱える兵科で、魔法の才能が必須です。

 

 防御部隊なら塹壕に潜んで籠り、突撃部隊ならば最前線で切り込む兵士だそうです。

 

 例えばガーバック小隊長は、突撃装甲兵だそうです。

 

「輜重兵以外の、非戦闘員はどうしましょう?」

「そうだな。衛生兵、看護兵、通信兵、工作兵、どれも欲しいんだが……」

 

 輜重兵は直接戦闘に参加せず、水分食料弾薬など物資を運んでくれる兵科です。

 

 彼らが居ないと物資の運搬ができないので、遊撃部隊であれば絶対に配属されます。

 

 他には治療を担当する衛生兵、罠を設置したり武器弾薬の修理を行う工作兵、通信業務を行う通信兵などが存在します。

 

 ただし衛生兵は数が少ないため、中隊規模なら看護兵が配置されることが多いです。

 

 看護兵は回復魔法が使えないだけで、応急処置などは出来ます。

 

 砲撃魔導士という兵科も有りますが……、とても希少なので専門の部隊にしか配置されないそうです。

 

「希望通り配置してもらえる可能性は低い。通信は最悪、俺が代わりにやるつもりだ」

「そうなのですか」

「ま、今回は俺の方で補充兵科を割り振っておくよ。お前は編成なんて知らないだろ」 

「……すみません、お願いします」

「書類の書き方を教えるから、そっちは手伝ってくれ」

 

 と、この様にガヴェル曹長に教えてもらいながら、自分は一つずつ仕事を終えていきました。

 

 彼は結構面倒見の良い性格のようで、説明はぶっきらぼうながら丁寧でした。

 

「20名規模の増強小隊も編成しておこう。この隊の中核となる部隊だ」

「我が中隊のエース部隊という事ですか?」

「俺の部隊だよ」

 

 増強小隊とは、普通の倍近い兵が所属するちょっと凄い小隊です。

 

 優秀な兵士は、増強小隊を指揮する事を許されます。

 

 そして増強小隊長が、叩き上げ兵士にとって出世の到達点だそうです。

 

「成程、ガヴェル曹長の部隊ですか」

「それくらいの優遇はしてもらうぞ」

「勿論です、異論はありません」

 

 ガヴェル曹長は「優遇」と言いましたが、本来であればこの中隊は丸ごと彼が指揮すべきもの。

 

 指揮官候補生である彼が増強小隊を持つことに、異論をはさむ気はありません。

 

「歩兵に関しては最高指揮官がトウリ少尉で、俺が次席指揮官。これも文句ねぇな?」

「ええ、問題ありません」

「よし。じゃあ後はそうだな、輜重兵部隊にも指揮官を任命する必要があるが」

「はい」

「輜重兵長は、メイヴのままで良いと思う。アイツは元々、輜重兵のリーダー的存在だった」

「メイヴさん、ですか」

 

 メイヴさんと言えば、筋肉モリモリな『手榴弾投げおじさん』です。

 

 彼は以前、新米兵士を殴りすぎて瀕死にさせた事もあるので、少し悩みましたが……。

 

「そうですね。確かに、ベテランに任せる方がよいでしょうね」

「ああ」

 

 ああいう苛烈な指導が出来る人員も、必要です。

 

 自分では、暴力を振るってもやり返されてしまうだけ。

 

 そして新米の生存率を上げるには、ある程度の恐怖があった方が良いのです。

 

 彼の暴力は、必要悪と言えるでしょう。

 

「『優先して配属を希望する兵科』の欄はどうしましょう」

「そうだな、最低でも看護兵と工作兵が欲しい。遊撃中隊なら必須だ」

「看護兵と工作兵、ですか」

「工作兵は便利だぞ。魔法罠の設置や障害物爆破が出来ると作戦の幅が広がる。故障した銃を直せたりするヤツもいるしな」

「成る程」

 

 そういえばガーバック小隊長も、マシュデールでうまく工作兵を部下に加えて敵を防いでましたね。

 

 名前は忘れてしまいましたが、彼は元気でやっているでしょうか。

 

「しかし、看護兵は必要でしょうか? 自分は応急治療を習得していますが」

「アホたれ、お前が撃たれた時どうすんだ。負傷した指揮官を治療するのが最大の役割だぞ」

「……」

 

 確かに、自分が撃たれた時のことを考えると必要ですか。

 

 それに看護兵さんが居れば、治療効率もだいぶ変わります。

 

「では、看護兵も申請しておきましょう」

「分かった。じゃあ、それはお前にやってもらおうかな」

 

 ガヴェル曹長はそう言うと、ぶっきらぼうに衛生部の方を向き、

 

「看護兵は司令部じゃなく、衛生部長に直接申請する事になってる」

「なんと」

 

 そう言って、自分の手元に書類を押し付けました。

 

「レィターリュさんに申請すればいいのですか」

「ああ。顔見知りなんだろ? そっちは任せていいか」

「分かりました、では自分が伺います」

「縁起が悪いから、俺はあんまりあの人に会いたくないんだよ」

 

 ガヴェル曹長は小声で、そんな事を呟きました。

 

 結構迷信を信じるタイプなのでしょうか。

 

「では、自分は衛生部に行ってきます」

「任せた。こっちは他の書類をやっておく」

 

 自分が立ち上がると、ガヴェル曹長は面倒くさそうに書類を広げました。

 

 自分は彼の邪魔にならぬよう静かに退室し、久しぶりに衛生部へと足を運んだのでした。

 

 

 

 

 

 

「何でトウリちゃんが中隊長になってるのよー!?」

「……」

 

 そんなこんなで1週間ぶりに訪れた、衛生部長室。

 

 自分は、レイリィさんの豊満な胸に押し潰されて窒息しかけていました。

 

「おかしいでしょ! おかしいでしょう!? トウリちゃんが少尉ちゃんじゃない!」

「あの、レィターリュ衛生部長。どうか落ち着いて」

「落ち着ける訳が無いでしょう!? トウリちゃんが行方不明って心配してたら歩兵部隊に転属ですって!」

 

 レイリィさんは自分をひとしきり抱きしめた後、頭を抱えて絶叫しました。

 

 ……そういえば、衛生部に顔を出していませんでした。自分がガヴェル中隊に所属した連絡が行ってなかったんですね。

 

「ケイル君とかすごく落ち込んでたのよ! 俺がトウリちゃんを一人で行かせちゃったからって」

「……すみません」

「私が元気づけておいたけど、ちゃんと顔を見せに行きなさいよ」

 

 元気付けた、ですか。……いえ、考えないようにしましょう。

 

「で? 私、詳しい情報は何も貰ってないんだけど」

「は、はい」

「あれから何があったのか、ちゃんと報告してくれるわよね? トウリちゃん?」

「も、もちろんです。レィターリュ衛生少尉殿」

 

 レイリィさんは怖い顔で手をワキワキさせながら自分に迫ってきました。

 

 あの時の事はなるべく思い出したくありませんが、簡潔に説明はしておきましょう。

 

「あのサバト軍の奇襲の後、自分はガヴェル輸送中隊に保護されたんですけど……」

「それで?」

 

 

 

 

 

「おばか!!」

「ごめんなさい」

 

 自分はガヴェル曹長から指揮権を奪い、戦功をあげました。そして少尉になりました。

 

 そうレイリィさんに話すと、物凄く怒られました。

 

「部隊指揮はトウリちゃんがやるべき事じゃないでしょう! そう言うのは専門の教育を受けた人がやる事!」

「仰る通りです……」

「そのガヴェル曹長が新米だったからって、階級に物を言わせて指揮権奪うなんて。……もう二度としちゃだめよ」

「はい……」

 

 レイリィさんのお説教は、物凄く正当な内容でした。

 

 自分はただ顔を伏せて、恥じ入るように謝るだけでした。

 

「にしても上層部も上層部ね。いくら戦功をあげたからって、いきなり中隊長なんて」

「正直、自分も混乱しております」

「まぁ、上も悩んだ末の結論だとは思うけど。戦功は信賞必罰、『手柄を上げても評価されない』なんて噂が広がれば兵士の士気に関わるわ」

「はい」

「だからトウリちゃんを昇進させざるを得なかったんでしょう。……うん、私からも貴女を衛生部に戻してもらえるよう掛け合ってみてあげる。いきなり歩兵にされて、困ってるのでしょう?」

 

 レイリィさんはそう言って、ふんすと鼻息を鳴らしました。

 

「トウリちゃんに銃を持つ姿は似合わないわ。今まで通り、衛生部に力を貸して欲しいの」

 

 

 ……彼女の言う通り、自分は衛生部に所属している方がずっと楽でしょう。

 

 知り合いも多いですし、何より安全です。ですが、

 

「いえ、レイリィさん。自分はこれから、歩兵として国に尽くそうと思っています」

「え。どうしたの、トウリちゃん?」

「……恥ずかしい事に、自分は敵を『憎い』と思ってしまったんです」

 

 ゴルスキィさんを戦場で見かけた時、自分は激しい憎悪の念に飲まれました。

 

 そして彼の後頭部を背後から撃ち抜いたその瞬間、ジィンと体中に達成感が染み渡りました。

 

 自分は彼がどれだけ優しく、仁義に溢れた人間だったかを知っていた筈なのに。

 

「リナリーを、自分の義妹を殺したサバト兵が憎いです」

「……トウリちゃん」

「故郷を焼いて、ロドリー君を殺し、自分の大事なものを奪っていった敵が許せません。醜く汚い憎悪が、湧き上がってきて収まらないのです」

 

 自分は歩兵に囚われました。この憎悪は敵を殺し、遺体を足蹴にする事でしか解消できません。

 

 ……こんな状態で衛生部に戻れば、自分は色んな人の幻覚に苛まれる事になると思われます。

 

 ─────どうしてお前(トウリ)だけ、安全な場所にいるんだ。何故敵を殺しに行ってくれないんだ、と。

 

「自分は歩兵になって、この醜い復讐心を敵にぶつけたいと思っています。その結果として戦死しても、本望です」

「……」

「レイリィさん。これでも自分はまだ、衛生兵が向いていますか」

 

 結局のところ、自分は衛生兵など向いていなかったのでしょう。

 

 人を殺して悦に入る人間が、人を癒す仕事に就くなんて破綻しています。

 

「ええ、向いてるわよ?」

「えっ」

 

 だから自分は、サバトへの憎悪を胸に銃を取ります。

 

 歩兵として、1人でも多くの敵を殺すために。

 

 ……そう、話を続けようとしたのですが。

 

 

「トウリちゃん。貴女、私がサバトを憎んでいないと思ってたのかしら?」

 

 

 彼女の瞳は、氷の様でした。

 

 そのレィターリュ衛生部長の声は、聞いた事も無いほど低いものでした。

 

 

「多分、トウリちゃんなんかよりずっと恨んでるわ」

「……」

「だから一人でも多くの味方を救って、私の代わりに殺してもらうの」

 

 考えてみれば、憎んでいない筈が無いのです。

 

 何度も恋人を殺されている彼女が、サバト兵に何の感情も持っていない筈ありません。

 

「サバトが憎いなら、トウリちゃんも手伝ってよ」

 

 ─────レイリィさんは感情の全く籠らない、無表情な瞳の奥に。

 

 自分なんかよりずっと昏い『憎悪』を、揺らめかせていました。

 

 

「……すみませんが自分には、歩兵中隊の編成命令が出ています」

「衛生兵は貴重なのに。全く、上は何を考えているのかしらね」

 

 レイリィさんは、自分なんかよりずっと深い憎しみを抱えていたのです。

 

 ですがその全てを隠し、あのように快活で気丈に振舞っていたのでしょう。

 

 ……だとすれば、舌を巻きます。

 

「レンヴェル中佐からのご命令ですので。自分はレィターリュ衛生部長に、本中隊へ看護兵の派遣を要請します」

「そうね。命令だもの、了解したわ。だけど、貴女を衛生部に戻すよう圧力もかけておくから」

「了解しました。自分の立場に関しては、上層部の判断に委ねます」

「よろしい。ま、すぐ戻ってこさせたげる。待っててねトウリちゃん!」

 

 そう言うとレイリィさんは、いつもの穏やかな笑みを浮かべて自分に抱き着いてきました。

 

 

 一瞬だけ見せた、レイリィさんの人形のように無表情な顔。

 

 ……もしかしたら、あれが彼女の素顔だったのかもしれません。

 

 



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142話

「こっちよ、トウリちゃん」

「はい」

 

 レィターリュ衛生部長は自分を、人気のない倉庫区画へ案内しました。

 

 どうやら、看護兵を紹介してださるらしいですが……。

 

 何故こんなところに連れてこられたのでしょうか。

 

「────ぷくぷく」

「あの……」

 

 そんな疑問を浮かべながらレイリィさんについていくと。

 

 連れてこられたテントの中には、ボサボサな髪をした女性が地面に座り込んでいました。

 

「彼女はアルギィ。看護兵としてのキャリアは3年、南部戦線の生き残り」

「はあ」

 

 その女性の年齢は、二十代半ば……くらいでしょうか?

 

 アルギィさんは息を飲むほど美麗────身なりさえまともならアイドルも目指せそうな、整った顔の女性でした。

 

 だというのに小汚ない看護服を着て、何やらプクプク呟きながら医療物資を枕代わりに寝ていました。

 

「アルギィ、起きなさい。新しい上官を紹介するわ、トウリちゃんよ」

「あ、どうも。ただいまご紹介に与りました、トウリ・ロウ少尉と申します」

「────ぷくぷく」

 

 アルギィさんに自己紹介をしましたが、返事はありません。

 

 彼女はこちらをチラリと一瞥しただけで、すぐそっぽを向いてしまいました。

 

「アルギィ、挨拶は?」

「ぷーくぷくぷく、ぷーくぷく」

 

 レイリィさんが注意しても、我関せずという態度です。

 

 自分の世界に入り込んでいるのか、敢えて無視をしているのか。

 

「ま、アルギィは見ての通りの性格で。一言でいえば、団体行動が苦手なタイプなのよ」

「……それは兵士にしちゃダメな人じゃないですか」

「こんな情勢じゃなければ、兵士にされなかったでしょうねぇ」

 

 レイターリュさんはそう言って、溜息を吐きました。

 

 ……まぁ今の戦況で、兵士をえり好みする余裕なんて無いでしょうね。

 

「集団行動が苦手な人はむしろ、前線に派遣する方がいいのよ。単独作業が多くなるからね」

「……成程?」

「実際、去年アルギィを歩兵中隊に派遣した時は良い感じだったのだけど……」

 

 レイリィさんはそう言うと。

 

 難しそうな顔になって、ハの字に眉を曲げ、

 

「なまじアルギィが美人だったもんだから。兵士が暴走して、トラウマになるような経験しちゃってね」

「……えっ」

「それ以来アルギィは、男性兵士を怖がるようになってしまったの。だからこんな所で、一人ポツンと待機してるわけ」

 

 そんな事を教えてくれました。

 

 遠回しに言われましたが、男性兵士による性暴行の被害者という事でしょうか?

 

 それで言葉が通じなくなるほど、心を閉ざしてしまったのですね。

 

「男性恐怖症の彼女だけど、上官がトウリちゃんなら大丈夫でしょう。貴女の中隊にはアルギィを推薦するわ」

「それは……」

「アルギィ。貴女もう一度、歩兵中隊の看護兵をやってみない?」

「────ぷくぷくぷくぷく」

 

 レイリィさんのその話に、アルギィ看護兵は不満げにプクプク音を鳴らしました。

 

 ……どこからそんな音を出しているのでしょうか。

 

「レイターリュ衛生部長殿。アルギィさんにそんな過去があるんでしたら、歩兵中隊への派遣は難しいのでは? トラウマがフラッシュバックするかもしれません」

「……勿論アルギィの過去には、同情するんだけどね?」

 

 自分はアルギィ看護兵の事が心配になったのと。

 

 出来れば『普通の看護兵を紹介してほしい』という下心も混じって、レイリィさんにそう提案しました。

 

 するとレイリィさんは笑顔のまま、

 

「何もしない看護兵を公費で養う余裕はないというか……。有体に言うとこの娘、サボり癖が酷いのよ」

 

 額に血管を浮き上がらせて、アルギィさんの首根っこを掴みました。

 

「……サボり癖、ですか?」

「アルギィは襲われるのが怖いって、病床仕事を手伝ってくれないの。まあ、それは分かるから良いわ」

「はい」

「だから裏方の事務仕事を頼んだんだけど、全く手を付けてくれず。倉庫の物品整理を振っても、一日中サボって居眠りを決め込む」

「はあ」

「それでも私は『辛いことがあったし、仕方が無い』と見守ってあげてたのよ? そしたらとうとう酒保に忍び込んでワインを盗んじゃったのよ」

「えっ」

 

 こっそり忍び込んで、酒を盗む? 純然たる窃盗じゃないですか。

 

 それは軍規違反どころか、犯罪では。

 

「ま、彼女の事情も事情だから、最初は甘い裁定をしてたの。酷い経験をして傷付いたんでしょうって、私が上層部に頭を下げて」

「……」

「最終的に、私が弁償する形で不問にしたわ。それなのにこの子、何度注意しても窃盗を繰り返すし」

「ぷくぷく……」

「『酒は傷ついた心を癒す』ですって? うん、そうね。そう思って1年間も我慢した。貴女になるべく、優しく接してきたつもりよ」

「1年間も」

 

 話を続けるうちにだんだんと、レイターリュ衛生部長の声色が冷たくなってきました。

 

 こんなに怖いレイリィさんを見るのは初めてです。

 

「そんなこんなで立ち直るまで、様子を見てあげていたんだけど」

「ぷくぷくぷくぷく」

「でも、先々月の夜。アルギィ、貴女こっそり夜に酒保に抜け出して、何をしてたっけ?」

「ぷく?」

 

 レイリィさんはにこやかな笑顔のまま、そう言ってアルギィさんに詰め寄りました。

 

 ビクっと、アルギィ看護兵が動揺したように目を逸らします。

 

「貴方、男娼の店に通ってなかった?」

「ぷ、ぷくぷく……」

「『それは男性恐怖症のリハビリのため』? なら良かったわね、男に囲まれて気持ちよく酒を飲んでいたじゃない。心配してついてった私がバカみたい! 変な事件に巻き込まれてるんじゃないかって!」

「……」

「働かずにもらった給料で、男を侍らすのは楽しかった!? 私は我慢してるのよ、そういうのは!!」

 

 ……。

 

「確かに、貴女には哀しい事件があった。でもそれを言い訳に、好き勝手し過ぎじゃないかしらアルギィ」

「────ぷっくぷくぷー」

「『記憶にございません』みたいな顔やめなさい。仮にも上官よ私」

 

 温厚なレイリィさんにここまで叱責されてなお、アルギィ看護兵は舐め腐った態度を崩しませんでした。

 

 額に汗を浮かべてしらばっくれる彼女からは、どうしようもない駄目さ加減を感じます。

 

「次に歩兵部隊から派遣要請が有ったら、アルギィを派遣しようと決めていたの。上官も女性のトウリちゃんだし、丁度良いじゃない」

「ぷー」

「あー、その、レイリィさん。部隊の健康を預かる方なので、出来ればもう少し普通の方が」

「看護兵の人事は私の領分よ、口を出さないでくれるかしらトウリ少尉。そもそも貴女が預かればいいじゃない、優秀な衛生兵なんだから」

「……そうですね」

 

 何とか他の人をと思いましたが、レイリィさんに冷たく丸め込まれてしまいました。

 

 もしかしてレイターリュさん、自分にも怒っている感じですか?

 

 断りなく、勝手に歩兵部隊に転属してしまった自分に。

 

「何事も早い方がいいでしょ? アルギィは今日中に合流させるわ。どうせこの娘に引き継ぐ仕事なんて無いし」

「……ぷくー」

「駄目よ、決定事項。あと、トウリちゃんには言葉で意思疎通しなさいよ。そのプクプクするの、不快な人は不快だと思うわ」

 

 どうやら自分の部隊に来る看護兵は、アルギィさんで決定の様です。

 

 旧トウリ小隊の方々を引き抜ければ万全だったのですが……。

 

 そうですよね、優秀だった彼らを前線に引き抜く余裕なんて無いですよね。

 

「大丈夫、サボり癖があるだけでアルギィの腕は確かよ」

「そう、ですか」

「手先が器用だから、処置をさせたら右に出る者は居ないわ。だからこそサボらないで欲しいんだけどね」

「プェー」

 

 自分の困り切った表情を察して、フォローを入れるレイリィさんの背後で。

 

 ダルそうな顔で地面に伏せたアルギィ看護兵を見て、自分は小さく溜め息を吐きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だるー。あー酒欲しい。ぷくぷくぷく」

「何だコイツ」

「我が中隊の看護兵です、ガヴェル曹長」

 

 その日の晩。

 

 アルギィは数人がかりで肩を抱えられ、清潔な看護服に着替えさせられた後に自分の隊に放り込まれました。

 

 部屋から叩き出された引きこもり状態の彼女は、地面に寝転がって微動だにしません。

 

「早いな。今日申請したところだろ?」

「申請したらすぐ紹介されました」

「流石はレイターリュ衛生部長。お前の昇進を聞いて、申請されるのを見越してたのか」

「……ええ、そうですね」

 

 自分の昇進は聞かされていなかったっぽいですけど、余計なことは言わなくていいでしょう。

 

 手を焼いていた看護兵を押し付けられた、とバレたらややこしいですし。

 

「あー、先に言っておきますけど。彼女は、男性恐怖症らしいです」

「え、前線に連れてきて大丈夫なのかそれ」

「……多分、大丈夫です」

 

 そういう話のはずなのですが……アルギィさんに周囲を怖がる様子はありません。

 

 近くに沢山男性兵士がいるのに、実に堂々と地面に寝そべって尻を掻いています。

 

 ……本当に男性恐怖症なんでしょうか?

 

「ただし、一応丁寧に対応していただけると幸いです」

「分かった」

 

 しかし、アルギィさんは前線で貴重な看護兵です。

 

 性格に難がありそうですが、取りあえず丁重に扱いましょう。

 

 なるべく、トラブルにならないように気を使って────

 

「何かさっそく、看護兵がプクプク煩いってトラブルになってんぞ」

「あー。注意してきます……」

 

 ……うまく扱えるでしょうか。

 

 

 

 

 

 夜遅く、古ぼけた野営テントの中。

 

「トウリ少尉。部隊の補充申請書類、終わらせたぞ。次は物資の在庫確認だ」

「分かりました。ありがとうございますガヴェル曹長」

 

 自分はガヴェル曹長と並んで、仲良く書類業務を行っていました。

 

 因みにこのテントは、トウリ・ロウ専用と掛札がかかっている自分の個人テントです。

 

「申請された使用弾数と、実際の残弾が一致しているか確認しないといけない」

「はい」

「小隊長に一人でも適当なヤツが混じっていたら、数が合わなくなる。そうなると再検証する羽目になるから、小隊長は真面目なヤツを選んどけ」

 

 中隊長以上には、個人用のテントと机が支給されます。

 

 中隊長から書類仕事がかなり増えるので、テントがないと仕事の効率が落ちるのだとか。

 

 ガーバック軍曹の様に、戦果を挙げれば小隊長でもテントを貰えるみたいですが。

 

 

「ようし、残弾に間違いはなさそうだな。良かった良かった」

「はい」

「じゃあ次は……訓練メニューか」

 

 ……自分はガヴェル曹長に手取り足取り教えてもらいながら、仕事を終わらせていきました。

 

「新しく配属される部下の訓練プログラムを用意しておくのも、中隊長の仕事だ」

「なるほど」

「まずは訓練として達成課題を設定するんだ。配属された兵士の練度を見て策定するが、仮に『塹壕内防衛任務に耐えうる』としておく。その為に、短期目標と長期プランを策定して適切な訓練を割り振って─────」

 

 士官学校を出ているだけあって、ガヴェル曹長は書類仕事にも精通しているようでした。

 

 一方でデスクワークに慣れていない自分は、この業務にかなり苦労しました。

 

「……教官は自分と、ガヴェル曹長で行う形でしょうか」

「メイヴに頼んでもいいかもしれん。あのオッサンの方がそういうのに慣れてそうだ」

 

 病院業務は命のやり取りなので緊張感を持てたのですが、書類仕事は単調でただ疲れるだけ。

 

 山盛りの書類をガヴェル曹長と共に埋めていく作業は、経験したことの無い疲労感でした。

 

 

「……ま、今日はこの辺でいいだろ。明日に備えて寝るぞトウリ中隊長殿」

「分かりました」

 

 

 自分達はある程度キリの良いところまで終わらせ、月が満ちてきたあたりに床に就きました。

 

 昇進するというのは、書類仕事が増えるという事。

 

 一生ヒラで居たいけど、管理職が居なければ仕事が回らない。

 

 レイリィさんがそんな事を愚痴っていたのを思い出しました。

 

「負担をかけてしまって、申し訳ありません。ガヴェル曹長」

「ああ? いいよ、爺ちゃんに言いつけられてるし」

 

 本当は、これらの仕事を自分一人でこなさなければなりません。

 

 しかしガヴェル曹長は文句ひとつ言わず、深夜まで手伝ってくれました。

 

「前は、俺が助けられたからな。これくらい、何てことはない」

 

 ガヴェル曹長は恩に着せる感じや、不満げな空気を出すことなくそう言って。

 

 自分の方を見向きもせず、彼の寝袋をテントの中に横たえました。 

 

「明日も早いぞ。とっとと寝ろトウリ少尉殿」

「はい」

 

 彼は口を挟む暇もなく、寝袋の中に潜り込むと。

 

 5分も経たぬうちに寝息を立て、爆睡し始めました。

 

「……」

 

 自分の個人用テントの中で。

 

 

 

 

 ……これは言外に、自分にテントの外で寝ろと言っているのでしょうか。

 

 このテントは元々ガヴェル曹長の物だったそうですし、それも仕方ないですかね。

 

 まぁ別に自分は野宿の方が慣れているので、それも構いませんが。

 

「……」

 

 いえ。よく見たらガヴェル曹長は、テントの空間を半分を空けてくれています。

 

 これは、自分に隣で寝ろというメッセージ……なのかもしれません。

 

 ガヴェル曹長は年下ですし、気にすることは無いのかも。

 

 少なくとも向こうにその気はなさそうですし、気にせず寝てしまいましょうか。

 

「おやすみなさい、ガヴェル曹長」

 

 自分は呟くように声をかけ、寝袋を彼の隣に敷いた後。

 

 そのまま静かに包まって、速やかに意識を手放しました。

 

「……くがー」

 

 ────ちなみにガヴェル曹長は、かなりイビキが煩い方でした。

 

 銃声や爆発音よりはマシなので、それなりに眠れましたけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おはようトウリ少尉殿。おい、起きろ」

「ん?」

 

 まぁ、一つ失策が有ったとすれば。

 

「お前、何で抱きついてんの?」

「おお」

 

 自分は少し寝相が悪く、抱きつき癖があったことを失念していた事でした。

 

「すみません、ご迷惑を。自分は寝ると、近くにあるものに抱きつく癖があるようで」

「あー、こっちもすまん。お前のテントになってたこと、完全に忘れてたわ」

 

 朝目が覚めたら、自分はガヴェル曹長の背中からガッチリと手を回していました。

 

 ……セドル君を抱きしめる夢を見ていたので、寝ぼけたのでしょう。

 

「とはいえお前。普通、男の隣で寝るか」

「自分にその様な気はおこさないでしょう?」

「……ん、まあ」

 

 自分はなるべく、変な感じにならないようサラっと対応する事にしました。

 

 ぶっちゃけ気まずいのですが、意図してそういう空気にならないように軽く会話を続けます。

 

「下着とかも替えたいので、一旦出て行って貰えますか曹長」

「お、おお。分かった」

 

 この失敗は以前も、何度かやらかしたのですよね。

 

 ……ロドリー君の荷物に抱きついたことも有りましたっけ。

 

「それじゃ、またな」

「ぷくぷくぷくぷく……」

 

 ガヴェル曹長は少し気まずそうに、テントの外へ出ていこうとしたら。

 

 テントの入り口の外にニート看護兵が張り付き、プクプク覗き見していました。

 

「……」

「ぷっぷくぷー」

 

 何で上官のテントを覗いているのでしょうか、この看護兵。



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143話

 

 羽虫の鳴き声が収まり、初秋の香りが漂う頃。

 

 オースティン陣地の片隅で、ひっそりトウリ遊撃中隊の編成は進んでいました。

 

「補充要請が認可された。まもなく、兵士が配置されてくるはずだ」

「はい」

 

 その間、鉱山戦線は静かなものでした。

 

 突発的に小競り合いが起きるだけで、戦線はほぼ膠着していました。

 

「どれくらい訓練期間を設けてもらえるか分からん。人数が揃い次第、すぐ任務を言い渡される可能性もある」

「……」

「今のうちに、部下とよくコミュニケーションを取っておけ」

 

 ガヴェル曹長は、自分にそう助言しました。

 

 彼の言う通り、戦友とのコミュニケーションは重要でしょう。

 

「コミュニケーション……となるとやはり、宴会ですか」

「意外に単純思考だな、お前」

「他に方法があるのですか」

「普通は面談が先だろう。まぁ、宴会も悪くないんだが」

 

 確かに飲み会より先に、面談ですね。

 

 いつの間にか自分も、サバトに毒されていたみたいです。

 

「というか、俺達はまだ酒飲めねぇ年じゃねぇか」

「はい」

 

 因みにオースティンでは、18歳まで飲酒する事はできません。

 

 子供が酒を飲むと、急性アルコール中毒を起こすことが知られているからです。

 

「ではまず面談から始めます」

「それでいい」

 

 自分は今年で17歳、そしてガヴェル曹長は15歳。

 

 酒を楽しむにはまだまだ早い年齢です。

 

「話しとくべきは、輜重兵長のメイヴとプクプク女。あとは赴任予定の工作兵や小隊長どもだな」

「プクプク女……、彼女にはアルギィさんという名前が」

「アイツ、話しかけてもプクプクするだけで無視しやがる。名乗りを聞いてない以上、名称不明のプクプク女だ」

「……」

 

 ガヴェル曹長は真顔でそう切って捨てました。

 

 まぁアルギィの態度では、こう言われても仕方ありません。

 

「あの女とはよく話し合っておけ、トウリ中隊長」

「は、はい」

 

 そういう問題児をうまく『教育』するのも、上官の役目だそうです。

 

 ……とはいえ、

 

「レィターリュ衛生部長が手を焼くような女だ。一筋縄ではいかんぞ」

「……」

 

 あのレイリィさんが匙を投げた人を、自分程度が上手く扱えるのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「話は聞いてますぜ。今度から大将はアンタになるんだってな」

「はい、どうぞよろしくお願いします」

 

 その日の、晩。

 

 自分はまず『手榴弾投げおじさん』こと、メイヴ輜重兵長に挨拶に伺いました。

 

「本日はお時間を頂きまして、ありがとうございます」

「そう畏まらんでください、アンタが上官なんだ。もっと偉そうにしてくれないと恐縮しますぜ」

「自分は、志願組の成り上がり者ですので。経験豊富なメイヴ輜重兵長には、色々と力を借りることになるでしょう」

「うーむ、こりゃガヴェル曹長殿とは違ったタイプの困った上官ですな」

 

 メイヴ氏は頭を剃り上げたちょっと顔が怖い、40歳から50歳の筋骨隆々なおじさんでした。

 

 胸毛が濃くて軍服からはみ出ており、どことなくセクシーです。

 

「上官ってのは威厳が大事です、この人について行けば問題ないと思わせる圧が必要です」

「はい」

「上官が部下にペコペコしてちゃ、不安になるんですよ。こないだの戦場で見せた、イケイケの態度で接してくだせぇ」

「……イケイケ、ですか」

 

 メイヴさんはニカっと笑って、自分にそう諭しました。

 

 この間というのは、ゴルスキィさんを撃破した時の事でしょうか。

 

 イケイケの態度と言われましても……。

 

「ほら、あの肝が冷える様な笑顔ですよ。あんな顔をされちゃあ、逆らおうって気が起きなくなる」

「……こ、こうですか?」

「それじゃあ、頬が引きつってるだけですわ」

 

 練習中の営業スマイルをやって見せましたが、メイヴさんは難しい顔をしていました。

 

 もっとレイリィさんみたいな、自然な笑顔を身に着けたいです。

 

「すみません、あの時は少し興奮していたと言いますか。……大切な人を失って、我を忘れていたと言いますか」

「そうか。じゃあ、今のアンタが素か」

「そうなります」

「うーん、こりゃあ参ったな」

 

 そうメイヴさんに謝ると、彼はポリポリと頭を搔きました。

 

「指揮官が若いと、俺らは不安になっちまうもんです。大丈夫かって」

「はい、その気持ちは理解できます」

「でも、アンタは部下を従わせる圧を持ってた。失礼ながらあの曹長殿にない、威圧感っていうのかね?」

 

 メイヴさんは遠回しに、言葉を選んで自分に提言してくれました。

 

 ……威圧感を放っていたつもりはないのですが。

 

「まぁ何です、出来ればああいう感じでお願いしたく思うんでさぁ」

「分かりました。なるべく期待に沿えるよう、努力します」

「まあ、無理はしなくていいですけども。空回りしたら滑稽だ」

 

 戦場では、憎悪に呑まれた方が良い兵士になる。

 

 それは、ある意味で当たり前の話です。

 

 敵を殺してやるという意欲が強い方が、そりゃあ優秀な成果を上げるでしょう。

 

「ま、最悪俺がボコボコにして言う事を聞かせてやりますんで。治療はお任せしますよ」

「体罰は、ほどほどにしてくださいね」

 

 ……そう言ってニッカリ笑うメイヴ輜重兵長に、自分は苦笑いを返しました。

 

 

 

 

 

「それでとうとう、女房に愛想をつかされまして」

「それで、奥さんに逃げられたんですか」

「もう二十年も前の話でさぁ。いや、我が事ながらアホでした。女心をわかった気になっていた報いってやつでしょうなぁ」

 

 ……彼と歓談し、何となくメイヴさんの人となりがわかってきました。

 

 この人は若いころ短気な性分で、何度も喧嘩沙汰を起こす悪癖があったそうです。

 

 そのせいで奥さんにも逃げられ、一時期は非常に荒れていたのだとか。

 

 しかし旅の僧に諭されて改心し、これまでの行いを悔いて神に祈るようになったそうです。

 

 心を入れ替えた彼は定職に就こうとしましたが、地元では腫れ物のように扱われ就職できませんでした。

 

 そこで自慢の肉体を生かすべく、兵士に志願したそうです。

 

「せめて、女房や子供たちの安全は守ろうと思いましてね」

「ほう」

「ま、金に困ったって理由もありますけどね」

 

 その後メイヴさんは左手の指を失うまで、擲榴兵として戦い続けてきました。

 

 従軍期間だけで言えば、ガーバック小隊長より長いみたいです。

 

 負傷した後も輜重兵としてオースティンに貢献し続けました。

 

 その実績を評価され『ガヴェル曹長の相談役』として、彼の輸送中隊に派遣されたそうです。

 

 叩き上げの兵士が若い指揮官の補佐役に選ばれる為には、相当の信用が必要です。

 

 メイヴさんは長い間軍に貢献し続け、その立場を得たのです。

 

「そろそろ、女房に許してもらえますかねぇ」

「誠心誠意謝れば、きっと許してくれますよ」

「許してもらえたら、大きくなった子供と酒を酌み交わしたいもんです」

 

 話の締め、メイヴさんは寂しそうにそう呟きました。

 

 

 

 

 

 メイヴさんと面談が終わり、そろそろテントに戻ろうかという頃。

 

「■■■!!」

「……あれ、外が騒がしいですね」

「何かあったんですかね?」

 

 にわかにキャンプが騒がしくなり、不穏な怒号が響き渡りました。

 

 どうやら何か、異変が発生したようです。

 

「様子を見てきます」

「俺も行きましょう。腕力が必要かもしれん」

「ありがとうございます」

 

 敵であれば即座に対応せねばなりません。

 

 自分は気を引き締め、メイヴさんと騒ぎが起きている方向へと走りました。

 

 何か、嫌な予感が、する────

 

 

 

 

「おいコラこの糞女!! 何を勝手に酒箱を開けてるんだ!」

「……ぷ、ぷくぷくぷー?」

 

 向かった先では。

 

 アルギィさんが食料物資の前で、腕をひっつかまれて取り押さえられておりました。

 

 

「プクプクぷぅ」

「この、アマ……!!」

 

 嫌な予感、的中です。

 

 窃盗癖のあるという話は本当だったようで、アルギィはトウリ遊撃中隊の倉庫からワインをくすねようとしたみたいでした。

 

 頭痛が痛い。

 

「ど、どうも」

「あ、メイヴさん! それとトウリ中隊長殿も」

 

 思わず溜息が出ました。

 

 いい年をした大人が、配属直後に窃盗しますか普通。

 

「おう、何があったか報告してくれや」

「見ての通りですよ。この女がこっそり、酒箱を開けてたんで」

「ぷくぷくぷく」

「……報告ありがとうございます。では、この場は自分が預からせて頂きます」

「お願いします」

 

 アルギィを取り押さえた兵士は立ち上がり、自分とメイヴさんに敬礼しました。

 

 ……その兵士に敬礼を返した後、自分は呆れ顔でアルギィに向き直りました。

 

「アルギィ看護兵、貴女には軍事物資の横領の疑惑がかけられています。何か申し開きはありますか」

「ぷっぷくぷっぷく、ぷくぷくぷく……」

「おい舐めてんのかアンタ」

 

 彼女は窃盗の現場を押さえられ、額から脂汗を滝のように流していました。

 

 だというのに弁明を行わず、自分達から目を逸らしてプクプクしています。

 

「それ以上続けるならブン殴るぞ」

「ぷぇええ!!?」

「アルギィさん。状況の説明を求めます、オースティン語で話してください」

「ぷぇぇ……」

 

 説明を促しても、彼女は怯えた顔で首を振って鳴き声を上げるばかり。

 

 時折、上目遣いで庇護を求める様な仕草を取りますが……。

 

「はぁ、呆れてモノも言えねぇや。歯を食いしばれ」

「ぷくっ!?」

 

 そんな浅い媚びは、百戦錬磨のメイヴさんに通用しなさそうでした。

 

 

 

「えええ殴るの? 看護兵を殴るの!?」

「トウリ中隊長殿、やっていいですかい」

「ぷくぷくー!」

 

 流石はメイヴさん、こういう場合は頼りになります。

 

 押し負けてはいけない場面というものを理解しているようです。

 

「少し待って下さい、メイヴさん。アルギィとお話をします」

「了解」

 

 自分はそんなメイヴさんに待ったをかけて、改めてアルギィに向き合いました。

 

 悪い事をしたら罰を受ける。それは、軍隊に限らずどこでも当たり前の事です。

 

 ただ、何故今から殴られるのかを彼女には理解してもらわけばなりません。

 

 しっかりと話をして、考えを改めてもらわねばなりません。

 

「アルギィさん、窃盗は重罪です。物資の在庫が合わなければ、部隊運用に影響が出てしまいます。それで行軍が遅れれば、味方が死ぬかもしれません」

「ぷぇ……。だって、一本、だけ」

「窃盗は半殺しにされても文句は言えない罪です。国民は食料に困っているのに、兵士が優先的に食料を配られている意味を考えてください」

 

 まずは、何故悪い事なのかしっかり理解してもらわねばなりません。

 

 いきなり暴力を振るうのではなく、対話をして反省して貰わないと。

 

「ぷぇぷー」

「事の重大さを理解していただくためにも、罰を受けていただきます。分かりましたか」

「ぷぃぃ……、い、言い付けますよ! 衛生部長に、報告、を!」

「……」

「看護兵を、暴行する、あり得ない! 派遣、取り消して、貰う。ぷぇええ!!」

 

 ……自分なりに説明したつもりですが、アルギィさんは食って掛かるのみでした。

 

 反省の意志はまるで見えず、意地でも自分の要求を押し通そうという構えです。

 

 

「中隊長、こりゃブン殴ってから話した方が早いですぜ」

「ぺーっ、ぺっぺっぺっ」

「うわ、唾を吐き散らすな。何だこの看護兵」

 

 これは……暴行を受けたせいで性格が歪んでしまった結果なのか。

 

 はたまた、こんな性格だからこそ暴行を受けてしまったのか。

 

 どっちなんでしょうか。

 

「きえー!!」

「暴れんな、くそったれ!」

 

 暴行を受けた結果歪んでしまったなら、同情の余地はあります。

 

 だけど、こんな時。ガーバック小隊長だったらどうするかと言えば。

 

「……メイヴさん、お願いしてよろしいですか」

「あいよ」

 

 ガーバック小隊で食料窃盗なんてしてしまえば半殺し……というか、9割殺しくらいはされるでしょう。

 

 体罰は個人的には好ましくないのですが、新人教育において有用だと言うのも事実でしょうし。

 

「気合い入れろやクソガキ!」

「プアーーーッ!」

 

 ……問題は、彼女に逆恨みされて変な事をされないかどうかですね。

 

 食料に毒など混ぜられたら、目も当てられません。

 

 

「イキってんじゃねぇ! 泥棒風情が!!」

「ぎぃやぁ!!?」

 

 メイヴさんはアルギィの肩を掴むと、遠慮なく体躯に拳をねじ込みました。

 

 肉を打つ鈍い音が、キャンプに響きました。

 

「うげ、うげぇ」

「何寝てんだ、オラ立て」

 

 ドスン、ドスンという鈍い音がキャンプに響きます。

 

 人が殴られている姿を見るのは、気持ちのいいものではありません。

 

 鼻血を出して嘔吐するアルギィが、助けを乞う姿は胸が痛みました。

 

「……」

 

 自分が誰かに体罰を科したのは、この時が初めてでした。

 

 彼女の教育に必要だと判断した結果ではありますが……。

 

 そもそも自分に、責任は無かったでしょうか。

 

「痛い、ごめん、もうしない、もうしないってば!」

「やかましいわ!」

 

 彼女の窃盗癖は聞いていたのに、対策を怠った自分にも咎はある気がします。

 

 最低限、釘を刺しておいた方が良かったでしょう。

 

 それを怠った自分も、反省すべきです。

 

 

 

「こひゅー、こひゅー……」

「このくらいかな」

 

 数分後、ボロボロになったアルギィさんが大地に横たわっていました。

 

 全身が塩辛みたいに真っ赤に腫れあがり、見るも無惨な有り様でした。

 

 新人の頃の自分みたいです。

 

「た、助けて、治療、治してぇ」

「……だめです。罰としてそのまま3時間、起立しておいてください。それまで治療行為は許可しません」

「あぁ?」

 

 そう言い放った自分を、アルギィさんは信じられないといった目で見つめていました。

 

 ガーバック小隊では半日立ちっぱなしだったので、少し甘めなんですけどね。

 

「おう看護兵、二度とこんな真似をするんじゃねぇぞ。しっかり反省しながら立ってろ」

「……ふぐっ。酷い、こんなの、酷すぎるぅ」

 

 アルギィは号泣して、メイヴさんと自分を睨み続けていました。

 

 立てと命じられたにもかかわらず、立ち上がるそぶりも見せません。

 

「足、折れてる。どうやって、立てば」

「片足でも立てる。3時間ぐらい気張れ、立つまで治療せんからな」

「無理、無理い」

 

 これは、怨まれるでしょうね。

 

 自分もボロボロにされた後は、ガーバック小隊長の愚痴を内心に浮かべたものです。

 

 それもまた、上官の大事な仕事なのかもしれませんが。

 

「だったらそのまま、地べたにへばりついて死んでろや────」

「あの、メイヴ兵長。もう一つお願いがあります」

「っと。はい、なんですかトウリ中隊長殿」

 

 自分は、まだ上官としての立ち振る舞い方を知りません。

 

 どちらかと言えば、仲間と同じ目線で話をする方が性に合っています。

 

 それにアルギィへの事前に警告していなかった自分も、罰を受ける必要があるでしょう。

 

 だから、

 

「部下の罪は、上司の責です」

「は、はあ」

「自分もアルギィと、同じように体罰をお願いします」

「えっ」

 

 自分も久々に、ボロボロになるとしましょう。

 

 

 そういえば以前も、ラキャさんがトイレに籠って集合時間に間に合わなかった時、部下の前でタコ殴りにされましたっけ。

 

 その事件の後からトウリ衛生小隊の皆さんは、言う事を聞いてくれるようになりました。

 

「あ、あの。トウリ中隊長?」

「連帯責任ですよ。今後、アルギィが何かをやらかしたなら自分も同じ罰を受けます」

「ぷ、ぷく……?」

「なのでくれぐれも、自重してくださいねアルギィ看護兵」

 

 アルギィは自分を「正気かコイツ……」みたいな目で見ていますが、これは珍しい事ではありません。

 

 自分だけじゃなく他人も罰を受けるというのは、軍隊ではお馴染みの「連帯責任」方式です。

 

 自分だけではなく無関係の他人まで責任を取らされるのは、かなり精神的に来るでしょう。

 

 それに自分が体罰を受け入れることにより、アルギィの怒りの向け先を見失わせる事が出来ます。

 

「さぁどうぞ、メイヴさん。アルギィに、体罰の受け方というものを教えて差し上げますよ」

「えぇ……」

 

 あと、自分は体罰慣れしてるので痛みへの耐性は強いのです。

 

 ガーバック小隊でどれだけ殴られたか、思い出せません。

 

「遠慮はいりませんよ、メイヴさん。必要な事です」

「……分かった。怨まないでくださいよ」

「ええ。不公平にならないよう、ちゃんとアルギィさんと同じようにお願いしますね」

 

 メイヴさんはそう答えると、目を光らせて思い切り拳を握りしめました。

 

 

 

 

 

 

 ……久しぶりの体罰は、それなりに効きました。

 

「どうです、骨が折れても案外立てるもんでしょう」

「……ふらふらじゃん」

 

 メイヴさんは戸惑った顔をしつつも、容赦なく自分の顔面を張り飛ばしました。

 

 同じように体中をブン殴られた自分達は、身を寄せ合って空を見上げ立っていました。

 

「もう3時間経ってない?」

「まだ1時間ですよ」

「お前、馬鹿なの?」

「おや、上官への暴言ですか。罰を追加しますよ」

 

 こうやって立っていると、ガーバック小隊の頃を思い出しますね。

 

 あの頃はテントからガーバック小隊長が見張っていて、アレンさんやロドリー君が自分を冷やかしに来て。

 

 ……今はもう、ただ懐かしい記憶です。

 

「何で中隊長、ボロボロになってちょっと嬉しそうなの。そう言う趣味?」

「そんなはずないでしょう。少し、昔を思い出していただけですよ」

 

 こうやって、新兵だった自分は育てられました。

 

 何度もミスをしては教育され、殴られた数だけ大事なことを積み上げました。

 

 ガーバック小隊長殿が生きていたら、今も殴られていたんでしょうかね。

 

「それよりもアルギィ。反省はしましたか」

「ぷぅ」

「次やったら、また同じように指導しますから。覚悟してください」

「アンタも同じ目に遭う、ぞ」

「アルギィが窃盗をやめてくれるなら、この程度の怪我は安いものです」

 

 顔面を腫らした自分を、アルギィさんは気持ち悪そうな眼で見つめていました。

 

 理解できない、という顔です。

 

「じゃあ何時、ワイン飲めばいいん」

「ワインなんて高級品、前線ではそう毎日飲めません。慶事に支給されますので、その日だけ楽しんで下さい」

「夜、寝る前、怖くなった時。お酒が無いと、眠れない……」

「そういう時があるなら、自分で良ければ話を聞きますよ。お酒に逃げるのは、いい結果になりません」

 

 そもそも今のオースティンに、毎日ワインを飲めるような裕福な人は恐らくいません。

 

 軍事物資の生産が優先されるので、一部の娯楽産業は止まってしまっているのです。

 

 彼女が盗もうとしたワイン1本でも、高価な代物なのです。

 

「……ぷぁあ」

「ああ、そうだ。アルギィさん、少しお話ししましょう」

「お話?」

 

 自分はそう言ってアルギィさんの方に向き直り、

 

「貴女のことを、少し教えてくれませんか」

 

 夜空の下で、ゆっくり面談を行ったのでした。



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144話

 

「入るぞ、トウリ少尉」

「おや」

 

 翌朝。

 

 自分のテントに入って来たガヴェル曹長は、呆れた顔をしていました。

 

「ガヴェル曹長、おはようございます」

「……ああ。メイヴから昨日の件を聞いたぞ、お前は馬鹿なのか」

 

 彼は開口一番、お説教を始めました。

 

 昨日の件、というのは自分が殴られた事でしょうか。

 

「アルギィへの指導の件ですか」

「ああ。お前が殴られてどーする」

「まぁ、ああいうやり方もあるという事です」

 

 軍隊において連帯責任というのは、珍しい罰ではありません。

 

 こうする事で仲間同士で『悪いことはするな』という共通認識が芽生え、注意し合うようになるからです。

 

 そして看護兵であるアルギィの直属の上司は、自分でしょう。

 

 だから自分も共に罰を受けるのは、間違った事ではないと思われますが……。

 

「中隊長がタコ殴りで立たされてたら、格好がつかんだろう」

「アルギィに罰を与えつつ、不満を抱かせないようにするには最善であると判断しました」

「……お前だって痛みは感じるんだろう?」

「まぁ、多少は」

「だったら……」

 

 自分の弁明を聞き、ガヴェル曹長は何かを言いたそうに口をもごもごとさせました。

 

 しかし結局、諦めたような顔で溜息を吐くのみでした。

 

「アルギィは自分直属の部下ですから、痛みを分かち合う関係でありたいのです」

「その理屈でいくと、俺の部下がやらかしたら俺もタコ殴りにされるじゃねーか」

「あー、まぁそうなりますか?」

「厄介な前例を作りやがって、いい迷惑だ」

 

 ガヴェル曹長はそうボヤいた後、ぶっきらぼうな態度で椅子に座り仕事を始めました。

 

 少し気まずい思いで自分も席に着くと、

 

「お前がいたぶられてる姿は、こう胸に悪いんだよ」

「胸に、ですか」

「罪悪感が凄い。出来ればもう、やめてくれ」

 

 正面に座ったガヴェル曹長は、小さくそう呟きました。

 

 

 

 結局、彼は自分を心配してくれていたのでしょう。

 

 自分が体罰慣れしすぎているだけで、普通はブン殴られたら傷つきますし。

 

「おや?」

「何かキャンプが騒がしいな」

 

 午前中はそのまま、ガヴェル曹長と書類仕事をこなしました。

 

 連日の頑張りで書類の半分以上は捌け、残り数日で終わるくらいに減りました。

 

「楽器の音、聞こえないか」

「聞こえますね」

 

 昼食時、少し休憩をしようと背伸びをしたら。

 

 兵士キャンプの方から、弦楽器の演奏音が聞こえる事に気付きました。

 

「ちょっと様子を見に行くか。トウリ中隊長殿も顔を出せ」

「自分もですか」

「見回りだよ。こっそり酒を持ちだすアホが見つかったばかりじゃねえか」

 

 ガヴェル曹長はそう言うと、立ち上がって肩をコキコキと鳴らしました。

 

 仕事の気分転換も兼ねているのでしょう。

 

「そうですね、行きましょうか」

「兵士の誰かがはしゃいでるだけとは思うが」

 

 彼は軽く苦笑して、テントを出ていきました。

 

 休憩中であれば、戦場で楽器を弾くことは別に禁止されていません。

 

 むしろ、音楽は戦意高揚に有効と認められています。

 

 楽器演奏を行うための『軍楽隊』という部隊すらあるそうです。 

 

「お、あそこの木に兵士が集まってるな」

「誰かが演奏会を開いているのですかね」

 

 外に出ると、美しい弦楽器の音がより鮮明に聞こえてきました。

 

 物静かで晴れやかな、不思議な音色でした。

 

「ギターだな。誰かがギターを弾いてるんだ」

 

 その音色に吸い寄せられるように、自分達は歩いて行きました。

 

 中々に上手いものです。ちょっと聞かせていただくとしましょう。

 

 

 

 

 

「人間は痛みを感じる生き物さ。誰もが痛み、苦しみから逃れようと足掻くワケ」

「ほうほう」

「だけどオジサンは、痛みを全く感じない少年に出会った事がある」

 

 その木の中心には、帽子を深くかぶった男が葉っぱを咥えて弾き語りをしていました。

 

「無痛症ってヤツだ。強すぎるストレスに晒されると、人間の感覚は鈍くなる」

「ほぉー」

「厳密には痛みは感じてるらしいんだけど、『痛みに対する忌避感』が無くなっちゃうんだとさ」

 

 男を近くで見ると、口ひげに白髪が交じり、独特の渋い声をした中年の男性でした。

 

 彼は何やら周囲の兵士たちと会話をしながら、ニヒルな笑みを浮かべていました。

 

「さて、そろそろオジサンの弾き語りを始めよう。10年以上前だったかな、東西戦争が始まる前の辺境の村でのお話」ポロロン

「いいぞいいぞ」

「貧困街の路地裏で、オジサンは無痛症の少年と出会った。彼は全身に火傷や刺し傷の痕があり、頬に大きなネジを突き刺されたまま、道端で平伏して乞食をしていた────」

 

 その中年男性はギターを弾き語りながら、目を閉じて。

 

 そんな彼を、多くの兵士が物珍しそうに囲んでいました。

 

 

「……えっ。誰ですか、彼は」

「さ、さあ」

 

 大変です。不審者です。

 

 見覚えのない人が自分の部隊のキャンプに入り込んで、演奏会を開いていました。

 

 自分は部下の顔を一通り覚えていますが、このおじさんは見たことが有りません。

 

「ある日、少年は捕まった。窃盗の容疑をかけられたのさ。彼はずっと道路で物乞いをしていただけなのに」

「ふむ」

「彼は『乞食だから、物も盗むに違いない』と問答無用で刑罰に処された。体は痛みを感じねど、人の心は痛みゆく。少年の意地や本性は、かくしてどうなったか……」

「あ、あの……」

 

 別に悪いことはしていなさそうですが、見知らぬ人にキャンプにいられたら困ります。

 

 軍の関係者にしろ出稼ぎの民間人にしろ、身分を明らかにする必要があります。

 

 スパイかもしれませんし。

 

「……おや?」

「えっと。すみません、当キャンプを管理するトウリ・ロウ少尉と申します。貴方はどちら様でしょうか」

「ああ、貴女が! お騒がせして申し訳ない、怪しい者じゃあないんですよ」

 

 自分が恐る恐る声をかけると、その中年男性はニッコリと笑いました。

 

 そしてその場で立ち上がって敬礼してくださり、

 

「お初にお目にかかります、トウリ少尉殿。当方は工作兵のナウマンです、本日付で配属になりました」

「……おお」

 

 そう、自己紹介しました。

 

「ナウマン工作兵長殿ですか。確かにその名には聞き覚えがあります」

「ええ、そのナウマンです。早く着いちまったので、未来の戦友と戯れていたんですよ」

 

 自分はその名前を知っていました。

 

 ナウマンさんは本日の午後、面談を行う予定の工作兵でした。

 

 早く来てしまったから、キャンプで待機していたのですね。

 

「少尉殿どうです、よければ聞いていかれますか」

「ああ、えっと。では、お願いします」

「はい、どうぞ。是非楽しんでいってください」

 

 このナウマン氏は、工作兵としてはかなりのベテランだそうです。

 

 与えられた仕事は何でもそれなりにこなす、優秀な方なのだとか。

 

「……」

 

 手が空いていたのでナウマン氏の演奏に付き合ってみましたが、中々どうして楽しい時間でした。

 

 随分と歌い慣れていらっしゃるようで、活舌もよく聞き取りやすい歌でした。

 

 自分の芸人としての血が騒ぎましたが、乱入出来る空気じゃなかったので大人しく見物しました。

 

「上手いものですね」

「ナウマン兵長は、軍楽隊に所属した経験もあるらしい」

「へえ」

「メイヴ兵長より軍歴が長い、超ベテランだ。申請が通ってくれて、ガッツポーズしたぞ」

 

 演奏の最中、ガヴェル曹長はそっと自分に耳打ちしました。

 

 今やオースティンでは貴重な、超ベテランの工作兵……ですか。

 

「今回補充できた人員では、一番の当たりだ。大事にしろよ」

「わかりました」

 

 ぱっと見た感じ、ただの白髪交じりのヒョロっとした方ですが……。

 

 ガヴェル曹長が言うには、自分の部下には勿体ないくらいの凄い人らしいです。

 

「……ってな具合で、今回の話はここまで。ご清聴ありがとうございました」

「面白かったぞー」

「どうも、どうも」

 

 ヘコヘコと愛想よく頭を下げて回るナウマンさんからは、その優秀さは想像もつきません。

 

 自分の目には、気の良い謙虚なオジサンにしか映りませんでした。

 

「実に素晴らしかった、一緒に飯を食おうぜオッチャン」

「誘ってくれるのはうれしいんだけどなぁ。オジサンはこれから、少尉殿にご挨拶に行かねばならんのでな」

「そこにいるじゃねぇか少尉殿は。今の歌が挨拶代わりで良いんじゃねぇの」

「流石に、ちゃんと面談は受けなけりゃダメでしょうよ」

 

 ナウマンさんは苦笑いして、自分に小さくウインクしました。

 

 ガヴェル曹長曰く『一番の当たり』との男、ナウマン兵長。

 

「ご配慮ありがとうございます、ナウマン兵長殿。では、自分のテントに来ていただけますか」

「はいよ、了解であります中隊長殿」

 

 少なくとも人当たりの良さそうなので、やりやすくは感じますね。

 

 自分が不愛想な部類なので、補ってもらえる感じです。

 

「じゃあな、オッチャン!」

「あいあい、また後でな」

 

 配属初日で、既に部隊に溶け込み始めている男ナウマン。

 

 さて、一体どんな方なのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

「あははは、そんなに過大評価されても困りますよ。当方はただの、非力で臆病なオッサンです」

「……」

「トウリ少尉の素晴らしいご活躍こそ、聞き及んでおります。いやあ、貴女の下で戦えるなど運が良い。一生の自慢になりますよ」

 

 面と向かって話してみても、ナウマン氏はなかなかつかみどころのない人物でした。

 

 失礼じゃない程度に軽い冗談を飛ばしつつ、こちらを立てて丁寧な受け答えをしてくださいました。

 

「ナウマン氏には、工作小隊を率いてもらいます」

「はい、了解です。微力ながら力になりますよ」

 

 ガヴェル曹長は、ナウマン氏以外にも数名の工作兵を申請してくれていました。

 

 遂行できる作戦に幅を持たせるため、ある程度の工作兵の数が必要だと考えたからです。

 

 残念ながらその殆どは新人だそうで、主力はナウマン氏になるのだとか。

 

「ああそうだガヴェル曹長殿。我らが副中隊長殿」

「どうした、ナウマン兵長」

「よければ今夜、酒保に遊びに行きませんか? 他の兵士も誘うつもりです、親睦を深めましょうや」

 

 去り際、ナウマン兵長は気さくな顔でガヴェル曹長へ声を掛けました。

 

 ぴくり、とガヴェル曹長の眉が動きました。

 

「わかった、空けておく。だが、我らが中隊長殿は誘わなくていいのか?」

「少尉殿は、まぁ……ちょっと」

「ほら見ろ、少尉殿がちょっと拗ねた顔になられたぞ」

「拗ねてませんが」

 

 酒保というのは、要は物販や飲み会の場です。

 

 そういう場に、上官である自分が赴けば酒がまずくなるのは必定。

 

 なので誘われない事に、不満などあるはずがありません。

 

「あっはは、申し訳ない。トウリ少尉を除け者にしたわけじゃないので、誤解めされるな」

「いえ大丈夫です、ガヴェル曹長は存分に楽しんできてください」

「拗ねないでくださいってば。ただ今の酒保は……ちと、ねぇ?」

 

 ナウマン氏は申し訳なさそうな顔で、言いにくそうに弁明を始めました。

 

 酒保に問題があると言うと、どういう事でしょうか。

 

「酒保に、何かあるのでしょうか」

「あー、まぁ大体想像していただければわかると思うのですが。嗜好品が減ってる状況で、主な『商品』は何になるかを」

「……ああ、女か」

「兵士達にも(ソレ)を買うヤツがいるでしょうな。そんな場にトウリ少尉を連れて行ったら、空気が凍っちまいます」

 

 成程。

 

 酒保はもともと物販メインの施設ですが、今は売る商品が殆どない。

 

 となると、何が行われているかは想定しておくべきでした。

 

「お、俺はそう言うのは……」

「当方は普通に食事を楽しむつもりですよ、妻も居ますしね。戦友と旨い飯を食うのは大事な儀式です」

「むぅ」

「女買う奴は好きにさせればいい。一丁、語り合いましょうや」

 

 ナウマン氏はニヒルな笑みを浮かべ、ガヴェル曹長に手を差し出しました。

 

 一瞬迷ったそぶりを見せつつも、ガヴェル曹長はその手を取りました。

 

「いってらっしゃい、ガヴェル曹長」

「女は興味ないけどな、別に。付き合いで行くだけだからな」

「はあ」

 

 恥ずかしいのか、ガヴェル曹長は目を逸らして言い訳を始めました。

 

 頼りになるので忘れていましたが、そういえばガヴェル曹長は年下でしたっけ。

 

「もしかしてそう言う経験はないんですか?」

「お前は何を聞いてるんだ」

「いえ、妙に反応が初々しかったので」

「うるさいな、突っつくな」

 

 悪戯心で少しからかったら、顔を真っ赤にしてそっぽを向かれました。

 

 まだまだこの辺は、年齢相当なのでしょう。

 

「忠告しておきますと、迂闊に全裸になって突撃しないほうが良いですよ」

「は?」

「時折いるんです。新米を騙して、全裸で男色部屋に突撃させるような人が」

「なんだそれは。恐ろしすぎるだろ」

 

 グレー先輩の様な人がいないとも限らないので、ガヴェル曹長に忠告しておきました。

 

 こういうノリは懐かしいですね。前線部隊に戻ってきたんだという実感がわいてきました。

 

 ……夢と下心を膨らませて全裸で突っ込んだ先が男色部屋とか、とんでもない悪戯です。

 

「ここ数日、ずっと仕事詰めでしたから。今夜くらいは羽を伸ばしてください、ガヴェル曹長」

「ああ。いやその、付き合いで行くだけだけど」

「付き合いだろうと楽しんだ方が得ですよ」

 

 そろそろ疲れも溜まっているでしょうし、ガヴェル曹長には休んでいただきましょう。

 

 残った書類仕事も、自分一人で出来る内容っぽいですし。

 

「……じゃあ行ってくる」

「お気をつけて」

 

 少しでも彼のリフレッシュに繋がってくれれば幸いです。

 

 

 

 

 

「おや、おかえりなさいガヴェル曹長」

「……」

 

 と、思っていたのですが。

 

「随分とお早いですね」

「……うるさい」

 

 ガヴェル曹長は1時間もしないうちに、顔を真っ赤にしてテントに戻ってきました。

 

 何やら、トラブルでもあったのでしょうか。

 

「もしかして本当に、男色部屋にでも連れ込まれましたか」

「そんなんじゃない」

 

 彼は顔を真っ赤にしたまま、不愛想に寝袋を広げたあと。

 

 自分の方を見向きもせずに、横になって寝入り始めました。

 

「……?」

 

 

 

 後で聞いた話によると、ガヴェル曹長は色事が初めてだったようで。

 

 ナウマン氏に連れられて行った先が想像以上にピンクだった為、耐えきれず逃げ出してきたのだとか。

 

 士官学校を卒業して間もない彼は、まだまだ穢れを知らないお年頃だったようです。

 

 



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145話

 

 兵士補充を申請してから、1週間が過ぎたころ。

 

 とうとうトウリ遊撃中隊に、百名の新入隊員が配属されました。

 

「……はい、健康ですね。問題なしです」

「ぷくぷくー」

 

 この日は朝から、ピカピカの軍服を着た男達が自分のテントの前に列をなしていました。

 

 これは健康診断の列です。新入隊員には、指揮官の責任で健康診断を行う必要があるのです。

 

 本来なら派遣看護兵であるアルギィに振っていい仕事ですが、彼女は男性恐怖症で業務を行えないとのこと。

 

 なので仕方なく、衛生兵である自分が行う事になりました。

 

「体調面は問題ありませんが、古傷が目立ちますね」

「ぷーくぷーく」

「えっと、この銃創はいつ頃の傷でしょうか」

「ぷーくすくす」

 

 因みにアルギィは自分の背後で、カルテ係に徹してもらいました。

 

 健康診断は出来ずとも、記録なら何とかなるでしょう。

 

「えーっと、問題なしですね」

「ぷく!」

 

 幸いにも健康で問題がありそうな兵士はいませんでした。

 

 唯一問題がありそうなのは、隣でプクプク言ってる不審な看護兵(アルギィ)くらいです。

 

 

「あの。ちゃんと、普通に話してもらえませんかアルギィさん」

「ぷくー(声出すのだるい)」

 

 

 ……最近、何となくアルギィの言葉が分かるようになりました。

 

 短い会話であれば、問題なく通じつつあります。

 

 これも、面談の成果でしょうか。中隊長として一歩前進ですね。

 

 

 

 

 

 

 健康診断の後は、夕方から入隊式を行う予定になっていました。

 

 自分がスピーチしたあと辞令を読み上げ国歌斉唱し、各小隊長格に挨拶をしていただく段取りです。

 

 退屈な時間ですが、大事な式典なのでやらない訳にはいきません。

 

 自分も入隊式で長々と話を聞かされましたが、話をする側になるとは思いませんでした。

 

「夜は歓迎会だ、酒と当ても準備してある」

「ぷくー♪」

「よく支給してもらえましたね」

「部隊結成時は、だいたい嗜好品の許可が下りる」

 

 入隊式の後は、楽しい宴会です。トウリ遊撃中隊の結成記念パーティです。

 

 それぞれ全員に1本ずつワインとビスケット、乾燥肉がふるまわれます。

 

 宴会は、各小隊ごとに勝手にやってもらう形にしました。

 

 苦楽を共にする仲間と飲んだ方が、兵士達も楽しめるでしょう。

 

「この為にワインを用意してたんですね」

「ああ。どっかのアホがワインを盗んでたら延期になってた所だ」

「ぷっくぷく」

 

 新たな部隊が結成される際は、お酒がふるまわれることが多いそうです。

 

 アルコールで部隊の結束を高め、士気を上げるのだとか。

 

「準備は俺に任せて、顔見せがてらキャンプを回ったらどうだトウリ中隊長」

「顔見せ、ですか」

「いきなりチンマイのが演説をし始めたらびっくりするだろ。自分が中隊長だぞってアピールしてこい」

「ぷーくすくす」

 

 ガヴェル曹長はそう言うと顔をしかめ、

 

「兵は、自分より若い奴に従いたくねぇもんだ。俺の時も、結構不満げだった」

「そうでしたか」

「お前、見てくれは悪くないんだから適当に好感度を稼いで来い」

 

 そう言って自分をテントから追い払いました。

 

 

 

 

 

 ガヴェル曹長の助言通りに、自分は兵士キャンプに顔を見せに行くことにしました。

 

 何事も、先達にしたがっておくのが無難です。

 

「どうも、こんにちは」

「あ、健康診断の時の衛生兵」

 

 キャンプでは兵士がシャベルで土を掘ったり、木の板を地面に打ち付けたりしていました。

 

 兵士は座り寝をすることが多く、その方が寝やすい人は土や木で背もたれを作るのです。

 

 輜重兵さんもよく、荷台にもたれ寝ている姿を見ます。

 

「どうした、アンタもここに泊まるのか。衛生兵はテントだろう? 設営、手伝ってやろうか?」

「いえ、もうテントを用意して貰っています。ここには様子を見に伺っただけです」

「そうか」

 

 歩兵には歩兵の生活があります。

 

 兵士は決して、ただ命令のままに動く駒ではありません。

 

 その一人一人に個性があり、生きざまがあり、信念があるのです。

 

 歩兵としての景観が厳しいからこそ、コミュニケーションを取るべきでしょう。

 

「貴方たちは、新しく中隊に所属した方々ですね」

「そうだ、よろしく頼む。俺達の命は預けるぞ、衛生兵」

「はい。精一杯、お勤めさせていただきます」

 

 小隊長っぽい兵士に声をかけてみたら、にこやかに応対して貰えました。

 

 顔の彫りは深いですが、気さくな雰囲気の人でした。

 

「アンタずいぶん若いな、ウィンで徴兵された(クチ)か?」

「いえ、自分は西部戦線時代から従軍しています」

「おっ、じゃあアンタもあの地獄を生き延びたのか」

「はい」

「そりゃあ運が良かったな」

 

 その男は笑いながら、快活に自分の肩を叩きました。

 

 やや荒っぽいですが、親しみを込めてくれているのは分かります。

 

「実は俺も、西部戦線からの生き残りでな」

「そうでしたか」

「俺は南寄りの、ウィン正面の塹壕に籠ってた。戦線を破られた時はもう、死んだと思ったね」

「大変でしたね」

「ああ、同じ部隊の連中は皆死んじまった。生き残ったのは俺だけだ」

「それは。……お辛かったでしょう」

 

 今や、西部戦線から生き残っている兵士は希少です。

 

 上官に気さく過ぎますが、あの地獄を経験した戦友に会えて興奮しているのかもしれません。

 

 そう考えて気にせず、彼の話を聞いていたら。

 

「いや、ウチの小隊長が大馬鹿でな。俺以外の兵士は、アイツのせいで死んだのよ」

「大馬鹿、ですか?」

「ああ。アイツ敵に囲まれてんのに、律儀に上層部の命令を待って動かねえんだ」

「はあ」

「その時は情報が錯綜して、上層部は命令を出せる状況じゃなかったらしい。俺はそれを察し、一人で逃げ出したけど」

「……」

「そしたらあのクソ小隊長、俺に向けて発砲しやがったんだぜ? 信じられるか、仲間を撃ったんだぞ?」

 

 その兵士はドヤ顔で、命令違反を自慢し始めました。

 

 敵前逃亡は重罪なので、そんな話を聞かされたら罪に問わないといけないのですが。

 

「それは、命令違反ですし」

「勿論、そりゃあ命令違反だろうさ。だけど、命令を守って逃げなかった連中は全滅だ。小隊長も死んじまったらしく、ウィンには戻ってこなかった」

「……」

「俺が真面目に命令を順守していたら、この場にはいなかっただろうな。いざって時は上官の命令なんかより、自分の命を優先すべきだと思うね」

「それは兵士として、どうなのでしょうか」

「ヌルい! そんなんじゃこの先、生き延びれないぜお嬢ちゃん!」

 

 彼はそう言うと、少し周囲を見回してから小声で自分に耳打ちしました。

 

「上官が常に正しいとは限らんって話だ。話に聞く限り、ここの中隊長はまだガキらしい。士官学校あがり立ての15歳のコネボンボン野郎だとか」

「はあ。そうなの、ですか?」

「あれ? 17歳だったかな。まあどっちにしろ、コネで抜擢された若造中隊長だって話よ」

「はあ、それは確かに」

 

 どうやらこの兵士は、自分がその中隊長だと気付いていないようです。

 

 自分の肩にある階級章が、見えてないのですね。

 

 衛生兵服を着ているから、見落とされたのでしょうか。

 

「戦場のイロハも知らない若造に、アホな命令されたらたまらねぇよ」

「アホな命令……」

「間違いなく俺の方が、ガキよりマシな判断が出来るだろうさ」

 

 恐らく、コネで抜擢された若造中隊長とは自分の事でしょうね。

 

 ガヴェル曹長の噂と混ざったのか、情報が錯綜しているっぽいですが。

 

「死ぬって思った時は、素直に逃げた方がいい。何せ自分の命はたった一つしかねぇんだ」

「はあ……」

「俺は実際、そうやって生き延びた」

 

 別にお嬢ちゃん呼ばわりや、コネ呼ばわりは気にならないのですが……。

 

 上官の命令に従うつもりがないって発言は、かなり気になりますね。

 

 いざという時に言う事を聞いてもらえないと困ります。

 

 どう注意したものかと、頭を悩ませていたら……。

 

「そこまでにしろ、この阿呆たれが!」

「────痛ェ!?」

 

 唐突に割り込んできた男が、兵士を殴り飛ばしてしまいました。

 

 自慢していた兵士の歯が飛んで、土に血飛沫が散ります。

 

「な、な、な。何しやがる!」

「黙って聞いていれば、何たる臆病者か!」

「よくもやりやがったな!」

「命が惜しいなら今すぐ失せろ、邪魔だ!」

 

 殴り掛かってきたのは30代の、顔の怖い軍人さんでした。

 

 どことなくガーバック小隊長を思い出す風貌の男です。

 

「いきなり殴りかかってきてなんたる言い草だ!」

「民の期待を背負って軍に属する人間が、自己を優先するな鼠根(そこん)者!」

「ンだとぉ!」

 

 殴られた兵士は、顔を真っ赤にして起き上がりました。

 

 しかし怖い軍人さんの方も、引く気配はありません。

 

「お前に言われる筋合いはねぇよ!」

「貴様のような男が居たら士気が下がるわ!」

 

 激高した二人は取っ組み合い、喧嘩を始めてしまいました。

 

 自分は突然の事態に、口を挟むタイミングを失ってしまいました。

 

「死ぬのが分かってて命令守るヤツは勇敢かもしれねぇが。同時にアホだよ、脳みそのないアホ!」

「お国が窮地に陥っているというのに、命を惜しむとは何たる惰弱! 情けなさ過ぎる、教育してやる!」

「お前がアホなのは知ったこっちゃないが、俺を巻き込むんじゃねぇ」

 

 さて、どうしたものでしょうか。

 

 周りの兵士は興味がなさそうだったり、野次馬を決め込んでいたりです。

 

 喧嘩を止められるのは自分だけ、ですか。

 

「おい、マジで殴り合ってるぞ。誰か中隊長呼んで来い」

「そうだな。そこの衛生兵、中隊長殿に報告をお願いできるか。この先のテントにいらっしゃるはずだ」

「はあ」

 

 自分は野次馬の一人に、中隊長を呼んで来いと命令されました。

 

 つまり、中隊長が収めねばならない案件ということ。

 

「あの。落ち着いてください二人とも」

「嬢ちゃんは引っ込んでろ!」

「痛っ」

 

 恐る恐る二人の間に入ろうとしたら、巻き込まれて肘鉄を貰いました。

 

 自分の体格で、喧嘩に割って入るのは無謀でしたね。

 

「大丈夫か、衛生兵。迂闊に近づくから」

「すみません」

 

 しかし、無いものをねだっても仕方ありません。

 

 自分のフィジカルで場を収められないなら、部下に任せればいいのです。

 

「どなたかメイヴさんを呼んできてくれますか。彼なら喧嘩を止めてくれそうです」

「いや、だから中隊長を呼んだ方が良い。小隊長同士の喧嘩だし、上の立場の人に収めて貰わないと」

「自分が中隊長ですので、それには及びません」

 

 自分は野次馬の一人に階級章を突き出し、上官アピールしました。

 

 えっ、と兵士の顔が硬直しました。

 

 あとで聞くと、少尉の階級章が赤十字腕章の陰になって、見えにくかったみたいですね。

 

「おい二人とも、今突き飛ばしたの少尉殿だ!」

「はぁ?」

 

 その兵士の叫びを聞いて、二人は喧嘩を止めました。

 

 自分は無表情のまま、階級章を引っ張って見せつけます。

 

 成る程。最初から上官アピールすればよかったのですか。

 

「中隊長殿を見ろ、殴られてちょっと涙目だぞ!」

「結構、痛そうな顔だったぞ」

「別に泣いてませんが」

 

 涙嚢付近を殴られたから、生理的な反応として涙液が出ただけです。

 

 泣いたわけではありません。

 

「えっ。その娘、この中隊の派遣衛生兵じゃねぇの??」

「何かのジョークか?」

「確かに中隊長はかなり若いって聞いたが……女の子?」

「流石に幼くないか? 大丈夫か?」

 

 ざわざわ、と周囲に動揺が広がりました。

 

 階級章を見せてなお、自分が中隊長なのか半信半疑の様です。

 

「本当に、貴殿が中隊長殿であられますか」

「はい」

「女がどうやって中隊長に……?」

「まぁ、その色々とありまして」

 

 二人は喧嘩を止め、自分を凝視しています。

 

 ……それは、あまり好意的な反応には見えません。

 

 戸惑いと不信を感じます。

 

「間違いなく、自分は中隊長ですよ」

「ええ……」

「喧嘩の処分に関しては追って行います。お二方は入隊式の後、自分のテントへ出頭してください」

「りょ、了解した」

 

 自分はそう伝えながら、右頬に手を当てて治療しました。

 

 この、命令違反を自己申告した兵士はどう処分しましょうか。

 

 軍規に照らすと……敵前逃亡で死刑なんですが。

 

 西部戦線からの生き残りである彼を処刑する余裕が、オースティンにあるとは思えません。

 

 今日のところは厳重注意にとどめ、上の判断を仰ぐとしましょう。

 

「【癒】」

「お、お。やっぱり衛生兵、なんですか?」

「はい、以前は衛生兵として働いておりました。とある事情で、皆様を指揮する立場に配属された次第です」

「衛生兵が歩兵指揮官に? 妙ですな……」

 

 顔が怖そうな小隊長は敬礼を崩さぬまま、疑うように自分を凝視し続けます。

 

 普通に考えてあり得ない人事ですしね。

 

「先日、たまたま戦功を挙げまして。信賞必罰の精神に則り、昇進致しました」

「ほう、少尉殿はどのような戦功を? 宜しければお聞かせ願えますか」

「ええ。奇襲してきた敵の背後に居ましたので、脅かしたのですよ。『幸運』だっただけです」

「幸運?」

 

 自分は運良く戦果を挙げただけ。

 

 そう、自分が中隊長になった経緯を説明したところ。

 

「……あっ!! もしかして少尉殿は、かつてヴェルディ少佐の部隊にいたという衛生兵でしょうか」

「へ? ええ、まぁ、確かに以前はヴェルディ中隊に所属しておりました」

「あのヴェルディマジックの時も、ですか?」

「ええ、まぁ」

 

 野次馬の一人が興奮して、自分に詰め寄ってきました。

 

 何事かと目を白黒させていたら、

 

「やっぱり!! 貴女はもしや『幸運運び(ラッキーキャリー)』では!?」

「本当だ、幸運運びだ」

「実在したんだ!」

「話に聞いた通りの、お人形さんみたいな衛生兵だ」

 

 にわかに周囲が色めき立って。

 

 『幸運運び』の名を謡い、割れんばかりの大歓声が上がりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、トウリ少尉。お前何やってんの?」

「握手会、です」

 

 これは、想定外でした。

 

 まさか『幸運運び(ラッキーキャリー)』の噂が、ここまで広まっていたとは。

 

「少尉! こっちに目線ください!」

「はあ」

 

 自分が『幸運運び』であると分かった瞬間、兵士が殺到して潰されそうになりました。

 

 そんなに人気だったんですか、幸運運び。

 

「ありがとうございます!」

「次の方、どうぞ」

「よろしくお願いします、中隊長殿! 恐縮ではありますが、御頭を撫でさせて頂けないでしょうか!」

「はあ」

 

 誰も彼も詰めよって、自分の体を触ったり髪の毛を抜こうとしたりと大変な事態になりました。

 

 このままだと圧殺されそうだったので、順番通り並ぶよう命令しました。

 

 そしたら、長蛇の列が出来ました。

 

「トウリ少尉殿。お守りに入れたいので、髪の毛を1本貰えないでしょうか」

「あの、そう言うのはちょっと」

「トウリ中隊長、抱きつき(ハグ)する許可を頂けませんか」

「すみませんが、ハグNGです」

 

 まるでアイドルの握手会です。

 

 いうほど自分にご利益はないと思うのですが。

 

「これがお前の思う指揮官の姿か?」

「そうは思いませんが……」

 

 ガヴェル曹長は自分と列に並ぶ兵士を呆れて眺めていました。

 

 まぁ挨拶回りにいった中隊長が握手会を開いていたら、そんな反応にもなりますか。

 

 ただ、

 

「こんなに縁起の良い中隊長はいねぇぜ」

「幸運の女神に率いられるなら、やる気が出るってもんだ」

「可愛らしい中隊長殿に万歳」

 

 想定とは違う方向ですが、部隊の士気は高まっていました。

 

 なのでもう、この方向で行ってしまおうかなと思いました。

 

「俺達は幸運中隊だ」

「彼女に率いてもらえたら安心だ」

 

 兵士たちの狂信っぷりが、宗教みを感じて少し不安ですけど。

 

 年下の若造と侮られ言うことを聞いて貰えないよりは、遥かにマシな状況でしょう。

 

「何で俺より統率できてるんだ……?」

「……」

 

 そんな兵士たちを見て、ガヴェル曹長はげんなりしていました。



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146話

「楽しんでいますか、ナウマンさん」

「お、中隊長殿」

 

 その日の晩。

 

 部隊結成祝いとして、各兵士にワインとお菓子が配られました。

 

「交ぜていただいてもいいですか?」

「ええ、もちろん。来てくれるとは」

「この小隊が、一番のんびり出来そうなので」

 

 ガヴェル曹長も、自らの増強小隊メンバーと席を囲んでいます。

 

 皆は久しぶりの酒に目を輝かせ、程よく盛り上がっている様子です。

 

「ナウマン工作小隊にようこそ」

「よろしくお願いします」

 

 ただ、自分が顔を出すとその盛り上がりが狂乱に変わります。

 

 酒が入り自制が外れたのか、全身を撫で回されそうになりました。

 

 そんなこんなで辟易していたら、ナウマン工作小隊はシックに大人な雰囲気で飲んでいたので、混ざりにいきました。

 

「少尉殿は、お酒はお持ちでないんですか」

「まだ飲める歳ではありませんので」

「おや、そうでしたか。少尉は風格がありますので、たまに年下だって忘れちまいますな」

 

 ナウマンさんは笑いながら自分を上座へ座らせると、自分の水筒と乾杯しました。

 

 工作小隊の面々は、ナウマンさんに倣って静かに飲んでいる様子。

 

 この席は居心地がいいですね。

 

「昼に喧嘩があったそうですが、どうなりました?」

「ああ、彼らには適正に処分を下すのみです」

「おぅおぅ、おっかない」

 

 殴り掛かった兵士には、口頭注意だけに留めました。

 

 喧嘩っ早いのは良くないですが、大きな罪を犯したわけではありません。

 

 問題は殴られた方、敵前逃亡疑惑のある兵士です。

 

「一人、作戦本部に呼び出されたみたいですが、どうなるんですかい」

「どうにもしませんよ」

 

 彼は作戦本部に呼び出され、尋問を受けました。

 

 そこで彼は、幼い自分を慮って「いざという時は逃げろ」という助言をしたと述べたそうです。

 

 敵前逃亡は「説得力を出すための作り話だ」とか。

 

 その供述を上層部は受け入れ、通常の罰則処分で済んだそうです。

 

「今のオースティンは、どんな兵士でも無駄にできないのです」

「なるほどですなぁ」

 

 そういう事にしないと、処刑しないといけなかったですからね。

 

 こんな苦しい言い訳が通ったあたり、作戦本部も処刑を回避したかったのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

「トウリ中隊長はサバト兵の奇襲を、輸送部隊だけで追い払ったのだとか」

「ええ。輜重兵の方々がよく戦ってくださいました」

「いや、実にお見事。その雄姿を見たかったものです」

 

 宴席では、ナウマン兵長は軽やかに自分を褒めました。 

 

 媚を売るような感じではなく、父親が娘を褒めるような感じです。

 

「どうです、大戦果を挙げた気持ちは。良い自慢になったんじゃないですか」

「いえ。もっと上手くできたんじゃないかという、後悔でいっぱいです」

「何とまぁ、向上心に溢れた人だ。我らの優秀な指揮官に乾杯」

「どうも」

 

 ……しかしただ誉めているだけではなく。

 

 ナウマン氏はさりげなく、自分の器を測っている気がしました。

 

 ベテランであれば、何となく指揮官の質が分かる筈です。

 

 彼はこの宴席で、自分が信用に足るかどうかを見ているのでしょう。

 

「当方は実に幸運ですよ。貴女の下で戦えるなんて、ね」

「……むしろ、貴方のようなベテランを配属できて幸運です」

「いやいや、またそんな」

 

 ナウマン兵長は瞳の奥を見透かすように、自分を真っすぐ見つめ笑っています。

 

 探りの入れ方が実に老獪、頼りになりそうな人です。

 

「ナウマンさんは、話しやすくて助かります」

「お、それはどういう意味でしょうかね」

「自分は見ての通り鉄面皮ですから。皆、遠慮がちにしか接してくれないのですよ」

 

 もう1つのナウマン兵長の特徴は、程よく気さくな点でしょう。

 

 思春期の少女────特に自分は不愛想なので、どうしても話しにくくなるものです。

 

 ナウマン氏は、距離感を掴むのが上手いですね。

 

「自分くらいの娘に話しかけるのに、気は使いませんか」

「いえいえ。私は上の娘が、ちょうど中隊長殿と同年代なのです」

「そうでしたか」

「思い出したら会いたくなってきた。早く戦争を終わらせ、故郷に帰りたいもんですな。頼みますよ中隊長殿」

「ええ、尽力するつもりです」

 

 ナウマン氏はワインを含みながら、優しい笑みを浮かべて娘自慢を始めました。

 

 戦場での娘自慢は縁起が悪いですが、ナウマン氏は気にする様子がありません。

 

 彼は自分を撫でに来ませんでしたし、迷信を気にしない人なのでしょう。

 

「やはり、娘さんは恋しいですか」

「そうですなぁ。娘に『行かないでパパ』と泣きつかれたのが、もう5年前」

「はい」

「そろそろ、気立ての良い美人に育っている筈です。会いたいなぁ」

 

 彼は小さな姉弟の写真を取り出すと、懐かしげにキスをしました。

 

 その写真はもう古く色あせていますが、大事にされ綺麗な状態でした。

 

「ああそうだ、中隊長殿。娘にプレゼントを贈る予定なのですが、何か助言はありますかね」

「プレゼントですか」

「酒保に、フラメールからの鹵獲品が流れてきてるみたいでして。工芸品やアクセサリーなど、送ってやろうと思うのです」

 

 ナウマンさんは家族を大切にしており、定期的に手紙やプレゼントをやり取りしているそうです。

 

 きっと、家では良いお父さん何でしょう。

 

「そうですね、フラメール人形などはどうでしょうか」

「人形ですか。……うーん、小隊長の歳で人形遊びなんてしますかね」

「自分はしますよ。人形遊び」

「……するんですか」

 

 芸の練習として、人形遊びは今でもたまにやります。

 

 戦争が終わったら癒者兼芸人になるつもりなので、研鑽に手は抜きません。

 

「お人形遊びしてる女の子が中隊長……」

「はい、中隊長です」

「い、いやぁ。可愛らしい所もあるんですねトウリ少尉」

「どうも」

 

 人形で遊ぶと宣言したら、ナウマン工作小隊の皆様に引かれました。

 

 そんなに変でしょうか、人形遊び。

 

「人形劇も馬鹿にしたものではないですよ」

「人形劇、ですか」

「よろしければ余興として、一席設けましょうか」

 

 工作兵たちが怪訝そうな顔をする中、自分は用意していた人形をカバンから取り出しました。

 

 自分はもともと、旅芸人として生計を立てていくつもりでした。

 

 かつては腹話術を使った人形劇で、孤児院の子を夢中にしたものです。

 

 本職プロのアルノマさんにも絶賛され、『絡繰り人形姫(メカドールプリンセス)』と恐れられました。

 

「に、人形劇かぁ」

「恐らく、期待の上を行く自信がありますよ」

 

 

 

 

 

「狐さんは言いました。十五夜に皮を剥かれ、串刺しにされて晒されたウサギが居て────」

「……はえー」

 

 やはり自分の人形劇は、大うけでした。

 

 宴会芸は数少ない、自分が『得意だ』と言えるスキルです。

 

 人形劇だけは、オースティンの誰にも引けを取りません。

 

「こいつは参ったなぁ。オジサンがやろうとしてたギター芸が霞んじまう」

「ふふん」

「トウリ少尉が、笑顔浮かべてる……」

「笑うんだな、少尉殿」

 

 宴会芸は偉大です。

 

 自分が人形劇を披露してから、ナウマン工作小隊の皆さんの態度が柔らかくなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 楽しかった宴会の、翌日。

 

「どうやら士気を上げるのが目的のプロパガンダ部隊らしい」

 

 自分達は朝一番から、模擬戦形式で訓練を行いました。

 

 まず最初に、現在の兵士の練度を確かめようとしたのです。

 

「遊撃中隊と名乗っているが、実情は予備戦力なのだとさ」

「ちぇ、緊張して損したぜ」

 

 我々は遊撃中隊、言ってみれば便利屋です。

 

 これからどんな作戦に駆り出されるか、想像も出来ません。

 

 多彩な任務に対応するため、高い訓練度が求められます。

 

 

「やーらーれーたー!」

 

 

 ……しかし現実は、そう甘くなく。

 

 補充された101名の兵士のうち、74名は徴兵されたての素人同然でした。

 

 何も訓練を施されないまま、補充速度を重視し採用されたようです。

 

「もう駄目だ、体が動かない」

「足が痛いよ、腕に力が入らないよ」

 

 部隊の大半が素人では、訓練になるはずがありません。

 

 初日の実戦訓練は、昼の間に兵士の大半が脱落してしまう酷い有様でした。

 

「では本日は午後から、体力訓練を行いましょう」

「は、はい……」

 

 このままでは作戦行動はおろか、訓練すらままなりません。

 

 なので実戦的な訓練は後回しにして、まずは体力面の強化を図る事にしました。

 

「ぷく……」

「我々はナウマンさん率いる工作小隊と合同で訓練です」

「ぷくぷー?」

「駄目です。貴女こそ体力をつけるべきです、アルギィ看護兵」

 

 自分とアルギィ看護兵は、ナウマン工作小隊の訓練に交ぜてもらいました。

 

 アルギィは男性恐怖症を言い訳にプクプク言ってましたが、強制参加して貰いました。

 

 訓練は生死に直結するので、サボると彼女が困るのです。

 

 ……なの、ですが。

 

「はい、ワンツー、ワンツー。こらお前ら、よそ見すんな」

「……」

 

 訓練中、彼女の胸が揺れる揺れる。

 

 艶やかなアルギィのトレーニング姿に、若い工作兵さん達は釘付けになっていました。

 

 性格に難がありますが、アルギィは物凄い美女なのです。

 

「ごくっ」

「ぷ……ぷくぷくぷくぷくぅ」

 

 彼女が汗をかきながら胸を揺らしトレーニングする姿は、かなり目に毒でした。

 

 アルギィが皆の前で訓練したがらない理由が分かりました。

 

「……ぷーくっ」

「あー、悪かったです。これからは二人で訓練しましょうか」

 

 見られる恐怖もあったのか、訓練が終わるころにアルギィは涙目になっていました。

 

 申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

「ぷくぷくぷく……」

「それは駄目です、体力訓練自体は必須です。アルギィさん自身の為にも」

「ぷえー」

 

 ですが中隊として行動する以上は、体力をつけないといけません。

 

 いざという時に逃げ出すだけの体力が無いと、死んでしまいます。

 

「ぷくぷくぷぅ」

「ええ、配慮はします」

「なぁ、トウリ小隊長」

 

 怒るアルギィを宥めすかして、何とか訓練を続けるように説得しました。

 

 他ならぬ彼女の為なので、頑張って頂かねばなりません。

 

「どうしました、ナウマン兵長」

「その娘が何言ってるのか分かるんですかい?」

「……」

 

 ナウマン氏は怪訝な顔で、自分とアルギィを見ました。

 

 そう言えばアルギィの言語は、初対面だと分かりませんよね。

 

「いえ、実はあんまり自分も分かってないです」

「ぷく!!?」

「何かこう、ボディランゲージで推測してる感じです」

「成程」

 

 意味は理解できませんが、アルギィの表情や態度から察する事は出来ます。

 

 アルギィは結構、分かりやすい性格をしているんですよね。

 

「あ、それと別にお耳に入れたいことが」

「何でしょうかナウマンさん」

「実はですね」

 

 ナウマンさんは周囲を軽く見渡した後。

 

 真面目な顔で、自分にある情報を耳打ちしてくれました。

 

 

 

 

 

 

 

「大変ですガヴェル曹長。兵士が真面目に訓練してくれません」

「そうだな。ドイツもコイツも身が入ってない」

 

 ナウマンさんに聞いた話によると。

 

 どうやら「トウリ遊撃中隊は実戦投入されない、プロパガンダ部隊である」と噂が流れているようです。

 

「プロパガンダの為だけに150人も遊ばせておく余裕なんざねーよ。誰だそんなデマを流したのは」

「自分の噂のせいでしょうか」

 

 幸運運び(ラッキーキャリー)の噂が、想定外に広まっていたのが原因でした。

 

 プロパガンダによる士気高揚のため、軍部は慰安イベントの為の遊撃部隊を新設したのだという噂です。

 

 それは、若く幼い自分が中隊長に選ばれた理由として、この上ない説得力を持っていました。

 

「その噂のせいで、『実戦に出ないなら訓練いらないじゃん』と思われているみたいですね」

「やっぱり俺が中隊長のままでよかったんじゃねぇか?」

「自分もそう思います」

 

 トウリ遊撃中隊は普通に実戦投入されると聞いています。

 

 その時に、訓練不足で死者が出たら目も当てられません。

 

「訓練をサボるヤツに、良い感じに罰を与えられないか」

「罰と言っても……」

 

 こういった時は、どうすればよいのでしょうか。

 

 自分には、訓練をサボらせないカリスマがありません。

 

 こういう時に相談に乗ってくれそうな人は……。

 

「知り合いに相談してみます」

「知り合いって、誰にだよ」

 

 自分の頭に思い浮かんだのは、ドールマン氏でした。

 

 彼は歩兵上がりの衛生兵で、その軍歴の長さは半生に及びます。

 

 タイミングを見て、顔を見せに行く予定でしたし。

 

「一応、当てはありますのでご安心ください」

「そうか」

 

 今日はもう遅いので、明日アポイントを取りましょう。

 

 ついでにケイルさんにも顔を見せて、無事を説明しておかねばなりません。

 

 そう考え、ガヴェル曹長との会議を終わろうとしたその折でした。

 

 

「あ、トウリ少尉。手紙が回ってきています」

「手紙ですか」

「ええ」

 

 中隊の見張り兵から、自分に宛てて一通の文を届けられました。

 

 その手紙の差出人を見ると……。

 

「お、おい。その手紙」

「ヴェルディ少佐からですね」

 

 見張り兵に手渡された手紙は、ヴェルディさんからでした。

 

 封筒にはヴェルディ少佐の捺印が施され、厳かな書体で『連絡状』と認められていました。

 

「何と書いているんだ?」

「明日、空いている時間に話がしたいと」

「む」

 

 ヴェルディ少佐は怪我から復帰され、仕事を再開しているようです。

 

 元気になったので、自分と話がしたいのだとか。

 

「すみませんが明日、ヴェルディ少佐の下へ行きます。訓練はお任せしてよろしいでしょうか」

「……俺はついて行かなくていいのか?」

「自分一人で来るよう書いてます」

「……」

 

 そういやガヴェル曹長、ヴェルディさんの大ファンでしたね。

 

 彼を英雄視しているんでした。

 

「……妬まないでくださいよ? おそらく内容は、取った作戦行動に対する質問などでしょう。指揮官である自分が呼ばれるのが筋です」

「妬んでないし」

「なら良いのですが」

 

 妬んでいないと言いつつ、ガヴェル曹長はジトーっと恨みがましそうな目で自分を見ていました。

 

 何かを疑っています、か?

 

「一応言っておきますが、自分とヴェルディ少佐の間には何もないですよ」

「何の話だよ」

「それを心配されているのかなと」

「してねーよ!!」

 

 ガヴェル曹長の顔は真っ赤でした。

 



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147話

「トウリ少尉です。要請に応じ、出頭いたしました」

「……ああ。よく来てくれたね、トウリ少尉」

 

 翌朝、自分はヴェルディさんのテントへ伺いました。

 

 話は通っていたようで、待たされることなく入れて貰えました。

 

「……」

「……?」

 

 テントの中のヴェルディさんは、まだ全快という感じではなさそうでした。

 

 肩に包帯が巻かれて、顔も青白く、目の下に隈がありました。

 

「おはよう、トウリ少尉。ご壮健ですか」

「は、はい。幸いにして、健康状態は良好です」

「そうですか」

 

 そして何故か、ヴェルディさんの口調は歯切れが悪く。

 

 目線を逸らしたり合わせたり、落ち着かない様子に見えました。

 

「その、自分を呼んだご用件をお伺いしてもよろしいですか……?」

「え、ええ、無論ですとも。今日、貴女を呼び出したのは他でもありません」

 

 彼はそういうと、一瞬黙り込んだ後。

 

 意を決したように顔をあげて、

 

「貴女に謝罪と、感謝を」

「謝罪と感謝、ですか?」

 

 そう言って、自分に頭を下げました。

 

「私は、先日の指揮で大きな失策を犯しました。知っての通り、ガス攻勢の件です」

「……ガス攻勢」

「私は、ガスによる味方への二次被害を恐れ、作戦人員を減らしました。どうせ敵が反撃してこないだろうと高をくくって」

 

 ヴェルディさんはそう言うと、唇を噛みしめて。

 

 まるで懺悔するかのような表情で、自分を見つめて話を続けました。

 

「愚の骨頂でした。その結果、サバト軍に防衛線を突破され大きな被害が出ました。オースティンの勝勢に水を差す、最悪の結果です。そのせいでリナリー通信兵も、命を落とす事になりました」

「……」

「貴女とリナリーの関係も聞いていました。新しい家族が出来たのだと、彼女が嬉しそうに報告してくれましたから。あの時のリナリーは、本当に幸せそうで」

「……っ」

 

 そう言うとヴェルディさんは目を伏せ、唇を噛みました。

 

 リナリー・ロウ。自分の義妹になるはずだった、ロドリー君の忘れ形見。

 

「私がきちんと、普通に指揮を執っていればリナリーは死なずに済んだでしょう」

「それは」

「すみません。私の失策です」

 

 彼女が死んだのは自分のミスであると、ヴェルディさんは謝ったのです。

 

 恐らく自分を、『リナリーの遺族』とみなして。

 

「逆に貴女の判断は素晴らしかった。状況を理解するやすぐサバト軍の後方を脅かし、敵エース級を撃破。非の打ちどころがありません」

「あの状況なら、殆どの指揮官は同じ行動をしたでしょう。ゴルスキィ……敵エースを討ち取れたのは、自分があのような戦果を挙げられたのは、『幸運』だっただけです」

「いえ。私があなたの立場だったとしたら、戦闘を避けたでしょうね。味方が撃たれる姿を指を咥えて見ていた筈です。上の許可なく戦端を開くべきではない、それが士官的には妥当な判断ですから」

 

 ヴェルディさんは顔を上げると、哀しそうな目でそう言いました。

 

 確かガヴェル曹長も、そう判断をしていましたっけ。

 

「戦闘勘と言うのでしょうか。あるいは貴女が言う様に幸運か。トウリ少尉はそういう物を持っているのだと思います」

「……」

「だからでしょうか……叔父上は貴女を、中隊長なんて立場に抜擢したのでしょう。申し訳ありません」

「あ、謝らないでください。非常に光栄だと感じています」

「アリア従姉上と生前、約束していたんですよ。貴女は優しいから、背負えば背負うだけ傷ついてしまう人間だと。トウリ少尉が一兵卒でいられるように守ってやるべきだと」

 

 そのヴェルディさんの言葉に、自分はハッと驚きました。

 

 アリアさんはそこまで、自分の事を気にかけてくれていたのですか。

 

「それでヴェルディさんも、自分の階級を下げようとしてくれていたのですね」

「ええ」

「……お気遣い、ありがとうございます」

 

 後で聞くと、自分の階級を下げる際にヴェルディさんはレンヴェル中佐と結構やりあったそうです。

 

 『身内の階級を下げるとは何事だ』と怒るレンヴェル中佐を宥め、ゴリ押しで衛生曹に降格させてくれたみたいです。

 

 自分が昇進を受け入れてしまったのは、ヴェルディさんの苦労を台無しにしてしまった形なのですね。

 

「せめて衛生部に戻せないかと、レィターリュ衛生部長の打診を受けて掛け合っているのですが」

「ありがとうございます。ですが、自分は歩兵のままで大丈夫です。もう敵を殺すことに躊躇いなどありません」

「そうですか」

 

 自分の発言を聞いて、ヴェルディさんは少し悲しそうな顔をしました。

 

 しかし彼はすぐに表情を引き締め、軽く咳払いした後、

 

「では、トウリ少尉には暫く遊撃中隊を率いて貰います。暫く訓練期間は設けますので、万全な準備をお願いします」

「了解です、少佐殿」

「最初は輸送任務などからでしょうが、侮ることなくやり遂げてください。決戦の際には、遊撃部隊として参戦していただくことになるでしょう。しっかり訓練をお願いします」

「分かりました」

 

 そう自分に命令を下しました。

 

 自分も敬礼を返し、ヴェルディさんを見上げます。

 

 ……そうだ、せっかく話が出たのでヴェルディさんにも相談してみましょう。

 

「ヴェルディ少佐、その訓練の件なのですが」

「どうしましたか、トウリ少尉」

「自分の容姿が幼いせいか、兵士達の間で『プロパガンダ部隊である』という噂が流れている様でして。そのせいで訓練を真面目にしない兵士が、一定数居るようです」

「……あ、ああ、成程。えーっと」

 

 訓練をサボられる件について相談すると、一瞬ヴェルディさんの目が泳ぎました。

 

 不審に思って見つめると、彼から何かを誤魔化そうとする欺瞞を感じました。

 

 ……あ、まさか。

 

「無論、そんな訳は無いので真面目に訓練していただくように。必要とあらば、専門の訓練教官を────」

「……あの、ヴェルディ少佐」

「何でしょう」

「本当にプロパガンダ部隊だったんですか」

「ぐっ……」

 

 もしやと思ってヴェルディさんの顔を覗き込むと、確かに動揺が見て取れました。

 

 ……プロパガンダ部隊だなんて、ただの噂話と思っていたのですが。

 

「あー、その、すみません。正直な話、貴女の遊撃中隊を編成する際に叔父上が『幸運運び(ラッキーキャリー)の名で士気を上げる』事をアピールポイントにしまして」

「はあ」

「プロパガンダの側面が有る事は事実です。しかし兵士達には実戦に出て貰う想定ですので、訓練はしっかりお願いしますよ」

 

 ヴェルディさんは曖昧な笑みを浮かべて、自分にそう伝えました。

 

 まぁ確かにあの噂をうまく使えば、良いプロパガンダになりますね。

 

「利用できるものは利用するのが軍です。兵士の士気は、馬鹿にできません。トウリちゃんは思う所があるかもしれませんが……」

「いえ、そういう事であれば不満はございません」

「それは良かった」

 

 自分の返答に、ヴェルディさんはホっとした顔で笑みを見せました。

 

 ……何となく、まだ何かを隠している気がします。

 

「プロパガンダの意味はあれど、自分達は実戦に出る想定ということでよろしいのですよね?」

「勿論です。兵士達には是非、実戦で実力を発揮していただきたい」

「そう、ですか」

 

 『兵士達には』実力を発揮していただきたい、ですか。

 

 少しだけ、その言い方が引っ掛かりました。

 

「では、あの」

「何ですか、これ以上は喋りませんよ」

「質問です、ヴェルディ少佐。実戦で運用される想定にしては、妙に新兵が多いのですけど」

「……まあ、最近は人材難でしてね」

 

 実戦を想定しているにしては、自分の中隊に新兵が多すぎるのです。

 

 昨日はまともな訓練にならないほど、素人が集められていました。

 

 ……ベテランは、とことん年配な人ばかり。

 

 まるで、新兵を指導するために配属されているような────

 

「もしかして自分の中隊は、プロパガンダを兼ねた訓練部隊だったりします?」

「おっと」

 

 自分の質問に、ヴェルディさんは言葉に詰まりました。

 

 数秒ほど気まずい沈黙が流れた後、ヴェルディさんがため息を吐きました。

 

「どうしてそう考えたのですか、トウリちゃん」

「実戦運用する想定ならばもう少し新兵と中堅、ベテランをバランスよく配属するでしょう。いくら何でも新兵の比率が高すぎます」

「……」

「実戦で使える中堅どころが殆どいなくて、新兵と体力の落ちているベテランばかり。オースティンが人材難だといえ、少し妙だと思っていたのです」

 

 そう、考えてみれば妙でした。

 

 経験が浅い指揮官には、ベテランが副官として付く筈です。

 

 しかし中隊長は従軍3年目の自分、副隊長は兵士1年目のガヴェル曹長。

 

 こんな未熟者コンビで実戦投入するなど、考えてみればあり得ません。

 

「素晴らしい頭の回転の速さですね、トウリ少尉。貴女がウチの家に生まれていたら、参謀将校のエースになっていたでしょう」

「誤魔化さないのですか」

「ええ、降参です。すみませんが私は、士官学校出じゃないトウリ少尉を実戦に参加させる気はありません。叔父上と喧嘩になりましたが、断固として却下しました」

 

 どうやらヴェルディさんは、最初から自分に実戦指揮をさせるつもりが無かったようです。

 

 幸運運び(ラッキーキャリー)の噂でプロパガンダしつつ、最前線で新兵教育を行うのが彼の目的。

 

 だからナウマンさんなど経験豊富なベテラン兵士を教官役として配置し、他は新兵や問題の多い中堅を割り当てたのだそうです。

 

 自分の下で訓練を積んだ兵士を、少しづつ前線に『配置換え』していく予定だったのだとか。

 

「最近オースティン軍は、新兵の質が落ちていまして。兵力が心もとないからこそ、焦らずしっかり訓練を積ませた方が良いと私が意見具申しました」

「成程」

「オースティンの人口はかなり少なくなっています。新兵を守るためにも、今までのように『徴兵して即実戦』なんてすべきではありません」

 

 ヴェルディさんから話を聞いて、色々と納得できました。

 

 彼は経験の乏しい新兵が実戦投入される事に問題提起し、訓練を積ませるための部隊を設立すべきだと主張したそうです。

 

 その方針は作戦本部で受け入れられ、試験的に『実戦投入せず、経験を積むことを目的とした部隊』の編制計画が進められていたのだとか。

 

 そんなタイミングで自分が功績を上げたものですから、『それなりに功績があり、プロパガンダにも使え、衛生兵だから治療も出来る』と指揮官に推挙されたそうです。

 

 ……成程。

 

「ヴェルディ少佐のお考えは、理解致しました。部下には実戦に耐えうるよう、訓練を積ませます」

「よろしくお願いします」

 

 この時自分は、少しガッカリしていました。

 

 せっかく敵を殺す決意を固めたのに、自分の部隊が実戦に投入されないと知ってしまったからです。

 

 しかし与えられた役割をこなす事こそ、軍人の務め。

 

 そう思って、しっかり敬礼を返しました。

 

「……不満げな顔をするんですね、貴女が」

「すみません、顔に出ていましたか」

「長い付き合いでないと分からないでしょうけど、確かに不満げでしたよ。ちょうどロドリー軍曹に冷たくあしらわれた時の顔をしていました」

「そんな顔はしていません」

 

 ヴェルディ少佐は苦笑してから、軽くジョークを飛ばした後。

 

 ふと真面目な顔になって、思い出したように話を続けました。

 

「これから我々はフラメール内地に斬り込みます。民衆を攻撃対象にして、敵の人口を削ぎます」

「……」

「貴女に、その役割について欲しくありません。……これは、私の勝手な感情です」

「そう、ですか」

 

 彼は反論を許さぬ口調で、きっぱりそう言いました。

 

 これからオースティンは、一般市民を対象に略奪と虐殺を繰り返し、フラメールの首都を目指します。

 

「市街地へのガス攻撃も検討しています。貴女に、その覚悟がありますか」

「市街地に、ガス攻撃を?」

「目の前で悶え苦しむフラメール市民に、銃弾を撃ち込む覚悟はありますか」

「そ、それは」

 

 ヴェルディさんの告げた作戦に、自分はグラリと衝撃を受けました。

 

 考えたら、オースティンがその作戦に行きつくのは当然の道理でしょう。

 

 兵数の少ないオースティンが、最も効率的に敵を殺す手段。

 

 それはガス攻撃に他なりません。

 

「できますか、トウリちゃんに」

「……それは。人道的な観点から、問題を感じました」

「ええ、確かに『人道に反している』と声高に反対する参謀もいました。ですが私は、ガス攻撃を提案し実行するつもりです」

 

 確かにそれは有効でしょう。

 

 民間人が、ガスに対する有効な反撃手段を持っているとは思えません。

 

 しかし、その方針はあまりにも……戦後に大きな軋轢を生むと思われます。

 

「トウリちゃんは反対ですか」

「……ガス攻撃には様々なリスクが伴います。例えば急に風向きが変わったり、敵が『風銃』を持つ兵を伏せていたり」

「それはまぁ確かに」

「それに戦後の処理……民間感情に悪影響を及ぼすでしょう。あまりに人道から外れる作戦は、推奨されないかと」

「そうですか。一つの意見として受け止めておきましょう」

 

 自分の意見にヴェルディさんは、少し寂しそうな顔をしました。

 

 効果面だけ考えれば有効かもしれませんが、戦後の影響を考えると賛成しづらいです。

 

「……安心してください、トウリちゃん。この方針は反対が多すぎるので、恐らく却下されます」

「そうなのですか?」

「ええ。先日の会議で『そんな非人道的な作戦なんてとんでもない』と、大反対されたのですよ」

 

 どうやらオースティンには、まだ良識を持った参謀が残っているようでした。

 

 確かに、現状を考えるとオースティンに手段を選ぶ余裕なんて無いのでしょうけど。

 

 ガス兵器による市街地攻撃は、絶対に避けた方がいい……と自分は思います。

 

「ふふ、やはりトウリちゃんは優しいですね。殺したいほど敵が憎いのではなかったんですか」

「それは」

「私はトウリちゃんに、そんな事を求めません。新人を教育して、死なないよう鍛えてあげてください」

 

 ヴェルディさんは葛藤する自分を見て、優しい顔になりました。

 

 ……自分は優しいのではなく、歴史を知っているからガス攻撃に反対しているだけですけど。

 

「これからもオースティンは、悪辣な手段を取っていくでしょう」

「……」

「悪魔の誹りは、私が背負います。トウリちゃんは、どうか変わらないでください」

 

 ヴェルディさんはそう言った後。

 

 優しく目を細めて、自分に微笑みかけました。

 

「まぁ、実際どんな手段で侵攻するかはまだ分からないのですけどね。人道的な侵略なんて、存在しないはずですし」

「それは、確かに」

「恐らくは、ベルン少佐が責任を持って何かしら提案してくれるでしょう」

「ベルン少佐、ですか」

 

 ヴェルディさんはそう呟いた後、少しだけ卑屈な顔になって、

 

「何せ、私のガス攻撃案に『人道に配慮しろ』と猛反対しているのがベルン少佐ですので」

「は?」

 

 この世で最も『人道』という言葉から遠い男が、会議で寝言を抜かしていると教えてくれました。

 

 



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148話

 

 結局中隊長とは名ばかりで、自分は新人の訓練を任されただけでした。

 

 『幸運運び』の噂に乗っかった、プロパガンダの神輿だったのです。

 

 ただ士官教育を受けていない人間に、指揮を執らせられないという意見は納得です。

 

 書類仕事すらガヴェル曹長におんぶ抱っこされている自分が、実戦指揮などこなせるはずがありません。

 

 

 それに、新人訓練はとても大切な仕事です。

 

 治療体制を整えるより、そもそも負傷しないよう訓練する方が効率的。

 

 そう言う意味で自分の役目は、今まで通り『命を救う事』でした。

 

 

 兵士達のモチベーションを保ちながら、適切な訓練を積ませていく。

 

 これは決して簡単な仕事ではありません。

 

 自分はしばらく、この難しい課題と向き合うことになりました。

 

 

 

 

 

「前向けー前!」

「イエッサー!」

 

 朝焼けの空の下、ベースキャンプの傍ら。

 

 トウリ遊撃中隊150名は、欠伸を噛み殺して整列していました。

 

「フラメールの屑どもを撃ち殺すのは誰だ!」

「「我々です! サー!」」

「エイリスの豚を地中に埋めるのは誰だ!」

「「我々です、サー!」」

「よろしい、それが出来るか試してやる。まずスクワットトレーニングを2分間、開始!」

「「イエッサー!!」」

 

 彼らは号令と共に大きな声を張り上げ、その場でスクワットを始めました。

 

 野太い声と共に、雄々しい男たちの筋肉が躍動します。

 

「動きが遅い! 貴様やる気あるのか!」

「申し訳ありません、サー!!」

「何だそのへっぴり腰は! そんなケツじゃ犬も食いつかんぞ!」

「はい、気を付けます、サー!!」

「……」

 

 その中央には髭モジャの巨漢……いかつい顔のメイヴ輜重兵長が立っていました。

 

 彼は真っ黒な警棒を片手に、獰猛な笑みを浮かべて新兵を威嚇していました。

 

「次、その場で腕立て伏せ2分間! おい貴様、もっと低く構えろ!」

「サー、イエッサー!」

「貴様、腰を高く上げ過ぎだ!! 臭ェケツで俺を誘ってるのか、クソ野郎!」

「すみません、サー!」

 

 やはり訓練は、軍隊式の厳しい内容が良いでしょう。

 

 ただ自分やガヴェル曹長に、軍隊式教練が出来るとは思えません。

 

 そう考えた自分は、訓練教官をメイヴさんに依頼しました。

 

「メイヴさん、滅茶苦茶手慣れてますね」

「ぷー」

 

 訓練の質を高める為には、やはり教官が必要です。

 

 メイヴさんは見た目に圧があり経験も豊富なので、適任と言えました。

 

「というか、楽しそうですねメイヴさん」

「ぷっく!」

 

 教官役をお願いすると、メイヴさんは一度やってみたかったらしく快諾してくださいました。

 

 やる方は楽しいでしょうね、アレ。

 

「オラ声を出せ、1・2! 1・2!」

「「1・2! 1・2!」」

 

 ヴェルディさんは、しばらく訓練期間を設けると言っていました。

 

 なのでまずは、新兵たちに「訓練できるだけの体力」を手に入れて貰うつもりです。

 

「トウリ少尉も見てるぞ! 気を抜くなボンクラども!」

「サー・イエッサー!」

「頑張ってください」

 

 因みに自分は訓練に参加せず、訓練をサボっている人が居ないか見回る役目でした。

 

 自分も参加したかったのですが、「監督役が必要」と言われて丸め込まれました。

 

「ぷーっくっくっく」

「……」

 

 アルギィは『救護班』として、兵士たちが訓練する傍らで待機になりました。

 

 訓練に参加しなくていいと知ったアルギィは、それはもう嬉しそうでした。

 

「自分も参加したかったですね……」

「ぷーくすくす」

「せめて午後は、自分と二人でトレーニングしましょうねアルギィ」

「ぷく!!?」

 

 気楽そうなアルギィと対照的に、自分は死んだ魚のような目で訓練している新兵を見つめました。

 

 心地よい涼風の中、存分に汗を流せる彼らが羨ましいです。

 

「舐めているのか貴様ァ!!」

「ぐわぁ!」

「あ、負傷者」

 

 午前中は、負傷者が1名だけでした。

 

 手を抜いて訓練しているのがメイヴ兵長にバレて、ぶん殴られた兵士です。

 

「痛ェ……歯が折れたァ」

「アルギィ、仕事ですよ」

「ぷえ」

「いや、働いてくださいよ」

 

 アルギィに負傷兵の治療を勧めましたが、そっぽを向いて寝転んでしまいました。

 

 とことん働く気がありませんね、この看護兵。

 

「……では兵士さん、こちらにいらしてください」

「おお、傷が治っていく」

 

 相変わらずメイヴさんは手加減が下手で、結構重傷でした。

 

 回復魔法も万能じゃないので、上手く加減してほしいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうしてトウリ遊撃中隊は、訓練漬けの日々を送ることとなりました。

 

 その後『物資輸送任務』や『無人地域の占領』など安全な任務をこなしつつ、訓練度が一定水準に達した兵士から転属させる運びだそうです。

 

 自分たち以外にも『訓練部隊』は存在しているようで、全てヴェルディさんの指揮下に置かれているのだとか。

 

 とうとうオースティンも、新人教育に力を入れ始めたのです。

 

「もうすぐアンリ大佐が大きな作戦を発令するらしいぞ」

「また、戦闘が始まるのか」

 

 そんな中。

 

 アンリ大佐が率いる南軍が、慌ただしく基地内を駆け回り始めました。

 

 それを見て兵士達は、また大規模作戦が始まるのだと噂しました。

 

「俺達も駆り出されるのかねぇ」

「まさか、プロパガンダ部隊だぞ俺達は」

「それが噂によると、俺達も投入される可能性が十分にあるらしい」

「マジかよ」

 

 自分もアンリ大佐が何をするのか聞かされていません。

 

 何となく『ベルンが何かやるのだ』くらいに思っていました。

 

 

 そして、秋の終わりごろ。

 

 ついにオースティン軍が、フラメール首都パリスに向け内地侵攻を再開しました。

 

 鉱山には自分達レンヴェル中佐派が駐留し、戦線を維持します。

 

 その間にアンリ大佐とベルンが指揮を執り、フラメール国内を占領していく予定だそうです。

 

 レンヴェル中佐もガス攻撃を軸にした安価な侵略作戦を提案しましたが、会議で通らずお留守番になったそうです。

 

 

 

 そもそも今までサバト相手に勝ち続けたのは、ベルン率いるオースティン南軍でした。

 

 エースの大半を失った中央軍と異なり、南軍には未だエース級が何人も生き残っています。

 

 【盾】の職人『ザーフクァ曹長』に剛剣の突撃兵『ライデルト軍曹』、死神『レィターリュ衛生少尉』など、それはオースティンのオールスターとも言えました。

 

 一方で、中央軍のエースと呼べる人は、若き天才『ヴェルディ少佐』しかいません。

 

 単純な兵士数も、南軍3万人に対し中央軍は2万人と小勢です。

 

 兵力面でも人材面でも、我々の主力は彼ら南軍なのです。

 

 

 そんな南軍をまとめ上げるベルン・ヴァロウは当代随一の怪物。

 

 フラメール内地に攻め込むとして、南軍以上の部隊は望めません。

 

 鉱山戦線でお留守番を言い渡されたレンヴェル中佐は、悔しがったそうです。

 

 オースティン南軍なら、苦も無く首都パリスを占領してしまうだろうと。

 

 そしてパリスが占領されれば戦争が終わると、悟っていたからです。

 

 その最後の決戦に参加できないのは、武官として不本意なのでしょう。

 

 

 

 そして季節が冬に入るころ、オースティン軍の侵攻が始まりました。

 

 冬を待って作戦を開始した理由は、いくつかあります。

 

 まずサバトからの援助物資が届くのを待っていたのが一つ。

 

 現サバト政府は援軍こそ拒否しましたが、その代わり物資支援は行ってくれたのです。

 

 革命からおよそ1年たって、大分サバトの情勢は落ち着きつつありました。

 

 食料は不足していますが、戦闘が減って武器弾薬に余裕が出つつありました。

 

 その余った軍事物資や一部嗜好品を、せめてもの誠意として用意して来たようです。

 

 

 次にフラメールは、冬であっても温暖でした。

 

 サバトでは冬に入るとほぼ行動が出来なくなりましたが、フラメールは進軍できる気温だったのです。

 

 そして何より、収穫期が終わっているのでフラメールの各村に食料が備蓄されていること。

 

 秋になるとフラメールでは小麦の収穫が行われます。

 

 その直後を狙って略奪を行えば、食料を現地調達しながら首都を目指せるのです。

 

 

 一方、農民は備蓄を奪われると、飢え死ぬしかありません。

 

 オースティン軍襲来の報を受け、フラメール村落は命懸けで抵抗する意思を見せました。

 

 フラメール政府は『国民皆兵士』とスローガンを掲げ、村単位で決死の抵抗を行うよう呼びかけました。

 

 窮鼠猫を噛むと言います。命懸けで抵抗してくる相手は、農民と言えど油断はできません。

 

 オースティンは戦争を続けるために、いくつも村落を攻め落とし続ける必要があります。

 

 そんな中『人道的な観点』からガス攻撃に反対したベルン・ヴァロウが、どのような侵略を行ったのかと言えば……。

 

 

 

 彼は『食料と酒』を手に持って、話し合いにより降伏させたのです。

 

 耳を疑いましたがベルンは略奪を行わず、説得により無血占領したのです。

 

 うっかり悪いものでも食べたのか、はたまた善の心に目覚めたのか。

 

 そもそも、略奪を行わずに進軍できる食料がどこに有ったのか。

 

 その真相は、

 

 

 

 

「さあ、撃つんだ」

 

 彼は村落を偵察し、抵抗の意思が強いか弱いかを調べたのです。

 

「あの村の連中は、君たちと違って我々の差し伸べた手を振り払った」

「君たちならば仲間の振りをして、彼らに近づける筈だ」

「どうか平和的解決の為に、君たちの力を貸してほしい」

 

 ベルンの選んだ戦略は、いたってシンプルでした。

 

 『武装していない』村落は、皆殺しにして物資を奪い。

 

 『武装している』村落は、略奪した物資を餌に恭順を誓わせました。

 

「オースティンは君たちの味方だ。君たちも、オースティンの味方なのだろう?」

「あの村の連中は敵だ。我々との殺し合いを、自ら望んだのだ」

「さあ、任せたぞ。君たちがあの村の人間を殺すんだ────」

 

 抵抗の意思が強い農民こそ、優しく接して取り込んだのです。

 

 武装して死ぬ覚悟を固めた農民も、オースティン側から優しく諭されたら屈するほかありません。

 

 彼らは死にたくない、家族を守りたいから武器を手に取ったのです。

 

 降伏すれば略奪されず命が助かるなら、彼らは従順に村を明け渡しました。

 

 

 オースティン軍は約束を守り、村人に手出しをしませんでした。

 

 フラメール語を話せるものが通訳を行いながら、共に酒を酌み交わしたそうです。

 

 農民は自分達を守ってくれないフラメール政府に反感を抱き、同時にオースティンの対応に感謝しました。

 

 一方オースティンが彼らに求めたのは、一つだけです。

 

 それは村の若い男を、『民間協力兵』として軍に追従させる事でした。

 

 

「よくやった、見事な手際だ。我々の敵は、葬り去られた」

 

 

 民間協力兵とは、要は民兵です。

 

 ベルンは『フラメール農民部隊』を、オースティン軍に組み込んだのです。

 

 彼らの武装は自前ですし、食料は彼ら自身の備蓄で賄えるのでオースティンの懐は痛みません。

 

 更に従軍した民間協力兵は、オースティンに逆うことが出来ませんでした。

 

 彼らが村に残してきた妻子が、人質になっていたからです。

 

「おめでとう、よく敵を殺してくれた」

「これで君たちは我らオースティンの同胞だ」

「ようこそ、オースティンへ」 

 

 ベルンは実に狡猾に、フラメール村民を洗脳しました。

 

 彼は民間協力兵に積極的に、近隣村落を襲わせたのです。

 

 家族を人質に取り、フラメールの同胞を殺させることで、裏切らないよう縛りました。

 

 同じフラメール村落から略奪を行った彼らは、今後オースティン派として振舞うしかありません。

 

 こうして民間協力兵は、侵略の尖兵として各地で略奪を繰り返しました。

 

 その間に出た戦死者は、殆どフラメール民間協力兵だけでした。

 

 民間協力兵は、進軍するたびに数を増やしていきます。

 

 兵力の乏しいオースティンにとって、民兵は何にも代えがたい存在です。

 

 ベルンは貴重な兵力を、敵地で補充してしまったのです。

 

 

 また民間協力兵は、次の村落の説得に役に立ちました。

 

 民兵が生きているという事実こそ、『降伏すれば生きられる』証拠になったからです。

 

 民間協力兵は皆、フラメール語で口をそろえてオースティンを褒め讃えました。

 

 そんな彼らに説得され、村落は次々に降伏しました。

 

 こうしてオースティン軍は殆ど被害を出さず、首都パリスの目前へ迫ったのです。

 

 

 フラメール政府は、この戦略に打つ手がありませんでした。

 

 今の彼らには、地方村落を守るだけの余力がないからです。

 

 連合側は首都パリスで決戦すると考え、強大な防衛陣地を建設していました。

 

 辺境村は見捨て、無駄に弾薬を消費してくれるなら有難いと考えていたようです。

 

 まさか、辺境村が降伏し敵に回るとは思わなかったでしょう。

 

 

 この時点で、戦争の大局はほぼ決していました。

 

 ベルン・ヴァロウは抜け目なく、フラメールを「詰ませ」ていったのです。

 

 彼はこの時恐らく、オースティンの勝利が揺るがないと考ていたのでしょう。

 

 親オースティン派の村落を作っておくなどは、明らかに戦後を見据えた行動です。

 

 またベルンはコソコソと、進軍中にフラメールの反政府組織と連絡を取ろうとした痕跡もありました。

 

 恐らくサバト革命の様な絵を、フラメールにも描こうとしていたのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 ですが、全てが思い通りに動く事などありません。

 

 シルフ・ノーヴァに呼応してベルン・ヴァロウが頭角を現したように。

 

 混乱に乗じてレミ・ウリャコフがサバト政権を転覆させたように。

 

 いつだって時代の転換期には、時代の波を乗りこなす『英雄』が彗星のごとく現れるのです。

 

 

 

 この年の暮れ、もう一人。

 

 ベルンやシルフに匹敵する、『最後の』時代の寵児が表舞台に立ちました。

 

 

 ただ彼は、軍事的才能に溢れた人間ではありません。

 

 彼はただ歌や演技が上手いだけの、劇団上がりの美男子です。

 

 そして、かつては自分の『仲間』であった人でした。

 

 

 後の世の人は、彼の生きざまを聞いてこう形容するでしょう。

 

 彼こそフラメールにとっての主人公(ヒーロー)だと。

 

 幼少期から体が強く、喧嘩は負けを知らなかったそうです。

 

 頭脳も明晰で、地元で有名な大学をトップの成績で卒業しました。

 

 しかも容姿は端麗で演技の才能に溢れ、劇団に所属しスターに上り詰めました。

 

 彼が「やろう」と思って、出来なかったことなど一つもなかったそうです。

 

 そのような成功体験を積み重ね、彼は自分を「この世界の主人公」だと信じて疑わなくなりました。

 

 彼の行動原理は、いつだってシンプルです。

 

 その行動が物語の主人公にふさわしいか、ふさわしくないか。

 

 ただそれだけです。

 

 

 彼はどんなに危険だろうと、「それが主人公の取るべき行動ならば」迷わず実行に移す胆力がありました。

 

 彼は決して個人の損得で動かず、常に舞台に立つ主人公として動き続けたのです。

 

 だから彼が「英雄」と呼ばれるようになったのは、偶然ではなく必然だったのかもしれません。

 

 

「オースティンの悪魔が来る」

 

 

 その男は自らの住む村にオースティン軍が迫ってきた時。

 

 周辺を駆け回って演説を行い、民衆をまとめ上げました。

 

 

「同胞よ。フラメールの熱き魂をもった仲間たちよ。いざ、我々が立ちあがる日が来た」

 

 

 彼の声は雄々しく美しく、麻薬のように甘く民衆の脳裏に響きました。

 

 その美貌は誰もの目を引き見惚れさせ、怯える村人たちを鼓舞しました。

 

 

「私が先陣を切る。私が死なず、敵を屠るその姿を見てくれ」

 

 

 アルノマ・ディスケンス。

 

 彼は元々、人気劇団のスター俳優だった優しい人物で。

 

 曲がったことが大嫌いな、激しい正義感の強い人物でした。

 

 

 当時の自分は、アルノマさんが立ち上がったことなど知る由もありませんでした。

 

 優しく、気配りが出来て、恰好の良い男アルノマ。

 

 トウリ衛生小隊で、ともに兵士を癒した外国籍の戦友。

 

 フラメールの参戦により監禁された、可哀そうな部下。

 

 彼について自分が知っているのは、これだけでした。

 

 

 彼はオースティン軍を追放された後、幼い女の子(自分)を囮に使ったオースティン軍に失望したそうです。

 

 一方でフラメール軍の火事場泥棒のような侵略にも呆れ、怒りを抱いていました。

 

 彼はオースティン側で従軍していたため、いかにフラメール・エイリス連合が悪意あるタイミングで宣戦布告したか知っていたからです。

 

 だからアルノマさんは自国軍に志願せず、故郷に戻って平穏な日々を過ごしました。

 

 彼は癒者を行いながら、時折演劇を魅せる「名物男」になっていたそうです。

 

 

 そんな彼が立ち上がったのはオースティンによる民間人虐殺、略奪が横行していると知った時でした。

 

『オースティンに同情したから力を貸したのに、オースティン軍もサバト軍と同じではないか』

 

 フラメール領土内で暴れるオースティン軍を、主人公(アルノマ)は見過ごしておけません。

 

 彼は烈火のごとく怒り、自らのカリスマで義勇軍を立ち上げました。

 

 義勇軍は猟銃や農具を武器に、侵略してきたオースティン軍と真っ向から対峙したのです。

 

 

 ここで一つのカギになったのは、アルノマさんはオースティン軍に従軍した経験があった事です。

 

 彼は近代的な塹壕戦術を、ある程度理解していました。

 

 だから義勇軍にしては、かなり強固な防衛陣地を作成することが出来たのです。

 

 

 更にアルノマさんは、人を従わせる魅力……カリスマ性を持っていました。

 

 それは指揮官として、これ以上ない適性です。

 

 彼のカリスマは、かのレミ・ウリャコフに匹敵するレベルと言われました。

 

 農民たちはアルノマの言葉に熱狂し、命を捨てて戦いに赴く決意を固めます。

 

 この英雄アルノマの勇敢な行動は、フラメールの運命を大きく揺れ動かしました。

 

 

 オースティンが生んだ、人の心を知らぬ『怪物』ベルン・ヴァロウ。

 

 サバトが生んだ、血の道を歩む『天才』シルフ・ノーヴァ。

 

 そして数奇な世界の運命に翻弄される『主人公』アルノマ・ディスケンス。

 

 3人の運命が、いよいよ交わろうとしていました。

 



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149話

 

「トウリ少尉。少しお話が」

「何でしょうか」

 

 前線で何が起きているかなど知らされぬまま。

 

 自分達トウリ遊撃中隊は、日々訓練にいそしんでおりました。

 

「少し内密の話が有ります。人払いしていただけないでしょうか」

「分かりました、では自分の個人テントにお越しください」

「了解しました」

 

 自分達レンヴェル中佐派の軍人は、今まで通り鉱山戦線の維持を。

 

 ベルン率いるアンリ大佐派の人間は、フラメール奥深くへ侵攻を。

 

 兵士達に知らされていた戦況は、そんな感じでした。

 

「ここなら大丈夫でしょう。して、お話とは何でしょうか」

「実は、その件なのですが」

 

 鉱山戦線は、平和でした。

 

 小競り合いはあれど大きな戦闘なく、睨み合いが続いていました。

 

 敵は中途半端に塹壕を確保しても、ガスで一掃されてしまうだけです。

 

 ガス対策が出来ない限りは手を出してこないでしょう。

 

 こちらも鉱山内に侵攻しようとすると、大きな被害が予想されます。

 

 味方が内地に切り込んでいる今、賭けに出るような作戦はとれません。

 

 お互い、千日手のような状況に陥っていました。

 

「トウリ少尉」

「はい」

 

 持久戦は、オースティンにとって望ましくありません。

 

 まだ国土も富んでいて、エイリスから援助もあるフラメールの方が有利なのです。

 

 鉱山戦線に固執すれば、ずっとにらみ合いが続いたでしょう。

 

 だからベルン・ヴァロウは、内地侵攻を決断しました。

 

 祖国の命運はベルン・ヴァロウに任せ、我々は鉱山戦線を死守するのみ。

 

 我々は、決戦のかやの外です。

 

 こんな戦況だからでしょうか。

 

「お慕いしております。どうか、俺と恋仲になってください」

「えっ」

 

 何だか自分の周囲に、ピンクな状況が発生するようになってしまいました。

 

 

 

 

 

 ロドリー君から捻くれた告白を受けた事を除けば。

 

 その兵士からの言葉が、自分にとって人生初めての告白でした。

 

「あ、その。まだそこまで言葉を交わしていなかったと記憶していますけど。どうしてそう言う話に?」

「メイヴ教官の訓練で負傷した後の、治療をしていただいた時に。一目惚れと言いますか、グラリと心を揺り動かされました」

 

 その兵士は少し顔を強張らせつつ、真摯にまっすぐ自分を見つめていました。

 

 罰ゲームとかで告白しに来た空気では無いですね。

 

「ではお答えします」

「はい」

「自分はつい先日、夫を失ったばかりでして」

「聞き及んでいます」

「だからその……ごめんなさい」

 

 少しだけ動揺しましたが、その兵士からの告白はお断りさせていただきました。

 

 自分はしばらく、ロドリー君に操を立てるつもりです。

 

 それに訓練部隊とはいえ中隊長として、少尉として部下と付き合う訳にはいきません。

 

「そうですか……」

 

 兵士は凄くしょんぼりとした顔をしていました。

 

 ちょっと罪悪感を覚えますが、今の自分が他人と交際するなんて想像もできません。

 

「自分などより素晴らしい女性はたくさんおります。どうか元気を出してください」

「はい、ありがとうございます」

 

 少しぎこちない空気になりつつ、自分は何とか笑顔を作って兵士を送り出しました。

 

 成程、そう言えば衛生兵は凄くモテると先輩方も言っていましたっけ。

 

 女性衛生兵に治療されると、コロリといってしまう兵士が凄く多いそうです。

 

 一種のつり橋効果なのでしょうか。

 

「それでは俺はこれで、トウリ少尉殿。もし気が向いたらお声かけください」

「え、えぇ」

「……はぁ」

 

 兵士は小さくため息を吐いた後、自分に一礼し、

 

「失礼いたしました」

 

 そう言ってテントから立ち去ってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

「トウリ少尉。絶対に、絶対に幸せにしてみせます!」

「えぇっと」

 

 その兵士を皮切りに、しばらく自分に対する告白が相次ぎました。

 

 なんと1週間で4人の兵士から、想いを告げられたのです。

 

 おおよそ2日に1回のペースでです。

 

「す、すみません。その気持ちにはお答えできません」

「そんな!」

 

 どんな人でも人生に数回はモテ期が来るという噂ですが……。

 

 まさかこれがその、モテ期という奴でしょうか。

 

「どうしても、駄目ですか」

「……」

「……。分かりました、今は退きましょう。ですが俺は諦めません」

「は、はあ」

 

 にしてもどうして、こんな突然にモテ期が?

 

 確かに女性衛生兵はモテると良く聞きます。

 

 しかし自分は今まで、そういったアプローチを受けた事はありません。

 

 今までと今と、何が違うのでしょうか。

 

 自分でも気づかぬうちに、大人っぽく見られるようになった、とか?

 

「では失礼します」

「ええ、その、ハイ」

 

 確かに自分はもう17歳、この世界では結婚適齢期に入っている年齢です。

 

 15歳だった頃と17歳の違いは大きいのかもしれません。

 

 来年からはお酒が飲める歳です。

 

 まだまだ未熟者、自分は子供のつもりでしたが、いつの間にかレディに────

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや、中隊所属の女は誰でもそうなる」

「そうなんですか」

 

 連日の告白騒動に悩んだ自分は、ガヴェル曹長に相談する事にしました。

 

 最近モテて仕方がありません。どうしたら良いでしょうか。

 

「自分が衛生部にいた時は、こんなに告白されなかったのですが」

「野戦病院に居る時は色事(ソレ)どころじゃねーのよ。何時までも続く激痛、死ぬかもしれない恐怖、そう言うので頭一杯なわけ」

「成程」

「それに衛生部の連中、誰も彼も目が血走ってて怖いし。ちょっと空いた時間にお茶しようぜ、なんて誘える雰囲気じゃない」

「確かに……」

 

 言われてみれば衛生部でそういうお誘いされたらイラっとしますね。

 

 次の患者が列を成して待っているのに、お茶してる暇があるかと。

 

「中隊に所属すると、基本的にはずっと行動を共にするからな。どうせなら少ない休日だけ会える相手より、同じ中隊に恋人を作りたい」

「はい」

「となるとこの中隊に、選択肢はお前かプクプクしかねぇのよ」

 

 まぁ、それはそうですよね。

 

 自分は中隊の訓練を監督しているので、彼等と話す機会は結構多いです。

 

 成程、身近な女性の選択肢が少ないのが原因ですか。

 

「で、お前が男だとして。意思疎通が出来る女と出来ない女、どっち選ぶよ?」

「……あー」

「あのプクプク女が普通にしてりゃあ、人気も分かれるだろうけど。現状、まともに恋愛したけりゃお前一択なのよ」

 

 確かに。いくら美人であっても、今のアルギィさんを恋人にしたくありません。

 

 ……もしかして、アルギィさんがプクプクしてる理由って男避けの為でしょうか。

 

 だとしたら、色々と納得できる気がします。

 

「こうなるのが分かってたから、爺ちゃんはお前に縁談勧めたんだと思うぞ」

「一応、指輪とか買って既婚者アピールはしてるのですが」

「お前の場合、『幸運運び』の噂が広まってるからなぁ。お相手と死に別れているの、かなり有名だぞ」

「はぁ……」

 

 そうか、自分の夫(ロドリー)君が鬼籍に入っているのは周知の事実なんですね。

 

 それで皆、自分がフリーだと知っている訳ですか。

 

「困ってるみたいだな」

「それは、ハイ」

 

 ……こうも毎日告白されたら、流石に気疲れしてしまいます。

 

 正直な話、悩みの種ではあるのですが。

 

「じゃあ爺ちゃんに頼んで、前の縁談もう一回引っ張って来てやろうか」

「……」

「それも、気乗りしねぇのか」

「はい」

 

 だからと言って、良く知らない人と婚約するのは気が進みません。

 

 それは別にレンヴェルさんの親族になるのが嫌だという訳ではなく、

 

「自分はもうしばらく、彼に操を立てたいです」

「……そうか」

「それに告白されるのが面倒だから、なんて理由で縁談を進めたくありません。お相手に失礼過ぎます」

 

 自分の中のちょっとした拘り……。

 

 これは、意地のようなものです。

 

「あー、そうだな。少なくとも俺は別に気にしないぞ? 婚姻結ぶのも仕事の一つだし、それで怒る人は親族にいないと思う」

「それでも、です」

「そっか」

 

 自分が頑なな態度を示したので、ガヴェル曹長は少し残念そうな顔をしました。

 

「じゃ、もう受け入れるしかねぇ。フリーの女を口説きに行くなとは誰も言えん」

「そんなものですか」

「それか『お相手を作る気はありません』と全員の前で宣言するかだな」

「そうですね。それも視野に入れましょう」

 

 ガヴェル曹長はそこまで言うと、プイと顔を逸らして、

 

「のんきな悩みだぜ、まったく」

 

 愚痴るようにそう言い捨てました。

 

 

 

 

 

 

 

 確かにのんきな悩みです。

 

 オースティンは存亡をかけて戦っている真っ最中だというのに、『モテて困っている』なんて悩みを相談するのはちょっとまずかったでしょうか。

 

 ですが、恋愛経験の乏しい自分にとっては大きな悩みでした。

 

 出来るだけ傷付けず、穏便に振る方法とかはないのでしょうか。

 

 たかが色恋沙汰で、こんなに悩む事があろうとは。

 

 こういう時、頼りになりそうなのはレイリィさんですが……。

 

 彼女はベルン率いる南軍に追従しており、ここにはいないのです。

 

 こっちの衛生部は現在、ドールマンさんが取り仕切っています。

 

 人手が減ってお忙しいだろうドールマンさんに、こんな相談をするのは気が引けます。

 

 

「ぷくぷく……」

「……」

 

 

 そしていくら年上の女性とはいえアルギィ(コレ)に相談するのも間違っている気がします。

 

 大変失礼ながら、役に立つ答えが聞けるビジョンが浮かびません。

 

 何を話しかけても、プクプクという飛沫音しか返ってこないと思われます。

 

「ぷっく?」

「いえ、何でもありませんよ」

「ぷくー」

 

 自分は疑問符を浮かべるアルギィに苦笑を返し、溜息を吐きました。

 

 

 

 

 

 

「皆さん、こんばんは」

「おお、少尉殿」

 

 とりあえず、自分は恋人を作る気が無いことを皆さんに知ってもらいましょう。

 

 そうすれば兵士さんにも、余計な手間を掛けさせずに済むはずです。

 

 そう考えた自分は、訓練を終え食事をとっている兵士達に話しかけに行きました。

 

「こっちに顔を出すなんて珍しいですなぁ。どうかしましたか」

「ええ、少しご相談がありまして」

「ええ、ええ、承りましょう。このナウマンに何でも話してください」

 

 自分はまず、兵士達の中心人物ナウマン兵長に話しかけました。

 

 彼は結構なベテランでありながら、気さくで優しい人物です。

 

 メイヴさんと同様に、その豊富な経験を生かして指導する側に回って貰っています。

 

「実は……」

「ほほう?」

 

 自分はナウマン小隊と共にレーションを啜りながら、先程の悩みを伝えました。

 

 自分は恋人を作る気がないが、多くの兵士に想いを告げられて困っていること。

 

 それとなく、自分が恋人を求めていない旨を広めて欲しいこと。

 

「ははーん、成程。少尉殿は可愛らしくあらせられるから、そりゃあ人気でしょうな」

「……光栄なお言葉ですが、本当に困っているのです」

「はっはっは」

 

 ナウマンさんは自分の話を聞いて、声を上げて笑いました。

 

 何が面白いのかと首をかしげていたら、

 

「勘弁してやってください、少尉殿。……兵士達は、真剣なんです」

「真剣、ですか」

「ええ、真剣です。少尉殿、では少し例え話をしましょう」

 

 ナウマンさんはまるで諭すような顔になり、自分を真っすぐ見て話し始めました。

 

「少尉殿は片思いしている相手が居たとして。その相手はどうやら、誰とも付き合うつもりはないらしい。だから少尉殿は恋心を封じ込め、告白しなかった」

「はい」

「そしてその後。少尉殿は敵の奇襲を受け、致命傷を負ってしまった。地面に倒れ伏せ、後は死を待つばかり。そんな時、ふと片思いしていた相手の顔が浮かび上がってきた」

「……」

「そうなっても少尉殿は、後悔なさいませんか? 駄目でも良いから想いを告げておけばよかったと、未練は残しませんか?」

「それは……」

 

 ナウマンさんはニコニコと笑ったまま、自分の頭を撫でました。

 

「歩兵ってのは因果な商売です。いつ死んでもおかしくない、だから後悔したくない」

「……」

「少尉殿は大変かもしれませんが、兵士の真剣な想いに向き合って、振ってやってくださいませんか。それだけで、死ぬ間際の気持ちが全然違いましょう」

 

 そう言われると、確かにそうかもしれません。

 

 自分がロドリー君の最期に会えず、言葉を交わせていなかったら……きっと後悔していたと思います。

 

「貴方のおっしゃる通りです、ナウマン兵長。ではそのようにします」

「あんまりしつこい場合は小官から注意しますので、ご相談ください」

「ありがとうございます」

 

 自分の答えに、ナウマン兵長は満足げに頷きました。

 

 流石はベテランと言うべきか、とても参考になる意見でした。

 

「オジサン的には、少尉殿が娘と重なるので誰とも付き合ってほしくないですけどね。あー、戦場から帰った時、もう結婚とかしてるんだろうか」

「結婚していたら、祝ってあげましょうよ」

「いやだいやだ、帰ってもしばらくお父さんっ娘で居て欲しい。娘が……アンナが結婚してるなんて……ウォエ!」

 

 その後ナウマンさんはいつものように家族自慢を始め、娘が結婚する様子を妄想し吐いていました。

 

 相変わらず、愉快な人です。



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150話

 

 兵士は嗜好品が欲しくなった時、どこで購入するのでしょうか。

 

 実は軍の駐屯地には、酒保という場所が設置されています。

 

 酒保とはいわゆる物販スペースで、嗜好品だけでなく家族に送る手紙や封筒、付近の特産品など様々なものが売られています。

 

 そして酒保は物販だけでなく、「性風俗」……えっちなお店も管理しています。

 

 元々性風俗(そっち)関連の店は物販と区画を離されていたそうですが……。

 

 現在は物資不足で物販が縮小してしまい、風俗と纏められているようです。

 

 今やワインもお菓子も、平時の十倍近い値段になっています。

 

 軍需産業に人手が取られ、嗜好品の生産が減少しているからです。

 

 そうした娯楽産業の低下は、軍隊にも大きな影響を及ぼしているのでした。

 

 

 人間が酒や菓子を取り上げられたら、次に溺れるのは性風俗です。

 

 酒保には夫を失った未亡人などが食うに困り、子供の為に体を売りに来ていました。

 

 そのお陰か酒の値段は上がりましたが、買春の値段は下がる一方。

 

 そりゃあ酒保の大半を、性産業に乗っ取られる筈です。

 

 

 

 自分はこれまで、酒保に行ったことはありませんでした。

 

 まだお酒が飲めない歳ですし、性風俗にも興味がありませんでしたので。

 

 そしてこれからも、出向くつもりはなかったのですが……。

 

 

 

「酒保でトウリ遊撃中隊の兵士が喧嘩を起こし、けが人が出たようです。対応を依頼したく」

「ぷぇっ、ぷぇっ、ぷぇっ」

「……了解しました。伺います」

 

 休養日の夜。

 

 アルギィとのトレーニングの最中、自分は酒保の責任者に呼び出されてしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

「おい、お前本当に行くのか? 俺が代わりに仲裁してきても良いんだぞ」

「大丈夫ですガヴェル曹長。怪我人が出てるのですから、自分が出向くのが筋でしょう」

 

 酒保に行くことを告げると、ガヴェル曹長は心配そうな顔をしました。

 

 エッチな場所で有る事は承知していますが、特に不快感などはありません。

 

 自分は前世の記憶の影響で、精神年齢は高いのです。

 

 男性の趣味嗜好にも理解はありますし。

 

「いやだってお前、相当教育に悪いぞあそこ」

「ガヴェル曹長。自分が貴方より年上であるという事実を忘れていませんか」

「でもその……、ああもう。忠告はしたぞ?」

 

 初心なガヴェル曹長は何度も、自分を酒保へ行かぬよう諫めました。

 

 どうやら、自分にそっちの耐性がないと思っているようです。

 

「こう見えてガヴェル曹長より年上ですよ、自分は。当然そういう知識も持っていますし、恥ずかしがるような年齢でもありません」

「はあ」

「お疑いならついてきて下さい。完璧に粛々と、お(いた)をやらかした部下の不始末を片付けに行きましょう」

「お、おお」

 

 自分は軽くため息を吐いたあと。

 

 微妙な顔をしているガヴェル曹長と共に、あきれ顔で酒保へ向かったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わぁ……ぁ」

「だから言ったんだ」

 

 そして自分にとって、人生初の酒保デビューですが。

 

 酒保はもう……凄い事になっていました。

 

「そこら中から嬌声が聞こえます」

「ヤってんだろうよ」

 

 自分はガヴェル曹長が、酒保から顔を赤らめて帰ってきた理由を知りました。

 

 酒保のどこを見ても、肌色が見えない場所がありません。

 

 兵士達が群がる見晴らしの良い台上で、半裸の女性がセクシーポーズを取っていました。

 

 殆ど丸見えな仕切り板の中から、ピンクな声が響き渡っていました。

 

「えっと、トウリ遊撃中隊の……エムベル伍長でしたね。どこにいらっしゃるのでしょうか」

「E区画だ。……E区画は、売春通りのど真ん中だな」

 

 酒保入り口付近の看板には、裸の女性の絵がペンキで塗られていて。

 

 裏側の水場には、事を終えたであろう男女が列をなして並んでいます。

 

 刺激臭というのでしょうか、その列付近は独特の臭みが立ち込めていて吐きそうになりました。

 

「早く行きましょう、ガヴェル曹長」

「ああ」

 

 コレはガヴェル曹長が逃げ出したくなるのも分かりますね。

 

 正直言って、あまり長居したくありません。

 

 部下の不始末とはいえ、こんな場所に呼び出されるとは……。

 

「持ち逃げだ!!」

「ソイツを捕まえろ!」

「ちっ」

 

 どうやら治安もあまりよくないようで、置き引きや窃盗も多発しているようです。

 

 流石にもう少し、治安維持に力を入れたほうが良いのではないでしょうか。

 

 いえ、恐らくそんな人手がないのでしょうね。

 

「てめー! 俺の金返せぇ!!」

「ぶっ殺してやる!」

 

 路傍ではいきなり喧嘩が始まり、周囲の人間は知らんぷり。

 

 ……明らかに兵士の質が落ちています。

 

 それだけ、今のオースティン軍は追い詰められているという事でしょう。

 

 無理やり徴兵された新兵に、規律とモラルを求めるのは難しいのです。

 

「軍のスラムだよ、ここは」

 

 窃盗と売春が蔓延る、小汚い区画。

 

 そこかしこで野獣のような声を張り、腰を振る雄たち。

 

 確かにガヴェル曹長の言う通り、ここはスラムの様でした。

 

 酒保は本来、いろんな商品を売り買いするマーケットのような施設の筈ですが……。

 

「性風俗店しかないんですか、今の酒保は」

「物販もあるぞ。ほら、あそこ」

 

 彼の指さす方向を見ると、男が小瓶詰めの液体をニヤニヤした顔で受け渡していました。

 

「……ほら、V(ヴィ)だ」

「ありがてぇ。これがなきゃやってられねぇよの」

 

 看板のない店の下、見るからに怪しい人達がこそこそ取引をしていました。

 

 ラベルの無い小瓶いりの液体……、まさか違法な薬ではありませんよね。

 

「彼らは何をやり取りしてるのでしょう。事情聴取すべきでしょうか」

「ただの安酒だ。Vはロクに味もしない、薄いアルコール液だそうだ」

「……お酒の代わり、ということですか」

「ワインはかなり値が張るからな、安く飲みたい奴はVに手を出す。ナウマン兵長は『あんなもん飲む奴の気が知れない』って渋い顔してたけどな」

 

 どうやら酒保では、粗悪で安価な「V」なるお酒が出回っているようです。

 

 味も薄く品質管理がずさんで、体を壊す人もいるのだとか。

 

「サバトからの援助物資なんだとさ、あの酒」

「サバトのお酒ですか」

「そうだ。原液だとあまりに酒精が濃いから、薄めて売りさばいてるんだと」

「はあ」

「おそらく向こうの知恵なのだろう。酒精を濃い状態で輸送し、水で割って量を増やす。なるほど理にかなったやり方だとは思うな」

 

 自分はチラリ、とその辺に転がっている酒瓶に目をやりました。

 

 その銘柄には見覚えがあります。

 

 ゴルスキィさんが良く好んでいた、一般的なヴォック酒です。

 

 ……Vって、ヴォック酒の頭文字ですか。

 

「……彼らは純粋に濃いお酒が好きなんだと思いますよ」

「そうなのか?」

「少なくとも自分は、ヴォック酒を水で割ってる人を見たことが無いです」

 

 彼らは鉄帽をひっくり返し、そこになみなみとヴォック酒の原液を注いでいました。

 

 濃い酒を飲み干す事こそ、男の誉れ。

 

 水で薄めるとか、考えもしなかったと思います。

 

「消毒液に使える酒精って聞いたぞ」

「ちなみに、サバト兵士の死因第3位はアルコール中毒だそうです」

「奴ら馬鹿なのか?」

 

 援助物資として真っ先に蒸留酒を送ってくるあたり、かの国のお国柄がよく分かりますね。

 

 

 

 

 

 

 

「エムベル伍長が起こしたのは、暴行騒ぎですか」

「どうやら娼婦を殴ったらしい」

 

 E区画に着くと、顔を腫らしたエムベル伍長があぐら座りしていました。

 

 自分は彼の顔に覚えがありました。

 

 敵前逃亡癖のある兵士に殴りかかった、ガーバック小隊長似の兵士です。

 

「トウリ少尉殿、ご足労いただき申し訳ありません」

「いえ。その、事情をお聞かせ願えますか」

「無論、何でもお答えする所存です」

 

 彼は立ち上がると自分に向け、キリッと敬礼しました。

 

 その態度は堂々としたもので、後ろ暗そうな雰囲気はありません。

 

「あぁ? 子供が二人で何しに来た」

「どうも。自分は彼の上官で、トウリ少尉と申します」

「お前が上官?」

 

 エムベル伍長の背後から、ガラの悪い老人が睨みつけてきました。

 

 今回のトラブルの相手は、この老人の様です。

 

「お前ンとこはどんな教育をしてるんだ、情婦を傷物にしやがって!!」

「ご迷惑をおかけしたようで、申し訳ありません」

「謝って済む話じゃねぇだろこのタコ!」

 

 その老人は自分を見るや、怒鳴り声をあげて胸ぐらを掴みました。

 

 彼の目に浮かぶのは……「侮り」でしょうか。

 

「おい貴様、少尉に何をしている!」

「黙ってろ糞野郎! おい女、少尉だか何だか知らねぇけど弁償しろ弁償!」

「はあ」

 

 老人は自分に凄むと、唾を飛ばして叫び始めました。

 

 

 その後、老人の罵声を整理すると。

 

 この老人は「女衒」で、売春の仲介を行って生計を立てているそうです。

 

 今の酒保を牛耳っているのは、彼ら女衒なのだとか。

 

「その兵士、ウチの情婦をブン殴りやがったのよ。可哀そうに、顔に大きな痣が出来ちまった。あれじゃ商売になりっこねぇ」

「……それは、申し訳ありませんでした」

「本当に大迷惑だ、クソッタレ!!」

 

 どうやらエムベル伍長は、情婦と口論になり顔面を殴ってしまったそうです。

 

 その事実を本人に確認したところ「相違ない」との事でした。

 

 となれば、非はこちらにありそうですが。

 

「エムベル伍長。民間人への暴行は、軍規において固く禁じているはずですが」

「存じ上げております、少尉殿」

「ではなぜ、情婦に手を挙げたのですか」

「我慢がならなかったからです。この度は誠に申し訳ありませんでした、いかなる罰則も受け入れる所存です」

 

 エムベル伍長は、自分に深々と頭を下げました。

 

 反省しているのか潔い態度で、言い訳をするそぶりがありません。

 

「そっちの罰則は好きにやってくれ、問題はこっちが受けた損害だ。ヤツの怪我を治療するのも、休ませる間のメシや手当も、弁償してもらわなきゃ始まらねぇ」

「……それは」

「おい少尉殿、あんたお偉いなら金は持ってるんだろう。とっとと払ってもらおうか」

 

 一方で女衒の男は、エムベル氏の処分に興味はない様です。

 

 どれだけお金を引き出せるか、気にしているのはその一点でしょう。

 

 とはいえ、非がこちらにあるなら何かしら対応はすべきでしょうね。

 

「はい、ではまず治療についてですけど……」

「失礼、トウリ少尉殿。その件に関してですが」

「どうしましたか、エムベル伍長」

 

 自分は一度、この案件を持ち帰って対応を検討するつもりでした。

 

 軍人が民間人に暴行を働いたなら、相応の賠償は必要でしょう。

 

 どれほどの額を支払うべきかも含めて、この場で即答は出来ません。

 

「弁償は不要です。私が激怒したのは、彼女に詐欺を仕掛けられたからです。暴行行為に関する罰則は受け入れますが、彼らへ弁済する必要はございません」

「ンだと!」

 

 そう考えていたのですがエムベル伍長が会話に割り込んできて、そう提言してきました。

 

 女衒はその言葉に怒り狂いましたが、彼は一歩も引く気配がありません。

 

「……詐欺行為、とやらの詳細を教えていただけますか」

「はい、少尉殿」

 

 

 

 今度はエムベル伍長から、今回の顛末を聞きました。

 

 エムベル氏の証言を纏めると、この女衒グループは組織的に結婚詐欺を行っていたようです。

 

 

 事の始まりはエムベル伍長の知り合いが、情婦との婚約を部隊で報告したことです。

 

 情婦には借金があるそうだが、それを肩代わりする代わりに籍を入れるという話になったそうです。

 

 彼は幸せそうな顔で恋人を惚け、周囲の兵士からは祝福を受けていました。

 

 しかしエムベルは、同じような話を他の部隊で何度も聞いていました。

 

 不審に思った彼は、酒保でその兵士と婚約した情婦を指名したそうです。

 

 そして情婦に会うと、エムベルは『借金がある』『できれば解放されたい』『戦争が終わったら結婚してほしい』と持ち掛けられました。

 

 その情婦に「婚約者はいないのか?」と問うと「いない」と即答されたそうです。

 

 エムベル氏は怒って事情を問い詰めると、情婦は態度を一変させました。

 

 「ウチではそう言うよう指示されている」「夢を見させてやってるんだ」と悪びれる様子もなく、「商売の邪魔だから余計な事を言うな」「二度と酒保を歩けなくしてやるぞ」と逆に脅されたそうです。

 

「戦友の心を弄ばれ、どうして黙っていられましょう。殴ってやらねば気が済みませんでした」

 

 それが、エムベル氏が情婦を殴りつけた理由でした。

 

 独り身で戦争に赴き、誰にも偲ばれず戦死するのは恐怖です。

 

 婚約者が帰りを待っていてくれれば、どれ程心の支えになるでしょう。

 

 情婦は、そんな男性の孤独感に付け込んで詐欺を働いたのでした。

 

「そんなものは知ったことか、情婦と男の間で婚約が有ろうが無かろうが知ったことではない。金を出せ、金を」

「戦友から財産を巻き上げておいて何を戯けたことを! 恥を知れ!」

「男女が勝手に行った約束など知らん、貴様が商品(オンナ)を殴りつけたのは事実だろうが!」

 

 ……エムベル伍長が怒った理由も、分かりました。

 

 結婚詐欺を働かれた戦友を慮り、思わず手が出てしまったのでしょう。

 

 その話が事実であれば、同情の余地はあります。

 

「分かりました、女衒殿。まずは自分を、その情婦の下へ連れて行ってください」

「あ? 何だ、まさか情婦に問い詰めようってのか。冗談じゃねぇ、これ以上商売の邪魔をされてたまるか」

「自分は衛生兵です、回復魔法が使えます。まずは彼女の怪我を癒しましょう」

 

 恐らくその情婦にも、事情はあったのだと思います。

 

 お金に困っていなければ、戦場にまで売春に来ない筈。

 

 しかし、詐欺行為が横行しているのが事実であればそれは問題です。

 

「この件は自分が預かります。上層部に報告し、然るべき対応を行う所存です」

「そう言うのは良いからとっとと金を払え! ブン殴るぞ」

「申し訳ありませんが、それ以上続けられるのであれば、恐喝行為として治安維持を行います。軍を敵に回す覚悟はおありですか」

「……ちっ」

「まずは負傷した女性の傷を癒します。その後の対応については、事実確認を行った上で協議いたします」

 

 自分が暴力行為に怯えないと見るや、老人は忌々しそうに舌打ちしました。

 

 脅せば言う事を聞くとでも、思われていたのでしょうか。

 

 軍人が、たかが暴力で怯えるわけがないでしょうに。

 

「エムベル伍長。貴方は暴力行為に手を染めず、本件を速やかに自分に届け出るべきでした。民間人に暴行を働いた件、相応に罰は受けていただきます」

「申し訳ありません」

「本件に関して、トウリ遊撃中隊で注意喚起を行います。……上層部とも連携を取らせていただきましょう」

 

 やはり酒保の治安維持は重要です。

 

 風俗施設は少しでも治安維持の手を抜くと、トラブルの温床になってしまいます。

 

 少尉の立場から、ヴェルディさんに問題提起をしてみましょう。

 

「気持ちはわかりますが、エムベルさんも市民を気遣ってやってください」

「気遣う、ですか」

「皆、生きるのに必死なのです」

 

 今のオースティンでは、明日の食べ物の保証もありません。

 

 生きるためには他人を騙し、付け込む人も出てくるでしょう。

 

 それもこれも、全て戦争が悪いのです。

 

「テメェの名は覚えたからな、毎日軍に苦情出してやるからな」

「……お好きにどうぞ」

 

 その女衒の嘗め回すような視線に不快感を感じつつ。

 

 自分は彼の案内に従って情婦の下に向かい、治療を行いました。

 

 

 ……性病にもかかっていたので、そちらの薬も手渡しておきました。

 

 

 

 

 

 

 

「ンおォおぉオオオオ!!!」

 

 その後。

 

 本件をヴェルディさんに報告し、軍全体で注意喚起が行われました。

 

「信"じ"で"だ"の"に"ぃ"!!!」

 

 トウリ遊撃中隊でも注意を促すと、兵士の一人が号泣して突っ伏してしまいました。

 

 エムベル伍長の言っていた、騙された兵士でしょう。

 

「ふぐゥ、ンぉオおン!」

 

 大の男が錯乱して泣き叫ぶ様子は見るに堪えません。

 

 その様を見て、周囲の兵士も気を付けようという意識を持ったようです。

 

「……エムベルさん、あの兵士は確か」

「ええ。以前私と殴り合った男です」

 

 ただ意外だったのは。

 

 その騙された兵士は、以前エムベル伍長と喧嘩した敵前逃亡癖のある兵士でした。

 

 あれだけ殴り合っていたので、仲は悪いと思っていました。

 

「今もあの男と折り合いは悪いのですがね」

「はあ」

「あのような男でも、戦友です。心を弄ばれるのは納得できんのですよ」

 

 エムベル伍長はそう言うと、体罰で傷だらけになった顔でニッカリと笑ったのでした。

 

 



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151話

 

 秋も終わり、肌寒くなってきた頃。

 

 トウリ遊撃中隊は、訓練に明け暮れる日々を過ごしていました。

 

「……トウリ少尉、これを」

「ありがとうございます」

 

 フラメールに侵攻しているオースティン南軍は、快進撃を続けているそうです。

 

 ベルン・ヴァロウが指揮を執っているのですから、負けることなどほぼあり得ないでしょう。

 

 この勢いで侵攻しますと、年内に首都を攻め落とす事も夢じゃないのだとか。

 

 首都パリスが陥落すれば戦争は終了、今度こそ平和が訪れます。

 

 せっかく訓練したのに、我々の出番がないなんてこともあり得るかもしれません。

 

 すべてが順調に進んでいました。

 

「……ふむ、初任務ですか」

 

 懸念があるとすれば1点。

 

 鉱山内に籠って出てこない旧サバト政府軍─────シルフ・ノーヴァです。

 

 鉱山戦線では相変わらず、両国のにらみ合いが続いていました。

 

 この戦線の硬直は、サバト軍が存在してこそです。

 

 もし『風銃』を持つサバト軍がいなくなれば、我々は容易に鉱山を奪取出来るでしょう。

 

 だからシルフ・ノーヴァは、鉱山区域を離れるわけにはいきません。

 

 

 ────だからベルンは、軍を二手に分けたのでしょう。

 

 鉱山にシルフを釘付けにしている間に、首都を占領してしまおうと考えたのです。

 

 

 問題は、この鉱山戦線でシルフが何か仕掛けてくる可能性が高い事です。

 

 シルフが、この戦況で黙って指をくわえ見ているとは思えません。

 

 恐らく、何かしら逆転の手を打ってくるでしょう。

 

 例えば輸送路を奇襲したり、鉱山周辺でゲリラ戦を仕掛けたり。

 

 

 ヴェルディさんは、シルフの動きをかなり警戒していました。

 

 絶対に鉱山戦線を突破されぬ様、念入りに防御を固めました。

 

 また鉱山付近に濃密な偵察網を敷いて、敵を神経質に監視しました。

 

 ここまで警戒されれば、シルフもやりにくかったに違いありません。

 

 ヴェルディさんはシルフの様に凄い作戦を立案する能力はなくとも、出来ることを丁寧にやる人です。

 

 弱点を潰して守りを固めれば、シルフもそう簡単に隙を突けないでしょう。

 

 

 また、輸送路への奇襲も十分に警戒していました。

 

 何時の時代も、侵攻軍の最大の弱点は兵站です。

 

 伸びきった補給線を叩かれれば、どんな軍でも瓦解してしまいます。

 

 なので現在考えうるフラメール側の最大の勝ち筋は、『輸送線の分断』でした。

 

 だからヴェルディさんは一定間隔で通信拠点を設置し、輸送隊と定時連絡が取れる体制を確立しました。

 

 また奇襲を受けても、物資を避難させれる戦力がある『遊撃中隊』による輸送作戦を指示しました。

 

 そんな様々な理由が相まって、

 

「ガヴェル曹長、参謀本部に呼ばれました。訓練の監督をお任せします」

「分かった」

 

 我々トウリ輸送中隊に正式な任務……『物資輸送任務』が命じられたのでした。

 

 

 

 

「オースティン参謀本部ジルヴェリ准尉です。お世話になります」

「ヴェルディ大隊所属、トウリ遊撃中隊トウリ少尉です。どうぞお見知りおき下さい」

 

 我々の任務は、フラメール内のエンゲイという都市への物資輸送でした。

 

 オースティン勢力圏を、物資護衛しながら進軍する任務です。

 

 初の実戦と考えると丁度良い難易度でしょう。

 

「当日のスケジュールは我々でご用意させていただきました。この資料をもとに、作戦準備をお願いします」

「ありがとうございます、准尉殿。輸送路の地形情報は頂けますか」

「はい勿論、ご用意しておりますよ」

 

 物資輸送は緻密なスケジュールが練られているようで、詳細なタイムラインを渡されました。

 

 我々の作戦予定が、分単位で刻まれています。

 

 また非常時のアルゴリズムも、事細かに設定されていました。

 

「14日間以内に輸送を完遂し、中央軍駐屯地へ帰還したら任務達成とする……ですか」

「はい」

 

 敵襲された場合のマニュアルも、かなり分厚く作られていました。

 

 敵が小隊規模なら迎撃、中隊規模なら物資保持を優先して時間稼ぎ、大隊規模なら物資を放棄して撤退する許可。

 

 このアルゴリズムに沿って行動すれば、まぁ間違いは起きないだろうという丁寧さです。

 

「かの高名な『幸運運び』殿に輸送して頂けるとは。これ以上に縁起の良い輸送部隊はありませんな!」

「……ははは」

 

 因みにジルヴェリ准尉は顎髭がまばらな、若手の准尉でした。

 

 ヴェルディさんと同年代の、上品な気の良いお兄ちゃんという感じでした。

 

「当日はお力に期待していますよ、トウリ少尉」

「はい、精一杯頑張らせていただきます」

 

 准尉はとても優しい方で『ここの地形は南方向からの奇襲が定石なので、南が厚い陣形を』『この道は広いが奇襲されると対応困難なので、こちらのルートがお勧めです』と事細かに助言をしてくださいました。

 

 彼の助言は馬鹿にする感じではなく、可愛がって頂いているような感覚を受けました。

 

「沢山資料を頂きありがとうございました、ジルヴェリ准尉」

「いえ、お役に立てて何よりです!」

 

 暫くは、彼が参謀本部の窓口になってくださるそうです。

 

 威圧的な方じゃなくてよかったです。

 

 

 

 

 

 

 

「ジルヴェリ准尉は輸送系任務を任されてる人だな。物凄く頭がいい人だ」

「確かに、聡明な雰囲気がありました」

「彼の立てたプランなら、そのまま使わせてもらっていいだろう」

 

 その日の夜、自分はガヴェル曹長に任務の内容を話しました。

 

 初任務の命令書を見て、ガヴェル曹長は少し嬉しそうでした。

 

「いよいよトウリ遊撃中隊の初陣だな」

「初陣……」

「新兵にはいい刺激になる。プロパガンダ部隊なんてデマを払拭するチャンスだ」

 

 ……ガヴェル曹長は、本中隊がプロパガンダ目的だとは思っていません。

 

 その話は、自分の胸だけに留めていました。

 

「そうですね、しっかりと我々の価値を示しましょう」

「ああ。そしてゆくゆくは、エース部隊になるんだ」

 

 ガヴェル曹長は夢いっぱいに、そんな事を語りました。

 

 ぶっちゃけ訓練部隊である我々に、重要な任務を任される可能性はないと思われますが。

 

「頑張りましょう。……自分も、エースの名に憧れがなくはないですので」

「何だ、お前もそういう口だったか」

 

 自分はガヴェル曹長の言葉に、微笑んで首肯しました。

 

 今まで見てきた『エース』は、凄い人ばかりでした。

 

 ガーバック小隊長、アリアさん、ゴルスキィさん、ザーフクァ曹長。

 

 彼らを見て憧憬を覚えるのは、自然な感情でしょう。

 

「なってやろうぜ、新時代の英雄に」

「ええ」

 

 誰もが『あの様に在りたいものだ』と憧れを抱く。

 

 エースというのはそれほどに、鮮烈な光なのです。

 

 

 

 

 

 ただし自分は別に、英雄になりたい訳ではありません。

 

 認められ、褒められ、脚光を浴びたいという欲望はありません。

 

 凄い人を見て『憧れた』だけで、栄誉に興味などないのです。

 

 

 自分は前世で一度、FPSの世界大会で優勝して世界覇者の称号を得ました。

 

 確かにその日、その瞬間だけは、何にも代えがたい達成感を得られましたが────

 

 世界覇者になっても自分の人生は、何も変わりはしませんでした。

 

 

 結局栄誉とは、自己満足の延長なのです。

 

 

 では自分が戦う意味とは、何なのでしょうか。

 

 憎らしい敵を殺したい。

 

 奴らがリナリーにしたことの報いを受けさせてやりたい。

 

 生き残って、セドル君と一緒に暮らしたい。

 

 平和になったオースティンで、小さな医療施設を開いてつつましく生きていきたい。

 

 そんな、ありきたりな動機だったと思います。

 

 

 先ほどガヴェル曹長と交わした言葉は、彼に合わせただけでした。

 

 自分がエースの器ではない事は、百も承知です。

 

 あの凄い人たちに、自分が匹敵できると思っていません。

 

 だから自分は、「エースになりたい」と話すガヴェル曹長を微笑ましく眺めていました。

 

 真っ直ぐで好ましい、他人事だと思い込んで。

 

 

 

 

 

 

 かくしてトウリ遊撃中隊は、初任務に就くことになりました。

 

 我々は鉱山戦域からフラメールの都市『エンゲイ』まで、5t近い重量の物資を輸送します。

 

 輜重兵が物資運搬するのに合わせ、歩兵が偵察・地形確保を行ってテンポよく行う必要があります。

 

「11時方向、ポイントD、地形確保完了しました」

「2時方向、ポイントC、敵影ありません」

「報告了解しました、輜重兵部隊は前進を続けてください」

 

 正直に言って、自分は少し輸送任務を舐めていました。

 

 練度の低い部隊に与えられる任務と聞いていたせいで、簡単な任務だと勘違いしていました。

 

 ……実際は、ただ前進するだけでも非常に神経を使う、疲れる任務でした。

 

 

 軍事物資は貴重なので、敵や賊に奪われるわけにはいきません。

 

 先んじて斥候を飛ばし、敵がいないことを確認して輜重兵を進めていく必要があります。

 

 安全が確認できない限り前進出来ません。

 

 なので偵察が滞ると足を止めねばならず、ダイヤが乱れてしまいます。

 

 だから前もって「どの地点で偵察を飛ばし、偵察している間にどこまで進み、どの時刻で目標地点に到達していなければならないか」と綿密な計画を立てておかないといけないのです。

 

 そんな難しい事を、素人の自分がぶっつけ本番で行えるはずがなく。

 

 ジルヴェリ准尉が資料を用意してくださらなかったら、恐らく輸送任務は失敗していたでしょう。

 

 この輸送計画の立て方等も、士官学校で履修するのだとか。

 

 やはり士官候補生は、頭が良くないとなれないのですね。

 

 

 

「トウリ・ロウ少尉殿。お役目ご苦労様でした」

「ありがとうございます」

 

 約1週間の旅路を終え、任務は完遂出来ました。

 

 大きな輸送の遅れもなく、期限の12時間前にエンゲイに到着しました。

 

「トウリ遊撃中隊、本日はお休みいただいて結構です。明朝10時、倉庫前に集合して下さい」

「了解しました」

 

 次は折り返し、エンゲイから鉱山地域に物資を輸送する予定です。

 

 内容は嗜好品や鹵獲品、故障した兵器などです。

 

 その任務のため、また明日も倉庫に向かわねばなりません。

 

「やった! 今日は1日、エンゲイ観光が出来るって事か」

「フラメールの酒を買って帰ろう」

「ちゃんと自分で持てよ、荷台に乗せんなよ」

 

 逆に言えば今日だけは、自由行動が出来るという事です。

 

 エンゲイはフラメール最大の商業都市ですが、現在はオースティン軍に実効支配されています。

 

 物流の拠点なだけあって、豊富な娯楽品や食糧が備蓄されているそうです。

 

 エンゲイの観光は、きっと楽しいものでしょう。

 

「俺達は、書類仕事だけどな」

「是非もないでしょう」

 

 と、一般兵士は休暇を楽しむ事が出来るでしょうが。

 

 管理職である自分は、任務で消費した食料や医薬品などを書類にまとめて申請せねばなりません。

 

 作戦の評価や反省点など、提出せねばならない書類は山積みです。

 

 下っ端だった時のように、遊び惚けるわけにはいかないのです。

 

「メイヴに頼んで、茶菓子くらいは仕入れてきてもらおう」

「そうですね」

 

 ……ちなみに。

 

 当時のエンゲイはオースティンが『武力で占領』していた都市です。

 

 エンゲイ市民が作り上げた商品をオースティン軍が徴集し、兵士に流している状況でした。

 

 家族を人質に労働させられるエンゲイ市民を思うと、観光気分で街を歩くのは不謹慎なことでしょう。

 

 自分は書類仕事に追われてテントに籠っていましたけれど、街を歩いていたら白い目で見られたのではないでしょうか。

 

 

 

 

 因果応報という言葉があります。

 

 何かしら悪事を犯した人間は、いつかその報いを受けるのです。

 

 この時のオースティンは、フラメールにとって間違いなく『悪』でした。

 

 フラメールに「二度とオースティンに侵攻できない被害を与える」目的の、市民虐殺を目的とした侵攻作戦。

 

 歴史でも類を見ない極悪な戦略を採択したオースティン軍は、紛れもなく『悪』の謗りを背負った軍隊だったでしょう。

 

 

 フラメールの主人公、民間人の身分でオースティンに真っ向から立ち向かった男アルノマ。

 

 オースティンの英雄、自らの欲望を満たしつつ国益に準じる悪人ベルン。

 

 少数の『主人公』と多勢の『悪人』が対峙したら、その結末はどうなるでしょう。

 

 現実であれば、小勢は多勢に踏みにじられるのがこの世の常です。

 

 しかしアルノマさんは、本物でした。

 

 彼は現実を『舞台』へ書き換えてしまう男でした。

 

 では舞台上での「少数の主人公」と「多勢の悪人」が争えば、どうなるでしょうか?

 

 その両雄の激突は、まもなくの事でした。

 

 

 そして、呑気に輸送任務をしていた自分も他人事ではありません。

 

 オースティンの、フラメールの命運を大きく左右した決戦に巻き込まれるような形で。

 

 この任務の日から自分は、歴史の表舞台に引きずり出される事になったのでした。

 

 



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152話

 

「帰りも結構、大荷物だなぁ」

 

 翌日、トウリ遊撃中隊は再び多くの積み荷を抱えエンゲイを出発しました。

 

 目標は鉱山戦線、自分達が元居た陣地です。

 

「ぷくぷくぷくぷく」

「絶対に盗むなよお前。在庫数は確認してるからな、盗んだら処刑するからな」

「ぷえぇー」

 

 輸送内容は、行きは軍事物資がメインでしたが、帰りはフラメール産ワインなど嗜好品が多く含まれていました。

 

 恐らくオースティン軍が、エンゲイ市民から略奪したものでしょう。

 

 略奪品を運ぶなど気分の良い任務ではありませんが……。

 

 嗜好品の士気高揚効果は、馬鹿に出来ません。

 

 これを輸送する事も国益なのだと、何とか自分を納得させました。

 

「トウリ中隊長、定時連絡です。任務の進捗はどう報告しましょうか」

「順調である、と返信してください」

「了解しました」

 

 帰り道もやることは変わりません。

 

 敵が潜伏している可能性のある場所を偵察し、安全を確認し進んでいく。

 

 輸送任務とは、偵察と確認の繰り返しです。

 

「トウリ少尉、雨が降ってきました」

「では道の状態を確認してください」

 

 輸送任務のスケジュールは、ちょっとしたことで乱れます。

 

 例えば雨で土がぬかるむだけで、進軍速度は半分以下になります。

 

 そういった際には逐一、通信拠点を介して本部に連絡する必要があります。

 

「通り雨の様です、おそらく1時間以内に止むでしょう。進軍に影響は予想されません」

「報告了解しました。念のため、歩兵は先行して土の状態を確認してください」

「了解です」

 

 自分は小まめに本部と連絡を取り、問題なく任務を遂行する事が出来ていました。

 

 初任務にしては順調で、出来すぎていて怖いです。

 

 何かしら、ミスや問題は発生するものと思っていたので。

 

「准尉が用意した資料が完璧だったな。マジで穴が無い」

「そうですね。誰が指揮しても任務をこなせるよう、網羅されています」

「本来、作戦資料ってのはそうあるべきだからな。問題が起きない限り誰でも任務をこなせて、不測の事態が起きた時だけ指揮官が必要になるのが理想だそうだ」

「成程」

 

 不測の事態が起きない限り、マニュアル通りにやれば対応できる資料。

 

 言うのは簡単ですが、それを用意するのは並大抵の事ではありません。

 

 ジルヴェリ准尉殿が優秀な方で助かりました。

 

「さて、このまま何も起きなければいいがな」

「はい」

 

 トウリ遊撃中隊の任務は、すこぶる順調でした。

 

 この日、この瞬間までは。

 

「────そろそろ、到達目標地点だ。暗くなる前に、キャンプの準備をするぞ」

「はい」

 

 自分達が、のほほんと輸送任務をこなしているその裏で。

 

「無事に任務が終わりますように」

 

 フラメールが、エイリスが。

 

 シルフ・ノーヴァが牙を研いでいたことを、自分はまだ知る由もありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実は自分たちが輸送任務を受けたのと同じ時期に、戦争に大きな動きがありました。

 

 何とエイリス軍が、新たに2万人を動員してフラメールに援軍を差し向けていたのです。

 

 

 当時のエイリス国内は、大きく世論が割れていました。

 

 戦争賛成派と反対派が、議会で大論争を巻き起こしていたのです。

 

 元々、エイリスはフラメールからの移民で建国された国であり、親密な間柄でした。

 

 また、島国であるエイリスは資源に乏しく、大陸に植民地を欲していました。

 

 だから開戦当初、オースティンに攻め込んで植民地を確保することに議会は賛成していたのですが……。

 

 フラメールの旗色が悪くなると、一部の議員が反戦派に鞍替えしてしまったのです。

 

 

 昔からエイリス政府は、議会が大きな権力を持っていました。

 

 『貴族による上院』と『庶民による下院』に分かれ、貴族と庶民が協力して国家を運営していました。

 

 エイリス国王もいましたが、基本的に議会の決定を承認していくだけの役割です。

 

 エイリスという国の政治は、議会によって運営されていたのです。

 

 

 反戦派の勢力が増してから、エイリスは軍隊派遣の計画を縮小していきました。

 

 フラメールから一部のエイリス軍が撤退し始めたのも、議会の命令によるものです。

 

 勝てないと踏んでフラメールから手を引き、オースティンに融和政策を仕掛ける方針が採択されたのです。

 

 しかしその採択に、親フラメール派の議員は激怒しました。

 

 彼らはフラメール出身だったり、フラメールの商店から援助を受けていた議員です。

 

 彼らは『フラメールが滅びれば国益が大きく損なわれる、断固として援軍を派遣すべきだ』と主張し続けました。

 

 参戦派は根強く議会で議論を重ね、エイリス政府の方針は揺らぎ続けていました。

 

 ────今さら融和は無理がある、最後まで戦い続けるべきだ。

 

 ────いやいや、まだ十分に講和出来る。これ以上戦えば取り返しがつかなくなる。

 

 両派閥の論戦は続き、なかなか議会の中で意見が統一できません。

 

 政府がこんな状態なので軍は機能不全に陥り、エイリス軍と他国の足並みが揃わず、鉱山戦線は硬直してしまったのでした。

 

 

 しかし新たに、エイリス議会を揺るがす戦報が入ってきました。

 

 シルフによる奇襲でオースティンが敗北し、戦況が大きく連合側に傾いたのです。

 

 まだ十分に勝機があると分かり、エイリス議会は一転して参戦に傾きました。

 

 エイリスとしてもフラメールに負けられるより、勝ってもらった方がやりやすいのです。

 

 フラメールへの援軍部隊は、とっくに編制し終えていました。

 

 反戦派により出征が止められていただけです。

 

 彼らを上手く動かせば、当初の予定通りにオースティンを植民地に出来るかもしれません。

 

 そしてオースティン人から近代戦術を学べば、エイリスは一気に大陸で列強国になれるでしょう。

 

 またフラメールにも、大きな恩を売れます。

 

 そう言った議論がなされ、ついにエイリスが新規に援軍2万人を動員する決定を下しました。

 

 

 エイリスからの援軍は、すぐにフラメール全土に宣伝されました。

 

 2万人のエイリス兵は、海を渡ってフラメール本土に上陸すると喝采を以て出迎えられました。

 

 彼らは、侵略者オースティンから国を守ってくれるヒーローとして熱烈に歓迎を受けます。

 

 エイリス軍が上陸した港には報道陣が押し寄せ、彼らの凛々しい姿がフラメールの新聞紙の一面を飾りました。

 

 援軍がやってきたのでもう大丈夫、とフラメール国民は熱狂しました。

 

 

 ……しかし新聞記事を見た連合軍司令部は、激怒したそうです。

 

 何故なら、

 

「何ぃ、エイリス軍が動いただと?」

「エイリス軍が上陸する写真が載っているぞ」

「すぐ真偽を確かめろ」

 

 その報道のせいで、オースティン参謀本部が援軍の存在を察知してしまったからでした。

 

 

 

 エイリス軍が上陸した地点は、オースティン南軍の輸送路であるエンゲイを狙える位置でした。

 

 エンゲイさえ奪還できれば、進行中のオースティン軍は兵站を絶たれ全滅を余儀なくされます。

 

 もしここを奇襲できれば、これ以上の一撃はありません。

 

 国外からこっそりと、魔法のように現れた軍隊による奇襲など予測不能です。

 

 この援軍2万人をオースティンに悟られず上陸させることが出来ていれば、起死回生の一撃となり得たのです。

 

 しかしあろうことか、フラメールは自国メディアにより秘策を自らバラしてしまったのでした。

 

 

 この2万人の援軍は、本来オースティンを殺す連合側の『秘密兵器』でした。

 

 エイリスがやっと重い腰を動かして実現した、切り札と言えました。

 

 その秘密兵器を自国のマスメディアが大々的に喧伝したものですから、軍部が頭を抱えるのも無理はないでしょう。

 

 しかし新聞社に悪気はなく、朗報を広めようとしただけです。

 

 フラメール政府がぼんやりしていて、情報規制を行わなかったのが一番の原因です。

 

 この愚かな報道により、オースティンは九死に一生を得る事が出来た────

 

 

 のであれば、良かったのですが。

 

 運命とは数奇なもので。

 

 この愚かな報道のせいで、オースティンは逆に大きな過ちを犯してしまうのでした。

 

 

 

 

「……了解しました」

 

 自分たち中隊がその『エイリス援軍来る』の情報を受け取ったのが、輸送任務の帰り道でした。

 

 ヴェルディさんから緊急通信が入り、『国家の非常事態だ』と知らされました。

 

 そして輸送任務は中止となり、自分達はエンゲイに戻って防衛部隊に加わるよう指示されました。

 

 エンゲイで、ヴェルディさんを総指揮官とした防衛網を構築するのだそうです。

 

「ヴェルディ様からの通信内容は、どうだった」

「……この戦争を左右する、大戦(おおいくさ)が勃発するそうです。我々も、それに参戦する事になるでしょう」

「そうか」

 

 副隊長であるガヴェル曹長には、この情報をすぐ伝えました。

 

 エイリス軍2万人を、エンゲイで迎え撃つ必要がある。

 

 恐らくは塹壕戦、小隊同士で細かく連携をとっていただく必要があります。

 

 今のうちによく相談し、陣形を固めていかねばなりません。

 

「やっと来たか……。大きな出番が!」

「ガヴェル曹長」

「やってやる、次こそ俺はやってやる。爺ちゃんに、ヴェルディ少佐に、認めてもらうんだ!」

 

 ガヴェル曹長は鼻息荒く、空を見上げて叫びました。

 

 その目には、溢れんばかりの闘志が浮かんでいます。

 

「恐らく、エンゲイ付近で塹壕戦を行う事になるでしょう。ガヴェル曹長には、自分と共に防衛線の指揮を執ってもらう事になりそうです」

「おお、了解だ」

「そうやって我々がエンゲイを防衛している間に、ベルン少佐が首都を落としてくれれば勝利ですね」

「来たぜ、やっと大きな戦功を上げられる機会が。これで一人前になれる」

 

 自分はやる気満々なガヴェル曹長を見て、苦笑しました。

 

 そして、いきなり降って湧いてきた『実戦』に臨む覚悟を固めます。

 

「大丈夫、自分だって塹壕戦を何度も経験してきました。指揮は出来る、筈です」

「トウリ少尉?」

「自分は、ミスを犯しません。全員生存は無理でも、一人でも多くを生き残らせます」

 

 以前のように、想定不足で失敗するような無様は犯しません。

 

 指揮官は、部下全員の命を背負っているのです。

 

 今度こそ、中隊長としてあるべき指揮を執って見せます。

 

「力を貸してください、ガヴェル曹長」

「おお!」

 

 こうして突然に戦火に巻き込まれた訳ですが、自分達はあまり動揺していませんでした。

 

 むしろ待ってましたとばかり、やる気十分にエンゲイを目指して反転しました。

 

 

 

 

 ……。

 

 

 

 …………。

 

 

 

 その日の晩の事でした。

 

『本件、緊急ヲ要ス』

 

 ヴェルディさんから、短い緊急通信が入ったのは。

 

『オースティン南軍、フラメール首都ニ辿リ着ケズ市民兵ニ敗走。アンリ大佐ハ戦死、ベルン少佐ハ負傷シ重体トノ事』

 

 その内容は、信じ難い内容でした。

 

 通信内容を2度3度と見直してようやく、自分は事態を飲み込めました。

 

『繰リ返ス、オースティン南軍敗走────』

 

 

 あのベルン・ヴァロウが。

 

 オースティンの英雄で、今世紀最高の参謀と言われた男が。

 

 フラメール正規軍ですらない、ただの市民兵を相手に敗走したというのです。

 

「あ、あぁ」

「どうした、トウリ少尉?」

 

 あの男から勝利を取ったら、何が残るのか。

 

 ベルン・ヴァロウが負けるなど、フラメール内で何が起こっているのか。

 

 自分はその通信を見た直後、眩暈でその場に座り込んでしまいました。

 

「嘘です、こんな事が起こる筈が」

「お、おい?」

 

 天を仰いだ自分が見た、その星空で。

 

「まさか貴女ですか、シルフ・ノーヴァ────」

 

 肌の白い天才少女が、嘲笑している姿を幻視しました。



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153話

 

 ベルン・ヴァロウ敗北する。

 

 その戦報は、多くのオースティン兵に衝撃をもたらしました。

 

 ベルンを毛嫌いしている自分ですら、「彼が指揮するからには勝つだろう」と思い込んでいたくらいです。

 

 当時、自分はベルンの敗報を聞いてしばらく呆然自失になりました。

 

 自分すらそうだったので、オースティン参謀本部が受けた衝撃は凄かったのではないでしょうか。

 

 

 この時、フラメール内で何が起きていたのか。

 

 連合軍は、どのような策略を巡らせ勝利したのか。

 

 ……それは「偶然に偶然が重なった」「誰かの主人公補正のような」勝利と言えました。

 

 

 ベルンの最初の誤算は、民衆の旗印となったアルノマが圧倒的なカリスマを持っていたことでしょう。

 

 アルノマさんは民にとって理想的な『英雄』を演じました。

 

 一流俳優の演じた『英雄』像は、多くの民を命がけの戦場に駆り立てました。

 

 ──オースティン軍の暴虐を、指をくわえ見ていていいのか。

 

 ──今、祖国フラメールの為に立ち上がらなくていいのか。

 

 ──私についてこい、私こそがフラメールを救う者だ。

 

 そう言った聞こえの良い言葉で若者の愛国心を刺激し、凄まじい志願兵を集めたのです。

 

 その数は、非戦闘員を含めて七千人に達しました。

 

 農村地帯から一個師団に近い兵力が、いきなり湧いて出たのです。

 

 それは様々な『万が一』を予想していたベルンからしても、想定外の事でした。

 

 

 しかも彼らは、オースティン式の近代塹壕陣地を作り待ち構えていました。

 

 アルノマの指揮する義勇兵の装備は、猟銃や弓矢などが主です。

 

 それらはお世辞にも優秀な武器ではありませんが、塹壕に籠って戦うなら十分な脅威になりました。

 

 塹壕戦は、防衛側が有利。訓練を受けていない義勇兵とは言え、正面突破すれば馬鹿にならない被害を受けるでしょう。

 

 また、彼等は士気高くオースティンと交渉に応じようとしませんでした。

 

 今までのように、民間協力兵を用いた調略が全く通じなかったのです。

 

 それどころか、アルノマの演説に触発され裏切る民間協力兵まで出始めました。

 

 今まで順調だったベルンの侵攻に、大きな障害が生まれたのです。

 

 

 とは言え、しょせんは雑兵の集い。

 

 ベルンが動員していたオースティン兵は3万人に上りました。

 

 正面から戦えば、オースティンに負けようがありません。

 

 ベルンの悩みは、いかに損耗を少なく攻略するかだけでした。

 

 

 義勇兵に、貴重な魔石を使って砲撃したくはない。

 

 できれば今まで通り、無傷で攻略したい。

 

 敵は義勇兵、纏まりを欠いた一般人の集い。

 

 ならば敵の士気を削いで、瓦解させてやれば良い。

 

 

 そう考えたベルン・ヴァロウは、塹壕を放置し周辺村落の焼き討ちを始めました。

 

 周囲を襲うことで、義勇兵を塹壕から引っ張り出そうとしたようです。

 

 村落焼き討ちはフラメール人口も減らせるので、一石二鳥。

 

 サバトから食糧支援を受けているので、まだ時間に余裕はありました。

 

 ベルンは時間をかけ、確実にフラメールに死体の山を築くつもりでした。

 

 

 しかし、そんなベルンの方針を足元から崩す出来事が起きてしまいます。

 

 エイリスからの援軍が、新聞で大々的に報じられてしまったことです。

 

 

 2万人の兵士が、輸送拠点であるエンゲイを目指して進軍中。

 

 この報告を聞いたベルンは悩みました。

 

 エンゲイは侵攻軍の物資輸送拠点です。

 

 ここを落とされれば補給が途絶え、ベルン達オースティン南軍は壊滅するでしょう。

 

 しかし近代戦に詳しくないエイリス軍2万人程度であれば、レンヴェル中佐だけで対応できなくはありません。

 

 またエンゲイまで引き返すとなると、往復して首都に戻ってくるまで余計に食料を消費します。

 

 更に調略した村々が、再び寝返る可能性もあったでしょう。

 

 首都は目前、このまま占領したいのが本音でした。

 

 

 それに加え、ベルンは目の前の義勇軍にも危機感を抱いていました。

 

 英雄アルノマの求心力は凄まじく、時間が経てば勢力を拡大していくのが目に見えています。

 

 放っておけば、民間協力兵はどんどん離反していくでしょう。

 

 ここで引き返すと義勇兵が勝利したような印象を与え、軍全体の士気に関わる可能性が高いのです。

 

 

「……エンゲイが陥落するまでに、フラメールに降伏を宣言させよう」

 

 ベルンは、前進を決断しました。

 

 もともと長期戦になれば、生産力の差でオースティンが不利になります。

 

 短期決戦で首都を攻略してしまえば、それで済む話です。

 

 

 速やかに民兵を撃破し、勢いのまま首都を包囲。

 

 ガス兵器でも何でも用いて、素早く首都を占領する。

 

 首都パリスを押さえれば、最悪エンゲイが落ちても物資に困ることはない。

 

 そう決めたベルンは、作戦を切り替えました。

 

 

 

 ────多点同時突破戦略。

 

 近代戦の形を10年は進めた作戦で、シルフ・ノーヴァのお家芸。

 

 短期間で、塹壕に籠った民兵を撃破するのに最適な作戦。

 

 

 いくら数が多くとも、敵は義勇軍。戦略を知らぬ素人の集団です。

 

 歴戦のオースティン軍ですら対応できなかったこの戦略を、彼らが対処できる筈がありません。

 

 多少の被害は織り込み済み、ベルンは速度重視で総攻撃を仕掛けたのです。

 

 

 惜しむらくは。

 

 ベルンが後方のレンヴェル中佐やヴェルディさんを、信じ切れなかったことでしょう。

 

 『エンゲイに2万人の援軍が来ても、絶対に追い返してくれるはず』という信頼があったなら。

 

 ベルンは予定通りに周囲村落の焼き討ちを行って、じっくり戦線を突破していたでしょう。

 

 ────時間をかけたら負けてしまうという焦りが、彼に事を急かせたのです。

 

 

 

 

 そしてもう一つ、致命的な偶然がありました。

 

 それは、サバト軍シルフ・ノーヴァの動きです。

 

 シルフ率いる旧サバト政府軍は兵数が少なく、残り数百名という状況でした。

 

 エース級であるゴルスキィさんを失い、負傷兵も多く、作戦行動がとれる状態ではありません。

 

 そこでシルフはフラメール正規軍から兵を分けてもらおうと、補充を要請したのですが……。

 

「サバト人に、我らの戦友の命は預けられない」

「そんな!」

 

 結果は「拒否」でした。

 

 利害が一致しているから共闘しているだけで、連合側は侵略国家サバトを信用しきれなかったのです。

 

 一方でシルフは、顔を真っ赤にして連合に噛みつきました。

 

 我々サバト軍が居なければどうやってオースティンと戦うのか。

 

 この人数で、これ以上の戦闘続行は困難だ。

 

 シルフは粘り強く、交渉を重ねました。

 

「正規軍から補充は許可できないが、民間から兵を募る許可を出す」

「つまり?」

「国内に、義勇兵が立ち上がっているらしい。彼らと交渉するのは認めよう」

 

 そしてとうとう妥協案として「義勇兵を編入する許可」をもぎ取ったのです。

 

 全く訓練されていない義勇兵とはいえ、人手が増えるのは非常にありがたい話でした。

 

 その話を受けたシルフは、すぐさま馬を飛ばします。

 

 当時、フラメールで最大規模の義勇軍だった「アルノマ義兵団」の下へと。

 

 

「成程、戦況は理解した」

「……本当に?」

 

 それは奇跡のようなタイミングでした。

 

 絶体絶命、オースティンに首都パリスを落とされる直前に、二人の英雄が出会いました。

 

「アルノマ、貴様は実に運が良い。この日、この瞬間、私と話をしている豪運に感謝せよ」

「君はさっきから、何を言っている」

 

 この時アルノマさんは義憤に駆られて立ち上がったはいいが、想像以上に敵が多く青ざめていたそうです。

 

 義勇兵七千に対し、オースティン軍は三万人。普通にやれば勝てる筈がありません。

 

 しかし英雄として主人公として、芋を引くわけにはいきませんでした。

 

 何とか一矢報いられないかと、彼は必死で頭を捻っていました。

 

「貴様の勝ちだ、アルノマ・ディスケンス」

 

 しかしそんなアルノマさんの前に、ソレは現れました。

 

 目つきは鋭く、爛々と輝き、戦場のどこまでも見渡しているサバトの産んだ天才少女。

 

 天才(シルフ)はアルノマに妖艶に笑いかけ、自信に溢れた態度で作戦内容を指示しました。

 

「本当に君がいう通りに、敵が動くのか?」

「ああ。間違っていたら我が首を刎ね、死体を何処にでも晒すと良い」

「……」

 

 それは彼の『主人公の直感』だったのでしょうか。

 

 それとも、自信にあふれるシルフの態度がそうさせたのか。

 

 アルノマさんは、自分より年下であるシルフの指揮に賭ける決断をしました。

 

「分かった、信じよう」

「良い判断だ」

 

 それは、シルフにとって長年の悲願が叶った形でした。

 

 今までは上官に恵まれず、不本意な作戦指揮を強いられて。

 

 あげく部下にも命令無視され、失敗を繰り返してきました。

 

 そんな彼女が、

 

「私が、このアルノマ・ディスケンスが全ての責任を持つ。君の指揮でフラメールを救ってくれ、シルフ参謀」

「よかろう」

 

 圧倒的カリスマで部下を従える英雄(アルノマ)と手を組んだのです。

 

 彼女の命令は曲解されず、アルノマの名において正確に伝達されます。

 

 それは参謀シルフ・ノーヴァが求めてやまなかった、理想の軍隊でした。

 

「勇気ある決断に応えよう、アルノマ」

「ああ」

「最高の結果を出してやる」

 

 オースティン軍が、フラメール義勇軍に対し総攻撃を仕掛けたその日。

 

 塹壕の魔女(シルフ・ノーヴァ)が、小さく笑みを浮かべました。

 

 

 

 

 

 彼女はオースティンが取ってくる作戦は「多点同時突破戦略」だと読み切っていました。

 

 塹壕に籠る練度の低い兵士相手に、これ以上有用な作戦はないからです。

 

 またエイリスからの援軍のお陰で、長期戦はあり得ないと決め打つ事が出来ました。

 

「これは、かつてお前がやった作戦だったなベルン・ヴァロウ」

 

 シルフの采配は、単純でした。

 

 敵の突撃に合わせ塹壕を敗走したふりをして、敵が塹壕を乗り越えた瞬間に集中攻撃をかけたのです。

 

「私の考案した多点突破戦術に対する模範解答だ。実に素晴らしい」

 

 多点突破戦術は、奇襲性・即攻性がキモとなる作戦です。

 

 敵に下がって待ち伏せされると、その作戦の効力を大半失ってしまいます。

 

 キルゾーンに誘導されたオースティン兵は、時代遅れの弓矢や猟銃により次々と壊滅していきました。

 

 

「さあ行け、英雄!」

「皆、私についてこい」

 

 

 しかし異変を察知したベルンは、即座に突撃停止を指示したそうです。

 

 敵の待ち伏せを見て『塹壕を明け渡してくれたならそれで充分、それ以上の追撃は不要』と指示を出しました。

 

 彼の判断が早かったので、オースティン軍は大きな被害を受けずに済みました。

 

 少し意表は突かれましたが、この時はまだ十分に態勢を立て直せる状況だったのです。

 

 ただし問題は、

 

 

「オースティンの悪魔を祓うのは、今しかない────!」

 

 

 すぐに『撤退命令を出して態勢を立て直す』事を予想していたシルフが、前進してきたオースティン司令部を強襲した事でした。

 

 

 これは、当時の通信技術の限界でした。

 

 司令部と前線の距離が離れるほど、指揮にタイムラグが出てしまうのです。

 

 リアルタイムで指揮を行うには、最前線から1㎞以内に司令部を置く必要がありました。

 

 ベルン・ヴァロウはこの状況で指をくわえてみているはずはない。

 

 少しでも被害を減らすため、前線に姿を見せて指揮棒を振るう。

 

 そう考えたシルフは司令部の場所を推測し、アルノマさんに奇襲させたのです。

 

 

 シルフは戦場をコントロールします。

 

 敵を惑わせ、隙を作り、急所を叩く。

 

 彼女お得意の急所を攻め、一撃で決着する見事な作戦でした。

 

 

 この強襲で、アルノマさんはアンリ大佐を討ち取る大戦果をあげました。

 

 さらにベルン・ヴァロウも肩に矢を被弾し、意識混濁に陥ったそうです。

 

 司令部を叩かれたオースティン軍は壊走してしまい、敗北となりました。

 

 たった七千人の義勇兵が、今まで誰も勝てなかったベルン・ヴァロウに土を付けたのです。

 

 アルノマさんの戦果は歴史でも類を見ない、大金星と言えました。

 

 

 

 

「警戒を怠るな、本陣周囲を固めよ」

 

 ……また、聞いたところによると。

 

 シルフは完膚なきまでに勝利を収めた日の夜、決して警戒を緩めずに偵察を繰り返したそうです。

 

「参謀、もう流石にオースティン軍は去ったんじゃないか」

「ああ、私もそう思う」

 

 アルノマさんが見た彼女の目は血走って、怯えている様子でした。

 

 何を警戒しているのかシルフに聞くと、

 

「オースティンにはまだ怪物が居る。意識の外から現れ、勝利を覆し去っていく魔物が」

「……そんな敵がいるのか」

 

 彼女はそう答えて、神経質に偵察を飛ばし続けたそうです。

 

 それはまるで、怖い話を聞かされた直後の少女のような怯え様でした。

 

「いなかったんだ。今回の戦闘で、その怪物の姿は見当たらなかった」

「……」

「だから、今から出てくるかもしれない。勝利に浮かれ、気を抜いている今の隙を突かれるかもしれない」

 

 アルノマさんは、不思議に感じました。

 

 民兵を指揮し、数倍以上の敵を相手に大勝利を収めた天才少女が何をそんなに恐れるのかと。

 

 ……結局、シルフの言う『怪物』は現れなかったのですが、

 

「このまま我らは塹壕を維持するが、絶対に気を抜くな。奇襲を密に警戒しろ」

「あ、ああ」

 

 彼女は勝利して数日経っても、決して警戒を解くことは無かったようです。

 

 

 

 

 そしてこのフラメール義勇軍の勝利は、オースティンに大きな決断を強いる事になりました。

 

 幸いと言うか流石と言うか。

 

 ベルン少佐の撤退判断は早く、現段階ではオースティン兵に大きな損害は出ていませんでした。

 

 敗走の原因は、司令部を叩かれ命令系統が麻痺しているからです。

 

 司令部機能が回復すれば、再び態勢を立て直すことも出来ましょう。

 

 問題は援軍エイリス軍2万人に、敗走中の南軍が追撃される可能性があった事です。

 

 

 エイリス軍の援軍が上陸したのは、鉱山戦線と対極の海岸でした。

 

 当初エイリスは『市民解放』を謳い、商業都市エンゲイ奪還を掲げていました。

 

 しかし、進路を変えれば敗走したオースティン南軍の追撃も可能だったのです。

 

 そして現状、エンゲイより南軍を攻撃される方がオースティンにとって厳しい展開です。

 

 南軍敗走の報を受け、エイリス軍が進路を変えてくる可能性は十分にありました。

 

 

 エイリス援軍は、宣言通りにエンゲイを目指すのか。

 

 南軍の撤退路を予測し、奇襲を行うのか。

 

 どちらも対策し、守れる戦力はオースティンにありません。

 

 我々は、『エンゲイを防衛するか、南軍の撤退路を確保するか』という二択を迫られることになったのです。

 

 

 この選択肢を間違えれば、国が亡ぶ。

 

 オースティンの運命は、ヴェルディさんとレンヴェル中佐の判断に委ねられたのでした。



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154話

 

『トウリ遊撃中隊に命令変更を通達。南東52km地点にある、アルガリア溪谷を偵察してください』

 

 衝撃的な敗報を受けた翌日の朝。

 

 ヴェルディさんから、自分達はエンゲイではなく南軍撤退路(アルガリア)へ向かうよう指示されました。

 

『速度優先でお願いします。本作戦の遂行にあたって輸送物資の使用、ならびに放棄しての撤退を許可します』

 

 自分達に言い渡された命令は、南軍撤退路(アルガリア)にエイリスが来ていないか偵察することでした。

 

 現在、エンゲイ付近ですぐ動ける部隊は我々だけだそうです。

 

 今から偵察部隊を編成するより、自分達を使って偵察する方が早いという判断でした。

 

『なお参謀本部は、敵エイリス軍が南軍撤退路(アルガリア)を狙うとは考えていません。貴女方を派遣するのは、念のためです』

『了解』

 

 我々の偵察任務はあくまで保険だそうです。

 

 参謀本部は、エイリス軍2万が『エンゲイを攻める』と予想したようでした。

 

 エイリス側に立って考えると、南軍を狙うのは無理があるからです。

 

 まずオースティン南軍が撤退するルートは複数あり、位置の予測が難しいです。

 

 またベルンが意識を取り戻したら、返り討ちに遭うリスクもあるでしょう。

 

 南軍追撃は効果的ですが、リスクの高い作戦でもあるのです。

 

 

 一方でエンゲイまでは街道が整備されており、進軍も楽で迷う事もありません。

 

 そしてエンゲイを守るオースティン兵は少勢です。

 

 中央軍は鉱山戦線も維持しないといけないため、兵力を多く割けないのです。

 

 つまり敵からして南軍強襲は博打策ですが、エンゲイに侵攻すれば確実に有利に戦えます。

 

 そしてどちらも、勝てばオースティンは撤退を余儀なくされるでしょう。

 

 更にエンゲイの方が『市民解放』を謳えるので聞こえも良いです。

 

 南軍撤退路(アルガリア)を狙っても、リターンは変わらずリスクが高くなるだけ。

 

 以上から参謀本部は、南軍撤退路を奇襲する可能性は低いと予想しました。

 

『トウリ遊撃中隊は9日後まで、アルガリアに駐留し偵察任務を継続してください。9日目の正午まで敵の姿が見えなければ、撤退して結構です』

 

 ただヴェルディさんだけは、せめて南軍撤退路(アルガリア)に偵察部隊を差し向けるよう主張しました。

 

 万が一、敵が南軍を狙う場合は『アルガリア渓谷』を通過するらしいです。

 

 ここを通らないと山脈を越えられないので、偵察ポイントとしては完璧。

 

 なので我々が、アルガリアに派遣されることになったのです。

 

 

 更にアルガリア渓谷には、小さな砦があるそうです。

 

 その砦は放棄されているみたいですが、偵察の際に寝泊まりする拠点として利用できるそうです。

 

『作戦期間は9日だけですか?』

『はい。本日より9日目時点でアルガリアに敵が見えなければ、撤退路の奇襲に間に合いません。それ以上の偵察は不要です』

『成程、了解しました』

 

 ヴェルディさんはそう命令を説明した後「健闘を祈ります」と述べて通信を切りました。

 

 通信時間は数分だけ、任務のわりに短い説明時間でした。

 

 エンゲイの防衛作戦の指揮でお忙しいのでしょう。

 

「……ガヴェル曹長」

「なんだ」

 

 自分の頬には、冷や汗が伝っていました。

 

 これは、訓練途中の部隊がいきなり任されて良いレベルの任務ではありません。

 

 オースティンの未来をも左右する、重大な任務です。

 

「自分は南軍の敗報を、部下にはまだ伏せておこうと思います。士気に影響が出るので」

「ああ、賛成だ」

「我々は特別作戦を受け、東に進路を変更すると兵士に布告してください」

 

 敵が予想通り、エンゲイに向かってくれれば問題はありません。

 

 しかし我々の向かうアルガリアに敵がいた場合……自分達の仕事は「エイリスの足止め」になると思われます。

 

 となれば最悪、全滅もあり得るでしょう。

 

 ……正直に伝えれば、脱走兵が出ないとも限りません。

 

「一刻も早く、迅速に、正確に」

 

 自分は重責に押し潰されそうになりながら、アルガリア方面への進軍計画を練り始めました。

 

 

 

 

「これ、計画に無理があるんじゃないか」

「何とかしましょう、本部も余裕がないのです」

 

 ガヴェル曹長との話し合いで、問題点がいくつも浮かんできました。

 

 まずアルガリア付近は、司令部と通信できない事です。

 

 アルガリア砦は、未だフラメール勢力圏です。

 

 当然、オースティン軍の通信拠点など設置されている筈がありません。

 

「ナウマン兵長、何とか出来ないでしょうか」

「あいよ、中隊長殿。任せてください」

「出来るんですか」

「勿論。こう見えてオジサン、結構頼りになるんですよ」

 

 それをナウマンさんに相談したところ、通信魔道具さえあれば疑似的に通信拠点を作れるそうでした。

 

 この中隊で通信魔道具を支給されているのは、自分とガヴェル曹長の2人です。それぞれ予備を含め、2つずつ頂いています。

 

「1つは持ち歩くとして、拠点に出来る通信魔法具は3つ。通信距離は伸ばせて15㎞か」

「アルガリアには届きませんね」

「マラソンする距離が短くなったんだ、十分だろ」

 

 ここからアルガリアまでの距離は、南東に52㎞ほどありました。

 

 つまり毎日、伝令役は30㎞以上マラソンして通信する必要があります。

 

 足の速い者であっても、4-5時間はかかるでしょう。

 

 足腰が強く、方向音痴ではない人間を選別しておく必要がありますね。

 

「アルガリアに到着するまでの日程も詰めよう」

「まっすぐ進めば、2~3日後に到着する計算ですが」

「そう上手くいくまい。とりあえず5日間以内を目標としよう」

 

 中隊は頑張れば、1日20-30㎞ほど進めると言われています。

 

 その計算でいけば、今からおおよそ2日半でアルガリアに到着するでしょう。

 

 ただしそれは道を迷わず、昼夜休まずで進んだ場合。

 

 我々は新兵だらけ、道の案内もありません。

 

 夜の休養も必要と考え、5日かかると想定しておきましょう。

 

「当方に特別任務とやらの詳細は教えて貰えないんですか? 通信拠点をどう使うか教えて貰えたら意見を出せるかもしれませんよ」

「では話せる事だけお伝えしましょう、ナウマンさん。我々はアルガリア砦に向かい、9日目まで偵察を行います」

「ふぅむ」

「駐屯中は1日2回、偵察内容を作戦本部に定時連絡します。その為の通信拠点です」

「あい分かりました」

 

 アルガリア到着後、速やかに偵察を行い結果を報告せねばなりません。

 

「そう言う事なら、通信拠点の周囲に目印を用意しておきましょう。道に迷う奴が出ないように」

「そうですね、お願いします」

「後は誘導石といって、水に浮かべりゃ常に決まった方角を指し示す石があるんです。これを使って拠点の間に道しるべを設置しておきますね」

 

 その後1時間ほど話し合い、方針は固まりました。

 

 通信拠点の設置は、ナウマン兵長が責任を持ってやってくださるそうです。

 

 こうして万全とはいきませんが、通信問題は対応できる形となりました。

 

 

 次は、食糧弾薬の問題です。

 

 元々、本中隊の任務は物資輸送です。長期間作戦に耐えうる食料を手渡されていません。

 

 だからヴェルディ少佐は、輸送物資から食糧弾薬を補充してよいと仰っていました。

 

 それで、改めて輸送物資の中身を確認したのですが……。

 

「フラメール産のワインがいっぱい」

「ぷくぷくぷくぷく」

「駄目ですよアルギィ」

 

 箱の1つはまるごとワインのボトル。

 

 その隣の箱は、缶詰にされたガチョウ肉やアヒル肉。

 

 他の箱は全て、フラメールで鹵獲された銃や剣でした。

 

「缶詰肉以外の食料が見当たりませんね」

「武器の状態も酷いな」

 

 確かに食料なのですが、流石に食事が偏りすぎます。

 

 レーションは色々な栄養を補充できるよう作られていますが、肉オンリーは少し厳しすぎます。

 

「……1日のレーションを減らし、代わりに肉缶詰を支給しましょうか」

「そうだな」

 

 この肉缶詰は、2日分程度の食料にはなりました。

 

 アヒル肉料理なんて、初めて食べた気がします。

 

 果実系のソースで味付けされた、ちょっと堅い鶏肉という感じでした。

 

「何だこれ、甘っ」

「これは中々癖がある……」

 

 このフラメール産の肉缶詰は、兵士達には好評でした。

 

 レーションよりは美味しかったので、不満は出ませんでした。

 

「トウリ少尉、水分がワインしかありません。許可を貰えませんか」

「ぷぷぷぷぷぷ、ぷ-くっく」

「……」

 

 ただ味付けが濃いからか、兵士がワインに涎を垂らし始めたのです。

 

 おそらくこのワインは、肉の缶詰と合うよう作られたのでしょう。

 

 フラメール人は、このワインと缶詰で晩酌するのが最高の贅沢だったようです。

 

 とはいえ、作戦行動中にワインを許可するわけにはいきません。

 

 酔っぱらって進軍が滞るなど、あってはならない事です。

 

「酒ではなく水分として、ワインを許可して貰えませんか」

「駄目です。河川など、水源を探し確保してください」

 

 小隊長格から何度かワインの陳情がありましたが、ガンとして拒否しました。

 

 オースティン存亡の危機に、酒におぼれるなど愚の骨頂です。

 

「水源が見つかればワインを捨て、空いたボトルに煮沸水を汲みましょう」

「ぷくー!! ぷっぷっぷっ……ぷぇー!!!」

「アルギィ煩いです」

 

 水の確保は重要です。水が無ければ、人体は容易に干からびます。

 

 アルガリア付近は渓谷地帯と聞いているので、水は豊富と思いますが……。

 

 道中に水源が見つからなければ、ワインを破棄するのもやむなしです。

 

「トウリ少尉。最後に武器だが……」

「これはマスケット銃という奴でしょうか。単発式で、狙ったところにまず飛ばないという」

「農民の持ってる猟銃と変わらんぞこれ」

 

 我々が運んでいた武器も、なかなかに酷いもんでした。

 

 全てがオースティン銃の第一世代以下の性能です。

 

 フラメール産の銃なので、仕方ないかもしれませんけど。

 

「恐らく軍は、これを『武器』じゃなく『鉄』と見てるんだろうな。後方でオースティン銃に作り替えるんだ」

「そうでしょうね」

 

 自分達が運んでいた武器は、殆ど鉄屑でした。

 

 ギリギリ使えそうなのは、マスケット銃と近距離用ナイフくらいでしょうか。

 

 手榴弾なんて小洒落たものは入っておらず、殆どが前時代で活躍した化石の様な武器ものばかり。

 

「ま、戦闘になったら素直に逃げろって事だな」

「勝てないですね、これは」

 

 自分とガヴェル曹長は、武器を確認して溜息を吐きました。

 

 

 

 最後の問題は、アルガリアまでの地形情報を貰っていないことです。

 

 アルガリアは南東方角ということ以外、何も分かりません。

 

「偵察兵を飛ばして、道を確認していかないと迷うぞ」

「フラメール領土内ですもんね、土地勘ある人とかいませんよね」

「いるわけねーだろ」

 

 アルガリアは作戦予定にない場所なので、誰も正確な位置を知らないのです。

 

 作戦本部に通信で地形情報を依頼しましたが、未だ返答はありません。

 

 道が分からないのは致命的です。

 

 全然見当はずれの場所を偵察していたら、目も当てられません。

 

「とりあえず、南東に進軍しましょう。偵察兵に道を確認していって貰いながら、本部からの返信を待つのです」

「それしかねえな」

 

 自分達は通信が担保されている範囲で、ゆっくり進軍を始めました。

 

 

 

 

 

 

 

「なぁトウリ中隊長殿ぉ。俺達、何処に向かっているんです?」

「特別な任務であるので、まだお話しできません」

「そんなぁ」

 

 そんなこんなで、我々は進軍にすら苦労していました。

 

「肉の缶詰が支給されたでしょう? あれが報酬の前払いです」

「あれ、そんなに好きじゃないんだよなぁ」

 

 作戦本部からの返信を解釈すると『そのうちデカい川があるから、その上流を目指せばアルガリア渓谷に辿り着く』そうです。

 

 そのルートはかなり遠回りになるらしく、当初の想定通りアルガリアまで5日はかかるようでした。

 

「そろそろ休憩しないか、偵察兵がバテてる」

「偵察兵さんは、確かに走り通しですね」

「よし、じゃあ休憩しよう! 川で魚を釣ったら、食っていいですか」

「おなかを壊さぬよう、しっかり加熱してくださいね」

 

 兵士たちは腹の足しにしようと魚を取ったり、果物を摘んできました。

 

 まだレーションには余裕があるのですが、少しでも節約してくれているようです。

 

「見てくださいトウリ隊長、上手いもんでしょう! 子供の頃、釣りの大会で優勝したんですよ」

「おお」

 

 河村落出身の兵士などは素手で漁を行い、魚を戦友に振舞っていました。

 

 まさに、水を得た魚の様でした。

 

「中隊長もどうぞ。内臓は抜いてますので、塩をたっぷりつけて食ってください」

「ありがとうございます」

 

 彼らは何も知りません。

 

 今こうしている瞬間、オースティンは存亡の縁にいることを。

 

「こうして川遊びができるなら、特別任務も悪くないな」

「うめぇな、この川の水」

「おい水は煮沸しておけ、生水は絶対に飲むな」

 

 自分は胸の内に込み上がる焦燥を悟られぬよう、練習中の笑顔で兵士たちに応対し続けました。

 

 

 

 

 

 

 突然、旨い肉の缶詰が振舞われ。

 

 川で戦友たちと遊び、魚を取って食べ。

 

 この5日間は、兵士にとっては楽しい時間だったのではないでしょうか。

 

 

 特別任務を言い渡されて5日目。

 

 自分達はとうとう、アルガリア渓谷へと到着いたしました。

 

「おお……」

「これ、は」

 

 アルガリア渓谷は豊かな自然と野鳥のさえずりが響く、綺麗な場所でした。

 

 澄んだ川瀬には魚が泳いでいて、青々とした水草が生い茂っています。

 

 その川を横断するように、石造りの砦が山の狭間に建造されていました。

 

 川は砦の内部に整えられた水路を通って下流に流れ、砦の中で漁が出来るようになっています。

 

 周りを水で囲まれているその立地は、天然の掘として機能するようデザインされているのです。

 

 水上にそびえ立つ自然要塞。それが、アルガリア砦でした。

 

「ボロボロじゃないか」

「砦壁が朽ちて、綻んでいる」

 

 しかし砦には数多の闘いの痕跡が見受けられ、既にボロボロの状態と言えました。

 

 所々に砦壁には大きな穴が開き、雑草や苔が生い茂っています。

 

 何せこの砦が戦争に使われたのは、今から百年以上前の話です。

 

 剣や槍で殴り合った時代では、水流に守られたこの砦は無類の防衛力を誇ったでしょう。

 

 しかし今は過去の戦争の産物、銃撃戦は周囲を水に囲まれていようと関係ありません。

 

 むしろ逃げにくくなるし、施設の老朽化も早まるだけです。デメリットの方が多いでしょう。

 

 そんな理由でこの砦は放棄され、フラメール内では遺跡として扱われているようです。

 

「目標地点に到着しました、皆さんお疲れ様でした。ではこれより、作戦は第2フェーズに入ります」

「あの」

「偵察兵は周辺地形の確認を行ってください。通信担当者にはすぐ走ってもらう予定です、今のうちに休養を取っておいてください」

 

 アルガリア砦を確保した後、自分は努めて冷静に。

 

 顔色を変えぬよう気を付けて、部下に指示を出しました。

 

「歩兵並びに輜重兵は、スコップを持って塹壕制作の準備をしてください。自分の指示する場所に、塹壕の設置をお願いします」

「あの、トウリ中隊長殿」 

 

 自分の隣で、ガヴェル曹長が無言で正面に広がる景色を睨みつけていて。

 

 背後の兵士がざわざわと、自分に不安そうに話しかけてきました。

 

「あれは、一体」

「分かりませんか」

 

 アルガリアに到着してから、動悸が止まりませんでした。

 

 全身から脂汗が噴き出し、今すぐここから逃げろと脳が叫んでいます。

 

 兵士の顔色は悪く、ガヴェル曹長に至っては真っ青になっています。

 

 何故なら────

 

 

「見ての通りエイリス軍です」

 

 

 オースティン参謀本部の予測を裏切って。

 

 エイリス軍2万人は南軍撤退路(アルガリア)方面へ、侵攻してきていたからでした。

 

 

 目の前に蠢く、無数の青いエイリス国旗。

 

 『エイリス軍』は渓谷を越えた平野に列をなして、土煙を上げながら前進してきています。

 

 現在この事実を知っているのは、オースティンで自分達のみ。

 

「今この瞬間から自分達の行動が、オースティンの未来を左右します。各員、覚悟を持って命令に臨んでください」

 

 アルガリアと作戦本部の間に通信は担保されておらず、情報の行き来には半日ほどかかる現状。

 

 オースティン参謀本部は外してはならない二択を、誤ってしまったようでした。



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155話

 

 ────アルガリア方面に、敵影見ゆ。

 

 ────敵の狙いは、南軍撤退路への奇襲と思われる。

 

 

 アルガリア砦から見下ろす大河の下流には、数多のエイリス国旗が揺らめいていました。

 

 それはオースティン参謀本部が、フラメール・エイリス連合側に読み負けたことを示しました。

 

「各小隊に通達します。本中隊は明日、敵エイリス軍と接敵する見込みです」

「……」

「各員、戦闘準備。地形の起伏を生かし、急ぎ塹壕を準備してください」

 

 現在の南軍司令部は混乱状態にあり、散り散りになって撤退している最中だそうです。

 

 アンリ大佐は戦死してベルン・ヴァロウは意識不明の重体、これで軍が纏まるわけがありません。

 

 そんな状況でエイリス軍に奇襲されたら、彼らは壊滅してしまうでしょう。

 

 ────奴らを通したら、オースティンは滅んでしまう。

 

 

 

 自分は決して、いつもの直感だけでそう判断したわけではありません。

 

 ヴェルディさんは、「9日後までアルガリア偵察せよ」と言いました。

 

 その日まで人影が見えなければ、南軍撤退路は安全だと。

 

 しかしまだ5日目だというのに、既にアルガリアに敵が押し寄せてきています。

 

 ……この情報を急いで伝えたとして。

 

 情報の往復に2日はかかりますし、事実を確認している間に奇襲が成立してしまいます。

 

 最初から、自分達の偵察任務は『念のため』。

 

 敵の本命はエンゲイへの攻撃だと、参謀本部は決め打っていたのです。

 

 

 自分は、この絵を描いた人物が誰か悟っていました。

 

 わざわざ、難易度の高い奇襲策を選択したこと。

 

 ベルン・ヴァロウが、小勢に敗北したこと。

 

 以上の事から、敵は「奇襲が好きなベルンに匹敵する戦争の天才」と言えます。

 

 

 そんな人物を、自分はシルフ・ノーヴァしか知りません。

 

 今押し寄せてきているエイリス軍を裏で操っているのは、彼女でしかありえない。

 

 奇襲戦法の達人シルフが、こんな有利な状況の奇襲を失敗する筈がない。

 

 だから、このエイリス軍を放置してはいけないのです。

 

「塹壕って……俺達は戦闘をするのか!? あの大軍を相手に!」

「……無理だ、勝てっこない。早く逃げないと!」

「参謀本部の指示を仰がなくていいのか」

「狼狽えないでください、今から説明いたしますので」

 

 凄まじい数の敵兵を前に、兵士達は動揺を隠しません。

 

 しかし自分だけは飄々と、平静を装い続けました。

 

 土壇場こそ、指揮官は余裕を持たねばなりません。

 

 自らの表情が乏しい顔面を信じましょう。

 

「ご安心ください、この状況は参謀本部の読み通りです。では、特別作戦の概要を説明いたします」

「……さ、作戦なのか。これが」

「参謀本部はここ、アルガリア方面からのエイリス軍の奇襲を予測していました。事実を確認できたので、敵エイリス軍の奇襲は無力化されたも同然です」

「そう、なのか」

「伝令役は急ぎ、この情報を作戦本部に伝達してきてください」

 

 自分は自信満々にそう言い切って、兵士たちの不安を払拭しました。

 

 「予想外の展開です、我々は絶体絶命です」なんて言えませんからね。

 

「さて、次の我々の任務は遅滞戦闘です。能天気に進軍しているエイリス軍を、からかってやろうじゃないですか」

「からかう、ですか」

「ええ。未だに騎兵を編成している原始人に、近代戦を叩き込んでやりましょう」

 

 自分は部下に演説しながら、頭をフル回転させていました。

 

 まもなく夜に入ります。

 

 渓谷地域を深夜に行軍するのは、リスクが高いでしょう。

 

 川沿いは足場が悪いですし、夜行性の動物に襲われる危険もあります。

 

 夜間進軍はしてこない、はず。

 

 敵の到着は、明日の昼以降になると予測されます。

 

「今晩の間におもてなしの準備を整えて、明日は鉛弾でパーティを開こうではありませんか。主賓にお楽しみいただいた後、我々は悠々と引き返して戦果を誇るとしましょう」

「……」

 

 夜通し作業をすれば、簡易な塹壕を設置することは可能でしょう。

 

 アルガリアは渓谷なので、大軍で押し掛ける事は出来ません。

 

 敵は兵力を小分けにして、突撃してくる必要があります。

 

 何層も塹壕を用意してやれば、エイリス軍は突破に苦労するはずです。

 

 

 そもそも敵はまさか、我々がたった150名しかいないとは考えません。

 

 もっと大軍で待ち伏せていると想定し、慎重に行軍するでしょう。

 

 それだけでかなり時間は稼げるはずです。

 

「明日の『パーティ』は、オースティンの未来を左右します」

「未来、ですか」

「ええ。我々が稼いだ時間が、祖国に残した家族の命運を分けるのです」

 

 そこで自分はセドル君を思い浮かべ、笑みを浮かべました。

 

 兵士の不安を取り除くための、余裕に見える笑みです。

 

「本当に、大丈夫なんですね」

「勿論、自分に任せてください」

 

 現実的には、1日も稼げれば十分でしょうか。

 

 ガーバック小隊長は自分達より少ない54名で、1日を稼いで見せました。

 

 敵がいると警戒させて、砲撃魔法などで敵の物資を損耗させつつ、1日ほど時間を稼ぐ。

 

 そこまでやったら、参謀本部も文句は言わないでしょう。

 

「こんな程度の修羅場は、何度も潜り抜けてきましたから」

「お、おぉ……」

幸運運び(ラッキーキャリー)の名の通り、オースティンに幸運を運んでやりましょう」

 

 自分は冷静に、最適と思える行動を選択するだけ。

 

 使えるものは何でも使って、オースティンを守りぬきましょう。

 

 国内に暮らすセドル君たちの命を、奪わせないために。

 

 

 ────鼓動が、高まる。

 

 

 そう、覚悟を決めた瞬間。

 

 グツグツと体の奥深くから、熱気(さつい)が沸き上がってくるのを感じました。

 

 

 ────唇が、ひん曲がる。

 

 

 気分が、高揚する。

 

 命を賭けた戦場ではなく、椅子に座ってゲームでもしているような感覚。

 

 自分が恐怖に押し潰れそうになった時、騒ぎ出す『もう一人の自分』。

 

 彼がノソリと、重い腰を上げたようです。

 

「このアルガリアに、奇跡を起こして見せましょう」

 

 自分の鼓舞に反応し、兵士たちはオーと雄たけびを上げました。

 

 

 

 

 

 兵士たちは不安そうな顔をしていますが、命令に逆らおうとしませんでした。

 

 今の所は戦意を失うことなく、塹壕づくりに取り組んでくれています。

 

 ……ひとまず、脱走兵の心配はなさそうです。

 

 

 ────3時方向、山の中腹。敵から死角になっており、高さもあるので守りやすい。

 

 ────川沿いの岩陰に伏せれば、河を下ってきた敵を背後から一網打尽に出来る。

 

 

 グアン、グアンと耳鳴りが脳に響き。

 

 無機質で、感情の無い男の声が自分の頭に語り掛けます。

 

「トウリ少尉、河の下流の中洲に堡塁の痕跡が」

「良いですね。岩や泥で補強して、機能するようにできますか」

「ナウマン兵長に頼んでみます」

 

 いつも自分が窮地に立つと、聞こえてくる第二人格(もうひとりのじぶん)

 

 ……正気を失った、狂人(じぶん)の幻聴。

 

「あの河岸の窪地とか良さそうですけど、塹壕を掘っておきますか」

「なるほど、確かにあそこは塹壕を掘るには最適です。……しかし最適すぎて、敵に予測されるでしょう。また、そこに兵士を伏せても防衛範囲はあまり広がりません」

「では山道に入りますが、南東の小丘地帯は」

「そこには塹壕を設置すべきですね。敵は河岸を迂回する際、その小丘地帯を通るでしょう。待ち伏せして、追い返してやりましょう」

 

 この声は、そう言った場所を見つける事に関しては優秀でした。

 

 自分は脳内で戦略を組み立て、どこに塹壕を掘って兵を伏せるか、指示を出し続けました。

 

 その意味を理解しないまま、醜悪な笑みを浮かべて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 兵士達の努力の甲斐もあって、一晩で防衛準備を整える事が出来ました。

 

 我ながら完璧で、気味が悪いくらいの出来です。

 

「ガヴェル曹長。正直、自分達はどれだけ時間を稼げると思いますか」

「……それを俺に聞くのか」

 

 自分は、まもなく出来上がる最後の塹壕を眺めながら。

 

 副官であるガヴェル曹長と、小声で会話を交わしました。

 

「……普通に戦えば、数時間持たないだろうな。1日も稼げれば、奇跡だろう」

「そうですね」

 

 ガヴェル曹長の意見は、そんなものでした。

 

 確かに、150人と2万人の闘いとなれば勝負になる筈がありません。

 

 物量差で捻じ伏せられるのが基本です。

 

「ですが自分は、たった50人で砦に籠って1日間も稼いだ人を見たことが有ります」

「そりゃあ……、凄い人なんだろ」

「はい、凄まじい人でした」

 

 ですがガーバック小隊長は、かつてムソン砦で首都に迫るサバト軍をたった50人で足止めしました。

 

 彼のお陰で首都は戦火を免れ、多くの命が助かったのです。

 

「自分達でも、1日くらいは稼げるんじゃないですか」

「そうかな? ……何もかもうまくいけば、出来るかもな」

「そうですね」

 

 ガヴェル曹長は、あいまいな笑みを浮かべそう言いました。

 

 1日くらいは稼げるかもしれない、ですか。

 

 ……果たして、自分は彼にどういう顔をすべきなのでしょうね。

 

「何だ、その顔は。泣きそうじゃねーか、トウリ少尉」

「ええ」

 

 何となく、自分は気付いていました。

 

 『たった1日稼いだくらいでは、戦況は何も変わらない』事に。

 

 我々が命を賭け、多く犠牲を払って、ガーバック小隊長のようにエイリス軍の侵攻を1日遅らせたとして。

 

 それでも奇襲は間に合ってしまいますし、オースティンは致命的な状況に陥ってしまうでしょう。

 

「凄く頑張って、1日時間を稼いだとしても……オースティンの負けは覆りません」

「……何?」

「何となくですけど、自分はそう思います」

 

 作戦本部に『エイリスが南軍撤退路を狙っている』という情報が伝わるまで半日はかかります。

 

 タイムラグが大きすぎて、1日稼いだところで南軍を援護する時間が取れると思えません。

 

「じゃあどうするんだ」

「3日間、エイリス軍を足止め出来ればオースティンの首の皮はつながるでしょう」

「3日間……」

 

 ヴェルディさんが定めた、我々が偵察任務を続けるべき期間はあと3日間。

 

 その日付までにアルガリアを突破されれば、エイリス軍の奇襲は間に合ってしまう。

 

「無理だ」

「そう思いますか」

「出来るわけないだろう。1日持てば奇跡なのに、3日なんて持つわけない」

 

 ここからたった150人の部隊で、2万人を3日も押しとどめる。

 

 そんな事が出来れば、オースティンの戦史に残る『奇跡』になるでしょう。

 

 本当に、そんな事が出来るでしょうか。

 

「戦闘になれば、武器弾薬が足りない。俺達は1日分の弾薬しか持たされてないんだぞ」

「……そうですね」

「流石に、その戦術目標には反対させて貰う。非現実的だ」

 

 弾薬も、物資も足りない状況で。

 

 どれだけの『奇跡』が重なれば、そんな事をなしうるのでしょうか。

 

 

「初日は中洲の堡塁を中心に、両岸を固めましょう。敵の砲兵を引っ張り出せれば、戦術的勝利ですね」

「あ?」

「次の日は、両岸と山道でゲリラ戦法を仕掛けます。そこの岩陰に10名、それで2時間。小丘地帯に塹壕を作り10名ここで3時間足止めです。山道迂回路に塹壕を掘って20名伏せれば、5時間は稼げるでしょう」

「……トウリ少尉?」

 

 その答えは、幻聴が教えてくれました。

 

 奇跡への道しるべを、自分の中の「誰か」があっさり導いていました。

 

「稼げるんです。自分の指示通りに兵士が戦い、作戦行動を遵守すれば」

「馬鹿な事をいうな、出来るわけが」

「ぴったり、足りるんですよ」

 

 何度も計算しなおしました。

 

 その場所に兵を伏せれば、エイリス兵は攻略にどれだけ時間がかかるか。

 

 この中隊の全員が職務を全うすれば、アルガリアに奇跡は成し得ます。

 

「そこに配置したとして、どうやって兵士は撤退する」

「撤退は考慮しません」

 

 この配置にすれば綿密なスケジュールに沿って、作戦は進行するでしょう。

 

 きっかり72時間、綺麗に敵を足止めする事が出来ます。

 

 そうすればエイリス軍は、オースティン南軍の奇襲に間に合わない。

 

 ベルン・ヴァロウは撤退出来て、我々の未来は守られます。

 

 まったく無駄のない、完ぺきなプランニング。

 

「ここで中隊全員の命を犠牲にすれば、稼げてしまうんですよ……」

 

 その作戦が頭に浮かんだ時。

 

 自分はこのアルガリアの地に「奇跡の実現」を思い描きました。

 

「どうしましょう、ガヴェル曹長」

「……」

 

 その作戦の成功率は現実的な数字です。

 

 逃亡兵さえ出なければ、恐らく4-5割は成功すると考えられます。

 

 仮に失敗したとしても『中隊150名が戦死するだけ』で、ある程度は時間が稼げます。

 

 リスクとリターンを考えても、実行しない方が損と言えるでしょう。

 

「メイヴさんにも、ナウマンさんにも、死ぬまで塹壕の中で足掻いてもらいます。時間をたっぷり稼いだあと、弾薬が尽きたら戦死して頂きます」

「……お前」

「初日はメイヴさん、二日目はナウマンさんですかね。そして三日目、砦に籠って最後の抵抗を指揮するのはガヴェル曹長にお願いしましょうか」

「……」

「貴官には最終日、アルガリア砦に籠って残存オースティン軍をまとめ上げ、半日ほど応戦して貰います。脱出を考慮せず応戦するのであれば、現実的な目標設定でしょう」

「トウリ少尉。お前……」

 

 話すうちに声が震えて、涙と鼻汁が溢れて落ちました。

 

 自分はガヴェル曹長にだけ聴こえる声で、言葉を続けました。

 

「だけどこの戦闘で、一人だけ死なない予定の兵士が居るんです」

「……」

「最後に。一人だけ、戦果を報告するために通信拠点に走る兵士が必要になります」

「…………」

「それは最後まで最後方にいる人物です。戦闘に参加せず、長期間走る事が出来て、正確な報告が出来る人員」

 

 自分の作戦は、我ながら完ぺきでした。

 

 中隊の全員の命を使い切り、無駄なく時間を稼いだ後は────

 

「生き残って通信拠点に走る役割、それは自分が最適でしょう」

「……」

「ねぇ、ガヴェル曹長」

 

 自分だけが、生き延びてしまう。

 

「今の自分の作戦に、何かご意見はありますか」

「そうか……」

「何か反対意見はありますか。どこかに、致命的な考え違いはしていませんか」

 

 自分は兵士達に塹壕の場所を指示しながら、そんな作戦を考えていました。

 

 祖国を救うという名目で、中隊を全滅させておきながら、自分だけが生き残る策。

 

「作戦に自信はあります。この手段が、考えうる限り最も成功率が高いです」

「……」

「そして自分は、オースティンを救う手立てを他に思いつかないのです────」

 

 

 吐物と涙でぐしゃぐしゃになっている自分を。

 

 ガヴェル曹長は無表情な目で、じっと見つめていました。

 

 



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156話

「……少し時間をくれ」

「分かり、ました。では、後ほど」

「ああ」

 

 話を聞いた後、ガヴェル曹長は自分の顔も見ず立ち去ってしまいました。

 

 河原には、膝を抱えて座る自分だけが残されました。

 

「塹壕が完成したら、アルガリア砦前に集合してください」

「了解です、少尉殿」

 

 自分は顔を整えたあと、兵士達に声をかけました。

 

 空に赤焼けの太陽が昇り、周囲の景色を照らし始めていました。

 

 アルガリア渓谷壁は、赤レンガや石で形成された古い作りのものでした。

 

 年月により劣化し、ところどころが欠けたり崩れ去っています。

 

 河の周囲には草木が生い茂り、周囲に連なる山脈は高く険しく美しい。

 

 もし戦時下でなければ、アルガリア砦は良い観光地になりそうな風情を誇っていました。

 

 

 塹壕が、堀り終わったあと。

 

「皆さんには今から、オースティンを救う英雄として戦って頂きます」

 

 平和な川のせせらぎ、小鳥のさえずりが聞こえてくる中。

 

 自分は泥だらけになった兵士達を河川岸に集めて、演説を行いました。

 

「我々の働きが、未来に繋がります。兵士として、軍人として、この場に立つ事が出来て自分はとても幸せです」

 

 昨晩に伝令役を走らせましたが、作戦本部から返信はきていません。

 

 南軍撤退路(アルガリア)奇襲に対応する準備ができていなかったと思われます。

 

 我々の報告が偽報の可能性すら検討しているのではないでしょうか。

 

 ……未だ参謀本部から返事がないならば、援軍に期待できません。

 

 敵の奇襲が事実だと知っている自分達だけが、オースティンを守れるのです。

 

「トウリ中隊長」

「何でしょうか」

 

 もう朝日が昇り始めてなお、敵に動きはありませんでした。

 

 炊事の煙が上がっているので、まだ時間の余裕はあるでしょう。

 

 決戦は、恐らく昼過ぎ。

 

「我々は、少し時間を稼ぐだけで良いのですよね?」

「……はい、少しばかり稼いでいただきます」

「我々は具体的に、どれくらい踏ん張れば撤退すればよいのでしょうか」

「それぞれ各小隊ごとに、目標戦闘時間を設定しています。それぞれ小隊長に説明いたします」

 

 自分は今から、彼らに死ねと命じます。

 

 目の前の兵士たちは、従軍したばかりの新米兵士。

 

 血で血を洗う実戦経験もなければ、命を捨てる覚悟もないでしょう。

 

 そんな彼らを騙して死地に向かわせるのは、果たして正しい事なのでしょうか。

 

「分かりました」

「……ご理解いただけて感謝します」

 

 全てを、白状してしまいたい。

 

 もう、此処に居る全員がおそらく生きては帰れないこと。

 

 自分だけが報告の為、逃げ出して本部に報告することを。

 

「……」

 

 しかし、そんな事をしたら兵士は逃げ出してしまいます。

 

 騙さねばなりません。

 

 もう故郷に帰れない事、この遠い異国の僻地アルガリアに死体を埋めねばならない事。

 

 それを、知られるわけにはいきません。

 

「それでは皆様、フラメール産ワインを1本ずつお取りください。決戦前の景気づけとして、適度に楽しんでください」

「おお! 戦闘前だってのに良いんですか中隊長」

「今回は特別です。各小隊長は、ブリーフィングを行いますのでテントに集合してください。その後、ワインを支給します」

「ぷくーぷくぷくぷく!」

 

 自分は平静を装いながら。

 

 ワインを支給されて歓声を上げる兵士達を前に、歪んだ笑みを浮かべました。

 

 

 

 

 どこまで、各小隊長に話すべきでしょうか。

 

 ……小隊長格には、全て話してもいいでしょうか。

 

 何故なら、この作戦は死ぬまで敵を足止めし続けていただく任務です。

 

 小隊長がその趣旨を理解せず、勝手に撤退の判断をされたら作戦が崩壊します。

 

 

 しかし、敵前逃亡癖のある小隊長もいます。

 

 彼に事実を伝えたら、部隊ごと持ち場を放棄して逃げ出さないでしょうか。

 

 1部隊でも持ち場を放棄すれば、陣形が崩れた場所から一気に侵略されてしまいます。

 

 ここは敢えて作戦の意図を伝えず、絶対に撤退できない状況に追いやって死ぬまで強制的に粘ってもらうべきでしょうか。

 

「……」

 

 自分を信頼している、兵士を騙して。

 

 戦死する意味すら伝えず、死地に追いやって。

 

 その戦果を報告し、褒章を受けるのは自分だけ。

 

 

 許されるはずがない。

 

 許されてはいけない。

 

 なのに、他にオースティンを救う手立てを思いつきません。

 

 

 もっと、何か自分が罰を受けるような。

 

 この許されるべきではない悪事の報いを受けるような、作戦はないでしょうか。

 

 数多の兵士の代わり、自分だけが死ぬような作戦は存在しないでしょうか。

 

 

 そもそも作戦の報告役が自分でないといけない理由はどこでしょうか。

 

 3日目まで自分が生存する、それは確定です。

 

 自分は負傷兵を治療する【癒】の使い手なので、序盤で戦死するのは非効率的でしょう。

 

 また、中隊長が死んだ場合の士気低下は馬鹿にできません。

 

 やはり3日目までは、自分が生きて戦うべきです。

 

 しかし、3日目に撤退して報告する役目は他の人でも良くないですか?

 

 例えばガヴェル曹長。自分が彼の増強小隊の指揮を引き継いで、代わりに戦死するのはどうでしょう。

 

 その間に、ガヴェル曹長が通信拠点まで走って戦果を報告する。

 

 彼は英雄になりたいと言っていました。

 

 ガヴェル曹長が戦果を報告しに戻ったら、彼はきっと英雄になれます。

 

 彼がそれを望むのであれば、自分は彼に全体の指揮権を譲って死ぬまで戦って……。

 

 

 

 ────甘えるな。

 

 

 

 いっそ戦死して、楽になりたい。

 

 自分も戦死したならば、皆を死地に追いやったとしても許される気がしていました。

 

 しかしそんなもの、自己満足の自傷行為にしか他なりません。

 

 自分が生き残って伝令を行う方が国益になります。

 

 ……回復魔法の使い手は、とても希少なのです。

 

 また彼よりも狂人(じぶん)の方が、指揮官として優秀でしょう。

 

 オースティンの国益を考えるのであれば、生き残るのは自分であるべき。

 

 

「おい、トウリ中隊長」

「……なんでしょう、ガヴェル曹長」

「少し話し合うことがある。ちょっとだけ顔を貸せ」

 

 ────ああ、吐き気がする。

 

 自分はどれだけ醜悪で、残酷で、非情な生物なのでしょう。

 

 ベルン・ヴァロウに友達面されるのも仕方ありません。

 

「作戦会議だ」

 

 そんな風に、自らを嘲っていたら。

 

 ガヴェル曹長が、自分にそう耳打ちをしました。

 

 

 

 

「何でしょうか、ガヴェル曹長」

「提案がある」

 

 彼は真面目な顔をしたまま。

 

 自分をテントの中に誘い込み、椅子に座るよう促しました。

 

「提案とは、何でしょう」

「今朝聞いたお前の作戦に、賛成できない。俺に指揮権を渡してほしい」

 

 自分の正面に座ったガヴェル曹長は、開口一番にそう言いました。

 

 そのセリフに自分は思わず、唖然と口を開きました。

 

「俺の方が、お前より指揮官として相応しい」

「……それは、どういう」

「そのままの意味だ。これからの指揮は俺が執る」

 

 ガヴェル曹長は、冗談や軽口を言っているようには見えません。

 

 彼は本気で、自分から指揮権を奪うつもりのようです。

 

「自分のお伝えした方針に、不満があるという事でしょうか」

「まぁな」

「ではまず、ご意見をお伺いしましょう」

 

 ……よく考えれば、当たり前の話でした。

 

 死んでしまうと知って、従う人がどれだけいるでしょうか。

 

 ガヴェル曹長はまだ15歳です。まだ、死ぬ覚悟など出来ているはずがありません。

 

「お前さ。俺達に死ねと命じておいて、自分は生き残るって。納得できる訳ねぇだろ」

「……ですが」

「そんなんで兵士は納得するはずがない。断言するね、お前の作戦は逃亡兵が出て破綻する。失敗するとわかっている作戦に、命を懸けられるほど俺は馬鹿じゃない」

「む……」

 

 ガヴェル曹長の意見は、中々に痛いところをついていました。

 

 確かに、自分の作戦が成功するのは『全員が職務に準じて死ぬまで戦う』のが前提です。

 

 逃亡兵が出たら破綻する、というのは間違っていないでしょう。

 

「では、ガヴェル曹長にはもっと良い案があるという事でしょうか」

「ああ」

 

 もし、彼に素晴らしい代案があるのであれば賛成します。

 

 本音を言えば、他に策があるならそちらにしたいくらいです。

 

 彼に指揮権を委ねることにも、何の抵抗もありません。

 

「お前がさっき言った作戦、俺が考えたことにする」

 

 そう思って、話を聞いてみると。

 

「お前は1日で撤退するつもりだったが、俺が『それじゃ足りない』と言い出した事にしろ」

「……何を言ってるのですか」

「作戦の発案者が、一人生き延びるだなんて仁義にかけるだろ?」

 

 思わず顔を上げると、彼はレンヴェル中佐のようにガハハと声を上げて豪快に笑いました。

 

「俺が思いついた作戦で、俺は自ら戦死するまで戦うんだ。その方が、兵士もついてこようって気になるだろう」

「……」

「作戦立案者のお前には申し訳ないが、その方が成功率が上がる。実際の指揮はお前に任せるよ。どうだ?」

 

 彼の目にはかすかに、怯えをはらんでいました。

 

 しかしガヴェル曹長は豪胆な態度を崩さず、

 

「いかに、兵士達に命を懸けさせる決心をさせるか。それがこの作戦のキモだろう」

「ですが」

「その辺の声かけは、俺がやる。そんで俺に手柄を譲って、英雄にしちゃくれねーか。トウリ中隊長」

 

 自分の目を真っすぐ見たまま、そう頼み込みました。

 

 

「……英雄になったとて、貴方は死ぬんですよ」

「ああ、だが祖国は守れる。父母も誇ってくれるだろうさ」

「自分が思いついたこの外道策を、どうして貴方は」

「オースティンを守るための最上策に思えたがね、俺は」

 

 

 それは確かに、理に適っています。

 

 作戦考案者が自ら死ぬ覚悟を固めている方が、脱走兵も減るでしょう。

 

「そんでお前は生き残るんだ、トウリ少尉」

「……」

「俺よりお前が生き残る方が、オースティンのためになる。そんなことくらいは、馬鹿な俺でもわかる」

 

 ガヴェル曹長は軽い口調で話を続けました。

 

 自分は彼の言葉を、唇を真一文字に結んで静かに聞いていました。

 

「どうだ? お前よりも俺の代案の方が、優れていただろう?」

「……」

「何とか言ったらどうだ」

 

 彼は、覚悟を固めてくれました。

 

 自分が『全員を犠牲にしてオースティンを救う』策しか思いつけなかったから。

 

 ガヴェル曹長は、それを受け入れてすべてを背負って死ぬというのです。

 

「それで、良いのですか。貴方は」

「ああ」

 

 彼がそのようにしてくれるなら、作戦の成功率は高まります。

 

 それはきっと、オースティンにとって国益になります。

 

「そんな顔すんなよトウリ少尉。俺にとっちゃ長年の夢が叶って英雄になるチャンスなんだ」

「……」

「それと、まぁ、何だ」

 

 自分が、ガヴェル曹長の意見に反対する理由はありません。

 

 ですが、どうして彼はそこまで─────

 

「一応言っとくか。俺は、好きな娘のために死ぬってのも悪くねぇと考えた」

「……」

「お前が誰とも付き合う気がないって聞いてたから、言わなかったけどさ」

 

 ガヴェル曹長のその言葉に、自分の心は凍り付きました。

 

「悪かったって、そんな顔するなよ」

「いえ……。それは、その」

「返事とか求めてないし、聞き流していいぞ」

 

 ガヴェル曹長は、自分に好意を抱いていた?

 

 そんな素振りが、今まであったでしょうか?

 

 少なくとも自分は全く気づきませんでした。

 

「ま、俺が命を張る理由を分かってくれたらそれでいいんだ」

「……」

「じゃ、そういう事だから。お前の考えている詳しい作戦内容、俺に教えろ」

 

 だとすれば、自分は。

 

 彼の好意に付け込んで、今までさんざんに利用してきたという事でしょうか。

 

「とびきりに格好いいところを見せてやるからよ、トウリ少尉」

 

 そして自分は、屈託なく笑う彼にどんな顔を向ければよいのでしょうか。

 




【更新休止・並びに2巻刊行決定のお知らせ】
平素よりたくさん応援をいただき、ありがとうございます。
大変にご好評を頂きまして、本作の書籍版『TS衛生兵さんの戦場日記』の2巻を発売していただける事が決定いたしました!
年内の刊行を予定おりますので、どうぞ続報をお待ちください。
そして書籍化作業に伴い申し訳ないのですが、8章の更新を1週間ほどお休みさせて頂きたく思います。
書籍化作業が終わり次第、速やかに連載を再開する予定です。
ご迷惑をおかけしますが、もう少しだけお待ちください。
まさきたま


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157話

 

「悪い、みんな。大事な話がある、集まってくれないか」

 

 結局自分は、ガヴェル曹長の案に賛同しました。

 

 決死の覚悟を決めてくれた彼の想いに、何も言葉を出せなかったからです。

 

「全員集合だ! ワインを配る前にちょっと、俺の話を聞いてくれ」

「あん?」

 

 ガヴェル曹長は自分を従え、河岸で声を張り上げました。

 

 遊撃中隊の部下たちがその声に反応し、ぞろぞろと集まってきました

 

「何だ、副中隊長! まさか今更ワインなしとか言わないよな!」

「それは構わん。もっと悪い話だ」

「おいおい、酒を取り上げられるより悪い話があるっていうんですかい。国でも滅びましたか?」

 

 彼のただならぬ語気で、兵士達の顔に緊張が浮かびました。

 

 近くにいた兵士はジョークをかましましたが……、ガヴェル曹長は真剣な顔のまま。

 

 自分はそんな彼の背で、静かに俯いていました。

 

「中々に良い線をついているな、歩兵ども! それに匹敵する悪報さ」

「……勘弁してくださいよ、何があるっていうんです」

「何とトウリ少尉と話し合って、指揮権が俺に移ることになった」

「なんてこった! 最悪のニュースだ、そりゃ」

 

 彼の言葉に、応えていた兵士は大げさに天を仰ぎ─────

 

「ってことは、本気の実戦になるってことですかね」

「ああ」

 

 顔を真っ青にして、その場に膝をついたのでした。

 

「元々コイツが中隊長に任命されたのは、縁起がいいからだ。お飾りの中隊長に、この非常事態の指揮は任せられん」

「……そうっすよね」

 

 どうやらプロパガンダの噂のせいで、元々自分は『お飾りの中隊長』とみなされていたようです。

 

 いわば見た目で選ばれたアイドル中隊長であり、指揮能力は皆無。

 

 真の実戦になれば、士官教育を受けたガヴェル曹長が指揮するものと兵士の大半は考えていたようです。

 

「さっき、トウリ少尉とよく話し合ってな。本人も納得の上で、俺に指揮権を譲渡した」

「そんなぁ……」

 

 そう信じていた彼らにとって、『自分からガヴェル曹長に指揮権が代わる』というのは死刑宣告に等しかったようで。

 

 ワインを貰えると知って明るくなった兵士たちの顔色は、真っ青になっていました。

 

「では改めて、今の状況を説明する! 今やオースティンは存亡の危機に瀕している!」

「……」

「落ち着いて、冷静なまま、俺の話を聞いて欲しい」

 

 静まり返った兵士の中、針の筵の上に立つような気持ちで。

 

「現状を説明するぞ────」

 

 自分がガヴェル曹長の背に控えたまま、俯き続けました。

 

 

 

 

 

 

「────はぁ?」

 

 ガヴェル曹長は兵士達に、次のように説明しました。

 

 オースティン南軍が敗北し、一転してオースティン軍は窮地に陥ってしまった。

 

 この状況でエイリス軍2万人に奇襲されることは、オースティンにとっては厳しい。

 

 そんな状況なのにトウリ少尉(じぶん)は、一日粘るだけで撤退する方針を立てた。

 

 ガヴェル曹長はそれに反対し、命を張ってアルガリアを守るべきだと主張した。

 

 議論を重ねた末に彼は指揮権を奪い、祖国のためここで死ぬ覚悟で戦い抜く事にした。

 

 

 ────それが、自分とガヴェル曹長の間で作ったストーリーでした。

 

 

「南軍が敗れた? オースティンが優勢じゃなかったのか」

「そんな……今の話は本当なんですか!」

 

 彼の話は、兵士たちを動揺させるのに十分だったようで。

 

 想像以上に厳しい現状を突き付けられ、『嘘だ』という叫び声があちこちで上がりました。

 

「南軍はどうなったんだ! 俺の兄は、南軍で分隊長をしてるんだ!」

「そんなはずはない。噓でしょうトウリ少尉、今の話は悪すぎるジョークで……!」

「すみません。事実です」

「嘘だァ!!」

 

 自分の言葉に激高したのは、逃亡癖がある例の兵士でした。

 

 彼は危惧した通り騒ぎ出し、顔を真っ赤にして詰め寄ってきました。

 

「アンタ今まで皆を騙したのか! 負けそうな状況だってことを黙って、こんな危険な場所まで!」

「……はい」

「知ってれば、ついてこなかったよ、この人でなし! 人の命を何だと思ってるんだ────」

「やめろ! 誰かその馬鹿を止めろ!」

 

 彼が自分に向かって突進し、慌てて周囲に取り押さえられました。

 

 自分は、微動だにせず彼を見つめ続けました。

 

「俺は帰る! そうだ、みんなもついてこい! 此処からは俺が指揮を執ってやる、このアホどもだけ置いて帰るぞ」

「勘違いするな!! 兵士ってのは死んじまうのも仕事だから、こんなに良い待遇を受けてんだ!」

「徴兵しておいて、そんな理屈が通るかよ! 従ってられるか! 死にたいヤツだけ勝手に死んでくれよ!」

 

 ……その兵士の罵声に、周囲の兵士にも動揺が広がっていくのが分かりました。

 

 彼の言葉に乗せられ、逃亡を考え始めているのかもしれません。

 

 早く彼を説得し、納得させないと作戦が崩壊します。

 

「俺が帰らないと、母が一人ぼっちになっちまうんだ! 皆だって、故郷に残している大切な人が居るだろう!」

「やめろ、それ以上はしゃべるな!」

「あのクソガキと違って、俺は生き残らにゃあならん! 死にたがりだけで戦争やってろ!」

 

 ですが自分には、彼を宥める言葉が出てきませんでした。

 

 自分の命を大事にする、それは自分より「まとも」な感性です。

 

 兵士ではない人であれば、大半が彼に同意するはず。

 

「死にたい兵士が、いてたまるか!」

 

 そんな彼に、大声で一喝したのは。

 

 ……いつもは飄々としている、ナウマン兵長でした。

 

「ナウマン兵長?」

「兵士は常に、腰元に銃をぶら下げてるんだよ。本当に死にたいなら、いつでも自分の頭を撃ち抜ける」

「な、なんだよ……」

「自殺志願者の兵士なんて、いる筈がないんだ」

 

 ナウマンさんは珍しく声を荒げ、その兵士をにらみつけました。

 

 温厚な彼の怒声に、周囲は静まり返りました。

 

「少なくともオジサンが見てきた奴らは皆、死にたくないってボヤきながら死地に向かっていった」

「……どうして」

「それが何故かって? 彼らが勇敢だったからさ。命を懸けてでも、守りたいものがあったからさ!」

 

 皺の寄ったベテラン兵士は、いきなり銃口をその兵士の頬に突き付けて激高しました。

 

 そのあまりの剣幕に、その場の全員が言葉を失って立ち尽くしました。

 

「死にたいヤツだけ勝手に死ねだと? お前さん、どれだけ兵士の誇りを馬鹿にしたら気が済むんだ」

「……う」

 

 ナウマンさんは冷たい声色で、話を続けました。

 

「塹壕で『死にたくない』って震えてた連中が命を張ったから、今のオースティンがあるんだ」

「そんな、でもよぉ」

「アンタがどんな考えを持とうと勝手だが、彼らの誇りを侮辱するヤツは許さん」

 

 ナウマン兵長は、この中隊では最年長の兵士です。

 

 人生の殆どを戦場で過ごし、生きてきた人間です。

 

 そんな彼の言葉には、重みがありました。

 

「口を挟んで申し訳ありませんでした、ガヴェル曹長殿。話を続けて下せぇ」

「いやありがとう、助かったよナウマン兵長。そこのお前、トウリ少尉に突っかかったのはお咎めなしにしてやるから、今は落ち着いて座れ」

「……」

「俺だって、実を言うと死にたくない。恋人も出来たことがねぇし、酒を飲んだことも葉巻を吹かしたこともない。人生、まだまだ知らない娯楽がいっぱいだ」

「ガヴェル副中隊長……」

「だけど命を張って守りたいヤツもいる。俺は怖がりだが兵士なんだ。だからこのアルガリアで、戦死する覚悟を決めた」

 

 ナウマン氏の言葉で兵士たちが静かになった後、ガヴェル曹長が演説を続けました。

 

 曹長は不敵な笑みを浮かべて、兵士の前に指を三本突き立てました。

 

「三日だ。三日稼げば、オースティンは救われる。参謀本部の見立てではそうらしい」

「……三日も?」

「ああ。それには兵士全員が、腕を撃たれ足をへし折られても敵に噛みつく気概が必要だ」

 

 三日、という数字を聞いて兵は左右を見渡しました。

 

 この人数で三日も防げるのか、不安げな表情です。

 

「お前らはいくら怖がってもいい。赤子のように泣き叫ぼうが、ビビって小便漏らそうが、持ち場から逃げなけりゃそれでいい」

「……」

「その代わりオースティンを、お前らの家族を守ってやる。それだけが、俺に提示できる報酬だ」

「……」

「そんで未来永劫、俺達の勇敢さをこの地に刻んでやろう。戦後には英雄の石碑として、俺たちの名は残り続けるんだ」

 

 ……その言葉を言わねばならなかったのは、本来は自分です。

 

 自分が中隊長です。自分が思いついた作戦です。

 

「ここにいる全員で、アルガリアに奇跡を起こしてやろうじゃねぇか」

 

 ガヴェル曹長がその言葉を終えようとする頃。

 

 顔を伏せたまま、自分の流涙が止まらず数多の水滴がこぼれました。

 

「少なくとも、初日の堡塁に籠る部隊は全滅確定だ。ここは志願制にする、我こそはという猛者は名乗り出てくれ」

「……全滅確定」

「その代わり、遺族に対する手当は任せろ。俺の爺ちゃんの権限で、参謀本部に最高の対価を用意させるさ」

 

 情けない。恥ずかしい。

 

 今度こそ指揮官として相応しい立ち振る舞いをしようと決めていたのに。

 

 今の自分は、ただガヴェル曹長におんぶされている稚児のようです。

 

「トウリ少尉殿……」

「……とまあ、こういう話をするとウチの中隊長が泣いて使い物にならなくてな。指揮権は、俺がぶんどった」

「成程。ま、トウリ少尉にゃあ厳しい作戦ですなぁ」

「もともと、ただの衛生兵だからなコイツ」

 

 ガヴェル曹長の、ナウマン兵長のその軽口に言葉を返せません。

 

 自分は静かに、嗚咽をこぼすだけ。

 

「こっから先は俺と一緒に、地獄までついてきてくれや」

 

 そんな情けない自分の隣で、ガヴェル曹長は男の顔をしていました。

 

 

 

 

 

 ガヴェル曹長とナウマン氏の演説に押されたのか、兵士たちは逃げずに戦地に付いてきてくださいました。

 

 ……ガヴェル曹長は前もって伝えた自分の指示通りに、兵を配置していきました。

 

「メイヴ輜重兵長、悪いがお前には今日死んでもらう。すぐ俺も追っかけるから、待っててくれ」

「仕方ねーな! ったく、任せとけバカ野郎」

 

 アルガリア砦から一キロメートルの地点が、本日の戦闘区画でした。

 

 この場所には川に中州が出来ていて、そこに古い堡塁が残っていました。

 

 堡塁の壁は、昨晩ナウマン兵長たちが補修してくださっています。

 

 敵が前時代のエイリス軍なら、それなりの防衛能力を発揮することが出来るでしょう。

 

「おお、かなり嫌らしい陣地だな。これは結構時間を稼げるんじゃないか」

「はっはっは! エイリスの雑魚どもに一泡吹かせてやろう」

 

 全滅が確定するとまで言われた堡塁の防衛部隊に、四十名も志願してくださいました。

 

 「祖国の為ならば命も惜しまぬ」と、言い切ってくださったエムベル伍長のような人もいれば。

 

 「どうせ死ぬなら、遺族に補償が多く渡る方がいい」という消極的な方もおりました。

 

 彼らは二度と生きては帰れぬと知って、ワインを手に戦友と杯を酌み交わし、遠く空を眺めていました。

 

「対岸の指揮は任せたトウリ。俺はこっちの岸の指揮を執る」

「了解です、ガヴェル中隊長代理」

 

 堡塁に籠る四十名の指揮は、メイヴ輜重兵長に任せ。

 

 自分とガヴェル曹長の部隊は、川の両岸を封鎖するように陣取りました。

 

「持ってきた鉄条網は、どのくらい使っていいんで?」

「惜しまず殆ど使ってください。初日の攻防が一番大事です」

「了解」

 

 両岸は絶対に突破されぬよう、厳重に鉄条網や魔法罠を設置しました。

 

 中州から援護があれば、前時代の兵隊がこの陣地を突破するのは困難です。

 

 ……しかし川があるため、中州の堡塁にはあまり障害物を設置できません。

 

 敵はおそらく、途中から中州に狙いを絞ると思われます。

 

「川底に剣を突き立てておけ! 自分で踏むんじゃねぇぞ!」

「川底に落とした後は、石と砂利で補強しろ」

 

 ナウマンさんの提案で、自分達は川底に鹵獲した剣を突き立てました。

 

 板に穴をあけて剣を通した後、河岸の重石を使って板を固定するといい感じに立ちました。

 

 渓谷の河はかなり浅く、背の低い自分でも膝下くらいまでしか水がありません。

 

「おいソコ! 剣立ってるぞ!」

「うぉ! 危ねぇ、踏みかけた」

 

 河底の剣は光の反射加減で見え辛く、下への注意がおろそかだと踏みつけそうになってしまいます。

 

 転倒して剣に刺さったら、命を奪うことも出来るでしょう。

 

 敵は堡塁を注目しないといけないので、基本的に足元はおろそかになります。

 

 うっかり掠っただけでも、水中では血が止まらないので撤退を余儀なくされます。

 

 ベテランのナウマンさんらしい、嫌らしい罠でした。

 

「俺の罠、滅茶苦茶に見えづらいぜ。どうだ、すごいだろう」

「やるなぁ。俺も……」

 

 兵士たちは川遊びを楽しむように、罠の設置に勤しんでいました。

 

 エイリス兵はまだ、前進する様子を見せません。

 

 ……待ってくれるのはありがたい。戦闘準備にかける時間は多い方がいいです。

 

「よぉ、トウリ中隊長殿」

「メイヴさん」

 

 川底の罠設置を手伝っていると、メイヴさんが小声で話しかけてきました。

 

 とても、深刻な面持ちです。

 

「聞きたいことが有るんだが」

「何でしょうか」

「この作戦を考えたの、アンタじゃないのか?」

「……」

 

 彼の耳打ちに、自分は思わず顔をこわばらせました。

 

 巨漢は自分を見下ろしたまま、真っすぐな目で見ています。

 

 ……どうして、バレてしまったのでしょうか。

 

「あの坊主には悪いんだが……。ヤツにこの土壇場で祖国の為に命を捨てる度胸と、祖国を救う才覚があるようには見えねえ」

「……」

「アンタの『本性』を知っている身としちゃ、ここで若造に指揮が変わるのは不自然だ」

 

 メイヴさんは真剣な表情で、自分にそう問いかけました。

 

 その問いにどう答えるべきか、少し迷いましたが……。

 

「……確かに、自分がここで命を捨てて戦うべきだと判断しました」

「そうか」

「しかし、ガヴェル曹長の腹案であるのも事実です。彼は自分を『伝令役』として逃がすため、戦死する指揮官役を買って出てくれました」

 

 メイヴさんには今日、戦死するまで堡塁に籠って頂きます。

 

 そんな覚悟をした兵士に、嘘を吐くことはできませんでした。

 

「なるほど! そうか、そういう魂胆か。何だ、あの坊主に戦果を奪われたってわけじゃねーんだな」

「……彼は、自分の為に矢面に立ってくれたのです」

「そうだったかぁ。いやぁ、見誤っていた! アイツ根性あったんじゃねーか!!」

 

 説明を聞き、メイヴさんは朗らかな声で自分の背を叩きました。

 

「そっかそっか、ならアイツを坊主と呼べないな。ヤツはもう男だ」

「男、ですか」

「ただのボンボン野郎と侮っていたが……。国の為、女の為に命を捨てれるなら男として一人前だ」

 

 メイヴさんはそう言うと、指揮で忙しそうなガヴェル曹長を流し見て笑みを零しました。

 

 彼とガヴェル曹長の間にも、何かあったのでしょうか。

 

「トウリ少尉殿も気付いてるだろうが、奴さんアンタに気があるだろう」

「えっ」

「分かんなかったんですかい? ……まぁなんだ」

 

 メイヴ兵長は周囲を見渡した後、自分の耳元で、

 

「奴を送り出す時にゃあ、ほっぺにキスくらいはしてやんなさいよ。死ぬほど張り切ると思いますぜ」

「……」

「もっと直前に助言してやれたらいいんですが、俺は今日で戦死するもんで。……まったく兵士ってのは、因果な職業です」

 

 そう囁いて、ウインクしました。

 

「……メイヴさんは、死ぬのは怖くないのですか」

「怖ぇですよ?」

「ではどうして、そんなに平静なんですか」

「平静に見えますかい」

 

 自分の震える声での問いに、メイヴさんは少し頭を掻いた後。

 

「男ってのは結構、虚勢を張る生き物なんですよ」

 

 そう言ってグシャグシャと、自分の頭を撫でました。

 

 




大変申し訳ありませんが、作者は風邪でダウン中です。
次回更新は週明けの11/6け㈪を目指しておりますが、予告なく更新日時が変更になる可能性があります。
ご迷惑をおかけします。


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158話

 

 正午を過ぎたころ、エイリス軍がいよいよ進軍を開始しました。

 

 それを確認し、我々も塹壕に籠りました。

 

「トウリ中隊長。只今より俺達メイヴ堡塁防衛隊は、任務に就きます」

「よろしくお願いします」

「俺が言うのは変ですが、ご武運を。アンタなら上手くやってくれると信じてますぜ」

 

 メイヴさんは快活な笑みを浮かべ、部下と共に中洲の堡塁へ入っていきました。

 

 とうとう彼は一度も、怯えた様子を見せませんでした。

 

「トウリ少尉殿、色々と迷惑をおかけしてすみませんでした」

「エムベル伍長。……貴官の勇敢さに感謝を」

「また楽園で会いましょう」 

 

 堡塁に向かう直前、エムベル伍長に握手を求められました。

 

 彼の手は微かに、震えていました。

 

「我らメイヴ分隊、一足先に栄光の旅路へ踏み出します」

「……貴官らの活躍は、本国に余さず伝えましょう。栄誉を胸に戦ってください」

「ええ、喜んで!」

 

 その後、自分は彼等から1枚づつ紙切れを受け取りました。

 

 それは遺書です。彼らは積み荷にあったハガキの半分くらいしかない紙に、家族への思いや遺言をしたためたのです。

 

「どうか、母に届けてください」

「俺は勇敢に戦ったと、どうか伝えてください」

 

 自分のリュックサックに、兵士たちの遺書が四十枚詰め込まれました。

 

 最終日、自分はこのバッグを持って走ることになります。

 

「俺達の希望(ゆいごん)、届けてください。幸運運びの中隊長殿」

 

 自分は兵士の一人一人から、想いと決意を受け取って。

 

 しわにならぬよう丁寧に、一枚ずつ詰めていくのでした。

 

 

 

 

 

「ぷーくぷくぷく……」

「アルギィ看護兵が、敵の接近を報告してきました」

「えっ偵察できたんですか貴女」

 

 敵との接触は、その1時間後の事でした。

 

 距離が近くなると、エイリス軍の装備もよりわかるようになりました。

 

「なんだアイツら、ふざけてるのか」

「演劇でしか見たことないぞ、あんな装備」

 

 彼らの中には未だに甲冑を身に着けていたり、羽帽子を被って弓矢を背負った前世紀的な弓兵や、馬に乗って槍を掲げている兵士が散見されます。

 

 やはり、完全に近代化されているわけではなさそうです。

 

「でも、普通の兵士もいるな」

「歩幅揃えて行進してるけどな。撃って欲しいのか?」

 

 しかし銃を主体とした近代的な部隊も、多く見受けられました。

 

 それもマスケット銃ではなく、ボルトアクション式に見えます。

 

 恐らくフラメール軍から、近代戦の情報を共有されているのでしょう。

 

 敵の半数以上が、近代銃で武装した部隊であると思われます。

 

「にしても敵さん、出発が遅かったな。朝から戦闘になると思っていたが」

「自分達を偵察していたんでしょうね」

「何だ、待ち伏せはバレてるのか」

「砦を占拠しておいて、バレない筈がないです」

 

 実は朝から、時折エイリスの偵察兵らしき人影が見えていました。

 

 我々の規模や布陣、周囲の地形など必要な情報を集めていたのだと思われます。

 

「最初は騎兵突撃とかしてくれないかな」

「渓谷は足場が悪いですから、騎兵は出してこないでしょう。銃兵部隊で来るんじゃないでしょうか」

「そうだよな」

 

 敵の銃の性能はマスケット銃よりマシと思われますが、うちの第一世代銃程度でしょう。

 

 堡塁に立てこもるオースティン兵の最新銃には、敵うはずもありません。

 

 両岸を守る我々は武器弾薬を節約すべく、障害物を大量に設置しました。

 

 初日は主に、マスケット銃や弓矢などで乗り切る予定です。

 

 我々はたった150名とは言え、狭い渓谷でここまでやればそう簡単には落ちないでしょう

 

 素人集団のエイリス兵では、攻めあぐねる筈です。

 

「銃兵部隊、突撃してきます」

「よく引き付けろ! 銃兵が密集してる場所に火矢を放ってやれ、銃の火薬に引火させろ」

 

 ……中隊にも弓を撃った経験がある人が居たので、その人達は臨時の弓兵にしました。

 

 鹵獲した弓矢は大半が潰れていたので、布と油を巻き付け火矢として用いました。

 

 渓谷で火矢にどれだけ意味があるかと思われましたが、少なくとも銃兵には有効でした。

 

 服に火が付いた場合、川に飛び込むしかなくなるからです。

 

 銃が水没して使えなくなりますし、運が悪いと川底に設置した剣が突き刺さって死んでしまいます。

 

 一方で彼らの銃撃は、鉄条網や塹壕に阻まれてこちらにほぼ当たりません。

 

 戦闘序盤は、オースティンが防御側の有利を押し付ける形になりました。

 

 河にエイリス兵の死骸が積もり、赤い染みが下流に引かれていました。

 

「今のところは、良い感じですね」

「エイリスの銃で、この陣地を力押しは無理だろう」

 

 戦闘開始から数時間、我々は殆ど被害を出せぬままエイリス兵の死体を積み上げるだけでした。

 

 この戦況が3日続いてくれれば、とても楽なのですけど……。

 

 現実は当然、そこまで甘くはありません。

 

「……敵さん、魔砲部隊を前進させてきたな」

「まぁ、出してくるでしょうね」

 

 当たり前ですが、敵にも魔砲兵部隊が存在しています。

 

 最初から砲兵を出してこなかったのは、前時代の軍隊が砲撃を軽視するきらいがあるからでしょう。

 

 彼らにとって砲撃は『城門を突破するためのもの』で、敵を攻撃するものではありません。

 

 我々が小勢なのを見て侮り、銃兵突撃を選択したのだと思います。

 

 しかし、塹壕は強固です。その攻略難易度は、彼らの想像を超えていたはずです。

 

「エイリスの奴ら、砲撃準備を始めてるぞ。予定より早いが、撤退するか?」

「いえ、魔法陣の設置に時間がかかる筈です。すぐには撃てませんので、慌てず防衛に集中してください」

 

 エイリス軍の突撃では、我々の陣地を突破できません。

 

 銃の性能も戦術ノウハウも、我々と差がありすぎるからです。

 

 敵がこの布陣を突破するには、砲兵を出すしかありません。

 

 ……『1日くらい砲兵を温存してくれないかな』と期待していましたが、普通に使ってきましたね。

 

「今は、戦線を維持する事に注力しましょうガヴェル曹長」

「ああ」

「敵に空砲撃させるためにも、夜闇にまぎれて撤退するべきです」

 

 自分は、敵エイリス軍が夜間にとる行動も読んでいました。

 

 恐らくエイリス兵は両岸に砲撃しつつ、堡塁には夜襲を仕掛けてくるはずです。

 

 

 この時代の砲撃は命中精度が低いので、距離がある場所を正確に狙えません。

 

 堡塁を狙った場合、結構な数の砲撃が水没して不発になってしまうでしょう。

 

 なので堡塁は砲撃対象から外し、両岸に狙いを絞ると予想しました。

 

 

 ならば敵は、堡塁をどう攻略するか。

 

 恐らくですが、夜の闇に紛れての奇襲してくると思われます。

 

 前時代的なエイリス軍は、むしろ銃撃戦より白兵戦の方が得意なはずです。

 

 夜は視認距離が短いため、オースティン銃の射程が生かせません。

 

 

 

 塹壕は砲撃し、堡塁には夜襲する。

 

 それが、自分が読んだエイリス軍の動きでした。

 

「太陽が落ちてきたと同時に、敵の突撃がやんだ」

「……砲撃が始まりそうですね。では、両岸の兵士を退避してください」

 

 敵は一晩かけてじっくり、両岸を狙って砲撃してくるでしょう。

 

 自分達は夜闇にまぎれ塹壕から兵を引いて、その間にゆっくり休ませていただきます。

 

 ……これで半日、時間を稼げる。

 

 

 ですがこの作戦だと、堡塁の防衛部隊だけは退かせられません。

 

 敵は堡塁に乗り込んでくるので、もぬけの空にすると撤退がバレてしまいます。

 

 まだ我々が塹壕に籠っていると思わせるため、堡塁の兵士には最後まで抵抗して貰わなければ困るのです。

 

 

 

 

 自分が背負うリュックには、40枚の紙きれが入っていました。

 

 その紙束は小さなポケットに、纏めて収納されています。

 

 

 ……兵を退く最中、砲撃音にまぎれ、堡塁からは雄たけびと銃声が聞こえきました。

 

 作戦通り逃げることなく、エイリスを引き付けてくれているようです。

 

 メイヴさんが、エムベル伍長が、自分の作戦に沿って奮闘しています。

 

 最後の一人が死ぬ瞬間まで、今日という1日を稼ぐ為だけに。

 

 

 『コレ』を背負うのですか、自分は。

 

 毎日増えていく手紙を、リュックに入れて背負えと言うのですか。

 

 明後日には150枚の紙きれを背負って、走って帰れと言うのですか。

 

 

 

「トウリ少尉、明日の布陣はどうする」

「……少し、整理する時間をくださいガヴェル曹長」

「ああ、分かった」

 

 少し吐きそうになりましたが、ぐっとこらえました。

 

 泣き喚いたところで、何も変わりはしません。

 

 自分は皆から預かった命を、的確に運用しなければならないのです。

 

「とりあえず、1㎞ほど後退しましょう。新たに塹壕を掘ることになりますので、スコップを準備するよう伝えてください」

「ああ、了解」

 

 ガヴェル曹長にそう伝えた後、自分は堡塁の方角に小さく敬礼しました。

 

 今も咆哮と怒声が響く、中州の小さな拠点に向かって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「初日は、何とか予定通りに行きましたか」 

 

 この日の、両岸の塹壕部隊に被害はありませんでした。

 

 予定通り、死者は堡塁に志願したメイヴ兵長以下、40名だけです。

 

「……ナウマン兵長、少しよろしいですか」

 

 明日はアルガリア砦の前に設置した6つの塹壕を、命懸けで死守する必要があります。

 

 自分とガヴェル曹長は後方のアルガリア砦から援護する予定なので、前線指揮はナウマン兵長に委ねねばなりません。

 

「ああ、トウリ少尉殿。当方に何か御用ですか」

「ええ、ブリーフィングをしたくて声を掛けさせていただきました」

 

 自分は彼に、ブリーフィングを行うべく声を掛けました。

 

 ガヴェル曹長と共に、明日の指揮の手順を説明する予定です。

 

「分かりました、伺いましょう」

「ありがとうございます。……遺書の方も出来ていれば預かりますが」

「ああ、そっちは大丈夫ですよ」

 

 ナウマン氏はやれやれという顔で立ち上がった後。

 

 頭を掻いて、哀しそうな笑みを浮かべました。

 

「……当方には送る相手なんざ、おらんのでね」

「そうなのですか?」

「ええ」

 

 送る相手が居ない。彼の言葉に、自分は違和感を覚えました。

 

 彼は確か、前に『奥さんと娘が居る』と言っていたはずです。

 

 自分に何度も、家族の自慢をされましたから。

 

「その、奥方様や娘様には送らないのですか」

「送れんのです」

 

 不思議に思った自分は思わず、そう尋ねてしまいました。

 

 その言葉を聞いたナウマン兵長は、自分から目をそらしたまま、

 

「去年のサバトの大攻勢以来、妻から返信が来んのです」

 

 何とも言えぬ、悲哀に満ちた顔でそう告げました。

 

「妻は律儀な女でした。当方が手紙を送ったら、絶対に1月以内に返事はくれていたんです」

「……」

「でもドタバタして忘れたのか、それとも書ける状況じゃないのか。去年から何度も何度も手紙は送ったんですがね、ついぞ返ってこないのです」

「それは」

「きっと忙しいんですよ、そうに違いない」

 

 そう断言するナウマン氏の声は枯れていました。

 

 自分は彼の剣幕に、何も言葉を返せませんでした。

 

「今年もね、ちゃんと娘にプレゼントを送ったんですよ。少尉殿のおススメ通り、フラメール産の人形を」

「……」

「喜んでくれたか知りたいんですけどね。アンナはもういい歳だ、お人形は少し幼かったかもしれない。でも、戦場で手に入るプレゼント品なんてそんなものしかなかったんです」

「……」

「返事が欲しいな。どんな内容でもいい、プレゼントに対する文句でもいい。妻の字がみたい」

 

 ……シルフ攻勢で、オースティンの村落の殆どは焼き討ちされてしまいました。

 

 首都付近に住んでいた人以外は、ほぼ生き残っていません。

 

 であればきっと、ナウマン氏の家族も。

 

「でも手紙を送っても、当方の手元に返ってくるのですよ」

「……」

「こないだ送った人形も、手紙も、『もう』あて先が存在しないと突っ返されたんです」

 

 ナウマン氏はそう言うと、自分に白紙の遺書を握らせて、

 

「これもどうせ、突っ返されるだけなのでしょう? だったら書く事なんてありません」

「ナウマン兵長……」

「ないんですよ、少尉殿。当方には、もう何も残ってなどいない……っ!!」

 

 歯をカチカチならしながら、そう慟哭しました。

 

 

「あぁ、情けない」

 

 どう声を掛けたらいいか分からず、ずっとナウマン兵長を見つめていると。

 

 彼はやがて口角を吊り上げ、自嘲するように吐き捨てました。

 

「トウリ少尉。当方は心のどこかで、まだ家族が生きていると信じているのですよ。奇跡に奇跡が重なって、逃げ延びているんだろうって思いが消えません」

「それは。きっと、その可能性も……」

「だから死にたくねぇんです」

 

 ナウマン兵長は、死人のように青白い顔で自分に笑いかけました。

 

「……こんなザマだと言うのに。まだオジサンは死にたくないんです」

「……」

「笑っちまいますよね。こんな苦境だってのに当方は故郷に帰りたい、家族の安否を知りたいって軍に届け出て。でも結局、休暇なんて許されなかった」

 

 ナウマン氏の手には、彼の家族の写真が握られていました。

 

 利発そうな幼い少女が、ナウマン氏に抱き上げられている写真でした。

 

「家族の安否すら知らずに死にたくないんです……っ、あんなに格好つけた事言って、守るべき家族もいないかもしれないってのに、未練ばっかりが溢れてくる!!」

「……」

「情けねぇ、けれどもどうしようもねぇ。少尉、何とかならんのですか。もう本当に、中隊長代理の言う通り、我らはここで死ぬしかないのですか!」

 

 ……ナウマン氏は情けなく、涙と鼻汁を垂らし自分の肩を掴みました。

 

 その彼の叫びに、自分は何も答えることが出来ませんでした。

 

「もう俺ぁ、家族に会うことは出来んのですか!!!」

 

 この場で最年長。メイヴさんよりも年上のナウマン兵長は、鼻水を垂らしたまま泣き腫らしました。

 

 自分の前で取り繕おうとせず、みっともなく。

 

「すみ、ません、少尉。嫌な事、言っちまいまして」

「……いえ」

「ちょっと取り乱してしまいました。明日の話ですよね、すぐ支度します」

 

 数秒程ナウマンさんと見つめ合った後。

 

 彼はバツが悪そうな顔になって、目を背けました。

 

「先に行って待っています。落ち着いてからで構いませんので」

「ええ、すみません」

 

 自分はそんな彼の姿をこれ以上見ていることが出来ず。

 

 その場から逃げるように、テントの方へと歩き始めました。

 

 

 

 吐き気がする。

 

 自分だけ、のうのうと安全な立ち位置にいて。

 

 周囲の兵士全員を、死に追いやる事しか出来ない自分に嫌気がさす。

 

 

 そして何より、おぞましいのが。

 

 先ほどのナウマンさんの叫びを聞いて考えた事です。

 

 

 ────ああ、自分は死なずに済む立場で良かったと。

 

 

 そんな最低な感想が、胸をよぎったのです。

 

 死にたくないというナウマンさんの真意を聞いて。

 

 自分は生きて帰れることに安堵してしまったのです。

 

 

「……」

 

 

 自分の心が、信じられない。

 

 自分の性根が、気持ち悪い。

 

 あんなに悲壮な声を上げている人を前に、何たる邪悪。

 

 自分を善人と思ったことはありませんが、まさかここまで醜悪だとは。

 

 

「……」

 

 

 生き残る役目は、本当に自分なんかで良いのでしょうか。

 

 こんなゴミクズみたいな人間を、生かしておいていいのでしょうか。

 

 自分はフラフラと、唇を噛んでテントに向かおうとして────

 

 

「なんて顔してるんだ、お前」

「ガヴェル曹長」

 

 同じく河岸を歩いていた、ガヴェル曹長に肩を掴まれました。

 




次回更新は11/9の予定です。


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159話

 

「ナウマンに声はかけたか」

「……はい」

「そっか、じゃあ待つか」

 

 自分はガヴェル曹長と並び、テントに向かい歩きました。

 

 時刻はもう深夜。

 

 背後の砲撃音も止んでおり、河のせせらぎだけが聞こえています。

 

「初日の戦闘指揮は見事なもんだったな。お前の立てたプラン通りだ」

「メイヴさん達の覚悟あっての事です」

 

 砲撃が止んだということは、堡塁はエイリスに占拠されてしまったのでしょう。

 

 メイヴさんやエムベルさんは、楽園へ旅立ったと思われます。

 

「明日も、上手くいくといいな」

「……はい」

「どうせ死ぬなら、祖国のためになって貰わんと困る。頼むぜ、我らの幸運運び(ラッキーキャリー)

 

 ガヴェル曹長は言葉を選びながら、軽い口調で自分に話しかけてきました。

 

 恐らく、自分の顔色が悪いので、おどけてくれているのでしょう。

 

 ……これから死にに行く人に、気を遣わせてどうするんですか。

 

「ガヴェル曹長」

「何だ?」

「先程、ナウマン氏から『死にたくない、死なずに済む方法はないのか』と命乞いされました」

「そっか」

「彼の言葉が重すぎて、自分では受け止めきれませんでした」

「まぁ、そりゃそうだ」

 

 自分はナウマン氏に言われたことを、ガヴェル曹長に伝えました。

 

 全く同じ葛藤をしているはずの、彼に。

 

「ガヴェル曹長も、そう思っているのですか」

「いや、俺は覚悟を決めてるよ。……揺らぎそうになることはあるけど」

「ごめんなさい」

「何でお前が謝るんだ」

 

 死にたくない。そんなのは当たり前の感情です。

 

 あれだけ達観していそうなナウマンさんですら、取り乱してしまうのです。

 

 まだ十五歳のガヴェル曹長が、悩まないわけがありません。

 

「……今朝、メイヴさんに声をかけられて、最期に言葉を交わしました」

「ほう? 何て言ってた?」

「見た感じ、ガヴェル曹長は自分が好きだから、死ぬ前に頬にキスでもしてやれと」

「ってオイ」

「そういうの、要りますか?」

「何でそれを今言うんだよ!」

 

 ガヴェル曹長は、死ぬ覚悟を決めてくれています。

 

 それはどれだけ気高く、悲壮な決意でしょうか。

 

 自分に出来る事なら何でもしてやりたいと思い、気づけばそんな事を口にしていました。

 

「明日、貴方が生きているとは限りませんから」

「縁起でもないことを言うのはやめろ。俺が死ぬのは明後日だ」

「……ええ」

「俺は作戦を成功させるつもりだ。だから、そういうのは明日の夜にしてくれ」

 

 彼はそういうと、耳を赤くしてそっぽを向きました。

 

 やはり、色ごとに対する耐性は低いようですね。

 

「では明日の夜。何かしてほしい事はありますか」

「してほしい事って」

「……それくらいしか、自分は貴方に返せませんから」

「そりゃ色々あるけども」

 

 ガヴェル曹長は自分の問いに、そっぽを向いたまま。

 

 数秒黙り込んだ後、小さく溜息を吐きました。

 

「トウリ中隊長は、心に決めた人がいるんだろ?」

「……はい」

「だというのに俺が何か要求したら、生真面目に応えてくれるんだろ」

「それは、その」

「じゃあ何も要らない」

 

 彼は少し不機嫌そうに、自分のおでこを小突きました。

 

 どういう事だろうと首を傾げたら、

 

「好きな娘の顔を曇らせて死ぬとか、ダサすぎるだろ」

「……」

「今の感じだと、押せば何でもしてくれそうだもんお前。それで何かしても、きっと凄く後悔する」

 

 ガヴェル曹長は、そんな事を言い始めました。

 

「いえ、一定水準を超える要求は拒否しますけど」

「オイ」

「そりゃあそうです、自分の身はある人に捧げています。貴方にできるのは、頬にキスくらいが限界ですかね」

「しょっぺぇ……」

 

 ガヴェル曹長の初心すぎる言葉に、少し毒気が抜かれてしまいました。

 

 ……精一杯に格好をつけている感じが、可愛らしく感じます。

 

「ありがとうございます。少しだけ、落ち着きました」

「そうか」

「自分は偵察がてら、エイリス軍の方を見てきます。ナウマン兵長がいらっしゃったら、声をかけてください」

「わかった」

 

 自分はそう言うと、改めて正面に向き直り。

 

 星空の下、砲兵の音も鳴りやんで、静かになったアルガリア下流を眺めました。

 

 

 

 

 

 

 

 敵はのそのそと、夜の闇にうごめいています。

 

 きっと少しづつ、この砦を目指して進軍してきているのでしょう。

 

 今日の戦闘で、彼らは十分に塹壕の脅威を学んだ筈です。

 

 おそらく明日は突撃の前に、砲撃魔法を仕掛けてくるはずです。

 

 それが最も基本的で、効果的な塹壕突破法だからです。

 

 

 あまり時間がなかったので、我々の作る塹壕は浅く狭いものばかりです。

 

 入念に準備砲撃されれば、為す術がありません。

 

 

 

 だから、自分たちは部隊の配置を散らしました。

 

 砲撃で全滅しないように、険しい渓谷の山中にも兵を配置しました。

 

 銃より砲撃の方が、射程が長いです。

 

 彼らは銃が届かぬ超遠距離から、我々の陣地を爆撃するでしょう。

 

 しかし、明日アルガリア砦を占領されるわけにはいきません。

 

 あと2日、我々は粘る必要があるのです。

 

 ここを越えられたら平原地帯なので、中隊規模の我々では手が出せなくなってしまう。

 

 このアルガリアで、敵を押しとどめねばなりません。

 

 

 エイリス軍の方向に、いくつも魔法光が点滅していました。

 

 恐らくエイリスの砲兵部隊が、魔法陣を描き始めたのでしょう。

 

 きっと日が昇ったら、すぐ砲撃が始まります。

 

 

 

 

 彼らも焦っているはずです。

 

 本来、こんなところで足止めを食らうわけにはいかない。

 

 迅速に進軍せねば、奇襲が間に合わない。

 

 だから魔石の消費を惜しまず、砲撃してきているのです。

 

 

 ……そんな彼らを足止めするためには、命を張らねばなりません。

 

 150名の戦友の命をすり潰し、押しとどめねばなりません。

 

 そんな彼らの勇姿を目に焼き付けて、その戦果を報告し、名誉と思いを遺族に届ける。

 

 それが自分のなすべき仕事です。

 

 

「……」

 

 

 死にたくない。ナウマンさんは、そう言って泣き叫びました。

 

 ガヴェル曹長も精一杯強がっていましたが、内心は恐怖で震えている事でしょう。

 

 どうして、こんなことになったのでしょうか。

 

 少し前まで、皆で仲良く訓練をしていただけだったのに。

 

 オースティンの勝利は目前で、最終決戦に備えて士気を高めていたのに。

 

 

 

「……シルフ?」

 

 

 

 ふと夜空を見上げると、星々の中央に。

 

 嘲笑を浮かべる『シルフ・ノーヴァ』の姿を幻視しました。

 

 

 かつては部下として、共にサバトの戦場を駆け抜けた戦友。

 

 善性で、寂しがり屋で、意地っ張りな天才少女。

 

 

「シルフ・ノーヴァ……」

 

 

 

 彼女は自分を見下して、ニヤニヤと愉快気な笑みを浮かべていました。

 

 アルガリアの地で足掻き、もがき苦しむ自分の姿を愉しんでいます。

 

 そう知覚した瞬間に、自分の全身の血液が沸騰するような怒りを覚えました。

 

 

 ノエル孤児院を焼いた作戦を提案した、自分の故郷の仇。

 

 優しかったロドリー君が、死ぬ原因を作った女。

 

 リナリーと和解出来た直後に、あんな残酷な最期にした外道。

 

 自分の大事なものを何もかも奪っていった、不倶戴天の『敵』。

 

 そして今、恐らくこの状況を作り上げた張本人……っ。

 

 

「……シルフ、ノーヴァ!!」

 

 

 気づけば自分は、空に向けてそう叫んでいました。

 

 憎い、憎い、憎い。

 

 シルフ・ノーヴァが、心の奥底から憎たらしい。

 

 彼女さえいなければ、自分は沢山のものを失わずに済みました。

 

 そして今も、シルフさえいなければ自分は何も失わずにすんでいました。

 

 

 自らの不徳を他人のせいにするなど、言語道断と言われるかもしれませんが。

 

 それでも、あの女が憎たらしくて仕方がない。

 

 

 だって、シルフさえいなければ。

 

 戦争なんて終わっていて、今も自分の隣にロドリー君がいてくれたかもしれない。

 

 リナリーとも仲良くなって、楽しくお茶会出来たかもしれない。

 

 

 ……そんなに何もかもうまくいくわけがない。そんなことはわかっています。

 

 だけど、そう思わずにはいられないのです。

 

 シルフさえいなければ。

 

 あの女がサバトにさえ、生まれていなければ─────

 

 

 

『……』

 

 

 

 シルフは、自分を見下して哂っていました。

 

 死にゆく戦友を前に何もできない自分を、嘲笑っている。

 

 お前のせいで、このような苦境に陥っているというのに。

 

 何がそんなにおかしいのか、シルフ・ノーヴァ。

 

 

「……笑うな」

 

 ソレが幻覚である事は、わかっています。

 

 ですが自分は、声を出さずにいられませんでした。

 

 悔しかったのです。

 

 彼女に少しでも、心を許していた自分が。

 

 いざ敵味方として、このような苦境に立たされてようやく気付きました。

 

 やはり、自分とシルフは相いれない。

 

 悲しいほどに、一片の曇りなく、自分とシルフは怨敵同士なのです。

 

 

『……』

 

 

 シルフは余裕を浮かべたままクスクスと、取り乱して叫ぶ自分を嘲笑し続けました。

 

 ……あれは、自分が作り出した妄想。

 

 これ以上、幻影を相手にしても仕方がありません。

 

 気が触れたと思われる前に、心を落ち着かせなければ。

 

 自分は目を閉じて深呼吸し、それ以上幻を見ないようにしました。

 

 

『何故、目を逸らす?』

「……っ」

 

 ……ダメです。幻覚は消えてくれません。

 

 彼女は楽し気で挑発的な声色で、頭の中に語り掛けてきます。

 

 これは良くない兆候。ストレスで精神が壊れる寸前の、末期症状。

 

『随分と、追い詰められているじゃないかトウリ』

「……うるさい」

『いつもの無表情さはどうした、冷静になったらどうだ』

 

 どれだけ目をそらしても、幻聴が自分に語り掛けてきます。

 

 彼女の吐いた言葉が癇に障り、心をかき乱します。

 

 無知蒙昧。自らの生み出した妄想に煽られ、平静を失うなど愚の骨頂。

 

『その通り。貴様は落ち着くべきだ』

「……」

『さあ、深呼吸』

 

 シルフの幻は、楽しげに自分を煽り続けました。

 

 この幻影は、一体何がしたいのか。

 

 自分の頭は、何を考えているのか。

 

『落ち着いたな、トウリ』

 

 彼女と友人になれると思ったこともありました。

 

 だからこそ、忌々しくて腹立たしいのです。

 

 この窮地に、自分達を殺しにくる2万人の敵を前に、シルフが笑っているのが。

 

『本当に。お前は存外、視野が狭いな』

 

 自分は追い詰められると、いつも誰かを幻視します。

 

 それはきっと、自我を保つために必要な防御反応。

 

 自分は今、ストレスに押しつぶされかかっているのです。

 

 だから『シルフの幻影』を虚空に浮かべて罵倒している。

 

 何と、情けないことか────

 

『よく見ろ、トウリ』

 

 幻のシルフを前に、自嘲していると。

 

 彼女はサバト軍服を翻し、右手で遠く見えるエイリス軍を示しました。

 

『目の前じゃない、全体を見るんだ』

「……?」

 

 シルフ・ノーヴァは、まるで諭すように。

 

 優しい口調で、自分の瞳を見つめています。

 

「……」

 

 彼女の幻影につられ、正面の敵陣を見ました。

 

 夜闇に浮かびあがる、無数の魔法陣。

 

 我々の銃の射程外から、数多の砲撃部隊が準備をしています。

 

 凄まじい数の砲撃魔導師。きっと半日も持たず、我々の陣地は更地にされるでしょう。

 

 ……そうなってからが、勝負。

 

 砲撃魔法で塹壕を失ってから、戦いが始まる。

 

 やつらの突撃してきてからが、本番。

 

 明日の策の本命は、山中に伏せたオースティン兵士による挟撃です。

 

 そのために山中にも塹壕を設置し、河原にもデコイ陣地を────

 

『違う』

 

 明日の作戦を確認していると、シルフは首を振りました。

 

 その目には嘲りの感情だけではない、何かが浮かんでいます。

 

『私が貴様なら、そんな下策は使わない』

「……下策?」

『考えろ。私なら(・・・)どうする(・・・・)と思う(・・・)?』

 

 ……その言葉に、自分はシルフの顔を見上げました。

 

 彼女ならどうするか、ですって?

 

 シルフは奇襲大好きな、局地戦のエキスパートです。

 

 相手の弱所を見抜き、一撃で勝負を決める超攻撃型の指揮官。

 

 こんな防戦せざるを得ない状況で、シルフは一体何をすると────

 

 

『奴等は非常に強いように見えて、迂闊な手を打ったぞ』

 

 

 シルフは、自分の隣に立って。

 

 妖艶な笑みを浮かべ、正面を指さしました。

 

 

『上手くやれば貴様は、敵を詰ますことができる』

「────あ」

 

 

 シルフの指さした先、敵の陣地を見る。

 

 蠢く無数の砲撃部隊。魔法光を発し、広がっていく砲撃陣地。

 

 恐らくは運び込まれているであろう、潤沢な軍事物資。

 

 すでに戦闘は終わり、両岸には野営の炊事火が無数に灯されています。

 

 

 ────ですが、あり得ない。

 

 そんなはずがない。

 

 近代戦を理解している軍が、そんな事をするはずがない。

 

 

 

 

「何故エイリス軍は、塹壕を掘っていない……?」

 

 

 

 敵はどういう理由か、砲撃部隊という『急所』を正面に押し出して。

 

 それを塹壕で守らず、戦陣の最前列に配置していたのです。

 

「どうして? ありえません、そんな」

『奴らに塹壕を掘る文化なんて無いんだ。攻撃している側に塹壕なんて不要、と思い込んでいるのさ』

「……あ、あ、あ」

『見ろ。エイリスは急所を剝き出しに、差し出しているぞ』

 

 エイリス軍は飯を食う前に塹壕を掘る、そんな基本すら理解してませんでした。

 

 脳内で勝利条件が、組み代わっていきます。

 

 上手くやれば敵の砲撃部隊を潰せる。だが、そうしたところでどうなる?

 

 わざわざ撃って出て、砲兵を減らしたところで戦況は変わるか?

 

 この状況を生かすには、どうしたらいい?

 

『さて、後は詰めるだけ』

「シル、フ……」

『トウリ、大軍の弱点はなんだ?』

 

 それに気が付いた瞬間、全身の血流が沸き立ちました。

 

 今まで何処にもなかった「勝機」が、奔流のように脳内を駆け巡りました。

 

『今回だけだからなトウリ』

 

 シルフはそんな勝手な事を言って、不敵な笑みを浮かべた後。

 

 アルガリアの夜闇に、露となって消え去りました。

 

 

 

 

 

「トウリ、そろそろ整理できたか」

 

 数分は、ボゥっと夜空を見上げていたでしょうか。

 

 やがてガヴェル曹長が、心配げに自分に声を掛けました。

 

「ナウマンも、心の準備を整えてくれたらしい」

「……ガヴェル曹長」

「トウリ?」

 

 この時自分は、どんな顔をしていたでしょうか。

 

 シルフの幻影に叫んでいたときのような、醜悪な表情か。

 

 暗闇に光源を投げ込まれた、赤子のような無垢な表情か。

 

 鏡を見たわけではないので、自分でもよく分かりません。

 

 ですが一つだけ確実に言えるのは。

 

「……兵を、集めてください。ナウマン兵長だけでなく、今生き残っている全員を」

「ど、どうしたんだ?」

「ブリーフィングは中止です。スコップもいりません。総員、銃を持って自分の前に集合」

 

 どうしようもなく感情が昂って、口角が吊り上がっていた事だけは確かです。

 

 

 

「────現時刻より、夜襲を仕掛けます」

 

 



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160話

 

 夜のアルガリア渓谷は暗く、足元すらよく見えない状況でした。

 

 敵は河原の石でかまどを作り、炊事の煙を上げていました。

 

 中州の堡塁を占領したことで、一息ついている所でしょう。

 

 この日この瞬間以上に、奇襲を仕掛ける好機などありませんでした。

 

「夜襲って、トウリお前……。正気なのか?」

「狂気的かもしれませんね」

「ああ、狂ってるよ」

「ですが今を逃せば、もう二度とこんな好機はありません」

 

 自分は感情が高ぶるのを抑え、平静に命令を伝達しました。

 

 シルフの幻影が示してくれた、自分たちの活路。

 

 敵の致命的なミスに付け込んだ、一発逆転の秘策。

 

「狂()的な『幸運』が、我々に味方しています」

 

 自分はガヴェル曹長とナウマン氏に、まっすぐ敵の陣地を差し示しました。

 

 

 

 

 

 

「夜襲? 時間を稼ぐんじゃなかったのか?」

 

 この時点でのオースティン軍残存戦力は110名でした。

 

 アルギィなど突撃作戦に参加できない非戦闘員を除いて、104名。

 

 自分は残存戦力全てを集め、両岸2部隊に別れて夜襲を仕掛ける宣言をしました。

 

「お飾りの中隊長が、いきなり何を言い出してんだ」

「自棄になったんじゃねーだろうな。自殺に付き合わせるつもりじゃ────」

「黙ってください。上官が話しているでしょう」

 

 ざわめく兵士たちに優しい声で、静かにするよう促しました。

 

 兵士たちは自分の顔を見ると、直立して黙り込んでくれました。

 

「皆様もお気づきの通り、自分はお飾りの中隊長です。士官学校も出ていない、コネで成り上がった小娘にすぎません」

「……」

「ですがたった一つだけ、自分には特技がありました。こんな年で中隊長に任命されるに至った、特技が」

 

 自分は見様見真似で、兵士の鼓舞を行いました。

 

 この夜襲の有効性を、彼らに理解していただくために。

 

「それは、自分が『幸運』だということです」

「幸運……」

「皆様も聞いたことがあるでしょう。幸運運び(ラッキーキャリー)の噂を」

 

 ガヴェル曹長は話の最中、真剣な目で自分を見つめるのみでした。

 

 恐らく信頼し、任せてくれているのだと思います。

 

「自分はいつだって、『幸運』でした」

「……」

「それは今、この瞬間も。正面を見てください、我が勇敢なる戦友の皆様」

 

 この説得を失敗するわけにはいきません。

 

 自分はかつて、シルフがやっていたように尊大で自信満々な態度で、言葉を続けました。

 

「敵は我々に、喉元を差し出しています────」

 

 

 

 

 

 

 自分は兵士たちに、次のように説明しました。

 

 エイリス軍は我々を侮って夜襲を警戒せず、塹壕すら掘っていません。

 

 今も炊事の煙を上げながら、魔法砲撃兵を最前列に配置しています。

 

 これは即ち、『望外の幸運である』と。

 

「敵の罠じゃないのか」

「ないでしょうね。我々の様な『少勢』が夜襲を仕掛けてくる前提の作戦など、破綻しています」

 

 流石に兵士達も、『敵が塹壕を掘っていない』という事実に目を丸くしていました。

 

 現代戦を知っていれば、まずありえない行動だからです。

 

「砲兵を仕留めれば、どうなります?」

「より安全に、時間を稼げます。この場の大半が、生きて故郷に帰れる程度に」

「おお……」

 

 この作戦が上手く行けば、死なずに済むかもしれない。

 

 このまま、遅滞戦闘を続けるよりはよほどましだ。

 

 そう、自分なりに熱弁をふるいました。

 

「この夜襲さえうまくいけば、家族に会えるのです」

「本当か。本当なんだな」

「少なくとも、昨日までの作戦よりかはよほど成功率が高いでしょう」

「……良いのか、死ななくても」

 

 自分の説得に乗せられて、兵士たちが少しずつ声を出して騒ぎ始めました。

 

「では皆さん、声を潜めて」

 

 自分は、そんな彼らを手で制し。

 

 口元に指をあて、にっこり微笑みました。

 

「静かに、夜闇に隠れ。自分の言う通りに、行動してくださいね」

 

 

 

 

 

 

 

 

「敵野営地まで、あと距離500」

「兵士たちはついて来てますか」

「ええ、来てますよ」

 

 自分の説得を、兵士たちは受け入れてくださいました。

 

 彼らは士気高く、やる気満々についてきてくれました。

 

「頼もしく、勇敢な兵士達です。彼らと共に戦えたこと、自分にとって誇りになるでしょう」

「……あの」

 

 これで、成功率はかなり高まったと思います。

 

 後はミスをしないよう気を付け、作戦指揮をするだけ。

 

「トウリ少尉、本当に今のアンタは、少尉殿なんですかい?」

「どういう意味ですか、ナウマン兵長」

 

 元々指揮官であったガヴェル曹長には、そのまま部隊の半分を率いてもらい。

 

 残りの半分、自分の部隊にはナウマンさんを補佐につけました。

 

「そんなにおっかねぇ笑みを浮かべて。別人みたいだ」

「この状況、笑って何が悪いんです」

 

 対岸のガヴェル曹長に合図として、小石を川に投げ入れた後。

 

「誰だって、勝ち戦の指揮を執るのは楽しいでしょう?」

 

 自分は足音を消したまま、エイリス軍の陣地へ先陣を切って切り込みました。

 

 

 

 

 

 我々が敵陣に侵入した瞬間は、静かなものでした。

 

 敵が何人かこちらを見ましたが、呆然とするだけで反応がありません。

 

 ────あと数秒、走れますね。

 

 自分はそのまま『銃を撃たず』、敵砲兵陣地の内部へと切り込み続けました。

 

 声を押し殺したまま、魔法砲撃兵がくつろぐ焚火を目指し走ります。

 

「何てェクソ度胸だ、少尉殿は。普通、銃を撃たずに突入しますか?」

「相手の反応が鈍かったので」

 

 本来、包囲されるのは不利な状況なのですが。

 

 少数で奇襲を仕掛ける場合に限り、内部に潜入してから戦闘する方が効果的です。

 

 我々は『周囲に撃てば敵に当たる』のですが、敵は『下手に撃つと味方を巻き込む』からです。

 

 侵入直後、敵の反応が思ったより鈍かったので、遠慮なく進ませていただきました。

 

「部隊全員、陣地内に潜入しました」

「頃合いですね」

 

 そして、部隊の全員が砲兵陣地内に潜入したのを確認した後。

 

「さあ、奇跡を起こしましょう」

 

 自分の号令でアルガリアの夜に、銃撃音が響きました。

 

 

 

「■■■ァー!!!」

 

 合図と共に、エイリス軍の松明の炎が掻き消えました。

 

 偵察兵の【風銃】により、まず火を消すよう指示していたからです。

 

「偵察兵は優先的に、風銃で松明を倒してください!!」

「了解!」

 

 アルガリア渓谷の夜は視界が悪く、光がなければ敵味方の区別がつきません。

 

 明かりを奪うことで無駄な戦闘を避け、切り込むことができるのです。

 

「敵を殺す事より、一歩でも前に進むことを目標にしてください!」

 

 砲兵陣地を制圧し、敵砲兵の大半を追い散らした後。

 

 自分は【盾】を正面に展開しながら、部下とともに『より奥』へと突入しました。

 

 銃弾が近くを掠めようと、自分たちはどんどん陣地の中に切り込みます。

 

 光の無い夜闇では、どうせあまり多くの敵は殺せません。

 

 それよりも、混乱を広範囲に広げるほうが良い。

 

「どこまで進むんですかね、中隊長!」

「いい質問ですね、ナウマン兵長」

「地獄まで、なんて言いませんよね?」

 

 戦闘はほとんど行わず、闇夜に紛れて走るだけの奇襲策。

 

 時折、味方が斬られたり撃たれたりして悲鳴を上げました。

 

 しかしそれでも、自分達は勇敢に走り続けていきます。

 

「敵陣地に斬り込んでおおよそ、五百メートル地点」

「そこに、何があるんです?」

 

 こうもあっさり敵陣内部を進めたのは、塹壕が無かったからでしょう。

 

 もし塹壕が一つでも置いてあれば、足止めされていた筈です。

 

「ナウマン兵長」

「……はい」

「大軍の弱点って、何だと思います?」

 

 自分は平静に、戦闘準備をしている敵兵を撃ち殺し。

 

 作戦開始から約五分ほど走った後、敵陣地を駆け抜けて目標地点に到達しました。

 

 アルガリア砦から目視で確認していた、敵陣の内部五百メートル地点。

 

 

「兵站ですよ」

 

 

 アルガリア渓谷の夜は昏く、炊事の煙が良く見えていました。

 

 その煙は『敵陣五百メートル地点』から前後に広がっていくのが見えました。

 

 つまり、その地点を中心に食事が配給されていったことを示しています。

 

 そこが、敵の前線食糧備蓄庫─────

 

 

「まもなく、目標地点に到達! 残った手榴弾を使い切り、敵の食料を爆破してください!」

「了解!」

 

 自分が睨んだ通り、そこはエイリス軍の備蓄拠点でした。

 

 大量の荷車と共に、数か月分は有ろうかという食料が、箱積みにされていました。

 

「トウリ少尉、流石に倉庫付近は警備が厚い────」

「ならば、自分に続いてください」

 

 しかし敵も、食糧庫を無防備にはしていません。

 

 周囲には木の杭が何本も突き立てられ、矢盾らしきものも見受けられました。

 

 塹壕は掘らないのに、食料庫付近の守りだけは固い。

 

 まさに、前時代的な防御体系ですね。

 

「この人数で突破できますか、少尉!?」

「無論。自分が先行します」

 

 エイリス軍の想像より強固な守りに、味方に動揺が走ったのが分かりました。

 

 このままではまずい。

 

 そう判断した自分は、咄嗟の【盾】で敵の銃撃を逸らした後、加速して駆けました。

 

「自分の後ろは【盾】で守られています。自分に続けば、安全です!」

 

 

 ────風銃で、明かりを消す。

 

 

 自分は一番に斬り込んで、正面付近の松明を二個消し飛ばしました。

 

 背後から、自分に付いてきてくれる兵士の気配。

 

 まだ、前に進めそうです。

 

「どんどん撃ってください! 銃弾を惜しまず、防御兵を皆殺しにしてください!」

「了解!」

 

 自分は戦端を突っ走りながら、【盾】で弾避けになるのに専念し、味方の兵士を鼓舞しました。

 

 時折銃弾が肩を掠めていますが、怖気づいている時間はありません。

 

「あそこの松明で、最後っ……」

 

 結局、自分が一番奥まで切り込んで、全ての松明の火を消しました。

 

 これで完全な暗闇。燃えている食糧庫以外は何も見えません。

 

「■■■ぁ!!」

「うっ」

 

 しかし直後、鈍い感触が腰を伝いました。

 

 じんわりと広がる脂汗。

 

 自分が風銃を撃った瞬間を、敵に狙撃されたようです。

 

 ……流石に、突出しすぎたようですね。

 

「トウリ少尉!」

「気にせず、作戦を遂行してください!」

 

 自分は河原に倒れ伏し、心配げな声が上がりましたが……。

 

 四方に【盾】を形成したあと、自分は咄嗟に腹をかっ捌いて血抜きをします。

 

 暗闇のお蔭か、追撃の銃弾はありません。

 

 その後、手を使って無理やり止血し、強引に【癒】で傷を塞ぎました。

 

 ……うん、動けますね。

 

「戦線、復帰します!」

「マジですか!」

 

 銃弾が臓器を外れていて幸いでした。もし肝臓が破裂してたら致命傷でした。

 

 口から出まかせのつもりでしたが、自分は本当に『幸運』なのかもしれません。

 

 まぁ、肝臓が破裂しても眉一つ動かさない小隊長(ガーバック)とかもいるんですけどね。

 

「対岸でも、爆発音。ガヴェル曹長が上手くやってくれているようです」

「報告、了解」

 

 そう言えば指揮に夢中で、自分はまだ手榴弾を使っていませんでした。

 

 燃えていない食料を探し、夜闇に目を凝らします。

 

 見えにくいですが、時折起こる爆発で物資の位置はぼんやりと目に映ります。

 

 味方の手榴弾に巻き込まれぬよう気を付けて、周囲を見渡すと……。

 

「……お」

 

 爆炎の一瞬、食料箱のその奥に、鉄製の硬い箱が置いてあるのが見えました。

 

 あれは、恐らく……。

 

「もうちょっと、斬り込んできます」

「トウリ少尉!?」

 

 自分は手榴弾のピンを抜き、その鉄箱に向かって走り出しました。

 

 燃える食料箱に照らされ、自分の姿が敵味方から丸見えになります。

 

「■■!」

 

 敵の視線を感じます。

 

 そりゃそうです、オースティン軍服を着た自分が食料の火に照らされたんですから注目を集めるでしょう。

 

 このままでは、蜂の巣にされてしまう。

 

 撃たれるまで、あと数秒もないでしょうか。

 

「トウリ少尉ィ!」

「大丈夫」

 

 複数の銃口が、自分に向けられたのが見えました。

 

 その直後、弾丸が発射され自分の【盾】が砕かれます。

 

 【盾】を再生成するには時間がかかります。

 

 

 ────つまり自分の体躯は、無数の銃口に晒されています。

 

 

 身を守るものはなく、撃たれたらその屍を河原に晒すのみ。

 

 その最期の一発が放たれる、生死を分かつギリギリのタイミングで。

 

「皆、伏せてください!」

 

 自分は鉄箱に手榴弾投擲を完了し、地面に倒れ伏しました。

 

 

 

 ────凄まじい、炸裂音。

 

 

 

「何だぁ!!?」

「魔石の爆破、成功しました」

 

 鉄製の箱に入っている物資。それは砲撃魔法に用いられる魔石でした。

 

 魔石は火に弱く、引火すると大爆発を起こしてしまいます。

 

 なのでほとんどの軍隊で、金属製の箱に入れられ厳重に管理されているのです。

 

「■■■■!!?」

 

 エイリス軍の悲鳴が、夜の陣地に響き渡りました。

 

 魔石の爆発は、凄まじい火力です。恐らく敵エイリス兵を巻き込んで、大きな被害を出したはずです。

 

 爆炎に直撃したら黒焦げですし、見るだけでもスタングレネードのような効果を発揮します。

 

 遅れて【盾】を張りましたが、間に合わず自分も火傷しました。

 

「眼が、眼が!」

「自分の手を握って下さい。撤収しますよ」

 

 魔石は貴重です。これほどの規模の魔石は、そう簡単に手に入りません。

 

 火気厳禁なので輸送も難しいため、もう潤沢な砲撃魔法は行えないでしょう。

 

 食料にも飛び火しているので、エイリスは相当な痛手を負った筈です。

 

「……【癒】。ふぅ」

「少尉、大丈夫ですか。腕が……」

「涼しくて丁度いいです」

 

 爆風が掠ったようで、右肘が焦げて露出し大火傷していました。

 

 ちゃんと治療するまで、右手で銃は撃てないですね。

 

「ここからは銃を撃つ必要はありません、逃げるだけです」

「はい」

 

 ここらが潮時。

 

 自分は左腕で、川に石を2つ投げ込みました。

 

 ガヴェル曹長への、撤退の合図です。

 

「これで、やれるだけやりました」

 

 振り返ってエイリス陣地を見れば、阿鼻叫喚でした。

 

 食料物資には火がついて燃え盛り、魔石の爆発に巻き込まれた遺体がそこら中に散らばっています。

 

「……帰りましょう」

 

 自分の号令を受けて、我々は暗闇の中を撤退していきました。

 

 作戦開始から、魔石爆破までわずか二十三分。

 

 まさに電撃的な速度の、夜襲作戦でした。

 

 

 

 

 

「……ガヴェル曹長、ご無事でしたか」

「ああ。お前らが先行してくれたおかげで助かった」

 

 この奇襲作戦は、全体で三十分にも満たない短い任務でした。

 

 そのたった三十分の間に、

 

「撤退成功したオースティン兵は、68名です」

「……上々、ですね」

 

 この夜襲作戦に参加した36名の戦友が、帰らぬ人となりました。

 

 トウリ遊撃中隊の1/3の兵士を失ったことになります。

 

「……トウリ少尉。これで、俺達ぁ生きて帰れるんですかね」

「ええ」

 

 この作戦で我々は敵の砲撃魔法を封じ、食料を焼き尽くしました。

 

 更に前線を混乱に陥れ、数百メートルの撤退を余儀なくしました。

 

 こちらの被害は甚大ですが、戦術的には大勝利と言えます。

 

「────明日さえ、乗り切れば」

 

 恐らくエイリス軍の食料は、あれが全部ではないでしょう。

 

 まだ数日、敵は攻勢に出る余力が残っているはずです。

 

 自分は、めっきり減ってしまった味方部隊の数を見ながら。

 

 火傷で動かなくなった右手を、静かに握りしめました。

 

 



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161話

 

 ────トウリ遊撃中隊、派遣看護兵アルギィ。

 

 ────アルガリア砦における、戦闘経過を報告いたします。

 

 

 

 

 

 

 オースティン参謀本部に、その通信が届いたのは。

 

 エイリス軍の援軍襲来が確認され、トウリ遊撃中隊に偵察任務を出した十日後の事だった。

 

 

 七日目の時点で、参謀本部はトウリ遊撃中隊の偵察結果を報告されていた。

 

 しかし、オースティン参謀本部の決断は「動かず」であった。

 

 理由は「動いても間に合わない」からである。

 

 アルガリア方面に軍を動かすのに、最低でも五日はかかる。

 

 トウリ遊撃中隊が遅滞戦闘に務めているらしいが、たった150人でどれだけ時間が稼げようか。

 

 慌てて軍を動かした結果、エンゲイにも敵が現れ、どっちも守れなくなるケースもあり得る。

 

 敵による偽報の可能性もある。

 

 少なくとも、エンゲイは手堅く守り抜こう。

 

 それが、参謀本部の決断であった。

 

 

 しかし参謀本部を嘲笑うかのように、エンゲイ方面に敵の姿は見えなかった。

 

 もしエイリスがアルガリア方面から南軍を襲ったのであれば、オースティンは窮地に陥る。

 

 レンヴェル中佐は、ひりつくような焦燥感の中で敵を待ち続けた。

 

 『早く来てくれ』と、エンゲイに姿を現すはずのエイリス軍を。

 

 

 

 

 

 ────敵は目前、参謀本部からの返信を待つ余裕はないと判断。

 

 ────トウリ遊撃中隊は緊急時判断で、エイリス軍を相手に遅滞戦闘を敢行した。

 

 

 

 

 

 しかし結局、エンゲイにエイリス軍の姿は見えぬまま三日が経った。

 

 その間もトウリ遊撃中隊から報告が続き、参謀本部の大半がその事実を受け入れ始めていた。

 

 エイリス軍が、本当にアルガリアを奇襲した事。

 

 オースティン参謀本部は、読み負けたのだという事実を。

 

 

 

 

 

 ────以下、戦闘内容の報告を記す。

 

 

 

 

 

 やがて戦闘開始から3日後。

 

 トウリ遊撃中隊から、最後の報告が届いた。

 

 その内容は、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦闘開始、二日目の朝。

 

 夜襲に成功した自分達は、残った武器弾薬を集めて塹壕に籠りました。

 

「なぁ、弾が足りないんだが」

「マスケット銃がまだ余ってますよ」

 

 朝日が昇ると、敵の前線がいかに混乱していたのかがよく分かりました。

 

 慌てて陣地を後退させたのか、回収できそうな物資が河原に打ち捨てられていて。

 

 魔法砲撃兵や哨戒兵士の遺体が転がり、回収すらされていません。

 

「ぷーくぷくぷく」

「アルギィさん、ありがとうございます」

 

 夜の間に自分は、火傷して動かなくなった右手をアルギィさんに処置して頂きました。

 

 彼女の手際は見事で、数分経たぬうちに感覚が戻ってきてびっくりしました。

 

 ……こんな手術道具もない最前線で、神経を繋ぎ合わす創傷処置を行えるとは。

 

「……普段からもっと働いてくれません?」

「ぷくー」

 

 彼女のお蔭で、右腕の負傷はほぼ完治しました。

 

 今の技術、是非勉強したいですね。ワインを餌に教えを乞うてみましょう。

 

「アルギィは、この戦闘中ずっと変わりませんでしたね」

「ぷっぷっぷ」

「意外と肝が据わってる、のですか?」

「ぷぇー」

 

 意外だったのはアルギィが、一切逃げるそぶりを見せなかった事です。

 

 最悪アルギィは逃げても仕方ないと思っていたので意外でした。

 

 それどころか普段以上に真面目に働き、自分に代わって治療で大活躍していました。

 

 ……助かりましたが、よくわからない人です。

 

「中隊長。その女、ワインさえ与えれば真面目に働くっぽいですぜ」

「はぁ」

「最初はどんなに頼んでも治療してくれなかったのに、ワイン一本飲ませたらテキパキ働きだしました」

「ぷぇ!」

「……」

 

 まさか彼女が逃げなかったのって、輸送物資にワインが山のようにあるから?

 

「まぁ、そういう事ならアルギィ。今日も頑張ってもらいますよ、報酬にワインを出しますので」

「ぷっぷくぷー♪」

 

 アルギィの生態を不思議に思いながらも、働いてくれるなら良いと割り切って。

 

 自分はいよいよ本番、エイリス軍とのアルガリア砦防衛戦2日目に臨みました。

 

 

「敵、まだ動きは有りません」

「態勢を立て直しているんでしょうね」

 

 自分は、敵に砲撃魔法がある前提で作戦を立てていました。

 

 なので川岸の塹壕は更地にされる前提で、山内に逃げ込んで挟撃する予定でした。

 

「もしかして今日は、このまま戦闘は無いんじゃ」

「そうであれば最高ですね」

 

 しかし砲撃魔法が無いのであれば話は変わります。

 

 エイリス軍にわざわざ、川岸の陣地を明け渡してやる必要性はありません。

 

 オースティン軍の近代戦術に、存分に苦労して頂くとしましょう。

 

 

「……妙な部隊が前進してきました。甲冑部隊、でしょうか」

「お、騎士という奴ですね。自分も、実物は初めて見ました」

 

 そしてこの日、自分が撒いていた種が実りました。

 

 昼から、エイリスの重装甲冑兵部隊が前進してきたのです。

 

 それは前時代的な重たい甲冑を纏った、戦場の花形『騎士』。

 

 彼らは整然と旗を振り、整列して前進してきました。

 

「どうします? あれ」

「魔法罠、踏みそうですけど」

「いったん放っておきましょう」

 

 本物の騎士だと感心しながら、自分達は行進する彼らの様子を暫く見ていました。

 

 彼らはガチャガチャと大きな音を立て、ノロノロと前進して来ています。

 

 やはり何人かは罠を踏んで焼け焦げていますが、止まる様子は有りません。

 

「攻撃しなくて良いんですか?」

「せっかくなので、彼等に時間を使っていただきましょう」

 

 重装騎士の弱点はとにかく足が遅い事です。

 

 彼らの背後から銃兵がついて来ていますが、騎士の足の遅さに付き合わされて前進に時間がかかっています。

 

「何がしたいんでしょう……」

「さあ?」

 

 警戒しながら様子を見ていたら、自分達へごにょごにょと口上を垂れた後。

 

 彼らはおもむろに剣を抜き、鉄条網を切り裂こうとしました。

 

「やつら、鉄条網を壊そうとしていますね」

「ああ成程、そのための甲冑兵ですか」

 

 昨日、エイリス軍は鉄条網に散々に苦戦していました。

 

 重装備の騎士を出したのは、鉄条網を壊そうという目論見だったんですね。

 

「流石に、撃ってください」

「了解!」

 

 それは不味いので、自分達は容赦なく銃弾を浴びせました。

 

 残念ながら銃弾は、甲冑で防ぐことは出来ません。

 

 人間が着るため、甲冑の装甲はかなり薄く作られています。

 

 鎧は剣を防ぐことは出来ても、銃の前には無力なのです。

 

「バタバタ倒れ、逃げていきます」

「でしょうね」

 

 銃撃を受けた騎士はドコドコと大きな音を立てて、慌てて逃げていきました。

 

 逃げ足も、かなり遅いですね……。

 

「エイリス軍って、馬鹿しかいないのか?」

「彼らなりに、手札をどう使おうか悩んでいるのですよ」

 

 エイリスも、魔法砲撃が塹壕への最適解というのは学んだはずです。

 

 本音を言えば、魔法砲撃をしたいでしょう。

 

 しかし砲兵と魔石を失ってしまったので、エイリス軍は戦い方を模索せざるを得ないのです。

 

 砲撃以外では何が有効で、何が無力なのか。

 

 そんな時、彼らが積み重ねてきた戦術を試さずにいられるでしょうか。

 

「そのうち、騎兵突撃とかしてくるんじゃないですか」

「可能性はありますね」

 

 これこそ、自分が初日の攻防に罠と鉄条網の大半を注ぎ込んだ理由です。

 

 自分はエイリスに、初日の攻防で『銃兵突撃は有効ではない』と認識させたかったのです。

 

 エイリスは未だ、騎兵や甲冑兵などを連れてきていました。

 

 ……つまりどこかで、彼らは「甲冑兵や騎兵が有効かもしれない」と考えているはず。

 

 銃兵を用意してきたのは、恐らくフラメールやサバトからの助言によるもの。

 

 エイリスの指揮官は従来の『古い兵科』で戦いたいのではないでしょうか。

 

「騎兵突撃は鉄条網に阻まれる、それくらいは分かっているでしょう」

「はい」

「だから恐らく、敵は鉄条網を破壊しようとしてくるはずです」

 

 銃兵が通用せず追い返されれば、敵は古い作戦に頼ると信じました。

 

 だからこそ、砲撃魔法に破壊されるのを承知の上で、初日の戦闘にリソースを注ぎ込みました。

 

「ならどうします?」

「剣兵が来たら弓矢を放ち。甲冑兵が来たら銃弾を撃ち込む。それだけです」

 

 敵が古い作戦をとればとるほど、我々は楽に時間が稼げます。

 

 より安全に、より確実に、目標を達成できるのです。

 

「弓兵が出てきましたね、こっちの塹壕内を狙い撃つつもりのようです」

「塹壕で壁沿いに座ってれば躱せます。好きなだけ射たせましょう」

「反撃はしないのですか」

「矢がやんだら反撃しましょう」

 

 おそらく、今日の戦闘で弾薬は尽きてしまいます。なるべく節約せねばなりません。

 

 というか、今日も銃兵突撃を繰り返されていたら、午前中にはなくなっていたと思います。

 

「たっぷり、相手の流儀に付き合ってやろうじゃないですか」

 

 三日間の時間稼ぎにおける最大の賭けは、彼らが迷走してくれるかどうかでした。

 

 このようにエイリス軍が迷走してくれなかったら、我々に勝ち目はありませんでした。

 

 昨日の夜襲で焦ってくれたのもあるでしょうが、やはり我々は『幸運』です。

 

「思ったより楽に、時間を稼げてますね」

「砲兵を封じたからでしょうね。元々は、焼け焦げた更地で同じことをやる予定だったんですよ」

「そりゃあ……、きついですな」

 

 この様子なら今日は、ギリギリ戦えるでしょう。

 

 しかし武器弾薬が無くなる今夜は、泥臭い死闘になります。

 

 砦に上ってくる兵士に、白兵戦で応戦せねばなりません。

 

「今日でたっぷり、オースティン兵に嫌な印象を持ってもらいましょう。勝てない、強い、恐ろしいという印象を────」

 

 弾薬残量こそ、自分たちの命綱でした。

 

 白兵戦になれば、我々に勝ち目はありません。

 

 昨晩に夜襲を行ったことで、弾薬の消費量が想定より多い状況です。

 

 明日は間違いなく、白兵戦になります。

 

 

 だから、少しでも印象を操作しておきたい。

 

 オースティン兵には勝てない、恐ろしいという恐怖を感じてもらいたい。

 

 

 

 

 

 その日は結局、日が暮れるまで敵の迷走は続きました。

 

 敵は何度も無意味な作戦を繰り返し、我々の陣地の前に遺体の山を築きました。

 

 迂闊に突撃すれば死ぬ。塹壕戦の恐ろしさを、骨身まで味わってもらったと思います。

 

「……今のうちに引き上げますよ」

 

 戦闘が止んだのを確認し、自分達はするっとアルガリア砦の中に逃げ込みました。

 

 武器弾薬がほぼ尽きたので、これ以上塹壕に籠る意味がなくなったからです。

 

「中隊長、銃弾が無くなったんですが」

「我々にはまだ、剣と腕があるでしょう?」

「違ぇねぇ」

 

 今から我々はこのアルガリア砦を使って、前時代の攻城防衛戦を行う予定です。

 

 水流で守られたこの砦はそこそこに堅牢です。

 

 砲撃魔法がなければ、そう簡単には落ちません。

 

「では、お湯でも沸かしましょうか。水を汲んだ鉄箱を、焚火で加熱してください」

「おや少尉殿、お料理でもなさるんで?」

「ええ、敵を料理するための熱湯です」

 

 前時代の攻城戦と言えば、やはり熱湯が有効です。

 

 砦の中には水路が通っているため、熱湯はいくらでも生み出せます。

 

 砦壁を登ってきた敵にひっかけてやるのです。

 

「急いでください、敵にぬるま湯を引っかける羽目になりますよ」

「敵は夜襲を仕掛けてくるでしょうか」

「ええ。仕掛けてこないはずがありません」

 

 一度兵士を引いたのは、恐らく夜襲のための布石でしょう。

 

 我々に攻撃がやんだと誤解させ、油断した所を狙う作戦と思います。

 

「今夜を乗りきれば家に帰れます。最後の、ひと頑張りです」

 

 ここで敵が夜襲をしない理由はありません。

 

 絶対にエイリス軍は夜闇に紛れて、我々を殺しに来る。

 

「今のうちに、食事を。最後の食事になるかもしれません、肉の缶詰とワインも許可します」

「ぷっくぷくー!!」

「最後の晩餐になるかもしれません。悔いが残らぬよう、味わって食べてください」

 

 今のうちに、敵の作戦を読んでおきましょう。

 

 足場は悪いし夜なので、騎兵突撃はないでしょう。

 

 恐らく、銃兵か剣兵による波状攻撃が行われます。

 

 数の暴力を生かし、我々に寝る暇もないよう執拗に攻め続けるはず。

 

 そんな彼らに対し、我々は『熱湯』を掬い敵に浴びせます。

 

 砦の壁の高さは三メートル以上はあります。一息に飛び越えるなど、ガーバック小隊長でも出来ません。

 

 縄か何かを引っかけて、登ってくる筈。

 

 それを妨害し、縄を斬り、熱湯で追い返し続ける。

 

 これが、基本の方針です。

 

 ……まるで古代の攻城戦のような戦いです。

 

「トウリ、お前は食わないのか」

「レーションだけ流し込みます。……それよりも今は、作戦を練らねば」

「そう、だな」

 

 熱湯の供給が尽きたら、この戦いはおしまいです。

 

 なので熱湯管理の専門人員を用意しておく必要があるでしょうね。

 

 アルギィや負傷兵など、戦えない者に任せればいいでしょう。

 

 

 それと、水は砦の中でいくらでも汲めますが、木材はそうもいきません。

 

 夜通し火を焚くためには、燃料を伐採して運ぶ必要があります。

 

 木材調達の専門班も、編成しておきましょう。

 

「敵の動きはまだありません」

「了解。引き続き偵察をお願いします」

 

 戦いが止んで数時間ほど。

 

 未だエイリス軍に、動く様子は見られませんでした。

 

 密に偵察をお願いしていますが、「敵兵なし」の報告ばかり。

 

 ……休憩が取れて有り難いですが、とても不気味です。

 

「本当に、敵に動きは無いのですか」

「はい、前進してくる様子は在りません」

「……まさか、我々が知らない迂回路など無いですよね」

 

 自分は、エイリスの動きが想定と異なっていることに焦っていました。

 

 何か、予想外の事が起きている気がして、動悸が治まりません。

 

「……もう一度だけ、周囲の森を偵察してくださいますか」

「夜ですよ、危ないですよ」

「危険は承知です、ですが人の気配が無いかだけ」

 

 恐怖が、不安が、自分の心を消耗させていました。

 

 こんな事なら、エイリスが休まず攻めて来てくれた方がましです。

 

 敵が想定外の動きをすることが、こんなにも怖いだなんて思いませんでした。

 

「正面の敵も、しっかり注視してください。敵影が見えれば、即座に報告を」

 

 喉が焼けるような、緊張と静寂。

 

 いくら待てども姿を見せぬ、我々の憎い敵。

 

「……う、ぁ」

「トウリ少尉!?」

 

 やがてフラリ、と自分は砦の上で尻餅をつきました。

 

 眩暈がひどく、立っていられなくなったのです。

 

「大丈夫ですか」

「ご心配なく、大丈夫です」

 

 かろうじて絞り出した自分の声は、かすれ切っていました。

 

 今生きている皆を、家族の下に返す。

 

 その責任は、運命は、自分の指揮が握っているんだ。

 

 重責で吐きそうになりながら、自分は敵陣を見つめ続けました。

 

「自分は、倒れる訳には、いきません」

 

 まだか、まだか。

 

 敵は、まだか。

 

 祈るように、自分は顔を上げて────

 

 

 

 

「────ぁ」

 

 

 

 

 一瞬、意識が飛んでしまいました。

 

 全く眠らず、二日間ずっと頭を働かせ続けたので限界が来たみたいです。

 

「少尉、少尉!」

「あ、あれ?」

 

 照り付けられた日差し、ナウマンさんに揺すられて、ビクっと自分は跳ね起きました。

 

 自分は慌てて立ち上がり、砦の正面を見つめます。

 

 何たる不覚、敵を目の前にして意識を失うとは……。

 

「……?」

 

 見上げれば、目に映るのは青々とした水流に、清らかな山の風薙ぎ。

 

 自分の目の映るところには、奇麗さっぱり、エイリス軍の姿が見えなくなっていました。

 

「これは、どういう……?」

「え、え?」

 

 自分と同様、周囲の兵士から困惑した声が上がります。

 

 今か今かと奇襲に怯え、偵察を走らせ続け、気づけば夜が明けていて。

 

 目の前からエイリス軍が、煙のように消え去っていたのです。

 

「あ。か、確認を! 偵察兵、エイリス兵の位置を探ってください」

「了解!」

 

 ……その場で自分は、再び崩れ落ちました。

 

 何度も目をこすり、食い入るように前を見て、エイリスの陣地が空っぽになっているのを確認し続けました。

 

 しかし、エイリス軍の気配は何処にもありません。

 

 

「……勝った?」

 

 

 兵士の誰かが、ボソリとそう呟きました。

 

 やがてそれは、口々に他者へ伝染していきました。

 

「いないぞ、敵」

「何処にいった?」

「オイオイ、まさか」

 

 困惑と、どよめきが、中隊の兵士に広がっていきます。

 

 自分だって、意味が分からず呆然とする事しか出来ません。

 

「あ、あ、あ。あぁあああああああ!!!」

「敵が! エイリス軍が!! 逃げていったぞ!!!」

 

 やがて泥まみれの兵士たちは、鼻水や涎を垂れ流し。

 

 照りつける朝日を拝んで、大きく手を振り上げました。

 

「勝ったぞ。俺達は、勝ったんだ!!!」

「俺達は砦を守った。敵は情けなく、逃げて行った」

「生き残った! 家に帰れる!!」

 

 自分は、そんな歓喜に沸く彼らを眺めるのみで。

 

 勝ち鬨を挙げることすら忘れ、茫然と前を見据え続けていました。

 

 

「俺達の勝利だァ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────以上を以て、戦闘経過の報告を終えます。

 

 

 

 その報告が、オースティン参謀本部に届いたのは夜の事。

 

 

 

 ────戦果報告を繰り返します。トウリ遊撃中隊は、アルガリア砦において、

 

 ────エイリス兵20000人の撃退に成功しました。

 

 

 

 その場に居た参謀将校の、皆が息を呑んで絶句して。

 

 誰もアルギィからの報告を理解できず、参謀本部は静まり返ったという。

 

 



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162話

「失礼、友軍とお見受けする。対応を願いたい」

「おお、お待ちしてましたよ」

 

 アルガリアの戦いから、五日ほど経ったあと。

 

 髭モジャの兵士が率いる中隊が、アルガリアへと訪れました。

 

「当方は、ナウマン兵長と申します。貴官の所属を伺ってもよろしいですか?」

「アルベルト中隊の中隊長、ドル・アルベルト少尉だ。ヴェルディ少佐の命令を受け、貴中隊を出迎えに参った」

「聞き及んでおります。……こんな遠いところまで、感謝いたします」

 

 彼らは、自分達を迎えに来てくれたオースティン軍です。

 

 トウリ遊撃中隊は弾薬は無く、食料も尽きており、自力で帰還が出来ない状況でした。

 

 なので我々は、参謀本部に救助を依頼したのです。

 

「トウリ少尉殿は席を外していまして。少しお待ちいただけますか」

「おや、何をなさっているのですかな?」

「我らが中隊長殿は綺麗好きでして、水浴びをなさってるんです」

 

 その間、我々はアルガリア砦で、魚やカエルなどを食って飢えをしのぎました。

 

 カエルは入れ食い状態で釣れたので、食べるには困りませんでした。

 

「中隊長殿の水浴びを覗く気であれば、我ら部下一同、迎撃態勢を取らせていただきますよ」

「それは勘弁願いたい。エイリス軍2万人を退けた部隊を、突破できるとは思えん」

 

 ナウマン氏のジョークに、アルベルト少尉はガハハと笑い返しました。

 

 彼らのジョークは砦の中にも響いており、自分も苦笑していました。

 

「おうい、トウリ少尉殿! 聞こえておられますか」

「聞こえていますよー」

「念願の迎えが来てくれました。出発の準備をお願いします」

「了解です」

 

 ナウマン兵長に声をかけられ、自分は身体を拭きました。

 

 あまり他人を、待たせるわけにはいきません。

 

「アルギィ、来客の様です。そろそろ上がりましょう」

「ぷくぷくぷくぷく」

 

 因みにアルギィも一緒に水浴びをしています。

 

 ……水浴びというか、彼女は水路に浸かっていますけど。

 

「水の中でもぷくぷくするんですね」

「ぷえー」

 

 アルギィは水路で平泳ぎしながら、終始機嫌よくプクプクしていました。

 

 水を得た魚の様でした。

 

 

 

 

 

 

 これは、後から聞いた話ですが。

 

 南軍敗走の報が参謀本部に伝えられた時、アルガリアを守るかエンゲイを守るかで意見が真っ二つに割れたそうです。

 

 いわゆる古参の参謀は、「エンゲイを守るべき」と主張しました。

 

 急に作戦を変更することは難しいので、元々エンゲイを目指していたなら変えないだろうと。

 

 一方でヴェルディさん含む若手の参謀は、アルガリアを守るべきだと主張しました。

 

 少し進路を変えるだけですし、南軍を叩かれる方が致命的だからです。

 

 特にヴェルディさんは「もしアルガリアに敵が来なければ、どんな責任に問われてもいい」とまで言ったのだとか。

 

 双方の言い合いは平行線で、議論では決着がつきませんでした。

 

 どちらの言い分にも理があり、互いに納得しなかったのです

 

 そして最終的に、レンヴェルさんの判断にゆだねられる事になりました。

 

「エンゲイを奪還されたらおしまいだ、此処を守らずどうする!」

「叔父上、どうかこのヴェルディを信じてください。敵は、想像以上の手を打ってきます!」

「……うーん」

 

 双方の意見に耳を傾け、レンヴェル中佐は5分ほど唸った後。

 

「決めた。我々は、エンゲイに陣取る」

「叔父上!!」

 

 結局、エンゲイを守ることを決断してしまいました。

 

「敵がどちらの進路を取るかは、俺には分からん。どちらもありえるだろう」

「……」

「ただ、ウチの参謀本部が『エンゲイの防衛』を推す者が多いなら、それを信じる」

 

 判断理由は単純で、「エンゲイを守るよう主張した参謀の方が多かったから」です。

 

 信じるべきは根拠なき己の勘ではなく、多数決による結論。

 

 レンヴェル中佐は、そういう考えの人間でした。

 

「ヴェルディ、お前の意見も良く分かる。……責任は俺が取るから、納得してくれ」

「……はい」

 

 その決定にヴェルディさんは項垂れましたが、決定であれば仕方がありません。

 

 彼は少しだけ躊躇った後、

 

「ではせめて。保険として、アルガリアに偵察を飛ばす許可をいただけませんか」

「む……」

「実戦には役に立たない部隊を使いますので」

「……、分かった」

 

 アルガリアを偵察する許可だけを、得ることが出来たのでした。

 

 

 

 

 この時、ヴェルディさんは何故か『敵の狙いはアルガリアだ』という確信があったみたいです。

 

 だから偵察した後に、改めてレンヴェル中佐を説得しなおそうと考えていました。

 

「……今、即座に作戦に移れる訓練部隊は?」

「アルガリアに比較的近い中隊となると、この中隊でしょうか」

「あっ!」

 

 そして、即座に動かせる『訓練中隊』のリストを眺めた時。

 

 ヴェルディさんは自分の名前を見つけ、声を上げたそうです。

 

「そうだ。トウリちゃんが、いる」

「少佐?」

「……彼女は、生き残る事に掛けては天才的だ。彼女なら偵察をこなし、きっと一人も犠牲を出さずに撤退してくれる」

 

 ……なおヴェルディさんは、自分達が遅滞戦闘を仕掛けるなど想像だにしておらず。 

 

「確かにこの部隊が現在、アルガリアに最も近い位置に居るみたいです」

「決まりだ」 

 

 自分の生還能力を信じ、確実に情報を持ち帰ってくれると見込んで命令を下したそうです。

 

 

 

「叔父上! 叔父上、トウリ遊撃中隊からの報告はご覧になりましたか!」

「……ああ、確認しとる」

 

 そして、自分の中隊から『アルガリアに敵影みゆ』という報告を受けた後。

 

 ヴェルディさんは待ってましたとばかり、作戦計画書を手にレンヴェル中佐の部屋に押しかけました。

 

「今すぐ、エンゲイから部隊を移動させましょう。南軍と合流し、撤退支援を」

「いや、それはせん」

 

 彼は南軍を守るべく、準備していた意見書を提出したそうです。

 

 しかし中佐から返ってきたのは、『拒否』でした。

 

「どうしてですか叔父上! 偵察結果は見たでしょう!」

「今更動いてどうなると言うのだ、ヴェルディ」

「今、動かなくてどうするんですか!!」

 

 彼はレンヴェル中佐の判断に食って掛かりました。

 

 その形相は、自らの叔父を射殺さんばかりだったと言います

 

「今からアルガリア方面に出兵して間に合うのか? 五日はかかるぞ」

「アルガリアには間に合わないでしょう。しかし南軍と合流し、彼らの撤退を支援出来れば」

「アルガリア渓谷を抜けられたら、平原地帯になる。塹壕を準備する暇もないし、我々の方が少数だ」

「それは」

「兵を動かした結果、被害を増やすだけになる可能性は考えなかったか? 敵が二軍に分かれ、エンゲイをも狙う可能性は?」

「……」

「一度決めた方針は、ブレてはいかんのだ」

 

 しかしレンヴェル中佐は、意見を変えませんでした。

 

 それは、長い間戦ってきたレンヴェルさんの信条だったのかもしれません。

 

「中途半端なことをして、どちらも守れぬ方が愚かだ」

「叔父上……」

「我々はもう、エンゲイを選んだ。貴様が正しかったかもしれんが、もう遅いのだよ」

 

 間違っているかもしれなくても、決して方針はブレさせない。

 

 彼はそう言ったきり、議論を打ち切ってしまいました。

 

「お前にこの責任を担うのは、まだ早い。これ以上の意見具申を、聞くつもりはない」

 

 

 

 

 

 その晩、ヴェルディさんは自ら毒を呷ろうとしたそうです。

 

 この時の彼の心労は、想像を絶するものだったでしょう。

 

 そもそも今のオースティンの苦境は、ヴェルディさんの鉱山戦線での失策に起因しています。

 

 鉱山戦線を破られたことで中央軍は軽んじられ、連合側も勢いづきました。

 

 それは彼自身も認めるところで、周囲に陰口をたたかれていたみたいです。

 

 

 更に彼は、参謀本部を説得できなかった責任も感じていました。

 

 ヴェルディさんはシルフと何度も戦う中で、「敵は常に最悪の一手を打ってくる」と気付いていました。

 

 今の戦況で、より効果的で、より致命的な『南軍への奇襲』を敵が行わない筈がない。

 

 この感覚は、何度もシルフに敗れたヴェルディさんにしかわからない感覚でした。

 

 だからこそ、彼が説き伏せなければならなかった。

 

 それらの自責の念に押しつぶされ、自死を選びかけたのです。

 

「……いや。まだ私には、やることが」

 

 しかし、すんでのところで彼は踏みとどまりました。

 

 南軍は敗れ戦局は難しくなりましたが、まだ十分に挽回は可能です。

 

 ここから戦線を押し留め、立て直さなければ再び本土が脅かされます。

 

 どれだけ恥をかき、罵倒されようと、まだ祖国に尽くさねばなりません。

 

 そう考えた彼は、毒薬を机の引きだしに放り込むと、再び作戦案を練り始めたのでした。

 

 

 

 

 

 ────戦果報告を繰り返します。トウリ遊撃中隊は、アルガリア砦において、

 

 ────エイリス兵20000人の撃退に成功しました。

 

 

 

 

 

 だからその報告を、会議室で聞いた時。

 

 他の参謀将校が困惑する中、ヴェルディさんだけは突っ伏して声にならぬ叫びをあげたのだとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トウリ少尉。申し訳ないが、出発は明日になります。もう一日だけ、待機してください」

「了解しました、アルベルト少尉殿」

「実はお偉いさんが、戦闘の痕跡を確認してこいと仰られてね。貴官の戦果が馬鹿馬鹿しすぎて、半信半疑のようです」

「そうでしたか。では、確認をお願いします。……共に戦い、空に旅立った戦友たちの戦果を、しっかりお伝えいただきたい」

「ええ、勿論」

 

 アルベルト少尉は自分と握手を交わした後、部下と共に下流へと歩いて行ってしまいました。

 

 アルベルト少尉は我々を疑っている様子はなく、楽しそうに「この検分報告書は、歴史に残るぞ。適当な仕事をするなよ!」と意気込んでいました。

 

 自分の功績などどうでも良いですが、此処で散った戦友の戦果だけは認めてもらわねばなりません。

 

 是非、しっかりと報告して頂きたいものです。

 

「ぷくぷくぷく」

「もうワインは無いですよ、アルギィ」

 

 そう言う理由で自分達は、もう一日アルガリア砦に泊まることになりました。

 

 ここの暮らしはそんなに苦ではありません。

 

 自然豊かで水も美味しいので、キャンプをしているようなものです。

 

 ……虫が多くて、獣の声がうるさいのは難点ですが。

 

「ぷぇっぷぇっぷえ?」

「酒類など、彼らが持ってきているはずがないでしょう。エンゲイに戻るまで我慢してください」

「ぷえぇぇ~ん」

 

 一方アルギィは、帰るのが1日遅れると聞いて崩れ落ちました。

 

 手持ちのワインが無くなってから、彼女は元のグータラ看護兵に逆戻りです。

 

 せっかく服を洗ったのに、河原でゴロゴロしないでほしいです。

 

「ナウマン兵長。申し訳ありませんが、もう一泊することを部下に伝えて貰えますか」

「了解です、少尉殿。今夜の飯はどうします?」

「持ってきてくださっているそうです。久々に、懐かしの瓶詰レーションを楽しめますよ」

「当方は、魚の塩焼きの方が好きですな」

 

 自分はナウマンさんに伝言を頼み。

 

 彼のジョークに愛想笑いを返しながら、河原で遊んでいる兵士たちの方に目をやりました。

 

「……」

「少尉殿、どうなさったんで」

「いえ」

 

 自分の視線の先には、魚を採ろうとするガヴェル曹長がいました。

 

 彼は、元漁師の兵士に教わりながら、手作りの(もり)で魚を突こうと躍起になっています。

 

 男の子だからか、とても楽しそうです。

 

「……」

 

 ……この五日間、自分はガヴェル曹長との関係は今まで通りでした。

 

 戦友として、中隊長と副官として、普通の会話があっただけです。

 

 というか最近は、あまり顔を見て話してくれません。

 

 初日の夜、真正面から告白されたのが嘘みたいです。

 

「あの、ナウマンさん」

「はい」

「人に告白しておいて、それを放置する状況って何が考えられますかね」

 

 自分はてっきり、「あの時の返事が聞きたい」みたいなノリで呼び出されると思っていました。

 

 なので、なるべく傷つけず振るような文句も考えていたのですが……。

 

「んー、お相手が軽薄な場合とかですかい?」

「いえ、結構真面目な人だと思います」

「だったら、話しかけるのが恥ずかしいんですかねぇ。返事を聞くのに尻込みしてるのかもしれませんよ」

「ああ、なるほど」

 

 こういう恋愛話は年上に聞くのが一番なので、ナウマンさんに聞いてみました。

 

 どうやらナウマンさんは『兵士から自分』に対する恋愛相談にも、よく乗っているそうです。

 

 中隊随一の人生経験を持つ恋愛マスター、それがナウマン兵長なのです。

 

「では、自分はどうすればいいでしょうか」

「そういう時は、何もしなくていいです。告白した方が、聞きに来るのを待ちましょう」

「はあ」

「少尉の方がお相手に興味があるなら、好意を伝えに行ってもいいかもしれませんが」

「ああ、いえ、そう言うのではないのです。弟みたいで、可愛くはあるんですけど」

 

 頼りになるナウマン氏の助言は『放っておけ』でした。

 

 確かに、向こうがアクションを起こしてこないのであれば様子見が無難でしょうか。

 

「……あー。今の一言は言わんほうがいいですよ。誰からの告白か分かっちまいますし、本人が聞いたら噴飯して怒り出すと思います」

「まぁ、そうでしょうね」

「この中隊で少尉より年下で、可愛がられてる兵士なんぞガヴェル副中隊長しかおらんでしょう。弟みたいって、絶対言われたくない言葉だと思いますぜ」

 

 自分の一言で、ナウマンさんは苦い顔になりました。確かに、少し失言でしたか。

 

 今の言葉は本心ですが、当然本人に言う気はありません。

 

 ガヴェル曹長は子供に見られるのを嫌うので、なるべく立ててやるつもりです。

 

「くれぐれも気を付けてくださいよ、中隊長と副中隊長が仲が悪い部隊は、上手く行かねぇもんです」

「分かりました」

「やれやれ、ガヴェル副中隊長殿も可哀そうに」

 

 ナウマンさんはやれやれと笑いながら、腰を上げました。

 

 そしてガヴェル曹長の方を親指で示し、

 

「この辺の兵士には俺が声をかけておきますので、少尉殿は川で遊んでるガヴェル曹長たちに『もう一泊になった』と伝えて貰えますかい」

「ああ、了解しました」

「どうせなら、一緒に遊んできてはどうです。最近、ガヴェル曹長とあまり話してなかったでしょう」

 

 そう言って、自分の肩を軽く叩きました。

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 一緒に遊べと言われても、困ります。

 

 自分は中隊長であり、部下たちにとっては目の上のたん瘤。

 

 上官が近くにいては、兵士達は羽目を外せないのではないでしょうか。

 

「あの、ガヴェル曹長」

「ああ? ト、トウリか! どうした、出発時間が決まったか!」

 

 そう心配しましたが、自分が近づいても兵士たちは楽し気に遊び続けていました。

 

 我関せずという感じで、兵士たちははしゃぎ続けています。

 

 そもそも自分は、怖がられてないようですね。

 

「ええ、それがどうやら明日になるようです。戦闘区域の調査をするとかで」

「そっか、了解だ。おっしゃ、じゃあ今日も魚を採らないとな!」

 

 ガヴェル曹長は自分が話しかけても、すぐそっぽを向いて川遊びに戻ってしまいました。

 

 完全に、魚採りを楽しむ男の子モードに入っている様子です。

 

「結構魚、取れるようになったんだ。トウリ、見てろよ見てろよ」

「……」

「そりゃ!!」

 

 ガヴェル曹長は見慣れないほどテンション高く、満面の笑みで魚を突いています。

 

 そう言えばガヴェル曹長、15歳でしたね。こういうのが大好きなお年頃ですか。

 

「良ければ少尉殿も、やってみますか」

「いえ、自分は……。服を汚したくありませんし」

「ノリが悪いなー! じゃあそこで見てな」

 

 ガヴェル曹長はこっちを見てふぅと鼻息を鳴らすと、再び魚を追いかけ始めました。

 

 こちらの様子を、気にする素振りはありません。

 

「……」

 

 まさか、告白したこと忘れてませんかこの男。

 

 ……結構、自分はガヴェル曹長の告白にどう答えるか悩んでいたのですけど。

 

「少尉殿、なんか不機嫌です?」

「いえ、別に」

 

 とても楽しそうなガヴェル曹長を見て、悩んでいたのが馬鹿らしくなりました。

 

 彼から蒸し返さない限り、あの告白の返事は様子見しておくとしましょう。

 

「おい、少尉殿むくれてるぞ。誰かなんかやったか」

「さあ? そういう日もあるんじゃねーの」

 

 ガヴェル曹長の幼さには、困ったものです。

 

 やはり彼は、しばらく弟扱いで十分ですね。

 

 

 

 

「……せっかく、トスを上げてやったのに」

 

 そんな自分達の様子を。

 

 ナウマン兵長は遠くから、生暖かい目で見つめていました。



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163話

 

 

 これから、戦後に知った内容も含めお話しします。

 

 アルガリアの戦いにおける、エイリス軍の事情についてです。

 

 

 まずアルノマ義勇兵団が、オースティン南軍を打ち破った後。

 

 シルフはエイリスとフラメールに、その追撃を依頼しました。

 

 この時シルフが率いていたのは、体力のない市民兵です。

 

 彼らでは兵站的にも、練度的にも、追撃を行うのは困難でした。

 

「オースティン主力軍を叩く好機だ。任せたぞ」

 

 しかし首都パリスには、フラメールの主力軍が駐留していました。

 

 自分達が無理なら、彼らに追撃してもらえばいい。

 

 シルフはそう考え、戦果を譲るようなつもりで追撃を要請したのですが、

 

「申し訳ないが、その要請には応じられない」

「は? 何でだ、この千載一遇の好機に!」

 

 フラメール主力軍は、シルフの追撃要請を拒否しました。

 

 その理由は、

 

「たかが民兵が、オースティン主力軍に勝てるわけない」

「首都の防衛戦力を削ぐため、敗走した演技をしてるのだろう」

 

 悪辣外道で戦えば無敗、フラメールにまで名を轟かせるベルン・ヴァロウ。

 

 彼の悪名が、フラメール参謀本部を疑心暗鬼にさせたのです。

 

「違う! 確かに我々は勝った、演技の可能性はない!」

「申し訳ないが、信じられない」

 

 フラメール主力軍は首都が落とされるのを恐れ、主力軍を動かせませんでした。

 

 この返事に、シルフは歯噛みをした事でしょう。

 

 

 一方でエイリス軍は、

 

「状況は了解した。貴官の活躍に賛辞を贈る、シルフ・ノーヴァ」

「……ありがとう」

「すぐさま、追撃部隊を送ろう。貴官はゆっくり休まれたし」

 

 シルフの要請を受け、南軍の追撃を受諾しました。

 

 エイリス軍は他国の戦争だったが故に、フットワークが軽かったのです。

 

 彼らはエンゲイに侵攻する予定だった『援軍二万人』をアルガリアに差し向けました。

 

 それを聞いて、シルフもひとまず胸をなでおろした事でしょう。

 

 

 

 

 その後の、アルガリアでの戦いの結末はお話しした通りです。

 

 塹壕は、エイリス軍が思っていた以上に強力でした。

 

 渓谷地帯のため、戦力差を生かせなかったのも苦戦の要因だったでしょう。

 

 エイリス軍は本来の能力を発揮できないまま、撃退されてしまいました。

 

 

 その決め手は、二日目に我々が敢行した夜襲だったようです。

 

 あれで砲撃魔導師を殺され、はるばる運んできた食糧と魔石も失ってしまいました。

 

 これが痛恨だったようで、この時点で南軍追撃作戦を完遂できる食料はなくなったそうです。

 

 それでもエイリス軍指揮官は諦めず、食事を減らしての作戦継続を決断しました。

 

 その結果、エイリス軍では兵士に嫌な雰囲気が漂い始めたそうです。

 

 この二日間、何の戦果も上がらぬまま無策で死地に突っ込まされ続け。

 

 挙げ句の果てに、食事を減らされ夜通し攻撃に参加させられる。

 

 そんな状況でエイリス軍の兵士は、何を考えるでしょうか。

 

 

 

 ─────これ以上、付き合ってられるか。

 

 

 

 俺達は戦いに来たのであって、銃弾の的になりに来たんじゃない。

 

 銃の性能が違い過ぎて、まともな戦闘になっていない。

 

 たった150人に苦戦するのに、オースティン南軍三万人の追撃なんてできる筈がない。

 

 

 

 二日目の夜には、士気低下が馬鹿にならないレベルになっていました。

 

 後方部隊からは『何をてこずっているのか』と不審がられ、前線部隊は『蜂の巣にされる』と突撃を嫌がりました。

 

 とうとう脱走兵まで出始めてしまい、エイリス指揮官は仕方なく撤退を決意したそうです。

 

 すでに、南軍の追撃が間に合うか分からない。

 

 このまま作戦を続けたら兵站が尽き、脱走兵が増える一方。

 

 そもそもこれは、エイリス軍主導の作戦ではない。

 

 シルフの要請に応えただけの、義理のようなもの。

 

 彼らにはこれ以上、戦闘を続けるモチベーションが無かったのです。

 

 こうしてエイリス軍は、二日目の夜にアルガリアから撤退したのだそうです。

 

 

 この戦いでのエイリス軍の被害は、次のように報告されています。

 

 死者221名、負傷者547名、脱走者332名に加え、魔石の8割、食料の4割を焼失。

 

 一方でオースティン軍の被害は死者76名、負傷者21名、消費した弾薬は1日分だけでした。

 

 歴史上でも類を見ない、大勝利。

 

 勇敢な戦友が命を賭け戦ったから、この奇跡は成ったのです。

 

 ……彼らと共に戦えたことは、自分にとって誇りです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルベルト少尉の、戦場の検分が終わった後。

 

 自分達はアルガリアに立てた戦友たちの墓標に祈りを捧げ、帰路につきました。

 

「アルガリアに散った76名の命は、我らの祖国の礎となりました。自分達が今日、こうして朝日を拝めるのは彼らの勇気の賜物です」

「……ありがとう」

「勇敢だった我らの戦友に、敬礼」

 

 彼らの遺体は焼いて、見晴らしの良い丘に埋めました。

 

 野生動物に食われてしまうので、遺体を持ち帰ることは叶いませんでした。

 

「遺書とドッグタグは、しっかり持ち帰ります。どうか、死後は安らかに」

 

 アルガリアで散った英雄達に、全員で敬礼した後。

 

 自分達はアルベルト中隊に護衛してもらい、エンゲイへと撤退したのでした。

 

 

 

 

 

 そして、エンゲイに着いてからですが。

 

「……よく、戻ってきてくださいましたトウリちゃん」

「はい」

 

 自分はまず、作戦経過を報告すべくヴェルディさんを訪ねました。

 

 帰還したら上官へ報告、これが指揮官の義務です。

 

「報告書は読みましたよ。実によくやってくれました」

「光栄です」

「非常に素晴らしい。文句のつけようがない」

 

 ヴェルディさんは、アポイントをとったその日に会ってくださいました。

 

 早く話がしたかった、とのことです。

 

「恐らく、本戦争で最も戦力差が大きい勝利でしょうね」

「はい」

「叔父上も喜んでいました。歴史に残る快挙ですよ」

「ありがとうございます」

 

 久しぶりに見たヴェルディさんは、げっそりやせ細っていました。

 

 頬がやせこけて、肌は病的に青白いです。

 

 ちょっとだけ、ギョっとしました。

 

「まだ、貴中隊の戦果は未公表です。大騒ぎになってしまうでしょうから」

「そうなのですか」

「全く、とんでもない事ですよ。……戦果が大きすぎて情報を伏せるなんて、前代未聞です」

 

 ヴェルディさんは、呆れたような表情で自分を見つめました。

 

 ……真偽確認が済むまで、公表できなかったということでしょうか。

 

「あの報告は事実ということで、相違ありませんね」

「はい。……勇敢だった部下たちの戦果です。虚言など混ぜません」

「……そうですか」

 

 ヴェルディさんは話を聞いた後、溜息を吐きました。

 

 その後ゆっくり、自分のおでこに指を近づけ、

 

「えい」

「痛っ」

 

 そのまま、おでこをペシンと弾きました。

 

「……?」

「はあ」

 

 自分が驚いておでこを押さえていると、ヴェルディさんも弾いた指を痛そうに握っていました。

 

 ……何とも微妙な空気が流れました。

 

「ヴェルディ少佐。自分は何か、ご不興を買う様な事をしたでしょうか」

「していませんよ。貴女の戦果はとても立派です。文句などある筈がない」

「はあ」

「貴女を含め、生き残ったトウリ遊撃中隊の面々は全員、歴史に名を刻むでしょう。私も上官として鼻が高いばかりです」

 

 ヴェルディさんはデコピンした後も、自分を手放しに褒め続けました。

 

 じゃあなぜ額を弾かれたのかと、疑問符を浮かべていると。

 

「今のは上官としてではなく、戦友としての行動です。トウリちゃん」

「ヴェルディさん?」

「……エイリス軍を確認したなら、なぜ逃げなかったのですか。あらかじめ撤退を許可していたでしょう、私は」

 

 ヴェルディさんはジィっと、怖い目で自分を睨みました。

 

「アルガリアに敵が確認できたら、後方で布陣を変えるつもりでした。トウリちゃんに時間を稼がせるつもりなんてなかった」

「そうだったのですか」

「貴女への命令は、偵察だけだったでしょう。撤退許可を出してあるのに、砦に立てこもって2万人相手に応戦って何を考えているんですか!」

 

 ヴェルディさんは座ったまま、静かに怒声をあげました。

 

 その剣幕に、自分は黙り込んでしまいました。

 

「結果論ですが。私は叔父上の説得に失敗し、兵を動かす事は出来ませんでした」

「……」

「だからトウリちゃんが奮戦しなければ、我々は負けていたでしょう。参謀本部の尻拭いを、貴女にしてもらった形です」

「ヴェルディさん」

「だから、私にこんなことをいう権利はない。そんな事は分かっています」

 

 彼は自嘲するように唇を尖らせた後、拗ねるような口調で、

 

「でもね、トウリちゃん。私には部下も同僚もたくさんいます。けれど戦友と呼べるのは、もう貴女一人だけなんです」

「……」

「無茶をしないでください。私を孤独にしないでください。……共に同じ塹壕で寝て、同じ夜空を見上げた仲間なのですから」

 

 ヴェルディさんは、泣きそうな顔で言いました。

 

「ああ、何でしょうね。この矛盾した気持ちは。私はこんなにもトウリちゃんに感謝しているのに」

「いえ、その」

「……これ以上は、無様が過ぎますか。面倒くさい事を言ってすみません、トウリ少尉」

 

 彼はそのまま顔を背け、ゴシゴシと目もとを拭きました。

 

 机の上には、蒲公英が差さった花瓶がありました。

 

「では改めて。トウリ少尉殿、此度の作戦における貴官の功績は計り知れません」

「光栄です」

「暫く、貴中隊には休暇を与えます。その間に部隊補充や表彰を、予定します」

「ありがとうございます」

 

 ヴェルディさんは真面目な顔になり、自分に敬礼しました。

 

 ここからは『上官と部下』としての話という事でしょう。

 

「それに伴い貴方達には、ウィンに戻ってもらうと思います」

「ウィンに、ですか?」

「『休暇として帰省を許可する』という建前ですが、ほぼ公務ですね。凱旋やパレードなど、プロパガンダに協力して頂きます」

「……なるほど」

「貴女の中隊は半壊しているので、前線にいる意味が無いですし」

 

 自分の内心を察したのか、ヴェルディさんは苦笑いしました。

 

 正直、堅苦しいのは苦手なのですが……。

 

 部隊が再編成されるまで、やることが無いのも事実。

 

 元よりプロパガンダ部隊の隊長です。存分に利用されるとしましょう。

 

「貴官の奮闘と、その功績に敬意を表します。作戦お疲れ様でした、トウリ少尉」

「ありがとうございます」

 

 向き合って一礼して、ヴェルディさんの部屋を出る直前。

 

「……あ、そうだヴェルディ少佐殿。最後に一つ、お願いしたいことが」

「おや、何でしょうか」

 

 自分は、思い出したようにヴェルディさんに一つお願いをしました。

 

「実は────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へえ、休暇でウィンに凱旋か。悪くねーな」

「ガヴェル曹長は、ウィンの出身でしたっけ」

「ああ。ウィンの士官学校卒だ」

 

 そういう訳で、自分達はウィンに凱旋する事になりました。

 

 更に特別報奨金と、1か月ほどの休暇が貰えました。

 

 ……ロドリー君が生きていたら、またデートなどしたかったのですが。

 

「母さんがどんな顔をするか楽しみだ。俺には期待してなかっただろうし」

「そうなんですか?」

「俺の場合、従兄弟や兄弟が優秀過ぎてな……。だが、今回ので見返したはずだ」

 

 ガヴェル曹長はウィンへの凱旋と聞いて、嬉しそうに鼻を膨らませました。

 

 彼にとっては、悲願が成就したようなものなのでしょう。

 

「……それと、ナウマン兵長」

「何ですか、トウリ少尉」

 

 喜ぶガヴェル曹長に微笑みを返した後、自分はナウマンさんに向き直りました。

 

 そして真剣な顔にして、

 

「望むなら、この休暇の間に故郷へ戻っても良いそうです」

「─────」

 

 そう、伝えました。

 

 

 

 これは、自分からヴェルディさんにお願いした話です。

 

 休暇で故郷に帰るのは、兵士の正当な権利です。

 

 ナウマンさんの気持ちを知っていたので、無理を言ってお願いしたのです。

 

 ……その結果、残酷な事実を知ってしまうのだとしても。

 

「そりゃあ、願ってもない話ですな」

「はい」

「……そうか、家族の下に行けるのか」

 

 ナウマンさんは自分の言葉を聞いて、深く考え込みました。

 

 思案と困惑が、顔に色濃く浮かんでいました。

 

「この機会を逃すと、次に休暇はいつになるか分かりません。良ければ、と思いまして」

「そうですね。そりゃあそうだ」

「……余計な世話、でしたか」

「いや、とんでもない」

 

 自分としては、喜んでくれるかなと思ったのですが。

 

 その提案を聞いたナウマンさんは、ひきつった笑みを浮かべるだけでした。

 

「あー、どうしましょうかね」

「……」

 

 ナウマンさんは数秒ほど、考えるそぶりを見せた後。

 

 やがて意を決したように顔を上げ、

 

「いえ、里帰りはやめておきましょう」

 

 そう、きっぱりと言いました。

 

「良いのですか?」

「ええ。家族の安否を知るのは、戦後でいい」

「次の休暇まで、生きてるとは限らねぇぞナウマン兵長」

「そうなりゃ、後悔しつつ野垂れ死ぬだけでさぁ」

 

 ガヴェル曹長に説得されても、ナウマン兵長は軍帽を深く被って苦笑するだけでした。

 

 故郷には戻らないという決意は、固いようです。

 

「後悔するのでしたら、帰った方が……」

「トウリ少尉。確かめなければ、妻も娘もまだ生きている可能性があるんですよ」

「……」

「情けない話ですが、妻や娘が死んでいると知って、戦い続けれる自信がありません。後ろに家族がいるから、俺ぁ命を張れるんです」

「そう、ですか」

「まだ祖国に尽くすためにも、俺ぁ何も知らない方が良いんです」

 

 そこまで言われては、自分には何も言えませんでした。

 

 彼が家族の安否を確かめない限り、『生きているかもしれない』という希望は残ります。

 

 そのまやかしのような『希望』が、ナウマン兵長が戦う理由なのです。

 

「トウリ少尉殿。来年のアンナのプレゼント選びも、相談に乗ってくださいや」

「……ええ。自分で良ければ」

「今度こそ、思わず返事が書きたくなるようなものを贈ってやりますよ」

 

 彼は戦う理由を見失わないよう、敢えて真実から目を逸らしました。

 

 それもまた、一つの勇気と言えるかもしれません。

 

「一緒にウィンで、パーっとやりましょう。少尉殿」

 

 そう言って笑うナウマン兵長に、自分は愛想笑いを返すことしかできませんでした。

 

 

 

 

 

 

「ウィンへの出発は、1週間後だそうです」

「了解」

「ウィンまでの旅路は、アルベルト中隊に護衛される事になりました」

「じゃあ、挨拶に行かねーと」

 

 翌日、ウィンに向かう日程を教えて頂けました。

 

 我々は再び、アルベルト少尉に護衛して頂くことになるようです。

 

「……なあトウリ。栄誉ある凱旋にしては、随分と大荷物じゃね?」

「ええ、大荷物ですね」

 

 なので我々は、再びアルベルト中隊に挨拶に伺ったのですが。

 

 彼らが準備していた大荷物に、ガヴェル曹長がツッコミを入れました。

 

「おお、よく来たな若き英雄たち。これらは、我らが輸送する物資ですよ」

「なあトウリ、もしかして」

「ええ。我々はアルベルト少尉の物資輸送任務についていく形です」

 

 そう、アルベルト中隊は我々の為だけにウィンへ移動するのではなく。

 

 彼らはウィンに物資輸送する任務があり、我々はそれに追従させてもらうだけです。

 

「ちなみに、自分達も偵察や哨戒をお手伝いさせていただく予定ですよ」

「それじゃ、休暇じゃなくてただの護衛任務じゃ」

「そう言えるかもしれません」

 

 働かざるもの、食うべからず。

 

 我々も、彼らの任務のお手伝いをすることになっていました。

 

 なので、任務と言って差し支えないかもしれませんね。

 

「せめて、俺らの仕事なくせなかったのかよ」

「民の輸送も行うらしいので、人手が足りないそうです」

「民?」

「エンゲイまで拉致されていた、オースティン人です」

 

 今回の任務は、物資だけでなく『人間』も輸送する事になっていました。

 

 せっかく2個中隊で移動するので、人手の掛かる『市民輸送』も行ってしまうそうです。

 

 奴隷として拉致されていたオースティン国民を、ウィンに送り届ける任務です。

 

「人間の輸送は難しい上に、負傷兵の輸送が優先されるので、市民が国に帰る機会は貴重なのです」

「なるほど」

「自分もサバトで難民をしていたので、輸送を先送りにされる辛さは知っています」

 

 サバトの難民キャンプから本国に帰るまで、半年以上待たされましたっけ。

 

 セドル君と暮らせた幸せな時間ではあったのですが、忘れられてるんじゃないかという不安も抱えてはいました。

 

「是非、彼らの力になってあげようじゃありませんか」

「了解。軍人の本懐だしな」

「ありがとうございます」

 

 

 

 

 

 だから、これは本当に偶然でした。

 

 

 

 

「……」

 

 アルベルト中隊に挨拶した後、自分達は拉致された民のキャンプに伺いました。

 

 彼らはエンゲイ市内の集合住宅で、軍から配給を受けて生活しているようでした。

 

 出発は1週間後だと伝えると、彼らは歓喜に沸きました。

 

「なあ、嘘だろう」

 

 そんな、歓声を上げる拉致民に交じって。

 

 ナウマン兵長だけは、呆然と立ち尽くしていました。

 

「もしかして、パパ?」

「────っ!」

 

 彼の見つめる先に、一人の少女が居ました。

 

 自分と同年代の、目もとがクリっとした可愛らしい茶髪の少女です。

 

「嘘だ。ああ、そうなのか。いや、だって」

「パパだ。うわ、パパが居る!」

「アンナ、アンナなのか。お前、本当に、そんな────」

 

 集合住宅の出入り口で、掃き掃除をしていた少女。

 

 彼女には、ナウマン氏が持っていた写真の女の子の面影が色濃く残っていました。

 

「お前、こんな、大きく────。大きくなって、生きて、いて」

「うわー、びっくりだ」

 

 キョトンとしている少女に。ナウマンさんはよろよろと歩み寄ります。

 

 そしてそのまま、感涙にむせんで少女を抱きしめました。

 

「どうし、どうして、アンナがここに」

「ママと一緒に、敵に捕まったの。だけど、途中で軍人さんに助けてもらった」

「そうか、そうか。マ、ママは何処に?」

「部屋でお洗濯してると思うよ」

「そうか……」

 

 少女はナウマン氏に抱きしめられ、なすがままにされていました。

 

 ナウマン氏は肩を震わせ、少女に抱きついたまま、

 

「そうか────」

 

 娘の体温を確かめるように、いつまでも離そうとしませんでした。

 

「敵に捕まった時、凄く怖かったんだから。次はパパが助けに来てよね」

「ああ、そうだな、すまなかったな」

「まったくもー。パパったら、何してたのさ」

「ごめんな、怖かったな、来るのが遅くなってごめんな」

 

 やがて彼の声は枯れてきて。

 

 娘に泣き顔を見せぬよう、もたれるように抱き寄せました。

 

「パパはな、これでもすごく頑張ってたんだ」

「そうなの?」

「ああ。頑張ったんだぞぅ……」

 

 ポタポタと、ベテラン兵士の大粒の涙が地面を濡らします。

 

「もう駄目かもしれないくらいの敵に囲まれてなぁ。何度も、死んじゃうかもって思った」

「そっかぁ、大変だったんだ」

「でもなぁ、死にそうになるとアンナの顔が浮かんできてな。まだ死ぬわけにはいかんと、底力を振り絞ってだな……」

 

 自分がガヴェル曹長に目配せして、その場を離れました。

 

 これ以上、その光景を眺め続けるのも無粋だと感じたからです。

 

「ほ、本当は諦めてたんだ。もう、諦めなきゃって覚悟してたんだ。でもどうしても、受け入れられなくて!」

「……パパ?」

「よ、良かった。本当に、良かった。また会えると思ってなかったんだ。だって、もう、心の奥底では────」

 

 野太い子供のような鳴き声が、エンゲイの集合住宅に響き渡り。

 

 感涙に咽ぶ男の叫びは、いつまでも続きました。

 

 

 ……思えば『アルガリアの奇跡』と呼ばれたこの戦いは、幸運の連続でした。

 

 様々な犠牲を払い、望外の幸運が重なって、我々は奇跡的な戦果を手にしました。

 

 そんな凄まじい幸運の、最後のひとかけらがまだ残っていたのでしょうか。

 

「よく、よぐ生きでいてくれだ! アンナ!」

「……もー」

「今まで、頑張っだ、甲斐が、あっだァ!!」

 

 幸運の女神から最後のプレゼントを受け取ったナウマン兵長は。

 

 そのまま無事に奥さんと再会し、夜通し泣き続けたそうです。

 

 




8章終了です。再開までしばしお待ちください。
書籍版『TS衛生兵さんの戦場日記』第二巻は、12月28日に発売予定です。
よろしくお願い致します。


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間章
フラメールの英雄


 

 ────アルノマ。また会いに来てくれるよね。

 

 幼い少女は、青年の手を引いてそう言った。

 

 ────ああ、約束する。私は必ず、君に笑顔を届けに来る。

 

 青年は、少女の手を握り返してそう言った。

 

 ────うん、分かった。ずっと待ってる。

 

 

 

 

 

 フラメールの俳優アルノマ・ディスケンスは、オースティンの田舎村で約束を交わした。

 

 もう一度、少女の前で素晴らしい劇を見せると。

 

 その娘は親を失い、商人に引き取られ、奴隷のように生活していた。

 

 少女の瞳に光も希望もなく、生きている人形のようであった。

 

 この時代、そんな孤児は珍しくもなかった。

 

「君に、特等席で見て欲しい」

 

 アルノマはその少女の為に、仲間を説得して公演を開いた。

 

 みすぼらしい奴隷が大人になって成功を収め、大富豪になるお話だ。

 

 招待された少女は夢中になって、その劇に熱狂した。

 

「君にはまだ無限の可能性が有るんだ」

「うん」

 

 演劇には、人の心を動かす力がある。

 

 たとえ夢物語の空想でも、誰かに希望を与える事が出来る。

 

 次の日から少女は、目に見えて元気になった。

 

 商人に命令された仕事も、精力的にこなし始めた。

 

 アルノマにとって、この小さな村での公演は『大成功』だった。

 

 少女が、夢と希望に向かって自ら歩き始めたからだ。

 

 アルノマは元気になった少女と手を振って別れた後も、オースティン各地に旅をして公演を続けた。

 

 少女のような絶望した子供に、希望を与えるため。

 

 それが舞台俳優アルノマの使命なのだと、彼は考えていた。

 

 

 アルノマは、自分が世界の「主人公」だと信じて疑わなかった。

 

 主人公に相応しい行動をしていれば、何でも上手くいくと思っていた。

 

 だからアルノマは、精力的に他人の為に行動した。

 

 それが彼にとっての、理想の主人公像だったからだ。

 

 

 

 一年ほどオースティンで公演を続けた後、アルノマ一行はフラメールに帰る事となった。

 

 アルノマは約束通り、その前に少女のいる田舎村に戻ってきた。

 

 

「ん? この先に行くのは危ないぞ」

 

 しかし。

 

「危ないってのはどういうことだ」

「サバト軍が攻めてきたのさ。この先の村は略奪され、一人も生き残っちゃいないよ」

 

 その村はシルフ攻勢により、サバト軍に惨殺されていた。

 

 

 

 ……アルノマは、少女との約束は果たせなかった。

 

 彼女の墓に参り、弔ってやることすら出来なかった。

 

 当時のオースティンは、そこかしこでサバト軍が暴れていたからだ。

 

 アルノマ一行は急かされるように、故郷フラメールへと逃げることとなった。

 

 これが本当に『主人公』に相応しい行動なのかと、悩み続けながら。

 

 

 

 

 

 ────君のような子供が、どうして兵士なんかやってるんだ?

 

 首都ウィンでの、最終公演を終えたあと。

 

 アルノマは、観客にいた少女兵士にそう聞いた。

 

 ────自分がいる事で誰かを助けられるなら、素晴らしいじゃないですか。

 

 無表情な少女兵士は、アルノマにそう答えた。

 

 ────戦争に参加するのは、怖くないのか?

 

 アルノマが更に問うと、少女は困ったような表情で答えた。

 

 ────怖いですけど、それで助かる命があるのなら。

 

 

 

 次にアルノマが出会ったのは、オースティン軍の少女衛生兵だった。

 

 アルノマは彼女に儚く、強い印象を受けた。

 

 その衛生兵は他人を救うため、恐怖を押し殺し戦地に赴くのだという。

 

 ────ああ、私のやるべきことはコレだ。

 

 そう感じたアルノマは、オースティンに義勇兵として志願した。

 

 死んでしまった村の少女に対する、贖罪のつもりでもあった。

 

 アルノマは少女衛生兵の部下として、献身的にオースティン軍に尽くした。

 

 横暴な上官に絡まれたり戦友を失ったり、危険な目にも何度もあった。

 

 しかしアルノマはその都度、運命に導かれるように乗り越えてきた。

 

 彼は「主人公」として少女衛生兵と共に、オースティンに勝利をもたらすつもりであった。

 

「アルノマ二等衛生兵。貴様には、スパイの容疑がかかっている」

「な、何だい急に」

 

 だが運命は再びアルノマに牙を剥いた。

 

 フラメールが宣戦布告したことにより、スパイ疑惑を受けて拘束されたのだ。

 

「正直に白状しろ。貴様、どうやってフラメールに情報を送っていた!?」

「私はスパイなどではない! 本国と連絡など取っていない」

「嘘をつけ!」

 

 彼は身に覚えのない罪に問われ、激しい拷問を受け続けた。

 

 アルノマは『主人公なら受けるべき苦難だ』と耐え続けた。

 

 少女衛生兵が味方になって彼を逃がそうとした時も、固辞した。

 

 いつかスパイの疑惑は晴れると、アルノマは信じていたのだ。

 

 その結果、

 

 

 ────君の小隊長に会いたい、だって?

 

 彼の味方だった少女衛生兵は、

 

 ────彼女は物資を逃がす囮になって、もう死んでますよ。

 

 アルノマのせいで、オースティン軍に殺されてしまったのだ。

 

 

 

 

 アルノマは、僅かな路銀と共に釈放された。

 

 打ちひしがれたアルノマは、失意を胸に秘め故郷へ戻った。

 

 今まで尽くしてきたオースティン軍が、少女兵を囮にするような軍であった。

 

 いや。あの少女衛生兵は、アルノマを牢屋から逃がそうとしたことがバレ、囮にさせられたのかもしれない。

 

 だとしたら、彼女を殺したのはアルノマだ。

 

 そんな推測が、アルノマの心を掻きむしった。

 

 

 

 

 彼はフラメールに帰った後、故郷である田舎の村落に戻って隠居した。

 

 俳優時代に稼いだ財産を使って家を建て、小さな劇場で定期的に芸をして金を稼いだ。

 

 アルノマは、戦争というモノに嫌気がさしていた。

 

 だから、フラメール軍に参加する気も無かった。

 

 ────私は主人公などではなかった。

 

 ────もう、思い上がるのはやめよう。

 

 そんな諦めが、彼の胸に燻っていた。

 

 主人公であることを止めたアルノマは、廃人のようにフラメールの田舎で隠居生活を始めた。

 

 

 しかし、戦火は再びジリジリと彼の下に這い寄ってきた。

 

 後にベルンの大攻勢と呼ばれるフラメール侵略作戦が実施され、首都に続く村落が次々と焼き討ちされて行ったのだ。

 

 そのオースティン軍の進路に、アルノマの村落も含まれていた。

 

 ……彼は再び、戦争に向かい合わねばならなくなった。

 

 

「私は奴らのやり口を良く知っている!」

 

 

 田舎の村落民は、貧しいものが多い。

 

 金銭に余裕があれば首都に避難できるが、殆どの村人にとって田畑こそが命だった。

 

 だから、村人たちは武装してオースティン軍に歯向かおうとした。

 

「私の下に集え、勇気あるフラメールの戦士よ! 共にオースティンの悪魔を打ち倒さん!」

 

 しかし、小勢力ごとに固まっても各個撃破されるだけ。

 

 そう考えたアルノマは、首都周辺の村落に号令をかけて大きな義勇軍団を組織した。

 

 彼には役者仕込みの演出力と、オースティン軍で見聞きした塹壕戦術の知識があった。

 

 民衆からアルノマは、救世主のように見えただろう。

 

 続々と彼の下に義勇兵が集い、やがてアルノマ義勇兵団が組織された。

 

 「戦争」という醜悪にせめて一矢報いてやるという思いが、彼にはあった。

 

「アルノマさん、ウェクト村の男衆が合流してきました。一緒に戦わせてくれと」

「ありがとう、私が出迎えよう。塹壕を更に伸ばさねばならんな」

 

 ……だがしかし。アルノマはオースティンで、衛生兵として働いていただけだ。

 

 塹壕も見たものをそのまま伝えただけだし、詳しい作戦指揮など出来る筈もない。

 

「来たぞ! オースティン軍だ!」

「な、何て数だ」

 

 そしてアルノマは実際に、オースティンの大軍が押し寄せている光景を見て恐怖した。

 

 アルノマがかき集めた義勇兵の総数は、わずかに数千人。

 

 目の前のオースティン軍とは、10倍以上も戦力差がありそうだ。

 

「か、勝てるのか。こんな大軍に」

「……っ」

 

 気付かぬうちにアルノマは、再び「主人公」として行動していたのだ。

 

 そして、勝ち目のない無謀な戦いに多くの村人を巻き込もうとしていた。

 

 アルノマが本物の「主人公」なら、自信満々にオースティン軍を追い返せると嘯いただろう。

 

 だが彼はもう自信を失っており、「そんな奇跡は起こせない」と絶望したのだ。

 

 

 ────アルノマ、貴様は実に運が良い。この日、この瞬間、私と話をしている豪運に感謝せよ。

 

 

 しかし義勇軍が粉砕される直前に、1人の女性将校がアルノマの幕舎に姿を見せた。

 

 妖精のような白い肌、爛々と燃えるような自信にあふれた瞳。

 

 英雄は、歴史を揺るがす『天才戦術家』シルフ・ノーヴァと出会った。

 

「本当に君がいう通りに、敵が動くのか?」

「ああ。間違っていたら我が首を刎ね、死体を何処にでも晒すと良い」

「分かった、信じよう」

「良い判断だ」

 

 アルノマは彼女との出会いを、運命だと思った。

 

 彼は直感的に、シルフを信じるべきだと悟った。

 

「────貴様の勝ちだ、アルノマ・ディスケンス」

 

 その直感に従い、民兵の指揮を彼女に任せた結果。

 

 アルノマ達の作った塹壕の前に、オースティン軍は多大な骸を晒し。

 

 アルノマ義勇兵団は単独で、オースティン主力軍を追い返す大金星を上げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー! もー! この国も、馬鹿者ばかりか!!」

「落ち着いてください、シルフ様」

 

 シルフは存外に、ヒステリックな女性だった。

 

 アルノマ達が戦勝に沸き酒を酌み交わしている時も、通信機を前に怒鳴ってばかりだった。

 

「何を怒っているんだ、参謀殿。今宵は、戦勝の宴ではないのか」

「ああ、貴様らは思う存分に騒ぎ、喜ぶと良い。ここから先はフラメール正規軍の仕事なのだから」

「どういうことだい」

「我々はオースティン軍を追い返しただけで、大した被害を与えられていない。だから追撃して、完膚なきまでに叩きのめさねばならないのだが……。何故動かんのだ、この国の軍隊は!」

 

 ムキー、と顔を真っ赤にしてシルフ・ノーヴァはキレていた。

 

 初めて会った時は不思議な雰囲気の女性と思ったが、存外に感情的なようだ。

 

「落ち着き給え、参謀殿。もうすぐエイリス軍の援軍も到着するというじゃないか。兵力では我々が優勢なんだ、ここを守れただけで十分じゃないか」

「そんな、頭数だけそろえたエイリス軍に何の価値が……。いや、ああ、そうか」

 

 空気が悪くなっているのを見かねたアルノマが、やんわりとシルフを宥めに行くと。

 

 彼女は、アルノマの言葉を聞いた瞬間に目を見開いて飛び上がった。

 

「アルノマ、貴様は実にいい事を言うな!」

「そ、そうかい?」

「そうだ、エイリス軍に2万人も遊兵が居るじゃないか。奴らに追撃させればいいのだ。そうだエライア、地図を出せ。地図を……」

「こちらに」

「よし、待てよ、むーむむむむ」

 

 百面相に表情が変わるシルフを見て、アルノマは苦笑した。

 

 シルフは見た目こそ成人しているが、中身はまるで少女の様だ。

 

「今のエイリス軍の位置は、恐らくこのあたり。となれば進路を変えて奇襲すれば、オースティン軍は叩きのめせる!」

「……シルフ様。この地形ですと、アルガリアに陣取られたら」

「エライア、その通りだ! アルガリアに陣取られたら、奇襲は防がれる。だからこそ、フラメール主力に動いてほしかった」

「は、はあ」

「流石は我が副官、素晴らしい戦略眼だな」

 

 シルフは少々の愚痴と共に、エライアと呼ばれた女性兵士を褒めた。

 

 エライアは恥ずかしそうに、頬を染めた。

 

「だが安心せよ。オースティン軍は十中八九、アルガリアに陣取らない」

「何故そう言い切れるのです?」

「兵力が足りんからな。エンゲイとアルガリア、どちらかしか守れまい」

「敵が、アルガリアの防衛を選ぶ可能性は?」

「奴らには『古い』考えの指揮官しかいない。ベルン・ヴァロウをずっと左遷してた連中だ、エンゲイを捨てるなんて選択肢は選べんさ」

 

 シルフはまるでオースティンの会議を見てきたように、迷いなく断言した。

 

「奴らの中で傑出しているのは『ベルン・ヴァロウ』と、あの忌々しい女だけだ。他は木偶の棒よ」

 

 天才戦術家シルフ・ノーヴァ。

 

 彼女は目を煌々と輝かせ、自信満々にそう言いきった。

 

「と言うわけで、奇襲はほぼ成功すると思って良い。下手をしたら、奴らにアルガリアに兵を出すという発想すらないんじゃないか?」

「シルフ様がそう仰るのなら、そうなのでしょう」

「まったく、他愛のない奴等だ。あんな連中にしてやられた、我が祖国の無能が怨めしい」

 

 シルフはガハハと笑い、貴重なヴォック酒の瓶を空けた。

 

 サバト人は、日常会話中でも当たり前のように酒を飲む人種なのだ。

 

「ふむ、参謀殿。ところで先ほど言った忌々しい女、とは誰のことなんだい」

「……それは聞くな、アルノマ。私は、ヤツの顔を思い出すだけで虫唾が走るんだ」

「す、すまない」

 

 アルノマが何となく『忌々しい女』について聞いたら、シルフ・ノーヴァに物凄い顔で睨みつけられた。

 

 糞壺に落ちた人を見ても、此処までの嫌悪感にはならないだろうという顔だった。

 

「……許せないし、許されない私の天敵だ。最も警戒すべき、敵のエース級」

「そうなのか」

「ただヤツは前線指揮官だ。参謀本部には関わってこないだろう」

 

 シルフは吐き捨てるようにそう言うと、副官のエライア氏から紙を受け取った。

 

 そしてヴォック酒を含みながら、作戦計画書を書き始めた。

 

 フラメール語ではなく、エイリス語の書類の様だ。

 

「参謀殿は、エイリス語も書けるのか」

「それくらいできねば参謀など務まらん。後は私がやっておくから、貴様は仲間と騒いでいろ」

「あ、ああ」

「このエイリスの奇襲で、オースティンに止めを刺す。貴様ら民兵の役割はもうない」

 

 シルフは「これで勝てるぞぉ」と、楽し気に書類にペンを走らせていた。

 

 ……アルノマはそんな彼女の様子が、演劇でいうところの『失敗の前振り(フラグ)』に見えた。

 

「参謀殿? 少し気になるのだが……」

「何だ?」

「私達の一存で、勝手にエイリス軍の進路を変えていいのかい?」

「良いに決まっている、これで戦争の勝敗は決するのだ。結果が伴えば誰も文句は言わん」

 

 アルノマはそれとなく提言したが、シルフ・ノーヴァは聞く耳を持たなかった。

 

 彼女はヴォック酒臭い息を吐きながら、スラスラとペンを走らせ続けた。

 

「それに私は、エイリス遠征軍の指揮官に『命令』するわけではない。良い作戦があるぞと、情報を提供するだけだ」

「はあ」

「それを選ぶかどうかは向こう次第。ま、こんな大戦果のチャンスを逃す指揮官はいないだろうがな!」

 

 シルフはそれはもう機嫌良く、

 

「もし私の策が失敗したら、裸踊りでも何でもしてやるぞ! あーっはっはっは!」

「……」

 

 そう宣言して、ますます前振り(フラグ)を強化したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「注進。奇襲に向かったエイリス軍が、アルガリアを防衛していたオースティン人に撃退されたそうです!」

「……」

 

 

 数日後、案の定というべきか。

 

 アルノマ義勇兵団に、奇襲したエイリス軍の敗北報告が届けられた。

 

「……参謀殿?」

「せ、戦闘結果は」

 

 オースティン軍は彼女の奇襲を予測し、アルガリアに防衛陣地を構築していたらしい。

 

 シルフは顔を真っ青にして、伝令兵の報告を聞いた。

 

「オースティンの推定防衛兵力は1万人です。エイリス軍の被害は軽微なれど、敵は堅実な防御を固めており突破は困難と」

「バカを言うな! その数を動員したらエンゲイを維持できないだろう!? スパイから情報が漏れてるんじゃないか!?」

 

 報告を聞き終わるとシルフは、うがーと頭を抱えて悶絶していた。

 

 副官エライアは、彼女をオロオロと見守るだけだった。

 

「エイリス軍は補給のため、進軍を停止しました。来月以降、エンゲイに向かって再び進軍する方針の様です」

「来月になったら、態勢は立て直されているだろうな……。ぐぬぬぬ、千載一遇の好機だったのに」

 

 これでフラメールは、オースティンに手ひどい一撃を食らわせる好機を失ってしまった事になる。

 

 アルノマに軍事はよくわからなかったが、シルフの態度から「手痛い失敗だったのか」と悟った。

 

「これも全部、フラメール軍のせいだ! 機を見ることが出来ぬ指揮官が首都を守るとは、情けない!」

「お、落ち着いてくださいシルフ様。アルノマ氏が見ておられます」

「だが!!」

 

 その後八つ当たりのように、シルフは首都を守るだけだったフラメール軍に怒り出した。

 

 エライアに宥められると、彼女はフゥーと深呼吸して息を整えた。

 

「……ああ、いや、そうだ。私も敵の動きを読み違えたものな。フラメールばかりを責められん」

「落ち着かれましたか、シルフ様」

「だが、解せん。本当に解せん。ベルン・ヴァロウが遠隔で指示を出したのか? だとしてもエンゲイを奪還されるリスクを冒し、1万人もアルガリアに派兵するか?」

 

 シルフはしばらく黙り込んで、そう呟いた後。

 

 心底、辛そうな声を出し、

 

「嗚呼、やはり戦争は思いどおりに運ばない。また終戦が遠のいた」

 

 そう言ったきり、喋らなくなった。

 

 

 

 

「アルノマ、貴様らの力が必要だ」

 

 まもなくシルフは、国境付近の最前線へ呼び出された。

 

 エイリス援軍へ要請した内容の、事情聴取をさせられるようだ。

 

「私はサバト軍の将校だ、貴様らには縁もゆかりもない」

「……」

「だが、私が一番オースティンへの勝ち方を知っている」

 

 しかしシルフ・ノーヴァは独りで立ち去ろうとせず、アルノマに頭を下げた。

 

「私には戦果が必要なのだ。フラメールに要求を飲ませるための戦果が」

「要求って何だい」

「サバト連邦臨時政府の設置だ。……フラメールにとっても、メリットのある話だろう」

 

 アルノマは本音を言うと、サバト人が嫌いだった。

 

 オースティン村の少女を殺したのは、サバト軍だと聞いていたからだ。

 

「宣言しておく。今の我が故郷サバトを統治している『労働者議会』は、数年も持たずに解散するだろう。そうなった時、正規の統治機構が無ければサバトは滅ぶのだ」

「……」

「私は故郷を守りたい。……詐欺師に騙されて夢を見ているサバト人を、救ってやりたい」

 

 しかし、シルフ・ノーヴァはすがるように。

 

 プライドが高いだろう彼女は、アルノマに頭を下げて頼み込んだ。

 

「サバト軍の残党と、共同軍を組織してくれ。旗印は貴様のままで構わん」

「私が、トップをやるということかい」

「ああ。その軍の名前に『サバト』の文字が入っていればそれでいい」

 

 シルフの真摯な態度に、アルノマはうなった。

 

 このままオースティン軍を放置すれば、祖国フラメールが亡ぶかもしれない。

 

 そしてシルフ・ノーヴァは、間違いなく優秀な参謀だ。

 

「君の頼みを引き受けるとしたら、私は何をすればいい?」

「貴様は貴様のままであり続けてくれればそれでいい。民衆を集め指揮する英雄として、『演技』をしてくれれば」

「『演技』と来たか」

「ああ。フラメールの英雄を演じろ」

 

 少しためらった後、アルノマはシルフの手を取った。

 

 それがきっと、「主人公」であるアルノマがすべきことだと感じたからだ。

 

「分かった。よろしく頼むよ参謀殿」

「任せろ」

 

 握手を交わしたシルフは嬉しそうに、

 

「貴様を本物の『英雄』にしてやる」

 

 そう、言ってのけた。

 

 

 

 

 ─────こうしてアルノマ義勇兵団は旧サバト軍残党と合流する事となった。

 

 集った義勇兵たちはアルノマのカリスマに魅せられ、八割以上が最前線まで追従する運びとなった。

 

「彼らはもう義勇軍ではなく、正式なフラメール・サバト連合軍として扱われる」

 

 道中の物資などは、連合軍の援助を受ける事が出来た。

 

 フラメールとしても、突然『使える』部隊が国内から湧き上がったのだ。

 

 シルフの口利きもあり、援助は惜しまなかった。

 

「我々は、既に大きな戦果を挙げている。多額の給料ももらえるだろう」

 

 こうしてアルノマ義勇兵団は『英雄部隊』として、半ば凱旋するように国境付近へと進軍した。

 

 彼らの到着は歓声と共に迎え入れられた。

 

「さあ、オースティンに地獄を見せてやろう─────」

 

 

 

 それとほぼ同時期。

 

「あ?」

「何だこりゃ」

 

 オースティンで発行された新聞が、連合軍に届けられた。

 

「こんなデマを流してどういうつもりだ、オースティンは」

「ははは、嘘を吐くのが下手すぎると滑稽だ」

 

 シルフが最前線に到着した頃に、その新聞は半ばジョークとして扱われていた。

 

 特にエイリス軍の兵士は、躍起になって笑い飛ばそうとしていた。

 

「……アルガリアに籠っていた兵士が150名? 馬鹿にするにもほどがある」

「この新聞を発行した連中は、軍隊を知らんのだろう。兵隊経験者なら、もうちょっとマシな数字を設定するはずだ」

 

 しかしシルフ・ノーヴァは。

 

 そのオースティンの新聞を見た瞬間に、天を仰いで崩れ落ちてしまった。

 

「さ、参謀殿?」

「ああ、そうか」

 

 天才少女は、泣き笑いのような声を出し。

 

 忌々し気に新聞を広げ、怨嗟で震える声で小さくつぶやいた。

 

「─────そこにいたのか、貴様」

 

 

 その新聞にはでかでかと。

 

 『幸運運び』トウリ・ロウ少尉の名が、記されていた。



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トウリ遊撃中隊、恋愛大作戦

 

「俺はこの戦いを生き延びたら、もう一度少尉にこの話をするって決めてたんです」

「あー……。えぇ」

「貴女は華だ、戦場に咲く一輪の花。一目見たときから、ずっと少尉が好きでした」

 

 遠く異国の地、アルガリア渓谷。

 

 ここで新米兵士が、うら若き女性中隊長に思いを告げていた。

 

「トウリ少尉。どうか俺と、恋人になってくださいませんか!」

 

 命がけの窮地を脱し、奇跡の防衛戦を乗り越えたその翌日。

 

 何人かの兵士が、激情に突き動かされてトウリ・ロウ少尉に思いを告げて。

 

「……。ごめん、なさい」

「……」

「お気持ちは大変うれしいです。しかし、自分には忘れられない人が……」

 

 そのまま、恋愛的に手痛い敗北を喫していたのだった。

 

 

 

 

 

「トウリ少尉の身持ちが固すぎる……」

 

 勢いのまま告白して撃沈した兵士たちは、戦勝に沸くアルガリアの川辺に集って静かに泣いていた。

 

 彼らは既に一度告白し、フラれていた者が大半だった。

 

「あの見た目で実は年上……なのがグラっと来るんだよな」

「優しいし、落ち着いていて大人びてるし」

「あー……。やる気が起きねぇ」

 

 トウリ遊撃中隊には新兵が多い。その大半は、15歳前後の少年であった。

 

 彼女は年若い新兵から見れば、「軍隊では珍しい優しく、包容力のある年上の女性」だ。

 

 トウリはモテ始めたことを疑問に思っていたが、新兵から魅力的に映るのも当然だった。

 

「でも、あの夜襲の時の少尉はちょっと怖かったけど」

「あの極限状態じゃ、性格も変わるだろうさ。あの少尉のお陰で俺達は助かったんだ」

 

 だからこそ何人もの兵士が告白し、玉砕する悲劇が起きた。

 

 この件でトウリは、「勘違いさせるような振る舞いがあっただろうか」と自省していたりする。

 

「……俺達さ、失恋組なんて呼ばれてるらしいぞ」

「誰だよ、そんな呼び方してるやつは」

「あっちで川遊びしてる連中さ。縁起が悪いから近寄るな~、とか言ってるらしい」

「ンだと? 許せねぇぞオイ」

 

 因みに現在、このアルガリア渓谷で表情が浮かないのは失恋組だけである。

 

 他は「生き残れて最高にハッピー」とはしゃぐ兵士しかいない。

 

 それがまた、失恋組の癪に障った。

 

「まぁ怒ってもしょうがねぇよ。同じ女に振られた者同士、傷を舐め合おうぜ」

「何とかして、トウリ少尉とお近づきになれないかな」

「あの人、常に一歩引いてる感じがするし無理じゃねーの」

 

 元々、叶わぬ恋だったのだ。

 

 空前絶後(アルガリア)の勝利に浮かれ、深く考えぬまま再び想いを告げた者の末路。

 

 そう受け入れるほか無かった。

 

「おーい、トウリ少尉が招集をかけたぞ。皆集まれー」

「おい、呼ばれてるぞ」

「……俺らも、行くか」

 

 失恋組は何もせず、死人のように川に小石を投げ込んで失恋の傷を癒していたが。

 

 アルガリアの奇跡から数日後、トウリは再び全兵士に招集をかけたのだった。

 

 

 

 

 

 

「食料の備蓄が、とうとう無くなりそうです」

 

 兵士が集まると、トウリ少尉は重々しくそう言った。

 

「我々への救援は、到着までまだ数日かかるそうです。その間、我々は食料を現地調達せねばなりません」

「……」

「今日から、全員で手分けして食料を集めましょう。それらを持ち寄って、分けあい、この苦難を乗り越えるのです」

 

 彼女はそういってチラリと、残った物資を横目で見た。

 

 箱の中に僅かなワインや、缶詰が残るのみであった。

 

「漁の経験があるものは、川魚を。植物の知識があるものは山菜を。その辺りを跳ぶ蛙も、重要な食料になります。全員で協力して、食料を集めてください」

「「はい、中隊長殿!」」

 

 どうやら失恋組に、ゆっくり気持ちを整理する時間はなくなったらしい。

 

 働かざるもの食うべからず。これからは、食料問題と向き合わねばならないのだ。

 

「中隊長殿。発言の許可をいただけますか」

「何でしょうか、キャレル二等兵」

「食料調達効率を上げる提案があります」

 

 しかし失恋組の中で、1人だけ目を輝かせた者がいた。

 

 彼の名はキャレル。今年配属されたばかりの、ピチピチの新兵であった。

 

「ほう、お伺いしたいところです。続けてください」

「では。少尉は先ほど『全員で食料を分ける』と仰いましたが、ならば頑張って食料を集めた人が損をすることになりませんか」

「む。確かにそうですが、経験のあるなしで効率は変わるでしょう。我々は軍隊であり、集団で一個の存在です。申し訳ありませんが、食料は平等に分配したく思います」

「ごもっともです。ただ、頑張った者へ褒美を用意するのは如何でしょうか」

 

 トウリに発言を許可されたキャレルは、キラリと目を輝かせて熱弁を振るった。

 

 トウリは静かに聞いていたが、周囲の兵士はちょっと引いていた。

 

「なるほど、してそのご褒美とは?」

「それは少尉殿が許容できる範囲のもので結構です。例を挙げるのであれば、残った嗜好品とか、砦の好きな場所で眠れる権利だとか」

「ふむ、成程。それならば、用意できなくもないでしょう」

 

 しかし、周囲に引かれようとキャレルは止まらない。

 

 彼はトウリの顔を見つめ、頼み込むように話を続けた。

 

「私個人としては、トウリ少尉に訓練教官を依頼したいと思っています」

「訓練教官、ですか?」

「先の夜襲における、トウリ少尉の勇猛果敢な姿に感銘を受けました。戦争を生き残る為、祖国の勝利の為。トウリ少尉にみっちり個人訓練(レッスン)をしていただけるなら、私にとってそれ以上の褒美は在りません」 

「むむ、勤勉ですね」

 

 キャレルは他の兵士の怪訝な目を気にすることもなく。

 

 考え込むトウリを前に、そう言ってのけたのだった。

 

「どうでしょうか、トウリ少尉殿」

「うーん、そうですね」

 

 失恋組は、彼の発言の意図を即座に察した。

 

 この男は、賭けに出たのだ。

 

 トウリ少尉とお近づきになる好機を得るため、玉砕覚悟の特攻を行った。

 

「分かりました。では、今日の食料調達で最も大きな貢献をした者に、何かしらの褒章を約束しましょう」

「「ありがとうございます、少尉殿!」」

「先ほどの発言にあった範囲の報酬であれば、お支払いを約束します。では各員、作戦を開始してください」

「「了解!」」

 

 そして、彼の説得は成功した。

 

 トウリはもっとも食料を持ってきた人間にご褒美、─────個人訓練(レッスン)を行っても良いと宣言した。

 

「よっしゃあああ!」

「やるぞぉ!」

 

 この言質に、失恋組は大いに沸き立った。

 

 トウリ少尉は、優しくて甘々な人間だ。

 

 個人訓練と銘打っているが、実質はただのデートである。

 

「……」

 

 キャレルはちらっと、同じく失恋した仲間たちに視線を送った。

 

 ─────道は、切り開いたぜ。

 

 そう。これは男たちの、恋愛争奪戦。

 

 アルガリアの奇跡翌日に、失恋玉砕した男たちのセカンドチャンス。

 

「俺が、一番食料を持ってくる!」

「絶対に負けるもんか!」

「おお、凄いやる気ですね」

 

 こうして失恋組にとって、負けられない戦いが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

「おいそっち行ったぞ!」

「……任せろ! 獲ったどー!!」

 

 トウリ中隊長が号令した直後から、川辺に多くの兵士が集まってきた。

 

 彼らはみな一様に枝を折って銛を作り、素足になって川魚を突き始めた。

 

「見た感じ、漁が人気だな」

「すぐ思いつくからな。釣りをしてる連中もいるぞ」

 

 川辺での食料調達と聞いて、多くの兵士が漁を思い浮かべたらしい。

 

 元漁師だった兵士に魚の獲り方をレクチャーされ、楽しみながら魚を突いている様子だった。

 

「漁じゃだめだな。あれじゃ、一位は取れない」

「経験者に勝てっこないよ」

 

 元漁師の男は、次々と魚を突いては籠に放り込んでいた。

 

 とてもじゃないが、漁で彼に勝てるはずがない。

 

「勲功一位を得るには、あの漁師に勝つ必要があるだろう」

「じゃあどうする?」

「決まっている」

 

 キャレルは自信満々にそう言うと、フラメール産の槍を手に持った。

 

 そして、川の周囲にある大きな森を鋭く見つめた。

 

「獣を狩る。一匹大物を仕留めれば、魚にして数十匹分の食料にもなるだろう」

 

 キャレルはぶんぶんと、縦横無尽に槍を振り回す。

 

 その姿は、格好よく決まっていた。

 

「だけど、そりゃちょっと危険じゃないか?」

「大丈夫だ。もし怪我しても、少尉殿が優しく治してくれるさ」

「一人で獣猟なんて出来るのか?」

「全員協力すれば、何とかなる筈だ」

 

 キャレルは失恋組を見渡し、そう言った。

 

「獲物はここの全員で協力して狩る。ただし、仕留めた獲物は最も貢献した奴が総取りでどうだ」

「……何だと?」

「全員で仕留めた獲物を一人で持ち帰れば、一位を取れる。誰が持って帰るかは投票で決める、恨みっこなしだ」

「なるほど」

 

 それならば、この食料調達作戦で1位を取れる確率はぐっと高まる。

 

 少なくとも素直に漁をするより、可能性はずっと高いはずだ。

 

「どうだ、乗るか?」

「乗ろう」

 

 残った失恋組は、キャレルの提案に頷いた。

 

 彼らは恋のライバルでありながら、恋の戦友でもあったのだ。

 

「さあ行くぞ! 野郎ども!」

「狩りの始まりだ!」

 

 こうして、少女(トウリ)に惚れた男たちは意気揚々、弓矢や剣を手に取って森の中へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 だがしかし、そう都合よく事は運ばなかった。

 

「2時間探したのに、未だに獲物に出会えないとは」

「警戒して、隠れてるのかも」

 

 まず、獲物に出会えないのだ。

 

 森の奥に入ると、迷ってしまうだろう。

 

 必然的にキャンプから離れていない場所を探索するしかないのだが……。

 

「こんな大人数でキャンプしたら、警戒するわな」

「まー、あれだけ派手にドンパチしたら隠れるだろうさ」

 

 ちょうど数日前、このアルガリアで派手に銃撃戦をした直後である。

 

 そして今もなお、70名弱の兵士が川辺で騒ぎながらキャンプしているのだ。

 

 野生動物が警戒し、姿を見せないのも当然である。

 

「ちょっと森の奥まで探検してみるか?」

「迷わないよう、しっかり印を刻んでおけよ」

 

 キャンプ周辺で狩猟は困難だと判断した一行は、勇気を出して森の奥へと進んでいった。

 

 足音を殺し、息を潜めながら。

 

「おい、けもの道だ。糞がある」

「この先に、何かいるぞ」

 

 そして散策から三時間、ようやく兵士の一人が動物の痕跡を発見した。

 

 動物のフンはまだ柔らかく、まだ近くに居そうだ。

 

 兵士達はなぎ倒された草木を追って、奥へ進んでいった。

 

「見ろよ、猪だ」

「子連れだ、いけるか?」

 

 そしてとうとう、木々の合間に隠れる猪を見つける事が出来た。

 

 今日、最初の獲物である。

 

「む、気付かれたか?」

「おい、襲ってきたぞ!」

 

 しかし兵士たちは、狩りの練習などしたことは無い。

 

 そもそも、銃を撃つ練習しかしたことが無いのだ。

 

 狩猟に関しては、ド素人だった。

 

「痛ぇ!! くそ、足が折れたかも」

「死ね、消えろ!」

「痛たたたたた!!」

 

 子連れの獣は、攻撃性が高い。

 

 突進してくる猪の速度を見誤って、兵士の一人は骨折してしまい。

 

 援護に入った兵士が剣や槍で突こうとするも、空振るばかりだった。

 

「あの野郎、逃げやがった!」

「射て、射て!!」

「くそ、当たんねぇ!」

 

 周囲を囲んで仕留めようとしたら、猪はさっさと逃げ出してしまった。

 

 森の中を逃げる獣に、追いつけるはずもなし。まもなく一行は、猪の姿を見失ってしまった。

 

 初の獲物遭遇は、仲間が一人怪我をしただけだった。

 

「いったん戻るか?」

「いや、大丈夫だ。打撲だけで済んだようだ」

 

 幸いにも兵士は軽傷だった。

 

 しかし、兵士たちの顔は暗かった。

 

「でもさ。……これ、狩りとか本当にできるのかよ」

「諦めて、別の方法を探した方が良いんじゃね?」

 

 やっと見つけた猪に、彼らは触れる事すらできなかった。

 

 その事実は、一行の心に大きな影を落とした。

 

 こんな事で、獲物を狩って帰れるのか。

 

 経験もないのに狩りをするなど、無謀でしかなかったのか。

 

 そんな諦観が、チラリと彼らの脳をよぎったのだ。

 

「進もう」

 

 しかし、言い出しっぺの男……キャレルは諦めなかった。

 

「猪が居たんだ。他の獣だっている筈さ」

「キャレル二等兵……」

「俺は少尉殿に個人訓練して貰いたい。みっちりしごいて欲しい。その為なら、何だってやってやる」

 

 男の眼は燃えていた。

 

 彼の想いは真っすぐ、トウリ中隊長の方を向いていた。

 

「ああ、俺もだ」

「すまんな、弱気になってしまった」

 

 出来るか出来ないかではない。

 

 やるか、やらないかだ。

 

 男たちは再び武器を手に取った。

 

「次の獲物を探そう。もう一度くらい、出会えるさ」

 

 キャレルはそう言って、戦友たちを鼓舞した。

 

 

 

 

 

「おい、あっちだ! 何かいるぞ」

「鹿だ!」

 

 そこから獲物を探す事、さらに1時間。

 

 そろそろ日が暮れるという時間に、男たちは鹿の群れを発見した。

 

「かなり険しい崖を渡っているな」

「あそこに行くのは難しそうだ」

 

 その鹿達は数十メートル先の山の斜面を、列をなして渡っていた。

 

 大人の鹿が子鹿を導き、滑落しないよう慎重に。

 

 あの場所に、人間が乗り込むのは困難だろう。

 

「弓で射れるか」

「やってみよう」

 

 だが、飛び道具なら届くはずだ。男たちは矢を射り、鹿を仕留めようとした。

 

 しかし男たちの矢は当たる気配もなく、明後日の方向へ跳ねていく。

 

 鹿達は攻撃されていることすら気付いてなさそうだ。

 

「くそ、やっぱり駄目なのか」

「もうちょっと近づけば、届くかも?」

「……俺が出る」

 

 やがてしびれを切らし、キャレルは鹿に向かって走り出した。

 

 キャレルが近づくと、敵の存在に気づいた鹿は逃げ出そうとした。

 

「馬鹿、せっかく俺達見つかってなかったのに」

「いや待て、アイツまさか……」

 

 キャレルは雄たけびと共に、手に持った槍を思い切り振り被った。

 

 そして、

 

「当たれぇえええええ!!」

 

 今まさに、斜面を渡ろうとしている鹿目掛けて投げつけたのだ。

 

 

 槍はくるくると回転しながら、鹿の脚に命中した。

 

 その鹿は悲鳴を上げ、山の斜面を滑落してしまった。

 

「今だ、捕まえろ!」

 

 キャレルは素手で滑落した鹿にとびかかり、その首を絞めようとした。

 

 激しい抵抗に遭い、擦り傷で体中を負傷しながら。

 

「あの野郎、信じられねぇ」

「みんな続け、あの鹿を仕留めるぞ!」

 

 そんなキャレルの大金星に、戦友たちが続いた。

 

 男たちは全員で、負傷した鹿を囲んでタコ殴りにした。

 

「殺ったか?」

「……ああ、仕留めたぞ」

 

 そして、長い長いもみ合いの末。

 

 頭を剣でたたき割られた鹿は、とうとう動かなくなった。

 

「よっしゃあ! 鹿を獲ったどー!!」

「俺達の勝利だァー!」

 

 こうして失恋組は、見事に鹿の狩猟に成功したのであった。

 

 

 

 

 

「大物だ、大物だ」

「血抜きをするぞー、場所を空けてくれ」

「おお」

 

 その後男たちは、槍の柄に鹿を縛り付けてキャンプへと運んでいった。

 

 多くの兵士たちが、そんな失恋組を信じられない眼で見ていた。

 

「トウリ少尉! 大物を仕留めましたよ」

「凄いですね。……よく、今の装備で獣を狩れたものです」

「ええ、頑張りました!」

 

 その鹿はかなりの大きさだった。

 

 少なく見積もっても、数十キロの肉が取れそうだ。

 

 部隊全員で分けても、この鹿だけで数日分の食料になるだろう。

 

 キャレルは、鼻高々だった。

 

「……おや、かなり負傷しているように見えますね」

「はは、少し鹿と取っ組み合いになってしまいまして」

「それはいけません。傷口を確認しますので、見せていただけますか」

 

 そして男たちは、トウリの診察を受けることとなった。

 

 鹿の血抜きを仲間に任せ、一人一人丁寧に診察を受けた。

 

「よく消毒してくださいね」

「了解です、少尉!」

 

 そうこうしているうちに日が暮れて、その日の狩りは終了となった。

 

 

 

 

「今日は皆さんの協力で、沢山の食材が集まりました。ありがとうございました」

「やったぞー」

「おおー!」

 

 そのすぐ後。全員が集められて、その日の戦果が発表された。

 

「まさか鹿を狩ってくるとは思いませんでした。キャレル二等兵には、感謝を」

「へっへへ」

 

 なお鹿を仕留めたのは、キャレルということになっていた。

 

 満場一致、失恋組は悔しがりながら彼に投票したのだ。

 

「これは、決まったかな」

「流石にキャレルだな」

 

 川辺には多くの食料が集められていた。

 

 しかし、鹿以上の大物を仕留めてきた者は居なかった。

 

「……皆様、お疲れさまでした。ではこの後、今日獲ってきた食料の調理を始めましょう」

「「はい、少尉殿!」」

「そして、今日の勲功第一は……」

 

 トウリから褒美の文句を引き出した事。

 

 危険を顧みず、鹿に突撃して肉弾戦で仕留めた事。

 

 この鹿を仕留めたのは、文句なくキャレルだった。

 

 こうして彼は一番の戦果を上げたことを認められ、トウリ少尉から褒美を……。

 

「うーん、一位はやはりアルギィですかね」

「ぷっぷくぷー」

 

 得ることは出来なかった。

 

 

「えっ?」

「あー、キャレルさん。貴官の戦果も素晴らしいのですが、その」

 

 キャレルが動揺した声を出すと、トウリは申し訳なさそうに川原の一角を指差した。

 

 彼女の視線の先には『ぷくぷくゾーン』と記された看板が立てられ、山盛りの山菜に、羽を剥いた野鳥が5~6羽、数多の串刺しの川魚が置かれていた。

 

 凄まじい数なので、てっきり誰かが持ち寄ったものと思っていたが……。

 

「アルギィさんは、罠猟の知識を持っているようでして。朝に罠を仕掛けて回り、昼は食べられる野草を摘んで回り、夕方に罠から獲物を回収したらあんなことに」

「ぷぇっぷぇっぷぇ!」

「キャレルの鹿も素晴らしい戦果です、けど……」

 

 キャレルが仕留めたのは、鹿を一頭のみ。

 

 アルギィの戦果は、総量だと確かに鹿を越えていそうだった。

 

「あー、その。アルギィさん、ご希望は」

「ぷく(酒)!」

「ですよね」

 

 アルギィは満面の笑みで、嗜好品箱に残った酒を指さした。

 

 トウリは呆れ顔で、彼女にワインボトルを渡した。

 

「そんなぁ」

「……まぁ、彼女は酒が懸かると異様な優秀さを発揮するので」

 

 このプクプク女は完全にノーマークだった。

 

 まさかこんな、よく分からない生物に敗北を喫する事になるとは。

 

 失恋組は全員、天を仰いで崩れ落ちた。

 

「ですが、キャレル。自分で良ければ、貴方の訓練教官を引き受けますよ」

「え?」

 

 しかし、膝をつくキャレルにトウリは優しく話しかけた。

 

「貴官の想いは実に立派です、キャレル二等兵。兵士の生存率を上げるには、訓練が何より重要」

「トウリ少尉殿……」

「自ら訓練を受けたいというのであれば、上官としては願ったりです。自分が教官をしますので、明日から自主訓練をしましょうか」

「良いんですか!?」

「ええ。それでいいですか、キャレル」

「光栄です!」

 

 キャレルは1位を取れなかったが、彼の意を汲んでトウリは自由参加の訓練を行う事を発表した。

 

 その宣言に、失恋組は大きく盛り上がった。

 

「俺もだ! 俺も訓練に参加したいです!」

「少尉殿! 私も訓練に志願します!」

「ぷえー(拒否)」

 

 その士気の高い兵士達の発言に、トウリは満足げな笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「では、まずはウォーミングアップです。腹筋から、自分と同じリズムで」

「「はい!!」」

 

 そして約束通り、翌日からトウリ少尉による自主訓練が実施された。

 

「199、200。はい、10秒のブレーキングタイムです。続いてスクワット」

「「……は、はい!」」

「いっちに、いっちに。これにてウォーミングアップ終了です。では次はランニングに────」

 

 そこで兵士達は、大きな思い違いをしていた事を知った。

 

「声が小さくなっていますよ。もっと張り上げて!」

「「イエス、マム!!」」

「では歌を歌いながら走りましょう。ひかーりをはなーつ、我がーそこく」

「「ひ、ひかーりをはなーつ、我がーそこく」」

 

 今まで訓練はメイヴ輜重兵長が教官をしており、トウリは傍から見ているだけであった。

 

 だから彼女の訓練など大したことないのだろうと、兵士はたかをくくっていた。

 

「そろそろ息が上がってきましたか。ではここから、短距離走を行いましょう」

「……」

「塹壕間を走る想定なので、銃を構えたまま障害物をよけるようジグザグに走行してください」

 

 しかし彼女の口から出てくる訓練の尽くが、実戦的でキツいものばかりであった。

 

 何ならメイヴ兵長の訓練の方が、まだ楽まであった。

 

「敵影、10時方向! 照準して構え!」

「「イエス、マム!」」

「3番、7番、照準が遅いです。戻って、もう一走!」

 

 この訓練方法は今は亡きガーバック軍曹と、エース級防衛部隊のザーフクァ曹長から課されたモノだ。

 

 楽な訓練のはずがないのである。

 

「う、ううぅ……何だよこれ、キツ過ぎる」

「でも、トウリ少尉は涼しい顔してやってるぞ」

「嘘だろ……」

 

 そしてトウリはお手本として、兵士と同じメニューの訓練を行った。

 

 彼女が軽々と訓練をこなすせいで、兵士は「そのメニューはきつすぎます」という泣き言が言えないのである。

 

 言い訳を封じられた兵士は、黙ってトウリについて行くしかないのであった。

 

「おお……オオォォォォ!!」

「頑張れ、キャレル!!」

「負けてなるものかぁああああ!」

 

 この自主訓練は、救助が来るまで毎日行われることとなり。

 

 その訓練に毎日最後まで参加し続けた、失恋組の練度は大きく上がった。

 

「いっちに! いっちに! うおおおおお!」

「お、良い気迫ですね」

 

 そんなやる気に満ち溢れる兵士を見て、トウリはご満悦だったという。




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9章 エンゲイ防衛戦
164話


 

 自分達がアルガリアの戦いに勝利したことは、オースティンの運命を大きく変えました。

 

 もしアルガリアが陥落していれば、年内に首都ウィンまで占領されていたでしょう。

 

 そういう意味で、我々がもてはやされるのも無理はありませんでした。

 

 

 アルガリアの戦いが新聞で報じられ、トウリ中隊の活躍はオースティン中に轟きました。

 

 あの勝利は、偶然の産物です。

 

 戦友たちの覚悟、エイリス軍の近代戦の無理解、アルガリアの地形など、様々な要因が絡んで生まれた奇跡だと思います。

 

 

 ですが結果だけが切り取られ、まるで自分が『天才指揮官』であるかのように称賛されました。

 

 戦女神だの、姫君だの天使だの、悪ノリみたいな美辞麗句が飛び交いました。

 

 謙遜するのも辟易する、さまざまな賛美を浴びせられました。

 

 

 新聞を読んだ、オースティン国民の反応はさまざまでした。

 

 記事の内容を信じ、我々を狂乱して讃える人もいた一方で。

 

 誇張があるだとか、プロパガンダの虚報だとか、疑ってかかる人もたくさんいました。

 

 しかしその実、これ以上戦果を脚色したら現実味が無くなるとして。

 

 いつも戦果を『盛りがち』なウィン新聞が、珍しく事実しか報道していなかったのだとか。

 

 

 ただ、忘れてはならない事もあります。

 

 ベルン・ヴァロウの首都攻略失敗により、戦局は大きく不利に傾いたという事です。

 

 この遠征のために、オースティンは貯蓄を使い果たしてしまいました。

 

 生産力で劣る我々は、長期戦になれば不利を強いられます。

 

 サバトの援助があるとはいえ、フラメール・エイリスの生産力に敵いません。

 

 短期決戦だけが、唯一の勝ち筋だったのです。

 

 

 だというのにベルンが敗走したため、オースティンの勝利はなくなりました。

 

 これからは戦争を続けるほど追い詰められる、『詰み』に近い戦況です。

 

 この時点で政府は『講和』に方針を切り替え、終戦する条件を模索し始めていました。

 

 この先のオースティンにあるのは、引き分けか敗北のみ。

 

 ……それは、絶望的な状況といえました。

 

「今日ここに集まった勇者達は、我がオースティンの誇る英雄である」

 

 ですが、たった150人で2万人の敵を追い返したという『奇跡』は、それを誤魔化すのに十分でした。

 

「トウリ少尉。貴殿はアルガリアにおいて素晴らしい指揮を行い、此度の勝利の立役者となった。ここに、その功績を称える」

「光栄です、皇帝陛下」

 

 首都に到着した我々トウリ中隊は、皇帝陛下に呼び出され勲章を授けられました。

 

 大勢の人が集まる中、陛下自ら励ましの言葉を掛けられました。

 

「貴官のような兵士がいれば、勝利は間違いない。心強いものだ」

「身に余るお言葉です」

 

 勝ち目が無くなった戦争に、参加しようとする兵士はいません。

 

 もうひと頑張りすれば勝てる、勝ったら豊かな暮らしが出来る。

 

 今まではそんな甘い蜜に騙され、貴重な男手を戦場に送り出していたのです。

 

「以上、叙勲式を終える。各員、これからもオースティンに尽くしてほしい」

「謹んで承ります、皇帝陛下」

 

 物資の枯渇したオースティン軍に、未来はありません。

 

 現在オースティンは、食料や武器生産をサバトの援助に頼っている状況です。

 

 裏を返せばサバトの援助が続く限りは、戦争を続けられるのです。

 

 

 まだフラメールやエイリスの国力は、余裕があります。

 

 もう少しだけ、彼等には死者を出して貰わねばなりません。

 

 オースティンとしては、彼等に数十年ほど戦争できない傷を負って貰いつつ。

 

 ほどほどの所で講和を行うという、繊細な外交を行う腹のようです。

 

 

 この頃からオースティン軍は、戦術目標を「領地確保」から「敵兵殲滅」に切り替えました。

 

 領地より敵の被害を優先し、民間人であろうと一人でも多くのフラメール人を殺す。

 

 それが、オースティンの生き残る道だからです。

 

 なので突撃作戦を行わなくなり、ひたすら拠点防衛に努めるようになりました。

 

 ここから我々は戦場に、血で血を洗う地獄絵図を作り上げます。

 

 ……いよいよ、戦争は最終局面に踏み入ろうとしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「授与式、お疲れ様だったなトウリ少尉」

「はい、お気遣いありがとうございます」

 

 そして、勲章授与式の後。

 

 自分達は首都官邸に招かれ、フォッグマンJr首相と会食を行いました。

 

「若いのに堂々たる態度、素晴らしいことだ。私の部下に欲しいくらい」

「光栄なお言葉です」

 

 首相は筋肉質で若々しく、毛深い男でした。

 

 30代と言われても違和感がないのですが、彼は何とヴェルディさんより一つ歳下、二十歳だそうです。

 

 そんな年でオースティンの内政を取りまとめているのは、傑物の証でしょう。

 

「失礼な事を言うが、君があの戦果を挙げたなど信じがたいな」

「戦友たちの頑張りがあってこそです」

「それだよ。君の年齢で部下を統率できていることが、信じられんのだ。政治家どもは、私を軽んじて従ってくれん」

 

 フォッグマンJr首相は『自信の塊』のような人でした。

 

 自らの考えが正しいと信じ疑わず、強引に実行していくタイプの人のようです。

 

「君はどうやって部下を従えている? その容姿風貌で、軽んじられないのか」

「軽んじられないか……ですか」

 

 自分は彼を、毒にも薬にもなる人だと感じました。

 

 フォッグマンJr氏の考えていることが正しいうちは、頼れるリーダーになるでしょう。

 

 ですが彼の考えが変な方に向いた時は、愚物になるかもしれません。

 

「自分に人を従わせる圧はないので、従いたくなるように振る舞っています。そのため誠実で、真摯にあろうとしています」

「なるほど、従いたくなるよう振る舞うのか。君は中々、食わせ物だな」

 

 自分の答えを聞いて、フォッグマンJrはゲラゲラと笑いました。

 

 ……もしかして、腹黒いとか思われたのでしょうか。

 

「実は君の遍歴を、少し調べさせてもらっている。何とまぁ、辛い過去を持っているな」

「辛い過去、ですか?」

「安心しろ。言及されたくないなら、する気はない」

 

 フォッグマン首相はニヤニヤと笑みを崩さないまま、話を続けました。

 

 一方で自分は、頭に疑問符を浮かべたままです。

 

 思い当たることが多すぎて、本気で分かりません。

 

「いい報告だ。来年度から、復興援助を始める予定だ。君の故郷ノエルも、対象に組み込まれているよ」

「おお、感謝いたします」

「これからは、内政にも力を入れねばなるまい。ノエル孤児院の再建も、急がないとな」

 

 フォッグマン首相は『感謝しろよ?』と言わんばかりに、自分を見てほほ笑みました。

 

 成程。『辛い過去』とは、ノエルを焼かれた件みたいですね。

 

「そこでだ。あー、情けない話なのだがな? 馬鹿どもの一部が、この方針に反対しているんだ」

「はあ」

「今は復興支援より、軍事産業を回す方が大事だとのたまうのだ。どうせ賄賂を貰ったんだろう」

「……」

「ま、確かに銃弾も大事だろうさ。だが、復興にも力を入れないと産業効率が落ちるに決まってるだろう!」

 

 フォッグマン首相は苛立たし気に、机をガンと叩きました。

 

 自分は一瞬、ビクっとしました。

 

「連中、戦争に目がくらんでその塩梅を理解しとらんのだ。国内産業の安定化を図るには、治安の維持と労働力の確保こそが重要。孤児院を建て、その孤児を国営事業に従事させた方が良いと何故わからない!」

「そ、そうですね」

「銃弾が大事なことくらい言われずとも分かるわ! その銃弾を作る国民の生活とインフラをだな────」

 

 首相は怒りのままに、自分の前で猛々しく叫びました。

 

 いきなり怒鳴りだした首相の奇行に、自分は唖然とするのみでした。

 

「いや、すまん。熱くなりすぎたな」

「い、いえ」

「今、予算決議で揉めているのだ。最終的には皇帝陛下の判断になるが……、復興予算が採択されなければマズい」

 

 フォッグマンJrは嘆くように目を覆い、再び机に座りました。

 

 どう声を掛けようか困っていると、彼は急に起き上がり、自分の手を握りました。

 

「そこで君の力を借りたいのだ! トウリ少尉」

「へ?」

「君、復興予算に寄付をしてくれないか」

 

 話の流れが切り替わり、自分は目を瞬かせました。

 

 ……いち軍人である自分が、寄付ですか? 

 

 孤児院再興にはもちろん協力しますが、自分の財産などたかが知れているような。

 

「ああ、君が懐を痛める必要はない。英雄である君が、寄付をしたという事実が大事なんだ」

「は、はあ」

「寄付資金は、こっちで用意する。ただ出資者として、君の名前を使わせてほしい」

 

 フォッグマン首相は何やら、難しい話をしているようです。

 

 彼の口ぶりが、胡散臭いような気もしますけど……。

 

「自分の名前に、そんな価値があるでしょうか」

「ああ、君の力添えがあれば多くの人を救えるんだ。お願いだ、頼む」

 

 何となく、彼が孤児院を再興しようとしているのは『本気』だと感じました。

 

 ……自分の故郷である、ノエル孤児院を。

 

「分かりました。孤児院の再建、よろしくお願いします」

「ああ。決断をありがとう、トウリ少尉。後はこちらで上手くやっておく」

 

 あの場所を引き合いに出されたら、協力せざるを得ません。

 

 貧困で苦しむ孤児の助けになるなら、ちょっとくらい利用されても本望です。

 

「いやぁ、トウリ少尉が話が分かる人で良かった。これからもよろしく頼むよ」

「ど、どうも」

 

 ちょっと欺瞞を感じながらも、自分は差し出されたフォッグマン首相の手を取りました。

 

 財産など、セドル君とつつましく生活できる額が残ればそれでいいです。

 

 自分は戦争で、多くの人を殺めました。

 

 人殺しで得た財産ならば、良いことに使わねば罰が当たるでしょう。

 

「その代わりと言っては、だ。トウリ少尉」

「はあ」

「君の階級は期待しておいてくれ。適切に、公正に、君の戦果は評価されるだろう」

 

 自分の手を握り返しているフォッグマンJr首相が、とても悪い笑顔を浮かべているのは気になりますが。

 

 

 

 

 その後、自分の名前はガッツリと資金洗浄(マネーロンダリング)に使われていました。

 

 書類上、軍の予算から自分の目が飛び出るほどの報奨金が支払われ、自分がそれを丸々『復興資金』に寄付したことになっていました。

 

 フォッグマン首相は復興予算が通りそうにないので、自分の寄付という形で軍事費から予算を確保したみたいです。

 

 自分が孤児院出身なので、報奨金を孤児院に寄付しても不自然じゃなかったのでしょう。

 

 ……フォッグマンJrは強引ですが、結構やり手なのでしょうか。

 



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165話

「なぁ、トウリ中隊長殿。当方は……どうすれば娘と仲良くなれるでしょうか」

「はあ」

 

 授与式の後、自分達は1週間ほど各地を凱旋して回りました。

 

 プロパガンダの為とはいえ、一日中笑顔を振りまき続けるのは疲れました。

 

「娘さんと上手く行ってないのですか、ナウマン兵長」

「ええ。娘のアンナが、なかなか甘えて来んのです……」

 

 凱旋が終わった後は、1か月の休暇を貰えました。

 

 その間、兵士達はそれぞれ故郷に帰る許可も下りました。

 

 このナウマンさんは報奨金でウィンに新居を構え、家族と住まう事にしたそうです。

 

「こう、なんかアンナと微妙な距離を感じましてね?」

「娘さんも思春期なのでしょう。父親には、甘えたりしませんよ」

「でも昔はパパ、パパって抱きついてきて」

「幼児の頃でしょう、それは」

 

 念願の娘と再会が叶ったナウマンさんは、気持ち悪いパパになっているようです。

 

 話を聞けば、一緒に寝ようとしたら避けられ、隣に座ろうとしたら逃げられるそうです。

 

 ……年頃の娘を相手に、ベタベタしようとしたら避けられて当然でしょう。

 

「父親としてはもっと、こう……」

「近親相姦を避ける為、思春期の女性は血縁男性に嫌悪を抱くと聞いた事があります。あまり付きまとうと、嫌われますよ」

「そんなぁ。何とかなりませんか中隊長」

「それは自分の管轄外です。ご自身で解決してください、ナウマン兵長」

 

 兵士に許された、つかの間の平穏。

 

 生きて帰れる保証のない我々にとって、それはかけがえのないもの。

 

 願わくば、兵士達には幸せな時間を過ごしてほしいものです。

 

「うぅ……、甘えん坊な時期の娘と暮らしたかったなぁ」

「パパは大変ですね」

 

 ナウマンさんには、娘にあまりしつこく絡まず、お菓子などを買って会話のきっかけにしましょうと助言しました。

 

 どれほど役に立つかはわかりませんが、今よりはましになるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

「ではガヴェル曹長、自分が留守の間はよろしくおねがいいたします」

「ああ」

 

 そして家族に会いたいのは自分も一緒です。

 

 自分は長期休暇を貰えると聞いて、セドル君に会いに行く計画を立てました。

 

 このタイミングで彼の所へ行かないと、次はいつ会えるか分かりません。

 

「ガヴェル曹長に、トウリ中隊の指揮権を譲渡します。非常時は任せました」

「おう」

 

 ガヴェル曹長の故郷はウィンなので、休暇中もウィンから離れないそうです。

 

 火急の際には、彼が指揮官として動いてくれるでしょう。

 

「でもサバト経済特区に行って大丈夫か? 殺されたりしないか?」

「もう同盟国ですよ、サバトは」

「うーん」

 

 ガヴェル曹長は、サバト経済特区に向かう自分を心配していました。

 

 今は同盟こそ結んでいますが、やはり10年来の怨敵。

 

 オースティン人とサバト人のトラブルも、確かに報告されています。

 

「俺はやっぱり、サバト人は嫌いだ。アイツらのことは許せない」

「自分も、サバトの旧政府軍は嫌いですよ」

「割り切らなきゃならねえんだろうけどさ」

 

 一応、経済特区の人はオースティン人と扱われるそうです。

 

 彼らは貴重な働き手なので、優遇していかねばなりません。

 

「……自分は、大丈夫ですよ」

「そっか。なら、休暇楽しんで来い」

 

 一応は納得してくれたガヴェル曹長に、別れを告げ。

 

 自分は行商の馬車に揺られ、セドル君の下へと旅立ったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

「トウリです、よろしくお願いします」

「ああ、聞いてるよ。英雄さんなんだってな」

 

 当時のオースティンは、まだ鉄道が整備されていませんでした。

 

 なので旅行の際には、運賃を払って行商の馬車に乗るのが一般的でした。

 

 自分は信用が出来る行商を探し、乗せてもらいました。

 

 彼らの移動日程の都合上、二週間ほどしか滞在できないのが残念ですが……。

 

 一人旅して捕まり、売り飛ばされるよりはマシでしょう。

 

「おい英雄ちゃん、あと数時間で廃村に着く予定だ。今日はそこで夜を明かす」

「……分かりました」

 

 馬車の移動はゆっくりなので、目的地までは数日かかります。

 

 その間、賊に襲われる可能性があるので、警ら隊が巡回している廃村を伝うルートが安全なのだそうです。

 

「寝るのは一人がいいか? それとも、誰かと一緒がいいか?」

「……一人で、大丈夫です」

「そうか。何かあったら叫べ」

 

 ここは二年前、シルフ攻勢で焼かれた村の跡地だそうです。

 

 オースティンの各地には、このような廃村が放置されていました。

 

 路と広場だけ整地されていますが、家の壁は崩れ、玄関に蔦や雑草が生い茂っていました。

 

「ゴミは持っていくからな」

「はい」

 

 自分達は村の広場に、テントを張って晩を過ごしました。

 

 家屋は崩壊する危険があるので、中に入ってはいけないそうです。

 

「この村には、もう誰も住まないのですか」

「さあな。誰かが戻ってきて再開拓するかもしれない」

 

 広場の傍らには、荒れ果てた田畑の跡がありました。

 

 灌漑の基礎も残っているので、整地すれば住めると思います。

 

「だけどよ、ホラ。そこの水路の下を覗いてみな」

「……衣服?」

「2年前の骸の名残さ。水底を攫えば骨が出てくると思うぜ」

 

 ただ、やはりというか。

 

 こういった農村のご遺体は、供養されず放置されていたようで。

 

「地上の死体は獣が、川の死体はフナムシが綺麗にしただけだ。この廃村は、サバト兵に焼き討ちされた日から誰の手も加わっていない」

「……」

「今、嬢ちゃんが立てたテントの下にも骨が埋まってるかもな。こんな場所に住みたいか? 俺ぁ御免だね」

 

 シルフ攻勢の後に自分達が見たあの地獄は、今も手つかずのようでした。

 

 自然により、綺麗になったように見えるだけ。

 

「この村は収穫祭前だったらしい。教会跡に、木の祭具が朽ちてた」

「……」

「金属製品はほぼ盗られてるけどな。人間ってのはあさましいぜ、まったく」

 

 行商人はそう嘲って、崩れた教会跡をボンヤリ見つめていました。

 

「この広場は、村のガキどもが走り回ってた遊び場だった。前に来たときは、そうだった」

「そうなのですか」

「俺ぁサバト人が嫌いだ。どうしても好きになれん」

 

 行商人はそう言って、自分の方をジロリと睨みました。

 

 自分がサバトの移民村に行くことを、咎めているのでしょうか。

 

「……貴重な話をありがとうございます。自分は、もう寝ます」

「そうか」

 

 いくら国同士が同盟を結ぼうと、そう簡単には割り切れない。

 

 講和が結ばれ戦争が終わっても、人々の心から恨みは消えません。

 

 それらはやがて、次の戦争の引き金になるでしょう。

 

「おやすみなさい」

「ああ、嬢ちゃん」

 

 戦わないと、殺される。

 

 でも戦うと、殺し合いの火種が生まれ続ける。

 

 この愚かな行為に、早く終止符を打ってほしいものです。

 

 

 

 

 

 

「俺達はここから、港町に向かう。2週間後に再び、この町に訪れる。良いな、嬢ちゃん?」

「ええ、ありがとうございます」

 

 自分は行商人と別れたあと、数キロメートルほど歩いてサバト経済特区に向かいました。

 

 ……森を分けるよう作られたその道は、セドル君と別れた時と何ら変わりません。

 

「……」

 

 この先にセドル君がいる。

 

 そう思うと、心が晴れやかになっていきます。

 

 彼は元気にしているでしょうか。アニータさんに怒られてはいないでしょうか。

 

 明るい野道を踏みしめて、自分は半年ぶりにその村の入り口へと向かいました。

 

 

 

「お前は誰だ。何をしに来た」

「は、はあ」

 

 久しぶりに、経済特区の入り口に着くと。

 

 門には強面のオジサンが立っていて、ジロリと自分を睨みつけました。

 

「通行手形はあるか」

「な、ないです」

「じゃあ帰れ。ここはサバトの領域だ、オースティン人は入れない」

 

 そのオジサンに見覚えはなく、微かに敵意を感じました。

 

 ……自分がオースティン人だから、でしょうか?

 

『アニータさんという女性が、この村に住んでいませんか』

『む、サバト語?』

『自分は彼女と、セドル君の家族です。どうか会わせていただきたい』

 

 そう思った自分は、サバト語で彼に話しかけてみました。

 

 自分はサバト語が分かります。敵ではありません、仲間です。

 

 そういうアピールも込めて。

 

『アニータって、癒者のアニータか』

『はい。自分は彼女に、薬学を師事していました。自分はアニータさんの弟子です』

『むむむ。そうか、なら真偽を確かめてやる』

 

 オジサンはそう言うと、入り口の鐘をカランコロンと鳴らしました。

 

 間もなく、ぞろぞろ村人が集まってきます。

 

 ……随分と、警備が厳重ですね。

 

『なんだ、どうした』

『事件か、敵襲か?』

『この子がアニータの知り合いで、はるばる訪ねてきたから会いたいと言ってる。お前等、見た事があるか?』

『ほーん? ……あ、この娘は確か』

 

 集まってきた人の中に、見知った人が居ました。

 

 オースティンに移住するまでの間、同じ難民キャンプにいたサバト人です。

 

『お久しぶりです、ヨザックさん。自分の事を覚えていますか』

『ああ! このオースちゃんなら覚えてるよ。癒者(ヒーラー)の娘でしょ』

『ヨザックが見たってなら、信用してやるか』

 

 彼がそう言うと、門番だった男の眉間から皺が取れました。

 

 そして無言で、中に入れとジェスチャーします。

 

 彼に頭を下げた後、自分は村へと足を踏み入れました。

 

 

 

 

「お、おお……」

 

 まだ半年ほどしか経っていない筈なのに、村は旅立った日から大きく変わっていました。

 

 まず最初に目に飛び込んできたのは、

 

「完成したんですね、ヴァーニャ」

「ああ、皆で協力して建てたんだ。今度一緒にどうだい」

「ええ、是非。ヨザックさん」

 

 出発の時には作りかけだったヴァーニャが、完成している事でした。

 

 どこから持ってきたのか、豪華な彫刻まで入り口に添えられています。

 

「みんなで力を合わせて彫ったんだ。凄いだろう」

「……ええ、素晴らしい出来です」

 

 ヴァーニャには宗教的な要素もあり、神様の彫刻が奉られることも多いそうです。

 

 ……遠くオースティンの土地でも、サバトらしさを出したかったのでしょう。

 

「にしても随分と、警戒が厳重になりましたね。前は門番さんなどいなかったような」

「あー、オースが盗みに来るからね。オレ達の酒や食料を」

「そうなのですか」

「若い女を攫おうとしたこともあった。だから村の入り口には門番を置いて、ぐるっと塀で囲む様にしてるんだ」

 

 ヨザックさんによると、よく村に賊が襲撃を仕掛けて来るみたいです。

 

 恐らく盗賊は、無差別に襲っているのだと思いますが……。

 

 サバト経済特区にとっては『オースティン人が襲ってくる』という認識みたいです。

 

「オースの役人は偉そうだし、工場で働けってうるさいし。サボったら配給を絶たれるし」

「……はあ」

「早く自給自足できるよう、田畑を広げないとな」

 

 この経済特区に移住している人は比較的、親オースティン派のはずですが……。

 

 移住してから、オースティンに不信を抱いているようでした。

 

「……自分も、賊に攫われました。そして奴隷として売られかけました」

「おいおい、見境がないなオースは! 同胞まで攫うのかよ」

「ああいう賊には、我々オースティン人も迷惑しているのです」

 

 今は、サバトといがみ合っている余裕はありません。

 

 オースティンにとって、レミさんの新サバト政権は貴重な同盟国です。

 

 サバトの内情も良く知る自分が、軋轢を解く架け橋になれば良いのですが。

 

「賊が来たら、微力ながら自分も協力しますよ」

「おいおい、そんな体で何が出来るってんだ」

 

 もしも滞在中に賊が来たら、自分も協力して村を守るつもりです。

 

 おそらく『賊』の正体は、食うに困ったオースティン国民だとは思うのですが……。

 

 彼らを放置しても、悲劇が広がる一方だからです。

 

「こう見えて、現役の兵士ですよ」

「兵士と言っても、衛生兵だろ」

「ほら、銃だって持っているのです」

 

 自分は正規のルートで購入し、銃を所持しています。

 

 人買いに攫われかけましたし、旅には自衛手段が必須だと思ったからです。

 

 オースティンでは一定階級以上の兵士は、公的に銃所持が認められるのです。

 

「じゃあ、いざという時は呼びに行くよ。『怖い賊が出たんだ、オースちゃん助けて』ってな」

「民間人を守るのは軍人の務めです。何時でもお呼び下さい」

「こいつぁ、頼もしいこった」

 

 自分の話を聞いてヨザックさんはおどけて、からかう様に笑いました。

 

 真面目に答えたのですが、ジョークと思われたようです。

 

「この先が、アニータの診療所だ」

「ええ、あそこですね」

 

 そんな風に雑談をしながら、自分は村の奥へと歩いて行きました。

 

 村を一望できる小高い丘の一軒家、それがアニータさんの家です。

 

「オレはお前は良いオースだと知ってるが、攻撃的な考えの奴もいる。気を付けて過ごせよ」

「ご忠告ありがとうございます」

「同じ船でオースティンに渡った縁だ、困ったことがあればオレに言え。そんじゃな」

 

 丘の前で自分は、ヨザックさんと別れました。

 

 そしてゆっくりと坂を上り、木造りの家へと向かいます。

 

「……」

 

 アニータさんは、この村で癒者として働いています。

 

 だからずっと、家にいる筈。

 

 自分は玄関にたどり着くと、診療所の看板の下で扉を叩きました。

 

「誰かいますか」

「はーい!」

 

 中へ呼びかけると、威勢のいい子供の声がして。

 

 ゆっくり、木の扉が開かれて行きました。

 

「どうしましたかー!」

 

 懐かしい、無邪気な声。

 

 自分は扉が開くのを待ってから、出てきた子供に声を掛けます。

 

「……あ! あっ!!」

「お久しぶりです」

 

 子供は自分を見るや、満面の笑みを浮かべ飛びついてきました。

 

 自分も屈みこんで、抱き着いてくる彼の身体をしっかり受け止めます。

 

「トゥーちゃんだ! トゥーちゃん来た!!」

「ええ」

 

 久しぶりに会った自分の家族────セドル君は、大はしゃぎで飛び跳ね続けました。

 

 腕の中で甲高い声を上げる彼を抱きしめたまま、自分は万感の思いを込め、彼に言葉を掛けました。

 

「ただいま、セドル君」



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166話

「よく、こっちに帰ってこられたね。衛生兵ってのは、休みがないと聞いていたが」

「ちょっと手柄を立てまして、そのご褒美だそうです」

 

 家に入ると、アニータさんが驚いた顔で出迎えてくれました。

 

 自分はセドル君を抱っこしたまま、居間に通されました。

 

「順調そうで何よりだ。ただ、帰ってくるなら手紙を寄越してくれればいいのにさ」

「すみません。送る時間が取れなかったので」

 

 まずは彼女に、急な訪問になってしまったことを詫びました。

 

 サバト経済特区は僻地なので、手早い連絡手段がなかったのです。

 

「遠慮なく過ごしなよ、ここはあんたの家みたいなもんだ」

「……ありがとうございます」

 

 急な訪問だったのに、アニータさんは温かく出迎えてくれました。

 

 本当に、優しい人です。

 

「セドル君のこと、貴女に任せきりですみません」

「気にしなさんな。ゴムージは古い友人だ、アンタがいなかったら私がセドルを引き取ってたよ」

 

 アニータさんは優秀な癒者で、しかもお金も多くとりません。

 

 彼女の噂を聞いて、わざわざ他の村落から診療を受けに来る人も居たのだとか。

 

「オースには見て貰いたくねぇって移民が、私の所に来るのよ。近くの村にも癒者は居るだろうに」

「大変ですね」

「お陰で休む暇がなくてね」

 

 アニータさんは自分からの仕送りがあるので、診療報酬を安く設定しているそうです。

 

 貧しい移民たちにとって彼女は、とてもありがたい存在でしょう。

 

「トウリのお陰で、診療費が安くなってるんだ。もっとデカい面して良いんだよアンタは」

「いえ、それはアニータさんがしていることです」

「そもそもアンタ、あんなに仕送りして大丈夫なの? セドルのため、無理しすぎてないかい」

「それは、大丈夫です。……色々あって、給与が凄い事になっていて、その」

 

 ちなみに仕送り額は自分の給与の半分で、アニータさんの口座に振り込まれるよう手続きをしています。

 

 今の治安だとお金は輸送中で奪われる可能性があるので、銀行を介して送金しているのです。

 

「もう少し給料は上がるかもしれませんよ。また昇進するらしいので」

「……トウリ、何やったのさ。さっき功績を上げたっていったけど」

「戦友の力を借り、勝利を挙げただけですよ」

 

 アニータさんは、まだアルガリアの記事を読んでないようでした。

 

 おそらく経済特区には、新聞が届かないのでしょう。

 

「まぁいい。それより、明日は暇なんだろ? セドルの相手、してやってくれ」

「ええ、勿論」

「あの子、ずっと『トゥーちゃんいつ帰ってくる? 明日?』って煩かったんだ」

 

 アニータさんはチラりと、自分の腕の内のセドル君に目を向けました。

 

 既に陽は沈む時刻、セドル君は船を漕ぎ始めていました。

 

「休暇は、たった2週間なんだろ? トウリも、悔いがないように過ごしなさいな」

「はい」

「それでいい」

 

 この平穏が欲しくて、自分は戦ってきたのです。

 

 少しだけ、この平和を前借りさせてもらいましょう。

 

「自分も長旅で、少し疲れているようです。そろそろ休ませていただきます」

「ああ、おやすみ」

 

 自分はそう言って、ベッドにセドルくんを横にしたあと。

 

 同じベッドに身を預け、一晩ぐっすりと眠りました。

 

 

 

 

 

 

「トゥーちゃん! 川に行こ、川!!」

「はい、はい」

 

 次の日、朝からセドル君は絶好調でした。

 

「あのねー、あのねー! あそこの岩のとこに、おっきいカエルさんいたの。このまえ捕まえた、本当におっきかった」

「そうなんですね。どれくらい大きかったのですか」

「このくらい!」

 

 セドル君はこの村の面白スポットを、たくさん紹介してくれました。

 

 朝一番から休みもせず、ずっと歩き通しでした。

 

 小さな子の元気には、舌を巻きます。

 

「あそこの家のおっちゃん、たまに木の実をくれるの」

「優しいんですね」

「あそこの家のオババは、前にヴァーニャで会った!」

「オババなんていっちゃだめですよ」

「でも自分で、オババでいいって言ってたよ」

 

 セドル君は、村ぐるみで育てて貰っているようで。

 

 通りすがり、セドル君に手を振ってくれるお爺さんお婆さんが結構いました。

 

 良い環境で育ってくれている様で、何よりです。

 

「ちょっと疲れた、汗かいてきた」

「いったん、家に戻りますか」

「いや! ヴァーニャ行きたい」

「ああ、ヴァーニャですか」

 

 午前中、ずっとセドル君と遊び倒した後。

 

 彼は、ヴァーニャに行きたいと言い出しました。

 

「確かに、久々に自分もヴァーニャしたいですね」

「行こ、行こ!」

 

 ちょうど自分も、久々にヴァーニャを浴びたい気分でした。

 

 平日の昼間は男性が少なく、女性にも入りやすい時間帯。

 

 入るなら、今がベストでしょう。

 

「こっちのヴァーニャはおっきいよ!」

「へえ」

 

 村の人と話が出来て、仲良くなれればなおいいです。

 

 ヨザックさんは、オースティンに攻撃的な人もいると言っていました。

 

 トラブルになる前に、村人と親交を深めておくとしましょう。

 

 

 

 

 

 

「きゃはー……!」

「セドル君、走っちゃ危ないですよ」

 

 この村のヴァーニャは、オセロ村より少し大きいものでした。

 

 新築のため更衣室も綺麗で、良い感じです。

 

「他の人もいるので、騒いじゃ駄目ですよ」

「はーい」

 

 中に入ると、炉の近くに数人ほど男が居ました。

 

 若い男の集団が、中央に陣取って談笑しています。

 

 平日昼間は、男性が少ない時間のはずですが……。

 

 珍しいですね。

 

「おお、新しい人が来たな。女の子か、珍しい」

「見ない顔だな。初めまして、お嬢ちゃん」

「自分ですか? はい、初めまして」

 

 絡まれたらどうしようと警戒していたら、思ったより好意的な反応でした。

 

 少し安心しました。

 

「弟を連れているのかな? 弟の面倒見るなんて、勤勉な娘だね」

「いえ、兄弟ではないのですが……。まぁ家族です」

「そっかそっか」

 

 話しかけてきた男性は三十台前後でしょうか。

 

 ヴァーニャのマナーとして、会話になるべく応じていくべきなのですが……。

 

 少しだけ、気になる点がありました。

 

「えっと、オースティンの方ですか?」

「ああそうだよ。何か問題でもあるかい?」

「いえ」

 

 それは彼らが、流暢なオースティン語を話していることです。

 

 この人たちは、村の人……?

 

「サバトの文化で、このヴァーニャってのは実に良いね」

「若い娘も入って来てくれるし、眼福だ」

「あ、その……。自分はトウリと言いまして、この村の診療所に滞在している者ですが。あなた方が誰なのか聞いてもいいでしょうか」

「ああ、失敬」

 

 ここはサバト経済特区なので、オースティン人は住んでいない筈です。

 

 だというのに、何故オースティン人がヴァーニャにいるのでしょうか。

 

「我々はこの地区を管理している、役人だよ。君達が安全に暮らすサポートをするのが、我々の仕事さ」

「……おお、成程。そうでしたか」

 

 不思議に思って尋ねたら、彼等はお役人のようです。

 

 この村に出入りできるのは、村人か役人だけ。

 

 一瞬、噂の『賊』なのかと警戒してしまいました。

 

「いや、可愛らしいね君。どうだい、この後に少し食事でも」

「あー、その……。そう言うのは、少し」

「良いじゃないか、その男の子にも、良いものを食べさせてあげられるよ」

「いや、その」

 

 賊じゃなかったのは良かったのですが……。

 

 彼らのうち一人が、熱心にナンパして来たのには困りました。

 

 ヴァーニャには『出会いの場』という面もあるんでしたっけ。

 

「まぁとりあえず、こっちに来て。近くに座りたまえよ」

「あー、えっと。自分は小さな子の面倒も見ないといけないので、ご迷惑かと」

「大人しい子じゃないか、大丈夫さ」

「いえ、知らない人に話しかけられて怖がってるみたいです」

 

 先程から、セドル君は自分にしがみついて男を睨みつけていました。

 

 警戒心マックス、という感じです。

 

「トゥーちゃんにちかづかないで! だめ!」

「おいおい、ご挨拶だな」

「いやなの! トゥーちゃんは、僕のなの!」

「変な事をしようって訳じゃない。ちょっと仲良く話をするだけさ」

「……お誘いは嬉しいですが、申し訳ありません。彼が、お怒りのようなので」

 

 ただセドル君が警戒するのもそのはず、というか。

 

 見ないようにしていましたが、誘ってくる男のアレがモッコリしてます。

 

 ヴァーニャでは、何も隠し事が出来ないのです。

 

「その辺にしときましょうよチーフ、嫌がってそうですよ」

「お話ししようってだけじゃん。ヴァーニャってそういう場所だろ」

「……確かにそう聞いていますが」

 

 グルルル、と唸っているセドル君を宥めていると。

 

 自分が困ってるのを察し、彼の仲間が仲裁しようとしてくれたのですが……。

 

 このナンパ男が偉い人なのか、遠回しに諌めるに留まりました。

 

「もういいよ。俺達がオースティン人だから、そんな態度なんだろ?」

「あ、いえ。そういう訳ではなく」

「サバトの文化に合わせ、こっちも腹を割ってやったのに」

「そのー……」

 

 やがて役人はへそを曲げて、不機嫌になってしまいました。

 

 ですが下心マックスで話しかけてきたら、大概の女性は会話を断ると思います。

 

 サバト人はヴァーニャを神聖なものと見ているので、下心は隠すのです。

 

「そういう言い方したら、またトラブルになりますよ」

「でもさぁ。こっちもギリギリで物資のやりくりしてるのに、食料が少ないだの仕事が多いだの文句ばっかり」

「そうですけど、チーフ……」

「こっちが下手に出てもこれだろ? 何でもオースが悪いって決めつけられたら、愛想つかしたくなるよ」

 

 オースティンの役人も、中々にストレスを溜めている様で。

 

 苛立たし気に歯ぎしりし、ブツクサと文句を言い始めました。

 

「こっちはちゃんとサバト人に向き合おうとしてるってのに!」

「まあまあ」

 

 彼らの言い分から、何となく普段の役人と村人の関係が分かってきました。

 

 一応、役人さんなりに移民と向き合おうとしているみたいですが……。

 

 高圧的と言うか、『向き合ってやっている』という上から目線も感じますね。

 

 この辺が、軋轢の原因でしょうか。

 

「その、一つ誤解がありまして」

「んだよ嬢ちゃん」

「自分は、サバト人ではありません。この村の知己を訪ねてきただけの、オースティン人です」

「え、そうなの? 確かに、オースティン語がうまいとは思ってたけど」

 

 このまま放置してトラブルになっても嫌なので、とりあえず誤解は解いておくことにしました。

 

 オースティン人同士でナンパ失敗しただけであり、サバトの文化云々は関係ありません。

 

「ヴァーニャのルールに則って服を脱いでますが、このまま裸の男性に近寄るのは抵抗があり……」

「いや分かった、そう言う事だったらしょうがない。そりゃあ当然だ、申し訳ない」

 

 自分がオースティン人だと知ると、役人は態度を一変させて謝ってきました。

 

 誤解が解けたようで何よりです。

 

「それと、言いにくいのですが。下心を全開にして迫って来られると、サバト人女性でも怖いと思いますよ」

「うっ」

「ヴァーニャでは隠し事は出来ませんからね。高圧的な印象も受けましたし、ちょっと怖かったです。誘いとしては0点です」

「チーフ、年下の娘に正論言われてますよ」

「う、うるさいな」

 

 ついでに、あのナンパの仕方はトラブルになりそうなので注意しておきました。

 

 サバト人ではなく、オースティン人の自分からダメ出しされたら、多少は聞いてくれるかもしれません。

 

「最後に、昼は子供も利用する時間帯ですので。出会いをご所望でしたら、夜の方がよろしいかと」

「え、そんなルールがあるのか?」

「男女の話は夜にするもの、それはサバトでも共通認識なんですよ。暗黙の了解という奴です」

「そうか、そうだったのか」

「あと、自分は既婚者です。なので夜に出会っても、自分は誘わないでくださいね」

「既婚者!?」

 

 あと、円満に断る為に既婚者アピールもしておきましょう。

 

 こう言っておけば、これ以上文句も出ないでしょう。

 

「はぁ……いや、知らなかったよ。色々すまなかったな、お嬢ちゃん。……えっと、トウリちゃんだっけ」

「はい。ご理解いただけで何よりです」

 

 誤解が解け、男性は素直な態度になってくれました。

 

 こうやって話せばわかり合えるのも、ヴァーニャの良い所です。

 

「にしてもトウリちゃん、か。その名前、最近何処かで聞いたな。人形のように可愛らしい、小柄な女の子……」

「人形、ですか?」

「あ、いや、失礼。いやちょっと、引っかかってな」

 

 ナンパ男はふと、目線を下げて何かを考え始めました。

 

 どうやら、これで会話は終わりのようですね。

 

「トゥーちゃ、こしょ、こしょばい。あはははは!」

「こちょこちょ、ですよー」

「あはははは」

 

 そろそろ、セドル君に構ってあげようと。

 

 抱きついてくる彼のわき腹を、適当にこねくり回していたら。

 

「あの……トウリさん? 失礼ですが、ご年齢は」

「もうすぐ、18歳になります」

「え、18歳?」

 

 役人さんは顔を青くして、改めて自分に話しかけてきました。

 

 自分の見た目、18歳には見えませんしね。

 

 お嬢ちゃん扱いは、失礼だったと気付いたのでしょうか。

 

「いや、えっと。トウリさん、貴女のご職業は?」

「職業ですか? 自分は、オースティン軍所属の兵士です」

 

 セドル君はなすがまま、痙攣するように笑っています。

 

 ついでに、彼の汗を拭いてやるとしましょうか。

 

 にしても、子どもはくすぐられるのが好きですね────

 

「……あの。もしかしてですけど」

「はい、何でしょう」

「貴官は、トウリ・ロウ少尉殿だったりしますか」

「へ? ええ、そうです」

 

 いきなり男にフルネームを言い当てられ、驚いて向き直ると。

 

 男は額から滝のように汗を噴き出し、目を見開いて震えていました。

 

「た……」

「た?」

「大変、失礼いたしました!!!」

 

 その後、彼ら全員立ち上がって直立不動の体勢になり。

 

 ポカンとする自分とセドル君を前に、敬礼して叫んだのでした。

 

 



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167話

 

「最近来たオースの娘は、とんでもねぇVIPらしい」

 

 ヴァーニャで役人さん達とお話をした、その翌日。

 

 役人さんは『下手なナンパのお詫び』として、お菓子の詰め合わせをくださいました。

 

「役人どもがヘコヘコと、卑屈に頭を下げてたぞ」

「実は貴族のお嬢様なのかも」

 

 セドル君が涎を垂らしていたので、そのお菓子を受け取ったのですが……。

 

 役人が顔を青くして頭を下げる様子を、村落のサバト人に見られていたようで。

 

「いや、どうやら彼女は凄い軍人なんだとさ」

「何でもたった一人で、二万人を血祭りにあげたそうだ」

「役人の連中、あの娘を怒らせてボコボコにされたらしいぞ」

「……あの見た目で?」

 

 それが、自分は役人さんより目上の存在と映ったのでしょう。

 

 実際は、平民上がりの自分よりお役人さんの方が偉いのですが……。

 

「ヴァーニャでナンパされたあの娘が激怒して、役人どもを一喝したって話だ」

「あまりの迫力に、役人は泡吹いて倒れたんだと」

「おっかねぇ……。うちのカミさんより怖い女が居るとは思わなんだ」

 

 やがて『自分は何者なんだ』と村で話題になり。

 

 根も葉もない噂が、瞬く間に飛び交ってしまいました。

 

 

 

 

「トウリ、あんた何やったんだい。村中で噂になってるよ」

「それはその、国家的な印象操作(プロパガンダ)の結果と言いますか」

 

 当然、その噂はアニータさんの耳にも入ってきていました。

 

 どうやら自分は戦場で2万人を殺した最強の兵士で、役人にナンパされて激昂し、全員を一瞬で叩きのめしたのだとか。

 

 何者なんですか、自分は。

 

「どうやら先日の功績が、過大に宣伝されたようでして」

「本当に、二万人も殺したのかい」

「出来るはずないでしょう、そんなこと」

 

 田舎の人はゴシップが好きですが、まさかここまで広がってしまうとは。

 

 大半は冗談と思ってそうですが、一部信じてる人もいてそうでした。

 

 勘弁してください。

 

「エイリス兵士二万人を相手に、時間を稼いだだけですよ」

「ほう?」

「実際は、ボロボロの無茶苦茶です。敗走する寸前でした」

 

 自分達は塹壕に籠り、時間稼ぎに徹したので、あまり敵に被害は出ていない筈です。

 

 ……その結果として多くの味方兵士を守れたから、表彰されただけです。

 

「でもギリギリ持ちこたえまして、そのご褒美として1カ月の休暇を貰えたのです」

「なるほどね。変だと思ったんだ、衛生兵がいきなり長期休暇貰えるなんて」

 

 アニータさんは自分の話を聞いて、納得してくれたようでした。

 

 ……なるべく、戦争で活躍したことをセドル君に知られたくなかったのですが。

 

「その戦果がプロパガンダに用いられ、新聞に載っちゃったのです」

「なる程。それで、アンタの名前を新聞で読んでた役人どもは、あの態度になったと」

「そんな所だと思います」

「いい気味だ。前から昼のヴァーニャに陣取って、イヤらしい目してたんだよ」

「それは……迷惑ですね」

「トウリのお説教で、少し懲りてくれればいいんだけど」

 

 役人さんたちは割と、村で嫌厭されていたようでした。

 

 恐らくヴァーニャの文化を勘違いしていたのでしょうね。

 

 裸で入る風習は『隠し事せず腹を割って話そう』という意識から来ています。

 

 裸の付き合いになる以上、なるべく紳士に振舞うのがマナーです。

 

「誤解は解いておきましたので、もう大丈夫とは思います。まだ目に余るなら、自分から再び説明しに行きます」

「そりゃあいいね、助かるよ」

 

 オースティンの役人さん達も、悪人と言う感じではなさそうでした。

 

 方法は間違ってましたが、サバトの移民と向き合おうという姿勢は持っていそうです。

 

 文化のすれ違いを正してあげれば、良い関係になるのも不可能ではないでしょう。

 

「なのでアニータさんには、自分に対する村人の誤解を解いていただけると」

「……あー」

「歩いているだけで、露骨に避けられるのはつらいです」

 

 そしてそれは、自分にも言える話で。

 

 『二万人殺し』なる荒唐無稽な話が信じられてしまうのは、結構困ります。

 

 一緒にいるセドル君に迷惑がかかるかもしれません。

 

「……分かった分かった。アタシも協力するよ」

「ありがとうございます」

 

 誤解や風評は、トラブルの種になります。

 

 自分は戦争が終わったら、この村でセドル君と共に暮らす予定です。

 

 今のうちに、一人ずつ話し合って誤解を解いていきましょう。

 

 

 

 

 

 

「……と、いう訳なのですヨザックさん」

「はー、なるほどな」

 

 と、いう訳で。

 

 物騒な誤解を解くべく、自分は色んな人に話しかけました。

 

「オースちゃんに恐ろしい噂が立ってるから、どういうことかと混乱してたんだ」

「ほぼ事実無根なので、信じないで頂けると助かります」

「分かった分かった。ま、オレも君がそんな真似できるとは思わないし」

 

 この村にはヨザックさんを始め、サバト時代からの知人が何人かいます。

 

 その方々を中心に、自分は釈明をして回りました。

 

「トゥーちゃん。お話、終わった?」

「はい。良い子で待ってくれました、セドル君」

「えへへへ」

 

 毎日セドル君に村中を連れまわされるので、村人と話す機会には困りませんでした。

 

 彼はあまり人見知りせず、色んな人に話しかけに行くのです。

 

 自分は内気な性格なので、セドル君の行動力には大いに助けられました。

 

「じゃあ次、おイモをくれるオバちゃんのところに行こう」

「そんな方がいるんですね」

「おっきいオババだよ」

 

 働ける年代は工場に出稼ぎに行っているので、村には老齢の方しかいません。

 

 きっとアニータさんが診療している時は、村のお年寄りが彼の遊び相手をしてくれていたのでしょう。

 

「突然訪ねて大丈夫でしょうか」

「オババは『いつ来てもいいよ』って言ってるよ」

「お礼を言わないといけませんね」

 

 

 

 そんなこんなで。

 

 自分のサバト経済特区での二週間は、とても平和で楽しい日々でした。

 

 セドル君とつきっきりで、1日中遊び相手をして。

 

 時にヴァーニャに入って、村の人と交流し。

 

 たまに、お役人さんと村人の間の諍いを仲裁したり。

 

 それはアルガリアで散った戦友に申し訳ないような、平穏な日々でした。

 

「トゥーちゃん、明日はどこに行こうかな」

「……ごめんなさいね、セドル君」

 

 この2週間、自分は後悔しないように精一杯遊びました。

 

 今生の別れになっても良いように、セドル君との思い出をたくさん作りました。

 

 一緒に川で遊び、泥団子を作り、虫を取って、床に入りました。

 

 ……もし自分が命を散らす時、走馬灯が美しい思い出で満たされるように。

 

「自分はそろそろ、お仕事に戻らねばなりません」

「……え-!」

「いつまでも、楽しい日々は続かないのです」

 

 楽しい時は、一瞬で過ぎ去っていきます。

 

 こんな幸せな日々がずっと続いたら、どれほど良かったでしょうか。

 

 ……ですが戦火は消えることなく、今もボウボウと燃え滾っているのです。

 

「トゥーちゃん、また行っちゃうの」

「ごめんなさい、セドル君」

 

 自分は幼いセドル君を、膝をついて抱きしめました。

 

 泥だらけになった服の裾を、思い切り握りしめて。

 

「自分がいなくなっても、お野菜を残してはいけませんよ」

「……」

「危ない事もしちゃだめです。一人で川に入っちゃ、絶対にいけません」

「……うん」

「困ったことが有ったら、大声で助けを呼んでください。きっと、村の誰かが駆けつけてくれるはずです」

 

 セドル君の体温を胸いっぱいに感じ、仄かに汗と土の匂いが香ります。

 

 彼は自分がゴムージ夫妻から預かった、大切な宝物です。

 

「きっと、もうすぐ戦争は終わります。平和な世界がやってきます」

「そうなの?」

「ええ。そうなったら、ずっと一緒に暮らしましょう」

 

 口ではそう言って、セドル君を宥めてはいましたが。

 

 自分も内心では、ここから離れたくない気持ちでいっぱいでした。

 

 軍人をやめることが出来れば、自分は彼と平穏な日々を過ごせるのです。

 

 ……それは麻薬のような、甘い誘惑の妄想でした。

 

「だからそれまで、セドル君は良い子で過ごしていてくださいね」

「……うん、分かった」

 

 ですが、そんな甘えた願望を抱けば抱くほど。

 

 心の中で冷たい声が、自分を咎めました。

 

 

 ────お前は今まで、何人の敵を殺してきた?

 

 

 生き残るため。祖国のため。

 

 そんな建前で、自分は沢山の人を殺めてきました。

 

 自分が撃ち殺した兵士にも、こんな平穏を過ごした家族がいるのです。

 

 それは自分が今抱きしめている、セドル君のように。

 

 愛されて成長した、誰かにとって大切な命。

 

「また、戻ってきますから」

「やくそくだよ」

 

 誰かにとっての大切(セドル)を奪っておきながら、自分だけのうのうと幸せを享受する?

 

 そんな事が許されるのでしょうか。

 

「聞きわけが良くなりましたね、セドル君。良い子、良い子」

「トゥーちゃんを困らせちゃダメって、言われたもん」

「……ありがとうございます」

 

 セドル君と過ごす時間が楽しくて幸せである程、自責の念が強まりました。

 

 自分は、誰かの大切な人の命を奪って生きています。

 

 どれだけ取り繕っても、その事実は変わりません。

 

「……」

 

 本当に自分は、ここに帰ってきていいのでしょうか。

 

 いつか報いを受けて、戦場で命を散らすべきなのではないでしょうか。

 

 自分みたいな人殺しが近くにいると、セドル君の教育にもよくないのでは────

 

 

「ああ、なるほど。ゴルスキィさん、貴方の気持ちが少しわかりました」

「トゥーちゃん?」

 

 オセロの村で、ゴルスキィさんは平和に暮らしていたのに。

 

 シルフの誘いに乗って、再び戦場に戻って槍を取った理由。

 

「……平和って、こんなにも尊くて。眩しいものだったんですね」

 

 マシュデールで不意打ちして殺した敵兵。

 

 サバト革命のときに撃ち殺した少年兵。

 

 アルガリアで罠に嵌めて殺したエイリス兵。

 

 そんな、今まで何気なく奪ってきた『命』の重みを、突き付けられるような感覚。

 

 自分が撃たなければ、彼らもこんな平穏の中で笑っていたかもしれない。

 

 そう思い至ったら、吐きそうになりました。

 

「たった三年だけの自分ですら、気分が悪くなるんですから。ゴルスキィさんは、どれほどの思いだったんでしょうね」

 

 戦場に居る時は、感覚が麻痺していましたけど。

 

 平穏な日々に戻ってしまえば、改めて命の重さを思い知らされるのです。

 

 これが、兵士の抱える悩み。

 

「トゥーちゃん、大丈夫? 顔色悪いよ」

「大丈夫です。セドル君と別れるのが、寂しくなっちゃったのです」

「そっかー」

 

 セドル君を強く抱きしめるほど、より命の重みを突き付けられ。

 

 『お前は戦場で死ぬべきだ』という呪いのような声が、強まってくるのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オースティンの英雄、トウリ少尉! 御武運をお祈りいたします」

「……ええ、見送り感謝いたします」

 

 そして休暇が終わり、戦場に戻る日。

 

 自分はオースティンのお役人さんたちが勢ぞろいで敬礼する中、村を出る事になりました。

 

「ばいばい、トゥーちゃん」

「ええ、またねセドル君」

 

 こんなに仰々しい見送りは勘弁願いたいのですが。

 

 役人さんたちは善意と敬意でやっているので、苦笑いするしかありませんでした。

 

「ま、セドルのことは心配せず戦いな。アタシがちゃんと見といてやるから」

「ありがとうございます、アニータさん」

「じゃあなオースちゃん。……また元気な顔が見られることを祈ってるよ」

「はい、ヨザックさん」

 

 アニータさんや顔見知りの人も数名、見送ってくださいました。

 

 これでいよいよ、楽しかった休暇もおしまいです。

 

「また、戦争が終わったらこの村に戻ってきます。いつか、その日まで」

 

 自分に向けて手を振るセドル君の様子を忘れぬよう、目に焼き付けて。

 

 未練を振り切るように、悪魔に誘われるように、自分は再び前線へと旅立ったのでした。

 



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168話

 楽しくも穏やかだった2週間の休暇が終わり、サバト経済特区を去った後。

 

 自分は気持ちを切り替え、覚悟も新たに首都ウィンへと戻りました。

 

「お久しぶりです、ガヴェル曹長」

「おお、無事に戻ってきたか」

 

 ウィンに着いたら、まず自分はガヴェル曹長に挨拶に行きました。

 

 軍部で彼の所在を聞くと、日中は士官学校の図書館で勉強をしているとの事です。

 

「安心したよ。前みたいに人買いに捕まって、干物になってたらどうしようかと」

「最初に会った時のことですか」

「あの時は、ただの痩せた孤児と思ってたが……。まさか俺よりお偉いヤツだとはな」

 

 彼は休暇中も、少しでも良い指揮官になろうと努力していました。

 

 その高い向上心は、見習っていきたいところです。

 

「トウリはこの後、どこに泊まるつもりだ?」

「士官学校の宿舎を借りられる手筈になっています」

「ん、何だ。お前、ここに寝泊まりする気か」

 

 ウィンに戻った後も、自分の休暇は数日ほど残っていました。

 

 この間、自分は士官学校の宿舎を借りられるよう申請していました。

 

 ここには訓練施設があるので、体を鍛え直す良い機会だとおもったのです。

 

 ……ところがガヴェル曹長は、

 

「滞在先がないなら、ウチに泊まれよ」

「ガヴェル曹長のご自宅ですか」

「士官学校のベッドは臭ぇし汚ぇぞ? せっかくの休暇なんだから、良い場所で寝ろよ」

 

 ガヴェル曹長は、自分の家に泊まらないかと誘ってくれました。

 

「ご迷惑ではないですか」

「部屋も余ってるし大丈夫。そもそもお前、爺ちゃんが後見人になってんだから」

「それは、ありがたい話です」

「遠慮はいらん、自分の家くらいの気持ちで泊まりに来い」

 

 考えてみればガヴェル曹長は、レンヴェルさんの孫です。

 

 そう考えれば、彼の家にも挨拶をしておくべきかもしれません。

 

「母さんも歓迎してくれるさ」

「では、ご迷惑でないのであれば」

 

 せっかくのお誘いですし、断る理由もありません。

 

 ありがたい話なので、お受けすることにしました。

 

「じゃあ、ついてきな」

「ありがとうございます」

 

 こうして自分は、残りの休暇をガヴェル曹長のご実家で過ごす事になりました。

 

 

 

 

 

 

「トウリ・ロウ歩兵少尉殿。この度はお会いできて光栄です」

「ど、どうも。お初にお目にかかります」

 

 ガヴェル曹長についていくと、自分は荘厳な鉄柵に囲まれた邸宅へ通されました。

 

 首都の一等地にある、立派なお屋敷です。

 

「お帰りなさいませ。後ろの方は客人でしょうか」

「ああ、噂の英雄様だ」

「左様でございましたか」

 

 門には老齢の男が立っていて、自分達を笑顔で出迎えてくれました。

 

 背の低く腰の曲がった、優しいお爺ちゃんといった風貌でした。

 

「お会いできて光栄です、トウリ様。私はこの家で執事をやっております」

「執事さん、ですか」

「困ったことがあれば、お声かけください」

 

 どうやら彼は、ガヴェル曹長の家で雇っている執事さんの様です。

 

 本物の執事さんを見て、内心テンションが上がりました。

 

「執事が珍しいですかな?」

「孤児院の出身でして、今まで縁がありませんでした」

「そうでしたか。小間遣いのようなものとお思いください」

 

 この時代は、格式高い家は執事を雇っていたようです。

 

 特に軍人一家は男手が足りないので、執事が必須だったのだとか。

 

「私の他に、使用人が数名おります。何なりとお申し付けください、トウリ様」

「それは、ご丁寧にありがとうございます」

 

 ガヴェル曹長の一族は、名門の武家です。

 

 レンヴェル中佐を始め、たくさんの高級軍人を輩出しています。

 

 つまり、彼は執事を雇える上流階級の人間なのです。

 

「……」

「何をキョロキョロしてる?」

「あ、いえ」

 

 自分は「執事が居るなら、メイドさんもいるのかな?」とキョロキョロしました。

 

 しかしスーツや農夫服を着た人が数名いるだけで、メイドさんはいません。

 

「あそこで庭掃除をしてるのは、ウチの使用人。あと厨房にいるのがシェフな」

「おお、そうなのですか」

 

 珍しがっていると思われたのか、ガヴェル曹長は苦笑しながら屋敷の人を紹介してくれました。

 

 あまり家をジロジロ見回すのは失礼と思ったので、それ以上は探さないでおきました。

 

「トウリ様は、こういったお屋敷に来るのは初めてでしょうか」

「はい、恥ずかしながら」

「そっか、お前孤児院出身だもんな。あんまりキョロキョロしてると、からかわれるぞ」

「すみません」

 

 後で知ったのですが、当時のメイドは性奴隷のような存在だそうです。

 

 自分のような孤児が人買いに捕まり、売り飛ばされるとメイドになるそうです。

 

 つまり性奴隷(メイド)を雇うのは、低俗な家だけ。

 

 そういう知識を、当時の自分は全く持っておりませんでした。

 

「では、部屋へとご案内させていただきますね」

「ありがとうございます、執事さん」

 

 自分が、寡黙な性質で良かったです。

 

 もし「この家にメイドさんはいないのか」と聞いていたら、相当な失礼でした。

 

 

 

 

 

 

 

「国家の英雄と、食卓を囲めて光栄ですわ」

 

 その日のディナー自分の歓迎で、パーティを開いて頂きました。

 

 ドレスを着飾ったガヴェル曹長のお母さまに迎えられ、おっかなびっくり席に着きました。

 

 ……儀礼用の軍服を持っていて助かりました、私服だと間違いなく浮いていました。

 

「あまり緊張なさらず、楽に過ごしてください」

「ど、どうも」

 

 出された料理は、戦時中とは思えない程に豪華でした。

 

 ただ自分はフォークやナイフの扱いが拙く、食べるのに苦労しました。

 

 横目でガヴェル曹長の動きを真似て、それっぽく振舞っている状況です。

 

 ……忘れそうになりますが、彼も上流階級のお坊ちゃんなんですよね。

 

「お噂はかねがね聞いていますよ、トウリ少尉。奇跡を何度も実現し、オースティンを救った女傑」

「過分な評価、痛み入ります」

 

 ガヴェル曹長のお母さまは、威厳たっぷりの女性でした。

 

 細身でありながら目つきは鋭く、底知れぬ雰囲気の方でした。

 

「ウチの息子が大変世話になったとか。感謝の至りですわ」

「いえ、むしろガヴェル曹長には助けられてばかりで……」

「アレで良ければ、ご自由にお使いください。国家の為、命を投げ打つ覚悟を持たせていますので」

 

 しばらく話していると、ふとガヴェル曹長のお母さまはアリアさんと似ていると感じました。

 

 厳しそうで真面目な感じの、『女傑』という言葉が似合う女性。

 

 アリアさんが成熟したらこうなるのかなという、そんな雰囲気の人でした。

 

「これから戦いは厳しくなるでしょう。貴女のような指揮官がオースティンにいて、誠に幸運です」

「ありがとうございます」

「今宵はこの幸運に、乾杯を致しましょう」

 

 それもそのはず。彼女は、アリアさんの3つ年上の実姉だそうです。

 

 彼女も元軍人で、今は退役して家庭を守っているのだとか。

 

 そして旦那さん……ガヴェル曹長のお父さんは、今も前線指揮官をしているそうです。

 

「トウリさんは今の戦況をどうお考えですか」

「えっと、その。自分は一介の前線兵であり、大局については詳しくなく」

「雑談です。誰もが知っている事でよろしいですよ」

 

 この夕食会で、彼女は様々な事を自分に語ってくれました。

 

「トウリさん、今のオースティンの弱点は何でしょうか」

「そうですね。やはり、兵数が足りていないのかなと」

「ええ、その通り。そればかりはどうしようもありません」

 

 彼女のお父さんは、最高司令官のレンヴェル中佐です。

 

 恐らくその伝手で、色々な機密も知っていたのだと思います。

 

「今年、徴兵した兵士の大半は15歳になったばかり。戦場に出るには、少し頼りない年齢です」

「はい」

「若い芽を摘み続けると、やがて生産人口は枯渇し、国家が崩壊するでしょう」

 

 彼女はわざわざ、自分に言い聞かせるように。

 

 普通の人は知らない話を、さも当然のように振ってきました。

 

「仮に、ですが。兵士不足をすぐ解決する方法があるとすれば、何がありますか」

「……援軍ですね。同盟国サバト連邦に、援軍を要請するしかないかと」

「確かに。それも一つでしょう」

 

 お母さんは自分の答えを聞いて、少しだけ笑いました。

 

「同盟国が援軍を派遣してくれれば、兵力不足は解消できます」

「はい」

「この近辺で援軍を出せるような大国は、フラメール、エイリス、サバトの3つだけですね。小国も点在していますが、戦力にはなりません」

 

 現在この4か国が、オースティン周辺での主な軍事大国です。

 

 隙間に小さな国家も点在してはいますが、いずれも無視できる程度の軍事力でしょう。

 

「ですが、もし。オースティンからの技術供与を餌に、小国と軍事同盟を打診すればどうでしょう」

「点在する、周辺国家とですか?」

「ええ。兵を出してもらう代わり、領土や技術を譲渡する。これは、上手く行くと思いますか」

 

 確かに、それならば小国の兵士でも役に立ちます。

 

 彼等が戦力にならないのは、未だに剣や槍で戦っているからです。

 

 もし彼らに銃の扱いを教えれば、戦力になるのは間違いありません。

 

 しかし、

 

「……彼らには、戦う理由があるのでしょうか」

「なくはないと思いますよ」

「そう、でしょうか」

 

 周辺国家の大半は、この戦争に『中立』を宣言していました。

 

 戦線は一進一退が続き、どちらが勝つか読めない状況でした。

 

 下手に参戦して、地獄に付き合いたくなかったのでしょう。

 

「フラメールもまた、恨みを買っている国だという事です」

 

 ガヴェル曹長のお母さまは、そう言うと不敵な笑みを浮かべました。

 

 確かに周辺の小国には、フラメールに怨恨を持っている国もあるでしょう。

 

 政府はそうした国に技術供与の約束を行い、参戦を促していている……ということでしょうか?

 

「そうなってくれないと、オースティンに未来はない」

 

 彼女の言う通り、周辺の小勢力を抱き込まないとオースティンは勝てません。

 

 恐らくオースティン政府は、必死で外交戦略を行っているところでしょう。

 

「サバト軍が参戦してくれれば、一番戦力になりますが」

「そちらは現実的ではないですね。まだ、わだかまりもありますし」

「その通り。……サバトとは利害の一致で同盟しているだけです」

 

 正直なところ、サバトからの援軍は期待できません。

 

 レミさんは親オースティン派とはいえ、彼らにとって対フラメール・エイリス戦線は対岸の火事です。

 

 一応オースティンを支援してくれるでしょうが、必死になる理由もありません。

 

「……平和な国を、戦争に巻き込むことになりますね」

「彼ら自身が選ぶ道です」

 

 なので、オースティンにとって一番現実的な援軍は、周辺の小国家でした。

 

 しかし、もしその外交戦略がうまくいけば、また多くの罪なき命を戦場に送り込むことになります。

 

 ……果たしてそれが、正しい事なのでしょうか。

 

「ベルン・ヴァロウ参謀少佐が下手を打たなければ、他国に恩を売られることも無かったのですがね」

「お母様は、ベルン少佐を知ってらっしゃるのですか」

「ええ。夫の出世の邪魔をする、目の仇ですわ」

 

 彼女は冗談っぽくそう言って、それきり戦線の話を打ち切りました。

 

「食事がまずくなる話は、ここまでにしましょうか。トウリ少尉、当家自慢のスープはいかがですか」

「ありがとうございます、頂きます」

 

 今の雑談の中に、だいぶ軍事機密が混じっていた気がしますが、気にしない事にしました。

 

 おそらく彼女なりのご厚意で、自分に情報を漏らしてくれたのでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして自分は、ガヴェル曹長のご実家で寝泊まりする事になりました。

 

 案内された客間は豪華で、申し訳ないくらいに広々としています。

 

 自分が2~3人ほど横になれるベッドが置かれ、高級そうな家具と何故か中央にピアノが置かれていました。

 

 ……国賓とかVIP用の部屋ですよね、これ。

 

「おいトウリ、起きてるか」

「はい。おはようございます、ガヴェル曹長」

 

 恐縮半分でそのお部屋を使わせてもらいましたが、実に快適でした。

 

 ベッドの寝心地も素晴らしく、自分が使うのが申し訳ないくらいフカフカでした。

 

 ここまで良い環境で寝たのは生まれて初めてで、文句なく素晴らしい朝の目覚めでした。

 

「トウリ。お前に、招集命令が来た」

「招集ですか?」

 

 しかしその翌朝、素晴らしい寝覚めも吹き飛ぶ出来事が起こります。

 

 緊急の招集命令が、自分宛に届けられたのです。

 

「何かあったのでしょうか」

「分からん」

 

 押されている印鑑は参謀本部の正規品でした。

 

 いくら休暇中とはいえ、招集がかかったら出頭せねばなりません。

 

 まぁ、必要な事であれば呼び出していただいて構わないのですが……。

 

「ただ、その、招集者の名前が」

「……げっ」

 

 軍人にとって、上官命令は絶対。

 

 逆らうことは許されず、私情も挟まず完遂するのみ。

 

 それは、よく理解していますけど。

 

「ベルン・ヴァロウ参謀少佐……?」

 

 その命令の差出人の名前を見て、自分は思わず天を仰ぎました。

 

 そこにはこの世でただ一人といっていい、毛嫌いしている人物の名が書かれていたのです。

 

「どうしてベルン少佐が、ウィンの参謀本部に?」

「どうやら療養のため、戻ってきているらしい」

「うええ……」

 

 その召集状の背で、醜悪な笑みを浮かべるベルン・ヴァロウを想起しました。

 

 寒気が背筋を走り、鳥肌が立ちました。

 

「……ガヴェル曹長は、その」

「すまん、俺には招集がかかっていない」

「そんな」

 

 テカテカと金色に輝く、ベルン参謀少佐のサイン。

 

 その書類を前に、自分は頬を引きつらせることしか出来ませんでした。

 

 



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169話

「この先は参謀本部です。ご用件をお伺いしてよろしいでしょうか」

 

 自分は召集命令書と数分ほど睨めっこした後、諦めて参謀本部へ出頭しました。

 

 今度はベルンに何を言われるのか、想像するだけで気が滅入りそうでした。

 

「……トウリ・ロウ少尉です。参謀本部の招集命令に応じ、出頭いたしました」

「確認いたしました。お入りください少尉殿」

 

 ウィンの参謀本部は、基地の奥に設置された古めかしい建物でした。

 

 受付の兵士も金ぴかの軍服を着ていて、たっぷり貴族髭を蓄えているのが印象的でした。

 

 そう言えば、首都の参謀本部は貴族様しかいないのでしたっけ。

 

 建物内にも大理石の彫刻など置かれていて、軍事施設と言うより美術館のようでした。

 

「ベルン・ヴァロウ少佐がお待ちです。奥の医務室にお進みください」

「了解いたしました」

 

 ベルン・ヴァロウは現在、参謀本部の医務室で寝泊まりしているようです。

 

 怪我にかこつけて、何かしらのセクハラを求めてくるかもしれません。

 

 今から心の準備をしておき、できるだけ平静に、機械的に対応しましょう。

 

「トウリ・ロウ少尉です。入室の許可を願います」

「入れ」

 

 数回深呼吸して、何を言われても良いよう心を良く落ち着かせた後。

 

 自分はベルンの待つ病室のドアをノックし、開きました。

 

 

 

 ────死臭。

 

 

 

「よく来たな」

 

 ドアを開けた瞬間、刺すような腐臭が鼻を突きました。

 

 それは戦場で嗅ぎ慣れた、肉が腐る臭い。

 

「どうした、入室を許可する。さっさと、俺の前に来い」

「……はい」

 

 病室の奥から、悪魔(ベルン)の声がしました。

 

 その声は枯れてくぐもり、言葉には粘着質な痰が絡んでいます。

 

「久しぶりだな、トウリ・ロウ」

 

 自分は男に言われるがまま、カツカツと歩きました。

 

 ベルン・ヴァロウが横たわる、そのベッドの前に。

 

「─────っ!」

「はは、何だその顔」

 

 

 ─────そこには骸骨のようなベルン・ヴァロウが、血と包帯だらけで寝かされていました。 

 

 

 ……彼の足は壊死しており、先が切り落とされています。

 

 シーツは赤黒く、糸を引いた黄色の漿液が付着し。

 

 唇は紫色で、ひび割れて乾ききっていていました。

 

「……お久しぶりです、ベルン少佐。随分と、おやつれになりましたね」

「ああ、やつれたさ。体重なんて、半分になっちまったよ」

 

 顔の右半分は火傷で覆われ、目は落ち窪んでいました。

 

 体中に褥瘡と紫斑が出来ていて、脇腹のあたりは化膿していました。

 

 頬はこけ、筋肉も痩せ細っています。

 

 ────こんな状況で、どうして生きているのか分からない。

 

「この怪我じゃ、参謀を続けるのは厳しくてな」

「そうでしょうね」

 

 成程、これは首都で療養を言い渡されるのも納得です。

 

 ……本当に、生死の縁をさまよっていたようです。

 

「3発も、銃弾を貰っちまった。そんで、手榴弾で火炙りさ。レイターリュ少尉曰く、生きているのが不思議な状況だとよ」

「……自分の眼にも、そう見えます」

「はっはっは、本当してやられたぜ」

 

 彼は力なく、黒くなった自分の脚を見て笑いました。

 

 この状態では治っても、もう二度と歩く事は出来ないでしょう。

 

「なぁ、トウリ・ロウ。お前、旧サバトの連中は憎いか?」

「え? 旧サバト、ですか」

「ああ。旧サバト政府軍、お前と殺しを楽しんでた連中だよ。その親玉シルフ・ノーヴァは憎いか?」

「そ、それはもう」

 

 ベルンは笑みを崩さぬまま、自分にそんな問いかけをしました。

 

 シルフが憎いか、と聞かれれば。間違いなく自分は、憎いと言い切れます。

 

 ……彼女には、大切なものを奪われ続けました。

 

 自分は躊躇いなく、シルフを殺さないといけないのです。

 

「俺もだッ!」

「っ!?」

 

 なので、ベルンにそう相槌を打った瞬間。

 

 彼は額に血管を浮かべ、激高して叫びました。

 

「ムカつく、腹が立つ、ウザったらしい面倒くせぇ憎たらしい! もう負け戦だったんだから足掻くんじゃねぇ、本当に小癪だ!」

「あ、あの、ベルン少佐?」

「何なんだあのクソ女は! そんなに俺の邪魔をしたいのか、何でもう破綻していることに気づかない! 戦闘勘だけ鋭いアホほど、タチの悪いものはない!」

 

 そのあまりの剣幕に、呆然としていると。

 

「エーッホ! エッホ! エッホ!!」

「あ、ちょっと、ベルン少佐!?」

「うっぐっ、が」

「げ。看護兵さん、気管吸引の準備を!」

 

 やがてベルンは噎せこんで、顔を真っ青にして倒れ込みました。

 

 窒息しかけていたので自分はベルンを抱き込み、腹を締め上げて吐物を吐き出させました。

 

「ゲッホ、げっほ! あー、死ぬ、かと、思った」

「ベルン少佐、癇癪起こして死にかけないでください! 自分の責任が問われるでしょう!?」

「おお、お前が叫んでいるの初めて見たな。はっはっは」

「急に元のテンションに戻らないでください……」

 

 その後、ドタドタと看護兵さんが慌てて部屋に入ってきました。

 

 そのまま彼の処置を任せ、自分は呆れたまま息を吐きました。

 

「ま、そういう訳だ。初めて、俺達の気持ちが一致したな」

「……そうですね」

「そこでだ、トウリ少尉。いや、オースティンの新たな救世主! いよっ、英雄!」

「そのノリ、やめていただけますか。気持ち悪いです」

 

 一通り叫んで落ち着いたのか、ベルンはいつも通りの軽いノリに戻りました。

 

 ……多分、この性格は彼の『仮面』なんでしょうね。

 

 先ほど怒鳴った時こそが、彼の素な気がします。

 

「それで、自分を呼び出した理由を伺って宜しいですか」

「ん、ああソレな」

 

 容体が落ち着いて、一安心したあと。

 

 自分は改めて、彼に用件を聞いてみました。

 

「ま、ちょっと雑談でもしようかと思ってさ」

「雑談、ですか?」

 

 自分の問いに、ベルンは胡散臭い笑顔を返すのみでした。

 

 下心があるのか、暇つぶしに呼びつけただけなのか、まるで分りませんでした。

 

「……自分のようなつまらない人間を呼びつけて、何を話そうというのです」

「んー、まずは近況とか?」

 

 ただ、一つだけ分かるのは。

 

 ベルンの両目が見据えているのは、自分ではない遠くの『何か』だということだけでした。

 

「一ヶ月も休暇貰ったらしいじゃん。どうだ、楽しかったか?」

「……そうですね、急な呼び出しがなければ最高の休暇でしたね」

「はっはっは。非常召集で休みを潰されるのは、軍人の運命ってヤツだ」

 

 何でもない会話のようですが、あのベルン・ヴァロウの事です。

 

 どんな裏があるか、警戒するに越したことはないでしょう。

 

「じゃあ次は、そうだな。お前ってどんな銃が好きとかある?」

「……自分はサバト銃が、手に馴染んでいて好きですね」

「ほー。結構居るらしいな、サバト銃の方が良いって兵士。オースティン銃の方が、頑丈なんだがなぁ」

 

 ベルンは楽しそうに、自分と会話を続けました。

 

 見た目が重傷なので、ホラーにしか見えません。

 

「そうだ。お前、宴会芸が得意って聞いたぞ。病床で暇なんだ、何か見せてくれよ」

「……。こんこん、狐さんです。にゃーにゃー、ねこさんです」

「腹話術か、上手いじゃねーか」

 

 ただ、自分の目には……。

 

 ベルン・ヴァロウは純粋に、話を楽しんでいるようにしか見えませんでした。

 

「ご満足頂けましたか」

「ああ。ついでに今の猫なで声で、俺を『お兄ちゃん♪』とでも呼んでくれないか」

「……お暇しても良いですか」

「冗談だよ」

 

 世間話に付き合ってみましたが、どうでもいい話が続くのみです。

 

 もしかしたら本当に、暇つぶしで自分を呼びつけたのかもしれません。

 

「恐縮ですが自分は、ベルン少佐殿と歓談する間柄ではないと認識しています。失礼ながら、そろそろ」

「分かった、分かった。……ったく、怪我人の暇潰しに付き合ってくれても良いじゃねぇかよ」

 

 自分が本気で帰ろうとしていることに気付いたのか。

 

 彼は不貞腐れた顔になり、頭を掻いて本題に入りました。

 

「見ての通り、俺は重傷だ。再び戦場に立てるか分かんねぇ」

「……首都の医療技術であれば、きっと快復できます」

「そうかもな」

 

 ベルン・ヴァロウはそう言うと、寂しそうに窓の外を見つめました。

 

 それはまるで、大事な玩具を誰かに託すような、寂しい顔でした。

 

「トウリ・ロウ少尉。今から話すのは、あくまで俺の推測だが」

「はい」

「オースティンは負けるよ」

 

 彼はそう、何の感情も込めずに言い切りました。

 

 分かり切ったことを確認するような、そんな言い草でした。

 

「大一番でヘマをした俺のせいで、オースティンは負けるんだ」

「……参謀少佐は、そうお考えですか」

「ああ。数年以内に負けて、蹂躙されて、植民地になる」

 

 ベルンはいつも口から、嘘と謀略しか吐かない悪魔のような男ですが。

 

 その言葉だけは、本心から言っているように感じました。

 

「生産力は、もう限界。人手も足りず、銃弾もない。俺達がまともに戦えるのは、あと一年だろう」

「……」

「刑の執行を待つ死刑囚なのさ、オースティンは」

 

 それは、どんな窮地であっても『勝利』を諦めなかったベルンにとって。

 

 恐らく初めての『ギブアップ宣言』でした。

 

「珍しいですね。貴方は、弱音を吐かないタイプだと思っていました」

「弱音じゃない。事実だ」

 

 実際、彼の言う通り。

 

 当時のオースティンに、勝ち目はなかったでしょう。

 

 食料物資の残量、生産力などの資料を見たら、誰もが同じ結論に達したと思います。

 

「俺は軍を退役して、サバトに避難しようと思ってる」

「それは……!」

「ただでさえ不利なのに、俺が戦線離脱してんだ。まだオースティンに勝ち目があると思うか?」

「……」

「今までだって、俺が居なけりゃ勝ててないだろ」

 

 そんな、危機的な状況で。

 

 ベルン・ヴァロウですら諦めた、戦争の行く末を。

 

「でもお前なら、ワンチャン起こせるのかなぁって」

「……はぁ」

 

 この男は、自分にブン投げようとしてきたのでした。

 

「何で、自分ですか?」

「他にいないじゃん。勝てそうなの」

 

 そのあまりにも適当な物言いに、言葉が出てきませんでした。

 

 まるで、負けそうになってゲームを投げた子供のような言動です。

 

「俺は負けたくない。シルフとかいうクソガキに、思い知らせねば腹が収まらん」

「……はあ」

「でも俺がこのザマじゃ、どう足掻いても勝ちの目を拾えん。そんな時『俺でも想像できない』戦果を挙げ続けてる指揮官がいたら、どうすると思う?」

 

 ベルンはそう言うと、おどけて舌を出しました。

 

 相変わらず、人をからかっているような物言いです。

 

「アルガリアの一件、聞いたぜ。お前は訳が分かんねぇ」

「はあ」

「もうこの戦争、普通に考えたら無理だ。でも、お前なら何か出来るのかなって思ってさ」

 

 ですが、恐ろしい事に。

 

 今日の彼の発言には、『嘘』の気配が全くなくて。

 

「断るなら、断っていい。どうだ、俺の後任として……参謀長やってみるか」

 

 彼は心の底から、自分に全てを託すつもりでそう言っていたのです。

 

「……お断りします」

「やっぱ、無理か」

「自分は、平民あがりの募兵組ですよ。何で参謀将校が出来ると思ったんですか」

「お前が参謀将校でも出来ない事を、平気でこなしてきてるから」

 

 ベルンはそう言うと、ケラケラと笑いました。

 

 そこに、敗戦の悲壮感はありません。

 

「よし分かった、じゃあ別のヤツを推薦するよ。時間を取って悪かったな、トウリ・ロウ少尉」

「……いえ」

 

 ベルンはそう言ったきり、この話題を打ちきってしまいました。

 

 

 こうして、自分とベルンの面談は終わりました。

 

 今日の彼は、終始おどけているようにも、不貞腐れているように見えました。

 

「……ったく、旧サバトの連中はしょーもねぇ。はー」

 

 自分は、このベルンの態度に見覚えがありました。

 

 それは格上に叩き潰され、萎えているゲーマーの姿。

 

「ん? もう行っていいぞ、お前」

「……」

 

 ……そう思い至った瞬間、自分はこの男を見下しました。

 

 オースティン兵士は故郷を守るため、家族を守るために命懸けで戦ってきたというのに。

 

 この男にとっては敗戦も、『ゲームに負けた』程度の認識でしかなかったのです。

 

 だから情勢が決したら『捨てゲー』して、他のプレイヤーに手綱を投げる。

 

 今までベルンの指揮で戦い、散っていった味方を何だと思っているのでしょう。

 

 こんな男に頼って戦争してしまったのが間違いでした。

 

 

「ベルン少佐は、サバトで何をするつもりですか?」

「ああ、俺?」

 

 負けるにせよ、せめて最後まで貴方が指揮をすべきだ。それが、ベルン・ヴァロウの取るべき責任だ。

 

 自分はその言葉を、何とか飲み込みました。

 

 ここでベルン・ヴァロウを詰ったところで何も変わりません。

 

「内緒♪」

「……そう、ですか」

 

 今はまだ、この男は上官です。

 

 そして、現在オースティン軍における最高権力者の一人。

 

 彼を罵倒したら、自分の立場が悪くなるだけ。これ以上、この男に感情を乱されるな。

 

 そう考えて、自分は彼の言葉を何とか聞き流しました。

 

「お話は以上ですね? では、自分はこれで失礼します」

「あー、そんな怖い目で睨まないでよトウリ少尉。可愛いお顔が台無しだよ」

「……」

 

 これ以上、この男と話すことは無い。

 

 自分は上官への義理として、退室前に彼に敬礼をしました。

 

 彼の言葉が本当なら、まもなくこの男は軍を辞します。

 

 であれば二度と、この男の顔を見ることは無いでしょう。

 

「まぁ、任せとけって」

 

 そう思って自分が病室のドアを開け、廊下に出ようとした直後。

 

「こっちでもやれることは、やっとくからよ」

 

 ドアが閉まる直前の、ベルン・ヴァロウの楽し気な声が耳に残りました。

 

 

 

 

 

 

 今、思えば。

 

 ベルン・ヴァロウが『勝負を投げた』というのは、自分の大きな勘違いでした。

 

 あの男の性根はどうあれ、オースティンを勝たせることをあきらめていなかったのです。

 

 確かにこの後、彼は前線を退いてサバトに移住し、療養を始めました。

 

 しかしベルンの『悪意』は、衰えていません。

 

 『そうしないとオースティンに勝ち目がなかった』から、前線を退いただけです。

 

 こうしてオースティン軍はベルン・ヴァロウを欠いたまま、戦争は最終局面に入るのでした。

 



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170話

 

 ベルン少佐に呼び出されて以降は、休暇中に招集されることはなく。

 

 自分はガヴェル曹長の家で、勉強したり訓練をして過ごしました。

 

「今日の訓練は、これくらいにするか」

「はい。ありがとうございます、ガヴェル曹長」

 

 ガヴェル曹長の家には、小さな訓練所が設置されていました。

 

 中には木製の腹筋台や、敵兵を模した人形、弓矢の的などが設置されていました。

 

 ガヴェル曹長やその御兄弟はこの場所で、幼いころから母親の監督で訓練を受けてきたそうです。

 

「結構いい運動になるだろ。トウリはまだ腕が細い、上半身をもっと鍛えてもいいかもしれん」

「そう言えば、今まで体幹と足のトレーニングが中心でした」

「銃を撃つ必要がないなら、それで十分だけど」

 

 自分はガヴェル曹長に教わって、弓も撃たせてもらいました。

 

 思った通りに狙いが定まらず、的に当てるのに苦労しました。

 

 実戦で弓を使うことは無いでしょうけど、良い経験になりました。

 

「あと二日で休暇が終わるな」

「そうですね」

 

 そんなこんなで、なまった体を鍛えなおしていたら。

 

 いよいよ、休暇の終わりも近づいてきました。

 

「トウリは、やり残したことはないか?」

「自分は……、無いと思います」

 

 明後日の正午に自分達トウリ中隊は集結し、エンゲイを目指して旅立ちます。

 

 そしてヴェルディさんの指揮下に戻ることになっています。

 

「セドル君に会えたので、満足な休暇でした。ガヴェル曹長の方こそ、心残りはないですか」

「俺はまぁ、あるっちゃあるけど……」

 

 休暇が終わる話になると、ガヴェル曹長は浮かない顔をしました。

 

 何となくチラチラと、自分を見ている気がします。

 

「ま、俺の事はいいんだ。うん」

「まだ休暇は残っていますし、やり残したことがあるなら……」

「だから、別にいいんだって」

 

 心残りがあるならやればいいのに、と思ったのですが……。

 

 彼が誤魔化すような態度をとったので、深く追求しないことにしました。

 

 女性に言いにくい、『大人なお店に行く』系かもしれませんし。

 

「トウリは、落ち着いてるな」

「ええ。愛想がないと、よく言われます」

「そうじゃなくてさ」

 

 ふと、ガヴェル曹長はそんなことを言いました。

 

 自分は落ち着いているのではなく、ただ口下手で寡黙なだけです。

 

 孤児院のころはむしろ、落ち着きがない子供と言われていました。

 

「もうすぐ戦場に戻るのに、いつもと変わらないからさ」

「ああ、そういう意味ですか」

 

 ガヴェル曹長の質問は、戦場に戻るのが怖くないのかという意図の様でした。

 

 無論、死ぬのが怖くないと言えば嘘になります。

 

 ……しかし自分はもう、たくさんの敵兵士を殺しています。

 

 であれば自分も彼らと同様、冷たい土の中で血と泥にまみれ、無様に事切れるべきでしょう。

 

 死臭がむせる塹壕に戻ることに、躊躇いはありません。

 

「俺は軍人だ。御国に殉じ笑って死すべしと育てられ、今もその気持ちは変わってない」

「はい」

「……でもさ。戦場に戻る日が近づくにつれ、怖くなってきたんだ」

 

 そう答えた時の、ガヴェル曹長の横顔は。

 

 今まで見たことがないほど、自信なさげで、心細い印象を受けました。

 

「戦うのが怖い、ですか」

「そんなことはない、俺は戦うことしか出来ない人間だ。闘いは俺の本分だ。生まれてから全ての時間を、軍人として大成する為に費やしてきた」

「……そうですか」

「でも戦場で、目の前で人が死ぬのを見て。自分も死んだらこうなるのかと思ったら……怖くなった」

 

 彼は視線を逸らしながら、呻くようにそう呟きました。

 

「戦うのは怖くない、死ぬのが怖いんだ。何の栄誉も誇りもなく、野に骸を晒すのが辛いのだ」

「……」

「戦功を上げ、華々しく散るのが誉と教わって来たのに。……俺ぁこんなに弱虫だったのか」

 

 それはきっと、彼が自分にようやく見せた『本心』なのでしょう。

 

 ……ガヴェル曹長の言っている気持ちは、自分にもよくわかります。

 

「そういうものですよ、ガヴェル曹長」

「どういうことだ」

「命を惜しまないのは、戦死が華々しいものと妄想している人です」

「……」

「ガヴェル曹長。……戦場で見た戦友達の、死に際は美しかったですか?」

 

 戦場を知らぬものは、戦死と聞いて美しく勇敢な死に様を夢想するでしょう。

 

 しかし現実の遺体は、殆どが土に塗れて体液を垂れ流し、薄汚く死んでいます。

 

 顔面は踏まれ蹴飛ばされて醜く歪み、漏れ出た糞便の異臭が鼻を突きます。

 

 更に最前線で命を散らしたとして、仲間すら気に留める余裕はありません。

 

 ────あ、死んだ。

 

 ────あそこから撃ってきたな、注意しよう。

 

 戦場で撃ち抜かれた者は死を悼まれる暇なく、戦友たちは先の塹壕へ進んでいきます。

 

 そんな事を気にして感傷に浸っていたら、自分まで死んでしまうからです。

 

 戦場に、戦死の栄誉などありません。

 

「死ぬのが怖いなんて、当たり前です」

「だけど、そんなの臆病じゃないか」

「死を恐れないのは、勇敢なんかじゃありません。死を恐れた上で頑張るから、勇敢なんです」

 

 そしてきっと指揮官は、この兵士の心情を理解していないといけません。

 

 戦死を誉と考えている指揮官に、誰がついて行こうと思うでしょうか。

 

「……トウリも、同じなのか」

「ええ。自分だって、死ぬのは怖いです」

 

 死を怖がる兵士の心を理解して、檄を飛ばし鼓舞できる指揮官の方が良い。

 

 それは例えばヴェルディさんのような、優しく兵士に理解がある指揮官です。

 

「きっと、ヴェルディさんも。それを理解した上で、自分達に戦いを命じているんだと思いますよ」

「そっか」

 

 ……ガヴェル曹長は、きっと良い指揮官になるでしょう。

 

 兵士だって死ぬのは怖い。そんな当たり前のことを、理解していない指揮官は多いのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、トウリ。その」

「何でしょうか、ガヴェル曹長」

 

 その、翌日。

 

 長期休暇の最終日。

 

「お前、今日、暇か? 用事とかあるか」

「ええ、今日は出かけようと思います。帰るのは夜になりますね」

「えっ?」

 

 自分はやり残したことが無いか改めて考えて、一つ思い出しました。

 

 休暇が取れたら、いつかやってみようと思っていたことを。

 

「あー、何だ、用事あったのか」

「ええ、私用を思い出しました」

「そ、そうか」

 

 自分の返答を聞いて、ガヴェル曹長は意外そうな顔でした。

 

 心なしか、しょぼくれているようにも見えます。

 

「何をしにいくか、聞いても良い?」

「ええ、大したことではありませんよ」

 

 自分は少し、大人な笑みを浮かべると。

 

 紙幣の詰まった財布を手に、ガヴェル曹長に向き直りました。

 

「ある人と、お酒でも飲んでこようかと」

「えっ」

 

 そう。

 

 オースティンでは、十八歳からお酒が飲めます。

 

 先日十八歳を迎えた自分は、大手を振ってお酒が飲めるのです。

 

「ガヴェル曹長は、まだ十六歳ですよね」

「……ああ」

「だから今日は、自分一人でおでかけです」

 

 兵士にとって、お酒は貴重な娯楽です。人間関係の潤滑油にもなります。

 

 しかしサバトでヴォック酒を飲んだ際、記憶が飛び醜態を晒しました。

 

 なので休みのうちに、お酒に慣れておこうと思ったのです。

 

「そうか。トウリに、そんな相手がいたのか」

「ええ、古い知り合いです」

 

 手に持った財布には、報奨金の残りが詰まっています。お金に困ることはないでしょう。

 

 自分は少しばかり、期待で胸を膨らませながら。

 

 護身用の拳銃を装備し、リュックを背負って立ち上がりました。

 

「あまり、遅くなるなよ」

「はい」

 

 自分は前世も含め、お酒を楽しんだ事はありません。

 

 なので、今日はほどほどの量に留めておくとしましょう。

 

「……」

「ガヴェル曹長?」

 

 何故かガヴェル曹長は、放心していましたが。

 

 

 

 

「……」

 

 自分がまず向かったのは、かつてロドリー君と立ち寄った酒店でした。

 

 『軍人さん相手にアコギな商売が出来るか』と言って、割引してくれた店です。

 

 しかしそのお店はもう潰れたのか、空き家が残るのみでした。

 

「安イヨ! 今デハ貴重ナ地酒アルヨ!」

 

 そのすぐ近くにも、酒店はありました。

 

 そこには訛りの有る声で、客引きをしている男が居ました。

 

「どこヨリも安く、高品質で、美味シイお酒はイカガですか!」

 

 ……そう言えば、最初ロドリー君と入ったのはあの店でしたっけ。

 

 そしてそこで、ボッたくられそうになったのを覚えています。

 

「どうも、こんにちは」

「オオ、お嬢チャンお客カイ?」

「ええ」

 

 懐かしい気持ちになったので、自分はその店へと入ってみました。

 

 店の中には、様々なお酒が置いてありました。

 

 前に来た時と棚の配置は変わっていますが、色とりどりのお酒が並んでいます。

 

「お金、持っテルカナ? チョット、ウチは値が張るヨ」

「ええ、まぁ、持ってはいますけど」

 

 ……今のオースティンでお酒は、なかなかに貴重なのは知っていますが。

 

 その店に並んでいる酒は、ロドリー君と来た時と比べ10倍近い値段になってました。

 

 流石に、この値段はぼったくりでは。

 

「このお酒、中身が半分くらいしか入ってなくないですか」

「気ノセイ。元々、ソンナ感じダヨ」

「……封が開いているような」

「ウルサイナ、気に入ラナイなら買ワナクテイイヨ」

 

 気になることを指摘すると、店主はへそを曲げて不機嫌そうになりました。

 

 相変わらず、ここは胡散臭いお店のようです。

 

 この様子じゃ、中身を取り換えられているかもしれません。

 

「……あっ」

「今度ハ何ダヨ」

「いえ、探していた銘柄が有ったので」

 

 しかし、こうも胡散臭いお店だからこそ。

 

 今では貴重なオースティンのお酒が、そのまま残っていたのでしょう。

 

「封も開いていなさそう……ですね」

「ソレ、買ウノ? カナリ高いヨ」

「買います」

 

 それは自分の掌に収まりそうなほど、小さい瓶に入った蒸留酒。

 

 値札に書かれたお値段で、一月分の食料が賄えるでしょう。

 

「これで足りますね」

「……! 毎度、お客サン!」

 

 値札通りの紙幣を取り出すと、店主は態度を変えて。

 

 にこやかな笑顔で、自分にペコペコと頭を下げ始めました。

 

「コッチのお酒モ、旨いヨ」

「いえ、今日はこれだけで十分です」

「ソウ……」

 

 欲しかったお酒を手に入れられて、ほっと一息つきました。

 

 もし手に入らなかったらどうしようかと、悩んでいたところです。

 

「では、失礼しますね」

「マタ、キテネ」

 

 自分は店主に会釈して、酒瓶を手に歩き始めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのまま歩く事、半日ほど。

 

「どうも、トウリ・ロウ少尉です」

「お話は伺っています。どうぞお入りください」

 

 自分は予定通り、目的地にたどり着くことが出来ました。

 

「我儘を言って、すみません」

「いえ。貴官にお会いできて光栄ですよ、少尉殿」

 

 そこにいた数人の兵士が、自分を敬礼で出迎えてくれました。

 

 自分もすかさず敬礼を返し、その建物の中へと入っていきます。

 

「石碑は、この奥です」

「ありがとうございます」

 

 苔の生えた岩造りの、山の間を覆うように建築された砦。

 

 かつては首都ウィンを守るべくサバト兵を押し留めた、最終防衛ライン。

 

「……お久しぶりです、ガーバック小隊長」

 

 かつて、たった54人で無数のサバト兵を押し留めた英雄たちの眠る土地。

 

 自分は約半日かけて、このムソン砦の墓標へ墓参りに出向いたのでした。

 

 

 

 

「ガーバック小隊長は、凄いですね」

 

 自分は酒瓶の封を切ると、グラスを二つ用意して。

 

 それぞれに、一杯ずつ酒を注ぎました。

 

「部下を指揮する立場になって、戦場の最前線を走る役目を負って、やっと貴方の凄さを理解出来た気がします」

 

 ……グラスから、懐かしい香りがしました。

 

 西部戦線の時、酔ったガーバック小隊長から漂ってきた匂いです。

 

 濃いアルコール分と、蜜のような甘味の混じった、独特の香り。

 

「貴方が死んでから、3年が経ちました。まだ、戦争は終わっていません」

 

 自分はゆっくり、グラスの酒を呷りました。

 

 舌が熱く、酒精に咽そうになりましたが、何とか堪えて飲み込みます。

 

「自分は十八歳になりました。お酒が飲める年齢になりました」

 

 ……とても濃いお酒でした。

 

 それこそ、ヴォック酒に匹敵する様な濃さ。

 

 これが、ガーバック小隊長が好んで飲んでいたお酒。

 

「それで最初に、お酒を酌み交わすのは誰がいいかなと考えたら。小隊長殿のお顔が、浮かんできました」

 

 ロドリー君やアレンさんは、ドクポリに眠っています。

 

 休暇のうちにお墓参りは、出来そうもありません。

 

 しかし、ムソン砦に眠るガーバック小隊長なら、日帰りでお墓参りが出来ます。

 

 ……だからせっかくなので、彼の墓前にお酒を供えたかったのです。

 

「自分は、まだまだガーバック小隊長殿に届きません。自分の代わりに貴方が居たら、もっと上手くやっていたんだろうなと思います」

 

 2杯目の酒を、グラスに注ぎながら。

 

 自分は愚痴るように、石碑に語り掛けました。

 

「自分は弱いです。少しだけ、自分の愚痴を聞いていただけませんか」

 

 そして自分はガーバック小隊長に注いだ美酒を、石碑に注ぎました。

 

 咽るようなアルコール臭が、周囲に漂いました。

 

「また、前線に行くのが怖いのです。セドル君と会って、平穏な日々を過ごして、怖くなってしまいました。逃げ出したい気持ちで、いっぱいになりました」

 

 そこまで言い切った後、自分は2杯目の酒を飲み干しました。

 

 ズンと頭にくるような、酩酊感に包まれました。

 

「未だに、戦友の死に慣れません。言葉を交わした人間が死ぬと、いつもふさぎ込んでしまいます」

 

 気付けばふらふら、と頭蓋が揺れていて。

 

 唇から甘い雫が、涎のようにこぼれます。

 

「今戦っているフラメールには、知人がいます。もし彼と気付かず、戦場でアルノマさんを撃ってしまったら、立ち直れる自信がありません」

 

 いけませんね。自分はガーバック小隊長に、何を言っているのでしょう。

 

 もし目の前に彼がいたら、どうなっていたことか。

 

「ああ、自分は酔っていますね」

 

 これ以上、お酒に飲まれるのはまずそうです。

 

 自分はここで杯を置いて、残りの酒精を墓標に注ぎました。

 

「こんな、甘えた事を言ったのに。もう、貴方は自分を殴ってくださらないのですね」

 

 そして、酒瓶を石碑に備えた後。

 

 自分は地面に腰を下ろし、静かに涙を零しました。

 

 

「あの日々から、3年も経ったのですね……」

 

 

 座って感じた、オースティンの土の冷たい感触は。

 

 西部戦線の塹壕で寝起きした時と、何も変わりませんでした。

 



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171話

 

 秋も中ごろに入り、ウィンには乾いた寒風が吹きすさぶころ。

 

 休暇が終わり、いよいよ部隊が再招集される日がやってきました。

 

「祖国の為、再び死地に向かいます」

「立派にお役目を果たすんですよ」

 

 首都の城門には兵士の家族が集って、別れを惜しみ泣いています。

 

 兵士達は唇を噛みしめて、再び会えるか分からない家族を抱きしめていました。

 

「アンナ~……。パパは、絶対に生きて帰ってくるからなぁ」

「……う、うん」

 

 ナウマンさんも、大泣きして娘に抱き着いていました。

 

 娘のアンナさんは頬を引きつらせつつ、なすがまま抱き着かれていました。

 

「何かナウマンさんの娘さん、引いてないか」

「思春期ごろは、父親が気持ち悪く感じますからね。空気を読んで、我慢して抱きつかれているのでしょう」

 

 アンナさんは父のスキンシップを受け入れてはいますが、抵抗もあるみたいです。

 

 ある意味、微笑ましい光景です。

 

「本当は、あの家族を引き剥がしたくはないのですけど」

「ナウマン兵長がいないと困るだろ」

「……ええ、因果な事です」

 

 ナウマン氏は家族と何度も抱き合った後、涙をすすりながら隊列に加わりました。

 

 家族を引き離すのは心苦しいですが、彼のような優秀な人材を遊ばせておく余裕はありません。

 

 ……早く、戦争が決着してくれればよいのですが。

 

「ガヴェル曹長は、別れを済ませましたか」

「ああ。母さん、あそこに見送りに来てるよ」

「おお」

 

 ガヴェル家は軍人なだけあって、泣いて別れる感じではないようです。

 

 スーツを着たガヴェル曹長のお母さまが、彼を見つめ静かに敬礼していました。

 

「俺の家は皆軍人だから、見送りに慣れてるんだよ」

「そうなのですか。……ガヴェル曹長の御兄弟も軍人だったのですか」

「ああ、もう死んでるけど。一昨年の大攻勢で、兄貴は二人とも戦死した」

「……」

「兄二人の出来が良かったから、母さんも落ち込んだもんさ。俺がグレそうになるくらい」

 

 彼は母親に目をやって敬礼を返し、話を続けました。

 

「酷いこと言われたんだぜ。母さん、『もう我が家にはガヴェルしかいない、これじゃお国の役に立てない』って兄の棺の前で夜通し泣き叫んでた」

「それは……」

「腹立つだろ? で、俺がアルガリアで戦果を挙げて戻ったら『不甲斐ない兄の分まで、国に尽くすように』ときたもんだ。いい面の皮してるよ、まったく」

 

 ガヴェル曹長はそう言って目を伏せて。

 

 母親から目を背け、前へ向き直りました。

 

「ひでぇ親と思うだろ。でも俺は、母さんのことは嫌いじゃない」

「そうですか」

「うちは軍人一家だからな。きっと家が恋しくならないよう、子供に冷たく接してるのさ」

 

 ガヴェル曹長の眼から、雫がこぼれ落ちていました。

 

 ……自分は彼から目を逸らし、見ないようにしました。

 

「小さなころは、甘やかしてくれたんだ。母さんが厳しくなったのは、体がデカくなってから」

「……」

「逃げ出したくて、泣き出したくて、そんな時に家を思い出すと辛くなっちまうだろ? ……そういう人なんだよ、うちの母さんは」

 

 ガヴェル曹長のお母さんは、目を逸らされても微動だにしません。

 

 ずっと直立不動のまま、我々の出発を待ち続けていました。

 

「俺が死んだら、あの人は俺の棺の前で何て言うのかな」

 

 そんな自らの母親に、ガヴェル曹長は振り返ったきり、ずっと背を向けたままでした。

 

 

 

「────まもなく、時刻です」

「はい」

 

 そしてついに、出発の時がやってきました。

 

 アルガリアを生き残った戦士たちが、前線へと旅立つその時が。

 

「トウリ少尉」

「はい」

 

 兵士たちはそれぞれ、家族と別れを告げ。

 

 再び、硝煙と血肉の匂いに咽る塹壕へと出発します。

 

 国家と家族を守るため、戦友との約束を守るため。

 

「1名、足りない兵士が……」

「む、遅刻ですか?」

 

 祖国の為に、命を投げ打つ覚悟と共に。

 

 大勢の民衆の見送りを受け、我々は再び戦いに身を投じたのでした。

 

「アルギィが酒場で泥酔して寝ているようです」

「連行してください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少しトラブルはあったものの、自分達は無事にウィンを出発しました。

 

 我々は、フラメール内で前線基地になっている都市エンゲイを目指して進みます。

 

 我々トウリ中隊はそこで再編成され、再び任務に就くことになります。

 

「「ひーかりをはなーつ、我がーそこくー」」

 

 休養が取れて士気十分なのか、兵士は軍歌を歌いながら行軍していました。

 

 彼らはまっすぐ前を向き、手を振り上げて勇ましく歩き続けます。

 

 ……もしかしたら、戦場に戻る恐怖を、歌で誤魔化しているのかもしれません。

 

「そういや、トウリ中隊長」

「何ですか、ナウマン兵長」

「俺達の階級は上がらないんですかい」

 

 エンゲイへの道中、ナウマン氏にそんな事を聞かれました。

 

「ちゃんと上がるそうですよ。任官式はエンゲイで行われるそうです」

「おお、そりゃあ楽しみですな」

 

 ガヴェル曹長の母君から、我々は階級も上がると聞いています。

 

 給与が増えるかどうかなので、所帯持ちのナウマンさんにとっては大事な話なのでしょう。

 

「ウィンの時と同じように、見世物にされるけどな」

「そうなんですか?」

「わざわざエンゲイで任官式する意味を考えろ。前線兵士への鼓舞だよ」

 

 エンゲイには、たくさんのオースティン軍兵士が駐留しています。

 

 彼らに見えやすいよう、我々はエンゲイのメインストリートで大々的に任官されるそうです。

 

「またお堅い式に出なきゃならんのですか」

「自分達に出来る貢献は、それくらいですからね」

 

 これもプロパガンダの一種なのでしょう。

 

 おそらく我々は戦力としてより、神輿として扱う方が国益になるのだと思われます。

 

「仕事の内容は、輸送任務のままだそうですよ」

「なるほど。階級は上がれど待遇は変わらず、ですかい」

 

 比較的安全な輸送任務をやらされるのも、それが理由でしょう。

 

 我々を前線に出してうっかり全滅したら、士気の低下が否めませんし。

 

「もらえる給料は増えるんだし、それでいいじゃねぇか」

「そうですなぁ」

 

 自分も、セドル君への仕送り額が増えるなら見世物にされて構いません。

 

 あの子には少しでも、安全で豊かな生活を送って欲しいものです。

 

「輸送任務だって、大事な仕事だ。粉骨砕身して、任務を遂行するぞ」

「了解ですよ、ガヴェル副中隊長殿」

 

 そしてあわよくば、戦争が終わった後まで生き残り。

 

 自分もセドル君と一緒に、平穏な暮らしが出来れば良いなと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、一週間後。

 

「これより、任官式を執り行う」

 

 我々がエンゲイにつくと、予定通りに任官式が行われました。

 

 エンゲイの大通りで執り行われたその式は、軍楽隊が音楽を引きならし、多くの士官が出席する立派なものでした。

 

「ガヴェル曹長。貴様は本日付で少尉に昇格とする」

「はっ」

 

 今や最高司令官となったレンヴェルさんが、荘厳な顔で我々に新たな階級を言い渡しました。

 

 彼はアンリ大佐の後任として、レンヴェル大佐(・・)に昇進していて。

 

 ガヴェル曹長も、階級が少尉にしてもらえたようです。

 

「トウリ遊撃中隊の指揮権を、ガヴェル少尉に与える。本日より、この中隊はガヴェル遊撃中隊と名を改めよ」

「は、はい!」

 

 そして、意外な事に。

 

 なんと自分のトウリ中隊は、ガヴェル少尉に指揮権が移されるとのことでした。

 

 ……自分だけ中隊から外される、という人事は想定していませんでした。

 

「そしてトウリ少尉。貴様は────」

 

 では、自分は一体どうなるのでしょうか。

 

 そんな事を考えていたら、レンヴェル大佐がニヤリと笑い。

 

 たくさんの星がついた、佐官の階級章を胸元に取りつけて。

 

「本日付で司令部所属、歩兵部少佐に任命する。式典の後、荷物を纏めて司令部に出頭するように」

「……は、い?」

 

 自分はほぼ最高官位である、『少佐』に任命されたのでした。

 

 

 

 少佐と言えば、もはや軍の中核です。

 

 前線に出てアレコレする立場ではなく、軍の方針を決める会議に参加できる最高指揮官の一人。

 

 その位に、志願兵がたった3年で就くなど正気の沙汰ではありません。

 

 

 しかしベルンの攻勢失敗により、司令部の人材不足は顕著なものとなっていました。

 

 優秀な将校の大半が失われ、司令部は殆どベルン・ヴァロウのワンマン運営だった状況です。

 

 そのベルンが前線を退いた今、少しでも『優秀な可能性がある』人材を司令部は欲していたそうです。

 

「貴様の能力を高く評価している。存分に励め」

「きょ、恐縮、です」

 

 ……レンヴェルさんの『身内びいき』を止める立場だったアンリ大佐が戦死してしまったのも一因でしょう。

 

 フォッグマン首相からも、自分を昇進させるような『圧力』があったそうです。

 

 そんな様々な背景が絡み合った結果、

 

「ガヴェル遊撃中隊は、貴様の統括部隊としておく。よく活用するように」

「ありがとう、ございます」

 

 自分のような小娘が、少佐として司令部勤務になってしまったのでした。

 

 

 ……実はこの頃、レンヴェル大佐は既に引退を決意していたそうです。

 

 あれだけヴェルディさんに押されたのに、レンヴェル大佐はアルガリアを守る判断が出来ませんでした。

 

 アルガリアを守るよう意見したのは若い指揮官ばかりで、世代の古い指揮官はほぼ反対。

 

 ここでレンヴェル大佐は、世代交代の時期が来たと感じたそうです。

 

 今までオースティン軍を動かしてきたベルン・ヴァロウも、中央軍を纏めているヴェルディさんも、20代の若手です。

 

 つまり現状、結果を出しているのは若い指揮官ばかりなのです。

 

 時代が変わり戦闘方法も変化し、古い戦術知識を持った指揮官の判断はズレつつありました。

 

 その事実を受け入れ、レンヴェル中佐は『もう俺は古い指揮官だ』と感じ、引退に踏み切ったのだとか。

 

「ヴェルディのヤツがお前の直属の上官だ。今までと何も変わらんさ」

「そうなのですか」

 

 しかし指揮官が不足している現状、今すぐやめることなど出来ません。

 

 レンヴェルさんは大佐に昇進し、総司令官にも任命された立場です。

 

 なのでレンヴェルさんは「責任は俺が取るので、ヴェルディの好きにやれ」と言って、軍の実権を預けてしまったそうです。

 

 ベルンが前線から退いた今、もっとも功績を上げていたのがヴェルディさんでした。

 

 なので業務はレンヴェルさんも手伝いますが、今後はヴェルディさんの判断で軍を動かす事になります。

 

 そんなクソ重たい権限を渡され、ヴェルディさんは一日寝込んだそうです。

 

 

 

 

「トウリ、おめでとう。……で、良いのか?」

「はい、ありがとうございます」

 

 そして、寝込みたいのは自分も同じでした。

 

 プロパガンダにしても、階級が盛られ過ぎです。

 

 士官学校を出ていない少佐って、何なのですか。

 

「嬉しそうには、見えませんがね」

「徹夜明けみたいな、土気色の顔だ」

「正直に言えば、あまりうれしくはないですね」

 

 はっきり言って、自分にそんな地位の仕事をこなせる自信がありません。

 

 少佐となると、決断を一つ間違えるだけで大勢の人を死なせることになります。

 

 想像するだけで吐きそうです。

 

「まぁでも、これでトウリは戦場に出る事はなくなったじゃねぇか」

「安全な仕事に勝るもの無し、ですよトウリ中隊長殿。……じゃなかった、少佐殿」

「……」

 

 これからの苦労を考え、胃を痛めていると。

 

 ガヴェル少尉はドンと、拳を自らの胸にあてて笑いました。

 

「共にアルガリアで死線を潜った戦友は、みんなお前の味方だ。安心しろ」

「ガヴェル、少尉」

「困ったことが有れば、俺達ガヴェル遊撃中隊を頼れ。お前の命令に逆らう兵士は、一人もいないさ」

 

 ……確かに、今の中隊のメンバーは自分に好意的に接してくれています。

 

 アルガリアでも自分みたいな未熟者の指揮官を、信用して従ってくれました。

 

 彼らは、とても頼りになる仲間です。

 

「ま、当方は前みたいな無茶は勘弁してほしいですけどね。可愛い女房と娘が、家に待ってるんで」

「おいナウマン」

「ジョークですよ、ガヴェル中隊長」

 

 自分にも、味方は居ます。

 

 それを心の支えにして、新しい階級でも頑張らねばなりません。

 

 オースティンを救うため。

 

 そして、オースティンに住む大切な人たちを守るため。

 

「……ガヴェル新中隊長どの、報告です」

「お、何だ?」

「ぷくぷく妖怪が待機命令を破って、町の酒場に繰り出しました」

「懲罰牢にブチこめ」

 

 こうして、自分は頼もしくも騒がしかった遊撃中隊と別れを告げて。

 

 たった一人、上級士官として司令部と向かう事になったのでした。

 

「今までトウリは甘やかしてたけど、俺はそうはいかねぇぞ。たっぷり矯正してやる」

「……頑張ってください」

 

 ちなみにアルギィさんはこの後、懲罰牢で断酒させられ干物みたいになりました。

 

 ガヴェル少尉は、厳しく行くタイプのようです。



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172話

「今までありがとう、トウリ少佐」

「貴女の指揮で戦えたことは、小官の一生の誇りです」

 

 任官式が終わったあと、自分は皆と一緒にキャンプに戻りました。

 

 そこで荷物を纏めながら、戦友と別れの挨拶を交わしました。

 

「うぅ、トウリ中隊長と別れることになるなんて」

「貴重な癒しが……。女性兵士なんて滅多にいないのに」

「ぷくぷくしてるのは?」

「……癒されるか? あれ」

 

 部隊の全員と、最後の握手を交わし。

 

 それぞれの無事と、武運を祈りました。

 

「少佐、最後にみんなで写真でも撮りましょうよ!」

「トウリ中隊は不滅!」

 

 皆、気の良い人達ばかりです。

 

 少し内気な性格の自分を、優しく盛り立ててくれました。

 

 彼らも、自分にとって大切な人達です。

 

「……では、ガヴェル少尉。これから、この中隊をお任せします」

「ああ、お前も元気で行ってこい」

 

 そんなかけがえのない仲間たちと、十分に別れを惜しんだあと。

 

 自分は私物を一通り纏めて、エンゲイ内の司令部へと足を向けたのでした。

 

 

 

 

 

「……トウリ・ロウ少佐です。要請に応じ、司令部に出頭しました」

「入ってください」

 

 司令部はエンゲイ市役所だった施設を、接収して利用していました。

 

 フラメールの彫刻が飾られた、厳格な雰囲気の建物でした。

 

「お久しぶりです、トウリちゃん。休暇は如何でしたか」

「とても、楽しい日々でした」

「それはよかった」

 

 その建物の玄関で、困った様な笑顔で自分を出迎えてくれたのはヴェルディさんでした。

 

「ヴェルディ中佐殿こそ、調子はいかがですか」

「まぁまぁ、ですね」

 

 ……前より更にやつれていて、顔の骨格が骸骨のようになっています。

 

 正直、ギョッとしました。

 

 

「司令部で、トウリちゃんと仕事の話をする日が来るとは思いませんでしたよ」

「……自分もです」

 

 自分は司令部内にある、ヴェルディさんの私室に案内されました。

 

 そこは彼の立場には不釣り合いな、簡素なベッドと机が置いてあるだけの部屋でした。

 

「いきなり少佐に任命されて、驚きましたか」

「自分には分不相応な階級だと思っております」

「分不相応、ときましたか」

 

 ヴェルディさんはフフッと、おかしそうに笑いました。

 

 何が面白かったのかと不思議な顔をしていると、

 

「戦果だけで言うなら、貴女以上の戦果を挙げている少佐はいませんよ」

「……」

「あのアルガリアの戦果を聞いて、昇進を反対できる将校もいません」

 

 ヴェルディさんはそう言って、悪戯っぽく笑いました。

 

 ……プロパガンダの影響なのか、自分の戦果は過大に評価されているようです。

 

「だとしても、少佐は無茶なのでは。……自分は歩兵指揮をしたのは数か月前が初めてですし、士官学校も出ていません」

「まぁ、そこは同情します。私が出来る範囲でサポートしますよ」

 

 ヴェルディさんはそこまで言うと、大きなため息を吐いて。

 

「オースティン政府から、強い圧力がありましてね。トウリちゃんを前線から遠ざけろと、強く要請されました」

「えっ」

「貴女に戦死されたら、フォッグマン首相が困るそうです。だから死なない階級……少佐に任命することになりました」

 

 そう、困ったような顔で教えてくれました。

 

「トウリちゃん、フォッグマン首相と何かありました?」

「え、えっと。……名前を貸してくれ、と言われました」

「じゃあ、それでしょうね。トウリちゃんの名を使って、何かしている最中なのでしょう。政治的な理由で、軍の人事に口を出さないでほしいもんです」

 

 ヴェルディさんは呆れたように、そう呟きました。

 

「我々軍人は、政治家に逆らえないんですよ。予算を政府に握られてますから」

「……フォッグマン首相が」

 

 ウィンで最後に会った時の、フォッグマン首相のニヤリと意味深に笑った顔が思い出されました。

 

 階級には期待しろ、とは言っていましたけど……。まさかこんな無茶な人事を通してしまうとは。

 

「私は反対しましたよ。貴女に向いている仕事とは思えませんし」

「はい、自分もそう思います」

「トウリちゃんは状況判断力がズバ抜けていて、苦境を打破するのが上手い指揮官です。貴女を危険に晒したくはありませんが……、どう考えても前線向きの人材でしょう」

 

 ヴェルディさんは、真っすぐに自分を見つめたまま紅茶をすすりました。

 

 場に重苦しい沈黙が流れました。

 

「私としては複雑な気分です。貴女を前線から遠ざけられて、ホっとしている自分もいる」

「ヴェルディさんは、自分が前線向きと考えているのですか」

「……正直、その通りです。叔父上などは、エース扱いして使い倒す気マンマンでしたよ」

「それもそれで、勘弁してほしいですが」

 

 自分が前線に向いている。その評価には、納得できます。

 

 というか、自分は頭を使う業務に致命的に向いていません。

 

「申し訳ありませんが、トウリちゃんには司令部の仕事を学んでいただくことになります。これは、私の権限ではどうしようもない決定なんです」

「了解しました。非才の身ではありますが、祖国の力になれるよう頑張ります」

「ありがとう、トウリ少佐」

「……出来れば、仕事を補佐してくれる方がいらっしゃると助かります」

「無論、手配しておきますよ。私の秘書を預けます、暫くは彼らに仕事を任せても問題ないでしょう」

 

 しかし、軍人たるもの上官命令には逆らえません。

 

 出来ない事であっても、やれと言われれば断る選択肢はありません。

 

「……にしても自分が、エースですか」

「ええ」

 

 そして自分がエース扱いされている事実を知って、切ない気持ちになりました。

 

 ……確かに自分は、前線指揮官として戦果を挙げてきました。

 

 窮地に陥りパニックになると、人格が切り替わり『冷静』になる性質があったからでしょう。

 

 この1点だけを見ても、稀有な才能で有るとは思います。

 

「ガーバック小隊長が聞いたら、何と仰るやら」

「きっと、噴き出すんじゃないでしょうか」

「百年早い、と怒鳴られそうな気もします」

 

 ですが自分はエースと聞いて、ガーバック小隊長の姿を想起しました。

 

 彼こそが本物のエースです。自分は、まだ彼に届いていません。

 

 ……自分程度がエース扱いされるのが、オースティンの現状。

 

「ちなみに自分の少佐としての仕事は、何でしょうか」

「トウリちゃんには、私が担当していた地区の連隊長をして貰います。引継ぎ資料は作っていますので、目を通してください」

「……拝命しました」

「優秀な将校を2名、担当地区に残しています。前線は彼等に任せて、問題はないでしょう」

 

 自分の新しい役職は『連隊長』でした。

 

 今まで自分は『ガヴェル中隊』という150名規模の『中隊長』でしたが……。

 

 『中隊』が複数集まると『大隊』となり、その『大隊』がさらに複数集まれば『連隊』になります。

 

 つまり指揮する軍団の規模が、二段階ほど膨らんだことになります。

 

「連隊の規模を、教えていただけますか」

「現在、1986名が所属していますね。比較的、規模は小さめな連隊です」

「ありがとうございます」

 

 自分の部下である兵士の数は、約2000人。

 

 数が多すぎて、いまいちピンと来ません。

 

「彼らの軍籍票の写しも準備していますので、目を通しておいてください」

「了解いたしました」

「あと、貴女の部屋も用意しています。喜んでください、個室待遇ですよ」

 

 そう言うとヴェルディさんは、山盛りの資料を笑顔で引き渡してくれました。

 

 衛生部の装備リュックより、重たい気がします。

 

「ヴェルディさんの引き継ぎという事は、ヴェルディさんは他の仕事をなさるのですか」

「ええ。今後、オースティン軍の総指揮は私が執ることになります」

「えっ」

「私が今までこなしていた仕事に手が回りません。後任が必要だったので、ちょうどよかった」

 

 ヴェルディ中佐は、しれっとした口調でとんでもないことを言い出しました。

 

「あ、あの。それは一体、どういう」

「いえ。……突然、叔父上が『俺は耄碌した、これからは若い奴に任せる』といって私に指揮権をぶん投げただけです」

 

 彼はそう言って、小刻みに震えていました。

 

 ……自分なんかより百倍くらい重い立場を押し付けられているようです。

 

「責任は俺が取るから、ヴェルディの好きにやれと。……毎日、胃痛で吐きそうで頭がガンガンしてますよ」

「ご、ご愁傷様です」

「頼みのベルン・ヴァロウは、前線復帰の目途は立っていませんし。私にどうしろというのですか」

 

 ヴェルディさんの言葉には、強い呪詛が籠っていました。

 

 たった21歳の若手将校にその立場は、凄いストレスでしょう。

 

「ちなみにトウリちゃん、書類仕事は得意ですか?」

「正直、あまり得意ではありません。前まではガヴェル少尉に手伝って貰っていまして」

「そうですか」

 

 書類の多さに、頬を引きつらせると。

 

 ヴェルディさんは亡霊のような顔で笑い、

 

「これから得意になりますよ」

「……」

 

 と、冗談めかして仰りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エンゲイ防衛にあたっては東部B5地区からB21地区までが、トウリ連隊の担当防衛区画……」

 

 ヴェルディさんからの引継ぎ資料には、オースティン軍の機密情報が詰まっていました。

 

 部屋から持ち出しは厳禁で、部屋を出る際には金庫に入れて管理しないといけないそうです。

 

「今はエンゲイ南東部に塹壕を敷き、連合軍と数日おきに交戦しているようですね」

 

 自分達が首都で凱旋していた間に、エイリスの援軍2万人が到着したようです。

 

 連合側の兵力は10万人以上と推測され、兵力では大きな不利を背負っています。

 

「兵数差で押され、戦線はやや後退していますが……」

 

 戦闘記録を見る限り、オースティン軍は押されているようでした。

 

 数ヵ月で、1キロメートル近く戦線が後退していました。

 

 しかし司令部は、それをあまり問題にしていないようです。

 

「なるべく戦争を長引かせ、敵国の資源枯渇を狙うのが大本営の考え」

 

 首都攻略が目標じゃなくなったため、戦線を押し上げる意味はありません。

 

 戦争を長引かせて、連合側を消耗させるのが狙いみたいです。

 

「……つまり自分の役目は、地獄の維持ですか」

 

 ベルンの大攻勢により、フラメールも生産力が落ちている状況です。

 

 現オースティン軍は4万人弱、10万人以上動員している連合側と比べてランニングコストは安いはず。

 

 連合側の国力を奪ったあと、ほどほどで講和を結ぶのがオースティンの生き残る道。

 

 その為に未来ある若者の命を、塹壕へ投げ捨てるのが自分の役目。

 

「……」

 

 そんな行為が、正しいはずがないのに。

 

 では何をするのが正解なのか、自分にはわかりません。

 

 ここで若者を犠牲に時間を稼がねば、オースティンの未来が失われるのです。

 

 そうなると、セドル君も。

 

「自分も、犠牲になる筈だったのですけどね」

 

 たくさんの書類に囲まれて、うつらうつら瞼が重くなってきたので。

 

 薄暗い部屋の中、暖かなベッドに横たわりました。

 

 ……今日からここが、自分の仕事場所。

 

 前線から遠く離れた街中で、若者に死ねと命令を出す役目。

 

「……おやすみなさい」

 

 戦時中にベッドで眠れることに、気持ち悪さを感じながら。

 

 横になってすぐ、自分は意識を手放しました。

 

 

 

 

 

「トウリ少佐。ケネル大尉が、取次を求めています」

「分かりました。この部屋にお通しください」

 

 翌日。

 

 朝日が昇って間もなく、1人の男性将校が自分の部屋を訪ねてきました。

 

「入室を求めます」

「許可します。お入りください」

 

 ケネル大尉の名は、ヴェルディさんから聞いていました。

 

 大隊長として、前線業務に当たってくださる将校です。

 

 48歳の男性で経験は豊富、頭も切れてイヤらしい指揮が得意と聞きました。

 

 褒めている風に聞こえなかったのは、少し気になりましたが……。

 

「……」

「失礼。お初にお目にかかります。ケネル大尉と申しますぅ」

「ど、どうも」

 

 部屋に入って来たのは、なかなか癖の強い男性でした。

 

 今の食糧難のオースティンでは珍しく、とても肥え腹が出ています。

 

 青白い肌はテカテカと光り、眼は細く垂れて鋭く、髪の生え際が寂しくて。

 

 顎には無精髭が生え、脂が浮いていました。

 

「ふう、歩いて来たので疲れましたな。椅子を借りてもいいですかぃ」

「どうぞ」

「失礼、よっこらせぇ……」

 

 ケネル大尉は話し方にも癖がありました。

 

 言葉尻でイントネーションが上がる、独特の方言です。

 

 ……なんだか、濃い人ですね。

 

「初めましてケネル大尉、自分はトウリ・ロウ少佐と申します。貴官の指揮権をヴェルディ中佐殿から受け取りました」

「聞き及んでいます、よろしくお願いしますぅ」

「こちらこそよろしくお願いします」

 

 こちらが頭を下げると、ケネル大尉も合わせて会釈を返してくれました。

 

 階級は自分が上ですが、彼は戦争前から従軍しているベテラン将校です。

 

 敬意をもって接しましょう。

 

「いや話に聞いていましたが、トウリ少佐は近くで見るとなお若い。司令部の若返りが加速しましたなぁ」

「……そうですね」

「こんなに可愛い上官で、ワタクシもラッキーですわぁ」

 

 男はニコニコと、作り笑いを浮かべて手を揉んでいました。

 

 言葉尻の愛想も良いですが、眼が全く笑っていないような。

 

「自分が年若い事が、ご不安ですか」

「あ、分かりますぅ? いやぁ、すみません。少佐殿には隠し事が出来ないですなぁ」

「……はあ」

「ご慧眼、ご慧眼。あっはっは」

 

 どうやらケネル大尉の今の発言は、皮肉だったようです。

 

 自分とは初対面なのに、いきなり飛ばしてますね。

 

「実戦経験は数年、士官学校もろくに出ていない。そんなお方が上官だと、不安になるのも分かってくださいよぅ」

「ええ、仰る通りです。自分はまだまだ未熟者ですので、力を貸してください」

「ほほー? あれほどの戦果を挙げておいて、未熟とは謙虚ですなぁ」

「あの戦果は、偶然の産物でしょう。同じことをもう一度やれと言われても、出来る気がしません」

「ふむ……?」

「そして他ならぬ貴官も、そう考えているのでは?」

「……」

 

 ただ、ケネル大尉のご意見も分かります。

 

 ずっと軍人として生きていた彼からすれば、自分みたいな小娘に従うのは不安でしょう。

 

 その気持ちを、隠さずぶつけてくださる方がやりやすいです。

 

「少佐殿、本当に十八歳で?」

「ええ。もっと年下に見えますか?」

「いいえ。んー、ちょっとアテが外れましたなぁ」

 

 そう思って穏当に言葉を返すと、ケネル大尉は微妙な顔になりました。

 

 ……もっと違う反応を期待していたのでしょうか。

 

「ま、天狗になってないならそれで良いんです。さっきのはちと出過ぎた発言でしたな、すいません」

「はあ」

「ま、これからよろしゅうやっていきましょう。困ったことがあれば、ワタクシにご相談くださいませ」

 

 彼は数秒ほど自分を見つめた後、満面の笑みを浮かべ立ち上がりました。

 

 相変わらず、眼だけは全く笑ってませんでしたが。

 

「もうお帰りですか」

「ええ、前線で戦友が待っておりますので」

「そうですか。……では、お気をつけて」

「ええ。少佐殿こそ、ご機嫌麗しゅう」

 

 彼はそう言うと、大きく敬礼して一礼し。

 

 そのままニコニコと、退室してしまいました。

 

 挨拶が済んだら、即座に現場に戻って仕事に復帰する。

 

 軍人としては、正しい行動でしょう。

 

「……一応、お茶菓子を準備していたのですがね」

 

 前線指揮官に茶菓子を出すのは、無粋な行為なのかもしれません。

 

 昼にいらっしゃる、もう一人の大隊長には出さない方が良いのでしょうか?

 

 その辺の機微が、自分には分かりません。

 

 

 

 

 

「トウリ少佐に取次希望があります。ジーヴェ大尉という方です」

「お通しください」

 

 昼を過ぎるころ、もう一人の副官さんが訪ねてきました。

 

 こちらは30代の男性将校で、レンヴェル大佐のご一族です。

 

 ヴェルディさんが頭角を現すまでは、彼が若手で1番の期待株だった指揮官と聞きました。

 

 彼はシルフ攻勢の際、いち早く退路を確保して、レンヴェルさんをマシュデールまで護衛したそうです。

 

「お初にお目にかかります、トウリ少佐。私はジーヴェ大尉であります」

「こちらこそお初にお目にかかります、トウリ・ロウと申します」

 

 ……ジーヴェ大尉の第一印象は、物静かな「デキる男」という感じでした。

 

 生き馬の目を抜きそうな、眼光の鋭さがあります。

 

「……どうぞ、粗茶ですが」

「有難くいただきます」

 

 せっかく用意したので、間髪入れずにお菓子を出してみました。

 

 エンゲイ産のクッキーと紅茶です。

 

「……」

「……」

 

 お互いにクッキーを一枚とって齧り、モグモグしました。

 

 そして無言のまま、お互いに見つめ合います。

 

 顔合わせって、こういうので合ってるんでしょうか。

 

「あの、ジーヴェ大尉」

「何でしょうか」

「自分は、新しく貴官の上官になった訳ですが。何か聞きたいことなどはありますか」

「別に、ございません」

「そうですか」

 

 無言が苦しくなったので話を振ってみましたが、返事はそっけないモノでした。

 

 ……これは、どういう感じなんでしょう。もしかして、嫌われているのですかね?

 

「……」

 

 ジーヴェ大尉の経歴を考えれば、自分のような小娘に従うのは不満なはずです。

 

 彼は少し巡り合わせが変われば、ヴェルディさんの立場にいた人。

 

 本来は、自分が口を利くのもおこがましい立場の偉い将校です。

 

「では、ジーヴェ大尉。これからよろしくお願いします」

「御意に」

 

 恐らく彼は、色んな不満を押し殺していることでしょう。

 

 であれば自分は丁寧に、礼儀正しく関係を構築していくべきですね。

 

 部下との関係は、出来るだけ良好にしたいですので。

 

 

「では、私はそろそろ……」

「トウリ少佐、ヴェルディです。入って構いませんか」

「ヴェルディ中佐ですか」

 

 お菓子も食べ終わり、ジーヴェ大尉が椅子から立とうとした折。

 

「ジーヴェ大尉が来ておりまして、その」

「存じています、彼に用があります。お恥ずかしいですが、書類を渡し忘れていまして」

「ああ、なるほど。どうぞお入りください」

 

 眼鏡姿のヴェルディさんが、数枚の書類を持って入ってきました。

 

 ジーヴェ大尉は自分へ挨拶する前にヴェルディさんと話していたようですが、その時に書類をうっかり渡しそびれていたようです。

 

「ご迷惑をおかけしましたトウリ少佐、ジーヴェ大尉」

「いえ、もう話も終わってましたので」

 

 頭を掻きながら恥ずかしそうに書類を渡すヴェルディさん。

 

 彼は自分とジーヴェ大尉を交互に見つめた後、

 

「……っ、く……」

「……?」

 

 いきなり噴き出してしまいました。

 

 



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173話

『おいおい偉くなったなぁ、ヴェルディ少佐殿ォ? 俺を差し置いてよ』

『勘弁してくださいジーヴェ従兄上』

『俺はヴェルディ少佐殿の部下でありますからな。敬語なんて要りませんわ少佐ァ』

『たまたまです、部下の娘が言った通りに動いたら……』

『冗談だよ冗談。書類仕事とか面倒だから、こっちとしてもラッキーってもんよ。気にすんな気にすんな』

 

 

 

 

 

 

「って感じの人ですね、ジーヴェ従兄上は」

「そうなのですか」

 

 ヴェルディさんが突然、笑い出した理由を聞くと。

 

 ジーヴェ大尉は普段とても気さくな人で、柄にもなくカチカチに緊張しているからだそうです。

 

「実はジーヴェ従兄上は、女性がとても苦手な人でして」

「女性が苦手、ですか」

「幼少期から男の家族に育てられ、男社会の士官学校を卒業し、風俗も利用せず軍人一筋。女性と関わる機会が殆どなかったせいで、免疫がないそうです」

 

 話を聞くにジーヴェ大尉は昔から真面目で、女遊びを一切してこなかったそうです。

 

 最近は軍に女性兵士が増えましたが、もともと軍といえば男所帯。

 

 そんな環境で育てば、女性に免疫がない人が出てきても不思議ではないでしょう。

 

「それで、その。普段と態度が違い過ぎて、思わず吹き出してしまったというか」

「そんなに様子が違うのですか」

「こんなに緊張している従兄上は初めて見ました。……それが面白くてつい」

 

 ジーヴェ大尉は自ら、女性が不得手であることを自覚していました。

 

 なので通信兵を含め、女性を近づけないで欲しいという要望まで出していたようです。

 

 俺は軍人、女性にかまけている暇はない。

 

 女を作ると、いざという時に死ぬ覚悟が鈍る。

 

 だから俺は兵士であるために独り身を貫くのだと。

 

 そんな事を言い続け、レンヴェルさんに何度もお見合いを勧められたようですが、全て断ってしまったそうです。

 

 

 ……なかなか愉快な人の様ですね。

 

「ジーヴェ従兄上は非常に優秀ですし、トウリちゃんを変な目で見なさそうなので副連隊長に抜擢しました。……多少は慣れて欲しいですし」

「なるほど」

「まさかここまで、借りてきた猫のようになるとは。……そんなに苦手ですか、女性」

 

 ヴェルディさんは少し笑いながら、ジーヴェ大尉に話しかけました。

 

 小声で「覚えとけよヴェルディ」と、呟いたのが聴こえました。

 

「実務経験の乏しいトウリ少佐を支える人として、従兄上はどうしても外せなかったのです。国家の非常時ですし、そろそろ女性士官にも慣れていただかないと」

「だが……しかしだな、ヴェルディ」

「あー、自分は見ての通り小娘ですので。緊張されず、男と思って接してください」

「トウリちゃんは、話しやすい女性ですよ。従兄上も、これを機に治してみてはどうです」

「……別に」

 

 自分が話しかけると、ジーヴェ大尉は目を逸らして黙り込んでしまいました。

 

 これは嫌われているのではなく、緊張されていたんですね。

 

「まあ、おいおい慣れていただければ幸いです。これからもよろしくお願いします、ジーヴェ大尉」

「御意」

「ブフっ……。御意って、従兄上の口から初めて聞きました」

「……」

 

 ツボに入ったのか、ヴェルディ中佐は再び笑いをこらえはじめ。

 

「それでは私はこれで失礼します」

「……あ痛っ」

 

 ジーヴェ大尉は去り際に、ヴェルディさんの頭を小突いて退出しました。

 

 どうやら、お二人は結構仲良しのようです。

 

 

 

 

 

 

 こうして自分は前線を離れ、司令部で勤務することになりました。

 

 司令部はエンゲイ市内にあり、一応は安全な後方ということになりますが……

 

 エンゲイと前線の塹壕までの距離は、10キロメートルほどしかありません。

 

 塹壕が破られれば、自分達も一網打尽に殺されるでしょう。

 

 命がけなのは、今まで通り変わりません。

 

「定刻だ。ブリーフィングを始める」

「「おはようございます、レンヴェル大佐」」

 

 エンゲイ司令部の仕事はまず、早朝のブリーフィングから始まります。

 

 ここでそれぞれの指揮官が、情報の共有を行います。

 

「まずは連絡事項。本日よりトウリ・ロウ少佐が司令付少佐になった。彼女は優秀だが若い、手を貸してやってくれ」

「トウリ・ロウです。よろしくお願いします」

 

 司令部の会議室ではレンヴェル大佐を中心に、二十名ほどの将校が円形に座っていました。

 

 お年を召した方もいれば、若い将校も見受けられました。

 

 彼らが現在、オースティン軍を支える屋台骨なのです。

 

「偵察部から、敵砲兵部隊の移動が確認されたと報告がありました。おそらく近日中に、北D地区周辺で敵の攻勢が予想されます」

「物資輸送部からの報告です。ドクポリ周辺に100人規模の賊が報告されています。軍部に鎮圧の要望がきています」

「クリールィ参謀長代理です。東A17地区で発生した銃器窃盗事件について続報です、犯人と思わしき人物がレリーディ村で確保されました。逃走したメイビス二等兵と風貌が一致しており……」

 

 会議はレンヴェル大佐の進行で、次々と将校が報告していく形でした。

 

 新米少佐である自分は、話について行くだけで精一杯でした。

 

「今月は、B地区の兵士消耗がやや多いな。ヴェルディ、被害が増えた原因をどう思う」

「はい、レンヴェル大佐。3週間前からB地区に、エース級に相当する敵が出現しているのが原因と推測します」

「報告にあったやつか。そのエース級の、詳細な情報を報告せよ」

「はい。所属はおそらくフラメール軍、大柄で筋肉質な男性で、金属製の大盾を持って突撃してくる兵士です。【盾】の魔法も使うようで、銃や手榴弾では倒せないと報告されています。前線では【大盾】と呼称し、よく警戒しています」

「対策は考えているか?」

「無人の塹壕に釣りだして、包囲・砲撃する予定です」

「なるほど、その件はヴェルディに任せる」

 

 ヴェルディさんはレンヴェル大佐のすぐそばに座り、話を振られるとスラスラ返答していました。

 

 ……改めてヴェルディさんは、優秀な人なんだと思いました。

 

「では以上で、ブリーフィングを終わる。各自、職務に移れ」

「「了解です」」

 

 ブリーフィングは1時間ほど続き、重要な情報を頭に叩き込んだあと。

 

 各将校は、それぞれ自分の私室に戻って仕事を始めます。

 

 自分も同じように私室に戻り、渡されていた書類を仕上げていきます。

 

「トウリ様、報告書の収支に問題はございませんでした。ご確認をお願いします」

「はい」

 

 まずは秘書さんがジーヴェ大隊とケネル大隊からの報告書を読み、弾薬残量などの計算に誤りがないかチェックしてくれます。

 

 それらの戦闘記録や部隊損耗率、トラブルや備品情報などを見て承認していきます。

 

「ケネル大隊の小隊5個から、合計11名の補充申請が来ています」

「壊滅しているロベルト小隊を分解して、兵士を回してください」

「小隊数が減りますが宜しいですか? 後方で訓練中のドロール遊撃中隊から、前線勤務が可能な兵士のリストが来ていますが」

「……その中隊が結成されたのは6月でしょう? たった3か月の訓練で、新米兵士は使い物になりませんよ」

 

 この書類業務がなかなか大変で、秘書官さんの手を借りながら頑張っています。

 

 ほんの数キロメートル先で起きている事が書面で報告され、暖かな個室内で問題が処理されていく。

 

 そこには、何とも表現しにくい気持ち悪さがありました。

 

「朝のブリーフィングの議題にありました、ヴェルディ中佐の敵エース包囲作戦についてですが。作戦提案書に、修正を要する箇所がございまして」

「はい」

 

 今は戦争中です。

 

 前線では塹壕の中で、血と泥と汗にまみれた兵士が恐怖で震えています。

 

 自分はそれを見てきましたし、良く知っています。

 

「────戦闘報告です。現在。B20地区でフラメール軍が大隊規模の攻勢を仕掛けてきたそうです」

「戦況はどうでしょう」

「ジーヴェ大尉からの第一報では、『手持ちの戦力で対応可能、援軍は不要』との事です」

「了解しました、お任せします」

 

 この日は正午ぴったりに、フラメ-ル軍の攻勢がありました。

 

 オースティン軍の籠る塹壕に、命知らずのフラメール人が乗り込んできました。

 

「ジーヴェ大尉から、続報はありませんか」

「定時連絡のみです。現在の状況を報告させますか」

「いえ。……きっと、お忙しいのでしょう」

 

 前線で兵士が命がけで撃ち合っている間、自分には何も出来ません。

 

 ただ、目の前の書類業務と向き合い続けるだけです。

 

「トウリ様。ジーヴェ大尉から『戦闘終了、敵の撃退に成功』と報告がありました」

「了解しました。ありがとうございます」

 

 この日の戦闘は、5時間ほどでした。

 

 フラメール軍は結局、我らの塹壕を一つも奪取することなく撤退したそうです。

 

 オースティン軍の、完全勝利です。

 

「ジーヴェ大尉から戦闘詳報が送られてきました。ご確認をお願いします」

「はい」

 

 その日の晩、仕事が片付き食事をとっている時に、『戦闘詳報』が送られてきました。

 

 これは戦闘でどのような事が起こったか記した、戦闘の報告書です。

 

『報告者:ジーヴェ大尉。敵の推定被害:400名程度。味方の死者は48名、負傷者188名、行方不明51名。消費弾薬数は概算で1600発────』

 

 

 

 この日。自分の指揮するトウリ連隊の兵士48名が、命を落としました。

 

 部屋の片隅にまとめられていた軍籍票の束から、該当の兵士のものを探し出しました。

 

 そして48名の兵士の遺族に送る死亡通知書を、作成せねばなりません。

 

『~は非常に勇敢に戦い、~年の~日、フラメール軍の攻め立てる塹壕を死守し、激戦の末に命を落とす結果になりました。彼のような勇士を失い、我々としても非常に痛ましく残念であり~』

 

 死亡通知書に関しては、殆ど秘書官が作ってくださいました。

 

 文面のテンプレがあるようで、機械的に淡々と書類を作ってくださいました。

 

 自分は彼らの上官として、その通知書にサインをするだけ。

 

「……若い、ですね」

「ええ、死ぬのはだいたい若い兵士です」

 

 15歳、男性。徴兵されたのは、たった3週間前。

 

 緊張した面持ちで敬礼している男の子の写真が、死んだ兵士の軍籍票に貼られていました。

 

「トウリ少佐殿は、補充人員の割り当てを指示してください」

「……」

「先ほど躊躇われましたが、ドロール中隊は3か月も訓練しているのです。十分、実用には耐えうりますよ」

 

 秘書官さんは、自分に中隊の兵士リストを手渡しました。

 

 ……そのほとんどが10代で、自分より年下です。

 

「ジーヴェ大隊は、健康で元気な兵士を50名も失ったのです。行方不明者や負傷者を合わせると、400名に上ります」

「はい」

「補充しないと不利な戦域が増え、被害は増大する一方です。少なくとも戦死・行方不明を合わせ100名の補充は必須です」

「……はい」

「ドロール遊撃中隊を再編成し、人員を補充しましょう。トウリ少佐、ご決断を」

「分かりました」

 

 ドロール遊撃中隊は、ちょっと前の『トウリ遊撃中隊』と同じ立場です。

 

 輸送任務などをこなしながら訓練を積み、前線兵士を育成するための部隊。

 

「第1、第2小隊と第4小隊は、前線に出てもらいましょう。第3小隊、第5小隊はまだ練度が不十分で────」

「……」

 

 自分はそんな、徴兵されて間もない若者たちのリストを眺め。

 

 ドロール少尉の付けた『兵士としての点数』を参考に、前線送りのリストを作成しました。

 

「ドロール中隊から、新兵を100名ほど補充するよう手配します。この書類にサインをお願いします」

「はい」

「ドロール中隊は一時凍結し、すぐ新兵を配属させます。もし人手が足りなければ、次はブラウディ中隊を分解しましょう」

「分かりました」

 

 

 

 

 

 

 少佐に就任して、たった1日で48名の部下が死にました。

 

 アルガリアの戦で、初日に犠牲になった兵士が40名。

 

 あの戦いの犠牲者より多い死人が、今日の戦闘で出たのです。

 

「……明日のブリーフィングまでに、戦闘報告を纏めないと」

 

 実感がわきません。

 

 今日、たくさんの若者が犠牲になった筈なのに、ピンとこないのです。

 

 書類上で48名が死んだと言われても、現実味がないのです。

 

 彼らの死亡通知書は殆ど秘書さんが作ってくれましたので、自分はサインしただけです。

 

 

 きっと今日の前線は、過酷だったでしょう。

 

 小隊は一度の交戦で、だいたい2~3名が死亡するそうです。

 

 今日の死者が48人なので、20~30個の小隊が戦闘に関わったと推測されます。

 

 

 そんな中、自分は安全な司令部の中で書類とにらめっこしていただけ。

 

「……」

 

 自分の担当戦域で戦闘があった場合、ブリーフィングで報告しなければなりません。

 

 ジーヴェ大尉の報告を見ると、死因の内訳は砲撃魔法が29名、銃撃が9名、手榴弾などの火薬兵器が8名、敵前逃亡による処刑が2名でした。

 

「銃の被害は、思ったより少ないですね」

 

 機関銃がオースティン軍に投入されてから、銃撃戦は有利に戦えているようです。

 

 それで銃撃死はやや減っており、現在は砲撃魔法か手榴弾が主な死因になっているようです。

 

 

 一番被害が大きいのは砲撃魔法ですが、現状は「防ぎようがない」そうです。

 

 威力が強すぎて【盾】魔法では防ぎきれず、落下地点の予測も困難なので避けることも出来ません。

 

 なので、外れてくれることを祈るしかないのです。

 

 一方で手榴弾には対策があり、風銃の配備、対手榴弾教育の徹底などが挙げられます。

 

 爆発前に伏せて頭を守ることが出来れば、死亡率はぐっと減るのです。

 

 自分の仕事は、1人でも兵士の被害が減る方法を考える事。

 

 その為に、出来る事は何でもやっていきましょう。

 

「……もう、寝ますか」

 

 一通り被害状況を確認し、自分なりに解決策を考えた後。

 

 清潔なシートでくるまれた温かいベッドの上に横になり、そのまま寝息を立てました。

 

 

 

 

 

 

 ────戦場の、匂いがする。

 

 冷たく湿った土が、軍服にこびりついて染み。

 

 多くの戦友が寝そべる塹壕の奥で、周囲の喧噪が強まってきて、自分はぼんやり目を覚ましました。

 

「おはよう、トウリちゃん」

「……おはようございます、グレー先輩」

 

 地面に誰かの体液が溢れていないと確認し、手をついて頭を上げ。

 

 欠伸をしながら起き上がり、カバンに入れていたタオルで顔を拭いました。

 

「今は、何時でしょうか……」

「4時50分だ。もうすぐ、ブリーフィングが始まるよ」

「何と。ありがとうございます」

 

 グレー先輩に教えて頂いた時刻は、ブリーフィングの10分前でした。

 

 自分は慌てて、物品の点検に入ります。

 

 もしブリーフィングに間に合わなければ、顔が腫れ上がるまでブン殴られるでしょう。

 

「おはようございます、ロドリー君」

「ああ、おチビか。今日は寝坊助だったな、お前」

 

 衛生兵の装備に、銃がなくて助かりました。

 

 銃の点検をしていたら、10分ではまず間に合いません。

 

「点検終わりです!」

「もう集まってるぞ、こっちこいトウリ」

 

 ギリギリで、準備を済ませた後。

 

 自分は大きなリュックサックを背負い、小隊長のテントの前に集合しました。

 

「……よし、定刻だ。点呼を始め!」

「「はい!!」」

 

 テントの前には、小隊メンバーが既に揃っていて。

 

 仏頂面のガーバック小隊長が、中央にどすんと地面に腰を下ろしています。

 

「アレン分隊、以下5名、準備整いました」

「マリュー分隊、以下4名、準備整いました」

「トウリ1等衛生兵、準備整いました────」

 

 整列して、ぞれぞれ点呼を終えると。

 

 ガーバック小隊長は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべました。

 

「今日は出撃だ。お前ら、装備の点検は終えてるだろうな」

「「はい、小隊長殿」」

「予定地にはここより11キロメートルに進んだ地点だ。移動開始!」

 

 運が悪いことに、今日は突撃作戦の日でした。

 

 命令が下された以上、兵士達は命を賭けて塹壕の間を駆け抜けねばなりません。

 

「さぁ、いっちょやってやるか」

 

 自分はロドリー君と、狭い塹壕の中をトコトコ歩きました。

 

 移動のための塹壕は広くないので、基本的に一列になって進みます。

 

「……ん? 砲撃音」

「近いな。攻勢の場所は、もう少し先のはずだが」

 

 ガーバック小隊長の先導で、10分ほど歩いたころ。

 

 ズガァン、という不快な炸裂音があちこちから聞こえてきました。

 

「確かに妙だな。突撃の予定区域を確認する、行軍停止」

「すぐそこで、砲撃音が聞こえてますね」

 

 攻勢の予定があれば、準備砲撃が行われます。

 

 なのでてっきり、これは味方の砲撃魔法音だと思っていましたが……。

 

「ガーバック小隊長殿、敵も攻勢をしかけてきたようです。ここから南3㎞地点で、サバト陣地からの砲撃魔法を確認しました」

「そうみてぇだな。少佐の指示を伺う、しばし待機せよ」

 

 どうやらこの砲撃音は、敵の砲撃だったようです。

 

 ガーバック小隊長はレンヴェル少佐に指示を伺い、

 

「突撃作戦は中止だそうだ。防衛部隊の援護に向かう。お前等、戻るぞ」

「うーす」

「ったく、水を差しやがって」

 

 ガーバック小隊長は苦々しい顔で、サバト軍の陣地を睨みつけました。

 

 攻勢がしたかったんでしょうね。

 

「この辺りも、砲撃範囲に入ってそうだ。警戒を怠るな」

「了解……。っと、至近弾きます! 伏せて!」

 

 すると突然アレンさんが、大声で伏せるよう叫びました。

 

「ぎゃああぁ!」

 

 慌ててその場に倒れ込むと、直後に前の塹壕で赤い血飛沫が上がりました。

 

 激しい炸裂音と共に、人間の血肉が吹き飛んでいます。

 

 ……恐らく、砲撃魔法が人に直撃したのでしょう。

 

「至近弾! しきんだーん!!」

「分隊長ォォォ! くそ、次の指揮官は誰だ!」

「助けてくれぇええ!」

 

 すぐ近くから爆発音とともに、悲鳴のような野太い声が上がりました。

 

 同時に激しい雷鳴音と、銃声が木霊します。

 

「ガーバック小隊長! 前の塹壕から、銃撃音まで聞こえます!」

「サバトの連中、詰めてきてやがる! 砲撃だけじゃないぞ、警戒しろ!」

 

 塹壕から顔を出してみたら、足を失った兵士が助けを求めて自分に手を伸ばしていました。

 

 その奥の塹壕から、サバト軍兵士が這い上がってくるのも見えました。

 

「もう敵が、目の前に詰めてきてます!」

「早すぎるだろ、どうなってんだよ!」

「……大丈夫、トウリちゃ────」

 

 衛生兵(じぶん)に向かって手を伸ばす負傷兵に、後ろ髪をひかれながら塹壕に戻った瞬間。

 

「顔を上げ過ぎだ、グレーっ!!」

「ちュっ」

 

 目の前で心配そうに自分を覗き込んでいたグレー先輩の、顔が吹き飛びました。

 

 真っ赤な肉の飛沫が散乱し、噴出した動脈血が自分の頬に降り注ぎます。

 

「オイ! 前の塹壕の連中は何してる、もう突破されたのか!?」

「金色槍をもったサバト兵が、ものすごい勢いで突っ込んできてます!」

 

 目の前でザクロのようになったグレー先輩に、硬直して腰を抜かしていたら。

 

 ガーバック小隊長が猛々しく吠え、塹壕外に飛び上がりました。

 

「ソイツは『雷槍鬼』だ、アレン! 俺が出る、お前らは援護しろ!」

「了解!」

 

 グレー先輩を撃ち殺した部隊のエースは、金色長槍の偉丈夫でした。

 

 彼はガーバック小隊長に向かって雷を放ち、咆哮を上げています。

 

 ────エース級サバト指揮官、雷槍鬼(カミキリ)

 

「雷鳴が眩しすぎて、前が見えないっ……」

「サバト兵ども、光に紛れて突っ込んできてるぞ! 気を付けろ!」

 

 ガーバック小隊長の軍刀が、雷槍鬼の槍を弾き。

 

 凄まじい熱と光量の中で、二人のエースが激突しました。

 

 そのあまりの激しさに、思わず見とれてしまいました。

 

「……おい、手榴弾だ! おチビ避けろ!」

「えっ」

 

 光で視界が悪くなり、更にエース同士の撃ち合いに気を取られたせいで。

 

 愚かにも自分は、すぐ近くに手榴弾が投げ込まれたことに気付きませんでした。

 

「ったく、仕方ねぇチクショウ……っ!」

「ろ、ロドリー君!?」

 

 直後、自分はロドリーくんに抱きしめられて、

 

「ヴぁあああああ」

 

 爆風から庇うよう、ロドリー君は自分に覆いかぶさって。

 

 直後、爆炎とともに目の前で火だるまになりました。

 

 

 

 

 

 

 

「……なんて、夢ですか」

 

 次の日の朝。

 

 ガーバック小隊のブリーフィング時刻である、午前5時前に目が覚めました。

 

「……」

 

 ガンガンと頭が痛む中、起き上がって机を見ると。

 

 そこには、戦果報告書が昨日のまま置かれていました。

 

 

 ────報告者:ジーヴェ大尉。敵の推定被害:400名程度。味方の死者は48名、負傷者188名、行方不明51名。消費弾薬数は概算で1600発。

 

 ────死因の内訳は砲撃魔法が29名、銃撃が9名、手榴弾などの火薬兵器が8名、敵前逃亡による処刑が2名。

 



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174話

「入室の許可を求める。任務の報告に来た、トウリ」

「お久しぶりです。入ってください、ガヴェル少尉」

 

 少佐の仕事は、前線勤務に比べると楽でした。

 

 命の危険はなく、肉体労働もさせられません。

 

 孤児院にいた頃よりも、裕福な暮らしと言えました。

 

「中隊長になった気分はどうですか」

「やりがいはある。……だがなぁ、プクプクしたのが言うことを聞かなくて」

「アルギィは相変わらずですか」

 

 ベッド付きの個室暮らしで、洗濯や掃除などもしてもらえて、温かい食事が出てきます。

 

 申請すれば嗜好品も購入できますし、水浴びもできます。

 

 砲撃音に叩き起こされたり、戦友のいびきに悩まされる事もありません。

 

「……お前、痩せたか?」

「少し、痩せたかもしれません」

 

 そんな快適な環境にいるというのに。

 

 自分は何故か、日に日に弱っていきました。

 

「何というか……不健康な痩せ方に見えるぞ」

「運動する時間が減ったから、ですかね?」

 

 ガヴェル少尉には誤魔化しましたが、理由は分かっています。

 

 ……毎晩のように悪夢を見て、眠れていないからでしょう。

 

「自分は大丈夫です。では、仕事の話に入りましょうガヴェル少尉」

「あ、ああ」

 

 戦闘詳報が送られてくる度、塹壕でどんな兵士が、どのように死んだかを突きつけられます。

 

 死亡通知書を書くたびに、死んだ兵士の顔写真を見て胸が痛みます。

 

 ……そして夜になると、塹壕で死ぬ兵士の夢を見るのです。

 

「では最初に、兵士の補充についてですけど。ガヴェル中隊には、35名の新兵が配属されることになりました」

「分かった、感謝する。時期はいつ頃になる?」

「ガヴェル中隊には4日後に、首都ウィンまでの物資輸送任務に就いていただきます。その後、ウィンの士官学校で訓練兵と合流してください」

「了解した」

 

 ガヴェル遊撃中隊には、危険な任務を与えていません。

 

 士気を保つため、壊滅させないよう指示されていたからです。

 

 しかし指示されたのは『部隊を存続させる事』だけでした。

 

 ……「ガヴェル中隊」さえ無事なら、構成兵士がまるごと入れ替わったとしても、問題はないそうです。

 

「新兵がどれだけ生き残るかは、練度で決まります。よく訓練してあげてください」

「分かった。任せておけ」

 

 ガヴェル少尉はそう言うと、自分に向け敬礼して。

 

「お前も、ちゃんと休めよ」

「……お気遣い、ありがとうございました」

 

 最後にそう言って、部屋から立ち去りました。

 

 

 

 自分は十分に休んでいます。

 

 休憩時間も取れていますし、夜もベッドで眠っています。

 

 だというのに、衛生部で徹夜で働いていた時よりも、体が重いのは何故でしょうか。

 

「ケネル大尉から報告です、敵の攻勢のようです」

「……戦況は、どうですか」

「敵の勢いは強く、やや不利だそうです。応援を求む、と」

「分かりました。ジーヴェ大尉に連絡し、遊撃部隊を援護に当たらせてください」

 

 数日おきに、機関銃に突撃してくるフラメール兵士。

 

 彼らを追い返す音頭をとるのが、自分の仕事です。

 

「敵の攻勢範囲が広いですね」

「ガヴェル遊撃中隊と、ドロール遊撃中隊がエンゲイに滞在中です。彼等にも出撃して貰いますか」

「……ええ。では、そのように」

 

 自分は現場の将校から、報告を受けて。

 

 どの部隊をどこに配置するか、その判断をするだけ。

 

 

 ……本音を言えば知り合いがたくさん居るガヴェル中隊を、前線に出したくありません。

 

 しかし、中隊を一つ遊ばせておく余裕などあるはずがなく。

 

 戦友を危険な場所に派遣してでも、陣地を守らねばならないのです。

 

「……戦闘報告の、続報はまだですか」

「現在も交戦中の様です」

 

 自分は司令部の私室で、ひりつくような焦燥を感じながら、報告を待ちました。

 

 ガヴェル少尉が、あの中隊のみんなが、塹壕に籠って敵と交戦している。

 

 だというのに、自分は何をしてるのでしょうか。

 

「トウリ少佐。ヴェルディ中佐から、追加の書類です。作戦指示書に、記名ミスがあるそうです」

「分かりました、確認します」

 

 しかし戦闘中であっても、書類仕事はこなさねばなりません。

 

 戦争を滞らせないために、処理していく必要があるのです。

 

 今は秘書さんの力を借りていますが、いずれは自分一人でも処理できるようにならないと。

 

「……ケネル大尉から戦闘報告です。塹壕を1層放棄するも、敵の撃退に成功したとのことです」

「分かりました、ありがとうございます」

 

 結局、その戦闘が終わったのは翌日になってからでした。

 

 かなり力の入った攻勢だったようで、我々は塹壕を一つ放棄する結果となりました。

 

「敵の被害は1000以上と推定されます。味方の死者は112名、負傷者887名、行方不明141名で────」

 

 

 この攻勢は、なかなか激しかったようで。

 

 貴重なオースティン兵が100名以上も戦死し、野戦病院は凄まじい数の負傷者で溢れかえりました。

 

「ガヴェル遊撃中隊の犠牲者は、2人……」

 

 戦死者のリストに、顔見知りの兵士が居ました。

 

 ガヴェル曹長と川遊びをしていた、背の低い男。

 

 アルガリアでは一番多くの魚を獲っていた、元漁師の人。

 

 どちらも、言葉を交わした事がある人物です。

 

「こちらは死因別のリストです。消費弾薬の補充申請書も来ています」

「……確認します」

 

 2人が死んだ原因は自分です。

 

 自分が、ガヴェル遊撃中隊を防衛に当たらせる判断をしたから。

 

 ですが防衛戦略上、動員しない理由がありませんでした。

 

 『遊撃中隊』とは本来、こういう場合に動く部隊だからです。

 

「衛生部から派遣看護兵を、病院に招集する許可を求めています」

「許可します」

 

 そして衛生部からは、アルギィのような派遣看護兵を招集させろと依頼が来ていました。

 

 900人近い負傷者が出たので、人手が足りなくなったのでしょう。

 

「……すみません、秘書さん。少し病院を見てきます」

「分かりました」

 

 自分は、魔力が満タンの衛生兵です。

 

 病院に行けば、出来る事があるかもしれません。

 

 今日の仕事は、そんなに多く残っていません。

 

 そう考えて、自分は病院へと飛び出していきました。

 

 

 

 

 

「……司令部付き、トウリ少佐です」

「少佐殿!? 衛生部に何か御用でしょうか」

「レィターリュ衛生部長のいる場所を教えてください」

 

 それは、きっと自己満足でした。

 

「レイリィさん、お久しぶりです。手伝いに来ました」

「トウリちゃん!? じゃなかった、少佐殿……」

「敬語などは結構です、それより指示をお願いします」

「……分かったわ。とりあえず、初診(しょしん)に回ってくれる?」

 

 自分はレイリィさんを訪ねた後。

 

 彼女の指示に従い、比較的軽傷な兵士の治療に回りました。

 

「トウリ少佐も仕事があるでしょう。適当なところで切り上げてね」

「ご配慮、ありがとうございます」

 

 数か月ぶりに再会したレイリィさんは、相変わらず忙しそうで。

 

 再会の挨拶を交わす暇もなく、別れて仕事に没頭しました。

 

「衛生兵さん、俺、大丈夫かな」

「大丈夫、助かりますよ。安心してください」

「うぅ……、動悸が止まんねえ、どうなっちまうんだ俺」

「む。看護兵さん、彼に点滴の準備を。顔色が悪そうです」

 

 ……衛生兵としての仕事は、心が落ち着きました。

 

 大怪我で苦しんでいる人に何かをしてあげられるというのが、とても嬉しかったのです。

 

「【癒】。はい、貴方はもう大丈夫です。念のため、今日は安静にしていてください」

「ありがとう、衛生兵さん」

 

 休む暇がない、医療現場で。

 

 次から次へと、負傷者の処置をこなしながら。

 

「秘薬はありますか」

「あまり在庫は有りませんが」

「……では、節約しないとですね」

 

 秘薬をキメて回復魔法を行使し、助かる命を助けていく。

 

 そのことの、何と素晴らしい事でしょう。

 

「は、はは、は……」

「ど、どうした? 何を笑ってるんだ、この衛生兵ちゃん」

「いえ、これです。自分は、これがしたかったんですよ」

 

 自分は、司令部の仕事をほったらかしにして。

 

 夜が明けるまで、ずっと野戦病院で治療を続けていました。

 

「あの、君、少佐の階級章付けてるんだけど」

「お気になさらず。そういう事もあります」

「そう、なのか?」

 

 生きているという実感が、野戦病院にはありました。

 

 徹夜での病院勤務は、眠たくて、辛くて、しんどくて。

 

 だけど誰かの助けになっているという感触を、確かに感じたのです。

 

「トウリ少佐」

「秘書官さん」

 

 しかし、これは自分の仕事ではありませんでした。

 

 帰ってこない自分を心配し、明け方に秘書官さんが衛生部にやって来てました。

 

「ブリーフィングまでに、作成すべき資料が残っています。そろそろ、戻られては」

「……はい」

 

 秘書官さんは、蔑むような目で自分を見て。

 

 兵士の血と汗で汚れた自分を、司令部へと連れて帰りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 いったい何が辛いのか、わかりません。

 

 ですが自分の中の何かが、限界に達しつつありました。

 

「トウリ少佐、戦闘報告書です」

「ありがとうございます。確認します」

 

 個室を貰って、ベッドと温かい食事が提供され。

 

 山のような書類仕事も、秘書官さんに教えて貰いながらこなし。

 

 自分は現状に、何の不満も無いはずなのです。

 

「今回の戦闘でも、それなりに被害が出たようです」

「……前線に、補充できる人員はありますか」

「そうですね、今人員に余裕があるのはガヴェル中隊でしょうか」

 

 今までの自分は、命を選別される側でした。

 

 上官の命令に従い、危険な戦地に赴いて、命を懸けて仕事をする。

 

 そうあるべきだと、教え込まれました。

 

「アルガリアの生き残りとなれば、引く手数多でしょう。トウリ少佐から見て優秀な者を、前線に送りましょう」

「はい……」

 

 ですが、今の自分の仕事は違います。

 

 自分は、命を選別する側の人間になりました。

 

「この、キャレルは二等兵にしては優秀でした」

「では、この人も前線送りでいいですね。他には────」

 

 動悸が、少しづつ激しくなっていきます。

 

 自分に告白してきた兵士、一緒に川で遊んだ兵士など、ガヴェル中隊には顔見知りが沢山います。

 

「……この人、は」

 

 ふと、リストを流し見て。

 

 かつて自分に「逃亡癖」を自慢した、トラブルメイカーな兵士を見つけました。

 

「……」

 

 どうせ前線に送るのであれば、彼のような人からで良いのでは?

 

 アルガリアでも決戦前に「俺は逃げる、お前らも逃げよう」と騒ぎ、士気を下げたのは記憶に新しいです。

 

 命を選別することが出来るなら、どうせならこう言う人から────

 

 

「っ!」

「トウリ少佐?」

 

 

 ダン、と。自分は思い切り、拳を机に叩きつけました。

 

 唇を強く噛み過ぎて、血の味が口に広まりました。

 

「どうか、されましたか」

「いえ、何でもありません。……失礼しました」

 

 我に返った、瞬間。

 

 自己嫌悪の余り、自分の顔を思い切り殴りつけたくなりました。

 

 

 ────今、自分は私情で命を選別しようとしました。

 

 軍人として考えるなら、逃亡癖のある兵士を前線に出すなどもってのほか。

 

 間違いなく、彼は『前線勤務するに足る兵士』ではありません。

 

 彼の態度を矯正しないまま前線に出せば、きっと悪い影響を及ぼします。

 

 むしろ前線に出ない限り、逃亡癖で迷惑をかけることがないでしょう。

 

 

 だというのに、自分は一瞬、この人を前線リストに入れようとしました。

 

 ……そこにあったのは、兵士としての合理性ではありません。

 

 コイツだったら死んでも良いやという、この上なく劣悪な感情。

 

「トウリ少佐が指揮した中隊ですからね。そこまで気に病まれるなら、他の隊から補充を依頼しましょうか」

「……あ、それは、その」

 

 秘書官は困った様な笑顔を浮かべ、自分にそう提案しました。

 

 他の部隊から補充する、それが許されるならどれだけ良いでしょうか。

 

 自分と生死を共にし、アルガリアで戦い抜いた戦友を守れるのですから。

 

「トウリ少佐には、その人事決定権がありますよ」

「……」

 

 自分の知人達を、戦火から守れる。

 

 それも、自分に許された権限の範囲で。

 

 そうです、ガヴェル中隊の皆は英雄として祭り上げられた存在。

 

 その命を優先する判断をして、何が悪いのでしょうか。

 

「────いえ」

 

 しばらく、逡巡した後。

 

「予定通り、ガヴェル中隊から補充しましょう」

「良いのですか」

「はい。補充兵はキャレル二等兵、ルッドマン二等兵、クーデル伍長……」

 

 結局自分はガヴェル中隊の面々を、前線送りにする決定を下しました。

 

 感情で、兵士の配置を決めるべきではありません。

 

 塹壕戦に適切な人材を選び、配置するべきです。

 

「……了解しました。では、そのように手配いたします」

「お願いします」

 

 そうです、これがあるべき姿です。

 

 自分は兵士の人事において、個人的感情を排除すべきなのです。

 

 その結果、誰が死んでどうなろうと、それは天命。

 

 

 ────それでいいと思うぜ。

 

 そう、心のうちで決心した瞬間。

 

 ────そうすれば、お前は傷つかずに済むからな。

 

 自分が追い詰められた時に聞こえる、心の中の声が。

 

 よくできましたと、皮肉げに嗤いました。

 

 

 

 

「ルッドマン二等兵、参上しました」

「キャレル二等兵、参上しました」

「クーデル伍長、参上しました────」

 

 自分はガヴェル中隊から12名の兵士を選び、前線行きの辞令を渡しました。

 

「俺を選んでくれてありがとうございます、トウリ少佐」

「……キャレル二等兵」

「トウリ少佐のご期待に応え、活躍して見せますよ」

 

 新兵は意気揚々と、命令書を受け取りました。

 

 前線は怖いだろうに、本当は嫌だろうに、それを感じさせない態度で。

 

「御武運を、お祈りしています」

「アルガリアの戦に比べたら、屁でもないですよ」

 

 自分は、塹壕戦がどんなものか知っています。

 

 前線に配置された新兵は、大半が半年以内に死亡することも理解しています。

 

 ここに呼び出した兵士の殆どは、半年後には居なくなっているでしょう。

 

「勲章が一つだけじゃ、ちと物足りなかったんです。また、大手柄を立ててきます」

「トウリ少佐、どうかお元気で」

 

 彼らは、それを知っているはずなのに。

 

 どうしてそんなに、眩しい笑顔で笑えるのでしょうか。

 

「貴方達の勇気に、感謝を……」

 

 自分は前線に赴かず、後方で指揮をする立場なのに。

 

 この場で手が震えているのは、自分だけでした。

 

 



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175話

「……秘書官さん。今日の予定は、どうなっていますか」

「はい、トウリ少佐。本日は前線視察の予定です」

 

 少佐として司令部で仕事を始めて、はや一週間が経ちました。

 

 仕事の大半を秘書官さんに投げているのに、自分の疲労はピークに達していました。

 

「視察、ですか」

「前線の状況を、チェックします。ケネル大尉の担当している東B5からB13地区から向かいましょう」

「……はい、了解です」

 

 前線から送られてくる、戦闘詳報。

 

 戦場に送られた直後の若者が命を散らし、その家族に戦死通知書を作成する。

 

 その心労に、心が抉られる気分になるのです。

 

「……」

 

 戦場で新兵が死ぬなんて、当たり前の事です。

 

 西部戦線の時に、何度も見てきました。

 

 だからショックを受ける理由なんて、どこにも無いはずなのに。

 

「……トウリ少佐? もしかして、体調がすぐれないのですか?」

「いえ、そんなことは」

「顔が青いですよ? 風邪を引いたのかもしれません、視察は延期しますか?」

「いえ。……これでも衛生兵です、自分の体調くらいわかります」

 

 自分の身体は鉛のように重く、寝覚めも最悪でした。

 

 ……部下を危険な死地に追いやって、自分だけ安全な部屋にいる。

 

 その後ろめたさが、心に重くのしかかっていました。

 

「少し、気疲れしているだけです。視察は問題ありません」

「……はあ。では、案内いたします」

 

 今までは自分も危険な場所にいたことで、逆に救われていたのです。

 

 安全圏から若者を死地に赴かせる立場は、まだ自分には重すぎました。

 

「今から向かいますと、ケネル大尉に連絡しておいてください」

「分かりました」

 

 自分は重い体に鞭打って立ち上がり、前線の方角へ歩きました。

 

 エンゲイ市内の司令部から、最前線までは歩いて1時間。走れば40分ほどの距離です。

 

「向こうから返信が返ってきました、視察の準備は整っているそうです」

「了解しました、では向かいましょう」

 

 護衛の兵士を数名つけていただいて、秘書官さんに案内してもらい。

 

 自分はケネル大尉の待つ、暗く狭い塹壕へと向かいました。

 

 

 

 

 

 自分達が視察する塹壕は、最前線ではありません。

 

 区画指揮官であるケネル大尉のいる、防衛ラインの最後尾だけです。

 

「おう、よう来てくださいましたなぁトウリ少佐」

 

 塹壕に着くとケネル大尉は、にこやかな笑顔で迎えてくれました。

 

 今日は戦闘が起こっていないので、兵士たちは半裸で塹壕を掘り続けていました。

 

「ほらみんな集まり、有名な『幸運運び』さんやで」

「ど、どうも。トウリ・ロウです」

「はい、一同敬礼!」

「「はい!」」

 

 ケネル大尉の声掛けで兵士は集合し、スコップを片手に敬礼をしました。

 

 作業中に呼び出されたせいか、表情は硬く無言のままでした。

 

「お集まり頂き、ありがとうございます。どうぞお気になさらず、作業にお戻りください」

「「はい、少佐殿!」」

 

 なので敬礼を返したあと、気にせず作業に戻るようにお願いしました。

 

 なるべく、お仕事の邪魔はしたくないです。

 

「今日は視察日でしたな。どうです、見ての通り塹壕は掘り進めとりますよ」

「ありがとうございます、ケネル大尉」

「ここからは私が案内しましょ。少佐は、兵士に声をかけてやってくだせぇ」

 

 ケネル大尉はそう言って案内を代わり、自分を各所に連れて行ってくれました。

 

 書類通りの部隊配置がされているか、装備はきちんと点検されているか、連絡系統に不備がないかなど、入念にチェックを行っていきます。

 

 彼の担当区域はだいたい視察しましたが、どこも問題はなさそうでした。

 

「当大隊に、何かございますかね」

「いえ、大丈夫のようです」

 

 視察に行った先の兵士たちは、みんな緊張していました。

 

 自分のような若造でも、上官に仕事をチェックされるのは緊張するのでしょう。

 

「正直に言ってください、トウリ少佐。本当に、含むところは何もないので?」

「ええ、よく勤務していただいていると思います」

 

 丁寧に視察したつもりですが、問題点は見つかりませんでした。

 

 予定した通りに塹壕を掘り進めていますし、物資の在庫も一致しています。

 

 抜き打ちで兵士の装備もチェックしましたが、みんな点検が行き届いていました。

 

 問題はない、と査定していいでしょう。

 

「……あのですね、トウリ少佐」

「はい、何でしょう」

「問題が無いなら、もうちょっと笑顔を見せてくれませんと。ウチの部下共、何を説教されるのかと不安がってましたよ」

 

 視察を終えて、ケネル大尉に別れを告げようとすると。

 

 彼はちょっと困った顔で、自分に苦言を呈しました。

 

「そないな暗い顔で視察されたら、士気に関わりますやん。ちょっとは、愛想をくださいな」

「暗い顔、ですか」

「少佐が滅茶苦茶に不機嫌そうだったもんで、私も緊張してしまいましたわ」

 

 ケネル大尉は額に汗を浮かべ、困り顔でそう言いました。

 

 ……そんなに不機嫌そうな顔、でしたか。

 

「それは、気付きませんでした。すみません」

「不機嫌な上官ほど、兵士にとって恐ろしいものはないんです」

 

 確かに自分は今、あまり良いコンディションとは言えません。

 

 戦闘詳報で、戦死した兵士のリストを見るたびに気分が悪くなってしまいます。

 

 彼らの死をありありと、自分のせいだと突きつけられているような錯覚に陥るのです。

 

「……もしかして。何か悩んでるんでっか、トウリ少佐は」

「ええ、まぁ」

 

 歯切れの悪い態度をとったからか、ケネル大尉は自分が悩んでいるのを察したようで。

 

 一呼吸置いた後、自分に改めて話しかけてきました。

 

「なるほど、トウリ少佐もそういう感じですか」

「ケネル大尉?」

「トウリ少佐、まだお時間ありますかい? ちょっと私のテントにでも寄って行きませんか」

 

 彼は薄くなった毛を手で整えつつ、気さくに自分をテントへ手招きしました。

 

 

 

「大したものは出せませんがね」

 

 時間に余裕はあったので、自分は誘われるがまま彼のテントに入りました。

 

 ケネル大尉のテントは意外にも、色とりどりの花が添えられていました。

 

「私は花が好きなんですわ。フラメールの花は香りがちょっとキツイですけど、それでもないよりは落ち着くんです」

「……なるほど」

 

 ケネル大尉の机には、所々ポップで可愛らしい小物も置いてあります。

 

 意外と少女趣味……なのでしょうか?

 

「さて、トウリ少佐。どうぞお座りになってください」

「ありがとう、ございます」

「いえいえ遠慮なさらず。お困りごとがあるなら、いつでも、このケネルにご相談ください」

 

 ケネル大尉は、ニコニコと笑みを崩さず自分に語り掛けました。

 

 小太りで目つきも怖い人なので、正直ちょっと怖いのですが……。

 

「……では、一つお伺いしたいのですが」

「ええ、何でしょ」

 

 この人は、自分の知る限り最年長の指揮官です。

 

 若い兵士を戦地に送る、その罪悪感と今までどう向き合ってきたのか。

 

 それを相談する相手としては、相応しいように感じました。

 

「ケネル大尉は、その。戦死した兵士とどのように向き合っていますか」

「ほう?」

 

 

 

 

 自分はケネル大尉に、今悩んでいる事を打ち明けました。

 

 いきなり少佐と言う立場になって、まだ困惑している事。

 

 安全圏から命令を出して、部下の兵士が死んでいく報告に重圧を感じている事。

 

 どうすれば、彼等の死と向き合えるのかが分からない事。

 

「軍人なら、人が死ぬことの意味なんぞ考えちゃいかんでしょうや」

 

 そんな自分の悩みを、ケネル大尉は呆れたような顔で聞いていました。

 

「あー、ソコを悩まれてたんですなぁ。トウリ少佐は、士官学校で何を教えられたので?」

「……自分は、民間からの募兵組です」

「ああ、成程! そうでしたか、それで……」

 

 自分が民間出と聞いて、ケネル大尉は納得した声を出し。

 

 その後、ハァと大きなため息をつきました。

 

「私はてっきり、トウリ少佐も『やっかみ』買って、嫌がらせされてるのかと」

「嫌がらせ、ですか」

「ヴェルディ中佐も、なかなかキツい嫌がらせを受けたみたいでしてね。若い将校にはよくあるんですよ」

 

 どうやらケネル大尉は、自分が嫌がらせを受けて悩んでいると考えていたようです。

 

 そう言えば昇進した直後のヴェルディさんは、かなり顔が青かったですね。

 

 身内びいきなレンヴェル派の人は、特に対象にされやすいようです。

 

「私は、それなりに知り合いが多くてね。トウリ少佐も同じ悩みを抱えてらっしゃったなら、手を回すつもりだったのですが」

「いえ、そういうのは今はないです」

 

 幸いにしてまだ、自分はイジメの対象にはされていません。

 

 今のところは、司令部の他の将校から遠巻きに見られている感じです。

 

 やっかみを買っている可能性はありますので、気を付けておくとしましょう。

 

「ま、であれば。トウリ少佐の悩みは大変失礼ながら、しょうもないですわ」

「……しょうもない、ですか」

「ええ。ソコを気にして、オースティンに何の利益がありますのん」

 

 ケネル大尉は自分の悩みを聞いて、そう一刀両断しました。

 

 かなり悩んでいるのですが、しょうもないと一蹴されるとは。

 

「トウリ少佐、あんたは司令部の人間でしょう。だったら軍の利益にならない事を、悩んじゃいけません。時間と労力の無駄ですわ」

「……」

「死んだ兵士に想いを馳せている暇があるのなら、もっと軍に有益な事をして欲しいですなぁ」

 

 ケネル大尉はそうキッパリ、自分に駄目だししました。

 

 ……まぁ確かに、彼の言う事は正しいのですけど。

 

「トウリ少佐と言えば、アルガリアで大層立派な戦果を挙げられたじゃないですか。あの勝利の秘訣は何だったんですかい」

「え、えっとそれは、幸運が大いに絡んでいまして。秘訣とかそう言うのは……」

「駄目です。全然ダメ。運で片づけたら、ソレで話が終わるでしょう。どういう部分が良かったから戦果に繋がったを考えてください。そして、他のシチュエーションでも生かせないか研究するのが司令部の仕事です。民間出のトウリ少佐には難しい問題かもしれませんが、どうせ悩むならソッチで悩みなさい」

 

 そのケネル大尉からのお説教に、自分はパチクリと目を開くのみでした。

 

 ……アルガリアの勝利は、ただ運が良かったからだと片付けるべきではない。

 

 指揮官として分析して、次に生かすべきだ。

 

 その言葉には、確かにその通りです。

 

「敵を撃ち殺した、味方が何人死んだ。その辺を悲しむのは前線の兵士だけで十分ですわ。少佐が悲しまなくても、戦友の死を悲しんでくれる人はぎょうさん居るんです」

「……」

「むしろ少佐は、兵士の死を喜んでください。よくぞお国に尽くしたと、褒めてやってください」

「喜ぶ、ですか」

「死んだ兵士かて、会ったことない少佐殿に悲しまれても仕方ないですわ。アンタらの命令通りに戦った功績を喜んで、称えてやってください。それが上官の仕事ですやろ」

「……」

「死んだことを悲しまれるだけより、喜び称える人もいる方がすっきりします。少佐の仕事は、褒め称える事や」

 

 ケネル大尉のご意見は、完璧に『軍人』のものでした。

 

 そしてそれは、自分が身に付けなければいけない価値観でした。

 

「トウリ少佐が指揮して余計な被害が出たなら、たっぷり悩んでもらわな困りますが。アンタ、前線業務を私らに丸投げしてるでしょう」

「……はい」

「だったら、何を悩んでいるのか分かりませんわ。少佐は関係ありませんがな」

 

 彼の言う通り、現在の指揮はケネル大尉とジーヴェ大尉に丸投げしています。

 

 自分がその被害を気に病むのは筋違い、という意見も尤もです。

 

「はっきり言うでトウリ少佐。アンタ、前線で何の役にも立ってません。私らが提出した書類を眺めて、ヘイコラしてるだけのごく潰しや。そんなヤツが何を一丁前に、被害気にしてますねん」

「……う」

「それに正直、私は少佐の手腕を当てにしてません。私の方が、経験の浅いトウリ少佐より指揮が上手い自信がありますわ」

「……」

「私が少佐に求めとるんは、モチベーターの役割です。だからわざわざ視察の時に、兵士を集めて声掛けして貰いましてん。可愛い上官殿や、応援されたら兵士もやる気出ますやろ」

 

 ケネル大尉はキッパリ、そしてズケズケとものを言ってくれました。

 

 完全に自分を『客寄せパンダ』と思っていることまで、包み隠さずに。

 

 ちょっとびっくりしました。

 

「そもそも少佐は、なんで軍に志願しましたの」

「回復魔法の適性があったので、ほぼ無理やりに。元々は衛生兵で、誰かの助けになれればなと」

「あー……。それでよく、今まで生き残ってきましたなぁ」

 

 しかし、今のケネル大尉の言葉はきっと本心なのでしょう。

 

 いきなり小娘が上官になって、ウジウジとくだらない事で悩んでいる。

 

 前線で命を預かって指揮しているケネル大尉からしたら、腹立たしいことかもしれません。

 

「トウリ少佐、大事な質問です。アンタ、敵を殺すのは好きですかい?」

「え?」

 

 いきなり、ケネル大尉はそう自分に問いました。

 

 その急な質問に、自分は少し戸惑った後。

 

「好きではない、と思います」

「じゃあ目の前に敵兵が居たら、見逃しますか?」

「いえ、その。戦場であれば、覚悟を決めて撃ちます」

 

 そう素直に応えました。

 

「何をカマトトぶってますん?」

 

 そんな自分の返答を、ケネル大尉は冷たい目で切り捨てました。

 

「私は敵の頭撃ち抜いたら、手を叩いて大喜びしますぜ。そのあと、間抜けな敵を大笑いしてやるんや」

「それは」

「兵士が敵を殺す罪悪感を持って、何の得がありますのん? 引き金を引く指が鈍るだけでっしゃろ。一秒でも早く引き金を引ける兵士の方が、戦場では強い」

 

 ケネル大尉は、どこまでもリアリストでした。

 

 戦場で生き抜くための精神性が、倫理観と乖離していることをよく理解していました。

 

「戦場では、一瞬の躊躇が命取りになるんです。トウリ少佐の高尚な精神が兵士に伝染して、引き金を引くのが遅れ死んだらどう責任取りますの」

「……」

「あんたはまだ、戦争に参加してるんじゃない。巻き込まれてるって意識なんでしょうよ」

 

 そして、彼は恐ろしいほど正確に。

 

 自分の中の甘えた部分を、言葉にしました。

 

「私らの上官やって言うなら、敵を撃ち殺した兵士を満面の笑みで称えてくださいよ。こっちはアンタの命令で、人を殺してるんですよ!? なんで自分は関係ない、みたいな態度とっとるんですか!」

「……」

「トウリ少佐のご命令で、私達は命懸けで戦ってんです。そこを理解せず、勝手に死を悼まれても迷惑です」

 

 ……確かに。

 

 ケネル大尉の言う通り、自分はどこか『戦争に巻き込まれている』という気持ちがありました。

 

「……ったく、アルガリアの噂は誇張やったんですな。嗤いながら敵兵を撃ち殺す、冷徹無比の女軍人って聞いてたんですけど」

「それは……」

「上官としてやってきたのが、まさかこんな街で人形遊びしてそうな女の子とは」

 

 末端の兵士だった頃はそれで良いのかもしれませんが、今の自分は司令部の少佐です。

 

 戦争に巻き込まれているのではなく、若者を『戦争に巻き込む立場』。

 

 それを自覚し、覚悟せずに仕事に当たるのは不謹慎でした。

 

「くだらんことを悩む暇があったらば、軍に有益な仕事をしてください。トウリ少佐ならそれこそ、ご自身の知名度を使って貴族から寄付を募るだとか、前線兵士を鼓舞して回るだとか、色々あるでしょ」

「……はい」

「私から言いたい事は以上です。部下の立場からあれこれと、差し出がましい事を言うてすみませんでした」

 

 ケネル大尉からのお説教は、納得できる部分が多くありました。

 

 かなり厳しい言われようでしたが、これが『軍人』の考え方なのでしょう。

 

 くだらないことで悩む暇があれば、軍にとって有益なことをしろ。

 

 ……このお説教は、返す言葉も無いほどに正論でした。

 

「ま、色々言わせてもらいましたけど、私はトウリ少佐を嫌いやないですよ。自信過剰に、あれこれ変な命令してきませんからな」

「自信過剰、ですか」

「若い奴が大手柄上げてしもうたら、そりゃあもう増長しますのよ。変な自信持ってしまって、こっちがいかにまともな提案しても全て蹴られちまう。そんなヤツより百倍はマシですわ」

 

 ケネル大尉のお小言にシュンとしていると、流石にバツが悪かったのか。

 

 彼は最後に、フォローするようにそう言いました。

 

「……ま、今後も分からんことや悩まれている事があれば、このケネルをお頼りください。この通り口は悪いですが、真摯にお答えいたしますよ」

「ありがとう、ございます」

 

 ……今の自分に出来る事。

 

 士官学校も出ていない自分が、戦術論を研究するなど難しいですけど。

 

 せめて笑顔で、兵士達を鼓舞するくらいは出来る筈です。

 

「それでは、また。トウリ少佐」

「ええ、今日はありがとうございました、ケネル大尉」

 

 こうして自分は心機一転、戦争を主導する立場になった事を自覚して。

 

「……次は、ジーヴェ大尉の担当地区の視察ですね」

「はい、伺いましょう」

 

 人を殺す命令を出している立場として、少しでも兵士達の罪悪感を和らげるよう。

 

 なるべく笑顔を意識して、次の視察に向かいました。

 

 

 

 

 

 

「……ジーヴェ大尉?」

「御意」

 

 その後。

 

 頑張ってニコニコしながら、ジーヴァ大尉の下に伺うと。

 

「あのー」

「ぎょ御意」

 

 ジーヴェ大尉は自分の笑顔を前に、極度に緊張してカチコチになってしまいました。

 

「……」

「……」

 

 ジーヴェ大尉に、女性の笑顔はまだ早かったようです。



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176話

 

「……嘘だろ」

「ああ、そんな」 

 

 自分が少佐になってから、一月ほどが経ったころ。

 

 司令部に、ある衝撃的な知らせが飛び込んできました。

 

「ベルン少佐が、戻って来られない……!?」

 

 それはオースティン軍参謀長官ベルン・ヴァロウ少佐が、退役するというニュースです。

 

 彼は首都で療養を続けましたが、完治には至らず。

 

 前線勤務に耐えられないので、余生をサバトで過ごすことにしたという内容でした。

 

「大変な事になった」

「これから我々は、一体どうすれば」

 

 自分は既に聞いていた話ですが、司令部は大騒ぎでした。

 

 今までオースティン軍の勝利は、彼の手腕あってです。

 

 勝ち目のない消耗戦を続けていたのも、『ベルンが戻って来てくれれば何とかしてくれる』という希望があってこそ。

 

 フラメール遠征で失敗してなお、未だ彼の信奉者が沢山いました。

 

 彼らにとってベルン・ヴァロウが退役したというニュースは、神に見放されたような気分だったでしょう。

 

 

 ですが彼の判断も、やむを得ないかなと思います。

 

 自分がお見舞いに行った時点で、彼は生死をさ迷っている状態でした。

 

 自ら歩く事は出来ず、主要臓器を失っており、食事や排便にも介助が必要。

 

 安全な場所で過ごしたとしても、長生きは難しいでしょう。

 

 無理して前線に出てても、短い死期を早めるだけです。

 

 

 こうしてオースティン史に名を残す名参謀ベルン・ヴァロウは、歴史から姿を消しました。

 

 彼は多くの信奉者に護衛されながらサバトに渡り、レミさんの庇護を受けて余生を過ごすことになります。

 

 また『怪物』ベルン・ヴァロウを失ったことで、オースティン軍は固く守りを固めました。

 

 自分から攻めず、亀のように塹壕に籠って迎撃に徹し、連合側に流血を強要しました。

 

 勝てないならせめて、フラメールとエイリスと痛み分けようとしたのです。

 

 

 ……そんな状況なので、自分の仕事はあまり多くありませんでした。

 

 日々の指揮は、ケネル大尉とジーヴェ大尉に任せっきり。

 

 自分は書類仕事の合間に前線に出向き、愛想よく鼓舞して回るだけです。

 

 書類仕事は、未だに慣れません。

 

 戦闘詳報を確認し、物資記載、残弾消費量などの辻褄が合っているか調べたり。

 

 部隊の補充人員の割り振りと、その兵士の個人情報、戦死した兵士の家族への手当て手続きをしたり。

 

 それは誰かがやらねばならない、戦争の『裏方業務』でした。

 

「トウリ少佐。新兵消耗率が高い点の対策提案を、来週までに提出してくださいとのことです」

「……はい、了解しました」

 

 ブリーフィングで指摘された問題点の、対策を考える仕事もありました。

 

 これがまた難しく、簡単にできたら苦労しないような事ばかりです。

 

「やはり部隊の新兵割合が多いと、損耗率が高いですね」

「はい」

「一部隊に新兵を4人までに制限する、でどうでしょうか」

「……じゃあ、その方針で資料を作成します」

 

 日々出された課題を、頭を捻って解決していくだけ。

 

 はっきり言って、自分にはあまり向いていない仕事でした。

 

 ですが秘書官さんの力を借りて、自分なりに精一杯こなし続けました。

 

「また『大盾』により、小隊壊滅ですか」

「厄介ですね」

 

 特に、よく議題に上がったのはエースの対策でした。

 

 自分の地区で確認されているエースは『大盾』と呼ばれ、鉄製の盾を使って突っ込んでくる兵士だそうです。

 

 人間に持てる重さじゃない盾を振り回し、銃弾を弾いて塹壕に乗り込んでくる化物。

 

 銃弾に対する『答え』を身に着けている彼は、まさしくエースと呼べるでしょう。

 

「司令部が、『大盾』を対処するための作戦案の提出を求めています」

「……ヴェルディさんに相談してきます」

 

 ヴェルディさんにエースの対処法を聞くと、一般的な撃破方法は砲撃だそうです。

 

 どんな兵士であっても、砲撃が直撃すれば戦死は免れません。

 

 敵のエースを空の塹壕に誘い込み、囲んで一斉砲撃するのが常とう手段だそうです。

 

 ……そういやガーバック小隊長も、似たような事をされていましたね。

 

「ケネル大尉から報告です、B地区で敵の攻勢が始まりました」

「了解です。応戦をお願いします」

「さらに報告です、B7地区の塹壕に、エース『大盾』を確認」

「では作戦通りに誘い込んでください」

 

 自分もノウハウに従って、空の塹壕に誘い込んで砲撃を実行しました。

 

 資源消費が激しい作戦ですが、エースを撃破出来れば元は取れます。

 

「『大盾』を目標地点に誘い込めたようです」 

「では、砲撃許可を出します」

 

 しかし砲撃魔法は狙いがとてもアバウトで、あてずっぽうに連打しているだけです。

 

 当たるかどうかは、運次第。

 

「すみません、取り逃がしました。『大盾』の撤退を確認」

「……了解、前線にはお疲れ様ですとお伝えください」

 

 残念なことに、我々の砲撃は『大盾』を掠めることはなく。

 

 何度か罠には嵌められたのですが、結局『大盾』を撃破できませんでした。

 

 

 

 

 

 戦闘詳細報告 報告者:ケネル大尉

 二十二日 05時03分 敵フラメール大隊 B06~B12地区に来襲 戦闘開始

 二十三日 15時09分 B07に「大盾」を確認

 同日   19時46分 敵に第一層の塹壕を確保される。マズリー小隊・ギュレルデン小隊壊滅を確認。

 二十四日 04時05分 B06~B09地区 敵撤退

 同日   11時24分 B10~B12地区 敵撤退 攻勢終了 

 【本軍被害状況】

 動員人数 1557名 うち負傷者354名 死者37名

 【推定フラメール軍被害状況】 

 動員人数:約3000名 負傷者約1000名 死者約350名 

 【判定】

 塹壕を一層失うも敵に多大な被害を与え、戦術的勝利と判定した

 

 

 

 

 

 

 戦闘が終わった翌日には、戦闘詳報が送られてきます。

 

 そこには、詳細な敵味方の被害状況が記されています。

 

 敵味方を合わせると、このエンゲイ戦線では毎日千人ほど死んでいるそうです。

 

 

「承認、承認、承認……」

「トウリ少佐、次の書類です」

「どうも」

 

 ケネル大尉からお説教された後、自分は落ち着いて遺族宛て戦死通知書にサインできるようになりました。

 

 彼等の死を悲しむ暇があれば、もっと有益なことに時間を使うべきだ。

 

 その意見を胸に刻んで、自分は無心で仕事を続けました。

 

「戦死通知書を仕上げたら、2時間ほど休憩に入っていただいて構いません。トウリ少佐」

「ありがとうございます。では少し、衛生部に顔を出しますね」

 

 自分は仕事の合間で、なるべく前線に慰問に赴いたり、衛生部を手伝うようにしました。

 

 参謀として役に立てなくても、自分に出来ることはあるのです。

 

「分かりました。時間までには戻ってください」

「ええ、勿論です」

 

 慣れてしまえば司令部の業務は、さほど辛くはありません。

 

 書類仕事もやり方を覚えれば、後は作業です。

 

 命の危機にさらされるストレスも無ければ、劣悪な環境で感染症に悩む必要もありません。

 

 人前で着替える必要もないので、女性としてのプライバシーも確保されています。

 

「レイリィさん、また手伝いにきました」

「あら少佐殿、お仕事はよろしくて?」

「ええ、休憩中です」

「だったらこき使わせて貰うわ!」

 

 衛生部で魔力を使い、その回復時間に司令部の仕事をして。

 

 笑顔で兵士を称えて鼓舞し、戦意を高めてあげる。

 

 自分の仕事は、こんな具合に落ち着きました。

 

 

 

 ……本当のことを言えば、ケネル大尉にお説教を受けた後も、完璧に割り切れてはいません。

 

 ふとした拍子に胸が締め付けられそうになりますし、死亡通知を見れば心が痛みます。

 

 戦闘詳報を読むたび、無限回廊をさ迷っているような錯覚に囚われます。

 

 出口のない迷路のゴールを求め、歩き続ける囚人のような気分です。

 

 だとしても。

 

 自分は出来ることを、全力でやるしかないのです。

 

 

 

 

 戦闘詳細報告 報告者:ジーヴェ大尉

 二十七日 13時00分 敵フラメール大隊 B13~B19地区に来襲 戦闘開始

 二十八日 02時15分 B13~B15地区 敵撤退

 同日   03時30分 B16~B19地区 敵撤退 攻勢終了 

 【本軍被害状況】

 動員人数 804名 うち負傷者121名 死者14名

 【推定フラメール軍被害状況】 

 動員人数:約2000名 負傷者約700名 死者100名 

 【判定】

 塹壕を防衛成功、勝利と判定した

 

 

 

 

 

 

 ……実はこのエンゲイ防衛戦は、『一年』も続くことになりました。

 

 毎日どこかの拠点で攻勢が仕掛けられ、凄惨な殺しあいが行われ。

 

 僅かな距離を奪い合うため、おびただしい犠牲が出る日々が続きました。

 

 

 

 ────まるで肉挽きだ。

 

 それは最前線で、フラメール兵を迎撃している様を視察した、レンヴェル大佐の言葉です。

 

 オースティン軍の防衛陣地は強固でした。

 

 地雷魔法が設置され、幾重にも張り巡らせた鉄条網、敵を薙ぎ払う機関銃。

 

 そんな防御陣地に、フラメール兵はご丁寧に横一列に突撃し、塹壕間でみな肉塊になりました。

 

 しかしフラメール軍はひるむことなく、次の部隊を横一列に突撃させます。

 

 そしてまた鉄条網の前で脚を止め、血肉を大地に撒き散らしました。

 

「また、追加のミンチが来ました」

「やつら、俺達に人肉ハンバーグでも食わせたいのかな」

 

 何故フラメール兵は横一列になって、整然と突撃してきているのか。

 

 それはどうやら、近くに戦友が居た方が勇気が出るという精神論だそうです。

 

 はっきり言って、良い的だったようです。

 

「よし、今回も上手く料理できたぜ」

「フラメールの奴ら、味方の兵士の死体につまずいて転んでやがるな」

「ははは、馬鹿みたいだ」

 

 防御陣地に無策で突っ込んできて、ゴミのように命を投げ捨てていく。

 

 それがちょうど肉屋で、端肉をミンチにする行程のようでした。

 

 だからレンヴェル大佐はフラメールの無様を嗤い、肉挽きに例えたのです。

 

「おい、見ろよ。また新しい肉が来たぜ」

「フラメール産人肉にはそろそろ飽きたよ。もうお腹いっぱいだ」

「きっと敵さんも飽きたから、オースティンに輸出してるんだろ」

 

 毎日フラメール兵は、我々の陣地を前に死体を積み上げました。

 

 まともに訓練を受けていないのか、銃すら構えずに泣き叫び、走ってくる兵士も居ました。

 

 そんな彼らを、我々は塹壕越しに撃ち殺すだけ。

 

『今回の突撃作戦も失敗だ! 今回の兵士には、攻撃精神(エラン・ヴィタール)が足りなかった』

 

 普通の神経であれば、吐き気を催す惨状でしょう。

 

 しかしフラメール軍の総指揮官フォヴィスは、これを見ても何も反省せず、突撃命令を繰り返しました。

 

『戦争に勝利するためには、征服するという意思こそ重要だ。攻撃精神さえあれば、オースティンを退けられる』

 

 当時のフラメール軍には、まだ強く精神論が根付いていました。

 

 強い意志を持って戦闘に臨めば相手を倒せるという根性論を、総司令官が大真面目に語っていたのです。

 

 フォヴィス司令は攻撃精神(エラン・ヴィタール)という単語を用いて兵士を鼓舞し、突撃を強要しました。

 

 彼が言うには、いつか強い意志を持った兵士が現れて、オースティン軍の防衛陣地を蹴散らすそうです。

 

 そんな戯言を聞かされたフラメール人の若者は、徴兵されて間もなく突撃させられ、そして死んでいきました。

 

『さあ、意思を示せ! フラメールの誇りと共に、突撃せよ!』

 

 どうしてフラメールの将軍フォヴィスは、強固な塹壕陣地に対し対策も練らなかったのでしょうか。

 

 精神論に脳を焼かれて、何も考えていなかったのでしょうか。

 

 実はどうやら、フォヴィスはオースティンの窮状をちゃんと把握していたから、この方針を取っていたそうです。

 

 連合軍にはまだ、兵士が補充できる余力がありました。

 

 フラメールだけでも十万人は動員できたでしょうし、同盟国であるエイリス兵の数も含めれば二十万以上は動かせたでしょう。

 

 しかし、オースティンに予備兵力は殆どありません。

 

 今、前線に来ている四万人弱の兵が死ねば、もう補充は出来ないのです。

 

 フォヴィスが想定していた最悪のパターンは、長期戦になっている間にオースティンが国力を回復し、サバトと共に再侵攻してくる事でした。

 

 サバトの援助があれば、オースティンは数年で復興できると考えていたようです。

 

 なのでフォヴィスは塹壕を確保できずとも、オースティン兵を削ることに執着しました。

 

 10人の味方が死のうとも、1人のオースティン兵を殺せばいい。

 

 効率が悪くとも、戦後に非難されようとも、オースティンが復興する前に決着をつけねばならない。

 

 フォヴィスはそう考えたから、『攻撃精神』なんて言葉を使って強引に兵士を鼓舞し、毎日フラメール兵を最前線へ送りこんだのです。

 

 オースティン兵1人に対しフラメール兵7.5人。

 

 それがエンゲイ戦線での、両国兵士の命の平均レートでした。

 

 連合軍は目がくらむような血を流しながら、瀕死のオースティンを少しづつ追い詰めていったのです。

 

『ああ、勇敢なフラメールの戦友たちよ。攻撃精神(エラン・ヴィタール)に溢れた騎士たちよ。彼らの死後は天国に違いない』

 

 エンゲイ戦線でフラメール兵は、戦友の死をずっと嘆き続けました。

 

 しかしフォヴィス将軍は、死にゆく兵士に対して罪悪感も抱かなかったそうです。

 

 何故なら彼は、兵士の戦死を『誉れ』と考えていたからです。

 

 命令で突撃させられ死んでいった兵士は、みんな満足して散ったと信じていました。

 

 だから、「今まで死んでいった兵士たちの為にも、ここで諦めるわけにはいかない」とし、この突撃作戦をやめる気がなかったのだとか。

 

 こうしてフォヴィスはフラメール全土から徴兵し、エイリスにさらなる援軍を要求し、オースティンの陣地に突撃させました。

 

 彼は壊れた機械のように、新兵補充を要求して突撃させるのみ。

 

 挽肉屋(オースティン)に、肉を卸す仕事をする男。

 

 ……戦後、そんな彼は侮蔑を込めて『肉屋の店主』と呼ばれたそうです。

 

 

 

 

 戦闘詳細報告 報告者:ケネル大尉

 十六日 12時03分 敵フラメール大隊 B05~B10地区に来襲 戦闘開始

 十七日 19時56分 敵フラメール大隊によりB07塹壕を制圧される 塹壕を放棄・撤退

 同日  21時13分 ジーヴェ大隊に応援要請

 十八日 02時15分 テルミット小隊がB07塹壕を再奪取 敵撤退

 同日  03時30分 B05~B10地区 敵撤退 戦闘終了 

 【本軍被害状況】

 動員人数 1405名 うち負傷者326名 死者39名

 【推定フラメール軍被害状況】 

 動員人数:約5000名 負傷者約2000名 死者300名 

 【判定】

 塹壕を防衛成功、勝利と判定した

 

 

 

 

 自分は何時まで、この戦場と向き合わねばならないのでしょうか。

 

 書類上は、快勝続きです。防衛側のオースティンが、少ない被害で敵を追い返す事に成功しています。

 

 こんなにも無策に、淡々と死体を積み重ねるフラメール人の考えが理解できません。

 

 紙に記された犠牲者数は、誰かの人生を終わらせた数です。

 

 前線ではたくさんの人が死んで、その遺族は泣き叫んでいるはずなのです。

 

 

 ……しかしそういった『持っておかなくてはいけない』感覚は、日に日に薄れていきました。

 

 積み上げられた戦死通知書が、残りの業務量を示しているようにしか見えなくなって。

 

 送られてきた戦闘詳報は、戦術や配置の問題点を洗い出す資料でしかなく。

 

 1年も経った頃には、自分も冷静に被害状況を分析するようになっていました。

 

 

 死者が多ければ、問題点を探しディスカッションする資料を作成します。

 

 物資の計算も得意になり、物資輸送任務を効率よくローテートできるようになりました。

 

 作戦は失敗が付き物で、上手くいかない前提で練る重要性を学びました。

 

 

 エンゲイ戦線はかつての西部戦線のようで、お互いに塹壕を掘って数多の血を大地に振りまくだけ。

 

 この地獄はいつまで続くのでしょうか。ゴールは一体、どこにあるのでしょうか。

 

「トウリ少佐、戦闘詳報が届きました」

「確認いたします」

 

 この地獄が無限に続くのであったらば、自分はもっと思い悩んでいたと思います。

 

 しかし実は『ゴール』は、もう目の前に近づいてきていました。

 

 司令部で聞いていたのですが、既に連合側政府とオースティン政府の話し合いは進んでいるようで。

 

 そしてあと数カ月以内に、休戦条約を結ぶ目途が立っていたのです。

 

 ……我々を滅ぼすために気が遠くなるような血を流すか、ここらで手打ちにして相互不可侵を約束するか。

 

 連合側にその選択を突き付ければ、講和を引き出せる見込みは十分にありました。

 

 もうひと踏ん張りで、戦争は終わらせられる。

 

 自分は自分にそう言い聞かせ、兵士たちを鼓舞し続けました。

 

「味方に被害が出ていますが、連合側の被害も大きいですね」

「良い調子かと思われます」

 

 もうちょっと、もう少しだけ頑張ってください。

 

 きっと、あとひと踏ん張りすれば戦争は終わります。

 

 自分はそう言って、若者を前線に送りこみ続けました。

 

「……どうして、フラメールは攻勢を続けるんでしょう」

 

 塹壕戦は防衛側有利、連合側もその結論に至っているはずです。

 

 だというのに何の対策も取らず、馬鹿の一つ覚えで兵士を無駄死にさせる連合軍に、自分は恐怖すら覚えていました。

 

 まさか未だに精神論に頼っているとは知らず、無意味に自国民の遺体を積み上げ続ける敵の思惑が分からず、ひたすらに不気味でした。

 

 

 

 

 ……自分はきっと、どこか過信していたのでしょう。

 

 塹壕の固さ、恐ろしさを知っていたから、油断していたのでしょう。

 

 正面から塹壕を破る手段など、存在しない。

 

 機関銃を導入したオースティン陣地を、破る方法はない。

 

『ああ、油断をしているな。オースティンの悪魔ども』

 

 もう少しで講和がなる、という餌がチラつかされていたのもあったでしょう。

 

 1年間ずっと代わり映えのしない戦場だったので、気を抜いてしまっていたのだと思います。

 

 そう言った『油断』を突くことに特化した稀代の天才少女『シルフ・ノーヴァ』が、敵に居ると知っていたはずなのに。

 

『今こそオースティンを蹂躙し、サバトの正式な政権を復活させる』

 

 

 

 それは冬が終わり、三寒四温の春の季節になったころ。

 

 兵士たちが冬装備を脱いで、塹壕内ではスコップ片手に下着姿になり始める時期。

 

 その暖かな気候の中で、いつもの様に敵兵が突撃を仕掛けてきました。

 

「今日もフラメール兵が攻めてきたぞ」

「よーし、配置につけ。銃弾でもてなしてやろう」

 

 敵はこの半年間、無意味に突撃を繰り返しては全滅を繰り返していました。

 

 だからこの突撃もそうだと、たかをくくっていました。

 

「ん? なんだ、今日の敵……」

「横一列に突っ込んでこないな」

「流石にアホな行為だと気付いたのか?」

 

 ですがこの日は、いつも通りのフォヴィスが指揮をしていたのではなく。

 

 指揮をとったのは会議で『戦争を終わらせる』と豪語した、シルフ・ノーヴァだったのです。

 

 彼女は手勢のアルノマ義勇兵団を中心に突撃部隊を編成し、新戦法を仕掛けました。

 

 いつもの愚かな突撃と同じ時刻に、同じような準備砲撃と共に。

 

「あれ、何か」

「どうした?」

「フラメールの連中、いつもより人数が少な────」

 

 オースティン軍は、完全に油断を突かれた形になり。

 

 アルノマさんを英雄へと押し上げた、オースティンにとって地獄の一戦が幕を開けました。

 



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177話

 

 歴史には今までの固定観念を覆し、時代を推し進めた『天才戦術家』は数多くいます。

 

 しかしその天才がいつまでも、勝利し続けることはありません。

 

 何故なら、そのアイデアが画期的であればあるほど、他の人にも真似をされてしまうからです。

 

 

 例えば小銃が発明されてしばらく、銃兵が最強だともてはやされました。

 

 弓兵より射程が長く、重装騎兵の装甲を撃ち抜き、剣の素人でも達人を殺せる小銃は、戦場で圧倒的な優位性を誇りました。

 

 しかし今、小銃を開発した優位性は失われています。

 

 何故なら現在、小銃は兵士の標準装備となっているからです。

 

 発明は天才にしか出来ませんが、凡人にも模倣は出来るのです。

 

 

 シルフ・ノーヴァの生み出した多点同時突破戦略も、また同様でした。

 

 既に多くの指揮官が真似をして、対策も研究されてしまいました。

 

 『天才』とは、『突出』なのです。

 

 その時代の概念から、突出していることに価値があるのです。

 

 

 そしてシルフは自身が考案した『多点同時突破戦略』が、既に過去の遺物だと気づいていました。

 

 ベルンのいないオースティン軍でも、対応できる凡策になり果てていました。

 

 ……なので彼女は再び、時代を推し進める事を選択したのです。

 

 

 

 

 

 

 午前10時。日も高く上り、兵士たちは塹壕掘りに勤しんでいる時刻。

 

 司令部ではブリーフィングが終わり、それぞれ書類作業に手を付け始めたころ。

 

「トウリ少佐。本日も、敵が攻勢を仕掛けてきたようです」

「了解です」

 

 いつも通りに、『フラメール軍が、攻勢を仕掛けてきた』という報告が届けられ。

 

 自分は、紅茶を片手に報告を聞いていました。

 

「範囲は、どこでしょう」

「B地区全域で、準備砲撃が行わています。報告によると、A地区やC地区でも砲撃があるそうです」

「おや。今日は随分と、広範囲ですね」

「……多点同時突破戦略、ですかね?」

「そうかもしれません」

 

 この日は攻勢範囲が広かったので、敵が多点同時突破戦術を仕掛けてきたと考えました。

 

 しかし、自分に焦りはありませんでした。

 

「ケネル大尉とジーヴェ大尉に、塹壕後退を許可してください。ラインを下げても構わないので、抜かれないようお願いします」

「はい、伝えておきます」

 

 敵がある日突然、多点同時突破戦術を仕掛けてくるのも『想定済』だったからです。

 

 この戦術にかつて煮え湯を飲まされたオースティンは、その対策をしっかり研究していました。

 

 そして、どう対処するかも結論付けられていました。

 

「それと輸送任務の予定のガヴェル中隊に、待機を命じてください」

「了解です」

「場合によっては、予備戦力として出撃して貰いましょう」

 

 ……この頃になると、ガヴェル中隊のメンバーは殆ど入れ替わっていました。

 

 ナウマンさんやアルギィなど中心メンバーを除き、ほぼ全員前線へと送られています。

 

 今、中隊に所属している兵士は知らない人ばかりです。

 

「……」

 

 知っている人が居なくなっていることに、微かな寂寥を覚えつつ。

 

 自分は前線に指示を出したあと、改めて書類仕事に戻りました。

 

「どうしましたか、トウリ少佐」

「いえ、少し胸騒ぎが」

 

 ……この時。ほんの一瞬だけ鼓動が早くなった気がしました。

 

 それは、濁った汚泥に足を取られたような、気持ちの悪い感覚。

 

「気のせいでしょう。……次の書類をお願いします」

「はい」

 

 ですが一瞬のことだったので、気にしない事にしました。

 

 ガヴェル中隊を戦わせることに、抵抗を感じたんだろうと自己解釈しました。

 

 ……それが、命の危機を知らせる警告(アラート)だったことにも気づかずに。

 

 

「トウリ少佐、前線から報告です!」

「は、はい」

 

 その報告から、ほんの20分後のことでした。

 

 通信兵からの報告で、秘書官さんが叫び声をあげたのは。

 

「ジーヴェ大尉から救援要請です。『大盾』の姿を確認、現在戦闘中ですが……B14、B16、B17、B18、B20地区の塹壕を突破されたそうです。一刻も早く、救援を求むと」

「……はい?」

 

 

 

 ラインを下げてでも塹壕を突破させるな、という命令を出した直後に。

 

 ジーヴェ大尉の担当地区で、5か所も塹壕を突破されたというのです。

 

「何が起きたのです? エース級が、複数現れたのですか」

「いえ、突破されたという情報しか……」

 

 1か所くらいなら、塹壕を突破されてもフォローは可能でした。

 

 しかし5か所も突破されているなら、簡単に対処出来ません。

 

「それが事実なら本部からの援軍が必要です。ヴェルディ中佐の部屋に行ってきます」

「ちょっと待ってください、ケネル大尉からも報告です!」

 

 想定外の事が起これば、上官に報告・連絡・相談。

 

 自分は急いで、ヴェルディさんに相談しようと立ち上がりました。

 

 その直後、

 

「ケネル大尉の守るB7、B9、B10、B11地区にて塹壕を突破されました。敵の勢い強く、抑え込むのは困難だと」

「────」

「至急応援を求む、とのことですが……」

 

 更に絶望的な報告が、秘書官さんから告げられました。

 

「合計9か所も突破されたのですか……?」

「……今、B5地区とB6地区も突破されたと、追加報告が」

 

 リアルタイムで、どんどん届けられる敗北報告。

 

 ゾクリと背筋が凍り、『死が迫りくる気配』をはっきり感じました。

 

「……自分の担当外地区はどうなっていますか!」

「急いで、確認します」

「見た方が早い!」

 

 自分は窓から顔を出して、戦線の方角を確認しました。

 

 建築物に遮られてはっきり見えませんが、広い範囲に砲撃音が鳴り響き、土煙が各所に上がっています。

 

 自分の担当地区以外も、戦闘が行われている────

 

「ヴェルディ中佐! ヴェルディ中佐はいらっしゃいますか!」

「緊急招集だ! 指揮官各員、急いで会議室に集まれ」

「多点同時突破戦術だ! あれほど警戒しろと言ったのに、前線指揮官は何をしている!」

 

 司令部の各部屋から、将校が飛び出して絶叫し始めました。

 

 突然の出来事に、パニックになっているようでした。

 

「トウリ少佐、前線に何と指示を送れば────?」

「……っ」

 

 このままだと、死ぬ。自分の額に、冷や汗が伝うのを感じ。

 

 胸の鼓動が、銅鑼の鐘みたいな音を鳴らしていました。

 

「トウリちゃ……少佐! 緊急対策会議を行います、早く会議室に入ってください!」

「ヴェルディさん!」

 

 やがて、ヴェルディさんの怒鳴り声が聞こえました。

 

 今から緊急対策会議(ブリーフィング)を行うみたいです。

 

 何が起こっているのかも分からないのに。

 

「今すぐに、対策を練らないとマズいことに……!」

「ヴェルディさん。お願いがあります」

 

 ……のんびり、会議室で騒いでいる場合ではない。

 

 ここで、何か行動を起こさないと、致命的なことになる。

 

 自分が生き延びるためには、部下を一人でも多く生かして返すためには、何をすべきでしょうか。

 

「ヴェルディさん、自分に出撃許可をいただけませんか」

「……は?」

「前線の偵察を提案します」

 

 気づけば自分は。

 

 ヴェルディさんに、前線に出してほしいと懇願していました。

 

「前線はパニックになっています。正確な情報伝達は、期待できないでしょう」

「し、しかし」

 

 だんだんと、心のスイッチが切り替わっていくのが分かりました。

 

 書類仕事で腑抜けきった『自分』は役に立ちません。

 

 ……このままじゃ、みんな死んでしまう。

 

 オースティンが敗北すれば、セドル君やアニータさんも殺される。

 

 そうさせないために、自分がすべきことは何か。

 

「通信拠点を敵に確保され、偽情報を流されている可能性もあります」

「トウリ、ちゃん」

「自分が行って、確認してきます」

 

 何となくですが、『自分が前線に行かねばマズい』という確信がありました。

 

 そして、そうすることが『軍にとって最大の利益になる』という気がしました。

 

「ここからなら、数十分で前線に着きます」

「……」

「どうか、前線に出る許可をいただけませんか」

 

 会議において、自分の発言権は高くありません。

 

 自分が居てもいなくても、大した差はないでしょう。

 

 おそらく自分は、前線にいる方が役に立ちます。

 

「偵察って、一人で行く気ですか」

「幸いにして、ガヴェル中隊が待機しています。彼らを指揮して向かいます」

「……っ」

 

 久しぶりに感じる、高揚感。

 

 1年以上、お預けを食らっていた戦闘(ゲーム)を楽しむ好機(チャンス)

 

「貴女は……」

「何か」

「戦場が、好き、なのですか」

 

 ────ああ、薄汚い本性。

 

 自分は手入れを欠かさなかった小銃を握り。

 

 ニコリと、動物的な笑顔を浮かべてヴェルディさんを見ました。

 

「そう、かもしれません」

「……っ」

「────人殺しを楽しむ、快楽殺人鬼」

 

 使い慣れたサバト小銃に、銃弾を装填しました。

 

 小銃の冷たい感触が、気分を高揚させていきます。

 

「自分は、そうでなくてはいけないのです」

 

 歩兵少佐として1年間、書類仕事をしていて思いました。

 

 自分は決して、頭のいい人間ではありません。

 

 少佐として指揮を振るうなら、自分より相応しい人物が沢山いるでしょう。

 

「分かり、ました。前線偵察を、許可、します」

「ありがとうございます。ヴェルディ中佐」

 

 自分が他者に比べ優れている部分はただ一つ。戦場での、精神的優位性です。

 

 自分はこの時代の人間にはあり得ない、銃撃戦を『遊び』と捉える価値観を持っているのです。

 

 戦場において死の恐怖を感じず、遊戯(ゲーム)のように戦況を俯瞰出来て。

 

 人を殺すことに罪悪感を感じず、勝利の喜びに酔える。

 

 SLG(シミュレーション)よりFPS(シューティング)の方が向いている人間なのです。

 

「ご期待に添います。確実な情報を持ち帰り、そして一人でも多くの味方を助け」

「……」

 

 人を撃つ事が楽しくて仕方がない。

 

 相手の裏を掻いて、仕留める事が出来た瞬間は最高だ。

 

「一人でも多く、屠ってきます」

 

 ────自分がヴェルディさんに認められ、頼りにされたのはこの異常な部分だけなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分が意を決し、前線に向かう準備をしていた頃。

 

 前線は既に、シルフの編み出した新戦術により、防衛線がズタズタにされていました。

 

 

 その発想の根幹は、かつて彼女が考案した多点同時突破戦術でした。

 

 多点同時突破は、薄く広く侵攻して対応を困難にし、確保した拠点から傷を広げていく戦術です。

 

 しかしこの戦術には、明確な対策が存在しました。戦線を下げてでも、突破を許さなければいいのです。

 

 多点同時突破は、要するに『大きな被害が出るリスクを承知で、超大規模攻勢を仕掛ける』作戦でした。

 

 なので柔軟に後退しながら突破を許さなければ、敵は自滅してしまいます。

 

 ハイリスクハイリターン、失敗すれば大損害を被る博打戦法。

 

 多点同時突破戦術は、まさに『シルフ・ノーヴァ』を体現したような戦術でした。

 

 

 

 ……今回、シルフが行ったのはその戦術の改良型で。

 

 そして塹壕戦の回答ともいえるような、効果的な戦術でした。

 

 その名も悪名高い、『浸透戦術』です。

 

 

 

 まずシルフは1年をかけて、『突撃』ではなく『潜入』をコンセプトにした特殊部隊を組織しました。

 

 これは突撃中に銃を撃たず、匍匐前進などで隠れながら進み、手榴弾でいきなり奇襲をしかける部隊です。

 

 

 彼女はこの作戦を実行するにあたり、訓練を重要視しました。

 

 特殊な技術を要求される作戦なので、入念に準備期間を設けたのです。

 

 彼女はわざわざ模擬塹壕を作成し、部下に毎日『塹壕を確保する訓練』を施していました。

 

 少人数で偵察の目を掻い潜り、電撃的に奇襲する兵士。

 

 それは、時代を数世代先取りした新しい部隊でした。

 

 

 そして極めつけに、シルフは少数精鋭による『潜入』を砲撃と同時に実行したのです。

 

 砲撃しながら攻勢を行うのは、当時はあり得ない概念でした。

 

 何故なら、当時の砲撃魔法の精度はすこぶる悪く、10メートル単位でズレることもザラでした。

 

 準備砲撃の途中に突撃を仕掛ければ、味方を巻き込むことが必定だったのです。

 

 

 だからこそ。準備砲撃間の偵察は、どうしても甘くなりがちでした。

 

 砲撃の最中に兵士が突撃してくるなんて、滅多になかったからです。

 

 ……だからこそ砲撃中の『潜入』は、恐ろしい奇襲性を発揮しました。

 

 シルフの精鋭部隊は準備砲撃の音に紛れ、各地で塹壕を確保していったのです。

 

 

 少数部隊が潜入し、敵の塹壕の一部を確保したあと。

 

 そこを起点に後続の突撃兵を送り込み、塹壕を分断・制圧していく。

 

 それは楔を穿ち、染み込むように兵を送り、占領していく作戦。

 

 それが、シルフの編み出した新しい戦術概念『浸透戦術』でした。

 

 

 しかし一応、この作戦にも穴はありました。

 

 砲撃魔法を避ける手段は結局ないので、味方の砲撃で死んだ兵士もいたみたいです。

 

 ただシルフは、味方の砲撃に巻き込まれる兵士を減らすための対策は、ちゃんと取っていました。

 

 準備砲撃は、あくまで目くらまし。

 

 潜入部隊が塹壕を確保した後に、砲撃を止めて後続の本隊を送り込む。

 

 なので砲撃魔法の頻度を通常より下げ、かつ攻勢密度を薄くするなど、味方殺しが起きにくくなるよう工夫していたのだそうです。

 

 

 

 この時代の技術、装備、兵器で、これ以上の戦術は生まれませんでした。

 

 当時の技術力での塹壕戦の『正答』は、この浸透戦術だと言われています。

 

 この浸透戦術の恐ろしいところは、分かっていても明確な回答がないところです。

 

 塹壕へ潜入してくるシルフの手勢は、精鋭です。

 

 これを防ぐには、砲撃を受けながらも偵察し、手榴弾にも対応できるような防衛側の練度が必要でした。

 

 しかしオースティンに、新米兵士をじっくり訓練する時間などありません。

 

 訓練期間が取れない以上、防ぎようがないのです。

 

 つまりオースティン軍にとって、『分かっていてもどうしようもない』戦術だったのです。

 

 

 我々はシルフを、もっと警戒しておくべきでした。

 

 シルフ攻勢のような悲劇はもう起こらないと、楽観すべきではありませんでした。

 

 オースティンの倒し方を知っていると豪語したシルフは、それを戦果をもって示したのです。

 

 彼女に対抗しうる『怪物』ベルン・ヴァロウは、戦線に復帰できていません。

 

 

 ────そして、オースティン滅亡のカウントダウンが、始まります。

 

 



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178話

 

「ガヴェル少尉、少尉はいますか!」

「来たかトウリ」

 

 自分が出撃許可を得て、エンゲイ市内の駐屯所にかけこむと。

 

 ガヴェル中隊は、既に出撃準備を終えていました。

 

「いつでも出られる、トウリ」

「……ありがとうございます、ガヴェル少尉」

 

 ガヴェル少尉も異変に気付いていたようで、出撃命令を待ってくれていたようです。

 

 この1年間で、彼も指揮官として成長していました。

 

「非常事態です。敵が仕掛けた多点同時突破により、前線が崩壊した可能性があります」

「そりゃ、大変だ」

「本中隊は自分が指揮を執ります。前線の様子を偵察し、防衛に参加する予定です」

「オーケー、トウリ少佐。お前ら、出陣だ!」

 

 敵に『多点同時突破戦略』を成功させられた。

 

 ガヴェル少尉ならこの一言で、コトの重大さは理解したでしょう。

 

 しかし彼は余裕たっぷりに、

 

「アルガリアの奇跡を起こした中隊とはどんなものか、奴らに見せてやるぞ!」

「「おう!」」

 

 焦りをおくびにも態度に出さず、自ら陣頭に立って鼓舞しました。

 

 ……1年前、指揮を執るのも怖がっていた彼とは大違いです。

 

 

 

 

 

 

 

 こうして自分は、ガヴェル中隊は意気揚々と出撃したのですが。

 

 実際に銃声が聞こえる距離まで近づくと、その絶望的な戦況に眩暈がしそうになりました。

 

「……これは」

 

 自分も、異常事態が起こっていることは悟っていましたが。

 

 まだ『頑張れば、取り返しがつく』という希望を、何処かに持っていました。

 

「ナウマンさん! ナウマン兵長はいますか!」

「およびですか、少佐殿」

 

 しかし塹壕の様子を確認した瞬間、そんな甘えた考えは吹き飛びました。

 

「司令部に伝言をお願いします。なるべく早く」

「了解。メッセージは?」

 

 言葉少なく、それでいて簡潔に。

 

 今の前線の状況を、一言で告げるのであれば、

 

「敗戦です」

「はい?」

「総員撤退の許可を出すよう、提言してください。さもなくば全滅します」

 

 ……オースティン軍の陣地は、崩壊していました。

 

 

 

 

 

 それは局地的な敗北ではなく、戦争としての敗戦。

 

 ベルン・ヴァロウの予想した通り、オースティンは戦争に負けました。

 

 突然に、完膚なきままに、救いようもないままに。

 

 

 目の前に広がっていた光景を、かつて見たことがありました。

 

 それは忘れもしない、3年前のあの日。

 

 ガーバック小隊長の後ろで、ピヨピヨ泣きわめく事しか出来なかった新兵の自分が見た景色。

 

「────シルフ、攻勢」

 

 それはシルフ攻勢の状況と、瓜二つだったのです。

 

 

 オースティンの防衛陣地は、ズタズタに分断され連携出来なくなっていました。

 

 四方八方から敵兵が湧き、塹壕による防御がほとんど機能していません。

 

 敵味方が入り乱れた混戦となって、数の劣る我々が各個撃破されていく。

 

 まさに、3年前のシルフ攻勢そのものでした。

 

「……俺達はどうする、トウリ?」

「B17地区がまもなく、最終ラインを破られそうです。そこの援護に向かいましょう」

「この状況で、何を援護するんだ」

「味方の撤退ですよ」

 

 これが、シルフ・ノーヴァの戦略です。

 

 駆け付けた時にはもう雌雄が決している『一撃必殺』の作戦指揮。

 

「俺達の自己判断で撤退するのか? 他の部隊に迷惑が────」

「今の総指揮官はヴェルディさんです。この状況を伝えれば、すぐ撤退許可を出してくれるはずです」

「だが……」

 

 彼と約束した通り、速やかに前線の情報を偵察し、報告しました。

 

 この状況を聞いて、ヴェルディさんなら撤退を判断してくれるはずです。

 

 なので自分は、自分に出来る事をしようと考えました。

 

「B17を抜かれるわけにはいきません。撤退許可が出るまで、B17地区を維持します」

「お、おお」

「そして自分の権限で、各中隊に最終ラインまで後退を許可してください。その後、撤退許可が出れば、足並みをそろえて退きますよ」

 

 自分はヴェルディさんを信頼し、きっと撤退許可を出してくれると信じて。

 

 自分の担当区域の兵士を、いつでも逃げられる布陣に切り替えました。

 

「……これは、彼女(シルフ)だ」

 

 自分はこの鮮やかな手口から、指揮を執っているのは彼女だと確信しました。

 

 油断して、気を抜いた一瞬を突いて致命的な一撃を放ってくる。

 

 シルフ・ノーヴァとは、そういう指揮官です。

 

「フラメール人を利用したのですか。貴女は」

 

 自分達は、フラメール兵の毎日のような自殺特攻のせいで油断していました。

 

 今日もまた同じだろうと、高をくくっていました。

 

 シルフ・ノーヴァが、フラメール軍の『肉挽き』を止めなかった理由が……これ。

 

 今日の奇襲の成功率を上げる為に、フラメール兵の自殺特攻を放置していたのです。

 

「トウリ、俺達はどこに向かえばいい!?」

「B17地区で、敵が突出しています。そこに向かいましょう」

「おっしゃ」

 

 自分は前線へ向かって走りながら、シルフの悪辣さに歯噛みしました。

 

 人死にを嫌う彼女が、こんな戦略をとるなんて信じたくありませんでした。

 

 以前の彼女なら、もっと『犠牲が少ない勝利』を目指したはずです。

 

 フラメール兵の愚かな犠牲を放置して、それを布石にするような作戦を獲るとは……。

 

「そうですよね。サバト復興(・・・・・)が目的なら、周辺国を消耗させた方が都合がいいですよね……ッ」

 

 彼女は自身の目的の為に、数多の若者の命を犠牲にしたのです。

 

 シルフの人となりを知っている自分は、それが悲しくて仕方ありませんでした。

 

「にしてもB17地区だけ突出されすぎじゃねぇか?」

「とんでもなく強い兵士でも、出たんじゃないですか」

「つまり?」

「突出しているB17地区に、話題のエースがいるのでしょう」

 

 自分がガヴェル少尉に、そう忠告した後。

 

「気合を入れますよ、ガヴェル少尉」

「おう」

 

 自分はなるべく低い体勢で、味方の塹壕に屈んで滑り込みました。

 

 

 

 

 前線では硝煙の香りが、草汁の苦臭と混じっていました。

 

 兵士たちの断末魔が、無作法な銃撃音が、耳を裂く爆発音が、戦場に木霊していました。

 

 敗北の戦場は、いつもこうです。

 

 恋人の名を叫ぶもの。赤子のように親に助けを求むもの。

 

 楽し気に敵を撃ち続けるもの。爆風に巻き込まれ、枯れた声で叫ぶもの。

 

 

 ああ、忘れていました。

 

 かつて自分はこの、塹壕の最前線で暮らしていたのです。

 

 ピリピリとした緊張が、自分の『前線勘』を少しずつ呼び戻していきました。

 

 

「ジーヴェ大尉! ご無事ですか」

「トっ、トウリ少佐(しょうしゃ)!?」

 

 滑り込んだ塹壕の中で、見知った顔がありました。

 

 この地区の前線指揮官、女性が苦手なジ-ヴェ大尉です。

 

「援護に来ました。戦況を教えて下さい」

「あのっ、そのっ……。み、見ての通り『大盾』が現れ、押し込まれている状況で」

「分かりました。ガヴェル中隊、防衛態勢。ジーヴェ大隊を援護します」

「……じょじょ、状況判断が早いのは、助かりますが! なんで少佐がここに来てるんですか!」

「自分がここに来たから、状況判断が早いんですよ」

 

 ジーヴェ大尉は照れながらも、ハキハキと応対しました。

 

 敵の攻勢が激しすぎて、細かい事に気を使っている余裕がないようです。

 

「ジーヴェ大尉、我々も参戦しますがいいですね?」

「そ、そりゃあ、助かりますねぇ! 殆ど戦力が残ってねぇもんで!」

「聞きましたね! 各員、戦闘態勢!」

 

 防衛兵士が足りてなさそうなので、すぐにガヴェル中隊に塹壕壁に張り付くよう指示を出しました。

 

 B17地区は既に、最終ラインまで押し込まれていました。

 

 ここを突破されてしまったら、司令部が強襲される可能性もあります。

 

「ジーヴェ大尉。お隣失礼します」

「あひぃ!?」

 

 想像以上に戦況がまずいので、自分も小銃を手に持って応戦を試みることにしました。

 

 ジーヴェ大尉に肩が当たってしまい、変な声を出されました。

 

「しょ、少佐殿?」

「……射撃、【盾】。射撃、【盾】」

「あー、もう! 総員、少佐に後れを取るな! 撃て撃て、撃ち返せ!」

 

 自分に緊張しつつも、ジーヴェ大尉はひるむことなく指揮を執り続けました。

 

 女性が苦手でも、仕事に手を抜かないのは良いですね。

 

「トウリ少佐! 手伝ってくださるのは良いですが、死なんでくださいよ!」

「それは、神のみぞ知るというやつです。自分が死んだら指揮をお願いしますジーヴェ大尉」

 

 自分だって本職には劣りますが、【盾】の魔法や防衛射撃を学んでいるのです。

 

 指揮官自ら前線に立つのは愚かしいですが、今は一人でも戦力が欲しい場面。

 

 それに直に戦場を見た方が、より正確に状況を把握しやすい────

 

「こちらガヴェル少尉! なんか前ででっかいのが動いてるぞ、ジーヴェ兄さん!」

「……っと! 少佐、でやがりました!」

 

 自分は思い切って塹壕から頭を出し、敵の方を目視しました。

 

 フラメール兵の勢いはどんなものか。攻勢の規模は、敵の主武装は。

 

 自分がそれらの情報を認識する前に、ドスンという轟音が戦場に鳴り響きました。

 

「『大盾』です!!」

 

 そこで自分が見たのは、おとぎ話に出てくるような猛々しい巨人でした。

 

 彼の構えた鉄の塊は、優に2メートル以上の高さがあります。

 

 教会の鐘を割って作ったのか、その鉄盾には聖母の像が彫られていました。

 

「何て、不気味────」

 

 戦場には似あわぬ清らかな鉄の聖女(アイアンメイデン)

 

 それは数多の銃弾痕で傷だらけとなって、優しい笑顔をこちらに向けていました。

 

 巨人に支えられた聖母像、それがエース級『大盾』。

 

 半円錐状の鉄盾で自分の身を守る、怪力の変態。

 

 盾があまりに強固なので、前方向から攻撃は不可能です。

 

「■■■■■■■────!!!」

「来ますよ、少佐!」

「迎撃します!」

 

 エース『大盾』は地面をえぐりながら、雄たけびと共に突っ込んできました。

 

 人間に動かせる重さじゃないだろうに、鉄塊は地鳴りを響かせ悠然と進んできます。

 

「ガヴェル中隊、銃を構えてください!」

「トウリ少佐、アレに銃弾は効きませんよ」

「では、手榴弾は!?」

「そ、それもイマイチです」

 

 銃による迎撃は難しそうなので、手榴弾投擲をしようと考えたのですが。

 

 ジーヴェ大尉は、手榴弾を投げようとする自分を制するように口を出しました。

 

「投げて、あの鉄盾の背後で爆発させれば……」

「『大盾』部隊、かなり手榴弾の対策をしてるんですよ。『風銃』でほぼ撃ち落とされ、【盾】魔法で爆風も逸らされます」

「……」

 

 そうですよね。銃以外の攻撃手段なんて、手榴弾くらいしかありませんからね。

 

 敵も当然、対策してくるでしょう。

 

「じゃあどうしてるんですか」

「どうしようもないから、困ってるんですよ」

 

 ジーヴェ大尉は不貞腐れた顔で、咥えていたタバコを吐き捨てました。

 

 こうして戦場でエースに相対すると、その理不尽さを実感しますね。

 

 ……この時代にはない、戦車みたいなものじゃないですか。

 

「敵部隊、『大盾』に合わせて一斉に前進してきました!」

「応戦してください!」

 

 そして、こちらからの攻撃に有効打はありませんが。

 

 フラメール兵は、その鉄盾に守られながら攻撃を仕掛けてきます。

 

「ト、トウリ少佐、この塹壕を放棄しませんか」

「ここは最終防衛ラインですよ!?」

「い、居座っても、全滅するだけでしょ!」

 

 『大盾』が出現してすぐ、ジーヴェ大尉から撤退の提案を受けました。

 

 最終防衛ラインの放棄など、通常はあり得ません。

 

「塹壕間の通路を爆破して、『大盾』の確保した塹壕を孤立させるんです」

「む……」

「ここで意地になって全滅するより、突破された後の被害を最小限にとどめるべきです」

 

 最終ラインを割られたら厳しい戦況になるのは、間違いないですが。

 

 『大盾』があまりに凶悪過ぎて、この1年間で一度も止められなかったそうです。

 

「無策で全滅するのではなく、上手な負け方をする判断が指揮官には必要です!」

「……そうですね、確かに」

 

 確かに自分達がここに残っても、被害が増えるだけでしょう。

 

 まもなく『大盾』の部隊は鉄塊に守られ、無傷のままこの塹壕に突撃してきます。

 

 そうなれば、人数で劣る我々が壊滅させられるだけ。

 

 あの鉄盾を前に、防衛側の有利を生かすことは出来ないのです。

 

「……」

 

 もしこんな時に、ガーバック小隊長が居てくだされば。

 

 そんな甘えた考えが浮かんで、自分は唇を噛みました。

 

 彼がいたならば「しゃらくせぇ」と怒鳴って突っ込み、『大盾』をぶった切ってくれたでしょう。

 

 ガーバック小隊長は塹壕戦で、文句のつけようがないエースでした。

 

「トウリ少佐、ご決断を」

「はい。ジーヴェ大尉、それでは────」

 

 ですが、ここにガーバック小隊長はいません。

 

 彼のようなエース級は、オースティンにはほとんど生き残っていません。

 

 だからここで塹壕放棄を選択するのは、仕方がない事です。

 

 自分は意を決し、この場の全員を撤退させようとして、

 

「……あれ?」

 

 ふと、妙な事に気が付きました。

 

「どうしたっていうんですか、少佐!」

「いえ、その」

 

 敵のエースが走ってくるのが、イヤに遅いのです。

 

 こんなにゆっくり、撤退をするかどうか判断する余裕があるなんておかしいです。

 

 ガーバック小隊長なら、とっくに塹壕に到達している時間ですが……。

 

「命令を出すなら急いでください、トウリ少佐! もう、ヤツが塹壕間の半分以上進んできています!」

「……まだ、半分?」

 

 ジーヴェ大尉に急かされて、チラっと塹壕から顔を出しました。

 

 見れば『大盾』はノロノロと、鉄条網や魔法罠を叩き潰しながらこちらに前進してきています。

 

 まだ、塹壕間の半分ほどしか踏破出来ていません。

 

 ……本物のエース、ガーバック小隊長とは比較しようのない『鈍重』な突撃。

 

「……違う」

「少佐?」

「違います。あんなのは、エース級ではありません」

 

 なんたる敵の、愚かな事か。

 

 あのような鈍重な侵攻であれば、いくらでも対処法がある。

 

 ……そう気づいた瞬間に、ドクンと心臓の音が跳ねました。

 

「ジーヴェ大尉、命令です」

「はい、塹壕放棄ですね!? もう準備は」

 

 ああ、愚かしい。いつの間にか、感情が高ぶって止まらなくなりました。

 

 ケネルさんが自分に問うた、アルガリアにおける勝利の秘訣は何だったのか。

 

 今ならば、その問いに迷わず答えられます。

 

 

 ────アルガリアの戦いでは指揮官(じぶん)が、死ぬ恐怖より敵を殺す快楽を求める『異常者』だったから。

 

 

「消耗の少ない突撃小隊を、一つ貸してください」

「……は?」

「自分が出て突っ込みます」

 

 ……自分には、まだエース級と言えるほどの実力はありませんけど。

 

 『本物(ガーバック)』を知る者として、アレの倒し方を示しておく必要があるでしょう。

 

 それが、異常者たる自分の役割です。

 

「『大盾』を仕留めてきます。ジーヴェ大尉、援護をお願いします」

 

 先程までの自分は、何を弱気になっていたのか。最終ラインを放棄するなど愚の骨頂。

 

 突破されれば、背後を取られた味方は大きな被害を受けるでしょう。

 

 ここでヤツを仕留められるかどうかで、トウリ連隊は『敗走』するか『撤退』するかが変わるのです。

 

「……♪」

「トっ……、トト、トウリ、少佐?」

 

 胸の鼓動が鳴りやまない。

 

 ああ、もうスイッチが入ってしまっている。

 

 かつてベルン・ヴァロウに突き付けられ、自覚してしまった自分の悪意。

 

 銃で敵を仕留める事に、快感を覚えてしまう自分の本性。

 

「勝利条件は、敵エース級の撃破。敗北条件はこの塹壕を損失、ないし自分の死亡……ってところでしょうか」

「……ひっ」

 

 ……ああ、堕ちていくのが分かります。

 

 堕ちてはならない外道に、足を踏み入れてしまった感覚。

 

 だが、兵士とはこうあるべきなのでしょう。

 

 ケネル大尉の言う通り、敵を撃ち殺せば手を叩いて喜ぶべきで。

 

 人を殺す事に、達成感と歓喜を抱くべきなのです。

 

「自分が、エースを仕留めてやります」

 

 人を殺す事を躊躇わず、死の恐怖を殺意で乗り越える。

 

 そう心に決め、自分は胸の高揚を隠さず、動物的な笑みを浮かべ。

 

「……ふふ」

 

 サバト小銃を胸に構え、塹壕越しに動く鉄塊を睨みつけました。

 



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179話

 

 戦闘開始から1時間が経過したころには、すでに殆どの塹壕が敵に『浸透』されていました。

 

 オースティンの塹壕陣地は連携を分断され、防御力を失いつつありました。

 

 こうなれば、人数で劣るオースティン軍に勝ち目はなく。

 

 状況は限りなく詰んでいて、自分達は『撤退』か『壊滅』するしかありませんでした。

 

「ジーヴェ大尉、自分はどの部隊を率いればいいですか」

「え、あ、ああ……」

「時間がありません、早くしてください」

 

 中でもエース級『大盾』を擁するB17地区は、最も深く斬り込まれていました。

 

 もし最終ラインを突破されたら、自分達の陣地は穴の空いた風船のように崩壊するでしょう。

 

 1人でも多くの味方を救うため、自分は打って出るべきだと考えました。

 

 ……いえ、違いますね。

 

「だ、だめです。トウリ少佐は、あの男の恐ろしさを知らない!」

「ええ、自分は彼の恐ろしさを知りません」

 

 自分の手で、エースを屠れる可能性に気付いて興奮し。

 

「ただし、彼より恐ろしい人(ガーバック)なら、知っています」

「何を……っ!」

 

 出撃し(あそんでみ)たくて仕方なかったのです。

 

「……」

 

 ジーヴェ大尉は、出撃すると言い出した自分に狼狽している様子でした。

 

 ……こんなところで、押し問答をしている時間はないというのに。

 

「上官命令です。部隊を貸してください」

「考え直してください。し、失礼ながらトウリ少佐では何も出来ないかと」

「出来るかどうかを判断するのは自分です」

「……で、ですが。……駄目です、大事な部下を少佐の自殺特攻に付き合わせる訳には────」

 

 どれだけ要請しても、ジーヴェ大尉は首を縦に振りませんでした。

 

 上官命令の拒否に当たりますが、彼なりに部下を思ってのようです。

 

 どうしたものでしょうか。

 

「……仕方ありませんね。ガヴェル少尉!」

「ん、何だトウリ!」

 

 本当は、訓練兵の多いガヴェル中隊の兵士を随伴させたくなかったのですが。

 

 ジーヴェ大尉が頷いてくれなければ、仕方がありません。

 

「ガヴェル少尉、腕のいい小隊を一つお貸し頂けますか────」

「ちょっと待ってください。トウリ少佐!」

 

 そう考え、ガヴェル少尉に声をかけた直後、

 

「ジーヴェ大尉殿、俺にお任せを! キャレル小隊が随伴部隊に志願します!」

「え? お、お前が?」

「はい!」

 

 威勢の良い声で、自分の前に駆けてきた兵士が居ました。

 

 これはまだ若いですが、爛々と輝いた目を持つ偉丈夫です。

 

「地獄へのお供は、我らでよろしいでしょうか。トウリ少佐」

「……っ! 貴方は」

 

 自分は、笑顔で敬礼してくれたその男に見覚えがありました。

 

 ……彼はおよそ1年前、あのアルガリアの戦いを共に戦った生き残り。

 

「まさか、キャレルですか? 一緒にアルガリアを生き抜いた」

「ええ、お久しぶりです」

 

 何と、かつてトウリ中隊で二等兵だった兵士キャレルでした。

 

 色々と気が利いて、優秀だった男でしたが……。

 

 この1年で、まさか小隊を任されるまで昇進していたとは。

 

「この塹壕で一年、生き延びました。トウリ少佐のご指導の賜物です」

「……っ!」

 この一年で彼は、たくさん功績を上げたのでしょう。

 

 首元の階級章を見れば、キャレルは既に兵長になっていました。

 

 去年と比べ体躯はたくましく、背丈も高くなり、顔は自信に満ち溢れています。

 

「また、貴女の力になって見せます」

 

 背中を預ける戦友が、なんと心強い事か。

 

「貴官の勇気に感謝を、キャレル兵長。……では、貴小隊に随伴をお願いします」

「了解、トウリ少佐」

「他小隊は援護をお願いします。指揮を任せましたよ、ジーヴェ大尉」

「わ、わかった」

 

 自分はキャレルに勇気を貰うと、鉄帽を深くかぶり、塹壕越しに敵の位置を確認して。

 

「────エースを、仕留めます」

 

 塹壕壁の木材を蹴って、死臭漂う大地へ突っ込んでいきました。

 

 

 

 背丈が低いが、体は軽い。それは、自分の取柄です。

 

 なので足場さえあれば、自分は素早く高所へ駆け上がれるのです。

 

「振り返るな、自分に続け!」

 

 塹壕壁の木材に足をかけ、勢いよく塹壕から躍り出た後。

 

 自分はアーミーナイフを抜き払い、前傾姿勢で戦場を駆けていきました。

 

 フラメール陣地から前進してくる、蠢く謎の鉄塊(エース)へ。

 

「……自分の後ろは、安全、ですっ!」

 

 塹壕から飛び出してすぐ、先陣を切った自分へ数多の銃弾が集中しました。

 

 自分は無数に迫りくる狂弾を、【盾】で無我夢中で弾きました。

 

「ぐぁあ!」

「痛い、痛いよぉ!!」

 

 同時に背後で、数人の泣き叫ぶ声が聞こえました。

 

 自分の【盾】の範囲外にいて、銃弾に当たったのでしょう。

 

「……すみません」

 

 自分が戻れば、彼等を治せるかもしれません。

 

 ですが自分は、振り向きもしませんでした。

 

 突撃作戦で、死者が出るのは当たり前だからです。

 

「貴方達の命は、無駄にはしません!」

 

 彼等の死を無駄にしないために、敵のエースを仕留める。

 

 そして一人でも多く、味方を無事に撤退させる。

 

 それが、今の自分の仕事です。

 

「やはり、移動速度は遅い!」

 

 敵のエース『大盾』は、移動が鈍重でした。

 

 確かに防御力は鋼鉄のようですが、移動速度はカタツムリです。

 

「今から突っ込みます、援護を!」

「りょ、了解」

 

 あのでくの坊を倒せば、味方の被害を減らせる。

 

 ここで敗走したら、セドル君に危険が及ぶ。

 

 ならば、ここであの敵を殺すしかない。

 

「はは、は」

 

 胸のうちに、罪悪感のない殺意が満ち溢れてきます。

 

 自分は戦争を言い訳にして殺人を肯定し、高揚を感じていました。

 

 人間として歪んでいますが、今はこれで良い。

 

 精神を歪ませないと、戦場では生き残れない────

 

「あの鉄の塊、どう攻略しようっていうんですか」

「前からじゃダメ、左右からも攻めれないとなれば一つしかないでしょう」

 

 自分は殺意に押され、まっすぐ『大盾』に向かって走り込みました。

 

 鉄盾に刻まれた聖母像(アイアンメイデン)は、自分を見下し、潰した血飛沫を浴びて笑っていました。

 

「うぐ、ぐ!」

「トウリ少佐に追従しろ! 少佐に銃弾を集中させるな!」

 

 『大盾』に近づくと、銃撃の密度が濃くなりました。

 

 抉るように頭蓋を掠る、危ない一発もありました。

 

 ですが、立ち止まるわけには生きません。

 

「ご武運を、トウリ少佐ァ!!」

「ぐぁあああああ!!」

 

 数多の犠牲に支えられ、自分は大盾の目前まで無事に辿り着きました。

 

 ここまで来ると、盾が遮蔽物になって逆に安全です。

 

「……後は任せてください」

 

 ……多くの戦友を殺したフラメールのエース『大盾』。

 

 その報いを、今こそ受けて貰います。

 

「【盾】!!」

 

 その鋼鉄の聖母像は、確かに強固でした。

 

 銃弾は阻まれ、爆風は避けられ、鉄条網をも踏みつぶせます。

 

「トウリ少佐! 一体何を!」

「こう見えて自分は、運動神経は良いんですよ!」

 

 ですが、その鉄盾は動きが鈍重であるがゆえに。

 

 足場さえあれば、ボルダリングのようによじ登ることが出来るのです。

 

「こうやって、駆け上がって上から!」

 

 自分がその鉄盾の前に、【盾】で足場を作り。

 

「鉄盾の中に手榴弾をダンクすればいい!」

 

 ピンを抜いた手榴弾を手に持って、聖母像の顔面を踏みつけ。

 

 盾の上から、真下の(エース)に手榴弾を叩きつけました。

 

「わぷっ!」

「トウリ少佐ァ!」

 

 その直後、凄まじい爆発が鉄盾を揺るがして。

 

 自分は鉄盾から滑り落ち、2メートル近い高さから地面に叩きつけられました。

 

「無事ですか!」

「痛い……ですが、何とか」

 

 盾越しに手榴弾を叩きつけ、エースを丸焼きにする。

 

 これが、自分の出した『大盾』の攻略法です。

 

「……仕留めましたね」

 

 エース『大盾』の姿を見た時から、この攻略方法以外はないと思っていました。

 

 鉄盾の形状は半円錐で、前からの攻撃を左右に弾く形です。

 

 なので敵の銃弾を掻い潜り、盾を駆けあがって上から手榴弾を叩きつければ致命打を与えられるのです。

 

「少佐っ! 足の、骨が……」

「ええ、折れてそうです」

 

 ただ銃弾が乱れ飛ぶ中、鉄の盾をよじ登って上から手榴弾を叩きつけるのは至難です。

 

 自分のようにある程度、銃弾を【盾】で弾ける兵士にしか出来ない攻略でした。

 

 だから危険を冒し、自分が前線へ出たのです。

 

 ……ちゃんとしたエースがオースティンに残っていたら、もっと早く『大盾』を仕留められていたでしょうね。

 

「……歩けますか、トウリ少佐」

「すみませんがキャレル、ちょっと厳しいです。治療する間、周囲の警戒をお願いします」

「了解」

 

 流石と言うべきか、キャレルはまだ生き残って自分に随伴し続けてくれていました。

 

 【癒】で快復するまで、彼に護衛して貰いましょう。

 

「銃弾は飛んできませんね。……痛ッ」

「鉄の大盾が、守ってくれてますから」

 

 自分は折れた骨をまっすぐ伸ばし、正しい形に固定した後、【癒】を発動しました。

 

 これで、歩けるようになるはず────

 

 

「っ! 危ない、少佐!」

「なっ! キャレル!?」

 

 

 そう思って、自分が足に【癒】を使った瞬間。

 

 キャレルが凄まじい形相で、自分を鉄盾の陰から突き飛ばしました。

 

「一体────!?」

「どうか、ご無事で」

 

 

 その直後、キャレルは安堵の表情を浮かべ。

 

 倒れ込んできた鋼鉄の処女(アイアンメイデン)に、顔面をトマトのように叩き潰されました。

 

「────」

 

 最期に見たのは、安堵の笑顔。

 

 小隊長になったキャレルは、自分を庇って鉄盾に押し潰され、血飛沫とともに短い断末魔を上げました。

 

 

「■■■ァ!」

 

 

 フラメールのエース『大盾』は健在でした。

 

 いったいどうやったのか、彼の軍服は焦げていましたが、爆風の中で致命傷は避けたようです。

 

「まだ、生きてましたか……」

「■■■!」

 

 その男は、鬼気迫る表情で自分を睨みつけ、銃を構えました。

 

 どことなくアルノマさんに似た顔立ちだな、と思いました。

 

「……っ!」

 

 せっかくキャレルに救われた命、無駄にするわけにはいきません。

 

 自分は男の銃撃を、折れていない足で地面を蹴って躱し。

 

 ゴロゴロと転がりながら、近くのオースティン塹壕へ転がり込みました。

 

「■■■■■────」

 

 しかし自分が転がり込んだ塹壕は、フラメール軍に占領されていました。

 

 味方は地面に伏し、誰も生きていません。

 

「トウリ少佐を援護しろ!」

「撃て撃て! 『大盾』を殺せ!」

 

 まだ周囲には、フラメール兵士がうようよしています。

 

 このままだと敵に詰められ、蜂の巣にされてしまうでしょう。

 

 早く、足を治さねば。

 

「【癒】っ……」

「■■■■!」

 

 ……回復魔法の行使には、十秒ほどはかかります。

 

 しかし周囲を敵に囲まれた状況で、十秒という時間は想像を絶する長さでした。

 

「■■■■っー!」

「■■!」

 

 回復魔法を発動しようとした瞬間。

 

 自分を仕留めるべく、敵兵がわらわらと塹壕に飛び込んできました。

 

 憎しみと怒りを込めた目で、自分を睨みつけながら。

 

 

 ────ああ、死にましたね。

 

 

 自分はぼんやりと、回復魔法を行使しながらそう感じました。

 

 同時に二つの魔法を発動することは出来ません。

 

 【癒】を行使してしまった以上、咄嗟に【盾】には切り替えれないのです。

 

 もっと安全な場所で、安全なタイミングで治療を行うべきでした。

 

 

 無数の銃口が、自分の体躯を捉えます。

 

 ここから生きて帰れる可能性は、どれほどでしょうか。

 

 彼らの銃弾が全て外れて、回復魔法が完了するまで生き延びる事が出来れば、生き延びるチャンスはあるかもしれません。

 

 逆に言えば、それ以外に自分が生き残る方法は無い。

 

 そんな奇跡を、神に祈るのみ。

 

「……これも、報いなのかもしれません」

 

 自分は戦争を理由に、『敵を撃つ事に快感を覚えて』戦いました。

 

 それは戦争を理由に虐殺を行った、ベルン・ヴァロウと同類の単なる快楽殺人者です。

 

 そうならねば戦場を生き抜けないと言い訳をして、人間性を捨ててしまった者の末路。

 

 ……自分のような外道は、戦場で死んで然るべきなのでしょう。

 

「ごめんなさいね、セドル君」

 

 今夜の戦闘詳報には、自分の名前が載るでしょう。

 

 死者の一名として、ヴェルディさんのサインと共に、アニータさんに死亡通知が届けられます。

 

 幼いセドル君は、まだ自分の『死』の意味も理解してくれないでしょう。

 

 薄暗い戦場で、フラメール兵に死体を踏みつけられ、泥に塗れて朽ちていく。

 

 それが、自分の運命です。

 

「……ロドリー君。会いに行きます」

 

 自分は死を覚悟し、眼を閉じました。

 

 ここまで好き放題をやったのです。戦場で死に、土の中で朽ちる覚悟も出来ています。

 

「あと少し、待っていて下さい」

 

 自分は心のうちに、温かい彼の笑顔を思い浮かべ。

 

 そして、来るべき死の瞬間を待ちました。

 

 

 

 ────足が、癒える。

 

「……?」

 

 何故かフラメール兵からの、銃撃はありませんでした。

 

 彼らは自分に銃口を向けたまま、発砲することなく見つめるのみでした。

 

「■■■■ー!」

「■■■?」

 

 見れば彼らの指揮官が、発砲を制止しているようです。

 

 これはどうした事でしょうか。

 

 自分が少女のような見た目なので、撃つのを躊躇ったとか?

 

「よし」

 

 足が動く。力が入る。

 

 これなら、逃げられる。まだ魔力には余裕があります。

 

 敵の追撃に気を付けながら、塹壕間を走り抜けることが出来れば────

 

 

 

 ……そう思って、空を見上げた直後。

 

 地鳴りと共に、大きな鉄塊が自分に向かって落ちてきました。

 

「────『大盾』ですか!!」

「■■■ッ!!」

 

 その男は憤怒の形相で。

 

 治療を終えた自分を見つめ、激高しています。

 

「同じ手は二度、食いません!」

 

 鉄盾には、まだ赤い血が滴っていました。

 

 それはおそらく、キャレルの血。

 

 優しく優秀で、自分に告白してきたこともあった、アルガリアを生き延びた戦友。

 

 そう気づいた瞬間、憤怒が全身の血を沸騰させました。

 

「■■■!!」

「……遅い!」

 

 『大盾』の動きは、読みやすく鈍重でした。

 

 この男の恐れるべきは、鉄盾を自在に振り回すその底知れぬ膂力と、爆風すら耐える生存力。

 

 見ればヤツは真っ赤になった肩を怒らせ、鉄盾を構えていました。

 

 ……それは到底、エースの動きではない。

 

「■■■■ー!!」

 

 男はまっすぐ、自分を叩き潰そうと直進してきました。

 

 自分を塹壕壁と挟み、潰すつもりの様です。

 

「愚かですね」

 

 殺す気ならば素直に、自分に銃口を向ければいいものを。

 

 我が身を危険に晒したくないから、この男は盾を構えて突っ込んできたのです。

 

「……【盾】」

 

 自分は地面を盛り上げるように、三角形の【盾】を形成しました。

 

 こんなもの、本来であれば鉄盾に踏みつぶされる強度しかないのですが……。

 

「■■■!?」

「そんな大きなもの、バランス悪いに決まっているでしょう」

 

 自分はその【盾】を、大盾の右端にぶつかるよう形成してやりました。

 

 狙い通り、右端が突っかかった鉄盾はバランスを崩し、傾いて進路が逸れます。

 

「そんな大きなものを動かすのです。そりゃあ、両腕を使ってますよね」

 

 自分は逸れた鉄盾を回り込み、小銃を構えました。

 

 鉄盾の中には、転倒して唖然としている巨漢が、呆然と自分を見つめていました。

 

「銃を撃つ度胸がないなら、戦場に出て来こないでください」

「■■■ーーーーォ!!!」

 

 勝った。これで、殺せる。

 

 敵エースを仕留められる事に気分が高揚し、唇が歪みました。

 

 ああ、終わっています。きっとこの人にも家族や友人がいるだろうに。

 

 自分は敵のエースに銃口を向け、恍惚の笑みを浮かべました。

 

「待て! 待ってくれ、彼を殺すな!」

「さようなら、エース」

「待っ────」

 

 慌てて銃のホルダーへ手をやる『大盾』に一声かけ。

 

 自分はその男の額を、寸分狂わずに撃ち抜きました。

 

「ははっ♪」

 

 血飛沫が飛び散って、男の目が上転します。

 

 力なく地面に伏し、額に開いた銃口からは動脈血が噴き出して。

 

 間違いなく自分は、エース『大盾』を仕留めました。

 

「あははァ────」

 

 エースを殺した快感に、美酒のように酔っていると。

 

 

 

「────小さな、小隊長?」

「えっ」

 

 

 その視線の先で、呆然と。

 

 塹壕の中、信じられないような目で、自分を見つめるアルノマさんが立っていました。

 



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180話

 

 数年ぶりに会ったアルノマさんは、髭が生えて野性味が出ていました。

 

 少し老けていましたが、相変わらず彫りの深いハンサムな顔をして。

 

 『大盾』の額を撃ち抜き笑う自分を、目を見開いて呆然と見つめていました。

 

「■■■ォ!!」

「っ!」

 

 自分が『大盾』を撃ち殺した直後、フラメール兵が憤怒の声を上げ、自分に銃を向けました。

 

 そして悪魔でも見るような目つきで、怒号と共に引き金を引きました。

 

「■■ぇ!」

「……っと、危ない」

 

 弾が多すぎて、【盾】で弾ききれない。

 

 そう判断した自分は遮二無二、鉄盾の裏に転がり込みました。

 

 刹那、無数の鉛弾が甲高い音を立て、聖母像に弾かれて跳弾していきます。

 

「や、やめろ、撃つな。彼女と話をさせてくれ!」

「■■、■……」

「小隊長、私だ! アルノマだ!」

 

 人数差が不利過ぎます、撃ち合うべきではないでしょう。

 

 そう考え盾の裏に潜んでいたら、アルノマさんが自分に語りかけて来ました。

 

「君が……君が何故ここにいる、小さな小隊長! 君はトウリ小隊長だろう!?」

「……アルノマさん」

「やっぱり君だ。よく生きて、いや────」

 

 アルノマさんは動揺した声色で、言葉に詰まっていました。

 

 恐らく、先ほど自分を撃たないよう指示してくれたのは彼なのでしょう。

 

「私は、その。君はもう死んだと、聞かされていて」

「……」

「お世話になった小隊長に何もいわず、去ったのは申し訳ない。いや、今はそれより、君は衛生兵の筈だ」

 

 まだ気持ちを整理できていないのか、アルノマさんの言葉には苦悶と混乱が混じっていました。

 

 もっとも、混乱しているのは彼だけではありません。

 

 自分だって先ほど(・・・)の痴態(・・・)を見られてしまい、混乱の極地でした。

 

「頼む、トウリ小隊長! 今、君が撃ったヘレンズを治療してくれないか!」

「ヘレンズとは、この鉄盾を動かしていた人ですか」

「そうだ! 彼は心優しくて、勇敢で……。とても良いヤツなんだ! 頼む!」

 

 自分はアルノマさんが『ヘレンズ』と呼んだ、鉄盾男をチラリと横目で見ました。

 

 彼は頭蓋を撃ち抜かれ、口腔から血液を零し、間違いなく死んでいます。

 

「私は、フラメール軍にも顔が利くんだ! 治してくれるなら、貴女は私が保護してみせる。だから……」

 

 回復魔法は万能ではありません。

 

 死人を蘇らせる奇跡なんて、この世には存在しないのです。

 

「私のたった一人の親友を、治してくれ!」

 

 そして、彼が言うには。

 

 自分が殺したこの男は、アルノマさんの大事な親友。

 

「……」

 

 眩暈と後悔で、腹の中を全て吐き戻しそうになりました。

 

 いけません、冷静になりましょう。

 

 自分は『殺人をゲームのように楽しむ快楽殺人者』。

 

 このゲームの勝利条件は、敵エース『大盾』の撃破。敗北条件は、自分の戦死。

 

「自分は、オースティンの兵士ですよ」

「関係ないさ、私がいる。私が守る!」

 

 エースの撃破には成功しました、後は『どうすれば生き残ることが出来るか』が課題。

 

 ……そう、自分はゲームをしている最中────

 

「診察するだけ、しましょう」

「お願いだ。ヘレンズは、エンゲイに妻子を残してるんだ。今日、やっと家族と再会出来るんだ」

「……」

「助けてやってくれ、小隊長。彼はエンゲイで囚われている息子に会うのを、とても楽しみにしていたんだ────」

 

 自分は無表情に、鉄盾の陰から。

 

 地面に倒れ伏している、『大盾』ヘレンズを見下ろしました。

 

「……」

 

 ヘレンズの頭蓋は、自分の銃撃で穴が開いています。

 

 骨は砕け、脳漿は零れ、動脈血が噴き出しています。

 

 ……アルノマさんも衛生兵だったからには、分かるでしょうに。

 

「【盾】」

「……小さな、小隊長?」

 

 自分はその場に、【盾】の足場を作り出すと。

 

「治療は、もう無理ですね。それでは」

 

 【盾】を足場に勢いをつけ、塹壕を駆けあがりました。

 

 

 

「待て! 逃げるなトウリ小隊長ォ!」

 

 背後からアルノマさんの絶叫が響きます。

 

 それは先程までと違った、恨みと怒りのこもった猛々しい声。

 

「よくもヘレンズを、よくも私の親友を!」

「お互い様です、アルノマさん」

 

 再び、無数の銃弾が、自分を目掛けて飛んできます。

 

 その際に【盾】が破られ、左腕を負傷してしまいましたが……。

 

 何とか致命傷を負わずに済み、味方の籠る塹壕まで走り続けました。

 

「先程ヘレンズさんが叩き潰した兵士は、自分の大事な戦友です」

「……っ」

 

 自分はそんな捨て台詞を吐いて、左腕から血を流し、塹壕間を疾走しました。

 

 背後から声にならない、男の絶叫が聞こえてきました。

 

「どうしてだ! どうして優しい君が、こんな残酷な戦争に加担している!」

「フラメールが仕掛けてきたから、起こった戦争でしょう」

「違う! 君たちが、君たちだって追い返しただけで満足せず、侵略してきただろう!」

 

 アルノマさんは知っているはずです。

 

 フラメールが、エイリスが、どんな所業を以てオースティンに宣戦布告を行ったのか。

 

「そもそも! 君たちが戦争なんかしているから!」

「……」

「こんな、こんなことは私は望んでいなかった!」

 

 再び、数多の銃弾が自分に向かって撃たれました。

 

 自分は身をよじり、【盾】を展開し、銃弾の全てを転がりながら躱します。

 

「ヘレンズが家族と再会出来て! オースティンがフラメールから立ち去って! それで戦争が終わって、みんな幸せになって!」

「……」

「私はそうなって欲しかっただけなんだ!」

 

 アルノマさんの声は、よく通りました。

 

 もうずいぶん後ろにいる筈なのに、耳元で囁かれているような活舌で、耳障りの良い妄想を慟哭します。

 

 流石は劇団俳優、といったところでしょう。

 

「何故……貴女がここにいる!? 何故、貴女は邪魔をする!?」

 

 彼は怒りと、悲しみと、困惑を叫びに乗せて。

 

 いつまでも銃口を自分に向けることなく、延々と泣き叫び続けました。

 

「貴女は優しい人物の筈だ! 貴女と共に仕事をしたから、よく知っている!」

 

 その慟哭を聞き流し。

 

 正気に引き戻されないよう、唇を噛みしめながら。

 

「そんな貴女がどうして!! エンゲイを奪い、民を虐げているオースティン軍に力を貸すのだ!!」

 

 自分は無事に、味方の守る塹壕まで全力で走り続けました。

 

 

 

 

「敵エース、『大盾』を撃破しました」

「……お疲れ様です、トウリ少佐」

 

 塹壕を走り抜き、戻ってきた自分の周囲に随伴歩兵は残っていませんでした。

 

 キャレル小隊の面々は、皆自らの職務に殉じ、本懐を遂げました。

 

 自分の下した、命令の通りに。

 

「撤退指示は、どうなりましたか」

「ヴェルディ少佐は、もう少し戦線を維持してくれと。司令部の撤退が完了次第、撤退を許可してくださるそうです」

「……流石はヴェルディさん。ではご指示通り、暫くこの防衛ラインを維持しましょう」

 

 どうやらオースティン司令部は、エンゲイからの撤退する判断を下してくれたようです。

 

 ヴェルディさんの土壇場の判断力は、本当に頼りになります。

 

「トウリ少佐……、よく戻ってこられましたね」

「ええ、幸運(ラッキー)でした」

 

 自分の突撃の後、激しい攻勢が止んで両軍睨み合っている状況になりました。

 

 『大盾』を失って動揺しているのか、アルノマさんが止めているのか分かりませんが。

 

「ジーヴェ大尉、こちらの残り戦力は?」

「十分に動けるのは5~6小隊でしょう。……ひときわ優秀だったキャレル小隊を失ったのが、痛手です」

「……無茶に付き合わせてしまいました」

 

 しかしこちらの被害も馬鹿になりません。

 

 将来有望と見込まれていたキャレルが、自分に随伴して犠牲になってしまいました。

 

 それも、油断した自分の命を助けるために。

 

 ……いえ、今は何も考えないでおきましょう。

 

「エンゲイの司令部から伝令です。まもなく、司令部が脱出の準備が整うそうです」

「了解」

 

 キャレル小隊の活躍によりエースを撃退し、司令部が撤退する時間は稼げました。

 

 後は他部隊と歩幅を合わせて、無事に撤退するだけです。

 

「撤退戦です、気を抜かないでください! 敵を倒す事より、安全に退く事だけを考えて!」

 

 自分は高揚した気持ちを保つため、声を張り上げて周囲を鼓舞し続けました。

 

 戦争の熱に浮かされていたからこそ、この時の自分は冷静でした。

 

「トウリ少佐。エンゲイ市内で、市民の暴動が勃発しているそうです。遠回りになりますが、郊外の道を辿って撤退しましょう」

「……分かりました。偵察兵、退路の確認を急いでください」

 

 心の奥底に氷の膜が張っていて。

 

 ひとたび戦場の熱が冷め、正気に戻ってしまったら。

 

 自分は一体どんな妄言を吐き散らすのか、想像もつきませんでした。

 

「……撤退許可が出ました」

「行きましょう」

 

 こうして、自分の担当していた区域では戦線突破されず、無事に撤退する事が出来ました。

 

 ジーヴェ大隊は大きな被害を受けたものの、壊滅には至っておりません。

 

 ケネル大尉は流石と言うべきか、シルフの仕掛けてきた浸透戦術に対し即座に『塹壕分断・通路爆破』を指示し、部隊の損耗率を1割台に留めていました。

 

 『少佐の迅速な後退許可のお陰ですわ』とのことですが、あの状況で損耗率1割はすさまじい戦果だと思います。 

 

 ヴェルディさんに報告して、然るべき評価をしてもらいましょう。

 

 

 この日の戦闘結果は、散々なものでした。

 

 戦闘開始から6時間ほどで、エンゲイ防衛戦は決着しました。

 

 ケネル大尉のように『浸透戦術』に対応できた指揮官は少なく、オースティン軍は壊滅に近い状態に陥りました。

 

 シルフの浸透戦術による死者、行方不明者、脱走者は合わせると、被害は1万人近くに上りました。

 

 兵力の少ないオースティン軍にとって、この被害は致命傷でした。

 

 

 一方でフラメール・エイリス連合軍は、悲願のエンゲイの奪還に成功したことになります。

 

 卑劣な簒奪者オースティンにより占領され、どれだけ頑張っても奪還できなかったエンゲイでしたが。

 

 民から立ち上がった英雄『アルノマ・ディスケンス』の活躍により、ついに解放されたのです。

 

 エンゲイ市民は万歳と叫んでアルノマさんを迎え入れ、その功績を称えました。

 

 しかしエンゲイに入ったアルノマさんの顔は青く、悲嘆にくれていました。

 

 彼はエンゲイに入ってまず、親友だった『大盾』ヘレンズ軍曹の骸を棺に納め、彼の遺族に謝罪し大泣きしたそうです。

 

 その姿を見た民衆は、アルノマさんの優しい心を支持しました。

 

 アルノマ・ディスケンスは、フラメールを救った英雄になったのです。

 

 しかし、『物語の主人公』のような英雄になれた彼は、全く嬉しそうではなかったそうです。

 

 

 この戦いを契機に、戦争は少しずつ収束へと向かっていきました。

 

 

 エンゲイを奪還し以降、勢いづいた連合軍の逆襲が始まります。

 

 翌々月、もう一つの大規模戦線である『鉱山戦線』でも、オースティン軍は敗退しました。

 

 この戦いに自分は関与していないのですが、アルノマさん達による『浸透戦術』で突破されてしまったようです。

 

 この戦いでもオースティン軍は数千人の被害を出して、国境付近までの後退を余儀なくされました。

 

 

 この二つの敗北で、オースティンはフラメール内でほぼ活動できなくなりました。

 

 重要拠点を失った事で、オースティンの兵站線が崩壊してしまったからです。

 

 そのせいで我々は占領していたフラメールの小都市も放棄せざるを得なくなりました。

 

 こうして各地で、オースティン軍は撤退していき。

 

 エンゲイ解放からおよそ半年後、フラメールは国土からオースティン兵を追い出す事に成功します。

 

 フラメール領土の完全解放が成された日、連合軍は完全勝利を宣言し、フラメール中が歓喜の声に沸きました。

 

 

 一方のオースティンは、まさに瀕死でした。

 

 連合側が再侵攻してきたとしても、オースティンには抵抗できる防衛戦力が残っていません。

 

 オースティンの滅亡は、もはや避けようがない状況でした。

 

 今まで兵力が不利に対し、兵器技術と戦術レベルで応戦していた状況です。

 

 数で勝る相手に戦術でも上を取られれば、勝ち目はありません。

 

 

 そして、フラメールの完全解放がなされた後。

 

 オースティン政府は連合側に講和を打診し、『降伏』であれば受け入れるという返答を突き付けられました。

 

 ただし軍部掌握・領土割譲・属国化など要求されてはいましたが、決して横暴な内容ではなかったようです。

 

 降伏条件として『オースティン皇家の存続』や『自治領の維持』などが盛り込まれており、敗戦国にしてはむしろ優遇されていた条件でした。

 

 連合側も無茶な条件をぶつけてこなかったあたり、『そろそろ終戦したい』と考えていたのかもしれません。

 

 

 しかし、フォッグマンJr首相がこの降伏条件を拒否してしまいました。

 

 

 ────元々奴らが仕掛けてきた戦争だ。

 

 ────降伏したら、国民がどんな扱いを受けるか。

 

 ────フラメール兵が、オースティン辺境の村を侵攻した時にしたことを忘れたのか。

 

 

 オースティン政府は、他国からの約束など一切信用していなかったのです。

 

 ……あるいはフラメールに、父親を殺されたという私怨もあったのかもしれません。

 

 いずれにせよ、講和ならまだしも降伏などあり得ないと使者を突っ返し。

 

 フォッグマン首相は軍部に『首都ウィンの防衛網を使い、連合側を迎撃せよ』と命令しました。

 

「兵力差は、10倍以上」

「よく分からない戦術を使って、塹壕を魔法のように突破してくる」

「無理だ、勝てる訳がない」

 

 確かにかつて、オースティン軍はウィンの防衛網を使って連合軍を撃退しました。

 

 首相にもその記憶が、脳をよぎったのでしょう。

 

 フラメール国内だから、オースティンは敗北した。

 

 自国に引き付けて決戦を行えば、勝ち目は十分にある。

 

 そう、考えていたのかもしれません。

 

 

 しかし、当時とは状況が大きく異なっています。

 

 オースティンは兵力も、兵站も、弾薬もほとんどが尽きかけていました。

 

 そして今まで軍を『勝利』に導いてきた怪物(ベルン)は、国を去っているのです。

 

 100%勝ち目の無い、無謀な戦いでした。

 

「ああ、そうか」

「これが負けると、言う事か」

 

 首都ウィンで、戦場の空気を感じていない政治家たちと違い。

 

 前線で迫りくる連合軍から逃げている兵士達は、薄々気付いていました。

 

 もう、本当に勝ち目はないのだと。

 

 ……それは自分も、同様でした。

 

 

 

「労働者議会元首レミ・ウリャコフより。親愛なるオースティン皇帝閣下へ」

 

 そんな、オースティンが危機的状況に陥っている中。

 

 一つの訃報と一通の返書が、オースティン政府に届けられました。

 

 それは、サバト連邦の指導者レミ・ウリャコフからの書状でした。

 

「大変な折に、このようなお手紙を送る事は躊躇われましたが。貴国の英雄であり、また故人の意思でもありますので、私が代わりに筆を取らせていただきました」

 

 ……そこに記されていた内容は。

 

 オースティン政府にとって、衝撃的な内容で。

 

「ベルン・ヴァロウ様は本国にとっても、救世主のような人物でした」

 

 その手紙によると、軍を辞したベルン・ヴァロウはヨゼグラードに移り住み。

 

 レミ・ウリャコフの庇護下で、平穏な余生を過ごしていましたが。

 

「偉大なる勇士の逝去に、心よりお悔やみ申し上げます────」

 

 つい先週、病状の悪化に伴い敗血症で死亡したと、記されていました。

 

 

 

 ベルン・ヴァロウの死去。

 

 自分は撤退戦の最中に、この訃報を聞かされ唖然としました。

 

 ……自分はベルンが嫌いでした。心の底から会いたくない、嫌悪を抱く唯一の人物でした。

 

 しかし同時にどこかで彼が『サバトで何かをしてくれるんじゃないか』と言う期待も抱いていたのも事実でした。

 

 

 ベルンはヨゼグラードに移住した後、親交の深いレミ・ウリャコフらと余生を過ごしていたそうです。

 

 しかしサバトの医療技術は、オースティンに大きく劣っていました。

 

 サバトではクマさんが開発した抗生剤の製造ラインが、まだ整っていない様で。

 

 医療資源は、オースティンからの輸入に頼りきりの状況だったのです。

 

 

 そのせいで、敗血症を起こしたベルン・ヴァロウの治療を十分に行う事が出来ず。

 

 オースティンの苦境を聞いて喀血した彼は、そのまま病状が一気に悪くなり。

 

 稀代の怪物「ベルン・ヴァロウ」は、24歳という若さでこの世を去ったのでした。

 

 

 話を聞いてしばらく、自分はベルンの死に半信半疑でした。

 

 「死んだことになった方が都合がいいから」と言う理由で、ベルンが自らの死を偽装したのか。

 

 はたまた、連合側からの士気を下げるための流言か。

 

 

 ……しかし結局、ベルンの死は事実でした。

 

 オースティンがエンゲイ戦線で敗北し、フラメール国内から逃げ惑っていたころ。

 

 彼は敗血症を起こし、懸命の治療が施されましたが、サバトの病院内で死亡が確認されたそうです。

 

 ベルン・ヴァロウの死はサバトの新聞で大々的に報じられ、レミさんは泣いて彼の死を弔ったそうです。

 

 

 

 

「俺は悪人だ。だけど、オースティンに必要な悪人だった」

 

 これは死の間際、サバトの新聞に掲載されたベルン・ヴァロウの言葉です。

 

 彼は療養生活の中、新聞記者からの取材に対し、自慢げにそう語ったそうです。

 

「人を嵌めて殺すのが、楽しくて仕方なかった。俺の立てた作戦で敵に凄まじい犠牲が出ることが、この上ない快感だった」

「……人を殺すのが楽しかった、と仰るのですか」

「その通り。いや、言われなくても分かっているとも。それは、とても悪い事だ」

 

 人を殺すのが楽しかった。

 

 彼はそんな事を、自ら大量に殺したサバト人の記者に語って聞かせました。

 

「では勇敢なサバト兵たちは、貴方の快楽のために殺されたというのですか」

「ああ。……だからサバト国民は、俺をいくら恨んでくれても構わない」

 

 それは、ベルンなりの罪の告白であったのでしょう。

 

 彼の言葉を聞いたサバト人記者は、顔を顰めたそうです。

 

「だが俺がいかに悪人であろうと、オースティン国民が俺を非難することは出来ない。何故ならオースティン軍が優秀な指揮官を欲し、俺はその需要に応えただけだからだ」

「……それは、貴方が人殺しを好むことと何の関係があるのですか」

「分からないか? そうだな。スポーツで例えてみよう。フットボールが嫌いなやつと、好きなやつ。どっちが良い選手になると思う?」

 

 ですがそんな記者に対し、ベルンは悪びれる事もなく。

 

 澄んだ顔で、自らの傷だらけの体躯を撫でながら、呟くように話を続けたそうです。

 

「俺は悪人になる才能が有った。そして戦争が、国が俺を悪人になるよう求めた」

「……」

「これが、戦争が忌避されなければならん理由さ。戦争ってのは、悪人が称えられる行事だ」

 

 彼には、常識がありました。悪いことは悪いと思える、判断力がありました。

 

 しかし、それらを全部承知の上で───彼は、悪人になることを選んだのだそうです。

 

「……貴方は、戦争が忌避されるべきだと考えているのですか?」

「ん? 何を、分かり切ったことを」

 

 ベルンは新聞記者からの、この質問に対し。

 

 はっきり嫌悪感を浮かべ、忌々しそうに吐き捨てました。

 

「戦争さえなけりゃあ、俺はもっと長生きできてたんだぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 彼は『人殺し』が好きだっただけ。

 

 そして彼の人殺しの才能を生かせる場が、『戦争』であっただけ。

 

 彼はただ安全圏で、他者を虐殺するのに快楽を感じる性質であり。

 

 自分が傷つくかもしれない『戦争』というシステムには、辟易していたみたいです。

 

 彼が新聞記者に語った言葉は、全てが本心だったとは思いません。

 

 ベルンがサバトの国民に、申し訳ないと感じていたとは思えないです。

 

 ですが、きっと『戦争が忌避されるべきだ』という意見は……本心だったような気がします。

 

 

 参謀としての才能を見いだされる前、ベルン・ヴァロウは生粋のサボり屋でした。

 

 面倒な仕事は他人に押し付け、のんべんだらりと仕事をこなす軍人でした。

 

 ……彼は元々、戦争に積極的に参加しようとしていた訳ではないのです。

 

 

 彼が本気で戦争に介入し始めた理由は恐らく、『そうしないと損をするから』だと思います。

 

 オースティンが無条件降伏したら、軍人として戦争に参加していたベルンは酷い目に遭ったでしょう。

 

 だから仕方なく、後世でたくさん恨みを買うのを承知で、歴史に介入したのです。

 

 彼の願いは好きなように生きて、好きなように死にたかっただけ。

 

 ベルンもまた、戦争によって大きく人生を歪められた人間の一人でした。

 

 

 そんな彼がなぜ、サバトに移り住んだのでしょうか。

 

 抗生剤のないサバトでは、彼の容体が悪化した時に死ぬ可能性がある。

 

 その事実に、うっかり気付いていなかったのでしょうか。

 

 いえ。あの賢い彼が、その可能性を見落とすとは思えません。

 

 

 ではベルン・ヴァロウは死を求めていたのでしょうか。

 

 自分のように人殺しに快楽を求めることに苦悩して、自死を求めたのでしょうか。

 

 あるいは大一番で負けて自暴自棄になり、失意のまま死を望んだのでしょうか。

 

 ……それも恐らく、あり得ないでしょう。

 

 彼は死ぬ3日前、サバトの病床でレミさんの前で泣いていたそうです。

 

 まだやり残したことが沢山ある、もっと生きていたかったと、悔し涙を流したそうです。

 

 つまり、彼は本懐を遂げた訳では無かったのです。

 

 

 ……彼のやりたかったこととは、何なのか。

 

 彼がサバトに渡った理由は何だったのか。

 

 自分がそれらを知るのは、首都ウィンまで撤退した後の事でした。

 



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181話

 エンゲイ防衛戦の後の、諸外国の内情も分かる範囲でお話ししましょう。

 

 まずフラメール国内で、大きな悲劇が起きていました。

 

 それはエンゲイを解放されてから、オースティン軍がフラメール各地から撤収する折。

 

 我々は通信拠点を失って連携がとれない状況だったため、現場指揮官はそれぞれ撤退するしかなかったのです。

 

 それが悲劇の引き金となりました。

 

 戦後の交渉の事を考え、穏便に村落を解放して立ち去った理性的な指揮官もいたのですが……。

 

 一部、少しでもフラメールに被害を与えるべきだと暴走し、周辺村落を焼き討ちして撤退した指揮官もいたのです。

 

 そこでは目を背けたくなる所業が繰り広げられ、かつてオースティンの村落がサバト軍に虐殺された時のような光景が広がりました。

 

 これが強い怨恨となって、戦後にも尾を引くことになってしまいました。

 

 

 ここで彼らが怒り狂って、オースティン国内まで攻め込んできたら危なかったでしょう。

 

 オースティンが態勢を立て直し切る前に、ウィンまで攻略されていた可能性が高いです。

 

 しかしフラメール・エイリス軍は、追撃より自国領土の奪還を優先しました。

 

 そこには、フラメール政府と国民の感情に、大きな乖離があったからだと思われます。

 

 

 元々フラメールは漁夫の利を狙って参戦しただけで、総力戦は望んでいませんでした。

 

 勝ち馬に乗り、少ない被害で領土を手に入れられるからこそ、戦争を決断したのです。

 

 しかしフラメールは現時点で戦死者・民間被害者を合わせ、数十万人の命を失っていました。

 

 特に働き盛りの若い男性の人口は大きく減少し、生産力は大きく下がっていました。

 

 戦費もかさみ国民の生活は圧迫され、補償もろくに期待できません。

 

 更にオースティン軍に戦線を押し込まれ、自国都市のインフラも破壊され、再建には長い年月が必要な状態でした。

 

 フラメール政府は、参戦したことを大きく後悔していたのです。

 

 

 このまま戦争を続けオースティンを滅ぼしても、手に入るのは荒れ果てたオースティン領です。

 

 そしてフラメールは領土を得ても、それを植民地として運用する国力が残っていません。

 

 冷静な政治家なら、一刻も早く損切りをしたいと考える状況でした。

 

 またフォビスの挽肉作戦により、軍部でも強い厭戦気分が広がっていました。

 

 最前線の兵士たちは戦争の継続を、全く望んでいなかったのです。

 

 結果フラメールでは国民が怒り狂い、圧され仕方なく戦争を続ける政府という構図になっていました。

 

 

 一方でオースティンは、政府と国民の感情に乖離はなく、どちらも疑心暗鬼になっていました。

 

 野蛮なフラメール軍に降伏しても、復讐として粛清される未来が待っているだろう。

 

 どうせ殺されるなら、とことん抵抗した方がマシだ。

 

 そう考えたオースティンでは国民も政府も、徹底抗戦を望んでいたのです。

 

 

 ……また、オースティン軍が撤退時に行った蛮行は、政府にも伝えられていました。

 

 そのせいでフォッグマン首相は、降伏後に激しい報復があるだろうと考えました。

 

 なので連合側から出された降伏条件を一切信じず、国を滅ぼされる覚悟で決戦を決断したのです。

 

 

 このオースティンの強硬な姿勢は、連合側を困惑させました。

 

 まだ、戦うのか。これだけ譲歩しても、納得してくれないのか。

 

 連合側から見たオースティンは、戦争狂に見えていたかもしれません。

 

 

 そしてオースティン軍が徹底抗戦の構えを見せたあと、連合内で会談が行われました。

 

 すなわち、オースティン領土内に攻め込むかどうかです。

 

 また大きな犠牲が出る可能性もあるのに、戦争を継続して良いのかと。

 

 国力に余裕のあったエイリスは、まだ侵攻派が半数以上を占めていましたが。

 

 フラメール政府ではもう『講和でも良いから終戦を優先すべきだ』という意見が主流になっていました。

 

 もう十分だ、これ以上血が流れるのをみたくない。

 

 そろそろ潮時だ、我々は限界なのだ。

 

 フラメールが初めて経験した『近代戦』は、想像を絶する地獄だったのでしょう。

 

 フラメール首脳陣は口々に弱音を吐き、講和を主張しました。

 

 そんな弱気な姿勢のフラメールを叱咤激励し、侵攻を強く主張したのはシルフ・ノーヴァでした。

 

「今のひと時の安寧を求めて、将来の火種を残すのか」

「我々の繁栄の為、オースティンを滅ぼすのはやむを得ないでしょう」

 

 オースティンが回復すれば、奴らは再び牙を剥く。

 

 疲弊し弱り切った今叩かずに、いつ叩く。

 

 彼女はそう言って、オースティンへの侵攻を強弁したのです。

 

「今ならば確実に、オースティンに勝てる。むしろ、今しか勝てないかもしれない」

「本当に、『確実に』勝てるのかね」

「私がいれば、負ける可能性はない。多少被害は出るでだろうが、間違いなくオースティンを滅ぼせる」

 

 ……この強弁の裏には、彼女の思惑が大いに絡んでいました。

 

 シルフ・ノーヴァはこの戦争の恩賞として、オースティン西部領を強く欲していたのです。

 

 もしレミ・ウリャコフ政権が転覆すれば、サバト国民はオースティン領土に逃げ込むでしょう。

 

 彼女はその受け皿となるような『サバト臨時政府』を、オースティン内に建立する。

 

 そして「正当なサバト政府領」を樹立し、フラメールやエイリスと同盟を後ろ盾に、レミ・ウリャコフから民衆を解放していくつもりだったのです。

 

 それが彼女の思い描いていた、この戦争の終着点でした。

 

「絶対に勝てるのであれば、戦争の火種(オースティン)は断った方がいい」

「悪魔であるオースティン人を滅ぼして、平和な世界を取り戻そう」

 

 シルフの意見を受けて、連合側はオースティンへの侵攻を決定しました。

 

 それはシルフ・ノーヴァが今まで多大な功績を挙げて信用されていたのもありましたが。

 

 エイリスもフラメールも、オースティン軍の強さを恐れていたのです。

 

 だから戦いたくなかったし、将来の禍根として残したくありませんでした。

 

「では、オースティンへの最終通告を行い」

「拒否された場合は、侵攻を行う」

 

 ……恐ろしい怪物(オースティン)を、弱っているうちに始末しよう。

 

 連合側の判断としては、そんな所だったと思います。

 

 こうして、オースティンの命運はほぼ尽きてしまいました。

 

 世界情勢の波に飲まれ、利権の狭間にすりつぶされ、それでもなお戦い続けたオースティンの結末がこれ。

 

 

 ……こんな絶望的な局面を、何度もひっくり返してきたベルン・ヴァロウはもういません。

 

 彼はオースティンを捨て、サバトに移住し、レミさんと愉しく暮らし。

 

 そしてサバトの未熟な医療のせいで、命を落とす羽目になりました。

 

 

 なんとむなしく、哀しく、おぞましい結末でしょうか。

 

 ですが、これが敗戦国の末路です。

 

 掲げた正義も、兵士の忠誠も、信じた未来も、全て戦勝国に否定され。

 

 ただオースティンは悪魔であったと、蛮行だけが後世に伝えられていく。

 

 ……自分達が戦った軌跡は、全てが悪行として吹聴されるのです。

 

 

 ────お前なら、何とか出来るんじゃねぇかって思ってな。

 

 

 

 自分は、オースティンの行く末に絶望していました。

 

 今度こそ負けた。ベルン・ヴァロウはもういない。

 

 兵士も足りない。武器もない。オースティンと言う国は、末期の中の末期。

 

 ベルンは生前から既に、こうなることを予見していたのでしょう。

 

 だからサバトに渡ったのです。

 

 

 オースティンに生まれ落ちた悪魔。

 

 稀代の天才軍略家、ベルン・ヴァロウ。

 

 自分は結局、彼の人となりを最期まで理解することが出来ませんでした。

 

 常に飄々として、自分を隠し、ふざけたような言動で周囲を翻弄する。

 

 腹が立つ、おぞましい、気持ち悪い、そんなマイナスのイメージしかない男でした。

 

 ただ一つだけ、確実な事があるとすれば。

 

 

 ────ベルン・ヴァロウは負けず嫌いで、執念深い男です。

 

 

 

 

 

 

 エンゲイ陥落からおよそ半年。

 

 自分達は各地で敗走し、這う這うの体で首都ウィンまで逃げ延びていました。

 

「トウリ少佐、よく無事に戻られました」

「……ええ、何とか」

 

 もう、オースティンの滅亡は秒読みという状況で。

 

 自分は首都に戻ってすぐ、セドル君たちをサバトに脱出させる計画を建てました。

 

 レミさんの牛耳るサバトは危険ですが、今はオースティンに残る方が危険でしょう。

 

 きっともうすぐ、フラメールとエイリスが侵攻してきます。

 

 憎しみに飲まれた彼らが、市街地でどんな行動を取るでしょうか。

 

 ……自分は、それを何度も見てきました。

 

 急いでアニータさんに手紙を送り、二人の安全を確保しなければなりません。

 

「トウリ少佐、首都の参謀本部に今すぐ出頭して戴けませんか」

「自分が出頭、ですか」

「クルーリィ参謀長官がお呼びです」

「……、了解しました」

 

 しかしそれらの工作に取りかかる前に、自分は参謀本部から呼び出されました。

 

 ベルン・ヴァロウの腹心だったクルーリィ少佐が、自分に用があるそうです。

 

 軍人たるもの、出頭要請には逆らえません。

 

 自分は仕方なく、招集に応じました。

 

「トウリ・ロウ少佐です。出頭要請を受けて伺いました」

「おお、よくぞご無事で。お座りください」

 

 参謀本部は、以前ベルンの見舞いに行っていた際に場所を覚えていました。

 

 相変わらず貴族好みの、荘厳な雰囲気の建物でした。

 

「参謀長官をしております、クルーリィ参謀少佐です。今日はようこそお越しくださいました」

「よろしくお願いします」

 

 自分を呼び出したクルーリィ少佐は、中年の男性将校でした。

 

 司令部でよく見た、メガネをかけて頬もこけた頭の良さそうな人です。

 

「二人で話すのは初めてですね、トウリ少佐。あなたの話は、ベルン様からかねがね伺っていました」

「……どうも」

「成程、確かに聞いていた通り。……面影がありますな」

 

 クルーリィ少佐は意味深に自分の顔を眺めた後。

 

 自分が座っているテーブルの前に、作戦資料を置きました。

 

「お掛けください。貴女にお渡しするものがいくつかあります」

「何でしょう」

「……まずは、この作戦資料を。ベルン様が生前に作成したものです」

 

 クルーリィ少佐はそう言うと、書類を机の上に広げていきました。

 

「……ベルン・ヴァロウ少佐が、ですか」

「ええ」

「この資料を、自分だけに見せる理由を伺っても良いですか」

「彼の遺言で『トウリ少佐をウィン防衛戦に参加させるように』と。……貴官がカギとなる戦術なのです」

 

 どうやら自分が呼び出されたのは、ベルンの指示のようでした。

 

 ベルンが死んだのは数か月前で、首相がウィンでの決戦を決断する前のはずです。

 

「あの男は、数か月前に死んだのですよね」

「ええ」

 

 なのにウィン防衛戦の作戦資料が用意されているということは、彼は今の状況を予測していたことになります。

 

「相変わらず、周到すぎて気持ち悪い男です」

 

 そう呟きつつ、自分はその作戦資料を見て────

 

「……え? サバト軍?」

「はい」

 

 首都ウィンの防衛網に、サバトからの部隊が配置されている事に気が付きました。

 

 

 

 

「ベルン様は死ぬ間際、レミ・ウリャコフ総統を説得してくださったのです。オースティンに援軍を、と」

「……っ!」

 

 サバトからの援軍、3万人。

 

 それはベルン・ヴァロウが命の危険を冒し、サバトに移住して勝ち取った戦果でした。

 

「ベルン様はサバトに移住した後、レミ・ウリャコフ政権に協力したそうです。賊の討伐や、戦術指南など」

「……」

「更に伝手を使ってオースティンの内政官を送り、政務のサポートもしました。そのお陰でサバトの治安は安定し、援軍を送る余裕が出来たのだそうです」

 

 サバトからの援軍が望めなかったのは、国内の賊討伐に戦力が必要だったからです。

 

 しかしレミさん自身は親オースティン派で、援軍を送れるなら送りたかったのです。

 

 なのでベルンはサバト国内の安定に協力し、その上で援軍を打診したのです。

 

「……3万人の援軍があれば」

「ウィンを守り、降伏ではなく『講和』に持っていけるかもしれない」

 

 労働者議会にとっても、サバト旧政府軍は憎い敵です。怨敵と言って差し支えありません。

 

 オースティンと軍事同盟を組んでいますし、出征する理由は十分にありました。

 

 またレミさんにとっても、オースティンが存続した方が都合がよかったのです。

 

 彼女はオースティンの援助で、政権を取った立場。オースティンが滅びたら、後ろ盾を失うことになるのです。

 

「だからベルン少佐は、わざわざサバトに渡った……」

「サバトから援軍がなければ、オースティンに勝ち目はない。ここを去る際に、そう仰っていましたね」

 

 ここで自分はやっと、ベルンが何を考えていたかを知りました。

 

 ヤツは戦争に負けたくなかった。しかし、国内の状況からどうあがいても勝ち目はなかった。

 

 だから前線から遠ざかってまで、サバトに『援軍』を求めたのです。

 

「これが唯一、オースティンが『勝つ』方法だと仰っていましたね」

「……まだ勝利を諦めていなかったのですか、あの男は」

 

 ベルン・ヴァロウは愛国者でした。

 

 彼の行動はいつだって、オースティンの国益を第一に考えていました。

 

 ベルンは人殺しが好きな快楽殺人者であり、その欲望を満たすために軍人になりました。

 

 そして軍人になった以上、生涯を通して『愛国者』であり続けたのです。

 

「しかしよく、サバトが援軍を出してくれましたね」

「そこも、ベルン様のお力です」

 

 しかし現状、オースティンは非常に劣勢です。

 

 サバトからの援軍が来てもなお、勝てる可能性は低いでしょう。

 

 それにレミさんはともかく、まだサバト人の多くはオースティンを恨んでいます。

 

 わだかまりのある彼らが、全滅を覚悟してまでオースティンを助けてくれる理由なんて────

 

 

「サバト軍は……、勝ち馬に乗りに来たのです」

「勝ち馬?」

 

 そんな自分の疑問に、クルーリィ少佐はニヤリと笑って答えました。

 

「作戦通りにやれば、我々が『勝つ』だろう。それが、ベルン様の最期の言葉でした」

「……えっ?」

「そしてそれこそ、サバト軍が参戦してくれた理由です。ここで勝ち馬に乗れば、連合側から賠償を要求できる。サバトの資源は、益々肥える」

「ちょっと。ここから勝つ、ですか?」

「ええ。我々に、必勝の策がありますので」

 

 クルーリィ少佐は目を輝かせて笑い、自分に手紙を差し出しました。

 

 その手紙には見覚えのある筆跡のサインがしてありました。

 

 ……ベルン・ヴァロウと。

 

「これはベルン・ヴァロウ参謀少佐の遺策が書かれた手紙です」

「そんなものを、自分に見せても良いのですか」

「ええ。その手紙は、貴女に宛てられたものですから」

 

 そう言われて封筒をひっくり返すと、眩暈がしそうになりました。

 

 確かに宛先として、自分の名前が書かれてありましたから。

 

「ベルン様曰く、トウリ様への手紙に『必勝』の策を残しておいたと」

「……は?」

「トウリ様のご協力があれば、オースティンは救われるのです」

 

 ベルン・ヴァロウが必勝の策を『自分』に残して死んだ。

 

 そんないきなりブン投げられた重責に、眩暈がしましたが────。

 

「は?」

 

 ですが、そんな事(・・・・)はどうでもいい。

 

「これ、は、何ですか」

「ですから、サバト政府より預かりました、ベルン様の遺書です。トウリ様に宛てた」

「いえ、そう言う事を聞いているのではなく」

 

 問題は、その封筒に記された短いメッセージです。

 

 恐らくベルンが生前に記したであろう、その文言を見て。

 

 自分の目の前が、真っ暗になりました。

 

 

『親愛なる実妹(・・)、トウリ・ロウへ』

 

 



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182話

 

 無念だ。

 

 俺は無念で仕方がない。

 

 この忸怩たる心中を書き連ねるには、遺書が百枚あっても足りない。

 

 だが俺に残された時間は少ない。

 

 なので端的に、伝えるべき事だけを、短くまとめてお前に託す。

 

 トウリ・ロウ参謀少佐。……我が愛しき妹、イリス・ヴァロウよ。

 

 お前の力があれば、オースティンはこの苦難を乗り越えられるだろう。

 

 そして忌々しいあの女に、後悔と苦悩で血反吐を吐かせてやれる。

 

 

 レミには全てを、伝えている。

 

 アイツは鼻が利く女だ、きっとお前に協力してくれるだろう。

 

 お前が俺を、嫌っていることは知っている。

 

 だから俺の無念を晴らしてくれ、とは言わない。

 

 だが、お前に家族の情があるのなら。

 

 伝える事は出来なかった、この兄の気持ちを汲んで、オースティンを救ってくれ────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何ですかこの、ふざけた内容は!」

 

 自分はベルンの手紙を読み進め、思わず絶叫しました。

 

 あの男は、死を前にして妄想に取りつかれたのか。

 

 はたまた自分と兄妹関係を捏造する事で、何かアイツに得でもあるのか。

 

 自分は、混乱の極致に叩き落されました。

 

「クルーリィ参謀長! これを、この手紙の内容を、自分には理解できません! 自分は孤児です、ノエル孤児院で育った、天涯孤独の平民です。なのに、この手紙は、支離滅裂で意味がよく────」

「落ち着いてください、トウリ少佐」

「これが落ち着いていられますか!」

「貴女がどう思われようと、トウリ少佐とベルン様の血縁関係は事実です」

 

 自分が激高する事を、予想していたのでしょう。

 

「……ベルン様は裏は取った上で、その遺書を書いておられます」

 

 クルーリィ参謀長は落ち着いた態度で、諭すように話を続けました。

 

「いつのまに、そんな調査なんて」

「一昨年です。ベルン様は、トウリ様の出自を調査しろと私に命じました」

「どうして……」

「貴女を部下に勧誘する交渉札として利用する為……。と、仰っていましたね」

 

 彼が言うには2年前、ベルンが自分に部下にならないかと勧誘をした時。

 

 ヤツは交渉材料として、自分の血縁情報を用意しようとしたのだそうです。

 

 『お前の本当の家族を知りたくないか』と、自分に迫るために。

 

「……それで?」

「こちらが貴女が孤児院に届けられた当時の、ノエル村付近の戸籍と、行方不明者のリストです」

 

 クルーリィ参謀長官はその命令に従って、マシュデールの役所から戸籍の写しを取り寄せて。

 

 そこでようやく、自分とベルンの血縁関係に気が付いたのだといいます。

 

「トウリ様がノエル孤児院に届けられた1か月以内に、マシュデール周辺で行方不明になった女児は八名でした。そのうち遺体の特定が出来ていないだけで、ほぼ死亡が確認されている女児を除くと三名。さらにこの中で、ノエル村周辺で行方不明になったのは一人だけ」

「……一人」

「ええ。おそらくその女児が、トウリ様である可能性が非常に高い」

 

 自分は呻くように、その戸籍資料に記された名を読みました。

 

 もしかしたら、それは自分の『本当の』名前かも知れなくて。

 

 ────悪魔(ベルン)の妹、ヴァロウの姓を冠する女児。

 

「くしくもそれは、被災していたベルン様の実妹『イリス・ヴァロウ』様だったのです」

 

 

 

 

 

 

 

 

『はあああ!?!?』

 

 ベルンもまさか、自分(トウリ)が実妹だとは思っていなかったようで。

 

 クルーリィ少佐から報告を受け、声を上げて驚いたのだそうです。

 

『クルーリィ、さてはからかってやがるな? そんな偶然があってたまるか』

『……確かに証拠はございませんが。ベルン少佐の出身地は、確か』

『待て。そうか、確かにイリスが生きていたとしたら。一番近いのはノエル孤児院か────』

 

 彼は何度も、自分が届けられた日付と、周辺の行方不明情報をにらめっこした後。

 

 頭を抱えて、その場に蹲ったのだそうです。

 

『あーあ、こりゃ最悪だ』

『最悪、ですか』

『アイツ、絶対に信じねぇぞコレ。よりによって俺かよ、ちくしょうめ』

 

 ベルンはこの情報を聞いて、むしろ頭を抱えました。

 

 自分がベルンを酷く嫌っている事は、誰の眼にも明白だったからです。

 

『お前の生き別れの兄が生きていた。それは何と俺だった! そう、トウリに告げることになるのか』

『そうなりますね』

『あっはははは!! こいつは、こいつは傑作だ!』

 

 最初はしょんぼりとした顔になった後。

 

『蹴とばされておしまいじゃねぇか!』

 

 やがて、堰を切ったように大爆笑したのだとか。

 

 

 

 

 

「それが、貴女がベルン様の妹だと判明した経緯です」

「……嘘です」

 

 その話を聞いてなお、自分は半信半疑でした。

 

 その話では、たまたま自分が孤児院に預けられた時期に、ベルンの妹が行方不明になっただけ。

 

 確かに自分がベルンの妹である可能性はありますが、証拠はなにもないはずです。

 

「イリス・ヴァロウが自分という証拠はないでしょう?」

「状況証拠ならございます」

「……、聞いても良いですか」

「ええ」

 

 そう思って、何とかヤツとの血縁を否定しようとしたら。

 

 クルーリィ少佐は、含み顔で二枚の紙切れを机に置きました。

 

「17年前、村を追われたベルン・ヴァロウ様がマシュデールで保護された日付です。それはトウリ少佐が、ノエル孤児院に届けられた日の僅か3日後でした」

「……」

「日付的に、トウリ少佐がイリス・ヴァロウとしか考えられません」

 

 ……17年前、自分がまだ三歳のころ。

 

 当時オースティンとサバトは戦争状態ではないものの、小競り合いが頻発していました。

 

 『正規軍ではなく賊の行動』という建前で、お互いの領地に襲撃しあっていたのです。

 

 そして夏ごろに、サバト側の『賊』がノエル付近で大暴れした事件がありました。

 

 自分はその事件で親を失って、ノエル孤児院に送られたのだと聞いています。

 

 

 しかし……ベルン・ヴァロウもその時期、家族と共にノエル近郊の村落に住んでいたそうです。

 

 そしてヤツが畑作業に従事している最中に、突然サバト兵が襲撃してきました。

 

 家族と合流している時間はないと判断し、一人でマシュデールまで逃げ、衛兵に保護を求めたのだとか。

 

「その後ベルン様は、軍に志願しました。少年兵として軍に従事し、その才能を認められました。そして後見人を得て士官学校に入学し、参謀将校にまで出世を果たしたのです。その後の戦歴は知っての通り、素晴らしい戦果を挙げ続けました」

「……」

 

 しかしこの襲撃事件以降、彼は性癖が大きく歪んでしまい。

 

 虐殺される人を見て興奮する、悪魔の様な感性を自覚してしまったのだといいます。

 

「ベルン様はもう家族を失ったものと割り切っていました。だからこそ、突然妹が生きていたと知って、どう接すればいいのか分からなかったのでしょう」

「そんな。ベルンは、そんなタマでは」

「私から見て。ベルン様は存外に、繊細な男でしたよ」

 

 クルーリィ参謀長が自分を見る目には、憧憬が色濃く滲んでいました。

 

 まるでベルン・ヴァロウの生まれ変わりでも見る様な、そんな目です。

 

「嘘です、信じません。だって、ベルンならその血縁を利用して、もっとうまく自分を言いくるめたでしょう。アイツに家族の情なんてない、利用できるものは何でも利用する、そんな男で」

「トウリに伝えたら絶対に、俺を拒絶されるだろうと言って。ベルン様は、寂しそうに笑っていました」

「……そんな、ばかな」

「私もそう思いましたよ。恐らく、以前の貴女にこの事実を告げても、良い反応は返ってこなかったでしょう」

 

 ……自分はこの時、どんな顔をしていいか分かりませんでした。

 

 いきなり実の兄が生きていたという事実を突き付けられ。

 

 その男は、この世で最も嫌っていると言っても過言ではないベルン・ヴァロウで。

 

 そしてその男は、つい最近にこの世を去ったというのです。

 

「……馬鹿じゃないですか」

 

 クルーリィ参謀長に渡された戸籍資料には、確かに自分の名が記されていました。

 

 トウリ・ノエルがノエル孤児院に入った日付。

 

 ベルン・ヴァロウがマシュデールで保護された日付。

 

 ベルンの妹であるイリス・ヴァロウが、行方不明になった日付。

 

 それらは、自分が高い確率で『イリス・ヴァロウ』である事を示していました。

 

「今になって。こんなタイミングで。そんな、出生の事を聞かされても」

「ベルン様も、隠しておきたかったのでしょうけどね」

 

 クルーリィ参謀長は、眼鏡をクイっと上げて。

 

「トウリ様がウィン防衛戦の指揮をとるとなれば、これを公表しないと皆納得しないのです」

「……自分が、指揮を?」

「ええ」

 

 まるで神様でも拝むような、気持ち悪い笑みを浮かべて自分に平伏しました。

 

「ベルン様の実妹であらせられる、トウリ様。今まで数々の奇跡を成し遂げた、オースティンの誇る英雄!」

「え、あ、その」

「このオースティンの窮地を救うのは貴女しかいない。貴女にしか出来ないのです」

「えっと」

「どうかお願いですトウリ少佐、我々を導いてください!」

 

 

 

 

 

 

 それは、盲信。

 

 この男は、参謀長のクルーリィは、ベルン・ヴァロウの狂信者でした。

 

 だからベルンの遺策を問答無用で信じ、彼の『実妹』だという自分すら崇拝しているのです。

 

「そんな、自分には、無理です」

「できますとも、いやトウリ様以外に出来ない。お願いです、我々を見捨てないでください。オースティンを守ってください」

「ですから、自分にそんな手腕、は」

「大丈夫です、偉大なる兄君がとっておきの策を残してくださっているのです。ですからどうか、お導きを」

 

 自分は、その男に恐怖を感じました。

 

 その剣幕は、自分を見ているようで見ていません。

 

 自分の後ろにベルン・ヴァロウの姿を、幻視しているのです。

 

「そうだ、まだベルン様の策をお読みでなかったですね」

「いえ、その」

「私はしばし席を外します。ベルン様の遺書をお読みになってから、改めて話しましょう」

 

 彼はそう言うと、優雅に一礼して参謀長室から立ち去りました。

 

 部屋には、自分がぽつんと一人残されました。

 

「……」

 

 混迷と、嫌悪と、当惑。

 

 嫌悪感と共に浮かび上がる、病床で笑みを浮かべて自分を見つめるベルンの横顔。

 

 様々な感情に押しつぶされそうになりながら、自分はその手紙をゆっくりと読み進めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 先に。

 

 あらかじめ、言っておきます。

 

 当時の自分を混乱の極致に陥らせた、このベルン・ヴァロウとの血縁関係ですが。

 

 

 

 ────この血縁関係は、まるごと捏造でした。

 

 

 

 当時の自分は信じ込んで、真面目にベルンを想い黙祷したり。

 

 このあとサバトに行って、わざわざ墓参りまでしたというのに。

 

 それは戦後に、ふと『そういえば実の両親の墓参りをしてみようかな』と、自分の戸籍を再確認しようとしたところ。

 

 戸籍管理部によれば、『ノエル村付近の戸籍はすべて焼失しているので確認不可』とのことでした。

 

 じゃあ自分とベルンの血縁を示していた、あの戸籍資料は何なのだとクルーリィ少佐に詰め寄った結果……。

 

 それはベルンが命じて作らせた、真っ赤な偽書類だと白状しました。

 

 

 そう。先ほどのクルーリィ少佐の話は全て、クルーリィ少佐に宛てられた『ベルンの遺言で』指示された内容で。

 

 彼はベルン・ヴァロウの遺言通り、自分を実妹に仕立て上げるため、公文書偽造に手を染めたのです。

 

 なるほど、良い手です。自分は混乱の極致で、嘘を見抜けず信じ込み。

 

 ベルンにまんまと乗せられ、悪意の片棒を担がされたのですから。

 

 兄弟関係の捏造を聞いた後、自分は速攻でベルンの墓を蹴飛ばしにサバトへ向かいました。

 

 何が実妹ですか。何が、家族の情ですか。

 

 人の気持ちを弄ぶのもいい加減にしてください。

 

 

 ……結局、自分の出生のルーツは明らかになっていません。

 

 一応、ベルン・ヴァロウがノエル付近に住んでいて、『イリス・ヴァロウ』という妹が居たことは事実だそうです。

 

 だからヤツが言うように、自分が実妹であるという『可能性』はありました。

 

 

 きっと彼はソレに気付き、利用したのでしょう。

 

 ベルン・ヴァロウの名は有名です。オースティン軍では、軍神のようにあがめられています。

 

 だから『軍神の実妹』として自分に箔をつけ、自分が指揮を執ることを受け入れさせると同時に、自分を逃げられなくしたのです。

 

 幼いころ、戦火に巻き込まれ行方不明となった実妹すら利用する。

 

 本当に、あの男のやることは徹頭徹尾、終わっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

「は、はは」

 

 そして、参謀長室でひとりっきり。

 

 ベルン・ヴァロウの遺策を読まされた自分は、

 

「ばーっかじゃないですか、あの男」

 

 そのあまりのくだらなさと愚かしさに、乾いた笑いしか起きませんでした。

 

 本当に、何度思い返しても、あの男は終わっています。

 

「……」

 

 正直、すぐ断ろうと思いました。

 

 自分には荷が重すぎて、出来るわけがない。

 

 そもそも自分は、頭が良い人間ではありません。

 

 それは1年間、少佐として後方勤務を行ってはっきり気付いていました。

 

「……ああ」

 

 ですが、ベルンの遺書を破り捨てようとしたその直前。

 

 自分は本当に、うっかりとその遺策に隠された『意図』に気づきました。

 

「そういう事ですか、ちくしょう」

 

 その策に込められたベルンの悪意。

 

 そしてベルン・ヴァロウがわざわざ『自分』を総指揮に抜擢したその理由。

 

「……何が必勝の策ですか。大博打も良いところじゃないですか」

 

 確かにベルンは、オースティンに勝ち筋を用意していました。

 

 悪意と憎悪にまみれた、か細い糸のような勝ち筋です。

 

 そして、その勝ち筋をオースティンで最も『うまく辿れる』のは自分でした。

 

 

「……自分、は」

 

 

 去年までの自分であれば、断っていたでしょう。

 

 自分の指揮で、多くの命を奪うことに耐えられなかったからです。

 

 また、自分が勝ち筋をうまく辿れるかでオースティンの命運が変わります。

 

 戦争に『巻き込まれていた』だけの自分(トウリ)に、その重責にはとても耐えられませんでした。

 

 

 ─────そんなに『自分が悪人だ』と、認めたくないのかお前は。

 

 ─────人に良い顔がしたいからって、才能隠して楽をしてんじゃねぇ!

 

 

 これはかつて、自分がベルンに言われた言葉です。

 

 これは彼が自分を説得する為に、心にもない文句を並べただけの戯言です。

 

 ……ですが、その言葉が自分の甘えを『明確に』言語化していたのは確かです。

 

 

 早く平和にならないかな。戦争が終わってくれないかな。

 

 そんな人ごとのような願望を口にして、いい子ちゃんのままいても何も変わりません。

 

 ですが例え、自分の指揮で多くの犠牲が出るとしても。

 

 より多くの命が、奪われる結果になったのだとしても。

 

 自分は敵の命より、セドル君たちを守りたい。

 

 セドル君たちが平和に、静かに暮らせる未来を手に入れたい。

 

 そのためならベルン・ヴァロウの力を借りて、悪行を実行してやる。

 

 

 今、戦争を主導しているのは自分です。

 

 悪魔とののしられようと、自国の欲望を最優先に、敵の命を無感情に奪っていく。

 

 

 ────それが、戦争なのです。

 

 

 ……こうして自分は数時間、たっぷり悩んだ末。

 

 ベルンの策の片棒を担ぐことを、受け入れました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「決戦は、おそらく3か月後」

 

 そして、戦争の舞台はオースティンの首都ウィンに移ります。

 

 クルーリィ少佐がベルン・ヴァロウの遺言を公表し、自分へ参謀長官の役職を譲り。

 

 自分が21歳になった夏、とうとう第二次ウィン防衛戦が勃発しました。

 

「それまでに全国民で、再び大規模な防衛ラインを築き上げるんだ」

 

 連合側は、エイリス・フラメール・旧サバト政府軍の3か国が主体となって編成され。

 

 当時のフラメールやエイリスの植民地であった小国からの動員も合わせると、総数は30万人に達しました。

 

 この兵数は、本戦争においても最大規模の動員であり。

 

 完膚なきまでに、オースティンを滅ぼすという決意を感じる兵士数でした。

 

 

 一方でオースティン側は正規軍が2万人ほどで、未訓練の女子供を入れても3万人ほどでした。

 

 それに加え、サバトからの援軍が約3万人が小分けに送られてきます。

 

 たった3万人と思うかもしれませんが、当時のサバトの情勢を考えれば、限界いっぱいだと思います。

 

 さらにフォッグマン首相の外交政策で、フラメールに恨みを持っている小国を取り込んでいました。

 

 それら『周辺小国からの援軍』がオースティン側に、1万5千人ほどくるようです。

 

 

 オースティン側の総戦力は、これで7万5千人。連合軍の兵力差は、およそ4倍ほどでした。

 

 ですが、決して、絶望的な雰囲気ではなく。

 

 ベルンの遺言の影響もあってか、『十分に勝てる見込みがある』と士気は十分だったようです。

 

 

 このウィン防衛戦は、この戦争における最大の戦闘となり。

 

 そして、この戦争の決着をつける『最終決戦』となりました。

 

 

 オースティンを踏み台に、祖国を救おうと奮闘するシルフ・ノーヴァ。

 

 欲望のままに戦争に巻き込まれ、失意のうちに逝った怪物ベルン・ヴァロウ。

 

 『物語の主人公』として、シルフに英雄へ作り替えられたアルノマ・ディスケンス。

 

 

 その因縁の結末を見届ける役目に選ばれたのが、自分だったという話です。

 

 

 

 

 

「……トウリ? どうしたんだ、そんなに暗い顔をして」

「ガヴェル少尉」

 

 自分はクルーリィ少佐に、『ベルンの遺策を引き継ぎます』と伝えた後。

 

 決戦ムードになっている首都ウィンを、ガヴェル少尉と共に歩きました。

 

「とても、嫌な役目を仰せつかりまして」

「何をやらせられることになったら、そんな顔になるんだ」

 

 彼は自分の護衛として、ついてくれています。

 

 自分はもう少佐なので、護衛なく街を歩けないのです。

 

「国家機密なので、話せないんですけど」

「あー、お前も苦労するな」

 

 とんでもない事を引き受け、消耗しきっていた折に。

 

 気軽なガヴェル少尉との会話は、ちょっとした癒しでした。

 

 国への責任とか、ベルンの遺策とか、セドル君の安全とか、考える事が多すぎてパニックになりそうでしたから。

 

「ぷくぷくぷくぷくぷく」

「アルギィは、元気そうですね」

「酒さえあればコイツは元気だ。気楽な生き方だぜ、まったく」

 

 自分は、自らの意思でベルンの策を引き継ぐと決めました。

 

 エゴだと言われても、誰かを殺すことになっても、自分の周囲にいる人を守りたいと思いました。

 

「そういえば、ナウマンさんがいませんね」

「ああ。ウィンに家族がいるやつは、特別休暇を許してるんだ」

 

 戦争をしている以上、奇麗事なんてありません。

 

 戦場は『俺は死にたくないから、お前が死ね』というエゴの押し付けあいです。

 

 だから前線兵士は、敵兵を撃ち殺したあとに手を打って笑いますし。

 

 後方指揮官は、戦死者の数を見て前線兵士を褒めたたえます。

 

「今日は、家族とデートだって言ってたな。ナウマン」

「……それは、素晴らしい」

 

 こうして自分は『戦争に巻き込まれた兵士』ではなく、『戦争に志願した兵士』になり。

 

 世紀の大悪党ベルン・ヴァロウの遺策の、実行役となりました。

 

「ガヴェル少尉。恐らく、次の戦いが最後になります」

「お、そんなこと俺が聞いていいのか」

「ええ。明日の新聞でこのウィン防衛戦が決戦だと、デカデカ報じる予定ですから」

 

 ウィンの街には、まだ活気が残っていました。

 

 若い男は減り、通りには女性と老人しか目に入りませんけれど。

 

 自分たちが勝つと信じて、命がけで働いている民が残っていました。

 

「勝ちますよ、決戦に」

「ああ、もちろん」

 

 自分には、守らねばならない人がたくさんいます。

 

 セドル君やアニータさん、サバト経済特区で仲良くした人たち。

 

 衛生部で眠れぬ夜を共に過ごした、レイリィさんやケイルさん。

 

 ガヴェル曹長やナウマンさんなど、共に戦ってきた戦友。

 

 今まで自分を指揮し、導いてくれたヴェルディさんやレンヴェルさん。

 

「彼らには、平穏な戦後を迎えてほしいですから」

 

 そう言って、自分は目を閉じた後。

 

 次に、今まで散っていった戦友を思い浮かべ、祈りを捧げました。

 

「……自分に力を貸してください」

 

 初めての戦友、サルサ君。

 

 共に西部戦線を生き抜いた、ロドリー君やグレー先輩、アレンさんにガーバック小隊長。

 

 衛生部で色々な事を教えてくれた、ゲールさんたち先輩衛生兵。

 

 うっかり屋のラキャさん、優しかったアリアさん、可愛かったリナリー、ひょうきんだったゴムージ。

 

 ちょっと怖かったメイヴさん、とても勇敢だったキャレル二等兵。

 

 そして、当時は兄と信じていた稀代の怪雄ベルン・ヴァロウ。

 

「どうか、未熟な自分を見守っていてください」

 

 今まで自分を、守ってくれた人たちがいる。

 

 そして今から、守らなければならない人たちがいる。

 

 いろいろな人の想いを背負って、自分は此処に立っている。

 

 ……そう決意も新たに、自分はウィンの街並みを見据えました。

 

 これも、ベルン・ヴァロウの思惑通りだったのでしょうか。

 

 

 

 

「ん、あれナウマンじゃね」

「ん?」

 

 ただ、一つだけ。今も理由が分からず、気になっていることがあります。

 

 自分が実妹でないのなら、何故ベルン・ヴァロウが自分に固執したかということです。

 

「あ、アンナさんにキスしようとして拒否されましたね」

「……娘さんに脛を蹴られてないか、あの人」

 

 自分を本気で手駒にしたかったなら、もっと良いアプローチがたくさんあったはずです。

 

 嫌われることが分かっているのに、ああも馴れ馴れしく自分に構ってくる必要はありません。

 

「ったく。せっかく休暇をやったのに、娘に嫌われてちゃあ世話ないぜ」

「……」

 

 しかし、彼の自分へのアプローチは度を越していました。

 

 それこそ彼が自分のことを、妹だと思い込んでいないと違和感があるように。

 

「馬鹿なおっちゃんだ。年頃の娘にベタベタしたら、そうなるだろ……」

「……ええ」

 

 

 ────思春期ごろの少女は、血がつながった異性に、生理的な嫌悪感を抱くことがある。

 

 

「ま、その辺りは自分達の管轄外です。ナウマンさんに任せましょう」

「そうだな」

 

 そんなナウマン一家の微笑ましい日常を見て、微笑み。

 

 自分とガヴェル少尉は、並んで司令部へと戻りました。

 

 

 ……結局、自分にはベルンの考えなど分かりません。

 

 彼について確実な情報は、『イリス・ヴァロウ』という妹が居たことと。

 

 幼いころノエル付近に住んでいて、蒲公英茶が好物だったこと。

 

 そして幼少期にサバト軍の手で家族を殺され、一人マシュデールに逃げ延びたこと。

 

 これくらいです。

 

 

「……トウリ?」

「いえ」

 

 

 自分は幼少期、『同じ村の住人』と名乗る男にノエル孤児院に届けられました。

 

 その男は何故か名前を告げず、どこぞに消えたそうです。

 

 幼い自分を、孤児院に届けてそれっきり。

 

 

 もし、ベルンが自分を実妹と確信していたとしたら。

 

 戸籍も焼失し、何の情報も残っていない自分を、妹を確信できる人がいるとすれば。

 

 それは、自分を『ノエル孤児院』に届けた人物しかいません。

 

 

 

 ────さよならだ、イリス。

 

 ────やだ!

 

 

 

 それは、妄想かもしれない記憶。

 

 若いベルンのような誰かが、自分の頭をなでて、ノエル孤児院の入り口に手を引いていく記憶。

 

 

 行かないで────

 

 

 自分は大泣きして、立ち去る誰か(ベルン)に手を伸ばし……。

 

 

 

「少し。ぼーっと、していました」

「しっかりしてくれよ」

 

 ふと、我に返り。

 

 ありもしない記憶だと、忘れることにしました。

 

 

 ……まさか、ね。

 




これで9章は終了です。次章、完結予定。
再開までしばらくお待ちください。


【告知】
2024年5月26日、拙作「TS転生してまさかのサブヒロインに。」のコミカライズ版が連載開始です。
2024年5月30日、書籍「TS衛生兵さんの戦場日記」最新3巻が発売予定です。
よろしくお願いいたします。


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